第1章 岩手山の噴火史hp010801/iwatesankiroku/pdf/5-1.pdf1....

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1. 岩手山の地質時代の噴火史 岩手山は 3 期にわたる時期に活動した 25 個以上の 安山岩~玄武岩質火山が累重した火山群である。岩 手火山群は 100 ~ 70 万年前の渋民溶結凝灰岩を直接 の基盤岩とすることからこの堆積後に火山活動が始まっ たことがわかる(図 1)。渋民溶結凝灰岩は逆帯磁し、 岩手火山群の最下位を占める松川安山岩は逆帯磁して いる噴出物と正帯磁している噴出物からなり、これ以降 の岩手火山群の噴出物はいずれも正帯磁している。こ れらのことから岩手火山群は松山逆帯磁期とブリューヌ 正帯磁期の境界からそれ以降に生成したと推定される。 松山・ブリューヌ磁極境界の年代は約 78 万年前とされ 384 第1章 岩手山の噴火史 第5部 岩手山の火山活動 洞爺火山灰 阿蘇4火山灰

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Page 1: 第1章 岩手山の噴火史hp010801/iwatesankiroku/PDF/5-1.pdf1. 岩手山の地質時代の噴火史 岩手山は3期にわたる時期に活動した25個以上の 安山岩~玄武岩質火山が累重した火山群である。岩

1. 岩手山の地質時代の噴火史

 岩手山は3期にわたる時期に活動した25個以上の

安山岩~玄武岩質火山が累重した火山群である。岩

手火山群は100~70万年前の渋民溶結凝灰岩を直接

の基盤岩とすることからこの堆積後に火山活動が始まっ

たことがわかる(図 1)。渋民溶結凝灰岩は逆帯磁し、

 

岩手火山群の最下位を占める松川安山岩は逆帯磁して

いる噴出物と正帯磁している噴出物からなり、これ以降

の岩手火山群の噴出物はいずれも正帯磁している。こ

れらのことから岩手火山群は松山逆帯磁期とブリューヌ

正帯磁期の境界からそれ以降に生成したと推定される。

松山・ブリューヌ磁極境界の年代は約78万年前とされ

 

384

第1章 岩手山の噴火史

第5部 岩手山の火山活動

洞爺火山灰 阿蘇4火山灰

Page 2: 第1章 岩手山の噴火史hp010801/iwatesankiroku/PDF/5-1.pdf1. 岩手山の地質時代の噴火史 岩手山は3期にわたる時期に活動した25個以上の 安山岩~玄武岩質火山が累重した火山群である。岩

