琥七十四第孫降臨 せ られ 、 尉 武 天 皇 建図 の基 を 開 き 給 ひ て よ...

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(典大 御 就 奉 ) ' 部百三千四高十二 計累 =部 百七千六 敷部邪 1印 琥本=行 喪日サ |卜月一 十年三和昭

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Page 1: 琥七十四第孫降臨 せ られ 、 尉 武 天 皇 建図 の基 を 開 き 給 ひ て よ り 二千 五百八十八年 、 此間 皇 室 を 回続せ る分家 支流は

琥 七 十 四 第

(典 大 御 就 奉) '

部百三千四高十二計累=部百七千六敷部邪1印琥本=行喪日サ|卜 月一十年三和昭

Page 2: 琥七十四第孫降臨 せ られ 、 尉 武 天 皇 建図 の基 を 開 き 給 ひ て よ り 二千 五百八十八年 、 此間 皇 室 を 回続せ る分家 支流は

典 大 御 硯

0本科校外生=鰈攣″特レ順ν確卦好略嘘i學形‐し、

=復興豫科詳義録全一ハ窓を學修し、

入學若殺到H遼巡上

生の恨事

雷如評好束出容二第目 丁 二 町 錦 田 耐 京 東

(四 入 一 三 一 京 東 替 振)

修 業==仝十二巷、 一年修了続御鱗略酬剌挫U新

授業料=毎巷一園、一一各以上は城額.此際入學金免除

色―鍋鯨証騨纂評堤霧艦弊繕腿

度―酔縛群製の者・に耐,飾【スの一櫛ス義鶏抑彬ダ

H校

=入

質兵自由L規定の答葉を提出し、試瞼に依り校内生同様の卒業講書を

――ヽ・庄懸】

(を解義を附し質疑應答の制度を設け修業詮書を授くる特別通信教授。

調

「一

十餘年

の結半

度 制 新 授 教 外 校 と録 義 講 刊 新

呈 進 料 無 第 久 込 申 書 則 規―

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典 大 御 硯

\血

忘攣麒鮮継静暉后纂。〃計積定代搬

贔屋科基甲聯駄絲鴇攣籐紳。4墨

工H.

Page 4: 琥七十四第孫降臨 せ られ 、 尉 武 天 皇 建図 の基 を 開 き 給 ひ て よ り 二千 五百八十八年 、 此間 皇 室 を 回続せ る分家 支流は

戸 上 電 気 と其 製 品

弊 所 の 主 要 製 品。

1日 戸上式自働酉E電装置用器具 ……………………中(日英米獨佛伊特許)

2日 動力線白働迷断器…………(特許)。 3.線路用過買荷迷断器…。(新案)

4。 坑内用密閉油入開閉器…(特許)。 5ロ モー トル安全開閉器…〈特許)

6日 糧上用油入開閉器…………(新案)。 7日 家庭用電気掩時計 ……(特許)

8.過買荷警報器

弊所の前景……大正十五年十一月賜侍従御差遣之巣。

名器の詳細なる諭明書定慣表等あり御請求下さい。

本蔵―佐賀鼎東側(電話長 177,179番 )

東 京 出 張 所―一東 京 新 橋 騨 前

名古屋出張所―釜墓唇万要夢雰(電話西長 3530,3531,3532番 )

新橋 ビル デング内三 階(電 話銀 座 長 1650,3013番)

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・E・電

 

 

 

 

▲弊

所製

の電氣

器は多年

の経

練な技

の研究

努力

つて製

致し

てかります

▲指度精

にし

て耐久

度高く

心し

て御使

用願

へます優良

國産

ござ

います

京株

横 界澁

電話青山{産に九 六

三 〇

番呑 所

 

店萱

芝E金杉川口町二十七

話高

輪四三三四

大陶碍子、會津碍子内外

線材料

芝E芝口一丁目一五電話銀座三九三〇

部汽鱚、汽機、水力機の組立据付L途電線、

電鐵工事の設計請負、三菱製機械の販賣

代會

の後

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典 大 御 就 奉

(代 ケ 君 車 電 花 就 つ (門 汎 奉 前 城 宮)

容  頭

 

一言

電流制限器代用としての過負荷警報器に就て

戸上電機製作所

含・員

文穴

熱源の電化指針

Qじ………………正

員 赤

昌 一‥六

0し―・…≧〕機学校助敦投 高

円勇

法學士栗津活亮先生嵐諭…………………………………‥……(九

昔  辞

‥……………………・電機學校々長 加

夫…(十

第四十同卒業生名絡

‥……………………………………………六

生六

‥……………………………………・…………,六十四)

會     親

‥…………………………………………………六十四)

含費領牧、曾員動甜、支部ECR會通信

支部ECR會所在地及會長

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(― )

壽無彊

(御通塔肌奉頭畔御着都京)(門趙建御着営皇都京筆鳳御)

仲秋の大容澄み波りて、菊花香しき十

一月六日 天皇陛下には印位の御大典を黎行せら

れんが鳥L鳳彗東京を凄し、山紫水明の地たる手安京に御幸し給ふ。同十日には御帥位泄

を撃げられ、 

皇位御椎承、四海に粛臨ましませる御旨を中外に御宜あらせらる。久で大

嘗・祭其他数多くの御大潜議侵を行はせらる、此御事たる畏くも 陛下御

一代唯

一度の御大

典にして建図以茶連綿たる人皇百二十四代の 皇統を確がせられ、以て君民

一家を図家の

素質としたる世界無比の我図催を傑承せられ給ふ 誠や大反高棋の都大路より、山の端.

海の果てまでも罫國籠民

一齊に此慶典を削貸し奉る庭にして、吾等壼高七千の電機學友會

々員亦残に浦膝の赤誠を捧げて、聖壽の無疑Z所り、費稚の隆盛を奉冽す。

惟るに 皇祗苗世

一系、天譲無窮の肺勅を垂れ、天孫降臨せられ、尉武天皇建図の基を

開き給ひてより二千五百八十八年、此間 皇室を回続せる分家支流は

一大家族を形成し途

に今日の如く大和民族の凄達を茶したり、かるが改に八千高同胞の 陛下を仰ぎ奉る君臣

の情は誠に親子の情にして、今回の御大典に際し、之等を目のあた

,に昇し感銘に不堪る

虚なり。

近時較たもすれば、湾薄にも西洋輸入の片々たる唯物思想に惑湯せる結果として三千年

末婦はれ木れる我図岡有の民挨精耐を無みさんと企て、或は第三インター、ナシヨナルの

如き指国に易々之柱従はんとする徒輩のあるを聞知するは資に吾等同胞の恥なるのみなら

す上は 皇室に卦し奉り。下は祀父に封し恐腔に不堪ぎる虎なり。須らく、彼等をして速

に迷夢を去らしめ、

共の非を語らしむべきなり。

我大日本帝園は建國以茶未だ會て外敵の辱しめを受けたる無し、恨令今後思担囲難の迫

るとも屡代列聖の耐護と署図同胞の協力とにより、如何なる思想も之れを征服し、沿化し、

以て日本田有の精瀞に融合せしめ、昭和維新の新文化を創造すべき事明なり。

吾等全省員は此君民

一皓の御大典を奉朋すると共に縮、鉄力協心、互に相警め、相働女

し、以て 皇室の御繁柴と図運の凌展とに資せんが舟め各自共業務に勉励努力せん事を期

す。

― (757)一

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(工 )

電流制限器代用としての過負荷警報器に就て

戸上電機製作所

 

 

 

 

は過負荷の警告を興

へる程度に止めるのが、最

も穏営な方法ではないかと考

へられる。

本案涸負荷警報器は、電流が所定日常電流以

上に達する時は、交流の固有振動により詈響を

稜する。帥ち警昔を興

へ負荷が所定電流以下に

成するに非ぎれば,絶封に音響を停止しない。

此吾響を相営大にして置けば、戸外に迄響き渡

,.需要家をして、負荷を軽減せしめざるを得

ぎるに至らしむるのである。

負過荷普報器の原理及構造

本器の原理は、第

一国に羹て、凹宇形をなす

成居鋭心(1)に、コイル(2)を有し、他の一邊

に、振動板(3)を置き、鐵心と振動板との間に

笙際Xを有せしむ。(4)は電流指針で或る電流

に封じ適首なる容隙Xを興ふる如くなす。

今上記の構造を適営になす時は、指針の指す

電流に達するときは.直ちに青響を稜するも、

英れ以下の時は、絶封に音響を段しないと云ふ

性質を有する事を賃験の結果明かにした。

本考集は賃に此作用を巧みに利用したもので

ある。

或る電流に当する基陳Xは質瞼の結果、自然

定まるもので、大電流程大なる塞隙を要するの

である。

 

 

一言

電登電力會磁に於て、電流制限器の必要なる事は

騒々報せられ、又井多の人々により,其機造動作等

が談表せられたに拘らず、未だ完全なるものを見な

いやらである。弊砒も御多聞にもれず、永らく各型

式の電流制限器に就て、研究を紹け、敷種の特許確

も得たが、末だ商品として、安便確賞なものが出束

ないのを遺憾に思ホてゐた。然るに最近偶然の機會

に、極めて簡単確賞な過負荷警報器を考案した。之

を電流制限器代用として、電燈電力會磁に探用方を

交渉し、意外の好許を樽した。以下本器の敷果作用

等に就て、述べて見たいと思ふ。

過負荷警報器の数果

元茶電流制限器を取付くる目的は、需要家を

して、所定以上の過大電流を使用せしめないと

いふのが、主なる目的であるが、旬器具の燒損

火災の危除より免れしめる事が第

二の目的であ

る。殊に定穎料金の場合の如き、盗用電力は.

申込電力の、8沢

から、甚だしきは、8\

も及び、真大な金額に相営すると言はれてゐる

そこで此盗用を防ぐためにぃ電流制限器を設置

して.若し過負荷すれば、直ちに引込口に於て

回路を進断するか、又は琳滅するのであるが、

大事な時に、電流制限器が働いたとした場合等

非常に需要奴は迷惑を蒙り、電燈電力會祗に封

し却て悪感を懐く事になるので、引いては、電

燈争議を誘凌十るやうな、デリヶl卜な問題と

なる虞もあるやうに思はれる。帥ち、多少過負

荷したからと言つて、直ちに同路を迷断するの

は考

へものである。何とかして需要家に危険又

――――(758)一

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(三 )

第二国甲及乙国は、賃際の構造を示す正面及

び側面国で、全眸Xを調整するに、(5)なるネ

ヂを以てなして居る。

要するに、本器の構造は単に、コイル、鐵心

振動板を有し奏際Xを調整するだけで、電流調

整をもなし得る、極めて簡単なるものである。

従つて

一般電流制限器より、慣格低廉で、且つ

信頼度の高い事も想像出茶るJ衛本器の大特長

は、内部に何等電気的接閥部を有しないからも

相宙の耐久力のある事も想像に難くない。

本器は電熱器等の大電流に適営なるばかりで

なく、 一アムペヤー以下の、小電流のものも、

決して製作困難でないから、 〓

一灯の小需要家

にも設置し得るので、定穎料金制は本器の設置

により、初めて稔営にして確賃なるものと、な

りはせぬかと思ふのである。第二国は本器設置

一例国である。

   論

以上は、電流制限に勤する、弊所の意見を述ぺた

もので、徒束の電流制限器は、債格が相営高いし、

接隅部等の篤ら、耐久性が少ないのと、需要家に悪

感を媒かせるやうな結果になり易いから、結局

一般

電流制限器の代りに、本条の様な警報器を設置する

事が合理的でュつ経済的であると思ふ事を述べたの

である。

第四十六銑C一頁より績き)

マグネチツク二一―ドルの磁気測定に就いて

最初

げ出テド汁的曲滓SSこのけq

日0耐F&

とし

のoHI

DO津

ての測定法に改良を施し、これにより種々の

日譜島旨

EO&汀としての特性を研究した。其結果

不鮮明乍ら概念を邊たと云ふ事は、我々の意を郎く

する所である。

衛機會を得れば、研究を進める心組である。

徒束

げい〓り付ド中ωイ営o彗o店

が餘り使用されなか

つた原因は、前に迪ぺた様に、取扱不側、結果不確

質なる事であつて、磁気測定に就いては可なりの不

使を感じてゐた。然して

け口】デ付〓菊些SBoこのドq

にて、磁気測定を行ふと云ふ事は電気屋より物理學

者の方の領分であつた事によつても頷かれる。

新しい

8易命”岸

の測定法としては、使用器械は

”ヨ日0一q

呂り沖粋営3

一oИF出月威R①8営等始絡我

たが英れを見、又は使用してゐるものであつて、極

く我々と交際し易いものであつて、取扱も前に述ペ

た通り非常に簡単で持連び便利、而して結果正確と

云ふ特鞘がある。諸君も工場憂電所等に於て、

瑞呂、畔q

日津R

等の

いoェ

いEx

を測定する際に

本方法を應用されたなれば、英の使利なことに頷か

れるであらうと思ひます。絡りに営ECR會員諾君

の御挨拶を感謝致します。衛木賞腋に於ける,誤謬

偏見等御氣付の鮎は、忌憚なく御教示を賜る様御願

致します。〔完)

(第六買より績く)

共代

Pケ月

ゃЮ錢以上の利径はどしどし小口

電力によつて同牧につとめれば電燈配電線路の

も使用傘多くなる、帥電熱を電燈に合めた

主一α仲】δppp卜すヽは上昇する諄で、結局會

祗の利徐上昇となるのである。

結  論

上述する所は結局

一家

一戸

伽8電岸付をモツ

トーとして電燈含祀、家庭電気普及會、電器製

造赤が協力

一致して正しく局に営るならば金

千高戸の電燈需要家の共

一割はおろか共全部印

部o8・o8

,日・日

の電力泊化が出茶る評である

これが私のュトーピアである。 

 

 

(完)

固 三 第

(甲)国 三 第

(乙)国 三 第

― (760)――――

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(四 )

電燈線より使用する電熟と普及せしめよ

Юドミ・∝r雪・等

一部の電熟需要家の鶯に特別

配級をさせてすゝむる事は第二段の策で可。然

ろに現在書夜問途電をした所でも第二段の策を

一として電熱の勘誘をして居るがそれは能李

の悪い方法と思ふ。改に前述のやうな批難が出

て茶るのである。私は東京市内外を歩いて洗濯

屋と洋服裁縫屋の前を通るとき抜二三年知らぬ

間に殆電気アイロンに憂つて居るのに驚かされ

る。尤もこれには電灯會祀も製造須も

一方なら

ぬ宣樽した効を見逃してはならないのであるが

失張り第

一因は書夜問途電線の完成に依

,何等

の繁雑もなく想ひのまゝのアイロンを買つて末

て使用出茶典文料金は安慣であるから便利の熟

で之以上となき電氣アイロンの普及せぬ道理が

ないのである。斯普及せる以上数年前

騨o国以

上したものがω図以下で求められるやうになつ

たのである。斯してアイロンの普及は総々盛と

なり全國を風靡するであらう。蓋電燈會祗に依

つて上る牧人は見逃すべからぎるも

のであ

 

