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研究報告書 花王の新商品開発 ~ヒット商品を生み出す舞台裏~ 2005 1 早稲田大学商学部 井上達彦ゼミナール 2 期生 市川 太朗 小玉 沙希 谷道 祐子 武笠 あや子 薮内 由布子 - 1 -

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Page 1: 花王の新商品開発 - Waseda University · 多く出している優良企業の商品開発分析を行い、上記の問いに答えることとする。 Ⅰ-ⅱ 花王を調査対象とした理由

研究報告書

花王の新商品開発 ~ヒット商品を生み出す舞台裏~

2005 年 1 月

早稲田大学商学部 井上達彦ゼミナール 2 期生

市川 太朗

小玉 沙希

谷道 祐子

武笠 あや子

薮内 由布子

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Page 2: 花王の新商品開発 - Waseda University · 多く出している優良企業の商品開発分析を行い、上記の問いに答えることとする。 Ⅰ-ⅱ 花王を調査対象とした理由

<目次> サマリー・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・4 Ⅰ 花王のヒット商品開発・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・5 Ⅰ-ⅰ 新商品をヒット商品に Ⅰ-ⅱ 花王を調査対象とした理由 Ⅰ-ⅲ 花王の商品開発の歴史 Ⅰ-ⅳ 問題提起 Ⅰ-ⅴ 結論 Ⅱ 事例1 健康エコナ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・8 Ⅱ-ⅰ 健康エコナとは Ⅱ-ⅱ 開発経緯、健康エコナを支える技術 Ⅱ-ⅲ 開発経緯、否!市場調査 Ⅱ-ⅳ 総括① シーズとニーズ情報の蓄積 Ⅱ-ⅴ 総括② 個人レベルでのシーズとニーズの融合 Ⅱ-ⅵ 総括③ マトリックス体制によるシーズの多重活用 Ⅲ 事例2 クイックルワイパー・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・13 Ⅲ-ⅰ クイックルワイパーとは Ⅲ-ⅱ 開発経緯 Ⅲ-ⅲ 総括① シーズとニーズ情報の蓄積 Ⅲ-ⅳ 総括② 個人レベルでのシーズとニーズの融合 Ⅲ-ⅴ 総括③ マトリックス体制によるシーズの多重活用 Ⅳ 事例3 アジエンス・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・17 Ⅳ-ⅰ アジエンスとは Ⅳ-ⅱ 開発背景 Ⅳ-ⅲ 開発経緯 Ⅳ-ⅳ 総括① シーズとニーズ情報の蓄積 Ⅳ-ⅴ 総括② 個人レベルでのシーズとニーズの融合 Ⅳ-ⅵ 総括③ マトリックス体制によるシーズの多重活用 Ⅴ システム&オペレーション・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・21 Ⅴ-ⅰ 花王は研究員依存企業 Ⅴ-ⅱ 情報共有を促す仕組み

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Ⅴ-ⅲ 情報共有に対する意識 Ⅵ 結び・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・24 参考文献・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・25

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<SUMMARY> モノが氾濫する今日、なぜ次々にヒット商品が生まれてくるのだろうか。世の中には、

常に消費者をあっと驚かせるような革新的な新商品が存在する。しかし、こうしたヒット

商品を生み出そうとしても、なかなか思い通りにいかないパターンも数多くある。では、

新商品をヒット商品にするべく開発するには、どのような方法がとられているのだろうか。

ヒット商品を次々に投入する企業は、どんな工夫をしているのだろう。私たちは、その商

品開発方法は企業によって異なると考えたが、ヒット商品を続々と生み出している優良企

業の一つである花王の商品開発方法を分析することでこの問いに答えることにした。 花王を代表するような超有名ヒット商品の開発過程を辿っていった結果、次の特徴が浮

かび上がった。第一に、花王は商品開発のネタとなるシーズとニーズ情報の蓄積が豊富で

あり、アイデアの種の宝庫であると共に両者の融合が自社内で行われやすい。ここでいう

シーズとは自社技術のことであり、ニーズ情報とは消費者のあらゆる顕在的、潜在的なニ

ーズ情報のことである。第二に、花王はシーズとニーズの融合地点が個人のアイデア段階

という極めて早い時期に行われている。これにより、 初からヒット商品となるべく商品

開発を進めることができ、ヒットの確率が格段に高くなる。 後に、マトリックス体制と

いう研究所間のインフラによりシーズの多重利用が頻繁に行われている。商品アイデアを

持った各研究所の個人が、そのアイデアをどの分野で使えるか、アイデア自体を洗練させ

ながら研究所間を渡り歩く「道」ができているのだ。 また、このような特徴を有することができるのは、情報共有を全社員が円滑に行えるよ

うにする仕組みと、従業員の情報共有に対する確固たる意識が存在するからである。その

仕組みとは、頻繁な部署移動、兼任制、全社員がアクセスできるデータベース、そして全

社員が参加できるオープン会議システムである。しかし、このようなシステムは、他の企

業でも構築可能である。花王の持つ 大の強みとは、これらのシステムを利用しようとす

る意識が全社員に根付いているということなのである。全社員が、情報共有を行うことが

高い確率でヒットする商品を生み出せることに繋がると信じており、日々こうした意識で

もって商品開発に臨んでいるのである。だからこそ、花王のシステムは真に活用されてい

ると言えるのである。

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Ⅰ.花王のヒット商品開発 Ⅰ-ⅰ 新商品をヒット商品に 多くのメーカーは新商品の開発を決定する際に、それがヒット商品となるかどうかにつ

