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政策研究レポート 2009.12.10(No.32) � � � ������������� ������������������� � ������������ ���������������������� � �������� ������ 自治体総合政策研究所

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政策研究レポート

2009.12.10(No.32)

1 論 説

続・「事業仕分け」の問題点

―「JETプログラム」は廃止すべき!―

2 ちょっと気になる「まち」

住民参加による「百人委員会」―鳥取県智頭町―

3 コーヒーブレイク

「トラウマ」

自治体総合政策研究所

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《自総研http://www.jisouken.com》

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続・「事業仕分け」の問題点

―「JETプログラム」は廃止すべき!―

自治体総合政策研究所

石井 秀一

1 国の事業仕分け終了

11 月 27 日、国民の注目を集めた「事業仕分け」が終了した。この仕分けにより、1.6兆円の削減を生み出した。もっとも、これは確定ではなく、スーパーコンピューターを

はじめ、いくつかの事業については、関係者、団体等からあからさまな予算復活要望が

なされており、削減額の変更が今後あるかもしれない。 多くの著名な科学者たちが、「技術立国」日本を声高に主張し、予算復活を行うよう記

者会見などを開いたが、「事業仕分け」というもの、また、「事業仕分け」で指摘してい

る点の理解が足らなかったようである。若干、デマゴーク的なサジェスチョンに反応し

たところが見受けられる。 さて、自治体で行われている「事業仕分け」の問題点については、前号の「『事業仕分

け』の問題点」で述べたが、国の「事業仕分け」においても同様の点が見られた。 とくに、「優良児童劇巡回等事業」については、とりまとめ役の問題を露呈した。判定

は、「廃止」1人、「自治体や民間に任せる」3人、「予算削減」6人、「要求通り」2人だった。しかし、取りまとめ役の菊田真紀子衆院議員が、「子供たちに直接夢や希望を与え

る事業は大切にすべきだ。私の政治判断として要求通りとしたい。」と結果判定したこと

は、「事業仕分け」のルールを完全に逸脱している。この場合は、「予算削減」等見直し

という判定になるべきものであった。 2「英語ノート」予算の廃止

今回の「事業仕分け」では、2011 年度からの小学校英語の必修化を前に文部科学省が無償配布している補助教材「英語ノート」の予算が廃止になった。予算総額は 8億 5000万円である。 「英語ノート」は、今春、ほとんどの公立小で英語教育の先行実施に際し、約 250 万冊をすでに配布している。「英語ノート」は、教材としてはもとより、教師の英語導入の

不安解消や、指導法の確立も目的としている。

論 説

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しかし、「事業仕分け」では、「なぜ小学校で英語を教えなければならないのか」と、

多数の仕分け人から「そもそも論」が指摘された。結局、「デジタル化して学校ごとに印

刷すればいい」との意見も出て、「廃止」となった。 この結果に、教育関係者から「廃止反対」の声が上がった。「小学校英語は深く議論し

て決まったこと。なぜ必要性から蒸し返すのか」(岐阜県教育長)」とか、「英語を教えた

ことがない教員にはほとんど必須の教材。特に地方での活用度は高い」(全国連合小学校

長会)などの意見である。 しかし、両者ともに、それが「政権交代」であるということを理解していないという

ことである。また、「小学校英語は深く議論して決まった」とか、「教員にはほとんど必

須の教材」などと主張するが、「そもそも」、「なぜ小学校で英語を教えなければならない

のか」ということは、教育界も含め国民的コンセンサスを得ていたかは、甚だ疑わしい。

行政主導の結果ではなかったかということである。 3 JET事業プログラム

今回の「英語ノート」の廃止について、思い出した事業がある。それは、県職員時代

に自らも関わり、事業展開したことがあるものである。それは、通称「JETプログラム」と呼ばれている。JETとは、「語学指導等を行う外国青年招致事業」(The Japan Exchange and Teaching Programme)の略称で、総務省、外務省、文部科学省及び財団法人自治体国際化協会(CLAIR)が協力して推進している事業である。 このプログラムは、外国の青年を招致し、地域レベルの国際交流を促進し、外国語(英

語が中心。)教育の充実を図ることを目的としている。もう少し分かりやすく説明すると、

英語圏を中心とした外国青年をこの事業によって招き、地域での国際交流を通じ、また、

学校等で英語を教えてもらうことによって、地域の国際化を図ろうとする「国際化(グ

ローバル化)時代」に対応した政策として計画されたものである。 このプログラムは、昭和 62年度(1987年度)に開始され、今年で 23年目を迎えている。現在、招致国は 36か国で、参加者は 4,436人である(平成 14年度、6,273人がピークである。)。これまでの参加者の累計は、52,223 人となっている。しかし、昨今は、自治体の自前採用や事業の廃止等により招致人数は減少してきている(下図参照。)。 参加者の職種は、小学校・中学校や高等学校で語学指導に従事する外国語指導助手

(ALT)、地域において国際交流活動に従事する国際交流員(CIR)及び地域においてスポーツを通じた国際交流活動に従事するスポーツ国際交流員(SEA)となっている(SEAは、平成 6年から招致がスタート。)。平成 21年度の職種による参加人数の内訳は、ALTが 4,063人、CIRが 366人、SEAが 7人となっている。 このプログラムと自治体との関係は、自治体が事業主体、つまり受け皿となっている。

活用したい自治体は、県を通じて、総務省に招致したい職種と希望人数を申請し、総務

省で全国の配置人数の調整をした後、外務省を通じ、アメリカやイギリスなどの在外公

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館で青年の募集を行い、採用する形となっている。そして、海外から招致の具体的な手

続き等を財団法人自治体国際化協会(CLAIR)が一括して行っているのである。外国青年は、自治体に引き継がれた時点で、すべての面倒(生活も含めて)を受け入れ自治体

が見ることになっている。 ○JETプログラム招致人数

総務省資料:「平成 21年度 JETプログラム<招致人数及び招致対象国の確定>」

(平成 21年 7月 24日公表)

4 JETプログラムの問題点

JET プログラムの趣旨、目的からして何ら問題点がないように思われるが、実はこの事業は創設当初から根本の問題として批判されていたことがある。それは「日米貿易摩

擦」に起因する問題である。 また、そのほかにも事業目的の問題、英語教育の問題、外国青年の資質、事業の費用

対効果など様々な問題が指摘されている。

1)日米貿易摩擦 1980年代初頭、アメリカは極端なドル高と財政赤字、貿易赤字の急増に苦慮していた(いわゆる「双子の赤字」問題である。)。1985年 9月、ドル高是正のための通貨調整合意、いわゆる「プラザ合意」が先進五ヵ国の間で行われた。これにより円高ドル

安へと動いたが、日本の貿易黒字は増加を続け、アメリカの対日貿易赤字は解消され

なかった。1980 年の対日貿易赤字は 104 億ドルであったのに対し、1986 年には 544億ドルに膨れ上がっていた。 当時、アメリカでは、議会を中心に、日本は不公正な貿易相手国であるという対日

