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熊本大学学術リポジトリ Kumamoto University Repository System Title � : Author(s) �, Citation �, 46: 79-96 Issue date 2011-02-10 Type Departmental Bulletin Paper URL http://hdl.handle.net/2298/22487 Right

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熊本大学学術リポジトリ

Kumamoto University Repository System

Title 菅原道真研究 : 『菅家後集』全注釈(二十一)

Author(s) 焼山, 廣志

Citation 国語国文学研究, 46: 79-96

Issue date 2011-02-10

Type Departmental Bulletin Paper

URL http://hdl.handle.net/2298/22487

Right

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菅原道真研究―『菅

家後集』全注釈

(二十

一)―

回は

、前稿

(、)に引き

て五言排

「484

叙意

一百韻

の注

釈を

みる。

対象

とす

のは百

八十

一句

二百

であ

。注釈

を進

る上

「凡例

は前

稿(3のそれ

う。

下、作

の注

は便

宜上

、十

句ず

つに分

て行

って

い。

叙意

一百

捌句

㎜句

㈹團聾圏

田幽r風擢同

木秀‡**睡1

―皿閣

侭■○○○●

麗鵬翅

燈滅異膏煎筍可営々止

*

*

胡爲脛々全

*

○●●○◎●●○○●○○●●◎

覆巣憎殼卵

●○

○●●

捜穴叱蜘嫁

○●●○◎

法酷金科結

●●○○●

功休石柱鋼

○○●●◎

悔忠成甲冑

●○○●●

悲罰痛父艇

○●●○◎

*

脚韻は下

平声

「先」韻。韻

字は

「填、

田、煎

、全」

であ

る。

囲○催

…▼頭注

「催作擁」(大島)

○燈

…暗

(静嘉)(松平)(彰考)(尊

一)(尊二)(尊四)

▼頭注

「燈作暗」(大島)

○滅

…減

(尊

一)(尊二)

○異

…暴

(尊二)

○煎

…焚

(尊四)

○脛

…胎

(大島)(太

一)(太二)

▼頭注

「腱々作脛々、按漢書楊揮傳脛々者未必全也注

79一

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脛々直貌」(大島)

▼傍注

「脛見漢書」(松平)(彰考)

本)全本

○憎穀…憎鷲

(松平)

▼頭注

「憎殼作懐穀」(大島)

○卵

…卯

(刊本)全本

○蛭

…蠕

(静嘉)郵

(彰考)

▼頭注

「抵作蛤」(大島)

○鍋

…傷

(尊

一)

○艇

…艇

(松平)

團くだ

風に推けて木の秀つるに同じ

あぶら

燈滅えて膏の煎らるるに異なる

いや

しく

も営

々と

て止ま

べし

なん

けいけい

胡爲れぞ脛々として全からむ

らん

巣を覆し毅卵を憎み

えん

穴を捜して抵嫁を叱す

法、酷して

金科

結び

功、休して

石柱

鍋る

忠の、甲冑と成らんことを悔い

くわせん

の、父

艇より

も痛

こと

を悲

しむ

(尊

一)

(尊

四)

(刊

国捌

林の中で高く抜き出た木は、かならず風が吹き倒すものだ

(今の私と同じように)。

(私も官位高きが故に左遷の憂き目に会

ったのだ。)

油が尽きて消える燈火と、(強風にあおられて)消える燈

火とは異なるのだ。(私の場合は職を全うする前に小人の読

言によって志なかばにして断たれてしま

った)。

私を陥れた小人たちは、ブンブンうなりながらあちらこち

らへ飛び回る青蝿のように宮中に止ま

っていることだろう。

(このような宮中においては)どうして正直に事を行なっ

ていく者が、無事に命を全うすることができようか。

(親鳥のみならず、その)巣をひ

っくりかえして中の卵ま

で割り

穴の中まで探し出して蟻の子までつぶしてしまう。(その

ように自分だけでなく、わが子孫まで徹底的に抹殺しようと

する)

(わたしは今)厳しすぎる法によ

って裁かれ

今までのわたしの功績は、石柱を刻むごとく過去のものと

なった

忠義を尽くすこと、(あたかも君のために)甲冑のごとく

なろうとしたこと

(がかえ

ってあだとな

ったこと)を悔いる。

ほこで突かれるよりも酷い厳しい刑罰に嘆く身を悲しむ。

80一

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国鵬○荷

『大漢

和辞

典』

には、

「②

一時

のぎ

の意

。動

や状

「と

の間

け」

「し

の間

」回

れた

予さ

たり

る意

し、

「いや

モ」

「かり

一こ

と訓

読す

」と

、説

明す

る。

○営

々…あく

せく

と働

くさ

ま、

に馳

せる

さま

た、

の語

に対

『漢

典』

では

、「象

詞」

と説

し、

つぎ

の用例を

る。

[『詩

経』

小雅

・青

蝿]

せいよう

はん

営営

青蝿

、止

二干奨

一。朱

喜…集

、営

、往

来飛聲

人聴也

▼『青

の興すも

の』

て、

「青

は、

に嫌わ

ねいじん

ざんじん

いやな虫

て倭

・議

にた

とえ

れる

。そ

れは

るさく

つき

まと

わり

、目

の前

を行

ったり

来た

りす

ると、白

いも

のを

て黒

汚し

てし

まう

つの

にも権

の周り

に群

がり

つき

とう

れら青

のよう

意地

い小人ど

は、

っとう

に生

とす

る人

の勇者

にと

っては、

の上な

くく

い最

の人種

であ

った

。」と

の説明

があ

る。

(鑑賞中国の古典

「詩経

・楚辞』牧角悦子、福島吉彦著)

