電子回路論第 回 - 東京大学 · 2016. 11. 14. · 物理屋のための電子回路論第8...
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物理屋のための電子回路論 第 8回
勝本信吾
東京大学理学部・理学系研究科 (物性研究所)
2016年 11月 15日
5.1.2 レッヘル線
同軸ケーブルの扱いから,金属と誘電体の1次元方向に伸びた構造は,TEMモードを伝えることができ,この時,
1次元方向とこれに垂直な 2次元面内の電磁場自由度は分離して扱えることがわかる.これは,電磁場が電場・磁場
の調和振動子集合として表現できる*1ことの表れ,と見ることもできる.式 (5.2)の電信方程式が真空中の電磁波の
波動方程式に対応するとすると,逆に真空を伝送路に見立てた時の電磁波の「特性インピーダンス」は
Z0 =
√µ0ϵ0
≈ 376Ω (5.16)
となる.これが「真空のインピーダンス」と呼ばれているのは,以上のような意味合いからである.また,√µ/ϵは,
物質 (媒質)のインピーダンス,ということになる.更に,「特性インピーダンス」という「見方」を使って,2線式の
伝送線路ではない導波管のような信号伝送路に関してもここでの議論を適用することができる.
ただし,同軸線のように遮蔽導体で伝送路を囲い込むような形になっていない場合,信号の電磁エネルギーは絶え
ず外部へ漏出し,大きな信号の減衰を生じる.レッヘル線 (レッヒャー線,Lecher line)は,2本の導体棒 (線)を平
行させて高周波を伝えるものである.VHF帯のテレビ信号など,かつては平行フィーダーと呼ばれる2本の平行線
を使って伝送していたが,レッヘル線とほとんど同じもの (線を平行に保つ薄い誘電体が入っているだけの違い)で
ある.
図 5.7(a)のようなレッヘル線を考え,2本の導体以外の部分は誘電率 ϵ,透磁率 µの物質で充填されているとする.
半径 aの単位長さあたり q だけ帯電した (無限長)金属円柱が作る電場は,円柱中心からの距離を r として,q/2πϵr
である.導体表面の電位を 0と置くと,この導体が作る電位は ϕ(r) = (q/2πϵ) log(r/a)となる.従って,図 5.7(a)
d 2a
(a) (b) (с)
図 5.7 (a) レッヘル線の概念図.2本の導体棒を平行配置したもの.(b) レッヘル線の断面の電磁場を模式的に
描いたもの.実線が電気力線の接線,破線が磁力線の接線.(c) 平行フィーダー.特性インピーダンスは 300Ω.
オヤイデ電気 webページより.
*1 ジーンズの定理.証明は [1]など.
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で,d ≫ aで,互いが形成する鏡像電荷の影響が無視できるとすると,今の場合,左右の導体を流れる電流を ∓J,表面の電位をそれぞれ ϕ2,ϕ1 と置いて,
ϕ1 = −ϕ2 =J√µ
2πlog
d
a(5.17)
である.ただし,ゼロ電位を2つの導体の中点に取った.これより,特性インピーダンスは,
Z0 =
õ
ϵ
1
πlog
d
a(5.18)
となる.図 5.7(c)の平行フィーダーで,µ = µ0,ϵ = ϵ0 とし,d/a = 10とすると,Z0 = 277Ωとなる.実際,写真
のものは 300Ωとして販売されている.このように,真空インピーダンスに比較的近い特性インピーダンスを有する
のが特徴である.
5.1.3 マイクロストリップライン
高周波回路では,長い伝送路では分布定数回路の扱いが必要となる一方,個別素子においては,ある程度は集中定
数回路の考え方が成立する.そこで,集中定数回路の導線部分を一部分布定数回路で置き換えるという折衷的表現が
行われる.その際も,素子間をつなぐ伝送路が問題となる.同軸線は電磁場の閉じ込め効果が大きいが,極めて微小
になっている素子をすべて同軸線で結線することが現実的ではない.
そこで,レッヘル線にならい,半解放のため同軸線より閉じ込め効果が小さいが,素子を配置する基板上に形成で
きるマイクロストリップライン (microstrip line)が良く使用される.これは,板状の導体により高周波を通すもの
で,基本は,図 5.8(a)のように,接地した平面導体の上に同じく平面上の誘電体を置き,その上に細長い導体を置い
た構造である.電子部品を配置するプリント基板は一般に銅箔でガラスエポキシなどの誘電体板を両面から挟んだ構
造をしており,片面に回路に合わせてエッチングなどの手法を用いてパタンを形成することによって容易に図 5.8(a)
のような構造が得られることがマイクロストリップラインが盛んに使用される一因である.(a)よりも更に外部に漏
れる電磁場,および隣接回路との電磁的結合を減らしたい場合,線路の両側を設置導体で挟んだ図 5.8(b)のような
コプレイナーウェイブガイドと呼ばれる構造も良く使用される.