批判が広がっていた。日本政府(中曽根内閣)は、その対応として、輸出の自主規制

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や個別産業分野の市場解放措置を実施した。その対象となったのは繊維、鉄工、自動

車、半導体などであった。また、日本市場の閉鎖性の対応として、エレクトロニクス、

電気通信、医療品など市場個別分野において日本は自主的に輸入促進を行った。 しかし、個別分野で市場解放措置を実施しても日米貿易不均衡は容易に解消されな

かった。そこで、1985年、中曽根首相は、「国際協調のための経済構造調整研究会」(前日銀総裁、前川春雄氏が座長。)を発足させ、翌年 4月には、報告書、いわゆる「前川レポート」を提出させた。そして、そのレポートに沿った政策を実施したのである(こ

れらの政策の実施によって、バブル経済の発生と崩壊、規制緩和による中小規模店の

衰退や地方経済の疲弊、国・地方財政の逼迫・困窮化(800 兆円を超える借金。)などを惹起することになる。)。このレポートの背景にあったのは、対日貿易赤字の打開策

であり、一言で言うと「黒字減らし」の政策だったといわれている。

2)「黒字減らし」としての JET事業 この「前川レポート」の中に、「科学技術・文化面での国際交流の推進」という項目

があり、「国際化時代に対応するため、学術研究機関の開放、外国人教師・留学生の受

入れ、帰国子女受入れ体制の整備等を行う。」と記されていた。 JETプログラムは、「前川レポート」の 1年後の 1987年からスタートした。三省のうちどこが言い出したかは定かではないが、筆者の推測では外務省ではないかと思っ

ている。 そもそも、この事業の前身は、文部省(現在の文科省。)の単独事業だった。1977年、アメリカからの英語指導主事助手 (MEF:Monbusho English Fellow) 招致プログラムがその始まりであった。翌年の 1978年、英国人英語指導教員招致事業(BETS:British English Teachers Scheme)が外務省の協力を得て実施された。これらの事業が、1987年にプ JETログラムに取って代わられたのである。 つまり、前記「前川レポート」に沿って、アメリカの青年を大量に招致することに

よって、ジャパン・バッシング(日本たたき)を幾分でも緩和し、「黒字減らし」に一

役買おうという外務省の意図が推察される。 一方、地域(地方)の国際化を進める所官庁であった自治省(現総務省)は、国際

交流(地域の国際化)を主眼として、外国青年を招致し、ついでに....

英語指導もしても

らえばという考えで、三省がまとまった、というよりむしろ文部省はまとめられたの

である。

3)JET事業は「交流(Exchange)」が主眼 「ついでに....

」というのは、日本語名は「語学指導等を行う外国青年招致事業」とな

っているが、英語では、「The Japan Exchange and Teaching Programme」ということで、第一義的には「交流(Exchange)」が中心なのである。

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しかし、とはいうものの、JET事業参加者の 90%以上は、学校で英語指導をしている AET(英語指導助手 Assistant English Teacher)である(ALTの中には、英語以外の言語(独・仏・中・韓)を教える外国青年がいるが、極めて少数で、ほとんどの者が

英語を教える AETである。)。彼らは、まったく日本語が話せない。そこで、日本人教師の助手(アシスタント)という立場になるのだが、ここにひとつの問題点がある。 通常、諸外国では英語指導者には、TESOLなどの資格を求めることが一般的である。

TESOLとは、「Teaching English to Speakers of Other Languages」の略で、英語を母語としない人に英語を教えるための知識、教授法のことである。 しかし、AET(英語指導助手)は、そういう資格を持っていないし、外務省が外国青年を採用する際、それらは条件となっていない。分かりやすくいうと、採用基準は、大

学卒業者で英語が話せればよいというわけである。したがって、正しい言葉遣いので

きない、あるいは地方訛りのひどい外国青年も招致されることもあるわけである※。 つまり、英語で交流することが主眼であって、真に英語が上達するためのプログラ

ムというわけではないのである。 ※ ただ、ここ数年の募集においては、「指定言語の発音、リズム、イントネーション、発声にお

いて優秀であり、かつ現代の標準的な語学力をそなえていること。また、文章力、文法力が優れ

ていること。」と条件が付加されたようである。

しかし、これは受け入れ自治体、現場からのクレームに対応したものであり、これまでそうい

った事を考慮せず、後述のとおり学士で英語が話せればよいという基準のみで採用してきた。そ

して、また、この条件を付したからといって、条件に沿った人材が確保できているか過去の実績

から見て甚だ疑わしいところである。

4)外国青年招致のための費用 外国青年の標準の契約条件は次のとおりである。 標準の契約条件は、1年ごとの契約更新で最大 5 年間契約できる。週 35 時間労働、年 360万円以上(税引後)の報酬、最低 10日間の年休の付与などとなっている(受け入れ自治体の方でこれを越える条件(厚遇)を付してもよい。例えば、住民税分の給

料への上乗せ、住居の無料貸付や住居手当の補助など。)。また、外国青年が日本に来

るため、また帰国するための渡航費(航空機はビジネスクラスで算定した旅費)は、

日本側が負担する。 外国青年は、健康保険、厚生年金保険、雇用保険に加入することになっている。保

険料は外国青年と受け入れ自治体それぞれが、法定の負担率に従って負担する。その

ほかに、受け入れ自治体の負担により、JET 傷害保険(この保険では、保険期間中に生じたけがや病気で、医師の治療を受け支払った治療費のうち、社会保険で自己負担

となる3割部分から 5千円を控除した残額が補償される。)に加入している。

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なお、雇用保険は、外国青年がこのプログラム終了後に日本で失業状態になった場

合、失業手当等を給付する(公共職業安定所)こととなっている。 また、1994 年 11 月 9 日改正厚生年金保険法により、日本の公的年金制度に加入していた外国人は請求により脱退一時金を受け取ることができるようになった。上記の

とおり、JET参加者は年金に加入しているため、脱退一時金を受け取ることができる。基本契約期間である 3年間( 36ヶ月)在籍すると 77万円が支給される。 外国青年の招致にかかる費用は、概ね、外国青年 1人につき年間 600 万円以上の経費が必要とされている。この費用のうち、赴任時、帰国時の旅費、受け入れ自治体の

特別職の公務員としての給与等については、国から地方交付税の措置がある。それ以

外の費用は、受け入れ自治体が支払うのである。どちらも税金なのである。 筆者が携わっていた当初の頃と比べて契約条件は、格段によくなっている。という

か至れり尽くせりである。このプログラムは、元々が国際交流という目的のために外

国の若者(青年)を招致する交流事業であって、労働者というよりはボランティア的

な要素を含んだ事業だったはずである。それがいつしか、彼らは労働者化して、得意

のネゴシエーション(交渉)で日本人担当者とのやり取りを通じて更なる厚遇を勝ち

取った(筆者の経験では、彼らからボーナスを要求されたことがある。もちろん、事

業の趣旨等を説明して、要求は却下した。)。この交流事業の性格からいって、失業手

当の給付はおかしいし、厚生年金も理解に苦しむところである。 しかし、ここでじっくりと見直してみると、おかしなことに気づくのである。もと

もと、彼らは労働者ではなかったはずである。交流を目的としたひとつのプログラム

であり、参加者の「交流意思」を重要視していたはずである。募集要項にもそれは謳

われていたはずである。しかし、このプログラムはいつしか、「仕事化...