いて非常に高い関心を持つだろう。場合によっては巨額のカネ、数十年に及ぶ研究時間と

いった大きな投資の末に生まれた新商品が、市場でシェアを独占して利益を生むかどうか

は投資回収の是非を問う。また、ヒット商品となることで消費者のマインドに強く訴えか

けることは、長期的に見て企業のイメージや知名度の上昇にも繋がるだろう。 ほとんどのメーカーが、新商品がヒット商品になってほしいと願うだろう。では、ヒッ

ト商品を生むためには一体どうすればよいのだろうか。企業によってその答えは少しずつ

違ってくるのかもしれない。その企業が持つ経営資源や歴史によってヒット商品を生みや

すい商品開発方法も異なると予想されるからだ。しかしこの報告書では、ヒット商品を数

多く出している優良企業の商品開発分析を行い、上記の問いに答えることとする。

Ⅰ-ⅱ 花王を調査対象とした理由 さて、私たちは花王という企業を取り上げる。その理由は、花王は長い歴史の中で数々

のヒット商品を世に送り出してきたからである。アタック、バブ、メリーズ、クイックル

ワイパー、ビオレ、健康エコナクッキングオイル、メリット、ヘルシア緑茶、アジエンス

等、その商品名を聞いたことのない人の方が少ないだろう。これらの商品は非常に多種多

様であり、また既存市場においては誰も考え付かなかったものを多く含んでいる。そして、

一瞬ヒットした後にすぐ市場から消えてしまう単発ヒット商品とは違い、長期的で安定し

たシェアを維持していることに気付く。これらの商品は、時間をかけて人々の生活に根付

いており、知らぬ間に生活革新を起こしているのだ。もちろんこれまでに失敗商品も数多

くあっただろう。しかし、上記のように多種多様なヒット商品を市場に投入してきたこと

は評価に値するのではないか。 Ⅰ-ⅲ 花王の商品開発の歴史 では、そんな花王の商品開発の歴史をおおまかに見ていこう。1887 年に国産石鹸販売会

社として創業された花王は、当時高級石鹸の製造・販売を手掛けていた。二代目以降は、

石鹸事業で稼いだお金で技術開発への投資を始めた。これが、今日の技術の宝庫と言われ

るまでに至った花王の 初のきっかけとなるのであった。花王は 初にコアとなった界面

活性の技術を発展させていくことで、フロッピーディスク、紙おむつ、化粧品など多岐に

渡る商品群を展開していった。また、様々な商品開発に挑戦する中で、コアとなる技術も

増えた。現在は油脂科学、応用物理、界面化科学、生物科学、高分子科学の五つを軸に、

家庭用製品事業、化粧品事業、産業用化学製品事業、業務用製品事業を抱えている。

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Ⅰ-ⅳ 問題提起 さて、花王の商品開発の詳しい分析に入る前に、問題提起を明確にしておく。私たちの

問題提起とは、「花王がヒット率の高い商品を開発できるのはなぜか」である。前述したよ

うに、多くの企業がなかなか思い通りにヒット商品を作り出せないでいる中、花王はその

歴史の中で数々のヒット商品を生み出すことに成功している。そこにはどのような成功の

理由が存在するのか。私たちは、花王の商品開発における成功の秘訣を探ることを試みた。

そしてこの問いに対する答えを、商品開発のアイデア発想段階から、 終的に商品が具体

化されて市場に投入されるまでを分析することにより導き出した。

Ⅰ-ⅴ 結論

私たちの研究では、事例研究の結果、以下の三つが結論として導き出された。 ① 花王は自社内に、商品開発のネタとなるシーズとニーズ情報の蓄積が豊富である。 ② 花王のシーズとニーズの融合は、研究員がアイデアを発想するという非常に早い段

階で行われている。 ③ マトリックス体制というインフラによるシーズの多重利用 ①から順に説明を加えよう。花王は自社内に、商品開発のネタとなるシーズとニーズ

情報の蓄積が豊富である。ここでいうシーズとは自社技術のことであり、ニーズ情報と

は既存商品から得られる市場情報を含めたあらゆる顕在的、潜在的な消費者のニーズ情

報である。研究開発に巨額の投資をしていること、基礎研究を充実させていることなど

から花王は自社技術の洗練に力を注いでいる。また、細かなマーケット調査を行ったり、

既存商品の不満や満足を消費者から聞きだすことに長けており、ニーズ情報も豊富であ

る。新商品のネタはシーズから始まることもあれば、ニーズから生み出されることもあ

る。そのアイデアが具体化したヒット商品像となるためには、シーズだけあるいはニー

ズだけでも足りず、両者が融合することが必須である。いくら高機能の商品でも、潜在

的なニーズすら読み取れないまま市場に出しても消費者には受け入れられないだろう。

花王は、シーズから生まれたアイデアがどんなニーズと融合するか、ニーズ情報が豊富

なので自社内でそれを発見できる確率が高いのだ。また、その逆もしかりである。この

ように、新商品を開発するうえではシーズとニーズが融合することが必須条件である。 ②は、その融合する段階が早いということである。花王の研究所は基礎研究所と商品

開発研究所の二つに分かれている。基礎研究所では素材研究が行われているのに対し、

商品開発研究所では特定の商品を開発または改良するための技術研究が行われている。

この両者の研究員が新商品のアイデアを思いつく極めて早い段階で、シーズとニーズが

融合しているのである。それは、研究員がある程度のマーケッターの知識を持ち、また

自ら市場に出て調査を行うことを許されていることから言える。自分の仕事に対して、

研究開発という役割を超えた認識を持っているのだ。商品開発の 初の段階からヒット

商品を意識したプロジェクトを進めることに成功しているのである。

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③については研究所間のインフラの話になる。下の図は花王の企業概況 2004 からの抜

粋(一部変更)である。花王の研究所間の繋がりは、マトリックス体制と呼ばれる。基

礎研究所と商品開発研究所はそれぞれに独立している。というのは、例えば皮膚科学を

研究する基礎系の研究所の傘下に化粧品の商品開発研究所があるのではなく、共に独立

しているので皮膚科学研究所で発見されたシーズが化粧品に限らずあらゆる商品で多重

活用される可能性があるのだ。各研究所で商品開発のネタを発見した個人が、研究所間

を渡り歩きながら、その商品の可能性をあらゆる視点で探りそして洗練させていくこと

ができる。個人が渡り歩ける「道」として、このマトリックス体制がインフラとなって

いるのだ。 商品開発系研究所

加工プロセス

生物科学

素材開発 基盤科学系研究所

ハウスホールド

ヘルスケア

サニタリー

ヘアケア

出典:花王の企業概況 2004 より、一部変更

・・・

・・・

それでは、次章からはいよいよ花王のヒット商品の開発過程を詳しく分析し、この結論

にたどり着いたロジックを説明しよう。

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Ⅱ、事例1 健康エコナ Ⅰでは本報告書の事例考察の結果、花王は①ニーズとシーズが共に豊富である②個人レ