このように物理的な形成はたいへん簡単であるが,マイクロストリップラインは同軸ケーブルやレッヘル線と比べ
て図 5.8(a)の断面だけでも対称性の悪い形状をしており,特性インピーダンスの計算や更には2次元的にパターン
化された線路を伝わる電磁場を解析することは容易ではない.現在は,PCやモバイル機器など GHz帯の高周波を
扱う回路設計の需要が高まり,このような立体回路を伝わる電磁場を 3次元 (や 2.5次元)的にシミュレートするシ
ミュレーターも多数開発されている (一般に大変高価である).
図 5.8(a)のようなストリップラインの特性インピーダンスの近似式として古くから使われているものに [2],幅の
W
t
h her er
(a) (b) (c)
図 5.8 (a) 単一ストリップと接地平面 (グラウンドプレイン) によるマイクロストリップライン.(b) 中央スト
リップの両側に接地金属板を配置したコプレイナーウェイブガイド.(c) 高周波回路に使用されているマイクロス
トリップラインの実例.白く細い部分.静電結合を使ったマイクロストリップラインフィルター.
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(a)
(b)
(c)
(d)
図 5.9 (a) 平行平板コンデンサ.これ
を変形することで,断面に2つの金属
を有する伝送線のファミリーを形成で
きる.(b) 平行平板を丸めることで同軸
ケーブル断面となる.(c) 解放構造にす
るとマイクロストリップラインになる.
(d) 更に電極を縮めるとダイポールとな
り,レッヘル線断面となる.これらはい
ずれも TEMモードが主モードとなる.
広い (W/h > 3.3)ストリップに対して
Z(W,h, ϵr) =ZF02√ϵr
{W
2h+
1
πlog 4 +
ϵr + 1
2πϵrlog
[πe
2
(W
2h+ 0.94
)]ϵr − 12πϵ2r
logeπ2
16
}−1, (5.19a)
幅の狭い (W/h ≤ 3.3)ものに対して
Z(W,h, ϵr) =ZF0
π√2(ϵr + 1)
log4hW
+
√(4h
W
)2+ 2
− 12
ϵr − 1ϵr + 1
(log
π
2+
1
ϵrlog
4
π
) (5.19b)がある.ZF0 は真空のインピーダンス,ϵr は誘電体の比誘電率 (ϵ = ϵrϵ0)である.解析的な計算法については,[3]
などが詳しい.
5.1.4 導波管
導波管 (waveguide) は,金属製の筒であり形態的には同軸ケーブルの外部シールドのみを残したものと見ること
ができる.逆に,これまで見てきた導波路について,断面の電磁場を閉じ込めるという観点もある.電場を閉じ込め
るのに最もわかりやすい構造は図 5.9(a)の平行平板コンデンサである.金属板の長さが有限だと端から電場が漏れ
出すが,これがマイクロストリップライン,金属板を縮めて丸棒にしてしまったものがレッヘル線,端からのもれを
なくすために金属板を丸めて円筒形にしたものが同軸ケーブルと考えることができる.
これに比べると,伝送路から導体を 1つ減らした導波管には,以上の伝送路とは明瞭な違いが現れる.すなわち,
伝送路断面における電磁波の存在空間が単連結 (simply-connected)になり,多重連結の伝送路で主モード (primary
mode)であった TEMモードが存在できなくなっている.これ以外のモード,Ez ̸= 0 あるいは Hz ̸= 0では,(5.8)とは異なり,ω2ϵµ+ γ2 ̸= 0である.そこで,(5.7)に更にMaxwell方程式を使用することで,Ez,Hz について同形の次の微分方程式を得る. [
∂2
∂x2+
∂2
∂y2
]Ez = −(ω2ϵµ+ γ2)Ez, (5.20a)[
∂2
∂x2+
∂2
∂y2
]Hz = −(ω2ϵµ+ γ2)Hz. (5.20b)
従って,Ez = 0あるいは Hz = 0に対して解が存在し,一般解はこれらの重ね合わせで得ることができる.前者を
TE (transverse electric) モード,後者を TM (transverse magnetic) モードと呼ぶ.
