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相応部の経の 数に て

S 一 集

る 仏

に堺 す

@@

区 の 一ヵ , 口 を フ

で の z あ 第 ) つ 一 が

二 て 短 、 経 、 大 力 小

体舘 は ぢ経 な P P の

な 応 l は 芯 T 第 類

Ⅰ (1 Ⅰ

つい

一 問題の所在

恵 ,

相応部の経の数について

" 一 一

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もって、たとえば第三章を ハ 3U と表記するこ ともある。

以上の五篇五十六相応ということについては、 か

れている実際の経

、それらに言及し、また径数を記している記事 がいまだに一致せず、

新刊の学術書でも不統一のまま放っておかれて、 しかもなんら疑義が提出されていない。ここに あらためて「相応部

の経の数」を検討しょうとするのは、以上の理由 による。この問題とその解明とは、

各篇 ・( 各 相応) , 各々の 章 ( な

ど )の末尾にあるウッダー ナ ( 巳 ㌫ 罠 )を除いて は 、実際に経の内部には立ち入らず、あくまで 経 のいわば外形に関

する 臣 ( ヴ の中(とはいえ、決して看過されておく べ ぎではなかろう、と思われる。

は下に次の略号にしたがい、それぞれの記事を 掲げ、その 誤 まりを指摘して、その根拠を探り、

そして次に、 PT

S の 各篇 ごとに綿密に調査し、ときに(とくに 第五篇に) PTS 本にまで含まれている 誤 まりと 兄 なされるものにつ

いて詳しく検討してから、最後に、全篇の総計 を 提示しょう。

Ⅰ1 %@ ~ か鱒セ Ⅰ( Q Ⅱ づさ ㏄ い ま~~

ぬ 1 % ~~Ⅰ

下 Ⅰ)・ 0 ま井の口 す吋 Ⅰ臥の

コ ⅡののⅠⅡⅠ㏄㏄

p.

出品 簿 ・ 目 おき, 目拐組 ・Ⅱ お窩 (ここに用いた のはすべて一九六 0 年の鰍 屈ぎ ( 木 )。

赤沼 本 ・・・・・・「南伝大蔵経

L 第十二巻の冒頭の「相応部 総説」( 一 l 八ぺ ー ジ㌔(なお赤沼 智善 「 漢巴 四部 四 河合 互 賭銭」は 、

㈲経の総数には触れていない、㈲各章の経の各々に っ いては後述の水野本に詳しい、などの理由から、ここ では触れないこ

とにする じ

埴谷本・・・・:埴谷文雄「フーガマ資料による仏伝の研究

L

前田本・・・・・・前田恵

学 「原始仏教聖典の成立 史 研究 L 六 五セページ。

宇井本…・・・宇井伯寿「印度哲学研究

L 第二巻、一二九 べ|ジ 。( 同 「仏教思想研究 ヒ一上ハ ページ、及び増永生 正風「根本仏教の

研究 ヒ一 0 ぺ ー ジは上のものをそのまま引用している )

水野本・・・・・・水野弘元「南伝大蔵経総索引・第二部

b の 「パーリ原典の総目次」( 二 0? 五 0 ぺ ー ジ)。なおこ れは二段に分かれ

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相応部の経の 数について

つつ の , Ⅰ・( 臣 ((・ワ イヨ には、の㏄ ちせし まりの総数を 日モ @ すのといい、また 同 ぺ ー ジの表でも、その 8 (呂を五十五とす

る 。これは第二篇を九 栢応 とした 誤 まりにもとづく。

㌧ 円 9 目・ H 巨プや臼 @- 己目 。 オが 直ちに訂正している ことなどから 知

られるように、以上の数字は、それぞれま目 よオ,ざ (巴を五十六、第二篇を十相応にあらためなければな しない。

2

経 Ⅱの 百 (( ぃが 大半を占めるが、まれにのけ 巨ヲ村と して掲げる例が見られる。私の一応の調査に ょ れば、

㎝第二篇第十二相応の第九章下臣 弐サ憶ぜ忍 守旧 の 末尾、即ち経の通し番号 Z0. お, Z0 ・おのあとの ウ ッダ ーナ申に 、

の偉 ((八ロ

繍ハコ ( ぃ 臼での せ 百司三 % 三 % (中略の経は終る) と い う ( 巾円 9 目・ ロ ・)のタ ブ ト)。

この種の研究には、で き うるかぎり多くの( PT S が用いた五、ときには六、それ以上の)マ

ス スクリフトないし

刊本を蒐集

、(

4 )さらにはこの㍉相応部

L へのし 目宙年プ

㏄ 幅ゴ 0 の㏄による註釈重目

のぴ釧 (㏄ますのつで

曲 村別 絃 日 をも参照して、 そ

の上で行われるのでなければ、

づ巨 こざ

mp

の O ォにめ 万全であるとはいわれない。しかし、いまの私は

それには及びがたい

、また本文下欄の註を利用して、一応この 目 ヴ田(を果したい。

ているので、以下には、なるべく

右 Ⅰ)・ 左 ( - ) を 示した。

南伝 一 …: 白 南伝大蔵経 ヒ 第十二巻、相応部経典 一 、赤 沼 晋書 訳 。(第一篇の第一

f 第十一相応)。

南伝 二 …・・・「南伝大蔵経

し 第十三巻、相応部経典 二 、林 五 邦訳。(第二篇の第十二

@ 第二十一相応)。

南伝 三 …・・・「南伝大蔵経

L 第十四巻、 栢 芯部経巻 二 、渡 ぬ照 完訳。(第三篇の第二十二

| 第三十四相応)。

南伝 四 …: 白 南伝大蔵経 L 第十五巻、相応部経典 四 、上 エ花 俊道 訳 。(第四篇の第三十五で第四十一相応)。

南伝 五 ……「南伝大蔵経

ヒ 第十六巻上、 栢 芯部経典正、 立花俊道 訳 (第四篇の第四十二

! 第四十四相応Ⅰ 渡 辺照 完訳(第五篇

の 第四十五 @ 第四十七相応)。

南伝 六 ……「南伝大蔵経」第十六巻

下 、相応部経典人、 渡辺 照 完訳。(第五篇の第四十八

@ 第五十六相応)。

以上のすべてにわたり、それぞれのぺージ数は

、 煩を 避けるために、 横 細み・アラビア数字で ,ロ ・・・・・・

,と して示す。

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㈲第三篇第二十四相応の経はすべての

三 ( ぃコ (がまた はの 屈巨りコ

( 由 @ つの せド ゆすり「

り せゅ 三と 呼ばれる( 巾づ 9 日 Ⅰコ田Ⅱ・

づ ・ - Ⅹ 七ボ ・

や丘 , 捷 (・また同本文やけⅠ べ ・ で き ミ痒 p )。

㈹同篇第二十九相応の経はすべての 口 (( りコ (㏄と呼ば れる。この相応の末尾(中心 9 日・ ワミ P- ・の)を 参 照 。

㈲同篇第三十 栢 応も同じ( 同ワ ぎの、㌃ お )。

㈲同篇第三十二相応も同じ(同

ロ ・ ぎゴ Ⅰ 目 )。

㈹同篇第三十三相応も同じ( 同 やいのの, - ・ 馬 )。

以上の㈲ ? ㈹は㌧ 円 s. 甲ぎマ ・ ワ ユニ -@

の(にも示さ

れている。ただしこのりスト中に、第三十一相応・ 第 三十四相応にも

の仁 (( りコ ( ハ としてあるが、第三十一

相 応の末尾( 口 ・ 0 のの ・ と盤 )にはの 仁 ((のとあり、また第三十四相応の末尾

(で・

いべ ㏄ , @ トり )

には 4% Ⅱ ゆオ曲トド申い

とある。

㈲第四篇はまず四つぼ分けられ、その各々に章が立

てられるが、その第四の第二章は、末尾のウッダ | ナ では経をの 巨

蕾 まりと呼んでいる( 巾円 s. 目 ・や左のの 冊 緒付、 ま た Ⅰ コ (「・

やへ まを参照)。

3PTS

の 各冊の 「序言」デコ 巨 。 年ロゑざコ )に、その 径数の検討がかなり詳しく説かれている(上の日本語 の 書物の多くは、

それらをあまり参照していない)。

PTS.IzV

に続く

PTS.

Ⅵは

、目お ・ 豊 あ こ腰乱 臆の編集したⅠ コロ の メ ののであるが、その序文にも、

ま たどこにも、 す

でに径数に関しては全く触れず、

PTS.I@V

の 掲 げるものを、そのまま踏襲している。このことは、

PT S の英訳 づ鮭

め 00 かっト ~ ざぬミおヘ つコ

氏 ヘ曲 斥 Ⅵ Q セ Ⅰ さ旗卍

・Ⅰ , Ⅰ - 乙 (の・オプⅡのし

り 去年 ぷ目 z セ ・戸ドヨ手 綾毛 pr

Ⅰも変らず、

PTS

の 各冊 でごくまれ

に (とくに V に)本文中とウッダー ナ とに掲げられる 径数の相違を、不詳 に 言及する例がある。しかし経の 総数には敢えて

触れようとしない 0 なお、

PTS.

Ⅵには、

ミ ・ 宙 ・ 申 04 のによるⅠ ひ 0 コ コ 。武の紹介が 、 三ぺ ー ジにわたって 掲 載 されている。

PTS

の経の番号の提示は、第一冊と第二冊以降とで 異なる。即ち、第一冊 @ 第一篇では、各相応のなかが 章に 区切られて

いるもの(第一と第四、第六、第七、第十一の諸相応 )は、その 章 ごとに経に新たな番号づけをしていて、

その相応全体 の

経の通し番号は示されない。ただし、南伝 一は 、その 目次には各相応の経の通し番号を(水野本づ・ 202 つ ・ N のも同じⅠ 一

方 その本文には通し番号を nU

に入れ、あとに

PT S の 章 ごとの経の香号を示している。一方、第二冊 @ 第二篇以降は 、

名相応のなかに章などの区分の有無に一切かかわらず

相応全体を通ずる 番弓 をもって 、 経を示している 宋ヤ巾づ 9 Ⅰ

Ⅰ 臣 ((・

やパ )。このような相違があるために、の

ヱ ・から の 引用が、 PTS

本の巻数とぺージ数とをもってなさ れて来たのであ

w

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相応部の経

古来、向相応部 L に七七六二経から成るという 説 が 通説とされており、赤沼木ゃ とや のと 増 谷本 や燵,や のののとはこ

の 径数を掲げている。その根拠を、赤沼木ヮ ト は、司 サマンタパーサーディカ L 二七ぺ ー ジ(Ⅱ ㍉釜ロ見得里姿

沙 日大正二

四巻六七エ ハ a ) と司 アッタサーリニー し 二五 ぺ| ジ とに求める。(Ⅰ)

PTS.V の「序言」 つ ・ せま @ ロ ポも 、この数とこの

通説とを掲げ、㌧の(

p4p

((

ゴ Eu ( drp

村緊ゴ 叫からそ の パーリ文を引用し、それに解説を加えて、この 大きな数に近づける

ような試案さえ提示しているけれども、しかしあ くまでその数は「マ ス スクリフトのデーター か らは得られない」と

断言する。

以上のように、赤沼 本 ・ 増 谷本は、総数を セセ 六二経とし、そののちに、それに続いて、 各相応の経数を掲げてい

卸る 。いまこれらを合計しても、決して セセ山 八二経には達せず、 PTS.V ロ ・守のい う通 り ののユ日田

ぜ円ゅづすニ 0 毛

一・

敏べ べ 62

なのである。

しこ ナま

がって、現存 PTS 本に よ るかぎり、この径数は、伝説としての 価 値は保存されても、その

実数としては捨てられなければならない。

赤沼木ロ・ か

づ には、上述のように、各相応の 径数をその相応の名称とともに、一覧表にして 掲げている。 増谷

本も本文の説明中に、それを引用して、そのま ま 提示する。この径数を合計して、第一篇 | 二六 0 経 (この数字は増 5 (5)

従来の諸説について

ろ う 。

4

とくにいわゆるコシャム木ロ(ないし

コ タイ 国版 L )の重要性については、水野弘元ロパーリ語文法 口っ い Ⅰ㏄に詳しい。

5 この) 口 (「 0 年 二色 ざコ は、本文の校訂・印刷ののち に 記されたらしく、そのなかに、本文を訂正したり、 また弁明を試みた

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「相応部」は、ほんのとるにたらな い 例外(それ らについて

( 4 )

ダ ー ナ が付されて、その章に掲げた諸経につい て しめくくって は

その個所で触れる)を除いて、

いる。このように、すべての章が 必

ず 章

ウッダ l の ナ

を と

( 3 )

末尾 に ウ ソ

ょ 経 は 南 は 現 計 谷 占手 J ぅ 数 二 、 伝 判 と 祥 二、 本 p p に 第 井 。 に 五、 一 T T は 五 本 S S 、 聚 は 本 の 経 一 に 誤 の 二 % 等 値 総 0 応 し ( 数 人 は

い ? は 経 ま 。 ) 示 、 で

を さ 合 は 訂 れ 計 立

正ず二、 す、 ハ、 ち 入 る 篇 八 、 ら ほ か ・ 相 九 経、 、 ず 、 な 増 て 第 て 赤 る 経 は 応 と 第 い 谷 も 一 み 沼 い - こ 不 明 篇 る 本 し 第

ら に ほ ひ -. ま ・ 章う聚 ・ 。 とっ がふかつ 全 経 こ Ⅱ 三篇| 明 な 実 と、 も増 谷 ナ力 っ こ : ) P 篇 く など れは セ五 白であようにで・コ てい う は誤植 本も訂 、赤 て に 称 T 一 人 るか とが玉酒 はそ " かさ木 経、 教 通 S ・ 経 、 す し V 第

南口 三界 る 。 番号を ・ く 田 伝 詳 に 人 一 し 掲 六 5 相 表 こ

前 し 応 に こ 家 の目次 第三 してあ 径数を

出 本 て 、 をハ 表 0 、 、 に こ 右 l

の - 佳 一 説 九 に 五

も経 力 、

四出姉 まで ぅ 二、三 である それ 表から以上に を生じ るが、 サ のま 、 かわ ら ら

も の 。 九 止 め、 はここた れのか ず の

な 個 永 一 (6) 6

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相応部の経の 数について

埴谷本にはこの経典の根拠はなんら示されていな

中村元・山田続編 司 世界思想教養辞典 し 日本・東洋 ぬ 掃っ・き上段。

4 「諸経 ? 目 ((㏄の)のタイトルは、各章の末尾にい

3

まれに、 章 以外のその他の区分の末尾にウッダ |

( コ ((・やし。なお経のタイトル( @ 経略)は 、 ㌧ 円 9

ダ ー ナ は諸経の王 題 に関聯することが多い、しかしさ

たヨ 新・仏典解題事典 b ワ 婁も、前田氏の記述により

があって、その篇のなかの 栢 応の名称や数が奉 照 され

ピルマ左にもとづ き 、もしもシ フ ハリーズ(三)本が

一句( 窩手 8 の第一話である。 諸 マ ス スクリプトは 経

わゆるウッダー ナ ( 己 江口囲 コぃ ③で、規則的に述べられて

ナの 置かれることがある。なお五つの篇の末尾には、

異 なる名称を掲げる場合には、それらが付記される。

らに頻繁には、その経のなかで重要と尼なされる単語

(・ H コ ( r. フポヨ に明示するところによれば、底本の パ

、この数が示されてある。

サンスクリットの仏典編集にも見られるところであ

すべてウッダー ナ

る 。即ち、ウソ

る 」(㌧ 円 9 (

一般的には 第

リ 国立図書館の

(なおここで け、

かしこのこと

PTS

本文の経

名と 、ウッダ1 % めあげる経のタイト ル との 栢違を、 一々記すことは、省略する

っているところから、その章の経教、したがって 、相応・その篇の径数を数えることが可能であ り 、 PTS 本もその

方法にしたがう G 拐 , プ ( コ ((・

Q.

ぎ 。ここでも、 専らそのウッダー ナ にもとづいて、経を数えて 行くことにする。

は下、各 篇 ごとに、それらを検討して行こ う 。 と くに第五篇に PTS 本に誤まりが見出されるが

一切を調査した

上 で、私の各篇の緒論から導かれた 司 相応部 b 全 体の経の総数を示すことにする。

7 (7)

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I や る 。 1 相 註 し 第第第数 ヤ @ - の ③ 応 名 ぎ の 即ち 、 牛第亦 計 二 広広広 ; ; ; い て

セ い 八 え

マ ご の の l = 木目、 万 一 百本 が 経 回 0 一 は ( 文 が 経 経 経 ウ ; 中

・ ソ ( に

数 ,え

ダ 奉掲 ナ Ⅰ ら ) の れ 二五 一 O

扁の 本 o の め 経 経 経 あ 尾 ヨ や

せテ いトつ レ再任 第三相 第十一 第七 相 相 応 応

( ウ ウ

応 五二 経 経 五経

技 万 "" - 0@1 -. さ

田 れ 第 第 ソて 四

ま も

相 相

た の 広広

篤 と

十 が 相 柏 二 五

経 緯 応い 異 ( る 文 が

つ 一

い つ お あ

( ll@

審 な点は全く見当らない( よう に思われる)。

し たがって、

PTS 本 、南伝 一 、宇井本、水野本 がその通り採用され

第一篇 は ついて( PTS.

エ )

第一 ぬ居 、即ち PTS.1

には、第一節の註Ⅰに 一 示した・その「 序 舌ロ」に掲げられた相応の数の誤 まりを除けば、 不

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相応部の経の 数 @c ' て

の 皇弟子……」とある。明らかに誤植である。

b 第十二相応は、第一 2 第八章があり、その あとに一章が付随して第九章となる。その前後の 不統一の取り扱いに

関する校訂者の苦心 談が 、 PTS. Ⅱの「序言 」 ヮ 田に語られている。Ⅲまず第一

! 第八章 は 、すべて 1つ簿幅幅

が 章の名称としてあるのに、第九章は ナコ dp ( ギ 口の ゼ Ⅱ WPp

旧 という異なったタイトルをもつ。㈲ 第一 2 第セ 章の各章

は 、 一 0 経ずっから成り、しかも 各 経にはタ イ トルがあるのに対して、第八章は一一経から成り 、 且 つ経 名はない。

そして第八章のウッダー テフ )の っ にも「一一」

(の マゅ Ⅰ り のどの経を示すのみで、

経名 には触れない

㈹第八章の末尾

や おっ(上記のウッダー ナ に直ちに続いて)第一 ! 第 八章の章のタイトルを掲げるウッダー ナ が述べ られる(そして第九章

に 続く)。㈲第九章は一二経から成り、 各 経に は 再び経石が付され、それは末尾 ヨ ・ P ひ Nh. の ゥ " ダ ー ナ に再録され

て 、しかもウッダー ナワト のの、 -. か ・は 、 経を(の 口 ((のとは呼ばずに)の 目 (( 簿ユい と呼ぶ。㈲この ウッダー ナ はさらに

続いて、「ほかにそれらは一二あり、一三二の経 (がある)」 雀 pq

の宮口

蓮 のの ドア 0 コ目 宙良( w&4 計ヱ づ のりの

ド ( ゆ 三)という 0 こ

し る も

第 応 の このこの ヱ片 のの ㏄

。 ( に [ Ⅰ

つ ( て S P

は、 の T 「

と ッ

S

I I Ⅰ

) に ナ

を見る も 、ど 百ロ 王

@ 」 と K@ ヒ

子 も 託の @ し

」 章の 記も

あ 第八 され

て 経

去 @ (通し 尤 しょ、。 「 一 番 こ、 応 号 P 鵠 五ロ T ) に柑 ポ 畏 S+ 今

文 当 こ Ⅹ に す

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Ⅰこれは第十六・第十九相応にも関聯する。 ゑ ・や円の 目 ・・Ⅰ

コヰ 「・で・

- Ⅹ

ずる。

いずれにせ よ 、第二篇の経数は、 PTS 、水野本 、宇井本、南伝 二 「解説」 毛 ・ アの

ぅ 。即ち 、

第十二相応……九三径第十三相応……一一 経

第十四相応・・・・・・三九経

第十六相応……一二 経

第十 セ相経 ……四三 経

第十八相応・・・・・・

二 二経

第二十相応……一二経第二十一相応…一二 経

こうして、計二八六経が数えられる。

に 示されたものが採用されよ

第十五相応…… 二 0 経

第十九相応……三一 経

二を捨てて)一二経とする。いまはそれにならう

( ll@

第十三乙第十五相応は、相応の区分について、 諸 マ ス スクリプト問に異同があり、「序言目」 毛 ・ 曲 ヱ 1オはそれらを論

お い となるのであろう。

㈹ PTS 校訂者は、この末尾の章を 、 p で つ の コまパ ないし第九章と見なし、また径数も二三

二 因縁のうち無明を除いた十一について論ずる。 以下の経は省略法によっているが、

PTS

本 丈 には 律| 二)の 記

肴 で、それが繰り返されていることを示す。

し たがって、この章の計一二経にそれぞれ一一項 が あるので、

馬 Ⅹ 目 Ⅱ

の 「 一 三二」という数の根拠は、おそらく次の通

り 。第九章の第一 経 (通し番号㏄じの 笘 ( 甘囲が 、老死 2 行という 十 0

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ナの 記事にそむいている。

b その最初の根本五十経の第一章 之の オロ)

ゅつ ぎ 囲 ム ・の末尾の三径 は 、いずれも経石 が臣 (Ⅱ(

り口曲

鍍ゅ ヰ曲でのり

C 珪っ七ゅココの

てあり、それらはの 臣 (。

已 - ト 0 臣 (。⑧、目下 円メ巴と 区分している。しかし章の末尾で・㌍・ - りの ウッダーナ中には、

刊 たんに 下 Ⅰ二目

コ 目的緊ひでの

R 岸でつ曲コ

コ阿 というの

b 「序言しき・ ぎ lx の記事によると、この章は

みで、 三 経の数はあらわれない。ここでは本文に

口 つの部分から成る。そこで PTS

本文の

ト巾

したが ぅ 。

ど )ロヨ㏄

寅 a@

Ⅰ)の目の日

へて

数 B 第二十四相応の第二章には問題が多い。

げず、斗にんにの甘い口(の八ロ

し こいう 火 Ⅲ、「 序 舌口」

ゃ @ パは での せ 円目 0 。 0 Ⅱ セ岡 Ⅱ 0,

麒 oq 偲 ヨ当㏄と呼び、水野本 っ ・ ぎ ㌃は㌧の ぜ 舌寸由お幅い と名づけ、南伝三ロ・の ミづ も「重説 品 」の訳を掲げる。

ヰ小

11 (11)

第三篇、即ち PTS. Ⅲには、次の諸問題があ る 。

A 第二十二相応について。

a この相応は、 巾 弔辞 目 ・ H ロ ((・ フ 守にも触れ る 通り、全部が一

目 とする。(さらに、各部が五章から、そして 各章は約一 0 経か

宮田 お 善哉 紺 へっ 口 ・Ⅰ縄の(

c.

)、十五十籠目

き ゴ in

申曲っ ㏄寸寸砂の

の ( っ

1 の~ - )のの。の(

c.

)とあり、それらはそれぞれ部の

末尾ロ・の ひ ・ づ ・)の~

五 0 経 ( 罷 引けのの)が確認されているけれども、

実際の経の数は 、 二

部に分けられ、 PTS 本文では、 0 の 0 ヰざ口 H, 目,

ら 成る。)それぞれの部のタイトルは、根本五 十経

ゃ 5@, しべの(

c.

)、後五十 経 C っ ar 山口がひ口目の

ackaU ( 宅 ・

てて

ワ おのに香々五章の章名を掲げるウッダーナ 中 @vt

@ し Ⅹ

それぞれ五二、五 0 、五六で、部の名称 や ウッダ

五 第三篇について( PTS. 皿 )

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@@ お号 Ⅰ

37(19) 38(20) 39(21) 40(22) 41C 恭 )

42( 射 )

43(25) 44(26)

Chapter@ m@ Tatiya0

45(1) 46 一 69(2 一 25)

70(26) Chapter@ IV@ Catuttha0

71( Ⅰ )

96(26)

て 、第二節を復原すると、その最初に

前の第一節の) 2% (通し番号でいえ

ば さ ? のの)が再説されて、それから上

の葵 ! 駐が来るはずであった、その

最初の一八経を本文で脱落した、と解

する(こうすれば計二六経とある)。

ぎ ごとりし巨に 儂 リヨ リコハヨ

( D.

ぎさとは、

そ のままでよいが、それに続く 0 ォ笘っ

(の(

目 臼茸 ぢ口 竪ヨむコめヨ

G 燵 ごは

の中 u 。に 、の プ リロ (の(

ヨ のめ(

仁 ((

ア笘ぬロョ

ギリ ヨ宜 oou

)は

怪 9 。に 、ふ Ⅰこれぞこれる

巳 りためⅠ

つ たれもは吐

り ればならない。( 以

下それらを第一節ないし第四節と呼ば

う )。

c その第二節に問題があり、「序言」

弓ォ

の 記事に ょ れば、 PTS 本文には、径の通し 番 且つ ㏄ べ @ 。 心下の入線

忙 し

かないが、これはあとの第三節及び第四節同様、

二六経あるべきだ、という。この「序言」の

説 明は判りにくいが、

ここでこの第二節の末尾 毛 ・ 000

(・に掲げる

経名 を 見ると、それらは第一節の経 名 (そしてこれ らはさらにその前の

第三阜の第一と第一八 経 の経箱によ

ワプ

-

T

る )そのままであり、そして、ウッダ

とに 25)

25

1々 の 最後の行 口 ・ 0 ぎ ・ -.

のに「二六

あ ㏄

2

a

4 ))))))))。

経 」( りオい

すす @ のぃ ( T 三 % )という。また後

述 する よう に、この章の末尾にも、 第

2

3

4

二節は二六経とい㌔それらに ょっ

(12) I?

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栢芯 部の経の数 @c ついて

右の説にもとづ き 、この第二節以下、この章の 終りまでの経の通し番号の表示は 、前 ぺ ー ジの 表 の 如く訂正される

( PTS 毛 ・ 0 拐で燵の・水野本づ・㍗ ニ 南伝 三も 口 ・ ひ 00 1 び のめ及びその目次)。

こうして、「序言」 づ ・ ニ - ニ のこの掲げる第二十四 相応Ⅱ一一四経という径数が導かれる。(

1 )

d 四節の 5 ち 、第二節の末尾 毛 ・ おミ ・に そ の節のみのウッダー ナ があり、第一,第三・第四 節の末尾にはウソ ダ

1々 が 見当らない。そして第二章を終るところ D.224

に 、 次の四行がある。

中臣()

日革仮 リヨ㏄コがⅡ)㏄

目ア囲 Ⅱ ゆり 如くのせせ

囲帝曲

Ⅱの 弔倒 ハヨ

第二節は二六 床説

口口東田

の ㎎㏄Ⅰコリコゅ月)のすい

すヴ Ⅱの の つつ

~ 岸田 オ曲 Ⅱ。 ヰゆずヴ

曲コ 円

第三節は二六床 説

目,の

立円が内申

日 曲コの旧の

ア簿 ヴヴⅠのが

べつつぎ田プ曲ハ

e 叶 ㏄ ヴヴ曲コ円

第四節は二六床 説 )

0 曲 神口目

日ゴ曲

(()

帥 臣の日の ゴ曲すヴ

Ⅱの ロヨセぎ叶ゴ囲

Ⅱ e ヰ ㏄ ヴヴ叫

コ印

くりかえすまでもなく、以上の合計一一四が 、第 二十四相応の径数となる。

C 第二十六相応について、「序言」 づ ・氏の表 に ( せ ・) 巴 つで 卸宙 ㏄ーの・

パ お七Ⅰ トひ の 口卜宮 のとある のは、 ト 0 の 目 まがのの

誤植(。(・

H, (。・

b.

