30 全国中学生 人権作文コンテスト 入賞作文集 ·...

人権イメージキャラクター 人KENまもる君・人KENあゆみちゃん この冊子には、音声コードが、各頁 (奇数頁 左下、偶数頁 右下)に印 刷されています。 専用の読み上げ装置で読み取る と、記録されている情報を、音声で 聞くことが出来ます。 Human Rights 法務省人権擁護局・全国人権擁護委員連合会 全国中学生 人権作文コンテスト 入賞作文集 全国中学生 人権作文コンテスト 入賞作文集 30

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「いじめ」や暴力行為等は人権侵害です

法務局地方法務局では

人権侵害による被害を受けた方を

救済するための活動を行っています

お気軽にご相談ください

女性の人権ホットライン

インターネット人権相談受付窓口

ゼロナナゼロのハートライン

0570-070-810

子どもの人権110番ぜろぜろななのひゃくとおばん

 0120-007-110

パソコンから httpwwwmojgojpJINKENjinken113html携帯電話から httpwwwjinkengojpsoudanmobile001html

インターネット人権相談 検 索

Human Rights法務省人権擁護局全国人権擁護委員連合会

人権イメージキャラクター人KENあゆみちゃん人KENまもる君

全国共通通話料無料

全国共通ナビダイヤル

この冊子は環境保護印刷の「水なし印刷」で印刷されています

第30回全国中学生人権作文コンテスト入賞作文集

法務省人権擁護局全国人権擁護委員連合会

人権イメージキャラクター人KENまもる君人KENあゆみちゃん

この冊子には音声コードが各頁(奇数頁 左下偶数頁 右下)に印刷されています専用の読み上げ装置で読み取ると記録されている情報を音声で聞くことが出来ます

Human Rights法務省人権擁護局全国人権擁護委員連合会

 全国中学生人権作文コンテスト入賞作文集

 全国中学生人権作文コンテスト入賞作文集

第30回

すべての人間は生まれながらにして

自由でありかつ尊厳と権利とに

ついて平等である人間は理性と

良心とを授けられており互いに同胞の

精神をもって行動しなければならない

―――

世界人権宣言 第一条

―――

第三〇回

 全国中学生人権作文コンテスト

中央大会表彰式

印  刷 平成23年1月25日

発  行 平成23年2月14日

発 行 者 法務省人権擁護局

全国人権擁護委員連合会

東京都千代田区霞が関一丁目1番1号

電話 03(3580)4111 内線5875

URL httpwwwmojgojpJINKEN

第30回全国中学生人権作文コンテスト中央大会審査員

感想をお聞かせください本作文集を読まれた感想等を下記の連絡先又はkeihatsumojgojpまでお寄せください

無断転載を禁じます本作文集に掲載された作文や写真等を地方自治体が広報誌に掲載したり学校が教材に使用される場合などにはあらかじめ下記に御連絡ください

100-8977 東京都千代田区霞が関一丁目1番1号 法務省人権擁護局人権啓発課 TEL03(3580)4111 内線5875

作  家(審査員長) 落 合 恵 子映画監督 山 田 洋 次社団法人日本新聞協会事務局長 川 嶋   明日本放送協会解説委員室解説委員 南   直 樹文部科学省初等中等教育局視学官 三 好 仁 司全国人権擁護委員連合会長 中 村 浩 紹法務省人権擁護局長   井 忠 雄

(敬称略)

【式次第】

第一部

 会

主催者あいさつ

賞状授与

内閣総理大臣賞法務大臣賞

文部科学大臣奨励賞法務副大臣賞

法務大臣政務官賞

全国人権擁護委員連合会長賞

社団法人日本新聞協会会長賞

日本放送協会会長賞(以上各一名)

法務事務次官賞(三名) 計一一名

学校への感謝状贈呈

高円宮妃殿下おことば

来賓祝辞

第二部

各受賞作文の朗読

内閣総理大臣賞法務大臣賞

文部科学大臣奨励賞

全国人権擁護委員連合会長賞

社団法人日本新聞協会会長賞

日本放送協会会長賞

 評

全国中学生人権作文コンテスト中央大会審査員

 山田洋次氏

 落合恵子氏(ビデオレター形式)

第三部

新垣勉さんコンサート

 会 平成二二年一二月一八日(土)

午後一時三〇分〜三時五〇分

於ニッショーホール

第30

回全

国中

学生

人権

作文

コン

テス

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央大

会表

彰式

平成

22年

12月

18日

(土

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東京

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平成

22年

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第30

回目

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こと

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円宮

妃殿

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央大

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彰式

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法務

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新聞

協会

川嶋

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次官

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人権

擁護

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法務

大臣

村全

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権擁

護委

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合会

日本

放送

協会

南解

説委

高円宮妃殿下おことば

仙谷法務大臣あいさつ

仙谷内閣官房長官兼法務大臣から内閣総理大臣賞の表彰を受ける江川麻理香さん

山田洋次審査員と記念撮影をする受賞者の皆さん

新垣勉さんによるコンサート

中央大会審査会の様子

第三〇回

全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文集

法務省人権擁護局

全国人権擁護委員連合会

 

法務省と全国人権擁護委員連合会は人権尊重思想の普及高揚を図るための啓発活動の一環と

して昭和五六年度から「全国中学生人権作文コンテスト」を実施しています

 

本コンテストは次代を担う中学生が人権問題についての作文を書くことにより人権尊重

の重要性必要性についての理解を深めるとともに豊かな人権感覚を身につけることを目的と

して実施しているものです平成二二年度は本コンテストが第三〇回目という記念すべき年で

あることから平成二二年一二月一八日高円宮妃殿下御臨席の下東京都港区にあるニッショー

ホールにおいて多くの皆さまにお集まりいただき中央大会表彰式が行われました

 

本年度は各都道府県単位(北海道については札幌法務局及び函館旭川釧路の各地方法

務局単位)に実施された地方大会に六三一一校の中学校から過去最高となる八八万七〇一二

編にも及ぶ多数の作品が寄せられ中央大会には地方大会の審査を経た代表作品九二編が推薦

されました

はしがき

入賞作文集 2

はしがき

 

この作文コンテストへの応募作品はいずれも中学生らしい感性に富み純粋な感覚で人権問

題を捉えたものばかりであり応募された皆さまの真摯な姿勢には心を打たれるものがあります

 

また本年度はこの作文コンテストの輪が国際的にも広がり海外の香港日本人学校中学部

からも作品が寄せられました海外からの応募作品については残念ながら本選への応募とは

なりませんがこの中から代表作品として一作品を御紹介します

 

この作文集をより多くの方々に御愛読いただき人権尊重の輪が更に大きく広がることを願っ

てやみません

 

終わりにこの作文コンテストの実施に当たり多大な御尽力をいただいた全国各地の教育委

員会中学校等関係各方面の皆さま方に対し心から感謝を申し上げます

 

平成二三年二月

法務省人権擁護局

全国人権擁護委員連合会

3 第30回全国中学生人権作文コンテスト

はしがき

 【審査講評】

 【入賞作文】

内閣総理大臣賞

 「身近で無意識な人権侵害」

佐賀県佐賀市立東与賀中学校三年

江え

川がわ

 麻ま

理り

香か

10

法務大臣賞

 少しずつhellip一歩ずつhellip

兵庫県篠山市立西紀中学校三年 辻つじ

本もと

 桃もも

佳か

14

文部科学大臣奨励賞

 「差別のない世界へ」福島県福島市立渡利中学校一年 ローリンズ リコ

18

法務副大臣賞

 私の大好きなふる里

熊本県熊本県立八代中学校一年 井いの

上うえ

 由ゆ

紀き

子こ

22

法務大臣政務官賞

 「家族」とは何か

栃木県さくら市立喜連川中学校三年 大おお

田た

 葵あおい

26

目  次

入賞作文集 4

目  次

全国人権擁護委員連合会長賞

 忘れてはならないこと

群馬県群馬大学教育学部附属中学校三年 大おお

井い

 海み

琴こと

30

社団法人日本新聞協会会長賞

 ハンセン病について考えたこと

埼玉県学校法人立教学院立教新座中学校一年 久く

米め

 一かず

輝き

34

日本放送協会会長賞

 悔いのない最期を

山形県酒田市立松山中学校三年 櫻さくらだ田

 要かな

太た

38

法務事務次官賞

 差別のない社会に(パピーウォーカーの経験から学んだこと)

東京都小平市立小平第六中学校三年 林はやし 里り

咲さ

42

 祖父への靴下静岡県静岡大学教育学部附属浜松中学校三年 守もり

田た

 幸こう

平へい

46

 いじめをなくすために今

徳島県三好市立池田中学校三年 浦うら

谷たに

 毅たける

50

 【海外作品】

 国境をこえて

香港日本人学校中学部二年 村むら

瀬せ

 広ひろ

高たか

54

5 第30回全国中学生人権作文コンテスト

目  次

審査講評

落合 恵子

「時代のページをひらく」

 

二〇一〇年の年の暮れにこの講評を書いている

 

資料など紙類の最後の収集はいつだった 

明日 

明後日 

分別ゴミの収集日を確認しな

がらその前に新聞などの連載の仕上げがいつまで 

と年始休休が入るこの時期はなにか

と気ぜわしい

 

気分前のめり状態なのだがわたしたちの多くはゴミは出してしまえばそれで落着わ

たしの原稿も担当のかたにメールで送ってしまえば終わりである

 

けれどその向こう側にはこの寒空(今朝は特に寒さが厳しい)のもとわたしたちが出し

たものを集める仕事をされているかたがたがいるわたしたちが書いたものを印刷してくれるか

たがたもいるhelliphellip

入賞作文集 6

審査講評

 

こうしてひととひとはひとと暮らしは有機的に繋がっているのだと改めて思うのも年の

暮れだからなのかいや人権についての素晴らしい姿勢と視点に溢れた「あなた」の作品を今

朝もう一度読み返したせいなのかもしれない

 

第三〇回を迎えた全国中学生人権作文コンテスト全国(今回は海外からの作品もあったが)

の中学生の四人にひとりはこの作文を書いてくださったとうかがった

 

すごいことだ嬉しいことだ素晴らしいことだと心が震える

 

たとえばいま大人たちに人権に関する作文を書いてくださいと言ってどれほどのひとが

賛同し実際に書いてくれるだろう考えることと実行することの間には深い溝がある

 

それもこれほど瑞々しい感受性と論理性に裏打ちされた作品をである

 

毎回書いているような気がするがこの作文コンテストに選考委員のひとりとして加わる唯一

の苦しみは応募作品に順位をつけることにある

 

どれもがキラリと光る芽を持った作品にいったい順位をつけることが可能なのか読み手で

あり選考する側のわたしたち大人の「人権意識」がある意味試されているような緊張が

いつもある

 

何度も何度も読み返しそれでも迷うことがあることも告白しておこう

 

内閣総理大臣賞を受賞された江川麻理香さんの『身近で無意識な人権侵害』

 

入院先で出会ったひとから聞いた悪意不在のけれど「もうひとつの差別」

目が不自由であることから子どものように「扱われること」への居心地の悪さ

7 第30回全国中学生人権作文コンテスト

審査講評

についてそういった傾向がわたしたちの内にもないかを問い返した優れた作品で

ある

 

それは「される側」からの柔らかな異議申し立てであり問題提起でもある

認知症の母を自宅で介護していたおよそ七年間わたしも病院などで母にかけられ

る言葉がとても気になった言葉の多くが幼児へのそれに似ていて「優しく接すること」が

幼児言葉であるという習慣のようなものはわたしたちの暮らしの中のいろいろな場面にある

ひととして親切であることと相手に対する想像力を働かせることと幼児に向けてのような言

葉を使うことはまったく別なことなのだが

 

悪意不在であるがゆえにかえって問題提起しにくいテーマを江川さんは見事に拓いてくだ

さっている

 

辻本桃佳さんの作品目の不自由なお父様がある日電車の中で出会ったことを通して「個

人的な体験」を普遍的なテーマに広げ深めることに成功した作品だ

 

人種と「見た目」の違いをテーマにしたローリンズ

リコさんの作品水俣という愛する郷里

の酸鼻な歴史とそこから生まれた差別と偏見について丁寧に描いた井上由紀子さん事情があっ

て家族とは離れて暮らす大田葵さんが今考える拓かれた『家族』とはかつて偶然に出会っ

たひとたちが偶然を必然に変えて

4

4

4

4

4

4

4

4

4

新しい結縁の家族を作っていく小説を書いたわたしには特

に心に響く作品だった

 

文字数の関係ですべてに触れることはできないが心に響く作品たちを読んでいる間はささ

入賞作文集 8

審査講評

やかながら人権の活動をしてきた「かつての中学生のひとり」としてとても充たされた思いの

中にいた

 

ありがとうと心から「あなた」にお伝えしたい

 

そして若い季節に人権を自分に引き寄せこうして作品にまとめあげた体験は「あなた」に

準備されているたくさんの明日に光をもたらしてくれるはずhelliphellipと書いてふっと思う自分の

暮らしの核に人権を置くことは素晴らしいことであると同時にある意味ストレスを抱え込

むことでもあるのではないかとそれは気づいてしまうストレスでもある社会にはまだま

だ差別がある人権についてセンシティヴであればあるほどそれに気づき失望し傷つくこ

とも少なからずあるはずだ

 

それでもとわたしは「あなた」にお伝えしたい気づかない人生よりも気づく人生そし

て気づいたことを少しでも「拓いていく」人生のほうが容易ではないがはるかに充実してい

るはずだと

 

オーディオセットから大好きなクリスウィリアムソンとメグクリスチャンの曲が流れて

いるhelliphelliphellipわたしたちは新しい時代を作るため新しいページを開くために時代のステージ

にいま登ったところだとふたりとも歌を通してアメリカで人権の活動をしてい

るアーティストである海のこっち側のわたしたちもいま新しい時代のページを

開く時そのステージの上にいる

9 第30回全国中学生人権作文コンテスト

審査講評

内閣総理大臣賞

 

私が入院した時眼科や外科内科などいろいろな病状の患者さんと知り合いになった仕事

で足を骨折した人胃を悪くして入院した人目の手術を受けた人など年齢や性別職業も様々

でふだんあまり接することのない人たちと話す機会に恵まれた病気やケガの苦労話はもちろ

んのこと世代の違う人たちの話はとてもおもしろかった「人権」について考える時その中

の一人の患者さんのことが頭に浮かんだ

 

人権侵害とは障害者やお年寄りなど立場の弱い人たちに対する差別や悪意のある偏見か

らくるものだとばかり思っていたところがたとえ善意であっても思わぬところから人権の侵

害になっていることがあるのだと考えさせられたのであった

 

目の手術を受けたその人は母と同年代ぐらいの女の人だった目が不自由なことで周りの

江え

川がわ

 麻ま

理り

香か

佐賀県佐賀市立東与賀中学校 三年

「身近で無意識な人権侵害」

入賞作文集 10

入賞作文

人たちがとてもよくしてくれるのはいいがそのために困ったり悲しい思いをすることもあると

いうのだった私はこれまで人に優しく親切にすることはいわば常識であり当然のことだ

と思っていただけに大きなショックを受けた困った時に手を貸してくれるというのに悲しい

思いをするとはどういうことなのだろう私たちが親切のつもりでやっていることが迷惑になっ

ているというのだろうかお年寄りや障害者をいたわるのは当たり前でありそれは感謝される

ことはあっても迷惑に思うなどとは筋違いではないだろうかところがその人の立場から見

れば好意のつもりでもまるで小さな子どものように扱われたりこれは危険だからと勝手に

予測されて遠ざけられてしまったりと自分の意思とは関係なく何でも先回りされてしまうのが

悲しいのだそうだ目は悪くとも自分は子どもではないしできなくはないことにまで行き

過ぎた親切にひどく心を傷つけられるのだというまた相手がよかれと思ってくれていること

だけにそれを断ろうものならあからさまにいやな顔をされたり急に態度を変えられることも

あったりでかえって気を遣うのだそうだ

 

私ははっとした今まで手を貸す側から見ることはあっても逆の立場から考えたことはな

かったので大きな衝撃を受けたいつの間にか相手より自分を少し高い所に置いて見ていない

だろうか無意識のうちに相手のことを保護すべき弱者だとして見ていないだろう

か私は今中学生だがそれ以下の子ども扱いされると腹が立ついちいち細かい

ことまで制限されたり禁止されたりすれば確かにいい気持ちはしない同じよう

に障害者や老人に対して危険だ何だのとその人ができることまでをも禁止し

11 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

まだこぼしてもいない湯のみを取り上げるようなことをしてはいないだろうか

 

確かに弱者をいたわり手助けすることは人として当然であり必要なことで

あるしかし相手の気持ちや状況を考えずただ一方的に押しつけるだけの親切

はただの自己満足でしかない見えない人には見えない人なりのやり方や考え方が

あるのにそこに寄り添うための理解がないとしたらそれは人権を侵害しているといえないだ

ろうか

 

人は皆平等であるけれど環境や年齢身体能力などは同じではないだからこそ人とし

ての尊敬の念や思いやりいたわりの心を持って接することが大切なのだと思う

 

しばらく前の人権侵害とは人を自分より見下したりおとしめることで優越感を持つための

ものだったように思うそして今生活や文化が豊かになった現代では行き過ぎた親切やいた

わりが人の心を傷つけそれが新たな種類の人権侵害の一つになっていることもあるのだ「善意

イコール感謝されるべきもの」という考え方が全てに当てはまるとは限らないまた当ては

めようとしてはならないその人にとっての「いちばん」は何かひとりひとりを尊重するため

には本当に助けが必要かどうか出すぎたことをしていないかを見極めることも大切なのだと

思う

 「人権」について考えることそれはとても難しいことのように思えるが意外と簡単なこと

ではないだろうか同じ人間同士が並んで歩くための人と人との間の権利私たちが無意識のう

ちに作り出している優劣の壁を取り払うこと自分の価値観を人に押しつけないこと自分も相

入賞作文集 12

入賞作文

手も同じひとりの人間なのだとその

人の心に寄り添い理解し合う努力こ

そ人権を守る大きな力になると思う

13 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

 

十五年前父が篠山の町中を歩いているとこう言われた「そんな棒きれ振り回さんといて」

と父は決して棒きれを振り回していた訳ではないただ白杖を持って歩いていただけだそ

の話を聞いて私は驚いたたった十五年前のことだけど信じられない気持ちでいっぱいになっ

ただが十五年経った今ではそんなことはないだろうマスメディアが発達しいろんなハン

ディを持った人のことが紹介されたり障がい者の方自身が社会参加する機会が増えたからだと

 

そしてこんな話も聞いたことがある電車に乗った時に時間が知りたくて携帯電話を開い

たときのことだ「こんなとこで電話したらアカンやろ」と中年のおばさんに怒鳴られたそうだ

優先座席の近くだったということもあるが『目の不自由な人=白杖を持っている』という認識

は広まってきているが時間を知りたいときには音声が出る時計や携帯電話を使うということは

法務大臣賞

辻つじ

本もと

 桃もも

佳か

兵庫県篠山市立西紀中学校 三年

少しずつhellip一歩ずつhellip

入賞作文集 14

入賞作文

ほとんど知られていないのだそのとき父は説明しようと思ったがどうせ分かってもらえな

いと思い「すみません」と謝りとても悲しい気持ちになったそうだ見えている人は時間

が知りたければ時計を見ればすぐに分かるだが目が不自由だと音で聞くしかないのだ私は

障がい者が暮らしやすいような機器が発達してきていることをもっと社会に広めていくことが

必要だと思うそうすることで協力してくれる人や理解してくれる人が増えていくのではな

いだろうか

 

視覚障がい者の方が日常生活を送る上で給付や貸与される機器がある音声で教えてくれる

時計や体重計文章読み上げ器などがそれだこれらは以前県の基準で市が実施要綱を定めて

そこが窓口となって行われていたが法改正により各市区町村対応となったしかしこの日

常生活用具の中に健常な家族と同居している視覚障がい者には給付してもらえない物もあるの

だそれは体温計や体重計であったりするこの体温計がなければ家族が出かけている間に

体調が悪くなっても計測することはできないのだ

 

父の知り合いに赤ちゃんを連れた全盲のお母さんがいる体温を計るのに複数の体温計で赤

ちゃんの体温を計りその体温計に印をつけて病院まで持っていって見てもらったり家族が帰っ

てくるのを待って見てもらうことがあるそうだ私たちは簡単に体温を計ること

ができるが見えない人たちはそれができないために生命の危険にさらされてしま

うことがあるのだせっかく便利な機器が発明されても値段が高くて簡単に購

入できないもしくは制度のカベによってそのサービスが受けられないことがあ

15 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

るしかし私の住む篠山市では父たちの声が福祉課の方々に届き日本で初めて

音声式体温計が同居家族の有無にかかわらず給付されるようになったのである

 

今は携帯電話が音声で読み上げてくれてメールや時間GPSなどの便利な

機能を視覚障がい者の方も利用できるようになっただがそのことを知っている

健常者の方は全国にどれくらいいるだろうかまたこのことを知っている当事者である視覚障

がい者の方が全国にどのくらいいるだろうか私はまだ知らない人が多いと思う

 

ここ十五年程で視覚障がい者の人は白杖をついているということはほぼ知られてきたが生

活を助ける機器が発達してきているということは知らない人も多いだろうそれが「あの人は

目が動いているから見えている」とか「あの人はずっと目をつぶっているから見えていない」

「物を避けているから見えている」「物にぶつかっているから見えていない」という勝手な

思い込みで障がいの重さをはかることにつながっているのではないだろうかでもそれは間違っ

ている目を閉じれば視覚障がい者の疑似体験はできるでもそれはあくまでも体験であって

個人個人の見え方はそれぞれ違うし外見や行動で障がいの重度を判断するのは良くないと私は

思う同じような見え方ができたとしても全く同じ動きなんてできる訳ないのだから毎日父

と生活していてもどのくらい見えているのか私にもはっきり分からないなにげに父たちがこな

している日常の動作であっても私たち健常者にははかりしれない恐怖と不安努力があるの

だ誰でも目をつぶれば見えない世界を体験した気になる松葉杖をつけばその体験をした気

になる車イスに乗ればその体験をした気になるだが本当の障がい者の苦悩と努力の一部

入賞作文集 16

入賞作文

しか体験していないことを知ってお

いてほしい私たちには当たり前に

できるようなことがあってもどん

なに望んでもできない人たちがいる

ということとみんなの正しい理解と

知識が障がい者の明るい未来へとつ

ながっていくということを知ってほ

しいそしてこのことを広めていか

なければならない

 「少しずつhellip一歩ずつhellip」

17 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

 「Pick your 

head up」

 

これは父がいつも私にかけてくれる魔法の言葉です

 「顔をあげなさい下を向かない」という意味です

 

私の父は生まれも育ちもニューヨークのアメリカ人です女の子は父親に似るとよく言われ

ますが私もそうで日本人の母親よりも父の方に髪質も肌の色も本当によく似ています子供

が親に似ることはあたりまえのことですが私はそのためにいやな思い悲しい思いをいくどと

なくしてきました

 

初めて自分がみんなとちがうんだなと思ったのは幼稚園に入学してまもなくのことでした同

じ組の女の子たちが何人かして楽しそうに遊んでいたので

ローリンズ リコ

福島県福島市立渡利中学校 一年

「差別のない世界へ」

文部科学大臣奨励賞

入賞作文集 18

入賞作文

 「まぜて」

と声をかけると一人の子が言いました

 「このグループは日本人で髪がまっすぐな人しか入れないのリコちゃんは髪がチリチリだし

ハーフだからダメ」と

 

私はとても悲しくなりましたそしてそれは卒園するまで続きました

 

小学校は人数も少なかったせいかみんなとても仲良くて私の外見のことを言う人はだれ一

人いませんでしたまるで兄弟のようにみんな自然に接してくれましたでも習い事やいろい

ろな大会など他校の子たちといっしょになる場面ではやはり髪の毛や肌のことをからかわれ

ることはよくあることでした私には二学年上の兄がいますが兄もやはり父の方に似ています

おだやかな性格の兄は私以上につらい思いをしてきたと思います

 

父は兄や私の話を聞くたびに

 「Pick your 

head up」

と言いましたそして

 「自分に自信とほこりをもちなさいあなたたちは二つの文化を受けついでそれはとてもす

ばらしいことなんだよ」

といつも話してくれました

 

中学に入って間もないころでしたある男の子がいきなり私に向かって言いまし

19 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

 「おまえ風呂に入っているのか黒いぞ外国人はくさいからな」

 

私はとてもはずかしくなりましたそしていかりや悲しみがこみあげてきました

まわりにいた友達は彼の言葉に苦笑いをしていました私はいかりのあまり彼をな

ぐりたくなりましたその時私は父のあの言葉を思い出しました私は顔を上げ

相手の目を見て静かに自分の傷ついた気持ちを伝えました

 

彼は私に向かってこう言いました

 「ごめんわるかった」

 

彼は人を傷つけるということが彼の想像以上に重くそしてひどいことだと少し気付いたよう

でした

 

差別やいじめというのは私たちのまわりでは小さなことから大きなことまで本当によくあり

ますそして差別やいじめをしている側からすればそれをじょう談だという人も多いのです

まわりの人たちもやはりじょう談や遊びの中でのことにとらえてしまう人たちもとても多いので

すだから小学校の時から私たちは道徳などでいじめや人権などについて学んでいてもなかな

かそれがなくならないのだと思いますでも実際に差別やいじめをされている方はみんなの想

像よりはるかに傷ついているということつらいということそして悲しいということを私はこ

の人権作文を通してたくさんの人に知ってほしいのですけがをすれば日がたつごとにそのけ

がは治っていくでしょうまわりからも治っていく様子が見てわかるでしょうでも心に受けた

傷は本人にしかわからないのですその傷がどんなに深くて痛いものか本人にしかわからないの

入賞作文集 20

入賞作文

です

 

肌の色が違っていてもかみの毛が

違っていても私たちはみんな同じ人間

です心を持った人間です相手の気

持ちを思いやり相手の立場になって

考えればいじめや差別はなくなると

思います今も世界のいたるところで

人種差別が問題となり争いが起きてい

ます私は世界から差別やいじめがな

くなるように強い心を持ってまずは

自分から立ち向かっていきたいです

21 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

 

あなたには大好きなふる里がありますか私には緑の木々と青い海に囲まれた自然豊かな

大好きなふる里があります私のふる里は過去に公害という大きな被害をうけた水俣ですそ

の水俣病で患者はもちろんそうでない人も長い間差別をうけてきました

 

父が幼い頃まだ水俣病の原因が究明されておらず水俣病はうつると言われていました列

車が水俣の駅につくと窓をしめ手で口をおおった人もいました修学旅行に行くと同じ宿

舎になった学校から苦情を言われたこともありました水俣出身ということで結婚を断られた人

や就職試験をうけることさえできなかった人もいました水俣に住んでいることをかくして隠

れるようにひっそり暮らしていた人もいましたまた同じ水俣に住む人でさえ奇病と呼び距

離をおきましたそのことでたくさんの人々が傷つきあってきたのですいろいろな立場の人々

井いの

上うえ

 由ゆ

紀き

子こ

熊本県熊本県立八代中学校 一年

私の大好きなふる里

法務副大臣賞

入賞作文集 22

入賞作文

がせまい土地に住んでいるのですから仕方がなかったのかもしれません

 

しかし今では原因も究明され海の安全も確認されたことでそのようなことはほとんどな

くなりました私たちは過去のことを忘れるくらい楽しくすごしています

 

私は今八代の中学校に通っています私は自分が水俣出身ということを隠すこともありませ

ん友だちもまたそのことを知っていますがからかったりいじめたりする人は誰一人いません

 

しかし先日水俣の中学校のサッカー部が練習試合中に相手チームの選手から

「さわるな水俣病がうつる」

と言われたという記事が新聞にのっていました今でもこういう風に思っている人がいるのか

と思うと残念で仕方ありません何気なく言った一言だったのかもしれませんがその一言は

私たち水俣に住む者にとって非常に悔しく悲しいものでした

 

小学校の総合的な学習の時間で水俣病について学習しました原因となった会社を訪問したり

患者の方から当時の話をきいたり交流も行いましたそんな中で苦労されたり何も言えずに

黙って亡くなった人のことを知り水俣に住んでいながら何も知らなかったことをはずかしく思

いました水俣病についてしっかり学び正しい知識を得ることが差別や偏見をなくすのだと気

付きました

 

中学校の道徳の時間ではハンセン病について学習しましたこれも水俣病同様

正しい知識がなかったためにおきた悲しく悔しい悲劇でした

 

私たちが差別や偏見をなくすためにできることそれはその人その出来事に

23 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

ついてしっかり知ること知ろうと努力すること正しい知識を深めるために学習

することではないかと思いますそうすれば水俣病やハンセン病のようにむや

みに人と人とが傷つけあったり憎しみあったりすることはなくなるのではないで

しょうか

 

先日テレビで水俣のダイバーが紹介されましたその人は本当はほこりたい水俣を心の中

にじっとしまいこみ誰にも言えず何年もの間生きてきた人でしたしかし水俣の地にも

どり自分はこのすばらしい美しいふる里を紹介したいと海にもぐり写真をとり続けておら

れるそうです心に差別という深い傷を負いながら水俣の再生を皆に知らせたいと頑張る人

がいることに感動しました

 

今水俣はごみの分別リサイクル事業など市民全員で環境にやさしい町づくりをすすめてい

ます私は差別や偏見から立ちなおり再生しようと環境問題に一生懸命とりくんでいるふる

里水俣をほこりに思っています

 

水俣では運動会等多くの行事で「水俣ハイヤ節」というものが踊られますこれは水俣病

の患者の方が水俣の青い海と豊漁を願って振りつけをされた踊りだそうです私たちと同じ思い

をする人が二度とでないことを祈りながら私たちは毎年皆でこの踊りを踊ります

 

水俣の悲しい過去を変えることはできませんが私はあやまちを二度とくりかえさないため

にこの美しい自然を守り真実を語り継いでいきたいですそして差別や偏見のない社会に

なるよう自分から努力していきたいと思います

入賞作文集 24

入賞作文

25 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

 

みなさんは「本当の『平和』とは」と質問されたら何と答えますか「戦争や紛争などが

ないこと」ですかそれとも「自分自身の幸せのこと」ですか一人ひとりの抱く「平和」のイ

メージは違うことでしょう

 

僕の思う本当の「平和」それは「家族」がいて「家庭」があることだと思いますなぜそう

思うかというと今僕は訳あって家族とは離ればなれに暮らしているからです一歳前後には既

に家族とは離れ施設にいました母親や姉兄の存在はわかっていますが一緒に過ごした時

間は限られたもので今でもほとんど交流はありませんそのせいか僕はいつも「家族」や「家

庭」というものに強い憧れを抱いています

 

自分がまだ幼い頃は自分と同じくらいの子が母親と手をつないでいる姿がとてもうらやまし

大おお

田た

 葵あおい

栃木県さくら市立喜連川中学校 三年

「家族」とは何か

法務大臣政務官賞

入賞作文集 26

入賞作文

「どうして自分には母親がいないんだろう」と思っていました仕舞いには自らの母親を恨ん

でしまったのです小学生になってもその気持ちは変わらず母親への恨みは増すばかりでした

 

しかし小学五年生の夏思いもよらぬ出来事が起きましたそれは引っ越しがあったこと

ですそこで僕は新しい土地そして新しい里親という人たちに出会いました里親の人たち

と暮らした数年間僕は幸せでしたそこで僕は僕の周りにはいつも支えてくれる人たちがい

ることに気づきました血のつながりがなくても僕に自分の子どものように接し育ててくれ

た里親の人たち養護施設の先生方などたくさんの方たちに僕は見守られて成長してきたこと

に気づいたのです僕を支えてくれる人すべてに感謝の気持ちがわき出てきましたそれ以来

僕は親という存在にこだわらなくなりましたそれどころか自分に命を与えてくれた親に感謝

の思いを抱くようになったのです

 

この夏母親の育児放棄が原因で二人の乳幼児が衰弱死するという悲しい事件がありました

二人の子どもにろくに食事も与えず風呂も入れなかったそうですさらに逮捕後その母親は

「家に帰ってあげなかったことを今も後悔している子どもは私を恨んでいると思う」

という言ってはならない発言をしました僕は怒る前に亡くなった二人の子ども

たちがかわいそうでなりませんでした

 

と同時に僕はこの母親はどうしてこのようなことをしてしまったのだろうと

すごく考えさせられました僕は本来親は子どもを殺すのではなく守るために

27 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

いるのだと考えますたとえ小さな子どもでも立派な一人の人間ですその命を

守り育てていくことが親として大切な役目だと思うのですこの母親はどこで

勘違いしたかは知りませんが親としての自分の責任を理解していなかったのでは

ないでしょうか

 

そしてその勘違いを誰も母親に気づかせてあげられなかった事実母親が一緒に遊び歩いて

いた友人はもちろん母親の家族が少しでも助けることができていたら母親の行動を戒めるこ

とができていたら連絡を受けた児童相談所がもう少し踏み込んだ行動が取れていたらこのよ

うな悲しい結末にはならずに済んだのではないでしょうかやりきれない思いばかりがこみあげ

てきます

 

もう一つこの母親は大きな勘違いをしていますそれは「子どもは私を恨んでいると思う」

という言葉です僕はこの子どもたちが母親を恨んでいるとは思えません子どもたちは母

親が帰宅するといつもハイタッチをして喜んで迎えたそうです子どもたちは母親のことが大

好きだったのでしょうたとえ自分たちを見放した母親でも恨んでいるとは決して思えないの

です

 

子どもは心の底から自分の母親のことを恨めないと僕は思いますこの世に生を受け笑った

り怒ったり泣いたりと毎日いろいろな経験ができるのは自分を生んでくれた母親という存在

があったからです正直僕も小さい頃は母を恨んだことがありました愛情の裏返しというよ

うに母親への思いが憎しみに変化してしまったのですでも心の底には母への恨みとは全く

入賞作文集 28

入賞作文

正反対の気持ちが存在し続けていましただ

からこそこの子どもたちがどんな思いで死

んでいったのかわかるような気がします母

親を信じひたすら母親の帰りをまちわびて

いた思いが

 

僕にとっての「家族」それは同じ屋根の

下で暮らす人々のことですたとえ血はつな

がっていなくても僕を支え励ましてくれる

人たちそのすべての人が僕にとっての大切

な「家族」なのです今僕の暮らす養護施設

にはいろいろな事情を抱えた二歳位から高

校生までの子どもたちや職員の方が約六十人

います今の僕には全員大切な「家族」で

す僕はこれからもこの「家族」を大切に

一日一日精一杯平和に生きていきたいです

29 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

 

授業でハンセン病について学んだ日両親と「偏見」や「差別」について口角泡を飛ばす議論

を深夜まで繰り広げた身体障害者の父と看護師の母を持つ私は幼い頃から「命の大切さ」を

訴える両親の姿を見て育って来たそんな私は真摯な気持ちからハンセン病罹患者と向き合い

たいと思いこの夏草津にある療養施設栗生楽泉園を訪れた

 

草津までの道のり私は罹患者の気持ちを絶えず考えていたハンセン病について調べると「ら

い予防法」により罹患者は隔離され人権を無視された扱いを受けたことが分かった罹患者の

言葉が書かれた本ではどんなに過酷な仕打ちを受けたか他人をどれほど恨み憎んでいるか

が書かれていたその為私は無意識の内に「罹患者は全員恨みを抱いている」と勝手に思い込

んでいたしかしこんな思い込み自体が偏見や差別を生む原因になるということを後に思い知

大おお

井い

 海み

琴こと

群馬県群馬大学教育学部附属中学校 三年

忘れてはならないこと

全国人権擁護委員連合会長賞

入賞作文集 30

入賞作文

らされることになるのである

 

私を迎えてくれたのは入園者自治会長の藤田三四郎さん藤田さんは大変お元気でその容姿

からはハンセン病を伺い知ることはできなかったしかし藤田さんは紛れもない罹患者なのだ

その証拠に藤田さんの名は本名ではない罹患者は施設に入所するにあたり偽名を使用させら

れたと言うつまりその時点で罹患者は世間から存在を消されてしまうのであるそんな藤田

さんから語られた話はハンセン病だと宣告され三度も命を絶とうとしたこと重症患者の看

護を押しつけられ数え切れない人を看取り自らの手で葬ったこと家族が受けた迫害や侮辱的

な言葉など想像を絶するもので筆舌し難いものだったしかしこんな迫害と差別は同時にハ

ンセン病患者達の人権回復闘争の歴史でもあったのだ闘争の末「らい予防法」が廃止される

と今まで差別や人権侵害を繰り返していた多くの人が掌を返す様に態度を変えたと言う私は聞

いていて怒りを覚えたが不思議なことに耳を塞ぎたくなる様な内容を語る藤田さんからは全

く怒りや恨みが感じられないのだ私は話を聞くまで自分の運命を呪い周囲への恨みつらみ

の言葉が出てくるとばかり思っていたしかし出てきた言葉は「入園出来て良かった差別は

受けたが今では恨みを抱く罹患者も少なくなったそればかりか最近はたくさんの人が我々を

理解し協力してくれるので嬉しい何故なら一人の百歩は力が無いが百人の一歩

は力になるから」と言う感謝の言葉だったのだ本当に「恨みは無いのか」と何度

聞いても答えは同じだった私は恥ずかしくなったハンセン病について調べ罹

患者の心を理解したようなつもりでいながら実は何も理解できてなくてそれば

31 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

かりか罹患者を偏見の眼で見ていたのは私自身だったのだ私は話を聞いてとめ

どなく溢れ出る涙を拭いながら心の片隅に潜んでいた「偏見と言う名の種」が身

体から洗い流されていくのを感じていたそれは同時に「思い込みや無知が偏見

や差別を生みだす」ことを強く感じた瞬間でもあったそれだけに藤田さんの「自

分と同様に他人を愛すればいつか必ず世界から差別はなくなる他人を愛して下さい」の慈愛に

満ちた言葉が一層重く腑に落ちるのだった

 

帰りがけ千五百ページにも及ぶ「入所者証言集」を手渡されたその際私は見えない襷も

手渡された気がしたその襷とは証言集に記された罹患者の「事実を風化させないで私達の事

を忘れないで」という搾り出すような叫び声とその姿だったのである

 

ハンセン病が治る病気であるのに誤った知識から悲惨な人権侵害が長期に渡り続いた同じ間

違いを繰り返さないためにも事実を語りついで行く必要があるここ楽泉園でも高齢化が進み

証言者の数が減っているこれは全国一五全てのハンセン病療養所に共通することだハンセン

病問題は罹患者がいなくなればそれで終わると言う問題ではない今後人権問題を考える際重

要な指針になりうる事実なのだそしてこの事実の風化を防ぐことが私達若い世代の役目だと

私は思う

 

私は小六の時友人達から突然イジメを受けたそれを引きずり他人を恐れ憎み自分を

嫌って生きて来たしかし罹患者の声が私に生きる力と前を向いて歩む勇気を与えてくれた

楽泉園訪問は私に人生観が変わる程の衝撃を与えてくれたのだこんな私だが罹患者の声を伝

入賞作文集 32

入賞作文

える「百人の中の一人」にはなれるはず

だそのために私は今この作文を書い

ている文字は時を越えて生き続けるか

ら私はこれからも楽泉園訪問を続ける

つもりだ実際に中学生の私が出来るこ

とには限りがあるが差別や偏見を少し

でも減らすために一歩を踏み出すつもり

でいる「自分と同様に他人を愛すれば

いつか差別は無くなる」と言う藤田さ

んの言葉を胸に

33 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

 

森に囲まれたその一画には教会や寺院神社があり小さなショッピングセンターやレスト

ランもある床屋や図書館郵便局や浴場もあるしかしそれらの施設を利用するのはその一

画に住む人たちだけだ緑の外側に住む人が利用することはないそこはハンセン病の療養所

多磨全生園である

 

僕は七年前に清瀬市に引っ越してきた夏のある日昆虫が大好きな僕は何気なくその森の

中に入って行ったそして歩き回っているうちにその場所が一つの「町」であることに気付

いた

 

毎日セミやカマキリやナナフシを探しながらどうしてこんな所があるのだろうと思った

 

僕が一番不思議に思ったのは古い木造の小学校だいつも誰もいない校舎と小さな運動場近

久く

米め

 一かず

輝き

埼玉県学校法人立教学院立教新座中学校 一年

ハンセン病について考えたこと

社団法人日本新聞協会会長賞

入賞作文集 34

入賞作文

くに小学校があるのにどうしてこんな所に小学校があるのだろう小学一年生の僕はとても不思

議に思った

 

夏に地域交流を目的とした盆踊りと花火大会が行われるいつもは人のいない小学校跡は多く

の人であふれかえり普段は見かけない重い後遺症の老人たちもこの日は外に出て盆踊りを楽し

む初めて参加したときは言葉が出なかった正直「怖い」と思った

 

夏が来るたびに僕は盆踊り大会に参加した低学年から高学年へと進むにつれて少しずつハ

ンセン病のことが分かってきた

 

六年生のときに社会科見学で全生園の元患者を訪れることになっただが僕は都合で参加で

きなかった僕はそれをずっと悔やんでいる

 

今年の夏僕はハンセン病資料館に出かけた見学者は僕一人でとても緊張したなるべく

音を立てないようにパネルを見て回った

 

強制隔離の現実にとても驚いた狭い部屋に押し込められ症状の軽い患者が重症の患者の世

話をしたという子供を持つ権利や生まれる赤ん坊の命まで奪われていた逃げ出したり反抗的

な患者は「不良患者」と呼ばれ窓の小さな暗い監房に閉じ込められた

 

医学が進歩し療養所も徐々に改善されていったが強制隔離を命じる「らい予防

法」が廃止されたのは一九九六年だという隔離が始まった一九〇八年から約九〇

年も経っていた僕が生まれるほんの一年前のことである特効薬が開発され本

格的な治療が始まったのは昭和二十二年である現実に合わない法律を廃止するの

35 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

にどうしてそんなに時間がかかったのだろうか

 

資料をもらってハンセン病資料館を後にした家を出るときは帰りに虫の観察

をするつもりだったがとてもそんな気にはなれなかったいつもセミが集まる桜

の木には目もくれずに早足で家に帰った

 

資料の中で一番心が痛んだのは療養所の子供たちのことだ療養所に入所したのはハンセン

病を発症した子どもたちだけではない親が発症したために入所する子どもたちもいた当時は

ハンセン病は遺伝病だとされていたからだ親から無理やり引き離された子どもたちは「すぐに

帰れるから」という言葉を信じていたというしかし一生療養所を出ることができなかった人が

多かったという社会的な差別がひどかったからだと資料に書かれていたが僕には実感がわか

なかったのでもう少し調べてみることにした

 

図書館で『ハンセン病を生きて』(伊波敏男著)という本を見つけた少し難しかったが差

別の現実が僕にもわかる部分があったそれは元患者たちに対して書かれた匿名のひどい手紙

である長年隔離されて苦しんできた人たちをさらに傷つける言葉が並んでいた悲しく暗い

気持ちになった

 

日本は経済大国として世界の注目を浴びているだが人権意識の面ではどうだろう「らい

予防法」を二〇世紀の末まで廃止できなかったことをどう考えたらよいのだろうか明治時代に

隔離が始まったときそれは外国に対する体面を保つためだったという病気の人を治療するの

ではなく「隠す」のが目的だったのだいまだに差別意識を持つ人がいるのは社会がそうした

入賞作文集 36

入賞作文

過去に対する反省をしていないから

だと思う

 

僕が不思議に思った小学校はすで

に取り壊されて今では小さな石碑

だけが残っている老朽化がひどく

残しておくことができなくなったか

らだという全生園の古い建物はど

んどん取り壊されていく石碑だけ

ではあの不思議さが伝わらないのが

とても残念だ

37 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

 

僕の曾祖父は医者嫌いでしたそのため腹痛で病院に運ばれた時は膵臓癌の末期で余命三ヶ

月でした手術もできない手遅れの状態でした家族皆で話し合い曾祖父の辛い気持ちを第一に

考え曾祖父に病を隠すことになりました曾祖父は次第に病院の中を歩いては転倒し体中あ

ざだらけになりベッドの上で縛られることになっていました曾祖父は病名の宣告を受けてい

ないため元気で歩けると思っているが実際歩くと転んでしまう何でこんな風になってしまっ

たのかさえわからない

 

家族と病院に行くと「包丁もてこいこれぶった切って家さ帰る」と騒いでいましたあん

なに優しかった曾祖父の姿に言葉も出ず恐いくらいでした何も知らされずベッドに縛り付

けられれば誰もがそうなることでしょう「じいちゃんどご一緒に車さのせでいてくれの」と

櫻さくらだ田

 要かな

太た

山形県酒田市立松山中学校 三年

日本放送協会会長賞

悔いのない最期を

入賞作文集 38

入賞作文

せがまれたときもありますかわいそうで涙がポロポロこぼれました「おじいちゃんどご家

さ連れで帰ろうよ」とせがんでも家族も仕事で忙しいためか誰も首を縦に振ってくれず病院

にいた方が安心ということになりました膵臓癌は予想以上に激しい痛みのため医師から強い

痛み止めと強い睡眠剤を勧められましたがそれを導入することにより安楽死に近い状況にな

ることも医師から告げられていました家族は決断をせまられました曾祖父に相談もせずに決

めていいことなのか家に帰りたい曾祖父の意志は封じ込められたままでいいのか家族で悩み

ました結局痛みに耐えている姿は見ていられなくその薬を使うことになりましたその後

曾祖父は次第に弱っていき口も利けなくなり静かに亡くなっていきました僕はどこか心を

引きずったままでした僕達家族が曾祖父に宣告もせず意見も聞かず命の長さを決めてしまっ

たこと当時幼かった僕には何もしてあげられなかったことが今思い出しても残念です

 

最近授業で人権について学習しているときに幼い頃の記憶がよみがえりふと曾祖父のこと

を思い出しました

 

曾祖父はどんな思いで亡くなったのだろう最後に意識のあるうちに一度でいいから家に帰っ

てきたかっただろう身体拘束は今は病院でも禁止されていると思いますがあの頃は確かに曾

祖父のおなかに黒いベルトのようなものが巻きついていました決して自分の力で

は外せないようなものでしたもがき苦しむ曾祖父の姿を見た時に看護師さんに

目を隠され別の部屋に連れて行かれました見せたくない光景だったのだと思いま

すでもあの姿は僕の脳裏に焼き付いています病院の中での人材不足のためだっ

39 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

たのでしょうか人が人らしく生きていない姿でした

 

七十八年生きてきて何も悪いことをしていないのに縛られ家にも帰れない

病気で余命幾ばくもない人には人権というものは存在しないのでしょうか最近の

医療の現場では自己決定権があることについて学びました

 

仏壇に向かい静かに目を閉じると優しく穏やかに微笑む曾祖父の笑顔が浮かびますどんな

気持ちで亡くなっていったのかその気持ちを考えると苦しい気持ちになります野球の大会に

行く前仏壇に手を合わせます「やればできる努力しろ」とよく励ましてくれました曾祖

父の力には何もなれなかったけれど目には見えない力で応援してくれる曾祖父に線香をあげて

自分を省みる時があります曾祖母が元気なので曾祖父を助けられなかった分曾祖母の力に

なっていくことを曾祖父に約束しています

 

夏休み中のニュースで高齢者の所在不明者が多数のため百歳以上の安否確認調査をしていま

した自分の親を平気で捨て遺骨さえもひきとらない亡くなっていたのに年金を不正受給する

ために隠していたなど耳をふさぎたくなるような事件もありました犬や猫が年をとって弱っ

てきた手がかかるから面倒だからと捨ててしまうそれと同じ現象が弱い高齢者にも及んでき

ているのだと思います

 

やはりこの世に生まれてきたもの全てに自分の意志で生きることを決めていける権利がある

と思います長い年月を苦労や努力と向き合いながら精一杯生きてくれたおかげで今の幸せが

あることを忘れずにいたい人はいずれ誰でも年をとります自由に動けなくなった時に自分の

入賞作文集 40

入賞作文

願いが叶う社会を築き「悔いなく満足で楽しく幸せな人生だった」と思えるように人とし

ての誇りを持って満足できる最期を迎えられるように考えていきたいもう二度と僕が見た自

己決定権のない社会にならないように高齢者には今までの感謝の気持ちで本人の希望をでき

るだけ叶えられるように努力していきたいいずれ僕達も迎える高齢社会だからhellip

41 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

 

私は小学六年生の時から盲導犬候補の子犬を育てるボランティアをしています「犬を飼っ

てみたい」と言う私に両親が「せっかく犬を飼うのなら社会に役立つことをしよう」と提案

したからです生後二ヵ月の子犬を預かり一歳の誕生日を迎えるまで世話をするのがボランティ

アの役目です初めて訓練士さんから子犬を手渡された時は不安でドキドキしましたが子犬は

すぐに私の腕の中で眠ってしまいました初めて会った私のことを信頼して安心しきった寝顔

で眠っている姿は本当に可愛かったですラブラドールの子犬はとてもやんちゃで私の家にやっ

て来たその日からいたずらばかりしていましたがしかられてもクヨクヨせずどんな相手にも

 林はやし

 里り

咲さ

東京都小平市立小平第六中学校 三年

差別のない社会に

(パピーウォーカーの経験から学んだこと)

法務事務次官賞

入賞作文集 42

入賞作文

フレンドリーに近づいていく姿から私は明るく前向きに生きることを教わりました子犬たち

と過ごした日々は私にとって一番の宝物ですそしてあっという間に一歳の誕生日がやって来ま

した誕生日が悲しいという経験は初めてでした訓練所への入所日の前日には長い長い散歩を

して最後のお別れをしました「今までありがとう」そう言った私のことを不思議そうに見てい

た子犬の顔が今も目に焼きついています別れは本当につらいけれど涙を見せたら子犬が心配す

るので頑張って笑顔で見送りました

 

私の家で育てた一頭目の子犬は現在盲導犬になって頑張っていますそして今年四月に巣立っ

ていった二頭目の子犬は神奈川にある訓練センターで訓練中です

 

このボランティアを通して私は多くのことを学びましたまず盲導犬の役割ですがこれは単

に目の不自由な方が便利に一人でどこへでも行けるようにするためだけではありません視覚障

がいのある方にとって人の手をわずらわせるのはとてもつらいことなのだそうですたとえ家

族に対してでも「迷惑をかけるのではないか」と思って我慢することが多く「私なんかいない

方がいいんじゃないか」と考えてしまうこともあったといいますその失われそうになった尊

厳を取り戻す手助けをするのが盲導犬の役目なのです犬は訓練を共にするパートナーのことを

大好きになるので「自分は他者からこんなにも大好きになってもらえる存在なん

だ」と気づいて自信を取り戻し新しい一歩を踏み出せるようになるのだそうです

 

また私がボランティア登録している日本盲導犬協会では二〇〇八年に新しい

試みが始まりました受刑者が盲導犬候補の子犬を育てる動物を介在した日本初

43 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

の教育プログラムです罪を犯した人も心から反省してきちんと罪を償えば社会

は差別することなく受け入れるべきですしかし実際はとても偏見が多く元受刑

者たちは「どうせ自分はだめな人間なんだ」と思い再び罪を犯してしまう悪循環

が起こっているそうですその悪循環を断ち切り受刑者たちがスムーズに社会復

帰を果たせるよう支援するのが「あさひ盲導犬パピープロジェクト」です受刑者たちは約十ヵ

月の間子犬たちを世話しながら一緒に過ごし「役に立つ喜び達成する喜び信頼される喜び」

を感じることで自分の価値を再確認するのだそうです今年一月に第一期のプロジェクトを修了

した受刑者の感想に次のようなものがありました

 「今後自分もパピーに笑われないようにきちんとしなければならないパピーは慈しむこと

寛容の心を教えてくれました」

 

犬は決して差別をしません健康な人にも障がいのある人にもお金持ちにも貧しい人にも

権力のある人にも犯罪を犯した人にも全く同じように接してくれますそんな犬たちと一緒に過

ごすことで自信をなくした人たちも自分のことをかけがえのない大切な存在であると思えるよ

うになるのです

 

私たち人間も差別のない社会をつくる努力をしなければならないと思います一人一人が相

手を大切に思う心を忘れなければこの社会はもっと住み良い場所になるはずです私はこのボ

ランティアを通して学んだことを生かしてこれからも一層努力していきたいと思います

入賞作文集 44

入賞作文

45 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

 

僕は祖父のために自助具を作ろうと思った祖父は去年の夏脳梗塞で倒れた祖父は一命

を取り留めたものの右手と右足がまひしてしまったのだその三週間前僕も車椅子から転倒し

て足を骨折した

 

僕には障害がある車椅子で生活することが多いしかし僕のことを障害者だといって差別

するような友達は一人もいない

 

祖父は歩けるようになりたいという気持ちが強かっただからリハビリを頑張り自分で

歩けるようになるまで回復した頑張っている祖父がかっこいいと僕は思った祖父はリハビ

リを頑張ったにも関わらず右手がうまく動かせなくなってしまっただからご飯を食べる時も

服を着替える時も時間がかかる普段何気なくやっていた動作がとても大変だと祖父は言ってい

守もり

田た

 幸こう

平へい

静岡県静岡大学教育学部附属浜松中学校 三年

祖父への靴下

法務事務次官賞

入賞作文集 46

入賞作文

た僕も何か役に立てることはないかと考えた

 

僕の学校には総合学習という授業があるそこで僕は福祉というカテゴリーを選んだ自

分で社会に役立てることを考え実際に行動することが目標だった僕は障害者のために何が

できるかを考えた

 

僕は二年前に静岡文化芸術大学で障害者がいかに日常生活で不自由のない生活ができるかを

考えるプロジェクトがあるのを新聞で知ったそれは大学生たちが個人個人にあった自助具を

作るプロジェクトだった僕は障害者のために何かできるのではと感じた

 

僕は静岡文化芸術大学へ行って僕にもできることがないかと聞いたすると学生さんが

自助具を作ってみないかと声をかけてくれた僕は迷わず「はい」と言った障害者のために

役に立てることがあると思うとすばらしいことだと思ったからだ

 

祖父のつらい顔を見ると日常生活に数々の大きな壁があることが伝わってくる

 

僕は祖父の数々の大きな壁を突き破ろうと思った祖父のために自助具を考え作ろうと僕

は思った祖父が靴下の脱ぎ履きが大変だと言っていたことを思い出したそこで脱ぎ履きし

やすい靴下はできないか考えた靴下の両脇にひもを取り付けてそれを引っ張ると靴下が縮み

脱ぎ履きしやすくなる仕組みだ大学の先生も良いアイディアだと言って褒めてく

れたこれは障害者だけでなく健常者にも使えると言われたユニバーサルデザ

インだと分かった

 

ユニバーサルデザインは年齢や障害の有無にかかわらず全ての人が使いやす

47 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

いように工夫された用具などのデザインである境界がなくなるように健常者が障

害者に対する偏見を考え差別意識がなくなるチャンスだと思った障害者と健常

者が共によりよく生きることが大切だと僕は思った

 

自助具の作品展では杖をついているお年寄り車椅子に乗った若い女性目の

見えない人福祉関係者など沢山の人々が観に来ていた皆自分の生活を良くしようと思っ

ているようだったまた障害者のためにできることは何だろうかと考えている健常者もいるよ

うだった

 

二年生の時の総合学習では二箇所のデイサービスを訪問したデイサービスには六十五歳以

上のお年寄りがいた暗く元気のない人明るく振る舞い誰とでも話せる人など様々だった

しかし僕が一番印象に残ったのは笑顔を絶やさず優しくお年寄りに接していた介護士だった

お年寄りの中には悩みを抱えている人が多いそうだその悩みを解消させる人もまた介護士だっ

た僕は介護士がお年寄りの体を支えるだけではなく心もそっと支えて生きる喜びを与え

ているのだと感じた

 

現代は三世代で暮らす家族が減り核家族が増えているそれはお年寄りの世話が大変だ

からという理由が多いだから老人ホームやデイサービスに預ける人が増えていると僕には

思えたお年寄りの中には自分が嫌われているのではないかとさえ思ってしまう人もいるそう

だそれはお年寄りにとって辛く悲しいことだと思うある介護士がこんなことをおっしゃっ

ていた「人の優しさはお金では買えない」誰にでも優しい心があると思うしかしあと一歩

入賞作文集 48

入賞作文

のところで行動に移すことができない人が多いの

だ僕たちが平和な社会で暮らせるのは今まで

頑張ってきてくれたお年寄りのお陰であることを

忘れてはいけないお年寄りを大切にすることは

当たり前のことなのだ

 

また障害者に対しても偏見の目で見ないで

そっと近づいて手を貸してあげれば健常者との

高い大きな壁を崩すことができると思う

 

障害者にも高齢者にもまた健常者にも人権

はあるお互いの人権を大切にすることが明る

い未来に繋がっていくのだと思う

 

早く祖父に僕の作った靴下を届けたい

49 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

 

僕は小学校六年生まで福岡県に住んでいましたそこで僕が体験したことです五年生のこ

ろ僕の友だちのA君が同級生のK君の靴を隠したりからかったりしていることがよくあり

ました最初は僕もあまり気にしていませんでしたがK君のことを「なんだかかわいそう」と

思うようになりました

 

ある日僕は勇気をだして先生に「K君がいじめにあっています」と報告しました初め先生は

「じゃれ合っているだけだろう」と「いじめ」とは思ってくれませんでしたでもその後「いじ

め」と分かりA君は先生に注意されその日一日は反省した様子で過ごしていましたしかし

次の日学校に行くといじめは前以上にエスカレートしていて蹴ったりたたいたりするように

なりましたしかも「死ね」「うざい」「消えろ」などの言葉が飛び交うようになりそんな日々

法務事務次官賞

浦うら

谷たに

 毅たける

徳島県三好市立池田中学校 三年

いじめをなくすために今

入賞作文集 50

入賞作文

が続きました

 

それは六年生になっても続きました僕はそのいじめを止めることができず毎日見て見ぬ

振りをしていました今思うと自分がとても恥ずかしいです本当の友達なら止めるべきなの

にそれだけではなくいじめられているK君に声一つかけることができずにいました心の中

ではA君に「やめろよ」と言おうと思っていたけどなぜか勇気が出ませんでした次にい

じめられるのが自分になるのが恐くて言えなかったのです

 

そんな日々が続く中僕の気持ちを大きく変える出来事がありました父の死ですそのとき

のことは今でも忘れることができません聞いたときには頭の中が真っ白になりました最初

は信じることができませんでした一週間も二週間も学校に行けずただぼーっと過ごしてい

ましたいろんなことを考え徐々に「死」というものの悲しさつらさ「死」という意味の

重さがわかってきましたそして時間はかかりましたが「命は一瞬にして消え二度と戻っ

てこないものだだから命を大切に今を大切にしなければならない」と深く受け止めることが

できるようになりましたそして周りの子たちは僕のような経験がないから「死ね」とか軽々

しく言えるのだろうと思いこの気持ちを伝えなくてはならないと考えました僕が強くならな

くてはと思いました

 

こんな気持ちになったとき僕には時間がありませんでした母の実家がある徳

島への引っ越しが一週間後に決まっていたのです落ち込んでいる暇は無いと思

い学校に行った僕はA君に言いました「いじめなんかやめろよいじめたって

51 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

喜ぶ人はいないし悲しむ人がいるだけだろ自分だってほんとは嫌だろ『死ね』

とか『消えろ』とか言葉の重さを知らないのに言うなよ」と言いました父親の

突然の死そのあと僕が考えたことも伝えました

 

友だちは黙って聞いてくれました僕の言葉にうなずいてそのあとK君の

ところへ行き「ごめん言葉の重さも知らずに言って本当にごめんぜったいに死ねなんて

ことは言わないそしていじめは絶対にしないほんとうにごめん」とあやまりましたK君

はとても優しい笑顔で「いいよ」と一言言いました僕もK君に言いました

「今まで助けてあげられなくてごめん」

K君は笑顔で「ありがとう」と言ってくれました今まで自分の中でもやもやしていた気持ちが

スーっと晴れました

 

今も時々耳にする暴言冗談半分で言っているのかもしれませんしかしいついじめにつ

ながるかわかりません他人を傷つけることで自分のストレスを晴らそうとしているのでしょう

関係ないふりをしようとする自分がいます楽な考え方をする自分がいますそんな時亡くなっ

た父の顔やK君の優しい笑顔を思い出しますあの時の自分のように強い気持ちを持とう「や

めろよ」と一言言うするとまた気持ちがスーっとしてきました

 

父の分も頑張って生き抜こうと決めた僕にとって正しいことを素直に認め悪いことを否定

できる強い意志を持つことが目標ですそして何よりも命を大切に今を大切にしていきたい

と思っています

入賞作文集 52

入賞作文

53 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

 

ぼくは今まで四つの外国に暮らしいろいろな国の人たちの中で育ってきた

 

まずタイで生まれてタイ人のメイドさんやドライバーさんにいつも遊んでもらっていた

らしい一才になると週一回の体操教室にも通いタイ人の友達もいたそうだ

 

次にシンガポールでは初めてナサリースクール(保育園)に通いいろいろな国の友達と

知り合ったプレイルームにある滑り台を滑る順番争いでいつも勝つのは体の大きい金髪の友

達だった

 

一回目の香港生活では英語の幼稚園に通ったその時のぼくの一番の友達はカナダ人だった

彼とはよくベイブレードをして遊んだが父が日本の出張で買ってきてくれた独楽や剣玉をして

遊ぶこともあった

村むら

瀬せ

 広ひろ

高たか

香港日本人学校中学部 二年

国境をこえて

海 外 作 品

今回は本選への応募とすることはできませんでしたが

 海外から寄せられた作品のうち一作品を御紹介します

入賞作文集 54

海外作品

 

それからインドでは日本人学校に通ったが夏休みには毎年アメリカンスクールのサマー

スクールに参加したし日本人のいない現地のテニススクールにも入り二年間通ったまたイ

ンドの現地幼稚園に通っていた妹のベストフレンドはコンゴ人でその兄弟もぼくの友達だった

 

そして三年間の日本生活を経て今また香港に戻ってきた

 

このようにぼくはいろいろな国でいろいろな国の人たちのお世話になりいろいろな国

の友達と遊んで育った肌が真っ黒な友達もゲームの話をすればすぐに仲良くなれたし髪が

金色の友達もポケモンの話をすれば気が合ったぼくは小さい頃から英語はうまくしゃべれ

なかったけれどもジェスチャーをつけたでたらめ英語でも充分に話は通じただからいろい

ろな国の人たちの中でぼくが日本人だからといって差別されたり嫌な思いをしたりしたこと

はないしぼくも肌の色が違うからとか言葉が通じないからという理由で違う人間だと思っ

たことはないそうぼくは外国人を差別したことはない

 

しかし本当にぼくは外国人を差別したことがないのだろうか外国人を差別した発言を一

度もしたことがないかと考えると自信がない

 

例えば香港人には赤信号でも平気で渡る人がたくさんいるそれを見てぼくは

「香港人はしょうがないな」

と思うでもよく見ると香港人全員が信号無視をしているわけではないまた

世界には今でも戦争をしている国がいくつもある

「人を傷つけ合うなんて馬鹿げている」

55 第30回全国中学生人権作文コンテスト

海外作品

とぼくは悲しくなるでもそれも好きで戦っている人がいるとも思えないその

人たちがそうなったのには何かきっと原因があるはずだ

 

逆に外国人から見ると日本人はどのように思われているのだろう

 

インドから日本に帰国した時毎日ごみがたくさん出ることにぼくはとても驚

いたインドの人たちがよく使う道端にあるカレー屋さんではバナナの葉で作ったお皿にカ

レーを入れてくれる食べた後そのお皿を道に捨てるとのら牛がその葉っぱを食べるそして

牛のふんは燃料になるというそれに比べて日本はちょっと歩くとペットボトルの飲み物が

買えファーストフードのお店では使い捨ての食器を使い立派なお菓子の箱を開けると中身が

少なくてがっかりすることもあるある時母が捨てたジャムの空きびんをメイドさんとエア

コンの修理にきていたワーカーさんとが取り合ってけんかをしていたこともあったそれを見

てぼくはあきれてしまったが逆にインド人から見ると使い捨て文化のしみついた日本人は

とんでもない人間にみえるのかもしれない国によって考え方や行動パターンが違うのは歴史

的背景や宗教習慣気候などのいろいろなことが関わっているのだと思う

 

このように考えると差別とはその人の一部しか見ていないことや自分のやり方だけが正

しいと思うことからおきるのではないかと思うその人が自分とは違った行動をとったとしても

それには深い理由があるのだろうと考えればきっと納得できると思うぼくもこれからは否

定的な発言をする前にその人たちのことをいろいろな角度から見て理解する努力をしてみよう

と思う外国との間には自分の国とは違う言葉や文化という壁があるとみんな言うがそこに

入賞作文集 56

海外作品

あるのは壁ではなく橋だとぼくは思う理解

し合おうという気持ちがあればきっと誰でも

その橋を渡っていけるはずだ気持ちの国境を

こえるのにパスポートはいらないお互いを理

解し合おうと思う気持ちが一番大切だと思う

そしてぼくはこれから日本人として生きる

のではなく地球人として生きていこうと思う

57 第30回全国中学生人権作文コンテスト

海外作品

法務局地方法務局名 郵便番号 所  在  地 電  話

金沢地方法務局人権擁護課920-0024 金沢市西念3-4-1金沢駅西合同庁舎(平成23年3月11日まで) 076-231-1244

921-8505 金沢市新神田4-3-10金沢新神田合同庁舎(平成23年3月14日から) 076-292-7804

富山地方法務局人権擁護課 930-0856 富山市牛島新町11番7号富山合同庁舎 076-441-6376

大阪法務局人権擁護部 540-8544 大阪市中央区谷町2丁目1番17号大阪第2法務合同庁舎 06-6942-9492

京都地方法務局人権擁護課 602-8577 京都市上京区荒神口通河原町東入上生洲町197番地 075-231-0131

神戸地方法務局人権擁護課 650-0042 神戸市中央区波止場町1番1号神戸第2地方合同庁舎 078-392-1821

奈良地方法務局人権擁護課 630-8305 奈良市東紀寺町3-4-1奈良第2法務総合庁舎 0742-23-5457

大津地方法務局人権擁護課 520-8516 大津市御陵町3番6号大津法務総合庁舎 077-522-4673

和歌山地方法務局人権擁護課 640-8552 和歌山市二番丁2番地和歌山地方合同庁舎 073-422-5131

広島法務局人権擁護部 730-8536 広島市中区上八丁堀6番30号広島合同庁舎 082-228-5790

山口地方法務局人権擁護課 753-8577 山口市中河原町6番16号山口地方合同庁舎2号館 083-922-2295

岡山地方法務局人権擁護課 700-8616 岡山市北区南方1丁目3番58号 086-224-5761

鳥取地方法務局人権擁護課 680-0011 鳥取市東町2丁目302番地鳥取第2地方合同庁舎 0857-22-2289

松江地方法務局人権擁護課 690-0886 松江市母衣町50番地松江法務合同庁舎 0852-32-4260

高松法務局人権擁護部 761-8077 高松市出作町585-4 087-815-5311

徳島地方法務局人権擁護課 770-8512 徳島市徳島町城内6番地6徳島地方合同庁舎 088-622-4171

高知地方法務局人権擁護課 780-8509 高知市栄田町2丁目2番10号高知よさこい咲都合同庁舎 088-822-3331

松山地方法務局人権擁護課 790-8505 松山市宮田町188番地6松山地方合同庁舎 089-932-0888

福岡法務局人権擁護部 814-0005 福岡市早良区祖原14-15福岡法務局西新出張所庁舎5階 092-832-4311

佐賀地方法務局人権擁護課 840-0041 佐賀市城内2丁目10番20号佐賀合同庁舎 0952-26-2148

長崎地方法務局人権擁護課 850-8507 長崎市万才町8番16号 095-826-8127大分地方法務局人権擁護課 870-8513 大分市荷揚町7番5号大分法務総合庁舎 097-532-3368

熊本地方法務局人権擁護課 862-0971 熊本市大江3丁目1番53号熊本第2合同庁舎 096-364-2145

鹿児島地方法務局人権擁護課 890-8518 鹿児島市鴨池新町1番2号 099-259-0684宮崎地方法務局人権擁護課 880-8513 宮崎市別府町1番1号宮崎法務総合庁舎 0985-22-5124

那覇地方法務局人権擁護課 900-8544 那覇市樋川1丁目15番15号那覇第1地方合同庁舎 098-854-1215

入賞作文集 58

問合せ先一覧

法務局地方法務局名 郵便番号 所  在  地 電  話

札幌法務局人権擁護部 060-0808 札幌市北区北8条西2丁目1番1札幌第1合同庁舎 011-709-2311

函館地方法務局人権擁護課 040-8533 函館市新川町25番18号函館地方合同庁舎 0138-23-9528

旭川地方法務局人権擁護課 078-8502 旭川市宮前通東4155番31旭川合同庁舎 0166-38-1114

釧路地方法務局人権擁護課 085-8522 釧路市幸町10丁目3番地釧路地方合同庁舎 0154-31-5014

仙台法務局人権擁護部 980-8601 仙台市青葉区春日町7番25号仙台第3法務総合庁舎 022-225-5739

福島地方法務局人権擁護課 960-8021 福島市霞町1番46号福島合同庁舎 024-534-1994

山形地方法務局人権擁護課 990-0041 山形市緑町1丁目5番48号山形地方合同庁舎 023-625-1321

盛岡地方法務局人権擁護課 020-0023 盛岡市内丸7番25号盛岡合同庁舎 019-624-9859秋田地方法務局人権擁護課 010-0951 秋田市山王7丁目1番3号 018-862-6533

青森地方法務局人権擁護課 030-8511 青森市長島1丁目3番5号青森第二合同庁舎 017-776-9024

東京法務局人権擁護部 102-8225 千代田区九段南1丁目1番15号九段第2合同庁舎 03-5213-1234

横浜地方法務局人権擁護課 231-8411 横浜市中区北仲通5丁目57番地横浜第2合同庁舎 045-641-7926

さいたま地方法務局人権擁護課 338-8513 さいたま市中央区下落合5-12-1さいたま第二法務総合庁舎 048-859-3507

千葉地方法務局人権擁護課 260-8518 千葉市中央区中央港1丁目11番3号千葉地方合同庁舎 043-302-1319

水戸地方法務局人権擁護課 310-0061 水戸市北見町1番1号水戸地方法務合同庁舎 029-227-9919

宇都宮地方法務局人権擁護課 320-8515 宇都宮市小幡2丁目1番11号宇都宮地方法務合同庁舎 028-623-0926

前橋地方法務局人権擁護課 371-8535 前橋市大手町2丁目10番5号前橋合同庁舎 027-221-4426

静岡地方法務局人権擁護課 420-8650 静岡市葵区追手町9番50号静岡地方合同庁舎 054-254-3555

甲府地方法務局人権擁護課 400-8520 甲府市北口1丁目2番19号甲府地方合同庁舎 055-252-7239

長野地方法務局人権擁護課 380-0846 長野市旭町1108番地長野第2合同庁舎 026-235-6634

新潟地方法務局人権擁護課 951-8504 新潟市中央区西大畑町5191番地新潟地方法務総合庁舎 025-222-1564

名古屋法務局人権擁護部 460-8513 名古屋市中区三の丸2丁目2番1号名古屋合同庁舎第1号館 052-952-8111

津地方法務局人権擁護課 514-8503 津市丸之内26番8号津合同庁舎 059-228-4193岐阜地方法務局人権擁護課 500-8729 岐阜市金竜町5丁目13番地 058-245-3181

福井地方法務局人権擁護課 910-8504 福井市春山1丁目1番54号福井春山合同庁舎 0776-22-5090

問合せ先一覧 (法務局地方法務局)

59 第30回全国中学生人権作文コンテスト

問合せ先一覧

世界人権宣言啓発書画「鳥」「自由と解放」を表わしたもの 小木太法書オタビオロス画(財)人権擁護協力会提供

入賞作文集 60

すべての人間は生まれながらにして

自由でありかつ尊厳と権利とに

ついて平等である人間は理性と

良心とを授けられており互いに同胞の

精神をもって行動しなければならない

―――

世界人権宣言 第一条

―――

第三〇回

 全国中学生人権作文コンテスト

中央大会表彰式

印  刷 平成23年1月25日

発  行 平成23年2月14日

発 行 者 法務省人権擁護局

全国人権擁護委員連合会

東京都千代田区霞が関一丁目1番1号

電話 03(3580)4111 内線5875

URL httpwwwmojgojpJINKEN

第30回全国中学生人権作文コンテスト中央大会審査員

感想をお聞かせください本作文集を読まれた感想等を下記の連絡先又はkeihatsumojgojpまでお寄せください

無断転載を禁じます本作文集に掲載された作文や写真等を地方自治体が広報誌に掲載したり学校が教材に使用される場合などにはあらかじめ下記に御連絡ください

100-8977 東京都千代田区霞が関一丁目1番1号 法務省人権擁護局人権啓発課 TEL03(3580)4111 内線5875

作  家(審査員長) 落 合 恵 子映画監督 山 田 洋 次社団法人日本新聞協会事務局長 川 嶋   明日本放送協会解説委員室解説委員 南   直 樹文部科学省初等中等教育局視学官 三 好 仁 司全国人権擁護委員連合会長 中 村 浩 紹法務省人権擁護局長   井 忠 雄

(敬称略)

【式次第】

第一部

 会

主催者あいさつ

賞状授与

内閣総理大臣賞法務大臣賞

文部科学大臣奨励賞法務副大臣賞

法務大臣政務官賞

全国人権擁護委員連合会長賞

社団法人日本新聞協会会長賞

日本放送協会会長賞(以上各一名)

法務事務次官賞(三名) 計一一名

学校への感謝状贈呈

高円宮妃殿下おことば

来賓祝辞

第二部

各受賞作文の朗読

内閣総理大臣賞法務大臣賞

文部科学大臣奨励賞

全国人権擁護委員連合会長賞

社団法人日本新聞協会会長賞

日本放送協会会長賞

 評

全国中学生人権作文コンテスト中央大会審査員

 山田洋次氏

 落合恵子氏(ビデオレター形式)

第三部

新垣勉さんコンサート

 会 平成二二年一二月一八日(土)

午後一時三〇分〜三時五〇分

於ニッショーホール

「いじめ」や暴力行為等は人権侵害です

法務局地方法務局では

人権侵害による被害を受けた方を

救済するための活動を行っています

お気軽にご相談ください

女性の人権ホットライン

インターネット人権相談受付窓口

ゼロナナゼロのハートライン

0570-070-810

子どもの人権110番ぜろぜろななのひゃくとおばん

 0120-007-110

パソコンから httpwwwmojgojpJINKENjinken113html携帯電話から httpwwwjinkengojpsoudanmobile001html

インターネット人権相談 検 索

Human Rights法務省人権擁護局全国人権擁護委員連合会

人権イメージキャラクター人KENあゆみちゃん人KENまもる君

全国共通通話料無料

全国共通ナビダイヤル

この冊子は環境保護印刷の「水なし印刷」で印刷されています

第30回全国中学生人権作文コンテスト入賞作文集

法務省人権擁護局全国人権擁護委員連合会

人権イメージキャラクター人KENまもる君人KENあゆみちゃん

この冊子には音声コードが各頁(奇数頁 左下偶数頁 右下)に印刷されています専用の読み上げ装置で読み取ると記録されている情報を音声で聞くことが出来ます

Human Rights法務省人権擁護局全国人権擁護委員連合会

 全国中学生人権作文コンテスト入賞作文集

 全国中学生人権作文コンテスト入賞作文集

第30回

すべての人間は生まれながらにして

自由でありかつ尊厳と権利とに

ついて平等である人間は理性と

良心とを授けられており互いに同胞の

精神をもって行動しなければならない

―――

世界人権宣言 第一条

―――

第三〇回

 全国中学生人権作文コンテスト

中央大会表彰式

印  刷 平成23年1月25日

発  行 平成23年2月14日

発 行 者 法務省人権擁護局

全国人権擁護委員連合会

東京都千代田区霞が関一丁目1番1号

電話 03(3580)4111 内線5875

URL httpwwwmojgojpJINKEN

第30回全国中学生人権作文コンテスト中央大会審査員

感想をお聞かせください本作文集を読まれた感想等を下記の連絡先又はkeihatsumojgojpまでお寄せください

無断転載を禁じます本作文集に掲載された作文や写真等を地方自治体が広報誌に掲載したり学校が教材に使用される場合などにはあらかじめ下記に御連絡ください

100-8977 東京都千代田区霞が関一丁目1番1号 法務省人権擁護局人権啓発課 TEL03(3580)4111 内線5875

作  家(審査員長) 落 合 恵 子映画監督 山 田 洋 次社団法人日本新聞協会事務局長 川 嶋   明日本放送協会解説委員室解説委員 南   直 樹文部科学省初等中等教育局視学官 三 好 仁 司全国人権擁護委員連合会長 中 村 浩 紹法務省人権擁護局長   井 忠 雄

(敬称略)

【式次第】

第一部

 会

主催者あいさつ

賞状授与

内閣総理大臣賞法務大臣賞

文部科学大臣奨励賞法務副大臣賞

法務大臣政務官賞

全国人権擁護委員連合会長賞

社団法人日本新聞協会会長賞

日本放送協会会長賞(以上各一名)

法務事務次官賞(三名) 計一一名

学校への感謝状贈呈

高円宮妃殿下おことば

来賓祝辞

第二部

各受賞作文の朗読

内閣総理大臣賞法務大臣賞

文部科学大臣奨励賞

全国人権擁護委員連合会長賞

社団法人日本新聞協会会長賞

日本放送協会会長賞

 評

全国中学生人権作文コンテスト中央大会審査員

 山田洋次氏

 落合恵子氏(ビデオレター形式)

第三部

新垣勉さんコンサート

 会 平成二二年一二月一八日(土)

午後一時三〇分〜三時五〇分

於ニッショーホール

第30

回全

国中

学生

人権

作文

コン

テス

ト中

央大

会表

彰式

平成

22年

12月

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小川

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森文

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学審

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田幸

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法務

事務

次官

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人権

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委員

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櫻田

要太

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会会

長賞

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谷内

閣官

房長

官兼

法務

大臣

村全

国人

権擁

護委

員連

合会

日本

放送

協会

南解

説委

高円宮妃殿下おことば

仙谷法務大臣あいさつ

仙谷内閣官房長官兼法務大臣から内閣総理大臣賞の表彰を受ける江川麻理香さん

山田洋次審査員と記念撮影をする受賞者の皆さん

新垣勉さんによるコンサート

中央大会審査会の様子

第三〇回

全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文集

法務省人権擁護局

全国人権擁護委員連合会

 

法務省と全国人権擁護委員連合会は人権尊重思想の普及高揚を図るための啓発活動の一環と

して昭和五六年度から「全国中学生人権作文コンテスト」を実施しています

 

本コンテストは次代を担う中学生が人権問題についての作文を書くことにより人権尊重

の重要性必要性についての理解を深めるとともに豊かな人権感覚を身につけることを目的と

して実施しているものです平成二二年度は本コンテストが第三〇回目という記念すべき年で

あることから平成二二年一二月一八日高円宮妃殿下御臨席の下東京都港区にあるニッショー

ホールにおいて多くの皆さまにお集まりいただき中央大会表彰式が行われました

 

本年度は各都道府県単位(北海道については札幌法務局及び函館旭川釧路の各地方法

務局単位)に実施された地方大会に六三一一校の中学校から過去最高となる八八万七〇一二

編にも及ぶ多数の作品が寄せられ中央大会には地方大会の審査を経た代表作品九二編が推薦

されました

はしがき

入賞作文集 2

はしがき

 

この作文コンテストへの応募作品はいずれも中学生らしい感性に富み純粋な感覚で人権問

題を捉えたものばかりであり応募された皆さまの真摯な姿勢には心を打たれるものがあります

 

また本年度はこの作文コンテストの輪が国際的にも広がり海外の香港日本人学校中学部

からも作品が寄せられました海外からの応募作品については残念ながら本選への応募とは

なりませんがこの中から代表作品として一作品を御紹介します

 

この作文集をより多くの方々に御愛読いただき人権尊重の輪が更に大きく広がることを願っ

てやみません

 

終わりにこの作文コンテストの実施に当たり多大な御尽力をいただいた全国各地の教育委

員会中学校等関係各方面の皆さま方に対し心から感謝を申し上げます

 

平成二三年二月

法務省人権擁護局

全国人権擁護委員連合会

3 第30回全国中学生人権作文コンテスト

はしがき

 【審査講評】

 【入賞作文】

内閣総理大臣賞

 「身近で無意識な人権侵害」

佐賀県佐賀市立東与賀中学校三年

江え

川がわ

 麻ま

理り

香か

10

法務大臣賞

 少しずつhellip一歩ずつhellip

兵庫県篠山市立西紀中学校三年 辻つじ

本もと

 桃もも

佳か

14

文部科学大臣奨励賞

 「差別のない世界へ」福島県福島市立渡利中学校一年 ローリンズ リコ

18

法務副大臣賞

 私の大好きなふる里

熊本県熊本県立八代中学校一年 井いの

上うえ

 由ゆ

紀き

子こ

22

法務大臣政務官賞

 「家族」とは何か

栃木県さくら市立喜連川中学校三年 大おお

田た

 葵あおい

26

目  次

入賞作文集 4

目  次

全国人権擁護委員連合会長賞

 忘れてはならないこと

群馬県群馬大学教育学部附属中学校三年 大おお

井い

 海み

琴こと

30

社団法人日本新聞協会会長賞

 ハンセン病について考えたこと

埼玉県学校法人立教学院立教新座中学校一年 久く

米め

 一かず

輝き

34

日本放送協会会長賞

 悔いのない最期を

山形県酒田市立松山中学校三年 櫻さくらだ田

 要かな

太た

38

法務事務次官賞

 差別のない社会に(パピーウォーカーの経験から学んだこと)

東京都小平市立小平第六中学校三年 林はやし 里り

咲さ

42

 祖父への靴下静岡県静岡大学教育学部附属浜松中学校三年 守もり

田た

 幸こう

平へい

46

 いじめをなくすために今

徳島県三好市立池田中学校三年 浦うら

谷たに

 毅たける

50

 【海外作品】

 国境をこえて

香港日本人学校中学部二年 村むら

瀬せ

 広ひろ

高たか

54

5 第30回全国中学生人権作文コンテスト

目  次

審査講評

落合 恵子

「時代のページをひらく」

 

二〇一〇年の年の暮れにこの講評を書いている

 

資料など紙類の最後の収集はいつだった 

明日 

明後日 

分別ゴミの収集日を確認しな

がらその前に新聞などの連載の仕上げがいつまで 

と年始休休が入るこの時期はなにか

と気ぜわしい

 

気分前のめり状態なのだがわたしたちの多くはゴミは出してしまえばそれで落着わ

たしの原稿も担当のかたにメールで送ってしまえば終わりである

 

けれどその向こう側にはこの寒空(今朝は特に寒さが厳しい)のもとわたしたちが出し

たものを集める仕事をされているかたがたがいるわたしたちが書いたものを印刷してくれるか

たがたもいるhelliphellip

入賞作文集 6

審査講評

 

こうしてひととひとはひとと暮らしは有機的に繋がっているのだと改めて思うのも年の

暮れだからなのかいや人権についての素晴らしい姿勢と視点に溢れた「あなた」の作品を今

朝もう一度読み返したせいなのかもしれない

 

第三〇回を迎えた全国中学生人権作文コンテスト全国(今回は海外からの作品もあったが)

の中学生の四人にひとりはこの作文を書いてくださったとうかがった

 

すごいことだ嬉しいことだ素晴らしいことだと心が震える

 

たとえばいま大人たちに人権に関する作文を書いてくださいと言ってどれほどのひとが

賛同し実際に書いてくれるだろう考えることと実行することの間には深い溝がある

 

それもこれほど瑞々しい感受性と論理性に裏打ちされた作品をである

 

毎回書いているような気がするがこの作文コンテストに選考委員のひとりとして加わる唯一

の苦しみは応募作品に順位をつけることにある

 

どれもがキラリと光る芽を持った作品にいったい順位をつけることが可能なのか読み手で

あり選考する側のわたしたち大人の「人権意識」がある意味試されているような緊張が

いつもある

 

何度も何度も読み返しそれでも迷うことがあることも告白しておこう

 

内閣総理大臣賞を受賞された江川麻理香さんの『身近で無意識な人権侵害』

 

入院先で出会ったひとから聞いた悪意不在のけれど「もうひとつの差別」

目が不自由であることから子どものように「扱われること」への居心地の悪さ

7 第30回全国中学生人権作文コンテスト

審査講評

についてそういった傾向がわたしたちの内にもないかを問い返した優れた作品で

ある

 

それは「される側」からの柔らかな異議申し立てであり問題提起でもある

認知症の母を自宅で介護していたおよそ七年間わたしも病院などで母にかけられ

る言葉がとても気になった言葉の多くが幼児へのそれに似ていて「優しく接すること」が

幼児言葉であるという習慣のようなものはわたしたちの暮らしの中のいろいろな場面にある

ひととして親切であることと相手に対する想像力を働かせることと幼児に向けてのような言

葉を使うことはまったく別なことなのだが

 

悪意不在であるがゆえにかえって問題提起しにくいテーマを江川さんは見事に拓いてくだ

さっている

 

辻本桃佳さんの作品目の不自由なお父様がある日電車の中で出会ったことを通して「個

人的な体験」を普遍的なテーマに広げ深めることに成功した作品だ

 

人種と「見た目」の違いをテーマにしたローリンズ

リコさんの作品水俣という愛する郷里

の酸鼻な歴史とそこから生まれた差別と偏見について丁寧に描いた井上由紀子さん事情があっ

て家族とは離れて暮らす大田葵さんが今考える拓かれた『家族』とはかつて偶然に出会っ

たひとたちが偶然を必然に変えて

4

4

4

4

4

4

4

4

4

新しい結縁の家族を作っていく小説を書いたわたしには特

に心に響く作品だった

 

文字数の関係ですべてに触れることはできないが心に響く作品たちを読んでいる間はささ

入賞作文集 8

審査講評

やかながら人権の活動をしてきた「かつての中学生のひとり」としてとても充たされた思いの

中にいた

 

ありがとうと心から「あなた」にお伝えしたい

 

そして若い季節に人権を自分に引き寄せこうして作品にまとめあげた体験は「あなた」に

準備されているたくさんの明日に光をもたらしてくれるはずhelliphellipと書いてふっと思う自分の

暮らしの核に人権を置くことは素晴らしいことであると同時にある意味ストレスを抱え込

むことでもあるのではないかとそれは気づいてしまうストレスでもある社会にはまだま

だ差別がある人権についてセンシティヴであればあるほどそれに気づき失望し傷つくこ

とも少なからずあるはずだ

 

それでもとわたしは「あなた」にお伝えしたい気づかない人生よりも気づく人生そし

て気づいたことを少しでも「拓いていく」人生のほうが容易ではないがはるかに充実してい

るはずだと

 

オーディオセットから大好きなクリスウィリアムソンとメグクリスチャンの曲が流れて

いるhelliphelliphellipわたしたちは新しい時代を作るため新しいページを開くために時代のステージ

にいま登ったところだとふたりとも歌を通してアメリカで人権の活動をしてい

るアーティストである海のこっち側のわたしたちもいま新しい時代のページを

開く時そのステージの上にいる

9 第30回全国中学生人権作文コンテスト

審査講評

内閣総理大臣賞

 

私が入院した時眼科や外科内科などいろいろな病状の患者さんと知り合いになった仕事

で足を骨折した人胃を悪くして入院した人目の手術を受けた人など年齢や性別職業も様々

でふだんあまり接することのない人たちと話す機会に恵まれた病気やケガの苦労話はもちろ

んのこと世代の違う人たちの話はとてもおもしろかった「人権」について考える時その中

の一人の患者さんのことが頭に浮かんだ

 

人権侵害とは障害者やお年寄りなど立場の弱い人たちに対する差別や悪意のある偏見か

らくるものだとばかり思っていたところがたとえ善意であっても思わぬところから人権の侵

害になっていることがあるのだと考えさせられたのであった

 

目の手術を受けたその人は母と同年代ぐらいの女の人だった目が不自由なことで周りの

江え

川がわ

 麻ま

理り

香か

佐賀県佐賀市立東与賀中学校 三年

「身近で無意識な人権侵害」

入賞作文集 10

入賞作文

人たちがとてもよくしてくれるのはいいがそのために困ったり悲しい思いをすることもあると

いうのだった私はこれまで人に優しく親切にすることはいわば常識であり当然のことだ

と思っていただけに大きなショックを受けた困った時に手を貸してくれるというのに悲しい

思いをするとはどういうことなのだろう私たちが親切のつもりでやっていることが迷惑になっ

ているというのだろうかお年寄りや障害者をいたわるのは当たり前でありそれは感謝される

ことはあっても迷惑に思うなどとは筋違いではないだろうかところがその人の立場から見

れば好意のつもりでもまるで小さな子どものように扱われたりこれは危険だからと勝手に

予測されて遠ざけられてしまったりと自分の意思とは関係なく何でも先回りされてしまうのが

悲しいのだそうだ目は悪くとも自分は子どもではないしできなくはないことにまで行き

過ぎた親切にひどく心を傷つけられるのだというまた相手がよかれと思ってくれていること

だけにそれを断ろうものならあからさまにいやな顔をされたり急に態度を変えられることも

あったりでかえって気を遣うのだそうだ

 

私ははっとした今まで手を貸す側から見ることはあっても逆の立場から考えたことはな

かったので大きな衝撃を受けたいつの間にか相手より自分を少し高い所に置いて見ていない

だろうか無意識のうちに相手のことを保護すべき弱者だとして見ていないだろう

か私は今中学生だがそれ以下の子ども扱いされると腹が立ついちいち細かい

ことまで制限されたり禁止されたりすれば確かにいい気持ちはしない同じよう

に障害者や老人に対して危険だ何だのとその人ができることまでをも禁止し

11 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

まだこぼしてもいない湯のみを取り上げるようなことをしてはいないだろうか

 

確かに弱者をいたわり手助けすることは人として当然であり必要なことで

あるしかし相手の気持ちや状況を考えずただ一方的に押しつけるだけの親切

はただの自己満足でしかない見えない人には見えない人なりのやり方や考え方が

あるのにそこに寄り添うための理解がないとしたらそれは人権を侵害しているといえないだ

ろうか

 

人は皆平等であるけれど環境や年齢身体能力などは同じではないだからこそ人とし

ての尊敬の念や思いやりいたわりの心を持って接することが大切なのだと思う

 

しばらく前の人権侵害とは人を自分より見下したりおとしめることで優越感を持つための

ものだったように思うそして今生活や文化が豊かになった現代では行き過ぎた親切やいた

わりが人の心を傷つけそれが新たな種類の人権侵害の一つになっていることもあるのだ「善意

イコール感謝されるべきもの」という考え方が全てに当てはまるとは限らないまた当ては

めようとしてはならないその人にとっての「いちばん」は何かひとりひとりを尊重するため

には本当に助けが必要かどうか出すぎたことをしていないかを見極めることも大切なのだと

思う

 「人権」について考えることそれはとても難しいことのように思えるが意外と簡単なこと

ではないだろうか同じ人間同士が並んで歩くための人と人との間の権利私たちが無意識のう

ちに作り出している優劣の壁を取り払うこと自分の価値観を人に押しつけないこと自分も相

入賞作文集 12

入賞作文

手も同じひとりの人間なのだとその

人の心に寄り添い理解し合う努力こ

そ人権を守る大きな力になると思う

13 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

 

十五年前父が篠山の町中を歩いているとこう言われた「そんな棒きれ振り回さんといて」

と父は決して棒きれを振り回していた訳ではないただ白杖を持って歩いていただけだそ

の話を聞いて私は驚いたたった十五年前のことだけど信じられない気持ちでいっぱいになっ

ただが十五年経った今ではそんなことはないだろうマスメディアが発達しいろんなハン

ディを持った人のことが紹介されたり障がい者の方自身が社会参加する機会が増えたからだと

 

そしてこんな話も聞いたことがある電車に乗った時に時間が知りたくて携帯電話を開い

たときのことだ「こんなとこで電話したらアカンやろ」と中年のおばさんに怒鳴られたそうだ

優先座席の近くだったということもあるが『目の不自由な人=白杖を持っている』という認識

は広まってきているが時間を知りたいときには音声が出る時計や携帯電話を使うということは

法務大臣賞

辻つじ

本もと

 桃もも

佳か

兵庫県篠山市立西紀中学校 三年

少しずつhellip一歩ずつhellip

入賞作文集 14

入賞作文

ほとんど知られていないのだそのとき父は説明しようと思ったがどうせ分かってもらえな

いと思い「すみません」と謝りとても悲しい気持ちになったそうだ見えている人は時間

が知りたければ時計を見ればすぐに分かるだが目が不自由だと音で聞くしかないのだ私は

障がい者が暮らしやすいような機器が発達してきていることをもっと社会に広めていくことが

必要だと思うそうすることで協力してくれる人や理解してくれる人が増えていくのではな

いだろうか

 

視覚障がい者の方が日常生活を送る上で給付や貸与される機器がある音声で教えてくれる

時計や体重計文章読み上げ器などがそれだこれらは以前県の基準で市が実施要綱を定めて

そこが窓口となって行われていたが法改正により各市区町村対応となったしかしこの日

常生活用具の中に健常な家族と同居している視覚障がい者には給付してもらえない物もあるの

だそれは体温計や体重計であったりするこの体温計がなければ家族が出かけている間に

体調が悪くなっても計測することはできないのだ

 

父の知り合いに赤ちゃんを連れた全盲のお母さんがいる体温を計るのに複数の体温計で赤

ちゃんの体温を計りその体温計に印をつけて病院まで持っていって見てもらったり家族が帰っ

てくるのを待って見てもらうことがあるそうだ私たちは簡単に体温を計ること

ができるが見えない人たちはそれができないために生命の危険にさらされてしま

うことがあるのだせっかく便利な機器が発明されても値段が高くて簡単に購

入できないもしくは制度のカベによってそのサービスが受けられないことがあ

15 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

るしかし私の住む篠山市では父たちの声が福祉課の方々に届き日本で初めて

音声式体温計が同居家族の有無にかかわらず給付されるようになったのである

 

今は携帯電話が音声で読み上げてくれてメールや時間GPSなどの便利な

機能を視覚障がい者の方も利用できるようになっただがそのことを知っている

健常者の方は全国にどれくらいいるだろうかまたこのことを知っている当事者である視覚障

がい者の方が全国にどのくらいいるだろうか私はまだ知らない人が多いと思う

 

ここ十五年程で視覚障がい者の人は白杖をついているということはほぼ知られてきたが生

活を助ける機器が発達してきているということは知らない人も多いだろうそれが「あの人は

目が動いているから見えている」とか「あの人はずっと目をつぶっているから見えていない」

「物を避けているから見えている」「物にぶつかっているから見えていない」という勝手な

思い込みで障がいの重さをはかることにつながっているのではないだろうかでもそれは間違っ

ている目を閉じれば視覚障がい者の疑似体験はできるでもそれはあくまでも体験であって

個人個人の見え方はそれぞれ違うし外見や行動で障がいの重度を判断するのは良くないと私は

思う同じような見え方ができたとしても全く同じ動きなんてできる訳ないのだから毎日父

と生活していてもどのくらい見えているのか私にもはっきり分からないなにげに父たちがこな

している日常の動作であっても私たち健常者にははかりしれない恐怖と不安努力があるの

だ誰でも目をつぶれば見えない世界を体験した気になる松葉杖をつけばその体験をした気

になる車イスに乗ればその体験をした気になるだが本当の障がい者の苦悩と努力の一部

入賞作文集 16

入賞作文

しか体験していないことを知ってお

いてほしい私たちには当たり前に

できるようなことがあってもどん

なに望んでもできない人たちがいる

ということとみんなの正しい理解と

知識が障がい者の明るい未来へとつ

ながっていくということを知ってほ

しいそしてこのことを広めていか

なければならない

 「少しずつhellip一歩ずつhellip」

17 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

 「Pick your 

head up」

 

これは父がいつも私にかけてくれる魔法の言葉です

 「顔をあげなさい下を向かない」という意味です

 

私の父は生まれも育ちもニューヨークのアメリカ人です女の子は父親に似るとよく言われ

ますが私もそうで日本人の母親よりも父の方に髪質も肌の色も本当によく似ています子供

が親に似ることはあたりまえのことですが私はそのためにいやな思い悲しい思いをいくどと

なくしてきました

 

初めて自分がみんなとちがうんだなと思ったのは幼稚園に入学してまもなくのことでした同

じ組の女の子たちが何人かして楽しそうに遊んでいたので

ローリンズ リコ

福島県福島市立渡利中学校 一年

「差別のない世界へ」

文部科学大臣奨励賞

入賞作文集 18

入賞作文

 「まぜて」

と声をかけると一人の子が言いました

 「このグループは日本人で髪がまっすぐな人しか入れないのリコちゃんは髪がチリチリだし

ハーフだからダメ」と

 

私はとても悲しくなりましたそしてそれは卒園するまで続きました

 

小学校は人数も少なかったせいかみんなとても仲良くて私の外見のことを言う人はだれ一

人いませんでしたまるで兄弟のようにみんな自然に接してくれましたでも習い事やいろい

ろな大会など他校の子たちといっしょになる場面ではやはり髪の毛や肌のことをからかわれ

ることはよくあることでした私には二学年上の兄がいますが兄もやはり父の方に似ています

おだやかな性格の兄は私以上につらい思いをしてきたと思います

 

父は兄や私の話を聞くたびに

 「Pick your 

head up」

と言いましたそして

 「自分に自信とほこりをもちなさいあなたたちは二つの文化を受けついでそれはとてもす

ばらしいことなんだよ」

といつも話してくれました

 

中学に入って間もないころでしたある男の子がいきなり私に向かって言いまし

19 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

 「おまえ風呂に入っているのか黒いぞ外国人はくさいからな」

 

私はとてもはずかしくなりましたそしていかりや悲しみがこみあげてきました

まわりにいた友達は彼の言葉に苦笑いをしていました私はいかりのあまり彼をな

ぐりたくなりましたその時私は父のあの言葉を思い出しました私は顔を上げ

相手の目を見て静かに自分の傷ついた気持ちを伝えました

 

彼は私に向かってこう言いました

 「ごめんわるかった」

 

彼は人を傷つけるということが彼の想像以上に重くそしてひどいことだと少し気付いたよう

でした

 

差別やいじめというのは私たちのまわりでは小さなことから大きなことまで本当によくあり

ますそして差別やいじめをしている側からすればそれをじょう談だという人も多いのです

まわりの人たちもやはりじょう談や遊びの中でのことにとらえてしまう人たちもとても多いので

すだから小学校の時から私たちは道徳などでいじめや人権などについて学んでいてもなかな

かそれがなくならないのだと思いますでも実際に差別やいじめをされている方はみんなの想

像よりはるかに傷ついているということつらいということそして悲しいということを私はこ

の人権作文を通してたくさんの人に知ってほしいのですけがをすれば日がたつごとにそのけ

がは治っていくでしょうまわりからも治っていく様子が見てわかるでしょうでも心に受けた

傷は本人にしかわからないのですその傷がどんなに深くて痛いものか本人にしかわからないの

入賞作文集 20

入賞作文

です

 

肌の色が違っていてもかみの毛が

違っていても私たちはみんな同じ人間

です心を持った人間です相手の気

持ちを思いやり相手の立場になって

考えればいじめや差別はなくなると

思います今も世界のいたるところで

人種差別が問題となり争いが起きてい

ます私は世界から差別やいじめがな

くなるように強い心を持ってまずは

自分から立ち向かっていきたいです

21 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

 

あなたには大好きなふる里がありますか私には緑の木々と青い海に囲まれた自然豊かな

大好きなふる里があります私のふる里は過去に公害という大きな被害をうけた水俣ですそ

の水俣病で患者はもちろんそうでない人も長い間差別をうけてきました

 

父が幼い頃まだ水俣病の原因が究明されておらず水俣病はうつると言われていました列

車が水俣の駅につくと窓をしめ手で口をおおった人もいました修学旅行に行くと同じ宿

舎になった学校から苦情を言われたこともありました水俣出身ということで結婚を断られた人

や就職試験をうけることさえできなかった人もいました水俣に住んでいることをかくして隠

れるようにひっそり暮らしていた人もいましたまた同じ水俣に住む人でさえ奇病と呼び距

離をおきましたそのことでたくさんの人々が傷つきあってきたのですいろいろな立場の人々

井いの

上うえ

 由ゆ

紀き

子こ

熊本県熊本県立八代中学校 一年

私の大好きなふる里

法務副大臣賞

入賞作文集 22

入賞作文

がせまい土地に住んでいるのですから仕方がなかったのかもしれません

 

しかし今では原因も究明され海の安全も確認されたことでそのようなことはほとんどな

くなりました私たちは過去のことを忘れるくらい楽しくすごしています

 

私は今八代の中学校に通っています私は自分が水俣出身ということを隠すこともありませ

ん友だちもまたそのことを知っていますがからかったりいじめたりする人は誰一人いません

 

しかし先日水俣の中学校のサッカー部が練習試合中に相手チームの選手から

「さわるな水俣病がうつる」

と言われたという記事が新聞にのっていました今でもこういう風に思っている人がいるのか

と思うと残念で仕方ありません何気なく言った一言だったのかもしれませんがその一言は

私たち水俣に住む者にとって非常に悔しく悲しいものでした

 

小学校の総合的な学習の時間で水俣病について学習しました原因となった会社を訪問したり

患者の方から当時の話をきいたり交流も行いましたそんな中で苦労されたり何も言えずに

黙って亡くなった人のことを知り水俣に住んでいながら何も知らなかったことをはずかしく思

いました水俣病についてしっかり学び正しい知識を得ることが差別や偏見をなくすのだと気

付きました

 

中学校の道徳の時間ではハンセン病について学習しましたこれも水俣病同様

正しい知識がなかったためにおきた悲しく悔しい悲劇でした

 

私たちが差別や偏見をなくすためにできることそれはその人その出来事に

23 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

ついてしっかり知ること知ろうと努力すること正しい知識を深めるために学習

することではないかと思いますそうすれば水俣病やハンセン病のようにむや

みに人と人とが傷つけあったり憎しみあったりすることはなくなるのではないで

しょうか

 

先日テレビで水俣のダイバーが紹介されましたその人は本当はほこりたい水俣を心の中

にじっとしまいこみ誰にも言えず何年もの間生きてきた人でしたしかし水俣の地にも

どり自分はこのすばらしい美しいふる里を紹介したいと海にもぐり写真をとり続けておら

れるそうです心に差別という深い傷を負いながら水俣の再生を皆に知らせたいと頑張る人

がいることに感動しました

 

今水俣はごみの分別リサイクル事業など市民全員で環境にやさしい町づくりをすすめてい

ます私は差別や偏見から立ちなおり再生しようと環境問題に一生懸命とりくんでいるふる

里水俣をほこりに思っています

 

水俣では運動会等多くの行事で「水俣ハイヤ節」というものが踊られますこれは水俣病

の患者の方が水俣の青い海と豊漁を願って振りつけをされた踊りだそうです私たちと同じ思い

をする人が二度とでないことを祈りながら私たちは毎年皆でこの踊りを踊ります

 

水俣の悲しい過去を変えることはできませんが私はあやまちを二度とくりかえさないため

にこの美しい自然を守り真実を語り継いでいきたいですそして差別や偏見のない社会に

なるよう自分から努力していきたいと思います

入賞作文集 24

入賞作文

25 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

 

みなさんは「本当の『平和』とは」と質問されたら何と答えますか「戦争や紛争などが

ないこと」ですかそれとも「自分自身の幸せのこと」ですか一人ひとりの抱く「平和」のイ

メージは違うことでしょう

 

僕の思う本当の「平和」それは「家族」がいて「家庭」があることだと思いますなぜそう

思うかというと今僕は訳あって家族とは離ればなれに暮らしているからです一歳前後には既

に家族とは離れ施設にいました母親や姉兄の存在はわかっていますが一緒に過ごした時

間は限られたもので今でもほとんど交流はありませんそのせいか僕はいつも「家族」や「家

庭」というものに強い憧れを抱いています

 

自分がまだ幼い頃は自分と同じくらいの子が母親と手をつないでいる姿がとてもうらやまし

大おお

田た

 葵あおい

栃木県さくら市立喜連川中学校 三年

「家族」とは何か

法務大臣政務官賞

入賞作文集 26

入賞作文

「どうして自分には母親がいないんだろう」と思っていました仕舞いには自らの母親を恨ん

でしまったのです小学生になってもその気持ちは変わらず母親への恨みは増すばかりでした

 

しかし小学五年生の夏思いもよらぬ出来事が起きましたそれは引っ越しがあったこと

ですそこで僕は新しい土地そして新しい里親という人たちに出会いました里親の人たち

と暮らした数年間僕は幸せでしたそこで僕は僕の周りにはいつも支えてくれる人たちがい

ることに気づきました血のつながりがなくても僕に自分の子どものように接し育ててくれ

た里親の人たち養護施設の先生方などたくさんの方たちに僕は見守られて成長してきたこと

に気づいたのです僕を支えてくれる人すべてに感謝の気持ちがわき出てきましたそれ以来

僕は親という存在にこだわらなくなりましたそれどころか自分に命を与えてくれた親に感謝

の思いを抱くようになったのです

 

この夏母親の育児放棄が原因で二人の乳幼児が衰弱死するという悲しい事件がありました

二人の子どもにろくに食事も与えず風呂も入れなかったそうですさらに逮捕後その母親は

「家に帰ってあげなかったことを今も後悔している子どもは私を恨んでいると思う」

という言ってはならない発言をしました僕は怒る前に亡くなった二人の子ども

たちがかわいそうでなりませんでした

 

と同時に僕はこの母親はどうしてこのようなことをしてしまったのだろうと

すごく考えさせられました僕は本来親は子どもを殺すのではなく守るために

27 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

いるのだと考えますたとえ小さな子どもでも立派な一人の人間ですその命を

守り育てていくことが親として大切な役目だと思うのですこの母親はどこで

勘違いしたかは知りませんが親としての自分の責任を理解していなかったのでは

ないでしょうか

 

そしてその勘違いを誰も母親に気づかせてあげられなかった事実母親が一緒に遊び歩いて

いた友人はもちろん母親の家族が少しでも助けることができていたら母親の行動を戒めるこ

とができていたら連絡を受けた児童相談所がもう少し踏み込んだ行動が取れていたらこのよ

うな悲しい結末にはならずに済んだのではないでしょうかやりきれない思いばかりがこみあげ

てきます

 

もう一つこの母親は大きな勘違いをしていますそれは「子どもは私を恨んでいると思う」

という言葉です僕はこの子どもたちが母親を恨んでいるとは思えません子どもたちは母

親が帰宅するといつもハイタッチをして喜んで迎えたそうです子どもたちは母親のことが大

好きだったのでしょうたとえ自分たちを見放した母親でも恨んでいるとは決して思えないの

です

 

子どもは心の底から自分の母親のことを恨めないと僕は思いますこの世に生を受け笑った

り怒ったり泣いたりと毎日いろいろな経験ができるのは自分を生んでくれた母親という存在

があったからです正直僕も小さい頃は母を恨んだことがありました愛情の裏返しというよ

うに母親への思いが憎しみに変化してしまったのですでも心の底には母への恨みとは全く

入賞作文集 28

入賞作文

正反対の気持ちが存在し続けていましただ

からこそこの子どもたちがどんな思いで死

んでいったのかわかるような気がします母

親を信じひたすら母親の帰りをまちわびて

いた思いが

 

僕にとっての「家族」それは同じ屋根の

下で暮らす人々のことですたとえ血はつな

がっていなくても僕を支え励ましてくれる

人たちそのすべての人が僕にとっての大切

な「家族」なのです今僕の暮らす養護施設

にはいろいろな事情を抱えた二歳位から高

校生までの子どもたちや職員の方が約六十人

います今の僕には全員大切な「家族」で

す僕はこれからもこの「家族」を大切に

一日一日精一杯平和に生きていきたいです

29 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

 

授業でハンセン病について学んだ日両親と「偏見」や「差別」について口角泡を飛ばす議論

を深夜まで繰り広げた身体障害者の父と看護師の母を持つ私は幼い頃から「命の大切さ」を

訴える両親の姿を見て育って来たそんな私は真摯な気持ちからハンセン病罹患者と向き合い

たいと思いこの夏草津にある療養施設栗生楽泉園を訪れた

 

草津までの道のり私は罹患者の気持ちを絶えず考えていたハンセン病について調べると「ら

い予防法」により罹患者は隔離され人権を無視された扱いを受けたことが分かった罹患者の

言葉が書かれた本ではどんなに過酷な仕打ちを受けたか他人をどれほど恨み憎んでいるか

が書かれていたその為私は無意識の内に「罹患者は全員恨みを抱いている」と勝手に思い込

んでいたしかしこんな思い込み自体が偏見や差別を生む原因になるということを後に思い知

大おお

井い

 海み

琴こと

群馬県群馬大学教育学部附属中学校 三年

忘れてはならないこと

全国人権擁護委員連合会長賞

入賞作文集 30

入賞作文

らされることになるのである

 

私を迎えてくれたのは入園者自治会長の藤田三四郎さん藤田さんは大変お元気でその容姿

からはハンセン病を伺い知ることはできなかったしかし藤田さんは紛れもない罹患者なのだ

その証拠に藤田さんの名は本名ではない罹患者は施設に入所するにあたり偽名を使用させら

れたと言うつまりその時点で罹患者は世間から存在を消されてしまうのであるそんな藤田

さんから語られた話はハンセン病だと宣告され三度も命を絶とうとしたこと重症患者の看

護を押しつけられ数え切れない人を看取り自らの手で葬ったこと家族が受けた迫害や侮辱的

な言葉など想像を絶するもので筆舌し難いものだったしかしこんな迫害と差別は同時にハ

ンセン病患者達の人権回復闘争の歴史でもあったのだ闘争の末「らい予防法」が廃止される

と今まで差別や人権侵害を繰り返していた多くの人が掌を返す様に態度を変えたと言う私は聞

いていて怒りを覚えたが不思議なことに耳を塞ぎたくなる様な内容を語る藤田さんからは全

く怒りや恨みが感じられないのだ私は話を聞くまで自分の運命を呪い周囲への恨みつらみ

の言葉が出てくるとばかり思っていたしかし出てきた言葉は「入園出来て良かった差別は

受けたが今では恨みを抱く罹患者も少なくなったそればかりか最近はたくさんの人が我々を

理解し協力してくれるので嬉しい何故なら一人の百歩は力が無いが百人の一歩

は力になるから」と言う感謝の言葉だったのだ本当に「恨みは無いのか」と何度

聞いても答えは同じだった私は恥ずかしくなったハンセン病について調べ罹

患者の心を理解したようなつもりでいながら実は何も理解できてなくてそれば

31 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

かりか罹患者を偏見の眼で見ていたのは私自身だったのだ私は話を聞いてとめ

どなく溢れ出る涙を拭いながら心の片隅に潜んでいた「偏見と言う名の種」が身

体から洗い流されていくのを感じていたそれは同時に「思い込みや無知が偏見

や差別を生みだす」ことを強く感じた瞬間でもあったそれだけに藤田さんの「自

分と同様に他人を愛すればいつか必ず世界から差別はなくなる他人を愛して下さい」の慈愛に

満ちた言葉が一層重く腑に落ちるのだった

 

帰りがけ千五百ページにも及ぶ「入所者証言集」を手渡されたその際私は見えない襷も

手渡された気がしたその襷とは証言集に記された罹患者の「事実を風化させないで私達の事

を忘れないで」という搾り出すような叫び声とその姿だったのである

 

ハンセン病が治る病気であるのに誤った知識から悲惨な人権侵害が長期に渡り続いた同じ間

違いを繰り返さないためにも事実を語りついで行く必要があるここ楽泉園でも高齢化が進み

証言者の数が減っているこれは全国一五全てのハンセン病療養所に共通することだハンセン

病問題は罹患者がいなくなればそれで終わると言う問題ではない今後人権問題を考える際重

要な指針になりうる事実なのだそしてこの事実の風化を防ぐことが私達若い世代の役目だと

私は思う

 

私は小六の時友人達から突然イジメを受けたそれを引きずり他人を恐れ憎み自分を

嫌って生きて来たしかし罹患者の声が私に生きる力と前を向いて歩む勇気を与えてくれた

楽泉園訪問は私に人生観が変わる程の衝撃を与えてくれたのだこんな私だが罹患者の声を伝

入賞作文集 32

入賞作文

える「百人の中の一人」にはなれるはず

だそのために私は今この作文を書い

ている文字は時を越えて生き続けるか

ら私はこれからも楽泉園訪問を続ける

つもりだ実際に中学生の私が出来るこ

とには限りがあるが差別や偏見を少し

でも減らすために一歩を踏み出すつもり

でいる「自分と同様に他人を愛すれば

いつか差別は無くなる」と言う藤田さ

んの言葉を胸に

33 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

 

森に囲まれたその一画には教会や寺院神社があり小さなショッピングセンターやレスト

ランもある床屋や図書館郵便局や浴場もあるしかしそれらの施設を利用するのはその一

画に住む人たちだけだ緑の外側に住む人が利用することはないそこはハンセン病の療養所

多磨全生園である

 

僕は七年前に清瀬市に引っ越してきた夏のある日昆虫が大好きな僕は何気なくその森の

中に入って行ったそして歩き回っているうちにその場所が一つの「町」であることに気付

いた

 

毎日セミやカマキリやナナフシを探しながらどうしてこんな所があるのだろうと思った

 

僕が一番不思議に思ったのは古い木造の小学校だいつも誰もいない校舎と小さな運動場近

久く

米め

 一かず

輝き

埼玉県学校法人立教学院立教新座中学校 一年

ハンセン病について考えたこと

社団法人日本新聞協会会長賞

入賞作文集 34

入賞作文

くに小学校があるのにどうしてこんな所に小学校があるのだろう小学一年生の僕はとても不思

議に思った

 

夏に地域交流を目的とした盆踊りと花火大会が行われるいつもは人のいない小学校跡は多く

の人であふれかえり普段は見かけない重い後遺症の老人たちもこの日は外に出て盆踊りを楽し

む初めて参加したときは言葉が出なかった正直「怖い」と思った

 

夏が来るたびに僕は盆踊り大会に参加した低学年から高学年へと進むにつれて少しずつハ

ンセン病のことが分かってきた

 

六年生のときに社会科見学で全生園の元患者を訪れることになっただが僕は都合で参加で

きなかった僕はそれをずっと悔やんでいる

 

今年の夏僕はハンセン病資料館に出かけた見学者は僕一人でとても緊張したなるべく

音を立てないようにパネルを見て回った

 

強制隔離の現実にとても驚いた狭い部屋に押し込められ症状の軽い患者が重症の患者の世

話をしたという子供を持つ権利や生まれる赤ん坊の命まで奪われていた逃げ出したり反抗的

な患者は「不良患者」と呼ばれ窓の小さな暗い監房に閉じ込められた

 

医学が進歩し療養所も徐々に改善されていったが強制隔離を命じる「らい予防

法」が廃止されたのは一九九六年だという隔離が始まった一九〇八年から約九〇

年も経っていた僕が生まれるほんの一年前のことである特効薬が開発され本

格的な治療が始まったのは昭和二十二年である現実に合わない法律を廃止するの

35 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

にどうしてそんなに時間がかかったのだろうか

 

資料をもらってハンセン病資料館を後にした家を出るときは帰りに虫の観察

をするつもりだったがとてもそんな気にはなれなかったいつもセミが集まる桜

の木には目もくれずに早足で家に帰った

 

資料の中で一番心が痛んだのは療養所の子供たちのことだ療養所に入所したのはハンセン

病を発症した子どもたちだけではない親が発症したために入所する子どもたちもいた当時は

ハンセン病は遺伝病だとされていたからだ親から無理やり引き離された子どもたちは「すぐに

帰れるから」という言葉を信じていたというしかし一生療養所を出ることができなかった人が

多かったという社会的な差別がひどかったからだと資料に書かれていたが僕には実感がわか

なかったのでもう少し調べてみることにした

 

図書館で『ハンセン病を生きて』(伊波敏男著)という本を見つけた少し難しかったが差

別の現実が僕にもわかる部分があったそれは元患者たちに対して書かれた匿名のひどい手紙

である長年隔離されて苦しんできた人たちをさらに傷つける言葉が並んでいた悲しく暗い

気持ちになった

 

日本は経済大国として世界の注目を浴びているだが人権意識の面ではどうだろう「らい

予防法」を二〇世紀の末まで廃止できなかったことをどう考えたらよいのだろうか明治時代に

隔離が始まったときそれは外国に対する体面を保つためだったという病気の人を治療するの

ではなく「隠す」のが目的だったのだいまだに差別意識を持つ人がいるのは社会がそうした

入賞作文集 36

入賞作文

過去に対する反省をしていないから

だと思う

 

僕が不思議に思った小学校はすで

に取り壊されて今では小さな石碑

だけが残っている老朽化がひどく

残しておくことができなくなったか

らだという全生園の古い建物はど

んどん取り壊されていく石碑だけ

ではあの不思議さが伝わらないのが

とても残念だ

37 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

 

僕の曾祖父は医者嫌いでしたそのため腹痛で病院に運ばれた時は膵臓癌の末期で余命三ヶ

月でした手術もできない手遅れの状態でした家族皆で話し合い曾祖父の辛い気持ちを第一に

考え曾祖父に病を隠すことになりました曾祖父は次第に病院の中を歩いては転倒し体中あ

ざだらけになりベッドの上で縛られることになっていました曾祖父は病名の宣告を受けてい

ないため元気で歩けると思っているが実際歩くと転んでしまう何でこんな風になってしまっ

たのかさえわからない

 

家族と病院に行くと「包丁もてこいこれぶった切って家さ帰る」と騒いでいましたあん

なに優しかった曾祖父の姿に言葉も出ず恐いくらいでした何も知らされずベッドに縛り付

けられれば誰もがそうなることでしょう「じいちゃんどご一緒に車さのせでいてくれの」と

櫻さくらだ田

 要かな

太た

山形県酒田市立松山中学校 三年

日本放送協会会長賞

悔いのない最期を

入賞作文集 38

入賞作文

せがまれたときもありますかわいそうで涙がポロポロこぼれました「おじいちゃんどご家

さ連れで帰ろうよ」とせがんでも家族も仕事で忙しいためか誰も首を縦に振ってくれず病院

にいた方が安心ということになりました膵臓癌は予想以上に激しい痛みのため医師から強い

痛み止めと強い睡眠剤を勧められましたがそれを導入することにより安楽死に近い状況にな

ることも医師から告げられていました家族は決断をせまられました曾祖父に相談もせずに決

めていいことなのか家に帰りたい曾祖父の意志は封じ込められたままでいいのか家族で悩み

ました結局痛みに耐えている姿は見ていられなくその薬を使うことになりましたその後

曾祖父は次第に弱っていき口も利けなくなり静かに亡くなっていきました僕はどこか心を

引きずったままでした僕達家族が曾祖父に宣告もせず意見も聞かず命の長さを決めてしまっ

たこと当時幼かった僕には何もしてあげられなかったことが今思い出しても残念です

 

最近授業で人権について学習しているときに幼い頃の記憶がよみがえりふと曾祖父のこと

を思い出しました

 

曾祖父はどんな思いで亡くなったのだろう最後に意識のあるうちに一度でいいから家に帰っ

てきたかっただろう身体拘束は今は病院でも禁止されていると思いますがあの頃は確かに曾

祖父のおなかに黒いベルトのようなものが巻きついていました決して自分の力で

は外せないようなものでしたもがき苦しむ曾祖父の姿を見た時に看護師さんに

目を隠され別の部屋に連れて行かれました見せたくない光景だったのだと思いま

すでもあの姿は僕の脳裏に焼き付いています病院の中での人材不足のためだっ

39 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

たのでしょうか人が人らしく生きていない姿でした

 

七十八年生きてきて何も悪いことをしていないのに縛られ家にも帰れない

病気で余命幾ばくもない人には人権というものは存在しないのでしょうか最近の

医療の現場では自己決定権があることについて学びました

 

仏壇に向かい静かに目を閉じると優しく穏やかに微笑む曾祖父の笑顔が浮かびますどんな

気持ちで亡くなっていったのかその気持ちを考えると苦しい気持ちになります野球の大会に

行く前仏壇に手を合わせます「やればできる努力しろ」とよく励ましてくれました曾祖

父の力には何もなれなかったけれど目には見えない力で応援してくれる曾祖父に線香をあげて

自分を省みる時があります曾祖母が元気なので曾祖父を助けられなかった分曾祖母の力に

なっていくことを曾祖父に約束しています

 

夏休み中のニュースで高齢者の所在不明者が多数のため百歳以上の安否確認調査をしていま

した自分の親を平気で捨て遺骨さえもひきとらない亡くなっていたのに年金を不正受給する

ために隠していたなど耳をふさぎたくなるような事件もありました犬や猫が年をとって弱っ

てきた手がかかるから面倒だからと捨ててしまうそれと同じ現象が弱い高齢者にも及んでき

ているのだと思います

 

やはりこの世に生まれてきたもの全てに自分の意志で生きることを決めていける権利がある

と思います長い年月を苦労や努力と向き合いながら精一杯生きてくれたおかげで今の幸せが

あることを忘れずにいたい人はいずれ誰でも年をとります自由に動けなくなった時に自分の

入賞作文集 40

入賞作文

願いが叶う社会を築き「悔いなく満足で楽しく幸せな人生だった」と思えるように人とし

ての誇りを持って満足できる最期を迎えられるように考えていきたいもう二度と僕が見た自

己決定権のない社会にならないように高齢者には今までの感謝の気持ちで本人の希望をでき

るだけ叶えられるように努力していきたいいずれ僕達も迎える高齢社会だからhellip

41 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

 

私は小学六年生の時から盲導犬候補の子犬を育てるボランティアをしています「犬を飼っ

てみたい」と言う私に両親が「せっかく犬を飼うのなら社会に役立つことをしよう」と提案

したからです生後二ヵ月の子犬を預かり一歳の誕生日を迎えるまで世話をするのがボランティ

アの役目です初めて訓練士さんから子犬を手渡された時は不安でドキドキしましたが子犬は

すぐに私の腕の中で眠ってしまいました初めて会った私のことを信頼して安心しきった寝顔

で眠っている姿は本当に可愛かったですラブラドールの子犬はとてもやんちゃで私の家にやっ

て来たその日からいたずらばかりしていましたがしかられてもクヨクヨせずどんな相手にも

 林はやし

 里り

咲さ

東京都小平市立小平第六中学校 三年

差別のない社会に

(パピーウォーカーの経験から学んだこと)

法務事務次官賞

入賞作文集 42

入賞作文

フレンドリーに近づいていく姿から私は明るく前向きに生きることを教わりました子犬たち

と過ごした日々は私にとって一番の宝物ですそしてあっという間に一歳の誕生日がやって来ま

した誕生日が悲しいという経験は初めてでした訓練所への入所日の前日には長い長い散歩を

して最後のお別れをしました「今までありがとう」そう言った私のことを不思議そうに見てい

た子犬の顔が今も目に焼きついています別れは本当につらいけれど涙を見せたら子犬が心配す

るので頑張って笑顔で見送りました

 

私の家で育てた一頭目の子犬は現在盲導犬になって頑張っていますそして今年四月に巣立っ

ていった二頭目の子犬は神奈川にある訓練センターで訓練中です

 

このボランティアを通して私は多くのことを学びましたまず盲導犬の役割ですがこれは単

に目の不自由な方が便利に一人でどこへでも行けるようにするためだけではありません視覚障

がいのある方にとって人の手をわずらわせるのはとてもつらいことなのだそうですたとえ家

族に対してでも「迷惑をかけるのではないか」と思って我慢することが多く「私なんかいない

方がいいんじゃないか」と考えてしまうこともあったといいますその失われそうになった尊

厳を取り戻す手助けをするのが盲導犬の役目なのです犬は訓練を共にするパートナーのことを

大好きになるので「自分は他者からこんなにも大好きになってもらえる存在なん

だ」と気づいて自信を取り戻し新しい一歩を踏み出せるようになるのだそうです

 

また私がボランティア登録している日本盲導犬協会では二〇〇八年に新しい

試みが始まりました受刑者が盲導犬候補の子犬を育てる動物を介在した日本初

43 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

の教育プログラムです罪を犯した人も心から反省してきちんと罪を償えば社会

は差別することなく受け入れるべきですしかし実際はとても偏見が多く元受刑

者たちは「どうせ自分はだめな人間なんだ」と思い再び罪を犯してしまう悪循環

が起こっているそうですその悪循環を断ち切り受刑者たちがスムーズに社会復

帰を果たせるよう支援するのが「あさひ盲導犬パピープロジェクト」です受刑者たちは約十ヵ

月の間子犬たちを世話しながら一緒に過ごし「役に立つ喜び達成する喜び信頼される喜び」

を感じることで自分の価値を再確認するのだそうです今年一月に第一期のプロジェクトを修了

した受刑者の感想に次のようなものがありました

 「今後自分もパピーに笑われないようにきちんとしなければならないパピーは慈しむこと

寛容の心を教えてくれました」

 

犬は決して差別をしません健康な人にも障がいのある人にもお金持ちにも貧しい人にも

権力のある人にも犯罪を犯した人にも全く同じように接してくれますそんな犬たちと一緒に過

ごすことで自信をなくした人たちも自分のことをかけがえのない大切な存在であると思えるよ

うになるのです

 

私たち人間も差別のない社会をつくる努力をしなければならないと思います一人一人が相

手を大切に思う心を忘れなければこの社会はもっと住み良い場所になるはずです私はこのボ

ランティアを通して学んだことを生かしてこれからも一層努力していきたいと思います

入賞作文集 44

入賞作文

45 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

 

僕は祖父のために自助具を作ろうと思った祖父は去年の夏脳梗塞で倒れた祖父は一命

を取り留めたものの右手と右足がまひしてしまったのだその三週間前僕も車椅子から転倒し

て足を骨折した

 

僕には障害がある車椅子で生活することが多いしかし僕のことを障害者だといって差別

するような友達は一人もいない

 

祖父は歩けるようになりたいという気持ちが強かっただからリハビリを頑張り自分で

歩けるようになるまで回復した頑張っている祖父がかっこいいと僕は思った祖父はリハビ

リを頑張ったにも関わらず右手がうまく動かせなくなってしまっただからご飯を食べる時も

服を着替える時も時間がかかる普段何気なくやっていた動作がとても大変だと祖父は言ってい

守もり

田た

 幸こう

平へい

静岡県静岡大学教育学部附属浜松中学校 三年

祖父への靴下

法務事務次官賞

入賞作文集 46

入賞作文

た僕も何か役に立てることはないかと考えた

 

僕の学校には総合学習という授業があるそこで僕は福祉というカテゴリーを選んだ自

分で社会に役立てることを考え実際に行動することが目標だった僕は障害者のために何が

できるかを考えた

 

僕は二年前に静岡文化芸術大学で障害者がいかに日常生活で不自由のない生活ができるかを

考えるプロジェクトがあるのを新聞で知ったそれは大学生たちが個人個人にあった自助具を

作るプロジェクトだった僕は障害者のために何かできるのではと感じた

 

僕は静岡文化芸術大学へ行って僕にもできることがないかと聞いたすると学生さんが

自助具を作ってみないかと声をかけてくれた僕は迷わず「はい」と言った障害者のために

役に立てることがあると思うとすばらしいことだと思ったからだ

 

祖父のつらい顔を見ると日常生活に数々の大きな壁があることが伝わってくる

 

僕は祖父の数々の大きな壁を突き破ろうと思った祖父のために自助具を考え作ろうと僕

は思った祖父が靴下の脱ぎ履きが大変だと言っていたことを思い出したそこで脱ぎ履きし

やすい靴下はできないか考えた靴下の両脇にひもを取り付けてそれを引っ張ると靴下が縮み

脱ぎ履きしやすくなる仕組みだ大学の先生も良いアイディアだと言って褒めてく

れたこれは障害者だけでなく健常者にも使えると言われたユニバーサルデザ

インだと分かった

 

ユニバーサルデザインは年齢や障害の有無にかかわらず全ての人が使いやす

47 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

いように工夫された用具などのデザインである境界がなくなるように健常者が障

害者に対する偏見を考え差別意識がなくなるチャンスだと思った障害者と健常

者が共によりよく生きることが大切だと僕は思った

 

自助具の作品展では杖をついているお年寄り車椅子に乗った若い女性目の

見えない人福祉関係者など沢山の人々が観に来ていた皆自分の生活を良くしようと思っ

ているようだったまた障害者のためにできることは何だろうかと考えている健常者もいるよ

うだった

 

二年生の時の総合学習では二箇所のデイサービスを訪問したデイサービスには六十五歳以

上のお年寄りがいた暗く元気のない人明るく振る舞い誰とでも話せる人など様々だった

しかし僕が一番印象に残ったのは笑顔を絶やさず優しくお年寄りに接していた介護士だった

お年寄りの中には悩みを抱えている人が多いそうだその悩みを解消させる人もまた介護士だっ

た僕は介護士がお年寄りの体を支えるだけではなく心もそっと支えて生きる喜びを与え

ているのだと感じた

 

現代は三世代で暮らす家族が減り核家族が増えているそれはお年寄りの世話が大変だ

からという理由が多いだから老人ホームやデイサービスに預ける人が増えていると僕には

思えたお年寄りの中には自分が嫌われているのではないかとさえ思ってしまう人もいるそう

だそれはお年寄りにとって辛く悲しいことだと思うある介護士がこんなことをおっしゃっ

ていた「人の優しさはお金では買えない」誰にでも優しい心があると思うしかしあと一歩

入賞作文集 48

入賞作文

のところで行動に移すことができない人が多いの

だ僕たちが平和な社会で暮らせるのは今まで

頑張ってきてくれたお年寄りのお陰であることを

忘れてはいけないお年寄りを大切にすることは

当たり前のことなのだ

 

また障害者に対しても偏見の目で見ないで

そっと近づいて手を貸してあげれば健常者との

高い大きな壁を崩すことができると思う

 

障害者にも高齢者にもまた健常者にも人権

はあるお互いの人権を大切にすることが明る

い未来に繋がっていくのだと思う

 

早く祖父に僕の作った靴下を届けたい

49 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

 

僕は小学校六年生まで福岡県に住んでいましたそこで僕が体験したことです五年生のこ

ろ僕の友だちのA君が同級生のK君の靴を隠したりからかったりしていることがよくあり

ました最初は僕もあまり気にしていませんでしたがK君のことを「なんだかかわいそう」と

思うようになりました

 

ある日僕は勇気をだして先生に「K君がいじめにあっています」と報告しました初め先生は

「じゃれ合っているだけだろう」と「いじめ」とは思ってくれませんでしたでもその後「いじ

め」と分かりA君は先生に注意されその日一日は反省した様子で過ごしていましたしかし

次の日学校に行くといじめは前以上にエスカレートしていて蹴ったりたたいたりするように

なりましたしかも「死ね」「うざい」「消えろ」などの言葉が飛び交うようになりそんな日々

法務事務次官賞

浦うら

谷たに

 毅たける

徳島県三好市立池田中学校 三年

いじめをなくすために今

入賞作文集 50

入賞作文

が続きました

 

それは六年生になっても続きました僕はそのいじめを止めることができず毎日見て見ぬ

振りをしていました今思うと自分がとても恥ずかしいです本当の友達なら止めるべきなの

にそれだけではなくいじめられているK君に声一つかけることができずにいました心の中

ではA君に「やめろよ」と言おうと思っていたけどなぜか勇気が出ませんでした次にい

じめられるのが自分になるのが恐くて言えなかったのです

 

そんな日々が続く中僕の気持ちを大きく変える出来事がありました父の死ですそのとき

のことは今でも忘れることができません聞いたときには頭の中が真っ白になりました最初

は信じることができませんでした一週間も二週間も学校に行けずただぼーっと過ごしてい

ましたいろんなことを考え徐々に「死」というものの悲しさつらさ「死」という意味の

重さがわかってきましたそして時間はかかりましたが「命は一瞬にして消え二度と戻っ

てこないものだだから命を大切に今を大切にしなければならない」と深く受け止めることが

できるようになりましたそして周りの子たちは僕のような経験がないから「死ね」とか軽々

しく言えるのだろうと思いこの気持ちを伝えなくてはならないと考えました僕が強くならな

くてはと思いました

 

こんな気持ちになったとき僕には時間がありませんでした母の実家がある徳

島への引っ越しが一週間後に決まっていたのです落ち込んでいる暇は無いと思

い学校に行った僕はA君に言いました「いじめなんかやめろよいじめたって

51 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

喜ぶ人はいないし悲しむ人がいるだけだろ自分だってほんとは嫌だろ『死ね』

とか『消えろ』とか言葉の重さを知らないのに言うなよ」と言いました父親の

突然の死そのあと僕が考えたことも伝えました

 

友だちは黙って聞いてくれました僕の言葉にうなずいてそのあとK君の

ところへ行き「ごめん言葉の重さも知らずに言って本当にごめんぜったいに死ねなんて

ことは言わないそしていじめは絶対にしないほんとうにごめん」とあやまりましたK君

はとても優しい笑顔で「いいよ」と一言言いました僕もK君に言いました

「今まで助けてあげられなくてごめん」

K君は笑顔で「ありがとう」と言ってくれました今まで自分の中でもやもやしていた気持ちが

スーっと晴れました

 

今も時々耳にする暴言冗談半分で言っているのかもしれませんしかしいついじめにつ

ながるかわかりません他人を傷つけることで自分のストレスを晴らそうとしているのでしょう

関係ないふりをしようとする自分がいます楽な考え方をする自分がいますそんな時亡くなっ

た父の顔やK君の優しい笑顔を思い出しますあの時の自分のように強い気持ちを持とう「や

めろよ」と一言言うするとまた気持ちがスーっとしてきました

 

父の分も頑張って生き抜こうと決めた僕にとって正しいことを素直に認め悪いことを否定

できる強い意志を持つことが目標ですそして何よりも命を大切に今を大切にしていきたい

と思っています

入賞作文集 52

入賞作文

53 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

 

ぼくは今まで四つの外国に暮らしいろいろな国の人たちの中で育ってきた

 

まずタイで生まれてタイ人のメイドさんやドライバーさんにいつも遊んでもらっていた

らしい一才になると週一回の体操教室にも通いタイ人の友達もいたそうだ

 

次にシンガポールでは初めてナサリースクール(保育園)に通いいろいろな国の友達と

知り合ったプレイルームにある滑り台を滑る順番争いでいつも勝つのは体の大きい金髪の友

達だった

 

一回目の香港生活では英語の幼稚園に通ったその時のぼくの一番の友達はカナダ人だった

彼とはよくベイブレードをして遊んだが父が日本の出張で買ってきてくれた独楽や剣玉をして

遊ぶこともあった

村むら

瀬せ

 広ひろ

高たか

香港日本人学校中学部 二年

国境をこえて

海 外 作 品

今回は本選への応募とすることはできませんでしたが

 海外から寄せられた作品のうち一作品を御紹介します

入賞作文集 54

海外作品

 

それからインドでは日本人学校に通ったが夏休みには毎年アメリカンスクールのサマー

スクールに参加したし日本人のいない現地のテニススクールにも入り二年間通ったまたイ

ンドの現地幼稚園に通っていた妹のベストフレンドはコンゴ人でその兄弟もぼくの友達だった

 

そして三年間の日本生活を経て今また香港に戻ってきた

 

このようにぼくはいろいろな国でいろいろな国の人たちのお世話になりいろいろな国

の友達と遊んで育った肌が真っ黒な友達もゲームの話をすればすぐに仲良くなれたし髪が

金色の友達もポケモンの話をすれば気が合ったぼくは小さい頃から英語はうまくしゃべれ

なかったけれどもジェスチャーをつけたでたらめ英語でも充分に話は通じただからいろい

ろな国の人たちの中でぼくが日本人だからといって差別されたり嫌な思いをしたりしたこと

はないしぼくも肌の色が違うからとか言葉が通じないからという理由で違う人間だと思っ

たことはないそうぼくは外国人を差別したことはない

 

しかし本当にぼくは外国人を差別したことがないのだろうか外国人を差別した発言を一

度もしたことがないかと考えると自信がない

 

例えば香港人には赤信号でも平気で渡る人がたくさんいるそれを見てぼくは

「香港人はしょうがないな」

と思うでもよく見ると香港人全員が信号無視をしているわけではないまた

世界には今でも戦争をしている国がいくつもある

「人を傷つけ合うなんて馬鹿げている」

55 第30回全国中学生人権作文コンテスト

海外作品

とぼくは悲しくなるでもそれも好きで戦っている人がいるとも思えないその

人たちがそうなったのには何かきっと原因があるはずだ

 

逆に外国人から見ると日本人はどのように思われているのだろう

 

インドから日本に帰国した時毎日ごみがたくさん出ることにぼくはとても驚

いたインドの人たちがよく使う道端にあるカレー屋さんではバナナの葉で作ったお皿にカ

レーを入れてくれる食べた後そのお皿を道に捨てるとのら牛がその葉っぱを食べるそして

牛のふんは燃料になるというそれに比べて日本はちょっと歩くとペットボトルの飲み物が

買えファーストフードのお店では使い捨ての食器を使い立派なお菓子の箱を開けると中身が

少なくてがっかりすることもあるある時母が捨てたジャムの空きびんをメイドさんとエア

コンの修理にきていたワーカーさんとが取り合ってけんかをしていたこともあったそれを見

てぼくはあきれてしまったが逆にインド人から見ると使い捨て文化のしみついた日本人は

とんでもない人間にみえるのかもしれない国によって考え方や行動パターンが違うのは歴史

的背景や宗教習慣気候などのいろいろなことが関わっているのだと思う

 

このように考えると差別とはその人の一部しか見ていないことや自分のやり方だけが正

しいと思うことからおきるのではないかと思うその人が自分とは違った行動をとったとしても

それには深い理由があるのだろうと考えればきっと納得できると思うぼくもこれからは否

定的な発言をする前にその人たちのことをいろいろな角度から見て理解する努力をしてみよう

と思う外国との間には自分の国とは違う言葉や文化という壁があるとみんな言うがそこに

入賞作文集 56

海外作品

あるのは壁ではなく橋だとぼくは思う理解

し合おうという気持ちがあればきっと誰でも

その橋を渡っていけるはずだ気持ちの国境を

こえるのにパスポートはいらないお互いを理

解し合おうと思う気持ちが一番大切だと思う

そしてぼくはこれから日本人として生きる

のではなく地球人として生きていこうと思う

57 第30回全国中学生人権作文コンテスト

海外作品

法務局地方法務局名 郵便番号 所  在  地 電  話

金沢地方法務局人権擁護課920-0024 金沢市西念3-4-1金沢駅西合同庁舎(平成23年3月11日まで) 076-231-1244

921-8505 金沢市新神田4-3-10金沢新神田合同庁舎(平成23年3月14日から) 076-292-7804

富山地方法務局人権擁護課 930-0856 富山市牛島新町11番7号富山合同庁舎 076-441-6376

大阪法務局人権擁護部 540-8544 大阪市中央区谷町2丁目1番17号大阪第2法務合同庁舎 06-6942-9492

京都地方法務局人権擁護課 602-8577 京都市上京区荒神口通河原町東入上生洲町197番地 075-231-0131

神戸地方法務局人権擁護課 650-0042 神戸市中央区波止場町1番1号神戸第2地方合同庁舎 078-392-1821

奈良地方法務局人権擁護課 630-8305 奈良市東紀寺町3-4-1奈良第2法務総合庁舎 0742-23-5457

大津地方法務局人権擁護課 520-8516 大津市御陵町3番6号大津法務総合庁舎 077-522-4673

和歌山地方法務局人権擁護課 640-8552 和歌山市二番丁2番地和歌山地方合同庁舎 073-422-5131

広島法務局人権擁護部 730-8536 広島市中区上八丁堀6番30号広島合同庁舎 082-228-5790

山口地方法務局人権擁護課 753-8577 山口市中河原町6番16号山口地方合同庁舎2号館 083-922-2295

岡山地方法務局人権擁護課 700-8616 岡山市北区南方1丁目3番58号 086-224-5761

鳥取地方法務局人権擁護課 680-0011 鳥取市東町2丁目302番地鳥取第2地方合同庁舎 0857-22-2289

松江地方法務局人権擁護課 690-0886 松江市母衣町50番地松江法務合同庁舎 0852-32-4260

高松法務局人権擁護部 761-8077 高松市出作町585-4 087-815-5311

徳島地方法務局人権擁護課 770-8512 徳島市徳島町城内6番地6徳島地方合同庁舎 088-622-4171

高知地方法務局人権擁護課 780-8509 高知市栄田町2丁目2番10号高知よさこい咲都合同庁舎 088-822-3331

松山地方法務局人権擁護課 790-8505 松山市宮田町188番地6松山地方合同庁舎 089-932-0888

福岡法務局人権擁護部 814-0005 福岡市早良区祖原14-15福岡法務局西新出張所庁舎5階 092-832-4311

佐賀地方法務局人権擁護課 840-0041 佐賀市城内2丁目10番20号佐賀合同庁舎 0952-26-2148

長崎地方法務局人権擁護課 850-8507 長崎市万才町8番16号 095-826-8127大分地方法務局人権擁護課 870-8513 大分市荷揚町7番5号大分法務総合庁舎 097-532-3368

熊本地方法務局人権擁護課 862-0971 熊本市大江3丁目1番53号熊本第2合同庁舎 096-364-2145

鹿児島地方法務局人権擁護課 890-8518 鹿児島市鴨池新町1番2号 099-259-0684宮崎地方法務局人権擁護課 880-8513 宮崎市別府町1番1号宮崎法務総合庁舎 0985-22-5124

那覇地方法務局人権擁護課 900-8544 那覇市樋川1丁目15番15号那覇第1地方合同庁舎 098-854-1215

入賞作文集 58

問合せ先一覧

法務局地方法務局名 郵便番号 所  在  地 電  話

札幌法務局人権擁護部 060-0808 札幌市北区北8条西2丁目1番1札幌第1合同庁舎 011-709-2311

函館地方法務局人権擁護課 040-8533 函館市新川町25番18号函館地方合同庁舎 0138-23-9528

旭川地方法務局人権擁護課 078-8502 旭川市宮前通東4155番31旭川合同庁舎 0166-38-1114

釧路地方法務局人権擁護課 085-8522 釧路市幸町10丁目3番地釧路地方合同庁舎 0154-31-5014

仙台法務局人権擁護部 980-8601 仙台市青葉区春日町7番25号仙台第3法務総合庁舎 022-225-5739

福島地方法務局人権擁護課 960-8021 福島市霞町1番46号福島合同庁舎 024-534-1994

山形地方法務局人権擁護課 990-0041 山形市緑町1丁目5番48号山形地方合同庁舎 023-625-1321

盛岡地方法務局人権擁護課 020-0023 盛岡市内丸7番25号盛岡合同庁舎 019-624-9859秋田地方法務局人権擁護課 010-0951 秋田市山王7丁目1番3号 018-862-6533

青森地方法務局人権擁護課 030-8511 青森市長島1丁目3番5号青森第二合同庁舎 017-776-9024

東京法務局人権擁護部 102-8225 千代田区九段南1丁目1番15号九段第2合同庁舎 03-5213-1234

横浜地方法務局人権擁護課 231-8411 横浜市中区北仲通5丁目57番地横浜第2合同庁舎 045-641-7926

さいたま地方法務局人権擁護課 338-8513 さいたま市中央区下落合5-12-1さいたま第二法務総合庁舎 048-859-3507

千葉地方法務局人権擁護課 260-8518 千葉市中央区中央港1丁目11番3号千葉地方合同庁舎 043-302-1319

水戸地方法務局人権擁護課 310-0061 水戸市北見町1番1号水戸地方法務合同庁舎 029-227-9919

宇都宮地方法務局人権擁護課 320-8515 宇都宮市小幡2丁目1番11号宇都宮地方法務合同庁舎 028-623-0926

前橋地方法務局人権擁護課 371-8535 前橋市大手町2丁目10番5号前橋合同庁舎 027-221-4426

静岡地方法務局人権擁護課 420-8650 静岡市葵区追手町9番50号静岡地方合同庁舎 054-254-3555

甲府地方法務局人権擁護課 400-8520 甲府市北口1丁目2番19号甲府地方合同庁舎 055-252-7239

長野地方法務局人権擁護課 380-0846 長野市旭町1108番地長野第2合同庁舎 026-235-6634

新潟地方法務局人権擁護課 951-8504 新潟市中央区西大畑町5191番地新潟地方法務総合庁舎 025-222-1564

名古屋法務局人権擁護部 460-8513 名古屋市中区三の丸2丁目2番1号名古屋合同庁舎第1号館 052-952-8111

津地方法務局人権擁護課 514-8503 津市丸之内26番8号津合同庁舎 059-228-4193岐阜地方法務局人権擁護課 500-8729 岐阜市金竜町5丁目13番地 058-245-3181

福井地方法務局人権擁護課 910-8504 福井市春山1丁目1番54号福井春山合同庁舎 0776-22-5090

問合せ先一覧 (法務局地方法務局)

59 第30回全国中学生人権作文コンテスト

問合せ先一覧

世界人権宣言啓発書画「鳥」「自由と解放」を表わしたもの 小木太法書オタビオロス画(財)人権擁護協力会提供

入賞作文集 60

すべての人間は生まれながらにして

自由でありかつ尊厳と権利とに

ついて平等である人間は理性と

良心とを授けられており互いに同胞の

精神をもって行動しなければならない

―――

世界人権宣言 第一条

―――

第三〇回

 全国中学生人権作文コンテスト

中央大会表彰式

印  刷 平成23年1月25日

発  行 平成23年2月14日

発 行 者 法務省人権擁護局

全国人権擁護委員連合会

東京都千代田区霞が関一丁目1番1号

電話 03(3580)4111 内線5875

URL httpwwwmojgojpJINKEN

第30回全国中学生人権作文コンテスト中央大会審査員

感想をお聞かせください本作文集を読まれた感想等を下記の連絡先又はkeihatsumojgojpまでお寄せください

無断転載を禁じます本作文集に掲載された作文や写真等を地方自治体が広報誌に掲載したり学校が教材に使用される場合などにはあらかじめ下記に御連絡ください

100-8977 東京都千代田区霞が関一丁目1番1号 法務省人権擁護局人権啓発課 TEL03(3580)4111 内線5875

作  家(審査員長) 落 合 恵 子映画監督 山 田 洋 次社団法人日本新聞協会事務局長 川 嶋   明日本放送協会解説委員室解説委員 南   直 樹文部科学省初等中等教育局視学官 三 好 仁 司全国人権擁護委員連合会長 中 村 浩 紹法務省人権擁護局長   井 忠 雄

(敬称略)

【式次第】

第一部

 会

主催者あいさつ

賞状授与

内閣総理大臣賞法務大臣賞

文部科学大臣奨励賞法務副大臣賞

法務大臣政務官賞

全国人権擁護委員連合会長賞

社団法人日本新聞協会会長賞

日本放送協会会長賞(以上各一名)

法務事務次官賞(三名) 計一一名

学校への感謝状贈呈

高円宮妃殿下おことば

来賓祝辞

第二部

各受賞作文の朗読

内閣総理大臣賞法務大臣賞

文部科学大臣奨励賞

全国人権擁護委員連合会長賞

社団法人日本新聞協会会長賞

日本放送協会会長賞

 評

全国中学生人権作文コンテスト中央大会審査員

 山田洋次氏

 落合恵子氏(ビデオレター形式)

第三部

新垣勉さんコンサート

 会 平成二二年一二月一八日(土)

午後一時三〇分〜三時五〇分

於ニッショーホール

「いじめ」や暴力行為等は人権侵害です

法務局地方法務局では

人権侵害による被害を受けた方を

救済するための活動を行っています

お気軽にご相談ください

女性の人権ホットライン

インターネット人権相談受付窓口

ゼロナナゼロのハートライン

0570-070-810

子どもの人権110番ぜろぜろななのひゃくとおばん

 0120-007-110

パソコンから httpwwwmojgojpJINKENjinken113html携帯電話から httpwwwjinkengojpsoudanmobile001html

インターネット人権相談 検 索

Human Rights法務省人権擁護局全国人権擁護委員連合会

人権イメージキャラクター人KENあゆみちゃん人KENまもる君

全国共通通話料無料

全国共通ナビダイヤル

この冊子は環境保護印刷の「水なし印刷」で印刷されています

第30回全国中学生人権作文コンテスト入賞作文集

法務省人権擁護局全国人権擁護委員連合会

人権イメージキャラクター人KENまもる君人KENあゆみちゃん

この冊子には音声コードが各頁(奇数頁 左下偶数頁 右下)に印刷されています専用の読み上げ装置で読み取ると記録されている情報を音声で聞くことが出来ます

Human Rights法務省人権擁護局全国人権擁護委員連合会

 全国中学生人権作文コンテスト入賞作文集

 全国中学生人権作文コンテスト入賞作文集

第30回

第30

回全

国中

学生

人権

作文

コン

テス

ト中

央大

会表

彰式

平成

22年

12月

18日

(土

) 於

ッシ

ョー

ホー

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東京

都港

区)

平成

22年

度は

コン

テス

トが

第30

回目

とい

う記

念す

べき

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こと

から

円宮

妃殿

下御

臨席

の下

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皆さ

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お集

まり

いた

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央大

会表

彰式

が開

催さ

れま

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左か

小川

秘書

課長

野法

務事

務次

山田

洋次

審査

林里

咲さ

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法務

事務

次官

賞)

井上

由紀

子さ

ん(

法務

副大

臣賞

)大

田葵

さん

(法

務大

臣政

務官

賞)

浦谷

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法務

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次官

賞)

小川

法務

副大

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護局

長前

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社団

法人

日本

新聞

協会

川嶋

事務

局長

森文

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学審

議官

田幸

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法務

事務

次官

賞)

久米

一輝

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長賞

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全国

人権

擁護

委員

連合

会長

賞)

櫻田

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閣官

房長

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法務

大臣

村全

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権擁

護委

員連

合会

日本

放送

協会

南解

説委

高円宮妃殿下おことば

仙谷法務大臣あいさつ

仙谷内閣官房長官兼法務大臣から内閣総理大臣賞の表彰を受ける江川麻理香さん

山田洋次審査員と記念撮影をする受賞者の皆さん

新垣勉さんによるコンサート

中央大会審査会の様子

第三〇回

全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文集

法務省人権擁護局

全国人権擁護委員連合会

 

法務省と全国人権擁護委員連合会は人権尊重思想の普及高揚を図るための啓発活動の一環と

して昭和五六年度から「全国中学生人権作文コンテスト」を実施しています

 

本コンテストは次代を担う中学生が人権問題についての作文を書くことにより人権尊重

の重要性必要性についての理解を深めるとともに豊かな人権感覚を身につけることを目的と

して実施しているものです平成二二年度は本コンテストが第三〇回目という記念すべき年で

あることから平成二二年一二月一八日高円宮妃殿下御臨席の下東京都港区にあるニッショー

ホールにおいて多くの皆さまにお集まりいただき中央大会表彰式が行われました

 

本年度は各都道府県単位(北海道については札幌法務局及び函館旭川釧路の各地方法

務局単位)に実施された地方大会に六三一一校の中学校から過去最高となる八八万七〇一二

編にも及ぶ多数の作品が寄せられ中央大会には地方大会の審査を経た代表作品九二編が推薦

されました

はしがき

入賞作文集 2

はしがき

 

この作文コンテストへの応募作品はいずれも中学生らしい感性に富み純粋な感覚で人権問

題を捉えたものばかりであり応募された皆さまの真摯な姿勢には心を打たれるものがあります

 

また本年度はこの作文コンテストの輪が国際的にも広がり海外の香港日本人学校中学部

からも作品が寄せられました海外からの応募作品については残念ながら本選への応募とは

なりませんがこの中から代表作品として一作品を御紹介します

 

この作文集をより多くの方々に御愛読いただき人権尊重の輪が更に大きく広がることを願っ

てやみません

 

終わりにこの作文コンテストの実施に当たり多大な御尽力をいただいた全国各地の教育委

員会中学校等関係各方面の皆さま方に対し心から感謝を申し上げます

 

平成二三年二月

法務省人権擁護局

全国人権擁護委員連合会

3 第30回全国中学生人権作文コンテスト

はしがき

 【審査講評】

 【入賞作文】

内閣総理大臣賞

 「身近で無意識な人権侵害」

佐賀県佐賀市立東与賀中学校三年

江え

川がわ

 麻ま

理り

香か

10

法務大臣賞

 少しずつhellip一歩ずつhellip

兵庫県篠山市立西紀中学校三年 辻つじ

本もと

 桃もも

佳か

14

文部科学大臣奨励賞

 「差別のない世界へ」福島県福島市立渡利中学校一年 ローリンズ リコ

18

法務副大臣賞

 私の大好きなふる里

熊本県熊本県立八代中学校一年 井いの

上うえ

 由ゆ

紀き

子こ

22

法務大臣政務官賞

 「家族」とは何か

栃木県さくら市立喜連川中学校三年 大おお

田た

 葵あおい

26

目  次

入賞作文集 4

目  次

全国人権擁護委員連合会長賞

 忘れてはならないこと

群馬県群馬大学教育学部附属中学校三年 大おお

井い

 海み

琴こと

30

社団法人日本新聞協会会長賞

 ハンセン病について考えたこと

埼玉県学校法人立教学院立教新座中学校一年 久く

米め

 一かず

輝き

34

日本放送協会会長賞

 悔いのない最期を

山形県酒田市立松山中学校三年 櫻さくらだ田

 要かな

太た

38

法務事務次官賞

 差別のない社会に(パピーウォーカーの経験から学んだこと)

