ウェルフェア・キャピタリズムと...

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〈研究ノート〉 ェルフェア・キャピタリズム アメリカ Ⅰ. アメリカ労使関係の変容とウェルフェア・キャピタリズム 1. 本稿の課題 、 アメリカ ニューディール して大 した いう ある。 それに があり、 (Non-Union Era)から づく いう めて大き あり、 第2 、こ ニューディール がアメリカ ったこ ある。 しかし、 ニューディール して あれ し、 またニューディール アメリカ めてアメリカ 印している ある。 よう アメリカ いう した がほ く、 そして いう されてきたこ して ある。 、 アメリカ いう し、 「 ある 「 ェルフェア・キャピタリズム (welfare capi- talism)」 が第2 アメリカ ぼした影 するこ にある。 こ 1920 いう した 「あだ してアメリカ において

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〈研究ノート〉

ウェルフェア・キャピタリズムと戦後アメリカ労使関係の特質

百田義治・堀 龍二

Ⅰ. アメリカ労使関係の変容とウェルフェア・キャピタリズム

1. 本稿の課題

従来、 アメリカ労使関係はニューディール労働法制の成立を契機として大

転換したという理解が通説である。 それには相当な根拠があり、 無組合時代

(Non-Union Era)から企業横断的な労働組合との団体交渉に基づく集団的

労使関係へという歴史的転換は極めて大きな意義と重要性をもつものであり、

第2次大戦後、 このニューディール型労使関係がアメリカ労使関係の主流と

なったことも否定できない事実である。 しかし、 ニューディール期以降も

「非組合型労使関係」 は傍流としてではあれ残存し、 またニューディール期

以降のアメリカ労使関係に極めてアメリカ的な特質を刻印しているのである。

このようなアメリカ労使関係の継承性という視点に立脚した研究がほとんど

なく、 そして継承性という歴史的事実が忘却されてきたことも研究の空白と

して否定できない歴史的事実である。

本稿の課題は、 アメリカ労使関係の継承性という視点に立脚し、 「非組合

型労使関係」 の原型である 「ウェルフェア・キャピタリズム (welfare capi-

talism)」 が第2次大戦後のアメリカ労使関係に及ぼした影響を歴史のなか

に実証的に析出することにある。 この研究は、 従来、 1920年代という特異な

状況のなかで開花した 「あだ花」 としてアメリカ労使関係史において正当な

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評価を付与されてこなかったウェルフェア・キャピタリズムをアメリカ労使

関係史のなかに改めて位置づけ直す試みの一環である。

2. ウェルフェア・キャピタリズムとその評価

ウェルフェア・キャピタリズムとは、 歴史的には第1次大戦直後からニュー

ディール労働法制確立期までの時期に、 主として経営者が反労働組合主義を

堅持した1920年代アメリカにおいて、 電機・鉄鋼・石油・自動車・化学・ゴ

ム・農機具など当時の新興産業に属する大量生産型の製造業大企業を中心に

展開された、 旧来の強権的あるいは単純な温情主義とは異なる 「洗練された」

労務政策である。 それは企業がその従業員を企業内 「市民」 として認知する

とともに、 その生活基盤の安定に責任をもつという新たな理念に基づいた労

務政策であった。 具体的には、 工場・職場レベルでの従業員の発言権や参加

権を公認すると同時に労使間コミュニケーションの促進・円滑化を意図した

従業員代表制の設置、 安定的雇用 (雇用保障)、 相対的な高賃金、 良好な労

働条件による従業員の安定した生活基盤の保障、 従業員の企業帰属意識の高

揚や長期勤続を奨励する企業年金、 有給休暇、 従業員持株制、 健康・生命保

険、 失業保険、 持家制度など 「新型あるいは金銭的」1) な福利厚生制度の提

供などが特徴的な施策である。 ウェルフェア・キャピタリズムは、 企業に労

働組合 (運動) を寄せつけない、 労働組合の回避・無用化という反組合思想

を色濃く体現したものである点では伝統的なアメリカ経営者の思想と共通す

るものであるが、 上記のような施策が従業員のモラールを高め、 企業内労使

関係の安定化と協調思想のもとで従業員の積極的な協力を取りつけるという

明確な意図をもって展開されたところにその特徴がある。

ウェルフェア・キャピタリズムに対する当初の通説的評価は、 それが本質

的に経営者による一方的な温情主義であり、 アメリカの正当な民主主義的価

値観に合致しないものである以上、 大恐慌という未曾有の経済恐慌の有無に

かかわらずその内在的な欠陥により早晩崩壊する運命にあったのであり、 ウェ

ルフェア・キャピタリズムは1920年代という特異な状況において開花した

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「あだ花」 であった、 というものである2)。

1960年代末に、 ブロディ (D. Brody) は、 こうした当初の通説的評価を

根本的に否定する見解を提起した。 彼によれば、 ウェルフェア・キャピタリ

ズムの展開の背景には大企業の出現とその担い手としての専門経営者の登場

がある。 つまり、 市場支配と規模の経済性を志向して成立した巨大企業とそ

の結果である株式の分散化と経営の複雑化に伴い登場した専門経営者たちに

とって、 大規模化・複雑化した巨大企業の経営には労使関係の安定化が不可

欠であり、 この現実的認識がウェルフェア・キャピタリズムを必然化させた

という。 そして、 その労務政策の評価には、 経営者がその従業員の生活安定

の義務を受容したという思想・約束が重要であり、 実際1920年代のアメリカ

資本主義のパフォーマンスはこの約束を信頼できると思わせうるものであっ

た。 「もしアメリカ企業がこの国の豊かさの分け前を与え仕事と福利を保障

できたなら、 企業はその見返りに労働者の忠誠と好意とを期待することがで

きた」 とみなすべき根拠は十分にあり、 もし大恐慌という外的インパクトが

なければ、 ウェルフェア・キャピタリズムとその下での労使関係がアメリカ

産業秩序のなかに定着していた可能性は捨てきれない、 と主張したのであ

る3)。

ウェルフェア・キャピタリズムの生成の要因 (基盤) に関するこのブロディ

の見解は、 ウェルフェア・キャピタリズムの本質 (歴史性) の評価にとって、

またニューディール型労使関係の歴史性の評価にとっても、 極めて重要な内

容を示唆するものである。

ウェルフェア・キャピタリズム展開の直接的契機は、 第1次大戦期・直後

に高揚した労働運動・労働組合運動への対応であった。 このことは労働組合

運動の回避、 反組合主義がウェルフェア・キャピタリズムの基本的な労使関

係観であることを確信させるものである。 しかし、 反組合主義の思想と立場

は第1次大戦直後にアメリカ製造業者協会 (NAM) などが推進したアメリ

カン・プランやオープン・ショップ運動にも共通するものであり、 ウェルフェ

ア・キャピタリズムに独自な特質ではない。 労働運動や労働組合運動に対抗

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するだけでなく、 従業員を積極的に企業に統合し統治し支配するメカニズム

の必要性を経営者に認識させた要因こそがウェルフェア・キャピタリズムの

生成基盤であろう。 この点では、 ウェルフェア・キャピタリズム生成期の労

働運動の質的変化、 ウェルフェア・キャピタリズムを推進した企業の性格、

それら企業における生産方法や労働力構成の変化に注目することが必要であ

り、 また確立された大企業体制の社会的認知の必要性に関する経営者的認識

に注目する必要もある。

第1次大戦期・直後の労働運動の特徴は、 それまでの熟練労働者主体の職

能別労働組合とは無縁であった半熟練・不熟練労働に従事する多数の従業員

を巻き込む労働争議が頻発したことである4)。 それは機械制生産の発展・大

量生産体制への移行という当時の生産方法の変化にともなう労働力構成の変

化を反映したものであると同時に、 徒弟制度や助手制度という従来の労働力

調達や技能・熟練養成のあり方が変化した結果であろう。 当時の大企業は職

能別労働組合に包摂されない多数の半熟練・不熟練労働者を直接雇用し、 必

要な技能・熟練は企業内技能養成機関で教育訓練するという方向に雇用管理・

労務管理政策を転換し始めていた。 しかも、 半熟練・不熟練労働者を中心と

した多様な労働者の不平・不満・不安を解消し、 安定的な労使関係を形成す

ることが高度な相互依存性を内包した生産活動の円滑な維持には不可欠であっ

た。 反組合主義の立場は堅持しながらも、 ドライブ・システム、 温情、 強制、

組合敵視といった従来型の温情主義的労務政策だけでは大規模化した生産活

動の維持に不可欠な安定的労使関係の形成は不可能であるという経営者的認

識がウェルフェア・キャピタリズム生成の要因であろう。 経営者的認識であ

る以上、 同様な生産方式を採用していても、 ウェルフェア・キャピタリズム

という洗練された労務政策を採用する企業もあれば、 従来型の強権的な労務

政策を継続する企業が存在しても不思議ではない。 1910年代~20年代のフォー

ド自動車(Ford Motors Co.)における労使関係は大量生産型企業の典型であ

りながら、 ウェルフェア・キャピタリズムの対極に位置した典型的事例であ

る。 しかし、 重要なことは、 歴史的パースペクティブのなかで如何なる労使

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関係の形成が必然であったのか、 この点を問うことであろう。

ところで、 1920年代ウェルフェア・キャピタリズムの展開に関する最近の

研究は、 その推進企業の多くが 「特別協議委員会 (Special Conference Com-

mittee: SCC)」 加盟企業であったことを明らかにしている5)。 このことは上

記の経営者的認識という点で極めて興味深いものである。 1919年に結成され

た SCCの加盟企業は、 ベスレヘム・スティール (Bethlehem Steel Co.)、

デュポン (E. I. du Pont de Nemours & Co.)、 ジェネラル・エレクトリッ

ク (General Electric Co.)、 ジェネラル・モータース (General Motors Co.)、

グッドイヤー (Goodyear Tire & Rubber Co.)、 ハーヴェスター (Interna-

tional Harvester Co.)、アーヴィング社 (Irving Bank-Columbia Trust Co.)、

NJスタンダード (Standard Oil Co.[New Jersey])、 ウェスティングハウス

(Westinghouse Electric & Manufacturing Co.)、 USラバー (United States

Rubber Co.、 1922年加盟)、 AT& T (American Telephone & Telegraph

Co.、 1925年加盟)、 USスティール (United States Steel Co.、 1934年加盟)

であった。 SCCは加盟企業の拡大を意図的に追求しなかったこともあり、

当初は9社、 最終的にも12社と参加企業数は限られているが、 アーヴィング

社を除く11社はいずれも当時のアメリカを代表する大企業であり、 ウェルフェ

ア・キャピタリズムを実践した典型的な企業であった。 SCCは加盟各企業

の労働情勢・労務政策・労使関係に関する情報交換を基本的性格とした組織

であったが、 アメリカを代表する諸企業の経営者たちが反組合主義の立場と

思想に立って近代的・安定的な労務政策・労使関係政策を展開する必要性の

認識を共有していたという事実は、 そのような事実認識を要請する客観的背

景が存在していたことの反映である。 SCCの存在は、 反組合主義の立場と

思想に立った安定的労使関係 (非組合型集団的労使関係) の構築の必要性が

当時の少なくない大企業経営者の共通認識を形成するまでに醸成させていた

ことの証左である。 1920年代ウェルフェア・キャピタリズムは、 大量生産体

制下では安定的・集団的労使関係の構築が不可欠であるという生産過程的要

請と大量生産を実現した大企業の社会的認知を獲得する必要性という時代的

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要請を反映した反組合主義の立場と思想に立った経営者的認識の具体的実践

あったといえる。 そして、 このことがウェルフェア・キャピタリズムの歴史

性でもある。 逆説的であるが、 ウェルフェア・キャピタリズムの核心である

反組合的集団的労使関係を象徴する従業員代表制の否定の上に成立したニュー

ディール型労使関係も、 安定的な集団的労使関係の存在が大量生産システム

の生産過程的要請であるという前提条件が変化すればその客観的必然性も消

失するという歴史性を持つものである。 そして、 ウェルフェア・キャピタリ

ズムもニューディール型労使関係も高度成長がその維持・発展の条件であっ

たことでも共通する。 これらの点は、 近年のニューディール型労使関係の衰

退とウェルフェア・キャピタリズムの再評価に関連する重要な論点である。

3. ウェルフェア・キャピタリズム再評価の背景

近年、 ウェルフェア・キャピタリズム再評価に関するブロディの見解が改

めて注目され、 ウェルフェア・キャピタリズムを再評価する論調が出現して

きた6)。

その背景の第1は、 1970年代後半から80年代にかけてアメリカ企業の国際

競争力の低下が明らかになるなかで、 高い業績と革新性を実現し続けている

「エクセレント・カンパニー」 の成功の要因に関心が向けられていることで

ある。 そして、 そうした優良大企業の多くが1930年代後半以降のアメリカ労

使関係の主流とされてきた 「ニューディール型労使関係」 とは異質な、 むし

ろ傍流とされてきた 「非組合型労使関係」 を形成し、 そこで展開されている

「人的資源管理論」 (Human Resource Management) に基づく労務政策・

理念が1920年代のウェルフェア・キャピタリズムを髣髴とさせる側面を多く

共有していることが注目されていることである。 すなわち、 ウェルフェア・

キャピタリズム的な労務政策・理念こそが高業績や競争優位を生み出す源泉

の1つであると評価されている7)。 結果として、 アメリカの経営者に根強い

反組合主義の思想と立場が再び表面化し、 非組合型労使関係を志向する労務

政策 (人的資源管理) が台頭し、 その傾向はますます強化されている。 この

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ことが近年の労働組合組織率の急速な低下の最大の要因でもある8)。

