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大宮ロータリークラブ 週報

2010-11 大宮ロータリークラブテーマ 「知行合一」

2010-11 RI テーマ

No. 2128 2011 年 6 月 22 日(水) 第 2772 例会

RI 会長 レイ・クリンギンスミス

地区テーマ「創立の原点に回帰しよう」

ガバナー 井橋 吉一

会長あいさつ みなさん、こんにちは。お客様ようこそいらっしゃいました。本日は、北 清治パストガバナーに卓話をお願いしました。2004~ 2005年度、ロータリー100周年のガバナーでいらっしゃいました。皆さんもよくご存知のガバナーだと思います。当時「ロータリーを祝おう」というテーマを掲げられました。北ガバナーは 「ロータリアンであることに誇りを持ちましょう。ロータリー100周年を皆さんと共に祝い、次なる奉仕の第二世紀に向かって歩みだしましょう」 と言われました。その言葉通り、その年度はロータリー100周年の年として主役はクラブであるとし、地区リーダーシッププランを(DLP)を推進されました。そして地区委員会の組織を改変され、また、グループ再編成を提唱し検討委員会を設置し、2006 ~2007年度、飯野雪男ガバナーのときから12グループで運営されています。その後担当諮問として活躍されています。本日はよろしくお願いします。 野原ガバナー補佐・井上幹事一年間お世話になりました。大宮ロータリークラブもグループとしての役割りにもお応えできたのではないかと思っています。野原ガバナー補佐・井上幹事、本当にお疲れ様でした。 まず、報告します。先週の例会は在会記念者を囲んでの夜間例会でした。桑折会員の在会35年、岸会員の10年、大瀧会員の25年を皆様にお祝いしていただきました。大瀧酒造の金賞受賞のお酒での乾杯から始まりました。大瀧会員のネームプレートの違いに気が付かれたでしょうか。ゴールドプレートになりました。大宮ロータリークラブでは、ゴールドプレートは在会25年にならないと着けられません。在会50年は好きな色が着けられます。今までにお二人。松沢会員のオレンジ。平沼会員の緑。今度予定の岩井会員は何色になるか楽しみです。 本日は少し古い埼玉の歴史についてお話したいと思います。来年の5月に新しいタワーが開業します。その高さは634mということで、いわゆる、ムサシからきているとのことですが、ではムサシと言う言葉はどこからきているかご存知でしょうか。埼玉県の歴史の本には、こう書いています。「ムサシの語源についてはいろいろの説がありますが、現在では、ムを広い、サシを焼き畑と解し、広大な開拓原野を意味する地名であるという説が一般である」と記されています。漢字では普通に「武蔵」と書きます。しかし、漢字の書き方には古くは「牟邪志」「牟射志」の書き方があります。武蔵の名があてられるようになったのは、713年の元明女帝による嘉名表記の詔勅が出てから後のことで、(713年=和銅六年)710年平城京に遷都した時代頃。朝廷が全国の国司役所にあてて発した嘉名表記の通達は「郡、郷の名は好ましい漢字二字で表記せよ。」というもの。この頃は漢字が輸入され、普及していった時代です。埼玉の意味はよく「さきたま」と言いますが「サキ」は位置を示す言葉であるとしても、どこを基準にした「前」であるかという点は未解決としています。武蔵国符の置かれた多摩郡との位置関係をしめすものとも思われます。「タマ」は水辺または湿地という解釈があります。県名の元となったこの地は利根川と元荒川にはさまれた低湿地帯でこの解釈が妥当とされています。 最近は埼玉県立図書館で、現在自分の住んでいるところが昔どうなっているのか調べる人たちが多くなったと報道していました。ご参考までに資料をつけてみました。地図と歴史から自分の住んでいるところの地形を見直しました。本来風土記は醍醐天皇の延長三年(925年)平安時代に「五畿七道の諸国の国司は、早急に風土記を勘定せよ」という命令が太政官符をもって再度出されました。当時国府の数は、67あったのに風土記として残るものが僅かに五篇とは問題のあるところで、勅命であるにもかかわらず数少ない結果に終わった理由として、このような仕事は何と言っても国司自身の文才の有無が大いに関係すること、また、国府の役人の数がいたって少なく、その余裕がなかったことなどがあげられています。しかし、結局のところ風土記の完成本は出雲風土記がただひとつで、それに編者および作成者年代不明の常陸、播磨、筑前、豊後を合わせて五篇だけという結果に終わり、他に風土記逸文として山城、周防、肥前、豊後があるだけとなった、としています。当時の国府の役人の定員は、武蔵国のような大国で「国司9人で、大国以下で上国7人、中国6人、下国で5人」であった。いかに人口の少ない頃とはいえ、今日の各都道府県の役人

