学習に向かう雰囲気作りとクラス作り -...

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学習に向かう雰囲気作りとクラス作り 諸永健二郎 (19-1、エルサルバドル、小学校教諭、京丹後市立五箇小学校) ―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――― 平成 19 年度一次隊の諸永と申します。 今日は大変限られた中での話になりますので、まとめながら話したいと思います。パワ ーポイントの資料ですが、一ヶ月くらい前に急いで作成したものなので、余りきちんとし た資料ではないと思いますが、どうかご勘弁をいただければと思います。 エルサルバドルをご存知でしょうか。名前を聞かれた事はありますか。エルサルバドル の人口は約 600 万人、首都はサンサルバドルで、大きさはだいたい四国くらいの大変小さ な国です。サンサルバドルに人口の 3 分の 1、200 万人が住んでると言われています。この エルサルバドルですが、1980 年から約 10 年間、大変厳しい内戦を経験しています。非常に ひどかったようでして、特にエルソノデという村があるのですが、約 800 人の村人全員が 虐殺されたというような惨劇があったとのことです。これは、兵士が直接下したものとし ては、20 世紀最大の虐殺だったという事なのですが、このような歴史を持つエルサルバド ルには内戦の影響が今でも色濃く残っているんでしょうか、かなり治安が悪い国です。 私の任地は首都からバスで1時間半の所にありますエルサル第二の都市、サンタ・アナ という町でした。現在、私が住んでいる所は京都の北側の日本海側にあるのですが、そこ と比べるとずいぶん都会で、協力隊員としてこのような所に住めるなんてスゴイと思った ほどです。学校はサンタ・アナ市内からバスで 30 分、そして歩いて 20 分の所にある大変 小さな学校でした。エルサルバドルは、幼稚部から高校まで、午前と午後の二部制をとっ ていました。午前の部は朝の7時30分から12時まで、午後の部は 13 時から 17 時 30 分 までというのが基本になっています。学校には毎朝7時には到着していないといけません でしたので、家を出るのはだいた6時頃、だいたい6時5分のバスに乗っていました。帰 り着くのはいつも19時頃、暑さも重なって毎日疲れ果てて帰宅する状態でした。そのた めご飯を食べる気力がなく、料理をしなくてもいいもの、特にキュウリや果物を食べてい ました。任地へ行く前はたくさん食べて、5 キロ程太ってぷくぷくして行ったのですが、赴 任後に 9 か月で 17 キロも痩せてしまいました。いまちょうど 6 キロくらい戻ったころでし ょうか。 私の派遣要請の概要なのですが、JICA プロジェクトの中でエルサルバドルのプロジェク ト、算数・初等教育・算数指導力向上プロジェクトというのがありまして、そのプロジェ クトと連携をしながら、教員の指導力を伸ばすというものでした。そのため、プロジェク ト隊員ではありませんでしたので、連携をできるところは連携をして、その他は自分の興 味のあるところ、得意なことを生かしながら、先生たちの指導力を向上させていくという

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学習に向かう雰囲気作りとクラス作り

諸永健二郎

(19-1、エルサルバドル、小学校教諭、京丹後市立五箇小学校)

