武蔵野台地の神社立地に関する研究〜河川との関係...

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武蔵野台地の神社立地に関する研究〜河川との関係に着目して〜 Location of Shrines on Plateau “MUSASHINO-DAICHI” -from the point of giographical features created by rivers- 時空間デザインプログラム 学籍番号 12M43173 高木優 指導教員 齋藤潮 Environmental Design Program Masaru Takagi, Adviser Ushio Saito ABSTRUCT Musashino-Daichi has many unique giographical features. They are deeply related to stratum, groundwater, rivers, and land use. They not only show us beautiful scenes, but only effect to our everyday life. But now, it is hard for us to see them because of development. On the other hand, there are many shirines on Musashino-Daichi. It is known that Shrines have some social functions. To know social functions of shrines on Musashino-Daichi, this study aims to clarify location of them during first half of Meiji era before modernization. As a conclusion, 1)Many shrines are related to giographical features and be conscious of rivers. 2)The location is different every river type. It may be related to flood and social functions to control rivers and land use. 第1章 序論 1-1 背景と目的 武蔵野台地は多摩川と荒川に囲まれた高低差約 20 メー トル程度の台地状の地形である。台地には多摩川や小河川 によって多様な地形が刻み込まれ、かつてはその上に原生 林が広がっていた。人々が定住するようになると原野や雑 木林が出現するようになり、その地理的特徴と人々の生活 に応じた姿になった。かつての人々はそのような武蔵野台 地の独特の景観に美的価値観を見出し、古代には歌に詠み、 明治期には絵画や文学作品としてとりあげた。 現代になり、河川改修や地盤改良などの技術が飛躍的に 進み、急速な経済成長という時代背景から、武蔵野台地上 は一面の住宅地と化していった。現在では多少の地理的特 徴に当時の面影を見るだけとなった。武蔵野台地の地理的 特徴に無頓着な開発は、河川氾濫や土砂災害などの自然災 害の増加を招いたと考えられる。台地の地理的特徴と我々 の日常生活を含めた都市の関わりを見直す必要性がある。 一方で武蔵野台地上には多数の神社が見受けられる。神 社は自然と社会との接点としていくつかの社会的機能を 持っていることが既往研究で明らかにされている。武蔵野 台地の神社にも台地の上で生活を送る上で何かしらの社 会的機能が与えられたと考えられる。この機能を明らかに するため、本研究ではその基礎的な部分として武蔵野台地 上の神社の立地状況を明らかにすることを目的とする。 1-2 研究の位置付け 神社の立地に関する研究は 2 つに分けられる。1)神社の 立地特性に関する研究で、大河川や山岳地形などの大規模 な地形と神社立地の関係に着目し分類した嶋田らによる 研究 1 などがある。 2)個々の神社空間を分析することで周辺 地域の地形との関係を明らかにする研究で、断層と神社の 関係を明らかにした是澤らによる研究 2 などがある。 本研究は 1)に属しているが、武蔵野台地上の中小河川と いう地形的特徴が大きく違う地域で神社立地を研究する 点で異なる。また、ほとんど研究されていない武蔵野台地 上の神社について新たな知見をを得ることに意義がある。 1-3 研究の手法 ) 神社立地の観点から見た神社の役割と武蔵野台地上 の地理的・社会的特徴を既往研究などの文献等を使いまと める。ⅱ近代化により大きく姿をかえる前の明治前期 (1880-1886) 関東平野地誌図集成( 縮尺 1/25,000) を使い武 蔵野台地上とその周辺の範囲から、神社、河川、地形(等高 )、集落(建築物と町村名)、の情報を抽出し、神社とそれ ぞれの要素との関係をまとめる。武蔵野台地上の神社の立 地についてⅰ)とⅱ)から考察を加える。 1-4 論文の構成 2章で神社についての既往知見をまとめ、3章で武蔵野 台地の地形的・社会的特徴をまとめる。4章で神社の立地 について各要素との関係を調べる。5 章で神社立地の傾向 をまとめ考察を加え、6 章で結論とする 2 神社について 2-1 神社の社会的機能について 神社は磐座や禁足地( 神体山など) での祭事の際に臨時に 建てられた神籬などの祭壇がその起源と考えられている。 自然物を対象として、以下②-⑧の社会的機能が付加される。 自然崇拝(山岳信仰など) 山や巨木、岩、滝などには霊的な力が宿るとされ、信仰 対象として祀ったもの。そこから派生した川や森なども信 仰対象と成る場合もある。 水源管理・司水 4 ため池や湧水地は雨乞い信仰の対象地となり、水に関わ る神を祀った社が置かれる。山や湧水池は、農耕に欠かせ ない水源であったため、それ自体を神格化し、水神を祀り、 信仰対象としてきた。 鎮水 2 橋や船舶などの難工事の際に、人間を生き埋めなどの形 で供儀する習慣を人柱といい、堤防建設の際に人柱を立て、 完成後にその場所に神社を建てた。水害的な観点から見る と、洪水や流されたり、洪水地によってでききた微地形に 建てられた神社は鎮水を祈願しているものが多い。浸水ラ インに立地しているものや洪水の被害を軽減させるため に神社を立地させるものが知られている。 開拓 1 人が住めない土地に入植し、土地を改良・開墾し集落を 形成した際、開拓により集落形成の礎を築いた人、あるい はその人が信仰していた神を祭神として祀るものがある。 領主の神・御法神 1 中世の有力貴族や寺院はそれぞれの神社と強い結びつ きがあった。貴族は一族の氏神として、寺院は寺の護法神 として、それぞれの神社を信仰し、貴族や寺の荘園にはそ れぞれの氏神や護法神が勧請された。