会 長:浅野 仁副会長:中川高志副会長:遠藤省吾幹 事:徳山義行

クラブ会報担当:田中康之発行日:6月29日(水)

の数に比べて雲泥の差で、人員構成の少なさ、もっとも、この役人数は朝廷から給与を受ける官吏だけを記しているのであって、実際にはこの下に御家人その他の人が含まれていない。明治4年(1871年)に埼玉県が発足した頃の県庁役人数は全部で100人くらいだった。(浦和市議会史上巻)また、縄文時代のわが国の人口は400万人くらいと想定して、この数字をもとにして大宝律令時代(701年)に大国であった旧武蔵国の人口は10万人前後となると思うので、風土記まで手が回らないのは当然であるとしています。「武蔵風土記」や調神社や調御倉社に伝わる伝承には、古代国家が成立した時期とされる3、4世紀ごろの崇神天皇から、5、6世紀ごろの応神天皇の時代にかけて、浦和に海があって本太港湾が栄えていたという考え方をもとにしています。岸町地区は、本太湾に突き出た高鼻の地で、前地をはさんで本太と向かい合う位置にあります。その鼻の地は現在浦和第一女子高校のある所で、浦和第一の高台と言われました。当時は今よりももう少し小高かった様です。岸町は、今は真ん中を中仙道が通り、大宮浦和台地と地続きになっていますが、当時は太古にこの入間川の本流の流露であったと考えられます。台地を侵食してできた渓谷が入江をなしていました。岸町、白幡地区は大宮浦和台地とは切り離され、東と南と北の三方は海に、西の方は元入間川のとうとうたる流れに洗われる島であった。浦和の付近にあった海を「浦和の海」と言うべきではなく、実は昔の浦和の地は、現在の本太から見て真西にあたる入り江をへだてた一地区に限られ、本太は広い海に面していたので「本太(もとふと)の海」と呼ぶとしています。本太湾はこの東京湾の中にある湾で、現在本太の氷川神社の鎮座する高台を軸にして、海である東の方を除き、他の三方は大宮浦和台地と、それから分かれて木崎、領家、瀬ヶ崎、道祖土(さいど)をへて三室にいたる舌状台地に囲まれていて、これが北からの風を防ぎ波静かな本太湾を形成していた。これが本太湾の繁栄をもたらし、今日の浦和発祥のそのものの原動力になった。一方西から西南にかけては常磐町、仲町、高砂町と続く大宮浦和台地がのび、その台地の先端に位置する岸町、白幡の地は当時は入り江に仕切られた島であり、太田窪、大谷場、小谷場の小高いところも島であった。本太の名のおこりは地形からおこっているように思われる。モトブトのブトは河谷の低地で、耕作住民に適する場所をさすことになる。おおむね平坦ではあるが、東西に狭く南北に長い小さな谷をなしているので、ブトの地形に合致する。古代日本国家が成立した時期とされる3、4世紀ごろから、5、6世紀頃浦和には海があって本太湾が栄えていた。その足立国府は、「武蔵風土記」が明記するように、現在 本太小学校前に鎮座する氷川神社の付近が昔の足立国の政庁のあったところと想定される。