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

平成 19 年度一次隊の諸永と申します。

今日は大変限られた中での話になりますので、まとめながら話したいと思います。パワ

ーポイントの資料ですが、一ヶ月くらい前に急いで作成したものなので、余りきちんとし

た資料ではないと思いますが、どうかご勘弁をいただければと思います。

エルサルバドルをご存知でしょうか。名前を聞かれた事はありますか。エルサルバドル

の人口は約 600 万人、首都はサンサルバドルで、大きさはだいたい四国くらいの大変小さ

な国です。サンサルバドルに人口の 3分の 1、200 万人が住んでると言われています。この

エルサルバドルですが、1980 年から約 10 年間、大変厳しい内戦を経験しています。非常に

ひどかったようでして、特にエルソノデという村があるのですが、約 800 人の村人全員が

虐殺されたというような惨劇があったとのことです。これは、兵士が直接下したものとし

ては、20 世紀最大の虐殺だったという事なのですが、このような歴史を持つエルサルバド

ルには内戦の影響が今でも色濃く残っているんでしょうか、かなり治安が悪い国です。

私の任地は首都からバスで1時間半の所にありますエルサル第二の都市、サンタ・アナ

という町でした。現在、私が住んでいる所は京都の北側の日本海側にあるのですが、そこ

と比べるとずいぶん都会で、協力隊員としてこのような所に住めるなんてスゴイと思った

ほどです。学校はサンタ・アナ市内からバスで 30 分、そして歩いて 20 分の所にある大変

小さな学校でした。エルサルバドルは、幼稚部から高校まで、午前と午後の二部制をとっ

ていました。午前の部は朝の7時30分から12時まで、午後の部は 13 時から 17 時 30 分

までというのが基本になっています。学校には毎朝7時には到着していないといけません

でしたので、家を出るのはだいた6時頃、だいたい6時5分のバスに乗っていました。帰

り着くのはいつも19時頃、暑さも重なって毎日疲れ果てて帰宅する状態でした。そのた

めご飯を食べる気力がなく、料理をしなくてもいいもの、特にキュウリや果物を食べてい

ました。任地へ行く前はたくさん食べて、5キロ程太ってぷくぷくして行ったのですが、赴

任後に 9か月で 17 キロも痩せてしまいました。いまちょうど 6キロくらい戻ったころでし

ょうか。

私の派遣要請の概要なのですが、JICA プロジェクトの中でエルサルバドルのプロジェク

ト、算数・初等教育・算数指導力向上プロジェクトというのがありまして、そのプロジェ

クトと連携をしながら、教員の指導力を伸ばすというものでした。そのため、プロジェク

ト隊員ではありませんでしたので、連携をできるところは連携をして、その他は自分の興

味のあるところ、得意なことを生かしながら、先生たちの指導力を向上させていくという

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内容でした。

これが学校の先生たちです。小さな学校で、幼稚部から小学校 6 年まで約 190 名の児童

と 4名の先生が働いていらっしゃいました。先生たちが皆僕より年下だったものですから、

大変やりやすく、また、やる気のある先生たちでとても活動しやすかったと思います。た

だ、お世辞にも授業が上手とは言えず、赴任当初、最初に思ったことは、「どうしよう、日

本に帰りたい!」ということでした。何から手をつければいいのかわからない、と思う状

態でした。どんな感じかと言いますと、授業中ご飯を食べるなどは当たり前で、いなくな

ったりもします。携帯電話で話をするのも当たり前です。また、授業中でもお菓子が食べ

たくなったら子どもにお店までお菓子を買いに行かせます。もうどうしたらいいの、とい

う感じでした。

このような状況の中で学習しているわけですから、子ども達も学習内容が身に付いてい

るはずがありません。次に、どんな感じで授業が進んでいくのかということを紹介してい

きたいと思います。最初の 15 分間ですが、教科書に書いてあることを黒板を使って一方的

に説明します。学年が上がるほどに学習内容を教師自身が理解していないという事が多い

ので、本当に一方的に説明するだけになります。そのあとに子どもたちが黒板に書かれて

いる事をノートに写します。それがだいたい 15 分くらいかかります。そのあとに 10 問く

らいの練習問題をやります。ノートに写す時点で先生たちはドカっと自分の席に座ってし

まい、ご飯を食べたり、コーヒーを飲んだり、携帯をいじったりします。そして、練習問

題が終わると、子ども達は一人ずつ先生の所にノートを持って行って、丸つけをしてもら

います。間違いがあればその場でポイントを説明したりするのですが、時間になればそこ

で終了してしまいます。練習問題ができていない子はそのまま遊びに行ってしまいます。