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武蔵野台地の神社立地に関する研究〜河川との関係に着目して〜

Location of Shrines on Plateau “MUSASHINO-DAICHI” -from the point of giographical features created by rivers-

時空間デザインプログラム

学籍番号 12M43173 高木優 指導教員 齋藤潮 Environmental Design Program

Masaru Takagi, Adviser Ushio Saito

ABSTRUCT Musashino-Daichi has many unique giographical features. They are deeply related to stratum, groundwater, rivers, and land use. They not only show us beautiful scenes, but only effect to our everyday life. But now, it is hard for us to see them because of development. On the other hand, there are many shirines on Musashino-Daichi. It is known that Shrines have some social functions. To know social functions of shrines on Musashino-Daichi, this study aims to clarify location of them during first half of Meiji era before modernization. As a conclusion, 1)Many shrines are related to giographical features and be conscious of rivers. 2)The location is different every river type. It may be related to flood and social functions to control rivers and land use.

第1章 序論 1 -1 背景と目的 武蔵野台地は多摩川と荒川に囲まれた高低差約 20 メートル程度の台地状の地形である。台地には多摩川や小河川

によって多様な地形が刻み込まれ、かつてはその上に原生

林が広がっていた。人々が定住するようになると原野や雑

木林が出現するようになり、その地理的特徴と人々の生活

に応じた姿になった。かつての人々はそのような武蔵野台

地の独特の景観に美的価値観を見出し、古代には歌に詠み、

明治期には絵画や文学作品としてとりあげた。 現代になり、河川改修や地盤改良などの技術が飛躍的に

進み、急速な経済成長という時代背景から、武蔵野台地上

は一面の住宅地と化していった。現在では多少の地理的特

徴に当時の面影を見るだけとなった。武蔵野台地の地理的

特徴に無頓着な開発は、河川氾濫や土砂災害などの自然災

害の増加を招いたと考えられる。台地の地理的特徴と我々

の日常生活を含めた都市の関わりを見直す必要性がある。 一方で武蔵野台地上には多数の神社が見受けられる。神

社は自然と社会との接点としていくつかの社会的機能を

持っていることが既往研究で明らかにされている。武蔵野

台地の神社にも台地の上で生活を送る上で何かしらの社

会的機能が与えられたと考えられる。この機能を明らかに

するため、本研究ではその基礎的な部分として武蔵野台地

上の神社の立地状況を明らかにすることを目的とする。 1 -2 研究の位置付け 神社の立地に関する研究は 2 つに分けられる。1)神社の立地特性に関する研究で、大河川や山岳地形などの大規模

