イソップ寓話「アリとキリギリス」の 日本的変容 - 明治大学...( 61)...

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Meiji University Title �-�- Author(s) �,Citation �, 6(1): 59-74 URL http://hdl.handle.net/10291/17134 Rights Issue Date 2014-03-31 Text version publisher Type Departmental Bulletin Paper DOI https://m-repo.lib.meiji.ac.jp/

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  • Meiji University

     

    Titleイソップ寓話「アリとキリギリス」の日本的変容-『

    イソポのハブラス』における改変をめぐって-

    Author(s) 渡,浩一

    Citation 明治大学国際日本学研究, 6(1): 59-74

    URL http://hdl.handle.net/10291/17134

    Rights

    Issue Date 2014-03-31

    Text version publisher

    Type Departmental Bulletin Paper

    DOI

                               https://m-repo.lib.meiji.ac.jp/

  • イソップ寓話「アリとキリギリス」の

    日本的変容

    はじめに

    一一『イソポのハプラス』における改変をめぐって一一

    The ]apanese Transformation of Aesop's Fable;

    "The Ant and the Grasshopper":

    A Focus on the Alteration in “ESOPO NO F ABVLAS"

    渡 浩一

    W A T ARI, Koichi

    59

    筆者がイソップ寓話「アリとキリギリス」に学問的興味を持つようになったのは, 30年近く

    前に小堀桂一郎氏の『イソップ寓話 その伝承と変容J(中公新書)を読んでからである。アリが

    キリギリスに食べ物をわけでやるという,現代の子供向けイソップ童話にもしばしば見られる改

    変が,本邦初訳の『イソポのハプラス』に既に見えているという事実,それは日本的な「温情主

    義」に基づく改変だとする小堀氏の説に,日本文化史や日本文化論に強い関心をもっ筆者は,い

    たく興味をそそられたのである。以来,講議や講演などでこの話題を何度か取り上げ,基本的に

    は,小堀氏の説に依拠しながら話をしてきた。しかし,何度か話しているうちに,次第に,小堀

    説に疑問を感じるようになった。現代童話における改変はさておき,はたして『イソポのハプラ

    ス』における改変は本当に日本的な「温情主義」に基づくものと考えていいのだろうか,という

    疑問が生じたのである。調べてみると,ほかにもいくつかの説が提示されていることもわかった

    が.どれも筆者には十分に説得力を持つものではなかった。かといって,自信を持って提示でき

    る明確な対案を今示せるわけではまったくないのだが,小稿では,諸説を紹介しながら愚考の一

    端を開陳してみたい。

    イソップ寓話集

    いわゆる「イソップ寓話」は,紀元前 6世紀噴のギリシャの奴隷イソップ(アイソポス

    Aesop)が語ったとされる寓話(そのほとんどは動物寓話)であるが,実際にイソップが語った

    ことが証明できる話は 1話もないらしい。数種のギリシャ語・ラテン語文献の「イソップ寓話集」

  • 同 『明治大学園際日本学研究』第6巻第 1号 (60 )

    が伝わっており,要は古代・中世のヨーロッパ世界において同趣向の寓話がイソップの名のもと

    に集成され,時代の進展とともにその話散を増やしていったようである。また,イソップ自身に

    ついても,実在の人物ではあるらしいのだが,詳しいことは分からないようで,したがって,イ

    ソップが,いつ,どこで,どのような状況で,どんな寓話を語り,その結果どうなったか,といっ

    たようなことからなる「イソップ伝」も「イソップ寓話集」の発展とともに生成発展したようで

    ある。そして,そのなかでイソップは,背が低く,醜悪な風貌で,しかもどもりであったが,大

    変な知恵者であったとされ杏ようになったのである。

    以上のような数種のギリシャ語・ラテン語文献の「イソップ寓話集」と「イソップ伝」を集大

    成したのが, 1480年頃に編纂され,ラテン語版とドイツ語版が刊行された「シュタインへーベ

    ル編イソップ集」である。 16世紀の後半にイエズス会のキリスト教宣教師の手によって日本に

    最初に伝来した「イソップ寓話集」は,この「シュタインヘーペル編イソヅプ集」系のラテン語

    版であると考えられている。

    『イソポのハブラス』と『伊曾保物語』

    伝存すあ「イソップ寓話集」の最も古い邦訳は「イソポのハプラス』と『伊曾保物語』である。

    『イソポのハプラス (ESOPONO F ABVLAS) Jは, 1593年にイエズス会のコレジオのあった

    天草で天正少年遣欧使節が持ち帰ったグーテンベルグの印刷機と活字によって印刷されたポルト

    ガル語風ローマ字表記の「イソップ寓話集」で,ローマ字版(本)r伊曾保物語』・天草版(本)『伊曾保物語』・キリシタン版『伊曾保物語』などとも呼ばれる。口語体の日本語であり,国語

    資料としても極めて重要な作品であるω。やはりローマ字印刷の『平家物語Jr金句集』と合緬されたものが世界でただ 1点大英図書館に所蔵されている。ちなみに,本書について最初に報告

    したのは,幕末・明治維新期に日本で梧躍したイギリヌの外交官アーネスト・サトウであり,そ

    の後,日本への本格的紹介を行ったのは.r広辞苑Jの編者として知られる新村出である。イソップの伝記と「作り物語J(寓話)70話からなり,各寓話には「下心」として評語(教訓1)が付さ

    れる。

    一方, r伊曾保物語』は,いずれも字句の異聞はほとんどないが,慶長・元和頃(1605-25)に7種の古活字版が,寛永 16年(1639)に2種の古活字版が刊行されていることが確認されてお