。 @@@Q.o

び P n

( n.

)。

D 第二十九相応は煩わしい。 PTS 「序言」 づ パは目 毛の曲 仁降汀 (下のニ目Ⅰ

卸コ p. ( ヰの ( の 曲 Ⅰのト下㏄仁こ

ヰ の タブ屈 Ⅰ

の の C 甘 O 田ヰ ゴ 0 ヰ 0 仁 Ⅰ)㏄の

ヰ の 0 ⅡⅡのの

で の コ 由の ヰ 0 ヰ の 口 ・の 0 ( す住臼 のます 0 方がの

0.

というが、この

サ目 ㎡ 以下の意味がど うし

ても判らない。 PTS 本文を見ると、この相応 の 末尾で、経文が終り、 ウソダ ー ナ の 前づ ・ N か め -.

び| 由に いセ ㏄ 日

)日田コⅥ

づ のせせ叫こ目の年のの曲の目

目 ㏄ コ叫囲オ囲ヰ

の すサ囲 ( 是 の 如く伝説して 一 0 経を説くべし)入口養 旧 9 ざ の

せ ① ド田曲

村山(の石岡三ガ

ゆ (のヴぴ

曲三 (是の如く四類におい

て 四の記別た説くべし)八ロ ロ sa

田まのロ(曲す

0 臣 (

の目 円円の目田岡

のの ヰ ( 一 0 経と 五 0 経とあり)へという。これに 4 ロわせたの て あろうか。しかしこのパ一 リ 文も 意味するところが 明

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らかではない。即ち、第一段の「 一 0 経 」は 何 を 指すのか。果して、この相応の第一 ? 第一 0 経 な い う のか。それな

らば、第二段の「四類」とは何か、第一一 ! 第 一四経ない う のであろうか。ところが、この 策 一一経の内容・構成

ほ、 先の第三経及び 第セ 経とほ ば 同じであって ここには第一経の反復を思わせる片鱗さえな い 。ウッダー ナ の 説

も、 経の番号と照 ムロ すると、第一、第二、第三、 第セ 、第一一経に相応し、これらあとの三つが それぞれ四 つ あると

いう(こうして計一四経となる)。第二十五 ! 第二十八相応が「序言 目 」 ロ ・生にいう通り、いず れも ) 0 (二 % ダ )。

の仁 ((

い のであり、この第二十九相応が

に ( 円 ( デの

ダ 三の三軒まおであっても、径数が少なすぎ るということもない。

ともあれ、

PTS

本文は、この第一一経に相当

するもの ロ ・ Np ヰを目 1. ドつ (二)しり づ毛 ㏄ 村 wqp ())とし、 吹吋ト 0 肚の

を ㎏ ト 1, 白 0 ( ト ㎏ 1, Ⅰ 怪 )し目 コ 由での

オゆト

が(㎏・の。

か )とする。(私はそれぞれ最初のコー No. ミ| きの根拠を疑 うげ

れどもⅩ一応ここでは PTS 本 にならっておく 。以上と全く同じことが、以下の諸相応にく り 返される。

E 第三十相応は、 PTS

本文中の相

い 異なる 経 名は四つ、ウッダーナロ・ 0 ト のも四つの項目をあ げ 、 一 0 経を指示す

( 2 )

るが、その直前の一行 巴 va

旧で宮ゆ㏄

ヰ 0 コ a c

オが の attal

~の簿の三(

ひコ ( 卸ゴ 。 巨 (により、四六経とす る 。(「

ぼ舌ロ」

+

ヮ ・ x に

叶ゴ のりののの 0 Ⅱ ヰす のの口ロ㏄

づ弔リ ーの: 日 oH.

ミゴ田

。 ゴヰ 甘の C 宙 四目コの 的 @ づ のの ト 0 曲目㏄ ア サ目汁 毛すぽ 下田のの 簿 円仁丹 0 の 0 コい やの こ 0 Ⅱ ムの

の由 円円

ドの ・ ヴ のの のけ のののがの甘の小才

オの Ⅰ 0 ロⅡ)㏄の

ダゴ リセ)

コ 的のゆⅠ)の

曲曲の、の

0 コヰの)二の

トコプ の の由 Ⅰで)の

す 0 の 0 Ⅱ ヲヰ 目 の 目鰭 ( ひ のとい ハノ。

この す の cau

のの以下の意味が不明であり、またこ

こ はの三日ではなくての三村三㏄でなければな うない)。

F 第三十一相応は、 PTS

本文中の相

い 異な る経 名は四つ、ウッダー ナゃ 浮のも四つの項目を あげ、二二経を指示

するが、その直前の一行Ⅱ ヰ 曲ヨ づ呂 Ap ヰ の コ 笘の村㏄

の曲(の

臣 9 口舌 走 総の三行 旧 により、一一二経 とする。(「 序 号目」 ロ ・¥

はヰア e c

ゅ のの 0 小田 ゴの ハりロコ

らゴリ

ヴヴ 簿 1 の・。 日 0 Ⅱ とデフ

@ り す円二の 0 ヴ のの 仁 Ⅱ 0 の コ 年年 再 。の パヰ ㏄) コ己宙宙 a コ帥ゆ Ⅰ せ のの 心曲 由 のの 0 ) コせ - ゆコ宙

ののの(Ⅰ

トのヰ

0 己 0 ㌍二 % ゴゆヒ宰

) ゼト 0 の 由田 ドロの。老士

臣 0 ヰすの

目ヨすの

r o

(臼の日ガ

紺乙 d0 %

) 馬 というが この ト 0 の 目ま ののは W 14

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誤解であろう。)なお、ここでは、第二十九・ 第 三十・第三十二 ? 第三十四相応がすべての 偉 ((㏄

コ 荻 というのに、ひと

りの

Ed

(のという点が注目される、㌧

円 P (コ % Ⅰ ワま, 「)の(にの口コ

ドコ (㏄のとするのは㏄ 由ま ののの 誤 まり。また て円 9

っ ・ 25 の・ 一 ・ P の㏄㏄ lPP 巾 ( ドト ー い の)は は ㏄ |ドト の (トトー㏄㏄しの

即珠佑胆

G 第三十二相応は、 PTS

本文中に

柑ぃ 異な る経 名は八つ、ウッダー ナヮ 00 べ も八項目をあげ 、一二経を指示する

。が、その直前の一行まま ゴ目 8 二のののまのでがひ

由阿総 の目 ((

ゅ口荻サ アジ ら 三寸により、 五セ 経とする。( 「 序 吾一口」

ロ ・ ,は ( ゴの

のののの

0 Ⅱ ヰプ の ント

の)

ゆ ゴリーの:

毛ゴ po

下 毛ののⅡの 叶 0 )Ⅰ す め ㏄ い Ⅱの仁ト(の

珪ヰ ド ア笘 片ゴ 0 臣 ㏄ す計ゴのコ

けロ ノす

のⅡ 0 椅ヰ プ 0 片 ぎ )の㏄ トの ㏄・の 0 Ⅰ・

Ⅰ 0 の 七 0 コ宙 )目的 ヰ 0 トは 田の

パ 目の・という り 。

Ⅱ第三十三相応は、一一の項目が五組の一つ 一つについてくり返されているから、計五五経 となる。ウッダー ナ

づ ・ お のは一一項の名称のみ。その直前の二付し ヰい でトコ

巨 ㏄帝の

コ ので り曲ぃ

㏄での刃口

ゆ ㏄の㏄

仁 dd の二ヰ

目ヴゴ が く の コ 曲 がそのまま採用さ

れる。 円ト

Ⅰ TS の 亡 1 序三 二目

@ Ⅰ 宅 ・ し ハーリ

ハ p は 、さら @ レ ト、 その 各 経にいわゆる「 十難 」(「世間 常 」 ! 「如来 死 後 非有罪 無 」㌔・ コめ ・

づ ・ 2 のの・

-. 亙 )が付されているから、一一項はそ の一 0 借 となり、計五五 0 経と数えてもよさそ うた 、といい、それ

を マ ス スクリプトについて説明する。

て 1 第三十四相応は、その末尾口・ u お の ウ 。 。ターナに掲げられる一一の語が 、 経ではそれぞ れ二 つ ず つ 組み合わされ

かるから、径数は五五となる。( ミ 二三 せ ・ 甑 は、ヰオ の 曲 ()のの

0 (( 目 e のけまのの曲「の

コ 0 日 0 お ( オリコトロといい、 PTS

ぬ 本文も第一 ! 第一 0 経 た げに 経名 が付され ていて、第一一緒以降は経塔を力 " コに 入れてい るが、実はその第一 経が

ナ にはこの二つが分離して掲げられるから、項目 は一 0 ではなくて、一一

憶 となる。)この五五経という数は、ウッダ | ナの 直前の一行Ⅱづ曲コ 村 もつの せセ 田が ヨ け村 ゴ囲コ

トづ の ひ Ca Ⅰ 弗 寸口 沖 の 口 せの セせ曲 ・

相オ ara

廿曲 ユ曲目 卜叩 ㊤の すヴ 刈田というのに一致 する。(「序言」は上に続いて、(舌ロ白日

汀 (。 ヰ 切の セ の ぜセゆ才

a ( ひめ 村田 ず

15 (15)

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六 第四篇について( PTS.W )

Ⅰ① OO め

3 2 1 註 ハ ナ ツ ぃゴ の 宙

示 こ 南 面 ゴ す れ 仏 伝 る ら 三 三

0 の P で ヰ 「 目

T 葵次

ら 経 いこ、 ・南伝「是の @

そ 如 「 る

れ く 二

ぞ に 品 第第第 一一 一 第 一

に て 十

@ ま -" / ヘ -"" / ト 、 十 経 岡 目 プ

本 人 」 文 経 と

広広広広 B 」 の 五五一四 も 、 ) の

セ 0 0 人 のは c 、 を , 経 経 経 経

「一一日郎 及び C 「四十 - 宙 の

第 一一 窮策第 一 一 皿 に経 @ 」 百十

の目

一十四 一十三 一十 相 一十 セ が Ⅱ 野 宙ト

五四 一一 五 六 0 一 杢 の -

記し る 。 経 緯 経 回

南 仁 ㌧ " - 口 - - 了 経 ィ ム一 @- 宙の

コ 0%

施 目 す Ⅱが オハ 」 の

解 的の コ

説 ()の

(16) 16

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第四篇、

PTS.W

は 、 次の諸相応に問題点が ある。

A 第三十五相応について。

も (かつて第二十二相応が、全体をまず三部に 分かち、各々 五 0 経をいった場合に似て)、まず 全体を四部に分かち、

各々の部のタイトルも、またそれぞれ末尾の ゥ ッダ ー ナ も、 各 「 五 0 経 」( っ欝鰍紐 ・ 屈目は芙じ という。(そして各部

は 、最後の第四部を除いて、各五章から成り、 各 章は一 0 経より成るという)。しかしながら、 実際は、第一部が五

二 経、第二部五一経、第三部五一経、第四部に ついてほ次の難点があるが五三径(九三経とも 数えられる)から 成

り 、径数は、 PTS

はじめ諸本のいう通り、

計 一 0 セ (二四 セ 0 ・・)となる。

b 第一部の五章のタイトルのうち、第一・ 第 二 ・第四章は 、ウソダ ー ナ できに掲げられるも のと異なっている。

c 第四部は複雑で、 PTS

「序言」

毛 ・きム % の 記事も判りにくい。以下に、それを PTS 本文と参照しつつ 記

す 。㈲第四部には、 章 ?pm め o )を名乗るもの 堅 ニつ あり、それは PTS

本文の第一・第三・第四

章 に相当する。それ

ぞれ一二経、 一 0 経、一一緒ょり成る。㈲第一 章 に相当すべ き もの(

PTS

本文

ロ ・)奏は ハ せ 儂の 0 し巨屯 0u と補

う )は 、の接 ( 圧 @ らせ せ 日の日(六十床 説 )と題し、 。ヒルマ一一本は明らかにの田ヰ曲ユ

目 三ののお 三 とい う 。当然一八 0 経と 数

てえられよ う 。㈹こうして 六 0 経とし、これ を 二章に分かち、したがって、第四部は第一 ! 第五章 よ り成る、とする

何 きす ゅヰ ( a.

ずり田 母の五で、その香々に 、無

常 ・ 苦 ・無我をいう。そのうち、(・

1 )最初の二

「第五章」( 罵ぎぃヨ ③と呼んでいる 0 ㈲ シン 項

について、まず第一の

ハリーズ諸本は、最後の

蜘章を 「 第 セ草」 宮迂豊 )と呼ぶ。これは、 上 の 六 0 経を四章( PTS

「序言」

ゃガ は 臼 Ⅱの

e c

す い つ (の(のとⅠ

リ うが、

なる。㈲さて、第二章の経名の項目は 、のゴ曲 臣宙の - が叶 Ⅱ汗が

、せゆ宙曲コ

( りの ㏄・

相 0 ぽ かコ Ⅰがは、の ゴ の コ宙 u 。ぺ目㏄

u, O

プ リコ宙リ

パ リ幅曲 の 三つに、次の笘 岸 がとⅡの年の三きかとは、過去 ・末末・現在の三つに 分 17 く 17)

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かってから、それぞれに無常・ チ ・無我をいい、 さらに同文が再びくり返されている。こうして この三項の各々は 、

の X ㏄ X め 即ち一八 経が 数えられることになり、 この径数は、末尾 ヮ )のののウッダー ナ の掲げる ものと一致する( 計

五四経となる)。(Ⅰ)あとの二項は、それぞれ 無常・ 苦 ,無我を いう だけであるから、各三径 であり、これも同じ

ウッダー ナ のいう数と一致する(計六経となる)

(Ⅲ)第二章は計六 0 経となり、同じウッダ 一々 の 掲げる径数 と

なる 0 ㈹しかしながら、 PTS

本文は、

今 1 ) 「序言」 ロ ・ 4 きのいうように、前の㈲のや 1 )に 一 不 した三項のなかの 三

つの区分を 、 経のなかの支分としてのみ取り扱い 、三支分をもって 一 経とする。こうして三項は 各々六経となる。

( h )この三支分を一経とするという形式のみを

㈲の( h )のあとの二項の りヒ才餌紬とヴ岡ァ

円 ~㏄とに適用して、

各 三径をそれぞれ 一 経として扱 う 。(この際その 内容は全く無視して、形式のみによっているこ とは、不可解という

ほかない)。( 一 Ⅲ)第二章はこうして計二 0 経と される。㈹即ち第四部は、計五三経とされるが 、上述の㈲(㈲にし

たがい第二章を六 0 経と数えれば、計九三経と なる。

d 以上のような不確定さから、 PTS

「序言

」 っ ・きに、この相応の経 教 を二 0 七経と指示す る 際に 、 a め (の( ぴ 0 日の

ず のの~(㏄(~

0 コ といい、また ロ ・迫のすの(に は ㎏ 0 べ ( oq

め下づ ~)とヰ

リる 。

e なお右の ヱ の叶には、章の数が記載されてお り 、それはお( or 燵 むで おぬ 0 のという。 こ の数のうち、㈹一九

章 というのは、 PTS

本文が採用している通り、

第四部に第二章をたて(上述の c の㈲)、それ でも第四部のみは 四

章 、そして第一部 ! 第三部は各五章であるとこ ろから導かれた数である。㈲ 二 二章というのは 、上述の c の㈲の よ

う に、第四部の第二章を四章に細分して、第四 部をセ章 と数えるものにもとづく、と推定される

B 第三十六相応について。 PTS

「序言」

っ ぎは 、最後の第三章に関し、その末尾口・ N ののの ウッダー ナ の最後の

行 にいうの目口 宙目 良い由 りの三 Ⅱ 卸ヨず 曲 目 について 、疑義をはさんでいる。即ち、この二つの語の 間の nu

で切って

( Ⅰ 8) 18

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相応部の経の 数に

a E の な 番 h

金 策 号 ! 体 四 を v

が 十 あ な 三 げ 付

章 相 て し に 広 い て 分 は ろ い か つ が る

ハ もよ

も よ

り第 l ハ

る し 十

しマ

互 の

@ 人 「 し

名 0 称 を一

す。 示

水 野 本 @% 堂 と

ト """

しつ

19@ (19)

ついて

して、「の 口住隼 巨ガ い というの三あ は 見出されない 。の口ら 穿守 のとは三 % 日田ののの別名ないし通称

であろうか 0?. それ

とも一つのの ut

(曲が失われたのであろうか

> 。・」

という。しかしながら、その最終の経 猪 口・ N びの のぴ 口口 宙 牙山ガ曲名コ

目や

巨 sp ョ からすれば、それをもって一つの(の( ヨ と 見なし、同語の間の cp は 、 (寓目 の 二話 を 切断してから続ける

のではなくて、むしろ、この一行をその前行に 結びつげるもの、と見る方が適当であろう。いず れにしても、 PTS

逼 ・ ダい のの。 お のなどにいわれるように、(他の章 は 各一 0 経より成るのに)、この章には九経 し か数えられず、した

がって、この相応は計二九経となる。

C 第三十 セ 相応は、全体が三章に分げられ、 第 二 早の末尾にほ、その章をしめくくるウッダ | ナが 見当らず、第二

章の末尾 づ ・ 燵 切に、二章にまたがって経のタイ トルを掲げるウッダー ナ があり、第一章一四経、 第二章一 0 経を裏 づ

げている。

D 第四十相応は、 PTS

本では、その末尾っ

めめト のウッダ f ナ の最後の行でも、計一一経とい ぅ 。ここではそれに

ならう。しかしながら、第一 0 経はの㏄ 吋左 。 を 詳述して、Ⅰ 2 のめ(

PTS

が ト 2 の㏄とするのは 誤 まり、南伝四 つ ・ ヰ Np

註 2 を参照。以下同じ)を説き、第一一 経 はの 曲コ Ⅰの コ 0 について同文の P2 の ゅ がある。そして そのあとに、全くの

同文が 、の緯 せ り日 0 。の ゅ 三 % ぎ 0 。の ロ 三日日 岸 0 。せ り の笘 せが(

ヰ についてくり返される。この四つを各一 経と数えて、それぞ

れ 第一二、第一三、第一四、第一五経と数える 方が、ふさわしいかもしれない( 住 ・ コ P ロコ ((・も・

x Ⅰ PTS

本文は小さ

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d しかるに、「席書 ロ し も ・ パに 、この四五経 を円ダの ( 0 ( 目 0 め片汀の ea 二 % ピ のがおⅠⅡ つ と い い、続くっ・乙も

パ ⅠⅡ づ 即ち四四経で押し通しているのは、明ら かに

PTS

校訂者の思い違いである。この

誤ま りの計算によっ

柱 X 葵 十二即ち一四六三経となり、 ゃ 甑の)田の

吋 の 駐 ( 0 ( トおぴ G の utt

拐が導かれる。

こ れは ( on P

おの

に 訂正されなければならぬ。

e 右の由典 に、め ( 0q

㏄ み ~) づ が軸 的 0 のという のは、㈹二章とは、 PTS

本文にならったもの、

㈲三四章とい

は 、上述の b によって、第二章の命名をとりや め 、この部分にある い わゆる三三径 を 、三三章と 兄 なして数えた

を 示す。

この

て、

うの

場合

されていないが、 PTS

本文っっ・ののの

@ の づ びは、 H ? パ Ⅰ つ と記して、同じように四五経と数えられ ることを示す。 い ま

この数を採用すれば、この第二章は㌫ X 葵即 ち 一四八五経となり、第一章の一一経と合わせれ 。は、この相応は計一

( り 6 )

四九六経となる。

各五経、「 セ 寛文」は セ 経、「八正道」ほ人経、 計 日 五経と数えることも可能である。

PTS 本文 毛 ・のの

N?

のののは、

( Ⅰ)

l

上を H! お Ⅰ づ 0 番号を付して示している。以下

ト ㏄下目汁 ゅヨか八レら も㌧ 曲弓 り田 p づ 曲ヨまでは、な下 略法に よ り一々は 記

b 第二章の指示は、 PTS

「序言」

っ ・ x によ ね 。は 、諸 マ ネ スクリプトのどこにも見出だされ ないとしても、 PT

S 本文にならって 、 上の第一一経の後のウッダ 1々

p.362

が終って、それ以降を、「第二章」(

掛禰 。 し宙 ( @ ぜ 0 )と名づ

げる。この章は一応、計三三径 が 数えられる。 末尾っ・ び おのウッダ一々も三三の項目を掲げる のみ。(経の通し番号

でいえば、 憲 ? 駐であり、以下この番号を用い る )。

c 馬臣 おか 村ゴが旺日 を一経と数えているが、 そ の 内容は、それぞれ(以下「」に入れた) 名 称の下に区分され、

「 止 」と「 観 」とに 一 経ずっ、「六種三昧」は 六 経、「四念処」「 四 正勤」「 四 如意 足 」は四経ずっ 、「五根」「五力」は (20) 20

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栢 底部の 経 の 数について

と 丘 臥 し

2 1 註 億ノ @ @ に P ら い 示 し 「数集 て五 ㌧

合 三 相 セ 玉 篇 こ 尾

Ⅹ - 庄 の

吹 で 諸

い しな ( ( な イ

を 掲 ))大 相 相 セ げ が 経 広 広 経 る

ウ 数 え ? ) 。・) nY ら れ O 六 る 経 経 ナ 第

四 第一 中、

十 十

四 第 第 六 の

相 四 三 相 応 十 千 応

第 四

二 九 十 粗 相

一 応 応 二 相 九 応 経 緯 臣の

@ つ を る

六経 三径

支 分 P 、 章 割 T そ ゴ曲ヰ

中 し S の ゆ一

て 本 数 印 ユ ト は 根

の飴 はど は 拠 の ㏄ 広され 臼 X 串ト セ オ ヰつ すの計

の 得 な も ヨ

21 (21)

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4 曲 沖 ㏄ 0 。 ハ ㏄ ロ 0 ゆすゆ

1 せの的㏄

0 の五つは、今後の諸 相応(第五十三相応まで) 、 一つの集まりをなし て 頻出する。 以

それらをそれぞれの ザ アナ 叶づ : ぎ曲 ・ - 目 ・ ぺこ 0 ㏄ ,ぺ ・と略す。

c 右の

neu

は四分され、その第一の末尾ロ

きにウッダー ナ があり、一二経ない う が、第二 と 第三との末尾

ウッダー ナ を欠 き 、第四の末尾っ・主に掲げられ たウソダ ー ナ は、一二経の数を二度しかあげて いない。しかし

では、

PTS

本文にならい、第二

? 第四の各々が それぞれ一二経 より 成るとする(計四八 経が数 えられる)。

d ハ 5u の ト ののは、 ロ,づの

せの 村ゅ 日の ゑヰ の 日 ・ ロ ・(

閃ゆ 堀りせ

ぎ のⅡ 曲 )。 目 ・( レヨ ㏄(

0 斡の宙すが)・

臣 ・(名田ヴヴ

倒 コリ与田

コ 0 )の四節 干

こま

に 区

極めて粗雑で且つ短い。)以下、叙述を簡略にす るために、 章 ?p め ㏄しは水野木にならって 、そ の 数値 乞 * 八ロにいこ れ

て 示し、また経の番目方 は 各相応中の通し番号を アラビア数字をもって示す。

A 第四十五相応について。

もこの相応は 、 八つの章から成るが、そのほか 、その n4u と n5U との間に 、穏ゼセ卸

)のが 付 された五つの部分が

ある。これらは、 PTS 「序言 目 」 や まにい う通 り 、独立して扱われなければならぬ。それらに、 PTS は番号づ け を

せず、 各づのゼセ目ド

0 名称を掲げるのみ。水野本 ヨ ・ 笘 (・は ハ auz ハ e ロ とする。いま水野本に したが ぅ 。

b この ハ の U のの す的倒

1 でのド

ド哩 0 と、それに続く ハ %u

戸ロ口が

ヨ囲 Ⅰの l セ曲㏄

幅 0 ・ ハ 0 口ロ凹が ガ笘 Ⅱゆ り Ⅱぜが

一 セゆ幅

㏄ 0- ハ Ⅱ U 目の麓

コゆ一

第五篇は経教が著しく多く、 PTS.V の 総ぺ |ジ 数も他をかなり凌駕するのみならず、問題点 や 疑問の個所も圧

倒 的に多くあり、 ど 5 しても PTS 本の訂正を 必要とする個所が幾つか数えられる。(なおこの PTS の「序言」は

第 五 篇 [- 。 @"

(,-> て ( P T S

V )

(22) 22

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切られ、以下の丈 0! )心のたも、それぞれ( 日 1目)と表示されている。(先の neU

にも、

こ 0 区分がなされた)。

水野本 っ ・ p 宇 ・には、それらの区分が省略され た 0 章の末尾や宙のウッダー ナ には、 経名の みを掲げ、「十包」

「 da の ぃヨぃ

日ロ

ada

づ )という。ここでは 一 0 経と断で える。 ハ 7u

についても、

n5u

と同じことがいわ

ね 、 円 2 ヨ 0 区分

がある。水野本 o.Aoq.

は おト のみに記している が 、これは最後の経までそれぞれに記されなけ ればならぬ。

e ハ 7u

の末尾の二経を見ると、

PTS

本では

口 ・ 0 ⅡにⅠ づ 0 ( ト 0 ) 円 ㏄ 弔オ曲 ( v 印 せの 左 ㏄。)(ⅡⅠ

乙 円ヒ )とあり、 Q. まに

トベむ

( ト Ⅰ し円笘 出コ ゆ 0 Ⅱ円が つゴ囲 ㏄ 1 。肚 ( 由曲幅鋒丘目

㏄ 田ひ 。 )(円で目)とある。ここに) つ つが二度登場する のは奇怪である。 さ

らに末尾 ヮ おのウッダ l ナ にはしお円理二 % 円 か ムコ 目せゆり

の 宙と 、一一つの 円 曲づ す ゆをいう。 当然 ミ 0 のあとの方

ほ 、 Pqp

(二)円のの

円コ卸

…:と訂正すべきである。 したがって、南伝五口・ N の o,

目次ヮ峯の ニセ Ou

第十一は、ニセ

一し第十一にあらため、また水野本 ロ ・ ト ) - ・は 、 )Ⅱ 0 円曲づ プリ(ことしたまのと、

ド ハト心曲 弔 下目( 憶つ を 補わなければなら

ね 。(ただし

PTS

ロ ・おの 下 誌上 は、 右の後者 0 トⅡ 0 (トト)

円 ㏄の三町 に、井ハ めよス フ にい へン、円プガ 円ひ絃コ卸 ( 毛下ざゴ が

コ 0 片ヰ。 ヴ 0 円 ロ ニコ 宙ノコヰゴ

のの)コ幅

ゴ 目ののの口のの・))の

Ⅱ) e Ⅱ 匹 Ⅱ( す のの 0 ヨ 宮の日の

コ片 0 吊 Ⅰ巾の

コゴゆ、ヰゴ

の田の臣

計 オ ㏄ コ宙 )のの

目 (の ポヰ 0 下

田 三の住 笘つ (の

r.

