魂晋風潮語論 - 広島大学 学術情報リポジトリ...魂晋風潮語論...

16
魂晋風 はじめに 『世説新語』およびその劉孝標注に引く 的に見られる語がある。 本稿では'魂より西晋を経て'東書に定着す 理」「玄遠」の語へ それに「道」「簡」 わせてとりあげへ これらの語が東晋風潮の重要語と 程を説明するとともにへ これら一連の語が『易』や『老 子』『荘子』へあるいは仏と関わり'これに通じている者を 「風流者」「名士」ということを明らかにする。 引用書は楊勇『世説新語校等』(正文書局)を用いるO資 料の提示は時代順とし、Aは貌t Bは西晋、Cは東晋へ た時代の中は話題主の五十音順とする。なお括弧内の算用 数字は'使用する引用書に付されたものによる。 「清言」 長谷川 A (何)曇は活言を能くLへ而 の談士へ多く之を宗尚す。(文学 妾は少-して異才有り'善-易老を談 氏春秋』) B (王済は)任間才有り、活言を能くす 公賛』) B楽令(楽広)は活言に善きも、手筆に長ぜず。 C(般)浩は老易を善くLへ活言を能くす。(文学2 別伝』) C謝鎮西(謝尚)少き時、般浩の清言を能くするを聞く。 故に往きて之に造る。(文学28) C兄の子の(般)浩も亦た清吉を能くLへ毎に浩と談ず。(文 学74注引『中興書』) C (悲)過と (般)浩と並びに活言を能くす。(品藻3 C昨夜、股(浩)・王(導)の矧首を聴くに'甚だ佳なり。 (文学2 2) ^^SPBH^KSfl C殿中軍浩嘗て劉声(劉快) の所に至り清言す。良久しく

Upload: others

Post on 04-Jan-2020

0 views

Category:

Documents


0 download

TRANSCRIPT

Page 1: 魂晋風潮語論 - 広島大学 学術情報リポジトリ...魂晋風潮語論 『世説新語』およびその劉孝標注に引く講書には'特徴はじめに 的に見られる語がある。

魂晋風潮語論

はじめに

『世説新語』およびその劉孝標注に引く講書には'特徴

的に見られる語がある。

本稿では'魂より西晋を経て'東書に定着する「清言」「名

理」「玄遠」の語へ それに「道」「簡」「高」「遠」「談」の語をあ

わせてとりあげへ これらの語が東晋風潮の重要語となる過

程を説明するとともにへ これら一連の語が『易』や『老

子』『荘子』へあるいは仏と関わり'これに通じている者を

「風流者」「名士」ということを明らかにする。

引用書は楊勇『世説新語校等』(正文書局)を用いるO資

料の提示は時代順とし、Aは貌t Bは西晋、Cは東晋へ ま

た時代の中は話題主の五十音順とする。なお括弧内の算用

数字は'使用する引用書に付されたものによる。

一 「清言」

長谷川 滋 成

A (何)曇は活言を能くLへ而して当時の権勢なり.天下

の談士へ多く之を宗尚す。(文学6注引『文章叙録』)

妾は少-して異才有り'善-易老を談ず。(同上注引『貌

氏春秋』)

B (王済は)任間才有り、活言を能くす。(言語2 4注引『普諸

公賛』)

B楽令(楽広)は活言に善きも、手筆に長ぜず。(文学1 0)

C(般)浩は老易を善くLへ活言を能くす。(文学2 7注引『浩

別伝』)

C謝鎮西(謝尚)少き時、般浩の清言を能くするを聞く。

故に往きて之に造る。(文学28)

C兄の子の(般)浩も亦た清吉を能くLへ毎に浩と談ず。(文

学74注引『中興書』)

C (悲)過と (般)浩と並びに活言を能くす。(品藻3 3注)

C昨夜、股(浩)・王(導)の矧首を聴くに'甚だ佳なり。

(文学2 2)

^^SPBH^KSfl

C殿中軍浩嘗て劉声(劉快) の所に至り清言す。良久しく

Page 2: 魂晋風潮語論 - 広島大学 学術情報リポジトリ...魂晋風潮語論 『世説新語』およびその劉孝標注に引く講書には'特徴はじめに 的に見られる語がある。

V

I

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

-

して'股の理小しく屈するも'遊辞すること巳まず。(文

学3 3)

C(段)仲堪 恩理有りて'清吉を能くす。(文学6 3注引『普

安帝紀』)

C(王)濠 性は和暢'活言を能-す。道を談じて理中を

貴び'簡にして会する有り。古賢の践黙の際を両署する

に、辞旨は勅令にして'往往 高致有り.(賞誉柑注引『王

濠別伝』)

C長史(王濠)諸賢来たりて矧討列O(文学5 3)

C謝太停(謝安)未だ冠せざるに'始めて西に出で'王長

史(王濠) に語りて、清言すること良久し。(賞誉76)

3

J

J

C劉声(劉快)は王長史(王濠)の許に至りて矧討引.(品

藻48)

C許諭は清吉を能-す。(言語7 3注引『普中興書』)

C司空の顧和は時賢と共に活言す.(夙慧4)

C(謝)玄は活言を能-Lへ名理を善-す。(文学4 1注引『玄

別伝』)

C(祖)調の諸母三見は'最も行操を治めへ清言を能くす。

(徳行26注引王隠『普書』)

C(斐超は)少-して適才有りO従兄の (蛋)紙は之を器

質し'与に矧劃引毎にへ日を柊へ曙に達す。(雅量11注

引『晋諸公費』)

.

1

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

w

*

C真長(劉佼)は之を上坐に延き'清言して日を禰ふO(文

学53)

C (桓温は劉燐に)直だ云ふ'長衣を垂れへ活言を談ずる

副へ責に是れ誰の功ぞとo(排調24注引『語林』)

「清言」の用例が東晋に圧倒的に多いのは'一目瞭然で

あり'「清言」をいうときは'「能くす」「善し」「談ず」の語を

用いることに注目したい。「活言す」は上の三つでいえば、

「談ず」に通じるであろう。

「清言」とは'同じ文中の「善く易老を談ず」「老易を善

くす」よりするとへ『易』や『老子』を巧妙に'談論するこ

とである。またへ「恩理有り」「名理を善くす」よりするとへ「清

言」には「理」がある。その「理」は『易』や『老子』の

「理」である。要するにへ「清吉」は『易』や『老子』をい

いへ それは「活き一言」として認識されたのである。

「活」の字は人柄や性格に多く用いられる。そのいくつ

かを列挙する。活妙・活識・活通・活高・活慎・活粋・清

雅・清和・清惜・清才・清新・活誉・活淡・活遠・清標・

活暢・活悟・活貞・清心・活尚・活徹・活貴・清正・活平

などがあり、またへ次のようにも用いる。

A(山活は阪成を)目して日はく'矧矧寡欲にして'万物

も移す能はざるなりと。(質誉12)

