6. 品詞論 word...

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- 102 - 6. 品詞論(Word classes) 本章以降は第 5 章で立てた音韻論の表記で発音を示す。本章では品詞の分類法を定め、 それぞれの品詞の機能について述べる。各品詞の節では、まず簡単な定義について述べて から、それぞれの用例をあげて説明する。以下で述べるそれぞれの品詞の定義については 中国语言学大辞典编委会编(1991)を参考にする。 6.1.総論(Introduction) 本節では品詞の分類について述べる。漢語のような孤立語では、形態論が豊かではない ため、その品詞分類はよく問題となる。最良の分類法として多用されているのは、文中で の文法的な機能による分類である。故に、本論文もこの分類方法を採用する。本論文での 品詞分類の基準は陆俭明(2004)を参考にし、これを平江城関方言の実際にあわせて、筆者 が立てた基準である。これらの基準にも不足している点があるため、これを暫定的な分類 とする。 まずは第一の基準を用いて、間投詞、擬声語、数量詞、接続詞、助詞を立てる。その後、 第二の基準で動詞類、助動詞、形容詞、副詞を立てる。第三の基準では名詞類、前置詞、 類別詞を立てる。名詞類の中で、更に、一般名詞、人称詞、指示詞を立てる。実際の記述 においては、それぞれの品詞の性質及び構造的な特徴から、名詞類、動詞類(動詞、助動詞)、 形容詞類(形容詞、副詞)、数量詞類(数量詞、類別詞)、前置詞、助詞、接続詞、間投詞、 擬声語に分けて述べる。 第一の基準 1. 他の文法要素と関連がない: 間投詞(Int) 2. 擬声機能を持つ: 擬声語(Ono) 3. 計数機能を持つ: 数量詞(Num) 4. 連接機能を持つ: 接続詞(Conj) 5. 他の文法要素と結びつかなければ意味を持たない: 助詞(PT) 第二の基準 6. 助詞“”がつくと、通常可能を表わす: 動詞(V) 7. 動詞と共起する: 助動詞(Aux) 8. 程度を表わす副詞で修飾できる: 形容詞(Adj) 9. 動詞と形容詞を修飾することができる: 副詞(Adv) 第三の基準 10. 動詞の目的語になる: 名詞類 指小辞の“”が後続可能または類別詞を伴う一般名詞(N) 人を指し示す: 人称詞(Pron) ものを指し示す: 指示詞(Dem) 11. 名詞と共に名詞フレーズを構成する: 前置詞(Prep) 12. 名詞の前で名詞を具体化させる: 類別詞(CL) 東京外国語大学 博士学位論文 Doctoral thesis (Tokyo University of Foreign Studies)

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    6. 品詞論(Word classes) 本章以降は第 5 章で立てた音韻論の表記で発音を示す。本章では品詞の分類法を定め、

    それぞれの品詞の機能について述べる。各品詞の節では、まず簡単な定義について述べて

    から、それぞれの用例をあげて説明する。以下で述べるそれぞれの品詞の定義については

    『中国语言学大辞典』 编委会编(1991)を参考にする。

    6.1.総論(Introduction) 本節では品詞の分類について述べる。漢語のような孤立語では、形態論が豊かではない

    ため、その品詞分類はよく問題となる。最良の分類法として多用されているのは、文中で

    の文法的な機能による分類である。故に、本論文もこの分類方法を採用する。本論文での

    品詞分類の基準は陆俭明(2004)を参考にし、これを平江城関方言の実際にあわせて、筆者が立てた基準である。これらの基準にも不足している点があるため、これを暫定的な分類

    とする。 まずは第一の基準を用いて、間投詞、擬声語、数量詞、接続詞、助詞を立てる。その後、

    第二の基準で動詞類、助動詞、形容詞、副詞を立てる。第三の基準では名詞類、前置詞、

    類別詞を立てる。名詞類の中で、更に、一般名詞、人称詞、指示詞を立てる。実際の記述

    においては、それぞれの品詞の性質及び構造的な特徴から、名詞類、動詞類(動詞、助動詞)、

    形容詞類(形容詞、副詞)、数量詞類(数量詞、類別詞)、前置詞、助詞、接続詞、間投詞、

    擬声語に分けて述べる。 第一の基準 1. 他の文法要素と関連がない: 間投詞(Int) 2. 擬声機能を持つ: 擬声語(Ono) 3. 計数機能を持つ: 数量詞(Num) 4. 連接機能を持つ: 接続詞(Conj) 5. 他の文法要素と結びつかなければ意味を持たない: 助詞(PT)

    第二の基準 6. 助詞“得”がつくと、通常可能を表わす: 動詞(V) 7. 動詞と共起する: 助動詞(Aux) 8. 程度を表わす副詞で修飾できる: 形容詞(Adj) 9. 動詞と形容詞を修飾することができる: 副詞(Adv) 第三の基準 10. 動詞の目的語になる: 名詞類

    指小辞の“啧”が後続可能または類別詞を伴う 一般名詞(N) 人を指し示す: 人称詞(Pron) ものを指し示す: 指示詞(Dem)

    11. 名詞と共に名詞フレーズを構成する: 前置詞(Prep) 12. 名詞の前で名詞を具体化させる: 類別詞(CL)

    東京外国語大学 博士学位論文 Doctoral thesis (Tokyo University of Foreign Studies)

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    6.2.名詞類(Nominals) 名詞類は名詞、指示詞、人称詞を含む。本節ではまず名詞の例を見てから、指示詞と人

    称詞について詳しく述べる。名詞そのものに関しては、取り立ててこの方言に特徴的な点

    は見られない。無論、数や指小辞などは相違があり、それは別項で述べる。

    6.2.1.名詞(Nouns) 平江城関方言の名詞は人物や事物そのものを表わす要素とする。名詞は直接数量詞の修

    飾をうけることができない。下位分類には一般名詞、固有名詞などがある。 一般名詞とはものの名前を表わすものである。一般名詞は接頭辞や接尾辞を付けること

    が可能である。そのうち特に指小辞“啧”と共起する場合が多い。 以下に用例を、平江城関方言漢字、音韻表記、グロス、北京官話訳、日本語訳の順に 5

    行セットの形で示す。なお問題となる箇所は網掛けにし、関連箇所は□で囲む。

    Zsg: 你 拿 糖 啧 把 我 吃 啦。 01 2SG 取る 飴 DM Dat 1SG 食べる PT

    你拿糖给我吃吧。 私が食べるから、お前は飴を取ってきてくれ。

    他俚 就 喂 哒 一 只 猪 婆。(GS) 02 3BPL TO 飼う Cont 1 CL 豚 Fem

    他们家喂了一只母猪, 彼らの家ではメス豚を飼っている。

    好, 伊 格 热头 呢 他 就 话 等 他 来, (GS)

    03 よい Dem Poss 太陽 PT 3BSG TO 言う Pass 3BSG 来る

    于是,太阳就说让他来, そして、太陽は「私にやらして」と言った。

    固有名詞とは地名や人名など固有的なものを表わすものである。普通は類別詞の修飾を

    受けられにくく、指小辞“啧”とも共起できないものである。

    Dl: 哦, 去 哒 金 窝 啊。 04 PT 行く Perf N.pl PT

    哦,去了金窝呀。 金窝に行ったのか。

    渠 俚 去 长沙 时 哟子 去 哦?

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    05 3ASG -PL 行く N.pl TO どうやって 行く PT

    他们怎么去长沙呀? 彼らはどうやって長沙に行くの?

    下記の表のものは『县志』で名詞としてあげられているものの一部である。網掛けなど

    は筆者による。

    表 58 先行研究に見られる平江城関方言の名詞例

    順番 分類 平江城関方言 日本語 平江城関方言 日本語

    聂头 太陽 月光 月

    星泻屎 流れ星 (打)喜事 霜(降り)

    罩子 霧 (天)虹 虹

    码拱 石 当昼 正午

    闲素 普段 遭干 旱害

    上(下)昼 午前(後) 忽闪 稲妻

    断暗 夕暮れ 旧年 旧年

    叫鸡 雄鳥 禾跳子 蝗

    杨桃子 キウイ 羊牯 雄羊

    生芽 作物 泥捍 ミミズ

    老鸦 烏 蝿猫公 蝿

    北瓜 かぼちゃ 慈姑子 慈姑(くわい)

    班椒 唐辛子 水沙 雄牛

    老虫 虎 牙猪 種豚

    黄巴老鼠 スカンク 蚊虫 蚊

    脚魚 すっぽん 盆猪 雄豚

    檐老鼠 蝙蝠 草猪 雌豚

    大豌豆 蚕豆 康鸡 とんぼ

    小豌豆 莢豌豆

    蒲帽 帽子 丫口裤 股が開いているズボン

    祧 居間 槛眼 窓

    小衣 パンツ 手籠子 手袋

    袄袋 ポケット 現飯菜 残飯

    羹 おかゆ 茅厕 トイレ

    (洗)文身 体(を洗う) 屋 家

    房 部屋

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    順番 分類 平江城関方言 日本語 平江城関方言 日本語

    婆啧 祖母 (歇)緩 休憩する

    家爷(娘) 夫の父(母) 丈人婆(公) 妻の母(父)

    劳为 ありがとう 郎 婿

    紅花女(郎) 処女/童貞 经事 丈夫

    聊天 おしゃべりをする (岔)伙計 仲間(を誘う)