もしもこの文章にしたがうなら

ば 、この(トト)というのは 々ソ センスであり、 ま た 上述の ウソダ ー ナ

にそむく。)こうして、 n7U は い窪 ? ) qP

の計一

一 経となる。

叩丘 右により、 ハ 8U

は、

PTS

、南伝

五 、 水野本に ミ ? お 0 とあるが、その番号 は 一 つず っ ずれて、) S!P の)に

数 訂正される。

ね 9 こうして、第四十五相応は一八一経とな る 。 PTS

「吉二目」

ヮ :・)印の

ヰや 南伝 五 「目次」 口 ・のに一八 0 経とあるの

相 何 B

は、一八一経に訂正されなければならぬ。

第四十六相応について。

23 (23)

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8 ハ 8 口のⅡのは、経が 工 ? Ⅵに区分されて いる。水野本 ゃ驚 (・はこの六分を省略した。

b ハ Ⅱ り 以下に、

PTS

ヨ ・)

お @P のの・水野本 毛 ・も(:南伝五名・の心の

? のの ト 同目次 p,

)の(・に

吹 の誤 まりがある。 ま

ずハ Ⅱりは、

PTS

本文も ゥ " ダ ー ナ も、径数 を 一二という。したがって 、ゅや。山

0 絆丁鮒 ・ と あるのはの の 1ト ト 。

ト 1 %.

でなければならぬ。このことは、

PT S 「序言」 っ ・ 4 の 下註 にも記されている。こ うし て PTS

ほか諸本の

経の番号が 8 1目 0. と訂正されると、以下 各章の経の番号 づ げも順次書き変えられる。

わりは、その ゥ " ダ ー ナ からすれば、径数は 一 である。(

l )(この径数は先の第四十五相応 n7 口 と 同じ。この二章

とも前記の内 Y せ ・である)。したがって、 Po Ⅰ | コ 0 ( ト 1 % )とあるの はⅠ)

ト ーに ト (トートト) にあらためられる。

ハ mU は 、本文もウッダー ナ も 一 0 経という。 し たがって 、 P )) 1 ) トの ・()1 0 )・とあるのは、

P け ㌧ 1 1ト の 0.

( ト ー 1 の)

に、ド 00. ( Po )・とあるのは トピ ・( さ )・にあら ためられる。

ハ MU は 、本文もウッダー ナ も一二経という。 し たがって、 鮒 拝官)・とあるのは ト鮒 ・( こ ・に 、 ) い の11ト㏄の・(㏄11Ⅰの)

ともりるのは お ㏄1ト下び・

C@ 1 % )・に去の八 ソ ため スン れる。

ハ % りほ、本文もウッダー ナ も 一 0 経という。 し たがって 、ト ㏄㎏1ト ト 0. ( ト ー) 0 )・と士のるのは ト か心11ト

臼ひ ・(Ⅰー1ト

0 )

にあらためられる。

ハ %U は 、本文も ウ " ダ ー ぅ も一二経という。 し たがって、 pA

の1品心・

父 1 % )・とあるのは ト り かー1ト

の臼 ・( ト ー1トめり

にあらためられる。

ハリロは、ウッダ1々によれば一一緒であ スつ 。( , 」の径数は 、 先のハリロ及び第四十五相応 n7 口 に 同じ。以上三章

と Ⅰ り甲ミ ・で の ヰ る )。したがって 、ト切か 1ト 求 ・( ト lPo )・( ホ - めヱ 仝・ @%@

体は ト のⅠ 1 )のの・()ー)))・)

とあるのをおの |

ミ 0%lPP )に訂正する。

(24) 24

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相応部の経の 数に

訂 D ( ト " "" 。

正 さ 第 」 5 ソ

、 セ ト

u 00. 相応 ハ Ⅱ ( 以窪 5 工 数 Ⅴ <@ @ 立 と

誤 ま 訂正 、 訂

する。 りがあ OO 一 P な

肚 つ S

「序言」 ・水野

本は つ か ・ ト

日 の

経 高 教 伝 は 六 訂 づ 正 ゃ さ

ぶ れ よな っ げ llT れ @ ま

次 な の ら よ な

25 (25)

ついて

六経と訂正されなければならぬ。

C 第四十 セ 相応は 、ハ 8u 以下に誤まりがあり 、 PTS 口 ・ お )(:水野木っ・ トび 。,南伝五 つ ・ かの ) 円次のように訂正

( 4 )

される。即ち 、ハ 8U

はい㏄

lv. で、これは省略 法によ り、その ウソダ ー ナ のみを掲げている。 そ れ % よ れば、他の諸

相応中の田 由 ・は、すべて一二経であるのに、

ここではその色目の的 プ曲 ( ち

と田畠 の ㏄ ヰ簿 (㏄ ) とぃ Q. 二 % づ 目と

の三 経を欠いて、九経しかない。したがって 、べ の 1 %. ( ト ー Po

)・と士のるのはべ㏄

1. ㏄ P. ( ト ーの レ

にあらためられる。

ngU

は己の

@ ・で、これは省略法によりその

ウ ッダ ー ナ のみを掲げている。それに ょ れば、 従 来の諸相応中田の @ ・

はすべて一一 経 (なお次の諸相応 申 のそれは 一 0 経 乙であるのに、ここでは、その 丹 いすリ セ 。 と ) P. 円 ㏄申 す岡 ( じ

とを欠いて、九経しかない。また ウソダ ーナ 中 に 「 九 」貧宅じの数をあげている。したがって 、 ㏄㏄ 1. の ㏄ , (Ⅰ 1 。トト

とふ のるのは㏄ N.l00.

( ト ーの)・に去のらため 亡ワ れる

ハ % 口は一 0 経という数には変動はない。前に続 いて、お1ト 0 が 官 1 0 )・とあるのを 組 19. ( ト ー ゆ )・に、

Po

根拠が判らない。(

3 )南伝 五 「目次」 づ ・ m の掲げる 一セ 五経は、

PTS

「序言

口 」の註を顧みない数字 である。すべて一八

(Ⅰ

4 )

同侶しは、本文もウッダー ナ も 一 0 経という。 し たぶ叶 って、

Po

印 lPq か ・()1 0 レ

に 、 Pq

の・(

PO

)・とあるのをⅠの

0.

()

0 )・に訂正 する。

c こうして、第四十六相応の経数は、計一八 % ハ 経となる。 PTS

「序言目」

づ : 、 と

あるのを トづ ㍉ 1 田の・(Ⅰ

1 ⑧・

1 戸の(に掲げる一八七経という数は 、

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されるべきである。以下、経の通し番号が書 き 変えられる。

ハ 蛇口は、本文もウッダー ナ も 一 0 経という。 し たぶ炉 って 、 P トの ・( ト ーのし・ レしあス りのは))白1Ⅰ のの・(

ト ーの)・に 、

) 舘 ・( ト 0 )・とあるのは目め 丹 ( ト 0 )・に訂正。

総 りほ、本文も ウ " ダ ー ナ も一二経という。 し たがって 、ト遷 ・())・とあるのは ト靖 ・( ご

に、 P の o 1ト も 0.

(㎏

に )・とあるのは Po の |お 9% 1 % )・に訂正

ハ Ⅱローハ竹口 は ( 市づダロ ・ め蒔 - : 0 によれ ば、 諾マ ヌ スクリプトは省略法により、三章とも明示されてい ないというⅩ パ|

リ 文が全くない。前の例にならって、それぞれ Ⅰ 串 1 %0.

(Ⅰ1

% )・とあるのを 器べ| 三の・( ト 1ト 0 )・に 、ト の丁 ト

トの卜卜

(Ⅰ 1S )・ とあプ つのを) かぺ 1 % ㏄Ⅱ白1

PN

に、トの ㏄1ト べ の・()1

% い )・ とム のるのを) 何の| Ⅰのめ・(Ⅰ

lPo )・ ト トキ

正 。

ハ WU は、本文もウッダー ナ も 一 0 経という。 し たがって 、 ) さ 1品 丹 ( 甲・の )・とあるのを) のの 1 1ト ベ Ⅱ・(

ト ー 1 の)

悟ト救 ・( ト 0 )・とあるのを 円お ・( お )・に訂正 する。

こうして、第四十八相応の経数は、計一 セ 六経と なり、 PTS

「序言」ほかの径数は訂正されな

げればならない。

呂 第四十九相応の経数は、

PTS その他の掲 げるものに訂正の必要はない。ただ PTS やき ベハ 5 口の仕切1町㏄

(Ⅰ 1 ) 0 )・は A0

1のの・(

ト ーの)・の誤植。

F 第五十相応は、 n4U のめ slv. の径数 一 0 ( ウソダ ー ナ の示す 数 )を、一二と誤まったため に 、以下の経の通し

番号がすべて訂正されなければならない。即ち 、 PTS 毛 ・ o 弩 fN の ひ ・水野本 ロ ・ ヰオ ・,南伝き・ 呂 |ミ の経の番号が 、

( お )

( ミ リ)

異なり、ここには 一 0 経が数えられる。したが って 、ぃ 0 白 1. コゴ谷 1, ト団 )・と占のるの 生 ) 0 @%

鼠 ・(Ⅰー) 0 )・に訂正

ハは 口は毘の由・で、省略法により、そのウッダ 1々のみを掲げる。それに ょ れば、従来の他の諸 相応中のⅡ Y ヌと

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相応部の経の 数について

る 吹 お Ⅰ 五十 経の Ⅱ 、 計 は G /n¥ のよ 第 先 第 こう ㏄し ハ 9u ハ 8U ハ ロ ハ 7 6U ハ 5u Ⅰ 口 ハ 4

@ ( ( ら

ダ ナ ヮ の - @ 計 ⅤⅠ し 刀 百ふのの 0 にⅠ こ 目 1l 一 0 ま、 @

に の の 登 五 S ツ ナ あ Ⅱ の 注 ㏄

コヲゆコ 章の 場 す ト " る - に ナ 応 P まハ 団 な で の T の l ゴ いは ま 、

ら は 五 S

由りゆ

そ 以

l コ 曲 れ 上 0 レレ 0 ))( " " ㏄に l -

を を の y@ Ⅰ

つ し l 中

か ジ で ・

数 に も Ⅰ。 数は ) ,え 一 霞 な 覧 々

表 高 と とある るのを

い の の が に 政

し し を 紹 の1 % 不 通 ( (

の ト

で そリ ラ 、 Ⅰ " も よ o ㏄

いつ

。 第 が ; 在 口口 ( T 四 っ を ま も ト

ツ に

S 十 )

本 五 なら 訂正。 訂 に 文 相 こ て な Ⅴ プ し 正

応 の い 訂 サ @ し

なら 第 ? 栢 一 正 広 一 な す

27 (27)

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( 6 )

ある。したがって、これはき・

AQ づ ・水野木っ・ p の q? ロ ・ き ・南伝

( め )・はのの・(は)・に、

Po か ・(の)

然一 経と数えられるべきで

(の)・と訂正されなければならない。以下この 丘 早の経の通し番号は、 PTS っ p ト甘と

毛 ・ pP

ので

ゃ Pq.

とも、次のように訂正される。即ち

) 00.

())・は

め q.

())

,に、 ) 0 の

は 00.

(の)・に、

Po

の 1 ) 0 づ ・( か ーの)・は ト 0olPo

め ・( か 1 0 )・に、

Po

の 1 ド ) 0. ( べ 1 0 )・は

第 45 相応 [1) ~ (8)

第 46 相応 (1) ~ [18

第 47 相応 ( Ⅰ ) ~ (10

第 48 相応 n1] ~ (17

第 49 相応 [j) ~ [5)

第 50 相応

第 51 相応 (1) ~ 口 8]

第 53% 応 (1) ~ (5)

経絡

O0

申のチい l づ

@ ト ソ

ⅡⅠ

8 B

/c. 」Ⅰに

Ⅱの 0 コのー せ

「: ノ

Ⅱ ノ

7 %

/. く

Ⅰ く

経緯

む仁りヰ い「曲やⅠⅠ

い 1 せ

「: ノ

r Ⅰ Ⅰ

6

Ⅰ 目

Ⅰ」

軽軽

下づ てハヨり巨ぃ| ぺい 的幅つ

Ⅰ: ノ

5 %

Ⅰ L

Ⅰに

軽軽

4

1

の Ⅰ か ㎏ リー ㌧ e せせゆ -0

l 「 ノ

l 「 ノ

e 9

C

Ⅰに

C14 コ 12 種 C15 コ 10 経 て 16J 12 経 C17 コ 1l 経 C18 コ 10%

C6 コ 12 経亡 7 コ 10 経 「 8 コ 9 経 C9 コ 9 経臼 0 コ 10 紐

結経

0O

Ⅰ ノ ノ

27

11

c Ⅰ ・ 巳 c Ⅰ く

経絡

OO

1 ヰⅠ

Ⅰ くイ c く

軽軽

22

: ノ Ⅱ: ノ

05

11

:」Ⅰ

@ く

緩緩

Ⅰ・ ノ

9

1 Ⅰ く [

12 経 12

勒壌

Ⅰ・ ヒ (

亡 I コ U2 経 C2 コ 1O 経 C3 コ 12 経 C4 コ 1O 経 C5 コ 10 組

C6 コ 12 経 亡 7 コ 10 蕉 裏 C8 コ 12 経 Cg) 10 経 Cl0 コ 10 細

CI コ 12 経 (2 コ 10 経 C33 12 経 「 4 コ 10 経 C5 コ 10 組

C4 コ 12 経た 5 コ 10 経 L6 コ 12 経に 7 コ 10 経に 8 コ 10% Cl コ 12 経 C2 コ 1O 経 L3 コ 12 経ひ 0 コ 10 経亡 5 コ 10 綺

っ て、二経と見なす。(な

おあとの ハ 7u の 窩 , 9

及びウッダーナ b. か のので

は、の目ヨ き ぎと 已 ra,

二日き守との 二 経と数え

る。)

b 冊 U の本文 ロ ・ か ~の

のき lPO ゲ さ1二)・

に掲げられる経文を見る

と、この構成は、その他

の経、たとえ ぱ のの - のか -

の 0 。の O 里 P と全く同様で

あって、六経と数えるい

われはどこにもなく、 当

(28)@ 28

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相応部の経の 数について

II

III

こうして、第五篇全体の経数は、計一一九一

、、、、、 経 となり、 PTS その他の諸本のい う 径数は訂正さ れなければならな

経教

Ⅰ 81

186

100

178

54

108

86

24

54

20

74

126

1191

PO ㏄ lPOm. (Ⅱ1 0 )・に、

PPP

ー ぃトび

・( POlPN )・は ト 0 の1ト 0 ㏄・(

ト 0 1ト は )・に 、レトか ー l いト の・(

ト ㏄1ト 切 ) はト 91 ノト P.

( トの|

ド 0 )・に し 、 PPqlPPo.

(Ⅰの1ト

の )・は

PP

ゅ|ぃトか

・( トの 1, トの )・に、 PNol

。ド NN.

( トの 1 。め ))・は))の

llpP

べ ・( )の lNP )・に、 p 匿|

PN

の・(

No

1 の か )・は

HP

㏄ lPoO. ( oNl はか)・に 、 ) い の lPN の・(め切

1㎏づ )・は

PoP

ー)㌧の・(

ゅ 0 1 Nq

)・に

、 P い の(㎏の)・は)

め下 ( 蕊 )

に、 P の O. ( NO

)・は

Po

の・(

い の)・に 、 ) び P.

(の

0 )・は PN

の・(

ひ 0 )・に、それぞれ書き変えられる。

c こうして、第五十六相応の径数は、計一一二 ハ 経であり、 PTS 「字音 目 」その他の経数は訂正 されなければならな

TS (その他の諸本)の掲げる径数を併記する。

以上、第四十五 ! 第五十六相応の検討の結果を

第五篇全体について表示すれば、次の通りである 。参考として、 P

S 経

00

㎎⑯㎎同は同国司

0

同同軸 1 劫

の数

0 7 3 5

29@ (29)

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以上の各篇の検討を経て、同相応部 ヒ 全体の経の

総数は

、 次のように決定される。参考として、 PTS

本 )の掲げる径数を併記する。

第一篇……ニセ 一経 ( PTs も同じ)

第二篇…・・・二八六経(

PTs も同じ)

第三篇・・・・・,七三三径(

PTS も同じ)

第四篇・・

, …三九一 経 ( PTs も同じ)

第五篇…・・・一一九一

経 ( PTs は一二 0 八 %

他 諸

八拮

論 - 。

5 4 3. 2 i 註 番 か 一

伝教 六は同 黒 ば " や数一 めは

のの おさ す 」 ワ 印 (

のト の つ| ㏄ き 註

つ 2 す ㏄

すの

白田

あげる 「渇愛」 煩 「 - コの

つ円

30 (30 ノ

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相応部の経の 数に

パーリ仏教にそれほどなじみの深くない筆者には 、以上の経数の計算はやや重荷であった。識者 の方がたが、拙論

から直接テクストなどに当り 、 種々検討を加え られて、さらに御批判下さる よう、 望んでやまな

なお、この検討の際に、水野弘元教授から、

漢 訳 の 刊雑 阿含経」にも、その径数に誤まりのある ことを 御 指摘 い た

だいた。即ち、「 雑 阿含経は計一三六二経より 成 る 」と、上述の諸本が一致してい う のみならず 、「大正新脩大蔵経 し

ついて

っている。なお、水野弘元司釈尊の生涯 JlQ.

ト 0 の丸ぐ 、 コ長部 L とコ 中部 L とに 経 数を記し、同相応部 b など には径数を掲げ

ないというのも、一つの見識を示したものである。

あとの 付 記に言及した漢訳の司

-

雑 阿含経 L についても 、やはりパーリ 文 円相応部 L のこの但し書と同類の 一 文が 、付言され

る べ き かもしれない。す な れ ち コ大正大蔵経しは「 如 是 我聞」で始まるパラグラフを、それぞれ

一 経とし て 扱っているよう

であるが、たとえば 椎尾弁 医博士の労作であるコ国訳 一切経・河合邦 L を見ると、前者の第一経に当るもの を 、寿一 f 第四に

分かっていることも判然とするように、経文の内容 思想・テーマにもとづいて経を区分しており、それに よれば(またその

「 雑 何台新旧巴豆 照表 」にも明らかなごとく)、最後の

経の通し番号は一三四四四に達しており、したがって 経教 を 「 一 三四四

四 」と数えている(同音 目 、Ⅰ解題三五 ぺ一ジ )。

付記 註

1 この添え書は 、 先に二に掲げたわが国の諸本中、 最も占い宇井本にのみ存し、他は添え書を除いて、 経 故を確定してしま

二八 セ 三径( PTs は二八八九経)

以上の総

計二八

-

セ二 経という数は 、 右に 緯青 し たような、 幾 っかの不統一・不満・不可解などの

なかで、いわば 妥

慨 して数えあげた径数の総和であるから、この

数を掲げる際には、必ず、「数えかたによって

、 その径数はかなりの

変動を免れがたい」旨の添え書が付されるべ

き で の セ る 。(Ⅰ)

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第二巻、阿舎部下口 Q.

)Ⅱ

ひ Ⅱのには、 各 経に(一) Ⅰ( 一 三六二)の一連番号が付されている。 そ れらは、すべて「 如

是 我聞」で始まるものを 一 経と数えている。 し かるに、 や ㎏ ゅ ㏄ ダの (一一一二)の四行Ⅱの

奴位の あとに、「如是我聞」

で仏仰 まり ロ ・㎏ ゅ ㏄ n.

)・べに至るⅠもののみに、この手首

号づ げがない。便宜上、それを(一一一二 a ) とするとしても、 経

数はここに 一 経を増加して、計一三六三経とす べきであろ 5 、と。

(一九六七年一月)

(32) 32

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論じようとするものである。

本論に入る前に、若干の予備的考察を試

みておきた い 。まず宗教行動は、操作的規定とし

て 、宗教儀礼の遂行であ

鮒る 、と考えておく。これは、そとに表われた

顕示的行動に考察を限定するということであり

、さらに、慣習や教団塊

眩別 によって一定の許容範囲をもって定型化さ

れた行動に観察を限定する、ということを意味

( @@

駝 曲見解を表明するというよりは、ここで用い

る 資料がそのような限定を不可避たらしめるの

である。操作的規定とこ

肛 とわるのもこのゆえである。

次 に、宗教行動は行為者の家族的地位とは無関

係に 、あるいはその人の個人的挫折感や願望から

生ずることもあ 33 (33)

本稿は、いかなる宗教行動がいかなる家族的地 位の行為者によってなされる傾向があるかを、 一 農村貸料によって

一 問

農村における宗教行動と家 族 的地位

,月

目 作

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役割とは、特定の地位に結びついた文化型の総 体であって、その地位を占めるいかなる人にも 社 会 が帰属せしめてい

る 態度・価値・行動を含むとし、しかして顕示 曲行動に即していう限り、役割とは地位の動的側 面 にほかならない、

と 規定するなら、宗教行動の代りに宗教的役割の 語を用いてもよいように、あるいは用いた方が よいようにさえ、 思

われる。しかし、なお次の二つの理由によって 「行動」の語を採用したのである。第一は、われ われの資料は顕示的

行動の記録であり、その記録のし方が顕示的 付 動を通して内面的な態度や価値観をじゅうぶん 精 密 に推察せしめる ょ

う なものでな い ことである。顕示的行動の注意 深い観察によってわれわれは行為者の態度や価値 観 をかなり精密に推

戸 2 Ⅰ

をどのように区別しているのか、という点生育 及 しておく必要がある よう に思われる。もし R

リソトソ に従って 、

それならばなぜ、家族的地位と宗教的役割、 と い う 問い方をしないのか。いいかえれば、宗教 行 動 と宗教的役割と

て 、大部分の重要な宗教行動は、実質的には、 直 接 的にか間接的にか、行為者の占める家族的 抽 位 によって規定され

ている、とみるのである。世帯と企業体が 未 分 化 一体の状態にある農村では、家が社会生活の最 も 重要な基礎的単位

であるから、宗教行動が家族的地位によって規定 されるという見方は、とくに妥当するといえ ょ ぅ 。もちろん、その

ようにいっても、老人の宗教行動、少年の宗教 行動などとよ びぅ るものがあることを否定するも のではない。ただ、

老人とか少年とか、一定の年齢 範 時に基づいた 社会的地位が、発達心理学的な希求と結びついて 宗教行動を展開して

いく面 ょ りは、老人でも少年でも、それが祖父 母とか 孫 ・ 子 ・長男・ 吹 三男等の家族的地位に翻 訳された上で、一定

0 年齢 範 時の心理学的希求と結びついて宗教行動 を 組織して い く、その面を重視するのである。

さかではない。 た,だ 、人間における、少なくと も 日本人における、家族生活のぎねだって大 き ぃ 重要性にかんがみ(

している。もとより、いわゆる普遍的宗教が 信 者を家族的制約から解放する力をもっ , 」とを原則 として認めるにやぶ

り 、あるいは社会的使命感や願望からなされる @ 」ともあろうが、本稿は家族的地位に即して宗教 行動を観察しょう と

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測 することができるのであるが、記録にはその

ような手がかりが大幅に失なわれている。例えば

、神社へ参拝すると

諌 摘動 最後に、資料について一言しておく。 がいかなる家族的地位の行為者によって

堰 卸 施設を対象にせずとも、純然たる宗教行動 なされる儀礼の遂行である限り、他の要素

いう行動がどのような態度(伝統へのコンフォ

工、

ヘ ティ・集団へのコンフォーミティ・自覚的信仰)に

四年三月までの二年間、

支えられているのか、

見当がつかないのである。そこで、役割という

含みのある語をさげて、端的に行動とする方が

ょ い 0 第二は、役割を

もって集団の機能分担とする理解があり、家族

における宗教的役割の場合には、家族の宗教的

活 動の分担と解される

ことである。もちろん、機能分担としての宗教

行 動は多い。しかし、機能分担とはいい難い、

家 族の機能的要請から

ほみ 出た宗教行動があり、それも行為者の家族

的 地位と間接的に結びついている。われわれはこ

ぅ した行動をもあわ

せて考察したいと思

う ので、行動の語を用いる

@ 」とにする。

それでは、具体的にどの範囲の行動を宗教行動

とみるのが妥当であろうか。宗教行動は必ずしも

純粋な形で現われ

ず 、しばしば娯楽的要素や社交的要素が結びっ

いていたり、時に娯楽的要素などの方が卓越する

ことすらあるので、

どこまでを宗教行動とみなすかについて、操作

的 基準が必要になるのである。われわれは、

神 社 とか寺院とか、 神

位棚 ・仏壇・石塔とか、一般に宗教的目的の

ためにつくられた施設に対して、これらの施設が

つくられた目的に即して

ち 三戸は一年間のみ)に依頼して記録された「

生 活 時間記録」である。

( 30

抽 れには、家族貞一人ずっについて一日二四

時間を何時何分から何時何分まで何をして

賛 した かが明細に記録されてい

た 宗教行動をとり出し、その季節的分布・家族

員 別の葉中分散などを

見っ 35 (35)

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けることは容易である。また、同一の行動が持 続 された時間の長さ、家族員の間の行動の複合 ないし分化状況など

も 、この「記帳」によって捉えうる。二年間に もわたって、戸数僅か二四戸の部落から八戸も , 」の種の記録に参加し

た 前例は 、 蓋し稀有であろう。まことに得難い 資料といわ ほ げればならない。

しかし半面において、この資料には次のような 欠陥が存するのである。第一に、十分間以内に終 るような行動、例

えば神棚や仏壇の前での拝礼とか、朝起き抜け に 東方に目って柏手をうつとか、おおむね毎日行 なわれる短い習慣的

行動が記帳されていないことである。第二に 、農 家によって記帳に精粗があり、記帳されていな いからといって 、他

の 記帳農家に見られるような行動がなかった 、と ほ 断じ難いことである。したがって、

A 家と B 家 とを比較するに

は 、両家とも記帳が全体として精密であることが 前提条件となる。もっとも同じ家について、 異 なる家族的地位の者

を 比較する場合には、精粗均質であると想定し てかかる よ りしかたがないであろう。第三に 、 記帳の粗なるものに

憶 毎日記帳するという約束であったにもかかわ らず、何日かまとめて記帳したと思われる箇所 が散見することであ

る 。これを根木的に改訂することは不可能であ るが、他の記帳農家と対照することでいく分の修 正 が可能なところも

ある。これらの点で、「記帳」の利用には細かい 配慮と周到な警戒が必要だと い わなければなら 甲ん

ⅤⅠ

ヘ @ @ 。

にもかかわらず、「記帳」の利用には、宗教行動 の 長潮的偉観察を可能にするという、方法論的 な 斬新さがあると

思われる。宗教行動の現地観察は、特定の地域 の 民俗Ⅱ社会探訪的な行動型の聴取調査に満足 しないところに生ま

ね 、当然の存在理由を主張し ぅ るのである け れ ども、一時的な観察では よ く傾向性まで把握し ぅ るものではない 0 そ

こで長期観察が要請されるのであるが、これこ そ 言い易く実行の困難な調査技法である。そこで 、長期観察の代用と

なり ぅる 技法を開発しなければならない。

@ 」 の ような要請のもとに案出されたのが「記帳」であ って、直接の観察に

准じた効果を期待し 5 るので、 準 観察と仮称す るのである。もとより、「記帳」による長潮的 準 観察が最良の技法で

(36) 36

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農村における 宗教行動と家族的地位

「生活時間記帳」に記録された宗教行動は、ほと んどすべて宗教的年中行事への参加という形で なされている慣行

曲行動である。そこで、宗教的年中行事を分 類 すれば宗教行動の分類にもなるわけである。年中 行事はほとんど例外

なく宗教的年中行事であり、それにはいろいろ な 分類が考えられる。ここでは、㈹部落全戸から の 参加が要請される

部落的宗教行事、㈲社寺の祭礼法会を中心とす る 社寺的宗教行事、㈹ 前 二者と関連しつつも各日 ,で 行なわれる家族的

宗教行事、の三 つ % 分け、それぞれへの参加が どのような家族的地位の行為者によってなされる 傾向があるかを、 順

吹 考察してみたい。

廿 わざとう

まず、部落的宗教行事への参加からとりあげよ ぅ 。これに該当するものには、「 村 祈祷」「地神祭 」「日蓮 サマ 」「 月

並ヵ ンキ」がある。

つ ( @ やま

「 村 祈祷」は旧暦正五九の年三回、造山の荒神宮 に 集団的に社参し、山根の本 隆寺 (法華宗本門流 )住職に祈祷(法華

経 読話)をして貰 う 行事である。造出荒神を鎮 守と 仰ぐ新地 等 隣接六部落がそれぞれ異なる日に ここでこの行事を執

律 する。農繁期の五月に行なわれる 村 祈祷は社 一 刊の祈祷で終るが、正月と九月には祈祷をすませ た 後、夕刻当番の家

へ 集まって オカソキ

( 御 看経)をつとめ、一定の 献立にしたがって準備された会食をするのが 例 である。この形態も)

