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有機化学基礎 講義資料 第 7章「有機化合物の基礎 (2)」
– 1 – 名城大学理工学部応用化学科
第7章「有機化合物の基礎 (2)」
本章では、官能基 functional group を持つ有機化合物について取り扱う。官能基とは、有機化合物の性質を特徴づける原子または原子の集まりである。本章では、官能基を持
つ化合物の命名法と、すべての官能基に対して共通に議論できる化合物の物理的性質について学ぶ。
1. 官能基
本講義で取り扱う官能基として、以下のようなものがある。実際上、化合物が飽和炭化水素以外の構造を持っていれば、その部分を官能基と考えることができる。
官能基 化合物の種類 接頭語 接尾語
炭素・水素以外の原子を含むもの
カルボン酸 カルボキシ
carboxy ~酸
-oic acid
アルデヒド ホルミル
formyl ~アール
-al
ニトリル シアノ cyano
~ニトリル -nitrile
ケトン オキソ
oxo ~オン -one
–OH アルコール ヒドロキシ hydroxy
~オール -ol
–NH2 アミン アミノ amino
~アミン -amine
–O– エーテル ...オキシ ...oxy (なし)
–X ハロゲン化 アルキル
フルオロ fluoro クロロ chloro ブロモ bromo ヨード iodo
(なし)
炭素・水素原子のみを
含むもの
アルケン - ~エン
-ene
アルキン - ~イン -yne
共役ジエン - ~ジエン
-diene
芳香環 - -
CO
OH
CO
H
C N
CO
C C
C C
C CC C
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官能基を持つ化合物を命名する時には、次の手順に従う。 1. 主要な官能基を決める。これは、化合物が持つ官能基の中で、前ページの表で「接
尾語」の名前を持つものである。複数の官能基がある時は、上記の表で上にあるものが
「主要な官能基」となる。 2. 主要な官能基を含む、炭素原子の最も長い並びを見つける。これが主鎖となる。 3. 主要な官能基の番号がなるべく小さくなるように、主鎖に番号をつける。
4. 主鎖を表すアルカンの名称を元にして、最後の「e」を主要な官能基を表す「接尾語」で置き換える。必要なら、主要な官能基の位置を番号で表す。
5. 主要官能基以外の官能基の名称は、分岐アルカンのアルキル基と同様に、「接頭語」
として主鎖名の前に置く(分岐アルカンの置換基と同じ)。
6. どの官能基も「接尾語」としての名称が存在しない場合もある(ハロゲン化アルキ
ル、エーテルなど)。この場合は、2~4を飛ばして、5 の手順、つまり通常の分岐アルカンと同様の方法で命名する。
エーテルの命名法について、少し注意しておく。上の表では、接頭語が「...オキシ」
と書かれている。具体的には、「アルキル基+O」という官能基の名前は、「アルキル基の名前+オキシ (oxy)」となる。たとえば、「CH3(CH2)5O– = ヘキシルオキシ hexyloxy」
となる。ただし、炭素数4以下のアルキル基の場合は、アルキル基の名前から “yl” を除いて “oxy” をつけたものを使う。たとえば、「CH3O– = メトキシ methoxy(メチル+オキシ)」、「CH3CH2O– = エトキシ ethoxy(エチル+オキシ)」のようになる。
2. 分子間相互作用
官能基は、有機化合物の化学的性質・物理的性質に、ともに影響する。ここで、化学的性質とは「化学変化と直接関わる性質」、物理的性質とは「化学変化と直接関わらな
CH3CH2CH2CH2OH
1 –OH1 - (butane)
2 3
- . (1-butanol)
1234
CH3CHCH2CH2OH1234
Cl
����������
(3-chloro-1-butanol)
CH2Cl2����� BrCH2CH2CH2Cldichloromethane
�������������
1-bromo-3-chloropropane
OCH2CH3
OCH2CH3 ,
1,1-diethoxycyclopentane
OCH3 -
2-methoxypropane
