常用漢字字體考(一)appsv.main.teikyo-u.ac.jp/tosho//nokamoto38.pdf常用漢字字體考(一)...
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71 常用漢字字體考(一)
常用漢字字體考(一)
岡本
直人
私達が日常用いる漢字は「常用漢字」が表記の基準となっている。これは、
・昭和二十一年十一月「当用漢字表」(内閣訓令・告示)
一、
この表は、法令・公用文書・新聞・雑誌および一般社会で、使用する漢字の範囲を示したもので
ある。(「まえがき」より)。一八五〇字。
・昭和二十四年四月「当用漢字字体表」(内閣訓令・告示)
一、この表は、当用漢字表の漢字について、字体の標準を示したものである。
一、
この表の字体の選定については、異体の統合、略体の採用、点画の整理などをはかるとともに、
筆写の習慣、学習の難易をも考慮した。なお、印刷字体と筆写字体とをできるだけ一致させるこ
とをたてまえとした。(「まえがき」より)
・昭和五十六年一〇月「常用漢字表」(内閣訓令・告示)
一、
この表は、法令、公用文書、新聞、雑誌、放送など、一般の社会生活において、現代の国語を書
き表す場合の漢字使用の目安を示すものである。(「前書き」より)。一九四五字。
(原文はいずれも横書き)
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72常用漢字字體考(一)
とする制定経過によって現在に至ったことに拠る。この「常用漢字表」は「当用漢字表」、及び「当用漢
字別表」(昭和二十三年)・「当用漢字音訓表」(昭和二十三年)と「当用漢字字体表」を引き継ぐ形で成さ
れたわけだが、こと「字体」に関しては、「当用漢字字体表」と大きな相違がある。
別表(七五頁〜七八頁)の上段に「当用漢字字体表」を、下段と七九頁に「常用漢字表」を掲げた。つ
まり上段の「字体表」で採り上げられている「備考(二)、(三)」の「新字体」制定の説明例示が下段の「常
用漢字表」では全く削除され、活字のデザイン上の違いや、手書きと活字の差異についての指摘に終って
しまっている点である。
「当用漢字字体表」の「新字体」はそれまで使われていた活字と手書き文字の字体を近づけ、読み書き
の平易さを求めて採用された略体(略化)文字である。このことによって、活字として読む漢字と、手書
きする日常漢字が一致し、漢字を学び、読み、書くといった一連の経路が容易になった利点があげられよ
う。しかし一方ではそれ以前の漢字、「旧字体」とそれを表記してきた多くの文化との乖離を生ずる結果
となった。その文化の途切れに触れている僅かな「備考」さえも「常用漢字表」に無いことで、前代の姿
に全く気付かずに学び使うことになってしまったのである。(ただし括弧に入れて康熙字典体を示し、明
治以来行われてきた活字とのつながりを示したが、「字体表」のように作字経緯は読みとれない。)
それでは、「新字体」が採用されるまで使われていた「旧字体」とはどんな漢字であろうか。
―
中略―
。旧字体には確定された字体がない、ということである。
-
73 常用漢字字體考(一)
―
中略―
。日本、中国を通して漢字の点画までをお上が定めたものは日本の「当用漢字字体表」が初め
てだといえる。本場中国でも、古代以来、何人かの皇帝が勅令によって漢字字体の統一のための字書の編
纂を行っているが、さほどの強制力はもち得なかった。では、日本において明治に活字印刷がはじまった
とき、漢字の活字字体は何によって決められたかというと、中国清代の一七一六年、康こう熙き帝の勅命により
編纂された『康こう熙き字じ典てん』に拠ったのである。
―
中略―
。そこで明治の印刷所、活字の鋳造所は『康熙字典』に準拠しながらも、細かな点画の異同は