    係 (逗)散谎 冗談(を言う) 本忠 正直

    脑壳 頭 崽袋 子宮

    痨病 肺結核 発痧 熱射病

    肩巴貢 肩 鼻貢 鼻

    奶嘴 乳房 膝頭貢 膝

    心 心臓 袋肚 妊娠する

    人体

    病気

    関係

    老茶 漢方

    (打)袍泅 水泳 (插)mi6 もぐる

    洋码字 アラビア数字 (捉)摸子 目隠しゲーム

    娯楽

    (耍)把戏 マジック 大戏 劇の本番

    (喫)情席 宴会(に行く) 烧香 親戚以外の人の通夜に行く

    こと

    (喫)寿面 長寿を祝う宴会 打祭 親戚の通夜に行くこと

    冠婚葬

    老(哒)人 人が死んだこと 出身 女性が再婚すること

    头前 前 后背 後

    上头 上 下力 下

    口边 外 内力 中

    8

    方位

    名詞

    底力 一番下 浮面 一番上

    これらの用例には、北京官話と完全に異なるものも多く見られる。□で記した用例がそ

    うである。特に平江城関方言の特色が現れると考えられるものは冠婚葬祭の欄で見られる

    ものである。もちろんこれは語彙の問題であり、他の方言や官話との機能的な違いは見ら

    れない。なお、名詞の接辞付加、重複、複合などについては 8 章の形態論で述べる。本節において、名詞に関しては、これ以上詳しい議論をしないことにする。

    6.2.2.指示詞(Demonstratives) 6.2.2.1.指示機能(The reference functions) 平江城関方言の指示詞には日本語のコ、ソ、アのような 3 系列がある。この点で北京官

    話や上海語、広東語よりも日本語の体系に近いと言える。ここでは主に日本語と対照して

    いく。もちろん日本語のそれぞれの指示詞とは微妙に意味範囲が異なっているが、現時点

    では問題にしないことにする。

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    表 59 平江城関方言の指示詞一覧

    こ そ あ

    伊系 箇系 恩系

    これ、それ、あれ 伊(格) 35 箇(格) 35 恩(格)

    この、その、あの 伊+類別詞 箇+類別詞 恩+類別詞

    こんな、そんな 才 箇

    このように、そのように 才子 箇子

    平江城関方言の指示詞は“、、”の 3 系列であるが、その使用実態はまった

    く記述されていない。3 つの指示詞の使い分けについて言及したものもない。唯一平江城関方言の指示詞に関する記述が見られるものは汪平他(1988)である。これは平江の東北郷方言の長寿方言についての研究であり、しかも現場指示の機能にしか言及していない。本

    節では長寿方言の記述を踏まえながら、平江城関方言の指示詞の機能をコンサルタント調

    査によって明らかにし、更に方言口語コーパスを用いて検証を行う。声調に関しては、汪

    平他(1988)などの先行研究では調類で示しているが、本節ではすべて調値で示す。

    6.2.2.1.1.先行研究 本節ではまず上述した平江城関方言の中でも唯一指示詞について記述のある東北郷の長

    寿方言の研究をまとめる。その後は同じく贛語の下位方言とされている江西省の宜春方言

    の指示詞に関する記述について述べる。宜春方言の指示詞は平江城関方言と同じく 3 系列である。

    6.2.2.1.1.1.平江長寿方言 汪平他(1988)は長寿方言における指示詞〔、、〕をそれぞれ近称、中称、遠称で

    あるとし、その使い分けは下記のようであるとしている。〔、、〕は本論文での表記[]と対応する。

    〔 〕を 1 つのみ用いる時、その選択基準は、もっとも近いものに〔〕、比

    較的に遠いものに〔〕、遠くもなく近くもないものには〔〕を用いるというもので

    ある。(中略)話し手の手に持っているもの或いは自分の立っている位置にあるものに

    は〔〕を用い、〔〕は用いない。遠い所にあるものを指すときは〔〕も〔〕も

    可能であるが、〔〕を用いた場合、〔〕より遠い感じを与える。 汪平他(1988: 120)

    場面別の用例は下記のようになる(汪平他 1988: 120)。

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    場面 1 子供が壊れたお椀を持ってお母さんに告げる場合: 只碗烂过 ta。(这只碗破了) このお椀は壊れてしまった。 この場合は〔〕は使えない。

    場面 2 ほかの人が着ている服を指していう場合: 块衣落买。(这件衣服在哪儿买的?) その服はどこで買ったの?边山背只有一条小路。 あちらの山の裏には小道が一本しかない。

    上述の説明は現場指示に限った用法であり、平江城関方言においても大体あてはまるが、

    本節では更に文脈指示等を含む用法を、実際の会話での指示詞の現れから調べる。

    6.2.2.1.1.2.江西宜春方言 大嶋広美(2004)は江西省宜春方言における 3 系列の指示詞の語用論を、日本語の指示詞

    との対照から分析している。大嶋広美(2004)では宜春方言の指示詞は li3、ko3、le1 の 3 つであるとし、それぞれの機能を詳しく述べている。 まず、現場指示のうちの直示的指示については下記のように述べている。

    li3 : 近いものを指す。対象物が可視のもの、話し手側の領域内にある場合に多用。

    ko3: 近い、やや近いものを指す。対象物が可視、不可視ともに使用可。話し手からあまり遠く離れ

    ていないところにいる聞き手側周辺のものを指すことに多く使われる傾向がある。不可視の場

    合、話し手・聞き手にとって対象物が既知のものに限る。

    1: 遠いものを指す。対象物が可視・不可視ともに使用可。曖昧領域指示に使用。

    大嶋広美(2004: 74)

    次に、現場指示における弁別的用法について次のように記述している。ここでいう弁別

    的指示とは具体的に定義されていないが、用例などからみて、2 つ以上あるものを指す場合に、異なる指示詞を用いて区別することを指していると考えられる。

    宜春方言の指示代名詞は、現場指示において、単に遠近の距離を表わすという役割を持つだけで

    なく、等距離であろうと異なった距離であろうと、一度で複数のものを指していう場合、距離に関

    係なく(極端に距離が離れている場合は除く)、話し手は今どれを指しているかを聞き手が理解しやす

    いように異なった指示代名詞を使う、つまり明示的に対象物を新規導入するための「標識」の機能

    を備えた指示代名詞でもあるといえる。

    大嶋広美(2004: 78) 文脈指示における照応用法は下記の表のようにまとめられている。

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    大嶋広美(2004: 85)

    非照応的用法とは文脈などに依存せず直接指示するものである。先行研究では非照応的

    用法は下記の表のようにまとめられている。

    大嶋広美(2004: 85)

    大嶋広美(2004: 85)における結論は下記の通りである。

    宜春方言の 3 つの指示代名詞は、現場指示においては弁別的機能以外に範囲・位置(聞き手側を含

    む)を指し、距離間に応じてそれぞれの役割を持っている。しかし文脈指示においては、現場指示の

    場合と違って、ko3 と le1 の 2 つの指示代名詞のみの使用に限られており、ko3 は専ら談話で導入さ

    れた内容が話し手・聞き手の知識内に既に存在している場合に用いられる一方、le1 は聞き手にとっ

    て既知の情報かどうか関係なく使用される傾向がある、といった様々な機能を持つ。宜春方言の指

    示代名詞は、空間・時間を除き、聞き手の対象物に対する既知の有無によって大きく作用している

    といえよう。以上のことにより、「中称」指示代名詞と称されてきた ko3 は、話し手の聞き手に対す

    る配慮として概念的知識の対象と捉える役目を担う他の近称・遠称指示代名詞とは異なった性質を

    持った指示代名詞であることが分かる。

    大嶋広美(2004: 85)

    このように、宜春方言における 3 系列の指示詞は単に近、中、遠称という違いなのではなく、更にさまざまな機能の違いがある。これらの理由から、単に 3 種類の指示代名詞がある別の言語と同様に考えることは問題があることも指摘している。

    先行詞 ko3 le1

    時間・

    空間

    以外

    話し手にとって強いかかわりの

    気持ちを持つもの、関係がある場合

    に使用。

    指示代名詞が指す内容について

    話し手・聞き手は共に知っている。

    話し手には関心のない対象物に対して使用。また、話

    し手・聞き手双方が知っているが、心理的に遠ざけたい

    ときに使用。

    指示代名詞が指す内容については話し手だけが知っ

    ている。

    空間 話し手・聞き手から近い、もしく

    はどちらか側から近い所を指す。

    話し手・聞き手から遠い、もしくはどちらか側から遠

    いところを指す。

    時間 (無) 聞き手の知識・認識の有無及び現時点からの時間的遠

    近に関係なく未来・過去の対象物を指すのに使われる。

    ko3 le1

    話し手・聞き手双方が対象

    物について知っている。

    ・話し手だけが知っている。

    ・話し手・聞き手双方が認知している対照物(婉曲表現及び対象物が

    話し手にとって嫌悪感を感じさせるもの)を指す時に使用。

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    6.2.2.1.2.研究方法 まず大嶋広美(2004)の着眼点を参考にし、コンサルタント調査を行い、平江城関方言の

    指示詞の基本的機能を明らかにする。調査は 2007 年 8 月平江県三陽郷白箬村で行った。コンサルタントは 1945 年生まれで、白箬村以外には長い期間住んだことのない女性である。調査方法は大嶋広美(2004)にある背景を説明し、調査者が似たような用例を作成してコンサルタントに指示詞の使用を確認した。先行研究で可能であるとされていた指示詞が使え

    ないと判断された場合、その代わりにどの指示詞が使われるのかを教えていただいた。 その後、PDCC から用例を収集した。大嶋広美(2004)に倣い、PDCC から抽出した指示