B (衛)蹄は虚令の秀へ清勝の気有り.(識碧8注引『珊別

伝』)

B(鄭沖は)核練の才有りO矧矧寡欲にして'喜んで経史

を論ず。(政事6注引王隠『普書』)

C(檀)胤は少くして矧矧有り。惜過を以って称せらる。(文

Page 3: 魂晋風潮語論 - 広島大学 学術情報リポジトリ...魂晋風潮語論 『世説新語』およびその劉孝標注に引く講書には'特徴はじめに 的に見られる語がある。

学畑注引『中興書』)

C(花)宣は少くして隠遊を尚び'予章に家Lへ矧矧を以っ

て自ら立つ。(棲逸1 4注引『続普陽秋』)

「寡欲」「虚令」「悟退」「隠遊」の語とあわせ用いられるこ

とよりして、これら「活」の字は老荘風の人柄や性格を表

わすようである。

さて'前出の資料のうち『王濠別伝』には「清言」に関

わる語が集中的に現われる。「道を談ず」「理中を丸山ぶ」「簡に

して会する有り」「高致有り」 である。ここではこのうち

「道」「簡」「高」の字をとりあげて、検討する。

まず「道」をとりあげる。

A (王)弼は道を論じへ約美は妾に如かず.然るに自然出

抜は之に過ぐ。(文学7注引『貌氏春秋』)

B王平子(王澄)は大尉(王桁)を目すらく'阿見は形は

ilf5J2

道に似るも、神鋒は太だ岱なりとo(賞誉2)

B矢はざれば則ち大道に同じ。(文学32注引向子期郭子玄

「迫遥義」)

B唯だ(玩)成の1家は矧を尚びて事を棄てへ酒を好みて

貧し。(任誕10注引『竹林七賢論』)

C余(孫繕)は少くして老荘の薗を慕ひ'其の風流を仰ぐ

こと久し。(言語84注引「遂初賦叙」)

C (王)述は道を体して清梓、簡血只静正なり0倍然として

自足しへ非類に交はらず。(貿誉62注引『晋陽秋』)

これらはすべて『易』『老子』にいう「道」「大道」である。

それは「自然」「泊道義」「事を棄つ」「恰然として自足す」「非

類に交はらず」などの語によって、知ることができる。た

だし次に挙げる「遺」は『易』や『老子』のそれではない。

 

 

 

_

C僧法深は(中略)内に法網を持し'外は具臆を允し、道

を弘むるの法師なり。業慈清浄を以って、風塵に耐へず。

(徳行30劉孝標注)

C声間とは四講を悟りて道を得るなり。縁党とは因縁を悟

りて鳳を得るなり。菩薩とは六度を行ひて潮を得るなり。

然らば則ち羅漢 道を得るは'全く仏教に由る。(中略)

故に剣淵叫を以って名と為すなり。(文学37注引『法華

経』)

C経歴語は秦には浮名と言ふ。蓋し法身の大士にして'此

けんきよ

の土に見居Lへ以って鳳を弘むるなりO(文学50注引僧肇

『注維産経』)

C何充は性 仏風を好みへ仏寺を崇惰Lへ沙門に供給する

に百を以って数ふ。(中略)充の弟 準も亦た精勤し、唯

のみ

だ仏教を読みへ寺廟を営治する而巳。(排調51注引『晋陽

秋』)これらはへ その証左となる語を挙げるまでもなくへ すべ

て仏教の「道」「大道」である。

「遺」はこのように『易』や『老子』のほかへ仏教にも

用いられる。元来『易』『老子』の語であった「道」を'仏

教の「道」'に用いるようになったのは'後漢の明帝(在位

五七~七五)時の侍毅の言にみえる。

Page 4: 魂晋風潮語論 - 広島大学 学術情報リポジトリ...魂晋風潮語論 『世説新語』およびその劉孝標注に引く講書には'特徴はじめに 的に見られる語がある。

漢の明帝は夜神人を夢みるに'身に日光有り。明日へ博

く畢臣に問ふ。通人の侍毅対へて日は-'臣聞-'天竺

の遺有る者へ号して仏と日ひ、軽挙して能く飛びへ身に

日光有り。殆ど将に其の神ならんとすと。(文学23注引『牟

子』)「遺」を有する者を「仏」とする資料としては'これは

おそらく早い時期のものであろう。

なお、ここにいう「道」を有する「仏」は、仙人風であ

る。次に示す資料よりすると、古-中国では「仏」は仙人

に近い者として意識されていたのではあるまいか。

百家の中を歴観Lへ以って相ひ検験するに、紬を得る者

は百四十六人。其の七十四人は'巳に仏経に在り.故に

撰して七十を得へ多聞博識の者を以って退観すべし。(同

上注引劉子政『列仙伝』)

またへ仙人に「遺」を用いる資料として'次のものがあ

る。或

いは云ふ'匡俗は道を仙人に受けて、共に其の嶺に遊

ぶ。遂に室を崖唖に託し'巌に即き館を成す。故に時人

n*

謂ふ'神仙の塵と為して馬に命ずと。(規故24注引『遠法

師原山記』)

要するに、「道」は古くは『易』や『老子』、また神仙に

も用いられ'それは東書にも引きつがれるが'仏教の 「道」

は後漢にみえるが'東晋に至って頻度を増すことになる。

次に「箇」をとりあげる。

「簡」には簡正・簡切・簡暢・簡令・簡長・簡素・簡畷

・箇秀・簡脱・簡穆・箇至・活簡・平簡・通箇・弘簡・沈

簡などがありへ次のようにもある。

A(苛)条は矧矧へ常人と交接せず.交はる所はl時の俊

傑なり。(惑溺2注引『粂別伝』)

B(王)戒は性は簡要へ儀望を治めず。自ら過す右こと甚

だ薄し。(倹缶3注引『普請公焚』)

B(王倫は)醇粋矧過にして'老荘の学を貴び'心を用ふ

ること淡如たり。老子例略・周紀を為る。(排調8注引『王

氏家譜』)

B (謝)鰹は性は通簡'老易を好み、音楽を善くLへ琴吉

を以って業と為す。(文学20注引『胃腸秋』)