これらのモードを得るためには (5.20)を適当な境界条件下で解けばよく,数多くのモードが得られる.これらにつ
いて議論するのは講義をやや外れてしまうので,[4]などを参照いただくとして,図 5.10の非常に簡単な見方を紹介
しておく.図 5.10(a)のように対向する導体板を持ってくると,電磁波は2枚の導体板の間を反射しながら進むが,
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a
q
q
l /2s
(a)
E
(b)図 5.10 導波管の簡単なモデル.2枚の導体板で電磁波を挟む.
両側の板の表面が固定端となるため板の間隔を aとして,λs = 2aの定在波が立つことになる.周波数を f として,
c/f で決まる本来の波長 λに対し入射角を θとすると,
λ/ cos θ = λs = 2a ∴ θ = arccos(λ/2a) (5.21)
であるから,板の間隔と波長から伝播可能な入射角が決まる.
この時,導波管内には対向する導体からの反射によって2つの平面波の波面の干渉による電場が現れる.これが,
(5.20)を解いて得られるモードに相当するものである.また,導波管内の群速度は vg = c sin θ で当然ながら角度分
だけ cよりも遅くなる.(5.21)より,λ > 2aすなわち周波数 f が c/2aよりも小さい場合は,伝播できなくなる.こ
れを “遮断周波数”(cut-off frequency)という.
5.1.5 光ファイバー
導波管とは逆に,同軸ケーブルから金属をなくして誘電体だけにした,誘電体導波路と呼ばれるものも存在する.
導波管は金属表面で電磁波が反射されることを用いて管中に電磁波を閉じ込めるものだが,周波数が高くなり光領域
となっても使用できる.ただし当然波長が短くなるに従って管内部表面の細かい凹凸が光の進行を妨げるようになる
ため,内壁は鏡面に仕上げる必要が生じ,長距離の伝送には向かない.屈折率の異なる誘電材料を用いて全反射によ
り電磁波を閉じ込めるのが光ファイバーである.
図 5.11左図のように入射角を β,出射角を αとすると,sinα = n sinβで nは 1より大きいので,βを arcsin(1/n)
より大きく取ることが可能である.この時,スネルの法則を満たす αは存在せず,全反射が生じる.図 5.11右図の
ように屈折率の大きな誘電体を小さな誘電体で包んだ筒状の構造を考えると,界面で全反射を起こすような角度の電
磁波(光)にとっては導波管と同じ状況になっている.これが光ファイバーの基本構造である.中心の誘電体を “コ
ア” (core),周囲の誘電体を “クラッド” (clad)と呼ぶ.導体導波管の場合と異なるのは,界面で電場が零という境
界条件が成立しないことである.しかしこれも,外部の誘電体を遠方まで伝播する電磁波が存在しない*2ことから,
数学的には少し面倒になるが導波管の場合と同様,伝播できる電磁波はコア周辺に定在波を持ち,モードが定義でき
る.コアを非常に細く作ると,コア内部に節を持つような電磁波の周波数は極めて高くなり,赤外や可視の光の領域
では伝播できる光のモードは1つだけに限られる.このようなファイバーを “単モードファイバー”と呼び,現在光
通信で使われているのは主にこのタイプである.
*2 指数関数的に減衰する光がクラッドにも沁み出し,これはエヴァネッセント (evanescent)光と呼ばれる.
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a
b bn
n1
2
コア
クラッド
図 5.11 左図は誘電率の大きな物質から小さな物質へ電磁波が入射した時の全反射現象を説明したもの.β が
arcsin(n1/n2)を超えると(真空の場合 n1 = 1),屈折電磁波は存在できなくなり,破線のようにすべて反射され
る.右は光ファイバーの模式図で,誘電率の小さな物質(クラッド)で大きな物質(コア)を包んでいるため,コ
ア内で一旦全反射された電磁波はそのまま全反射を続けてコア内を伝播する.
5.2 伝送路の伝播現象
5.2.1 抵抗のある伝送路
(??) の伝播速度は波数に依存しない.すなわち,TEM モードの波動には分散がなく,入力波形は形を崩さずに
伝播する*3.従って,同軸ケーブルのように電磁場の漏れが少ない伝送路においては,信号波形減衰の主要因はイン
ピーダンス (アドミタンス)内の抵抗成分である.電磁場の漏れ出しが大きな伝送路においても,漏れ出しがある,と
いうことをインピーダンス内抵抗成分の形で表現することができる.
