術後呼吸器合併症と術中肺保護戦略 - draeger...た。またariscat ppc...

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術後呼吸器合併症と術中肺保護戦略 はじめに 術後呼吸器合併症(Postoperative Pulmonary Complication: PPC)は周術期死亡の主要な原因の1つであり,発症頻度 も5-20%と比較的高い。具体的には無気肺や肺炎,呼吸不 全を指すことが多いが,報告によっては胸水貯留や気管支 攣縮なども含むこともあり,術後に発症する呼吸器関連の 合併症の総称と言える。 PPCの予測 PPCの発症には患者の既往歴を含む術前の要因や手術 手技に関する要因に加えて,鎮静・筋弛緩・人工呼吸など の麻酔に関する要因も影響する。一旦発症してしまうと,在 院日数の延長や死亡率の上昇をもたらすため,重要なの は上述した要因を念頭においた“予測”と“予防”である。近 年,PPCを予見すべく様々な予測スコアが検証されてい る。有名なものとして, Pneumonia risk indexやUEPI (Unan- ticipated Early Postoperative Intubation)が挙げられるが, 実際にスコアリングしてみると,項目が煩雑でスコアリング 自体が大変なものが多い。しかしながら,2010年からヨー ロッパを中心に普及しつつある ARISCAT PPC scoreは精 度が高い上に,スコアリングも簡便である。図1に示すよう に全部で7項目からなり,それぞれのスコアの合計点から PPCの発症リスクをlow,intermediate,highの3段階に,入 室前の数分で簡単に分類できる。我々は実際にこのスコア の検証を当院の術後症例を対象に行った。200例中PPCは 17例(8.5%)に認め,それぞれPPC発症率はlow riskでは 0.9%,intermediate riskでは10%,high riskでは35%であった。 さらにPPC発症に対するARISCAT PPC scoreの精度を Receiver Operating Characteristic (ROC)曲線を用いて評価 したところ,Area Under Curve: 0.85と非常に高い結果を示し た。またARISCAT PPC scoreの配点をよく見てみると,特に 胸腹部の手術,そして高齢者かつ術前のSpO2が低い場合 にスコアが高くなるため,少なくともこの3つの項目の有無 を術前に確認しておくことはPPC予測において重要である。 周術期におけるPPC対策 それでは術前にPPCの高リスク群を認識した上でどのよう な対策をとることができるかを考えてみよう。 At your side in 術後呼吸器合併症は周術期において患者予後に大きく影響す るため,それを予測するためのスコアを活用し,高リスク群を 認識した上で未然に防ぐことが重要である。我々麻酔科医は 術後呼吸器合併症回避の可能性が示唆された肺保護換気を 熟知し,その実践のためにグラフィックスモニタリングを有効活 用する必要がある。 岡山大学病院

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Page 1: 術後呼吸器合併症と術中肺保護戦略 - Draeger...た。またARISCAT PPC scoreの配点をよく見てみると,特に 胸腹部の手術,そして高齢者かつ術前のSpO

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術後呼吸器合併症と術中肺保護戦略

はじめに

術後呼吸器合併症(Postoperative Pulmonary Complication:

PPC)は周術期死亡の主要な原因の1つであり,発症頻度

も5-20%と比較的高い。具体的には無気肺や肺炎,呼吸不

全を指すことが多いが,報告によっては胸水貯留や気管支

攣縮なども含むこともあり,術後に発症する呼吸器関連の

合併症の総称と言える。

PPCの予測

PPCの発症には患者の既往歴を含む術前の要因や手術

手技に関する要因に加えて,鎮静・筋弛緩・人工呼吸など

の麻酔に関する要因も影響する。一旦発症してしまうと,在

院日数の延長や死亡率の上昇をもたらすため,重要なの

は上述した要因を念頭においた“予測”と“予防”である。近

年,PPCを予見すべく様々な予測スコアが検証されてい

る。有名なものとして, Pneumonia risk indexやUEPI (Unan-

ticipated Early Postoperative Intubation)が挙げられるが,

実際にスコアリングしてみると,項目が煩雑でスコアリング

自体が大変なものが多い。しかしながら,2010年からヨー

ロッパを中心に普及しつつある ARISCAT PPC scoreは精

度が高い上に,スコアリングも簡便である。図1に示すよう

に全部で7項目からなり,それぞれのスコアの合計点から

PPCの発症リスクをlow,intermediate,highの3段階に,入

室前の数分で簡単に分類できる。我々は実際にこのスコア

の検証を当院の術後症例を対象に行った。200例中PPCは

17例(8.5%)に認め,それぞれPPC発症率はlow riskでは

0.9%,intermediate riskでは10%,high riskでは35%であった。

さらにPPC発症に対するARISCAT PPC scoreの精度を

Receiver Operating Characteristic (ROC)曲線を用いて評価

したところ,Area Under Curve: 0.85と非常に高い結果を示し

た。またARISCAT PPC scoreの配点をよく見てみると,特に

胸腹部の手術,そして高齢者かつ術前のSpO2が低い場合

にスコアが高くなるため,少なくともこの3つの項目の有無

を術前に確認しておくことはPPC予測において重要である。

周術期におけるPPC対策

それでは術前にPPCの高リスク群を認識した上でどのよう

な対策をとることができるかを考えてみよう。

At your side in

術後呼吸器合併症は周術期において患者予後に大きく影響す

るため,それを予測するためのスコアを活用し,高リスク群を

認識した上で未然に防ぐことが重要である。我々麻酔科医は

術後呼吸器合併症回避の可能性が示唆された肺保護換気を

熟知し,その実践のためにグラフィックスモニタリングを有効活

用する必要がある。

岡山大学病院

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れたシステマティックレビューや大規模研究を参考にする

と,PPC予防においてPEEPは低すぎても高すぎてもよくな

く,この研究では5cmH2Oが1つの目安であった。2015年に

発表された研究によると,過去10年間の術中人工呼吸管

理の調査ですでに約半数以上の症例で肺保護換気が実

践されているため,我々麻酔科医にとって術中肺保護換

気は知っておくべき項目である。

肺保護換気の実践

では実際にどのように肺保護換気を実践すべきだろうか。

至適PEEPの設定やリクルートメントマニューバーの必要な

タイミングなど,どうしても症例に応じた管理が必要となってく

る。そのような術中の呼吸管理には麻酔器の呼吸グラフィッ

クスを有効活用するとよい。Perseus® A500(Dräger社)はグラ

フッィクスモニタリングが充実しており,症例に合わせた肺保

護換気が可能である。Perseus® A500の呼吸グラフィックスで

は,気道内圧・流量・呼気CO2を経時的に表示するスカラー

タイプと1呼吸ごとに更新される圧‐ボリューム曲線・流量‐

ボリューム曲線の2種類を見ることができ,測定数値として

動的コンプライアンスや気道抵抗,時定数が表示され(図2),

これらを参考にした管理が可能である。2症例を例に挙げて,

このグラフッィクスモニタリングの有効活用を示す。

症例1) da Vinciを使用したロボット補助腹腔鏡下前立腺摘

除術(図3)

