研究課題:「高齢聴覚障害者のための自分史構築と語りを通した … · 3-2...

15
研究課題:「高齢聴覚障害者のための自分史構築と語りを通したメンタルヘルス 援助」 代表研究者:鳥越隆士(兵庫教育大学特別支援教育専攻障害科学コース 教授) 1 問題の所在 聴覚障害者,特にろうあ者は手話を中心としたコミュニケーションのネットワークを持ち,その中で 様々な情報を得たり,心理的・社会的な支援を与えあったりしている。しかしながら,高齢になるに従 い,ネットワークからの離脱が生じ,その結果,病気の発見が遅れて生命の危険が生じたり,精神的 な健康を損なったりすると報告されている。また,高齢の聴覚障害者の中には,今なお多くの不就学 者が存在する。彼らは,日本語はもとより手話も未習得のため,そもそも上記のようなネットワークに 加わることができず,さらに多くの問題を抱えている(鳥越, 1999 )。 本研究は,老人ホームに入所する高齢聴覚障害者に対して,手話による自分史の構築とその 語り,すなわち「自分語り」を支援することを通して,精神的健康の増進を試みるものである。ここで 取り上げる「自分語り」とは,生まれてからのこれまでの経験,幼少期の家族関係や受けた教育, 友人関係,自分の人生にとって重要な意味を持った出来事などについて語り,他者とそれを共有 しながら,自分の人生を振り返り,肯定的な価値観のもと,自己の再統合と「自分史」の構築を図 る取組である。聴覚障害者は,障害ばかりに焦点化された教育を受けたことやコミュニケーション の困難さゆえに家族や社会に対して主体的に関わることができなかったため,肯定的な価値のも とに自分の人生を統合できないでいることが多い。また不就学の聴覚障害者の場合,手話を習 得していないため,身振り等を通して簡単なコミュニケーションはできるにしても,自身を語り,それ をまわりと共有すること自体が困難な人生を送ってきた。まずはまわりと共有できるコミュニケーショ ン手段の学習から始め,他者の語りを見,それに少しずつ自分を重ねることを通して,自分史を構 築していく必要がある。またこれら語られた「自分史」は,次世代へ伝えられ,共有されることを通し て,その意味が深まるだろう。本研究は,これらの取組を通して,本人のメンタルヘルスの向上への 影響についても検討する。 2 方法 調査対象の「淡路ふくろうの郷」は,定員が長期入所 60 名,短期入所 10 名の特別養護老人ホ ームである。阪神淡路大震災を契機に,社会の中で孤立する多くの高齢聴覚障害者が見出され, 聴覚障害者当事者団体や支援者による建設運動を経て, 2006 4 月に開所した。現在長期入 所者のうち,ろうあ者が約 40 名,難聴者,中途失聴者が約 10 名。ろうあ者のうち,およそ4 分の1が 義務教育の機会を得られず,またおよそ半数がその課程を修了していない。職員はすべて手話 の技能を持ち,聴覚障害に配慮した介護が行われている。また聴覚障害職員も多く働いている。 本研究では, 3 つの取組を実施した。①回想法によるグループワーク,②自分史構築とその支 援,③自分語りの実演,である。以下に,その手続きと結果を記した。 3 結果 3-1 回想法グループの実践 まず回想法によるグループワークを継続的に実施した。入所者から希望者を募り, 8 名(男性 5 , 女性 3 ,70 90 代)でグループを構成し,集団回想法的実践を試みた。頻度は月に 1 回( 60 分)

Upload: others

Post on 28-May-2020

2 views

Category:

Documents


0 download

TRANSCRIPT

研究課題:「高齢聴覚障害者のための自分史構築と語りを通したメンタルヘルス

援助」

代表研究者:鳥越隆士(兵庫教育大学特別支援教育専攻障害科学コース 教授)