これらの 「簡」もおおむね人柄や性格を評する語で'同

じ文中の語よりすればへ その人柄・性格は「老易」「老荘」

と深く結びついた超俗のそれである。劉孝標は「簡」 の典

故として次のものをあげる。

sra

易の名為るや'〓昌にして三義を函む。簡易は一なり。

変易は二なり。不易は三なり。(郡玄『易』序)

乾は確然として人に易を示す.坤は隠然として人に間を

示す。(『易』繋辞下)易は則ち知り易く'矧は則ち従ひ

易し。(『易』繋辞上)

易矧にして天下の理を得る。(『易』無辞上)人文を観て

天下を化成す。(『易』責)

出典からわかるように'これらは『易』 の語である。「簡」

Page 5: 魂晋風潮語論 - 広島大学 学術情報リポジトリ...魂晋風潮語論 『世説新語』およびその劉孝標注に引く講書には'特徴はじめに 的に見られる語がある。

は「易」とともに乾坤の特質であり'天下の 「理」 である。

天下の「理」なる「簡」「易」を体得するとへ人倫の秩序が

わかり'天下を教化することができるという。「理」は理法

・法則の意O「簡」は簡省・簡単へ「易」は易略・平易の意で'

ともに知り易く、従い易い'簡単で平易.言い換えれば校

雑でもな-'困難でもない'そこに天下の理法がある。こ

れを『易』の本質とすることから'「箇」「易」が老荘に結び

つくことになる。

要するにへ「簡」は『易』に出る語でも古くより用いられ、

東晋に定着したというより、貌・西雷・東晋を通して'等

しく用いられたということができる。

最後に「高」をとりあげる。

「高」には高遠・高俊・高見且エロ同才・高行・高操・高朗

・高整二ロー叫率・高暢・高雅・高徹・高遠・高潔・高爽・高

菜・高嶺などがありへ次のようにもある。

IK

C(責耽は)矧風振退なり。少くして個偏にして覇がれずo

(任誕34注引『義氏家伝』)

C謝(安)は悠然として遠-想ひ'高世の志有り。(言語70)

C(王)胡之は常に世務を遣れ'矧を以って情と為す。(質

誉1-5注引『王胡之別伝』)

C王処仲(王致)は世に高尚の目を許す。(豪爽2)

C何磨騎(何充)の第五弟(何準)は'国情を以って世を

避く。(校逸5)

C(何準は)雅より剖矧を好み、徴的せらるるもlに就く

所無し。(棲逸5注引『中興書』)

C(許諭は)高惰遠致、弟子は早に巳に服府す。(品藻54)

C或いは許(狗) の高情を重んずo(品藻6 1)

あら

C(戴達は)屡JV徴命を辞し、遂に矧の称を箸はす。(雅

昂34注引『普安帝紀』)

C都超は謝矧隠退を欲する者を聞く毎にへ耽ち為に百万の

資を弁ず。(棲逸1 5)

これらの「高」もおおむね性格・人柄を評する語でも文

中の語よりすれば、やはり「易」「老荘」と結びつく。

「高世」は世俗より高-抜きんでることでありへ その風

格が「高風」、その情恩が「高惰」であり'「高尚」につい

てはへ『易』由に「王侯に事へず.其の事を高尚にす」とあ

りへ疏に「復た世事を以って心と為さず'職位に係累せず。

故に王供に承事せずo但だ自尊して高く其の清虚の事を慕

尚す。故に其の事を高尚にすと云ふなり」という。「高尚」

とは王侯に事えぬことへ言いかえれば自らを尊Lとして、

「清虚」を「高-慕」うことへ つまり「世事」や「職位」

に心を累わさぬことである。これは『易』であり'『老荘』

である。

二 「名理」

A (荷)条は太和の初め京邑に到り'仲蝦と談じへ名理を

善-す。而して衆は玄遠を尚ぶ。(文学9注引『棄別伝』)

Page 6: 魂晋風潮語論 - 広島大学 学術情報リポジトリ...魂晋風潮語論 『世説新語』およびその劉孝標注に引く講書には'特徴はじめに 的に見られる語がある。

A(鍾会は)壮なるに及びへ才数有り。名理に精練す。(言

語12注引『貌志』)

B(衛)I介は少くして利矧盟矧引。易老を善くす。(文学2 0注

引『輸別伝』)

B(衛)柵は少くして矧矧櫛引。善く荘老に通ず。(賞誉4

注引『玲別伝』)

先の 「清吉」をいうときに比して'いい方に幅がある。

「名理」は別に「理」一字で用いることもありへまた次

のような用い方もある。玄理・本理・活理・神理・勝理・

精理・才理・文理・実理・通理・理会・理識・識理・理義

・義理・理思・恩理。これらの中からいくつかの用例をと

りあげへ「理」が「活言」とかかわることを改めて指摘する。

B(斐)過は弁論を以って業と為す。善-名理を叙Lへ辞

気は活暢にして'冷然として琴忘の若し。(文学19注引鄭

粂『晋紀』)

B (駈偶は)老易を好みへ能く理を言ふ。俗人に見ふを喜

ばず。(文学1 8注引『名士伝』)

B (悲)紐は弘済にして活識有り。古を槽へて善-名理を

言ひ、履行は高整にしても少き自り名を知らる.(言語2

注引『翼州記』)

C江左の般太常父子(股融・般浩) は並びに能く理を言ふ

引、亦た弁諭の異有り.(文学74)

C然るに王俄は善く理を言ふ。(文学5 7劉孝標注)

B装僕射(斐紙)は善-名理を談じへ混混として雅致有り.

(言語2 3)

C (檀)玄は善-理を言ふ。郡を棄てて国に還り、常に段

別州仲堪と終日談論して軽まず。(文学65注引周祇『隆安

記』)

B(劉)時は善く名理を談ず。(賞誉3 8注引曹嘉之『普紀』)

C股浩は能く名理を言ふ。(文学4 3注引『高逸沙門伝』)

C(王敦は)少くして矧盟矧引.(文学2 0注引『敦別伝』)

C王(浸)は叙致して数百語を作Lへ自ら謂へら-、是れ

C(韓伯は)学を好み、善く理を言ふ。(徳行3 8注引『続普

陽秋』)

C (許)諭は能く理を言ふ。(賞誉川注引『続晋陽秋』)

名理奇藻なりと。(文学4 2)

C(謝)玄は活言を能くLへ名理を善くす。(文学4 1注引『玄

別伝』)

「名理」をいうときは'「善くす」へ「言ふ」(「能-」「善-」

を冠す)、「談ず」(「善く」を冠す)へ「叙す」(「善-」を冠す)