ベルの融合が早い③マトリックス体制によるシーズの多重利用が花王の強みになっている

という結論に至ったと先に説明した。ⅡからⅣにかけては花王の有名ヒット商品の事例か

らこのような結論が導き出された過程を詳しく述べていく。 Ⅱ-ⅰ 健康エコナとは

初に取り上げるのは 1999 年に発売された『健康エコナクッキングオイル』である。健

康エコナの登場まで食用油市場というと、日清オイリオなどがシェアの大部分を占める寡

占市場であった。花王としてもそれまで 3 回にわたり『エコナ』の名前で食用油市場への

参入を試みているが、十分な成果は挙げることは出来なかった。しかし、「中性脂肪になり

にくい」というそれまでの食用油ではありえない商品特性をもった 4 代目エコナは現在食

用油市場の 1 割を占めるまでになった。また、高価格(通常の植物油の 6 倍)であったが

健康油市場というあらたなカテゴリーを生み出すガリバー商品となった。健康エコナの事

例では、特に結論のうちの二つ、①と②の特徴が顕著だった。 Ⅱ-ⅱ 開発経緯、健康エコナを支える技術 健康エコナのシーズを語る時に、脂肪酸の 1 種、ジアシルグリセロールと言う物質に集

約することが出来る。それまでの食用油のジアシルグリセロール含有量は多くてパーム油

の 9.5%であったのに対し、健康エコナはジアシルグリセロール含有量が、80%というまさ

にそれまでの食用油からすると常識外の製品であった。 (花王 HPhttp://www.kao.co.jp/econa/dag/dag02.html より) 次に、この物質がいかに開発されたか,どのような効果を持つかを述べていきたいと思う。

健康エコナ誕生の 15 年前の 1985 年、花王の鹿島研究所ではある食品会社と協力して、「体

温でさっと溶ける油を使った口解けの良さ」をもつチョコレートの開発が行われていた。

しかし、このチョコレート開発は失敗に終わり花王チョコレートの誕生は夢となったが、

この花王チョコレートの開発過程においてジアシルグリセロールという物質が発見された。

簡単に言うと、このジアシルグリセロールと言う物質の特徴は脂肪酸の一本の分子線が結

合していない構造であった。商品開発担当者だった安川拓次氏はこの構造を見て、ジアシ

ルグリセロールを使えば「胃にやさしい」油ができるのではないかと考えた。実際に、安

川氏は職員に 1 週間ジアシルグリセロールを多く含んだ油で作ったパンを食べてもらい「胃

にやさしい」という確証を得たが、動物実験では思うような成果があがらなかった。それ

は「胃にやさしい」というのは定義がしにくいためでもあった。 しかし、ここであきらめず研究を続けていくうちに、ジアシルグリセロールのもう一つ

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Page 9: 花王の新商品開発 - Waseda University · 多く出している優良企業の商品開発分析を行い、上記の問いに答えることとする。 Ⅰ-ⅱ 花王を調査対象とした理由

の特徴で、今の健康エコナの売り出し文句でもある「体に脂肪がつきにくい・中性脂肪に

なりにくい」という効果を発見する。1996 年からはこの効果を実証するために動物実験は

人体実験に切り替えられ、ジアシルグリセロールの臨床データは蓄積されていったのであ

る。 Ⅱ-ⅲ 開発経緯、否!市場調査 ジアシルグリセロールの効果は繰り返される実験によって実証されたが、一方で花王が

行ったマーケティング調査ではよい結果は出ていなかった。花王では肯定意見 70 パーセン

トが商品化 低ラインとされるが、当時の調査ではエコナへの肯定的意見は 40 パーセント

にしか到達していなかった。しかし、市場調査において満足な結果が出ていなかったにも

かかわらず、社内の 50 代の人からの「1000 円だしてもいい」という声が出ていたことか

ら、それを聞いた開発員は購買ターゲットを肥満、成人病の人に絞りきちんと訴求すれば

健康エコナはゆっくりでも確実に売れていくだろうという確信を持った。ブランド力花王

のトップからは市場調査の結果を見て健康エコナの成功に懐疑的な意見も出ていたが、開

発部はこの確信があったからトップにかけあい健康エコナの商品開発を期限付きで認めて

もらうほどであった。 だが、開発員にいくら確信があってもターゲットに効果的に訴え、潜在的ニーズを喚起

し、実際に健康エコナをヒット商品へと導かなければ商品開発は成功だとは言えない。そ

こで、開発員たちは一貫したターゲットの絞込みによって、健康エコナをヒット商品に仕

立て上げた。ターゲットの絞込みというのはたとえ花王でなくて他社でも、商品開発過程

においても行われるのはいうまでもない。しかし、健康エコナの絞込みにおいては、中高

年にもわかりやすいパッケージデザイン、大々的に広告をうたないという戦略から、食用

油初となる「特定保健用食品」認可までターゲットである肥満、成人病の人にむけて徹底し

た訴求が行われたという点で、一般の企業で行われるターゲッティングとは一線を画して

いたといえる。 まず、第一に大々的に広告を打たない戦略をより詳しく説明する。花王のそれまでの商

品は、食品の分野に限らずアタックやバブのようにその多くが使う人を厳密に区切らない

マス向けの商品であった。よって広告においてもテレビCMなどを使った大多数の消費者

の目に届く手法がとられていた。しかし、前述したように花王は健康エコナを中高年の肥

満、成人病で悩む人達に向けて展開していこうと考えていた。そのような人達を購買まで

いたらせるためには、これまでのマス向けの 15 秒間では効果は薄いと思われた。むしろ時

間をかけ、健康エコナの商品特性をしっかりと理解してもらったほうが良いと考えたので

ある。具体的には、健康エコナのプロモーションは、その頃には開発責任者となっていた

安川氏の学会での発表、料理教室とのタイアップ、健康情報記事としての紹介などが取ら

れ健康エコナは新商品であるにもかかわらず、ゆっくりと、しかししっかりと市場に認知

されるような戦略がとられたのである。

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次に、特定保健用食品について述べていく。まず特定保健用食品とは、厚生労働省が 91年に設けた制度である。戦後の食生活の急激な変化により日本人の脂肪摂取量は3倍以上

に膨れ上がり、是に危機感を抱いた政府は、生活習慣病から国民を守るような食品を特定

保健用食品として認定許可し推奨する。花王はエコナにもこの制度を認定許可してもらい、

商品の信用を高めようとしたのだ。この読みは見事にあたり、高価格であるというデメリ

ットをはねのけ、ターゲットとする人々が健康エコナを購買する大きな要因なった。また

政府の認可を受ける以上、必要となるデータは詳細なものでなければならないが、これは

10 年以上にもわたる実験によって蓄積されていたので問題はなかった。こうして1998

年、健康エコナはそれまで清涼飲料水でしか出ていなかった「特定保健用食品」の認可を

食用油として初めてうけることに成功する。政府の認定が出ているというのはエコナの商

品力の大きな補完となったのである。(清丸 2004) Ⅱ-ⅳ 健康エコナ総括1.シーズとニーズ情報の蓄積 健康エコナによって花王は健康志向の人達の潜在的ニーズを体感することができた。こ