1 問題の所在

聴覚障害者,特にろうあ者は手話を中心としたコミュニケーションのネットワークを持ち,その中で

様々な情報を得たり,心理的・社会的な支援を与えあったりしている。しかしながら,高齢になるに従

い,ネットワークからの離脱が生じ,その結果,病気の発見が遅れて生命の危険が生じたり,精神的

な健康を損なったりすると報告されている。また,高齢の聴覚障害者の中には,今なお多くの不就学

者が存在する。彼らは,日本語はもとより手話も未習得のため,そもそも上記のようなネットワークに

加わることができず,さらに多くの問題を抱えている(鳥越,1999)。

本研究は,老人ホームに入所する高齢聴覚障害者に対して,手話による自分史の構築とその

語り,すなわち「自分語り」を支援することを通して,精神的健康の増進を試みるものである。ここで

取り上げる「自分語り」とは,生まれてからのこれまでの経験,幼少期の家族関係や受けた教育,

友人関係,自分の人生にとって重要な意味を持った出来事などについて語り,他者とそれを共有

しながら,自分の人生を振り返り,肯定的な価値観のもと,自己の再統合と「自分史」の構築を図

る取組である。聴覚障害者は,障害ばかりに焦点化された教育を受けたことやコミュニケーション

の困難さゆえに家族や社会に対して主体的に関わることができなかったため,肯定的な価値のも

とに自分の人生を統合できないでいることが多い。また不就学の聴覚障害者の場合,手話を習

得していないため,身振り等を通して簡単なコミュニケーションはできるにしても,自身を語り,それ

をまわりと共有すること自体が困難な人生を送ってきた。まずはまわりと共有できるコミュニケーショ

ン手段の学習から始め,他者の語りを見,それに少しずつ自分を重ねることを通して,自分史を構

築していく必要がある。またこれら語られた「自分史」は,次世代へ伝えられ,共有されることを通し

て,その意味が深まるだろう。本研究は,これらの取組を通して,本人のメンタルヘルスの向上への

影響についても検討する。

2 方法

調査対象の「淡路ふくろうの郷」は,定員が長期入所 60名,短期入所 10名の特別養護老人ホ

ームである。阪神淡路大震災を契機に,社会の中で孤立する多くの高齢聴覚障害者が見出され,

聴覚障害者当事者団体や支援者による建設運動を経て,2006年 4月に開所した。現在長期入

所者のうち,ろうあ者が約 40名,難聴者,中途失聴者が約 10名。ろうあ者のうち,およそ4分の1が

義務教育の機会を得られず,またおよそ半数がその課程を修了していない。職員はすべて手話

の技能を持ち,聴覚障害に配慮した介護が行われている。また聴覚障害職員も多く働いている。

本研究では,3つの取組を実施した。①回想法によるグループワーク,②自分史構築とその支

援,③自分語りの実演,である。以下に,その手続きと結果を記した。

3 結果

3-1 回想法グループの実践

まず回想法によるグループワークを継続的に実施した。入所者から希望者を募り,8名(男性 5名 ,

女性 3名 ,70~90代)でグループを構成し,集団回想法的実践を試みた。頻度は月に1回(60分)

