自動車工場に関する一考察 - osaka city...

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大阪市大r季刊経済研究J Vo l .25No.3December2002,pp.183-220 【研究ノート】 自動車工場に関する一考察 - 工場 (工程 )別従業者数 の変化 を中心 に- 1 は じめ に ISSN0387-1789 史・片 本稿の課題は,1936 年自動車製造事業法によって自動車生産が本格的に展開 して以降1970 年代 までの日本の自動車工場の変化について特に工場 (工程 ) ご との労働 者 数 の動 向 を中心 に検討 し,自動車工場 とは何だったのかを考察することにある.今 日の自動車工場 (自動車 完成工場)は,一般的に車体工場 (プ レス +溶接 ),塗装工 場 ,最 終 アセ ンブ ル工 場 (総組立 工場,儀装工場)がセットになっている場合が多い l). 工場によっては,エ ンジン, トランス ミッションなどの重要部品や樹脂成形部品などを同じ敷地内に持っていることもある.また, か つ ての フ ォー ド社 の ル ー ジ ュ工 場 の よ うに,鉄 鉱 石 と石 炭 を搬 入 し, 銑 鉄 か ら完 成 車 まで を生産 していたところもあった2 ). 自動車工場 とい って も,複数 の異 なる工程 を含 み,何 を同 じ敷 地 内 (あるいは自動車メーカー内)に持つのかは,工場によっても,メーカーによって も,そして時代によっても異なっている.国内外の自動車工場 を見学すると最終アセンブル 工場のライン編成が工場によって違うことに気がつ く.前工程 を含めた眉動車生産全体のあ り方 には さ らに多 くのバ リエ ー シ ョンが 同時代 的 に も存 在 して い る. ま して , 歴 史 的 に見 た ときにはバ リエーシ ョンの幅はさらに広がる. 20 世紀は自動車の世紀であり,21 世紀初頭である今日でも経済,生活,社会のさまざまな 面で自動車の影響力は大 きい.特に,生産システムを考えたとき自動車産業が大 きな意味を 持っていることについて否定する人はいないだろう. しか し,生産システムを考える上で前 〔キー ワー ド〕 自動車,工場, トヨタ,職場,技術 1 )生産が小規模 な場合 には,車体 を外部か ら調達 し,塗装 と最終 アセ ンブル工場 だけの場合 もあ る. また,車体工場がある場合で も,車体の構成部品の多 くが外部か ら調達 されることもある. 2)1955 年時点でルージュ工場・は従業員 6 万人を数えていた(自動車産業経営者連盟『自動車生産 性調査団報告書1956 ,94-95 ページ).

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大阪市大 r季刊経済研究J

Vol.25No.3December2002,pp.183-220

【研究ノート】

自動車工場に関する一考察- 工場 (工程)別従業者数の変化を中心に-

1 はじめに

ISSN0387-1789

植 田 浩 史 ・片 側 卓 志

本稿の課題は,1936年自動車製造事業法によって自動車生産が本格的に展開 して以降1970

年代 までの日本の自動車工場の変化について特に工場 (工程)ごとの労働者数の動向を中心

に検討 し,自動車工場 とは何だったのかを考察することにある.今 日の自動車工場 (自動車

完成工場)は,一般的に車体工場 (プレス+溶接),塗装工場,最終アセンブル工場 (総組立

工場,儀装工場)がセットになっている場合が多い l). 工場によっては,エンジン, トランス

ミッションなどの重要部品や樹脂成形部品などを同じ敷地内に持っていることもある.また,

かつてのフォー ド社のルージュ工場のように,鉄鉱石 と石炭を搬入 し,銑鉄か ら完成車まで

を生産 していたところもあった2).自動車工場 といっても,複数の異なる工程 を含み,何を同

じ敷地内 (あるいは自動車メーカー内)に持つのかは,工場によっても,メーカーによって

も,そ して時代によっても異なっている.国内外の自動車工場 を見学すると最終アセンブル

工場のライン編成が工場によって違 うことに気がつ く.前工程 を含めた眉動車生産全体のあ

り方にはさらに多 くのバ リエーションが同時代的にも存在 している.まして,歴史的に見た

ときにはバリエーションの幅はさらに広がる.

20世紀は自動車の世紀であ り,21世紀初頭である今 日でも経済,生活,社会のさまざまな

面で自動車の影響力は大 きい.特 に,生産システムを考えたとき自動車産業が大 きな意味を

持っていることについて否定する人はいないだろう. しか し,生産システムを考える上で前

〔キーワード〕自動車,工場, トヨタ,職場,技術

1)生産が小規模な場合には,車体を外部から調達 し,塗装と最終アセンブル工場だけの場合もあ

る.また,車体工場がある場合でも,車体の構成部品の多くが外部から調達されることもある.

2)1955年時点でルージュ工場・は従業員6万人を数えていた (自動車産業経営者連盟 『自動車生産

性調査団報告書」1956年,94-95ページ).

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184 季刊経済研究 第25巻 第3号

提 となる自動車工場自体について,特に自動車工場の構成について歴史的な変化を見た研究

は少ない.もちろんフォー ドシステム導入時のアメリカやヨーロッパ,乗用車の量産化と技

術革新が展開した日本の高度成長期,そ して トヨタ生産方式が展開し,導入が進められた

1980年代以降など,特定の時代を対象にした自動車工場の分析は少なくない.本稿では,こ

うした研究を参考にしながら,さらに歴史的に自動車工場がどのように変化 したのかを,自

動車工場内におけるさまざまな工場で働 く労働者数の変化を追いながら検討 し,そこから自

動車工場がどのようにその姿を変えていったのか,そうした変化のなかで自動車工場が直面

した課題 とは何だったのかを時代ごとに考えていこうとしている.

自動車工場内の各工場における労働者数の変化は,それぞれの時点における自動車生産の

特徴を示すものであるが,結果にすぎない.本来は,そうした変化を生 じさせたさまざまな

要因 (技術,生産管理,労使関係,サプライヤ関係など)についても検討すべ きだが,本稿

ではそこまで分析が及んでいない.また,こうした自動車工場の変化が自動車工場の管理に

及ぼす影響 (広い意味での生産システム,.つまり労務管理,技術管理,サプライヤ管理,物

流管理など)についても考察されていない.これらの点は今後の課題としたい.

本稿の構成は次のとお りである.2節では,戦前期の自動車工場を対象とし,自動車の国

産化が開始された直後の工場の状況と人員構成について検討する. 3節では,戟後から1970

年代までを対象 とし,特に乗用車の量産化工場がそれ以前の自動車工場とどのように変化 し

てきたのかを考察する.なお, 2節は植田が,3節は片閑が担当し, 1節,4節については

共同で担当した.全体の調整は,植田が行った.

2 戦前期の自動車工場

(1)自動車製造の流れ

自動車は,多 くの部品を組み合わせて製造される製品であり,部品の数は戦前でも数千か

ら1万以上といわれていた3).これらの部品を一部は自動車工場で内製し,一部は外注 し,最

終的に自動車に組み立てるのが了自動車の生産工程になる.内製する場合には,素材から受

け入れ,それを加工内容や製品によって分類された部品工場に送 り,部品加工 し,必要な場

所に供給する.

こうした自動車製造の流れは一般的に図 1のようになっていた.図にある自動車工場内の

各加工工場の概要は,次のとおりである4).

3)厚生省勤労局監修厚生研究会 r自動車工場読本」(1944,新紀元杜)14ページ.

4)この部分については,前掲 『自動車工場読本』ll-43ページを参照した.なお,「工場」の範囲

は自動車工場全体を指す場合もあれば,ここで分けたようなレベルを指すことも,またさらにそ

の下のレベルの範囲を指すこともあった.

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自動車工場に関する一考察

図 1 自動車工場製造工程

185

出所)厚生省勤労局監修 ・厚生研究会 『自動車工場読本』(1944年,新紀元社)15ページより作成.

① 工具工場

機械工場で切削に使われる工具,板金工場,鍛冶工場で用いられる型,さらに各工場で使

用される治具やゲージなどを作る工場である.各工場での作業のスピー ドや精度に大きく関

わるので,「この工具工場に設備される工具製作用の諸機械は,最も精度の高い優秀なものが

必要であるし,この製作にたづさはる工員も,優秀な技術工でなくてはならない」(20ページ)

といわれている.

② 鍛冶 (鍛造)工場

自動車部品は,鍛造加工か鋳物加工 して機械工場に回されるものが多い.鍛造用の材料は

鋼鉄が多いが,一部は軽合金が用いられる.鍛造は,この時期には材料を熟 して打ち付ける

熱間鍛造であった.そのため,鍛造 された部品は,機械工場で切削され,規定寸法に合わせ

る必要がある.鍛造は,部品の大 きさなどによって用いる機械や設備が異なる.小物は,辛

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186 季刊経済研究 第25巻 第3号

槌を使って形を作 り,大物には大 きな落下槌,空気槌,油圧鍛造機械などを使う.自動車部

品では,型を用いた型打鍛造法が使われることも多かった5).

③ 鋳物工場

鋳物工場では,溶解炉で溶か した金属 (多 くは銑鉄)を,砂で作った鋳型に流 し込んで,

鋳型どお りの製品を作る.鋳型を作るためには,木型を使 う場合と,金型を使 う場合があ り,

大量に生産する際には金型を使う.鋳物部品についても,仕上加工が必要になる.

④ 板金工場

自動車車体の外板や泥除けなどの薄鉄板を用いる部品を作る.1000トン,1500トンといっ

たプレス機械を用いる場合 もあるが,早-ル機や折曲機等 を使って板金加工することも多か

った.

⑤ 熔接 (溶接)工場6)

自動車は構造的に鉄材,アルミニウム板等を接合する部分が多い.このころの熔接は,大

きくアセチレンガス熔接 と電気熔接に分けられていた.

⑥ 機械工場

図 1にあるように,鍛冶工場や鋳物工場で作 られた半製部品や材料がこの工場に送 られ,

切削,穴あけ,ネジ切 り,歯切 り,研磨,などが行われる.用いられる工作機械 も多種多様

であり,旋盤,ボール盤,平削盤,型削盤,中ダリ盤,フライス盤,研磨盤,歯切盤,鋸盤

などがある.工具工場で作られた治具,工具や限界ゲージ等の測定器なども多数用いられる.

また,組立工程に移る際には,手仕上を経る7).後述するように,戟前期から戦後にかけて機

械工場は自動車工場のなかでも重要な位置を占めており,多 くの労働者が配置されていた.

⑦ 車体工場

車体工場は,内張加工,塗装,外板加工 と一体化 している.なお,自動車は大 きく,車体

と後述するシャシーに分けられ,車体 とシャシーは総組立工場で組み付けられる.車体の部

分は,シャシーとは別に内張まで行われ, ドアもつけられ,総組立工場に送 られる.これは,

現在の一般的な乗用車量産工場での生産方法 (「モノコック・ボディ」方式)とは異なり, ト

ラック等の工場で使われている生産方法 (「ボディ・オン・フレーム」方式)である.

車体工場については,長いが以下を引用 しておく.

「車体を作るには,先づコ型,Ⅰ型,T型又はL型等の鋼材或は木材で骨組を作 り,その外側

5)型打鍛造法とは,「ダイ (型)に真赤に焼いた材料を入れて,落下槌や鍛造機械で両方の型を

打合せて,その型通りの品物を作ること」である (前掲 r自動車工場読本J21ページ).

6)「熔接」は今日では一般的には 「溶接」とかかれることが多い.

7)手仕上作業について,「どんなに精巧な工作機械で工作 しても戎部分についてはやはり鋸や,

タガネや,キサゲその他の工具を用ひ,手で仕上げなければならない箇所が必ずある.組立工場

に送る前に是非ともこの手仕上の工程を経なければならない」としている (前掲 『自動車工場読

本』39ページ).

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自動車工場に関する一考察 187

に板金工場でプレス作業によって作 られた各部外板を覆うて組立てる.外板相互の接目は電

気熔接によって接合する.かうして出来上った半製の車体はコンベヤによって塗装工場へ

次々と送られて行 く.先づ塗装室に入る前に熔接箇所の外面の凹凸等は鋸やペーパーで給麗

に仕上げられ,鋼板の表面は燐酸で洗ひ些細な錆までも給麓に拭ひ落す.それを十分に水洗

ひし,次に乾燥室を通過させて十分に乾燥させた後錆止を施 し,次に下地を塗 り,その上を

サーフェ-ザ-で塗上げ,高温度の乾燥炉で再び十分に乾燥 させる.次に水磨 きをし,その

上を優良なラッカーで吹付塗装をなし,乾燥後またペーパーで抽研 ぎを行ひ,好みの色ラッ

カーを吹付ける,といふやうに何回も塗装を施す.最後に研磨剤で磨 き上げ,から拭をかけ

て仕上げるのである.