な地形と神社立地の関係に着目し分類した嶋田らによる

研究1などがある。2)個々の神社空間を分析することで周辺地域の地形との関係を明らかにする研究で、断層と神社の

関係を明らかにした是澤らによる研究2などがある。 本研究は 1)に属しているが、武蔵野台地上の中小河川という地形的特徴が大きく違う地域で神社立地を研究する

点で異なる。また、ほとんど研究されていない武蔵野台地

上の神社について新たな知見をを得ることに意義がある。 1 -3 研究の手法 ⅰ)神社立地の観点から見た神社の役割と武蔵野台地上の地理的・社会的特徴を既往研究などの文献等を使いまと

める。ⅱ近代化により大きく姿をかえる前の明治前期

(1880-1886)関東平野地誌図集成(縮尺 1/25,000)を使い武

蔵野台地上とその周辺の範囲から、神社、河川、地形(等高線)、集落(建築物と町村名)、の情報を抽出し、神社とそれぞれの要素との関係をまとめる。武蔵野台地上の神社の立

地についてⅰ)とⅱ)から考察を加える。 1 -4 論文の構成 2章で神社についての既往知見をまとめ、3章で武蔵野

台地の地形的・社会的特徴をまとめる。4章で神社の立地

について各要素との関係を調べる。5 章で神社立地の傾向をまとめ考察を加え、6 章で結論とする 第 2 章 神社について 2 -1 神社の社会的機能について 神社は磐座や禁足地(神体山など)での祭事の際に臨時に建てられた神籬などの祭壇がその起源と考えられている。

自然物を対象として、以下②-⑧の社会的機能が付加される。 ① 自然崇拝(山岳信仰など) 山や巨木、岩、滝などには霊的な力が宿るとされ、信仰

対象として祀ったもの。そこから派生した川や森なども信

仰対象と成る場合もある。 ② 水源管理・司水 4 ため池や湧水地は雨乞い信仰の対象地となり、水に関わ

る神を祀った社が置かれる。山や湧水池は、農耕に欠かせ

ない水源であったため、それ自体を神格化し、水神を祀り、

信仰対象としてきた。 ③ 鎮水 2 橋や船舶などの難工事の際に、人間を生き埋めなどの形

で供儀する習慣を人柱といい、堤防建設の際に人柱を立て、

完成後にその場所に神社を建てた。水害的な観点から見る

と、洪水や流されたり、洪水地によってでききた微地形に

建てられた神社は鎮水を祈願しているものが多い。浸水ラ

インに立地しているものや洪水の被害を軽減させるため

に神社を立地させるものが知られている。 ④ 開拓 1 人が住めない土地に入植し、土地を改良・開墾し集落を

形成した際、開拓により集落形成の礎を築いた人、あるい

はその人が信仰していた神を祭神として祀るものがある。 ⑤ 領主の神・御法神 1 中世の有力貴族や寺院はそれぞれの神社と強い結びつ

きがあった。貴族は一族の氏神として、寺院は寺の護法神

として、それぞれの神社を信仰し、貴族や寺の荘園にはそ

れぞれの氏神や護法神が勧請された。

⑥ 職業神 1 特定の職業につ就く者に信仰される神が、その職業集団

の集落や家、職場の付近に神社が祀られる。大漁祈願や航

海安全の神社や稲荷神社などがあげられる。 ⑦ 戦勝の神 戦で本陣を構えた場所に戦勝を感謝し神社を建てた。 →河川との関係では②③が重要である。 2 -2 神仏分離令について 江戸時代には神仏習合が広く受け入れられていたが、明