ていることから、岩手火山群は約70万年前以降に形成

されたと考えられる。

 約 30~ 27万年前から岩手火山第 2火山群中の大

型成層火山である西岩手山が成長し、松内火山灰と外

山火山灰中の多数のスコリアを爆発的に噴出した。西

岩手山の山頂火口は中央部、西部、東部の3ヵ所に存

在した可能性があり、渋民火山灰下部(加賀内スコリ

ア噴出期)は東部火口から噴出したと推定される。西

岩手山では4回の山体崩壊(五百森、青山町、雫石、

大石渡・小岩井岩屑なだれ)が発生している。この時

期には西岩手山西方の網張火山列の6つの火口から

溶岩を流出している。

 西岩手山活動末期の約 4.5 万年前にはデイサイト質

の雪浦軽石、篠ヶ森火砕流、安山岩質の金沢火砕流

を噴出し、この時期の生出黒色火山灰には軽石層が多

い。西岩手カルデラの成因は確定していないが、これら

の爆発的噴火で山頂部が消失した可能性がある。西

岩手カルデラ生成後、カルデラ内に西から順に大地獄谷、

御苗代、御釜の各中央火口丘が形成され、御苗代中

央火口丘からの溶岩は焼切沢を流下した。

 約 3.5~ 3万年前から東岩手第 3火山群の活動で、

岩手火山列の東部が噴火地点となる。東岩手第 1外

輪山の形成と約 3万年前の山体崩壊(山子沢岩屑な

だれ)、東岩手第2外輪山の形成と約6,000年前(14C

年代測定年代)の山体崩壊(平笠岩屑なだれ)が生

じた。この馬蹄型カルデラ内に円錐形の薬師岳火山が

成長した。山頂の薬師火口内には妙高岳中央火口丘と

御室火口が生じた。生出黒色火山灰の噴出がはじまる

約6.5万年前以降、マグマ噴火地点は次第に東側に移

動して、1732年焼走り溶岩噴出が最も東側になっている。

 岩手火山群は約19万年間に7回の山体崩壊をおこし、

その数は日本の成層火山で最も多い。しかし、山体崩

壊の発生頻度は低く、その発生時期を地質学的に予想

することは難しい。山体崩壊の発生を予測するには高

密度の火山観測が有効であろう。

2. 岩手山の縄文時代の噴火史

 岩手山の縄文時代以降の噴火は東岩手山と西岩手

山の2ヵ所で起こっている。東岩手山は約6,000年前以

降、薬師火口と山腹からマグマ噴火(マグマ噴出量は

0.1 �程度以下)を繰り返している。西岩手山は大地

獄谷中央火口丘の火口から約 7,400 年前以降少なくと

 

も8回の水蒸気噴火(火山灰噴出量は0.01�程度以下)

を繰り返し、黒倉山から姥倉山間では広域の噴気活動

が発生している。

 薬師岳火山の噴火は爆発的なスコリア噴出(準プリニー

式)とブルカノ式噴火が多く、マグマ水蒸気噴火および

水蒸気噴火による火砕サージもある。この時期の規模の

大きい噴火として巣子スコリア(0.097 �)、生出スコリ

ア(0.081�)、刈屋スコリア(0.085�)がある。

 大地獄谷中央火口丘には1919(大正8)年火口とそ

の北西の北火口がある。火口周辺には最大層厚8m程

度の水蒸気噴火堆積物が平坦な地形をつくる。この堆

積物はやや規模の大きい4回以上の噴火の火山灰である。

火口の南側には火砕サージ堆積物が分布する。

 西岩手山と東岩手山は約6,000年前以降4回の活動

期があり、同じ時期に連動して活動している(土井、1999;

図1)。活動期と活動期の間は休止期にあたり、降灰が

少ないかまたは無く、厚目の黒土層が生成した時期に

相当する。14C年代測定値によると、第1~3活動期は

縄文時代、第 4活動期は平安時代(十和田a火山灰

の降灰以降)から現在までの有史時代である。活動期

には黒倉山~姥倉山間の尾根付近で噴気が活発化し

て裸地が広がった(土井・斎藤、2004)。

3. 第4活動期(有史時代)の火山活動

(1)有史時代の火山活動

  の概要

 十和田a火山灰が降灰し

た915年(平安時代)以

降の岩手山の火山活動は、

東岩手山で 915 年から

1686年の間に2回の山頂

噴火(尻志田スコリアと大

川開拓スコリア)と1回の

山体崩壊(一本木原岩屑

なだれ)がある(図2)。

 その後1686(江戸時代・

貞享3)-87年の山頂噴火

(刈屋スコリア)、1732(江

 

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戸時代・享保 16年 12月-17)年の山腹噴火(焼走

り溶岩)、西岩手山大地獄谷の2回の水蒸気噴火(こ

のうち新期は1919(大正8)年噴火)がある(土井、2000)。

東岩手山の活発な噴気活動は、1934-35(昭和9-10)

年活動、1959(昭和34)年から始まり1974(昭和49)

年まで続いた活動がある。後者の活動では1960 年と

1969~1972年の活動が強かった(表1)。以上の火山

活動のうち4イベントで前兆地震活動があり、1686年噴

火と1732年噴火では有感地震活動である。

(2)915年から1686年間の東岩手山と西岩手山の噴火

 (事象:4-1)

 この噴火は火山灰調査から復元される。古記録など

は発見されていない。火山灰調査(土井、2000)から

推定される噴火の経過は次の通りである。

 1)尻志田スコリア噴火

 ①長い休止期(第3/4休止期)のあと薬師岳火山

の山頂(薬師)火口から玄武岩質スコリアを複数回噴

出し、玉山村、滝沢村、盛岡市方面に降灰した(図

3)。ブルカノ式~準プリニー式噴火と考えられる。

 ②スコリア噴出の間に灰色の細粒火山灰を噴出した。

マグマ水蒸気噴火と考えられる。

 ③火山泥流が東麓の滝沢村砂込川を流下した。

これらの後火山活動は休止した。

 