独自の判断で活字を設計していった。さらには印刷所ごとで独自のデザインを施したのである。結果、一
つの漢字でも印刷所によって別の字体をもつものが現れることになった。これが現在、新字体に対する旧
字体とされているものなのである。 (『旧字力・旧仮名力』青木逸平著
NHK出版生活人新書)
とあるように「旧字体」には定形がないこと、多くは「康熙字典」に拠ってはいるが完全に一致したもの
ではないことが挙げられる。「旧字体」を時に「康熙字典体」とよぶこともあるがそれは右の理由で誤謬
を生じる。またその「康熙字典」とは
清代の康熙帝の勅命をうけ、説文その他中国における漢字関係の書物によって漢字を集大成したもので
収載されている漢字は四万字余り。(『解説字体辞典』江守賢治著
三省堂)
であり「説文解字」(後漢一〇〇年
許愼著)がこの字典の基幹となって編纂されている。「説文解字」(「説
文」)は「小篆」形によって漢字の形音義を解釈しているのだが、「旧字体」の多くを辿ってゆくと「康熙
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74常用漢字字體考(一)
字典」を経て、「説文」の「小篆」形に行きつくことになる。「康熙字典」の活字体の骨格には「小篆」形
があり、勿論それ以外の要素(隷書、草書、行書、楷書体といった書体の変遷による漢字構成要素等)も
多く含むが、「旧字体」も秦、漢以降の漢字文化に連なっているのである。
繁から簡に流れるのは時代の求めではあるが、簡略な通用体の背景には永い文字文化があり、「当用漢字」
制定以来約六十年でそこを知る窓口が閉ざされていることは残念なことである。教育の場にあっても、現
在の通用体が「略体」であることに指導者の指摘があることは殆んど無いであろう。ましてや日常生活の
膨大な情報量の中でも接することは稀である。更に時が進めば、他字との識別のみが必要となり、漢字の
祖形などは意識にのぼらなくなるとも予想される。
そこで本稿では「新字体」となった常用漢字をとり上げて、それ以前の姿との繋がりに焦点をあてて、「新
字体」の再確認を試みたい。また、「新字体」は常用漢字のみに使われるのであって、それ以外の漢字(常
用外4漢字)は元のままであって手が加わっていない。従って「旧字体」ではないことも肝要な点である。
但し、人名用漢字の「新字体」については別項に譲る。そして、本稿は前出の『旧字力・旧仮名力』に拠
るところが大きいことを附言しておく。
表中の「新字体」「旧字体」の親字は
「常用字解」(白川
静著
平凡社) 「漢語林」(大修館書店)を用い
「説文」及び古典形は 「書道字典」(伏見冲敬著
角川書店)
「字源字典第二版」(昭和五八年
角川書店)を用い、適宜拡大縮小を施している。
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75 常用漢字字體考(一)
当用漢字字体表(昭和二四年四月)
常用漢字表(昭和五十六年十月)
〔備考〕
一、 この表は、当用漢字表の配列に従い、字体は、
活字字体のもとになる形で示した。
二、
この表の字体には
(一)
活字に従来用いられた形をそのまま用いたもの
(二)
活字として従来二種類以上の形のあった中
から一を採ったもの
例「効・效」から「効」。「叙・敍・敘」から「叙」。
「姉・姊」から「姉」。「略・畧」から「略」。
「島・嶋」から「島」。「冊・册」から「冊」。
「商・商」から「商」。「編・編」から「編」。
「船・船」から「船」。「満・滿」から「満」。
(三)
従来活字としては普通に用いられていな
かったものがある。この表では、(三)の
うち著しく異なったものには、従来の普通
の形を下に注した。
(付)字体についての解説
第1
明朝体活字のデザインについて
常用漢字表では、個々の漢字の字体(文字の骨