簡素化の結果もたらされたもので、太平洋戦争 に入るまでは当家でおこもりをし、日の出と共に もう一度社参をして

散会したものである。なお、社前で本陣寺の 住 職から渡された「村中安全五穀豊穣」の神 礼 は 、 き家の床の間に安置 3

二部落的宗教行事への参加

ある、と強弁する り もりはないが、掲出の課題 に アプローチするためにはとくに勝れた技法で あると考える。

で、本稿は新しい技法の有用性を例示する意図 をも併せもつものといえよ う 0

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宿で斎を出したが、:

三、四 0 年 ほど前からこれ を 廃して夕食後集まるようになっている。各戸 か ら

げた 曇陀 羅の前で経文を一同で唱和する儀礼を

が 原則である。しかし、看経のあと重要な伝達 さ

した。しかし今日では、

三 0 分ほどでこれがす

協議事項でもなければ、毎回数戸は欠席する よう ん

で ・

弩 とは本来、参会者の中で経文をよく知って いる人が導師となり、大胴の大鼓と木魚で調子を と 一

名ずつ集まるの

ある。カンキ 害

って 、 床の間に掲

でからなされる 伝

るといえよう。

次に「地神祭」は、三月と九月の彼岸頃、社日しわにも といって耕作をしてはならない日があり、この日 に 部落として地神

を 祭る行事である。部落はずれの公会堂前任 あ る 「地神」と彫り込んだ石碑を対象として、夕刻 部落の長老のリード

のもと に 経文を唱えた後、当番が準備した赤飯と 煮メを 公会堂にて会食するのが、その主な内容 である。

この地方ではどの部落にも地神の碑があるのだが これと並んで よ く祭られているのが、次の 「日蓮 サマ 」・であ

は 5 かい

る 。「南無妙法蓮華経」の 七 文字を刻んだ石が日 蓮サマ ( 他 部落では法界 サマ )と呼ばれ、その 傍 の 「大覚大僧正」と 彫

りつけられた石碑と同時に、年一度五月) 地 神と同様の祭りを受ける。大覚大僧正はこの地方 を巡廻 布教したと 伝

示 される日蓮の法 孫 である。この ょう に日蓮 や 大覚が日蓮宗の宗派的行事としてでなく、部落 行 事として祭られるの

は 、新地全戸が日蓮宗寺院の檀家であることが 与って 力 があろう。

最後の「月並 ヵ ンキ」も日蓮宗的な部落行事で あって、日蓮の命日である十二日が、原則として 毎月の定例日であ

る 。この地方一帯には日蓮宗系の仏教が 惨透し ていて、戸数の多い部落では部落 内 をいくつかの 看経 講 % 分かち、 講

毎に「月並 ヵ ンキ」を 実 修すると共に、葬儀の さいの協力を行なっている。しかし、

新 池は戸数

僅か二四戸であるの

で、部落がそのまま一つの講をなし、講の メソ ハ ーすなわち諸家が軒なみに順々に宿をすること になっている。もと

(38)

した後、竹にほさんで部落の北ロ と 高口に立てて 魔除けとされる。 村 祈祷の機能が、この神 札に よって象徴されてい

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農村における 宗教行動と家族的地位

表 1 部落的宗教行事への 参加

村 祈祷 年 Ⅰ ト 芳き数 十 ゴ @ 暮事 一

世 帯 主 64

長女時 妻 ( 経営 主 ) 64 22 長 ;12.1 反長女の長男 攻 3ll 94 長女の長女 Ⅱ 児女の次男 9 76 イ上 )

64 4 長女婿 ; 経営 主 ; 43 2 6

女 38 (5.5 度 ) 長 ド 女の長女 16 Ⅱ女の次女 12 世 帯 主 62 4 4

53 ⅠⅠⅠ Q 丑寅 ( 妻 経営 主 ) 29 2 2(1) C4.8 度 ) 笘穿 の 墳質 2 5q つ | @ )

長 女 17

2 3 主世持要文 336 834 母 60

(12.0 度 ) 長 長 ) 男女 (96 叔 父 46 世 帯 主 46 2 5

妻 41 D 長 女 17

f11.6 反 ) 掠 男 14

30

;7.2 厘 ) 長 男 10

(3.3 T 度 ) 世 長 帯妻 主 男 31 29 5 最高回数 6 6

( 回数 )

他 日 月

神賈苦 祭 マ キ

15

1 1 1 1

2 2 7 15

2 ⅠⅠ @

16

イ工 Ⅰ

3 2 2 Ⅰ

@% Ⅰ Ⅰ エ Ⅰ

ィ 1j

2 2 3 2

3 2 20 く工 Ⅰ

1 1 6

2 Ⅰ

2 1 5

2 1 Ⅰ 1 @1) (1 Ⅰ

4 2 24

達 協議も 、カソキ の一部をなしている。伝達 協 議 といっても、正式の議事方式をとらず、読経の あとの雑談 中 、時折

誰かが「どなたも」と改まった口調で口をきっ て 、伝達や相談がなされるのである。 ヵソキ の 機 会 に便乗して伝達な

どをするというよりも、

カソキ とは伝達協議を 含むというのが現状である。一同の読経唱和は 、 協議に入る前にあら

かじめ集団精神を昂揚させるウォーミング・アッ プの 潜在的機能をもっていると、みられなくも ない。したがって 、

月並カンキは部落の宗教的行事であるよりは 月 例 常会の色彩が濃厚なのであるが、その本来の性 格 に注目して部落的

( 4 Ⅰ)

宗教行事に含める。

さて、以上のような四種類の部落的宗教行事への 参加者を 、表 Ⅰによって観察してみよう。まず 表の説明をしてお

39 (39)

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( 5 )

く 。農家記号 は 新地における農業機械化の調査 報告書が用いた記号を踏襲している。記号の下に 附記した括弧内の数

字は経営耕地面積である。農家 A.P.Q.E

・ D の五戸は二年間記帳を継続したが、他の 1. K,T

の三戸は最初

の 一年間のみで終った。世帯構成で判明するよう に 、 A.P.Q.E

は二夫婦世帯であり、他の 口角 は 一夫婦世帯で

あるが、 う ち 1 には世帯主の母親がいる。二夫 婦 世帯 と 一夫婦世帯とで参加者がどのように異な ってくるか。分析の

着眼点の一つはここにある。表の最下欄に掲げ られているよさに、 村 祈祷は記帳の二年間に六回 あった。これに毎回

参加し、そして参加したことが毎回漏れなく 記 帳 されたとしたら、同一世帯内の合計は六あるい は六 以上となるはず

である( I.K.T のみ記帳一年叶え足高三回)。 地 神祭は四回、日連 サて は二回、月並カンキは 二 四回(ただし I.K

T の三戸にとってはそれぞれ半分の回 曲 ) 行 なわれた

から、これを基準にして各世帯の成果を考察す

るのである。

「月並カンキ」からみよう。参加者は世帯主、

も し 世帯主と経営 主 が分離している場合には経営 主、にはば 限定さ

れているといって差支えない。もちろん例外は ある。その 一、ヵンキ の宿をつとめた家では、

世 常主・経営 主 以外の

者も現われてくる。これは主に茶菓の接待をす るためであろう。表 1 における括弧内の数字がそ れである。その ニ、

P 家では世帯主妻が異常に頻繁に出現してくる。 これは経営 主 が総社両の小学校教員であって 、帰宅が遅いとか、

夜も校務が残っているとかのため、三度に一度 は 誰かほかの人に 伐 ってもられねばならないのだ が 、世帯主は病身 ゆ

え 妻が出席するのであろう。このようにみると 、世帯主 か 経営 主 が出席するのが月並カンキの 原 則 である よう に思わ

れる。その ょう な原則の存在は、月並 ヵンキ の 部落常会的性格と照応している。それでは、父が 世帯主で子が経営 主

という よ うに分化している時、なぜ世帯主では なくて経営主の方が出席するのであろうか。まず 第一の理由は、世帯

主は 一家の財政を掌握しているけれども、農業 経営の方はあげて経営主の指揮下にあり、月並 ヵ ソキ のさいに議せら

れる事項はむしろ経営主の所管に属する場合が 多い、ということである。第二に 、 夜の会合であ るから、 六 0 歳を越

(40) 40

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りか期待されており、部落生活の伝統への 馴 致 はかくの如 き 過程をへて行なわれるのである から、やはり参加と認め

(41

肚 ておきた い 。

農ネ

以上、部落的宗教行事を通じていえることは、 まず第一に、行事の対象が神社に限定されず、 ま た 神道糸施設にも

る 宗教行動と家

外の成人の参加が現われる。また、当屋であっ てもなくても、小学生以下の子どもの参加が顕著 である。これは、 部

落の公会堂の前で、しかも暗くなる前に祭りが 行 なわれ、集まった子どもには赤飯が与えられる ためである。したが

って、これを行事への参加といえるかどうか問題 もあるが、子どもが祭場へ集まって来ることは 容認されているばか

位牌することが窺われる。

参加が多いが、集中度は高くない。当屋の場合

には、もちろん世帯主政

えた老人を休ませるために若い者が出席する、 という気持もあることであろう 0 しかしより重要 な 理由は 、 A

Q の経営 主 が記帳の行なわれた当時、そろって 機械化のための改良組合の役員に列しており、 連 経協議の責任者であ

っ たことである。( E 以下では世帯主と経営 主 とが 一 致している)

次に「 村 祈祷」は、造山荒神への社参と、当屋

一 つに 分かち ぅる 。看経の力 か らみると、出席者

は 世帯主 か 経営主に集中する傾向が著しい。 そ 0 例外は宿に当った家にのみ起っている。世帯主 と 経営 主 とが分離し

ている場合には、やはり経営主の方が出席して い るが、 Q 家のみ例外をなす。これほ、そうした 斎 がふるまわれる 場

へは世世 市 主である父に出て貰い、月並 ヵソキ の よう に 伝達協議もないこととて経営主点この 方は家で骨休めをす

る 、というこの家の特徴的な分業様式を示すも ののように思われる。ところで社参の方は参加者 がやや分散して ぃ

る 。ここでもやはり世帯主や経営 主 が多いけれ ども、 父 ・ ロ ・それに子どもも代参することがあ るのである。この ょ

う にして、経営主は日中は野良にあって誰かを 代参させた場合でも、一日の仕事を終えた後、自 命 で当屋へ看経に出

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共同生活の上に働くと信ぜられてきた霊寵に対 して、部落における家と 、 家を支える部落との、

福祉を守り増進して

くれるよさに、共同の礼拝と祈願を捧げている ということである。ここから注目すべ き 第二の点 が 導 き 出されてく

る 。すな ね ち、共同の礼拝と祈願を捧げるので あるから、一夫婦世帯で手が足りない場合にも、 これらの行事に欠席

してよいという了解は成りたたない。人手の多 少 にかかわらず、各戸からこれを代表する者が一 人 ずっ出席する、 と

い う のが原則となるのである。第三に、現実の 出席者は世帯主 か 経営主である。とくに月並カン キ にこれが著しく、

村 祈祷・地神祭Ⅱ日蓮 サマ の順に参加者の分散 度 が高まる。分散の起りやすいのは二夫婦世帯で あって、世帯主( ぁ

るぃ は経営 主 )の 父 ・母に参加が分散しやすいが

一夫婦世帯では 1 を除いて親がいないため、

一 戸を代表するとはい

いがたい子への分散が生ずるに止まる。第四に 注意しておきたいのは、宗教的年中行事への参加 者は世帯内の老人で

( 60 )

あろうという予想は、部落的宗教行事について ほ 妥当しないということである。老人よりは世世 帝土 が 、そして世帯主

が 上位ではあるが、目と鼻の先ぎにある造出 荒

もあって、上賀茂神社が本社、造山荒神が末社

る 。 新 池の直接の鎮守は前出の造出荒神である

が 老人の場合には若い経営 主 が参加しているの

右にとりあげた四種の行事のほかに、当番のみ

が 、荒神の氏子六部落は他の六部落と共に長田

である。

神の方が新 池 住民の身近な社参の対 家 になって

という関係にある。レベルを異にする二つの神

行 な う ものとして、神社の秋祭りのさいの織女

社 のうち、 上 賀茂の方

の上賀茂神社の氏子で

いる。十月十二・三日

てと 織 片付けとがあ

に 同時に行なわれる両社の秋祭りには、部落 内 に 識を二本立てるために、青年が 村 仕事として 出役するのががん ちい

を体 泰 地 造 成 め 社 え 会 た の

と レ い べ " え ノ レ

る で ・ ど 便 ぅ 宜 か 的 疑 な し の い セこ

の す

ぎず、 である

便 む 宜 し 的 ろ は

、 類 ィム し

め て 類 信 の重 以前

0 層 問 , 性

を 頭 指 が 重 摘 要 し で ・ た

あ と

る こ ろ 部 の 落 理 の 解

(42)

限定されていない。仏教あるいは仏教系施設も 含まれていることである。しかしながら、神道と か 仏教とかの類別宮

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のは、鬼子母神・三十番神の年祭と、春の 彼岸中に執行される施餓鬼である。

㈲建久 寺 (日蓮宗)

新 池の岩佐 姓 八戸 ( E.i.T を含む)の檀那寺で、これまた

津 手に ある。檀家総数二三 0 戸

農ネ

ほど。新地の幸世話人二人のうち一人は E 父で ある。主な参詣 日は、 秋の彼岸に行なわれる施餓 鬼 である。

三社寺的宗教行事への参加

部落的宗教行事の結節点は、社寺あるいはその 萌芽形態としての石塔や仏壇である。この結節点 に 部落 内 各戸を結

びつけて行事へ参加せしめる基本的な契機は 、つ きあいというタームで表現される一種の部落的 強制であり、また、

伝統へのコンフォーミティ志向と混り合った 集 団へのコンフォーミティ志向であった。しかるに 、社寺的宗教行事の

場合にはその ょう な強制や集団志向はあまり 作 用 せず、むしろ結節点をなす社寺側からの勧誘、 それに対応する各家

の 側での行事参加の必要性、参加する個人の信仰 心 (いわぬる迷信を含めて)の作用が、より重要

な 契機として前面に

睡 押し出されてくるよ う に考えられる。した かって 、 例えば造出荒神宮での 村 祈祷は部落的 & 本数行事であるが、一月一

鮒 日の初詣では社寺的宗教行事への参加とみな される。

このような完整行事の結節点として記帳に 現われるのは、次の一五箇所である。

の形であった。しかるに、今日では

花 村青年の 減少によって担当年齢層が拡がり、記帳潮間には

D の世帯主が 峨 立て

に、 1 の世帯主が 識片付 げに出ている。なお、 両 社 共通の新地選出氏子総代三人のうち二人は

、 A の世帯主と E の 世

常 主であるが、彼らが上賀茂神社や造出荒神宮

に 社参したことは、二年間の記帳に一度も現われ

てこないのである。

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㈲庚申 サマ

岩崎の庚申山の頂きにあるこ の 堂は、 薪 池を含む大字新庄上下で維持されて いる。毎年正五九の三

目 、 壌災招 福の祈祷が執行されるので、部落 毎 に 割り当てられた日に希 孔 者が参詣して祈祷をし て 貰 う 。そのほか、

庚申堂に祭られている梵天と帝釈天の 一 三年目 毎の開扉(両者交互に行なわれるので七年日に一度の 開扉ということになる)

には、大勢の参詣者のために境内が埋め尽され る 。 新 池から出ている庚申世話人三人のうち二人 は 、 A 世帯主と E 父

である。この世話人には部落的拘束の ょ 5 なも のが作用しないわげではないが、「庚申は木隆寺 のものであるから、

その檀家でもない 新 池は以前は庚申とも関係が なかったが、和尚が運営の上手な人で、

@ 申の修 理の時なども寄附を

頼んでくるようになったのだし、と世話人の一人 が 語っているところから察せられる通り、庚申 と 新 池 部落との結び

付きは緩く、世話人も部落代表という よ りは 有 仝 心と ネ しもい う べきもの ネ Ⅰある。

㈲毘沙門天都窪郡座付矢部にある日差手 の 毘沙門天のこと。正月初寅の日を初 講 といって 、遠近から福徳開運

のご利益を願って一万人内外の参詣がある。

㈹大覚 サマ

都窪郡清音村大覚にある仏堂。

大覚大僧正を祀るものであろう。

㈹野山 サマ (日蓮宗妙本寺)上房郡賀陽町 北 (野山北村と称す)にある中本寺。末寺が七 セヵ 寺 あるが、宗達幸や

蓮休 寺の本寺ではない。

㈲地蔵院 舌拙旺バ 宇川裾 よ ま高杉河原告 オ にあり、本尊地蔵尊の縁日には参詣が多い。

㈲金光 サマ

木部は浅口部金光町にあるが、

新 池の人が参拝するのは、北へ一里ほどの総社 市長良にある金光教

べ 約 六 - @ 一 一

三 通り O で、 戸 あ の

檀 スリ。 古体 住 を 職 有

次 っては に い

述 る 0 べ る こ

庚 の 中 手 堂 の

別 住 当 職 で が

も 新 あ 池

る 。 の村

祈祷

ネユ : 王 " を

主宰

す る

@%

す で、

v@ ヒ

刊節

で 述

(44)

㈹ 木 隆寺法華宗本門 西

高松町山根にあ る 中本寺。大字新庄上と新庄 下 のなかで新也 を 除く全部落に集中的に 4

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農村における 宗教行動と家族的地位

集 し 0 曲 詣 ㈹ 敬 ㈹ ㈹ 立 ㎝ 布 @ 者 し 教

宮 きべ 内 るた

帯 な 二

荷 晴一 Ⅴ @ 目

あ る

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っ 帰 し そ 刃く

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官 幣 信

た 中 徒 社 の

戦 奉 後 新 實 独 池 が、

立 と 多 し の い

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を く、 和 称

場 帯 さ す 。 せ 十 含 ま ず い 九 ほ ほ 全 0 % 月 し 点 年 ぜ

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世 や と あ 参 旬 の 表 し 出 独

45@ (45)

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世 帯

妻 長 女

A 長 係 長 係 長 採 択 世 帯

妻 係 長 採 択 世 帯

妻 係 長 長 世 帯

長 長 世 帯

長長

表 2 社寺的 宗 教 行事への参加 ( 回数 )

1 2 3 4 5 6 7 へ兵し ハ 0 。 ( ハ Ⅰ ( l Ⅰ ハし ・ へ l Ⅰ ・Ⅰ ( l Ⅰ り乙 ( l Ⅰ 00 ハ l Ⅰ 廿 4 ・ l1 2 1 1 1 9 1

2 1 1 1 2 1 1 1

主 1 1 1 2

婿 2 2 女 1 1 1 女 女 2 1 主

男 嫁 男 女 主

1 Ⅰ 6 1 Ⅰ 2

男 女 主 2

勇男

Ⅰ l

主 勇男

生 男

(4g) 46

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持主と経営 主 が分離して い て 、 若 い 経営 主は農 作業に忙しいから、老人が参詣の方を引き受け

るといった気持が強

く 、世帯主だから参詣するというようなもので

ないことが察知される。この推測は

、 若い世代が 世帯主になっている

E 家において、専ら父が参詣していることで

裏 つ げられる。庚申堂についても檀那寺と木隆寺の

場合とほ ば 同様なこ

とがいえるが、後二者よりさらに分散度が高い

のは、開扉の ショヴ的 要素が老若男女を広汎に 引 ぎつけるからであろ

う 。もっとも、 A 世帯主と E 父の参加が抜ん山 て 多いのは、右の者理由よりも、庚申堂世話人で

あるという事由が決

定 的である。

毘沙門天・大覚・野山・地蔵院詣でには家的制

約が 殆ど感ぜられない。地蔵院詣では子どもの

遊 びと見られるのに

対して、大覚・野山は六 0 歳前後の老人、とく に 老女の、信仰の名における行楽といえよ

う 0 信仰の名に価するの

は 、 A 妻における金光詣でくらいのことであろう

。天理教本部詣では老人夫婦をひきつけたが、

毎年くり返される 旅

行 で忙なく、たまたま組織された団体参拝であ

ることが物語っているように、物見遊山的な色彩

が 濃厚である。

さ Ⅰ じよジ

造出荒神は年頭その他のさいの手近な

参 拝 対象であるが、初詣でのためにとくに人気の

あるのは最上稲荷であっ

糊て 、寺詣でをめったにしない若い経営もち、

正月休みのこととて妻子を つ れて参詣する例が 見られる。彼らはさらに

ぬ妙 見など遠方の大社名刹へ、気の合った者で

誘い合わせて年越し詰りに出かけるのである。

% 分家したにすぎず、

Q もやはり新しい分家( 昭二 0 執堅 とで、しかも昭和二十年に帰村するまで

長年常用勤労者(巡査)

肚 として大阪で勤めていたという生活歴が

、, 」の種の宗教行事への参加を低からしめている

重 要 な要因であろうと思わ

震 れる。そして、家によって参加度に高低の

差があるということは、参加が部落的強制を受け

ず 、各家の、また各人の 47 (47)

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(48) 48

家族的宗教行事への参加

最後に、家族的宗教行事への参加を表 3 によっ て 考察することとしょう。家族的宗教行事として は 、 盆 ・正月・ 両

彼岸および造出荒神秋祭のさいに、社寺に対して ではなく、神棚・仏壇・墓に対して各戸でなされ る 行事をとり出して

みた。(

7 )日常的な行事を除けば、右の四つの機会 に 最も重要な行事が実修されると考えられたから である。そして、 そ

れぞれについていくつかの重要で捉えやすい 儀 礼 を抜き出し、これらへの参加に注目した。それ が 表 3 の 表 頭に掲げ

られている。これらのうち 盆 ・正月に現われる 「立花とり」という儀礼は、クササキとこの地方 で 呼ばれる喬木の枝

を 裏山へ行って採ってくる伝統的作業であって 、 もちろん神仏に供えるためのものである。常緑 の木の枝をよりまし

として祖霊を山から誘い帰る原義のものといえ よう。 表 中の 0 印は昭利三十二年度の記帳、ム % ょびけ 印は三十三年

欲するところに委ねられている証左といえよ う 。 部落的強制がなく、参加が各家各人の都合や好 みに任せられている

といってよい状況は、とりもなおさず参加者を 世帯主に集中せしめない基本的な要因でもある。

全体として目立つのは、老人の参加が著しいこ とであろう。老人の参加には、檀那寺への参詣の よ う に家族生活に

おける役割分担の意味の強 い ものもあれば、 ょ り 個人的な、信仰や娯楽のための参加もあって 、 さまざまである。 老

人のほかに女子どもも年頭や縁日に近くの社寺 へ 詣で、働き盛りの壮年経営 主 層は年頭に遠近の 大社名刹へ参拝する

とぃ 5 、年齢層別の参拝対象の分化も現われて いる。したがって、親子孫の三世代家族では、 親 子の二世代家族より

も 頻繁で多様な参加が出現することになるので ある。要するに、老人を中心にさまざまな年齢層 0 者が参加し、そし

て 年齢層別の対象分化もある程度観取することが できるということは、経営主や若い世帯主に集 中する傾向の見られ

た 部落的宗教行事への参加と、 鮮 かな対照をなす 点である。

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農 村に おける宗教行動と 家族的地位

表 3 家族的宗教行事 へ の 参加

係長世

長 Ⅱ叔世長長次次世長世長沢 世長 ①

Q

OO

仏壇整理

ムム

OO

A%O ムム①

00O

仏 送り 00 O O AOO

①①

盆 ・五菓 参 ①①①①②(((

lll

の②②⑧の⑧③①①のの①

@

((( @ ((( m, ①③③③①②

O

OO

OO

仏供

OO

立花とり

O

ム O

ムムムムムム 庄 0 ①

0 ① 00

岸彼春 墓 墓参

掃除

墓 掃除 00

とんど

月神仏礼拝

ムムムムムム ム

AO

八ム

O

0

正ダ 飾りひ

立花とり

111@

事 儀 しへ 城持妻女

嫡女男女男主嫡女女女主弟嫁

艮だ 次晴妻女長沢 帯妻男

昭和 32 年・度の参加 ム および ( ) 昭和 33 年度の吾 加

秋彼岸 村 墓 基 本

掃 笘

ほ 金 杉 夢 亡

O

O

O

ム C ム ム

C

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度 のそれであり、

盆 行事のうち墓参と看経に付

せられた数字は回数を示す。

まず、さまざまな地位の家族

員 が家族的宗教

行 事 に関与している。この点では前掲の社寺的宗教

る 。つまり、自律的(

あ いめいばらばら㏄

三 0 コ 。 日方)であるよりほ、同時的(家族

員が

揃って

轄 コ cr

の()

c )であること

が 、記帳された時間の符合から察せられるものが

多いのである。その意味でも、家族的宗教行事

の 語が妥当すると

えよう

次に、墓参が最もポピュラーな家族的宗教行事

であることが判明する。とくに盆には家族

鼻 で墓

参しない者はほと

んどない。しかも、盆の三日間に一人で二度も一

二度も参っている。

家 全体として、三日間毎日

誰 かが墓参するように

していることも推測される。墓参についで多く

の 参加があるのは、盆の最終日に行なわれる

仏送

りであって、一家

突い

出で鯖の池からその排水路に沿

うて仏

送りをす

るさまが察せられる。その

仏 送りが

Q.T.K

に 見られない。

Q と T

ほ 新しい分家でそれ自身の仏がないためであり、

K の場合はたまたまその年に近親が二人も入院

し 、夫婦ともに付き

添いに出かけて、仕送りどころでなかったため

である。

第三に、老人がこれらの家族的宗教行事におい

て 主導的な役割を演じていることが注目される

墓 掃除・立花と

り,メ

飾り・仏供・神棚掃除等、何れも老人に

よって担当されることが多い。また、他の家族

員 も 参加する看経にお

いて、導師的役割を果すのは老人であると考え

ろ れる。他方、参加の乏しいのは経営主や若い世

常主である。彼らは

米と蘭

草を中心とする生産活動や部落の共同の

仕事に専念し、先祖祭などは老親に委任してある

といった形になって

いる。そこで、老人は女子ども、ことに孫に手

伝わせながら、先祖祭を中心とする家族内的な

宗 数 行事を担当してい

(50) 50

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構 主な行為者の家族的地位に相違が生ずるのは

き然である。この観察結果を三つの

範 碍を通じ

て 概観すれば、部落的

柑 数行事では経営

主 と若い世帯主の参加が卓越

し 、それ以外では老人の参加が卓越する代りに

前者らの参加は逆に乏し

貴 いといえよう

0 ここに老若二世代の間に存

する関心領域の分割ないし分担が露頭を示してい

る 。このような領域分割

51 (51)