練習問題をしたくない子もそのまま遊びに行ってしまいます。先生の方でチェックを全く

しません。日本では当たり前のことですが、ほとんどの先生が一年間の学習内容を教えき

る事が出来ないようです。だいたい図形領域というのが教科書の後ろの方、日本でいえば

三学期にあたるところに入っていくわけなのですが、そこまでまず授業が行き着けないよ

うです。このため、エルサルバドルの人たちは大変図形に弱いです。先生たちもほとんど

理解できていないように感じていました。本当にそのあたりがすごく問題だなと思ってい

ました。先生たちは苦手な事から逃げようとするようなところがあり、国民性でしょうか、

頑張るとか、根性とかありません。温かい所に住んでいますので、山に行けばバナナがあ

ります。マンゴーなどもたくさんあるので、別に働かなくても、山に行けば食料が調達で

きるので、明日のために頑張るなんてことはしません。今日のために、今日楽しければい

いという感じです。そのため、図形がわからなくてもいいよね、というような感じになり

ます。日本だとそういうわけにはいきません。日本人はわからないところは授業の前に、

と思い、教材研究なんかすると思うのですが、そういったことはエルサルバドルの人たち

にはありませんでした。

そういう状況の中で先生をしてらっしゃるわけですから、それほど自分の仕事に誇りを

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持っているというわけでもなく、また責任感があるというわけでもありません。子どもが

授業を理解できないのは教師の責任ではなく、子どもと親の責任だというふうに思ってい

ます。これは学年に関係ありません。一年生からそのように先生たちは思っています。理

解できないのは教師の教え方が問題なのではなく、子どもに理解力がないと、親の育て方

が悪いからだということになります。ですから、彼らには授業改善をする必要がありませ

ん。完璧な授業をしていると自分達では思っているからです。つまり、技術を教えるとい

うわけではなく、意識を変えていかないといけないのだなという事がわかりました。

子ども達も、したくないことを無理にさせられるということがありませんから、体育も

したくなかったら体育お休み、授業も出たくなかったら出なくてもいいという風潮です。

勉強をするということを履き違えているふしがありまして、学習内容を理解するのではな

く、黒板に書いてあることをノートに写すことが勉強をすることだと思っているふしもあ

りました。

ノートにどれだけ書いてあるかというのが保護者の担任教師への評価指標となっていま

したので、学校の先生たちもノートにたくさん書かせないといけないという思いがあった

ようです。こういった状況の中で、私がこだわりたいこと、それから1年でできることは

何かと考え、それはクラス作り、学習集団作りということにこだわっていくことが一番良

いのではないかと思いました。

クラスを作ると言ってもピンと来ないのではないかと思い、児童全員が学習に向かえる、

学習しているという意識と、学習したという満足感、そして、それらの作用による学力向

上に向かうために、学級内の雰囲気を高めるということを先生たちに伝えました。しかし、

雰囲気、様子、学習集団作りをしようということはどういう事なのか、ということを説明

しようとしても、スペイン語もままならない状態であり、それから現地の先生にとっては

経験したことがないことでしたので、理解ができてないな、ということはその説明したと

きの先生たちの顔を見て感じました。

理解してもらうには、やはり自分で行動して見せるのが手っ取り早いと思い、算数の授

業を毎回 10 分間だけいただき、百マス計算を始めました。百マス計算にして理由は、まず

あまりスペイン語が必要でないこと、毎日計測するタイムで、自分の努力の結果が分かる

こと、目標の設定が簡単であること、毎日するので何度もチャンスがあること等です。そ

れから 100 マス計算のために九九を絶対に覚えさせようということで九九の合格基準を作

り、6の段まで合格したら銀メダルとか、9の段を合格したら金メダルをあげようというよ

うな取り組みも行いました。元々面倒なこと、やりたくないことはやらない子ども達です

から、なかなか乗ってくれませんでした。36 人いたのですが、2ヶ月くらいかけて 2、3人

の覚えの良い頭の良さそうな子たちをピックアップして、その子たちを集中的に教えまし

た。そして、銀メダルや金メダルをクラスの中で実際に掛けてあげました。そうすると、

僕も欲しい、なんて他の子も思いだして、だんだんと学級の中に九九を覚えないといけな

いという雰囲気が出てきて、最終的には全員合格しました。

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これをきっかけに先生たちが変わりました。今まで覚えなさいと言っても全然覚えよう