第2の背景は、 ウェルフェア・キャピタリズムの対極に位置するニューディー

ル型労使関係―それは労働諸条件の交渉に限定すれば 「敵対的」 労使関係と

性格づけられてきた―が、 その牙城である自動車工業や鉄鋼業などで 「地殻

変動」 とも呼ぶべき動揺をきたし、 それまでの団体交渉中心主義や職務規制

主義が後退して労使協調化が進んでいることである。 そこでは、 国際競争や

国内の非組合企業との競争に勝利し、 雇用を確保するという労使の合意のも

とで、 従来の所得保障に代わって雇用保障が、 職務にではなく企業業績や個

人業績ないし能力増大に連動する賃金が、 職務の細分化ではなく大括り化が、

また、 チーム生産方式やクォリティー・サークル (Quality Circle) 活動な

ど職場レベルでの従業員参加あるいは労使共同決定システムというマネジメ

ント・システムの一環として (労働組合ルートではなく) 従業員の発言機会

を 「拡大」 する施策が取り入れられている。 これらの施策の多くは 「非組合

型大企業」 の労務施策やウェルフェア・キャピタリズムと共通するものであ

り、 ウェルフェア・キャピタリズム的施策の組合セクターへの浸透とみるこ

ともできる9)。 言うまでもなく、 職務の大括り化、 チーム生産方式、 ジョブ・

ローテーション、 クォリティー・サークルなどは、 直接的には、 1970年代以

降に労働疎外現象に関する対処策として展開された QWL (Quality of

Working Life) やその後の日本的経営・生産システムの評価に基づき導入

されたものであるが、 経営・生産の意思決定過程への従業員の参加やコミッ

トメント、 あるいは労使間コミュニケーションの活性化は生産性向上に貢献

するという考え方がその根本認識としてある点ではウェルフェア・キャピタ

リズムと何ら変わるものではないであろう。

このような現代アメリカ大企業における労務政策・労使関係政策の変容は、

大恐慌で死滅したとされてきたウェルフェア・キャピタリズムの歴史的評価

の再検討を迫るものである。 このウェルフェア・キャピタリズムの現代的再

評価を代表する論者の1人がジャコービィ (S. M. Jacoby) である。 彼は

一部の大企業ではウェルフェア・キャピタリズムが大恐慌・ニューディール

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を生き延び、 それを原型としながらその後の人間関係論や行動科学などの成

果、 さらには組合セクターで獲得された成果をも摂取するなどして 「現代化」

が図られ、 「現代ウェルフェア・キャピタリズム」 として存続・継承されて

いることを事例的に検証している。 そして、 ウェルフェア・キャピタリズム

継承企業の事例が1980年代に注目され始めた 「新しい非組合モデル」 (=非

組合型大企業の労務政策・労使関係政策) の実践内容とほとんど変わらない

こと、 換言すれば、 「現代ウェルフェア・キャピタリズム」 の 「わずかな修

正版にすぎない」 ことを主張している10)。

ところで、 1990年代に入って、 アメリカではそれまで現代ウェルフェア・

キャピタリズムを体現してきた非組合型のエクセレント・カンパニー (優良

大企業) において、 従業員とりわけホワイトカラーなかでも中間管理職を対

象に大量の人員削減 (≒リストラ) が相次いで断行されるという事態が進行

している。 そこでは、 ウェルフェア・キャピタリズムが前提とする内部労働

市場を基本とした長期雇用関係や企業内部の公平性を重視する賃金決定に代

わって、 外部労働市場の原理が雇用関係や賃金を支配する方向に事態が進行

している。 このような労務政策・労使関係政策の変化の背景について、 キャ

ペリ (P. Cappelli) は、 製品市場における競争激化やプロダクト・ライフ・

サイクルの短縮化、 情報技術革新とそれに基づく組織のフラット化やアウト

ソーシングの進展、 株主価値の極大化志向、 プロフィット・センターやベン

チマーキングといった新しい経営手法の展開などを指摘し、 それらが総じて

企業内に市場原理を導入しているのであり、 内部労働市場ないし 「現代ウェ

ルフェア・キャピタリズム」 は消滅に向かうであろうと主張している11)。 そ

れに対してジャコービィは、 変化はあくまでフローにおいて生じている現象

であり、 ストックでは長期雇用慣行と内部昇進によるキャリア形成が行われ

ており、 キャリアジョブは以前より少なくなったかもしれないが依然として

存在すると主張している。 そして、 現代ウェルフェア・キャピタリズムは、

その庇護する対象範囲を幾分狭くしながらも適応しているのであり、 「会社

がアメリカ社会を経済的に守り抜くかなめ石であり、 またそうあらねばなら

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ないという観念には、 今なお広範な支持が寄せられている」 として、 ウェル

フェア・キャピタリズムの消滅に否定的な見解を提示している12)。

4. 現代アメリカ労使関係の変容とニューディール労働法制

以上のように、 現代アメリカ大企業における労務政策・労使関係政策の変

容にともない、 その変容の評価をウェルフェア・キャピタリズムの再評価に

関連づけた議論が活発に展開され、 ニューディール型労使関係のもとで忘却

されていたウェルフェア・キャピタリズムが再び現代的関心事として蘇ると

いう現状にある。 このようなウェルフェア・キャピタリズムを巡るキャペリ

やジャコービーの議論は非組合型労使関係の延長線上でのものであり、 当然

のことながら、 労働組合との団体交渉をベースとするニューディール型労使

関係の衰退という戦後アメリカ労使関係の最大の問題に直接的に関連づけた

議論ではない。 周知のように、 アメリカ労働組合の組織率は長期低落傾向に

ある。 特に、 1980年代以降は、 労働組合との集団的労使関係を否定した従業

員参加型の個別的労使関係を志向する労務管理諸施策が HRMとして普及

したこともあり、 1997年には民間部門の労働組合組織率は10%以下にまで低

下している。 しかし、 現代アメリカの労働組合組織率の低下に象徴されるニュー

ディール型労使関係の衰退が、 ウェルフェア・キャピタリズム、 とりわけそ

の基軸制度であった従業員代表制や全国産業復興法 (National Industrial

Recovery Act, NIRA) 成立直前に急増した会社組合の否認を最大の争点と

して成立したニューディール労働法制の形骸化、 すなわち全国労働関係法

(National Labor Relations Act, NLRA, ワグナー法) の経営者側に有利な

法解釈の浸透にともないニューディール労働法制そのものが労働組合運動の

足枷に転化していることにあることも否定できない事実である。 このような

視点に立って、 労働運動の再生という立場からニューディール型労働法制の

見直しを求めるという動向もある。 このことはウェルフェア・キャピタリズ

ム、 とりわけ従業員代表制や会社組合の否定を最大の眼目としたニューディー

ル労働法制の限界に起因する問題であるともいえよう。 換言すれば、 ウェル

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フェア・キャピタリズムの再評価論はニューディール労働法制の再評価とい

う問題と不可分に連動するものでもある。

ニューディール以降のアメリカ労働法制の中心であるワグナー法は、 第2

条(5)による 「労働団体」 の広い定義と第8条(a)項(2) (「労働団体」 の結成・

運営に対する支配・介入や、 経費等の援助を不当労働行為とする条項) によっ

て、 事実上、 集団的従業員参加制度を禁止していると解釈されている。 この

ことは、 民間部門の労働組合組織率が10%以下である現状に即して言えば、

民間企業に働く労働者の90%以上がその雇用条件・労働条件に関して如何な

る代表制によってもその発言権が公認されないという状態にある。 組合型団

体交渉の衰退と非組合型集団的従業員代表制度の禁止という現状が進めば、

従業員の発言は個別的労使関係 (労務管理システム) の枠内において 「機会

提供」 されるだけである。 個別従業員対経営者・管理者の 「交渉」 が対等・

平等の交渉として成立しないことは労使関係史の経験則であり、 アメリカ労

使関係の現状は 「経営者の独裁社会」 到来となる危険性を孕むものである。

産業民主主義という視点からは、 このようなアメリカ労使関係の現状はまさ

に 「代表制の危機」 であり、 そうした危機意識が従業員参加制度の合法化を

提案するダンロップ委員会の設置とその後の TEAM法案に結実しているこ

とは周知の事実である13)。

さて、 「代表制の危機」 とも表現されるこのような現代アメリカ労使関係

の現状をウェルフェア・キャピタリズムのニューディール型労使関係への影

響という本稿の問題意識に基づいて再確認すれば、 注目すべきことは、 現代

アメリカにおける労働組合運動あるいは集団的労使関係の再建・発展の足枷

に転化しているワグナー法第8条(a)項(2)が、 その成立当時に隆盛であった

「従業員代表制」 とそれを全国産業復興法に合わせて改組した 「会社組合」

を明確に禁止する意図をもって法制化されたものであったということであ

る14)。 すなわち、 第8条(a)項の(2)はウェルフェア・キャピタリズムとの闘い

のなかでワグナー法に刻まれた痕跡なのである。

同様のことは、 ワグナー法の運用を担当する全国労働関係局 (National

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Labor Relations Board: NLRB) が管轄する適正交渉単位認定と交渉代表

選挙制度を通じた 「認証」 (certification)、 および排他的代表制の創出にも

該当する。 この点は、 仁田道夫氏が次のように端的に指摘している。 「実際、

従業員代表制のもとでの従業員代表選出が会社の介入ぬきに公正におこなわ

れているかどうか、 また、 労働組合と従業員代表の並立を認めるかどうかを

めぐる NIRA施行以後の論争こそが、 過半数原則による排他的代表制とい

うワグナー法の組合承認形式の母胎となったのである」15)。 アメリカ労働法

制の特異な特徴とされるこれら諸制度の根源は、 ウェルフェア・キャピタリ

ズムの基軸制度であった従業員代表制 (会社組合) との相克のなかから生ま

れたものである。

ところで、 「代表制の危機」 論の核心は交渉代表選挙制度の変質にある。

交渉代表選挙制度とは、 労働者の自由意志によって過半数支持された労働団

体を排他的交渉機関として 「認証」 するものであるが、 この制度は NLRA

施行当初は強制ではなかった。 しかし、 1939年には、 NLRBの解釈によっ

て事実上使用者から要請があれば必ず選挙を実施しなければならなくなり、

さらに1947年の労使関係法 (Labor Management Relations Act of 1947,

タフト・ハートレー法) で交渉代表として NLRBの 「認証」 を受けるには

選挙が強制されることになるとともに、 使用者の言論の自由を認めて選挙過

程への使用者の介入・関与が大幅に緩和されることになった。 このことが結

果として労働組合の NLRB選挙での勝利を困難にし、 今日では常態化した

使用者の反組合行動を助長し、 組合組織率低下の大きな原因となっている。

いまや、 労働組合の側からワグナー法はもはや労働者の団結権を保障しない

だけでなく、 その権利を阻害する要因に変質・転化しているという激しい批

判が展開されるまでに立ち至っているのである16)。

以上のように、 ワグナー法とそれを基盤とするニューディール型労使関係

は、 通説的には1920年代という特殊的状況のなかで開花し大恐慌で破綻した

アメリカ労使関係史の 「あだ花」 と評価されるウェルフェア・キャピタリズ

ムの影響を直接・間接に受けたものである。 その意味ではニューディール型

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労使関係はウェルフェア・キャピタリズムの 「継承」 と 「断絶」 のなかに位