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い性質」と分類しておく。化学的性質については、あとで個々の化学反応と合わせて学ぶことにする。ここでは、物理的性質について議論する。 有機化合物の物理的性質に大きく影響を与えるのは、分子間相互作用 intermolecular
interactionである。有機化合物の分子間相互作用として重要なものが3つある。それらは、双極子相互作用、水素結合、Londonの分散力である(注1)。
注1:分子間相互作用に関する用語は、かなり混乱している。一つの問題は、「相互作用」と「力」という用語が混在していることである。「相互作用」はやや曖昧な言葉で、「エネルギー」または「力」を表している。ところが、物理学では「エネルギー」と「力」は次元の異なる物理量なので、これらを混在させて議論することは好ましくない。しかしながら、化学では「双極子相互作用」「水素結合」「Londonの分散力」という用語がそれぞれ完全に定着しているので、無理に統一すると既存文献を参照するときに困る。ここでは、化学分野での慣習に沿った用語を使うことにする。もう一つの問題は、後述する「van der Waals力」という言葉の定義である。この言葉は、London の分散力と同義で用いられることもあるし、双極子相互作用を含めて用いられることもある。ここでは、IUPACの勧告に従って、「van der Waals力」は「Londonの分散力」と「双極子相互作用(の力)」を含めた広い意味を持つ用語と解釈する。また、「分子間力」という言葉は、「分子間相互作用を『力』という物理量で表したもの」と解釈する。
3つの分子間相互作用について、以下に実例を挙げて説明する。分子間相互作用の大きさを特徴的に示すものが物質の沸点なので、以下の実例では沸点を示しながら議論を
進めていく。
2-1. 双極子相互作用
プロパン (CH3CH2CH3)とアセトアルデヒド (CH3CH=O)は、分子量はほとんど同じであるが、沸点が大きく異なる(プロパンの沸点は –42.3℃、アセトアルデヒドの沸点
は 20.2℃)。このことから、アセトアルデヒドの分子間相互作用はプロパンよりもずっと強いことがわかる。 プロパンとアセトアルデヒドの構造上の大きな違いは、アセトアルデヒドが酸素を含
んでいることである。酸素は電気陰性度が高いので、炭素-酸素結合は分極しており、酸素が負に、炭素が正に帯電している。正の電荷と負の電荷は互いに引き合うので、2つのアセトアルデヒド分子の間には引力が働く。このように、分極した共有結合が持つ
正負の電荷による相互作用を双極子相互作用 dipole interaction と呼ぶ(注2)。
注2:「双極子(電気双極子)」とは、同じ大きさの正負の電荷がわずかに離れて存在する状態の
CH3 CO
Hδ+δ–
CH3CO
Hδ+
δ–
�����������
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ことである。
分極した結合を持つ化合物を極性化合物 polar compound、分極した結合を持たない化合物を非極性化合物 non-polar compoundと呼ぶ。双極子相互作用は、極性化合物同士の場合のみ働く。
2-2. 水素結合
今度は、アセトアルデヒドとエタノール (CH3CH2OH)を比べてみよう。エタノールの沸点 (78.4℃)は、アセトアルデヒドよりもさらに高い。同じ極性化合物でも、エタノールの場合にはアセトアルデヒドでは現れない特別な分子間相互作用があるのではな
いか、と推測される。そこで、分子構造を比較してみる。エタノールに存在して、アセトアルデヒドに存在しない官能基は、O–H基である。
O–H 基の水素原子のように、強く正に分極した水素原子は、特別な性質を持ってい
る。すなわち、ローンペアの原子軌道と水素の原子軌道の混ざり合いが起こり、部分的
な共有結合を作ることができる。これを水素結合という。
水素結合を持つ物質は必ず分極した結合を持つので、双極子相互作用と紛らわしい。
双極子相互作用と水素結合が異なるのは、水素結合では Hとローンペアを持つ原子(上
の図では O)との間に「部分的な共有結合」ができる点である。この「部分的な共有結合」があるため、水素結合は双極子相互作用よりも強い。 水素結合に関与する原子は、通常 N, O, Fのどれかである。つまり、下図のような組