 

 

筈。アイロンは最も衛撃な例であるが之に類似

伽8賞岸一以下の器具で墓所用、讐療用、化

粧用、職業用、 一一撃げれば際限がなく、それ

らの開拓に電燈會成も

ヨop√】も共に協力

一致

努力する事が先決問題であると思ふ。

伽8】o8

r要

の増加可能

電力供給含耐は何れも電力過剰に苦しみ其消

化策に頭を悩し、苦しまぎれに隆分不利粂な條

件で新規契約を結んで居るものさへあるが餘り

にあせり過ぎて手近の有望なるドル箱を見衿て

ヽ置く

のを遺憾とす。今似に

甑F目

の工業電

一佃を開始するも

い8

雪岸■のアィロン又は

類似の電燈線より使用可能の小日電力、又は電

熱を

ドo口使用した方が直接間接に電力供給含

泄の鳥に利給になり又需要荻よりも賞讃ёれる

事必定である。私は単なる技術者として後者よ

りも前者の開拓に興味を持つて居るが、それは

會走経営に開せすえんの純技術的研究にして必

要獣く可からざる事ではあるが後者を卑近な仕

事として閑却する事は大きな誤であるc今恨に

國の全電燈需要戸敷を

一千萬

戸として共

牌o

帥百萬戸に各

甑8

<伴一づゝの電熱又はカ

ロ電力を消化せしめたならば賃に

頓8】3oす要・

ではないか。之は断じて誇大なる数字でなく、

質行可能のも●と私は信す。何年度迄には何萬

キロ又は何十高キロ過剰になると戦々航々とし

て電力協定とか喪電制限とかのL之等の消れ策

も現在の経済状態では事情不得已ないかも知れ

ぬが

一方積極的に能傘的な手近の電力消化の新

開拓に技術者が全力を基ぐ可きとき

はな

,か,・余

は何故に小呵電熟とすよむるか

それは供給會祗も需要象もお互に利冬である

からである。共の理由は丁陵電灯の如く競3の

相手が甚だ能李が悪くつて甚だ取扱が厄介だか

らである。例令ば丁度アイロンをかけやうと思

つても徒茶のものなら人を起してそ

れを入れ

る。下手にやると人が治える。質に厄介なもの

だ。またパンを燒かんとして之を木及に依るも

瓦斯に依るも仲々厄介で餘程注意せねば買黒に

してしまふ位は千気だ。或は又盛夏急の末客に

茶の湯を沸すなど瓦新はまだよし、木及に至り

ては大種子さへなくなり勝で厄介至極なもので

ある。

― (760)一

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(工 )

然るにこれらのものが電熱に依るときは何れ

Ю8

〓岸付か

ω8

スμ付程度で

Юlω分か

領分で完全に

∽電】付争

一つひねつた丈で目的を

達せられるのだから電熱の方は殆ど無駄がなく

小口電熟と大口需要の電熟器と使用能傘も器具

能傘も殆ど憂がないが相手の燃焼器は小日に至

る程大口に比し使用能傘も器具能傘も甚しく低

下する最大の故部を有して居る。弦に好適の

例を述ぶれば墓所の電化をして居る人々も風呂

は瓦斯なり石炭で沸して居る人々の多きは、 一

は石羨の如き安慣にして熟慣の多きものを使用

するにも起囚するが蔓所の器具より能率よく烏

に電気と甚しき懸隔があるからである。之が私

が小日を張調する理由の一である。従つて料金

も安くなる。

恨り

∞8

電障けを

ドo分問使用しても漸く

翼山

Pr・翼・Ь

錢として

o~銭然も之

丈の時間があれば。ハンも焼ければ、茶の湯も充

分、アイ

,ンもかけらにる。到底他の燃料の及

ぷ所でない。ょし高いとしても候に

ω8

電い麻

の器具を

卜日

甑時間違績使用して一ケ月電燈

料金で東京市内の料金計算にすると

〕・ざ

回で

はないか

一鯉人間は便利なものになると茎だ高

慣でない限り必すそれに靡くものである。試に

へよ税力は石油ランプ、又は瓦斯燈と,電燈

と、果して何れが高慣か、若高慣ならどれがど

れ程高便であるかを知つて居る人が今時の人間

に幾人あるか? 旨際石油燈が安いかも知れぬ

又瓦斯燈が安慣かも知れぬ「然し何人も何等の

詮議もせすに燈火と云へば電燈と決め込んで居

るではないか。よし電燈が高慣としても普通家

庭で

一ケ月の電燈料が

wlゃ園程度の支出は別

して苦痛も感じないから,便利でよい電燈に無

條件で走るのである。小日電熟もこの筆法で必

す普及すべき筈である之第二の理由である。電

熱を使用せんがために特別の配線をする必要が

ないから思ひのま▲の燃燒器具を買つて茶て帥

座に使用出茶ると同様であるから何等の繁雑を

要さない、之第二の大きな理由である。

器具代も安慣で求められる。普及するに従つ

て一年毎に急速度を以つて下落しつよある。帥

一般に時貢慾を招かしむる事となる之第四の理

由である。

小器具はま計上有利な條件を多く有し】h浄も

非常に長く出茶るのである。だから故障に封す

る批難は或程度迄絶無に出茶る筈である。よし

故障が起つても修型が至極簡単である。私は思

ふに速からす電熱器の修理は需要家が自らやる

やうになる筈。改に

こp汗q

も素人が自分で簡

卓に修理出茶るやうな器具を造るやうにせなば

ならぬ。之第五の理由である。共他列暴すれば

際限ない程有利な熱がある。

家庭電気普及會にのぞむ

宏庭電気普及會が創立日筒洩きにかゝはらす

営局若は日夜家庭電気普及の舟に雑誌L講演、

展覧會に、腎演に.詩留に、精働さんてゐる事に

浦隆の敬意を表するが、私は更にもう

一つの事

業を加へて貨ひたい希望を有すcそれは會員全

部の家庭を先、順を追基て電化する事で現在の

普通會員の含費は含誌に憂化して居る丈である

一年に一度又は牛年に一度位づゝ會員に希望

の優秀なる宍庭用電気器具の配布を企つ事でも

共質行方法として、いはゆる無鶏講類似方法、

共他幾多の手段もあるであらう。それは先決問

題として會員の電熟使用状態調査

一覧を造る事

が必要でみる。斯して雑誌を讀む丈の會員でな

く更に積極的に宏庭電化責行の會員たらしむる

やうに仕向けられるやう

一居の努力を望む。

電燈含砒と電熱器製造家の協調

元茶電熱器の製造は非常に難く、殊に工業用

に至りては各製造久は幾多の犠牲を排つて、衛

苦みつヽあるのでぁる。然るに一方素人の電熱

中―――(771,トーーー

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(六 )

器製造家が無限に散在し

て居る。 一催

日津q

とか憂墜器の如きものは、素人は

一寸手を出せ

ないが電熱器に至つては、正しき設計と、正しき

製作が出茶なくつても、誤つた設計の製作の

時間に合せは素人でも容易に出茶る。それが我

々の最も恐る問題である。余庭電熟の普及の遅

々として進まぬ原因の

一として此事も見逃して

はならない。私は憂座器の設計や製作もやつて

居る。然し電熟器の方が様

々の應用に打失つて

共設計に頭を悩す事が造に多い。決して一般の

想像される程簡単にかたつけられるものではな

い。相曽信用ある製造奈は何れも、苦心惨謄多

大の犠牲を排つて研究されて居る筈である。だ

から電燈含祗は信用ある

日p√Lと協調、お互

に意見を披涯して長短相補うやうにせねばなら

ぬ。ヨp√Hの意見と

て絶封的に信ぜられぬ

事もあるだらう。同様に電燈會祀、又は、需要

家か跡無理な又は兄戯に類する設計書を以つて

製作を無理に命ぜられる事もあるが、お互に甚

だ不利徐な話である。最近の

一例であるが最も

安い養驚ヒーターと云ふ問題で私が設計したも

のと或電燈含耐の設計したものと私の工場で製

作したが私の設計にかヽるものは

μ蔓

晴↑8

以内で他のものは

咄卸8

以内と云

ふ差が数に

生したのである。資は此の例は先方の設計書の

方が簡単で安上りだと信じられて居るので、試

作の前に再三共の反封なる理由を述べたがぃお

互に自分の設計したものはどうしても作つて見

たい結果であつた。又仕様書を讀んでこれは賃

に勿腿ないな―。或はこれは造つたつて必す駄

目になると、共に歎馨を放す場合が往々ある。

典度自分は注文主に注意して反省をうながす

が、容れて貰はれるときは葺に嬉しい。注文主

は使用状態周曰の事情に

委しく、日p汀「は器

具の製作には

一歩長じて居るのが順序であるか

らどうして、協調せねば完全なものが出茶難い

のである。

電陸料は現在より低下の可能性

なきか?

現在の菱電方式を以つてして居る以上、電力

料金の甚しき低下を望むのは無理かも知れぬが

電燈料金の値下は街餘地あるやうに思はれる。

一例を東京市内にとると最初の

卜芹目・は

錢次の

ド芹・召・H・が

μド袋久

ド芹・要

四〇銭次の

Pド・目・より先は全部

ω錢とな

つて居る。此の料金をよく考察するに最“初から

ω汗要・日・消費する鶯に

ドo錠を要す

るのは

pF要出・営り平均

錢とな

る⑬然るに

F雲・日・目よりは急韓直下

ω錢となる。私は次

のやうな理由

で此

〕o錢LS

ドド錢といふ

やうな数字を最初から0錢に値下げしたいので

ある。斯す

る事は結局

Ю】銭穴ふ十ド+S)―

aXじ=謡)の値下をしたと同様にて月

ゃ―∞

曰程虞の電燈料金支排需要妖に封して約

騨o\

の値下となる。

蓋し多数の需要家をもつ電燈會産には多大の

減牧であるかは知れぬがそれはやがて必す取返

し得て街餘りあるものと思ふ。何となれば現在

東京市内の電熱料金と電燈料金とは事質左程の

差ではないのだ。

一般の人々は電燈料金で電熱を使用してはた

ならない日玉の飛び用す程高くとられると云つ

て居る⑬それは最初の

μo錢と云ふ敷宇が頭に

ビンと響く結果である。然し事賃は電燈丈で初

めの高い

ドo錢分は充分支排つて央れて居るの

だから純然たるω銭の料金で小口電熱が使用さ

μる筈だが素人には、それ迄うがつて調べてる

人は恐くあまりない。つまり

Ю〕錢の引かか

が小口電熱宣俸上井常に不利な感念を抱かしめ

て居るのである。帥此の

μω錢がおどかし看板

となつて居る∪これは必す徹駐したいものだ。

(第三頁へ績く)

――――(762)――――

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(七 )

資演室は既報の通り九月末無事工事完了した。卒

業試験絡了後豊、夜、各卒業生の有志語君には、日

を約して開放し質演の如何なるものかを知つて貰つ

た。越えて十月新學期に入るや軍簡科を初めとし盛

んに活用、十一月四日豊夜上級生水力見學に先ち、

映書

「電燈のつく迄」及び見學先の箱根碁之澤菱電

所の篤具を質物幻燈によりて供覧せしめ、國分教務

部長の詳細なる識甥と相侯ちヽ大いに見畢に先ち妻

宙所の何若たるかを理解せしめた。又事業式営日ほ

茶賓諸氏の茶場を乞ひ質演を供覧にし、衛式後學友

會諸氏の団覧を希望せし虎、熱心なる諮氏が陸績押

寄せられた。          .

却説賞演に際して自らが質酸せる如き感じを懐か

しむるには、何よりも先づメロターの指示を如何に

して欄測せしむ可きかが重要問題である。是れは賃

に賞演の根本をなすものであつて、非常に苦心した

ものであつた。たまたま服部理事がアンドリュース

より途附し束たれる英國ケンブリツデの測芝型録中

より、計器の日盛を硝子に施し、下方より投光器を

用ひて指針と共に目盛を上方白色板に投影し、日盛

の振幅を約

一米に摘張し得る装置を見出された。こ

よに於て是有る哉と早速注文を護せられた

のであ

る。約六箇月を関して通々英國より到茶せるものは

貿に吾人の期待に背かぬ賞行性の多いも

のであ

た。この装置は昨二年春の卒業式に,光電池しり卒業

譜演の際これを用ひて相等の効果を撃げたものであ

電機學校助教授 高

 

田 

 

久 

る。斯くてメーター朗測装置のヒントを得たので早

速積河製作所に特にこの種計器製作の依頼をしたの

である。同所ではこれに勒し非常の努力を梯はれた。

且つ直接設計の任に曽たられた上方孝氏は學友會々

員でもあるし、資に並々ならぬ苦心と努力とを傾注

され、試作に次ぐに試作を以つてし逐に交流直流用

は勿論、力傘計、電力計に至る迄完全に製作の上、

納期を違へず納入、卒業生諾君に迄質演窒開放の運

びに至つたのである。この議旗河製作所及上方氏に

掛し紙上を通じて蒲腟の謝意を表する久第である。

メーターはかくして解決されたので久は投光器械

である。之に用ふろレンズは蜀逸より販寄せ、器具

は山越工作所に依頼して完成を見た。電斡ヽ特殊の

エトラ電球を用ひた。

以上の如くしてメーター闘測装置は完成した。即

最大難開は突破したのである。久は電気機械である

がこれは前銃に記した通つの仕様薯により、可及的

騒舌を愛せざることを必要條件として各種の電機は

株式會砒明電合に注文した。殊に廻噂簗流機は六相

用とした。又共通鐵蔓上に、電動菱電機を連結或は解

放する断結器の機構も簡単で然も有効である。仕様

あに方上の日入爾 。械機気電の中験試が端右

。れあ意注側にれ振の―ターメ。器酔捷はる

器 光 投 及 器 計 C―)

計座電計流電計力電りよ右てつ向器計

―ナンデンコIよ るあに下央中の器光投

景 光 の 演 質 (三)

― (763)一

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(八 )