置づけて再検討される必要がある。 本稿は、 このようなウェルフェア・キャ

ピタリズムの現代アメリカ労使関係への影響のあり方を歴史検証によって実

証的に析出し、 ウェルフェア・キャピタリズムの歴史的意義を再評価しよう

とするものである。 具体的には、 ウェルフェア・キャピタリズムを積極的に

推進したグッドイヤー社 (Goodyear Tire & Rubber Co.) を主な事例して、

同社が最終的にはニューディール型労使関係に転換するに至った経緯をでき

る限り実証的に跡付けるとともに、 そのことを通してニューディール型労使

関係にウェルフェア・キャピタリズムが与えた影響 (アメリカ労使関係の

「継承」 と 「断絶」) を検証しようとするものである。

Ⅱ. タイヤ産業労使関係の転換 グッドイヤー社を中心として

1. タイヤ産業とグッドイヤー社

通常、 ゴム産業は大別して、 ゴム履物 (rubber footwear)、 工業用 (産

業用) ゴム製品 (mechanical rubber goods)、 (自動車用) タイヤ (tires

and tubes) の3つの部門に分けられる。 それは一面ではこの産業の歴史を

反映している。 当初ゴム産業はゴム履物の製造として成立し、 まもなくホー

スやベルトなどの工業用製品と自転車用タイヤが登場し、 そして自動車産業

の興隆とともに自動車用タイヤがこの産業の主力製品となる。 特に1910年代

以降は、 自動車用タイヤ (空気入り) 生産数は1910年の240万本から1919年

には約3300万本へ、 さらに、 1929年には約7000万本へと飛躍的に増大し、 そ

の後大恐慌以降に低下して1939年には6400万本となったが、 ゴム産業の主役

の座に変わりはなかった17)。 また、 産業全体に占める生産価額の比重の大き

さという点のみならず、 雇用量、 生産技術体系、 労働力の質などの点で他の

ゴム製品製造と異なっており、 ゴム産業の1部門というよりもむしろ大量生

産型のタイヤ産業として独自に扱うべき重要性をもつことになった。 本稿で

扱う全米ゴム労働組合 (United Rubber Workers: URW) の主力組合員は、

結成時よりタイヤ産業の男性労働者であった。

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自動車用タイヤ需要の増大に早くから注目し、 その生産に力を入れていた

企業の1つがグッドイヤー社である。 1898年創業の同社は、 自動車の大量生

産の本格化とともに急成長し、 本拠地のオハイオ州アクロンの主力工場では、

1920年代を通じて平均で約13000人の生産労働者を雇用していた。 本稿の考

察対象時期では、 アクロンにはグッドイヤー社をはじめ、 やはりタイヤ生産

が主力のファイアストン社 (Firestone Tire & Rubber Co.)、 ゴム製品を総

合的に製造する大企業グッドリッチ社 (B.F. Goodrich Co.) といったアメ

リカゴム産業の4大企業の3社が集結しており、 このほか、 ゼネラルタイヤ

社 (General Tire & Rubber Co.) やザイバーリング社 (Seiberling Rubber

Co.) などの中堅企業も多く立地し、 この地はアメリカにおけるゴム・タイ

ヤ生産の一大中心地となっていた。

ゴム・タイヤ産業において、 1920年代からウェルフェア・キャピタリズム

を積極的に展開していた企業はグッドイヤー社と、 アクロンに工場を所有し

ていなかった唯一の大企業 USラバー社 (United States Rubber Co.) であ

る。 両社とも、 従来の職長による過酷で恣意的な従業員の取扱 (「ドライブ

システム」) の弊害を認識して、 新しい 「洗練された」 労務管理を志向した

「特別協議委員会」 (Special Conference Committee) という秘密の使用者

団体に加盟しており、 ウェルフェア・キャピタリズムを実践した企業である。

しかし、 USラバー社の場合にはその労使関係担当者のサイラス・チング

(Cyrus S. Ching) の個人的理念や限られた権限に多分に依存しており、 全

社的な労務管理方針としては確立されず、 その実践はいくぶん中途半端なも

のであった18)。 これに対して、 グッドイヤー社のアクロン工場では1913年ス

トライキ以降、 当時工場長でありその後社長になったリッチフィールド

(Paul W. Litchfield) によって急速に労務管理改革が推し進められ、 1920

年代には従業員代表制のもとで安定的な労使関係を築きあげた、 いわばウェ

ルフェア・キャピタリズムの先進的な模範企業であった。 ゴム産業労使関係

の歴史研究を行ったネルソン (D. Nelson) は、 同社のウェルフェア・キャ

ピタリズムと従業員代表制が実質的に機能していたことを示している。

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2. グッドイヤー社の労務管理と労使関係の展開

そこでまず、 グッドイヤー社の労務管理と労使関係の展開を概観しておく

ことにしよう。

(1) 労務政策基盤の形成期 (1910年代)

当初から生産における労働者の役割を重視していたグッドイヤー社は、

1913年のストライキを契機に矢継ぎ早に労務管理を改革していく。 賃金では、

アクロン地域の標準的な賃金よりも 「少し高い賃金」 という相対的高賃金政

策、 「能率部」 の職務分析・評価による 「公正な」 賃金体系の確立を目指し

た。 雇用領域では、 職長の権限を縮小して代わりに 「労働部」 を設置し、 採

用と配置、 職長による解雇が正当かどうかの検証、 従業員からの苦情受付、

従業員勤務記録の作成などを行わせた。 労働時間も1916年には8時間労働制

へと改善した。 さらに、 福利厚生領域では事故や疾病に対処するための共済

組合の設立、 団体生命保険、 年金制度、 有給休暇制度などの導入、 そして、

社員食堂、 診療所、 レクリエーションや文化活動のための施設、 社宅などを

設置した。 そのほか、 労使コミュニケーションを図るための社内報も発行し

た。 教育訓練領域では社立学校を設置し、 初等教育から高等教育に至るまで

の一般教育コースと、 忠誠労働者・模範的エリート教育、 徒弟教育、 職長教

育の3つからなる特別コースとが設けられた。 このうち、 忠誠労働者・エリー

ト従業員を養成するコースは 「フライング・スクアドロン」 (Flying Squad-

ron) と名づけられ、 その修了生は、 後に同社の監督者や管理者へ昇進する

者が多かったし、 従業員のオピニオン・リーダーとしての役割を担うことも

期待されていた。 こうしてグッドイヤー社はアクロン工場と社宅を中心とし

た従業員のコミュニティーを着実に形成していったのである。

(2) 従業員代表制の導入によるウェルフェア・キャピタリズムの完成期

(1920年代)

第1次大戦後の労働争議のピークであった1919年に、 グッドイヤー社はア

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クロン工場に従業員代表制を導入した。 これは同社における労務管理改革の

「冠石」 にあたるものであり、 同工場の労使関係はこれを軸に展開すること

になる。 設置された従業員代表制の形態はいわゆる 「連邦政府型」 と呼ばれ

たものであり、 従業員代表のみによる組織と会合が認められている。 勤続5

年以上の 「上院」 20名と勤続1年以上の 「下院」 40名とが 「インダストリア

ル・アセンブリー (Industrial Assembly)」 と呼ばれる 「議会」 を構成し、

工場の就業規則の改正案を提出できる 「立法的」 権限を与えられていた。 従

業員代表たちは、 この制度を通じて賃金その他の労働条件の改善を要求し、

苦情処理の多くはこの従業員代表組織のもとでの労使合同委員会で取り扱っ

た。 従業員代表制の多くは一般にその内在的欠陥のゆえに形骸化したといわ

れるが、 同社のそれはなかなか活動的であり、 労使利害が対立する賃金領域

への発言・要求も活発であった。 ネルソンによれば、 それは、 事実上最古参

のそして最も経験豊かなグッドイヤー社従業員の 「組合」 であったという。

(3) 労務政策・労使関係の動揺と混乱期 (大恐慌とニューディール期)

1929年に発生した大恐慌は、 グッドイヤー社のウェルフェア・キャピタリ

ズムに大きな動揺を与えることになる。 急激な業績悪化は長期勤続従業員の

安定雇用と高賃金の基礎を掘り崩した。 レイオフを少しでも少なくするため

のワークシェアリングによる労働時間の短縮 (6時間労働・4シフト制) は

賃下げとあいまって従業員の収入を低下させた。 手厚かった福利厚生でも有

給休暇を縮減させ、 団体生命保険や共済組合の各種給付額が削減された。 こ

うした労働条件の低下という経営決定に対して従業員代表制はほとんど無力

であり、 わずかに長期勤続従業員の既得権益の削減に抵抗した程度であった。

従業員代表組織の長期勤続従業員権益擁護的性格の顕在化は、 長期勤続と短

期勤続の従業員間の亀裂を生み出しながら、 さらに1933年の NIRAに支援

された労働組合の登場によって決定的となる。

ニューディールの重要立法であった NIRAの施行直後から、 それまで未

組織であったタイヤ産業に突如として労働組合が出現した。 アクロンの大規

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模タイヤ企業のすべての工場にアメリカ労働総同盟 (AFL) の直属組合と

してのローカル組合が組織された。 グッドリッチ社とファイアストン社は直

ちにいわゆる 「会社組合」 を設立する。 グッドイヤー社は NIRAの規定に

合致するように従業員代表制に若干の手直しを加えたうえで、 アクロン以外

の諸工場にも従業員代表制を導入しながら、 労働条件に関する交渉を従業員

代表組織とは友好的に行う一方、 ローカル組合を交渉相手としてはまったく

無視して反組合的施策を展開した。 アクロンの諸ローカルはこうした諸会社

の抵抗にあって意味ある成果を出せないまま求心力を失い、 組合員は激減し

ていく。 このような事態を打開するため、 そしてまた AFLのクラフト組合

への組合員移転方針への反発から、 ゴム・タイヤ労働者たちは彼ら自身を一

括組織する自治権をもった産業別全国組合の結成に向かい、 1935年9月に全

米ゴム労働組合 (URW) が発足する。

労働組合が出現してからグッドイヤー社は従業員代表組織の要求に応える

形で、 数回の賃上げを実施したが、 そのことが賃金秩序を混乱させただけで

はなく、 賃金コストの大幅な増大を招いてしまった。 これを是正するために、

1935年10月に大恐慌以前の8時間労働制・3シフト体制に復帰することにし、

それを従業員代表組織およびローカル組合の反対を押し切って断行した。 し

かしそれがかえって従業員代表組織の交渉力欠如を露呈させるとともにロー

カルの戦闘性を喚起し、 1936年2~3月の有名な座り込みストを惹起させた

のである。 「産業別組織委員会」 (Committee for Industrial Organization:

CIO) の支援を受けて成功裏に展開したこの座り込みは同社労使関係の決定

的な転換点となり、 ローカル組合は同社に基盤を獲得することになった。

URWは同年7月に正式に CIOに加盟する。 さらに、 1937年4月のワグナー

法合憲判決でグッドイヤー社はそのウェルフェア・キャピタリズムの中軸的

制度であった従業員代表制の廃止に追い込まれた。 他方、 URWのグッドイ

ヤー社アクロン工場ローカル (ローカル2) は同年8月の NLRBの代表選

挙で勝利し、 時間給従業員全体を代表する排他的交渉組織として 「認証」 さ

れたのである。 こうして、 グッドイヤー社ではウェルフェア・キャピタリズ

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ムが終焉し、 新たに 「ニューディール型労使関係」 への転換が始まったので

ある19)。

しかしながら、 グッドイヤー社でこうした労使関係の転換がスムーズに展

開したわけではなかった。 同社がともかくもローカル2との労働協約にサイ

ンすることになるのは、 第2次大戦による戦時生産ブームが本格化した1941

年10月のことであり、 そこに至るまでの4年間には激しい労使の攻防がみら

れた。 次章では、 主としてこの攻防の検討を通じて、 ウェルフェア・キャピ

タリズムの残像とニューディール型労使関係への影響を析出することにした

い。

Ⅲ. ニューディール型労使関係への影響

ニューディール型労使関係は、 労働者の自主的組織として企業横断的労働

組合を事実上支持したワグナー法を基軸とする労働法制の枠組みが前提となっ

ている。 その基本的特徴は、 団体交渉事項と経営権事項とを峻別したうえで、

団体交渉を通じて賃金・労働時間・その他の労働条件に関する詳細な労働協

約を締結し、 その解釈と協約外の事項については苦情処理手続きによる解決

を図るという団体交渉中心主義である。 そして、 労働協約には各職務の内容

とそれに対応する賃率、 主としてレイオフ・再雇用、 昇進・配転、 解雇など

に関する手続きやワークルールが厳密に定められるという職務規制主義も大

きな特徴とされてきた20)。 したがって、 以下では主にこうした基本的特徴に

関連する領域を取り上げて分析することにしたい。

1. 先任権

(1) 先任権の基本問題

URWとタイヤ企業との労使交渉においてとりわけ重要な問題となったの

は雇用の領域、 具体的にはレイオフ・再雇用の基準、 レイオフとワークシェ

アリングとの調整であった。 周知のようにニューディール型労使関係ではレ

イオフ・再雇用・配転・昇進などは厳格な先任権基準に基づくことになって

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いる。 もちろん、 その先任権ルールは大量生産産業における産業別労働組合