」し、彼らは「労.

働者..化.」した。

英語の教授法を知らない、大学を卒業したばかりで何ら社会経験もない外国青年に、

月額 30万円の報酬を払って、往復の渡航費の面倒も見て、至れり尽くせりで日本に招致するわけである。ちなみに、地方公務員の初任給はおおむね月額 20万円程度(自治体、個人の職務経験等によって若干差異がある。)である。余りにも厚遇であり、こう

までして彼らを招致する理由、必要があるのか甚だ疑問である。しかし、厚遇の理由

の裏には、「黒字減らし」の大盤振る舞いがあると考えると得心がいく。 ところで、平成 21年度の参加者は前述したとおり 4,436人である。一人当たり 600万円で計算すると、600万円×4,436人=266億 1600万円である。これまでの参加者の累計は、52,223 人であるので、3133 億 3800 万円の税金がこれまでに投入されたことになる。果たして、その投入によって、地域の国際化は進み、日本人の英会話能

力は向上したのか。多くの識者からは肯定的な意見は聞こえてこない。 このプログラムも今年で 23年目になるが、日本人の英語力は依然としてアジアの最下層に位置したままである。

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5)参加する外国青年の「意識」 これは、2000年頃に来日し、茨城県の農村部の中学校に AETとして勤務したことのある Mark Robb氏(当時 32歳)のインタビューの記録の一部を抜粋したものである。彼は、来日するまでニュージーランドの小学校の教員経験(5年)がある。

「普段は、生徒数約 200 人の中学校でAETをしています。小学校や幼稚園にも行きました。AETのなかには3~4つの中学校をかけもちで教える人もいるのですが、私の場合は、一つの中学校専属です。生徒は毎日 AETに会えるのだから、理想的な状況だと思います。 授業は1週間に 12時間で、コマ数は多くはありません。英語科の教師は2人いて、一人は1年生、もう一人は2、3年生を教えてます。 1年生の授業は『サンシャイン』の教科書を使って、主に文法の説明を中心に日

本語で行われるので、私の役目は、教科書に出てくる久美とパットの会話を音読す

ることです。生徒の中には、私の発音がアメリカ人の英語と異なることに不満を持

っている者もいます。 2、3年生担当の教師は私に、教科書のターゲット・センテンスを使って会話文

を作るように言います。ティームティーチングで、退屈な授業のときもあるのです

が、主導権は彼にあって彼が決めたカリキュラムに従います。教科書しかやらない

ときもあれば、英会話だけに充てるときもあります。彼は、1年生担当の教師より

も英語力があり、完璧ではありませんが、授業をできる限り英語で行おうとします。

それに教えることが好きです。でも、新しい活動をとり入れることがあまり好きで

はありませんね。いろいろ問題はあっても、2、3年生の授業は楽しいです。今の

仕事は、責任が軽くて時間的にも楽だし、子どもたちは生活態度もよく、フレンド

リーだし、給料は格段に高いし、英気を養うにはもってこいです。」 『子どもとゆく』164号(2001年 4月 1日発行)特集

上記記事は、(彼の個人的見解として)日本の英語教員や英語教育の問題点にも触れているが、筆者が注目したいのは、下線部のところである。一般の大学出たての外国青

年とその経歴は違うが、「仕事は、責任が軽くて時間的にも楽だし、・・・・・・給料

は格段に高いし、英気を養うにはもってこいです。」とは、随分とこのプログラムも低

く見られた(しかし、それが実体である。)ものである。 しかし、このプログラムの月額 30万円の報酬は外国青年には大変な魅力ある金額である。したがって、彼らは国際交流を目的というより報酬が目当てで参加してくる者

がますます増大してきている。国際交流よりも「稼ぎ」であり、「就職」なのである。 そして、それは彼らにとってキャリアを積むことになるのである。受け入れ自治体

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は、このプログラムに参加した外国青年が、帰国後の就職活動等に有効に利用できる

よう、業務における貢献や研修・各種活動への参加実績等を記した紹介状等を発行す

ることとなっている。まったく至れり尽くせりである。 これに関連して、もうひとつ、参加する外国青年の意識を反映している記事を以下紹介する。これは、英国紙「ガーディアン」(2000~2001)に掲載された JETプログラム紹介記事(一応まじめな紹介記事なのであるが、日本人が読むとどう思うか。参加する青年の意識はどう醸成されるか。)のいくつかである(下線は筆者。)。

「日本政府は、JETプログラムに基づき中・高等学校用に ALTを募集している。ALTは、現在 6000 人ほどである。2001 年度(原典のママ)からは英語が小学校に導入されるようで、その需要が増すことが予想されている。外国人は日本人の相棒教師とテ

ィーム・ティーチングを行うことになり、年俸は 2万 3000ポンドである。(安倍注 1ポンド 203円換算で年俸462万円)。驚いた話だが、この仕事に教師の資格は求められていない。応募にあたっては学士号があれば十分である。

大学を出て1~2年間、外国政府(安倍注 日本政府のこと 募集は外務省)のために働くのはどうでしょう。仕事は比較的簡単なもので、経歴にもなります。十分な

給料と観光のための時間が与えられます。しかも、ビザとか住居などの面倒は、すべ

て相手持ちです。そのお返しに期待されていることは、公立中・高等学校で教師の助

手を務めることです。あなたが本当のキャリアを始めるのは、帰国後のことでよいの

です。 外国人に英語を教えるのは、世界旅行と同時に金儲けができる絶好の手段です。(中略)コースを選ぶときには、自分が本当に必要としてるものを見つけることです。か

りにあなたが英語を教えたいと思っているなら、その目的にあった、たとえば、修士

号とか資格免状(diploma)を取れるコースを選ぶことです。しかし、もし世界を旅行するのが目的なら、教育技術のイロハを授けてくれる短期コースを選ぶことです。日

本のような国では、英語のネイティブ・スピーカーでありさえすれば教師資格が無く

ても雇ってくれるのです。しかし、ほとんどの国では教師資格が要求されます。」 「JETプログラム 何もしないで金儲け? 日本における英語教師の役割は、たとえて言えばサーカス役者。子どもを喜ばすた