『楚

辞』

「巻

四第

四旧称

・中

「恵

識路

之螢誉

の用

が見

る。

「往来

のせ

しな

いこ

と」

の意

使

われ

いる。

『白氏文集』には多くの用例が見える語であるが、

以下二例を引いてみる。

「㎜反鞄明遠白頭吟」に

「炎炎者烈火、螢螢者小蝿」

の句が、又、「㎜白牡丹」に

「成中看花客、旦暮走

螢螢」の句が見える。

『菅家文草』「糀遊龍門寺」に

「樵翁莫笑蹄家客、王

事螢螢罷不能」の句が見える。

『凌雲集』「53ー(8)自山峙乗江赴讃岐在難波江口

述懐贈野二郎」に

「可歎乗桿客、螢螢不得容」の句

が見える。

捌○

…ど

て、

ぜ、

ゆえ

の言

。「な

んす

レゾ」「何

爲」と

同じ

「どう

て」「な

のため

に」

どと

訳す

々…

「脛

々」は

「ま

っす

さま

」「正

なさ

ま」。『漢

書』

「楊

揮傳

「事

、脛

々者

二必

一也

みえ

る。

『漢

語大

典』

には、

「脛

脛」

「固執

」と

説明

る。

ふくそう

燭○覆巣…巣をくつがえす。『呂覧』「鷹同」に

「天蜀

殿レ卵、

鳳不レ至」

の用例

、ま

『史記

「孔

子世家

「覆

レ巣

殿レ卵、

鳳鳳

レ翔」

の用

が見

る。

一81[

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○穀

…たま

、孚

。『廣

韻』

には

「殼

、鳥

」と

明す

る。

▼【覆

破卵

…巣

つが

て卵

やぶ

る。

て親

の災

いに子

も傷

つけ

られ

る喩

。本

亡び

ば末も

って亡び

る喩

『新

語』「輔

政」に

「蓋自

得二其

一、任

レ杖

二其材

、秦

二刑

一爲レ巣、故

二覆巣

一」

、ま

『呉

志』

「陸

傳」

「有

二覆

一」

の用例

が見

る。

▼【覆

下、復

二完

一乎】

つがえ

った

の下

は完全

な卵

い。

て、

根本

亡び

れば

枝葉

は従

って滅

の喩。

『世

説新

語』

「言

語」

にあ

る孔

二児

の故

に基づ

く語

。号

囹欄■圃■

『漢

語大

詞典』

では

【覆

巣之

下無

卵】

の項

で、「鳥

巣翻

了、就

没有

不砕

的鳥

蛋」

と説

し、蘭国團凹

『世説

新語

一文

を引

用し

いる

。き

また、【覆巣破卵】の項で、「同

"覆巣殿卵"」と説

明し、先の陸頁

『新語』の例を引く。

また、趙元

一の

『奉天録』「巻二」の

「如或固守窮城、

不識天命、必使覆巣破卵、易子析骸」の用例を引く。

また

【覆巣殿卵】の項では

「傾覆其巣、破砕其卵。

喩徹底殿滅。」と説明し、『呂氏春秋』「応同」の

「夫

覆巣殿卵、則鳳鳳不至」の用例、および

『孔子世家』

「困誓」の

「覆巣殿卵則鳳鳳不翔。亦作

"覆巣偽卵"」

の用例

引く

鵬○蟻

…蟻の卵

えん

いなご

抵嫁

…蟻

の子と蝿

の未

翅を

じな

いも

の。蟻児

『国

語』

「魯

「鳥

二毅

一、

二抵

一。

[注

]

蟻、

可二以

一レ醗

、蛛

、茗

。可

の用

例が

、ま

『文

選』

の張

「西京賦

「獲

レ胎

レ卵、

抵蛛

[注

]翰

、抵

、蟻

子、嫁

子」

の用例

が見

る。

『漢

語大

典』

では

「蠕蟻

和蜆

虫子

。亦

酒指

幼虫

説明

『国語』

「魯

上」

の例

同じ

く引

く。

▼こ

は、

の左

の宣

て、大

「高

視」

土佐

に、

式部

「景

行」

が駿

河権

に、

「兼

「飛

に、文

「淳

」が

、父

ヶ所

に散

り散

に京

を追

れた

こと

のみな

らず

、妻

や年

の娘

たち

は、

の自

に監禁

にさ

れ、

道真

の門下

であ

「菅

家廊

」出

の道

真派

の官

たち

の追放

に及

び、

これが

苛酷

なも

のであ

った

ことを

唆す

る語

熾○金

…法令

『齊

書』

「武

帝紀

「威承

二景

一、粛

御二金科

一」

の用例

が、ま

『唐

書』

「音楽

、明堂

楽章

」に

「化

82一

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光二玉鏡一、訟息二金科一」の用例が見える。

▼【金科玉條】…貴重な法律。金玉の如く立派な科條。

揚雄の

『劇秦美新』「金科玉條、神卦霊兆、古文畢発、

嫡換照耀。[注]善日、金科玉條、謂二法令一也、言二

金玉一貴レ之也」の用例が見える。

『漢語大詞典』では、「法律、法令」と説明する。

▼【金科玉條】の項で

「同

"金科玉律"」と説明し、『文

選』揚雄

「劇秦美新」「諮律嘉量、金科玉條、[李善

注]金科玉條、謂法令也、言金玉、貴之也」の

一文

を引く。

▼【金科玉律】の項では、「謂不可変更的法令或規則、

後多比喩不可変更的信条」と説明し、杜光庭の

「胡

常侍修黄浮齊詞」の

「金科玉律、雲象瑠章、先萬法

以垂文、具九流而抵世」の一文を引く。

『文選』巻四十八

「符命」楊子雲

「劇秦美新」に

「麓

りつ

律嘉量、金科玉條」の例が、李善注に

「金科玉條、

謂法令也、言金玉貴之也」とある。

鵬○

…や

ーめ

る。事

やめる。

とど

る。

おし

いにす

る。

(『新字

源』)。杜

「旅夜

懐詩

「名

山豆文章

著、

応老

病休

の句

の例が

これ

であ

る。

石柱

の柱

。古

い墓

の前

に立

てたも

の。

石人

「石

人」・「石

獣」陵

に並

の人

・獣像。石柱とともに並べられた。

『漢語大詞典』では、「石華表。亦迂指石頭柱子」と

説明し、邸道元の

『水経注』

「粉水」に

「粉水傍有

文将軍墓、随前有石虎、石柱、甚脩麗」の

一文を引

く。

鵬○甲

…よ

いと

ぶと

『易

経』

「説

卦」

「離

二甲

一。

[疏]為

二甲

―、

二其剛

一レ外

也」

の用

が、また

『書

経』「説命

「惟

口起

レ差

、惟

レ戎

[傳]

甲、

鎧、

冑、

兜整

[疏

]