東京都小平市立小平第六中学校三年 林はやし 里り

咲さ

42

 祖父への靴下静岡県静岡大学教育学部附属浜松中学校三年 守もり

田た

 幸こう

平へい

46

 いじめをなくすために今

徳島県三好市立池田中学校三年 浦うら

谷たに

 毅たける

50

 【海外作品】

 国境をこえて

香港日本人学校中学部二年 村むら

瀬せ

 広ひろ

高たか

54

5 第30回全国中学生人権作文コンテスト

目  次

審査講評

落合 恵子

「時代のページをひらく」

 

二〇一〇年の年の暮れにこの講評を書いている

 

資料など紙類の最後の収集はいつだった 

明日 

明後日 

分別ゴミの収集日を確認しな

がらその前に新聞などの連載の仕上げがいつまで 

と年始休休が入るこの時期はなにか

と気ぜわしい

 

気分前のめり状態なのだがわたしたちの多くはゴミは出してしまえばそれで落着わ

たしの原稿も担当のかたにメールで送ってしまえば終わりである

 

けれどその向こう側にはこの寒空(今朝は特に寒さが厳しい)のもとわたしたちが出し

たものを集める仕事をされているかたがたがいるわたしたちが書いたものを印刷してくれるか

たがたもいるhelliphellip

入賞作文集 6

審査講評

 

こうしてひととひとはひとと暮らしは有機的に繋がっているのだと改めて思うのも年の

暮れだからなのかいや人権についての素晴らしい姿勢と視点に溢れた「あなた」の作品を今

朝もう一度読み返したせいなのかもしれない

 

第三〇回を迎えた全国中学生人権作文コンテスト全国(今回は海外からの作品もあったが)

の中学生の四人にひとりはこの作文を書いてくださったとうかがった

 

すごいことだ嬉しいことだ素晴らしいことだと心が震える

 

たとえばいま大人たちに人権に関する作文を書いてくださいと言ってどれほどのひとが

賛同し実際に書いてくれるだろう考えることと実行することの間には深い溝がある

 

それもこれほど瑞々しい感受性と論理性に裏打ちされた作品をである

 

毎回書いているような気がするがこの作文コンテストに選考委員のひとりとして加わる唯一

の苦しみは応募作品に順位をつけることにある

 

どれもがキラリと光る芽を持った作品にいったい順位をつけることが可能なのか読み手で

あり選考する側のわたしたち大人の「人権意識」がある意味試されているような緊張が

いつもある

 

何度も何度も読み返しそれでも迷うことがあることも告白しておこう

 

内閣総理大臣賞を受賞された江川麻理香さんの『身近で無意識な人権侵害』

 

入院先で出会ったひとから聞いた悪意不在のけれど「もうひとつの差別」

目が不自由であることから子どものように「扱われること」への居心地の悪さ

7 第30回全国中学生人権作文コンテスト

審査講評

についてそういった傾向がわたしたちの内にもないかを問い返した優れた作品で

ある

 

それは「される側」からの柔らかな異議申し立てであり問題提起でもある

認知症の母を自宅で介護していたおよそ七年間わたしも病院などで母にかけられ

る言葉がとても気になった言葉の多くが幼児へのそれに似ていて「優しく接すること」が

幼児言葉であるという習慣のようなものはわたしたちの暮らしの中のいろいろな場面にある

ひととして親切であることと相手に対する想像力を働かせることと幼児に向けてのような言

葉を使うことはまったく別なことなのだが

 

悪意不在であるがゆえにかえって問題提起しにくいテーマを江川さんは見事に拓いてくだ

さっている

 

辻本桃佳さんの作品目の不自由なお父様がある日電車の中で出会ったことを通して「個

人的な体験」を普遍的なテーマに広げ深めることに成功した作品だ

 

人種と「見た目」の違いをテーマにしたローリンズ

リコさんの作品水俣という愛する郷里

の酸鼻な歴史とそこから生まれた差別と偏見について丁寧に描いた井上由紀子さん事情があっ

て家族とは離れて暮らす大田葵さんが今考える拓かれた『家族』とはかつて偶然に出会っ

たひとたちが偶然を必然に変えて

4

4

4

4

4

4

4

4

4

新しい結縁の家族を作っていく小説を書いたわたしには特

に心に響く作品だった

 

文字数の関係ですべてに触れることはできないが心に響く作品たちを読んでいる間はささ

入賞作文集 8

審査講評

やかながら人権の活動をしてきた「かつての中学生のひとり」としてとても充たされた思いの

中にいた

 

ありがとうと心から「あなた」にお伝えしたい

 

そして若い季節に人権を自分に引き寄せこうして作品にまとめあげた体験は「あなた」に

準備されているたくさんの明日に光をもたらしてくれるはずhelliphellipと書いてふっと思う自分の

暮らしの核に人権を置くことは素晴らしいことであると同時にある意味ストレスを抱え込

むことでもあるのではないかとそれは気づいてしまうストレスでもある社会にはまだま

だ差別がある人権についてセンシティヴであればあるほどそれに気づき失望し傷つくこ

とも少なからずあるはずだ

 

それでもとわたしは「あなた」にお伝えしたい気づかない人生よりも気づく人生そし

て気づいたことを少しでも「拓いていく」人生のほうが容易ではないがはるかに充実してい

るはずだと

 

オーディオセットから大好きなクリスウィリアムソンとメグクリスチャンの曲が流れて

いるhelliphelliphellipわたしたちは新しい時代を作るため新しいページを開くために時代のステージ

にいま登ったところだとふたりとも歌を通してアメリカで人権の活動をしてい

るアーティストである海のこっち側のわたしたちもいま新しい時代のページを

開く時そのステージの上にいる

9 第30回全国中学生人権作文コンテスト

審査講評

内閣総理大臣賞

 

私が入院した時眼科や外科内科などいろいろな病状の患者さんと知り合いになった仕事

で足を骨折した人胃を悪くして入院した人目の手術を受けた人など年齢や性別職業も様々

でふだんあまり接することのない人たちと話す機会に恵まれた病気やケガの苦労話はもちろ

んのこと世代の違う人たちの話はとてもおもしろかった「人権」について考える時その中

の一人の患者さんのことが頭に浮かんだ

 

人権侵害とは障害者やお年寄りなど立場の弱い人たちに対する差別や悪意のある偏見か

らくるものだとばかり思っていたところがたとえ善意であっても思わぬところから人権の侵

害になっていることがあるのだと考えさせられたのであった

 

目の手術を受けたその人は母と同年代ぐらいの女の人だった目が不自由なことで周りの

江え

川がわ

 麻ま

理り

香か

佐賀県佐賀市立東与賀中学校 三年

「身近で無意識な人権侵害」

入賞作文集 10

入賞作文

人たちがとてもよくしてくれるのはいいがそのために困ったり悲しい思いをすることもあると

いうのだった私はこれまで人に優しく親切にすることはいわば常識であり当然のことだ

と思っていただけに大きなショックを受けた困った時に手を貸してくれるというのに悲しい

思いをするとはどういうことなのだろう私たちが親切のつもりでやっていることが迷惑になっ

ているというのだろうかお年寄りや障害者をいたわるのは当たり前でありそれは感謝される

ことはあっても迷惑に思うなどとは筋違いではないだろうかところがその人の立場から見

れば好意のつもりでもまるで小さな子どものように扱われたりこれは危険だからと勝手に

予測されて遠ざけられてしまったりと自分の意思とは関係なく何でも先回りされてしまうのが

悲しいのだそうだ目は悪くとも自分は子どもではないしできなくはないことにまで行き

過ぎた親切にひどく心を傷つけられるのだというまた相手がよかれと思ってくれていること

だけにそれを断ろうものならあからさまにいやな顔をされたり急に態度を変えられることも

あったりでかえって気を遣うのだそうだ

 

私ははっとした今まで手を貸す側から見ることはあっても逆の立場から考えたことはな

かったので大きな衝撃を受けたいつの間にか相手より自分を少し高い所に置いて見ていない

だろうか無意識のうちに相手のことを保護すべき弱者だとして見ていないだろう

か私は今中学生だがそれ以下の子ども扱いされると腹が立ついちいち細かい

ことまで制限されたり禁止されたりすれば確かにいい気持ちはしない同じよう

に障害者や老人に対して危険だ何だのとその人ができることまでをも禁止し

11 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

まだこぼしてもいない湯のみを取り上げるようなことをしてはいないだろうか

 

確かに弱者をいたわり手助けすることは人として当然であり必要なことで

あるしかし相手の気持ちや状況を考えずただ一方的に押しつけるだけの親切

はただの自己満足でしかない見えない人には見えない人なりのやり方や考え方が

あるのにそこに寄り添うための理解がないとしたらそれは人権を侵害しているといえないだ

ろうか

 

人は皆平等であるけれど環境や年齢身体能力などは同じではないだからこそ人とし

ての尊敬の念や思いやりいたわりの心を持って接することが大切なのだと思う

 

しばらく前の人権侵害とは人を自分より見下したりおとしめることで優越感を持つための

ものだったように思うそして今生活や文化が豊かになった現代では行き過ぎた親切やいた

わりが人の心を傷つけそれが新たな種類の人権侵害の一つになっていることもあるのだ「善意

イコール感謝されるべきもの」という考え方が全てに当てはまるとは限らないまた当ては

めようとしてはならないその人にとっての「いちばん」は何かひとりひとりを尊重するため

には本当に助けが必要かどうか出すぎたことをしていないかを見極めることも大切なのだと

思う

 「人権」について考えることそれはとても難しいことのように思えるが意外と簡単なこと

ではないだろうか同じ人間同士が並んで歩くための人と人との間の権利私たちが無意識のう

ちに作り出している優劣の壁を取り払うこと自分の価値観を人に押しつけないこと自分も相

入賞作文集 12

入賞作文

手も同じひとりの人間なのだとその

人の心に寄り添い理解し合う努力こ

そ人権を守る大きな力になると思う

13 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

 

十五年前父が篠山の町中を歩いているとこう言われた「そんな棒きれ振り回さんといて」

と父は決して棒きれを振り回していた訳ではないただ白杖を持って歩いていただけだそ

の話を聞いて私は驚いたたった十五年前のことだけど信じられない気持ちでいっぱいになっ

ただが十五年経った今ではそんなことはないだろうマスメディアが発達しいろんなハン

ディを持った人のことが紹介されたり障がい者の方自身が社会参加する機会が増えたからだと

 

そしてこんな話も聞いたことがある電車に乗った時に時間が知りたくて携帯電話を開い

たときのことだ「こんなとこで電話したらアカンやろ」と中年のおばさんに怒鳴られたそうだ

優先座席の近くだったということもあるが『目の不自由な人=白杖を持っている』という認識

は広まってきているが時間を知りたいときには音声が出る時計や携帯電話を使うということは

法務大臣賞

辻つじ

本もと

 桃もも

佳か

兵庫県篠山市立西紀中学校 三年

少しずつhellip一歩ずつhellip

入賞作文集 14

入賞作文

ほとんど知られていないのだそのとき父は説明しようと思ったがどうせ分かってもらえな

いと思い「すみません」と謝りとても悲しい気持ちになったそうだ見えている人は時間

が知りたければ時計を見ればすぐに分かるだが目が不自由だと音で聞くしかないのだ私は

障がい者が暮らしやすいような機器が発達してきていることをもっと社会に広めていくことが

必要だと思うそうすることで協力してくれる人や理解してくれる人が増えていくのではな

いだろうか

 

視覚障がい者の方が日常生活を送る上で給付や貸与される機器がある音声で教えてくれる

時計や体重計文章読み上げ器などがそれだこれらは以前県の基準で市が実施要綱を定めて

そこが窓口となって行われていたが法改正により各市区町村対応となったしかしこの日

常生活用具の中に健常な家族と同居している視覚障がい者には給付してもらえない物もあるの

だそれは体温計や体重計であったりするこの体温計がなければ家族が出かけている間に

体調が悪くなっても計測することはできないのだ

 

父の知り合いに赤ちゃんを連れた全盲のお母さんがいる体温を計るのに複数の体温計で赤

ちゃんの体温を計りその体温計に印をつけて病院まで持っていって見てもらったり家族が帰っ

てくるのを待って見てもらうことがあるそうだ私たちは簡単に体温を計ること

ができるが見えない人たちはそれができないために生命の危険にさらされてしま

うことがあるのだせっかく便利な機器が発明されても値段が高くて簡単に購

入できないもしくは制度のカベによってそのサービスが受けられないことがあ

15 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

るしかし私の住む篠山市では父たちの声が福祉課の方々に届き日本で初めて

音声式体温計が同居家族の有無にかかわらず給付されるようになったのである

 

今は携帯電話が音声で読み上げてくれてメールや時間GPSなどの便利な

機能を視覚障がい者の方も利用できるようになっただがそのことを知っている

健常者の方は全国にどれくらいいるだろうかまたこのことを知っている当事者である視覚障

がい者の方が全国にどのくらいいるだろうか私はまだ知らない人が多いと思う

 

ここ十五年程で視覚障がい者の人は白杖をついているということはほぼ知られてきたが生

活を助ける機器が発達してきているということは知らない人も多いだろうそれが「あの人は

目が動いているから見えている」とか「あの人はずっと目をつぶっているから見えていない」

「物を避けているから見えている」「物にぶつかっているから見えていない」という勝手な

思い込みで障がいの重さをはかることにつながっているのではないだろうかでもそれは間違っ

ている目を閉じれば視覚障がい者の疑似体験はできるでもそれはあくまでも体験であって

個人個人の見え方はそれぞれ違うし外見や行動で障がいの重度を判断するのは良くないと私は

思う同じような見え方ができたとしても全く同じ動きなんてできる訳ないのだから毎日父

と生活していてもどのくらい見えているのか私にもはっきり分からないなにげに父たちがこな

している日常の動作であっても私たち健常者にははかりしれない恐怖と不安努力があるの

だ誰でも目をつぶれば見えない世界を体験した気になる松葉杖をつけばその体験をした気

になる車イスに乗ればその体験をした気になるだが本当の障がい者の苦悩と努力の一部

入賞作文集 16

入賞作文

しか体験していないことを知ってお

いてほしい私たちには当たり前に

できるようなことがあってもどん

なに望んでもできない人たちがいる

ということとみんなの正しい理解と

知識が障がい者の明るい未来へとつ

ながっていくということを知ってほ

しいそしてこのことを広めていか

なければならない

 「少しずつhellip一歩ずつhellip」

17 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

 「Pick your 

head up」

 

これは父がいつも私にかけてくれる魔法の言葉です

 「顔をあげなさい下を向かない」という意味です

 

私の父は生まれも育ちもニューヨークのアメリカ人です女の子は父親に似るとよく言われ

ますが私もそうで日本人の母親よりも父の方に髪質も肌の色も本当によく似ています子供

が親に似ることはあたりまえのことですが私はそのためにいやな思い悲しい思いをいくどと

なくしてきました

 

初めて自分がみんなとちがうんだなと思ったのは幼稚園に入学してまもなくのことでした同

じ組の女の子たちが何人かして楽しそうに遊んでいたので

ローリンズ リコ

福島県福島市立渡利中学校 一年

「差別のない世界へ」

文部科学大臣奨励賞

入賞作文集 18

入賞作文

 「まぜて」

と声をかけると一人の子が言いました

 「このグループは日本人で髪がまっすぐな人しか入れないのリコちゃんは髪がチリチリだし

ハーフだからダメ」と

 

私はとても悲しくなりましたそしてそれは卒園するまで続きました

 

小学校は人数も少なかったせいかみんなとても仲良くて私の外見のことを言う人はだれ一

人いませんでしたまるで兄弟のようにみんな自然に接してくれましたでも習い事やいろい

ろな大会など他校の子たちといっしょになる場面ではやはり髪の毛や肌のことをからかわれ

ることはよくあることでした私には二学年上の兄がいますが兄もやはり父の方に似ています

おだやかな性格の兄は私以上につらい思いをしてきたと思います

 

父は兄や私の話を聞くたびに

 「Pick your 

head up」

と言いましたそして

 「自分に自信とほこりをもちなさいあなたたちは二つの文化を受けついでそれはとてもす

ばらしいことなんだよ」

といつも話してくれました

 

中学に入って間もないころでしたある男の子がいきなり私に向かって言いまし

19 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

 「おまえ風呂に入っているのか黒いぞ外国人はくさいからな」

 

私はとてもはずかしくなりましたそしていかりや悲しみがこみあげてきました

まわりにいた友達は彼の言葉に苦笑いをしていました私はいかりのあまり彼をな

ぐりたくなりましたその時私は父のあの言葉を思い出しました私は顔を上げ

相手の目を見て静かに自分の傷ついた気持ちを伝えました

 

彼は私に向かってこう言いました

 「ごめんわるかった」

 

彼は人を傷つけるということが彼の想像以上に重くそしてひどいことだと少し気付いたよう

でした

 

差別やいじめというのは私たちのまわりでは小さなことから大きなことまで本当によくあり

ますそして差別やいじめをしている側からすればそれをじょう談だという人も多いのです

まわりの人たちもやはりじょう談や遊びの中でのことにとらえてしまう人たちもとても多いので

すだから小学校の時から私たちは道徳などでいじめや人権などについて学んでいてもなかな

かそれがなくならないのだと思いますでも実際に差別やいじめをされている方はみんなの想

像よりはるかに傷ついているということつらいということそして悲しいということを私はこ

の人権作文を通してたくさんの人に知ってほしいのですけがをすれば日がたつごとにそのけ

がは治っていくでしょうまわりからも治っていく様子が見てわかるでしょうでも心に受けた

傷は本人にしかわからないのですその傷がどんなに深くて痛いものか本人にしかわからないの

入賞作文集 20

入賞作文

です

 

肌の色が違っていてもかみの毛が

違っていても私たちはみんな同じ人間

です心を持った人間です相手の気

持ちを思いやり相手の立場になって

考えればいじめや差別はなくなると

思います今も世界のいたるところで

人種差別が問題となり争いが起きてい

ます私は世界から差別やいじめがな

くなるように強い心を持ってまずは

自分から立ち向かっていきたいです

21 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

 

あなたには大好きなふる里がありますか私には緑の木々と青い海に囲まれた自然豊かな

大好きなふる里があります私のふる里は過去に公害という大きな被害をうけた水俣ですそ

の水俣病で患者はもちろんそうでない人も長い間差別をうけてきました

 

父が幼い頃まだ水俣病の原因が究明されておらず水俣病はうつると言われていました列

車が水俣の駅につくと窓をしめ手で口をおおった人もいました修学旅行に行くと同じ宿

舎になった学校から苦情を言われたこともありました水俣出身ということで結婚を断られた人

や就職試験をうけることさえできなかった人もいました水俣に住んでいることをかくして隠

れるようにひっそり暮らしていた人もいましたまた同じ水俣に住む人でさえ奇病と呼び距

離をおきましたそのことでたくさんの人々が傷つきあってきたのですいろいろな立場の人々

井いの

上うえ

 由ゆ

紀き

子こ

熊本県熊本県立八代中学校 一年

私の大好きなふる里

法務副大臣賞

入賞作文集 22

入賞作文

がせまい土地に住んでいるのですから仕方がなかったのかもしれません

 

しかし今では原因も究明され海の安全も確認されたことでそのようなことはほとんどな

くなりました私たちは過去のことを忘れるくらい楽しくすごしています

 

私は今八代の中学校に通っています私は自分が水俣出身ということを隠すこともありませ

ん友だちもまたそのことを知っていますがからかったりいじめたりする人は誰一人いません

 

しかし先日水俣の中学校のサッカー部が練習試合中に相手チームの選手から

「さわるな水俣病がうつる」

と言われたという記事が新聞にのっていました今でもこういう風に思っている人がいるのか

と思うと残念で仕方ありません何気なく言った一言だったのかもしれませんがその一言は

私たち水俣に住む者にとって非常に悔しく悲しいものでした

 

小学校の総合的な学習の時間で水俣病について学習しました原因となった会社を訪問したり

患者の方から当時の話をきいたり交流も行いましたそんな中で苦労されたり何も言えずに

黙って亡くなった人のことを知り水俣に住んでいながら何も知らなかったことをはずかしく思

いました水俣病についてしっかり学び正しい知識を得ることが差別や偏見をなくすのだと気

付きました

 

中学校の道徳の時間ではハンセン病について学習しましたこれも水俣病同様

正しい知識がなかったためにおきた悲しく悔しい悲劇でした

 

私たちが差別や偏見をなくすためにできることそれはその人その出来事に

23 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

ついてしっかり知ること知ろうと努力すること正しい知識を深めるために学習

することではないかと思いますそうすれば水俣病やハンセン病のようにむや

みに人と人とが傷つけあったり憎しみあったりすることはなくなるのではないで

しょうか

 

先日テレビで水俣のダイバーが紹介されましたその人は本当はほこりたい水俣を心の中

にじっとしまいこみ誰にも言えず何年もの間生きてきた人でしたしかし水俣の地にも

どり自分はこのすばらしい美しいふる里を紹介したいと海にもぐり写真をとり続けておら

れるそうです心に差別という深い傷を負いながら水俣の再生を皆に知らせたいと頑張る人

がいることに感動しました

 

今水俣はごみの分別リサイクル事業など市民全員で環境にやさしい町づくりをすすめてい

ます私は差別や偏見から立ちなおり再生しようと環境問題に一生懸命とりくんでいるふる

里水俣をほこりに思っています

 

水俣では運動会等多くの行事で「水俣ハイヤ節」というものが踊られますこれは水俣病

の患者の方が水俣の青い海と豊漁を願って振りつけをされた踊りだそうです私たちと同じ思い

をする人が二度とでないことを祈りながら私たちは毎年皆でこの踊りを踊ります

 

水俣の悲しい過去を変えることはできませんが私はあやまちを二度とくりかえさないため

にこの美しい自然を守り真実を語り継いでいきたいですそして差別や偏見のない社会に

なるよう自分から努力していきたいと思います

入賞作文集 24

入賞作文

25 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

 

みなさんは「本当の『平和』とは」と質問されたら何と答えますか「戦争や紛争などが

ないこと」ですかそれとも「自分自身の幸せのこと」ですか一人ひとりの抱く「平和」のイ

メージは違うことでしょう

 

僕の思う本当の「平和」それは「家族」がいて「家庭」があることだと思いますなぜそう

思うかというと今僕は訳あって家族とは離ればなれに暮らしているからです一歳前後には既

に家族とは離れ施設にいました母親や姉兄の存在はわかっていますが一緒に過ごした時

間は限られたもので今でもほとんど交流はありませんそのせいか僕はいつも「家族」や「家

庭」というものに強い憧れを抱いています

 

自分がまだ幼い頃は自分と同じくらいの子が母親と手をつないでいる姿がとてもうらやまし

大おお

田た

 葵あおい

栃木県さくら市立喜連川中学校 三年

「家族」とは何か

法務大臣政務官賞

入賞作文集 26

入賞作文

「どうして自分には母親がいないんだろう」と思っていました仕舞いには自らの母親を恨ん

でしまったのです小学生になってもその気持ちは変わらず母親への恨みは増すばかりでした

 

しかし小学五年生の夏思いもよらぬ出来事が起きましたそれは引っ越しがあったこと

ですそこで僕は新しい土地そして新しい里親という人たちに出会いました里親の人たち

と暮らした数年間僕は幸せでしたそこで僕は僕の周りにはいつも支えてくれる人たちがい

ることに気づきました血のつながりがなくても僕に自分の子どものように接し育ててくれ

た里親の人たち養護施設の先生方などたくさんの方たちに僕は見守られて成長してきたこと

に気づいたのです僕を支えてくれる人すべてに感謝の気持ちがわき出てきましたそれ以来

僕は親という存在にこだわらなくなりましたそれどころか自分に命を与えてくれた親に感謝

の思いを抱くようになったのです

 

この夏母親の育児放棄が原因で二人の乳幼児が衰弱死するという悲しい事件がありました

二人の子どもにろくに食事も与えず風呂も入れなかったそうですさらに逮捕後その母親は

「家に帰ってあげなかったことを今も後悔している子どもは私を恨んでいると思う」

という言ってはならない発言をしました僕は怒る前に亡くなった二人の子ども

たちがかわいそうでなりませんでした

 

と同時に僕はこの母親はどうしてこのようなことをしてしまったのだろうと

すごく考えさせられました僕は本来親は子どもを殺すのではなく守るために

27 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

いるのだと考えますたとえ小さな子どもでも立派な一人の人間ですその命を

守り育てていくことが親として大切な役目だと思うのですこの母親はどこで

勘違いしたかは知りませんが親としての自分の責任を理解していなかったのでは

ないでしょうか

 

そしてその勘違いを誰も母親に気づかせてあげられなかった事実母親が一緒に遊び歩いて

いた友人はもちろん母親の家族が少しでも助けることができていたら母親の行動を戒めるこ

とができていたら連絡を受けた児童相談所がもう少し踏み込んだ行動が取れていたらこのよ

うな悲しい結末にはならずに済んだのではないでしょうかやりきれない思いばかりがこみあげ

てきます

 

もう一つこの母親は大きな勘違いをしていますそれは「子どもは私を恨んでいると思う」

という言葉です僕はこの子どもたちが母親を恨んでいるとは思えません子どもたちは母

親が帰宅するといつもハイタッチをして喜んで迎えたそうです子どもたちは母親のことが大

好きだったのでしょうたとえ自分たちを見放した母親でも恨んでいるとは決して思えないの

です

 

子どもは心の底から自分の母親のことを恨めないと僕は思いますこの世に生を受け笑った

り怒ったり泣いたりと毎日いろいろな経験ができるのは自分を生んでくれた母親という存在

があったからです正直僕も小さい頃は母を恨んだことがありました愛情の裏返しというよ

うに母親への思いが憎しみに変化してしまったのですでも心の底には母への恨みとは全く

入賞作文集 28

入賞作文

正反対の気持ちが存在し続けていましただ

からこそこの子どもたちがどんな思いで死

んでいったのかわかるような気がします母

親を信じひたすら母親の帰りをまちわびて

いた思いが

 

僕にとっての「家族」それは同じ屋根の

下で暮らす人々のことですたとえ血はつな

がっていなくても僕を支え励ましてくれる

人たちそのすべての人が僕にとっての大切

な「家族」なのです今僕の暮らす養護施設

にはいろいろな事情を抱えた二歳位から高

校生までの子どもたちや職員の方が約六十人

います今の僕には全員大切な「家族」で

す僕はこれからもこの「家族」を大切に

一日一日精一杯平和に生きていきたいです

29 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

 

授業でハンセン病について学んだ日両親と「偏見」や「差別」について口角泡を飛ばす議論

を深夜まで繰り広げた身体障害者の父と看護師の母を持つ私は幼い頃から「命の大切さ」を

訴える両親の姿を見て育って来たそんな私は真摯な気持ちからハンセン病罹患者と向き合い

たいと思いこの夏草津にある療養施設栗生楽泉園を訪れた

 

草津までの道のり私は罹患者の気持ちを絶えず考えていたハンセン病について調べると「ら

い予防法」により罹患者は隔離され人権を無視された扱いを受けたことが分かった罹患者の

言葉が書かれた本ではどんなに過酷な仕打ちを受けたか他人をどれほど恨み憎んでいるか

が書かれていたその為私は無意識の内に「罹患者は全員恨みを抱いている」と勝手に思い込

んでいたしかしこんな思い込み自体が偏見や差別を生む原因になるということを後に思い知

大おお

井い

 海み

琴こと

群馬県群馬大学教育学部附属中学校 三年

忘れてはならないこと

全国人権擁護委員連合会長賞

入賞作文集 30

入賞作文

らされることになるのである

 

私を迎えてくれたのは入園者自治会長の藤田三四郎さん藤田さんは大変お元気でその容姿

からはハンセン病を伺い知ることはできなかったしかし藤田さんは紛れもない罹患者なのだ

その証拠に藤田さんの名は本名ではない罹患者は施設に入所するにあたり偽名を使用させら

れたと言うつまりその時点で罹患者は世間から存在を消されてしまうのであるそんな藤田

さんから語られた話はハンセン病だと宣告され三度も命を絶とうとしたこと重症患者の看

護を押しつけられ数え切れない人を看取り自らの手で葬ったこと家族が受けた迫害や侮辱的

な言葉など想像を絶するもので筆舌し難いものだったしかしこんな迫害と差別は同時にハ

ンセン病患者達の人権回復闘争の歴史でもあったのだ闘争の末「らい予防法」が廃止される

と今まで差別や人権侵害を繰り返していた多くの人が掌を返す様に態度を変えたと言う私は聞

いていて怒りを覚えたが不思議なことに耳を塞ぎたくなる様な内容を語る藤田さんからは全

く怒りや恨みが感じられないのだ私は話を聞くまで自分の運命を呪い周囲への恨みつらみ

の言葉が出てくるとばかり思っていたしかし出てきた言葉は「入園出来て良かった差別は

受けたが今では恨みを抱く罹患者も少なくなったそればかりか最近はたくさんの人が我々を

理解し協力してくれるので嬉しい何故なら一人の百歩は力が無いが百人の一歩

は力になるから」と言う感謝の言葉だったのだ本当に「恨みは無いのか」と何度

聞いても答えは同じだった私は恥ずかしくなったハンセン病について調べ罹

患者の心を理解したようなつもりでいながら実は何も理解できてなくてそれば

31 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

かりか罹患者を偏見の眼で見ていたのは私自身だったのだ私は話を聞いてとめ

どなく溢れ出る涙を拭いながら心の片隅に潜んでいた「偏見と言う名の種」が身

体から洗い流されていくのを感じていたそれは同時に「思い込みや無知が偏見

や差別を生みだす」ことを強く感じた瞬間でもあったそれだけに藤田さんの「自

分と同様に他人を愛すればいつか必ず世界から差別はなくなる他人を愛して下さい」の慈愛に

満ちた言葉が一層重く腑に落ちるのだった

 

帰りがけ千五百ページにも及ぶ「入所者証言集」を手渡されたその際私は見えない襷も

手渡された気がしたその襷とは証言集に記された罹患者の「事実を風化させないで私達の事

を忘れないで」という搾り出すような叫び声とその姿だったのである

 

ハンセン病が治る病気であるのに誤った知識から悲惨な人権侵害が長期に渡り続いた同じ間

違いを繰り返さないためにも事実を語りついで行く必要があるここ楽泉園でも高齢化が進み

証言者の数が減っているこれは全国一五全てのハンセン病療養所に共通することだハンセン

病問題は罹患者がいなくなればそれで終わると言う問題ではない今後人権問題を考える際重

要な指針になりうる事実なのだそしてこの事実の風化を防ぐことが私達若い世代の役目だと

私は思う

 

私は小六の時友人達から突然イジメを受けたそれを引きずり他人を恐れ憎み自分を

嫌って生きて来たしかし罹患者の声が私に生きる力と前を向いて歩む勇気を与えてくれた

楽泉園訪問は私に人生観が変わる程の衝撃を与えてくれたのだこんな私だが罹患者の声を伝

入賞作文集 32

入賞作文

える「百人の中の一人」にはなれるはず

だそのために私は今この作文を書い

ている文字は時を越えて生き続けるか

ら私はこれからも楽泉園訪問を続ける

つもりだ実際に中学生の私が出来るこ

とには限りがあるが差別や偏見を少し

でも減らすために一歩を踏み出すつもり

でいる「自分と同様に他人を愛すれば

いつか差別は無くなる」と言う藤田さ

んの言葉を胸に

33 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

 

森に囲まれたその一画には教会や寺院神社があり小さなショッピングセンターやレスト

ランもある床屋や図書館郵便局や浴場もあるしかしそれらの施設を利用するのはその一

画に住む人たちだけだ緑の外側に住む人が利用することはないそこはハンセン病の療養所

多磨全生園である

 

僕は七年前に清瀬市に引っ越してきた夏のある日昆虫が大好きな僕は何気なくその森の

中に入って行ったそして歩き回っているうちにその場所が一つの「町」であることに気付

いた

 

毎日セミやカマキリやナナフシを探しながらどうしてこんな所があるのだろうと思った

 

僕が一番不思議に思ったのは古い木造の小学校だいつも誰もいない校舎と小さな運動場近

久く

米め

 一かず

輝き

埼玉県学校法人立教学院立教新座中学校 一年

ハンセン病について考えたこと

社団法人日本新聞協会会長賞

入賞作文集 34

入賞作文

くに小学校があるのにどうしてこんな所に小学校があるのだろう小学一年生の僕はとても不思

議に思った

 

夏に地域交流を目的とした盆踊りと花火大会が行われるいつもは人のいない小学校跡は多く

の人であふれかえり普段は見かけない重い後遺症の老人たちもこの日は外に出て盆踊りを楽し

む初めて参加したときは言葉が出なかった正直「怖い」と思った

 

夏が来るたびに僕は盆踊り大会に参加した低学年から高学年へと進むにつれて少しずつハ

ンセン病のことが分かってきた

 

六年生のときに社会科見学で全生園の元患者を訪れることになっただが僕は都合で参加で

きなかった僕はそれをずっと悔やんでいる

 

今年の夏僕はハンセン病資料館に出かけた見学者は僕一人でとても緊張したなるべく

音を立てないようにパネルを見て回った

 

強制隔離の現実にとても驚いた狭い部屋に押し込められ症状の軽い患者が重症の患者の世

話をしたという子供を持つ権利や生まれる赤ん坊の命まで奪われていた逃げ出したり反抗的

な患者は「不良患者」と呼ばれ窓の小さな暗い監房に閉じ込められた

 

医学が進歩し療養所も徐々に改善されていったが強制隔離を命じる「らい予防

法」が廃止されたのは一九九六年だという隔離が始まった一九〇八年から約九〇

年も経っていた僕が生まれるほんの一年前のことである特効薬が開発され本

格的な治療が始まったのは昭和二十二年である現実に合わない法律を廃止するの

35 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

にどうしてそんなに時間がかかったのだろうか

 

資料をもらってハンセン病資料館を後にした家を出るときは帰りに虫の観察

をするつもりだったがとてもそんな気にはなれなかったいつもセミが集まる桜

の木には目もくれずに早足で家に帰った

 

資料の中で一番心が痛んだのは療養所の子供たちのことだ療養所に入所したのはハンセン

病を発症した子どもたちだけではない親が発症したために入所する子どもたちもいた当時は

ハンセン病は遺伝病だとされていたからだ親から無理やり引き離された子どもたちは「すぐに

帰れるから」という言葉を信じていたというしかし一生療養所を出ることができなかった人が

多かったという社会的な差別がひどかったからだと資料に書かれていたが僕には実感がわか

なかったのでもう少し調べてみることにした

 

図書館で『ハンセン病を生きて』(伊波敏男著)という本を見つけた少し難しかったが差

別の現実が僕にもわかる部分があったそれは元患者たちに対して書かれた匿名のひどい手紙

である長年隔離されて苦しんできた人たちをさらに傷つける言葉が並んでいた悲しく暗い

気持ちになった

 

日本は経済大国として世界の注目を浴びているだが人権意識の面ではどうだろう「らい

予防法」を二〇世紀の末まで廃止できなかったことをどう考えたらよいのだろうか明治時代に

隔離が始まったときそれは外国に対する体面を保つためだったという病気の人を治療するの

ではなく「隠す」のが目的だったのだいまだに差別意識を持つ人がいるのは社会がそうした

入賞作文集 36

入賞作文

過去に対する反省をしていないから

だと思う

 

僕が不思議に思った小学校はすで

に取り壊されて今では小さな石碑

だけが残っている老朽化がひどく

残しておくことができなくなったか

らだという全生園の古い建物はど

んどん取り壊されていく石碑だけ

ではあの不思議さが伝わらないのが

とても残念だ

37 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

 

僕の曾祖父は医者嫌いでしたそのため腹痛で病院に運ばれた時は膵臓癌の末期で余命三ヶ

月でした手術もできない手遅れの状態でした家族皆で話し合い曾祖父の辛い気持ちを第一に

考え曾祖父に病を隠すことになりました曾祖父は次第に病院の中を歩いては転倒し体中あ

ざだらけになりベッドの上で縛られることになっていました曾祖父は病名の宣告を受けてい

ないため元気で歩けると思っているが実際歩くと転んでしまう何でこんな風になってしまっ

たのかさえわからない

 

家族と病院に行くと「包丁もてこいこれぶった切って家さ帰る」と騒いでいましたあん

なに優しかった曾祖父の姿に言葉も出ず恐いくらいでした何も知らされずベッドに縛り付

けられれば誰もがそうなることでしょう「じいちゃんどご一緒に車さのせでいてくれの」と

櫻さくらだ田

 要かな

太た

山形県酒田市立松山中学校 三年

日本放送協会会長賞

悔いのない最期を

入賞作文集 38

入賞作文

せがまれたときもありますかわいそうで涙がポロポロこぼれました「おじいちゃんどご家

さ連れで帰ろうよ」とせがんでも家族も仕事で忙しいためか誰も首を縦に振ってくれず病院

にいた方が安心ということになりました膵臓癌は予想以上に激しい痛みのため医師から強い

痛み止めと強い睡眠剤を勧められましたがそれを導入することにより安楽死に近い状況にな

ることも医師から告げられていました家族は決断をせまられました曾祖父に相談もせずに決

めていいことなのか家に帰りたい曾祖父の意志は封じ込められたままでいいのか家族で悩み

ました結局痛みに耐えている姿は見ていられなくその薬を使うことになりましたその後

曾祖父は次第に弱っていき口も利けなくなり静かに亡くなっていきました僕はどこか心を

引きずったままでした僕達家族が曾祖父に宣告もせず意見も聞かず命の長さを決めてしまっ

たこと当時幼かった僕には何もしてあげられなかったことが今思い出しても残念です

 

最近授業で人権について学習しているときに幼い頃の記憶がよみがえりふと曾祖父のこと

を思い出しました

 

曾祖父はどんな思いで亡くなったのだろう最後に意識のあるうちに一度でいいから家に帰っ

てきたかっただろう身体拘束は今は病院でも禁止されていると思いますがあの頃は確かに曾

祖父のおなかに黒いベルトのようなものが巻きついていました決して自分の力で

は外せないようなものでしたもがき苦しむ曾祖父の姿を見た時に看護師さんに

目を隠され別の部屋に連れて行かれました見せたくない光景だったのだと思いま

すでもあの姿は僕の脳裏に焼き付いています病院の中での人材不足のためだっ

39 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

たのでしょうか人が人らしく生きていない姿でした

 

七十八年生きてきて何も悪いことをしていないのに縛られ家にも帰れない

病気で余命幾ばくもない人には人権というものは存在しないのでしょうか最近の

医療の現場では自己決定権があることについて学びました

 

仏壇に向かい静かに目を閉じると優しく穏やかに微笑む曾祖父の笑顔が浮かびますどんな

気持ちで亡くなっていったのかその気持ちを考えると苦しい気持ちになります野球の大会に

行く前仏壇に手を合わせます「やればできる努力しろ」とよく励ましてくれました曾祖

父の力には何もなれなかったけれど目には見えない力で応援してくれる曾祖父に線香をあげて

自分を省みる時があります曾祖母が元気なので曾祖父を助けられなかった分曾祖母の力に

なっていくことを曾祖父に約束しています

 

夏休み中のニュースで高齢者の所在不明者が多数のため百歳以上の安否確認調査をしていま

した自分の親を平気で捨て遺骨さえもひきとらない亡くなっていたのに年金を不正受給する

ために隠していたなど耳をふさぎたくなるような事件もありました犬や猫が年をとって弱っ

てきた手がかかるから面倒だからと捨ててしまうそれと同じ現象が弱い高齢者にも及んでき

ているのだと思います

 

やはりこの世に生まれてきたもの全てに自分の意志で生きることを決めていける権利がある

と思います長い年月を苦労や努力と向き合いながら精一杯生きてくれたおかげで今の幸せが

あることを忘れずにいたい人はいずれ誰でも年をとります自由に動けなくなった時に自分の

入賞作文集 40

入賞作文

願いが叶う社会を築き「悔いなく満足で楽しく幸せな人生だった」と思えるように人とし

ての誇りを持って満足できる最期を迎えられるように考えていきたいもう二度と僕が見た自

己決定権のない社会にならないように高齢者には今までの感謝の気持ちで本人の希望をでき

るだけ叶えられるように努力していきたいいずれ僕達も迎える高齢社会だからhellip

41 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

 

私は小学六年生の時から盲導犬候補の子犬を育てるボランティアをしています「犬を飼っ

てみたい」と言う私に両親が「せっかく犬を飼うのなら社会に役立つことをしよう」と提案

したからです生後二ヵ月の子犬を預かり一歳の誕生日を迎えるまで世話をするのがボランティ

アの役目です初めて訓練士さんから子犬を手渡された時は不安でドキドキしましたが子犬は

すぐに私の腕の中で眠ってしまいました初めて会った私のことを信頼して安心しきった寝顔

で眠っている姿は本当に可愛かったですラブラドールの子犬はとてもやんちゃで私の家にやっ

て来たその日からいたずらばかりしていましたがしかられてもクヨクヨせずどんな相手にも

 林はやし

 里り

咲さ

東京都小平市立小平第六中学校 三年

差別のない社会に

(パピーウォーカーの経験から学んだこと)

法務事務次官賞

入賞作文集 42

入賞作文

フレンドリーに近づいていく姿から私は明るく前向きに生きることを教わりました子犬たち

と過ごした日々は私にとって一番の宝物ですそしてあっという間に一歳の誕生日がやって来ま

した誕生日が悲しいという経験は初めてでした訓練所への入所日の前日には長い長い散歩を

して最後のお別れをしました「今までありがとう」そう言った私のことを不思議そうに見てい

た子犬の顔が今も目に焼きついています別れは本当につらいけれど涙を見せたら子犬が心配す

るので頑張って笑顔で見送りました

 

私の家で育てた一頭目の子犬は現在盲導犬になって頑張っていますそして今年四月に巣立っ

ていった二頭目の子犬は神奈川にある訓練センターで訓練中です

 

このボランティアを通して私は多くのことを学びましたまず盲導犬の役割ですがこれは単

に目の不自由な方が便利に一人でどこへでも行けるようにするためだけではありません視覚障

がいのある方にとって人の手をわずらわせるのはとてもつらいことなのだそうですたとえ家

族に対してでも「迷惑をかけるのではないか」と思って我慢することが多く「私なんかいない

方がいいんじゃないか」と考えてしまうこともあったといいますその失われそうになった尊

厳を取り戻す手助けをするのが盲導犬の役目なのです犬は訓練を共にするパートナーのことを

大好きになるので「自分は他者からこんなにも大好きになってもらえる存在なん

だ」と気づいて自信を取り戻し新しい一歩を踏み出せるようになるのだそうです

 

また私がボランティア登録している日本盲導犬協会では二〇〇八年に新しい

試みが始まりました受刑者が盲導犬候補の子犬を育てる動物を介在した日本初

43 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

の教育プログラムです罪を犯した人も心から反省してきちんと罪を償えば社会

は差別することなく受け入れるべきですしかし実際はとても偏見が多く元受刑

者たちは「どうせ自分はだめな人間なんだ」と思い再び罪を犯してしまう悪循環

が起こっているそうですその悪循環を断ち切り受刑者たちがスムーズに社会復

帰を果たせるよう支援するのが「あさひ盲導犬パピープロジェクト」です受刑者たちは約十ヵ

月の間子犬たちを世話しながら一緒に過ごし「役に立つ喜び達成する喜び信頼される喜び」

を感じることで自分の価値を再確認するのだそうです今年一月に第一期のプロジェクトを修了

した受刑者の感想に次のようなものがありました

 「今後自分もパピーに笑われないようにきちんとしなければならないパピーは慈しむこと

寛容の心を教えてくれました」

 

犬は決して差別をしません健康な人にも障がいのある人にもお金持ちにも貧しい人にも

権力のある人にも犯罪を犯した人にも全く同じように接してくれますそんな犬たちと一緒に過

ごすことで自信をなくした人たちも自分のことをかけがえのない大切な存在であると思えるよ

うになるのです

 

私たち人間も差別のない社会をつくる努力をしなければならないと思います一人一人が相

手を大切に思う心を忘れなければこの社会はもっと住み良い場所になるはずです私はこのボ

ランティアを通して学んだことを生かしてこれからも一層努力していきたいと思います

入賞作文集 44

入賞作文

45 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

 

僕は祖父のために自助具を作ろうと思った祖父は去年の夏脳梗塞で倒れた祖父は一命

を取り留めたものの右手と右足がまひしてしまったのだその三週間前僕も車椅子から転倒し

て足を骨折した

 

僕には障害がある車椅子で生活することが多いしかし僕のことを障害者だといって差別

するような友達は一人もいない

 

祖父は歩けるようになりたいという気持ちが強かっただからリハビリを頑張り自分で

歩けるようになるまで回復した頑張っている祖父がかっこいいと僕は思った祖父はリハビ

リを頑張ったにも関わらず右手がうまく動かせなくなってしまっただからご飯を食べる時も

服を着替える時も時間がかかる普段何気なくやっていた動作がとても大変だと祖父は言ってい

守もり

田た

 幸こう

平へい

静岡県静岡大学教育学部附属浜松中学校 三年

祖父への靴下

法務事務次官賞

入賞作文集 46

入賞作文

た僕も何か役に立てることはないかと考えた

 

僕の学校には総合学習という授業があるそこで僕は福祉というカテゴリーを選んだ自

分で社会に役立てることを考え実際に行動することが目標だった僕は障害者のために何が

できるかを考えた

 

僕は二年前に静岡文化芸術大学で障害者がいかに日常生活で不自由のない生活ができるかを

考えるプロジェクトがあるのを新聞で知ったそれは大学生たちが個人個人にあった自助具を

作るプロジェクトだった僕は障害者のために何かできるのではと感じた

 

僕は静岡文化芸術大学へ行って僕にもできることがないかと聞いたすると学生さんが

自助具を作ってみないかと声をかけてくれた僕は迷わず「はい」と言った障害者のために

役に立てることがあると思うとすばらしいことだと思ったからだ

 

祖父のつらい顔を見ると日常生活に数々の大きな壁があることが伝わってくる

 

僕は祖父の数々の大きな壁を突き破ろうと思った祖父のために自助具を考え作ろうと僕

は思った祖父が靴下の脱ぎ履きが大変だと言っていたことを思い出したそこで脱ぎ履きし

やすい靴下はできないか考えた靴下の両脇にひもを取り付けてそれを引っ張ると靴下が縮み

脱ぎ履きしやすくなる仕組みだ大学の先生も良いアイディアだと言って褒めてく

れたこれは障害者だけでなく健常者にも使えると言われたユニバーサルデザ

インだと分かった

 

ユニバーサルデザインは年齢や障害の有無にかかわらず全ての人が使いやす

47 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

いように工夫された用具などのデザインである境界がなくなるように健常者が障

害者に対する偏見を考え差別意識がなくなるチャンスだと思った障害者と健常

者が共によりよく生きることが大切だと僕は思った

 

自助具の作品展では杖をついているお年寄り車椅子に乗った若い女性目の

見えない人福祉関係者など沢山の人々が観に来ていた皆自分の生活を良くしようと思っ

ているようだったまた障害者のためにできることは何だろうかと考えている健常者もいるよ

うだった

 

二年生の時の総合学習では二箇所のデイサービスを訪問したデイサービスには六十五歳以

上のお年寄りがいた暗く元気のない人明るく振る舞い誰とでも話せる人など様々だった

しかし僕が一番印象に残ったのは笑顔を絶やさず優しくお年寄りに接していた介護士だった

お年寄りの中には悩みを抱えている人が多いそうだその悩みを解消させる人もまた介護士だっ

た僕は介護士がお年寄りの体を支えるだけではなく心もそっと支えて生きる喜びを与え

ているのだと感じた

 

現代は三世代で暮らす家族が減り核家族が増えているそれはお年寄りの世話が大変だ

からという理由が多いだから老人ホームやデイサービスに預ける人が増えていると僕には

思えたお年寄りの中には自分が嫌われているのではないかとさえ思ってしまう人もいるそう

だそれはお年寄りにとって辛く悲しいことだと思うある介護士がこんなことをおっしゃっ

ていた「人の優しさはお金では買えない」誰にでも優しい心があると思うしかしあと一歩

入賞作文集 48

入賞作文

のところで行動に移すことができない人が多いの

だ僕たちが平和な社会で暮らせるのは今まで

頑張ってきてくれたお年寄りのお陰であることを

忘れてはいけないお年寄りを大切にすることは

当たり前のことなのだ

 

また障害者に対しても偏見の目で見ないで

そっと近づいて手を貸してあげれば健常者との

高い大きな壁を崩すことができると思う

 

障害者にも高齢者にもまた健常者にも人権

はあるお互いの人権を大切にすることが明る

い未来に繋がっていくのだと思う

 

早く祖父に僕の作った靴下を届けたい

49 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

 

僕は小学校六年生まで福岡県に住んでいましたそこで僕が体験したことです五年生のこ

ろ僕の友だちのA君が同級生のK君の靴を隠したりからかったりしていることがよくあり

ました最初は僕もあまり気にしていませんでしたがK君のことを「なんだかかわいそう」と

思うようになりました

 

ある日僕は勇気をだして先生に「K君がいじめにあっています」と報告しました初め先生は

「じゃれ合っているだけだろう」と「いじめ」とは思ってくれませんでしたでもその後「いじ

め」と分かりA君は先生に注意されその日一日は反省した様子で過ごしていましたしかし

次の日学校に行くといじめは前以上にエスカレートしていて蹴ったりたたいたりするように

なりましたしかも「死ね」「うざい」「消えろ」などの言葉が飛び交うようになりそんな日々

法務事務次官賞

浦うら

谷たに

 毅たける

徳島県三好市立池田中学校 三年

いじめをなくすために今

入賞作文集 50

入賞作文

が続きました

 

それは六年生になっても続きました僕はそのいじめを止めることができず毎日見て見ぬ

振りをしていました今思うと自分がとても恥ずかしいです本当の友達なら止めるべきなの

にそれだけではなくいじめられているK君に声一つかけることができずにいました心の中

ではA君に「やめろよ」と言おうと思っていたけどなぜか勇気が出ませんでした次にい

じめられるのが自分になるのが恐くて言えなかったのです

 

そんな日々が続く中僕の気持ちを大きく変える出来事がありました父の死ですそのとき

のことは今でも忘れることができません聞いたときには頭の中が真っ白になりました最初

は信じることができませんでした一週間も二週間も学校に行けずただぼーっと過ごしてい

ましたいろんなことを考え徐々に「死」というものの悲しさつらさ「死」という意味の

重さがわかってきましたそして時間はかかりましたが「命は一瞬にして消え二度と戻っ

てこないものだだから命を大切に今を大切にしなければならない」と深く受け止めることが

できるようになりましたそして周りの子たちは僕のような経験がないから「死ね」とか軽々

しく言えるのだろうと思いこの気持ちを伝えなくてはならないと考えました僕が強くならな

くてはと思いました

 

こんな気持ちになったとき僕には時間がありませんでした母の実家がある徳

島への引っ越しが一週間後に決まっていたのです落ち込んでいる暇は無いと思

い学校に行った僕はA君に言いました「いじめなんかやめろよいじめたって

51 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

喜ぶ人はいないし悲しむ人がいるだけだろ自分だってほんとは嫌だろ『死ね』

とか『消えろ』とか言葉の重さを知らないのに言うなよ」と言いました父親の

突然の死そのあと僕が考えたことも伝えました

 

友だちは黙って聞いてくれました僕の言葉にうなずいてそのあとK君の

ところへ行き「ごめん言葉の重さも知らずに言って本当にごめんぜったいに死ねなんて

ことは言わないそしていじめは絶対にしないほんとうにごめん」とあやまりましたK君

はとても優しい笑顔で「いいよ」と一言言いました僕もK君に言いました

「今まで助けてあげられなくてごめん」

K君は笑顔で「ありがとう」と言ってくれました今まで自分の中でもやもやしていた気持ちが

スーっと晴れました

 

今も時々耳にする暴言冗談半分で言っているのかもしれませんしかしいついじめにつ

ながるかわかりません他人を傷つけることで自分のストレスを晴らそうとしているのでしょう

関係ないふりをしようとする自分がいます楽な考え方をする自分がいますそんな時亡くなっ

た父の顔やK君の優しい笑顔を思い出しますあの時の自分のように強い気持ちを持とう「や

めろよ」と一言言うするとまた気持ちがスーっとしてきました

 

父の分も頑張って生き抜こうと決めた僕にとって正しいことを素直に認め悪いことを否定

できる強い意志を持つことが目標ですそして何よりも命を大切に今を大切にしていきたい

と思っています

入賞作文集 52

入賞作文

53 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

 

ぼくは今まで四つの外国に暮らしいろいろな国の人たちの中で育ってきた

 

まずタイで生まれてタイ人のメイドさんやドライバーさんにいつも遊んでもらっていた

らしい一才になると週一回の体操教室にも通いタイ人の友達もいたそうだ

 

次にシンガポールでは初めてナサリースクール(保育園)に通いいろいろな国の友達と

知り合ったプレイルームにある滑り台を滑る順番争いでいつも勝つのは体の大きい金髪の友

達だった

 

一回目の香港生活では英語の幼稚園に通ったその時のぼくの一番の友達はカナダ人だった

彼とはよくベイブレードをして遊んだが父が日本の出張で買ってきてくれた独楽や剣玉をして

遊ぶこともあった

村むら

瀬せ

 広ひろ

高たか

香港日本人学校中学部 二年

国境をこえて

海 外 作 品

今回は本選への応募とすることはできませんでしたが

 海外から寄せられた作品のうち一作品を御紹介します

入賞作文集 54

海外作品

 

それからインドでは日本人学校に通ったが夏休みには毎年アメリカンスクールのサマー

スクールに参加したし日本人のいない現地のテニススクールにも入り二年間通ったまたイ

ンドの現地幼稚園に通っていた妹のベストフレンドはコンゴ人でその兄弟もぼくの友達だった

 

そして三年間の日本生活を経て今また香港に戻ってきた

 

このようにぼくはいろいろな国でいろいろな国の人たちのお世話になりいろいろな国

の友達と遊んで育った肌が真っ黒な友達もゲームの話をすればすぐに仲良くなれたし髪が

金色の友達もポケモンの話をすれば気が合ったぼくは小さい頃から英語はうまくしゃべれ

なかったけれどもジェスチャーをつけたでたらめ英語でも充分に話は通じただからいろい

ろな国の人たちの中でぼくが日本人だからといって差別されたり嫌な思いをしたりしたこと

はないしぼくも肌の色が違うからとか言葉が通じないからという理由で違う人間だと思っ

たことはないそうぼくは外国人を差別したことはない

 

しかし本当にぼくは外国人を差別したことがないのだろうか外国人を差別した発言を一

度もしたことがないかと考えると自信がない

 

例えば香港人には赤信号でも平気で渡る人がたくさんいるそれを見てぼくは

「香港人はしょうがないな」

と思うでもよく見ると香港人全員が信号無視をしているわけではないまた

世界には今でも戦争をしている国がいくつもある

「人を傷つけ合うなんて馬鹿げている」

55 第30回全国中学生人権作文コンテスト

海外作品

とぼくは悲しくなるでもそれも好きで戦っている人がいるとも思えないその

人たちがそうなったのには何かきっと原因があるはずだ

 

逆に外国人から見ると日本人はどのように思われているのだろう

 

インドから日本に帰国した時毎日ごみがたくさん出ることにぼくはとても驚

いたインドの人たちがよく使う道端にあるカレー屋さんではバナナの葉で作ったお皿にカ

レーを入れてくれる食べた後そのお皿を道に捨てるとのら牛がその葉っぱを食べるそして

牛のふんは燃料になるというそれに比べて日本はちょっと歩くとペットボトルの飲み物が

買えファーストフードのお店では使い捨ての食器を使い立派なお菓子の箱を開けると中身が

少なくてがっかりすることもあるある時母が捨てたジャムの空きびんをメイドさんとエア

コンの修理にきていたワーカーさんとが取り合ってけんかをしていたこともあったそれを見

てぼくはあきれてしまったが逆にインド人から見ると使い捨て文化のしみついた日本人は

とんでもない人間にみえるのかもしれない国によって考え方や行動パターンが違うのは歴史

的背景や宗教習慣気候などのいろいろなことが関わっているのだと思う

 

このように考えると差別とはその人の一部しか見ていないことや自分のやり方だけが正

しいと思うことからおきるのではないかと思うその人が自分とは違った行動をとったとしても

それには深い理由があるのだろうと考えればきっと納得できると思うぼくもこれからは否

定的な発言をする前にその人たちのことをいろいろな角度から見て理解する努力をしてみよう

と思う外国との間には自分の国とは違う言葉や文化という壁があるとみんな言うがそこに

入賞作文集 56

海外作品

あるのは壁ではなく橋だとぼくは思う理解

し合おうという気持ちがあればきっと誰でも

その橋を渡っていけるはずだ気持ちの国境を

こえるのにパスポートはいらないお互いを理

解し合おうと思う気持ちが一番大切だと思う

そしてぼくはこれから日本人として生きる

のではなく地球人として生きていこうと思う

57 第30回全国中学生人権作文コンテスト

海外作品

法務局地方法務局名 郵便番号 所  在  地 電  話

金沢地方法務局人権擁護課920-0024 金沢市西念3-4-1金沢駅西合同庁舎(平成23年3月11日まで) 076-231-1244

921-8505 金沢市新神田4-3-10金沢新神田合同庁舎(平成23年3月14日から) 076-292-7804

富山地方法務局人権擁護課 930-0856 富山市牛島新町11番7号富山合同庁舎 076-441-6376

大阪法務局人権擁護部 540-8544 大阪市中央区谷町2丁目1番17号大阪第2法務合同庁舎 06-6942-9492

京都地方法務局人権擁護課 602-8577 京都市上京区荒神口通河原町東入上生洲町197番地 075-231-0131

神戸地方法務局人権擁護課 650-0042 神戸市中央区波止場町1番1号神戸第2地方合同庁舎 078-392-1821

奈良地方法務局人権擁護課 630-8305 奈良市東紀寺町3-4-1奈良第2法務総合庁舎 0742-23-5457

大津地方法務局人権擁護課 520-8516 大津市御陵町3番6号大津法務総合庁舎 077-522-4673

和歌山地方法務局人権擁護課 640-8552 和歌山市二番丁2番地和歌山地方合同庁舎 073-422-5131

広島法務局人権擁護部 730-8536 広島市中区上八丁堀6番30号広島合同庁舎 082-228-5790

山口地方法務局人権擁護課 753-8577 山口市中河原町6番16号山口地方合同庁舎2号館 083-922-2295

岡山地方法務局人権擁護課 700-8616 岡山市北区南方1丁目3番58号 086-224-5761

鳥取地方法務局人権擁護課 680-0011 鳥取市東町2丁目302番地鳥取第2地方合同庁舎 0857-22-2289

松江地方法務局人権擁護課 690-0886 松江市母衣町50番地松江法務合同庁舎 0852-32-4260

高松法務局人権擁護部 761-8077 高松市出作町585-4 087-815-5311

徳島地方法務局人権擁護課 770-8512 徳島市徳島町城内6番地6徳島地方合同庁舎 088-622-4171

高知地方法務局人権擁護課 780-8509 高知市栄田町2丁目2番10号高知よさこい咲都合同庁舎 088-822-3331

松山地方法務局人権擁護課 790-8505 松山市宮田町188番地6松山地方合同庁舎 089-932-0888

福岡法務局人権擁護部 814-0005 福岡市早良区祖原14-15福岡法務局西新出張所庁舎5階 092-832-4311

佐賀地方法務局人権擁護課 840-0041 佐賀市城内2丁目10番20号佐賀合同庁舎 0952-26-2148

長崎地方法務局人権擁護課 850-8507 長崎市万才町8番16号 095-826-8127大分地方法務局人権擁護課 870-8513 大分市荷揚町7番5号大分法務総合庁舎 097-532-3368

熊本地方法務局人権擁護課 862-0971 熊本市大江3丁目1番53号熊本第2合同庁舎 096-364-2145

鹿児島地方法務局人権擁護課 890-8518 鹿児島市鴨池新町1番2号 099-259-0684宮崎地方法務局人権擁護課 880-8513 宮崎市別府町1番1号宮崎法務総合庁舎 0985-22-5124

那覇地方法務局人権擁護課 900-8544 那覇市樋川1丁目15番15号那覇第1地方合同庁舎 098-854-1215

入賞作文集 58

問合せ先一覧

法務局地方法務局名 郵便番号 所  在  地 電  話

札幌法務局人権擁護部 060-0808 札幌市北区北8条西2丁目1番1札幌第1合同庁舎 011-709-2311

函館地方法務局人権擁護課 040-8533 函館市新川町25番18号函館地方合同庁舎 0138-23-9528

旭川地方法務局人権擁護課 078-8502 旭川市宮前通東4155番31旭川合同庁舎 0166-38-1114

釧路地方法務局人権擁護課 085-8522 釧路市幸町10丁目3番地釧路地方合同庁舎 0154-31-5014

仙台法務局人権擁護部 980-8601 仙台市青葉区春日町7番25号仙台第3法務総合庁舎 022-225-5739

福島地方法務局人権擁護課 960-8021 福島市霞町1番46号福島合同庁舎 024-534-1994

山形地方法務局人権擁護課 990-0041 山形市緑町1丁目5番48号山形地方合同庁舎 023-625-1321

盛岡地方法務局人権擁護課 020-0023 盛岡市内丸7番25号盛岡合同庁舎 019-624-9859秋田地方法務局人権擁護課 010-0951 秋田市山王7丁目1番3号 018-862-6533

青森地方法務局人権擁護課 030-8511 青森市長島1丁目3番5号青森第二合同庁舎 017-776-9024

東京法務局人権擁護部 102-8225 千代田区九段南1丁目1番15号九段第2合同庁舎 03-5213-1234

横浜地方法務局人権擁護課 231-8411 横浜市中区北仲通5丁目57番地横浜第2合同庁舎 045-641-7926

さいたま地方法務局人権擁護課 338-8513 さいたま市中央区下落合5-12-1さいたま第二法務総合庁舎 048-859-3507

千葉地方法務局人権擁護課 260-8518 千葉市中央区中央港1丁目11番3号千葉地方合同庁舎 043-302-1319

水戸地方法務局人権擁護課 310-0061 水戸市北見町1番1号水戸地方法務合同庁舎 029-227-9919

宇都宮地方法務局人権擁護課 320-8515 宇都宮市小幡2丁目1番11号宇都宮地方法務合同庁舎 028-623-0926

前橋地方法務局人権擁護課 371-8535 前橋市大手町2丁目10番5号前橋合同庁舎 027-221-4426

静岡地方法務局人権擁護課 420-8650 静岡市葵区追手町9番50号静岡地方合同庁舎 054-254-3555

甲府地方法務局人権擁護課 400-8520 甲府市北口1丁目2番19号甲府地方合同庁舎 055-252-7239

長野地方法務局人権擁護課 380-0846 長野市旭町1108番地長野第2合同庁舎 026-235-6634

新潟地方法務局人権擁護課 951-8504 新潟市中央区西大畑町5191番地新潟地方法務総合庁舎 025-222-1564

名古屋法務局人権擁護部 460-8513 名古屋市中区三の丸2丁目2番1号名古屋合同庁舎第1号館 052-952-8111

津地方法務局人権擁護課 514-8503 津市丸之内26番8号津合同庁舎 059-228-4193岐阜地方法務局人権擁護課 500-8729 岐阜市金竜町5丁目13番地 058-245-3181

福井地方法務局人権擁護課 910-8504 福井市春山1丁目1番54号福井春山合同庁舎 0776-22-5090

問合せ先一覧 (法務局地方法務局)

59 第30回全国中学生人権作文コンテスト

問合せ先一覧

世界人権宣言啓発書画「鳥」「自由と解放」を表わしたもの 小木太法書オタビオロス画(財)人権擁護協力会提供

入賞作文集 60

すべての人間は生まれながらにして

自由でありかつ尊厳と権利とに

ついて平等である人間は理性と

良心とを授けられており互いに同胞の

精神をもって行動しなければならない

―――

世界人権宣言 第一条

―――

第三〇回

 全国中学生人権作文コンテスト

中央大会表彰式

印  刷 平成23年1月25日

発  行 平成23年2月14日

発 行 者 法務省人権擁護局

全国人権擁護委員連合会

東京都千代田区霞が関一丁目1番1号

電話 03(3580)4111 内線5875

URL httpwwwmojgojpJINKEN

第30回全国中学生人権作文コンテスト中央大会審査員

感想をお聞かせください本作文集を読まれた感想等を下記の連絡先又はkeihatsumojgojpまでお寄せください

無断転載を禁じます本作文集に掲載された作文や写真等を地方自治体が広報誌に掲載したり学校が教材に使用される場合などにはあらかじめ下記に御連絡ください

100-8977 東京都千代田区霞が関一丁目1番1号 法務省人権擁護局人権啓発課 TEL03(3580)4111 内線5875

作  家(審査員長) 落 合 恵 子映画監督 山 田 洋 次社団法人日本新聞協会事務局長 川 嶋   明日本放送協会解説委員室解説委員 南   直 樹文部科学省初等中等教育局視学官 三 好 仁 司全国人権擁護委員連合会長 中 村 浩 紹法務省人権擁護局長   井 忠 雄

(敬称略)

【式次第】

第一部

 会

主催者あいさつ

賞状授与

内閣総理大臣賞法務大臣賞

文部科学大臣奨励賞法務副大臣賞

法務大臣政務官賞

全国人権擁護委員連合会長賞

社団法人日本新聞協会会長賞

日本放送協会会長賞(以上各一名)

法務事務次官賞(三名) 計一一名

学校への感謝状贈呈

高円宮妃殿下おことば

来賓祝辞

第二部

各受賞作文の朗読

内閣総理大臣賞法務大臣賞

文部科学大臣奨励賞

全国人権擁護委員連合会長賞

社団法人日本新聞協会会長賞

日本放送協会会長賞

 評

全国中学生人権作文コンテスト中央大会審査員

 山田洋次氏

 落合恵子氏(ビデオレター形式)

第三部

新垣勉さんコンサート

 会 平成二二年一二月一八日(土)

午後一時三〇分〜三時五〇分

於ニッショーホール

「いじめ」や暴力行為等は人権侵害です

法務局地方法務局では

人権侵害による被害を受けた方を

救済するための活動を行っています

お気軽にご相談ください

女性の人権ホットライン

インターネット人権相談受付窓口

ゼロナナゼロのハートライン

0570-070-810

子どもの人権110番ぜろぜろななのひゃくとおばん

 0120-007-110

パソコンから httpwwwmojgojpJINKENjinken113html携帯電話から httpwwwjinkengojpsoudanmobile001html

インターネット人権相談 検 索

Human Rights法務省人権擁護局全国人権擁護委員連合会

人権イメージキャラクター人KENあゆみちゃん人KENまもる君

全国共通通話料無料

全国共通ナビダイヤル

この冊子は環境保護印刷の「水なし印刷」で印刷されています

第30回全国中学生人権作文コンテスト入賞作文集

法務省人権擁護局全国人権擁護委員連合会

人権イメージキャラクター人KENまもる君人KENあゆみちゃん

この冊子には音声コードが各頁(奇数頁 左下偶数頁 右下)に印刷されています専用の読み上げ装置で読み取ると記録されている情報を音声で聞くことが出来ます

Human Rights法務省人権擁護局全国人権擁護委員連合会

 全国中学生人権作文コンテスト入賞作文集

 全国中学生人権作文コンテスト入賞作文集

第30回

高円宮妃殿下おことば

仙谷法務大臣あいさつ

仙谷内閣官房長官兼法務大臣から内閣総理大臣賞の表彰を受ける江川麻理香さん

山田洋次審査員と記念撮影をする受賞者の皆さん

新垣勉さんによるコンサート

中央大会審査会の様子

第三〇回

全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文集

法務省人権擁護局

全国人権擁護委員連合会

 

法務省と全国人権擁護委員連合会は人権尊重思想の普及高揚を図るための啓発活動の一環と

して昭和五六年度から「全国中学生人権作文コンテスト」を実施しています

 

本コンテストは次代を担う中学生が人権問題についての作文を書くことにより人権尊重

の重要性必要性についての理解を深めるとともに豊かな人権感覚を身につけることを目的と

して実施しているものです平成二二年度は本コンテストが第三〇回目という記念すべき年で

あることから平成二二年一二月一八日高円宮妃殿下御臨席の下東京都港区にあるニッショー

ホールにおいて多くの皆さまにお集まりいただき中央大会表彰式が行われました

 

本年度は各都道府県単位(北海道については札幌法務局及び函館旭川釧路の各地方法

務局単位)に実施された地方大会に六三一一校の中学校から過去最高となる八八万七〇一二

編にも及ぶ多数の作品が寄せられ中央大会には地方大会の審査を経た代表作品九二編が推薦

されました

はしがき

入賞作文集 2

はしがき

 

この作文コンテストへの応募作品はいずれも中学生らしい感性に富み純粋な感覚で人権問

題を捉えたものばかりであり応募された皆さまの真摯な姿勢には心を打たれるものがあります

 

また本年度はこの作文コンテストの輪が国際的にも広がり海外の香港日本人学校中学部

からも作品が寄せられました海外からの応募作品については残念ながら本選への応募とは

なりませんがこの中から代表作品として一作品を御紹介します

 

この作文集をより多くの方々に御愛読いただき人権尊重の輪が更に大きく広がることを願っ

てやみません

 

終わりにこの作文コンテストの実施に当たり多大な御尽力をいただいた全国各地の教育委

員会中学校等関係各方面の皆さま方に対し心から感謝を申し上げます

 

平成二三年二月

法務省人権擁護局

全国人権擁護委員連合会

3 第30回全国中学生人権作文コンテスト

はしがき

 【審査講評】

 【入賞作文】

内閣総理大臣賞

 「身近で無意識な人権侵害」

佐賀県佐賀市立東与賀中学校三年

江え

川がわ

 麻ま

理り

香か

10

法務大臣賞

 少しずつhellip一歩ずつhellip

兵庫県篠山市立西紀中学校三年 辻つじ

本もと

 桃もも

佳か

14

文部科学大臣奨励賞

 「差別のない世界へ」福島県福島市立渡利中学校一年 ローリンズ リコ

18

法務副大臣賞

 私の大好きなふる里

熊本県熊本県立八代中学校一年 井いの

上うえ

 由ゆ

紀き

子こ

22

法務大臣政務官賞

 「家族」とは何か

栃木県さくら市立喜連川中学校三年 大おお

田た

 葵あおい

26

目  次

入賞作文集 4

目  次

全国人権擁護委員連合会長賞

 忘れてはならないこと

群馬県群馬大学教育学部附属中学校三年 大おお

井い

 海み

琴こと

30

社団法人日本新聞協会会長賞

 ハンセン病について考えたこと

埼玉県学校法人立教学院立教新座中学校一年 久く

米め

 一かず

輝き

34

日本放送協会会長賞

 悔いのない最期を

山形県酒田市立松山中学校三年 櫻さくらだ田

 要かな

太た

38

法務事務次官賞

 差別のない社会に(パピーウォーカーの経験から学んだこと)

東京都小平市立小平第六中学校三年 林はやし 里り

咲さ

42

 祖父への靴下静岡県静岡大学教育学部附属浜松中学校三年 守もり

田た

 幸こう

平へい

46

 いじめをなくすために今

徳島県三好市立池田中学校三年 浦うら

谷たに

 毅たける

50

 【海外作品】

 国境をこえて

香港日本人学校中学部二年 村むら

瀬せ

 広ひろ

高たか

54

5 第30回全国中学生人権作文コンテスト

目  次

審査講評

落合 恵子

「時代のページをひらく」

 

二〇一〇年の年の暮れにこの講評を書いている

 

資料など紙類の最後の収集はいつだった 

明日 

明後日 

分別ゴミの収集日を確認しな

がらその前に新聞などの連載の仕上げがいつまで 

と年始休休が入るこの時期はなにか

と気ぜわしい

 

気分前のめり状態なのだがわたしたちの多くはゴミは出してしまえばそれで落着わ

たしの原稿も担当のかたにメールで送ってしまえば終わりである

 

けれどその向こう側にはこの寒空(今朝は特に寒さが厳しい)のもとわたしたちが出し

たものを集める仕事をされているかたがたがいるわたしたちが書いたものを印刷してくれるか

たがたもいるhelliphellip

入賞作文集 6

審査講評

 

こうしてひととひとはひとと暮らしは有機的に繋がっているのだと改めて思うのも年の

暮れだからなのかいや人権についての素晴らしい姿勢と視点に溢れた「あなた」の作品を今

朝もう一度読み返したせいなのかもしれない

 

第三〇回を迎えた全国中学生人権作文コンテスト全国(今回は海外からの作品もあったが)

の中学生の四人にひとりはこの作文を書いてくださったとうかがった

 

すごいことだ嬉しいことだ素晴らしいことだと心が震える

 

たとえばいま大人たちに人権に関する作文を書いてくださいと言ってどれほどのひとが

賛同し実際に書いてくれるだろう考えることと実行することの間には深い溝がある

 

それもこれほど瑞々しい感受性と論理性に裏打ちされた作品をである

 

毎回書いているような気がするがこの作文コンテストに選考委員のひとりとして加わる唯一

の苦しみは応募作品に順位をつけることにある

 

どれもがキラリと光る芽を持った作品にいったい順位をつけることが可能なのか読み手で

あり選考する側のわたしたち大人の「人権意識」がある意味試されているような緊張が

いつもある

 

何度も何度も読み返しそれでも迷うことがあることも告白しておこう

 

内閣総理大臣賞を受賞された江川麻理香さんの『身近で無意識な人権侵害』

 

入院先で出会ったひとから聞いた悪意不在のけれど「もうひとつの差別」

目が不自由であることから子どものように「扱われること」への居心地の悪さ

7 第30回全国中学生人権作文コンテスト

審査講評

についてそういった傾向がわたしたちの内にもないかを問い返した優れた作品で

ある

 

それは「される側」からの柔らかな異議申し立てであり問題提起でもある

認知症の母を自宅で介護していたおよそ七年間わたしも病院などで母にかけられ

る言葉がとても気になった言葉の多くが幼児へのそれに似ていて「優しく接すること」が

幼児言葉であるという習慣のようなものはわたしたちの暮らしの中のいろいろな場面にある

ひととして親切であることと相手に対する想像力を働かせることと幼児に向けてのような言

葉を使うことはまったく別なことなのだが

 

悪意不在であるがゆえにかえって問題提起しにくいテーマを江川さんは見事に拓いてくだ

さっている

 

辻本桃佳さんの作品目の不自由なお父様がある日電車の中で出会ったことを通して「個

人的な体験」を普遍的なテーマに広げ深めることに成功した作品だ

 

人種と「見た目」の違いをテーマにしたローリンズ

リコさんの作品水俣という愛する郷里

の酸鼻な歴史とそこから生まれた差別と偏見について丁寧に描いた井上由紀子さん事情があっ

て家族とは離れて暮らす大田葵さんが今考える拓かれた『家族』とはかつて偶然に出会っ

たひとたちが偶然を必然に変えて

4

4

4

4

4

4

4

4

4

新しい結縁の家族を作っていく小説を書いたわたしには特

に心に響く作品だった

 

文字数の関係ですべてに触れることはできないが心に響く作品たちを読んでいる間はささ

入賞作文集 8

審査講評

やかながら人権の活動をしてきた「かつての中学生のひとり」としてとても充たされた思いの

中にいた

 

ありがとうと心から「あなた」にお伝えしたい

 

そして若い季節に人権を自分に引き寄せこうして作品にまとめあげた体験は「あなた」に

準備されているたくさんの明日に光をもたらしてくれるはずhelliphellipと書いてふっと思う自分の

暮らしの核に人権を置くことは素晴らしいことであると同時にある意味ストレスを抱え込

むことでもあるのではないかとそれは気づいてしまうストレスでもある社会にはまだま

だ差別がある人権についてセンシティヴであればあるほどそれに気づき失望し傷つくこ

とも少なからずあるはずだ

 

それでもとわたしは「あなた」にお伝えしたい気づかない人生よりも気づく人生そし

て気づいたことを少しでも「拓いていく」人生のほうが容易ではないがはるかに充実してい

るはずだと

 

オーディオセットから大好きなクリスウィリアムソンとメグクリスチャンの曲が流れて

いるhelliphelliphellipわたしたちは新しい時代を作るため新しいページを開くために時代のステージ

にいま登ったところだとふたりとも歌を通してアメリカで人権の活動をしてい

るアーティストである海のこっち側のわたしたちもいま新しい時代のページを

開く時そのステージの上にいる

9 第30回全国中学生人権作文コンテスト

審査講評

内閣総理大臣賞

 

私が入院した時眼科や外科内科などいろいろな病状の患者さんと知り合いになった仕事

で足を骨折した人胃を悪くして入院した人目の手術を受けた人など年齢や性別職業も様々

でふだんあまり接することのない人たちと話す機会に恵まれた病気やケガの苦労話はもちろ

んのこと世代の違う人たちの話はとてもおもしろかった「人権」について考える時その中

の一人の患者さんのことが頭に浮かんだ

 

人権侵害とは障害者やお年寄りなど立場の弱い人たちに対する差別や悪意のある偏見か

らくるものだとばかり思っていたところがたとえ善意であっても思わぬところから人権の侵

害になっていることがあるのだと考えさせられたのであった

 

目の手術を受けたその人は母と同年代ぐらいの女の人だった目が不自由なことで周りの

江え

川がわ

 麻ま

理り

香か

佐賀県佐賀市立東与賀中学校 三年

「身近で無意識な人権侵害」

入賞作文集 10

入賞作文

人たちがとてもよくしてくれるのはいいがそのために困ったり悲しい思いをすることもあると

いうのだった私はこれまで人に優しく親切にすることはいわば常識であり当然のことだ

と思っていただけに大きなショックを受けた困った時に手を貸してくれるというのに悲しい

思いをするとはどういうことなのだろう私たちが親切のつもりでやっていることが迷惑になっ

ているというのだろうかお年寄りや障害者をいたわるのは当たり前でありそれは感謝される

ことはあっても迷惑に思うなどとは筋違いではないだろうかところがその人の立場から見

れば好意のつもりでもまるで小さな子どものように扱われたりこれは危険だからと勝手に

予測されて遠ざけられてしまったりと自分の意思とは関係なく何でも先回りされてしまうのが

悲しいのだそうだ目は悪くとも自分は子どもではないしできなくはないことにまで行き

過ぎた親切にひどく心を傷つけられるのだというまた相手がよかれと思ってくれていること

だけにそれを断ろうものならあからさまにいやな顔をされたり急に態度を変えられることも

あったりでかえって気を遣うのだそうだ

 

私ははっとした今まで手を貸す側から見ることはあっても逆の立場から考えたことはな

かったので大きな衝撃を受けたいつの間にか相手より自分を少し高い所に置いて見ていない

だろうか無意識のうちに相手のことを保護すべき弱者だとして見ていないだろう

か私は今中学生だがそれ以下の子ども扱いされると腹が立ついちいち細かい

ことまで制限されたり禁止されたりすれば確かにいい気持ちはしない同じよう

に障害者や老人に対して危険だ何だのとその人ができることまでをも禁止し

11 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

まだこぼしてもいない湯のみを取り上げるようなことをしてはいないだろうか

 

確かに弱者をいたわり手助けすることは人として当然であり必要なことで

あるしかし相手の気持ちや状況を考えずただ一方的に押しつけるだけの親切

はただの自己満足でしかない見えない人には見えない人なりのやり方や考え方が

あるのにそこに寄り添うための理解がないとしたらそれは人権を侵害しているといえないだ

ろうか

 

人は皆平等であるけれど環境や年齢身体能力などは同じではないだからこそ人とし

ての尊敬の念や思いやりいたわりの心を持って接することが大切なのだと思う

 

しばらく前の人権侵害とは人を自分より見下したりおとしめることで優越感を持つための

ものだったように思うそして今生活や文化が豊かになった現代では行き過ぎた親切やいた

わりが人の心を傷つけそれが新たな種類の人権侵害の一つになっていることもあるのだ「善意

イコール感謝されるべきもの」という考え方が全てに当てはまるとは限らないまた当ては

めようとしてはならないその人にとっての「いちばん」は何かひとりひとりを尊重するため

には本当に助けが必要かどうか出すぎたことをしていないかを見極めることも大切なのだと

思う

 「人権」について考えることそれはとても難しいことのように思えるが意外と簡単なこと

ではないだろうか同じ人間同士が並んで歩くための人と人との間の権利私たちが無意識のう

ちに作り出している優劣の壁を取り払うこと自分の価値観を人に押しつけないこと自分も相

入賞作文集 12

入賞作文

手も同じひとりの人間なのだとその

人の心に寄り添い理解し合う努力こ

そ人権を守る大きな力になると思う

13 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

 

十五年前父が篠山の町中を歩いているとこう言われた「そんな棒きれ振り回さんといて」

と父は決して棒きれを振り回していた訳ではないただ白杖を持って歩いていただけだそ

の話を聞いて私は驚いたたった十五年前のことだけど信じられない気持ちでいっぱいになっ

ただが十五年経った今ではそんなことはないだろうマスメディアが発達しいろんなハン

ディを持った人のことが紹介されたり障がい者の方自身が社会参加する機会が増えたからだと

 

そしてこんな話も聞いたことがある電車に乗った時に時間が知りたくて携帯電話を開い

たときのことだ「こんなとこで電話したらアカンやろ」と中年のおばさんに怒鳴られたそうだ

優先座席の近くだったということもあるが『目の不自由な人=白杖を持っている』という認識

は広まってきているが時間を知りたいときには音声が出る時計や携帯電話を使うということは

法務大臣賞

辻つじ

本もと

 桃もも

佳か

兵庫県篠山市立西紀中学校 三年

少しずつhellip一歩ずつhellip

入賞作文集 14

入賞作文

ほとんど知られていないのだそのとき父は説明しようと思ったがどうせ分かってもらえな

いと思い「すみません」と謝りとても悲しい気持ちになったそうだ見えている人は時間

が知りたければ時計を見ればすぐに分かるだが目が不自由だと音で聞くしかないのだ私は

障がい者が暮らしやすいような機器が発達してきていることをもっと社会に広めていくことが

必要だと思うそうすることで協力してくれる人や理解してくれる人が増えていくのではな

いだろうか

 

視覚障がい者の方が日常生活を送る上で給付や貸与される機器がある音声で教えてくれる

時計や体重計文章読み上げ器などがそれだこれらは以前県の基準で市が実施要綱を定めて

そこが窓口となって行われていたが法改正により各市区町村対応となったしかしこの日

常生活用具の中に健常な家族と同居している視覚障がい者には給付してもらえない物もあるの

だそれは体温計や体重計であったりするこの体温計がなければ家族が出かけている間に

体調が悪くなっても計測することはできないのだ

 

父の知り合いに赤ちゃんを連れた全盲のお母さんがいる体温を計るのに複数の体温計で赤

ちゃんの体温を計りその体温計に印をつけて病院まで持っていって見てもらったり家族が帰っ

てくるのを待って見てもらうことがあるそうだ私たちは簡単に体温を計ること

ができるが見えない人たちはそれができないために生命の危険にさらされてしま

うことがあるのだせっかく便利な機器が発明されても値段が高くて簡単に購

入できないもしくは制度のカベによってそのサービスが受けられないことがあ

15 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

るしかし私の住む篠山市では父たちの声が福祉課の方々に届き日本で初めて

音声式体温計が同居家族の有無にかかわらず給付されるようになったのである

 

今は携帯電話が音声で読み上げてくれてメールや時間GPSなどの便利な

機能を視覚障がい者の方も利用できるようになっただがそのことを知っている

健常者の方は全国にどれくらいいるだろうかまたこのことを知っている当事者である視覚障

がい者の方が全国にどのくらいいるだろうか私はまだ知らない人が多いと思う

 

ここ十五年程で視覚障がい者の人は白杖をついているということはほぼ知られてきたが生

活を助ける機器が発達してきているということは知らない人も多いだろうそれが「あの人は

目が動いているから見えている」とか「あの人はずっと目をつぶっているから見えていない」

「物を避けているから見えている」「物にぶつかっているから見えていない」という勝手な

思い込みで障がいの重さをはかることにつながっているのではないだろうかでもそれは間違っ

ている目を閉じれば視覚障がい者の疑似体験はできるでもそれはあくまでも体験であって

個人個人の見え方はそれぞれ違うし外見や行動で障がいの重度を判断するのは良くないと私は

思う同じような見え方ができたとしても全く同じ動きなんてできる訳ないのだから毎日父

と生活していてもどのくらい見えているのか私にもはっきり分からないなにげに父たちがこな

している日常の動作であっても私たち健常者にははかりしれない恐怖と不安努力があるの

だ誰でも目をつぶれば見えない世界を体験した気になる松葉杖をつけばその体験をした気

になる車イスに乗ればその体験をした気になるだが本当の障がい者の苦悩と努力の一部

入賞作文集 16

入賞作文

しか体験していないことを知ってお

いてほしい私たちには当たり前に

できるようなことがあってもどん

なに望んでもできない人たちがいる

ということとみんなの正しい理解と

知識が障がい者の明るい未来へとつ

ながっていくということを知ってほ

しいそしてこのことを広めていか

なければならない

 「少しずつhellip一歩ずつhellip」

17 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

 「Pick your 

head up」

 

これは父がいつも私にかけてくれる魔法の言葉です

 「顔をあげなさい下を向かない」という意味です

 

私の父は生まれも育ちもニューヨークのアメリカ人です女の子は父親に似るとよく言われ

ますが私もそうで日本人の母親よりも父の方に髪質も肌の色も本当によく似ています子供

が親に似ることはあたりまえのことですが私はそのためにいやな思い悲しい思いをいくどと

なくしてきました

 

初めて自分がみんなとちがうんだなと思ったのは幼稚園に入学してまもなくのことでした同

じ組の女の子たちが何人かして楽しそうに遊んでいたので

ローリンズ リコ

福島県福島市立渡利中学校 一年

「差別のない世界へ」

文部科学大臣奨励賞

入賞作文集 18

入賞作文

 「まぜて」

と声をかけると一人の子が言いました

 「このグループは日本人で髪がまっすぐな人しか入れないのリコちゃんは髪がチリチリだし

ハーフだからダメ」と

 

私はとても悲しくなりましたそしてそれは卒園するまで続きました

 

小学校は人数も少なかったせいかみんなとても仲良くて私の外見のことを言う人はだれ一

人いませんでしたまるで兄弟のようにみんな自然に接してくれましたでも習い事やいろい

ろな大会など他校の子たちといっしょになる場面ではやはり髪の毛や肌のことをからかわれ

ることはよくあることでした私には二学年上の兄がいますが兄もやはり父の方に似ています

おだやかな性格の兄は私以上につらい思いをしてきたと思います

 

父は兄や私の話を聞くたびに

 「Pick your 

head up」

と言いましたそして

 「自分に自信とほこりをもちなさいあなたたちは二つの文化を受けついでそれはとてもす

ばらしいことなんだよ」

といつも話してくれました

 

中学に入って間もないころでしたある男の子がいきなり私に向かって言いまし

19 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

 「おまえ風呂に入っているのか黒いぞ外国人はくさいからな」

 

私はとてもはずかしくなりましたそしていかりや悲しみがこみあげてきました

まわりにいた友達は彼の言葉に苦笑いをしていました私はいかりのあまり彼をな

ぐりたくなりましたその時私は父のあの言葉を思い出しました私は顔を上げ

相手の目を見て静かに自分の傷ついた気持ちを伝えました

 

彼は私に向かってこう言いました

 「ごめんわるかった」

 

彼は人を傷つけるということが彼の想像以上に重くそしてひどいことだと少し気付いたよう

でした

 

差別やいじめというのは私たちのまわりでは小さなことから大きなことまで本当によくあり

ますそして差別やいじめをしている側からすればそれをじょう談だという人も多いのです

まわりの人たちもやはりじょう談や遊びの中でのことにとらえてしまう人たちもとても多いので

すだから小学校の時から私たちは道徳などでいじめや人権などについて学んでいてもなかな

かそれがなくならないのだと思いますでも実際に差別やいじめをされている方はみんなの想

像よりはるかに傷ついているということつらいということそして悲しいということを私はこ

の人権作文を通してたくさんの人に知ってほしいのですけがをすれば日がたつごとにそのけ

がは治っていくでしょうまわりからも治っていく様子が見てわかるでしょうでも心に受けた

傷は本人にしかわからないのですその傷がどんなに深くて痛いものか本人にしかわからないの

入賞作文集 20

入賞作文

です

 

肌の色が違っていてもかみの毛が

違っていても私たちはみんな同じ人間

です心を持った人間です相手の気

持ちを思いやり相手の立場になって

考えればいじめや差別はなくなると

思います今も世界のいたるところで

人種差別が問題となり争いが起きてい

ます私は世界から差別やいじめがな

くなるように強い心を持ってまずは

自分から立ち向かっていきたいです

21 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

 

あなたには大好きなふる里がありますか私には緑の木々と青い海に囲まれた自然豊かな

大好きなふる里があります私のふる里は過去に公害という大きな被害をうけた水俣ですそ

の水俣病で患者はもちろんそうでない人も長い間差別をうけてきました

 

父が幼い頃まだ水俣病の原因が究明されておらず水俣病はうつると言われていました列

車が水俣の駅につくと窓をしめ手で口をおおった人もいました修学旅行に行くと同じ宿

舎になった学校から苦情を言われたこともありました水俣出身ということで結婚を断られた人

や就職試験をうけることさえできなかった人もいました水俣に住んでいることをかくして隠

れるようにひっそり暮らしていた人もいましたまた同じ水俣に住む人でさえ奇病と呼び距

離をおきましたそのことでたくさんの人々が傷つきあってきたのですいろいろな立場の人々

井いの

上うえ

 由ゆ

紀き

子こ

熊本県熊本県立八代中学校 一年

私の大好きなふる里

法務副大臣賞

入賞作文集 22

入賞作文

がせまい土地に住んでいるのですから仕方がなかったのかもしれません

 

しかし今では原因も究明され海の安全も確認されたことでそのようなことはほとんどな

くなりました私たちは過去のことを忘れるくらい楽しくすごしています

 

私は今八代の中学校に通っています私は自分が水俣出身ということを隠すこともありませ

ん友だちもまたそのことを知っていますがからかったりいじめたりする人は誰一人いません

 

しかし先日水俣の中学校のサッカー部が練習試合中に相手チームの選手から

「さわるな水俣病がうつる」

と言われたという記事が新聞にのっていました今でもこういう風に思っている人がいるのか

と思うと残念で仕方ありません何気なく言った一言だったのかもしれませんがその一言は

私たち水俣に住む者にとって非常に悔しく悲しいものでした

 

小学校の総合的な学習の時間で水俣病について学習しました原因となった会社を訪問したり

患者の方から当時の話をきいたり交流も行いましたそんな中で苦労されたり何も言えずに

黙って亡くなった人のことを知り水俣に住んでいながら何も知らなかったことをはずかしく思

いました水俣病についてしっかり学び正しい知識を得ることが差別や偏見をなくすのだと気

付きました

 

中学校の道徳の時間ではハンセン病について学習しましたこれも水俣病同様

正しい知識がなかったためにおきた悲しく悔しい悲劇でした

 

私たちが差別や偏見をなくすためにできることそれはその人その出来事に

23 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

ついてしっかり知ること知ろうと努力すること正しい知識を深めるために学習

することではないかと思いますそうすれば水俣病やハンセン病のようにむや

みに人と人とが傷つけあったり憎しみあったりすることはなくなるのではないで

しょうか

 

先日テレビで水俣のダイバーが紹介されましたその人は本当はほこりたい水俣を心の中

にじっとしまいこみ誰にも言えず何年もの間生きてきた人でしたしかし水俣の地にも

どり自分はこのすばらしい美しいふる里を紹介したいと海にもぐり写真をとり続けておら

れるそうです心に差別という深い傷を負いながら水俣の再生を皆に知らせたいと頑張る人

がいることに感動しました

 

今水俣はごみの分別リサイクル事業など市民全員で環境にやさしい町づくりをすすめてい

ます私は差別や偏見から立ちなおり再生しようと環境問題に一生懸命とりくんでいるふる

里水俣をほこりに思っています

 

水俣では運動会等多くの行事で「水俣ハイヤ節」というものが踊られますこれは水俣病

の患者の方が水俣の青い海と豊漁を願って振りつけをされた踊りだそうです私たちと同じ思い

をする人が二度とでないことを祈りながら私たちは毎年皆でこの踊りを踊ります

 

水俣の悲しい過去を変えることはできませんが私はあやまちを二度とくりかえさないため

にこの美しい自然を守り真実を語り継いでいきたいですそして差別や偏見のない社会に

なるよう自分から努力していきたいと思います

入賞作文集 24

入賞作文

25 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

 

みなさんは「本当の『平和』とは」と質問されたら何と答えますか「戦争や紛争などが

ないこと」ですかそれとも「自分自身の幸せのこと」ですか一人ひとりの抱く「平和」のイ

メージは違うことでしょう

 

僕の思う本当の「平和」それは「家族」がいて「家庭」があることだと思いますなぜそう

思うかというと今僕は訳あって家族とは離ればなれに暮らしているからです一歳前後には既

に家族とは離れ施設にいました母親や姉兄の存在はわかっていますが一緒に過ごした時

間は限られたもので今でもほとんど交流はありませんそのせいか僕はいつも「家族」や「家

庭」というものに強い憧れを抱いています

 

自分がまだ幼い頃は自分と同じくらいの子が母親と手をつないでいる姿がとてもうらやまし

大おお

田た

 葵あおい

栃木県さくら市立喜連川中学校 三年

「家族」とは何か

法務大臣政務官賞

入賞作文集 26

入賞作文

「どうして自分には母親がいないんだろう」と思っていました仕舞いには自らの母親を恨ん

でしまったのです小学生になってもその気持ちは変わらず母親への恨みは増すばかりでした

 

しかし小学五年生の夏思いもよらぬ出来事が起きましたそれは引っ越しがあったこと

ですそこで僕は新しい土地そして新しい里親という人たちに出会いました里親の人たち

と暮らした数年間僕は幸せでしたそこで僕は僕の周りにはいつも支えてくれる人たちがい

ることに気づきました血のつながりがなくても僕に自分の子どものように接し育ててくれ

た里親の人たち養護施設の先生方などたくさんの方たちに僕は見守られて成長してきたこと

に気づいたのです僕を支えてくれる人すべてに感謝の気持ちがわき出てきましたそれ以来

僕は親という存在にこだわらなくなりましたそれどころか自分に命を与えてくれた親に感謝

の思いを抱くようになったのです

 

この夏母親の育児放棄が原因で二人の乳幼児が衰弱死するという悲しい事件がありました

二人の子どもにろくに食事も与えず風呂も入れなかったそうですさらに逮捕後その母親は

「家に帰ってあげなかったことを今も後悔している子どもは私を恨んでいると思う」

という言ってはならない発言をしました僕は怒る前に亡くなった二人の子ども

たちがかわいそうでなりませんでした

 

と同時に僕はこの母親はどうしてこのようなことをしてしまったのだろうと

すごく考えさせられました僕は本来親は子どもを殺すのではなく守るために

27 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

いるのだと考えますたとえ小さな子どもでも立派な一人の人間ですその命を

守り育てていくことが親として大切な役目だと思うのですこの母親はどこで

勘違いしたかは知りませんが親としての自分の責任を理解していなかったのでは

ないでしょうか

 

そしてその勘違いを誰も母親に気づかせてあげられなかった事実母親が一緒に遊び歩いて

いた友人はもちろん母親の家族が少しでも助けることができていたら母親の行動を戒めるこ

とができていたら連絡を受けた児童相談所がもう少し踏み込んだ行動が取れていたらこのよ

うな悲しい結末にはならずに済んだのではないでしょうかやりきれない思いばかりがこみあげ

てきます

 

もう一つこの母親は大きな勘違いをしていますそれは「子どもは私を恨んでいると思う」

という言葉です僕はこの子どもたちが母親を恨んでいるとは思えません子どもたちは母

親が帰宅するといつもハイタッチをして喜んで迎えたそうです子どもたちは母親のことが大

好きだったのでしょうたとえ自分たちを見放した母親でも恨んでいるとは決して思えないの

です

 

子どもは心の底から自分の母親のことを恨めないと僕は思いますこの世に生を受け笑った

り怒ったり泣いたりと毎日いろいろな経験ができるのは自分を生んでくれた母親という存在

があったからです正直僕も小さい頃は母を恨んだことがありました愛情の裏返しというよ

うに母親への思いが憎しみに変化してしまったのですでも心の底には母への恨みとは全く

入賞作文集 28

入賞作文

正反対の気持ちが存在し続けていましただ

からこそこの子どもたちがどんな思いで死

んでいったのかわかるような気がします母

親を信じひたすら母親の帰りをまちわびて

いた思いが

 

僕にとっての「家族」それは同じ屋根の

下で暮らす人々のことですたとえ血はつな

がっていなくても僕を支え励ましてくれる

人たちそのすべての人が僕にとっての大切

な「家族」なのです今僕の暮らす養護施設

にはいろいろな事情を抱えた二歳位から高

校生までの子どもたちや職員の方が約六十人

います今の僕には全員大切な「家族」で

す僕はこれからもこの「家族」を大切に

一日一日精一杯平和に生きていきたいです

29 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

 

授業でハンセン病について学んだ日両親と「偏見」や「差別」について口角泡を飛ばす議論

を深夜まで繰り広げた身体障害者の父と看護師の母を持つ私は幼い頃から「命の大切さ」を

訴える両親の姿を見て育って来たそんな私は真摯な気持ちからハンセン病罹患者と向き合い

たいと思いこの夏草津にある療養施設栗生楽泉園を訪れた

 

草津までの道のり私は罹患者の気持ちを絶えず考えていたハンセン病について調べると「ら

い予防法」により罹患者は隔離され人権を無視された扱いを受けたことが分かった罹患者の

言葉が書かれた本ではどんなに過酷な仕打ちを受けたか他人をどれほど恨み憎んでいるか

が書かれていたその為私は無意識の内に「罹患者は全員恨みを抱いている」と勝手に思い込

んでいたしかしこんな思い込み自体が偏見や差別を生む原因になるということを後に思い知

大おお

井い

 海み

琴こと

群馬県群馬大学教育学部附属中学校 三年

忘れてはならないこと

全国人権擁護委員連合会長賞

入賞作文集 30

入賞作文

らされることになるのである

 

私を迎えてくれたのは入園者自治会長の藤田三四郎さん藤田さんは大変お元気でその容姿

からはハンセン病を伺い知ることはできなかったしかし藤田さんは紛れもない罹患者なのだ

その証拠に藤田さんの名は本名ではない罹患者は施設に入所するにあたり偽名を使用させら

れたと言うつまりその時点で罹患者は世間から存在を消されてしまうのであるそんな藤田

さんから語られた話はハンセン病だと宣告され三度も命を絶とうとしたこと重症患者の看

護を押しつけられ数え切れない人を看取り自らの手で葬ったこと家族が受けた迫害や侮辱的

な言葉など想像を絶するもので筆舌し難いものだったしかしこんな迫害と差別は同時にハ

ンセン病患者達の人権回復闘争の歴史でもあったのだ闘争の末「らい予防法」が廃止される

と今まで差別や人権侵害を繰り返していた多くの人が掌を返す様に態度を変えたと言う私は聞

いていて怒りを覚えたが不思議なことに耳を塞ぎたくなる様な内容を語る藤田さんからは全

く怒りや恨みが感じられないのだ私は話を聞くまで自分の運命を呪い周囲への恨みつらみ

の言葉が出てくるとばかり思っていたしかし出てきた言葉は「入園出来て良かった差別は

受けたが今では恨みを抱く罹患者も少なくなったそればかりか最近はたくさんの人が我々を

理解し協力してくれるので嬉しい何故なら一人の百歩は力が無いが百人の一歩

は力になるから」と言う感謝の言葉だったのだ本当に「恨みは無いのか」と何度

聞いても答えは同じだった私は恥ずかしくなったハンセン病について調べ罹

患者の心を理解したようなつもりでいながら実は何も理解できてなくてそれば

31 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

かりか罹患者を偏見の眼で見ていたのは私自身だったのだ私は話を聞いてとめ

どなく溢れ出る涙を拭いながら心の片隅に潜んでいた「偏見と言う名の種」が身

体から洗い流されていくのを感じていたそれは同時に「思い込みや無知が偏見

や差別を生みだす」ことを強く感じた瞬間でもあったそれだけに藤田さんの「自

分と同様に他人を愛すればいつか必ず世界から差別はなくなる他人を愛して下さい」の慈愛に

満ちた言葉が一層重く腑に落ちるのだった

 

帰りがけ千五百ページにも及ぶ「入所者証言集」を手渡されたその際私は見えない襷も

手渡された気がしたその襷とは証言集に記された罹患者の「事実を風化させないで私達の事

を忘れないで」という搾り出すような叫び声とその姿だったのである

 

ハンセン病が治る病気であるのに誤った知識から悲惨な人権侵害が長期に渡り続いた同じ間

違いを繰り返さないためにも事実を語りついで行く必要があるここ楽泉園でも高齢化が進み

証言者の数が減っているこれは全国一五全てのハンセン病療養所に共通することだハンセン

病問題は罹患者がいなくなればそれで終わると言う問題ではない今後人権問題を考える際重

要な指針になりうる事実なのだそしてこの事実の風化を防ぐことが私達若い世代の役目だと

私は思う

 

私は小六の時友人達から突然イジメを受けたそれを引きずり他人を恐れ憎み自分を

嫌って生きて来たしかし罹患者の声が私に生きる力と前を向いて歩む勇気を与えてくれた

楽泉園訪問は私に人生観が変わる程の衝撃を与えてくれたのだこんな私だが罹患者の声を伝

入賞作文集 32

入賞作文

える「百人の中の一人」にはなれるはず

だそのために私は今この作文を書い

ている文字は時を越えて生き続けるか

ら私はこれからも楽泉園訪問を続ける

つもりだ実際に中学生の私が出来るこ

とには限りがあるが差別や偏見を少し

でも減らすために一歩を踏み出すつもり

でいる「自分と同様に他人を愛すれば

いつか差別は無くなる」と言う藤田さ

んの言葉を胸に

33 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

 

森に囲まれたその一画には教会や寺院神社があり小さなショッピングセンターやレスト

ランもある床屋や図書館郵便局や浴場もあるしかしそれらの施設を利用するのはその一

画に住む人たちだけだ緑の外側に住む人が利用することはないそこはハンセン病の療養所

多磨全生園である

 

僕は七年前に清瀬市に引っ越してきた夏のある日昆虫が大好きな僕は何気なくその森の

中に入って行ったそして歩き回っているうちにその場所が一つの「町」であることに気付

いた

 

毎日セミやカマキリやナナフシを探しながらどうしてこんな所があるのだろうと思った

 

僕が一番不思議に思ったのは古い木造の小学校だいつも誰もいない校舎と小さな運動場近

久く

米め

 一かず

輝き

埼玉県学校法人立教学院立教新座中学校 一年

ハンセン病について考えたこと

社団法人日本新聞協会会長賞

入賞作文集 34

入賞作文

くに小学校があるのにどうしてこんな所に小学校があるのだろう小学一年生の僕はとても不思

議に思った

 

夏に地域交流を目的とした盆踊りと花火大会が行われるいつもは人のいない小学校跡は多く

の人であふれかえり普段は見かけない重い後遺症の老人たちもこの日は外に出て盆踊りを楽し

む初めて参加したときは言葉が出なかった正直「怖い」と思った

 

夏が来るたびに僕は盆踊り大会に参加した低学年から高学年へと進むにつれて少しずつハ

ンセン病のことが分かってきた

 

六年生のときに社会科見学で全生園の元患者を訪れることになっただが僕は都合で参加で

きなかった僕はそれをずっと悔やんでいる

 

今年の夏僕はハンセン病資料館に出かけた見学者は僕一人でとても緊張したなるべく

音を立てないようにパネルを見て回った

 

強制隔離の現実にとても驚いた狭い部屋に押し込められ症状の軽い患者が重症の患者の世

話をしたという子供を持つ権利や生まれる赤ん坊の命まで奪われていた逃げ出したり反抗的

な患者は「不良患者」と呼ばれ窓の小さな暗い監房に閉じ込められた

 

医学が進歩し療養所も徐々に改善されていったが強制隔離を命じる「らい予防

法」が廃止されたのは一九九六年だという隔離が始まった一九〇八年から約九〇

年も経っていた僕が生まれるほんの一年前のことである特効薬が開発され本

格的な治療が始まったのは昭和二十二年である現実に合わない法律を廃止するの

35 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

にどうしてそんなに時間がかかったのだろうか

 

資料をもらってハンセン病資料館を後にした家を出るときは帰りに虫の観察

をするつもりだったがとてもそんな気にはなれなかったいつもセミが集まる桜

の木には目もくれずに早足で家に帰った

 

資料の中で一番心が痛んだのは療養所の子供たちのことだ療養所に入所したのはハンセン

病を発症した子どもたちだけではない親が発症したために入所する子どもたちもいた当時は

ハンセン病は遺伝病だとされていたからだ親から無理やり引き離された子どもたちは「すぐに

帰れるから」という言葉を信じていたというしかし一生療養所を出ることができなかった人が

多かったという社会的な差別がひどかったからだと資料に書かれていたが僕には実感がわか

なかったのでもう少し調べてみることにした

 

図書館で『ハンセン病を生きて』(伊波敏男著)という本を見つけた少し難しかったが差

別の現実が僕にもわかる部分があったそれは元患者たちに対して書かれた匿名のひどい手紙

である長年隔離されて苦しんできた人たちをさらに傷つける言葉が並んでいた悲しく暗い

気持ちになった

 

日本は経済大国として世界の注目を浴びているだが人権意識の面ではどうだろう「らい

予防法」を二〇世紀の末まで廃止できなかったことをどう考えたらよいのだろうか明治時代に

隔離が始まったときそれは外国に対する体面を保つためだったという病気の人を治療するの

ではなく「隠す」のが目的だったのだいまだに差別意識を持つ人がいるのは社会がそうした

入賞作文集 36

入賞作文

過去に対する反省をしていないから

だと思う

 

僕が不思議に思った小学校はすで

に取り壊されて今では小さな石碑

だけが残っている老朽化がひどく

残しておくことができなくなったか

らだという全生園の古い建物はど

んどん取り壊されていく石碑だけ

ではあの不思議さが伝わらないのが

とても残念だ

37 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

 

僕の曾祖父は医者嫌いでしたそのため腹痛で病院に運ばれた時は膵臓癌の末期で余命三ヶ

月でした手術もできない手遅れの状態でした家族皆で話し合い曾祖父の辛い気持ちを第一に

考え曾祖父に病を隠すことになりました曾祖父は次第に病院の中を歩いては転倒し体中あ

ざだらけになりベッドの上で縛られることになっていました曾祖父は病名の宣告を受けてい

ないため元気で歩けると思っているが実際歩くと転んでしまう何でこんな風になってしまっ

たのかさえわからない

 

家族と病院に行くと「包丁もてこいこれぶった切って家さ帰る」と騒いでいましたあん

なに優しかった曾祖父の姿に言葉も出ず恐いくらいでした何も知らされずベッドに縛り付

けられれば誰もがそうなることでしょう「じいちゃんどご一緒に車さのせでいてくれの」と

櫻さくらだ田

 要かな

太た

山形県酒田市立松山中学校 三年

日本放送協会会長賞

悔いのない最期を

入賞作文集 38

入賞作文

せがまれたときもありますかわいそうで涙がポロポロこぼれました「おじいちゃんどご家

さ連れで帰ろうよ」とせがんでも家族も仕事で忙しいためか誰も首を縦に振ってくれず病院

にいた方が安心ということになりました膵臓癌は予想以上に激しい痛みのため医師から強い

痛み止めと強い睡眠剤を勧められましたがそれを導入することにより安楽死に近い状況にな

ることも医師から告げられていました家族は決断をせまられました曾祖父に相談もせずに決

めていいことなのか家に帰りたい曾祖父の意志は封じ込められたままでいいのか家族で悩み

ました結局痛みに耐えている姿は見ていられなくその薬を使うことになりましたその後

曾祖父は次第に弱っていき口も利けなくなり静かに亡くなっていきました僕はどこか心を

引きずったままでした僕達家族が曾祖父に宣告もせず意見も聞かず命の長さを決めてしまっ

たこと当時幼かった僕には何もしてあげられなかったことが今思い出しても残念です

 

最近授業で人権について学習しているときに幼い頃の記憶がよみがえりふと曾祖父のこと

を思い出しました

 

曾祖父はどんな思いで亡くなったのだろう最後に意識のあるうちに一度でいいから家に帰っ

てきたかっただろう身体拘束は今は病院でも禁止されていると思いますがあの頃は確かに曾

祖父のおなかに黒いベルトのようなものが巻きついていました決して自分の力で

は外せないようなものでしたもがき苦しむ曾祖父の姿を見た時に看護師さんに

目を隠され別の部屋に連れて行かれました見せたくない光景だったのだと思いま

すでもあの姿は僕の脳裏に焼き付いています病院の中での人材不足のためだっ

39 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

たのでしょうか人が人らしく生きていない姿でした

 

七十八年生きてきて何も悪いことをしていないのに縛られ家にも帰れない

病気で余命幾ばくもない人には人権というものは存在しないのでしょうか最近の

医療の現場では自己決定権があることについて学びました

 

仏壇に向かい静かに目を閉じると優しく穏やかに微笑む曾祖父の笑顔が浮かびますどんな

気持ちで亡くなっていったのかその気持ちを考えると苦しい気持ちになります野球の大会に

行く前仏壇に手を合わせます「やればできる努力しろ」とよく励ましてくれました曾祖

父の力には何もなれなかったけれど目には見えない力で応援してくれる曾祖父に線香をあげて

自分を省みる時があります曾祖母が元気なので曾祖父を助けられなかった分曾祖母の力に

なっていくことを曾祖父に約束しています

 

夏休み中のニュースで高齢者の所在不明者が多数のため百歳以上の安否確認調査をしていま

した自分の親を平気で捨て遺骨さえもひきとらない亡くなっていたのに年金を不正受給する

ために隠していたなど耳をふさぎたくなるような事件もありました犬や猫が年をとって弱っ

てきた手がかかるから面倒だからと捨ててしまうそれと同じ現象が弱い高齢者にも及んでき

ているのだと思います

 

やはりこの世に生まれてきたもの全てに自分の意志で生きることを決めていける権利がある

と思います長い年月を苦労や努力と向き合いながら精一杯生きてくれたおかげで今の幸せが

あることを忘れずにいたい人はいずれ誰でも年をとります自由に動けなくなった時に自分の

入賞作文集 40

入賞作文

願いが叶う社会を築き「悔いなく満足で楽しく幸せな人生だった」と思えるように人とし

ての誇りを持って満足できる最期を迎えられるように考えていきたいもう二度と僕が見た自

己決定権のない社会にならないように高齢者には今までの感謝の気持ちで本人の希望をでき

るだけ叶えられるように努力していきたいいずれ僕達も迎える高齢社会だからhellip

41 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

 

私は小学六年生の時から盲導犬候補の子犬を育てるボランティアをしています「犬を飼っ

てみたい」と言う私に両親が「せっかく犬を飼うのなら社会に役立つことをしよう」と提案

したからです生後二ヵ月の子犬を預かり一歳の誕生日を迎えるまで世話をするのがボランティ

アの役目です初めて訓練士さんから子犬を手渡された時は不安でドキドキしましたが子犬は

すぐに私の腕の中で眠ってしまいました初めて会った私のことを信頼して安心しきった寝顔

で眠っている姿は本当に可愛かったですラブラドールの子犬はとてもやんちゃで私の家にやっ

て来たその日からいたずらばかりしていましたがしかられてもクヨクヨせずどんな相手にも

 林はやし

 里り

咲さ

東京都小平市立小平第六中学校 三年

差別のない社会に

(パピーウォーカーの経験から学んだこと)

法務事務次官賞

入賞作文集 42

入賞作文

フレンドリーに近づいていく姿から私は明るく前向きに生きることを教わりました子犬たち

と過ごした日々は私にとって一番の宝物ですそしてあっという間に一歳の誕生日がやって来ま

した誕生日が悲しいという経験は初めてでした訓練所への入所日の前日には長い長い散歩を

して最後のお別れをしました「今までありがとう」そう言った私のことを不思議そうに見てい

た子犬の顔が今も目に焼きついています別れは本当につらいけれど涙を見せたら子犬が心配す

るので頑張って笑顔で見送りました

 

私の家で育てた一頭目の子犬は現在盲導犬になって頑張っていますそして今年四月に巣立っ

ていった二頭目の子犬は神奈川にある訓練センターで訓練中です

 

このボランティアを通して私は多くのことを学びましたまず盲導犬の役割ですがこれは単

に目の不自由な方が便利に一人でどこへでも行けるようにするためだけではありません視覚障

がいのある方にとって人の手をわずらわせるのはとてもつらいことなのだそうですたとえ家

族に対してでも「迷惑をかけるのではないか」と思って我慢することが多く「私なんかいない

方がいいんじゃないか」と考えてしまうこともあったといいますその失われそうになった尊

厳を取り戻す手助けをするのが盲導犬の役目なのです犬は訓練を共にするパートナーのことを

大好きになるので「自分は他者からこんなにも大好きになってもらえる存在なん

だ」と気づいて自信を取り戻し新しい一歩を踏み出せるようになるのだそうです

 

また私がボランティア登録している日本盲導犬協会では二〇〇八年に新しい

試みが始まりました受刑者が盲導犬候補の子犬を育てる動物を介在した日本初

43 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

の教育プログラムです罪を犯した人も心から反省してきちんと罪を償えば社会

は差別することなく受け入れるべきですしかし実際はとても偏見が多く元受刑

者たちは「どうせ自分はだめな人間なんだ」と思い再び罪を犯してしまう悪循環

が起こっているそうですその悪循環を断ち切り受刑者たちがスムーズに社会復

帰を果たせるよう支援するのが「あさひ盲導犬パピープロジェクト」です受刑者たちは約十ヵ

月の間子犬たちを世話しながら一緒に過ごし「役に立つ喜び達成する喜び信頼される喜び」

を感じることで自分の価値を再確認するのだそうです今年一月に第一期のプロジェクトを修了

した受刑者の感想に次のようなものがありました

 「今後自分もパピーに笑われないようにきちんとしなければならないパピーは慈しむこと

寛容の心を教えてくれました」

 

犬は決して差別をしません健康な人にも障がいのある人にもお金持ちにも貧しい人にも

権力のある人にも犯罪を犯した人にも全く同じように接してくれますそんな犬たちと一緒に過

ごすことで自信をなくした人たちも自分のことをかけがえのない大切な存在であると思えるよ

うになるのです

 

私たち人間も差別のない社会をつくる努力をしなければならないと思います一人一人が相

手を大切に思う心を忘れなければこの社会はもっと住み良い場所になるはずです私はこのボ

ランティアを通して学んだことを生かしてこれからも一層努力していきたいと思います

入賞作文集 44

入賞作文

45 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

 

僕は祖父のために自助具を作ろうと思った祖父は去年の夏脳梗塞で倒れた祖父は一命

を取り留めたものの右手と右足がまひしてしまったのだその三週間前僕も車椅子から転倒し

て足を骨折した

 

僕には障害がある車椅子で生活することが多いしかし僕のことを障害者だといって差別

するような友達は一人もいない

 

祖父は歩けるようになりたいという気持ちが強かっただからリハビリを頑張り自分で

歩けるようになるまで回復した頑張っている祖父がかっこいいと僕は思った祖父はリハビ

リを頑張ったにも関わらず右手がうまく動かせなくなってしまっただからご飯を食べる時も

服を着替える時も時間がかかる普段何気なくやっていた動作がとても大変だと祖父は言ってい

守もり

田た

 幸こう

平へい

静岡県静岡大学教育学部附属浜松中学校 三年

祖父への靴下

法務事務次官賞

入賞作文集 46

入賞作文

た僕も何か役に立てることはないかと考えた

 

僕の学校には総合学習という授業があるそこで僕は福祉というカテゴリーを選んだ自

分で社会に役立てることを考え実際に行動することが目標だった僕は障害者のために何が

できるかを考えた

 

僕は二年前に静岡文化芸術大学で障害者がいかに日常生活で不自由のない生活ができるかを

考えるプロジェクトがあるのを新聞で知ったそれは大学生たちが個人個人にあった自助具を

作るプロジェクトだった僕は障害者のために何かできるのではと感じた

 

僕は静岡文化芸術大学へ行って僕にもできることがないかと聞いたすると学生さんが

自助具を作ってみないかと声をかけてくれた僕は迷わず「はい」と言った障害者のために

役に立てることがあると思うとすばらしいことだと思ったからだ

 

祖父のつらい顔を見ると日常生活に数々の大きな壁があることが伝わってくる

 

僕は祖父の数々の大きな壁を突き破ろうと思った祖父のために自助具を考え作ろうと僕

は思った祖父が靴下の脱ぎ履きが大変だと言っていたことを思い出したそこで脱ぎ履きし

やすい靴下はできないか考えた靴下の両脇にひもを取り付けてそれを引っ張ると靴下が縮み

脱ぎ履きしやすくなる仕組みだ大学の先生も良いアイディアだと言って褒めてく

れたこれは障害者だけでなく健常者にも使えると言われたユニバーサルデザ

インだと分かった

 

ユニバーサルデザインは年齢や障害の有無にかかわらず全ての人が使いやす

47 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

いように工夫された用具などのデザインである境界がなくなるように健常者が障

害者に対する偏見を考え差別意識がなくなるチャンスだと思った障害者と健常

者が共によりよく生きることが大切だと僕は思った

 

自助具の作品展では杖をついているお年寄り車椅子に乗った若い女性目の

見えない人福祉関係者など沢山の人々が観に来ていた皆自分の生活を良くしようと思っ

ているようだったまた障害者のためにできることは何だろうかと考えている健常者もいるよ

うだった

 

二年生の時の総合学習では二箇所のデイサービスを訪問したデイサービスには六十五歳以

上のお年寄りがいた暗く元気のない人明るく振る舞い誰とでも話せる人など様々だった

しかし僕が一番印象に残ったのは笑顔を絶やさず優しくお年寄りに接していた介護士だった

お年寄りの中には悩みを抱えている人が多いそうだその悩みを解消させる人もまた介護士だっ

た僕は介護士がお年寄りの体を支えるだけではなく心もそっと支えて生きる喜びを与え

ているのだと感じた

 

現代は三世代で暮らす家族が減り核家族が増えているそれはお年寄りの世話が大変だ

からという理由が多いだから老人ホームやデイサービスに預ける人が増えていると僕には

思えたお年寄りの中には自分が嫌われているのではないかとさえ思ってしまう人もいるそう

だそれはお年寄りにとって辛く悲しいことだと思うある介護士がこんなことをおっしゃっ

ていた「人の優しさはお金では買えない」誰にでも優しい心があると思うしかしあと一歩

入賞作文集 48

入賞作文

のところで行動に移すことができない人が多いの

だ僕たちが平和な社会で暮らせるのは今まで

頑張ってきてくれたお年寄りのお陰であることを

忘れてはいけないお年寄りを大切にすることは

当たり前のことなのだ

 

また障害者に対しても偏見の目で見ないで

そっと近づいて手を貸してあげれば健常者との

高い大きな壁を崩すことができると思う

 

障害者にも高齢者にもまた健常者にも人権

はあるお互いの人権を大切にすることが明る

い未来に繋がっていくのだと思う

 

早く祖父に僕の作った靴下を届けたい

49 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

 

僕は小学校六年生まで福岡県に住んでいましたそこで僕が体験したことです五年生のこ

ろ僕の友だちのA君が同級生のK君の靴を隠したりからかったりしていることがよくあり

ました最初は僕もあまり気にしていませんでしたがK君のことを「なんだかかわいそう」と

思うようになりました

 

ある日僕は勇気をだして先生に「K君がいじめにあっています」と報告しました初め先生は

「じゃれ合っているだけだろう」と「いじめ」とは思ってくれませんでしたでもその後「いじ

め」と分かりA君は先生に注意されその日一日は反省した様子で過ごしていましたしかし

次の日学校に行くといじめは前以上にエスカレートしていて蹴ったりたたいたりするように

なりましたしかも「死ね」「うざい」「消えろ」などの言葉が飛び交うようになりそんな日々

法務事務次官賞

浦うら

谷たに

 毅たける

徳島県三好市立池田中学校 三年

いじめをなくすために今

入賞作文集 50

入賞作文

が続きました

 

それは六年生になっても続きました僕はそのいじめを止めることができず毎日見て見ぬ

振りをしていました今思うと自分がとても恥ずかしいです本当の友達なら止めるべきなの

にそれだけではなくいじめられているK君に声一つかけることができずにいました心の中

ではA君に「やめろよ」と言おうと思っていたけどなぜか勇気が出ませんでした次にい

じめられるのが自分になるのが恐くて言えなかったのです

 

そんな日々が続く中僕の気持ちを大きく変える出来事がありました父の死ですそのとき

のことは今でも忘れることができません聞いたときには頭の中が真っ白になりました最初

は信じることができませんでした一週間も二週間も学校に行けずただぼーっと過ごしてい

ましたいろんなことを考え徐々に「死」というものの悲しさつらさ「死」という意味の

重さがわかってきましたそして時間はかかりましたが「命は一瞬にして消え二度と戻っ

てこないものだだから命を大切に今を大切にしなければならない」と深く受け止めることが

できるようになりましたそして周りの子たちは僕のような経験がないから「死ね」とか軽々

しく言えるのだろうと思いこの気持ちを伝えなくてはならないと考えました僕が強くならな

くてはと思いました

 

こんな気持ちになったとき僕には時間がありませんでした母の実家がある徳

島への引っ越しが一週間後に決まっていたのです落ち込んでいる暇は無いと思

い学校に行った僕はA君に言いました「いじめなんかやめろよいじめたって

51 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

喜ぶ人はいないし悲しむ人がいるだけだろ自分だってほんとは嫌だろ『死ね』

とか『消えろ』とか言葉の重さを知らないのに言うなよ」と言いました父親の

突然の死そのあと僕が考えたことも伝えました

 

友だちは黙って聞いてくれました僕の言葉にうなずいてそのあとK君の

ところへ行き「ごめん言葉の重さも知らずに言って本当にごめんぜったいに死ねなんて

ことは言わないそしていじめは絶対にしないほんとうにごめん」とあやまりましたK君

はとても優しい笑顔で「いいよ」と一言言いました僕もK君に言いました

「今まで助けてあげられなくてごめん」

K君は笑顔で「ありがとう」と言ってくれました今まで自分の中でもやもやしていた気持ちが

スーっと晴れました

 

今も時々耳にする暴言冗談半分で言っているのかもしれませんしかしいついじめにつ

ながるかわかりません他人を傷つけることで自分のストレスを晴らそうとしているのでしょう

関係ないふりをしようとする自分がいます楽な考え方をする自分がいますそんな時亡くなっ

た父の顔やK君の優しい笑顔を思い出しますあの時の自分のように強い気持ちを持とう「や

めろよ」と一言言うするとまた気持ちがスーっとしてきました

 

父の分も頑張って生き抜こうと決めた僕にとって正しいことを素直に認め悪いことを否定

できる強い意志を持つことが目標ですそして何よりも命を大切に今を大切にしていきたい

と思っています

入賞作文集 52

入賞作文

53 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

 

ぼくは今まで四つの外国に暮らしいろいろな国の人たちの中で育ってきた

 

まずタイで生まれてタイ人のメイドさんやドライバーさんにいつも遊んでもらっていた

らしい一才になると週一回の体操教室にも通いタイ人の友達もいたそうだ

 

次にシンガポールでは初めてナサリースクール(保育園)に通いいろいろな国の友達と

知り合ったプレイルームにある滑り台を滑る順番争いでいつも勝つのは体の大きい金髪の友

達だった

 

一回目の香港生活では英語の幼稚園に通ったその時のぼくの一番の友達はカナダ人だった

彼とはよくベイブレードをして遊んだが父が日本の出張で買ってきてくれた独楽や剣玉をして

遊ぶこともあった

村むら

瀬せ

 広ひろ

高たか

香港日本人学校中学部 二年

国境をこえて

海 外 作 品

今回は本選への応募とすることはできませんでしたが

 海外から寄せられた作品のうち一作品を御紹介します

入賞作文集 54

海外作品

 

それからインドでは日本人学校に通ったが夏休みには毎年アメリカンスクールのサマー

スクールに参加したし日本人のいない現地のテニススクールにも入り二年間通ったまたイ

ンドの現地幼稚園に通っていた妹のベストフレンドはコンゴ人でその兄弟もぼくの友達だった

 

そして三年間の日本生活を経て今また香港に戻ってきた

 

このようにぼくはいろいろな国でいろいろな国の人たちのお世話になりいろいろな国

の友達と遊んで育った肌が真っ黒な友達もゲームの話をすればすぐに仲良くなれたし髪が

金色の友達もポケモンの話をすれば気が合ったぼくは小さい頃から英語はうまくしゃべれ

なかったけれどもジェスチャーをつけたでたらめ英語でも充分に話は通じただからいろい

ろな国の人たちの中でぼくが日本人だからといって差別されたり嫌な思いをしたりしたこと

はないしぼくも肌の色が違うからとか言葉が通じないからという理由で違う人間だと思っ

たことはないそうぼくは外国人を差別したことはない

 

しかし本当にぼくは外国人を差別したことがないのだろうか外国人を差別した発言を一

度もしたことがないかと考えると自信がない

 

例えば香港人には赤信号でも平気で渡る人がたくさんいるそれを見てぼくは

「香港人はしょうがないな」

と思うでもよく見ると香港人全員が信号無視をしているわけではないまた

世界には今でも戦争をしている国がいくつもある

「人を傷つけ合うなんて馬鹿げている」

55 第30回全国中学生人権作文コンテスト

海外作品

とぼくは悲しくなるでもそれも好きで戦っている人がいるとも思えないその

人たちがそうなったのには何かきっと原因があるはずだ

 

逆に外国人から見ると日本人はどのように思われているのだろう

 

インドから日本に帰国した時毎日ごみがたくさん出ることにぼくはとても驚

いたインドの人たちがよく使う道端にあるカレー屋さんではバナナの葉で作ったお皿にカ

レーを入れてくれる食べた後そのお皿を道に捨てるとのら牛がその葉っぱを食べるそして

牛のふんは燃料になるというそれに比べて日本はちょっと歩くとペットボトルの飲み物が

買えファーストフードのお店では使い捨ての食器を使い立派なお菓子の箱を開けると中身が

少なくてがっかりすることもあるある時母が捨てたジャムの空きびんをメイドさんとエア

コンの修理にきていたワーカーさんとが取り合ってけんかをしていたこともあったそれを見

てぼくはあきれてしまったが逆にインド人から見ると使い捨て文化のしみついた日本人は

とんでもない人間にみえるのかもしれない国によって考え方や行動パターンが違うのは歴史

的背景や宗教習慣気候などのいろいろなことが関わっているのだと思う

 

このように考えると差別とはその人の一部しか見ていないことや自分のやり方だけが正

しいと思うことからおきるのではないかと思うその人が自分とは違った行動をとったとしても

それには深い理由があるのだろうと考えればきっと納得できると思うぼくもこれからは否

定的な発言をする前にその人たちのことをいろいろな角度から見て理解する努力をしてみよう

と思う外国との間には自分の国とは違う言葉や文化という壁があるとみんな言うがそこに

入賞作文集 56

海外作品

あるのは壁ではなく橋だとぼくは思う理解

し合おうという気持ちがあればきっと誰でも

その橋を渡っていけるはずだ気持ちの国境を

こえるのにパスポートはいらないお互いを理

解し合おうと思う気持ちが一番大切だと思う

そしてぼくはこれから日本人として生きる

のではなく地球人として生きていこうと思う

57 第30回全国中学生人権作文コンテスト

海外作品

法務局地方法務局名 郵便番号 所  在  地 電  話

金沢地方法務局人権擁護課920-0024 金沢市西念3-4-1金沢駅西合同庁舎(平成23年3月11日まで) 076-231-1244

921-8505 金沢市新神田4-3-10金沢新神田合同庁舎(平成23年3月14日から) 076-292-7804

富山地方法務局人権擁護課 930-0856 富山市牛島新町11番7号富山合同庁舎 076-441-6376

大阪法務局人権擁護部 540-8544 大阪市中央区谷町2丁目1番17号大阪第2法務合同庁舎 06-6942-9492

京都地方法務局人権擁護課 602-8577 京都市上京区荒神口通河原町東入上生洲町197番地 075-231-0131

神戸地方法務局人権擁護課 650-0042 神戸市中央区波止場町1番1号神戸第2地方合同庁舎 078-392-1821

奈良地方法務局人権擁護課 630-8305 奈良市東紀寺町3-4-1奈良第2法務総合庁舎 0742-23-5457

大津地方法務局人権擁護課 520-8516 大津市御陵町3番6号大津法務総合庁舎 077-522-4673

和歌山地方法務局人権擁護課 640-8552 和歌山市二番丁2番地和歌山地方合同庁舎 073-422-5131

広島法務局人権擁護部 730-8536 広島市中区上八丁堀6番30号広島合同庁舎 082-228-5790

山口地方法務局人権擁護課 753-8577 山口市中河原町6番16号山口地方合同庁舎2号館 083-922-2295

岡山地方法務局人権擁護課 700-8616 岡山市北区南方1丁目3番58号 086-224-5761

鳥取地方法務局人権擁護課 680-0011 鳥取市東町2丁目302番地鳥取第2地方合同庁舎 0857-22-2289

松江地方法務局人権擁護課 690-0886 松江市母衣町50番地松江法務合同庁舎 0852-32-4260

高松法務局人権擁護部 761-8077 高松市出作町585-4 087-815-5311

徳島地方法務局人権擁護課 770-8512 徳島市徳島町城内6番地6徳島地方合同庁舎 088-622-4171

高知地方法務局人権擁護課 780-8509 高知市栄田町2丁目2番10号高知よさこい咲都合同庁舎 088-822-3331

松山地方法務局人権擁護課 790-8505 松山市宮田町188番地6松山地方合同庁舎 089-932-0888

福岡法務局人権擁護部 814-0005 福岡市早良区祖原14-15福岡法務局西新出張所庁舎5階 092-832-4311

佐賀地方法務局人権擁護課 840-0041 佐賀市城内2丁目10番20号佐賀合同庁舎 0952-26-2148

長崎地方法務局人権擁護課 850-8507 長崎市万才町8番16号 095-826-8127大分地方法務局人権擁護課 870-8513 大分市荷揚町7番5号大分法務総合庁舎 097-532-3368

熊本地方法務局人権擁護課 862-0971 熊本市大江3丁目1番53号熊本第2合同庁舎 096-364-2145

鹿児島地方法務局人権擁護課 890-8518 鹿児島市鴨池新町1番2号 099-259-0684宮崎地方法務局人権擁護課 880-8513 宮崎市別府町1番1号宮崎法務総合庁舎 0985-22-5124

那覇地方法務局人権擁護課 900-8544 那覇市樋川1丁目15番15号那覇第1地方合同庁舎 098-854-1215

入賞作文集 58

問合せ先一覧

法務局地方法務局名 郵便番号 所  在  地 電  話

札幌法務局人権擁護部 060-0808 札幌市北区北8条西2丁目1番1札幌第1合同庁舎 011-709-2311

函館地方法務局人権擁護課 040-8533 函館市新川町25番18号函館地方合同庁舎 0138-23-9528

旭川地方法務局人権擁護課 078-8502 旭川市宮前通東4155番31旭川合同庁舎 0166-38-1114

釧路地方法務局人権擁護課 085-8522 釧路市幸町10丁目3番地釧路地方合同庁舎 0154-31-5014

仙台法務局人権擁護部 980-8601 仙台市青葉区春日町7番25号仙台第3法務総合庁舎 022-225-5739

福島地方法務局人権擁護課 960-8021 福島市霞町1番46号福島合同庁舎 024-534-1994

山形地方法務局人権擁護課 990-0041 山形市緑町1丁目5番48号山形地方合同庁舎 023-625-1321

盛岡地方法務局人権擁護課 020-0023 盛岡市内丸7番25号盛岡合同庁舎 019-624-9859秋田地方法務局人権擁護課 010-0951 秋田市山王7丁目1番3号 018-862-6533

青森地方法務局人権擁護課 030-8511 青森市長島1丁目3番5号青森第二合同庁舎 017-776-9024

東京法務局人権擁護部 102-8225 千代田区九段南1丁目1番15号九段第2合同庁舎 03-5213-1234

横浜地方法務局人権擁護課 231-8411 横浜市中区北仲通5丁目57番地横浜第2合同庁舎 045-641-7926

さいたま地方法務局人権擁護課 338-8513 さいたま市中央区下落合5-12-1さいたま第二法務総合庁舎 048-859-3507

千葉地方法務局人権擁護課 260-8518 千葉市中央区中央港1丁目11番3号千葉地方合同庁舎 043-302-1319

水戸地方法務局人権擁護課 310-0061 水戸市北見町1番1号水戸地方法務合同庁舎 029-227-9919

宇都宮地方法務局人権擁護課 320-8515 宇都宮市小幡2丁目1番11号宇都宮地方法務合同庁舎 028-623-0926

前橋地方法務局人権擁護課 371-8535 前橋市大手町2丁目10番5号前橋合同庁舎 027-221-4426

静岡地方法務局人権擁護課 420-8650 静岡市葵区追手町9番50号静岡地方合同庁舎 054-254-3555

甲府地方法務局人権擁護課 400-8520 甲府市北口1丁目2番19号甲府地方合同庁舎 055-252-7239

長野地方法務局人権擁護課 380-0846 長野市旭町1108番地長野第2合同庁舎 026-235-6634

新潟地方法務局人権擁護課 951-8504 新潟市中央区西大畑町5191番地新潟地方法務総合庁舎 025-222-1564

名古屋法務局人権擁護部 460-8513 名古屋市中区三の丸2丁目2番1号名古屋合同庁舎第1号館 052-952-8111

津地方法務局人権擁護課 514-8503 津市丸之内26番8号津合同庁舎 059-228-4193岐阜地方法務局人権擁護課 500-8729 岐阜市金竜町5丁目13番地 058-245-3181

福井地方法務局人権擁護課 910-8504 福井市春山1丁目1番54号福井春山合同庁舎 0776-22-5090

問合せ先一覧 (法務局地方法務局)

59 第30回全国中学生人権作文コンテスト

問合せ先一覧

世界人権宣言啓発書画「鳥」「自由と解放」を表わしたもの 小木太法書オタビオロス画(財)人権擁護協力会提供

入賞作文集 60

すべての人間は生まれながらにして

自由でありかつ尊厳と権利とに

ついて平等である人間は理性と

良心とを授けられており互いに同胞の

精神をもって行動しなければならない

―――

世界人権宣言 第一条

―――

第三〇回

 全国中学生人権作文コンテスト

中央大会表彰式

印  刷 平成23年1月25日

発  行 平成23年2月14日

発 行 者 法務省人権擁護局

全国人権擁護委員連合会

東京都千代田区霞が関一丁目1番1号

電話 03(3580)4111 内線5875

URL httpwwwmojgojpJINKEN

第30回全国中学生人権作文コンテスト中央大会審査員

感想をお聞かせください本作文集を読まれた感想等を下記の連絡先又はkeihatsumojgojpまでお寄せください

無断転載を禁じます本作文集に掲載された作文や写真等を地方自治体が広報誌に掲載したり学校が教材に使用される場合などにはあらかじめ下記に御連絡ください

100-8977 東京都千代田区霞が関一丁目1番1号 法務省人権擁護局人権啓発課 TEL03(3580)4111 内線5875

作  家(審査員長) 落 合 恵 子映画監督 山 田 洋 次社団法人日本新聞協会事務局長 川 嶋   明日本放送協会解説委員室解説委員 南   直 樹文部科学省初等中等教育局視学官 三 好 仁 司全国人権擁護委員連合会長 中 村 浩 紹法務省人権擁護局長   井 忠 雄

(敬称略)

【式次第】

第一部

 会

主催者あいさつ

賞状授与

内閣総理大臣賞法務大臣賞

文部科学大臣奨励賞法務副大臣賞

法務大臣政務官賞

全国人権擁護委員連合会長賞

社団法人日本新聞協会会長賞

日本放送協会会長賞(以上各一名)

法務事務次官賞(三名) 計一一名

学校への感謝状贈呈

高円宮妃殿下おことば

来賓祝辞

第二部

各受賞作文の朗読

内閣総理大臣賞法務大臣賞

文部科学大臣奨励賞

全国人権擁護委員連合会長賞

社団法人日本新聞協会会長賞

日本放送協会会長賞

 評

全国中学生人権作文コンテスト中央大会審査員

 山田洋次氏

 落合恵子氏(ビデオレター形式)

第三部

新垣勉さんコンサート

 会 平成二二年一二月一八日(土)

午後一時三〇分〜三時五〇分

於ニッショーホール

「いじめ」や暴力行為等は人権侵害です

法務局地方法務局では

人権侵害による被害を受けた方を

救済するための活動を行っています

お気軽にご相談ください

女性の人権ホットライン

インターネット人権相談受付窓口

ゼロナナゼロのハートライン

0570-070-810

子どもの人権110番ぜろぜろななのひゃくとおばん

 0120-007-110

パソコンから httpwwwmojgojpJINKENjinken113html携帯電話から httpwwwjinkengojpsoudanmobile001html

インターネット人権相談 検 索

Human Rights法務省人権擁護局全国人権擁護委員連合会

人権イメージキャラクター人KENあゆみちゃん人KENまもる君

全国共通通話料無料

全国共通ナビダイヤル

この冊子は環境保護印刷の「水なし印刷」で印刷されています

第30回全国中学生人権作文コンテスト入賞作文集

法務省人権擁護局全国人権擁護委員連合会

人権イメージキャラクター人KENまもる君人KENあゆみちゃん

この冊子には音声コードが各頁(奇数頁 左下偶数頁 右下)に印刷されています専用の読み上げ装置で読み取ると記録されている情報を音声で聞くことが出来ます

Human Rights法務省人権擁護局全国人権擁護委員連合会

 全国中学生人権作文コンテスト入賞作文集

 全国中学生人権作文コンテスト入賞作文集

第30回

仙谷内閣官房長官兼法務大臣から内閣総理大臣賞の表彰を受ける江川麻理香さん

山田洋次審査員と記念撮影をする受賞者の皆さん

新垣勉さんによるコンサート

中央大会審査会の様子

第三〇回

全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文集

法務省人権擁護局

全国人権擁護委員連合会

 

法務省と全国人権擁護委員連合会は人権尊重思想の普及高揚を図るための啓発活動の一環と

して昭和五六年度から「全国中学生人権作文コンテスト」を実施しています

 

本コンテストは次代を担う中学生が人権問題についての作文を書くことにより人権尊重

の重要性必要性についての理解を深めるとともに豊かな人権感覚を身につけることを目的と

して実施しているものです平成二二年度は本コンテストが第三〇回目という記念すべき年で

あることから平成二二年一二月一八日高円宮妃殿下御臨席の下東京都港区にあるニッショー

ホールにおいて多くの皆さまにお集まりいただき中央大会表彰式が行われました

 

本年度は各都道府県単位(北海道については札幌法務局及び函館旭川釧路の各地方法

務局単位)に実施された地方大会に六三一一校の中学校から過去最高となる八八万七〇一二

編にも及ぶ多数の作品が寄せられ中央大会には地方大会の審査を経た代表作品九二編が推薦

されました

はしがき

入賞作文集 2

はしがき

 

この作文コンテストへの応募作品はいずれも中学生らしい感性に富み純粋な感覚で人権問

題を捉えたものばかりであり応募された皆さまの真摯な姿勢には心を打たれるものがあります

 

また本年度はこの作文コンテストの輪が国際的にも広がり海外の香港日本人学校中学部

からも作品が寄せられました海外からの応募作品については残念ながら本選への応募とは

なりませんがこの中から代表作品として一作品を御紹介します

 

この作文集をより多くの方々に御愛読いただき人権尊重の輪が更に大きく広がることを願っ

てやみません

 

終わりにこの作文コンテストの実施に当たり多大な御尽力をいただいた全国各地の教育委

員会中学校等関係各方面の皆さま方に対し心から感謝を申し上げます

 

平成二三年二月

法務省人権擁護局

全国人権擁護委員連合会

3 第30回全国中学生人権作文コンテスト

はしがき

 【審査講評】

 【入賞作文】

内閣総理大臣賞

 「身近で無意識な人権侵害」

佐賀県佐賀市立東与賀中学校三年

江え

川がわ

 麻ま

理り

香か

10

法務大臣賞

 少しずつhellip一歩ずつhellip

兵庫県篠山市立西紀中学校三年 辻つじ

本もと

 桃もも

佳か

14

文部科学大臣奨励賞

 「差別のない世界へ」福島県福島市立渡利中学校一年 ローリンズ リコ

18

法務副大臣賞

 私の大好きなふる里

熊本県熊本県立八代中学校一年 井いの

上うえ

 由ゆ

紀き

子こ

22

法務大臣政務官賞

 「家族」とは何か

栃木県さくら市立喜連川中学校三年 大おお

田た

 葵あおい

26

目  次

入賞作文集 4

目  次

全国人権擁護委員連合会長賞

 忘れてはならないこと

群馬県群馬大学教育学部附属中学校三年 大おお

井い

 海み

琴こと

30

社団法人日本新聞協会会長賞

 ハンセン病について考えたこと

埼玉県学校法人立教学院立教新座中学校一年 久く

米め

 一かず

輝き

34

日本放送協会会長賞

 悔いのない最期を

山形県酒田市立松山中学校三年 櫻さくらだ田

 要かな

太た

38

法務事務次官賞

 差別のない社会に(パピーウォーカーの経験から学んだこと)

東京都小平市立小平第六中学校三年 林はやし 里り

咲さ

42

 祖父への靴下静岡県静岡大学教育学部附属浜松中学校三年 守もり

田た

 幸こう

平へい

46

 いじめをなくすために今

徳島県三好市立池田中学校三年 浦うら

谷たに

 毅たける

50

 【海外作品】

 国境をこえて

香港日本人学校中学部二年 村むら

瀬せ

 広ひろ

高たか

54

5 第30回全国中学生人権作文コンテスト

目  次

審査講評

落合 恵子

「時代のページをひらく」

 

二〇一〇年の年の暮れにこの講評を書いている

 

資料など紙類の最後の収集はいつだった 

明日 

明後日 

分別ゴミの収集日を確認しな

がらその前に新聞などの連載の仕上げがいつまで 

と年始休休が入るこの時期はなにか

と気ぜわしい

 

気分前のめり状態なのだがわたしたちの多くはゴミは出してしまえばそれで落着わ

たしの原稿も担当のかたにメールで送ってしまえば終わりである

 

けれどその向こう側にはこの寒空(今朝は特に寒さが厳しい)のもとわたしたちが出し

たものを集める仕事をされているかたがたがいるわたしたちが書いたものを印刷してくれるか

たがたもいるhelliphellip

入賞作文集 6

審査講評

 

こうしてひととひとはひとと暮らしは有機的に繋がっているのだと改めて思うのも年の

暮れだからなのかいや人権についての素晴らしい姿勢と視点に溢れた「あなた」の作品を今

朝もう一度読み返したせいなのかもしれない

 

第三〇回を迎えた全国中学生人権作文コンテスト全国(今回は海外からの作品もあったが)

の中学生の四人にひとりはこの作文を書いてくださったとうかがった

 

すごいことだ嬉しいことだ素晴らしいことだと心が震える

 

たとえばいま大人たちに人権に関する作文を書いてくださいと言ってどれほどのひとが

賛同し実際に書いてくれるだろう考えることと実行することの間には深い溝がある

 

それもこれほど瑞々しい感受性と論理性に裏打ちされた作品をである

 

毎回書いているような気がするがこの作文コンテストに選考委員のひとりとして加わる唯一

の苦しみは応募作品に順位をつけることにある

 

どれもがキラリと光る芽を持った作品にいったい順位をつけることが可能なのか読み手で

あり選考する側のわたしたち大人の「人権意識」がある意味試されているような緊張が

いつもある

 

何度も何度も読み返しそれでも迷うことがあることも告白しておこう

 

内閣総理大臣賞を受賞された江川麻理香さんの『身近で無意識な人権侵害』

 

入院先で出会ったひとから聞いた悪意不在のけれど「もうひとつの差別」

目が不自由であることから子どものように「扱われること」への居心地の悪さ

7 第30回全国中学生人権作文コンテスト

審査講評

についてそういった傾向がわたしたちの内にもないかを問い返した優れた作品で

ある

 

それは「される側」からの柔らかな異議申し立てであり問題提起でもある

認知症の母を自宅で介護していたおよそ七年間わたしも病院などで母にかけられ

る言葉がとても気になった言葉の多くが幼児へのそれに似ていて「優しく接すること」が

幼児言葉であるという習慣のようなものはわたしたちの暮らしの中のいろいろな場面にある

ひととして親切であることと相手に対する想像力を働かせることと幼児に向けてのような言

葉を使うことはまったく別なことなのだが

 

悪意不在であるがゆえにかえって問題提起しにくいテーマを江川さんは見事に拓いてくだ

さっている

 

辻本桃佳さんの作品目の不自由なお父様がある日電車の中で出会ったことを通して「個

人的な体験」を普遍的なテーマに広げ深めることに成功した作品だ

 

人種と「見た目」の違いをテーマにしたローリンズ

リコさんの作品水俣という愛する郷里

の酸鼻な歴史とそこから生まれた差別と偏見について丁寧に描いた井上由紀子さん事情があっ

て家族とは離れて暮らす大田葵さんが今考える拓かれた『家族』とはかつて偶然に出会っ

たひとたちが偶然を必然に変えて

4

4

4

4

4

4

4

4

4

新しい結縁の家族を作っていく小説を書いたわたしには特

に心に響く作品だった

 

文字数の関係ですべてに触れることはできないが心に響く作品たちを読んでいる間はささ

入賞作文集 8

審査講評

やかながら人権の活動をしてきた「かつての中学生のひとり」としてとても充たされた思いの

中にいた

 

ありがとうと心から「あなた」にお伝えしたい

 

そして若い季節に人権を自分に引き寄せこうして作品にまとめあげた体験は「あなた」に

準備されているたくさんの明日に光をもたらしてくれるはずhelliphellipと書いてふっと思う自分の

暮らしの核に人権を置くことは素晴らしいことであると同時にある意味ストレスを抱え込

むことでもあるのではないかとそれは気づいてしまうストレスでもある社会にはまだま

だ差別がある人権についてセンシティヴであればあるほどそれに気づき失望し傷つくこ

とも少なからずあるはずだ

 

それでもとわたしは「あなた」にお伝えしたい気づかない人生よりも気づく人生そし

て気づいたことを少しでも「拓いていく」人生のほうが容易ではないがはるかに充実してい

るはずだと

 

オーディオセットから大好きなクリスウィリアムソンとメグクリスチャンの曲が流れて

いるhelliphelliphellipわたしたちは新しい時代を作るため新しいページを開くために時代のステージ

にいま登ったところだとふたりとも歌を通してアメリカで人権の活動をしてい

るアーティストである海のこっち側のわたしたちもいま新しい時代のページを

開く時そのステージの上にいる

9 第30回全国中学生人権作文コンテスト

審査講評

内閣総理大臣賞

 

私が入院した時眼科や外科内科などいろいろな病状の患者さんと知り合いになった仕事

で足を骨折した人胃を悪くして入院した人目の手術を受けた人など年齢や性別職業も様々

でふだんあまり接することのない人たちと話す機会に恵まれた病気やケガの苦労話はもちろ

んのこと世代の違う人たちの話はとてもおもしろかった「人権」について考える時その中

の一人の患者さんのことが頭に浮かんだ

 

人権侵害とは障害者やお年寄りなど立場の弱い人たちに対する差別や悪意のある偏見か

らくるものだとばかり思っていたところがたとえ善意であっても思わぬところから人権の侵

害になっていることがあるのだと考えさせられたのであった

 

目の手術を受けたその人は母と同年代ぐらいの女の人だった目が不自由なことで周りの

江え

川がわ

 麻ま

理り

香か

佐賀県佐賀市立東与賀中学校 三年

「身近で無意識な人権侵害」

入賞作文集 10

入賞作文

人たちがとてもよくしてくれるのはいいがそのために困ったり悲しい思いをすることもあると

いうのだった私はこれまで人に優しく親切にすることはいわば常識であり当然のことだ

と思っていただけに大きなショックを受けた困った時に手を貸してくれるというのに悲しい

思いをするとはどういうことなのだろう私たちが親切のつもりでやっていることが迷惑になっ

ているというのだろうかお年寄りや障害者をいたわるのは当たり前でありそれは感謝される

ことはあっても迷惑に思うなどとは筋違いではないだろうかところがその人の立場から見

れば好意のつもりでもまるで小さな子どものように扱われたりこれは危険だからと勝手に

予測されて遠ざけられてしまったりと自分の意思とは関係なく何でも先回りされてしまうのが

悲しいのだそうだ目は悪くとも自分は子どもではないしできなくはないことにまで行き

過ぎた親切にひどく心を傷つけられるのだというまた相手がよかれと思ってくれていること

だけにそれを断ろうものならあからさまにいやな顔をされたり急に態度を変えられることも

あったりでかえって気を遣うのだそうだ

 

私ははっとした今まで手を貸す側から見ることはあっても逆の立場から考えたことはな

かったので大きな衝撃を受けたいつの間にか相手より自分を少し高い所に置いて見ていない

だろうか無意識のうちに相手のことを保護すべき弱者だとして見ていないだろう

か私は今中学生だがそれ以下の子ども扱いされると腹が立ついちいち細かい

ことまで制限されたり禁止されたりすれば確かにいい気持ちはしない同じよう

に障害者や老人に対して危険だ何だのとその人ができることまでをも禁止し

11 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

まだこぼしてもいない湯のみを取り上げるようなことをしてはいないだろうか

 

確かに弱者をいたわり手助けすることは人として当然であり必要なことで

あるしかし相手の気持ちや状況を考えずただ一方的に押しつけるだけの親切

はただの自己満足でしかない見えない人には見えない人なりのやり方や考え方が

あるのにそこに寄り添うための理解がないとしたらそれは人権を侵害しているといえないだ

ろうか

 

人は皆平等であるけれど環境や年齢身体能力などは同じではないだからこそ人とし

ての尊敬の念や思いやりいたわりの心を持って接することが大切なのだと思う

 

しばらく前の人権侵害とは人を自分より見下したりおとしめることで優越感を持つための

ものだったように思うそして今生活や文化が豊かになった現代では行き過ぎた親切やいた

わりが人の心を傷つけそれが新たな種類の人権侵害の一つになっていることもあるのだ「善意

イコール感謝されるべきもの」という考え方が全てに当てはまるとは限らないまた当ては

めようとしてはならないその人にとっての「いちばん」は何かひとりひとりを尊重するため

には本当に助けが必要かどうか出すぎたことをしていないかを見極めることも大切なのだと

思う

 「人権」について考えることそれはとても難しいことのように思えるが意外と簡単なこと

ではないだろうか同じ人間同士が並んで歩くための人と人との間の権利私たちが無意識のう

ちに作り出している優劣の壁を取り払うこと自分の価値観を人に押しつけないこと自分も相

入賞作文集 12

入賞作文

手も同じひとりの人間なのだとその

人の心に寄り添い理解し合う努力こ

そ人権を守る大きな力になると思う

13 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

 

十五年前父が篠山の町中を歩いているとこう言われた「そんな棒きれ振り回さんといて」

と父は決して棒きれを振り回していた訳ではないただ白杖を持って歩いていただけだそ

の話を聞いて私は驚いたたった十五年前のことだけど信じられない気持ちでいっぱいになっ

ただが十五年経った今ではそんなことはないだろうマスメディアが発達しいろんなハン

ディを持った人のことが紹介されたり障がい者の方自身が社会参加する機会が増えたからだと

 

そしてこんな話も聞いたことがある電車に乗った時に時間が知りたくて携帯電話を開い

たときのことだ「こんなとこで電話したらアカンやろ」と中年のおばさんに怒鳴られたそうだ

優先座席の近くだったということもあるが『目の不自由な人=白杖を持っている』という認識

は広まってきているが時間を知りたいときには音声が出る時計や携帯電話を使うということは

法務大臣賞

辻つじ

本もと

 桃もも

佳か

兵庫県篠山市立西紀中学校 三年

少しずつhellip一歩ずつhellip

入賞作文集 14

入賞作文

ほとんど知られていないのだそのとき父は説明しようと思ったがどうせ分かってもらえな

いと思い「すみません」と謝りとても悲しい気持ちになったそうだ見えている人は時間

が知りたければ時計を見ればすぐに分かるだが目が不自由だと音で聞くしかないのだ私は

障がい者が暮らしやすいような機器が発達してきていることをもっと社会に広めていくことが

必要だと思うそうすることで協力してくれる人や理解してくれる人が増えていくのではな

いだろうか

 