外部の塗装を終へた車体は内張工場へ進み,ここで内張 り作業を施 される.天井を張 り,

窓硝子を飲込み,扉の裏張をし,これで完全な車体となって総組立工場へ送られるのである.」

(40-41ページ)

⑧ 総組立工場

総組立工場では,シャシーの部分組立てとシャシーと車体を組み合わせて完成車に仕上げ

る作業が行われる.シャシーとは,自動車の車架 (車台)に機関,車輪,伝動装置,換向装

置などを取 り付けたものである.戦後の事例であるが,図2がシャシー組立の工程を示 して

図2 組立工程の一例

フレーム(鋲打)組立

エンデンダストシールド取付

フロントスプリング取付

マスターシリンダーブレーキチューブ取付

ステップハンガー取付

リヤーアクスル取付

フロントバンパ取付 リヤーフック練付 ルブリケーター

フィッチング取付フロントアクスル

取付ルブリケーターフィッチング取付

ステアリング取付

ブレーキペダルクラッチペダル

取付スラップハンガー取付

バッテリーサポート取付

Bラインにのせる バッテリー取付

マスターシリンダー絵曲及空気

抜エンデン取付 プロペラーシャフ

ト取付エキゾーストチューブ取付 マフラー取付 シャシーナン

バー刻印

ガソ許 クH ,73R';識 ラチューターアンドフード取付 -ツドランプ取付ロ ステ諾 -ドH カウル可J

'I,7,'t7nt諾 H 軍 諾 :JlH 蔓 -諾 "T7byH ホ-諾 タンH -甘 ンH ラ笠 訂 イll

フードアツセンブ タイヤアンドデス ラチエ-タ-給 検査

出所)労働省職業安定局 『職務解説 自動車製造業』1949年,9ページより作成.

注1)日産自動車横浜工場の事例と考えられる.

2)工程名は,基本的に出所による.

3)フレーム組立からバッテリーサポー ト取付までが最初のラインで,その後ラインを移動する.

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いる.ここにあるように最初に,車架を組立て,その上に各部品や機関が取 り付けられ,最

後にタイヤや泥除けなどの部品が取 り付けられる.

シャシーは,シャシーのまま出荷される場合と,さらに車体工場で作 られた車体が乗せ ら

れる最終組立に移る場合がある.

(2)戦前期の自動車工場の特徴

上記の説明と表 1から当時の自動車工場の特徴について触れておこう.第 1に,今 日の乗

用車工場 とは異な り,総組立工場ではシャシーの組付けを行い,その上に車体を載せるとい

う作業 (「ボディ ・オン ・フレーム」方式)を行っている.車体は搭載される前に内張 も行わ

れてお り,内装を最終アセンブル工程で行 う現在の乗用車工場 (「モノコック ・フレーム方式」)

とは大 きく異なっている.また,当時生産台数の多 くを占めていた トラックの場合ボディが

架装されていないシャシーのままで販売されることが多かった8).そのため,組立工場最終ア

センブル工程における工数上の比重は現在の自動車工場よりもはるかに小 さかったと考えら

れる.

表 1 戦前期の自動車工場

企業 .工場名 牛生産台数(A) 技術者 労働者(B) 労働者職種別構成 (%) A/B木工 鍛冶工.鉄工 施盤工.プレス工 仕上工.組立工 その他

日産自動車 4,733 147 3,573 4.1 14.4 27.3 23.3 30.9 1.32

トヨダ自動車工業 4,010 108 2,397 14.8 18.4 26.2 38.5 2.1 1.67

東京自動車工業鶴見製造所 2,850 130 1,305 9.3 24.4 26.8 39.4 2.18

東京自動車工業大森製造所 2,333 139 1,511 9.1 24.0 34.6 32.3 1.54

出所)企画院内政部 r自動車製造二要スル労務音調J(昭和13年5月)より作成.

第2に,部品加工工場が多 く, しかもこれらの部品を保管 してお く倉庫が何 ヶ所か見 られ

ることである.戦前期の自動車生産の外注比率は,戦後の70%といわれている状況 よりは低

く,多種多様な部品が内製されていた.また,鋳物の精度 も低 く,鍛造 も熱間鍛造がほとん

どであったので,仕上のための研削・研磨が必要であった.そのため機械工場の比重が相対的

に高かったと考えられる.

第3に,コンベヤが利用されているのは車体工場 と総組立工場だけであ り,機械工場は機

種別職場が中心であったと考えられる.

8)Fトヨタ自動車20年史J83ページに掲載されている出荷準備の状況にあるトラックの写真を参

照 .

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(3)国産自動車メーカーの工場と職種別人員

次に実際の各 自動車メーカーの工場 と職種別の人員について見 よう.なお,ここで用いる

データは企画院内政部による調査であるが,職種についてはデータによって名称が異なって

いる9).企業によって職種の分類が異なっているものを統一 して計算 しているために,後述す

る個別企業の職種分類と表 1,表 3は一致 していないところがあることを最初に触れてお く.

1936年の自動車製造事業法による許可会社は 3社あった.表 1がそれぞれの工場の概要で

ある.年生産台数は工場によって異なるが,労働者1人あた りの生産台数は 1-2台程度に過

ぎなかった.生産台数に比べて労働者数が非常に多いことが特徴 となっている10).

表 2は, トヨタと日産の品目別生産状況を見たものであるが,台数では トヨタも日産 も貨

物自動車の比率が高い.金額ベースでは トヨタは74.1%,日産は57.6%が貨物自動車であった.

また,生産量が小規模であるにもかかわらず,生産車種が多い.特に乗用車 と貨物 自動車は

シャシーや構成部品 も異なっていたであろうから,生産や部品供給は複雑であったと考えら

れる. ・

表 2 自動車工場車種別生産状況

自動車工場 品 目 牛生産台数(A) 年生産額(円,B) % B/A 円

日産自動車 ニッサン乗用自動車 533 1,840,457.00 10.0 3,453.0

ニッサン貨物自動車 1.373 5,265,075.00 28.7 3,834.7

ニッサン乗合自動車 43 169,291.00 0.9 3,937.0

ダットサン乗用自動車 3.578 5,303,764.00 28.9 1,482.3

ダットサン貨物自動車 4.775 5,513,634.00 30.0 1,154.7

部分品 272,284.00 1.5

計 10.302 18,364,505.00 100.0 1,782.6

トヨダ自動車工業 乗用自動車箱型 456 1,268,418.72 ll.8 2,781.6

乗用自動車幌型 121 370,260.00 3.4 3,060.0

貨物自動車 3.011 7,977,313.29 74.1 2,649.4

乗合自動車 422 1,156,406.60 10.7 2,740.3

計 4.010 10,772,398.61 100.0 2,686.4

出所)企画院内政部 『国産自動車工業職工数 (工程別)調』 (昭和13年4月)より作成.

9)このデータは F小宮山琢二文書』(大阪大学大学院経済学研究科薄井実教授所蔵)に含まれて

いるものである.史料の利用に当たっては滞井教授に便宜をはかっていただいた.

10)なお,各社史による当時の従業員数,社員数は次のとおり.日産自動車は1937年4月30日時点

の従業員数が3,800人,38年4月30日時点が7,700人,36年の生産台数が乗用車2,630台,小型四輪

トラック1,170台,計3,800台,37年が乗用車2,662台,小型四輪 トラック4,775台,普通 トラック

1,356台,バス28台,合計10,227台である (r日産自動車三十年史11965年). トヨタは,1938年11

月時点の従業員数が4,065人 (挙母工場のみ),36年の生産台数は普通型 トラック910台,普通型バ

ス132台,普通型乗用車100台,計1,142台,37年が普通型 トラック3,023台,普通型バス413台,普

通型乗用車577台,計4,013台である (『トヨタ自動車20年史」1958年).東京自動車工業は,1938

年 3月の従業員数3,905人,1937年の生産台数は普通車1,210台である (『いす ぐ 自動車50年史』1988年).表2の トヨタと日産の数値についてはほぼ一致するが,東京自動車工業の生産台数は

かなり違っている.その理由は不明である.

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190 季刊経済研究 第25巻 第 3号

表 3 自動車工場の

職種 労働音数 (熟練者含む,%は全体の労働者数に占める各職種

孟 % 蓋写 昌孟芸 % 真言 東京自 その動車鶴 % 他を見工場 除く 東京自 その動事大 % ▲ 他を森工場 除く

製 図 工 95 2.7 4.094 2.6 3.9 130 5.4 5.569 2.9 2.9295 12.3 12.5 10 0.8 1.1 75 5.0 6.1

記 録 工 15 1.l l.6 57 3-.8 4.6-

試験検査工木 型 工鋳 工 138 10.6 14.610 0.8 1.125 1.9 .2.7 148 9.8 12.14 0.3 0.332 2.1 2.6

鍛 工 94 2.6 3.9 389 16.2 16.5溶 接 工 40 1.l l.7 4 0.2 0.2熱処理工 33 0.9 1.4 26 1.l l.1

機 械 工 1,125 31.5 46.9519 14.5 21.6 627 26.2 26.6 427 32.7 45.3 456 30.2 37.2工 具 工 0.0 0.0 75 5.7 8.0 47 3.1 3.8

仕 上 工 138 5.8 5.9 229 17.5 24.3ー13 1.0 1.4 383 25.3 31.220 1.3 1.64 0.3 0.3

機械組立工 101 2.8 4.2 488 20.4 20.7木 工 148 4.1 6.2 14 0.6 0.6溶 工 119 3.3 5.0 142 5.9 6.0鍍 金 工 1 0.0 0.0 25 1.0 1.1電 気 工 29 0.8 1.2 7 0.3 0.3

そ の 他 1,175 32.9 43 1.8 363 27.8 285 18.9計 3,573 100.0 100.0 2,397 100.0 100.0 1,305 100.0 100.0 1,511 100.0 100.0

出所)表 1と同じ.

注)職種は,各工場のデータに基づき,企画院側で分類したもの.

職種別に労働者数を見るとメーカーによって違いがあることがわかる.職種は,細か くはメ

ーカーによって呼称が異なってお り,単純に比較することは難 しい.同 じ仕事をしていても,

別の職種に分類 されている可能性 もある.また,表 3では,機械工,仕上工,機械組立工があ

るが,機械工は機械加工 を行っていることはわかるが,仕上工,機械組立工については後述す

るようにメーカーによって人数の差が大きく,どこまで共通性を持つ ものと考えていいのか不

明な部分が残る.とりあえず,仕上工には,最終組立を含むさまざまな工場の仕上工が含まれ

ているようであ り,機械組立工は日産の場合には内張工だけ, トヨタには組付工,組立工,内

張工,電装品など,シャシーやボデーの組立,完成品組立に関するい くつかの職種が含まれて

いることを指摘 し,詳 しくは トヨタと日産の工場について考察する際に見る11).

それでは職種に関 してどのようなことが読み取れるだろうか.第 1に,表 1,表 3にある

ように, トヨタ以外はその他に含 まれる労働者が多い.これは後述するように見習工が トヨ

ll)一般に仕上工は工程の最後の仕上げを担当する作業者を指 し,特定の工程の作業者を指す呼称

ではない.例えば,労働省職業安定局 F職務解説 自動車製造業」(1949年)では,仕上工として

歯車の仕上加工を行うスピーダー工,フロントアクスルにブレーキを取 り付ける組立工,中子仕

上工,面取仕上工 (ブレーキを取 り付ける前にブレーキドラムとブレーキシューの間隙をチェッ

クする)を取 り上げている.表3,表4,表5の仕上工をとりあえず,本文にあるように解釈し

たが,もう少し検討が必要になるかもしれない.

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自動車工場に関する一考察

職種別労働者

191

労働者の比率). 熟練音数 (%は各職種における熟練者の比率)

その 蒜 % 昌孟孟 % 東京自 東京自 計 %計 % 他を 動串鶴 % 動事大 %

除く 見工場 森工場

85 1.0 1.2 50 52.631 33.0 32 24.6 4 40.0 36 48.0 40 47.1

72 0.8 1.0 7 46.7 22 38.6 29 40.3

511 5.8 7.4 49 35.58 80.09 36.0 88 59.52 50.019 59.4 219 42.9

69 0.8 1.0 28 40.6 28 40.6

497 5.7 7.2 37 39.4 155 39.8 202 40.644 0.5 0.6 13 32.5 2 50.0 15 34.1

116 1.3 1.7 9 27.3 9 34.6 46 39.7

2,635 30.0 38.2 443 39.4216 41.6 241 38.449 35.5 299 70.0 270 59.2 1,253 47.6122 1.4 1.8 43 57.3 27 57.4 70 57.4

1,269 14.4 18.4 144 62.910 76.9 217 56.712 60.02 50.0 626 49.3

589 6.7 8.5 44 43.6 175 35.9 219 37.2

162 1.8 2.3 79 43.4 6 42.9 85 52.5

281 3.2 4.1 38 31.9 52 36.6 102 36.3

26 0.3 0.4 0.0 10 40.0 10 38.5

53 0.6 0.8 17 58.6 3 42.9 32 60.4

1,866 21.2 181 15.4 17 39.5 56 15.4 20 7.0 274 14.78,786 100.0 100.0 1,158 32.4 886 37.0 629 48.2 715 47.3 3,388 38.6

タの場合には分類 されていないことによる.その他には見習工以外 も含 まれているが,ここ

ではその他を除いた比率で各職種の構成についてみてい く.