「元府址」と称しているのは正しいとされる。 ケヤキは関東地方によく根付いた木、特に武蔵野にはよく繁茂していて、昭和41年には県の木としていますが。なぜケヤキなのか。ケヤキは大和を中心に五畿七道に及ぶ朝廷の勢力を示すのに最適の木として選ばれたもので。もともとは、この木は山城国(京都府)の山代川(淀川)の流域でもっともよく繁茂していて、ケヤキと言えば、山城国を連想するほどであったというから、奈良を中心に勢力圏の拡大に成功した大和朝廷が東国経営のため伊勢に次ぐ第二の拠点を浦和の岸町に設けるにあたり、その地に、朝廷の占有地であることを示す標の木としてケヤキを選び、苗木を持ってきて植えたのが始まりと考えられるとしています。ケヤキは関東には珍しかったし、よく風雪にたえて大木となる特質をもっており、堂々たる容姿はよく目立ち朝廷の勢威を示すに申し分なかった。当時、気候は今より暖かく、岸町から本太にかけては四季常緑の大樹林が見られた。これに対して本太湾をへだてて対岸の岸町の一帯に対照的な落葉性広葉樹として代表的なケヤキの大森林を出現させたのである。これは大和朝廷の東国経営の決意と自信とを示すものであったようです。 本日の卓話は北パストガバナーということで、浦和について少しご紹介しました。ご清聴ありがとうございました。

 第55代 大宮ロータリークラブ会長                  浅 野   仁

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 みなさん、こんにちは。2004-5年度に地区ガバナーをやらせていただきました。こちらのクラブには何度か卓話でおじゃまさせていただいており、また今回もご招待いただき嬉しく思います。本日は全部に触れると時間がありませんので、大きな要素について説明をさせていただきます。

なぜ「未来の夢計画」なのか ロータリー財団は1917年、ロータリーがスタートしてから12年目に、当時のアーチ C.クランフRI会長が基金をつくって世界で良いことをしようという呼びかけをしました。なぜこの時点でこのようなことが起きたのかという背景に触れますと、ロータリーは1905年にスタートしてからいろいろな内なる奉仕、外なる奉仕について激論があったわけです。ロータリーは内々でいいんだという意見と社会に対する奉仕をという2つの方向性が明確に出ていました。この争いを察知して、アーチ C.クランフは呼びかけをしているんですね。1917年頃アメリカでポリオが流行しアメリカの各地域の方々がポリオの撲滅に奉仕をしています。今こそロータリーはこういう奉仕に向かわなくてはいけないんだということが起きていました。半分ぐらいのロータリアンはそういうことに熱心でした。こういう争いを収めるのが決議23-34というところで収まる訳ですが、その先読みをアーチ C.クランフはしていたということになります。なぜかというと、1915年全くロータリーと同じ構成のキワニスクラブができました。このクラブはロータリーを非常に参考にしています。一番明確に出ているのが1981年、女性会員を入れなくてはいけないと法が下った中で1987年から女性会員を入れました。キワニスクラブも1987年から女性会員を入れています。1917年にライオンズクラブができています。ライオンズクラブは個と個の経営者が集まってドネーションという片足で対外奉仕をしようといろいろな動きがあった中で先読みがあるというのはロータリー財団のきっかけだろうと私は感じております。そういった経緯でロータリー財団は現在の基盤を築きました。1948年、ロータリーを創設したポール・ハリスの死によって世界から重鎮が集まってきました。これをロータリー財団のスタートにあてたというのがロータリー財団の実質的な活動のスタートです。世界6カ国から18名の奨学生を派遣したのが1947年であります。日本の第2号になりました緒方貞子さんは1951~2年にわたってアメリカで勉強されました。1985年にロータリーはポリオ撲滅を呼びかけ、いろいろなプログラムの実践をしてきました。1965年にマッチング・グラントをスタートしてから2000年までの35年間で1万件のマッチングが実行されました。なんとこれから発展し2000年から2004年までの4年間で1万件、尚2004年から2008年までの4年間で1万件と世界の開発国と先進国がマッチングしながらペアを組んで地域の発展に臨んでいたということになります。大変な事務量に事務担当者が追われて、これではロータリー財団が事務に忙殺されるということで100周年を迎えた2005年、ロータリー財団の方向性を見極める会議が行われました。100周年を迎えたロータリー財団があるべき姿を描こうと始まったのが2005年2月から。その中で委員会が設けられ、3年間世界のロータリアンのいろいろなアンケートによってこの方向性ができました。2017年、100周年を迎えるときに、大きく成長を続けたロータリー

ロータリー財団「未来の夢計画」                     国際ロータリー 第 2770 地区第3グループ■野原哲夫ガバナー補佐・井上久雄グループ幹事

 本日は井橋年度第3グループガバナー補佐として、大宮ロータリークラブさんには大変お世話になりましたので最後の御礼ということで井上グループ幹事と共に参りました。井橋ガバナーは「組織の停滞は組 織の後 退に繋がる、 現