    詞、、の用例を現場指示、文脈指示、非照応的用法に分類して考察する。分類

    が難しい場合は、更に収録時の状況と筆者の内省を加えて判断する。 ここからは主に大嶋広美(2004)の記述に倣い、指示詞の機能を現場指示、文脈指示、非

    照応的用法に分けて順番に考察していく。更に、現場指示は直示的指示と弁別的指示、文

    脈指示は空間・時間以外における照応と空間・時間における照応に分ける。 以下で平江城関方言と宜春方言の指示詞を対照する際には、一般にそれぞれ近称、中称、

    遠称とされている「-li3、-ko3、-le1」を対応させて分析する。

    6.2.2.1.3.現場指示 現場指示とは指示対象が現場にあるものである。直示的指示と弁別的指示に分けられる。

    6.2.2.1.3.1.直示的指示 直示的指示に関しては大嶋広美(2004: 74)で述べている用法に近いものもあるが、異なる

    用法も見られる。以下に用例をあげ、平江城関方言の指示詞の直示的用法を説明する。 に関してはほとんど宜春方言の li3 と同じ用法が見られる。は「近いものを指す。

    対象物が可視のもので、話し手側の領域内にある場合に使用するもの」と定義できる。こ

    れは汪平他(1988: 120)にも見られるように、「話し手の手に持っているもの或いは自分の立っている位置にあるものには〔〕を用い、〔〕は用いない」との記述と一致する。宜春方言では話し手の手に持っているパンに対し、li3 のほかに、ko3 も使用可能である(大嶋広美 2004: 69)が、この場合に平江城関方言ではを使用することはできず、しか使えない。以下の例 06 と例 07 は話し手領域内のものを指している例である。

    Yzh: 我 伊 双 鞋 买 得 大 丫。

    06 1SG Dem CL 靴 買う Res 大きい Num

    我这双鞋买得大些。

    私のこの靴はちょっと大き めのを買ったの。

    Zny: 我 伊 格 按 哒 按 哒 咯, 尽 加 尽 多。

    07 1SG Dem Poss 押す Cont 押す Cont PT Cau 加える Cau 多い

    我一点儿一点儿的比着加的,可越加越多(总是出错)。

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    私は少しずつ押して足しているのに、足せば足すほど多くなる(毎回の値が違う)。

    “箇”は「近い、やや近いものを指す。対象物が可視、不可視ともに使用可。話し手か

    らあまり遠く離れていないところにある聞き手側周辺のものを指す場合に多く使われる傾

    向がある。曖昧領域指示に使用するもの」と定義できる。宜春方言と異なる点は曖昧領域

    でも使用されるという点である。曖昧領域の指示に宜春方言では le1 が使用されるが、平江城関方言では“箇”が使用される。例 08 と例 09 は相手領域内にあるものを指す用例である。

    Zsk: 你 箇 张 是 么里 啰? 08 2SG Dem CL CO 何 PT

    你那张是什么? そちらのその一枚はなんなの?

    Zsk: 你 箇 格 还 毛 照 格 呢。 09 2SG Dem Poss まだ Neg 撮る Poss PT

    你那些还没照的呢。 そちらのそれらはまだ撮ってないわよ。

    例 10 は「お父さんはどこにいるの」と言っている子供への発話であるが、これは見つか

    らないものや人物に対して「そこだろう」というような曖昧な答えである。

    Zny: 落 箇阿, 阿 阿 落 娭啧 房里 时 不 晓得 落 辇的 时。

    10 いる Loc PT PT いる 祖母 部屋の中 TO Neg 分かる いる どこ PT

    在那儿,不知是在奶奶房里还是在哪儿。

    そこにいるだろう。おばあちゃんの部屋かどこかは知らないけど。

    遠称とされている“恩”は現場指示の場合はやはり遠いものを指す。「対象物が可視・不

    可視ともに使用可能である。ただし、不可視の場合、話し手・聞き手にとって対象物が既

    知のものに限られる」と定義できる。それ以外に、会話の現場にいない第 3 者の領域のものに用いられる傾向があり、しばしば会話の現場にいない第 3 者の人称と共に現れる。宜春方言と異なるのは不可視の場合に、既知のものでなければならないという点である。例

    11 は現場からは見えないお米を安く売っているところについての話である。PDCC に見られた用例では現場から見えないものがほとんどであった。

    Cf: 他 俚 恩边 格 粜 4 角 啊?

    11 3BSG -PL Loc Poss 売る 4 角(お金) PT

    他们那边的粜 4 毛啊? 彼らのところのお米は 4 角で売っているの?

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    Zsk: 跍 哒 恩阿 毛 人 搭 渠 打 麻将 啦。

    12

    滞在する Cont Loc Neg 人 Coo 3ASG 打つ マージャン PT

    呆在那边儿没有人跟他打麻将呀。 あちらに居たら彼とマージャンをする人が居ないから。

    6.2.2.1.3.2.弁別的指示 弁別的指示は汪平他(1998: 120)が述べているように、「近い、近くもなく遠くもない、

    遠い」という 3 つの段階で指示詞を使い分けるものである。一般に、目に見えるものが 3つある場合、それぞれ近い順番から指示詞を用いて示す傾向がある。例 13 は近所の子供同士がそれぞれの家について話している時に現れた発話である。これは 3 つの指示対象がある場合の使用であり、それぞれの指示詞が近、中、遠称とされる理由であろう。

    伊 是 我 俚 屋里, 箇 是 你 俚 屋里, 恩 是 渠 俚 屋里,

    13 Dem CO 1SG -PL 家の中 Dem CO 2SG -PL 家の中 Dem CO 3ASG -PL 家の中

    这是我家,那是你家,那边儿是他家。 これは私の家、それはあなたの家、あれは彼の家である。

    しかし、平江城関方言では、手の届く範囲内のものに対しては普通“恩”は用いられな

    い。これは恐らく汪平他(1988: 120)で指摘されている「〔〕を用いた場合、〔〕より遠い感じを与える」ことと関係していると思われる。実際に筆者の内省でも、“恩”を用いる

    と、指しているものが非常に遠いものになってしまうように感じられる。この場合、手の

    届く範囲内であるため、遠い感じを与える“恩”は適切ではないのであろう。例えば、目

    のの机にあるもの(ノート、本、筆箱)を順番に指で指しながら説明する場合の発話は下記

    のようになる(例 14、例 15、例 16)。この点に関しては宜春方言(大嶋広美 2004: 76 注 8)と異なっている。例 17 は筆箱がとても遠いところにおいてあるときに用いられる。

    伊 是 本子, 伊 是 书, 伊 是 文具盒。

    14 Dem CO ノート Dem CO 本 Dem CO 筆箱

    这是本子,这是书,这是文具盒。 これはノートで、これは本で、これは筆箱である。

    伊 是 本子, 伊 是 书, 箇 是 文具盒。

    15 Dem CO ノート Dem CO 本 Dem CO 筆箱

    这是本子,这是书,那是文具盒。 これはノートで、これは本で、それは筆箱である。

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    伊 是 本子, 箇 是 书, 箇 是 文具盒。

    16 Dem CO ノート Dem CO 本 Dem CO 筆箱

    这是本子,那是书,那是文具盒。 これはノートで、それは本で、それは筆箱である。

    伊 是 本子, 箇 是 书, 恩 是 文具盒。

    17 Dem CO ノート Dem CO 本 Dem CO 筆箱

    这是本子,那是书,那是文具盒。 これはノートで、それは本で、あれは筆箱である。

    地図上の地名を指で指す時の指示詞の現れについても宜春方言と異なる。宜春方言では

    聞き手と話し手に馴染みのある地名かどうかによって指示詞を使い分けるようであるが、

    平江城関方言ではそのような使い分けは見られなかった。 以上で考察した平江城関方言での指示詞用法を宜春方言と対照して表に示す。四角で囲

    んでいる部分は宜春方言と異なる点である。

    表 60 現場指示に関する方言間の対照

    宜春方言 平江城関方言

    li3 近いものを指す。対象物が可視の

    もの、話し手側の領域内にある場合

    に多用。

    近いものを指す。対象物が可視のもの、

    話し手側の領域内にある場合に使用する。 伊

    ko3

    近い、やや近いものを指す。対象

    物が可視、不可視ともに使用可。話

    し手からあまり遠く離れていないと

    ころにいる聞き手側周辺のものを指

    すことに多く使われる傾向がある。

    不可視の場合、話し手・聞き手にと

    って対象物が既知のものに限る。

    近い、やや近いものを指す。対象物が可

    視、不可視ともに使用可。話し手からあま

    り遠く離れていないところにいる聞き手

    側周辺のものを指すことに多く使われる

    傾向がある。曖昧領域指示に使用。

    le1 遠いものを指す。対象物が可視・

    不可視ともに使用可。曖昧領域指示

    に使用。

    遠いものを指す。対象物が可視・不可視

    ともに使用可。不可視の場合、話し手・聞

    き手にとって対象物が既知のものに限る。

    6.2.2.1.4.文脈指示

    文脈指示とは指示対象が現場にあるのではなく、文脈に依存するものである。文脈指示

    の用法に関しても、大嶋広美(2004)に倣い、空間・時間以外における照応と空間・時間における照応の別に分けて考察する。

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  • - 113 -

    6.2.2.1.4.1.1.空間・時間以外における照応

    空間・時間以外における照応用法について、大嶋広美(2004)では前方照応と聞き手にとって既知のものかどうかとの 2 つの場合に分けて考察している。平江城関方言に関する調査結果は下記のようにまとめることができる。 前方照応は“箇”のみであり、聞き手の知っている情報の照応では“伊”と“箇”が

    使用される。ただし“伊”が使えたのは例 18 のみである。この例を見ると、先に話題に出ているものが既に頭にあるので、これを現場指示として考えることも可能かもしれない。

    しかし、具体的な対象が現場にないため、本論文ではこれを直前の語(“温故知新”)と照

    応しているものとして使われていると捉える。この場合、“伊”は「話し手にとってかかわ

    りの気持ちを持つもの、関係がある場合に使用する」と定義できる。

    “温故知新” 伊 句 话 是 谁 话 咯?

    18 温故知新 Dem CL 言葉 CO 誰 言う PT

    “温故知新”这句话是谁说的? “温故知新”ってこの言葉は誰が言ったんだっけ?