視覚障がい者の方が日常生活を送る上で給付や貸与される機器がある音声で教えてくれる

時計や体重計文章読み上げ器などがそれだこれらは以前県の基準で市が実施要綱を定めて

そこが窓口となって行われていたが法改正により各市区町村対応となったしかしこの日

常生活用具の中に健常な家族と同居している視覚障がい者には給付してもらえない物もあるの

だそれは体温計や体重計であったりするこの体温計がなければ家族が出かけている間に

体調が悪くなっても計測することはできないのだ

 

父の知り合いに赤ちゃんを連れた全盲のお母さんがいる体温を計るのに複数の体温計で赤

ちゃんの体温を計りその体温計に印をつけて病院まで持っていって見てもらったり家族が帰っ

てくるのを待って見てもらうことがあるそうだ私たちは簡単に体温を計ること

ができるが見えない人たちはそれができないために生命の危険にさらされてしま

うことがあるのだせっかく便利な機器が発明されても値段が高くて簡単に購

入できないもしくは制度のカベによってそのサービスが受けられないことがあ

15 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

るしかし私の住む篠山市では父たちの声が福祉課の方々に届き日本で初めて

音声式体温計が同居家族の有無にかかわらず給付されるようになったのである

 

今は携帯電話が音声で読み上げてくれてメールや時間GPSなどの便利な

機能を視覚障がい者の方も利用できるようになっただがそのことを知っている

健常者の方は全国にどれくらいいるだろうかまたこのことを知っている当事者である視覚障

がい者の方が全国にどのくらいいるだろうか私はまだ知らない人が多いと思う

 

ここ十五年程で視覚障がい者の人は白杖をついているということはほぼ知られてきたが生

活を助ける機器が発達してきているということは知らない人も多いだろうそれが「あの人は

目が動いているから見えている」とか「あの人はずっと目をつぶっているから見えていない」

「物を避けているから見えている」「物にぶつかっているから見えていない」という勝手な

思い込みで障がいの重さをはかることにつながっているのではないだろうかでもそれは間違っ

ている目を閉じれば視覚障がい者の疑似体験はできるでもそれはあくまでも体験であって

個人個人の見え方はそれぞれ違うし外見や行動で障がいの重度を判断するのは良くないと私は

思う同じような見え方ができたとしても全く同じ動きなんてできる訳ないのだから毎日父

と生活していてもどのくらい見えているのか私にもはっきり分からないなにげに父たちがこな

している日常の動作であっても私たち健常者にははかりしれない恐怖と不安努力があるの

だ誰でも目をつぶれば見えない世界を体験した気になる松葉杖をつけばその体験をした気

になる車イスに乗ればその体験をした気になるだが本当の障がい者の苦悩と努力の一部

入賞作文集 16

入賞作文

しか体験していないことを知ってお

いてほしい私たちには当たり前に

できるようなことがあってもどん

なに望んでもできない人たちがいる

ということとみんなの正しい理解と

知識が障がい者の明るい未来へとつ

ながっていくということを知ってほ

しいそしてこのことを広めていか

なければならない

 「少しずつhellip一歩ずつhellip」

17 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

 「Pick your 

head up」

 

これは父がいつも私にかけてくれる魔法の言葉です

 「顔をあげなさい下を向かない」という意味です

 

私の父は生まれも育ちもニューヨークのアメリカ人です女の子は父親に似るとよく言われ

ますが私もそうで日本人の母親よりも父の方に髪質も肌の色も本当によく似ています子供

が親に似ることはあたりまえのことですが私はそのためにいやな思い悲しい思いをいくどと

なくしてきました

 

初めて自分がみんなとちがうんだなと思ったのは幼稚園に入学してまもなくのことでした同

じ組の女の子たちが何人かして楽しそうに遊んでいたので

ローリンズ リコ

福島県福島市立渡利中学校 一年

「差別のない世界へ」

文部科学大臣奨励賞

入賞作文集 18

入賞作文

 「まぜて」

と声をかけると一人の子が言いました

 「このグループは日本人で髪がまっすぐな人しか入れないのリコちゃんは髪がチリチリだし

ハーフだからダメ」と

 

私はとても悲しくなりましたそしてそれは卒園するまで続きました

 

小学校は人数も少なかったせいかみんなとても仲良くて私の外見のことを言う人はだれ一

人いませんでしたまるで兄弟のようにみんな自然に接してくれましたでも習い事やいろい

ろな大会など他校の子たちといっしょになる場面ではやはり髪の毛や肌のことをからかわれ

ることはよくあることでした私には二学年上の兄がいますが兄もやはり父の方に似ています

おだやかな性格の兄は私以上につらい思いをしてきたと思います

 

父は兄や私の話を聞くたびに

 「Pick your 

head up」

と言いましたそして

 「自分に自信とほこりをもちなさいあなたたちは二つの文化を受けついでそれはとてもす

ばらしいことなんだよ」

といつも話してくれました

 

中学に入って間もないころでしたある男の子がいきなり私に向かって言いまし

19 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

 「おまえ風呂に入っているのか黒いぞ外国人はくさいからな」

 

私はとてもはずかしくなりましたそしていかりや悲しみがこみあげてきました

まわりにいた友達は彼の言葉に苦笑いをしていました私はいかりのあまり彼をな

ぐりたくなりましたその時私は父のあの言葉を思い出しました私は顔を上げ

相手の目を見て静かに自分の傷ついた気持ちを伝えました

 

彼は私に向かってこう言いました

 「ごめんわるかった」

 

彼は人を傷つけるということが彼の想像以上に重くそしてひどいことだと少し気付いたよう

でした

 

差別やいじめというのは私たちのまわりでは小さなことから大きなことまで本当によくあり

ますそして差別やいじめをしている側からすればそれをじょう談だという人も多いのです

まわりの人たちもやはりじょう談や遊びの中でのことにとらえてしまう人たちもとても多いので

すだから小学校の時から私たちは道徳などでいじめや人権などについて学んでいてもなかな

かそれがなくならないのだと思いますでも実際に差別やいじめをされている方はみんなの想

像よりはるかに傷ついているということつらいということそして悲しいということを私はこ

の人権作文を通してたくさんの人に知ってほしいのですけがをすれば日がたつごとにそのけ

がは治っていくでしょうまわりからも治っていく様子が見てわかるでしょうでも心に受けた

傷は本人にしかわからないのですその傷がどんなに深くて痛いものか本人にしかわからないの

入賞作文集 20

入賞作文

です

 

肌の色が違っていてもかみの毛が

違っていても私たちはみんな同じ人間

です心を持った人間です相手の気

持ちを思いやり相手の立場になって

考えればいじめや差別はなくなると

思います今も世界のいたるところで

人種差別が問題となり争いが起きてい

ます私は世界から差別やいじめがな

くなるように強い心を持ってまずは

自分から立ち向かっていきたいです

21 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

 

あなたには大好きなふる里がありますか私には緑の木々と青い海に囲まれた自然豊かな

大好きなふる里があります私のふる里は過去に公害という大きな被害をうけた水俣ですそ

の水俣病で患者はもちろんそうでない人も長い間差別をうけてきました

 

父が幼い頃まだ水俣病の原因が究明されておらず水俣病はうつると言われていました列

車が水俣の駅につくと窓をしめ手で口をおおった人もいました修学旅行に行くと同じ宿

舎になった学校から苦情を言われたこともありました水俣出身ということで結婚を断られた人

や就職試験をうけることさえできなかった人もいました水俣に住んでいることをかくして隠

れるようにひっそり暮らしていた人もいましたまた同じ水俣に住む人でさえ奇病と呼び距

離をおきましたそのことでたくさんの人々が傷つきあってきたのですいろいろな立場の人々

井いの

上うえ

 由ゆ

紀き

子こ

熊本県熊本県立八代中学校 一年

私の大好きなふる里

法務副大臣賞

入賞作文集 22

入賞作文

がせまい土地に住んでいるのですから仕方がなかったのかもしれません

 

しかし今では原因も究明され海の安全も確認されたことでそのようなことはほとんどな

くなりました私たちは過去のことを忘れるくらい楽しくすごしています

 

私は今八代の中学校に通っています私は自分が水俣出身ということを隠すこともありませ

ん友だちもまたそのことを知っていますがからかったりいじめたりする人は誰一人いません

 

しかし先日水俣の中学校のサッカー部が練習試合中に相手チームの選手から

「さわるな水俣病がうつる」

と言われたという記事が新聞にのっていました今でもこういう風に思っている人がいるのか

と思うと残念で仕方ありません何気なく言った一言だったのかもしれませんがその一言は

私たち水俣に住む者にとって非常に悔しく悲しいものでした

 

小学校の総合的な学習の時間で水俣病について学習しました原因となった会社を訪問したり

患者の方から当時の話をきいたり交流も行いましたそんな中で苦労されたり何も言えずに

黙って亡くなった人のことを知り水俣に住んでいながら何も知らなかったことをはずかしく思

いました水俣病についてしっかり学び正しい知識を得ることが差別や偏見をなくすのだと気

付きました

 

中学校の道徳の時間ではハンセン病について学習しましたこれも水俣病同様

正しい知識がなかったためにおきた悲しく悔しい悲劇でした

 

私たちが差別や偏見をなくすためにできることそれはその人その出来事に

23 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

ついてしっかり知ること知ろうと努力すること正しい知識を深めるために学習

することではないかと思いますそうすれば水俣病やハンセン病のようにむや

みに人と人とが傷つけあったり憎しみあったりすることはなくなるのではないで

しょうか

 

先日テレビで水俣のダイバーが紹介されましたその人は本当はほこりたい水俣を心の中

にじっとしまいこみ誰にも言えず何年もの間生きてきた人でしたしかし水俣の地にも

どり自分はこのすばらしい美しいふる里を紹介したいと海にもぐり写真をとり続けておら

れるそうです心に差別という深い傷を負いながら水俣の再生を皆に知らせたいと頑張る人

がいることに感動しました

 

今水俣はごみの分別リサイクル事業など市民全員で環境にやさしい町づくりをすすめてい

ます私は差別や偏見から立ちなおり再生しようと環境問題に一生懸命とりくんでいるふる

里水俣をほこりに思っています

 

水俣では運動会等多くの行事で「水俣ハイヤ節」というものが踊られますこれは水俣病

の患者の方が水俣の青い海と豊漁を願って振りつけをされた踊りだそうです私たちと同じ思い

をする人が二度とでないことを祈りながら私たちは毎年皆でこの踊りを踊ります

 

水俣の悲しい過去を変えることはできませんが私はあやまちを二度とくりかえさないため

にこの美しい自然を守り真実を語り継いでいきたいですそして差別や偏見のない社会に

なるよう自分から努力していきたいと思います

入賞作文集 24

入賞作文

25 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

 

みなさんは「本当の『平和』とは」と質問されたら何と答えますか「戦争や紛争などが

ないこと」ですかそれとも「自分自身の幸せのこと」ですか一人ひとりの抱く「平和」のイ

メージは違うことでしょう

 

僕の思う本当の「平和」それは「家族」がいて「家庭」があることだと思いますなぜそう

思うかというと今僕は訳あって家族とは離ればなれに暮らしているからです一歳前後には既

に家族とは離れ施設にいました母親や姉兄の存在はわかっていますが一緒に過ごした時

間は限られたもので今でもほとんど交流はありませんそのせいか僕はいつも「家族」や「家

庭」というものに強い憧れを抱いています

 

自分がまだ幼い頃は自分と同じくらいの子が母親と手をつないでいる姿がとてもうらやまし

大おお

田た

 葵あおい

栃木県さくら市立喜連川中学校 三年

「家族」とは何か

法務大臣政務官賞

入賞作文集 26

入賞作文

「どうして自分には母親がいないんだろう」と思っていました仕舞いには自らの母親を恨ん

でしまったのです小学生になってもその気持ちは変わらず母親への恨みは増すばかりでした

 

しかし小学五年生の夏思いもよらぬ出来事が起きましたそれは引っ越しがあったこと

ですそこで僕は新しい土地そして新しい里親という人たちに出会いました里親の人たち

と暮らした数年間僕は幸せでしたそこで僕は僕の周りにはいつも支えてくれる人たちがい

ることに気づきました血のつながりがなくても僕に自分の子どものように接し育ててくれ

た里親の人たち養護施設の先生方などたくさんの方たちに僕は見守られて成長してきたこと

に気づいたのです僕を支えてくれる人すべてに感謝の気持ちがわき出てきましたそれ以来

僕は親という存在にこだわらなくなりましたそれどころか自分に命を与えてくれた親に感謝

の思いを抱くようになったのです

 

この夏母親の育児放棄が原因で二人の乳幼児が衰弱死するという悲しい事件がありました

二人の子どもにろくに食事も与えず風呂も入れなかったそうですさらに逮捕後その母親は

「家に帰ってあげなかったことを今も後悔している子どもは私を恨んでいると思う」

という言ってはならない発言をしました僕は怒る前に亡くなった二人の子ども

たちがかわいそうでなりませんでした

 

と同時に僕はこの母親はどうしてこのようなことをしてしまったのだろうと

すごく考えさせられました僕は本来親は子どもを殺すのではなく守るために

27 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

いるのだと考えますたとえ小さな子どもでも立派な一人の人間ですその命を

守り育てていくことが親として大切な役目だと思うのですこの母親はどこで

勘違いしたかは知りませんが親としての自分の責任を理解していなかったのでは

ないでしょうか

 

そしてその勘違いを誰も母親に気づかせてあげられなかった事実母親が一緒に遊び歩いて

いた友人はもちろん母親の家族が少しでも助けることができていたら母親の行動を戒めるこ

とができていたら連絡を受けた児童相談所がもう少し踏み込んだ行動が取れていたらこのよ

うな悲しい結末にはならずに済んだのではないでしょうかやりきれない思いばかりがこみあげ

てきます

 

もう一つこの母親は大きな勘違いをしていますそれは「子どもは私を恨んでいると思う」

という言葉です僕はこの子どもたちが母親を恨んでいるとは思えません子どもたちは母

親が帰宅するといつもハイタッチをして喜んで迎えたそうです子どもたちは母親のことが大

好きだったのでしょうたとえ自分たちを見放した母親でも恨んでいるとは決して思えないの

です

 

子どもは心の底から自分の母親のことを恨めないと僕は思いますこの世に生を受け笑った

り怒ったり泣いたりと毎日いろいろな経験ができるのは自分を生んでくれた母親という存在

があったからです正直僕も小さい頃は母を恨んだことがありました愛情の裏返しというよ

うに母親への思いが憎しみに変化してしまったのですでも心の底には母への恨みとは全く

入賞作文集 28

入賞作文

正反対の気持ちが存在し続けていましただ

からこそこの子どもたちがどんな思いで死

んでいったのかわかるような気がします母

親を信じひたすら母親の帰りをまちわびて

いた思いが

 

僕にとっての「家族」それは同じ屋根の

下で暮らす人々のことですたとえ血はつな

がっていなくても僕を支え励ましてくれる

人たちそのすべての人が僕にとっての大切

な「家族」なのです今僕の暮らす養護施設

にはいろいろな事情を抱えた二歳位から高

校生までの子どもたちや職員の方が約六十人

います今の僕には全員大切な「家族」で

す僕はこれからもこの「家族」を大切に

一日一日精一杯平和に生きていきたいです

29 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

 

授業でハンセン病について学んだ日両親と「偏見」や「差別」について口角泡を飛ばす議論

を深夜まで繰り広げた身体障害者の父と看護師の母を持つ私は幼い頃から「命の大切さ」を

訴える両親の姿を見て育って来たそんな私は真摯な気持ちからハンセン病罹患者と向き合い

たいと思いこの夏草津にある療養施設栗生楽泉園を訪れた

 

草津までの道のり私は罹患者の気持ちを絶えず考えていたハンセン病について調べると「ら

い予防法」により罹患者は隔離され人権を無視された扱いを受けたことが分かった罹患者の

言葉が書かれた本ではどんなに過酷な仕打ちを受けたか他人をどれほど恨み憎んでいるか

が書かれていたその為私は無意識の内に「罹患者は全員恨みを抱いている」と勝手に思い込

んでいたしかしこんな思い込み自体が偏見や差別を生む原因になるということを後に思い知

大おお

井い

 海み

琴こと

群馬県群馬大学教育学部附属中学校 三年

忘れてはならないこと

全国人権擁護委員連合会長賞

入賞作文集 30

入賞作文

らされることになるのである

 

私を迎えてくれたのは入園者自治会長の藤田三四郎さん藤田さんは大変お元気でその容姿

からはハンセン病を伺い知ることはできなかったしかし藤田さんは紛れもない罹患者なのだ

その証拠に藤田さんの名は本名ではない罹患者は施設に入所するにあたり偽名を使用させら

れたと言うつまりその時点で罹患者は世間から存在を消されてしまうのであるそんな藤田

さんから語られた話はハンセン病だと宣告され三度も命を絶とうとしたこと重症患者の看

護を押しつけられ数え切れない人を看取り自らの手で葬ったこと家族が受けた迫害や侮辱的

な言葉など想像を絶するもので筆舌し難いものだったしかしこんな迫害と差別は同時にハ

ンセン病患者達の人権回復闘争の歴史でもあったのだ闘争の末「らい予防法」が廃止される

と今まで差別や人権侵害を繰り返していた多くの人が掌を返す様に態度を変えたと言う私は聞

いていて怒りを覚えたが不思議なことに耳を塞ぎたくなる様な内容を語る藤田さんからは全

く怒りや恨みが感じられないのだ私は話を聞くまで自分の運命を呪い周囲への恨みつらみ

の言葉が出てくるとばかり思っていたしかし出てきた言葉は「入園出来て良かった差別は

受けたが今では恨みを抱く罹患者も少なくなったそればかりか最近はたくさんの人が我々を

理解し協力してくれるので嬉しい何故なら一人の百歩は力が無いが百人の一歩

は力になるから」と言う感謝の言葉だったのだ本当に「恨みは無いのか」と何度

聞いても答えは同じだった私は恥ずかしくなったハンセン病について調べ罹

患者の心を理解したようなつもりでいながら実は何も理解できてなくてそれば

31 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

かりか罹患者を偏見の眼で見ていたのは私自身だったのだ私は話を聞いてとめ

どなく溢れ出る涙を拭いながら心の片隅に潜んでいた「偏見と言う名の種」が身

体から洗い流されていくのを感じていたそれは同時に「思い込みや無知が偏見

や差別を生みだす」ことを強く感じた瞬間でもあったそれだけに藤田さんの「自

分と同様に他人を愛すればいつか必ず世界から差別はなくなる他人を愛して下さい」の慈愛に

満ちた言葉が一層重く腑に落ちるのだった

 

帰りがけ千五百ページにも及ぶ「入所者証言集」を手渡されたその際私は見えない襷も

手渡された気がしたその襷とは証言集に記された罹患者の「事実を風化させないで私達の事

を忘れないで」という搾り出すような叫び声とその姿だったのである

 

ハンセン病が治る病気であるのに誤った知識から悲惨な人権侵害が長期に渡り続いた同じ間

違いを繰り返さないためにも事実を語りついで行く必要があるここ楽泉園でも高齢化が進み

証言者の数が減っているこれは全国一五全てのハンセン病療養所に共通することだハンセン

病問題は罹患者がいなくなればそれで終わると言う問題ではない今後人権問題を考える際重

要な指針になりうる事実なのだそしてこの事実の風化を防ぐことが私達若い世代の役目だと

私は思う

 

私は小六の時友人達から突然イジメを受けたそれを引きずり他人を恐れ憎み自分を

嫌って生きて来たしかし罹患者の声が私に生きる力と前を向いて歩む勇気を与えてくれた

楽泉園訪問は私に人生観が変わる程の衝撃を与えてくれたのだこんな私だが罹患者の声を伝

入賞作文集 32

入賞作文

える「百人の中の一人」にはなれるはず

だそのために私は今この作文を書い

ている文字は時を越えて生き続けるか

ら私はこれからも楽泉園訪問を続ける

つもりだ実際に中学生の私が出来るこ

とには限りがあるが差別や偏見を少し

でも減らすために一歩を踏み出すつもり

でいる「自分と同様に他人を愛すれば

いつか差別は無くなる」と言う藤田さ

んの言葉を胸に

33 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

 

森に囲まれたその一画には教会や寺院神社があり小さなショッピングセンターやレスト

ランもある床屋や図書館郵便局や浴場もあるしかしそれらの施設を利用するのはその一

画に住む人たちだけだ緑の外側に住む人が利用することはないそこはハンセン病の療養所

多磨全生園である

 

僕は七年前に清瀬市に引っ越してきた夏のある日昆虫が大好きな僕は何気なくその森の

中に入って行ったそして歩き回っているうちにその場所が一つの「町」であることに気付

いた

 

毎日セミやカマキリやナナフシを探しながらどうしてこんな所があるのだろうと思った

 

僕が一番不思議に思ったのは古い木造の小学校だいつも誰もいない校舎と小さな運動場近

久く

米め

 一かず

輝き

埼玉県学校法人立教学院立教新座中学校 一年

ハンセン病について考えたこと

社団法人日本新聞協会会長賞

入賞作文集 34

入賞作文

くに小学校があるのにどうしてこんな所に小学校があるのだろう小学一年生の僕はとても不思

議に思った

 

夏に地域交流を目的とした盆踊りと花火大会が行われるいつもは人のいない小学校跡は多く

の人であふれかえり普段は見かけない重い後遺症の老人たちもこの日は外に出て盆踊りを楽し

む初めて参加したときは言葉が出なかった正直「怖い」と思った

 

夏が来るたびに僕は盆踊り大会に参加した低学年から高学年へと進むにつれて少しずつハ

ンセン病のことが分かってきた

 

六年生のときに社会科見学で全生園の元患者を訪れることになっただが僕は都合で参加で

きなかった僕はそれをずっと悔やんでいる

 

今年の夏僕はハンセン病資料館に出かけた見学者は僕一人でとても緊張したなるべく

音を立てないようにパネルを見て回った

 

強制隔離の現実にとても驚いた狭い部屋に押し込められ症状の軽い患者が重症の患者の世

話をしたという子供を持つ権利や生まれる赤ん坊の命まで奪われていた逃げ出したり反抗的

な患者は「不良患者」と呼ばれ窓の小さな暗い監房に閉じ込められた

 

医学が進歩し療養所も徐々に改善されていったが強制隔離を命じる「らい予防

法」が廃止されたのは一九九六年だという隔離が始まった一九〇八年から約九〇

年も経っていた僕が生まれるほんの一年前のことである特効薬が開発され本

格的な治療が始まったのは昭和二十二年である現実に合わない法律を廃止するの

35 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

にどうしてそんなに時間がかかったのだろうか

 

資料をもらってハンセン病資料館を後にした家を出るときは帰りに虫の観察

をするつもりだったがとてもそんな気にはなれなかったいつもセミが集まる桜

の木には目もくれずに早足で家に帰った

 

資料の中で一番心が痛んだのは療養所の子供たちのことだ療養所に入所したのはハンセン

病を発症した子どもたちだけではない親が発症したために入所する子どもたちもいた当時は

ハンセン病は遺伝病だとされていたからだ親から無理やり引き離された子どもたちは「すぐに

帰れるから」という言葉を信じていたというしかし一生療養所を出ることができなかった人が

多かったという社会的な差別がひどかったからだと資料に書かれていたが僕には実感がわか

なかったのでもう少し調べてみることにした

 

図書館で『ハンセン病を生きて』(伊波敏男著)という本を見つけた少し難しかったが差

別の現実が僕にもわかる部分があったそれは元患者たちに対して書かれた匿名のひどい手紙

である長年隔離されて苦しんできた人たちをさらに傷つける言葉が並んでいた悲しく暗い

気持ちになった

 

日本は経済大国として世界の注目を浴びているだが人権意識の面ではどうだろう「らい

予防法」を二〇世紀の末まで廃止できなかったことをどう考えたらよいのだろうか明治時代に

隔離が始まったときそれは外国に対する体面を保つためだったという病気の人を治療するの

ではなく「隠す」のが目的だったのだいまだに差別意識を持つ人がいるのは社会がそうした

入賞作文集 36

入賞作文

過去に対する反省をしていないから

だと思う

 

僕が不思議に思った小学校はすで

に取り壊されて今では小さな石碑

だけが残っている老朽化がひどく

残しておくことができなくなったか

らだという全生園の古い建物はど

んどん取り壊されていく石碑だけ

ではあの不思議さが伝わらないのが

とても残念だ

37 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

 

僕の曾祖父は医者嫌いでしたそのため腹痛で病院に運ばれた時は膵臓癌の末期で余命三ヶ

月でした手術もできない手遅れの状態でした家族皆で話し合い曾祖父の辛い気持ちを第一に

考え曾祖父に病を隠すことになりました曾祖父は次第に病院の中を歩いては転倒し体中あ

ざだらけになりベッドの上で縛られることになっていました曾祖父は病名の宣告を受けてい

ないため元気で歩けると思っているが実際歩くと転んでしまう何でこんな風になってしまっ

たのかさえわからない

 

家族と病院に行くと「包丁もてこいこれぶった切って家さ帰る」と騒いでいましたあん

なに優しかった曾祖父の姿に言葉も出ず恐いくらいでした何も知らされずベッドに縛り付

けられれば誰もがそうなることでしょう「じいちゃんどご一緒に車さのせでいてくれの」と

櫻さくらだ田

 要かな

太た

山形県酒田市立松山中学校 三年

日本放送協会会長賞

悔いのない最期を

入賞作文集 38

入賞作文

せがまれたときもありますかわいそうで涙がポロポロこぼれました「おじいちゃんどご家

さ連れで帰ろうよ」とせがんでも家族も仕事で忙しいためか誰も首を縦に振ってくれず病院

にいた方が安心ということになりました膵臓癌は予想以上に激しい痛みのため医師から強い

痛み止めと強い睡眠剤を勧められましたがそれを導入することにより安楽死に近い状況にな

ることも医師から告げられていました家族は決断をせまられました曾祖父に相談もせずに決

めていいことなのか家に帰りたい曾祖父の意志は封じ込められたままでいいのか家族で悩み

ました結局痛みに耐えている姿は見ていられなくその薬を使うことになりましたその後

曾祖父は次第に弱っていき口も利けなくなり静かに亡くなっていきました僕はどこか心を

引きずったままでした僕達家族が曾祖父に宣告もせず意見も聞かず命の長さを決めてしまっ

たこと当時幼かった僕には何もしてあげられなかったことが今思い出しても残念です

 

最近授業で人権について学習しているときに幼い頃の記憶がよみがえりふと曾祖父のこと

を思い出しました

 

曾祖父はどんな思いで亡くなったのだろう最後に意識のあるうちに一度でいいから家に帰っ

てきたかっただろう身体拘束は今は病院でも禁止されていると思いますがあの頃は確かに曾

祖父のおなかに黒いベルトのようなものが巻きついていました決して自分の力で

は外せないようなものでしたもがき苦しむ曾祖父の姿を見た時に看護師さんに

目を隠され別の部屋に連れて行かれました見せたくない光景だったのだと思いま

すでもあの姿は僕の脳裏に焼き付いています病院の中での人材不足のためだっ

39 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

たのでしょうか人が人らしく生きていない姿でした

 

七十八年生きてきて何も悪いことをしていないのに縛られ家にも帰れない

病気で余命幾ばくもない人には人権というものは存在しないのでしょうか最近の

医療の現場では自己決定権があることについて学びました

 

仏壇に向かい静かに目を閉じると優しく穏やかに微笑む曾祖父の笑顔が浮かびますどんな

気持ちで亡くなっていったのかその気持ちを考えると苦しい気持ちになります野球の大会に

行く前仏壇に手を合わせます「やればできる努力しろ」とよく励ましてくれました曾祖

父の力には何もなれなかったけれど目には見えない力で応援してくれる曾祖父に線香をあげて

自分を省みる時があります曾祖母が元気なので曾祖父を助けられなかった分曾祖母の力に

なっていくことを曾祖父に約束しています

 

夏休み中のニュースで高齢者の所在不明者が多数のため百歳以上の安否確認調査をしていま

した自分の親を平気で捨て遺骨さえもひきとらない亡くなっていたのに年金を不正受給する

ために隠していたなど耳をふさぎたくなるような事件もありました犬や猫が年をとって弱っ

てきた手がかかるから面倒だからと捨ててしまうそれと同じ現象が弱い高齢者にも及んでき

ているのだと思います

 

やはりこの世に生まれてきたもの全てに自分の意志で生きることを決めていける権利がある

と思います長い年月を苦労や努力と向き合いながら精一杯生きてくれたおかげで今の幸せが

あることを忘れずにいたい人はいずれ誰でも年をとります自由に動けなくなった時に自分の

入賞作文集 40

入賞作文

願いが叶う社会を築き「悔いなく満足で楽しく幸せな人生だった」と思えるように人とし

ての誇りを持って満足できる最期を迎えられるように考えていきたいもう二度と僕が見た自

己決定権のない社会にならないように高齢者には今までの感謝の気持ちで本人の希望をでき

るだけ叶えられるように努力していきたいいずれ僕達も迎える高齢社会だからhellip

41 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

 

私は小学六年生の時から盲導犬候補の子犬を育てるボランティアをしています「犬を飼っ

てみたい」と言う私に両親が「せっかく犬を飼うのなら社会に役立つことをしよう」と提案

したからです生後二ヵ月の子犬を預かり一歳の誕生日を迎えるまで世話をするのがボランティ

アの役目です初めて訓練士さんから子犬を手渡された時は不安でドキドキしましたが子犬は

すぐに私の腕の中で眠ってしまいました初めて会った私のことを信頼して安心しきった寝顔

で眠っている姿は本当に可愛かったですラブラドールの子犬はとてもやんちゃで私の家にやっ

て来たその日からいたずらばかりしていましたがしかられてもクヨクヨせずどんな相手にも

 林はやし

 里り

咲さ

東京都小平市立小平第六中学校 三年

差別のない社会に

(パピーウォーカーの経験から学んだこと)

法務事務次官賞

入賞作文集 42

入賞作文

フレンドリーに近づいていく姿から私は明るく前向きに生きることを教わりました子犬たち

と過ごした日々は私にとって一番の宝物ですそしてあっという間に一歳の誕生日がやって来ま

した誕生日が悲しいという経験は初めてでした訓練所への入所日の前日には長い長い散歩を

して最後のお別れをしました「今までありがとう」そう言った私のことを不思議そうに見てい

た子犬の顔が今も目に焼きついています別れは本当につらいけれど涙を見せたら子犬が心配す

るので頑張って笑顔で見送りました

 

私の家で育てた一頭目の子犬は現在盲導犬になって頑張っていますそして今年四月に巣立っ

ていった二頭目の子犬は神奈川にある訓練センターで訓練中です

 

このボランティアを通して私は多くのことを学びましたまず盲導犬の役割ですがこれは単

に目の不自由な方が便利に一人でどこへでも行けるようにするためだけではありません視覚障

がいのある方にとって人の手をわずらわせるのはとてもつらいことなのだそうですたとえ家

族に対してでも「迷惑をかけるのではないか」と思って我慢することが多く「私なんかいない

方がいいんじゃないか」と考えてしまうこともあったといいますその失われそうになった尊

厳を取り戻す手助けをするのが盲導犬の役目なのです犬は訓練を共にするパートナーのことを

大好きになるので「自分は他者からこんなにも大好きになってもらえる存在なん

だ」と気づいて自信を取り戻し新しい一歩を踏み出せるようになるのだそうです

 

また私がボランティア登録している日本盲導犬協会では二〇〇八年に新しい

試みが始まりました受刑者が盲導犬候補の子犬を育てる動物を介在した日本初

43 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

の教育プログラムです罪を犯した人も心から反省してきちんと罪を償えば社会

は差別することなく受け入れるべきですしかし実際はとても偏見が多く元受刑

者たちは「どうせ自分はだめな人間なんだ」と思い再び罪を犯してしまう悪循環

が起こっているそうですその悪循環を断ち切り受刑者たちがスムーズに社会復

帰を果たせるよう支援するのが「あさひ盲導犬パピープロジェクト」です受刑者たちは約十ヵ

月の間子犬たちを世話しながら一緒に過ごし「役に立つ喜び達成する喜び信頼される喜び」

を感じることで自分の価値を再確認するのだそうです今年一月に第一期のプロジェクトを修了

した受刑者の感想に次のようなものがありました

 「今後自分もパピーに笑われないようにきちんとしなければならないパピーは慈しむこと

寛容の心を教えてくれました」

 

犬は決して差別をしません健康な人にも障がいのある人にもお金持ちにも貧しい人にも

権力のある人にも犯罪を犯した人にも全く同じように接してくれますそんな犬たちと一緒に過

ごすことで自信をなくした人たちも自分のことをかけがえのない大切な存在であると思えるよ

うになるのです

 

私たち人間も差別のない社会をつくる努力をしなければならないと思います一人一人が相

手を大切に思う心を忘れなければこの社会はもっと住み良い場所になるはずです私はこのボ

ランティアを通して学んだことを生かしてこれからも一層努力していきたいと思います

入賞作文集 44

入賞作文

45 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

 

僕は祖父のために自助具を作ろうと思った祖父は去年の夏脳梗塞で倒れた祖父は一命

を取り留めたものの右手と右足がまひしてしまったのだその三週間前僕も車椅子から転倒し

て足を骨折した

 

僕には障害がある車椅子で生活することが多いしかし僕のことを障害者だといって差別

するような友達は一人もいない

 

祖父は歩けるようになりたいという気持ちが強かっただからリハビリを頑張り自分で

歩けるようになるまで回復した頑張っている祖父がかっこいいと僕は思った祖父はリハビ

リを頑張ったにも関わらず右手がうまく動かせなくなってしまっただからご飯を食べる時も

服を着替える時も時間がかかる普段何気なくやっていた動作がとても大変だと祖父は言ってい

守もり

田た

 幸こう

平へい

静岡県静岡大学教育学部附属浜松中学校 三年

祖父への靴下

法務事務次官賞

入賞作文集 46

入賞作文

た僕も何か役に立てることはないかと考えた

 

僕の学校には総合学習という授業があるそこで僕は福祉というカテゴリーを選んだ自

分で社会に役立てることを考え実際に行動することが目標だった僕は障害者のために何が

できるかを考えた

 

僕は二年前に静岡文化芸術大学で障害者がいかに日常生活で不自由のない生活ができるかを

考えるプロジェクトがあるのを新聞で知ったそれは大学生たちが個人個人にあった自助具を

作るプロジェクトだった僕は障害者のために何かできるのではと感じた

 

僕は静岡文化芸術大学へ行って僕にもできることがないかと聞いたすると学生さんが

自助具を作ってみないかと声をかけてくれた僕は迷わず「はい」と言った障害者のために

役に立てることがあると思うとすばらしいことだと思ったからだ

 

祖父のつらい顔を見ると日常生活に数々の大きな壁があることが伝わってくる

 

僕は祖父の数々の大きな壁を突き破ろうと思った祖父のために自助具を考え作ろうと僕

は思った祖父が靴下の脱ぎ履きが大変だと言っていたことを思い出したそこで脱ぎ履きし

やすい靴下はできないか考えた靴下の両脇にひもを取り付けてそれを引っ張ると靴下が縮み

脱ぎ履きしやすくなる仕組みだ大学の先生も良いアイディアだと言って褒めてく

れたこれは障害者だけでなく健常者にも使えると言われたユニバーサルデザ

インだと分かった

 

ユニバーサルデザインは年齢や障害の有無にかかわらず全ての人が使いやす

47 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

いように工夫された用具などのデザインである境界がなくなるように健常者が障

害者に対する偏見を考え差別意識がなくなるチャンスだと思った障害者と健常

者が共によりよく生きることが大切だと僕は思った

 

自助具の作品展では杖をついているお年寄り車椅子に乗った若い女性目の

見えない人福祉関係者など沢山の人々が観に来ていた皆自分の生活を良くしようと思っ

ているようだったまた障害者のためにできることは何だろうかと考えている健常者もいるよ

うだった

 

二年生の時の総合学習では二箇所のデイサービスを訪問したデイサービスには六十五歳以

上のお年寄りがいた暗く元気のない人明るく振る舞い誰とでも話せる人など様々だった

しかし僕が一番印象に残ったのは笑顔を絶やさず優しくお年寄りに接していた介護士だった

お年寄りの中には悩みを抱えている人が多いそうだその悩みを解消させる人もまた介護士だっ

た僕は介護士がお年寄りの体を支えるだけではなく心もそっと支えて生きる喜びを与え

ているのだと感じた

 

現代は三世代で暮らす家族が減り核家族が増えているそれはお年寄りの世話が大変だ

からという理由が多いだから老人ホームやデイサービスに預ける人が増えていると僕には

思えたお年寄りの中には自分が嫌われているのではないかとさえ思ってしまう人もいるそう

だそれはお年寄りにとって辛く悲しいことだと思うある介護士がこんなことをおっしゃっ

ていた「人の優しさはお金では買えない」誰にでも優しい心があると思うしかしあと一歩

入賞作文集 48

入賞作文

のところで行動に移すことができない人が多いの

だ僕たちが平和な社会で暮らせるのは今まで

頑張ってきてくれたお年寄りのお陰であることを

忘れてはいけないお年寄りを大切にすることは

当たり前のことなのだ

 

また障害者に対しても偏見の目で見ないで

そっと近づいて手を貸してあげれば健常者との

高い大きな壁を崩すことができると思う

 

障害者にも高齢者にもまた健常者にも人権

はあるお互いの人権を大切にすることが明る

い未来に繋がっていくのだと思う

 

早く祖父に僕の作った靴下を届けたい

49 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

 

僕は小学校六年生まで福岡県に住んでいましたそこで僕が体験したことです五年生のこ

ろ僕の友だちのA君が同級生のK君の靴を隠したりからかったりしていることがよくあり

ました最初は僕もあまり気にしていませんでしたがK君のことを「なんだかかわいそう」と

思うようになりました

 

ある日僕は勇気をだして先生に「K君がいじめにあっています」と報告しました初め先生は

「じゃれ合っているだけだろう」と「いじめ」とは思ってくれませんでしたでもその後「いじ

め」と分かりA君は先生に注意されその日一日は反省した様子で過ごしていましたしかし

次の日学校に行くといじめは前以上にエスカレートしていて蹴ったりたたいたりするように

なりましたしかも「死ね」「うざい」「消えろ」などの言葉が飛び交うようになりそんな日々

法務事務次官賞

浦うら

谷たに

 毅たける

徳島県三好市立池田中学校 三年

いじめをなくすために今

入賞作文集 50

入賞作文

が続きました

 

それは六年生になっても続きました僕はそのいじめを止めることができず毎日見て見ぬ

振りをしていました今思うと自分がとても恥ずかしいです本当の友達なら止めるべきなの

にそれだけではなくいじめられているK君に声一つかけることができずにいました心の中

ではA君に「やめろよ」と言おうと思っていたけどなぜか勇気が出ませんでした次にい

じめられるのが自分になるのが恐くて言えなかったのです

 

そんな日々が続く中僕の気持ちを大きく変える出来事がありました父の死ですそのとき

のことは今でも忘れることができません聞いたときには頭の中が真っ白になりました最初

は信じることができませんでした一週間も二週間も学校に行けずただぼーっと過ごしてい

ましたいろんなことを考え徐々に「死」というものの悲しさつらさ「死」という意味の

重さがわかってきましたそして時間はかかりましたが「命は一瞬にして消え二度と戻っ

てこないものだだから命を大切に今を大切にしなければならない」と深く受け止めることが

できるようになりましたそして周りの子たちは僕のような経験がないから「死ね」とか軽々

しく言えるのだろうと思いこの気持ちを伝えなくてはならないと考えました僕が強くならな

くてはと思いました

 

こんな気持ちになったとき僕には時間がありませんでした母の実家がある徳

島への引っ越しが一週間後に決まっていたのです落ち込んでいる暇は無いと思

い学校に行った僕はA君に言いました「いじめなんかやめろよいじめたって

51 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

喜ぶ人はいないし悲しむ人がいるだけだろ自分だってほんとは嫌だろ『死ね』

とか『消えろ』とか言葉の重さを知らないのに言うなよ」と言いました父親の

突然の死そのあと僕が考えたことも伝えました

 

友だちは黙って聞いてくれました僕の言葉にうなずいてそのあとK君の

ところへ行き「ごめん言葉の重さも知らずに言って本当にごめんぜったいに死ねなんて

ことは言わないそしていじめは絶対にしないほんとうにごめん」とあやまりましたK君

はとても優しい笑顔で「いいよ」と一言言いました僕もK君に言いました

「今まで助けてあげられなくてごめん」

K君は笑顔で「ありがとう」と言ってくれました今まで自分の中でもやもやしていた気持ちが

スーっと晴れました

 

今も時々耳にする暴言冗談半分で言っているのかもしれませんしかしいついじめにつ

ながるかわかりません他人を傷つけることで自分のストレスを晴らそうとしているのでしょう

関係ないふりをしようとする自分がいます楽な考え方をする自分がいますそんな時亡くなっ

た父の顔やK君の優しい笑顔を思い出しますあの時の自分のように強い気持ちを持とう「や

めろよ」と一言言うするとまた気持ちがスーっとしてきました

 

父の分も頑張って生き抜こうと決めた僕にとって正しいことを素直に認め悪いことを否定

できる強い意志を持つことが目標ですそして何よりも命を大切に今を大切にしていきたい

と思っています

入賞作文集 52

入賞作文

53 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

 

ぼくは今まで四つの外国に暮らしいろいろな国の人たちの中で育ってきた

 

まずタイで生まれてタイ人のメイドさんやドライバーさんにいつも遊んでもらっていた

らしい一才になると週一回の体操教室にも通いタイ人の友達もいたそうだ

 

次にシンガポールでは初めてナサリースクール(保育園)に通いいろいろな国の友達と

知り合ったプレイルームにある滑り台を滑る順番争いでいつも勝つのは体の大きい金髪の友

達だった

 

一回目の香港生活では英語の幼稚園に通ったその時のぼくの一番の友達はカナダ人だった

彼とはよくベイブレードをして遊んだが父が日本の出張で買ってきてくれた独楽や剣玉をして

遊ぶこともあった

村むら

瀬せ

 広ひろ

高たか

香港日本人学校中学部 二年

国境をこえて

海 外 作 品

今回は本選への応募とすることはできませんでしたが

 海外から寄せられた作品のうち一作品を御紹介します

入賞作文集 54

海外作品

 

それからインドでは日本人学校に通ったが夏休みには毎年アメリカンスクールのサマー

スクールに参加したし日本人のいない現地のテニススクールにも入り二年間通ったまたイ

ンドの現地幼稚園に通っていた妹のベストフレンドはコンゴ人でその兄弟もぼくの友達だった

 

そして三年間の日本生活を経て今また香港に戻ってきた

 

このようにぼくはいろいろな国でいろいろな国の人たちのお世話になりいろいろな国

の友達と遊んで育った肌が真っ黒な友達もゲームの話をすればすぐに仲良くなれたし髪が

金色の友達もポケモンの話をすれば気が合ったぼくは小さい頃から英語はうまくしゃべれ

なかったけれどもジェスチャーをつけたでたらめ英語でも充分に話は通じただからいろい

ろな国の人たちの中でぼくが日本人だからといって差別されたり嫌な思いをしたりしたこと

はないしぼくも肌の色が違うからとか言葉が通じないからという理由で違う人間だと思っ

たことはないそうぼくは外国人を差別したことはない

 

しかし本当にぼくは外国人を差別したことがないのだろうか外国人を差別した発言を一

度もしたことがないかと考えると自信がない

 

例えば香港人には赤信号でも平気で渡る人がたくさんいるそれを見てぼくは

「香港人はしょうがないな」

と思うでもよく見ると香港人全員が信号無視をしているわけではないまた

世界には今でも戦争をしている国がいくつもある

「人を傷つけ合うなんて馬鹿げている」

55 第30回全国中学生人権作文コンテスト

海外作品

とぼくは悲しくなるでもそれも好きで戦っている人がいるとも思えないその

人たちがそうなったのには何かきっと原因があるはずだ

 

逆に外国人から見ると日本人はどのように思われているのだろう

 

インドから日本に帰国した時毎日ごみがたくさん出ることにぼくはとても驚

いたインドの人たちがよく使う道端にあるカレー屋さんではバナナの葉で作ったお皿にカ

レーを入れてくれる食べた後そのお皿を道に捨てるとのら牛がその葉っぱを食べるそして

牛のふんは燃料になるというそれに比べて日本はちょっと歩くとペットボトルの飲み物が

買えファーストフードのお店では使い捨ての食器を使い立派なお菓子の箱を開けると中身が

少なくてがっかりすることもあるある時母が捨てたジャムの空きびんをメイドさんとエア

コンの修理にきていたワーカーさんとが取り合ってけんかをしていたこともあったそれを見

てぼくはあきれてしまったが逆にインド人から見ると使い捨て文化のしみついた日本人は

とんでもない人間にみえるのかもしれない国によって考え方や行動パターンが違うのは歴史

的背景や宗教習慣気候などのいろいろなことが関わっているのだと思う

 

このように考えると差別とはその人の一部しか見ていないことや自分のやり方だけが正

しいと思うことからおきるのではないかと思うその人が自分とは違った行動をとったとしても

それには深い理由があるのだろうと考えればきっと納得できると思うぼくもこれからは否

定的な発言をする前にその人たちのことをいろいろな角度から見て理解する努力をしてみよう

と思う外国との間には自分の国とは違う言葉や文化という壁があるとみんな言うがそこに

入賞作文集 56

海外作品

あるのは壁ではなく橋だとぼくは思う理解

し合おうという気持ちがあればきっと誰でも

その橋を渡っていけるはずだ気持ちの国境を

こえるのにパスポートはいらないお互いを理

解し合おうと思う気持ちが一番大切だと思う

そしてぼくはこれから日本人として生きる

のではなく地球人として生きていこうと思う

57 第30回全国中学生人権作文コンテスト

海外作品

法務局地方法務局名 郵便番号 所  在  地 電  話

金沢地方法務局人権擁護課920-0024 金沢市西念3-4-1金沢駅西合同庁舎(平成23年3月11日まで) 076-231-1244

921-8505 金沢市新神田4-3-10金沢新神田合同庁舎(平成23年3月14日から) 076-292-7804

富山地方法務局人権擁護課 930-0856 富山市牛島新町11番7号富山合同庁舎 076-441-6376

大阪法務局人権擁護部 540-8544 大阪市中央区谷町2丁目1番17号大阪第2法務合同庁舎 06-6942-9492

京都地方法務局人権擁護課 602-8577 京都市上京区荒神口通河原町東入上生洲町197番地 075-231-0131

神戸地方法務局人権擁護課 650-0042 神戸市中央区波止場町1番1号神戸第2地方合同庁舎 078-392-1821

奈良地方法務局人権擁護課 630-8305 奈良市東紀寺町3-4-1奈良第2法務総合庁舎 0742-23-5457

大津地方法務局人権擁護課 520-8516 大津市御陵町3番6号大津法務総合庁舎 077-522-4673

和歌山地方法務局人権擁護課 640-8552 和歌山市二番丁2番地和歌山地方合同庁舎 073-422-5131

広島法務局人権擁護部 730-8536 広島市中区上八丁堀6番30号広島合同庁舎 082-228-5790

山口地方法務局人権擁護課 753-8577 山口市中河原町6番16号山口地方合同庁舎2号館 083-922-2295

岡山地方法務局人権擁護課 700-8616 岡山市北区南方1丁目3番58号 086-224-5761

鳥取地方法務局人権擁護課 680-0011 鳥取市東町2丁目302番地鳥取第2地方合同庁舎 0857-22-2289

松江地方法務局人権擁護課 690-0886 松江市母衣町50番地松江法務合同庁舎 0852-32-4260

高松法務局人権擁護部 761-8077 高松市出作町585-4 087-815-5311

徳島地方法務局人権擁護課 770-8512 徳島市徳島町城内6番地6徳島地方合同庁舎 088-622-4171

高知地方法務局人権擁護課 780-8509 高知市栄田町2丁目2番10号高知よさこい咲都合同庁舎 088-822-3331

松山地方法務局人権擁護課 790-8505 松山市宮田町188番地6松山地方合同庁舎 089-932-0888

福岡法務局人権擁護部 814-0005 福岡市早良区祖原14-15福岡法務局西新出張所庁舎5階 092-832-4311

佐賀地方法務局人権擁護課 840-0041 佐賀市城内2丁目10番20号佐賀合同庁舎 0952-26-2148

長崎地方法務局人権擁護課 850-8507 長崎市万才町8番16号 095-826-8127大分地方法務局人権擁護課 870-8513 大分市荷揚町7番5号大分法務総合庁舎 097-532-3368

熊本地方法務局人権擁護課 862-0971 熊本市大江3丁目1番53号熊本第2合同庁舎 096-364-2145

鹿児島地方法務局人権擁護課 890-8518 鹿児島市鴨池新町1番2号 099-259-0684宮崎地方法務局人権擁護課 880-8513 宮崎市別府町1番1号宮崎法務総合庁舎 0985-22-5124

那覇地方法務局人権擁護課 900-8544 那覇市樋川1丁目15番15号那覇第1地方合同庁舎 098-854-1215

入賞作文集 58

問合せ先一覧

法務局地方法務局名 郵便番号 所  在  地 電  話

札幌法務局人権擁護部 060-0808 札幌市北区北8条西2丁目1番1札幌第1合同庁舎 011-709-2311

函館地方法務局人権擁護課 040-8533 函館市新川町25番18号函館地方合同庁舎 0138-23-9528

旭川地方法務局人権擁護課 078-8502 旭川市宮前通東4155番31旭川合同庁舎 0166-38-1114

釧路地方法務局人権擁護課 085-8522 釧路市幸町10丁目3番地釧路地方合同庁舎 0154-31-5014

仙台法務局人権擁護部 980-8601 仙台市青葉区春日町7番25号仙台第3法務総合庁舎 022-225-5739

福島地方法務局人権擁護課 960-8021 福島市霞町1番46号福島合同庁舎 024-534-1994

山形地方法務局人権擁護課 990-0041 山形市緑町1丁目5番48号山形地方合同庁舎 023-625-1321

盛岡地方法務局人権擁護課 020-0023 盛岡市内丸7番25号盛岡合同庁舎 019-624-9859秋田地方法務局人権擁護課 010-0951 秋田市山王7丁目1番3号 018-862-6533

青森地方法務局人権擁護課 030-8511 青森市長島1丁目3番5号青森第二合同庁舎 017-776-9024

東京法務局人権擁護部 102-8225 千代田区九段南1丁目1番15号九段第2合同庁舎 03-5213-1234

横浜地方法務局人権擁護課 231-8411 横浜市中区北仲通5丁目57番地横浜第2合同庁舎 045-641-7926

さいたま地方法務局人権擁護課 338-8513 さいたま市中央区下落合5-12-1さいたま第二法務総合庁舎 048-859-3507

千葉地方法務局人権擁護課 260-8518 千葉市中央区中央港1丁目11番3号千葉地方合同庁舎 043-302-1319

水戸地方法務局人権擁護課 310-0061 水戸市北見町1番1号水戸地方法務合同庁舎 029-227-9919

宇都宮地方法務局人権擁護課 320-8515 宇都宮市小幡2丁目1番11号宇都宮地方法務合同庁舎 028-623-0926

前橋地方法務局人権擁護課 371-8535 前橋市大手町2丁目10番5号前橋合同庁舎 027-221-4426

静岡地方法務局人権擁護課 420-8650 静岡市葵区追手町9番50号静岡地方合同庁舎 054-254-3555

甲府地方法務局人権擁護課 400-8520 甲府市北口1丁目2番19号甲府地方合同庁舎 055-252-7239

長野地方法務局人権擁護課 380-0846 長野市旭町1108番地長野第2合同庁舎 026-235-6634

新潟地方法務局人権擁護課 951-8504 新潟市中央区西大畑町5191番地新潟地方法務総合庁舎 025-222-1564

名古屋法務局人権擁護部 460-8513 名古屋市中区三の丸2丁目2番1号名古屋合同庁舎第1号館 052-952-8111

津地方法務局人権擁護課 514-8503 津市丸之内26番8号津合同庁舎 059-228-4193岐阜地方法務局人権擁護課 500-8729 岐阜市金竜町5丁目13番地 058-245-3181

福井地方法務局人権擁護課 910-8504 福井市春山1丁目1番54号福井春山合同庁舎 0776-22-5090

問合せ先一覧 (法務局地方法務局)

59 第30回全国中学生人権作文コンテスト

問合せ先一覧

世界人権宣言啓発書画「鳥」「自由と解放」を表わしたもの 小木太法書オタビオロス画(財)人権擁護協力会提供

入賞作文集 60

すべての人間は生まれながらにして

自由でありかつ尊厳と権利とに

ついて平等である人間は理性と

良心とを授けられており互いに同胞の

精神をもって行動しなければならない

―――

世界人権宣言 第一条

―――

第三〇回

 全国中学生人権作文コンテスト

中央大会表彰式

印  刷 平成23年1月25日

発  行 平成23年2月14日

発 行 者 法務省人権擁護局

全国人権擁護委員連合会

東京都千代田区霞が関一丁目1番1号

電話 03(3580)4111 内線5875

URL httpwwwmojgojpJINKEN

第30回全国中学生人権作文コンテスト中央大会審査員

感想をお聞かせください本作文集を読まれた感想等を下記の連絡先又はkeihatsumojgojpまでお寄せください

無断転載を禁じます本作文集に掲載された作文や写真等を地方自治体が広報誌に掲載したり学校が教材に使用される場合などにはあらかじめ下記に御連絡ください

100-8977 東京都千代田区霞が関一丁目1番1号 法務省人権擁護局人権啓発課 TEL03(3580)4111 内線5875

作  家(審査員長) 落 合 恵 子映画監督 山 田 洋 次社団法人日本新聞協会事務局長 川 嶋   明日本放送協会解説委員室解説委員 南   直 樹文部科学省初等中等教育局視学官 三 好 仁 司全国人権擁護委員連合会長 中 村 浩 紹法務省人権擁護局長   井 忠 雄

(敬称略)

【式次第】

第一部

 会

主催者あいさつ

賞状授与

内閣総理大臣賞法務大臣賞

文部科学大臣奨励賞法務副大臣賞

法務大臣政務官賞

全国人権擁護委員連合会長賞

社団法人日本新聞協会会長賞

日本放送協会会長賞(以上各一名)

法務事務次官賞(三名) 計一一名

学校への感謝状贈呈

高円宮妃殿下おことば

来賓祝辞

第二部

各受賞作文の朗読

内閣総理大臣賞法務大臣賞

文部科学大臣奨励賞

全国人権擁護委員連合会長賞

社団法人日本新聞協会会長賞

日本放送協会会長賞

 評

全国中学生人権作文コンテスト中央大会審査員

 山田洋次氏

 落合恵子氏(ビデオレター形式)

第三部

新垣勉さんコンサート

 会 平成二二年一二月一八日(土)

午後一時三〇分〜三時五〇分

於ニッショーホール

「いじめ」や暴力行為等は人権侵害です

法務局地方法務局では

人権侵害による被害を受けた方を

救済するための活動を行っています

お気軽にご相談ください

女性の人権ホットライン

インターネット人権相談受付窓口

ゼロナナゼロのハートライン

0570-070-810

子どもの人権110番ぜろぜろななのひゃくとおばん

 0120-007-110

パソコンから httpwwwmojgojpJINKENjinken113html携帯電話から httpwwwjinkengojpsoudanmobile001html

インターネット人権相談 検 索

Human Rights法務省人権擁護局全国人権擁護委員連合会

人権イメージキャラクター人KENあゆみちゃん人KENまもる君

全国共通通話料無料

全国共通ナビダイヤル

この冊子は環境保護印刷の「水なし印刷」で印刷されています

第30回全国中学生人権作文コンテスト入賞作文集

法務省人権擁護局全国人権擁護委員連合会

人権イメージキャラクター人KENまもる君人KENあゆみちゃん

この冊子には音声コードが各頁(奇数頁 左下偶数頁 右下)に印刷されています専用の読み上げ装置で読み取ると記録されている情報を音声で聞くことが出来ます

Human Rights法務省人権擁護局全国人権擁護委員連合会

 全国中学生人権作文コンテスト入賞作文集

 全国中学生人権作文コンテスト入賞作文集

第30回

新垣勉さんによるコンサート

中央大会審査会の様子

第三〇回

全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文集

法務省人権擁護局

全国人権擁護委員連合会

 

法務省と全国人権擁護委員連合会は人権尊重思想の普及高揚を図るための啓発活動の一環と

して昭和五六年度から「全国中学生人権作文コンテスト」を実施しています

 

本コンテストは次代を担う中学生が人権問題についての作文を書くことにより人権尊重

の重要性必要性についての理解を深めるとともに豊かな人権感覚を身につけることを目的と

して実施しているものです平成二二年度は本コンテストが第三〇回目という記念すべき年で

あることから平成二二年一二月一八日高円宮妃殿下御臨席の下東京都港区にあるニッショー

ホールにおいて多くの皆さまにお集まりいただき中央大会表彰式が行われました

 

本年度は各都道府県単位(北海道については札幌法務局及び函館旭川釧路の各地方法

務局単位)に実施された地方大会に六三一一校の中学校から過去最高となる八八万七〇一二

編にも及ぶ多数の作品が寄せられ中央大会には地方大会の審査を経た代表作品九二編が推薦

されました

はしがき

入賞作文集 2

はしがき

 

この作文コンテストへの応募作品はいずれも中学生らしい感性に富み純粋な感覚で人権問

題を捉えたものばかりであり応募された皆さまの真摯な姿勢には心を打たれるものがあります

 

また本年度はこの作文コンテストの輪が国際的にも広がり海外の香港日本人学校中学部

からも作品が寄せられました海外からの応募作品については残念ながら本選への応募とは

なりませんがこの中から代表作品として一作品を御紹介します

 

この作文集をより多くの方々に御愛読いただき人権尊重の輪が更に大きく広がることを願っ

てやみません

 

終わりにこの作文コンテストの実施に当たり多大な御尽力をいただいた全国各地の教育委

員会中学校等関係各方面の皆さま方に対し心から感謝を申し上げます

 

平成二三年二月

法務省人権擁護局

全国人権擁護委員連合会

3 第30回全国中学生人権作文コンテスト

はしがき

 【審査講評】

 【入賞作文】

内閣総理大臣賞

 「身近で無意識な人権侵害」

佐賀県佐賀市立東与賀中学校三年

江え

川がわ

 麻ま

理り

香か

10

法務大臣賞

 少しずつhellip一歩ずつhellip

兵庫県篠山市立西紀中学校三年 辻つじ

本もと

 桃もも

佳か

14

文部科学大臣奨励賞

 「差別のない世界へ」福島県福島市立渡利中学校一年 ローリンズ リコ

18

法務副大臣賞

 私の大好きなふる里

熊本県熊本県立八代中学校一年 井いの

上うえ

 由ゆ

紀き

子こ

22

法務大臣政務官賞

 「家族」とは何か

栃木県さくら市立喜連川中学校三年 大おお

田た

 葵あおい

26

目  次

入賞作文集 4

目  次

全国人権擁護委員連合会長賞

 忘れてはならないこと

群馬県群馬大学教育学部附属中学校三年 大おお

井い

 海み

琴こと

30

社団法人日本新聞協会会長賞

 ハンセン病について考えたこと

埼玉県学校法人立教学院立教新座中学校一年 久く

米め

 一かず

輝き

34

日本放送協会会長賞

 悔いのない最期を

山形県酒田市立松山中学校三年 櫻さくらだ田

 要かな

太た

38

法務事務次官賞

 差別のない社会に(パピーウォーカーの経験から学んだこと)

東京都小平市立小平第六中学校三年 林はやし 里り

咲さ

42

 祖父への靴下静岡県静岡大学教育学部附属浜松中学校三年 守もり

田た

 幸こう

平へい

46

 いじめをなくすために今

徳島県三好市立池田中学校三年 浦うら

谷たに

 毅たける

50

 【海外作品】

 国境をこえて

香港日本人学校中学部二年 村むら

瀬せ

 広ひろ

高たか

54

5 第30回全国中学生人権作文コンテスト

目  次

審査講評

落合 恵子

「時代のページをひらく」

 

二〇一〇年の年の暮れにこの講評を書いている

 

資料など紙類の最後の収集はいつだった 

明日 

明後日 

分別ゴミの収集日を確認しな

がらその前に新聞などの連載の仕上げがいつまで 

と年始休休が入るこの時期はなにか

と気ぜわしい

 

気分前のめり状態なのだがわたしたちの多くはゴミは出してしまえばそれで落着わ

たしの原稿も担当のかたにメールで送ってしまえば終わりである

 

けれどその向こう側にはこの寒空(今朝は特に寒さが厳しい)のもとわたしたちが出し

たものを集める仕事をされているかたがたがいるわたしたちが書いたものを印刷してくれるか

たがたもいるhelliphellip

入賞作文集 6

審査講評

 

こうしてひととひとはひとと暮らしは有機的に繋がっているのだと改めて思うのも年の

暮れだからなのかいや人権についての素晴らしい姿勢と視点に溢れた「あなた」の作品を今

朝もう一度読み返したせいなのかもしれない

 

第三〇回を迎えた全国中学生人権作文コンテスト全国(今回は海外からの作品もあったが)

の中学生の四人にひとりはこの作文を書いてくださったとうかがった

 

すごいことだ嬉しいことだ素晴らしいことだと心が震える

 

たとえばいま大人たちに人権に関する作文を書いてくださいと言ってどれほどのひとが

賛同し実際に書いてくれるだろう考えることと実行することの間には深い溝がある

 

それもこれほど瑞々しい感受性と論理性に裏打ちされた作品をである

 

毎回書いているような気がするがこの作文コンテストに選考委員のひとりとして加わる唯一

の苦しみは応募作品に順位をつけることにある

 

どれもがキラリと光る芽を持った作品にいったい順位をつけることが可能なのか読み手で

あり選考する側のわたしたち大人の「人権意識」がある意味試されているような緊張が

いつもある

 

何度も何度も読み返しそれでも迷うことがあることも告白しておこう

 

内閣総理大臣賞を受賞された江川麻理香さんの『身近で無意識な人権侵害』

 

入院先で出会ったひとから聞いた悪意不在のけれど「もうひとつの差別」

目が不自由であることから子どものように「扱われること」への居心地の悪さ

7 第30回全国中学生人権作文コンテスト

審査講評

についてそういった傾向がわたしたちの内にもないかを問い返した優れた作品で

ある

 

それは「される側」からの柔らかな異議申し立てであり問題提起でもある

認知症の母を自宅で介護していたおよそ七年間わたしも病院などで母にかけられ

る言葉がとても気になった言葉の多くが幼児へのそれに似ていて「優しく接すること」が

幼児言葉であるという習慣のようなものはわたしたちの暮らしの中のいろいろな場面にある

ひととして親切であることと相手に対する想像力を働かせることと幼児に向けてのような言

葉を使うことはまったく別なことなのだが

 

悪意不在であるがゆえにかえって問題提起しにくいテーマを江川さんは見事に拓いてくだ

さっている

 

辻本桃佳さんの作品目の不自由なお父様がある日電車の中で出会ったことを通して「個

人的な体験」を普遍的なテーマに広げ深めることに成功した作品だ

 

人種と「見た目」の違いをテーマにしたローリンズ

リコさんの作品水俣という愛する郷里

の酸鼻な歴史とそこから生まれた差別と偏見について丁寧に描いた井上由紀子さん事情があっ

て家族とは離れて暮らす大田葵さんが今考える拓かれた『家族』とはかつて偶然に出会っ

たひとたちが偶然を必然に変えて

4

4

4

4

4

4

4

4

4

新しい結縁の家族を作っていく小説を書いたわたしには特

に心に響く作品だった

 

文字数の関係ですべてに触れることはできないが心に響く作品たちを読んでいる間はささ

入賞作文集 8

審査講評

やかながら人権の活動をしてきた「かつての中学生のひとり」としてとても充たされた思いの

中にいた

 

ありがとうと心から「あなた」にお伝えしたい

 

そして若い季節に人権を自分に引き寄せこうして作品にまとめあげた体験は「あなた」に

準備されているたくさんの明日に光をもたらしてくれるはずhelliphellipと書いてふっと思う自分の

暮らしの核に人権を置くことは素晴らしいことであると同時にある意味ストレスを抱え込

むことでもあるのではないかとそれは気づいてしまうストレスでもある社会にはまだま

だ差別がある人権についてセンシティヴであればあるほどそれに気づき失望し傷つくこ

とも少なからずあるはずだ

 

それでもとわたしは「あなた」にお伝えしたい気づかない人生よりも気づく人生そし

て気づいたことを少しでも「拓いていく」人生のほうが容易ではないがはるかに充実してい

るはずだと

 

オーディオセットから大好きなクリスウィリアムソンとメグクリスチャンの曲が流れて

いるhelliphelliphellipわたしたちは新しい時代を作るため新しいページを開くために時代のステージ

にいま登ったところだとふたりとも歌を通してアメリカで人権の活動をしてい

るアーティストである海のこっち側のわたしたちもいま新しい時代のページを

開く時そのステージの上にいる

9 第30回全国中学生人権作文コンテスト

審査講評

内閣総理大臣賞

 

私が入院した時眼科や外科内科などいろいろな病状の患者さんと知り合いになった仕事

で足を骨折した人胃を悪くして入院した人目の手術を受けた人など年齢や性別職業も様々

でふだんあまり接することのない人たちと話す機会に恵まれた病気やケガの苦労話はもちろ

んのこと世代の違う人たちの話はとてもおもしろかった「人権」について考える時その中

の一人の患者さんのことが頭に浮かんだ

 

人権侵害とは障害者やお年寄りなど立場の弱い人たちに対する差別や悪意のある偏見か

らくるものだとばかり思っていたところがたとえ善意であっても思わぬところから人権の侵

害になっていることがあるのだと考えさせられたのであった

 

目の手術を受けたその人は母と同年代ぐらいの女の人だった目が不自由なことで周りの

江え

川がわ

 麻ま

理り

香か

佐賀県佐賀市立東与賀中学校 三年

「身近で無意識な人権侵害」

入賞作文集 10

入賞作文

人たちがとてもよくしてくれるのはいいがそのために困ったり悲しい思いをすることもあると

いうのだった私はこれまで人に優しく親切にすることはいわば常識であり当然のことだ

と思っていただけに大きなショックを受けた困った時に手を貸してくれるというのに悲しい

思いをするとはどういうことなのだろう私たちが親切のつもりでやっていることが迷惑になっ

ているというのだろうかお年寄りや障害者をいたわるのは当たり前でありそれは感謝される

ことはあっても迷惑に思うなどとは筋違いではないだろうかところがその人の立場から見

れば好意のつもりでもまるで小さな子どものように扱われたりこれは危険だからと勝手に

予測されて遠ざけられてしまったりと自分の意思とは関係なく何でも先回りされてしまうのが

悲しいのだそうだ目は悪くとも自分は子どもではないしできなくはないことにまで行き

過ぎた親切にひどく心を傷つけられるのだというまた相手がよかれと思ってくれていること

だけにそれを断ろうものならあからさまにいやな顔をされたり急に態度を変えられることも

あったりでかえって気を遣うのだそうだ

 

私ははっとした今まで手を貸す側から見ることはあっても逆の立場から考えたことはな

かったので大きな衝撃を受けたいつの間にか相手より自分を少し高い所に置いて見ていない

だろうか無意識のうちに相手のことを保護すべき弱者だとして見ていないだろう

か私は今中学生だがそれ以下の子ども扱いされると腹が立ついちいち細かい

ことまで制限されたり禁止されたりすれば確かにいい気持ちはしない同じよう

に障害者や老人に対して危険だ何だのとその人ができることまでをも禁止し

11 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

まだこぼしてもいない湯のみを取り上げるようなことをしてはいないだろうか

 

確かに弱者をいたわり手助けすることは人として当然であり必要なことで

あるしかし相手の気持ちや状況を考えずただ一方的に押しつけるだけの親切

はただの自己満足でしかない見えない人には見えない人なりのやり方や考え方が

あるのにそこに寄り添うための理解がないとしたらそれは人権を侵害しているといえないだ

ろうか

 

人は皆平等であるけれど環境や年齢身体能力などは同じではないだからこそ人とし

ての尊敬の念や思いやりいたわりの心を持って接することが大切なのだと思う

 

しばらく前の人権侵害とは人を自分より見下したりおとしめることで優越感を持つための

ものだったように思うそして今生活や文化が豊かになった現代では行き過ぎた親切やいた

わりが人の心を傷つけそれが新たな種類の人権侵害の一つになっていることもあるのだ「善意

イコール感謝されるべきもの」という考え方が全てに当てはまるとは限らないまた当ては

めようとしてはならないその人にとっての「いちばん」は何かひとりひとりを尊重するため

には本当に助けが必要かどうか出すぎたことをしていないかを見極めることも大切なのだと

思う

 「人権」について考えることそれはとても難しいことのように思えるが意外と簡単なこと

ではないだろうか同じ人間同士が並んで歩くための人と人との間の権利私たちが無意識のう

ちに作り出している優劣の壁を取り払うこと自分の価値観を人に押しつけないこと自分も相

入賞作文集 12

入賞作文

手も同じひとりの人間なのだとその

人の心に寄り添い理解し合う努力こ

そ人権を守る大きな力になると思う

13 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

 

十五年前父が篠山の町中を歩いているとこう言われた「そんな棒きれ振り回さんといて」

と父は決して棒きれを振り回していた訳ではないただ白杖を持って歩いていただけだそ

の話を聞いて私は驚いたたった十五年前のことだけど信じられない気持ちでいっぱいになっ

ただが十五年経った今ではそんなことはないだろうマスメディアが発達しいろんなハン

ディを持った人のことが紹介されたり障がい者の方自身が社会参加する機会が増えたからだと

 

そしてこんな話も聞いたことがある電車に乗った時に時間が知りたくて携帯電話を開い

たときのことだ「こんなとこで電話したらアカンやろ」と中年のおばさんに怒鳴られたそうだ

優先座席の近くだったということもあるが『目の不自由な人=白杖を持っている』という認識

は広まってきているが時間を知りたいときには音声が出る時計や携帯電話を使うということは

法務大臣賞

辻つじ

本もと

 桃もも

佳か

兵庫県篠山市立西紀中学校 三年

少しずつhellip一歩ずつhellip

入賞作文集 14

入賞作文

ほとんど知られていないのだそのとき父は説明しようと思ったがどうせ分かってもらえな

いと思い「すみません」と謝りとても悲しい気持ちになったそうだ見えている人は時間

が知りたければ時計を見ればすぐに分かるだが目が不自由だと音で聞くしかないのだ私は

障がい者が暮らしやすいような機器が発達してきていることをもっと社会に広めていくことが

必要だと思うそうすることで協力してくれる人や理解してくれる人が増えていくのではな

いだろうか

 

視覚障がい者の方が日常生活を送る上で給付や貸与される機器がある音声で教えてくれる

時計や体重計文章読み上げ器などがそれだこれらは以前県の基準で市が実施要綱を定めて

そこが窓口となって行われていたが法改正により各市区町村対応となったしかしこの日

常生活用具の中に健常な家族と同居している視覚障がい者には給付してもらえない物もあるの

だそれは体温計や体重計であったりするこの体温計がなければ家族が出かけている間に

体調が悪くなっても計測することはできないのだ

 

父の知り合いに赤ちゃんを連れた全盲のお母さんがいる体温を計るのに複数の体温計で赤

ちゃんの体温を計りその体温計に印をつけて病院まで持っていって見てもらったり家族が帰っ

てくるのを待って見てもらうことがあるそうだ私たちは簡単に体温を計ること

ができるが見えない人たちはそれができないために生命の危険にさらされてしま

うことがあるのだせっかく便利な機器が発明されても値段が高くて簡単に購

入できないもしくは制度のカベによってそのサービスが受けられないことがあ

15 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

るしかし私の住む篠山市では父たちの声が福祉課の方々に届き日本で初めて

音声式体温計が同居家族の有無にかかわらず給付されるようになったのである

 

今は携帯電話が音声で読み上げてくれてメールや時間GPSなどの便利な

機能を視覚障がい者の方も利用できるようになっただがそのことを知っている

健常者の方は全国にどれくらいいるだろうかまたこのことを知っている当事者である視覚障

がい者の方が全国にどのくらいいるだろうか私はまだ知らない人が多いと思う

 

ここ十五年程で視覚障がい者の人は白杖をついているということはほぼ知られてきたが生

活を助ける機器が発達してきているということは知らない人も多いだろうそれが「あの人は

目が動いているから見えている」とか「あの人はずっと目をつぶっているから見えていない」

「物を避けているから見えている」「物にぶつかっているから見えていない」という勝手な

思い込みで障がいの重さをはかることにつながっているのではないだろうかでもそれは間違っ

ている目を閉じれば視覚障がい者の疑似体験はできるでもそれはあくまでも体験であって

個人個人の見え方はそれぞれ違うし外見や行動で障がいの重度を判断するのは良くないと私は

思う同じような見え方ができたとしても全く同じ動きなんてできる訳ないのだから毎日父

と生活していてもどのくらい見えているのか私にもはっきり分からないなにげに父たちがこな

している日常の動作であっても私たち健常者にははかりしれない恐怖と不安努力があるの

だ誰でも目をつぶれば見えない世界を体験した気になる松葉杖をつけばその体験をした気

になる車イスに乗ればその体験をした気になるだが本当の障がい者の苦悩と努力の一部

入賞作文集 16

入賞作文

しか体験していないことを知ってお

いてほしい私たちには当たり前に

できるようなことがあってもどん

なに望んでもできない人たちがいる

ということとみんなの正しい理解と

知識が障がい者の明るい未来へとつ

ながっていくということを知ってほ

しいそしてこのことを広めていか

なければならない

 「少しずつhellip一歩ずつhellip」

17 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

 「Pick your 

head up」

 

これは父がいつも私にかけてくれる魔法の言葉です

 「顔をあげなさい下を向かない」という意味です

 

私の父は生まれも育ちもニューヨークのアメリカ人です女の子は父親に似るとよく言われ

ますが私もそうで日本人の母親よりも父の方に髪質も肌の色も本当によく似ています子供

が親に似ることはあたりまえのことですが私はそのためにいやな思い悲しい思いをいくどと

なくしてきました

 

初めて自分がみんなとちがうんだなと思ったのは幼稚園に入学してまもなくのことでした同

じ組の女の子たちが何人かして楽しそうに遊んでいたので

ローリンズ リコ

福島県福島市立渡利中学校 一年

「差別のない世界へ」

文部科学大臣奨励賞

入賞作文集 18

入賞作文

 「まぜて」

と声をかけると一人の子が言いました

 「このグループは日本人で髪がまっすぐな人しか入れないのリコちゃんは髪がチリチリだし

ハーフだからダメ」と

 

私はとても悲しくなりましたそしてそれは卒園するまで続きました

 

小学校は人数も少なかったせいかみんなとても仲良くて私の外見のことを言う人はだれ一

人いませんでしたまるで兄弟のようにみんな自然に接してくれましたでも習い事やいろい

ろな大会など他校の子たちといっしょになる場面ではやはり髪の毛や肌のことをからかわれ

ることはよくあることでした私には二学年上の兄がいますが兄もやはり父の方に似ています

おだやかな性格の兄は私以上につらい思いをしてきたと思います

 

父は兄や私の話を聞くたびに

 「Pick your 

head up」

と言いましたそして

 「自分に自信とほこりをもちなさいあなたたちは二つの文化を受けついでそれはとてもす

ばらしいことなんだよ」

といつも話してくれました

 

中学に入って間もないころでしたある男の子がいきなり私に向かって言いまし

19 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

 「おまえ風呂に入っているのか黒いぞ外国人はくさいからな」

 

私はとてもはずかしくなりましたそしていかりや悲しみがこみあげてきました

まわりにいた友達は彼の言葉に苦笑いをしていました私はいかりのあまり彼をな

ぐりたくなりましたその時私は父のあの言葉を思い出しました私は顔を上げ

相手の目を見て静かに自分の傷ついた気持ちを伝えました

 

彼は私に向かってこう言いました

 「ごめんわるかった」

 

彼は人を傷つけるということが彼の想像以上に重くそしてひどいことだと少し気付いたよう

でした

 

差別やいじめというのは私たちのまわりでは小さなことから大きなことまで本当によくあり

ますそして差別やいじめをしている側からすればそれをじょう談だという人も多いのです

まわりの人たちもやはりじょう談や遊びの中でのことにとらえてしまう人たちもとても多いので

すだから小学校の時から私たちは道徳などでいじめや人権などについて学んでいてもなかな

かそれがなくならないのだと思いますでも実際に差別やいじめをされている方はみんなの想

像よりはるかに傷ついているということつらいということそして悲しいということを私はこ

の人権作文を通してたくさんの人に知ってほしいのですけがをすれば日がたつごとにそのけ

がは治っていくでしょうまわりからも治っていく様子が見てわかるでしょうでも心に受けた

傷は本人にしかわからないのですその傷がどんなに深くて痛いものか本人にしかわからないの

入賞作文集 20

入賞作文

です

 

肌の色が違っていてもかみの毛が

違っていても私たちはみんな同じ人間

です心を持った人間です相手の気

持ちを思いやり相手の立場になって

考えればいじめや差別はなくなると

思います今も世界のいたるところで

人種差別が問題となり争いが起きてい

ます私は世界から差別やいじめがな

くなるように強い心を持ってまずは

自分から立ち向かっていきたいです

21 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

 

あなたには大好きなふる里がありますか私には緑の木々と青い海に囲まれた自然豊かな

大好きなふる里があります私のふる里は過去に公害という大きな被害をうけた水俣ですそ

の水俣病で患者はもちろんそうでない人も長い間差別をうけてきました

 

父が幼い頃まだ水俣病の原因が究明されておらず水俣病はうつると言われていました列

車が水俣の駅につくと窓をしめ手で口をおおった人もいました修学旅行に行くと同じ宿

舎になった学校から苦情を言われたこともありました水俣出身ということで結婚を断られた人

や就職試験をうけることさえできなかった人もいました水俣に住んでいることをかくして隠

れるようにひっそり暮らしていた人もいましたまた同じ水俣に住む人でさえ奇病と呼び距

離をおきましたそのことでたくさんの人々が傷つきあってきたのですいろいろな立場の人々

井いの

上うえ

 由ゆ

紀き

子こ

熊本県熊本県立八代中学校 一年

私の大好きなふる里

法務副大臣賞

入賞作文集 22

入賞作文

がせまい土地に住んでいるのですから仕方がなかったのかもしれません

 

しかし今では原因も究明され海の安全も確認されたことでそのようなことはほとんどな

くなりました私たちは過去のことを忘れるくらい楽しくすごしています

 

私は今八代の中学校に通っています私は自分が水俣出身ということを隠すこともありませ

ん友だちもまたそのことを知っていますがからかったりいじめたりする人は誰一人いません

 

しかし先日水俣の中学校のサッカー部が練習試合中に相手チームの選手から

「さわるな水俣病がうつる」

と言われたという記事が新聞にのっていました今でもこういう風に思っている人がいるのか

と思うと残念で仕方ありません何気なく言った一言だったのかもしれませんがその一言は

私たち水俣に住む者にとって非常に悔しく悲しいものでした

 

小学校の総合的な学習の時間で水俣病について学習しました原因となった会社を訪問したり

患者の方から当時の話をきいたり交流も行いましたそんな中で苦労されたり何も言えずに

黙って亡くなった人のことを知り水俣に住んでいながら何も知らなかったことをはずかしく思

いました水俣病についてしっかり学び正しい知識を得ることが差別や偏見をなくすのだと気

付きました

 

中学校の道徳の時間ではハンセン病について学習しましたこれも水俣病同様

正しい知識がなかったためにおきた悲しく悔しい悲劇でした

 

私たちが差別や偏見をなくすためにできることそれはその人その出来事に

23 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

ついてしっかり知ること知ろうと努力すること正しい知識を深めるために学習

することではないかと思いますそうすれば水俣病やハンセン病のようにむや

みに人と人とが傷つけあったり憎しみあったりすることはなくなるのではないで

しょうか

 

先日テレビで水俣のダイバーが紹介されましたその人は本当はほこりたい水俣を心の中

にじっとしまいこみ誰にも言えず何年もの間生きてきた人でしたしかし水俣の地にも

どり自分はこのすばらしい美しいふる里を紹介したいと海にもぐり写真をとり続けておら

れるそうです心に差別という深い傷を負いながら水俣の再生を皆に知らせたいと頑張る人

がいることに感動しました

 

今水俣はごみの分別リサイクル事業など市民全員で環境にやさしい町づくりをすすめてい

ます私は差別や偏見から立ちなおり再生しようと環境問題に一生懸命とりくんでいるふる

里水俣をほこりに思っています

 

水俣では運動会等多くの行事で「水俣ハイヤ節」というものが踊られますこれは水俣病

の患者の方が水俣の青い海と豊漁を願って振りつけをされた踊りだそうです私たちと同じ思い

をする人が二度とでないことを祈りながら私たちは毎年皆でこの踊りを踊ります

 

水俣の悲しい過去を変えることはできませんが私はあやまちを二度とくりかえさないため

にこの美しい自然を守り真実を語り継いでいきたいですそして差別や偏見のない社会に

なるよう自分から努力していきたいと思います

入賞作文集 24

入賞作文

25 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

 

みなさんは「本当の『平和』とは」と質問されたら何と答えますか「戦争や紛争などが

ないこと」ですかそれとも「自分自身の幸せのこと」ですか一人ひとりの抱く「平和」のイ

メージは違うことでしょう

 

僕の思う本当の「平和」それは「家族」がいて「家庭」があることだと思いますなぜそう

思うかというと今僕は訳あって家族とは離ればなれに暮らしているからです一歳前後には既

に家族とは離れ施設にいました母親や姉兄の存在はわかっていますが一緒に過ごした時

間は限られたもので今でもほとんど交流はありませんそのせいか僕はいつも「家族」や「家

庭」というものに強い憧れを抱いています

 

自分がまだ幼い頃は自分と同じくらいの子が母親と手をつないでいる姿がとてもうらやまし

大おお

田た

 葵あおい

栃木県さくら市立喜連川中学校 三年

「家族」とは何か

法務大臣政務官賞

入賞作文集 26

入賞作文

「どうして自分には母親がいないんだろう」と思っていました仕舞いには自らの母親を恨ん

でしまったのです小学生になってもその気持ちは変わらず母親への恨みは増すばかりでした

 

しかし小学五年生の夏思いもよらぬ出来事が起きましたそれは引っ越しがあったこと

ですそこで僕は新しい土地そして新しい里親という人たちに出会いました里親の人たち

と暮らした数年間僕は幸せでしたそこで僕は僕の周りにはいつも支えてくれる人たちがい

ることに気づきました血のつながりがなくても僕に自分の子どものように接し育ててくれ

た里親の人たち養護施設の先生方などたくさんの方たちに僕は見守られて成長してきたこと

に気づいたのです僕を支えてくれる人すべてに感謝の気持ちがわき出てきましたそれ以来

僕は親という存在にこだわらなくなりましたそれどころか自分に命を与えてくれた親に感謝

の思いを抱くようになったのです

 

この夏母親の育児放棄が原因で二人の乳幼児が衰弱死するという悲しい事件がありました

二人の子どもにろくに食事も与えず風呂も入れなかったそうですさらに逮捕後その母親は

「家に帰ってあげなかったことを今も後悔している子どもは私を恨んでいると思う」

という言ってはならない発言をしました僕は怒る前に亡くなった二人の子ども

たちがかわいそうでなりませんでした

 

と同時に僕はこの母親はどうしてこのようなことをしてしまったのだろうと

すごく考えさせられました僕は本来親は子どもを殺すのではなく守るために

27 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

いるのだと考えますたとえ小さな子どもでも立派な一人の人間ですその命を

守り育てていくことが親として大切な役目だと思うのですこの母親はどこで

勘違いしたかは知りませんが親としての自分の責任を理解していなかったのでは

ないでしょうか

 

そしてその勘違いを誰も母親に気づかせてあげられなかった事実母親が一緒に遊び歩いて

いた友人はもちろん母親の家族が少しでも助けることができていたら母親の行動を戒めるこ

とができていたら連絡を受けた児童相談所がもう少し踏み込んだ行動が取れていたらこのよ

うな悲しい結末にはならずに済んだのではないでしょうかやりきれない思いばかりがこみあげ

てきます

 

もう一つこの母親は大きな勘違いをしていますそれは「子どもは私を恨んでいると思う」

という言葉です僕はこの子どもたちが母親を恨んでいるとは思えません子どもたちは母

親が帰宅するといつもハイタッチをして喜んで迎えたそうです子どもたちは母親のことが大

好きだったのでしょうたとえ自分たちを見放した母親でも恨んでいるとは決して思えないの

です

 

子どもは心の底から自分の母親のことを恨めないと僕は思いますこの世に生を受け笑った

り怒ったり泣いたりと毎日いろいろな経験ができるのは自分を生んでくれた母親という存在

があったからです正直僕も小さい頃は母を恨んだことがありました愛情の裏返しというよ

うに母親への思いが憎しみに変化してしまったのですでも心の底には母への恨みとは全く

入賞作文集 28

入賞作文

正反対の気持ちが存在し続けていましただ

からこそこの子どもたちがどんな思いで死

んでいったのかわかるような気がします母

親を信じひたすら母親の帰りをまちわびて

いた思いが

 

僕にとっての「家族」それは同じ屋根の

下で暮らす人々のことですたとえ血はつな

がっていなくても僕を支え励ましてくれる

人たちそのすべての人が僕にとっての大切

な「家族」なのです今僕の暮らす養護施設

にはいろいろな事情を抱えた二歳位から高

校生までの子どもたちや職員の方が約六十人

います今の僕には全員大切な「家族」で

す僕はこれからもこの「家族」を大切に

一日一日精一杯平和に生きていきたいです

29 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

 

授業でハンセン病について学んだ日両親と「偏見」や「差別」について口角泡を飛ばす議論

を深夜まで繰り広げた身体障害者の父と看護師の母を持つ私は幼い頃から「命の大切さ」を

訴える両親の姿を見て育って来たそんな私は真摯な気持ちからハンセン病罹患者と向き合い

たいと思いこの夏草津にある療養施設栗生楽泉園を訪れた

 

草津までの道のり私は罹患者の気持ちを絶えず考えていたハンセン病について調べると「ら

い予防法」により罹患者は隔離され人権を無視された扱いを受けたことが分かった罹患者の

言葉が書かれた本ではどんなに過酷な仕打ちを受けたか他人をどれほど恨み憎んでいるか

が書かれていたその為私は無意識の内に「罹患者は全員恨みを抱いている」と勝手に思い込

んでいたしかしこんな思い込み自体が偏見や差別を生む原因になるということを後に思い知

大おお

井い

 海み

琴こと

群馬県群馬大学教育学部附属中学校 三年

忘れてはならないこと

全国人権擁護委員連合会長賞

入賞作文集 30

入賞作文

らされることになるのである

 

私を迎えてくれたのは入園者自治会長の藤田三四郎さん藤田さんは大変お元気でその容姿

からはハンセン病を伺い知ることはできなかったしかし藤田さんは紛れもない罹患者なのだ

その証拠に藤田さんの名は本名ではない罹患者は施設に入所するにあたり偽名を使用させら

れたと言うつまりその時点で罹患者は世間から存在を消されてしまうのであるそんな藤田

さんから語られた話はハンセン病だと宣告され三度も命を絶とうとしたこと重症患者の看

護を押しつけられ数え切れない人を看取り自らの手で葬ったこと家族が受けた迫害や侮辱的

な言葉など想像を絶するもので筆舌し難いものだったしかしこんな迫害と差別は同時にハ

ンセン病患者達の人権回復闘争の歴史でもあったのだ闘争の末「らい予防法」が廃止される

と今まで差別や人権侵害を繰り返していた多くの人が掌を返す様に態度を変えたと言う私は聞

いていて怒りを覚えたが不思議なことに耳を塞ぎたくなる様な内容を語る藤田さんからは全

く怒りや恨みが感じられないのだ私は話を聞くまで自分の運命を呪い周囲への恨みつらみ

の言葉が出てくるとばかり思っていたしかし出てきた言葉は「入園出来て良かった差別は

受けたが今では恨みを抱く罹患者も少なくなったそればかりか最近はたくさんの人が我々を

理解し協力してくれるので嬉しい何故なら一人の百歩は力が無いが百人の一歩

は力になるから」と言う感謝の言葉だったのだ本当に「恨みは無いのか」と何度

聞いても答えは同じだった私は恥ずかしくなったハンセン病について調べ罹

患者の心を理解したようなつもりでいながら実は何も理解できてなくてそれば

31 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

かりか罹患者を偏見の眼で見ていたのは私自身だったのだ私は話を聞いてとめ

どなく溢れ出る涙を拭いながら心の片隅に潜んでいた「偏見と言う名の種」が身

体から洗い流されていくのを感じていたそれは同時に「思い込みや無知が偏見

や差別を生みだす」ことを強く感じた瞬間でもあったそれだけに藤田さんの「自

分と同様に他人を愛すればいつか必ず世界から差別はなくなる他人を愛して下さい」の慈愛に

満ちた言葉が一層重く腑に落ちるのだった

 

帰りがけ千五百ページにも及ぶ「入所者証言集」を手渡されたその際私は見えない襷も

手渡された気がしたその襷とは証言集に記された罹患者の「事実を風化させないで私達の事

を忘れないで」という搾り出すような叫び声とその姿だったのである

 

ハンセン病が治る病気であるのに誤った知識から悲惨な人権侵害が長期に渡り続いた同じ間

違いを繰り返さないためにも事実を語りついで行く必要があるここ楽泉園でも高齢化が進み

証言者の数が減っているこれは全国一五全てのハンセン病療養所に共通することだハンセン

病問題は罹患者がいなくなればそれで終わると言う問題ではない今後人権問題を考える際重

要な指針になりうる事実なのだそしてこの事実の風化を防ぐことが私達若い世代の役目だと

私は思う

 

私は小六の時友人達から突然イジメを受けたそれを引きずり他人を恐れ憎み自分を

嫌って生きて来たしかし罹患者の声が私に生きる力と前を向いて歩む勇気を与えてくれた

楽泉園訪問は私に人生観が変わる程の衝撃を与えてくれたのだこんな私だが罹患者の声を伝

入賞作文集 32

入賞作文

える「百人の中の一人」にはなれるはず

だそのために私は今この作文を書い

ている文字は時を越えて生き続けるか

ら私はこれからも楽泉園訪問を続ける

つもりだ実際に中学生の私が出来るこ

とには限りがあるが差別や偏見を少し

でも減らすために一歩を踏み出すつもり

でいる「自分と同様に他人を愛すれば

いつか差別は無くなる」と言う藤田さ

んの言葉を胸に

33 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

 

森に囲まれたその一画には教会や寺院神社があり小さなショッピングセンターやレスト

ランもある床屋や図書館郵便局や浴場もあるしかしそれらの施設を利用するのはその一

画に住む人たちだけだ緑の外側に住む人が利用することはないそこはハンセン病の療養所

多磨全生園である

 

僕は七年前に清瀬市に引っ越してきた夏のある日昆虫が大好きな僕は何気なくその森の

中に入って行ったそして歩き回っているうちにその場所が一つの「町」であることに気付

いた

 

毎日セミやカマキリやナナフシを探しながらどうしてこんな所があるのだろうと思った

 

僕が一番不思議に思ったのは古い木造の小学校だいつも誰もいない校舎と小さな運動場近

久く

米め

 一かず

輝き

埼玉県学校法人立教学院立教新座中学校 一年

ハンセン病について考えたこと

社団法人日本新聞協会会長賞

入賞作文集 34

入賞作文

くに小学校があるのにどうしてこんな所に小学校があるのだろう小学一年生の僕はとても不思

議に思った

 

夏に地域交流を目的とした盆踊りと花火大会が行われるいつもは人のいない小学校跡は多く

の人であふれかえり普段は見かけない重い後遺症の老人たちもこの日は外に出て盆踊りを楽し

む初めて参加したときは言葉が出なかった正直「怖い」と思った

 

夏が来るたびに僕は盆踊り大会に参加した低学年から高学年へと進むにつれて少しずつハ

ンセン病のことが分かってきた

 

六年生のときに社会科見学で全生園の元患者を訪れることになっただが僕は都合で参加で

きなかった僕はそれをずっと悔やんでいる

 

今年の夏僕はハンセン病資料館に出かけた見学者は僕一人でとても緊張したなるべく

音を立てないようにパネルを見て回った

 

強制隔離の現実にとても驚いた狭い部屋に押し込められ症状の軽い患者が重症の患者の世

話をしたという子供を持つ権利や生まれる赤ん坊の命まで奪われていた逃げ出したり反抗的

な患者は「不良患者」と呼ばれ窓の小さな暗い監房に閉じ込められた

 

医学が進歩し療養所も徐々に改善されていったが強制隔離を命じる「らい予防

法」が廃止されたのは一九九六年だという隔離が始まった一九〇八年から約九〇

年も経っていた僕が生まれるほんの一年前のことである特効薬が開発され本

格的な治療が始まったのは昭和二十二年である現実に合わない法律を廃止するの

35 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

にどうしてそんなに時間がかかったのだろうか

 

資料をもらってハンセン病資料館を後にした家を出るときは帰りに虫の観察

をするつもりだったがとてもそんな気にはなれなかったいつもセミが集まる桜

の木には目もくれずに早足で家に帰った

 

資料の中で一番心が痛んだのは療養所の子供たちのことだ療養所に入所したのはハンセン

病を発症した子どもたちだけではない親が発症したために入所する子どもたちもいた当時は

ハンセン病は遺伝病だとされていたからだ親から無理やり引き離された子どもたちは「すぐに

帰れるから」という言葉を信じていたというしかし一生療養所を出ることができなかった人が

多かったという社会的な差別がひどかったからだと資料に書かれていたが僕には実感がわか

なかったのでもう少し調べてみることにした

 

図書館で『ハンセン病を生きて』(伊波敏男著)という本を見つけた少し難しかったが差

別の現実が僕にもわかる部分があったそれは元患者たちに対して書かれた匿名のひどい手紙

である長年隔離されて苦しんできた人たちをさらに傷つける言葉が並んでいた悲しく暗い

気持ちになった

 

日本は経済大国として世界の注目を浴びているだが人権意識の面ではどうだろう「らい

予防法」を二〇世紀の末まで廃止できなかったことをどう考えたらよいのだろうか明治時代に

隔離が始まったときそれは外国に対する体面を保つためだったという病気の人を治療するの

ではなく「隠す」のが目的だったのだいまだに差別意識を持つ人がいるのは社会がそうした

入賞作文集 36

入賞作文

過去に対する反省をしていないから

だと思う

 

僕が不思議に思った小学校はすで

に取り壊されて今では小さな石碑

だけが残っている老朽化がひどく

残しておくことができなくなったか

らだという全生園の古い建物はど

んどん取り壊されていく石碑だけ

ではあの不思議さが伝わらないのが

とても残念だ

37 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

 

僕の曾祖父は医者嫌いでしたそのため腹痛で病院に運ばれた時は膵臓癌の末期で余命三ヶ

月でした手術もできない手遅れの状態でした家族皆で話し合い曾祖父の辛い気持ちを第一に

考え曾祖父に病を隠すことになりました曾祖父は次第に病院の中を歩いては転倒し体中あ

ざだらけになりベッドの上で縛られることになっていました曾祖父は病名の宣告を受けてい

ないため元気で歩けると思っているが実際歩くと転んでしまう何でこんな風になってしまっ

たのかさえわからない

 

家族と病院に行くと「包丁もてこいこれぶった切って家さ帰る」と騒いでいましたあん

なに優しかった曾祖父の姿に言葉も出ず恐いくらいでした何も知らされずベッドに縛り付

けられれば誰もがそうなることでしょう「じいちゃんどご一緒に車さのせでいてくれの」と

櫻さくらだ田

 要かな

太た

山形県酒田市立松山中学校 三年

日本放送協会会長賞

悔いのない最期を

入賞作文集 38

入賞作文

せがまれたときもありますかわいそうで涙がポロポロこぼれました「おじいちゃんどご家

さ連れで帰ろうよ」とせがんでも家族も仕事で忙しいためか誰も首を縦に振ってくれず病院

にいた方が安心ということになりました膵臓癌は予想以上に激しい痛みのため医師から強い

痛み止めと強い睡眠剤を勧められましたがそれを導入することにより安楽死に近い状況にな

ることも医師から告げられていました家族は決断をせまられました曾祖父に相談もせずに決

めていいことなのか家に帰りたい曾祖父の意志は封じ込められたままでいいのか家族で悩み

ました結局痛みに耐えている姿は見ていられなくその薬を使うことになりましたその後

曾祖父は次第に弱っていき口も利けなくなり静かに亡くなっていきました僕はどこか心を

引きずったままでした僕達家族が曾祖父に宣告もせず意見も聞かず命の長さを決めてしまっ

たこと当時幼かった僕には何もしてあげられなかったことが今思い出しても残念です

 

最近授業で人権について学習しているときに幼い頃の記憶がよみがえりふと曾祖父のこと

を思い出しました

 

曾祖父はどんな思いで亡くなったのだろう最後に意識のあるうちに一度でいいから家に帰っ

てきたかっただろう身体拘束は今は病院でも禁止されていると思いますがあの頃は確かに曾

祖父のおなかに黒いベルトのようなものが巻きついていました決して自分の力で

は外せないようなものでしたもがき苦しむ曾祖父の姿を見た時に看護師さんに

目を隠され別の部屋に連れて行かれました見せたくない光景だったのだと思いま

すでもあの姿は僕の脳裏に焼き付いています病院の中での人材不足のためだっ

39 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

たのでしょうか人が人らしく生きていない姿でした

 

七十八年生きてきて何も悪いことをしていないのに縛られ家にも帰れない

病気で余命幾ばくもない人には人権というものは存在しないのでしょうか最近の

医療の現場では自己決定権があることについて学びました

 

仏壇に向かい静かに目を閉じると優しく穏やかに微笑む曾祖父の笑顔が浮かびますどんな

気持ちで亡くなっていったのかその気持ちを考えると苦しい気持ちになります野球の大会に

行く前仏壇に手を合わせます「やればできる努力しろ」とよく励ましてくれました曾祖

父の力には何もなれなかったけれど目には見えない力で応援してくれる曾祖父に線香をあげて

自分を省みる時があります曾祖母が元気なので曾祖父を助けられなかった分曾祖母の力に

なっていくことを曾祖父に約束しています

 

夏休み中のニュースで高齢者の所在不明者が多数のため百歳以上の安否確認調査をしていま

した自分の親を平気で捨て遺骨さえもひきとらない亡くなっていたのに年金を不正受給する

ために隠していたなど耳をふさぎたくなるような事件もありました犬や猫が年をとって弱っ

てきた手がかかるから面倒だからと捨ててしまうそれと同じ現象が弱い高齢者にも及んでき

ているのだと思います

 

やはりこの世に生まれてきたもの全てに自分の意志で生きることを決めていける権利がある

と思います長い年月を苦労や努力と向き合いながら精一杯生きてくれたおかげで今の幸せが

あることを忘れずにいたい人はいずれ誰でも年をとります自由に動けなくなった時に自分の

入賞作文集 40

入賞作文

願いが叶う社会を築き「悔いなく満足で楽しく幸せな人生だった」と思えるように人とし

ての誇りを持って満足できる最期を迎えられるように考えていきたいもう二度と僕が見た自

己決定権のない社会にならないように高齢者には今までの感謝の気持ちで本人の希望をでき

るだけ叶えられるように努力していきたいいずれ僕達も迎える高齢社会だからhellip

41 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

 

私は小学六年生の時から盲導犬候補の子犬を育てるボランティアをしています「犬を飼っ

てみたい」と言う私に両親が「せっかく犬を飼うのなら社会に役立つことをしよう」と提案

したからです生後二ヵ月の子犬を預かり一歳の誕生日を迎えるまで世話をするのがボランティ

アの役目です初めて訓練士さんから子犬を手渡された時は不安でドキドキしましたが子犬は

すぐに私の腕の中で眠ってしまいました初めて会った私のことを信頼して安心しきった寝顔

で眠っている姿は本当に可愛かったですラブラドールの子犬はとてもやんちゃで私の家にやっ

て来たその日からいたずらばかりしていましたがしかられてもクヨクヨせずどんな相手にも

 林はやし

 里り

咲さ

東京都小平市立小平第六中学校 三年

差別のない社会に

(パピーウォーカーの経験から学んだこと)

法務事務次官賞

入賞作文集 42

入賞作文

フレンドリーに近づいていく姿から私は明るく前向きに生きることを教わりました子犬たち

と過ごした日々は私にとって一番の宝物ですそしてあっという間に一歳の誕生日がやって来ま

した誕生日が悲しいという経験は初めてでした訓練所への入所日の前日には長い長い散歩を

して最後のお別れをしました「今までありがとう」そう言った私のことを不思議そうに見てい

た子犬の顔が今も目に焼きついています別れは本当につらいけれど涙を見せたら子犬が心配す

るので頑張って笑顔で見送りました

 

私の家で育てた一頭目の子犬は現在盲導犬になって頑張っていますそして今年四月に巣立っ

ていった二頭目の子犬は神奈川にある訓練センターで訓練中です

 

このボランティアを通して私は多くのことを学びましたまず盲導犬の役割ですがこれは単

に目の不自由な方が便利に一人でどこへでも行けるようにするためだけではありません視覚障

がいのある方にとって人の手をわずらわせるのはとてもつらいことなのだそうですたとえ家

族に対してでも「迷惑をかけるのではないか」と思って我慢することが多く「私なんかいない

方がいいんじゃないか」と考えてしまうこともあったといいますその失われそうになった尊

厳を取り戻す手助けをするのが盲導犬の役目なのです犬は訓練を共にするパートナーのことを

大好きになるので「自分は他者からこんなにも大好きになってもらえる存在なん

だ」と気づいて自信を取り戻し新しい一歩を踏み出せるようになるのだそうです

 

また私がボランティア登録している日本盲導犬協会では二〇〇八年に新しい

試みが始まりました受刑者が盲導犬候補の子犬を育てる動物を介在した日本初

43 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

の教育プログラムです罪を犯した人も心から反省してきちんと罪を償えば社会

は差別することなく受け入れるべきですしかし実際はとても偏見が多く元受刑

者たちは「どうせ自分はだめな人間なんだ」と思い再び罪を犯してしまう悪循環

が起こっているそうですその悪循環を断ち切り受刑者たちがスムーズに社会復

帰を果たせるよう支援するのが「あさひ盲導犬パピープロジェクト」です受刑者たちは約十ヵ

月の間子犬たちを世話しながら一緒に過ごし「役に立つ喜び達成する喜び信頼される喜び」

を感じることで自分の価値を再確認するのだそうです今年一月に第一期のプロジェクトを修了

した受刑者の感想に次のようなものがありました

 「今後自分もパピーに笑われないようにきちんとしなければならないパピーは慈しむこと

寛容の心を教えてくれました」

 

犬は決して差別をしません健康な人にも障がいのある人にもお金持ちにも貧しい人にも

権力のある人にも犯罪を犯した人にも全く同じように接してくれますそんな犬たちと一緒に過

ごすことで自信をなくした人たちも自分のことをかけがえのない大切な存在であると思えるよ

うになるのです

 

私たち人間も差別のない社会をつくる努力をしなければならないと思います一人一人が相

手を大切に思う心を忘れなければこの社会はもっと住み良い場所になるはずです私はこのボ

ランティアを通して学んだことを生かしてこれからも一層努力していきたいと思います

入賞作文集 44

入賞作文

45 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

 

僕は祖父のために自助具を作ろうと思った祖父は去年の夏脳梗塞で倒れた祖父は一命

を取り留めたものの右手と右足がまひしてしまったのだその三週間前僕も車椅子から転倒し

て足を骨折した

 

僕には障害がある車椅子で生活することが多いしかし僕のことを障害者だといって差別

するような友達は一人もいない

 

祖父は歩けるようになりたいという気持ちが強かっただからリハビリを頑張り自分で

歩けるようになるまで回復した頑張っている祖父がかっこいいと僕は思った祖父はリハビ

リを頑張ったにも関わらず右手がうまく動かせなくなってしまっただからご飯を食べる時も

服を着替える時も時間がかかる普段何気なくやっていた動作がとても大変だと祖父は言ってい

守もり

田た

 幸こう

平へい

静岡県静岡大学教育学部附属浜松中学校 三年

祖父への靴下

法務事務次官賞

入賞作文集 46

入賞作文

た僕も何か役に立てることはないかと考えた

 

僕の学校には総合学習という授業があるそこで僕は福祉というカテゴリーを選んだ自

分で社会に役立てることを考え実際に行動することが目標だった僕は障害者のために何が

できるかを考えた

 

僕は二年前に静岡文化芸術大学で障害者がいかに日常生活で不自由のない生活ができるかを

考えるプロジェクトがあるのを新聞で知ったそれは大学生たちが個人個人にあった自助具を

作るプロジェクトだった僕は障害者のために何かできるのではと感じた

 

僕は静岡文化芸術大学へ行って僕にもできることがないかと聞いたすると学生さんが

自助具を作ってみないかと声をかけてくれた僕は迷わず「はい」と言った障害者のために

役に立てることがあると思うとすばらしいことだと思ったからだ

 

祖父のつらい顔を見ると日常生活に数々の大きな壁があることが伝わってくる

 

僕は祖父の数々の大きな壁を突き破ろうと思った祖父のために自助具を考え作ろうと僕

は思った祖父が靴下の脱ぎ履きが大変だと言っていたことを思い出したそこで脱ぎ履きし

やすい靴下はできないか考えた靴下の両脇にひもを取り付けてそれを引っ張ると靴下が縮み

脱ぎ履きしやすくなる仕組みだ大学の先生も良いアイディアだと言って褒めてく

れたこれは障害者だけでなく健常者にも使えると言われたユニバーサルデザ

インだと分かった

 

ユニバーサルデザインは年齢や障害の有無にかかわらず全ての人が使いやす

47 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

いように工夫された用具などのデザインである境界がなくなるように健常者が障

害者に対する偏見を考え差別意識がなくなるチャンスだと思った障害者と健常

者が共によりよく生きることが大切だと僕は思った

 

自助具の作品展では杖をついているお年寄り車椅子に乗った若い女性目の

見えない人福祉関係者など沢山の人々が観に来ていた皆自分の生活を良くしようと思っ

ているようだったまた障害者のためにできることは何だろうかと考えている健常者もいるよ

うだった

 

二年生の時の総合学習では二箇所のデイサービスを訪問したデイサービスには六十五歳以

上のお年寄りがいた暗く元気のない人明るく振る舞い誰とでも話せる人など様々だった

しかし僕が一番印象に残ったのは笑顔を絶やさず優しくお年寄りに接していた介護士だった

お年寄りの中には悩みを抱えている人が多いそうだその悩みを解消させる人もまた介護士だっ

た僕は介護士がお年寄りの体を支えるだけではなく心もそっと支えて生きる喜びを与え

ているのだと感じた

 

現代は三世代で暮らす家族が減り核家族が増えているそれはお年寄りの世話が大変だ

からという理由が多いだから老人ホームやデイサービスに預ける人が増えていると僕には

思えたお年寄りの中には自分が嫌われているのではないかとさえ思ってしまう人もいるそう

だそれはお年寄りにとって辛く悲しいことだと思うある介護士がこんなことをおっしゃっ

ていた「人の優しさはお金では買えない」誰にでも優しい心があると思うしかしあと一歩

入賞作文集 48

入賞作文

のところで行動に移すことができない人が多いの

だ僕たちが平和な社会で暮らせるのは今まで

頑張ってきてくれたお年寄りのお陰であることを

忘れてはいけないお年寄りを大切にすることは

当たり前のことなのだ

 

また障害者に対しても偏見の目で見ないで

そっと近づいて手を貸してあげれば健常者との

高い大きな壁を崩すことができると思う

 

障害者にも高齢者にもまた健常者にも人権

はあるお互いの人権を大切にすることが明る

い未来に繋がっていくのだと思う

 

早く祖父に僕の作った靴下を届けたい

49 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

 

僕は小学校六年生まで福岡県に住んでいましたそこで僕が体験したことです五年生のこ

ろ僕の友だちのA君が同級生のK君の靴を隠したりからかったりしていることがよくあり

ました最初は僕もあまり気にしていませんでしたがK君のことを「なんだかかわいそう」と

思うようになりました

 

ある日僕は勇気をだして先生に「K君がいじめにあっています」と報告しました初め先生は

「じゃれ合っているだけだろう」と「いじめ」とは思ってくれませんでしたでもその後「いじ

め」と分かりA君は先生に注意されその日一日は反省した様子で過ごしていましたしかし

次の日学校に行くといじめは前以上にエスカレートしていて蹴ったりたたいたりするように

なりましたしかも「死ね」「うざい」「消えろ」などの言葉が飛び交うようになりそんな日々

法務事務次官賞

浦うら

谷たに

 毅たける

徳島県三好市立池田中学校 三年

いじめをなくすために今

入賞作文集 50

入賞作文

が続きました

 

それは六年生になっても続きました僕はそのいじめを止めることができず毎日見て見ぬ

振りをしていました今思うと自分がとても恥ずかしいです本当の友達なら止めるべきなの

にそれだけではなくいじめられているK君に声一つかけることができずにいました心の中

ではA君に「やめろよ」と言おうと思っていたけどなぜか勇気が出ませんでした次にい

じめられるのが自分になるのが恐くて言えなかったのです

 

そんな日々が続く中僕の気持ちを大きく変える出来事がありました父の死ですそのとき

のことは今でも忘れることができません聞いたときには頭の中が真っ白になりました最初

は信じることができませんでした一週間も二週間も学校に行けずただぼーっと過ごしてい

ましたいろんなことを考え徐々に「死」というものの悲しさつらさ「死」という意味の

重さがわかってきましたそして時間はかかりましたが「命は一瞬にして消え二度と戻っ

てこないものだだから命を大切に今を大切にしなければならない」と深く受け止めることが

できるようになりましたそして周りの子たちは僕のような経験がないから「死ね」とか軽々

しく言えるのだろうと思いこの気持ちを伝えなくてはならないと考えました僕が強くならな

くてはと思いました

 

こんな気持ちになったとき僕には時間がありませんでした母の実家がある徳

島への引っ越しが一週間後に決まっていたのです落ち込んでいる暇は無いと思

い学校に行った僕はA君に言いました「いじめなんかやめろよいじめたって

51 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

喜ぶ人はいないし悲しむ人がいるだけだろ自分だってほんとは嫌だろ『死ね』

とか『消えろ』とか言葉の重さを知らないのに言うなよ」と言いました父親の

突然の死そのあと僕が考えたことも伝えました

 

友だちは黙って聞いてくれました僕の言葉にうなずいてそのあとK君の

ところへ行き「ごめん言葉の重さも知らずに言って本当にごめんぜったいに死ねなんて

ことは言わないそしていじめは絶対にしないほんとうにごめん」とあやまりましたK君

はとても優しい笑顔で「いいよ」と一言言いました僕もK君に言いました

「今まで助けてあげられなくてごめん」

K君は笑顔で「ありがとう」と言ってくれました今まで自分の中でもやもやしていた気持ちが

スーっと晴れました

 

今も時々耳にする暴言冗談半分で言っているのかもしれませんしかしいついじめにつ

ながるかわかりません他人を傷つけることで自分のストレスを晴らそうとしているのでしょう

関係ないふりをしようとする自分がいます楽な考え方をする自分がいますそんな時亡くなっ

た父の顔やK君の優しい笑顔を思い出しますあの時の自分のように強い気持ちを持とう「や

めろよ」と一言言うするとまた気持ちがスーっとしてきました

 

父の分も頑張って生き抜こうと決めた僕にとって正しいことを素直に認め悪いことを否定

できる強い意志を持つことが目標ですそして何よりも命を大切に今を大切にしていきたい

と思っています

入賞作文集 52

入賞作文

53 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

 

ぼくは今まで四つの外国に暮らしいろいろな国の人たちの中で育ってきた

 

まずタイで生まれてタイ人のメイドさんやドライバーさんにいつも遊んでもらっていた

らしい一才になると週一回の体操教室にも通いタイ人の友達もいたそうだ

 

次にシンガポールでは初めてナサリースクール(保育園)に通いいろいろな国の友達と

知り合ったプレイルームにある滑り台を滑る順番争いでいつも勝つのは体の大きい金髪の友

達だった

 

一回目の香港生活では英語の幼稚園に通ったその時のぼくの一番の友達はカナダ人だった

彼とはよくベイブレードをして遊んだが父が日本の出張で買ってきてくれた独楽や剣玉をして

遊ぶこともあった

村むら

瀬せ

 広ひろ

高たか

香港日本人学校中学部 二年

国境をこえて

海 外 作 品

今回は本選への応募とすることはできませんでしたが

 海外から寄せられた作品のうち一作品を御紹介します

入賞作文集 54

海外作品

 

それからインドでは日本人学校に通ったが夏休みには毎年アメリカンスクールのサマー

スクールに参加したし日本人のいない現地のテニススクールにも入り二年間通ったまたイ

ンドの現地幼稚園に通っていた妹のベストフレンドはコンゴ人でその兄弟もぼくの友達だった

 

そして三年間の日本生活を経て今また香港に戻ってきた

 

このようにぼくはいろいろな国でいろいろな国の人たちのお世話になりいろいろな国

の友達と遊んで育った肌が真っ黒な友達もゲームの話をすればすぐに仲良くなれたし髪が

金色の友達もポケモンの話をすれば気が合ったぼくは小さい頃から英語はうまくしゃべれ

なかったけれどもジェスチャーをつけたでたらめ英語でも充分に話は通じただからいろい

ろな国の人たちの中でぼくが日本人だからといって差別されたり嫌な思いをしたりしたこと

はないしぼくも肌の色が違うからとか言葉が通じないからという理由で違う人間だと思っ

たことはないそうぼくは外国人を差別したことはない

 

しかし本当にぼくは外国人を差別したことがないのだろうか外国人を差別した発言を一

度もしたことがないかと考えると自信がない

 

例えば香港人には赤信号でも平気で渡る人がたくさんいるそれを見てぼくは

「香港人はしょうがないな」

と思うでもよく見ると香港人全員が信号無視をしているわけではないまた

世界には今でも戦争をしている国がいくつもある

「人を傷つけ合うなんて馬鹿げている」

55 第30回全国中学生人権作文コンテスト

海外作品

とぼくは悲しくなるでもそれも好きで戦っている人がいるとも思えないその

人たちがそうなったのには何かきっと原因があるはずだ

 

逆に外国人から見ると日本人はどのように思われているのだろう

 

インドから日本に帰国した時毎日ごみがたくさん出ることにぼくはとても驚

いたインドの人たちがよく使う道端にあるカレー屋さんではバナナの葉で作ったお皿にカ

レーを入れてくれる食べた後そのお皿を道に捨てるとのら牛がその葉っぱを食べるそして

牛のふんは燃料になるというそれに比べて日本はちょっと歩くとペットボトルの飲み物が

買えファーストフードのお店では使い捨ての食器を使い立派なお菓子の箱を開けると中身が

少なくてがっかりすることもあるある時母が捨てたジャムの空きびんをメイドさんとエア

コンの修理にきていたワーカーさんとが取り合ってけんかをしていたこともあったそれを見

てぼくはあきれてしまったが逆にインド人から見ると使い捨て文化のしみついた日本人は

とんでもない人間にみえるのかもしれない国によって考え方や行動パターンが違うのは歴史

的背景や宗教習慣気候などのいろいろなことが関わっているのだと思う

 

このように考えると差別とはその人の一部しか見ていないことや自分のやり方だけが正

しいと思うことからおきるのではないかと思うその人が自分とは違った行動をとったとしても

それには深い理由があるのだろうと考えればきっと納得できると思うぼくもこれからは否

定的な発言をする前にその人たちのことをいろいろな角度から見て理解する努力をしてみよう

と思う外国との間には自分の国とは違う言葉や文化という壁があるとみんな言うがそこに

入賞作文集 56

海外作品

あるのは壁ではなく橋だとぼくは思う理解

し合おうという気持ちがあればきっと誰でも

その橋を渡っていけるはずだ気持ちの国境を

こえるのにパスポートはいらないお互いを理

解し合おうと思う気持ちが一番大切だと思う

そしてぼくはこれから日本人として生きる

のではなく地球人として生きていこうと思う

57 第30回全国中学生人権作文コンテスト

海外作品

法務局地方法務局名 郵便番号 所  在  地 電  話

金沢地方法務局人権擁護課920-0024 金沢市西念3-4-1金沢駅西合同庁舎(平成23年3月11日まで) 076-231-1244

921-8505 金沢市新神田4-3-10金沢新神田合同庁舎(平成23年3月14日から) 076-292-7804

富山地方法務局人権擁護課 930-0856 富山市牛島新町11番7号富山合同庁舎 076-441-6376

大阪法務局人権擁護部 540-8544 大阪市中央区谷町2丁目1番17号大阪第2法務合同庁舎 06-6942-9492

京都地方法務局人権擁護課 602-8577 京都市上京区荒神口通河原町東入上生洲町197番地 075-231-0131

神戸地方法務局人権擁護課 650-0042 神戸市中央区波止場町1番1号神戸第2地方合同庁舎 078-392-1821

奈良地方法務局人権擁護課 630-8305 奈良市東紀寺町3-4-1奈良第2法務総合庁舎 0742-23-5457

大津地方法務局人権擁護課 520-8516 大津市御陵町3番6号大津法務総合庁舎 077-522-4673

和歌山地方法務局人権擁護課 640-8552 和歌山市二番丁2番地和歌山地方合同庁舎 073-422-5131

広島法務局人権擁護部 730-8536 広島市中区上八丁堀6番30号広島合同庁舎 082-228-5790

山口地方法務局人権擁護課 753-8577 山口市中河原町6番16号山口地方合同庁舎2号館 083-922-2295

岡山地方法務局人権擁護課 700-8616 岡山市北区南方1丁目3番58号 086-224-5761

鳥取地方法務局人権擁護課 680-0011 鳥取市東町2丁目302番地鳥取第2地方合同庁舎 0857-22-2289

松江地方法務局人権擁護課 690-0886 松江市母衣町50番地松江法務合同庁舎 0852-32-4260

高松法務局人権擁護部 761-8077 高松市出作町585-4 087-815-5311

徳島地方法務局人権擁護課 770-8512 徳島市徳島町城内6番地6徳島地方合同庁舎 088-622-4171

高知地方法務局人権擁護課 780-8509 高知市栄田町2丁目2番10号高知よさこい咲都合同庁舎 088-822-3331

松山地方法務局人権擁護課 790-8505 松山市宮田町188番地6松山地方合同庁舎 089-932-0888

福岡法務局人権擁護部 814-0005 福岡市早良区祖原14-15福岡法務局西新出張所庁舎5階 092-832-4311

佐賀地方法務局人権擁護課 840-0041 佐賀市城内2丁目10番20号佐賀合同庁舎 0952-26-2148

長崎地方法務局人権擁護課 850-8507 長崎市万才町8番16号 095-826-8127大分地方法務局人権擁護課 870-8513 大分市荷揚町7番5号大分法務総合庁舎 097-532-3368

熊本地方法務局人権擁護課 862-0971 熊本市大江3丁目1番53号熊本第2合同庁舎 096-364-2145

鹿児島地方法務局人権擁護課 890-8518 鹿児島市鴨池新町1番2号 099-259-0684宮崎地方法務局人権擁護課 880-8513 宮崎市別府町1番1号宮崎法務総合庁舎 0985-22-5124

那覇地方法務局人権擁護課 900-8544 那覇市樋川1丁目15番15号那覇第1地方合同庁舎 098-854-1215

入賞作文集 58

問合せ先一覧

法務局地方法務局名 郵便番号 所  在  地 電  話

札幌法務局人権擁護部 060-0808 札幌市北区北8条西2丁目1番1札幌第1合同庁舎 011-709-2311

函館地方法務局人権擁護課 040-8533 函館市新川町25番18号函館地方合同庁舎 0138-23-9528

旭川地方法務局人権擁護課 078-8502 旭川市宮前通東4155番31旭川合同庁舎 0166-38-1114

釧路地方法務局人権擁護課 085-8522 釧路市幸町10丁目3番地釧路地方合同庁舎 0154-31-5014

仙台法務局人権擁護部 980-8601 仙台市青葉区春日町7番25号仙台第3法務総合庁舎 022-225-5739

福島地方法務局人権擁護課 960-8021 福島市霞町1番46号福島合同庁舎 024-534-1994

山形地方法務局人権擁護課 990-0041 山形市緑町1丁目5番48号山形地方合同庁舎 023-625-1321

盛岡地方法務局人権擁護課 020-0023 盛岡市内丸7番25号盛岡合同庁舎 019-624-9859秋田地方法務局人権擁護課 010-0951 秋田市山王7丁目1番3号 018-862-6533

青森地方法務局人権擁護課 030-8511 青森市長島1丁目3番5号青森第二合同庁舎 017-776-9024

東京法務局人権擁護部 102-8225 千代田区九段南1丁目1番15号九段第2合同庁舎 03-5213-1234

横浜地方法務局人権擁護課 231-8411 横浜市中区北仲通5丁目57番地横浜第2合同庁舎 045-641-7926

さいたま地方法務局人権擁護課 338-8513 さいたま市中央区下落合5-12-1さいたま第二法務総合庁舎 048-859-3507

千葉地方法務局人権擁護課 260-8518 千葉市中央区中央港1丁目11番3号千葉地方合同庁舎 043-302-1319

水戸地方法務局人権擁護課 310-0061 水戸市北見町1番1号水戸地方法務合同庁舎 029-227-9919

宇都宮地方法務局人権擁護課 320-8515 宇都宮市小幡2丁目1番11号宇都宮地方法務合同庁舎 028-623-0926

前橋地方法務局人権擁護課 371-8535 前橋市大手町2丁目10番5号前橋合同庁舎 027-221-4426

静岡地方法務局人権擁護課 420-8650 静岡市葵区追手町9番50号静岡地方合同庁舎 054-254-3555

甲府地方法務局人権擁護課 400-8520 甲府市北口1丁目2番19号甲府地方合同庁舎 055-252-7239

長野地方法務局人権擁護課 380-0846 長野市旭町1108番地長野第2合同庁舎 026-235-6634

新潟地方法務局人権擁護課 951-8504 新潟市中央区西大畑町5191番地新潟地方法務総合庁舎 025-222-1564

名古屋法務局人権擁護部 460-8513 名古屋市中区三の丸2丁目2番1号名古屋合同庁舎第1号館 052-952-8111

津地方法務局人権擁護課 514-8503 津市丸之内26番8号津合同庁舎 059-228-4193岐阜地方法務局人権擁護課 500-8729 岐阜市金竜町5丁目13番地 058-245-3181

福井地方法務局人権擁護課 910-8504 福井市春山1丁目1番54号福井春山合同庁舎 0776-22-5090

問合せ先一覧 (法務局地方法務局)

59 第30回全国中学生人権作文コンテスト

問合せ先一覧

世界人権宣言啓発書画「鳥」「自由と解放」を表わしたもの 小木太法書オタビオロス画(財)人権擁護協力会提供

入賞作文集 60

すべての人間は生まれながらにして

自由でありかつ尊厳と権利とに

ついて平等である人間は理性と

良心とを授けられており互いに同胞の

精神をもって行動しなければならない

―――

世界人権宣言 第一条

―――

第三〇回

 全国中学生人権作文コンテスト

中央大会表彰式

印  刷 平成23年1月25日

発  行 平成23年2月14日

発 行 者 法務省人権擁護局

全国人権擁護委員連合会

東京都千代田区霞が関一丁目1番1号

電話 03(3580)4111 内線5875

URL httpwwwmojgojpJINKEN

第30回全国中学生人権作文コンテスト中央大会審査員

感想をお聞かせください本作文集を読まれた感想等を下記の連絡先又はkeihatsumojgojpまでお寄せください

無断転載を禁じます本作文集に掲載された作文や写真等を地方自治体が広報誌に掲載したり学校が教材に使用される場合などにはあらかじめ下記に御連絡ください

100-8977 東京都千代田区霞が関一丁目1番1号 法務省人権擁護局人権啓発課 TEL03(3580)4111 内線5875

作  家(審査員長) 落 合 恵 子映画監督 山 田 洋 次社団法人日本新聞協会事務局長 川 嶋   明日本放送協会解説委員室解説委員 南   直 樹文部科学省初等中等教育局視学官 三 好 仁 司全国人権擁護委員連合会長 中 村 浩 紹法務省人権擁護局長   井 忠 雄

(敬称略)

【式次第】

第一部

 会

主催者あいさつ

賞状授与

内閣総理大臣賞法務大臣賞

文部科学大臣奨励賞法務副大臣賞

法務大臣政務官賞

全国人権擁護委員連合会長賞

社団法人日本新聞協会会長賞

日本放送協会会長賞(以上各一名)

法務事務次官賞(三名) 計一一名

学校への感謝状贈呈

高円宮妃殿下おことば

来賓祝辞

第二部

各受賞作文の朗読

内閣総理大臣賞法務大臣賞

文部科学大臣奨励賞

全国人権擁護委員連合会長賞

社団法人日本新聞協会会長賞

日本放送協会会長賞

 評

全国中学生人権作文コンテスト中央大会審査員

 山田洋次氏

 落合恵子氏(ビデオレター形式)

第三部

新垣勉さんコンサート

 会 平成二二年一二月一八日(土)

午後一時三〇分〜三時五〇分

於ニッショーホール

「いじめ」や暴力行為等は人権侵害です

法務局地方法務局では

人権侵害による被害を受けた方を

救済するための活動を行っています

お気軽にご相談ください

女性の人権ホットライン

インターネット人権相談受付窓口

ゼロナナゼロのハートライン

0570-070-810

子どもの人権110番ぜろぜろななのひゃくとおばん

 0120-007-110

パソコンから httpwwwmojgojpJINKENjinken113html携帯電話から httpwwwjinkengojpsoudanmobile001html

インターネット人権相談 検 索

Human Rights法務省人権擁護局全国人権擁護委員連合会

人権イメージキャラクター人KENあゆみちゃん人KENまもる君

全国共通通話料無料

全国共通ナビダイヤル

この冊子は環境保護印刷の「水なし印刷」で印刷されています

第30回全国中学生人権作文コンテスト入賞作文集

法務省人権擁護局全国人権擁護委員連合会

人権イメージキャラクター人KENまもる君人KENあゆみちゃん

この冊子には音声コードが各頁(奇数頁 左下偶数頁 右下)に印刷されています専用の読み上げ装置で読み取ると記録されている情報を音声で聞くことが出来ます

Human Rights法務省人権擁護局全国人権擁護委員連合会

 全国中学生人権作文コンテスト入賞作文集

 全国中学生人権作文コンテスト入賞作文集

第30回

第三〇回

全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文集

法務省人権擁護局

全国人権擁護委員連合会

 

法務省と全国人権擁護委員連合会は人権尊重思想の普及高揚を図るための啓発活動の一環と

して昭和五六年度から「全国中学生人権作文コンテスト」を実施しています

 

本コンテストは次代を担う中学生が人権問題についての作文を書くことにより人権尊重

の重要性必要性についての理解を深めるとともに豊かな人権感覚を身につけることを目的と

して実施しているものです平成二二年度は本コンテストが第三〇回目という記念すべき年で

あることから平成二二年一二月一八日高円宮妃殿下御臨席の下東京都港区にあるニッショー

ホールにおいて多くの皆さまにお集まりいただき中央大会表彰式が行われました

 

本年度は各都道府県単位(北海道については札幌法務局及び函館旭川釧路の各地方法

務局単位)に実施された地方大会に六三一一校の中学校から過去最高となる八八万七〇一二

編にも及ぶ多数の作品が寄せられ中央大会には地方大会の審査を経た代表作品九二編が推薦

されました

はしがき

入賞作文集 2

はしがき

 

この作文コンテストへの応募作品はいずれも中学生らしい感性に富み純粋な感覚で人権問

題を捉えたものばかりであり応募された皆さまの真摯な姿勢には心を打たれるものがあります

 

また本年度はこの作文コンテストの輪が国際的にも広がり海外の香港日本人学校中学部

からも作品が寄せられました海外からの応募作品については残念ながら本選への応募とは

なりませんがこの中から代表作品として一作品を御紹介します

 

この作文集をより多くの方々に御愛読いただき人権尊重の輪が更に大きく広がることを願っ

てやみません

 

終わりにこの作文コンテストの実施に当たり多大な御尽力をいただいた全国各地の教育委

員会中学校等関係各方面の皆さま方に対し心から感謝を申し上げます

 

平成二三年二月

法務省人権擁護局

全国人権擁護委員連合会

3 第30回全国中学生人権作文コンテスト

はしがき

 【審査講評】

 【入賞作文】

内閣総理大臣賞

 「身近で無意識な人権侵害」

佐賀県佐賀市立東与賀中学校三年

江え

川がわ

 麻ま

理り

香か

10

法務大臣賞

 少しずつhellip一歩ずつhellip

兵庫県篠山市立西紀中学校三年 辻つじ

本もと

 桃もも

佳か

14

文部科学大臣奨励賞

 「差別のない世界へ」福島県福島市立渡利中学校一年 ローリンズ リコ

18

法務副大臣賞

 私の大好きなふる里

熊本県熊本県立八代中学校一年 井いの

上うえ

 由ゆ

紀き

子こ

22

法務大臣政務官賞

 「家族」とは何か

栃木県さくら市立喜連川中学校三年 大おお

田た

 葵あおい

26

目  次

入賞作文集 4

目  次

全国人権擁護委員連合会長賞

 忘れてはならないこと

群馬県群馬大学教育学部附属中学校三年 大おお

井い

 海み

琴こと

30

社団法人日本新聞協会会長賞

 ハンセン病について考えたこと

埼玉県学校法人立教学院立教新座中学校一年 久く

米め

 一かず

輝き

34

日本放送協会会長賞

 悔いのない最期を

山形県酒田市立松山中学校三年 櫻さくらだ田

 要かな

太た

38

法務事務次官賞

 差別のない社会に(パピーウォーカーの経験から学んだこと)

東京都小平市立小平第六中学校三年 林はやし 里り

咲さ

42

 祖父への靴下静岡県静岡大学教育学部附属浜松中学校三年 守もり

田た

 幸こう

平へい

46

 いじめをなくすために今

徳島県三好市立池田中学校三年 浦うら

谷たに

 毅たける

50

 【海外作品】

 国境をこえて

香港日本人学校中学部二年 村むら

瀬せ

 広ひろ

高たか

54

5 第30回全国中学生人権作文コンテスト

目  次

審査講評

落合 恵子

「時代のページをひらく」

 

二〇一〇年の年の暮れにこの講評を書いている

 

資料など紙類の最後の収集はいつだった 

明日 

明後日 

分別ゴミの収集日を確認しな

がらその前に新聞などの連載の仕上げがいつまで 

と年始休休が入るこの時期はなにか

と気ぜわしい

 

気分前のめり状態なのだがわたしたちの多くはゴミは出してしまえばそれで落着わ

たしの原稿も担当のかたにメールで送ってしまえば終わりである

 

けれどその向こう側にはこの寒空(今朝は特に寒さが厳しい)のもとわたしたちが出し

たものを集める仕事をされているかたがたがいるわたしたちが書いたものを印刷してくれるか

たがたもいるhelliphellip

入賞作文集 6

審査講評

 

こうしてひととひとはひとと暮らしは有機的に繋がっているのだと改めて思うのも年の

暮れだからなのかいや人権についての素晴らしい姿勢と視点に溢れた「あなた」の作品を今

朝もう一度読み返したせいなのかもしれない

 

第三〇回を迎えた全国中学生人権作文コンテスト全国(今回は海外からの作品もあったが)

の中学生の四人にひとりはこの作文を書いてくださったとうかがった

 

すごいことだ嬉しいことだ素晴らしいことだと心が震える

 

たとえばいま大人たちに人権に関する作文を書いてくださいと言ってどれほどのひとが

賛同し実際に書いてくれるだろう考えることと実行することの間には深い溝がある

 

それもこれほど瑞々しい感受性と論理性に裏打ちされた作品をである

 

毎回書いているような気がするがこの作文コンテストに選考委員のひとりとして加わる唯一

の苦しみは応募作品に順位をつけることにある

 

どれもがキラリと光る芽を持った作品にいったい順位をつけることが可能なのか読み手で

あり選考する側のわたしたち大人の「人権意識」がある意味試されているような緊張が

いつもある

 

何度も何度も読み返しそれでも迷うことがあることも告白しておこう

 

内閣総理大臣賞を受賞された江川麻理香さんの『身近で無意識な人権侵害』

 

入院先で出会ったひとから聞いた悪意不在のけれど「もうひとつの差別」

目が不自由であることから子どものように「扱われること」への居心地の悪さ

7 第30回全国中学生人権作文コンテスト

審査講評

についてそういった傾向がわたしたちの内にもないかを問い返した優れた作品で

ある

 

それは「される側」からの柔らかな異議申し立てであり問題提起でもある

認知症の母を自宅で介護していたおよそ七年間わたしも病院などで母にかけられ

る言葉がとても気になった言葉の多くが幼児へのそれに似ていて「優しく接すること」が

幼児言葉であるという習慣のようなものはわたしたちの暮らしの中のいろいろな場面にある

ひととして親切であることと相手に対する想像力を働かせることと幼児に向けてのような言

葉を使うことはまったく別なことなのだが

 

悪意不在であるがゆえにかえって問題提起しにくいテーマを江川さんは見事に拓いてくだ

さっている

 

辻本桃佳さんの作品目の不自由なお父様がある日電車の中で出会ったことを通して「個

人的な体験」を普遍的なテーマに広げ深めることに成功した作品だ

 

人種と「見た目」の違いをテーマにしたローリンズ

リコさんの作品水俣という愛する郷里

の酸鼻な歴史とそこから生まれた差別と偏見について丁寧に描いた井上由紀子さん事情があっ

て家族とは離れて暮らす大田葵さんが今考える拓かれた『家族』とはかつて偶然に出会っ

たひとたちが偶然を必然に変えて

4

4

4

4

4

4

4

4

4

新しい結縁の家族を作っていく小説を書いたわたしには特

に心に響く作品だった

 

文字数の関係ですべてに触れることはできないが心に響く作品たちを読んでいる間はささ

入賞作文集 8

審査講評

やかながら人権の活動をしてきた「かつての中学生のひとり」としてとても充たされた思いの

中にいた

 

ありがとうと心から「あなた」にお伝えしたい

 

そして若い季節に人権を自分に引き寄せこうして作品にまとめあげた体験は「あなた」に

準備されているたくさんの明日に光をもたらしてくれるはずhelliphellipと書いてふっと思う自分の

暮らしの核に人権を置くことは素晴らしいことであると同時にある意味ストレスを抱え込

むことでもあるのではないかとそれは気づいてしまうストレスでもある社会にはまだま

だ差別がある人権についてセンシティヴであればあるほどそれに気づき失望し傷つくこ

とも少なからずあるはずだ

 

それでもとわたしは「あなた」にお伝えしたい気づかない人生よりも気づく人生そし

て気づいたことを少しでも「拓いていく」人生のほうが容易ではないがはるかに充実してい

るはずだと

 

オーディオセットから大好きなクリスウィリアムソンとメグクリスチャンの曲が流れて

いるhelliphelliphellipわたしたちは新しい時代を作るため新しいページを開くために時代のステージ

にいま登ったところだとふたりとも歌を通してアメリカで人権の活動をしてい

るアーティストである海のこっち側のわたしたちもいま新しい時代のページを

開く時そのステージの上にいる

9 第30回全国中学生人権作文コンテスト

審査講評

内閣総理大臣賞

 

私が入院した時眼科や外科内科などいろいろな病状の患者さんと知り合いになった仕事

で足を骨折した人胃を悪くして入院した人目の手術を受けた人など年齢や性別職業も様々

でふだんあまり接することのない人たちと話す機会に恵まれた病気やケガの苦労話はもちろ

んのこと世代の違う人たちの話はとてもおもしろかった「人権」について考える時その中

の一人の患者さんのことが頭に浮かんだ

 

人権侵害とは障害者やお年寄りなど立場の弱い人たちに対する差別や悪意のある偏見か

らくるものだとばかり思っていたところがたとえ善意であっても思わぬところから人権の侵

害になっていることがあるのだと考えさせられたのであった

 

目の手術を受けたその人は母と同年代ぐらいの女の人だった目が不自由なことで周りの

江え

川がわ

 麻ま

理り

香か

佐賀県佐賀市立東与賀中学校 三年

「身近で無意識な人権侵害」

入賞作文集 10

入賞作文

人たちがとてもよくしてくれるのはいいがそのために困ったり悲しい思いをすることもあると

いうのだった私はこれまで人に優しく親切にすることはいわば常識であり当然のことだ

と思っていただけに大きなショックを受けた困った時に手を貸してくれるというのに悲しい

思いをするとはどういうことなのだろう私たちが親切のつもりでやっていることが迷惑になっ

ているというのだろうかお年寄りや障害者をいたわるのは当たり前でありそれは感謝される

ことはあっても迷惑に思うなどとは筋違いではないだろうかところがその人の立場から見

れば好意のつもりでもまるで小さな子どものように扱われたりこれは危険だからと勝手に

予測されて遠ざけられてしまったりと自分の意思とは関係なく何でも先回りされてしまうのが

悲しいのだそうだ目は悪くとも自分は子どもではないしできなくはないことにまで行き

過ぎた親切にひどく心を傷つけられるのだというまた相手がよかれと思ってくれていること

だけにそれを断ろうものならあからさまにいやな顔をされたり急に態度を変えられることも

あったりでかえって気を遣うのだそうだ

 

私ははっとした今まで手を貸す側から見ることはあっても逆の立場から考えたことはな

かったので大きな衝撃を受けたいつの間にか相手より自分を少し高い所に置いて見ていない

だろうか無意識のうちに相手のことを保護すべき弱者だとして見ていないだろう

か私は今中学生だがそれ以下の子ども扱いされると腹が立ついちいち細かい

ことまで制限されたり禁止されたりすれば確かにいい気持ちはしない同じよう

に障害者や老人に対して危険だ何だのとその人ができることまでをも禁止し

11 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

まだこぼしてもいない湯のみを取り上げるようなことをしてはいないだろうか

 

確かに弱者をいたわり手助けすることは人として当然であり必要なことで

あるしかし相手の気持ちや状況を考えずただ一方的に押しつけるだけの親切

はただの自己満足でしかない見えない人には見えない人なりのやり方や考え方が

あるのにそこに寄り添うための理解がないとしたらそれは人権を侵害しているといえないだ

ろうか

 

人は皆平等であるけれど環境や年齢身体能力などは同じではないだからこそ人とし

ての尊敬の念や思いやりいたわりの心を持って接することが大切なのだと思う

 

しばらく前の人権侵害とは人を自分より見下したりおとしめることで優越感を持つための

ものだったように思うそして今生活や文化が豊かになった現代では行き過ぎた親切やいた

わりが人の心を傷つけそれが新たな種類の人権侵害の一つになっていることもあるのだ「善意

イコール感謝されるべきもの」という考え方が全てに当てはまるとは限らないまた当ては

めようとしてはならないその人にとっての「いちばん」は何かひとりひとりを尊重するため

には本当に助けが必要かどうか出すぎたことをしていないかを見極めることも大切なのだと

思う

 「人権」について考えることそれはとても難しいことのように思えるが意外と簡単なこと

ではないだろうか同じ人間同士が並んで歩くための人と人との間の権利私たちが無意識のう

ちに作り出している優劣の壁を取り払うこと自分の価値観を人に押しつけないこと自分も相

入賞作文集 12

入賞作文

手も同じひとりの人間なのだとその

人の心に寄り添い理解し合う努力こ

そ人権を守る大きな力になると思う

13 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

 

十五年前父が篠山の町中を歩いているとこう言われた「そんな棒きれ振り回さんといて」

と父は決して棒きれを振り回していた訳ではないただ白杖を持って歩いていただけだそ

の話を聞いて私は驚いたたった十五年前のことだけど信じられない気持ちでいっぱいになっ

ただが十五年経った今ではそんなことはないだろうマスメディアが発達しいろんなハン

ディを持った人のことが紹介されたり障がい者の方自身が社会参加する機会が増えたからだと

 

そしてこんな話も聞いたことがある電車に乗った時に時間が知りたくて携帯電話を開い

たときのことだ「こんなとこで電話したらアカンやろ」と中年のおばさんに怒鳴られたそうだ

優先座席の近くだったということもあるが『目の不自由な人=白杖を持っている』という認識

は広まってきているが時間を知りたいときには音声が出る時計や携帯電話を使うということは

法務大臣賞

辻つじ

本もと

 桃もも

佳か

兵庫県篠山市立西紀中学校 三年

少しずつhellip一歩ずつhellip

入賞作文集 14

入賞作文

ほとんど知られていないのだそのとき父は説明しようと思ったがどうせ分かってもらえな

いと思い「すみません」と謝りとても悲しい気持ちになったそうだ見えている人は時間

が知りたければ時計を見ればすぐに分かるだが目が不自由だと音で聞くしかないのだ私は

障がい者が暮らしやすいような機器が発達してきていることをもっと社会に広めていくことが

必要だと思うそうすることで協力してくれる人や理解してくれる人が増えていくのではな

いだろうか

 

視覚障がい者の方が日常生活を送る上で給付や貸与される機器がある音声で教えてくれる

時計や体重計文章読み上げ器などがそれだこれらは以前県の基準で市が実施要綱を定めて

そこが窓口となって行われていたが法改正により各市区町村対応となったしかしこの日

常生活用具の中に健常な家族と同居している視覚障がい者には給付してもらえない物もあるの

だそれは体温計や体重計であったりするこの体温計がなければ家族が出かけている間に

体調が悪くなっても計測することはできないのだ

 

父の知り合いに赤ちゃんを連れた全盲のお母さんがいる体温を計るのに複数の体温計で赤

ちゃんの体温を計りその体温計に印をつけて病院まで持っていって見てもらったり家族が帰っ

てくるのを待って見てもらうことがあるそうだ私たちは簡単に体温を計ること

ができるが見えない人たちはそれができないために生命の危険にさらされてしま

うことがあるのだせっかく便利な機器が発明されても値段が高くて簡単に購

入できないもしくは制度のカベによってそのサービスが受けられないことがあ

15 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

るしかし私の住む篠山市では父たちの声が福祉課の方々に届き日本で初めて

音声式体温計が同居家族の有無にかかわらず給付されるようになったのである

 

今は携帯電話が音声で読み上げてくれてメールや時間GPSなどの便利な

機能を視覚障がい者の方も利用できるようになっただがそのことを知っている

健常者の方は全国にどれくらいいるだろうかまたこのことを知っている当事者である視覚障

がい者の方が全国にどのくらいいるだろうか私はまだ知らない人が多いと思う

 

ここ十五年程で視覚障がい者の人は白杖をついているということはほぼ知られてきたが生

活を助ける機器が発達してきているということは知らない人も多いだろうそれが「あの人は

目が動いているから見えている」とか「あの人はずっと目をつぶっているから見えていない」

「物を避けているから見えている」「物にぶつかっているから見えていない」という勝手な

思い込みで障がいの重さをはかることにつながっているのではないだろうかでもそれは間違っ

ている目を閉じれば視覚障がい者の疑似体験はできるでもそれはあくまでも体験であって

個人個人の見え方はそれぞれ違うし外見や行動で障がいの重度を判断するのは良くないと私は

思う同じような見え方ができたとしても全く同じ動きなんてできる訳ないのだから毎日父

と生活していてもどのくらい見えているのか私にもはっきり分からないなにげに父たちがこな

している日常の動作であっても私たち健常者にははかりしれない恐怖と不安努力があるの

だ誰でも目をつぶれば見えない世界を体験した気になる松葉杖をつけばその体験をした気

になる車イスに乗ればその体験をした気になるだが本当の障がい者の苦悩と努力の一部

入賞作文集 16

入賞作文

しか体験していないことを知ってお

いてほしい私たちには当たり前に

できるようなことがあってもどん

なに望んでもできない人たちがいる

ということとみんなの正しい理解と

知識が障がい者の明るい未来へとつ

ながっていくということを知ってほ

しいそしてこのことを広めていか

なければならない

 「少しずつhellip一歩ずつhellip」

17 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

 「Pick your 

head up」

 

これは父がいつも私にかけてくれる魔法の言葉です

 「顔をあげなさい下を向かない」という意味です

 

私の父は生まれも育ちもニューヨークのアメリカ人です女の子は父親に似るとよく言われ

ますが私もそうで日本人の母親よりも父の方に髪質も肌の色も本当によく似ています子供

が親に似ることはあたりまえのことですが私はそのためにいやな思い悲しい思いをいくどと

なくしてきました

 

初めて自分がみんなとちがうんだなと思ったのは幼稚園に入学してまもなくのことでした同

じ組の女の子たちが何人かして楽しそうに遊んでいたので

ローリンズ リコ

福島県福島市立渡利中学校 一年

「差別のない世界へ」

文部科学大臣奨励賞

入賞作文集 18

入賞作文

 「まぜて」

と声をかけると一人の子が言いました

 「このグループは日本人で髪がまっすぐな人しか入れないのリコちゃんは髪がチリチリだし

ハーフだからダメ」と

 

私はとても悲しくなりましたそしてそれは卒園するまで続きました

 

小学校は人数も少なかったせいかみんなとても仲良くて私の外見のことを言う人はだれ一

人いませんでしたまるで兄弟のようにみんな自然に接してくれましたでも習い事やいろい

ろな大会など他校の子たちといっしょになる場面ではやはり髪の毛や肌のことをからかわれ

ることはよくあることでした私には二学年上の兄がいますが兄もやはり父の方に似ています

おだやかな性格の兄は私以上につらい思いをしてきたと思います

 

父は兄や私の話を聞くたびに

 「Pick your 

head up」

と言いましたそして

 「自分に自信とほこりをもちなさいあなたたちは二つの文化を受けついでそれはとてもす

ばらしいことなんだよ」

といつも話してくれました

 

中学に入って間もないころでしたある男の子がいきなり私に向かって言いまし

19 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

 「おまえ風呂に入っているのか黒いぞ外国人はくさいからな」

 

私はとてもはずかしくなりましたそしていかりや悲しみがこみあげてきました

まわりにいた友達は彼の言葉に苦笑いをしていました私はいかりのあまり彼をな

ぐりたくなりましたその時私は父のあの言葉を思い出しました私は顔を上げ

相手の目を見て静かに自分の傷ついた気持ちを伝えました

 

彼は私に向かってこう言いました

 「ごめんわるかった」

 

彼は人を傷つけるということが彼の想像以上に重くそしてひどいことだと少し気付いたよう

でした

 

差別やいじめというのは私たちのまわりでは小さなことから大きなことまで本当によくあり

ますそして差別やいじめをしている側からすればそれをじょう談だという人も多いのです

まわりの人たちもやはりじょう談や遊びの中でのことにとらえてしまう人たちもとても多いので

すだから小学校の時から私たちは道徳などでいじめや人権などについて学んでいてもなかな

かそれがなくならないのだと思いますでも実際に差別やいじめをされている方はみんなの想

像よりはるかに傷ついているということつらいということそして悲しいということを私はこ

の人権作文を通してたくさんの人に知ってほしいのですけがをすれば日がたつごとにそのけ

がは治っていくでしょうまわりからも治っていく様子が見てわかるでしょうでも心に受けた

傷は本人にしかわからないのですその傷がどんなに深くて痛いものか本人にしかわからないの

入賞作文集 20

入賞作文

です

 

肌の色が違っていてもかみの毛が

違っていても私たちはみんな同じ人間

です心を持った人間です相手の気

持ちを思いやり相手の立場になって

考えればいじめや差別はなくなると

思います今も世界のいたるところで

人種差別が問題となり争いが起きてい

ます私は世界から差別やいじめがな

くなるように強い心を持ってまずは

自分から立ち向かっていきたいです

21 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

 

あなたには大好きなふる里がありますか私には緑の木々と青い海に囲まれた自然豊かな

大好きなふる里があります私のふる里は過去に公害という大きな被害をうけた水俣ですそ

の水俣病で患者はもちろんそうでない人も長い間差別をうけてきました

 

父が幼い頃まだ水俣病の原因が究明されておらず水俣病はうつると言われていました列

車が水俣の駅につくと窓をしめ手で口をおおった人もいました修学旅行に行くと同じ宿

舎になった学校から苦情を言われたこともありました水俣出身ということで結婚を断られた人

や就職試験をうけることさえできなかった人もいました水俣に住んでいることをかくして隠

れるようにひっそり暮らしていた人もいましたまた同じ水俣に住む人でさえ奇病と呼び距

離をおきましたそのことでたくさんの人々が傷つきあってきたのですいろいろな立場の人々

井いの

上うえ

 由ゆ

紀き

子こ

熊本県熊本県立八代中学校 一年

私の大好きなふる里

法務副大臣賞

入賞作文集 22

入賞作文

がせまい土地に住んでいるのですから仕方がなかったのかもしれません

 

しかし今では原因も究明され海の安全も確認されたことでそのようなことはほとんどな

くなりました私たちは過去のことを忘れるくらい楽しくすごしています

 

私は今八代の中学校に通っています私は自分が水俣出身ということを隠すこともありませ

ん友だちもまたそのことを知っていますがからかったりいじめたりする人は誰一人いません

 

しかし先日水俣の中学校のサッカー部が練習試合中に相手チームの選手から

「さわるな水俣病がうつる」

と言われたという記事が新聞にのっていました今でもこういう風に思っている人がいるのか

と思うと残念で仕方ありません何気なく言った一言だったのかもしれませんがその一言は

私たち水俣に住む者にとって非常に悔しく悲しいものでした

 

小学校の総合的な学習の時間で水俣病について学習しました原因となった会社を訪問したり

患者の方から当時の話をきいたり交流も行いましたそんな中で苦労されたり何も言えずに

黙って亡くなった人のことを知り水俣に住んでいながら何も知らなかったことをはずかしく思

いました水俣病についてしっかり学び正しい知識を得ることが差別や偏見をなくすのだと気

付きました

 

中学校の道徳の時間ではハンセン病について学習しましたこれも水俣病同様

正しい知識がなかったためにおきた悲しく悔しい悲劇でした

 

私たちが差別や偏見をなくすためにできることそれはその人その出来事に

23 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

ついてしっかり知ること知ろうと努力すること正しい知識を深めるために学習

することではないかと思いますそうすれば水俣病やハンセン病のようにむや

みに人と人とが傷つけあったり憎しみあったりすることはなくなるのではないで

しょうか

 

先日テレビで水俣のダイバーが紹介されましたその人は本当はほこりたい水俣を心の中

にじっとしまいこみ誰にも言えず何年もの間生きてきた人でしたしかし水俣の地にも

どり自分はこのすばらしい美しいふる里を紹介したいと海にもぐり写真をとり続けておら

れるそうです心に差別という深い傷を負いながら水俣の再生を皆に知らせたいと頑張る人

がいることに感動しました

 

今水俣はごみの分別リサイクル事業など市民全員で環境にやさしい町づくりをすすめてい

ます私は差別や偏見から立ちなおり再生しようと環境問題に一生懸命とりくんでいるふる

里水俣をほこりに思っています

 

水俣では運動会等多くの行事で「水俣ハイヤ節」というものが踊られますこれは水俣病

の患者の方が水俣の青い海と豊漁を願って振りつけをされた踊りだそうです私たちと同じ思い

をする人が二度とでないことを祈りながら私たちは毎年皆でこの踊りを踊ります

 

水俣の悲しい過去を変えることはできませんが私はあやまちを二度とくりかえさないため

にこの美しい自然を守り真実を語り継いでいきたいですそして差別や偏見のない社会に

なるよう自分から努力していきたいと思います

入賞作文集 24

入賞作文

25 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

 

みなさんは「本当の『平和』とは」と質問されたら何と答えますか「戦争や紛争などが

ないこと」ですかそれとも「自分自身の幸せのこと」ですか一人ひとりの抱く「平和」のイ

メージは違うことでしょう

 

僕の思う本当の「平和」それは「家族」がいて「家庭」があることだと思いますなぜそう

思うかというと今僕は訳あって家族とは離ればなれに暮らしているからです一歳前後には既

に家族とは離れ施設にいました母親や姉兄の存在はわかっていますが一緒に過ごした時

間は限られたもので今でもほとんど交流はありませんそのせいか僕はいつも「家族」や「家

庭」というものに強い憧れを抱いています

 

自分がまだ幼い頃は自分と同じくらいの子が母親と手をつないでいる姿がとてもうらやまし

大おお

田た

 葵あおい

栃木県さくら市立喜連川中学校 三年

「家族」とは何か

法務大臣政務官賞

入賞作文集 26

入賞作文

「どうして自分には母親がいないんだろう」と思っていました仕舞いには自らの母親を恨ん

でしまったのです小学生になってもその気持ちは変わらず母親への恨みは増すばかりでした

 