治時代になり 1867 年の太政官布告などにより本格的に神仏分離が図られ、神社の統廃合が進んだ。本研究では神社

が統廃合されていた段階での地図を使用している。 第 3 章 武蔵野台地について 3 -1 地形的特徴 武蔵野台地は礫層の上にローム層が堆積している。古多

摩川により礫層が堆積され、国分寺崖線などの河岸段丘が

形成され、武蔵野台地の淵を形どった。台地上に降った雨

はローム層を浸透し礫層に滞水する。礫層が表出する台地

のエッジやローム層の薄いところではこの地下水が湧水

する。特に台地上の標高線 50m 付近では湧水する傾向に

あり、井の頭池などが代表例である。また、台地東部では

地層に粘土層が存在し、粘土層上部に宙水として滞水する。

この宙水は条件によっては湧水し、洗足池などが例である。

これらの湧水は河川を形成し、台地上を削り谷を形成した。

このような場所では水環境が豊かな一方、地下水の涵養条

件次第で洪水や渇水を引き起こす。江戸幕府は地下水の涵

養に苦心したことが既往研究 6より明らかになっている。

一方これらの条件に該当しない場合は水をえることが難

しく居住には適さない場所となっている。また、台地西部

には狭山丘陵が存在し、水環境が豊かな場所となっている。 以上の地理的環境から、武蔵野台地をかたどる河川(多摩川、荒川、入間川、成木川)に挟まれたエリアを対象範囲とし、沖積地、段丘部、台地上、丘陵部の四つの土地に分け

る。本研究では台地上の神社について分析する。 3 -2 台地上の河川 台地上の河川を水源、流域、洪水の頻度などから以下の

ようにタイプ分けを行う。 Ⅰ.丘陵を水源とし武蔵野台地北部を流れる川 不老川、福岡江川で、流量が極めて少ない小河川。流域

に湧水条件がほぼ存在しない。 Ⅱ.丘陵・海抜 50m 以上を水源とするグループの川 柳瀬川水系・黒目川水系で、台風時の大雨で氾濫したこ

とがある。流域に湧水条件がほとんどない。 Ⅲ.海抜 50m 付近の湧水を水源とし粘土層分布地を通る川 石神井川水系・神田川水系で特に湧水を集めているため

水環境が豊かな一方、氾濫頻度がかなり高い。 Ⅳ.台地東部の粘土層を水源とし東流する川 渋谷川水系・目黒川水系・立会川・内川・呑川で、現在

はほとんど見ることはできない。水害対策が多く施されて

いるため、氾濫頻度が高い河川と考えられる。 Ⅴ.国分寺崖線付近を水源とする川 野川水系、谷沢川で、水害対策が施された現在でも時折氾

濫することから水害頻度が高い河川である。 Ⅵ.明確にⅠ-Ⅴに該当しない河川群(※分類が難しい河川) 白子川水系と出井川はⅡとⅢの中間的性質と流域をもち、

谷田川はⅣと似た性質をもつが流域が異なる 3 -3 武蔵国の歴史概要 武蔵野台地は武蔵国に属していた。時代や武蔵国の支配

者と治世から以下のように時代を区分する。 ① 古代(K) 律令制(700 年制定)による支配が確立する前(700 年以前) ② 中世前期(T1)

律令制による支配体制下。荘園開発などが行われた。(701〜932 年) ③ 中世中期(T2) 武士の台頭と支配が確立した時期。武家による台地上や沖

積地への入植が始まる(武士の国司誕生 933〜1454 年) ④ 中世後期(T3) 乱世の時期。(太田道灌の台頭 1454〜1589 年) ⑤ 江戸前期(E1) 徳川体制下の確立期。上水開削などにより台地西部の新田

開発が始まる(徳川家康の江戸入城 1590〜1715 年) ⑥ 江戸後期(E2) 徳川体制化の安定期。積極的な新田開発が行われた時期(徳川吉宗が将軍になる 1716〜1867 年) ⑦ 明治以降(M) 3-4 村・集落について 神社立地は集落との関係も重要であるため、集落の性質