    “箇”は「話し手にとってかかわりや関係があるかどうかを問わず」使用される。更に

    「指示代名詞が指す内容について話し手・聞き手は共に知っている」ものでなければなら

    ない。例えば次の例 19 がその例である。

    你 昨日 把 渠 格 橘子 啊! 箇 格 我 吃 啊哒。 19 2SG 昨日 Dat 3ASG Poss みかん PT Dem Poss 1SG 食べる Rea

    你昨天给他的橘子啊! 那东西我吃了。 あなたが昨日彼にあげたミカン! あれは私が食べたよ。

    更に、話者の住んでいる地域から離れている場所、例えば広州で地震があったとして、

    「それは本当か?」と言いたい場合、宜春方言ではこのことに無関心な場合は le1 で、それを身近な存在として感じている場合には ko3 を用いる、となっている。しかし、このような場合、平江城関方言では“箇”しか用いることができない。

    箇 是 真 咯 啊? 20 Dem CO 本当 PT PT

    这是真的吗? それは本当か?

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  • - 114 -

    20`*伊是真咯啊?

    表 61 照応的用法(時間・空間以外)に関する方言間の対照

    宜春方言 平江城関方言

    li3 伊 話し手にとってかかわりの気持ち

    を持つもの、関係がある場合に使

    用。

    ko3 ・話し手にとって強いかかわりの気持ちを持

    つもの、関係がある場合に使用。

    ・指示代名詞が指す内容について話し手・聞

    き手は共に知っている。

    箇 話し手にとってかかわりや関係が

    あるかどうかを問わず使用され

    る。・指示詞が指す内容については

    話し手と聞き手が共に知っている。

    le1 ・話し手には関心のない対象物に対して使用。

    また、話し手・聞き手双方が知っているが、

    心理的に遠ざけたいときに使用。 ・指示代名詞が指す内容については話し手だ

    けが知っている。

    6.2.2.1.4.1.2.空間・時間における照応

    空間における照応用法は“箇”にしか見られない。例えば、新しくできたお店の話をし

    てから、「そこに行ってご飯を食べよう!」と言いたいときには、例 21 のようになる。

    我 伙 去 箇阿 吃 饭 吧。 21 1SG -Incl 行く Loc 食べる ご飯 PT

    咱们去那儿吃饭吧。 そこに行ってご飯を食べよう。

    時間的照応に関しても“箇”のみ使用される。これは「聞き手の知識・認識の有無及び

    現時点からの時間的遠近に関係なく未来・過去の対象物を指すのに使われる」と定義でき

    る。例 22 は同窓会でしばしば耳にする話で、学生時代は何でも食べることができたという過去の記憶についての説明である。例 23 は大嶋広美(2004: 82)の用例 31a と同じものである。例 22 と例 23 の状況では“箇”のみが使用される。しかし、例 23 の「来月」を「明日」に変えた場合、宜春方言では le1 が使用できるようだが、平江城関方言では不自然(例 23’)であると判断される。コンサルタントによると指示詞がない表現が自然であるという。

    箇 个 时分 时 真 吃 得。 22 Dem CL 時分 TO 本当 食べる PO

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  • - 115 -

    那时候可真能吃。 あの時は本当によく食べたもんだ。

    下 个 月 七 号 有 电影, 箇 日 时

    23 次の CL 月 七 日 ある 映画 Dem 日 TO

    夜里 八 点钟 架势。

    夜 八 時 始まる

    下个月 7 号有电影,那天晚上 8 点开始。 来月の 7 日には映画がある。その日(の映画)は夜 8 時から始まる。

    23’ *明朝 7号有电影、箇日是夜里八点钟架式。

    表 62 時間と空間における照応に関する方言間の対照

    宜春 方言 平江城関方言

    ko3 le1

    先行詞

    ・話し手・聞き手か

    ら近い、もしくはど

    ちら側からか近いと

    ころを指す。

    ・話し手・聞き手から遠

    い、もしくはどちら側か

    らか遠いところを指す。 空間

    ・話し手・聞き手から遠い、も

    しくはどちら側からか遠いと

    ころを指す。

    (無)

    ・聞き手の知識・認識の

    有無及び現時点からの時

    間的遠近に関係なく未

    来・過去の対象物を指す

    のに使われる。

    時間

    聞き手の知識・認識の有無及び

    現時点からの時間的遠近に関

    係なく未来・過去の対象物を指

    すのに使われる。

    6.2.2.1.5.非照応的用法―認識的用法

    非照応的用法が見られるのは“箇”と“恩”のみである。

    “箇”は「話し手・聞き手双方が対象物について知っている(婉曲表現及び対象物が話し

    手にとって嫌悪感を感じさせるもの) 」と定義できる。例 24 は話し手が目の前にいる知っている子供について話しているにも関わらず、名前を使わずに聞き手に指示していること

    から、これを婉曲表現とみなす。

    Zny: 正阿的 箇 个 人 要 去 买 车, 24 さっき Dem CL 人 したい 行く 買う 車

    刚才那个人就要去买车, さっきから、その人は車を買いに行きたいって、

    対象物が話し手にとって嫌悪感を感じさせるような表現は例 25 のようになる。

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  • - 116 -

    箇 个 人 又 来 哒。 25 Dem CL 人 また 来る Perf

    那个人又来了。 あいつはまた来たよ。

    “恩”は話し手・聞き手双方が認知している対象物を指す時に使用するものと定義でき

    る。これは筆者が実際の会話で聞いた用例に基づき判断したものである。例 26 は筆者の祖母が祖父に対して発話したものである。問題となっている鶏は、祖父と祖母にとって既知

    のものである。

    莫 捉 恩 只 鸡 呢。

    26 Neg 捉える Dem CL 鶏 PT

    别捉那只鸡。 あの鶏は捕まえないでね。

    以上宜春方言と平江城関方言における非照応的用法に関する指示詞の使用を考察した。

    その結果は下記の表の通りにまとめることができる。宜春方言ではもっぱら遠系指示詞 le1が使用されるのに対し、平江城関方言ではもっぱら中系指示詞“箇”が使用される。ここ

    では両方言での対応関係が興味深い。平江城関方言の中称“箇”―宜春方言の遠称 le1、宜春方言の中称 ko3―平江城関方言の遠称“恩”、それぞれの用法はおおよそ対応している。

    表 63 非照応的用法に関する方言間の対照

    宜春方言 平江城関方言

    ko3 le1 箇 恩

    話し手・聞

    き手双方が

    対象物につ

    いて知って

    いる。

    話し手だけが知っている。

    話し手・聞き手双方が認知し

    ている対象物(婉曲表現及び

    対象物が話し手にとって嫌悪

    感を感じさせるもの)を指す

    時に使用。

    話し手・聞き手双方が対象

    物について知っている(婉

    曲表現及び対象物が話し手

    にとって嫌悪感を感じさせ

    るものに使用する)。

    話し手・聞き手双

    方が認知している

    対象物を指す時に

    使用する。

    6.2.2.1.6.まとめ PDCC における“伊、箇、恩”の用例数は表 64 の通りである。なお 0*に関しては、PDCC

    では用例が見られなかったが、実際の生活で用例が確認できたものである。例えば例 26がその例である。「判」とはコンサルタントによる判定結果である。

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  • - 117 -

    表 64 PDCC に見られる指示詞の用例詳細

    伊 判 箇 判 恩 判

    直示指示 284 ○ 28 ○ 15 ○ 現 場

    指示 弁別指示 1 ○ 1 ○ 1 ○

    空間・時間以外における照応 60 ○ 269 ○ 0 × 文 脈

    指示 空間・時間における照応 0 × 19 ○ 0 ×

    非照応(認識的指示) 0 × 24 ○ 0* 不明

    合計 344 341 16

    このように、平江城関方言における 3 系列の指示詞の使用には偏りがみられることがわ

    かる。 現場指示に関しては、3 系列ともに使用されるが、使用頻度が高く、使用範囲も広いも

    のは“伊”と“箇”であり、“恩”はもっぱら遠い可視のものか、不可視のものか或いは弁

    別的指示の場合の例のみである。文脈指示に関しては“箇”の用法が最も広く、すべての

    照応に使用される。“伊”は時間と空間以外の照応にのみ使用される。“恩”は使用されな

    い。非照応的用法には“箇”と“恩”が用いられ、“伊”は使用されない。以上の結果にみられるように、平江城関方言における 3 つの指示詞は単に距離で区分す

    ることはできない。確かに、現場指示においては先行研究で言われているように「近、中、

    遠」に分けることはできるが、文脈指示などでは、このような区分の仕方は不適切である。

    これは宜春方言の指示詞と同様である(大嶋広美 2004: 85)。そこで筆者は平江城関方言における 3 系列指示詞の現場指示機能について、以下の図 21 のような使い分けになっているものと判断する。

    図 21 平江城関方言における指示詞の使い分け

    “伊”は目に見えるもので、話し手の領域をにあるものを指し、“恩”は目に見えない

    もので現場にいない 3 人称の領域にあるものを指す。“箇”は目に見えるものでは聞き手の

    現場指示

    目に見えるもの 目に見えないもの

    話し手の領域 聞き手の領域

    現場にいない

    3 人称の領域

    話し手と

    聞き手の領域

    恩 箇

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  • - 118 -

    領域を領域にあるものを指すが、目に見えないものについては話し手と聞き手の両方の領

    域にあるものを指すことができる。

    今後は平江の下位方言について詳しく調べたい。他の漢語諸方言における指示詞の使用

    実態も調査する必要がある。

    6.2.2.2.その他の機能(Other functions) 本節では指示詞に関わりのある、語彙化したと考られるものについて述べる。

    6.2.2.2.1.指示詞+所属表現

    「指示詞+所属表現」で定指示を表わす用例が多く見られた。例 28 と例 29 はともに相手の位置にあるものを指している。例 30 はその前の発話全般を受けている。