    り,万治2年(1659)に絵入り整板版が刊行されているα 文語体の国字(漢字・平仮名)表記で,

    ローマ字版(本)r伊曾保物語』に対して国字版(本)r伊曾保物語」とも呼ばれる。上中下の 3巻からなり,上巻と中巻の始めの方までが伊曾保の伝記であり,中巻の残りと下巻に 64話の寓

    (1) 表紙に「ラチンを和して,日本の口とな"tものなり。/ゼズスのコンパニアのコレジョ天草において,極;ん 1・a

    スペリ冨レスの御免許として,これを板に剥むものなり。/御出世より 1593J(大塚光信『エソポのハプラス私注』の翻字による。「ゼズスのコンパニア」はイエズス会の意, rコレジョ」は学林, rスペリョレス」は長老の意)とある。

  • ( 61) イソップ寓話「アりとキリギリス」の日本的変容 61

    話が収載されている。各高話には「そのごとく」から始まる評語(教書11)が付される。仮名草子

    として分類され,後世への影響も少なくない。

    なお, rイソポのハプラス』と『伊曾保物語』の両者に共通する話は,伝記部分では 21話あるが,寓話部分では 25話にすぎない。このため,文体も異なる両者が伝来のラテン語の原典を直

    接の出典としているとは考えにくく,両者の共通の祖本としてより多くの寓話を含む邦訳『原伊

    曾保物語』の存在が想定されている。

    「イソップ寓話集」の本邦初訳(同時に西洋文学の本邦初訳でもある)の作業が, 16世紀の終

    わり頃にイエズス会日本教会において西洋人宜教師と日本人イエズス会士の共同作業によって行

    われたであろうことは想像に難くないが,そもそも翻訳の目的は何だったのであろうか。『伊曾

    保物語』には序文や蹴文に当たるようなものはなく,キリスト教禁制下・出版統制下の日本で出

    版刊行されたものなので,その成立事情を窺わせるような記述は一切ないが, 11'イソポのハプラ

    ス』には冒頭に「競請の人へ対して書す」と題して次のようにある。

    惣じて,人l時もなきた議れ言iこは耳を傾け,真実の草花をば聞くに退屈するによって,

    耳遊きことを集め,この物語を厳に読むこと,たとへば樹木を愛するに異ならず。その故うゑき み

    は,樹には益なき枝・葉多しといへども,そのなかによき実あるをもって,枝・葉無用とかるがゆへ に?ぽん

    思はぬがごとくなり。 故に,スペリョスの仰せをもって,この物語をラチンより日本のせんざ〈のち まこと

    言葉に和げ,いろいろの穿撃の後,板に聞かるるなり。これ真に日本の言葉稽古のためたより

    に便となるのみならず,よき道を人に教へ語る使ともなるべきものなり。

    (大塚光信『エソポのハプラス私注』の翻字による)

    最後の 1文に明らかなように,ローマ字表記の『イソポのハプラス』は,まず第 1に,ヨーロッ

    パ人宣教師の日本語学習用参考書として,第 2に,日本人にキリスト教の倫理を説く布教用の参

    考書として用いられることを目的に,印刷・刊行されたと考えられるのである。

    『原伊曾保物語』については,その文体(文語か口語か)や表記(ローマ字か国字か)が不明

    なので,それが日本語学習用参考書とするための翻訳であったかどうかは判断が難しいがω,少

    なくとも布教用の参考書とするためという目的はあったに違いあるまい。

    「イソップ寓話」は,もちろんもともとはキリスト教とは無縁のものだが,中世のヨーロッパ

    において,教会公認のもと説教に用いられていたようなので, rイソップ寓話集J翻訳の目的に寓話を布教・伝道に役立てるためということがあったとしても一向に不思議ではなL、。それは,

    たとえば,浄土宗の説教僧であった安楽庵策伝が京都所司代板倉重宗の求めに応じて, 11'イソポ

    (2) rイソポのハプラス』が口語体であることからすると,貫教師達の「言葉稽古Jの「言葉jは主に口語だった可能性が高く.r原伊曾保物語」が文語体だったとすれば,表記がたとえローマ字であったとしても,日本語学習用参考書にはあまりならなかったのではないだろうか。日本語の文語文の読み書きを必要としたり研究したりする宣教師はごく限られていたと思う。

  • 62 『明治大学国際日本学研究J第6巻第 1号 (62 )

    のハプラス』に少し遣れて舗纂した,噛本の崎町矢として知られる笑話集『醒睡笑』の成立背景を

    想起させる。策伝は説教僧だからこそ多くの哨〈笑話)を収集していたと考えられるからである。

    キリスト教であろうが,仏教であろうが,説教僧にとって「咽」は不可欠のネタだったはずであ

    る。笑いの要素を含む寓話も少なくないことを併せ考えれば,イエズス会の宣教師連も,キリス

    ト教の布教・伝道のため,説教のなかで「イソザプ寓話Jを積極的に日本人に譜勺たと考えてま

    ず間違いなかろう。

    そして, rイソップ寓話」は,キリスト教からもその本来の調訳目的からも切り離されて禁教下の近世の日本でも受容され,仮名草子『伊曾保物語』は,哨本の一種のようなものとして版を