家族的地位

三結

詰 ,

以上において宗教行動を三つの 範 時に分かち、 それぞれについて主な行為者がどのような家族的 地位のものである

か 、あるいは十何年かたって老人が死ぬと、二夫 隔世帯は一夫婦世帯に転換し、老人が担当して きた宗教儀礼の 5 ち、

墓 掃除・立花とり・仏壇整理などは放棄される か 簡略化され、他方、墓参・ 仏 送り・ メ 飾りつげ などは必要欠くべ か

う ざるものとして若い世代によって継承されて いく。かくて、世帯主は家族的宗教行事により 多 くまたより深く関与

し 始める。しかし老人が健在であった時と比べ るなら、参加の家族総量は低下せざるをえない。 このことを、記帳 農

永 のなかの一夫婦世帯と二夫婦世帯との比較 か ら 推測することができるのである。

家族的宗教行事の担当者は女性であるといわれ てきた。 T などはこの通説を裏書ぎするケースで あろうが、全体と

して女性がとくに重要な役割を占めているとは 断 じ がたい。それでも仏供の調製と献進は女性の 役割のように見える

ので、もし神仏に対する平常の奉仕がほぼ仏供 に 限定されているものなら、やはり女性は重要な 役割を果していると

い わ ほ げればならないであろう。ただ、われわ れの資料は数分以内ですむさような日常的行動を 記録しえないので、

この通説を積極的に支持する手がかりに乏しいの である。

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婦 世帯が多くなっていることが、世俗化の 一推 進 要因であることも、われわれの資料から推知で きるのである。

女性の参加はとくに著しいとはいえない。老人 の 参加が全体として卓越していることと、女性の 平均余命が男性の

それより長いことを前提として推論する限り、 1 にその例を見る ょ 5 に老女の参加が抜ん出る , 」とを一般論として 承

誌 することができる。しかし、それ以上に女性 の 参加が一般に著しいとは判定しがたいのである 。もし宗教行事の日

にとられるハレの食物の調製をもってこの行事 へ の 参加とみるなら、女性の参加は当然のことな がら一段と大きい 比

重を占めることになる。もと、ハレの日の食物 の 調製も一つの宗教行動であった。けれども、 そ れを宗教行動に含め

ることは今日では広義に過ぎるので、神仏への 供物の調製のみ、ただし日常的なそれをも含めて 、宗教行動とみた。

しかるに日常的な供物調製は記帳されないため、 そのことによる過少評価を警戒しつつも、女性 の 参加がとくに著し

いといえないと結論せざるをえな い のである。

本稿での考察は、農家の生活時間記帳を基本 資 料 としているので、宗教行動を宗教的年中行事 へ の 参加という慣行

面 に限定することになった。このように宗教 行 動を儀礼遂行と規定するにせ よ 、記帳からえた 知 見 をもっと日常的な

宗教行動にかんする知見で補正しなければなら ない。いいかえれば、記帳のような長期的 準 観察 の 要所要所に面接 と

直接観察を有機的に結びっげなければならない。 本稿は能 う 限りその努力を積み重ねるところに 成立した。ただ、 部

落の生産構造や社会構成にかんする独立の節を たてることを割愛し、必要に応じて言及するに 止 めているのは、専ら

紙幅の制約を慮ったがためである。

老人はまた、家族内での宗教的しつけの主な 担 老者である。そこで老人のいない一夫婦世帯では 、宗教行動が少な

くなるばかりか、幼い世代に対する宗教的しつ けも行なわれがたくなっている。今日、都市では 別居独立による一夫(

によって 、 若い世代の営農方法に対する老いた

世代からの過度の干渉が回避されるのであろう。

52

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農村における 宗

( 4 )「月並 カソキ 」は真宗部落における「 オョリ講 」 に 酷似している。「 オョり講 」の具体例は、森岡㍉ 真 宗教団と「 家 」 制

度 L ( 創 支社、昭三七Ⅰ一二一 07

一 三一頁を参照せよ

( 5 )岡田 謙 ・神谷慶治共編コ日本農業機械化の分析 し 、 創 支社、昭三五。

( 6 )森岡「ブドウ 作 農村における老人と信仰」日日本

老年医学会雑誌 ヒ 一巻別冊(昭三九Ⅹ

一 三六 @

一 二

啓一「出羽三山信仰と老年層」 コ 人類科学 L 一一(昭三 四 Ⅰ五一 Z 五九頁。

数 行動と家族的地位

付表 1 経営階級別

て 008

624

2

フ " "-

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元 よ 7 ) のほ 省 か

略 に

し 葬 年 忌

O

脱 参

稿、

九 ず

補 家

筆、 族 的

九 古本

@ 打 事

筆 ) 切

(54) 54

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一般に人間は同一の対象を見て居ても、その印象 は 夫々の観察者に依り異なるものである。此の 傾向は実践哲学の

領域に於て殊に顕著である。経典の解釈に際し ても、単なる表面的な文字解釈としてでは無く 、 その本質を如何に 把

利揖 するかと云 う 事になると、各々の註疏者の 主観が多分に混入して乗る。それ故、経典の客 観 約説明

抑と 宗教の

お領域に於て其の様なものが成立し得るかどう か 甚だ疑問であるがという よ りは、逆に 、 其の註釈の中に自己の宗

蝿教 体験に基づく思想を投影して居ると云える 。宗教の究極的境地に至る道は無数にあると 思 われるので、一概匹夫々

の 解釈の正否を問 う 必要は無いが、同一経典に 対する異なる把握の仕方の因って来たる根源を追 及 する事に依り、 却 55 (55)

八席Ⅴ

?

目次Ⅰ

同室 窟ヒ との対比より見た孝太子義疏 L の特色

諸師 との対比より見た「善導流」の特色

「太子義疏 日コ 善導 琉 b に見られる夫人観の特徴及び その意味

「 勝實と章提希 」

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八 註疏者に就いてⅤ

1.

太子は「和国の教主」と云われ、善導は「

独明仏 正意」と讃嘆される如く、両者は共に極め て 主体的な思想を以

て 鳴る一流の仏教者であり、生存中のみならず、 後世への影響も非常に大なるものがある。

( 6 )

三部経 中 最も多くの註疏を有し、浄土教思想 発 康史上に於て頗る重要な立場にある。

2. 経の発端に於て順縁、逆縁の相違があり、

難易の配列が互いに逆になって居るとは云え 、

公 になって居る。

3. その主人公は、形式上は一国の王妃として 描写されて居るが、その個人的事情を超えて、

衆生に通ずる問題が扱われて居る。

共に王宮の女性が主人

実際には全女性、凡て

( 5 )

1. 両経 共に広く人口に 檜象 した経典である。「 勝蔓経 」の諸経典中に於ける位置は極めて高く 、 又 「観経」も浄土

入観と善導の葦 提希 夫人観は後者に相当すると 一 ム い得る。従って筆者は、嘉祥との対比より得た 太子

特色と、 講 師との対比より見た善導の葦 提 帝大 入観との二重の比較を試みた訳である。それは、 夫々

する為である。 尚 、数ある経典中から特に此の 一 一 経の義疏を取出し、且つ焦点を太子、善導の夫 入観

は 筆者なりの理由がある。大雑把に列挙して 見 ると次の如くである。

八 註疏の対象となって居る経典に就いてⅤ

0 勝豊夫人観の

の特色を明確に

に限定したのに

( 2 )

記 二つの視点より眺めると極めて興味深い。「 勝 費経 」に対する 聖

( 4 寸 )

徳 太子と

禅の見方、(

3 )及び「観経」に対する

善 尊

と浮影、嘉祥、天台の見方は前者の場合であり 、ヌ 、太子の勝 婁夫

る っ

姿 て 勢

明確化 々ある。

事 ワ @ - な る

他 方、

旦、 , な る

経 典 の

義 疏 で ・

あ て

も、

解 釈 の

基 本 的 熊 度

に相

通 ず

) 56

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「 勝 糞と 章 堤君」

然し 、 此の両疏の註釈態度には、基本的に相通 ずるものが見られる。

は 上の諸点から見て 、 此の両 疏に 現われた夫人 像を比較検討する事は、充分に意義ある事だと 云 い 得る。

尚 、「観経」の サソ スクリット原典は現存しな いが「 勝等経 」には梵文の断片とチベット訳が 残 って居る。然し 、

太子の義疏は漢訳が基になって居る事は明白で あり、且つ、本論は義疏の方に重点を置いた 考 察 であるから、それ等

は 参照せぬ事にした。

八註 Ⅴ

1. 勝豊 8% ヨり雨 ( 昔 )月利摩羅)夫人は舎御国の

波 斯 医王 と 末利夫人の娘にして、

阿楡闇 国友 称 王の妃であ るとされて居るが、 57 (57)

( 8 )

1, 従来、勝 睾 ・ 葦提希 両夫人を対比した例は 見当らず、まして太子と善導の義疏の比較研究も 為されて居ない。

大法師と云われる浮影、天台、嘉祥 等 の講師 の それとの間には際立った相違がある。

2.

太子の義疏は慧慈に依って朝鮮に、誠明、

得清 等に依り中国に紹介され、唐の明空は之

し 、「義疏 私妙 」六巻を著わした。善導流の未詳 は 、支那に於ては見るべき成果は殆んど 無

後の宗学者に依る六十余 種 の 末註 がある。 之等 は 雨疏の独創性及びその影響力の大なる事を

八具 他 Ⅴ

に 更に註を加えて漢訳

いが、我国では法然 以

物語るものである。

( 7 )

1. 「藤蔓 経 」と「観経」には共に多くの コメソ タリ ーがあり、就中、太子の疏と嘉祥の疏、 垂 自尊の 疏と 所謂 惰 の 三

2. 両者共に難解な理論の操作よりも、仏道の 実践に重点を置いて居る。

3. 在家と出家、日本と支那と云う国の相違は あるが、太子( 五セ四 2 六二二)と善導(六一二 一 ! 六八一

7.

ほぼ同時代の人である。

八 註疏に就いてⅤ

も よ

共 Ⅴ "" """

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8 7 2 4 3

隔ゴ疏

両 経 本 質 的 対

此 無 が ィム

。 言詞 切の中 、題に 道 間 を

は 一 と 題 早 き

にし 島ア ・ 卜 ら ぬ 偽が 作浄 て居 紀野 事 説影 訳 る

(58) 58

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「 勝襄と章提希 」

一 ま 「 ヰブ - 事 対 仰 を 望

徳人 する 椎体 信じ 嘉 世 て 子 そ 際 経 し に 」 一は 人 暉 世間 生 の出 を以 は生 て は に

0 世 て 宛宛 大 昔 れ 疏 、 単 は

そ な 其 れ る の は 大 経 例 人 頭 え 一 の 以 。 る 勝 ば 大 永

監 庶生に丈 千 本 。 雙 流 の す

降 人 ぬく の 応 北天 通分に 問題を ( ) 、 ェ

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さ れ " は 女 " 意 数応あ る 姿

異形 ) に じ る Ⅴ ァ ヒ

止 口 を 同 受 な入 りする o )。 物の て 太 は、黙 ま

昔 け 願為念 ら 事 にそ た わ に し ず 任蔽居

の む 現 怯 以 実 輯局 て の

我 さ を 「 凡

宰我・ る れ無 ・季 子

鞍 下 ケ @ ヒ の極謁 さ 見女 ・ か 近

毛臣 る人 事な。 ・ す 存 居 て る あ りと雄 を得し 舌口は 、 -@ ころ る あ 処 と る あ 云 あ

59 (59)

1. ㍉ 宝窟 しとの対比より見た 司 太子義疏 ヒの 特色

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「 仏 世尊は現前に証 卸 すと雄も 、 而も諸の衆生は

善根微弱にして、

或ま ひ 疑網を起さん。」

-l

)Ⅰ

るかと云えば、決してそうでは無い。けれども、 十 の 大 受は極めて受持し難きものであるから、

と 自答して居られる。無智なる女人であるから その志も低く 、 従ってその結果得る処のものも 深 遠 ならざるものであ

「是を以て第三に誓を立て、疑を断じ、以て其の

受を成ず。」(

0 l

と く ・ の と 態 と

他方、太子は第二の十大受章で、

見方との間には隔りがあると云えよ う 。

度の違いに由来するものと思われる。嘉祥 は他

大同小異であるが、厳密に見て行くと、両者の

して天人を一般の「愚人」とは区別して居り、

「受戒既に寛りぬれば、即ち大衆疑 う らく、 勝豊

「 又 、勝 蔓は是 、聡慧の人、凡そ得る処の事、審

の 箇処に於ても此の句を引用し 、

解釈には微妙な相違があり、実はそれが後に触れ

現実の我々との親近感と云 う 点で、「無智の女人

りて之を詳かにす。愚人の遇えば 便ち 信愛 す

は既に女人為れば、志す所は応に弱かるべし。・・・・・・・・

,, ・

( ハ Ⅰ)

るに同じからず ( ご 8 )

」と受止めた太子

而るに、今其の受

る 様に、根本的な

る 所は甚だ重くして且つ遠し 、 恐らくは将に口 ぅ ところ実に当らざらんかと。」

自ら問を設け、

0 とほ聡慧 ろ事 字 を第 不二 利 ・説 根 ・ に

易 歎ず 。 悟 。

句 が ち ・令正

し る

る聴 芋 , 之に

を % リ

も、

大 乗 法 を 恵 和

器 已て

目パ

(60) 60

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「 勝實と 章提希 」

一 浄名」の天女弁じて芽子を屈する如きは、旧に多く 尾入 地

の 法身なりと云えり。今、勝 婁 の 盛 説は此に 塊 じず。

-5 )

る 、 是八 地の法身なる事を。

・・・・

今、勝質は既に是法身の大士、感に随って形を現じ 、

滴っ て 教えを 演ぶ

。(

6 l )

勝 豊の本は是不可思議なり。但し 、

-a )

61 (61)

次に勝質の住を論ず。有人言 く 。「(十) 地経 」

此経の義に依るに、十地 己 前を色身とし、八地已上を 法身と

為 ずと。則ち、 勝 基は応に是尺地已上の法身なるべし 。 又 、

の玉のみもとに生まれて孝養の道を尽し、中ごろは 則

闇の友称の夫人と為りて三従の礼を顕わし、終にはⅢ ち 影響

の釈迦と共に 摩詞荷之 迫を弘む。(

7 1

夫れ 道は孤 り 運ばず、之を弘むるは人に由る。斯に 乃 ち法夫 れ勝範は本は是不可思議なり。何ぞ知らん 如来の分身、

身の大士、質を女形に託し、迦を後宮に隠し、光を和 らげて或は是 法 雲の大士なりと云う事を。但し 、遠 く楡 闇の機宜を

照 すに、皮質を以て化を為す。所以に 、 初めに は 則ち 吉衛 国

との心配がある。そこで「南宋天花。

出妙声 二日ロ」

に 依り、

「 声 あれば必ず言あるが故に 、 声を以て言は虚に 非ずと証し、 花 あれば必ず実あるが故に 、 花を 以て行

(は)

りと証せり。」

と 註釈されて、その分際の如何に不 拘 、願 いの 如くなる事を力説されたのである。嘉祥は此の点 に 就いて

字解釈に止まって居り、少し前の箇処に於て 、 受戒が単に一時的なものでは無く 、 永く持続する ものであ

のみである。(

1 3 )

では 、何故に斯様なニュアンスの相違が生じた の た ろ うか 。それを知る為には、両者の勝豊夫人 に 対す

の 側面を見落してほならない。詰り、

雨 疏共に 夫人に関して二重の見解を持って居るのである。

は 必ず 果あ

は 簡単な文

ると述べる

るもう一つ

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之は 夫人に対する両者の基本的態度を示すもの と 云え よう 。太子に依れば、此の経に関する限り 、夫人を実在の一女

性 と解すべきであるが、元来は如来の分身であ り 、 法 雲の大士である。一言にして云えば「本足 不可思議。 但述在セ

地 」と云 う 事になる。之をも う 少し具体的に 云 ぅと 以下の如くである。 十 大受章の最後の「経本 忘失摂受正法」の 箇

処に、

「既に摂受正法と云えば 是八地 以上の行なり、 故 に他 分行と云 う 。今、勝肇は述は セ 地に在り、 而るに本志 と 云う

は 、 但 尺地以上を得んと 願 5 が故に、正法を摂 愛 するのか暫くも 政 て忘れざるにて 、 自ら得たる を 而も忘れずと 言

ハ 9 @@

う には 非 ぎる 也 。」

とある。彼女は セ 地の菩薩であるから、八地 以 上 の 待 たる摂受正法を現実には実行し得ない。 又 出来る力が無 い 訳で

ある。然し彼女はそれを 得 んと願 う から、此の 心を暫くも捨てずとの誓を立てたのだと太子は受 取って居られる。 裏

から云えば、「不忠」とあるのは彼女が実際には セ 地の菩薩として扱われて居る事の証拠であっ て 、「自得両下 志 しの

意味では無い。要するに、本地は如来の分身、 法 雲の大士であるが、此の経は セ 地の菩薩たる 勝 豊の立場から説かれ

たものだと云 う のが太子の見解である。

他方、嘉祥の場合であるが、彼女の本地に就 い ては太子と同様「大士」と見放して居る。然し 乍ら 、 彼は「十地

経 」に基づいて「 セ 地目前 為 色身」と判じ、 夫 人の垂 述 に就いては「 則勝婁応是 八把已上法身」 と 釈するのであるか

ら 、太子の「 但述 存セ 地 」との間には大きな 開 ぎがある。嘉祥は発起 序に 於て 、

「 又 、我は以て其の肉身を生ず、復仇なして其の

」)

と 註釈して居るが、之は父王との血縁関係を示し たまでであって、「色身」と同義では無い。「 法 鼻熊 レ像 。 物 康則 形 。

冥権無レ謀 。 動 @W

一 。 事 ムス」(

2

上 )。

であるから、

勝蔓は実 在 の人物では無く、無縁なる法身が衆生を済度 せんが為に 、 仮に肉

(52) 62

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と 。一方、 セ地 以下の欲たる「 三 欲しの方は摂 受 正法、大乗、波羅蜜の三行を得んと「願 う 」 心 であり、 行 そのもの

では無い。十人受の最後に夫人が「摂受正法 終 不忘失」と誓うのも、彼女が セ 地に在って実際に は 之を実行して 居な

い からである。それ故に八地以上を得んと欲す るのである。 セ地 と八 % と 云えば形の上では単な る 一段階の差である

和が、その内容には右に述べた如く「 欲 」と 「 行 」と云う大なる差異がある。従って、夫人の 発した三大願に就いて 太

蛾 子は 、

り 。而るに請願を摂受すと云 うは 、 此 、 但 往前 の 請願を取るのみ。 八 地域

上の願を兼ぬるには 非 ざるなり。」

63 (63)

@ 生穏 )

波羅蜜とは、皆人 地 以上に在りて明かす事を為 すなり。」

鼻 があるかの如くに出現したに過ぎないと主張 する。確かに「霊窟」の説は、従来の経文解釈 の 一般的傾向からすれ

ば 穏当なものと云え よう 。然し太子にして見れ ば 、嘉祥の如く本地を大士と見、述に関しても 尺地の法身と解して て

( 羽 )

っ たのでは、夫人は我々とは全く縁遠い存在とな り 、一体何の為 に 「 託質 な形。 隠述 後宮。」 し たのか理解に苦しむ

訳 である。太子の「 但遠照輸闇 亡機宜。 以 文質 ゐ化」(

り 。)羽とは観念的な世界に於てでは無く、

飽迄 も 夫人を歴史上の実

在 人物として把握された結果であり、極めて 人 間 的で此の経の読者に親しみを起させる。これは 救済の対象を、一般

( 4 つ 4 )

の 凡夫に 迄 広げて来られたとも解し得る。尤も 、 「 智 鹿論」に依れば「大地鶏肉身。 セ地 已上 為 法身。」であるから、

セ 地でも法身と見 倣す事は 可能な筈であるが、 太 子は セ地 と八地の間には厳然たる区別をして 居 られる。

「三行とは 是八地 以上の行、三 欲 とほ 請 く セ地以 還 の 欲 なり。三行とは一匹は摂受正法の行、二 には大乗の行 、

三 にほ波羅蜜の行なり。宅地以還も大乗ならざ るには 非 ざれども、但し大( 乗 )の 義未 だ 顕 わな らず。

セ地

は還も亦万行を修すれども、但し一念の中に斉・・・・・・・・

しき 事 能わず。故に 亦 摂受の名を得ざるなり、 所 はに 摂受と大乗 と

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と 上 に け 生 ょ と と

述べ、八地以上しかその名に値しないと繰返し 強 調 される。若し セ地 以下をも並べ取って 、 以て

摂受正法と為せば、

「 那ぞ 、菩薩所有の恒沙の諸 願は 、一切首一の 人 願の中に入るを所謂摂受正法なり、

と云 5 事を 得 んや。言 う 所の

- ㏄)

自分と他 分 とは、此を以て弁ずる事を為すなり。

断じて居られる。太子に於ける セ地 と八地の 区 分は誠に徹底して居る。些か 煩隙 になるが、主な ものを列挙して 見

う 。 八地 以上の摂受正法は「能く衆生の貧 大な蔭 覆し、・・・・・・衆生の垢

異な洗蕩し、

能く五乗 の中早合

か Ⅰ 」(

生 , ク

Ⅰ @ ) ドし 、「曲木

(㏄)

を荷負する」(

2 3

) 喜重槽の比に 云 5 が如く、衆生の 為

に 繭蔵 となるが故に「衆生 宝 」と云 う 。 セ 地域 下は禾だ 変易を受

( 5 コ 3 )

( 4 甘り

ず 、又、分段とも名づ け ぬが、八地以上は「 阿 羅漢群友佑」と 名,つ げ「皆是を変易の生死」と 為 す 。 又 、その理由

( 二 3 U )

就いて如来蔵章に於て次の如く云う。即ち 、変 易 、分段の生死を照 し 得るのは「無為の人」であ るが、之は八地域

-7

Ⅰ り )

0 人にのみ名づけるが故に セ地 以下とは区別すべ ぎであると。二乗及び土地 は 互有と称するが、 大地以上は「 五無 」

(。。)

Ⅰ り

名 づける。最後の如来真子 章 には「 八地 以上は 是 、大乗 道 にして、肩と 順 との二恩 は是 、大乗の 因 なり。」とある。

( ハ 2 Ⅰ)

一念に傭に修するに 形 ぶるが故に…・・・」

「摂受正法とは、

謂く 八地以上の萬行の中の一行 なり。セ地以還も亦能く身命を捨つれ ど も 、 但 尺地以上の

を ・ 法 と 備 「 結 得 ・ と 云 に 一 は れた すべ ず 。」( 2 ) 7 称 うな 万行 往摂

り を 受 の

ナ ・ @ -

に ㌔ ・ ざ ・初物

(64) 64

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ヌ 、宅地以前を色身、八地以上を法身と見 倣す 点でも両者の見解は一致して居る。更に 、 経の趣 旨から見て、註疏者

が 一様に摂受正法を強調するのも至極当然である 。その場合、「 宝窟 」の如く夫人を八地の法身 と 為すのであれば間

題は無いが、太子は彼女を セ 地の菩薩と判断し て 居られる。即ち、摂受正法こそが其の意味に 於 げる大乗の実践であ

り 、それに比して セ 地道の 行は 一段と低い行で あり、大乗の意義が充分で無い事を認めつつも、 嘉 禅の様に夫人を権

化の聖者とし、摂受正法 章 以前の十人愛、三大 願 等の章を方便の行又は因 門と 為す事無く、左筆 を 「自分の行」とし

て 把握されたのである。そして夫人を七 地 に位 置 づける事に依って、程度の高い、困難な実践 よりも、我々に身近

な、 且 つ 実行可能な修行法を明示されたのだと 思 う 。冒頭に触れた如き夫人に対する叙述の微妙 な二ュ 7 ノンス ハり相ぬ帝痒

ねは、 実は右の様な基本的な態度の違いに 由 来して居たのである。「 勝蔓経 」と云えば、直ち に 如来蔵思想のみが問題

Ⅴされ 力 ちであるが、同時に十人愛、三大願 章の 持つ重要性をも見落してはなるまし( 1 )㏄。

章こ

もの」から離れて存在する程、気高い光を放っ ものである。然し 、 斯く

離れた理想と現実の間に如何にして橋渡しをす るかと云 う 方法の問題を抜ぎにしては、理想は単 なる画餅に終って 子 65 (65)

と を 間

。 ) す名

る づ

す是 目 { q@.@ 、 ⅡⅠ 1 十ん さ

は 間行 合 な 正

名演 づ受 てて 果 ・ 、 ドナ理

其 第 の 二 地佳 の の 分 二 ざ 7%. ヱノ 故 力 ,

l こ 四 l f Ⅰ

と /,t 天 地

。 ) 上 丁 @ Ⅰ - ・

l 一 ⅡⅡⅡ

太子は斯く迄 執勒にセ地 と八地の間を区別され るのであるが、その意図は奈辺に存するのであろ

それは当然、夫人色身 説 、更には「 勝蔓経 」 所 説の対象の問題と関係して来る。此の経の前王

早の区分の仕方は

禅 、太子何れの場合にも第四の摂受正法

章 が分 岐 点となって居る。

五来の三章は 、 並に 是 、 地 前の菩薩が興す所の行

願 、世

今 初の三章は セ 地の行モ明かすがルト・

@ 口 竹村と云う

セ弄

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2. 「 勝豊経 」洋弓ト ドっ ・ 0 目下

3. 嘉祥大師吉蔵 撰 「 勝豊宝窟 」番上汁田ま・ ゃに 下 @ 、し

4. 聖徳皇太子御製昭和会本「 勝豊 経義疏」法隆寺 蔵版(以下「大子義疏しと略す)正丁石

民 ・ 還 皆 ・入木

。 内 訳

師 三一 勝豊 友 称 「 釈 子

藪巴

片目 歳 已上。 ト 以 や い

夫ま 乗 卜

友 大

王 。

亦 大 乗

諸 男 子 七 歳 上

国 人 ・

太子が勝豊夫人を凡夫と秋されたのは、実は自 身の事であり、その凡夫なる自覚は厳しい修行と 自己反省の結果と

して得られたものであろう。筆者は太子の仏教 理解に於ける此の現実性が勝 蔓 夫人 像 に投影され 、独特の夫人観を生

ぜ しめたのだと思 う のである。

八註 Ⅴ

( 伍 )

夫 にとって最高度にして且つ単純なる仏道実践 であると解されたのであろう。

れば理解の如何に不 拘 、実行可能である。そし てその 善 とは、「 一 称の南無 ビ でも良いのである 。否、それこそが 凡

事 になると、難解な理論の習熟よりも善の実践

@ 」そが根木仁な㍉・Ⅹ。(

4 )理解となればそれの不可能な

者 もあるが、善であ

ある であ @O

地の にし れた 誠心 の立 嘉祥 八

か 在 評価に 愚 て 処 に 非望 場から に於て

見られ であっ ると思 彼 必非 仏教を も同様

を な理 処は 、 」 耳 る 良 に に 遠 こ

れ身 (66) 66

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「 勝妾と章提希 」

5 .

