風景構成法の読みとりに 関する一考察 - osaka city...

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人文研究 大阪市立大学文学部紀要 1988 年第40 巻第 7 分冊 37 -., 60 問題 風景構成法の読みとりに 関す る一考察 構成プロセスについて ニo::. - 37- 本論文は,心理臨床における非言語的手法の 1 つである風景構成法(以下, LMT) に関して,その作品の読みとり ,すなわち描き手からのメッセー ジ の受けとり ,理解という ,最も重要かつ必要な傾域に,従来の知見を踏まえ て検討を加え,考察するものである。 LMT は中井 (1970) によって創案さ れ,以来20 年余りを経るなかで,その重要度を着実に増してきている。当初 から , LMT は主として精神分裂病の治療,理解に新たな視座を提供してき たが(中井, 1971 1972;中里,1982) , 最近では発達的視点からの研究も 訂手され(宮脇,1983; 山中 , 1984; 弘田 , 1986) , また LMT を用いた登 校矩否児の研究も見られる(弘出 ・長屋,1988) 乙れまでの研究を概括す ると,その )j 向性として,治療という視点を基軸にした縦断的研究,技法 ・ 検査という視点からの繊断的研究という 2 側面からのアプローチが並行して きている。前者は LMT の臨床的有効性に関するものであり , I 11 (1970 1971 1972) III (1982) ,石川 (1983) , 沌川 (1984) らによって報告さ れている。一方,後者はー技法としての LMTの有効性,本側性を検局する のであり , 111 q:1 (1984) ,弘田 (1986) ,弘田 ・長屋 (1988) らの報告があ る。 ζ うした流れに対し筆者は , LMTを完成された作品としてみるだけでな く,その描画プロセスにも多くの理解すべき材料が潜んでいるとJ5・え, L 1 T の「プロセス分析J を提唱して,一作品の検討を行い(皆藤, 1988-a) さら κ LMT による心理療法過程の把握の有効性を氾求 した(皆様,1988-b) そのなかで, LMT が臨床的に極めて有効な技法で (493 )

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人文研究 大阪市立大学文学部紀要1988年第40巻第7分冊37-., 60頁

問題

風景構成法の読みとりに

関す る一考察

構成プロセスについて

皆 藤ニo::.

- 37-

本論文は,心理臨床における非言語的手法の 1つである風景構成法(以下,

LMT)に関して,その作品の読みとり,すなわち描き手からのメッセー ジ

の受けとり ,理解という,最も重要かつ必要な傾域に,従来の知見を踏まえ

て検討を加え,考察するものである。 LMTは中井 (1970)によって創案さ

れ,以来20年余りを経るなかで,その重要度を着実に増してきている。当初

から,LMTは主として精神分裂病の治療,理解に新たな視座を提供してき

たが(中井,1971, 1972;中里,1982), 最近では発達的視点からの研究も

訂手され(宮脇,1983;山中,1984;弘田,1986), また LMTを用いた登

校矩否児の研究も見られる(弘出 ・長屋,1988)。 乙れまでの研究を概括す

ると,その)j向性として,治療という視点を基軸にした縦断的研究,技法 ・

検査という視点からの繊断的研究という 2側面からのアプローチが並行して

きている。前者はLMTの臨床的有効性に関するものであり ,I 11井 (1970,

1971, 1972), III里 (1982),石川 (1983), 沌川 (1984) らによって報告さ

れている。一方,後者はー技法としての LMTの有効性,本側性を検局する

のであり,111 q:1 (1984),弘田 (1986),弘田 ・長屋 (1988)らの報告があ

る。

ζ うした流れに対し筆者は,LMTを完成された作品としてみるだけでな

く,その描画プロセスにも多くの理解すべき材料が潜んでいるとJ5・え, L 1¥1

Tの「プロセス分析Jを提唱して,一作品の検討を行い(皆藤, 1988-a),

さらκ,-~fJ例を通して , LMT による心理療法過程の把握の有効性を氾求

した(皆様,1988-b)。 そのなかで,LMTが臨床的に極めて有効な技法で

(493 )