などを用いる。また「有り」といういい方もある。これは

C (劉宏之は)少くして才学有り。能-理を言ふo(排調4 7

注引徐広『普紀』)

「能く言ふ」「善く言ふ」は「名理」をいうときのいい方

であった。このほか「善くす」「言ふ」「談ず」「有り」ととも

に用いられる「理」もある。

B(王)戒は是れ由り神理の称有り。(雅兄出4注引『名士伝』)

B斐紙は矧封謝ut王夷甫と相ひ推下せず.(文学1 1注引『普

Page 7: 魂晋風潮語論 - 広島大学 学術情報リポジトリ...魂晋風潮語論 『世説新語』およびその劉孝標注に引く講書には'特徴はじめに 的に見られる語がある。

諸公賛』)

C(股)仲堪 劇団矧引。清言を能くす。(文学6 3注引『普

安帝紀』)

C(韓)康伯は清和にして恩理有り。幼くして般浩の称す

る所と為る。(賞誉9 0注引『続普陽秋』)

!・サ

封 はに  ∴Tr・一;蝣'蝣':<->'^して∴千一、 I

才博-喰広-'学者は究むること能はず。後に楽広とは

とは清閲にして理を説かんと欲す。而して紙は辞喰豊博

C其の人(虞駿)才理勝望有り。(品藻1 3)

C(桑系)劃矧引。(雅量3 1注引『中興書』)

C(謝)朗は博渉にして逸才有り。善-玄理を言ふ。(文学

3 9注引『中興書』)

C孫盛は理義を善-す。時に中軍将軍の段浩は名を一時に

把にLt能-与に劇談し相ひ抗する者は'唯だ盛のみ。(文

学3 1注引『続普陽秋』)

にして'広は自ら虚無を体するを以ってへ笑ひて復た言

はず。(文学12注引『普請公費』)

「理を講ず」「虚無の理」「理を説-」の「理」は'『道徳論』

つまり『老荘』の道徳を論じたそれである。「道を休す」「道

を学ぶ」の「道」や「簡畷」「満開」もその「理」に通じる

語である。

B(郭象は)少くして才理有り'道を慕ひ学を好み、忍封

老荘に託す。時人成な以って王弼の亜と為す。(文学1 7注

C(辛)字は雅より理義を善くす。乃ち(股)仲堪と斉物

を道ふ。(文学62)

時代ごとの用例からするとへ「名理」は貌・西普・東晋を

通じてなべて用いられるが'「理」および「理義」「玄理」「思

理」「文理」「才理」などは'東雷の用例が朗著である.

「理」にかかわる語が一条に多-みられるものを次に三

つとりあげる。

B魂の太常の夏侯玄・歩兵校尉の駈籍等自り'皆な道徳論

を著はす。時に干いて侍中の楽広・吏部郎の劉漠も亦た

引『文士伝』)へ象は荘子注を作りへ最も活辞避旨有り。(同

上)

「才理」は「志を老荘に託す」「荘子注を作る」「王弼の亜」

よりして『老荘』にかかわる語であり、「道を慕ふ」の「遺」

や「活辞」もそれに通じるものである。

右は西書の例で、次は東普の例である。

C股仲軍(般浩)・孫安国(孫盛)・王(濠)・謝(尚)

の矧ヨ川の諸賢は'悉く会稽王(簡文帝)の許に在り。般

道を体して言は約へ尚書令の王夷南は理を講じて才は虚へ

散騎常侍の戴奥は矧割判利を以って業と為し'後進の頗

鼓の徒は皆な簡境を希慕すo(悲)姐は世俗を疾み、虚無

は孫と共に易象妙於見形を論ず。孫語る'道合すれば、

意気は雲を干すと。一坐成な孫の理に安んぜざるも'辞

は屈すること能はず。会稽王は慨然として歎じて日はく'

もと

真長(劉憐)をして釆たらしむれば'故より応に以って

彼を制すること有るべLと。即ち真長を迎ふれば'孫は

Page 8: 魂晋風潮語論 - 広島大学 学術情報リポジトリ...魂晋風潮語論 『世説新語』およびその劉孝標注に引く講書には'特徴はじめに 的に見られる語がある。

0

己れの如かざるを意ふ.市'K長既に至りへ先に孫をして自ら

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

E

2

E

Z

利団を赦せしむ.孫は粗己れの語を説きへ亦た絶えて向に

靭BE

及ばざるを覚る。劉は便ち二百許の語を作すに'辞難矧矧

エノ

なり。孫の理遂に屈す。一坐同時に掌を射ちて笑ひ'称美

tt-

すること良久しくす。(文学56)

「孫の理」「本理」の「理」は『易象妙於見形』よりする

と、『易』にかかわるものであり'「道合す」 の 「道」や「簡

切」もそれに通じへまた「能言」というのも「能-理を言

ふ」 ことであろう。

「能言」といういい方は次のようにある。

A(王弼は).十余歳にして便ち荘老を好む。通弁矧討Lへ

侍椴の知る所と為る。(文学6注引『弼別伝』)

B王戎云ふ'太保(王祥)は正始中に居在Lへ矧首の流に

在らざるもち之れと言ふに及べば'理致は清遠なり。将

おほ

た徳を以って其の言を掩ふこと無からんやと。(徳行19)

C劉芦(劉快) は江道畢(江濯)を道ふ'能言ならざるも

不言を能くすと。(賞誉ー)

「理」を略した「能言」は「能く言ふ」「言を能くす」と

訓むこともできるが'西晋から東晋にかけて「能言」とし

て熟し'定着をみたと思われる。

「理」は『易』や『老荘』の「理」だけではなく、次の

ように仏の 「理」にも用いる。

C股中軍(股浩) は仏経を見て云ふ'理は応に阿堵の上に

在るべLと。(文学23)

C北乗の道人 才班を好む有りO林公(支近)と瓦官寺に

相ひ遇ひ'小品を講ず。(文学30)

ほほ

C股(淵源) は (康僧淵を)坐せしめへ粗与に寒温Lへ遂

に矧に及ぶ。(文学47)

C江を過ぐるに至りへ仏理尤も盛んなり。(文学85注引『続

普陽秋』)

C法度・道林(文通)は同学なり。情朗にして理義有り。

迫は甚だ之を重んず。(傷逝11注引『支逓伝』)

C(康僧淵は)乃ち閑居して研話しへ心を矧副に希ふo(棲

逸11)