組み)を、明朝体活字のうちの一種を例に用いて
示した。現在、一般に使用されている各種の明朝
体活字(写真植字を含む。)には、同じ字であり
ながら、微細なところでの形の相違が見られるも
のがある。しかし、それらの相違は、いずれも活
字設計上の表現の差、すなわち、デザインの違い
に属する事柄であって、字体の違いではないと考
えられるものである。つまり、それらの相違は、
字体の上からは全く問題にする必要のないもので
ある。以下、分類して例を示す。
1
へんとつくり等の組合せ方について
-
76常用漢字字體考(一)
例(1)
点画の方向の変った例。
半 半、兼
兼、妥
妥、羽
羽
(2)
画の長さの変った例。
告
吿、契 契、急
急
(3)
同じ系統の字で、又は類似の形で、小異の
統一された例
拝招
招、全今
全今、抜友
拔友
月期朝青胃
月期朝靑胃
起記
起記
(4)
一点一画が増減し、又は画が併合したり分
離した例
者
者
黄
黃
郎
郞
歩
步
成
成
黒
黑
免
(5)
全体として書きやすくなった例
亜
亞
倹
儉
児
兒
昼
晝
(1)
大小、高低などに関する例
硬
吸
(2)
はなれているか、接触しているかに関する
例
2
点画の組合せ方について
(1)
長短に関する例
雪
無
斎
(2)
つけるか、はなすかに関する例
発
備
奔
空
湿
吹
(3)
接触の位置に関する例
岸
家
脈
蚕
印 (4)
交わるか、交わらないかに関する例
聴
非
祭
-
77 常用漢字字體考(一)
(6)
組立の変った例
黙
默
勲
勳
(7)
部分的に省略されたもの
応 應
芸
藝
県
縣
畳
疊
(8)
部分的に別の形に変った例
広
廣
転 轉
〔使用上の注意事項〕
一、
この表の字体は、活字体のもとになる形であ
るから、これをみんちょう体、ゴシック体そ
の他に適用するものとする。
二、
この表の字体は、これを筆写(かい書)の標
準とする際には、点画の長短、方向・曲直・
つけるかはなすか、とめるかはね又ははらう
か等について、必ずしも拘束しないものがあ
る。
そのおもな例は、次の通りである。
存
孝
射
(5)
その他
芽
夢
3
点画の性質について
(1)
点か、棒(画)かに関する例
帰
班
均
均
麗
(2)
傾斜、方向に関する例
考
考
値
望
(3)
曲げ方、折り方に関する例
勢
頑
頑
災
(4) 「筆押さえ」等の有無に関する例
芝
更
更
八
公
雲
(5)
とめるか、はらうかに関する例
環
泰
談
医
継
園
-
78常用漢字字體考(一)
(6)
とめるか、ぬくかに関する例
耳
邦
邦
街
(7)
はねるか、とめるかに関する例
四
配
換
湾
湾
第2
明朝体活字と筆写の楷(かい)書との関係
について
常用漢字表では、個々の漢字の字体(文字の骨
組み)を、明朝体活字のうちの一種を例に用いて示
した。このことは、これによって筆写の楷(かい)書
における書き方の習慣を改めようとするものでは
ない。字体としては同じであっても、明朝体活字(写
真植字を含む。)の形と筆写の楷書の形との間には、
いろいろな点で違いがある。それらは、印刷上と
手書き上のそれぞれの習慣の相違に基づく表現の
差と見るべきものである。以下、分類して例を示す。
(1)
長短に関する例
雨
商
戸
無 (2)
方向に関する例
風
比
仰
言
衤
主 主
糸
年
(3)
曲直に関する例
了
手
空
(4)
つけるかはなすかに関する例
又
文
月
月
果
(5)
とめるかはらうか、とめるかはねるか、に
関する例
奥
隊
公
角
骨
木
来
糸
(6)
その他
北
女
人
入
令
-
79 常用漢字字體考(一)
常用漢字表(昭和五十六年十月)(前頁下段より続く)
1
明朝体活字に特徴的な表現の仕方があるもの
(1)
折り方に関する例
衣―
去―
玄―