、ー

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d

風3託|符成法の読みと りに関する一考・察 ー 39ー

が採光されなければならないと5考えている。 プロセス分桁はその一つの試み

として位置づけられる。

さらiζ本稿では,そうした試みをさら に進めて, L ~ITの独自性につい• • • • • • • • •

て取り上げてみたい。 L ~ITは風景を構成してゆくというととにその眼目 カ・

あるのであ り,乙れは他の他国i法にはない, L ~ITの独自性である。投影訟

にまで範囲を広げる と,箱庭が類似の技法と言えな くもないが,L f¥,1 Tの万

がよ り窓識的関与, 自我の強さ を必要とする技必であ り , 乙の点は L ~dT .が

どのような経緯で創案されたのかを必起すれば自 lJ}Jのことである。凪去を構

成する乙と にはかなりの意識の)J,r:1我の強さが求められる。乙れiζついて

は特に取り上げないが,本稿では常lζ考慮されていく 乙とである。

さて,通常我々 が風景を描 く湯合,拙かれるふ材と しての風景は眼前にあ

る,ない しは心象風景としてその全体イメー ジがすでにあるが,L l¥fTにお

いては,その施行法から見て取れるように,個々のアイテ ムをtk々 に拙・いて

全体として一つの風景を構成してゆ くのであ り,描き予の心象風景は前もつ

であ るにせよ,それが個々のアイ テムの教示とは必ずし も一致する訳ではな

い。 そ乙では,教示lζ従って風景を構成してゆくという 怠識の働き が求めら

れる のである。乙乙 ~r LMTの独自性がある。特iζ遠景群の構成の さ れプJ,

中,近景群の描かれる位置という構成プロセスの,その読みと りが霊要にな

るのである。乙 の辺りについては,風景が全体としてどのよう に構成されて

いるのかという,構成度の視点からの報告(中井,1971;弘田 ・長屋,1988),

発達的側面から風景の構成度を検討した報告 (宮脇,1983)があるが,風景

がどのように構成されてゆくのかという ,風景の構成プロセ スからの研究は

なされていない。プロセス分析でもと の点は不充分になっている。上述され

ている ように, LMTの独自性は風景を構成 してゆく と乙 ろにあるのであ り,

乙の視点か らLMTを読みと り,理解 してゆく必要がある。そ 乙で本稿では

乙の視点を中心に据えて, 登校拒否児の LMT作品21例について考察する乙

とにする。 登校拒否児の作品を取り上げるのは特に窓あっての乙とではない

が,登校拒否児を対象としてLMTの有効性を検討 した先行研究(主に弘田

・長屋,1988)があり,それと比較考察が可能ではないかと考えたからであ

る。その点を含め,従来の知見を踏まえて考・察してゆく とと にする。

また, LMTの質問項目は作品の読みと り,理解について有効な悩報をう

えでくれるが,乙れに関する研究はまだ着手されたばかり である。乙 の点に

ついては宮脇 (1983)が発達的側面か ら報告している ので,今回はそれを参

(495 )

ー ィ10ー

問項目についてゆ する乙とに一

s.ituation の

五例を中心

プロセスには先山

く露日してくると考えり

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、た一つの試みである。しかし"今回対立iとE ム

は,諸々 lの!jJfl'Jから怨者が比守り手と E ザ

かじめことわっておきたい。 2医者はそ二-,-~ '--"'t _--~ 叫 」ιいら

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乙とは臨床現唱ではよくあることであり事ぷユー

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風景悦成法の読みとりに関する一考終 - 41-

結果

1. 先行研究との比較検討

神経症的登校拒否児の LMT'作品を対照1tfと比較して,B71者{ζ有意に特徴

的な,ないしはその傾向が認められると報告された弘田 ・五屋 (1988)の提

出したアイテムを中心にして,今回の結果が表 1に掲げられている。それに

よると,I記号化された人間像J, i太陽」の 2項目が先行研究と概ね一致し

た。 すなわち , 両項目共~C , 登校拒否児に出現する頻度が少ないという結果

Kなった。

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表 1 アイテム表現の出現頻度

. ' . 』 Cl. アイテム 出現頻度〈匂〉

川の流れ

右上→左下

アイ テム 出現頻度〈も)

5(23.8)

1( 4.8)

4(19.0)

6(28.6)

6(28.6)

8(38.1)

3(14.3)

主右

8(38.1)

3(14.3)

3(14.3)

5(23.8)

2( 9.5)

9(42.9)

山道

, ・F匹、,

川右

路上の石

記号化された人間像

川を挟む田と家

左側にある家

太陽

1・・・唖轟可d

'Elh,

t3手『

2. 質問項目

。季節と時候

春と答えた者は 9名,夏は 4名,晩夏 1名,夏~秋 1名,秋 4名,冬 1名,

冬~春1名であ り,春の選択者が最も多く (4396), 次いで夏と秋 (1990)

のj煩で,冬が最も少ない (596)という結果になった。乙れは宮脇 (1983)