もおさえておく。塊村、路村、街村、散村、疎村が確認で

きたが、散村タイプはほとんど見られなかった。 第4章 武蔵野台地上の神社の分布と立地 4 -1 台地上の神社 対象範囲には 1352 社の神社が確認できた。神社が多いとされている野洲川流域(374 社、9.7 社/㎢)と条件を同じにして比較すると、700㎢に 1262社あり 18.0社/㎢で多い。 4 -2 地理的環境と神社 3-1 で武蔵野台地の地理的特徴として水環境と河川が大きく関わっていることを示した。河川と神社の関係を河川

がつくる侵食谷の侵食斜面に着目して調べた。河川関係以

外の特徴的な地形の立地はほとんど見られなかったため、

台地上の神社の立地を以下のように分類(図 2 参照)し、この分類に当てはまる神社を河川地形と関係のある神社と

した。 a.台地上の 310社中 66%にあたる 206社が侵食谷に立地することが分かった。武蔵野台地上では河川と傾向のある地

形に立地させる傾向があると言える。 -河川断面方向の立地場所 ES侵食平坦面上(Erosion Surface)、US遷緩線直下(Under Slope)、OS 侵食斜面上(On Slope)、ET 遷急線直上(Edge of Terrace)※地理学上は US は ES の一部である -属している斜面の形状(ET 侵食平坦面上は除く) r 尾根(ridge)、 g 一般斜面(general slope)、v 谷(valley) 表 1.台地上の河川関係の地形と神社のタイプ別内訳

ES 侵食平坦面上:33 社

US 遷緩線直下 OS 斜面上 ET 遷急線直上 小計

r 尾根 US-r:4 社 OS-r:33 社 ET-r:27 社 64 社

g 一般斜面 US-g:4 社 OS-g:37 社 ET-g:23 社 64 社

v 谷 US-v:6 社 OS-v:15 社 ET-v:24 社 45 社

小計 14 社 86 社 74 社 173 社

図 1.立地別のタイプ分け

b.河川断面方向別の神社立地は OS 侵食斜面上 41%、ET遷急線直上 36%が多く、ES 侵食平坦面上 16%、US 遷緩線直下 7%と少ない傾向にある

c.斜面形状別の神社立は g 一般斜面 37%、r 尾根 37%、v谷 26%の順に多いが、傾向といえるほど大きな差はない

d. US 遷緩線直下の神社は v 谷への立地する傾向にある 表 2.河川別のタイプ別内訳 ES US 直下 OS 斜面上 ET 直上 河川/斜面形状 -- r g v 計 R g v 計 r g v 計 Ⅰ不老・福岡江川 2 - - - 0 1 4 1 6 - - - 0 Ⅱ黒目川 6 - - - 0 2 3 1 6 1 2 - 3 Ⅱ柳瀬川 3 - - - 0 3 1

1 1 15 1 - - 1

-東川 0 - - - 0 1 1 1 3 1 1 - 2 Ⅲ神田川 2 1 - - 1 2 5 - 7 4 3 3 1

0

-桃園川 1 - 1 - 1 - - - 0 2 3 2 7 -善福寺川 1 1 - - 1 3 - 2 5 2 2 2 6 -妙正寺川 2 2 - - 2 - - 1 1 2 2 1 5 Ⅲ石神井川 3 - 2 - 2 1 4 2 7 5 3 - 9 Ⅳ渋谷川 1 - - 1 1 3 - 1 4 2 1 - 3 Ⅳ目黒川 0 - - - 0 2 1 2 5 - 1 4 5 -烏山川 2 - - 1 1 2 - - 2 - - - 0 Ⅳ呑川 1 - - - 0 1 - 1 2 1 - 2 3 Ⅳ立会川・内川 1 - - - 0 2 - 1 3 1 1 3 5 Ⅴ野川・谷沢川 4 - - 1 1 1 4 1 6 - - 2 2 -仙川 0 - - - 0 2 - - 2 1 1 1 3 Ⅵ谷田川 2 - - 3 3 3 3 - 6 3 1 - 4 Ⅵ白子川※ 2 - 1 - 1 4 1 - 5 1 2 1 4 その他 0 - - - 0 - - - 0 - - 2 2