書には種々うるさき注文をしたに係らず弼電舎はよ

く煩をいとわず製作されたのである。

久ほ比等電機の運搬である。印ち生徒諾君の限前

に試験機械を通搬するには如何にすべきかである。

或は固定式、或ほクレーン、或は運搬器と色秦探究

の結果途に通搬車の上に栗せ、温疑土床面には、水

準用レールを敷きその上に運搬車を取附ける案に決

定した。そこで機械寸法岡により大踏の運搬車固面

を書き、現學友會理事たる安藤陣

一氏に設計製作を

依預したのである。かゝるものに多数の経験ある氏

はよく我々の希望を商足せしめられ、車にはゴムの

タイアを施して運搬に便じ、電動菱電機用のものに

封しては方向鍵換装置を附し取扱ひを使にされた。

次は資演用配殿盤である。元束我が校賞験室の質

機流直一機流交りよ前 械機氣電 (三)

機流直一楼導誘型線搭 機流直一機導誘型籠

室演賞るた見 りよ側壇荻 CI)贈名○入二員人容牧

附置装室暗室教段

蔓に檬の(三 )を 盤電配のこ

用盤電配は右 。ぶ連 Iと上の

酸用配電盤は、そもそもの苦より、木製配電盤上に

ヱナメルを以つて恰も黒板上に妻く如く甥瞭に接績

固を豊いて置くのを特徴として爽た。質瞼せんとす

る語君ほ比の接績国に従ひ、計器、抵抗器等の接績

を完了するので、短時間に相営の質験を行はねばな

ら珀本校の如き場合は最も策の得たものであると信

じてゐる。徒つて今度の賞演にも比の陣続的緒耐に

基き木製配電盤にヱナメル書きを行つたo只第二校

舎にある張電賞験室の配電盤は、 一箇の酎電盤であ

らゆる貿験を行はしむる結果勢ひ複雑となり一見理

解に難澁を極むる久酷がある。そこで此の虎の賞演

用のものは、各賞演

一回毎に一面の配電盤を作成し

た。従つて盤面の敦ほ三十餘面に上り、幅二尺長

さ六尺のもの、幅二爬長四尺王寸のもの、幅二爬

一尺工寸のものとの三組に分つた。電線、開閉器

特製ターミナル、配電盤用板等凡て理事長安菫氏経

営の整國電気工業所を煩し、配電盤の質地製作は我

々貿険係員

一同で完全に途行した。往年現第二校合

に貿験窒を作る時、或ほ震災直後費験室の復興をな

す時、凡て學校賞験室

一同及萱開部生徒の支持を受

け一切他人の手を要しなかつたのである。この様に

して置けば自分の思ふ通りの仕事が出束ると共に、

一朝故障の際に於ても立所に修理複曹せしめ得るか

らである。今回の如ぎ場合に於ては特に然りである

獨り配電盤のみならず配線から電源設備その他

一切

の工事は全部我々の手に於て行ひ、只電澄工車のみ

を豊國電気に依頼したに過ぎないのである。(未完)

― (764)――

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(九 )

憚法

士畢

田曇が身の光り 私は多年學校教育の事には開係を

有つて居る、現に保瞼高等導門學校と申す

一種の辱

門學校の校長をも致して居る。併し皆様の御車門と

は非常に種類が違つて居り、皆様にお話を申

・卜げる

ことは、馴か戸惑ひを致すやうな火第である。併し

私個人としては加藤校長、佐久間常事、本校の創立

者の

一人たる廣田緒

一氏等とは夫《密接な関係があ

るので、此の學校の隆盛に卦しては常に商腔の専ひ

を持つて居る。今日のやうな麗賀すべき機會に於い

て幸に私にも出席の光榮を典

へられた事に封しては

衷心喜びュつ感謝して居る。

私は何よりも先に、諸君が日々孜々として御勉學

の結果、今日卒業の槃冠を得られたといふことに封

して皆様にお況を申上げたい。卒業といふものは學

校の大中小を間はず洵に嬉しいものであつて、自分

も嬉しければ父兄も嬉しい【又先生方も嬉しい。共

の嬉しいといふことに封して、私も同感して衷心か

らお就を申上げる。私が高等學校を卒業して大學に

入らうとした時に、或る歌の先生が歌″詠んで私に

観別をして異れた事を記憶して居る。それは

あつめつる窓の螢は君が身の

光となりてあらはれにけり

といふ歌であつた。苦支那に車胤といふ人があつて

淘に貧乏である篤に燈人を得ろ錢が無い、そこで夏

は螢を取つて茶て、それを製に入れてその螢の光で

書物を讃んだ。そこでこの螢の光を燈火の代りにし

たといふことは、苦學の適切な例として憾

へられて

居るo唱歌にある

一螢の光窓の雪』とrふのもそれ

から茶たのである。

共の螢の小さな光を集めて緒闘刻苦した結果、途

に身の光となつて日出度く學校を卒業したといふ今

の歌の意味であるが、皆様は吾々の時代から比ぺろ

と光の方では餘り不自由はないと思れ。殊に電機學

校では電氣はお手のものであるから、明るい電気を

尉けて勉張された事と思ふo併し先刻加藤校長も言

ほれたやうに、縦ひ電燈は明るくとも、内的に言ふ

ぺからざる苦勢をなさつて、さうして今日の笑冠を

得られたといふ方も、砂でないだらうと思ふのであ

る。左様な鞘に於て私共は充分諮君に御同情申す資

格があると思ふのであつて、比の機會に先づ衷心敬

意を表してお就を申上げたいと思ふ。

日正道が第

一 偕て諸君はこの學校で卒門の知識を

雙得されて、是から怠々祗會に出て活動せられるの

であるが、私は幕門を異にする者として、先づ常識

的な、俗に謂ふ人間學とか人生學とかいふやうな事

柄に就いて少しく御菊きに入れたいと思ふ。

吾々が人生に虚して目的を立てゝ、其の目的に達

するといふには必ず行程がなければならぬ。此の行

程又は道といふものは自然の方法であつて、自然科

學の領分に於いても,精神科學の願分に於ても相通

じたところの原則である。道と言へば皆様方が日々

お通りになるところの道路も道である。其の道路の

如くに、吾々の目的とする所と現在の吾々との間に

は道があるのである。汽車には砒道といぶ道がある

電氣にも電線といふ道がある。近くは無線の電氣と

いふものが強達して居るやうでぁるが、是とて何等

の道無くして行くものではない。飛行機にしても飛

行の道あり、船にしても航路がある、紹て斯様な道

を経て吾衆は目的に達するのである。

そこで其の道といふものを甥かにするのが吾々の

知識の目的ではないかと思ふ。諾君は電気の道に就

ても最早や相曽御研究になつたことk思ふが、それ

と同時に人間としての道に就ても相営御注意になり

限を開いて其の道を踏み迷はないやうにして戴言た

い。先

づ原則としては、其の道は正道に擦るといよこ

とが

一番目的に達するに捷径である。奇道夢踏むよ

りも正道を歩む方が追かに早い、又間違ひなく目的

に到逹する。私は先づ此の事を諸君に御注意申上げ

たい。

私は数日前に大阪から自分の関係して居る會駐の

男女従業員百五十名ばかりと淡路

へ運動會に出かけ

た。淡路島には相営の山がある、英の山の向ふに吾

々の行く目的の虎がある。若い人は菖道を吾々老人

は廻り廻つて新道を歩いた。託し若い人は、吾々老

人共はあんな所を迂同して行く、つまらない事だと

いふ風に見たらうと思ふ⑤女事務員なども諾い人と

一緒に登つて行つたが、それ等ほ非常に道に難澁し

て、老人の私共がステッキを差山して助けて引上げ

たといぶやうな有長であつた。私は今、正道を通る

ことが迂同の如く思はれるけれども、それが確に日

的に達するに早く二つ確貿であると申したが、其の

事は最近の斯ういふ小さな質例を以てしても立證ず

ることが出茶る。

人間が人間の目的を達成するといふには、なかな

か長い叉迂餘出折の激Lい道を行かなければならぬ

故に其の道を行くには成ぺく正道を通つて行くのが

最後の目的を達成するに最も都合の野い方法である

ロロ的

】――長命たれ 諸て苦々人間が

一罷斯うし

て生存して居るのはごういふ目的であるか。之を哲

學的に考

へればなかノヽ深遠な巌諭もあるが、私は

そツと卑近な開係から人生の目的を解繹して居る。

私は人生の目的を四つに大別する。(以下共同)

二於

――――(765)一―――

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(十 )

とロ

昭和三年十月二十日

電機學校理事校長 加 藤 静 夫

今日束賓の方々の前で、本校第四十回の卒業識書

援典式を黙げるのは、誠に喜ばしい次第であります

例に依つて】言、卒業の諾君に餞けしたいと存百ま

す、諸

君は今日戴にめでたど本ヽ校を卒業しました。諸

君の多くは、何不自由なく易々と今日あるを得たの

ではありますまい。粗衣粗食、額に汗して勉學を績

けた人も少くないでせう。それを思ふと、今日の卒

業は

一唐慶賀に堪

へません。然し諸君、學校卒業は

人生行路の序の口であります。良算はこれからと覺

悟し、勤俄力行を旨として盆力奮闘しなければなり

ませんo的ほ別川、ヵw”刀の>g

に依つて、勤後と

云ふ事が如側に深く獨逸人の数に喰入つて居るかを

知つて下さい。諸君、今日は國際経済駿Gの世の中

ですぞ!

私は諸君が意志の人たることに金幅の敬意を表し

ます。意志の人、力行の人は

一面に於て自信の張い

人であります。自信は誠に結構でありますが、それ

が自負に螂じ、自慢に堕しては醜いものになります

多くの場合に於て、人が馬鹿に見え出したられ餘程

警戒せぬと自分の方が却て人から疎んぜられます。

偉人

巧呂HEV

は斯うあるべきも

のだ

と言切らず

に、自分は斯う思ふと述ぺよと教

へて居ます。今後

認翡ほ固い自信と美はしい謙譲とを調和させること

に十分の注意を沸ふ必要があります∪

諸君は木校で知識を得ましたし然し其の知識ほ決

してそれ自身で役に土つものではありません。有名

oH

Aパ

o雪

】o&

oゴ

・9

】】

p日

R【

胸0口

oo

めヽ

と述べて居ます。工學の例を以て説甥すれば、週樽

(付Rや斥)は決して

〕o目9

ではありません。廻

樽力が電動機軸に働き、軸が廻出

す時

に始めて

も0雪q

が愛生されます。人の知識も之を働かして、

始めて

巧o翼q

となります。F”ビ日cの所論は大凡

斯う云ふ意味のものであります。世には諸利より通

に乏しい知識を以て、それを十三分に活用し、途に

立派な費明を完成した茅例も少くありません。知識

に活動力を吹込むものは意気であります。企てL成

らざれば死すとも止ますと云ふ熱がなければ、知識

は途に眠つて了ひます。

Ao3

∽彗【ド】目的谷微笑し績けよ)――数年前斯う云

ふ標話を小さい紙に印刷し、鏡や机などに貼つて自

ら服店し、人にも勘めた私の知友がありました。私

も之に共鳴しました。さうして今街ほそれを大に良

い事と考

へて居ます。然し私は微笑と云ふ言葉を、

補特殊な意味に解躍すれば、此の金言は

一居ゆかし

いものになると思ひまず。革に顔両だけの微笑は、

英の筋肉の動きが如何に自然でも、人に好感を興

ないことがあります。之に反して限に見える表情に

何の愛りはなくとも、実の人の徴笑して居る心が

座の塞氣を支配するのは、誠に心持D良いものであ

ります。心の微笑はやがて困難に打勝つ勇氣となり

ます、苦悩を超硫する餘裕となります。

さらば、諸君身證をお大事に。

第四十同卒業生諸君

第二十五同萱問部本科卒業者 (ABc順)

三百九十四名(◎ハ優等者)

、B

、D

、E

赤石 武夫 我妻  務 秋山 太郎 秋山 光三

漫野 佳

一◎明聞 エハ郎 廟生 幸生 足立 正史

荒井 榮二 朴 八 隷 田制安太郎 頴川 進吉

海老原昭利 遠藤 韮量 々遠藤三百

誦日米三郎◎扁円運

一郎 一胴原  清 一胴智

嗣島 春雄 藤倉醐太郎 藤岡 正

一 藤山

藤村

悌治 古澤 正七 臭 一八 反 後藤

雲雑 長谷川榮

一 長谷川呑吉 箱崎

文治

蓮見 八郎 林  一三良 林

進 原  辰雄 原  武離 牛塚

鍛夫 千野 弘三 千原 重須 千井

貢 廣野  と早◎保坂 博三 星野

)上

、 

伊藤仁

一郎 伊澤 就吉 五十嵐芳男 石井愛之助

石井喜代治 石井 工春 石井 張平 石倉 乗吉

石川 光信◎石毛 勝蔵 板花 筒善 市川 丑三

市川  賞 市川 忠治 井上 忠三 井上 正三

飯島 光哉 飯野光

一郎 飯田 利男 今村  操

岩切 貞行 詢宮司富造 地主 貞次

海保 一二郎 笠原 秀囃

片岡 弘

一 勝俣 健造

金子 七郎 金子 久義 金子 鐵夫 金川松之助

上方 力松 柄澤 治千 川島 信隆 川島 正治

川田  隆◎川村  清 川名正

一郎 川上  要

河内泰次郎 紳田 政明 菅野 一二郎 木谷 謙

木戸岡 幸 菊地 盛吾 君塚 幸

一 清原 金吾

綱山  清 桐山 一二郎 金 奎 瑞 樹谷 卓威

杏澤友之助 國適  勝 隈部 末夫 栗原 佐

栗原 勇三 栗原 季維 黒田 正策 剣持 金義

小林  茂◎古山 辰男 高 在 烈 黄   相

逝藤

 

甲騒蘇林渠審

榮安 義 高 逸 賢武次蔵雄之蔀 作 久 男

――――(766)―………

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(一十 )

具島 昌訓 彎呉下 高司 間宮 喜光 松本 正幸

松本 勇吉 松本

 