としなかったのに、何でこんな自分から進んで覚えるようになったのだろう、というよう

な感じです。ビックリしたのだと思います。このことにより、これが学習に向かう雰囲気

作りみたいなものですよ、という事が説明できたと思います。

また、教具の見本を作ったり、日本の方法などを紹介したりもしました。色々紹介はし

たのですが、実際に現地の先生達がやりやすくて、興味があるものだけをすれば良いと思

っていましたし、そのようにも伝えていました。今でも続けているものでは、絵日記と読

み聞かせのようで、自分たちでやりやすいようにやり方も少しずつ変えたようです。

このような中、100 マス計算だけしていってもしかたがないと考え、やはり教師の意識だ

け向上させるのではなく、子ども達の意識も向上させないといけない、保護者の意識も向

上させないといけない、と思いました。小さな学校でしたので動きやすく、「保護者会しま

す。」と校長先生が声を掛けると、ほとんどの保護者が集まるという環境でしたので、この

保護者の意識も高めるように働きかけていこうと思いました。しかし、私個人では大した

ことは出来ません。そこで他職種の隊員や現地の人々と協力し合うこと、コラボレーショ

ンをしていくことが、教師や児童にとっても、また、保護者にとっても色々な刺激になる

のではないかと思いました。

スペイン語がままならない状態でしたので百マス計算が手っ取り早かったのですが、そ

の百マス計算では、いろいろな小学校や大学の教員養成課程の数学の授業に飛び込みで百

マス計算をさせてもらいに行きました。そして赴任する学校の中から代表者を決めて、大

学や他の小学校に連れて行き、百マス計算で対決するということをしました。

そして、一番力を注いだのが授業研究でした。赴任していたエルサルバドル西部の教員

能力開発センター、国立大学等と協力し、帰国直前まで 32 本の研究授業を行いました。教

材研究は毎回 4 名の先生たちと一緒に行い授業を作っていきました。もともとこの学校は

大変優秀な学校ということで有名だったのですが、研究授業で先生たちにも自信を持った

ようで、回を重ねる毎に真剣に取り組むようになっていき、色々なアイデアも出すように

なってきました。また、2008年から09年にかけて教育大会が3回あり、全国から 700

~800 名の先生が毎回集まりました。その3回ともに赴任校の先生が研究授業を行いました。

もちろん子供達も首都まで連れて行き、エルサルバドルの教育テレビで全国に放映されま

した。

ちょっと見えにくいですが、ちょっと太った女の先生、この先生が一番力をつけたので

はないかと思います。教育大会では3回中2回、全国から集まった大勢の先生たちの前で

授業を行いました。この先生はその1年間で散々泣きました。税金泥棒だとか、ゴミのよ

うな授業だとか、ちょっと人権問題になるのではということまで言って何度も泣かせてし

まったのですが、彼女はそれですごく力をつたのではないかと思います。休み時間に理解

できていない子どもを呼んで説明をしている彼女の姿を見た時には、意識がかわったのか

なと思い、うれしかったのを覚えています。

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また、平和教育も行われました。日本の学校とも交流しました。5~6年生に授業をして、