れは次の「ヘルシア緑茶」の商品開発にも充分に活かされる。それまでの十八番であったマ

ス向けではない、「高価格、高付加価値」の商品でもターゲットを綿密に絞り効果的に訴求

できればヒット商品になりうるという教訓から、花王は健康エコナと似ているが、ヘルシ

ア緑茶の開発では体脂肪が気になる人達をターゲットとし、高価格でありながらも値崩れ

を起こさず成功している。 シーズにおいては、健康エコナ開発段階で体脂肪を減らすためにはカテキンも効果があ

るということを派生的に発見し、ヘルシアは「高濃度茶カテキン」を売りとした。 このように健康エコナの成功がシーズ面でもニーズ面でも次のヘルシア緑茶の成功に一役

買っている。このように花王は既存商品から得た様々な情報を蓄積し、「Ⅰ、花王のヒット

商品開発」で①の強みとした「蓄積した豊富なシーズ、ニーズ情報」を無駄にすることな

く上手に活かしていると言える。 Ⅱ-ⅴ 健康エコナ総括その2.ニーズとシーズの個人レベルの早期融合 健康エコナにおけるシーズとニーズの融合点は、個人レベルではチョコレート開発段階

においてジアシルグリセロールを発見し、そこで安川拓次氏が胃にやさしい油が作れるか

もしれないと考えた時と私たちは考える。「胃にやさしい」という特性は、実際発売された

健康エコナの「体に脂肪がつきにくい、中性脂肪になりにくい」という商品特性につぐ第3

のうたい文句として現在もアピールされているので、個人レベルの融合はここで起こった

と定義して問題ないだろう。花王のホームページにおいても、エコナの商品開発の話はこ

の安川氏を中心にかかれている。「口どけの良い」チョコレートの開発をしている段階で安

川氏は、ジアシルグリセロールの効果をいかす製品を作れると思いつき、「胃に優しい」油

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を考えていることから健康エコナの事例における個人レベルの融合は相当に早いと言える

だろう。ほかの企業であるなら、研究開発員はジアシルグリセロールを発見した時点で役

目は終わったと考えるだろう。しかし、安川氏がそこにとどまらずに「これを生かすため

には」を考え、大まかではあるが 初の到達点「胃にやさしい油」を設定したように、個

人がシーズとニーズを早期に結び付けられることが花王の強みとなっている。 また、個人レベルの融合の後に、開発部の職員による社内をまきこんだ新たなニーズと

の融合がおこっていることもあげておく。市場調査で成果は出ないにもかかわらず、社内

の些細な声に耳を傾け、綿密なターゲッティングをすれば開発部が売れると確信を持った

時である。これは 初の個人レベルの融合と比べ、「中高年の健康に問題がある人たちの潜

在的ニーズを喚起する」というより明確なものになっていると言える。しかし、これは安

川氏が早い段階でシーズとニーズの結びつけを行ったからこそたどり着くことができたの

だということを忘れてはならない。個人レベルの早期融合が起こらなければ、健康エコナ

は優れたシーズを持っているにもかかわらず、曖昧な訴求によりヒット商品にはなりえな

かったかもしれないのだ。 Ⅱ-ⅵ 健康エコナ総括3.マトリックス体制によるシーズの多重利用 ここまで健康エコナの事例について述べてきて、マトリックス組織における商品開発研

究所間の連携(横のつながり)によるシーズの多重利用はみられない。しかし、同じヘルスケ

ア部門の製品であるが、基盤技術系研究所(縦のつながり)においては健康エコナの開発にお

いては加工・プロセス研究所、ヘルシア緑茶の開発においては生物化学研究所が中心とな

っており、(日経ビジネス 2004 年 12 月 13 月号 p.40)それぞれ異なる部署が開発の舵取りを

している。健康エコナにおいてはマトリックスの縦のラインが機能したと言えるだろう。

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商品開発系研究所 (図Ⅱ)

健康エ

コナ

ヘルシ

ア緑茶

サニタリー

・・・

ヘルスケア

ハウスホールド

ヘアケア

素材開発 基盤科学系研究所

生物科学

加工プロセス

・・・

出典:花王の企業概況 2004 より、一部変更

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Ⅲ.事例2 クイックルワイパー Ⅲ-ⅰ クイックルワイパーとは クイックルワイパーは、不織布シートを使ったフローリング床専用の掃除用具で、1994年に発売された。見た目はダスキン社のモップによく似ている。違うのは、柄先のゴムで

できたワイパーに、別売りの不織布シートをはさんで埃を絡めとる点である。このシート

は使い捨てなので非常に衛生的である。また、柄にアルミを使っているため軽量で、力の

ないお年寄りや子供にも簡単に扱え、埃が気になったときにさっと取り出し手軽に掃除が

できる。このようなメリットが消費者に認知され、現在ではカーペット用やハンディタイ

プなどライン展開もされており、年間 200 億円を売り上げる市場になっている。(平林 広

川 2004) Ⅲ-ⅱ 開発経緯 クイックルワイパーは掃除用品としてハウスホールド商品に属しながらも、開発のきっ

かけは意外にもサニタリー商品開発員のアイデアに端を発する。花王は、生理用ナプキン

の『ロリエ』、紙おむつの『メリーズ』など主にサニタリー商品で培われた不織布技術を持

っていた。不織布とは、読んで字の如く、「織らない布状のもの」を意味する。紙やフェル

トなどの概念に有機化学と高分子化学の 先端技術を融合させたまったく新しい素材であ

る。化学合成繊維やその他の多種多様な素材を組み合わせることで、物理的・化学的な特

性を自由に設計することができるという利点があった。この不織布技術によって、ロリエ

やメリーズの高い吸水性・肌触りの良さを実現することができているのである。サニタリ

ー商品の開発員は、この高密度に絡み合った不織布を見てもしかしたら掃除用具にも転用

できるのではないかと考えたのである。このアイデアに飛びついたのが、素材開発研究所

の職員であった。技術の使い回しができれば、研究開発コストの分散にもつながり高利益

を期待できる。そして技術の高度化も図れると考えたのだ。彼らは、新商品開発を目指し

て研究を続けた結果、繊維の絡み方を緩くすれば、髪の毛や埃をからめとりやすくなるこ

とを発見した。そして 終的に、水流により繊維同士を絡ませて作る「スパンレース不織

布」に、補強材として格子状の「ポリプロピレン製ネット」を組み合わせた複合不織布を

開発した。これにより、高いダスト捕集性と実用に耐えるシート強度の両立を実現したの

である。 素材研究所から「不織布技術を使った新しい掃除用具」というアイデアを提案された

ハウスホールド製品部は、その商品開発のネタに強い関心を示した。なぜなら、消費者の

フローリング床に対する掃除のニーズをすでに把握していたからである。というのは、そ

れ以前に発売されていた『つやだしマイペット』というフローリング床用洗剤がヒットを

飛ばしており、一般住居におけるフローリング率の増加、従来の科学モップ(例えばダスキ

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ン社のレンタルモップ)に対する消費者の不満をニーズとして汲み取っていたのである。不