(2)
点画の組合せ方〃
人―
家―
北―
(3)
「筆押さえ」等〃
芝―
史―
史
入―
八―
(4)
曲直に「〃
子―
手―
了―
(5)
その他
―
⺮―
心―
2
筆写の楷書では、いろいろな書き方があるも
の(1)
長短に関する例
雨―
雨
戸―
戸
―
無
(2)
方向に
〃
風―
風
比―
比
仰―
仰
糸―
糸
―
衤―
衤
主―
主
主
言―
言
年―
年
(3)
つけるか、はなすか〃
又―
又
文―
文
月―
月
月
条―
条
保―
保
(4)
はらうか、とめるか〃
奥―
奥
公―
公
角―
角
―
骨
(5)
はねるか、とめるかに〃
切―
切
改―
改
酒―
酒
陸―
陸
穴―
穴
木―
木
来―
来
糸―
糸
―
環―
環 (6)
その他
令―
令
外―
外
女―女
-
80常用漢字字體考(一)
①「
」(しにょう・之繞)について (
)内が旧字体
辺(邊)込(込)巡(巡)迅(迅)近(近)迎(迎)返(返)述(述)迭(迭)迫(迫)逆(逆)送(送)
退(退)追(追)逃(逃)迷(迷)逝(逝)造(造)速(速)逐(逐)通(通)逓(遞)途(途)透(透)
連(連)逸(逸)週(週)進(進)逮(逮)運(運)過(過)遇(遇)遂(遂)達(達)遅(遲)道(道)
遍(遍)遊(遊)違(違)遠(遠)遣(遣)遮(遮)遭(遭)適(適)遺(遺)遵(遵)選(選)遷(遷)
還(還)避(避)(五〇字)
「
」は「辵チャク」。「彡」(=彳。「行」道路の略形)+「止」(あし。あゆむ)で、三画+「止」であった。
旧字体「
」の二点形は全て「
」の一点形となった。略形の変化は表2にあるように遠く漢代に溯り、
三点形の熹平石經(一七五年)、二点形の曹全碑(一八五年)と刻石にあり、墨書竹簡には敦煌、居延で
見られるように一気に全て続くものまで後漢代に現われる。
新字体一点形明朝体と学校教育で使われる教科書体活字で
は単なるデザインの違いではなく、実は前者が一画少ない
(「近」字参照)。後者は劉根等造像記(北魏五二四年)の「退」
字に見られるように楷書として定着してゆくが、このS字形
のなかに実画と虚画(左下方向、網掛け部)の連続を読みと
ることができる。右下に向かう③の働きを「彡」の三画めと
見れば三点+「
」となるか或いは二点と「
」(③を「
」
①
②
③
表 1
-
81 常用漢字字體考(一)
明朝体
教科書体活字
表2
-
82常用漢字字體考(一)
の起筆の動きとみて)となる。このS字形は決っして無意味な連続ではないのである。
②「示」について
礼(禮)・社(社)・祈(祈)・祉(祉)・祝(祝)・神(神)・祖(祖)・祭・祥(祥)・票・禁・禍(禍)・
禅(禪)・福(福)・示 (十五字)
「示」(天を祀る几キ(大机)の象形)は偏が新字体「ネ」形に変わった。「示」字と下部につく、「祭・票・
禁」の各字は変化していない。「ネ」形は王義之(三〇三〜三六一。異説あり)に既に見られる行書形。
寧陵公主墓誌(北魏五一〇年)のように楷書に定着してゆく。(表3)
※
「禮」は「示」+「豊」(一夜で醱酵させたあまざけ=醴レイ)。「礼」は「示」+「乙」で「古文」として「説
文」に採られている。「古文」とは
小篆の母型の大篆は、西方の代表的書体であったのに対し、東方の国、つまり斉・魯で用いられてい
た書体が古文である、というのが王オウ国コク維イ(一八七七〜一九二七)の説である。『説文』に採られてい
る四五〇字あまりの古文と、斉・魯の貨幣や兵器の字体が似ていることに着目して論を立てたのであ
る。また「孔子壁中書」も古文の一系で、その形がオタマジャクシに似ていたらしいことから、別に 表3
-
83 常用漢字字體考(一)
〝科斗文字〞ともよばれた。ずっとのちの魏「三体石経」中の古文は、こしらえた書風であるが古文
の系譜にある(「書の文化史―
上」西林昭一著
二玄社)