質 松井 金太 松岡 春夫

払浦  甥 松長 喜作

松村 正雄

松尾 定義

私下 豊喜 松石  稔 丸山  勇 丸山 岩男

三好 郷行 一三澤 進

一 

一三澤 半二三 水上 一榮

水野 由

一 宮越  通 向  貞雄 茂木丈四郎

筆月 一死治 本吉 正意 森  春雄 森内 秀離

森 安

一郎

名和田 稔◎中村 市郎 中村愛之助 中村 定雄

中村 義雅 中井 清造 中島 寅蔵 中重 清二

永則宇

一郎 水ヽ澤 昌治 長谷 重男 長沼 隆治

丹伊田賢二 西山 治男 西山 末男 西堀 龍蔵

西原 一夫 西久保敦吉 沼井 重次 野村 甚蔵

野岸龍太郎 野田  岬

小川  一朽 小野 一三久 小洋 好

一 小幡 芳郎

小笠原博幸◎大野 武雄 大橋 忠雄 大森 茂松

大谷 彦三 大浮 騨造 大田 】正 岡野 酉吉

岡野忠三郎 岡田 得二 岡本孝三郎 面高 俊春

愚田義二郎 李 位 奉 李 秀 問

佐藤 光武 佐藤 弘次 佐俣 泰雄◎齋藤  茂

齋藤 武雄 齋藤 一雄 齋藤 太郎 榊原 孫火

榊原 光明◎坂本 一最一 相良 繁則 堺  口里一

櫻庭  宏 柴田 正雄 下山出定光 下里  勤

新藤 政義 新木興三吉 巣瀬  韓員 須H 勝義

菅沼 童二 菅原 一希一 杉木径之助 杉本 道貫

杉本 時雄 杉浦 一正 鈴木  孝 鈴木  彗一

鈴木 保火 鈴木  明 鈴木 政

一 開根 重雄

早出 一郎

多和田安輝 高橋 隣也 高橋  通 高木 正吉

高井 正火 一品林 一郎 瀧澤 正寛 竹内 費

竹内 久忠 竹尾 一部 竹岡 知男 武円周太郎

武田 欣

一 土澤  進@出中 義彰 出中 頼男

田中 友治 田中 誠久 田北  薫 谷口 徳三

種岡

 

謙 玉村  孝◎近泉 忠康 月居不二郎

土屋金太郎◎土田 和千 辻  武夫 辻  貞男

角日 永ヽ治 寺崎 秀治 戸田 光千 戸張 幽≡一

速田 潤歳 富田 清蒲 富出 式雄 豊原 和夫

U、ド

上野 鐵蔵 上野 弘重 魚住 芳徳 薄非健二郎

内円 孝蔵 内田 武雄 若園 俊雅 渡邊  久

渡邊 徐男 渡邊  隆 渡邊 “母雄 渡遇 政男

渡部 留作

八木 一二郎 矢代 利夫 安島三太郎 安田 春雑

柳澤 春水 山崎  榮 山崎  樽 山崎 清美

山田陽

一郎 山田 正

一◎山田喜太郎 山添 七郎

山口晴四郎 山吉 正男 山形 光学 山本 良吉

若田  忠 吉田 工(郎 吉田 餃二 吉日 常男

吉村 一見 吉川  勇 吉野 久治 米島 清義

追試験

二依ル卒業若

山下 女吉 近膝  正 片山 義雄 佐久間同行

佐野  費 懸川袈裟次郎

第四十同夜問部本科卒業者 (ABc順)

六百十名(◎

ハ径筆者)

阿部  明 阿部 昌市 阿部戦太郎 阿久根良丸

會澤 進

一 監澤 常雄 土円柳 利英 赤田  正

赤岸喜勇多 赤壁  遵単 赤垣 高雄

赤松愛之助

赤尾長太郎 秋保  宏 湊子 春三 湊野喜之助

湊川 昌愁◎畔上 定一 荒井 正名 荒井 忠治

荒非 武次 荒井紫二郎 荒井 苦威 荒木 春男

新井  愛 有川 康武 栗野 政雄 安藤 信六

馬場 清美 尾藤 安雄 朴 興 柱 茶国 純則

大門 義

一 体田市三郎 速藤 茂

一 速藤 隣繁

遠藤 政男 遠藤 善次 送藤 隆成 江日 米男

江川  賞 海老根 茂

二夕村中護 深谷 政堆 深井 義信 深見 八郎

扁円孝太郎 一開山喜

一郎 一幅倉 秋雄 一幅岡富士義

祠元 築三 藤井 路巳 藤井  修 藤井  秀

藤井 隆三 藤崎 太助 藤野 琲戒 藤田 富造

藤津 英夫 藤川 武男 藤毯梅次郎 藤木 鶴十

藤倉 一郎 伏見隣四郎 淵元 太郎 舟倉修久郎

確 振 沫 原地 忠光 瀕鹿 隆倍◎合H 寅夫

後藤 慶政

蒻柴 貞夫 八田 政朝 萩原 辛丑 表 奉 換

橋上 勝雄 橋本喜四郎 橋口  集 橋口 貞隣

橋爪  陣 橋田 農夫 秦  隆吉◎服部 久市

濱野 明

一 濱地  一貝 林  忠雄 林  又餃

林  國彦 林 賢吉郎 林  陸夫 林  達男

林  孫作 原  亀銭 飛矢崎富集◎千尾 省

千子 光雄 千井 士暑湖 千野壻太郎 千田 清美

堀内 壽堆 堀越 晴男 本多 貞市 本間 銀作

伊藤 奎輔 伊藤 光郎 伊藤 雅雄 伊藤 武雄

伊藤  清 五十嵐武三 三十嵐琢造 五十嵐粂六

池田  清 池田 道雄 池田 信助 池田 房雄

池田政次郎 池田  茂 石井  部各◎石井 陽三

石井 秀博 石井 正三 石田 善治 石田 五郎

石川 俊男 石上  譜 石渡 吉据 石本 猛虎

磯野  一爪 磯田 義雑 市川 正治 一ノ瀬軍女

一色 久夫 稽葉亮二郎 橋垣 敏雄 井上  弘

井上  惇 井上 一男 井上 光男 井上  正

井上 幾三 井上 基重 井上善兵衛 猪股 忠雄

今林 虎蔵 入江 ウ万爾 岩H  司 岩井 正久

岩崎  諒 岩本 一馬

柿賞 藤蔵 笠井 八郎 片岡 哲司 片桐 辰

揺本 健

一 勝谷源太郎 桂島新次郎 加藤 金助

加藤 界

一 加藤  約 叶内義次郎 春日 四郎

春日  刷 金子 克郎 金子  勝 金子 惨美

金子 忠雄 金谷  勝 金 性 烈 金 商 瀕

鹿俣  一 下野  茂 貝梅 要蔵 蒲池守三郎

亀出 重威 唐澤今朝光 柄諜 晨成 河原崎武久

――――(767)――――

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(二十 )

河崎 武

一 ■非 亀清 河野  至 川久保勝巳

川村由太郎 諄村 韮回三 耐前 満次 菊池  昇

菊池 武正◎菊地由太郎 菊地 勇喜 岸川 健三

岸本 寅治 岸 隆之助 北見 俊兇 北  士ユ一

君塚徳次郎 木村 幾戴 木村 孝治 木村 篤市

木村進

一郎 木原 満年 一府日 贋吉 清田 友記

日下 吉治 國崎 國雄 図行 界治 國松 鎌吉

國分 作惑 久保田 陣 久我 一亘三 窪田正三男

謀谷  守 熊谷 4勝 倉宮 胤夫 倉澤 賢吉

倉又 袖吉 倉出 一暑一 栗山 虎雄 栗山 友治

栗原 一一郎◎栗牧 友貴 黒柳 一三夫 黒井 庄千

黒岩 四郎 桑原 陣治 桑原 竹松 桑原 某吉

桑名 清松◎古田島 勇 古賀 清人 小林 林吉

小林多三郎 小林 し呉一 小林三勇吉 小林集

一郎

小林 正木 小林 熊刀 小林  勇 小杉 道智

小山 一郎 小沼 紹身 小跡 鑑治 小俣 畦司

小池 林千 小出 辰雄 ・ゆ菅 正苦 小松原 進

小島 一評一◎小松 謙

一 小島 一一翌F‐ 小島  清

洪 九 時 此川 義雄 折藤  樽 近藤 勇作

近藤 俊夫

其板喜代造 牧村  一 増淵 久威 増田  弘

松原 正生◎怒原 忠勝 松原銃

一郎 松島  司

松島  進 松井 國春 松井 一吾徳 松尾  登

松下由太郎 払野  茂 松本 敏行 松村 清義

松丸 幸十 九山 幸治 丸山 一二郎 丸藤  勇

商谷  繁 一三谷 響六 一三輪千代吉 一三木 信治

三村 良

一 道正 芳跡 前石 勝雄 光野 健

峯岸 榮

一 南  正鷹 宮死 末利 宮内  順

村田 重雄 村松 秀雅 村井 克三 望月丑太郎

寧月 和男 一カ山  等◎元山 羊吉 森  英雄

森  稲雑 森   蕃 狭 菊大邸 森山 義雄

守屋 景明 諸星 義清

直原 克己 仲川 幸吉 中川 富歳◎中川 一二朗

中村啓太郎 中村 義信 中村  薫 中村 武夫

中村 留吉 中村 英雄 中山錠之助 中岡 良固

中山  佐 中谷 邦

一 中野 五市 中安 演治

中矢 直義 中馬  進 中曾根喜

一 

永ヽ田 節

永島 定吉 永ヽ淑 包房 水ヽ吉 勝三 

水ヽ岡

美雅

梨澤 徳夫 奈須野太七 奈良

直三 並木 修

成島 忠義 成田 一三戦 苗代苗壽男 薪山  清

新津 義信 新妻吉之工 新村 忠悟 西原 徳三

西原  茂 西村 頼雄 西  作千◎西田 瀕三

西浦 五市⑤根岸 角火 根本 一一一吉 野口 陵吉

野田 行雄 野中 忠男 野村 亀吉 野岸 義隣

小川 餃惑 小川粂次郎 小川良太郎◎小川磯入郎

小川 幽二次

小野寺辰之助

小野 清久 小澤 清次

小澤 千作 小幡 要蔵 小黒 準次 小田十四男

小寺  勇 大沼 静三 大沼 幸隆 大塚  隣

大嫁  仁 大野  勇 大野腔之助 大野 義雄

大島  幽単 大西 政信 大森 藤政 大石 金

大里 奉元 大脇 末隆 大村 辰蔵◎大田 俊信

太円 秀餃◎岡田 佐吉 岡田 光義◎岡本 清市

岡崎 武雅 岡部  麓 岡 健太郎 岡村  要

沖山 羊離 長田初五郎 落合  清 走日堅 金火

ル川

 

清 李 甥 天 李 鐘 夏

佐藤金二郎◎佐藤 清志 佐藤市亀壽 佐藤金太郎

佐麻 克離 佐藤 藤

一 佐藤 武雄 佐藤瀕四郎

佐藤 信春 佐野  清 佐野 駒雄 佐野 一夫

笹川 重

一◎佐伯 四石吉 齋藤 金干 齋藤輌四郎

齋藤兵治郎 齋藤清太郎 齋藤十女吉 齋藤 正男

齋藤信四郎 齋藤 笑壽 酒井  意 酒井 重夫

坂本 一ュエ 坂ホ カ吉 坂田 秀夫 坂井松之助

榊原

英雄 相良 ピ辰雅 樫庭 美雄 迫  湊

指田 粛代 猿山彦三郎 澤田  振 一所水 憲

椎名  静 椎屋 直文 篠原 信雄 篠原 一二郎

柴崎金次郎 澁谷 裕

一 澁谷 繁雛 島田 清

島田 奎塁口◎島倉 正雅 下里 末雄 白木 富蔵

白水 英豊 白倉  齋 白須 ュ皇雄 新藤 八郎

新保 敬久 須崎 政雄 諏訪 政男 鈴木政之助

鈴木 利雄 排木 民雄 鈴木  秀 鈴木 陣

鈴木 義忠

鈴木 一郎 鈴木 康治

鈴木正

一郎

鈴木道之助 末廣 極雄 末弘 箕苦 菅原 令治

菅野 國雄 杉本 一ハ郎 杉本 重雄

杉山 善雄

杉山  悟 杉井清四郎 杉浦  正 住  秀雄

瀬戸 重雄 開  催司 開根鹿火郎 開根 富壽

仙田 一郎 副島 長市 園部  信

出中 八郎 田中 武夫 田中 ム僧作 田中  貿

出中亀五郎 田中 和

一 日原 史朗 田浦 定衛

日畑 粂適 田染 秀友 多田 直吉 高橋 雄司

高橋 俸蔵 高橋 助翔 高橋 作市 一局橋 作蔵

高橋 一男 高橋重三郎 高橋享太郎 一局橋 妻

高崎  士口 古周桑 馨吾 高杉

・末吉 高畑多嘉美

高見孝太郎 高木 芳郎 武市 烈夫 武井哲四郎

武富 文作 武樋 直二 竹本 義貞 谷  時男

立石岩之助 立薗 清〓⑥立花 敬治 玉域 高現

玉置 一二郎

縛我井直三郎

千速 唯夫 津金 胤夫

津國 藤森 津端 重正 辻  義推 堤  貞雄

鶴岡狙之助 手塚 英夫◎手塚 菊雄 寺内友太郎

寺田  繁 寺澤 正三 照山  近 戸原 菊夫

鳥蒻 重男 徳田 敏巳◎徳永 義

一 富田榮太郎

昔塁口 國懸 幽ュ削新

一郎

U、W

宇佐見武二 植田 爾吉 上原 一雄 牛山 又二

年山 茂男 内田 盟火 打越 武志 海” 一郎

和国 十央男 若生 一三秋 若林 貞晦 渡邊安次郎

渡遇 政信 渡邊義三大 渡邊 常火 渡邊 秀夫

波部  一手

矢野 義幸 矢澤 貞雄 八木出喜

一 安田猪久馬

安川留三郎 柳田  一 駒円 利雄 柳 徳之助

柳  房吉 山本 正雛 山本浩之助 山本 繁蔵

山崎 士暑義 山崎竹四郎 山田 幸市 山田  稔

山田 金

一◎山田 理前◎山田 浦市 山口 散三

山口  勇 山口 隆三 山口  巌 山口 幸夫

山口 治冶 山川 さ不一 山内 照雄 山名  薫

験 と力 昌 湯川惣太郎 横山 新

一 核川 英三

吉田 清

一 吉田 利之 吉田 隆春 吉田 壽雄

吉田 光男 士山田 安秋◎吉田 光二 吉原  稔

吉住 清件 吉成 一三鼓 吉岡 忠女 吉商 政浩

由川 義雑 米山 貞雄 座間 綱雑

追試動

二依ル卒業者詭校外上部卒業者

山本 正次 井上 重義 山中 時男 高野 一次

速永留治郎 本ヽ田 一志 長澤 啓

一 一局山  清

古林 武雄 高橋  繁 波邊辰之助 藤田 義行

岡田伊之助 小栗 街寧

――――(768)…………

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(三士)

正會員 土  谷  生

 

 