織布を使った新しい掃除用具が発売されれば、そのようなニーズを充足できるだろうと期

待したのである。 商品開発後すぐに発売されたわけではない。それまで前例のない商品であったため、社

内でも「本当に需要はあるのか」と懐疑的な意見が多かったのだ。そこで花王はまず、モ

ニターに配布した。花王は、全国に 30000 人以上モニターがいる。そこでは、商品化を望

む声が多かった。そして1年以上にわたってテスト販売が行われる。並行して、フローロ

ング床の掃除へのニーズについても徹底的な調査が行われた。

こうして、1994 年 7 月、満を持して『クイックルワイパー』は発売される。発売後、主

婦の圧倒的な支持をとりつけた。紙モップ市場が一挙に生まれ、年間 200 億円の市場にま

で成長した。現在、世帯普及率は 50%とも言われる。こうしてクイックルワイパーはヒッ

ト商品となったのである。(平林 広川 2004)

Ⅲ-ⅲ クイックルワイパー総括①シーズとニーズ情報の蓄積 クイックルワイパーは、新しい市場、すなわち紙モップ市場を創造した。それまで埃を

取る掃除用具といえば、電気掃除機か雑巾か科学モップ、ほうきぐらいしかなかった。し

かしクイックルワイパーの登場で、手軽に気軽にフローリングを掃除できるようになった。

クイックルワイパーの特徴は、何度もいうが、不織布シートを用いる点である。それまで

誰も考えつかなかった不織布を掃除用具に活用できたのは、花王の内部にその技術を抱え

ていたからだといえる。また、フローリングの掃除に関するニーズは、既存商品の「つや

だしマイペット」のヒットによって知ることができた。つまり、クイックルワイパーの成

功は、花王が豊富なシーズとニーズ情報を蓄えており、かつそれを適切に結びつけること

ができたからだといえる。 Ⅲ-ⅳ クイックルワイパー総括②個人レベルでのシーズとニーズの融合 クイックルワイパーにおけるニーズとシーズの融合点は、サニタリー商品部の開発研究

員が「不織布技術を掃除用具にも利用できないだろうか」と考えた時点であるといえる。

つまり、研究員という個人レベルで、花王がすでに保有していたシーズと消費者のニーズ

を融合させて発想していたのだ。花王においては、研究員がマーケッターとしての素質を

持ち、常に今あるシーズをなにかに役立てられないかと考えて研究活動をしている。その

ため、早い時点でのシーズとニーズの融合が可能になり、 初の段階で他社と比べてより

一歩先を行ったアイデアが生まれるのだ。また、組織ではなく個人が思いつくという点で、

その後の進行もスピーディになる。組織として手続きや会議を開いてからしか開発を進め

られない場合と、まずは一個人の興味として周りに働きかける場合を考えて欲しい。この

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ように、個人レベルでシーズとニーズの融合が図られるメリットは、様々あるが、ひとつ

に発想段階である程度かたちになっているためその後のブラッシュアップがより高度化す

る点、ふたつめに、組織を通すよりも、手続きなどが簡略化されるため、速度の経済を享

受できる点があげられる。 Ⅲ-ⅴ クイックルワイパー総括③マトリックス体制によるシーズの多重利用 本来ならばハウスホールド商品の開発研究員が考えるであろう商品を、別の、サニタリ

ー商品の研究員が思いついたという経緯も興味深い。このように研究所を超えた商品開発

ができたのも複数の商品開発研究所を貫く素材開発研究所という存在があったからである。

サニタリー商品で利用された不織布技術というシーズを、素材開発研究所がハウスホール

ド商品としてフィットするように研究を進めた。花王のマトリックス体制は、このように

情報の共有化を促進し、シーズの多重利用を可能にしたのだ。(図Ⅲ参照)

ロリエ メリーズ

商品開発系研究所

加工プロセス

生物科学

素材開発

基盤科学系研究所

ハウスホールド

ヘルスケア

サニタリー

ヘアケア

出典:花王の企業概況 2004 より、一部変更

・・・

・・・

クイックル

ワイパー

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(図Ⅲ) このように、クイックルワイパーのヒットは、花王が、①ニーズとシーズを豊富に蓄

積している②個人レベルでニーズとシーズの融合が図られている③以上の2点を支える

マトリックス組織体制であることから生まれたといえる。

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Ⅳ.事例3 アジエンス Ⅳ-ⅰ アジエンスとは アジエンスは、2003 年に花王から発売されたヘアケア商品である。「世界が嫉妬する髪」

というキャッチコピーのもと、日本人ならではの強くてしなやかな、自然な髪本来の美し

さを実現したのが特徴である。通常のヘアケア商品に比べ高めな価格設定にもかかわらず、

発売 1年で売り上げは 100 億円に達した。3%のシェアを獲得すれば成功とされるヘアケア

市場において約7%のシェアを獲得し、一躍トップの座におどりでたのである。(日経ビジ

ネス 2004 年 12 月 13 月号 p.38)

