講演会「岸和田藩の七人庄屋」4 第118回かいづか歴史文化セミナー...

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も く じ 要家文書からみた七人庄屋 講演会「岸和田藩の七人庄屋」 / 『貝塚市の70年』を読む会 春の記念講演会 岩橋善兵衛と望遠鏡⑦ -善兵衛をめぐる人びと その4- / 『貝塚市の70年』を読む会(令和元年度上半期) のお知らせ 発掘調査報告書がダウンロード・閲覧できます / 文化財パトロールを実施しています 古文書講座 -市内に残る身近な古文書- 文化財講座・セミナー 岸和田藩の七 しち にん じょう かなめ 家に関するイベント 「貝塚市の指定文化財」展 第1期 (6月 30 日(日)まで開催) 第 118 回かいづか歴史文化セミナー 講演会「岸和田藩の七人庄屋」 (5月 11 日(土)開催) 2019 令和元

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  • も く じ 要家文書からみた七人庄屋

    講演会「岸和田藩の七人庄屋」

    / 『貝塚市の70年』を読む会 春の記念講演会

    岩橋善兵衛と望遠鏡⑦ -善兵衛をめぐる人びと その4-

    / 『貝塚市の70年』を読む会(令和元年度上半期)のお知らせ

    発掘調査報告書がダウンロード・閲覧できます

    / 文化財パトロールを実施しています

    古文書講座 -市内に残る身近な古文書-

    文化財講座・セミナー

    岸和田藩の七しち

    人にん

    庄じょう

    屋や

    要かなめ

    家に関するイベント

    「貝塚市の指定文化財」展 第1期

    (6月 30 日(日)まで開催)

    第 118 回かいづか歴史文化セミナー

    講演会「岸和田藩の七人庄屋」

    (5月 11 日(土)開催)

    2019 令和元

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    要かなめ

    家文書からみた七しち

    人にん

    庄じょう

    屋や

    これまでテンプスでは、要家文書の紹介を数度にわたり行ってきました。また、古文書

    講座のテキストとしても活用してきました。そこで今号では、現在開催中の貝塚市郷土資

    料展示室「貝塚市の指定文化財」展 第1期での特集展示にちなんで、要家文書からみた

    七人庄屋の特色を紹介します。

    <七人庄屋の武士的特権>

    岸和田藩では、有力な庄屋7人を「七人庄屋」と呼び、他の庄屋と区別していました。

    自身の暮らす村の庄屋を務める点では、他の庄屋と変わりませんが、藩と村々との間の調

    整役としての役割を与えられていました。彼らは、戦国時代までは地侍(じざむらい)や土

    豪(どごう)と呼ばれる地域にいた武士でしたが、兵農分離により村に留まり庄屋となっ

    た由緒(ゆいしょ)を持っていました。そこで藩は彼らに対し、苗字(みょうじ)・帯刀(た

    いとう)など武士的特権を認めて、円滑な地域支配の一翼を担わせました。

    なお、寛政元(1789)

    年、畠中(はたけなか)

    村(現在の貝塚市畠

    中)・神前(こうざき)