が大企業の反組合政策と闘いながら組織化を進めていくなかで、 何よりも組

合員への差別を防止し、 労働者の職務保障を高める手段として組合側の要求

によって確立されてきたものである。

しかし、 先任権発生の根拠をみるときの基本的問題は、 熊沢誠氏が提起す

るように、 「なぜセニョリティは、 労働市場における経験年数であるよりも、

特定企業での勤続年数を意味するに至った」 かである。 氏の理論的考察によ

れば、 半熟練・不熟練労働者を基幹労働力とする大量生産産業においては、

就業可能な技能的有資格者が広範に存在するから、 就業の順序を決める基準

として、 技能指標や職務遂行能力の指標は意味をなさない。 だからこそ 「客

観的であってかつ必要生活費の大まかな指標」 として先任権が選ばれるので

ある。 それが産業規模の先任権ではなく企業の範囲内に限定されているのは、

大量生産産業における労働組合が、 「工場ごとの組合承認の結果的総和とし

て成立」 してくるという歴史的事情によるという21)。

熊沢氏の理論的・歴史的考察にウェルフェア・キャピタリズムの存在をつ

け加えてグッドイヤー社の事例をみてみよう。 グッドイヤー社では1920年不

況の際のレイオフで、 すでにリッチフィールドが勤続年数を考慮するように

指令し、 その後20年代を通じて第1に業績 (merit)、 第2に勤続、 第3に

扶養家族の数などというルールが形成され、 大恐慌の際にはとくに能率の低

い 「望ましくない」 従業員がレイオフされたあと、 事実上ほとんど勤続年数

に従ったとされている22)。 一般にウェルフェア・キャピタリズムのもとでは

当該企業における 「継続的勤続期間」 (レイオフなどによる雇用の中断があ

ると、 後に再雇用された場合でも以前の勤続期間はゼロに戻るという計算方

法による勤続期間のこと) が重視されるが、 グッドイヤー社では、 レイオフ・

再雇用基準としての適用のみならず、 勤続期間の長い者から順に勤務シフト

の優先選択権が与えられたし、 5年以上の勤続期間所有者には職長によって

解雇されないという特権も許された23)。 もちろん、 後にみるように有給休暇、

年金、 団体生命保険などの給付条件にも勤続期間は重要な要件として組み込

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まれている。 このような徹底した勤続重視の慣行やルールがすでに存在して

いるなかで、 1930年代に労働組合はそれを利用しながらさらに 「厳格な」 先

任権としてレイオフ・再雇用の際の最優先基準とするよう要求することになっ

たのは当然の成り行きであったと思われる。 しかし、 それは忠誠を示す指標

としての勤続期間ではなく、 あくまで労働者の就業順序を決定する客観的指

標としての先任権であった。

(2) 「厳格な」 先任権原則と適用単位

1930年代の先任権を巡る労使の攻防は、 それゆえ、 それを差別防止のため

に最優先基準として据えられるかどうかという根本的な質的問題と、 より大

きな雇用保障とするために先任権の適用単位をどのように設定するかという

運用問題が具体的な焦点となった。

グッドイヤー社は、 労働組合との 「会談」 では労働条件決定に関する経営

権を強く主張し、 当初は勤続期間の長さのみならず、 作業能率・業績、 家族

状況も合わせて総合的に会社が判断して決定するという姿勢を崩さなかった。

それは従業員代表制の下で形成されてきたルールそのものであった。 これに

対してローカル2は先任権を最優先とする原則化を求めた。 ローカル2が

NLRB選挙で勝利した直後の1937年9月、 グッドイヤー社は事業不振を理

由として1700人のレイオフを発表した。 これを巡る労使交渉が始まるなか、

同社は10月にさらにタイヤ・チューブ部門のおよそ1600人のレイオフ予定を

通告した。 工場単位の先任権を要求していたローカル2の主力組合員はタイ

ヤ部門に多かったから、 これは組合員を狙ったものであるとしてローカルは

強く抗議しストの構えをみせ、 実際短期間の座り込みが行われた。 11月に

NLRBの地方支局長ミラー (James P. Miller) の調停で労使はレイオフ基

準を含む8項目に関して合意 (NLRB地方支局長の名前をとって 「ミラー

協定」 と呼ばれる) に達することになる。 ここでグッドイヤー社は、 10年以

上勤続者はいかなる場合にもレイオフ対象者としないことを認めるとともに、

あっさりと 「部門単位での厳格な先任権ベース」 によるレイオフを了承した。

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しかし同時にこの合意事項には能力がある場合には他部門の職務への配転も

可能であるとされていた24)。

グッドイヤー社がこの時点で早くも 「部門単位での厳格な先任権」 を非公

式にも認めた理由や背景をどのようにみたらいいのだろうか。 もちろん理論

的には、 熊沢氏が指摘するように、 「セニョリティの長いものも短いものも、

さしあたり職務遂行能力には変わりないという認識」 が 「先任権を運用する

労資の共通の認識」 として存在していたからというべきなのだろう。 とはい

え、 タイヤ産業で先任権がいち早く成立してくることにはウェルフェア・キャ

ピタリズムの影響を無視できないと思われる。

すでに触れたように1910年代からアクロンのタイヤ大企業はグッドイヤー

社の労務管理改革にリードされ、 従業員代表制は導入しなかったものの、 多

くの点でグッドイヤー社と同じような制度や慣行が成立していた。 レイオフ・

再雇用をはじめ有給休暇、 団体生命保険、 年金制度、 勤務シフトの配置など

における勤続重視慣行もほぼ同じであった25)。

それゆえ、 1937年4月末のタイヤ大企業における労働組合との最初の協約、

すなわちファイアストン社アクロン工場の協約では、 1年以上の勤続期間を

もつ従業員のレイオフは、 部門単位の先任権に従うことが明記されていた

(ただし、 1年未満の勤続期間の場合は、 扶養義務、 技能や能率に基づくこ

ととなっている)。 また、 5年以上勤続者がレイオフされ、 1年以内に再雇

用された場合には以前の勤続期間が回復され、 5年以上10年未満勤続者は2

年以内に、 10年以上勤続者は必ず勤続期間が回復されることになっていた。

グッドリッチ社アクロン工場での最初の協約 (1938年5月) では、 先任権は

1年以上の勤続者に与えられ、 部門単位と会社単位の2つに区分されたうえ

で、 レイオフ、 再雇用、 配転、 シフト選択に適用されることになっている26)。

グッドリッチ社ではこの協約成立の前、 1937年の秋におよそ1500人のレイオ

フがすでに上記の先任権ルールに基づいて実施されており、 組合との目立っ

たトラブルは発生しなかった。 同社は、 生産効率に影響を与えない限り、 先

任権は組合の問題であるという基本的態度をとり、 ローカル (ローカル5)

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は差別がない限り、 この会社の立場に強く反対しなかったという27)。

このように、 アクロンのタイヤ大工場では従来の勤続重視の慣行を基盤に

比較的円滑に労働組合が要求する先任権が成立していたといえよう。 この時

点では、 鉄鋼や自動車産業においてはまだ厳格な先任権が確立されておらず、

タイヤ産業は最も早くから先任権が確立していく産業として後に注目される

ことになる28)。 熊沢氏は、 「企業勤続年数の評価としてのセニョリティが生

み出す、 それ自体の惰力」 に注目して次のように指摘している。 「ある工場

での先任権の確立は、 他工場・他企業の労働者のその工場への雇用機会を、

不可避的に縮小させる。 彼らは、 ここにまた、 自らの工場・自らの企業への

勤続年数を評価する先任権制度に専心せざるをえない」29)。 もちろん組合政

策と会社の労務政策という主体の違いがあるとはいえ、 こうした 「惰力」 の

作用は、 ニューディール期の組合政策に基づく先任権の普及という場合のみ

ならず、 ニューディール期以前のアクロンのタイヤ大工場にみられた勤続重

視慣行の普及過程にも当てはまるだろう。 以上のようにみれば、 タイヤ産業

でのウェルフェア・キャピタリズム時代の慣行がこの産業での早い段階での

先任権ルールの成立につながったと結論づけていいように思える。

さて、 グッドイヤー社ではこうしてレイオフ・再雇用における先任権原則

が一応の確立をみたようにみえるが、 先任権の適用範囲、 具体的には配転の

細かいルールがまだ残っており、 さらにレイオフ・再雇用、 およびワークシェ

アリングを実施する際のグッドイヤー社特有のフライング・スクアドロンへ

の優遇措置なども、 決して無視できない争点であった。 しかも、 後に判明す

ることとなるが、 グッドイヤー社は当初からこのミラー協定はミラーが作成

したメモであって会社は協定文書にサインしていないのだから、 1938年1月

1日以降はこれを守るつもりはないと、 ミラーに通告していた。 この後、 原

則の再確認作業とこうした細かなルールを含めた協約交渉がグッドイヤー社

でさらに続くことになるが30)、 結果として1941年協約では、 先任権に関する

条項は極めて複雑・詳細なものとなった。 原則としては、 先任権は 「会社に

おける継続的勤続期間」 と規定されているが、 その運用は事実上部門単位で

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あり、 部門を越えた配転の規定が並んでいる31)。

2. レイオフとワークシェアリングとの調整問題

(1) 従業員代表制とワークシェアリング

大恐慌期におけるアメリカ産業界のワークシェアリングは、 フーバー政権

からの要請によるものであるが、 ウェルフェア・キャピタリズムを標榜する

企業にとっては、 その理念からいってとりわけ重要であり積極的に取り組む

こととなった。

タイヤ産業ではこうしてグッドイヤー社がその口火を切り、 以後ワークシェ

アリングにおいても指導的立場となる。 同社はまず、 「雇用のローテーショ

ン」 という形態を採用する。 それは、 たとえば、 3週間勤務して1週間休む、

3日間勤務して1日休む、 あるいは1週間ごとの交代勤務などであり、 職場

によってまちまちであった。 しかし、 こうしたプランは従業員の間で不公平

感をもたらし、 また運営が困難であったため、 同社は従業員代表組織に実施

容易なアイデアを求めた。 ここで提案されたのが、 1日6時間労働・4シフ

ト制であった。 従業員代表者たちとの協議を経て、 同社は1930年10月からこ

れを実施した。 ファイアストン社もグッドリッチ社もしばらくしてこれを採

用し、 アクロンのタイヤ諸企業で一般化し32)、 その後ニューディール期全般

を通じてこの6時間制は大きな争点となりながら労働組合によって堅持され

ていく。 このようにワークシェアリングの実施にはまず従業員代表制が大き

くかかわっていたことを確認しておきたい。

(2) 労働組合とワークシェアリング

グッドイヤー社ではすでに恐慌の底において、 週18時間にまで労働時間が

低下する事態を経験し、 大幅な収入低下のなかで際限のないワークシェアリ

ングに対する反発も出ていた。 そして、 1930年代中ごろ、 とくに1937-38年

不況においてレイオフとワークシェアリングとをどのように組み合わせるか

という問題が労働組合に対して突きつけられてくる。 雇用確保か賃金・収入

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維持かといった普遍的問題が現実問題として解決されなければならなかった。

この時点でのグッドイヤー社の基本的方針は、 できるだけ早く8時間制に復

帰することであったが、 その目的を達成する手段として、 またローカルへの

揺さぶりとしてこの問題を利用したのである。 たとえば、 ローカルが

NLRB選挙で 「認証」 される直前の1937年6月、 同社は販売不振を理由に

雇用削減が必要と通告して、 レイオフか労働時間のさらなる短縮かをローカ

ルに迫った。 ローカルはこのとき、 組合員投票で時間短縮を選択したが、 そ

の投票結果は賛成3047票、 反対2711票という僅差であった。 こうして部門に

よっては週12時間まで労働時間が減少するに及んで、 同社は再びローカルに

決断を迫る。 そうしたなかで8月の NLRB選挙は行われたのである。 その

後グッドイヤー社では頻繁な労使交渉を重ねるなかで、 結局、 1938年末に非

公式の合意が形成される。 それは、 連続する8週間の間で週労働時間が平均

で24時間を下回ったときに、 レイオフ・配転を実施するというものであり33)、

それがそのまま1941年協約に実現する。

なお、 補足しておけば、 このようなルールは他社においても基本的に同じ

であった。 ファイアストン社は1937年4月協約ですでにグッドイヤー社と同

じ規定となっており、 グッドリッチ社では 「連続する3週間」、 ザイバーリ

ング社では 「連続する6週間」 とされていた。 いずれも協約で規定されてお

り、 グッドイヤー社よりも時期的に早く成立している。 グッドイヤー社アク

ロン工場におけるローカルの地位は同社の強い反組合姿勢と従業員のなかで

の反組合主義者の存在によって決して安定的ではなく、 また、 組合員の多く

が第4シフトで勤務する1933年以降に新規採用されたか再雇用された勤続期

間の短い者であったから、 このローカルはとくにワークシェアリングに固執

したのである34)。

以上のように、 ワークシェアリングかレイオフかというこの問題への対応

も、 ウェルフェア・キャピタリズムを労働組合がどう受け止めるのかを迫っ

た問題の1つであったといえよう。 グッドイヤー社アクロン工場では従業員

代表組織が早くから週30時間を下回るワークシェアリングに反対していた。

ウェルフェア・キャピタリズムと戦後アメリカ労使関係の特質 (百田・堀)