めに自転車に乗って登場するピエロ、遠い国からやってきたエイリアン。(中略)給料

と諸条件を入念にチェックすること。学士号さえあればよい。もっとも最近では、上

の資格がないとよい仕事にはありつけない。金の話をするなら、たいていの奴はなに

がしかため込んでいる。飲んでり食ったりで遊び回らなければの話だが。日本に来る

ときは笑顔で、日本語をちょっと勉強すること、間違っても伝統と誇りを持った国を

変えようとは思わないように。これを守るなら帰るときも笑顔。ボブは、JET プログ

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ラムで二年間辛抱した現在、○○大学の客員教授になってるよ。」 この記事を読むと分かるように、紹介記事の裏側に参加青年の意識も透けて見える。

もちろん、参加青年の全員が「金儲け」のためだけに来ているとは言わないが、自ら

携わった経験からみても、決して少なくないというよりも残念ながらむしろ多いとい

わざるを得ない。 また、この紹介記事に象徴されるように、このプログラムの「安易さ」が諸外国に

認識されているという証左でもある。この杜撰ともいえる「安易さ」は、「黒字減らし」

という根本の問題に起因しているのである。 当然、このような意識を持ってやってくる外国青年には、現場から多くの批判が寄

せられている。 「正しい英文が書けない。正しく単語を綴れない」、「週2~4日学校に来ても仕事は殆どなくパソコン室でゲームをして過ごす、月 30万円では足らないのかアルバイトのためにさっさと帰る」、「放課後の課外活動やクラブの手伝い、ボランティア、地域イ

ベントに参加することが求められているにもかかわらず、積極的に参加しない」。「給

料を貰いながら日本観光ができるという職業意識のない者が参加している。」などと枚

挙に暇がない。 これだけではなく、社会性に問題がある ALTも増えてきたといわれている。生徒に対するセクシャル・ハラスメント、暴言、怠業、日本人教員に対する誹諺中傷等々で

ある(小児性愛者、薬物問題等も一部聞こえてきている。)。

6)JETプログラムから脱退する自治体 交付税措置があるとはいえ、受け入れ自治体も半分程度の費用負担が必要となる。

財政難の自治体としては、制度からの脱退を決めるところや、同等の効果を求めるの

であれば、費用が嵩む JETプログラムよりも、民間事業所を活用した方がより効果的であると考える自治体が近年増えてきている。 民間委託にすれば、自治体側は、ALTが住むアパートの契約をはじめ生活の面倒を見たり、ホームシックを理由に1ヶ月で帰国したり、突然辞職したりするALTの交代要員を確保するなどの煩わしい仕事がなくなり、随分と楽になる。

しかし、民間委託すると、学校側が人事管理をする必要がない「業務委託(請負)」

となる場合が多い。この場合、教師が ALTに直接指示すると、違法な「偽装請負」とされる可能性もあり、法的な問題を残している。それでも、2011 年度の小学校への英語導入に向けて、この方式の導入を検討している自治体は増えてきている。

しかし、この方式においても、ALT の質の問題はあるようである。雇い先の民間事業所とのトラブルから突然辞める ALTもおり、現場では振り回されることが多々あるようである(勤務先の学校が遠いという理由で突然辞めた ALTがいたなど)。

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5 日本の英語教育にJETプログラムは必要か

1)英語教育界の反応 英語教育界でも、JET プログラム導入時に、このプログラムが大変胡散臭いものであり、英語教育に役立たないものであるとの批判がなされていた。 故若林俊輔東京外国語大学教授は「英語教育界も、今回の JETプログラムには責任を負いかねる。なぜならば、行政府が一方的に、勝手に、そのアマチュア AETを英語教育現場に送り込んでいるからである。残念ながら、JET プログラムを押しつけられた英語教育界は、うろたえるしかないのである」と述べている(下線は筆者。「小学校

での英語教育は必要か」大津由紀夫編著 和田稔 元文部省教科調査官 執筆

担当箇所から引用。)。 つまり、政府主導で押しつけられたと批判しているのである。「要するに、JETプ

ログラムは対米貿易の日本側黒字を解決するための、一つの方策として採用されたの

でした。だからこそ、このプログラムは文科省の管轄ではなく、総務省が財源を出し

外務省が募集をし、文科省が研修をおこなうという複雑な仕組みになっているのです。

本当に英語教育を改善したいのであれば、週 3 時間に削減された中学校英語教育の時間を元の 4時間に戻す」などの方策のほうがよほど実効性があった (「日本の言語政策と学校教育」寺島 隆吉 岐阜大学教育学部教授) 。 また、元文部省の教科書調査官だった和田稔氏は、「学校週 5日制」の問題に触れながら、JET プログラムも同様に、「教育」の論理ではなく、「経済」=「政治」の論理で導入されたものであると述べている。

「週五日制の導入の方向が決まったのは、1985 年(昭和 60 年)です。この時期には、アメリカの対日貿易赤字が史上最高となり、プラザ合意(1985 年)で日本人は働きすぎるから、製品を安く作れるのだということになり、国家公務員や金融機関などは週五

日制にすべきだ、との意見が強く出ました。当時は、中曽根内閣の時代で 1984 年(昭和 59年)に臨時教育審議会が設置されました。この審議会は当時の文部省にとっては極めて面倒な圧力でした。この時期、文部省は臨時教育審議会の対応に神経をすり減ら

していました。そこに、プラザ合意が出てきたのです。 文部省は五日制導入には必ずしも賛成ではなかったようですが、政治的圧力に押し

切られる形で導入を決めたと思われます。」(前掲、和田。) 「土曜日を休みにする結果、学校での学習内容の三割削減をせざるを得ません。『そ

こで授業時間削減で予想される“学力低下”に対する対抗策を案出しました。それが“生きる力”を育む教育、“ゆとり”の教育でした』(前掲、和田。)。つまり『生きる力』とか『ゆとりの教育』というスローガンは後で案出された理由づけであって『学校 5日制』という結論が先にあったのです。」(前掲、寺島。)

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これまで、多くの国民は、「学校週 5日制」は「生きる力」とか「ゆとりの教育」という教育目的のためと信じてきた。しかし、その真実は、外圧による「政治」から「教

育」への押しつけだったのである。そして、「JETプログラム」も日本人の英語力を高めるために導入されたのではなく、やはり同様の「政治」の「押しつけ」だったので

あると和田氏は結論づけている。

2)英語に対する誤解 ①日常生活に「英語は必要がない」

ほとんどの日本人は、英語を公教育で 6年~10年も受けているが、その活用能力は大変低い。とくに会話能力は最も低い。多くの人は、帰国子女などの海外生活経験を

持つ者が流暢な英語を話すのを見ると、「自分も海外で幼い頃から過ごせばあのように

なっていたかもしれない」とか、「留学やホームステイをしていれば英語ペラペラにな

っていたはず」だとか、「もっとコミュニケイティブな英語教育を受けていれば少しは

英語ができたはずだ」などと思っているのではないだろうか。そうした「誤解」によ

る心理作用が、早期英語教育(小学校での英語必修化)に期待を寄せる。 しかし、何のために英語を習得しなければならないのだろうか

........................。英語は「国際化」

のため、「グローバル化」社会で生きるためとかいうが、日本で生活していくうえで、

英語が果たして必要なのだろうか。 藤田悟氏(茨城キリスト教大学)によると、仕事の上で英語を必要とする人の割合は、「職業人の 1%程度」だと指摘している。つまり、99%の人は不要なものということになる。確かに、国際化とかグローバルとはいいつつも、自分の親戚や知人等を見た場