第 2に,どのメーカーで も最 も人数が多いのが機械工である.前述 したように当時の自動

車工場では部品の内製化,鍛造工程の後処理のために機械工場が重要な位置にあった・労働

者数比率で も高い比重 を占めている.但 し,その比率はメーカーによって異なってお り, ト

ヨタが低 く, 日産が最 も高 く,その差は20%以上ある.東京 自動車工業では機械組立工の分

類がな く,その分機械工や仕上工の人数が多 くなっているからか もしれない・

第3に,次に多いのが仕上工である. トヨタ以外では2-3割 を占めている・ トヨタが 日

産 と比べて仕上工の比率が低いのは,シャシーやボデーの組立,総組立 に関す る組立工,級

付工が 日産では仕上工 に含 まれているか らか もしれない.表 2にあるように日産のほうが乗

用車生産が多 く,そのため最終組立でボデーの架裳が必要であ り,そのための人員が多いこ

とによるのかもしれない.

第 4に,熟練者の配置についてである.なお,この調査では熟練者 とは 2年以上の経験 を

有するものとなっている12'. 熟練者は全体で38.6%だが,工程によってその比率 は異なってい

12)工場の拡大期には,拡張 している工程のほうが熟練者の比率が低 くなるという点も留意する必

要がある.

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192 季刊経済研究 第25巻 第3号

る.高い順に見ると電気工 (60.4%),工具工 (57.40/.),木工 (52.50/.),仕上工 (49'3%),

機械工 (47.6%),製図工 (47.1%)である.メーカーによって存在 しない職種 もあるが,電

気工,工具工,機械工などほほほ共通 して平均 よりも高い.但 し,仕上工,機械組立工は,

東京自動車工業,日産は平均よりも高いが, トヨタが低いのは興味深い違いである・∫

第 5に,メーカーによって労働者数に大 きな違いがある職種が存在 している・木工は トヨ

タと日産には存在 しているが,東京自動車工業には含まれていない.表 3にあるように,こ

の時点では東京 自動車工業には鋳工が存在 していないことから,鋳物を外注に出しているの

で木工 (木型工 を含む) もいないものと考えられる.また, トヨタの鋳工,鍛工の人数 も比

重 も他のメーカーと比べて高い.内外製の違いもあるのだろうが,後述するように トヨタの

鍛工には鍛造以外の工程を担当している人数が含まれていることも影響 している.

それでは次に, トヨタ自動車 と日産自動車の工場の様子についてもう少 し詳 しく検討 しよ

う.

(4) トヨタ自動車13)

① トヨタ自動車刈谷工場時代

トヨタ自動車は,独立以前の1934年に試作工場を刈谷に建設 し (当初は板金・組立,機械・

仕上の各工場),その後別途組立工場を36年 5月に完成させた.組立工場は,50mのコンベア

が トラック用 2本,乗用車用 1本あったという (『20年史』).37年 8月に独立後,挙母工場を

建設 し,38年10月に完成 させている. したがって,ここで検討するのは挙母工場以前の刈谷

時代の状況ということになる.

表 3に示された トヨタの職種別の人数構成をさらに細か く見たのが表4である14).なお当時

の工場について,「製作工場は一製鋼工場,鋳物工場,エンデン製作工場,アクスル工場,プ

レス工場,マシンツール製作工場に大別せられる./組立工場は-フレーム組立工場,シャ

シー組立工場,乗用車ボデー工場,塗装工場,内張工場,鍍金工場,車両検査工場,サービ

ス工場に分画せ られている.」とされている15).製鋼工場は鍛錬工場 と圧延工場 とからなって

お り,圧延には鍛造工程 も含 まれているので,表 4の鍛工はこの引用の製鋼工場で働いてい

13)当時の トヨタの工場については 「トヨタ自動車躍進譜」(和田一夫編 『豊田喜一郎文書集成』名古屋大学出版会,1999年),『トヨタ自動車20年史』参照.「トヨタ自動車躍進譜」は1937年 7

月に刊行された.

14)『20年史帖 こ収録されている 「就業規則」(1940年7月1日改正)によると, 「工務貞」(「本則

二於テ工務貞 卜称スルハ工場法二依ル職工ヲ謂フ」,第2修)は,資格としては 「(1)見習工

(2)普通工務貞 (3)組長 (3等級二分ツ) (4)工長 (工長心得ヲ含ム)」(第5候)があり,

種類は 「機械工,鋳物工,木型工,塗装工,板金工,内張工,動力工,鍍金工,検査工,鍛工,

プレス工,焼入工,仕上工,営繕工,配給工,雑工」(第6催)があった.一表 4と比べると,級

立工,組付工が含まれていない点が特徴になっている.

15)前掲 「トヨタ自動車躍進譜」139-140ページ.

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自動車工場に関する一考察

表 4 トヨタ自動車職種別構成

193

職 種 職工数 熟練音数 熟練者率(B/A%) 工長数(C) A/C表 2の職種 細分類 男 女 計(A) J% 早 女 計 (B) %

試験検査工 検 査 工 81 491124672 130 5.4 32 3471556 32 3.6 24.6 3 43.3

木 型 工鋳 工 木 型 工 13 13 0.5 6 6 0.7 46.2 1 13.0

型 製 作 工 56 56 2.3 22 22 2.5 39.3 1 56.0

鋳 工 183 295 12.3 73 107 12.1 36.3 1295.0

鍛 工溶 接 耳 鍛 工 61 61 2.5 24 24 2.7 39.3 1 61.0ボ デ ー 工 328 328 13.7 131 131 14.8 39.9 21164.026.0

溶 接 工 4 4 0.2 2 2 0.2 50.0

熱 処 理 工 焼 人 工 22 26 1.1 9 9 1.0 34.6

機 械 工仕 上 工 施 盤 工 220 220 9.2 88 88 9.9 40.0 1220.0

ボ ー ル 盤 工 107 113 4.7 43 43 4.9 38.1 1113.085.0

ボーリング工 12 12 0.5 4 4 0.5 33.3*

ターレッ ト工 78 85 3.5 31 31 3.5 36.5 1

セエ-パー工 8 8 0.3 3 3 0.3 37.5 1 8.0

ミーリング工 81 83 3.5 32 32 3.6 38.6 1 83.046.0菌 切 工 26 13 27 1.1 10 10 1.1 37.0*

プ レ ナ - 工 10 10 0.4 4 4 0.5 40.0*

プ レ ス 工 23 23 1.0 9 9 1.0 39.1*

研 磨 工 43 46 1.9 17 17 1.9 37.0 1

仕 上 工 122 16 138 5.8 49 49 5.5 35.5 2 69.0

機械組立工木 工 組 立 工 124 22 146 6.1 50 50 5.6.34.2 1146.0

電 装 品 43 18 61 2.5 17 17 1.9 27.9 1 61.0

内 張 工 60 25 85 3.5 24 31 3.5 36.5 1 85.0

組 付 工 193 350269 196 8.2 77 77 8.7 39.3 11196.0142.07.0

木 工 14 14 0.6 6 6 0.7 42.9

塗 工 塗 装 工 92 142 5.9 37 52 5.9 36.6

鍍 金 工 鍍 金 工 25 25 1.0 10 10 1.1 40.0*

電 気 工 電 気 工 7 7 0.3 3 3 0.3 42.9 1

そ の 他 サ ー ビ ス 工 17 17 0.7 7 7 0.8 41.2 1 17.0

試 運 転 工 26 26 1.1 10 10 1.1 38.5 1 26.0

出所)表 2と同じ.

注 1)工長数の*は,他より兼任の工長がいるところ.空欄は工長の記載がない.

2)職種の分類は,出所による.

るものと思われる.エンデン工場,アクスル工場,プレス工場,マシンツール製作工場で機

械加工 を行っていたのが,それぞれの工作機械の名称を持った機械工に該当する.組立工,

組付工が,エンジンやアクセルの組立,フレーム組立,シャシー組立,乗用車ボデーの組立

を担当 していたと考えられるが,具体的にどのように異なっていたのかは不明である.フレ

ーム組付工場,総組立工場 といった言いかたが挙母工場ではされているので,組付工はシャ

シーのフレームを組付ける作業,組立工はシャシーの組立,シャシーにボデーを架装 した後

の最終組立を担当していたのかもしれない.

なお,前述 したように トヨタは鍛工数が多いことが特徴であった.表 3にあるように,鍛

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194 季刊経済研究 第25巻 第3号

工には実はボデー工が多数含まれていた.ボデー工 は,ボデー (車体)工場で働いていたと

考えられるので,なぜ前掲表2で鍛工に含まれていたのかは不明である.

表 3からは, トヨタ自動車の工場について次のような特徴を読み取ることができる.第 1

に,女子労働者が全体の11.9%を占めていたことである16). 但 し,女子労働者は特定の工程に

重点的に配置されてお り,鋳工 (38.0%),検査工 (37.6%),塗装工 (35.2%),内張工 (29・

4%),電装品 (24.5%)などで比率が高い.最も女子労働者の比率が高い鋳造工程では,鋳造

加工後のぼり取 りに多 く配置されたと考えられる17). トヨタでは鋳工が多いことが一つの特徴

となっていたが,その4割を女性が占めていた点は興味深い.また内張については,「内張工

場で気付 く事は,此処には女性の従業員が多 く働いて居る事である.其の作業上,布地の裁

断や裁縫に女性が適切な理由から,此処で重要な役割を持って居る次第である」とある18).

第2に,最も人数の多かった機械工の内訳であるが,旋盤工 (220人,35.1%),ボール盤工

(107人,17.1%), ミーリング工 (81人,12.9%),ターレット工 (78人,12.4%),研磨工 (43

人,6.9%),歯切工 (26人,4.1%),プレ

ス工 (23人,3.7%)となっている.表 5で

は挙母工場での1939年時点における機械工

場の機械の構成を示 した.この機械の比率

と大きく変化 していないとすると,ほぼ機

械工の人数の状況と機械台数の多きが関係

している.但 し,研磨工の人数 と 「グライ

(ン)デイングマシン」の数には乗離があ

り,仕上工が仕上作業 として利用 していた

可能性がある.また,プレス工が23人しか

おらず,この点は次に見る日産と比べると

はるかに少ない.

第3に,熔接工が4人 しかおらず,日産′

と比べても少ない.熔接は,フレーム組付

けの際に使われることが多いが,フレーム

表 5 トヨタ自動車工業 挙母工場機械工場

内の機械設備 (1939年はじめ)

機 械種類 台数

ミーリングマシン 186

ターレットレース 231

施盤 276

グライディングマシン★ 357

ドリリングマシン 319

タッピングマシン 102

ラッピングマシン 90

歯切機 101ボーリングマシン 41

検査機 21センターリングマシン 10

スクリューマシン 15

ブローチングマシン 6

その他 180

出所) rトヨタ自動車工業30年史』(1967年)128

ペ ージ.

注)*グラインディングマシンの誤りと思われる.

16)挙母工場に移転後も女子労働者の比率は高く,1939年8月では5,348人中900人 (16.8%),1940

年8月は6,427人中1,168人 (18.2%),1941年8月には5,335人中654人 (12.3%)と減少するが,

1942年8月には7,195人中1,480人 (20.1%)と増加する (『20年史d).3節で触れるように戦後も

1950年の人員整理以前までは女子労働者の比率は高かった.

17)3節で触れているように中子つくりにも女子労働者がついていたかもしれない.r20年史』112

ページの女子労働者が中子を作っている写真には 「戦時中の中子工場.中子づ くり作業は,当時

は主として女性の仕事でした.」と解説している.

18)前掲 「トヨタ自動車躍進譜」163ページ.

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自動車工場に関する一考察 195

組付 けを担当 していると考 えられる組付工の人数が多いので,組付工が実際 には熔接 を担当

していたのか もしれない. トヨタでは挙母工場で も熔接工場 とい う名称の建屋 はな く, 日産

が当初から熔接工場 を持っていたことと違っている (表 6参照).

第 4に,工長数は多 くの職種で人数 に関係 な く1人であった.但 し,試験検査工 は総数130

人に対 して3人の工長がお り,他の職種 と異なっていた19). 工長 1人当 りの人員が通常 どの程

度であったのかわか らないのでこの工長の数が多いのか,普通であるのかははっきりしない.