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それを上回る週24時間という組合の要求は組合のぎりぎりの選択であったよ

うである。

3. 苦情処理手続き

(1) 従業員代表制と苦情処理

一般に従業員代表制の多くは苦情処理の手続きを備えていた。 たとえば、

グッドイヤー社と同じく従業員代表制を設置していた USラバー社では、 8

段階の手続きで苦情が処理されることとなっていた。 第1段階は当該従業員

と職長との話し合い、 第2段階は従業員代表と職長の話し合い、 第3段階で

従業員代表と労使関係部担当者、 第4段階で労使合同委員会へと進み、 最終

段階には第3者仲裁まで設けられていた35)。 仲裁条項は別として、 こうした

手続きは従業員代表制では一般的なものであったといえよう。 また、 ニュー

ディール期に労働組合が創出していく一般的な苦情処理システムも、 従業員

代表が組合の職場委員あるいは苦情処理委員、 苦情処理を扱う委員会に代わ

る形で、 苦情が発生した現場から徐々に組合役員と上級管理者との間へとレ

ベルアップしていく段階的システムという点では同じだった。

ところが、 グッドイヤー社の従業員代表制における苦情処理システムはこ

れとはかなり異なっていた。 そもそも同社が従業員代表制を設置した趣旨は

従業員に正当な発言権を与えることであったが、 もちろんそれは具体的にい

えば苦情提起を公認することでもあった。 したがって、 従業員代表者たちは、

当該管轄の職場における様々な苦情を 「インダストリアル・アセンブリー」

にもち込んで議論したが、 しばらくして、 グッドイヤー社は 「議会」 が苦情

処理に忙殺される事態をみて、 「議会」 の下に数段階の労使合同委員会を設

けて、 そこで苦情を処理するシステムに変更した。 この合同委員会の経営側

委員として職長が参加し、 従業員代表制のもとで初めて公式に職長が関与す

ることになったのである36)。

(2) グッドイヤー社における苦情処理システム構築の遅れ

駒沢大学経済学論集 第 36 巻第1号

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このような公式の苦情処理システムが根づいていたところに、 従業員代表

制とは別の労働組合が登場し会社の敵対や無視に対抗しつつ苦情を取り扱う

には、 従業員代表制が存在しなかった場合と比べてかなりの困難が伴う。 こ

のような特殊事情がグッドイヤー社で座り込みが頻発した背景の一端にある

と思われる。 とりわけ、 1936年2-3月の大きな座り込みストの直後に始ま

る従業員代表制との最終的な闘いと苦情処理システムの事実上の機能停止の

なかで、 あらゆる種類の苦情・不満を背景とした無秩序な小規模の単発的座

り込みが頻発することになる。 それは、 不平等な賃率や仕事の配分、 差別、

レイオフ、 労働時間その他の労働条件、 そして非組合員の存在などに起因す

る不満であったが、 最も多かったのは賃率調整要求と非組合員との作業拒否

であった37)。 こうして、 グッドイヤー社のある管理者は次のように嘆くこと

になる。 「従業員たちは、 能率に優れた忠実な従業員でいるよりも、 組合に

加入したり座り込みを企てたりする方がはるかに多くの利益を獲得できると

思い込むようになった」 と38)。

したがって、 グッドイヤー社にとっては、 こうした職場の無秩序状態を一

刻も早く払拭して順調な計画的生産が遂行できる体制を築くために、 そして

ローカルは頼れる組合・責任ある組合としての評価をえるために、 苦情処理

システムを構築する必要があったはずであるが、 これに関する同社工場の労

使交渉もかなり難航したのである。 その理由は基本的にグッドイヤー社がそ

うした無秩序状態の責任を組合にかぶせ、 組合に対する信頼や評価を低下さ

せて、 組合の自己崩壊を待つという戦術をとっていたからに他ならない。 た

とえば、 組合は苦情の最終的決着は労働長官によって任命される 「仲裁委員

会」 に任せることをしばしば要求したが、 グッドイヤー社はこれを受け入れ

ようとせず、 だらだらと交渉を延ばしたのである39)。 この時点では同社はま

だ組合を撃退できる可能性はあると考え、 従業員代表制に似た従業員組合と

の関係か無組合を望んでいたと思われる。 そのためには、 頻繁な座り込みに

よる生産の中断や停止も顧みなかったのである。

同社における苦情処理システム構築の遅延は、 組合の存在意義を希薄化・

ウェルフェア・キャピタリズムと戦後アメリカ労使関係の特質 (百田・堀)

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消滅させようとする会社の反組合主義の明瞭な現れの1つであるが、 同時に

それは従業員代表制という公式ルートが存在しない無秩序状態のなかで、 ウェ

ルフェア・キャピタリズムによって培われた会社忠誠派の苦情が、 事実上吸

い上げ可能な状態を作り出していた。 換言すれば、 それは、 従業員代表制と

そのもとでの苦情処理システムがかつて存在・機能していたゆえの遅延といっ

てもいい。

(3) 苦情処理システムにおける組合活動の保障

それゆえに、 ローカル2にとっては、 職場における組合の存在意義を獲得

するうえで、 一刻も早い苦情処理システムの構築、 とりわけ職場委員や苦情

処理委員の存在や活動の承認が何よりも重要であったに違いない。 したがっ

て、 1941年にようやく実現した協約の最初の条項には9条に及ぶ苦情処理シ

ステムの規定が記されることになる。 そしてその過半は組合の職場委員、 苦

情処理委員、 そして組合の苦情処理委員会の活動の権利と管轄を保障する条

項となっている。 比較時期が3~4年異なるので正確ではないが、 この職場

委員、 苦情処理委員、 ひいては組合の苦情処理活動の保障条項が詳細に規定

されているところに同業他社協約との違いがあるといっていい。 しかもその

職場委員や苦情処理委員とは組合によって 「正当に信任された者」 という形

容が何度も繰り返しつけられており、 この規定されたルート以外の苦情提起

と処理は原則として認められておらず、 例外規定も明確に示されているので

ある40)。 ここに同社におけるウェルフェア・キャピタリズムがもたらした屈

折した労使関係の痕跡が現れていると思われる。

なお苦情処理システムに関して補足しておけば、 苦情を提起した従業員お

よび職場委員と当該職場の直属上司たる職長レベルから、 順次組合苦情処理

委員や委員会、 会社のより上級の管理者が参加する段階的手続きは、 同業他

社の協約とほぼ同じものとなっており、 同社の従業員代表制のもとでのシス

テムとは大きく異なっていた。 職長レベルを超える第2段階以上では組合か

ら提起する苦情とそれへの会社回答はすべて文書形態をとることと決められ

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ており、 回答期限は1937年のファイアストン社協約では規定がなく、 1938年

グッドリッチ社協約では5日以内、 グッドイヤー社協約では3週間以内となっ

ている。 苦情処理の最終段階についていえば、 ファイアストン協約は労使双

方が承認した第3者仲裁を設け、 グッドリッチ協約は1938年時点では労使の

合意のもとで外部のコンサルタントによる仲裁が規定されていたが、 1939年

協約ではその規定は取り除かれた。 それは第3者仲裁の結果と費用にローカ

ルが強い不満を抱いたからであるとされている。 グッドイヤー社協約には仲

裁規定は存在しない41)。

4. 福利厚生

ウェルフェア・キャピタリズムの大きな特徴は手厚い福利厚生施設・制度

である。 一般に、 ウェルフェア・キャピタリズムが 「温情主義的」 労務管理

と性格づけられるように、 福利厚生施設・制度は会社のイニシアティブによっ

て設置され、 従業員代表制のもとで最も無難な議題であった。 その基本的機

能は長期勤続の奨励であり、 前述したように特に年金、 有給休暇、 団体生命

保険などの金銭的福利厚生では給付と 「継続的勤続期間」 とが緊密に結びつ

けられていた。 しかし、 そのことは逆にいえば、 「継続的勤続期間」 が途切

れてゼロに戻ってしまうレイオフや解雇の恐怖を増大させる。 したがって、

会社に対する反抗的な姿勢の表明を抑圧する機能も併せもっていたことに注

意しなければならない42)。

「継続的勤続期間」 と結びつけられた福利厚生の 「温情的」 かつ 「抑圧的」

性格を払拭し、 労働者の 「権利」 (既得権) として確立する闘いを、 ニュー

ディール期に労働組合は先任権の確立とともに試みていく。 しかし、 グッド

イヤー社アクロン工場の1941年協約は福利厚生についてまったく取り上げて

いない。 金銭的福利厚生 (ないし後に付加給付と呼ばれる) に関することは、

この時点ではまだ団体交渉事項とはなっていないというべきである。 ただ、

福利厚生に含めるのは適切ではないが有給休暇に関する規定、 そして年金と

関係する解雇手当の規定がある。 そこで、 ここではまず 「継続的勤続期間」

ウェルフェア・キャピタリズムと戦後アメリカ労使関係の特質 (百田・堀)

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と、 この2項目に関してそれらが協約化されるまでの経過を簡単に跡づけな

がら、 グッドイヤー社におけるウェルフェア・キャピタリズムの痕跡を探り、

次にアメリカの社会保障システムとの関係において影響をみてみたい。

(1) 「継続的勤続期間」

まず 「継続的勤続期間」 の抑圧的性格に対する闘いは、 実際には従業員代

表制のもとでも行われていた。 大恐慌以前にはすでに従業員代表組織の要求

によって、 自発的離職ではなくレイオフされ1年以内に再雇用された場合に

は以前の勤続期間を取り戻すことができるようになった。 大恐慌時ではワー

クシェアリングを実施しながらもレイオフは避けられず、 その中にはしだい

に長期勤続の従業員も含まれることになっていった。 また、 1年以内に再雇

用されない者も増加した。 そこで、 従業員代表組織は、 「1929年7月1日以

降にレイオフされた5年以上勤続者が2年以内に再雇用された場合はレイオ

フ以前の勤続期間が回復される」 という要求を出し、 グッドイヤー社はこれ

を承諾した。 しかし、 それは長期勤続従業員のみを救済するといった色合い

が濃かったために批判されたのであろう。 この回復措置は、 その後すぐに

「2年以内に再雇用された3年以上勤続者」 へと拡大され、 さらに、 1934年

8月には 「1929年7月1日以降にレイオフされ、 1934年8月1日までに再雇

用されたすべての元従業員」 に適用されることとなった43)。 これは労働組合

に対して従業員代表制がいかに優れているかを示して、 元従業員を従業員代

表制支持派にひきつけようとするものであった。 しかし同時に、 こうした経

緯はその後の労働組合の要求方向を決定づけることとなるのである。

従業員代表制が廃止され、 労働組合が交渉するようになると、 グッドイヤー

社は組合による同様の要求には頑として応じなかった。 結果としては、 1941

年協約で 「1937年9月1日以後にレイオフされ1941年7月2日以前に再雇用

された従業員は、 以前の勤続期間を認められる」44) という規定が獲得された。

こうした要求は、 大量レイオフが断行された1937年9月以降の被害者を救済

するという実質的な意味があるが、 問題はなぜ 「継続的勤続期間」 の規定そ

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のものの改正を求める方向にいかなかったかである。 そもそもグッドイヤー