    村(現在の貝塚市加神

    の一部)庄屋要源大夫

    (げんだゆう)は、市場

    村(現在の泉南市信達

    市場)庄屋小川信左衛

    門に代わって、七人庄

    屋の列に加わり、明治

    時代の廃藩置県まで

    その役を務めました。

    <七人庄屋と新田経営>

    岸和田藩では早くから新田開発が奨励され、村の中の荒れ地などで開墾が進められまし

    た。大規模なものでは一つの村として独立するものもあらわれました。明暦元(1655)年、

    要家文書 他所(たしょ)帯刀御免につき願書 1通

    寛政3(1791)年6月8日付で、畠中村・神前村庄屋源太夫から岸和田藩の代官に

    対して出した藩領以外で刀を差すこと(=「他所帯刀」、傍線部②)を許可しても

    らうための願い書の控えです。すでに藩主への年頭と江戸から帰国した際のあいさ

    つ、初米(はつまい、最初の収穫米)の献上、暑寒御機嫌窺(しょかんごきげんうか

    がい、現在の中元・歳暮のあいさつの原型)(傍線部①)などが許可されていますが、

    親がかつて認められていた(傍線部③)他所帯刀を自分にも認めてほしいと、切々

    と願っています。

  • 3

    阿間河谷(あまがたに)(現岸和田市真上町とその周辺)の土地が開墾され、一つの村(面

    積17町余り=約17ヘクタール、石高130石余り=米俵約325俵)として独立しました。この

    村は開発者、真壁(まかべ)新左衛門の名前がなまって「真上(まかみ)新田」と呼ばれま

    した。

    その後新田の地主が変わっ

    ていく中、寛政元年に、岸和

    田藩から七人庄屋と郷会所

    (岸和田城内にあった村役人

    たちの寄合所)に対し、真上

    新田の経営が任せられました。

    一般に村々が共同して使う経

    費は、村々から集めるもので、

    新田の地代収入が当てられた

    事例は他に類を見ない仕組み

    です。

    <七人庄屋と相良城請取(さがらじょううけとり)>

    天明7(1787)年11月、岸和田藩主岡部長備(おかべ ながとも)は幕府の命により、か

    つて老中として権勢を誇っていた田沼意次(たぬ

    ま おきつぐ)(右図版)の居城、遠江国(とおとう

    みのくに)相良城(現在の静岡県牧之原市)を請

    け取る役目を担いました。この時、七人庄屋ら

    が岸和田藩主への御機嫌窺(ごきげんうかがい)