とあるように「古文」を一つの概念にまとめるのはむずかしいが、地域的に採集したものと考えてよい
であろう。「禮」と「礼」は別字であり「禮」を略化しても「礼」にはならない。各々、隷・楷と定着
してゆく。秦代の正体小篆に採り上げられなかった「礼」が、二千二百年余の時を経て現代に正形とし
て座を得たと考えると漢字の生命力に今さらながら驚かされる。
表4
-
84常用漢字字體考(一)
※
「秘」字は本来「祕」字で、「禾」(のぎへん)とは関係なく、誤形が定着したもの。集王聖教序(王羲
之)、高貞碑(五二三年)など第三画が横画の上に出て、行・楷での混乱がみられる。(表5)
※祭・票・禁などの下部に「示」がくるときは変化していない。
「票」字は「
ヒョウ」(フ・フウ+
火。
シ
+臼キョク+火とも)で「示」に関する文字ではなく「火」に因る文字である。
「票」による隷・行の字例はないが、「漂」「飄」などの例を見ると漢代隷書では既に「火」が「示」に
誤形して楷書につながったと考えられる。
表5表6
-
85 常用漢字字體考(一)
③「食」に関連して
食(⻝)・飢(飢)・飲(飮)・飯(飯)・飼(飼)・飾(飾)・飽(飽)・養(養)・餓(餓)・館(館) (一〇
字)
「食」(「
・
」(表7の甲骨・金文のように食器に食物を盛った形
)+「
」(蓋をする))
の第三画は本来横画。唐代楷書にも縦・横二形みられるが、新字体で縦方向の点としたことで「良」字と
同形になってしまった。旧字体食偏「⻞」の下部は隷書体からか。
甲骨文
金文
表7
-
86常用漢字字體考(一)
※良・郎(郞)・朗(朗)・廊(廊)(三字)
「
良」(穀物を入れそれを計量する器の形という。甲骨、金文参考)に関する文字は旧字体でも第一画は
縦方向の点。篆文の「
」形が隷書で「
」形となり楷書でも「
」と横から縦への動きとして残った。
そして更に縦一画として定着していった。「良」を含む郎・朗・廊の旧字体下部は「
」形であったが
新字体で一画省略したことで「食」偏下部と同形になってしまった。(「飲」字参考)
甲骨文
(参考)
表8
-
87 常用漢字字體考(一)
※即(
)・既(旣)・節(節)・慨(慨)・概(槪)・響(響)・
(郷)(七字)
卿・
食は常用外漢字。
これらの文字は「食」の下半「皀キ」を共通にもつ。旧字体では「皀」形と「
」形とがあり一定してい
ないようだ。「卿」「郷」「饗」はもと同一字で後に分かれ、篆書では分化した形となっている。「爵」字
の「
」形は字源が異なるが隷書体から同形に変化している。
表9
-
88常用漢字字體考(一)
④「ツ」形への変化
学(學)・覚(覺)・誉(譽)・挙(擧)・労(勞)・栄(榮)・営(營)・蛍(螢)・悩(惱)・脳(腦)・巣(巢)・
猟(獵)・桜(櫻)・単(單)・禅(禪)・弾(彈)・獣(獸)・戦(戰)・厳(嚴)(十九字)
漢字を簡略化しようとすると字源の異なる組み立てが同形に収斂されていくことになる。これは「当用漢
字」の新字体化に始まったわけではなく、草書化が始まった時点からの手書きの動きである。例えば表10
のように真書(正書)と草書を並べて書いた智永(生没年不肖)の隋代頃の「真草千字文」(小川本)で
見ても解るように、「談」の「言」偏、「信」の「イ」偏、「従」の「彳」偏が縦への一画の動きとして収
束している。偏が同形であっても旁の形で判断がつくわけである。
そこで新字体で同形にまとめられたものを次にとり上げてみてゆく。
表 10
-
89 常用漢字字體考(一)
※
学(學)・覚(覺)
二字共に上部の「キ
ョク
」(左右の手)、「コ
ウ
」(交わる意)が略化された。草体には「ツ」
形の略形あり。唐代楷書では別体「
」形もある。
※誉(譽)・挙(擧)
同様に上部の「
」(二つの手と
)が略化された。「誉」は草体からの変化。