その際のグラフッィクスモニタリングの変化を図3に示す。こ

の手術においては,術操作のために高度の頭低位と腹腔

鏡による肺・胸郭コンプライアンスの低下が発生する。この

頭低位・気腹により,動的コンプライアンス低下が発生する

インセンティブ・スパイロメトリーや深呼吸訓練などのLung

expansion modalityは最も一般的に施行されているPPCの

予防戦略である。実際に当院では胸腹部の手術や頭頸部

の長時間手術などの高侵襲手術を中心に,術前から周術

期管理センター(PERIO)が積極的に関わり,術前の呼吸

訓練・禁煙指導から術後の呼吸方法の指導まで行ってい

る。その他にもPPC回避のために,術式や鎮痛方法なども

様々な工夫がなされているが,最近注目されているもう1つ

の項目として術中の肺保護換気が挙げられる。

術中人工呼吸の変遷

肺保護換気について話をする前に,術中呼吸管理の歴史

的背景を振り返ってみる。元来,人工呼吸管理を行う時に

無気肺や低酸素血症を予防するため,12ml/kg以上の高一

回換気量の確保とPEEPは基本的にかけない管理が主流で

あった。しかしながらこの設定においては一部の肺胞で過

伸展を起こしたり,虚脱・再開通を繰り返したりすることが懸

念された。こういった人工呼吸管理による肺傷害が2000年

頃からICUを中心に注目されるようになり,特にARDSにお

いて過伸展と虚脱の回避を目的とした肺保護換気が行わ

れるようになった。しかしながら,手術中の人工呼吸管理に

ついてはその多くが健常肺であり,短時間の人工呼吸であ

ったため,肺保護換気が推奨されるまでには至らなかった

が,その概念の重要性には期待が寄せられていた。

術中肺保護戦略

そんな中,2013年にFutierらのグループは腹部手術を対

象として,従来の換気群(Tidal Volume; TV 10-12ml/kg,

PEEP 0cmH2O)と肺保護換気群(TV 6-8ml/kg, PEEP

6-8cmH2O,30分毎のリクルートメントマニューバー)を比

較したRCTを行い,肺保護換気群においてPPCの減少

(36% vs 17.5%)を報告した。それ以降、術中においても肺

保護換気が注目されることとなった。肺保護換気の主な内

容は “低一回換気量および気道内圧制限”と“PEEPおよ

びリクルートメントマニューバー”である。低一回換気量に

関しては様々な論文でその有用性が指摘されており,ター

ゲットはおおよそ6-8ml/kgである。至適PEEPに関しては

PROVHILO trialにおいて,Higher PEEP(12cmH2O)とLower

PEEP(≤2cmH2O)を比較しているが,PPC発症に有意差が

なく,最適な値の設定は簡単ではないことがうかがえる。

症例に応じた設定が必要と思われるが,2015年に発表さ

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が,その変化を圧-ボリューム曲線の傾きの変化としてとら

えることができる。またそれらの影響が解除されても,コンプ

ライアンス低下が残存している場合には肺胞虚脱の可能性

が考えられ,リクルートメント手技にて改善するかどうかも含

めて評価可能である。

また動的コンプライアンスはリクルートメント手技後のPEEP

の設定にも利用できる。リクルートメント後には必ず,コンプ

ライアンスの改善を確認する。その上で,肺胞虚脱を予防

する最小PEEPに滴定していく際に,コンプライアンスの変化

を参考に設定を行っている。

もちろんこのリクルートメントおよびコンプライアンスを用い

た管理により,症例によっては過伸展や肺障害のリスクも

当然ながら存在する。リクルートメントを行う前に下記内容

を必ず確認する。

1. まず必要かどうか?

・ 長時間の手術・肺の圧排が疑われるか。

・ 必ず施行前後で酸素化・換気量・気道内圧の確認を行

  う。

2.必要だと判断したら、以下に注意する。

・ ブラ肺や高度の閉塞性障害がないかどうか。

・ 高コンプライアンス・高気道抵抗の場合にはリクルートメ

  ント手技によりAuto PEEPが発生する可能性があり,肺

  障害や過伸展のリスクも十分に考慮に入れる。

このAuto-PEEPはリクルートメント手技以外の手術中の人

工呼吸管理においても注意すべき項目であり,その発見に

グラフッィクスモニタリングを有効活用できる。それを症例2

において解説する。

症例2)肺葉切除術における気道抵抗の変化(図4)

呼吸器外科手術において一側肺換気をダブルルーメン

チューブにて気道管理を行う場合,気道抵抗が高くなる

ことで呼出障害が発生しやすい。確かに図4においても

気道抵抗はOLV前後で約2倍に増加している。その際に我

々は呼出障害を懸念し,呼気時間延長のためにただI/E

比を調節するが、それだけでなく,十分に呼出できている

かどうかを流量波形で確認することが可能である。

また呼吸器外科においては,肺切除後で閉胸完了までに

リークを早期に発見することは重要であり,流量‐ボリュー

ム曲線を用いると早期に評価できる。その上でドレーンを

確認,術者と相談し,高度のリークで再開胸を行うのか,

咳き込みを最小限にして愛護的な抜管を行うのかを検討

することができる。

最後に

周術期において術後呼吸器合併症の管理は患者の予後に

大きく影響し,麻酔中の呼吸管理がその発症において重要

な位置を占めていることを我々麻酔科医は認識しておくべ

きである。そのためにグラフィックスモニタリングを活用し

て,肺保護を意識した呼吸管理を行うことが望まれる。

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筆者紹介

岡原 修司 先生

岡山大学病院 

麻酔科蘇生科 

平成21年4月津山中央病院救命救急センター医員を

経て、現職の岡山大学病院麻酔科蘇生科医員兼大

学院生に至る。平成27年日本麻酔科学会の専門医

に認定。日本麻酔科学会,救急医学会,日本集中治

療医学会,日本ペインクリニック学会,日本医学シミュ

レーション学会,European Society of Anaesthesiology,

International Anesthesiology Research Societyなど学会

およびその他の活動に参加。

岡山大学病院