合、実際に仕事で英語を使っている人はほとんど思いつかないのではないだろうか。

また、英語ができないために、解雇されたり、生活苦に陥ったりした人もいないので

はないだろうか。 冷静に考えると、今の日本国においては、英語ができなくても生きていけるし、ま

た、英語を使う必要のある状況は一般の人には皆無に近い。「国際化」、「グローバル化」

と言いながらも、その政策の現実性はどこにあったのか。英語教育は、これらの言葉

にただ踊らされたに過ぎない。現状認識をきちんとすれば、多くの国民にとって英語

の必要性は乏しいことが明瞭となってくる。 そのような現状の中で、何故「小学校での英語必修」なのかである。「国際化」とい

う名の下の行政主導以外に、経済界からの強い要請もあるのだろう。それに加えて、

親の期待もある。しかし、その大元となっている考えに誤解があるのである。つまり、

前述した帰国子女などのように早期の英語教育をすれば、英語を使えるようになると

いう単純な誤解である。

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②英米の植民地となった国の英語事情 朝日新聞社論説委員の船橋洋一氏は、英語を話す 14~15 億人の人々を下表1の様に三つのグループに分類している。 (表1)

英語を話す人 14~15億人 以下の全てを含む

(1)英語を「母国語」として 話す人

3億 7700万人 アメリカ人、イギリス人、オーストラリア

人、ジャマイカ人など

(2)英語を「第二公用語」などとして話す人

3億 7500万人 インド人、フィリピン人、ブータン人、パ

キスタン人、フィリピン人など

(3)英語を純粋な「外国語」 として話す人

7億 5000万人 日本人、韓国人、中国人、ドイツ人、フラ

ンス人、ボリビア人など

(船橋洋一著「あえて英語公用語論」より) この表の中で(2)に分類されるインド人、フィリピン人、ブータン人、フィリピン人

などの国は、かつて英米に植民地とされた歴史があり、英語を「公用語」か、それに準

ずる「第二公用語」などとして使用している。つまり、彼らの国では、英語が国内にお

いて「公的な役割.....

」を担っているわけである。彼らは英語を日常生活において頻繁に..............

使.

用するため.....

英語が上手いのである。 ③母国語と英語との言語学的距離 前述の他に、日本人の「英語下手」のもうひとつの理由は、母国語と英語との言語学

的な距離によるといわれている。上記表1の(3)に分類される 7億 5000万人は、日本人と同様に英語が「公的な役割」を持たない国の人々である。従って、英語を学ぶ際は、

日本人と同等の苦労が要求されると思うのである。 しかし、これらの国の人々は、言語学的距離が近い、つまり、言語が似ている、共通

点が多いという好条件を持っているのである。それは、ゲルマン語系(オランダ語・デ

ンマーク語・スウェーデン語・ドイツ語など)やロマンス語系(フランス語・イタリア

語・スペイン語など)の言語を話す人々である。 英語と共通点の多い言語を話す彼らと、日本人の英語学習を同列に論ずることはでき

ないのである。ちなみに、中国語も文法は英語と似通っており(主語+動詞+目的語(補語)など)、 韓国語や日本語の文法(主語+目的語(補語)+動詞など)とは異なっている。 この言語学的距離と外国語習得の関係を調査したものがある。それはアメリカ国務省

の付属機関(Foreign Service Institute)が、1973年に実施した調査である(表 2)。この調査によると、アメリカ人国務省研修生がフランス語・ドイツ語・スペイン語などの外

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国語における日常生活に支障のないスピーキング能力を習得するのに要した時間は、約

720 時間であった。これに対して、日本語・中国語・朝鮮語・アラビア語などの4つの言語で同等の能力を習得するには、約 2400 - 2760時間の集中的な特訓

......が必要であっ

たと報告している。 例えば、「集中的特訓」ではなく、日本の学校のように、週に 4 時間外国語を学ぶとして、月に 16時間、年間 160時間(夏休みなど休校の日数を除いた約 10か月程度として計算。)学習するとする。そうすると、親近性のない外国語を習得するのに、15年(=2400時間÷160時間。実際は、それ以上年数を要すると思われる。)かかることになる。中学校から大学まで 10 年間勉強しても日常生活に支障のない英語が話せるまでは至らないということになる。ビジネス上での英語や専門分野の英語ともなれば、もっと時間を要

するのではないだろうか。

(表2)

アメリカ人国務省研修生が習得するのにかかった時間

フランス語・ドイツ語・スペイン語 約 720時間

日本語・中国語・朝鮮語・アラビア語 約 2400 - 2760時間

(三枝幸夫著「TOEICガイダンス」より)

ところで、外国語の取得は、どの国においても困難なようである。「アメリカやイギ

リスでは学校で第二言語として外国語を集中的に学ぶのに(第二言語習得の研究も盛ん

であるが)、機能的にも流暢さから見てもバイリンガルになれるものはほんのわずかな

者だけである」 「1日 30分、5年から 12年間学習しても、第二言語を流暢に使いこなすようになる生徒はほとんどいない」「わが国(カナダ)が第二言語教育にどれほど多額のお金を注

ぎ込んでいるのかは周知の事実である。……第二言語教育を受けたものはすべて、卒業

する時には第二言語を使いこなせるようになっているはずである。それなのに、実際は

どうであろうか」(Colin Baker著、岡秀夫ほか訳「バイリンガル教育と第二言語習得」より)。

④韓国の英語教育の失敗 日本語と親近性のある言語を持つ韓国は、これまで英語教育にかなりの力を割いてき

た。アメリカに留学する韓国人学生の数は異常なほど多い。2008年時において在米留学生数は 11万人を突破し、3年連続 1位である(下図参照。)。

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○国別米国留学生数

国内教育においても英語教育に費やされる時間と費用は相当なものだ。韓国では、英

語を前提とした教育体制となっており、大学レベルでは英語で授業ができる事が大学教

授の条件になっている。当然使われる教材も全部英語で、英語が分からないと科学も理

解できない。 この韓国の教育体制のあり方について、韓国日報は、「日本がノーベル賞を取れるのは

自国語で深く思考できるから。我が国も英語ではなく韓国語で科学教育を行なうべき」 と題した、次のような記事(2008年 10月 9日)を掲載した。

■自国語で学問する 今年のノーベル物理学賞受賞者は日本人一色だ。高エネルギー加速器研究所の小林

名誉教授、京都大の益川名誉教授と日系アメリカ人の南部シカゴ大名誉教授だ。日本

は 1949年に湯川秀樹が物理学賞で初のノーベル賞を受賞して以来、物理学賞受賞者だけで7人になる。今年も受賞者をまた輩出した化学賞に医学生理学賞を加えれば受賞

者は 13人になり、この分野の国家別順位でも世界7位だ。 日本の物理学賞受賞者たちは専ら日本で大学を終えたが、特に今回の受賞者3人は

いずれも最終学位まで日本で終えた。80 代の南部教授は 1952 年にプリンストン大招聘を契機にアメリカに定着したものの東京大学で勉強したし、60 代の小林・益川教授は名古屋大で博士課程まで終えた。今回の受賞対象となった「小林・益川理論」自体、