式 (??)の κで,Z = R+ iωLとすると,振動数 ω 成分を考え,
κ(ω) = iω√LC
(1− i R
ωL
)1/2∼ i ω
ω0+
1
2
R
Z0(5.22)
となる.最後の近似は,ωが十分大きく ω ≫ R/Lの場合で,ω0 ≡ 1/√LC,Z0 ≡
√L/C としている.exp(−κx+
iωt)の進行波で考えると,全体にファクター exp(−Rx/2Z0)がかかって,特徴的距離 2Z0/R で減衰する事がわかる.このことから,リアクタンスのみによる特性インピーダンス Z0 は大きいほうが減衰が小さい.このため,長い
伝送線路では特性インピーダンスの大きなものが使用される事が多く,場合によってはコイルなどの挿入により強制
的に Z0 を大きくする場合もある.
5.2.2 伝送路の接続と終端
Z1
Z0+
-
x
0-l
長さ l の特性インピーダンス Z0 の伝送線の片側に電源,他端にインピー
ダンス Z1 の負荷をつないだとする.x軸を左図のように設定すると,x = 0
では (??)V = V+ + V− = Z0(J+ − J−)J = J+ + J−
}(5.23)
である.ここで,+,− の添え字は,それぞれ,進行波,逆行波成分であること表し,exp∓κxの符号と対応している.従って
Z1 =V
J=J+ − J−J+ + J−
Z0 (x = 0) (5.24)
*3 高次モードには,TEモード (磁場は進行方向成分を持つ),TMモード (電場は進行方向成分を持つ)などがあり,これらは特に低周波で
は分散を有している.
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である.これは,右へ進む進行波が x = 0で反射されて逆行波 (反射波)を発生していると考えられ,反射の割合,す
なわち反射係数 r は
r =V−V+
= −J−J+
=Z1 − Z0Z1 + Z0
(5.25)
となる.これは反射の際に位相がシフトすることを考慮し,一般に複素数である.これから明らかなように,Z1 = Z0
であれば反射は 0となる.この場合,伝送線と負荷とはインピーダンス整合している,という.それ以外の場合は,
信号の一部が伝送線端で反射し,余計な信号として伝送線内に残る.このようなことは一般には極力避けなければな
らないので,特性インピーダンスと終端の整合は重要である.整合していない場合は,伝送線に沿って定在波が立
つ.この定在波の腹の振幅と谷の電圧振幅の比を電圧定在波比 (voltage-standing wave ratio, VSWR)と呼ぶ.損
失が無視できる場合,
VSWR =1 + |r|1− |r|
(5.26)
である.これは数MHz程度の高周波では比較的容易に測定できるので,反射係数の測定に用いられる.
信号源電源のある x = −lでは
V = V+ exp (κl) + V− exp (−κl) = Z0(J+ exp (κl)− J− exp (−κl))J = J+ exp (κl) + J− exp (−κl)
}(5.27)
であるから,電源から右を見た時のインピーダンス Zl は
Zl =V
J=J+ exp (κl)− J− exp (−κl)J+ exp (κl) + J− exp (−κl)
Z0 (5.28)
である.この地点での反射率 rl はrl = r exp (−2κl) (5.29)
となる。
損失が無視できて κ = iω√LC ≡ iβ と書ける場合,(5.28)の l依存性は tanh (κl) = i tan (βl)で表すことができ
る.信号の波長 v/(2πω)を λとおくと,Zl は λ/2周期の周期関数となる.l = λ/4の時,
Zl = Z20/Z1 (5.30)
で,右を見たインピーダンスは負荷のアドミタンスに比例している.この伝送線を λ/4変成器と呼んでいる.従っ
て,Z1 = ∞(開放)の場合,入力インピーダンスは 0となる.逆に右端を短絡した場合 (Z1 = 0)は,入力インピーダンスは発散する.これは,しばしば高周波の切替え器などに応用される.
特性インピーダンス Z0 の伝送路に Z′0 の伝送路を接続した場合も,接続伝送路側を見たインピーダンスは Z
′0 であ
るから,インピーダンス Z ′0 をぶら下げた場合と同じである.すなわち,反射係数は
r =Z ′0 − Z0Z ′0 + Z0
(5.31)
で与えられ,伝送線路の接続でも特性インピーダンスの違いによって反射が生じることがわかる.