み合わせで水素結合が起きる。水素結合に関わる水素原子を持つ化合物を水素結合供与体(水素結合ドナー)と呼ぶ。また、水素結合に関わるローンペアを持つ化合物を水素結合受容体(水素結合アクセプター)と呼ぶ。
CH3 CH2 O H CH3 CO
H
O H O
������������
����� ��O–H��
δ+ δ–
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N, O, F を含む化合物で水素結合が強い理由は主に二つある。一つは、これらの元素
の電気陰性度が高いため、水素との結合が強く分極していることである。このため、水
素原子供与体として働きやすい。もう一つは、ローンペア電子が 2p 軌道(または 2sと 2p の混成軌道)にあり、水素原子の 1s 軌道と大きさが似通っているため、軌道の重なり合いが大きく、部分的な共有結合を作りやすいことである。このため、水素原子
受容体として働きやすい。
2-3. Londonの分散力
非極性分子同士の相互作用についてはどうだろうか。全く分子間相互作用が働かないとするといくら温度を下げても気体のまま存在することになるが、これは事実に反する。
従って、非極性分子同士であっても、何らかの分子間相互作用は働いているはずである。この相互作用の原理は、Fritz London(1900~1954、ドイツ・アメリカの物理学者)によって、量子力学を使って解明された。これを London の分散力 London’s dispersion
force と呼ぶ。London の分散力は、運動している電子と原子核の間の相互作用が平均化されて現れる力である。
Londonの分散力は、非極性分子を含むあらゆる物質で働く力である。また、London
の分散力は、2つの分子に属する電子が極めて近い距離に来たときにのみ働くため、分子同士の接触面積が大きいほど強くなる。同じような原子から成る2つの分子については、原子の数が多い(分子量が大きい)方が分子同士の接触面積が大きくなるため、
Londonの分散力が大きくなる。
O H
N HF H
O O O
N N NF F
������ ������
hydrogen bond donor hydrogen bond acceptor
2つの原子
(ある瞬間)
(別の瞬間)
引力
引力
分極は残らないが引力は残る
時間平均
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以上をまとめると、有機化合物における分子間相互作用は、次のように分類できる。
Londonの分散力と双極子相互作用をまとめて van der Waals(ファン・デル・ワー
ルス)相互作用と呼ぶ(注3)。化合物の種類によって働く相互作用が異なることに注
意しよう。また、分子間の相互作用の大きさには序列があり、一般的には「水素結合>双極子相互作用>Londonの分散力」となる。
注3:先に述べた通り、van der Waals相互作用をLondon分散力と同義としている文献もある。ブルースの教科書もそうなっている。本講義では、van der Waals 相互作用は、上の図の通り London分散力・双極子相互作用を含むものとする。
3. 溶解度と分子間相互作用
有機化学において、特に注意を払うべき物理的性質は、物質の沸点と溶解度である。
これらが重要なのは、多くの有機化学反応が溶液状態で行われるためである。溶液は溶媒の中に溶質が均一に分散したものである(注4)。反応を行う温度が溶質や溶媒の沸点を越えていると、溶質や溶媒が蒸発して失われるため都合が悪い(注5)。また、溶
質の溶解度が不十分だと、均一な溶液にならずに一部の溶質が固体として残ってしまうため、これまた都合が悪い(注6)。
注4:「均一に」とは、「溶質分子が固まることなく分散している」、つまり「それぞれの溶質分子の周囲には溶媒分子だけが存在している」状態であることを意味する。
注5:沸点を越えていなくても、溶質・溶媒の蒸気圧が十分に高ければ蒸発して失われる。
注6:溶液中に存在している溶質が反応すれば、溶解平衡が移動して固体が溶けていくので、最終的には反応が完結する場合もある。しかし、一部の溶質が固体として残っていると、溶液のかく拌が難しくなるなど、不具合が生じることは多い。