経傳

之無

三鎧

與二兜整

一、蓋

・漢

已来

二此

一、傳

以レ今

レ古

也。

之甲冑

用二犀

一、

レ有

二用レ鐵

一、而整

之字

、皆従

、蓋後

世始

鐵耳

の用

例が

見え

る。

ここ

では

口久

氏が

、岩

波古

典文

大系

の頭注

で触

れら

いるよう

に、

『禮

記』

「儒行

「儒

有下忠

二甲

一、禮

中干

上。

[注

]甲

、鎧

冑、

也」

一文

まえ

語と

した

『文

選』

二十

『詠

』左

「詠

八首

「錐非

冑士

、晴

覧穰

芭」

の句

が見え

る。

83一

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閣團図

0

18句

「風控

同木

秀」

ついて

の考

この句

には次

の故

事及

び白

の投

があ

る。

▼『文選』

「運命論

一首

、李薫

遠」

に次

一文を

る。

「故

二於

一、風

レ之

、堆

二於

「、流

滞レ之

、行

二於

一、衆必

非レ之

。」

(傍線筆者)。

▼『白

文集』

「㎜代書

一百韻

、寄

微之

「木

秀遭

風折

遇霰萎

二句

―閣闘図

018句目

「燈滅異膏煎」の

「燈滅」と

「膏煎」についての考察

この句中の

「膏煎」は次の

一文を踏まえる。

『荘子』内篇人間世第四

▼「山木自冠也、膏火自煎也。」(傍線筆者)。

また

「燈滅」の用例として以下のような句を挙げることが

できる。

▼『白氏文集』

『㎜夜雨』

「早蟄喘復漱/残燈滅又明」

018句目

「燈滅異膏煎」の

「異」についての考察

この句

の意は、「油が尽きて消える燈火と

(強風にあおられ

て)

消え

る燈

火と

は異

のだ

」とな

が、

ここ

いう

「異

は、ど

のような事

を意

る語な

のだ

ろう

か。ま

の語

は、捌句の

「風に催けて木の秀つるに同じ」の

「同」と対をな

す語である。この句の意は前述したように

「林の中で高く抜き

出た木は、かならず風が吹き倒すものだ。(今の私と同じよう

に。)」となる所である。それに対比させて魏句を考察すると、

「燈滅」が

「膏煎」に

「因

ってではない

(11異なる)」ことを意

図した表現である事が見えてくる。「膏煎」とは先に指摘した

ように

『荘子』の

一文

「燈火の膏は、燈火に用されるために

ってその身を燃え尽してしまう。(才ある人間も、才あるが

故に災にあうのだ)」の内容を踏まえる語である。

そこで道真が

「燈滅」の語を、自作にど

のように使

っている

のかを次に例示する。

▼『菅家文草』「60

残燈

・風韻」

「蝕光不力扶持墨、競下藍簾恐見風」

▼『菅家後集』「鵬

矧劇二絶」

「脂膏先蓋不レ因レ風、殊恨光無

一夜通」

この用例からうかがえることは

「燈火の消え方」を、道真は

二通り想定していることである。油が尽きて消えるのと、「風」

によって消される消え方である。この魏句

では

「前者」の消え

方と

「異」なると表現していることから、ここは

「後者」の

「風」によ

って

「吹き消される」意であることが明らかになる。

ここでの

「風」を人間に置き換えれば、道真を陥れた小人に当

たるのであろう。主君のために報いる働きがまだまだできたで

あろうに、すべて絶たれてしまった道真

の無念の思いが表れて

84「

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いると

ろだと

考察

した

團圏國

0

1句

「覆巣

憎穀

卵」

の句

に込

めら

いる故事

『世

説新

語』

「言

語第

二」

の孔融

には

二人

の子供

いたが

、孔

が捕

らえ

れた時

、子

の命

いを

した

。と

ころが

子供

たち

「ひ

っく

り返

った巣

の下

に割

い卵

でし

ょう

。(父

が今捕

らえ

られ

ようと

いるの

にどう

て私

たち

が逃

こと

でき

ょう

か)」

った

いう

、次

の話

を踏

まえ

る。

孔文

挙有

二二子

一、大者

六歳

、小者

五歳。

日父

眠。

小者床

レ酒飲

レ之

。大

児謂

日、

何以

不レ拝

。答

、楡

、那

得行

レ檀

孔融

レ収

、中

憧怖

。時

児大

、小

八歳

二児

二遽

一。融

二使

[日、

止二於

一。

可レ得

レ全

不。児

徐進

日、大

人量

三覆

下、復

二完

一乎

尋亦収

[一]

氏春

、融

対二孫権

使

一有

二融

一、坐

二棄

一。

子方

八歳

九歳

。融

見レ収

、奔

棋端

坐不

レ起

。左

日、而

父見

レ執

二児

日、

安有

二巣

殿、而

不レ破者

一哉

。遂

倶見

レ殺

世語

日、

魏太

祖以

二歳倹

一禁

レ酒、

融謂

、酒

以レ成

レ檀

不二宜

一。

レ是

惑レ衆、太

収レ法

焉。

二子髪

見レ収

顧謂

二二子

一日

、何

レ避。

二子

日、

父尚

如レ此、復

何所

レ避

(下略)

捌叙意

一百韻

~皿句から㎜句~

團團圏

開閣囚

環礫黄茅屋

●●○○●

劉刑碧海嬬

○○●●◎

吾盧能足ム矢

○○○●●

此地信終焉

●●●○◎

縦使魂思蜆

●●○○●

其如骨葬燕

○○●●◎

分知交糾纏

●○○●●

質莚

●●

●○

叙意

千言

●●

○○

何人

一可憐

○○

●●

*脚韻は下平声

「先」韻、韻字は

「焉

・燕

・朦

・憐」である。

囲○荒荒…荘荘

(松平)(大島)(尊四)(太

一)(太二)(刊本)

全本

▼頭注

「荘荘作荒荒」(大島)

○糾

…▼頭注

「糾作糺」(大島)

○謳

…誰

(尊

一)(尊二)(尊三)(内閣)(静嘉)(加越能)

トヨ

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(彰考)