その子たちが 4年生に、3年生に、2年生にと授業をしていき、折り紙、折り鶴なども折り

ました。たまたま教育省の役人で JICA の研修で広島に行くという人がいたので、学校で折

った鶴を広島まで持っていってもらいました。こんな資料も作りました。その後、折り鶴

の意味、戦争の事、原爆の事、日本の文化紹介を子どもたちが地域の人たちに教えたいと

いいだし、地域でのお祭りでブースを出させてもらい紹介していきました。最後は日本大

使館に出向き、大使に千羽鶴を受け取っていただき、学習の成果を聞いていただきました。

いろいろな職種のボランティアにも学校に実際に来てもらい、授業を行ってもらったり、

保護者向けの講演をしてもらいました。最新の農業を体験してもらうために病虫害隊員と

協力して農業学校の生徒による出前授業、栄養隊員による栄養指導、考古学隊員による歴

史授業、看護隊員による性教育もしてもらいました。性教育の時には保護者会でも講演を

してもらったのですが、その話の中で、お米をおなかの周りに3キロほどつけまして、妊

婦体験を何名かのお父さんにしてもらいました。これが大変好評でして、それまで保護者

会の参加率はだいたい 50~60%だったのですが、お父さんが妊婦を体験するという事がすご

くおもしろかったようで、その研修をきっかけに、保護者会の出席率は 90%以上になりま

した。

隊員最後の仕事として、地域の教育主事、校長会のメンバーと一緒に授業研究研修を行

いました。その研修とは、まずは赴任校の先生達の授業を見てもらい、その授業から学ん

だことや感じたことを元に自分たちの学校で、新しい授業方法や教具を試してもらう。そ

の後その方法や教具が児童の学習にとってどうだったか、また、工夫した点や問題点、新

たに作った教具などを紹介し合うというものでした。エルサルバドルの学校では横の繋が

りがあまりありませんので、良い授業をしていたり、良いアイデアを持っている先生がい

ても、それらがなかなか他の先生に伝わっていかないという問題点もありましたので、こ

の研修会を企画しました。この他にも企画したことはいくつかありますが、どれも色々な

人とのコラボレーションの中で出来たことでした。

現在、私は2年生を担当しております。全校で71名と大変小さな学校で、転勤が決ま

った時は嬉しかったのですが、蓋を開けてみると、研究指定校で今年が最終年度というこ

とで、夏休みまでは何をしているのか全然わからないような状態でした。

社会還元ということで何かしないといけないとは思っているのですが、2年生の担任と

いうこともあり、また、研究発表の年という事もありましたので、まだエルサルバドルの

話は一度もしたことがありませんし、具体的な行動も起こせていない状況です。ただ、協

力隊に行っていた先生が一人、身近にいるというだけで学校の雰囲気が違うのではないか

と思ったりしています。近い将来、エルサルバドルの子ども達、それから他の地域の人た

ちとの交流ができたらいいなとは思っているのですが、時が来れば、そういったような話

になるのではと思っています。

これから赴任される先生たちという事ですので、どうか2年間頑張って来て下さいと最

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後に申し上げたいと思います。そして、何より、地球の裏側で、また、他の国で、2年間一

緒に汗を流した仲間がいるということは、本当に素晴らしいことで、1回しかない人生の

中で、かけがえのない経験になることと思います。ぜひ頑張ってきて下さい。

長くなりましたが、最後まで聞いていただきありがとうございました。これで終わりま

す。

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学習に向かう雰囲気作りとクラス作り学習に向かう雰囲気作りとクラス作り

平成平成1919年年11次隊次隊エルサルバドル共和国教育省エルサルバドル共和国教育省西部教員能力開発センター西部教員能力開発センター

AYUTICAAYUTICA小学校小学校 派遣派遣

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コラボレーションの中でコラボレーションの中で

百マス計算百マス計算

授業研究授業研究

平和教育平和教育

他職種隊員の協力他職種隊員の協力

Diez minutos[1].pdf

百マス計算の様子

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ホンデュラス小学校教諭隊員による授業

九九テスト

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看護隊員による性教育 スイスのNGOボランティアによる研修

ご清聴ありがとうございました