2人が大学院生と研究員として出会った名古屋大で誕生した。 日本の基礎科学がどうして強いのかについては様々な理由があるが、私が見るに、

日本語で学問をするという点も大きいようだ。基礎科学、特に物理学のような分野は

物質界の作動原理を研究するものであるから、どの分野よりも深みがあり独創的な思

考が重要だ。深みがあり独創的な思考をするためには、たくさん思考せねばならない。

そのためには基本的な概念を早くからきちんと身に付けねばならない。南部教授は小

学校のときに理科の時間に感じた興味が彼を科学者に導いたという。基本概念はどう

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すればきちんと身につくか。理解しやすい言語で科学を説明することから始まるはず

だ。 日本は初等・中等過程はもちろん、大学でも日本語で科学を教える。そのため、西

洋で発達した科学を日本語に訳すのを当然の基礎過程だと考えている。漢字文化圏で

ある東洋4国があまねく使っている「科学」「化学」「物理学」などの用語自体が、ア

ルファベット圏言語を自国語で把握しようとした日本の知識人たちによる翻訳の所産

だ。「素粒子」「陽子」「電子」などの用語も、すべて日本人が作ったものだ。 そのおかげで、日本人にとって世界的水準で思考するということは世界で一番深く

思考するということであり、英語で思考するということではなくなった。これは外国

語が苦手といわれる日本人たちが基礎科学分野でノーベル賞を多く取っていることや、

益川と小林の研究が日本の大学から誕生したことにもよく現われている。 一方我が国は、小学校・中学高校過程では科学の基本概念をきちんと把握する教育

をしないで、大学に入ると突然英語で科学を教える。名門大学であればあるほど、理

学部・工学部・医学部の物理・化学・生理学などの基礎分野に英語教材が使われる。

内容理解だけでも不足な時間に外国語の負担まで重なっては、韓国語で学ぶ場合に比

べると半分も学べない。韓国の基礎科学は外国に留学に行くことを初めから想定して

教えているわけだ。 教授たちは、基礎科学分野の名著がまともに翻訳されていないからだと言うが、こ

のように原書で教えていては翻訳する意味がなくなる。韓国語なら 10冊読めるであろう専攻書籍を、1冊把握することも手に負えないから、基本の面で韓国の大学生たち

が日本の大学生たちより遅れるのは当然だ。大学を出ても学んだものが無いという現

象も、ここから生じているのだ。 大学の基礎科学教育を世界的な水準へ高めるために外国の碩学たちを連れてくるの

に国はお金を惜しまないという。ちょっと聞くと素晴らしいことだ。ところが、果た

して全国の小学校と中学・高校で科学の実験は思う存分できるか。初等・中等過程と

大学過程で科学を正しく理解する基礎は用意されているか。世界的な水準で思考する

ということは、英語で思考するということではなくて世界で一番深く思考するという

ことだが、それ実践する土台は用意されているか。ハングルの日だから言っているの

ではない。 近年、隣国の韓国では、英語教育よりも母国語教育の重要性を認識しつつある。結局、

多くの費用と時間をかけて英語教育を行っても、世界に通用する成果があげられないと

いうことに気づいたようである。日本は、「素粒子」「陽子」「電子」などの用語をはじめ

とした翻訳技術が伝統的に優れており、日本語で考えるという「深い思考」の土台が整

備されていると、英語教育に極めて熱心だった韓国が、一新聞とはいえ、日本の教育制

度の優位性を認めたのである。

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⑤「英語信仰」のウラに 日本言語政策学会の顧問でもある鈴木孝夫氏は『小学校での英語教育は必要ない』(大

津由紀雄編、慶応大学出版会、2005)で次のように述べている。 「具体的な目的も必要もないのに『国際化時代だもの、英語ぐらいペラペラ話せるよ

うに成りたい』という英語信仰の愚かさを、あらゆる努力をして国民に啓蒙しなければ

なりません。英語は、それさえ手に入れればあらゆる望みがかなう『魔法の杖』ではな

いことをです。私は英語ペラペラ願望に取り付かれた人に対しては、『でもあなたは人前

で自分の考えを、ちゃんとした日本語ですらすらと話せますか』と尋ねることにしてい

ます。」 鈴木氏は、前述の韓国の問題と同様、母国語の重要性と根拠のない英語信仰を指摘し

ている。しかし、何故、「国際化」といえば、英語なのだろうか。その背後には、日本人

の英米に対するコンプレックスがある。 「日本人の心には、いまも第一には、西欧がありアメリカがあると思っている。われ

われの国際化には漠然とした西欧憧憬と、その具現としてのアメリカがつきまとってい

ると思っている。」(「英語教育はなぜ間違うのか」 山田雄一郎 2005年) 「英語で世界を渡り合うと言うが、英語を武器に戦うのは危険である。英語は強力な

武器のように見えるが、それを使いこなし、それで自分の身を守るのは並大抵のことで

はない。英語を規準に物事を判断するのでは、非英語国が英語国の前に立つことは不可

能である。われわれが英語で彼らに勝てるとは到底思えない。またこのような争いで生

まれるのは、英語を頂点とした階層化...........