    重ねたのであるω。

    ギリシャ語文献の「アリとキリギリスJ

    さて,いよいよ本題の「アリとキリギリスJであるが, Ifイソポのハプラス』における改変の

    問題に入るには,まずは〈原語〉を確認しておく必要があろう。なお,この話は現在では「アリ

    とキリギリス」として一般に知られているが,もともとは「アリとセミ」であったようだ。セミ

    がキリギリスになるのは,セミの生息しない北ヨーロッパに「イソップ寓話集」が伝わってから

    のようである。紀元80年頃のギリシャ語文献『パプリオスによるイアンボス詩形のイソップ寓

    話集』には「セミとアリ」と題して次のようにある。

    冬のことです。アリが蔵から穀物を引っ張り出してきて,干していました。蔓のあいだに

    積み上げておいた穀物です。

    「露命をつなぐために私にも食べ物を少しお恵みくださ L、」と,セミが飢えにあえぎなが

    らアリに取りすがりました。

    「それじゃあ,君はこの夏,なにをしていたんだい」とアリが苦いました。

    「ぶらぶらしていたわけではありません。 Fずっと歌っておりました」

    アリは笑って,小麦をしまいながら言いました。

    「夏に簡を吹いていたんだったら,冬は踊りたまえj

    (岩谷智・西村賀子訳『イソップ風寓話集 パエドルス/パプリオス』による)

    また,エミール・シャンブリ校訂のギリシャ語原文からの翻訳である,岩波文庫『イソップ寓

    話集.J(山本光雄訳)では「蝉と蟻たち」との題で,次のように訳されている。

    (3) 昔話のなかには,採集例は少ないが, rイソップ寓話」起源と考えられるものが数例報告されている(r肉を運ぶ犬J→「欲張り犬J,r田舎の鼠と町の鼠J→「山の鼠と家の鼠」など)。また,近世文学のいくつかの作品には『伊曾保物語』からの直接・間接の受容話が見られる。

  • ( 63) イソザプ寓話「アリとキリギリス」の日本的変容 63

    冬の季節に蟻たちが漏れた食糧を乾かしていました。蝉が飢えて彼らに食物を求めました。

    蟻たちは彼に「なぜ夏にあなたも食糧を集めなかったのですか。」と言いました。と,彼は

    「暇がなかったんだよ,調子よく歌っていたんだよ。」と言いました。すると彼らはあざ笑っ

    て「いや,夏の季節に笛を吹いていたのなら,冬は踊りなさい。」と言いました。

    この物語は,苦痛や危険に遇わぬためには,人はあらゆることにおいて不用意であっては

    ならない,ということを明らかにしています。

    ちなみに. 17世紀ルイ 14世治世下,フランス古典主義文学黄金時代の詩人ラ・フォンテーヌ

    の『寓話詩』では,この話は第 l巻第 1話に「セミとアリ」と題して載せられており,ためにフ

    ランス国民には広く知られているらしい。怠考までに,今野一雄訳『ラ・フォンテーヌ 寓話』

    〈岩披文庫〉により掲げておし

    夏のあいだずっと

    歌をうたっていたセミは,

    北風が吹いてくると

    ひどく困ってしまった。

    ハエや小さな虫の

    かけらひとつみつからない。

    おなかがすいてたまらないので,事ち

    近所のアリの家にいって,

    春になるまで食いつなぐため,

    穀物を少々

    貸してと,頼む。

    「取り入れまえに,きっと,

    元利そろえて

    お返しします。」

    アリは貸すことを好まない。

    貸すなんて,そんな不徳はもちあわせない。

    「暑い季節はなにしていたの。」

    アリは借り手のセミに急く。

    「夜も昼も,みなさんのために,

    歌をうたっていましたの,すみません。」

    「歌をうたって? そりゃけっこうな@

    それじゃこんどは,踊りなさいよ。」

  • 64 『明治大学国際日本学研究』第6巻第 1号 (64 )