5.2.3 スミス・チャート,イミッタンス・チャート
終端インピーダンス Z1 を反射率 r の平面に等角写像したものをスミス・チャート (Smith chart)と呼ぶ.これは
次のように求まる.まず,Z1 を Z0 で規格化し、これを規格化インピーダンス Zn と呼ぶことにする。Zn = x+ iy
r = u+ iw (x, y, u, wは実数)とすると、
u+ iw = r =Zn − 1Zn + 1
=(x− 1) + iy(x+ 1) + iy
(5.32)
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y = 4
x=4x=2
x=1
x=0.5
x=0.1x=0
y = 2
y = 2-
y = 4-
y = 0
y =0.2-
y=
0.5
-
y=
-1
y=
1y=
0.5
y = 0.2
(a) (b)
図 5.12 (a) スミス・チャート座標の描き方.(b) 実用スミス・チャート座標.
であるから、x− 1 = (x+ 1)u− yw
y = yu+ w(x+ 1)
}(5.33)
という陰関数表示が得られる。今、xを一定値にとる場合を考えると、(5.33)から y を消去して(u− x
x+ 1
)2+ w2 =
1
(x+ 1)2(5.34)
となり、円を表す。これを定抵抗円と呼ぶ。同様に y が一定値の場合
(u− 1)2 +(w − 1
y
)2=
1
y2(5.35)
で、やはり円となり、定リアクタンス円と呼ぶ。ただし、この場合、パラメタ xが x ≥ 0の範囲で変化しても,r はこの全円周上を動くわけではなく,(5.32)からわかるように,原点を中心とする半径 1の円内でこの円周上を動く.
以上よりスミス・チャート座標を図 5.12のように描くことができる.
スミス・チャートは終端インピーダンスと反射率の関係を示すものであるが,これをアドミッタンスに対するもの
に直すには,(5.32)より Y ≡ 1/Z とすると,
r =1− Y1 + Y
(5.36)
となり,これは形式的には (5.32)の符号を反転した形をしている.したがって,アドミッタンスに対するチャートは
スミス・チャートを 180℃回転させたものになっている.この2種類のチャートを重ねあわせて一つの図に示したも
のをイミッタンス・チャート (immittance chart)と呼んでいる.3.1.1節で検討した LCR直列回路で終端した場合
は,抵抗成分が一定で,周波数によりリアクタンス成分が変化するので,r を表す点が周波数により定抵抗円の上を
移動していく.ω = 0,∞の両方で,r = 1であるから r = 1から出発して定抵抗円の上を一周して戻ってくる軌道が描ける.
スミス・チャートは高周波回路特性の視覚化の上では大変重宝である.インピーダンス整合負荷回路などの設計に
も有用であるし,更に重要なのは,高周波の能動素子について,次に説明する Sパラメタがスミス・チャートで与え
られることである.物理の実験現場では,インピーダンス整合を取る必要が生じるのは,1) 磁気共鳴など,いわゆる
「電波物性」測定において,試料側と計測器側で整合が必要となる,
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5.3 S行列 (Sパラメタ)
5.3.1 S行列の定義
S
a2
a3
a4
a1 b2
b3b4
b1
集中定数回路では,導線は電位を瞬時に伝えたので,物理的な接触はすなわち完
全な結合を意味したが,分布定数回路を必要とする高周波では,前節の議論の通
り,結合に特別な扱いを必要とする.ここで,複数伝送路の結合について一般的な
手法を考える.これまで,1つの伝送路に対して単一のモードのみ考えてきたが,
一般に高周波伝送路では多数のモードが存在し,線形性からこれらのモードを通し
た伝送は線路内では互いに独立と考えることができる.そこで,各モードを (伝送)
チャネル (channel) と呼び,結合部を除いて独立とする.伝送チャネルは,(4.9)
の解として exp(±κx)と,双方向に進むものがあったように,一般に双方向性である.これは,伝送路の反転対称性 (時間反転対称性) によるもので,外部磁場が印
可されて時間反転対称性が破れている場合などは,注意が必要になる.
そこで,ある伝送路の結合点を考え,結合点に接続されている伝送チャネルを i,j などで指数付けする.結合点へ
の入力波動の各チャネル複素振幅を ai,出力波動複素振幅を bi として,
b1...bi...bn
=
S11 · · · S1i · · · S1n...
. . ....
Si1 Sii Sin...
. . ....
Sn1 · · · Sni · · · Snn
a1...ai...an
(5.37)
と書き,{Sij}を散乱行列あるいは S行列 (S matrix)と呼ぶ.このように置ける,ということは,もちろん,結合点でのチャネル間の結合が線形であることと同値である.「複素」振幅と断ったことからわかるように,S行列では
各波動の位相関係も含んで扱っており,当然 S行列要素も一般には複素数である.