「 宝窟 」沖田 の Ⅱ D.o 弔

6. 同右 、片田安・ワ目下

7. 「太子義疏し四丁石

8. 「 宝窟 」片田 び ~・ ロ ・) ぃレ

9. 「太子義疏」九丁 左

Ⅲ・国吉

Ⅱ・「 勝豊経 」沖田 トダロ ・ めミ の

は ・「太子義疏」十四丁石

は ・「官官」片目ま・ づ ・ お下

ス 恐物詣 勝豊是 深宮 之女 。一時 車

u.

国吉、片田ま・

Q.o 巾

ち ・ 同右 、井田ま・ ロ ・の や

托 ・ 同右 、片田 ま ・ ロ ・かい

Ⅱ・「太子義疏」一丁石

㎎・阿古、五丁 左

㎎・国方、十三丁 右

M .

「宝冠」片田

ひ ~・

b.

き 。

ね ・国方、 汁 円安・ づ ・かし l の

%. 同右 、沖田器・ せ ・ の し

ハ ・「太子義疏」一丁 右

% . 「 宝窟 」井目 びづ ・ づ ・ びや

お ・「太子講 琉 」十三丁石 尚 、

笏 ・・国有、十五丁石

折 ,国吉、十五丁 左

㎡三十丁石

f 波 猛 左 羅 能

蜜 受 ノヘ

地 禾 -

上 始

属 常

す 持 事 是

十 五

T 能

右 持

貝 『

触 受 也 居

67 (6 の

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「観経」はその名の示す如く、浄土を観ずる方法

を 指示した経典である。そして、地論宗の学匠

浮彫 寿 き ぼ 胚が「 観

蝸 ・玉城 康 四郎「太子仏教の特質」

2. 講 師との対比より見た

聖徳太子研究 づ b. 年 @ 品

「善導流しの特色

あ ,阿古、二十四丁 左

乃 ・何方、二十八丁 右

㏄・国有、十五丁 左

㎝・国吉、十八丁 左 f 十九丁 右

㏄・阿古、二十 丁左 z 二十二丁 左

㏄・阿古、二十二丁 左 ! 二十三丁 石

綴 ・ 同右 、三十六丁 左

㏄・阿古、三十七丁石

㏄・阿古、五十五丁 左 ! 五十六丁 右

甜 ・国有、五十六丁 右 ! 左

駆 ・ 同右 、六十九丁 左

㏄・「 宝窟 」沖田のべ・ ロ ・まし・

如 ・「太子義疏」五丁 左 ? 六丁石

蛆 ・平川

彰 「 勝重 経義疏より見た十大麦三大願 と如 来蔵 」

勝圏 経義疏論集 毛 ・㏄ @P ) ト

蛇 ・「太子義疏二十四丁 左

㎎・阿古、九丁 左

何 ,阿古、二十九丁 右 ! 三十下方

解是乗

Ⅰ・・・・・・・・・・,

2 本。首足 乗 二木。 今就レ 木蔦 レ乗 不二以 レ本為 乗 。何列道石二通・不通一。 若以レ解為レ乗 。副乗客 不レ広 。善郎乃至一杯

南無 無レ非 ニ足善一。

(68) 68

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一 為す 也 。

- 勝 賈と章提

之観 ・

を ィム, 挙 る

ぐ ・ T ) 主

為す

こ、 @

小一 掃

偏に観無量寿 と 名づくるや。

故に、心地拭を伸するを以て

能く浄土を朋ずるを経の宗と

( 7 )

希 」

以 ・ べ第

三こ て宗 し 。 @

息 ・ 笘浄

す 。 Ⅱ 此経 く 軽め 影 観 4 ム・ ・ 趣 宗 何三 ・ を 故昧 ・ 知 に を・ る 小 を 此 を 体経 以 と は 貝 U 士 不 ・

ち ; と : 浄 実 ,を 木目

69

為 す)に ? 物 因 ・ 往 生 を 勧 左 小小

し 為す。 亦 ( ) 9 、 、 今 ,@ ニ @ 佑一 を て 田本

第三に宗の体を弁 ず 。宗を以

て 体と為し、体を以て宗と 為

す 。 宗 、体異 り 無し。

三に 宗旨の不同、教の大小を

弁 釈すとは…・・・・・・今、

止 観経

は 即ち観仏 三 珪を以て宗と 為

弄 -

岳丈 口

無量寿経義疏」二巻を著わして以来、現在 迄に 凡そ百五十部に上る

も 浮影以外に三論(嘉祥)、天台( 智顎 )、浄土 ( 道紳 、 迦曳 ) 等、

各々の受取り方は必ずしも一様では無いが、 之 等を善導のそれと 比

具体的にその異なる

と 思う。

として描かれて 居

なると共に、装飾的伝説も相当数混入したと 思 われるが、兎に角、

た 浄土の変相は三百 鋪に 及んだと云い、又、目 を 挙げて女人を見る

さなかったとの伝えは、善導を知る上で重要な 手懸りとなるもので

生者としての彼のすがたは、彼自身の聖道門的 修行とは余りにも 対

彼の章 提希 夫人観を知る為に 、 先ず「観経」の 本質に就いての 見

へ @ Ⅰ)

註釈 書 のある事は前掲の如くである。善導以前 ケ @ " 一

種々の立場からの解説が試みられて居る。註疏 者

べて見ると、以上の諸 師 との間には著しい相違 が、

点を例示し、その背後にある意図を探って見ょ ふソ

る 。勿論、後代に至って彼に関する記述が 許 し

平生常に乞食し、阿弥陀経を写す 事数 万巻、 描

事無く 、 心に名利の念を絶ち、

ロに 綺語戯笑を 為

あろう。然し、「観経」の註釈に見られる浄土 願

照 的である。

解 をまとめて見よう。

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ち -4

i 念仏三昧を具足

) 、 ・

日立。

メり

する事を

一切仏を見るに由るが故に即 無量寿仏を称し、十念に至る

とは、善心 柑続 して、十念に

至る。或は一念成就して、即

ち往生を得。念仏は罪障を除

滅するを以ての故に 、 即ち 忠

( 5 l Ⅰ )

仏を以て 隣縁と 為す 也 。

念仏三昧に二種あり。

一は 通、

ニは 別なり。但し 、 仏を念ず

るを以て、 別 念仏三昧 と 名づ

く。仏国土の樹木を念じ、乃

至、仏を念ずる等は依正を通

念 すれば通念仏三昧 と 名づく

- 公 l u )

る也 。

何を以てか、仏光普く照らす

に、

唯 念仏者のみを 摂 ずや。

何か 意 有るや。・・・・・・…衆生行

を起して、口に常に仏を称す

れば、 仏 即ち之を聞く。

衆生称念すれば、即ち多劫

の 罪を除く。

ス 、此経

「正しく念仏三昧の功能超絶して、実性雑善にて 比類と為す事を得るに 非 ざるを 顕 わす。

上 来、定散市門立

-@

㎏)

益を説くと雄も 、 仏の木 願に 望むれば、意は衆 主 なして、一向に専ら弥陀の仏名を称せしむるに 在り。」

とある如く、結局は口称念仏を強調するのであ る 。此の事は必然的に「念仏」又は「念仏三昧」 の 意味内容の相違 と

なって現われて乗る。

(Ⅱ

イ )

「此経の定散の文中に、 唯 、専ら名号を念じて 生 ずる事を得るを標す。」

して見ると講師 に 於ける「観経」の本質は観仏 一 二床に在るわけである。此経の下三品には、口称 念仏なる語が出て来

( 1 l )

るが、十六観全体を定書 観 であると 見倣す講 師 に 於ては、それは 定 善の人の境地の一種であると 云 う 。それに対して

善導は、観仏と念仏を区別し、一緒南宗である と 云い乍らも、

(ⅡⅡ

に 非ず。 乃ち、 仏の生身を念ず。何となれば、

正 しく如来の相好光明等を観ずるが故地。」

(70) 70

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善導は「観経」の原文に

( れ )

仏骨二章 提挙 。 汝是 凡夫心想 南劣 。 禾 。 得 ,天眼 - 。

% とあるのに注目して「夫人足 凡 非 望 」と断じ 、聖人では無いからこそ仏力を求めるのだと 云 ぅ 。彼は更に続けて、

「 此

、如来、夫人は 是聖 にして凡に非ずと言いて疑い な 起すに由る が 故に 、 即ち自ら怯弱を

r

生じて、然るに 葦 提は現に是菩薩なり、仮に 凡 身を示す、我等罪人地皮するに由無し、と云わん 事を恐るなり。 此 7t く 71)

章 提 天 人 実 ま |

大 ・

Ⅱ 圭 " 戸 ・

( なり。 ) 8 i

卑提

宇、

ノ ー ㌧ 9" ) 玉 ) つ 』 @

い栢 ( ) 当

す 筒 見 当 な

に ・ 正 j ト ・ @ こ

す ・ 、 。 節夫 ) 人

は 是 下し . 4 こ し ・

て ・

聖 ・

浮彫 扱、 反 践たる 善導は の立場 る」事

期 ロ 研 か で び 基 弘 親 し と の 本 の 仏 た 三 場

で、 彼 等 はて「 「観経」立場を 金一の 1 の

葦提

希 夫

二 見・ 其他 、

" ロ @ 造

10 参

ノい @@ 。 -@-

Ⅴ こ 観ず な実 拘 、 」 宗

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地 薄

無影 生 、

天台は なりと

失 例

に 挙げ 入を几

夫 て、

姦夫

々彼女 判 ると

の得 起 し た 忍 韮 の

位 申導は なセ

を又

菩薩 は初 修 地 打 切

に 五 往 の

十 紀

一し 階て

位申 、居る。 十 嘉 信 禅 位 も

の 無 ヌ " 生 セ

慧心、理を安ずるを無生忍 と

名づく。忍は具して 五 あり。

「仁王経」に説くが如し。

は是 、 伏忍 。………四は無生

。七八九地なり。五は寂滅

忍 。今、無生と云うは

( 4 2 )

是 第四門なり。

なり。

即ち無生忍を得。

是 、

任初地なり。「仁王経」に

五 忍を説く。 一は伏、ニは 信、

地 ・ 無 無 ・ 生 ・

知る べ し 父老 0 ) @c

此 是 ゼ ・

問う、比定句 地 を無生と為す

耶 。「解して表く。比定 セ地

…… @ 妓の喜びに因るが故に

即ち無生忍を得。小暮 忍 と客

つけ、不情 思と 名づけ、不信

忍と 名づく。……… 此 、多く

は是 、十億 中 の 忍 なり。解行

已上の忍には 非 ざる 也 -7

。 2 )

「 此 、夫人既に自ら障り深くして宿因を識らず。 令兄害を被る。 是 、横に来ると謂い、願わくば 仏の慈悲、 我

( りの

路を示したまえということを明かす。」

と 述べる。若し、夫人を諸師の如く高く評価す れば、聖者が浄土往生を願 う 結果となり、その 様 な 事は道理上 殆

あり得ぬ許りか、「観経」の説法が凡夫から遠く 隔った 処へ 行って了う 事 二 % う 迄も無い。

夫人が凡夫であるか、それとも聖者であるかと 一 ムう 問題は、その 得益 たる無生忍位の判定の柑 違 となって 現わ

居る。

に 佳

んど

れて

( 羽 )

の 疑いを断ぜんが為の故に 、 汝は是凡夫と 云 5 車 を 明かす ピ

と 付加えて居る。右の如 き 誤解をせぬ様に原文 の 「心想 扁劣 」の語があるのに、講師の如く「 章 提 夫人実大菩薩。 此

会期待無生法忍。」と解したのでは経の文意に適 わなくなると考える。故に、善導は厭昔縁の 釈 に 際しても、

(72) 72

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浮影以外の場合には「観経」中に於て、夫人が

廓然と大悟して無生忍を得た時期に就いて、明確

には触れて居ない。

そこで、一応原文の前後関係から判断して、正ゐ

本分から流通分への移行箇処を挙げて見た。然し

、 此の問題に関して

講 師が取立てて言及して居ないと云

う 事が 、実 は 一つの態度を示すものである。「観経」下々

品 の後には「 説 果鋭 叩時 」

とあるので、この「 是 」は叙述の前後関係から して、十六観全部を聞き終った時、即ち、

講 師、 善導共に一致して 正

利宗分の終り 迄 、と解するのが自然であり、 そ の 意味では態々 、断 わる必要は無いのである。 然るに善導は、「 説是語

のに注目し、夫人の得 忍は第セ 華座観の始めに、 仏力に依り一仏 二 菩薩を

購 見た時に成就したのであるが、実はその

得 益は正宗 分 が終った後に記されて居るのだと主張(

, 3

する。すな ね ち、

仏骨 ニ 阿難波 葦提希 - 。当ま 云何観 手無量寿 仁政二菩薩 - 。

73 (73)

忍 であると為して居る。

得 忍の位に関連して、 葦提希が 「観経」の何処 で 無生忍を得たかと云 う 問題になると、 韮 Ⅰ導の意 図 が解釈の上に一

層 明確に現われて乗る。

七 % 広く三種浄業十六玉観を第二に、利益の中に二 有り。「調定詰侍」の下の正説の中

章提 の 得思 は 出でて第七 観の

教う 。下に説益を明かす。

初めに夫人の道 悟 撫生 を 明かに就いて二と為す。第一は神初めに在り。

仏身及び

は 別して 三 あり。 一は章提及す 。二に侍女の発心を 明か通の輪、父王を利益す。第二二菩薩を見る 事を得て 、 心に

び ( 興 )五百の侍女極楽 国 の - @

尹 -0

3 。第三こ流通もが

ヮ ニ あり。は説法の輪、夫人を利益す。歓喜を生じ、

未曾有なりと 歎

仏及び菩薩を見て、無生忍を

正 説を覚る。

じて、廓然として大悟 して、

の六段は第三に流通なり。( 3

1 ) 無生忍を得。 是 、 光台

得 。

此 ・正宗 あ - 覚る。

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事 , l, を j 明 ' , す ⑬ ;

。 )

上 「日 親 ・ 一 より 下 「雑想 観 」

に 至る 已来は、 総じて世尊、

前 の 章 捉の第四の請に教我尽

桂二 % レ 二瓦える前句 て醤 えし

す ㊥ 潅 起

し、

説 り Ⅰ

て 正

受 と

し 散 羊口

但の " 文 是は 4 ム ・ 都 の ・ べ 自 ・ て する なり。⑧) 処

思惟正堂の市門を分別す。一

に 定散を分別す。下の三浄業

は散心の思量にして、名づけ

て思惟と云う。十六の正観の

説は、玉堂 と 為す。第二に 、

彼の十六観中に就いて義に随

って分別するに、初めの

二 想

の 観は名づけて思惟 と日う 。

ぬ額 已 後の十四種観は定に依

此経

( 肪 )

{ 。

は正

に章提 希の為に説 思惟正党とは、三種の浄業は

之、散心の思量にして名づけ

て 思惟 と 日い、十六の正 親の

( W )

説は正 堂と名づく。

、 )

( 栢当 する箇処は見当らな

なり。・・・・・・…問うて日く。 定

善の中に何の差別か有る。出

でて何れの文にか在る。答え

て日く。何れの文に出ずと

は、経に教 我 思惟、教戒玉堂

と言う、即ち其の文なり。差

別と云うは、即ち二義有り。

一には思惟と謂い、二には

堂と謂うなり。三諸有

りと雄も、唯是定 書 のみ。 ス、

定書の一門は葦提の請を致

し 、

散善 の一門は是仏の自説

( 4 接イ

の 句は諸 師に 於て、第七 ! 十六観に至る十の観 法への導入部であると見放されて居る。此の得 忍 ぬ 0 間 頭 、及び先に

挙げた 溶忍 の 位 、 章提希 凡夫 説等は 、「観経」の 我々への親近化、更には此経の念仏主意 説 の 徹 底を目指す一連の意

図 に基づくものと云え よう 。故に、夫人が仏陀 に 「我我思惟。我我正堂。」と請 うた 一句に端を 発して、夫人と「 観

経 」の関係に就いて各義疏は次の如く説明する。

(74) 74

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陀の自発的意図に依り説かれたものだとして 居 る 。之は「観経」が 章提希 夫人だけの為に説かれ たのか、それとも、

其位の一般者をも予想したものかと云 う 問題で ある。筆者は此処で講師と善導の解釈の是非を問 お う とは思わない。

それよりも、何故斯かる見解を取ったのかが 問 題 にさる べ ぎである。善導の意図は、観仏念仏の 一 怪雨 宗 たる事を認

(ⅠⅠ)

4

めつつも、最後には「 望仏 本願意 在 衆生一向卑称 弥陀仏名」と云い、念仏を勧めるのが此経の趣 旨 だと 去 りにある。

そして、念仏に依る救済は決して従来の観仏等 の 行に劣らぬどころか、「 但是仏自開 」と述べて

これこそが仏陀の

本意であったと主張する。従って 章提希と 云う 女性を通じて、実は凡夫一般の為に説かれたのが 「観経」の眼目であ

ると云い 度 いのである。玄義倉では「世尊 定為凡 夫 不為聖人」として、経由より千箇処を引用し て 自説の正当性を強

謝 し、

「五来 十 旬の不同ありと雄も、如来此の十六観法 を 説くは 但 、 常 没の衆生の為にして、大小の聖 のためにせずと 云

( 4 4 )

ぅ ことを証明す。」

って了う。「観無量寿経」彼等がその総てを定書

雙と 云 う 題名及び、その大半を占める内容から すれば、後者の方が穏当である事は云 う 迄も無 @.

善導が極めて厳格改修行者であり乍ら、「観経」 の 註釈に見られる。態度がそれと対称的であるの は 興味深い事であ 75 (75)

( り 4 4 )

様の主張は欣薄縁の終りにも見られる。その 結 果敢善の部分が宙に浮いて了うが、之は葦 提の 要請には無いが、 仏

講 師の場合には「我我思惟」は敬喜 を 、「我我 正 受 」は定 書 であると為すハ陣 影は正 受を更に思 惟 (第一、第二親) と

(ⅡⅡ)

4

正堂(第三 2 第十六観)とに分 つ U 。それに対し て 善導は、玄義公 に 於て思惟を観の前方便、

正 受を観の極意である

( 虹 )

と 為し、「 旧 華厳経」を証拠として、思惟正堂 共 に定 善を意味し、夫人の致 請 を定書十三観のみ に 限定して居る。 同

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ばそれ迄である。けれども、此の二 つは 元来去 通の基盤に立つもの、即ち、強烈な自己反省が却 って斯かる註釈を生

んだと見るべぎであろう。

八註 Ⅴ

1. 「 庁 」 註 6 参照

2.

此の場

ムロ 、 道悼め 「安楽集」及び 迦文の 「浄土論 」は、「観経」に対する直接の コメソ タリーでは無い ので除外する。 善

導は 「安楽集」の立場を一歩進めたわけであるから、

基点では相違 と 云 う より、寧ろ共通して居る事は云 う

3.

例えば

「 続 高僧伝」第二十 セ 片目 き ・ っ ・のぎ 下 、「往生西方 浄土瑞応仁」片田 簗 , づ ・ P まいての、「浄土往生伝」

巻 中井田 簗

ワコ の 下 l ロ、「仏祖統紀」 巻 二十六、二十 セ汁 円仁 の ・ ロ ・めお 巨 ? 切 ・ づ ・ 2 つの ロ 、「新修往生伝」 卍続蔵二 、 二八 ノ二 「 往

虫巣」番一汁日日・ ロ ・ お 0. 等

4.

浮彫

寺 慧遠 撰 「観無量寿経義疏」(以下「浮影 疏 」 と 略す)片田 ま ・ っ ・ P おキ l の

5. 天台智者大師 撰 「仏説観無量寿仏経 疏 」(以下「 天 ムロ 疏 」と 略 す)沖田 ひ ~・

0.

)ののの

6. 同右 、 ワ )のめし

7.

阿古、

ワト ののの

8. 嘉祥大師吉蔵 撰 「観無量寿経義疏」(以下「嘉祥 疏 」と略す)片田ま・

っ ・ 0 ㌍の

9.

善導

撰 「観無量寿仏経 疏 」(以下「善導坑」と略す

)沖田ま・ づ ・ 0 ミ下

叩 ・「嘉祥 疏 」片田 びづ ・ づ ・ N ののし

Ⅱ・「浮影 疏 」片田 のづ ・ ヮ ・) づのロ ・「 @ ムロ 疏 」沖田 ま ・ D.

)三レ・「嘉祥

疏 」沖田器・ っ ・ N 生口 -0 金巾 ?

は ・「善導坑し汁田ま・ ロ ・めお 臣

H. 同右 、片田ま・ づ ・ 0 ま下

Ⅱ・「浮彫 疏 」片目 ま ・ っ ・) きの

巧 ・「天台所」片田 ひづ ・ づ ・ P の トめ

(76)

る 。之を人間の持つ二面性、即ち自己自身の実

践と 、凡夫一般を念頭に置いた場合の理論の相違

であると云って了え 6

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㎎・「 肺祥疏 」

汁卸び ~・ づ ・ 0 か い の

W. 「善導坑」片田 ひ ~・ づ ・ 0 のの 下

M.

「浮影

琉 」片目 ミ ・ b. ) お巨

㎎・「 天 ムロ 疏 」片田 ま ・ づ ・)三口

㏄・「善導坑」

汁 早ま・ っ ・ 260c

れ ・「観経」沖田) 0. ロ ・ び pPO

盤 ・「善導坑」井田ま・ D. め 目の

井田器 も ・ 0 寒の

㌍・同宿、

舛 ・「浮彫 疏 」片田 ま ・ ロ ・ P づ の中

あ ・「 天 ムロ 疏 」沖田のべ・ ロ ・ P のⅠ㏄

no.

「嘉祥

疏 」片田ま・ ロ ・ 2 駐の

W. 「善導坑」片田 ま ・ ロ ・ 0 きの

00.

「仁王般若経」羅什

訳 片田 め ・Ⅰ・のまし・不空調 井田 の ・ b. め のめ 巾

㏄・「浮影 疏 」片目 の ~・ づ ・ P のの中

㏄・「 天 4 口 疏 」片田 め ~・ セ ・)めかし

m .

「嘉祥

疏 」沖田 び ~・ せ ・ NpO い

<z. 「善導坑」井田 ひ ~・ づ ・ ぎ卜 し

㏄・「観経」片田) 2.

や・めや

2c

目 ・「浮影 疏 」沖田 ま ・ づ ・ ドさ 。

四国二具ま里如来持説二役 十 観法㍉

㏄・「浮彫 疏 」片田 ま ・ ロ ・ P おか

後干 観 中文別言 レ四

嘉祥には之に就いて 訣定 的な箇処は余り無いが、強い

第四仏 告下 。 酬レ請 広明二仏身一。五種観閲。第一

「 天 ムロ 疏 」井田 びべ ・ ロ ・)の

り下

て 挙げれば「嘉祥 疏 」沖田ま・ ゃ ・ ミ いけ

観 華座。

r

77 (77)

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3. 司 太子義疏 快 ㍉善導暁日に見られる 夫 入観の特徴 及ぴ その意味

- Ⅰ l )

我国の仏教思想史上に於て、女人往生の問題が 本格的に論じられる様になったのほ、聖徳太子 よりずっと後の法然

の頃からであろう。英俊道元、(

2 )日蓮を始めとし(

3 )

て 、慈円、高網、叡尊等、鎌倉時代以後の仏教に 於ては概して女性の

成仏が認められて居たと云え よう

。(

4 )然し、それ 以前の一般的傾向としては、 屡 々云われる様に "H 目安目 い ざ ぎビ ( が

ォヨ aca

( ぢ お約,或いは「大潟梵行 垢亦悩害 世間 」、「女人梵行 垢 、友則累世間」と云った具合 で、女性に対する評価

は 必ずしも充分であったとは云えない。そして、(

5 )

仏教に於ける女人成仏の典型は「変成男子」と 云う形で代表されて

居る。例えば「大 岳 般若経」には恒河提婆(のが 紺注のゑ サブの

めぎ Ⅱ 苑河 天女)に関して「息女人 畢 二女 身一受 二男子形 - 。

当 。 生 二河 閑仏阿稗羅提 国土 - 。」(

6 )なる一節がある。 従って、女人も確かに往生を認められて居るが 、女性その 儲 として

の 成仏では無く、 改 転成仏の形に依り間接的に のみ往生を認められて居るのである。そして「 般若経」のそれより

は、 之を受継いだ 其 後の大乗経典、就中「法華 経円 「大集経」に見られる例の方が一般には広く 知られて居る。処で

㏄・岡君・片田ぎ・ ロ ・) き巨

rf. 「天台 琉 」沖田 の ~・ロメのト下

00 ・「善導流」沖田 ま ・ ロ ・ 24 ~ 再とり

nn.