状を把握して新しいことにどんどんチャレンジして欲しい」とおっしゃいました。私もその通りであると考え、そのように運営してきたつもりです。ロータリーの活動の原点に還り今後もさらに活動していきたいと思います。また皆様には東日本大震災やIM、会員増強等に於いてもご協力ありがとうございました。大変お世話になりました。大宮ロータリークラブのますますの発展を御祈念いたしましてあいさつと代えさせて頂きます。

ご 挨 拶

第3グループ旗引き継ぎ式

RI 会長賞授与

■あゆみの箱 理事 市川 顕様 毎年ご招待いただきありがとうございます。今、東日本大震災抜きでは話せない状態です。私共4月 20 日から1 ヶ月かけて障害者の施設、授産施設、作業施設に限って岩手県、宮城県にある 230 施設の調査をいたしました。6月 15 日に締め切り集計を取りました。

音信が全くとれない施設が 30 ありました。おそらく流出して無くなってしまった施設だろうと思われます。回答があったのが 96 施設、46%の回答率でした。その回答の中にも障害者で死亡した方が5名、行方不明者が 11 名でしたが、流された 30 施設を考えるとその数十倍もの障害者の方々の人的被害があったかと思います。私たち民間人が簡単な調査で掴みきれないほどの規模の大きな災害であったと思います。私たち民間人の無力感、力の無さをを思い知らされました。義捐金は 6 月 30 日に 1 回目を締め、7月中旬に山田町の障害者施設に届ける予定です。引き続き 3 年、5 年、10 年かけて災害対策支援費もそちらにそっくり当てはめなければ障害者はとても助からないと思っています。引き続き募金のご協力をお願いいたしまして、一部は災害対策費として義捐金の一部として寄附させていただきます。今後ともどうぞよろしくお願い致します。 ※松沢良一元会員から、あゆみの箱への寄附金をお預かり  いたしました。ありがとうございました。

あゆみの箱へ浄財お渡し

あゆみの箱より表彰状をいただきました。

ロータリー財団寄附ポールハリス・フェロー認証状・バッジの贈呈

磯部 武 会員

ロータリーリーダーシップ研究会

パートⅢ 修了書の授与

遠藤省吾 副会長

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ロータリー財団「未来の夢計画」                     

財団が善意の部分で重要な存在であり続けたいと考えました。ロータリ財団は、世界の奉仕団体の中では非常に評価の高い民間的にはトップレベルの評価を受けています。財団が時代に即した存在であり続け、ロータリアンのニーズに応えるためにアンケートや意見交換会、フォーカスグループなどを通じて多種多様な意見を取り入れて管理委員会が立案したのが「未来の夢計画」です。まず、プログラムの項目を簡素化し、的を絞る。世界と地域社会のバランスを図ること。持続的で大きな成果に焦点を当てること。決定権をクラブ及び地区に移行し、自分達の財団であるという自覚を育むこと。国際的なプロジェクトの協力的団体として真っ先にロータリー財団が選ばれるような組織となることなどを掲げました。そしてこの委員会はロータリー財団の標語と使命を決定し、2007年の規定審議会で承認を受け、標語と使命を掲げました。ロータリー財団の標語は「世界でよいことをしよう」使命は「ロータリアンが健康状態を改善し、教育への支援を高め、貧困を救済することを通じて、世界理解、親善、平和を達成できるようにすること」です。 ここで6つの重点分野がでてくるわけですが、ここを理解していただきますとロータリー財団の「未来の夢計画」が理解していただけると思います。1.平和と紛争予防/紛争解決 2.疾病予防と治療3.水と衛生設備 4.母子の健康 5.基礎的教育と識字率向上 6.経済と地域社会の発展 ロータリーが奉仕プロジェクトを起こしていくときにこの6つの分野に重点をしぼってやりましょうということです。ただし、それだけではありません。従来、皆さんが地区補助金、現在パイロット地区になりまして新地区補助金というものを実践しておりますので、このプログラムの補助金の名称を「新地区補助金」と「グローバル補助金」の2つに決定いたしました。このグローバル補助金というのは6つの重点分野に合致したものがグローバル補助金といいます。グローバル補助金の資金をつかってワールドファンドとマッチングして世界の6つの重点分野についてのプロジェクトを起こすということです。そしてもうひとつ、地元はどうするかというと「新地区補助金」になります。当地区では1年間で約50万ドルを皆さんから寄附をしていただくと仮定いたします。50万ドルを寄附していただきますと、3年間運用しまして、3年後にこの50%までを上限として「新地区補助金」に資金を活用することができます。このため地区単位の、これを示唆する委員会ですべて内容についてはどういうかたちで使われようと任せられます。各地区、クラブの議題にお任せしますというのが「新地区補助金」の分野です。皆さんから頂いた寄附の50%はDDFとしてあり、その50%の50%を地区内、クラブの裁量でつかえるようにしました。そのもうひとつの50%をグローバル補助金として地区の堅持的な部分にしました。これをつかってワールドファンドにマッチングを組んで、世界の6つの重点分野についてプロジェクトを実践しましょうというのがこの「未来の夢計画」の大きなくくりになるということです。 先ほどの新地区補助金については比較的小さいプロジェクトですがグローバル補助金は大きなプロジェクトです。なぜかというと、1万5千ドル以上のお金をつかうプログラムだからです。これにマッチングとしてワールドファンドから同じく100%入りますので、6つの重点分野に関して3万ドル以上のプロジェクトを起こしてください。上限