    好, 伊 格 热 头 呢 他 就 话 等 他 来,(GS)

    27 よい Dem Poss 太陽 PT 3BSG TO 言う Pass 3BSG 来る

    于是,太阳就说让他来, そして、太陽は「私が脱がせてみせる」と言った。

    Yzh: 你 把 箇 格 袋 丢 哒 她 伊阿 呢。

    28 2SG Dis Dem Poss 袋 置く Loc 3BSG Loc PT

    你把那个袋子仍在她这儿吧。 あなたはそれらの袋を彼女のところにおいていたら。

    Zsk: 你 箇 格 还 毛 照 格 呢。

    29 2SG Dem Poss まだ Neg 撮る Poss PT

    你那些还没照的呢。 そちらのそれらはまだ撮ってないわよ。

    Zsk: 渠 画 个 裆, 箇 格 啦。 不 要 试 不碍,

    30 3ASG 描く CL ズボン股 Dem Poss PT Neg 必要 試す 差し支えない

    让她在裆上画个记号,那个不试也没事儿,对吧。 彼女に股下のサイズを記して、それは試着しなくてもいいだろう、ねえ。

    前述した現場指示では、話し手が自分の手に持っているものには“伊”系を用いると述

    べた。しかし、下記の用例においては話し手が自分の手に持っているものを指しているが、

    “箇”を用いている。但し、その指示対象は聞き手からもらったものである。それが理由

    で“箇”系を用いたのかもしれない。

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  • - 119 -

    Zzh: 毛 呢, 怕 是 毛 哒 电 啰, 你 箇 格。

    31 Neg PT 恐らく CO Neg Cha 電池 PT 2SG Dem Poss

    没有啊。可能是没电了,你那个东西。 ないわよ。電池がなくなったんじゃない?(あなたの)それ。

    上述のような「指示詞+所属表現」構造は筆者の知る通りでは、ほかの方言や北京官話

    ではあまり用例は見られないが、近世漢語に用例が現れている。 Michel, Desirat & Alain, Peyraube.(1992: 499)には唐代から元代までの用例が挙がってい

    る。早期の文献では“這個”と“這底”が見られる。同論文ではこれらの必要ではない“個”

    は類別詞ではなく、接尾辞的な働きをすると述べている。

    14.. 遮個一場狼藉不是小事(燈錄: 19.13)

    zhege yi chang langji bu shi xiao shi

    this-one-cl.-chaos-neg.-be-small-businese

    “this chaos is no small buisness”

    Michel, Desirat & Alain, Peyraube.(1992: 499)

    後の文献での用例は“這的”がほとんどである。特に『朴通事』と『老乞大』に多く見

    られる。

    35. 這的是圣恩(元刊雜劇 280 頁)

    zhede shi sheng en

    this-be-sacred-grace

    “this is royal grace”

    37. 這的是誰不是(朴通事: 261)

    zhede shi shei bu shi

    this-be-who-neg-be

    “Who can this be?”

    Michel, Desirat & Alain, Peyraube.(1992: 504 網掛けは筆者による)

    以下は同論文における結論の一部である。

    While 這 and 那 appear during the Tang, these are determinatives. They alone cannot be used as subjects. In order to be used as subjects, they have to be followed by a suffix(個 or 底) which dissyllabizes them..(….)

    Under the Yuan, the situation is again characterizes as a whole by the oppoisition between the subjects demonsDattives(這的/那的) and the determinative demonsDattives(這/那).

    Michel, Desirat & Alain, Peyraube.(1992: 507)

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  • - 120 -

    しかし、平江城関方言における同様の構造“伊格/箇格”は主語、目的語を担うことがで

    き、名詞を修飾することもできる。近世語より発展していることが考えられる。

    6.2.2.2.2.接続詞的用法 接続詞的に用いられるものが 19 例見られる。これは“箇”のみで、その他の指示詞に

    見られない用法である。このような接続詞的な指示詞の用法は北京官話(“那”)にも見ら

    れる。

    Zny: 箇 就 看 盈处 去哒。

    32 Conj そして 見る 別のところ Incl

    看别处去了。 他の方向を見始めた。

    Zny: 箇 时 我 就 把 火车 搭 渠 搭 烂 啦。

    33 Conj TO 1SG そして Dis 汽車 Coo 3ASG 投げる 壊れる PT

    那样的话,我就把玩具给他摔坏。 それなら私は彼の玩具を壊しちゃうよ。

    Dl: 渠 俚 外公 正 是 来 恙 得 哦, 箇 正 时。

    34 3ASG -PL 祖父 ちょうど CO 来る 見守る PO PT Dem ちょうど PT

    她外公可真是能来看家。那可没错。 彼女のおじいちゃんが本当にお留守番に来られるんだ。それはちょうどいい。

    6.2.2.2.3.時間表現 これは指示詞と時間表現が一緒に用いられるもので語彙化したものである。“伊缓”(今)

    と“伊子”(この頃)がそうである。

    Zze: 我 伙 伊缓 去 买 车 吧,

    35 1SG -Incl 今ごろ 行く 買う 車 PT

    咱们现在去买(玩具)车吧。 今すぐ車(おもちゃ)を買いに行こう。

    Dl: 欸-, 你 伊子 留学 有 钱 格 毛?

    36 PT 2SG このごろ 留学する ある お金 Poss Neg

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  • - 121 -

    你如今留学有钱(拿)的吗? あなたは今留学しているときにお金はもらえるんですか。

    6.2.3.人称詞(Pronouns)

    人称詞については平江城関方言では 1 人称に除外と包括の対立(以下除包対立と呼ぶ)があり、3 人称には 2 つのセットがあるということが注目される。本節では特にこの 2 つの点について詳しく述べる。

    表 65 人称詞一覧

    単数 複数

    我俚 除外形1 人称 我

    我伙 包括形

    2 人称 你 你俚

    渠 渠俚 3 人称

    他 他俚

    6.2.3.1.第 1人称(The first personal pronoun) 汪平他(1988)では平江長寿方言の 1 人称複数代名詞に除包対立があることを初めて指摘

    している。

    “我里”と“我伙”“我伙里”ははっきりした対立がある: “我伙”と“我伙里”を使う時は聞き

    手を含む。“我里”を使う時は聞き手を除外し、話し手のみを含む。“我伙”“我伙里”は包括形で、

    “我里”は除外形である。

    〔4〕你信就信,不信就莫信,我里是信0。(你爱信不信,我们是信的。)

    君は信じなくてもいいが、私たち(Excl)は信じるわよ。

    〔7〕我伙里0分戏票?(“0”,怎么)

    私たち(Incl)はどうやってチケットを分けるの?

    汪平他(1988: 118-119 例は一部のみ。下線は筆者による)

    平江城関方言の 1 人称複数代名詞には“我俚”と“我伙”があり、二者の対立は下記の用例で確認できる。例えば、

    我 伙 下 是 个 娘 生 格, 你 才 聪 明,

    37 1SG -Incl 全部 CO CL 母 生む Poss 2SG こんなに 聡明

    我 俚 才 傻。

    1SG -PL こんなに 馬鹿

    咱们都是一个妈生的,你那么聪明,而我们却这么笨。

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  • - 122 -

    私たちは同じ母の子なのに、あなただけが頭がよくて私たちはみんな頭が悪い。

    我 伙 下 是 平 江 人, 你 俚 话 栗 山

    38 1SG -Incl 全部 CO N.pl 人 2SG -PL 言う N.pl

    话, 我 俚 话 平 江 话。

    言葉 1SG -PL 言う N.pl 言葉

    咱们都是平江人,你们说栗山话,我们说平江话。 私たちはみんな平江の人なのに、あなたたちは栗山方言、私たちは平江方言を話す。

    張盛開(2006d)によると、平江方言は 6 地点のうち、5 地点に除外形と包括形の対立を持っており、湘語と客家語には対立が見られない。その対立もほとんど汪平他(1988)で述べているように、北京官話の“我们”(Excl)と“咱们”(Incl)のような混用(除外形が包括形として用いることとその逆が可能であること)は見られない。

    以下に平江県内における除包対立を地図に示す。中央の最も広い地域は平江城関方言地

    域である。この地域はほとんどの地点に除包対立があると考えられる。

    図 22 平江諸方言おける除包対立

    平江のそれ以外の下位方言については、筆者の知る限りでは、、张盛开(2006b)、張盛開(2006d)以外に、先行研究がなく、すべて筆者による調査で初めて包括形の存在を明らかにしたものである。平江県内方言においては、14 地点のうち、対立を持たないのは 3 地点の

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  • - 123 -

    みである(図 22)。同じ県でも包括形がある地域とない地域に分かれる。似たような現象は呉語の呉江地域にも見られる。刘丹青(1999)のデータによると、呉江地域においては 7 つの鎮のうち、包括形を持つ地域と持たない地域の割合は 4 対 3 である。

    包括形が見られないのは伍市、板江と岑川の三地点である。三地域はは湘語地域の長沙、

    汨羅、岳陽に近く、これらの方言の影響を受けていると思われる。先行研究の記述や筆者

    が調査した限りでは、岳陽と長沙、汨羅方言には除包対立がみられない。しかし、筆者の

    調査では伍市と非常に近い関係を示している三聯方言には除包対立がある。その包括形の

    形“我练”も平江のほかの地方と異なる。板江は南江に近いが、岳陽とも境に接している。

    岑川は平江との間には高い山があるが、岳陽との間には障害物がなく、方言としても隣接

    する岳陽県方言(例えば、歩仙鎮など)と同様に、湘語とされている。湘語にはほとんど除

    包対立がみられないことから、岑川に対立がみられないことはむしろ自然であろう。 以下、張盛開(2006d)の内容と合わせ、筆者が調査した平江諸方言における除包対立を

