アマジールカテブとオキ

1 ユリ ブエナベントゥーラコロンビア出身のサルサ歌手 2 ティナリウェンマリのサハラ砂漠のトゥアレグのバンド 85 February, 2013 22 沿Amazigh Kateb 70 16 92 OKI 36 OKI DUB AINU BAND SEASIDE PARADISE スキヤキミーツワールドでの共演ステージ February, 2013 84 2012

Upload: alissa-descotes-toyosaki

Post on 28-Mar-2016

212 views

Category:

Documents


0 download

DESCRIPTION

Music Magazine, fev 2013

TRANSCRIPT

Page 1: アマジールカテブとオキ

*1 ユリ・ブエナベントゥーラ=コロンビア出身のサルサ歌手*2 ティナリウェン=マリのサハラ砂漠のトゥアレグ族のバンド85 February, 2013

 

アマジール・カテブと会うきっかけにな

ったのは、去年の8月、富山県南砺市で行

なわれた〝スキヤキ・ミーツ・ザ・ワール

ド2012〞の時だった。22年前から一流

のワールド・ミュージックの音楽家を紹介

しているこの音楽祭が、2011年にも参

加していたアマジールが再編成したばかり

のグナワ・ディフュージョンを招き、私は

通訳を手伝った。3日も続くライヴ、ワー

クショップの他、「日本にワールド・ミュ

ージックは育つのか?」をテーマにするシ

ンポジウムに、アマジールと日本の先住民

アイヌを代表するオキが参加した。巨大な

システムに破壊される自然、土地を奪われ

る少数民族、アラブ諸国革命、福島原発事

故。アマジールとオキは自身の歴史の流れ

に沿って、シンポジウムの課題は「日本に

レベル・ミュージックは育つのか」に変わ

っていった。

アーティストについて

 

Amazigh K

ateb

││「アマジール」は

挑発的な名前だ。北アフリカの原住民族が

自分たちを表わす言葉であるとともに、ア

ラブ化に反抗した運動を象徴する名前でも

ある。70年代、アルジェリアのアラブ化と

イスラム化が進んでいる中で、作家で革命

家である父のヤシーン・カテブは、息子に

「原住民族」を名乗らせ、アルジェリアの

原点を思い出して欲しがった。父はアルジ

ェリア人、母はフランス人のアマジールは

アルジェ近辺で生まれ育ち、16歳でフラン

スに移り住む。父が伝えたかったことを彼

は、9歳の頃、アルジェリアのサハラ砂漠

のオアシスで体験している。

 

「ブラック・アフリカから連れてこられ

た奴隷=グナワの魂を奉る儀式で初めてア

フリカの魂に触れて、感動した」

 

アルジェリアはアラブ・ムスリムの国で

はなく、アフリカの北方の入口だ。そのア

イデンティティを中心に、92年にグナワ・

ディフュージョンを編成した。彼がグナワ

と世界のルーツ音楽を混ぜて歌うのは、奴

隷の交易に参加したアラブ人の先祖と決着

を付けて、奴隷に誇りを取り戻すためだと

いう。

 

「自分の祖先の過去と向き合わないと、

僕は反帝国主義、反植民地主義を主張でき

ない」

 

ゲンブリという北アフリカの奴隷の楽器

を弾くアマジールは、一度解散したグナワ

・ディフュージョンを、「アラブの春」革

命をきっかけに2011年に再編成した。

彼はレジスタンスの声そのものだ。

 

OKI

││アイヌと日本人のハーフとして

北海道で生まれた。4歳の時から住んだ神

奈川県では、アイヌのアイデンティティを

うまく把握できずに、ニューヨークに移り

住んだオキは、一人でいくつかの人生を重

ねる人である。映画、『2001年宇宙の

旅』等のSFXスーパーヴァイザーに交っ

て最先端技術の仕事をするが、パラシュー

トを初経験した時、落下しながら「自分の

したいことをしていない!」と電撃的な目

覚めを経験する。

 