しかし小学五年生の夏思いもよらぬ出来事が起きましたそれは引っ越しがあったこと

ですそこで僕は新しい土地そして新しい里親という人たちに出会いました里親の人たち

と暮らした数年間僕は幸せでしたそこで僕は僕の周りにはいつも支えてくれる人たちがい

ることに気づきました血のつながりがなくても僕に自分の子どものように接し育ててくれ

た里親の人たち養護施設の先生方などたくさんの方たちに僕は見守られて成長してきたこと

に気づいたのです僕を支えてくれる人すべてに感謝の気持ちがわき出てきましたそれ以来

僕は親という存在にこだわらなくなりましたそれどころか自分に命を与えてくれた親に感謝

の思いを抱くようになったのです

 

この夏母親の育児放棄が原因で二人の乳幼児が衰弱死するという悲しい事件がありました

二人の子どもにろくに食事も与えず風呂も入れなかったそうですさらに逮捕後その母親は

「家に帰ってあげなかったことを今も後悔している子どもは私を恨んでいると思う」

という言ってはならない発言をしました僕は怒る前に亡くなった二人の子ども

たちがかわいそうでなりませんでした

 

と同時に僕はこの母親はどうしてこのようなことをしてしまったのだろうと

すごく考えさせられました僕は本来親は子どもを殺すのではなく守るために

27 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

いるのだと考えますたとえ小さな子どもでも立派な一人の人間ですその命を

守り育てていくことが親として大切な役目だと思うのですこの母親はどこで

勘違いしたかは知りませんが親としての自分の責任を理解していなかったのでは

ないでしょうか

 

そしてその勘違いを誰も母親に気づかせてあげられなかった事実母親が一緒に遊び歩いて

いた友人はもちろん母親の家族が少しでも助けることができていたら母親の行動を戒めるこ

とができていたら連絡を受けた児童相談所がもう少し踏み込んだ行動が取れていたらこのよ

うな悲しい結末にはならずに済んだのではないでしょうかやりきれない思いばかりがこみあげ

てきます

 

もう一つこの母親は大きな勘違いをしていますそれは「子どもは私を恨んでいると思う」

という言葉です僕はこの子どもたちが母親を恨んでいるとは思えません子どもたちは母

親が帰宅するといつもハイタッチをして喜んで迎えたそうです子どもたちは母親のことが大

好きだったのでしょうたとえ自分たちを見放した母親でも恨んでいるとは決して思えないの

です

 

子どもは心の底から自分の母親のことを恨めないと僕は思いますこの世に生を受け笑った

り怒ったり泣いたりと毎日いろいろな経験ができるのは自分を生んでくれた母親という存在

があったからです正直僕も小さい頃は母を恨んだことがありました愛情の裏返しというよ

うに母親への思いが憎しみに変化してしまったのですでも心の底には母への恨みとは全く

入賞作文集 28

入賞作文

正反対の気持ちが存在し続けていましただ

からこそこの子どもたちがどんな思いで死

んでいったのかわかるような気がします母

親を信じひたすら母親の帰りをまちわびて

いた思いが

 

僕にとっての「家族」それは同じ屋根の

下で暮らす人々のことですたとえ血はつな

がっていなくても僕を支え励ましてくれる

人たちそのすべての人が僕にとっての大切

な「家族」なのです今僕の暮らす養護施設

にはいろいろな事情を抱えた二歳位から高

校生までの子どもたちや職員の方が約六十人

います今の僕には全員大切な「家族」で

す僕はこれからもこの「家族」を大切に

一日一日精一杯平和に生きていきたいです

29 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

 

授業でハンセン病について学んだ日両親と「偏見」や「差別」について口角泡を飛ばす議論

を深夜まで繰り広げた身体障害者の父と看護師の母を持つ私は幼い頃から「命の大切さ」を

訴える両親の姿を見て育って来たそんな私は真摯な気持ちからハンセン病罹患者と向き合い

たいと思いこの夏草津にある療養施設栗生楽泉園を訪れた

 

草津までの道のり私は罹患者の気持ちを絶えず考えていたハンセン病について調べると「ら

い予防法」により罹患者は隔離され人権を無視された扱いを受けたことが分かった罹患者の

言葉が書かれた本ではどんなに過酷な仕打ちを受けたか他人をどれほど恨み憎んでいるか

が書かれていたその為私は無意識の内に「罹患者は全員恨みを抱いている」と勝手に思い込

んでいたしかしこんな思い込み自体が偏見や差別を生む原因になるということを後に思い知

大おお

井い

 海み

琴こと

群馬県群馬大学教育学部附属中学校 三年

忘れてはならないこと

全国人権擁護委員連合会長賞

入賞作文集 30

入賞作文

らされることになるのである

 

私を迎えてくれたのは入園者自治会長の藤田三四郎さん藤田さんは大変お元気でその容姿

からはハンセン病を伺い知ることはできなかったしかし藤田さんは紛れもない罹患者なのだ

その証拠に藤田さんの名は本名ではない罹患者は施設に入所するにあたり偽名を使用させら

れたと言うつまりその時点で罹患者は世間から存在を消されてしまうのであるそんな藤田

さんから語られた話はハンセン病だと宣告され三度も命を絶とうとしたこと重症患者の看

護を押しつけられ数え切れない人を看取り自らの手で葬ったこと家族が受けた迫害や侮辱的

な言葉など想像を絶するもので筆舌し難いものだったしかしこんな迫害と差別は同時にハ

ンセン病患者達の人権回復闘争の歴史でもあったのだ闘争の末「らい予防法」が廃止される

と今まで差別や人権侵害を繰り返していた多くの人が掌を返す様に態度を変えたと言う私は聞

いていて怒りを覚えたが不思議なことに耳を塞ぎたくなる様な内容を語る藤田さんからは全

く怒りや恨みが感じられないのだ私は話を聞くまで自分の運命を呪い周囲への恨みつらみ

の言葉が出てくるとばかり思っていたしかし出てきた言葉は「入園出来て良かった差別は

受けたが今では恨みを抱く罹患者も少なくなったそればかりか最近はたくさんの人が我々を

理解し協力してくれるので嬉しい何故なら一人の百歩は力が無いが百人の一歩

は力になるから」と言う感謝の言葉だったのだ本当に「恨みは無いのか」と何度

聞いても答えは同じだった私は恥ずかしくなったハンセン病について調べ罹

患者の心を理解したようなつもりでいながら実は何も理解できてなくてそれば

31 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

かりか罹患者を偏見の眼で見ていたのは私自身だったのだ私は話を聞いてとめ

どなく溢れ出る涙を拭いながら心の片隅に潜んでいた「偏見と言う名の種」が身

体から洗い流されていくのを感じていたそれは同時に「思い込みや無知が偏見

や差別を生みだす」ことを強く感じた瞬間でもあったそれだけに藤田さんの「自

分と同様に他人を愛すればいつか必ず世界から差別はなくなる他人を愛して下さい」の慈愛に

満ちた言葉が一層重く腑に落ちるのだった

 

帰りがけ千五百ページにも及ぶ「入所者証言集」を手渡されたその際私は見えない襷も

手渡された気がしたその襷とは証言集に記された罹患者の「事実を風化させないで私達の事

を忘れないで」という搾り出すような叫び声とその姿だったのである

 

ハンセン病が治る病気であるのに誤った知識から悲惨な人権侵害が長期に渡り続いた同じ間

違いを繰り返さないためにも事実を語りついで行く必要があるここ楽泉園でも高齢化が進み

証言者の数が減っているこれは全国一五全てのハンセン病療養所に共通することだハンセン

病問題は罹患者がいなくなればそれで終わると言う問題ではない今後人権問題を考える際重

要な指針になりうる事実なのだそしてこの事実の風化を防ぐことが私達若い世代の役目だと

私は思う

 

私は小六の時友人達から突然イジメを受けたそれを引きずり他人を恐れ憎み自分を

嫌って生きて来たしかし罹患者の声が私に生きる力と前を向いて歩む勇気を与えてくれた

楽泉園訪問は私に人生観が変わる程の衝撃を与えてくれたのだこんな私だが罹患者の声を伝

入賞作文集 32

入賞作文

える「百人の中の一人」にはなれるはず

だそのために私は今この作文を書い

ている文字は時を越えて生き続けるか

ら私はこれからも楽泉園訪問を続ける

つもりだ実際に中学生の私が出来るこ

とには限りがあるが差別や偏見を少し

でも減らすために一歩を踏み出すつもり

でいる「自分と同様に他人を愛すれば

いつか差別は無くなる」と言う藤田さ

んの言葉を胸に

33 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

 

森に囲まれたその一画には教会や寺院神社があり小さなショッピングセンターやレスト

ランもある床屋や図書館郵便局や浴場もあるしかしそれらの施設を利用するのはその一

画に住む人たちだけだ緑の外側に住む人が利用することはないそこはハンセン病の療養所

多磨全生園である

 

僕は七年前に清瀬市に引っ越してきた夏のある日昆虫が大好きな僕は何気なくその森の

中に入って行ったそして歩き回っているうちにその場所が一つの「町」であることに気付

いた

 

毎日セミやカマキリやナナフシを探しながらどうしてこんな所があるのだろうと思った

 

僕が一番不思議に思ったのは古い木造の小学校だいつも誰もいない校舎と小さな運動場近

久く

米め

 一かず

輝き

埼玉県学校法人立教学院立教新座中学校 一年

ハンセン病について考えたこと

社団法人日本新聞協会会長賞

入賞作文集 34

入賞作文

くに小学校があるのにどうしてこんな所に小学校があるのだろう小学一年生の僕はとても不思

議に思った

 

夏に地域交流を目的とした盆踊りと花火大会が行われるいつもは人のいない小学校跡は多く

の人であふれかえり普段は見かけない重い後遺症の老人たちもこの日は外に出て盆踊りを楽し

む初めて参加したときは言葉が出なかった正直「怖い」と思った

 

夏が来るたびに僕は盆踊り大会に参加した低学年から高学年へと進むにつれて少しずつハ

ンセン病のことが分かってきた

 

六年生のときに社会科見学で全生園の元患者を訪れることになっただが僕は都合で参加で

きなかった僕はそれをずっと悔やんでいる

 

今年の夏僕はハンセン病資料館に出かけた見学者は僕一人でとても緊張したなるべく

音を立てないようにパネルを見て回った

 

強制隔離の現実にとても驚いた狭い部屋に押し込められ症状の軽い患者が重症の患者の世

話をしたという子供を持つ権利や生まれる赤ん坊の命まで奪われていた逃げ出したり反抗的

な患者は「不良患者」と呼ばれ窓の小さな暗い監房に閉じ込められた

 

医学が進歩し療養所も徐々に改善されていったが強制隔離を命じる「らい予防

法」が廃止されたのは一九九六年だという隔離が始まった一九〇八年から約九〇

年も経っていた僕が生まれるほんの一年前のことである特効薬が開発され本

格的な治療が始まったのは昭和二十二年である現実に合わない法律を廃止するの

35 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

にどうしてそんなに時間がかかったのだろうか

 

資料をもらってハンセン病資料館を後にした家を出るときは帰りに虫の観察

をするつもりだったがとてもそんな気にはなれなかったいつもセミが集まる桜

の木には目もくれずに早足で家に帰った

 

資料の中で一番心が痛んだのは療養所の子供たちのことだ療養所に入所したのはハンセン

病を発症した子どもたちだけではない親が発症したために入所する子どもたちもいた当時は

ハンセン病は遺伝病だとされていたからだ親から無理やり引き離された子どもたちは「すぐに

帰れるから」という言葉を信じていたというしかし一生療養所を出ることができなかった人が

多かったという社会的な差別がひどかったからだと資料に書かれていたが僕には実感がわか

なかったのでもう少し調べてみることにした

 

図書館で『ハンセン病を生きて』(伊波敏男著)という本を見つけた少し難しかったが差

別の現実が僕にもわかる部分があったそれは元患者たちに対して書かれた匿名のひどい手紙

である長年隔離されて苦しんできた人たちをさらに傷つける言葉が並んでいた悲しく暗い

気持ちになった

 

日本は経済大国として世界の注目を浴びているだが人権意識の面ではどうだろう「らい

予防法」を二〇世紀の末まで廃止できなかったことをどう考えたらよいのだろうか明治時代に

隔離が始まったときそれは外国に対する体面を保つためだったという病気の人を治療するの

ではなく「隠す」のが目的だったのだいまだに差別意識を持つ人がいるのは社会がそうした

入賞作文集 36

入賞作文

過去に対する反省をしていないから

だと思う

 

僕が不思議に思った小学校はすで

に取り壊されて今では小さな石碑

だけが残っている老朽化がひどく

残しておくことができなくなったか

らだという全生園の古い建物はど

んどん取り壊されていく石碑だけ

ではあの不思議さが伝わらないのが

とても残念だ

37 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

 

僕の曾祖父は医者嫌いでしたそのため腹痛で病院に運ばれた時は膵臓癌の末期で余命三ヶ

月でした手術もできない手遅れの状態でした家族皆で話し合い曾祖父の辛い気持ちを第一に

考え曾祖父に病を隠すことになりました曾祖父は次第に病院の中を歩いては転倒し体中あ

ざだらけになりベッドの上で縛られることになっていました曾祖父は病名の宣告を受けてい

ないため元気で歩けると思っているが実際歩くと転んでしまう何でこんな風になってしまっ

たのかさえわからない

 

家族と病院に行くと「包丁もてこいこれぶった切って家さ帰る」と騒いでいましたあん

なに優しかった曾祖父の姿に言葉も出ず恐いくらいでした何も知らされずベッドに縛り付

けられれば誰もがそうなることでしょう「じいちゃんどご一緒に車さのせでいてくれの」と

櫻さくらだ田

 要かな

太た

山形県酒田市立松山中学校 三年

日本放送協会会長賞

悔いのない最期を

入賞作文集 38

入賞作文

せがまれたときもありますかわいそうで涙がポロポロこぼれました「おじいちゃんどご家

さ連れで帰ろうよ」とせがんでも家族も仕事で忙しいためか誰も首を縦に振ってくれず病院

にいた方が安心ということになりました膵臓癌は予想以上に激しい痛みのため医師から強い

痛み止めと強い睡眠剤を勧められましたがそれを導入することにより安楽死に近い状況にな

ることも医師から告げられていました家族は決断をせまられました曾祖父に相談もせずに決

めていいことなのか家に帰りたい曾祖父の意志は封じ込められたままでいいのか家族で悩み

ました結局痛みに耐えている姿は見ていられなくその薬を使うことになりましたその後

曾祖父は次第に弱っていき口も利けなくなり静かに亡くなっていきました僕はどこか心を

引きずったままでした僕達家族が曾祖父に宣告もせず意見も聞かず命の長さを決めてしまっ

たこと当時幼かった僕には何もしてあげられなかったことが今思い出しても残念です

 

最近授業で人権について学習しているときに幼い頃の記憶がよみがえりふと曾祖父のこと

を思い出しました

 

曾祖父はどんな思いで亡くなったのだろう最後に意識のあるうちに一度でいいから家に帰っ

てきたかっただろう身体拘束は今は病院でも禁止されていると思いますがあの頃は確かに曾

祖父のおなかに黒いベルトのようなものが巻きついていました決して自分の力で

は外せないようなものでしたもがき苦しむ曾祖父の姿を見た時に看護師さんに

目を隠され別の部屋に連れて行かれました見せたくない光景だったのだと思いま

すでもあの姿は僕の脳裏に焼き付いています病院の中での人材不足のためだっ

39 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

たのでしょうか人が人らしく生きていない姿でした

 

七十八年生きてきて何も悪いことをしていないのに縛られ家にも帰れない

病気で余命幾ばくもない人には人権というものは存在しないのでしょうか最近の

医療の現場では自己決定権があることについて学びました

 

仏壇に向かい静かに目を閉じると優しく穏やかに微笑む曾祖父の笑顔が浮かびますどんな

気持ちで亡くなっていったのかその気持ちを考えると苦しい気持ちになります野球の大会に

行く前仏壇に手を合わせます「やればできる努力しろ」とよく励ましてくれました曾祖

父の力には何もなれなかったけれど目には見えない力で応援してくれる曾祖父に線香をあげて

自分を省みる時があります曾祖母が元気なので曾祖父を助けられなかった分曾祖母の力に

なっていくことを曾祖父に約束しています

 

夏休み中のニュースで高齢者の所在不明者が多数のため百歳以上の安否確認調査をしていま

した自分の親を平気で捨て遺骨さえもひきとらない亡くなっていたのに年金を不正受給する

ために隠していたなど耳をふさぎたくなるような事件もありました犬や猫が年をとって弱っ

てきた手がかかるから面倒だからと捨ててしまうそれと同じ現象が弱い高齢者にも及んでき

ているのだと思います

 

やはりこの世に生まれてきたもの全てに自分の意志で生きることを決めていける権利がある

と思います長い年月を苦労や努力と向き合いながら精一杯生きてくれたおかげで今の幸せが

あることを忘れずにいたい人はいずれ誰でも年をとります自由に動けなくなった時に自分の

入賞作文集 40

入賞作文

願いが叶う社会を築き「悔いなく満足で楽しく幸せな人生だった」と思えるように人とし

ての誇りを持って満足できる最期を迎えられるように考えていきたいもう二度と僕が見た自

己決定権のない社会にならないように高齢者には今までの感謝の気持ちで本人の希望をでき

るだけ叶えられるように努力していきたいいずれ僕達も迎える高齢社会だからhellip

41 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

 

私は小学六年生の時から盲導犬候補の子犬を育てるボランティアをしています「犬を飼っ

てみたい」と言う私に両親が「せっかく犬を飼うのなら社会に役立つことをしよう」と提案

したからです生後二ヵ月の子犬を預かり一歳の誕生日を迎えるまで世話をするのがボランティ

アの役目です初めて訓練士さんから子犬を手渡された時は不安でドキドキしましたが子犬は

すぐに私の腕の中で眠ってしまいました初めて会った私のことを信頼して安心しきった寝顔

で眠っている姿は本当に可愛かったですラブラドールの子犬はとてもやんちゃで私の家にやっ

て来たその日からいたずらばかりしていましたがしかられてもクヨクヨせずどんな相手にも

 林はやし

 里り

咲さ

東京都小平市立小平第六中学校 三年

差別のない社会に

(パピーウォーカーの経験から学んだこと)

法務事務次官賞

入賞作文集 42

入賞作文

フレンドリーに近づいていく姿から私は明るく前向きに生きることを教わりました子犬たち

と過ごした日々は私にとって一番の宝物ですそしてあっという間に一歳の誕生日がやって来ま

した誕生日が悲しいという経験は初めてでした訓練所への入所日の前日には長い長い散歩を

して最後のお別れをしました「今までありがとう」そう言った私のことを不思議そうに見てい

た子犬の顔が今も目に焼きついています別れは本当につらいけれど涙を見せたら子犬が心配す

るので頑張って笑顔で見送りました

 

私の家で育てた一頭目の子犬は現在盲導犬になって頑張っていますそして今年四月に巣立っ

ていった二頭目の子犬は神奈川にある訓練センターで訓練中です

 

このボランティアを通して私は多くのことを学びましたまず盲導犬の役割ですがこれは単

に目の不自由な方が便利に一人でどこへでも行けるようにするためだけではありません視覚障

がいのある方にとって人の手をわずらわせるのはとてもつらいことなのだそうですたとえ家

族に対してでも「迷惑をかけるのではないか」と思って我慢することが多く「私なんかいない

方がいいんじゃないか」と考えてしまうこともあったといいますその失われそうになった尊

厳を取り戻す手助けをするのが盲導犬の役目なのです犬は訓練を共にするパートナーのことを

大好きになるので「自分は他者からこんなにも大好きになってもらえる存在なん

だ」と気づいて自信を取り戻し新しい一歩を踏み出せるようになるのだそうです

 

また私がボランティア登録している日本盲導犬協会では二〇〇八年に新しい

試みが始まりました受刑者が盲導犬候補の子犬を育てる動物を介在した日本初

43 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

の教育プログラムです罪を犯した人も心から反省してきちんと罪を償えば社会

は差別することなく受け入れるべきですしかし実際はとても偏見が多く元受刑

者たちは「どうせ自分はだめな人間なんだ」と思い再び罪を犯してしまう悪循環

が起こっているそうですその悪循環を断ち切り受刑者たちがスムーズに社会復

帰を果たせるよう支援するのが「あさひ盲導犬パピープロジェクト」です受刑者たちは約十ヵ

月の間子犬たちを世話しながら一緒に過ごし「役に立つ喜び達成する喜び信頼される喜び」

を感じることで自分の価値を再確認するのだそうです今年一月に第一期のプロジェクトを修了

した受刑者の感想に次のようなものがありました

 「今後自分もパピーに笑われないようにきちんとしなければならないパピーは慈しむこと

寛容の心を教えてくれました」

 

犬は決して差別をしません健康な人にも障がいのある人にもお金持ちにも貧しい人にも

権力のある人にも犯罪を犯した人にも全く同じように接してくれますそんな犬たちと一緒に過

ごすことで自信をなくした人たちも自分のことをかけがえのない大切な存在であると思えるよ

うになるのです

 

私たち人間も差別のない社会をつくる努力をしなければならないと思います一人一人が相

手を大切に思う心を忘れなければこの社会はもっと住み良い場所になるはずです私はこのボ

ランティアを通して学んだことを生かしてこれからも一層努力していきたいと思います

入賞作文集 44

入賞作文

45 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

 

僕は祖父のために自助具を作ろうと思った祖父は去年の夏脳梗塞で倒れた祖父は一命

を取り留めたものの右手と右足がまひしてしまったのだその三週間前僕も車椅子から転倒し

て足を骨折した

 

僕には障害がある車椅子で生活することが多いしかし僕のことを障害者だといって差別

するような友達は一人もいない

 

祖父は歩けるようになりたいという気持ちが強かっただからリハビリを頑張り自分で

歩けるようになるまで回復した頑張っている祖父がかっこいいと僕は思った祖父はリハビ

リを頑張ったにも関わらず右手がうまく動かせなくなってしまっただからご飯を食べる時も

服を着替える時も時間がかかる普段何気なくやっていた動作がとても大変だと祖父は言ってい

守もり

田た

 幸こう

平へい

静岡県静岡大学教育学部附属浜松中学校 三年

祖父への靴下

法務事務次官賞

入賞作文集 46

入賞作文

た僕も何か役に立てることはないかと考えた

 

僕の学校には総合学習という授業があるそこで僕は福祉というカテゴリーを選んだ自

分で社会に役立てることを考え実際に行動することが目標だった僕は障害者のために何が

できるかを考えた

 

僕は二年前に静岡文化芸術大学で障害者がいかに日常生活で不自由のない生活ができるかを

考えるプロジェクトがあるのを新聞で知ったそれは大学生たちが個人個人にあった自助具を

作るプロジェクトだった僕は障害者のために何かできるのではと感じた

 

僕は静岡文化芸術大学へ行って僕にもできることがないかと聞いたすると学生さんが

自助具を作ってみないかと声をかけてくれた僕は迷わず「はい」と言った障害者のために

役に立てることがあると思うとすばらしいことだと思ったからだ

 

祖父のつらい顔を見ると日常生活に数々の大きな壁があることが伝わってくる

 

僕は祖父の数々の大きな壁を突き破ろうと思った祖父のために自助具を考え作ろうと僕

は思った祖父が靴下の脱ぎ履きが大変だと言っていたことを思い出したそこで脱ぎ履きし

やすい靴下はできないか考えた靴下の両脇にひもを取り付けてそれを引っ張ると靴下が縮み

脱ぎ履きしやすくなる仕組みだ大学の先生も良いアイディアだと言って褒めてく

れたこれは障害者だけでなく健常者にも使えると言われたユニバーサルデザ

インだと分かった

 

ユニバーサルデザインは年齢や障害の有無にかかわらず全ての人が使いやす

47 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

いように工夫された用具などのデザインである境界がなくなるように健常者が障

害者に対する偏見を考え差別意識がなくなるチャンスだと思った障害者と健常

者が共によりよく生きることが大切だと僕は思った

 

自助具の作品展では杖をついているお年寄り車椅子に乗った若い女性目の

見えない人福祉関係者など沢山の人々が観に来ていた皆自分の生活を良くしようと思っ

ているようだったまた障害者のためにできることは何だろうかと考えている健常者もいるよ

うだった

 

二年生の時の総合学習では二箇所のデイサービスを訪問したデイサービスには六十五歳以

上のお年寄りがいた暗く元気のない人明るく振る舞い誰とでも話せる人など様々だった

しかし僕が一番印象に残ったのは笑顔を絶やさず優しくお年寄りに接していた介護士だった

お年寄りの中には悩みを抱えている人が多いそうだその悩みを解消させる人もまた介護士だっ

た僕は介護士がお年寄りの体を支えるだけではなく心もそっと支えて生きる喜びを与え

ているのだと感じた

 

現代は三世代で暮らす家族が減り核家族が増えているそれはお年寄りの世話が大変だ

からという理由が多いだから老人ホームやデイサービスに預ける人が増えていると僕には

思えたお年寄りの中には自分が嫌われているのではないかとさえ思ってしまう人もいるそう

だそれはお年寄りにとって辛く悲しいことだと思うある介護士がこんなことをおっしゃっ

ていた「人の優しさはお金では買えない」誰にでも優しい心があると思うしかしあと一歩

入賞作文集 48

入賞作文

のところで行動に移すことができない人が多いの

だ僕たちが平和な社会で暮らせるのは今まで

頑張ってきてくれたお年寄りのお陰であることを

忘れてはいけないお年寄りを大切にすることは

当たり前のことなのだ

 

また障害者に対しても偏見の目で見ないで

そっと近づいて手を貸してあげれば健常者との

高い大きな壁を崩すことができると思う

 

障害者にも高齢者にもまた健常者にも人権

はあるお互いの人権を大切にすることが明る

い未来に繋がっていくのだと思う

 

早く祖父に僕の作った靴下を届けたい

49 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

 

僕は小学校六年生まで福岡県に住んでいましたそこで僕が体験したことです五年生のこ

ろ僕の友だちのA君が同級生のK君の靴を隠したりからかったりしていることがよくあり

ました最初は僕もあまり気にしていませんでしたがK君のことを「なんだかかわいそう」と

思うようになりました

 

ある日僕は勇気をだして先生に「K君がいじめにあっています」と報告しました初め先生は

「じゃれ合っているだけだろう」と「いじめ」とは思ってくれませんでしたでもその後「いじ

め」と分かりA君は先生に注意されその日一日は反省した様子で過ごしていましたしかし

次の日学校に行くといじめは前以上にエスカレートしていて蹴ったりたたいたりするように

なりましたしかも「死ね」「うざい」「消えろ」などの言葉が飛び交うようになりそんな日々

法務事務次官賞

浦うら

谷たに

 毅たける

徳島県三好市立池田中学校 三年

いじめをなくすために今

入賞作文集 50

入賞作文

が続きました

 

それは六年生になっても続きました僕はそのいじめを止めることができず毎日見て見ぬ

振りをしていました今思うと自分がとても恥ずかしいです本当の友達なら止めるべきなの

にそれだけではなくいじめられているK君に声一つかけることができずにいました心の中

ではA君に「やめろよ」と言おうと思っていたけどなぜか勇気が出ませんでした次にい

じめられるのが自分になるのが恐くて言えなかったのです

 

そんな日々が続く中僕の気持ちを大きく変える出来事がありました父の死ですそのとき

のことは今でも忘れることができません聞いたときには頭の中が真っ白になりました最初

は信じることができませんでした一週間も二週間も学校に行けずただぼーっと過ごしてい

ましたいろんなことを考え徐々に「死」というものの悲しさつらさ「死」という意味の

重さがわかってきましたそして時間はかかりましたが「命は一瞬にして消え二度と戻っ

てこないものだだから命を大切に今を大切にしなければならない」と深く受け止めることが

できるようになりましたそして周りの子たちは僕のような経験がないから「死ね」とか軽々

しく言えるのだろうと思いこの気持ちを伝えなくてはならないと考えました僕が強くならな

くてはと思いました

 

こんな気持ちになったとき僕には時間がありませんでした母の実家がある徳

島への引っ越しが一週間後に決まっていたのです落ち込んでいる暇は無いと思

い学校に行った僕はA君に言いました「いじめなんかやめろよいじめたって

51 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

喜ぶ人はいないし悲しむ人がいるだけだろ自分だってほんとは嫌だろ『死ね』

とか『消えろ』とか言葉の重さを知らないのに言うなよ」と言いました父親の

突然の死そのあと僕が考えたことも伝えました

 

友だちは黙って聞いてくれました僕の言葉にうなずいてそのあとK君の

ところへ行き「ごめん言葉の重さも知らずに言って本当にごめんぜったいに死ねなんて

ことは言わないそしていじめは絶対にしないほんとうにごめん」とあやまりましたK君

はとても優しい笑顔で「いいよ」と一言言いました僕もK君に言いました

「今まで助けてあげられなくてごめん」

K君は笑顔で「ありがとう」と言ってくれました今まで自分の中でもやもやしていた気持ちが

スーっと晴れました

 

今も時々耳にする暴言冗談半分で言っているのかもしれませんしかしいついじめにつ

ながるかわかりません他人を傷つけることで自分のストレスを晴らそうとしているのでしょう

関係ないふりをしようとする自分がいます楽な考え方をする自分がいますそんな時亡くなっ

た父の顔やK君の優しい笑顔を思い出しますあの時の自分のように強い気持ちを持とう「や

めろよ」と一言言うするとまた気持ちがスーっとしてきました

 

父の分も頑張って生き抜こうと決めた僕にとって正しいことを素直に認め悪いことを否定

できる強い意志を持つことが目標ですそして何よりも命を大切に今を大切にしていきたい

と思っています

入賞作文集 52

入賞作文

53 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

 

ぼくは今まで四つの外国に暮らしいろいろな国の人たちの中で育ってきた

 

まずタイで生まれてタイ人のメイドさんやドライバーさんにいつも遊んでもらっていた

らしい一才になると週一回の体操教室にも通いタイ人の友達もいたそうだ

 

次にシンガポールでは初めてナサリースクール(保育園)に通いいろいろな国の友達と

知り合ったプレイルームにある滑り台を滑る順番争いでいつも勝つのは体の大きい金髪の友

達だった

 

一回目の香港生活では英語の幼稚園に通ったその時のぼくの一番の友達はカナダ人だった

彼とはよくベイブレードをして遊んだが父が日本の出張で買ってきてくれた独楽や剣玉をして

遊ぶこともあった

村むら

瀬せ

 広ひろ

高たか

香港日本人学校中学部 二年

国境をこえて

海 外 作 品

今回は本選への応募とすることはできませんでしたが

 海外から寄せられた作品のうち一作品を御紹介します

入賞作文集 54

海外作品

 

それからインドでは日本人学校に通ったが夏休みには毎年アメリカンスクールのサマー

スクールに参加したし日本人のいない現地のテニススクールにも入り二年間通ったまたイ

ンドの現地幼稚園に通っていた妹のベストフレンドはコンゴ人でその兄弟もぼくの友達だった

 

そして三年間の日本生活を経て今また香港に戻ってきた

 

このようにぼくはいろいろな国でいろいろな国の人たちのお世話になりいろいろな国

の友達と遊んで育った肌が真っ黒な友達もゲームの話をすればすぐに仲良くなれたし髪が

金色の友達もポケモンの話をすれば気が合ったぼくは小さい頃から英語はうまくしゃべれ

なかったけれどもジェスチャーをつけたでたらめ英語でも充分に話は通じただからいろい

ろな国の人たちの中でぼくが日本人だからといって差別されたり嫌な思いをしたりしたこと

はないしぼくも肌の色が違うからとか言葉が通じないからという理由で違う人間だと思っ

たことはないそうぼくは外国人を差別したことはない

 

しかし本当にぼくは外国人を差別したことがないのだろうか外国人を差別した発言を一

度もしたことがないかと考えると自信がない

 

例えば香港人には赤信号でも平気で渡る人がたくさんいるそれを見てぼくは

「香港人はしょうがないな」

と思うでもよく見ると香港人全員が信号無視をしているわけではないまた

世界には今でも戦争をしている国がいくつもある

「人を傷つけ合うなんて馬鹿げている」

55 第30回全国中学生人権作文コンテスト

海外作品

とぼくは悲しくなるでもそれも好きで戦っている人がいるとも思えないその

人たちがそうなったのには何かきっと原因があるはずだ

 

逆に外国人から見ると日本人はどのように思われているのだろう

 

インドから日本に帰国した時毎日ごみがたくさん出ることにぼくはとても驚

いたインドの人たちがよく使う道端にあるカレー屋さんではバナナの葉で作ったお皿にカ

レーを入れてくれる食べた後そのお皿を道に捨てるとのら牛がその葉っぱを食べるそして

牛のふんは燃料になるというそれに比べて日本はちょっと歩くとペットボトルの飲み物が

買えファーストフードのお店では使い捨ての食器を使い立派なお菓子の箱を開けると中身が

少なくてがっかりすることもあるある時母が捨てたジャムの空きびんをメイドさんとエア

コンの修理にきていたワーカーさんとが取り合ってけんかをしていたこともあったそれを見

てぼくはあきれてしまったが逆にインド人から見ると使い捨て文化のしみついた日本人は

とんでもない人間にみえるのかもしれない国によって考え方や行動パターンが違うのは歴史

的背景や宗教習慣気候などのいろいろなことが関わっているのだと思う

 

このように考えると差別とはその人の一部しか見ていないことや自分のやり方だけが正

しいと思うことからおきるのではないかと思うその人が自分とは違った行動をとったとしても

それには深い理由があるのだろうと考えればきっと納得できると思うぼくもこれからは否

定的な発言をする前にその人たちのことをいろいろな角度から見て理解する努力をしてみよう

と思う外国との間には自分の国とは違う言葉や文化という壁があるとみんな言うがそこに

入賞作文集 56

海外作品

あるのは壁ではなく橋だとぼくは思う理解

し合おうという気持ちがあればきっと誰でも

その橋を渡っていけるはずだ気持ちの国境を

こえるのにパスポートはいらないお互いを理

解し合おうと思う気持ちが一番大切だと思う

そしてぼくはこれから日本人として生きる

のではなく地球人として生きていこうと思う

57 第30回全国中学生人権作文コンテスト

海外作品

法務局地方法務局名 郵便番号 所  在  地 電  話

金沢地方法務局人権擁護課920-0024 金沢市西念3-4-1金沢駅西合同庁舎(平成23年3月11日まで) 076-231-1244

921-8505 金沢市新神田4-3-10金沢新神田合同庁舎(平成23年3月14日から) 076-292-7804

富山地方法務局人権擁護課 930-0856 富山市牛島新町11番7号富山合同庁舎 076-441-6376

大阪法務局人権擁護部 540-8544 大阪市中央区谷町2丁目1番17号大阪第2法務合同庁舎 06-6942-9492

京都地方法務局人権擁護課 602-8577 京都市上京区荒神口通河原町東入上生洲町197番地 075-231-0131

神戸地方法務局人権擁護課 650-0042 神戸市中央区波止場町1番1号神戸第2地方合同庁舎 078-392-1821

奈良地方法務局人権擁護課 630-8305 奈良市東紀寺町3-4-1奈良第2法務総合庁舎 0742-23-5457

大津地方法務局人権擁護課 520-8516 大津市御陵町3番6号大津法務総合庁舎 077-522-4673

和歌山地方法務局人権擁護課 640-8552 和歌山市二番丁2番地和歌山地方合同庁舎 073-422-5131

広島法務局人権擁護部 730-8536 広島市中区上八丁堀6番30号広島合同庁舎 082-228-5790

山口地方法務局人権擁護課 753-8577 山口市中河原町6番16号山口地方合同庁舎2号館 083-922-2295

岡山地方法務局人権擁護課 700-8616 岡山市北区南方1丁目3番58号 086-224-5761

鳥取地方法務局人権擁護課 680-0011 鳥取市東町2丁目302番地鳥取第2地方合同庁舎 0857-22-2289

松江地方法務局人権擁護課 690-0886 松江市母衣町50番地松江法務合同庁舎 0852-32-4260

高松法務局人権擁護部 761-8077 高松市出作町585-4 087-815-5311

徳島地方法務局人権擁護課 770-8512 徳島市徳島町城内6番地6徳島地方合同庁舎 088-622-4171

高知地方法務局人権擁護課 780-8509 高知市栄田町2丁目2番10号高知よさこい咲都合同庁舎 088-822-3331

松山地方法務局人権擁護課 790-8505 松山市宮田町188番地6松山地方合同庁舎 089-932-0888

福岡法務局人権擁護部 814-0005 福岡市早良区祖原14-15福岡法務局西新出張所庁舎5階 092-832-4311

佐賀地方法務局人権擁護課 840-0041 佐賀市城内2丁目10番20号佐賀合同庁舎 0952-26-2148

長崎地方法務局人権擁護課 850-8507 長崎市万才町8番16号 095-826-8127大分地方法務局人権擁護課 870-8513 大分市荷揚町7番5号大分法務総合庁舎 097-532-3368

熊本地方法務局人権擁護課 862-0971 熊本市大江3丁目1番53号熊本第2合同庁舎 096-364-2145

鹿児島地方法務局人権擁護課 890-8518 鹿児島市鴨池新町1番2号 099-259-0684宮崎地方法務局人権擁護課 880-8513 宮崎市別府町1番1号宮崎法務総合庁舎 0985-22-5124

那覇地方法務局人権擁護課 900-8544 那覇市樋川1丁目15番15号那覇第1地方合同庁舎 098-854-1215

入賞作文集 58

問合せ先一覧

法務局地方法務局名 郵便番号 所  在  地 電  話

札幌法務局人権擁護部 060-0808 札幌市北区北8条西2丁目1番1札幌第1合同庁舎 011-709-2311

函館地方法務局人権擁護課 040-8533 函館市新川町25番18号函館地方合同庁舎 0138-23-9528

旭川地方法務局人権擁護課 078-8502 旭川市宮前通東4155番31旭川合同庁舎 0166-38-1114

釧路地方法務局人権擁護課 085-8522 釧路市幸町10丁目3番地釧路地方合同庁舎 0154-31-5014

仙台法務局人権擁護部 980-8601 仙台市青葉区春日町7番25号仙台第3法務総合庁舎 022-225-5739

福島地方法務局人権擁護課 960-8021 福島市霞町1番46号福島合同庁舎 024-534-1994

山形地方法務局人権擁護課 990-0041 山形市緑町1丁目5番48号山形地方合同庁舎 023-625-1321

盛岡地方法務局人権擁護課 020-0023 盛岡市内丸7番25号盛岡合同庁舎 019-624-9859秋田地方法務局人権擁護課 010-0951 秋田市山王7丁目1番3号 018-862-6533

青森地方法務局人権擁護課 030-8511 青森市長島1丁目3番5号青森第二合同庁舎 017-776-9024

東京法務局人権擁護部 102-8225 千代田区九段南1丁目1番15号九段第2合同庁舎 03-5213-1234

横浜地方法務局人権擁護課 231-8411 横浜市中区北仲通5丁目57番地横浜第2合同庁舎 045-641-7926

さいたま地方法務局人権擁護課 338-8513 さいたま市中央区下落合5-12-1さいたま第二法務総合庁舎 048-859-3507

千葉地方法務局人権擁護課 260-8518 千葉市中央区中央港1丁目11番3号千葉地方合同庁舎 043-302-1319

水戸地方法務局人権擁護課 310-0061 水戸市北見町1番1号水戸地方法務合同庁舎 029-227-9919

宇都宮地方法務局人権擁護課 320-8515 宇都宮市小幡2丁目1番11号宇都宮地方法務合同庁舎 028-623-0926

前橋地方法務局人権擁護課 371-8535 前橋市大手町2丁目10番5号前橋合同庁舎 027-221-4426

静岡地方法務局人権擁護課 420-8650 静岡市葵区追手町9番50号静岡地方合同庁舎 054-254-3555

甲府地方法務局人権擁護課 400-8520 甲府市北口1丁目2番19号甲府地方合同庁舎 055-252-7239

長野地方法務局人権擁護課 380-0846 長野市旭町1108番地長野第2合同庁舎 026-235-6634

新潟地方法務局人権擁護課 951-8504 新潟市中央区西大畑町5191番地新潟地方法務総合庁舎 025-222-1564

名古屋法務局人権擁護部 460-8513 名古屋市中区三の丸2丁目2番1号名古屋合同庁舎第1号館 052-952-8111

津地方法務局人権擁護課 514-8503 津市丸之内26番8号津合同庁舎 059-228-4193岐阜地方法務局人権擁護課 500-8729 岐阜市金竜町5丁目13番地 058-245-3181

福井地方法務局人権擁護課 910-8504 福井市春山1丁目1番54号福井春山合同庁舎 0776-22-5090

問合せ先一覧 (法務局地方法務局)

59 第30回全国中学生人権作文コンテスト

問合せ先一覧

世界人権宣言啓発書画「鳥」「自由と解放」を表わしたもの 小木太法書オタビオロス画(財)人権擁護協力会提供

入賞作文集 60

すべての人間は生まれながらにして

自由でありかつ尊厳と権利とに

ついて平等である人間は理性と

良心とを授けられており互いに同胞の

精神をもって行動しなければならない

―――

世界人権宣言 第一条

―――

第三〇回

 全国中学生人権作文コンテスト

中央大会表彰式

印  刷 平成23年1月25日

発  行 平成23年2月14日

発 行 者 法務省人権擁護局

全国人権擁護委員連合会

東京都千代田区霞が関一丁目1番1号

電話 03(3580)4111 内線5875

URL httpwwwmojgojpJINKEN

第30回全国中学生人権作文コンテスト中央大会審査員

感想をお聞かせください本作文集を読まれた感想等を下記の連絡先又はkeihatsumojgojpまでお寄せください

無断転載を禁じます本作文集に掲載された作文や写真等を地方自治体が広報誌に掲載したり学校が教材に使用される場合などにはあらかじめ下記に御連絡ください

100-8977 東京都千代田区霞が関一丁目1番1号 法務省人権擁護局人権啓発課 TEL03(3580)4111 内線5875

作  家(審査員長) 落 合 恵 子映画監督 山 田 洋 次社団法人日本新聞協会事務局長 川 嶋   明日本放送協会解説委員室解説委員 南   直 樹文部科学省初等中等教育局視学官 三 好 仁 司全国人権擁護委員連合会長 中 村 浩 紹法務省人権擁護局長   井 忠 雄

(敬称略)

【式次第】

第一部

 会

主催者あいさつ

賞状授与

内閣総理大臣賞法務大臣賞

文部科学大臣奨励賞法務副大臣賞

法務大臣政務官賞

全国人権擁護委員連合会長賞

社団法人日本新聞協会会長賞

日本放送協会会長賞(以上各一名)

法務事務次官賞(三名) 計一一名

学校への感謝状贈呈

高円宮妃殿下おことば

来賓祝辞

第二部

各受賞作文の朗読

内閣総理大臣賞法務大臣賞

文部科学大臣奨励賞

全国人権擁護委員連合会長賞

社団法人日本新聞協会会長賞

日本放送協会会長賞

 評

全国中学生人権作文コンテスト中央大会審査員

 山田洋次氏

 落合恵子氏(ビデオレター形式)

第三部

新垣勉さんコンサート

 会 平成二二年一二月一八日(土)

午後一時三〇分〜三時五〇分

於ニッショーホール

「いじめ」や暴力行為等は人権侵害です

法務局地方法務局では

人権侵害による被害を受けた方を

救済するための活動を行っています

お気軽にご相談ください

女性の人権ホットライン

インターネット人権相談受付窓口

ゼロナナゼロのハートライン

0570-070-810

子どもの人権110番ぜろぜろななのひゃくとおばん

 0120-007-110

パソコンから httpwwwmojgojpJINKENjinken113html携帯電話から httpwwwjinkengojpsoudanmobile001html

インターネット人権相談 検 索

Human Rights法務省人権擁護局全国人権擁護委員連合会

人権イメージキャラクター人KENあゆみちゃん人KENまもる君

全国共通通話料無料

全国共通ナビダイヤル

この冊子は環境保護印刷の「水なし印刷」で印刷されています

第30回全国中学生人権作文コンテスト入賞作文集

法務省人権擁護局全国人権擁護委員連合会

人権イメージキャラクター人KENまもる君人KENあゆみちゃん

この冊子には音声コードが各頁(奇数頁 左下偶数頁 右下)に印刷されています専用の読み上げ装置で読み取ると記録されている情報を音声で聞くことが出来ます

Human Rights法務省人権擁護局全国人権擁護委員連合会

 全国中学生人権作文コンテスト入賞作文集

 全国中学生人権作文コンテスト入賞作文集

第30回

 

法務省と全国人権擁護委員連合会は人権尊重思想の普及高揚を図るための啓発活動の一環と

して昭和五六年度から「全国中学生人権作文コンテスト」を実施しています

 

本コンテストは次代を担う中学生が人権問題についての作文を書くことにより人権尊重

の重要性必要性についての理解を深めるとともに豊かな人権感覚を身につけることを目的と

して実施しているものです平成二二年度は本コンテストが第三〇回目という記念すべき年で

あることから平成二二年一二月一八日高円宮妃殿下御臨席の下東京都港区にあるニッショー

ホールにおいて多くの皆さまにお集まりいただき中央大会表彰式が行われました

 

本年度は各都道府県単位(北海道については札幌法務局及び函館旭川釧路の各地方法

務局単位)に実施された地方大会に六三一一校の中学校から過去最高となる八八万七〇一二

編にも及ぶ多数の作品が寄せられ中央大会には地方大会の審査を経た代表作品九二編が推薦

されました

はしがき

入賞作文集 2

はしがき

 

この作文コンテストへの応募作品はいずれも中学生らしい感性に富み純粋な感覚で人権問

題を捉えたものばかりであり応募された皆さまの真摯な姿勢には心を打たれるものがあります

 

また本年度はこの作文コンテストの輪が国際的にも広がり海外の香港日本人学校中学部

からも作品が寄せられました海外からの応募作品については残念ながら本選への応募とは

なりませんがこの中から代表作品として一作品を御紹介します

 

この作文集をより多くの方々に御愛読いただき人権尊重の輪が更に大きく広がることを願っ

てやみません

 

終わりにこの作文コンテストの実施に当たり多大な御尽力をいただいた全国各地の教育委

員会中学校等関係各方面の皆さま方に対し心から感謝を申し上げます

 

平成二三年二月

法務省人権擁護局

全国人権擁護委員連合会

3 第30回全国中学生人権作文コンテスト

はしがき

 【審査講評】

 【入賞作文】

内閣総理大臣賞

 「身近で無意識な人権侵害」

佐賀県佐賀市立東与賀中学校三年

江え

川がわ

 麻ま

理り

香か

10

法務大臣賞

 少しずつhellip一歩ずつhellip

兵庫県篠山市立西紀中学校三年 辻つじ

本もと

 桃もも

佳か

14

文部科学大臣奨励賞

 「差別のない世界へ」福島県福島市立渡利中学校一年 ローリンズ リコ

18

法務副大臣賞

 私の大好きなふる里

熊本県熊本県立八代中学校一年 井いの

上うえ

 由ゆ

紀き

子こ

22

法務大臣政務官賞

 「家族」とは何か

栃木県さくら市立喜連川中学校三年 大おお

田た

 葵あおい

26

目  次

入賞作文集 4

目  次

全国人権擁護委員連合会長賞

 忘れてはならないこと

群馬県群馬大学教育学部附属中学校三年 大おお

井い

 海み

琴こと

30

社団法人日本新聞協会会長賞

 ハンセン病について考えたこと

埼玉県学校法人立教学院立教新座中学校一年 久く

米め

 一かず

輝き

34

日本放送協会会長賞

 悔いのない最期を

山形県酒田市立松山中学校三年 櫻さくらだ田

 要かな

太た

38

法務事務次官賞

 差別のない社会に(パピーウォーカーの経験から学んだこと)

東京都小平市立小平第六中学校三年 林はやし 里り

咲さ

42

 祖父への靴下静岡県静岡大学教育学部附属浜松中学校三年 守もり

田た

 幸こう

平へい

46

 いじめをなくすために今

徳島県三好市立池田中学校三年 浦うら

谷たに

 毅たける

50

 【海外作品】

 国境をこえて

香港日本人学校中学部二年 村むら

瀬せ

 広ひろ

高たか

54

5 第30回全国中学生人権作文コンテスト

目  次

審査講評

落合 恵子

「時代のページをひらく」

 

二〇一〇年の年の暮れにこの講評を書いている

 

資料など紙類の最後の収集はいつだった 

明日 

明後日 

分別ゴミの収集日を確認しな

がらその前に新聞などの連載の仕上げがいつまで 

と年始休休が入るこの時期はなにか

と気ぜわしい

 

気分前のめり状態なのだがわたしたちの多くはゴミは出してしまえばそれで落着わ

たしの原稿も担当のかたにメールで送ってしまえば終わりである

 

けれどその向こう側にはこの寒空(今朝は特に寒さが厳しい)のもとわたしたちが出し

たものを集める仕事をされているかたがたがいるわたしたちが書いたものを印刷してくれるか

たがたもいるhelliphellip

入賞作文集 6

審査講評

 

こうしてひととひとはひとと暮らしは有機的に繋がっているのだと改めて思うのも年の

暮れだからなのかいや人権についての素晴らしい姿勢と視点に溢れた「あなた」の作品を今

朝もう一度読み返したせいなのかもしれない

 

第三〇回を迎えた全国中学生人権作文コンテスト全国(今回は海外からの作品もあったが)

の中学生の四人にひとりはこの作文を書いてくださったとうかがった

 

すごいことだ嬉しいことだ素晴らしいことだと心が震える

 

たとえばいま大人たちに人権に関する作文を書いてくださいと言ってどれほどのひとが

賛同し実際に書いてくれるだろう考えることと実行することの間には深い溝がある

 

それもこれほど瑞々しい感受性と論理性に裏打ちされた作品をである

 

毎回書いているような気がするがこの作文コンテストに選考委員のひとりとして加わる唯一

の苦しみは応募作品に順位をつけることにある

 

どれもがキラリと光る芽を持った作品にいったい順位をつけることが可能なのか読み手で

あり選考する側のわたしたち大人の「人権意識」がある意味試されているような緊張が

いつもある

 

何度も何度も読み返しそれでも迷うことがあることも告白しておこう

 

内閣総理大臣賞を受賞された江川麻理香さんの『身近で無意識な人権侵害』

 

入院先で出会ったひとから聞いた悪意不在のけれど「もうひとつの差別」

目が不自由であることから子どものように「扱われること」への居心地の悪さ

7 第30回全国中学生人権作文コンテスト

審査講評

についてそういった傾向がわたしたちの内にもないかを問い返した優れた作品で

ある

 

それは「される側」からの柔らかな異議申し立てであり問題提起でもある

認知症の母を自宅で介護していたおよそ七年間わたしも病院などで母にかけられ

る言葉がとても気になった言葉の多くが幼児へのそれに似ていて「優しく接すること」が

幼児言葉であるという習慣のようなものはわたしたちの暮らしの中のいろいろな場面にある

ひととして親切であることと相手に対する想像力を働かせることと幼児に向けてのような言

葉を使うことはまったく別なことなのだが

 

悪意不在であるがゆえにかえって問題提起しにくいテーマを江川さんは見事に拓いてくだ

さっている

 

辻本桃佳さんの作品目の不自由なお父様がある日電車の中で出会ったことを通して「個

人的な体験」を普遍的なテーマに広げ深めることに成功した作品だ

 

人種と「見た目」の違いをテーマにしたローリンズ

リコさんの作品水俣という愛する郷里

の酸鼻な歴史とそこから生まれた差別と偏見について丁寧に描いた井上由紀子さん事情があっ

て家族とは離れて暮らす大田葵さんが今考える拓かれた『家族』とはかつて偶然に出会っ

たひとたちが偶然を必然に変えて

4

4

4

4

4

4

4

4

4

新しい結縁の家族を作っていく小説を書いたわたしには特

に心に響く作品だった

 

文字数の関係ですべてに触れることはできないが心に響く作品たちを読んでいる間はささ

入賞作文集 8

審査講評

やかながら人権の活動をしてきた「かつての中学生のひとり」としてとても充たされた思いの

中にいた

 

ありがとうと心から「あなた」にお伝えしたい

 

そして若い季節に人権を自分に引き寄せこうして作品にまとめあげた体験は「あなた」に

準備されているたくさんの明日に光をもたらしてくれるはずhelliphellipと書いてふっと思う自分の

暮らしの核に人権を置くことは素晴らしいことであると同時にある意味ストレスを抱え込

むことでもあるのではないかとそれは気づいてしまうストレスでもある社会にはまだま

だ差別がある人権についてセンシティヴであればあるほどそれに気づき失望し傷つくこ

とも少なからずあるはずだ

 

それでもとわたしは「あなた」にお伝えしたい気づかない人生よりも気づく人生そし

て気づいたことを少しでも「拓いていく」人生のほうが容易ではないがはるかに充実してい

るはずだと

 

オーディオセットから大好きなクリスウィリアムソンとメグクリスチャンの曲が流れて

いるhelliphelliphellipわたしたちは新しい時代を作るため新しいページを開くために時代のステージ

にいま登ったところだとふたりとも歌を通してアメリカで人権の活動をしてい

るアーティストである海のこっち側のわたしたちもいま新しい時代のページを

開く時そのステージの上にいる

9 第30回全国中学生人権作文コンテスト

審査講評

内閣総理大臣賞

 

私が入院した時眼科や外科内科などいろいろな病状の患者さんと知り合いになった仕事

で足を骨折した人胃を悪くして入院した人目の手術を受けた人など年齢や性別職業も様々

でふだんあまり接することのない人たちと話す機会に恵まれた病気やケガの苦労話はもちろ

んのこと世代の違う人たちの話はとてもおもしろかった「人権」について考える時その中

の一人の患者さんのことが頭に浮かんだ

 

人権侵害とは障害者やお年寄りなど立場の弱い人たちに対する差別や悪意のある偏見か

らくるものだとばかり思っていたところがたとえ善意であっても思わぬところから人権の侵

害になっていることがあるのだと考えさせられたのであった

 

目の手術を受けたその人は母と同年代ぐらいの女の人だった目が不自由なことで周りの

江え

川がわ

 麻ま

理り

香か

佐賀県佐賀市立東与賀中学校 三年

「身近で無意識な人権侵害」

入賞作文集 10

入賞作文

人たちがとてもよくしてくれるのはいいがそのために困ったり悲しい思いをすることもあると

いうのだった私はこれまで人に優しく親切にすることはいわば常識であり当然のことだ

と思っていただけに大きなショックを受けた困った時に手を貸してくれるというのに悲しい

思いをするとはどういうことなのだろう私たちが親切のつもりでやっていることが迷惑になっ

ているというのだろうかお年寄りや障害者をいたわるのは当たり前でありそれは感謝される

ことはあっても迷惑に思うなどとは筋違いではないだろうかところがその人の立場から見

れば好意のつもりでもまるで小さな子どものように扱われたりこれは危険だからと勝手に

予測されて遠ざけられてしまったりと自分の意思とは関係なく何でも先回りされてしまうのが

悲しいのだそうだ目は悪くとも自分は子どもではないしできなくはないことにまで行き

過ぎた親切にひどく心を傷つけられるのだというまた相手がよかれと思ってくれていること

だけにそれを断ろうものならあからさまにいやな顔をされたり急に態度を変えられることも

あったりでかえって気を遣うのだそうだ

 

私ははっとした今まで手を貸す側から見ることはあっても逆の立場から考えたことはな

かったので大きな衝撃を受けたいつの間にか相手より自分を少し高い所に置いて見ていない

だろうか無意識のうちに相手のことを保護すべき弱者だとして見ていないだろう

か私は今中学生だがそれ以下の子ども扱いされると腹が立ついちいち細かい

ことまで制限されたり禁止されたりすれば確かにいい気持ちはしない同じよう

に障害者や老人に対して危険だ何だのとその人ができることまでをも禁止し

11 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

まだこぼしてもいない湯のみを取り上げるようなことをしてはいないだろうか

 

確かに弱者をいたわり手助けすることは人として当然であり必要なことで

あるしかし相手の気持ちや状況を考えずただ一方的に押しつけるだけの親切

はただの自己満足でしかない見えない人には見えない人なりのやり方や考え方が

あるのにそこに寄り添うための理解がないとしたらそれは人権を侵害しているといえないだ

ろうか

 

人は皆平等であるけれど環境や年齢身体能力などは同じではないだからこそ人とし

ての尊敬の念や思いやりいたわりの心を持って接することが大切なのだと思う

 

しばらく前の人権侵害とは人を自分より見下したりおとしめることで優越感を持つための

ものだったように思うそして今生活や文化が豊かになった現代では行き過ぎた親切やいた

わりが人の心を傷つけそれが新たな種類の人権侵害の一つになっていることもあるのだ「善意

イコール感謝されるべきもの」という考え方が全てに当てはまるとは限らないまた当ては

めようとしてはならないその人にとっての「いちばん」は何かひとりひとりを尊重するため

には本当に助けが必要かどうか出すぎたことをしていないかを見極めることも大切なのだと

思う

 「人権」について考えることそれはとても難しいことのように思えるが意外と簡単なこと

ではないだろうか同じ人間同士が並んで歩くための人と人との間の権利私たちが無意識のう

ちに作り出している優劣の壁を取り払うこと自分の価値観を人に押しつけないこと自分も相

入賞作文集 12

入賞作文

手も同じひとりの人間なのだとその

人の心に寄り添い理解し合う努力こ

そ人権を守る大きな力になると思う

13 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

 

十五年前父が篠山の町中を歩いているとこう言われた「そんな棒きれ振り回さんといて」

と父は決して棒きれを振り回していた訳ではないただ白杖を持って歩いていただけだそ

の話を聞いて私は驚いたたった十五年前のことだけど信じられない気持ちでいっぱいになっ

ただが十五年経った今ではそんなことはないだろうマスメディアが発達しいろんなハン

ディを持った人のことが紹介されたり障がい者の方自身が社会参加する機会が増えたからだと

 

そしてこんな話も聞いたことがある電車に乗った時に時間が知りたくて携帯電話を開い

たときのことだ「こんなとこで電話したらアカンやろ」と中年のおばさんに怒鳴られたそうだ

優先座席の近くだったということもあるが『目の不自由な人=白杖を持っている』という認識

は広まってきているが時間を知りたいときには音声が出る時計や携帯電話を使うということは

法務大臣賞

辻つじ

本もと

 桃もも

佳か

兵庫県篠山市立西紀中学校 三年

少しずつhellip一歩ずつhellip

入賞作文集 14

入賞作文

ほとんど知られていないのだそのとき父は説明しようと思ったがどうせ分かってもらえな

いと思い「すみません」と謝りとても悲しい気持ちになったそうだ見えている人は時間

が知りたければ時計を見ればすぐに分かるだが目が不自由だと音で聞くしかないのだ私は

障がい者が暮らしやすいような機器が発達してきていることをもっと社会に広めていくことが

必要だと思うそうすることで協力してくれる人や理解してくれる人が増えていくのではな

いだろうか

 

視覚障がい者の方が日常生活を送る上で給付や貸与される機器がある音声で教えてくれる

時計や体重計文章読み上げ器などがそれだこれらは以前県の基準で市が実施要綱を定めて

そこが窓口となって行われていたが法改正により各市区町村対応となったしかしこの日

常生活用具の中に健常な家族と同居している視覚障がい者には給付してもらえない物もあるの

だそれは体温計や体重計であったりするこの体温計がなければ家族が出かけている間に

体調が悪くなっても計測することはできないのだ

 

父の知り合いに赤ちゃんを連れた全盲のお母さんがいる体温を計るのに複数の体温計で赤

ちゃんの体温を計りその体温計に印をつけて病院まで持っていって見てもらったり家族が帰っ

てくるのを待って見てもらうことがあるそうだ私たちは簡単に体温を計ること

ができるが見えない人たちはそれができないために生命の危険にさらされてしま

うことがあるのだせっかく便利な機器が発明されても値段が高くて簡単に購

入できないもしくは制度のカベによってそのサービスが受けられないことがあ

15 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

るしかし私の住む篠山市では父たちの声が福祉課の方々に届き日本で初めて

音声式体温計が同居家族の有無にかかわらず給付されるようになったのである

 

今は携帯電話が音声で読み上げてくれてメールや時間GPSなどの便利な

機能を視覚障がい者の方も利用できるようになっただがそのことを知っている

健常者の方は全国にどれくらいいるだろうかまたこのことを知っている当事者である視覚障

がい者の方が全国にどのくらいいるだろうか私はまだ知らない人が多いと思う

 

ここ十五年程で視覚障がい者の人は白杖をついているということはほぼ知られてきたが生

活を助ける機器が発達してきているということは知らない人も多いだろうそれが「あの人は

目が動いているから見えている」とか「あの人はずっと目をつぶっているから見えていない」

「物を避けているから見えている」「物にぶつかっているから見えていない」という勝手な

思い込みで障がいの重さをはかることにつながっているのではないだろうかでもそれは間違っ

ている目を閉じれば視覚障がい者の疑似体験はできるでもそれはあくまでも体験であって

個人個人の見え方はそれぞれ違うし外見や行動で障がいの重度を判断するのは良くないと私は

思う同じような見え方ができたとしても全く同じ動きなんてできる訳ないのだから毎日父

と生活していてもどのくらい見えているのか私にもはっきり分からないなにげに父たちがこな

している日常の動作であっても私たち健常者にははかりしれない恐怖と不安努力があるの

だ誰でも目をつぶれば見えない世界を体験した気になる松葉杖をつけばその体験をした気

になる車イスに乗ればその体験をした気になるだが本当の障がい者の苦悩と努力の一部

入賞作文集 16

入賞作文

しか体験していないことを知ってお

いてほしい私たちには当たり前に

できるようなことがあってもどん

なに望んでもできない人たちがいる

ということとみんなの正しい理解と

知識が障がい者の明るい未来へとつ

ながっていくということを知ってほ

しいそしてこのことを広めていか

なければならない

 「少しずつhellip一歩ずつhellip」

17 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

 「Pick your 

head up」

 

これは父がいつも私にかけてくれる魔法の言葉です

 「顔をあげなさい下を向かない」という意味です

 

私の父は生まれも育ちもニューヨークのアメリカ人です女の子は父親に似るとよく言われ

ますが私もそうで日本人の母親よりも父の方に髪質も肌の色も本当によく似ています子供

が親に似ることはあたりまえのことですが私はそのためにいやな思い悲しい思いをいくどと

なくしてきました

 

初めて自分がみんなとちがうんだなと思ったのは幼稚園に入学してまもなくのことでした同

じ組の女の子たちが何人かして楽しそうに遊んでいたので

ローリンズ リコ

福島県福島市立渡利中学校 一年

「差別のない世界へ」

文部科学大臣奨励賞

入賞作文集 18

入賞作文

 「まぜて」

と声をかけると一人の子が言いました

 「このグループは日本人で髪がまっすぐな人しか入れないのリコちゃんは髪がチリチリだし

ハーフだからダメ」と

 

私はとても悲しくなりましたそしてそれは卒園するまで続きました

 

小学校は人数も少なかったせいかみんなとても仲良くて私の外見のことを言う人はだれ一

人いませんでしたまるで兄弟のようにみんな自然に接してくれましたでも習い事やいろい

ろな大会など他校の子たちといっしょになる場面ではやはり髪の毛や肌のことをからかわれ

ることはよくあることでした私には二学年上の兄がいますが兄もやはり父の方に似ています

おだやかな性格の兄は私以上につらい思いをしてきたと思います

 

父は兄や私の話を聞くたびに

 「Pick your 

head up」

と言いましたそして

 「自分に自信とほこりをもちなさいあなたたちは二つの文化を受けついでそれはとてもす

ばらしいことなんだよ」

といつも話してくれました

 

中学に入って間もないころでしたある男の子がいきなり私に向かって言いまし

19 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

 「おまえ風呂に入っているのか黒いぞ外国人はくさいからな」

 

私はとてもはずかしくなりましたそしていかりや悲しみがこみあげてきました

まわりにいた友達は彼の言葉に苦笑いをしていました私はいかりのあまり彼をな

ぐりたくなりましたその時私は父のあの言葉を思い出しました私は顔を上げ

相手の目を見て静かに自分の傷ついた気持ちを伝えました

 

彼は私に向かってこう言いました

 「ごめんわるかった」

 

彼は人を傷つけるということが彼の想像以上に重くそしてひどいことだと少し気付いたよう

でした

 

差別やいじめというのは私たちのまわりでは小さなことから大きなことまで本当によくあり

ますそして差別やいじめをしている側からすればそれをじょう談だという人も多いのです

まわりの人たちもやはりじょう談や遊びの中でのことにとらえてしまう人たちもとても多いので

すだから小学校の時から私たちは道徳などでいじめや人権などについて学んでいてもなかな

かそれがなくならないのだと思いますでも実際に差別やいじめをされている方はみんなの想

像よりはるかに傷ついているということつらいということそして悲しいということを私はこ

の人権作文を通してたくさんの人に知ってほしいのですけがをすれば日がたつごとにそのけ

がは治っていくでしょうまわりからも治っていく様子が見てわかるでしょうでも心に受けた

傷は本人にしかわからないのですその傷がどんなに深くて痛いものか本人にしかわからないの

入賞作文集 20

入賞作文

です

 

肌の色が違っていてもかみの毛が

違っていても私たちはみんな同じ人間

です心を持った人間です相手の気

持ちを思いやり相手の立場になって

考えればいじめや差別はなくなると

思います今も世界のいたるところで

人種差別が問題となり争いが起きてい

ます私は世界から差別やいじめがな

くなるように強い心を持ってまずは

自分から立ち向かっていきたいです

21 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

 

あなたには大好きなふる里がありますか私には緑の木々と青い海に囲まれた自然豊かな

大好きなふる里があります私のふる里は過去に公害という大きな被害をうけた水俣ですそ

の水俣病で患者はもちろんそうでない人も長い間差別をうけてきました

 

父が幼い頃まだ水俣病の原因が究明されておらず水俣病はうつると言われていました列

車が水俣の駅につくと窓をしめ手で口をおおった人もいました修学旅行に行くと同じ宿

舎になった学校から苦情を言われたこともありました水俣出身ということで結婚を断られた人

や就職試験をうけることさえできなかった人もいました水俣に住んでいることをかくして隠

れるようにひっそり暮らしていた人もいましたまた同じ水俣に住む人でさえ奇病と呼び距

離をおきましたそのことでたくさんの人々が傷つきあってきたのですいろいろな立場の人々

井いの

上うえ

 由ゆ

紀き

子こ

熊本県熊本県立八代中学校 一年

私の大好きなふる里

法務副大臣賞

入賞作文集 22

入賞作文

がせまい土地に住んでいるのですから仕方がなかったのかもしれません

 

しかし今では原因も究明され海の安全も確認されたことでそのようなことはほとんどな

くなりました私たちは過去のことを忘れるくらい楽しくすごしています

 

私は今八代の中学校に通っています私は自分が水俣出身ということを隠すこともありませ

ん友だちもまたそのことを知っていますがからかったりいじめたりする人は誰一人いません

 

しかし先日水俣の中学校のサッカー部が練習試合中に相手チームの選手から

「さわるな水俣病がうつる」

と言われたという記事が新聞にのっていました今でもこういう風に思っている人がいるのか

と思うと残念で仕方ありません何気なく言った一言だったのかもしれませんがその一言は

私たち水俣に住む者にとって非常に悔しく悲しいものでした

 

小学校の総合的な学習の時間で水俣病について学習しました原因となった会社を訪問したり

患者の方から当時の話をきいたり交流も行いましたそんな中で苦労されたり何も言えずに

黙って亡くなった人のことを知り水俣に住んでいながら何も知らなかったことをはずかしく思

いました水俣病についてしっかり学び正しい知識を得ることが差別や偏見をなくすのだと気

付きました

 

中学校の道徳の時間ではハンセン病について学習しましたこれも水俣病同様

正しい知識がなかったためにおきた悲しく悔しい悲劇でした

 

私たちが差別や偏見をなくすためにできることそれはその人その出来事に

23 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

ついてしっかり知ること知ろうと努力すること正しい知識を深めるために学習

することではないかと思いますそうすれば水俣病やハンセン病のようにむや

みに人と人とが傷つけあったり憎しみあったりすることはなくなるのではないで

しょうか

 

先日テレビで水俣のダイバーが紹介されましたその人は本当はほこりたい水俣を心の中

にじっとしまいこみ誰にも言えず何年もの間生きてきた人でしたしかし水俣の地にも

どり自分はこのすばらしい美しいふる里を紹介したいと海にもぐり写真をとり続けておら

れるそうです心に差別という深い傷を負いながら水俣の再生を皆に知らせたいと頑張る人

がいることに感動しました

 

今水俣はごみの分別リサイクル事業など市民全員で環境にやさしい町づくりをすすめてい

ます私は差別や偏見から立ちなおり再生しようと環境問題に一生懸命とりくんでいるふる

里水俣をほこりに思っています

 

水俣では運動会等多くの行事で「水俣ハイヤ節」というものが踊られますこれは水俣病

の患者の方が水俣の青い海と豊漁を願って振りつけをされた踊りだそうです私たちと同じ思い

をする人が二度とでないことを祈りながら私たちは毎年皆でこの踊りを踊ります

 

水俣の悲しい過去を変えることはできませんが私はあやまちを二度とくりかえさないため

にこの美しい自然を守り真実を語り継いでいきたいですそして差別や偏見のない社会に

なるよう自分から努力していきたいと思います

入賞作文集 24

入賞作文

25 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

 

みなさんは「本当の『平和』とは」と質問されたら何と答えますか「戦争や紛争などが

ないこと」ですかそれとも「自分自身の幸せのこと」ですか一人ひとりの抱く「平和」のイ

メージは違うことでしょう

 

僕の思う本当の「平和」それは「家族」がいて「家庭」があることだと思いますなぜそう

思うかというと今僕は訳あって家族とは離ればなれに暮らしているからです一歳前後には既

に家族とは離れ施設にいました母親や姉兄の存在はわかっていますが一緒に過ごした時

間は限られたもので今でもほとんど交流はありませんそのせいか僕はいつも「家族」や「家

庭」というものに強い憧れを抱いています

 

自分がまだ幼い頃は自分と同じくらいの子が母親と手をつないでいる姿がとてもうらやまし

大おお

田た

 葵あおい

栃木県さくら市立喜連川中学校 三年

「家族」とは何か

法務大臣政務官賞

入賞作文集 26

入賞作文

「どうして自分には母親がいないんだろう」と思っていました仕舞いには自らの母親を恨ん

でしまったのです小学生になってもその気持ちは変わらず母親への恨みは増すばかりでした

 

しかし小学五年生の夏思いもよらぬ出来事が起きましたそれは引っ越しがあったこと

ですそこで僕は新しい土地そして新しい里親という人たちに出会いました里親の人たち

と暮らした数年間僕は幸せでしたそこで僕は僕の周りにはいつも支えてくれる人たちがい

ることに気づきました血のつながりがなくても僕に自分の子どものように接し育ててくれ

た里親の人たち養護施設の先生方などたくさんの方たちに僕は見守られて成長してきたこと

に気づいたのです僕を支えてくれる人すべてに感謝の気持ちがわき出てきましたそれ以来

僕は親という存在にこだわらなくなりましたそれどころか自分に命を与えてくれた親に感謝

の思いを抱くようになったのです

 

この夏母親の育児放棄が原因で二人の乳幼児が衰弱死するという悲しい事件がありました

二人の子どもにろくに食事も与えず風呂も入れなかったそうですさらに逮捕後その母親は

「家に帰ってあげなかったことを今も後悔している子どもは私を恨んでいると思う」

という言ってはならない発言をしました僕は怒る前に亡くなった二人の子ども

たちがかわいそうでなりませんでした

 

と同時に僕はこの母親はどうしてこのようなことをしてしまったのだろうと

すごく考えさせられました僕は本来親は子どもを殺すのではなく守るために

27 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

いるのだと考えますたとえ小さな子どもでも立派な一人の人間ですその命を

守り育てていくことが親として大切な役目だと思うのですこの母親はどこで

勘違いしたかは知りませんが親としての自分の責任を理解していなかったのでは

ないでしょうか

 

そしてその勘違いを誰も母親に気づかせてあげられなかった事実母親が一緒に遊び歩いて

いた友人はもちろん母親の家族が少しでも助けることができていたら母親の行動を戒めるこ

とができていたら連絡を受けた児童相談所がもう少し踏み込んだ行動が取れていたらこのよ

うな悲しい結末にはならずに済んだのではないでしょうかやりきれない思いばかりがこみあげ

てきます

 

もう一つこの母親は大きな勘違いをしていますそれは「子どもは私を恨んでいると思う」

という言葉です僕はこの子どもたちが母親を恨んでいるとは思えません子どもたちは母

親が帰宅するといつもハイタッチをして喜んで迎えたそうです子どもたちは母親のことが大

好きだったのでしょうたとえ自分たちを見放した母親でも恨んでいるとは決して思えないの

です

 

子どもは心の底から自分の母親のことを恨めないと僕は思いますこの世に生を受け笑った

り怒ったり泣いたりと毎日いろいろな経験ができるのは自分を生んでくれた母親という存在

があったからです正直僕も小さい頃は母を恨んだことがありました愛情の裏返しというよ

うに母親への思いが憎しみに変化してしまったのですでも心の底には母への恨みとは全く

入賞作文集 28

入賞作文

正反対の気持ちが存在し続けていましただ

からこそこの子どもたちがどんな思いで死

んでいったのかわかるような気がします母

親を信じひたすら母親の帰りをまちわびて

いた思いが

 

僕にとっての「家族」それは同じ屋根の

下で暮らす人々のことですたとえ血はつな

がっていなくても僕を支え励ましてくれる

人たちそのすべての人が僕にとっての大切

な「家族」なのです今僕の暮らす養護施設

にはいろいろな事情を抱えた二歳位から高

校生までの子どもたちや職員の方が約六十人

います今の僕には全員大切な「家族」で

す僕はこれからもこの「家族」を大切に

一日一日精一杯平和に生きていきたいです

29 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

 

授業でハンセン病について学んだ日両親と「偏見」や「差別」について口角泡を飛ばす議論

を深夜まで繰り広げた身体障害者の父と看護師の母を持つ私は幼い頃から「命の大切さ」を

訴える両親の姿を見て育って来たそんな私は真摯な気持ちからハンセン病罹患者と向き合い

たいと思いこの夏草津にある療養施設栗生楽泉園を訪れた

 

草津までの道のり私は罹患者の気持ちを絶えず考えていたハンセン病について調べると「ら

い予防法」により罹患者は隔離され人権を無視された扱いを受けたことが分かった罹患者の

言葉が書かれた本ではどんなに過酷な仕打ちを受けたか他人をどれほど恨み憎んでいるか

が書かれていたその為私は無意識の内に「罹患者は全員恨みを抱いている」と勝手に思い込

んでいたしかしこんな思い込み自体が偏見や差別を生む原因になるということを後に思い知

大おお

井い

 海み

琴こと

群馬県群馬大学教育学部附属中学校 三年

忘れてはならないこと

全国人権擁護委員連合会長賞

入賞作文集 30

入賞作文

らされることになるのである

 

私を迎えてくれたのは入園者自治会長の藤田三四郎さん藤田さんは大変お元気でその容姿

からはハンセン病を伺い知ることはできなかったしかし藤田さんは紛れもない罹患者なのだ

その証拠に藤田さんの名は本名ではない罹患者は施設に入所するにあたり偽名を使用させら

れたと言うつまりその時点で罹患者は世間から存在を消されてしまうのであるそんな藤田

さんから語られた話はハンセン病だと宣告され三度も命を絶とうとしたこと重症患者の看

護を押しつけられ数え切れない人を看取り自らの手で葬ったこと家族が受けた迫害や侮辱的

な言葉など想像を絶するもので筆舌し難いものだったしかしこんな迫害と差別は同時にハ

ンセン病患者達の人権回復闘争の歴史でもあったのだ闘争の末「らい予防法」が廃止される

と今まで差別や人権侵害を繰り返していた多くの人が掌を返す様に態度を変えたと言う私は聞

いていて怒りを覚えたが不思議なことに耳を塞ぎたくなる様な内容を語る藤田さんからは全

く怒りや恨みが感じられないのだ私は話を聞くまで自分の運命を呪い周囲への恨みつらみ

の言葉が出てくるとばかり思っていたしかし出てきた言葉は「入園出来て良かった差別は

受けたが今では恨みを抱く罹患者も少なくなったそればかりか最近はたくさんの人が我々を

理解し協力してくれるので嬉しい何故なら一人の百歩は力が無いが百人の一歩

は力になるから」と言う感謝の言葉だったのだ本当に「恨みは無いのか」と何度

聞いても答えは同じだった私は恥ずかしくなったハンセン病について調べ罹

患者の心を理解したようなつもりでいながら実は何も理解できてなくてそれば

31 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

かりか罹患者を偏見の眼で見ていたのは私自身だったのだ私は話を聞いてとめ

どなく溢れ出る涙を拭いながら心の片隅に潜んでいた「偏見と言う名の種」が身

体から洗い流されていくのを感じていたそれは同時に「思い込みや無知が偏見

や差別を生みだす」ことを強く感じた瞬間でもあったそれだけに藤田さんの「自

分と同様に他人を愛すればいつか必ず世界から差別はなくなる他人を愛して下さい」の慈愛に

満ちた言葉が一層重く腑に落ちるのだった

 

帰りがけ千五百ページにも及ぶ「入所者証言集」を手渡されたその際私は見えない襷も

手渡された気がしたその襷とは証言集に記された罹患者の「事実を風化させないで私達の事

を忘れないで」という搾り出すような叫び声とその姿だったのである

 

ハンセン病が治る病気であるのに誤った知識から悲惨な人権侵害が長期に渡り続いた同じ間

違いを繰り返さないためにも事実を語りついで行く必要があるここ楽泉園でも高齢化が進み

証言者の数が減っているこれは全国一五全てのハンセン病療養所に共通することだハンセン

病問題は罹患者がいなくなればそれで終わると言う問題ではない今後人権問題を考える際重

要な指針になりうる事実なのだそしてこの事実の風化を防ぐことが私達若い世代の役目だと

私は思う

 

私は小六の時友人達から突然イジメを受けたそれを引きずり他人を恐れ憎み自分を

嫌って生きて来たしかし罹患者の声が私に生きる力と前を向いて歩む勇気を与えてくれた

楽泉園訪問は私に人生観が変わる程の衝撃を与えてくれたのだこんな私だが罹患者の声を伝

入賞作文集 32

入賞作文

える「百人の中の一人」にはなれるはず

だそのために私は今この作文を書い

ている文字は時を越えて生き続けるか

ら私はこれからも楽泉園訪問を続ける

つもりだ実際に中学生の私が出来るこ

とには限りがあるが差別や偏見を少し

でも減らすために一歩を踏み出すつもり

でいる「自分と同様に他人を愛すれば

いつか差別は無くなる」と言う藤田さ

んの言葉を胸に

33 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

 

森に囲まれたその一画には教会や寺院神社があり小さなショッピングセンターやレスト

ランもある床屋や図書館郵便局や浴場もあるしかしそれらの施設を利用するのはその一

画に住む人たちだけだ緑の外側に住む人が利用することはないそこはハンセン病の療養所

多磨全生園である

 

僕は七年前に清瀬市に引っ越してきた夏のある日昆虫が大好きな僕は何気なくその森の

中に入って行ったそして歩き回っているうちにその場所が一つの「町」であることに気付

いた

 

毎日セミやカマキリやナナフシを探しながらどうしてこんな所があるのだろうと思った

 

僕が一番不思議に思ったのは古い木造の小学校だいつも誰もいない校舎と小さな運動場近

久く

米め

 一かず

輝き

埼玉県学校法人立教学院立教新座中学校 一年

ハンセン病について考えたこと

社団法人日本新聞協会会長賞

入賞作文集 34

入賞作文

くに小学校があるのにどうしてこんな所に小学校があるのだろう小学一年生の僕はとても不思

議に思った

 

夏に地域交流を目的とした盆踊りと花火大会が行われるいつもは人のいない小学校跡は多く

の人であふれかえり普段は見かけない重い後遺症の老人たちもこの日は外に出て盆踊りを楽し

む初めて参加したときは言葉が出なかった正直「怖い」と思った

 

夏が来るたびに僕は盆踊り大会に参加した低学年から高学年へと進むにつれて少しずつハ

ンセン病のことが分かってきた

 

六年生のときに社会科見学で全生園の元患者を訪れることになっただが僕は都合で参加で

きなかった僕はそれをずっと悔やんでいる

 

今年の夏僕はハンセン病資料館に出かけた見学者は僕一人でとても緊張したなるべく

音を立てないようにパネルを見て回った

 

強制隔離の現実にとても驚いた狭い部屋に押し込められ症状の軽い患者が重症の患者の世

話をしたという子供を持つ権利や生まれる赤ん坊の命まで奪われていた逃げ出したり反抗的

な患者は「不良患者」と呼ばれ窓の小さな暗い監房に閉じ込められた

 

医学が進歩し療養所も徐々に改善されていったが強制隔離を命じる「らい予防

法」が廃止されたのは一九九六年だという隔離が始まった一九〇八年から約九〇

年も経っていた僕が生まれるほんの一年前のことである特効薬が開発され本

格的な治療が始まったのは昭和二十二年である現実に合わない法律を廃止するの

35 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

にどうしてそんなに時間がかかったのだろうか

 

資料をもらってハンセン病資料館を後にした家を出るときは帰りに虫の観察

をするつもりだったがとてもそんな気にはなれなかったいつもセミが集まる桜

の木には目もくれずに早足で家に帰った

 

資料の中で一番心が痛んだのは療養所の子供たちのことだ療養所に入所したのはハンセン

病を発症した子どもたちだけではない親が発症したために入所する子どもたちもいた当時は

ハンセン病は遺伝病だとされていたからだ親から無理やり引き離された子どもたちは「すぐに

帰れるから」という言葉を信じていたというしかし一生療養所を出ることができなかった人が

多かったという社会的な差別がひどかったからだと資料に書かれていたが僕には実感がわか

なかったのでもう少し調べてみることにした

 

図書館で『ハンセン病を生きて』(伊波敏男著)という本を見つけた少し難しかったが差

別の現実が僕にもわかる部分があったそれは元患者たちに対して書かれた匿名のひどい手紙

である長年隔離されて苦しんできた人たちをさらに傷つける言葉が並んでいた悲しく暗い

気持ちになった

 

日本は経済大国として世界の注目を浴びているだが人権意識の面ではどうだろう「らい

予防法」を二〇世紀の末まで廃止できなかったことをどう考えたらよいのだろうか明治時代に

隔離が始まったときそれは外国に対する体面を保つためだったという病気の人を治療するの

ではなく「隠す」のが目的だったのだいまだに差別意識を持つ人がいるのは社会がそうした

入賞作文集 36

入賞作文

過去に対する反省をしていないから

だと思う

 

僕が不思議に思った小学校はすで

に取り壊されて今では小さな石碑

だけが残っている老朽化がひどく

残しておくことができなくなったか

らだという全生園の古い建物はど

んどん取り壊されていく石碑だけ

ではあの不思議さが伝わらないのが

とても残念だ

37 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

 

僕の曾祖父は医者嫌いでしたそのため腹痛で病院に運ばれた時は膵臓癌の末期で余命三ヶ

月でした手術もできない手遅れの状態でした家族皆で話し合い曾祖父の辛い気持ちを第一に

考え曾祖父に病を隠すことになりました曾祖父は次第に病院の中を歩いては転倒し体中あ

ざだらけになりベッドの上で縛られることになっていました曾祖父は病名の宣告を受けてい

ないため元気で歩けると思っているが実際歩くと転んでしまう何でこんな風になってしまっ

たのかさえわからない

 

家族と病院に行くと「包丁もてこいこれぶった切って家さ帰る」と騒いでいましたあん

なに優しかった曾祖父の姿に言葉も出ず恐いくらいでした何も知らされずベッドに縛り付

けられれば誰もがそうなることでしょう「じいちゃんどご一緒に車さのせでいてくれの」と

櫻さくらだ田

 要かな

太た

山形県酒田市立松山中学校 三年

日本放送協会会長賞

悔いのない最期を

入賞作文集 38

入賞作文

せがまれたときもありますかわいそうで涙がポロポロこぼれました「おじいちゃんどご家

さ連れで帰ろうよ」とせがんでも家族も仕事で忙しいためか誰も首を縦に振ってくれず病院

にいた方が安心ということになりました膵臓癌は予想以上に激しい痛みのため医師から強い

痛み止めと強い睡眠剤を勧められましたがそれを導入することにより安楽死に近い状況にな

ることも医師から告げられていました家族は決断をせまられました曾祖父に相談もせずに決

めていいことなのか家に帰りたい曾祖父の意志は封じ込められたままでいいのか家族で悩み

ました結局痛みに耐えている姿は見ていられなくその薬を使うことになりましたその後

曾祖父は次第に弱っていき口も利けなくなり静かに亡くなっていきました僕はどこか心を

引きずったままでした僕達家族が曾祖父に宣告もせず意見も聞かず命の長さを決めてしまっ

たこと当時幼かった僕には何もしてあげられなかったことが今思い出しても残念です

 

最近授業で人権について学習しているときに幼い頃の記憶がよみがえりふと曾祖父のこと

を思い出しました

 

曾祖父はどんな思いで亡くなったのだろう最後に意識のあるうちに一度でいいから家に帰っ

てきたかっただろう身体拘束は今は病院でも禁止されていると思いますがあの頃は確かに曾

祖父のおなかに黒いベルトのようなものが巻きついていました決して自分の力で

は外せないようなものでしたもがき苦しむ曾祖父の姿を見た時に看護師さんに

目を隠され別の部屋に連れて行かれました見せたくない光景だったのだと思いま

すでもあの姿は僕の脳裏に焼き付いています病院の中での人材不足のためだっ

39 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

たのでしょうか人が人らしく生きていない姿でした

 

七十八年生きてきて何も悪いことをしていないのに縛られ家にも帰れない

病気で余命幾ばくもない人には人権というものは存在しないのでしょうか最近の

医療の現場では自己決定権があることについて学びました

 

仏壇に向かい静かに目を閉じると優しく穏やかに微笑む曾祖父の笑顔が浮かびますどんな

気持ちで亡くなっていったのかその気持ちを考えると苦しい気持ちになります野球の大会に

行く前仏壇に手を合わせます「やればできる努力しろ」とよく励ましてくれました曾祖

父の力には何もなれなかったけれど目には見えない力で応援してくれる曾祖父に線香をあげて

自分を省みる時があります曾祖母が元気なので曾祖父を助けられなかった分曾祖母の力に

なっていくことを曾祖父に約束しています

 

夏休み中のニュースで高齢者の所在不明者が多数のため百歳以上の安否確認調査をしていま

した自分の親を平気で捨て遺骨さえもひきとらない亡くなっていたのに年金を不正受給する

ために隠していたなど耳をふさぎたくなるような事件もありました犬や猫が年をとって弱っ

てきた手がかかるから面倒だからと捨ててしまうそれと同じ現象が弱い高齢者にも及んでき

ているのだと思います

 

やはりこの世に生まれてきたもの全てに自分の意志で生きることを決めていける権利がある

と思います長い年月を苦労や努力と向き合いながら精一杯生きてくれたおかげで今の幸せが

あることを忘れずにいたい人はいずれ誰でも年をとります自由に動けなくなった時に自分の

入賞作文集 40

入賞作文

願いが叶う社会を築き「悔いなく満足で楽しく幸せな人生だった」と思えるように人とし

ての誇りを持って満足できる最期を迎えられるように考えていきたいもう二度と僕が見た自

己決定権のない社会にならないように高齢者には今までの感謝の気持ちで本人の希望をでき

るだけ叶えられるように努力していきたいいずれ僕達も迎える高齢社会だからhellip

41 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

 

私は小学六年生の時から盲導犬候補の子犬を育てるボランティアをしています「犬を飼っ

てみたい」と言う私に両親が「せっかく犬を飼うのなら社会に役立つことをしよう」と提案

したからです生後二ヵ月の子犬を預かり一歳の誕生日を迎えるまで世話をするのがボランティ

アの役目です初めて訓練士さんから子犬を手渡された時は不安でドキドキしましたが子犬は

すぐに私の腕の中で眠ってしまいました初めて会った私のことを信頼して安心しきった寝顔

で眠っている姿は本当に可愛かったですラブラドールの子犬はとてもやんちゃで私の家にやっ

て来たその日からいたずらばかりしていましたがしかられてもクヨクヨせずどんな相手にも

 林はやし

 里り

咲さ

東京都小平市立小平第六中学校 三年

差別のない社会に

(パピーウォーカーの経験から学んだこと)

法務事務次官賞

入賞作文集 42

入賞作文

フレンドリーに近づいていく姿から私は明るく前向きに生きることを教わりました子犬たち

と過ごした日々は私にとって一番の宝物ですそしてあっという間に一歳の誕生日がやって来ま

した誕生日が悲しいという経験は初めてでした訓練所への入所日の前日には長い長い散歩を

して最後のお別れをしました「今までありがとう」そう言った私のことを不思議そうに見てい

た子犬の顔が今も目に焼きついています別れは本当につらいけれど涙を見せたら子犬が心配す

るので頑張って笑顔で見送りました

 

私の家で育てた一頭目の子犬は現在盲導犬になって頑張っていますそして今年四月に巣立っ

ていった二頭目の子犬は神奈川にある訓練センターで訓練中です

 

このボランティアを通して私は多くのことを学びましたまず盲導犬の役割ですがこれは単

に目の不自由な方が便利に一人でどこへでも行けるようにするためだけではありません視覚障

がいのある方にとって人の手をわずらわせるのはとてもつらいことなのだそうですたとえ家

族に対してでも「迷惑をかけるのではないか」と思って我慢することが多く「私なんかいない

方がいいんじゃないか」と考えてしまうこともあったといいますその失われそうになった尊

厳を取り戻す手助けをするのが盲導犬の役目なのです犬は訓練を共にするパートナーのことを

大好きになるので「自分は他者からこんなにも大好きになってもらえる存在なん

だ」と気づいて自信を取り戻し新しい一歩を踏み出せるようになるのだそうです

 

また私がボランティア登録している日本盲導犬協会では二〇〇八年に新しい

試みが始まりました受刑者が盲導犬候補の子犬を育てる動物を介在した日本初

43 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

の教育プログラムです罪を犯した人も心から反省してきちんと罪を償えば社会

は差別することなく受け入れるべきですしかし実際はとても偏見が多く元受刑

者たちは「どうせ自分はだめな人間なんだ」と思い再び罪を犯してしまう悪循環

が起こっているそうですその悪循環を断ち切り受刑者たちがスムーズに社会復

帰を果たせるよう支援するのが「あさひ盲導犬パピープロジェクト」です受刑者たちは約十ヵ

月の間子犬たちを世話しながら一緒に過ごし「役に立つ喜び達成する喜び信頼される喜び」

を感じることで自分の価値を再確認するのだそうです今年一月に第一期のプロジェクトを修了

した受刑者の感想に次のようなものがありました

 「今後自分もパピーに笑われないようにきちんとしなければならないパピーは慈しむこと

寛容の心を教えてくれました」

 

犬は決して差別をしません健康な人にも障がいのある人にもお金持ちにも貧しい人にも

権力のある人にも犯罪を犯した人にも全く同じように接してくれますそんな犬たちと一緒に過

ごすことで自信をなくした人たちも自分のことをかけがえのない大切な存在であると思えるよ

うになるのです

 

私たち人間も差別のない社会をつくる努力をしなければならないと思います一人一人が相

手を大切に思う心を忘れなければこの社会はもっと住み良い場所になるはずです私はこのボ

ランティアを通して学んだことを生かしてこれからも一層努力していきたいと思います

入賞作文集 44

入賞作文

45 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

 

僕は祖父のために自助具を作ろうと思った祖父は去年の夏脳梗塞で倒れた祖父は一命

を取り留めたものの右手と右足がまひしてしまったのだその三週間前僕も車椅子から転倒し

て足を骨折した

 

僕には障害がある車椅子で生活することが多いしかし僕のことを障害者だといって差別

するような友達は一人もいない

 

祖父は歩けるようになりたいという気持ちが強かっただからリハビリを頑張り自分で

歩けるようになるまで回復した頑張っている祖父がかっこいいと僕は思った祖父はリハビ

リを頑張ったにも関わらず右手がうまく動かせなくなってしまっただからご飯を食べる時も

服を着替える時も時間がかかる普段何気なくやっていた動作がとても大変だと祖父は言ってい

守もり

田た

 幸こう

平へい

静岡県静岡大学教育学部附属浜松中学校 三年

祖父への靴下

法務事務次官賞

入賞作文集 46

入賞作文

た僕も何か役に立てることはないかと考えた

 

僕の学校には総合学習という授業があるそこで僕は福祉というカテゴリーを選んだ自

分で社会に役立てることを考え実際に行動することが目標だった僕は障害者のために何が

できるかを考えた

 

僕は二年前に静岡文化芸術大学で障害者がいかに日常生活で不自由のない生活ができるかを

考えるプロジェクトがあるのを新聞で知ったそれは大学生たちが個人個人にあった自助具を

作るプロジェクトだった僕は障害者のために何かできるのではと感じた

 

僕は静岡文化芸術大学へ行って僕にもできることがないかと聞いたすると学生さんが

自助具を作ってみないかと声をかけてくれた僕は迷わず「はい」と言った障害者のために

役に立てることがあると思うとすばらしいことだと思ったからだ

 

祖父のつらい顔を見ると日常生活に数々の大きな壁があることが伝わってくる

 

僕は祖父の数々の大きな壁を突き破ろうと思った祖父のために自助具を考え作ろうと僕

は思った祖父が靴下の脱ぎ履きが大変だと言っていたことを思い出したそこで脱ぎ履きし

やすい靴下はできないか考えた靴下の両脇にひもを取り付けてそれを引っ張ると靴下が縮み

脱ぎ履きしやすくなる仕組みだ大学の先生も良いアイディアだと言って褒めてく

れたこれは障害者だけでなく健常者にも使えると言われたユニバーサルデザ

インだと分かった

 

ユニバーサルデザインは年齢や障害の有無にかかわらず全ての人が使いやす

47 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

いように工夫された用具などのデザインである境界がなくなるように健常者が障

害者に対する偏見を考え差別意識がなくなるチャンスだと思った障害者と健常

者が共によりよく生きることが大切だと僕は思った

 

自助具の作品展では杖をついているお年寄り車椅子に乗った若い女性目の

見えない人福祉関係者など沢山の人々が観に来ていた皆自分の生活を良くしようと思っ

ているようだったまた障害者のためにできることは何だろうかと考えている健常者もいるよ

うだった

 

二年生の時の総合学習では二箇所のデイサービスを訪問したデイサービスには六十五歳以

上のお年寄りがいた暗く元気のない人明るく振る舞い誰とでも話せる人など様々だった

しかし僕が一番印象に残ったのは笑顔を絶やさず優しくお年寄りに接していた介護士だった

お年寄りの中には悩みを抱えている人が多いそうだその悩みを解消させる人もまた介護士だっ

た僕は介護士がお年寄りの体を支えるだけではなく心もそっと支えて生きる喜びを与え

ているのだと感じた

 

現代は三世代で暮らす家族が減り核家族が増えているそれはお年寄りの世話が大変だ

からという理由が多いだから老人ホームやデイサービスに預ける人が増えていると僕には

思えたお年寄りの中には自分が嫌われているのではないかとさえ思ってしまう人もいるそう

だそれはお年寄りにとって辛く悲しいことだと思うある介護士がこんなことをおっしゃっ

ていた「人の優しさはお金では買えない」誰にでも優しい心があると思うしかしあと一歩

入賞作文集 48

入賞作文

のところで行動に移すことができない人が多いの

だ僕たちが平和な社会で暮らせるのは今まで

頑張ってきてくれたお年寄りのお陰であることを

忘れてはいけないお年寄りを大切にすることは

当たり前のことなのだ

 

また障害者に対しても偏見の目で見ないで

そっと近づいて手を貸してあげれば健常者との

高い大きな壁を崩すことができると思う

 

障害者にも高齢者にもまた健常者にも人権

はあるお互いの人権を大切にすることが明る

い未来に繋がっていくのだと思う

 

早く祖父に僕の作った靴下を届けたい

49 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

 

僕は小学校六年生まで福岡県に住んでいましたそこで僕が体験したことです五年生のこ

ろ僕の友だちのA君が同級生のK君の靴を隠したりからかったりしていることがよくあり

ました最初は僕もあまり気にしていませんでしたがK君のことを「なんだかかわいそう」と

思うようになりました

 

ある日僕は勇気をだして先生に「K君がいじめにあっています」と報告しました初め先生は

「じゃれ合っているだけだろう」と「いじめ」とは思ってくれませんでしたでもその後「いじ

め」と分かりA君は先生に注意されその日一日は反省した様子で過ごしていましたしかし

次の日学校に行くといじめは前以上にエスカレートしていて蹴ったりたたいたりするように

なりましたしかも「死ね」「うざい」「消えろ」などの言葉が飛び交うようになりそんな日々

法務事務次官賞

浦うら

谷たに

 毅たける

徳島県三好市立池田中学校 三年

いじめをなくすために今

入賞作文集 50

入賞作文

が続きました

 

それは六年生になっても続きました僕はそのいじめを止めることができず毎日見て見ぬ

振りをしていました今思うと自分がとても恥ずかしいです本当の友達なら止めるべきなの

にそれだけではなくいじめられているK君に声一つかけることができずにいました心の中

ではA君に「やめろよ」と言おうと思っていたけどなぜか勇気が出ませんでした次にい

じめられるのが自分になるのが恐くて言えなかったのです

 

そんな日々が続く中僕の気持ちを大きく変える出来事がありました父の死ですそのとき

のことは今でも忘れることができません聞いたときには頭の中が真っ白になりました最初

は信じることができませんでした一週間も二週間も学校に行けずただぼーっと過ごしてい

ましたいろんなことを考え徐々に「死」というものの悲しさつらさ「死」という意味の

重さがわかってきましたそして時間はかかりましたが「命は一瞬にして消え二度と戻っ

てこないものだだから命を大切に今を大切にしなければならない」と深く受け止めることが

できるようになりましたそして周りの子たちは僕のような経験がないから「死ね」とか軽々

しく言えるのだろうと思いこの気持ちを伝えなくてはならないと考えました僕が強くならな

くてはと思いました

 

こんな気持ちになったとき僕には時間がありませんでした母の実家がある徳

島への引っ越しが一週間後に決まっていたのです落ち込んでいる暇は無いと思

い学校に行った僕はA君に言いました「いじめなんかやめろよいじめたって

51 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

喜ぶ人はいないし悲しむ人がいるだけだろ自分だってほんとは嫌だろ『死ね』

とか『消えろ』とか言葉の重さを知らないのに言うなよ」と言いました父親の

突然の死そのあと僕が考えたことも伝えました

 

友だちは黙って聞いてくれました僕の言葉にうなずいてそのあとK君の

ところへ行き「ごめん言葉の重さも知らずに言って本当にごめんぜったいに死ねなんて

ことは言わないそしていじめは絶対にしないほんとうにごめん」とあやまりましたK君

はとても優しい笑顔で「いいよ」と一言言いました僕もK君に言いました

「今まで助けてあげられなくてごめん」

K君は笑顔で「ありがとう」と言ってくれました今まで自分の中でもやもやしていた気持ちが

スーっと晴れました

 

今も時々耳にする暴言冗談半分で言っているのかもしれませんしかしいついじめにつ

ながるかわかりません他人を傷つけることで自分のストレスを晴らそうとしているのでしょう

関係ないふりをしようとする自分がいます楽な考え方をする自分がいますそんな時亡くなっ

た父の顔やK君の優しい笑顔を思い出しますあの時の自分のように強い気持ちを持とう「や

めろよ」と一言言うするとまた気持ちがスーっとしてきました

 

父の分も頑張って生き抜こうと決めた僕にとって正しいことを素直に認め悪いことを否定

できる強い意志を持つことが目標ですそして何よりも命を大切に今を大切にしていきたい

と思っています

入賞作文集 52

入賞作文

53 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

 

ぼくは今まで四つの外国に暮らしいろいろな国の人たちの中で育ってきた

 

まずタイで生まれてタイ人のメイドさんやドライバーさんにいつも遊んでもらっていた

らしい一才になると週一回の体操教室にも通いタイ人の友達もいたそうだ

 

次にシンガポールでは初めてナサリースクール(保育園)に通いいろいろな国の友達と

知り合ったプレイルームにある滑り台を滑る順番争いでいつも勝つのは体の大きい金髪の友

達だった

 

一回目の香港生活では英語の幼稚園に通ったその時のぼくの一番の友達はカナダ人だった

彼とはよくベイブレードをして遊んだが父が日本の出張で買ってきてくれた独楽や剣玉をして

遊ぶこともあった

村むら

瀬せ

 広ひろ

高たか

香港日本人学校中学部 二年

国境をこえて

海 外 作 品

今回は本選への応募とすることはできませんでしたが

 海外から寄せられた作品のうち一作品を御紹介します

入賞作文集 54

海外作品

 

それからインドでは日本人学校に通ったが夏休みには毎年アメリカンスクールのサマー

スクールに参加したし日本人のいない現地のテニススクールにも入り二年間通ったまたイ

ンドの現地幼稚園に通っていた妹のベストフレンドはコンゴ人でその兄弟もぼくの友達だった

 

そして三年間の日本生活を経て今また香港に戻ってきた

 

このようにぼくはいろいろな国でいろいろな国の人たちのお世話になりいろいろな国

の友達と遊んで育った肌が真っ黒な友達もゲームの話をすればすぐに仲良くなれたし髪が

金色の友達もポケモンの話をすれば気が合ったぼくは小さい頃から英語はうまくしゃべれ

なかったけれどもジェスチャーをつけたでたらめ英語でも充分に話は通じただからいろい

ろな国の人たちの中でぼくが日本人だからといって差別されたり嫌な思いをしたりしたこと

はないしぼくも肌の色が違うからとか言葉が通じないからという理由で違う人間だと思っ

たことはないそうぼくは外国人を差別したことはない

 

しかし本当にぼくは外国人を差別したことがないのだろうか外国人を差別した発言を一

度もしたことがないかと考えると自信がない

 

例えば香港人には赤信号でも平気で渡る人がたくさんいるそれを見てぼくは

「香港人はしょうがないな」

と思うでもよく見ると香港人全員が信号無視をしているわけではないまた

世界には今でも戦争をしている国がいくつもある

「人を傷つけ合うなんて馬鹿げている」

55 第30回全国中学生人権作文コンテスト

海外作品

とぼくは悲しくなるでもそれも好きで戦っている人がいるとも思えないその

人たちがそうなったのには何かきっと原因があるはずだ

 

逆に外国人から見ると日本人はどのように思われているのだろう

 

インドから日本に帰国した時毎日ごみがたくさん出ることにぼくはとても驚

いたインドの人たちがよく使う道端にあるカレー屋さんではバナナの葉で作ったお皿にカ

レーを入れてくれる食べた後そのお皿を道に捨てるとのら牛がその葉っぱを食べるそして

牛のふんは燃料になるというそれに比べて日本はちょっと歩くとペットボトルの飲み物が

買えファーストフードのお店では使い捨ての食器を使い立派なお菓子の箱を開けると中身が

少なくてがっかりすることもあるある時母が捨てたジャムの空きびんをメイドさんとエア

コンの修理にきていたワーカーさんとが取り合ってけんかをしていたこともあったそれを見

てぼくはあきれてしまったが逆にインド人から見ると使い捨て文化のしみついた日本人は

とんでもない人間にみえるのかもしれない国によって考え方や行動パターンが違うのは歴史

的背景や宗教習慣気候などのいろいろなことが関わっているのだと思う

 

このように考えると差別とはその人の一部しか見ていないことや自分のやり方だけが正

しいと思うことからおきるのではないかと思うその人が自分とは違った行動をとったとしても

それには深い理由があるのだろうと考えればきっと納得できると思うぼくもこれからは否

定的な発言をする前にその人たちのことをいろいろな角度から見て理解する努力をしてみよう

と思う外国との間には自分の国とは違う言葉や文化という壁があるとみんな言うがそこに

入賞作文集 56

海外作品

あるのは壁ではなく橋だとぼくは思う理解

し合おうという気持ちがあればきっと誰でも

その橋を渡っていけるはずだ気持ちの国境を

こえるのにパスポートはいらないお互いを理

解し合おうと思う気持ちが一番大切だと思う

そしてぼくはこれから日本人として生きる

のではなく地球人として生きていこうと思う

57 第30回全国中学生人権作文コンテスト

海外作品

法務局地方法務局名 郵便番号 所  在  地 電  話

金沢地方法務局人権擁護課920-0024 金沢市西念3-4-1金沢駅西合同庁舎(平成23年3月11日まで) 076-231-1244

921-8505 金沢市新神田4-3-10金沢新神田合同庁舎(平成23年3月14日から) 076-292-7804

富山地方法務局人権擁護課 930-0856 富山市牛島新町11番7号富山合同庁舎 076-441-6376

大阪法務局人権擁護部 540-8544 大阪市中央区谷町2丁目1番17号大阪第2法務合同庁舎 06-6942-9492

京都地方法務局人権擁護課 602-8577 京都市上京区荒神口通河原町東入上生洲町197番地 075-231-0131

神戸地方法務局人権擁護課 650-0042 神戸市中央区波止場町1番1号神戸第2地方合同庁舎 078-392-1821

奈良地方法務局人権擁護課 630-8305 奈良市東紀寺町3-4-1奈良第2法務総合庁舎 0742-23-5457

大津地方法務局人権擁護課 520-8516 大津市御陵町3番6号大津法務総合庁舎 077-522-4673

和歌山地方法務局人権擁護課 640-8552 和歌山市二番丁2番地和歌山地方合同庁舎 073-422-5131

広島法務局人権擁護部 730-8536 広島市中区上八丁堀6番30号広島合同庁舎 082-228-5790

山口地方法務局人権擁護課 753-8577 山口市中河原町6番16号山口地方合同庁舎2号館 083-922-2295

岡山地方法務局人権擁護課 700-8616 岡山市北区南方1丁目3番58号 086-224-5761

鳥取地方法務局人権擁護課 680-0011 鳥取市東町2丁目302番地鳥取第2地方合同庁舎 0857-22-2289

松江地方法務局人権擁護課 690-0886 松江市母衣町50番地松江法務合同庁舎 0852-32-4260

高松法務局人権擁護部 761-8077 高松市出作町585-4 087-815-5311

徳島地方法務局人権擁護課 770-8512 徳島市徳島町城内6番地6徳島地方合同庁舎 088-622-4171

高知地方法務局人権擁護課 780-8509 高知市栄田町2丁目2番10号高知よさこい咲都合同庁舎 088-822-3331

松山地方法務局人権擁護課 790-8505 松山市宮田町188番地6松山地方合同庁舎 089-932-0888

福岡法務局人権擁護部 814-0005 福岡市早良区祖原14-15福岡法務局西新出張所庁舎5階 092-832-4311

佐賀地方法務局人権擁護課 840-0041 佐賀市城内2丁目10番20号佐賀合同庁舎 0952-26-2148

長崎地方法務局人権擁護課 850-8507 長崎市万才町8番16号 095-826-8127大分地方法務局人権擁護課 870-8513 大分市荷揚町7番5号大分法務総合庁舎 097-532-3368

熊本地方法務局人権擁護課 862-0971 熊本市大江3丁目1番53号熊本第2合同庁舎 096-364-2145

鹿児島地方法務局人権擁護課 890-8518 鹿児島市鴨池新町1番2号 099-259-0684宮崎地方法務局人権擁護課 880-8513 宮崎市別府町1番1号宮崎法務総合庁舎 0985-22-5124

那覇地方法務局人権擁護課 900-8544 那覇市樋川1丁目15番15号那覇第1地方合同庁舎 098-854-1215

入賞作文集 58

問合せ先一覧

法務局地方法務局名 郵便番号 所  在  地 電  話

札幌法務局人権擁護部 060-0808 札幌市北区北8条西2丁目1番1札幌第1合同庁舎 011-709-2311

函館地方法務局人権擁護課 040-8533 函館市新川町25番18号函館地方合同庁舎 0138-23-9528

旭川地方法務局人権擁護課 078-8502 旭川市宮前通東4155番31旭川合同庁舎 0166-38-1114

釧路地方法務局人権擁護課 085-8522 釧路市幸町10丁目3番地釧路地方合同庁舎 0154-31-5014

仙台法務局人権擁護部 980-8601 仙台市青葉区春日町7番25号仙台第3法務総合庁舎 022-225-5739

福島地方法務局人権擁護課 960-8021 福島市霞町1番46号福島合同庁舎 024-534-1994

山形地方法務局人権擁護課 990-0041 山形市緑町1丁目5番48号山形地方合同庁舎 023-625-1321

盛岡地方法務局人権擁護課 020-0023 盛岡市内丸7番25号盛岡合同庁舎 019-624-9859秋田地方法務局人権擁護課 010-0951 秋田市山王7丁目1番3号 018-862-6533

青森地方法務局人権擁護課 030-8511 青森市長島1丁目3番5号青森第二合同庁舎 017-776-9024

東京法務局人権擁護部 102-8225 千代田区九段南1丁目1番15号九段第2合同庁舎 03-5213-1234

横浜地方法務局人権擁護課 231-8411 横浜市中区北仲通5丁目57番地横浜第2合同庁舎 045-641-7926

さいたま地方法務局人権擁護課 338-8513 さいたま市中央区下落合5-12-1さいたま第二法務総合庁舎 048-859-3507

千葉地方法務局人権擁護課 260-8518 千葉市中央区中央港1丁目11番3号千葉地方合同庁舎 043-302-1319

水戸地方法務局人権擁護課 310-0061 水戸市北見町1番1号水戸地方法務合同庁舎 029-227-9919

宇都宮地方法務局人権擁護課 320-8515 宇都宮市小幡2丁目1番11号宇都宮地方法務合同庁舎 028-623-0926

前橋地方法務局人権擁護課 371-8535 前橋市大手町2丁目10番5号前橋合同庁舎 027-221-4426

静岡地方法務局人権擁護課 420-8650 静岡市葵区追手町9番50号静岡地方合同庁舎 054-254-3555

甲府地方法務局人権擁護課 400-8520 甲府市北口1丁目2番19号甲府地方合同庁舎 055-252-7239

長野地方法務局人権擁護課 380-0846 長野市旭町1108番地長野第2合同庁舎 026-235-6634

新潟地方法務局人権擁護課 951-8504 新潟市中央区西大畑町5191番地新潟地方法務総合庁舎 025-222-1564

名古屋法務局人権擁護部 460-8513 名古屋市中区三の丸2丁目2番1号名古屋合同庁舎第1号館 052-952-8111

津地方法務局人権擁護課 514-8503 津市丸之内26番8号津合同庁舎 059-228-4193岐阜地方法務局人権擁護課 500-8729 岐阜市金竜町5丁目13番地 058-245-3181

福井地方法務局人権擁護課 910-8504 福井市春山1丁目1番54号福井春山合同庁舎 0776-22-5090

問合せ先一覧 (法務局地方法務局)

59 第30回全国中学生人権作文コンテスト

問合せ先一覧

世界人権宣言啓発書画「鳥」「自由と解放」を表わしたもの 小木太法書オタビオロス画(財)人権擁護協力会提供

入賞作文集 60

すべての人間は生まれながらにして

自由でありかつ尊厳と権利とに

ついて平等である人間は理性と

良心とを授けられており互いに同胞の

精神をもって行動しなければならない

―――

世界人権宣言 第一条

―――

第三〇回

 全国中学生人権作文コンテスト

中央大会表彰式

印  刷 平成23年1月25日

発  行 平成23年2月14日

発 行 者 法務省人権擁護局

全国人権擁護委員連合会

東京都千代田区霞が関一丁目1番1号

電話 03(3580)4111 内線5875

URL httpwwwmojgojpJINKEN

第30回全国中学生人権作文コンテスト中央大会審査員

感想をお聞かせください本作文集を読まれた感想等を下記の連絡先又はkeihatsumojgojpまでお寄せください

無断転載を禁じます本作文集に掲載された作文や写真等を地方自治体が広報誌に掲載したり学校が教材に使用される場合などにはあらかじめ下記に御連絡ください

100-8977 東京都千代田区霞が関一丁目1番1号 法務省人権擁護局人権啓発課 TEL03(3580)4111 内線5875

作  家(審査員長) 落 合 恵 子映画監督 山 田 洋 次社団法人日本新聞協会事務局長 川 嶋   明日本放送協会解説委員室解説委員 南   直 樹文部科学省初等中等教育局視学官 三 好 仁 司全国人権擁護委員連合会長 中 村 浩 紹法務省人権擁護局長   井 忠 雄

(敬称略)

【式次第】

第一部

 会

主催者あいさつ

賞状授与

内閣総理大臣賞法務大臣賞

文部科学大臣奨励賞法務副大臣賞

法務大臣政務官賞

全国人権擁護委員連合会長賞

社団法人日本新聞協会会長賞

日本放送協会会長賞(以上各一名)

法務事務次官賞(三名) 計一一名

学校への感謝状贈呈

高円宮妃殿下おことば

来賓祝辞

第二部

各受賞作文の朗読

内閣総理大臣賞法務大臣賞

文部科学大臣奨励賞

全国人権擁護委員連合会長賞

社団法人日本新聞協会会長賞

日本放送協会会長賞

 評

全国中学生人権作文コンテスト中央大会審査員

 山田洋次氏

 落合恵子氏(ビデオレター形式)

第三部

新垣勉さんコンサート

 会 平成二二年一二月一八日(土)

午後一時三〇分〜三時五〇分

於ニッショーホール

「いじめ」や暴力行為等は人権侵害です

法務局地方法務局では

人権侵害による被害を受けた方を

救済するための活動を行っています

お気軽にご相談ください

女性の人権ホットライン

インターネット人権相談受付窓口

ゼロナナゼロのハートライン

0570-070-810

子どもの人権110番ぜろぜろななのひゃくとおばん

 0120-007-110

パソコンから httpwwwmojgojpJINKENjinken113html携帯電話から httpwwwjinkengojpsoudanmobile001html

インターネット人権相談 検 索

Human Rights法務省人権擁護局全国人権擁護委員連合会

人権イメージキャラクター人KENあゆみちゃん人KENまもる君

全国共通通話料無料

全国共通ナビダイヤル

この冊子は環境保護印刷の「水なし印刷」で印刷されています

第30回全国中学生人権作文コンテスト入賞作文集

法務省人権擁護局全国人権擁護委員連合会

人権イメージキャラクター人KENまもる君人KENあゆみちゃん

この冊子には音声コードが各頁(奇数頁 左下偶数頁 右下)に印刷されています専用の読み上げ装置で読み取ると記録されている情報を音声で聞くことが出来ます

Human Rights法務省人権擁護局全国人権擁護委員連合会

 全国中学生人権作文コンテスト入賞作文集

 全国中学生人権作文コンテスト入賞作文集

第30回

 

この作文コンテストへの応募作品はいずれも中学生らしい感性に富み純粋な感覚で人権問

題を捉えたものばかりであり応募された皆さまの真摯な姿勢には心を打たれるものがあります

 

また本年度はこの作文コンテストの輪が国際的にも広がり海外の香港日本人学校中学部

からも作品が寄せられました海外からの応募作品については残念ながら本選への応募とは

なりませんがこの中から代表作品として一作品を御紹介します

 

この作文集をより多くの方々に御愛読いただき人権尊重の輪が更に大きく広がることを願っ

てやみません

 

終わりにこの作文コンテストの実施に当たり多大な御尽力をいただいた全国各地の教育委

員会中学校等関係各方面の皆さま方に対し心から感謝を申し上げます

 

平成二三年二月

法務省人権擁護局

全国人権擁護委員連合会

3 第30回全国中学生人権作文コンテスト

はしがき

 【審査講評】

 【入賞作文】

内閣総理大臣賞

 「身近で無意識な人権侵害」

佐賀県佐賀市立東与賀中学校三年

江え

川がわ

 麻ま

理り

香か

10

法務大臣賞

 少しずつhellip一歩ずつhellip

兵庫県篠山市立西紀中学校三年 辻つじ

本もと

 桃もも

佳か

14

文部科学大臣奨励賞

 「差別のない世界へ」福島県福島市立渡利中学校一年 ローリンズ リコ

18

法務副大臣賞

 私の大好きなふる里

熊本県熊本県立八代中学校一年 井いの

上うえ

 由ゆ

紀き

子こ

22

法務大臣政務官賞

 「家族」とは何か

栃木県さくら市立喜連川中学校三年 大おお

田た

 葵あおい

26

目  次

入賞作文集 4

目  次

全国人権擁護委員連合会長賞

 忘れてはならないこと

群馬県群馬大学教育学部附属中学校三年 大おお

井い

 海み

琴こと

30

社団法人日本新聞協会会長賞

 ハンセン病について考えたこと

埼玉県学校法人立教学院立教新座中学校一年 久く

米め

 一かず

輝き

34

日本放送協会会長賞

 悔いのない最期を

山形県酒田市立松山中学校三年 櫻さくらだ田

 要かな

太た

38

法務事務次官賞

 差別のない社会に(パピーウォーカーの経験から学んだこと)

東京都小平市立小平第六中学校三年 林はやし 里り

咲さ

42

 祖父への靴下静岡県静岡大学教育学部附属浜松中学校三年 守もり

田た

 幸こう

平へい

46

 いじめをなくすために今

徳島県三好市立池田中学校三年 浦うら

谷たに

 毅たける

50

 【海外作品】

 国境をこえて

香港日本人学校中学部二年 村むら

瀬せ

 広ひろ

高たか

54

5 第30回全国中学生人権作文コンテスト

目  次

審査講評

落合 恵子

「時代のページをひらく」

 

二〇一〇年の年の暮れにこの講評を書いている

 

資料など紙類の最後の収集はいつだった 

明日 

明後日 

分別ゴミの収集日を確認しな

がらその前に新聞などの連載の仕上げがいつまで 

と年始休休が入るこの時期はなにか

と気ぜわしい

 

気分前のめり状態なのだがわたしたちの多くはゴミは出してしまえばそれで落着わ

たしの原稿も担当のかたにメールで送ってしまえば終わりである

 

けれどその向こう側にはこの寒空(今朝は特に寒さが厳しい)のもとわたしたちが出し

たものを集める仕事をされているかたがたがいるわたしたちが書いたものを印刷してくれるか

たがたもいるhelliphellip

入賞作文集 6

審査講評

 

こうしてひととひとはひとと暮らしは有機的に繋がっているのだと改めて思うのも年の

暮れだからなのかいや人権についての素晴らしい姿勢と視点に溢れた「あなた」の作品を今

朝もう一度読み返したせいなのかもしれない

 

第三〇回を迎えた全国中学生人権作文コンテスト全国(今回は海外からの作品もあったが)

の中学生の四人にひとりはこの作文を書いてくださったとうかがった

 

すごいことだ嬉しいことだ素晴らしいことだと心が震える

 

たとえばいま大人たちに人権に関する作文を書いてくださいと言ってどれほどのひとが

賛同し実際に書いてくれるだろう考えることと実行することの間には深い溝がある

 

それもこれほど瑞々しい感受性と論理性に裏打ちされた作品をである

 

毎回書いているような気がするがこの作文コンテストに選考委員のひとりとして加わる唯一

の苦しみは応募作品に順位をつけることにある

 

どれもがキラリと光る芽を持った作品にいったい順位をつけることが可能なのか読み手で

あり選考する側のわたしたち大人の「人権意識」がある意味試されているような緊張が

いつもある

 

何度も何度も読み返しそれでも迷うことがあることも告白しておこう

 

内閣総理大臣賞を受賞された江川麻理香さんの『身近で無意識な人権侵害』

 

入院先で出会ったひとから聞いた悪意不在のけれど「もうひとつの差別」

目が不自由であることから子どものように「扱われること」への居心地の悪さ

7 第30回全国中学生人権作文コンテスト

審査講評

についてそういった傾向がわたしたちの内にもないかを問い返した優れた作品で

ある

 

それは「される側」からの柔らかな異議申し立てであり問題提起でもある

認知症の母を自宅で介護していたおよそ七年間わたしも病院などで母にかけられ

る言葉がとても気になった言葉の多くが幼児へのそれに似ていて「優しく接すること」が

幼児言葉であるという習慣のようなものはわたしたちの暮らしの中のいろいろな場面にある

ひととして親切であることと相手に対する想像力を働かせることと幼児に向けてのような言

葉を使うことはまったく別なことなのだが

 

悪意不在であるがゆえにかえって問題提起しにくいテーマを江川さんは見事に拓いてくだ

さっている

 

辻本桃佳さんの作品目の不自由なお父様がある日電車の中で出会ったことを通して「個

人的な体験」を普遍的なテーマに広げ深めることに成功した作品だ

 

人種と「見た目」の違いをテーマにしたローリンズ

リコさんの作品水俣という愛する郷里

の酸鼻な歴史とそこから生まれた差別と偏見について丁寧に描いた井上由紀子さん事情があっ

て家族とは離れて暮らす大田葵さんが今考える拓かれた『家族』とはかつて偶然に出会っ

たひとたちが偶然を必然に変えて

4

4

4

4

4

4

4

4

4

新しい結縁の家族を作っていく小説を書いたわたしには特

に心に響く作品だった

 

文字数の関係ですべてに触れることはできないが心に響く作品たちを読んでいる間はささ

入賞作文集 8

審査講評

やかながら人権の活動をしてきた「かつての中学生のひとり」としてとても充たされた思いの

中にいた

 

ありがとうと心から「あなた」にお伝えしたい

 

そして若い季節に人権を自分に引き寄せこうして作品にまとめあげた体験は「あなた」に

準備されているたくさんの明日に光をもたらしてくれるはずhelliphellipと書いてふっと思う自分の

暮らしの核に人権を置くことは素晴らしいことであると同時にある意味ストレスを抱え込

むことでもあるのではないかとそれは気づいてしまうストレスでもある社会にはまだま

だ差別がある人権についてセンシティヴであればあるほどそれに気づき失望し傷つくこ

とも少なからずあるはずだ

 

それでもとわたしは「あなた」にお伝えしたい気づかない人生よりも気づく人生そし

て気づいたことを少しでも「拓いていく」人生のほうが容易ではないがはるかに充実してい

るはずだと

 

オーディオセットから大好きなクリスウィリアムソンとメグクリスチャンの曲が流れて

いるhelliphelliphellipわたしたちは新しい時代を作るため新しいページを開くために時代のステージ

にいま登ったところだとふたりとも歌を通してアメリカで人権の活動をしてい

るアーティストである海のこっち側のわたしたちもいま新しい時代のページを

開く時そのステージの上にいる

9 第30回全国中学生人権作文コンテスト

審査講評

内閣総理大臣賞

 

私が入院した時眼科や外科内科などいろいろな病状の患者さんと知り合いになった仕事

で足を骨折した人胃を悪くして入院した人目の手術を受けた人など年齢や性別職業も様々

でふだんあまり接することのない人たちと話す機会に恵まれた病気やケガの苦労話はもちろ

んのこと世代の違う人たちの話はとてもおもしろかった「人権」について考える時その中

の一人の患者さんのことが頭に浮かんだ

 

人権侵害とは障害者やお年寄りなど立場の弱い人たちに対する差別や悪意のある偏見か

らくるものだとばかり思っていたところがたとえ善意であっても思わぬところから人権の侵

害になっていることがあるのだと考えさせられたのであった

 

目の手術を受けたその人は母と同年代ぐらいの女の人だった目が不自由なことで周りの

江え

川がわ

 麻ま

理り

香か

佐賀県佐賀市立東与賀中学校 三年

「身近で無意識な人権侵害」

入賞作文集 10

入賞作文

人たちがとてもよくしてくれるのはいいがそのために困ったり悲しい思いをすることもあると

いうのだった私はこれまで人に優しく親切にすることはいわば常識であり当然のことだ

と思っていただけに大きなショックを受けた困った時に手を貸してくれるというのに悲しい

思いをするとはどういうことなのだろう私たちが親切のつもりでやっていることが迷惑になっ

ているというのだろうかお年寄りや障害者をいたわるのは当たり前でありそれは感謝される

ことはあっても迷惑に思うなどとは筋違いではないだろうかところがその人の立場から見

れば好意のつもりでもまるで小さな子どものように扱われたりこれは危険だからと勝手に

予測されて遠ざけられてしまったりと自分の意思とは関係なく何でも先回りされてしまうのが

悲しいのだそうだ目は悪くとも自分は子どもではないしできなくはないことにまで行き

過ぎた親切にひどく心を傷つけられるのだというまた相手がよかれと思ってくれていること

だけにそれを断ろうものならあからさまにいやな顔をされたり急に態度を変えられることも

あったりでかえって気を遣うのだそうだ

 

私ははっとした今まで手を貸す側から見ることはあっても逆の立場から考えたことはな

かったので大きな衝撃を受けたいつの間にか相手より自分を少し高い所に置いて見ていない

だろうか無意識のうちに相手のことを保護すべき弱者だとして見ていないだろう

か私は今中学生だがそれ以下の子ども扱いされると腹が立ついちいち細かい

ことまで制限されたり禁止されたりすれば確かにいい気持ちはしない同じよう

に障害者や老人に対して危険だ何だのとその人ができることまでをも禁止し

11 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

まだこぼしてもいない湯のみを取り上げるようなことをしてはいないだろうか

 

確かに弱者をいたわり手助けすることは人として当然であり必要なことで

あるしかし相手の気持ちや状況を考えずただ一方的に押しつけるだけの親切

はただの自己満足でしかない見えない人には見えない人なりのやり方や考え方が

あるのにそこに寄り添うための理解がないとしたらそれは人権を侵害しているといえないだ

ろうか

 

人は皆平等であるけれど環境や年齢身体能力などは同じではないだからこそ人とし

ての尊敬の念や思いやりいたわりの心を持って接することが大切なのだと思う

 

しばらく前の人権侵害とは人を自分より見下したりおとしめることで優越感を持つための

ものだったように思うそして今生活や文化が豊かになった現代では行き過ぎた親切やいた

わりが人の心を傷つけそれが新たな種類の人権侵害の一つになっていることもあるのだ「善意

イコール感謝されるべきもの」という考え方が全てに当てはまるとは限らないまた当ては

めようとしてはならないその人にとっての「いちばん」は何かひとりひとりを尊重するため

には本当に助けが必要かどうか出すぎたことをしていないかを見極めることも大切なのだと

思う

 「人権」について考えることそれはとても難しいことのように思えるが意外と簡単なこと

ではないだろうか同じ人間同士が並んで歩くための人と人との間の権利私たちが無意識のう

ちに作り出している優劣の壁を取り払うこと自分の価値観を人に押しつけないこと自分も相

入賞作文集 12

入賞作文

手も同じひとりの人間なのだとその

人の心に寄り添い理解し合う努力こ

そ人権を守る大きな力になると思う

13 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

 

十五年前父が篠山の町中を歩いているとこう言われた「そんな棒きれ振り回さんといて」

と父は決して棒きれを振り回していた訳ではないただ白杖を持って歩いていただけだそ

の話を聞いて私は驚いたたった十五年前のことだけど信じられない気持ちでいっぱいになっ

ただが十五年経った今ではそんなことはないだろうマスメディアが発達しいろんなハン

ディを持った人のことが紹介されたり障がい者の方自身が社会参加する機会が増えたからだと

 

そしてこんな話も聞いたことがある電車に乗った時に時間が知りたくて携帯電話を開い

たときのことだ「こんなとこで電話したらアカンやろ」と中年のおばさんに怒鳴られたそうだ

優先座席の近くだったということもあるが『目の不自由な人=白杖を持っている』という認識

は広まってきているが時間を知りたいときには音声が出る時計や携帯電話を使うということは

法務大臣賞

辻つじ

本もと

 桃もも

佳か

兵庫県篠山市立西紀中学校 三年

少しずつhellip一歩ずつhellip

入賞作文集 14

入賞作文

ほとんど知られていないのだそのとき父は説明しようと思ったがどうせ分かってもらえな

いと思い「すみません」と謝りとても悲しい気持ちになったそうだ見えている人は時間

が知りたければ時計を見ればすぐに分かるだが目が不自由だと音で聞くしかないのだ私は

障がい者が暮らしやすいような機器が発達してきていることをもっと社会に広めていくことが

必要だと思うそうすることで協力してくれる人や理解してくれる人が増えていくのではな

いだろうか

 

視覚障がい者の方が日常生活を送る上で給付や貸与される機器がある音声で教えてくれる

時計や体重計文章読み上げ器などがそれだこれらは以前県の基準で市が実施要綱を定めて

そこが窓口となって行われていたが法改正により各市区町村対応となったしかしこの日

常生活用具の中に健常な家族と同居している視覚障がい者には給付してもらえない物もあるの

だそれは体温計や体重計であったりするこの体温計がなければ家族が出かけている間に

体調が悪くなっても計測することはできないのだ

 

父の知り合いに赤ちゃんを連れた全盲のお母さんがいる体温を計るのに複数の体温計で赤

ちゃんの体温を計りその体温計に印をつけて病院まで持っていって見てもらったり家族が帰っ

てくるのを待って見てもらうことがあるそうだ私たちは簡単に体温を計ること

ができるが見えない人たちはそれができないために生命の危険にさらされてしま

うことがあるのだせっかく便利な機器が発明されても値段が高くて簡単に購

入できないもしくは制度のカベによってそのサービスが受けられないことがあ

15 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

るしかし私の住む篠山市では父たちの声が福祉課の方々に届き日本で初めて

音声式体温計が同居家族の有無にかかわらず給付されるようになったのである

 

今は携帯電話が音声で読み上げてくれてメールや時間GPSなどの便利な

機能を視覚障がい者の方も利用できるようになっただがそのことを知っている

健常者の方は全国にどれくらいいるだろうかまたこのことを知っている当事者である視覚障

がい者の方が全国にどのくらいいるだろうか私はまだ知らない人が多いと思う

 

ここ十五年程で視覚障がい者の人は白杖をついているということはほぼ知られてきたが生

活を助ける機器が発達してきているということは知らない人も多いだろうそれが「あの人は

目が動いているから見えている」とか「あの人はずっと目をつぶっているから見えていない」

「物を避けているから見えている」「物にぶつかっているから見えていない」という勝手な

思い込みで障がいの重さをはかることにつながっているのではないだろうかでもそれは間違っ

ている目を閉じれば視覚障がい者の疑似体験はできるでもそれはあくまでも体験であって

個人個人の見え方はそれぞれ違うし外見や行動で障がいの重度を判断するのは良くないと私は

思う同じような見え方ができたとしても全く同じ動きなんてできる訳ないのだから毎日父

と生活していてもどのくらい見えているのか私にもはっきり分からないなにげに父たちがこな

している日常の動作であっても私たち健常者にははかりしれない恐怖と不安努力があるの

だ誰でも目をつぶれば見えない世界を体験した気になる松葉杖をつけばその体験をした気

になる車イスに乗ればその体験をした気になるだが本当の障がい者の苦悩と努力の一部

入賞作文集 16

入賞作文

しか体験していないことを知ってお

いてほしい私たちには当たり前に

できるようなことがあってもどん

なに望んでもできない人たちがいる

ということとみんなの正しい理解と

知識が障がい者の明るい未来へとつ

ながっていくということを知ってほ

しいそしてこのことを広めていか

なければならない

 「少しずつhellip一歩ずつhellip」

17 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

 「Pick your 

head up」

 

これは父がいつも私にかけてくれる魔法の言葉です

 「顔をあげなさい下を向かない」という意味です

 

私の父は生まれも育ちもニューヨークのアメリカ人です女の子は父親に似るとよく言われ

ますが私もそうで日本人の母親よりも父の方に髪質も肌の色も本当によく似ています子供

が親に似ることはあたりまえのことですが私はそのためにいやな思い悲しい思いをいくどと

なくしてきました

 

初めて自分がみんなとちがうんだなと思ったのは幼稚園に入学してまもなくのことでした同

じ組の女の子たちが何人かして楽しそうに遊んでいたので

ローリンズ リコ

福島県福島市立渡利中学校 一年

「差別のない世界へ」

文部科学大臣奨励賞

入賞作文集 18

入賞作文

 「まぜて」

と声をかけると一人の子が言いました

 「このグループは日本人で髪がまっすぐな人しか入れないのリコちゃんは髪がチリチリだし

ハーフだからダメ」と

 

私はとても悲しくなりましたそしてそれは卒園するまで続きました

 

小学校は人数も少なかったせいかみんなとても仲良くて私の外見のことを言う人はだれ一

人いませんでしたまるで兄弟のようにみんな自然に接してくれましたでも習い事やいろい

ろな大会など他校の子たちといっしょになる場面ではやはり髪の毛や肌のことをからかわれ

ることはよくあることでした私には二学年上の兄がいますが兄もやはり父の方に似ています

おだやかな性格の兄は私以上につらい思いをしてきたと思います

 

父は兄や私の話を聞くたびに

 「Pick your 

head up」

と言いましたそして

 「自分に自信とほこりをもちなさいあなたたちは二つの文化を受けついでそれはとてもす

ばらしいことなんだよ」

といつも話してくれました

 

中学に入って間もないころでしたある男の子がいきなり私に向かって言いまし

19 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

 「おまえ風呂に入っているのか黒いぞ外国人はくさいからな」

 

私はとてもはずかしくなりましたそしていかりや悲しみがこみあげてきました

まわりにいた友達は彼の言葉に苦笑いをしていました私はいかりのあまり彼をな

ぐりたくなりましたその時私は父のあの言葉を思い出しました私は顔を上げ

相手の目を見て静かに自分の傷ついた気持ちを伝えました

 

彼は私に向かってこう言いました

 「ごめんわるかった」

 

彼は人を傷つけるということが彼の想像以上に重くそしてひどいことだと少し気付いたよう

でした

 

差別やいじめというのは私たちのまわりでは小さなことから大きなことまで本当によくあり

ますそして差別やいじめをしている側からすればそれをじょう談だという人も多いのです

まわりの人たちもやはりじょう談や遊びの中でのことにとらえてしまう人たちもとても多いので

すだから小学校の時から私たちは道徳などでいじめや人権などについて学んでいてもなかな

かそれがなくならないのだと思いますでも実際に差別やいじめをされている方はみんなの想

像よりはるかに傷ついているということつらいということそして悲しいということを私はこ

の人権作文を通してたくさんの人に知ってほしいのですけがをすれば日がたつごとにそのけ

がは治っていくでしょうまわりからも治っていく様子が見てわかるでしょうでも心に受けた

傷は本人にしかわからないのですその傷がどんなに深くて痛いものか本人にしかわからないの

入賞作文集 20

入賞作文

です

 

肌の色が違っていてもかみの毛が

違っていても私たちはみんな同じ人間

です心を持った人間です相手の気

持ちを思いやり相手の立場になって

考えればいじめや差別はなくなると

思います今も世界のいたるところで

人種差別が問題となり争いが起きてい

ます私は世界から差別やいじめがな

くなるように強い心を持ってまずは

自分から立ち向かっていきたいです

21 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

 

あなたには大好きなふる里がありますか私には緑の木々と青い海に囲まれた自然豊かな

大好きなふる里があります私のふる里は過去に公害という大きな被害をうけた水俣ですそ

の水俣病で患者はもちろんそうでない人も長い間差別をうけてきました

 

父が幼い頃まだ水俣病の原因が究明されておらず水俣病はうつると言われていました列

車が水俣の駅につくと窓をしめ手で口をおおった人もいました修学旅行に行くと同じ宿

舎になった学校から苦情を言われたこともありました水俣出身ということで結婚を断られた人

や就職試験をうけることさえできなかった人もいました水俣に住んでいることをかくして隠

れるようにひっそり暮らしていた人もいましたまた同じ水俣に住む人でさえ奇病と呼び距

離をおきましたそのことでたくさんの人々が傷つきあってきたのですいろいろな立場の人々

井いの

上うえ

 由ゆ

紀き

子こ

熊本県熊本県立八代中学校 一年

私の大好きなふる里

法務副大臣賞

入賞作文集 22

入賞作文

がせまい土地に住んでいるのですから仕方がなかったのかもしれません

 

しかし今では原因も究明され海の安全も確認されたことでそのようなことはほとんどな

くなりました私たちは過去のことを忘れるくらい楽しくすごしています

 

私は今八代の中学校に通っています私は自分が水俣出身ということを隠すこともありませ

ん友だちもまたそのことを知っていますがからかったりいじめたりする人は誰一人いません

 

しかし先日水俣の中学校のサッカー部が練習試合中に相手チームの選手から

「さわるな水俣病がうつる」

と言われたという記事が新聞にのっていました今でもこういう風に思っている人がいるのか

と思うと残念で仕方ありません何気なく言った一言だったのかもしれませんがその一言は

私たち水俣に住む者にとって非常に悔しく悲しいものでした

 

小学校の総合的な学習の時間で水俣病について学習しました原因となった会社を訪問したり

患者の方から当時の話をきいたり交流も行いましたそんな中で苦労されたり何も言えずに

黙って亡くなった人のことを知り水俣に住んでいながら何も知らなかったことをはずかしく思

いました水俣病についてしっかり学び正しい知識を得ることが差別や偏見をなくすのだと気

付きました

 

中学校の道徳の時間ではハンセン病について学習しましたこれも水俣病同様

正しい知識がなかったためにおきた悲しく悔しい悲劇でした

 

私たちが差別や偏見をなくすためにできることそれはその人その出来事に

23 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

ついてしっかり知ること知ろうと努力すること正しい知識を深めるために学習

することではないかと思いますそうすれば水俣病やハンセン病のようにむや

みに人と人とが傷つけあったり憎しみあったりすることはなくなるのではないで

しょうか

 

先日テレビで水俣のダイバーが紹介されましたその人は本当はほこりたい水俣を心の中

にじっとしまいこみ誰にも言えず何年もの間生きてきた人でしたしかし水俣の地にも

どり自分はこのすばらしい美しいふる里を紹介したいと海にもぐり写真をとり続けておら

れるそうです心に差別という深い傷を負いながら水俣の再生を皆に知らせたいと頑張る人

がいることに感動しました

 

今水俣はごみの分別リサイクル事業など市民全員で環境にやさしい町づくりをすすめてい

ます私は差別や偏見から立ちなおり再生しようと環境問題に一生懸命とりくんでいるふる

里水俣をほこりに思っています

 

水俣では運動会等多くの行事で「水俣ハイヤ節」というものが踊られますこれは水俣病

の患者の方が水俣の青い海と豊漁を願って振りつけをされた踊りだそうです私たちと同じ思い

をする人が二度とでないことを祈りながら私たちは毎年皆でこの踊りを踊ります

 

水俣の悲しい過去を変えることはできませんが私はあやまちを二度とくりかえさないため

にこの美しい自然を守り真実を語り継いでいきたいですそして差別や偏見のない社会に

なるよう自分から努力していきたいと思います

入賞作文集 24

入賞作文

25 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

 

みなさんは「本当の『平和』とは」と質問されたら何と答えますか「戦争や紛争などが

ないこと」ですかそれとも「自分自身の幸せのこと」ですか一人ひとりの抱く「平和」のイ

メージは違うことでしょう

 

僕の思う本当の「平和」それは「家族」がいて「家庭」があることだと思いますなぜそう

思うかというと今僕は訳あって家族とは離ればなれに暮らしているからです一歳前後には既

に家族とは離れ施設にいました母親や姉兄の存在はわかっていますが一緒に過ごした時

間は限られたもので今でもほとんど交流はありませんそのせいか僕はいつも「家族」や「家

庭」というものに強い憧れを抱いています

 

自分がまだ幼い頃は自分と同じくらいの子が母親と手をつないでいる姿がとてもうらやまし

大おお

田た

 葵あおい

栃木県さくら市立喜連川中学校 三年

「家族」とは何か

法務大臣政務官賞

入賞作文集 26

入賞作文

「どうして自分には母親がいないんだろう」と思っていました仕舞いには自らの母親を恨ん

でしまったのです小学生になってもその気持ちは変わらず母親への恨みは増すばかりでした

 

しかし小学五年生の夏思いもよらぬ出来事が起きましたそれは引っ越しがあったこと

ですそこで僕は新しい土地そして新しい里親という人たちに出会いました里親の人たち

と暮らした数年間僕は幸せでしたそこで僕は僕の周りにはいつも支えてくれる人たちがい

ることに気づきました血のつながりがなくても僕に自分の子どものように接し育ててくれ

た里親の人たち養護施設の先生方などたくさんの方たちに僕は見守られて成長してきたこと

に気づいたのです僕を支えてくれる人すべてに感謝の気持ちがわき出てきましたそれ以来

僕は親という存在にこだわらなくなりましたそれどころか自分に命を与えてくれた親に感謝

の思いを抱くようになったのです

 

この夏母親の育児放棄が原因で二人の乳幼児が衰弱死するという悲しい事件がありました

二人の子どもにろくに食事も与えず風呂も入れなかったそうですさらに逮捕後その母親は

「家に帰ってあげなかったことを今も後悔している子どもは私を恨んでいると思う」

という言ってはならない発言をしました僕は怒る前に亡くなった二人の子ども

たちがかわいそうでなりませんでした

 

と同時に僕はこの母親はどうしてこのようなことをしてしまったのだろうと

すごく考えさせられました僕は本来親は子どもを殺すのではなく守るために

27 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

いるのだと考えますたとえ小さな子どもでも立派な一人の人間ですその命を

守り育てていくことが親として大切な役目だと思うのですこの母親はどこで

勘違いしたかは知りませんが親としての自分の責任を理解していなかったのでは

ないでしょうか

 

そしてその勘違いを誰も母親に気づかせてあげられなかった事実母親が一緒に遊び歩いて

いた友人はもちろん母親の家族が少しでも助けることができていたら母親の行動を戒めるこ

とができていたら連絡を受けた児童相談所がもう少し踏み込んだ行動が取れていたらこのよ

うな悲しい結末にはならずに済んだのではないでしょうかやりきれない思いばかりがこみあげ

てきます

 

もう一つこの母親は大きな勘違いをしていますそれは「子どもは私を恨んでいると思う」

という言葉です僕はこの子どもたちが母親を恨んでいるとは思えません子どもたちは母

親が帰宅するといつもハイタッチをして喜んで迎えたそうです子どもたちは母親のことが大

好きだったのでしょうたとえ自分たちを見放した母親でも恨んでいるとは決して思えないの

です

 

子どもは心の底から自分の母親のことを恨めないと僕は思いますこの世に生を受け笑った

り怒ったり泣いたりと毎日いろいろな経験ができるのは自分を生んでくれた母親という存在

があったからです正直僕も小さい頃は母を恨んだことがありました愛情の裏返しというよ

うに母親への思いが憎しみに変化してしまったのですでも心の底には母への恨みとは全く

入賞作文集 28

入賞作文

正反対の気持ちが存在し続けていましただ

からこそこの子どもたちがどんな思いで死

んでいったのかわかるような気がします母

親を信じひたすら母親の帰りをまちわびて

いた思いが

 

僕にとっての「家族」それは同じ屋根の

下で暮らす人々のことですたとえ血はつな

がっていなくても僕を支え励ましてくれる

人たちそのすべての人が僕にとっての大切

な「家族」なのです今僕の暮らす養護施設

にはいろいろな事情を抱えた二歳位から高

校生までの子どもたちや職員の方が約六十人

います今の僕には全員大切な「家族」で

す僕はこれからもこの「家族」を大切に

一日一日精一杯平和に生きていきたいです

29 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

 

授業でハンセン病について学んだ日両親と「偏見」や「差別」について口角泡を飛ばす議論

を深夜まで繰り広げた身体障害者の父と看護師の母を持つ私は幼い頃から「命の大切さ」を

訴える両親の姿を見て育って来たそんな私は真摯な気持ちからハンセン病罹患者と向き合い

たいと思いこの夏草津にある療養施設栗生楽泉園を訪れた

 

草津までの道のり私は罹患者の気持ちを絶えず考えていたハンセン病について調べると「ら

い予防法」により罹患者は隔離され人権を無視された扱いを受けたことが分かった罹患者の

言葉が書かれた本ではどんなに過酷な仕打ちを受けたか他人をどれほど恨み憎んでいるか

が書かれていたその為私は無意識の内に「罹患者は全員恨みを抱いている」と勝手に思い込

んでいたしかしこんな思い込み自体が偏見や差別を生む原因になるということを後に思い知

大おお

井い

 海み

琴こと

群馬県群馬大学教育学部附属中学校 三年

忘れてはならないこと

全国人権擁護委員連合会長賞

入賞作文集 30

入賞作文

らされることになるのである

 

私を迎えてくれたのは入園者自治会長の藤田三四郎さん藤田さんは大変お元気でその容姿

からはハンセン病を伺い知ることはできなかったしかし藤田さんは紛れもない罹患者なのだ

その証拠に藤田さんの名は本名ではない罹患者は施設に入所するにあたり偽名を使用させら

れたと言うつまりその時点で罹患者は世間から存在を消されてしまうのであるそんな藤田

さんから語られた話はハンセン病だと宣告され三度も命を絶とうとしたこと重症患者の看

護を押しつけられ数え切れない人を看取り自らの手で葬ったこと家族が受けた迫害や侮辱的

な言葉など想像を絶するもので筆舌し難いものだったしかしこんな迫害と差別は同時にハ

ンセン病患者達の人権回復闘争の歴史でもあったのだ闘争の末「らい予防法」が廃止される

と今まで差別や人権侵害を繰り返していた多くの人が掌を返す様に態度を変えたと言う私は聞

いていて怒りを覚えたが不思議なことに耳を塞ぎたくなる様な内容を語る藤田さんからは全

く怒りや恨みが感じられないのだ私は話を聞くまで自分の運命を呪い周囲への恨みつらみ

の言葉が出てくるとばかり思っていたしかし出てきた言葉は「入園出来て良かった差別は

受けたが今では恨みを抱く罹患者も少なくなったそればかりか最近はたくさんの人が我々を

理解し協力してくれるので嬉しい何故なら一人の百歩は力が無いが百人の一歩

は力になるから」と言う感謝の言葉だったのだ本当に「恨みは無いのか」と何度

聞いても答えは同じだった私は恥ずかしくなったハンセン病について調べ罹

患者の心を理解したようなつもりでいながら実は何も理解できてなくてそれば

31 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

かりか罹患者を偏見の眼で見ていたのは私自身だったのだ私は話を聞いてとめ

どなく溢れ出る涙を拭いながら心の片隅に潜んでいた「偏見と言う名の種」が身

体から洗い流されていくのを感じていたそれは同時に「思い込みや無知が偏見

や差別を生みだす」ことを強く感じた瞬間でもあったそれだけに藤田さんの「自

分と同様に他人を愛すればいつか必ず世界から差別はなくなる他人を愛して下さい」の慈愛に

満ちた言葉が一層重く腑に落ちるのだった

 

帰りがけ千五百ページにも及ぶ「入所者証言集」を手渡されたその際私は見えない襷も

手渡された気がしたその襷とは証言集に記された罹患者の「事実を風化させないで私達の事

を忘れないで」という搾り出すような叫び声とその姿だったのである

 

ハンセン病が治る病気であるのに誤った知識から悲惨な人権侵害が長期に渡り続いた同じ間

違いを繰り返さないためにも事実を語りついで行く必要があるここ楽泉園でも高齢化が進み

証言者の数が減っているこれは全国一五全てのハンセン病療養所に共通することだハンセン

病問題は罹患者がいなくなればそれで終わると言う問題ではない今後人権問題を考える際重

要な指針になりうる事実なのだそしてこの事実の風化を防ぐことが私達若い世代の役目だと

私は思う

 

私は小六の時友人達から突然イジメを受けたそれを引きずり他人を恐れ憎み自分を

嫌って生きて来たしかし罹患者の声が私に生きる力と前を向いて歩む勇気を与えてくれた

楽泉園訪問は私に人生観が変わる程の衝撃を与えてくれたのだこんな私だが罹患者の声を伝

入賞作文集 32

入賞作文

える「百人の中の一人」にはなれるはず

だそのために私は今この作文を書い

ている文字は時を越えて生き続けるか

ら私はこれからも楽泉園訪問を続ける

つもりだ実際に中学生の私が出来るこ

とには限りがあるが差別や偏見を少し

でも減らすために一歩を踏み出すつもり

でいる「自分と同様に他人を愛すれば

いつか差別は無くなる」と言う藤田さ

んの言葉を胸に

33 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

 

森に囲まれたその一画には教会や寺院神社があり小さなショッピングセンターやレスト

ランもある床屋や図書館郵便局や浴場もあるしかしそれらの施設を利用するのはその一

画に住む人たちだけだ緑の外側に住む人が利用することはないそこはハンセン病の療養所

多磨全生園である

 

僕は七年前に清瀬市に引っ越してきた夏のある日昆虫が大好きな僕は何気なくその森の

中に入って行ったそして歩き回っているうちにその場所が一つの「町」であることに気付

いた

 

毎日セミやカマキリやナナフシを探しながらどうしてこんな所があるのだろうと思った

 

僕が一番不思議に思ったのは古い木造の小学校だいつも誰もいない校舎と小さな運動場近

久く

米め

 一かず

輝き

埼玉県学校法人立教学院立教新座中学校 一年

ハンセン病について考えたこと

社団法人日本新聞協会会長賞

入賞作文集 34

入賞作文

くに小学校があるのにどうしてこんな所に小学校があるのだろう小学一年生の僕はとても不思

議に思った

 

夏に地域交流を目的とした盆踊りと花火大会が行われるいつもは人のいない小学校跡は多く

の人であふれかえり普段は見かけない重い後遺症の老人たちもこの日は外に出て盆踊りを楽し

む初めて参加したときは言葉が出なかった正直「怖い」と思った

 

夏が来るたびに僕は盆踊り大会に参加した低学年から高学年へと進むにつれて少しずつハ

ンセン病のことが分かってきた

 

六年生のときに社会科見学で全生園の元患者を訪れることになっただが僕は都合で参加で

きなかった僕はそれをずっと悔やんでいる

 

今年の夏僕はハンセン病資料館に出かけた見学者は僕一人でとても緊張したなるべく

音を立てないようにパネルを見て回った

 

強制隔離の現実にとても驚いた狭い部屋に押し込められ症状の軽い患者が重症の患者の世

話をしたという子供を持つ権利や生まれる赤ん坊の命まで奪われていた逃げ出したり反抗的

な患者は「不良患者」と呼ばれ窓の小さな暗い監房に閉じ込められた

 

医学が進歩し療養所も徐々に改善されていったが強制隔離を命じる「らい予防

法」が廃止されたのは一九九六年だという隔離が始まった一九〇八年から約九〇

年も経っていた僕が生まれるほんの一年前のことである特効薬が開発され本

格的な治療が始まったのは昭和二十二年である現実に合わない法律を廃止するの

35 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

にどうしてそんなに時間がかかったのだろうか

 

資料をもらってハンセン病資料館を後にした家を出るときは帰りに虫の観察

をするつもりだったがとてもそんな気にはなれなかったいつもセミが集まる桜

の木には目もくれずに早足で家に帰った

 

資料の中で一番心が痛んだのは療養所の子供たちのことだ療養所に入所したのはハンセン

病を発症した子どもたちだけではない親が発症したために入所する子どもたちもいた当時は

ハンセン病は遺伝病だとされていたからだ親から無理やり引き離された子どもたちは「すぐに

帰れるから」という言葉を信じていたというしかし一生療養所を出ることができなかった人が

多かったという社会的な差別がひどかったからだと資料に書かれていたが僕には実感がわか

なかったのでもう少し調べてみることにした

 

図書館で『ハンセン病を生きて』(伊波敏男著)という本を見つけた少し難しかったが差

別の現実が僕にもわかる部分があったそれは元患者たちに対して書かれた匿名のひどい手紙

である長年隔離されて苦しんできた人たちをさらに傷つける言葉が並んでいた悲しく暗い

気持ちになった

 

日本は経済大国として世界の注目を浴びているだが人権意識の面ではどうだろう「らい

予防法」を二〇世紀の末まで廃止できなかったことをどう考えたらよいのだろうか明治時代に

隔離が始まったときそれは外国に対する体面を保つためだったという病気の人を治療するの

ではなく「隠す」のが目的だったのだいまだに差別意識を持つ人がいるのは社会がそうした

入賞作文集 36

入賞作文

過去に対する反省をしていないから

だと思う

 

僕が不思議に思った小学校はすで

に取り壊されて今では小さな石碑

だけが残っている老朽化がひどく

残しておくことができなくなったか

らだという全生園の古い建物はど

んどん取り壊されていく石碑だけ

ではあの不思議さが伝わらないのが

とても残念だ

37 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

 

僕の曾祖父は医者嫌いでしたそのため腹痛で病院に運ばれた時は膵臓癌の末期で余命三ヶ

月でした手術もできない手遅れの状態でした家族皆で話し合い曾祖父の辛い気持ちを第一に

考え曾祖父に病を隠すことになりました曾祖父は次第に病院の中を歩いては転倒し体中あ

ざだらけになりベッドの上で縛られることになっていました曾祖父は病名の宣告を受けてい

ないため元気で歩けると思っているが実際歩くと転んでしまう何でこんな風になってしまっ

たのかさえわからない

 