    表 66 に示す。

    表 66 平江諸方言における除包対立

    コンサルタント情報

    氏名 地方

    Excl Incl Incl→2

    PL

    Incl→

    1SG

    Incl→

    Excl

    Excl→

    Incl

    Zhz 城関白箬 我俚 我伙 × × × ×

    Zza 城関白箬 我俚 我伙 × △ × ×

    Zsk 城関白箬 我俚 我伙 × × × ×

    Fyr 邵陽 我俚 我伙俚 ○ ○ ○ ○

    Fj 長寿鎮 我俚 我伙俚 li × × × ×

    Wmq 龍門 我俚 我伙 × △ × ×

    Mqz 南江石浆 我俚 我伙 × × × ×

    Lh 南江冬塔 我俚 我伙 △ △ × ×

    Zgy 虹橋鎮 我俚 我伙俚 × × × ×

    Lzh 虹桥長慶 我俚 我伙俚 △ ○ △ ×

    Hll 虹橋大坪 我俚 我伙 × × × ×

    Pjx 瓮江 我俚 我伙 × × × △

    Hys 瓮江污浊村 我俚 我人 △ ○ △ ×

    Tds 三聯 我俚 我练 未調査

    Pm 伍市 我俚

    Ljy 板江 我俚

    Sl 岑川 我俚

    △は 4 問の設問に対して、回答の○と×が半分ずつになっていることを表わす

    コンサルタントへの調査では基本的に包括形を他の人称に用いることはできない。平江

    城関方言の白箬においては 3 人の回答がほとんど一致している。しかし、虹橋方言では 3人のうち、2 人はまったく包括形を他の人称に用いることを認めないが、1 人のみ Incl→1SG

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  • - 124 -

    は可能とし、揺れが見られる。 平江城関方言の包括形に用いる接辞“~伙”は包括形以外に見られない。しかし、成都

    方言にも“伙”が見られる。張一舟・張清源・鄧英樹(2001: 51)では「“伙”は“些”や“们”と異なり、使用範囲は“们”より広いが、“些”より狭い。人を表わす名詞に付き、

    “N 伙”を構成し、複数を表わす」と述べている。このようなことから、平江城関方言の包括形に用いる“~伙”は由来が不明のものではないと考えられる。 上述のようにコンサルタント調査及び筆者の内省では包括形が他の人称に用いられるこ

    とはないという結果になっているが、実際に口語コーパスでは 1 人称単数として包括形が使用されているものが見られた。下記の用例に見られる包括形“我伙”は理屈上では全て

    話し手のことであり、包括形としての意味はない。しかし、この場合話し手が、1 人称単数の“我”ではなく、包括形の“我伙”を使用した。その理由は恐らく話者の気持ちの中

    では聞き手を一緒に含んでいるからであると考えられる。

    · 話し手: 筆者の姉 聞き手: 筆者ともう一人の姉

    Zny: 我 伙 提 俚 箇 一 放 下 去,就 真 正 搭 烂 哒。

    39 1SG -Incl 持つ Aux Adv Num 置く 降りる 行く すぐに 本当に 投げる 壊れる Perf

    我提着这么一放下去就真的摔坏了。 私がこう持って下においてみたら、本当に壊れてしまった。

    · 話し手: 筆者の先生の奥さん 聞き手: 筆者

    Ljh: 在转 来 他 个人 嘞, 良心 也 好, 把 我 伙

    40 逆に 来る 3BSG 自分 PT 心 も よい Obj 1SG -Incl

    还是 有 蛮 箇格 啧 是阿, 把 伢细的 也 好,

    やはり ある とても それ DM PT Obj 子供 も よい

    换句话说,他这个人呢,良心也好,对我还可以,对孩子们也不错, 言い換えれば、彼は心が優しい人だ。私を大切にしてくれるし、子供も大切にしている。

    · 話し手: 筆者の父親 聞き手: 筆者

    Zzh: 要 个 底子, 我 伙 再 画 整 阿啧 啦。

    41 必要 CL 基盤 1SG -Incl 再び 描く できる ちょっと PT

    需要个底子、我再画一下就好了。 下書きが必要で、その後私がちょっと描くだけでいいんだ。

    平江城関方言の 1 人称複数代名詞“我俚”は、1 人称除外形として使う以外に、以下の

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  • - 125 -

    ような特殊な使い方がある。これは近隣の岳陽方言(方平权 1999)などにもみられる現象である。 平江城関方言では一般に所有表現を“格”で表わすが、“我俚”を用いる時もある。これ

    は所属機関と親族呼称に多く見られる。北京官話においても、所属機関と親族呼称では所

    有の“的”を用いないのが普通である。しかし、平江城関方言では“我俚格”は「私の家

    の」という意味になるため、親族呼称と所属機関にはつけることはできない。

    我俚= 我的(私の)

    我 俚 姐姐 不 落 屋里。

    42 1SG -PL 姉 Neg いる 家の中

    我姐姐不在家。 私の姉は家にいない。

    我俚= 我们的(私たちの)

    我 俚 学校 里 有 些 格 老师。

    43 1SG -PL 学校 中 ある Num Poss 先生

    我们学校有很多老师。 私たちの学校にはたくさんの先生がいる。

    このように、平江城関方言では「我俚+親族呼称・所属機関」の時は“我俚”は単数と

    複数の両方の人称を表わすことができる。人称代名詞の複数が単数を代表わする用法は、

    近世中国語にもみられる。漢語方言に多く見られる現象で、近世中国語の名残であると言

    われている。吕叔湘(1985)では下記のように述べている。

    種々の心理作用により、我々は常に単数を意味する場所で複数形式を用いる傾向がある。最も一

    般的なものは 1 人称と 2 人称の所有で、例えば、自分の学校を“我们学校”(私たちの学校)と“我的

    学校”(私の学校)とどちらを言っても適当である。この“我们..

    ”(私たち)は前述した“我和跟我在一

    起的人”(私と私と一緒にいる人)の意味である。昔の中国の社会では家族が個人より大事にされてい

    たので、家族関係のものは“我的..

    ”(私の)、“你的..

    ”(あなたの)と言わずに、“我们的...

    ”(私たちの)、

    “你们的...

    ”(あなたたちの)と言うのが普通である(“的.”(の)も常に省略される)。例えば、“我们舎

    下”(私たちの家)、“你们府上”(あなた方のお宅)などのようである。

    吕叔湘(1985: 72)

    上述のほか、“我俚”は“我俚屋里”と同じく、「私の家」という意味を持っているが、

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  • - 126 -

    “我俚屋里”のほうが建物の「家」に焦点をあてている感じである。例えば「我が家のや

    り方では~」のような時は、“我俚”を使ったほうが適切である。またコンサルタントによ

    ると、“我俚屋里”は「奥さん」の意味も持っていたという6。

    我俚= 我家(我が家)

    明朝 你 搭 我 俚 来 吃 饭。

    44 明日 2SG Loc 1SG -PL 来る 食べる ご飯

    明天你到我家来吃饭吧。 明日はうちにご飯を食べにきてください。

    我俚屋里= 我家(我の家)

    我 俚 屋里 有 狗, 你 好兴 丫。

    45 1SG -PL 家の中 ある 犬 2SG 気をつける Num

    我家有狗,你小心点儿。 うちには犬がいるから気をつけてね。

    2 人称と 3 人称についても同じことがいえる。“你俚”は「あなたたち」と「あなたの

    家」、“渠俚・他俚”は「彼ら」と「彼の家」の意味を持っている。

    「我伙+名詞」の時は「我伙」は複数の人称を表わすが、所属の対象を共有する人の

    間での話である。外の人に対して話す時は、人称が複数でも“我俚”を使う。北京官話

    では単数人称が直接親族呼称に連続して“我爸、咱爸”(私の父、私たちの父)のような

    言い方が可能であるが、平江城関方言では単数人称詞が直接親族呼称に連続することは

    できない。例えば、“我爸”に対応する言い方“我爷”は非文法的な組み合わせになる。

    以下、表 67 に平江城関方言の「Excl/Incl+親族呼称など」を示す。

    表 67 平江城関方言の除外形の特殊用法

    平江城関方言 北京官話 日本語

    単数(Poss) 我俚爹爹 我爸 私の父親

    複数(Excl) 我俚爹爹 我们家爸爸 私たちの父親

    複数(Incl) 我伙爹爹 咱爸 私たちの父親

    単数(Poss) 我俚女 我的女儿 私の娘

    複数(Excl) 我俚女 我们家女儿 私たちの娘

    複数(Incl) 我伙妹啧 咱家女儿 私たちの娘

    6 古屋昭弘教授(早稲田大学文学部)のご教示によれば、日本語の関西弁の「うち」には「私」と「家」の意味があるという。

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    単数(Poss) 我俚老师 我的老师 私の先生

    複数(Excl) 我俚老师 我们老师 私たちの先生

    複数(Incl) 我伙老师 咱们老师 私たちの先生

    6.2.3.2.第 2人称(The second personal pronoun)

    2 人称は“你”//(単数)と“你俚”//(複数)で、北京官話の 2 人称の使い方とそれほど変わらない。一般に会話の相手、即ち、聞き手を指す時に使用される。

    Zsk: 你 伊 是 红楼梦 个 头子。

    46 2SG Dem CO Name CL 初め

    你这是『红楼梦』的开头。 これは『紅楼夢』の始まりだよ。

    複数の例

    Ljh: 我 哟子 舞 得 饭 把 你 俚 吃 得 啊,

    47 1SG なぜ する PO ご飯 Dat 2SG -PL 食べる PO PT

    我(要是有病)又怎么能做饭给你们吃呢? 私が(おかしいのなら)どうしてご飯を作ってあなたたちに食べさせられるのか。

    Cd: 他 话 箇 格 还 是 要 依 你 俚。

    48 3BSG 言う Dem Poss まだ CO 必要 聞く 2SG -PL

    他说那还是要听你们的。 それについてはあなたたちのご意向を尊重すると彼は言った。

    1 人称の節では、複数の人称が単数を表わすことがあると述べた。2 人称、3 人称につい

    ても同様のことが言える。平江方言の人称詞の単数形は直接親族呼称とつなげることがで

    きないため、単数も複数形で表わす。以下の用例はすべて単数の用例である。聞き手は一

    人しかいない。

    話し手: 娘→聞き手: 父親

    Hh: 谁 要 你 俚 女 啦。

    49 誰 要る 2SG -PL 娘 PT

    谁要你的女儿呀。 あんたの娘(話し手自身)は誰ももらってくれないよ。

    話し手: 筆者の先生→聞き手: 筆者

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    Hzg: 还是, 还是 你 俚 老姐 回 哒 时,