 2)大川開拓スコリア噴火

 ①休止期のあと薬師岳火山の山頂(薬師)火口

から玄武岩質スコリアを複数回噴出し、東麓の滝沢村、

玉山村に降灰した。ブルカノ式~準プリニー式噴火と

考えられる。

 ②本スコリア層は次の一本木原岩屑なだれで削剥

されているため実態が明らかでない。

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 3)一本木原岩屑なだれの発生

 ①薬師岳火山山頂から山頂東斜面の一部が崩壊

して発生、東麓の滝沢村自衛隊演習場を流下し、山

頂から約8㎞地点まで達して停止した。一本木原岩

屑なだれ堆積物は降下スコリア粒を主体として降下ス

コリア層のブロックや溶岩片を含んでいる。

 ②一本木原岩屑なだれ堆積物には樹幹片が含まれ、

森林が破壊されたことがうかがえる。また、崩壊後に

は火山泥流が発生した。

 ③一本木原岩屑なだれ堆積物中には本質マグマ

片が確認されないことから、山体崩壊は強い地震動

によって崩壊が発生する雲仙型である可能性がある。

 4)水蒸気噴火と広域噴気活動

 ①長い休止期のあと西岩手山の大地獄谷の火口

から水蒸気噴火し、火口周辺に薄く降灰した。水蒸

気噴火のあと東岩手山の山頂噴火があった(伊藤、

1999)。

 ②黒倉山から姥倉山間の尾根付近では915年以

降に噴気活動が発生した。噴気活動は時代とともに

活発化して裸地が拡大し、東岩手山でマグマ噴火が

発生していた時期(420±50yBP頃)に最大となっ

た(土井・斎藤、2004)。これは東岩手山の火山活

動と連動した活動と考えられる。

(3)1686(貞享3)-87年刈屋スコリア噴火(事象:4-2)

 この噴火は火山灰調査と史料および絵図から復元さ

れる。推定された噴火の経過は次の通りである(図2、4)。

 ①一本木原岩屑なだれ堆積物の上位に土壌が生成

する期間を経ないで噴火がはじまった。

 ②前兆地震活動のあと最初に御室火口から火砕サー

ジが噴出した。比高が低い薬師火口南東壁から岩手山

南東麓(滝沢村柳沢)方向に流下した(「火砕サージ

堆積物 1」)。薄い火砕サージは雫石町御神坂方面、

西根町国際交流村方面にも広がった。マグマ水蒸気噴

火と考えられる。

 ③噴火が本格化し、10フォールユニット以上の激しい

玄武岩質スコリアの噴出を繰り返し、玉山村、滝沢村、

盛岡市、花巻市方面に降灰した(「刈屋スコリア」)。

準プリニー式噴火と考えられる。

 ④火山泥流が発生して東麓の大堀沢(砂込川上流)

を流下して砂込川から北上川に入り、もうひとつは北麓

平笠地区を流下して松川に入った。砂込川沿いの滝沢

村一本木(旧角掛)地区の5軒が被災し、橋梁、馬

なども流出した。融雪型火山泥流と考えられる。

 ⑤噴火後期には火山弾、スコリア、高温酸化した赤

色岩片を放出した。ブルカノ式噴火と考えられる。

 ⑥噴火末期には岩片を放出し、火口周辺に火砕サー

ジが流走した(「火砕サージ堆積物 2」)。水蒸気噴火

と考えられる。

 ⑦玉山村生出地区は降灰により農地が荒廃し、放棄

された。

 ⑧史料『岩鷲山御山御炎焼書留』によると、噴火

調査の命をうけて盛岡城下を出発した調査隊が東麓国

見峠に到着した時「焼灰一尺二寸斗り成が降り御天は

稲妻甚だしくて火柱二本立一本は北の方へさる一本は

国見峠に火移り天上には青雲白雲赤雲雷雹以ての外な」

る状態であり、翌朝長込と言う坂に達して見ると「旭も

見えず朧月より闇く山の端へ眺下り見申所土水火交りさ

んざんに流たりける麁朶の葉に火は付小木大木根より押

出夫々又硫黄に火付き焼来る」。噴煙柱が国見峠側に

移り、翌朝には火の付いた雑木が火山泥流とともに流

下したことは高温の火砕流が発生した可能性を示唆する。

 ⑨岩手山麓では地震、鳴動が感じられた。

 伊藤(1998)はこの噴火は遅くとも1686年 3月26日

の午後には始まっており、年内には終わったとしている。

387

はく

そ  だ

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(4) 1732(享保16-17)年焼走り溶岩噴出(事象:4-3)