家族と病院に行くと「包丁もてこいこれぶった切って家さ帰る」と騒いでいましたあん

なに優しかった曾祖父の姿に言葉も出ず恐いくらいでした何も知らされずベッドに縛り付

けられれば誰もがそうなることでしょう「じいちゃんどご一緒に車さのせでいてくれの」と

櫻さくらだ田

 要かな

太た

山形県酒田市立松山中学校 三年

日本放送協会会長賞

悔いのない最期を

入賞作文集 38

入賞作文

せがまれたときもありますかわいそうで涙がポロポロこぼれました「おじいちゃんどご家

さ連れで帰ろうよ」とせがんでも家族も仕事で忙しいためか誰も首を縦に振ってくれず病院

にいた方が安心ということになりました膵臓癌は予想以上に激しい痛みのため医師から強い

痛み止めと強い睡眠剤を勧められましたがそれを導入することにより安楽死に近い状況にな

ることも医師から告げられていました家族は決断をせまられました曾祖父に相談もせずに決

めていいことなのか家に帰りたい曾祖父の意志は封じ込められたままでいいのか家族で悩み

ました結局痛みに耐えている姿は見ていられなくその薬を使うことになりましたその後

曾祖父は次第に弱っていき口も利けなくなり静かに亡くなっていきました僕はどこか心を

引きずったままでした僕達家族が曾祖父に宣告もせず意見も聞かず命の長さを決めてしまっ

たこと当時幼かった僕には何もしてあげられなかったことが今思い出しても残念です

 

最近授業で人権について学習しているときに幼い頃の記憶がよみがえりふと曾祖父のこと

を思い出しました

 

曾祖父はどんな思いで亡くなったのだろう最後に意識のあるうちに一度でいいから家に帰っ

てきたかっただろう身体拘束は今は病院でも禁止されていると思いますがあの頃は確かに曾

祖父のおなかに黒いベルトのようなものが巻きついていました決して自分の力で

は外せないようなものでしたもがき苦しむ曾祖父の姿を見た時に看護師さんに

目を隠され別の部屋に連れて行かれました見せたくない光景だったのだと思いま

すでもあの姿は僕の脳裏に焼き付いています病院の中での人材不足のためだっ

39 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

たのでしょうか人が人らしく生きていない姿でした

 

七十八年生きてきて何も悪いことをしていないのに縛られ家にも帰れない

病気で余命幾ばくもない人には人権というものは存在しないのでしょうか最近の

医療の現場では自己決定権があることについて学びました

 

仏壇に向かい静かに目を閉じると優しく穏やかに微笑む曾祖父の笑顔が浮かびますどんな

気持ちで亡くなっていったのかその気持ちを考えると苦しい気持ちになります野球の大会に

行く前仏壇に手を合わせます「やればできる努力しろ」とよく励ましてくれました曾祖

父の力には何もなれなかったけれど目には見えない力で応援してくれる曾祖父に線香をあげて

自分を省みる時があります曾祖母が元気なので曾祖父を助けられなかった分曾祖母の力に

なっていくことを曾祖父に約束しています

 

夏休み中のニュースで高齢者の所在不明者が多数のため百歳以上の安否確認調査をしていま

した自分の親を平気で捨て遺骨さえもひきとらない亡くなっていたのに年金を不正受給する

ために隠していたなど耳をふさぎたくなるような事件もありました犬や猫が年をとって弱っ

てきた手がかかるから面倒だからと捨ててしまうそれと同じ現象が弱い高齢者にも及んでき

ているのだと思います

 

やはりこの世に生まれてきたもの全てに自分の意志で生きることを決めていける権利がある

と思います長い年月を苦労や努力と向き合いながら精一杯生きてくれたおかげで今の幸せが

あることを忘れずにいたい人はいずれ誰でも年をとります自由に動けなくなった時に自分の

入賞作文集 40

入賞作文

願いが叶う社会を築き「悔いなく満足で楽しく幸せな人生だった」と思えるように人とし

ての誇りを持って満足できる最期を迎えられるように考えていきたいもう二度と僕が見た自

己決定権のない社会にならないように高齢者には今までの感謝の気持ちで本人の希望をでき

るだけ叶えられるように努力していきたいいずれ僕達も迎える高齢社会だからhellip

41 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

 

私は小学六年生の時から盲導犬候補の子犬を育てるボランティアをしています「犬を飼っ

てみたい」と言う私に両親が「せっかく犬を飼うのなら社会に役立つことをしよう」と提案

したからです生後二ヵ月の子犬を預かり一歳の誕生日を迎えるまで世話をするのがボランティ

アの役目です初めて訓練士さんから子犬を手渡された時は不安でドキドキしましたが子犬は

すぐに私の腕の中で眠ってしまいました初めて会った私のことを信頼して安心しきった寝顔

で眠っている姿は本当に可愛かったですラブラドールの子犬はとてもやんちゃで私の家にやっ

て来たその日からいたずらばかりしていましたがしかられてもクヨクヨせずどんな相手にも

 林はやし

 里り

咲さ

東京都小平市立小平第六中学校 三年

差別のない社会に

(パピーウォーカーの経験から学んだこと)

法務事務次官賞

入賞作文集 42

入賞作文

フレンドリーに近づいていく姿から私は明るく前向きに生きることを教わりました子犬たち

と過ごした日々は私にとって一番の宝物ですそしてあっという間に一歳の誕生日がやって来ま

した誕生日が悲しいという経験は初めてでした訓練所への入所日の前日には長い長い散歩を

して最後のお別れをしました「今までありがとう」そう言った私のことを不思議そうに見てい

た子犬の顔が今も目に焼きついています別れは本当につらいけれど涙を見せたら子犬が心配す

るので頑張って笑顔で見送りました

 

私の家で育てた一頭目の子犬は現在盲導犬になって頑張っていますそして今年四月に巣立っ

ていった二頭目の子犬は神奈川にある訓練センターで訓練中です

 

このボランティアを通して私は多くのことを学びましたまず盲導犬の役割ですがこれは単

に目の不自由な方が便利に一人でどこへでも行けるようにするためだけではありません視覚障

がいのある方にとって人の手をわずらわせるのはとてもつらいことなのだそうですたとえ家

族に対してでも「迷惑をかけるのではないか」と思って我慢することが多く「私なんかいない

方がいいんじゃないか」と考えてしまうこともあったといいますその失われそうになった尊

厳を取り戻す手助けをするのが盲導犬の役目なのです犬は訓練を共にするパートナーのことを

大好きになるので「自分は他者からこんなにも大好きになってもらえる存在なん

だ」と気づいて自信を取り戻し新しい一歩を踏み出せるようになるのだそうです

 

また私がボランティア登録している日本盲導犬協会では二〇〇八年に新しい

試みが始まりました受刑者が盲導犬候補の子犬を育てる動物を介在した日本初

43 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

の教育プログラムです罪を犯した人も心から反省してきちんと罪を償えば社会

は差別することなく受け入れるべきですしかし実際はとても偏見が多く元受刑

者たちは「どうせ自分はだめな人間なんだ」と思い再び罪を犯してしまう悪循環

が起こっているそうですその悪循環を断ち切り受刑者たちがスムーズに社会復

帰を果たせるよう支援するのが「あさひ盲導犬パピープロジェクト」です受刑者たちは約十ヵ

月の間子犬たちを世話しながら一緒に過ごし「役に立つ喜び達成する喜び信頼される喜び」

を感じることで自分の価値を再確認するのだそうです今年一月に第一期のプロジェクトを修了

した受刑者の感想に次のようなものがありました

 「今後自分もパピーに笑われないようにきちんとしなければならないパピーは慈しむこと

寛容の心を教えてくれました」

 

犬は決して差別をしません健康な人にも障がいのある人にもお金持ちにも貧しい人にも

権力のある人にも犯罪を犯した人にも全く同じように接してくれますそんな犬たちと一緒に過

ごすことで自信をなくした人たちも自分のことをかけがえのない大切な存在であると思えるよ

うになるのです

 

私たち人間も差別のない社会をつくる努力をしなければならないと思います一人一人が相

手を大切に思う心を忘れなければこの社会はもっと住み良い場所になるはずです私はこのボ

ランティアを通して学んだことを生かしてこれからも一層努力していきたいと思います

入賞作文集 44

入賞作文

45 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

 

僕は祖父のために自助具を作ろうと思った祖父は去年の夏脳梗塞で倒れた祖父は一命

を取り留めたものの右手と右足がまひしてしまったのだその三週間前僕も車椅子から転倒し

て足を骨折した

 

僕には障害がある車椅子で生活することが多いしかし僕のことを障害者だといって差別

するような友達は一人もいない

 

祖父は歩けるようになりたいという気持ちが強かっただからリハビリを頑張り自分で

歩けるようになるまで回復した頑張っている祖父がかっこいいと僕は思った祖父はリハビ

リを頑張ったにも関わらず右手がうまく動かせなくなってしまっただからご飯を食べる時も

服を着替える時も時間がかかる普段何気なくやっていた動作がとても大変だと祖父は言ってい

守もり

田た

 幸こう

平へい

静岡県静岡大学教育学部附属浜松中学校 三年

祖父への靴下

法務事務次官賞

入賞作文集 46

入賞作文

た僕も何か役に立てることはないかと考えた

 

僕の学校には総合学習という授業があるそこで僕は福祉というカテゴリーを選んだ自

分で社会に役立てることを考え実際に行動することが目標だった僕は障害者のために何が

できるかを考えた

 

僕は二年前に静岡文化芸術大学で障害者がいかに日常生活で不自由のない生活ができるかを

考えるプロジェクトがあるのを新聞で知ったそれは大学生たちが個人個人にあった自助具を

作るプロジェクトだった僕は障害者のために何かできるのではと感じた

 

僕は静岡文化芸術大学へ行って僕にもできることがないかと聞いたすると学生さんが

自助具を作ってみないかと声をかけてくれた僕は迷わず「はい」と言った障害者のために

役に立てることがあると思うとすばらしいことだと思ったからだ

 

祖父のつらい顔を見ると日常生活に数々の大きな壁があることが伝わってくる

 

僕は祖父の数々の大きな壁を突き破ろうと思った祖父のために自助具を考え作ろうと僕

は思った祖父が靴下の脱ぎ履きが大変だと言っていたことを思い出したそこで脱ぎ履きし

やすい靴下はできないか考えた靴下の両脇にひもを取り付けてそれを引っ張ると靴下が縮み

脱ぎ履きしやすくなる仕組みだ大学の先生も良いアイディアだと言って褒めてく

れたこれは障害者だけでなく健常者にも使えると言われたユニバーサルデザ

インだと分かった

 

ユニバーサルデザインは年齢や障害の有無にかかわらず全ての人が使いやす

47 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

いように工夫された用具などのデザインである境界がなくなるように健常者が障

害者に対する偏見を考え差別意識がなくなるチャンスだと思った障害者と健常

者が共によりよく生きることが大切だと僕は思った

 

自助具の作品展では杖をついているお年寄り車椅子に乗った若い女性目の

見えない人福祉関係者など沢山の人々が観に来ていた皆自分の生活を良くしようと思っ

ているようだったまた障害者のためにできることは何だろうかと考えている健常者もいるよ

うだった

 

二年生の時の総合学習では二箇所のデイサービスを訪問したデイサービスには六十五歳以

上のお年寄りがいた暗く元気のない人明るく振る舞い誰とでも話せる人など様々だった

しかし僕が一番印象に残ったのは笑顔を絶やさず優しくお年寄りに接していた介護士だった

お年寄りの中には悩みを抱えている人が多いそうだその悩みを解消させる人もまた介護士だっ

た僕は介護士がお年寄りの体を支えるだけではなく心もそっと支えて生きる喜びを与え

ているのだと感じた

 

現代は三世代で暮らす家族が減り核家族が増えているそれはお年寄りの世話が大変だ

からという理由が多いだから老人ホームやデイサービスに預ける人が増えていると僕には

思えたお年寄りの中には自分が嫌われているのではないかとさえ思ってしまう人もいるそう

だそれはお年寄りにとって辛く悲しいことだと思うある介護士がこんなことをおっしゃっ

ていた「人の優しさはお金では買えない」誰にでも優しい心があると思うしかしあと一歩

入賞作文集 48

入賞作文

のところで行動に移すことができない人が多いの

だ僕たちが平和な社会で暮らせるのは今まで

頑張ってきてくれたお年寄りのお陰であることを

忘れてはいけないお年寄りを大切にすることは

当たり前のことなのだ

 

また障害者に対しても偏見の目で見ないで

そっと近づいて手を貸してあげれば健常者との

高い大きな壁を崩すことができると思う

 

障害者にも高齢者にもまた健常者にも人権

はあるお互いの人権を大切にすることが明る

い未来に繋がっていくのだと思う

 

早く祖父に僕の作った靴下を届けたい

49 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

 

僕は小学校六年生まで福岡県に住んでいましたそこで僕が体験したことです五年生のこ

ろ僕の友だちのA君が同級生のK君の靴を隠したりからかったりしていることがよくあり

ました最初は僕もあまり気にしていませんでしたがK君のことを「なんだかかわいそう」と

思うようになりました

 

ある日僕は勇気をだして先生に「K君がいじめにあっています」と報告しました初め先生は

「じゃれ合っているだけだろう」と「いじめ」とは思ってくれませんでしたでもその後「いじ

め」と分かりA君は先生に注意されその日一日は反省した様子で過ごしていましたしかし

次の日学校に行くといじめは前以上にエスカレートしていて蹴ったりたたいたりするように

なりましたしかも「死ね」「うざい」「消えろ」などの言葉が飛び交うようになりそんな日々

法務事務次官賞

浦うら

谷たに

 毅たける

徳島県三好市立池田中学校 三年

いじめをなくすために今

入賞作文集 50

入賞作文

が続きました

 

それは六年生になっても続きました僕はそのいじめを止めることができず毎日見て見ぬ

振りをしていました今思うと自分がとても恥ずかしいです本当の友達なら止めるべきなの

にそれだけではなくいじめられているK君に声一つかけることができずにいました心の中

ではA君に「やめろよ」と言おうと思っていたけどなぜか勇気が出ませんでした次にい

じめられるのが自分になるのが恐くて言えなかったのです

 

そんな日々が続く中僕の気持ちを大きく変える出来事がありました父の死ですそのとき

のことは今でも忘れることができません聞いたときには頭の中が真っ白になりました最初

は信じることができませんでした一週間も二週間も学校に行けずただぼーっと過ごしてい

ましたいろんなことを考え徐々に「死」というものの悲しさつらさ「死」という意味の

重さがわかってきましたそして時間はかかりましたが「命は一瞬にして消え二度と戻っ

てこないものだだから命を大切に今を大切にしなければならない」と深く受け止めることが

できるようになりましたそして周りの子たちは僕のような経験がないから「死ね」とか軽々

しく言えるのだろうと思いこの気持ちを伝えなくてはならないと考えました僕が強くならな

くてはと思いました

 

こんな気持ちになったとき僕には時間がありませんでした母の実家がある徳

島への引っ越しが一週間後に決まっていたのです落ち込んでいる暇は無いと思

い学校に行った僕はA君に言いました「いじめなんかやめろよいじめたって

51 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

喜ぶ人はいないし悲しむ人がいるだけだろ自分だってほんとは嫌だろ『死ね』

とか『消えろ』とか言葉の重さを知らないのに言うなよ」と言いました父親の

突然の死そのあと僕が考えたことも伝えました

 

友だちは黙って聞いてくれました僕の言葉にうなずいてそのあとK君の

ところへ行き「ごめん言葉の重さも知らずに言って本当にごめんぜったいに死ねなんて

ことは言わないそしていじめは絶対にしないほんとうにごめん」とあやまりましたK君

はとても優しい笑顔で「いいよ」と一言言いました僕もK君に言いました

「今まで助けてあげられなくてごめん」

K君は笑顔で「ありがとう」と言ってくれました今まで自分の中でもやもやしていた気持ちが

スーっと晴れました

 

今も時々耳にする暴言冗談半分で言っているのかもしれませんしかしいついじめにつ

ながるかわかりません他人を傷つけることで自分のストレスを晴らそうとしているのでしょう

関係ないふりをしようとする自分がいます楽な考え方をする自分がいますそんな時亡くなっ

た父の顔やK君の優しい笑顔を思い出しますあの時の自分のように強い気持ちを持とう「や

めろよ」と一言言うするとまた気持ちがスーっとしてきました

 

父の分も頑張って生き抜こうと決めた僕にとって正しいことを素直に認め悪いことを否定

できる強い意志を持つことが目標ですそして何よりも命を大切に今を大切にしていきたい

と思っています

入賞作文集 52

入賞作文

53 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

 

ぼくは今まで四つの外国に暮らしいろいろな国の人たちの中で育ってきた

 

まずタイで生まれてタイ人のメイドさんやドライバーさんにいつも遊んでもらっていた

らしい一才になると週一回の体操教室にも通いタイ人の友達もいたそうだ

 

次にシンガポールでは初めてナサリースクール(保育園)に通いいろいろな国の友達と

知り合ったプレイルームにある滑り台を滑る順番争いでいつも勝つのは体の大きい金髪の友

達だった

 

一回目の香港生活では英語の幼稚園に通ったその時のぼくの一番の友達はカナダ人だった

彼とはよくベイブレードをして遊んだが父が日本の出張で買ってきてくれた独楽や剣玉をして

遊ぶこともあった

村むら

瀬せ

 広ひろ

高たか

香港日本人学校中学部 二年

国境をこえて

海 外 作 品

今回は本選への応募とすることはできませんでしたが

 海外から寄せられた作品のうち一作品を御紹介します

入賞作文集 54

海外作品

 

それからインドでは日本人学校に通ったが夏休みには毎年アメリカンスクールのサマー

スクールに参加したし日本人のいない現地のテニススクールにも入り二年間通ったまたイ

ンドの現地幼稚園に通っていた妹のベストフレンドはコンゴ人でその兄弟もぼくの友達だった

 

そして三年間の日本生活を経て今また香港に戻ってきた

 

このようにぼくはいろいろな国でいろいろな国の人たちのお世話になりいろいろな国

の友達と遊んで育った肌が真っ黒な友達もゲームの話をすればすぐに仲良くなれたし髪が

金色の友達もポケモンの話をすれば気が合ったぼくは小さい頃から英語はうまくしゃべれ

なかったけれどもジェスチャーをつけたでたらめ英語でも充分に話は通じただからいろい

ろな国の人たちの中でぼくが日本人だからといって差別されたり嫌な思いをしたりしたこと

はないしぼくも肌の色が違うからとか言葉が通じないからという理由で違う人間だと思っ

たことはないそうぼくは外国人を差別したことはない

 

しかし本当にぼくは外国人を差別したことがないのだろうか外国人を差別した発言を一

度もしたことがないかと考えると自信がない

 

例えば香港人には赤信号でも平気で渡る人がたくさんいるそれを見てぼくは

「香港人はしょうがないな」

と思うでもよく見ると香港人全員が信号無視をしているわけではないまた

世界には今でも戦争をしている国がいくつもある

「人を傷つけ合うなんて馬鹿げている」

55 第30回全国中学生人権作文コンテスト

海外作品

とぼくは悲しくなるでもそれも好きで戦っている人がいるとも思えないその

人たちがそうなったのには何かきっと原因があるはずだ

 

逆に外国人から見ると日本人はどのように思われているのだろう

 

インドから日本に帰国した時毎日ごみがたくさん出ることにぼくはとても驚

いたインドの人たちがよく使う道端にあるカレー屋さんではバナナの葉で作ったお皿にカ

レーを入れてくれる食べた後そのお皿を道に捨てるとのら牛がその葉っぱを食べるそして

牛のふんは燃料になるというそれに比べて日本はちょっと歩くとペットボトルの飲み物が

買えファーストフードのお店では使い捨ての食器を使い立派なお菓子の箱を開けると中身が

少なくてがっかりすることもあるある時母が捨てたジャムの空きびんをメイドさんとエア

コンの修理にきていたワーカーさんとが取り合ってけんかをしていたこともあったそれを見

てぼくはあきれてしまったが逆にインド人から見ると使い捨て文化のしみついた日本人は

とんでもない人間にみえるのかもしれない国によって考え方や行動パターンが違うのは歴史

的背景や宗教習慣気候などのいろいろなことが関わっているのだと思う

 

このように考えると差別とはその人の一部しか見ていないことや自分のやり方だけが正

しいと思うことからおきるのではないかと思うその人が自分とは違った行動をとったとしても

それには深い理由があるのだろうと考えればきっと納得できると思うぼくもこれからは否

定的な発言をする前にその人たちのことをいろいろな角度から見て理解する努力をしてみよう

と思う外国との間には自分の国とは違う言葉や文化という壁があるとみんな言うがそこに

入賞作文集 56

海外作品

あるのは壁ではなく橋だとぼくは思う理解

し合おうという気持ちがあればきっと誰でも

その橋を渡っていけるはずだ気持ちの国境を

こえるのにパスポートはいらないお互いを理

解し合おうと思う気持ちが一番大切だと思う

そしてぼくはこれから日本人として生きる

のではなく地球人として生きていこうと思う

57 第30回全国中学生人権作文コンテスト

海外作品

法務局地方法務局名 郵便番号 所  在  地 電  話

金沢地方法務局人権擁護課920-0024 金沢市西念3-4-1金沢駅西合同庁舎(平成23年3月11日まで) 076-231-1244

921-8505 金沢市新神田4-3-10金沢新神田合同庁舎(平成23年3月14日から) 076-292-7804

富山地方法務局人権擁護課 930-0856 富山市牛島新町11番7号富山合同庁舎 076-441-6376

大阪法務局人権擁護部 540-8544 大阪市中央区谷町2丁目1番17号大阪第2法務合同庁舎 06-6942-9492

京都地方法務局人権擁護課 602-8577 京都市上京区荒神口通河原町東入上生洲町197番地 075-231-0131

神戸地方法務局人権擁護課 650-0042 神戸市中央区波止場町1番1号神戸第2地方合同庁舎 078-392-1821

奈良地方法務局人権擁護課 630-8305 奈良市東紀寺町3-4-1奈良第2法務総合庁舎 0742-23-5457

大津地方法務局人権擁護課 520-8516 大津市御陵町3番6号大津法務総合庁舎 077-522-4673

和歌山地方法務局人権擁護課 640-8552 和歌山市二番丁2番地和歌山地方合同庁舎 073-422-5131

広島法務局人権擁護部 730-8536 広島市中区上八丁堀6番30号広島合同庁舎 082-228-5790

山口地方法務局人権擁護課 753-8577 山口市中河原町6番16号山口地方合同庁舎2号館 083-922-2295

岡山地方法務局人権擁護課 700-8616 岡山市北区南方1丁目3番58号 086-224-5761

鳥取地方法務局人権擁護課 680-0011 鳥取市東町2丁目302番地鳥取第2地方合同庁舎 0857-22-2289

松江地方法務局人権擁護課 690-0886 松江市母衣町50番地松江法務合同庁舎 0852-32-4260

高松法務局人権擁護部 761-8077 高松市出作町585-4 087-815-5311

徳島地方法務局人権擁護課 770-8512 徳島市徳島町城内6番地6徳島地方合同庁舎 088-622-4171

高知地方法務局人権擁護課 780-8509 高知市栄田町2丁目2番10号高知よさこい咲都合同庁舎 088-822-3331

松山地方法務局人権擁護課 790-8505 松山市宮田町188番地6松山地方合同庁舎 089-932-0888

福岡法務局人権擁護部 814-0005 福岡市早良区祖原14-15福岡法務局西新出張所庁舎5階 092-832-4311

佐賀地方法務局人権擁護課 840-0041 佐賀市城内2丁目10番20号佐賀合同庁舎 0952-26-2148

長崎地方法務局人権擁護課 850-8507 長崎市万才町8番16号 095-826-8127大分地方法務局人権擁護課 870-8513 大分市荷揚町7番5号大分法務総合庁舎 097-532-3368

熊本地方法務局人権擁護課 862-0971 熊本市大江3丁目1番53号熊本第2合同庁舎 096-364-2145

鹿児島地方法務局人権擁護課 890-8518 鹿児島市鴨池新町1番2号 099-259-0684宮崎地方法務局人権擁護課 880-8513 宮崎市別府町1番1号宮崎法務総合庁舎 0985-22-5124

那覇地方法務局人権擁護課 900-8544 那覇市樋川1丁目15番15号那覇第1地方合同庁舎 098-854-1215

入賞作文集 58

問合せ先一覧

法務局地方法務局名 郵便番号 所  在  地 電  話

札幌法務局人権擁護部 060-0808 札幌市北区北8条西2丁目1番1札幌第1合同庁舎 011-709-2311

函館地方法務局人権擁護課 040-8533 函館市新川町25番18号函館地方合同庁舎 0138-23-9528

旭川地方法務局人権擁護課 078-8502 旭川市宮前通東4155番31旭川合同庁舎 0166-38-1114

釧路地方法務局人権擁護課 085-8522 釧路市幸町10丁目3番地釧路地方合同庁舎 0154-31-5014

仙台法務局人権擁護部 980-8601 仙台市青葉区春日町7番25号仙台第3法務総合庁舎 022-225-5739

福島地方法務局人権擁護課 960-8021 福島市霞町1番46号福島合同庁舎 024-534-1994

山形地方法務局人権擁護課 990-0041 山形市緑町1丁目5番48号山形地方合同庁舎 023-625-1321

盛岡地方法務局人権擁護課 020-0023 盛岡市内丸7番25号盛岡合同庁舎 019-624-9859秋田地方法務局人権擁護課 010-0951 秋田市山王7丁目1番3号 018-862-6533

青森地方法務局人権擁護課 030-8511 青森市長島1丁目3番5号青森第二合同庁舎 017-776-9024

東京法務局人権擁護部 102-8225 千代田区九段南1丁目1番15号九段第2合同庁舎 03-5213-1234

横浜地方法務局人権擁護課 231-8411 横浜市中区北仲通5丁目57番地横浜第2合同庁舎 045-641-7926

さいたま地方法務局人権擁護課 338-8513 さいたま市中央区下落合5-12-1さいたま第二法務総合庁舎 048-859-3507

千葉地方法務局人権擁護課 260-8518 千葉市中央区中央港1丁目11番3号千葉地方合同庁舎 043-302-1319

水戸地方法務局人権擁護課 310-0061 水戸市北見町1番1号水戸地方法務合同庁舎 029-227-9919

宇都宮地方法務局人権擁護課 320-8515 宇都宮市小幡2丁目1番11号宇都宮地方法務合同庁舎 028-623-0926

前橋地方法務局人権擁護課 371-8535 前橋市大手町2丁目10番5号前橋合同庁舎 027-221-4426

静岡地方法務局人権擁護課 420-8650 静岡市葵区追手町9番50号静岡地方合同庁舎 054-254-3555

甲府地方法務局人権擁護課 400-8520 甲府市北口1丁目2番19号甲府地方合同庁舎 055-252-7239

長野地方法務局人権擁護課 380-0846 長野市旭町1108番地長野第2合同庁舎 026-235-6634

新潟地方法務局人権擁護課 951-8504 新潟市中央区西大畑町5191番地新潟地方法務総合庁舎 025-222-1564

名古屋法務局人権擁護部 460-8513 名古屋市中区三の丸2丁目2番1号名古屋合同庁舎第1号館 052-952-8111

津地方法務局人権擁護課 514-8503 津市丸之内26番8号津合同庁舎 059-228-4193岐阜地方法務局人権擁護課 500-8729 岐阜市金竜町5丁目13番地 058-245-3181

福井地方法務局人権擁護課 910-8504 福井市春山1丁目1番54号福井春山合同庁舎 0776-22-5090

問合せ先一覧 (法務局地方法務局)

59 第30回全国中学生人権作文コンテスト

問合せ先一覧

世界人権宣言啓発書画「鳥」「自由と解放」を表わしたもの 小木太法書オタビオロス画(財)人権擁護協力会提供

入賞作文集 60

すべての人間は生まれながらにして

自由でありかつ尊厳と権利とに

ついて平等である人間は理性と

良心とを授けられており互いに同胞の

精神をもって行動しなければならない

―――

世界人権宣言 第一条

―――

第三〇回

 全国中学生人権作文コンテスト

中央大会表彰式

印  刷 平成23年1月25日

発  行 平成23年2月14日

発 行 者 法務省人権擁護局

全国人権擁護委員連合会

東京都千代田区霞が関一丁目1番1号

電話 03(3580)4111 内線5875

URL httpwwwmojgojpJINKEN

第30回全国中学生人権作文コンテスト中央大会審査員

感想をお聞かせください本作文集を読まれた感想等を下記の連絡先又はkeihatsumojgojpまでお寄せください

無断転載を禁じます本作文集に掲載された作文や写真等を地方自治体が広報誌に掲載したり学校が教材に使用される場合などにはあらかじめ下記に御連絡ください

100-8977 東京都千代田区霞が関一丁目1番1号 法務省人権擁護局人権啓発課 TEL03(3580)4111 内線5875

作  家(審査員長) 落 合 恵 子映画監督 山 田 洋 次社団法人日本新聞協会事務局長 川 嶋   明日本放送協会解説委員室解説委員 南   直 樹文部科学省初等中等教育局視学官 三 好 仁 司全国人権擁護委員連合会長 中 村 浩 紹法務省人権擁護局長   井 忠 雄

(敬称略)

【式次第】

第一部

 会

主催者あいさつ

賞状授与

内閣総理大臣賞法務大臣賞

文部科学大臣奨励賞法務副大臣賞

法務大臣政務官賞

全国人権擁護委員連合会長賞

社団法人日本新聞協会会長賞

日本放送協会会長賞(以上各一名)

法務事務次官賞(三名) 計一一名

学校への感謝状贈呈

高円宮妃殿下おことば

来賓祝辞

第二部

各受賞作文の朗読

内閣総理大臣賞法務大臣賞

文部科学大臣奨励賞

全国人権擁護委員連合会長賞

社団法人日本新聞協会会長賞

日本放送協会会長賞

 評

全国中学生人権作文コンテスト中央大会審査員

 山田洋次氏

 落合恵子氏(ビデオレター形式)

第三部

新垣勉さんコンサート

 会 平成二二年一二月一八日(土)

午後一時三〇分〜三時五〇分

於ニッショーホール

「いじめ」や暴力行為等は人権侵害です

法務局地方法務局では

人権侵害による被害を受けた方を

救済するための活動を行っています

お気軽にご相談ください

女性の人権ホットライン

インターネット人権相談受付窓口

ゼロナナゼロのハートライン

0570-070-810

子どもの人権110番ぜろぜろななのひゃくとおばん

 0120-007-110

パソコンから httpwwwmojgojpJINKENjinken113html携帯電話から httpwwwjinkengojpsoudanmobile001html

インターネット人権相談 検 索

Human Rights法務省人権擁護局全国人権擁護委員連合会

人権イメージキャラクター人KENあゆみちゃん人KENまもる君

全国共通通話料無料

全国共通ナビダイヤル

この冊子は環境保護印刷の「水なし印刷」で印刷されています

第30回全国中学生人権作文コンテスト入賞作文集

法務省人権擁護局全国人権擁護委員連合会

人権イメージキャラクター人KENまもる君人KENあゆみちゃん

この冊子には音声コードが各頁(奇数頁 左下偶数頁 右下)に印刷されています専用の読み上げ装置で読み取ると記録されている情報を音声で聞くことが出来ます

Human Rights法務省人権擁護局全国人権擁護委員連合会

 全国中学生人権作文コンテスト入賞作文集

 全国中学生人権作文コンテスト入賞作文集

第30回

 【審査講評】

 【入賞作文】

内閣総理大臣賞

 「身近で無意識な人権侵害」

佐賀県佐賀市立東与賀中学校三年

江え

川がわ

 麻ま

理り

香か

10

法務大臣賞

 少しずつhellip一歩ずつhellip

兵庫県篠山市立西紀中学校三年 辻つじ

本もと

 桃もも

佳か

14

文部科学大臣奨励賞

 「差別のない世界へ」福島県福島市立渡利中学校一年 ローリンズ リコ

18

法務副大臣賞

 私の大好きなふる里

熊本県熊本県立八代中学校一年 井いの

上うえ

 由ゆ

紀き

子こ

22

法務大臣政務官賞

 「家族」とは何か

栃木県さくら市立喜連川中学校三年 大おお

田た

 葵あおい

26

目  次

入賞作文集 4

目  次

全国人権擁護委員連合会長賞

 忘れてはならないこと

群馬県群馬大学教育学部附属中学校三年 大おお

井い

 海み

琴こと

30

社団法人日本新聞協会会長賞

 ハンセン病について考えたこと

埼玉県学校法人立教学院立教新座中学校一年 久く

米め

 一かず

輝き

34

日本放送協会会長賞

 悔いのない最期を

山形県酒田市立松山中学校三年 櫻さくらだ田

 要かな

太た

38

法務事務次官賞

 差別のない社会に(パピーウォーカーの経験から学んだこと)

東京都小平市立小平第六中学校三年 林はやし 里り

咲さ

42

 祖父への靴下静岡県静岡大学教育学部附属浜松中学校三年 守もり

田た

 幸こう

平へい

46

 いじめをなくすために今

徳島県三好市立池田中学校三年 浦うら

谷たに

 毅たける

50

 【海外作品】

 国境をこえて

香港日本人学校中学部二年 村むら

瀬せ

 広ひろ

高たか

54

5 第30回全国中学生人権作文コンテスト

目  次

審査講評

落合 恵子

「時代のページをひらく」

 

二〇一〇年の年の暮れにこの講評を書いている

 

資料など紙類の最後の収集はいつだった 

明日 

明後日 

分別ゴミの収集日を確認しな

がらその前に新聞などの連載の仕上げがいつまで 

と年始休休が入るこの時期はなにか

と気ぜわしい

 

気分前のめり状態なのだがわたしたちの多くはゴミは出してしまえばそれで落着わ

たしの原稿も担当のかたにメールで送ってしまえば終わりである

 

けれどその向こう側にはこの寒空(今朝は特に寒さが厳しい)のもとわたしたちが出し

たものを集める仕事をされているかたがたがいるわたしたちが書いたものを印刷してくれるか

たがたもいるhelliphellip

入賞作文集 6

審査講評

 

こうしてひととひとはひとと暮らしは有機的に繋がっているのだと改めて思うのも年の

暮れだからなのかいや人権についての素晴らしい姿勢と視点に溢れた「あなた」の作品を今

朝もう一度読み返したせいなのかもしれない

 

第三〇回を迎えた全国中学生人権作文コンテスト全国(今回は海外からの作品もあったが)

の中学生の四人にひとりはこの作文を書いてくださったとうかがった

 

すごいことだ嬉しいことだ素晴らしいことだと心が震える

 

たとえばいま大人たちに人権に関する作文を書いてくださいと言ってどれほどのひとが

賛同し実際に書いてくれるだろう考えることと実行することの間には深い溝がある

 

それもこれほど瑞々しい感受性と論理性に裏打ちされた作品をである

 

毎回書いているような気がするがこの作文コンテストに選考委員のひとりとして加わる唯一

の苦しみは応募作品に順位をつけることにある

 

どれもがキラリと光る芽を持った作品にいったい順位をつけることが可能なのか読み手で

あり選考する側のわたしたち大人の「人権意識」がある意味試されているような緊張が

いつもある

 

何度も何度も読み返しそれでも迷うことがあることも告白しておこう

 

内閣総理大臣賞を受賞された江川麻理香さんの『身近で無意識な人権侵害』

 

入院先で出会ったひとから聞いた悪意不在のけれど「もうひとつの差別」

目が不自由であることから子どものように「扱われること」への居心地の悪さ

7 第30回全国中学生人権作文コンテスト

審査講評

についてそういった傾向がわたしたちの内にもないかを問い返した優れた作品で

ある

 

それは「される側」からの柔らかな異議申し立てであり問題提起でもある

認知症の母を自宅で介護していたおよそ七年間わたしも病院などで母にかけられ

る言葉がとても気になった言葉の多くが幼児へのそれに似ていて「優しく接すること」が

幼児言葉であるという習慣のようなものはわたしたちの暮らしの中のいろいろな場面にある

ひととして親切であることと相手に対する想像力を働かせることと幼児に向けてのような言

葉を使うことはまったく別なことなのだが

 

悪意不在であるがゆえにかえって問題提起しにくいテーマを江川さんは見事に拓いてくだ

さっている

 

辻本桃佳さんの作品目の不自由なお父様がある日電車の中で出会ったことを通して「個

人的な体験」を普遍的なテーマに広げ深めることに成功した作品だ

 

人種と「見た目」の違いをテーマにしたローリンズ

リコさんの作品水俣という愛する郷里

の酸鼻な歴史とそこから生まれた差別と偏見について丁寧に描いた井上由紀子さん事情があっ

て家族とは離れて暮らす大田葵さんが今考える拓かれた『家族』とはかつて偶然に出会っ

たひとたちが偶然を必然に変えて

4

4

4

4

4

4

4

4

4

新しい結縁の家族を作っていく小説を書いたわたしには特

に心に響く作品だった

 

文字数の関係ですべてに触れることはできないが心に響く作品たちを読んでいる間はささ

入賞作文集 8

審査講評

やかながら人権の活動をしてきた「かつての中学生のひとり」としてとても充たされた思いの

中にいた

 

ありがとうと心から「あなた」にお伝えしたい

 

そして若い季節に人権を自分に引き寄せこうして作品にまとめあげた体験は「あなた」に

準備されているたくさんの明日に光をもたらしてくれるはずhelliphellipと書いてふっと思う自分の

暮らしの核に人権を置くことは素晴らしいことであると同時にある意味ストレスを抱え込

むことでもあるのではないかとそれは気づいてしまうストレスでもある社会にはまだま

だ差別がある人権についてセンシティヴであればあるほどそれに気づき失望し傷つくこ

とも少なからずあるはずだ

 

それでもとわたしは「あなた」にお伝えしたい気づかない人生よりも気づく人生そし

て気づいたことを少しでも「拓いていく」人生のほうが容易ではないがはるかに充実してい

るはずだと

 

オーディオセットから大好きなクリスウィリアムソンとメグクリスチャンの曲が流れて

いるhelliphelliphellipわたしたちは新しい時代を作るため新しいページを開くために時代のステージ

にいま登ったところだとふたりとも歌を通してアメリカで人権の活動をしてい

るアーティストである海のこっち側のわたしたちもいま新しい時代のページを

開く時そのステージの上にいる

9 第30回全国中学生人権作文コンテスト

審査講評

内閣総理大臣賞

 

私が入院した時眼科や外科内科などいろいろな病状の患者さんと知り合いになった仕事

で足を骨折した人胃を悪くして入院した人目の手術を受けた人など年齢や性別職業も様々

でふだんあまり接することのない人たちと話す機会に恵まれた病気やケガの苦労話はもちろ

んのこと世代の違う人たちの話はとてもおもしろかった「人権」について考える時その中

の一人の患者さんのことが頭に浮かんだ

 

人権侵害とは障害者やお年寄りなど立場の弱い人たちに対する差別や悪意のある偏見か

らくるものだとばかり思っていたところがたとえ善意であっても思わぬところから人権の侵

害になっていることがあるのだと考えさせられたのであった

 

目の手術を受けたその人は母と同年代ぐらいの女の人だった目が不自由なことで周りの

江え

川がわ

 麻ま

理り

香か

佐賀県佐賀市立東与賀中学校 三年

「身近で無意識な人権侵害」

入賞作文集 10

入賞作文

人たちがとてもよくしてくれるのはいいがそのために困ったり悲しい思いをすることもあると

いうのだった私はこれまで人に優しく親切にすることはいわば常識であり当然のことだ

と思っていただけに大きなショックを受けた困った時に手を貸してくれるというのに悲しい

思いをするとはどういうことなのだろう私たちが親切のつもりでやっていることが迷惑になっ

ているというのだろうかお年寄りや障害者をいたわるのは当たり前でありそれは感謝される

ことはあっても迷惑に思うなどとは筋違いではないだろうかところがその人の立場から見

れば好意のつもりでもまるで小さな子どものように扱われたりこれは危険だからと勝手に

予測されて遠ざけられてしまったりと自分の意思とは関係なく何でも先回りされてしまうのが

悲しいのだそうだ目は悪くとも自分は子どもではないしできなくはないことにまで行き

過ぎた親切にひどく心を傷つけられるのだというまた相手がよかれと思ってくれていること

だけにそれを断ろうものならあからさまにいやな顔をされたり急に態度を変えられることも

あったりでかえって気を遣うのだそうだ

 

私ははっとした今まで手を貸す側から見ることはあっても逆の立場から考えたことはな

かったので大きな衝撃を受けたいつの間にか相手より自分を少し高い所に置いて見ていない

だろうか無意識のうちに相手のことを保護すべき弱者だとして見ていないだろう

か私は今中学生だがそれ以下の子ども扱いされると腹が立ついちいち細かい

ことまで制限されたり禁止されたりすれば確かにいい気持ちはしない同じよう

に障害者や老人に対して危険だ何だのとその人ができることまでをも禁止し

11 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

まだこぼしてもいない湯のみを取り上げるようなことをしてはいないだろうか

 

確かに弱者をいたわり手助けすることは人として当然であり必要なことで

あるしかし相手の気持ちや状況を考えずただ一方的に押しつけるだけの親切

はただの自己満足でしかない見えない人には見えない人なりのやり方や考え方が

あるのにそこに寄り添うための理解がないとしたらそれは人権を侵害しているといえないだ

ろうか

 

人は皆平等であるけれど環境や年齢身体能力などは同じではないだからこそ人とし

ての尊敬の念や思いやりいたわりの心を持って接することが大切なのだと思う

 

しばらく前の人権侵害とは人を自分より見下したりおとしめることで優越感を持つための

ものだったように思うそして今生活や文化が豊かになった現代では行き過ぎた親切やいた

わりが人の心を傷つけそれが新たな種類の人権侵害の一つになっていることもあるのだ「善意

イコール感謝されるべきもの」という考え方が全てに当てはまるとは限らないまた当ては

めようとしてはならないその人にとっての「いちばん」は何かひとりひとりを尊重するため

には本当に助けが必要かどうか出すぎたことをしていないかを見極めることも大切なのだと

思う

 「人権」について考えることそれはとても難しいことのように思えるが意外と簡単なこと

ではないだろうか同じ人間同士が並んで歩くための人と人との間の権利私たちが無意識のう

ちに作り出している優劣の壁を取り払うこと自分の価値観を人に押しつけないこと自分も相

入賞作文集 12

入賞作文

手も同じひとりの人間なのだとその

人の心に寄り添い理解し合う努力こ

そ人権を守る大きな力になると思う

13 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

 

十五年前父が篠山の町中を歩いているとこう言われた「そんな棒きれ振り回さんといて」

と父は決して棒きれを振り回していた訳ではないただ白杖を持って歩いていただけだそ

の話を聞いて私は驚いたたった十五年前のことだけど信じられない気持ちでいっぱいになっ

ただが十五年経った今ではそんなことはないだろうマスメディアが発達しいろんなハン

ディを持った人のことが紹介されたり障がい者の方自身が社会参加する機会が増えたからだと

 

そしてこんな話も聞いたことがある電車に乗った時に時間が知りたくて携帯電話を開い

たときのことだ「こんなとこで電話したらアカンやろ」と中年のおばさんに怒鳴られたそうだ

優先座席の近くだったということもあるが『目の不自由な人=白杖を持っている』という認識

は広まってきているが時間を知りたいときには音声が出る時計や携帯電話を使うということは

法務大臣賞

辻つじ

本もと

 桃もも

佳か

兵庫県篠山市立西紀中学校 三年

少しずつhellip一歩ずつhellip

入賞作文集 14

入賞作文

ほとんど知られていないのだそのとき父は説明しようと思ったがどうせ分かってもらえな

いと思い「すみません」と謝りとても悲しい気持ちになったそうだ見えている人は時間

が知りたければ時計を見ればすぐに分かるだが目が不自由だと音で聞くしかないのだ私は

障がい者が暮らしやすいような機器が発達してきていることをもっと社会に広めていくことが

必要だと思うそうすることで協力してくれる人や理解してくれる人が増えていくのではな

いだろうか

 

視覚障がい者の方が日常生活を送る上で給付や貸与される機器がある音声で教えてくれる

時計や体重計文章読み上げ器などがそれだこれらは以前県の基準で市が実施要綱を定めて

そこが窓口となって行われていたが法改正により各市区町村対応となったしかしこの日

常生活用具の中に健常な家族と同居している視覚障がい者には給付してもらえない物もあるの

だそれは体温計や体重計であったりするこの体温計がなければ家族が出かけている間に

体調が悪くなっても計測することはできないのだ

 

父の知り合いに赤ちゃんを連れた全盲のお母さんがいる体温を計るのに複数の体温計で赤

ちゃんの体温を計りその体温計に印をつけて病院まで持っていって見てもらったり家族が帰っ

てくるのを待って見てもらうことがあるそうだ私たちは簡単に体温を計ること

ができるが見えない人たちはそれができないために生命の危険にさらされてしま

うことがあるのだせっかく便利な機器が発明されても値段が高くて簡単に購

入できないもしくは制度のカベによってそのサービスが受けられないことがあ

15 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

るしかし私の住む篠山市では父たちの声が福祉課の方々に届き日本で初めて

音声式体温計が同居家族の有無にかかわらず給付されるようになったのである

 

今は携帯電話が音声で読み上げてくれてメールや時間GPSなどの便利な

機能を視覚障がい者の方も利用できるようになっただがそのことを知っている

健常者の方は全国にどれくらいいるだろうかまたこのことを知っている当事者である視覚障

がい者の方が全国にどのくらいいるだろうか私はまだ知らない人が多いと思う

 

ここ十五年程で視覚障がい者の人は白杖をついているということはほぼ知られてきたが生

活を助ける機器が発達してきているということは知らない人も多いだろうそれが「あの人は

目が動いているから見えている」とか「あの人はずっと目をつぶっているから見えていない」

「物を避けているから見えている」「物にぶつかっているから見えていない」という勝手な

思い込みで障がいの重さをはかることにつながっているのではないだろうかでもそれは間違っ

ている目を閉じれば視覚障がい者の疑似体験はできるでもそれはあくまでも体験であって

個人個人の見え方はそれぞれ違うし外見や行動で障がいの重度を判断するのは良くないと私は

思う同じような見え方ができたとしても全く同じ動きなんてできる訳ないのだから毎日父

と生活していてもどのくらい見えているのか私にもはっきり分からないなにげに父たちがこな

している日常の動作であっても私たち健常者にははかりしれない恐怖と不安努力があるの

だ誰でも目をつぶれば見えない世界を体験した気になる松葉杖をつけばその体験をした気

になる車イスに乗ればその体験をした気になるだが本当の障がい者の苦悩と努力の一部

入賞作文集 16

入賞作文

しか体験していないことを知ってお

いてほしい私たちには当たり前に

できるようなことがあってもどん

なに望んでもできない人たちがいる

ということとみんなの正しい理解と

知識が障がい者の明るい未来へとつ

ながっていくということを知ってほ

しいそしてこのことを広めていか

なければならない

 「少しずつhellip一歩ずつhellip」

17 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

 「Pick your 

head up」

 

これは父がいつも私にかけてくれる魔法の言葉です

 「顔をあげなさい下を向かない」という意味です

 

私の父は生まれも育ちもニューヨークのアメリカ人です女の子は父親に似るとよく言われ

ますが私もそうで日本人の母親よりも父の方に髪質も肌の色も本当によく似ています子供

が親に似ることはあたりまえのことですが私はそのためにいやな思い悲しい思いをいくどと

なくしてきました

 

初めて自分がみんなとちがうんだなと思ったのは幼稚園に入学してまもなくのことでした同

じ組の女の子たちが何人かして楽しそうに遊んでいたので

ローリンズ リコ

福島県福島市立渡利中学校 一年

「差別のない世界へ」

文部科学大臣奨励賞

入賞作文集 18

入賞作文

 「まぜて」

と声をかけると一人の子が言いました

 「このグループは日本人で髪がまっすぐな人しか入れないのリコちゃんは髪がチリチリだし

ハーフだからダメ」と

 

私はとても悲しくなりましたそしてそれは卒園するまで続きました

 

小学校は人数も少なかったせいかみんなとても仲良くて私の外見のことを言う人はだれ一

人いませんでしたまるで兄弟のようにみんな自然に接してくれましたでも習い事やいろい

ろな大会など他校の子たちといっしょになる場面ではやはり髪の毛や肌のことをからかわれ

ることはよくあることでした私には二学年上の兄がいますが兄もやはり父の方に似ています

おだやかな性格の兄は私以上につらい思いをしてきたと思います

 

父は兄や私の話を聞くたびに

 「Pick your 

head up」

と言いましたそして

 「自分に自信とほこりをもちなさいあなたたちは二つの文化を受けついでそれはとてもす

ばらしいことなんだよ」

といつも話してくれました

 

中学に入って間もないころでしたある男の子がいきなり私に向かって言いまし

19 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

 「おまえ風呂に入っているのか黒いぞ外国人はくさいからな」

 

私はとてもはずかしくなりましたそしていかりや悲しみがこみあげてきました

まわりにいた友達は彼の言葉に苦笑いをしていました私はいかりのあまり彼をな

ぐりたくなりましたその時私は父のあの言葉を思い出しました私は顔を上げ

相手の目を見て静かに自分の傷ついた気持ちを伝えました

 

彼は私に向かってこう言いました

 「ごめんわるかった」

 

彼は人を傷つけるということが彼の想像以上に重くそしてひどいことだと少し気付いたよう

でした

 

差別やいじめというのは私たちのまわりでは小さなことから大きなことまで本当によくあり

ますそして差別やいじめをしている側からすればそれをじょう談だという人も多いのです

まわりの人たちもやはりじょう談や遊びの中でのことにとらえてしまう人たちもとても多いので

すだから小学校の時から私たちは道徳などでいじめや人権などについて学んでいてもなかな

かそれがなくならないのだと思いますでも実際に差別やいじめをされている方はみんなの想

像よりはるかに傷ついているということつらいということそして悲しいということを私はこ

の人権作文を通してたくさんの人に知ってほしいのですけがをすれば日がたつごとにそのけ

がは治っていくでしょうまわりからも治っていく様子が見てわかるでしょうでも心に受けた

傷は本人にしかわからないのですその傷がどんなに深くて痛いものか本人にしかわからないの

入賞作文集 20

入賞作文

です

 

肌の色が違っていてもかみの毛が

違っていても私たちはみんな同じ人間

です心を持った人間です相手の気

持ちを思いやり相手の立場になって

考えればいじめや差別はなくなると

思います今も世界のいたるところで

人種差別が問題となり争いが起きてい

ます私は世界から差別やいじめがな

くなるように強い心を持ってまずは

自分から立ち向かっていきたいです

21 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

 

あなたには大好きなふる里がありますか私には緑の木々と青い海に囲まれた自然豊かな

大好きなふる里があります私のふる里は過去に公害という大きな被害をうけた水俣ですそ

の水俣病で患者はもちろんそうでない人も長い間差別をうけてきました

 

父が幼い頃まだ水俣病の原因が究明されておらず水俣病はうつると言われていました列

車が水俣の駅につくと窓をしめ手で口をおおった人もいました修学旅行に行くと同じ宿

舎になった学校から苦情を言われたこともありました水俣出身ということで結婚を断られた人

や就職試験をうけることさえできなかった人もいました水俣に住んでいることをかくして隠

れるようにひっそり暮らしていた人もいましたまた同じ水俣に住む人でさえ奇病と呼び距

離をおきましたそのことでたくさんの人々が傷つきあってきたのですいろいろな立場の人々

井いの

上うえ

 由ゆ

紀き

子こ

熊本県熊本県立八代中学校 一年

私の大好きなふる里

法務副大臣賞

入賞作文集 22

入賞作文

がせまい土地に住んでいるのですから仕方がなかったのかもしれません

 

しかし今では原因も究明され海の安全も確認されたことでそのようなことはほとんどな

くなりました私たちは過去のことを忘れるくらい楽しくすごしています

 

私は今八代の中学校に通っています私は自分が水俣出身ということを隠すこともありませ

ん友だちもまたそのことを知っていますがからかったりいじめたりする人は誰一人いません

 

しかし先日水俣の中学校のサッカー部が練習試合中に相手チームの選手から

「さわるな水俣病がうつる」

と言われたという記事が新聞にのっていました今でもこういう風に思っている人がいるのか

と思うと残念で仕方ありません何気なく言った一言だったのかもしれませんがその一言は

私たち水俣に住む者にとって非常に悔しく悲しいものでした

 

小学校の総合的な学習の時間で水俣病について学習しました原因となった会社を訪問したり

患者の方から当時の話をきいたり交流も行いましたそんな中で苦労されたり何も言えずに

黙って亡くなった人のことを知り水俣に住んでいながら何も知らなかったことをはずかしく思

いました水俣病についてしっかり学び正しい知識を得ることが差別や偏見をなくすのだと気

付きました

 

中学校の道徳の時間ではハンセン病について学習しましたこれも水俣病同様

正しい知識がなかったためにおきた悲しく悔しい悲劇でした

 

私たちが差別や偏見をなくすためにできることそれはその人その出来事に

23 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

ついてしっかり知ること知ろうと努力すること正しい知識を深めるために学習

することではないかと思いますそうすれば水俣病やハンセン病のようにむや

みに人と人とが傷つけあったり憎しみあったりすることはなくなるのではないで

しょうか

 

先日テレビで水俣のダイバーが紹介されましたその人は本当はほこりたい水俣を心の中

にじっとしまいこみ誰にも言えず何年もの間生きてきた人でしたしかし水俣の地にも

どり自分はこのすばらしい美しいふる里を紹介したいと海にもぐり写真をとり続けておら

れるそうです心に差別という深い傷を負いながら水俣の再生を皆に知らせたいと頑張る人

がいることに感動しました

 

今水俣はごみの分別リサイクル事業など市民全員で環境にやさしい町づくりをすすめてい

ます私は差別や偏見から立ちなおり再生しようと環境問題に一生懸命とりくんでいるふる

里水俣をほこりに思っています

 

水俣では運動会等多くの行事で「水俣ハイヤ節」というものが踊られますこれは水俣病

の患者の方が水俣の青い海と豊漁を願って振りつけをされた踊りだそうです私たちと同じ思い

をする人が二度とでないことを祈りながら私たちは毎年皆でこの踊りを踊ります

 

水俣の悲しい過去を変えることはできませんが私はあやまちを二度とくりかえさないため

にこの美しい自然を守り真実を語り継いでいきたいですそして差別や偏見のない社会に

なるよう自分から努力していきたいと思います

入賞作文集 24

入賞作文

25 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

 

みなさんは「本当の『平和』とは」と質問されたら何と答えますか「戦争や紛争などが

ないこと」ですかそれとも「自分自身の幸せのこと」ですか一人ひとりの抱く「平和」のイ

メージは違うことでしょう

 

僕の思う本当の「平和」それは「家族」がいて「家庭」があることだと思いますなぜそう

思うかというと今僕は訳あって家族とは離ればなれに暮らしているからです一歳前後には既

に家族とは離れ施設にいました母親や姉兄の存在はわかっていますが一緒に過ごした時

間は限られたもので今でもほとんど交流はありませんそのせいか僕はいつも「家族」や「家

庭」というものに強い憧れを抱いています

 

自分がまだ幼い頃は自分と同じくらいの子が母親と手をつないでいる姿がとてもうらやまし

大おお

田た

 葵あおい

栃木県さくら市立喜連川中学校 三年

「家族」とは何か

法務大臣政務官賞

入賞作文集 26

入賞作文

「どうして自分には母親がいないんだろう」と思っていました仕舞いには自らの母親を恨ん

でしまったのです小学生になってもその気持ちは変わらず母親への恨みは増すばかりでした

 

しかし小学五年生の夏思いもよらぬ出来事が起きましたそれは引っ越しがあったこと

ですそこで僕は新しい土地そして新しい里親という人たちに出会いました里親の人たち

と暮らした数年間僕は幸せでしたそこで僕は僕の周りにはいつも支えてくれる人たちがい

ることに気づきました血のつながりがなくても僕に自分の子どものように接し育ててくれ

た里親の人たち養護施設の先生方などたくさんの方たちに僕は見守られて成長してきたこと

に気づいたのです僕を支えてくれる人すべてに感謝の気持ちがわき出てきましたそれ以来

僕は親という存在にこだわらなくなりましたそれどころか自分に命を与えてくれた親に感謝

の思いを抱くようになったのです

 

この夏母親の育児放棄が原因で二人の乳幼児が衰弱死するという悲しい事件がありました

二人の子どもにろくに食事も与えず風呂も入れなかったそうですさらに逮捕後その母親は

「家に帰ってあげなかったことを今も後悔している子どもは私を恨んでいると思う」

という言ってはならない発言をしました僕は怒る前に亡くなった二人の子ども

たちがかわいそうでなりませんでした

 

と同時に僕はこの母親はどうしてこのようなことをしてしまったのだろうと

すごく考えさせられました僕は本来親は子どもを殺すのではなく守るために

27 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

いるのだと考えますたとえ小さな子どもでも立派な一人の人間ですその命を

守り育てていくことが親として大切な役目だと思うのですこの母親はどこで

勘違いしたかは知りませんが親としての自分の責任を理解していなかったのでは

ないでしょうか

 

そしてその勘違いを誰も母親に気づかせてあげられなかった事実母親が一緒に遊び歩いて

いた友人はもちろん母親の家族が少しでも助けることができていたら母親の行動を戒めるこ

とができていたら連絡を受けた児童相談所がもう少し踏み込んだ行動が取れていたらこのよ

うな悲しい結末にはならずに済んだのではないでしょうかやりきれない思いばかりがこみあげ

てきます

 

もう一つこの母親は大きな勘違いをしていますそれは「子どもは私を恨んでいると思う」

という言葉です僕はこの子どもたちが母親を恨んでいるとは思えません子どもたちは母

親が帰宅するといつもハイタッチをして喜んで迎えたそうです子どもたちは母親のことが大

好きだったのでしょうたとえ自分たちを見放した母親でも恨んでいるとは決して思えないの

です

 

子どもは心の底から自分の母親のことを恨めないと僕は思いますこの世に生を受け笑った

り怒ったり泣いたりと毎日いろいろな経験ができるのは自分を生んでくれた母親という存在

があったからです正直僕も小さい頃は母を恨んだことがありました愛情の裏返しというよ

うに母親への思いが憎しみに変化してしまったのですでも心の底には母への恨みとは全く

入賞作文集 28

入賞作文

正反対の気持ちが存在し続けていましただ

からこそこの子どもたちがどんな思いで死

んでいったのかわかるような気がします母

親を信じひたすら母親の帰りをまちわびて

いた思いが

 

僕にとっての「家族」それは同じ屋根の

下で暮らす人々のことですたとえ血はつな

がっていなくても僕を支え励ましてくれる

人たちそのすべての人が僕にとっての大切

な「家族」なのです今僕の暮らす養護施設

にはいろいろな事情を抱えた二歳位から高

校生までの子どもたちや職員の方が約六十人

います今の僕には全員大切な「家族」で

す僕はこれからもこの「家族」を大切に

一日一日精一杯平和に生きていきたいです

29 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

 

授業でハンセン病について学んだ日両親と「偏見」や「差別」について口角泡を飛ばす議論

を深夜まで繰り広げた身体障害者の父と看護師の母を持つ私は幼い頃から「命の大切さ」を

訴える両親の姿を見て育って来たそんな私は真摯な気持ちからハンセン病罹患者と向き合い

たいと思いこの夏草津にある療養施設栗生楽泉園を訪れた

 

草津までの道のり私は罹患者の気持ちを絶えず考えていたハンセン病について調べると「ら

い予防法」により罹患者は隔離され人権を無視された扱いを受けたことが分かった罹患者の

言葉が書かれた本ではどんなに過酷な仕打ちを受けたか他人をどれほど恨み憎んでいるか

が書かれていたその為私は無意識の内に「罹患者は全員恨みを抱いている」と勝手に思い込

んでいたしかしこんな思い込み自体が偏見や差別を生む原因になるということを後に思い知

大おお

井い

 海み

琴こと

群馬県群馬大学教育学部附属中学校 三年

忘れてはならないこと

全国人権擁護委員連合会長賞

入賞作文集 30

入賞作文

らされることになるのである

 

私を迎えてくれたのは入園者自治会長の藤田三四郎さん藤田さんは大変お元気でその容姿

からはハンセン病を伺い知ることはできなかったしかし藤田さんは紛れもない罹患者なのだ

その証拠に藤田さんの名は本名ではない罹患者は施設に入所するにあたり偽名を使用させら

れたと言うつまりその時点で罹患者は世間から存在を消されてしまうのであるそんな藤田

さんから語られた話はハンセン病だと宣告され三度も命を絶とうとしたこと重症患者の看

護を押しつけられ数え切れない人を看取り自らの手で葬ったこと家族が受けた迫害や侮辱的

な言葉など想像を絶するもので筆舌し難いものだったしかしこんな迫害と差別は同時にハ

ンセン病患者達の人権回復闘争の歴史でもあったのだ闘争の末「らい予防法」が廃止される

と今まで差別や人権侵害を繰り返していた多くの人が掌を返す様に態度を変えたと言う私は聞

いていて怒りを覚えたが不思議なことに耳を塞ぎたくなる様な内容を語る藤田さんからは全

く怒りや恨みが感じられないのだ私は話を聞くまで自分の運命を呪い周囲への恨みつらみ

の言葉が出てくるとばかり思っていたしかし出てきた言葉は「入園出来て良かった差別は

受けたが今では恨みを抱く罹患者も少なくなったそればかりか最近はたくさんの人が我々を

理解し協力してくれるので嬉しい何故なら一人の百歩は力が無いが百人の一歩

は力になるから」と言う感謝の言葉だったのだ本当に「恨みは無いのか」と何度

聞いても答えは同じだった私は恥ずかしくなったハンセン病について調べ罹

患者の心を理解したようなつもりでいながら実は何も理解できてなくてそれば

31 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

かりか罹患者を偏見の眼で見ていたのは私自身だったのだ私は話を聞いてとめ

どなく溢れ出る涙を拭いながら心の片隅に潜んでいた「偏見と言う名の種」が身

体から洗い流されていくのを感じていたそれは同時に「思い込みや無知が偏見

や差別を生みだす」ことを強く感じた瞬間でもあったそれだけに藤田さんの「自

分と同様に他人を愛すればいつか必ず世界から差別はなくなる他人を愛して下さい」の慈愛に

満ちた言葉が一層重く腑に落ちるのだった

 

帰りがけ千五百ページにも及ぶ「入所者証言集」を手渡されたその際私は見えない襷も

手渡された気がしたその襷とは証言集に記された罹患者の「事実を風化させないで私達の事

を忘れないで」という搾り出すような叫び声とその姿だったのである

 

ハンセン病が治る病気であるのに誤った知識から悲惨な人権侵害が長期に渡り続いた同じ間

違いを繰り返さないためにも事実を語りついで行く必要があるここ楽泉園でも高齢化が進み

証言者の数が減っているこれは全国一五全てのハンセン病療養所に共通することだハンセン

病問題は罹患者がいなくなればそれで終わると言う問題ではない今後人権問題を考える際重

要な指針になりうる事実なのだそしてこの事実の風化を防ぐことが私達若い世代の役目だと

私は思う

 

私は小六の時友人達から突然イジメを受けたそれを引きずり他人を恐れ憎み自分を

嫌って生きて来たしかし罹患者の声が私に生きる力と前を向いて歩む勇気を与えてくれた

楽泉園訪問は私に人生観が変わる程の衝撃を与えてくれたのだこんな私だが罹患者の声を伝

入賞作文集 32

入賞作文

える「百人の中の一人」にはなれるはず

だそのために私は今この作文を書い

ている文字は時を越えて生き続けるか

ら私はこれからも楽泉園訪問を続ける

つもりだ実際に中学生の私が出来るこ

とには限りがあるが差別や偏見を少し

でも減らすために一歩を踏み出すつもり

でいる「自分と同様に他人を愛すれば

いつか差別は無くなる」と言う藤田さ

んの言葉を胸に

33 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

 

森に囲まれたその一画には教会や寺院神社があり小さなショッピングセンターやレスト

ランもある床屋や図書館郵便局や浴場もあるしかしそれらの施設を利用するのはその一

画に住む人たちだけだ緑の外側に住む人が利用することはないそこはハンセン病の療養所

多磨全生園である

 

僕は七年前に清瀬市に引っ越してきた夏のある日昆虫が大好きな僕は何気なくその森の

中に入って行ったそして歩き回っているうちにその場所が一つの「町」であることに気付

いた

 

毎日セミやカマキリやナナフシを探しながらどうしてこんな所があるのだろうと思った

 

僕が一番不思議に思ったのは古い木造の小学校だいつも誰もいない校舎と小さな運動場近

久く

米め

 一かず

輝き

埼玉県学校法人立教学院立教新座中学校 一年

ハンセン病について考えたこと

社団法人日本新聞協会会長賞

入賞作文集 34

入賞作文

くに小学校があるのにどうしてこんな所に小学校があるのだろう小学一年生の僕はとても不思

議に思った

 

夏に地域交流を目的とした盆踊りと花火大会が行われるいつもは人のいない小学校跡は多く

の人であふれかえり普段は見かけない重い後遺症の老人たちもこの日は外に出て盆踊りを楽し

む初めて参加したときは言葉が出なかった正直「怖い」と思った

 

夏が来るたびに僕は盆踊り大会に参加した低学年から高学年へと進むにつれて少しずつハ

ンセン病のことが分かってきた

 

六年生のときに社会科見学で全生園の元患者を訪れることになっただが僕は都合で参加で

きなかった僕はそれをずっと悔やんでいる

 

今年の夏僕はハンセン病資料館に出かけた見学者は僕一人でとても緊張したなるべく

音を立てないようにパネルを見て回った

 

強制隔離の現実にとても驚いた狭い部屋に押し込められ症状の軽い患者が重症の患者の世

話をしたという子供を持つ権利や生まれる赤ん坊の命まで奪われていた逃げ出したり反抗的

な患者は「不良患者」と呼ばれ窓の小さな暗い監房に閉じ込められた

 

医学が進歩し療養所も徐々に改善されていったが強制隔離を命じる「らい予防

法」が廃止されたのは一九九六年だという隔離が始まった一九〇八年から約九〇

年も経っていた僕が生まれるほんの一年前のことである特効薬が開発され本

格的な治療が始まったのは昭和二十二年である現実に合わない法律を廃止するの

35 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

にどうしてそんなに時間がかかったのだろうか

 

資料をもらってハンセン病資料館を後にした家を出るときは帰りに虫の観察

をするつもりだったがとてもそんな気にはなれなかったいつもセミが集まる桜

の木には目もくれずに早足で家に帰った

 

資料の中で一番心が痛んだのは療養所の子供たちのことだ療養所に入所したのはハンセン

病を発症した子どもたちだけではない親が発症したために入所する子どもたちもいた当時は

ハンセン病は遺伝病だとされていたからだ親から無理やり引き離された子どもたちは「すぐに

帰れるから」という言葉を信じていたというしかし一生療養所を出ることができなかった人が

多かったという社会的な差別がひどかったからだと資料に書かれていたが僕には実感がわか

なかったのでもう少し調べてみることにした

 

図書館で『ハンセン病を生きて』(伊波敏男著)という本を見つけた少し難しかったが差

別の現実が僕にもわかる部分があったそれは元患者たちに対して書かれた匿名のひどい手紙

である長年隔離されて苦しんできた人たちをさらに傷つける言葉が並んでいた悲しく暗い

気持ちになった

 

日本は経済大国として世界の注目を浴びているだが人権意識の面ではどうだろう「らい

予防法」を二〇世紀の末まで廃止できなかったことをどう考えたらよいのだろうか明治時代に

隔離が始まったときそれは外国に対する体面を保つためだったという病気の人を治療するの

ではなく「隠す」のが目的だったのだいまだに差別意識を持つ人がいるのは社会がそうした

入賞作文集 36

入賞作文

過去に対する反省をしていないから

だと思う

 

僕が不思議に思った小学校はすで

に取り壊されて今では小さな石碑

だけが残っている老朽化がひどく

残しておくことができなくなったか

らだという全生園の古い建物はど

んどん取り壊されていく石碑だけ

ではあの不思議さが伝わらないのが

とても残念だ

37 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

 

僕の曾祖父は医者嫌いでしたそのため腹痛で病院に運ばれた時は膵臓癌の末期で余命三ヶ

月でした手術もできない手遅れの状態でした家族皆で話し合い曾祖父の辛い気持ちを第一に

考え曾祖父に病を隠すことになりました曾祖父は次第に病院の中を歩いては転倒し体中あ

ざだらけになりベッドの上で縛られることになっていました曾祖父は病名の宣告を受けてい

ないため元気で歩けると思っているが実際歩くと転んでしまう何でこんな風になってしまっ

たのかさえわからない

 

家族と病院に行くと「包丁もてこいこれぶった切って家さ帰る」と騒いでいましたあん

なに優しかった曾祖父の姿に言葉も出ず恐いくらいでした何も知らされずベッドに縛り付

けられれば誰もがそうなることでしょう「じいちゃんどご一緒に車さのせでいてくれの」と

櫻さくらだ田

 要かな

太た

山形県酒田市立松山中学校 三年

日本放送協会会長賞

悔いのない最期を

入賞作文集 38

入賞作文

せがまれたときもありますかわいそうで涙がポロポロこぼれました「おじいちゃんどご家

さ連れで帰ろうよ」とせがんでも家族も仕事で忙しいためか誰も首を縦に振ってくれず病院

にいた方が安心ということになりました膵臓癌は予想以上に激しい痛みのため医師から強い

痛み止めと強い睡眠剤を勧められましたがそれを導入することにより安楽死に近い状況にな

ることも医師から告げられていました家族は決断をせまられました曾祖父に相談もせずに決

めていいことなのか家に帰りたい曾祖父の意志は封じ込められたままでいいのか家族で悩み

ました結局痛みに耐えている姿は見ていられなくその薬を使うことになりましたその後

曾祖父は次第に弱っていき口も利けなくなり静かに亡くなっていきました僕はどこか心を

引きずったままでした僕達家族が曾祖父に宣告もせず意見も聞かず命の長さを決めてしまっ

たこと当時幼かった僕には何もしてあげられなかったことが今思い出しても残念です

 

最近授業で人権について学習しているときに幼い頃の記憶がよみがえりふと曾祖父のこと

を思い出しました

 

曾祖父はどんな思いで亡くなったのだろう最後に意識のあるうちに一度でいいから家に帰っ

てきたかっただろう身体拘束は今は病院でも禁止されていると思いますがあの頃は確かに曾

祖父のおなかに黒いベルトのようなものが巻きついていました決して自分の力で

は外せないようなものでしたもがき苦しむ曾祖父の姿を見た時に看護師さんに

目を隠され別の部屋に連れて行かれました見せたくない光景だったのだと思いま

すでもあの姿は僕の脳裏に焼き付いています病院の中での人材不足のためだっ

39 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

たのでしょうか人が人らしく生きていない姿でした

 

七十八年生きてきて何も悪いことをしていないのに縛られ家にも帰れない

病気で余命幾ばくもない人には人権というものは存在しないのでしょうか最近の

医療の現場では自己決定権があることについて学びました

 

仏壇に向かい静かに目を閉じると優しく穏やかに微笑む曾祖父の笑顔が浮かびますどんな

気持ちで亡くなっていったのかその気持ちを考えると苦しい気持ちになります野球の大会に

行く前仏壇に手を合わせます「やればできる努力しろ」とよく励ましてくれました曾祖

父の力には何もなれなかったけれど目には見えない力で応援してくれる曾祖父に線香をあげて

自分を省みる時があります曾祖母が元気なので曾祖父を助けられなかった分曾祖母の力に

なっていくことを曾祖父に約束しています

 

夏休み中のニュースで高齢者の所在不明者が多数のため百歳以上の安否確認調査をしていま

した自分の親を平気で捨て遺骨さえもひきとらない亡くなっていたのに年金を不正受給する

ために隠していたなど耳をふさぎたくなるような事件もありました犬や猫が年をとって弱っ

てきた手がかかるから面倒だからと捨ててしまうそれと同じ現象が弱い高齢者にも及んでき

ているのだと思います

 

やはりこの世に生まれてきたもの全てに自分の意志で生きることを決めていける権利がある

と思います長い年月を苦労や努力と向き合いながら精一杯生きてくれたおかげで今の幸せが

あることを忘れずにいたい人はいずれ誰でも年をとります自由に動けなくなった時に自分の

入賞作文集 40

入賞作文

願いが叶う社会を築き「悔いなく満足で楽しく幸せな人生だった」と思えるように人とし

ての誇りを持って満足できる最期を迎えられるように考えていきたいもう二度と僕が見た自

己決定権のない社会にならないように高齢者には今までの感謝の気持ちで本人の希望をでき

るだけ叶えられるように努力していきたいいずれ僕達も迎える高齢社会だからhellip

41 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

 

私は小学六年生の時から盲導犬候補の子犬を育てるボランティアをしています「犬を飼っ

てみたい」と言う私に両親が「せっかく犬を飼うのなら社会に役立つことをしよう」と提案

したからです生後二ヵ月の子犬を預かり一歳の誕生日を迎えるまで世話をするのがボランティ

アの役目です初めて訓練士さんから子犬を手渡された時は不安でドキドキしましたが子犬は

すぐに私の腕の中で眠ってしまいました初めて会った私のことを信頼して安心しきった寝顔

で眠っている姿は本当に可愛かったですラブラドールの子犬はとてもやんちゃで私の家にやっ

て来たその日からいたずらばかりしていましたがしかられてもクヨクヨせずどんな相手にも

 林はやし

 里り

咲さ

東京都小平市立小平第六中学校 三年

差別のない社会に

(パピーウォーカーの経験から学んだこと)

法務事務次官賞

入賞作文集 42

入賞作文

フレンドリーに近づいていく姿から私は明るく前向きに生きることを教わりました子犬たち

と過ごした日々は私にとって一番の宝物ですそしてあっという間に一歳の誕生日がやって来ま

した誕生日が悲しいという経験は初めてでした訓練所への入所日の前日には長い長い散歩を

して最後のお別れをしました「今までありがとう」そう言った私のことを不思議そうに見てい

た子犬の顔が今も目に焼きついています別れは本当につらいけれど涙を見せたら子犬が心配す

るので頑張って笑顔で見送りました

 

私の家で育てた一頭目の子犬は現在盲導犬になって頑張っていますそして今年四月に巣立っ

ていった二頭目の子犬は神奈川にある訓練センターで訓練中です

 

このボランティアを通して私は多くのことを学びましたまず盲導犬の役割ですがこれは単

に目の不自由な方が便利に一人でどこへでも行けるようにするためだけではありません視覚障

がいのある方にとって人の手をわずらわせるのはとてもつらいことなのだそうですたとえ家

族に対してでも「迷惑をかけるのではないか」と思って我慢することが多く「私なんかいない

方がいいんじゃないか」と考えてしまうこともあったといいますその失われそうになった尊

厳を取り戻す手助けをするのが盲導犬の役目なのです犬は訓練を共にするパートナーのことを

大好きになるので「自分は他者からこんなにも大好きになってもらえる存在なん

だ」と気づいて自信を取り戻し新しい一歩を踏み出せるようになるのだそうです

 

また私がボランティア登録している日本盲導犬協会では二〇〇八年に新しい

試みが始まりました受刑者が盲導犬候補の子犬を育てる動物を介在した日本初

43 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

の教育プログラムです罪を犯した人も心から反省してきちんと罪を償えば社会

は差別することなく受け入れるべきですしかし実際はとても偏見が多く元受刑

者たちは「どうせ自分はだめな人間なんだ」と思い再び罪を犯してしまう悪循環

が起こっているそうですその悪循環を断ち切り受刑者たちがスムーズに社会復

帰を果たせるよう支援するのが「あさひ盲導犬パピープロジェクト」です受刑者たちは約十ヵ

月の間子犬たちを世話しながら一緒に過ごし「役に立つ喜び達成する喜び信頼される喜び」

を感じることで自分の価値を再確認するのだそうです今年一月に第一期のプロジェクトを修了

した受刑者の感想に次のようなものがありました

 「今後自分もパピーに笑われないようにきちんとしなければならないパピーは慈しむこと

寛容の心を教えてくれました」

 

犬は決して差別をしません健康な人にも障がいのある人にもお金持ちにも貧しい人にも

権力のある人にも犯罪を犯した人にも全く同じように接してくれますそんな犬たちと一緒に過

ごすことで自信をなくした人たちも自分のことをかけがえのない大切な存在であると思えるよ

うになるのです

 

私たち人間も差別のない社会をつくる努力をしなければならないと思います一人一人が相

手を大切に思う心を忘れなければこの社会はもっと住み良い場所になるはずです私はこのボ

ランティアを通して学んだことを生かしてこれからも一層努力していきたいと思います

入賞作文集 44

入賞作文

45 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

 

僕は祖父のために自助具を作ろうと思った祖父は去年の夏脳梗塞で倒れた祖父は一命

を取り留めたものの右手と右足がまひしてしまったのだその三週間前僕も車椅子から転倒し

て足を骨折した

 

僕には障害がある車椅子で生活することが多いしかし僕のことを障害者だといって差別

するような友達は一人もいない

 

祖父は歩けるようになりたいという気持ちが強かっただからリハビリを頑張り自分で

歩けるようになるまで回復した頑張っている祖父がかっこいいと僕は思った祖父はリハビ

リを頑張ったにも関わらず右手がうまく動かせなくなってしまっただからご飯を食べる時も

服を着替える時も時間がかかる普段何気なくやっていた動作がとても大変だと祖父は言ってい

守もり

田た

 幸こう

平へい

静岡県静岡大学教育学部附属浜松中学校 三年

祖父への靴下

法務事務次官賞

入賞作文集 46

入賞作文

た僕も何か役に立てることはないかと考えた

 

僕の学校には総合学習という授業があるそこで僕は福祉というカテゴリーを選んだ自

分で社会に役立てることを考え実際に行動することが目標だった僕は障害者のために何が

できるかを考えた

 

僕は二年前に静岡文化芸術大学で障害者がいかに日常生活で不自由のない生活ができるかを

考えるプロジェクトがあるのを新聞で知ったそれは大学生たちが個人個人にあった自助具を

作るプロジェクトだった僕は障害者のために何かできるのではと感じた

 

僕は静岡文化芸術大学へ行って僕にもできることがないかと聞いたすると学生さんが

自助具を作ってみないかと声をかけてくれた僕は迷わず「はい」と言った障害者のために

役に立てることがあると思うとすばらしいことだと思ったからだ

 

祖父のつらい顔を見ると日常生活に数々の大きな壁があることが伝わってくる

 

僕は祖父の数々の大きな壁を突き破ろうと思った祖父のために自助具を考え作ろうと僕

は思った祖父が靴下の脱ぎ履きが大変だと言っていたことを思い出したそこで脱ぎ履きし

やすい靴下はできないか考えた靴下の両脇にひもを取り付けてそれを引っ張ると靴下が縮み

脱ぎ履きしやすくなる仕組みだ大学の先生も良いアイディアだと言って褒めてく

れたこれは障害者だけでなく健常者にも使えると言われたユニバーサルデザ

インだと分かった

 

ユニバーサルデザインは年齢や障害の有無にかかわらず全ての人が使いやす

47 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

いように工夫された用具などのデザインである境界がなくなるように健常者が障

害者に対する偏見を考え差別意識がなくなるチャンスだと思った障害者と健常

者が共によりよく生きることが大切だと僕は思った

 

自助具の作品展では杖をついているお年寄り車椅子に乗った若い女性目の

見えない人福祉関係者など沢山の人々が観に来ていた皆自分の生活を良くしようと思っ

ているようだったまた障害者のためにできることは何だろうかと考えている健常者もいるよ

うだった

 

二年生の時の総合学習では二箇所のデイサービスを訪問したデイサービスには六十五歳以

上のお年寄りがいた暗く元気のない人明るく振る舞い誰とでも話せる人など様々だった

しかし僕が一番印象に残ったのは笑顔を絶やさず優しくお年寄りに接していた介護士だった

お年寄りの中には悩みを抱えている人が多いそうだその悩みを解消させる人もまた介護士だっ

た僕は介護士がお年寄りの体を支えるだけではなく心もそっと支えて生きる喜びを与え

ているのだと感じた

 

現代は三世代で暮らす家族が減り核家族が増えているそれはお年寄りの世話が大変だ

からという理由が多いだから老人ホームやデイサービスに預ける人が増えていると僕には

思えたお年寄りの中には自分が嫌われているのではないかとさえ思ってしまう人もいるそう

だそれはお年寄りにとって辛く悲しいことだと思うある介護士がこんなことをおっしゃっ

ていた「人の優しさはお金では買えない」誰にでも優しい心があると思うしかしあと一歩

入賞作文集 48

入賞作文

のところで行動に移すことができない人が多いの

だ僕たちが平和な社会で暮らせるのは今まで

頑張ってきてくれたお年寄りのお陰であることを

忘れてはいけないお年寄りを大切にすることは

当たり前のことなのだ

 

また障害者に対しても偏見の目で見ないで

そっと近づいて手を貸してあげれば健常者との

高い大きな壁を崩すことができると思う

 

障害者にも高齢者にもまた健常者にも人権

はあるお互いの人権を大切にすることが明る

い未来に繋がっていくのだと思う

 

早く祖父に僕の作った靴下を届けたい

49 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

 

僕は小学校六年生まで福岡県に住んでいましたそこで僕が体験したことです五年生のこ

ろ僕の友だちのA君が同級生のK君の靴を隠したりからかったりしていることがよくあり

ました最初は僕もあまり気にしていませんでしたがK君のことを「なんだかかわいそう」と

思うようになりました

 

ある日僕は勇気をだして先生に「K君がいじめにあっています」と報告しました初め先生は

「じゃれ合っているだけだろう」と「いじめ」とは思ってくれませんでしたでもその後「いじ

め」と分かりA君は先生に注意されその日一日は反省した様子で過ごしていましたしかし

次の日学校に行くといじめは前以上にエスカレートしていて蹴ったりたたいたりするように

なりましたしかも「死ね」「うざい」「消えろ」などの言葉が飛び交うようになりそんな日々

法務事務次官賞

浦うら

谷たに

 毅たける

徳島県三好市立池田中学校 三年

いじめをなくすために今

入賞作文集 50

入賞作文

が続きました

 

それは六年生になっても続きました僕はそのいじめを止めることができず毎日見て見ぬ

振りをしていました今思うと自分がとても恥ずかしいです本当の友達なら止めるべきなの

にそれだけではなくいじめられているK君に声一つかけることができずにいました心の中

ではA君に「やめろよ」と言おうと思っていたけどなぜか勇気が出ませんでした次にい

じめられるのが自分になるのが恐くて言えなかったのです

 

そんな日々が続く中僕の気持ちを大きく変える出来事がありました父の死ですそのとき

のことは今でも忘れることができません聞いたときには頭の中が真っ白になりました最初

は信じることができませんでした一週間も二週間も学校に行けずただぼーっと過ごしてい

ましたいろんなことを考え徐々に「死」というものの悲しさつらさ「死」という意味の

重さがわかってきましたそして時間はかかりましたが「命は一瞬にして消え二度と戻っ

てこないものだだから命を大切に今を大切にしなければならない」と深く受け止めることが

できるようになりましたそして周りの子たちは僕のような経験がないから「死ね」とか軽々

しく言えるのだろうと思いこの気持ちを伝えなくてはならないと考えました僕が強くならな

くてはと思いました

 

こんな気持ちになったとき僕には時間がありませんでした母の実家がある徳

島への引っ越しが一週間後に決まっていたのです落ち込んでいる暇は無いと思

い学校に行った僕はA君に言いました「いじめなんかやめろよいじめたって

51 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

喜ぶ人はいないし悲しむ人がいるだけだろ自分だってほんとは嫌だろ『死ね』

とか『消えろ』とか言葉の重さを知らないのに言うなよ」と言いました父親の

突然の死そのあと僕が考えたことも伝えました

 

友だちは黙って聞いてくれました僕の言葉にうなずいてそのあとK君の

ところへ行き「ごめん言葉の重さも知らずに言って本当にごめんぜったいに死ねなんて

ことは言わないそしていじめは絶対にしないほんとうにごめん」とあやまりましたK君

はとても優しい笑顔で「いいよ」と一言言いました僕もK君に言いました

「今まで助けてあげられなくてごめん」

K君は笑顔で「ありがとう」と言ってくれました今まで自分の中でもやもやしていた気持ちが

スーっと晴れました

 

今も時々耳にする暴言冗談半分で言っているのかもしれませんしかしいついじめにつ

ながるかわかりません他人を傷つけることで自分のストレスを晴らそうとしているのでしょう

関係ないふりをしようとする自分がいます楽な考え方をする自分がいますそんな時亡くなっ

た父の顔やK君の優しい笑顔を思い出しますあの時の自分のように強い気持ちを持とう「や

めろよ」と一言言うするとまた気持ちがスーっとしてきました

 

父の分も頑張って生き抜こうと決めた僕にとって正しいことを素直に認め悪いことを否定

できる強い意志を持つことが目標ですそして何よりも命を大切に今を大切にしていきたい

と思っています

入賞作文集 52

入賞作文

53 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

 

ぼくは今まで四つの外国に暮らしいろいろな国の人たちの中で育ってきた

 

まずタイで生まれてタイ人のメイドさんやドライバーさんにいつも遊んでもらっていた

らしい一才になると週一回の体操教室にも通いタイ人の友達もいたそうだ

 

次にシンガポールでは初めてナサリースクール(保育園)に通いいろいろな国の友達と

知り合ったプレイルームにある滑り台を滑る順番争いでいつも勝つのは体の大きい金髪の友

達だった

 

一回目の香港生活では英語の幼稚園に通ったその時のぼくの一番の友達はカナダ人だった

彼とはよくベイブレードをして遊んだが父が日本の出張で買ってきてくれた独楽や剣玉をして

遊ぶこともあった

村むら

瀬せ

 広ひろ

高たか

香港日本人学校中学部 二年

国境をこえて

海 外 作 品

今回は本選への応募とすることはできませんでしたが

 海外から寄せられた作品のうち一作品を御紹介します

入賞作文集 54

海外作品

 

それからインドでは日本人学校に通ったが夏休みには毎年アメリカンスクールのサマー

スクールに参加したし日本人のいない現地のテニススクールにも入り二年間通ったまたイ

ンドの現地幼稚園に通っていた妹のベストフレンドはコンゴ人でその兄弟もぼくの友達だった

 

そして三年間の日本生活を経て今また香港に戻ってきた

 

このようにぼくはいろいろな国でいろいろな国の人たちのお世話になりいろいろな国

の友達と遊んで育った肌が真っ黒な友達もゲームの話をすればすぐに仲良くなれたし髪が

金色の友達もポケモンの話をすれば気が合ったぼくは小さい頃から英語はうまくしゃべれ

なかったけれどもジェスチャーをつけたでたらめ英語でも充分に話は通じただからいろい

ろな国の人たちの中でぼくが日本人だからといって差別されたり嫌な思いをしたりしたこと

はないしぼくも肌の色が違うからとか言葉が通じないからという理由で違う人間だと思っ

たことはないそうぼくは外国人を差別したことはない

 

しかし本当にぼくは外国人を差別したことがないのだろうか外国人を差別した発言を一

度もしたことがないかと考えると自信がない

 

例えば香港人には赤信号でも平気で渡る人がたくさんいるそれを見てぼくは

「香港人はしょうがないな」

と思うでもよく見ると香港人全員が信号無視をしているわけではないまた

世界には今でも戦争をしている国がいくつもある

「人を傷つけ合うなんて馬鹿げている」

55 第30回全国中学生人権作文コンテスト

海外作品

とぼくは悲しくなるでもそれも好きで戦っている人がいるとも思えないその

人たちがそうなったのには何かきっと原因があるはずだ

 

逆に外国人から見ると日本人はどのように思われているのだろう

 

インドから日本に帰国した時毎日ごみがたくさん出ることにぼくはとても驚

いたインドの人たちがよく使う道端にあるカレー屋さんではバナナの葉で作ったお皿にカ

レーを入れてくれる食べた後そのお皿を道に捨てるとのら牛がその葉っぱを食べるそして

牛のふんは燃料になるというそれに比べて日本はちょっと歩くとペットボトルの飲み物が

買えファーストフードのお店では使い捨ての食器を使い立派なお菓子の箱を開けると中身が

少なくてがっかりすることもあるある時母が捨てたジャムの空きびんをメイドさんとエア

コンの修理にきていたワーカーさんとが取り合ってけんかをしていたこともあったそれを見

てぼくはあきれてしまったが逆にインド人から見ると使い捨て文化のしみついた日本人は

とんでもない人間にみえるのかもしれない国によって考え方や行動パターンが違うのは歴史

的背景や宗教習慣気候などのいろいろなことが関わっているのだと思う

 

このように考えると差別とはその人の一部しか見ていないことや自分のやり方だけが正

しいと思うことからおきるのではないかと思うその人が自分とは違った行動をとったとしても

それには深い理由があるのだろうと考えればきっと納得できると思うぼくもこれからは否

定的な発言をする前にその人たちのことをいろいろな角度から見て理解する努力をしてみよう

と思う外国との間には自分の国とは違う言葉や文化という壁があるとみんな言うがそこに

入賞作文集 56

海外作品

あるのは壁ではなく橋だとぼくは思う理解

し合おうという気持ちがあればきっと誰でも

その橋を渡っていけるはずだ気持ちの国境を

こえるのにパスポートはいらないお互いを理

解し合おうと思う気持ちが一番大切だと思う

そしてぼくはこれから日本人として生きる

のではなく地球人として生きていこうと思う

57 第30回全国中学生人権作文コンテスト

海外作品

法務局地方法務局名 郵便番号 所  在  地 電  話

金沢地方法務局人権擁護課920-0024 金沢市西念3-4-1金沢駅西合同庁舎(平成23年3月11日まで) 076-231-1244

921-8505 金沢市新神田4-3-10金沢新神田合同庁舎(平成23年3月14日から) 076-292-7804

富山地方法務局人権擁護課 930-0856 富山市牛島新町11番7号富山合同庁舎 076-441-6376

大阪法務局人権擁護部 540-8544 大阪市中央区谷町2丁目1番17号大阪第2法務合同庁舎 06-6942-9492

京都地方法務局人権擁護課 602-8577 京都市上京区荒神口通河原町東入上生洲町197番地 075-231-0131

神戸地方法務局人権擁護課 650-0042 神戸市中央区波止場町1番1号神戸第2地方合同庁舎 078-392-1821

奈良地方法務局人権擁護課 630-8305 奈良市東紀寺町3-4-1奈良第2法務総合庁舎 0742-23-5457

大津地方法務局人権擁護課 520-8516 大津市御陵町3番6号大津法務総合庁舎 077-522-4673

和歌山地方法務局人権擁護課 640-8552 和歌山市二番丁2番地和歌山地方合同庁舎 073-422-5131

広島法務局人権擁護部 730-8536 広島市中区上八丁堀6番30号広島合同庁舎 082-228-5790

山口地方法務局人権擁護課 753-8577 山口市中河原町6番16号山口地方合同庁舎2号館 083-922-2295

岡山地方法務局人権擁護課 700-8616 岡山市北区南方1丁目3番58号 086-224-5761

鳥取地方法務局人権擁護課 680-0011 鳥取市東町2丁目302番地鳥取第2地方合同庁舎 0857-22-2289

松江地方法務局人権擁護課 690-0886 松江市母衣町50番地松江法務合同庁舎 0852-32-4260

高松法務局人権擁護部 761-8077 高松市出作町585-4 087-815-5311

徳島地方法務局人権擁護課 770-8512 徳島市徳島町城内6番地6徳島地方合同庁舎 088-622-4171

高知地方法務局人権擁護課 780-8509 高知市栄田町2丁目2番10号高知よさこい咲都合同庁舎 088-822-3331

松山地方法務局人権擁護課 790-8505 松山市宮田町188番地6松山地方合同庁舎 089-932-0888

福岡法務局人権擁護部 814-0005 福岡市早良区祖原14-15福岡法務局西新出張所庁舎5階 092-832-4311

佐賀地方法務局人権擁護課 840-0041 佐賀市城内2丁目10番20号佐賀合同庁舎 0952-26-2148

長崎地方法務局人権擁護課 850-8507 長崎市万才町8番16号 095-826-8127大分地方法務局人権擁護課 870-8513 大分市荷揚町7番5号大分法務総合庁舎 097-532-3368

熊本地方法務局人権擁護課 862-0971 熊本市大江3丁目1番53号熊本第2合同庁舎 096-364-2145

鹿児島地方法務局人権擁護課 890-8518 鹿児島市鴨池新町1番2号 099-259-0684宮崎地方法務局人権擁護課 880-8513 宮崎市別府町1番1号宮崎法務総合庁舎 0985-22-5124

那覇地方法務局人権擁護課 900-8544 那覇市樋川1丁目15番15号那覇第1地方合同庁舎 098-854-1215

入賞作文集 58

問合せ先一覧

法務局地方法務局名 郵便番号 所  在  地 電  話

札幌法務局人権擁護部 060-0808 札幌市北区北8条西2丁目1番1札幌第1合同庁舎 011-709-2311

函館地方法務局人権擁護課 040-8533 函館市新川町25番18号函館地方合同庁舎 0138-23-9528

旭川地方法務局人権擁護課 078-8502 旭川市宮前通東4155番31旭川合同庁舎 0166-38-1114

釧路地方法務局人権擁護課 085-8522 釧路市幸町10丁目3番地釧路地方合同庁舎 0154-31-5014

仙台法務局人権擁護部 980-8601 仙台市青葉区春日町7番25号仙台第3法務総合庁舎 022-225-5739

福島地方法務局人権擁護課 960-8021 福島市霞町1番46号福島合同庁舎 024-534-1994

山形地方法務局人権擁護課 990-0041 山形市緑町1丁目5番48号山形地方合同庁舎 023-625-1321

盛岡地方法務局人権擁護課 020-0023 盛岡市内丸7番25号盛岡合同庁舎 019-624-9859秋田地方法務局人権擁護課 010-0951 秋田市山王7丁目1番3号 018-862-6533

青森地方法務局人権擁護課 030-8511 青森市長島1丁目3番5号青森第二合同庁舎 017-776-9024

東京法務局人権擁護部 102-8225 千代田区九段南1丁目1番15号九段第2合同庁舎 03-5213-1234

横浜地方法務局人権擁護課 231-8411 横浜市中区北仲通5丁目57番地横浜第2合同庁舎 045-641-7926

さいたま地方法務局人権擁護課 338-8513 さいたま市中央区下落合5-12-1さいたま第二法務総合庁舎 048-859-3507

千葉地方法務局人権擁護課 260-8518 千葉市中央区中央港1丁目11番3号千葉地方合同庁舎 043-302-1319

水戸地方法務局人権擁護課 310-0061 水戸市北見町1番1号水戸地方法務合同庁舎 029-227-9919

宇都宮地方法務局人権擁護課 320-8515 宇都宮市小幡2丁目1番11号宇都宮地方法務合同庁舎 028-623-0926

前橋地方法務局人権擁護課 371-8535 前橋市大手町2丁目10番5号前橋合同庁舎 027-221-4426

静岡地方法務局人権擁護課 420-8650 静岡市葵区追手町9番50号静岡地方合同庁舎 054-254-3555

甲府地方法務局人権擁護課 400-8520 甲府市北口1丁目2番19号甲府地方合同庁舎 055-252-7239

長野地方法務局人権擁護課 380-0846 長野市旭町1108番地長野第2合同庁舎 026-235-6634

新潟地方法務局人権擁護課 951-8504 新潟市中央区西大畑町5191番地新潟地方法務総合庁舎 025-222-1564

名古屋法務局人権擁護部 460-8513 名古屋市中区三の丸2丁目2番1号名古屋合同庁舎第1号館 052-952-8111

津地方法務局人権擁護課 514-8503 津市丸之内26番8号津合同庁舎 059-228-4193岐阜地方法務局人権擁護課 500-8729 岐阜市金竜町5丁目13番地 058-245-3181

福井地方法務局人権擁護課 910-8504 福井市春山1丁目1番54号福井春山合同庁舎 0776-22-5090

問合せ先一覧 (法務局地方法務局)

59 第30回全国中学生人権作文コンテスト

問合せ先一覧

世界人権宣言啓発書画「鳥」「自由と解放」を表わしたもの 小木太法書オタビオロス画(財)人権擁護協力会提供

入賞作文集 60

すべての人間は生まれながらにして

自由でありかつ尊厳と権利とに

ついて平等である人間は理性と

良心とを授けられており互いに同胞の

精神をもって行動しなければならない

―――

世界人権宣言 第一条

―――

第三〇回

 全国中学生人権作文コンテスト

中央大会表彰式

印  刷 平成23年1月25日

発  行 平成23年2月14日

発 行 者 法務省人権擁護局

全国人権擁護委員連合会

東京都千代田区霞が関一丁目1番1号

電話 03(3580)4111 内線5875

URL httpwwwmojgojpJINKEN

第30回全国中学生人権作文コンテスト中央大会審査員

感想をお聞かせください本作文集を読まれた感想等を下記の連絡先又はkeihatsumojgojpまでお寄せください

無断転載を禁じます本作文集に掲載された作文や写真等を地方自治体が広報誌に掲載したり学校が教材に使用される場合などにはあらかじめ下記に御連絡ください

100-8977 東京都千代田区霞が関一丁目1番1号 法務省人権擁護局人権啓発課 TEL03(3580)4111 内線5875

作  家(審査員長) 落 合 恵 子映画監督 山 田 洋 次社団法人日本新聞協会事務局長 川 嶋   明日本放送協会解説委員室解説委員 南   直 樹文部科学省初等中等教育局視学官 三 好 仁 司全国人権擁護委員連合会長 中 村 浩 紹法務省人権擁護局長   井 忠 雄

(敬称略)

【式次第】

第一部

 会

主催者あいさつ

賞状授与

内閣総理大臣賞法務大臣賞

文部科学大臣奨励賞法務副大臣賞

法務大臣政務官賞

全国人権擁護委員連合会長賞

社団法人日本新聞協会会長賞

日本放送協会会長賞(以上各一名)

法務事務次官賞(三名) 計一一名

学校への感謝状贈呈

高円宮妃殿下おことば

来賓祝辞

第二部

各受賞作文の朗読

内閣総理大臣賞法務大臣賞

文部科学大臣奨励賞

全国人権擁護委員連合会長賞

社団法人日本新聞協会会長賞

日本放送協会会長賞

 評

全国中学生人権作文コンテスト中央大会審査員

 山田洋次氏

 落合恵子氏(ビデオレター形式)

第三部

新垣勉さんコンサート

 会 平成二二年一二月一八日(土)

午後一時三〇分〜三時五〇分

於ニッショーホール

「いじめ」や暴力行為等は人権侵害です

法務局地方法務局では

人権侵害による被害を受けた方を

救済するための活動を行っています

お気軽にご相談ください

女性の人権ホットライン

インターネット人権相談受付窓口

ゼロナナゼロのハートライン

0570-070-810

子どもの人権110番ぜろぜろななのひゃくとおばん

 0120-007-110

パソコンから httpwwwmojgojpJINKENjinken113html携帯電話から httpwwwjinkengojpsoudanmobile001html

インターネット人権相談 検 索

Human Rights法務省人権擁護局全国人権擁護委員連合会

人権イメージキャラクター人KENあゆみちゃん人KENまもる君

全国共通通話料無料

全国共通ナビダイヤル

この冊子は環境保護印刷の「水なし印刷」で印刷されています

第30回全国中学生人権作文コンテスト入賞作文集

法務省人権擁護局全国人権擁護委員連合会

人権イメージキャラクター人KENまもる君人KENあゆみちゃん

この冊子には音声コードが各頁(奇数頁 左下偶数頁 右下)に印刷されています専用の読み上げ装置で読み取ると記録されている情報を音声で聞くことが出来ます

Human Rights法務省人権擁護局全国人権擁護委員連合会

 全国中学生人権作文コンテスト入賞作文集

 全国中学生人権作文コンテスト入賞作文集

第30回

全国人権擁護委員連合会長賞

 忘れてはならないこと

群馬県群馬大学教育学部附属中学校三年 大おお

井い

 海み

琴こと

30

社団法人日本新聞協会会長賞

 ハンセン病について考えたこと

埼玉県学校法人立教学院立教新座中学校一年 久く

米め

 一かず

輝き

34

日本放送協会会長賞

 悔いのない最期を

山形県酒田市立松山中学校三年 櫻さくらだ田

 要かな

太た

38

法務事務次官賞

 差別のない社会に(パピーウォーカーの経験から学んだこと)

東京都小平市立小平第六中学校三年 林はやし 里り

咲さ

42

 祖父への靴下静岡県静岡大学教育学部附属浜松中学校三年 守もり

田た

 幸こう

平へい

46

 いじめをなくすために今

徳島県三好市立池田中学校三年 浦うら

谷たに

 毅たける

50

 【海外作品】

 国境をこえて

香港日本人学校中学部二年 村むら

瀬せ

 広ひろ

高たか

54

5 第30回全国中学生人権作文コンテスト

目  次

審査講評

落合 恵子

「時代のページをひらく」

 

二〇一〇年の年の暮れにこの講評を書いている

 

資料など紙類の最後の収集はいつだった 

明日 

明後日 

分別ゴミの収集日を確認しな

がらその前に新聞などの連載の仕上げがいつまで 

と年始休休が入るこの時期はなにか

と気ぜわしい

 

気分前のめり状態なのだがわたしたちの多くはゴミは出してしまえばそれで落着わ

たしの原稿も担当のかたにメールで送ってしまえば終わりである

 

けれどその向こう側にはこの寒空(今朝は特に寒さが厳しい)のもとわたしたちが出し

たものを集める仕事をされているかたがたがいるわたしたちが書いたものを印刷してくれるか

たがたもいるhelliphellip

入賞作文集 6

審査講評

 

こうしてひととひとはひとと暮らしは有機的に繋がっているのだと改めて思うのも年の

暮れだからなのかいや人権についての素晴らしい姿勢と視点に溢れた「あなた」の作品を今

朝もう一度読み返したせいなのかもしれない

 

第三〇回を迎えた全国中学生人権作文コンテスト全国(今回は海外からの作品もあったが)

の中学生の四人にひとりはこの作文を書いてくださったとうかがった

 

すごいことだ嬉しいことだ素晴らしいことだと心が震える

 

たとえばいま大人たちに人権に関する作文を書いてくださいと言ってどれほどのひとが

賛同し実際に書いてくれるだろう考えることと実行することの間には深い溝がある

 

それもこれほど瑞々しい感受性と論理性に裏打ちされた作品をである

 

毎回書いているような気がするがこの作文コンテストに選考委員のひとりとして加わる唯一

の苦しみは応募作品に順位をつけることにある

 

どれもがキラリと光る芽を持った作品にいったい順位をつけることが可能なのか読み手で

あり選考する側のわたしたち大人の「人権意識」がある意味試されているような緊張が

いつもある

 

何度も何度も読み返しそれでも迷うことがあることも告白しておこう

 

内閣総理大臣賞を受賞された江川麻理香さんの『身近で無意識な人権侵害』

 

入院先で出会ったひとから聞いた悪意不在のけれど「もうひとつの差別」

目が不自由であることから子どものように「扱われること」への居心地の悪さ

7 第30回全国中学生人権作文コンテスト

審査講評

についてそういった傾向がわたしたちの内にもないかを問い返した優れた作品で

ある

 

それは「される側」からの柔らかな異議申し立てであり問題提起でもある

認知症の母を自宅で介護していたおよそ七年間わたしも病院などで母にかけられ

る言葉がとても気になった言葉の多くが幼児へのそれに似ていて「優しく接すること」が

幼児言葉であるという習慣のようなものはわたしたちの暮らしの中のいろいろな場面にある

ひととして親切であることと相手に対する想像力を働かせることと幼児に向けてのような言

葉を使うことはまったく別なことなのだが

 

悪意不在であるがゆえにかえって問題提起しにくいテーマを江川さんは見事に拓いてくだ

さっている

 

辻本桃佳さんの作品目の不自由なお父様がある日電車の中で出会ったことを通して「個

人的な体験」を普遍的なテーマに広げ深めることに成功した作品だ

 

人種と「見た目」の違いをテーマにしたローリンズ

リコさんの作品水俣という愛する郷里

の酸鼻な歴史とそこから生まれた差別と偏見について丁寧に描いた井上由紀子さん事情があっ

て家族とは離れて暮らす大田葵さんが今考える拓かれた『家族』とはかつて偶然に出会っ

たひとたちが偶然を必然に変えて

4

4

4

4

4

4

4

4

4

新しい結縁の家族を作っていく小説を書いたわたしには特

に心に響く作品だった

 

文字数の関係ですべてに触れることはできないが心に響く作品たちを読んでいる間はささ

入賞作文集 8

審査講評

やかながら人権の活動をしてきた「かつての中学生のひとり」としてとても充たされた思いの

中にいた

 

ありがとうと心から「あなた」にお伝えしたい

 

そして若い季節に人権を自分に引き寄せこうして作品にまとめあげた体験は「あなた」に

準備されているたくさんの明日に光をもたらしてくれるはずhelliphellipと書いてふっと思う自分の

暮らしの核に人権を置くことは素晴らしいことであると同時にある意味ストレスを抱え込

むことでもあるのではないかとそれは気づいてしまうストレスでもある社会にはまだま

だ差別がある人権についてセンシティヴであればあるほどそれに気づき失望し傷つくこ

とも少なからずあるはずだ

 

それでもとわたしは「あなた」にお伝えしたい気づかない人生よりも気づく人生そし

て気づいたことを少しでも「拓いていく」人生のほうが容易ではないがはるかに充実してい

るはずだと

 

オーディオセットから大好きなクリスウィリアムソンとメグクリスチャンの曲が流れて

いるhelliphelliphellipわたしたちは新しい時代を作るため新しいページを開くために時代のステージ

にいま登ったところだとふたりとも歌を通してアメリカで人権の活動をしてい

るアーティストである海のこっち側のわたしたちもいま新しい時代のページを

開く時そのステージの上にいる

9 第30回全国中学生人権作文コンテスト

審査講評

内閣総理大臣賞

 

私が入院した時眼科や外科内科などいろいろな病状の患者さんと知り合いになった仕事

で足を骨折した人胃を悪くして入院した人目の手術を受けた人など年齢や性別職業も様々

でふだんあまり接することのない人たちと話す機会に恵まれた病気やケガの苦労話はもちろ

んのこと世代の違う人たちの話はとてもおもしろかった「人権」について考える時その中

の一人の患者さんのことが頭に浮かんだ

 

人権侵害とは障害者やお年寄りなど立場の弱い人たちに対する差別や悪意のある偏見か

らくるものだとばかり思っていたところがたとえ善意であっても思わぬところから人権の侵

害になっていることがあるのだと考えさせられたのであった

 

目の手術を受けたその人は母と同年代ぐらいの女の人だった目が不自由なことで周りの

江え

川がわ

 麻ま

理り

香か

佐賀県佐賀市立東与賀中学校 三年

「身近で無意識な人権侵害」

入賞作文集 10

入賞作文

人たちがとてもよくしてくれるのはいいがそのために困ったり悲しい思いをすることもあると

いうのだった私はこれまで人に優しく親切にすることはいわば常識であり当然のことだ

と思っていただけに大きなショックを受けた困った時に手を貸してくれるというのに悲しい

思いをするとはどういうことなのだろう私たちが親切のつもりでやっていることが迷惑になっ

ているというのだろうかお年寄りや障害者をいたわるのは当たり前でありそれは感謝される

ことはあっても迷惑に思うなどとは筋違いではないだろうかところがその人の立場から見

れば好意のつもりでもまるで小さな子どものように扱われたりこれは危険だからと勝手に

予測されて遠ざけられてしまったりと自分の意思とは関係なく何でも先回りされてしまうのが

悲しいのだそうだ目は悪くとも自分は子どもではないしできなくはないことにまで行き

過ぎた親切にひどく心を傷つけられるのだというまた相手がよかれと思ってくれていること

だけにそれを断ろうものならあからさまにいやな顔をされたり急に態度を変えられることも

あったりでかえって気を遣うのだそうだ

 

私ははっとした今まで手を貸す側から見ることはあっても逆の立場から考えたことはな

かったので大きな衝撃を受けたいつの間にか相手より自分を少し高い所に置いて見ていない

だろうか無意識のうちに相手のことを保護すべき弱者だとして見ていないだろう

か私は今中学生だがそれ以下の子ども扱いされると腹が立ついちいち細かい

ことまで制限されたり禁止されたりすれば確かにいい気持ちはしない同じよう

に障害者や老人に対して危険だ何だのとその人ができることまでをも禁止し

11 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

まだこぼしてもいない湯のみを取り上げるようなことをしてはいないだろうか

 

確かに弱者をいたわり手助けすることは人として当然であり必要なことで

あるしかし相手の気持ちや状況を考えずただ一方的に押しつけるだけの親切

はただの自己満足でしかない見えない人には見えない人なりのやり方や考え方が

あるのにそこに寄り添うための理解がないとしたらそれは人権を侵害しているといえないだ

ろうか

 

人は皆平等であるけれど環境や年齢身体能力などは同じではないだからこそ人とし

ての尊敬の念や思いやりいたわりの心を持って接することが大切なのだと思う

 

しばらく前の人権侵害とは人を自分より見下したりおとしめることで優越感を持つための

ものだったように思うそして今生活や文化が豊かになった現代では行き過ぎた親切やいた

わりが人の心を傷つけそれが新たな種類の人権侵害の一つになっていることもあるのだ「善意

イコール感謝されるべきもの」という考え方が全てに当てはまるとは限らないまた当ては

めようとしてはならないその人にとっての「いちばん」は何かひとりひとりを尊重するため

には本当に助けが必要かどうか出すぎたことをしていないかを見極めることも大切なのだと

思う

 「人権」について考えることそれはとても難しいことのように思えるが意外と簡単なこと

ではないだろうか同じ人間同士が並んで歩くための人と人との間の権利私たちが無意識のう

ちに作り出している優劣の壁を取り払うこと自分の価値観を人に押しつけないこと自分も相

入賞作文集 12

入賞作文

手も同じひとりの人間なのだとその

人の心に寄り添い理解し合う努力こ

そ人権を守る大きな力になると思う

13 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

 

十五年前父が篠山の町中を歩いているとこう言われた「そんな棒きれ振り回さんといて」

と父は決して棒きれを振り回していた訳ではないただ白杖を持って歩いていただけだそ

の話を聞いて私は驚いたたった十五年前のことだけど信じられない気持ちでいっぱいになっ

ただが十五年経った今ではそんなことはないだろうマスメディアが発達しいろんなハン

ディを持った人のことが紹介されたり障がい者の方自身が社会参加する機会が増えたからだと

 

そしてこんな話も聞いたことがある電車に乗った時に時間が知りたくて携帯電話を開い

たときのことだ「こんなとこで電話したらアカンやろ」と中年のおばさんに怒鳴られたそうだ

優先座席の近くだったということもあるが『目の不自由な人=白杖を持っている』という認識

は広まってきているが時間を知りたいときには音声が出る時計や携帯電話を使うということは

法務大臣賞

辻つじ

本もと

 桃もも

佳か

兵庫県篠山市立西紀中学校 三年

少しずつhellip一歩ずつhellip

入賞作文集 14

入賞作文

ほとんど知られていないのだそのとき父は説明しようと思ったがどうせ分かってもらえな

いと思い「すみません」と謝りとても悲しい気持ちになったそうだ見えている人は時間

が知りたければ時計を見ればすぐに分かるだが目が不自由だと音で聞くしかないのだ私は

障がい者が暮らしやすいような機器が発達してきていることをもっと社会に広めていくことが

必要だと思うそうすることで協力してくれる人や理解してくれる人が増えていくのではな

いだろうか

 

視覚障がい者の方が日常生活を送る上で給付や貸与される機器がある音声で教えてくれる

時計や体重計文章読み上げ器などがそれだこれらは以前県の基準で市が実施要綱を定めて

そこが窓口となって行われていたが法改正により各市区町村対応となったしかしこの日

常生活用具の中に健常な家族と同居している視覚障がい者には給付してもらえない物もあるの

だそれは体温計や体重計であったりするこの体温計がなければ家族が出かけている間に

体調が悪くなっても計測することはできないのだ

 

父の知り合いに赤ちゃんを連れた全盲のお母さんがいる体温を計るのに複数の体温計で赤

ちゃんの体温を計りその体温計に印をつけて病院まで持っていって見てもらったり家族が帰っ

てくるのを待って見てもらうことがあるそうだ私たちは簡単に体温を計ること

ができるが見えない人たちはそれができないために生命の危険にさらされてしま

うことがあるのだせっかく便利な機器が発明されても値段が高くて簡単に購

入できないもしくは制度のカベによってそのサービスが受けられないことがあ

15 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

るしかし私の住む篠山市では父たちの声が福祉課の方々に届き日本で初めて

音声式体温計が同居家族の有無にかかわらず給付されるようになったのである

 

今は携帯電話が音声で読み上げてくれてメールや時間GPSなどの便利な

機能を視覚障がい者の方も利用できるようになっただがそのことを知っている

健常者の方は全国にどれくらいいるだろうかまたこのことを知っている当事者である視覚障

がい者の方が全国にどのくらいいるだろうか私はまだ知らない人が多いと思う

 

ここ十五年程で視覚障がい者の人は白杖をついているということはほぼ知られてきたが生

活を助ける機器が発達してきているということは知らない人も多いだろうそれが「あの人は

目が動いているから見えている」とか「あの人はずっと目をつぶっているから見えていない」

「物を避けているから見えている」「物にぶつかっているから見えていない」という勝手な

思い込みで障がいの重さをはかることにつながっているのではないだろうかでもそれは間違っ

ている目を閉じれば視覚障がい者の疑似体験はできるでもそれはあくまでも体験であって

個人個人の見え方はそれぞれ違うし外見や行動で障がいの重度を判断するのは良くないと私は

思う同じような見え方ができたとしても全く同じ動きなんてできる訳ないのだから毎日父

と生活していてもどのくらい見えているのか私にもはっきり分からないなにげに父たちがこな

している日常の動作であっても私たち健常者にははかりしれない恐怖と不安努力があるの

だ誰でも目をつぶれば見えない世界を体験した気になる松葉杖をつけばその体験をした気

になる車イスに乗ればその体験をした気になるだが本当の障がい者の苦悩と努力の一部

入賞作文集 16

入賞作文

しか体験していないことを知ってお

いてほしい私たちには当たり前に

できるようなことがあってもどん

なに望んでもできない人たちがいる

ということとみんなの正しい理解と

知識が障がい者の明るい未来へとつ

ながっていくということを知ってほ

しいそしてこのことを広めていか

なければならない

 「少しずつhellip一歩ずつhellip」

17 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

 「Pick your 

head up」

 

これは父がいつも私にかけてくれる魔法の言葉です

 「顔をあげなさい下を向かない」という意味です

 

私の父は生まれも育ちもニューヨークのアメリカ人です女の子は父親に似るとよく言われ

ますが私もそうで日本人の母親よりも父の方に髪質も肌の色も本当によく似ています子供

が親に似ることはあたりまえのことですが私はそのためにいやな思い悲しい思いをいくどと

なくしてきました

 

初めて自分がみんなとちがうんだなと思ったのは幼稚園に入学してまもなくのことでした同

じ組の女の子たちが何人かして楽しそうに遊んでいたので

ローリンズ リコ

福島県福島市立渡利中学校 一年

「差別のない世界へ」

文部科学大臣奨励賞

入賞作文集 18

入賞作文

 「まぜて」

と声をかけると一人の子が言いました

 「このグループは日本人で髪がまっすぐな人しか入れないのリコちゃんは髪がチリチリだし

ハーフだからダメ」と

 

私はとても悲しくなりましたそしてそれは卒園するまで続きました

 

小学校は人数も少なかったせいかみんなとても仲良くて私の外見のことを言う人はだれ一

人いませんでしたまるで兄弟のようにみんな自然に接してくれましたでも習い事やいろい

ろな大会など他校の子たちといっしょになる場面ではやはり髪の毛や肌のことをからかわれ

ることはよくあることでした私には二学年上の兄がいますが兄もやはり父の方に似ています

おだやかな性格の兄は私以上につらい思いをしてきたと思います

 

父は兄や私の話を聞くたびに

 「Pick your 

head up」

と言いましたそして

 「自分に自信とほこりをもちなさいあなたたちは二つの文化を受けついでそれはとてもす

ばらしいことなんだよ」

といつも話してくれました

 

中学に入って間もないころでしたある男の子がいきなり私に向かって言いまし

19 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

 「おまえ風呂に入っているのか黒いぞ外国人はくさいからな」

 

私はとてもはずかしくなりましたそしていかりや悲しみがこみあげてきました

まわりにいた友達は彼の言葉に苦笑いをしていました私はいかりのあまり彼をな

ぐりたくなりましたその時私は父のあの言葉を思い出しました私は顔を上げ

相手の目を見て静かに自分の傷ついた気持ちを伝えました

 

彼は私に向かってこう言いました

 「ごめんわるかった」

 

彼は人を傷つけるということが彼の想像以上に重くそしてひどいことだと少し気付いたよう

でした

 

差別やいじめというのは私たちのまわりでは小さなことから大きなことまで本当によくあり

ますそして差別やいじめをしている側からすればそれをじょう談だという人も多いのです

まわりの人たちもやはりじょう談や遊びの中でのことにとらえてしまう人たちもとても多いので

すだから小学校の時から私たちは道徳などでいじめや人権などについて学んでいてもなかな

かそれがなくならないのだと思いますでも実際に差別やいじめをされている方はみんなの想

像よりはるかに傷ついているということつらいということそして悲しいということを私はこ

の人権作文を通してたくさんの人に知ってほしいのですけがをすれば日がたつごとにそのけ

がは治っていくでしょうまわりからも治っていく様子が見てわかるでしょうでも心に受けた

傷は本人にしかわからないのですその傷がどんなに深くて痛いものか本人にしかわからないの

入賞作文集 20

入賞作文

です

 

肌の色が違っていてもかみの毛が

違っていても私たちはみんな同じ人間

です心を持った人間です相手の気

持ちを思いやり相手の立場になって

考えればいじめや差別はなくなると

思います今も世界のいたるところで

人種差別が問題となり争いが起きてい

ます私は世界から差別やいじめがな

くなるように強い心を持ってまずは

自分から立ち向かっていきたいです

21 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

 

あなたには大好きなふる里がありますか私には緑の木々と青い海に囲まれた自然豊かな

大好きなふる里があります私のふる里は過去に公害という大きな被害をうけた水俣ですそ

の水俣病で患者はもちろんそうでない人も長い間差別をうけてきました

 

父が幼い頃まだ水俣病の原因が究明されておらず水俣病はうつると言われていました列

車が水俣の駅につくと窓をしめ手で口をおおった人もいました修学旅行に行くと同じ宿

舎になった学校から苦情を言われたこともありました水俣出身ということで結婚を断られた人

や就職試験をうけることさえできなかった人もいました水俣に住んでいることをかくして隠

れるようにひっそり暮らしていた人もいましたまた同じ水俣に住む人でさえ奇病と呼び距

離をおきましたそのことでたくさんの人々が傷つきあってきたのですいろいろな立場の人々

井いの

上うえ

 由ゆ

紀き

子こ

熊本県熊本県立八代中学校 一年

私の大好きなふる里

法務副大臣賞

入賞作文集 22

入賞作文

がせまい土地に住んでいるのですから仕方がなかったのかもしれません

 

しかし今では原因も究明され海の安全も確認されたことでそのようなことはほとんどな

くなりました私たちは過去のことを忘れるくらい楽しくすごしています

 

私は今八代の中学校に通っています私は自分が水俣出身ということを隠すこともありませ

ん友だちもまたそのことを知っていますがからかったりいじめたりする人は誰一人いません

 

しかし先日水俣の中学校のサッカー部が練習試合中に相手チームの選手から

「さわるな水俣病がうつる」

と言われたという記事が新聞にのっていました今でもこういう風に思っている人がいるのか

と思うと残念で仕方ありません何気なく言った一言だったのかもしれませんがその一言は

私たち水俣に住む者にとって非常に悔しく悲しいものでした

 

小学校の総合的な学習の時間で水俣病について学習しました原因となった会社を訪問したり

患者の方から当時の話をきいたり交流も行いましたそんな中で苦労されたり何も言えずに

黙って亡くなった人のことを知り水俣に住んでいながら何も知らなかったことをはずかしく思

いました水俣病についてしっかり学び正しい知識を得ることが差別や偏見をなくすのだと気

付きました

 

中学校の道徳の時間ではハンセン病について学習しましたこれも水俣病同様

正しい知識がなかったためにおきた悲しく悔しい悲劇でした

 

私たちが差別や偏見をなくすためにできることそれはその人その出来事に

23 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

ついてしっかり知ること知ろうと努力すること正しい知識を深めるために学習

することではないかと思いますそうすれば水俣病やハンセン病のようにむや

みに人と人とが傷つけあったり憎しみあったりすることはなくなるのではないで

しょうか

 

先日テレビで水俣のダイバーが紹介されましたその人は本当はほこりたい水俣を心の中

にじっとしまいこみ誰にも言えず何年もの間生きてきた人でしたしかし水俣の地にも

どり自分はこのすばらしい美しいふる里を紹介したいと海にもぐり写真をとり続けておら

れるそうです心に差別という深い傷を負いながら水俣の再生を皆に知らせたいと頑張る人

がいることに感動しました

 

今水俣はごみの分別リサイクル事業など市民全員で環境にやさしい町づくりをすすめてい

ます私は差別や偏見から立ちなおり再生しようと環境問題に一生懸命とりくんでいるふる

里水俣をほこりに思っています

 

水俣では運動会等多くの行事で「水俣ハイヤ節」というものが踊られますこれは水俣病

の患者の方が水俣の青い海と豊漁を願って振りつけをされた踊りだそうです私たちと同じ思い

をする人が二度とでないことを祈りながら私たちは毎年皆でこの踊りを踊ります

 

水俣の悲しい過去を変えることはできませんが私はあやまちを二度とくりかえさないため

にこの美しい自然を守り真実を語り継いでいきたいですそして差別や偏見のない社会に

なるよう自分から努力していきたいと思います

入賞作文集 24

入賞作文

25 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

 

みなさんは「本当の『平和』とは」と質問されたら何と答えますか「戦争や紛争などが

ないこと」ですかそれとも「自分自身の幸せのこと」ですか一人ひとりの抱く「平和」のイ

メージは違うことでしょう

 

僕の思う本当の「平和」それは「家族」がいて「家庭」があることだと思いますなぜそう

思うかというと今僕は訳あって家族とは離ればなれに暮らしているからです一歳前後には既

に家族とは離れ施設にいました母親や姉兄の存在はわかっていますが一緒に過ごした時

間は限られたもので今でもほとんど交流はありませんそのせいか僕はいつも「家族」や「家

庭」というものに強い憧れを抱いています

 

自分がまだ幼い頃は自分と同じくらいの子が母親と手をつないでいる姿がとてもうらやまし

大おお

田た

 葵あおい

栃木県さくら市立喜連川中学校 三年

「家族」とは何か

法務大臣政務官賞

入賞作文集 26

入賞作文

「どうして自分には母親がいないんだろう」と思っていました仕舞いには自らの母親を恨ん

でしまったのです小学生になってもその気持ちは変わらず母親への恨みは増すばかりでした

 

しかし小学五年生の夏思いもよらぬ出来事が起きましたそれは引っ越しがあったこと

ですそこで僕は新しい土地そして新しい里親という人たちに出会いました里親の人たち

と暮らした数年間僕は幸せでしたそこで僕は僕の周りにはいつも支えてくれる人たちがい

ることに気づきました血のつながりがなくても僕に自分の子どものように接し育ててくれ

た里親の人たち養護施設の先生方などたくさんの方たちに僕は見守られて成長してきたこと

に気づいたのです僕を支えてくれる人すべてに感謝の気持ちがわき出てきましたそれ以来

僕は親という存在にこだわらなくなりましたそれどころか自分に命を与えてくれた親に感謝

の思いを抱くようになったのです

 

この夏母親の育児放棄が原因で二人の乳幼児が衰弱死するという悲しい事件がありました

二人の子どもにろくに食事も与えず風呂も入れなかったそうですさらに逮捕後その母親は

「家に帰ってあげなかったことを今も後悔している子どもは私を恨んでいると思う」

という言ってはならない発言をしました僕は怒る前に亡くなった二人の子ども

たちがかわいそうでなりませんでした

 

と同時に僕はこの母親はどうしてこのようなことをしてしまったのだろうと

すごく考えさせられました僕は本来親は子どもを殺すのではなく守るために

27 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

いるのだと考えますたとえ小さな子どもでも立派な一人の人間ですその命を

守り育てていくことが親として大切な役目だと思うのですこの母親はどこで

勘違いしたかは知りませんが親としての自分の責任を理解していなかったのでは

ないでしょうか

 

そしてその勘違いを誰も母親に気づかせてあげられなかった事実母親が一緒に遊び歩いて

いた友人はもちろん母親の家族が少しでも助けることができていたら母親の行動を戒めるこ

とができていたら連絡を受けた児童相談所がもう少し踏み込んだ行動が取れていたらこのよ

うな悲しい結末にはならずに済んだのではないでしょうかやりきれない思いばかりがこみあげ

てきます

 

もう一つこの母親は大きな勘違いをしていますそれは「子どもは私を恨んでいると思う」

という言葉です僕はこの子どもたちが母親を恨んでいるとは思えません子どもたちは母

親が帰宅するといつもハイタッチをして喜んで迎えたそうです子どもたちは母親のことが大

好きだったのでしょうたとえ自分たちを見放した母親でも恨んでいるとは決して思えないの

です

 

子どもは心の底から自分の母親のことを恨めないと僕は思いますこの世に生を受け笑った

り怒ったり泣いたりと毎日いろいろな経験ができるのは自分を生んでくれた母親という存在

があったからです正直僕も小さい頃は母を恨んだことがありました愛情の裏返しというよ

うに母親への思いが憎しみに変化してしまったのですでも心の底には母への恨みとは全く

入賞作文集 28

入賞作文

正反対の気持ちが存在し続けていましただ

からこそこの子どもたちがどんな思いで死

んでいったのかわかるような気がします母

親を信じひたすら母親の帰りをまちわびて

いた思いが

 

僕にとっての「家族」それは同じ屋根の

下で暮らす人々のことですたとえ血はつな

がっていなくても僕を支え励ましてくれる

人たちそのすべての人が僕にとっての大切

な「家族」なのです今僕の暮らす養護施設

にはいろいろな事情を抱えた二歳位から高

校生までの子どもたちや職員の方が約六十人

います今の僕には全員大切な「家族」で

す僕はこれからもこの「家族」を大切に

一日一日精一杯平和に生きていきたいです

29 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

 

授業でハンセン病について学んだ日両親と「偏見」や「差別」について口角泡を飛ばす議論

を深夜まで繰り広げた身体障害者の父と看護師の母を持つ私は幼い頃から「命の大切さ」を

訴える両親の姿を見て育って来たそんな私は真摯な気持ちからハンセン病罹患者と向き合い

たいと思いこの夏草津にある療養施設栗生楽泉園を訪れた

 

草津までの道のり私は罹患者の気持ちを絶えず考えていたハンセン病について調べると「ら

い予防法」により罹患者は隔離され人権を無視された扱いを受けたことが分かった罹患者の

言葉が書かれた本ではどんなに過酷な仕打ちを受けたか他人をどれほど恨み憎んでいるか

が書かれていたその為私は無意識の内に「罹患者は全員恨みを抱いている」と勝手に思い込

んでいたしかしこんな思い込み自体が偏見や差別を生む原因になるということを後に思い知

大おお

井い

 海み

琴こと

群馬県群馬大学教育学部附属中学校 三年

忘れてはならないこと

全国人権擁護委員連合会長賞

入賞作文集 30

入賞作文

らされることになるのである

 

私を迎えてくれたのは入園者自治会長の藤田三四郎さん藤田さんは大変お元気でその容姿

からはハンセン病を伺い知ることはできなかったしかし藤田さんは紛れもない罹患者なのだ

その証拠に藤田さんの名は本名ではない罹患者は施設に入所するにあたり偽名を使用させら

れたと言うつまりその時点で罹患者は世間から存在を消されてしまうのであるそんな藤田

さんから語られた話はハンセン病だと宣告され三度も命を絶とうとしたこと重症患者の看

護を押しつけられ数え切れない人を看取り自らの手で葬ったこと家族が受けた迫害や侮辱的

な言葉など想像を絶するもので筆舌し難いものだったしかしこんな迫害と差別は同時にハ

ンセン病患者達の人権回復闘争の歴史でもあったのだ闘争の末「らい予防法」が廃止される

と今まで差別や人権侵害を繰り返していた多くの人が掌を返す様に態度を変えたと言う私は聞

いていて怒りを覚えたが不思議なことに耳を塞ぎたくなる様な内容を語る藤田さんからは全

く怒りや恨みが感じられないのだ私は話を聞くまで自分の運命を呪い周囲への恨みつらみ

の言葉が出てくるとばかり思っていたしかし出てきた言葉は「入園出来て良かった差別は

受けたが今では恨みを抱く罹患者も少なくなったそればかりか最近はたくさんの人が我々を

理解し協力してくれるので嬉しい何故なら一人の百歩は力が無いが百人の一歩

は力になるから」と言う感謝の言葉だったのだ本当に「恨みは無いのか」と何度

聞いても答えは同じだった私は恥ずかしくなったハンセン病について調べ罹

患者の心を理解したようなつもりでいながら実は何も理解できてなくてそれば

31 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

かりか罹患者を偏見の眼で見ていたのは私自身だったのだ私は話を聞いてとめ

どなく溢れ出る涙を拭いながら心の片隅に潜んでいた「偏見と言う名の種」が身

体から洗い流されていくのを感じていたそれは同時に「思い込みや無知が偏見

や差別を生みだす」ことを強く感じた瞬間でもあったそれだけに藤田さんの「自

分と同様に他人を愛すればいつか必ず世界から差別はなくなる他人を愛して下さい」の慈愛に

満ちた言葉が一層重く腑に落ちるのだった

 

帰りがけ千五百ページにも及ぶ「入所者証言集」を手渡されたその際私は見えない襷も

手渡された気がしたその襷とは証言集に記された罹患者の「事実を風化させないで私達の事

を忘れないで」という搾り出すような叫び声とその姿だったのである

 

ハンセン病が治る病気であるのに誤った知識から悲惨な人権侵害が長期に渡り続いた同じ間

違いを繰り返さないためにも事実を語りついで行く必要があるここ楽泉園でも高齢化が進み

証言者の数が減っているこれは全国一五全てのハンセン病療養所に共通することだハンセン

病問題は罹患者がいなくなればそれで終わると言う問題ではない今後人権問題を考える際重

要な指針になりうる事実なのだそしてこの事実の風化を防ぐことが私達若い世代の役目だと

私は思う

 

私は小六の時友人達から突然イジメを受けたそれを引きずり他人を恐れ憎み自分を

嫌って生きて来たしかし罹患者の声が私に生きる力と前を向いて歩む勇気を与えてくれた

楽泉園訪問は私に人生観が変わる程の衝撃を与えてくれたのだこんな私だが罹患者の声を伝

入賞作文集 32

入賞作文

える「百人の中の一人」にはなれるはず

だそのために私は今この作文を書い

ている文字は時を越えて生き続けるか

ら私はこれからも楽泉園訪問を続ける

つもりだ実際に中学生の私が出来るこ

とには限りがあるが差別や偏見を少し

でも減らすために一歩を踏み出すつもり

でいる「自分と同様に他人を愛すれば

いつか差別は無くなる」と言う藤田さ

んの言葉を胸に

33 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

 

森に囲まれたその一画には教会や寺院神社があり小さなショッピングセンターやレスト

ランもある床屋や図書館郵便局や浴場もあるしかしそれらの施設を利用するのはその一

画に住む人たちだけだ緑の外側に住む人が利用することはないそこはハンセン病の療養所

多磨全生園である

 

僕は七年前に清瀬市に引っ越してきた夏のある日昆虫が大好きな僕は何気なくその森の

中に入って行ったそして歩き回っているうちにその場所が一つの「町」であることに気付

いた

 

毎日セミやカマキリやナナフシを探しながらどうしてこんな所があるのだろうと思った

 

僕が一番不思議に思ったのは古い木造の小学校だいつも誰もいない校舎と小さな運動場近

久く

米め

 一かず

輝き

埼玉県学校法人立教学院立教新座中学校 一年

ハンセン病について考えたこと

社団法人日本新聞協会会長賞

入賞作文集 34

入賞作文

くに小学校があるのにどうしてこんな所に小学校があるのだろう小学一年生の僕はとても不思

議に思った

 

夏に地域交流を目的とした盆踊りと花火大会が行われるいつもは人のいない小学校跡は多く

の人であふれかえり普段は見かけない重い後遺症の老人たちもこの日は外に出て盆踊りを楽し

む初めて参加したときは言葉が出なかった正直「怖い」と思った

 

夏が来るたびに僕は盆踊り大会に参加した低学年から高学年へと進むにつれて少しずつハ

ンセン病のことが分かってきた

 

六年生のときに社会科見学で全生園の元患者を訪れることになっただが僕は都合で参加で

きなかった僕はそれをずっと悔やんでいる

 

今年の夏僕はハンセン病資料館に出かけた見学者は僕一人でとても緊張したなるべく

音を立てないようにパネルを見て回った

 

強制隔離の現実にとても驚いた狭い部屋に押し込められ症状の軽い患者が重症の患者の世

話をしたという子供を持つ権利や生まれる赤ん坊の命まで奪われていた逃げ出したり反抗的

な患者は「不良患者」と呼ばれ窓の小さな暗い監房に閉じ込められた

 

医学が進歩し療養所も徐々に改善されていったが強制隔離を命じる「らい予防

法」が廃止されたのは一九九六年だという隔離が始まった一九〇八年から約九〇

年も経っていた僕が生まれるほんの一年前のことである特効薬が開発され本

格的な治療が始まったのは昭和二十二年である現実に合わない法律を廃止するの

35 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

にどうしてそんなに時間がかかったのだろうか

 

資料をもらってハンセン病資料館を後にした家を出るときは帰りに虫の観察

をするつもりだったがとてもそんな気にはなれなかったいつもセミが集まる桜

の木には目もくれずに早足で家に帰った

 

資料の中で一番心が痛んだのは療養所の子供たちのことだ療養所に入所したのはハンセン

病を発症した子どもたちだけではない親が発症したために入所する子どもたちもいた当時は

ハンセン病は遺伝病だとされていたからだ親から無理やり引き離された子どもたちは「すぐに

帰れるから」という言葉を信じていたというしかし一生療養所を出ることができなかった人が

多かったという社会的な差別がひどかったからだと資料に書かれていたが僕には実感がわか

なかったのでもう少し調べてみることにした

 

図書館で『ハンセン病を生きて』(伊波敏男著)という本を見つけた少し難しかったが差

別の現実が僕にもわかる部分があったそれは元患者たちに対して書かれた匿名のひどい手紙

である長年隔離されて苦しんできた人たちをさらに傷つける言葉が並んでいた悲しく暗い

気持ちになった

 

日本は経済大国として世界の注目を浴びているだが人権意識の面ではどうだろう「らい

予防法」を二〇世紀の末まで廃止できなかったことをどう考えたらよいのだろうか明治時代に

隔離が始まったときそれは外国に対する体面を保つためだったという病気の人を治療するの

ではなく「隠す」のが目的だったのだいまだに差別意識を持つ人がいるのは社会がそうした

入賞作文集 36

入賞作文

過去に対する反省をしていないから

だと思う

 

僕が不思議に思った小学校はすで

に取り壊されて今では小さな石碑

だけが残っている老朽化がひどく

残しておくことができなくなったか

らだという全生園の古い建物はど

んどん取り壊されていく石碑だけ

ではあの不思議さが伝わらないのが

とても残念だ

37 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

 

僕の曾祖父は医者嫌いでしたそのため腹痛で病院に運ばれた時は膵臓癌の末期で余命三ヶ

月でした手術もできない手遅れの状態でした家族皆で話し合い曾祖父の辛い気持ちを第一に

考え曾祖父に病を隠すことになりました曾祖父は次第に病院の中を歩いては転倒し体中あ

ざだらけになりベッドの上で縛られることになっていました曾祖父は病名の宣告を受けてい

ないため元気で歩けると思っているが実際歩くと転んでしまう何でこんな風になってしまっ

たのかさえわからない

 

家族と病院に行くと「包丁もてこいこれぶった切って家さ帰る」と騒いでいましたあん

なに優しかった曾祖父の姿に言葉も出ず恐いくらいでした何も知らされずベッドに縛り付

けられれば誰もがそうなることでしょう「じいちゃんどご一緒に車さのせでいてくれの」と

櫻さくらだ田

 要かな

太た

山形県酒田市立松山中学校 三年

日本放送協会会長賞

悔いのない最期を

入賞作文集 38

入賞作文

せがまれたときもありますかわいそうで涙がポロポロこぼれました「おじいちゃんどご家

さ連れで帰ろうよ」とせがんでも家族も仕事で忙しいためか誰も首を縦に振ってくれず病院

にいた方が安心ということになりました膵臓癌は予想以上に激しい痛みのため医師から強い

痛み止めと強い睡眠剤を勧められましたがそれを導入することにより安楽死に近い状況にな

ることも医師から告げられていました家族は決断をせまられました曾祖父に相談もせずに決

めていいことなのか家に帰りたい曾祖父の意志は封じ込められたままでいいのか家族で悩み

ました結局痛みに耐えている姿は見ていられなくその薬を使うことになりましたその後

曾祖父は次第に弱っていき口も利けなくなり静かに亡くなっていきました僕はどこか心を

引きずったままでした僕達家族が曾祖父に宣告もせず意見も聞かず命の長さを決めてしまっ

たこと当時幼かった僕には何もしてあげられなかったことが今思い出しても残念です

 

最近授業で人権について学習しているときに幼い頃の記憶がよみがえりふと曾祖父のこと

を思い出しました

 

曾祖父はどんな思いで亡くなったのだろう最後に意識のあるうちに一度でいいから家に帰っ

てきたかっただろう身体拘束は今は病院でも禁止されていると思いますがあの頃は確かに曾

祖父のおなかに黒いベルトのようなものが巻きついていました決して自分の力で

は外せないようなものでしたもがき苦しむ曾祖父の姿を見た時に看護師さんに

目を隠され別の部屋に連れて行かれました見せたくない光景だったのだと思いま

すでもあの姿は僕の脳裏に焼き付いています病院の中での人材不足のためだっ

39 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

たのでしょうか人が人らしく生きていない姿でした

 

七十八年生きてきて何も悪いことをしていないのに縛られ家にも帰れない

病気で余命幾ばくもない人には人権というものは存在しないのでしょうか最近の

医療の現場では自己決定権があることについて学びました

 

仏壇に向かい静かに目を閉じると優しく穏やかに微笑む曾祖父の笑顔が浮かびますどんな

気持ちで亡くなっていったのかその気持ちを考えると苦しい気持ちになります野球の大会に

行く前仏壇に手を合わせます「やればできる努力しろ」とよく励ましてくれました曾祖

父の力には何もなれなかったけれど目には見えない力で応援してくれる曾祖父に線香をあげて

自分を省みる時があります曾祖母が元気なので曾祖父を助けられなかった分曾祖母の力に

なっていくことを曾祖父に約束しています

 

夏休み中のニュースで高齢者の所在不明者が多数のため百歳以上の安否確認調査をしていま

した自分の親を平気で捨て遺骨さえもひきとらない亡くなっていたのに年金を不正受給する

ために隠していたなど耳をふさぎたくなるような事件もありました犬や猫が年をとって弱っ

てきた手がかかるから面倒だからと捨ててしまうそれと同じ現象が弱い高齢者にも及んでき

ているのだと思います

 

やはりこの世に生まれてきたもの全てに自分の意志で生きることを決めていける権利がある

と思います長い年月を苦労や努力と向き合いながら精一杯生きてくれたおかげで今の幸せが

あることを忘れずにいたい人はいずれ誰でも年をとります自由に動けなくなった時に自分の

入賞作文集 40

入賞作文

願いが叶う社会を築き「悔いなく満足で楽しく幸せな人生だった」と思えるように人とし

ての誇りを持って満足できる最期を迎えられるように考えていきたいもう二度と僕が見た自

己決定権のない社会にならないように高齢者には今までの感謝の気持ちで本人の希望をでき

るだけ叶えられるように努力していきたいいずれ僕達も迎える高齢社会だからhellip

41 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

 

私は小学六年生の時から盲導犬候補の子犬を育てるボランティアをしています「犬を飼っ

てみたい」と言う私に両親が「せっかく犬を飼うのなら社会に役立つことをしよう」と提案

したからです生後二ヵ月の子犬を預かり一歳の誕生日を迎えるまで世話をするのがボランティ

アの役目です初めて訓練士さんから子犬を手渡された時は不安でドキドキしましたが子犬は

すぐに私の腕の中で眠ってしまいました初めて会った私のことを信頼して安心しきった寝顔

で眠っている姿は本当に可愛かったですラブラドールの子犬はとてもやんちゃで私の家にやっ

て来たその日からいたずらばかりしていましたがしかられてもクヨクヨせずどんな相手にも

 林はやし

 里り

咲さ

東京都小平市立小平第六中学校 三年

差別のない社会に

(パピーウォーカーの経験から学んだこと)

法務事務次官賞

入賞作文集 42

入賞作文

フレンドリーに近づいていく姿から私は明るく前向きに生きることを教わりました子犬たち

と過ごした日々は私にとって一番の宝物ですそしてあっという間に一歳の誕生日がやって来ま

した誕生日が悲しいという経験は初めてでした訓練所への入所日の前日には長い長い散歩を

して最後のお別れをしました「今までありがとう」そう言った私のことを不思議そうに見てい

た子犬の顔が今も目に焼きついています別れは本当につらいけれど涙を見せたら子犬が心配す

るので頑張って笑顔で見送りました

 

私の家で育てた一頭目の子犬は現在盲導犬になって頑張っていますそして今年四月に巣立っ

ていった二頭目の子犬は神奈川にある訓練センターで訓練中です

 

このボランティアを通して私は多くのことを学びましたまず盲導犬の役割ですがこれは単

に目の不自由な方が便利に一人でどこへでも行けるようにするためだけではありません視覚障

がいのある方にとって人の手をわずらわせるのはとてもつらいことなのだそうですたとえ家

族に対してでも「迷惑をかけるのではないか」と思って我慢することが多く「私なんかいない

方がいいんじゃないか」と考えてしまうこともあったといいますその失われそうになった尊

厳を取り戻す手助けをするのが盲導犬の役目なのです犬は訓練を共にするパートナーのことを

大好きになるので「自分は他者からこんなにも大好きになってもらえる存在なん

だ」と気づいて自信を取り戻し新しい一歩を踏み出せるようになるのだそうです

 

また私がボランティア登録している日本盲導犬協会では二〇〇八年に新しい

試みが始まりました受刑者が盲導犬候補の子犬を育てる動物を介在した日本初

43 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

の教育プログラムです罪を犯した人も心から反省してきちんと罪を償えば社会

は差別することなく受け入れるべきですしかし実際はとても偏見が多く元受刑

者たちは「どうせ自分はだめな人間なんだ」と思い再び罪を犯してしまう悪循環

が起こっているそうですその悪循環を断ち切り受刑者たちがスムーズに社会復

帰を果たせるよう支援するのが「あさひ盲導犬パピープロジェクト」です受刑者たちは約十ヵ

月の間子犬たちを世話しながら一緒に過ごし「役に立つ喜び達成する喜び信頼される喜び」

を感じることで自分の価値を再確認するのだそうです今年一月に第一期のプロジェクトを修了

した受刑者の感想に次のようなものがありました

 「今後自分もパピーに笑われないようにきちんとしなければならないパピーは慈しむこと

寛容の心を教えてくれました」

 

犬は決して差別をしません健康な人にも障がいのある人にもお金持ちにも貧しい人にも

権力のある人にも犯罪を犯した人にも全く同じように接してくれますそんな犬たちと一緒に過

ごすことで自信をなくした人たちも自分のことをかけがえのない大切な存在であると思えるよ

うになるのです

 

私たち人間も差別のない社会をつくる努力をしなければならないと思います一人一人が相

手を大切に思う心を忘れなければこの社会はもっと住み良い場所になるはずです私はこのボ

ランティアを通して学んだことを生かしてこれからも一層努力していきたいと思います

入賞作文集 44

入賞作文

45 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

 

僕は祖父のために自助具を作ろうと思った祖父は去年の夏脳梗塞で倒れた祖父は一命

を取り留めたものの右手と右足がまひしてしまったのだその三週間前僕も車椅子から転倒し

て足を骨折した

 

僕には障害がある車椅子で生活することが多いしかし僕のことを障害者だといって差別

するような友達は一人もいない

 

祖父は歩けるようになりたいという気持ちが強かっただからリハビリを頑張り自分で

歩けるようになるまで回復した頑張っている祖父がかっこいいと僕は思った祖父はリハビ

リを頑張ったにも関わらず右手がうまく動かせなくなってしまっただからご飯を食べる時も

服を着替える時も時間がかかる普段何気なくやっていた動作がとても大変だと祖父は言ってい

守もり

田た

 幸こう

平へい

静岡県静岡大学教育学部附属浜松中学校 三年

祖父への靴下

法務事務次官賞

入賞作文集 46

入賞作文

た僕も何か役に立てることはないかと考えた

 

僕の学校には総合学習という授業があるそこで僕は福祉というカテゴリーを選んだ自

分で社会に役立てることを考え実際に行動することが目標だった僕は障害者のために何が

できるかを考えた

 

僕は二年前に静岡文化芸術大学で障害者がいかに日常生活で不自由のない生活ができるかを

考えるプロジェクトがあるのを新聞で知ったそれは大学生たちが個人個人にあった自助具を

作るプロジェクトだった僕は障害者のために何かできるのではと感じた

 

僕は静岡文化芸術大学へ行って僕にもできることがないかと聞いたすると学生さんが

自助具を作ってみないかと声をかけてくれた僕は迷わず「はい」と言った障害者のために

役に立てることがあると思うとすばらしいことだと思ったからだ

 

祖父のつらい顔を見ると日常生活に数々の大きな壁があることが伝わってくる

 

僕は祖父の数々の大きな壁を突き破ろうと思った祖父のために自助具を考え作ろうと僕

は思った祖父が靴下の脱ぎ履きが大変だと言っていたことを思い出したそこで脱ぎ履きし

やすい靴下はできないか考えた靴下の両脇にひもを取り付けてそれを引っ張ると靴下が縮み

脱ぎ履きしやすくなる仕組みだ大学の先生も良いアイディアだと言って褒めてく

れたこれは障害者だけでなく健常者にも使えると言われたユニバーサルデザ

インだと分かった

 

ユニバーサルデザインは年齢や障害の有無にかかわらず全ての人が使いやす

47 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

いように工夫された用具などのデザインである境界がなくなるように健常者が障

害者に対する偏見を考え差別意識がなくなるチャンスだと思った障害者と健常

者が共によりよく生きることが大切だと僕は思った

 

自助具の作品展では杖をついているお年寄り車椅子に乗った若い女性目の

見えない人福祉関係者など沢山の人々が観に来ていた皆自分の生活を良くしようと思っ

ているようだったまた障害者のためにできることは何だろうかと考えている健常者もいるよ

うだった

 

二年生の時の総合学習では二箇所のデイサービスを訪問したデイサービスには六十五歳以

上のお年寄りがいた暗く元気のない人明るく振る舞い誰とでも話せる人など様々だった

しかし僕が一番印象に残ったのは笑顔を絶やさず優しくお年寄りに接していた介護士だった

お年寄りの中には悩みを抱えている人が多いそうだその悩みを解消させる人もまた介護士だっ

た僕は介護士がお年寄りの体を支えるだけではなく心もそっと支えて生きる喜びを与え

ているのだと感じた

 

現代は三世代で暮らす家族が減り核家族が増えているそれはお年寄りの世話が大変だ

からという理由が多いだから老人ホームやデイサービスに預ける人が増えていると僕には

思えたお年寄りの中には自分が嫌われているのではないかとさえ思ってしまう人もいるそう

だそれはお年寄りにとって辛く悲しいことだと思うある介護士がこんなことをおっしゃっ

ていた「人の優しさはお金では買えない」誰にでも優しい心があると思うしかしあと一歩

入賞作文集 48

入賞作文

のところで行動に移すことができない人が多いの

だ僕たちが平和な社会で暮らせるのは今まで

頑張ってきてくれたお年寄りのお陰であることを

忘れてはいけないお年寄りを大切にすることは

当たり前のことなのだ

 

また障害者に対しても偏見の目で見ないで

そっと近づいて手を貸してあげれば健常者との

高い大きな壁を崩すことができると思う

 

障害者にも高齢者にもまた健常者にも人権

はあるお互いの人権を大切にすることが明る

い未来に繋がっていくのだと思う

 

早く祖父に僕の作った靴下を届けたい

49 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

 

僕は小学校六年生まで福岡県に住んでいましたそこで僕が体験したことです五年生のこ

ろ僕の友だちのA君が同級生のK君の靴を隠したりからかったりしていることがよくあり

ました最初は僕もあまり気にしていませんでしたがK君のことを「なんだかかわいそう」と

思うようになりました

 

ある日僕は勇気をだして先生に「K君がいじめにあっています」と報告しました初め先生は

「じゃれ合っているだけだろう」と「いじめ」とは思ってくれませんでしたでもその後「いじ

め」と分かりA君は先生に注意されその日一日は反省した様子で過ごしていましたしかし

次の日学校に行くといじめは前以上にエスカレートしていて蹴ったりたたいたりするように

なりましたしかも「死ね」「うざい」「消えろ」などの言葉が飛び交うようになりそんな日々

法務事務次官賞

浦うら

谷たに

 毅たける

徳島県三好市立池田中学校 三年

いじめをなくすために今

入賞作文集 50

入賞作文

が続きました

 

それは六年生になっても続きました僕はそのいじめを止めることができず毎日見て見ぬ

振りをしていました今思うと自分がとても恥ずかしいです本当の友達なら止めるべきなの

にそれだけではなくいじめられているK君に声一つかけることができずにいました心の中

ではA君に「やめろよ」と言おうと思っていたけどなぜか勇気が出ませんでした次にい

じめられるのが自分になるのが恐くて言えなかったのです

 

そんな日々が続く中僕の気持ちを大きく変える出来事がありました父の死ですそのとき

のことは今でも忘れることができません聞いたときには頭の中が真っ白になりました最初

は信じることができませんでした一週間も二週間も学校に行けずただぼーっと過ごしてい

ましたいろんなことを考え徐々に「死」というものの悲しさつらさ「死」という意味の

重さがわかってきましたそして時間はかかりましたが「命は一瞬にして消え二度と戻っ

てこないものだだから命を大切に今を大切にしなければならない」と深く受け止めることが

できるようになりましたそして周りの子たちは僕のような経験がないから「死ね」とか軽々

しく言えるのだろうと思いこの気持ちを伝えなくてはならないと考えました僕が強くならな

くてはと思いました

 

こんな気持ちになったとき僕には時間がありませんでした母の実家がある徳

島への引っ越しが一週間後に決まっていたのです落ち込んでいる暇は無いと思

い学校に行った僕はA君に言いました「いじめなんかやめろよいじめたって

51 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

喜ぶ人はいないし悲しむ人がいるだけだろ自分だってほんとは嫌だろ『死ね』

とか『消えろ』とか言葉の重さを知らないのに言うなよ」と言いました父親の

突然の死そのあと僕が考えたことも伝えました

 

友だちは黙って聞いてくれました僕の言葉にうなずいてそのあとK君の

ところへ行き「ごめん言葉の重さも知らずに言って本当にごめんぜったいに死ねなんて

ことは言わないそしていじめは絶対にしないほんとうにごめん」とあやまりましたK君

はとても優しい笑顔で「いいよ」と一言言いました僕もK君に言いました

「今まで助けてあげられなくてごめん」

K君は笑顔で「ありがとう」と言ってくれました今まで自分の中でもやもやしていた気持ちが

スーっと晴れました

 

今も時々耳にする暴言冗談半分で言っているのかもしれませんしかしいついじめにつ

ながるかわかりません他人を傷つけることで自分のストレスを晴らそうとしているのでしょう

関係ないふりをしようとする自分がいます楽な考え方をする自分がいますそんな時亡くなっ

た父の顔やK君の優しい笑顔を思い出しますあの時の自分のように強い気持ちを持とう「や

めろよ」と一言言うするとまた気持ちがスーっとしてきました

 

父の分も頑張って生き抜こうと決めた僕にとって正しいことを素直に認め悪いことを否定

できる強い意志を持つことが目標ですそして何よりも命を大切に今を大切にしていきたい

と思っています

入賞作文集 52

入賞作文

53 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

 