    として、相良まで出迎えたことが記された道中

    の記録が見つかっています。また、相良城下町

    の絵図や軍備(ぐんぞなえ=兵の配置図)もとも

    に確認されています。当時まだ正式には七人庄

    屋には加わっていない段階で、同様な役割を求

    められていた要源太夫は、病気のため旅には同

    行できなかったものの、関係する絵図や古文書

    を数多く遺しました。

    ※相良城の関係史料は、相良城跡が残る牧之原市において、今年が「田沼意次侯生誕300年」に当

    たることを記念する展覧会やパンフレットなどで紹介されています。

    このように岸和田藩の七人庄屋は多岐にわたる役割を果たしていたことが、要家文書か

    ら確認されました。さらに今後研究が進むことで、畠中村・神前村と周辺の村々、紀州街

    道沿いの新町や貝塚寺内町との結びつきなどが究明され、そこに住む人々の暮らしぶりが

    明らかになることが期待されます。

    牧之原市史料館所蔵 田沼意次侯画像

    写真提供 牧之原市教育委員会

    要家文書 真上新田諸役(しょやく)免許状 1通

    天保6(1835)年3月 15 日付で、岸和田藩主「内膳(ないぜん)」=岡部

    長和(ながより)から七人庄屋と郷会所に対して出された真上新田の諸役

    (年貢以外の諸税)を免除する旨を記した黒印状(こくいんじょう)です。

    宛先に「畠中村庄屋 要源太夫」の名前が見えます。

  • 4

    第118回かいづか歴史文化セミナー

    講演会「岸和田藩の七人庄屋」 令和元年5月11日(土)午後1時30分より、市民

    図書館視聴覚室において、講演会「岸和田藩の七人

    庄屋」を開催しました。

    講演会には、七人庄屋をつとめた要家先祖代々の

    記録「要家文書」について研究され、この10年の間

    に執筆された様々な論文を、このたび著書にまとめ

    られた萬代悠(まんだい ゆう)さん(公益財団法人

    三井文庫研究員)を講師にお迎えし、岸和田藩領の

    有力庄屋7名から成る七人庄屋の役割を紹介し、七人庄屋が岸和田藩の支配実現に大きく

    貢献したことをお話しいただきました。

    講演会では、まず、はじめに、世襲庄屋存続地域という視点で、他藩である熊本藩の例

    と比較して岸和田藩の状況を説明いただき、そのあと、七人庄屋のそれぞれの家について

    解説をしていただきました。また、岸和田藩の支配構造の中で、他藩の大庄屋のように数

    ヵ村の庄屋を従えて指揮・命令をする権限を与えられず、家格のみを引き上げる形になっ

    ていったこと、七人庄屋の具体的な仕事について、事例に即して説明していただきました。

    講演後、郷土資料展示室へ移動し、「貝塚市の指定文化財」展 第1期にて展示している

    要家文書について解説していただき、セミナーを終了しました。

    『貝塚市の70年』を読む会 春の記念講演会

    平成28年10月にスタートした「『貝塚市の70年』

    を読む会」は2年半を経過し、高度経済成長期以降

    の内容を読み進めています。

    平成31年4月21日(日)に開催した春の記念講演

    会では、講師に本市文化財保護審議会 会長の上岡

    兼千代(うえおか かねちよ)さんを迎え、「高度経済

    成長と貝塚市政」と題してお話いただきました。

    上岡さんは、これまで様々な時代の歴史について

    調べて来られ、1978年から1981年にかけて『貝塚のむかしばなし』第1集から3集を相次

    いでまとめられました。そうした本をまとめられたことから、現在の貝塚市の発展の基礎

    ともなる、寺内町(じないまち)の形成、卜半家(ぼくはんけ)の政治的役割、北前船(きた

    まえぶね)による海上流通、水間鉄道の開通などの前史をまずお話になられました。その

    後、高度経済成長期における貝塚市の様子、繊維産業の状況や近隣市町との合併話など、

    当時を詳しく知る立場としてお話いただきました。

    受講者のみなさんからは当時の状況をさらに詳しく教えてほしいとの声もあがり、盛況

    のうちに講演会を終了しました。

    講演を熱心に聴く参加者の皆さん

    講演に耳を傾ける受講者のみなさん

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    岩橋善兵衛と望遠鏡⑦ -善兵衛をめぐる人びと その4‐

    善兵衛の望遠鏡は、『寛政暦』(かんせいれき)の作成に大きな役割を果たしたことが知ら

    れています。テンプス64号で紹介した高橋至時(たかはし よしとき)とともに、この改暦の

    中心となったのが大坂商人の間重富(はざま しげとみ)でした。

    重富は、通称を「十一屋五郎兵衛」

    (といちや ごろべえ)といい、大坂長

    堀富田屋町(現在の大阪市西区)で

    質屋を営んでいました。善兵衛が遺

    した「仕入方直段控帳」(しいれかた

    じきだんひかえちょう)には、「長堀富

    田屋橋北詰」の「十一屋五郎兵衛」

    という重富の名前が記され、「右ハ

    天文者」という添書があります。重富は、多くの知識人たちと交流のあった大坂商人であ

    る木村蒹葭堂(けんかどう)と親交があったことから、寛政5(1793)年の秋に大坂豊後町

    (びんごまち)の平野屋作兵衛宅で行われた天体観測(テンプス63号参照)を通じて善兵衛

    の望遠鏡を知ったのではないかと思われます。

    重富は、麻田剛立(あさだ ごうりゅう、テンプス67号参照)門下では高橋至時と肩を並

    べるほどの実力者であったため、寛政7(1795)年、町人身分でありながら幕府から暦学

    御用(れきがくごよう)を命じられ江戸へ上りました。重富は、浅草の司天台(してんだい、

    幕府の天文台)で暦の作成にかかわる天体観測に従事しました。この時、司天台には重富

    の紹介で善兵衛の望遠鏡が備えつけられ、観測に重宝されたといわれています。

    寛政9(1797)年の『寛政暦』完成後、その功績を認められた重富は苗字帯刀を許され、

    大坂に帰りましたが、間家は、明治に至るまで大坂で幕府の天文御用をつとめました。

    ※前号(67号)6頁に掲載しました本連載記事のタイトル番号に、誤りがありましたので訂正し

    お詫びいたします。

    (誤)「岩橋善兵衛と望遠鏡⑦-善兵衛をめぐる人びと その4-」

    (正)「岩橋善兵衛と望遠鏡⑥-善兵衛をめぐる人びと その3-」

    6月以降も引き続き、テーマに沿った講座を毎月開催してまいります。内容等は下記のとお

    りですので、ふるってご参加ください。

    内 容:6月30日(日) 第32回「環境衛生事業の進展」

    7月28日(日) 第33回「東洋の魔女と東京オリンピック」

    8月25日(日) 第34回「貝塚駅前再開発事業の展開」

    9月29日(日) 第35回「二色埋立地の開発とパークタウンまちびらき」

    講 師:社会教育課職員

    会 場:貝塚市歴史展示館(ふるさと 知っとこ!館)