が発達的側面からの検討のなかで指摘している,春,夏の選択者が学年を問

わず多く ,全体の9096を占めるとい う報告と紙ね一致するが,その報告で秋,

冬の選択者が極めて少ないのに対し(秋は全体の 896;冬は1.190),本結果

は秋の多いのが特徴的である。筆者の調ふらも ,I思春期の健常群仰いて,

秋,冬の選択者は極めて少ない (秋は全体の8.8% ;冬は0.906)。 そ乙で筆

者の調査結果と本結果とを検定してみたが, 有意、差は認められなかった。し

かし,筆者が個別に関わった病ぎ附いては, 秋は全体の13f6,冬は 4匂で

あり,健常群lζ比べその比率はやや多く ,本結果に近い。 )

一方,時候については昼 (12時-4時の間) と答えた者が15名 (75タb)と

圧倒的に多く,宮脇 (1983)の報告とほぼ一致した。 昼以外を選択し,かつ

(497 )

切りav」同』M

・upaμ

バ.L-J'

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一位一、

2jf節を秋,ないしは冬と答え ム ~は 2 名(いずれも季節I~h~ 官

夕方各 1名)であった。

2) 人物

その結果が表 2l乙掲げられている。人物の動き K関してp 宮l胞 (1983

報告と比較 して存しく異なるのは,静的動きであり.

:瓶めて高b、。 12Z脇 (1983I では , 静的動きは小学 1 年で長も~Jf' 39 ~シ,"

小学 2年で著しく減少し (14.4%), その後多少の増減はあるものの少わ

なる傾向lζあり,小学 6年では最も少なくなる (8.996)。つまり E 学年が上

がる!こ従って阪ね減少傾向を示しているのであるが

す照的で.しかもその比率は42.996と額めて高い。

2 人物のアイテムの結黒

• ( )は%)

住jj)IJ 血Bさ・ 最安向性 13 (5iJ. 2) 遊び 5 (23.S) ー世1: <1 (29.2) !助的辺助 6(28.6〉l切 I_(16.6) 限的迎励 9 (42.9) 引く

24(1∞〉 対人状況 1_( 4.'7)

21(1∞ 〉

{也の項目との!羽目UI一一一一ーー ・圃 一一一ー一-ーEー--- r----

~との機能的関連 2 ( 7.i) 遊び 2|〈一-対人的!側主II 3 ( 11,..5) 動的運勘 2 ( 33,・助物との機能的関連 5 ( 19..2) 自事的i!t!助 2 ( 道の傍ら..UX上 S ( 30.S) 6 (1∞〉山の付近

Gぐ:23..1) その他の{立:位 12ぐ 17〉 • t具駅ii巳~Q.)め 6 ものは血盟し

26 (1 ,

• illl J・ _ l1li"" . . . 皿......._......咽日圃 E・-噌量、 ..I:rJ ., 唱 ~-唖,司也、 .‘咽'、ー

-遊びはぐiliんでいる.泳いでい、

ど;"(4¥的ど;助的 "

" I己、"、ー

111.‘ 早〉など:

してい

けて!おIH

~ 19

• '. -"J

嵐長構成法の読みとりに関する一考察 - 43-

人物の性別に関しては, 同性の人物を描 く比率が最も高かっ た。 弘田

(1986)は乙 の点について,向性を描 く比率は幼稚図か ら小学時代までは高

く,小学 6年では73Qoを占め るが, 中学 2年で一端減少し (17.5匂), 性別

不明の割合が極めて高くな り (82. 50o), 高校以降κ再び増加する(高校 1

年で35.690)と報告 している。乙れから比ると本結壌は向性を描 く比率がか

なり高いと言える;また逆時田 (1986)の結雫によると,異性の人物を描

く比率は小学 6年で2.796,中学 2年で5.000であり ,本結雫は乙れと比較 し

て極めて高いとも言える。乙れらから見る と,本結雫では人物の性別に関し

ては,向性を描くことが多いが,異性を摘 く比率も高く ,逆(C性別不明の比

率は低い,すなわち人物が描き手の内界において性あるものとして体験され,

紙面に投影されていると言えるだろう。しかも,記号化された人聞を描いた

6例中,性別が示されている のが 3例を占め る乙とは乙れを哀付け,またそ

の内 4例が人物に動的ないしは遊びという勤き を投影している 乙とは注目さ

れる(表 2参照)。

人物の数では単数が圧倒的に多かった。乙れは宮脇 (1983)の報告と類似

の結果であるが,その比率から見ると本結果は極めて高い (宮脇 (1983)に

よると小学 1年を除いてその比率は5096を越える乙とはない)。

さらに今回新たに設定した,人物と他の項目との関連であるが,表 2で明

らかなように人物が他の項目と何らかの関連をもって描かれていることが判

った。それは殆どが,人間,動物という生あるもの,家,i立という生活lζ密

着した空間との関連であった。

3) JIlと道との関係

表 3~ζ掲げられているように, 並行関係が圧倒的に多く , また川と道の無

関係を含める とその比率は79.296にもなり ,J 11と道が何らかの形で関連し合

う乙とが極めて少ないという結果になった。乙れは筆者の調査でも裏付けら

れている。橋を描いたものが 5名あり(表 1参照), 乙の場合は橋によって

川と道は何らかの関係を持つ乙とになのだが,例えば図 1の橋のように,橋

が描かれたとしてもそれが機能するものとはならず,記号的なものに留まっ

ている (2例に見られた〉点も注目される。

3. 構成プロセス

弘田 ・長屋 (1988),宮脇 (1983)はそれぞれ構成度,構成段階の基準を

設定しているので,まずその基準に従って結果をまとめたのが表 4に示され

ている。弘田 ・長屋 (1988)によると,各構成度評定においては登校拒否児

( 499)

一『司圃圃司

『ー・・・圃.

-4hv

風景構成法の読みとりに関する一考察 - 45-

表4 構成度,構成段階の評定結果

数字は度数,( )は%

.旬間旬-

-hJatJwst,U川町

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q,・FR・-zL

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E m出 W V W

弘田 ・長屋の基準

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ー (100) 宮脇の基準

-筆者と他の 1名によって協議評定された。またとの両者の基準は同じもの

ではないが,段階が進むに連れて両・者の基準共,構成度は高くなる。

考察

1 . 先行研究との比較検討

記号化された人間像が登校拒否児に少ない乙とについて弘田・長屋 (1988)

は,それが防衛の弱さと関連するものではないかと示唆している。確かに人

間を記号化する乙とは一つの防衛としての意味があり,ノイウムテス トにおい

て,思春期には簡略型の木が描かれる乙とが多いのと類似の意味があると思

われる。しかし,だから登校拒否児は防衛が弱く,その面が人間像に現れる

とするのは問題であろう。そうならばLMTを用いずに,HTP Pテストな

りで乙とが済む。 LMTにおける人間像は他の描画法におけるそれとは質的

!と異なっており,川,山,白, 道,家,木と描かれている状況で人聞を描き

入れると ζ ろに,さらにその人閣の勤きを問うと乙ろに特徴がある訳である。

そうした視点から記号化された人間像を見ると,位置としては家の付近が最

も多く(6例中 4例),いずれも遠景に描き込まれている。他の 2例はいずれ

も近去にあり,それぞれ路上,川の付近 (2人の人聞が描かれている)に位

置している (図 2参照)。勤きとしては 6例中 4例が動的及び遊びを, 2例

が静的動きを投影している。乙れらは人物全体の結果と相反するものではな

い(表2参照)。 全体として見ると,LMT作品に描かれている人間像は,

風景のなかに機能的に位置づけられており,何らかの活動性が付与されてい

ると言える。それでは,登校拒否児のLMT作品に記号化された人間像が少

ないという乙とは何を怠味しているのであろう。

人間像は絵画活動一般においても極めて頻繁に描かれるモチーフであり,

それは地域性,時代,年代を問わない。そして,何らかのメッ セー ジを伝え

ようとする場合,あるいは自発的に描かれる場合であっても,人間像を記号

(501 )

- 46一

化するということは殆どない ζ とのよう に恩われる。しかし弘回 (1986)に

よると t 1:1:1学 2年の L1~{ 'T作品における人間の記号化の比率は709óにもなっ

ている。乙れはおそらく situationの問題が大きいのではないかと考えら、

る。この点は弘EI・毛屋 (1988)も指摘し,入閣の記号化についてはさらな

る検討が必要であるとしている。上述した防衛という点から見ると y 検査

況における人間の包号化は内界の表出を防衛する現れと言える。すなわちそ

こではメッ セー ジを伝えるという機能よりは,自我によって内界対

るのを防衛しているということが考えられる。集団法での施行では見守り手

の要肉は小さくなり,検百という色合いがより浪くなる訳でE 正常群では設

個性的,位名性のなかに身を隠す傾向が強くなると思われる(メッ セー ジを

伝える内的怠味.必然性が薄い)。本稿で取り上げた作品は, いずれも心理

波法のrl~Jで治療者との 1 対 1 の状況において捕かれたものである ζ とか bす

ると.記号化された人間像が少ないという ことは,描き手の防衛の弱さと

うこと よりもむしろ,抑iき手が何らかのメッ セー ジを伝えようとした一つ

現れとはることができると恩われる。 この点については以降でさらにふ町一

る。また,乙の ζ とからしてF 記号化された人間像にも何らかのメ叩 セーご

が込められているはずである。乙れについず同一

5 例において, ~校拒否と い う問題行問の~~r訟に

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図2 中2女守の{1:tfち・ .A.. tlは 14設のな l~ ~て~ "すこ うさして1・つけて止まってい