だけである。 われわれに必要なことは、誰を相手にしても堂々とひるまない心構え

...である。英語コ

ンプレックスとか西洋人崇拝という言葉ではひとくくりにされないで済むような偏見の

ない態度と価値観を育てなければならない。英語が話せれば確かに便利である。自分の

考えを世界の人に伝える機会も増えるだろう。しかし、その英語よりも大切なものは、

伝えるべき内容..である。」(傍点、下線は筆者。「前掲」山田)

山田氏の指摘のように、無意識に英語を頂点とした序列化の中に組み込まれていくの

である。そして、もっとも恐ろしいことは、「英語信仰」という根拠のない考えにとらわ

れ、「社会全体の特徴として世代を超えて受け継がれている点である。」(「前掲」山田)。

3)「国際化」という言葉に踊らされて 前川レポートで提唱された「国際化」も、レポートの本質やこれまで述べてきたこと

を考えると、本当に必要な政策だったかも疑わしい。確かにグローバルな時代に対応し

ていく必要はあっただろうが、それと「JET プログラム」とどのような関係があったの

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だろうか。そして、それが英語である必要があったのだろうか。 2)①で述べたとおり、日本国においては、一般の人は日常的に英語を使うことはなく、使えなくても一生困るようなこともない。「国際化」、「グローバル化」といっても、それ

と英語は直接的な結びつきをしていない。これは誰のための政策だったのか。国際化=

英語という構図は、外圧以外にも産業界からの強い要請でもあった。その基調になって

いる考えに、「英語ができないから日本は世界の科学技術に太刀打ちできず、だから日本

経済も低迷しているのだ」という主張がある。しかし、それには何ら根拠がないことは、

前述したとおり韓国の英語教育の問題の中で指摘されているところである。 筆者の経験から述べれば、「国際化」というのは、不思議なことに「外」に向かうとい

うよりも「内」に向かうことだということなのである。つまり、外国人と交流して思う

のは、日本人としてのアイデンティティの確認なのである。日本人としての考え方を堂々

と述べることなのである。けっしてイギリス人化やアメリカ人化することではないので

ある。その中ではじめて相互理解ができるのである。そうすると、英語というよりも、

日本語を深く勉強することであり、日本の伝統と文化をさらに深く学ぶことではなかっ

たかと思うのである。やはり、前述の山田氏がいうように「心構え」の問題なのである。

しかし、日本の「国際化」の教育は、「和田稔の報告(1999年)によると『国際理解教育』

と銘打って行われた授業は、すべて国際理解とは何の関係もない英語の授業であった」

(「前掲」山田)。 「国際理解教育」で児童・生徒が学習しなくてはならないのは、「世界レベルでの経済

競争に打ち勝てる英語という武器」ではない。「多様な言語や文化を持つ人々と接したと

きに、差別や偏見やステレオタイプを持たずに彼らと理解し合い、協力しあい、共生で

きる力」でなくてはならない。 結局、実体のない「国際化」という名の下に、目的もなく、効果も実証されない英語

教育を推し進めるために、早期英語教育システムを導入し、これまた、創設時より問題

を有している「JET プログラム」の活用を推進し、その延命を図っている背後に一体何があるのだろうか。そこにあるのは、和田氏が指摘したように「教育の論理」ではなく、

「政治」の論理ではなかったかということである。

そもそも、国際交流というものは、本来草の根レベルでの促進が図られるべきもので

あり、政府や自治体が率先して、税金を投入するようなことではない。国際交流の時流

に乗って、各自治体ではやたらと海外の都市と姉妹提携を結んだが、その後の自治体の

戦略に効果が出ているのだろうか。先の見通しのない姉妹都市提携の意義も考え直す時

期に来ている。

これらの国際交流、姉妹都市提携に関わっているのが、「JETプログラム」を推進して

いる(財)自治体国際化協会(総務省所管)であり、また、国際交流基金(外務省所管)などの

今、注目を浴びている「独立行政法人」なのである。 国際化は、対米という政治的な問題とともに、民間の英語ビジネスとも密接な関連を

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持ち、そして、独立行政法人の主たる業務という関連を持っているのである。 「国際化」は、果たして誰のためであったのか。思うに「机上の空論」ともいうべき

政策ではなかったかという考えを払拭できない。

4)「JETプログラム」は廃止すべき この事業の創設の背景、つまり「黒字減らし」という背景、外国青年の質、英語教育

の根本的な問題、「国際化」という中身のない政策等を十分斟酌すれば、この事業の継続

は難しいものといわざるを得ない。この「JETプログラム」は廃止すべきである。 英語教育のあり方については、専門家の知恵を集めてより良いメソッドを開発すれば

よいのではないだろうか。日本人全員がバイリンガルになる必要もない。英語を必要と

する人のために学習システムを用意すればよいのである。 また、英語の小学校導入については、取りやめるべきであると考える。そもそも「義

務教育の目的は、社会の求めるものに直接応じることではない。義務教育を、職業訓練

と同列に扱ってはならない。仮に、英語が国際社会を切り抜けるための武器だとしても、

それはあくまで考慮すべきことであって直接の目的にすべきものではない。義務教育は、

学習者が将来、必要とするかも知れない諸能力を身につけるための準備期間である。十

分な基礎訓練こそ大切にすべきで、いたずらに断片的知識を増やすことを目的にしては

いけない。」(「前掲」山田)。 英語教育において、一番の障壁は発音である。そこでネイティブ(生まれつき話せる人)の活用を求められるが、そのために、「JETプログラム」を活用し、高額な費用をかけて

素人の外国青年を招致する必要はまったくない。日本国内で十分安価に調達できる。た

だ、民間事業所等の外国人英語教師が、「JETプログラム」の外国青年と入れ替わるので

は意味がない。筆者は、ネイティブそのものにこだわらず、ネイティブによる英語教材(CDや録音テープ)の活用で事足りると考えている。 「JETプログラム」が開始された当初は、もの珍しさや首長の人気取りとして多くの招

致申請があったが、外国青年の意識の低さ、学校現場での双方の軋轢、効果が出ない英

語学習など様々な要因から、そして、自治体の財政難等から、近年、事業の廃止や「JET

プログラム」からの脱退という方針を打ち出す自治体が増えてきている。 そうした流れの中で、打ち出された「小学校の英語必修化」は、「JETプログラム」の

延命措置であり、ひいては(財)自治体国際化協会の延命にも繋がっていると筆者は見

ている。

前述したとおり、小学校から英語を教え、多くの時間を費やしても会話能力が飛躍的

に伸びるとは考えられない。むしろ、小学校では母国語である日本語の読書き、会話力

を養うべきである。 「物事が地球規模で交流する今日、言語力を重視し、それを育む事が大切だという意

見について異存はない。これからの日本は、相手の言葉によく耳を傾けると同時に、自

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らの意志を相手にわかる言葉で明確に伝えなければならない。そのために日本人が言語

の能力を高めることは、大いに必要だと考えている。

しかし、その言語力とは必ずしも英語の力を意味しない。相手にわかる言葉で伝える

とは、自分の考えを論理的に表現するという意味であり、どの言語を用いるかは本質的

な問題ではない。われわれがまず為すべきことは、日本語できちんと考え、相手が理解

できる表現で論理的に意志を伝える能力を養うことである。」(「前掲」山田)

この基本を忘れては、真の国際人とはなれない。外国人を前にしてスピーチをすれば

そのことがよく分かる。彼らは、英語の流暢さを気になどしていない。彼らがもっとも

関心を持っているのは、スピーチする者が何を語ろうとしているのか、その内容なので

ある。

縷々述べてきたが、「国際化」、「英語教育」いずれをとってみても「JETプログラム」

を継続していく理由はまったく見当たらない。むしろムダである。早急に廃止すべきで

あると考える。

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住民参加による「百人委員会」―鳥取県智頭町―

(町長の提案で) 鳥取県智頭町(ちづちょう)は、鳥取県の南部に位置し、岡山県と県境を接する位置にある。人口 8,317 人(2009 年 12 月 1 日現在)で、2,790 世帯、高齢化率が約 35%である。面積の93%を山林が占めており、基幹産業は林業である。 この小さな町で、住民自治の胎動が起きている。そして、その胎動は、多くの町民の中