「理」を仏の「理」に用いるのは'すべて東晋になって

のことである。

以上要するに、「理」は塊のころより『易』『老荘』に用い

られ、東晋に集中するようになるがへ その 「理」が東晋に

至って仏の 「理」に用いるようになるのである。

三 「玄遠」

A晋の文王 (司馬昭)称す'院嗣宗(玩籍) は至慎なり。

之れと言ふ毎にへ言皆な玄遠にしても末だ嘗て人物を戚

否せずと。(徳行1 5)

A (萄)条は能く玄遠を言ふ。(文学9注引『粂別伝』)

A(萄条は)侍蝦と談じへ名理を善くす。而して条は封過

剰矧剥。(同上)

Page 9: 魂晋風潮語論 - 広島大学 学術情報リポジトリ...魂晋風潮語論 『世説新語』およびその劉孝標注に引く講書には'特徴はじめに 的に見られる語がある。

A侍蝦は善く玄勝を言ひ'苛条は談ずるに玄遠を尚ぶ。(文

学9)

B王夷甫(王桁)は雅より玄遠を尚ぶ。(規筏9)

C(支)適は神心警悟にして、活識到過吋引。王仲祖(王

濠)称す'其の微を造すの功は'王弼に異ならずと。(質

誉9 8注引『支遁別伝』)

C (謝)安は神惜秀悟にして'善く玄遠を談ず。(文学55注

引『文字志』)

「玄遠」をいうときは'「言ふ」(「能く」を冠す)へ「談ず」

(「善く」を冠す)、「尚ぶ」(「談ずるに」「雅より」を冠す)な

どと用いられる。「尚ぶ」は「玄遠」だけに用いるが、「言ふ」

は「名理」に、「談ず」は「清吉」と「名理」にもあった。

従って「玄遠」もまた「清言」「名理」とかかわる語とみら

れる。それは「玄遠」をいう文中に「名理を善くす」「善く

玄勝を言ふ」「其の微を造す功」などの語があることからも

知られる。「玄遠」は貌・西普・束晋の別なく用いられる。

「言ふ」「談ず」「有り」とともに用いられる「玄」として

はう次のものがある。

「玄」は一字で用いられることもある。

C孫纏は之を難じ、以って謂へり'玄を休し遠を識る者は'

出処 帰を同じくすと。(文学91注引『中興書』)

C而して方寸は混然として'国に封を以って山水に対す。

(容止24注引孫締「頗亮碑文」)

「玄」が「活言」や「名理」へ 言いかえれば『易』や『老

荘』と深くかかわる語であることは、さらに次の用例によっ

て明らかになるであろう。

A正始中、王弼・何畳は荘老玄勝の談を好みて'世遂に竃

を九月ぶ。(文学85注引『続普陽秋』)

C (般)浩の活言は玄致を妙弁す。当時の名流は、皆な其

の美誉を為す。(貿誉82注引徐広『普紀』)

C般仲堪は玄論を精癒す。人は謂へり'研究せざる美しと。

股は乃ち歎じて日はく'我をして四本を解せしむれば'

BM

談は超に爾るのみならずo(文学60)

C (支)道を向秀に比Lt雅より老荘を尚ぶ。二子は時を

A斐使君(生微)は高才逸皮有り。善く玄妙を言ふなり.(文

学9注引『管略伝』)

B王夷甫(王桁)は容貌整霞にして'玄を談ずるに妙なり。

(容止8)

B(向秀は)神徳封矧矧引。能く天下を迫れ'万物を外に

す。(文学17注引『竹林七賢論』)

異にするも'風は玄同を尚ぶなり。(文学36注引『遺賢

論』)

C孫長楽は王長史(王濠)謀を作りて云ふ、余と夫子とは、

交はりは勢利に非ず'心は猶は浸水の若く'此の封蝋封

同じくすと。(軽誌22)

魂より東晋になるにつれて'「玄」の用語は増加する。玄

門・玄風・玄寂・玄心・玄黙などがありへ これらも 「清

吉」「名理」に通じるものである。

Page 10: 魂晋風潮語論 - 広島大学 学術情報リポジトリ...魂晋風潮語論 『世説新語』およびその劉孝標注に引く講書には'特徴はじめに 的に見られる語がある。

C晋の元・明二帝は心を玄虚に醇ばせ'情を遺味に託す。

賓友の礼を以って法師を待すO王公(王導)・供公(顔

亮)は心を傾け席を側にLへ好みて臭味を同じくす。(方

正45注引『高逸沙門伝』)

「遺味」と対比されるこの「玄虚」は『易』『老荘』をい

いへ「道味」は「法師」よりするとへ先述した仏の「遺」を

いうであろう。

本節の終りに「玄遠」 の 「遠」へ「談ず」 の 「談」 の用例

をとりあげる。

「遠」としては次のようなものがある。

B王戎云ふ'太保(王祥)は正始中に居在Lへ能言の流に

在らざるも、之れと言ふに及べば'理致は矧叫矧吋引.秤

た徳を以って其の言を掩ふこと無からんやと。(徳行19)

B(玩)成の子の胎は虚夷にして遠志有りO(賞誉2)

C (謝)安は弘梓通遠へ 温雅融暢なり。(徳行34注引『文字

志』)

C王右軍(王義之)は謝太停(謝安)と共に冶城に登る。

謝は悠然として薗矧し、高世の志有り。(言語70)

つと

C孫(縛)日はく'高情薗矧は'弟子早に巳に服贋せり。

l吟1詠は'許(諭)将に北面せんとすとO(品藻5)

しはら

C之を頃くして長史(王濠)諸賢来たりて清言す。(略)言

約にして旨風月へ彼我の懐を暢ぶるに足る.(文学S3)

C謝霊運は好んで曲柄笠を戴く.孔隠士(孔淳之)謂ひて

_

 

 

日はく'卿は心に高遠を希はんと欲するに'何ぞ曲蓋の

貌を迫るること能はざらんやと。(言語S)

これらの「遠」は同一文中の「能言」「虚夷」「高世の志」「高

惜」「活言」「隠士」などの語からして'『易』や『老荘』にか

かわる語で'世俗から「遠」ざかる意である。

次に「談」をとりあげる。

B (衛)蛤は'武昌に至りて王敦に見ゆO敦は之と談諭しへ

日に捕りて信宿す。(略)微言の緒へ絶えて復た続く。(質

誉5 1注引『翰別伝』)

B王夷甫(王宿)は好んで談称を尚び'時の人物の宗とす

る所と為る。(言語23注引『普諸公賛』)

B請謁宏は年少くして肯へて学問せず。始め王夷甫(王桁)