.502

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風景構成法の読みとりに関する一考察 - 4i一

端怠,あるいは心気的訴えなどが見られるととが注目される。 多;織な〆 ッセ

ージが込められているのであろう。そ乙 iζは防衛というそj=りの あり 方-よ り

も,記号化する しか伝える術がないという描き手の訴えがあるように思われ

る。 身体のある,表情のあ る人関像に生命感がある乙とを思い合わせてみる

と乙の印象は一層強く なる。また, 速長に人間を記号化して描くよ見合はその

人間像は風景の中にま ぎれて比較的目立たないのだが,それが近去に(立位す

る場合は逆にかなり目立ち,注 目を引く。乙れは人閣の記号化が防術の一つ

の手立てであるととに逆説する, LMTの特F倣であると恩われる。(~ 2にそ

の例が示されている。

さて,太陽は人間像と同様に古来より絵画の重要なモチー フの一つであ り,

またそれは霊,生命力の普通的象徴であ る。発達的には Kellogg(1966)が

指摘するように,太陽は3歳を過ぎる頃より描かれ始め,人物画への架け橋

となる描画のモチーフである。弘田 (1986)の報告でも太陽の描かれる割合

は年齢が増すと共に減少はするものの,付加物の中では描かれる割合の最も

高いものである。 LMTのなかに太陽の描かれる位置,窓味 (朝陽か夕陽か

など),大きさなどによってそのメ ッセージは異なって くるが,心的エネノレギ

ーの内向している状態では生命感のある太陽が描かれる ととは少ないのでは

ないかと考え られる。 乙れは登校拒否児に限らない特徴ではないかと思われ

Cコ

4・

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ぬem

.....

旬、 / / ‘h・

図3 中3女子の作品・田の付近に男の子がうつ向いて坐っている。

(503 )

旬.

- 48一

る。しかし,太陽が拙かれたと言ってそれがそのまま状態好転のE 健康度の

指標になる訳ではない。その例が図 3fζ示されているが,そこでは太陸の護

人化によって風景全体K明るさ,生命感が見られるもののF 描き手のメザセ

ージのポイントは明らかに回の傍らlζ うつ向いて坐る人間にある。

2.質問項目

季節と時候はおそらく描き手の心象風景のそれを反映しているであるう。

引'は例えばスポーツの秋,続性の秋などと活動性の高まる李節であるーフ子で.

日照附が少なくなり,厳しい冬の訪れを身体ごと感じる季節であえ :L~,1 Tlζ投影される秋は後者のイメージが強いと思われる。 4社 が圧倒的にy

いのは日本人lζ一般的な,投影し易い心象風景なのであろう。 ζ れは描き手

の.より怠識に近い内的状態の反映ではないかと録者は考えている。乙れに

対し,秋,冬には心的エネノレギーのより内向した状態が投影される爪弔叫わ

いかと恩われる。本結果がややj丙理I!草花近いのは. ζ のようなと ζ ろかり

てとれるのではないだろうか。抵者の体験からも,もい ま鏑“れるjq合は1!'i}f((ζ対処する必裂があると言える。時侯について{

がどこか深陪怠識を掃すぷる乙とを思えば.また日本人の生活空間にムいー

;"が比較的ゆとりのない時間であることを思えば,一般的に

のはf漬ける。このあたりも,箱路!こ比べ一般に LiVlT部

映するという一つの特徴が現れていると考えられ旬。

さて.人物lζ込められる〆ッセージであるが,fJ治的動き

-ljillYら (1970)がパウムテストの研究のなかで, 登位指

おける ItJ分のj主を失って,傍問者的立的,回避の空間へnている」と指摘したことと|湖liliするかも)G]~'ttよい。れているのであれば.静的i副jきの多い乙と!