    この話のヨーロッパの〈原語〉に食べ物を分け与えるという要素はなく,この寓話は「余裕の

    あるときに将来に備えよ」というような教訓を伝えているのである。管見の限りの先行研究によ

    れば,この他の『イソポのハプラス』以前の欧文原典も,この点は基本的に同様のようである。

    とすれば,イエズス会の宣教師が日本にもたらしたラテン語の「イソップ寓話集」所載のこの話

    にも,同様に,食べ物を分け与えるという要素はなかったと考えられ. I余裕のあるときに将来

    に備えよ」という教訓を伝える寓話だったはずである。

    『イソポのハプラス』と『伊曾保物情』の「アリとキリギリス」

    『イソポのハプラス』の「アりとキリギリス」は. I作り物語J23話目の「蝉と蟻との事」に

    当たる。

    ある冬の嘗に,蟻どもあまた穴より五穀を品いて,日にさらし,風に吹かするを,蝉がごへん

    来て,これをもらうた。蟻の言ふは. I御辺は,過ぎた夏・秋は,何事を営まれたぞ?J。蝉

    の言ふは.I夏と秋の官官iこは,吟曲にとり紛れて,少しも識を得なんだによって,持たる営

    みもせなんだJと言ふ。蟻. Iげにげにその分ぢゃ。夏・秋歌ひ遊ばれたごとく,今も秘曲

    を尽されてよからうず」とて,散々に明り,少しの食を取らせて,戻いた。

    下心

    人は力の尽きぬ中に,未来の勤めをすることが肝要ぢゃ。少しのカと議ある時,慰みを事と

    せう者は,必ず遂に難を受けいではかなふまい。

    (大塚光信『エソポのハプラス私注』の翻字による。下線は筆者〉

    下線部にあるように,アリはセミに食べ物を分け与えているのである。これは〈原話〉にはない

    改変である。しかし,アリはセミに「散々に噸り」ながら,食べ物を分け与えている,というよ

    り,恵んでやっていること,教訓は〈原話〉を引き継いで「余裕のあるときに将来に備えよ」と

    いう内容になっていることには注目しておく必要があろう。

    『伊曾保物語』では,この話は,下巻第 1話にこちらは「蛾と蝉との事」と題して,次のよう

    にある。万治絵入本によって本文を掲げる。

    た ころ

    さる程に,春過ぎ,夏聞け,秋も深くて,冬の比にもなりしかば,鼠0~.ê うらなる時,えll. .た

    蟻,穴より這い出で,餌食を干しなどす。蝉来って,蟻に申すは.ra訟ρいみじの蟻殿や。ゆたか

    かかる冬ざれまで,さように豊に餌食を持たせ給ふものかな。我~少uøえじきを腸び給

    へ」と申しければ,蟻,答へて云く.I街道は,挙殺の営みには,何事そかザーし給ひけるぞ」

    といへば,蝉答へて云く.I夏秋,身の営みとでは,梢にうたふ脚脱税掲の警官iこ取

    乱し,議なきままに暮し候」といへば,蛾申しけるは.I今とても,などJうたい給はぬぞ。

  • (65 ) イソ γプ寓話「アリとキリギリス」の日本的変容 65

    たい ヲい う砂たまわ

    『謡長じては,終に舞』とこそ承れ。いやしき餌食を求めて,何かは,しi給ふべき」とて,

    穴に入りぬ。

    その加く,人の世にある事も,カに及ばん程は,たしかに世の事をも営むべし。豊かなる@ ちが〈

    時,つづまやかにせざる人は,貧しうして後に悔ゆるなり。盛んなる時,学せざれば,老ひ止い 事

    て後,悔ゆるものなり。酔のうち乱れぬれば,醒めて後,悔ゆるものなりヘ

    (武藤禎夫校詮「万治絵入本伊曾保物語~ (岩波文庫)による)

    食べ物を分け与えるという要素はなく,こちらの方が,その点,

  • 66 『明治大学国際日本学研究』第6巻第l号 (66 )

    「アリとセミ」の話を比べてみたわけだが,アリがセミに食べ物を分け与えるという要素は『イ

    ソポのハプラス』にしか見えないこと,教訓は 3文献とも基本的には「余裕のあるときに将来に

    備えよ」という〈原語〉のそれを引き継いでいることが確認できたわけである。

    『イソポのハプラス』における改変をめぐって

    『イソポのハプラス』においてのみ,アリがセミに食べ物を分けてやるという改変が見られる

    ことについて,小堀桂一郎氏は,その著『イソップ寓話 その伝承と変容J(1978)のなかで次の

    ように述べている。少々長くなるが,筆者がこの問題に関心を抱くそもそものきっかけとなった

    文章なので,あえて煩を厭わず,引用の童話も含め,できるだけそのまま引用してみる。

    。少し恵んで引き取らせる,といった軽蔑的ではあるが,温情あるはからいをしたの

    は,どうやら『ハプラス』の蟻だけである。

    ところが原作に対するこうした温情主義的改変とでも呼ぶべき加筆が,現代日本の幼児向

    けの絵本類ではかなり高い比率で生じていることも注意を惹く。一例として講談社の「幼稚

    園百科」というシリーズのうち『イソップどうわJ所収の文を示してみよう。

    ありときりぎりす

    ……まもなしさむいふゆがきて,つめたいゆきが,ちらちらふってきました。

    きりぎりすは,たべるものが ないので,おなかを すかして,ありたちの ところへ

    やって きました。

    「ありさん,おねがいです。たべものを、わけで ください。おなかがすいて しに

    そうなんです。」

    すると,ありたちは いいました。

    「きりぎりすさん,あなたは ばいおりんばかり ひいて あそんで いたから いけ

    ないのよ。」

    「わたしたちは,あついなつの あいだも せっせと たべものをあつめて,ふゅ

    の じゅんびを していたんですよ。」

    「ああ,ぼくも そう すればよかったな……。」

    しんせつな ありたちは,きりぎりすに たべものを わけで あげました。

    〈中略〉

    ところで,くしんせつな ありたちは,きりぎりすに たべものを わけで あげました〉

    というのでは,この寓話は困っている人に親切にしてやれーーという教訓の実例ということ

    になるのだろうか。それも結構な教訓には違いないが,夏の聞に少しも働くことをせず,楽

  • (67) イソップ寓話「アりとキリギリス」の日本的変容 67

    器をひいてのらくらとあそびくらしていたきりぎりすが,別に怠惰の報いをうけるわけでも

    なく,自業自得で窮地に陥っても,その時ちゃんと救済の道が用意されてあるというのは,

    無能なものほど優遇容れる福祉国家の思想の具象化としてびったりであるというべきではあ

    ろうが,もとの寓話の精神からみるとどうも物足りない。

    しかし同じ子供向けのイソップ寓話でも,監修者と執筆者が違えば次のような再話がなさ

    れるのであって,これは小学館の「世界の五大童話全集」というシリーズのうち『イソップ

    童話集』の文例だが,よく原意を生かした再話であると評することができるだろう。

    ありとせみ

    あっいあっb、,夏の 日の ことでした。

    ありがあせ水たらして,たべものをあつめているとせみがやって来ました。

    「ありさん,たのしい おんがくを きかせて あげるから,ぼくと あそばないか。」

    「せっかくだけれど,ぼくたちは いそがしくて,あそんで いる ひまなんか ない

    んだよ。」

    と,ありは こたえました。

    「きみも あそんでばかり いると,冬になってから たべものに こまるよ。」

    「へいきだよ,そんな こと。おおきな おせわだ。」

    せみはおこって行って しまいました。

    まもなく さむい冬がやってきました。

    ある 日,ありが,夏あそばずにあつめておいたたべものをほしていると,

    ひょろひょろにやせほそったせみがたずねて来て,

    「なにか,たべものを わけて くれないか。 おなかがへって,いまにも しにそ

    うなんだ。」

    と たのみました。

    「おことわりだね。」

    ありは いいました。

    「きみは,ぼくの ちゅういも きかないで,夏じゅう おんがくばかり やって,あ

    そび くらしていたじゃ ないか。そんなにおんがくがすきなら,この冬も,お

    んがくをやって くらしたら いいだろう。」

    せみは しかたなく,しょんぽりと かえって いきました。

    この本には巻末に,各寓話の寓意を要約して一覧表にしたような簡単な解説が付してある。

    それによると「ありとせみ」の教訓はくふだんの備えが身を助ける〉で,これは誰しも異論

    のないところであるし,原意にも添うであろう。困っているものを助けよ,というだけでは

    どうも原文の改変というより歪曲ではあるまいかと思われる。

  • 68 『明治大学国際日本学研究』第6巻第 1号 (68 )