社の1910年代における 「勤続期間」 の計算は、 レイオフ期間などの雇用の中

断期間を除いて雇用期間を通算するという方式だったのであるが、 それが

1922年に中断なしの連続雇用期間としての 「継続的勤続期間」 に変更された

のであった45)。 ローカル2の交渉力が貧弱であったことにも原因の一端が求

められようが、 こうした要求の方向には従業員代表制の成果に引きずられざ

るをえなかったという意味でその影響をみることができよう。

(2) 有給休暇と解雇手当

すでに触れたように、 グッドイヤー社は1914年に時間給労働者に対して有

給休暇制度を設置した。 勤続5年以上で1週間、 勤続10年以上で2週間であ

り、 それぞれ前年度の年収の2%と4%に相当する賃金を支給するものであっ

た。 ファイアストン社もグッドリッチ社もその後相次いで導入していった。

繰り返すが、 アクロンではグッドイヤー社が労務政策・労働条件の設定にお

いて指導的な立場にあり、 3大企業でプログラムにいくつかの差異はあるが、

福利厚生制度・施設導入という点では同じく積極的であった。 労務施策上の

大きな違いは、 グッドイヤー社が従業員代表制を導入したのに対して、 残り

の2つの大企業はそれをしなかったことにある。

大恐慌の影響で業績が急速に悪化した1932年にグッドイヤー社は有給休暇

を1933年には中止すると発表した。 ところがこれに対して従業員代表組織が

有給休暇の継続を決議して会社に再考を迫り、 結果として半減実施となり、

1934年には完全実施への復帰を実現させた。 その後、 1937年4月末に従業員

代表制が解体されるまで、 労働組合は従業員代表組織との間で交渉機関とし

ての認知を巡って争いながら、 様々な問題で会社に要求を突きつけ実質的な

交渉を迫っていった。 こうした経緯から、 有給休暇の問題は既得権として取

り上げやすい団体交渉事項となっていったのであろう。 1941年協約の有給休

暇の条項では、 2年以上の継続的勤続期間を有する者で1週間、 5年以上で

は2週間とされ、 従来の勤続要件の緩和という改善が実現されたが、 手当は

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前年の年収の2%と4%で同じままであった46)。 なお、 1937年4月のファイ

アストン社協約および1938年5月のグッドリッチ社協約には、 グッドイヤー

社の当初の制度とほぼ同じものが規定されている。

1941年協約には、 また、 「サービス・アウォード」 (service awards) と呼

ばれた解雇時に支払われる勤続報奨手当、 事実上の解雇手当の規定が 「先任

権」 条項のなかに含まれている。 グッドイヤー社では、 大恐慌の時期に 「非

能率的ないし高齢の」 従業員を解雇するに際して、 5年以上の継続的勤続期

間を有するが年金受給資格 (15年以上の継続的勤続期間) に達しない者に対

して解雇手当が支給された。 また、 自発的に退職する5年以上の勤続者にも

支給された。 当時それは継続的勤続期間5年ごとに1ヶ月の賃金相当額で上

限は3ヶ月であった。 協約では、 職務要件に適応できず、 配転の適格性もな

い者を退職させる場合に上記のベースで支給するとされるが、 上限設定は見

当たらない47)。 ファイアストン社とグッドリッチ社の協約には解雇手当に関

する規定はない。

(3) アメリカ社会保障システムとの関係

先に述べたように、 福利厚生プログラムに関しては、 グッドイヤー社の

1941年協約にはまったく存在しない。 また、 グッドリッチ社の1938年協約で

は、 福利厚生活動は交渉事項ではないことが明記されており、 質問や提案は

従業員個々人が労働部に提起することとなっている。 タイヤ産業のみならず

一般に、 第2次大戦前では福利厚生の団体交渉事項としての取り扱いはほと

んどみられないが、 周知のように、 福利厚生における金銭的給付は戦時労働

委員会による賃金統制という枠組みのなかでしだいに団体交渉事項となり、

戦後に自動車や鉄鋼といったニューディール型労使関係の牙城となる産業を

中心に年金を含めて協約交渉が本格化することになる48)。 その社会的背景に

は、 アメリカ社会が公的な社会保障では 「基礎的な最小限の保護」 という考

えをとったことがあるが、 そうした方向選択において想定されていたのはウェ

ルフェア・キャピタリズムにみられたような個別企業による社会保障の補完

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という大きな期待であった。 こうして企業の福利厚生支出には税制上の優遇

措置が与えられることになる。 「企業は、 公的年金制や失業保険の充実のた

めにより多額の納税をするよりは私的年金制や SUB (補足的失業給付

引用者) に支出することを、 ためらわずに選ぶ。 付加給付は従業員の企業へ

の忠誠心を喚起するからである」。 そして労働組合は、 政府に働きかけて公

的福祉・保障を充実させるよりも、 かつてウェルフェア・キャピタリズムに

おいて会社から与えられていた恩恵を権利に変えて獲得するという方向を目

指す。 会社が従業員の生活安定に責任をもつべきであって、 労働者はそれを

要求する権利があると労働組合は主張したのである。 こうした事情に、 ウェ

ルフェア・キャピタリズムのその後のアメリカ労使関係への影響を明瞭に見

出すことができるといえよう。 まさに、 「団体交渉の成果による社会政策の

内容の代位という組合政策のアメリカ的特徴は、 かつての 『福祉資本主義』

こそが規定したのである」49) という熊沢氏の指摘はこのことを簡潔に示して

いる。 年金制度が団体交渉事項と認めた1949年最高裁のインランド・スティー

ル判決は、 この方向を決定づけたものであった50)。

5. 工場別ローカルと工場別交渉

ニューディール型労使関係の典型とされてきた大量生産産業における

CIO系の産業別組合は、 産業別組合という組織形態をとりながらも、 工場

別ローカルが主体となって工場別交渉を行い、 工場レベルの詳細なワークルー

ルや苦情処理システムを含んだ工場別協約を締結する。 こうしたアメリカの

産業別組合の特異な組織構成と交渉スタイルは、 歴史的にみれば、 その当初

の組織化がウェルフェア・キャピタリズムの中軸的制度であった従業員代表

制・会社組合との対抗のなかで行われたという事情に負うところが大きいと

いわねばならない。 要するに、 ウェルフェア・キャピタリズムとの対抗関係

という歴史的制約が、 アメリカ産業別組合組織のあり方と交渉スタイルを強

く規定したのである。 代表的産業において組織化がどのような経過を辿った

のかは、 すでに膨大な研究蓄積があり、 今更つけ加えるべきものはないといっ

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ても過言ではないが、 ここでは、 ウェルフェア・キャピタリズムの影響を確

認するために、 従業員代表制・会社組合との相克がとりわけ激しかった場合

の好例としてグッドイヤー社の事例を検証してみたい。

(1) 従業員代表制と労働組合との相克

1920年代に従業員代表制のもとで安定的な労使関係を築き上げてきたグッ

ドイヤー社アクロン工場にも、 NIRA施行直後に AFLの直属組合が組織さ

れ、 それ以降組合と従業員代表制 (ないしそれを全国産業法の規定に合致さ

せるための改訂を加えた会社組合) との間で激しい闘争が開始され、 やがて

1936年の座り込みストを契機とする組合の前進と1937年4月のワグナー法合

憲判決に従った従業員代表制の解体、 そして同年8月の NLRB 選挙での

URWローカルの勝利によってウェルフェア・キャピタリズムからニューディー

ル型労使関係への転換となったことは前述した。 しかし、 同社にはウェルフェ

ア・キャピタリズムの痕跡が色濃く残っていた。 それは思想的には同社の頑

迷なまでの反組合主義であり、 実体的には長期勤続従業員を主体とする会社

忠誠派の一団である。

AFL直属組合は当初従業員代表制を内部から切り崩す戦術 (鉄鋼労働者

組織委員会 (SWOC) が鉄鋼業でとった会社組合に対する組織戦術で有名)

をとったが、 やがて AFLの指導で従業員代表制への参加を禁止してそれと

公然と対抗する方針に転換した。 このこと自体、 アクロン工場の従業員代表

制が会社忠誠派に支えられた強固な存在であったことを示すものである。 同

社ロサンゼルス工場では、 NIRAにあわせて1933年に導入されたばかりの

従業員代表制に対して内部からの切り崩し戦術がとられたのであった。

一方、 AFL直属組合の組合員の大半は、 結成直前に再雇用されたか新規

採用された勤続期間の極めて短い従業員であった。 会社忠誠派は、 6時間労

働制というワークシェアリングを提案・実施させ、 収入減少という厳しさを

共有する努力をしているにもかかわらず、 その恩恵を受けているはずのこれ

ら再雇用・新入従業員が労働組合に加入することを不愉快に感じていた51)。

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こうして従業員代表支持者と労働組合支持者との間で抗争が激化していくこ

とになる。 1936年ストは抗争の決着ではなくさらなる拡大であった。 スト後

のアクロン工場では会社忠誠派が 「Stahl-Mate Club」 という組織を結成し

て、 組合戦闘派との間で職場外で 「乱闘」 を繰り広げ、 職場では組合戦闘派

が非組合員との協働を拒否して小規模・短時間の座り込みを頻繁に行った。

その後、 同工場には従業員代表制の後継組織として 「グッドイヤー従業員組

合」 (Goodyear Employee Association) が組織され、 先の NLRB選挙の

ときに組合の8464票に対して3193票も獲得していた。 しかもこの組織はその

後も活動を続けて勢力を拡大させ、 1938年2月には、 再び NLRB選挙を申

請するとの声明を発し、 11月には選挙申請の動きをみせたのである52)。

こうした確執と会社のかたくなな反組合姿勢に直面して、 ローカル2はし

ばしば組織として危機的状態に陥りながらも、 従業員の多数派を形成して組

合組織の維持・拡大を図らねばならなかった。 この時期のアクロン工場の従

業員の圧倒的多数は、 5年以上の長勤続者で占められていたし53)、 かつての

従業員代表制の下で実現された成果の多くは、 長期勤続者に有利なものが多

く含まれていた。 それゆえ、 彼らの支持をえるためにこの工場別ローカルの

政策は、 一方ではそうした成果を改めて組合の要求として獲得することが目

指されることになり、 他方では会社忠誠派の勢力を抑制する政策が組み込ま

れるのである。 すなわち、 アクロン工場で獲得された1941年協約の特異な点

は、 会社忠誠派の中核的な存在となっていたフライング・スクアドロンの養

成人数と彼らに従来与えられていた特権とに関する若干の制限規定が盛り込

まれていることである。 たとえば、 その養成人数については当該年のエンジ

ニアリング部局の時間給および出来高給従業員総数の4%を超えないことと

されており、 空席補充における優先権も制限されている54)。 こうした要求の

あり方にもウェルフェア・キャピタリズムの影響をみてとれる。

(2) 工場別の組合承認

大量生産産業において無組合時代から会社の反組合主義および会社組合と

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の対抗をへて工場別ローカルの総和として産業別組合が成立してくるという

一般的経過は、 もちろんゴム・タイヤ産業でも変わらない。 企業によって組

合組織化に対する対応は異なっていたけれども、 最も寛容だったといわれる

USラバー社においても、 少なくともローカルを交渉相手と認めることにお

いて、 NLRB選挙による工場ごとの 「認証」 を求めたという点では同じで

あった。 ファイアストン社は1937年4月にアクロン工場でローカルを承認し

て協約を結んだが、 その承認は 「ローカル組合のサービスを望む」 従業員の

交渉組織としてであった。 その後、 同年12月には従業員組合が結成され

NLRB選挙を申請する。 1938年3月に実施された選挙で URWローカルが

勝利して 「認証」 と排他的交渉権を獲得するけれども、 その得票は3696票対

2564票であり、 圧倒的勝利とはいかなかったのである。 また、 同社ロスアン

ゼルス工場でのローカルの 「認証」 と協約は1940年5月であった。 グッドリッ

チ社はアクロン工場では1937年8月の NLRB選挙を通じて 「認証」 された

ローカルとの間で1938年5月に初めて協約を締結するが、 ロスアンゼルス工

場では1939年1月のことであった。

グッドイヤー社では、 主要な工場の多くでローカルが結成されていたが、

アクロン工場のように NLRB選挙で 「認証」 を獲得した場合でも、 交渉は

受け入れるが合意の必要性なしという会社の姿勢によって協約締結はなかな

か実現しなかった。 1940年 URWおよび CIO (1938年11月に Congress of

Industrial Organizationに名称変更) は、 グッドイヤー社諸工場のローカ

ルの再建を重大問題として位置づけ、 まず諸ローカルにおける組合員拡大を

目指すとともに、 その実現を背景に同社に統一協約を迫った。 これに対する

グッドイヤー社の回答は、 NLRB選挙でローカルが 「認証」 された工場ご

とに協約交渉に入ることに同意するというものであった。 こうして、 1941年

2月のカナダのバウマンビル工場で初めてグッドイヤー社との協約が成立し、

10月にようやくアクロン工場で実現することになったのである。 しかし、 同

社のアラバマ州ガズデン工場では、 この地域に根強い反組合的土壌とそれに

支えられた強力な従業員組合からの攻撃のために、 URWの組織化はなかな

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か進まなかった55)。 このようにタイヤ産業でも、 組織化の最初の過程は、 企