「挙」の草体では現われないのでそれに倣っての変化か。「手」形は短横画二本に略化されて草体にも伝
存している。
表 11
-
90常用漢字字體考(一)
※
労(勞)・栄(榮)・営(營)・蛍(螢)
いずれも上部の「
」が略化された。「ツ」形になってしまっ
たことで「火」に関する文字であることが伝わらなくなった。「勞」字の行草体は他字のような草書略
形の「ツ」への変化が見られないようだ。手書きの伝わり方も一様ではなく新字体化では他の字例に倣っ
たか。「鶯(うぐいす)」は常用外漢字で新字体はなし。
表 12
-
91 常用漢字字體考(一)
※
悩(惱)・脳(腦)
旁上部の「巛」形が「ツ」形となった。古典例は少ないが「惱」の行書形にこの略
化がみられる。「シ
」は頭骨の象形で「巛」は頭髪ともいう。新字体は「
」となって「凶」形となっ
たが、「凶」字との関連はない。旧字体「
」形は、「思」字の小篆上部の第一画が入っていると考えら
れるが、「腦」の篆文では不思議と略されている。「康熙字典」では「
」形となっており、そのまま旧
字体に採り入れたと思われる。
巣(巢)は行書体に略化がみられる。
康熙字典
表 13
-
92常用漢字字體考(一)
※
猟(獵)は旁が大胆に略化された。上部「巛」は悩、脳同様に「ツ」形に。下部は「鼠ねずみ」字下部の行書
形と同様の「
」形に、行書の楷書化。旧字体の上部「
」は「惱」形と異なり一画少ない。こちらは
篆文の形そのままである。「康熙字典」でも一画少なくこれを採り入れたと考えられる。
※桜(櫻)は「
」の貝二つが略化。草体の楷書化。
※
単(單)・禅(禪)・弾(彈)・獣(獸)・戦(戰)・厳(嚴)
単の上部「
」が「ツ」形に略化され、単
を含む文字も同様に略化された。古典の多くの行書形にみられ楷書化された。
「獸」の「キュウ
」は甲骨・金文で見るとおり「單」字が含まれている。
「嚴」は「単」とは関係ないが、上部「
」が略化された行書の楷書化。
以上見てきたように、「
」・「
」・「
」・「
」・「
」・「
」形が「ツ」形に略化収束された。
康熙字典
表 14
-
93 常用漢字字體考(一)
甲骨文甲骨文
表 15
-
94常用漢字字體考(一)
⑤「柬」に関して
練(練)・錬(鍊)・欄(欄)(三字)
「柬」を部分にもつ、練・鍊・欄は「東」形となって新字体になったが「東」(トウ・ひがし)とは勿論関
係はない。二点を横に連続する行書形の楷書化であるが、古典では北魏時代には早くも現われている。常
用外漢字の「諫」「
」「爛」「瀾」等は変化しない。「棟」(むね)と「楝」(レン
植物名、おうち。セン
ダン科)とは別字。
※
「蘭」も常用外・漢字。人名用漢字として新字体「蘭」の「東」形があるがこれはあくまで人・名・用・漢字。
(昭和二六年五月「人名用漢字別表」で制定された九二字のうちの一字)ところが表17中の①は現在使
われている高等学校芸術科書道の教科書、②は古典の印刷本表紙の題字。書聖といわれる王羲之の最も表 16
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95 常用漢字字體考(一)
①
②
表 17
-
96常用漢字字體考(一)
有名な古典の題名が、人名でもないのに新字体で堂々と流布していることに疑問を覚える。古典の行書
形に左右されたとは考え難いが、教科書がこんなにも安易に固有名詞の文字を変えてもよいものだろう
か。植物名としての「蘭」も濫用されている。常用漢字にのみ新字体はある。
参考文献
旧字旧かな入門
府川充男
小池和夫著
柏書房二〇〇一年
日本の漢字
笹原宏之著
岩波新書二〇〇六年
人名用漢字の戦後史
円満宇二郎著
岩波新書二〇〇五年
月刊しにか
一五一号二〇〇二年
一五五号二〇〇二年
一五九号二〇〇三年
大修館書店
康熙字典
講談社一九七七年
漢字と日本人
高島俊男著
文芸秋春社二〇〇一年