    温情主載による改作の例をもう一つ挙げてみよう。借成社刊の「学年別・幼年文庫」とい

    ううちの一年生向けの一冊たる「イソップものがたり」からだが,ここでは夏にきりぎりす

    が遊んでいる情景は省かれていて,寒い夜にうえ疲れたきりぎりすが,ひょろひょろと野道

    を歩いてゆくところから話が始まる。きりぎりすはくろありの家にゆきあたる。

    ......きてみると くろありの いえでした。

    のびあがって まどから のぞきました。

    〈ろありたちが,あたたかそうな へやで,わらいながら ごちそうをたべて いま

    す。

    ぷんぷんと いいにおいもながれて きます。

    きりぎりすは どあを あけて,ころがりこみました。たおれながら さけびました。

    「たべものを,めぐんで ください。」

    ありたちは おどろきました。

    いすから たちあがって,きりぎりすを だきおこして,たずねました。

    「きりぎりすさφ。あなたは,なつの あいだ,なにを していたのですか。J

    円まい。うたって おどって,あそび くらしました。」

    「ぞれは いけない。わたくしたちは,その とき,あせを ながして,はたらいて

    いたのですよ。」

    ありたちは,こう いって,きりぎりすに,たべものを わけで あげました。

    そとは,あいかわらず,さむい きたかぜです。

    この本にも巻末に編著者の簡単な解説があるが,それによると. (..・H ・子どもたちは,う

    らぶれたきりぎりすの身につまされて,勤労の尊さを知ることでしょう。それを強〈感じさ

    せるために,きりぎりすの動作を,ことさらにあわれに書いておきました〉ということであ

    る。なるほどこの本では,勤労ω尊さとか,窮乏時のための平生からの備え,といった原典の教訓をも生かし,併せて,窮したるものをいたわれという天草本以来の温情主義をも満足

    させるために,きりぎりすは蟻から食物を恵んでもらいはしたが, しかしひどく惨めな思い

    をしたのである,という状視を構成したわけで,児童文学としての再話にもなかなか苦心と

    技巧が必要であるとわかって面白L、。

    いったい蟻と蝉の寓話における,自助の精神と,覇者への同情と,この二つのモラルの撞

    着は古くから問題意識に上っていたことであり,例えば,ジャン・ジャック・ルソーは高名

    な教育論『エミール』の中でこの蝉と蟻の寓話を厳しく批判している。蝉の屈辱が子供にとっ

    てのit誌の資となると考えるのは,寓話作者覧室これを応用する大人の独断であるかもしれない。ルソーによれば,子供は蟻の役割を遺びたがるだろう,それが自然の適択なのだ,

    と言う。蟻は強者の立場を十分に享受して蝉を突放し,その上噌笑する。蟻の方が「格好が

  • (69 ) イソップ寓話「アリとキリギリス」の日本的変容 69

    よい」のはあきらかである。だが,この蟻の冷酷さに子供が共感するとすればこれは有害な

    寓話だ,とルソーは言うのである。こうのよいち

    幼児向けの給話というわけではなく,だいだい河野与一氏編釈の岩披少年文庫と閉じ程度

    の年齢・水準の読者層を念頭に置いて編訳されたと恩われるものに,昭和三十四年に講談社

    から出た「世界童話文学金集」第二巻『イソップ童話集』というのがある。中川正文氏がフ

    リッツ・クレーデルの再話本を底本として訳出し,田中英央氏がギリシャ語原文と厳密に校

    合して原典とのはなはだしい異聞を避けたということである。その本ではありときりぎりす

    の問答は次のごとくなっている。

    「きみは,夏のあいだ,どうしてたのかね。」

    「ええ,ありさん,きいてください。」

    きりぎりすがこたえました。

    「わたしは,けっして,なまけていたのではありません。わたしは,ずっと,ないたり,

    うたをうたったりしていたのですから。」 、.

    そこで,ありは,じぷんのこむぎのくらのかぎをしめて,わらいました。

    「そうですか。きみは夏じゅう,うたっていたというのですね。それなら,冬のあいだ

    は,おど勺ていたらいいでしょう。」

    みなさんは,このありを,ふしんせつなありだと思うでしょうか。

    最後の読者に対する問いかけは,編者のこの寓話に対する評価の態度の瞬昧さが反映して

    いて苦しいところである。だがこの寓話の教訓として怠惰と浅慮への警告という原典通りの

    ものを採るか,それとも弱者への同情・慈悲というモラルを韓みこむべきか,事はルソーのや・,かい

    批判以来,案外に厄介な問題として未解決になっているわけであり,現代日本では子供向けな

    の絵本においでほぼ二派に分かれたと見える。中川・田中版のごとくに自信の無げな訳文が

    出てきても致し方あるまい。このように長く尾を長くことになった,原話の温情主義的加筆

    が,本邦初訳の栄を担う天草本ローマ字訳の成立に際してすでに現われていたという事実は,

    ちょっと面白い歴史的遭遇だと言えるであろう。

    (下糠は筆者)