Ⅳ-ⅱ 開発背景 アジエンス発売以前にも、花王では既存のヘアケア商品としてメリット、エッセンシャ

ルといったロングセラーブランドを持っていた。しかし、デフレによる価格下落、ラック

ス(日本リーバ)、ヴィダルサスーン(P&G)といった他社ライバル商品の猛追により、

ヘアケア市場における花王の商品のシェアは低下し、厳しい状況が続いていた。花王内で

も、「野球で言えば、9回裏ツーアウトまで追い込まれた状態だ」(日経ビジネス 2004 年 12

月 13 月号 p.38)という声が聞かれるほどの危機感を持っていたという。この状況を打開す

る、新しい商品開発の必要をせまられていたのである。

そのような事情を抱えていた花王・パーソナルケア事業部は、2001 年に新しいヘアケア

商品の開発に取り組んだ。まず花王のヘアケア商品が苦戦している原因を探ったところ、

それまでの自社商品ではコンセプト自体で他社との差別化ができていなかった、という考

えに行き着いたのである。たとえばメリットには「ふけ、かゆみを防ぐ」というコンセプ

トがあったにはあったが、毎日洗髪をするという習慣が根付いた現代では、これは当たり

前のことになってしまい、コンセプトにおける差別化ができていなかったといえるであろ

う。さらにこのコンセプトにより、メリットといえば大衆向け、ファミリー向けのイメー

ジがついてしまい、20 代後半から 30 代前半の働く女性に支持されるヒット商品を生み出す

ことができなかったのである。そこでハウスホールド事業部は、コンセプトを 初に設定

する商品開発を戦略として策定し、それまで弱かった層をターゲットとして定めた。それ

で生まれたのがアジエンスである。

Ⅳ-ⅲ 開発経緯 以上のような背景の中で開発をスタートさせたアジエンスが、実際に誕生するまでの経

緯を追ってみる。 アジエンス開発に着手した 2001 年当時、世間では韓国や中国映画の流行などでアジアブ

ームが起きていた。また、世界で活躍する日本人女性が多く登場し、消費者の間では“日

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本人女性として・・・”という意識が高まっていた。つまり消費者は「日本人女性としての美

しさ」を求めていたのである。しかし当時発売されていた他社ライバル商品は、CMで欧

米女性を起用したりと、欧米を意識したものばかりであった。また、メリットやエッセン

シャルといった既存商品を通じて、若い女性が髪に関してもっている1番の悩みが、カラ

ーリングやパーマなどで傷んでぱさついた髪をどうにかしたい、という事だとわかってい

た。「もっとダメージに効果的なヘアケア商品を」というニーズを花王はもっていたのであ

る。この二つのニーズをもとに、パーソナルケア事業部は新商品のコンセプトを「アジア

ン・ビューティ」と決定した。そこで、実際の商品作りを担当する、商品開発系研究所のひ

とつであるヘアケア研究所に「アジアン・ビューティ」というコンセプトの説明をした所、

研究員の一人の新井賢二氏がこの開発に名乗りを上げた。このときすでに新井氏は、「東洋

を想起させ、なおかつ髪に良い成分を配合できないか」(日経ビジネス 2004 年 12 月 13 月

号 p.39)と考えを巡らせ始めていたという。

そして、この考えを商品として具現化するためのシーズを求め、新井氏は基盤技術研究

所に相談を持ちかけた。そのうちのひとつが、緑茶飲料のヘルシア緑茶を開発した生物科

学研究所である。生物科学研究所には、ヘルシア緑茶開発過程で得られた、豊富な植物成

分の分析データがあったのである。新井氏はその分析データの中から、補修成分の大豆・

真珠プロテイン、保湿成分の米・朝鮮人参エキス、そして保護成分のユーカリエキスに着

目した。これらの植物成分であれば、アジアのイメージもあり、なおかつ内部補修力が強

く、さらにうるおいをにがさない保湿力も備えているので、日本人の太くて丸い毛髪に対

して非常に有効に働き、コンセプトに合うと考えたのである。

さらに新井氏は、ヘアケア商品や洗剤などの原料を開発する素材開発研究所も訪れた。

そこで衣料用柔軟剤に使用される活性剤に注目した。この活性剤は、静電気を防止して物

資をやわらかくするという働きをもつ。このシーズをヘアケア商品に応用すれば、ダメー

ジへアに効果的であり、日本人本来の髪質である強くてしなやかな髪の実現が可能になる

と考えたのである。 そしてこれらのシーズをもとにさらなる研究を重ね、「アジアン・ビューティ」というコ

ンセプトをもった商品、つまりはアジエンスが誕生したのである。 Ⅳ-ⅳ アジエンス総括① シーズとニーズの蓄積 アジエンスの開発には、花王に蓄積されていたシーズとニーズが利用された。まずニー

ズは、メリット、エッセンシャルといった既存商品からの情報が利用された。花王の主力

ヘアケア商品のメリットであるが、消費者のイメージは「ファミリー向け」であり、特に

若い女性から敬遠されている、という情報を持っていた。さらに、若い女性からのメリッ

トに対するクレームとして、「髪がきしきしする、ダメージケア力が無い」というものが寄

せられていた。また、ダメージケアをうたっているエッセンシャルにも、「おしゃれなイメ

ージが無い、香りがあまり好きではない」といったクレームがあった。クレームは、裏返

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Page 19: 花王の新商品開発 - Waseda University · 多く出している優良企業の商品開発分析を行い、上記の問いに答えることとする。 Ⅰ-ⅱ 花王を調査対象とした理由

せば消費者のニーズである。そこでアジエンスはこの既存商品のクレームを参考にし、消

費者のニーズにかなった商品となることができたのである。 シーズは、ヘルシア緑茶開発中に発見された植物成分の分析データと、衣料用柔軟剤に

使用される活性剤が、アジエンスの基本シーズの元となった。こちらもまた既存商品から

の利用となる。 このように、花王には既存商品を通じたニーズとシーズの蓄積があり、アジエンスはそ

の蓄積されたニーズとシーズをうまく利用した例といえるであろう。 Ⅳ-ⅴ アジエンス総括② 個人レベルでのシーズとニーズの融合 アジエンスの研究開発は、研究員である新井氏が、パーソナルケア事業部のマーケター

からアジエンスのコンセプトを聞かされて「東洋を想起させ、なおかつ髪に良い成分を配

合できないか」(引用:日経ビジネス 2004 年 12 月 13 月号 p.39)と考えた時点から始まって

いた。いち研究員である新井氏が、ニーズをきちんと理解し、そのニーズにあったシーズ

を既に考えていたのである。つまり、研究員という個人レベルで、すでにシーズとニーズ

の融合が行われていたといえるであろう。

アジエンスは、一度使ってみてそのよさを実感した人が多く、その質の良さがヒット商

品となった一因であるという(日経ビジネス 2004 年 12 月 13 月号 p.38)。それは、新井氏と

いう研究者個人レベルの早い段階でのシーズとニーズの融合があったからこそ、よりコン

セプトにあったシーズを開発することができ、商品に消費者のニーズを強く反映させるこ

とができたからだといえるのではないだろうか。

Ⅳ-ⅵ アジエンス総括③ マトリックス体制によるシーズの多重利用 アジエンスの基本シーズである植物成分分析データ、活性剤は、前述したとおりそれぞ

れ違う研究所の製品に活用されていたシーズである。ヘアケア研究所の商品であるアジエ

ンスに、ヘルスケア研究所の商品であるヘルシア緑茶の植物成分分析データ、ハウスホー

ルド研究所の衣料用柔軟剤の活性剤が利用されたのには、花王のマトリックス体制(図Ⅳ)