ぼくは今まで四つの外国に暮らしいろいろな国の人たちの中で育ってきた

 

まずタイで生まれてタイ人のメイドさんやドライバーさんにいつも遊んでもらっていた

らしい一才になると週一回の体操教室にも通いタイ人の友達もいたそうだ

 

次にシンガポールでは初めてナサリースクール(保育園)に通いいろいろな国の友達と

知り合ったプレイルームにある滑り台を滑る順番争いでいつも勝つのは体の大きい金髪の友

達だった

 

一回目の香港生活では英語の幼稚園に通ったその時のぼくの一番の友達はカナダ人だった

彼とはよくベイブレードをして遊んだが父が日本の出張で買ってきてくれた独楽や剣玉をして

遊ぶこともあった

村むら

瀬せ

 広ひろ

高たか

香港日本人学校中学部 二年

国境をこえて

海 外 作 品

今回は本選への応募とすることはできませんでしたが

 海外から寄せられた作品のうち一作品を御紹介します

入賞作文集 54

海外作品

 

それからインドでは日本人学校に通ったが夏休みには毎年アメリカンスクールのサマー

スクールに参加したし日本人のいない現地のテニススクールにも入り二年間通ったまたイ

ンドの現地幼稚園に通っていた妹のベストフレンドはコンゴ人でその兄弟もぼくの友達だった

 

そして三年間の日本生活を経て今また香港に戻ってきた

 

このようにぼくはいろいろな国でいろいろな国の人たちのお世話になりいろいろな国

の友達と遊んで育った肌が真っ黒な友達もゲームの話をすればすぐに仲良くなれたし髪が

金色の友達もポケモンの話をすれば気が合ったぼくは小さい頃から英語はうまくしゃべれ

なかったけれどもジェスチャーをつけたでたらめ英語でも充分に話は通じただからいろい

ろな国の人たちの中でぼくが日本人だからといって差別されたり嫌な思いをしたりしたこと

はないしぼくも肌の色が違うからとか言葉が通じないからという理由で違う人間だと思っ

たことはないそうぼくは外国人を差別したことはない

 

しかし本当にぼくは外国人を差別したことがないのだろうか外国人を差別した発言を一

度もしたことがないかと考えると自信がない

 

例えば香港人には赤信号でも平気で渡る人がたくさんいるそれを見てぼくは

「香港人はしょうがないな」

と思うでもよく見ると香港人全員が信号無視をしているわけではないまた

世界には今でも戦争をしている国がいくつもある

「人を傷つけ合うなんて馬鹿げている」

55 第30回全国中学生人権作文コンテスト

海外作品

とぼくは悲しくなるでもそれも好きで戦っている人がいるとも思えないその

人たちがそうなったのには何かきっと原因があるはずだ

 

逆に外国人から見ると日本人はどのように思われているのだろう

 

インドから日本に帰国した時毎日ごみがたくさん出ることにぼくはとても驚

いたインドの人たちがよく使う道端にあるカレー屋さんではバナナの葉で作ったお皿にカ

レーを入れてくれる食べた後そのお皿を道に捨てるとのら牛がその葉っぱを食べるそして

牛のふんは燃料になるというそれに比べて日本はちょっと歩くとペットボトルの飲み物が

買えファーストフードのお店では使い捨ての食器を使い立派なお菓子の箱を開けると中身が

少なくてがっかりすることもあるある時母が捨てたジャムの空きびんをメイドさんとエア

コンの修理にきていたワーカーさんとが取り合ってけんかをしていたこともあったそれを見

てぼくはあきれてしまったが逆にインド人から見ると使い捨て文化のしみついた日本人は

とんでもない人間にみえるのかもしれない国によって考え方や行動パターンが違うのは歴史

的背景や宗教習慣気候などのいろいろなことが関わっているのだと思う

 

このように考えると差別とはその人の一部しか見ていないことや自分のやり方だけが正

しいと思うことからおきるのではないかと思うその人が自分とは違った行動をとったとしても

それには深い理由があるのだろうと考えればきっと納得できると思うぼくもこれからは否

定的な発言をする前にその人たちのことをいろいろな角度から見て理解する努力をしてみよう

と思う外国との間には自分の国とは違う言葉や文化という壁があるとみんな言うがそこに

入賞作文集 56

海外作品

あるのは壁ではなく橋だとぼくは思う理解

し合おうという気持ちがあればきっと誰でも

その橋を渡っていけるはずだ気持ちの国境を

こえるのにパスポートはいらないお互いを理

解し合おうと思う気持ちが一番大切だと思う

そしてぼくはこれから日本人として生きる

のではなく地球人として生きていこうと思う

57 第30回全国中学生人権作文コンテスト

海外作品

法務局地方法務局名 郵便番号 所  在  地 電  話

金沢地方法務局人権擁護課920-0024 金沢市西念3-4-1金沢駅西合同庁舎(平成23年3月11日まで) 076-231-1244

921-8505 金沢市新神田4-3-10金沢新神田合同庁舎(平成23年3月14日から) 076-292-7804

富山地方法務局人権擁護課 930-0856 富山市牛島新町11番7号富山合同庁舎 076-441-6376

大阪法務局人権擁護部 540-8544 大阪市中央区谷町2丁目1番17号大阪第2法務合同庁舎 06-6942-9492

京都地方法務局人権擁護課 602-8577 京都市上京区荒神口通河原町東入上生洲町197番地 075-231-0131

神戸地方法務局人権擁護課 650-0042 神戸市中央区波止場町1番1号神戸第2地方合同庁舎 078-392-1821

奈良地方法務局人権擁護課 630-8305 奈良市東紀寺町3-4-1奈良第2法務総合庁舎 0742-23-5457

大津地方法務局人権擁護課 520-8516 大津市御陵町3番6号大津法務総合庁舎 077-522-4673

和歌山地方法務局人権擁護課 640-8552 和歌山市二番丁2番地和歌山地方合同庁舎 073-422-5131

広島法務局人権擁護部 730-8536 広島市中区上八丁堀6番30号広島合同庁舎 082-228-5790

山口地方法務局人権擁護課 753-8577 山口市中河原町6番16号山口地方合同庁舎2号館 083-922-2295

岡山地方法務局人権擁護課 700-8616 岡山市北区南方1丁目3番58号 086-224-5761

鳥取地方法務局人権擁護課 680-0011 鳥取市東町2丁目302番地鳥取第2地方合同庁舎 0857-22-2289

松江地方法務局人権擁護課 690-0886 松江市母衣町50番地松江法務合同庁舎 0852-32-4260

高松法務局人権擁護部 761-8077 高松市出作町585-4 087-815-5311

徳島地方法務局人権擁護課 770-8512 徳島市徳島町城内6番地6徳島地方合同庁舎 088-622-4171

高知地方法務局人権擁護課 780-8509 高知市栄田町2丁目2番10号高知よさこい咲都合同庁舎 088-822-3331

松山地方法務局人権擁護課 790-8505 松山市宮田町188番地6松山地方合同庁舎 089-932-0888

福岡法務局人権擁護部 814-0005 福岡市早良区祖原14-15福岡法務局西新出張所庁舎5階 092-832-4311

佐賀地方法務局人権擁護課 840-0041 佐賀市城内2丁目10番20号佐賀合同庁舎 0952-26-2148

長崎地方法務局人権擁護課 850-8507 長崎市万才町8番16号 095-826-8127大分地方法務局人権擁護課 870-8513 大分市荷揚町7番5号大分法務総合庁舎 097-532-3368

熊本地方法務局人権擁護課 862-0971 熊本市大江3丁目1番53号熊本第2合同庁舎 096-364-2145

鹿児島地方法務局人権擁護課 890-8518 鹿児島市鴨池新町1番2号 099-259-0684宮崎地方法務局人権擁護課 880-8513 宮崎市別府町1番1号宮崎法務総合庁舎 0985-22-5124

那覇地方法務局人権擁護課 900-8544 那覇市樋川1丁目15番15号那覇第1地方合同庁舎 098-854-1215

入賞作文集 58

問合せ先一覧

法務局地方法務局名 郵便番号 所  在  地 電  話

札幌法務局人権擁護部 060-0808 札幌市北区北8条西2丁目1番1札幌第1合同庁舎 011-709-2311

函館地方法務局人権擁護課 040-8533 函館市新川町25番18号函館地方合同庁舎 0138-23-9528

旭川地方法務局人権擁護課 078-8502 旭川市宮前通東4155番31旭川合同庁舎 0166-38-1114

釧路地方法務局人権擁護課 085-8522 釧路市幸町10丁目3番地釧路地方合同庁舎 0154-31-5014

仙台法務局人権擁護部 980-8601 仙台市青葉区春日町7番25号仙台第3法務総合庁舎 022-225-5739

福島地方法務局人権擁護課 960-8021 福島市霞町1番46号福島合同庁舎 024-534-1994

山形地方法務局人権擁護課 990-0041 山形市緑町1丁目5番48号山形地方合同庁舎 023-625-1321

盛岡地方法務局人権擁護課 020-0023 盛岡市内丸7番25号盛岡合同庁舎 019-624-9859秋田地方法務局人権擁護課 010-0951 秋田市山王7丁目1番3号 018-862-6533

青森地方法務局人権擁護課 030-8511 青森市長島1丁目3番5号青森第二合同庁舎 017-776-9024

東京法務局人権擁護部 102-8225 千代田区九段南1丁目1番15号九段第2合同庁舎 03-5213-1234

横浜地方法務局人権擁護課 231-8411 横浜市中区北仲通5丁目57番地横浜第2合同庁舎 045-641-7926

さいたま地方法務局人権擁護課 338-8513 さいたま市中央区下落合5-12-1さいたま第二法務総合庁舎 048-859-3507

千葉地方法務局人権擁護課 260-8518 千葉市中央区中央港1丁目11番3号千葉地方合同庁舎 043-302-1319

水戸地方法務局人権擁護課 310-0061 水戸市北見町1番1号水戸地方法務合同庁舎 029-227-9919

宇都宮地方法務局人権擁護課 320-8515 宇都宮市小幡2丁目1番11号宇都宮地方法務合同庁舎 028-623-0926

前橋地方法務局人権擁護課 371-8535 前橋市大手町2丁目10番5号前橋合同庁舎 027-221-4426

静岡地方法務局人権擁護課 420-8650 静岡市葵区追手町9番50号静岡地方合同庁舎 054-254-3555

甲府地方法務局人権擁護課 400-8520 甲府市北口1丁目2番19号甲府地方合同庁舎 055-252-7239

長野地方法務局人権擁護課 380-0846 長野市旭町1108番地長野第2合同庁舎 026-235-6634

新潟地方法務局人権擁護課 951-8504 新潟市中央区西大畑町5191番地新潟地方法務総合庁舎 025-222-1564

名古屋法務局人権擁護部 460-8513 名古屋市中区三の丸2丁目2番1号名古屋合同庁舎第1号館 052-952-8111

津地方法務局人権擁護課 514-8503 津市丸之内26番8号津合同庁舎 059-228-4193岐阜地方法務局人権擁護課 500-8729 岐阜市金竜町5丁目13番地 058-245-3181

福井地方法務局人権擁護課 910-8504 福井市春山1丁目1番54号福井春山合同庁舎 0776-22-5090

問合せ先一覧 (法務局地方法務局)

59 第30回全国中学生人権作文コンテスト

問合せ先一覧

世界人権宣言啓発書画「鳥」「自由と解放」を表わしたもの 小木太法書オタビオロス画(財)人権擁護協力会提供

入賞作文集 60

すべての人間は生まれながらにして

自由でありかつ尊厳と権利とに

ついて平等である人間は理性と

良心とを授けられており互いに同胞の

精神をもって行動しなければならない

―――

世界人権宣言 第一条

―――

第三〇回

 全国中学生人権作文コンテスト

中央大会表彰式

印  刷 平成23年1月25日

発  行 平成23年2月14日

発 行 者 法務省人権擁護局

全国人権擁護委員連合会

東京都千代田区霞が関一丁目1番1号

電話 03(3580)4111 内線5875

URL httpwwwmojgojpJINKEN

第30回全国中学生人権作文コンテスト中央大会審査員

感想をお聞かせください本作文集を読まれた感想等を下記の連絡先又はkeihatsumojgojpまでお寄せください

無断転載を禁じます本作文集に掲載された作文や写真等を地方自治体が広報誌に掲載したり学校が教材に使用される場合などにはあらかじめ下記に御連絡ください

100-8977 東京都千代田区霞が関一丁目1番1号 法務省人権擁護局人権啓発課 TEL03(3580)4111 内線5875

作  家(審査員長) 落 合 恵 子映画監督 山 田 洋 次社団法人日本新聞協会事務局長 川 嶋   明日本放送協会解説委員室解説委員 南   直 樹文部科学省初等中等教育局視学官 三 好 仁 司全国人権擁護委員連合会長 中 村 浩 紹法務省人権擁護局長   井 忠 雄

(敬称略)

【式次第】

第一部

 会

主催者あいさつ

賞状授与

内閣総理大臣賞法務大臣賞

文部科学大臣奨励賞法務副大臣賞

法務大臣政務官賞

全国人権擁護委員連合会長賞

社団法人日本新聞協会会長賞

日本放送協会会長賞(以上各一名)

法務事務次官賞(三名) 計一一名

学校への感謝状贈呈

高円宮妃殿下おことば

来賓祝辞

第二部

各受賞作文の朗読

内閣総理大臣賞法務大臣賞

文部科学大臣奨励賞

全国人権擁護委員連合会長賞

社団法人日本新聞協会会長賞

日本放送協会会長賞

 評

全国中学生人権作文コンテスト中央大会審査員

 山田洋次氏

 落合恵子氏(ビデオレター形式)

第三部

新垣勉さんコンサート

 会 平成二二年一二月一八日(土)

午後一時三〇分〜三時五〇分

於ニッショーホール

「いじめ」や暴力行為等は人権侵害です

法務局地方法務局では

人権侵害による被害を受けた方を

救済するための活動を行っています

お気軽にご相談ください

女性の人権ホットライン

インターネット人権相談受付窓口

ゼロナナゼロのハートライン

0570-070-810

子どもの人権110番ぜろぜろななのひゃくとおばん

 0120-007-110

パソコンから httpwwwmojgojpJINKENjinken113html携帯電話から httpwwwjinkengojpsoudanmobile001html

インターネット人権相談 検 索

Human Rights法務省人権擁護局全国人権擁護委員連合会

人権イメージキャラクター人KENあゆみちゃん人KENまもる君

全国共通通話料無料

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この冊子は環境保護印刷の「水なし印刷」で印刷されています

第30回全国中学生人権作文コンテスト入賞作文集

法務省人権擁護局全国人権擁護委員連合会

人権イメージキャラクター人KENまもる君人KENあゆみちゃん

この冊子には音声コードが各頁(奇数頁 左下偶数頁 右下)に印刷されています専用の読み上げ装置で読み取ると記録されている情報を音声で聞くことが出来ます

Human Rights法務省人権擁護局全国人権擁護委員連合会

 全国中学生人権作文コンテスト入賞作文集

 全国中学生人権作文コンテスト入賞作文集

第30回

審査講評

落合 恵子

「時代のページをひらく」

 

二〇一〇年の年の暮れにこの講評を書いている

 

資料など紙類の最後の収集はいつだった 

明日 

明後日 

分別ゴミの収集日を確認しな

がらその前に新聞などの連載の仕上げがいつまで 

と年始休休が入るこの時期はなにか

と気ぜわしい

 

気分前のめり状態なのだがわたしたちの多くはゴミは出してしまえばそれで落着わ

たしの原稿も担当のかたにメールで送ってしまえば終わりである

 

けれどその向こう側にはこの寒空(今朝は特に寒さが厳しい)のもとわたしたちが出し

たものを集める仕事をされているかたがたがいるわたしたちが書いたものを印刷してくれるか

たがたもいるhelliphellip

入賞作文集 6

審査講評

 

こうしてひととひとはひとと暮らしは有機的に繋がっているのだと改めて思うのも年の

暮れだからなのかいや人権についての素晴らしい姿勢と視点に溢れた「あなた」の作品を今

朝もう一度読み返したせいなのかもしれない

 

第三〇回を迎えた全国中学生人権作文コンテスト全国(今回は海外からの作品もあったが)

の中学生の四人にひとりはこの作文を書いてくださったとうかがった

 

すごいことだ嬉しいことだ素晴らしいことだと心が震える

 

たとえばいま大人たちに人権に関する作文を書いてくださいと言ってどれほどのひとが

賛同し実際に書いてくれるだろう考えることと実行することの間には深い溝がある

 

それもこれほど瑞々しい感受性と論理性に裏打ちされた作品をである

 

毎回書いているような気がするがこの作文コンテストに選考委員のひとりとして加わる唯一

の苦しみは応募作品に順位をつけることにある

 

どれもがキラリと光る芽を持った作品にいったい順位をつけることが可能なのか読み手で

あり選考する側のわたしたち大人の「人権意識」がある意味試されているような緊張が

いつもある

 

何度も何度も読み返しそれでも迷うことがあることも告白しておこう

 

内閣総理大臣賞を受賞された江川麻理香さんの『身近で無意識な人権侵害』

 

入院先で出会ったひとから聞いた悪意不在のけれど「もうひとつの差別」

目が不自由であることから子どものように「扱われること」への居心地の悪さ

7 第30回全国中学生人権作文コンテスト

審査講評

についてそういった傾向がわたしたちの内にもないかを問い返した優れた作品で

ある

 

それは「される側」からの柔らかな異議申し立てであり問題提起でもある

認知症の母を自宅で介護していたおよそ七年間わたしも病院などで母にかけられ

る言葉がとても気になった言葉の多くが幼児へのそれに似ていて「優しく接すること」が

幼児言葉であるという習慣のようなものはわたしたちの暮らしの中のいろいろな場面にある

ひととして親切であることと相手に対する想像力を働かせることと幼児に向けてのような言

葉を使うことはまったく別なことなのだが

 

悪意不在であるがゆえにかえって問題提起しにくいテーマを江川さんは見事に拓いてくだ

さっている

 

辻本桃佳さんの作品目の不自由なお父様がある日電車の中で出会ったことを通して「個

人的な体験」を普遍的なテーマに広げ深めることに成功した作品だ

 

人種と「見た目」の違いをテーマにしたローリンズ

リコさんの作品水俣という愛する郷里

の酸鼻な歴史とそこから生まれた差別と偏見について丁寧に描いた井上由紀子さん事情があっ

て家族とは離れて暮らす大田葵さんが今考える拓かれた『家族』とはかつて偶然に出会っ

たひとたちが偶然を必然に変えて

4

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4

新しい結縁の家族を作っていく小説を書いたわたしには特

に心に響く作品だった

 

文字数の関係ですべてに触れることはできないが心に響く作品たちを読んでいる間はささ

入賞作文集 8

審査講評

やかながら人権の活動をしてきた「かつての中学生のひとり」としてとても充たされた思いの

中にいた

 

ありがとうと心から「あなた」にお伝えしたい

 

そして若い季節に人権を自分に引き寄せこうして作品にまとめあげた体験は「あなた」に

準備されているたくさんの明日に光をもたらしてくれるはずhelliphellipと書いてふっと思う自分の

暮らしの核に人権を置くことは素晴らしいことであると同時にある意味ストレスを抱え込

むことでもあるのではないかとそれは気づいてしまうストレスでもある社会にはまだま

だ差別がある人権についてセンシティヴであればあるほどそれに気づき失望し傷つくこ

とも少なからずあるはずだ

 

それでもとわたしは「あなた」にお伝えしたい気づかない人生よりも気づく人生そし

て気づいたことを少しでも「拓いていく」人生のほうが容易ではないがはるかに充実してい

るはずだと

 

オーディオセットから大好きなクリスウィリアムソンとメグクリスチャンの曲が流れて

いるhelliphelliphellipわたしたちは新しい時代を作るため新しいページを開くために時代のステージ

にいま登ったところだとふたりとも歌を通してアメリカで人権の活動をしてい

るアーティストである海のこっち側のわたしたちもいま新しい時代のページを

開く時そのステージの上にいる

9 第30回全国中学生人権作文コンテスト

審査講評

内閣総理大臣賞

 

私が入院した時眼科や外科内科などいろいろな病状の患者さんと知り合いになった仕事

で足を骨折した人胃を悪くして入院した人目の手術を受けた人など年齢や性別職業も様々

でふだんあまり接することのない人たちと話す機会に恵まれた病気やケガの苦労話はもちろ

んのこと世代の違う人たちの話はとてもおもしろかった「人権」について考える時その中

の一人の患者さんのことが頭に浮かんだ

 

人権侵害とは障害者やお年寄りなど立場の弱い人たちに対する差別や悪意のある偏見か

らくるものだとばかり思っていたところがたとえ善意であっても思わぬところから人権の侵

害になっていることがあるのだと考えさせられたのであった

 

目の手術を受けたその人は母と同年代ぐらいの女の人だった目が不自由なことで周りの

江え

川がわ

 麻ま

理り

香か

佐賀県佐賀市立東与賀中学校 三年

「身近で無意識な人権侵害」

入賞作文集 10

入賞作文

人たちがとてもよくしてくれるのはいいがそのために困ったり悲しい思いをすることもあると

いうのだった私はこれまで人に優しく親切にすることはいわば常識であり当然のことだ

と思っていただけに大きなショックを受けた困った時に手を貸してくれるというのに悲しい

思いをするとはどういうことなのだろう私たちが親切のつもりでやっていることが迷惑になっ

ているというのだろうかお年寄りや障害者をいたわるのは当たり前でありそれは感謝される

ことはあっても迷惑に思うなどとは筋違いではないだろうかところがその人の立場から見

れば好意のつもりでもまるで小さな子どものように扱われたりこれは危険だからと勝手に

予測されて遠ざけられてしまったりと自分の意思とは関係なく何でも先回りされてしまうのが

悲しいのだそうだ目は悪くとも自分は子どもではないしできなくはないことにまで行き

過ぎた親切にひどく心を傷つけられるのだというまた相手がよかれと思ってくれていること

だけにそれを断ろうものならあからさまにいやな顔をされたり急に態度を変えられることも

あったりでかえって気を遣うのだそうだ

 

私ははっとした今まで手を貸す側から見ることはあっても逆の立場から考えたことはな

かったので大きな衝撃を受けたいつの間にか相手より自分を少し高い所に置いて見ていない

だろうか無意識のうちに相手のことを保護すべき弱者だとして見ていないだろう

か私は今中学生だがそれ以下の子ども扱いされると腹が立ついちいち細かい

ことまで制限されたり禁止されたりすれば確かにいい気持ちはしない同じよう

に障害者や老人に対して危険だ何だのとその人ができることまでをも禁止し

11 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

まだこぼしてもいない湯のみを取り上げるようなことをしてはいないだろうか

 

確かに弱者をいたわり手助けすることは人として当然であり必要なことで

あるしかし相手の気持ちや状況を考えずただ一方的に押しつけるだけの親切

はただの自己満足でしかない見えない人には見えない人なりのやり方や考え方が

あるのにそこに寄り添うための理解がないとしたらそれは人権を侵害しているといえないだ

ろうか

 

人は皆平等であるけれど環境や年齢身体能力などは同じではないだからこそ人とし

ての尊敬の念や思いやりいたわりの心を持って接することが大切なのだと思う

 

しばらく前の人権侵害とは人を自分より見下したりおとしめることで優越感を持つための

ものだったように思うそして今生活や文化が豊かになった現代では行き過ぎた親切やいた

わりが人の心を傷つけそれが新たな種類の人権侵害の一つになっていることもあるのだ「善意

イコール感謝されるべきもの」という考え方が全てに当てはまるとは限らないまた当ては

めようとしてはならないその人にとっての「いちばん」は何かひとりひとりを尊重するため

には本当に助けが必要かどうか出すぎたことをしていないかを見極めることも大切なのだと

思う

 「人権」について考えることそれはとても難しいことのように思えるが意外と簡単なこと

ではないだろうか同じ人間同士が並んで歩くための人と人との間の権利私たちが無意識のう

ちに作り出している優劣の壁を取り払うこと自分の価値観を人に押しつけないこと自分も相

入賞作文集 12

入賞作文

手も同じひとりの人間なのだとその

人の心に寄り添い理解し合う努力こ

そ人権を守る大きな力になると思う

13 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

 

十五年前父が篠山の町中を歩いているとこう言われた「そんな棒きれ振り回さんといて」

と父は決して棒きれを振り回していた訳ではないただ白杖を持って歩いていただけだそ

の話を聞いて私は驚いたたった十五年前のことだけど信じられない気持ちでいっぱいになっ

ただが十五年経った今ではそんなことはないだろうマスメディアが発達しいろんなハン

ディを持った人のことが紹介されたり障がい者の方自身が社会参加する機会が増えたからだと

 

そしてこんな話も聞いたことがある電車に乗った時に時間が知りたくて携帯電話を開い

たときのことだ「こんなとこで電話したらアカンやろ」と中年のおばさんに怒鳴られたそうだ

優先座席の近くだったということもあるが『目の不自由な人=白杖を持っている』という認識

は広まってきているが時間を知りたいときには音声が出る時計や携帯電話を使うということは

法務大臣賞

辻つじ

本もと

 桃もも

佳か

兵庫県篠山市立西紀中学校 三年

少しずつhellip一歩ずつhellip

入賞作文集 14

入賞作文

ほとんど知られていないのだそのとき父は説明しようと思ったがどうせ分かってもらえな

いと思い「すみません」と謝りとても悲しい気持ちになったそうだ見えている人は時間

が知りたければ時計を見ればすぐに分かるだが目が不自由だと音で聞くしかないのだ私は

障がい者が暮らしやすいような機器が発達してきていることをもっと社会に広めていくことが

必要だと思うそうすることで協力してくれる人や理解してくれる人が増えていくのではな

いだろうか

 

視覚障がい者の方が日常生活を送る上で給付や貸与される機器がある音声で教えてくれる

時計や体重計文章読み上げ器などがそれだこれらは以前県の基準で市が実施要綱を定めて

そこが窓口となって行われていたが法改正により各市区町村対応となったしかしこの日

常生活用具の中に健常な家族と同居している視覚障がい者には給付してもらえない物もあるの

だそれは体温計や体重計であったりするこの体温計がなければ家族が出かけている間に

体調が悪くなっても計測することはできないのだ

 

父の知り合いに赤ちゃんを連れた全盲のお母さんがいる体温を計るのに複数の体温計で赤

ちゃんの体温を計りその体温計に印をつけて病院まで持っていって見てもらったり家族が帰っ

てくるのを待って見てもらうことがあるそうだ私たちは簡単に体温を計ること

ができるが見えない人たちはそれができないために生命の危険にさらされてしま

うことがあるのだせっかく便利な機器が発明されても値段が高くて簡単に購

入できないもしくは制度のカベによってそのサービスが受けられないことがあ

15 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

るしかし私の住む篠山市では父たちの声が福祉課の方々に届き日本で初めて

音声式体温計が同居家族の有無にかかわらず給付されるようになったのである

 

今は携帯電話が音声で読み上げてくれてメールや時間GPSなどの便利な

機能を視覚障がい者の方も利用できるようになっただがそのことを知っている

健常者の方は全国にどれくらいいるだろうかまたこのことを知っている当事者である視覚障

がい者の方が全国にどのくらいいるだろうか私はまだ知らない人が多いと思う

 

ここ十五年程で視覚障がい者の人は白杖をついているということはほぼ知られてきたが生

活を助ける機器が発達してきているということは知らない人も多いだろうそれが「あの人は

目が動いているから見えている」とか「あの人はずっと目をつぶっているから見えていない」

「物を避けているから見えている」「物にぶつかっているから見えていない」という勝手な

思い込みで障がいの重さをはかることにつながっているのではないだろうかでもそれは間違っ

ている目を閉じれば視覚障がい者の疑似体験はできるでもそれはあくまでも体験であって

個人個人の見え方はそれぞれ違うし外見や行動で障がいの重度を判断するのは良くないと私は

思う同じような見え方ができたとしても全く同じ動きなんてできる訳ないのだから毎日父

と生活していてもどのくらい見えているのか私にもはっきり分からないなにげに父たちがこな

している日常の動作であっても私たち健常者にははかりしれない恐怖と不安努力があるの

だ誰でも目をつぶれば見えない世界を体験した気になる松葉杖をつけばその体験をした気

になる車イスに乗ればその体験をした気になるだが本当の障がい者の苦悩と努力の一部

入賞作文集 16

入賞作文

しか体験していないことを知ってお

いてほしい私たちには当たり前に

できるようなことがあってもどん

なに望んでもできない人たちがいる

ということとみんなの正しい理解と

知識が障がい者の明るい未来へとつ

ながっていくということを知ってほ

しいそしてこのことを広めていか

なければならない

 「少しずつhellip一歩ずつhellip」

17 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

 「Pick your 

head up」

 

これは父がいつも私にかけてくれる魔法の言葉です

 「顔をあげなさい下を向かない」という意味です

 

私の父は生まれも育ちもニューヨークのアメリカ人です女の子は父親に似るとよく言われ

ますが私もそうで日本人の母親よりも父の方に髪質も肌の色も本当によく似ています子供

が親に似ることはあたりまえのことですが私はそのためにいやな思い悲しい思いをいくどと

なくしてきました

 

初めて自分がみんなとちがうんだなと思ったのは幼稚園に入学してまもなくのことでした同

じ組の女の子たちが何人かして楽しそうに遊んでいたので

ローリンズ リコ

福島県福島市立渡利中学校 一年

「差別のない世界へ」

文部科学大臣奨励賞

入賞作文集 18

入賞作文

 「まぜて」

と声をかけると一人の子が言いました

 「このグループは日本人で髪がまっすぐな人しか入れないのリコちゃんは髪がチリチリだし

ハーフだからダメ」と

 

私はとても悲しくなりましたそしてそれは卒園するまで続きました

 

小学校は人数も少なかったせいかみんなとても仲良くて私の外見のことを言う人はだれ一

人いませんでしたまるで兄弟のようにみんな自然に接してくれましたでも習い事やいろい

ろな大会など他校の子たちといっしょになる場面ではやはり髪の毛や肌のことをからかわれ

ることはよくあることでした私には二学年上の兄がいますが兄もやはり父の方に似ています

おだやかな性格の兄は私以上につらい思いをしてきたと思います

 

父は兄や私の話を聞くたびに

 「Pick your 

head up」

と言いましたそして

 「自分に自信とほこりをもちなさいあなたたちは二つの文化を受けついでそれはとてもす

ばらしいことなんだよ」

といつも話してくれました

 

中学に入って間もないころでしたある男の子がいきなり私に向かって言いまし

19 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

 「おまえ風呂に入っているのか黒いぞ外国人はくさいからな」

 

私はとてもはずかしくなりましたそしていかりや悲しみがこみあげてきました

まわりにいた友達は彼の言葉に苦笑いをしていました私はいかりのあまり彼をな

ぐりたくなりましたその時私は父のあの言葉を思い出しました私は顔を上げ

相手の目を見て静かに自分の傷ついた気持ちを伝えました

 

彼は私に向かってこう言いました

 「ごめんわるかった」

 

彼は人を傷つけるということが彼の想像以上に重くそしてひどいことだと少し気付いたよう

でした

 

差別やいじめというのは私たちのまわりでは小さなことから大きなことまで本当によくあり

ますそして差別やいじめをしている側からすればそれをじょう談だという人も多いのです

まわりの人たちもやはりじょう談や遊びの中でのことにとらえてしまう人たちもとても多いので

すだから小学校の時から私たちは道徳などでいじめや人権などについて学んでいてもなかな

かそれがなくならないのだと思いますでも実際に差別やいじめをされている方はみんなの想

像よりはるかに傷ついているということつらいということそして悲しいということを私はこ

の人権作文を通してたくさんの人に知ってほしいのですけがをすれば日がたつごとにそのけ

がは治っていくでしょうまわりからも治っていく様子が見てわかるでしょうでも心に受けた

傷は本人にしかわからないのですその傷がどんなに深くて痛いものか本人にしかわからないの

入賞作文集 20

入賞作文

です

 

肌の色が違っていてもかみの毛が

違っていても私たちはみんな同じ人間

です心を持った人間です相手の気

持ちを思いやり相手の立場になって

考えればいじめや差別はなくなると

思います今も世界のいたるところで

人種差別が問題となり争いが起きてい

ます私は世界から差別やいじめがな

くなるように強い心を持ってまずは

自分から立ち向かっていきたいです

21 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

 

あなたには大好きなふる里がありますか私には緑の木々と青い海に囲まれた自然豊かな

大好きなふる里があります私のふる里は過去に公害という大きな被害をうけた水俣ですそ

の水俣病で患者はもちろんそうでない人も長い間差別をうけてきました

 

父が幼い頃まだ水俣病の原因が究明されておらず水俣病はうつると言われていました列

車が水俣の駅につくと窓をしめ手で口をおおった人もいました修学旅行に行くと同じ宿

舎になった学校から苦情を言われたこともありました水俣出身ということで結婚を断られた人

や就職試験をうけることさえできなかった人もいました水俣に住んでいることをかくして隠

れるようにひっそり暮らしていた人もいましたまた同じ水俣に住む人でさえ奇病と呼び距

離をおきましたそのことでたくさんの人々が傷つきあってきたのですいろいろな立場の人々

井いの

上うえ

 由ゆ

紀き

子こ

熊本県熊本県立八代中学校 一年

私の大好きなふる里

法務副大臣賞

入賞作文集 22

入賞作文

がせまい土地に住んでいるのですから仕方がなかったのかもしれません

 

しかし今では原因も究明され海の安全も確認されたことでそのようなことはほとんどな

くなりました私たちは過去のことを忘れるくらい楽しくすごしています

 

私は今八代の中学校に通っています私は自分が水俣出身ということを隠すこともありませ

ん友だちもまたそのことを知っていますがからかったりいじめたりする人は誰一人いません

 

しかし先日水俣の中学校のサッカー部が練習試合中に相手チームの選手から

「さわるな水俣病がうつる」

と言われたという記事が新聞にのっていました今でもこういう風に思っている人がいるのか

と思うと残念で仕方ありません何気なく言った一言だったのかもしれませんがその一言は

私たち水俣に住む者にとって非常に悔しく悲しいものでした

 

小学校の総合的な学習の時間で水俣病について学習しました原因となった会社を訪問したり

患者の方から当時の話をきいたり交流も行いましたそんな中で苦労されたり何も言えずに

黙って亡くなった人のことを知り水俣に住んでいながら何も知らなかったことをはずかしく思

いました水俣病についてしっかり学び正しい知識を得ることが差別や偏見をなくすのだと気

付きました

 

中学校の道徳の時間ではハンセン病について学習しましたこれも水俣病同様

正しい知識がなかったためにおきた悲しく悔しい悲劇でした

 

私たちが差別や偏見をなくすためにできることそれはその人その出来事に

23 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

ついてしっかり知ること知ろうと努力すること正しい知識を深めるために学習

することではないかと思いますそうすれば水俣病やハンセン病のようにむや

みに人と人とが傷つけあったり憎しみあったりすることはなくなるのではないで

しょうか

 

先日テレビで水俣のダイバーが紹介されましたその人は本当はほこりたい水俣を心の中

にじっとしまいこみ誰にも言えず何年もの間生きてきた人でしたしかし水俣の地にも

どり自分はこのすばらしい美しいふる里を紹介したいと海にもぐり写真をとり続けておら

れるそうです心に差別という深い傷を負いながら水俣の再生を皆に知らせたいと頑張る人

がいることに感動しました

 

今水俣はごみの分別リサイクル事業など市民全員で環境にやさしい町づくりをすすめてい

ます私は差別や偏見から立ちなおり再生しようと環境問題に一生懸命とりくんでいるふる

里水俣をほこりに思っています

 

水俣では運動会等多くの行事で「水俣ハイヤ節」というものが踊られますこれは水俣病

の患者の方が水俣の青い海と豊漁を願って振りつけをされた踊りだそうです私たちと同じ思い

をする人が二度とでないことを祈りながら私たちは毎年皆でこの踊りを踊ります

 

水俣の悲しい過去を変えることはできませんが私はあやまちを二度とくりかえさないため

にこの美しい自然を守り真実を語り継いでいきたいですそして差別や偏見のない社会に

なるよう自分から努力していきたいと思います

入賞作文集 24

入賞作文

25 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

 

みなさんは「本当の『平和』とは」と質問されたら何と答えますか「戦争や紛争などが

ないこと」ですかそれとも「自分自身の幸せのこと」ですか一人ひとりの抱く「平和」のイ

メージは違うことでしょう

 

僕の思う本当の「平和」それは「家族」がいて「家庭」があることだと思いますなぜそう

思うかというと今僕は訳あって家族とは離ればなれに暮らしているからです一歳前後には既

に家族とは離れ施設にいました母親や姉兄の存在はわかっていますが一緒に過ごした時

間は限られたもので今でもほとんど交流はありませんそのせいか僕はいつも「家族」や「家

庭」というものに強い憧れを抱いています

 

自分がまだ幼い頃は自分と同じくらいの子が母親と手をつないでいる姿がとてもうらやまし

大おお

田た

 葵あおい

栃木県さくら市立喜連川中学校 三年

「家族」とは何か

法務大臣政務官賞

入賞作文集 26

入賞作文

「どうして自分には母親がいないんだろう」と思っていました仕舞いには自らの母親を恨ん

でしまったのです小学生になってもその気持ちは変わらず母親への恨みは増すばかりでした

 

しかし小学五年生の夏思いもよらぬ出来事が起きましたそれは引っ越しがあったこと

ですそこで僕は新しい土地そして新しい里親という人たちに出会いました里親の人たち

と暮らした数年間僕は幸せでしたそこで僕は僕の周りにはいつも支えてくれる人たちがい

ることに気づきました血のつながりがなくても僕に自分の子どものように接し育ててくれ

た里親の人たち養護施設の先生方などたくさんの方たちに僕は見守られて成長してきたこと

に気づいたのです僕を支えてくれる人すべてに感謝の気持ちがわき出てきましたそれ以来

僕は親という存在にこだわらなくなりましたそれどころか自分に命を与えてくれた親に感謝

の思いを抱くようになったのです

 

この夏母親の育児放棄が原因で二人の乳幼児が衰弱死するという悲しい事件がありました

二人の子どもにろくに食事も与えず風呂も入れなかったそうですさらに逮捕後その母親は

「家に帰ってあげなかったことを今も後悔している子どもは私を恨んでいると思う」

という言ってはならない発言をしました僕は怒る前に亡くなった二人の子ども

たちがかわいそうでなりませんでした

 

と同時に僕はこの母親はどうしてこのようなことをしてしまったのだろうと

すごく考えさせられました僕は本来親は子どもを殺すのではなく守るために

27 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

いるのだと考えますたとえ小さな子どもでも立派な一人の人間ですその命を

守り育てていくことが親として大切な役目だと思うのですこの母親はどこで

勘違いしたかは知りませんが親としての自分の責任を理解していなかったのでは

ないでしょうか

 

そしてその勘違いを誰も母親に気づかせてあげられなかった事実母親が一緒に遊び歩いて

いた友人はもちろん母親の家族が少しでも助けることができていたら母親の行動を戒めるこ

とができていたら連絡を受けた児童相談所がもう少し踏み込んだ行動が取れていたらこのよ

うな悲しい結末にはならずに済んだのではないでしょうかやりきれない思いばかりがこみあげ

てきます

 

もう一つこの母親は大きな勘違いをしていますそれは「子どもは私を恨んでいると思う」

という言葉です僕はこの子どもたちが母親を恨んでいるとは思えません子どもたちは母

親が帰宅するといつもハイタッチをして喜んで迎えたそうです子どもたちは母親のことが大

好きだったのでしょうたとえ自分たちを見放した母親でも恨んでいるとは決して思えないの

です

 

子どもは心の底から自分の母親のことを恨めないと僕は思いますこの世に生を受け笑った

り怒ったり泣いたりと毎日いろいろな経験ができるのは自分を生んでくれた母親という存在

があったからです正直僕も小さい頃は母を恨んだことがありました愛情の裏返しというよ

うに母親への思いが憎しみに変化してしまったのですでも心の底には母への恨みとは全く

入賞作文集 28

入賞作文

正反対の気持ちが存在し続けていましただ

からこそこの子どもたちがどんな思いで死

んでいったのかわかるような気がします母

親を信じひたすら母親の帰りをまちわびて

いた思いが

 

僕にとっての「家族」それは同じ屋根の

下で暮らす人々のことですたとえ血はつな

がっていなくても僕を支え励ましてくれる

人たちそのすべての人が僕にとっての大切

な「家族」なのです今僕の暮らす養護施設

にはいろいろな事情を抱えた二歳位から高

校生までの子どもたちや職員の方が約六十人

います今の僕には全員大切な「家族」で

す僕はこれからもこの「家族」を大切に

一日一日精一杯平和に生きていきたいです

29 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

 

授業でハンセン病について学んだ日両親と「偏見」や「差別」について口角泡を飛ばす議論

を深夜まで繰り広げた身体障害者の父と看護師の母を持つ私は幼い頃から「命の大切さ」を

訴える両親の姿を見て育って来たそんな私は真摯な気持ちからハンセン病罹患者と向き合い

たいと思いこの夏草津にある療養施設栗生楽泉園を訪れた

 

草津までの道のり私は罹患者の気持ちを絶えず考えていたハンセン病について調べると「ら

い予防法」により罹患者は隔離され人権を無視された扱いを受けたことが分かった罹患者の

言葉が書かれた本ではどんなに過酷な仕打ちを受けたか他人をどれほど恨み憎んでいるか

が書かれていたその為私は無意識の内に「罹患者は全員恨みを抱いている」と勝手に思い込

んでいたしかしこんな思い込み自体が偏見や差別を生む原因になるということを後に思い知

大おお

井い

 海み

琴こと

群馬県群馬大学教育学部附属中学校 三年

忘れてはならないこと

全国人権擁護委員連合会長賞

入賞作文集 30

入賞作文

らされることになるのである

 

私を迎えてくれたのは入園者自治会長の藤田三四郎さん藤田さんは大変お元気でその容姿

からはハンセン病を伺い知ることはできなかったしかし藤田さんは紛れもない罹患者なのだ

その証拠に藤田さんの名は本名ではない罹患者は施設に入所するにあたり偽名を使用させら

れたと言うつまりその時点で罹患者は世間から存在を消されてしまうのであるそんな藤田

さんから語られた話はハンセン病だと宣告され三度も命を絶とうとしたこと重症患者の看

護を押しつけられ数え切れない人を看取り自らの手で葬ったこと家族が受けた迫害や侮辱的

な言葉など想像を絶するもので筆舌し難いものだったしかしこんな迫害と差別は同時にハ

ンセン病患者達の人権回復闘争の歴史でもあったのだ闘争の末「らい予防法」が廃止される

と今まで差別や人権侵害を繰り返していた多くの人が掌を返す様に態度を変えたと言う私は聞

いていて怒りを覚えたが不思議なことに耳を塞ぎたくなる様な内容を語る藤田さんからは全

く怒りや恨みが感じられないのだ私は話を聞くまで自分の運命を呪い周囲への恨みつらみ

の言葉が出てくるとばかり思っていたしかし出てきた言葉は「入園出来て良かった差別は

受けたが今では恨みを抱く罹患者も少なくなったそればかりか最近はたくさんの人が我々を

理解し協力してくれるので嬉しい何故なら一人の百歩は力が無いが百人の一歩

は力になるから」と言う感謝の言葉だったのだ本当に「恨みは無いのか」と何度

聞いても答えは同じだった私は恥ずかしくなったハンセン病について調べ罹

患者の心を理解したようなつもりでいながら実は何も理解できてなくてそれば

31 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

かりか罹患者を偏見の眼で見ていたのは私自身だったのだ私は話を聞いてとめ

どなく溢れ出る涙を拭いながら心の片隅に潜んでいた「偏見と言う名の種」が身

体から洗い流されていくのを感じていたそれは同時に「思い込みや無知が偏見

や差別を生みだす」ことを強く感じた瞬間でもあったそれだけに藤田さんの「自

分と同様に他人を愛すればいつか必ず世界から差別はなくなる他人を愛して下さい」の慈愛に

満ちた言葉が一層重く腑に落ちるのだった

 

帰りがけ千五百ページにも及ぶ「入所者証言集」を手渡されたその際私は見えない襷も

手渡された気がしたその襷とは証言集に記された罹患者の「事実を風化させないで私達の事

を忘れないで」という搾り出すような叫び声とその姿だったのである

 

ハンセン病が治る病気であるのに誤った知識から悲惨な人権侵害が長期に渡り続いた同じ間

違いを繰り返さないためにも事実を語りついで行く必要があるここ楽泉園でも高齢化が進み

証言者の数が減っているこれは全国一五全てのハンセン病療養所に共通することだハンセン

病問題は罹患者がいなくなればそれで終わると言う問題ではない今後人権問題を考える際重

要な指針になりうる事実なのだそしてこの事実の風化を防ぐことが私達若い世代の役目だと

私は思う

 

私は小六の時友人達から突然イジメを受けたそれを引きずり他人を恐れ憎み自分を

嫌って生きて来たしかし罹患者の声が私に生きる力と前を向いて歩む勇気を与えてくれた

楽泉園訪問は私に人生観が変わる程の衝撃を与えてくれたのだこんな私だが罹患者の声を伝

入賞作文集 32

入賞作文

える「百人の中の一人」にはなれるはず

だそのために私は今この作文を書い

ている文字は時を越えて生き続けるか

ら私はこれからも楽泉園訪問を続ける

つもりだ実際に中学生の私が出来るこ

とには限りがあるが差別や偏見を少し

でも減らすために一歩を踏み出すつもり

でいる「自分と同様に他人を愛すれば

いつか差別は無くなる」と言う藤田さ

んの言葉を胸に

33 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

 

森に囲まれたその一画には教会や寺院神社があり小さなショッピングセンターやレスト

ランもある床屋や図書館郵便局や浴場もあるしかしそれらの施設を利用するのはその一

画に住む人たちだけだ緑の外側に住む人が利用することはないそこはハンセン病の療養所

多磨全生園である

 

僕は七年前に清瀬市に引っ越してきた夏のある日昆虫が大好きな僕は何気なくその森の

中に入って行ったそして歩き回っているうちにその場所が一つの「町」であることに気付

いた

 

毎日セミやカマキリやナナフシを探しながらどうしてこんな所があるのだろうと思った

 

僕が一番不思議に思ったのは古い木造の小学校だいつも誰もいない校舎と小さな運動場近

久く

米め

 一かず

輝き

埼玉県学校法人立教学院立教新座中学校 一年

ハンセン病について考えたこと

社団法人日本新聞協会会長賞

入賞作文集 34

入賞作文

くに小学校があるのにどうしてこんな所に小学校があるのだろう小学一年生の僕はとても不思

議に思った

 

夏に地域交流を目的とした盆踊りと花火大会が行われるいつもは人のいない小学校跡は多く

の人であふれかえり普段は見かけない重い後遺症の老人たちもこの日は外に出て盆踊りを楽し

む初めて参加したときは言葉が出なかった正直「怖い」と思った

 

夏が来るたびに僕は盆踊り大会に参加した低学年から高学年へと進むにつれて少しずつハ

ンセン病のことが分かってきた

 

六年生のときに社会科見学で全生園の元患者を訪れることになっただが僕は都合で参加で

きなかった僕はそれをずっと悔やんでいる

 

今年の夏僕はハンセン病資料館に出かけた見学者は僕一人でとても緊張したなるべく

音を立てないようにパネルを見て回った

 

強制隔離の現実にとても驚いた狭い部屋に押し込められ症状の軽い患者が重症の患者の世

話をしたという子供を持つ権利や生まれる赤ん坊の命まで奪われていた逃げ出したり反抗的

な患者は「不良患者」と呼ばれ窓の小さな暗い監房に閉じ込められた

 

医学が進歩し療養所も徐々に改善されていったが強制隔離を命じる「らい予防

法」が廃止されたのは一九九六年だという隔離が始まった一九〇八年から約九〇

年も経っていた僕が生まれるほんの一年前のことである特効薬が開発され本

格的な治療が始まったのは昭和二十二年である現実に合わない法律を廃止するの

35 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

にどうしてそんなに時間がかかったのだろうか

 

資料をもらってハンセン病資料館を後にした家を出るときは帰りに虫の観察

をするつもりだったがとてもそんな気にはなれなかったいつもセミが集まる桜

の木には目もくれずに早足で家に帰った

 

資料の中で一番心が痛んだのは療養所の子供たちのことだ療養所に入所したのはハンセン

病を発症した子どもたちだけではない親が発症したために入所する子どもたちもいた当時は

ハンセン病は遺伝病だとされていたからだ親から無理やり引き離された子どもたちは「すぐに

帰れるから」という言葉を信じていたというしかし一生療養所を出ることができなかった人が

多かったという社会的な差別がひどかったからだと資料に書かれていたが僕には実感がわか

なかったのでもう少し調べてみることにした

 

図書館で『ハンセン病を生きて』(伊波敏男著)という本を見つけた少し難しかったが差

別の現実が僕にもわかる部分があったそれは元患者たちに対して書かれた匿名のひどい手紙

である長年隔離されて苦しんできた人たちをさらに傷つける言葉が並んでいた悲しく暗い

気持ちになった

 

日本は経済大国として世界の注目を浴びているだが人権意識の面ではどうだろう「らい

予防法」を二〇世紀の末まで廃止できなかったことをどう考えたらよいのだろうか明治時代に

隔離が始まったときそれは外国に対する体面を保つためだったという病気の人を治療するの

ではなく「隠す」のが目的だったのだいまだに差別意識を持つ人がいるのは社会がそうした

入賞作文集 36

入賞作文

過去に対する反省をしていないから

だと思う

 

僕が不思議に思った小学校はすで

に取り壊されて今では小さな石碑

だけが残っている老朽化がひどく

残しておくことができなくなったか

らだという全生園の古い建物はど

んどん取り壊されていく石碑だけ

ではあの不思議さが伝わらないのが

とても残念だ

37 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

 

僕の曾祖父は医者嫌いでしたそのため腹痛で病院に運ばれた時は膵臓癌の末期で余命三ヶ

月でした手術もできない手遅れの状態でした家族皆で話し合い曾祖父の辛い気持ちを第一に

考え曾祖父に病を隠すことになりました曾祖父は次第に病院の中を歩いては転倒し体中あ

ざだらけになりベッドの上で縛られることになっていました曾祖父は病名の宣告を受けてい

ないため元気で歩けると思っているが実際歩くと転んでしまう何でこんな風になってしまっ

たのかさえわからない

 

家族と病院に行くと「包丁もてこいこれぶった切って家さ帰る」と騒いでいましたあん

なに優しかった曾祖父の姿に言葉も出ず恐いくらいでした何も知らされずベッドに縛り付

けられれば誰もがそうなることでしょう「じいちゃんどご一緒に車さのせでいてくれの」と

櫻さくらだ田

 要かな

太た

山形県酒田市立松山中学校 三年

日本放送協会会長賞

悔いのない最期を

入賞作文集 38

入賞作文

せがまれたときもありますかわいそうで涙がポロポロこぼれました「おじいちゃんどご家

さ連れで帰ろうよ」とせがんでも家族も仕事で忙しいためか誰も首を縦に振ってくれず病院

にいた方が安心ということになりました膵臓癌は予想以上に激しい痛みのため医師から強い

痛み止めと強い睡眠剤を勧められましたがそれを導入することにより安楽死に近い状況にな

ることも医師から告げられていました家族は決断をせまられました曾祖父に相談もせずに決

めていいことなのか家に帰りたい曾祖父の意志は封じ込められたままでいいのか家族で悩み

ました結局痛みに耐えている姿は見ていられなくその薬を使うことになりましたその後

曾祖父は次第に弱っていき口も利けなくなり静かに亡くなっていきました僕はどこか心を

引きずったままでした僕達家族が曾祖父に宣告もせず意見も聞かず命の長さを決めてしまっ

たこと当時幼かった僕には何もしてあげられなかったことが今思い出しても残念です

 

最近授業で人権について学習しているときに幼い頃の記憶がよみがえりふと曾祖父のこと

を思い出しました

 

曾祖父はどんな思いで亡くなったのだろう最後に意識のあるうちに一度でいいから家に帰っ

てきたかっただろう身体拘束は今は病院でも禁止されていると思いますがあの頃は確かに曾

祖父のおなかに黒いベルトのようなものが巻きついていました決して自分の力で

は外せないようなものでしたもがき苦しむ曾祖父の姿を見た時に看護師さんに

目を隠され別の部屋に連れて行かれました見せたくない光景だったのだと思いま

すでもあの姿は僕の脳裏に焼き付いています病院の中での人材不足のためだっ

39 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

たのでしょうか人が人らしく生きていない姿でした

 

七十八年生きてきて何も悪いことをしていないのに縛られ家にも帰れない

病気で余命幾ばくもない人には人権というものは存在しないのでしょうか最近の

医療の現場では自己決定権があることについて学びました

 

仏壇に向かい静かに目を閉じると優しく穏やかに微笑む曾祖父の笑顔が浮かびますどんな

気持ちで亡くなっていったのかその気持ちを考えると苦しい気持ちになります野球の大会に

行く前仏壇に手を合わせます「やればできる努力しろ」とよく励ましてくれました曾祖

父の力には何もなれなかったけれど目には見えない力で応援してくれる曾祖父に線香をあげて

自分を省みる時があります曾祖母が元気なので曾祖父を助けられなかった分曾祖母の力に

なっていくことを曾祖父に約束しています

 

夏休み中のニュースで高齢者の所在不明者が多数のため百歳以上の安否確認調査をしていま

した自分の親を平気で捨て遺骨さえもひきとらない亡くなっていたのに年金を不正受給する

ために隠していたなど耳をふさぎたくなるような事件もありました犬や猫が年をとって弱っ

てきた手がかかるから面倒だからと捨ててしまうそれと同じ現象が弱い高齢者にも及んでき

ているのだと思います

 

やはりこの世に生まれてきたもの全てに自分の意志で生きることを決めていける権利がある

と思います長い年月を苦労や努力と向き合いながら精一杯生きてくれたおかげで今の幸せが

あることを忘れずにいたい人はいずれ誰でも年をとります自由に動けなくなった時に自分の

入賞作文集 40

入賞作文

願いが叶う社会を築き「悔いなく満足で楽しく幸せな人生だった」と思えるように人とし

ての誇りを持って満足できる最期を迎えられるように考えていきたいもう二度と僕が見た自

己決定権のない社会にならないように高齢者には今までの感謝の気持ちで本人の希望をでき

るだけ叶えられるように努力していきたいいずれ僕達も迎える高齢社会だからhellip

41 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

 

私は小学六年生の時から盲導犬候補の子犬を育てるボランティアをしています「犬を飼っ

てみたい」と言う私に両親が「せっかく犬を飼うのなら社会に役立つことをしよう」と提案

したからです生後二ヵ月の子犬を預かり一歳の誕生日を迎えるまで世話をするのがボランティ

アの役目です初めて訓練士さんから子犬を手渡された時は不安でドキドキしましたが子犬は

すぐに私の腕の中で眠ってしまいました初めて会った私のことを信頼して安心しきった寝顔

で眠っている姿は本当に可愛かったですラブラドールの子犬はとてもやんちゃで私の家にやっ

て来たその日からいたずらばかりしていましたがしかられてもクヨクヨせずどんな相手にも

 林はやし

 里り

咲さ

東京都小平市立小平第六中学校 三年

差別のない社会に

(パピーウォーカーの経験から学んだこと)

法務事務次官賞

入賞作文集 42

入賞作文

フレンドリーに近づいていく姿から私は明るく前向きに生きることを教わりました子犬たち

と過ごした日々は私にとって一番の宝物ですそしてあっという間に一歳の誕生日がやって来ま

した誕生日が悲しいという経験は初めてでした訓練所への入所日の前日には長い長い散歩を

して最後のお別れをしました「今までありがとう」そう言った私のことを不思議そうに見てい

た子犬の顔が今も目に焼きついています別れは本当につらいけれど涙を見せたら子犬が心配す

るので頑張って笑顔で見送りました

 

私の家で育てた一頭目の子犬は現在盲導犬になって頑張っていますそして今年四月に巣立っ

ていった二頭目の子犬は神奈川にある訓練センターで訓練中です

 

このボランティアを通して私は多くのことを学びましたまず盲導犬の役割ですがこれは単

に目の不自由な方が便利に一人でどこへでも行けるようにするためだけではありません視覚障

がいのある方にとって人の手をわずらわせるのはとてもつらいことなのだそうですたとえ家

族に対してでも「迷惑をかけるのではないか」と思って我慢することが多く「私なんかいない

方がいいんじゃないか」と考えてしまうこともあったといいますその失われそうになった尊

厳を取り戻す手助けをするのが盲導犬の役目なのです犬は訓練を共にするパートナーのことを

大好きになるので「自分は他者からこんなにも大好きになってもらえる存在なん

だ」と気づいて自信を取り戻し新しい一歩を踏み出せるようになるのだそうです

 

また私がボランティア登録している日本盲導犬協会では二〇〇八年に新しい

試みが始まりました受刑者が盲導犬候補の子犬を育てる動物を介在した日本初

43 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

の教育プログラムです罪を犯した人も心から反省してきちんと罪を償えば社会

は差別することなく受け入れるべきですしかし実際はとても偏見が多く元受刑

者たちは「どうせ自分はだめな人間なんだ」と思い再び罪を犯してしまう悪循環

が起こっているそうですその悪循環を断ち切り受刑者たちがスムーズに社会復

帰を果たせるよう支援するのが「あさひ盲導犬パピープロジェクト」です受刑者たちは約十ヵ

月の間子犬たちを世話しながら一緒に過ごし「役に立つ喜び達成する喜び信頼される喜び」

を感じることで自分の価値を再確認するのだそうです今年一月に第一期のプロジェクトを修了

した受刑者の感想に次のようなものがありました

 「今後自分もパピーに笑われないようにきちんとしなければならないパピーは慈しむこと

寛容の心を教えてくれました」

 

犬は決して差別をしません健康な人にも障がいのある人にもお金持ちにも貧しい人にも

権力のある人にも犯罪を犯した人にも全く同じように接してくれますそんな犬たちと一緒に過

ごすことで自信をなくした人たちも自分のことをかけがえのない大切な存在であると思えるよ

うになるのです

 

私たち人間も差別のない社会をつくる努力をしなければならないと思います一人一人が相

手を大切に思う心を忘れなければこの社会はもっと住み良い場所になるはずです私はこのボ

ランティアを通して学んだことを生かしてこれからも一層努力していきたいと思います

入賞作文集 44

入賞作文

45 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

 

僕は祖父のために自助具を作ろうと思った祖父は去年の夏脳梗塞で倒れた祖父は一命

を取り留めたものの右手と右足がまひしてしまったのだその三週間前僕も車椅子から転倒し

て足を骨折した

 

僕には障害がある車椅子で生活することが多いしかし僕のことを障害者だといって差別

するような友達は一人もいない

 

祖父は歩けるようになりたいという気持ちが強かっただからリハビリを頑張り自分で

歩けるようになるまで回復した頑張っている祖父がかっこいいと僕は思った祖父はリハビ

リを頑張ったにも関わらず右手がうまく動かせなくなってしまっただからご飯を食べる時も

服を着替える時も時間がかかる普段何気なくやっていた動作がとても大変だと祖父は言ってい

守もり

田た

 幸こう

平へい

静岡県静岡大学教育学部附属浜松中学校 三年

祖父への靴下

法務事務次官賞

入賞作文集 46

入賞作文

た僕も何か役に立てることはないかと考えた

 

僕の学校には総合学習という授業があるそこで僕は福祉というカテゴリーを選んだ自

分で社会に役立てることを考え実際に行動することが目標だった僕は障害者のために何が

できるかを考えた

 

僕は二年前に静岡文化芸術大学で障害者がいかに日常生活で不自由のない生活ができるかを

考えるプロジェクトがあるのを新聞で知ったそれは大学生たちが個人個人にあった自助具を

作るプロジェクトだった僕は障害者のために何かできるのではと感じた

 

僕は静岡文化芸術大学へ行って僕にもできることがないかと聞いたすると学生さんが

自助具を作ってみないかと声をかけてくれた僕は迷わず「はい」と言った障害者のために

役に立てることがあると思うとすばらしいことだと思ったからだ

 

祖父のつらい顔を見ると日常生活に数々の大きな壁があることが伝わってくる

 

僕は祖父の数々の大きな壁を突き破ろうと思った祖父のために自助具を考え作ろうと僕

は思った祖父が靴下の脱ぎ履きが大変だと言っていたことを思い出したそこで脱ぎ履きし

やすい靴下はできないか考えた靴下の両脇にひもを取り付けてそれを引っ張ると靴下が縮み

脱ぎ履きしやすくなる仕組みだ大学の先生も良いアイディアだと言って褒めてく

れたこれは障害者だけでなく健常者にも使えると言われたユニバーサルデザ

インだと分かった

 

ユニバーサルデザインは年齢や障害の有無にかかわらず全ての人が使いやす

47 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

いように工夫された用具などのデザインである境界がなくなるように健常者が障

害者に対する偏見を考え差別意識がなくなるチャンスだと思った障害者と健常

者が共によりよく生きることが大切だと僕は思った

 

自助具の作品展では杖をついているお年寄り車椅子に乗った若い女性目の

見えない人福祉関係者など沢山の人々が観に来ていた皆自分の生活を良くしようと思っ

ているようだったまた障害者のためにできることは何だろうかと考えている健常者もいるよ

うだった

 

二年生の時の総合学習では二箇所のデイサービスを訪問したデイサービスには六十五歳以

上のお年寄りがいた暗く元気のない人明るく振る舞い誰とでも話せる人など様々だった

しかし僕が一番印象に残ったのは笑顔を絶やさず優しくお年寄りに接していた介護士だった

お年寄りの中には悩みを抱えている人が多いそうだその悩みを解消させる人もまた介護士だっ

た僕は介護士がお年寄りの体を支えるだけではなく心もそっと支えて生きる喜びを与え

ているのだと感じた

 

現代は三世代で暮らす家族が減り核家族が増えているそれはお年寄りの世話が大変だ

からという理由が多いだから老人ホームやデイサービスに預ける人が増えていると僕には

思えたお年寄りの中には自分が嫌われているのではないかとさえ思ってしまう人もいるそう

だそれはお年寄りにとって辛く悲しいことだと思うある介護士がこんなことをおっしゃっ

ていた「人の優しさはお金では買えない」誰にでも優しい心があると思うしかしあと一歩

入賞作文集 48

入賞作文

のところで行動に移すことができない人が多いの

だ僕たちが平和な社会で暮らせるのは今まで

頑張ってきてくれたお年寄りのお陰であることを

忘れてはいけないお年寄りを大切にすることは

当たり前のことなのだ

 

また障害者に対しても偏見の目で見ないで

そっと近づいて手を貸してあげれば健常者との

高い大きな壁を崩すことができると思う

 

障害者にも高齢者にもまた健常者にも人権

はあるお互いの人権を大切にすることが明る

い未来に繋がっていくのだと思う

 

早く祖父に僕の作った靴下を届けたい

49 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

 

僕は小学校六年生まで福岡県に住んでいましたそこで僕が体験したことです五年生のこ

ろ僕の友だちのA君が同級生のK君の靴を隠したりからかったりしていることがよくあり

ました最初は僕もあまり気にしていませんでしたがK君のことを「なんだかかわいそう」と

思うようになりました

 

ある日僕は勇気をだして先生に「K君がいじめにあっています」と報告しました初め先生は

「じゃれ合っているだけだろう」と「いじめ」とは思ってくれませんでしたでもその後「いじ

め」と分かりA君は先生に注意されその日一日は反省した様子で過ごしていましたしかし

次の日学校に行くといじめは前以上にエスカレートしていて蹴ったりたたいたりするように

なりましたしかも「死ね」「うざい」「消えろ」などの言葉が飛び交うようになりそんな日々

法務事務次官賞

浦うら

谷たに

 毅たける

徳島県三好市立池田中学校 三年

いじめをなくすために今

入賞作文集 50

入賞作文

が続きました

 

それは六年生になっても続きました僕はそのいじめを止めることができず毎日見て見ぬ

振りをしていました今思うと自分がとても恥ずかしいです本当の友達なら止めるべきなの

にそれだけではなくいじめられているK君に声一つかけることができずにいました心の中

ではA君に「やめろよ」と言おうと思っていたけどなぜか勇気が出ませんでした次にい

じめられるのが自分になるのが恐くて言えなかったのです

 

そんな日々が続く中僕の気持ちを大きく変える出来事がありました父の死ですそのとき

のことは今でも忘れることができません聞いたときには頭の中が真っ白になりました最初

は信じることができませんでした一週間も二週間も学校に行けずただぼーっと過ごしてい

ましたいろんなことを考え徐々に「死」というものの悲しさつらさ「死」という意味の

重さがわかってきましたそして時間はかかりましたが「命は一瞬にして消え二度と戻っ

てこないものだだから命を大切に今を大切にしなければならない」と深く受け止めることが

できるようになりましたそして周りの子たちは僕のような経験がないから「死ね」とか軽々

しく言えるのだろうと思いこの気持ちを伝えなくてはならないと考えました僕が強くならな

くてはと思いました

 

こんな気持ちになったとき僕には時間がありませんでした母の実家がある徳

島への引っ越しが一週間後に決まっていたのです落ち込んでいる暇は無いと思

い学校に行った僕はA君に言いました「いじめなんかやめろよいじめたって

51 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

喜ぶ人はいないし悲しむ人がいるだけだろ自分だってほんとは嫌だろ『死ね』

とか『消えろ』とか言葉の重さを知らないのに言うなよ」と言いました父親の

突然の死そのあと僕が考えたことも伝えました

 

友だちは黙って聞いてくれました僕の言葉にうなずいてそのあとK君の

ところへ行き「ごめん言葉の重さも知らずに言って本当にごめんぜったいに死ねなんて

ことは言わないそしていじめは絶対にしないほんとうにごめん」とあやまりましたK君

はとても優しい笑顔で「いいよ」と一言言いました僕もK君に言いました

「今まで助けてあげられなくてごめん」

K君は笑顔で「ありがとう」と言ってくれました今まで自分の中でもやもやしていた気持ちが

スーっと晴れました

 

今も時々耳にする暴言冗談半分で言っているのかもしれませんしかしいついじめにつ

ながるかわかりません他人を傷つけることで自分のストレスを晴らそうとしているのでしょう

関係ないふりをしようとする自分がいます楽な考え方をする自分がいますそんな時亡くなっ

た父の顔やK君の優しい笑顔を思い出しますあの時の自分のように強い気持ちを持とう「や

めろよ」と一言言うするとまた気持ちがスーっとしてきました

 

父の分も頑張って生き抜こうと決めた僕にとって正しいことを素直に認め悪いことを否定

できる強い意志を持つことが目標ですそして何よりも命を大切に今を大切にしていきたい

と思っています

入賞作文集 52

入賞作文

53 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

 

ぼくは今まで四つの外国に暮らしいろいろな国の人たちの中で育ってきた

 

まずタイで生まれてタイ人のメイドさんやドライバーさんにいつも遊んでもらっていた

らしい一才になると週一回の体操教室にも通いタイ人の友達もいたそうだ

 

次にシンガポールでは初めてナサリースクール(保育園)に通いいろいろな国の友達と

知り合ったプレイルームにある滑り台を滑る順番争いでいつも勝つのは体の大きい金髪の友

達だった

 

一回目の香港生活では英語の幼稚園に通ったその時のぼくの一番の友達はカナダ人だった

彼とはよくベイブレードをして遊んだが父が日本の出張で買ってきてくれた独楽や剣玉をして

遊ぶこともあった

村むら

瀬せ

 広ひろ

高たか

香港日本人学校中学部 二年

国境をこえて

海 外 作 品

今回は本選への応募とすることはできませんでしたが

 海外から寄せられた作品のうち一作品を御紹介します

入賞作文集 54

海外作品

 

それからインドでは日本人学校に通ったが夏休みには毎年アメリカンスクールのサマー

スクールに参加したし日本人のいない現地のテニススクールにも入り二年間通ったまたイ

ンドの現地幼稚園に通っていた妹のベストフレンドはコンゴ人でその兄弟もぼくの友達だった

 

そして三年間の日本生活を経て今また香港に戻ってきた

 

このようにぼくはいろいろな国でいろいろな国の人たちのお世話になりいろいろな国

の友達と遊んで育った肌が真っ黒な友達もゲームの話をすればすぐに仲良くなれたし髪が

金色の友達もポケモンの話をすれば気が合ったぼくは小さい頃から英語はうまくしゃべれ

なかったけれどもジェスチャーをつけたでたらめ英語でも充分に話は通じただからいろい

ろな国の人たちの中でぼくが日本人だからといって差別されたり嫌な思いをしたりしたこと

はないしぼくも肌の色が違うからとか言葉が通じないからという理由で違う人間だと思っ

たことはないそうぼくは外国人を差別したことはない

 

しかし本当にぼくは外国人を差別したことがないのだろうか外国人を差別した発言を一

度もしたことがないかと考えると自信がない

 

例えば香港人には赤信号でも平気で渡る人がたくさんいるそれを見てぼくは

「香港人はしょうがないな」

と思うでもよく見ると香港人全員が信号無視をしているわけではないまた

世界には今でも戦争をしている国がいくつもある

「人を傷つけ合うなんて馬鹿げている」

55 第30回全国中学生人権作文コンテスト

海外作品

とぼくは悲しくなるでもそれも好きで戦っている人がいるとも思えないその

人たちがそうなったのには何かきっと原因があるはずだ

 

逆に外国人から見ると日本人はどのように思われているのだろう

 

インドから日本に帰国した時毎日ごみがたくさん出ることにぼくはとても驚

いたインドの人たちがよく使う道端にあるカレー屋さんではバナナの葉で作ったお皿にカ

レーを入れてくれる食べた後そのお皿を道に捨てるとのら牛がその葉っぱを食べるそして

牛のふんは燃料になるというそれに比べて日本はちょっと歩くとペットボトルの飲み物が

買えファーストフードのお店では使い捨ての食器を使い立派なお菓子の箱を開けると中身が

少なくてがっかりすることもあるある時母が捨てたジャムの空きびんをメイドさんとエア

コンの修理にきていたワーカーさんとが取り合ってけんかをしていたこともあったそれを見

てぼくはあきれてしまったが逆にインド人から見ると使い捨て文化のしみついた日本人は

とんでもない人間にみえるのかもしれない国によって考え方や行動パターンが違うのは歴史

的背景や宗教習慣気候などのいろいろなことが関わっているのだと思う

 

このように考えると差別とはその人の一部しか見ていないことや自分のやり方だけが正

しいと思うことからおきるのではないかと思うその人が自分とは違った行動をとったとしても

それには深い理由があるのだろうと考えればきっと納得できると思うぼくもこれからは否

定的な発言をする前にその人たちのことをいろいろな角度から見て理解する努力をしてみよう

と思う外国との間には自分の国とは違う言葉や文化という壁があるとみんな言うがそこに

入賞作文集 56

海外作品

あるのは壁ではなく橋だとぼくは思う理解

し合おうという気持ちがあればきっと誰でも

その橋を渡っていけるはずだ気持ちの国境を

こえるのにパスポートはいらないお互いを理

解し合おうと思う気持ちが一番大切だと思う

そしてぼくはこれから日本人として生きる

のではなく地球人として生きていこうと思う

57 第30回全国中学生人権作文コンテスト

海外作品

法務局地方法務局名 郵便番号 所  在  地 電  話

金沢地方法務局人権擁護課920-0024 金沢市西念3-4-1金沢駅西合同庁舎(平成23年3月11日まで) 076-231-1244

921-8505 金沢市新神田4-3-10金沢新神田合同庁舎(平成23年3月14日から) 076-292-7804

富山地方法務局人権擁護課 930-0856 富山市牛島新町11番7号富山合同庁舎 076-441-6376

大阪法務局人権擁護部 540-8544 大阪市中央区谷町2丁目1番17号大阪第2法務合同庁舎 06-6942-9492

京都地方法務局人権擁護課 602-8577 京都市上京区荒神口通河原町東入上生洲町197番地 075-231-0131

神戸地方法務局人権擁護課 650-0042 神戸市中央区波止場町1番1号神戸第2地方合同庁舎 078-392-1821

奈良地方法務局人権擁護課 630-8305 奈良市東紀寺町3-4-1奈良第2法務総合庁舎 0742-23-5457

大津地方法務局人権擁護課 520-8516 大津市御陵町3番6号大津法務総合庁舎 077-522-4673

和歌山地方法務局人権擁護課 640-8552 和歌山市二番丁2番地和歌山地方合同庁舎 073-422-5131

広島法務局人権擁護部 730-8536 広島市中区上八丁堀6番30号広島合同庁舎 082-228-5790

山口地方法務局人権擁護課 753-8577 山口市中河原町6番16号山口地方合同庁舎2号館 083-922-2295

岡山地方法務局人権擁護課 700-8616 岡山市北区南方1丁目3番58号 086-224-5761

鳥取地方法務局人権擁護課 680-0011 鳥取市東町2丁目302番地鳥取第2地方合同庁舎 0857-22-2289

松江地方法務局人権擁護課 690-0886 松江市母衣町50番地松江法務合同庁舎 0852-32-4260

高松法務局人権擁護部 761-8077 高松市出作町585-4 087-815-5311

徳島地方法務局人権擁護課 770-8512 徳島市徳島町城内6番地6徳島地方合同庁舎 088-622-4171

高知地方法務局人権擁護課 780-8509 高知市栄田町2丁目2番10号高知よさこい咲都合同庁舎 088-822-3331

松山地方法務局人権擁護課 790-8505 松山市宮田町188番地6松山地方合同庁舎 089-932-0888

福岡法務局人権擁護部 814-0005 福岡市早良区祖原14-15福岡法務局西新出張所庁舎5階 092-832-4311

佐賀地方法務局人権擁護課 840-0041 佐賀市城内2丁目10番20号佐賀合同庁舎 0952-26-2148

長崎地方法務局人権擁護課 850-8507 長崎市万才町8番16号 095-826-8127大分地方法務局人権擁護課 870-8513 大分市荷揚町7番5号大分法務総合庁舎 097-532-3368

熊本地方法務局人権擁護課 862-0971 熊本市大江3丁目1番53号熊本第2合同庁舎 096-364-2145

鹿児島地方法務局人権擁護課 890-8518 鹿児島市鴨池新町1番2号 099-259-0684宮崎地方法務局人権擁護課 880-8513 宮崎市別府町1番1号宮崎法務総合庁舎 0985-22-5124

那覇地方法務局人権擁護課 900-8544 那覇市樋川1丁目15番15号那覇第1地方合同庁舎 098-854-1215

入賞作文集 58

問合せ先一覧

法務局地方法務局名 郵便番号 所  在  地 電  話

札幌法務局人権擁護部 060-0808 札幌市北区北8条西2丁目1番1札幌第1合同庁舎 011-709-2311

函館地方法務局人権擁護課 040-8533 函館市新川町25番18号函館地方合同庁舎 0138-23-9528

旭川地方法務局人権擁護課 078-8502 旭川市宮前通東4155番31旭川合同庁舎 0166-38-1114

釧路地方法務局人権擁護課 085-8522 釧路市幸町10丁目3番地釧路地方合同庁舎 0154-31-5014

仙台法務局人権擁護部 980-8601 仙台市青葉区春日町7番25号仙台第3法務総合庁舎 022-225-5739

福島地方法務局人権擁護課 960-8021 福島市霞町1番46号福島合同庁舎 024-534-1994

山形地方法務局人権擁護課 990-0041 山形市緑町1丁目5番48号山形地方合同庁舎 023-625-1321

盛岡地方法務局人権擁護課 020-0023 盛岡市内丸7番25号盛岡合同庁舎 019-624-9859秋田地方法務局人権擁護課 010-0951 秋田市山王7丁目1番3号 018-862-6533

青森地方法務局人権擁護課 030-8511 青森市長島1丁目3番5号青森第二合同庁舎 017-776-9024

東京法務局人権擁護部 102-8225 千代田区九段南1丁目1番15号九段第2合同庁舎 03-5213-1234

横浜地方法務局人権擁護課 231-8411 横浜市中区北仲通5丁目57番地横浜第2合同庁舎 045-641-7926

さいたま地方法務局人権擁護課 338-8513 さいたま市中央区下落合5-12-1さいたま第二法務総合庁舎 048-859-3507

千葉地方法務局人権擁護課 260-8518 千葉市中央区中央港1丁目11番3号千葉地方合同庁舎 043-302-1319

水戸地方法務局人権擁護課 310-0061 水戸市北見町1番1号水戸地方法務合同庁舎 029-227-9919

宇都宮地方法務局人権擁護課 320-8515 宇都宮市小幡2丁目1番11号宇都宮地方法務合同庁舎 028-623-0926

前橋地方法務局人権擁護課 371-8535 前橋市大手町2丁目10番5号前橋合同庁舎 027-221-4426

静岡地方法務局人権擁護課 420-8650 静岡市葵区追手町9番50号静岡地方合同庁舎 054-254-3555

甲府地方法務局人権擁護課 400-8520 甲府市北口1丁目2番19号甲府地方合同庁舎 055-252-7239

長野地方法務局人権擁護課 380-0846 長野市旭町1108番地長野第2合同庁舎 026-235-6634

新潟地方法務局人権擁護課 951-8504 新潟市中央区西大畑町5191番地新潟地方法務総合庁舎 025-222-1564

名古屋法務局人権擁護部 460-8513 名古屋市中区三の丸2丁目2番1号名古屋合同庁舎第1号館 052-952-8111

津地方法務局人権擁護課 514-8503 津市丸之内26番8号津合同庁舎 059-228-4193岐阜地方法務局人権擁護課 500-8729 岐阜市金竜町5丁目13番地 058-245-3181

福井地方法務局人権擁護課 910-8504 福井市春山1丁目1番54号福井春山合同庁舎 0776-22-5090

問合せ先一覧 (法務局地方法務局)

59 第30回全国中学生人権作文コンテスト

問合せ先一覧

世界人権宣言啓発書画「鳥」「自由と解放」を表わしたもの 小木太法書オタビオロス画(財)人権擁護協力会提供

入賞作文集 60

すべての人間は生まれながらにして

自由でありかつ尊厳と権利とに

ついて平等である人間は理性と

良心とを授けられており互いに同胞の

精神をもって行動しなければならない

―――

世界人権宣言 第一条

―――

第三〇回

 全国中学生人権作文コンテスト

中央大会表彰式

印  刷 平成23年1月25日

発  行 平成23年2月14日

発 行 者 法務省人権擁護局

全国人権擁護委員連合会

東京都千代田区霞が関一丁目1番1号

電話 03(3580)4111 内線5875

URL httpwwwmojgojpJINKEN

第30回全国中学生人権作文コンテスト中央大会審査員

感想をお聞かせください本作文集を読まれた感想等を下記の連絡先又はkeihatsumojgojpまでお寄せください

無断転載を禁じます本作文集に掲載された作文や写真等を地方自治体が広報誌に掲載したり学校が教材に使用される場合などにはあらかじめ下記に御連絡ください

100-8977 東京都千代田区霞が関一丁目1番1号 法務省人権擁護局人権啓発課 TEL03(3580)4111 内線5875

作  家(審査員長) 落 合 恵 子映画監督 山 田 洋 次社団法人日本新聞協会事務局長 川 嶋   明日本放送協会解説委員室解説委員 南   直 樹文部科学省初等中等教育局視学官 三 好 仁 司全国人権擁護委員連合会長 中 村 浩 紹法務省人権擁護局長   井 忠 雄

(敬称略)

【式次第】

第一部

 会

主催者あいさつ

賞状授与

内閣総理大臣賞法務大臣賞

文部科学大臣奨励賞法務副大臣賞

法務大臣政務官賞

全国人権擁護委員連合会長賞

社団法人日本新聞協会会長賞

日本放送協会会長賞(以上各一名)

法務事務次官賞(三名) 計一一名

学校への感謝状贈呈

高円宮妃殿下おことば

来賓祝辞

第二部

各受賞作文の朗読

内閣総理大臣賞法務大臣賞

文部科学大臣奨励賞

全国人権擁護委員連合会長賞

社団法人日本新聞協会会長賞

日本放送協会会長賞

 評

全国中学生人権作文コンテスト中央大会審査員

 山田洋次氏

 落合恵子氏(ビデオレター形式)

第三部

新垣勉さんコンサート

 会 平成二二年一二月一八日(土)

午後一時三〇分〜三時五〇分

於ニッショーホール

「いじめ」や暴力行為等は人権侵害です

法務局地方法務局では

人権侵害による被害を受けた方を

救済するための活動を行っています

お気軽にご相談ください

女性の人権ホットライン

インターネット人権相談受付窓口

ゼロナナゼロのハートライン

0570-070-810

子どもの人権110番ぜろぜろななのひゃくとおばん

 0120-007-110

パソコンから httpwwwmojgojpJINKENjinken113html携帯電話から httpwwwjinkengojpsoudanmobile001html

インターネット人権相談 検 索

Human Rights法務省人権擁護局全国人権擁護委員連合会

人権イメージキャラクター人KENあゆみちゃん人KENまもる君

全国共通通話料無料

全国共通ナビダイヤル

この冊子は環境保護印刷の「水なし印刷」で印刷されています

第30回全国中学生人権作文コンテスト入賞作文集

法務省人権擁護局全国人権擁護委員連合会

人権イメージキャラクター人KENまもる君人KENあゆみちゃん

この冊子には音声コードが各頁(奇数頁 左下偶数頁 右下)に印刷されています専用の読み上げ装置で読み取ると記録されている情報を音声で聞くことが出来ます

Human Rights法務省人権擁護局全国人権擁護委員連合会

 全国中学生人権作文コンテスト入賞作文集

 全国中学生人権作文コンテスト入賞作文集

第30回

 

こうしてひととひとはひとと暮らしは有機的に繋がっているのだと改めて思うのも年の

暮れだからなのかいや人権についての素晴らしい姿勢と視点に溢れた「あなた」の作品を今

朝もう一度読み返したせいなのかもしれない

 

第三〇回を迎えた全国中学生人権作文コンテスト全国(今回は海外からの作品もあったが)

の中学生の四人にひとりはこの作文を書いてくださったとうかがった

 

すごいことだ嬉しいことだ素晴らしいことだと心が震える

 

たとえばいま大人たちに人権に関する作文を書いてくださいと言ってどれほどのひとが

賛同し実際に書いてくれるだろう考えることと実行することの間には深い溝がある

 

それもこれほど瑞々しい感受性と論理性に裏打ちされた作品をである

 

毎回書いているような気がするがこの作文コンテストに選考委員のひとりとして加わる唯一

の苦しみは応募作品に順位をつけることにある

 

どれもがキラリと光る芽を持った作品にいったい順位をつけることが可能なのか読み手で

あり選考する側のわたしたち大人の「人権意識」がある意味試されているような緊張が

いつもある

 

何度も何度も読み返しそれでも迷うことがあることも告白しておこう

 

内閣総理大臣賞を受賞された江川麻理香さんの『身近で無意識な人権侵害』

 

入院先で出会ったひとから聞いた悪意不在のけれど「もうひとつの差別」

目が不自由であることから子どものように「扱われること」への居心地の悪さ

7 第30回全国中学生人権作文コンテスト

審査講評

についてそういった傾向がわたしたちの内にもないかを問い返した優れた作品で

ある

 

それは「される側」からの柔らかな異議申し立てであり問題提起でもある

認知症の母を自宅で介護していたおよそ七年間わたしも病院などで母にかけられ

る言葉がとても気になった言葉の多くが幼児へのそれに似ていて「優しく接すること」が

幼児言葉であるという習慣のようなものはわたしたちの暮らしの中のいろいろな場面にある

ひととして親切であることと相手に対する想像力を働かせることと幼児に向けてのような言

葉を使うことはまったく別なことなのだが

 

悪意不在であるがゆえにかえって問題提起しにくいテーマを江川さんは見事に拓いてくだ

さっている

 

辻本桃佳さんの作品目の不自由なお父様がある日電車の中で出会ったことを通して「個

人的な体験」を普遍的なテーマに広げ深めることに成功した作品だ

 

人種と「見た目」の違いをテーマにしたローリンズ

リコさんの作品水俣という愛する郷里

の酸鼻な歴史とそこから生まれた差別と偏見について丁寧に描いた井上由紀子さん事情があっ

て家族とは離れて暮らす大田葵さんが今考える拓かれた『家族』とはかつて偶然に出会っ

たひとたちが偶然を必然に変えて

4

4

4

4

4

4

4

4

4

新しい結縁の家族を作っていく小説を書いたわたしには特

に心に響く作品だった

 

文字数の関係ですべてに触れることはできないが心に響く作品たちを読んでいる間はささ

入賞作文集 8

審査講評

やかながら人権の活動をしてきた「かつての中学生のひとり」としてとても充たされた思いの

中にいた

 

ありがとうと心から「あなた」にお伝えしたい

 

そして若い季節に人権を自分に引き寄せこうして作品にまとめあげた体験は「あなた」に

準備されているたくさんの明日に光をもたらしてくれるはずhelliphellipと書いてふっと思う自分の

暮らしの核に人権を置くことは素晴らしいことであると同時にある意味ストレスを抱え込

むことでもあるのではないかとそれは気づいてしまうストレスでもある社会にはまだま

だ差別がある人権についてセンシティヴであればあるほどそれに気づき失望し傷つくこ

とも少なからずあるはずだ

 

それでもとわたしは「あなた」にお伝えしたい気づかない人生よりも気づく人生そし

て気づいたことを少しでも「拓いていく」人生のほうが容易ではないがはるかに充実してい

るはずだと

 

オーディオセットから大好きなクリスウィリアムソンとメグクリスチャンの曲が流れて

いるhelliphelliphellipわたしたちは新しい時代を作るため新しいページを開くために時代のステージ

にいま登ったところだとふたりとも歌を通してアメリカで人権の活動をしてい

るアーティストである海のこっち側のわたしたちもいま新しい時代のページを

開く時そのステージの上にいる

9 第30回全国中学生人権作文コンテスト

審査講評

内閣総理大臣賞

 

私が入院した時眼科や外科内科などいろいろな病状の患者さんと知り合いになった仕事

で足を骨折した人胃を悪くして入院した人目の手術を受けた人など年齢や性別職業も様々

でふだんあまり接することのない人たちと話す機会に恵まれた病気やケガの苦労話はもちろ

んのこと世代の違う人たちの話はとてもおもしろかった「人権」について考える時その中

の一人の患者さんのことが頭に浮かんだ

 

人権侵害とは障害者やお年寄りなど立場の弱い人たちに対する差別や悪意のある偏見か

らくるものだとばかり思っていたところがたとえ善意であっても思わぬところから人権の侵

害になっていることがあるのだと考えさせられたのであった

 

目の手術を受けたその人は母と同年代ぐらいの女の人だった目が不自由なことで周りの

江え

川がわ

 麻ま

理り

香か

佐賀県佐賀市立東与賀中学校 三年

「身近で無意識な人権侵害」

入賞作文集 10

入賞作文

人たちがとてもよくしてくれるのはいいがそのために困ったり悲しい思いをすることもあると

いうのだった私はこれまで人に優しく親切にすることはいわば常識であり当然のことだ

と思っていただけに大きなショックを受けた困った時に手を貸してくれるというのに悲しい

思いをするとはどういうことなのだろう私たちが親切のつもりでやっていることが迷惑になっ

ているというのだろうかお年寄りや障害者をいたわるのは当たり前でありそれは感謝される

ことはあっても迷惑に思うなどとは筋違いではないだろうかところがその人の立場から見

れば好意のつもりでもまるで小さな子どものように扱われたりこれは危険だからと勝手に

予測されて遠ざけられてしまったりと自分の意思とは関係なく何でも先回りされてしまうのが

悲しいのだそうだ目は悪くとも自分は子どもではないしできなくはないことにまで行き

過ぎた親切にひどく心を傷つけられるのだというまた相手がよかれと思ってくれていること

だけにそれを断ろうものならあからさまにいやな顔をされたり急に態度を変えられることも

あったりでかえって気を遣うのだそうだ

 

私ははっとした今まで手を貸す側から見ることはあっても逆の立場から考えたことはな

かったので大きな衝撃を受けたいつの間にか相手より自分を少し高い所に置いて見ていない

だろうか無意識のうちに相手のことを保護すべき弱者だとして見ていないだろう

か私は今中学生だがそれ以下の子ども扱いされると腹が立ついちいち細かい

ことまで制限されたり禁止されたりすれば確かにいい気持ちはしない同じよう

に障害者や老人に対して危険だ何だのとその人ができることまでをも禁止し

11 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

まだこぼしてもいない湯のみを取り上げるようなことをしてはいないだろうか

 

確かに弱者をいたわり手助けすることは人として当然であり必要なことで

あるしかし相手の気持ちや状況を考えずただ一方的に押しつけるだけの親切

はただの自己満足でしかない見えない人には見えない人なりのやり方や考え方が

あるのにそこに寄り添うための理解がないとしたらそれは人権を侵害しているといえないだ

ろうか

 

人は皆平等であるけれど環境や年齢身体能力などは同じではないだからこそ人とし

ての尊敬の念や思いやりいたわりの心を持って接することが大切なのだと思う

 

しばらく前の人権侵害とは人を自分より見下したりおとしめることで優越感を持つための

ものだったように思うそして今生活や文化が豊かになった現代では行き過ぎた親切やいた

わりが人の心を傷つけそれが新たな種類の人権侵害の一つになっていることもあるのだ「善意

イコール感謝されるべきもの」という考え方が全てに当てはまるとは限らないまた当ては

めようとしてはならないその人にとっての「いちばん」は何かひとりひとりを尊重するため

には本当に助けが必要かどうか出すぎたことをしていないかを見極めることも大切なのだと

思う

 「人権」について考えることそれはとても難しいことのように思えるが意外と簡単なこと

ではないだろうか同じ人間同士が並んで歩くための人と人との間の権利私たちが無意識のう

ちに作り出している優劣の壁を取り払うこと自分の価値観を人に押しつけないこと自分も相

入賞作文集 12

入賞作文

手も同じひとりの人間なのだとその

人の心に寄り添い理解し合う努力こ

そ人権を守る大きな力になると思う

13 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

 

十五年前父が篠山の町中を歩いているとこう言われた「そんな棒きれ振り回さんといて」

と父は決して棒きれを振り回していた訳ではないただ白杖を持って歩いていただけだそ

の話を聞いて私は驚いたたった十五年前のことだけど信じられない気持ちでいっぱいになっ

ただが十五年経った今ではそんなことはないだろうマスメディアが発達しいろんなハン

ディを持った人のことが紹介されたり障がい者の方自身が社会参加する機会が増えたからだと

 

そしてこんな話も聞いたことがある電車に乗った時に時間が知りたくて携帯電話を開い

たときのことだ「こんなとこで電話したらアカンやろ」と中年のおばさんに怒鳴られたそうだ

優先座席の近くだったということもあるが『目の不自由な人=白杖を持っている』という認識

は広まってきているが時間を知りたいときには音声が出る時計や携帯電話を使うということは

法務大臣賞

辻つじ

本もと

 桃もも

佳か

兵庫県篠山市立西紀中学校 三年

少しずつhellip一歩ずつhellip

入賞作文集 14

入賞作文

ほとんど知られていないのだそのとき父は説明しようと思ったがどうせ分かってもらえな

いと思い「すみません」と謝りとても悲しい気持ちになったそうだ見えている人は時間

が知りたければ時計を見ればすぐに分かるだが目が不自由だと音で聞くしかないのだ私は

障がい者が暮らしやすいような機器が発達してきていることをもっと社会に広めていくことが

必要だと思うそうすることで協力してくれる人や理解してくれる人が増えていくのではな

いだろうか

 

視覚障がい者の方が日常生活を送る上で給付や貸与される機器がある音声で教えてくれる

時計や体重計文章読み上げ器などがそれだこれらは以前県の基準で市が実施要綱を定めて

そこが窓口となって行われていたが法改正により各市区町村対応となったしかしこの日

常生活用具の中に健常な家族と同居している視覚障がい者には給付してもらえない物もあるの

だそれは体温計や体重計であったりするこの体温計がなければ家族が出かけている間に

体調が悪くなっても計測することはできないのだ

 

父の知り合いに赤ちゃんを連れた全盲のお母さんがいる体温を計るのに複数の体温計で赤

ちゃんの体温を計りその体温計に印をつけて病院まで持っていって見てもらったり家族が帰っ

てくるのを待って見てもらうことがあるそうだ私たちは簡単に体温を計ること

ができるが見えない人たちはそれができないために生命の危険にさらされてしま

うことがあるのだせっかく便利な機器が発明されても値段が高くて簡単に購

入できないもしくは制度のカベによってそのサービスが受けられないことがあ

15 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

るしかし私の住む篠山市では父たちの声が福祉課の方々に届き日本で初めて

音声式体温計が同居家族の有無にかかわらず給付されるようになったのである

 

今は携帯電話が音声で読み上げてくれてメールや時間GPSなどの便利な

機能を視覚障がい者の方も利用できるようになっただがそのことを知っている

健常者の方は全国にどれくらいいるだろうかまたこのことを知っている当事者である視覚障

がい者の方が全国にどのくらいいるだろうか私はまだ知らない人が多いと思う

 

ここ十五年程で視覚障がい者の人は白杖をついているということはほぼ知られてきたが生

活を助ける機器が発達してきているということは知らない人も多いだろうそれが「あの人は

目が動いているから見えている」とか「あの人はずっと目をつぶっているから見えていない」

「物を避けているから見えている」「物にぶつかっているから見えていない」という勝手な

思い込みで障がいの重さをはかることにつながっているのではないだろうかでもそれは間違っ

ている目を閉じれば視覚障がい者の疑似体験はできるでもそれはあくまでも体験であって

個人個人の見え方はそれぞれ違うし外見や行動で障がいの重度を判断するのは良くないと私は

思う同じような見え方ができたとしても全く同じ動きなんてできる訳ないのだから毎日父

と生活していてもどのくらい見えているのか私にもはっきり分からないなにげに父たちがこな

している日常の動作であっても私たち健常者にははかりしれない恐怖と不安努力があるの

だ誰でも目をつぶれば見えない世界を体験した気になる松葉杖をつけばその体験をした気

になる車イスに乗ればその体験をした気になるだが本当の障がい者の苦悩と努力の一部

入賞作文集 16

入賞作文

しか体験していないことを知ってお

いてほしい私たちには当たり前に

できるようなことがあってもどん

なに望んでもできない人たちがいる

ということとみんなの正しい理解と

知識が障がい者の明るい未来へとつ

ながっていくということを知ってほ

しいそしてこのことを広めていか

なければならない

 「少しずつhellip一歩ずつhellip」

17 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

 「Pick your 

head up」

 

これは父がいつも私にかけてくれる魔法の言葉です

 「顔をあげなさい下を向かない」という意味です

 

私の父は生まれも育ちもニューヨークのアメリカ人です女の子は父親に似るとよく言われ

ますが私もそうで日本人の母親よりも父の方に髪質も肌の色も本当によく似ています子供

が親に似ることはあたりまえのことですが私はそのためにいやな思い悲しい思いをいくどと

なくしてきました

 

初めて自分がみんなとちがうんだなと思ったのは幼稚園に入学してまもなくのことでした同

じ組の女の子たちが何人かして楽しそうに遊んでいたので

ローリンズ リコ

福島県福島市立渡利中学校 一年

「差別のない世界へ」

文部科学大臣奨励賞

入賞作文集 18

入賞作文

 「まぜて」

と声をかけると一人の子が言いました

 「このグループは日本人で髪がまっすぐな人しか入れないのリコちゃんは髪がチリチリだし

ハーフだからダメ」と

 

私はとても悲しくなりましたそしてそれは卒園するまで続きました

 

小学校は人数も少なかったせいかみんなとても仲良くて私の外見のことを言う人はだれ一

人いませんでしたまるで兄弟のようにみんな自然に接してくれましたでも習い事やいろい

ろな大会など他校の子たちといっしょになる場面ではやはり髪の毛や肌のことをからかわれ

ることはよくあることでした私には二学年上の兄がいますが兄もやはり父の方に似ています

おだやかな性格の兄は私以上につらい思いをしてきたと思います

 

父は兄や私の話を聞くたびに

 「Pick your 

head up」

と言いましたそして

 「自分に自信とほこりをもちなさいあなたたちは二つの文化を受けついでそれはとてもす

ばらしいことなんだよ」

といつも話してくれました

 

中学に入って間もないころでしたある男の子がいきなり私に向かって言いまし

19 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

 「おまえ風呂に入っているのか黒いぞ外国人はくさいからな」

 

私はとてもはずかしくなりましたそしていかりや悲しみがこみあげてきました

まわりにいた友達は彼の言葉に苦笑いをしていました私はいかりのあまり彼をな

ぐりたくなりましたその時私は父のあの言葉を思い出しました私は顔を上げ

相手の目を見て静かに自分の傷ついた気持ちを伝えました

 

彼は私に向かってこう言いました

 「ごめんわるかった」

 

彼は人を傷つけるということが彼の想像以上に重くそしてひどいことだと少し気付いたよう

でした

 

差別やいじめというのは私たちのまわりでは小さなことから大きなことまで本当によくあり

ますそして差別やいじめをしている側からすればそれをじょう談だという人も多いのです

まわりの人たちもやはりじょう談や遊びの中でのことにとらえてしまう人たちもとても多いので

すだから小学校の時から私たちは道徳などでいじめや人権などについて学んでいてもなかな

かそれがなくならないのだと思いますでも実際に差別やいじめをされている方はみんなの想

像よりはるかに傷ついているということつらいということそして悲しいということを私はこ

の人権作文を通してたくさんの人に知ってほしいのですけがをすれば日がたつごとにそのけ

がは治っていくでしょうまわりからも治っていく様子が見てわかるでしょうでも心に受けた

傷は本人にしかわからないのですその傷がどんなに深くて痛いものか本人にしかわからないの

入賞作文集 20

入賞作文

です

 

肌の色が違っていてもかみの毛が

違っていても私たちはみんな同じ人間

です心を持った人間です相手の気

持ちを思いやり相手の立場になって

考えればいじめや差別はなくなると

思います今も世界のいたるところで

人種差別が問題となり争いが起きてい

ます私は世界から差別やいじめがな

くなるように強い心を持ってまずは

自分から立ち向かっていきたいです

21 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

 

あなたには大好きなふる里がありますか私には緑の木々と青い海に囲まれた自然豊かな

大好きなふる里があります私のふる里は過去に公害という大きな被害をうけた水俣ですそ

の水俣病で患者はもちろんそうでない人も長い間差別をうけてきました

 

父が幼い頃まだ水俣病の原因が究明されておらず水俣病はうつると言われていました列

車が水俣の駅につくと窓をしめ手で口をおおった人もいました修学旅行に行くと同じ宿

舎になった学校から苦情を言われたこともありました水俣出身ということで結婚を断られた人

や就職試験をうけることさえできなかった人もいました水俣に住んでいることをかくして隠

れるようにひっそり暮らしていた人もいましたまた同じ水俣に住む人でさえ奇病と呼び距

離をおきましたそのことでたくさんの人々が傷つきあってきたのですいろいろな立場の人々

井いの

上うえ

 由ゆ

紀き

子こ

熊本県熊本県立八代中学校 一年

私の大好きなふる里

法務副大臣賞

入賞作文集 22

入賞作文

がせまい土地に住んでいるのですから仕方がなかったのかもしれません

 

しかし今では原因も究明され海の安全も確認されたことでそのようなことはほとんどな

くなりました私たちは過去のことを忘れるくらい楽しくすごしています

 

私は今八代の中学校に通っています私は自分が水俣出身ということを隠すこともありませ

ん友だちもまたそのことを知っていますがからかったりいじめたりする人は誰一人いません

 

しかし先日水俣の中学校のサッカー部が練習試合中に相手チームの選手から

「さわるな水俣病がうつる」

と言われたという記事が新聞にのっていました今でもこういう風に思っている人がいるのか

と思うと残念で仕方ありません何気なく言った一言だったのかもしれませんがその一言は

私たち水俣に住む者にとって非常に悔しく悲しいものでした

 

小学校の総合的な学習の時間で水俣病について学習しました原因となった会社を訪問したり

患者の方から当時の話をきいたり交流も行いましたそんな中で苦労されたり何も言えずに

黙って亡くなった人のことを知り水俣に住んでいながら何も知らなかったことをはずかしく思

いました水俣病についてしっかり学び正しい知識を得ることが差別や偏見をなくすのだと気

付きました

 

中学校の道徳の時間ではハンセン病について学習しましたこれも水俣病同様

正しい知識がなかったためにおきた悲しく悔しい悲劇でした

 

私たちが差別や偏見をなくすためにできることそれはその人その出来事に

23 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

ついてしっかり知ること知ろうと努力すること正しい知識を深めるために学習

することではないかと思いますそうすれば水俣病やハンセン病のようにむや

みに人と人とが傷つけあったり憎しみあったりすることはなくなるのではないで

しょうか

 

先日テレビで水俣のダイバーが紹介されましたその人は本当はほこりたい水俣を心の中

にじっとしまいこみ誰にも言えず何年もの間生きてきた人でしたしかし水俣の地にも

どり自分はこのすばらしい美しいふる里を紹介したいと海にもぐり写真をとり続けておら

れるそうです心に差別という深い傷を負いながら水俣の再生を皆に知らせたいと頑張る人

がいることに感動しました

 

今水俣はごみの分別リサイクル事業など市民全員で環境にやさしい町づくりをすすめてい

ます私は差別や偏見から立ちなおり再生しようと環境問題に一生懸命とりくんでいるふる

里水俣をほこりに思っています

 

水俣では運動会等多くの行事で「水俣ハイヤ節」というものが踊られますこれは水俣病

の患者の方が水俣の青い海と豊漁を願って振りつけをされた踊りだそうです私たちと同じ思い

をする人が二度とでないことを祈りながら私たちは毎年皆でこの踊りを踊ります

 

水俣の悲しい過去を変えることはできませんが私はあやまちを二度とくりかえさないため

にこの美しい自然を守り真実を語り継いでいきたいですそして差別や偏見のない社会に

なるよう自分から努力していきたいと思います

入賞作文集 24

入賞作文

25 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

 

みなさんは「本当の『平和』とは」と質問されたら何と答えますか「戦争や紛争などが

ないこと」ですかそれとも「自分自身の幸せのこと」ですか一人ひとりの抱く「平和」のイ

メージは違うことでしょう

 

僕の思う本当の「平和」それは「家族」がいて「家庭」があることだと思いますなぜそう

思うかというと今僕は訳あって家族とは離ればなれに暮らしているからです一歳前後には既

に家族とは離れ施設にいました母親や姉兄の存在はわかっていますが一緒に過ごした時

間は限られたもので今でもほとんど交流はありませんそのせいか僕はいつも「家族」や「家

庭」というものに強い憧れを抱いています

 

自分がまだ幼い頃は自分と同じくらいの子が母親と手をつないでいる姿がとてもうらやまし

大おお

田た

 葵あおい

栃木県さくら市立喜連川中学校 三年

「家族」とは何か

法務大臣政務官賞

入賞作文集 26

入賞作文

「どうして自分には母親がいないんだろう」と思っていました仕舞いには自らの母親を恨ん

でしまったのです小学生になってもその気持ちは変わらず母親への恨みは増すばかりでした

 

しかし小学五年生の夏思いもよらぬ出来事が起きましたそれは引っ越しがあったこと

ですそこで僕は新しい土地そして新しい里親という人たちに出会いました里親の人たち

と暮らした数年間僕は幸せでしたそこで僕は僕の周りにはいつも支えてくれる人たちがい

ることに気づきました血のつながりがなくても僕に自分の子どものように接し育ててくれ

た里親の人たち養護施設の先生方などたくさんの方たちに僕は見守られて成長してきたこと

に気づいたのです僕を支えてくれる人すべてに感謝の気持ちがわき出てきましたそれ以来

僕は親という存在にこだわらなくなりましたそれどころか自分に命を与えてくれた親に感謝

の思いを抱くようになったのです

 

この夏母親の育児放棄が原因で二人の乳幼児が衰弱死するという悲しい事件がありました

二人の子どもにろくに食事も与えず風呂も入れなかったそうですさらに逮捕後その母親は

「家に帰ってあげなかったことを今も後悔している子どもは私を恨んでいると思う」

という言ってはならない発言をしました僕は怒る前に亡くなった二人の子ども

たちがかわいそうでなりませんでした

 

と同時に僕はこの母親はどうしてこのようなことをしてしまったのだろうと

すごく考えさせられました僕は本来親は子どもを殺すのではなく守るために

27 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

いるのだと考えますたとえ小さな子どもでも立派な一人の人間ですその命を

守り育てていくことが親として大切な役目だと思うのですこの母親はどこで

勘違いしたかは知りませんが親としての自分の責任を理解していなかったのでは

ないでしょうか

 

そしてその勘違いを誰も母親に気づかせてあげられなかった事実母親が一緒に遊び歩いて

いた友人はもちろん母親の家族が少しでも助けることができていたら母親の行動を戒めるこ

とができていたら連絡を受けた児童相談所がもう少し踏み込んだ行動が取れていたらこのよ

うな悲しい結末にはならずに済んだのではないでしょうかやりきれない思いばかりがこみあげ

てきます

 

もう一つこの母親は大きな勘違いをしていますそれは「子どもは私を恨んでいると思う」

という言葉です僕はこの子どもたちが母親を恨んでいるとは思えません子どもたちは母

親が帰宅するといつもハイタッチをして喜んで迎えたそうです子どもたちは母親のことが大

好きだったのでしょうたとえ自分たちを見放した母親でも恨んでいるとは決して思えないの

です

 

子どもは心の底から自分の母親のことを恨めないと僕は思いますこの世に生を受け笑った

り怒ったり泣いたりと毎日いろいろな経験ができるのは自分を生んでくれた母親という存在

があったからです正直僕も小さい頃は母を恨んだことがありました愛情の裏返しというよ

うに母親への思いが憎しみに変化してしまったのですでも心の底には母への恨みとは全く

入賞作文集 28

入賞作文

正反対の気持ちが存在し続けていましただ

からこそこの子どもたちがどんな思いで死

んでいったのかわかるような気がします母

親を信じひたすら母親の帰りをまちわびて

いた思いが

 

僕にとっての「家族」それは同じ屋根の

下で暮らす人々のことですたとえ血はつな

がっていなくても僕を支え励ましてくれる

人たちそのすべての人が僕にとっての大切

な「家族」なのです今僕の暮らす養護施設

にはいろいろな事情を抱えた二歳位から高

校生までの子どもたちや職員の方が約六十人

います今の僕には全員大切な「家族」で

す僕はこれからもこの「家族」を大切に

一日一日精一杯平和に生きていきたいです

29 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

 

授業でハンセン病について学んだ日両親と「偏見」や「差別」について口角泡を飛ばす議論

を深夜まで繰り広げた身体障害者の父と看護師の母を持つ私は幼い頃から「命の大切さ」を

訴える両親の姿を見て育って来たそんな私は真摯な気持ちからハンセン病罹患者と向き合い

たいと思いこの夏草津にある療養施設栗生楽泉園を訪れた

 

草津までの道のり私は罹患者の気持ちを絶えず考えていたハンセン病について調べると「ら

い予防法」により罹患者は隔離され人権を無視された扱いを受けたことが分かった罹患者の

言葉が書かれた本ではどんなに過酷な仕打ちを受けたか他人をどれほど恨み憎んでいるか

が書かれていたその為私は無意識の内に「罹患者は全員恨みを抱いている」と勝手に思い込

んでいたしかしこんな思い込み自体が偏見や差別を生む原因になるということを後に思い知

大おお

井い

 海み

琴こと

群馬県群馬大学教育学部附属中学校 三年

忘れてはならないこと

全国人権擁護委員連合会長賞

入賞作文集 30

入賞作文

らされることになるのである

 

私を迎えてくれたのは入園者自治会長の藤田三四郎さん藤田さんは大変お元気でその容姿

からはハンセン病を伺い知ることはできなかったしかし藤田さんは紛れもない罹患者なのだ

その証拠に藤田さんの名は本名ではない罹患者は施設に入所するにあたり偽名を使用させら

れたと言うつまりその時点で罹患者は世間から存在を消されてしまうのであるそんな藤田

さんから語られた話はハンセン病だと宣告され三度も命を絶とうとしたこと重症患者の看

護を押しつけられ数え切れない人を看取り自らの手で葬ったこと家族が受けた迫害や侮辱的

な言葉など想像を絶するもので筆舌し難いものだったしかしこんな迫害と差別は同時にハ

ンセン病患者達の人権回復闘争の歴史でもあったのだ闘争の末「らい予防法」が廃止される

と今まで差別や人権侵害を繰り返していた多くの人が掌を返す様に態度を変えたと言う私は聞

いていて怒りを覚えたが不思議なことに耳を塞ぎたくなる様な内容を語る藤田さんからは全

く怒りや恨みが感じられないのだ私は話を聞くまで自分の運命を呪い周囲への恨みつらみ

の言葉が出てくるとばかり思っていたしかし出てきた言葉は「入園出来て良かった差別は

受けたが今では恨みを抱く罹患者も少なくなったそればかりか最近はたくさんの人が我々を

理解し協力してくれるので嬉しい何故なら一人の百歩は力が無いが百人の一歩

は力になるから」と言う感謝の言葉だったのだ本当に「恨みは無いのか」と何度

聞いても答えは同じだった私は恥ずかしくなったハンセン病について調べ罹

患者の心を理解したようなつもりでいながら実は何も理解できてなくてそれば

31 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

かりか罹患者を偏見の眼で見ていたのは私自身だったのだ私は話を聞いてとめ

どなく溢れ出る涙を拭いながら心の片隅に潜んでいた「偏見と言う名の種」が身

体から洗い流されていくのを感じていたそれは同時に「思い込みや無知が偏見

や差別を生みだす」ことを強く感じた瞬間でもあったそれだけに藤田さんの「自

分と同様に他人を愛すればいつか必ず世界から差別はなくなる他人を愛して下さい」の慈愛に

満ちた言葉が一層重く腑に落ちるのだった

 

帰りがけ千五百ページにも及ぶ「入所者証言集」を手渡されたその際私は見えない襷も

手渡された気がしたその襷とは証言集に記された罹患者の「事実を風化させないで私達の事

を忘れないで」という搾り出すような叫び声とその姿だったのである

 

ハンセン病が治る病気であるのに誤った知識から悲惨な人権侵害が長期に渡り続いた同じ間

違いを繰り返さないためにも事実を語りついで行く必要があるここ楽泉園でも高齢化が進み

証言者の数が減っているこれは全国一五全てのハンセン病療養所に共通することだハンセン

病問題は罹患者がいなくなればそれで終わると言う問題ではない今後人権問題を考える際重

要な指針になりうる事実なのだそしてこの事実の風化を防ぐことが私達若い世代の役目だと

私は思う

 

私は小六の時友人達から突然イジメを受けたそれを引きずり他人を恐れ憎み自分を

嫌って生きて来たしかし罹患者の声が私に生きる力と前を向いて歩む勇気を与えてくれた

楽泉園訪問は私に人生観が変わる程の衝撃を与えてくれたのだこんな私だが罹患者の声を伝

入賞作文集 32

入賞作文

える「百人の中の一人」にはなれるはず

だそのために私は今この作文を書い

ている文字は時を越えて生き続けるか

ら私はこれからも楽泉園訪問を続ける

つもりだ実際に中学生の私が出来るこ

とには限りがあるが差別や偏見を少し

でも減らすために一歩を踏み出すつもり

でいる「自分と同様に他人を愛すれば

いつか差別は無くなる」と言う藤田さ

んの言葉を胸に

33 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

 

森に囲まれたその一画には教会や寺院神社があり小さなショッピングセンターやレスト

ランもある床屋や図書館郵便局や浴場もあるしかしそれらの施設を利用するのはその一

画に住む人たちだけだ緑の外側に住む人が利用することはないそこはハンセン病の療養所

多磨全生園である

 

僕は七年前に清瀬市に引っ越してきた夏のある日昆虫が大好きな僕は何気なくその森の

中に入って行ったそして歩き回っているうちにその場所が一つの「町」であることに気付

いた

 

毎日セミやカマキリやナナフシを探しながらどうしてこんな所があるのだろうと思った

 

僕が一番不思議に思ったのは古い木造の小学校だいつも誰もいない校舎と小さな運動場近

久く

米め

 一かず

輝き

埼玉県学校法人立教学院立教新座中学校 一年

ハンセン病について考えたこと

社団法人日本新聞協会会長賞

入賞作文集 34

入賞作文

くに小学校があるのにどうしてこんな所に小学校があるのだろう小学一年生の僕はとても不思

議に思った

 

夏に地域交流を目的とした盆踊りと花火大会が行われるいつもは人のいない小学校跡は多く

の人であふれかえり普段は見かけない重い後遺症の老人たちもこの日は外に出て盆踊りを楽し

む初めて参加したときは言葉が出なかった正直「怖い」と思った

 

夏が来るたびに僕は盆踊り大会に参加した低学年から高学年へと進むにつれて少しずつハ

ンセン病のことが分かってきた

 

六年生のときに社会科見学で全生園の元患者を訪れることになっただが僕は都合で参加で

きなかった僕はそれをずっと悔やんでいる

 

今年の夏僕はハンセン病資料館に出かけた見学者は僕一人でとても緊張したなるべく

音を立てないようにパネルを見て回った

 

強制隔離の現実にとても驚いた狭い部屋に押し込められ症状の軽い患者が重症の患者の世

話をしたという子供を持つ権利や生まれる赤ん坊の命まで奪われていた逃げ出したり反抗的

な患者は「不良患者」と呼ばれ窓の小さな暗い監房に閉じ込められた

 

医学が進歩し療養所も徐々に改善されていったが強制隔離を命じる「らい予防

法」が廃止されたのは一九九六年だという隔離が始まった一九〇八年から約九〇

年も経っていた僕が生まれるほんの一年前のことである特効薬が開発され本

格的な治療が始まったのは昭和二十二年である現実に合わない法律を廃止するの

35 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

にどうしてそんなに時間がかかったのだろうか

 

資料をもらってハンセン病資料館を後にした家を出るときは帰りに虫の観察

をするつもりだったがとてもそんな気にはなれなかったいつもセミが集まる桜

の木には目もくれずに早足で家に帰った

 

資料の中で一番心が痛んだのは療養所の子供たちのことだ療養所に入所したのはハンセン

病を発症した子どもたちだけではない親が発症したために入所する子どもたちもいた当時は

ハンセン病は遺伝病だとされていたからだ親から無理やり引き離された子どもたちは「すぐに

帰れるから」という言葉を信じていたというしかし一生療養所を出ることができなかった人が

多かったという社会的な差別がひどかったからだと資料に書かれていたが僕には実感がわか

なかったのでもう少し調べてみることにした

 

図書館で『ハンセン病を生きて』(伊波敏男著)という本を見つけた少し難しかったが差

別の現実が僕にもわかる部分があったそれは元患者たちに対して書かれた匿名のひどい手紙

である長年隔離されて苦しんできた人たちをさらに傷つける言葉が並んでいた悲しく暗い

気持ちになった

 

日本は経済大国として世界の注目を浴びているだが人権意識の面ではどうだろう「らい

予防法」を二〇世紀の末まで廃止できなかったことをどう考えたらよいのだろうか明治時代に

隔離が始まったときそれは外国に対する体面を保つためだったという病気の人を治療するの

ではなく「隠す」のが目的だったのだいまだに差別意識を持つ人がいるのは社会がそうした

入賞作文集 36

入賞作文

過去に対する反省をしていないから

だと思う

 

僕が不思議に思った小学校はすで

に取り壊されて今では小さな石碑

だけが残っている老朽化がひどく

残しておくことができなくなったか

らだという全生園の古い建物はど

んどん取り壊されていく石碑だけ

ではあの不思議さが伝わらないのが

とても残念だ

37 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

 

僕の曾祖父は医者嫌いでしたそのため腹痛で病院に運ばれた時は膵臓癌の末期で余命三ヶ

月でした手術もできない手遅れの状態でした家族皆で話し合い曾祖父の辛い気持ちを第一に

考え曾祖父に病を隠すことになりました曾祖父は次第に病院の中を歩いては転倒し体中あ

ざだらけになりベッドの上で縛られることになっていました曾祖父は病名の宣告を受けてい

ないため元気で歩けると思っているが実際歩くと転んでしまう何でこんな風になってしまっ

たのかさえわからない

 

家族と病院に行くと「包丁もてこいこれぶった切って家さ帰る」と騒いでいましたあん

なに優しかった曾祖父の姿に言葉も出ず恐いくらいでした何も知らされずベッドに縛り付

けられれば誰もがそうなることでしょう「じいちゃんどご一緒に車さのせでいてくれの」と

櫻さくらだ田

 要かな

太た

山形県酒田市立松山中学校 三年

日本放送協会会長賞

悔いのない最期を

入賞作文集 38

入賞作文

せがまれたときもありますかわいそうで涙がポロポロこぼれました「おじいちゃんどご家

さ連れで帰ろうよ」とせがんでも家族も仕事で忙しいためか誰も首を縦に振ってくれず病院

にいた方が安心ということになりました膵臓癌は予想以上に激しい痛みのため医師から強い

痛み止めと強い睡眠剤を勧められましたがそれを導入することにより安楽死に近い状況にな

ることも医師から告げられていました家族は決断をせまられました曾祖父に相談もせずに決

めていいことなのか家に帰りたい曾祖父の意志は封じ込められたままでいいのか家族で悩み

ました結局痛みに耐えている姿は見ていられなくその薬を使うことになりましたその後

曾祖父は次第に弱っていき口も利けなくなり静かに亡くなっていきました僕はどこか心を

引きずったままでした僕達家族が曾祖父に宣告もせず意見も聞かず命の長さを決めてしまっ

たこと当時幼かった僕には何もしてあげられなかったことが今思い出しても残念です

 

最近授業で人権について学習しているときに幼い頃の記憶がよみがえりふと曾祖父のこと

を思い出しました

 

曾祖父はどんな思いで亡くなったのだろう最後に意識のあるうちに一度でいいから家に帰っ

てきたかっただろう身体拘束は今は病院でも禁止されていると思いますがあの頃は確かに曾

祖父のおなかに黒いベルトのようなものが巻きついていました決して自分の力で

は外せないようなものでしたもがき苦しむ曾祖父の姿を見た時に看護師さんに

目を隠され別の部屋に連れて行かれました見せたくない光景だったのだと思いま

すでもあの姿は僕の脳裏に焼き付いています病院の中での人材不足のためだっ

39 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

たのでしょうか人が人らしく生きていない姿でした

 

七十八年生きてきて何も悪いことをしていないのに縛られ家にも帰れない

病気で余命幾ばくもない人には人権というものは存在しないのでしょうか最近の

医療の現場では自己決定権があることについて学びました

 

仏壇に向かい静かに目を閉じると優しく穏やかに微笑む曾祖父の笑顔が浮かびますどんな

気持ちで亡くなっていったのかその気持ちを考えると苦しい気持ちになります野球の大会に

行く前仏壇に手を合わせます「やればできる努力しろ」とよく励ましてくれました曾祖

父の力には何もなれなかったけれど目には見えない力で応援してくれる曾祖父に線香をあげて

自分を省みる時があります曾祖母が元気なので曾祖父を助けられなかった分曾祖母の力に

なっていくことを曾祖父に約束しています

 

夏休み中のニュースで高齢者の所在不明者が多数のため百歳以上の安否確認調査をしていま

した自分の親を平気で捨て遺骨さえもひきとらない亡くなっていたのに年金を不正受給する

ために隠していたなど耳をふさぎたくなるような事件もありました犬や猫が年をとって弱っ

てきた手がかかるから面倒だからと捨ててしまうそれと同じ現象が弱い高齢者にも及んでき

ているのだと思います

 

やはりこの世に生まれてきたもの全てに自分の意志で生きることを決めていける権利がある

と思います長い年月を苦労や努力と向き合いながら精一杯生きてくれたおかげで今の幸せが

あることを忘れずにいたい人はいずれ誰でも年をとります自由に動けなくなった時に自分の

入賞作文集 40

入賞作文

願いが叶う社会を築き「悔いなく満足で楽しく幸せな人生だった」と思えるように人とし

ての誇りを持って満足できる最期を迎えられるように考えていきたいもう二度と僕が見た自

己決定権のない社会にならないように高齢者には今までの感謝の気持ちで本人の希望をでき

るだけ叶えられるように努力していきたいいずれ僕達も迎える高齢社会だからhellip

41 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

 

私は小学六年生の時から盲導犬候補の子犬を育てるボランティアをしています「犬を飼っ

てみたい」と言う私に両親が「せっかく犬を飼うのなら社会に役立つことをしよう」と提案

したからです生後二ヵ月の子犬を預かり一歳の誕生日を迎えるまで世話をするのがボランティ

アの役目です初めて訓練士さんから子犬を手渡された時は不安でドキドキしましたが子犬は

すぐに私の腕の中で眠ってしまいました初めて会った私のことを信頼して安心しきった寝顔

で眠っている姿は本当に可愛かったですラブラドールの子犬はとてもやんちゃで私の家にやっ

て来たその日からいたずらばかりしていましたがしかられてもクヨクヨせずどんな相手にも

 林はやし

 里り

咲さ

東京都小平市立小平第六中学校 三年

差別のない社会に

(パピーウォーカーの経験から学んだこと)

法務事務次官賞

入賞作文集 42

入賞作文

フレンドリーに近づいていく姿から私は明るく前向きに生きることを教わりました子犬たち

と過ごした日々は私にとって一番の宝物ですそしてあっという間に一歳の誕生日がやって来ま

した誕生日が悲しいという経験は初めてでした訓練所への入所日の前日には長い長い散歩を

して最後のお別れをしました「今までありがとう」そう言った私のことを不思議そうに見てい

た子犬の顔が今も目に焼きついています別れは本当につらいけれど涙を見せたら子犬が心配す

るので頑張って笑顔で見送りました

 

私の家で育てた一頭目の子犬は現在盲導犬になって頑張っていますそして今年四月に巣立っ

ていった二頭目の子犬は神奈川にある訓練センターで訓練中です

 

このボランティアを通して私は多くのことを学びましたまず盲導犬の役割ですがこれは単

に目の不自由な方が便利に一人でどこへでも行けるようにするためだけではありません視覚障

がいのある方にとって人の手をわずらわせるのはとてもつらいことなのだそうですたとえ家

族に対してでも「迷惑をかけるのではないか」と思って我慢することが多く「私なんかいない

方がいいんじゃないか」と考えてしまうこともあったといいますその失われそうになった尊

厳を取り戻す手助けをするのが盲導犬の役目なのです犬は訓練を共にするパートナーのことを

大好きになるので「自分は他者からこんなにも大好きになってもらえる存在なん

だ」と気づいて自信を取り戻し新しい一歩を踏み出せるようになるのだそうです

 

また私がボランティア登録している日本盲導犬協会では二〇〇八年に新しい

試みが始まりました受刑者が盲導犬候補の子犬を育てる動物を介在した日本初

43 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

の教育プログラムです罪を犯した人も心から反省してきちんと罪を償えば社会

は差別することなく受け入れるべきですしかし実際はとても偏見が多く元受刑

者たちは「どうせ自分はだめな人間なんだ」と思い再び罪を犯してしまう悪循環

が起こっているそうですその悪循環を断ち切り受刑者たちがスムーズに社会復

帰を果たせるよう支援するのが「あさひ盲導犬パピープロジェクト」です受刑者たちは約十ヵ

月の間子犬たちを世話しながら一緒に過ごし「役に立つ喜び達成する喜び信頼される喜び」

を感じることで自分の価値を再確認するのだそうです今年一月に第一期のプロジェクトを修了

した受刑者の感想に次のようなものがありました

 「今後自分もパピーに笑われないようにきちんとしなければならないパピーは慈しむこと

寛容の心を教えてくれました」

 

犬は決して差別をしません健康な人にも障がいのある人にもお金持ちにも貧しい人にも

権力のある人にも犯罪を犯した人にも全く同じように接してくれますそんな犬たちと一緒に過

ごすことで自信をなくした人たちも自分のことをかけがえのない大切な存在であると思えるよ

うになるのです

 

私たち人間も差別のない社会をつくる努力をしなければならないと思います一人一人が相

手を大切に思う心を忘れなければこの社会はもっと住み良い場所になるはずです私はこのボ

ランティアを通して学んだことを生かしてこれからも一層努力していきたいと思います

入賞作文集 44

入賞作文

45 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

 

僕は祖父のために自助具を作ろうと思った祖父は去年の夏脳梗塞で倒れた祖父は一命

を取り留めたものの右手と右足がまひしてしまったのだその三週間前僕も車椅子から転倒し

て足を骨折した

 

僕には障害がある車椅子で生活することが多いしかし僕のことを障害者だといって差別

するような友達は一人もいない

 

祖父は歩けるようになりたいという気持ちが強かっただからリハビリを頑張り自分で

歩けるようになるまで回復した頑張っている祖父がかっこいいと僕は思った祖父はリハビ

リを頑張ったにも関わらず右手がうまく動かせなくなってしまっただからご飯を食べる時も

服を着替える時も時間がかかる普段何気なくやっていた動作がとても大変だと祖父は言ってい

守もり

田た

 幸こう

平へい

静岡県静岡大学教育学部附属浜松中学校 三年

祖父への靴下

法務事務次官賞

入賞作文集 46

入賞作文

た僕も何か役に立てることはないかと考えた

 

僕の学校には総合学習という授業があるそこで僕は福祉というカテゴリーを選んだ自

分で社会に役立てることを考え実際に行動することが目標だった僕は障害者のために何が

できるかを考えた

 

僕は二年前に静岡文化芸術大学で障害者がいかに日常生活で不自由のない生活ができるかを

考えるプロジェクトがあるのを新聞で知ったそれは大学生たちが個人個人にあった自助具を

作るプロジェクトだった僕は障害者のために何かできるのではと感じた

 

僕は静岡文化芸術大学へ行って僕にもできることがないかと聞いたすると学生さんが

自助具を作ってみないかと声をかけてくれた僕は迷わず「はい」と言った障害者のために

役に立てることがあると思うとすばらしいことだと思ったからだ

 

祖父のつらい顔を見ると日常生活に数々の大きな壁があることが伝わってくる

 

僕は祖父の数々の大きな壁を突き破ろうと思った祖父のために自助具を考え作ろうと僕

は思った祖父が靴下の脱ぎ履きが大変だと言っていたことを思い出したそこで脱ぎ履きし

やすい靴下はできないか考えた靴下の両脇にひもを取り付けてそれを引っ張ると靴下が縮み

脱ぎ履きしやすくなる仕組みだ大学の先生も良いアイディアだと言って褒めてく

れたこれは障害者だけでなく健常者にも使えると言われたユニバーサルデザ

インだと分かった

 

ユニバーサルデザインは年齢や障害の有無にかかわらず全ての人が使いやす

47 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

いように工夫された用具などのデザインである境界がなくなるように健常者が障

害者に対する偏見を考え差別意識がなくなるチャンスだと思った障害者と健常

者が共によりよく生きることが大切だと僕は思った

 

自助具の作品展では杖をついているお年寄り車椅子に乗った若い女性目の

見えない人福祉関係者など沢山の人々が観に来ていた皆自分の生活を良くしようと思っ

ているようだったまた障害者のためにできることは何だろうかと考えている健常者もいるよ

うだった

 

二年生の時の総合学習では二箇所のデイサービスを訪問したデイサービスには六十五歳以

上のお年寄りがいた暗く元気のない人明るく振る舞い誰とでも話せる人など様々だった

しかし僕が一番印象に残ったのは笑顔を絶やさず優しくお年寄りに接していた介護士だった

お年寄りの中には悩みを抱えている人が多いそうだその悩みを解消させる人もまた介護士だっ

た僕は介護士がお年寄りの体を支えるだけではなく心もそっと支えて生きる喜びを与え

ているのだと感じた

 

現代は三世代で暮らす家族が減り核家族が増えているそれはお年寄りの世話が大変だ

からという理由が多いだから老人ホームやデイサービスに預ける人が増えていると僕には

思えたお年寄りの中には自分が嫌われているのではないかとさえ思ってしまう人もいるそう

だそれはお年寄りにとって辛く悲しいことだと思うある介護士がこんなことをおっしゃっ

ていた「人の優しさはお金では買えない」誰にでも優しい心があると思うしかしあと一歩

入賞作文集 48

入賞作文

のところで行動に移すことができない人が多いの

だ僕たちが平和な社会で暮らせるのは今まで

頑張ってきてくれたお年寄りのお陰であることを

忘れてはいけないお年寄りを大切にすることは

当たり前のことなのだ

 

また障害者に対しても偏見の目で見ないで

そっと近づいて手を貸してあげれば健常者との

高い大きな壁を崩すことができると思う

 

障害者にも高齢者にもまた健常者にも人権

はあるお互いの人権を大切にすることが明る

い未来に繋がっていくのだと思う

 

早く祖父に僕の作った靴下を届けたい

49 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

 

僕は小学校六年生まで福岡県に住んでいましたそこで僕が体験したことです五年生のこ

ろ僕の友だちのA君が同級生のK君の靴を隠したりからかったりしていることがよくあり

ました最初は僕もあまり気にしていませんでしたがK君のことを「なんだかかわいそう」と

思うようになりました

 

ある日僕は勇気をだして先生に「K君がいじめにあっています」と報告しました初め先生は

「じゃれ合っているだけだろう」と「いじめ」とは思ってくれませんでしたでもその後「いじ

め」と分かりA君は先生に注意されその日一日は反省した様子で過ごしていましたしかし

次の日学校に行くといじめは前以上にエスカレートしていて蹴ったりたたいたりするように

なりましたしかも「死ね」「うざい」「消えろ」などの言葉が飛び交うようになりそんな日々

法務事務次官賞

浦うら

谷たに

 毅たける

徳島県三好市立池田中学校 三年

いじめをなくすために今

入賞作文集 50

入賞作文

が続きました

 

それは六年生になっても続きました僕はそのいじめを止めることができず毎日見て見ぬ

振りをしていました今思うと自分がとても恥ずかしいです本当の友達なら止めるべきなの

にそれだけではなくいじめられているK君に声一つかけることができずにいました心の中

ではA君に「やめろよ」と言おうと思っていたけどなぜか勇気が出ませんでした次にい

じめられるのが自分になるのが恐くて言えなかったのです

 

そんな日々が続く中僕の気持ちを大きく変える出来事がありました父の死ですそのとき

のことは今でも忘れることができません聞いたときには頭の中が真っ白になりました最初

は信じることができませんでした一週間も二週間も学校に行けずただぼーっと過ごしてい

ましたいろんなことを考え徐々に「死」というものの悲しさつらさ「死」という意味の

重さがわかってきましたそして時間はかかりましたが「命は一瞬にして消え二度と戻っ

てこないものだだから命を大切に今を大切にしなければならない」と深く受け止めることが

できるようになりましたそして周りの子たちは僕のような経験がないから「死ね」とか軽々

しく言えるのだろうと思いこの気持ちを伝えなくてはならないと考えました僕が強くならな

くてはと思いました

 

こんな気持ちになったとき僕には時間がありませんでした母の実家がある徳

島への引っ越しが一週間後に決まっていたのです落ち込んでいる暇は無いと思

い学校に行った僕はA君に言いました「いじめなんかやめろよいじめたって

51 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

喜ぶ人はいないし悲しむ人がいるだけだろ自分だってほんとは嫌だろ『死ね』

とか『消えろ』とか言葉の重さを知らないのに言うなよ」と言いました父親の

突然の死そのあと僕が考えたことも伝えました

 

友だちは黙って聞いてくれました僕の言葉にうなずいてそのあとK君の

ところへ行き「ごめん言葉の重さも知らずに言って本当にごめんぜったいに死ねなんて

ことは言わないそしていじめは絶対にしないほんとうにごめん」とあやまりましたK君

はとても優しい笑顔で「いいよ」と一言言いました僕もK君に言いました

「今まで助けてあげられなくてごめん」

K君は笑顔で「ありがとう」と言ってくれました今まで自分の中でもやもやしていた気持ちが

スーっと晴れました

 

今も時々耳にする暴言冗談半分で言っているのかもしれませんしかしいついじめにつ

ながるかわかりません他人を傷つけることで自分のストレスを晴らそうとしているのでしょう

関係ないふりをしようとする自分がいます楽な考え方をする自分がいますそんな時亡くなっ

た父の顔やK君の優しい笑顔を思い出しますあの時の自分のように強い気持ちを持とう「や

めろよ」と一言言うするとまた気持ちがスーっとしてきました

 

父の分も頑張って生き抜こうと決めた僕にとって正しいことを素直に認め悪いことを否定

できる強い意志を持つことが目標ですそして何よりも命を大切に今を大切にしていきたい

と思っています

入賞作文集 52

入賞作文

53 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

 

ぼくは今まで四つの外国に暮らしいろいろな国の人たちの中で育ってきた

 

まずタイで生まれてタイ人のメイドさんやドライバーさんにいつも遊んでもらっていた

らしい一才になると週一回の体操教室にも通いタイ人の友達もいたそうだ

 

次にシンガポールでは初めてナサリースクール(保育園)に通いいろいろな国の友達と

知り合ったプレイルームにある滑り台を滑る順番争いでいつも勝つのは体の大きい金髪の友

達だった

 

一回目の香港生活では英語の幼稚園に通ったその時のぼくの一番の友達はカナダ人だった

彼とはよくベイブレードをして遊んだが父が日本の出張で買ってきてくれた独楽や剣玉をして

遊ぶこともあった

村むら

瀬せ

 広ひろ

高たか

香港日本人学校中学部 二年

国境をこえて

海 外 作 品

今回は本選への応募とすることはできませんでしたが

 海外から寄せられた作品のうち一作品を御紹介します

入賞作文集 54

海外作品

 

それからインドでは日本人学校に通ったが夏休みには毎年アメリカンスクールのサマー

スクールに参加したし日本人のいない現地のテニススクールにも入り二年間通ったまたイ

ンドの現地幼稚園に通っていた妹のベストフレンドはコンゴ人でその兄弟もぼくの友達だった

 

そして三年間の日本生活を経て今また香港に戻ってきた

 

このようにぼくはいろいろな国でいろいろな国の人たちのお世話になりいろいろな国

の友達と遊んで育った肌が真っ黒な友達もゲームの話をすればすぐに仲良くなれたし髪が

金色の友達もポケモンの話をすれば気が合ったぼくは小さい頃から英語はうまくしゃべれ

なかったけれどもジェスチャーをつけたでたらめ英語でも充分に話は通じただからいろい

ろな国の人たちの中でぼくが日本人だからといって差別されたり嫌な思いをしたりしたこと

はないしぼくも肌の色が違うからとか言葉が通じないからという理由で違う人間だと思っ

たことはないそうぼくは外国人を差別したことはない

 

しかし本当にぼくは外国人を差別したことがないのだろうか外国人を差別した発言を一

度もしたことがないかと考えると自信がない

 

例えば香港人には赤信号でも平気で渡る人がたくさんいるそれを見てぼくは

「香港人はしょうがないな」

と思うでもよく見ると香港人全員が信号無視をしているわけではないまた

世界には今でも戦争をしている国がいくつもある

「人を傷つけ合うなんて馬鹿げている」

55 第30回全国中学生人権作文コンテスト

海外作品

とぼくは悲しくなるでもそれも好きで戦っている人がいるとも思えないその

人たちがそうなったのには何かきっと原因があるはずだ

 

逆に外国人から見ると日本人はどのように思われているのだろう

 

インドから日本に帰国した時毎日ごみがたくさん出ることにぼくはとても驚

いたインドの人たちがよく使う道端にあるカレー屋さんではバナナの葉で作ったお皿にカ

レーを入れてくれる食べた後そのお皿を道に捨てるとのら牛がその葉っぱを食べるそして

牛のふんは燃料になるというそれに比べて日本はちょっと歩くとペットボトルの飲み物が

買えファーストフードのお店では使い捨ての食器を使い立派なお菓子の箱を開けると中身が

少なくてがっかりすることもあるある時母が捨てたジャムの空きびんをメイドさんとエア

コンの修理にきていたワーカーさんとが取り合ってけんかをしていたこともあったそれを見

てぼくはあきれてしまったが逆にインド人から見ると使い捨て文化のしみついた日本人は

とんでもない人間にみえるのかもしれない国によって考え方や行動パターンが違うのは歴史

的背景や宗教習慣気候などのいろいろなことが関わっているのだと思う

 

このように考えると差別とはその人の一部しか見ていないことや自分のやり方だけが正

しいと思うことからおきるのではないかと思うその人が自分とは違った行動をとったとしても

それには深い理由があるのだろうと考えればきっと納得できると思うぼくもこれからは否

定的な発言をする前にその人たちのことをいろいろな角度から見て理解する努力をしてみよう

と思う外国との間には自分の国とは違う言葉や文化という壁があるとみんな言うがそこに

入賞作文集 56

海外作品

あるのは壁ではなく橋だとぼくは思う理解

し合おうという気持ちがあればきっと誰でも

その橋を渡っていけるはずだ気持ちの国境を

こえるのにパスポートはいらないお互いを理

解し合おうと思う気持ちが一番大切だと思う

そしてぼくはこれから日本人として生きる

のではなく地球人として生きていこうと思う

57 第30回全国中学生人権作文コンテスト

海外作品

法務局地方法務局名 郵便番号 所  在  地 電  話

金沢地方法務局人権擁護課920-0024 金沢市西念3-4-1金沢駅西合同庁舎(平成23年3月11日まで) 076-231-1244

921-8505 金沢市新神田4-3-10金沢新神田合同庁舎(平成23年3月14日から) 076-292-7804

富山地方法務局人権擁護課 930-0856 富山市牛島新町11番7号富山合同庁舎 076-441-6376

大阪法務局人権擁護部 540-8544 大阪市中央区谷町2丁目1番17号大阪第2法務合同庁舎 06-6942-9492

京都地方法務局人権擁護課 602-8577 京都市上京区荒神口通河原町東入上生洲町197番地 075-231-0131

神戸地方法務局人権擁護課 650-0042 神戸市中央区波止場町1番1号神戸第2地方合同庁舎 078-392-1821

奈良地方法務局人権擁護課 630-8305 奈良市東紀寺町3-4-1奈良第2法務総合庁舎 0742-23-5457

大津地方法務局人権擁護課 520-8516 大津市御陵町3番6号大津法務総合庁舎 077-522-4673

和歌山地方法務局人権擁護課 640-8552 和歌山市二番丁2番地和歌山地方合同庁舎 073-422-5131

広島法務局人権擁護部 730-8536 広島市中区上八丁堀6番30号広島合同庁舎 082-228-5790

山口地方法務局人権擁護課 753-8577 山口市中河原町6番16号山口地方合同庁舎2号館 083-922-2295

岡山地方法務局人権擁護課 700-8616 岡山市北区南方1丁目3番58号 086-224-5761

鳥取地方法務局人権擁護課 680-0011 鳥取市東町2丁目302番地鳥取第2地方合同庁舎 0857-22-2289

松江地方法務局人権擁護課 690-0886 松江市母衣町50番地松江法務合同庁舎 0852-32-4260

高松法務局人権擁護部 761-8077 高松市出作町585-4 087-815-5311

徳島地方法務局人権擁護課 770-8512 徳島市徳島町城内6番地6徳島地方合同庁舎 088-622-4171

高知地方法務局人権擁護課 780-8509 高知市栄田町2丁目2番10号高知よさこい咲都合同庁舎 088-822-3331

松山地方法務局人権擁護課 790-8505 松山市宮田町188番地6松山地方合同庁舎 089-932-0888

福岡法務局人権擁護部 814-0005 福岡市早良区祖原14-15福岡法務局西新出張所庁舎5階 092-832-4311

佐賀地方法務局人権擁護課 840-0041 佐賀市城内2丁目10番20号佐賀合同庁舎 0952-26-2148

長崎地方法務局人権擁護課 850-8507 長崎市万才町8番16号 095-826-8127大分地方法務局人権擁護課 870-8513 大分市荷揚町7番5号大分法務総合庁舎 097-532-3368

熊本地方法務局人権擁護課 862-0971 熊本市大江3丁目1番53号熊本第2合同庁舎 096-364-2145

鹿児島地方法務局人権擁護課 890-8518 鹿児島市鴨池新町1番2号 099-259-0684宮崎地方法務局人権擁護課 880-8513 宮崎市別府町1番1号宮崎法務総合庁舎 0985-22-5124

那覇地方法務局人権擁護課 900-8544 那覇市樋川1丁目15番15号那覇第1地方合同庁舎 098-854-1215

入賞作文集 58

問合せ先一覧

法務局地方法務局名 郵便番号 所  在  地 電  話

札幌法務局人権擁護部 060-0808 札幌市北区北8条西2丁目1番1札幌第1合同庁舎 011-709-2311

函館地方法務局人権擁護課 040-8533 函館市新川町25番18号函館地方合同庁舎 0138-23-9528

旭川地方法務局人権擁護課 078-8502 旭川市宮前通東4155番31旭川合同庁舎 0166-38-1114

釧路地方法務局人権擁護課 085-8522 釧路市幸町10丁目3番地釧路地方合同庁舎 0154-31-5014

仙台法務局人権擁護部 980-8601 仙台市青葉区春日町7番25号仙台第3法務総合庁舎 022-225-5739

福島地方法務局人権擁護課 960-8021 福島市霞町1番46号福島合同庁舎 024-534-1994

山形地方法務局人権擁護課 990-0041 山形市緑町1丁目5番48号山形地方合同庁舎 023-625-1321

盛岡地方法務局人権擁護課 020-0023 盛岡市内丸7番25号盛岡合同庁舎 019-624-9859秋田地方法務局人権擁護課 010-0951 秋田市山王7丁目1番3号 018-862-6533

青森地方法務局人権擁護課 030-8511 青森市長島1丁目3番5号青森第二合同庁舎 017-776-9024

東京法務局人権擁護部 102-8225 千代田区九段南1丁目1番15号九段第2合同庁舎 03-5213-1234

横浜地方法務局人権擁護課 231-8411 横浜市中区北仲通5丁目57番地横浜第2合同庁舎 045-641-7926

さいたま地方法務局人権擁護課 338-8513 さいたま市中央区下落合5-12-1さいたま第二法務総合庁舎 048-859-3507

千葉地方法務局人権擁護課 260-8518 千葉市中央区中央港1丁目11番3号千葉地方合同庁舎 043-302-1319

水戸地方法務局人権擁護課 310-0061 水戸市北見町1番1号水戸地方法務合同庁舎 029-227-9919

宇都宮地方法務局人権擁護課 320-8515 宇都宮市小幡2丁目1番11号宇都宮地方法務合同庁舎 028-623-0926

前橋地方法務局人権擁護課 371-8535 前橋市大手町2丁目10番5号前橋合同庁舎 027-221-4426

静岡地方法務局人権擁護課 420-8650 静岡市葵区追手町9番50号静岡地方合同庁舎 054-254-3555

甲府地方法務局人権擁護課 400-8520 甲府市北口1丁目2番19号甲府地方合同庁舎 055-252-7239

長野地方法務局人権擁護課 380-0846 長野市旭町1108番地長野第2合同庁舎 026-235-6634

新潟地方法務局人権擁護課 951-8504 新潟市中央区西大畑町5191番地新潟地方法務総合庁舎 025-222-1564

名古屋法務局人権擁護部 460-8513 名古屋市中区三の丸2丁目2番1号名古屋合同庁舎第1号館 052-952-8111

津地方法務局人権擁護課 514-8503 津市丸之内26番8号津合同庁舎 059-228-4193岐阜地方法務局人権擁護課 500-8729 岐阜市金竜町5丁目13番地 058-245-3181

福井地方法務局人権擁護課 910-8504 福井市春山1丁目1番54号福井春山合同庁舎 0776-22-5090

問合せ先一覧 (法務局地方法務局)

59 第30回全国中学生人権作文コンテスト

問合せ先一覧

世界人権宣言啓発書画「鳥」「自由と解放」を表わしたもの 小木太法書オタビオロス画(財)人権擁護協力会提供

入賞作文集 60

すべての人間は生まれながらにして

自由でありかつ尊厳と権利とに

ついて平等である人間は理性と

良心とを授けられており互いに同胞の

精神をもって行動しなければならない

―――

世界人権宣言 第一条

―――

第三〇回

 全国中学生人権作文コンテスト

中央大会表彰式

印  刷 平成23年1月25日

発  行 平成23年2月14日

発 行 者 法務省人権擁護局

全国人権擁護委員連合会

東京都千代田区霞が関一丁目1番1号

電話 03(3580)4111 内線5875

URL httpwwwmojgojpJINKEN

第30回全国中学生人権作文コンテスト中央大会審査員

感想をお聞かせください本作文集を読まれた感想等を下記の連絡先又はkeihatsumojgojpまでお寄せください

無断転載を禁じます本作文集に掲載された作文や写真等を地方自治体が広報誌に掲載したり学校が教材に使用される場合などにはあらかじめ下記に御連絡ください

100-8977 東京都千代田区霞が関一丁目1番1号 法務省人権擁護局人権啓発課 TEL03(3580)4111 内線5875

作  家(審査員長) 落 合 恵 子映画監督 山 田 洋 次社団法人日本新聞協会事務局長 川 嶋   明日本放送協会解説委員室解説委員 南   直 樹文部科学省初等中等教育局視学官 三 好 仁 司全国人権擁護委員連合会長 中 村 浩 紹法務省人権擁護局長   井 忠 雄

(敬称略)

【式次第】

第一部

 会

主催者あいさつ

賞状授与

内閣総理大臣賞法務大臣賞

文部科学大臣奨励賞法務副大臣賞

法務大臣政務官賞

全国人権擁護委員連合会長賞

社団法人日本新聞協会会長賞

日本放送協会会長賞(以上各一名)

法務事務次官賞(三名) 計一一名

学校への感謝状贈呈

高円宮妃殿下おことば

来賓祝辞

第二部

各受賞作文の朗読

内閣総理大臣賞法務大臣賞

文部科学大臣奨励賞

全国人権擁護委員連合会長賞

社団法人日本新聞協会会長賞

日本放送協会会長賞

 評

全国中学生人権作文コンテスト中央大会審査員

 山田洋次氏

 落合恵子氏(ビデオレター形式)

第三部

新垣勉さんコンサート

 会 平成二二年一二月一八日(土)

午後一時三〇分〜三時五〇分

於ニッショーホール

「いじめ」や暴力行為等は人権侵害です

法務局地方法務局では

人権侵害による被害を受けた方を

救済するための活動を行っています

お気軽にご相談ください

女性の人権ホットライン

インターネット人権相談受付窓口

ゼロナナゼロのハートライン

0570-070-810

子どもの人権110番ぜろぜろななのひゃくとおばん

 0120-007-110

パソコンから httpwwwmojgojpJINKENjinken113html携帯電話から httpwwwjinkengojpsoudanmobile001html

インターネット人権相談 検 索

Human Rights法務省人権擁護局全国人権擁護委員連合会

人権イメージキャラクター人KENあゆみちゃん人KENまもる君

全国共通通話料無料

全国共通ナビダイヤル

この冊子は環境保護印刷の「水なし印刷」で印刷されています

第30回全国中学生人権作文コンテスト入賞作文集

法務省人権擁護局全国人権擁護委員連合会

人権イメージキャラクター人KENまもる君人KENあゆみちゃん

この冊子には音声コードが各頁(奇数頁 左下偶数頁 右下)に印刷されています専用の読み上げ装置で読み取ると記録されている情報を音声で聞くことが出来ます

Human Rights法務省人権擁護局全国人権擁護委員連合会

 全国中学生人権作文コンテスト入賞作文集

 全国中学生人権作文コンテスト入賞作文集

第30回

についてそういった傾向がわたしたちの内にもないかを問い返した優れた作品で

ある

 

それは「される側」からの柔らかな異議申し立てであり問題提起でもある

認知症の母を自宅で介護していたおよそ七年間わたしも病院などで母にかけられ

る言葉がとても気になった言葉の多くが幼児へのそれに似ていて「優しく接すること」が

幼児言葉であるという習慣のようなものはわたしたちの暮らしの中のいろいろな場面にある

ひととして親切であることと相手に対する想像力を働かせることと幼児に向けてのような言

葉を使うことはまったく別なことなのだが

 

悪意不在であるがゆえにかえって問題提起しにくいテーマを江川さんは見事に拓いてくだ

さっている

 

辻本桃佳さんの作品目の不自由なお父様がある日電車の中で出会ったことを通して「個

人的な体験」を普遍的なテーマに広げ深めることに成功した作品だ

 

人種と「見た目」の違いをテーマにしたローリンズ

リコさんの作品水俣という愛する郷里

の酸鼻な歴史とそこから生まれた差別と偏見について丁寧に描いた井上由紀子さん事情があっ

て家族とは離れて暮らす大田葵さんが今考える拓かれた『家族』とはかつて偶然に出会っ

たひとたちが偶然を必然に変えて

4

4

4

4

4

4

4

4

4

新しい結縁の家族を作っていく小説を書いたわたしには特

に心に響く作品だった

 

文字数の関係ですべてに触れることはできないが心に響く作品たちを読んでいる間はささ

入賞作文集 8

審査講評

やかながら人権の活動をしてきた「かつての中学生のひとり」としてとても充たされた思いの

中にいた

 

ありがとうと心から「あなた」にお伝えしたい

 

そして若い季節に人権を自分に引き寄せこうして作品にまとめあげた体験は「あなた」に

準備されているたくさんの明日に光をもたらしてくれるはずhelliphellipと書いてふっと思う自分の

暮らしの核に人権を置くことは素晴らしいことであると同時にある意味ストレスを抱え込

むことでもあるのではないかとそれは気づいてしまうストレスでもある社会にはまだま

だ差別がある人権についてセンシティヴであればあるほどそれに気づき失望し傷つくこ

とも少なからずあるはずだ

 

それでもとわたしは「あなた」にお伝えしたい気づかない人生よりも気づく人生そし

て気づいたことを少しでも「拓いていく」人生のほうが容易ではないがはるかに充実してい

るはずだと

 

オーディオセットから大好きなクリスウィリアムソンとメグクリスチャンの曲が流れて

いるhelliphelliphellipわたしたちは新しい時代を作るため新しいページを開くために時代のステージ

にいま登ったところだとふたりとも歌を通してアメリカで人権の活動をしてい

るアーティストである海のこっち側のわたしたちもいま新しい時代のページを

開く時そのステージの上にいる

9 第30回全国中学生人権作文コンテスト

審査講評

内閣総理大臣賞

 

私が入院した時眼科や外科内科などいろいろな病状の患者さんと知り合いになった仕事

で足を骨折した人胃を悪くして入院した人目の手術を受けた人など年齢や性別職業も様々

でふだんあまり接することのない人たちと話す機会に恵まれた病気やケガの苦労話はもちろ

んのこと世代の違う人たちの話はとてもおもしろかった「人権」について考える時その中

の一人の患者さんのことが頭に浮かんだ

 

人権侵害とは障害者やお年寄りなど立場の弱い人たちに対する差別や悪意のある偏見か

らくるものだとばかり思っていたところがたとえ善意であっても思わぬところから人権の侵

害になっていることがあるのだと考えさせられたのであった

 

目の手術を受けたその人は母と同年代ぐらいの女の人だった目が不自由なことで周りの

江え

川がわ

 麻ま

理り

香か

佐賀県佐賀市立東与賀中学校 三年

「身近で無意識な人権侵害」

入賞作文集 10

入賞作文

人たちがとてもよくしてくれるのはいいがそのために困ったり悲しい思いをすることもあると

いうのだった私はこれまで人に優しく親切にすることはいわば常識であり当然のことだ

と思っていただけに大きなショックを受けた困った時に手を貸してくれるというのに悲しい

思いをするとはどういうことなのだろう私たちが親切のつもりでやっていることが迷惑になっ

ているというのだろうかお年寄りや障害者をいたわるのは当たり前でありそれは感謝される

ことはあっても迷惑に思うなどとは筋違いではないだろうかところがその人の立場から見

れば好意のつもりでもまるで小さな子どものように扱われたりこれは危険だからと勝手に

予測されて遠ざけられてしまったりと自分の意思とは関係なく何でも先回りされてしまうのが

悲しいのだそうだ目は悪くとも自分は子どもではないしできなくはないことにまで行き

過ぎた親切にひどく心を傷つけられるのだというまた相手がよかれと思ってくれていること

だけにそれを断ろうものならあからさまにいやな顔をされたり急に態度を変えられることも

あったりでかえって気を遣うのだそうだ

 

私ははっとした今まで手を貸す側から見ることはあっても逆の立場から考えたことはな

かったので大きな衝撃を受けたいつの間にか相手より自分を少し高い所に置いて見ていない

だろうか無意識のうちに相手のことを保護すべき弱者だとして見ていないだろう

か私は今中学生だがそれ以下の子ども扱いされると腹が立ついちいち細かい

ことまで制限されたり禁止されたりすれば確かにいい気持ちはしない同じよう

に障害者や老人に対して危険だ何だのとその人ができることまでをも禁止し

11 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

まだこぼしてもいない湯のみを取り上げるようなことをしてはいないだろうか

 