同右 、片目ま・ づ ・ 0 ヨレ

何 ・ 同右 、 汁 早ま・ づ ・ N 三口 ! の

, 4 9. 「 旧 華厳経」十一、十打見井田

の ・ ロ ・ p 稽 n. 痒 p 尚 、此の箇処に就いては後代の末註の意見が種々に 分れて居る。

め ・「善導流」片田 ま ・ ロ, 0 のの 己

め ・阿古、片田ミ・ っ ・ 0 ま下

何 ・ 同右 、 汁 Ⅲ ミ ・ っ ・ N おし

?0

( 何 ) 78

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ると云 う 事は 、 決して女人不往生を意味するも のでは無く 、 主として男子修行僧にとっての問題 であり、寧ろ、社会

的に見ても男性に比して消極的で発心に於て 遅 れをとりがちであるのを戒め、発奮せしめ んと の 意図にも解され 得

利る 。従って 、之 とは別に、理想的女性像が 仏 教 思想の中で描かれ続けて居たのであろう。

提章扱 、右に太子の勝 蔓 夫人 像 と善導の葦 提 希 夫人傑 を、 他の義疏と対比しっ っ 概観し、その 都度若干の説明を加えて

腱 来たのである。以下では簡単にその特徴を 整理して見よう。太子、善導の両流 に 共通して 一 ムい 得る事は 、 先ず理想と

「・・・・・現実の調和と云

う 事であろう。太子は高遠 な 理想を自ら求めつつ、実は大衆と共に追及せん とされたのである。その 79 (79)

民衆の間に広く行き渡った事もあって 、 特に有 名 である。女性としての斯かる理想像は突然に 出現したものでは 無

@ 几 l Ⅱ)

く 、原始仏教以来の理想的女性観を承けて、 後 の大乗仏教に於て成立したものと考えられる。 女 性は梵行の障りであ

を 積んで成道し 、 多くの衆生を済度した女性も

少なからずあって、その事蹟は経典中に

厘 々 見 られる。「 勝蔓経 」 や

「観経」の他にも「宝積

経 」の 舎摩 天人や、「 月 上女 経 」に見られる月上女等が数えられよ

う 。 此 ぬで取 挙げた 勝蔓 ,

章提希 両夫人は、太子の三経義疏に於て註解さ

ね 、或いは善導 疏が 帰依善導(法然)、善導 独 明 (親鸞)と云う形で

にて あ あ 立い さ 。 生か 悉 らの 此 様に浄土に於ては女性が男性に生れ変って了う 、 と 云 う 発想の起原は決して仏教独特のものでは 無く、先行思想

( 8 )

の影響と思われるが、

-7 )兎に角、女人成仏と云う 場 合 には、仏教では転女成男の思想が主流を為し て 居る。一切衆

有 仏性の建前からすれば、男女の別を問わず、 如何なる罪過を重ねたとしても、その仏性が失わ れて了う筈は無

にも 不拘 、「大無量寿経」の四十八願 中 、第三十 五番目に態々女人往生(法然)又は女人成仏( 親鸞)の願が 別

れて居る事の理由に就いて、浄土教では二説を 挙げ、第一には既に十八願で男女老少の凡ゆる 衆 生を救うと誓っ

るが、女人は本性上疑い深いから別願を設けて、 その疑心を除こらとし、第二には親鸞の浄土 和 讃 「大経の意」

( 9 )

る 如く、弥陀の大悲の深き 事 、仏智不思議を示 さんとして、特に此の願を別出したと云う。従っ て 、充分な修行

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為に、第八地や摂受正法の註解に当っては並々 ならぬ意欲が窺われるが、同時に経典の内容把握 に 際しては、全般的

に 努めて平易にして、一般の凡夫に 迄 実践の可能 性を広げんとして居られる。 勝婁を 八地に位置 つければ、十人愛 や

三大願の如 き 摂受正法の前方便的な行を「自分 0 行」と判ずる必要は無かったであろうー。

(ー)

O 又、 仝 手提 希が 凡夫で無いと

したら、 得忍 の位や時期に関して善導が敢えて 蛙 理 な解釈を施す必要は無かった筈である。 勝蔓 は 摂受正法を得んと

願 い 、 葦提 希も思惟正堂 を 請 う 。「思惟正 受 」と 云えば「観経」の中心課題である。善導の説に 依れば 章提 希の場合

には之を実現出来るが、大衆的実践を念頭に置 く 彼はその代りに、仏陀の真の目標は実は称名 念仏であると断定す

る 。太子に於ける最高度にして単純なる「一桁 の 南無」と、善導の「観経」下々 品 親に於ける 「 忽 通三往生善知識 急

勘事 称 三役仏名 - 。一念 傾レ 心太ニ室 蓮 - 。」の 間 には著るしい類似が認められる。彼等にして 見れば、そ う せねば

- ほ )

「 勝蔓経 」及びその主人公は現実から遠く離れた 単なる理想的な物語に終って 了うし 、「観経」は 経題の示す如く 、定

善 観法を説く難解な経典となって て牝 。(

, )それで は 未来世の一切衆生どころでは無い。 勝髪 、葦 提 希と 云 う 夫人を通じ

て、 然も彼女等を一般の衆生と交わぬ身近な女 性 として受取った結果、凡ての人に救済の門戸を 開いたわけである。

斯様な見解が如何にして生じたかと云えば、 そ れは既述の様に太子に於ける「 共是 凡夫 耳 」、 蓋 ロ 導の厳しい修行と

自己反省に基づく凡夫の自覚の結果であろうと 推察される。して見ると、此の両者に於ける「 大 衆 」とは他人事では

無く、自己自身をも含み、極言すれば自分の事 であったと云っても良かろう。太子が後に自身の 法名を「仏子 勝蔓 」

と 号されたのは、夫人を自身の方に近づけて 釈 された事と軌を一仁するものである。 又 、善導は 義疏の後室白で例の夢

中指南に就いて「上乗所有蓋相者。本心 為レ物 。 不 ・・・・

。 為二 己身 - 律 ピ ) と断 わって は 居るが、筆者は彼 の 「観経」註釈の態

度 、及び態々斯様に付記せねばならなかった 事 情から、逆に、前記の如 き 推測をせざるを得な い 。故に、正確には

「己身のみの為にせずしと補って読むべきであろ ぅ 。大衆とは自身を含めた語であり、その自己 が 凡夫であると反省

(80) 80

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「 勝幸と章 提持」

81 (81)

恩 典 解 る もの 7 4 3 2 1 八社 ら ノっ なる 釈の 上合 す 経 方 と と

典 が 嘉 云 ・ 早 訳楳純 「雄幸 「「 開正 ぱ 、 を遥禅え 釈か、 ょ

島人「「 白 沫 眈 ・ 品法鎌抄眼空 叢呈専 ( n し ノ に原 : :。 紀般 草倉」 蔵 「 つ 典 と

野 荒径 仏 」 本 訳経 を 教 汁巻朝

そ に は

祖師伝 註 「 浄 中心と」 巻十 と女性 目 維 ・ ノ ネ て 」 、 の 安 夫

土人 し 」 授 挿絵 三河 て 印 燵得詞

興 る 一 態 で 典

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君 汁 研究 や 土 がる訳 者。 し

る に つ

し も つ く 不 も

哀 り甘 土 の に セ づ Ⅰ

経に異 類似し 拘 、大

る 善 た

典 ㌶ @" @ P と 尊 べ 一 。 見

印く十

云 0 ア

ぅ 両 l れ

事 疏 を の の 投

吐ヒ 意力 影 義 が し 種

語句

た 、一 ま 強力 大 な 常

い 影 識

百 Ⅱ に 丼 的

挙 頑 力 に

味 を は

さ 持 嘉

届 る ち 祥

べ 、 や

き 両 言昔

だ 老 師 と は の

思想が現代の我々にも多大な感銘を及ばすもの である事は 、 取りも直さず、彼等二人の基本的姿 勢の普遍性を立証す

すれば、次に自分にも行い得る事は一体何かと 一 ムう 問題が起って来る。之は換言すれば実践の強 調と 云 う 事である。

成程、六波羅蜜、三学等の究極 は 智慧であり、 仏 教 では之を光明に 讐 える。然しそれは 飽迄も実 践を前提とした知行

合一の智慧であり、徒し難解な理論を弄するの みでは宗教の名に値しない。実践の可能性を前提 とすれば、どうして

も 現実的たらざるを得ないわげである。そして 斯かる観点から、或る場合には単なる文字解釈の 域を超えた註解が施

されたと云 う 事実は、太子、善導雨師の広い現 実 凝視と深 い 宗教体験に由来する主体性を示すも のであり、且つその

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8.

例えば、竺法護 訳 「須屋 提 菩薩 経 」井田 罵 っ べ ㏄ キに は

文殊 師 別間 言 。 云 何不 転 女人 有 。 須 摩損報書。 於レ是 無所得。所以者 何 。 法無レ 果無 レ女 。教令便当三愛 祐二男子一。

適レ

伸二足 旺里 。 便成 二男子㍉

とある。羅什 訳 (片田Ⅰ N. っ ・きい ! の )もほほ同様。 某 他 、菩提流女 訳 「大宝積 経 」 巻 第九十八洋司 目 ・ ヮっ のト Ⅱ 巴 l との つ い、

闇那堀多等訳 「 無 所有菩薩 経 」

汁円巨 ・ 罵 ・の ぷレ| ひ 当下にも数多く見られる。

9.

中村 他 訳註前掲言上、毛・ 0 き @N の っ

リ ・中村元「原始仏教の女性観」 勝豊 経義疏論集っ

Ⅱ・平川 彰

前掲論文ゃ Poq

は ・「善導流」沖田 ま ・ ロ ・ u べ ~㏄ 1 の

は ・「浮影 疏 」片田ま・ っ ・) 毘し

「善導流」沖田 の q. つ ・ N 肚 ~ い

M . 同右 、片田ま・ ロ ・ めべ のの

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重日 平

最近の宗教研究の諸分野の中で、宗教哲学は必みずし も 大き

い 比重を占めているとは言いがたい。たしかにこの表 題 をかか

げた著作は、わが国でも外国でもいく っか 出版されて

それらが果して充分その名に価するかと言えば、どう も 無条件

には肯定できないように思う。それは宗教哲学者の多 くが、 意

識 的ないし無意識的に 、 何かある特定の宗教の信仰 か らくる 前

提を 、その考察の中にもちこんでいるからである。 と

九二 0 年代以後のいわぬる弁証法神学が、宗教一般 を 取扱う 宗

教 哲学の可能性を全く否認するか、せ い ぜい神学の 一 部門とし

てしか認めないことは、周知のごとくであるが、このよ う な宗教

哲学の神学への逆転解消または従属化の傾向㏄現在 において

も 、なおかなり著しⅡⅢと舌口わなければならない

v 。

本書は、ある意味で、右のような状況に対する一つの 大胆な

問題提起を目ざしている。このことは、著者が自ら本 書 のはじ

めに述べているところからも、明らかに看取される。 そこで 著

者は、宗教一般というようなものは実際にはあり得ず 、具体的

書評

藤田富雄 著 司 古

本仏 牲 哲

営口

な恵

呈色

に 存在しているのは特定の歴史的宗教のみなのである から、生小

教 哲学も特定の宗教に関わることから出発 せ ざるを 得 ないとい

ぅ 事態を一応は容認しっつも、今までの宗教哲学が 、 ともすれ

ば八 哲学者の神学論Ⅴや八神学者の哲学論Ⅴに終って いること

に 、根本的な疑問をなげかける。そして、宗教の科 字

めざましく進展している現状にてらして、宗教習字を も 全く別

0 基礎の上にすえようとする。すなわち宗教学の成果 をふまえ

た 宗教哲学一言でいえば八宗教学的宗教哲学 V と でも言う

べきものが、まさに本書の意図するところなのである( 本書Ⅲ 、

七とハ 、五五 z 七頁参照)。

つねに宗教史の事実を参照しながら、宗教の本質に迫 ろうと

するこのようなアプローチは 、必 らずしも著者の独創 とはいえ

ないであろう。すでにオットー や ショル ツ いらい、 と

ゆる現象学的方法をとる宗教習字の中には、そうした 立 思 図や 努

力 が少なくとも部分的に示されていたとも見られる。 またわが

国 でも、石津博士などは夙に宗教哲学の研究が宗教学 その他の

よ る宗教哲学の体系的な展開は、今までのところ見当、 らなかっ

たように思われる。この意味で本書は、このような 新 しい方向

への開拓に挑んだ意欲的な試論といってよい。

(83

一 一

かんたんに内容を概観すると、本書は二部から成って

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第一部宗教哲学案内は、問題点の整理と定式化とを 課題とす

るもので、一、宗教哲学の歴史を跡づけ、さらに、 二 、 他ハ り 七 %

教 研究の諸 挙 との関係、三、宗教の定義の問題を論じ ている。

まず、宗教苗字の成立の時期をどこにおくかは、実は 論者 自

身の立場と切離せないものであるが、ここでは三段階 に ・わけて

論じられている。 最 広義に解して、宗教について考え ること 一

般 であるとすれば、宗教哲学はすでに先史時代から、 諸民族の

神話の中に存していたと言えるが、もう少し狭く神話 的 思考 か

ら 独立した宗教的・哲学的思惟としてみれば、それは マ スパー

ス のいわぬる下り下のの コ N 由 (から始まるものである。

し かし、 宗

教 現象全体を組織的に研究する独立の学科という厳密 な 意味で

ほ 、それは カソト 、シュライエルマッヘル 、へ| ゲル などによ

って、一九世紀初頭の西欧に成立したものと見られる。 これは

大体において従来の定説と一致するが、さらにそれ 以 後から 現

代 にいたる流れが手短かに概観される。

その成立いらいの展開をたどるならば、独自の字間 で あるこ

とを 標傍 しながら、宗教哲学が実はキリスト教神学と 密接に結

びついていたことは否めない二四三八、五五七 セ 頁 )。 し

かし、上述のように、こうした宗教哲学の神学への 傾 斜を克服

することこそ本書のねらいなのであり、そのために 著 者は神

¥、教学、形而上学、宗教学、宗教史などの 垣絃 学科 との関係

を 検討して、宗教哲学独自の問題領域を示そうとして いろ。 す

は ねち、それは神字とは根本的に異なり、あくまで 曲 示教体験

および経験的事実を重んずるという点で、宗教学とお なじ基礎

の上に立たなければならない。けれども、宗教哲学で あるかぎ

り 、それが単なる実証のレベルにとどまり得ないこと もまた 明

白である。それは、実証的研究が明らかにした宗教規 象右容料 ④

としながら、すすんでその意味と構造とを問い、それ, らの事実

をこえてその由来する根拠をさぐらなくてはならない ( - ハ 0 ( 、

一 、六四、九 0 、 一 0 四頁)。その意味では「宗教 字の 終わる

ところから宗教苗字が始まる」( 六 0 頁)ので 品る 。 ゑ 、して、

こうして得られる宗教の本質と規範の概念は、宗教史 0 基礎 理

念 となるべきものである。舌ロいかえれば、宗教哲学は

また宗教

ほ ついての事実科学としての宗教学や宗教史の学問 め 柵を展開

し 、さらに宗教についての 諸 学を統合的に位置づける 任務をも

負っているのである ヱ 八四 / 五頁)。

さて、宗教の研究に当ってつねに問題となるのは、 そ

ないかに定義するかである。そこで本書は、宗教の語 義や 、七 %

教の教理的・倫理的・情緒的などの各要素を重視す る 従来の諸

説 、故岸本博士の作業仮設的定義、さらに新しい「 典 型による

定義」の試みなどを分析したのち、この 且 俺のものを 修正して

「パターソとしての定義」を提示してい

て 。すな ね ち、 宗教研

究の成果を要約してその構成要素と思われろものを 抽 出し、 そ

れらを 体係 的に組合せて、宗教の構造という墓木杓 パ ターンを

構成するのである。そうした要素としては、第二部で 詳論され

るように、少なくとも一、宗教の目的Ⅱ人間生活の間 ぬの 最終

的な解決、 ニ 、この目的に対応する人間の行動、三、

そうした

行動を規制する歴史的に形成された信念体系、そして 四 、信念

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体系を通して人間が関わっている 八 究極的なものⅤ 八 聖なるも

の Ⅴを考慮しなければならないとされる。著者のいう 「パター

オールス

トン以外にも二、三みられるが、何れにせよこの パタ

「作業仮設的な定義であるとともに、宗教を理解する 方 法 をも

含んだもの」(八一頁)といわれていることは、定義

性格からみて、はなはだ示唆的で キる 。

第二部宗教哲学試論は 、 右に明らかにされた立場か ,

織 的な展開であって、本書の中心となるものてある。 。 てこ で

は 、伝統的な仕方にならって、宗教の本質と真理との 三大問題

が 取扱われる。

宗教の本質を捉えるとぼ、宗教現象を宗教たらしめて いるそ

の 成立ちを、機能的に解明することである。しかしそ

全学や心理学などの理論で宗教を説明し去ることでは ない。七万

教が 日常生活の中にあって、それとは異質的な世界と

りによって 、 生を統一し意味づけているその独自性を 把握する

ことなのである。著者によれば、宗教は人が八行きづ

八 葛藤Ⅴを経験し、生の危機に立った時、それに対し て 非日常

的 仕方で再適応するところに成立つ。しかもこうした 危機は 、

個人をも社会をもあらゆる形でつねに脅しているので あって 、

註本来、人間の存在そのものが危機的なのである。 宗教はそうし

た 非日常的危機に対処するために生みだされ、伝える れてきた

文化的産物の一つに体ならない( 一 0 五 、一一 0z 三 頁 )。

主日

こうした入超自然的・超合理的順応Ⅴである宗教は 、 主体と

しての人間の行動、そのかかわる客体としての聖なる もの、 両

者を媒介する信念体系などの契機から成る。本書は 、 行動を内

行動としての宗教体験と外行動としての宗教的行為( 崇敬、 確

信 、儀礼)、客体を非人格的なものと人格的なそれと に 分け、

信念体系の構造と生成とにふれたのち、ふたたび元に 返って 全

取上げている。

休 としての宗教の機能、およびその機能を支える論理

能 としている。本書もそれにならってい石が、しかし

襲 に終っているわけではない。宗教の詰 兄機 、例えば

がつよい。けれどもそれらは変化し解体することもあ

に 宗教における改革運動や 、 新しい宗教の発生のばあ

や行動様式は、歴史的に形成されたものであり、固定

現代の行動科学的宗教学は、補償と統合とを宗教の基

単なる 踏

信念体系

。さら

の 問題を

ば 、そこに伝統的形式を破って新しいヴィジ ,ンを生 みだす 創

造 的機能が働いていることが分る( 一 0 五 、一四八 l 九 、一五

四 l 七 、一六セ 頁 )。これが第三の機能であるという。

補償と

統合とは、何れかといえばスタティックな視点で

析の結果

であるが、創造とは歴史的な、ダイナミックな把握に よって 明

らかにされるものである。構造分析と形成の分析、 宗 教学的見

地 と宗教史的見地とが、かくして綜合されていること は 、本書

T, )

の 特色の一つである。宗教哲学が宗教そのものの全体 的 ,包括

的な究明を課題とする以上、これは当然のことであろ , つ 。

最後の問題は宗教の真理の問題で曲中。現代において ま @@ 、 一

方では宗教が 億 用の長物と考えられ廿がら、他方では それが注

8

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以上、筆者の理解しえたかぎりで、大書の意図と論旨 とをた

どってみた。要約すれば、その特色は、特定宗教の教 字から 離

れてひろい宗教学的基礎の上に立った宗教哲学である こと、 そ

の際、宗教を実体論的にでなしに、人間の宗教的あり 方 として

機能論的に 肥 えていること、しかも構造的(宗教学的 )見地と

一 一 一

目 をあびつつ社会の表面に登場して来ており、また 種 々さまざ

まの 宗打 かそれぞれその正当性を主張している。この

んがみ、宗教を信ずることが果して、いかなる意味を

か 、また互いに対立する宗教の客観的評価や選択が 可 能 であろ

うか、という疑問に答えることも、本書の目標の一つ である

(Ⅱ | Ⅲ、一六九、二 0 四頁)。前者、つまり宗教の真

理 認識の

問題については、宗教否定論の諸形態(無神論、代用 宗教、間

接的 否定論などⅩ肯定論(自然神学や、いわぬる 神

証明)等を万類・検討してそれらがすべて誤った問題 把握から

発していることを指摘する。すな ね ち、宗教の意味は 「 神 」 が

存在するか否かというような瓜実体論的思考 V による のでな

的 Ⅴに 捉

えるべきものとされる(一六四、一九四

l 五頁)。諸宗 教の絶対

性 主張の真理評価という第二の点に関しても、同じ立 場から、

これを体験内容の表現の問題としておさえて、すべて の 十本 数的

表現が、体験において出会う ヌ ミノーゼ 的 ・絶対的な るものを

栢 射的形式に表わした象徴に体ならないことを示して

歴史的 概念をならな のみで 宗教学 くれた 、美 も から最 見にす しか これを 遊離し ようと にわが 教 字 の で、前 なはだ 問すべ の本質 ながら た反省 」( と 一 哲 る 。

(86) 86

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書 評

数 字が確認した事実を解釈するためにあとから宗教 哲 字 が必要

となるとかいう意味ではなく、宗教学の実証的操作 そ

中に 、 つねに宗教全体に関する哲学的反省が要求され

味で 宗教 字 と宗教哲学とは 相 ふれるということはの て ある。

このように考えると、いままで比較的に閑却されてい た 宗教

哲学と宗教学との中間領域いわば宗教な 采確 論 と も 宗教学

方法論(広義の)とも舌口うようなものの開拓によって 、その間

隙 をうめることが要求されるのではなかろうか。本書 にも取扱

われた定義の問題が、 差 当ってその中心となるであろ っが、そ

れは実は本質論と切離しえない。何れにせよ、今後 こ の 線にそ

った一 そうの追求が必要であろうと思われる。

二 、右のようなものが、宗教哲学のいわば理論的な課 題 であ

るとすれば、これに対して、実践的な課題をも考える ことがで

きると思う。宗教哲学が単なる事実科学でなくして、 哲学であ

る 以上、それは実践の問題すなわち価値評価をさげる ことはで

きないからである。本書では、このことは 必 らずしも はっきり

と 言われていないが、しかし実際にはそうした問題も 取上げら

れている。最後にふれられた真理問題は、まさにそ う した性格

のものであるが、著者はさらに、宗教哲学が宗 拍の 「 ぬ 化」「

- @

化」に貢献することを認めている。すな ね ち、宗教の 中核をな

す 象徴は、勝手に作りだされるものでなく、状況が 熟 した時に

生まれ、状況が変われば死んでしまうものである。 し たがっ

て 、それが適切に機能するように知的に吟味 @ 、その 絶対化を

斥け、浄化することがまさに宗教哲学の役目であると 一 吉宙 スノ(一一

三 Of 一 、九 セ頁 )。

そうで - あるとすれば、著者の言うような宗教学的宗教 哲 @ 了の

中にも、理論的な要素と実践的な要素とがあると考え

ただ、 @ ,つまでもなく、このばあいには実践的と言って

も 、神学

的 宗教哲学におけるごとく成立宗教への奉仕としてで はなく、

むしろそれの批判という意味においてである。そして 、カソト

からヤスパースにいたるまで、宗教習字が真にその役 割を果し

たところでは、そうした批判精神が働らいていたので はなかろ

うか。

一、ニの 私見にすぎない。著者が指摘する宗教

0 基本的要素が、いかにして抽出されたかの点は 、や

足の印象が残るし、また、そのダイナミックな宗教 把 握 の 核 、心

をなすと思われ五宗教的八象徴Ⅴの理論が、充分に展

ない感じもすろが、ともあれ本書は 、 同じく宗教を研 究 する者

にとって 、 多くの 示 変にとんでいる。それらをめぐっ て 、さら

に 論議が展開することを願ってやまない。

註 (

1 )そうした傾向は、本書の文献リストに収録され

もの以外にも、次のような近著に見られる 0 宮ビ 月

己宙 T ゴ 一 つ すの 0- っ幅 げり オりオム一 ㏄ @o コ ㏄ づプ岸

0 のつです日一ヨ

の Ⅰ㌍ コ

ふ のの・ ト ののト一のちの一カ匹

@ ㏄ @0 口の で三 すの 0 で すざ ・ ト ののべ一目

宇 のり 下ア

めヨ ドロロ日

@% い仁つ目

Ⅱ ぃ ㏄㏄ コ 0 プぺざニざす

のⅡ 刃臼 @ ゆ @o コのつオヱ

0 の

つ旺 e. ) 姦 . もっともこれは、主としてドイツを中心

する西欧プロテスタ ソト 世界について妥当することで 87 (87)

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(昭和四一年五月刊 A5 本文索引とも二五五頁 土 八八 0 円

大明堂 こ

カトリック世界や、

英 ・米の教界などには、 払 わず し も

当てはまらない 0

( 2 )「宗教哲学の問題と方向ヒ、とくに セ (八頁、「 宗教研

究の立場と宗教的実存の問題点」、宗教研究一八九、四

参照。

( 3 )例えばホルムは、宗教を多数の因子の函数とし て 定義

するⅡ仁井 ま 0 コ 0 日活 オ 0 口の( 0 ト セミ ぎヱ 0 コの 日立 ゴ 。 片 ) を 提

喝 している( 下 0- 日 @ 捷臼や呂る已 -0 の 0 つま e, 日の ウ Q, の Ⅱ㏄

! き )。またランクは・すべての本質規定が必然的

Ⅰ宙の斗( 唱 の的性格をもつことを指摘した(Ⅰが つ斡 毛包 0%

偉 戸ロ 毛 @p ゴ Ⅱ ゴ由 (隼のⅠ 刃 0% ㏄ @o コ ・ トつい

~ ,の ・ いウ ーⅡ)。

( 4 )このことは、行動科学におけるいわゆる機能主 義が、

時に歴史的次元への考慮を欠いていることが指摘され

批判・論争の一つの 笹 となっていることを思い合せ

と 興味ぶかい。

( 5 )上田賢治「宗教研究の方法」、宗教研究一九一、

二 f

亡 一頁、川端約四郎「宗教研究の解釈学的方法」、同八 七

頁 参照。

(88)@ 88

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一 、九 学 連合本年度の共同課題として「 水 」「日本と 。ての 周

辺 」の二案が出されている。本学会としては「 水 」 が 小リ ガ 、七玉

しいが、あえて固執しないとの態度を決定。

一 、九学会連合会費の値上げについては、いずれ理事 ム

ることとする。

一 、文科系学会連合機関誌「近代化の諸問題」の特集 - アーマ 執

筆者として、安斉、弁円、柳川、脇本の各氏のうちか

キピ

めることとする。

一 、学会経理状況について。

㈹賛助会員の増大をはかること。

㈲会費の値上げ、会費切れ会員の処理については 改

訂 する。

一 、ハイラー博士追悼文を浜田本腰、上田 閑照 両氏に 依頼し本

誌にのせること。

0 理事会

昭和四十二年九月二日( 巴 一四・三 0 時

全一、本学会大会の準備状況報告。

0 常務理事会

昭和四十二年六月八日(木)一七・三 0 晴

一、ブカレスト CIPSH 総会出席者推 清に ついて。

石津会長より柳川啓一氏を推薦したい旨発言かあり 承 麹叫 臣づ

れた。

本 ム

一 、大会発表者選考。

一 、ハイラー博士のように、大ふ

至 Ⅰ追悼すべ き 人をど う 扱う

か 、その規準等について検討したが、

自 殊にその都度 きめる

ということで意見一致。

一 、新入会員が一括承認された。

0 新入会員紹介

二葉薫香京都市右京区樫原角田町一

谷大教授

正木晴彦長崎市 樋屋町三 二一

長崎大講師

遠藤孝次郎東京都小金井市緑町口1玉1人

東京芸大教授

大石孝仙台市 表 柴田 W 三一松本方

東北大助手

大野令子東京都中野区若宮 一| 二四 |三 一 米田方

東京大大学院

小田切瑞穂藤沢市本町二ーハー二八

国士館大教授

加藤嘉夫東京都中野区江古田川 | 三四 | 一エ

福神刀早稲田大学

喜多 WW

正仙 ムロ面向山三 | 一七ー二八

東北大大学院⑤

弗ホ 哲雄 沖 Ⅱ 爪 岩田部豊田村森本二八七

%

大大学院 89

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執筆者紹介

三枝充填国学院大学教授

森岡清美東京教育大学助教授

正木晴彦東京大学大学院

住戸田六三郎早稲田大学教授

神準 野 梅 高 高 奈 , @ Jl@ ノ " 瓦 " 県

灯 火 橘 鳥

正員 球 尭

ぽ物 啓 雄 は 博 口口木百ハ 占

俗学資

東京 森上 弓 日野 静岡

両 程 県 富 郵 新

室 宗 弘前 住宅二一 士 信

浜面

信濃 一弘 区 二 | 雨 取 上 青 保 六八 見 雨音面 医 前 六字 山 正延 場 町

申 西 l 一 一 区 南 大 通 匹 一 院, ョ 短 O 大 大

摂 取卸 飾 師

(90) 90

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Das@ Wesen@ des@ japanischen@ re Ⅰ gosen

Bewusstseins

(Herrn@ Professor@ Dr . F ・ Heier@ zum@ 75.@ Geburts ・

tag gewidmet)