※白子川近辺の河川(白子川、越戸、出井川、前焼津川)

e.河川のタイプごとに河川断面方向での立地場所が異なる ・Ⅰ、Ⅱは OS 侵食斜面上の割合が高く、US 遷緩線直下が存在しない(図 10 参照) ・Ⅲ、Ⅳは ET 遷急線直上の割合が高い(図 11 参照) ・流域途中が湧水条件に該当する河川(Ⅲ-Ⅵ)は US 遷緩線直下が存在する(図 11 参照) 4 -3 社会的環境と神社 創建時代別ごとの分布 創建時代の明確な 376 社(都内)と、自然発生的な居住地域(古墳時代までの遺跡後より判断)を図 7 にプロットした。 f.時代ごとに神社の立地する範囲が広がり、一度立地が始まった地域には継続的に神社が創建される ・K、T1 は台地のエッジや沖積地、台地上の海抜 50m 付近の湧水地近辺に立地する ・T2 は台地東部の K、T1 では立地しなかった地域へも立地するようになる。ここは鎌倉時代に武士による入植が行

われた地域 ・T3 で現在の清瀬市付近へ立地するようになる ・E1、E2 の江戸以降は居住地域でなかった地域にも神社が立地するようになり、由緒・由来でも新田開発の際の創

建である事が確認できる。 集落と神社の関係 集落の形態、集落からの距離(距離 1:集落内、距離 2:集落の端 、距離 2.5:集落の端と村域の端の間、 距離 3:村域の端)、集落から神社のある方向を調べた。 台地上の神社については、80%が距離 2〜3 の間(集落の外)に立地していた。 g.神社の立地が集落の外部のもとの関係していることを指摘できる h.55%の神社が河川の方向に神社が立地しており、このような神社は河川と何らかの関係があることを指摘できる。

地域ごとに偏りは見られなかった。 第5章 武蔵野台地上の神社立地の傾向と考察 5 -1 神社立地の傾向 4 章では各要素ごとの傾向をつかんだが、5 章では複数の要素を関連させ考察する。

i. T2 中世中期の神社に河川や湧水との関係が指摘できる ・図 6 より T2(中世中期)に建てられた神社は河川地形と関係をもっているものが多く、江戸時代になると河川地形と

関係のない立地が多くなる ・台地上の US 遷緩線直下 14 社の神社のうち 8 社が創建時代が分かり、8 社中 6 社が中世中期(T2)の創建である ・河川タイプ別の流域と、神社の分布地域の増加傾向の範