表 6 トヨタ自動車工業挙母工場主要建築物

建 物 坪 数

鋳物工場

鋳物倉庫

鍛造工場

調質工場

熱処理工場

めっき工場

ボデー工場

プレス工場

機械工場

機械組付工場

組立工場 (1,2階延べ)

塗装工場

調整工場

工機工場

試作工場

技術蔀

化学工場

営繕工場

事務所本館 (1,2階延べ)

書庫

補給品倉庫

支給品倉庫

更衣室

トヨタ・ホール

教育会館

寄宿舎

前山社宅

第 1食堂

第 4食堂

寄宿食堂

5

4

2

5

3

3

2

8

5

6

4

0

0

0

9

0

0

0

7

0

5

7

3

8

1

3

0

3

4

8

0

5

0

4

3

9

3

8

9

8

1

0

7

0

3

3

1

I

I

I

I

I

I

出所) 『トヨタ自動車20年史』 (1958

年)78ページ.

工 場 1939年初現在 1939年中拡張分棟数 坪数 棟数 坪数

鋳物工場 5 3,951 1111122131 1,9784,940

工具工場 2 1,360

機械工場 6 8,820

鍛冶工場 1 896 896360600288480908501,5001,0003,000

調質工場 1 384

焼入工場 1 810

プレス工場 1 1,900

ボデー工場 1 4,800

組立工場及内張工場 1 1,500

塗装工場 3 2,646

鍍金工場 1 538

焼鈍工場 1 675

調整工場 1 300

修正工場 1 156

営繕工場 1 240

木型工場荷造工場コンプレッサ一室 14 408115

ボイラ一室 2 183

変電所及開閉室 5 155

倉庫 15 6,533

工場付属建物 3 114

食堂其他付属建物 107 7,486

設計室及付属建物 3 274

工務室及付属建物 2 266

研究実験室 4 726

病院及付属建物 1 76

事務所及付属建物 16 1,062

社宅寄宿舎及付属建物 78 6,639

青年学校付属建物 2 313

出所) 『トヨタ自動車30年史』 (1967年)123ページ.

19)日産自動車では,1939年に増産と人員増に対応するため,工長,組長を増員 し,工員6,812人に

対 して工長34人 (以前は22人),組長144人 (同118人)とした.その結果役付工 1人当 り48人か

ら38人となった (『日産自動車三十年史』91ページ).

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196 季刊経済研究 第25巻 第 3号

なお,『20年史』では,挙母工場の従業員数を請負工と常雇工に分けて記載 してお り,請負工

の比率はほぼ7割以上を占めていた (表 7)20). 請負工がどのような形で管理されていたのか

については不明だが,工長数と何 らかの形で関係をしている可能性はある.

表 7 戦前期 トヨタ自動車工業の従業員数の推移 (挙母工場工員数 :各年 8月)

区分 1939年 % 1940年 % 1941年 % 1942年 % 1943年 %

請負工 男 3,037 56.8 3,934 61.2 3,508 65.8 4,069 56.6 4,243 55.7女 611 14.4 887 13.8 580 10.9 1,192 16.6 1,083 14.2

計 3,648 68.2 4,821 75.0 4,088 76.6 5,261 73.1 5,326 69.9

常雇工 男 1,411 26.4 1,325 20.6 1,173 22.0 1,646 22.9 1,861 24.4女 289 5.4 281 4.4 74 1.4 288 4.0 436 5.7

計 1,700 31.8 1,606 25.0 1,247 23.4 1,934 26.9 2,297 30.1

出所) 『トヨタ自動車20年史』663ページ.

②挙母工場の建設

1938年に完成 した挙母工場について簡単に見ておこう.前掲表 6が 陀0年史』『30年史』に

記載されている挙母工場内の建築物の状況を示 している.建築物の面積で最も広いのは,ど

ちらの表でも機械工場で,次いでボデー工場,鋳造 (鋳物)工場,組立工場,塗装工場,プ

レス工場,などとなっている.また,『30年史』の表では倉庫の面積が広い点も特徴である.

図3は,1939年の職制を示 したものである.挙母工場については,工機,鋳造,車体,鍛

追,機械,総組立の6つの課に分かれ,それぞれに工場がついている.工場内のさらに細分

化された工場や係の担当者は工長 (あるいは工長心得),係長 (あるいは係長心得)が就いて

いることが多い.工長が担当するのか,係長が担当するのかは,主に製造系の職場が前者,

事務系が後者ということは言えるが,正確には製造系であっても係長が担当している場所が

ある.なお,刈谷工場時代 と比べ,工員の人数も増えていることもあるが,工長 (工長心得

も含む)の数も増えていることがわかる.こうした挙母工場の組織が労務管理とどのように

関係 しているのかについては,今後の課題としたい.

(5)日産自動車

日産自動車は,1935年に横浜工場 (本社工場)に一貫生産ラインを導入 し,日本最大の自

動車メーカーとして乗用車や トラックの生産を行っていた.工場は横浜の本社工場 と大阪工

20)1939年に作成された 「今後ノ経営方針」では,人件費削減との関係で,「工務課二於テハ,雑

給手当ヲ出来ル丈ケ減少スルコト.検査掛ヲ出来ル丈ケ女 トナシ今後入社サセルモノハ皆請負エ

ノモトナシテ,-」(『30年史』175ページ)としている.

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自動車工場に関する一考察

図3 トヨタの工場における職制 (1939年)

197

製作昏l

工機諌

鋳造課

車体課

t鍛造係 t

機械係

刈谷工場

工機工場

鋳造工場

プレス工場

ボデー工場

鍛造工場

圧型工場

鍍金工場

焼入工場

第-機械工場

第二機械工場

第三機械工場

刃具工場

塗装工場

総組立工場

事務係

電装

ラジェ一夕-係

ボデー工場

研究部

刈谷出張所

・機械進行係 ・工機事務係★★

・溶解場★ ・特殊鋳物工場

・焼鈍工場 ・附属倉庫係★★

・普通鋳物工場 ・非鉄工場

・検査係★

・プレス型製作係 ・プレス係

・工機係★★

・進行係 ・検査係 ・二I二機係★★

・鍛造係 ・調質および検査係★

・圧型係★ ・工機係★

・鍍金工場**

・焼入係

・進行係 ・試運転および検査係

・検査係 ・工機係★★★

・進行係 ・工機係 ・検査係

・進行係 ・工機係 ・検査係

工具金型係

可鍛鋳物工場

しん取り工場

工機係★

・第一一一塗装進行係 ・第二塗装進行係 ・第三塗装進行係

・検査係 ・工機係★★

・フレーム組付1二場 ・内張工場 ・総組立工場

・調整1二場 ・試適 転係★ ・タッチアップ工場

・検査係 (総組立、調整、内張、クレーム) ・工機係''

・庶務人事係★ ・会計係★ ・工賃計算係★ ・受渡係★★

・教育係 ・購買係★★ ・倉庫係★★ ・営繕係

・設計係★ ・検査係★ ・電気試験係★ ・工機係★

・製作係★★★・試作研究係★

・設計係★ ・工機係★ ・検査係 ・製作係★★★

・研究係★ ・工機係★ ・製作係★★★

出所)『トヨタ自動車20年史』より作成.

注 1)★は係長,係長心得が担当している部署.★★は担当者が 「係」と記されている部署.★★★は担当

者が複数で係長 (心得)と工長 (心得)の両方が含まれている部署.印がないのは担当者が工

長あるいは工長心得の部署.なお,この中には兼任されている部署も含まれている.

2)部署名はすべて出所による.

場があったが,中心は本社工場であった.本社工場の1936年12月時点の設備状況を示 したの

が表 8である.工場面積では,機械工場が最も大きく,次いで組立 ・仕上工場,車体工場と

なっている.この段階ではまだ鋳物工場はできておらず,建設中であった.

日産の従業員構成について細か く見たものが表 9である.ここからは次の点が指摘できる.

第 1に,女子労働者の比率が トヨタと比較 して圧倒的に少なく,1.9%に過ぎない.その多く

は,見習工以外は内張工である.都市部に存在 していた日産のほうが男子労働者を集めやす

かったのか,それともトヨタが意識的に女性を雇用 したのかはわからないが,両社の違いは

典型的である.

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198 季刊経済研究 第25巻 第 3号

表 8 ・日産自動車本社工場設備状況 (1936年12月)工場名 坪数 機械台数 備 考

鋳 物 工 場 0 0 621坪の新築工事約80%完成,1937年 1月竣工予定

鍛 冶 工 場 420 68

プ レ ス 工 場 713 68 工具工場を変更増加

機 械 工 場 3,195 430 1937年の変更計画を繰 り上げ工具工場,溶接工場,倉庫,その他の工場を1936年末に変更増加

熱 処 理 工 場 450 18 1937年の変更計画を繰 り上げ溶接工場を変更増加

溶 接 工 場 180 44 材料倉庫の一部に移転

車 体 工 場 2,868 21 材料倉庫の一部を変更増加

組立 .仕上工場 3,029 6 1937年の計画を繰り上げ,一部を工場事務所および倉庫に変更し,サービス工場やその他の工場を変更増加

工 具 工 場 944 202 旧工場を機械工場に変更し新築工場に移転,95%完成

材 料 倉 庫 1,098 39 一部を車体工場と溶接工場に変更

動 力 機 関 室 282 95試 験 室 72 33

サ - ビ ス工 場 0 4 180坪使用していたが仕上工場の一部に移転

そ の 他 工 場 858 21

事 務 所 660 鉄筋コンクリー ト建 3階第 1号館

部 品 倉 庫 762 仕上工場,検査工場を変更増加

附 属 建 物 1,283

出所) 『日産自動車三十年史』1965年,63ページ.

表9 日産の職種別職工数

職 種 職工数 熟練者数 熟練者率(B/A%)表 2の職種 細分類 男 女 計(A) % 見習工を除く 男 女 計(B) %

試験検査工鋳 工 検 査 工試 験 工鋳 造 工 87394 53333 92394 2.60.12.6 3.20.13.3 4531 513 5031 4.32.7 54.30.033.0

鍛 工 鍛 冶 工 94 94 2.6 3.3 37 37 3.2 39.4

溶 接 工 溶 接 工 40 40 1.1 1.4 13 13 1.1 32.5

熱処理 工 熱処 理 工 33 33 0.9 1.2 9 9 0.8 27.3

機 械 工仕 上 工 機 械 工 769 769 21.5 26.9 277 277 23.9 36.0

プ レス工 103 103 2.9 3.6 40 40 3.5 38.8

金 工 253 253 7.1 8.8 126 126 10.9 49.8

仕 上 工 519 519 14.5 18.1 216 216 18.7ー 41.6

機械組立工 内 張 工 68 101 2.8 3.5 31 44 3.8 43.6

木 工 木 工 148 148 4.1 5.2 79 79 6.8 53.4

塗 工 塗 工 119 119 3.3 4.2 3817 3817 3.31.5 31.9

鍍 金 工 鍍 金 工 1 1 0.0 0.0 0.0

電 気 工 電 機 工 29 29 0.8 1.0 58.6

そ の 他 汽 緯 工 10 10 0.3 0.3 6 6 0.5 60.0

営 繕 工 38 38 1.1 1.3 19 19 1.6 50.0

修 繕 工 104 104 2.9 3.6 29 29 2.5 27.9

倉 庫 手 123 123 3.4 4.3 53 153 4.6 43.1

運 搬 手 118 118 3.3 4.1 49 49 4.2 41.5

運 転 工 14 14 0.4 0.5 5 5 0.4 35.7

清 掃 手見 習 工 55680 55713 1.520.0 1.9 20 20 1.7 36.40.0

出所)表 3と同じ.

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自動車工場に関する一考察 199

第2に,見習工が全体の20%を占めていることである. トヨタでも見習工は存在 していた

はずだが分類されていなかった.職種として分けている場合とそうでない場合で何か違いが

あるのかどうかについてはわからなかった.

第3に,見習工を除いて人数別で見ると機械工 (769人,26.9%)が最 も多 く,.次が仕上工

(519人,18.1%),金工 (253人,8.8%),木工 (148人,5.2%),倉庫手 (123人,4.3%),塗

工 (119人,4.2%),運搬手 (118人,4.1%)などとなっている.金工については,具体的に

何を指 しているのかは不明である.

なお,表 2の機械工の範噂に入っている機械工,プレス工,金工を合わせると見習工以外

の5割近 くを占めている. トヨタと比べてこうした違いが生 じているのは,1936年にアメリ

カのグラハム ・ページ社の機械設備を買収 したことや部品内製化の志向が高かったというこ

とが影響しているのかもしれない.

また,日産の場合,表 2にあったように仕上工の比率が トヨタより高 ぐ,一方機械組立工

は低かった.機械組立工が少ないのは内張工 しか含まれていないからである.また仕上工が

高いのは,組立 ・仕上工場で一括 されているように,仕上工が トヨタの組付工,組立工と同

じ仕事をしていることによる可能性が高い.なお, トヨタと日産は,表 2に示 した仕上工と

機械組立工の構成比を加えると大きな違いはない.

第4に,日産では間接部門の職種別の人数がわかるが,その中では倉庫 と運搬が多い.こ

のことは,当時の工場で部品の入出庫,工場間の部品や半製品の搬送が重要な意味を持って

いたという点を示 している.工場のレイアウ トや生産の流れをどのように合理的にしていく

のかが,工場管理の上で重要であった.