その後、日本に帰った時、親戚からトン

コリをもらったのが転機となる。彼が36歳

の時だ。その日以来、オキは滅びたアイヌ

の伝統的な弦楽器を演奏し、その上、彫刻

家だった父が誇るにたるトンコリまで造る

ようになった。編成したO

KI DUB AINU

BAND

でトンコリを世界のルーツ音楽に

混ぜ、チカル・スタジオという音楽レーベ

ルで他のアイヌのアーティストをプロデュ

ースする。2011年5月に、ジャパニー

ズ・レゲエの王、ランキン・タクシーの「誰

にも見えない、匂いもない」をリミックス。

現在、ツアーをしながら、日本の一番美し

い海岸を訪れ、原発の絵を画く “SEA

SIDE

PARADISE

というプロジェクトを立ち

上げる。彼のよく言うフレーズは「日本人

が青信号を自分の判断で渡れないと、何も

変わらない」。

反乱を歌う時代

 

シンポジウムのテーマがずれてしまった

のは、アマジールが「ユ*1

リ・ブエナベント

ゥーラとテ*2

ィナリウェンが同じワールド・

ミュージックのジャンルに入っているけれ

ど、両者にはまったく関係ない〝ポップ・

サルサ〞と〝レジスタンスの音楽〞である」

と言った時だと思う。彼がいつものような

笑顔を見せながら、観光ホテルで流すよう

なワールド・ミュージックは、民族の本当

の歴史や文化を示さないただのエキゾチッ

クなダンスと歌であると長く語った。

 

「我々ミュージシャンは自由を目指す仕

事をしている。決してコマーシャルなルー

ルに従うことがない。従うのは最悪のこと

だ。特に日本にとっては、従うことはよく

ないという気がする」

 

そしてシンポジウムでは、アマジールは

グナワ音楽についての質問にまったく答え

ず、不服従の風を吹かせた。彼にとって、

フクシマの後、日本に来た理由は、音楽の

話をすることだけではなかっただろう。

 

その気持ちに共感していたオキも、シン

ポジウムの日本の先住民音楽の代表者とし

て、「長年にわたって学者から研究資料と

して無視されたアイヌの音楽」に関して丁

〝スキヤキ・ミーツ・ザ・ワールド〟での共演ステージ

February, 2013 84

アマジール・カテブ(グナワ・ディフュージョン)と、オキ

ワールド・ミュージックではない、レベル・ミュージックだ

〝スキヤキ・ミーツ・ザ・ワールド2012〞で顔を合わせた二人の主張

アリサ・デコート・豊崎(写真も)

Page 2: アマジールカテブとオキ

February, 2013 8687 February, 2013

寧に説明してから、「ワールド・ミュージ

ックの定義の話はどうでも良いのでして、

僕が流したいのはワールド・ミュージック

ではなく、反乱だ」と乾いた空気を流した。

北海道の暴風だ。

 

「3・11以降、原発は将来に亘って考え

るべき問題になった。僕には小さい子ども

がいる。北海道で食べている野菜は、僕が

住んでいる町で心配しているのは僕だけだ

けど、子どもたちのことを考えることがで

きないシステムはなくなるべきだと思う。

僕は音楽で何かできると思うのだ。別に

“NO NUKES

を歌わなくて良いが、そう

いう意識を持って音楽を作る時代になった。

アイヌは土地が300年前になくなった。

今、福島は土地がなくなり、文化がなくな

り、方言もなくなる。国土喪失は日本政府

が早く認めなければならない」と一気に話

して大きな拍手を受けた。

 

前日、私がインタビューした時に、オキ

は「Zim

babwe

」を歌っていた││「〝自

分らで自分の運命を決める権利がある〞と

は国際連合宣言の民族自決権利の条を参照

する歌詞だ。ボブ・マーリーは勉強家だっ

たね」と言いながら。オキは2011年の

5月に国連本部の「環境と先住民族」のフ

ォーラムで福島の現状を訴えるステートメ

ントを日本語と英語で書いた。その中の

「ウラン鉱石はアボリジニのテリトリーで

採掘され、インディアン居住区に捨てられ

る」というのはアマジールも知っている現

状であった。

 

「前回のスキヤキ・ミーツ・ザ・ワール

ドにサハラ砂漠のトゥアレグ族のミュージ

シャン、ボンビーノが来ていた。彼の出身

地ニジェールのサハラでは、70年代から、

フランスの電力会社、アレバが採掘してい

るウランに地下水が汚染された。しかし、

シンポジウムで彼と原発問題を話すことが

なかったのは非常に残念だ」とアマジール

が話す。

 「福島は決して日本だけの問題ではない」

と伝えたいアマジールは、アルジェリアの

サハラで、60〜66年にかけてフランスが核

実験を17回繰返した事実を述べた。

 