汽車の愛車時刻に間の無いに、指導者?の姿が見

へ無い。切符はすでに、買つてある。無効にするの

も農念と、飛んだ冒瞼心を出して陣馬峰登山の癬、

列車に乗り込む。やがて出愛。

目的の興淑騨へ茜いたが、さて何所へ行つて良い

やら分ら無い。村人に尋れて見たが餘り有名でも無

いのか

「良く知ら踪工でがすがネ」と首をひれるば

かり、仕方無し営づつぼに歩く.幾つかの峠の様な

かやの深い道を歩く。やよ見晴しめいた威に出ると

はるか山下に威大なる水屋管見をた。営の無い山登

りを中止して、早速愛電所見學に羹更する。

有名な入ッ澤の愛電所である事が後に威つて分か

つた、隅然にも英れが學校に入つて譜義を聞くに非

常に有径だつたから面白い。   ‐

か三)

満     月

秩父長濁に旗行しての戻りだつた〕ぐつたり疲れ

た身麗を窓に持たせて、汽車のゆれる催に、幾つか

の瞬を過ぎた。遇りはすつかり薄暗ぐ成つて居る。

突然

「ヤアすばらしい月だ」と云ふ酵に、身罷を

起して澁い限を車窓にやる 丁度軽氣球を赤くした

様な大きな月が森を離れ様として居る虎だ、「資に見

事だ」感歎の辞が諮所に響く、補の月、日の面の月

さては村の月と、汽車の進行と共に美しい景ほ憂つ

て行く、何時しか爽朗なる気分に返へつて居た。其

後比の時の依行話をするに、無名の地の月が主と成

つて、長縛の精遊が徒の形と成つた。

(〓一)  工巨[

印象なんて一寸した虎に深まるものだ、沓勢の解

に下車したのが員夜中のこ時頃だつた、サラリーマ

ンの液行は兎角無理をする。

雨ハン、トノヽ降つて夏の盛りだと云ふにそせろに

寒さを感じる、とても湊間の頂上を究める事は困難

らしいが、其の儘戻る事は山に封する日頃の自奪心

を傷けるもとだ勇を起して員暗な山道を登る、夜明

け近く中腹の峰の茶屋附近に達つした。アルプス方

面には雲海がた↑よつて居る、附近の森林中に何鳥

か知らぬが、カツヨンメヽと美しい酵を上げて鳴い

て居る。朝食を取つて雨の中を向も昇る、小湊間が

はるか下に見える様に成つた、頂上の様な山がすぐ

近くに見えるが、登れば昇る程遠く成る、寒さは捨

々はげしく成り、杖を持つ手は凍つて開く事が=茶

無い全身はピンゴぬれだ、とてもこれ以上登る事は

危除を増十のスだ、ぜひ無く頂上をきわめず下山に

つく、今

一丁か二丁の近くに噴火回がある様に想は

れて成ら無

′」、、頂上を究めなければ浅間も千九な山

だ、只カツコンノヽと鳴いた、名の知れぬ鳥の群が

決く深く印象に残つて居る。

(四)

大  の  字

妙義山のふもとの一夜は明けた、山に面した窓を

明けると、朝霧に包まれて、何にも見えない。冷い心

地良い朝風がスウーと、白い煙りの様に入つて束る。

霧は日重憂動して彼方に頂きを現はしたり此方に

中幅の邊りを見せたりして、さながら一幅の繕を見

て居る様だ、突然霧の中に大の字が自くクツキリ見

えた■ャア奇蹟だ、すばらしい」と其の美しさに見

とれて女中が食事の用意に座敷に入つたのも知らず

に居た。

女中に謂れを聞いて見たが近頃茶たので良く分ら

無いらしい。

一番に金洞山へ登るつもりを大の字の正鶴見と

どけの篤白雲山へと心ざす。ハ一死)

御大灌暮湖提燈行列基術

母校にては職員生徒参千有餘名に御大謹奉説提

灯行列を(十

一月十日)午後四時九段靖國群献境

内に集合五時出妻馬場先門を経て宮城二重橋前

にて君ケ代三喝盛會裡に目出度く解散せり。

除中九第際聯四十三第兵歩国師=第征出 .員會正

具富ノ信近宛宮本リヨ君郎一藤加

――――(769)――――

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(四十)

り本

電機畢友會第十日縄會記事

昭和三年十月十日母校第四十同卒業式後の引績き

式場に於て本會第拾固定時絡宮を開催す、會衆六百

有餘、比の内近郊より駈せ参ずるもの萱百有餘、近

束稀有の廃宮なりし、午後五時三十分開會の振鈴と

共に司會考天野理事は立つて開會を宣し、吉川理事

(理事長代理)を紹介す、吉川理事壇上に立ち、左の

順序にて新會員散迎の離を述ぺらる。一、母校と學

友會の関係、二、學友會の組織、三、學友會の効果

四、他山の石として。五、建設と維持。六、墓友會

の中堅。七、結論。ハ別項が照)

次て新會員綿代として優等卒業生石毛勝威翡登壇

し、我々も本日より、電機學友會の一員となる事を喜

ぶ次第であります、向先輩諮兄に於ても何卒今後御

指導あらん事をと答辞を述ぺられた、後諸報告議案

に移る「吉川理事議長席に着き天野理事庶務報告、

會計報告一般事項の報告あり、絡つて議長は

「唯今

の庶務報告、其他の報告に封し御質問のある方は御

送慮無くと」會衆に計る。「異談なし、」の酵各方向上

り起る議長、「然らは満場

一致承認と認めます」火に

天野理事より本期間に於ける死亡會員の氏名を朗讀

謹んで弔意をツず、會衆一同起立敬滝す。

久て議事に移り吉川理事本會定款第三十七條髪更

の件

(會費を年額金二国に壻額すること)日野理事

より識甥ありたる後、質疑に移り陣内隣市対立ちて

情理を蓋して本案に凱する賛成粛醗あり女に加藤願

問愛言を吉川議長に求む議長は定議第十

一條第三項

により衰言を許可、加藤顕問立ち本案に動す意見の

開陳ありたる後議長は質問を打ち切り探決に入る蒲

場一致起立可決したる後第二祷議案定数第十式降及

第十三條に依る役員牛数改選の作、結果越石芳難君

の動談にょり詮衡員指命を議長に一任議長より越石

芳維君、鈴木葉

一君、漆畑松火郎君の三名を指名せ

り詮衡員に於て、別項記載の通り詮衡し議場に承認

を求む商場

一致承認し議事絡了。

小憩の後ち餘興に移る。

本會々員武田光孝着

醒摩琵琶

「九連城」の一曲を演奏黎衆をして水を打

つた如く謹鶏せしめた、酵量といひ弾法といひ申し

分のない出茶ばへであつた。三、教育講談三浦築堂

師の

「乃木式五日めし」といふ題にて親義厚き血あ

り涙ある友情美談を面白く識き和氣あいあい愉快な

気分で常に勤務に努力すといふ賞誠ン引例して商堂

を感奮せしめしは感服の至りであつた、講談四十分

にして絡る。越石芳雄君壇上に登り寛質的丈明の弊

を諭して精瀞的女明の結耐を高調して降壇、次に杉

山春君、登壇會員の責任醐に就而熱情的論主ありて

場内緊張裡に、天野理事起ちて閉會の離として大衆

會員の指導締紳に就き情理を需したる挨拶ありたる

後同氏の妻酵の下に母校の高競を参唱 加藤顧間の

費鷲の下に學友宮の関銭を三唱して熱叫狸に散宮せ

理事長代理新會員獣迎の碑ュ

一、母投と畢友會の関係     ‘

母校と嬰友會の開係は今更事珍らしく申上るまで

もありませたが一口に申上ますれば全同質異形罷て

ありまして形こそ羹つて辟りまずが其の精群に於て

は全く何等の異た所はありませんのであります。其

の究極の目的と致しまするのは吾々母校を出た人が

貿誰宮に於て學校と言ふものを背景として活動する

上に於てお互に同志が親陸を厚く迅絡を取り相集り

助けて向上愛展して行きたいと云ふのが限目である

ので有ります。

工、串友0の組織

此の意見におきまして其の昔は同窓會として母校

で直接指導されて居ましたが、最近母校の非常なる

愛展Iこィよりまして學校経営の理想化と卒業上の自治

的訓練の陶冶の費物教育として卒業後は母校の博統

緒榊に則つて自治的に獨立自修せよとの事で出来上

つたのが今の赴園法人電機學友會なのであります、

計園法人電機學友宮の運用は別に定疑と云ふ不磨の

法典がありまして首局理事者が其定疑の條章により

て會の指導運用をして行でので有りますから曾員た

ろ諸君は今日から學友會の裁剣官になられるのであ

り▼す英の意味に於て諮霜は首局型事の會の運用に

封する麟正なる批剣をなさるると共に自らも會に封

する線べての櫂利及義務の途行を忘れない様にして

戴きたいと思ひます。

然し乍大宮の如き多数の會員より成立せるものは

會の運用上お互ひが譲る可き魔までは誤り合つて安

協の道を講じて戴かないと一人

一薫主義なんでと云

つてがんばられては到医まとまるものではありませ

ん此の協調套協の結紳こそ園踏締甜ともなり園畿生

活の象徴共なるのであります、此の国船結講の弾弱

の反映が直ちこの国證の感表興亡となりなります。

或はそれがやがては立憲的自治閉民としての國政

参興の精耐ともなりて反映するのであります。

三、畢友0の効果

線べて物の集る所には勢力が生ずるのは自然の原

則で有ます。多数の會員を石ずる會には耐會的勢力

を生ずるのも亦自明の理であります然し乍ら英の力

を額みて悪用すれば一世の比離を受ける之れを善用

すれば適義に叶洋正義の力となるのであります私共

は此の正義力を書用致したいと思ふのて有ます。

四、他山の石として

私が或る某工畢校の卒業生と問答をしたことがあ

ります他山の石として一例を申上げて見ます、

「君は學校の同窓會費を納めて居るか?名篠は細め

ないち一,何故者納めても何の利径もない」「それなれ

ば君は若し使る可き人もない時、若不遇となつた際

同忽會の必要ありと思ふが如何ど

同君曰く「それは

あると思ひますど

「ないよりも有る方がよいなれば

會の成立つ様にお互ひが計らればならぬではないか

宮を維持して行くなれば會費を翻めねば會は維持出

来ぬではないか」そして僕は斯く申しました

『今日

は人の身の上甥日は我が身の上定りなき比の世の中

殊に人情の薄き事紙の如くぢやないか』と、申した

ところ

「そう云はるれば英の謳りです早速今から會

――――(770)一―――

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(五十)

脅を締めに行きます」と云

,て英の人は爵りました。

菟角燈裏ほ下暗しで人は環境を異にして初めて具理

を得るものであると私は思ひます。今日の判逸露西

亜の明際的に待遇される地位等を考

へまするなれば

私共は切資に痛感する所があると思ひますねほ絡り

に最近の例を申まするなれば某工學校の合間問題等

にをきましても之れが吾々の立場がそれで有つたな

らば誰か我學友會の指束の強展を希ひ願ざるものは

一人もあるまいと私は深く信じて疑はないのであり

ます。

五、建

建設と云ふものほ期間も短い又それぞれ事情もあ

り熱情もあり所謂意氣昇天の概がありますから必ず

成立致しますが維持となると比較的やる事が湾極的

であリユつ永久的のものであるがために努力と忍冊

と云ふ事が尤も必要でありそこで建設難と云占夢は

餘り間きませぬが維持蜂と云ふ事は能く承りますの

であります木會に於きましても託国法人に組織を愛

更され其基磯を作られましたのは吾々共の先輩諸氏

の情報によつて成立されたのでありますそこで、私

共お互ひは協心努力の結晶によつて本會を維持し径

々善庭して行く事が先輩に勤する進であり本會に封

する私共の義務で有ると思ふのであります、就きま

しては會の維持は會費を多くの方々に納めて頂くよ

り外はありませぬ之れは何と致しましても皆様方々

の愛會の結心と義務馴念の愛露とにおすがりするよ

り外にはないかと思ひます。

六、畢友會の中堅

之れは英の時の憂遷によつて製化するのでありま

ずから

一概には申上られませんけれ共五時出茶ます

EcR會の代表者のお方は大正十年以降に卒業され

たお方が多い虚を見ますと矢恨り學友會の特末は若

きお方の双肩にあると私は存ます此の意味におきま

して我か學友會の需茶は多幸であると思ひます國家

に致しましても青年の元気のある國家の籍束は爺々

衰展して行くことは僚原の火を見るよりも明な事と

思ひます。どうか皆瞬方も充分お身を大切に致され

まして、お互に心の故郷である母猿のために、又心

の泉である學友宮のたらに、御蓋力下さいまして、

本會をして有絡の目的を塗行される事を切に御願ひ

して、御扶拶の鮮といたします。(拍手降壇)

昭和三年十月十九日午後六時 於母校

出席着 怒本彎太郎君、佐々木竹松君、鈴木寛

一君

萩原政吉若、久木元信隆君、清水衆周粛「積河

郎君、陣内勝市君、新島典志輔肴、鈴木榮

一君、

天野佐市君、三好正章君、騎西毅若、朦川成

一君

市漑康男君、姫野寅之助藩、安藤陣

一君、吉川坂

一対、漆畑松久郎君、富川鈴三君、長岡左馬之助

君、井上源巻君、西日清

一君、鶴田庫

一君、武田

光孝君、安田義郎君、井出村柳助君、湯川一君、

安藝理事長、藤本、天野、木村、宮島、日野、各

理事.白井主事

安藝理事長開會を宣し次で定款第三十二條に依り

議長の選撃を諮る、全員

一致を以て理事長の指命

に可決理事長は積河

一郎氏を指名し同氏議長席に

着席議事に入る

議 事

一、定款第三十七條憂更の件

(會費を増額するの

件)

下記の通り協議決定

田木會の正會員は會費として毎年全式国を納入する

ことを要す優遇員名審雪員及準會員は會費を要せ

ず 但し貿施期日昭年四年度分よりとす

排込方法、振替に依る排込料金ほ木宮の負措とな

告(イ)昭和三年度上牛期 事業報告

ハロ)同        牧支決算報告

ハハ)昭和三年九月三十日現在 財産目録

?じ総會開催に開する打合事項

絶て前例に徴い理事會に一任

以上承認午後九時三十分閉宮

十月十日午後五時三十分於電機學校出席會員六百

有餘名

(内吝會員百名)司會着、天野理事開會を宣

し理事長代理吉川理事議長席に着き報告及議事に入

Zつ。議 事 (一)t款第三十七降憂更の件

(會費を年額

金二国に壻額するの件)審議の結果次の通り可決

(イ〕第三十七條毎年金責回三拾錢とあるを金三回

に愛更す。

(口)排込方法振誉に依る排込料金は本営の負捨と

なす。

(ハ)費施期 昭和四年度分より。

今じ定款第十二條友第十三條に依り役員牛数改選

の件

(別記の通り改選せり)