○莚箪…▼頭注

「莚簿作筐算」(大島

團さうさう

くわうばう

環環たり

黄茅の屋

へきかい

ほとり

荒荒たり

碧海の嬬

吾が鷹は能く足りぬ

まこと

此の地は信に終焉ならん

たとひ

縦使魂

蜆を思ふともい

骨の燕に葬らるるを其如せん

きゅうてん

分は糾纏に交はるを知る

なん

ただ

命は誼ぞ莚算に質さん

コつち

意を叙ぶ千言の裏

いつ

何人か

一に憐むべき

国皿

(そ

の私

は)

小さ

く粗

末なあ

らや

(に、住

み)

薄暗

く暗

とし

(西海

の果

の)

青海

のほとり

(に、

つ)。

いおり

私の粗末な盧は今の私には十分事足りているし

この地がおそらく私の終焉の地となるであろうことは間違

いなかろう。

たとえ西晋の羊砧のように、おのれの魂が蜆山

(湖北の裏

を恋

しく

っても

(ど

んな

に京都

を恋

しく

っても)

の骨

が遠

く離

れた

北方

の燕

に葬

られ

ると

した

らど

であ

ろう

(私

の、

の西方

の僻

に生

よう

いる

を察

てもら

いた

い)。

(今

とな

っては

)さだ

めと

いう

のはあざ

なえ

る縄

のよう

であ

ると

った

(私

の)

(今

ら)竹

って占

って将

を問

で何

にな

ろう

の千

のう

、私

の意

(思

い)を

べた

(こ

の詩を

で)