(6)小指

本節では,戟前期に自動車生産が本格化 した直後の自動車工場の実態を当時の職種構成を

見ながら検討 してきた.当時の自動車の生産方法が今日と異なっているだけでなく,工場の

構成も大きく違っていた.工場の中心は機械工場であり,面積でも,人間の数でも,他を圧

倒 していた.そこには多 くの工作機械が並び,部品の加工が行われていた.

それに対 し,後工程を担当する労働者の数は少なかったJ 自動車の生産規模の違い,生産

方式の違い,そしてシャシーのまま販売される トラックの生産が多かったことなど,同じ自

動車工場であっても条件が大きく異なっていたことによる.

こうした準況は,戟前でもトヨタの挙母工場建設など新 しい設備計画を進めていく際など

に徐々に変化をしていったが,基本的には変わらなかった.次に,戟後の変化について次節

で検討する.

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200

3 戦後の自動車工場

季刊経済研究 第25巻 第3号

本節では,戦後から1970年代 までの自動車工場について各生産工程に配置 された人員の

構成を考察する.戦後改革期以後の技術革新が各々の生産工程で どのように展開 していっ

たのかについて実証的に取 り上げた研究は数多いものの21),それらはある一時期の変化の分

析 にとどまっている.行論の中で明 らかになるように,戦後の自動車 メーカーはシャシ

ー ・メーカーとして出発 し,その後次第にアセンブルをメインにしたメーカーへ と変化 し

ていった.本節では,まず自動車工場における生産労働者の人員構成の推移をマクロ的な

時系列データを使 って検討 し,次に トヨタ自動車の 2つの工場について人員構成の点から

考察する.

(1)生産工程別配置人員の推移

① 1954-59年の変化

労働省は1954年から国内の普通型車及び小型四輪車 (軽四輪車は含まない)を製造する事

業所について, 1台当た りの所要労働時間を生産工程別に調査 している.合わせて各生産工

程に配置される人員数 も調査 してお り,それらの時系列の変化は国内の自動車製造工場にお

ける人月構成の変化を知る手がか りを提供 してくれる.ここでは82年までの生産工程別の配

置人員を4つの時期に区分 し考察する.

表10は1954-59年までの各工程の生産労働者の実数値であ り,図 4は全生産労働者に占め

る各工程の割合を直接部門についてグラフにしたものである.、生産労働者とは,「管理部門の

労働者並びに作業現場の事務係工員,管理監督的労働者など現場作業に従事 していないもの

を除 く,生産活動に従事 している労働者」 と定義 されている.除外 される労働者とは,「ィ,

掛 (係)長,班長など数作業の統括を行い,直接作業に従事 しない者.ロ,課長,班長など

の直属で直接現場作業 との関係がない事務員及び技術員.ハ,事務工員 (現場事務所々属の

労務記録,製図,進行,段取などの事務に従事するもの).こ,雑役に従事するもの (給仕,

掃除夫など).ホ,現場に配置されていない見習工」となっている22). なお,生産現場に配置

されているのであれば,臨時工労働者も当然含まれる.

1954年を見ると,最 も配置人員の多い工程は機械加工である.直接部門に限ればその4割

を機械加工工程に従事する労働者が占めていた計算になる.次いで多いのが組立である. し

21)本稿の課題に関連する代表的なものとしては,中村静治 『日本の自動車工業』日本評論新社,

1957年,日本人文科学会 『技術革新の社会的影響』東京大学出版会,1963年,小平勝美 『自動車

日本産業経営史大系第5巻』亜紀書房,1968年,木村敏男 F日本自動車工業論』日本評論新社,

1959年など.

22)以上,労働省 『労働生産性調査報告 自動車製造業』1954年,調査の概要, 1ページ.

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自動車工場に関する一考察

表10 生産工程別配置人見の推移

201

生産工程 1954年 1955年 1956年 1957年 1958年 1959年% 前年比 前年比 前年比 前年比 % 前年比54年比

直接 鋳造 1,369 9.6 1,051 -318 1,209 158 1,305 96 1,216 -89 1,343 8.6 127 -26

鍛造 364 2.6 251 -113 347 96 390 43 342 -48 374 2.4 32 10

プレス鍍金 1,212 8.5 839 -373 923 84 998 75 760 -238 895 5.7 135 -317

機械加工 3,703 26.0 2,152-1,5513,661 1,509 4,174 513 3,441 -733 3,496 22.4 55 -207

熱処理 519 3.6 334 -185 468 134 605 137 573 -32 609 3.9 36 90

塗装 274 1.9 381 107 432 51 499 67 395 -104 348 2.2 -47 74

組立 1,730 12.2 946 -784 1,882 936 2,508 626 2,176 -332 2,300 14.7 124 570

調整 291 2.0 204 -87 350 146 457 107 444 -13 402 2.6 -42 111

間接 輸送 403 2.8 251 -152 407 156 418 11 402 -16 715 4.6 313 312

倉庫 703 4.9 590 -113 808 218 930 122 951 21 845 5.4 -106 142

治工具 1,432 10.1 1,039 -393 1,370 331 1,200 -170 1,308 108 1,530 9.8 222 98

修理工作 451 3.2 287 -164 684 397 1,013 329 1,047 34 943 6.0 -104 492

動力 344 2.4 295 -49 386 91 426 40 434 8 488 3.1 54 144

検査 1,434 10.1 890 -544 1,265 375 1,290 25 1,381 91 1,330 8.5 -51 -104

直接部門計 9,462 66.5 6,158-3,304 9,272 3,11410,936 1,664 9,347-1,589 9,767 62.5 420 305

間接部門計 4,767 33.5 3,352-1,415 4,920 1,568 5,277 357 5,523 246 5,851 37.5 328 1,084

合 計 14,229 100.09,510-4,71914,192 4,56816,213 2,02114,870-1,34315,618 100.0748 1,389

出所)労働省 F労働生産性調査報告』各年より作成.

図4 各工程の配置人員1954-59(直接部門)

1954年 1955年 1956年 1957年 1958年 1959年

出所)表10に同じ.

-◆一鋳造

ー 鍛造

ー プレス板金

-うト 機械加工

-+ 熱処理

-■-塗装

+ 組立

一 調整

かし機械加工とはかなり差のある数字となっている.その後組立工程は人数を増やし,59年

までに500人を超える増加を示 している.この時期を通 じて最も増加の顕著であった工程であ

る.

鋳造工程は3番目に多く, 1割以上を占めている.翌年には組立工程を上回る数字を示して

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202 季刊経済研究 第25巻 第3号

いる.次いで多いのがプレス板金23) (板金)工程である. しかしこの工程は翌年から1,000人を

割 り込み,その後も殆ど回復することなく,59年までに最も減少の大きい工程 となっている.

その他直接工程では,鍛造,熱処理,塗装,調整 (エンジン調整,最終検査における調整)

工程がある.これらの工程に配置される人員は上に述べた工程に比べ,それほど多 くはない.

またこの時期を通 じて大 きな変化は見られない.

間接工程は,輸送 (積荷,梱包,開梱など),倉庫 (工具管理を含む),治工具 (木型 ・金

型,工具の製作 ・研磨),修理工作 (直接工程の機械装置の修理),動力,検査 (素材,部品,

完成品の検査)に区分されているが,そのうち治工具が多 くの人員を一貫 して抱えていたこ

とが注目される.この間接工程が生産労働者全体に占める割合は35%前後である.

表10,図4から,この時期の人員構成の特徴は次のようにまとめられる.第 1に,機械加

工作業に従事する労働者が最 も高い割合を占めていたこと,第2に,鋳造工程に配置される

人員が多かったこと,第3に,組立の人員が次第に増加 し,またプレスでは減少傾向にあっ

たこと等が注意 されるべ きであろう24). しかし,この時期は各工程の人員を比率から見れば,

組立を除けばそれほど大 きな変化はなかった時期 といえる.それは次の60年代 との対比で理

解される.

② 1959-66年の変化

図5は,図4と同様に1966年までの変化をグラフにしたものである.60年代に入ると工場

の人員構成に大 きな変化が起きていたことが判別する.50年代から割合を増やしていた組立

は,60年代に入ってからも同様の傾向を続け,62年には機械加工を抜 き生産労働者の中で最

も多 くの人員が配置される工程 となった.図のように割合の変化では波があるが,配置され

る人員数ではほぼ一貫 して増加 していた.一方,それまで25%前後を維持 してきた機械加工

は,60年代に入 り急激に割合を低下させて,66年には16%にまで落ち込んでお り,この時期

に組立工程とその立場を逆転させる形となった.同じく減少の著 しい工程は鋳造である.50

年代には10%前後の割合を占めていたが,5%水準にまで落ち込んでいる.

組立同様,この時期に上昇著 しい工程はプレス飯金と塗装である.プレス板金は1950年代

には割合を低下させていたが,60年代に入 り10%を超えるまでになった.塗装は,50年代に

は人員数でも割合でもさしたる変化を見せなかったが,8%水準にまで上昇 させている.ま

た,残 りの鍛造,熱処理,調整は50年代 と同様,低い水準のまま横這い傾向が続いている.

なお,この時期の実際の人員数の増減は煩雑を避けるために示さないが,組立,プレス,塗

装の各工程で急激な伸び (組立8.1倍,プレス鍍金9.9倍,塗装17.9倍)が見られる.

23)鍍金とは鉄板をガスなどで切断したりプレスで成型されたものを溶接する作業を指す.

24)この時期のプレス板金工程の合理化については,「板金作業のプレス化による人員削減と一部

外注切り替えの結果」と指摘されている (1956年調査,16ページ).

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自動車工場に関する一考察

図5 各工程の配置人員1959-66 (直接部門)

1959年 1960年 1961年 1962年 1963年 1964年 1965年 1966年

出所)表10に同じ.

203

ー 鋳造

ー 鍛造

ー プレス飯金

一サト 機械加工

♯ 熱処理

ー 塗装

+ 組立

- 調整

以上のように,1960年代前半は50年代後半と比べ,大きな変化が見られた.50年代には労

働者が多 く配置される工程の順は,機械加工,組立,鋳造,プレス鍍金,熱処理の順であっ

たが,60年代の半ばには組立,機械加工,プレス鍍金,塗装,鋳造の順 となった.この変化

は,その時期を広 くとれば,59年から64年,狭 くとれば61年から64年に起こっていることが

グラフから読みとれる.この時期は,乗用車専門工場が相次いで建設されていった時期 と重

なっている.1959年 9月には トヨタが日本最初の乗用車専門の量産工場である元町工場を稼

働させ,また62年には 「パプリカ」専用の量産工場 (第2組立工場)も操業を開始 した.日

産は62年 3月に小型乗用車専用の追浜工場 (横浜市)を完工 している.またプリンス自動車

も1960年10月村山工場を完成させた.その後も同種の工場が建設され稼働 していくが,この

時期は各社が一斉に建設 していった時期であるために,このような急激な変化が表れている

ものと思われる.

このように工場の拡張が従来の工場の工程間の労働者構成を大 きく変更させている.これ

らの変化をもたらした要因として,新規機械設備の導入や合理化の影響が,工程の技術的な

特質のために異なって表れるという点にあるのは言うまでもをい.また1950年代後半の自動

車産業の合理化は,「前工程重視の合理化」という特徴をもっている.所要労働時間や人員の

減少,設備投資は組立以前の工程で顕著に見られ,組立工程では小型乗用車を中心に人員増

加で対応していったことが指摘されている25). 機械加工や租形材製造の手間のかかる部分をサ

25)武田晴人 「自動車産業-1950年代後半の合理化を中心に-」武田晴人編 『日本産業発展のダイ

ナミズム』東京大学出版会,1995年.

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204 季刊経済研究 第25巻 第3号

プライヤに外注することも進められた26).

また,この間に生産台数に占める乗用車比率が増大 (1959年29.9%,66年38.4%)してお り,

この変化が生産工程に与えた影響 も考慮する必要がある.例えば, トヨタ車の荷渡 しについ

て図6をみると, トラック,バスは,シャシーの状態で トヨタ自販に出荷 し,その後ボデー

が架装 されているのがわかる.完成車の状態で出荷するものは トヨペ ット乗用車,マスター

ラインだけであった.このことは トラック,バスにおいては,ボデー溶接 とシャシーへの組

付けは トヨタの工場では基本的に行っていなかったことを意味 している.

図6 各工程の配置人員1966-74 (直接部門)

1966年 1967年 1968年 1969年 1970年 1971年 1972年 1973年 1974年

出所)表10に同じ.

ー 鋳造

ー 鍛造

ー プレス・板金

-サトー機械加工

I+ 熱処理

一一 塗装

+ 組立調整

③ 1966-74年の変化

1960年代後半以降も新たな変化が観察 されるのであろうか.同様のグラフを呈示 してみる

(図6).