に広まりつつある。そのきっかけとなったのが、「百人委員会」なのだ。 町は基幹産業の林業が低迷し、歳入の半分を頼ってきた地方交付税は、7年間で 5億円減らされ、現在は 23億円に縮減している。交付税の激減を節約で乗り切るだけでは、将来は切り開けないと考えた寺谷誠一郎町長(65)は、「もはや国には頼れない。お金がなくても出来ることを考えよう」と、役場に事業を提案できる百人委員会のメンバーを募集したのが

きっかけである。 (委員会の法的位置づけ) 「智頭町百人委員会設置要項」(平成 20年 7月 28日施行。)によれば、委員会の設置の目的は、町の諸課題に関して、住民の意見を町政に反映させるためとなっている(第1条)。 そして、この委員会の意見の取り扱いについては、これを町長が精査した上で、尊重し、 町長は、百人委員会から提出された意見を精査した上で、これを尊重し、「町政に反映させ

るものとする.....

。」(第 7条第 2項)となっている(傍点は筆者。反映するという方向性を示しつつも、町長に裁量の余地がある規定の仕方である。)。 つまり、要項を法的に判断すると、まず委員会は、諮問機関的組織というべきもののよ

うである。したがって、政策決定ではなく、あくまで意見としての提案にとどまるという

ことなのだ。そこで、意見については、まず、町長がその内容を精査して、町長が採択し

たものは、「尊重」するが、その中には町政に反映できないものもあるということである。 法的にみれば、余り強い立場の組織ではない。しかしながら、この委員会をきっかけに

住民参加、住民自治の精神が住民の中に醸成されてきており、「小さくとも輝くまち」とし

ての個性が発揮されつつある。

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(委員会の活動) 2008年 9月、約 140人の町民からなる「百人委員会」が発足した。町の活性化に向けて、委員となった住民(主婦、喫茶店主、林業関係者)たちは、6つの部会(行財政改革検討部会、商工・観光検討部会、生活・環境検討部会、保健・医療・福祉サービス検討部会、農業・

林業検討部会、教育・文化検討部会)に分かれて、夜ごと公民館で真剣な議論を繰り広げ

た。 中でも行財政改革部会は、詳細なデータをもとに「町議報酬の日当化」や「町職員の勤

勉手当の廃止」など議員や行政職員の人件費カットを提案した。公開ヒアリング(百人委

員会は事業を提案し、町と直接予算折衝も行うのが特徴である。)では、この案に反対する

議員、職員などと減額の根拠を巡って激しい応酬が行われた。 結局、町側は「日当化は議員自らが考えるべきもの」で、「行革は別途検討する」として、

当初予算の編成とは切り離すこととした。しかし、「提案は重く受け止め、09年度中に専門家を交えた検討委員会をつくるなどして議論を深める」とした。 (委員会の効果) そうした中、2009年度は、園舎を設けずに子どもを自然の中で育てる「森の幼稚園」、森林セラピーの里づくりなど豊かな森林資源を生かした事業等、提案した 21の事業のうち 11の新規事業(総事業費 1億 8200万円)が認められ、実施されることとなった。 この百人委員会の開催、実施は、住民、議員、行政ともに、「町の将来を真剣に考える機

会になり、活気が生まれてきた」と高く評価しているようである。 百人委運営委員長の小林実夫氏(67)は「今までは町づくりを町に任せがちだった。百人委でアイデアを考え抜き、予算要求までしたことで、今後の町政を見守る責任感も生ま

れるはず。智頭町ならではの住民自治の仕組みとして確立させたい」と語っている。 また、2009年の統一地方選挙では、「百人委員会」の経験者 3人が町議選(定数 12)に立候補し、2人が当選した。2人とも女性で、会社役員(41)と主婦(62)であった。 百人委員会を通じて、住民たちに、そして、議員や行政職員に変革の波が徐々に広がっ

てきている。今後の「百人委員会」の活躍を見守りたい。

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「トラウマ」 十二月は予算査定時期で、予算担当者の目は血走っている。毎日、毎日、夜遅くまで居

残りをさせられ、先が見えない戦いを強いられる。 県では、国の財務省にあたるところに財政課というセクションがある。各部ごとに担当

者が決まっており、国際交流課や婦人対策課など花形の課があるところの部の査定担当者

の査定はあまり厳しくない。どちらかといえばユルユルである。 厳しいといえば教育委員会だ。教育委員会の予算は、県予算の約三分の一を締めている。

しかし、その九十パーセントは、小、中、高校の教職員等約三万六千人を含む人件費なの

である。 従って、教育委員会の事業予算たるや花形課の予算に比べ微々たるものなのである。そ

の上、例えば 500 万の事業予算がそう大した資料も出さず、査定がオーケーされる花形課に対して、教育委員会は 100 万円を超える事業などというと、いったいどのくらいの査定資料がいるのかというぐらいの差別的な取り扱いを受けるのである。それは、三分の一予

算ということで、財政課としては、これ以上教育費にかけてはならないという不文律があ

る。そこで、対教育委員会抗争は血で血を洗う戦いとなる。 教育委員会には、名物男といわれている寅さんがいた。その寅さんが、査定を受けてい

るときのことである。 査定担当者が、寅さんの方で用意した予算資料の一枚を取り出して、「これは縦表じゃな

くて、横表でしょ。」と宣(のたま)われた。要は作り直せということである。「縦でも横でもそんなの関係なかろうに」と寅さんは心の中でつぶやいた。しかし、笑顔で「はい。」と答

えた。 その後も査定担当者のいじめに近いあら捜しが続いた。そして、ついに理不尽なことを

言い続ける査定担当者にごうを煮やした寅さんは、「お前の首の上についてるそのかたまり

は漬けもの石だろう。だったらそんなところにおいておく必要はないな」と言うと、すく

と立ち上がって、彼の首を胴体から引き離すべく引っ張り出した。 ボロぞうきんを引き裂く悲鳴が部屋中に轟き、財政課の他の職員があわてて駆けつけた。

コーヒー

ブレイク

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寅さんは、松の廊下よろしく羽交い締めにされ、五、六人がかりでようやく取り押さえら

れ、彼から引き剥がされた。寅さんはかなりしばらくの間、財政課室内「出入り禁止」と

なった。 後から聞いた話だが、査定担当者の彼は、エレベータホールとかで寅さんを見つけると

くるりときびすを返し駆け足で帰宅し、しばらくの間、出勤してこなかったと聞いている。

その担当者の名前は、確か馬場さん・・・どちらにしても「ウマ」のつく名字だったと記

憶している。