報 告

一.昭和三年度上牛期    事業報告

一、同           牧支報告

一、昭和三年九月三十日現在 財塵目録

日任期滴了遅任評藍員氏名

東 一夙 の 部    ‐

井出村柳助君、奥野勇吉君、佐々木竹懇君.佐藤

政太郎君、鈴木寛一君、鈴木寛重君、園田鐵哉君

田村

一君、武部俊正君、安田義郎君、山内虎太郎

君、安藤陣

一君、赤見昌

一君、荒井茂君、上方孝

君、騎西毅君、近藤芳二君、三宅辰之助君、沼倉

辞君、釣谷秀二君、星芳次郎君、松本英一君

計    十三名

地 方 の 部

橋本吉兵衛君、森

一郎君、牧田茂三郎若、川田由

太郎君、堀越庄市郎君、倉持規矩治君、川島瀕エ

報 菖VIWII」 TRl川側叫ⅧW叩硼 り

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―― (771)――――

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(六十 )

東 新地郎君、八木喜太郎粛、片倉景胤君、上山畠太郎君

加藤信治君、中山政五郎君、齋際鐵戒君、遠藤欣

吉君、松本瀕苦君、三浦茂介君、緒葉清章君、中

村治忠君  計     十八名

合計    四十八名

一爪 の 一申

惣田由松君、鈴木酉雄君、更井秀治郎君、宮川鈴

三君、片漑深志君、星芳次郎君、大作手次郎君、

大瀧昇君、小峰重太郎君、原田謙吉君、大木要君

細田寛

一君、安藝貞雄君、藤木菊松君、宮島政信

君、木村度吉君、安藤陣

一君  以上十七名

方 の 部

黒田幾千君、高田安太郎君、川田出太郎君、久田

一君、四元慶治君、根田萬太郎君、小松原丈三

君、保坂盛

一希、中山政五郎君、江志敬治君、桃

井保邦君、中村治忠若、桑名肩

一郎君、久木元信

隆オ、竹島武男藩、開目茂手女君、友田健

一君↓

安村俊太郎若、加藤信治君、黒蒻美喜男君

以上二十名

十月十八日(木)午後六時 於本會事務所

出席若 藤本、吉川、天野、安藤、田村、日野、宮

島、各理事、自井主事

議 事

イ、支部並にECR會に補助金増額の件

■増額することゝし

會費塔額に件ひ補助金を左の如く疑更す

支部會員

一名に付金四十錢

ECR會員

一名に付金三十錢

報 告

一、開西支部秋期絶會谷京都市に於て)開催

日野理事出張経過報告あり

以上午後九時汁分閉會

一月

一日(木)午後六時 於木會車務所

出席者 安藝理事長

苦川、大野、宮島 木村、各理事 白井圭事

報 告

十月中事務報告並會計報告    以上承認

協議事項

一、第十八岡許議員會開催に開する件

日 時 十

一月九日(金)午後六時

場 所 於九′内電気倶業部

提出議案

イ、地方許議員出席者に勤し旅費補助金支給する

の件

O計議員自の決談を経て支給することヽす

口、定款第十三條第二項に依り理事牛敷毀選の件

三、十

一月銑會誌鵡裁に開する件

編輯理事に

一任

三、御大満奉況の鶯ら母校に於て職員生徒

(十

一月

十日)箸後四時九段靖國紳祗境内に集合提燈行

列峯行木會も参加する事とし東京在住許議員、

京支部幹事に通知状菱盗することLす

以上

午後九時片分門會

昭和三年度上牛期

刺則和三年

翔朋膀醐會員組臼(拾□)

昭和三年四月十

一日母校に於て第九固定時紹會を

開く

出席者 五百名内害宮員五拾名

昭和三年度下牛期事業報告同牧支報告及財産目録

を承認し次の決議をなせり

議 案

一、定款第

一條含名憂更の作

評 議 員 會

昭和参年四月廿日母校に於て第十五同許議員會を

開き下記の件協議可決せり

一、昭和三年度下牟期 事業報告

二、同        収支朝告

三、昭和三年三月汁

一日現在財産目鉄

紹會に提川すべき議案

一、定款第

一條會名憂更の件

二、村井銀行整理案に依り本書の預金三十八同六

十錢を鋏損として承認を得る件

三、組會開催に開する打合事項

昭和三年二月二十五日母校に於て臨時許践員會を

開き、下記の件協議可決せり

一、度田顧間の全快槻賀に開する件

理  事  會

理事會 エハ同 協議又は決議事項 二十六件

會     員

正會員 一〓一、八二四名 今期入會員、八八〇名及絡

身官員

一四名を含む

名審會員 エハ七名 顧問五名を含む

磯     員

主 事 一名、詩記 一名

金ロ

九州中央、東海、閉西、東京 四支部

マツダ、芝浦、錦友、日立、清手、長謄、高州、晃

水、宮城、高知、菱友、秋田縣北、講戸、洲南、信

濃、省電れ嗣島縣、千葉、墓湾、市電芝浦、東電東

部、市電廣尾 一爪都ュ三ECR會

ハ今期設立藁薦以下四ECR會)

維 持 基 金

中込紹額    四、〇六四、○○固

今期申込額    一ハ、OO同Ω一日)

今期受入額    一三四、○○固

寄附基金    八、○○園(今期寄附金)

累計    一六入、○○国

定款所定の通り會報は會誌の各銑に掲載し會誌は

毎月一同衰行して特雅ある會員に配布せり

第九間定時細會の通知ほ定款第二十五條第三項に

依れり

――――(772)――――

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(七十)

昭和三年五月四日定款宮名愛更

ハ第九固定時組會

決議録添附)認可申請書紳田E役所を経て東京府知

事紅由文部大臣に提出せり。

同二月廿四日附にて明治汁三年支部省令第井九條

に基き昭和三年度中の本會の目的たる事業の状況調

敗支決算書及財産目録書耐田屁役所を経て東京府知

事を経由文部大臣に提出せho

同二月三十日定款宮名奨更認可申話中の鹿主務官

藤より指令書到着帥日所轄東京圧裁剣所に登記の手

績を了せり。

同六月十九日附にて定款愛更に件ひ東京振替貯金

課宛

(瓦裁剣″登記抄木添附)屈出終了す。

同二月二十六日附にて定款愛更に件ひ内務省警保

局に屈出をなせり。

事     業

就職紹介 紹介せるものゝ内決定せるもの

正會員    一〇三名

同  上     准會員     七五名

細則第三條第

一項により雑誌オトムを特慣剛布せ

る會員

四月 一、一二八  五月 一、四〇九

六月 一、四八〇  七月 一、五人三

八月 一、五九八  九月 一、五七八

細則第二項に依り購讀料を補助し雑誌オームを配

布せる正會員 四三五名

一定款第四條第五琥に依り前期に引績ぎ、毎月

一回

會誌を愛行し、昭和三年度分又は昭和三年度分會費

完納者に配布せり、英の部致 一二七、九〇〇部

今期中の死亡會員

一〇名の内三名に香花料を途り

英の他の會員には弔文を途れつ。

一    脱

昭和三年三月廿六日附定款憂更に件ひ.株式會趾

オーム趾、三井信託株式會融、住友銀行宛奨更屈出

の手績をなす、

同四月廿入日省電ECR會第

一同綿會を九ノ内電

電倶築部に於て開催本會より加藤顧問並に原田東京

支部長及主事列席せり、

同工月十一日佃蔓市に於て宮城ECR會主催電機

二人會大會を開き本會より加藤顧問安藝理事長列席

せり。

同六月廿七日同上委員會を開く、

同六月十三日市電芝浦ECR會設立費會式畢行本

會より加藤顕問吉川理事、東京支部千岡幹事及主事

列席す

同八月三十日市電廣尾DcR會設立愛會式畢行本

牧 支 累 計 表

塁昭)3年 ∫胃売目(6ケ月間)

表諸

 

例年の通り名刺変換含を開きます、會費金責国申込高

時に御梯込g

申込胡司十二月十五日までに本會宛京高卿全仕のこと

費 産 ノ 部 金 額 負 債 ノ 部 金 額

00

50

39

00

67

99

・0

0〇

一後 期 繰 越 金

産金金金金

利基陣朗鰈

品員

基純寄伸職

5,575165 5,575165

貸 借 勢 照 表 昭和 3年 9月 30日 現在

産 録 H召和 3年 9月 30日現在

牧 入 ノ 部 1金 額

費費入子料入制計

]脚利告融麟小

會支特諮廣賣電

會39諸諸評紹購通諦臨族難雑集賣支,弔前 後

摘 要 1金 額

4G

語 株

債 券

25737 ョ完

――――(773)――――

Page 24: 琥七十四第孫降臨 せ られ 、 尉 武 天 皇 建図 の基 を 開 き 給 ひ て よ り 二千 五百八十八年 、 此間 皇 室 を 回続せ る分家 支流は

(八十・)

會より加藤顧問、吉川理事、東京支部よヶ松本幹事

及自井主事列席す

死 亡 自 見

本期間死亡會員一〇名にして下記の如し

卑月親光オ、板山.和友君、筒井践三郎若、野口末

吉若、串田康英君、山下年雄君、東庄三郎君、石

持盛三君、西山徳雄君、林徳雄君。以上

自昭和三年十月一日至昭和三年十月三十日無印は

昭和三年度分△印は昭和三年度分○印は昭和三年

度下牛期分◎印は昭和四年度分0印は昭和三年度

下牛期分□印は昭和五年度分

手井 初火 伊原重一郎 並木  昭 橋本 武雑

伏木田勝郎 金澤  齊 雨宮 昇千 向井庄太郎

星  八郎 須田 國雄 鈴木佐次郎 親松  茂

南波 醇三 渡邊紋十郎○元山  等 東條 清吉

門倉順治郎○原  武雄 和田 可一〇員下 高司

誨  武雄 積内 幸堆○漬野 甥

一◎耐  武雄

O太澤正七⑫石毛 勝威□耐  武雄 ■村 清作

O木村篤市 栗原  保0伊藤 朔弘〇黒柳 一三夫

菊地  勇 伊藤 朔弘○田中 和

一 石村  要

○栗原藤件○懇原 正生 赤座  晃 大里 市郎

〇高橋

一男 郷戸  暢○岩本 一馬○有川 康武

 

一〇八日 政朝∩梶本 健

一 大野  工早

○深井義信○新藤 八郎 井本  進○海野 一郎

○久我育〓△林   薫○小松 謙

一〇宮元 末利

林   薫〇小林 具

一の榊原 英雄 北爪  】呉

O伊藤武雄○木村 孝治 昆野  地〇沼井 重久

O西部宇司 蒲池  質O高橋 英

一 明間出甥吉

○飯野 賞○井上 鐵雄○小板橋践千○飯嫁  完

○宮入基章〇千林百太郎○花川  茂○山崎 敬吉

○弓創五郎作○川村 操〇前田 友威〇上野徳次郎

○中尾 猛○駒場 乾司○市川鐘之助○開本  文

○飯塚利据O川野邊巖雑○柴崎  治○木村 武彦

山本初太郎○根本  巌○川上 達三 齋藤十

一郎

O坂本 徹〇岡本 徳治△池田幸治郎 沼倉  静

○田中秀雄 草野慶次郎○川村  清 大橋 清久

廣瀬伊藤治○吉円  忠 内田 重太O小林三界吉

○森 春雄 璽谷 昌

一〇員板喜代造○川上  要

鈴木 粂久○笠井 八郎○下金  勤○興澤 豊三

〇大野武雅○迫  湊

一 田中 留作 大川徳太郎

宮坂  子工 立原 政雅 長谷川榮吉 近藤  勇

谷田 明治 菅野一之介 千井  榮 木村 國治

栗原淳

一郎 大谷  昇 太田 一暑蔵 篠原勝太郎

〇済淑 一貝 野首 利

一 久保田正雄 横田  政

齋藤 謙威 矢橋昇三郎 松日 郁美‐武藤 春二

岡田猪之輔 白石 大蔵 杉浦 政堆 樋口千代造

園部  定 一隅代 久治 佐藤仁之助 本條  稔

秋山 貞己 金子菊比古○多田 直吉⑨庄司 清

青木勇太郎 岩本 辰蔵 小村 大造 新井宇惑七

太田 廣治 大久保 誠 目戸牛次郎 中島 滋嘉

新添 敬治○藤倉m太郎 水ヽ順 春翁 和田 一由

内藤輝光 海老原吉太郎〇上井 健壽 酒井 廣隆

今井 安蔵○伊藤 英

一 矢代 奨作 市野 一暑一

〇酒井種雅 鈴木 芳郎 大畠 払美○栗原 一一郎

寺尾 忠治 鈴木 丑松○松本 幽工記 富澤 一万久

古出 民夫○千尾 省

一 須賀 一暑由 齋藤 孝千

○和日英男 須田 棟介 坂野 梁干○高橋 雄司

◎黒田英吉 森田 正義〇管原 令治 栗原 塀三

◎若茶辰雄○高桑 馨吾 田邊 治

一 深谷 辰留

O高木芳郎 園田 鐵哉 木多 吉雄○璽月 一死治

杉山 傑治 小橋 典助○金子 忠雄 池田 一二郎

吉田 八郎○此川 義雄 遠藤 末吉 一幅原 千熊

河内 耕千 藤本 典市 鈴木  利 南雲 友賀

中村 利明○松岡 春夫○西山 治据 阿部蔵之助

田中  静○岸本 寅治○伏見勝四郎◎出中  縛

O岡田光義○飯野光一郎 大木  仁○鈴木 康治

○李 錯夏○山口清四郎○高林 一郎〇高橋石五郎

○向 貞雄○加藤 琲治○小川儀入郎○林  忠雄

寺田 一二郎○橋葉亮三郎○種岡

 