った

い誰

が専

(私

こと

)憐

でく

ると

いう

のか

(そ

んな

は存在

いであ

ろう

)。

国皿○

環礫

…①

っぽけな

さま

。②

に足

りな

い様

。小

さま

『文選

』張

「東京

「既

環礫

。岐

陽之

又何

足数

(注

日、環

、小

也」

の句

が見え

る。

黄茅

…ち

一。

いろ

いち

や。

「茅」

「ち

(イネ

の野草

の名

)。紙

の原料

した

り屋

根を

く材

料と

る。

古く

「ち

や」

「ちま

」を

に用

いら

た。」

る植

で、

「茅

屋」

「か

の家

のたと

。」

の意

で使

され

る語

86一

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『漢

語大

詞典』

には

、「茅草

」と

説明

、李

時珍

ぼう

『本

草綱

目』

「草

・白

茅」

「茅

有白

、菅

茅、

しつ

茅、香茅、芭茅数種……黄茅似菅茅、而茎上開葉、

茎下有白粉、根頭有黄毛、根亦短而細固無節、秋深

かん

さくとう

開花穂如菅。可爲索絢。古名黄菅」の

一文を引く

『白氏文集』「㎜山鵬鵠」に

「劃馴岡頭秋日晩、苦竹

嶺下寒月低」の句が、「㎜酬元員外三月三十日慈恩

寺相憶見寄」に

「赤嶺猿聲催自首、黄茅痛色換朱顔」

の句が見える。更に、本詩

への投影が強く見られる

「㎜代書詩

一百韻

寄微之」にも、「官舎劃訓屋、人

家苦竹擁」の句がある。ここでは、後述するが、「㎜

代書詩

一百韻

寄微之」の表現内容を道真が意識し

て使っている所と考えたい。

醜○

荒荒

…う

すぐ

いさま

。暗

淡た

るさ

「漫

「野

日荒

、春

混清

「注」

王沫

日、

一云

二荘荘

一」

の句

見え

る。

『漢

語大詞

典』

では

「①

椋擾

貌。

、通

"慌

"」

と説

し、

『宣

書』

「當

只爲

五代

下荒荒

離齪

、朝

鵬梁

而暮

屡晋

干曳

不息

の用

例を

「②

」と

、さ

の、杜

「漫成詩

」の

一句

を引

く。

では

「②

」の意

を採

る。

へきかい

○碧海…あおうなばら。槍海。

『海内十洲記』「扶桑在二東海之東岸一、岸直、陸行

登レ岸

一萬里、東復有二碧海一、海廣挾浩汗與二東海一等、

水既不二餓苦一、正作二碧色一甘香味美」が、また階蝪

帝の

「望レ海詩」に

「碧海錐二欣囑一、金壷空有レ聞」

が、また蒔道衡の

「従二駕天池

一慮詔詩」に

「駕レ竈

臨二碧海一、按レ験践二瑞池一」が、また盧照鄭の

「長

安古意」に

「節物風光不二相待

一、桑田碧海須輿改」

の用例が見える。」

『白氏文集』「脳得湖州崔十八使君書喜與杭越鄭郡因

成長句代賀兼寄微之」に

「越國封彊呑碧海、杭域縷

閤入青煙」の句が見える。

『菅家文草』「鰯

遊覧偶吟」

にも

「鳥出奨籠翅不傷、

青山碧海任低昂」の句が見え

る。

○嬬

…①廟や宮殿の内側と外側の垣と

の間の空地。②城郭

に沿

った空地。川沿

いの空地。(古訓)ポトリ

・ア

ラカキ。

▼ここでは調居のある

「太宰府の地」を

「西海のほと

り」に見立てた表現。

悩○終焉…命の終わり。

一生の終わり。臨終。死。

『漢語大詞典』では

「終焉之志」の項に、「在此安身

終老的想法」と説明し、『晋書』「王義之傳」の

「義

87―

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之雅好服食養性、不楽在京師、初渡漸江、使有終焉

之志」の一文を引く。

また、底照隣の

「宴風泉石翁神祠詩序」の

「形木讐

枯、将有終焉之志」の一文を引く。

『白氏文集』「㎜涯春池」に

「天與愛水人、翻

落吾

の句

が見え

る。

獅○

縦使

…タト

ビ。仮定

の言葉

。「縦

に同じ

『漢

辞海

は、

つぎ

のよう

に説

明す

る。

國'あ

る条

件を

定し

ても

、結

果は

変わ

いと

いう

譲歩

の意

味を

し、

「縦

は条

件節

の文

の主

のあ

におく。

「タト

ビ…

(ト

モ)」

(「た

へ」も

る)と

て、

「か

ても

」と

す。

「題

二長安

主人

一詩

「縦

然諾

暫相

是悠悠

路心

の句

が見

る。

『漢

語大

詞典』

では

「即使

」と説

し、顔

之推

『顔

子家

訓』

「養

にあ

「縦使

得仙

、終

一文を

引く

。ま

た杜甫

「戯為

六絶

三」

にあ

「縦使

操翰

墨、劣

〈風

〈騒

〉」

の句

引く。

『菅家

文草』

『菅

後集

にも

のよう

な用

が散

る。

▼「39

月十

五夕

レ月、席

上各

二一字

一―

(四)」

「縦

使清

光縷

出、

勝徹夜

籏疎

▼「謝

早春

侍二内

一、

同賦

二開春

一、慮

レ製」

「縦

使

春聲

天地

、不

万歳報

椒」

▼「55

仲秋

鍵、

聴レ講

二周

一、

二鳴

一レ陰」

「縦

使清

万和

、不

用十

翼山豆高聴

▼「聡

レ居」

「「網側

不僻

…南

の裏

にあ

蜆山

こと。

「羊

の故

踏ま

る。

こでは

「京

」を

指す

畢閣醐國

▼蜆山…

「羊結」の故事を踏まえたも

のとして杜甫

「随章留後新亭會送諸君」に

「己堕蜆山涙、因題零

雨詩」の句が、又

『白氏文集』

にも

「㎜送凋舎人閤

老往嚢陽」に

「莫懸漢南風景好、蜆山花蓋早蹄來」

の句が、「裏陽道」に

「羊公名漸遠、唯有蜆山碑」

が見える。又、「㎜代書詩

一百韻。韻、寄微之」には、

「蜆亭」として次の句が見える。「心揺漢皐颯、涙堕

劇訓碑」、「㎜東南行

一百韻」にも、「蜆陽亭寂莫、

夏口路崎嘔」の句が見える。

88一

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○其如…『漢辞海』には

「仮定を表す接続詞として条件節

に置く。「そレ」と訓読するが

「もシ」と訓読して

もよい。「もしも…

(ならば)」「かりに…

(ならば)」

などと訳す」と説明し、『孟子』「梁恵王上」の

「其

如レ是、敦能禦レ之」の用例を引く。また

『論語』「述

而」に

「子日、天生徳於予、桓魑其如予何」の用例

が見える

『漢語大詞典』には

「忽奈、先奈」と説明し、劉長

卿の

「峡石遇雨宴煎王簿従兄子英宅詩」に

「錐欲少

留此、其如帰限催」の句を引く。

○燕

…河北省の古名。今の天津地方で海にも近い。北方に

位置し極寒の地。ここでは

「太宰の地」を指す語。

▼菅原道真の

「賦」「清風戒寒賦」の中で、「洞庭波白、

燕塞草蓑」(〈秋風が水面を吹き抜けると〉かの洞庭

湖には波が白くたち始め、秋風が山野を吹き抜ける

と、かの北方の燕塞の地ではいち早く草木が枯れ始

める)(拙稿

「菅原道真研究1

「清風戒寒賦

一首」

注釈」より引用)と使っている例を見出せる。この

賦は

『本朝文粋』にも収録されており柿村重松氏は

『本朝文粋注釈』語注で、「案燕在二北方一、最寒、塞、

則長地也」と説明する。

杜甫の

「送斐五赴東川」に

「何日通燕塞、相看老蜀

門」

の句

が見

る。

柳○糾

…①

より合

せた縄

あざ

なえ

る縄

のよ

つわ

。「糾

」は

「三す

の縄

」。

「三本

の糸

で撚

った縄

。一説

二本

撚り

の縄」。

『漢

語大

詞典』

には

、「亦

作糾

。縄索

と説

し、

てんじょう

らに

「"交

互纏

続"」と

の説明を

足す

る。

『文

選』

買誼

「鵬鳥

つぎ

の句

を踏

えた

語。

▼「夫

禍之

與福

、何

異糾

。李善

『字

林』

、糾

両合

縄、

、三

合縄

。磨

日、

禍福

相與

為表

、如

糾纏

縄索

附會

也」。

かつかん

『鵬冠子』「世兵」の中にも次の用例を見出せる。

「禍乎福之所椅、福乎禍之所伏、禍與福如糾纏

(注)

此言、禍福相為表裏、執如索絢纏索也」。

跳○

…「な

ぞ」

「いず

んぞ

」と

み、

反語

の意

る。

「誰

」と

る諸

が、

「誰

(○)

るた

め、

二四不

の原

則か

ら考

て、

では写

一部

や刊

にあ

「巨二=口」

(●

)を

った

莚算

…古

のト

一。ト

る時

、眼

の草木

の枝を

りそ

の多

を数

えず

三本ず

つ数え

って、そ

の残

を用

て吉

凶を

るも

の。

『新

源』

では

「草

を折

り、

の結

目や折

た形

で占

いをす

る」

明す

る。

一89一

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『漢語大詞典』では、「亦作錘算。古楚地人占卜的

けいほう

種方

法」

と説

し、

『楚

辞』

「離

騒」

「索

二歌茅

一以

莚算

分、

命二霊

一為レ余

占レ之。

王逸

、索

、取

也。

蓑茅

、霊

草也

。麺

、小折

竹也

。楚

名結

草折

以卜

算」

の用

例を

引く

の用例

ついて新繹漢

文大

『楚

辞』

「語

釈」

では

、「王逸

は、

"莚"