S 行列には,線形回路の対称性を反映した幾つかの特徴がある.1つは,相反定理 (reciprocity theorem) と呼
ばれ,
Sij = Sji, (5.38)
すなわち,対称行列である.また,波動が TEMモードで分散を持たず,結合経路も同じ媒質を使っていて群速度が
一定である場合,結合点での電磁エネルギー消失がないとすると,S行列はユニタリー∑j
SjiS∗jk = δik (5.39)
である.これは,エネルギー保存則から当然で,群速度が各チャネルですべて同じであるから (流入エネルギー)=(流
出エネルギー) より, ∑i
|ai|2 =∑i
|bi|2 (5.40)
すなわち,S行列はベクトルのノルムを保ち,ユニタリーである.
a1 a2
b1 b2÷÷ø
öççè
æ
2221
1211
SS
SS
図 5.13 2ポート S行列
線路を通しての信号の伝送,反射などが重要になる高周波回路では,S 行
列は頻用される.場合によっては増幅作用のある回路などにも使われ,この
ような場合は当然ユニタリー性 (5.39)は成り立たない.頻用されるため S行
列要素が Sパラメタと呼ばれ,高周波回路での標準語彙となっている.左図
の2ポート回路の場合,Sパラメタ {Sij}は(b1b2
)=
(S11 S12S21 S22
)(a1a2
)(5.41)
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で定義される.1本の伝送路には 2本の導体線が必要であるから,2ポート回路は 4端子回路である.ただし,(5.41)
のように書いた場合,S行列は,4端子回路を表した他の行列とは,1つのポートを双方向伝送路として各方向の散
乱に行列要素をそれぞれ充てている点が明瞭に異なっているので注意が必要である.
Sパラメタの利点は,容易に測定できることで,ネットワークアナライザのような専用機器を用いれば,瞬時に正
確な値を得ることができる.Sパラメタから各種特性量を計算することができる.例えば特性インピーダンス Z0 が
既知であれば,負荷インピーダンス Z1 は r = S11 より (4.37)を使って容易に求められる.より簡単には S11 をスミ
ス・チャートにプロットすれば良い.Sパラメタを例えば Zで表すと,次のようになる.(S11 S12S21 S22
)=
1
detZ
((Z11 − Z0)(Z22 + Z0)− Z12Z21 2Z0Z12
2Z0Z21 (Z11 + Z0)(Z22 − Z0)− Z12Z21
). (5.42)
5.3.2 量子輸送と S行列
S行列の記述対象は,ごく一般的に伝送路を伝播する波動の結節点であった.量子力学に従い,物質中を伝播する
電子も波動と考えることができ,いわゆる量子輸送現象論は電子が量子力学的な波動及び粒子としての伝播現象を対
象とする.従って,量子輸送現象も伝送路と S行列による記述が可能であり,散乱形式論 (scattering theory)と呼
ばれている.S行列を議論したついでに,その導入部を紹介する.
散乱形式論の基礎になるのは,量子細線 (quantum wire) の電気伝導である.量子細線とは,空間ポテンシャルの
閉じ込め効果を用いて,ある1次元方向以外の運動の自由度を量子化によって凍結した電子の伝導路である.このよ
うな「伝導路」を伝導チャネル (conductance channel)と呼ぶ.電子回路と同様に,各チャネルは時間反転対称性の
ある系では双方向性であり,その電気伝導度は
Gq =2e2
h(5.43)
とユニバーサルな定数で表される.式 (5.43)は,電子スピンの自由度 2を考慮しており,これを「別チャネル」と考
える場合は Gq = e2/hとなる.(5.43),あるいはこの 1/2の e2/hを伝導度量子 (conductance quantum)と呼ぶ.
量子力学において「粒子 (波動)の流れ」は,実空間座標表示の波動関数 ψ(r)に対して確率密度流
j(r, t) =ℏ
2im[ψ∗∇ψ − (∇ψ∗)ψ] (5.44)
で与えられる.しかし,これは,すでに期待値であり,これを直接扱う理論形式は量子輸送に現れる干渉効果などの
量子効果を記述することができない.そこで,空間存在確率密度に対数する実空間波動関数に対応する複素確率密度
流を考える.これは,絶対値の 2 乗を取れば確率密度流になり波動関数の位相情報を保存するもので,最も単純に
は波動関数 ψ が表す粒子の群速度を vg と置いて,√vg ψ とすれば良い.ある結節点に流れこむ複素確率密度流を
{ai},流れでる方を {bi}と書けば,(5.37)の定義式をそのまま使用して S行列による記述が可能である.量子輸送に対する S行列においては,時間反転対称性のある系では,(5.38)の相
反定理 (Onsager 相反性),(5.39) のユニタリ-性のいずれもが成立する.散乱形
式論での量子伝導体の記述は,左図のように S行列で記述される結節点が幾つかあ
り,その間を双方向性の伝導チャネルが結んでいる,というものである.この伝導
チャネルは量子細線内の量子化準位に相当する 1次元伝導路で定義したが,これを
広げて,例えば,ファインマン経路積分の古典経路に相当するものと考えることも
可能である.この定義は,任意の 3次元導体であってもこのような伝導チャネルの
重ね合わせとして記述可能であることを示している.