で,計 12回行った(なお現在も本グループの実践は継続中で,また第 2年度途中から第 2グルー

プも結成されたが,これらは本報告の分析対象とはしない)。手続きは,集団心理療法の手法を

用いた。毎回各自写真を持ってきて,その写真について語ってもらうようにした。参加者の自発的

な発言を基調とし,ファシリテーターが参加者間で内容を共有させながら,話を深めたり,広げたり

した。ファシリテーターは,臨床心理士資格を持つ,聴覚障害者が担った(共同研究者)。また参

加者をよく知っている介護職員も毎回数名参加し,参加者の語りを支援した。グループワークは

参加者の了承を得て,すべてビデオ収録し,発言内容を書き起こした。

グループ開始当初は単発的なエピソードの紹介にとどまり,参加者同士の相互交渉が乏しかった。

発言は,常にファシリテーターに向けられ,内容も定型的で,同じことが繰り返し語られることが多く

見られた。聞き手も,視線を合わせず,遠くを見ていたり,発言の順番を待っているようであったりい

た。他者の語りに関わることはなかった。またあるメンバーから「同じ内容ばかり」,「手話が分からない

から,言っても無駄」という発言や参加していないメンバーに対して「わがまま。いつもうろうろしている」

と否定的な感情が発せられたりした。

セッションが進むにつれて,相手の話に刺激を受けて,新たな情報を付加しながら自らの回想を

語ったりするようになった。またお互いへの質問や返答という行為が生まれ,周りの反応によって,語

りから双方向的会話に変化する場面が増えてきた。それに応じて,視線を合わせたり,相手の反応

を確認するためにゆったりとした手話へと変わっていく場面もみられた。回を追うごとに,相互交渉が

増え,共有の程度も深まったり,他者の発言を契機に,自身の経験を重ね合わせたりする発言も増

えてきた。図1に示す通り,結果として,一方向的,定型的な語りから,相互交渉的な対話と柔軟で

創造的な語りへと変化していった。

図 1. 高齢聴覚障害者のグループワークを通しての語りの変化

またこのような関わりの変化から,手話やホームサイン(身振り)による自己の語りが少しずつ構

築されてきた。中でも参加者の一人 B氏は,グループワークの中で大きく変化した。B氏は,学校

教育も十分に受けられず,これまで社会との関わりが限定的で手話の習得も不十分(簡単な身振

りやホームサインを使用)であった。グループ開始当初,他者の発言を断片的に見るのみであった

が,回を追うごとに,まずは他者の発言をじっくり見る,それを真似る,短いコメントを発するなどか

ら,徐々に他者の語りに触発されて,断片的ながら自身の経験を語るようになってきた。

グループの中の人間関係も変わっていった。相手の話に興味を表明し,さらに話を聞き出そうと

質問したり,自分のこと(感情の起伏が大きいことやコミュニケーションが難しいこと)が語られ,率

一方向的

対話的,相互的

定型的

繰り返し

焦点が定まら

ない視線

指差し

身振りなど

エピソード

消極的な関心

周りの

反応 質問

返答

双方向的

な会話 手話の

スピード

直に語ってくれたことに感謝の言葉が表明されたり,前述のB氏の発言を,手話で他のメンバーに

伝えて,B氏のグループへの関わりを支援したり,自分の発言の一部(固有名詞など)をホワイトボ

ードに記して,参加者の理解を促進したりなど,相互コミュニケーションを促進するための工夫も見

られるようになった。グループのメンバー同士の関係性が深まったことが示唆された。このような関

係性の変化の中で,自分語りが形成され,語り直しが展開していったと言えるだろう。

3-2 自分史の聴取と自分語りの構築

グループの参加者から 2 名(夫婦)について,個別にライフヒストリーを収集した。内容は,これまで

の人生について,幼少期の家族関係や受けた教育,友人関係,戦争体験,震災体験,自分の人

生にとって重要な意味を持った出来事,人生の節目々々の出来事などである。語りはすべてビデオ

収録し,書き起こしを行い,時系列に沿った形に整理し,それを対象者に返しながら,自分史の構

築への支援を行った。

内容としては,それぞれの生い立ち,小さい頃の家族との関わり,聾学校での学習の様子,卒業

後の仕事,2 人の出会いと結婚,不本意な断種手術の経験,その後の夫婦関係やその中で始めた

人形の制作活動,老人ホーム建設のための活動,入所後の生活,故郷への帰省と家族や地域へ

の人々との再会(墓参)等から構成されていた。人生の節目々々の出来事とそれに対する評価が語

られ,自分史として統合的に構成されたとの印象を受けた。またこれらの語りは,グループワークの中

でも繰り返しなされ,その都度参加者と共有されながら,新たな視点からの語り直しが行われていた。

語りは日本語に翻訳され,文章の編さん作業を行い,本人から提供された写真等も随時挿入し

て,冊子体として制作された。外部への講演活動等で,この冊子体を活用している。また,他の入所

者がこの冊子体を見て,自分も「自分史」を作りたいとの希望も出ている。現在 2 冊目の編さん作業