は小折

なり

。楚

人草

結び

竹を

折り

て以

ってトす

るを名

"算

"と

いう

と注

る。

五臣注

「竹

葬」

いう

。聞

一多

『枚

補』

『玉

燭宝

典』

『類

聚』

の他

二字

にな

って

いると

いう。

ここ

は動

に用

いたも

のと

て草

木を

って占う

と解

る。

一に

「歌

茅と

莚と

て筆

す」と

み、霊

草と

さく

った竹

で占

のだと

いう

しかし

莚算

の二字

を草

にし

て数

占う

と解

る聞

一多説

が楚

の語法

から

も穏

であ

ろう」

(53~

54頁引

用)と

の説明

を載

る。

㎜○

叙意

…おも

いを述

べる。

『漢語大

詞典

では

「表

心意

と説

明し

『三

国志』

「呉志

、趙

伝」

「倉

卒乏

又無嘉

、無

以叙意

、如

何」

の用

例を

く。

㎜○何

…ど

のよう

な人

いかな

る人。

んび

と。

『菅家

文草』

では

、「98

思」

「不知

者謂

、同側川

口上

骨」

の句

が、

、「細冬

司馬」

「霜簾

歩菊

花残

更有

人此

日看

る。

こでは

『漢辞

海』

に説明

るよう

「始

。ず

(行為

や状

が途切

たり

ったり

しな

い意

)。

いつ一

に。専念に。もっぱら」の意で解釈すべき語。

○可憐…あわれむべし。かわいそう、あわれに思う。気の毒

に思う。いつくしむ。

『漢語大詞典』では、「値得怜欄」と説明し、『荘子』

「庚桑楚」の

「汝欲レ返二性情一、而無二由入一、可レ

憐哉」の用例、および白居易

『売炭翁』の

「可憐

身上衣正軍、心憂炭賎願天寒」の句を引く。

白詩にも多用されている語である。

一例を挙げると

『白氏文集』「撒抄秋濁夜」に

「無限少年非我伴、可

憐清夜與誰同」の句が見える。

『菅家文草』「一月夜見梅花」に

「可憐金鏡轄、庭上

玉房馨」の句が、「鰯翫梅花、鷹製」に

「随庭有梅

惣可憐、不如猫立月明前」の句が、「姫古石」に

「漱

歯幽人意、相看太.可倒」の句が、「脇元日、戯譜小

郎」に

「珍重行年五九春、可憐兇輩二一二人」の句が

見える。

畢閣醐國

90一

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照剛國

01句~1句

「縦使魂思蜆、其如骨葬燕」の二句に込められた

「羊砧

の故事」について

「裏

の太守

った羊砧

は、

の地

の風

光を

から愛

蜆山

に登

っては置酒

言詠

し、

日そ

で楽

んだ

。彼

が没

た後、

の徳を

って民

は蜆山

に碑

てた」

いう

話が

『晋書』

三十

「羊

砧傳

および

『蒙

求』

「54羊

砧識

環」

る。

『蒙求』

「54羊砧

環」

「晋羊

子、泰

人、世

二千

石、

至レ砧

世、

二清徳

一聞

(中

略)

博学

レ文

、魏

高貴

時、

公車

拝二中書

一、

有二滅

レ呉

之志

一、以

レ砧都

二督

荊州

諸軍

一、出鎮

二南

一。

累二

征南

大将

域侯

一。卒

二大

一。初

二善

レ墓

一、

言レ

祖墓

所有

二帝

王気

一。若馨

レ之

則無

レ後

、後

遂盤

レ之

。相

者見

出二折腎

三公

一。砧

寛寛

堕レ馬折レ腎、

至レ公

、而

レ子。

二山水

一、毎

二風景

一必

二蜆

一、置

詠、

不レ倦。

陽百姓

二砧平生

遊憩

之所

一建

レ碑立

レ廟

、歳

時享

。望

二其碑

、莫

レ不レ涙

レ涕

。杜

因名

二堕

一。荊

人爲

レ砧

譲レ名

云」。

▼松浦

友久

氏は

「羊

」が守

った地

(嚢

こと

、「湖

の西

北部、漢江のほとりに位置し、漢代以降南北

(華北と華中)