山らが外科

必めるか Il

II均に現実のn分fl[J・が投i認さオ

ltlは忠;容lU]のttt=.1司一事1:のr:UJ捌からも検,hf山

] ¥1 rの持つ特?設からとのJ誌を巧えてみたし、。 1

いて全休としてー勺のJtll¥公を構成してゆ〈なか

に.旬n日!ζ,:f浪々 な 1'1分'J:t

j瓜ft.t立川さ乎の心役Jifi¥公であし .

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風景織成法の読みとりに関する一号察 - 49ー

長自の その風景にはメッ セー ジのポイントがある。それが正に LMTの臨床的有効

~~1J 性とつながっている。だから LMTの読みとりに際しては,描かれた人物が

υ ; 錨き手白身の投影であると簡単に理解するととはできない。厳密には個々の

例から検討しなくてはならないが乙乙での筆者の立場ではそれはできないの

で,試みに,人物を中心とした空間,) 11と道の関係をまとめてみた。表 2に

示されているように,人物は他の項目と何らかの関連をもって描かれてお り,

生あるものと関わるか,生活空間iζ密着した位置にいる。それは,静的弱jき

は多いものの,決して回避の空聞にいるのではない,あるいは傍観者的立場

にいるとしてもそ乙には生活空間があり,そうした空聞に生ある人間を定位

させている乙とを示している。強調しておくが,乙れが登校拒否児の特徴と

言っているのではなく ,LMT作品から,現立場の筆者に読みとれる乙と,

LMT作品の一つの読みとり方を試みているだけである。バウムテスト から

は銑みとれない描き手の内的側面がLMTから読みとれる可能性,LMTの

独向性がとこに示されていると考えられる。)11と道の関係、については,LM

T1'1品の読みとりのーっとして,川がしばしば無意識を,道が芯識な り人生

の追を象徴している(山中,1984)と乙ろから見ると,J 11と道の並行は怠識

と無怠識が適切な関係性を保っていないという内的状況を示唆しているかも

知れない。宮脇 (1983)は川と道の並行が小学 4年で減少し,逆に川と道の

也交がとの学年で最も多くなる乙とについて,川と道が直交という新しい関

係を結んだ,象徴解釈すれば窓識と無窓識が新しい関係を結んだ,すなわち

自我が質的に再構成されたと言えるのではないか,と示唆している。本結果

をζ とから見ると,思春期という臼我同一性の確立の時期にあって,意識と

無恕識が適切な関係を結べない,そうするには自我はまだ充分に強くないと

いう状況が読みとれるかと思われる。橋が必ずしも機能するものになってい

ない乙とは,意識と無意識が新たな関係を結ぼうと試みているにもかかわ ら

ず,それがうまくいっていない乙とを語っているように思われる (図 1参

照)。橋が 2つの世界(例えば眼に見える世界と眼に見えない世界)を結ぶ

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岡島民

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J備であるととは乙の乙とを一層示唆している。

3. 構成プロ セス

5成度について,弘田 ・長屋 (1988)は登校拒否児に必ずしも明瞭な特:歓

を見い出してはおらず,またその基準は「あくまで一つの試みにとどまるJ

としている。怨者の経験でも,川と田を風景のltに統合する乙とは健常な成

でもなかなか難しいのではないかと思われる。 との点は以降lζ考察すると

(505 )

~;( llli成法の読みとりK関する一考察ー 51ー

って以降の項目は全て川の影響を被る乙とになる。

て,Jill¥扶には必ず述近感がある。従って,J 11は線遠近法的効果を持って

かれなければならない。乙の場合,川を悩く ζ とによって摘き手の観点付

定まってくるはずである。1'1J村 (1982 が,r人nuは辺りの物の拡がり

つて,迎{ζn分が乙乙にいるという定位J進党を授かっている。(遠近感

とは) fI己の身体をそ lのtMjifr(ζ|際部しておく邸jきであるJと述べているよ

' .¥1去を怖く羽合は[1分というものが!iB<党として定位されていなけれド

口い。 ζのようによよると .川を悩く乙とは投彫のカンパス lζ対し観点を,

というものの感覚を定{立させる作業であるとiミえるのではないか。 以l降

ムはこの視点から拙かれてゆく乙とになる。またーJH.が述近感を作

なかった喝合はp 飛行機の上から見たような,空中iζ漂う観点カ

11となるか(図 4), あるいは, ):11のすぐ傍らに立つ位置に視点が定ま

とになる。けれどもー以降のアイテムをそうした観点から摘き続ける

八てlEJ雌であり,視点の移動を余儀なくさせられるo ~医者は , その

プ 4ロセス I~t荷台下の n我関与の強さや内的エネルギー , 個性を読みと

とができるのではなし、かと巧えている。図 4でも,思凪の1.11:.先

どiEな路上の右(地点前のきめの密度)にそうした|試みが:,

P ζ1且がJIIと rせ;;,

!とそfLIこ

て ここ乙で

が架けられ,直交している点はそ

って分けられた省の空間を除け

おの世界のl路傍 lζ地蔵が摘か~1L

て 的に EfI

F

'