が進行中である。

3-3 自分語りの実演

入所者による自分語りは,ホーム見学者等にたびたび行われている。ここでは,ホームの外での語

りの実演に関して報告する。これまで 2 回,自分語りの実演を実施した。1つは多くの聴覚障害者が

集まるイベント,もう 1 つは,聴覚障害に関わる専門家養成コースでの講義(大学院での講義)であ

った。いずれも回想法グループのメンバーから数名が参加した。実演の時間は 1 時間程度であった。

入所者は,このような多くの聴衆を前にしての自分語りの実演に慣れておらず,なかなか単独で語る

ことが難しいため,同じ聴覚障害者である老人ホーム施設長(本共同研究者)と対話を行う形で,実

施した。最初は戸惑いもあり,語りは断片的であったが,徐々に慣れ,普段の回想法グループの中

で話しているようなエピソードが語られるようになった。入所者の制作物,活動を撮影した写真等も同

時に掲示された。実演終了後,参加者との交流も行い,語られた自分史が参加者に共有できるよう

支援した。

これらのイベントでは,参加者にアンケート調査を行い,聴覚障害者の人生の語りを聞くことの意

義を検討した。聴覚障害者にとっては,普段接することの少ない高齢者の昔の話(戦争体験,昔の

聾学校の様子,社会での厳しい差別の体験)であったが,現在の生活とも関連付けながら,聴覚障

害者の社会の歴史を実感できたようだ。多くの参加者が歴史の掘り起こしの必要性を痛感していた。

専門家養成コースの参加者にとっても,普段の研修や講義では接することのない内容で,将来関わ

る聴覚障害者の歴史や社会をトータルに感じる機会となったようだ(詳細については,ワークショップ

で報告予定である)。

4 考察と今後の課題

本研究は,聴覚障害者専用の老人ホームで手話によるグループワークを継続して行い,グルー

プ・プロセスと「自分語り」の検討を行った。グループとしての成長が見られ,その中で,「自分語り」

の形式や内容に変化が見られることが明らかになった。特に,標準的な手話を獲得しておらず,

日常生活では身振りを主体として生活している参加者にとっても,自身の語りの構築に有効であ

ることが示された。

エリクソン他 (1990)は,高齢者たちにとって,それまでの生涯の全てを自分のものとして受け容

れ,それを統合していく「自我の統合性」と,死への恐怖や望みを失った生活がもたらす「絶望」と

の拮抗のバランスを保ち,次の世代への関心を持つという発達課題があるとした。聴覚障害者に

とっても,同様の課題があり,障害ゆえに,その課題の達成が困難と考えられるが,本実践がそれ

を可能にし得ることが示唆された。

またエリクソンによる老齢期の前の発達課題である「生産性(生殖性)」にも大いに関与している可

能性が示唆される。生産性(生殖性)とは,次の世代を育てていくことに関心をもつということを意味

する。単に,結婚して子どもを育てることだけでなく,自身が築き上げた業績や知的財産,創造もこの

中に含まれ,それを次の世代へつなげる作業である。価値ある自分の人生経験もそれに含まれるだ

ろう。自分史の語りを通して次世代につながることは,「自我の統合性」の達成とも関連付けられる可

能性があろう。ただこの課題を遂行するためには,老人ホームの閉じられた空間での実践では限界

があろう。本研究では,地域の聴覚障害者たちが集う行事等で,自分語りの実演を行った。これらの

取組は,それを受けた人たちにも多くの影響を与えることが,アンケート調査等より明らかになった。

世代を通してつながるという意味では,今後聾学校等での実施も考えるべきだろう。

今後の課題として,これらの取組を,単発的な研究でなく,どう日常の中で持続していくかが問わ

れよう。グループワークの実施や冊子体の作成には,介護職員の協力も得た。その意義は共有でき

ていたが,ただ職員の過重な負担になることも危惧された。幸い,地域の支援者(手話通訳者やボラ

ンティア等)の協力/応援を得ることもできた。今後はこのような「応援団」のネットワークを活用する枠

組みの構築が必要だろう。また「精神的健康」をどうとらえるかも課題として残された。もちろん既存の

測定尺度を手話に翻訳して実施することも可能だろう。ただ単に生きがいを感じる,しあわせを感じる,

楽しく過ごしているにとどまらず,人生の苦悩を思い起こしつつも,それを統合し,他者に伝えようと努

力し続けるありさまをどう「精神的健康」という概念に結びつけるかが重要と感じられた。今後も取組と

並行して,参加者の日常生活についての様子を参与観察したり,本人や介護者等から聴取したりし

て,精神的健康との関わりをさらに検討していきたい。

参考文献

エリクソン,E.H.他『老年期:生き生きしたかかわりあい』(朝長正徳・朝長梨枝子訳)みすず書房,1990

甲斐更紗「高齢聴覚障害者の自分史構築と語り」『立命館人間科学研究』27,pp.61-74, 2013

特別養護老人ホーム淡路ふくろうの郷『地域で生きる,暮らしを作る(開所 5 周年記念誌)』,2011

鳥越隆士「不就学ろうあ老人への援助」『聴覚障害者の心理臨床』(村瀬嘉代子編)日本評論社,1999