業の反組合主義との闘いのなかで、 さしあたり工場ごとのローカルの承認と

協約締結という道を選択せざるをえなかったわけである。

6. 労使の抜きがたい相互不信感

ニューディール型労使関係は一般に 「敵対的労使関係」 と性格づけられる。

それを政策的にあらわすものが団体交渉中心主義や職務規制主義であり、 ワー

クルールや苦情処理制度の詳細化・厳密化であるといえようが、 その背後に

は労使間の抜きがたい相互不信感があることを無視できない。 不信感は、 組

織化の当初の段階で明確に刻み込まれることになったと思われる。 そもそも

アメリカの経営者に強烈な反組合主義がその淵源にあるとはいえ、 ニューディー

ル期の組合忌避戦術の展開は、 それをいっそう際立たせることとなった。

NIRAへの対応としての会社組合の結成、 ワグナー法を違憲として葬り去

ろうとする試み、 NLRB選挙を要求する姿勢などにそれが端的に示されて

いるが、 たとえ NLRB選挙での 「認証」 をえた組合に対しても、 交渉義務

はしぶしぶ履行するが、 合意に達して協約を結ぶことは強制されていないと

いうグッドイヤー社の姿勢はここで特に注目したい。

すでにみてきたことから容易に推察されるように、 同社は、 ローカル2が

NLRB選挙に勝利した1937年8月から1941年10月に協約を結ぶまでのほぼ

4年間において、 ローカルを弱体化させ工場からその存在を消し去ろうと様々

な攻勢をしかけた。 たとえば、 ローカルの選挙勝利の直後にアクロン工場で

の生産縮小と他工場への生産移転を発表したり、 レイオフかさらなるワーク

シェアリングかという困難な選択においては、 組合が排他的交渉代表と 「認

証」 されているにもかかわらず従業員全体での投票を要求したりした。 また、

いったん合意に達し文書で確認した事項にもサインをせず、 後にサインして

いないから合意していないと主張したり、 労働部レベルでの口頭での合意は

上級経営者が覆したりといった有様であった。 さらに組合が NLRBに訴え、

組合に有利な裁定がでればそれを無視したり訴訟を起こして紛争を長期化さ

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せたりした。 こうしたことが同社をして頑迷なまでの反組合主義といわせる

のであるが56)、 アクロン工場におけるこれほどまでの不誠実交渉と、 それに

対抗するローカル組合戦闘派による無秩序な座り込みが労使間の相互不信感

を決定づけたことは間違いない。 そして、 このグッドイヤー社における不誠

実交渉の特異な背景の一端は、 やはり同社が誇りとしていた従業員代表制と

それを支持した会社忠誠派の存在であったろうと思われる。 そこにはまた、

1910年代からの同社の労務管理改革を指導してきた経営者リッチフィールド

のウェルフェア・キャピタリズムに対する深い思い入れのようなものがあっ

たともいえる。 同社がローカルとの協約に応じる姿勢をみせ始めるのは、 リッ

チフィールドからトーマス (Edwin J. Thomas) に社長の椅子が渡された

1940年8月以降のことである。 トーマスは、 労働組合との平和的な共存は可

能であり、 組合との協約締結は事業運営に支障をきたさないとの考えをもつ

現実主義者であり、 1941年のグッドイヤー社統一協約要求に関する URW

会長との会談に臨むに当ってリッチフィールドに労使関係から手を引くよう

に説得した。 しかし、 それでも1941年協約にリッチフィールド会長はサイン

を求められてもそれを拒否したのである57)。

Ⅳ. 本稿の小括と今後の課題

(1) 小括

以上みてきたことから明らかなように、 ウェルフェア・キャピタリズムは

1920年代の一部の大企業によって試みられた特異な労務政策であり、 当時の

時代状況のなかで開花した単なる 「あだ花」 として葬りさられるべきもので

はなく、 その後のアメリカ労使関係に様々な形で影響を及ぼしていると再評

価されるべきである。 こうした再評価の枠組みは関口定一氏によって見事に

整理されている。 すなわち、 [1]ウェルフェア・キャピタリズムの継承、 つ

まり、 戦後型ウェルフェア・キャピタリズムの展開と組織化セクターとの相

互浸透、 [2]ウェルフェア・キャピタリズムへの対抗(1)、 つまり、 「会社組合」

禁止措置としてのニューディール労働立法の歴史的な制約、 その結果として

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の労働組合組織率の低位と企業内の参加・コミュニケーション・システムの

不在、 [3]ウェルフェア・キャピタリズムへの対抗(2)、 つまり 「会社組合」

と 「産業別組合」 との対抗関係、 その結果としてのプラント別ローカルと企

業・工場レベルの協約への傾斜、 [4]ウェルフェア・キャピタリズムとの結

合、 つまり、 企業の制度に大幅に依存した公的福祉・保障制度、 の4点であ

る58)。 このような優れた整理があれば、 本稿の要約はさして意味をもたなく

なるだろうが、 あえてこの枠組みのなかに明示されていない点を中心に、 本

稿で実証的に確認された事実に限って要約するならば以下のようになるだろ

う。

( i)タイヤ産業での比較的早期での先任権の確立は、 ウェルフェア・キャピ

タリズムの下で形成された勤続重視の慣行や制度の存在を抜きには考えら

れない。 最も抵抗が強かったグッドイヤー社でも1937年末には部門単位で

の先任権が非公式ながら認められた。

(ii)ワークシェアリングの実施には従業員代表制が実質的に関与しており、

大恐慌期に本格化するレイオフとワークシェアリングとの調整問題は、 そ

の後、 組合がウェルフェア・キャピタリズムをどのように受け止めるかと

いう問題を提起した。

(iii)従業員代表制のもとで苦情処理が行われていたところに、 労働組合が登

場して自らが主体となる苦情処理システムを構築していくには困難が伴い、

結果としてグッドイヤー社での構築は他社に比べて遅れた。 しかし、 最初

の協約に盛り込まれたシステムは他社協約と比べて組合の職場委員の管轄

と権限がとりわけ厳密かつ詳細に規定されることとなった。 ここにも同社

におけるウェルフェア・キャピタリズムの影響をみることができる。

(iv)ウェルフェア・キャピタリズムのもとでの福利厚生の 「温情的」・「抑圧

的」 性格を払拭する労働組合の闘いは、 「継続的勤続期間」 に関する要求

にみられるように、 従業員代表制のもとでの試みの方向と成果に引きずら

れることとなった。 有給休暇はウェルフェア・キャピタリズムの下で早期

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から実施されていたものであり、 それが下地となっていち早く 「権利」 と

して協約に盛り込まれることとなった。

(v)ウェルフェア・キャピタリズムの実践とその成果を評価していたグッド

イヤー社では、 そのためもあって労働組合主義に対する敵対的姿勢がとく

に強く、 このことが労使不信感をいっそう強くさせ結果として厳密なルー

ルの形成に向かった。

(2) 今後の課題

本稿の後段は、 関口氏の枠組みに沿いつつ、 グッドイヤー社を中心として

タイヤ産業を事例に実証的な検証を行ったわけであるが、 いまだ不十分なま

まである。 とくに、 ウェルフェア・キャピタリズムを積極的に推進しかつ従

業員代表制を設置しそれが機能していたと思われる企業 (グッドイヤー社)

とそうでない企業 (ファイアストン社やグッドリッチ社) との間の明確な差

異は十分に析出できなかった。 また同じく従業員代表制を実施していた US

ラバー社との比較はほとんどなされていない。 さらに、 職場での最重要問題

であるはずの賃金や標準作業量、 ワークルール、 職場の第一線監督者として

の職長との関係といった領域には手がつけられていない。

たとえば、 賃金についていえば組合承認問題を除いて実際にグッドイヤー

社の労使関係の最大の争点は、 大恐慌期での歪な賃下げと、 従業員代表制と

労働組合との抗争のなかで同社が前者を厚遇するために行った1933年以降の

賃上げに起因する賃金秩序の混乱であった59)。 また、 従業員代表制のもとで

は従業員代表が実態は不明確ながら職務分析・評価の過程に参加していたと

されるが、 組合はそれへの道を経営権の侵害として当初から閉ざされており、

それが苦情処理制度を詳細な規定にさせていく要因の1つでもあったのであ

る。 従業員代表制のもとでどのような賃率決定システムが形成されていたの

か、 それが労働組合の登場と従業員代表制の廃止によってどのように変容し

たのか、 その辺の事情にウェルフェア・キャピタリズムの影響を析出するこ

とはできないだろうか。 また、 職長の役割や監督スタイルという点に関して

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いうと、 従業員代表制は職長の個人的・恣意的な従業員の取扱の抑制・防止

に大きな貢献をしたと評価される。 そして、 グッドイヤー社は、 従業員代表

制を廃止すると、 その直後の1937年10月から半年に渡って工場の監督者会議

を合計8回開催し、 監督者の権限を強化する議論を行っている60)。 この議論

がいかなる目的で行われどのような結論となりそれが同社の労務政策や労使

関係にどのような変化をもたらしていくのかという課題も、 ウェルフェア・

キャピタリズムの消失による影響という視点から考察すべき題材であると思

われる。 以上のような不十分な領域を検証・析出し、 ウェルフェア・キャピ

タリズムの意義をアメリカ労務管理・労使関係の歴史のなかにより適切に位

置づけていく作業が今後の課題である。

*以下の注では、 資料の所蔵先および資料名に関して次の略記を使用する。

①[in AOF]=Labor Management Document Center, New York State School of In-

dustrial and Labor Relations, Cornell University, Archives Organization File

に所蔵される資料である。 資料名の後にシリーズ番号と Box番号を記す。 なお、

この資料は関口定一氏のご厚意による。

②[in UOA]=University of Akron Archivesに所蔵される資料。 資料名の後にコレ

クション名と Box番号を記す。

③“Goodyear Statement (Nov.25,1935),”=“Goodyear Tire and Rubber Company

Statement Submitted by Goodyear Management to the Board, November 25,

1935,” [Federal Mediation and Conciliation Service Papers, RG280, File 195/335,

National Archives].

④“Goodyear Statement (Nov.30,1935),”=“Goodyear Tire and Rubber Company

Statement Submitted by Goodyear Management to the Board, November 30,

1935,” [Federal Mediation and Conciliation Service Papers, RG280, File 195/335,

National Archives].

⑤La Follette Committee Hearings=U. S. Senate Committee on Education and

Labor, Hearings before a Subcommittee on Violations of Free Speech and Rights

of Labor, 76th Congress, 1st Session, pursuant to S. Rep. 266, part 45.

⑥“GTR-URW Local 2 Agreement”=“Agreement Between The Goodyear Tire and

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Rubber Company and Local No.2 of the United Rubber Workers of America

CIO, effective Oct. 28. 1941,” [University of Akron Archives, Goodyear Collec-

tion, Box 3-1, 1 of 5].

1) Sanford M. Jacoby, Employing Bureaucracy: Managers, Unions, and the

Transformation of Work in American Industry, 1900-1945 (Columbia University

Press, 1985), p.181 [荒又・木下・平尾・森訳 『雇用官僚制―アメリカの内部労働市

場と“良い仕事”の生成史―』 北海道大学図書刊行会, 1989年, 220ページ].

2) Irving Bernstein, The Lean Years: A History of the American Workers, 1920-

1933 (Houghton Mifflin Company, 1960), pp.145, 186-188.

3) David Brody, Workers in Industrial America: Essays on Twentieth Century

Struggle (Oxford University Press, 1980), pp.65,78,134.

4) 関口定一 「第一次大戦期アメリカにおける労資関係と労務政策―大企業における

労働争議の分析を中心として―」 『商学論纂』 (中央大学) 第29巻第2号、 1987年9

月、 151-193ページ、 参照。

5) 平尾武久・伊藤健市・関口定一・森川章編著 『アメリカ大企業と労働者―1920年

代労務管理史研究』 北海道大学図書刊行会、 1998年。

6) 先駆的業績としては、 Daniel Nelson, “The Company Union Movement, 1900-

1937: A Reexamination,” Business History Review, 56-3 (Autumn 1982) がある。

7) T. J. Peters and R. H. Waterman, In Search of Excellence (Harper & Row,

1982) [大前研一訳 『エクセレント・カンパニー』 講談社、 1983年].

8) 竹田有 「ニューディール労資関係の終焉」 『アメリカ史評論』 第16号、 1998年10

月、 5ページ。 萩原進 「アメリカ労使関係の転換」 萩原進・公文溥編 『アメリカ経

済の再工業化 生産システムの転換と情報革命 』 法政大学出版局、 1999年、

299ページ。

9) Thomas A. Kochan, Harry C. Katz and Robert B. Mckersie, The Transforma-

tion of American Industrial Relations (Basic Books, 1986); F. K. Foulkes, Person-

nel Policies in Large Nonunion Companies (Prentice-Hall, 1980); 今村寛治 『<

労働の人間化>への視座 アメリカ・スウェーデンのQWL検証 』 ミネルヴァ

書房、 2002年、 第2~4章。

10) Sanford M. Jacoby, Modern Manors: Welfare Capitalism since the New Deal

(Princeton University Press, 1997), pp.258-259 [内田一秀ほか訳 『会社荘園制

アメリカ型ウェルフェア・キャピタリズムの軌跡 』 北海道大学図書刊行会、

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1999年、 426-427ページ].