。乙れらかふ摘さ手の内的エネルギー

1ていない世界を見守る強さ γ

とる乙と

して"必然的に川の上方,つまり越ブ11C描かれるはずで

事 ζiJtく乙となど殆ど-副,ー

5 てすべて川の述方!と山が描

が見られるが,そ

っている。川のf

し,ζ の描き手は川の

ている。

アイテ

。 .... ‘・・・

I~ -・圃・・・ つEこ,:1

ー司F・ とつ

つFH

〈回7)

- 52一

図5 中2男子の作品・付加物として道の分岐に菓子屋e 右下の木の付

近に犬小屋.国に案山子が捕かれている」

められるからである。また,それゆえ空白領域がぐ?くなったとも言え.こ

の11はj世iき手の問題を示唆しているかも知れない(迫が上下に分改する乙と

によって.川への接近がなくなり . 空白領域が増加している)。道の左寵Jに

ある,J!Ilを合む世界(空間図式iζ従えば無芯磁の世界)が風景の中!こ,描き

ごp.の心にどのように統合されてゆくかが課題かも知れない。その際p ig-J

111主にある京子j丞は捕さ手独特の窓." ~持ってくると思われる。しばしばこの

ようなれ215l乙道;13iがtWiかれたりもする。

さてt 111 を Jlli~)去の 1 :1・qζ:iiS近!おお持って統合する ζ とは一般にカ

を伴う作糸である (75脇,1983; 1~r膝F1988 co V i果でll:1:O)

いるのは 3 例に過ぎない。 ) 11 と山の~l\ïかれている紙而に日1を揃〈 jV 113 ・

法的効採については摘さ乎は川の拶轡を者 l"史る。院か!こ山を

なわち山のJニブJO,ζ) I日がlWiかれるときは特別でおら .

それ以外{ζ,例えば山の腿.ないしは川と山 の~ttj,求 ,fこ悶が悩

でも,その述近jbR3Iは)11 (と従うことがyい で 4 ・ 。した以みがなされている。乙 ζで. 山uアイテム 111が

てもYiかれているかどうかがI1U凶にf • し、そ

れていれければ. ことに日、

川ー、.

H 品ー

相~ -、.」て .

図16 中2 の作品 ・ 手は以下

でこれまlでは鼠に閉じ込もっていたが.

ている。固から隅を遮ってiiZへと綬〈

ーか山の償方から人物の手前へとiJJに花の咲いている遣はこ 、b

が泊かれてい

.."

-司-つ

にコン".

風景f持成法の読みとりに関する一考察 - 55-

ー酬刷.. _. ---・・・..、.. .. .. .. -ι..・"・,..

p ・..~ -..... ... -.'・H・'‘...圃・ ・・・・・・・ ・M・・"

図7 小5女子の作品・女の子は10歳位で回を見ている。

• • • • • • 、•

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• • 1、¥1, , ,‘, ,、,I、.t、、、‘、、、官、t、‘,,、.“‘¥ ' ¥ , ,、, , , I I 、、、 I• 、、‘、 t、、.

JJ]

とた多

図8 中1女子の作品・女の子は川を見ている。

わせると,描き手の訴えはかなり深刻なものである乙とが予恕される。描き

手は動物を描くことができずにこのアイテムを拒否したのだが,乙の風景に

( 511)

- 56一

後に向けての h

ーー

|ド 111心的にln 1.. ~jl •

IU~ f,;t ~ .1

『ー・・・

風景構成法の読みとりに関する一考察 - 57ー

した縦断的側面からの報告,プロセス分析がそれを実証している。また,L

MTは心理療法における夢と類似すると乙ろがあるように筆者は考えてい

る。夢の読みとり,解釈に際して Jung(1939)は,そのための骨組みとし

て夢の演劇的構造を取り上げ,それを基盤として夢の形態や脈絡を検討して

ゆかねばならないと強調している。 夢に対する Jungの姿勢は,夢に現れた

個々のものから全体を捉えてゆくのではなく,夢の全体像を捉え,そ乙か

ら個々のものを理解してゆくと乙ろにある。また Dieckmann(1978)は,

「夢はそのつどそれ自体で一つの直観的な構造と見なされる。そのような構

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造の理解は本質の深い考察によって達せられ,部分は全体から理解される乙