26)労働省の定義する主要部分品の製造について,所要労働時間でみた1962年の外注率は小型車で

23.4%,普通車で34.5%であった.そのうち小型車の各工程の外注比率は,鋳造50.1%,鍛造

18.5%,プレス ・板金14.0%,機械加工25.2%となっている.ただし再下請以下のものは含まない

(1962年調査,307ページ).なお前年は,外注率 :小型車17.2%,普通車9.2%,小型車の各工程

外注比率 :鋳造37.2%,鍛造6.2%,プレス ・鍍金13.8%,機械加工21.8%であった (61年調査,

135-4ページ).前年と比べ鋳造,鍛造,機械加工で大幅に増えている.また,この時期のサプラ

イヤ数の増加とその実態については,植田浩史 「高度成長期初期の自動車産業とサプライヤ ・シ

ステム」(『季刊経済研究』第24号第2号,2001年9月)を参照.

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自動車工場に関する一考察

図7 トヨタ車の荷渡過程

トヨタ・トラック

トヨタ ・バス

ヨタ自動車

工業株式

-[-;:;II:I:-LffT匿

-(~-・-7Ti・-Ii:,Tl-1T 匿 1

(へ●ァ.ホ●ンわ

トヨペット

トラック

トヨペット

ルー ト・トラック

マスターライン

ボンネット付

__tt2ii _

ノ/ノノノ′/ノ/ノ/

トヨペット乗用車

トヨ タ 自動

販 売 株 式 会 社

トヨ タ 自動 車

販 売株 式 会 社

(ボデー架裟)

205

■■一.輸出 .直納

-----~--" >ロ 垂 コ̀ポT-一架裟'- 一 ・ [三 重 :]

(ボデー袈裟)i輸出 .直納

--1… … 十 [垂 二]̀ポデ瑚 '- -■ [ 亘 ]

(ボデー架装)

一一一一一一一一一一ト

(ボデー袈裟)

販売店くボデー架装)

輸出 ・直納

需要家

-輸出 .直納

… -~~~~~~十 ⊂ 車 □'ボデー凱 -1 [至 □

出所)『トヨタ自動車20年史』1958年,735ページより作成.

荏)→ 完成車を示す.

一日->-シャシーを示す.

1967年から調整工程が組立工程 と区分されずに計算されるようになったので,66年のデー

タは両工程を合算 したものを示 した.この時期は60年代前半期 と比較 して,割合の変化は穏

やかであるという印象を受ける.特に60年代に急激な伸びを見せた塗装 も横這い状態の工程

に仲間入 りした.組立は60年代後半には減少 しているが,この時期 も人員数では伸ばしてい

る.その後70年代に入 り持ち直 している.一方,プレス板金は68年までに急激な伸びを見せ,

ついに微減を続ける機械加工に取って代わり全体で2番目の高い割合を示すまでになった.

が,その後ばたりと勢いを止め,15%水準に落ち着いている.

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206 季刊経済研究 第25巻 第3号

この時期の変化は総 じて,プレス板金を除けば1960年代前半に比べて大 きな変化はない.

微減を続ける機械加工工程を含めると横這い状態 となった工程は5つとなった.この時期に

生産労働者の総数は78,123人から148,620人へ と約 2倍に増加 しているから,工場の建設 ・拡

張は引 き続 き進んでいる. したがって,新たに建設される工場では,ほぼ同様の割合で各工

程の人員を増加 させていることを意味するように見える.この点は70年代後半についても同

様の作業に●よって確認 してみなければな・らない (図8).

④ 1974-82年の変化

この時期は2度のオイル ・ショックを前後する時期である.自動車 1台当たり所要労働時l

間指数 (前年を100)で見た労働生産性上昇撃は,車種総合で1971年には12.2%の上昇であっ

たが,翌72年には6.5%,74年には1.1%にまで落ち込み,同年生産台数は5.7%の減産となった.

その後外需の大幅な伸び,内需の持ち直ーしにより増産 したが,81年には再び減産となり,同

年ついに労働生産性は6.7%の低下を余儀な・くされるという具合に,自動車メーカーを取 りま

く経営環境が激 しく変動 していた時期である.この間これら調査 された事業所の生産現場に

配置された労働者数を同データによって見れば,1974年は100,416名,1982年は106,317名と殆

ど増えていない.また,各社の労働生産性申上策として,「小集団活動など現場の自主改善」

が高い割合を占めるようになる時期でもある (1978年調査,39ページ,79年調査,73ページ,

80年調査,57ページ).

この時期の最 も顕著な変化は,組立調整の大幅な伸びである.1960年代後半には比率を低

下させたが,70年代に入ってからの伸びがこの時期を通'じて続 き,ついに3割近 くにまで上

昇 した.このような変化を生んだものとして,乗用車比率の高まりに加え,多仕様化,多機

能化等の影響が考えられる.一方,それまで微減を続けてきた機械加工は,75年,78年,79

年に再び増加 し,15%を超える水準にまで回復 した.60年代後半にも大幅な伸びを見せたプ

レス鍍金工程は15%から12%台にまで低下 した.実数値でもこの間4,000名以上減少 している.

なお,機械加工 と組立.調整の各工程の人員数をあわせて見てお くと,機械加工の工程人員数

は1974年19,496名,1982年20,882名で,1,300名程度 しか増えていない.一方,組立調整は

35,698名から46,103名へ と1万名以上の大幅な伸びで,この時期の全工程の人員増を上回る伸

びとなっている.

⑤ 高度成長期から1980年までの変化

以上,自動車を製造する事業所における生産労働者の生産工程別配置人員の変化を考察 し

てきたが,この変化が各メーカー,各工場における配置人員の構成を正確に示すことを意味

するわけでは,もちろんない.製造する自動車が トラックであるか乗用車であるかによって

工場内の人員構成は異なってくるし,部品だけを製造する工場や完成車の組立のみを担当す

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自動車工場に関する一考察

lr:図8 ・各工程の配置人員1974-82(直接部門;間接部門)

35.0%

30.0%

25.0%

20.0%

15.0%

10.0%

207

ー 鋳造

ー 鍛造

ー 熱処理

一米一・プレス板金

-+ 機械加工

ー 塗装

+ 組立調整

- 間接部門合計

㌔ ♂ ㌔ ㌔ ㌔ ㌔ ♂ ♂ ♂

出所)表10に同じ.

注)1981,82年のデータは,鋳造 と鍛造の合計のみ記載されているため,図では省略 した.

割合は5.4% (1981年),5.0% (1982年).

る工場 も存在するからである∴ しか し全体として見れば,日本の自動車製造工場は1960年代

の半ばを画期として,それ以前の工場と大きく異なる様相を示す ものとなったといえる.す

なわち,50年代までは,機械加工,鋳造などシャシーの製造工場をメインとした工場であっ

たのが,車体部品のプレス ・溶接,塗装,総組立 といったボデーをメインとした工場へと変

化 していった.こういった変化の要因として生産台数に占める乗用車比率の高まりと関係が

ある. トラックに比べ乗用車の製造にはより多 くのプレス部品や担当人員を要するというデ

ータは見つけられなかったが,車種の多さ,頻繁なモデル ・チェンジのために,型交換 ・保 、

仝要員等に多 くの人員を抱えるということはありそうなことである.また総組立 (塗装,級

立,調整)工程について言えば,60年代から70年代にかけての小型乗用車の所要労働嘩 間は,

小型 トラックのそれを大幅に上回っている (図9).こうしたことから,乗用車生産では,車

体,総組立等の後工程で多 くの人員を抱えるであろうことが考えられる.

また,車体構造の変化,すなわち軽量化のために,フレームをなくし,車体全体の構造で

強度を出す 「ユニット・ボデー構造27)」や現在の乗用車製造で一般に見られる 「モノコック ・

27)荒井久治 『自動車工学全書 自動車の発達史 (下)』1995年,山海堂を参照した.

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208

時間/台

45.0

5・O

o・0

季刊経済研究 第25巻 第3号

図9 小型乗用車と小型 トラックの所要労働時間 (稀組立部門)

\ ー

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11

9-

9年

9-8年

9--年

9-6年

9-5年

9-4年

9-3年

9-2年

9-

1年

9-0年

969年

968年

96-年

966年

965年

964年

9

6

3

962年

壬 小型乗用車(総組立部門)

=小型乗用車(総組立)

エ 小型乗用車(塗装)

・-x - 小型トラック(総組立部門)

- ・X- 小型トラック(総組立)-●-小型トラック(塗装)

出所)労働省 『労働生産性調査報告』各年度より作成.

注)総組立部 門とは,総組立,塗装,調整 (整備)を合わせたものを 指 す.

ボデー」構造などと呼ばれる車体構造を採用するといった自動車の構造上の変更 も,車体工

場 ・組立工場の拡充につながっていると考えられる28). もちろん,労働集約的な組立工程が生

産台数の増加に対 し,顕著に人員増加 となって表れるという規模の経済性の工程間の差異

(マクシー ・シルバース トーンの研究が知 られる) も反映 している.なお,60年代後半には停

滞ない し微減傾向にあった組立が70年代に再び増加傾向にある点は多仕様化を反映 したもの

であると考えられる.

(2)工場の状況- トヨタ自動車の事例-

ここでは社史,その他調査,報告書により得 られるデータを使って, トヨタの工場の人貞

28)国産の乗用車製造において最初にモノコック構造を開発 ・採用したのは,1958年富士重工業に

よるスバル360である.「当時は, トラックと乗用車と共同のフレームの上に家を建てるように車

体をつくる時代であったが,各部品の軽量化努力と相まらて,このモノコックボディを取り入れ

たスバル360は,軽 くて強い車にまとまり,360ccで lJ車に劣らない走りぶりを示した」(自動車

技術史委員会編 『自動車技術の歴史に関する調査研究報告書』自動車技術会,1994-2000年度,

CD-ROM版).その後1960年代前半から乗用車のボデーで普及していく.なおスバル360の開発

経過については,富士重工業技術人間史編集委員会 『スバルを生んだ技術者たち.』1994年,参照.

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自動車工場に関する一考察 209

構成の特徴を考察する. トヨタについては,以下に示すように,1946年,1958年,1959年,

1965年,1970年の本社工場のデータ,1965年の元町工場のデータが得 られた.まずは時系列

のデータが得られた本社工場について,人員構成の特徴 とそのほかの資料から読みとれる特

徴を指摘する.次に,本社工場と元町工場を比較 し工場としての特徴を指摘する.

① 1946年データ

表11は終戦直後の工員の配属先一覧である.当時の トヨタ自動車の仝従業員は5,191人,そ

のうち工員は79.0%を占める.当時の工場は,現在のような幾つかの異なる工程がまとまって

一つの工場を構成する形式ではなく,生産方法の異なる工程で細か く別れた形式となってい

表11 挙母工場の工程別配置人員 (1946年 4月30日現在)

職 場 工 員男 女 計 % 直接%

直接 鋳 物 工 場 324 177 501 13.9 20.3熱処理 工場 39 7 46 1.3 1.9

鍛 造 工 場 184 15 199 5.5 8.1鍍 金 工 場 23 8 31 0.9 1.3機械第1工場 354 58 412 ll.4 16.7機械第2工場 265 44 309 8.6 12.5機械第3工場 258 66 324 9.0 13.1プ レス工 場 141 15 156 4.3 6.3車 体 工 場 282 43 325 9.0 13.2組 立 工 場 110 4 114 3.2 4.6塗 装 工 場 35 14 49 1.4 2.0

間接 保 全 工 場 167 9 176 4.9刃 具 工 場 61 3 64 1.8試 作 工 場 109 0 109 3.0設 計 課 4 0 4 0.1材料試験 課 41 8 49 1.4製 品検 査 課 59 29 88 2.4資材検 査 課 41 10 51 1.4原 動 課 69 6 75 2.1工具 整 備 課 55 9 64 1.8部 品 課 65 18 83 2.3受 渡 課 112 8 120 3.3資材整備 課 99 29 128 3.5建 築 部 60 0 60 1.7電 気 部 61 8 69 1.9

計 3,018 588 3,606 100.0事務 そ の 他 438 56 494

出所) rトヨタ自動車20年史 j 666ページより 作成.

注)その他の内訳は以下の通 り .

男 女庶 務 課 34 3給 食 課 20厚 生 課 28青年学校 347そ の 他 9

計 438

1l106

31

15

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210 季刊経済研究 第25巻 第3号

るため,先に見た産業全体のデータの工程別配置人員 との対比が可能 となる.

当時の会社組織 は本社 と工場 とに別れてお り,表で 「工場」 となっている ものが製造部 と

して編成 されていた. また 「課」 となっている ものは,本社機構 に編成 され る もので,各課

はそれぞれ工務部,検査部,技術部等の構成組織である. なお, ここでは鋳物工場 か ら塗装

工場 まで を 『労働生産性調査報告』にな らい直接部門 とし,その他 の部 門を間接部 門 として

まとめた.