の勢力が激突する地点として、ある

いはまた南北を結ぶ交

通の要所として重視された。さらには、また漢江の水運を

利用した物資の集散地たる商港として南朝以来繁栄し、遊

楽の都市として知られた」と説明されている。(『漢詩の事

典』より)。

▼清藤鶴美氏は、この二句について

「道真は愛慕する京

山々を蜆山にたとえ、西陸の筑紫を燕になぞらえたのであ

ろう」と付記されている。(『菅家の文草』より)。

の二句

には

、ど

に自

の魂

が京

都を

しく

でも

は、

こか

らは

るか

に離

れた

の西

の筑

に埋

めら

であ

ろう

いう

いか

んと

しが

い深

い絶

が感

られ

る。

園醐國

01句~

「叙意千言裏、何人

一可憐」の二句に込められて

いる詩情の考察

筆者は別稿(3)でこの

「叙意

一百韻」の詩句内容に、深層部分

の投影として白居易の元積宛に送

った唱和詩

「㎜代書詩

一百韻

寄微之」の存在に注視する必要があると述べた。以下、その

文を引用する。

一91一

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この道真の詩の主題とも言える道真の

「この詩で何を訴

えようとしているか」ということに対しての私見を述べて

結びとしたい。

その鍵は、[出典の分析

(その二)~深層部分の投影考

察~]で取り上げた、白居易と元?らとで定着させた

一百

韻形式の五言排律の作品群にある。とりわけ、先学の指摘

にあるように、道真のこの詩の構成法は、白居易の

「東南

一百韻」、元積の

「酬楽天東南行詩

一百韻」に拠ると

う考え方に全く異論はない。そしてその事実は谷口氏が言

及する、「この「叙意」詩の形式が

一百韻であることによっ

ておのずと同形式の白居易

「東南行」を踏まえて作

ってい

ることを読む者に理解させ、意識に上らせる仕掛けとなっ

ているのである。このように元白の

一百韻詩をいっぽうに

いてこの

「叙意

一百韻」を読むことでこの作品の性格も

より明確に理解できる」(↓の一文に尽きると考える。筆者

はこの視点を更に補強できるものとして、新たに白居易の

「代書詩

一百韻寄

之」からの投影関係を探

ってみた。既

に指摘のある

「東南行」よりも更に深層部分で濃厚な投影

関係があることが判明した。

筆者はその理由を次のように考える。

先の白詩の

「東南行」は、白居易が元積を含む八人の親

友に送

ったものに対し、「代書詩」は

「元種」のみに向け

られた唱和詩だからではないか。換言すれば、この道真が

「叙意

一百韻」で最も訴えたかった

のは、今の自分の心情

を共に分かちあえる

人」の友も持ち得ぬ

「孤独感」で

はなかったのか。自分の生の軌跡を

「誰とも共有出来ぬ絶

望感」とも言い直せるものである。

白居易が

「代書詩」で

「狂吟す

一千字/因

って微之に

寄せしむ」と結ぶのと、道真が

「意を叙ぶ

千言の裏/何

人か

一に憐むべき」の詠むその詩情の落差こそが、道真の

この詩で最も後世の者に伝えたか

ったことではないだろう。

つまり、白詩が

「中懐爲向誰」「何人共解願」と問いか

けて、それを

「狂吟

一千字/因使寄微之」と結ぶ詩情を、

道真は

「叙意千言裏/何人

一可憐」として詠まなければな

らなか

った所に、白居易のように心から信頼し合える元積

のような友を持ち得ぬ悲しみ、「天涯孤独」の絶望感を

層際立たせる句作りとな

っていることが、明らかになる。

ここが道真のこの

「叙意

一百韻」で訴えたかった核心部分

ではなかったのか。

この句

一九九句、二〇〇句こそがこの作品の主題と

なっている。つまり、白居易

・元?等の唱和詩の内容を

方で対比させれば、そうした心を許し合える友を持ちえぬ、

道真の

「天涯孤独の底知れぬ心の闇」の叫びが浮かび上

がってくる。

一92一

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圏今回注釈の対象とした百八十

一句から二百句の内容を概説し

てみる。

今回取り挙げた二十句は、十句毎を

一段とすれば、「十九段」

「二十段」目にあたる。

【十九段】

この十句では、左遷されるに到った状況の分析とそのことに

対する心情を吐露する。才あるが為に却

って災

いに遭う

『文

選』や

『荘子』の故事を踏まえて、自分自身の高位に登ったこ

とが、この今の状況を生んだと悔やむ。またその災いが我が身

のみならず家族、菅家

一門に苛酷なまでに及び、今まで誠心誠

意務めて来たことが却

ってあだとな

ったことを嘆き、憤るその

憤怒の念が横溢する内容となっている。

【二十段】

この結末の十句では、『晋書』の

「羊砧傅」にある故事を踏

まえて、京に戻ることもかなわず自分自身が太宰の地で命を落

とすであろう予感にどこにも怒りを吐露することも出来ない無

念さと、現状の非情さにおののきつつ、これも己れの宿命だと

諦念する心情が流れる。これは、先に指摘したように、=

段」

と対峙させればより鮮明になる。ここにも道真の見事な作品構

成への配慮がなされていることを再確認

できる。

そして、この句の

一九九句、二〇〇句

こそがこの作品の主題

となっている。つまり、白居易

・元?等

の唱和詩の内容を

一方

で対比させれば、そうした心を許し合え

る友を持ちえぬ、道真

「天涯孤独の底知れぬ心の闇」の叫びが明らかになってくる。

以上二〇〇句を十句毎、「二十段」に分けながら構成を考察

して来た。ここで総括をしてみる。この

「叙意

一百韻」は、五

言二百句からなる排律という定型で構成され、しかも、全篇に

亘り下平声

「先」韻による

一韻到底が貫かれている。又、全篇、

奇数句と偶数句とが対をなすという徹底した構成の統

一美が実

践されていることにまず注目すべきであ

る。そうした中で、句

内容についても同様に、道真の意識的な構築がなされていると

考えた0

一方、この句構成については既に先学によりさまざま

な考え方が提起されて来ている。(5)

筆者が全篇をあえて

「均

一」に

「十句毎」に区分することを

提起した大きな根拠は、八〇句

「琴聲未改絃」の句のあとに、

「已上十句、傷習俗不可移」の分注が見られる

(一部の写本や

刊本全本)点である。傍線を引いたよう

にこれを、十句を

一ま

とまりのものとして構築していることを示唆する道真自身によ

る分注と考えたからである。詩全篇に敷延して考察すると、十

句毎に二十段に区切ることで見事に、構成の統

一がはかられて

93一

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いることが、先の具体的詩句の例示で実証でぎたと思う。

つまり、この構成

一つをとっても徹底的にその統

一性にこだ

わる道真

の性向とも換言できるものを指摘できるように思う。

道真の美意識がそこから垣間見られるのである。

そして、この作品の構成を考える時、見逃してはならないの

は、「季節の推移」を基軸としていることである。「春」から

「初夏」「梅雨」「盛夏」(「残暑」)「初秋」「仲秋」という京から

太宰の地に我が身を移しながら、その我が身の周辺の事を季節

の推移に触発されながら詠

っているという

一貫した詠作姿勢を

押さえておく必要がある。

一見、道真の心情が、あるいは志向

するものが、その時々によ

って大きく変わっていく様が、そこ

に詠作上

の一貫性を欠く詠みぶりの証左とも考えられるが、こ

れを

「季節の推移」を基軸として、とらえ直すとその季節感が

読者に共有されていれば道真の心情の変化が無理なく読み手に

伝わることが理解できるのである。

.

・.

7

最後にこの

「叙意

一百韻」の制作時期の私見を述べたい。

従来、この詩の制作時期については、川口久雄氏を始めとして、

多くの先学が

=二九句

「九見桂草圓」の句の解釈の箇所で

「左遷後九ヶ月後の時期」つまり

「十月から十

一月」(晩秋から

初冬

の候

であ

ろうと

じら

て来

た。

ころが前

した

よう

に、

の詩

「季

の推

移」

を基

た詠作

内容

にな

って

いる。

には、

「春」

「初

」「梅

」「盛

夏」

「残暑

「初秋

そし

「仲秋

の景を

つつも

「晩

秋」

「初

の叙

心象

が全

いな

よう

に思

のであ

る。

した

って

「左

遷後

の九

ヶ月

後」

う推

にはど

ても

得が

かな

いのであ

る。

戸岡氏

の点

に関

「道

二月

の初

に京を

発し

であ

ろう

から

の時

は初冬

の十

月と

いう

こと

にな

る。

こで

の詩

も十

月作

され

いる

のであ

る。

けれ

ども

、右

の詩

には、

「雲

雁」・

「寒

吟」・「蘭

気敗

とあ

れら

は初

の景

なく

景物

であ

る。

そらく

「九見

桂華

」は

、表

現技

の虚

であ

った

可能性

る。

つま

り、

一と

九と

の対

句仕

て上

「九

」と

であ

ろう

の詩

の創

は、実

には

、十

なく九

であ

った

のではな

いか。」(6)と

べら

いる

のは傾

に値す

る見

であ

る。筆

さら

の考え

し進

て、

「九

見桂

圓」

「フ年

って九

の満

月を

(11今

さに九

月仲

の明

月が

照り

いて

いる)」と

の解

した

い。

の根拠

を、

下、

具体

二点

てみ

る。

ず、

一点

一二一二句

一二四句

「鮫

空観

月、

妙法

「月」

「蓮

ついて

であ

る。

94一

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この二語については、川口久雄氏は岩波古血ハ大系本の頭注と