    小堀氏は, rイソポのハプラス』のアリの食べ物を分け与える行為そのものを温情主義に基づく行為と見倣し,それを現代の日本の童話の一部に登場する「親切なアリ」の温情的対応と同じ

    ものと見倣しているようである。恵んでやるといった軽麗的態度,強者の冷酷さのことは問題に

    されていなb、。しかし,やはりこの点は無視はできないであろう。「散々に噌り少しの食を取ら

    せて戻いたJ~ハプラス』のアリの態度は「親切なアリ」にはほど速く,とても温情的なものと

    はいえない。教訓も,食べ物を分け与えたアリの行為を評価するものではまったくない。『ハプ

  • 70 『明治大学国際日:本学研究』第6巻第 l号 (70 )

    ラス』のアリの食べ物を分け与える行為を「温情あるはからい」と見ることには疑載を抱かざる

    をえない。「温情あるはからいJが強者の論理に基づく軽蔑的で冷酷な態度をもって示されるこ

    とがあるとすれば,軽麗的で冷酷な態度は見せかけだけのもので,それはセミを反省させるため

    の演技ということになるのだろうが,そこまで読むのは探読みの誹りを免れないように思う。

    筆者も現代の童話の「親切なアリ」の対応を温情主義と見倣すことにはまったく異論はないが,

    「親切なアリJは,たとえばディズニーの映画や絵本にも登場するようだし叱現代の童話にみ

    られる「親切なアリ」の背景には,どうも子どもに対する近現代社会に特有ないわゆる教育的配

    慮なるものがありそうな気がするω。『ハプラス」の加筆・改変の問題を現代の童話と直接関連

    付けて論じるのは飛躍がありすぎてやや無理があるのではなかろうか。そもそも『ハプラス』は,

    近世に流布した『伊曾傑物語』と違い,多くの影響を後世に与えたとは考えられない孤立した文

    献であり,その意味でも,現代の童話と関連付けて読むことには論理的に飛躍があり,慎重であ

    るべきだろう。

    では.r温情主義的加量産」でないとすれば,この加筆・改変はどう理解すればいいのだろうか。比較文化の平川祐弘氏は,現代の童話の「親切なアリ」を含め,これを「日本的変容」と捉え,

    なかなか「ノー」と言えない「日本の人間関係の和を尊ぷ習慣を反映J

  • (71) イソヲプ寓話「アリとキリギリス」の日本的変容 71

    日本の場合は,アリの行動のなかに働くことの大切さと議悲の気持ちの必要性を同時に匂

    わせ汲みとらせるようにしているところが面白い。このことが『伊曾保物語Jcrハプラス』のこと…筆者注)のあの結末を妙味あるものにしているのではあるまいか。このことはH ・H ・

    日本人の割り切った反応.極端な反応を示さず中間的な回答を(態度)を好む(バランス感

    覚を重視する〉国民性の一つの反映ともみられ.rやさしさ」というより,こんなところに日本人らしさが出ているように恩われるのである。 cr日本らしさの構造J)

    基本的には,平川氏の見解と同じと言えよう。やはり,現代に引き付け過ぎた解釈に思える。

    ただ,改変を日本的な変容と見ることに筆者も異論はない。

    以上に対し,国語学の遠藤調一氏は,加筆を「天草本編者(訳者)の翻案と考えられる」とし

    たうえで, rそれは窮者に施すというキリシタン・モラルによるものかも知れないJcr邦訳二種伊曾保物語の原典的研究韓緬J)と述べる。現代の童話の「親切なアリ」とは無関係な解釈で

    ある点は評価できる。翻訳にヨーロッパ人宣教師が関与していたことは間違いないこと,先述の

    ように.話に食べ物を分け与えるという加筆はないのに,教訓部分に弱者への同情と説諭の必要

    性をも併せ説く例がヨーロッパ語文献にあることからすれば,その可能性は否定できないように

    も思える。しかし,一方で,キリシタン・モラルによるというなら,教訓にその「窮者に施すと

    いう」モラルがまったく反映していないのは,-'やはり不自然である。それに,そもそも,キリシ

    タン・モラルによる加筆が,なぜヨーロッパではなく日本で最初に行われたのかという疑問がど

    うしても生じる。

    小堀説も,平川説も,林説も,遠藤説も,みな食べ物を分け与えるという行為を〈何らかの善

    意に基づく善行〉と見る前提から出発している。「温情主義」はもちろん, r和を尊ぶこと」も,「お人よし」も, rバランス感覚」も, rキリシタン・モラル」も,

  • 70 『明治大学国際日本学研究』第6巻第 l号 (70 )

    ラス』のアリの食べ物を分け与える行為を「温情あるはからい」と見ることには疑義を抱かざる

    をえない。「温情あるはからい」が強者の論理に基づく軽麗的で冷酷な態度をもって示されるこ

    とがあるとすれば,軽麗的で冷酷な態度は見せかけだけのもので,それはセミを反省させるため

    の演技ということになるのだろうが,そこまで読むのは探読みの誹りを免れないように思う。

    筆者も現代の童話の「親切なアリ」の対応を温情主義と見倣すことにはまったく異論はないが,

    「親切なアリ」は,たとえばディズニーの映画や絵本にも登場するようだしω,現代の童話にみ

    られる「親切なアリ」の背景には,どうも子どもに対する近現代社会に特有ないわゆる教育的配

    慮なるものがありそうな気がするヘ『ハプラス』の加筆・改変の問題を現代の童話と直接関連

    付けて論じるのは飛躍がありすぎてやや無理があるのではなかろうか。そもそも『ハプラス』は,

    近世に流布した『伊曾保物語』と遣い,多くの影響を後世に与えたとは考えられない孤立した文

    献であり,その意味でも,現代の童話と関連付けて読むことには論理的に飛躍があり,慎重であ

    るべきだろう。

    では.r温情主義的加筆」でないとすれば,この加筆・改変はどう理解すればいいのだろうか。比較文化の平川祐弘氏は,現代の童話の「親切なアリ」を含め,これを「日本的変容」と捉え,