確かに弱者をいたわり手助けすることは人として当然であり必要なことで

あるしかし相手の気持ちや状況を考えずただ一方的に押しつけるだけの親切

はただの自己満足でしかない見えない人には見えない人なりのやり方や考え方が

あるのにそこに寄り添うための理解がないとしたらそれは人権を侵害しているといえないだ

ろうか

 

人は皆平等であるけれど環境や年齢身体能力などは同じではないだからこそ人とし

ての尊敬の念や思いやりいたわりの心を持って接することが大切なのだと思う

 

しばらく前の人権侵害とは人を自分より見下したりおとしめることで優越感を持つための

ものだったように思うそして今生活や文化が豊かになった現代では行き過ぎた親切やいた

わりが人の心を傷つけそれが新たな種類の人権侵害の一つになっていることもあるのだ「善意

イコール感謝されるべきもの」という考え方が全てに当てはまるとは限らないまた当ては

めようとしてはならないその人にとっての「いちばん」は何かひとりひとりを尊重するため

には本当に助けが必要かどうか出すぎたことをしていないかを見極めることも大切なのだと

思う

 「人権」について考えることそれはとても難しいことのように思えるが意外と簡単なこと

ではないだろうか同じ人間同士が並んで歩くための人と人との間の権利私たちが無意識のう

ちに作り出している優劣の壁を取り払うこと自分の価値観を人に押しつけないこと自分も相

入賞作文集 12

入賞作文

手も同じひとりの人間なのだとその

人の心に寄り添い理解し合う努力こ

そ人権を守る大きな力になると思う

13 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

 

十五年前父が篠山の町中を歩いているとこう言われた「そんな棒きれ振り回さんといて」

と父は決して棒きれを振り回していた訳ではないただ白杖を持って歩いていただけだそ

の話を聞いて私は驚いたたった十五年前のことだけど信じられない気持ちでいっぱいになっ

ただが十五年経った今ではそんなことはないだろうマスメディアが発達しいろんなハン

ディを持った人のことが紹介されたり障がい者の方自身が社会参加する機会が増えたからだと

 

そしてこんな話も聞いたことがある電車に乗った時に時間が知りたくて携帯電話を開い

たときのことだ「こんなとこで電話したらアカンやろ」と中年のおばさんに怒鳴られたそうだ

優先座席の近くだったということもあるが『目の不自由な人=白杖を持っている』という認識

は広まってきているが時間を知りたいときには音声が出る時計や携帯電話を使うということは

法務大臣賞

辻つじ

本もと

 桃もも

佳か

兵庫県篠山市立西紀中学校 三年

少しずつhellip一歩ずつhellip

入賞作文集 14

入賞作文

ほとんど知られていないのだそのとき父は説明しようと思ったがどうせ分かってもらえな

いと思い「すみません」と謝りとても悲しい気持ちになったそうだ見えている人は時間

が知りたければ時計を見ればすぐに分かるだが目が不自由だと音で聞くしかないのだ私は

障がい者が暮らしやすいような機器が発達してきていることをもっと社会に広めていくことが

必要だと思うそうすることで協力してくれる人や理解してくれる人が増えていくのではな

いだろうか

 

視覚障がい者の方が日常生活を送る上で給付や貸与される機器がある音声で教えてくれる

時計や体重計文章読み上げ器などがそれだこれらは以前県の基準で市が実施要綱を定めて

そこが窓口となって行われていたが法改正により各市区町村対応となったしかしこの日

常生活用具の中に健常な家族と同居している視覚障がい者には給付してもらえない物もあるの

だそれは体温計や体重計であったりするこの体温計がなければ家族が出かけている間に

体調が悪くなっても計測することはできないのだ

 

父の知り合いに赤ちゃんを連れた全盲のお母さんがいる体温を計るのに複数の体温計で赤

ちゃんの体温を計りその体温計に印をつけて病院まで持っていって見てもらったり家族が帰っ

てくるのを待って見てもらうことがあるそうだ私たちは簡単に体温を計ること

ができるが見えない人たちはそれができないために生命の危険にさらされてしま

うことがあるのだせっかく便利な機器が発明されても値段が高くて簡単に購

入できないもしくは制度のカベによってそのサービスが受けられないことがあ

15 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

るしかし私の住む篠山市では父たちの声が福祉課の方々に届き日本で初めて

音声式体温計が同居家族の有無にかかわらず給付されるようになったのである

 

今は携帯電話が音声で読み上げてくれてメールや時間GPSなどの便利な

機能を視覚障がい者の方も利用できるようになっただがそのことを知っている

健常者の方は全国にどれくらいいるだろうかまたこのことを知っている当事者である視覚障

がい者の方が全国にどのくらいいるだろうか私はまだ知らない人が多いと思う

 

ここ十五年程で視覚障がい者の人は白杖をついているということはほぼ知られてきたが生

活を助ける機器が発達してきているということは知らない人も多いだろうそれが「あの人は

目が動いているから見えている」とか「あの人はずっと目をつぶっているから見えていない」

「物を避けているから見えている」「物にぶつかっているから見えていない」という勝手な

思い込みで障がいの重さをはかることにつながっているのではないだろうかでもそれは間違っ

ている目を閉じれば視覚障がい者の疑似体験はできるでもそれはあくまでも体験であって

個人個人の見え方はそれぞれ違うし外見や行動で障がいの重度を判断するのは良くないと私は

思う同じような見え方ができたとしても全く同じ動きなんてできる訳ないのだから毎日父

と生活していてもどのくらい見えているのか私にもはっきり分からないなにげに父たちがこな

している日常の動作であっても私たち健常者にははかりしれない恐怖と不安努力があるの

だ誰でも目をつぶれば見えない世界を体験した気になる松葉杖をつけばその体験をした気

になる車イスに乗ればその体験をした気になるだが本当の障がい者の苦悩と努力の一部

入賞作文集 16

入賞作文

しか体験していないことを知ってお

いてほしい私たちには当たり前に

できるようなことがあってもどん

なに望んでもできない人たちがいる

ということとみんなの正しい理解と

知識が障がい者の明るい未来へとつ

ながっていくということを知ってほ

しいそしてこのことを広めていか

なければならない

 「少しずつhellip一歩ずつhellip」

17 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

 「Pick your 

head up」

 

これは父がいつも私にかけてくれる魔法の言葉です

 「顔をあげなさい下を向かない」という意味です

 

私の父は生まれも育ちもニューヨークのアメリカ人です女の子は父親に似るとよく言われ

ますが私もそうで日本人の母親よりも父の方に髪質も肌の色も本当によく似ています子供

が親に似ることはあたりまえのことですが私はそのためにいやな思い悲しい思いをいくどと

なくしてきました

 

初めて自分がみんなとちがうんだなと思ったのは幼稚園に入学してまもなくのことでした同

じ組の女の子たちが何人かして楽しそうに遊んでいたので

ローリンズ リコ

福島県福島市立渡利中学校 一年

「差別のない世界へ」

文部科学大臣奨励賞

入賞作文集 18

入賞作文

 「まぜて」

と声をかけると一人の子が言いました

 「このグループは日本人で髪がまっすぐな人しか入れないのリコちゃんは髪がチリチリだし

ハーフだからダメ」と

 

私はとても悲しくなりましたそしてそれは卒園するまで続きました

 

小学校は人数も少なかったせいかみんなとても仲良くて私の外見のことを言う人はだれ一

人いませんでしたまるで兄弟のようにみんな自然に接してくれましたでも習い事やいろい

ろな大会など他校の子たちといっしょになる場面ではやはり髪の毛や肌のことをからかわれ

ることはよくあることでした私には二学年上の兄がいますが兄もやはり父の方に似ています

おだやかな性格の兄は私以上につらい思いをしてきたと思います

 

父は兄や私の話を聞くたびに

 「Pick your 

head up」

と言いましたそして

 「自分に自信とほこりをもちなさいあなたたちは二つの文化を受けついでそれはとてもす

ばらしいことなんだよ」

といつも話してくれました

 

中学に入って間もないころでしたある男の子がいきなり私に向かって言いまし

19 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

 「おまえ風呂に入っているのか黒いぞ外国人はくさいからな」

 

私はとてもはずかしくなりましたそしていかりや悲しみがこみあげてきました

まわりにいた友達は彼の言葉に苦笑いをしていました私はいかりのあまり彼をな

ぐりたくなりましたその時私は父のあの言葉を思い出しました私は顔を上げ

相手の目を見て静かに自分の傷ついた気持ちを伝えました

 

彼は私に向かってこう言いました

 「ごめんわるかった」

 

彼は人を傷つけるということが彼の想像以上に重くそしてひどいことだと少し気付いたよう

でした

 

差別やいじめというのは私たちのまわりでは小さなことから大きなことまで本当によくあり

ますそして差別やいじめをしている側からすればそれをじょう談だという人も多いのです

まわりの人たちもやはりじょう談や遊びの中でのことにとらえてしまう人たちもとても多いので

すだから小学校の時から私たちは道徳などでいじめや人権などについて学んでいてもなかな

かそれがなくならないのだと思いますでも実際に差別やいじめをされている方はみんなの想

像よりはるかに傷ついているということつらいということそして悲しいということを私はこ

の人権作文を通してたくさんの人に知ってほしいのですけがをすれば日がたつごとにそのけ

がは治っていくでしょうまわりからも治っていく様子が見てわかるでしょうでも心に受けた

傷は本人にしかわからないのですその傷がどんなに深くて痛いものか本人にしかわからないの

入賞作文集 20

入賞作文

です

 

肌の色が違っていてもかみの毛が

違っていても私たちはみんな同じ人間

です心を持った人間です相手の気

持ちを思いやり相手の立場になって

考えればいじめや差別はなくなると

思います今も世界のいたるところで

人種差別が問題となり争いが起きてい

ます私は世界から差別やいじめがな

くなるように強い心を持ってまずは

自分から立ち向かっていきたいです

21 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

 

あなたには大好きなふる里がありますか私には緑の木々と青い海に囲まれた自然豊かな

大好きなふる里があります私のふる里は過去に公害という大きな被害をうけた水俣ですそ

の水俣病で患者はもちろんそうでない人も長い間差別をうけてきました

 

父が幼い頃まだ水俣病の原因が究明されておらず水俣病はうつると言われていました列

車が水俣の駅につくと窓をしめ手で口をおおった人もいました修学旅行に行くと同じ宿

舎になった学校から苦情を言われたこともありました水俣出身ということで結婚を断られた人

や就職試験をうけることさえできなかった人もいました水俣に住んでいることをかくして隠

れるようにひっそり暮らしていた人もいましたまた同じ水俣に住む人でさえ奇病と呼び距

離をおきましたそのことでたくさんの人々が傷つきあってきたのですいろいろな立場の人々

井いの

上うえ

 由ゆ

紀き

子こ

熊本県熊本県立八代中学校 一年

私の大好きなふる里

法務副大臣賞

入賞作文集 22

入賞作文

がせまい土地に住んでいるのですから仕方がなかったのかもしれません

 

しかし今では原因も究明され海の安全も確認されたことでそのようなことはほとんどな

くなりました私たちは過去のことを忘れるくらい楽しくすごしています

 

私は今八代の中学校に通っています私は自分が水俣出身ということを隠すこともありませ

ん友だちもまたそのことを知っていますがからかったりいじめたりする人は誰一人いません

 

しかし先日水俣の中学校のサッカー部が練習試合中に相手チームの選手から

「さわるな水俣病がうつる」

と言われたという記事が新聞にのっていました今でもこういう風に思っている人がいるのか

と思うと残念で仕方ありません何気なく言った一言だったのかもしれませんがその一言は

私たち水俣に住む者にとって非常に悔しく悲しいものでした

 

小学校の総合的な学習の時間で水俣病について学習しました原因となった会社を訪問したり

患者の方から当時の話をきいたり交流も行いましたそんな中で苦労されたり何も言えずに

黙って亡くなった人のことを知り水俣に住んでいながら何も知らなかったことをはずかしく思

いました水俣病についてしっかり学び正しい知識を得ることが差別や偏見をなくすのだと気

付きました

 

中学校の道徳の時間ではハンセン病について学習しましたこれも水俣病同様

正しい知識がなかったためにおきた悲しく悔しい悲劇でした

 

私たちが差別や偏見をなくすためにできることそれはその人その出来事に

23 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

ついてしっかり知ること知ろうと努力すること正しい知識を深めるために学習

することではないかと思いますそうすれば水俣病やハンセン病のようにむや

みに人と人とが傷つけあったり憎しみあったりすることはなくなるのではないで

しょうか

 

先日テレビで水俣のダイバーが紹介されましたその人は本当はほこりたい水俣を心の中

にじっとしまいこみ誰にも言えず何年もの間生きてきた人でしたしかし水俣の地にも

どり自分はこのすばらしい美しいふる里を紹介したいと海にもぐり写真をとり続けておら

れるそうです心に差別という深い傷を負いながら水俣の再生を皆に知らせたいと頑張る人

がいることに感動しました

 

今水俣はごみの分別リサイクル事業など市民全員で環境にやさしい町づくりをすすめてい

ます私は差別や偏見から立ちなおり再生しようと環境問題に一生懸命とりくんでいるふる

里水俣をほこりに思っています

 

水俣では運動会等多くの行事で「水俣ハイヤ節」というものが踊られますこれは水俣病

の患者の方が水俣の青い海と豊漁を願って振りつけをされた踊りだそうです私たちと同じ思い

をする人が二度とでないことを祈りながら私たちは毎年皆でこの踊りを踊ります

 

水俣の悲しい過去を変えることはできませんが私はあやまちを二度とくりかえさないため

にこの美しい自然を守り真実を語り継いでいきたいですそして差別や偏見のない社会に

なるよう自分から努力していきたいと思います

入賞作文集 24

入賞作文

25 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

 

みなさんは「本当の『平和』とは」と質問されたら何と答えますか「戦争や紛争などが

ないこと」ですかそれとも「自分自身の幸せのこと」ですか一人ひとりの抱く「平和」のイ

メージは違うことでしょう

 

僕の思う本当の「平和」それは「家族」がいて「家庭」があることだと思いますなぜそう

思うかというと今僕は訳あって家族とは離ればなれに暮らしているからです一歳前後には既

に家族とは離れ施設にいました母親や姉兄の存在はわかっていますが一緒に過ごした時

間は限られたもので今でもほとんど交流はありませんそのせいか僕はいつも「家族」や「家

庭」というものに強い憧れを抱いています

 

自分がまだ幼い頃は自分と同じくらいの子が母親と手をつないでいる姿がとてもうらやまし

大おお

田た

 葵あおい

栃木県さくら市立喜連川中学校 三年

「家族」とは何か

法務大臣政務官賞

入賞作文集 26

入賞作文

「どうして自分には母親がいないんだろう」と思っていました仕舞いには自らの母親を恨ん

でしまったのです小学生になってもその気持ちは変わらず母親への恨みは増すばかりでした

 

しかし小学五年生の夏思いもよらぬ出来事が起きましたそれは引っ越しがあったこと

ですそこで僕は新しい土地そして新しい里親という人たちに出会いました里親の人たち

と暮らした数年間僕は幸せでしたそこで僕は僕の周りにはいつも支えてくれる人たちがい

ることに気づきました血のつながりがなくても僕に自分の子どものように接し育ててくれ

た里親の人たち養護施設の先生方などたくさんの方たちに僕は見守られて成長してきたこと

に気づいたのです僕を支えてくれる人すべてに感謝の気持ちがわき出てきましたそれ以来

僕は親という存在にこだわらなくなりましたそれどころか自分に命を与えてくれた親に感謝

の思いを抱くようになったのです

 

この夏母親の育児放棄が原因で二人の乳幼児が衰弱死するという悲しい事件がありました

二人の子どもにろくに食事も与えず風呂も入れなかったそうですさらに逮捕後その母親は

「家に帰ってあげなかったことを今も後悔している子どもは私を恨んでいると思う」

という言ってはならない発言をしました僕は怒る前に亡くなった二人の子ども

たちがかわいそうでなりませんでした

 

と同時に僕はこの母親はどうしてこのようなことをしてしまったのだろうと

すごく考えさせられました僕は本来親は子どもを殺すのではなく守るために

27 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

いるのだと考えますたとえ小さな子どもでも立派な一人の人間ですその命を

守り育てていくことが親として大切な役目だと思うのですこの母親はどこで

勘違いしたかは知りませんが親としての自分の責任を理解していなかったのでは

ないでしょうか

 

そしてその勘違いを誰も母親に気づかせてあげられなかった事実母親が一緒に遊び歩いて

いた友人はもちろん母親の家族が少しでも助けることができていたら母親の行動を戒めるこ

とができていたら連絡を受けた児童相談所がもう少し踏み込んだ行動が取れていたらこのよ

うな悲しい結末にはならずに済んだのではないでしょうかやりきれない思いばかりがこみあげ

てきます

 

もう一つこの母親は大きな勘違いをしていますそれは「子どもは私を恨んでいると思う」

という言葉です僕はこの子どもたちが母親を恨んでいるとは思えません子どもたちは母

親が帰宅するといつもハイタッチをして喜んで迎えたそうです子どもたちは母親のことが大

好きだったのでしょうたとえ自分たちを見放した母親でも恨んでいるとは決して思えないの

です

 

子どもは心の底から自分の母親のことを恨めないと僕は思いますこの世に生を受け笑った

り怒ったり泣いたりと毎日いろいろな経験ができるのは自分を生んでくれた母親という存在

があったからです正直僕も小さい頃は母を恨んだことがありました愛情の裏返しというよ

うに母親への思いが憎しみに変化してしまったのですでも心の底には母への恨みとは全く

入賞作文集 28

入賞作文

正反対の気持ちが存在し続けていましただ

からこそこの子どもたちがどんな思いで死

んでいったのかわかるような気がします母

親を信じひたすら母親の帰りをまちわびて

いた思いが

 

僕にとっての「家族」それは同じ屋根の

下で暮らす人々のことですたとえ血はつな

がっていなくても僕を支え励ましてくれる

人たちそのすべての人が僕にとっての大切

な「家族」なのです今僕の暮らす養護施設

にはいろいろな事情を抱えた二歳位から高

校生までの子どもたちや職員の方が約六十人

います今の僕には全員大切な「家族」で

す僕はこれからもこの「家族」を大切に

一日一日精一杯平和に生きていきたいです

29 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

 

授業でハンセン病について学んだ日両親と「偏見」や「差別」について口角泡を飛ばす議論

を深夜まで繰り広げた身体障害者の父と看護師の母を持つ私は幼い頃から「命の大切さ」を

訴える両親の姿を見て育って来たそんな私は真摯な気持ちからハンセン病罹患者と向き合い

たいと思いこの夏草津にある療養施設栗生楽泉園を訪れた

 

草津までの道のり私は罹患者の気持ちを絶えず考えていたハンセン病について調べると「ら

い予防法」により罹患者は隔離され人権を無視された扱いを受けたことが分かった罹患者の

言葉が書かれた本ではどんなに過酷な仕打ちを受けたか他人をどれほど恨み憎んでいるか

が書かれていたその為私は無意識の内に「罹患者は全員恨みを抱いている」と勝手に思い込

んでいたしかしこんな思い込み自体が偏見や差別を生む原因になるということを後に思い知

大おお

井い

 海み

琴こと

群馬県群馬大学教育学部附属中学校 三年

忘れてはならないこと

全国人権擁護委員連合会長賞

入賞作文集 30

入賞作文

らされることになるのである

 

私を迎えてくれたのは入園者自治会長の藤田三四郎さん藤田さんは大変お元気でその容姿

からはハンセン病を伺い知ることはできなかったしかし藤田さんは紛れもない罹患者なのだ

その証拠に藤田さんの名は本名ではない罹患者は施設に入所するにあたり偽名を使用させら

れたと言うつまりその時点で罹患者は世間から存在を消されてしまうのであるそんな藤田

さんから語られた話はハンセン病だと宣告され三度も命を絶とうとしたこと重症患者の看

護を押しつけられ数え切れない人を看取り自らの手で葬ったこと家族が受けた迫害や侮辱的

な言葉など想像を絶するもので筆舌し難いものだったしかしこんな迫害と差別は同時にハ

ンセン病患者達の人権回復闘争の歴史でもあったのだ闘争の末「らい予防法」が廃止される

と今まで差別や人権侵害を繰り返していた多くの人が掌を返す様に態度を変えたと言う私は聞

いていて怒りを覚えたが不思議なことに耳を塞ぎたくなる様な内容を語る藤田さんからは全

く怒りや恨みが感じられないのだ私は話を聞くまで自分の運命を呪い周囲への恨みつらみ

の言葉が出てくるとばかり思っていたしかし出てきた言葉は「入園出来て良かった差別は

受けたが今では恨みを抱く罹患者も少なくなったそればかりか最近はたくさんの人が我々を

理解し協力してくれるので嬉しい何故なら一人の百歩は力が無いが百人の一歩

は力になるから」と言う感謝の言葉だったのだ本当に「恨みは無いのか」と何度

聞いても答えは同じだった私は恥ずかしくなったハンセン病について調べ罹

患者の心を理解したようなつもりでいながら実は何も理解できてなくてそれば

31 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

かりか罹患者を偏見の眼で見ていたのは私自身だったのだ私は話を聞いてとめ

どなく溢れ出る涙を拭いながら心の片隅に潜んでいた「偏見と言う名の種」が身

体から洗い流されていくのを感じていたそれは同時に「思い込みや無知が偏見

や差別を生みだす」ことを強く感じた瞬間でもあったそれだけに藤田さんの「自

分と同様に他人を愛すればいつか必ず世界から差別はなくなる他人を愛して下さい」の慈愛に

満ちた言葉が一層重く腑に落ちるのだった

 

帰りがけ千五百ページにも及ぶ「入所者証言集」を手渡されたその際私は見えない襷も

手渡された気がしたその襷とは証言集に記された罹患者の「事実を風化させないで私達の事

を忘れないで」という搾り出すような叫び声とその姿だったのである

 

ハンセン病が治る病気であるのに誤った知識から悲惨な人権侵害が長期に渡り続いた同じ間

違いを繰り返さないためにも事実を語りついで行く必要があるここ楽泉園でも高齢化が進み

証言者の数が減っているこれは全国一五全てのハンセン病療養所に共通することだハンセン

病問題は罹患者がいなくなればそれで終わると言う問題ではない今後人権問題を考える際重

要な指針になりうる事実なのだそしてこの事実の風化を防ぐことが私達若い世代の役目だと

私は思う

 

私は小六の時友人達から突然イジメを受けたそれを引きずり他人を恐れ憎み自分を

嫌って生きて来たしかし罹患者の声が私に生きる力と前を向いて歩む勇気を与えてくれた

楽泉園訪問は私に人生観が変わる程の衝撃を与えてくれたのだこんな私だが罹患者の声を伝

入賞作文集 32

入賞作文

える「百人の中の一人」にはなれるはず

だそのために私は今この作文を書い

ている文字は時を越えて生き続けるか

ら私はこれからも楽泉園訪問を続ける

つもりだ実際に中学生の私が出来るこ

とには限りがあるが差別や偏見を少し

でも減らすために一歩を踏み出すつもり

でいる「自分と同様に他人を愛すれば

いつか差別は無くなる」と言う藤田さ

んの言葉を胸に

33 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

 

森に囲まれたその一画には教会や寺院神社があり小さなショッピングセンターやレスト

ランもある床屋や図書館郵便局や浴場もあるしかしそれらの施設を利用するのはその一

画に住む人たちだけだ緑の外側に住む人が利用することはないそこはハンセン病の療養所

多磨全生園である

 

僕は七年前に清瀬市に引っ越してきた夏のある日昆虫が大好きな僕は何気なくその森の

中に入って行ったそして歩き回っているうちにその場所が一つの「町」であることに気付

いた

 

毎日セミやカマキリやナナフシを探しながらどうしてこんな所があるのだろうと思った

 

僕が一番不思議に思ったのは古い木造の小学校だいつも誰もいない校舎と小さな運動場近

久く

米め

 一かず

輝き

埼玉県学校法人立教学院立教新座中学校 一年

ハンセン病について考えたこと

社団法人日本新聞協会会長賞

入賞作文集 34

入賞作文

くに小学校があるのにどうしてこんな所に小学校があるのだろう小学一年生の僕はとても不思

議に思った

 

夏に地域交流を目的とした盆踊りと花火大会が行われるいつもは人のいない小学校跡は多く

の人であふれかえり普段は見かけない重い後遺症の老人たちもこの日は外に出て盆踊りを楽し

む初めて参加したときは言葉が出なかった正直「怖い」と思った

 

夏が来るたびに僕は盆踊り大会に参加した低学年から高学年へと進むにつれて少しずつハ

ンセン病のことが分かってきた

 

六年生のときに社会科見学で全生園の元患者を訪れることになっただが僕は都合で参加で

きなかった僕はそれをずっと悔やんでいる

 

今年の夏僕はハンセン病資料館に出かけた見学者は僕一人でとても緊張したなるべく

音を立てないようにパネルを見て回った

 

強制隔離の現実にとても驚いた狭い部屋に押し込められ症状の軽い患者が重症の患者の世

話をしたという子供を持つ権利や生まれる赤ん坊の命まで奪われていた逃げ出したり反抗的

な患者は「不良患者」と呼ばれ窓の小さな暗い監房に閉じ込められた

 

医学が進歩し療養所も徐々に改善されていったが強制隔離を命じる「らい予防

法」が廃止されたのは一九九六年だという隔離が始まった一九〇八年から約九〇

年も経っていた僕が生まれるほんの一年前のことである特効薬が開発され本

格的な治療が始まったのは昭和二十二年である現実に合わない法律を廃止するの

35 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

にどうしてそんなに時間がかかったのだろうか

 

資料をもらってハンセン病資料館を後にした家を出るときは帰りに虫の観察

をするつもりだったがとてもそんな気にはなれなかったいつもセミが集まる桜

の木には目もくれずに早足で家に帰った

 

資料の中で一番心が痛んだのは療養所の子供たちのことだ療養所に入所したのはハンセン

病を発症した子どもたちだけではない親が発症したために入所する子どもたちもいた当時は

ハンセン病は遺伝病だとされていたからだ親から無理やり引き離された子どもたちは「すぐに

帰れるから」という言葉を信じていたというしかし一生療養所を出ることができなかった人が

多かったという社会的な差別がひどかったからだと資料に書かれていたが僕には実感がわか

なかったのでもう少し調べてみることにした

 

図書館で『ハンセン病を生きて』(伊波敏男著)という本を見つけた少し難しかったが差

別の現実が僕にもわかる部分があったそれは元患者たちに対して書かれた匿名のひどい手紙

である長年隔離されて苦しんできた人たちをさらに傷つける言葉が並んでいた悲しく暗い

気持ちになった

 

日本は経済大国として世界の注目を浴びているだが人権意識の面ではどうだろう「らい

予防法」を二〇世紀の末まで廃止できなかったことをどう考えたらよいのだろうか明治時代に

隔離が始まったときそれは外国に対する体面を保つためだったという病気の人を治療するの

ではなく「隠す」のが目的だったのだいまだに差別意識を持つ人がいるのは社会がそうした

入賞作文集 36

入賞作文

過去に対する反省をしていないから

だと思う

 

僕が不思議に思った小学校はすで

に取り壊されて今では小さな石碑

だけが残っている老朽化がひどく

残しておくことができなくなったか

らだという全生園の古い建物はど

んどん取り壊されていく石碑だけ

ではあの不思議さが伝わらないのが

とても残念だ

37 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

 

僕の曾祖父は医者嫌いでしたそのため腹痛で病院に運ばれた時は膵臓癌の末期で余命三ヶ

月でした手術もできない手遅れの状態でした家族皆で話し合い曾祖父の辛い気持ちを第一に

考え曾祖父に病を隠すことになりました曾祖父は次第に病院の中を歩いては転倒し体中あ

ざだらけになりベッドの上で縛られることになっていました曾祖父は病名の宣告を受けてい

ないため元気で歩けると思っているが実際歩くと転んでしまう何でこんな風になってしまっ

たのかさえわからない

 

家族と病院に行くと「包丁もてこいこれぶった切って家さ帰る」と騒いでいましたあん

なに優しかった曾祖父の姿に言葉も出ず恐いくらいでした何も知らされずベッドに縛り付

けられれば誰もがそうなることでしょう「じいちゃんどご一緒に車さのせでいてくれの」と

櫻さくらだ田

 要かな

太た

山形県酒田市立松山中学校 三年

日本放送協会会長賞

悔いのない最期を

入賞作文集 38

入賞作文

せがまれたときもありますかわいそうで涙がポロポロこぼれました「おじいちゃんどご家

さ連れで帰ろうよ」とせがんでも家族も仕事で忙しいためか誰も首を縦に振ってくれず病院

にいた方が安心ということになりました膵臓癌は予想以上に激しい痛みのため医師から強い

痛み止めと強い睡眠剤を勧められましたがそれを導入することにより安楽死に近い状況にな

ることも医師から告げられていました家族は決断をせまられました曾祖父に相談もせずに決

めていいことなのか家に帰りたい曾祖父の意志は封じ込められたままでいいのか家族で悩み

ました結局痛みに耐えている姿は見ていられなくその薬を使うことになりましたその後

曾祖父は次第に弱っていき口も利けなくなり静かに亡くなっていきました僕はどこか心を

引きずったままでした僕達家族が曾祖父に宣告もせず意見も聞かず命の長さを決めてしまっ

たこと当時幼かった僕には何もしてあげられなかったことが今思い出しても残念です

 

最近授業で人権について学習しているときに幼い頃の記憶がよみがえりふと曾祖父のこと

を思い出しました

 

曾祖父はどんな思いで亡くなったのだろう最後に意識のあるうちに一度でいいから家に帰っ

てきたかっただろう身体拘束は今は病院でも禁止されていると思いますがあの頃は確かに曾

祖父のおなかに黒いベルトのようなものが巻きついていました決して自分の力で

は外せないようなものでしたもがき苦しむ曾祖父の姿を見た時に看護師さんに

目を隠され別の部屋に連れて行かれました見せたくない光景だったのだと思いま

すでもあの姿は僕の脳裏に焼き付いています病院の中での人材不足のためだっ

39 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

たのでしょうか人が人らしく生きていない姿でした

 

七十八年生きてきて何も悪いことをしていないのに縛られ家にも帰れない

病気で余命幾ばくもない人には人権というものは存在しないのでしょうか最近の

医療の現場では自己決定権があることについて学びました

 

仏壇に向かい静かに目を閉じると優しく穏やかに微笑む曾祖父の笑顔が浮かびますどんな

気持ちで亡くなっていったのかその気持ちを考えると苦しい気持ちになります野球の大会に

行く前仏壇に手を合わせます「やればできる努力しろ」とよく励ましてくれました曾祖

父の力には何もなれなかったけれど目には見えない力で応援してくれる曾祖父に線香をあげて

自分を省みる時があります曾祖母が元気なので曾祖父を助けられなかった分曾祖母の力に

なっていくことを曾祖父に約束しています

 

夏休み中のニュースで高齢者の所在不明者が多数のため百歳以上の安否確認調査をしていま

した自分の親を平気で捨て遺骨さえもひきとらない亡くなっていたのに年金を不正受給する

ために隠していたなど耳をふさぎたくなるような事件もありました犬や猫が年をとって弱っ

てきた手がかかるから面倒だからと捨ててしまうそれと同じ現象が弱い高齢者にも及んでき

ているのだと思います

 

やはりこの世に生まれてきたもの全てに自分の意志で生きることを決めていける権利がある

と思います長い年月を苦労や努力と向き合いながら精一杯生きてくれたおかげで今の幸せが

あることを忘れずにいたい人はいずれ誰でも年をとります自由に動けなくなった時に自分の

入賞作文集 40

入賞作文

願いが叶う社会を築き「悔いなく満足で楽しく幸せな人生だった」と思えるように人とし

ての誇りを持って満足できる最期を迎えられるように考えていきたいもう二度と僕が見た自

己決定権のない社会にならないように高齢者には今までの感謝の気持ちで本人の希望をでき

るだけ叶えられるように努力していきたいいずれ僕達も迎える高齢社会だからhellip

41 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

 

私は小学六年生の時から盲導犬候補の子犬を育てるボランティアをしています「犬を飼っ

てみたい」と言う私に両親が「せっかく犬を飼うのなら社会に役立つことをしよう」と提案

したからです生後二ヵ月の子犬を預かり一歳の誕生日を迎えるまで世話をするのがボランティ

アの役目です初めて訓練士さんから子犬を手渡された時は不安でドキドキしましたが子犬は

すぐに私の腕の中で眠ってしまいました初めて会った私のことを信頼して安心しきった寝顔

で眠っている姿は本当に可愛かったですラブラドールの子犬はとてもやんちゃで私の家にやっ

て来たその日からいたずらばかりしていましたがしかられてもクヨクヨせずどんな相手にも

 林はやし

 里り

咲さ

東京都小平市立小平第六中学校 三年

差別のない社会に

(パピーウォーカーの経験から学んだこと)

法務事務次官賞

入賞作文集 42

入賞作文

フレンドリーに近づいていく姿から私は明るく前向きに生きることを教わりました子犬たち

と過ごした日々は私にとって一番の宝物ですそしてあっという間に一歳の誕生日がやって来ま

した誕生日が悲しいという経験は初めてでした訓練所への入所日の前日には長い長い散歩を

して最後のお別れをしました「今までありがとう」そう言った私のことを不思議そうに見てい

た子犬の顔が今も目に焼きついています別れは本当につらいけれど涙を見せたら子犬が心配す

るので頑張って笑顔で見送りました

 

私の家で育てた一頭目の子犬は現在盲導犬になって頑張っていますそして今年四月に巣立っ

ていった二頭目の子犬は神奈川にある訓練センターで訓練中です

 

このボランティアを通して私は多くのことを学びましたまず盲導犬の役割ですがこれは単

に目の不自由な方が便利に一人でどこへでも行けるようにするためだけではありません視覚障

がいのある方にとって人の手をわずらわせるのはとてもつらいことなのだそうですたとえ家

族に対してでも「迷惑をかけるのではないか」と思って我慢することが多く「私なんかいない

方がいいんじゃないか」と考えてしまうこともあったといいますその失われそうになった尊

厳を取り戻す手助けをするのが盲導犬の役目なのです犬は訓練を共にするパートナーのことを

大好きになるので「自分は他者からこんなにも大好きになってもらえる存在なん

だ」と気づいて自信を取り戻し新しい一歩を踏み出せるようになるのだそうです

 

また私がボランティア登録している日本盲導犬協会では二〇〇八年に新しい

試みが始まりました受刑者が盲導犬候補の子犬を育てる動物を介在した日本初

43 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

の教育プログラムです罪を犯した人も心から反省してきちんと罪を償えば社会

は差別することなく受け入れるべきですしかし実際はとても偏見が多く元受刑

者たちは「どうせ自分はだめな人間なんだ」と思い再び罪を犯してしまう悪循環

が起こっているそうですその悪循環を断ち切り受刑者たちがスムーズに社会復

帰を果たせるよう支援するのが「あさひ盲導犬パピープロジェクト」です受刑者たちは約十ヵ

月の間子犬たちを世話しながら一緒に過ごし「役に立つ喜び達成する喜び信頼される喜び」

を感じることで自分の価値を再確認するのだそうです今年一月に第一期のプロジェクトを修了

した受刑者の感想に次のようなものがありました

 「今後自分もパピーに笑われないようにきちんとしなければならないパピーは慈しむこと

寛容の心を教えてくれました」

 

犬は決して差別をしません健康な人にも障がいのある人にもお金持ちにも貧しい人にも

権力のある人にも犯罪を犯した人にも全く同じように接してくれますそんな犬たちと一緒に過

ごすことで自信をなくした人たちも自分のことをかけがえのない大切な存在であると思えるよ

うになるのです

 

私たち人間も差別のない社会をつくる努力をしなければならないと思います一人一人が相

手を大切に思う心を忘れなければこの社会はもっと住み良い場所になるはずです私はこのボ

ランティアを通して学んだことを生かしてこれからも一層努力していきたいと思います

入賞作文集 44

入賞作文

45 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

 

僕は祖父のために自助具を作ろうと思った祖父は去年の夏脳梗塞で倒れた祖父は一命

を取り留めたものの右手と右足がまひしてしまったのだその三週間前僕も車椅子から転倒し

て足を骨折した

 

僕には障害がある車椅子で生活することが多いしかし僕のことを障害者だといって差別

するような友達は一人もいない

 

祖父は歩けるようになりたいという気持ちが強かっただからリハビリを頑張り自分で

歩けるようになるまで回復した頑張っている祖父がかっこいいと僕は思った祖父はリハビ

リを頑張ったにも関わらず右手がうまく動かせなくなってしまっただからご飯を食べる時も

服を着替える時も時間がかかる普段何気なくやっていた動作がとても大変だと祖父は言ってい

守もり

田た

 幸こう

平へい

静岡県静岡大学教育学部附属浜松中学校 三年

祖父への靴下

法務事務次官賞

入賞作文集 46

入賞作文

た僕も何か役に立てることはないかと考えた

 

僕の学校には総合学習という授業があるそこで僕は福祉というカテゴリーを選んだ自

分で社会に役立てることを考え実際に行動することが目標だった僕は障害者のために何が

できるかを考えた

 

僕は二年前に静岡文化芸術大学で障害者がいかに日常生活で不自由のない生活ができるかを

考えるプロジェクトがあるのを新聞で知ったそれは大学生たちが個人個人にあった自助具を

作るプロジェクトだった僕は障害者のために何かできるのではと感じた

 

僕は静岡文化芸術大学へ行って僕にもできることがないかと聞いたすると学生さんが

自助具を作ってみないかと声をかけてくれた僕は迷わず「はい」と言った障害者のために

役に立てることがあると思うとすばらしいことだと思ったからだ

 

祖父のつらい顔を見ると日常生活に数々の大きな壁があることが伝わってくる

 

僕は祖父の数々の大きな壁を突き破ろうと思った祖父のために自助具を考え作ろうと僕

は思った祖父が靴下の脱ぎ履きが大変だと言っていたことを思い出したそこで脱ぎ履きし

やすい靴下はできないか考えた靴下の両脇にひもを取り付けてそれを引っ張ると靴下が縮み

脱ぎ履きしやすくなる仕組みだ大学の先生も良いアイディアだと言って褒めてく

れたこれは障害者だけでなく健常者にも使えると言われたユニバーサルデザ

インだと分かった

 

ユニバーサルデザインは年齢や障害の有無にかかわらず全ての人が使いやす

47 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

いように工夫された用具などのデザインである境界がなくなるように健常者が障

害者に対する偏見を考え差別意識がなくなるチャンスだと思った障害者と健常

者が共によりよく生きることが大切だと僕は思った

 

自助具の作品展では杖をついているお年寄り車椅子に乗った若い女性目の

見えない人福祉関係者など沢山の人々が観に来ていた皆自分の生活を良くしようと思っ

ているようだったまた障害者のためにできることは何だろうかと考えている健常者もいるよ

うだった

 

二年生の時の総合学習では二箇所のデイサービスを訪問したデイサービスには六十五歳以

上のお年寄りがいた暗く元気のない人明るく振る舞い誰とでも話せる人など様々だった

しかし僕が一番印象に残ったのは笑顔を絶やさず優しくお年寄りに接していた介護士だった

お年寄りの中には悩みを抱えている人が多いそうだその悩みを解消させる人もまた介護士だっ

た僕は介護士がお年寄りの体を支えるだけではなく心もそっと支えて生きる喜びを与え

ているのだと感じた

 

現代は三世代で暮らす家族が減り核家族が増えているそれはお年寄りの世話が大変だ

からという理由が多いだから老人ホームやデイサービスに預ける人が増えていると僕には

思えたお年寄りの中には自分が嫌われているのではないかとさえ思ってしまう人もいるそう

だそれはお年寄りにとって辛く悲しいことだと思うある介護士がこんなことをおっしゃっ

ていた「人の優しさはお金では買えない」誰にでも優しい心があると思うしかしあと一歩

入賞作文集 48

入賞作文

のところで行動に移すことができない人が多いの

だ僕たちが平和な社会で暮らせるのは今まで

頑張ってきてくれたお年寄りのお陰であることを

忘れてはいけないお年寄りを大切にすることは

当たり前のことなのだ

 

また障害者に対しても偏見の目で見ないで

そっと近づいて手を貸してあげれば健常者との

高い大きな壁を崩すことができると思う

 

障害者にも高齢者にもまた健常者にも人権

はあるお互いの人権を大切にすることが明る

い未来に繋がっていくのだと思う

 

早く祖父に僕の作った靴下を届けたい

49 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

 

僕は小学校六年生まで福岡県に住んでいましたそこで僕が体験したことです五年生のこ

ろ僕の友だちのA君が同級生のK君の靴を隠したりからかったりしていることがよくあり

ました最初は僕もあまり気にしていませんでしたがK君のことを「なんだかかわいそう」と

思うようになりました

 

ある日僕は勇気をだして先生に「K君がいじめにあっています」と報告しました初め先生は

「じゃれ合っているだけだろう」と「いじめ」とは思ってくれませんでしたでもその後「いじ

め」と分かりA君は先生に注意されその日一日は反省した様子で過ごしていましたしかし

次の日学校に行くといじめは前以上にエスカレートしていて蹴ったりたたいたりするように

なりましたしかも「死ね」「うざい」「消えろ」などの言葉が飛び交うようになりそんな日々

法務事務次官賞

浦うら

谷たに

 毅たける

徳島県三好市立池田中学校 三年

いじめをなくすために今

入賞作文集 50

入賞作文

が続きました

 

それは六年生になっても続きました僕はそのいじめを止めることができず毎日見て見ぬ

振りをしていました今思うと自分がとても恥ずかしいです本当の友達なら止めるべきなの

にそれだけではなくいじめられているK君に声一つかけることができずにいました心の中

ではA君に「やめろよ」と言おうと思っていたけどなぜか勇気が出ませんでした次にい

じめられるのが自分になるのが恐くて言えなかったのです

 

そんな日々が続く中僕の気持ちを大きく変える出来事がありました父の死ですそのとき

のことは今でも忘れることができません聞いたときには頭の中が真っ白になりました最初

は信じることができませんでした一週間も二週間も学校に行けずただぼーっと過ごしてい

ましたいろんなことを考え徐々に「死」というものの悲しさつらさ「死」という意味の

重さがわかってきましたそして時間はかかりましたが「命は一瞬にして消え二度と戻っ

てこないものだだから命を大切に今を大切にしなければならない」と深く受け止めることが

できるようになりましたそして周りの子たちは僕のような経験がないから「死ね」とか軽々

しく言えるのだろうと思いこの気持ちを伝えなくてはならないと考えました僕が強くならな

くてはと思いました

 

こんな気持ちになったとき僕には時間がありませんでした母の実家がある徳

島への引っ越しが一週間後に決まっていたのです落ち込んでいる暇は無いと思

い学校に行った僕はA君に言いました「いじめなんかやめろよいじめたって

51 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

喜ぶ人はいないし悲しむ人がいるだけだろ自分だってほんとは嫌だろ『死ね』

とか『消えろ』とか言葉の重さを知らないのに言うなよ」と言いました父親の

突然の死そのあと僕が考えたことも伝えました

 

友だちは黙って聞いてくれました僕の言葉にうなずいてそのあとK君の

ところへ行き「ごめん言葉の重さも知らずに言って本当にごめんぜったいに死ねなんて

ことは言わないそしていじめは絶対にしないほんとうにごめん」とあやまりましたK君

はとても優しい笑顔で「いいよ」と一言言いました僕もK君に言いました

「今まで助けてあげられなくてごめん」

K君は笑顔で「ありがとう」と言ってくれました今まで自分の中でもやもやしていた気持ちが

スーっと晴れました

 

今も時々耳にする暴言冗談半分で言っているのかもしれませんしかしいついじめにつ

ながるかわかりません他人を傷つけることで自分のストレスを晴らそうとしているのでしょう

関係ないふりをしようとする自分がいます楽な考え方をする自分がいますそんな時亡くなっ

た父の顔やK君の優しい笑顔を思い出しますあの時の自分のように強い気持ちを持とう「や

めろよ」と一言言うするとまた気持ちがスーっとしてきました

 

父の分も頑張って生き抜こうと決めた僕にとって正しいことを素直に認め悪いことを否定

できる強い意志を持つことが目標ですそして何よりも命を大切に今を大切にしていきたい

と思っています

入賞作文集 52

入賞作文

53 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

 

ぼくは今まで四つの外国に暮らしいろいろな国の人たちの中で育ってきた

 

まずタイで生まれてタイ人のメイドさんやドライバーさんにいつも遊んでもらっていた

らしい一才になると週一回の体操教室にも通いタイ人の友達もいたそうだ

 

次にシンガポールでは初めてナサリースクール(保育園)に通いいろいろな国の友達と

知り合ったプレイルームにある滑り台を滑る順番争いでいつも勝つのは体の大きい金髪の友

達だった

 

一回目の香港生活では英語の幼稚園に通ったその時のぼくの一番の友達はカナダ人だった

彼とはよくベイブレードをして遊んだが父が日本の出張で買ってきてくれた独楽や剣玉をして

遊ぶこともあった

村むら

瀬せ

 広ひろ

高たか

香港日本人学校中学部 二年

国境をこえて

海 外 作 品

今回は本選への応募とすることはできませんでしたが

 海外から寄せられた作品のうち一作品を御紹介します

入賞作文集 54

海外作品

 

それからインドでは日本人学校に通ったが夏休みには毎年アメリカンスクールのサマー

スクールに参加したし日本人のいない現地のテニススクールにも入り二年間通ったまたイ

ンドの現地幼稚園に通っていた妹のベストフレンドはコンゴ人でその兄弟もぼくの友達だった

 

そして三年間の日本生活を経て今また香港に戻ってきた

 

このようにぼくはいろいろな国でいろいろな国の人たちのお世話になりいろいろな国

の友達と遊んで育った肌が真っ黒な友達もゲームの話をすればすぐに仲良くなれたし髪が

金色の友達もポケモンの話をすれば気が合ったぼくは小さい頃から英語はうまくしゃべれ

なかったけれどもジェスチャーをつけたでたらめ英語でも充分に話は通じただからいろい

ろな国の人たちの中でぼくが日本人だからといって差別されたり嫌な思いをしたりしたこと

はないしぼくも肌の色が違うからとか言葉が通じないからという理由で違う人間だと思っ

たことはないそうぼくは外国人を差別したことはない

 

しかし本当にぼくは外国人を差別したことがないのだろうか外国人を差別した発言を一

度もしたことがないかと考えると自信がない

 

例えば香港人には赤信号でも平気で渡る人がたくさんいるそれを見てぼくは

「香港人はしょうがないな」

と思うでもよく見ると香港人全員が信号無視をしているわけではないまた

世界には今でも戦争をしている国がいくつもある

「人を傷つけ合うなんて馬鹿げている」

55 第30回全国中学生人権作文コンテスト

海外作品

とぼくは悲しくなるでもそれも好きで戦っている人がいるとも思えないその

人たちがそうなったのには何かきっと原因があるはずだ

 

逆に外国人から見ると日本人はどのように思われているのだろう

 

インドから日本に帰国した時毎日ごみがたくさん出ることにぼくはとても驚

いたインドの人たちがよく使う道端にあるカレー屋さんではバナナの葉で作ったお皿にカ

レーを入れてくれる食べた後そのお皿を道に捨てるとのら牛がその葉っぱを食べるそして

牛のふんは燃料になるというそれに比べて日本はちょっと歩くとペットボトルの飲み物が

買えファーストフードのお店では使い捨ての食器を使い立派なお菓子の箱を開けると中身が

少なくてがっかりすることもあるある時母が捨てたジャムの空きびんをメイドさんとエア

コンの修理にきていたワーカーさんとが取り合ってけんかをしていたこともあったそれを見

てぼくはあきれてしまったが逆にインド人から見ると使い捨て文化のしみついた日本人は

とんでもない人間にみえるのかもしれない国によって考え方や行動パターンが違うのは歴史

的背景や宗教習慣気候などのいろいろなことが関わっているのだと思う

 

このように考えると差別とはその人の一部しか見ていないことや自分のやり方だけが正

しいと思うことからおきるのではないかと思うその人が自分とは違った行動をとったとしても

それには深い理由があるのだろうと考えればきっと納得できると思うぼくもこれからは否

定的な発言をする前にその人たちのことをいろいろな角度から見て理解する努力をしてみよう

と思う外国との間には自分の国とは違う言葉や文化という壁があるとみんな言うがそこに

入賞作文集 56

海外作品

あるのは壁ではなく橋だとぼくは思う理解

し合おうという気持ちがあればきっと誰でも

その橋を渡っていけるはずだ気持ちの国境を

こえるのにパスポートはいらないお互いを理

解し合おうと思う気持ちが一番大切だと思う

そしてぼくはこれから日本人として生きる

のではなく地球人として生きていこうと思う

57 第30回全国中学生人権作文コンテスト

海外作品

法務局地方法務局名 郵便番号 所  在  地 電  話

金沢地方法務局人権擁護課920-0024 金沢市西念3-4-1金沢駅西合同庁舎(平成23年3月11日まで) 076-231-1244

921-8505 金沢市新神田4-3-10金沢新神田合同庁舎(平成23年3月14日から) 076-292-7804

富山地方法務局人権擁護課 930-0856 富山市牛島新町11番7号富山合同庁舎 076-441-6376

大阪法務局人権擁護部 540-8544 大阪市中央区谷町2丁目1番17号大阪第2法務合同庁舎 06-6942-9492

京都地方法務局人権擁護課 602-8577 京都市上京区荒神口通河原町東入上生洲町197番地 075-231-0131

神戸地方法務局人権擁護課 650-0042 神戸市中央区波止場町1番1号神戸第2地方合同庁舎 078-392-1821

奈良地方法務局人権擁護課 630-8305 奈良市東紀寺町3-4-1奈良第2法務総合庁舎 0742-23-5457

大津地方法務局人権擁護課 520-8516 大津市御陵町3番6号大津法務総合庁舎 077-522-4673

和歌山地方法務局人権擁護課 640-8552 和歌山市二番丁2番地和歌山地方合同庁舎 073-422-5131

広島法務局人権擁護部 730-8536 広島市中区上八丁堀6番30号広島合同庁舎 082-228-5790

山口地方法務局人権擁護課 753-8577 山口市中河原町6番16号山口地方合同庁舎2号館 083-922-2295

岡山地方法務局人権擁護課 700-8616 岡山市北区南方1丁目3番58号 086-224-5761

鳥取地方法務局人権擁護課 680-0011 鳥取市東町2丁目302番地鳥取第2地方合同庁舎 0857-22-2289

松江地方法務局人権擁護課 690-0886 松江市母衣町50番地松江法務合同庁舎 0852-32-4260

高松法務局人権擁護部 761-8077 高松市出作町585-4 087-815-5311

徳島地方法務局人権擁護課 770-8512 徳島市徳島町城内6番地6徳島地方合同庁舎 088-622-4171

高知地方法務局人権擁護課 780-8509 高知市栄田町2丁目2番10号高知よさこい咲都合同庁舎 088-822-3331

松山地方法務局人権擁護課 790-8505 松山市宮田町188番地6松山地方合同庁舎 089-932-0888

福岡法務局人権擁護部 814-0005 福岡市早良区祖原14-15福岡法務局西新出張所庁舎5階 092-832-4311

佐賀地方法務局人権擁護課 840-0041 佐賀市城内2丁目10番20号佐賀合同庁舎 0952-26-2148

長崎地方法務局人権擁護課 850-8507 長崎市万才町8番16号 095-826-8127大分地方法務局人権擁護課 870-8513 大分市荷揚町7番5号大分法務総合庁舎 097-532-3368

熊本地方法務局人権擁護課 862-0971 熊本市大江3丁目1番53号熊本第2合同庁舎 096-364-2145

鹿児島地方法務局人権擁護課 890-8518 鹿児島市鴨池新町1番2号 099-259-0684宮崎地方法務局人権擁護課 880-8513 宮崎市別府町1番1号宮崎法務総合庁舎 0985-22-5124

那覇地方法務局人権擁護課 900-8544 那覇市樋川1丁目15番15号那覇第1地方合同庁舎 098-854-1215

入賞作文集 58

問合せ先一覧

法務局地方法務局名 郵便番号 所  在  地 電  話

札幌法務局人権擁護部 060-0808 札幌市北区北8条西2丁目1番1札幌第1合同庁舎 011-709-2311

函館地方法務局人権擁護課 040-8533 函館市新川町25番18号函館地方合同庁舎 0138-23-9528

旭川地方法務局人権擁護課 078-8502 旭川市宮前通東4155番31旭川合同庁舎 0166-38-1114

釧路地方法務局人権擁護課 085-8522 釧路市幸町10丁目3番地釧路地方合同庁舎 0154-31-5014

仙台法務局人権擁護部 980-8601 仙台市青葉区春日町7番25号仙台第3法務総合庁舎 022-225-5739

福島地方法務局人権擁護課 960-8021 福島市霞町1番46号福島合同庁舎 024-534-1994

山形地方法務局人権擁護課 990-0041 山形市緑町1丁目5番48号山形地方合同庁舎 023-625-1321

盛岡地方法務局人権擁護課 020-0023 盛岡市内丸7番25号盛岡合同庁舎 019-624-9859秋田地方法務局人権擁護課 010-0951 秋田市山王7丁目1番3号 018-862-6533

青森地方法務局人権擁護課 030-8511 青森市長島1丁目3番5号青森第二合同庁舎 017-776-9024

東京法務局人権擁護部 102-8225 千代田区九段南1丁目1番15号九段第2合同庁舎 03-5213-1234

横浜地方法務局人権擁護課 231-8411 横浜市中区北仲通5丁目57番地横浜第2合同庁舎 045-641-7926

さいたま地方法務局人権擁護課 338-8513 さいたま市中央区下落合5-12-1さいたま第二法務総合庁舎 048-859-3507

千葉地方法務局人権擁護課 260-8518 千葉市中央区中央港1丁目11番3号千葉地方合同庁舎 043-302-1319

水戸地方法務局人権擁護課 310-0061 水戸市北見町1番1号水戸地方法務合同庁舎 029-227-9919

宇都宮地方法務局人権擁護課 320-8515 宇都宮市小幡2丁目1番11号宇都宮地方法務合同庁舎 028-623-0926

前橋地方法務局人権擁護課 371-8535 前橋市大手町2丁目10番5号前橋合同庁舎 027-221-4426

静岡地方法務局人権擁護課 420-8650 静岡市葵区追手町9番50号静岡地方合同庁舎 054-254-3555

甲府地方法務局人権擁護課 400-8520 甲府市北口1丁目2番19号甲府地方合同庁舎 055-252-7239

長野地方法務局人権擁護課 380-0846 長野市旭町1108番地長野第2合同庁舎 026-235-6634

新潟地方法務局人権擁護課 951-8504 新潟市中央区西大畑町5191番地新潟地方法務総合庁舎 025-222-1564

名古屋法務局人権擁護部 460-8513 名古屋市中区三の丸2丁目2番1号名古屋合同庁舎第1号館 052-952-8111

津地方法務局人権擁護課 514-8503 津市丸之内26番8号津合同庁舎 059-228-4193岐阜地方法務局人権擁護課 500-8729 岐阜市金竜町5丁目13番地 058-245-3181

福井地方法務局人権擁護課 910-8504 福井市春山1丁目1番54号福井春山合同庁舎 0776-22-5090

問合せ先一覧 (法務局地方法務局)

59 第30回全国中学生人権作文コンテスト

問合せ先一覧

世界人権宣言啓発書画「鳥」「自由と解放」を表わしたもの 小木太法書オタビオロス画(財)人権擁護協力会提供

入賞作文集 60

すべての人間は生まれながらにして

自由でありかつ尊厳と権利とに

ついて平等である人間は理性と

良心とを授けられており互いに同胞の

精神をもって行動しなければならない

―――

世界人権宣言 第一条

―――

第三〇回

 全国中学生人権作文コンテスト

中央大会表彰式

印  刷 平成23年1月25日

発  行 平成23年2月14日

発 行 者 法務省人権擁護局

全国人権擁護委員連合会

東京都千代田区霞が関一丁目1番1号

電話 03(3580)4111 内線5875

URL httpwwwmojgojpJINKEN

第30回全国中学生人権作文コンテスト中央大会審査員

感想をお聞かせください本作文集を読まれた感想等を下記の連絡先又はkeihatsumojgojpまでお寄せください

無断転載を禁じます本作文集に掲載された作文や写真等を地方自治体が広報誌に掲載したり学校が教材に使用される場合などにはあらかじめ下記に御連絡ください

100-8977 東京都千代田区霞が関一丁目1番1号 法務省人権擁護局人権啓発課 TEL03(3580)4111 内線5875

作  家(審査員長) 落 合 恵 子映画監督 山 田 洋 次社団法人日本新聞協会事務局長 川 嶋   明日本放送協会解説委員室解説委員 南   直 樹文部科学省初等中等教育局視学官 三 好 仁 司全国人権擁護委員連合会長 中 村 浩 紹法務省人権擁護局長   井 忠 雄

(敬称略)

【式次第】

第一部

 会

主催者あいさつ

賞状授与

内閣総理大臣賞法務大臣賞

文部科学大臣奨励賞法務副大臣賞

法務大臣政務官賞

全国人権擁護委員連合会長賞

社団法人日本新聞協会会長賞

日本放送協会会長賞(以上各一名)

法務事務次官賞(三名) 計一一名

学校への感謝状贈呈

高円宮妃殿下おことば

来賓祝辞

第二部

各受賞作文の朗読

内閣総理大臣賞法務大臣賞

文部科学大臣奨励賞

全国人権擁護委員連合会長賞

社団法人日本新聞協会会長賞

日本放送協会会長賞

 評

全国中学生人権作文コンテスト中央大会審査員

 山田洋次氏

 落合恵子氏(ビデオレター形式)

第三部

新垣勉さんコンサート

 会 平成二二年一二月一八日(土)

午後一時三〇分〜三時五〇分

於ニッショーホール

「いじめ」や暴力行為等は人権侵害です

法務局地方法務局では

人権侵害による被害を受けた方を

救済するための活動を行っています

お気軽にご相談ください

女性の人権ホットライン

インターネット人権相談受付窓口

ゼロナナゼロのハートライン

0570-070-810

子どもの人権110番ぜろぜろななのひゃくとおばん

 0120-007-110

パソコンから httpwwwmojgojpJINKENjinken113html携帯電話から httpwwwjinkengojpsoudanmobile001html

インターネット人権相談 検 索

Human Rights法務省人権擁護局全国人権擁護委員連合会

人権イメージキャラクター人KENあゆみちゃん人KENまもる君

全国共通通話料無料

全国共通ナビダイヤル

この冊子は環境保護印刷の「水なし印刷」で印刷されています

第30回全国中学生人権作文コンテスト入賞作文集

法務省人権擁護局全国人権擁護委員連合会

人権イメージキャラクター人KENまもる君人KENあゆみちゃん

この冊子には音声コードが各頁(奇数頁 左下偶数頁 右下)に印刷されています専用の読み上げ装置で読み取ると記録されている情報を音声で聞くことが出来ます

Human Rights法務省人権擁護局全国人権擁護委員連合会

 全国中学生人権作文コンテスト入賞作文集

 全国中学生人権作文コンテスト入賞作文集

第30回

やかながら人権の活動をしてきた「かつての中学生のひとり」としてとても充たされた思いの

中にいた

 

ありがとうと心から「あなた」にお伝えしたい

 

そして若い季節に人権を自分に引き寄せこうして作品にまとめあげた体験は「あなた」に

準備されているたくさんの明日に光をもたらしてくれるはずhelliphellipと書いてふっと思う自分の

暮らしの核に人権を置くことは素晴らしいことであると同時にある意味ストレスを抱え込

むことでもあるのではないかとそれは気づいてしまうストレスでもある社会にはまだま

だ差別がある人権についてセンシティヴであればあるほどそれに気づき失望し傷つくこ

とも少なからずあるはずだ

 

それでもとわたしは「あなた」にお伝えしたい気づかない人生よりも気づく人生そし

て気づいたことを少しでも「拓いていく」人生のほうが容易ではないがはるかに充実してい

るはずだと

 

オーディオセットから大好きなクリスウィリアムソンとメグクリスチャンの曲が流れて

いるhelliphelliphellipわたしたちは新しい時代を作るため新しいページを開くために時代のステージ

にいま登ったところだとふたりとも歌を通してアメリカで人権の活動をしてい

るアーティストである海のこっち側のわたしたちもいま新しい時代のページを

開く時そのステージの上にいる

9 第30回全国中学生人権作文コンテスト

審査講評

内閣総理大臣賞

 

私が入院した時眼科や外科内科などいろいろな病状の患者さんと知り合いになった仕事

で足を骨折した人胃を悪くして入院した人目の手術を受けた人など年齢や性別職業も様々

でふだんあまり接することのない人たちと話す機会に恵まれた病気やケガの苦労話はもちろ

んのこと世代の違う人たちの話はとてもおもしろかった「人権」について考える時その中

の一人の患者さんのことが頭に浮かんだ

 

人権侵害とは障害者やお年寄りなど立場の弱い人たちに対する差別や悪意のある偏見か

らくるものだとばかり思っていたところがたとえ善意であっても思わぬところから人権の侵

害になっていることがあるのだと考えさせられたのであった

 

目の手術を受けたその人は母と同年代ぐらいの女の人だった目が不自由なことで周りの

江え

川がわ

 麻ま

理り

香か

佐賀県佐賀市立東与賀中学校 三年

「身近で無意識な人権侵害」

入賞作文集 10

入賞作文

人たちがとてもよくしてくれるのはいいがそのために困ったり悲しい思いをすることもあると

いうのだった私はこれまで人に優しく親切にすることはいわば常識であり当然のことだ

と思っていただけに大きなショックを受けた困った時に手を貸してくれるというのに悲しい

思いをするとはどういうことなのだろう私たちが親切のつもりでやっていることが迷惑になっ

ているというのだろうかお年寄りや障害者をいたわるのは当たり前でありそれは感謝される

ことはあっても迷惑に思うなどとは筋違いではないだろうかところがその人の立場から見

れば好意のつもりでもまるで小さな子どものように扱われたりこれは危険だからと勝手に

予測されて遠ざけられてしまったりと自分の意思とは関係なく何でも先回りされてしまうのが

悲しいのだそうだ目は悪くとも自分は子どもではないしできなくはないことにまで行き

過ぎた親切にひどく心を傷つけられるのだというまた相手がよかれと思ってくれていること

だけにそれを断ろうものならあからさまにいやな顔をされたり急に態度を変えられることも

あったりでかえって気を遣うのだそうだ

 

私ははっとした今まで手を貸す側から見ることはあっても逆の立場から考えたことはな

かったので大きな衝撃を受けたいつの間にか相手より自分を少し高い所に置いて見ていない

だろうか無意識のうちに相手のことを保護すべき弱者だとして見ていないだろう

か私は今中学生だがそれ以下の子ども扱いされると腹が立ついちいち細かい

ことまで制限されたり禁止されたりすれば確かにいい気持ちはしない同じよう

に障害者や老人に対して危険だ何だのとその人ができることまでをも禁止し

11 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

まだこぼしてもいない湯のみを取り上げるようなことをしてはいないだろうか

 

確かに弱者をいたわり手助けすることは人として当然であり必要なことで

あるしかし相手の気持ちや状況を考えずただ一方的に押しつけるだけの親切

はただの自己満足でしかない見えない人には見えない人なりのやり方や考え方が

あるのにそこに寄り添うための理解がないとしたらそれは人権を侵害しているといえないだ

ろうか

 

人は皆平等であるけれど環境や年齢身体能力などは同じではないだからこそ人とし

ての尊敬の念や思いやりいたわりの心を持って接することが大切なのだと思う

 

しばらく前の人権侵害とは人を自分より見下したりおとしめることで優越感を持つための

ものだったように思うそして今生活や文化が豊かになった現代では行き過ぎた親切やいた

わりが人の心を傷つけそれが新たな種類の人権侵害の一つになっていることもあるのだ「善意

イコール感謝されるべきもの」という考え方が全てに当てはまるとは限らないまた当ては

めようとしてはならないその人にとっての「いちばん」は何かひとりひとりを尊重するため

には本当に助けが必要かどうか出すぎたことをしていないかを見極めることも大切なのだと

思う

 「人権」について考えることそれはとても難しいことのように思えるが意外と簡単なこと

ではないだろうか同じ人間同士が並んで歩くための人と人との間の権利私たちが無意識のう

ちに作り出している優劣の壁を取り払うこと自分の価値観を人に押しつけないこと自分も相

入賞作文集 12

入賞作文

手も同じひとりの人間なのだとその

人の心に寄り添い理解し合う努力こ

そ人権を守る大きな力になると思う

13 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

 

十五年前父が篠山の町中を歩いているとこう言われた「そんな棒きれ振り回さんといて」

と父は決して棒きれを振り回していた訳ではないただ白杖を持って歩いていただけだそ

の話を聞いて私は驚いたたった十五年前のことだけど信じられない気持ちでいっぱいになっ

ただが十五年経った今ではそんなことはないだろうマスメディアが発達しいろんなハン

ディを持った人のことが紹介されたり障がい者の方自身が社会参加する機会が増えたからだと

 

そしてこんな話も聞いたことがある電車に乗った時に時間が知りたくて携帯電話を開い

たときのことだ「こんなとこで電話したらアカンやろ」と中年のおばさんに怒鳴られたそうだ

優先座席の近くだったということもあるが『目の不自由な人=白杖を持っている』という認識

は広まってきているが時間を知りたいときには音声が出る時計や携帯電話を使うということは

法務大臣賞

辻つじ

本もと

 桃もも

佳か

兵庫県篠山市立西紀中学校 三年

少しずつhellip一歩ずつhellip

入賞作文集 14

入賞作文

ほとんど知られていないのだそのとき父は説明しようと思ったがどうせ分かってもらえな

いと思い「すみません」と謝りとても悲しい気持ちになったそうだ見えている人は時間

が知りたければ時計を見ればすぐに分かるだが目が不自由だと音で聞くしかないのだ私は

障がい者が暮らしやすいような機器が発達してきていることをもっと社会に広めていくことが

必要だと思うそうすることで協力してくれる人や理解してくれる人が増えていくのではな

いだろうか

 

視覚障がい者の方が日常生活を送る上で給付や貸与される機器がある音声で教えてくれる

時計や体重計文章読み上げ器などがそれだこれらは以前県の基準で市が実施要綱を定めて

そこが窓口となって行われていたが法改正により各市区町村対応となったしかしこの日

常生活用具の中に健常な家族と同居している視覚障がい者には給付してもらえない物もあるの

だそれは体温計や体重計であったりするこの体温計がなければ家族が出かけている間に

体調が悪くなっても計測することはできないのだ

 

父の知り合いに赤ちゃんを連れた全盲のお母さんがいる体温を計るのに複数の体温計で赤

ちゃんの体温を計りその体温計に印をつけて病院まで持っていって見てもらったり家族が帰っ

てくるのを待って見てもらうことがあるそうだ私たちは簡単に体温を計ること

ができるが見えない人たちはそれができないために生命の危険にさらされてしま

うことがあるのだせっかく便利な機器が発明されても値段が高くて簡単に購

入できないもしくは制度のカベによってそのサービスが受けられないことがあ

15 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

るしかし私の住む篠山市では父たちの声が福祉課の方々に届き日本で初めて

音声式体温計が同居家族の有無にかかわらず給付されるようになったのである

 

今は携帯電話が音声で読み上げてくれてメールや時間GPSなどの便利な

機能を視覚障がい者の方も利用できるようになっただがそのことを知っている

健常者の方は全国にどれくらいいるだろうかまたこのことを知っている当事者である視覚障

がい者の方が全国にどのくらいいるだろうか私はまだ知らない人が多いと思う

 

ここ十五年程で視覚障がい者の人は白杖をついているということはほぼ知られてきたが生

活を助ける機器が発達してきているということは知らない人も多いだろうそれが「あの人は

目が動いているから見えている」とか「あの人はずっと目をつぶっているから見えていない」

「物を避けているから見えている」「物にぶつかっているから見えていない」という勝手な

思い込みで障がいの重さをはかることにつながっているのではないだろうかでもそれは間違っ

ている目を閉じれば視覚障がい者の疑似体験はできるでもそれはあくまでも体験であって

個人個人の見え方はそれぞれ違うし外見や行動で障がいの重度を判断するのは良くないと私は

思う同じような見え方ができたとしても全く同じ動きなんてできる訳ないのだから毎日父

と生活していてもどのくらい見えているのか私にもはっきり分からないなにげに父たちがこな

している日常の動作であっても私たち健常者にははかりしれない恐怖と不安努力があるの

だ誰でも目をつぶれば見えない世界を体験した気になる松葉杖をつけばその体験をした気

になる車イスに乗ればその体験をした気になるだが本当の障がい者の苦悩と努力の一部

入賞作文集 16

入賞作文

しか体験していないことを知ってお

いてほしい私たちには当たり前に

できるようなことがあってもどん

なに望んでもできない人たちがいる

ということとみんなの正しい理解と

知識が障がい者の明るい未来へとつ

ながっていくということを知ってほ

しいそしてこのことを広めていか

なければならない

 「少しずつhellip一歩ずつhellip」

17 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

 「Pick your 

head up」

 

これは父がいつも私にかけてくれる魔法の言葉です

 「顔をあげなさい下を向かない」という意味です

 

私の父は生まれも育ちもニューヨークのアメリカ人です女の子は父親に似るとよく言われ

ますが私もそうで日本人の母親よりも父の方に髪質も肌の色も本当によく似ています子供

が親に似ることはあたりまえのことですが私はそのためにいやな思い悲しい思いをいくどと

なくしてきました

 

初めて自分がみんなとちがうんだなと思ったのは幼稚園に入学してまもなくのことでした同

じ組の女の子たちが何人かして楽しそうに遊んでいたので

ローリンズ リコ

福島県福島市立渡利中学校 一年

「差別のない世界へ」

文部科学大臣奨励賞

入賞作文集 18

入賞作文

 「まぜて」

と声をかけると一人の子が言いました

 「このグループは日本人で髪がまっすぐな人しか入れないのリコちゃんは髪がチリチリだし

ハーフだからダメ」と

 

私はとても悲しくなりましたそしてそれは卒園するまで続きました

 

小学校は人数も少なかったせいかみんなとても仲良くて私の外見のことを言う人はだれ一

人いませんでしたまるで兄弟のようにみんな自然に接してくれましたでも習い事やいろい

ろな大会など他校の子たちといっしょになる場面ではやはり髪の毛や肌のことをからかわれ

ることはよくあることでした私には二学年上の兄がいますが兄もやはり父の方に似ています

おだやかな性格の兄は私以上につらい思いをしてきたと思います

 

父は兄や私の話を聞くたびに

 「Pick your 

head up」

と言いましたそして

 「自分に自信とほこりをもちなさいあなたたちは二つの文化を受けついでそれはとてもす

ばらしいことなんだよ」

といつも話してくれました

 

中学に入って間もないころでしたある男の子がいきなり私に向かって言いまし

19 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

 「おまえ風呂に入っているのか黒いぞ外国人はくさいからな」

 

私はとてもはずかしくなりましたそしていかりや悲しみがこみあげてきました

まわりにいた友達は彼の言葉に苦笑いをしていました私はいかりのあまり彼をな

ぐりたくなりましたその時私は父のあの言葉を思い出しました私は顔を上げ

相手の目を見て静かに自分の傷ついた気持ちを伝えました

 

彼は私に向かってこう言いました

 「ごめんわるかった」

 

彼は人を傷つけるということが彼の想像以上に重くそしてひどいことだと少し気付いたよう

でした

 

差別やいじめというのは私たちのまわりでは小さなことから大きなことまで本当によくあり

ますそして差別やいじめをしている側からすればそれをじょう談だという人も多いのです

まわりの人たちもやはりじょう談や遊びの中でのことにとらえてしまう人たちもとても多いので

すだから小学校の時から私たちは道徳などでいじめや人権などについて学んでいてもなかな

かそれがなくならないのだと思いますでも実際に差別やいじめをされている方はみんなの想

像よりはるかに傷ついているということつらいということそして悲しいということを私はこ

の人権作文を通してたくさんの人に知ってほしいのですけがをすれば日がたつごとにそのけ

がは治っていくでしょうまわりからも治っていく様子が見てわかるでしょうでも心に受けた

傷は本人にしかわからないのですその傷がどんなに深くて痛いものか本人にしかわからないの

入賞作文集 20

入賞作文

です

 

肌の色が違っていてもかみの毛が

違っていても私たちはみんな同じ人間

です心を持った人間です相手の気

持ちを思いやり相手の立場になって

考えればいじめや差別はなくなると

思います今も世界のいたるところで

人種差別が問題となり争いが起きてい

ます私は世界から差別やいじめがな

くなるように強い心を持ってまずは

自分から立ち向かっていきたいです

21 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

 

あなたには大好きなふる里がありますか私には緑の木々と青い海に囲まれた自然豊かな

大好きなふる里があります私のふる里は過去に公害という大きな被害をうけた水俣ですそ

の水俣病で患者はもちろんそうでない人も長い間差別をうけてきました

 

父が幼い頃まだ水俣病の原因が究明されておらず水俣病はうつると言われていました列

車が水俣の駅につくと窓をしめ手で口をおおった人もいました修学旅行に行くと同じ宿

舎になった学校から苦情を言われたこともありました水俣出身ということで結婚を断られた人

や就職試験をうけることさえできなかった人もいました水俣に住んでいることをかくして隠

れるようにひっそり暮らしていた人もいましたまた同じ水俣に住む人でさえ奇病と呼び距

離をおきましたそのことでたくさんの人々が傷つきあってきたのですいろいろな立場の人々

井いの

上うえ

 由ゆ

紀き

子こ

熊本県熊本県立八代中学校 一年

私の大好きなふる里

法務副大臣賞

入賞作文集 22

入賞作文

がせまい土地に住んでいるのですから仕方がなかったのかもしれません

 

しかし今では原因も究明され海の安全も確認されたことでそのようなことはほとんどな

くなりました私たちは過去のことを忘れるくらい楽しくすごしています

 

私は今八代の中学校に通っています私は自分が水俣出身ということを隠すこともありませ

ん友だちもまたそのことを知っていますがからかったりいじめたりする人は誰一人いません

 

しかし先日水俣の中学校のサッカー部が練習試合中に相手チームの選手から

「さわるな水俣病がうつる」

と言われたという記事が新聞にのっていました今でもこういう風に思っている人がいるのか

と思うと残念で仕方ありません何気なく言った一言だったのかもしれませんがその一言は

私たち水俣に住む者にとって非常に悔しく悲しいものでした

 

小学校の総合的な学習の時間で水俣病について学習しました原因となった会社を訪問したり

患者の方から当時の話をきいたり交流も行いましたそんな中で苦労されたり何も言えずに

黙って亡くなった人のことを知り水俣に住んでいながら何も知らなかったことをはずかしく思

いました水俣病についてしっかり学び正しい知識を得ることが差別や偏見をなくすのだと気

付きました

 

中学校の道徳の時間ではハンセン病について学習しましたこれも水俣病同様

正しい知識がなかったためにおきた悲しく悔しい悲劇でした

 

私たちが差別や偏見をなくすためにできることそれはその人その出来事に

23 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

ついてしっかり知ること知ろうと努力すること正しい知識を深めるために学習

することではないかと思いますそうすれば水俣病やハンセン病のようにむや

みに人と人とが傷つけあったり憎しみあったりすることはなくなるのではないで

しょうか

 

先日テレビで水俣のダイバーが紹介されましたその人は本当はほこりたい水俣を心の中

にじっとしまいこみ誰にも言えず何年もの間生きてきた人でしたしかし水俣の地にも

どり自分はこのすばらしい美しいふる里を紹介したいと海にもぐり写真をとり続けておら

れるそうです心に差別という深い傷を負いながら水俣の再生を皆に知らせたいと頑張る人

がいることに感動しました

 

今水俣はごみの分別リサイクル事業など市民全員で環境にやさしい町づくりをすすめてい

ます私は差別や偏見から立ちなおり再生しようと環境問題に一生懸命とりくんでいるふる

里水俣をほこりに思っています

 

水俣では運動会等多くの行事で「水俣ハイヤ節」というものが踊られますこれは水俣病

の患者の方が水俣の青い海と豊漁を願って振りつけをされた踊りだそうです私たちと同じ思い

をする人が二度とでないことを祈りながら私たちは毎年皆でこの踊りを踊ります

 

水俣の悲しい過去を変えることはできませんが私はあやまちを二度とくりかえさないため

にこの美しい自然を守り真実を語り継いでいきたいですそして差別や偏見のない社会に

なるよう自分から努力していきたいと思います

入賞作文集 24

入賞作文

25 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

 

みなさんは「本当の『平和』とは」と質問されたら何と答えますか「戦争や紛争などが

ないこと」ですかそれとも「自分自身の幸せのこと」ですか一人ひとりの抱く「平和」のイ

メージは違うことでしょう

 

僕の思う本当の「平和」それは「家族」がいて「家庭」があることだと思いますなぜそう

思うかというと今僕は訳あって家族とは離ればなれに暮らしているからです一歳前後には既

に家族とは離れ施設にいました母親や姉兄の存在はわかっていますが一緒に過ごした時

間は限られたもので今でもほとんど交流はありませんそのせいか僕はいつも「家族」や「家

庭」というものに強い憧れを抱いています

 

自分がまだ幼い頃は自分と同じくらいの子が母親と手をつないでいる姿がとてもうらやまし

大おお

田た

 葵あおい

栃木県さくら市立喜連川中学校 三年

「家族」とは何か

法務大臣政務官賞

入賞作文集 26

入賞作文

「どうして自分には母親がいないんだろう」と思っていました仕舞いには自らの母親を恨ん

でしまったのです小学生になってもその気持ちは変わらず母親への恨みは増すばかりでした

 

しかし小学五年生の夏思いもよらぬ出来事が起きましたそれは引っ越しがあったこと

ですそこで僕は新しい土地そして新しい里親という人たちに出会いました里親の人たち

と暮らした数年間僕は幸せでしたそこで僕は僕の周りにはいつも支えてくれる人たちがい

ることに気づきました血のつながりがなくても僕に自分の子どものように接し育ててくれ

た里親の人たち養護施設の先生方などたくさんの方たちに僕は見守られて成長してきたこと

に気づいたのです僕を支えてくれる人すべてに感謝の気持ちがわき出てきましたそれ以来

僕は親という存在にこだわらなくなりましたそれどころか自分に命を与えてくれた親に感謝

の思いを抱くようになったのです

 

この夏母親の育児放棄が原因で二人の乳幼児が衰弱死するという悲しい事件がありました

二人の子どもにろくに食事も与えず風呂も入れなかったそうですさらに逮捕後その母親は

「家に帰ってあげなかったことを今も後悔している子どもは私を恨んでいると思う」

という言ってはならない発言をしました僕は怒る前に亡くなった二人の子ども

たちがかわいそうでなりませんでした

 

と同時に僕はこの母親はどうしてこのようなことをしてしまったのだろうと

すごく考えさせられました僕は本来親は子どもを殺すのではなく守るために

27 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

いるのだと考えますたとえ小さな子どもでも立派な一人の人間ですその命を

守り育てていくことが親として大切な役目だと思うのですこの母親はどこで

勘違いしたかは知りませんが親としての自分の責任を理解していなかったのでは

ないでしょうか

 

そしてその勘違いを誰も母親に気づかせてあげられなかった事実母親が一緒に遊び歩いて

いた友人はもちろん母親の家族が少しでも助けることができていたら母親の行動を戒めるこ

とができていたら連絡を受けた児童相談所がもう少し踏み込んだ行動が取れていたらこのよ

うな悲しい結末にはならずに済んだのではないでしょうかやりきれない思いばかりがこみあげ

てきます

 

もう一つこの母親は大きな勘違いをしていますそれは「子どもは私を恨んでいると思う」

という言葉です僕はこの子どもたちが母親を恨んでいるとは思えません子どもたちは母

親が帰宅するといつもハイタッチをして喜んで迎えたそうです子どもたちは母親のことが大

好きだったのでしょうたとえ自分たちを見放した母親でも恨んでいるとは決して思えないの

です

 

子どもは心の底から自分の母親のことを恨めないと僕は思いますこの世に生を受け笑った

り怒ったり泣いたりと毎日いろいろな経験ができるのは自分を生んでくれた母親という存在

があったからです正直僕も小さい頃は母を恨んだことがありました愛情の裏返しというよ

うに母親への思いが憎しみに変化してしまったのですでも心の底には母への恨みとは全く

入賞作文集 28

入賞作文

正反対の気持ちが存在し続けていましただ

からこそこの子どもたちがどんな思いで死

んでいったのかわかるような気がします母

親を信じひたすら母親の帰りをまちわびて

いた思いが

 

僕にとっての「家族」それは同じ屋根の

下で暮らす人々のことですたとえ血はつな

がっていなくても僕を支え励ましてくれる

人たちそのすべての人が僕にとっての大切

な「家族」なのです今僕の暮らす養護施設

にはいろいろな事情を抱えた二歳位から高

校生までの子どもたちや職員の方が約六十人

います今の僕には全員大切な「家族」で

す僕はこれからもこの「家族」を大切に

一日一日精一杯平和に生きていきたいです

29 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

 

授業でハンセン病について学んだ日両親と「偏見」や「差別」について口角泡を飛ばす議論

を深夜まで繰り広げた身体障害者の父と看護師の母を持つ私は幼い頃から「命の大切さ」を

訴える両親の姿を見て育って来たそんな私は真摯な気持ちからハンセン病罹患者と向き合い

たいと思いこの夏草津にある療養施設栗生楽泉園を訪れた

 

草津までの道のり私は罹患者の気持ちを絶えず考えていたハンセン病について調べると「ら

い予防法」により罹患者は隔離され人権を無視された扱いを受けたことが分かった罹患者の

言葉が書かれた本ではどんなに過酷な仕打ちを受けたか他人をどれほど恨み憎んでいるか

が書かれていたその為私は無意識の内に「罹患者は全員恨みを抱いている」と勝手に思い込

んでいたしかしこんな思い込み自体が偏見や差別を生む原因になるということを後に思い知

大おお

井い

 海み

琴こと

群馬県群馬大学教育学部附属中学校 三年

忘れてはならないこと

全国人権擁護委員連合会長賞

入賞作文集 30

入賞作文

らされることになるのである

 

私を迎えてくれたのは入園者自治会長の藤田三四郎さん藤田さんは大変お元気でその容姿

からはハンセン病を伺い知ることはできなかったしかし藤田さんは紛れもない罹患者なのだ

その証拠に藤田さんの名は本名ではない罹患者は施設に入所するにあたり偽名を使用させら

れたと言うつまりその時点で罹患者は世間から存在を消されてしまうのであるそんな藤田

さんから語られた話はハンセン病だと宣告され三度も命を絶とうとしたこと重症患者の看

護を押しつけられ数え切れない人を看取り自らの手で葬ったこと家族が受けた迫害や侮辱的

な言葉など想像を絶するもので筆舌し難いものだったしかしこんな迫害と差別は同時にハ

ンセン病患者達の人権回復闘争の歴史でもあったのだ闘争の末「らい予防法」が廃止される

と今まで差別や人権侵害を繰り返していた多くの人が掌を返す様に態度を変えたと言う私は聞

いていて怒りを覚えたが不思議なことに耳を塞ぎたくなる様な内容を語る藤田さんからは全

く怒りや恨みが感じられないのだ私は話を聞くまで自分の運命を呪い周囲への恨みつらみ

の言葉が出てくるとばかり思っていたしかし出てきた言葉は「入園出来て良かった差別は

受けたが今では恨みを抱く罹患者も少なくなったそればかりか最近はたくさんの人が我々を

理解し協力してくれるので嬉しい何故なら一人の百歩は力が無いが百人の一歩

は力になるから」と言う感謝の言葉だったのだ本当に「恨みは無いのか」と何度

聞いても答えは同じだった私は恥ずかしくなったハンセン病について調べ罹

患者の心を理解したようなつもりでいながら実は何も理解できてなくてそれば

31 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

かりか罹患者を偏見の眼で見ていたのは私自身だったのだ私は話を聞いてとめ

どなく溢れ出る涙を拭いながら心の片隅に潜んでいた「偏見と言う名の種」が身

体から洗い流されていくのを感じていたそれは同時に「思い込みや無知が偏見

や差別を生みだす」ことを強く感じた瞬間でもあったそれだけに藤田さんの「自

分と同様に他人を愛すればいつか必ず世界から差別はなくなる他人を愛して下さい」の慈愛に

満ちた言葉が一層重く腑に落ちるのだった

 

帰りがけ千五百ページにも及ぶ「入所者証言集」を手渡されたその際私は見えない襷も

手渡された気がしたその襷とは証言集に記された罹患者の「事実を風化させないで私達の事

を忘れないで」という搾り出すような叫び声とその姿だったのである

 

ハンセン病が治る病気であるのに誤った知識から悲惨な人権侵害が長期に渡り続いた同じ間

違いを繰り返さないためにも事実を語りついで行く必要があるここ楽泉園でも高齢化が進み

証言者の数が減っているこれは全国一五全てのハンセン病療養所に共通することだハンセン

病問題は罹患者がいなくなればそれで終わると言う問題ではない今後人権問題を考える際重

要な指針になりうる事実なのだそしてこの事実の風化を防ぐことが私達若い世代の役目だと

私は思う

 

私は小六の時友人達から突然イジメを受けたそれを引きずり他人を恐れ憎み自分を

嫌って生きて来たしかし罹患者の声が私に生きる力と前を向いて歩む勇気を与えてくれた

楽泉園訪問は私に人生観が変わる程の衝撃を与えてくれたのだこんな私だが罹患者の声を伝

入賞作文集 32

入賞作文

える「百人の中の一人」にはなれるはず

だそのために私は今この作文を書い

ている文字は時を越えて生き続けるか

ら私はこれからも楽泉園訪問を続ける

つもりだ実際に中学生の私が出来るこ

とには限りがあるが差別や偏見を少し

でも減らすために一歩を踏み出すつもり

でいる「自分と同様に他人を愛すれば

いつか差別は無くなる」と言う藤田さ

んの言葉を胸に

33 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

 

森に囲まれたその一画には教会や寺院神社があり小さなショッピングセンターやレスト

ランもある床屋や図書館郵便局や浴場もあるしかしそれらの施設を利用するのはその一

画に住む人たちだけだ緑の外側に住む人が利用することはないそこはハンセン病の療養所

多磨全生園である

 

僕は七年前に清瀬市に引っ越してきた夏のある日昆虫が大好きな僕は何気なくその森の

中に入って行ったそして歩き回っているうちにその場所が一つの「町」であることに気付

いた

 

毎日セミやカマキリやナナフシを探しながらどうしてこんな所があるのだろうと思った

 

僕が一番不思議に思ったのは古い木造の小学校だいつも誰もいない校舎と小さな運動場近

久く

米め

 一かず

輝き

埼玉県学校法人立教学院立教新座中学校 一年

ハンセン病について考えたこと

社団法人日本新聞協会会長賞

入賞作文集 34

入賞作文

くに小学校があるのにどうしてこんな所に小学校があるのだろう小学一年生の僕はとても不思

議に思った

 

夏に地域交流を目的とした盆踊りと花火大会が行われるいつもは人のいない小学校跡は多く

の人であふれかえり普段は見かけない重い後遺症の老人たちもこの日は外に出て盆踊りを楽し

む初めて参加したときは言葉が出なかった正直「怖い」と思った

 

夏が来るたびに僕は盆踊り大会に参加した低学年から高学年へと進むにつれて少しずつハ

ンセン病のことが分かってきた

 

六年生のときに社会科見学で全生園の元患者を訪れることになっただが僕は都合で参加で

きなかった僕はそれをずっと悔やんでいる

 

今年の夏僕はハンセン病資料館に出かけた見学者は僕一人でとても緊張したなるべく

音を立てないようにパネルを見て回った

 

強制隔離の現実にとても驚いた狭い部屋に押し込められ症状の軽い患者が重症の患者の世

話をしたという子供を持つ権利や生まれる赤ん坊の命まで奪われていた逃げ出したり反抗的

な患者は「不良患者」と呼ばれ窓の小さな暗い監房に閉じ込められた

 

医学が進歩し療養所も徐々に改善されていったが強制隔離を命じる「らい予防

法」が廃止されたのは一九九六年だという隔離が始まった一九〇八年から約九〇

年も経っていた僕が生まれるほんの一年前のことである特効薬が開発され本

格的な治療が始まったのは昭和二十二年である現実に合わない法律を廃止するの

35 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

にどうしてそんなに時間がかかったのだろうか

 

資料をもらってハンセン病資料館を後にした家を出るときは帰りに虫の観察

をするつもりだったがとてもそんな気にはなれなかったいつもセミが集まる桜

の木には目もくれずに早足で家に帰った

 

資料の中で一番心が痛んだのは療養所の子供たちのことだ療養所に入所したのはハンセン

病を発症した子どもたちだけではない親が発症したために入所する子どもたちもいた当時は

ハンセン病は遺伝病だとされていたからだ親から無理やり引き離された子どもたちは「すぐに

帰れるから」という言葉を信じていたというしかし一生療養所を出ることができなかった人が

多かったという社会的な差別がひどかったからだと資料に書かれていたが僕には実感がわか

なかったのでもう少し調べてみることにした

 

図書館で『ハンセン病を生きて』(伊波敏男著)という本を見つけた少し難しかったが差

別の現実が僕にもわかる部分があったそれは元患者たちに対して書かれた匿名のひどい手紙

である長年隔離されて苦しんできた人たちをさらに傷つける言葉が並んでいた悲しく暗い

気持ちになった

 

日本は経済大国として世界の注目を浴びているだが人権意識の面ではどうだろう「らい

予防法」を二〇世紀の末まで廃止できなかったことをどう考えたらよいのだろうか明治時代に

隔離が始まったときそれは外国に対する体面を保つためだったという病気の人を治療するの

ではなく「隠す」のが目的だったのだいまだに差別意識を持つ人がいるのは社会がそうした

入賞作文集 36

入賞作文

過去に対する反省をしていないから

だと思う

 

僕が不思議に思った小学校はすで

に取り壊されて今では小さな石碑

だけが残っている老朽化がひどく

残しておくことができなくなったか

らだという全生園の古い建物はど

んどん取り壊されていく石碑だけ

ではあの不思議さが伝わらないのが

とても残念だ

37 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

 

僕の曾祖父は医者嫌いでしたそのため腹痛で病院に運ばれた時は膵臓癌の末期で余命三ヶ

月でした手術もできない手遅れの状態でした家族皆で話し合い曾祖父の辛い気持ちを第一に

考え曾祖父に病を隠すことになりました曾祖父は次第に病院の中を歩いては転倒し体中あ

ざだらけになりベッドの上で縛られることになっていました曾祖父は病名の宣告を受けてい

ないため元気で歩けると思っているが実際歩くと転んでしまう何でこんな風になってしまっ

たのかさえわからない

 

家族と病院に行くと「包丁もてこいこれぶった切って家さ帰る」と騒いでいましたあん

なに優しかった曾祖父の姿に言葉も出ず恐いくらいでした何も知らされずベッドに縛り付

けられれば誰もがそうなることでしょう「じいちゃんどご一緒に車さのせでいてくれの」と

櫻さくらだ田

 要かな

太た

山形県酒田市立松山中学校 三年

日本放送協会会長賞

悔いのない最期を

入賞作文集 38

入賞作文

せがまれたときもありますかわいそうで涙がポロポロこぼれました「おじいちゃんどご家

さ連れで帰ろうよ」とせがんでも家族も仕事で忙しいためか誰も首を縦に振ってくれず病院

にいた方が安心ということになりました膵臓癌は予想以上に激しい痛みのため医師から強い

痛み止めと強い睡眠剤を勧められましたがそれを導入することにより安楽死に近い状況にな

ることも医師から告げられていました家族は決断をせまられました曾祖父に相談もせずに決

めていいことなのか家に帰りたい曾祖父の意志は封じ込められたままでいいのか家族で悩み

ました結局痛みに耐えている姿は見ていられなくその薬を使うことになりましたその後

曾祖父は次第に弱っていき口も利けなくなり静かに亡くなっていきました僕はどこか心を

引きずったままでした僕達家族が曾祖父に宣告もせず意見も聞かず命の長さを決めてしまっ

たこと当時幼かった僕には何もしてあげられなかったことが今思い出しても残念です

 

最近授業で人権について学習しているときに幼い頃の記憶がよみがえりふと曾祖父のこと

を思い出しました

 

曾祖父はどんな思いで亡くなったのだろう最後に意識のあるうちに一度でいいから家に帰っ

てきたかっただろう身体拘束は今は病院でも禁止されていると思いますがあの頃は確かに曾

祖父のおなかに黒いベルトのようなものが巻きついていました決して自分の力で

は外せないようなものでしたもがき苦しむ曾祖父の姿を見た時に看護師さんに

目を隠され別の部屋に連れて行かれました見せたくない光景だったのだと思いま

すでもあの姿は僕の脳裏に焼き付いています病院の中での人材不足のためだっ

39 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

たのでしょうか人が人らしく生きていない姿でした

 

七十八年生きてきて何も悪いことをしていないのに縛られ家にも帰れない

病気で余命幾ばくもない人には人権というものは存在しないのでしょうか最近の

医療の現場では自己決定権があることについて学びました

 

仏壇に向かい静かに目を閉じると優しく穏やかに微笑む曾祖父の笑顔が浮かびますどんな

気持ちで亡くなっていったのかその気持ちを考えると苦しい気持ちになります野球の大会に

行く前仏壇に手を合わせます「やればできる努力しろ」とよく励ましてくれました曾祖

父の力には何もなれなかったけれど目には見えない力で応援してくれる曾祖父に線香をあげて

自分を省みる時があります曾祖母が元気なので曾祖父を助けられなかった分曾祖母の力に

なっていくことを曾祖父に約束しています

 

夏休み中のニュースで高齢者の所在不明者が多数のため百歳以上の安否確認調査をしていま

した自分の親を平気で捨て遺骨さえもひきとらない亡くなっていたのに年金を不正受給する

ために隠していたなど耳をふさぎたくなるような事件もありました犬や猫が年をとって弱っ

てきた手がかかるから面倒だからと捨ててしまうそれと同じ現象が弱い高齢者にも及んでき

ているのだと思います

 

やはりこの世に生まれてきたもの全てに自分の意志で生きることを決めていける権利がある

と思います長い年月を苦労や努力と向き合いながら精一杯生きてくれたおかげで今の幸せが

あることを忘れずにいたい人はいずれ誰でも年をとります自由に動けなくなった時に自分の

入賞作文集 40

入賞作文

願いが叶う社会を築き「悔いなく満足で楽しく幸せな人生だった」と思えるように人とし

ての誇りを持って満足できる最期を迎えられるように考えていきたいもう二度と僕が見た自

己決定権のない社会にならないように高齢者には今までの感謝の気持ちで本人の希望をでき

るだけ叶えられるように努力していきたいいずれ僕達も迎える高齢社会だからhellip

41 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

 

私は小学六年生の時から盲導犬候補の子犬を育てるボランティアをしています「犬を飼っ

てみたい」と言う私に両親が「せっかく犬を飼うのなら社会に役立つことをしよう」と提案

したからです生後二ヵ月の子犬を預かり一歳の誕生日を迎えるまで世話をするのがボランティ

アの役目です初めて訓練士さんから子犬を手渡された時は不安でドキドキしましたが子犬は

すぐに私の腕の中で眠ってしまいました初めて会った私のことを信頼して安心しきった寝顔

で眠っている姿は本当に可愛かったですラブラドールの子犬はとてもやんちゃで私の家にやっ

て来たその日からいたずらばかりしていましたがしかられてもクヨクヨせずどんな相手にも

 林はやし

 里り

咲さ

東京都小平市立小平第六中学校 三年

差別のない社会に

(パピーウォーカーの経験から学んだこと)

法務事務次官賞

入賞作文集 42

入賞作文

フレンドリーに近づいていく姿から私は明るく前向きに生きることを教わりました子犬たち

と過ごした日々は私にとって一番の宝物ですそしてあっという間に一歳の誕生日がやって来ま

した誕生日が悲しいという経験は初めてでした訓練所への入所日の前日には長い長い散歩を

して最後のお別れをしました「今までありがとう」そう言った私のことを不思議そうに見てい

た子犬の顔が今も目に焼きついています別れは本当につらいけれど涙を見せたら子犬が心配す

るので頑張って笑顔で見送りました

 

私の家で育てた一頭目の子犬は現在盲導犬になって頑張っていますそして今年四月に巣立っ

ていった二頭目の子犬は神奈川にある訓練センターで訓練中です

 

このボランティアを通して私は多くのことを学びましたまず盲導犬の役割ですがこれは単

に目の不自由な方が便利に一人でどこへでも行けるようにするためだけではありません視覚障

がいのある方にとって人の手をわずらわせるのはとてもつらいことなのだそうですたとえ家

族に対してでも「迷惑をかけるのではないか」と思って我慢することが多く「私なんかいない

方がいいんじゃないか」と考えてしまうこともあったといいますその失われそうになった尊

厳を取り戻す手助けをするのが盲導犬の役目なのです犬は訓練を共にするパートナーのことを

大好きになるので「自分は他者からこんなにも大好きになってもらえる存在なん

だ」と気づいて自信を取り戻し新しい一歩を踏み出せるようになるのだそうです

 

また私がボランティア登録している日本盲導犬協会では二〇〇八年に新しい

試みが始まりました受刑者が盲導犬候補の子犬を育てる動物を介在した日本初

43 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

の教育プログラムです罪を犯した人も心から反省してきちんと罪を償えば社会

は差別することなく受け入れるべきですしかし実際はとても偏見が多く元受刑

者たちは「どうせ自分はだめな人間なんだ」と思い再び罪を犯してしまう悪循環

が起こっているそうですその悪循環を断ち切り受刑者たちがスムーズに社会復

帰を果たせるよう支援するのが「あさひ盲導犬パピープロジェクト」です受刑者たちは約十ヵ

月の間子犬たちを世話しながら一緒に過ごし「役に立つ喜び達成する喜び信頼される喜び」

を感じることで自分の価値を再確認するのだそうです今年一月に第一期のプロジェクトを修了

した受刑者の感想に次のようなものがありました

 「今後自分もパピーに笑われないようにきちんとしなければならないパピーは慈しむこと

寛容の心を教えてくれました」

 

犬は決して差別をしません健康な人にも障がいのある人にもお金持ちにも貧しい人にも

権力のある人にも犯罪を犯した人にも全く同じように接してくれますそんな犬たちと一緒に過

ごすことで自信をなくした人たちも自分のことをかけがえのない大切な存在であると思えるよ

うになるのです

 

私たち人間も差別のない社会をつくる努力をしなければならないと思います一人一人が相

手を大切に思う心を忘れなければこの社会はもっと住み良い場所になるはずです私はこのボ

ランティアを通して学んだことを生かしてこれからも一層努力していきたいと思います

入賞作文集 44

入賞作文

45 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

 

僕は祖父のために自助具を作ろうと思った祖父は去年の夏脳梗塞で倒れた祖父は一命

を取り留めたものの右手と右足がまひしてしまったのだその三週間前僕も車椅子から転倒し

て足を骨折した

 

僕には障害がある車椅子で生活することが多いしかし僕のことを障害者だといって差別

するような友達は一人もいない

 

祖父は歩けるようになりたいという気持ちが強かっただからリハビリを頑張り自分で

歩けるようになるまで回復した頑張っている祖父がかっこいいと僕は思った祖父はリハビ

リを頑張ったにも関わらず右手がうまく動かせなくなってしまっただからご飯を食べる時も

服を着替える時も時間がかかる普段何気なくやっていた動作がとても大変だと祖父は言ってい

守もり

田た

 幸こう

平へい

静岡県静岡大学教育学部附属浜松中学校 三年

祖父への靴下

法務事務次官賞

入賞作文集 46

入賞作文

た僕も何か役に立てることはないかと考えた

 

僕の学校には総合学習という授業があるそこで僕は福祉というカテゴリーを選んだ自

分で社会に役立てることを考え実際に行動することが目標だった僕は障害者のために何が

できるかを考えた

 

僕は二年前に静岡文化芸術大学で障害者がいかに日常生活で不自由のない生活ができるかを

考えるプロジェクトがあるのを新聞で知ったそれは大学生たちが個人個人にあった自助具を

作るプロジェクトだった僕は障害者のために何かできるのではと感じた

 

僕は静岡文化芸術大学へ行って僕にもできることがないかと聞いたすると学生さんが

自助具を作ってみないかと声をかけてくれた僕は迷わず「はい」と言った障害者のために

役に立てることがあると思うとすばらしいことだと思ったからだ

 

祖父のつらい顔を見ると日常生活に数々の大きな壁があることが伝わってくる

 

僕は祖父の数々の大きな壁を突き破ろうと思った祖父のために自助具を考え作ろうと僕

は思った祖父が靴下の脱ぎ履きが大変だと言っていたことを思い出したそこで脱ぎ履きし

やすい靴下はできないか考えた靴下の両脇にひもを取り付けてそれを引っ張ると靴下が縮み

脱ぎ履きしやすくなる仕組みだ大学の先生も良いアイディアだと言って褒めてく

れたこれは障害者だけでなく健常者にも使えると言われたユニバーサルデザ

インだと分かった

 

ユニバーサルデザインは年齢や障害の有無にかかわらず全ての人が使いやす

47 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

いように工夫された用具などのデザインである境界がなくなるように健常者が障

害者に対する偏見を考え差別意識がなくなるチャンスだと思った障害者と健常

者が共によりよく生きることが大切だと僕は思った

 

自助具の作品展では杖をついているお年寄り車椅子に乗った若い女性目の

見えない人福祉関係者など沢山の人々が観に来ていた皆自分の生活を良くしようと思っ

ているようだったまた障害者のためにできることは何だろうかと考えている健常者もいるよ

うだった

 

二年生の時の総合学習では二箇所のデイサービスを訪問したデイサービスには六十五歳以

上のお年寄りがいた暗く元気のない人明るく振る舞い誰とでも話せる人など様々だった

しかし僕が一番印象に残ったのは笑顔を絶やさず優しくお年寄りに接していた介護士だった

お年寄りの中には悩みを抱えている人が多いそうだその悩みを解消させる人もまた介護士だっ

た僕は介護士がお年寄りの体を支えるだけではなく心もそっと支えて生きる喜びを与え

ているのだと感じた

 

現代は三世代で暮らす家族が減り核家族が増えているそれはお年寄りの世話が大変だ

からという理由が多いだから老人ホームやデイサービスに預ける人が増えていると僕には

思えたお年寄りの中には自分が嫌われているのではないかとさえ思ってしまう人もいるそう

だそれはお年寄りにとって辛く悲しいことだと思うある介護士がこんなことをおっしゃっ

ていた「人の優しさはお金では買えない」誰にでも優しい心があると思うしかしあと一歩

入賞作文集 48

入賞作文

のところで行動に移すことができない人が多いの

だ僕たちが平和な社会で暮らせるのは今まで

頑張ってきてくれたお年寄りのお陰であることを

忘れてはいけないお年寄りを大切にすることは

当たり前のことなのだ

 

また障害者に対しても偏見の目で見ないで

そっと近づいて手を貸してあげれば健常者との

高い大きな壁を崩すことができると思う

 

障害者にも高齢者にもまた健常者にも人権

はあるお互いの人権を大切にすることが明る

い未来に繋がっていくのだと思う

 

早く祖父に僕の作った靴下を届けたい

49 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

 

僕は小学校六年生まで福岡県に住んでいましたそこで僕が体験したことです五年生のこ

ろ僕の友だちのA君が同級生のK君の靴を隠したりからかったりしていることがよくあり

ました最初は僕もあまり気にしていませんでしたがK君のことを「なんだかかわいそう」と

思うようになりました

 

ある日僕は勇気をだして先生に「K君がいじめにあっています」と報告しました初め先生は

「じゃれ合っているだけだろう」と「いじめ」とは思ってくれませんでしたでもその後「いじ

め」と分かりA君は先生に注意されその日一日は反省した様子で過ごしていましたしかし

次の日学校に行くといじめは前以上にエスカレートしていて蹴ったりたたいたりするように

なりましたしかも「死ね」「うざい」「消えろ」などの言葉が飛び交うようになりそんな日々

法務事務次官賞

浦うら

谷たに

 毅たける

徳島県三好市立池田中学校 三年

いじめをなくすために今

入賞作文集 50

入賞作文

が続きました

 

それは六年生になっても続きました僕はそのいじめを止めることができず毎日見て見ぬ

振りをしていました今思うと自分がとても恥ずかしいです本当の友達なら止めるべきなの

にそれだけではなくいじめられているK君に声一つかけることができずにいました心の中

ではA君に「やめろよ」と言おうと思っていたけどなぜか勇気が出ませんでした次にい

じめられるのが自分になるのが恐くて言えなかったのです

 

そんな日々が続く中僕の気持ちを大きく変える出来事がありました父の死ですそのとき

のことは今でも忘れることができません聞いたときには頭の中が真っ白になりました最初

は信じることができませんでした一週間も二週間も学校に行けずただぼーっと過ごしてい

ましたいろんなことを考え徐々に「死」というものの悲しさつらさ「死」という意味の

重さがわかってきましたそして時間はかかりましたが「命は一瞬にして消え二度と戻っ

てこないものだだから命を大切に今を大切にしなければならない」と深く受け止めることが

できるようになりましたそして周りの子たちは僕のような経験がないから「死ね」とか軽々

しく言えるのだろうと思いこの気持ちを伝えなくてはならないと考えました僕が強くならな

くてはと思いました

 

こんな気持ちになったとき僕には時間がありませんでした母の実家がある徳

島への引っ越しが一週間後に決まっていたのです落ち込んでいる暇は無いと思

い学校に行った僕はA君に言いました「いじめなんかやめろよいじめたって

51 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

喜ぶ人はいないし悲しむ人がいるだけだろ自分だってほんとは嫌だろ『死ね』

とか『消えろ』とか言葉の重さを知らないのに言うなよ」と言いました父親の

突然の死そのあと僕が考えたことも伝えました

 

友だちは黙って聞いてくれました僕の言葉にうなずいてそのあとK君の

ところへ行き「ごめん言葉の重さも知らずに言って本当にごめんぜったいに死ねなんて

ことは言わないそしていじめは絶対にしないほんとうにごめん」とあやまりましたK君

はとても優しい笑顔で「いいよ」と一言言いました僕もK君に言いました

「今まで助けてあげられなくてごめん」

K君は笑顔で「ありがとう」と言ってくれました今まで自分の中でもやもやしていた気持ちが

スーっと晴れました

 

今も時々耳にする暴言冗談半分で言っているのかもしれませんしかしいついじめにつ

ながるかわかりません他人を傷つけることで自分のストレスを晴らそうとしているのでしょう

関係ないふりをしようとする自分がいます楽な考え方をする自分がいますそんな時亡くなっ

た父の顔やK君の優しい笑顔を思い出しますあの時の自分のように強い気持ちを持とう「や

めろよ」と一言言うするとまた気持ちがスーっとしてきました

 

父の分も頑張って生き抜こうと決めた僕にとって正しいことを素直に認め悪いことを否定

できる強い意志を持つことが目標ですそして何よりも命を大切に今を大切にしていきたい

と思っています

入賞作文集 52

入賞作文

53 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

 

ぼくは今まで四つの外国に暮らしいろいろな国の人たちの中で育ってきた

 

まずタイで生まれてタイ人のメイドさんやドライバーさんにいつも遊んでもらっていた

らしい一才になると週一回の体操教室にも通いタイ人の友達もいたそうだ

 

次にシンガポールでは初めてナサリースクール(保育園)に通いいろいろな国の友達と

知り合ったプレイルームにある滑り台を滑る順番争いでいつも勝つのは体の大きい金髪の友

達だった

 

一回目の香港生活では英語の幼稚園に通ったその時のぼくの一番の友達はカナダ人だった

彼とはよくベイブレードをして遊んだが父が日本の出張で買ってきてくれた独楽や剣玉をして

遊ぶこともあった

村むら

瀬せ

 広ひろ

高たか

香港日本人学校中学部 二年

国境をこえて

海 外 作 品

今回は本選への応募とすることはできませんでしたが

 海外から寄せられた作品のうち一作品を御紹介します

入賞作文集 54

海外作品

 

それからインドでは日本人学校に通ったが夏休みには毎年アメリカンスクールのサマー

スクールに参加したし日本人のいない現地のテニススクールにも入り二年間通ったまたイ

ンドの現地幼稚園に通っていた妹のベストフレンドはコンゴ人でその兄弟もぼくの友達だった

 

そして三年間の日本生活を経て今また香港に戻ってきた

 

このようにぼくはいろいろな国でいろいろな国の人たちのお世話になりいろいろな国

の友達と遊んで育った肌が真っ黒な友達もゲームの話をすればすぐに仲良くなれたし髪が

金色の友達もポケモンの話をすれば気が合ったぼくは小さい頃から英語はうまくしゃべれ

なかったけれどもジェスチャーをつけたでたらめ英語でも充分に話は通じただからいろい

ろな国の人たちの中でぼくが日本人だからといって差別されたり嫌な思いをしたりしたこと

はないしぼくも肌の色が違うからとか言葉が通じないからという理由で違う人間だと思っ

たことはないそうぼくは外国人を差別したことはない

 

しかし本当にぼくは外国人を差別したことがないのだろうか外国人を差別した発言を一

度もしたことがないかと考えると自信がない

 

例えば香港人には赤信号でも平気で渡る人がたくさんいるそれを見てぼくは

「香港人はしょうがないな」

と思うでもよく見ると香港人全員が信号無視をしているわけではないまた

世界には今でも戦争をしている国がいくつもある

「人を傷つけ合うなんて馬鹿げている」

55 第30回全国中学生人権作文コンテスト

海外作品

とぼくは悲しくなるでもそれも好きで戦っている人がいるとも思えないその

人たちがそうなったのには何かきっと原因があるはずだ

 

逆に外国人から見ると日本人はどのように思われているのだろう

 

インドから日本に帰国した時毎日ごみがたくさん出ることにぼくはとても驚

いたインドの人たちがよく使う道端にあるカレー屋さんではバナナの葉で作ったお皿にカ

レーを入れてくれる食べた後そのお皿を道に捨てるとのら牛がその葉っぱを食べるそして

牛のふんは燃料になるというそれに比べて日本はちょっと歩くとペットボトルの飲み物が

買えファーストフードのお店では使い捨ての食器を使い立派なお菓子の箱を開けると中身が

少なくてがっかりすることもあるある時母が捨てたジャムの空きびんをメイドさんとエア

コンの修理にきていたワーカーさんとが取り合ってけんかをしていたこともあったそれを見

てぼくはあきれてしまったが逆にインド人から見ると使い捨て文化のしみついた日本人は

とんでもない人間にみえるのかもしれない国によって考え方や行動パターンが違うのは歴史

的背景や宗教習慣気候などのいろいろなことが関わっているのだと思う

 

このように考えると差別とはその人の一部しか見ていないことや自分のやり方だけが正

しいと思うことからおきるのではないかと思うその人が自分とは違った行動をとったとしても

それには深い理由があるのだろうと考えればきっと納得できると思うぼくもこれからは否

定的な発言をする前にその人たちのことをいろいろな角度から見て理解する努力をしてみよう

と思う外国との間には自分の国とは違う言葉や文化という壁があるとみんな言うがそこに

入賞作文集 56

海外作品

あるのは壁ではなく橋だとぼくは思う理解

し合おうという気持ちがあればきっと誰でも

その橋を渡っていけるはずだ気持ちの国境を

こえるのにパスポートはいらないお互いを理

解し合おうと思う気持ちが一番大切だと思う

そしてぼくはこれから日本人として生きる

のではなく地球人として生きていこうと思う

57 第30回全国中学生人権作文コンテスト

海外作品

法務局地方法務局名 郵便番号 所  在  地 電  話

金沢地方法務局人権擁護課920-0024 金沢市西念3-4-1金沢駅西合同庁舎(平成23年3月11日まで) 076-231-1244

921-8505 金沢市新神田4-3-10金沢新神田合同庁舎(平成23年3月14日から) 076-292-7804

富山地方法務局人権擁護課 930-0856 富山市牛島新町11番7号富山合同庁舎 076-441-6376

大阪法務局人権擁護部 540-8544 大阪市中央区谷町2丁目1番17号大阪第2法務合同庁舎 06-6942-9492

京都地方法務局人権擁護課 602-8577 京都市上京区荒神口通河原町東入上生洲町197番地 075-231-0131

神戸地方法務局人権擁護課 650-0042 神戸市中央区波止場町1番1号神戸第2地方合同庁舎 078-392-1821

奈良地方法務局人権擁護課 630-8305 奈良市東紀寺町3-4-1奈良第2法務総合庁舎 0742-23-5457

大津地方法務局人権擁護課 520-8516 大津市御陵町3番6号大津法務総合庁舎 077-522-4673

和歌山地方法務局人権擁護課 640-8552 和歌山市二番丁2番地和歌山地方合同庁舎 073-422-5131

広島法務局人権擁護部 730-8536 広島市中区上八丁堀6番30号広島合同庁舎 082-228-5790

山口地方法務局人権擁護課 753-8577 山口市中河原町6番16号山口地方合同庁舎2号館 083-922-2295

岡山地方法務局人権擁護課 700-8616 岡山市北区南方1丁目3番58号 086-224-5761

鳥取地方法務局人権擁護課 680-0011 鳥取市東町2丁目302番地鳥取第2地方合同庁舎 0857-22-2289

松江地方法務局人権擁護課 690-0886 松江市母衣町50番地松江法務合同庁舎 0852-32-4260

高松法務局人権擁護部 761-8077 高松市出作町585-4 087-815-5311

徳島地方法務局人権擁護課 770-8512 徳島市徳島町城内6番地6徳島地方合同庁舎 088-622-4171

高知地方法務局人権擁護課 780-8509 高知市栄田町2丁目2番10号高知よさこい咲都合同庁舎 088-822-3331

松山地方法務局人権擁護課 790-8505 松山市宮田町188番地6松山地方合同庁舎 089-932-0888

福岡法務局人権擁護部 814-0005 福岡市早良区祖原14-15福岡法務局西新出張所庁舎5階 092-832-4311

佐賀地方法務局人権擁護課 840-0041 佐賀市城内2丁目10番20号佐賀合同庁舎 0952-26-2148

長崎地方法務局人権擁護課 850-8507 長崎市万才町8番16号 095-826-8127大分地方法務局人権擁護課 870-8513 大分市荷揚町7番5号大分法務総合庁舎 097-532-3368

熊本地方法務局人権擁護課 862-0971 熊本市大江3丁目1番53号熊本第2合同庁舎 096-364-2145

鹿児島地方法務局人権擁護課 890-8518 鹿児島市鴨池新町1番2号 099-259-0684宮崎地方法務局人権擁護課 880-8513 宮崎市別府町1番1号宮崎法務総合庁舎 0985-22-5124

那覇地方法務局人権擁護課 900-8544 那覇市樋川1丁目15番15号那覇第1地方合同庁舎 098-854-1215

入賞作文集 58

問合せ先一覧

法務局地方法務局名 郵便番号 所  在  地 電  話

札幌法務局人権擁護部 060-0808 札幌市北区北8条西2丁目1番1札幌第1合同庁舎 011-709-2311

函館地方法務局人権擁護課 040-8533 函館市新川町25番18号函館地方合同庁舎 0138-23-9528

旭川地方法務局人権擁護課 078-8502 旭川市宮前通東4155番31旭川合同庁舎 0166-38-1114

釧路地方法務局人権擁護課 085-8522 釧路市幸町10丁目3番地釧路地方合同庁舎 0154-31-5014

仙台法務局人権擁護部 980-8601 仙台市青葉区春日町7番25号仙台第3法務総合庁舎 022-225-5739

福島地方法務局人権擁護課 960-8021 福島市霞町1番46号福島合同庁舎 024-534-1994

山形地方法務局人権擁護課 990-0041 山形市緑町1丁目5番48号山形地方合同庁舎 023-625-1321

盛岡地方法務局人権擁護課 020-0023 盛岡市内丸7番25号盛岡合同庁舎 019-624-9859秋田地方法務局人権擁護課 010-0951 秋田市山王7丁目1番3号 018-862-6533

青森地方法務局人権擁護課 030-8511 青森市長島1丁目3番5号青森第二合同庁舎 017-776-9024

東京法務局人権擁護部 102-8225 千代田区九段南1丁目1番15号九段第2合同庁舎 03-5213-1234

横浜地方法務局人権擁護課 231-8411 横浜市中区北仲通5丁目57番地横浜第2合同庁舎 045-641-7926

さいたま地方法務局人権擁護課 338-8513 さいたま市中央区下落合5-12-1さいたま第二法務総合庁舎 048-859-3507

千葉地方法務局人権擁護課 260-8518 千葉市中央区中央港1丁目11番3号千葉地方合同庁舎 043-302-1319

水戸地方法務局人権擁護課 310-0061 水戸市北見町1番1号水戸地方法務合同庁舎 029-227-9919

宇都宮地方法務局人権擁護課 320-8515 宇都宮市小幡2丁目1番11号宇都宮地方法務合同庁舎 028-623-0926

前橋地方法務局人権擁護課 371-8535 前橋市大手町2丁目10番5号前橋合同庁舎 027-221-4426

静岡地方法務局人権擁護課 420-8650 静岡市葵区追手町9番50号静岡地方合同庁舎 054-254-3555

甲府地方法務局人権擁護課 400-8520 甲府市北口1丁目2番19号甲府地方合同庁舎 055-252-7239

長野地方法務局人権擁護課 380-0846 長野市旭町1108番地長野第2合同庁舎 026-235-6634

新潟地方法務局人権擁護課 951-8504 新潟市中央区西大畑町5191番地新潟地方法務総合庁舎 025-222-1564

名古屋法務局人権擁護部 460-8513 名古屋市中区三の丸2丁目2番1号名古屋合同庁舎第1号館 052-952-8111

津地方法務局人権擁護課 514-8503 津市丸之内26番8号津合同庁舎 059-228-4193岐阜地方法務局人権擁護課 500-8729 岐阜市金竜町5丁目13番地 058-245-3181

福井地方法務局人権擁護課 910-8504 福井市春山1丁目1番54号福井春山合同庁舎 0776-22-5090

問合せ先一覧 (法務局地方法務局)

59 第30回全国中学生人権作文コンテスト

問合せ先一覧

世界人権宣言啓発書画「鳥」「自由と解放」を表わしたもの 小木太法書オタビオロス画(財)人権擁護協力会提供

入賞作文集 60

すべての人間は生まれながらにして

自由でありかつ尊厳と権利とに

ついて平等である人間は理性と

良心とを授けられており互いに同胞の

精神をもって行動しなければならない

―――

世界人権宣言 第一条

―――

第三〇回

 全国中学生人権作文コンテスト

中央大会表彰式

印  刷 平成23年1月25日

発  行 平成23年2月14日

発 行 者 法務省人権擁護局

全国人権擁護委員連合会

東京都千代田区霞が関一丁目1番1号

電話 03(3580)4111 内線5875

URL httpwwwmojgojpJINKEN

第30回全国中学生人権作文コンテスト中央大会審査員

感想をお聞かせください本作文集を読まれた感想等を下記の連絡先又はkeihatsumojgojpまでお寄せください

無断転載を禁じます本作文集に掲載された作文や写真等を地方自治体が広報誌に掲載したり学校が教材に使用される場合などにはあらかじめ下記に御連絡ください

100-8977 東京都千代田区霞が関一丁目1番1号 法務省人権擁護局人権啓発課 TEL03(3580)4111 内線5875

作  家(審査員長) 落 合 恵 子映画監督 山 田 洋 次社団法人日本新聞協会事務局長 川 嶋   明日本放送協会解説委員室解説委員 南   直 樹文部科学省初等中等教育局視学官 三 好 仁 司全国人権擁護委員連合会長 中 村 浩 紹法務省人権擁護局長   井 忠 雄

(敬称略)

【式次第】

第一部

 会

主催者あいさつ

賞状授与

内閣総理大臣賞法務大臣賞

文部科学大臣奨励賞法務副大臣賞

法務大臣政務官賞

全国人権擁護委員連合会長賞

社団法人日本新聞協会会長賞

日本放送協会会長賞(以上各一名)

法務事務次官賞(三名) 計一一名

学校への感謝状贈呈

高円宮妃殿下おことば

来賓祝辞

第二部

各受賞作文の朗読

内閣総理大臣賞法務大臣賞

文部科学大臣奨励賞

全国人権擁護委員連合会長賞

社団法人日本新聞協会会長賞

日本放送協会会長賞

 評

全国中学生人権作文コンテスト中央大会審査員

 山田洋次氏

 落合恵子氏(ビデオレター形式)

第三部

新垣勉さんコンサート

 会 平成二二年一二月一八日(土)

午後一時三〇分〜三時五〇分

於ニッショーホール

「いじめ」や暴力行為等は人権侵害です

法務局地方法務局では

人権侵害による被害を受けた方を

救済するための活動を行っています

お気軽にご相談ください

女性の人権ホットライン

インターネット人権相談受付窓口

ゼロナナゼロのハートライン

0570-070-810

子どもの人権110番ぜろぜろななのひゃくとおばん

 0120-007-110

パソコンから httpwwwmojgojpJINKENjinken113html携帯電話から httpwwwjinkengojpsoudanmobile001html

インターネット人権相談 検 索

Human Rights法務省人権擁護局全国人権擁護委員連合会

人権イメージキャラクター人KENあゆみちゃん人KENまもる君

全国共通通話料無料

全国共通ナビダイヤル

この冊子は環境保護印刷の「水なし印刷」で印刷されています

第30回全国中学生人権作文コンテスト入賞作文集

法務省人権擁護局全国人権擁護委員連合会

人権イメージキャラクター人KENまもる君人KENあゆみちゃん

この冊子には音声コードが各頁(奇数頁 左下偶数頁 右下)に印刷されています専用の読み上げ装置で読み取ると記録されている情報を音声で聞くことが出来ます

Human Rights法務省人権擁護局全国人権擁護委員連合会

 全国中学生人権作文コンテスト入賞作文集

 全国中学生人権作文コンテスト入賞作文集

第30回

内閣総理大臣賞

 

私が入院した時眼科や外科内科などいろいろな病状の患者さんと知り合いになった仕事

で足を骨折した人胃を悪くして入院した人目の手術を受けた人など年齢や性別職業も様々

でふだんあまり接することのない人たちと話す機会に恵まれた病気やケガの苦労話はもちろ

んのこと世代の違う人たちの話はとてもおもしろかった「人権」について考える時その中

の一人の患者さんのことが頭に浮かんだ

 

人権侵害とは障害者やお年寄りなど立場の弱い人たちに対する差別や悪意のある偏見か

らくるものだとばかり思っていたところがたとえ善意であっても思わぬところから人権の侵

害になっていることがあるのだと考えさせられたのであった

 

目の手術を受けたその人は母と同年代ぐらいの女の人だった目が不自由なことで周りの

江え

川がわ

 麻ま

理り

香か

佐賀県佐賀市立東与賀中学校 三年

「身近で無意識な人権侵害」

入賞作文集 10

入賞作文

人たちがとてもよくしてくれるのはいいがそのために困ったり悲しい思いをすることもあると

いうのだった私はこれまで人に優しく親切にすることはいわば常識であり当然のことだ

と思っていただけに大きなショックを受けた困った時に手を貸してくれるというのに悲しい

思いをするとはどういうことなのだろう私たちが親切のつもりでやっていることが迷惑になっ

ているというのだろうかお年寄りや障害者をいたわるのは当たり前でありそれは感謝される

ことはあっても迷惑に思うなどとは筋違いではないだろうかところがその人の立場から見

れば好意のつもりでもまるで小さな子どものように扱われたりこれは危険だからと勝手に

予測されて遠ざけられてしまったりと自分の意思とは関係なく何でも先回りされてしまうのが

悲しいのだそうだ目は悪くとも自分は子どもではないしできなくはないことにまで行き

過ぎた親切にひどく心を傷つけられるのだというまた相手がよかれと思ってくれていること

だけにそれを断ろうものならあからさまにいやな顔をされたり急に態度を変えられることも

あったりでかえって気を遣うのだそうだ

 

私ははっとした今まで手を貸す側から見ることはあっても逆の立場から考えたことはな

かったので大きな衝撃を受けたいつの間にか相手より自分を少し高い所に置いて見ていない

だろうか無意識のうちに相手のことを保護すべき弱者だとして見ていないだろう

か私は今中学生だがそれ以下の子ども扱いされると腹が立ついちいち細かい

ことまで制限されたり禁止されたりすれば確かにいい気持ちはしない同じよう

に障害者や老人に対して危険だ何だのとその人ができることまでをも禁止し

11 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

まだこぼしてもいない湯のみを取り上げるようなことをしてはいないだろうか

 

確かに弱者をいたわり手助けすることは人として当然であり必要なことで

あるしかし相手の気持ちや状況を考えずただ一方的に押しつけるだけの親切

はただの自己満足でしかない見えない人には見えない人なりのやり方や考え方が

あるのにそこに寄り添うための理解がないとしたらそれは人権を侵害しているといえないだ

ろうか

 

人は皆平等であるけれど環境や年齢身体能力などは同じではないだからこそ人とし

ての尊敬の念や思いやりいたわりの心を持って接することが大切なのだと思う

 

しばらく前の人権侵害とは人を自分より見下したりおとしめることで優越感を持つための

ものだったように思うそして今生活や文化が豊かになった現代では行き過ぎた親切やいた

わりが人の心を傷つけそれが新たな種類の人権侵害の一つになっていることもあるのだ「善意

イコール感謝されるべきもの」という考え方が全てに当てはまるとは限らないまた当ては

めようとしてはならないその人にとっての「いちばん」は何かひとりひとりを尊重するため

には本当に助けが必要かどうか出すぎたことをしていないかを見極めることも大切なのだと

思う

 「人権」について考えることそれはとても難しいことのように思えるが意外と簡単なこと

ではないだろうか同じ人間同士が並んで歩くための人と人との間の権利私たちが無意識のう

ちに作り出している優劣の壁を取り払うこと自分の価値観を人に押しつけないこと自分も相

入賞作文集 12

入賞作文

手も同じひとりの人間なのだとその

人の心に寄り添い理解し合う努力こ

そ人権を守る大きな力になると思う

13 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

 

十五年前父が篠山の町中を歩いているとこう言われた「そんな棒きれ振り回さんといて」

と父は決して棒きれを振り回していた訳ではないただ白杖を持って歩いていただけだそ

の話を聞いて私は驚いたたった十五年前のことだけど信じられない気持ちでいっぱいになっ

ただが十五年経った今ではそんなことはないだろうマスメディアが発達しいろんなハン

ディを持った人のことが紹介されたり障がい者の方自身が社会参加する機会が増えたからだと

 

そしてこんな話も聞いたことがある電車に乗った時に時間が知りたくて携帯電話を開い

たときのことだ「こんなとこで電話したらアカンやろ」と中年のおばさんに怒鳴られたそうだ

優先座席の近くだったということもあるが『目の不自由な人=白杖を持っている』という認識

は広まってきているが時間を知りたいときには音声が出る時計や携帯電話を使うということは

法務大臣賞

辻つじ

本もと

 桃もも

佳か

兵庫県篠山市立西紀中学校 三年

少しずつhellip一歩ずつhellip

入賞作文集 14

入賞作文

ほとんど知られていないのだそのとき父は説明しようと思ったがどうせ分かってもらえな

いと思い「すみません」と謝りとても悲しい気持ちになったそうだ見えている人は時間

が知りたければ時計を見ればすぐに分かるだが目が不自由だと音で聞くしかないのだ私は

障がい者が暮らしやすいような機器が発達してきていることをもっと社会に広めていくことが

必要だと思うそうすることで協力してくれる人や理解してくれる人が増えていくのではな

いだろうか

 

視覚障がい者の方が日常生活を送る上で給付や貸与される機器がある音声で教えてくれる

時計や体重計文章読み上げ器などがそれだこれらは以前県の基準で市が実施要綱を定めて

そこが窓口となって行われていたが法改正により各市区町村対応となったしかしこの日

常生活用具の中に健常な家族と同居している視覚障がい者には給付してもらえない物もあるの

だそれは体温計や体重計であったりするこの体温計がなければ家族が出かけている間に

体調が悪くなっても計測することはできないのだ

 

父の知り合いに赤ちゃんを連れた全盲のお母さんがいる体温を計るのに複数の体温計で赤

ちゃんの体温を計りその体温計に印をつけて病院まで持っていって見てもらったり家族が帰っ

てくるのを待って見てもらうことがあるそうだ私たちは簡単に体温を計ること

ができるが見えない人たちはそれができないために生命の危険にさらされてしま

うことがあるのだせっかく便利な機器が発明されても値段が高くて簡単に購

入できないもしくは制度のカベによってそのサービスが受けられないことがあ

15 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

るしかし私の住む篠山市では父たちの声が福祉課の方々に届き日本で初めて

音声式体温計が同居家族の有無にかかわらず給付されるようになったのである

 

今は携帯電話が音声で読み上げてくれてメールや時間GPSなどの便利な

機能を視覚障がい者の方も利用できるようになっただがそのことを知っている

健常者の方は全国にどれくらいいるだろうかまたこのことを知っている当事者である視覚障

がい者の方が全国にどのくらいいるだろうか私はまだ知らない人が多いと思う

 

ここ十五年程で視覚障がい者の人は白杖をついているということはほぼ知られてきたが生

活を助ける機器が発達してきているということは知らない人も多いだろうそれが「あの人は

目が動いているから見えている」とか「あの人はずっと目をつぶっているから見えていない」

「物を避けているから見えている」「物にぶつかっているから見えていない」という勝手な

思い込みで障がいの重さをはかることにつながっているのではないだろうかでもそれは間違っ

ている目を閉じれば視覚障がい者の疑似体験はできるでもそれはあくまでも体験であって

個人個人の見え方はそれぞれ違うし外見や行動で障がいの重度を判断するのは良くないと私は

思う同じような見え方ができたとしても全く同じ動きなんてできる訳ないのだから毎日父

と生活していてもどのくらい見えているのか私にもはっきり分からないなにげに父たちがこな

している日常の動作であっても私たち健常者にははかりしれない恐怖と不安努力があるの

だ誰でも目をつぶれば見えない世界を体験した気になる松葉杖をつけばその体験をした気

になる車イスに乗ればその体験をした気になるだが本当の障がい者の苦悩と努力の一部

入賞作文集 16

入賞作文

しか体験していないことを知ってお

いてほしい私たちには当たり前に

できるようなことがあってもどん

なに望んでもできない人たちがいる

ということとみんなの正しい理解と

知識が障がい者の明るい未来へとつ

ながっていくということを知ってほ

しいそしてこのことを広めていか

なければならない

 「少しずつhellip一歩ずつhellip」

17 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

 「Pick your 

head up」

 

これは父がいつも私にかけてくれる魔法の言葉です

 「顔をあげなさい下を向かない」という意味です

 

私の父は生まれも育ちもニューヨークのアメリカ人です女の子は父親に似るとよく言われ

ますが私もそうで日本人の母親よりも父の方に髪質も肌の色も本当によく似ています子供

が親に似ることはあたりまえのことですが私はそのためにいやな思い悲しい思いをいくどと

なくしてきました

 

初めて自分がみんなとちがうんだなと思ったのは幼稚園に入学してまもなくのことでした同

じ組の女の子たちが何人かして楽しそうに遊んでいたので

ローリンズ リコ

福島県福島市立渡利中学校 一年

「差別のない世界へ」

文部科学大臣奨励賞

入賞作文集 18

入賞作文

 「まぜて」

と声をかけると一人の子が言いました

 「このグループは日本人で髪がまっすぐな人しか入れないのリコちゃんは髪がチリチリだし

ハーフだからダメ」と

 

私はとても悲しくなりましたそしてそれは卒園するまで続きました

 

小学校は人数も少なかったせいかみんなとても仲良くて私の外見のことを言う人はだれ一

人いませんでしたまるで兄弟のようにみんな自然に接してくれましたでも習い事やいろい

ろな大会など他校の子たちといっしょになる場面ではやはり髪の毛や肌のことをからかわれ

ることはよくあることでした私には二学年上の兄がいますが兄もやはり父の方に似ています

おだやかな性格の兄は私以上につらい思いをしてきたと思います

 

父は兄や私の話を聞くたびに

 「Pick your 

head up」

と言いましたそして

 「自分に自信とほこりをもちなさいあなたたちは二つの文化を受けついでそれはとてもす

ばらしいことなんだよ」

といつも話してくれました

 

中学に入って間もないころでしたある男の子がいきなり私に向かって言いまし

19 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

 「おまえ風呂に入っているのか黒いぞ外国人はくさいからな」

 

私はとてもはずかしくなりましたそしていかりや悲しみがこみあげてきました

まわりにいた友達は彼の言葉に苦笑いをしていました私はいかりのあまり彼をな

ぐりたくなりましたその時私は父のあの言葉を思い出しました私は顔を上げ

相手の目を見て静かに自分の傷ついた気持ちを伝えました

 

彼は私に向かってこう言いました

 「ごめんわるかった」

 

彼は人を傷つけるということが彼の想像以上に重くそしてひどいことだと少し気付いたよう

でした

 

差別やいじめというのは私たちのまわりでは小さなことから大きなことまで本当によくあり

ますそして差別やいじめをしている側からすればそれをじょう談だという人も多いのです

まわりの人たちもやはりじょう談や遊びの中でのことにとらえてしまう人たちもとても多いので

すだから小学校の時から私たちは道徳などでいじめや人権などについて学んでいてもなかな

かそれがなくならないのだと思いますでも実際に差別やいじめをされている方はみんなの想

像よりはるかに傷ついているということつらいということそして悲しいということを私はこ

の人権作文を通してたくさんの人に知ってほしいのですけがをすれば日がたつごとにそのけ

がは治っていくでしょうまわりからも治っていく様子が見てわかるでしょうでも心に受けた

傷は本人にしかわからないのですその傷がどんなに深くて痛いものか本人にしかわからないの

入賞作文集 20

入賞作文

です

 

肌の色が違っていてもかみの毛が

違っていても私たちはみんな同じ人間

です心を持った人間です相手の気

持ちを思いやり相手の立場になって

考えればいじめや差別はなくなると

思います今も世界のいたるところで

人種差別が問題となり争いが起きてい

ます私は世界から差別やいじめがな

くなるように強い心を持ってまずは

自分から立ち向かっていきたいです

21 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

 

あなたには大好きなふる里がありますか私には緑の木々と青い海に囲まれた自然豊かな

大好きなふる里があります私のふる里は過去に公害という大きな被害をうけた水俣ですそ

の水俣病で患者はもちろんそうでない人も長い間差別をうけてきました

 

父が幼い頃まだ水俣病の原因が究明されておらず水俣病はうつると言われていました列

車が水俣の駅につくと窓をしめ手で口をおおった人もいました修学旅行に行くと同じ宿

舎になった学校から苦情を言われたこともありました水俣出身ということで結婚を断られた人

や就職試験をうけることさえできなかった人もいました水俣に住んでいることをかくして隠

れるようにひっそり暮らしていた人もいましたまた同じ水俣に住む人でさえ奇病と呼び距

離をおきましたそのことでたくさんの人々が傷つきあってきたのですいろいろな立場の人々

井いの

上うえ

 由ゆ

紀き

子こ

熊本県熊本県立八代中学校 一年

私の大好きなふる里

法務副大臣賞

入賞作文集 22

入賞作文

がせまい土地に住んでいるのですから仕方がなかったのかもしれません

 

しかし今では原因も究明され海の安全も確認されたことでそのようなことはほとんどな

くなりました私たちは過去のことを忘れるくらい楽しくすごしています

 

私は今八代の中学校に通っています私は自分が水俣出身ということを隠すこともありませ

ん友だちもまたそのことを知っていますがからかったりいじめたりする人は誰一人いません

 

しかし先日水俣の中学校のサッカー部が練習試合中に相手チームの選手から

「さわるな水俣病がうつる」

と言われたという記事が新聞にのっていました今でもこういう風に思っている人がいるのか

と思うと残念で仕方ありません何気なく言った一言だったのかもしれませんがその一言は

私たち水俣に住む者にとって非常に悔しく悲しいものでした

 

小学校の総合的な学習の時間で水俣病について学習しました原因となった会社を訪問したり

患者の方から当時の話をきいたり交流も行いましたそんな中で苦労されたり何も言えずに

黙って亡くなった人のことを知り水俣に住んでいながら何も知らなかったことをはずかしく思

いました水俣病についてしっかり学び正しい知識を得ることが差別や偏見をなくすのだと気

付きました

 

中学校の道徳の時間ではハンセン病について学習しましたこれも水俣病同様

正しい知識がなかったためにおきた悲しく悔しい悲劇でした

 

私たちが差別や偏見をなくすためにできることそれはその人その出来事に

23 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

ついてしっかり知ること知ろうと努力すること正しい知識を深めるために学習

することではないかと思いますそうすれば水俣病やハンセン病のようにむや

みに人と人とが傷つけあったり憎しみあったりすることはなくなるのではないで

しょうか

 

先日テレビで水俣のダイバーが紹介されましたその人は本当はほこりたい水俣を心の中

にじっとしまいこみ誰にも言えず何年もの間生きてきた人でしたしかし水俣の地にも

どり自分はこのすばらしい美しいふる里を紹介したいと海にもぐり写真をとり続けておら

れるそうです心に差別という深い傷を負いながら水俣の再生を皆に知らせたいと頑張る人

がいることに感動しました

 

今水俣はごみの分別リサイクル事業など市民全員で環境にやさしい町づくりをすすめてい

ます私は差別や偏見から立ちなおり再生しようと環境問題に一生懸命とりくんでいるふる

里水俣をほこりに思っています

 

水俣では運動会等多くの行事で「水俣ハイヤ節」というものが踊られますこれは水俣病

の患者の方が水俣の青い海と豊漁を願って振りつけをされた踊りだそうです私たちと同じ思い

をする人が二度とでないことを祈りながら私たちは毎年皆でこの踊りを踊ります

 

水俣の悲しい過去を変えることはできませんが私はあやまちを二度とくりかえさないため

にこの美しい自然を守り真実を語り継いでいきたいですそして差別や偏見のない社会に

なるよう自分から努力していきたいと思います

入賞作文集 24

入賞作文

25 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

 

みなさんは「本当の『平和』とは」と質問されたら何と答えますか「戦争や紛争などが

ないこと」ですかそれとも「自分自身の幸せのこと」ですか一人ひとりの抱く「平和」のイ

メージは違うことでしょう

 

僕の思う本当の「平和」それは「家族」がいて「家庭」があることだと思いますなぜそう

思うかというと今僕は訳あって家族とは離ればなれに暮らしているからです一歳前後には既

に家族とは離れ施設にいました母親や姉兄の存在はわかっていますが一緒に過ごした時

間は限られたもので今でもほとんど交流はありませんそのせいか僕はいつも「家族」や「家

庭」というものに強い憧れを抱いています

 

自分がまだ幼い頃は自分と同じくらいの子が母親と手をつないでいる姿がとてもうらやまし

大おお

田た

 葵あおい

栃木県さくら市立喜連川中学校 三年

「家族」とは何か

法務大臣政務官賞

入賞作文集 26

入賞作文

「どうして自分には母親がいないんだろう」と思っていました仕舞いには自らの母親を恨ん

でしまったのです小学生になってもその気持ちは変わらず母親への恨みは増すばかりでした

 

しかし小学五年生の夏思いもよらぬ出来事が起きましたそれは引っ越しがあったこと

ですそこで僕は新しい土地そして新しい里親という人たちに出会いました里親の人たち

と暮らした数年間僕は幸せでしたそこで僕は僕の周りにはいつも支えてくれる人たちがい

ることに気づきました血のつながりがなくても僕に自分の子どものように接し育ててくれ

た里親の人たち養護施設の先生方などたくさんの方たちに僕は見守られて成長してきたこと

に気づいたのです僕を支えてくれる人すべてに感謝の気持ちがわき出てきましたそれ以来

僕は親という存在にこだわらなくなりましたそれどころか自分に命を与えてくれた親に感謝

の思いを抱くようになったのです

 

この夏母親の育児放棄が原因で二人の乳幼児が衰弱死するという悲しい事件がありました

二人の子どもにろくに食事も与えず風呂も入れなかったそうですさらに逮捕後その母親は

「家に帰ってあげなかったことを今も後悔している子どもは私を恨んでいると思う」

という言ってはならない発言をしました僕は怒る前に亡くなった二人の子ども

たちがかわいそうでなりませんでした

 

と同時に僕はこの母親はどうしてこのようなことをしてしまったのだろうと

すごく考えさせられました僕は本来親は子どもを殺すのではなく守るために

27 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

いるのだと考えますたとえ小さな子どもでも立派な一人の人間ですその命を

守り育てていくことが親として大切な役目だと思うのですこの母親はどこで

勘違いしたかは知りませんが親としての自分の責任を理解していなかったのでは

ないでしょうか

 

そしてその勘違いを誰も母親に気づかせてあげられなかった事実母親が一緒に遊び歩いて

いた友人はもちろん母親の家族が少しでも助けることができていたら母親の行動を戒めるこ

とができていたら連絡を受けた児童相談所がもう少し踏み込んだ行動が取れていたらこのよ

うな悲しい結末にはならずに済んだのではないでしょうかやりきれない思いばかりがこみあげ

てきます

 

もう一つこの母親は大きな勘違いをしていますそれは「子どもは私を恨んでいると思う」

という言葉です僕はこの子どもたちが母親を恨んでいるとは思えません子どもたちは母

親が帰宅するといつもハイタッチをして喜んで迎えたそうです子どもたちは母親のことが大

好きだったのでしょうたとえ自分たちを見放した母親でも恨んでいるとは決して思えないの

です

 

子どもは心の底から自分の母親のことを恨めないと僕は思いますこの世に生を受け笑った

り怒ったり泣いたりと毎日いろいろな経験ができるのは自分を生んでくれた母親という存在

があったからです正直僕も小さい頃は母を恨んだことがありました愛情の裏返しというよ

うに母親への思いが憎しみに変化してしまったのですでも心の底には母への恨みとは全く

入賞作文集 28

入賞作文

正反対の気持ちが存在し続けていましただ

からこそこの子どもたちがどんな思いで死

んでいったのかわかるような気がします母

親を信じひたすら母親の帰りをまちわびて

いた思いが

 

僕にとっての「家族」それは同じ屋根の

下で暮らす人々のことですたとえ血はつな

がっていなくても僕を支え励ましてくれる

人たちそのすべての人が僕にとっての大切

な「家族」なのです今僕の暮らす養護施設

にはいろいろな事情を抱えた二歳位から高

校生までの子どもたちや職員の方が約六十人

います今の僕には全員大切な「家族」で

す僕はこれからもこの「家族」を大切に

一日一日精一杯平和に生きていきたいです

29 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

 

授業でハンセン病について学んだ日両親と「偏見」や「差別」について口角泡を飛ばす議論

を深夜まで繰り広げた身体障害者の父と看護師の母を持つ私は幼い頃から「命の大切さ」を

訴える両親の姿を見て育って来たそんな私は真摯な気持ちからハンセン病罹患者と向き合い

たいと思いこの夏草津にある療養施設栗生楽泉園を訪れた

 

草津までの道のり私は罹患者の気持ちを絶えず考えていたハンセン病について調べると「ら

い予防法」により罹患者は隔離され人権を無視された扱いを受けたことが分かった罹患者の

言葉が書かれた本ではどんなに過酷な仕打ちを受けたか他人をどれほど恨み憎んでいるか

が書かれていたその為私は無意識の内に「罹患者は全員恨みを抱いている」と勝手に思い込

んでいたしかしこんな思い込み自体が偏見や差別を生む原因になるということを後に思い知

大おお

井い

 海み

琴こと

群馬県群馬大学教育学部附属中学校 三年

忘れてはならないこと

全国人権擁護委員連合会長賞

入賞作文集 30

入賞作文

らされることになるのである

 

私を迎えてくれたのは入園者自治会長の藤田三四郎さん藤田さんは大変お元気でその容姿

からはハンセン病を伺い知ることはできなかったしかし藤田さんは紛れもない罹患者なのだ

その証拠に藤田さんの名は本名ではない罹患者は施設に入所するにあたり偽名を使用させら

れたと言うつまりその時点で罹患者は世間から存在を消されてしまうのであるそんな藤田

さんから語られた話はハンセン病だと宣告され三度も命を絶とうとしたこと重症患者の看

護を押しつけられ数え切れない人を看取り自らの手で葬ったこと家族が受けた迫害や侮辱的

な言葉など想像を絶するもので筆舌し難いものだったしかしこんな迫害と差別は同時にハ

ンセン病患者達の人権回復闘争の歴史でもあったのだ闘争の末「らい予防法」が廃止される

と今まで差別や人権侵害を繰り返していた多くの人が掌を返す様に態度を変えたと言う私は聞

いていて怒りを覚えたが不思議なことに耳を塞ぎたくなる様な内容を語る藤田さんからは全

く怒りや恨みが感じられないのだ私は話を聞くまで自分の運命を呪い周囲への恨みつらみ

の言葉が出てくるとばかり思っていたしかし出てきた言葉は「入園出来て良かった差別は

受けたが今では恨みを抱く罹患者も少なくなったそればかりか最近はたくさんの人が我々を

理解し協力してくれるので嬉しい何故なら一人の百歩は力が無いが百人の一歩

は力になるから」と言う感謝の言葉だったのだ本当に「恨みは無いのか」と何度

聞いても答えは同じだった私は恥ずかしくなったハンセン病について調べ罹

患者の心を理解したようなつもりでいながら実は何も理解できてなくてそれば

31 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

かりか罹患者を偏見の眼で見ていたのは私自身だったのだ私は話を聞いてとめ

どなく溢れ出る涙を拭いながら心の片隅に潜んでいた「偏見と言う名の種」が身

体から洗い流されていくのを感じていたそれは同時に「思い込みや無知が偏見

や差別を生みだす」ことを強く感じた瞬間でもあったそれだけに藤田さんの「自

分と同様に他人を愛すればいつか必ず世界から差別はなくなる他人を愛して下さい」の慈愛に

満ちた言葉が一層重く腑に落ちるのだった

 

帰りがけ千五百ページにも及ぶ「入所者証言集」を手渡されたその際私は見えない襷も

手渡された気がしたその襷とは証言集に記された罹患者の「事実を風化させないで私達の事

を忘れないで」という搾り出すような叫び声とその姿だったのである

 

ハンセン病が治る病気であるのに誤った知識から悲惨な人権侵害が長期に渡り続いた同じ間

違いを繰り返さないためにも事実を語りついで行く必要があるここ楽泉園でも高齢化が進み

証言者の数が減っているこれは全国一五全てのハンセン病療養所に共通することだハンセン

病問題は罹患者がいなくなればそれで終わると言う問題ではない今後人権問題を考える際重

要な指針になりうる事実なのだそしてこの事実の風化を防ぐことが私達若い世代の役目だと

私は思う

 

私は小六の時友人達から突然イジメを受けたそれを引きずり他人を恐れ憎み自分を

嫌って生きて来たしかし罹患者の声が私に生きる力と前を向いて歩む勇気を与えてくれた

楽泉園訪問は私に人生観が変わる程の衝撃を与えてくれたのだこんな私だが罹患者の声を伝

入賞作文集 32

入賞作文

える「百人の中の一人」にはなれるはず

だそのために私は今この作文を書い

ている文字は時を越えて生き続けるか

ら私はこれからも楽泉園訪問を続ける

つもりだ実際に中学生の私が出来るこ

とには限りがあるが差別や偏見を少し

でも減らすために一歩を踏み出すつもり

でいる「自分と同様に他人を愛すれば

いつか差別は無くなる」と言う藤田さ

んの言葉を胸に

33 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

 

森に囲まれたその一画には教会や寺院神社があり小さなショッピングセンターやレスト

ランもある床屋や図書館郵便局や浴場もあるしかしそれらの施設を利用するのはその一

画に住む人たちだけだ緑の外側に住む人が利用することはないそこはハンセン病の療養所

多磨全生園である

 

僕は七年前に清瀬市に引っ越してきた夏のある日昆虫が大好きな僕は何気なくその森の

中に入って行ったそして歩き回っているうちにその場所が一つの「町」であることに気付

いた

 

毎日セミやカマキリやナナフシを探しながらどうしてこんな所があるのだろうと思った

 

僕が一番不思議に思ったのは古い木造の小学校だいつも誰もいない校舎と小さな運動場近

久く

米め

 一かず

輝き

埼玉県学校法人立教学院立教新座中学校 一年

ハンセン病について考えたこと

社団法人日本新聞協会会長賞

入賞作文集 34

入賞作文

くに小学校があるのにどうしてこんな所に小学校があるのだろう小学一年生の僕はとても不思

議に思った

 

夏に地域交流を目的とした盆踊りと花火大会が行われるいつもは人のいない小学校跡は多く

の人であふれかえり普段は見かけない重い後遺症の老人たちもこの日は外に出て盆踊りを楽し

む初めて参加したときは言葉が出なかった正直「怖い」と思った

 

夏が来るたびに僕は盆踊り大会に参加した低学年から高学年へと進むにつれて少しずつハ

ンセン病のことが分かってきた

 

六年生のときに社会科見学で全生園の元患者を訪れることになっただが僕は都合で参加で

きなかった僕はそれをずっと悔やんでいる

 

今年の夏僕はハンセン病資料館に出かけた見学者は僕一人でとても緊張したなるべく

音を立てないようにパネルを見て回った

 

強制隔離の現実にとても驚いた狭い部屋に押し込められ症状の軽い患者が重症の患者の世

話をしたという子供を持つ権利や生まれる赤ん坊の命まで奪われていた逃げ出したり反抗的

な患者は「不良患者」と呼ばれ窓の小さな暗い監房に閉じ込められた

 

医学が進歩し療養所も徐々に改善されていったが強制隔離を命じる「らい予防

法」が廃止されたのは一九九六年だという隔離が始まった一九〇八年から約九〇

年も経っていた僕が生まれるほんの一年前のことである特効薬が開発され本

格的な治療が始まったのは昭和二十二年である現実に合わない法律を廃止するの

35 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

にどうしてそんなに時間がかかったのだろうか

 

資料をもらってハンセン病資料館を後にした家を出るときは帰りに虫の観察

をするつもりだったがとてもそんな気にはなれなかったいつもセミが集まる桜

の木には目もくれずに早足で家に帰った

 

資料の中で一番心が痛んだのは療養所の子供たちのことだ療養所に入所したのはハンセン

病を発症した子どもたちだけではない親が発症したために入所する子どもたちもいた当時は

ハンセン病は遺伝病だとされていたからだ親から無理やり引き離された子どもたちは「すぐに

帰れるから」という言葉を信じていたというしかし一生療養所を出ることができなかった人が

多かったという社会的な差別がひどかったからだと資料に書かれていたが僕には実感がわか

なかったのでもう少し調べてみることにした

 

図書館で『ハンセン病を生きて』(伊波敏男著)という本を見つけた少し難しかったが差

別の現実が僕にもわかる部分があったそれは元患者たちに対して書かれた匿名のひどい手紙

である長年隔離されて苦しんできた人たちをさらに傷つける言葉が並んでいた悲しく暗い

気持ちになった

 

日本は経済大国として世界の注目を浴びているだが人権意識の面ではどうだろう「らい

予防法」を二〇世紀の末まで廃止できなかったことをどう考えたらよいのだろうか明治時代に

隔離が始まったときそれは外国に対する体面を保つためだったという病気の人を治療するの

ではなく「隠す」のが目的だったのだいまだに差別意識を持つ人がいるのは社会がそうした

入賞作文集 36

入賞作文

過去に対する反省をしていないから

だと思う

 

僕が不思議に思った小学校はすで

に取り壊されて今では小さな石碑

だけが残っている老朽化がひどく

残しておくことができなくなったか

らだという全生園の古い建物はど

んどん取り壊されていく石碑だけ

ではあの不思議さが伝わらないのが

とても残念だ

37 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

 

僕の曾祖父は医者嫌いでしたそのため腹痛で病院に運ばれた時は膵臓癌の末期で余命三ヶ

月でした手術もできない手遅れの状態でした家族皆で話し合い曾祖父の辛い気持ちを第一に

考え曾祖父に病を隠すことになりました曾祖父は次第に病院の中を歩いては転倒し体中あ

ざだらけになりベッドの上で縛られることになっていました曾祖父は病名の宣告を受けてい

ないため元気で歩けると思っているが実際歩くと転んでしまう何でこんな風になってしまっ

たのかさえわからない

 