 1732年 1月岩手山北東山腹に開いた噴火割れ目から

焼走り溶岩が噴出した。溶岩流の長さは約3.4㎞、最大

幅は約 1.1 ㎞である(図 5)。溶岩は玄武岩質安山岩

(SiO253wt.%)のアア溶岩である。溶岩末端の層厚は約

9.5m、最大層厚は10m以上と推定される。焼走り溶岩

の噴出時期は桜井(1899,1903)が『大沢村旧書記』

の記述により1719(享保4)年としたが、細井ほか(1993)

は盛岡藩『雑書』の記述により1732年とした。

 ①焼走り溶岩噴出の経緯は次の通りである(伊藤、

1993)。

 享保16年

  火山性地震頻発

  12/23 岩鷲山振動・山鳴り(1732年 1月20日)

  12/25 振動、山腹より溶岩流流出を開始

  12/27-29 溶岩流出継続

  12/30 噴火止まず

388

 享保17年

  1/3、4 火煙りを確認。岩手山山腹で地震頻発し、

      平笠村住民は一時、退散

  8/6   この頃まで、御山近処へ行けば煙立見

      ゆる

 ②焼走り溶岩の噴火口は5個のスコリア丘で、北東-

南西(山頂火口からN57~61゚ E)方向に等高線と直

交にほぼ直線的に配列し、スコリア丘の低所側が馬蹄

型に開いてそれぞれから溶岩を流出した(図5)。ストロ

ンボリ式噴火と考えられる。

 ③スコリア丘はいずれの火口壁でも南東側が北西側よ

り2~3m高く、スコリアの赤色酸化の程度が強く、溶

結度も強い。このことは噴出物が南東側に多く落下した

ことを示し、噴火時の風向きが冬期間に多い北~西風

であったことを示唆する。

 ④溶岩噴出後期の享保17年1月3、4日、噴火割れ

目の北東延長上に位置する旧平笠部落で火山性地震を

53回感じて部落民が避難した。この地震の震源は、避

難するほど大きい震度であることから、東岩手山のしかも

噴火地点付近であった可能性が高い。

(5)1919(大正8)年水蒸気噴火(事象:4-4)

 西岩手山の大地獄谷は、明治期には噴気していた

記録があり、1919(大正 8)年に水蒸気噴火した後、

噴気活動を継続している。

 ①1919(大正8)年7月14日、松尾鉱山の鉱山医

が大地獄谷から立ち上る白煙をはじめて確認した。翌7

月15日、大地獄谷に登山し、火口に近い名称不明の

沼付近で樹木に降灰していることを確認した。7月初め

に「ゴー」という音のしたことがあったと言い、この時期

に噴火した可能性がある。

 ②噴火口は大地獄谷中央火口丘の南側のもので、噴

火直後の直径は約5間(1間は約1.8m)で周辺にき裂

を伴い、強い音響を伴って水蒸気とガスを噴出した。9

月には崩壊により火口の直径が30間に拡大し、火口湖

中の熱水から水蒸気を上げていた。

 ③火口周辺には拳大の石が飛散し、厚さ1~5寸(1

寸は約3.03㎝)の変質粘土からなる火山灰の堆積があっ

た。火山灰は南西の網張温泉方向に約4㎞まで降灰し、

御苗代湖西側の火口縁も降灰で白くなった。噴出物に

マグマ物質は確認されず、水蒸気噴火と考えられる。

 ④噴火後にも山麓で鳴動が聞こえた。

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(6)昭和時代の噴気活動(事象:4-5~4-7)

 桜井(1903)は東岩手山の御室火口では硫気ガス

が噴出して近づくことができないと記し、また土地の人の

話として、明治時代末年頃まで御室火口から時々噴気

していたと記している。昭和時代に入り、薬師火口の噴

気活動は1934-35(昭和9-10)年(事象4-5)と1959-

74(昭和34-49)年にあった。1975(昭和50)年1月

からは噴気の勢力が急激に弱まり現在に至っている。昭

和期はこのほか大地獄谷、黒倉山などの西岩手山で噴

気活動が続いている。

1)1934-35(昭和9-10)年噴気活動(事象:4-5)