    なかなか「ノー」と言えない「日本の人間関係の和を尊ぶ習慣を反映J

  • (71) イソップ寓話「アリとキリギリス」の日本的変容 71

    日本の場合は,アリの行動のなかに働くことの大切さと慈悲の気持ちの必要性を同時に匂

    わせ汲みとらせるようにしているところが面白い。このことが『伊曾保物語Jcrハプラス』のこと…筆者注)のあの結末を妙味あるものにしているのではあるまいか。このことは……

    日本人の割り切った反応,極端な反応を示さず中間的な回答を(膿度〉を好む〈バランス感

    覚を重視する〉国民性の一つの反映ともみられ, rやさしさ」というより,こんなところに日本人らしさが出ているように思われるのである。 (r日本らしさの構造J)

    基本的には,平川氏の見解と同じと言えよう。やはり,現代に引き付け過ぎた解釈に思える。

    ただ,改変を日;本的な変容と見ることに筆者も異論はない@

    以上に対し,国語学の遠藤潤一氏は,加筆を「天草本編者(訳者)の翻案と考えられる」とし

    たうえで, rそれは窮者に施すというキリシタン・モラルによるものかも知れなL、Jcr邦訳二種伊曾保物語の原典的研究続編J)と述べl>。現代の童話の「親切なアリ」とは無関係な解釈で

    ある点は評価できる。翻訳にヨーロッバ人宣教師が関与していたことは間違いないこと,先述の

    ように,話に食べ物を分げ与えるという加筆はないのに,教訓部分に弱者への同情と説諭の必要

    性をも併せ説く例がヨーロッパ語文献にあることからすれば,その可能性は否定できないように

    も思える。しかし,一方で,キリシタン・モラルによるというなら,教訓にその「窮者に施すと

    いう」モラルがまったく反映していないのはやはり不自然である。それに,そもそも,キリシ

    タン・モラルによる加筆が,なぜヨーロッパではなく日本で最初に行われたのかという疑問がど

    うしても生じる。

    小堀説も,平川説も,林説も遠藤説も,みな食べ物を分け与えるという行為を〈何らかの善

    意に基づく善行〉と見る前提から出発している。「温情主義」はもちろん, r和を尊ぶこと」も,「お人よし」も, rバランス感覚」も, rキリシタン・モラル」も, (:善行〉を生む〈何らかの善意〉に違いないから, r食べ物を分け与える」という行為は〈何らかの善意〉から生じる〈普行〉ということになるだろう。かつて,筆者も「食べ物を分け与える」という行為はく普行〉であると

    疑いもなく信じ込み,その〈普行〉を生じさせたく何らかの普意〉は何かということを考えてい

    た。しかし,慮心に原文を読み直してみれば, r少しの食」を恵んでやるのは,セミに与える屈辱をより大きなものにするためのく悪意に基づく悪行〉と理解する方がむしろ原文に忠実なので

    はなかろうかe 自尊心のある人聞なら,晴られたうえに少しの食べ物を恵まれたとすれば,それ

    は,ただ噌られるよりよほど屈辱を感じるのではなかろうか。教訓は一義的にはあくまでもセミ

    の言動から導き出されており,・アリの言動からは導き出されていないことも,確認しておく必要

    があろう。

    日本人が名替を重んじる人たちであったことは,近代以前に来日した西洋人の多くが指摘して

    いることである。一方,先述したように『ハプラス』は布教・伝道対象としての日本人を意識し

    て翻訳されたものと考えられる。だとすれば, r少しの食Jを与えたという加筆・改変は.セミの屈辱をより大きく漂刻にすることで,本来の「余裕のあるときに将来に備えよ」という教訓を

  • 72 『明治大学国際日本学研究』第6巻第 1号 (72 )

    より強調しようとしたところから生じた,とは考えられないだろうか。名誉を重んじる人々にとっ

    て,屈辱は大きくなればなるほど,深刻になればなるほど,耐えがたいものになるのは当然だか

    らである。

    結びに代えて

    いずれの先学の見解に対しでも,納得しきれないものを感じ,

  • (73 ) イソ vプ寓話「アリとキリギリス」の日本的変容

    第2宣伝 「セミとアリ」の隠の変容

    第3*rアリとキリギリス」をめぐる心の構造一一計量的国際比較⑫ 中務哲郎『イソップ寓話の世界』ちくま新書 1996

    ⑬ 武蔵禎夫『絵入り伊曾保物帽を腕む』東京堂出版 1997

    73

    ⑭ 岩谷智・西村賀子訳『イソップ鳳寓話集 パエドルス/パプリオス』叢書アレクサンドリア図書館X

    国文社 1998

    ⑮ 中務哲郎訳『イソ vプ寓結集』岩波文庫(赤) 1999

    ※ぺン・エドウィン・ペリー『アエソピカ』所収のギリシャ語原典471話の邦訳

    ⑬武藤禎夫校注『万治絵入本 伊曾保物語』岩波文庫(黄) 2000

    ※『絵入教訓l近道』の『伊曾保物商』との共通話所収

    ⑬谷川恵一解説『通俗伊蘇普物語』平凡社東洋文庫 2001

    ※渡部温が主にトマス・ジェイムスの英訳「イソップ寓話集」から邦訳し,明治6年に刊行されたも

    の。

    ⑪ 米井力也『キリシタンと翻訳 典文化接触の十字路』平凡社 2009

    「キリシタンの日本語研究と翻訳の試みJ(初出「日本語学J19号 2000.9)