5.3.3 S行列の接続
量子伝導体のこのような記述法を考えると,複数の S行列を接続したものを更に1つの S行列と見ることが可能
で,また重要であることがわかる.最も簡単なものとして,図 5.13の 2ポート S行列を考える.まず,このような
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S行列は,結節点での複素反射係数,透過係数を用いて,(b1b2
)= S
(a1a2
)=
(rL tRtL rR
)(a1a2
). (5.45)
ここで,tL,R,rL,R はそれぞれ左,右からの複素透過率・反射率であり,透過率・反射率 TL,R,RL,R との関係は
TL,R = |tL,r|2 = 1−RL,R = 1− |rL,R|2 (5.46)
である.最終的に,透過率が求まれば,これに (5.43)の伝導度量子を乗じたものが伝導体全体の電気伝導度となる.
導体 A,B を S 行列で表し,左図のように接続する.接続条
件は
a2 = b3, a3 = b2 (5.47)
であるから,S行列の要素に A,Bの上付きを付けて区別し,こ
の A,B合わせた直列伝導体を1つの S行列で表すと
SAB =
(rABL t
ABR
tABL rABR
)=
[rAL + t
ARr
BL
(I − rARrBL
)−1tAL t
AR
(I − rBL rAR
)−1tBR
tBL(I − rARrBL
)−1tAL r
BR + t
BL
(I − rARrBL
)−1rARt
BR
]
となる.以上,t,rなどは,スカラーとしてきたが,チャネルが左右複数ある場合でも,これらをチャネルを指数と
する行列に変えれば上の扱いはそのまま成立する.行列 tを伝導体の透過行列,r を反射行列と呼ぶ.
5.3.4 T行列
入射チャネルを出射チャネルへ変換した S行列に対して,T行列は,図 5.14(a)のように,左端子の入出力を右端
子の入出力へと変換する行列であり,
MT
(a1b1
)=
(a2b2
)と定義される.図 5.14(b)からわかるように
MABT = MBTM
AT (5.48)
と,合成は行列の積で表されるので極めて容易である.一方,T行列を複素反射係数,透過係数で表すと
MT =
(1/t∗ −r∗/t∗−r/t 1/t
)となり,S行列の方が見通しが良い.また,3端子以上の分岐を扱うと,(5.48)の利点は失われる.以上の特徴から,
問題に応じて S行列,T行列が選択される.
5.3.5 高周波デバイスの Sパラメタ表示
高周波用バイポーラ接合トランジスタ (BJT)や金属-半導体ショットキー電場効果トランジスタ (MESFET)など,
高周波増幅デバイスの用途としては,図 5.15上図のように,伝送線路からの信号を受けて何らかの増幅動作を行い,
負荷の伝送線路へ信号を送り出すこと,と考えてよい.図では,高周波で頻用される特性インピーダンス 50Ωのラ
インを仮定している.また,個別デバイスを 3.4,3.5節で見たように,適当なバイアスを与えて線形 4端子回路と
MT
MTA MTB
a1 a1 a3a2 a2 a4
b1 b1 b3b2 b2 b4
A B
(a) (b)
図 5.14 (a) T行列の概念図.(b) T行列の合成.
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図 5.15 左:高周波用 GaAs(半導体)MESFET の S パラメ
タをスミスチャート上の軌跡として与えた例.上:アクティブ
素子を挟んで特性インピーダンス 50Ω の伝送路とインピーダ
ンスマッチを取る回路のブロックダイアグラム.下:入出力を
単インピーダンス化.