先に述べた通り、物質の沸点は、分子間相互作用の大きさによって決まる。沸点とは、
液体状態の物質が、特定の外圧(普通は1気圧=0.101 MPa)のもとで沸騰する温度である(注7)。液体は分子同士が引力によって集まっている状態である。一方、気体は分子が熱エネルギーによって引力を振りほどいて、自由に運動している状態である。分
子間の引力が強いほど、それを振りほどくために多くの熱エネルギーを必要とする。つ
Londonの分散力双極子相互作用
水素結合
非極性分子極性分子
ローンペアと正に分極した水素原子
van der Waals 相互作用
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まり、沸点が高くなる。
注7:より正確には、液体の蒸気圧が外圧と等しくなる温度である。「沸騰」とは、液体の表面だけでなく、液体の内部でも気体への変化が起きる現象のことを指す。
物質の溶解度も、分子間相互作用の大きさによって決まるが、沸点よりも状況は複雑である。溶解現象には「溶質」と「溶媒」の二種類の物質が関与しているため、分子間
相互作用として「溶質分子同士」、「溶媒分子同士」、「溶媒と溶質の分子」の三通りを考える必要がある。 まず、溶質(Aとする)が溶媒(Sとする)に「溶解する」時に、分子レベルでどう
いう変化が起きているかを考えてみる。溶解する前は、Aの周りには Aのみ、Sの周りには S のみが存在する。一方、溶解した後は、A の周りには S のみ、S の周りには大部分が Sで一部だけ Aが存在することになる。
溶解する前後で、分子間相互作用がどのように変化するかを比較してみる。溶解する
前は、「A同士の相互作用」と「S同士の相互作用」のみが存在する。溶解した後では、
「A 同士の相互作用」が「A と S の相互作用」に置きかわる。また、「S 同士の相互作用」は、大部分がそのまま残るが、一部が「Aと Sの相互作用」に置きかわる。この変化に伴って、分子間相互作用が同程度または大きくなるのであれば、溶解が進行する。
また、分子間相互作用が小さくなるのであれば、溶解は進行しない(注8、注9)。
熱エネルギー
液体 気体
Aの周り: Aのみ Sの周り: Sのみ Aの周り: SのみSの周り: AとS
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注8:実際には「溶解する」「溶解しない」の二者択一ではなく、「溶解しやすい」「溶解しにくい」という「程度の差」になる。より正確に言えば、溶解は「純粋な溶質」と「溶解した状態の溶質」の間の平衡反応であり、その平衡定数が大きければ物質は溶解しやすく、小さければ溶解しにくい。(高校化学で学ぶ「溶解度積」は、イオン結晶の溶解に関する平衡定数である。)
注9:「相互作用が同程度でも溶け合う方が安定になる」のはなぜだろうか。これは、系の「乱雑さ」が全体のエネルギーに寄与するためである。A と S が分離している状態よりも、溶け合った状態の方が「乱雑さが大きい」と見なせるため、全体のエネルギーが低下する。熱力学で「エントロピー」について学べば、この効果を定量的に考察することができる。
なお、「分子間相互作用が大きくなる」ことと、「全体のエネルギーが下がる(安定化する)」ことが同義であることに注意する。分子間相互作用の大きさは、「負のエネルギ
ー」で表されるためである。これは、分子間相互作用が引力であることによる。
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・官能基 ・カルボン酸、アルデヒド、ニトリル、ケトン、アルコール、アミン、エーテル、ハロゲン化アルキル、アルケン、アルキン、共役ジエン
・官能基を持つ化合物の命名法 ・分子間相互作用 ・双極子相互作用、水素結合、Londonの分散力
・van der Waals 力 ・沸点・溶解度と分子間相互作用の関係 ・溶質、溶媒、溶解度
【教科書の問題(第3章)】 18(名称は1通りでよい), 22, 31, 63, 72
【溶解する】
A
S
混合前 混合後
A
S
混合前 混合後
A-A
S-S
A-S
S-S
A-A
S-S S-S
A-S
【溶解しない】