と謝ut便ち巳に超詣す。(略)宏は後に荘老を看て'更

に王と語れば'便ち相ひ抗衡するに足る。(文学13)

10

B時の談に干いて'玩(成)を首と為し'王戎之に次ぎ'

山(涛)・向(秀) の徒へ皆な其の倫なりO(品藻71注引

『貌氏春秋』)

B斐僕射(生餌)は'時人謂ひて言談の林薮と為す。(賞誉

18)

C (般)浩は能く理を言ひ'談論は精微にして'老易に長

ず。(賞誉86注引『中興書』)

V"i

C劉真長(劉佼)は般淵源(股浩)と談ずるに、劉の理小

しく屈するが如し。(文学26)

C人 撫軍(司馬豆)に問ふ'般浩の談Iは完に何加と.(品

藻39)

Page 11: 魂晋風潮語論 - 広島大学 学術情報リポジトリ...魂晋風潮語論 『世説新語』およびその劉孝標注に引く講書には'特徴はじめに 的に見られる語がある。

C (王)胡之は談講を好み、善く文辞を属り'当時の重ん

ずる所と為る。(品藻60注引『王胡之別伝』)

C(檀)玄は善く理を言ふ。郡を棄てて国に還り'常に段

別州仲堰と終日謝謝uiJ授まず.(文学65注引周祇『隆安

記』)これらの「談」は先の「活言を談ず」「善く名理を談ず」「善

く玄遠を談ず」に通じてへやはり『易』や『老荘』にかか

わるものである。

「遠」といいへ「談」といい、西晋から東晋にかけて多用

されるへということができる。

四 r易老Jl

以上のところは、「活言」「名理」「玄遠」が'「能くす」「善く

す」「言ふ」「談ず」「尚ぶ」「叙す」などとともに用いられるも

のをとりあげへ それらは『易』や『老荘』にいいへ仏にも

いうことを説いたが'これらとともに用いられる「活言」「名

理」「玄遠」以外のものとしては'次のようにある。

ち(衛)軸は少-して名理有り。易老を善くす。(文学2 0往

引『I介別伝』)

B夷甫(王桁)は好んで談称を尚び'時の人物の宗とする

所と為る.(言語2 3注引『普請公費』)

B郭子玄(郭象)倍才有り。能く老荘を言ふ。(裳誉2 6)

B子玄(郭象)構才有り。能-荘老を言ふ。(賞誉3 2注引『名

士伝』)

C(股)浩は老易を善-Lへ活言を能-す。(文学2 7注引『浩

別伝』)

C(謝玄は)神理明俊にして'微言を善くす。(言語ー8注引

『謝車騎家伝』)

C(謝万は)兼ねて善-文を属り'談論を能くす。時人之

を称す。(賞誉93注引『中興書』)

ill

C(支)迫を向秀に比Lへ雅より老荘を尚ぶ。二子は時を

異にするも'風は玄同を尚ぶなり.(文学36注引『道賢

論』)これに「好む」「貴ぶ」「慕ふ」「長ず」を加えると'次のよ

うにある。

A(何)妾は少くして異才有り。善く易老を談ず。(文学6

注引『貌氏春秋』)

A (王弼は)十余歳にして便ち荘老を好む。通弁能言し、

侍胞の知る所と為る。(文学6注引『弼別伝』)

A停職は善く虚勝を言ひ'萄衆は談ずるに玄遠を尚ぶ。(文

学9)

A正始中、王弼・何曇は荘老玄勝の談を好みて'世遂に篤

を貴ぶ。(文学85注引『続晋陽秋』)

A糞便君(蛮微)は高才逸度有り。善く玄妙を言ふなり。(文

学9注引『管絡伝』)

B (王倫は)醇粋簡遠へ老荘の学を貴び'心を用ふること

淡如たり。(排調8注引『王氏家譜』)

Page 12: 魂晋風潮語論 - 広島大学 学術情報リポジトリ...魂晋風潮語論 『世説新語』およびその劉孝標注に引く講書には'特徴はじめに 的に見られる語がある。

B (院情は)老易を好みへ能く理を言ひ'俗人を見るを喜

ばず。(文学1 8注引『名士伝』)

B (謝)鰹は性通間にして'老易を好みへ音楽を善くLへ

琴書を以って業と為す。(文学20注引『雷陽秋』)

C(股)浩は能く理を言ひ'談論は精微にして'劃矧相良

列。(賞誉8 6注引『中興書』)

C(王)胡之は談講を好みへ善く文辞を属り'当時の重ん

ずる所と為る。(品藻60注引『王胡之別伝』)

C(何準は)雅より高尚を好みへ徴聴せらるるも一に就-

所無し。(楼逸5注引『中興書』)

C余(孫緯)は少-して老荘の道を慕ひ'其の風流を仰ぐ

こと久し。(言語84注引『遂初脱穀』)

C郡太尉(郡竪)は晩節に談を好む。(規茂14)

右にとりあげた一連のものをいま「易老」の語でまとめへ

これを「活言」「名理」「玄遠」と並べて表にするとへ下のよ

うになる。

「清吉」とは『易老』の言辞であり'『易老』を談論する

ことである。「微言」とも「玄言」ともいいへ『世説新語』に

はみえなかったが'「清談」ともいう。「清談」 の語はすでに

a:

後漢の雷にみえるO『易老』 の言辞は「清」くて'「微」かで'

`qハ一

「玄」かったのである。

!S<

B(衛)班は謝(規)を見て甚だ之を悦び'都て復た王を

顧みず。遂に且に達するまで微言す。(文学20)

良○○

慕○○

負○○

雅好○○

好○○

善ft○○

雅尚○○

好尚○○

読尚○○

尚○○

善 読○○

,1V.