謙○石井 張千

O岩劇 司○佐藤市亀壽O若園 俊雄○小日向淳吉

〇河野 至○藤村 悌治〇五十嵐兼六〇藻谷  得

○柿賞藤威○沓没友之助○程原  保○山源 七郎

村田健二郎 今西  笑○荒井 武火○叶内義次郎

久保  愛○指田 君代 野尻徳三郎 岸  嘉市

○池田房雄 齋藤大三郎 竹本  叶○山吉 正男

佐賀良新一 岩淵  勇 管 庄五郎 武富 文作

の石川光信 横田 隣義 清原 金吾○栗原 勇三

扁田 土造 畠山 良司○野村 一三郎 阿部 清

竹内 辟悟○大里 春元 齋藤 輝夫○西村 正雄

○浦野義男 西川 篤仏◎西村 正堆〇杉浦 一正

山口 辰冶 服部 正夫○相良 辰盤 森木 義男

佐藤 済時○秋山 太郎 森島 正成 村上 治郎

今谷 埼次 月下 慶

一〇稲垣 敏雑○中川 富蔵

八板 宗春○松長 一暑作O山下 支吉 加藤 利雄

〇大橋忠雄O山本 繁蔵 中島 換戒○吉田 光男

○問宮喜光 西村 一死光○内田 慶次○小栗 岱寧

村上 業

一 石井 一郎〇田中 友治 日中 謙前

○石井正春〇竹尾 一郎 一鵬田 富也△植田綿三郎

近野 義則◎祠田 宮也 植日組三榔○内田 利雄

青木 榮次 須蔭俵太郎O高野 一次 佐藤 末男

〇三澤進

一〇川村積太郎 牧山 明雄○立石岩之助

○藤原純則 富樫 忠次○池田政玄郎①水野 由

一暉水 春生○石井愛之助〇小野 清久 武藤 武男

佐久間石雄○中村 英雄 迎野 糸作 水濱富太郎

O内田孝蔵 小島 留蔵 安藤庭二郎 池田 芳雄

白石 高市 香川喜久郎 畑江 弘三 荒井 】具一

丸山 源次○岡田伊之助 西村 四郎○川村由太郎

大杉 一畳〓 松井 占本正 補業興太郎 小川 直助

長谷川 重 木元松太郎 H代 財二〇手嫁 菊雄

瀧富  也○舟倉修久郎 猪原 正徳 馬渡 政市

高橋 守義 町田 倉作 須田 藤雄 婚H 文雄

金弐給費国也  千葉EcR會員拾九名分

金拾園弐拾錢也 市電廣尾EcR倉員拾七名分

金百六拾弐国也 開西支部會員百か拾五名分

以上

寄附基金領牧

金五国也        電 機 畢 校

――――(774)一―――

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(九十 )

但二五岡高卒大場隆雄氏就職謝證金

以上

{留 口貝 動 静

昭2秋 一幅木秀雄 佐世保海軍工廠造兵都電氣校査

場ヘ

6春 藤田林蔵 大阪市天王寺E堀越町四〇藤田商

店自皆

・4秋 塚越初男 烹京府下砂町大日本製糖株式會赴

へ嬉勤

昭2春 岩岸芳太郎 大阪市京阪電氣鍛道株式會敲

へ入泄

・3秋 池原蔦作 群馬縣前橋市堀川町東電前橋支店

工務課ヘ

昭2秋 西本並久 岡山市山腸中央水電七日市火力

菱電所ヘ

元秋 樋口政清 岐阜縣本巣郡外山村濃勢電力金原

出張所ヘ

3秋 田九信重 一閥岡縣鞍手郡直方町新町野上工業

所ヘ

・4春 小野克雄 栃木縣那須郡高林村扁島電燈澤名

川愛電所ヘ

昭3春 高田繁雄 積濱市尾上町六の入二協力舎ヘ

2秋 林

一郎 東京市丸′内三菱電機株式宮趾ヘ

昭2秋 小林慎吾 千葉市外都賀村氣球除第二中隊

第五班ヘ

コ春 商再添 一員涅蔓北州宜蘭郡宜蘭重置電気興業

出張所ヘ

昭2秋 伊東幸男 東京市外澁谷町新橋

一七東亜電

機會走ヘ

昭2春 勝俣利政 山梨縣南都留郡瑞穂村宮川電燈

第Ξ愛電所勤務

3秋 松崎留次郎 群馬縣館林町東京電燈館林襲電

所ヘ

4秋 柳田好作 群馬縣多野郡新町東京電登新町羹

電所ヘ

工秋 鎗谷富太郎 大阪市港E鶴慣通三の一八具島

商業會誰貯炭場事務所ヘ

昭三歓 大木精三 東京府下大崎町遊信省電気試験

所第二部ヘ

昭三秋 大木仁 兵庫縣武庫郡山田村誨戸有馬電鐵

小部愛電所ヘ

昭三春 桃崎秋義 朝鮮龍山歩兵第七八聯除

一中隊

一班人替中

昭二秋 根反一閥太郎 弘前歩兵三一聯隊機関銃嫁第

氣係ヘ

昭3歓 千野弘三 謂岡縣小山町富士瓦斯紡績會駐

電気部ヘ

昭3春 山本三次而岡縣八幡市八幡製鐵所菱電科ヘ

昭2春川端徹次 一幅井縣鯖江町鯖浦電気鐵道會赴ヘ

昭三春 一旧田義雄 呉市清水通り廣鳥電気清水通処

電所ヘ

・5春 城武節雄 高知市土佐電氣株式會砒愛電課ヘ

6春 早田熊雄 一雨岡縣芦屋町大君鍍業株式會趾大

溜愛電所ヘ

・5秋 上橋忠則 朝鮮京城京城電気株式會趾へ韓勤

 

白貝 

 

・2秋 一三代義近 佐藤と 10春 瀬村時雄 鈴木と

昭2春 一幅田土造 中島と昭3春 山口仁信 一三井

と 昭3春 井上梅 渡々伯部と

東京支部第二同評議員會記事

時日 昭和三年十一月二日

場所 學友宮本部事務所

支部長代理清水幹郭議長府に着席し開會を宣す

報 告                ‐

一、常支部ECR會七っをぷげた事

二、事業義告財産目録収支決算は去る五月報告の

通りにて特に報告等無しと報告す

談 事

倫木築

一幹車會則第十條に追加事項論明をなす

探決の結果満場一致可決

第二十條に追加の一項

『滋め支部長の認可を得

拾名以上の東京支部直馬正會員を以て組織せる

班にしてECR倉と同等の義務を果せる時はE

CR會に準じ補助することあるべしヽ

電機畢友倉、東京支部

第三同定時紹會

清水支部長代理議長席に着席開會を貧す

鈴木(葉〕幹事をして報告及践案の識明をなさしめ

三班へ轄

9秋 渡邊秀三郎

出張所

昭2秋 柳川正直

式會成

昭2秋 須円棟介

構支誰

ーo春 鈴木時雄

群馬縣利根郡東村上毛電力幡谷

千葉縣夷隅郡國吉町上紹水電株

小博市北海水力電氣株式會祗小

神奈川縣川崎市東京電燈川崎出張

所ヘ

昭3春 岡田渚之輛 東京市日本橋白木巳建築課電

昭和三年度分の言費

お沸込みに就て

本琥

へ振替用紙を挿入しとしたから昭和三

年度

(鉗唯御判朋)分の本會々費をお排込み

を願ひます。衛市内及近接町村へ御在住の

方は東京集金により集金人を特派致します

未だ御納入ない方は是非御排込みを願ひま

――――(775)――――

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(十二 )

探決の結果第二同諦議員會洪議の通り會則第二十條

一項追加の件(評議員會決議録掲載に付き省略)商

一致可決。

清水議長の挨拶により開會υ

一、積河電機製作所員安水宗明氏の

『電氣的温げ計

に就て』の講演あり要は演者が日常研究製作せるも

のヽ一端を愛表せるものにして非常に有粂のものな

りし

三、『ガルバノ、マグネチツク フエノメナ』三菱巻

賠研究所の私本英

一氏が生徒に講義をするやうにす

らノヽと講演してくれた、近頃にない緊張した講演

であつた。■

出演若 越石芳囃君 病氣の鶯め警師よりの注意

に依り失潜乍ら鋏席仕候

東京支部常任幹事営

場所 母校鶯接室 出席者、清水、松本、向井、鈴

木(寛)、鈴木谷榮)

同時 二八、 一一、 一、

告一、本日東電東部ECR會褻會式零行に付き會議

より清水幹事支部長代理として出席せり

二、御大典に際し母校に於て審行の提燈行列には

常支部より彼員参加のことに手配せり

決議事項

一、細會富日は引績き講演宮を催すため今回に限

り特に簡単なる夕食を削すこと

ヽし庶務幹事

一任す

二、英他許議員會、紹倉及講演會に開する作

芝 浦 E C R (雪

◎會 員 消 息

 

 

鶴見工場第三工作場     4春 箋田己之吉君

横濱市鶴見匠潮田町七七三番地

東京工場配電器具係     H秋 松H 武臣若

芝E新堀町

一四番地

東京工場配電盤設計係    14秋 島出 育三だ

東京府荏原郡馬込町天沼四、鈴木重治郎方

夫々韓居されました。

◎試 験 監 督

去る十月十七日から十二日まで母校試験施行の際

左記の方々に監督を御願ひ致しました。誌上で厚く

御騰中上げます。

東京工場設計部表岡係       竹内恒四郎君

◎會  員  数

水砒及び東京工場在動着        八十二名

鶴見工場左勁着             四十名

合計              百三十三名

以 上

會員鈴木留蔵粛、病氣の篤め永らく鋏勤療養中の

虎今回辞職致し営會より澪冒に付此段及御通知候也

市電芝浦EcR會長

〓一 好 正 章

⑥定

含日

九月十九日午後六時中野電車庫講堂に於て開催

出席者 鶴田庫

一、山口多

一、金子仲蔵、張田業吉

吉村勇造、富樫作太郎、武井正、片頑深志、以上

八氏

○議 事

一、會員現柱所調査の件

學友會及本會名簿作成に勤する必要上各會員

の現住所調査の上各幹事より本部に報告の事

二、秋期見學旅行の件

期目 十月十八日

軽井澤評より稚氷峠を越え横川菱電所簗電所

見學の上績川鐸より踊京

出喪時刻及集合場所は後日本部より各幹事に

通知の事

◎會 員 移 動

O入   合四

昭3春 須田辰五郎君 中野電車庫

昭3春 一幅島武雄君  同

右雨氏木會に入會せられました。

O腕

 

 

・4春 小森正雑君 中野電車庫

本會を入月

一日脆會、朝鮮江原鐵原金剛山電鐵會

 

ハ透試

合格

の方監

本會

事務所

通信

を願

ひます)

⌒〔)

木趾原慣係

同同東京工場椋査係

同東京工場配電盤設計係

同東京工場配電器具設計係

車谷大入郎君

宮野 光蔵君

橋本太喜治粛

鈴木重治郎君

川勝 治男若

坂谷 利二君

島田 育三君

長谷川狩次君

書寄テ於二上席會紹會分阪大會友學機電

――――(776)――――

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(一十二)

誰に入祗されました。        以上

十月二十八日の日曜を利用して午後

一時から東京

日日新聞祗を見學首日折悪く午後より降雨併し都心

なる宮員諸君時間同行され定刻迄に集る若十五名新

聞出束上る迄での工程に餘り智識の無い我々も係員

の親切な設明に大鵠が解た直ちに工場及各部を見學

一時間十二萬部印刷すると云ふ超高速度輪噂機から

流れ出す、新開紙の数や時速百敷十哩をとぶと云ふ

樽書鳩の説明に今更の様に感心する。併し宙日残念

で有たのは第

一目標として行た窟買電途装喬修理中

で見學出来なかつた事と日曜〆一分間六枚を焦造す

ると云ふ自動錯版鈴巻機が連噂して居なかつた事で

ぁった憧か一時間足らずの時間では有たが大分得る

虎が有た此の種の見學は比の後度々賞行したいと思

ふ、同二時同新聞蔵前で解散。

會 員 移 動

杉山青吉ハ9年秋夜)鈴木留威(13年春夜)爾君かね

て病氣の鹿今周病氣静養に踊郷に付杉山君は九月鈴

木君は十月営工場を退職されしに付腕會営會よりは

雨君に記3品を賠呈致しましたこれで現在會員二十

一名となりました。

昭和三年度秋季大會記事

昭和三年十月十七日午後六時より大森海岸樺田屋

に開催、定刻を過ぎること約二十分にして開會す。

會する着総て三十七名、員に近束の盛會なりぎ、

就中専ぶべきは新進若手の諸君が殆ど顔を揃へて下

さったこと、惜むらくは先輩の方々が磁用のため或

は仕事の都合上測らざるも御鋏席の敷が多かつたこ

とである、何卒次の會合に際しては新曹會員を問は

ず苗障御操合せを願つて御出席を宅ひ度きことを只

今からお瀬ひしておく次第である。

一名開會の辞』として松本代表幹事の別項の如き

演誘あり、

直に

一為議長選懇』に移り、木村廣吉氏選ばれて議長

府に着く、

一式庶務報告』湯川幹事の報告あり、會員服部君

より本年度小會の本郷座観劇に際して服部君

外萱名(研究所物理測定)に通知洩れありした

め小参加なりしことにつきその間の消息につ

き識切を求めらる、塚田庶務幹事病氣鋏席の

ため払本幹事より不行屈のため御迷惑を掛け

し事につき綾々繹明あり、久に

一、『會計報告』に移り米谷幹事別項の牧支開係に

つき、計明する虎あり、この中積立金とは所

謂木會の基本金なる事、特別積立金とは電機

學友會基本金に封する水會よりの寄附金なる

事に就き特に新會員諦君の篇に論明す。

質問なし、議長更に幹事をして

一弓本會と電機學友會との本年度に於ける開係事

項に効いての報告』を篤さしむ、松本幹事主

り、本會と學友會との密接なる開係に就き識

明あり、女に本年度に於ける學友會の本會選

出の許議員として、松本弩太郎、太尾定雄、

藤田武夫の諸氏でありしこと、茶年度は松本

太尾雨氏留任し、藤田氏の代りに惣田氏選出

されし事及木村廣吉氏は現在理事なる事に就

き報告す。

久に、會名憂更の件、及學友會會費値上に就

いて、這般の清息に就き詳細に亘る識明あり

之れによつて會員諸氏の問に、學友會の現在

の情勢及時束の方針に就いて大いに了解せら

れたる色が見えたことは喜ばしき限りであつ

た。次いで

一弓議事討議』に移る         か未完)