    50 やはり やはり 2SG -PL 姉 帰る Perf PT

    还是,还是你姐回来了。 やっぱり、あなたのお姉さんが帰ってきたね。

    話し手: 他人→ 聞き手: 筆者

    Cf: 我 怕 你 俚 男 朋 友 买 咯。

    51 1SG 恐らく 2SG -PL 彼氏 買う PT

    我还以为你男朋友买的呢。 私はあなたの彼氏が買ってくれたのかと思ったよ。

    2 人称は普通聞き手を指す時に使用されるが、場合によっては聞き手を指さないものも

    ある。例 52 と例 53 は筆者の姉が筆者に甥っ子のことについて話している場面である。例52 の 2 人称は実際に甥っ子(3 人称)を、例 53 の 2 人称は実際に話し手(1 人称)を指している。その他の用例における 2 人称もほとんど 1 人称か 3 人称かを指している。

    Zny: 滴 声 阿 毛 做。老老实实。 你 要 话 得 整 啦。

    52 Num 声 PT Neg する おとなしい 2SG 必要だ 言う PO できる PT

    什么也不说,老老实实。真地说不听。 何も言わなかった。おとなしかった。本当に、言うことを聞かなかったよ。

    Zny: 电话, 等 你 接 不 成 啦,他 就是 箇子 讨嫌 呢

    53 電話 Pass 2SG 出る Neg できる PT 3BSG である こんなに 嫌いをかう PT

    电话也让你接不成, 電話も出させてくれない、

    話し手: 筆者の姉→聞き手: 筆者 2 人称の指示対象: 先生(3 人称)

    Zny: 只过 老师 话 事 你 话 你 咯。

    54 しかし 先生 言う こと 2SG 言う 2SG PT

    只是老师说话,他说他的。 ただし、先生がしゃべる時は無関心な状態だ。

    話し手: 筆者の姉→聞き手: 筆者 2 人称の指示対象: 筆者の甥っ子(3 人称)

    Zny: 要 寄宿。 细 伢啧 你 肯 搭 伊阿 上 算哒

    55

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    必要 寄宿する 年下 男の子 2SG 寧ろ Loc Loc 上る あきらめる

    要寄宿,小弟弟还是在这边上算了。 寄宿しなければならない。弟はこっち(の幼稚園)に通ったほうがいいね。

    話し手: 筆者の甥っ子→ 聞き手: 筆者 2 人称の指示対象=話し手(1 人称)

    Zze: 要 爸爸 时, 你 请 他 不 买, 懒 买 得 啦。

    56 もし お父さん TO 2SG お願い 3BSG Neg 買う 怠ける 買う PO PT

    爸爸呀?你请他他都不买,他才懒得买。 お父さんなら、お願いしても絶対に買ってくれないよ。

    北京官話にあるような尊敬を表わす 2 人称“您”は見られないが、似たようなものはあ

    る。これは“你郎家”[]である。これは 2 人称に、“老人家”をつけたものである。“你老人家”[]がまず縮約され、[]になり、更に同化して、[]になったのであろう。似たようなものは漢語の多くの方言で見られる。“人家”はほかの人の意味であるが、“老人家”は老人を尊敬した言い方である。この“老”

    は年を取っているという意味があるので、接頭辞の“老”ではない。ただし、“你郎家”

    []は誰にでも使えるものではなく、一般に年配者に使う。年下の人に使った場合、からかいと捉えられる。

    你 老人家 今年 高寿 啊?

    57

    2SG 年配者 今年 いくつ PT

    您高寿啊? お年はおいくつですか。

    年配者以外に使用できるのは、神様である。筆者の祖母が生きている時はよく神様を祭

    っていた。そのような時はいつも“你郎家”[]を用いて神様に語りかけていた。これは筆者が実際に聞いたものである。

    你 老人家 硬 要 保佑 我 俚 啦。

    58

    2SG 年配者 どうしても 必要 守る 1SG -PL PT

    您可要保佑我们啊。 神様、私たちに御加護をください。

    6.2.3.3.第 3 人称(The third personal pronoun)

    平江城関方言の 3 人称には“渠(俚)”/()/(以下 A 系と略す)と“他(俚)”/()/(以

    東京外国語大学 博士学位論文 Doctoral thesis (Tokyo University of Foreign Studies)

  • - 130 -

    下 B 系と略す)がある。一般に A 系と B 系は、指示される第 3 者が現場にいるかどうかによって使い分けられ、現場にいる人の場合は A 系、現場にいない人の場合は B 系で指すとされている。しかし、筆者は、実際に現場にいる人を B 系で指し、逆に現場にいない第 3者に、A 系で指した会話を聞いたことがある。更に、同じ人物に A 系と B 系が交替して使用されている現象が見られる。例えば、物語(伝承として決まった筋書きの話を語る)や語

    り(現実世界の特定の人物についてまとまった話をする)などである。これらの事実から、

    A・B 系は単に現場にいるかどうかで使い分けられているわけではないことがわかる。では、A 系と B 系はいったいどういう条件で使い分けられているのだろうか。そしてそれはコンサルタントや先行研究の考えている「現場にいるかどうか」という基準とどう関わっ

    ているのだろうか。

    6.2.3.3.1.先行研究 以下はまず A 系と B 系の使い分けについて言及されている長寿方言を見る。次に、平江

    城関方言、その他の下位方言の順に先行研究について述べる。最後に先行研究の記述をま

    とめる。

    6.2.3.3.1.1.長寿方言 平江方言の 3 人称を初めて研究したのは汪平他(1988)である。しかし、これは平江の長

    寿方言のみについての研究である。コンサルタントへの調査に基づいた汪平他(1988)の考察によれば、長寿方言には 2 種の 3 人称があり、その使い分けを以下のように指摘している。

    “渠”和“他”有明确的分工,当被指称的第三者在场的时候说“渠”,当被指称的第三者不在场的

    时候说“他”。

    “渠”と“他”には明確な使い分けがある:指示される第三者が現場にいる時は“渠”を、いない

    時は“他”を用いる②。

    汪平他(1988: 117)

    汪平他(1988: 117)では下記のように用例をあげて補充説明をしている。

    说话人指着第三者发问,“渠”指代的人在场。

    (話し手が第三者を指で指して質問する。“渠”で指示する人は現場にいる)

    1 渠落搞么0 (他在干什么?) 彼は何をしているの?

    他指代的人不在场(“他”で指示する人は現場にいない)

    2 他还落剃脑,快要剃圆0,就要来0。(他还在剃头,快要剃完了,就要来的。)彼はまだ散髪をしている。もうすぐ終わるからすぐに来るよ。

    “渠”和“他”同时出现,用以区别在场的第三者和不在场的第三者。

    (“渠”と“他”は同時に現れ、現場にいる第三者といない第三者を区別する。)

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  • - 131 -

    3 我晓得渠ȵ13你下是他0学生。(我知道他和你都是他的学生。) お前も彼(A)も彼(B)の学生だと知っている。

    以下は汪平他(1988: 127)注②では、コンサルタントによっては複数の 3 人称を区別する

    場合のみ、現場にいる人にも B 系が使えるという。以下、これを弁別用法と呼ぶ。

    关于“渠”同“他”的分别,以及下文谈到的“渠里”和“他里”的分别,发音人的说法不尽一

    致。“渠”“渠里”只能指在场的第三者,指不在场的第三者之能用“他”“他里”,这点众口一词。但

    “他”“他里”能否指在场的第三者,说法不同。一说不能。一说当在场的第三者有几个(或几群)的时

    候,为了分别,“渠”“渠里”同“他”“他里”可以交互使用。

    “渠”と“他”及び“渠裏”と“他裏”の違いについては、コンサルタントの間で、意見がわか

    れている。“渠”、“渠裏”は現場にいる第三者、“他”、“他裏”は現場にいない第三者に用いるとい

    うことについては意見が一致しているが、“他”、“他裏”が現場にいる第三者を指示できるかどうか

    については意見が分かれている。一説ではできないという。もう一説では、現場にいる第三者が何

    人か或いはいくつかのグループであるときに、区別するため、“渠”、“渠裏”と“他”、“他裏”を交

    互に用いることができるというものである。

    汪平他(1988: 127)

    以上は単数 3 人称の使い分けであるが、汪平他(1988)における下記の記述により、2 つの 3 人称の複数形式の使い分けも単数形式の用法と並行するものであると判断できる。

    长寿话的第三人称代词的复数形式是“渠里” “他里”。当被指称的第三者在场的时候说“渠里”,

    当被指称的第三者不在场的时候说“他里”

    長寿方言の 3 人称代名詞の複数形は“渠里”と“他里”であり、指示される第三者が現場にいる

    ときは、“渠里”、指示される第三者が現場にいない時は、“他里”を用いる。

    〔4〕 渠里是武汉来0大学生。 (他们是武汉来的大学生。) 彼らは武漢から来た大学生だ。

    〔5〕 渠里吃不得酒,莫敬。 (他们不能喝酒,别敬。)

    彼らはお酒が飲めないから勧めないでください。

    〔6〕 他里是么0时候走0? (他们是什么时候走的?) 彼らはいつ行ったの?