    申 込:住所・氏名・電話番号を、電話・ファックス・Eメールのいず

    れかで、7頁掲載の連絡先まで事前にお申込みください。

    「仕入方直段控帳」に見られる

    「十一屋五郎兵衛」(間重冨)の記載部分

    『貝塚市の 70 年』を読む会(令和元年度上半期)のお知らせ

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    発掘調査報告書がダウンロード・閲覧できます 発掘調査を実施した場合、記録を保存・活用するため、

    調査記録や写真を整理し、まとめた報告書を作成します。

    市内の発掘調査報告書は、昭和49(1974)年度の調査報

    告書が一番古く、現在まで89冊の報告書を刊行していま

    す。報告書は印刷したものを行政機関などに配布してお

    り、考古学などの研究に役立っています。

    近年パソコンやインターネットの普及により遺跡デ

    ータのデータベース化が進んでおり、発掘調査報告書に

    ついても紙に印刷したものだけでなくPDF形式に変換し

    た報告書が、全国規模で登録され、ダウンロード・閲覧

    できるようになりました。

    貝塚市の発掘調査報告書も、現在83冊をダウンロード・閲覧することができます。今後

    も順次、最新の発掘報告を登録していきますので、興味のある方は利用してみてはいかが

    でしょうか。

    <ダウンロード・閲覧ページへのアクセス方法>

    ①「奈良文化財研究所」の「全国遺跡報告総覧」ホームページ

    https://sitereports.nabunken.go.jp/ja にアクセスする

    ②TOPページ左側「一覧から探す」欄の「発行機関一覧(都道府県別)」を選択→

    「大阪府」を選択→「貝塚市」を選択→

    各報告書のタイトルを選択すると、報告書のダウンロードおよび情報の閲覧ができます

    文化財パトロールを実施しています 教育委員会では、市内 50 ヵ所あまりに文化財案内板を設

    置しています。近年、経年劣化等のため板面の文字や写真

    が見えにくくなってきたものについて、毎年数枚ずつ修理

    を進めています。

    これまでも、台風などの自然災害が発生した際には、市

    内の文化財の現況を把握する目的で適宜パトロールを行っ

    てきましたが、平成 28 年度より、文化財や案内板等のチェ

    ックを中心とした文化財パトロールを定期化しています。

    平成 30 年度は、平成 29 年度のパトロールにもとづき、海

    塚墓地と岩橋善兵衛(海塚)、円光寺(東)、秦廃寺跡(半

    田、右写真)の3ヵ所の案内板を修理しました。

    日常的に文化財や案内板等の点検には心がけていますが、

    読者の皆さまも異常に気づかれましたら、社会教育課文化

    財担当までご一報いただきますようお願いいたします。

    全国遺跡報告総覧のTOPページ

  • 7

    -市内に残る身近な古文書-

    ◆江戸時代のものづくり2 平成31年1月16日から2月13日にかけての水曜日、全5回にわ

    たり、「江戸時代のものづくり2」と題して古文書講座を開催しま

    した。

    平成30年10月から11月に開催した「江戸時代のものづくり」で

    は菜種や綿実から油を取り出す油づくりを取り上げましたが、今

    回は瓦づくりや味噌(みそ)・醤油(しょうゆ)づくりをテーマに、

    当時のものづくりを考えました。

    江戸時代、建物が密集する都市では、たびたび大規模な火災に

    見舞われました。このような中、防火の観点から庶民の間にも瓦

    が普及し、貝塚市域でも瓦葺きの建物が増えていきました。瓦屋

    は瓦の材料となる粘土を確保するため、田畑の下にある粘土まで

    必要とするほどでした。粘土を取った土地の使用料と年貢を支払

    う約束をした古文書から、その事実が明らかになりました。また、

    多岐にわたる瓦の種類が当時の注文書から確認されました。今と異なり、軒平瓦(のきひ

    らがわら)を「からくさ」、軒丸瓦を「ともえ」と呼んでいたこともわかりました。

    また、味噌・醤油については、貝塚寺内町に「味噌醤油仲」という13軒の同業者で株仲