「新生児のガン、障害児等を隠した上、

フランスとアルジェリアは実験地点を今ま

でずっと閉鎖し、中味が核燃料のごみなの

か、核兵器なのかさえ分らない。核の事実

を隠すすべての原子力政権が、日本で起き

た原発事故に責任があると思う」

 

シンポジウムが1時間経過して、ワール

ド・ミュージックのテーマから、「3・11

以降」という核心に来ていた。アマジール

は世界レベルから見た福島を分析して、ア

ドバイスまでしてくれた。

 

「僕が日本人なら、アラブ諸国で起きた

革命を学習して、むちゃな行動を起こさな

いで、よく考える。どうやってこのシステ

ムを麻痺させるのか。僕は個人的に、ゼネ

ストが一番良いと思う。原発の問題は、生

産性だ。ずっと働くと、考える暇がない。

作りながら考えることができない、それで

考えずに作ると、他の者が考えたことを作

るだけだ。アーティストもステージ、アル

バムのことばかりやって行けない。庭に座

って、ゆっくり考えたり、自然を眺めたり、

そんな時間が必要なのだ。我々は馬車馬で

はない! 

日本人はとても穏やかで素晴ら

しい国民だと思う。だけど、政府を信用す

るな。社会の変更を指導するのは、市民だ

! 

だから皆で、自由を取り戻そう! 

ネストをやろう! 

父が亡くなる前にこう

言った││〝政権に反すれば絶対間違いな

い〞。僕がゼネストをプロモートすること

ができるなら、日本に来てもいい」と熱く

語ってシンポジウムを終えた。

 

彼の希望は、オキと一緒に反原発のフェ

スティバルを行い、アルバムを作ることだ

という。

 

「すべての軍に音楽隊がある。音楽は勇

気を与えるのだ。グナワも力を合わせるた

めに編成した」

 

スキヤキ・ミーツ・ザ・ワールドのステ

ージから、アラブ音楽に乗せてヤシーン・

カテブの詩が流れている。アマジールが5

年前からソロ・アーティストとして作曲し

始めた作品。読まれるのは、1945年5

月8日の休戦記念日に、当時16歳だったヤ

シーンが参加し投獄された対仏暴動で目撃

した、フランス軍によるアルジェリア人大

虐殺を詠った詩だ。アマジールは、「遺体

だらけの道はまだそれでも生き続ける」と

語る詩が、最近のアラブの革命の根強いレ

ジスタンスを表現するから選んだと言う。

彼にとっては、せっかく起きた自発的なア

ラブの革命が圧倒的なスピードでイスラム

過激派に奪われ、利用されたことは非常に

無念だっただろう。しかし、アルジェリア

では150年間の植民地化と10年間のイス

ラム原理主義テロの経験から、今回「アラ

ブの春」のようなミスがなかった。

 

「ベルリンの壁崩壊以来、革命の思想が

低下し、ゼロ思想になった。皆、金のこと

しか考えていないから。だからストリート

に降りる青春の怒りはイデオロギーも、プ

ログラムもなく方向づけられていない。そ

れを操作するのはとても簡単だ」とアマジ

ールが分析する。その時、彼が訴えたこと

は、そのままグナワ・ディフュージョンの

新アルバム『時代の棘』で表現されている

││「原理主義者に投資しているカタール

とサウジアラビアは、石油などの利益を得

る西洋の共犯者である」。

 

何を信じて良いのか分らないほど世界の

ニュースがどんどん変わる。情報が混乱し

ている中で、政治や金融の世界から距離を

保つアーティストの言葉はどれだけ重要な

のか、アマジールとオキが見せてくれた。

ステージにトンコリとゲンブリを持って対

面した二人は、サハラ砂漠とシベリアから、

日本へ砂と雪の混じった新鮮な風を吹かし

てくれた。

 

「ワールド・ミュージックは出会いがな

ければ何も意味はない、でもトンコリがゲ

ンブリと出会えば、すべてが始まる」とア

マジールが耳まで届く笑顔を見せた。

M

グナワ・ディフュージョン『時代の棘』オルターポップ ARPCD5133 1月27日発売

“no nukes” のTシャツを着て歌うオキ アマジール・カテブ