Rokusaburo Nieda

1) Die Seinsweise des japanischen reIigBsen Bewusstseina ,

Wie@ allgemein@ bekannt;@ gibt@ es@ sehr@ verschiedene@ Religionen@ i

Japan . Da@ alle@ diese@ in@ dem@ sehr@ kleinen@ Land@ nebeneinander@ bestehen

konnen@ und@ in@ ihnen@ polytheistische@ und@mystische@ NCigungen@ gefunden

werden,@ ist@ es@ verstandlich , dass@ auf@ dem@ Grunde@ des@ japanischen

religosen@ Bewusstseins@ die@ polytheistische@ und@ mystische@ Idee@ heraus

gearbeitet@ werden@ kann , Jedoch@ bedeutet@ diese@ Neigung@ und@ Idee@ nicht

immer@ nur@ Polytheismus , viCmehr@ ist@ auch@ ein@ Monotheismus@ darin

enthalten . Es@ ist@ Kar , dass@ der@ Shintoismus@ sei er@ Natur@ nach@ immer

poytheistisch@ 1st@ im@ Gegensatz@ zum@ Christentum@ und@ zur@ Jodo-Shi

Sekte@ des@ Buddhismus , die@ streng@ monotheistisch@ sind , Der@ j panische

Buddhismus@ hat@ zweierlei@ Richtungen , Die@ eine , die@ Jodo-Shin-Sekte

vertritt , ist@ monotheistisch , wahrend@ al Ⅰ ubrigen@ Sekten@ poytheisti ch

sind ・ D3s@ erscheint@ W8hrscheinlich@ dem@ Auslander@ sehr@ befermdiich@ und

unbegreiflich . Aber,@ wie@ gesagt , es@ bestehen@ bis@ zur@ Gegenwart@ die

verschiedenen@ Religionen@ nebeneinander@ und@ 5 de@ von@ ihnen@ bi Ⅰ et@ einen

eigenen@ Verband , So@ gibt@ es@ jetzt@ in@ Japan@ die

l. C ゐググ stia 篠 Fe あ げ 祝 Wo 乃

2. Ⅰアクタ り竹 B 勿ははん Ⅰ st ガを d を グ m ⅠⅠ 10 勿

3. Sedia グ nd 移 S んァ解 t う ⅠⅠ は け グ緩 Ⅰ 0 移

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(ioo) 100

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The@ Religion's@ League@of@ Japan@ist@ die@ grosse@ Dachorgani ation ,

die@ alle@ umfasst , Mit@ nur@ wenigen@ Ausnahmen@ verbinden@ sich@ alle@ in

Harrnonie , wenn@ auch@ jede@ auf@ ihrem@ eigenem@ Wege

Auf@ diese@ Weise@ beeinflussten@ sich@ die@ verschiedenen@ Religionen@ in .

der@ 5 panischem@ Religonsgeschi hte@ gegenseitig@ und@ es@ war@ zeitweilig

sogar@ eine@ sogenannte@ gemischte@ Religion@ moSich , Besonders@ waren

Shintoismus@ und@ Buddhismus@ miteinander@ vermengt , So@ kann@ man@ z

B . im@ Garten@ buddhistischer@ Tempel@ kleine@ Shinto-Schreine@(Inari-Gott)

finden , "@Einige@ buddhistische@ Priester@ schufen@ einen@Ausgleich@zwischen

den@widerstehenden@ Lehren@ des@ Shintoi mus@ und@ des@Buddhismus , indem

sie@ die@ buddhi tische@ Lehre@ von@ Urbi Ⅰ und@ der@ Transformation@ (Hon5

und@ Suiaku)@ auf@ die@ beiden@ Religionen@anwandten@:@ sie@identifizierten@die

KAMI@ mit@ den@ Buddhas , den@ HOTOKE@;@ demnach@ sind@ die@alten@Shi to

gotter@ in@ das@ buddhistische@ Pantheon@ aufgenommen , "

Von@ diesen@ verschiedenen@ RCigionen@ aus@ gesehen@ wi d@ erkenntlich,

dass@ eine@ Religion@ nicht@ nur@ polytheistisch@ son@ kann , sondern@ dass@ ganz

verschiedene@ Religionen@ mitonander@ verschmelzen@ konnen.@ So@ kommt@ es

zu@ verdoppCter@ poythCstischer@ Neigung@ @@ den@ j panischen@ Reli ionen

Dese@ Verdoppe Ⅰ ng , wiirde@wenigstens@von@einen@streng@ monotheistischen

Gesichtspunkt@ aus , zugleich@ die@ Unreinheit@ des@ j panischen@ rCi osen

BewusstsCns@ bedeuten , Es@ kann@ einer@ Buddhist@ sein@ und@ gleichzCtig@ in

einen@ Shinto-Tempel@ gehen@und@vor@dC Ⅲ Shmto-Gott@beten . BC@ Japanern

ist@ das@ 3lgemon@ ubiich , aber@ Fremde@ oder@ Auslander , wel he@ einer

streng@ monothei tischen@ Religion@ angehoren,@ konnen@ das@ nich@ gut@ vers

tehen@ und@ stellen@ es@ daher@ notwendig@ in@ Frage

2)@ Die@ Fragestellung@ und@ Erklaung.

Zunachst@ mussen@ wir@ einige@ Fragen@ stC Ⅰ n@:@ Was@ ist@ das@ Wesen@ des

j panischen@ rCi osen@ Bewusstseins@ ?@Was@ ist@ die@ Eigentumlichkeit@ des

japanischen@ Glaubens@?@ Was@ war@ die@ Bedingung,@ die@ eine@ solches@ reli

goses@ Bewusstsein@ ermogli hte@ ?

Ich@ mochte@ versuchen , auf@ 6ese@ Fragen@ einzugehen , Im@ Anfang

hatte@ Japan@ einen@ Mythos , den@ es@m Ⅰ vielen@Volkern@friiher@urspriingl* h

tei@e , Im@ mythologi chen@ Zeita Ⅰ er@ Japans@ war@ seine@ Religi n@ Cne

99@ (99)

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sogenannte@ Natur-Roi ion@ gewesen , namlich@ der@ Shintoismus . "@Der

Shinto@ besteht@ aus@ einem@ polytheistL chen@ Naturdienst@ und@ Cnem@ aus

gedehnten@ Ahnenkult Schon@ in@ den@ alten@ Mythen@ treten@ die@ ur-

sprunglichen@ Naturgottheiten@ in@ grosser@ Zahl@ auf . "@ (Prof . Heiler:@ Die

Religionen@ der@ Menschheit . S , 138) . Auch@ im@ Shintoi mus@ wird@die@Natur

fur@ die@ Religion@ zur@ Tragerin@ des@ Got Ⅰ i hen . Cbid , S . 20)@ Der@ Mythos

der@ japanischen@ Natur-RCigion@ kann@ in@den@Schri ten@:@ Koziki@und@Nihon-

shoki@ ausfuh Ⅱ i h@ nachgCesen@ werden . Da@ die@ blutmasSge@ Abstaml ung

wesen Ⅰ i h@ verschieden@ ist@ von@ der@ der@ christichen@ Volker , und@ sich

andererseits@ die@ Natur@ im@ Blut@ auswirkt , muss@ dieses@ immer@ auch@ im

rCi osen@ Gemut@ zum@ Ausdruck@ kommen . Schon@ Goethe@ hat@ gesagt;

"Gott@ @@ Natur@ Natur@ @@ Gott"@ und@ Spinoz3@ "Deus@ sive@ Natura" . "Von

grosser@ Bedeutung@ fur@ Kult@ und@ Frommigkeit@ ist@ die@ Sonne"@ (i i , S ,

18) , Und@ zur@ Nahe@ der@ Sonne@ ragt@ der@ Berg , er@ i t@ ihr@ naher@ als@ das

ebene@ Land . Auf@ diese@ Weise@ kam@ es@ zur@ Verehrung@ des@ Berges . Und

weil@ j der@ Berg@ Baume@ und@ Walder@ hat@ auch@ der@ TempC@ viele@ Baume

und@ W3d , "@Neben@ der@ unbelebten@ Natur@ wird@ die@ belebte@ Natur@ a Ⅰ

Erscheinung@ des@ Gottlichen@ verehrt;@ Baum@ und@ Pflanze . "@ (ibid , S , 19)

Der@ Mensch@ ist@ in@ die@ Natur , die@ als@ das@ Heilige@ oder@ Gottlichtet@ bet

rachtet@ wurde,@ hineingeboren,@ und@ er@ stirbt,@ vereinigt@ er@ sich@ nach

sCnem@ Tode@ wieder@ mit@ ihr . So@ gehoren@ zum@ Shinto-Tempel@ immer

Baume@ und@ W3d . In@ 6esem@ Sinne@ baut@ man@ Shinto-Tempel@ zwischen

den@ Baumen@ oder@ in@ den@ Waldern@ und@ zuwClen@ wird@ das@ Tempe Ⅰ est@ zu

Ehren@ des@ Schutzgottes@ darin@ hergerichtet , Im@ Shintoismus@ wird@ j der

Verstorbene@ zum@ Gott . Die@ Gotter@ sind@ die@ Natur , Hier@ liegt@ das@ mys-

tische@ Eriebnis@ der@ japanischen@ RCigion@ und@ zwar@ b@@ in@ die@ Gegenwart

hinCn , So@ hat@ sich@ "@in@ den@ Grundformen , Naturverehrung@ und@ Ahnen-

kult@ der@ Shinto@ von@ der@ fruhesten@ Zeit@ bis@ zur@ Gegenwart@ erhaten , "

(ibid, S.34.)

Es wird vi l Ⅰ icht unverstandlich sein, wie auf einer Sei e Cne

solche@ poytheistische@ uud@ pantheisti che@Natur-Reli ion@fortdauern@kann ,

und@ auf@ der@ anderen@ Seite@ monothei ti che@ RCigionen@ wie@ das@ Christen

turn@ und@ die@ Jodo-Shin-Sekte@ des@ Buddhi mus , Nach@ meiner@ MCnung

(98) 98

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i t@ die@ Mog4 hkeit@ dazu@ durch@ das@ Wesen@ des@ j panischen@ religosen

BewusstsCns@ bedingt . WCl@ dieses@ im@ weiteren@ Sinne@ ursprunglich@ ist

und@ Natur@ in@ Sch@ schli sst,@ kann@ es@ immer@ unbegrenzt@ und@ unbes Ⅰ mmt

und@ desh3b@ gegen@ andere@ Religionen@to Ⅰ rant@sein . Man@kann@hi r@an@den

beruhmten@ Satz@ von@ der@Coincidentia@oppositorum , wenn@auch@in@anderem

Sinne@ als@ ursprun8ich@ von@ Nicolaus@ Cusanus@gemeint , erinnern@I@ Deses

Bewusstsein@ kann@ die@ aus@ der@ Fremde@ eingefuhrten@ Relieionen@ mit@Toe-

ranz@ betrachten@ und@ ihre@ GotthC ten@ in@ die@ Reihe@ der@ einheimi chen

Gotter@ aufnehmen , Das@ hangt@von@Stimmung@und@Gemut@ab . Der@Japaner

ist@fahig , das@ Gottli he@ in@ der@ Natur@ empfinden . "@Al Ⅰ s@ in@ der@ Natur ,

was@ auf@ das@ Gemut@ Eindruck@ macht , wi d@ a Ⅰ got Ⅰ i h@ verehrt , "@ (ibid

5.138.7

Vom@ Ⅱ panischen@ Gesi htspunkt@ aus@ konnen@ sich@ die@ verschi denen

Religionen@ miteinander@ vermi chen@ und@ zug Ⅰ ich@ kann@ j de@ Religi n@ fur

sich@ selbst@ weiter@ erhalten@ b Ⅰ iben . So@ ist@ es@ moglich , dass@ POytheismus

und@ Monotheismus@haufig@nebeneinanber@bestehen . Der@j panische@Mensch

lasst@ sich , unabhangig@ von@ sCnem@ G Ⅰ uben , von@ den@ verschi denen@ RCi-

gionen@ beeinflussen@ und@ liebt@ es,@ an@ den@ verschiedenen@ Festen@ teilzuneh-

men , Mitte@ Dezember@ werden@ die@ Stadte@ und@ Strassen@ mit@ dem@ Wei-

hnachtsbaum@ und@ Sankt@ Nikolaus@ geschmuckt@ und@ man@ Sngt@ "@Stil Ⅰ

Nacht , Heilige@ Nacht" , Kommen@Auslander , die@ an@ den@ christlichen@ Gott

g Ⅰ uben,@ nach@ Japan,@ so@ konnte@ vi l Ⅰ icht@der@Eindruck@ entstehen,@ Japan

sei@ ein@ chris Ⅰ iches@ Land , In@ Wahrheit@ Snd@ sie@ nicht@ 3 Ⅰ Japaner , die

am@ Weihnachtsfest@ teilnehmen , Christen , im@ Gegenteil , nur@wenige , Die

ubrigen@ glauben , Weihnachten@ sei@ ein@ Fest , das@ psychologisch@ den@Feiern

des@ Shintoismus@ oder@ Buddhismus@ ahnelt , Fur@ fremdiandische@ Menschen

ist@ das@ ganz@ unbegrCflich

Wenn@ die@ Ki der@ 3@Jahre@ und@ 5@Jahre@ und@ die@ Tochter@ 7@Jahre@ 3t

geworden@ sind , dann@ werden@ sie@ von@ ihren@ Eitern@ gefeiert , Die@ Kinder ,

prachtig@ gekleidet , gehen@ mit@ den@ E Ⅰ ern@ zum@ Shinto-TempC@ und@ beten

vor@ dem@ Shinto-Gott , Dann@ werden@ i nen@ Bonbon-Tuten@ vom@ Priester

geschenkt . Es@ ist@ sehr@ bemerkenswert , dass@ in@ der@ Gegenwart@ auch

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, einige@ protestantische@ Kirchen@ dieses@ Fest@ feiern . Nur@ ist@ bei@ ihnen@ ein

Kreuz auf den Bo Ⅱ tbon 一 ESack gedruck Ⅰ

Das@ japanische@ religose@ Bewusstsein@ beruht@ immer@ auf@ dem@ Boden

des@ unbestimmbaren@ polytheistischen@ und@ mystischen@ Gemutes . Eriauben

Sie@ bitte,@ noch@ einmal@ als@ Beispiel@ den@ Ⅱ panischen@ Buddhismus@ an ,

zufuhren , der@ sehr@ komPiziert@ ist , weil@ er@ widersprechende@Elemente@ in

'der@ monotheistischen@ bzw , den@ polytheistischen@ Sekten@ enthalt , Jene@ ist

die@ von@ den@ Monch@ Shinran@ gestiftete@ Jodo-Shin-Sekte , die@ an@ Amida-

Buddha@ allCn@ glaubt . Die@ ubrigen@ Sekten@ sind@ noch@ mehr@ kompliziert

F ・ So@ verehrt@ z , B , die@ Tendai-Sekte@ SBuddhas , und@ die@ Zen-Sekte@ hat ,

wie@ spater@ erklart@ wird,@ eben@ ganz@ unbeschrCbbaren@ Charakter

3)@ Das@ Bewusstsein@ des@ "@Nicht"@ im@ Zen

Nun@ wolen@ wir@ den@ Charakter@ des@ Zen@ in@ Bezug@ auf@ das@ Wesen

des@ Ⅱ panischen@ religosen@ BewusstsCns@ uberblicken , Zen@ betrachtet

die@ ganze@ Natur@ als@ Buddha-Natur , Der@ beruhmteste@ Monch@ Dogen

der@ Soto-Sekte@ sagt:@ der@ Bar ・ der@ Bambus , der@ Fels@ usw , alle@ sind

Buddha . Das@ wird@ Ihnen@ vielleicht@ pantheistisch@ klingen , Aber@ alles ,

Monotheismus , Polytheismus@ und@ Pantheismus , ist@ im@ Zen@ ausgewogen

Zen@ steht@ ursprunglich@ j nseits@ dieser@ K3tegorien , entsprechend@ der

Eigenart@ des@ japanischen@ religosen@ Bewusstseins , Im@ Zen@ spielt@ die@Mys ,

tik@ die@ grosse@ Rolle , welche@ sehr@ intellektuell@ und@ metaphysisch@ und

zugleich@ sehr@ praktisch@ ist , Metaphysik@ und@ Philosophie@ mussen@ a@ priori

j den@ Augen5ick@ des@ wirkli hen@ und@ taglichen@ Lebens@ bestimmen

Dazu@ kommen@ noch@ weitere@ Egentumlichkeiten@ des@Zen , Zen@negiert

die@ orthodoxen@ Sutras , in@ denen@ die@ Worte@ und@ Predigten@ des@Gautama-

Buddha@ gesammelt@ sind , es@ 1st@ also@ esoterisch , Anstatt@ der@ orthodoxen

Sutras@ gibt@ Zen@ verschiedene@ Grundregein , z . B , "@Kein@ Wort , kein@Buch

stabe" , Dazu@ muss@ man@ in@ Meditationen@ sitzen , das@heisst@auf@ japanisch

"@zazen" , Aber@ dieses@ Zasen@ muss@ immer@ vollig@ leer@ sein,@ ohne@ Wort,

ohne@ Denken , ohne@ Bewusstsein@ und@ ohne@Handlung , d . h . auf@griechisch ,

enoxYj ・ Dadurch@ soli@ die@ religose@ Erweckung@ (sator@@ bewi kt@ werden ・

DabC@ spielt@ sehr@ stark@ d@@ geistige@ Anschauung@ mit , die@ wesentlich

verschieden@ ist@ von@ der@ Schellings . Sie@ i t@ vielmehr@ das@ rCigose@ Myste ,

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rium , in@ dem@ Zen@ sogar@ sich@ selbst@ und@ auch@Buddha@negiert ・ Zen@ kann

man@ unmoglich@ nur@ durch@ die@ Schriften@ verstehen , Durch@ die@ NCgation

wird@ das@ Zen-Bewusstsein@ mit@ der@ N2tur@ eins , und@ dies@ ist@nur@mit@dem

"@Nicht"@ und@ durch@ das@ "@Nicht"@ moglich . Die@ Grundlehre@ des@ Zen

besag Ⅰ "@Wie@ d@@ fliegende@ Wolke@ und@ der@ fliessende@ Strom" . Di ser

Satz@ ist@ nichts@ anders@ als@ ein@ Symbol , Im@ Zen@ sollen@ die@ Menschen , die

Natur@ und@ Buddha@ alle@ zusammen@ verschwinden . In@ diesem@ Sinne@ ist

Zen@ WCder@ Monotheismus@ noch@ Polytheismus@ noch@ Pantheismus , Einige

3ldworte@ lauten:"@Breiter@ Weg@ hat@ kein@ Tor" , "@Menschenseele@ muss

augenblicklich@ angezeigt@ werden . An@ j dem@ Ort@ muss@ man@ selber

herrschen@"@ und@ so@ welter ,

Znnachst@ mochte@ man@ dagegen@ einwenden , dass@diese@buchsta Ⅰ ichen

Ausdrucke@ notwendig@ in@ Widerspruch@ mit@ sich@ selbst@ stehen , Aber@ im

Grunde@ gibt@ es@ im@ Zen-Bewusstsein@ gar@ keine@ Widerspruche,@ weil@ Zen

immer@ nur@ im@ "@Nicht"@ beheimatet@ ist ・ Dieses@ "@Nicht"@ steht@ nicht@ im

Gegensatz@ zum@ Sein@ und@ ist@ etwas@ ganz@ anders@ als@ das@ "@Nicht"@ des

Existentialismus@ (z . B . Sartre@ oder@ Heidegger) , Ich@ hielt@ daruber@ einen

Vortrag@ in@ der@ Universitat@ zu@ Marburg@ 1960 , der@ in@ "@NUMEN@ "@ (Vol

IX . Fasc 、 1.@Jan , 1962)@ veroffentlicht@ ist . Dieses@ "@Nicht"@ ist@zwar@auf@ei er

Seite@ durch@ den@ Kontakt@ zwischen@ Zen-Priester@ und@ Schuler@ erreichbar ,

aber , wie@ schon@ gesagt , immer@ nur@ ohne@ Worte@ und@ohne@Buchstabe . In

der@ japanischen@ Religionsgeschichte@ gibt@ es@ 3@Zen-Schulen

1.@ Rinzai-Zen , begrundet@ von@ dem@ Monch@ Eisai

2. S6t6 一 Zen, beg Ⅰ 廿 ndet von M6nch D6gen

3.@ Ohbaku-Zen,@ eingefuhrt@ von@dem@chinesischen@Monch@Yin-Yuan

(auf@ j panisch@ Ingen) 、

Die@ Denkweise@ des@ Zen@ hat@ spezifisch@ morgenlandischen@ Charakter

Das@ religose@ Bewusstsein@ lasst,@ je@ nachdem,@ zuweilen@den@Monotheismus

und@ Polytheismus@ zusammenbestehen 、 oder@ es@ kann@ beide@ aufheben@ und

jenseits@ beider@ stehen ・ Wenn@ man@ den@ Zen-Priester@ fragt . z , B , was@ ist

monotheistisch@oder@polytheistisch@?@ dann@wird@er@nur@schweigend@lachein ,

well@ diese@ Frage@ fur@ Zen@ reiner@ Unsinn@ ist , Zen@ gehort@ einer@ hoheren

Metaphysik@ und@ Philosophic@ an@ und@ ist@ zugleich@ die@ konkrete@ Leben

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spraxis . "Nihil@est@in@intellectu@quod@non@prius@ fuerit@in@sensu , "@...@,.dieser

Satz@hat@auch@in@Zen@seine@Gultigkeit . Das@japanische@religose@Bewusstsein

will@ nach@ meiner@ Meinung@ ein@ Symbol@ des@ Glaubens@ in@ der@ Natur

verwirklichen , Dazu@ muss , besonders@ im@ Zen , das@ Bewusstsein@ zum

unbewussten@ Bewusstsein@ werden,@ das@ sin Ⅰ ich@ und@ geistig@ die@ Wirkung

oder@ Offenbarung@ des@ absoluten@ "@Nicht"@ 1st . Dieses@ "@Nicht@"@ setzt@ die

Unterschiede zwischen Gott (Buddha) und Menschen , zwischen Natur

und@ Menschen , zwi chen@ Monotheismus@ und@ Polytheismus , und@ zwischen

einer@ Religion@ und@ anderen@ Religionen@ und@ hebt@ doch@ zug Ⅰ ich@ alle@ Un

terschiede@ auf , Hier@ liegt@ die@ Eigentumlichkeit@ des@ j panischen@religosen

Gemuts@ und@ der@ morgenlandischen@ Logik . Daraus@ ergibt@ sich , dass@ das

Wesen des japanischen religosen。ewusstseins『eder[onotheistisch]och

poytheistisch noch pantheistisch verstanden werden kann . Wenn ich zu

Beginn@ dieses@ Aufsatzes@ ganz@ allgemein@ die@ polytheistische@ Neigung

aufgezeigt@ habe , so@ war@ das@ gleichsam@nur@als@ein@anfanglicher@Leitfaden

gedacht .

Ich@ mochte@ schliessen@ mit@ dem@ Satz@ von@ Herrn@ Professor@ Heiler

".ie niederste und die hochste , die unvollkommenste und vollkom-

menste , die@ sinnlichste@und@geistigste@ Religion@ sind@ letztlich@ eins . "@ (Prof

Heiler:@ Die@ Religionen@ der@ Menschheit , S . 15.)

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On the numbers of the Suttas in the Samyutta-Nikiiya

Mitsuyoshi Saigusa

The numbers of the Suttas in the Samyutta-Niksya are various counted in

.some accademic works. They are miscalculated by Professors C. Akanuma, B.

Masutani and E. Mayeda. Although PTS (Pali Text Society, Samyutta-Nikciya,

5 vols., edited by L6on Feer) and Professors H. Ui and K.Mizuno, who quote

from the result of the PTS, show the certainly reasonable numbers, I find a few

unsatisfied numbers in the PTS Vols. I11 and IV, and some mistakes in the PTS

Vol v. Especially in the XLIII Asankhata-Samyutta of the PTS Vol. IV (Introduction

p. xi), 44 (or 1463 ?) Suttas must be 44 (or 1496) Suttas, and accordingly the

total by another calculation of the PTS Vol. IV (p. xii) would amount to 1,883

Sut tas (instead of 1,850 Suttas. )

In the PTS Vol. V, I may point out the following errata in the six Samyuttas--

Samyutta numbers of the Suttas in the PTS V correct numbers of the Suttas

XLV 180 181

XLVI 187 186

XLVII 103 100

XLVIII 185 178

L 110 108

LVI 131 126

Total 1,208 1,191

In these six Samyuttas the each No. of the Suttas is to be revised, i .e.

170 ( l l ) + l 7 l ( l l ) (p. 58), 171(1)-172(1) (p. 59) etc. The reason why I dare to

correct the numbers and the each revised No. of the Suttas are fully explained

in my japanese sentence.

The total of the numbers of the Suttas in the Samyutta-NilrSva is to amount to

2,872, instead of 2,889 (PTS Vol. V, Introduction p. viii. j

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Religious Behaviour and Actor's Position in his Household

Kiyomi Morioka

The aim of the present paper is to elucidate the tendency that a particular

sort of religious behaviour is performed by an actor with a paricular position:in

his household, making an intensive use of materials (a kind of time-budget) from

one agricultural neighborhood in western Japan.

Most religious behaviour recorded in the materials is customary behaviour

performed through participation in annual religious events. Therefore, a classifica-

tion of annual religious events leads to that of religious behaviour. The classifica-

tion of annual religious events adopted here i s : 1) religious events to which every

constituent household of a neighborhood has to send a participant, 2) religious

events which take place in temples and shrines in the form of Shinto festivals o r

Buddhist services, and 3) religious events which take place in individual households

in connection with, or independently of, 1) or 2).

In the neighborhood religious events, the principal participants are farm

managers and young household heads, whereas participation of the old people is

predominant in the religious events of the second and the third categories.

The old are also the main discipliner of the youngest generation in religious

rituals and events. Therefore, in the one-couple household lacking old people, not

only the volume of religious practices decreases but also the religious training of

the young people is hardly done.

Contrary to the generally accepted view, it is hard to maintain that women's

participation is highly noticeable.

Generalizalization of our findings may have some regional limitation. It i s

well to be said, however, that the present paper is a sociological contribution

which highlights one important, though badly neglected, aspect of the relation

between family and religion in Japan.

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SHOMAN AND IDAIKE --- The comparative study of the fundamental

characters between the commentaries of Prince Shatoku and of Zendo--

Haruhiko Masaki

There are many commentaries on the "Srirnhlb-sfitraw and Kuang-wu-liang shou-

ching ". In these Stitra, ladies (e. g. Srimblh anb Vaidkhi) act as heroins. Though

their subjects are quite different with each other, the two annotated by Prince

ShBtoku and ZendB have much in common especially in the fundamental characters.

They were leading scholar of Buddhism, well-known for uniqueness and had the

greate influence on the Buddhist thought. What is more, they gave priority to

the practice of Buddhistic austerities over the theoretical study which were hard

to make out.

In the first chapter of this paper, I made the character of Prince ShBtoku's

view of Srimdlh clear contrasting with KajB's "Shbng-man-ching-pao-k6". In the

second, I revealed ZendB's (Shan-tao's) view of Vaidkhi comparing with the other

representative commentaries such as JByB's (Eon's) " Kuang-wu-liang-shou-ching-

i-shu ", KajB's (KichizB'sj " Kuang-wu-liang-shou-ching-i-shu " and Tendai's

(Chigi's) " Kuang-wu-liang-shou-fu-ching-shu ". At last chapser, I inquired into

the meaning of the likenes of the fundamental characters between Prince ShBtoku's

and ZendB's opinion of the ladies (Srimbll and Vaidbhi).

I drew conclusion in some points, but in my estimation further examination

must be required on this subject.