I-1

善 善○○

舵○○

読○○

於○○

○○

○○

名壁

名理

名哩

名壁

名哩

名哩

玄逮

玄逮

玄遠

玄遠

玄逮

玄逮

老 老 老 「司議老 老 読 易 玄 老 局 読

=老

易 荏之迅

荏之V

尚 軍司

談葉

、荏老玄勝之輿

荏 柿 老 妙

虚勝

荏 老、老M

[_1

=A*6m

12

C (王)胡之は性簡にして'好んで玄言に達するなり.(質

Page 13: 魂晋風潮語論 - 広島大学 学術情報リポジトリ...魂晋風潮語論 『世説新語』およびその劉孝標注に引く講書には'特徴はじめに 的に見られる語がある。

誉1 -9注引宋明帝『文章志』)

C(謝玄は)神理明俊にして'微言を善くす。(言語78注引

『謝車騎家伝』)

なおへ「微言」は仏にも用いる。

C阿批串云心は'三蔵の要領へ詠歌の微言なり.(文学64注引

遠法師『阿批雲鈷』)

「名理」とは『易老』の理法・哲理のことである。その

理法・哲理は「名」家のように論理的であるがゆえにへ「名

理」と名づけたのであろう。

「玄遠」は『易老』 の内実をいうものである。『易老』 の

a

t

H

内実は'「玄」くて「遠」いと認識されたのであろう。「玄」

は『老子』にある語で'第〓単に「道の道とすべきは常の

道に非ず、名の名とすべきは常の名に非ず。名無し、天地

の始めには。名有り'万物の母には。故に常に無欲にして

以って其の妙を観へ常に有欲にして以って其の徴を観る。

此の両者は、同じ-出でて名を異にLへ同じく之を玄と謂

ふ。玄の又た玄'衆妙の門」とありへ「遺」を「玄」とする。

王弼はこれに「玄とは冥なり。黙然として有る無さなり。

(略)是の名は則ち之を矢へば遠し。故に玄の又た玄と日

ふなり」と注する。

五 「風流者」

「清吉」「名理」「玄遠」および「道」「簡」「高」「遠」「談」な

どの語をとりあげて説いたが'これはすべて『易』『老荘』

と深-かかわるものであると結論した。本節ではこれらの

語が集中的に用いられる人物を貌・西普・束害より各一条

紹介する。

功の一条にみえるのは'停職・苛粂・斐微であるo

A侍椴は善-虚勝を言ひ'荷条は談ずるに玄遠を尚ぶ。共

に語り、争ひて相ひ喰らざること有るに至る毎にへ斐翼

州(斐微)は二家の義を釈き'彼我の懐を通じ、常に両

橘をして皆な得て、彼此倶に暢ばしむ。(文学9)

(侍)椴は嘗て才性同異を論ず。(同上注引『貌志』)

(樽)蝦は既に治に達し正を好むも'清理識要有り。好

T

 

b

 

 

 

 

 

 

 

_

んで才性を論ずるは'原本精微にして

能く之に及ぶも

の鮮し。(同上注引『博子』)

(荷)条は能-玄遠を言ふ。(同上注引『粂別伝』)

(萄)条は太和の初め京呂に到り'侍蝦と談じ、名理を

善-す。而して条は玄遠を尚ぶ。(同上注引『粂別伝』)

襲使君(装微)は高才逸度有り0善く玄妙を言ふなり。(同

上注引『管略伝』)

西晋の一条は王澄と衛枠である。

B王平子(王澄)は遁世にして岱才有り、推服する所少さ

もへ衛紬の言を聞-毎にへ軌ち歎息して絶倒す。(賞誉4)

(捕)軸は少-して名理有り'善く荘老に通ず。狼邪の

王平子(王澄)は高気畢せず、遁世にして独り倣る。鉛

の㍊っ''¥'r豆蝣)_,・蝣 '-i'"Kに王-, '・'rii、

Page 14: 魂晋風潮語論 - 広島大学 学術情報リポジトリ...魂晋風潮語論 『世説新語』およびその劉孝標注に引く講書には'特徴はじめに 的に見られる語がある。

に絶倒す。前後三たび聞き、之が為に三たび倒る。時人

遂に日はく'衛君道を談ずるにも平子三たび倒ると。(同

上注引『翰別伝』)

王燈へ字は平子。達識有り.(徳行2 3注引『普請公賛』)

東雷の1条は王濠である。

C余(孫締)は少くして老荘の道を慕ひも其の風流を仰ぐ

こと久し。(言語8 4注引「遂初賦鉱」)

C沓予(孫締)と公(頗亮)とは'風流帰を同じくすo(方

正4 8注引『締集』載「謙文」)

C没は性和暢にして'清吉を能くす。道を談じて理中を丸山

訓へ矧はu廿会する有り.古賢を商零し'朗黙の際へ辞

旨勘令へ往往にして剖岬矧矧引o(裳誉1-3注引『王浸別伝』)

さて'「活言」「名理」「玄遠」の『易』や『老荘』に通暁す

ることすることを「風流」という。

C花授章(花寧)は王刑州(王枕)を謂ふ'卿の風流作間望

刷へ真に後来の秀なりと。(賞誉畑)

C王(爽)答へて日はく'風流の秀出なるは'臣は(王)

恭に如かず。忠孝なるは亦た何ぞ以って人に仮るぺけん

やと。(方正6 4)

C祖父は (王)濠へ 司徒左長史なり。風流の標望あり。(徳

行44注引用祇『隆安記』)

C(王)濠は神気活詔なり。十余歳にして'放過にして軍

せず。弱冠にして検尚、風流雅正なり。外は栄競を絶ち'

内は私欲寡なし。(言語6 6注引『王長史別伝』)

C凡そ風流を称する者は、皆な王(堤)・劉(快)を挙げ

て宗と為す。(品藻36注引徐広『書紀』)

C是に於いて大いに頗(義)が唯に風流なるのみに非ず、

兼ねて治実有るを歎ず.(倹蛮8)

また、その人を「風流者」という。

C (般)浩は能く理を言ひ'談論は精微にして'老易に長

ず。故に風流者は皆な之を宗帰す。(賞誉86注引『中興

書』)

C(戴達は)少くして清藻有り。惜和にして適任へ劉真長

(劉佼) の知る所と為る。性は既に快暢、生を娯しむに

泰らかなり。好んで琴を鼓し、善く文を属る。尤も遊燕

を楽しみ'多く矧川風猟矧と遊ぶ。談ずる者は其の通隠

を許す。屡J~徴命を辞し、遂に高尚の称を箸はす。(雅量

34注引『普安帝紀』)

またへ「風流之冠」とも「風流名士」「名士風流」ともいう。

C(王)献之は文義並びに長ずる所に非ず。而るに能-其

 

 

 

 

 

 

_

の勝会を撮る。故に名を一時に把にLへ風流の冠と為る。

(品藻77注引『続普陽秋』)

C成和中へ丞相の王公(王導)は教して日はく'衛洗馬(衛

14

C(局)顔は風流才気有り.少くして名を知らる.(言語3

注引『普陽秋』)

紛)は当に改葬すべし.此の君は風流名士にして'海内

<

の把る所なり.薄葬を憎めて以って旧好を敦-すべLと。

(傷逝6)

Page 15: 魂晋風潮語論 - 広島大学 学術情報リポジトリ...魂晋風潮語論 『世説新語』およびその劉孝標注に引く講書には'特徴はじめに 的に見られる語がある。