    間を結成していました。そもそも味噌と醤油は原料と作り方が似ており、当時は一緒に作

    られることが多かったようです。前回の油屋仲間も同様ですが、幕府公認の株仲間に加入

    しなければなりませんでした。貝塚の場合は、直轄地の堺を治めるとともに、和泉国を取

    りまとめる幕府の出先機関である堺奉行所に許可を願い出ていることを読みといていき

    ました。

    受講者の方からは「貝塚に瓦を製造するところがあったことに興味を持ちました。粘土

    を使った他の職業についても知りたいです」などの声が寄せられました。

    テ ー マ:江戸時代の抜け荷と異国船

    日 時:第1回 令和元年6月5日、第2回 6月12日、第3回 6月19日

    第4回 6月26日、第5回 7月10日

    いずれも水曜日午後1時15分~3時45分

    会 場:貝塚市民図書館2階視聴覚室

    資 料 代:100円

    申 込:住所・氏名・電話番号を、電話・ファックス・Eメールのいずれかで、

    下記まで事前にお申込みください。

    連絡先 〒597-8585 貝塚市畠中1丁目12-1(貝塚市民図書館2階)貝塚市郷土資料室

    TEL 072(433)7205 / FAX 072(433)7053

    Eメール [email protected]

    古文書講座

    「味噌醤油通(かよい)」

    (福原家文書)

    江戸時代の買物記録。

    代金は年に数度一括し

    て支払われたことがわ

    かります。

    古文書講座 59(通算 282 回~286 回)開催のお知らせ

  • 8

    文化財講座・セミナー

    郷土 5日(水)13:15~ 古文書講座59「江戸時代の抜け荷と異国船」①

    郷土 12日(水)13:15~ 古文書講座59②

    郷土 19日(水)13:15~ 古文書講座59③

    郷土 26日(水)13:15~ 古文書講座59④

    歴史 30日(日)14:00~「貝塚市の70年」を読む会32

    「環境衛生事業の進展」

    郷土 10日(水)13:15~ 古文書講座59⑤

    歴史 28日(日)14:00~「貝塚市の70年」を読む会33

    「東洋の魔女と東京オリンピック」

    歴史 25日(日)14:00~「貝塚市の70年」を読む会34

    「貝塚駅前再開発事業の展開」

    歴史 29日(日)14:00~「貝塚市の70年」を読む会35

    「二色埋立地の開発とパークタウンまちびらき」

    ※ 郷土 :郷土資料室 歴史 :歴史展示館

    かいづか文化財だよりテンプス68号

    令和元年6月1日発行

    貝塚市教育委員会

    〒597-8585 貝塚市畠中1丁目17-1

    Tel(072)433-7126 Fax(072)433-7053

    Email:[email protected]

    ※テンプスとはラテン語で「時」を意味します。

    年3回発行:各1,000部

    貝塚市歴史展示館(ふるさと 知っとこ!館)企画展 -開催中-

    「貝塚市と東洋の魔女写真展」 「東洋の魔女」と呼ばれた女子バレーボールチーム「日紡貝

    塚」が活躍した昭和30年代の貝塚市と東洋の魔女に関する懐

    かしの写真をパネル展示で紹介しています。

    会 期 9月1日(日)まで

    開館時間 午前10時~午後4時

    6/30(日)

    7/6(土)

    「貝塚市の

    指定文化財」展

    第1期

    ◆7月

    郷土資料展示室

    企画展「貝塚市

    の遺跡を掘る

    -昭和・平成の調査を

    振り返って-」

    ◆6月

    ◆9月

    ◆8月

    「貝塚市の

    指定文化財」展

    第2期

    8/25(日)

    9/7(土)

    〈会期中の休館日〉

    ・毎火曜日

    ・7月15日(月・祝)

    ・8月11日(日・祝)

    貝塚市イメージ

    キャラクター

    貝塚市特産品「つげ櫛」

    をモチーフとしたデザ

    イン。