    「キリシタンと説話一一『エソポのハプラス』と rサントスの御作業JJ(初出『説話の購座第5巻税結集の世界n:中世』勉誠社 1993)

    〈定期刊行物掲檎鎗文〉

    ①木村紀子「耶蘇会版・国字両『伊曾保物語』の対照にみる西洋の日本同化と日本の西洋理解Jr国語国文J43-8 1974.8

    ②小堀桂一郎 rr伊曾保物商』原本考一一シュタインヘーペル本『イソップ集』についてーーJr文学』46-9・11 1978.10・12

    ⑤ 名和知佐子「天草本『伊曾保物語』について一一加筆・改変・下心一一『花園大学国文学輪究J23

    1995. 12

    ④ 古賀充洋「イソ vプ寓話の受容と変容一一rイソポのハプラス』の寓話観一一Jr文学部論叢J(熊本大学文学会)51 (文学鴛) 1996.3

    村上勝也 rrイソップ伝』研究一一「天草本」編者の翻訳餐勢についてーーJr広島文教女子大学紀要』33 1998.12"

    ⑥松原健二「西洋童話の翻訳に見る異文化一一「アリとキリギリス」と「シンデレラ物語」を題材とし

    て一一Jr松商短大論叢J49 2000.9 ⑦遠藤潤ー rrイソポのハプラス』考一一E.M.サトウの解題をめぐって一一Jr園帽研究J(国学院大学)

    64 2001. 3

    ⑧大塚光信 rrエソポのハプラス』小考Jr国語国文J70-2 2001. 3 ⑨ マイケル・ワトソン「キリシタン版と書一一天草版『平家物語』と『エソポのハプラス』一一Jr国文

    学解釈と教材の研究J51-11 r特集:安土・桃山ルネッサンスJ2006.10 ⑩増尾伸一郎 rr亀と鷲の事J流伝考一一キリシタン版『エソポのハプラス』を起点として一一Jrアジ

    ア遊学J127 rキリシタン文化と日欧交流J2009.11

    付記

    私が山口仲美先生のことを知ったのは.30年ほど前にもなるのだろうか.NHKの「生きていることば」

    であった。確か5分程度の帯番組で,平日の夜に毎日放送されていたと記憶している。毎晩楽しみにして

    いたが.そのとき一番強く思ったことは.r才色兼備ってこういう女性のことをいうんだろうな」ということであった。もちろん画面の中で輝いている才色兼備の女性に憧れの気持ちは持唖たが, しがない大学

    院生でしかなかった自分には,一生縁のない,自分とは住む世界の違う人としか思えなかった。しかし,

  • 74 『明治大学国際日本学研究』第6巻第 l号 (74 )

    人生は分からないものである。意外にも,その後,山口先生とはいろんな縁で般都唱明日、、寄こ&になった。

    最初の縁は明治大学政治経済学部の禁佳鱒師になったとき,山口先生がかつて到底径を窃仇でいたという

    ことをいくつかの逸話とともに諸先生からうかがったことであるが,そのときも,ま官誌がそれ以上の縁が

    あるとは思わず,その後直接お目にかかる機会が訪れようとは思わなかヲた。最初に直後裁会いしたのは.

    私が実践女子大学に非常勤官尊師として通うようになヲたときである。当時先生は実鴎女子大学の専任教授

    でいらっしゃって,専任と非常勤の懇談の会など何度かお話しする機会にも恵まれた。山口先生がご存じ

    の政経学部の専任・兼任の先生方の話などではじめから親しくおしゃべりさせていただいたのを覚えてい

    る。若々しく明朗快活で,多くの学生に慕われている先生に接し,普とは少し違う憧れを抱くようになっ

    た。

    先生はその後,実践女子大学から他大学に移られたので,定期的にお会いする繊会はなくなヲたが,私

    はさらに強〈縁を感じた。なぜなら.移られた先が私の母校である埼玉大学教養学部であり,私が学生時

    代に大変お世話になった先生の後任として赴任されたからである(後には,恩師の退職記念パーティでお

    目にかかる機会にも恵まれた)。ついでに言えば,先生は東洋大学で博士の学位を取得されているが,私

    lま東洋大学大学院博士後期稼程に在籍していたことがある。

    そんなわけで,先生との縁は強く感じ続けていたが,しかし,それでも国際日本学部にいらっしゃるこ

    とが決まったときは正直驚いた。まさかそこまでの縁があるとはと。でも,それはもちろん婚しい驚きで

    あった。憧れだった先生と同僚になれるのだから。

    早いもので,山口先生と同僚にな弔て6年が過ぎようとしている。そして,このように紀要のご退職記

    念特集の担当者を務めさせていただき,さらにこうしてご退職記念の献呈論文を執筆させていただいたわ

    けだが,そのことに改めて先生との奇しき縁を感じざるを得ない。

    縁を結ばせていただいたことに感謝しつつ,献呈にふさわしいものを書くには,何をテーマにしたらい

    いかと考えたとき,できれば,先生のご研究と少しでも関わりがあるもので書きたいと思った。先生と私

    とは.専門分野は異なるが,日本の古典文学作品を研究対象とするという点では共通している。ただ,そ

    うはい唱でも,具体的な研究・関心対象の共通の作品となるとそんなには多くないし,ましてや,私が原

    稿が書ける作品となると極めて限られることになる。また,できれば多少とも本誌にふさわしい国際日本

    学的なテーマで書きたいとも思った。そんなわけで,なかば必然的に『イソポのハプラス』と『伊曾保物

    椅』を取り上げることになった次第である。

    この拙稿が先生とのご縁をさらに深めるものになってくれるとしたら望外の幸せである。