C人有りて蓑侍中(芸格之) に問ひて日はく'股仲堰は韓

康伯に何如と。答へて日は-'義理得る所の優劣は'乃

ち復た未だ弁ぜず。然るに門庭番寂へ居然として名士風

刺矧か矧叫へ股は韓に及ばずと。(品藻81)

「風流名士」「名士風流」から知れるように'「風流者」は

「名士」ともいいへまた「名斑」「名流」「名勝」へあるいは

「談士」「談者」「能言之人」ともいう。

A曇は清吉を能-して'当時の権勢なり.天下の談士、多

-之を宗尚す。(文学6注引『文章叙録』)

C(般融は)象不尽意へ大賢須易論を著はしへ理義精微に

ait

して、談者は駕を称す。(文学74注引『中興書』)

C初め(竺)法汰の北より来たるに未だ名を知られず。王

領軍(王拾)之を供養す。与に周旋して行きへ矧矧功謝

-

J

-

A

吋来往する毎にへ概ち与供にす.(略)此に因りて名遂に

重んぜらる。(貿誉3)

C謝太停(謝安)は真長(劉佼) に語る、阿齢(王胡之)

 

 

 

は此の事に於いてへ故に太だ属し-せんと欲すと。劉日

A(鍾)敏は(夏侯)玄の名士なるを以ってへ節高くして

屈すべからず。(方正6往引『世語』)

B当時の名士へ王(柄)・斐(過) の子弟悉く集まるo郭

子玄(郭象)は坐に在りて'挑みて生と談ずo(文学l)

B(王済は)乃ち咽然として歎じて日はく'家に矧封

吋へ三十年なるも知らずと。(賞誉17)

B王大尉(王桁)は眉子(王玄)に問ふ。汝の叔は矧封な

り。何を以って相ひ推重せざらんと。眉子日はく'何ぞ

は-'亦た名士の高操なる者ならんと。(賞誉a)

C丞相の王導は名士時賢を辞して'中興を協賛せしむ。(任

誕3 2注引『王濠別伝』)

c宝武(桓温)は矧矧矧を集めて易を講じへ日に1卦を説

く。(文学2 9)

15

名士にして終日妄語すること有らんと。(軽話-)

B李平陽(李重)は秦州(李桑)の子なり。中夏の名士に

uiJへ時に干いて以って王夷甫(王桁)に比せらる.(賢

媛17)

B劉令言(劉納)始めて格に入りへ矧劃を見て歎じて日

は-、王夷甫(王桁)は太だ鮮明なり。(略)杜方叔(杜

育) は長を用ふるに拙Lと。(品藻8)

C孫興公(孫締)へ許玄度(許諭)は皆な1時の名流なり。

(品藻6 1)

C謝安年少き時へ院光禄(阪裕) に請ひて白馬論を道はし

む.(略)駈乃ち歎じて日はく'但だ矧笥叫釧刃の得べから

ざるのみに非ず。正に索解の人も亦た得べからずと。(文

学24)

C荘子泊遥篇は旧と是れ難き処なりO矧劃矧の撹味すべき

所なるも'理を郭(象)・向(象) の外に抜くこと能は

ずO支道林(支遁)は白馬寺の中に在りて'鵜太常(梶

懐)と語りへ因りて冶遥に及ぶ。(略)皆な是れ諸名賢の

之を尋味して得ざる所なり。後に遂に支の理を用ふ。(文

Page 16: 魂晋風潮語論 - 広島大学 学術情報リポジトリ...魂晋風潮語論 『世説新語』およびその劉孝標注に引く講書には'特徴はじめに 的に見られる語がある。

学32)

C法師(支遁) 十地を研すれば'則ち十住に頓悟するを

知りへ荘周を尋ぬれば'則ち聖人の沿遇を弁ず.当時の

矧矧叫へ成な其の音旨を味はふ。(文学36注引『支法師

伝』)

C(謝)安は能-洛下書生詠を作すも'少-して弟疾有り'

語音観る。後に創動多-其の詠を生ぬるも'能く及ぶこ

と芙く'手もて弟を掩ひて吟ずO(雅i-1CM注引宋明帝『文

止4r心])

C頗亮・周顕・桓舞はl代の名士なり。lたび和尚に見ゆ

るや'衿を披き契を致す。(裳誉48注引『高坐伝』)

○(義)宏は夏侯太初(夏侯玄)・何平叔(何宴)・王捕

嗣(王弼)を以って正始の名士と為す。駈嗣宗(院籍)

・和叔夜(和頗)・山巨源(山岳)・向子期(向秀)・

劉伯倫(劉伶)・駈仲容(阪成)・王溶沖(王戎)を矧

林の名士と為すo斐叔則(斐糖)・楽彦輔(楽広)・王

夷甫(王桁)・頗子嵩(頗凱)・王安期(王応)・院千

里(阪階)・衛叔宝(衛扮)・謝幼輿(謝鰹)を判酬叫

矧封と為す。(文学94劉孝標注)

「正始の名士」「竹林の名士」「中朝の名士」を列挙する最

後の資料は'蓑宏の『名士伝』である.『普雷』蓑宏伝には

『竹林名士伝三巻』を著わしたとあり、『暗君』経籍志二に

は蓑敬仲按の『正始名士伝三巻』、劉義慶按の『江左名士

伝一巻』へ 撰者不詳の 『海内名士伝一巻』を著録する。

これらの『名士伝』は「風流者」の伝記であったと思わ

れるが'「風流」および「名士」に属する諸語が東書に至っ

て集中的に現われるのは、上抱の語例によって明らかであ

る。お

わりに

本稿では'「清言」「名理」「玄遠」および 「道」「簡」「高」

「遠」「談」の語が『易』や『老荘』、あるいは仏ともかかわ

り、魂のころより西晋を経て'東晋風潮の重要語となる過

程について、資料を列挙し説明した。このことは『続晋陽

秋』 に次のようにいう条と符合することを指摘して'稿を

閉じる。

正始中、王弼・何史は'荘老玄勝の談を好みて'世遂に

これ環

を責ぶ。江を過ぐるに至りへ仏理尤も盛んなり。故に

郭瑛の五言は'始めて道家の言を会合して之を電す。(許)

諭及び太原の孫縛は'転た相ひ祖尚す。又た加ふるに釈

氏三世の辞を以ってLへ而して詩騒の体は尽きぬ。諭・

緯迫びに一時の文宗為り。此れ自り作者悉く之を休す。

(文学85注引)

(広島大学)

16