各工場 の人員構成 をみ る と女子労働者が多数工場 に配置 されていたことがわかる.直接部

門は451人,間接部門には137人が配置 され,直接部門に多 く配置 されている. また各部門の

女性比率 は,直接部門が18.3%,間接部門が12.0%である.直接工程 の中で も鋳物工場や機械

工場 に多 く,直接工程の 4割の女性が鋳物工場 に配置 されている.一般 に,中子取 り作業 に

は女性が配置 されることが多かったようである29)..

次 に男性 を含 めた各工場への配置人員の割合 を見てい く.表の ように,配置 され る人員が

一番多いのは機械工場である.機械工場 は 3つの工場 に分 かれるほ どの規模 をもち,総数は

1,045名,29.0%を占める.次いで多いのが鋳物工場で13.9%となっている.9.0%の車体工場

がこれに続 くが, この工場ではフレームやボデーの溶接やぎ行 われていた もの と思われる.

一方,組立工場 は総数114名,3.2%を占めるのみで非常 に少ない. この工程ではフレームの

上 にスプ リング,車軸, シャフ ト,エ ンジン等 を乗せ,その後配架 されて きたボデーや タイ

ヤ を取 り付 ける工場であ る. これ には,当時ボデーの組立 をボデー会社 に外注 していた可能

性がある30). またプレス工場 について も非常 に少ない数字 となっている.組立,プ レス,溶接

工場の人員が この ように少 ないのは,当時の トヨタでは, シャシーの組立 まで を行 い,車体

の製造 と組立,塗装の最終工程 をボデー ・メーカーに外注 していたことに よる と思 われる.

29)当時の鋳造工場の作業 を解説 したものに以下の記述がある.「型込のさい挿入する 『中子』は,

あらか じめ別に作ってお くが,この中子取作業 も鋳物工場では熔解,型込 とならぶ部門で,ここ

では砂に植物油をまぜ,所定の型に入れ,中子を取 り,これを櫨で じゅうぶん乾燥 させるまでの

作業を塘当するが,作業の性質上,女子を使 う場合が多い」自動車産業経営者連盟 F自動車の生

産と労働強度』1950年,22ページ.

30)当時の組立加工の作業内容を解説 したものに以下の記述がある.「組立はシャシー ・メーカー

では,中間組立,総組立,整備の三部門に大別することが出来る.自動車は単位に分割すれば次

のようになる.

1.フレーム 2.エ ンジン 3.変速機 4.推進軸 5㌦前車軸 6.後車軸 7.操向

装置 8.ラジエーター 9.ダッシュボー ド 10.ボンネット,フェインダー廻 り 11.運転

室 12.荷梶

このうち,シャシーメーカーは運転毒 と荷梶 (バスにあってはバス ・ボデー)のいわゆるボデ

ーは自社で製作 しないで,ボデー曾社で作 らせる場合が多い.国内のメーカーも全部そうである

し,アメリカの場合 も,運転董だけは社内で製作 している場合 もあるが,普通この二者は作って

いない場合がかなり多い.いわゆるボデーは需要者の注文,好みに療 じていろいろの形や大 きさ,

あるいは塗装等が異なることが多いからである」同上27ページ.

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自動車工場に関する」考察 211

なお間接部門の割合は31.6%である.

以上の各工程における配置人員の構成を 『労働生産性調査報告』の1954年の数字と比較 し

てみると,いくつかの似通った特徴を兄いだすことが出来る.第 1に,機械加工工程の人員

が トヨタ29.0%,労働統計26.0%でともに最も高い.第2に,鋳造工程の人員 もともに高い.

トヨタが13.9%,労働統計が9.6%となっている.第3に, トヨタの組立工程の人員が少ない.

トヨタが3.2%,労働統計が12.2%である.第4に,プレス板金工程については, トヨタの車体

工場 とプレス工場を合わせた数字は13.3%,労働統計8.5%であ り,その後の工場 と比べそれ

ほど高 くはない,といった点である.

このように,この時期の トヨタの工場には1954年の全工場データに類似する特徴が見出さ

れる.高度成長期以前の自動車製造工場は,この時期の トヨタの工場に似た構成をもってい

たと考えられる.

② 1958年のデータ

表12は,表11と同じく社史から作成 したものである.各工場に所属する従業員は事務員,

技術員,作業員があるが,そのうち作業員の中から各工場の事務課所属の作業員を除いた数

字を計算 した.そのため,直接生産労働に従事する作業員の実数に近いデータとなっている.

最 も多くの人員を擁する工場は機械工場である.しかし人員は先のデータでは1,000人以上

であったが,400人以上減少 している.・他のすべての工場は人員を増やしているから,この時

期までにこの工程で特に大 きな変化があったことが推測される.この時期は一般に機械加工

工程の合理化が顕著であり,シリンダーブロック加工用の トランスファーマシンが1954-5

年頃から導入されたことが知られているが,それ以外の部分加工用のものも各種の専用機が

導入されたようである.先の自動車産業経営者連盟 『自動車の生産と労働強度』によれば,

1950年頃の機械加工工程では,機械をできるだけ流れ方式による品別工程順に配置 してあり,

旋盤は旋盤ばかりを集め,フライス盤はフライス盤だけを集めると言った方式はとっていな

表12 トヨタ自動車の工程別配置人員 (1958年 3月31日現在)

部 作業員 (事務課作業員を除 く)男 女 計 %

工 務 部 276 2 278 9.9

検 査 部 247 9 256 9.1

鋳 物 工 場 486 38 524 18.6

鍛 造 工 場 216 2 218 7.8

機 械 工 場 604 9 613 21.8

車 体 工 場 575 6 581 20.7

総 組 立 工 場 316 24 340 12.1

出所) 『トヨタ自動車20年史j667ページより作成.

注)%は作業員全体に占める各部作業員の比率.

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212 季刊経済研究 第25巻 第3号

いが,それは主要なものであり,小物部品はこの方式によるロット加工が多 く,従って工作

機械も汎用機が多かったようである31). これらもサブ ・ラインとして整備されていったものと

思われる.

鍛造,車体,総組立の各工場はそれぞれ100人から200人程度人員を増や している.一方鋳

物工場は殆ど増員 していない.特に鋳物工場では沢山の女性が配属 されていたが,それらも

男性作業員に置 き換えられている点が注目される.この間の女性作業員 (事務員を除く)数

は,1946年8月883人,人員整理前の1945年4月608人を・数え,人員整理により翌月392人,そ

の後54年11月でも301人を数えていた32). この時期まで鋳造工程は機械加工 と並び設備合理化

が顕著であったことが知 られてお り,その中で男性中心の職場に置 き換わっていったものと

思われる.他の工場での女性の人数も殆どが一桁となっている.

当時の本社工場の生産の流れ及び各工場の配置を示 したものが図10である.機械工場,車

体 ・プレス工場,鋳物工場,塗装工場が大 きなスペースを占めてお り,総組立工場は必ず し

も大きいとはいえない.また第4機械工場では,タイヤ,ホイールが搬入され,足廻 りの組

付けが行われてお り,それが総組立工場に運ばれ塗装を終えたボデーと接合されている. こ

のことは当時の乗用車がいわゆる 「モノコック ・ボデー」ではなく,フレームの上にボデー

を架装する構造であったことを示 している.

図10 製造工程図

銑 鉄

コークス

石灰石

砂・土

出所)『トヨタ自動車20年史』659ページより作成.

注)1958年11月1日現在.

簡略化のために,機械修理工場,めっき工場,木型工場は省略した.

31)同上,25-6ページ.

32)『トヨタ自動車20年史』663ページ.

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自動車工場に関する一考察 213

③ 1959年データ

表13は日本人文科学会が調査 した報告書のデータである.ここでは臨時工の人員が集計 さ

れている.臨時工は1956年 7月から採用が開始された.この3年間の間に臨時工の人数は工

場全体の3分の 1を占めるまでに増大 している.特に機械工場,鋳物工場に多 く配属 されて

いる.正規の作業員の人数を前年のデータと比較すると鋳物,鍛造,機械の各工場では殆 ど

変わっていないが,車体,総組立工場で大 きく減少 している.これは新たに建設稼働 した第

3製造部 (元町工場)へ移った人員 とほぼ等 しく,新鋭の自動車組立工場-本社工場から異

動 したものと考えられる.

表13 本社工場の人員構成 (1959年 9月)

部 男 女 計 %

工 務 部 269 78 347 8.1

品 質 管 理 部 246 106 352 8.2

鋳 物 工 場 562 250 812 18.9

鍛 造 工 場 216 89 305 7.1

機 械 工 場 661 309 970 22.6

車 体 工 場 378 153 531 12.4

総 組 立 工 場 178 119 297 6.9

第 3 製 造 部 341 331 672 15.7

出所)日本人文科学会 r技術革新の社会的影響J束京大学出版会,35ページよ

り作成.

注)第三製造部とは元町工場を指す.この時期組立 ・塗装工場,ボデー工場,

アルミ鋳物工場が稼働している.

④ 1965年のデータ

ここでは本社工場 と新たに建設された乗用車専門工場である元町工場 を人員構成の点から比

較 してみる (表14).この時期には本社工場で製造する車種構成比は,小型 トラック ・バスが

85.3%,特殊車8.4%,普通型 トラック6.3%となってお り,乗用車の生産は全て元町工場で行

われるようになった.この年の生産実績は本社工場が241,492台,元町工場が236,151台であっ

て,生産規模の点では両工場は同水準の工場である33).

元町工場には鋳造工場,鍛造工場が存在 しない.それは乗用車用の鋳造,鍛造部品を本社

工場から供給する仕組みになっているためである.元町工場へは,その他にエンジン,フレ

ーム,ボデーの一部 も供給 されていたようである. したがって1959年データに比べ,本社工

場のどの工程 も人員は大幅に増加 している.また比率に関 して言えば,鋳造,鍛造の両工程

の人員比率は,先に示 した産業全体の数値に比べ高い値 となっている.なお工務部の人員は

33)『トヨタ自動車30年史]資料より算出.

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214 季刊経済研究 第25巻 第 3号

表14 トヨタ自動車の工程別配置人員 (1965年 4月30日現在)

部 作業貝 (組長クーラス以下の職制を含む)本工 見習工 計 %

工 務 部 70 8 78. 1.5

鋳 物 工 場 1,162 241 1,403 26.2

本 鍛 造 工 場空 機 械 工 場 659 154 813 15.21,224 271 1,495 28.0

場 車 体 工 場 825 216 1,041 19.5

総 組 立 工 場 424 91 515 9.6

知 多 鍛 造 部 0 0 0 0.0

計 4,364 981 5,345 100.0

工 務 部 304 117 421 4.4

検 査 部 312 111 423 4.5

元 車 体 技 術 部聖 機 械 部 365 110 475 5.01.935 833 2,768 29.2

場 車 体 部 1,755 747 2,502 26.4

第 1 組 立 部 1,158 520 1,678 17.7

第 2 組 立 部 820 386 1,206 12.7

出所) トヨタ自動車工業 『品質管理実状説明書』 (1965年 6月20日)本社工場編 4ペ

ージ,元町工場編6ページより作成.

注)%は作業員全体に占める各部作業員の比率.

臨時工は1965年の制度改定により見習工となった.

59年のデータでは347名を数えたが,この時期には78名にまで減少 している.工務部はそれま

で計画課,査業課 (作業 日報にもとづ く各工程の実績時間の調査解析)に加え,資材管理

(倉庫業務),受渡,動力,建築営繕 といった製造補助的な各課が存在 していたが,これらが

各工場へ移管されたことによる変化である.この時期工務部は,事務課,日程課,品質課の

3課で構成されてお り,それらの業務は本社工場における作業員の配分,工場各部の原価資

料の作成,製造各部への仕掛計画の提示,組付指示,購入部品の納入指示等の進行計画 ・管

理業務,品質情報の収集,解析 となっている34). 工務部は,いわば本社工場全体のコントロー

ル ・センター的な業務に専念するようになったといえる.また本社工場には検査部が存在 し

ないが,これは各部で工程内検査 を行っているためである.

両工場の作業員数を比べると,元町工場の作業員数は生産台数実績では本社工場 より少な

いにも関わらず,2倍に近い9,473名となっている.特に車体,機械,組立の各工場では2,000

を超える人員を抱えている.元町工場の組立作業に従事する人員は本社工場の 5倍 を超える.

生産台数が殆ど同じであることから考えると非常に大きな違いであ.る.

また元町工場では本社工場に比べ,非熟練工である見習工に大 きく依存 している点が特徴

的である.特に車体,機械,組立工場に多 く配属 され,これら3つの工場はどれも30%が臨

34)『品質管理実状説明書 (本社工場)』1965年,9ページ.

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自動車工場に関する一考察 215

時工によって担われている.これは トラック工場に比べ,1960年代以降新たに建設された乗

用車専門工場の車体,機械,組立工程では熟練労働者を必要としない工程が増えていること

が考えられる.