補注で次

のように説明されている。

「月

」は真

の象徴

。咬

は、さ

やか

いさぎ

い月光

の形

「蓮

」華

には

「出水」

「問敷

の二義

があ

り、

泥水

を超

し、

に真

の教え

開き示

す、

いう

(四九

三頁

及び

二頁)

いずれも

『法華経』の教義に仮託する事象としてこの二句で

使われている語であるのは先学の指摘の通りである。

一方

で、筆

二語

「実

景」、

つま

「今

のあ

いる風

物」

であ

り、

それ

に触

れた心

と考

られ

のでは

いかと

思う。

これ

には、

「捌叙意

一百韻

が詠

作された時とも関わりがある。

=二八句に

「九見桂華圓」の句

があるが、筆者はこの句から陰暦九月に詠作されたと見る。こ

の詩がほぼ時系列に、左遷の命が下ってから京を放逐される時

より、仲秋を迎えつつある今までの九ヶ月の心情を記している

内容と考えるならば、この

「月」「蓮」の二語の使われている

一二一二句、

一二四句は、実際に

「蓮」の開花を迎える陰暦七月

から八月頃の風物を詠んでいるもの。つまり、夏の終わりから

初秋の空気が秋の気配を心なしか漂わせ始めた頃からさらに秋

最中の、仲秋の

「名月」の頃を詠んでいるものと考えられない

だろうか。少なくとも筆者には、太宰の講居近くに、蓮の花の

花を

たとす

る機

があり

それ

より、

時節

の推

移を

したも

のと

考え

い。

つま

、こ

=二八句

の前

の句を

ると、

酷暑

ら涼

じる時

に移り

つあ

ことを

「蓮

の花

や、夜

に浮

「月

で感

じ、

さら

「寒蝉

「蘭

の花

にみ

いる。

「陰暦

九月

の事象

合致

る。

一方

れが

暦十

とな

ると、

「初

冬」

の事

に及

でし

かり

であ

るが

、そ

の証

なる詩

が見

あた

らな

いか

であ

。そ

て二点

目は

「叙意

一百

の詩

の直後

九月

日」

いて

いるこ

のこと

は既

に波

の前

の論

の中

で指

され

いる

こと

6̂)と

同旨

の見

解だ

、道

が、

ほぼ

『菅

家後

集』

の詩

を時

系列

に配

いること

ら鑑

るに、

の詩

が十

月以

の作

とす

それ

をあ

て、

の配

列を

、「鰯

秋夜

五日」

の前

置く事

、見当

らな

いのが、

の考

であ

る。

ここ

は、

「陰暦

に詠

こと

を意

いると

みな

した

い。

95―

Page 19: 熊本大学学術リポジトリ Kumamoto University Repository Systemreposit.lib.kumamoto-u.ac.jp/bitstream/2298/22487/1/KK0046_079-096.pdf · の『世説新語』の一文を引用している。

【注】

(1)拙稿

「菅原道真研究1

『菅家後集』全注釈

(二十)」

「有明工業高等専門学校紀要」第四十五号

(2)拙稿

「菅原道真研究ー

『菅家後集』全注釈

(】)―」

(「国語国文学研究」第三十六号)熊本大学国語国文学会

(3)拙稿

「菅原道真の大宰府時代の漢詩

「叙意

一百韻」の構成論考

「叙意

一百韻」の重層構造についての考察

一試論~」

(4)谷口孝介著

『菅原道真の詩と学問』

(塙書房)

「第三車

道真文学の行く之

二,

一百韻形式の教授と意図」

二四九~二六〇頁

(5)波戸岡旭著

『宮廷詩人菅原道真』の注

(8)の中に次の

】文がある。

「叙意

一百韻」が十句乃二十句の小節をなすと看倣すのは、全くの私

見による試案である。因みに金原理氏は随意十段落とし

(「菅原道真の

漢詩」(『平安朝漢詩文の研究』))、大岡信氏は十八段に区切

っている。

最近の研究成果の

一つに柳澤良

一氏の

「叙意

一百韻」全編に亘る注

釈稿がある。その中で

「全体の構成と要旨」として、全篇を

「序

・三

・四

・五

・終章」と区切り、第二章は更に四節に分け、第三章

を更に三節に分ける構成法を考案されている。(章毎の句数は随意。)

(『菅家後集』注釈稿

(十七)八十五頁~八十六頁

《「金沢学院大学紀要」

第六号》)

(6)波戸岡旭著

『宮廷詩人

菅原道真』(笠間書院)三七〇頁

〈追

記〉

(一)

の稿

を草す

るにあた

り台湾元智

工学

の中国古

典詩詞曲

文研究

のため

のサイト

であ

「網

路展書讃

(しuHΩ㎝)」

(『けε"\≧。。●鋤αヨ旦冒Fo曾

寒\)

『全

唐詩』の項、及び北京大学

中文系

の唐代

以前

の詩歌

の総合

データベースである

「全唐詩全文

検索系統

(¢↓国―。。)

(ゴ9

=\\95,Φωρ冨

琴ミ。臨げミ

けき。qま筍q・e×e)

を詩

語検索

の為

に大

いに利用した。

〈追記〉

(二)

平成十八年四月より、現在に至るまで

「大牟田市民大学講座」~市民大

学ゼミ、道真梅の会~の会員、須藤修

一氏

・諸田素子氏、田中陽子氏、野

田了介氏、井原和世氏、荒川美枝子氏の六名と定期的に

「叙意

一百韻」の

講読会を催して来ている。この会で討議

・検討したものを基に平成二十年

秋、『「叙意

一百韻」全注釈』

(焼山廣志監修

道真梅の会編)を発刊した。

本稿はその内容に再考察を試み若干、加筆し稿をしたため直したも

のであ

る。

(やきやま

ひろし/

大学院文学研究科第七回修了

・有明高専)

-96-