囲(分析結果 f)を重ねると、中世中期(T2)で神社が立地し始めた地域が各タイプの湧水条件と重なる部分が多い

図 5.河川グループごとの河川断面方向の立地別の社数と割合 ※Ⅵの河川は明確に分類できていないため個別に記載

図 2.河川断面方向の立地別の社数と割合

図 3.斜面形状別の社数と割合

図 4.US 遷緩線直下の斜面形状別の社数と割合

図 6.創建時代別の河川地形との関係性の割合

5-2 考察 図 7をみると T2(中世中期)や T3(中世後期)に神社の立地が始まった地域はもともと人が住んでいる地域であり、も

ともと住んでいた人により自然発生的に創建されたとは

考えにくい。特に、T2(中世中期)には鎌倉幕府によって、台地東部や沖積地への武士の入植が盛んに行われており、

入植の行われた地域と T2(中世中期)に神社の立地が始まった地域は大まかに一致する。このことから、この地域の

神社は自然発生的ではなく、入植者が入植時に神社を創建

した可能性が強いと考えられる。特に、T2(中世中期)の神社は河川との関係や湧水との関係が強く指摘できたため

(分析結果 i)、入植者はあえてこのような場所へ何らかの目的をもって立地させたと考えられ、宗教上の理由や時代的

背景から土地管理という可能性が考えられる。 また、武蔵野台地上では洪水が発生しやすい河川が多い

にも関わらず、河川地形に関係した場所に神社を立地させ

ていることから、河川との関係性を指摘でき以下のような

社会的機能が付加されていると考えられる。 ・③鎮水(水害の観点から) 台地上の河川は度々氾濫することが知られているが、水

害のリスクの全くない安全な ET 遷急線直上ではなく、OS侵食斜面上への立地していることから、このような神社の

立地は河川氾濫時の浸水ラインを示している可能性が指

摘できる。このような神社は比較的洪水頻度の少ないⅠや

Ⅱのタイプの河川に多い。一方、ET 遷急線直上は特に洪水頻度の高いⅢのタイプ河川の地域に多いことから、安全

策をとり遷急線直上に立地したと考えることもできる。ま

た、ES 侵食平坦面上は全体的に一定数存在しており、水害のリスクの高いところにあえて立地させることは減災

への積極的利用が指摘 2されており、武蔵野台地上でも同

様の可能性が指摘できる。

・②司水・水源管理(水源涵養・水脈保護の観点から) 水害のリスクが高いところにあえて立地している US 遷緩線直下は湧水との関係が指摘でき、湧水地の保護などが

考えられる。また、特に水害に

対する機能性が弱いと考えられ

る ET遷急線直上(台地から河川の湧水場所へと流れる水脈の

上 )に関しても湧水との関係性が考えられる。この 2 つは特に湧水条件の整っているⅢ ,Ⅳにみられることからも湧水との関

連性が指摘できる。 今後、各神社の内部空間によ

る分析や、土地利用や詳細な地

形、ハザードマップとの重ね合

わせ、地下水分布など外部空間

の分析項目を増やし、全体的な

傾向だけでなく個別に分析する

ことにより真偽を明確にする必

要がある。 第6章 結論 1).台地上の神社は中小河川が造る侵食谷地形上に立地する傾

向があり、侵食斜面上や遷急線

直上の立地が多いが、侵食平坦

面上も一定数存在する 2).河川のタイプごとに神社の立地傾向が異なる ・台地東部の湧水条件に適合する地域を流る洪水頻度の多

い河川(タイプⅢ、Ⅳ)の神社は ET 遷急線直上へ立地すり傾向にあり、US 遷緩線直下への立地も見受けられ、特にタイプⅢで顕著である

・台地北部の湧水条件にあまり適合しない地域を流る洪水

頻度の低い河川(タイプⅠ、Ⅱ)近傍の神社は OS 侵食斜面上へ立地する傾向にあり、US 遷緩線直下への立地はみられない

3).933 年から 1454 年まで(T2 中世中期)に創建された神社は、武士の入植とともに土地の管理や宗教的理由など何ら

かの目的から創建され、その立地や立地する地域の範囲か

ら河川や湧水との関係性を強く指摘できる 既往研究・参考文献 1「滋賀県野洲流域における神社の立地特性に関する研究」(2012)嶋田奈穂子、山根周日本建築学会計画系論文集第 647 号

2「洪水常襲地における神社立地に関する基礎的研究〜黒部川扇状地・富山県入善町を

対象として〜」(2012)服部周平、二井昭佳、景観・デザイン研究講演集 No.8 3「景観としての神社の立地にみる信仰の場と自然環境の関わり」是澤紀子、堀越哲美、

(2004)日本都市計画学会都市計画論文集 No.39 4樋口忠彦『景観の構造』(1975)技報堂 5「東京付近における不圧地下水の環境地理学的研究-土地分類図への新たな情報付加による利活用の試み-」(2003)細野義純、奈良大学紀要第 31 号 6「近代都市東京の水源涵養策 :井の頭池御林の保全をめぐって」(2002)安藤優一郎、早稲田大学史学会史 146 号 7『土地分類基本調査表層地質図 1/50,000』(1992)国土交通省国土政策局国土情報課 8『川の地図辞典 江戸・東京 23 区編』(2007)菅原健二 9『川の地図辞典 多摩東部編』(2010)菅原健二

図 10.タイプⅠ,Ⅱの河川地形と関係のある神社の立地傾向

図 9.タイプⅢ,Ⅳの河川地形と関係のある神社の立地傾向

図 7.創建時代別神社の立地と立地し始める地域の違い

図 8.浸水ラインと OS 侵食斜面上に立地する神社