 ① 1934年 7月、薬師火口南東縁に砂礫の変色した

部分が現れ、8月初旬同地点の2・3坪位熱くなり、 9

月初旬砂礫の変色、昇温区域が約20坪位に拡大した

(中田、1935)。この時期に妙高岳中央火口丘中腹に

噴気点を生じた。9月3日午後4時頃遠雷の如き地鳴り

を2回聞き、岩手山神社奥宮の宮守はやや不安を感じ

て即日下山した。

 ② 1934 年 9月23日午前 2時頃、「ドーン」という著

しい爆音を伴った微震があり、翌朝までに3回同様な地

震があった。9月23日午前 11頃遠望すると、薬師火

口南東縁と見られる辺りから著しい白色噴煙が確認され

た。9月25日現地調査すると同地点は噴気地が拡大し、

妙高岳南東山腹は大きな変化がなく、爆発の跡は確認

されなかった(中田、1935)。すなわち9月23日午前の

著しい爆音は水蒸気爆発の爆発音ではない。

 ③ 1934 年 7月より後に行われた同年 9月15日の現

 

地調査では、「大地獄谷(大正 8年爆発)の噴気勢

力は昨年頃より著しく衰え、初めの爆発孔には冷水を湛

えたるも尚所 に々硫気孔」がある状態であったが、同年

9月23日薬師火口から著しい白色噴煙が確認された後

の9月25日の現地調査では「大地獄谷に於ける噴気

増大し新噴気孔多数現はれた」状態になった(中田、

1935)。これは東岩手山と西岩手山が連動して活動し

たことを示している。

2)1959-74(昭和34-49)年噴気活動(事象:4-6、4-7)

 ①諏訪・朝倉(1968)は終戦の頃からの岩手山の活

動経緯を次のようにまとめた。「昭和33年、岩手山付近

での地震群発を発端にして、翌34年には噴気活動の活

発化も認められた。終戦前後の昭和19-22年には90℃

前後だった地温も、当然このころに上昇した。そして、

昭和35年ごろからは、現在と同程度の高温を保持して

きたようである。噴煙量も、少なくとも、昭和37年以降は、

現在(昭和43年)まで、ほとんど変化していないらしい。」

この記述から、1958(昭和 33)年の岩手山付近の群

発地震を発端として始まった噴気活動の活発化は、1960

(昭和35)年にピークに達したことがわかる。

 ② 1960年 9月、噴気活動が活発化していた妙高岳

の噴気が野口ほか(1961)により詳細に調査された。

噴気は妙高岳南東山腹と御室火口内で活発で、妙高

岳南東山腹の地中温度は360℃を越え、御室火口内で

は236℃であった。薬師火口の噴気は水蒸気と火山ガス

を噴出し、火山ガス組成は1960 年 9月の測定で二酸

化炭酸、硫化水素、亜硫酸、塩酸などからなり、塩素

 

389

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を多く含むのが特徴である。144~205℃を示す噴気孔

には塩化アンモニウムが昇華物として多量に成長していた。

 ③盛岡地方気象台が1962(昭和37)年から1980(昭

和 55)年まで毎日行った薬師岳山頂の噴気量の遠望

観測結果によると、1967(昭和42)年、1969(昭和44)