して扱う.このような高周波用途の増幅デバイスは,図 5.15左図のように周波数特性を Sパラメタの形にまとめて,
スミス・チャート上に与えていることが多い*4.この例を見てもわかるように,個別デバイスは 50Ωに調整されてい
るわけではなく (現実問題,負荷回路なしで (すなわち IC化することなく)これまで見た半導体デバイスを 50Ωに調
整することは困難である),2.9 節で見たように,何らかの外部負荷回路によってインピーダンス整合を取る必要があ
る.この時,高周波ではインピーダンスの周波数依存性が大きく,必要な中心周波数,バンド幅更にはノイズ特性も
考慮して周辺回路を決定する必要がある.ここでは,考える中心周波数でのインピーダンス整合を中心に考える.な
お,信号論については次章で扱う予定である.
図 5.15 上の回路は,鳳テブナンの定理を使うことで,図 5.15 下の回路へと等価回路変換することができる.注
意すべきことは,回路は BJT(FET)部分によって回路が分断されているわけではない,ということで,左右独立に
チューニングを行うと整合が取れていない可能性が高い*5.
まず,図 5.15上のプロック図で,トランジスタ領域左右の信号源,および負荷のインピーダンスは
ZS = Zi22 −
Z i12Zi21
50 + Z i11, ZL = Z
o11 −
Zo12Zo21
50 + Zo22(5.49)
と計算される.次に,これらと,トランジスタを Zパラメタ (インピーダンス行列)で表したもの {Zij} を使って,図 5.15下で,信号源側からトランジスタ側を見た時のインピーダンス Zl と,負荷側からトランジスタ側を見た時の
インピーダンス Zr は
Zl = Z11 −Z12Z21ZL + Z22
, Zr = Z22 −Z12Z21ZS + Z11
(5.50)
と表される.形式的には,(5.49)と (5.50)をマッチさせれば良い.
5.3.6 Sパラメタを用いたインピーダンス整合 [5]
同じことを,Sパラメタを用いて行うことを考える.トランジスタ系が 2ポート S行列 {Sij}で (5.41)のように表されているとする.図 5.16のように,(a) ロード側に反射係数 RL = a2/b2 の負荷を接続した場合,(b) ソース側
に反射係数 RS = a1/b1 の負荷を接続した場合をそれぞれ考える.(a)の場合,左から見た反射係数 Rin = b1/a1 は
Rin = S11 +S12S21RL1− S22RL
(5.51a)
*4 通常,規格表には測定値の数表も同時に示されている.
*5 BJTや FETを直列接続 (カスコード接続, cascode connection)することで,接続インピーダンスを高くし,ミラー効果を下げて左右の
独立性を上げ,個別のチューニングを可能にすることも行われている.
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図 5.16 S行列系へ反射負荷を接続する.(a) ロード側に反射係数 RL の負荷を接続した場合.(b) ソース側に反
射係数 RS の負荷を接続した場合.
となる.同様に,(b)の場合,右から見た反射係数は,
Rout = S22 +S12S21RS1− S11RS
(5.51b)
となる.
今,(a),(b)の接続を同時に行い,入出力のインピーダンスが整合しているとすると,5.3.1節で,Z行列が S行
列を用いて容易に表せる,と述べたように,反射係数も整合しているはずである.ただし,信号の向きが逆であるか
ら,互いに複素共役になっているはずである.
RL = R∗out, RS = R
∗in. (5.52)
これを解いて,
RS =B1 ±
√B21 − 4|M |22M
, RL =B2 ±
√B22 − 4|N |22N
. (5.53)
ただし,
B1 = 1 + |S11|2 − |S22|2 − |detS|2, B2 = 1− |S11|2 + |S22|2 − |detS|2, (5.53a)N = S22 − S∗11detS, M = S11 − S∗22detS (5.53b)
である.この時の電力利得 (最大有能電力利得, maximum available power gain)は
Gmax =
∣∣∣∣S21S12∣∣∣∣ (K −√K2 − 1) (5.54)
となる.ただし,K は安定度係数 (stability factor)と呼ばれ,
K =1 + |detS|2 − |S11|2 − |S22|2
2|S12S21|(5.55)
であり,増幅が安定であるための条件は,K ≥ 1である.
参考文献
[1] 太田浩一「マクスウェル理論の基礎」(東大出版会,2002).
[2] H. A. Wheeler, IEEE Trans. Microwave Theory and Tech. 13, 172-185 (1965).
[3] D. B. Davidson, “Computational electromagnetics for RF and microwave engineering” (Cambridge Univ.
Press, 2005).
[4] 宮内一洋,赤池正巳,石尾秀樹 「マイクロ波・光工学」 (コロナ社, 1989).
[5] 市川古都美,市川裕一 「高周波回路設計のための Sパラメータ詳解」 (CQ出版社,2007).
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