が関係する。図Ⅳに示されているように、ヘアケア研究所、ヘルスケア研究所、ハウスホ

ールド研究所など各商品開発系研究所に横串を刺すようにして、生物化学研究所など各基

盤科学研究所が存在している。つまり、このマトリックス体制によって横の道筋ができ、

商品カテゴリーを越えたシーズの多重利用が可能となったのである。アジエンスで研究開

発されたシーズもまた花王に蓄積され、今後活用されるであろう。このようにマトリック

ス体制によって技術を多重利用し、さらに応用させることで、さらに花王の技術力は増し

ていくであろうと推測される。

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(図Ⅳ)

商品開発系研究所

加工プロセス

生物科学

素材開発 基盤科学系研究所

ハウスホールド

ヘルスケア

サニタリー

ヘアケア

出典:花王の企業概況 2004 より、一部変更

・・・

・・・

アジエンス ヘルシア緑茶

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Ⅴ システム&オペレーション 花王がヒット率の高い商品を開発できる理由は何なのか、この問いに対して私たちは、

花王の既存商品を事例にとり花王独自の新商品開発の特徴を分析することで説明してきた。

すなわち、①シーズとニーズ情報の蓄積が豊富であること、②早い段階でのシーズとニー

ズの融合、③マトリックス体制によるシーズの多重活用、という三つが花王の新商品開発

スタイルの特徴であり、花王は様々な商品を世に送り出してきた。ではどの企業もこれら

の新商品開発スタイルを築くことができればニーズとシーズをうまく融合させ、ヒット商

品を生み出すことができるはずである。ここでは、三つの特徴が花王であるからこそのも

のであり、ゆえに花王の強みになりえていることを、花王独自のシステムや内部の意識に

ついてもみていくことで説明したい。 Ⅴ-ⅰ 花王は研究員依存企業 花王にはシーズとニーズ情報の蓄積がある。花王は 5700 人の社員のうち 1700 人以上が

研究員であり、研究員に依存した企業であることからもシーズとニーズ情報の豊富さがう

かがえる。(2004年 平林・廣川) その研究員達が働く花王の研究所は、前述の通り商品開発系研究所と基盤技術系研究所

とに分類される。商品開発系研究所では、各々の研究所でハウスホールド商品やヘアケア

商品などといった商品に関するマーケティングや商品個別の技術に関して研究が行われる。

一方の基盤技術系研究所では、商品固有の技術ではなく花王の財産となりうる皮膚科学や

素材開発などの商品開発においては基礎となる技術を日々研究している。多くの企業では

通常、技術は各々の商品開発系の事業部に蓄積され、他の事業部との情報共有は行われな

い。しかし花王は二系統の研究所をマトリックス状に交差させ、ある研究成果を様々な分

野の商品に生かすことができる体制をとっている。 Ⅴ-ⅱ 情報共有を促す仕組み 花王の商品開発の、三番目の特徴であるマトリックス体制に関して、基盤技術系研究員

と商品開発系研究員とではどのようにやりとりがなされているのか。つまり、本来目的の

異なるこの二系統の研究所が実際の商品開発過程で協力し合いヒット商品を誕生させてい

るのには、花王のどのような仕組みが関わっているのだろうか。 そもそも商品をつくるための「研究」であるため研究成果が社内で認知されなくては研

究意義もない。実際「情報共有」を目標として掲げる企業は多く、企業という単位で経営

をしていくのなら一見当たり前のことのようであるが、多くの企業では自社がどのような

技術を持っているのか社員全員が認知できているということはあまりないであろう。情報

共有を実践できている企業は少ないのではないだろうか。

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花王は、情報共有が円滑に行われている企業だといえる。花王の情報共有のためのシス

テムの工夫は主に4つあげられる。 ひとつは、花王の人事制度である。それは部署異動が実に頻繁に行われることであり、

数多くの部署を経験することにより個人が製品開発における総体的な知を身に付けること

ができる。また、頻繁に人が行き来することで部署間の情報共有も促進される。 人事異動がもたらした情報共有の例として、『ビオレ毛穴すっきりパック』がある。『ビ

オレ毛穴すっきりパック』は小鼻に貼ってはがすだけで毛穴の黒ずみを取り除くシート状

のパックである。当初、ペースト状のパックが案に上ったが手が汚れるなどの問題点を抱

え、そこで薬品湿布剤の担当部署から移ってきた研究員の「布に溶剤を塗ってはどうか」

という一言から現在の商品の形にたどりついた。おそらくこの研究員なくしては『ビオレ

毛穴すっきりパック』の成功はなかったであろう。そもそも、商品化にも到達し得なかっ

たのではないだろうか。こうした例にみられるように、部署を超えての情報共有が頻繁な

人事異動によってももたらされていることがわかる。 2つ目は兼任制である。一般的な企業では、開発とマーケティングは別の機能であり独

立したものという考えが常である。しかし花王は、ハウスホールド商品のマーケッターと

ハウスホールド商品技術担当というように二つの役職を一人で兼任する制度をとっている

ため、ハウスホールド商品についてはマーケティングも技術に関しても詳しいプロフェッ

ショナルが存在するのである。前述の例で言うと、不織布を開発した研究員はハウスホー

ルド商品のプロフェッショナルに商談をもちかければよく、そのプロフェッショナルはマ

ーケティングと商品技術という二側面から不織布のハウスホールド商品における有用性を

見極めることができる。 そして3つ目は、共有データベースを構築し、そこに売り上げ、マーケティング、およ

び生産・物流などのあらゆるデータを蓄積したことである。そしてそのデータベースはす

べての成員が役職・部署を問わず利用可能であり、リアルタイムにアクセスできる。研究

員はやる気があれば営業情報などについてもいくらでも情報を入手することができるため、

研究員がニーズを汲み取りながら開発することが求められる花王にとっては不可欠なシス

テムである。 そして 4 つ目にオープン会議システムがあげられる。規模の大きさに関わらず、花王の

会議には研究員であれば誰でも出席できる。研究員は、自己の研究とは直接関係のなさそ

うな会議にも積極的に参加し、世の中のニーズに触れたり他の研究員の研究成果からもヒ

ントを得ることができる。そうして自己の研究成果が実際に商品に取り入れられるよう努

力するのである。

Ⅴ-ⅲ 情報共有に対する意識 しかし、このようなシステムを整えるだけなら他社でも行うことができる。システムを

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用意するだけでは情報共有は促されない。実は、花王の持つ 大の強みといえるのは、研