とを求める(傍点は筆者)J と述べている。そしてさらに Jung(1939)は,

「一つの解釈を立証するためには単に夢それ自体だけではなく ,可能であれ

ば全体の系列のつながりを考察するべきであるJと述べ,夢を系列として扱

う重要性を指摘している。

筆者はLMTの読みとりに対する姿勢として,乙のような夢に対する姿勢

を積極的に取り入れてゆ くべきだと考えている。乙の点は本稿に流れる一つ

の姿勢でもある。例えば,夢において同ーのモチーフが患者によっては全く

異なる窓味を持つ乙 とがあるように, LMT においても,個々のアイテムの

持つ窓味は描き手によって異なってくると筆者は考えている。 LMTの読み

とりの際の基盤になると筆者が考えている構成プロセスの骨組みも,夢の

演劇的構造と同様に捉えられるかも知れない。また,プロセス分析も Jung

(1939)の指摘する,夢を系列として扱う乙とと同様の意味があると思われ

る。乙のように,LMTの臨床的有効性,独自性は夢の解釈に対する姿勢を

取り入れながら,さらに深く追及されなければならないのではないだろうか。

乙乙でさらに一歩進めて,心理療法において患者の報告する夢は,治療者

と患者に共有するものであり,治療のプロセスのなかで,治療者と患者を含

むコスモスが夢を方向づけてゆくという,そうしたあり方が,心理療法にお

ける LMTにもあるのではないかと考えたい。乙の点については簡単に比較

できるものではないし,多方面からの検討を必要とするが,乙うした視点で

見る乙とによってLMTの臨床的有効性,独自性が際立って くる と思われる

し,その可能性を今後追求してゆきたいと考えている。夢は治療者と患者に

共有のものであり,無意識が語りかけるイメージ言語であるように, LMT

は窓識的,無窓識的試みが現すイメージ表現であり,見守り手と描き手の相

互作用のなかで産み出されるものなのであるから。

(513 )

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終 わ りに

a の求めに快く

ま塙談機関と治療者のブib

もをお見せ さっ7よ占四

匿名性の確保のに..... --ー.三b

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ませんが,乙乙!こ心より感湖の怠を表しま :10

りの内的問題と取り組むなかで成長しザ

閉じる乙とにします。

ー ζ" '23

v とを心かり つつ-.

1)実際はお例がhhfHされたのだが.

』。 り研究と少しでも余件 e

帽し、。

2)作品の提示についてー与・ a畠.唖ーよ{名憾のがm 日 しJ-L1....白』

?である〈彩色は行わなかった〉。

3)試みに,弘113・長昆 (1988)の対

こ人間像J11. Pく.∞5(x2=9.5S),

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風景構成法の読みとりに関する一考察 - 59ー

ある。

12)例えば,Munch, E.の絵画活動の変遷を想起すればよいだろう。また,心理療

法における太陽表現については織田 (1976)が論じており,太陽の象徴については

金山 (1988)に詳しい。

13)今回対象となった登校拒否児の生活空間は.かなり豊かな川があり,比較的自然、

iζ恵まれ,季節の移ろいを肌で感じられるととろである。また,冬にはかなりの積

雪をみる。

14)筆者の調査〈注4~ζ同じ〉 でも乙の点は確認されている。

15)言わば,混沌〈カオス〉を分かつ訳である。旧約聖書の自IJ世記における天地創造

の歴史が語るように.とこからすべてが始まる。

16)ζ とでの風景とは.大地iζ立つ人間の視点から眺めた土地の姿のととである。

17)ととでいう個性とは.描き手が自らの内的問題に取り組んでゆ く.その姿勢なり

あり方,方向性を意味している。

18)乙れは,田の遠近感表現が畔道に拠っているからであろう。

19)とれは山中 (1978)が内閉神経症の治療のなかで提唱している患者の持つ限局し

た志向性である「窓Jと類似のものと考えられる。

20)ζの点は比較民族学的考察が必要だが.少なくとも日本人について言えば,例え

ば婚礼や葬儀の際の花を想起すれば足りるであろう。

21)とれについて Hall(1983)は, r夢解釈もイメージ技法〈無意識のイメージの描

画を含む〉も,日常生活や心理治療場面における情動体験と同じく.コンプレック

スに影響を及ぼすようである〈括弧内は筆者)Jと,その類似性を指摘している。

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