パストガバナー 北 清治様(浦和東ロータリークラブ)

は40万ドル。もちろん5万ドル以上のものに関しては本部の審査があります。そしてこのプロジェクトは約4年を目途にしたものになります。6つの重点分野に合致しているものが同じプログラムにあっても「グローバル補助金」です。それ以外は「新地区補助金」というようにご理解をしていただけばよろしいかと思います。資金の支給方法として年次プログラム基金、皆さんからご寄付をいただいております年間のトータル、地区は年間50万ドルと仮定しますと3年後に50%がDDFとなって地区の裁量権で使うお金、そして残りの50%はワールドファンドということで一旦保存し、ワールドファンドで行うプログラムとそれ以外にマッチングでのせてくる資金がここにプールされます。そして50%の地区財団活動資金DDFの50%が地区の裁量でプログラムが実施できます。あとの50%の資金はグローバル補助金のプログラムに活用して下さい。 こういうことで時間がありませんので早口な説明になりましたが、ご理解いただけるかどうか、国際ロータリーのロータリー財団、国際ロータリーを構成しているのはロータリークラブです。クラブを構成しているのは皆さんお一人おひとりのロータリアンです。国際ロータリーのロータリー財団ということでこれだけの資金をお預かりして運用するわけですから、イリノイ州の法制のもとでしっかりした管理を受けながら進めるというのが実態であります。 今、国際ロータリーでも長期計画が出されていますが、このロータリー財団も全体的に国際ロータリーのプログラム一環の中にしっかり位置づけようと長期計画の中にでておりますのでこういうものも機会があれば皆さんにお話をさせていただきたいと思います。

 さて先ほど東日本大震災のお話がありましたが、日本の34地区あるガバナー会は皆さんに募金の呼びかけをいたしました。今現在で約9億円弱集まっているそうです。当初の見込みよりもかな

り多く集まり、これからどのように配布していったらいいものかよく検討して有効に活用されます。ロータリー財団が世界のロータリアンに呼びかけた寄附によってロータリー財団の本部の中に基金を設けました。現在300万ドル集まっているようです。日本円で約2億4、5千万円が本部に集まっています。従来でしたらマッチングとして、被災地がプロジェクトを起こして海外のクラブといっしょになってプログラムをやるのですが、手続きが大変なため、本部に交渉して全面的に日本が使う権利をマッチングしなくても被災地のクラブや地区が起こすプログラムに全部使えて早急に成果を出そうという方向にほぼ決まりました。被災地が即行で有効に活用できるように管理する委員会が設置され、その委員の7名のうちの1人に入ることになりそうですので皆さんに報告をしておきます。ロータリーの友やいろんな分野において私がこうして話をするのは。昨年までの3年間、ロータリー財団 地域コーディネータというのをしていました。第1ゾーンは日本で3名ですがその3名のうちの1人が私です。日本に或いは地域のゾーンにしっかりと普及、伝達するという使命を受けておりましてその任務がやっと終わった関係でこのようなことについてお話させていただきました。 時間になりました。ご清聴ありがとうございました。

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