    昨日上昼走0。(“上昼”,上午)(昨天上午走的。) 昨日の午前行ったのよ。

    汪平他(1988: 118 北京官話、日本語訳は筆者による)

    以上、長寿方言の 2 つの 3 人称の使い分けを詳しく紹介した。以下では年代別に、平江城関方言の研究を紹介する。

    6.2.3.3.1.2.平江城関方言 平江城関方言の研究はほとんど A 系についての研究のみである。 『县志』では A 系について下記のように述べている。長寿方言の記述と異なるのは、平

    江城関方言の A系 3 人称は現場にいる第三者或いは会話の中で直接言及される第三者に用

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  • - 132 -

    いられる。そして B 系は現場にいるが、いくらか離れているまたは現場にはいないが、知られている第三者に用いられるとしている点である。発音も筆者の調査結果と同じである。

    方言中除你,我,他外,还有一个“氵渠”(),属第三人称,在对话现场的第三人称,对话中直

    接涉及的人在指出姓名后亦可用“氵渠”作代词。如:

    甲,乙,丙在一起,甲对乙说: “我同你,还有氵渠(丙),他(在远一点或未在场但乙知道的人)一起去看

    电影。“氵渠张三不讲信用。氵渠(指张三)跟我说七点钟来可现在还冒来。”

    方言においては、あなた、私、彼以外に、もう 1 つ“氵渠”()があり、3 人称である。会話の現

    場にいる第三者、会話において直接言及された人で名前が明らかになった後に“氵渠”を用いること

    ができる。例えば、甲、乙、丙が一緒にいて、甲は乙に「私はあなたと、それに“氵渠”(丙)、他(少

    し遠いまたは現場にはいないが乙が知っている人)一緒に映画を見に行く。「“氵渠”張三は約束を守ら

    ない。“氵渠”(張三を指す)は私に 7 時に来ると言ったのに、いまだに来ていない。」

    『县志』 p669

    平江城関方言の A 系 3 人称について、湖南省地方志编纂委员会编(2001:875)に記述が見られるが、“他”(3 人称単数)の下位項目として、“□7”「当面称呼第三者」(目の前の第3 者を指す)と記しているのみである。発音は本論文と同じである。 彭以达(2005:22)にも A 系 3 人称についての記述がある。言語学的に調べて書いているも

    のではないが、彭氏は平江城関方言の母語話者であり、長年国語教師をしていたので、記

    述は信頼できると考えられる。そこでは方言の面白い現象として 3 人称の使い方があがっている。そこでは、彭氏は“イ客”[]という字を作って表示し、用例を挙げて、その用法

    を説明している。

    平江人在口头语中,表示人称时,除有“我、你、他”三者之外,还增加了一个近指的三人称叫

    “イ客”。例如有几个人在一起商量做某件事时,说话人可以提出: “我去你去,イ客也去”也可以说“我

    去你去他也去,イ客就不要去了”

    平江の人は話し言葉において、人称を表わす時に、“我、你、他”以外に、もう 1 つ、近い人を指

    す 3 人称“イ客”がある。例えば、何人かで、あることを一緒にやると相談をしている時は、話し手

    は“我去你去,イ客也去”(私は行く。あなたも行く。彼も行く)と言っても、“我去你去他也去,イ客就

    不要去了8”と言ってもいい。

    从举例中可以看出,人称代词“イ客”在用法上有三个特征。(1) 必须是在场的人。(2)必须是受话对

    象以外,即另指的他人。(3) 用“イ客”指称而不用“他”来指称更觉亲切,融洽。

    用例から、人称代名詞“イ客”の使い方には 3 つの特徴がある。(1)現場にいなければならない。(2)

    聞き手以外の人である。(3)“他”ではなく、“イ客”を用いると親近感が感じられる。

    彭以达(2005:22)

    7 漢語方言の研究によく見られるもので,元の漢字が不明或いは推定できない時に用いられる。 8 実際に平江方言では文末に“了”を使うものはない。おそらく彭氏は北京官話のままで表わしている。平江方言は“哒”[]を用いる。

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  • - 133 -

    6.2.3.3.1.3.その他の下位方言 付録 4-2-2 は筆者が調査した平江県各地方言の基礎語彙約 173 語の対照データである。、

    それによれば、塘坊客家語を除いての 7 地点に 2 つの 3 人称が見られる。調査時に筆者がコンサルタントにその使い分けについて尋ねたところ、一様に、「目の前にいない人には A系を使えない」と言っているが、実際の発話となると、現場にいる人にもいない人にも A系が使われ、状況はさまざまである。

    张盛开(2006b)では内省及びコンサルタントへの調査に基づき、A 系を用いる時は、次の条件に適合する必要があると指摘した。

    指示される人は必ず現場にいるうえに、会話に参与している。しかし、話し手、直接聞き

    手以外の人である

    もし現場にいなかった場合、必ず話し手と聞き手の両方がよく知っている指示対象或いは

    すでに話に登場している人

    张盛开(2006b)

    平江の下位方言虹橋に関して、下記のように記述した。

    虹橋で調査するときに、コンサルタントは下記の 2 つの用例をあげ、調査者に“渠俚”と“他俚”

    の使い分けを説明した。

    1.我 话 哒 冒 的 中 咯,下 是 渠俚 话 要 买 该 个 号 子。

    1SG 言う Pref Neg PO 中る PT みな CO3APL 言う 必要 買う Dem CL 番号 我说了这个号码不会中的,就是他们非要我买这个号码。

    私はこの番号は当らないと言ったのに、彼らにこの番号だと言われたから。 2.我 话 哒 冒 的 中 咯,下 是 他俚 话 要 买 该 个 号 子。

    1SG 言う Pref Neg PO 中る PT みな CO 3BPL 言う 必要 買う Dem CL 番号 我说了这个号码不会中的,就是他们非要我买这个号码。

    私はこの番号は当らないと言ったのに、彼らにこの番号だと言われたから。

    これは宝くじを買うときのことである。コンサルタントは周りの人に教わった番号を買ったが、結

    果は当たらなかった。そして、このことを知っている人に言うときは、“渠俚”を用いて、間違った

    番号を教えてくれた人を指す。逆に事情を知らない調査者に言う時は、“他俚”を用いた。

    张盛开(2006b: 258)(発音、グロス、下線などは筆者による)

    陈山青(2006)によると、汨羅長楽方言にも 2 つの三人称(()と())があり、その使い分けも「現場にいるかどうか」であるという(陈山青 2006:334-335)。

    第三人称代词的单复数(包括尊称)有两套,以“他”和“イ 巨”为基本词形,两者分工明确,看被提

    到的对象在不在说话现场,不在现场用“他”,在现场用“イ 巨”。

    3 人称代名詞の単数と複数(尊称を含む)は 2 つのセットがあり、“他”と“イ 巨”を基本的な語形と

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  • - 134 -

    する。両者の区別ははっきりしており、指示対象が現場にいるかどうかによって区別する。現場に

    いなければ、“他”を用いるが、現場にいれば、“イ 巨”を用いる。

    陈山青(2006:334-335)

    6.2.3.3.1.4.先行研究のまとめ 以上で紹介した先行研究を表 68 にまとめた。二重線で囲んだ部分は本論文で考察する

    部分である。これらの研究の結論は現場にいるかどうかで A 系と B 系を使い分けることで一致している。汪平他(1988)はコンサルタントへの調査を行っているが、『县志』などは地元の人が書いたもので、調査を行ったかどうかも不明である。更に、会話及び語りなどに

    ついて調べたものはない。実際に筆者の調査結果(张盛开 2006b)でも同様の結果であったが、会話を聞いていると、使用実態が異なっている。なお、筆者の追加調査では長寿でも、

    南江でもコンサルタントのコメントは全部現場にいるかいないかで、使い分けているとい

    うものであった。 筆者は現場にいるかどうかで使い分けしていないものも聞いたことがある。『县志』では

    A、B 系は現場にいてもいなくても用いることができると指摘しているが、現場にいない第三者に A 系を用いる条件、即ち“会話の中で直接言及された人で、名前が指摘された後”と現場にいる第三者に B 系を用いる条件、即ち“少し遠い”の 2 つは筆者の聞いた用例における条件と異なる。実際の用例も 1 つしかあげられていない。故に、更なる調査が必要である。本研究では会話と語りの録音資料から調査を行う。

    表 68 先行研究のまとめ(3 人称)

    先行研究 方言 現場にいる 現場にいない 備考

    汪平他(1988) 長寿方言 ○ ×

    『县志》 平江城関方言 ○ ○ 会話で言及された人で、

    名前が出た後

    彭以达(2005) 平江城関方言 ○ × 親近感あり

    平江城関方言 ○+会話に参与する

    虹橋方言 ○ △ コンサルタント判定

    (俚)

    张盛开

    (2006b)

    伍市方言 ○ ×

    汪平他(1988) 長寿方言 △ ○

    『县志』 平江城関方言 ○(少し遠い) ○

    彭以达(2005) 平江城関方言 ○ 言及なし

    平江城関方言 言及なし 言及なし

    虹橋方言 × ○

    (俚) 张盛开(2006b)

    伍市方言 × ○

    □=条件付の○(条件とは会話に出ている人物或いは話している双方がよく知っている人物) △ コンサルタントによって、弁別の場合のみ可能

    × 使えない

    東京外国語大学 博士学位論文 Doctoral thesis (Tokyo University of Foreign Studies)

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    6.2.3.3.2.研究方法

    先行研究を踏まえ、A・B 系 3 人称の使い分けについて、以下の点から検証していく。 まずは 2 つの 3 人称が果たして本当に先行研究で言われている現場にいるかどうかだけ

    によって使い分けられているのかを検証する。 検証に合わない用例が出た場合、更にそれらの用例を『