11) Peter Cappelli, The New Deal at Work: Managing the Market-Driven Work-

force (Harvard Business School Press, 1999) [若山由美訳 『雇用の未来』 日本経済

新聞社、 2001年、 序章].

12) Sanford M. Jacoby, “Are Career Jobs Headed for Extinction?,” California

Management Review, 42-1 (Fall 1999). なお、 この論文は、 伊藤健市 「アメリカ人

の働き方は変化したのか (1) サンフォード・M・ジャコービィ著 「キャリア

型の仕事は消滅に向かう運命か」 」 関西大学 『人権問題研究室紀要』 第47号、

2003年9月、 で訳出されている。

13) 萩原進 「アメリカ労使関係の転換」、 307ページ。 また、 橋場俊展 「「従業員参加」

を巡る諸議論の概観および批判的検討」 『北見大学論集』 第23巻第2号、 2001年2

月も参照されたい。

14) 中窪裕也 『アメリカ労働法』 弘文堂、 1995年、 57ページ。 紀平英作 『ニューディー

ル政治秩序の形成過程の研究』 京都大学学術出版会、 1993年、 とくに第5~6章。

15) 仁田道夫 「アメリカ的労使関係の確立」 東京大学社会科学研究所編 『20世紀シス

テム 2 経済成長Ⅰ基軸』 東京大学出版会、 1998年、 219ページ。

16) David Brody, “Labor Elections: Good for Workers ?,” Dissent 44-3 (Summer

1997), pp.72-75; David Brody, “Section8(a)(2) and the Origins of the Wagner Act,”

in Sheldon Friedman et.al.eds., Restoring the Promise of American Labor Law

(ILR Press, 1994), pp.29-44; Bruce E. Kaufman, “Company Unions: Sham Or-

ganizations or Victims of the New Deal ?,” in Industrial Relations Research As-

sociation, Proceedings of the Forty-Ninth Annual Meeting (January 4-6, 1997),

p.166; 竹田有 「ニューディール労資関係の終焉」、 9ページ。 なお、 交渉代表選挙

制度に関して付言しておけば、 2002年5月にノーウッド法案 (Norwood bill;

H.R.4636, 107th Congress 2d Session) が下院に上程されている。 この法案の最大

の特徴は、 ワグナー法が認めている、 使用者が授権カードをチェックして組合を任

意 「承認」 (recognition)する方法を違法にすることである。 これが成立すると、 労

働組合は使用者との団体交渉を行う立場をえるには必ず NLRB選挙を経なければ

ならなくなる。 ブロディはそうなればユニオニズムは死滅のコースを辿るだろうと

警告している (David Brody, “Labor Law Reform: Taking a Long View,” Per-

spectives on Work (The Magazine of the IRRA), 7-1 (2003), pp. 16-18)。

17) John Dean Gaffey, The Productivity of Labor in the Rubber Tire Manufactur-

ing Industry (Columbia University Press, 1940), p.36; U. S. Department of

ウェルフェア・キャピタリズムと戦後アメリカ労使関係の特質 (百田・堀)

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Commerce, Bureau of Census, Historical Statistics of the United States: Colonial

Times to 1970 (Government Printing Office, 1975), p.693 [斎藤眞・鳥居泰彦監訳

『新装版アメリカ歴史統計 植民地時代~1970年 第Ⅱ巻』 東洋書林、 1999年、

693ページ].

18) 平尾武久ほか編著 『アメリカ大企業と労働者』 第1章、 第8章、 第9章参照。

19) 以上のタイヤ産業およびグッドイヤー社労使関係の展開については、 Daniel Nel-

son, American Rubber Workers & Organized Labor, 1900-1941 (Princeton Uni-

versity Press, 1988); Harold S. Roberts, The Rubber Workers: Labor

Organization and Collective Bargaining in the Rubber Industry (Harper &

Brothers, 1944); Hugh Allen, The House of Goodyear: Fifty Years of Men and In-

dustry (The Corday & Gross, 1949); Paul W. Litchfield, The Industrial Republic:

Reflections of an Industrial Lieutenant (The Corday & Gross, 1946); Bruce M.

Meyer, The Once and Future Union: The Rise and Fall of the United Rubber

Workers, 1935-1995 (The University of Akron Press, 2002); 井上昭一ほか編著

『アメリカ企業経営史 労務・労使関係的視点を基軸として 』 税務経理協会、

2000年、 第5章などを参照されたい。

20) Kochan, Katz, and McKersie, The Transformation of American Industrial Re-

lations, Chapter 1 and 2. 仁田道夫 「アメリカ的労使関係の確立」、 203-204ページ。

竹田有 「ニューディール労資関係の終焉」、 1-3ページ。

21) 熊沢誠 『寡占体制と労働組合 アメリカ自動車工業の資本と労働 』 新評論、

1970年、 145-147ページ。

22) “Goodyear Statement (Nov.30, 1935),” p.9.

23) Allen, The House of Goodyear, p.167; Hugh Allen, “Employe Representation,”

[in AOF Ⅳ Box 59], p.7.

24) Nelson, American Rubber Workers, pp.263-270; Roberts, The Rubber Workers,

pp.226-232.

25) Nelson, American Rubber Workers, pp.59-60; Alfred Lief, The Firestone Story:

A History of the Firestone Tire & Rubber Company (McGraw-Hill,1951), pp.78-

87; Mansel G. Blackford and K. Austin Kerr, BFGoodrich: Tradition and Trans-

formation 1870-1995 (Ohio State University Press, 1996), pp.48-50.

26) “Text of Firestone Agreement,” United Rubber Worker 2-5 (May 1937), p.5;

“Agreement May, 1938,” [in UOA, Local5 Box B-1], pp.4-5.

27) Roberts, The Rubber Workers, p.230. なお、 グッドリッチ社の1938年協約では、

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工場で5年以上の勤続期間をもつ従業員は、 所属する部局 (division) (部門よりも

大きな単位) における2年未満の勤続期間従業員に取って代わることができるとさ

れ、 翌年の協約では 「2年未満」 が 「5年未満」 へと変更された。 しかし、 この5

年ルールは、 若年の組合員からの反発を受けることになり、 広い先任権単位を求め

る声は次第に弱まったという。 これに対して、 中堅企業のザイバーリング社では工

場単位が認められていた。 適用単位の問題は、 組合員相互の利益衝突を生み出すだ

けでなく、 製品数の少ない工場と多い工場とでは実務的な問題の困難性が異なり、

工場ごとの特殊性が考慮されざるをえなくなると思われる (Donald Anthony,

“Rubber Products,” in Harry A. Millis ed., How Collective Bargaining Works: A

Survey of Experience in Leading American Industries (The Twentieth Century

Fund, 1942), pp.659-661)。

28) Neil W. Chamberlain, The Union Challenge to Management Control (Harper &

Row, 1948), p.78 [濱野末太郎訳 『経営に対する組合の挑戦 (上巻)』 日本経営者団

体連盟、 1950年、 158ページ].

29) 熊沢誠 『寡占体制と労働組合』、 147ページ。

30) Nelson, American Rubber Workers, pp.278-288; Roberts, The Rubber Workers,

233-250.

31) “GTR-URW Local 2 Agreement,” pp.16-28.

32) Paul W. Litchfield, “How Goodyear Employees Shared Their Work,” Executive

Service Bulletin (August 1933) [in UOA, Goodyear Collection, Box 2-5, 1 of 4],

p.3.

33) Nelson, American Rubber Workers, p.266; Roberts, The Rubber Workers, 226-

228. Goodyear Tire and Rubber Company, “Factory General Letter (Subject: Lay

Offs, Transfers & Recalls), January 18, 1939,” [in AOF Ⅳ Box 59].

34) Anthony, Rubber Products, p.659.

35) United States Rubber Company, “Industrial Relations Activities in The

United States Rubber Company 1922,” [in AOFⅠBox 116], pp.39-41.

36) Nelson, American Rubber Workers, p.105; Allen, The House of Goodyear, p.185;

Allen, “Employe Representation,” p.5-6; Litchfield, The Industrial Republic,

pp.57-59, 64.

37) Goodyear Tire & Rubber Company, “Resume of Sitdowns, Intimidations and

Violence at the Akron Plants of The Goodyear Tire & Rubber Company from

the Date of Strike Settlement, March 21, 1936 through December 31, 1936,”

ウェルフェア・キャピタリズムと戦後アメリカ労使関係の特質 (百田・堀)

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January 4, 1937 [in AOF Ⅳ Box 59], pp.1-12.

38) La Follette Committee Hearings, p.16771.

39) Roberts, The Rubber Workers, pp.235, 240-245; Nelson, American Rubber

Workers, p.204.

40) “GTR-URW Local 2 Agreement,” pp.3-7.

41) Ibid.; “Text of Firestone Agreement,” p.5; “Agreement May, 1938,” p.1; An-

thony, “Rubber Products,” p.669.

42) 鈴木良始 「1920年代 GEにおける福利厚生と労働者」 平尾武久ほか編 『アメリカ

大企業と労働者』、 254ページ。

43) Allen, “Employe Representation,” pp.7-8.

44) “GTR-URW Local 2 Agreement,” p.26.

45) “Goodyear Statement (Nov.30,1935),” p.10.

46) Ibid.; Allen,“Employe Representation,” p.8; “GTR-URW Local 2 Agreement,”

p.33.

47) Goodyear Tire and Rubber Company, The Company and the Man: A Story of

the Personnel of The Goodyear Tire & Rubber Company, (Akron: 1934),p.29; La

Follette Committee Hearings, pp.16662-16663; “GTR-URW Local 2 Agreement,”

p.26.

48) Jacoby, Employing Bureaucracy, pp.266-267 [前掲邦訳書、 310-311ページ].

49) 熊沢誠 『寡占体制と労働組合』、 198ページ。

50) Chamberlain, The Union Challenge to Management Control, p.81 [前掲邦訳書、

164ページ]; Sumner H. Slichter, James J. Healy, and E. Robert Livernash, The

Impact of Collective Bargaining on Management (The Brookings Institution,

1960), pp.372-377, 422-433; 中窪裕也 『アメリカ労働法』、 287ページ。

51) Nelson, American Rubber Workers, p.131.

52) Ibid., p.281; Roberts, The Rubber Workers, p.240.

53) 1935年11月末時点での5年以上勤続者の比率はおよそ80%にも達していた (“Good-

year Statement (Nov.25,1935),” p.1)。

54) “GTR-URW Local 2 Agreement,” pp.29-30.

55) Nelson, American Rubber Workers, p.313-321; Roberts, The Rubber Workers,

pp.250-254 ; Anthony, “Rubber Products,” pp.653-655.

56) Howell John Harris, The Right to Manage: Industrial Relations Policies of

American Business in the 1940s (The University of Wisconsin Press, 1982), pp.25-

駒沢大学経済学論集 第 36 巻第1号

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Page 45: ウェルフェア・キャピタリズムと 戦後アメリカ労使関係の特質repo.komazawa-u.ac.jp/opac/repository/all/17890/erku036...評価を付与されてこなかったウェルフェア・キャピタリズムをアメリカ労使

26; Daniel Nelson, “Managers and Nonunion Workers in the Rubber Industry:

Union Avoidance Strategies in the 1930s,” Industrial and Labor Relations Re-

view, 43-1 (October 1989). 1930年代における企業の対組合姿勢に関するハリスの

分類に基づいて、 ネルソンはそれぞれグッドイヤー社を 「頑固な反組合主義」、 ファ

イアストン社を 「現実主義」、 USラバー社を 「進歩主義」 の代表として比較検討し

ている。

57) Nelson, American Rubber Workers, p.263-288; Meyer, The Once and Future

Union, p.70.

58) 関口定一 「20世紀アメリカの労働と福祉」 『土地制度史学 別冊:20世紀資本主義

歴史と方法の再検討 』 1999年9月、 55-56ページ。

59) La Follette Committee Hearings, pp.16772.

60) “Supervisional Conferences, 1937-1938,” [in UOA, Goodyear Collection, Box 5-

5, 1 of 2].

(本稿は、 平成13年度駒澤大学特別研究助成金による研究成果の一部である。)

ウェルフェア・キャピタリズムと戦後アメリカ労使関係の特質 (百田・堀)

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