年から1971(昭和 46)年にも噴気が活発化した時期

があった可能性がある(土井、2000)。

4. 岩手山の火山活動と三陸沖地震との相関

 岩手山と秋田駒ヶ岳、秋田焼山の火山活動は、火

山周辺で発生する内陸地震とともに、三陸沖の大~巨

大地震の発生前後5年以内に発生する傾向がある(図

6)。最近では1996年 12月28日(平成 6年)三陸は

るか沖地震(M7.5)の後、1997年秋田焼山の水蒸気

噴火,1998年岩手山の火山活動の活発化と岩手県内

陸北部の地震(M6.2)、1999年岩手山の噴気活動の

活発化が相次いで発生した。現在のところこれらの相

関のメカニズムは不明であるが、三陸沖大~巨大地震

が発生した場合や岩手山周辺火山の火山活動が活発

化した場合などには、岩手山の火山活動に備えて事前

の準備が望まれる。

5. まとめと将来の噴火に備えて

 岩手火山群の形成は約70万年前から始まり、3期に

わたる火山活動により形成された。縄文時代(約6,000

年前)以降の噴火史では1998年以降の活動様式と共

通点を見出すことができる。そこで将来の噴火に備えて

次のようにまとめておく。

(1)岩手火山群を特徴付ける噴火は過去7回発生し

た山体崩壊である。山体崩壊は大規模ではあるが低頻

度の現象であるため、発生時期を地質学的に予測する

ことは難しい。山体崩壊の発生予測には高密度の火山

観測が有効であろう。

(2)約 6,000年前以降、西岩手山は大地獄谷火口

からの水蒸気噴火と広域の噴気活動、東岩手山は山

頂火口と山腹からのマグマ噴火をおこなっている。これ

らの火山活動は連動しているので、将来においてもこれ

らに地域に注意をはらうことが望ましい。

(3)1998年火山活動時のみならず、過去の噴火およ

び噴気の活発化前には火山性(有感)地震が発生し

ている。将来の火山活動時には地殻変動情報と合わせ

て緊急の解析がなされ、住民避難に結びつく情報提供

が望まれる。

 (4)東岩手山は玄武岩質マグマにしては爆発的な噴

火をおこし、火砕サージも何回か発生している。また、

噴火初期に浅層地下水ないし表層水と接触して爆発的

なマグマ水蒸気噴火を起こしやすい。1686年噴火初期

の火砕サージがその例である。

 (5)東岩手山薬師岳火山の東麓と北麓には縄文時

代以降の火山泥流堆積物が多数分布している(土井

ほか、2001)。特に砂込川流域は火山泥流が高頻度で

流下している。積雪期には1686年噴火時のような融雪

型火山泥流の発生も考慮し、河川水の異常が検知され

た場合などには河川周辺から早期に避難することが望ま

れる。

(6)岩手山の火山活動は三陸沖大~巨大地震、内

陸地震、秋田駒ケ岳・秋田焼山噴火の発生とも相関し

ている。これらのいずれかの現象が発生した際には岩

手山の次の活動につながる可能性を想定して事前の準

備が望ましい。

390

引用文献 土井宣夫(1998)岩手火山の噴火史.火山噴火予知連絡会会報,no.71,33-44. 土井宣夫(1999)岩手山の縄文時代以降の噴火史.月刊地球,21,257-263. 土井宣夫(2000)岩手山の地質―火山灰が語る噴火史―.滝沢村教育委員会,234p.

土井宣夫・越谷 信・木村善和・古澤 明・斎藤徳美・野田 賢・矢内桂三(2001)岩手火山東麓における火山灰層序と火山泥流堆積物.日本火山学会講演予稿集,no.2,87. 土井宣夫・斎藤徳美(2004)岩手火山,黒倉山~姥倉山間の噴気活動史.日本火山学会講演予稿集,秋季大会,37.

細井 計・伊藤順一・高橋清明(1993)岩手火山の享保16-17(1732)年における噴火活動に関する新資料の発見とその意義-盛岡藩「雑書」より-.岩手大学教育学部研究報告,53,1-8. 伊藤順一(1993)岩手火山,江戸時代の噴火活動史-古文書・記録による検討-.日本火山学会講演予稿集,no.2,90.

伊藤順一(1998)文献史料に基づく,岩手火山における江戸時代の噴火活動史.火山,43,467-481. 伊藤順一(1999)西岩手火山において有史時代に発生した水蒸気爆発の噴火過程とその年代.火山,44,261-266.

中田良雄(1935)岩手山異常報告.験震時報,8,no.2・3,147-148. 野口喜三雄・上野精一・一国雅巳・後藤達夫(1961)岩手山山頂の噴気の化学組成.火山,第2集,5,163-168.

桜井広三郎(1899)有史時代に於ける岩手火山活動旧記.地質学雑誌,6,158-163.

桜井広三郎(1903)岩手火山彙地質調査報文.震災予防調査会報告,no.44,5-62. 諏訪 彰・朝倉 某(1968)岩手火山の現状.岩手日報,1968年11月27日朝刊.

(文責:岩手県総合防災室 土井宣夫)