千 葉 E C R 會

◎新

今まで営會員は東電千築支耐、千葵出張所及千葉

壁電所勤務の者のみでしたが本部の方針もあり芽々

今度千葉市及英近郊に御住居の同窓諸兄にも出茶る

だけ多数人會して頂き度いと思ひます。凱會員の誰

にでも御話し下されば直ちに會則と申込書を差上げ

ます。

◎第

【一同

十月十三日午後五時より千葉市千葉倶染部に於て

第二同定時紹會を開催す。出席若内山開根雨顧問を

初め會員十二名。

會務報告の後別掲の如き収支決算鞘告の示認を求

め、次で営EcR會會則第八條中會費として毎月金

『象拾錢』とあるを

『五拾錢』とずるに付協議せし

所見學腹行筆の際出茶得る限り此の内より補助すベ

しとの條件にて可決、外に本部會費値上に就ては理

由如何に依つては認むるも大艦に於て反封、新會員

募集方法は會員各自が知己をたどりて勘誘する事。

會の事業として小なる巡同女庫設置の事業を脇議決

定して晩餐に移る。後内山囲間の有徐な御話を初め

會員各自の隔意なき意見妻表や談話に時を過L午後

八時牛惜くも散會した。営日は出張英他証用の黛不

得止出席し得られなかつた宮員が割合に多かつたの

を遺憾に思つた。

信 濃 E C R 會

 

 

 

一、新入倉員

 

 

 

 

松長 常諏 爾局龍諒雌球願 嘲二訪螂乳嘲訪町琲天

澤 進 騨搬相�講式會 凱赫姉伊勢町三七九

横田 誠介 同上     松本市日之出町上野方

以 上

會員計四拾六名

◎會 員 浴 息

○入 會

8秋豊 多劇高治君 一幅島縣烹白河郡豊常村大学塙

――――(777う――――

Page 28: 琥七十四第孫降臨 せ られ 、 尉 武 天 皇 建図 の基 を 開 き 給 ひ て よ り 二千 五百八十八年 、 此間 皇 室 を 回続せ る分家 支流は

(二十二 )

祠島電壁塙皆業所勤務

lo秋夜 濱田哲男君 一幅島縣伊達郡長岡村祠島電燈

長岡管業所勤務

∩ャ退

望春夜 小野克雑君 一臓島電燈長岡瞥業所より栃木

縣郵須郡高林村同赴澤名川菱宙所

へ韓勤の鶯め

現在正會員敷合計二十七名    以 上

浦 洲 E C R 會

撫順 橋葉幸太郎君 去入月

一日より向ふ三過間勤

務演留で公主嶺騎兵聯除

へ入除邦家の鶯めとは

云ひ作ら炎暑の際の復留は陥分酷い事とお察し

ます。

員崎五郎君 昨年波曖大整理の際試億中不幸

残牲着の中に加

へられ退職以束牛年餘浪人生活

を績けられて居りましたが今度目出度復活しか

も日下建設工事中のオイルセールエ場に動蕩さ

れる事になりましたのは同君のため、階た會員

一同のため大慶申上げる次第であります。

睡重 滑田八三久君 去月家庭では長女がチブスで

奉天に、長据は赤痢で大連に雨地に別れ共入院

中との事。但し幸な事には淑方とも経過が良好

なのは何よりですが、全く同情に堪

へません

撫順津上君より通信がありましたので大連宮員

内田君と収扱

へず病院を訪づねました庇八月二

十日御金快退院なされた由υ

大連 竹内正義君 今回商電嘱託として就任。聖徳

一丁目三百三十番地に韓居されました。

四元慶女君 共月二日、日出度く長女お出産

六人目に初めてお嬢さんをお産みになりました

そうで、奥さんのた手柄、同肴のお喜びの程察

ずるに餘りあるものがあります。

中川速行君 九月五日、日出度男子お出産な

されました。母子共健在の由。

石紳源吾若 磁渉を愕ひて九月

一日よう向ふ

一箇月間の豫定にて内蒙白音太莱方面に出張。

△大連分會にては去る十月十六日第九回例會を開催

した。詳細別訛。

△滑線各地よりの通信ほ遺憾乍らありません。

會 員 浴 息

△大連 竹内正義君 今回新夫人をお迎えになりま

した。

△大連 内田三郎消 天之川菱電所より雨電本店内

工務課支配(負荷)盤係に蝉勤

されました。

△大連 岩崎國蔵粛

(昭三・高卒)東亜印刷會赴動務

雑     穀

昭和三年度下牛期分會費納入願ひます。

壼国弐拾錢 (但し學友會費六拾錢、商洲EcR會

費六拾錢)

大連市錦町

一ノ三二     四

元 慶

振誉口座大連二三九四番ヘ

親友のたより位なつかしきものはなゐものだね。

再三再四讚み返したよたょりを前に置ゐて陳目する

と身は講田返をぶら付あて居る様な氣がするね。五

十さんの縁日、漢草の六匡、銀ノラ、次ぎから次ぎ

へと東京の事を聯想する。思へば対等と下宿の三階

で談笑し會食して大ゐに英氣を養つてより

一と昔の

渦去となつたが、 一人は東京の華かな零園氣に、

人は浦洲の異郷に、亦

一人は古里に夫々人生のスタ

ートを切つてゐる。僕も襲校で

∪わ導>の

だ、 や

u∽

承。だと柄にもなゐ高街な電氣理論をかじつ

たお蔭で鐵適院、大阪電歴、鈴木商店、四國水力、

京都市役所等と、錦魚が海ぶ球に滋ぎ廻つて市役所

を最後に元の家業に還元したのは大正七年七月十五

日であつた。此れも脚氣を謂ふ危介な病氣に二年連

績して苦しめちれ殆んど心臓麻痺迄で行つて侯も比

れでは到底もあかん、もう電氣とは絶縁だときめて

意々古郷さして錦つたじ其の年の秋は古老も稀なと

謂ふ大水害年で五百丁歩と詔ふ橋凹が川の決潰の篤

め一大湖水の状をなし、墓地は流されて白衣の死餞

が道路に検はり家が流れ人が行方下明になつた思出

での年であるo明ければ大正八年世を揚げて好景氣

の絶頂、米が四十五園五十園二十五園とうなぎ昇り

に暴騰し雰も四十国と云ふ。副業の雰禅具田草ンピ

ン一園(只今二十四錢)とてつもなゐ黄金時代を出現

し。事業は計妻されL田合の藝若末者迄でが其の思

想を受けて徹脊箱切れと云ふ。買へば儲かる始めれ

ば(すると、英所で村の有力者ハ?)が資本金拾高国

ででつちあげたのが詫間酒造株式會献、小生早速飛

び入つて専務取締役と小生と二人で一潟千里で創立

より第一周作込み迄形付け新酒を賣出さうと云ふ大

正九年春彼の恐ろしゐバニツクO諸共は縮みあがつ

でしまつた。例に洩れすお蔭で會砒は大損を受け、

重役間に内訂を生じ、四十回郷込みの株分たった八

国五十錢。哀れと謂れもおろかなりけりだ。僕も早

速會止を飛び出し家に在つて百姓になつた。英の後

會碓は不況績きで氣息ゑん′ヽひん死の情態でまだ

事業はやつでゐる様だ。大二十

一年拾萱月十六日陛

軍特別大演留は四國千野で演ぜられ、時の東宮撮政

宮殴下には恐れ多くも詫間湾に御上陛遊ばされ、雨

中玉麗を馬上に詫間槃前琲天山御野立所に威ら常ら

れ、篤めに松崎は高位顕官や、演留舞朗の人間で埋

まつてしまつた。大正拾式年九月一日開東大震災。

明けて十三年一月二十六日東宮殿下と久爾宮良手段

下との御婚儀、世を揚けで御成婚を湖し奉つてある

一月三十

一日小生も結婚した。大二十五年十二月二

十五日大正天皇航御して間もなく世は大正より昭和

に改まりJ明けて二年一月五日午後四時牛頃始めて

女兒を分娩して名質共に小生も父となつた。不幸に

してヮイァは難産の罵め霊六日午前三時牛頃、いと

し子に一滴の乳も一回の抱ようもなさず黄泉の故路

に付ゐた。侯も英の時にはつく^ゝ閉口した。(完)

――――(778)一―――

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(三十・二)

母校の光榮

今般京都に於て墨行

せられたる御大典

に際し、母校創立以茶の教育界

に貢駄せ

る功績の多大なる事畏くも天素

に達

し御

卸位膳第

一日たる十

一月十日を

て校長

加藤先生は動六等に叙せらる

之れ誠に母校

の光榮たるのみならす亦本

會無上の名督とする虎な

,。

書員名簿の配布に就て

例年の通り本年十二月上旬

には新しい

會員名簿が出茶ます、而して昭和三年度

の會費凱納の方に御配り致します、就て

は右會費の未た御排込無き方は至急御途

付下さる様願ます。

會誌設途に就て

本會々誌

は昭和二年度分會費未納者に

も毎月御途り致しま

したが、茶る十二月

末日迄に、右會費御排込無

き方

は不得止

明春宣月銑

より含誌は御途付致し粂ねる

やもしれませんから、

至急昭和二年度分を御抑込願ます

錦友ECR會

九州中央支部

日立ECR會

岩手ECR會

長崎EcR會

晃水EcR會

満洲EcR會

宮城EcR會

高知DcR會

菱友ECR會

阪 今 西

分芽支

EcR

マツ〆ECR會 川崎市東京電氣會赴内

代表幹事 松

国皇太

芝浦BcR會 東京芝巨、芝浦製作所内

代表幹事 武 田 光

濱松市三組町五〇 湊井氏方

會  長 如 藤 守

佐賀市騨前戸上電機製作所内

名古屋市熱田愛知電鏡會詑内

茨城縣助川酵日立工場

合日  長 北 條 吉

感岡市盛岡電氣工業會蔵内

 

長崎市橋佐町一一ブ

〓三土井方

代表幹事 土

大阪市東淀川豆中津本通

一ノ一

大阪市北匝堂ビル四〇四

 

栃木縣日光町六七①牛H氏方

會  長 牛 田 直

大連市錦町

一ノ三二 四元方

會  長 四 一死 慶

郎君

孝君

正君

文君

市君

人君

芳君

郎君

七前君

吉君

士口番狛

治君

仙革市元寺小路六入小松原方

 

三君

高知市西弘小路五〇五ノ一

 

吉君

東京本郷E三菱造船研究所内

 

三君

本部内

長 憤 河 一 郎君

秋田縣北DCR宮

秋田縣鹿御淋大湯村房千小坂

銭山第三衰電所菊池健蔵方

會  長 河 原 園 蔵君

湘南ECR會 横須賀市若松町東電出張所内

會  長 井 上 源 造若

信濃ECR會 松本市城西町三ノ七二、高騨方

會  長 高

〓一登君

紳戸EcR會

耐戸市大橋町三ノ四六蓮見方

會  長 宮 下 助 一君

京都ECR會 一爪都市西洞院通佛光寺南入自坂方

含日  長 木 村 富 蔵君

省電ECR會 東京府下中野電車庫内

會  長 鶴 田 庫 一君

嗣島縣BCR會 嗣島市祠島電燈株式會誰内

會  長 遠

緒左衛門君

千葉ECR會 千葉市塞川

一二三二、東電支走内

 

長 久

隆若

蔓湾ECR宮 重北市墓溜電力株式會成

墓北営業所内   會  長 開

火君

市電芝浦ECR會 東京市々電芝浦工場内

會  長 一三 好 正 章君

東電東部ECR會 市外小松川町下千井三二人

東電出張所内   會  長 躯

助君

市電廣尾ECR會 市外澁谷町廣尾、市電々歴課

試働場内     宮  長 萩 原 政 吉君

大同決華ECR會 大阪市大同電力株式會誰内

會  長 友 田 健 一君

――――(779)― ―――

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名 古 屋 市 西 匠 堀 詰 町八 王 子 市 中 町 三 四

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東電

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夏毬貢所

今回都合により右之通り移尊仕り侯條相憂らす御指導御援助願上候

衛上野公園の隣接地に有之候條附近御散策の折は御立寄り下され度候

一切

(特

二電気機械〓開スル設計製回及稜明ノ助勢)

東京市下谷E上野櫻木町十七番地全同業學校裏)

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台邑遭廷1書ロ

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………く電氣自働開閉並二制禦装置専門〉中――

北十八番

八 一 番

新咎業所

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閉 ‐ ブ

△温度、水位、屋力、員墓、時間二依ル自働開閉並二警報装置

△其他自働三電気ヲ開閉スル事ナラ何

ンデ

モ製作致シ

マス

ポンブ電動段用自働起動装置

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用込級誌々會友學機電

付紐綾良強 入宇文白スーロク蘊O:

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部支各郡本會友學機電 羽F込申

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◇名簿用としても禽

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求め下さい

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本誌廣告料金概要規定

金=

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一三

一、本會々員ニンテ廣告掲載御希望ノ方ハ右料金ノ約二割引ノコ

ト〔四捨五入)

一.掲戴岡敷引績キ六同の御契約二封ンテハ規定料金ノ一割五分

ヲ割引スルヨト

一、宮虞版、凸版及木版等ノ製作フ要スルモノハ質費フ申受クル

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一、掲載場所

ハ編輯着二一任セラルペキヨト

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営 業 品 目

プリング用

青 鋼 板 ・ 線 ・ 九 棒

板,‐…厚サ「四ミル」ヨリ÷″位マデ

線………太サ半0番 ヨリ■35呑位マデ

棒 ・̈……,Tヨ リ ー 吋 マ デ

電 気 抵 抗 線 ・ 板・ リ ボ ンマンガニツ 。ユーリカ・ プラチノイド (木品ハ温度係致最小エンテ抵抗最モ正確ナリ)

ェ ナ メ ル 銅 線・ 絹 倦 銅 線エナメル下絹一重,又ハ綿一重格銅倶ハ電気

絶縁力,高 ク慣胎叉低廉ナル故二,経済的ナ ツ

EC印 絶縁 ワエス・ コムパウンド

マイカナイトプレート並マイカルター

東京 EC工業株式會i士東京販賣店

川 上 電 線 製 造 所 代 理 店

⑥ 佐 藤 商 宮電話芝(43)―八三九番

電略「サJ叉ハ「サ ト」

屋外型 66000V.100/5C,T

縫山下電機工業所

代表耐員

東京府下大崎町居木橋三四九

一三

計器用憂流器受昼器、

並工直流機車門製作其

他電気諸機械製作修理

へH

電機

學校

認御

日錦

三丁目停

留場前

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混車地方今戸町

一二三

時 下 寺 島 町

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一般

献 聞 新 日 朝 京 東 る せ 成 完 事 二 年 昨

話京

橋屋

六0

七八番、大0

七九番

工事

る主な

御得意先

一部

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典 大 御 硯

Page 36: 琥七十四第孫降臨 せ られ 、 尉 武 天 皇 建図 の基 を 開 き 給 ひ て よ り 二千 五百八十八年 、 此間 皇 室 を 回続せ る分家 支流は

昭和三年十

一月

日印刷納本

昭和一一一年汁に抑

‥日稜

‥‥晴

繹聴白井 正清

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