⑤ 1970年のデータ

本社工場について,その後の変化を確認 してお く (表15).1970年までに トヨタ自動車では

新たに上郷工場 (65年),高岡工場 (66年),三好工場 (68年)が完成 し稼働 を開始 した.そ

のため技能員が本社工場から各工場へ転出した.上郷工場はエ ンジン, ミッションの専門工

場 として建設され,鋳造工場 と機械工場がある.ここで製造 されるエンジン, ミッションが

組立工場を備える元町工場,高岡工場,他の車体メーカーへ送られる35). 高岡工場はカローラ

単一車種の量産アセンブル工場であ り,上郷工場からエンジン, ミッションを,元町工場か

らサスペンション, リア-アクスル,三好工場からプロペラシャフ ト,ステアリングを供給

され完成車を製造する.この工場にはプレス,ボデー,組立の工場がある.このような他 工

場への転出により,本社工場の作業員は表のように65年から1,300人以上減っている.なお本

社工場では新たに検査部が設置されているが,これは材料,粗形材の受入検査 を担当する部

署 として本社機構から分離 して設置されたものであ り,購入部品の受入検査や工程内検査は

各工程で行っている.

表15 トヨタ自動車の工程別配置人員 (本社工場)

部 技能員本工 見習工 計 %

工 務 部 9 1 10 0.3

検 査 部 40 1 41 1.0

鋳 造 部 1,220 45 1,265 31.7鍛 造 部 557 21 578 14.5機 械 部 937 46 983 24.7車 体 部 646 100 746 18.7総 組 立 部 354 10 364 9.1

知 多 鍛 造 部 0 0 0 0.0

計 3,763 224 3,987 100.0

出所) トヨタ自動車工業本社工場 『品質管理実状説明書 (デミング賞委員会に

よる品質管理実施状況調査)j(1970年 9月)より作成.

注)%は技能員全体に占める各部技能員の比率.

⑥ 戦後の工場o?変化

以上のことから幾つかの点が指摘できる.

35)『品質管理実状説明書 (上郷工場)』1-3ページ.

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216 季刊経済研究 第25巻 第 3号

第 1に,終戟直後の自動車工場は人貞構成の点か らいえば,機械加工や鋳造等の租形材製

造のウエイ トが高 く,組立の占めるウエイ トは小 さい.ボデーの製造は外注 されることが多

いためである. 自動車工場は現在の乗用車専門工場のようにアセンブルをメインに構成 され

ているというより,エンジン,足廻 り部品を工作機械で製造 し,シャシーの状態 までを製造

するシャシー ・メーカー というべ き体裁をとっていたといえる.また50年代 までは乗用車 と

トラック,特殊車両が一つの工場で製造されていた.

舞 2に,1960年代以降に建設 された乗用車専用工場では,ボデーの溶接組付 を行 う車体工

場,フレームにエンジン他各種部品を取 り付ける総組立工場が人員構成上大 きなウエイ トを

占めていた.乗用車製造工場では トラック工場に比べ,生産台数に比 して車体製造工程,級

立工程で多 くの人員を抱 えていた.また臨時工等の非熟練労働力に依存する度合いが高い点

も, トラック工場 とは異なる特徴 を有 していた.

補① 1977年,1982年のデータ

表16は,1977年および1982年の トヨタ全工場の工程別配置人員 を示 したものである.表14

も当時の全工場の工程別配置人員を示 したものであるから,両者の比較によりトヨタの全工

場における労働力構成の変化 を考察できる.また同時期の 『労働生産性調査報告』のデータ

も合わせて示 しておいた.これとの対比によりトヨタの工場の特徴 についても考えてみる.

表16 工程別労働力構成

工程 トヨタ 全完成車メーカー1965年 1977年 1982年 1977年 1982年

人員 比率 人員 比率 人員 比率 人員 比率 人員 比率

鋳 造 1,403 10.1 1,800 8.3 1,650 7.0鋳造 6,705 6.6鋳造.鍛造 7,850 7.4

鍛 造 813 5.93,543 25.5 600 2.8 500 2.1鍛造 1,148 1.1熱処理 1,615 1.5プ レ ス 2,200 10.1 2,700 11.4熱処理 1,774 1.7 プレス.鍍金 19,200 18.1

ボ デ ー 3,600 16.6 3,250 13.7 プレス.鍍金 21,378 20.9 うち溶接 8,053 7.6

機 械 4,263 30.73,399 24.5 6,400 29.4 5,800 24.5機械加工 19,181 18.8機械加工 20,882 19.6

成 形 250 1.1 900 3.8塗装 10,918 10.7塗装 10,667 10.0

総 組 立 6,200 28.5 6,950 29.4組立.調整 41,007 40.2計 102,111100.0組立.調整 46,103 43.4

そ の 他 475 3.4 700 3.2 1,900 8.0 うち溶接 5,099 4.8

計 13,896100.0 21,750100.023,650100.0 計 106,317100.0

出所)小山陽一価縮 r巨大企業体制と労働者』127ページより作成.

原資料は, 『週刊 トヨタ』1977年6月7日号,1982年7月1日号.

注 1)1977年の 「その他」の内訳は,元町工場メッキ職場350名,下山製造部350名.下山工場では1980

年の r会社概況によれば,エンジン,および排ガス対策部品を製造しており機械加工,プレス,

溶接の工程がある.

1982年の 「その他」の内訳は,衣浦鋳造 ・鍛造職場900名,田原ボデー・塗装400名,田原プレス・

ボデー550名である.

注2)組立 ・調整には,エンジン組立,ミッション組立,ボデー組立を含む.

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自動車工場に関する一考察 217

1977年および82年の トヨタのデータは, トヨタ自動車労働組合が大会代議員の定数を各職

場ごとに組合員50名に 1名の割合で選出していることに着目して辻勝次教授が推定 したもの

である.ユニオンショップ制を採用する トヨタでは,職場別代議員定数は職場別労働者数36)

に比例 してお り,代議員定数に50を掛けることで各職場別労働者数が推定できる.なお,現

場配属の技術員,事務員も各職場の基礎数を構成 しているため,純粋に技能員のみの数字で

はない点は注意を要する.

1965年と77年の労働力構成を比較すると,鋳造,鍛造では割合を減少させている.特に鍛

造では人員が200人以上減少 してお り,外注化が進められた可能性がある.プレス,ボデー溶

接は人員を大幅に増やしてお り,割合 も若干増や している.車体製造はこの間に多車種化に

対応するための型段取 り時間の効率化が進められたことが知 られているが,それでも型交換

に伴 う人員増加,プレス機の保全関係の人員増は避けがたい傾向であったと考えられる.機

械加工では人員は大幅に増や しているが,割合は若干減らしている.一方,総組立は完成車

メーカー全体の傾向と同様に,人月,割合ともに大幅に増やしている.

次に,完成車メーカー全体 とトヨタの工場の人員構成を比較 してみると, トヨタでは機械

加工により多 くの人員が配置されている点が注目される.1977年の トヨタのデータでは,機

械加工の人員が総組立の人員を上回っている.全体的な傾向と比べると, トヨタでは機械加

工により多 くの人員が配置されていたことになる.これはエンジン, ミッションのサブ ・ア

ツセンブリが機械 (職場)の人員 として計算されていること,また トヨタの機械工場では保

全係や運搬係などの間接部門の人員が多数含まれているためと考えられる. トヨタの1977年

から82年の機械および総組立の変化をみると,総組立は人員を増や しているが,機械では大

きく減少 している.この点は先の労働統計に見る仝メーカーの工場の人員構成の変化と共過

する特徴を示している.

最後に工務 ・検査部門では,この間に非常に人員を増やしている点が注目される.直接部

門全体に対する工務 ・検査部門人員の比は,65年が6.6%であったが,77年には21.1%,82年

には24.9%にまで上昇 している.工務と検査が一緒に集計されているため,工務部門について

正確なことは言えないが,自動車製造工場が機械の修理 ・保全に多 くの人員を抱える工場へ

と変化 していった可能性がある37).

36) トヨタ自動車労働組合では,課長以上が非組合員となっている.

37)この時期は,ME技術が普及し,自動車工場にはNC工作機械,溶接ロボット,自動搬送機が大

量に導入され始めた時期であり,生産現場における職種構成にも変化が見られた.一般的な状況

については,剣持-巳 『マイコン革命と労働の未来』日本評論社,1983年.また近年の動向とし

ては,小松史朗 「自動車製造における労働の変質と新たな能力形成一直接生産作業者のTPM ・保

全業務への進出と能力形成-」r立命館経営学j第41巻第2号,2002年7月.

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218 季刊経済研究 第25巻 第3号

補② ボデーの構造上の変化と総組立工場- トヨタ自動車と日産自動車-

自動車工場の変化の中で総組立工場の比重が高まって くるのは,何 も最終組立までを製造

し完成車 として出荷する乗用車比率の高まりだけによるものではない.乗用車の車体構造の

変化 といった問題 も関係 している.一般に車体構造は,大 きく分けるとフレーム付 き構造 と

モノユツク構造に分けることができる.フレーム付 きの車体構造では,骨格の役目をもつ厚

板のフレームにエンジン,サスペ ンション等足廻 り部品を組付けてシャシーをつ くり,それ

を総組立工場でボデーと接合する製造工程 となるのに対 し,モノコック構造ではエ ンジン,

サスペンション等のシャシー部品を直接ボデーに取 り付ける製造工程をとる.そのためモノ

コックの場合,前工程の足廻 り部品の組付は総組立の儀装ラインであわせて行 うことになる.

したがって,モノコックでは総組立工程の工数はフレーム付 き車体構造に比べ増加する.

この場合,タク トタイムを長 くとる方法があ りうるが,それでは量産の効果が発揮できな

いし,同じ量を生産するためには2本のライーンを用意 しなければならない.そのため,ライ

シを延長 しステーションの数を増やすことが広 く行われるようになった.

総組立ラインについての山本潔の聞き取 り調査によれば, トヨタ,日産及びC社の総組立ラ

インは表17のようになっていた.A社が日産,B社が トヨタである. トヨタでは,1966年に稼

働 したT工場の総組立ラインで早 くも1,000mの長いラインが採用されている.一方,日産では

1961年稼働開始の0工場,同じく72年のT工場ではいずれのラインでも5-600mの短いライン

を採肝 している.日産の 「会社案内」によれば,1978年においてもシャシーの上に内装 した

ボデーを装着する方法で製造 していたようであるから38),この時期に至るまで一般的な量産自

動車にモノコック構造を採用 していなかったことを示 している.先の乗用車専門工場0工場は,

米国G・B社に 「工場の レイアウ トを依頼」したものであった.車体の製造,それと関わる新

しいタイプの総組立工場の建設において,日産は自前での製造経験 に乏 しく, トヨタに大 き

表17 自動車各社の組立ラインの基本特徴

企業 ライン 生産能力 タク ト(サイクルタイム)(C) ラインスピード(d) 1人当たりの作業範囲(e-cXd) 組立ラインの長さ(f) l直当り要員(片側×2)(g=f+ex2)モデルとした工場 ;稼働開始年月 ;月間出勤 日数 ;1日実働時間月間(a) 1日1直(b )

A杜 Ⅰ 10,000台(2直) 200台 2.4分 2.60m′分 6.25m 500m 80×2人 0工場;1961年11月;24.5日;8時間

Ⅱ 12,000台(2直) 268台 1.9分 3.16m′分 6.00m 600m 100×2人 T工場;1972年11月;22.6日;8.5時間

班 20,000台(2直) 500台 58秒 5.73m′分 5.50m 1,000m 167×2人 :1984*10月

B杜 Ⅳ 5,000台(1直) 200台 2.4分 2.09m′分 5.00m 400m 80×2人 M工場;1959年8月;24.5日;8時間

Ⅴ 20,000台(2直) 417台 1.0分 5.17m/分 5.17m 1,000m 193×2人 T工場;1966年12月;20.1日;8時間

出所)山本潔 r日本における職場の技術 ・労働史J東京大学出版会,300ページより作成.

同著 F自動車産業の労資関係』東京大学出版会,1981年 , 102ページ以下より補足.

38)山本潔 『日本における職場の技術 ・労働史1854-1990年』東京大学出版会,287ページ.I

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自動車工場に関する一考察

く遅れをとった工場を採用 し続けていたことを,このことは示 している39).

5 おわりに

219

本稿では,戦前から高度成長期 を経て,1980年ころまでの自動車工場の変化を特に工程別

の人員数の変化 という視点から検討 してきた.その結果,上述 してきたような変化を見るこ

とができた.自動車工場は,時代 とともに大きく変わっていたのである.

人員数の変化は自動車工場の変化の結果であって,本来はそうした変化を生み出してきた

条件を明らかにしなければならない.需要構造,技術革新,技術そのものの変化,部品調達

方針,労使関係などさまざまな要素が関わっている.また,同 じ時代であっても自動車工場

はメーカーによって異なってお り,一様ではない.こうした違いがそれぞれのメーカーに与

えた競争力などについても検討する必要がある.こうした点については,今後のわれわれの

課題 としたい.

(2002.ll.29 受理)

39)同上303-4ページ参照.