究員一人一人の、情報共有をしようという意識なのである。 基盤技術系研究員は研究をするだけではなく、自己の研究成果が商品に反映されるよう

各々の商品開発側に商談する。逆に、商品開発系研究員も商品コンセプトをもって様々な

基盤技術系研究員に話をもちかける。商品開発において研究員の役目は多く、花王は研究

員資本の企業であるといえる。一般的な企業では研究員が商談をもちかけるといったこと

はせず、研究員は商品のその後にも責任を持たない。そこに、花王と他社との商品開発に

かける思いの相違がみえる。知的財産権実績報酬制度というものもあり、これは研究員の

研究成果が実際に商品に取り入れられて会社の業績に貢献できた場合、その研究員には追

加の報酬が支払われるという人事評価制度である。 研究員たちは開発段階からニーズを見極め、必要になればニーズについて調査する権限

も与えられている。研究員はシーズを発見するのみならず、そこから商品像を個人のなか

でふくらませることができるのである。エコナの事例で登場した安川氏も「ジアシルグリ

セロール開発うら話」で「こういうものができるだろうと想定してはじめた研究」という

表記の仕方をしている。(花王 HP http://www.kao.co.jp/ekona/products/05/index.html)これはまさに花王の研究員がシーズだけでなく、それを生かす商品像まで見据えていると

いう端的な例だと言える。こういったように研究員個人レベルでのニーズとシーズの融合

ができているため、その後の商品化におけるきめ細かな調整を徹底でき、花王の商品は消

費者の潜在的ニーズまでも汲みとったヒット商品へとつながるのである。商品を開発する

にあたって消費者のニーズをできるだけ早く知り、またそのニーズの消えないうちに商品

化できるかどうかということが 大のポイントである。そのためにはマーケティング情報

と共に、自社が持っている技術に関する情報も重要である。こうした、社外及び社内の情

報をいち早く入手することが商品開発において要となるのである。こうした意識が花王に

は根付いており、情報に対する価値観が高い。 花王にはこのように研究員ひとりひとりに情報共有に対する強い意識があり、また情報

共有を促すための仕組みもそろっている。これらの意識と仕組みは、どちらが欠けても情

報共有が円滑に行われず資源を有効活用できない。花王は、意識と仕組みのどちらか一方

が先走ることなく、好循環が成り立っている。

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Ⅵ 結び 以上のように、花王は独自の新商品開発スタイルにより高いものづくり力を有し、他社

メーカーとは一線を画している。『ビオレ』、『クイックルワイパー』、『ヘルシア』、『アジエ

ンス』など数多くのヒット商品を発売してきた花王は、過去のヒット商品に甘んじること

なく、既存の商品から次のヒット商品へつなげる努力を怠らない。トイレタリー業界とい

うのはどうしても目新しい商品の方が消費者へのアピール力が強い。そのようなトイレタ

リー部門を基盤においている花王だからこその努力がある。過去の成功に甘んじれば業界

からおいていかれる、という危機感と隣りあわせにあるがゆえに、自社資源をフル活用し

新しいものを発信していく風土が花王には存在し、なおかつそれが全社員に行き届いてい

るのである。他社が花王を真似ようと花王の組織体制や制度を形だけ導入しても、花王の

ようにはなれないということである。長年にわたるニーズとシーズの蓄積や組織改革の見

直しなどを経て花王がつくりあげたスタイルであるため、その過程を通っていない企業が

ハコだけを取り入れようとしても成り立たないのである。 ヒット商品を数多く世に誕生させ人々に新たなライフスタイルを提供している企業とし

て、今回私たちは花王という企業をとりあげ分析してきた。花王は、①シーズとニーズが

豊富であること、②早い段階でのシーズとニーズの融合、③マトリックス組織体制による

シーズの多重活用、という特徴を三つ同時にもっていることが強みであり、どれか一要素

でも欠ければ花王独自の商品開発は成り立たないのである。 よって、各々の企業にはそれぞれ適した商品開発方法があり、ゆえに企業同士の商品開

発方法を比較して優劣をつけることはできないであろう。すなわちこの研究は一般論につ

ながるものではないが、ヒット商品を生み出す方法論を探る一手段として、優良企業であ

る花王を事例にとり分析する手法をとった。さらに、前述の通り適した開発方法は企業に

より異なるため、既に行われてきた一般論的な商品開発についての研究は、現実との乖離

がみられるのではないだろうかという疑問もある。そこで本研究は一企業のさらに内面的

な部分について、一社員の内面についてまでも書き記し現実の商品開発にクローズアップ

して分析した点で研究意義があるといえる。

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参考文献 平林千春、広川州伸『花王強さの秘密』2004 実業之日本社 斎藤正治・山田泰造『花王流通コラボレーション戦略』2001 ダイヤモンド社 平坂敏夫『花王情報システム革命』1996 ダイヤモンド社 中村元一、碓井慎一、JSMS花王研究会『花王ノン・ライバル』1989 ダイヤモンド社 溝上幸伸『花王の高収益システム』1995 ぱる出版 延岡健太郎『製品開発の知識』2002 日経文庫 梅澤伸嘉『ヒット製品開発 MIPパワーの秘密』2003 同文舘出版 沼上幹『わかりやすいマーケティング戦略』2000 有斐閣 清丸惠三郎『ブランド力―何が企業の盛衰を決めるのか―』2004 PHP 研究所 山田幸三『新事業開発の戦略と組織―プロトタイプの構築とドメインの変革―』

2000 白桃書房 加護野忠男、井上達彦『事業システム戦略』2004 有斐閣アルマ 井上ゼミ ナレッジグループ論文 参考資料 『花王の企業概況 2004』 日経ビジネス 2003 年 11 月 24 日号 2004 年 12 月 13 日号 参考URL http://www.nikkei-r.co.jp/report/9502/hit.htm (2004/10/27) http://www.nikkei.co.jp/rim/plus1/hit/hit020912.htm (2004/10/27) http://www.jtua.or.jp/telecomforum/200403/pdf/200403hit.pdf (2004/12/06) http://www.kao.co.jp/ (2004/12/06) http://www.lion.co.jp/index2.htm (2004/12/06)

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