家族と病院に行くと「包丁もてこいこれぶった切って家さ帰る」と騒いでいましたあん

なに優しかった曾祖父の姿に言葉も出ず恐いくらいでした何も知らされずベッドに縛り付

けられれば誰もがそうなることでしょう「じいちゃんどご一緒に車さのせでいてくれの」と

櫻さくらだ田

 要かな

太た

山形県酒田市立松山中学校 三年

日本放送協会会長賞

悔いのない最期を

入賞作文集 38

入賞作文

せがまれたときもありますかわいそうで涙がポロポロこぼれました「おじいちゃんどご家

さ連れで帰ろうよ」とせがんでも家族も仕事で忙しいためか誰も首を縦に振ってくれず病院

にいた方が安心ということになりました膵臓癌は予想以上に激しい痛みのため医師から強い

痛み止めと強い睡眠剤を勧められましたがそれを導入することにより安楽死に近い状況にな

ることも医師から告げられていました家族は決断をせまられました曾祖父に相談もせずに決

めていいことなのか家に帰りたい曾祖父の意志は封じ込められたままでいいのか家族で悩み

ました結局痛みに耐えている姿は見ていられなくその薬を使うことになりましたその後

曾祖父は次第に弱っていき口も利けなくなり静かに亡くなっていきました僕はどこか心を

引きずったままでした僕達家族が曾祖父に宣告もせず意見も聞かず命の長さを決めてしまっ

たこと当時幼かった僕には何もしてあげられなかったことが今思い出しても残念です

 

最近授業で人権について学習しているときに幼い頃の記憶がよみがえりふと曾祖父のこと

を思い出しました

 

曾祖父はどんな思いで亡くなったのだろう最後に意識のあるうちに一度でいいから家に帰っ

てきたかっただろう身体拘束は今は病院でも禁止されていると思いますがあの頃は確かに曾

祖父のおなかに黒いベルトのようなものが巻きついていました決して自分の力で

は外せないようなものでしたもがき苦しむ曾祖父の姿を見た時に看護師さんに

目を隠され別の部屋に連れて行かれました見せたくない光景だったのだと思いま

すでもあの姿は僕の脳裏に焼き付いています病院の中での人材不足のためだっ

39 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

たのでしょうか人が人らしく生きていない姿でした

 

七十八年生きてきて何も悪いことをしていないのに縛られ家にも帰れない

病気で余命幾ばくもない人には人権というものは存在しないのでしょうか最近の

医療の現場では自己決定権があることについて学びました

 

仏壇に向かい静かに目を閉じると優しく穏やかに微笑む曾祖父の笑顔が浮かびますどんな

気持ちで亡くなっていったのかその気持ちを考えると苦しい気持ちになります野球の大会に

行く前仏壇に手を合わせます「やればできる努力しろ」とよく励ましてくれました曾祖

父の力には何もなれなかったけれど目には見えない力で応援してくれる曾祖父に線香をあげて

自分を省みる時があります曾祖母が元気なので曾祖父を助けられなかった分曾祖母の力に

なっていくことを曾祖父に約束しています

 

夏休み中のニュースで高齢者の所在不明者が多数のため百歳以上の安否確認調査をしていま

した自分の親を平気で捨て遺骨さえもひきとらない亡くなっていたのに年金を不正受給する

ために隠していたなど耳をふさぎたくなるような事件もありました犬や猫が年をとって弱っ

てきた手がかかるから面倒だからと捨ててしまうそれと同じ現象が弱い高齢者にも及んでき

ているのだと思います

 

やはりこの世に生まれてきたもの全てに自分の意志で生きることを決めていける権利がある

と思います長い年月を苦労や努力と向き合いながら精一杯生きてくれたおかげで今の幸せが

あることを忘れずにいたい人はいずれ誰でも年をとります自由に動けなくなった時に自分の

入賞作文集 40

入賞作文

願いが叶う社会を築き「悔いなく満足で楽しく幸せな人生だった」と思えるように人とし

ての誇りを持って満足できる最期を迎えられるように考えていきたいもう二度と僕が見た自

己決定権のない社会にならないように高齢者には今までの感謝の気持ちで本人の希望をでき

るだけ叶えられるように努力していきたいいずれ僕達も迎える高齢社会だからhellip

41 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

 

私は小学六年生の時から盲導犬候補の子犬を育てるボランティアをしています「犬を飼っ

てみたい」と言う私に両親が「せっかく犬を飼うのなら社会に役立つことをしよう」と提案

したからです生後二ヵ月の子犬を預かり一歳の誕生日を迎えるまで世話をするのがボランティ

アの役目です初めて訓練士さんから子犬を手渡された時は不安でドキドキしましたが子犬は

すぐに私の腕の中で眠ってしまいました初めて会った私のことを信頼して安心しきった寝顔

で眠っている姿は本当に可愛かったですラブラドールの子犬はとてもやんちゃで私の家にやっ

て来たその日からいたずらばかりしていましたがしかられてもクヨクヨせずどんな相手にも

 林はやし

 里り

咲さ

東京都小平市立小平第六中学校 三年

差別のない社会に

(パピーウォーカーの経験から学んだこと)

法務事務次官賞

入賞作文集 42

入賞作文

フレンドリーに近づいていく姿から私は明るく前向きに生きることを教わりました子犬たち

と過ごした日々は私にとって一番の宝物ですそしてあっという間に一歳の誕生日がやって来ま

した誕生日が悲しいという経験は初めてでした訓練所への入所日の前日には長い長い散歩を

して最後のお別れをしました「今までありがとう」そう言った私のことを不思議そうに見てい

た子犬の顔が今も目に焼きついています別れは本当につらいけれど涙を見せたら子犬が心配す

るので頑張って笑顔で見送りました

 

私の家で育てた一頭目の子犬は現在盲導犬になって頑張っていますそして今年四月に巣立っ

ていった二頭目の子犬は神奈川にある訓練センターで訓練中です

 

このボランティアを通して私は多くのことを学びましたまず盲導犬の役割ですがこれは単

に目の不自由な方が便利に一人でどこへでも行けるようにするためだけではありません視覚障

がいのある方にとって人の手をわずらわせるのはとてもつらいことなのだそうですたとえ家

族に対してでも「迷惑をかけるのではないか」と思って我慢することが多く「私なんかいない

方がいいんじゃないか」と考えてしまうこともあったといいますその失われそうになった尊

厳を取り戻す手助けをするのが盲導犬の役目なのです犬は訓練を共にするパートナーのことを

大好きになるので「自分は他者からこんなにも大好きになってもらえる存在なん

だ」と気づいて自信を取り戻し新しい一歩を踏み出せるようになるのだそうです

 

また私がボランティア登録している日本盲導犬協会では二〇〇八年に新しい

試みが始まりました受刑者が盲導犬候補の子犬を育てる動物を介在した日本初

43 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

の教育プログラムです罪を犯した人も心から反省してきちんと罪を償えば社会

は差別することなく受け入れるべきですしかし実際はとても偏見が多く元受刑

者たちは「どうせ自分はだめな人間なんだ」と思い再び罪を犯してしまう悪循環

が起こっているそうですその悪循環を断ち切り受刑者たちがスムーズに社会復

帰を果たせるよう支援するのが「あさひ盲導犬パピープロジェクト」です受刑者たちは約十ヵ

月の間子犬たちを世話しながら一緒に過ごし「役に立つ喜び達成する喜び信頼される喜び」

を感じることで自分の価値を再確認するのだそうです今年一月に第一期のプロジェクトを修了

した受刑者の感想に次のようなものがありました

 「今後自分もパピーに笑われないようにきちんとしなければならないパピーは慈しむこと

寛容の心を教えてくれました」

 

犬は決して差別をしません健康な人にも障がいのある人にもお金持ちにも貧しい人にも

権力のある人にも犯罪を犯した人にも全く同じように接してくれますそんな犬たちと一緒に過

ごすことで自信をなくした人たちも自分のことをかけがえのない大切な存在であると思えるよ

うになるのです

 

私たち人間も差別のない社会をつくる努力をしなければならないと思います一人一人が相

手を大切に思う心を忘れなければこの社会はもっと住み良い場所になるはずです私はこのボ

ランティアを通して学んだことを生かしてこれからも一層努力していきたいと思います

入賞作文集 44

入賞作文

45 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

 

僕は祖父のために自助具を作ろうと思った祖父は去年の夏脳梗塞で倒れた祖父は一命

を取り留めたものの右手と右足がまひしてしまったのだその三週間前僕も車椅子から転倒し

て足を骨折した

 

僕には障害がある車椅子で生活することが多いしかし僕のことを障害者だといって差別

するような友達は一人もいない

 

祖父は歩けるようになりたいという気持ちが強かっただからリハビリを頑張り自分で

歩けるようになるまで回復した頑張っている祖父がかっこいいと僕は思った祖父はリハビ

リを頑張ったにも関わらず右手がうまく動かせなくなってしまっただからご飯を食べる時も

服を着替える時も時間がかかる普段何気なくやっていた動作がとても大変だと祖父は言ってい

守もり

田た

 幸こう

平へい

静岡県静岡大学教育学部附属浜松中学校 三年

祖父への靴下

法務事務次官賞

入賞作文集 46

入賞作文

た僕も何か役に立てることはないかと考えた

 

僕の学校には総合学習という授業があるそこで僕は福祉というカテゴリーを選んだ自

分で社会に役立てることを考え実際に行動することが目標だった僕は障害者のために何が

できるかを考えた

 

僕は二年前に静岡文化芸術大学で障害者がいかに日常生活で不自由のない生活ができるかを

考えるプロジェクトがあるのを新聞で知ったそれは大学生たちが個人個人にあった自助具を

作るプロジェクトだった僕は障害者のために何かできるのではと感じた

 

僕は静岡文化芸術大学へ行って僕にもできることがないかと聞いたすると学生さんが

自助具を作ってみないかと声をかけてくれた僕は迷わず「はい」と言った障害者のために

役に立てることがあると思うとすばらしいことだと思ったからだ

 

祖父のつらい顔を見ると日常生活に数々の大きな壁があることが伝わってくる

 

僕は祖父の数々の大きな壁を突き破ろうと思った祖父のために自助具を考え作ろうと僕

は思った祖父が靴下の脱ぎ履きが大変だと言っていたことを思い出したそこで脱ぎ履きし

やすい靴下はできないか考えた靴下の両脇にひもを取り付けてそれを引っ張ると靴下が縮み

脱ぎ履きしやすくなる仕組みだ大学の先生も良いアイディアだと言って褒めてく

れたこれは障害者だけでなく健常者にも使えると言われたユニバーサルデザ

インだと分かった

 

ユニバーサルデザインは年齢や障害の有無にかかわらず全ての人が使いやす

47 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

いように工夫された用具などのデザインである境界がなくなるように健常者が障

害者に対する偏見を考え差別意識がなくなるチャンスだと思った障害者と健常

者が共によりよく生きることが大切だと僕は思った

 

自助具の作品展では杖をついているお年寄り車椅子に乗った若い女性目の

見えない人福祉関係者など沢山の人々が観に来ていた皆自分の生活を良くしようと思っ

ているようだったまた障害者のためにできることは何だろうかと考えている健常者もいるよ

うだった

 

二年生の時の総合学習では二箇所のデイサービスを訪問したデイサービスには六十五歳以

上のお年寄りがいた暗く元気のない人明るく振る舞い誰とでも話せる人など様々だった

しかし僕が一番印象に残ったのは笑顔を絶やさず優しくお年寄りに接していた介護士だった

お年寄りの中には悩みを抱えている人が多いそうだその悩みを解消させる人もまた介護士だっ

た僕は介護士がお年寄りの体を支えるだけではなく心もそっと支えて生きる喜びを与え

ているのだと感じた

 

現代は三世代で暮らす家族が減り核家族が増えているそれはお年寄りの世話が大変だ

からという理由が多いだから老人ホームやデイサービスに預ける人が増えていると僕には

思えたお年寄りの中には自分が嫌われているのではないかとさえ思ってしまう人もいるそう

だそれはお年寄りにとって辛く悲しいことだと思うある介護士がこんなことをおっしゃっ

ていた「人の優しさはお金では買えない」誰にでも優しい心があると思うしかしあと一歩

入賞作文集 48

入賞作文

のところで行動に移すことができない人が多いの

だ僕たちが平和な社会で暮らせるのは今まで

頑張ってきてくれたお年寄りのお陰であることを

忘れてはいけないお年寄りを大切にすることは

当たり前のことなのだ

 

また障害者に対しても偏見の目で見ないで

そっと近づいて手を貸してあげれば健常者との

高い大きな壁を崩すことができると思う

 

障害者にも高齢者にもまた健常者にも人権

はあるお互いの人権を大切にすることが明る

い未来に繋がっていくのだと思う

 

早く祖父に僕の作った靴下を届けたい

49 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

 

僕は小学校六年生まで福岡県に住んでいましたそこで僕が体験したことです五年生のこ

ろ僕の友だちのA君が同級生のK君の靴を隠したりからかったりしていることがよくあり

ました最初は僕もあまり気にしていませんでしたがK君のことを「なんだかかわいそう」と

思うようになりました

 

ある日僕は勇気をだして先生に「K君がいじめにあっています」と報告しました初め先生は

「じゃれ合っているだけだろう」と「いじめ」とは思ってくれませんでしたでもその後「いじ

め」と分かりA君は先生に注意されその日一日は反省した様子で過ごしていましたしかし

次の日学校に行くといじめは前以上にエスカレートしていて蹴ったりたたいたりするように

なりましたしかも「死ね」「うざい」「消えろ」などの言葉が飛び交うようになりそんな日々

法務事務次官賞

浦うら

谷たに

 毅たける

徳島県三好市立池田中学校 三年

いじめをなくすために今

入賞作文集 50

入賞作文

が続きました

 

それは六年生になっても続きました僕はそのいじめを止めることができず毎日見て見ぬ

振りをしていました今思うと自分がとても恥ずかしいです本当の友達なら止めるべきなの

にそれだけではなくいじめられているK君に声一つかけることができずにいました心の中

ではA君に「やめろよ」と言おうと思っていたけどなぜか勇気が出ませんでした次にい

じめられるのが自分になるのが恐くて言えなかったのです

 

そんな日々が続く中僕の気持ちを大きく変える出来事がありました父の死ですそのとき

のことは今でも忘れることができません聞いたときには頭の中が真っ白になりました最初

は信じることができませんでした一週間も二週間も学校に行けずただぼーっと過ごしてい

ましたいろんなことを考え徐々に「死」というものの悲しさつらさ「死」という意味の

重さがわかってきましたそして時間はかかりましたが「命は一瞬にして消え二度と戻っ

てこないものだだから命を大切に今を大切にしなければならない」と深く受け止めることが

できるようになりましたそして周りの子たちは僕のような経験がないから「死ね」とか軽々

しく言えるのだろうと思いこの気持ちを伝えなくてはならないと考えました僕が強くならな

くてはと思いました

 

こんな気持ちになったとき僕には時間がありませんでした母の実家がある徳

島への引っ越しが一週間後に決まっていたのです落ち込んでいる暇は無いと思

い学校に行った僕はA君に言いました「いじめなんかやめろよいじめたって

51 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

喜ぶ人はいないし悲しむ人がいるだけだろ自分だってほんとは嫌だろ『死ね』

とか『消えろ』とか言葉の重さを知らないのに言うなよ」と言いました父親の

突然の死そのあと僕が考えたことも伝えました

 

友だちは黙って聞いてくれました僕の言葉にうなずいてそのあとK君の

ところへ行き「ごめん言葉の重さも知らずに言って本当にごめんぜったいに死ねなんて

ことは言わないそしていじめは絶対にしないほんとうにごめん」とあやまりましたK君

はとても優しい笑顔で「いいよ」と一言言いました僕もK君に言いました

「今まで助けてあげられなくてごめん」

K君は笑顔で「ありがとう」と言ってくれました今まで自分の中でもやもやしていた気持ちが

スーっと晴れました

 

今も時々耳にする暴言冗談半分で言っているのかもしれませんしかしいついじめにつ

ながるかわかりません他人を傷つけることで自分のストレスを晴らそうとしているのでしょう

関係ないふりをしようとする自分がいます楽な考え方をする自分がいますそんな時亡くなっ

た父の顔やK君の優しい笑顔を思い出しますあの時の自分のように強い気持ちを持とう「や

めろよ」と一言言うするとまた気持ちがスーっとしてきました

 

父の分も頑張って生き抜こうと決めた僕にとって正しいことを素直に認め悪いことを否定

できる強い意志を持つことが目標ですそして何よりも命を大切に今を大切にしていきたい

と思っています

入賞作文集 52

入賞作文

53 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

 

ぼくは今まで四つの外国に暮らしいろいろな国の人たちの中で育ってきた

 

まずタイで生まれてタイ人のメイドさんやドライバーさんにいつも遊んでもらっていた

らしい一才になると週一回の体操教室にも通いタイ人の友達もいたそうだ

 

次にシンガポールでは初めてナサリースクール(保育園)に通いいろいろな国の友達と

知り合ったプレイルームにある滑り台を滑る順番争いでいつも勝つのは体の大きい金髪の友

達だった

 

一回目の香港生活では英語の幼稚園に通ったその時のぼくの一番の友達はカナダ人だった

彼とはよくベイブレードをして遊んだが父が日本の出張で買ってきてくれた独楽や剣玉をして

遊ぶこともあった

村むら

瀬せ

 広ひろ

高たか

香港日本人学校中学部 二年

国境をこえて

海 外 作 品

今回は本選への応募とすることはできませんでしたが

 海外から寄せられた作品のうち一作品を御紹介します

入賞作文集 54

海外作品

 

それからインドでは日本人学校に通ったが夏休みには毎年アメリカンスクールのサマー

スクールに参加したし日本人のいない現地のテニススクールにも入り二年間通ったまたイ

ンドの現地幼稚園に通っていた妹のベストフレンドはコンゴ人でその兄弟もぼくの友達だった

 

そして三年間の日本生活を経て今また香港に戻ってきた

 

このようにぼくはいろいろな国でいろいろな国の人たちのお世話になりいろいろな国

の友達と遊んで育った肌が真っ黒な友達もゲームの話をすればすぐに仲良くなれたし髪が

金色の友達もポケモンの話をすれば気が合ったぼくは小さい頃から英語はうまくしゃべれ

なかったけれどもジェスチャーをつけたでたらめ英語でも充分に話は通じただからいろい

ろな国の人たちの中でぼくが日本人だからといって差別されたり嫌な思いをしたりしたこと

はないしぼくも肌の色が違うからとか言葉が通じないからという理由で違う人間だと思っ

たことはないそうぼくは外国人を差別したことはない

 

しかし本当にぼくは外国人を差別したことがないのだろうか外国人を差別した発言を一

度もしたことがないかと考えると自信がない

 

例えば香港人には赤信号でも平気で渡る人がたくさんいるそれを見てぼくは

「香港人はしょうがないな」

と思うでもよく見ると香港人全員が信号無視をしているわけではないまた

世界には今でも戦争をしている国がいくつもある

「人を傷つけ合うなんて馬鹿げている」

55 第30回全国中学生人権作文コンテスト

海外作品

とぼくは悲しくなるでもそれも好きで戦っている人がいるとも思えないその

人たちがそうなったのには何かきっと原因があるはずだ

 

逆に外国人から見ると日本人はどのように思われているのだろう

 

インドから日本に帰国した時毎日ごみがたくさん出ることにぼくはとても驚

いたインドの人たちがよく使う道端にあるカレー屋さんではバナナの葉で作ったお皿にカ

レーを入れてくれる食べた後そのお皿を道に捨てるとのら牛がその葉っぱを食べるそして

牛のふんは燃料になるというそれに比べて日本はちょっと歩くとペットボトルの飲み物が

買えファーストフードのお店では使い捨ての食器を使い立派なお菓子の箱を開けると中身が

少なくてがっかりすることもあるある時母が捨てたジャムの空きびんをメイドさんとエア

コンの修理にきていたワーカーさんとが取り合ってけんかをしていたこともあったそれを見

てぼくはあきれてしまったが逆にインド人から見ると使い捨て文化のしみついた日本人は

とんでもない人間にみえるのかもしれない国によって考え方や行動パターンが違うのは歴史

的背景や宗教習慣気候などのいろいろなことが関わっているのだと思う

 

このように考えると差別とはその人の一部しか見ていないことや自分のやり方だけが正

しいと思うことからおきるのではないかと思うその人が自分とは違った行動をとったとしても

それには深い理由があるのだろうと考えればきっと納得できると思うぼくもこれからは否

定的な発言をする前にその人たちのことをいろいろな角度から見て理解する努力をしてみよう

と思う外国との間には自分の国とは違う言葉や文化という壁があるとみんな言うがそこに

入賞作文集 56

海外作品

あるのは壁ではなく橋だとぼくは思う理解

し合おうという気持ちがあればきっと誰でも

その橋を渡っていけるはずだ気持ちの国境を

こえるのにパスポートはいらないお互いを理

解し合おうと思う気持ちが一番大切だと思う

そしてぼくはこれから日本人として生きる

のではなく地球人として生きていこうと思う

57 第30回全国中学生人権作文コンテスト

海外作品

法務局地方法務局名 郵便番号 所  在  地 電  話

金沢地方法務局人権擁護課920-0024 金沢市西念3-4-1金沢駅西合同庁舎(平成23年3月11日まで) 076-231-1244

921-8505 金沢市新神田4-3-10金沢新神田合同庁舎(平成23年3月14日から) 076-292-7804

富山地方法務局人権擁護課 930-0856 富山市牛島新町11番7号富山合同庁舎 076-441-6376

大阪法務局人権擁護部 540-8544 大阪市中央区谷町2丁目1番17号大阪第2法務合同庁舎 06-6942-9492

京都地方法務局人権擁護課 602-8577 京都市上京区荒神口通河原町東入上生洲町197番地 075-231-0131

神戸地方法務局人権擁護課 650-0042 神戸市中央区波止場町1番1号神戸第2地方合同庁舎 078-392-1821

奈良地方法務局人権擁護課 630-8305 奈良市東紀寺町3-4-1奈良第2法務総合庁舎 0742-23-5457

大津地方法務局人権擁護課 520-8516 大津市御陵町3番6号大津法務総合庁舎 077-522-4673

和歌山地方法務局人権擁護課 640-8552 和歌山市二番丁2番地和歌山地方合同庁舎 073-422-5131

広島法務局人権擁護部 730-8536 広島市中区上八丁堀6番30号広島合同庁舎 082-228-5790

山口地方法務局人権擁護課 753-8577 山口市中河原町6番16号山口地方合同庁舎2号館 083-922-2295

岡山地方法務局人権擁護課 700-8616 岡山市北区南方1丁目3番58号 086-224-5761

鳥取地方法務局人権擁護課 680-0011 鳥取市東町2丁目302番地鳥取第2地方合同庁舎 0857-22-2289

松江地方法務局人権擁護課 690-0886 松江市母衣町50番地松江法務合同庁舎 0852-32-4260

高松法務局人権擁護部 761-8077 高松市出作町585-4 087-815-5311

徳島地方法務局人権擁護課 770-8512 徳島市徳島町城内6番地6徳島地方合同庁舎 088-622-4171

高知地方法務局人権擁護課 780-8509 高知市栄田町2丁目2番10号高知よさこい咲都合同庁舎 088-822-3331

松山地方法務局人権擁護課 790-8505 松山市宮田町188番地6松山地方合同庁舎 089-932-0888

福岡法務局人権擁護部 814-0005 福岡市早良区祖原14-15福岡法務局西新出張所庁舎5階 092-832-4311

佐賀地方法務局人権擁護課 840-0041 佐賀市城内2丁目10番20号佐賀合同庁舎 0952-26-2148

長崎地方法務局人権擁護課 850-8507 長崎市万才町8番16号 095-826-8127大分地方法務局人権擁護課 870-8513 大分市荷揚町7番5号大分法務総合庁舎 097-532-3368

熊本地方法務局人権擁護課 862-0971 熊本市大江3丁目1番53号熊本第2合同庁舎 096-364-2145

鹿児島地方法務局人権擁護課 890-8518 鹿児島市鴨池新町1番2号 099-259-0684宮崎地方法務局人権擁護課 880-8513 宮崎市別府町1番1号宮崎法務総合庁舎 0985-22-5124

那覇地方法務局人権擁護課 900-8544 那覇市樋川1丁目15番15号那覇第1地方合同庁舎 098-854-1215

入賞作文集 58

問合せ先一覧

法務局地方法務局名 郵便番号 所  在  地 電  話

札幌法務局人権擁護部 060-0808 札幌市北区北8条西2丁目1番1札幌第1合同庁舎 011-709-2311

函館地方法務局人権擁護課 040-8533 函館市新川町25番18号函館地方合同庁舎 0138-23-9528

旭川地方法務局人権擁護課 078-8502 旭川市宮前通東4155番31旭川合同庁舎 0166-38-1114

釧路地方法務局人権擁護課 085-8522 釧路市幸町10丁目3番地釧路地方合同庁舎 0154-31-5014

仙台法務局人権擁護部 980-8601 仙台市青葉区春日町7番25号仙台第3法務総合庁舎 022-225-5739

福島地方法務局人権擁護課 960-8021 福島市霞町1番46号福島合同庁舎 024-534-1994

山形地方法務局人権擁護課 990-0041 山形市緑町1丁目5番48号山形地方合同庁舎 023-625-1321

盛岡地方法務局人権擁護課 020-0023 盛岡市内丸7番25号盛岡合同庁舎 019-624-9859秋田地方法務局人権擁護課 010-0951 秋田市山王7丁目1番3号 018-862-6533

青森地方法務局人権擁護課 030-8511 青森市長島1丁目3番5号青森第二合同庁舎 017-776-9024

東京法務局人権擁護部 102-8225 千代田区九段南1丁目1番15号九段第2合同庁舎 03-5213-1234

横浜地方法務局人権擁護課 231-8411 横浜市中区北仲通5丁目57番地横浜第2合同庁舎 045-641-7926

さいたま地方法務局人権擁護課 338-8513 さいたま市中央区下落合5-12-1さいたま第二法務総合庁舎 048-859-3507

千葉地方法務局人権擁護課 260-8518 千葉市中央区中央港1丁目11番3号千葉地方合同庁舎 043-302-1319

水戸地方法務局人権擁護課 310-0061 水戸市北見町1番1号水戸地方法務合同庁舎 029-227-9919

宇都宮地方法務局人権擁護課 320-8515 宇都宮市小幡2丁目1番11号宇都宮地方法務合同庁舎 028-623-0926

前橋地方法務局人権擁護課 371-8535 前橋市大手町2丁目10番5号前橋合同庁舎 027-221-4426

静岡地方法務局人権擁護課 420-8650 静岡市葵区追手町9番50号静岡地方合同庁舎 054-254-3555

甲府地方法務局人権擁護課 400-8520 甲府市北口1丁目2番19号甲府地方合同庁舎 055-252-7239

長野地方法務局人権擁護課 380-0846 長野市旭町1108番地長野第2合同庁舎 026-235-6634

新潟地方法務局人権擁護課 951-8504 新潟市中央区西大畑町5191番地新潟地方法務総合庁舎 025-222-1564

名古屋法務局人権擁護部 460-8513 名古屋市中区三の丸2丁目2番1号名古屋合同庁舎第1号館 052-952-8111

津地方法務局人権擁護課 514-8503 津市丸之内26番8号津合同庁舎 059-228-4193岐阜地方法務局人権擁護課 500-8729 岐阜市金竜町5丁目13番地 058-245-3181

福井地方法務局人権擁護課 910-8504 福井市春山1丁目1番54号福井春山合同庁舎 0776-22-5090

問合せ先一覧 (法務局地方法務局)

59 第30回全国中学生人権作文コンテスト

問合せ先一覧

世界人権宣言啓発書画「鳥」「自由と解放」を表わしたもの 小木太法書オタビオロス画(財)人権擁護協力会提供

入賞作文集 60

すべての人間は生まれながらにして

自由でありかつ尊厳と権利とに

ついて平等である人間は理性と

良心とを授けられており互いに同胞の

精神をもって行動しなければならない

―――

世界人権宣言 第一条

―――

第三〇回

 全国中学生人権作文コンテスト

中央大会表彰式

印  刷 平成23年1月25日

発  行 平成23年2月14日

発 行 者 法務省人権擁護局

全国人権擁護委員連合会

東京都千代田区霞が関一丁目1番1号

電話 03(3580)4111 内線5875

URL httpwwwmojgojpJINKEN

第30回全国中学生人権作文コンテスト中央大会審査員

感想をお聞かせください本作文集を読まれた感想等を下記の連絡先又はkeihatsumojgojpまでお寄せください

無断転載を禁じます本作文集に掲載された作文や写真等を地方自治体が広報誌に掲載したり学校が教材に使用される場合などにはあらかじめ下記に御連絡ください

100-8977 東京都千代田区霞が関一丁目1番1号 法務省人権擁護局人権啓発課 TEL03(3580)4111 内線5875

作  家(審査員長) 落 合 恵 子映画監督 山 田 洋 次社団法人日本新聞協会事務局長 川 嶋   明日本放送協会解説委員室解説委員 南   直 樹文部科学省初等中等教育局視学官 三 好 仁 司全国人権擁護委員連合会長 中 村 浩 紹法務省人権擁護局長   井 忠 雄

(敬称略)

【式次第】

第一部

 会

主催者あいさつ

賞状授与

内閣総理大臣賞法務大臣賞

文部科学大臣奨励賞法務副大臣賞

法務大臣政務官賞

全国人権擁護委員連合会長賞

社団法人日本新聞協会会長賞

日本放送協会会長賞(以上各一名)

法務事務次官賞(三名) 計一一名

学校への感謝状贈呈

高円宮妃殿下おことば

来賓祝辞

第二部

各受賞作文の朗読

内閣総理大臣賞法務大臣賞

文部科学大臣奨励賞

全国人権擁護委員連合会長賞

社団法人日本新聞協会会長賞

日本放送協会会長賞

 評

全国中学生人権作文コンテスト中央大会審査員

 山田洋次氏

 落合恵子氏(ビデオレター形式)

第三部

新垣勉さんコンサート

 会 平成二二年一二月一八日(土)

午後一時三〇分〜三時五〇分

於ニッショーホール

「いじめ」や暴力行為等は人権侵害です

法務局地方法務局では

人権侵害による被害を受けた方を

救済するための活動を行っています

お気軽にご相談ください

女性の人権ホットライン

インターネット人権相談受付窓口

ゼロナナゼロのハートライン

0570-070-810

子どもの人権110番ぜろぜろななのひゃくとおばん

 0120-007-110

パソコンから httpwwwmojgojpJINKENjinken113html携帯電話から httpwwwjinkengojpsoudanmobile001html

インターネット人権相談 検 索

Human Rights法務省人権擁護局全国人権擁護委員連合会

人権イメージキャラクター人KENあゆみちゃん人KENまもる君

全国共通通話料無料

全国共通ナビダイヤル

この冊子は環境保護印刷の「水なし印刷」で印刷されています

第30回全国中学生人権作文コンテスト入賞作文集

法務省人権擁護局全国人権擁護委員連合会

人権イメージキャラクター人KENまもる君人KENあゆみちゃん

この冊子には音声コードが各頁(奇数頁 左下偶数頁 右下)に印刷されています専用の読み上げ装置で読み取ると記録されている情報を音声で聞くことが出来ます

Human Rights法務省人権擁護局全国人権擁護委員連合会

 全国中学生人権作文コンテスト入賞作文集

 全国中学生人権作文コンテスト入賞作文集

第30回

人たちがとてもよくしてくれるのはいいがそのために困ったり悲しい思いをすることもあると

いうのだった私はこれまで人に優しく親切にすることはいわば常識であり当然のことだ

と思っていただけに大きなショックを受けた困った時に手を貸してくれるというのに悲しい

思いをするとはどういうことなのだろう私たちが親切のつもりでやっていることが迷惑になっ

ているというのだろうかお年寄りや障害者をいたわるのは当たり前でありそれは感謝される

ことはあっても迷惑に思うなどとは筋違いではないだろうかところがその人の立場から見

れば好意のつもりでもまるで小さな子どものように扱われたりこれは危険だからと勝手に

予測されて遠ざけられてしまったりと自分の意思とは関係なく何でも先回りされてしまうのが

悲しいのだそうだ目は悪くとも自分は子どもではないしできなくはないことにまで行き

過ぎた親切にひどく心を傷つけられるのだというまた相手がよかれと思ってくれていること

だけにそれを断ろうものならあからさまにいやな顔をされたり急に態度を変えられることも

あったりでかえって気を遣うのだそうだ

 

私ははっとした今まで手を貸す側から見ることはあっても逆の立場から考えたことはな

かったので大きな衝撃を受けたいつの間にか相手より自分を少し高い所に置いて見ていない

だろうか無意識のうちに相手のことを保護すべき弱者だとして見ていないだろう

か私は今中学生だがそれ以下の子ども扱いされると腹が立ついちいち細かい

ことまで制限されたり禁止されたりすれば確かにいい気持ちはしない同じよう

に障害者や老人に対して危険だ何だのとその人ができることまでをも禁止し

11 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

まだこぼしてもいない湯のみを取り上げるようなことをしてはいないだろうか

 

確かに弱者をいたわり手助けすることは人として当然であり必要なことで

あるしかし相手の気持ちや状況を考えずただ一方的に押しつけるだけの親切

はただの自己満足でしかない見えない人には見えない人なりのやり方や考え方が

あるのにそこに寄り添うための理解がないとしたらそれは人権を侵害しているといえないだ

ろうか

 

人は皆平等であるけれど環境や年齢身体能力などは同じではないだからこそ人とし

ての尊敬の念や思いやりいたわりの心を持って接することが大切なのだと思う

 

しばらく前の人権侵害とは人を自分より見下したりおとしめることで優越感を持つための

ものだったように思うそして今生活や文化が豊かになった現代では行き過ぎた親切やいた

わりが人の心を傷つけそれが新たな種類の人権侵害の一つになっていることもあるのだ「善意

イコール感謝されるべきもの」という考え方が全てに当てはまるとは限らないまた当ては

めようとしてはならないその人にとっての「いちばん」は何かひとりひとりを尊重するため

には本当に助けが必要かどうか出すぎたことをしていないかを見極めることも大切なのだと

思う

 「人権」について考えることそれはとても難しいことのように思えるが意外と簡単なこと

ではないだろうか同じ人間同士が並んで歩くための人と人との間の権利私たちが無意識のう

ちに作り出している優劣の壁を取り払うこと自分の価値観を人に押しつけないこと自分も相

入賞作文集 12

入賞作文

手も同じひとりの人間なのだとその

人の心に寄り添い理解し合う努力こ

そ人権を守る大きな力になると思う

13 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

 

十五年前父が篠山の町中を歩いているとこう言われた「そんな棒きれ振り回さんといて」

と父は決して棒きれを振り回していた訳ではないただ白杖を持って歩いていただけだそ

の話を聞いて私は驚いたたった十五年前のことだけど信じられない気持ちでいっぱいになっ

ただが十五年経った今ではそんなことはないだろうマスメディアが発達しいろんなハン

ディを持った人のことが紹介されたり障がい者の方自身が社会参加する機会が増えたからだと

 

そしてこんな話も聞いたことがある電車に乗った時に時間が知りたくて携帯電話を開い

たときのことだ「こんなとこで電話したらアカンやろ」と中年のおばさんに怒鳴られたそうだ

優先座席の近くだったということもあるが『目の不自由な人=白杖を持っている』という認識

は広まってきているが時間を知りたいときには音声が出る時計や携帯電話を使うということは

法務大臣賞

辻つじ

本もと

 桃もも

佳か

兵庫県篠山市立西紀中学校 三年

少しずつhellip一歩ずつhellip

入賞作文集 14

入賞作文

ほとんど知られていないのだそのとき父は説明しようと思ったがどうせ分かってもらえな

いと思い「すみません」と謝りとても悲しい気持ちになったそうだ見えている人は時間

が知りたければ時計を見ればすぐに分かるだが目が不自由だと音で聞くしかないのだ私は

障がい者が暮らしやすいような機器が発達してきていることをもっと社会に広めていくことが

必要だと思うそうすることで協力してくれる人や理解してくれる人が増えていくのではな

いだろうか

 

視覚障がい者の方が日常生活を送る上で給付や貸与される機器がある音声で教えてくれる

時計や体重計文章読み上げ器などがそれだこれらは以前県の基準で市が実施要綱を定めて

そこが窓口となって行われていたが法改正により各市区町村対応となったしかしこの日

常生活用具の中に健常な家族と同居している視覚障がい者には給付してもらえない物もあるの

だそれは体温計や体重計であったりするこの体温計がなければ家族が出かけている間に

体調が悪くなっても計測することはできないのだ

 

父の知り合いに赤ちゃんを連れた全盲のお母さんがいる体温を計るのに複数の体温計で赤

ちゃんの体温を計りその体温計に印をつけて病院まで持っていって見てもらったり家族が帰っ

てくるのを待って見てもらうことがあるそうだ私たちは簡単に体温を計ること

ができるが見えない人たちはそれができないために生命の危険にさらされてしま

うことがあるのだせっかく便利な機器が発明されても値段が高くて簡単に購

入できないもしくは制度のカベによってそのサービスが受けられないことがあ

15 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

るしかし私の住む篠山市では父たちの声が福祉課の方々に届き日本で初めて

音声式体温計が同居家族の有無にかかわらず給付されるようになったのである

 

今は携帯電話が音声で読み上げてくれてメールや時間GPSなどの便利な

機能を視覚障がい者の方も利用できるようになっただがそのことを知っている

健常者の方は全国にどれくらいいるだろうかまたこのことを知っている当事者である視覚障

がい者の方が全国にどのくらいいるだろうか私はまだ知らない人が多いと思う

 

ここ十五年程で視覚障がい者の人は白杖をついているということはほぼ知られてきたが生

活を助ける機器が発達してきているということは知らない人も多いだろうそれが「あの人は

目が動いているから見えている」とか「あの人はずっと目をつぶっているから見えていない」

「物を避けているから見えている」「物にぶつかっているから見えていない」という勝手な

思い込みで障がいの重さをはかることにつながっているのではないだろうかでもそれは間違っ

ている目を閉じれば視覚障がい者の疑似体験はできるでもそれはあくまでも体験であって

個人個人の見え方はそれぞれ違うし外見や行動で障がいの重度を判断するのは良くないと私は

思う同じような見え方ができたとしても全く同じ動きなんてできる訳ないのだから毎日父

と生活していてもどのくらい見えているのか私にもはっきり分からないなにげに父たちがこな

している日常の動作であっても私たち健常者にははかりしれない恐怖と不安努力があるの

だ誰でも目をつぶれば見えない世界を体験した気になる松葉杖をつけばその体験をした気

になる車イスに乗ればその体験をした気になるだが本当の障がい者の苦悩と努力の一部

入賞作文集 16

入賞作文

しか体験していないことを知ってお

いてほしい私たちには当たり前に

できるようなことがあってもどん

なに望んでもできない人たちがいる

ということとみんなの正しい理解と

知識が障がい者の明るい未来へとつ

ながっていくということを知ってほ

しいそしてこのことを広めていか

なければならない

 「少しずつhellip一歩ずつhellip」

17 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

 「Pick your 

head up」

 

これは父がいつも私にかけてくれる魔法の言葉です

 「顔をあげなさい下を向かない」という意味です

 

私の父は生まれも育ちもニューヨークのアメリカ人です女の子は父親に似るとよく言われ

ますが私もそうで日本人の母親よりも父の方に髪質も肌の色も本当によく似ています子供

が親に似ることはあたりまえのことですが私はそのためにいやな思い悲しい思いをいくどと

なくしてきました

 

初めて自分がみんなとちがうんだなと思ったのは幼稚園に入学してまもなくのことでした同

じ組の女の子たちが何人かして楽しそうに遊んでいたので

ローリンズ リコ

福島県福島市立渡利中学校 一年

「差別のない世界へ」

文部科学大臣奨励賞

入賞作文集 18

入賞作文

 「まぜて」

と声をかけると一人の子が言いました

 「このグループは日本人で髪がまっすぐな人しか入れないのリコちゃんは髪がチリチリだし

ハーフだからダメ」と

 

私はとても悲しくなりましたそしてそれは卒園するまで続きました

 

小学校は人数も少なかったせいかみんなとても仲良くて私の外見のことを言う人はだれ一

人いませんでしたまるで兄弟のようにみんな自然に接してくれましたでも習い事やいろい

ろな大会など他校の子たちといっしょになる場面ではやはり髪の毛や肌のことをからかわれ

ることはよくあることでした私には二学年上の兄がいますが兄もやはり父の方に似ています

おだやかな性格の兄は私以上につらい思いをしてきたと思います

 

父は兄や私の話を聞くたびに

 「Pick your 

head up」

と言いましたそして

 「自分に自信とほこりをもちなさいあなたたちは二つの文化を受けついでそれはとてもす

ばらしいことなんだよ」

といつも話してくれました

 

中学に入って間もないころでしたある男の子がいきなり私に向かって言いまし

19 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

 「おまえ風呂に入っているのか黒いぞ外国人はくさいからな」

 

私はとてもはずかしくなりましたそしていかりや悲しみがこみあげてきました

まわりにいた友達は彼の言葉に苦笑いをしていました私はいかりのあまり彼をな

ぐりたくなりましたその時私は父のあの言葉を思い出しました私は顔を上げ

相手の目を見て静かに自分の傷ついた気持ちを伝えました

 

彼は私に向かってこう言いました

 「ごめんわるかった」

 

彼は人を傷つけるということが彼の想像以上に重くそしてひどいことだと少し気付いたよう

でした

 

差別やいじめというのは私たちのまわりでは小さなことから大きなことまで本当によくあり

ますそして差別やいじめをしている側からすればそれをじょう談だという人も多いのです

まわりの人たちもやはりじょう談や遊びの中でのことにとらえてしまう人たちもとても多いので

すだから小学校の時から私たちは道徳などでいじめや人権などについて学んでいてもなかな

かそれがなくならないのだと思いますでも実際に差別やいじめをされている方はみんなの想

像よりはるかに傷ついているということつらいということそして悲しいということを私はこ

の人権作文を通してたくさんの人に知ってほしいのですけがをすれば日がたつごとにそのけ

がは治っていくでしょうまわりからも治っていく様子が見てわかるでしょうでも心に受けた

傷は本人にしかわからないのですその傷がどんなに深くて痛いものか本人にしかわからないの

入賞作文集 20

入賞作文

です

 

肌の色が違っていてもかみの毛が

違っていても私たちはみんな同じ人間

です心を持った人間です相手の気

持ちを思いやり相手の立場になって

考えればいじめや差別はなくなると

思います今も世界のいたるところで

人種差別が問題となり争いが起きてい

ます私は世界から差別やいじめがな

くなるように強い心を持ってまずは

自分から立ち向かっていきたいです

21 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

 

あなたには大好きなふる里がありますか私には緑の木々と青い海に囲まれた自然豊かな

大好きなふる里があります私のふる里は過去に公害という大きな被害をうけた水俣ですそ

の水俣病で患者はもちろんそうでない人も長い間差別をうけてきました

 

父が幼い頃まだ水俣病の原因が究明されておらず水俣病はうつると言われていました列

車が水俣の駅につくと窓をしめ手で口をおおった人もいました修学旅行に行くと同じ宿

舎になった学校から苦情を言われたこともありました水俣出身ということで結婚を断られた人

や就職試験をうけることさえできなかった人もいました水俣に住んでいることをかくして隠

れるようにひっそり暮らしていた人もいましたまた同じ水俣に住む人でさえ奇病と呼び距

離をおきましたそのことでたくさんの人々が傷つきあってきたのですいろいろな立場の人々

井いの

上うえ

 由ゆ

紀き

子こ

熊本県熊本県立八代中学校 一年

私の大好きなふる里

法務副大臣賞

入賞作文集 22

入賞作文

がせまい土地に住んでいるのですから仕方がなかったのかもしれません

 

しかし今では原因も究明され海の安全も確認されたことでそのようなことはほとんどな

くなりました私たちは過去のことを忘れるくらい楽しくすごしています

 

私は今八代の中学校に通っています私は自分が水俣出身ということを隠すこともありませ

ん友だちもまたそのことを知っていますがからかったりいじめたりする人は誰一人いません

 

しかし先日水俣の中学校のサッカー部が練習試合中に相手チームの選手から

「さわるな水俣病がうつる」

と言われたという記事が新聞にのっていました今でもこういう風に思っている人がいるのか

と思うと残念で仕方ありません何気なく言った一言だったのかもしれませんがその一言は

私たち水俣に住む者にとって非常に悔しく悲しいものでした

 

小学校の総合的な学習の時間で水俣病について学習しました原因となった会社を訪問したり

患者の方から当時の話をきいたり交流も行いましたそんな中で苦労されたり何も言えずに

黙って亡くなった人のことを知り水俣に住んでいながら何も知らなかったことをはずかしく思

いました水俣病についてしっかり学び正しい知識を得ることが差別や偏見をなくすのだと気

付きました

 

中学校の道徳の時間ではハンセン病について学習しましたこれも水俣病同様

正しい知識がなかったためにおきた悲しく悔しい悲劇でした

 

私たちが差別や偏見をなくすためにできることそれはその人その出来事に

23 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

ついてしっかり知ること知ろうと努力すること正しい知識を深めるために学習

することではないかと思いますそうすれば水俣病やハンセン病のようにむや

みに人と人とが傷つけあったり憎しみあったりすることはなくなるのではないで

しょうか

 

先日テレビで水俣のダイバーが紹介されましたその人は本当はほこりたい水俣を心の中

にじっとしまいこみ誰にも言えず何年もの間生きてきた人でしたしかし水俣の地にも

どり自分はこのすばらしい美しいふる里を紹介したいと海にもぐり写真をとり続けておら

れるそうです心に差別という深い傷を負いながら水俣の再生を皆に知らせたいと頑張る人

がいることに感動しました

 

今水俣はごみの分別リサイクル事業など市民全員で環境にやさしい町づくりをすすめてい

ます私は差別や偏見から立ちなおり再生しようと環境問題に一生懸命とりくんでいるふる

里水俣をほこりに思っています

 

水俣では運動会等多くの行事で「水俣ハイヤ節」というものが踊られますこれは水俣病

の患者の方が水俣の青い海と豊漁を願って振りつけをされた踊りだそうです私たちと同じ思い

をする人が二度とでないことを祈りながら私たちは毎年皆でこの踊りを踊ります

 

水俣の悲しい過去を変えることはできませんが私はあやまちを二度とくりかえさないため

にこの美しい自然を守り真実を語り継いでいきたいですそして差別や偏見のない社会に

なるよう自分から努力していきたいと思います

入賞作文集 24

入賞作文

25 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

 

みなさんは「本当の『平和』とは」と質問されたら何と答えますか「戦争や紛争などが

ないこと」ですかそれとも「自分自身の幸せのこと」ですか一人ひとりの抱く「平和」のイ

メージは違うことでしょう

 

僕の思う本当の「平和」それは「家族」がいて「家庭」があることだと思いますなぜそう

思うかというと今僕は訳あって家族とは離ればなれに暮らしているからです一歳前後には既

に家族とは離れ施設にいました母親や姉兄の存在はわかっていますが一緒に過ごした時

間は限られたもので今でもほとんど交流はありませんそのせいか僕はいつも「家族」や「家

庭」というものに強い憧れを抱いています

 

自分がまだ幼い頃は自分と同じくらいの子が母親と手をつないでいる姿がとてもうらやまし

大おお

田た

 葵あおい

栃木県さくら市立喜連川中学校 三年

「家族」とは何か

法務大臣政務官賞

入賞作文集 26

入賞作文

「どうして自分には母親がいないんだろう」と思っていました仕舞いには自らの母親を恨ん

でしまったのです小学生になってもその気持ちは変わらず母親への恨みは増すばかりでした

 

しかし小学五年生の夏思いもよらぬ出来事が起きましたそれは引っ越しがあったこと

ですそこで僕は新しい土地そして新しい里親という人たちに出会いました里親の人たち

と暮らした数年間僕は幸せでしたそこで僕は僕の周りにはいつも支えてくれる人たちがい

ることに気づきました血のつながりがなくても僕に自分の子どものように接し育ててくれ

た里親の人たち養護施設の先生方などたくさんの方たちに僕は見守られて成長してきたこと

に気づいたのです僕を支えてくれる人すべてに感謝の気持ちがわき出てきましたそれ以来

僕は親という存在にこだわらなくなりましたそれどころか自分に命を与えてくれた親に感謝

の思いを抱くようになったのです

 

この夏母親の育児放棄が原因で二人の乳幼児が衰弱死するという悲しい事件がありました

二人の子どもにろくに食事も与えず風呂も入れなかったそうですさらに逮捕後その母親は

「家に帰ってあげなかったことを今も後悔している子どもは私を恨んでいると思う」

という言ってはならない発言をしました僕は怒る前に亡くなった二人の子ども

たちがかわいそうでなりませんでした

 

と同時に僕はこの母親はどうしてこのようなことをしてしまったのだろうと

すごく考えさせられました僕は本来親は子どもを殺すのではなく守るために

27 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

いるのだと考えますたとえ小さな子どもでも立派な一人の人間ですその命を

守り育てていくことが親として大切な役目だと思うのですこの母親はどこで

勘違いしたかは知りませんが親としての自分の責任を理解していなかったのでは

ないでしょうか

 

そしてその勘違いを誰も母親に気づかせてあげられなかった事実母親が一緒に遊び歩いて

いた友人はもちろん母親の家族が少しでも助けることができていたら母親の行動を戒めるこ

とができていたら連絡を受けた児童相談所がもう少し踏み込んだ行動が取れていたらこのよ

うな悲しい結末にはならずに済んだのではないでしょうかやりきれない思いばかりがこみあげ

てきます

 

もう一つこの母親は大きな勘違いをしていますそれは「子どもは私を恨んでいると思う」

という言葉です僕はこの子どもたちが母親を恨んでいるとは思えません子どもたちは母

親が帰宅するといつもハイタッチをして喜んで迎えたそうです子どもたちは母親のことが大

好きだったのでしょうたとえ自分たちを見放した母親でも恨んでいるとは決して思えないの

です

 

子どもは心の底から自分の母親のことを恨めないと僕は思いますこの世に生を受け笑った

り怒ったり泣いたりと毎日いろいろな経験ができるのは自分を生んでくれた母親という存在

があったからです正直僕も小さい頃は母を恨んだことがありました愛情の裏返しというよ

うに母親への思いが憎しみに変化してしまったのですでも心の底には母への恨みとは全く

入賞作文集 28

入賞作文

正反対の気持ちが存在し続けていましただ

からこそこの子どもたちがどんな思いで死

んでいったのかわかるような気がします母

親を信じひたすら母親の帰りをまちわびて

いた思いが

 

僕にとっての「家族」それは同じ屋根の

下で暮らす人々のことですたとえ血はつな

がっていなくても僕を支え励ましてくれる

人たちそのすべての人が僕にとっての大切

な「家族」なのです今僕の暮らす養護施設

にはいろいろな事情を抱えた二歳位から高

校生までの子どもたちや職員の方が約六十人

います今の僕には全員大切な「家族」で

す僕はこれからもこの「家族」を大切に

一日一日精一杯平和に生きていきたいです

29 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

 

授業でハンセン病について学んだ日両親と「偏見」や「差別」について口角泡を飛ばす議論

を深夜まで繰り広げた身体障害者の父と看護師の母を持つ私は幼い頃から「命の大切さ」を

訴える両親の姿を見て育って来たそんな私は真摯な気持ちからハンセン病罹患者と向き合い

たいと思いこの夏草津にある療養施設栗生楽泉園を訪れた

 

草津までの道のり私は罹患者の気持ちを絶えず考えていたハンセン病について調べると「ら

い予防法」により罹患者は隔離され人権を無視された扱いを受けたことが分かった罹患者の

言葉が書かれた本ではどんなに過酷な仕打ちを受けたか他人をどれほど恨み憎んでいるか

が書かれていたその為私は無意識の内に「罹患者は全員恨みを抱いている」と勝手に思い込

んでいたしかしこんな思い込み自体が偏見や差別を生む原因になるということを後に思い知

大おお

井い

 海み

琴こと

群馬県群馬大学教育学部附属中学校 三年

忘れてはならないこと

全国人権擁護委員連合会長賞

入賞作文集 30

入賞作文

らされることになるのである

 

私を迎えてくれたのは入園者自治会長の藤田三四郎さん藤田さんは大変お元気でその容姿

からはハンセン病を伺い知ることはできなかったしかし藤田さんは紛れもない罹患者なのだ

その証拠に藤田さんの名は本名ではない罹患者は施設に入所するにあたり偽名を使用させら

れたと言うつまりその時点で罹患者は世間から存在を消されてしまうのであるそんな藤田

さんから語られた話はハンセン病だと宣告され三度も命を絶とうとしたこと重症患者の看

護を押しつけられ数え切れない人を看取り自らの手で葬ったこと家族が受けた迫害や侮辱的

な言葉など想像を絶するもので筆舌し難いものだったしかしこんな迫害と差別は同時にハ

ンセン病患者達の人権回復闘争の歴史でもあったのだ闘争の末「らい予防法」が廃止される

と今まで差別や人権侵害を繰り返していた多くの人が掌を返す様に態度を変えたと言う私は聞

いていて怒りを覚えたが不思議なことに耳を塞ぎたくなる様な内容を語る藤田さんからは全

く怒りや恨みが感じられないのだ私は話を聞くまで自分の運命を呪い周囲への恨みつらみ

の言葉が出てくるとばかり思っていたしかし出てきた言葉は「入園出来て良かった差別は

受けたが今では恨みを抱く罹患者も少なくなったそればかりか最近はたくさんの人が我々を

理解し協力してくれるので嬉しい何故なら一人の百歩は力が無いが百人の一歩

は力になるから」と言う感謝の言葉だったのだ本当に「恨みは無いのか」と何度

聞いても答えは同じだった私は恥ずかしくなったハンセン病について調べ罹

患者の心を理解したようなつもりでいながら実は何も理解できてなくてそれば

31 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

かりか罹患者を偏見の眼で見ていたのは私自身だったのだ私は話を聞いてとめ

どなく溢れ出る涙を拭いながら心の片隅に潜んでいた「偏見と言う名の種」が身

体から洗い流されていくのを感じていたそれは同時に「思い込みや無知が偏見

や差別を生みだす」ことを強く感じた瞬間でもあったそれだけに藤田さんの「自

分と同様に他人を愛すればいつか必ず世界から差別はなくなる他人を愛して下さい」の慈愛に

満ちた言葉が一層重く腑に落ちるのだった

 

帰りがけ千五百ページにも及ぶ「入所者証言集」を手渡されたその際私は見えない襷も

手渡された気がしたその襷とは証言集に記された罹患者の「事実を風化させないで私達の事

を忘れないで」という搾り出すような叫び声とその姿だったのである

 

ハンセン病が治る病気であるのに誤った知識から悲惨な人権侵害が長期に渡り続いた同じ間

違いを繰り返さないためにも事実を語りついで行く必要があるここ楽泉園でも高齢化が進み

証言者の数が減っているこれは全国一五全てのハンセン病療養所に共通することだハンセン

病問題は罹患者がいなくなればそれで終わると言う問題ではない今後人権問題を考える際重

要な指針になりうる事実なのだそしてこの事実の風化を防ぐことが私達若い世代の役目だと

私は思う

 

私は小六の時友人達から突然イジメを受けたそれを引きずり他人を恐れ憎み自分を

嫌って生きて来たしかし罹患者の声が私に生きる力と前を向いて歩む勇気を与えてくれた

楽泉園訪問は私に人生観が変わる程の衝撃を与えてくれたのだこんな私だが罹患者の声を伝

入賞作文集 32

入賞作文

える「百人の中の一人」にはなれるはず

だそのために私は今この作文を書い

ている文字は時を越えて生き続けるか

ら私はこれからも楽泉園訪問を続ける

つもりだ実際に中学生の私が出来るこ

とには限りがあるが差別や偏見を少し

でも減らすために一歩を踏み出すつもり

でいる「自分と同様に他人を愛すれば

いつか差別は無くなる」と言う藤田さ

んの言葉を胸に

33 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

 

森に囲まれたその一画には教会や寺院神社があり小さなショッピングセンターやレスト

ランもある床屋や図書館郵便局や浴場もあるしかしそれらの施設を利用するのはその一

画に住む人たちだけだ緑の外側に住む人が利用することはないそこはハンセン病の療養所

多磨全生園である

 

僕は七年前に清瀬市に引っ越してきた夏のある日昆虫が大好きな僕は何気なくその森の

中に入って行ったそして歩き回っているうちにその場所が一つの「町」であることに気付

いた

 

毎日セミやカマキリやナナフシを探しながらどうしてこんな所があるのだろうと思った

 

僕が一番不思議に思ったのは古い木造の小学校だいつも誰もいない校舎と小さな運動場近

久く

米め

 一かず

輝き

埼玉県学校法人立教学院立教新座中学校 一年

ハンセン病について考えたこと

社団法人日本新聞協会会長賞

入賞作文集 34

入賞作文

くに小学校があるのにどうしてこんな所に小学校があるのだろう小学一年生の僕はとても不思

議に思った

 

夏に地域交流を目的とした盆踊りと花火大会が行われるいつもは人のいない小学校跡は多く

の人であふれかえり普段は見かけない重い後遺症の老人たちもこの日は外に出て盆踊りを楽し

む初めて参加したときは言葉が出なかった正直「怖い」と思った

 

夏が来るたびに僕は盆踊り大会に参加した低学年から高学年へと進むにつれて少しずつハ

ンセン病のことが分かってきた

 

六年生のときに社会科見学で全生園の元患者を訪れることになっただが僕は都合で参加で

きなかった僕はそれをずっと悔やんでいる

 

今年の夏僕はハンセン病資料館に出かけた見学者は僕一人でとても緊張したなるべく

音を立てないようにパネルを見て回った

 

強制隔離の現実にとても驚いた狭い部屋に押し込められ症状の軽い患者が重症の患者の世

話をしたという子供を持つ権利や生まれる赤ん坊の命まで奪われていた逃げ出したり反抗的

な患者は「不良患者」と呼ばれ窓の小さな暗い監房に閉じ込められた

 

医学が進歩し療養所も徐々に改善されていったが強制隔離を命じる「らい予防

法」が廃止されたのは一九九六年だという隔離が始まった一九〇八年から約九〇

年も経っていた僕が生まれるほんの一年前のことである特効薬が開発され本

格的な治療が始まったのは昭和二十二年である現実に合わない法律を廃止するの

35 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

にどうしてそんなに時間がかかったのだろうか

 

資料をもらってハンセン病資料館を後にした家を出るときは帰りに虫の観察

をするつもりだったがとてもそんな気にはなれなかったいつもセミが集まる桜

の木には目もくれずに早足で家に帰った

 

資料の中で一番心が痛んだのは療養所の子供たちのことだ療養所に入所したのはハンセン

病を発症した子どもたちだけではない親が発症したために入所する子どもたちもいた当時は

ハンセン病は遺伝病だとされていたからだ親から無理やり引き離された子どもたちは「すぐに

帰れるから」という言葉を信じていたというしかし一生療養所を出ることができなかった人が

多かったという社会的な差別がひどかったからだと資料に書かれていたが僕には実感がわか

なかったのでもう少し調べてみることにした

 

図書館で『ハンセン病を生きて』(伊波敏男著)という本を見つけた少し難しかったが差

別の現実が僕にもわかる部分があったそれは元患者たちに対して書かれた匿名のひどい手紙

である長年隔離されて苦しんできた人たちをさらに傷つける言葉が並んでいた悲しく暗い

気持ちになった

 

日本は経済大国として世界の注目を浴びているだが人権意識の面ではどうだろう「らい

予防法」を二〇世紀の末まで廃止できなかったことをどう考えたらよいのだろうか明治時代に

隔離が始まったときそれは外国に対する体面を保つためだったという病気の人を治療するの

ではなく「隠す」のが目的だったのだいまだに差別意識を持つ人がいるのは社会がそうした

入賞作文集 36

入賞作文

過去に対する反省をしていないから

だと思う

 

僕が不思議に思った小学校はすで

に取り壊されて今では小さな石碑

だけが残っている老朽化がひどく

残しておくことができなくなったか

らだという全生園の古い建物はど

んどん取り壊されていく石碑だけ

ではあの不思議さが伝わらないのが

とても残念だ

37 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

 

僕の曾祖父は医者嫌いでしたそのため腹痛で病院に運ばれた時は膵臓癌の末期で余命三ヶ

月でした手術もできない手遅れの状態でした家族皆で話し合い曾祖父の辛い気持ちを第一に

考え曾祖父に病を隠すことになりました曾祖父は次第に病院の中を歩いては転倒し体中あ

ざだらけになりベッドの上で縛られることになっていました曾祖父は病名の宣告を受けてい

ないため元気で歩けると思っているが実際歩くと転んでしまう何でこんな風になってしまっ

たのかさえわからない

 

家族と病院に行くと「包丁もてこいこれぶった切って家さ帰る」と騒いでいましたあん

なに優しかった曾祖父の姿に言葉も出ず恐いくらいでした何も知らされずベッドに縛り付

けられれば誰もがそうなることでしょう「じいちゃんどご一緒に車さのせでいてくれの」と

櫻さくらだ田

 要かな

太た

山形県酒田市立松山中学校 三年

日本放送協会会長賞

悔いのない最期を

入賞作文集 38

入賞作文

せがまれたときもありますかわいそうで涙がポロポロこぼれました「おじいちゃんどご家

さ連れで帰ろうよ」とせがんでも家族も仕事で忙しいためか誰も首を縦に振ってくれず病院

にいた方が安心ということになりました膵臓癌は予想以上に激しい痛みのため医師から強い

痛み止めと強い睡眠剤を勧められましたがそれを導入することにより安楽死に近い状況にな

ることも医師から告げられていました家族は決断をせまられました曾祖父に相談もせずに決

めていいことなのか家に帰りたい曾祖父の意志は封じ込められたままでいいのか家族で悩み

ました結局痛みに耐えている姿は見ていられなくその薬を使うことになりましたその後

曾祖父は次第に弱っていき口も利けなくなり静かに亡くなっていきました僕はどこか心を

引きずったままでした僕達家族が曾祖父に宣告もせず意見も聞かず命の長さを決めてしまっ

たこと当時幼かった僕には何もしてあげられなかったことが今思い出しても残念です

 

最近授業で人権について学習しているときに幼い頃の記憶がよみがえりふと曾祖父のこと

を思い出しました

 

曾祖父はどんな思いで亡くなったのだろう最後に意識のあるうちに一度でいいから家に帰っ

てきたかっただろう身体拘束は今は病院でも禁止されていると思いますがあの頃は確かに曾

祖父のおなかに黒いベルトのようなものが巻きついていました決して自分の力で

は外せないようなものでしたもがき苦しむ曾祖父の姿を見た時に看護師さんに

目を隠され別の部屋に連れて行かれました見せたくない光景だったのだと思いま

すでもあの姿は僕の脳裏に焼き付いています病院の中での人材不足のためだっ

39 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

たのでしょうか人が人らしく生きていない姿でした

 

七十八年生きてきて何も悪いことをしていないのに縛られ家にも帰れない

病気で余命幾ばくもない人には人権というものは存在しないのでしょうか最近の

医療の現場では自己決定権があることについて学びました

 

仏壇に向かい静かに目を閉じると優しく穏やかに微笑む曾祖父の笑顔が浮かびますどんな

気持ちで亡くなっていったのかその気持ちを考えると苦しい気持ちになります野球の大会に

行く前仏壇に手を合わせます「やればできる努力しろ」とよく励ましてくれました曾祖

父の力には何もなれなかったけれど目には見えない力で応援してくれる曾祖父に線香をあげて

自分を省みる時があります曾祖母が元気なので曾祖父を助けられなかった分曾祖母の力に

なっていくことを曾祖父に約束しています

 

夏休み中のニュースで高齢者の所在不明者が多数のため百歳以上の安否確認調査をしていま

した自分の親を平気で捨て遺骨さえもひきとらない亡くなっていたのに年金を不正受給する

ために隠していたなど耳をふさぎたくなるような事件もありました犬や猫が年をとって弱っ

てきた手がかかるから面倒だからと捨ててしまうそれと同じ現象が弱い高齢者にも及んでき

ているのだと思います

 

やはりこの世に生まれてきたもの全てに自分の意志で生きることを決めていける権利がある

と思います長い年月を苦労や努力と向き合いながら精一杯生きてくれたおかげで今の幸せが

あることを忘れずにいたい人はいずれ誰でも年をとります自由に動けなくなった時に自分の

入賞作文集 40

入賞作文

願いが叶う社会を築き「悔いなく満足で楽しく幸せな人生だった」と思えるように人とし

ての誇りを持って満足できる最期を迎えられるように考えていきたいもう二度と僕が見た自

己決定権のない社会にならないように高齢者には今までの感謝の気持ちで本人の希望をでき

るだけ叶えられるように努力していきたいいずれ僕達も迎える高齢社会だからhellip

41 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

 

私は小学六年生の時から盲導犬候補の子犬を育てるボランティアをしています「犬を飼っ

てみたい」と言う私に両親が「せっかく犬を飼うのなら社会に役立つことをしよう」と提案

したからです生後二ヵ月の子犬を預かり一歳の誕生日を迎えるまで世話をするのがボランティ

アの役目です初めて訓練士さんから子犬を手渡された時は不安でドキドキしましたが子犬は

すぐに私の腕の中で眠ってしまいました初めて会った私のことを信頼して安心しきった寝顔

で眠っている姿は本当に可愛かったですラブラドールの子犬はとてもやんちゃで私の家にやっ

て来たその日からいたずらばかりしていましたがしかられてもクヨクヨせずどんな相手にも

 林はやし

 里り

咲さ

東京都小平市立小平第六中学校 三年

差別のない社会に

(パピーウォーカーの経験から学んだこと)

法務事務次官賞

入賞作文集 42

入賞作文

フレンドリーに近づいていく姿から私は明るく前向きに生きることを教わりました子犬たち

と過ごした日々は私にとって一番の宝物ですそしてあっという間に一歳の誕生日がやって来ま

した誕生日が悲しいという経験は初めてでした訓練所への入所日の前日には長い長い散歩を

して最後のお別れをしました「今までありがとう」そう言った私のことを不思議そうに見てい

た子犬の顔が今も目に焼きついています別れは本当につらいけれど涙を見せたら子犬が心配す

るので頑張って笑顔で見送りました

 

私の家で育てた一頭目の子犬は現在盲導犬になって頑張っていますそして今年四月に巣立っ

ていった二頭目の子犬は神奈川にある訓練センターで訓練中です

 

このボランティアを通して私は多くのことを学びましたまず盲導犬の役割ですがこれは単

に目の不自由な方が便利に一人でどこへでも行けるようにするためだけではありません視覚障

がいのある方にとって人の手をわずらわせるのはとてもつらいことなのだそうですたとえ家

族に対してでも「迷惑をかけるのではないか」と思って我慢することが多く「私なんかいない

方がいいんじゃないか」と考えてしまうこともあったといいますその失われそうになった尊

厳を取り戻す手助けをするのが盲導犬の役目なのです犬は訓練を共にするパートナーのことを

大好きになるので「自分は他者からこんなにも大好きになってもらえる存在なん

だ」と気づいて自信を取り戻し新しい一歩を踏み出せるようになるのだそうです

 

また私がボランティア登録している日本盲導犬協会では二〇〇八年に新しい

試みが始まりました受刑者が盲導犬候補の子犬を育てる動物を介在した日本初

43 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

の教育プログラムです罪を犯した人も心から反省してきちんと罪を償えば社会

は差別することなく受け入れるべきですしかし実際はとても偏見が多く元受刑

者たちは「どうせ自分はだめな人間なんだ」と思い再び罪を犯してしまう悪循環

が起こっているそうですその悪循環を断ち切り受刑者たちがスムーズに社会復

帰を果たせるよう支援するのが「あさひ盲導犬パピープロジェクト」です受刑者たちは約十ヵ

月の間子犬たちを世話しながら一緒に過ごし「役に立つ喜び達成する喜び信頼される喜び」

を感じることで自分の価値を再確認するのだそうです今年一月に第一期のプロジェクトを修了

した受刑者の感想に次のようなものがありました

 「今後自分もパピーに笑われないようにきちんとしなければならないパピーは慈しむこと

寛容の心を教えてくれました」

 

犬は決して差別をしません健康な人にも障がいのある人にもお金持ちにも貧しい人にも

権力のある人にも犯罪を犯した人にも全く同じように接してくれますそんな犬たちと一緒に過

ごすことで自信をなくした人たちも自分のことをかけがえのない大切な存在であると思えるよ

うになるのです

 

私たち人間も差別のない社会をつくる努力をしなければならないと思います一人一人が相

手を大切に思う心を忘れなければこの社会はもっと住み良い場所になるはずです私はこのボ

ランティアを通して学んだことを生かしてこれからも一層努力していきたいと思います

入賞作文集 44

入賞作文

45 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

 

僕は祖父のために自助具を作ろうと思った祖父は去年の夏脳梗塞で倒れた祖父は一命

を取り留めたものの右手と右足がまひしてしまったのだその三週間前僕も車椅子から転倒し

て足を骨折した

 

僕には障害がある車椅子で生活することが多いしかし僕のことを障害者だといって差別

するような友達は一人もいない

 

祖父は歩けるようになりたいという気持ちが強かっただからリハビリを頑張り自分で

歩けるようになるまで回復した頑張っている祖父がかっこいいと僕は思った祖父はリハビ

リを頑張ったにも関わらず右手がうまく動かせなくなってしまっただからご飯を食べる時も

服を着替える時も時間がかかる普段何気なくやっていた動作がとても大変だと祖父は言ってい

守もり

田た

 幸こう

平へい

静岡県静岡大学教育学部附属浜松中学校 三年

祖父への靴下

法務事務次官賞

入賞作文集 46

入賞作文

た僕も何か役に立てることはないかと考えた

 

僕の学校には総合学習という授業があるそこで僕は福祉というカテゴリーを選んだ自

分で社会に役立てることを考え実際に行動することが目標だった僕は障害者のために何が

できるかを考えた

 

僕は二年前に静岡文化芸術大学で障害者がいかに日常生活で不自由のない生活ができるかを

考えるプロジェクトがあるのを新聞で知ったそれは大学生たちが個人個人にあった自助具を

作るプロジェクトだった僕は障害者のために何かできるのではと感じた

 

僕は静岡文化芸術大学へ行って僕にもできることがないかと聞いたすると学生さんが

自助具を作ってみないかと声をかけてくれた僕は迷わず「はい」と言った障害者のために

役に立てることがあると思うとすばらしいことだと思ったからだ

 

祖父のつらい顔を見ると日常生活に数々の大きな壁があることが伝わってくる

 

僕は祖父の数々の大きな壁を突き破ろうと思った祖父のために自助具を考え作ろうと僕

は思った祖父が靴下の脱ぎ履きが大変だと言っていたことを思い出したそこで脱ぎ履きし

やすい靴下はできないか考えた靴下の両脇にひもを取り付けてそれを引っ張ると靴下が縮み

脱ぎ履きしやすくなる仕組みだ大学の先生も良いアイディアだと言って褒めてく

れたこれは障害者だけでなく健常者にも使えると言われたユニバーサルデザ

インだと分かった

 

ユニバーサルデザインは年齢や障害の有無にかかわらず全ての人が使いやす

47 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

いように工夫された用具などのデザインである境界がなくなるように健常者が障

害者に対する偏見を考え差別意識がなくなるチャンスだと思った障害者と健常

者が共によりよく生きることが大切だと僕は思った

 

自助具の作品展では杖をついているお年寄り車椅子に乗った若い女性目の

見えない人福祉関係者など沢山の人々が観に来ていた皆自分の生活を良くしようと思っ

ているようだったまた障害者のためにできることは何だろうかと考えている健常者もいるよ

うだった

 

二年生の時の総合学習では二箇所のデイサービスを訪問したデイサービスには六十五歳以

上のお年寄りがいた暗く元気のない人明るく振る舞い誰とでも話せる人など様々だった

しかし僕が一番印象に残ったのは笑顔を絶やさず優しくお年寄りに接していた介護士だった

お年寄りの中には悩みを抱えている人が多いそうだその悩みを解消させる人もまた介護士だっ

た僕は介護士がお年寄りの体を支えるだけではなく心もそっと支えて生きる喜びを与え

ているのだと感じた

 

現代は三世代で暮らす家族が減り核家族が増えているそれはお年寄りの世話が大変だ

からという理由が多いだから老人ホームやデイサービスに預ける人が増えていると僕には

思えたお年寄りの中には自分が嫌われているのではないかとさえ思ってしまう人もいるそう

だそれはお年寄りにとって辛く悲しいことだと思うある介護士がこんなことをおっしゃっ

ていた「人の優しさはお金では買えない」誰にでも優しい心があると思うしかしあと一歩

入賞作文集 48

入賞作文

のところで行動に移すことができない人が多いの

だ僕たちが平和な社会で暮らせるのは今まで

頑張ってきてくれたお年寄りのお陰であることを

忘れてはいけないお年寄りを大切にすることは

当たり前のことなのだ

 

また障害者に対しても偏見の目で見ないで

そっと近づいて手を貸してあげれば健常者との

高い大きな壁を崩すことができると思う

 

障害者にも高齢者にもまた健常者にも人権

はあるお互いの人権を大切にすることが明る

い未来に繋がっていくのだと思う

 

早く祖父に僕の作った靴下を届けたい

49 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

 

僕は小学校六年生まで福岡県に住んでいましたそこで僕が体験したことです五年生のこ

ろ僕の友だちのA君が同級生のK君の靴を隠したりからかったりしていることがよくあり

ました最初は僕もあまり気にしていませんでしたがK君のことを「なんだかかわいそう」と

思うようになりました

 

ある日僕は勇気をだして先生に「K君がいじめにあっています」と報告しました初め先生は

「じゃれ合っているだけだろう」と「いじめ」とは思ってくれませんでしたでもその後「いじ

め」と分かりA君は先生に注意されその日一日は反省した様子で過ごしていましたしかし

次の日学校に行くといじめは前以上にエスカレートしていて蹴ったりたたいたりするように

なりましたしかも「死ね」「うざい」「消えろ」などの言葉が飛び交うようになりそんな日々

法務事務次官賞

浦うら

谷たに

 毅たける

徳島県三好市立池田中学校 三年

いじめをなくすために今

入賞作文集 50

入賞作文

が続きました

 

それは六年生になっても続きました僕はそのいじめを止めることができず毎日見て見ぬ

振りをしていました今思うと自分がとても恥ずかしいです本当の友達なら止めるべきなの

にそれだけではなくいじめられているK君に声一つかけることができずにいました心の中

ではA君に「やめろよ」と言おうと思っていたけどなぜか勇気が出ませんでした次にい

じめられるのが自分になるのが恐くて言えなかったのです

 

そんな日々が続く中僕の気持ちを大きく変える出来事がありました父の死ですそのとき

のことは今でも忘れることができません聞いたときには頭の中が真っ白になりました最初

は信じることができませんでした一週間も二週間も学校に行けずただぼーっと過ごしてい

ましたいろんなことを考え徐々に「死」というものの悲しさつらさ「死」という意味の

重さがわかってきましたそして時間はかかりましたが「命は一瞬にして消え二度と戻っ

てこないものだだから命を大切に今を大切にしなければならない」と深く受け止めることが

できるようになりましたそして周りの子たちは僕のような経験がないから「死ね」とか軽々

しく言えるのだろうと思いこの気持ちを伝えなくてはならないと考えました僕が強くならな

くてはと思いました

 

こんな気持ちになったとき僕には時間がありませんでした母の実家がある徳

島への引っ越しが一週間後に決まっていたのです落ち込んでいる暇は無いと思

い学校に行った僕はA君に言いました「いじめなんかやめろよいじめたって

51 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

喜ぶ人はいないし悲しむ人がいるだけだろ自分だってほんとは嫌だろ『死ね』

とか『消えろ』とか言葉の重さを知らないのに言うなよ」と言いました父親の

突然の死そのあと僕が考えたことも伝えました

 

友だちは黙って聞いてくれました僕の言葉にうなずいてそのあとK君の

ところへ行き「ごめん言葉の重さも知らずに言って本当にごめんぜったいに死ねなんて

ことは言わないそしていじめは絶対にしないほんとうにごめん」とあやまりましたK君

はとても優しい笑顔で「いいよ」と一言言いました僕もK君に言いました

「今まで助けてあげられなくてごめん」

K君は笑顔で「ありがとう」と言ってくれました今まで自分の中でもやもやしていた気持ちが

スーっと晴れました

 

今も時々耳にする暴言冗談半分で言っているのかもしれませんしかしいついじめにつ

ながるかわかりません他人を傷つけることで自分のストレスを晴らそうとしているのでしょう

関係ないふりをしようとする自分がいます楽な考え方をする自分がいますそんな時亡くなっ

た父の顔やK君の優しい笑顔を思い出しますあの時の自分のように強い気持ちを持とう「や

めろよ」と一言言うするとまた気持ちがスーっとしてきました

 

父の分も頑張って生き抜こうと決めた僕にとって正しいことを素直に認め悪いことを否定

できる強い意志を持つことが目標ですそして何よりも命を大切に今を大切にしていきたい

と思っています

入賞作文集 52

入賞作文

53 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

 

ぼくは今まで四つの外国に暮らしいろいろな国の人たちの中で育ってきた

 

まずタイで生まれてタイ人のメイドさんやドライバーさんにいつも遊んでもらっていた

らしい一才になると週一回の体操教室にも通いタイ人の友達もいたそうだ

 

次にシンガポールでは初めてナサリースクール(保育園)に通いいろいろな国の友達と

知り合ったプレイルームにある滑り台を滑る順番争いでいつも勝つのは体の大きい金髪の友

達だった

 

一回目の香港生活では英語の幼稚園に通ったその時のぼくの一番の友達はカナダ人だった

彼とはよくベイブレードをして遊んだが父が日本の出張で買ってきてくれた独楽や剣玉をして

遊ぶこともあった

村むら

瀬せ

 広ひろ

高たか

香港日本人学校中学部 二年

国境をこえて

海 外 作 品

今回は本選への応募とすることはできませんでしたが

 海外から寄せられた作品のうち一作品を御紹介します

入賞作文集 54

海外作品

 

それからインドでは日本人学校に通ったが夏休みには毎年アメリカンスクールのサマー

スクールに参加したし日本人のいない現地のテニススクールにも入り二年間通ったまたイ

ンドの現地幼稚園に通っていた妹のベストフレンドはコンゴ人でその兄弟もぼくの友達だった

 

そして三年間の日本生活を経て今また香港に戻ってきた

 

このようにぼくはいろいろな国でいろいろな国の人たちのお世話になりいろいろな国

の友達と遊んで育った肌が真っ黒な友達もゲームの話をすればすぐに仲良くなれたし髪が

金色の友達もポケモンの話をすれば気が合ったぼくは小さい頃から英語はうまくしゃべれ

なかったけれどもジェスチャーをつけたでたらめ英語でも充分に話は通じただからいろい

ろな国の人たちの中でぼくが日本人だからといって差別されたり嫌な思いをしたりしたこと

はないしぼくも肌の色が違うからとか言葉が通じないからという理由で違う人間だと思っ

たことはないそうぼくは外国人を差別したことはない

 

しかし本当にぼくは外国人を差別したことがないのだろうか外国人を差別した発言を一

度もしたことがないかと考えると自信がない

 

例えば香港人には赤信号でも平気で渡る人がたくさんいるそれを見てぼくは

「香港人はしょうがないな」

と思うでもよく見ると香港人全員が信号無視をしているわけではないまた

世界には今でも戦争をしている国がいくつもある

「人を傷つけ合うなんて馬鹿げている」

55 第30回全国中学生人権作文コンテスト

海外作品

とぼくは悲しくなるでもそれも好きで戦っている人がいるとも思えないその

人たちがそうなったのには何かきっと原因があるはずだ

 

逆に外国人から見ると日本人はどのように思われているのだろう

 

インドから日本に帰国した時毎日ごみがたくさん出ることにぼくはとても驚

いたインドの人たちがよく使う道端にあるカレー屋さんではバナナの葉で作ったお皿にカ

レーを入れてくれる食べた後そのお皿を道に捨てるとのら牛がその葉っぱを食べるそして

牛のふんは燃料になるというそれに比べて日本はちょっと歩くとペットボトルの飲み物が

買えファーストフードのお店では使い捨ての食器を使い立派なお菓子の箱を開けると中身が

少なくてがっかりすることもあるある時母が捨てたジャムの空きびんをメイドさんとエア

コンの修理にきていたワーカーさんとが取り合ってけんかをしていたこともあったそれを見

てぼくはあきれてしまったが逆にインド人から見ると使い捨て文化のしみついた日本人は

とんでもない人間にみえるのかもしれない国によって考え方や行動パターンが違うのは歴史

的背景や宗教習慣気候などのいろいろなことが関わっているのだと思う

 

このように考えると差別とはその人の一部しか見ていないことや自分のやり方だけが正

しいと思うことからおきるのではないかと思うその人が自分とは違った行動をとったとしても

それには深い理由があるのだろうと考えればきっと納得できると思うぼくもこれからは否

定的な発言をする前にその人たちのことをいろいろな角度から見て理解する努力をしてみよう

と思う外国との間には自分の国とは違う言葉や文化という壁があるとみんな言うがそこに

入賞作文集 56

海外作品

あるのは壁ではなく橋だとぼくは思う理解

し合おうという気持ちがあればきっと誰でも

その橋を渡っていけるはずだ気持ちの国境を

こえるのにパスポートはいらないお互いを理

解し合おうと思う気持ちが一番大切だと思う

そしてぼくはこれから日本人として生きる

のではなく地球人として生きていこうと思う

57 第30回全国中学生人権作文コンテスト

海外作品

法務局地方法務局名 郵便番号 所  在  地 電  話

金沢地方法務局人権擁護課920-0024 金沢市西念3-4-1金沢駅西合同庁舎(平成23年3月11日まで) 076-231-1244

921-8505 金沢市新神田4-3-10金沢新神田合同庁舎(平成23年3月14日から) 076-292-7804

富山地方法務局人権擁護課 930-0856 富山市牛島新町11番7号富山合同庁舎 076-441-6376

大阪法務局人権擁護部 540-8544 大阪市中央区谷町2丁目1番17号大阪第2法務合同庁舎 06-6942-9492

京都地方法務局人権擁護課 602-8577 京都市上京区荒神口通河原町東入上生洲町197番地 075-231-0131

神戸地方法務局人権擁護課 650-0042 神戸市中央区波止場町1番1号神戸第2地方合同庁舎 078-392-1821

奈良地方法務局人権擁護課 630-8305 奈良市東紀寺町3-4-1奈良第2法務総合庁舎 0742-23-5457

大津地方法務局人権擁護課 520-8516 大津市御陵町3番6号大津法務総合庁舎 077-522-4673

和歌山地方法務局人権擁護課 640-8552 和歌山市二番丁2番地和歌山地方合同庁舎 073-422-5131

広島法務局人権擁護部 730-8536 広島市中区上八丁堀6番30号広島合同庁舎 082-228-5790

山口地方法務局人権擁護課 753-8577 山口市中河原町6番16号山口地方合同庁舎2号館 083-922-2295

岡山地方法務局人権擁護課 700-8616 岡山市北区南方1丁目3番58号 086-224-5761

鳥取地方法務局人権擁護課 680-0011 鳥取市東町2丁目302番地鳥取第2地方合同庁舎 0857-22-2289

松江地方法務局人権擁護課 690-0886 松江市母衣町50番地松江法務合同庁舎 0852-32-4260

高松法務局人権擁護部 761-8077 高松市出作町585-4 087-815-5311

徳島地方法務局人権擁護課 770-8512 徳島市徳島町城内6番地6徳島地方合同庁舎 088-622-4171

高知地方法務局人権擁護課 780-8509 高知市栄田町2丁目2番10号高知よさこい咲都合同庁舎 088-822-3331

松山地方法務局人権擁護課 790-8505 松山市宮田町188番地6松山地方合同庁舎 089-932-0888

福岡法務局人権擁護部 814-0005 福岡市早良区祖原14-15福岡法務局西新出張所庁舎5階 092-832-4311

佐賀地方法務局人権擁護課 840-0041 佐賀市城内2丁目10番20号佐賀合同庁舎 0952-26-2148

長崎地方法務局人権擁護課 850-8507 長崎市万才町8番16号 095-826-8127大分地方法務局人権擁護課 870-8513 大分市荷揚町7番5号大分法務総合庁舎 097-532-3368

熊本地方法務局人権擁護課 862-0971 熊本市大江3丁目1番53号熊本第2合同庁舎 096-364-2145

鹿児島地方法務局人権擁護課 890-8518 鹿児島市鴨池新町1番2号 099-259-0684宮崎地方法務局人権擁護課 880-8513 宮崎市別府町1番1号宮崎法務総合庁舎 0985-22-5124

那覇地方法務局人権擁護課 900-8544 那覇市樋川1丁目15番15号那覇第1地方合同庁舎 098-854-1215

入賞作文集 58

問合せ先一覧

法務局地方法務局名 郵便番号 所  在  地 電  話

札幌法務局人権擁護部 060-0808 札幌市北区北8条西2丁目1番1札幌第1合同庁舎 011-709-2311

函館地方法務局人権擁護課 040-8533 函館市新川町25番18号函館地方合同庁舎 0138-23-9528

旭川地方法務局人権擁護課 078-8502 旭川市宮前通東4155番31旭川合同庁舎 0166-38-1114

釧路地方法務局人権擁護課 085-8522 釧路市幸町10丁目3番地釧路地方合同庁舎 0154-31-5014

仙台法務局人権擁護部 980-8601 仙台市青葉区春日町7番25号仙台第3法務総合庁舎 022-225-5739

福島地方法務局人権擁護課 960-8021 福島市霞町1番46号福島合同庁舎 024-534-1994

山形地方法務局人権擁護課 990-0041 山形市緑町1丁目5番48号山形地方合同庁舎 023-625-1321

盛岡地方法務局人権擁護課 020-0023 盛岡市内丸7番25号盛岡合同庁舎 019-624-9859秋田地方法務局人権擁護課 010-0951 秋田市山王7丁目1番3号 018-862-6533

青森地方法務局人権擁護課 030-8511 青森市長島1丁目3番5号青森第二合同庁舎 017-776-9024

東京法務局人権擁護部 102-8225 千代田区九段南1丁目1番15号九段第2合同庁舎 03-5213-1234

横浜地方法務局人権擁護課 231-8411 横浜市中区北仲通5丁目57番地横浜第2合同庁舎 045-641-7926

さいたま地方法務局人権擁護課 338-8513 さいたま市中央区下落合5-12-1さいたま第二法務総合庁舎 048-859-3507

千葉地方法務局人権擁護課 260-8518 千葉市中央区中央港1丁目11番3号千葉地方合同庁舎 043-302-1319

水戸地方法務局人権擁護課 310-0061 水戸市北見町1番1号水戸地方法務合同庁舎 029-227-9919

宇都宮地方法務局人権擁護課 320-8515 宇都宮市小幡2丁目1番11号宇都宮地方法務合同庁舎 028-623-0926

前橋地方法務局人権擁護課 371-8535 前橋市大手町2丁目10番5号前橋合同庁舎 027-221-4426

静岡地方法務局人権擁護課 420-8650 静岡市葵区追手町9番50号静岡地方合同庁舎 054-254-3555

甲府地方法務局人権擁護課 400-8520 甲府市北口1丁目2番19号甲府地方合同庁舎 055-252-7239

長野地方法務局人権擁護課 380-0846 長野市旭町1108番地長野第2合同庁舎 026-235-6634

新潟地方法務局人権擁護課 951-8504 新潟市中央区西大畑町5191番地新潟地方法務総合庁舎 025-222-1564

名古屋法務局人権擁護部 460-8513 名古屋市中区三の丸2丁目2番1号名古屋合同庁舎第1号館 052-952-8111

津地方法務局人権擁護課 514-8503 津市丸之内26番8号津合同庁舎 059-228-4193岐阜地方法務局人権擁護課 500-8729 岐阜市金竜町5丁目13番地 058-245-3181

福井地方法務局人権擁護課 910-8504 福井市春山1丁目1番54号福井春山合同庁舎 0776-22-5090

問合せ先一覧 (法務局地方法務局)

59 第30回全国中学生人権作文コンテスト

問合せ先一覧

世界人権宣言啓発書画「鳥」「自由と解放」を表わしたもの 小木太法書オタビオロス画(財)人権擁護協力会提供

入賞作文集 60

すべての人間は生まれながらにして

自由でありかつ尊厳と権利とに

ついて平等である人間は理性と

良心とを授けられており互いに同胞の

精神をもって行動しなければならない

―――

世界人権宣言 第一条

―――

第三〇回

 全国中学生人権作文コンテスト

中央大会表彰式

印  刷 平成23年1月25日

発  行 平成23年2月14日

発 行 者 法務省人権擁護局

全国人権擁護委員連合会

東京都千代田区霞が関一丁目1番1号

電話 03(3580)4111 内線5875

URL httpwwwmojgojpJINKEN

第30回全国中学生人権作文コンテスト中央大会審査員

感想をお聞かせください本作文集を読まれた感想等を下記の連絡先又はkeihatsumojgojpまでお寄せください

無断転載を禁じます本作文集に掲載された作文や写真等を地方自治体が広報誌に掲載したり学校が教材に使用される場合などにはあらかじめ下記に御連絡ください

100-8977 東京都千代田区霞が関一丁目1番1号 法務省人権擁護局人権啓発課 TEL03(3580)4111 内線5875

作  家(審査員長) 落 合 恵 子映画監督 山 田 洋 次社団法人日本新聞協会事務局長 川 嶋   明日本放送協会解説委員室解説委員 南   直 樹文部科学省初等中等教育局視学官 三 好 仁 司全国人権擁護委員連合会長 中 村 浩 紹法務省人権擁護局長   井 忠 雄

(敬称略)

【式次第】

第一部

 会

主催者あいさつ

賞状授与

内閣総理大臣賞法務大臣賞

文部科学大臣奨励賞法務副大臣賞

法務大臣政務官賞

全国人権擁護委員連合会長賞

社団法人日本新聞協会会長賞

日本放送協会会長賞(以上各一名)

法務事務次官賞(三名) 計一一名

学校への感謝状贈呈

高円宮妃殿下おことば

来賓祝辞

第二部

各受賞作文の朗読

内閣総理大臣賞法務大臣賞

文部科学大臣奨励賞

全国人権擁護委員連合会長賞

社団法人日本新聞協会会長賞

日本放送協会会長賞

 評

全国中学生人権作文コンテスト中央大会審査員

 山田洋次氏

 落合恵子氏(ビデオレター形式)

第三部

新垣勉さんコンサート

 会 平成二二年一二月一八日(土)

午後一時三〇分〜三時五〇分

於ニッショーホール

「いじめ」や暴力行為等は人権侵害です

法務局地方法務局では

人権侵害による被害を受けた方を

救済するための活動を行っています

お気軽にご相談ください

女性の人権ホットライン

インターネット人権相談受付窓口

ゼロナナゼロのハートライン

0570-070-810

子どもの人権110番ぜろぜろななのひゃくとおばん

 0120-007-110

パソコンから httpwwwmojgojpJINKENjinken113html携帯電話から httpwwwjinkengojpsoudanmobile001html

インターネット人権相談 検 索

Human Rights法務省人権擁護局全国人権擁護委員連合会

人権イメージキャラクター人KENあゆみちゃん人KENまもる君

全国共通通話料無料

全国共通ナビダイヤル

この冊子は環境保護印刷の「水なし印刷」で印刷されています

第30回全国中学生人権作文コンテスト入賞作文集

法務省人権擁護局全国人権擁護委員連合会

人権イメージキャラクター人KENまもる君人KENあゆみちゃん

この冊子には音声コードが各頁(奇数頁 左下偶数頁 右下)に印刷されています専用の読み上げ装置で読み取ると記録されている情報を音声で聞くことが出来ます

Human Rights法務省人権擁護局全国人権擁護委員連合会

 全国中学生人権作文コンテスト入賞作文集

 全国中学生人権作文コンテスト入賞作文集

第30回

まだこぼしてもいない湯のみを取り上げるようなことをしてはいないだろうか

 

確かに弱者をいたわり手助けすることは人として当然であり必要なことで

あるしかし相手の気持ちや状況を考えずただ一方的に押しつけるだけの親切

はただの自己満足でしかない見えない人には見えない人なりのやり方や考え方が

あるのにそこに寄り添うための理解がないとしたらそれは人権を侵害しているといえないだ

ろうか

 

人は皆平等であるけれど環境や年齢身体能力などは同じではないだからこそ人とし

ての尊敬の念や思いやりいたわりの心を持って接することが大切なのだと思う

 

しばらく前の人権侵害とは人を自分より見下したりおとしめることで優越感を持つための

ものだったように思うそして今生活や文化が豊かになった現代では行き過ぎた親切やいた

わりが人の心を傷つけそれが新たな種類の人権侵害の一つになっていることもあるのだ「善意

イコール感謝されるべきもの」という考え方が全てに当てはまるとは限らないまた当ては

めようとしてはならないその人にとっての「いちばん」は何かひとりひとりを尊重するため

には本当に助けが必要かどうか出すぎたことをしていないかを見極めることも大切なのだと

思う

 「人権」について考えることそれはとても難しいことのように思えるが意外と簡単なこと

ではないだろうか同じ人間同士が並んで歩くための人と人との間の権利私たちが無意識のう

ちに作り出している優劣の壁を取り払うこと自分の価値観を人に押しつけないこと自分も相

入賞作文集 12

入賞作文

手も同じひとりの人間なのだとその

人の心に寄り添い理解し合う努力こ

そ人権を守る大きな力になると思う

13 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

 

十五年前父が篠山の町中を歩いているとこう言われた「そんな棒きれ振り回さんといて」

と父は決して棒きれを振り回していた訳ではないただ白杖を持って歩いていただけだそ

の話を聞いて私は驚いたたった十五年前のことだけど信じられない気持ちでいっぱいになっ

ただが十五年経った今ではそんなことはないだろうマスメディアが発達しいろんなハン

ディを持った人のことが紹介されたり障がい者の方自身が社会参加する機会が増えたからだと

 

そしてこんな話も聞いたことがある電車に乗った時に時間が知りたくて携帯電話を開い

たときのことだ「こんなとこで電話したらアカンやろ」と中年のおばさんに怒鳴られたそうだ

優先座席の近くだったということもあるが『目の不自由な人=白杖を持っている』という認識

は広まってきているが時間を知りたいときには音声が出る時計や携帯電話を使うということは

法務大臣賞

辻つじ

本もと

 桃もも

佳か

兵庫県篠山市立西紀中学校 三年

少しずつhellip一歩ずつhellip

入賞作文集 14

入賞作文

ほとんど知られていないのだそのとき父は説明しようと思ったがどうせ分かってもらえな

いと思い「すみません」と謝りとても悲しい気持ちになったそうだ見えている人は時間

が知りたければ時計を見ればすぐに分かるだが目が不自由だと音で聞くしかないのだ私は

障がい者が暮らしやすいような機器が発達してきていることをもっと社会に広めていくことが

必要だと思うそうすることで協力してくれる人や理解してくれる人が増えていくのではな

いだろうか

 

視覚障がい者の方が日常生活を送る上で給付や貸与される機器がある音声で教えてくれる

時計や体重計文章読み上げ器などがそれだこれらは以前県の基準で市が実施要綱を定めて

そこが窓口となって行われていたが法改正により各市区町村対応となったしかしこの日

常生活用具の中に健常な家族と同居している視覚障がい者には給付してもらえない物もあるの

だそれは体温計や体重計であったりするこの体温計がなければ家族が出かけている間に

体調が悪くなっても計測することはできないのだ

 

父の知り合いに赤ちゃんを連れた全盲のお母さんがいる体温を計るのに複数の体温計で赤

ちゃんの体温を計りその体温計に印をつけて病院まで持っていって見てもらったり家族が帰っ

てくるのを待って見てもらうことがあるそうだ私たちは簡単に体温を計ること

ができるが見えない人たちはそれができないために生命の危険にさらされてしま

うことがあるのだせっかく便利な機器が発明されても値段が高くて簡単に購

入できないもしくは制度のカベによってそのサービスが受けられないことがあ

15 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

るしかし私の住む篠山市では父たちの声が福祉課の方々に届き日本で初めて

音声式体温計が同居家族の有無にかかわらず給付されるようになったのである

 

今は携帯電話が音声で読み上げてくれてメールや時間GPSなどの便利な

機能を視覚障がい者の方も利用できるようになっただがそのことを知っている

健常者の方は全国にどれくらいいるだろうかまたこのことを知っている当事者である視覚障

がい者の方が全国にどのくらいいるだろうか私はまだ知らない人が多いと思う

 

ここ十五年程で視覚障がい者の人は白杖をついているということはほぼ知られてきたが生

活を助ける機器が発達してきているということは知らない人も多いだろうそれが「あの人は

目が動いているから見えている」とか「あの人はずっと目をつぶっているから見えていない」

「物を避けているから見えている」「物にぶつかっているから見えていない」という勝手な

思い込みで障がいの重さをはかることにつながっているのではないだろうかでもそれは間違っ

ている目を閉じれば視覚障がい者の疑似体験はできるでもそれはあくまでも体験であって

個人個人の見え方はそれぞれ違うし外見や行動で障がいの重度を判断するのは良くないと私は

思う同じような見え方ができたとしても全く同じ動きなんてできる訳ないのだから毎日父

と生活していてもどのくらい見えているのか私にもはっきり分からないなにげに父たちがこな

している日常の動作であっても私たち健常者にははかりしれない恐怖と不安努力があるの

だ誰でも目をつぶれば見えない世界を体験した気になる松葉杖をつけばその体験をした気

になる車イスに乗ればその体験をした気になるだが本当の障がい者の苦悩と努力の一部

入賞作文集 16

入賞作文

しか体験していないことを知ってお

いてほしい私たちには当たり前に

できるようなことがあってもどん

なに望んでもできない人たちがいる

ということとみんなの正しい理解と

知識が障がい者の明るい未来へとつ

ながっていくということを知ってほ

しいそしてこのことを広めていか

なければならない

 「少しずつhellip一歩ずつhellip」

17 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

 「Pick your 

head up」

 

これは父がいつも私にかけてくれる魔法の言葉です

 「顔をあげなさい下を向かない」という意味です

 

私の父は生まれも育ちもニューヨークのアメリカ人です女の子は父親に似るとよく言われ

ますが私もそうで日本人の母親よりも父の方に髪質も肌の色も本当によく似ています子供

が親に似ることはあたりまえのことですが私はそのためにいやな思い悲しい思いをいくどと

なくしてきました

 

初めて自分がみんなとちがうんだなと思ったのは幼稚園に入学してまもなくのことでした同

じ組の女の子たちが何人かして楽しそうに遊んでいたので

ローリンズ リコ

福島県福島市立渡利中学校 一年

「差別のない世界へ」

文部科学大臣奨励賞

入賞作文集 18

入賞作文

 「まぜて」

と声をかけると一人の子が言いました

 「このグループは日本人で髪がまっすぐな人しか入れないのリコちゃんは髪がチリチリだし

ハーフだからダメ」と

 

私はとても悲しくなりましたそしてそれは卒園するまで続きました

 

小学校は人数も少なかったせいかみんなとても仲良くて私の外見のことを言う人はだれ一

人いませんでしたまるで兄弟のようにみんな自然に接してくれましたでも習い事やいろい

ろな大会など他校の子たちといっしょになる場面ではやはり髪の毛や肌のことをからかわれ

ることはよくあることでした私には二学年上の兄がいますが兄もやはり父の方に似ています

おだやかな性格の兄は私以上につらい思いをしてきたと思います

 

父は兄や私の話を聞くたびに

 「Pick your 

head up」

と言いましたそして

 「自分に自信とほこりをもちなさいあなたたちは二つの文化を受けついでそれはとてもす

ばらしいことなんだよ」

といつも話してくれました

 

中学に入って間もないころでしたある男の子がいきなり私に向かって言いまし

19 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

 「おまえ風呂に入っているのか黒いぞ外国人はくさいからな」

 

私はとてもはずかしくなりましたそしていかりや悲しみがこみあげてきました

まわりにいた友達は彼の言葉に苦笑いをしていました私はいかりのあまり彼をな

ぐりたくなりましたその時私は父のあの言葉を思い出しました私は顔を上げ

相手の目を見て静かに自分の傷ついた気持ちを伝えました

 

彼は私に向かってこう言いました

 「ごめんわるかった」

 

彼は人を傷つけるということが彼の想像以上に重くそしてひどいことだと少し気付いたよう

でした

 

差別やいじめというのは私たちのまわりでは小さなことから大きなことまで本当によくあり

ますそして差別やいじめをしている側からすればそれをじょう談だという人も多いのです

まわりの人たちもやはりじょう談や遊びの中でのことにとらえてしまう人たちもとても多いので

すだから小学校の時から私たちは道徳などでいじめや人権などについて学んでいてもなかな

かそれがなくならないのだと思いますでも実際に差別やいじめをされている方はみんなの想

像よりはるかに傷ついているということつらいということそして悲しいということを私はこ

の人権作文を通してたくさんの人に知ってほしいのですけがをすれば日がたつごとにそのけ

がは治っていくでしょうまわりからも治っていく様子が見てわかるでしょうでも心に受けた

傷は本人にしかわからないのですその傷がどんなに深くて痛いものか本人にしかわからないの

入賞作文集 20

入賞作文

です

 

肌の色が違っていてもかみの毛が

違っていても私たちはみんな同じ人間

です心を持った人間です相手の気

持ちを思いやり相手の立場になって

考えればいじめや差別はなくなると

思います今も世界のいたるところで

人種差別が問題となり争いが起きてい

ます私は世界から差別やいじめがな

くなるように強い心を持ってまずは

自分から立ち向かっていきたいです

21 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

 

あなたには大好きなふる里がありますか私には緑の木々と青い海に囲まれた自然豊かな

大好きなふる里があります私のふる里は過去に公害という大きな被害をうけた水俣ですそ

の水俣病で患者はもちろんそうでない人も長い間差別をうけてきました

 

父が幼い頃まだ水俣病の原因が究明されておらず水俣病はうつると言われていました列

車が水俣の駅につくと窓をしめ手で口をおおった人もいました修学旅行に行くと同じ宿

舎になった学校から苦情を言われたこともありました水俣出身ということで結婚を断られた人

や就職試験をうけることさえできなかった人もいました水俣に住んでいることをかくして隠

れるようにひっそり暮らしていた人もいましたまた同じ水俣に住む人でさえ奇病と呼び距

離をおきましたそのことでたくさんの人々が傷つきあってきたのですいろいろな立場の人々

井いの

上うえ

 由ゆ

紀き

子こ

熊本県熊本県立八代中学校 一年

私の大好きなふる里

法務副大臣賞

入賞作文集 22

入賞作文

がせまい土地に住んでいるのですから仕方がなかったのかもしれません

 

しかし今では原因も究明され海の安全も確認されたことでそのようなことはほとんどな

くなりました私たちは過去のことを忘れるくらい楽しくすごしています

 

私は今八代の中学校に通っています私は自分が水俣出身ということを隠すこともありませ

ん友だちもまたそのことを知っていますがからかったりいじめたりする人は誰一人いません

 

しかし先日水俣の中学校のサッカー部が練習試合中に相手チームの選手から

「さわるな水俣病がうつる」

と言われたという記事が新聞にのっていました今でもこういう風に思っている人がいるのか

と思うと残念で仕方ありません何気なく言った一言だったのかもしれませんがその一言は

私たち水俣に住む者にとって非常に悔しく悲しいものでした

 

小学校の総合的な学習の時間で水俣病について学習しました原因となった会社を訪問したり

患者の方から当時の話をきいたり交流も行いましたそんな中で苦労されたり何も言えずに

黙って亡くなった人のことを知り水俣に住んでいながら何も知らなかったことをはずかしく思

いました水俣病についてしっかり学び正しい知識を得ることが差別や偏見をなくすのだと気

付きました

 

中学校の道徳の時間ではハンセン病について学習しましたこれも水俣病同様

正しい知識がなかったためにおきた悲しく悔しい悲劇でした

 

私たちが差別や偏見をなくすためにできることそれはその人その出来事に

23 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

ついてしっかり知ること知ろうと努力すること正しい知識を深めるために学習

することではないかと思いますそうすれば水俣病やハンセン病のようにむや

みに人と人とが傷つけあったり憎しみあったりすることはなくなるのではないで

しょうか

 

先日テレビで水俣のダイバーが紹介されましたその人は本当はほこりたい水俣を心の中

にじっとしまいこみ誰にも言えず何年もの間生きてきた人でしたしかし水俣の地にも

どり自分はこのすばらしい美しいふる里を紹介したいと海にもぐり写真をとり続けておら

れるそうです心に差別という深い傷を負いながら水俣の再生を皆に知らせたいと頑張る人

がいることに感動しました

 

今水俣はごみの分別リサイクル事業など市民全員で環境にやさしい町づくりをすすめてい

ます私は差別や偏見から立ちなおり再生しようと環境問題に一生懸命とりくんでいるふる

里水俣をほこりに思っています

 

水俣では運動会等多くの行事で「水俣ハイヤ節」というものが踊られますこれは水俣病

の患者の方が水俣の青い海と豊漁を願って振りつけをされた踊りだそうです私たちと同じ思い

をする人が二度とでないことを祈りながら私たちは毎年皆でこの踊りを踊ります

 

水俣の悲しい過去を変えることはできませんが私はあやまちを二度とくりかえさないため

にこの美しい自然を守り真実を語り継いでいきたいですそして差別や偏見のない社会に

なるよう自分から努力していきたいと思います

入賞作文集 24

入賞作文

25 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

 

みなさんは「本当の『平和』とは」と質問されたら何と答えますか「戦争や紛争などが

ないこと」ですかそれとも「自分自身の幸せのこと」ですか一人ひとりの抱く「平和」のイ

メージは違うことでしょう

 

僕の思う本当の「平和」それは「家族」がいて「家庭」があることだと思いますなぜそう

思うかというと今僕は訳あって家族とは離ればなれに暮らしているからです一歳前後には既

に家族とは離れ施設にいました母親や姉兄の存在はわかっていますが一緒に過ごした時

間は限られたもので今でもほとんど交流はありませんそのせいか僕はいつも「家族」や「家

庭」というものに強い憧れを抱いています

 

自分がまだ幼い頃は自分と同じくらいの子が母親と手をつないでいる姿がとてもうらやまし

大おお

田た

 葵あおい

栃木県さくら市立喜連川中学校 三年

「家族」とは何か

法務大臣政務官賞

入賞作文集 26

入賞作文

「どうして自分には母親がいないんだろう」と思っていました仕舞いには自らの母親を恨ん

でしまったのです小学生になってもその気持ちは変わらず母親への恨みは増すばかりでした

 

しかし小学五年生の夏思いもよらぬ出来事が起きましたそれは引っ越しがあったこと

ですそこで僕は新しい土地そして新しい里親という人たちに出会いました里親の人たち

と暮らした数年間僕は幸せでしたそこで僕は僕の周りにはいつも支えてくれる人たちがい

ることに気づきました血のつながりがなくても僕に自分の子どものように接し育ててくれ

た里親の人たち養護施設の先生方などたくさんの方たちに僕は見守られて成長してきたこと

に気づいたのです僕を支えてくれる人すべてに感謝の気持ちがわき出てきましたそれ以来

僕は親という存在にこだわらなくなりましたそれどころか自分に命を与えてくれた親に感謝

の思いを抱くようになったのです

 

この夏母親の育児放棄が原因で二人の乳幼児が衰弱死するという悲しい事件がありました

二人の子どもにろくに食事も与えず風呂も入れなかったそうですさらに逮捕後その母親は

「家に帰ってあげなかったことを今も後悔している子どもは私を恨んでいると思う」

という言ってはならない発言をしました僕は怒る前に亡くなった二人の子ども

たちがかわいそうでなりませんでした

 

と同時に僕はこの母親はどうしてこのようなことをしてしまったのだろうと

すごく考えさせられました僕は本来親は子どもを殺すのではなく守るために

27 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

いるのだと考えますたとえ小さな子どもでも立派な一人の人間ですその命を

守り育てていくことが親として大切な役目だと思うのですこの母親はどこで

勘違いしたかは知りませんが親としての自分の責任を理解していなかったのでは

ないでしょうか

 

そしてその勘違いを誰も母親に気づかせてあげられなかった事実母親が一緒に遊び歩いて

いた友人はもちろん母親の家族が少しでも助けることができていたら母親の行動を戒めるこ

とができていたら連絡を受けた児童相談所がもう少し踏み込んだ行動が取れていたらこのよ

うな悲しい結末にはならずに済んだのではないでしょうかやりきれない思いばかりがこみあげ

てきます

 

もう一つこの母親は大きな勘違いをしていますそれは「子どもは私を恨んでいると思う」

という言葉です僕はこの子どもたちが母親を恨んでいるとは思えません子どもたちは母

親が帰宅するといつもハイタッチをして喜んで迎えたそうです子どもたちは母親のことが大

好きだったのでしょうたとえ自分たちを見放した母親でも恨んでいるとは決して思えないの

です

 

子どもは心の底から自分の母親のことを恨めないと僕は思いますこの世に生を受け笑った

り怒ったり泣いたりと毎日いろいろな経験ができるのは自分を生んでくれた母親という存在

があったからです正直僕も小さい頃は母を恨んだことがありました愛情の裏返しというよ

うに母親への思いが憎しみに変化してしまったのですでも心の底には母への恨みとは全く

入賞作文集 28

入賞作文

正反対の気持ちが存在し続けていましただ

からこそこの子どもたちがどんな思いで死

んでいったのかわかるような気がします母

親を信じひたすら母親の帰りをまちわびて

いた思いが

 

僕にとっての「家族」それは同じ屋根の

下で暮らす人々のことですたとえ血はつな

がっていなくても僕を支え励ましてくれる

人たちそのすべての人が僕にとっての大切

な「家族」なのです今僕の暮らす養護施設

にはいろいろな事情を抱えた二歳位から高

校生までの子どもたちや職員の方が約六十人

います今の僕には全員大切な「家族」で

す僕はこれからもこの「家族」を大切に

一日一日精一杯平和に生きていきたいです

29 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

 

授業でハンセン病について学んだ日両親と「偏見」や「差別」について口角泡を飛ばす議論

を深夜まで繰り広げた身体障害者の父と看護師の母を持つ私は幼い頃から「命の大切さ」を

訴える両親の姿を見て育って来たそんな私は真摯な気持ちからハンセン病罹患者と向き合い

たいと思いこの夏草津にある療養施設栗生楽泉園を訪れた

 

草津までの道のり私は罹患者の気持ちを絶えず考えていたハンセン病について調べると「ら

い予防法」により罹患者は隔離され人権を無視された扱いを受けたことが分かった罹患者の

言葉が書かれた本ではどんなに過酷な仕打ちを受けたか他人をどれほど恨み憎んでいるか

が書かれていたその為私は無意識の内に「罹患者は全員恨みを抱いている」と勝手に思い込

んでいたしかしこんな思い込み自体が偏見や差別を生む原因になるということを後に思い知

大おお

井い

 海み

琴こと

群馬県群馬大学教育学部附属中学校 三年

忘れてはならないこと

全国人権擁護委員連合会長賞

入賞作文集 30

入賞作文

らされることになるのである

 

私を迎えてくれたのは入園者自治会長の藤田三四郎さん藤田さんは大変お元気でその容姿

からはハンセン病を伺い知ることはできなかったしかし藤田さんは紛れもない罹患者なのだ

その証拠に藤田さんの名は本名ではない罹患者は施設に入所するにあたり偽名を使用させら

れたと言うつまりその時点で罹患者は世間から存在を消されてしまうのであるそんな藤田

さんから語られた話はハンセン病だと宣告され三度も命を絶とうとしたこと重症患者の看

護を押しつけられ数え切れない人を看取り自らの手で葬ったこと家族が受けた迫害や侮辱的

な言葉など想像を絶するもので筆舌し難いものだったしかしこんな迫害と差別は同時にハ

ンセン病患者達の人権回復闘争の歴史でもあったのだ闘争の末「らい予防法」が廃止される

と今まで差別や人権侵害を繰り返していた多くの人が掌を返す様に態度を変えたと言う私は聞

いていて怒りを覚えたが不思議なことに耳を塞ぎたくなる様な内容を語る藤田さんからは全

く怒りや恨みが感じられないのだ私は話を聞くまで自分の運命を呪い周囲への恨みつらみ

の言葉が出てくるとばかり思っていたしかし出てきた言葉は「入園出来て良かった差別は

受けたが今では恨みを抱く罹患者も少なくなったそればかりか最近はたくさんの人が我々を

理解し協力してくれるので嬉しい何故なら一人の百歩は力が無いが百人の一歩

は力になるから」と言う感謝の言葉だったのだ本当に「恨みは無いのか」と何度

聞いても答えは同じだった私は恥ずかしくなったハンセン病について調べ罹

患者の心を理解したようなつもりでいながら実は何も理解できてなくてそれば

31 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

かりか罹患者を偏見の眼で見ていたのは私自身だったのだ私は話を聞いてとめ

どなく溢れ出る涙を拭いながら心の片隅に潜んでいた「偏見と言う名の種」が身

体から洗い流されていくのを感じていたそれは同時に「思い込みや無知が偏見

や差別を生みだす」ことを強く感じた瞬間でもあったそれだけに藤田さんの「自

分と同様に他人を愛すればいつか必ず世界から差別はなくなる他人を愛して下さい」の慈愛に

満ちた言葉が一層重く腑に落ちるのだった

 

帰りがけ千五百ページにも及ぶ「入所者証言集」を手渡されたその際私は見えない襷も

手渡された気がしたその襷とは証言集に記された罹患者の「事実を風化させないで私達の事

を忘れないで」という搾り出すような叫び声とその姿だったのである

 

ハンセン病が治る病気であるのに誤った知識から悲惨な人権侵害が長期に渡り続いた同じ間

違いを繰り返さないためにも事実を語りついで行く必要があるここ楽泉園でも高齢化が進み

証言者の数が減っているこれは全国一五全てのハンセン病療養所に共通することだハンセン

病問題は罹患者がいなくなればそれで終わると言う問題ではない今後人権問題を考える際重

要な指針になりうる事実なのだそしてこの事実の風化を防ぐことが私達若い世代の役目だと

私は思う

 

私は小六の時友人達から突然イジメを受けたそれを引きずり他人を恐れ憎み自分を

嫌って生きて来たしかし罹患者の声が私に生きる力と前を向いて歩む勇気を与えてくれた

楽泉園訪問は私に人生観が変わる程の衝撃を与えてくれたのだこんな私だが罹患者の声を伝

入賞作文集 32

入賞作文

える「百人の中の一人」にはなれるはず

だそのために私は今この作文を書い

ている文字は時を越えて生き続けるか

ら私はこれからも楽泉園訪問を続ける

つもりだ実際に中学生の私が出来るこ

とには限りがあるが差別や偏見を少し

でも減らすために一歩を踏み出すつもり

でいる「自分と同様に他人を愛すれば

いつか差別は無くなる」と言う藤田さ

んの言葉を胸に

33 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

 

森に囲まれたその一画には教会や寺院神社があり小さなショッピングセンターやレスト

ランもある床屋や図書館郵便局や浴場もあるしかしそれらの施設を利用するのはその一

画に住む人たちだけだ緑の外側に住む人が利用することはないそこはハンセン病の療養所

多磨全生園である

 

僕は七年前に清瀬市に引っ越してきた夏のある日昆虫が大好きな僕は何気なくその森の

中に入って行ったそして歩き回っているうちにその場所が一つの「町」であることに気付

いた

 

毎日セミやカマキリやナナフシを探しながらどうしてこんな所があるのだろうと思った

 

僕が一番不思議に思ったのは古い木造の小学校だいつも誰もいない校舎と小さな運動場近

久く

米め

 一かず

輝き

埼玉県学校法人立教学院立教新座中学校 一年

ハンセン病について考えたこと

社団法人日本新聞協会会長賞

入賞作文集 34

入賞作文

くに小学校があるのにどうしてこんな所に小学校があるのだろう小学一年生の僕はとても不思

議に思った

 

夏に地域交流を目的とした盆踊りと花火大会が行われるいつもは人のいない小学校跡は多く

の人であふれかえり普段は見かけない重い後遺症の老人たちもこの日は外に出て盆踊りを楽し

む初めて参加したときは言葉が出なかった正直「怖い」と思った

 

夏が来るたびに僕は盆踊り大会に参加した低学年から高学年へと進むにつれて少しずつハ

ンセン病のことが分かってきた

 

六年生のときに社会科見学で全生園の元患者を訪れることになっただが僕は都合で参加で

きなかった僕はそれをずっと悔やんでいる

 

今年の夏僕はハンセン病資料館に出かけた見学者は僕一人でとても緊張したなるべく

音を立てないようにパネルを見て回った

 

強制隔離の現実にとても驚いた狭い部屋に押し込められ症状の軽い患者が重症の患者の世

話をしたという子供を持つ権利や生まれる赤ん坊の命まで奪われていた逃げ出したり反抗的

な患者は「不良患者」と呼ばれ窓の小さな暗い監房に閉じ込められた

 

医学が進歩し療養所も徐々に改善されていったが強制隔離を命じる「らい予防

法」が廃止されたのは一九九六年だという隔離が始まった一九〇八年から約九〇

年も経っていた僕が生まれるほんの一年前のことである特効薬が開発され本

格的な治療が始まったのは昭和二十二年である現実に合わない法律を廃止するの

35 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

にどうしてそんなに時間がかかったのだろうか

 

資料をもらってハンセン病資料館を後にした家を出るときは帰りに虫の観察

をするつもりだったがとてもそんな気にはなれなかったいつもセミが集まる桜

の木には目もくれずに早足で家に帰った

 

資料の中で一番心が痛んだのは療養所の子供たちのことだ療養所に入所したのはハンセン

病を発症した子どもたちだけではない親が発症したために入所する子どもたちもいた当時は

ハンセン病は遺伝病だとされていたからだ親から無理やり引き離された子どもたちは「すぐに

帰れるから」という言葉を信じていたというしかし一生療養所を出ることができなかった人が

多かったという社会的な差別がひどかったからだと資料に書かれていたが僕には実感がわか

なかったのでもう少し調べてみることにした

 

図書館で『ハンセン病を生きて』(伊波敏男著)という本を見つけた少し難しかったが差

別の現実が僕にもわかる部分があったそれは元患者たちに対して書かれた匿名のひどい手紙

である長年隔離されて苦しんできた人たちをさらに傷つける言葉が並んでいた悲しく暗い

気持ちになった

 

日本は経済大国として世界の注目を浴びているだが人権意識の面ではどうだろう「らい

予防法」を二〇世紀の末まで廃止できなかったことをどう考えたらよいのだろうか明治時代に

隔離が始まったときそれは外国に対する体面を保つためだったという病気の人を治療するの

ではなく「隠す」のが目的だったのだいまだに差別意識を持つ人がいるのは社会がそうした

入賞作文集 36

入賞作文

過去に対する反省をしていないから

だと思う

 

僕が不思議に思った小学校はすで

に取り壊されて今では小さな石碑

だけが残っている老朽化がひどく

残しておくことができなくなったか

らだという全生園の古い建物はど

んどん取り壊されていく石碑だけ

ではあの不思議さが伝わらないのが

とても残念だ

37 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

 

僕の曾祖父は医者嫌いでしたそのため腹痛で病院に運ばれた時は膵臓癌の末期で余命三ヶ

月でした手術もできない手遅れの状態でした家族皆で話し合い曾祖父の辛い気持ちを第一に

考え曾祖父に病を隠すことになりました曾祖父は次第に病院の中を歩いては転倒し体中あ

ざだらけになりベッドの上で縛られることになっていました曾祖父は病名の宣告を受けてい

ないため元気で歩けると思っているが実際歩くと転んでしまう何でこんな風になってしまっ

たのかさえわからない

 

家族と病院に行くと「包丁もてこいこれぶった切って家さ帰る」と騒いでいましたあん

なに優しかった曾祖父の姿に言葉も出ず恐いくらいでした何も知らされずベッドに縛り付

けられれば誰もがそうなることでしょう「じいちゃんどご一緒に車さのせでいてくれの」と

櫻さくらだ田

 要かな

太た

山形県酒田市立松山中学校 三年

日本放送協会会長賞

悔いのない最期を

入賞作文集 38

入賞作文

せがまれたときもありますかわいそうで涙がポロポロこぼれました「おじいちゃんどご家

さ連れで帰ろうよ」とせがんでも家族も仕事で忙しいためか誰も首を縦に振ってくれず病院

にいた方が安心ということになりました膵臓癌は予想以上に激しい痛みのため医師から強い

痛み止めと強い睡眠剤を勧められましたがそれを導入することにより安楽死に近い状況にな

ることも医師から告げられていました家族は決断をせまられました曾祖父に相談もせずに決

めていいことなのか家に帰りたい曾祖父の意志は封じ込められたままでいいのか家族で悩み

ました結局痛みに耐えている姿は見ていられなくその薬を使うことになりましたその後

曾祖父は次第に弱っていき口も利けなくなり静かに亡くなっていきました僕はどこか心を

引きずったままでした僕達家族が曾祖父に宣告もせず意見も聞かず命の長さを決めてしまっ

たこと当時幼かった僕には何もしてあげられなかったことが今思い出しても残念です

 

最近授業で人権について学習しているときに幼い頃の記憶がよみがえりふと曾祖父のこと

を思い出しました

 

曾祖父はどんな思いで亡くなったのだろう最後に意識のあるうちに一度でいいから家に帰っ

てきたかっただろう身体拘束は今は病院でも禁止されていると思いますがあの頃は確かに曾

祖父のおなかに黒いベルトのようなものが巻きついていました決して自分の力で

は外せないようなものでしたもがき苦しむ曾祖父の姿を見た時に看護師さんに

目を隠され別の部屋に連れて行かれました見せたくない光景だったのだと思いま

すでもあの姿は僕の脳裏に焼き付いています病院の中での人材不足のためだっ

39 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

たのでしょうか人が人らしく生きていない姿でした

 

七十八年生きてきて何も悪いことをしていないのに縛られ家にも帰れない

病気で余命幾ばくもない人には人権というものは存在しないのでしょうか最近の

医療の現場では自己決定権があることについて学びました

 

仏壇に向かい静かに目を閉じると優しく穏やかに微笑む曾祖父の笑顔が浮かびますどんな

気持ちで亡くなっていったのかその気持ちを考えると苦しい気持ちになります野球の大会に

行く前仏壇に手を合わせます「やればできる努力しろ」とよく励ましてくれました曾祖

父の力には何もなれなかったけれど目には見えない力で応援してくれる曾祖父に線香をあげて

自分を省みる時があります曾祖母が元気なので曾祖父を助けられなかった分曾祖母の力に

なっていくことを曾祖父に約束しています

 

夏休み中のニュースで高齢者の所在不明者が多数のため百歳以上の安否確認調査をしていま

した自分の親を平気で捨て遺骨さえもひきとらない亡くなっていたのに年金を不正受給する

ために隠していたなど耳をふさぎたくなるような事件もありました犬や猫が年をとって弱っ

てきた手がかかるから面倒だからと捨ててしまうそれと同じ現象が弱い高齢者にも及んでき

ているのだと思います

 

やはりこの世に生まれてきたもの全てに自分の意志で生きることを決めていける権利がある

と思います長い年月を苦労や努力と向き合いながら精一杯生きてくれたおかげで今の幸せが

あることを忘れずにいたい人はいずれ誰でも年をとります自由に動けなくなった時に自分の

入賞作文集 40

入賞作文

願いが叶う社会を築き「悔いなく満足で楽しく幸せな人生だった」と思えるように人とし

ての誇りを持って満足できる最期を迎えられるように考えていきたいもう二度と僕が見た自

己決定権のない社会にならないように高齢者には今までの感謝の気持ちで本人の希望をでき

るだけ叶えられるように努力していきたいいずれ僕達も迎える高齢社会だからhellip

41 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

 

私は小学六年生の時から盲導犬候補の子犬を育てるボランティアをしています「犬を飼っ

てみたい」と言う私に両親が「せっかく犬を飼うのなら社会に役立つことをしよう」と提案

したからです生後二ヵ月の子犬を預かり一歳の誕生日を迎えるまで世話をするのがボランティ

アの役目です初めて訓練士さんから子犬を手渡された時は不安でドキドキしましたが子犬は

すぐに私の腕の中で眠ってしまいました初めて会った私のことを信頼して安心しきった寝顔

で眠っている姿は本当に可愛かったですラブラドールの子犬はとてもやんちゃで私の家にやっ

て来たその日からいたずらばかりしていましたがしかられてもクヨクヨせずどんな相手にも

 林はやし

 里り

咲さ

東京都小平市立小平第六中学校 三年

差別のない社会に

(パピーウォーカーの経験から学んだこと)

法務事務次官賞

入賞作文集 42

入賞作文

フレンドリーに近づいていく姿から私は明るく前向きに生きることを教わりました子犬たち

と過ごした日々は私にとって一番の宝物ですそしてあっという間に一歳の誕生日がやって来ま

した誕生日が悲しいという経験は初めてでした訓練所への入所日の前日には長い長い散歩を

して最後のお別れをしました「今までありがとう」そう言った私のことを不思議そうに見てい

た子犬の顔が今も目に焼きついています別れは本当につらいけれど涙を見せたら子犬が心配す

るので頑張って笑顔で見送りました

 

私の家で育てた一頭目の子犬は現在盲導犬になって頑張っていますそして今年四月に巣立っ

ていった二頭目の子犬は神奈川にある訓練センターで訓練中です

 

このボランティアを通して私は多くのことを学びましたまず盲導犬の役割ですがこれは単

に目の不自由な方が便利に一人でどこへでも行けるようにするためだけではありません視覚障

がいのある方にとって人の手をわずらわせるのはとてもつらいことなのだそうですたとえ家

族に対してでも「迷惑をかけるのではないか」と思って我慢することが多く「私なんかいない

方がいいんじゃないか」と考えてしまうこともあったといいますその失われそうになった尊

厳を取り戻す手助けをするのが盲導犬の役目なのです犬は訓練を共にするパートナーのことを

大好きになるので「自分は他者からこんなにも大好きになってもらえる存在なん

だ」と気づいて自信を取り戻し新しい一歩を踏み出せるようになるのだそうです

 

また私がボランティア登録している日本盲導犬協会では二〇〇八年に新しい

試みが始まりました受刑者が盲導犬候補の子犬を育てる動物を介在した日本初

43 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

の教育プログラムです罪を犯した人も心から反省してきちんと罪を償えば社会

は差別することなく受け入れるべきですしかし実際はとても偏見が多く元受刑

者たちは「どうせ自分はだめな人間なんだ」と思い再び罪を犯してしまう悪循環

が起こっているそうですその悪循環を断ち切り受刑者たちがスムーズに社会復

帰を果たせるよう支援するのが「あさひ盲導犬パピープロジェクト」です受刑者たちは約十ヵ

月の間子犬たちを世話しながら一緒に過ごし「役に立つ喜び達成する喜び信頼される喜び」

を感じることで自分の価値を再確認するのだそうです今年一月に第一期のプロジェクトを修了

した受刑者の感想に次のようなものがありました

 「今後自分もパピーに笑われないようにきちんとしなければならないパピーは慈しむこと

寛容の心を教えてくれました」

 

犬は決して差別をしません健康な人にも障がいのある人にもお金持ちにも貧しい人にも

権力のある人にも犯罪を犯した人にも全く同じように接してくれますそんな犬たちと一緒に過

ごすことで自信をなくした人たちも自分のことをかけがえのない大切な存在であると思えるよ

うになるのです

 

私たち人間も差別のない社会をつくる努力をしなければならないと思います一人一人が相

手を大切に思う心を忘れなければこの社会はもっと住み良い場所になるはずです私はこのボ

ランティアを通して学んだことを生かしてこれからも一層努力していきたいと思います

入賞作文集 44

入賞作文

45 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

 

僕は祖父のために自助具を作ろうと思った祖父は去年の夏脳梗塞で倒れた祖父は一命

を取り留めたものの右手と右足がまひしてしまったのだその三週間前僕も車椅子から転倒し

て足を骨折した

 

僕には障害がある車椅子で生活することが多いしかし僕のことを障害者だといって差別

するような友達は一人もいない

 

祖父は歩けるようになりたいという気持ちが強かっただからリハビリを頑張り自分で

歩けるようになるまで回復した頑張っている祖父がかっこいいと僕は思った祖父はリハビ

リを頑張ったにも関わらず右手がうまく動かせなくなってしまっただからご飯を食べる時も

服を着替える時も時間がかかる普段何気なくやっていた動作がとても大変だと祖父は言ってい

守もり

田た

 幸こう

平へい

静岡県静岡大学教育学部附属浜松中学校 三年

祖父への靴下

法務事務次官賞

入賞作文集 46

入賞作文

た僕も何か役に立てることはないかと考えた

 

僕の学校には総合学習という授業があるそこで僕は福祉というカテゴリーを選んだ自

分で社会に役立てることを考え実際に行動することが目標だった僕は障害者のために何が

できるかを考えた

 

僕は二年前に静岡文化芸術大学で障害者がいかに日常生活で不自由のない生活ができるかを

考えるプロジェクトがあるのを新聞で知ったそれは大学生たちが個人個人にあった自助具を

作るプロジェクトだった僕は障害者のために何かできるのではと感じた

 

僕は静岡文化芸術大学へ行って僕にもできることがないかと聞いたすると学生さんが

自助具を作ってみないかと声をかけてくれた僕は迷わず「はい」と言った障害者のために

役に立てることがあると思うとすばらしいことだと思ったからだ

 

祖父のつらい顔を見ると日常生活に数々の大きな壁があることが伝わってくる

 

僕は祖父の数々の大きな壁を突き破ろうと思った祖父のために自助具を考え作ろうと僕

は思った祖父が靴下の脱ぎ履きが大変だと言っていたことを思い出したそこで脱ぎ履きし

やすい靴下はできないか考えた靴下の両脇にひもを取り付けてそれを引っ張ると靴下が縮み

脱ぎ履きしやすくなる仕組みだ大学の先生も良いアイディアだと言って褒めてく

れたこれは障害者だけでなく健常者にも使えると言われたユニバーサルデザ

インだと分かった

 

ユニバーサルデザインは年齢や障害の有無にかかわらず全ての人が使いやす

47 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

いように工夫された用具などのデザインである境界がなくなるように健常者が障

害者に対する偏見を考え差別意識がなくなるチャンスだと思った障害者と健常

者が共によりよく生きることが大切だと僕は思った

 

自助具の作品展では杖をついているお年寄り車椅子に乗った若い女性目の

見えない人福祉関係者など沢山の人々が観に来ていた皆自分の生活を良くしようと思っ

ているようだったまた障害者のためにできることは何だろうかと考えている健常者もいるよ

うだった

 

二年生の時の総合学習では二箇所のデイサービスを訪問したデイサービスには六十五歳以

上のお年寄りがいた暗く元気のない人明るく振る舞い誰とでも話せる人など様々だった

しかし僕が一番印象に残ったのは笑顔を絶やさず優しくお年寄りに接していた介護士だった

お年寄りの中には悩みを抱えている人が多いそうだその悩みを解消させる人もまた介護士だっ

た僕は介護士がお年寄りの体を支えるだけではなく心もそっと支えて生きる喜びを与え

ているのだと感じた

 

現代は三世代で暮らす家族が減り核家族が増えているそれはお年寄りの世話が大変だ

からという理由が多いだから老人ホームやデイサービスに預ける人が増えていると僕には

思えたお年寄りの中には自分が嫌われているのではないかとさえ思ってしまう人もいるそう

だそれはお年寄りにとって辛く悲しいことだと思うある介護士がこんなことをおっしゃっ

ていた「人の優しさはお金では買えない」誰にでも優しい心があると思うしかしあと一歩

入賞作文集 48

入賞作文

のところで行動に移すことができない人が多いの

だ僕たちが平和な社会で暮らせるのは今まで

頑張ってきてくれたお年寄りのお陰であることを

忘れてはいけないお年寄りを大切にすることは

当たり前のことなのだ

 

また障害者に対しても偏見の目で見ないで

そっと近づいて手を貸してあげれば健常者との

高い大きな壁を崩すことができると思う

 

障害者にも高齢者にもまた健常者にも人権

はあるお互いの人権を大切にすることが明る

い未来に繋がっていくのだと思う

 

早く祖父に僕の作った靴下を届けたい

49 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

 

僕は小学校六年生まで福岡県に住んでいましたそこで僕が体験したことです五年生のこ

ろ僕の友だちのA君が同級生のK君の靴を隠したりからかったりしていることがよくあり

ました最初は僕もあまり気にしていませんでしたがK君のことを「なんだかかわいそう」と

思うようになりました

 

ある日僕は勇気をだして先生に「K君がいじめにあっています」と報告しました初め先生は

「じゃれ合っているだけだろう」と「いじめ」とは思ってくれませんでしたでもその後「いじ

め」と分かりA君は先生に注意されその日一日は反省した様子で過ごしていましたしかし

次の日学校に行くといじめは前以上にエスカレートしていて蹴ったりたたいたりするように

なりましたしかも「死ね」「うざい」「消えろ」などの言葉が飛び交うようになりそんな日々

法務事務次官賞

浦うら

谷たに

 毅たける

徳島県三好市立池田中学校 三年

いじめをなくすために今

入賞作文集 50

入賞作文

が続きました

 

それは六年生になっても続きました僕はそのいじめを止めることができず毎日見て見ぬ

振りをしていました今思うと自分がとても恥ずかしいです本当の友達なら止めるべきなの

にそれだけではなくいじめられているK君に声一つかけることができずにいました心の中

ではA君に「やめろよ」と言おうと思っていたけどなぜか勇気が出ませんでした次にい

じめられるのが自分になるのが恐くて言えなかったのです

 

そんな日々が続く中僕の気持ちを大きく変える出来事がありました父の死ですそのとき

のことは今でも忘れることができません聞いたときには頭の中が真っ白になりました最初

は信じることができませんでした一週間も二週間も学校に行けずただぼーっと過ごしてい

ましたいろんなことを考え徐々に「死」というものの悲しさつらさ「死」という意味の

重さがわかってきましたそして時間はかかりましたが「命は一瞬にして消え二度と戻っ

てこないものだだから命を大切に今を大切にしなければならない」と深く受け止めることが

できるようになりましたそして周りの子たちは僕のような経験がないから「死ね」とか軽々

しく言えるのだろうと思いこの気持ちを伝えなくてはならないと考えました僕が強くならな

くてはと思いました

 

こんな気持ちになったとき僕には時間がありませんでした母の実家がある徳

島への引っ越しが一週間後に決まっていたのです落ち込んでいる暇は無いと思

い学校に行った僕はA君に言いました「いじめなんかやめろよいじめたって

51 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

喜ぶ人はいないし悲しむ人がいるだけだろ自分だってほんとは嫌だろ『死ね』

とか『消えろ』とか言葉の重さを知らないのに言うなよ」と言いました父親の

突然の死そのあと僕が考えたことも伝えました

 

友だちは黙って聞いてくれました僕の言葉にうなずいてそのあとK君の

ところへ行き「ごめん言葉の重さも知らずに言って本当にごめんぜったいに死ねなんて

ことは言わないそしていじめは絶対にしないほんとうにごめん」とあやまりましたK君

はとても優しい笑顔で「いいよ」と一言言いました僕もK君に言いました

「今まで助けてあげられなくてごめん」

K君は笑顔で「ありがとう」と言ってくれました今まで自分の中でもやもやしていた気持ちが

スーっと晴れました

 

今も時々耳にする暴言冗談半分で言っているのかもしれませんしかしいついじめにつ

ながるかわかりません他人を傷つけることで自分のストレスを晴らそうとしているのでしょう

関係ないふりをしようとする自分がいます楽な考え方をする自分がいますそんな時亡くなっ

た父の顔やK君の優しい笑顔を思い出しますあの時の自分のように強い気持ちを持とう「や

めろよ」と一言言うするとまた気持ちがスーっとしてきました

 

父の分も頑張って生き抜こうと決めた僕にとって正しいことを素直に認め悪いことを否定

できる強い意志を持つことが目標ですそして何よりも命を大切に今を大切にしていきたい

と思っています

入賞作文集 52

入賞作文

53 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

 

ぼくは今まで四つの外国に暮らしいろいろな国の人たちの中で育ってきた

 

まずタイで生まれてタイ人のメイドさんやドライバーさんにいつも遊んでもらっていた

らしい一才になると週一回の体操教室にも通いタイ人の友達もいたそうだ

 

次にシンガポールでは初めてナサリースクール(保育園)に通いいろいろな国の友達と

知り合ったプレイルームにある滑り台を滑る順番争いでいつも勝つのは体の大きい金髪の友

達だった

 

一回目の香港生活では英語の幼稚園に通ったその時のぼくの一番の友達はカナダ人だった

彼とはよくベイブレードをして遊んだが父が日本の出張で買ってきてくれた独楽や剣玉をして

遊ぶこともあった

村むら

瀬せ

 広ひろ

高たか

香港日本人学校中学部 二年

国境をこえて

海 外 作 品

今回は本選への応募とすることはできませんでしたが

 海外から寄せられた作品のうち一作品を御紹介します

入賞作文集 54

海外作品

 

それからインドでは日本人学校に通ったが夏休みには毎年アメリカンスクールのサマー

スクールに参加したし日本人のいない現地のテニススクールにも入り二年間通ったまたイ

ンドの現地幼稚園に通っていた妹のベストフレンドはコンゴ人でその兄弟もぼくの友達だった

 

そして三年間の日本生活を経て今また香港に戻ってきた

 

このようにぼくはいろいろな国でいろいろな国の人たちのお世話になりいろいろな国

の友達と遊んで育った肌が真っ黒な友達もゲームの話をすればすぐに仲良くなれたし髪が

金色の友達もポケモンの話をすれば気が合ったぼくは小さい頃から英語はうまくしゃべれ

なかったけれどもジェスチャーをつけたでたらめ英語でも充分に話は通じただからいろい

ろな国の人たちの中でぼくが日本人だからといって差別されたり嫌な思いをしたりしたこと

はないしぼくも肌の色が違うからとか言葉が通じないからという理由で違う人間だと思っ

たことはないそうぼくは外国人を差別したことはない

 

しかし本当にぼくは外国人を差別したことがないのだろうか外国人を差別した発言を一

度もしたことがないかと考えると自信がない

 

例えば香港人には赤信号でも平気で渡る人がたくさんいるそれを見てぼくは

「香港人はしょうがないな」

と思うでもよく見ると香港人全員が信号無視をしているわけではないまた

世界には今でも戦争をしている国がいくつもある

「人を傷つけ合うなんて馬鹿げている」

55 第30回全国中学生人権作文コンテスト

海外作品

とぼくは悲しくなるでもそれも好きで戦っている人がいるとも思えないその

人たちがそうなったのには何かきっと原因があるはずだ

 

逆に外国人から見ると日本人はどのように思われているのだろう

 

インドから日本に帰国した時毎日ごみがたくさん出ることにぼくはとても驚

いたインドの人たちがよく使う道端にあるカレー屋さんではバナナの葉で作ったお皿にカ

レーを入れてくれる食べた後そのお皿を道に捨てるとのら牛がその葉っぱを食べるそして

牛のふんは燃料になるというそれに比べて日本はちょっと歩くとペットボトルの飲み物が

買えファーストフードのお店では使い捨ての食器を使い立派なお菓子の箱を開けると中身が

少なくてがっかりすることもあるある時母が捨てたジャムの空きびんをメイドさんとエア

コンの修理にきていたワーカーさんとが取り合ってけんかをしていたこともあったそれを見

てぼくはあきれてしまったが逆にインド人から見ると使い捨て文化のしみついた日本人は

とんでもない人間にみえるのかもしれない国によって考え方や行動パターンが違うのは歴史

的背景や宗教習慣気候などのいろいろなことが関わっているのだと思う

 

このように考えると差別とはその人の一部しか見ていないことや自分のやり方だけが正

しいと思うことからおきるのではないかと思うその人が自分とは違った行動をとったとしても

それには深い理由があるのだろうと考えればきっと納得できると思うぼくもこれからは否

定的な発言をする前にその人たちのことをいろいろな角度から見て理解する努力をしてみよう

と思う外国との間には自分の国とは違う言葉や文化という壁があるとみんな言うがそこに

入賞作文集 56

海外作品

あるのは壁ではなく橋だとぼくは思う理解

し合おうという気持ちがあればきっと誰でも

その橋を渡っていけるはずだ気持ちの国境を

こえるのにパスポートはいらないお互いを理

解し合おうと思う気持ちが一番大切だと思う

そしてぼくはこれから日本人として生きる

のではなく地球人として生きていこうと思う

57 第30回全国中学生人権作文コンテスト

海外作品

法務局地方法務局名 郵便番号 所  在  地 電  話

金沢地方法務局人権擁護課920-0024 金沢市西念3-4-1金沢駅西合同庁舎(平成23年3月11日まで) 076-231-1244

921-8505 金沢市新神田4-3-10金沢新神田合同庁舎(平成23年3月14日から) 076-292-7804

富山地方法務局人権擁護課 930-0856 富山市牛島新町11番7号富山合同庁舎 076-441-6376

大阪法務局人権擁護部 540-8544 大阪市中央区谷町2丁目1番17号大阪第2法務合同庁舎 06-6942-9492

京都地方法務局人権擁護課 602-8577 京都市上京区荒神口通河原町東入上生洲町197番地 075-231-0131

神戸地方法務局人権擁護課 650-0042 神戸市中央区波止場町1番1号神戸第2地方合同庁舎 078-392-1821

奈良地方法務局人権擁護課 630-8305 奈良市東紀寺町3-4-1奈良第2法務総合庁舎 0742-23-5457

大津地方法務局人権擁護課 520-8516 大津市御陵町3番6号大津法務総合庁舎 077-522-4673

和歌山地方法務局人権擁護課 640-8552 和歌山市二番丁2番地和歌山地方合同庁舎 073-422-5131

広島法務局人権擁護部 730-8536 広島市中区上八丁堀6番30号広島合同庁舎 082-228-5790

山口地方法務局人権擁護課 753-8577 山口市中河原町6番16号山口地方合同庁舎2号館 083-922-2295

岡山地方法務局人権擁護課 700-8616 岡山市北区南方1丁目3番58号 086-224-5761

鳥取地方法務局人権擁護課 680-0011 鳥取市東町2丁目302番地鳥取第2地方合同庁舎 0857-22-2289

松江地方法務局人権擁護課 690-0886 松江市母衣町50番地松江法務合同庁舎 0852-32-4260

高松法務局人権擁護部 761-8077 高松市出作町585-4 087-815-5311

徳島地方法務局人権擁護課 770-8512 徳島市徳島町城内6番地6徳島地方合同庁舎 088-622-4171

高知地方法務局人権擁護課 780-8509 高知市栄田町2丁目2番10号高知よさこい咲都合同庁舎 088-822-3331

松山地方法務局人権擁護課 790-8505 松山市宮田町188番地6松山地方合同庁舎 089-932-0888

福岡法務局人権擁護部 814-0005 福岡市早良区祖原14-15福岡法務局西新出張所庁舎5階 092-832-4311

佐賀地方法務局人権擁護課 840-0041 佐賀市城内2丁目10番20号佐賀合同庁舎 0952-26-2148

長崎地方法務局人権擁護課 850-8507 長崎市万才町8番16号 095-826-8127大分地方法務局人権擁護課 870-8513 大分市荷揚町7番5号大分法務総合庁舎 097-532-3368

熊本地方法務局人権擁護課 862-0971 熊本市大江3丁目1番53号熊本第2合同庁舎 096-364-2145

鹿児島地方法務局人権擁護課 890-8518 鹿児島市鴨池新町1番2号 099-259-0684宮崎地方法務局人権擁護課 880-8513 宮崎市別府町1番1号宮崎法務総合庁舎 0985-22-5124

那覇地方法務局人権擁護課 900-8544 那覇市樋川1丁目15番15号那覇第1地方合同庁舎 098-854-1215

入賞作文集 58

問合せ先一覧

法務局地方法務局名 郵便番号 所  在  地 電  話

札幌法務局人権擁護部 060-0808 札幌市北区北8条西2丁目1番1札幌第1合同庁舎 011-709-2311

函館地方法務局人権擁護課 040-8533 函館市新川町25番18号函館地方合同庁舎 0138-23-9528

旭川地方法務局人権擁護課 078-8502 旭川市宮前通東4155番31旭川合同庁舎 0166-38-1114

釧路地方法務局人権擁護課 085-8522 釧路市幸町10丁目3番地釧路地方合同庁舎 0154-31-5014

仙台法務局人権擁護部 980-8601 仙台市青葉区春日町7番25号仙台第3法務総合庁舎 022-225-5739

福島地方法務局人権擁護課 960-8021 福島市霞町1番46号福島合同庁舎 024-534-1994

山形地方法務局人権擁護課 990-0041 山形市緑町1丁目5番48号山形地方合同庁舎 023-625-1321

盛岡地方法務局人権擁護課 020-0023 盛岡市内丸7番25号盛岡合同庁舎 019-624-9859秋田地方法務局人権擁護課 010-0951 秋田市山王7丁目1番3号 018-862-6533

青森地方法務局人権擁護課 030-8511 青森市長島1丁目3番5号青森第二合同庁舎 017-776-9024

東京法務局人権擁護部 102-8225 千代田区九段南1丁目1番15号九段第2合同庁舎 03-5213-1234

横浜地方法務局人権擁護課 231-8411 横浜市中区北仲通5丁目57番地横浜第2合同庁舎 045-641-7926

さいたま地方法務局人権擁護課 338-8513 さいたま市中央区下落合5-12-1さいたま第二法務総合庁舎 048-859-3507

千葉地方法務局人権擁護課 260-8518 千葉市中央区中央港1丁目11番3号千葉地方合同庁舎 043-302-1319

水戸地方法務局人権擁護課 310-0061 水戸市北見町1番1号水戸地方法務合同庁舎 029-227-9919

宇都宮地方法務局人権擁護課 320-8515 宇都宮市小幡2丁目1番11号宇都宮地方法務合同庁舎 028-623-0926

前橋地方法務局人権擁護課 371-8535 前橋市大手町2丁目10番5号前橋合同庁舎 027-221-4426

静岡地方法務局人権擁護課 420-8650 静岡市葵区追手町9番50号静岡地方合同庁舎 054-254-3555

甲府地方法務局人権擁護課 400-8520 甲府市北口1丁目2番19号甲府地方合同庁舎 055-252-7239

長野地方法務局人権擁護課 380-0846 長野市旭町1108番地長野第2合同庁舎 026-235-6634

新潟地方法務局人権擁護課 951-8504 新潟市中央区西大畑町5191番地新潟地方法務総合庁舎 025-222-1564

名古屋法務局人権擁護部 460-8513 名古屋市中区三の丸2丁目2番1号名古屋合同庁舎第1号館 052-952-8111

津地方法務局人権擁護課 514-8503 津市丸之内26番8号津合同庁舎 059-228-4193岐阜地方法務局人権擁護課 500-8729 岐阜市金竜町5丁目13番地 058-245-3181

福井地方法務局人権擁護課 910-8504 福井市春山1丁目1番54号福井春山合同庁舎 0776-22-5090

問合せ先一覧 (法務局地方法務局)

59 第30回全国中学生人権作文コンテスト

問合せ先一覧

世界人権宣言啓発書画「鳥」「自由と解放」を表わしたもの 小木太法書オタビオロス画(財)人権擁護協力会提供

入賞作文集 60

すべての人間は生まれながらにして

自由でありかつ尊厳と権利とに

ついて平等である人間は理性と

良心とを授けられており互いに同胞の

精神をもって行動しなければならない

―――

世界人権宣言 第一条

―――

第三〇回

 全国中学生人権作文コンテスト

中央大会表彰式

印  刷 平成23年1月25日

発  行 平成23年2月14日

発 行 者 法務省人権擁護局

全国人権擁護委員連合会

東京都千代田区霞が関一丁目1番1号

電話 03(3580)4111 内線5875

URL httpwwwmojgojpJINKEN

第30回全国中学生人権作文コンテスト中央大会審査員

感想をお聞かせください本作文集を読まれた感想等を下記の連絡先又はkeihatsumojgojpまでお寄せください

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100-8977 東京都千代田区霞が関一丁目1番1号 法務省人権擁護局人権啓発課 TEL03(3580)4111 内線5875

作  家(審査員長) 落 合 恵 子映画監督 山 田 洋 次社団法人日本新聞協会事務局長 川 嶋   明日本放送協会解説委員室解説委員 南   直 樹文部科学省初等中等教育局視学官 三 好 仁 司全国人権擁護委員連合会長 中 村 浩 紹法務省人権擁護局長   井 忠 雄

(敬称略)

【式次第】

第一部

 会

主催者あいさつ

賞状授与

内閣総理大臣賞法務大臣賞

文部科学大臣奨励賞法務副大臣賞

法務大臣政務官賞

全国人権擁護委員連合会長賞

社団法人日本新聞協会会長賞

日本放送協会会長賞(以上各一名)

法務事務次官賞(三名) 計一一名

学校への感謝状贈呈

高円宮妃殿下おことば

来賓祝辞

第二部

各受賞作文の朗読

内閣総理大臣賞法務大臣賞

文部科学大臣奨励賞

全国人権擁護委員連合会長賞

社団法人日本新聞協会会長賞

日本放送協会会長賞

 評

全国中学生人権作文コンテスト中央大会審査員

 山田洋次氏

 落合恵子氏(ビデオレター形式)

第三部

新垣勉さんコンサート

 会 平成二二年一二月一八日(土)

午後一時三〇分〜三時五〇分

於ニッショーホール

「いじめ」や暴力行為等は人権侵害です

法務局地方法務局では

人権侵害による被害を受けた方を

救済するための活動を行っています

お気軽にご相談ください

女性の人権ホットライン

インターネット人権相談受付窓口

ゼロナナゼロのハートライン

0570-070-810

子どもの人権110番ぜろぜろななのひゃくとおばん

 0120-007-110

パソコンから httpwwwmojgojpJINKENjinken113html携帯電話から httpwwwjinkengojpsoudanmobile001html

インターネット人権相談 検 索

Human Rights法務省人権擁護局全国人権擁護委員連合会

人権イメージキャラクター人KENあゆみちゃん人KENまもる君

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この冊子は環境保護印刷の「水なし印刷」で印刷されています

第30回全国中学生人権作文コンテスト入賞作文集

法務省人権擁護局全国人権擁護委員連合会

人権イメージキャラクター人KENまもる君人KENあゆみちゃん

この冊子には音声コードが各頁(奇数頁 左下偶数頁 右下)に印刷されています専用の読み上げ装置で読み取ると記録されている情報を音声で聞くことが出来ます

Human Rights法務省人権擁護局全国人権擁護委員連合会

 全国中学生人権作文コンテスト入賞作文集

 全国中学生人権作文コンテスト入賞作文集

第30回

手も同じひとりの人間なのだとその

人の心に寄り添い理解し合う努力こ

そ人権を守る大きな力になると思う

13 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

 

十五年前父が篠山の町中を歩いているとこう言われた「そんな棒きれ振り回さんといて」

と父は決して棒きれを振り回していた訳ではないただ白杖を持って歩いていただけだそ

の話を聞いて私は驚いたたった十五年前のことだけど信じられない気持ちでいっぱいになっ

ただが十五年経った今ではそんなことはないだろうマスメディアが発達しいろんなハン

ディを持った人のことが紹介されたり障がい者の方自身が社会参加する機会が増えたからだと

 

そしてこんな話も聞いたことがある電車に乗った時に時間が知りたくて携帯電話を開い

たときのことだ「こんなとこで電話したらアカンやろ」と中年のおばさんに怒鳴られたそうだ

優先座席の近くだったということもあるが『目の不自由な人=白杖を持っている』という認識

は広まってきているが時間を知りたいときには音声が出る時計や携帯電話を使うということは

法務大臣賞

辻つじ

本もと

 桃もも

佳か

兵庫県篠山市立西紀中学校 三年

少しずつhellip一歩ずつhellip

入賞作文集 14

入賞作文

ほとんど知られていないのだそのとき父は説明しようと思ったがどうせ分かってもらえな

いと思い「すみません」と謝りとても悲しい気持ちになったそうだ見えている人は時間

が知りたければ時計を見ればすぐに分かるだが目が不自由だと音で聞くしかないのだ私は

障がい者が暮らしやすいような機器が発達してきていることをもっと社会に広めていくことが

必要だと思うそうすることで協力してくれる人や理解してくれる人が増えていくのではな

いだろうか

 

視覚障がい者の方が日常生活を送る上で給付や貸与される機器がある音声で教えてくれる

時計や体重計文章読み上げ器などがそれだこれらは以前県の基準で市が実施要綱を定めて

そこが窓口となって行われていたが法改正により各市区町村対応となったしかしこの日

常生活用具の中に健常な家族と同居している視覚障がい者には給付してもらえない物もあるの

だそれは体温計や体重計であったりするこの体温計がなければ家族が出かけている間に

体調が悪くなっても計測することはできないのだ

 

父の知り合いに赤ちゃんを連れた全盲のお母さんがいる体温を計るのに複数の体温計で赤

ちゃんの体温を計りその体温計に印をつけて病院まで持っていって見てもらったり家族が帰っ

てくるのを待って見てもらうことがあるそうだ私たちは簡単に体温を計ること

ができるが見えない人たちはそれができないために生命の危険にさらされてしま

うことがあるのだせっかく便利な機器が発明されても値段が高くて簡単に購

入できないもしくは制度のカベによってそのサービスが受けられないことがあ

15 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

るしかし私の住む篠山市では父たちの声が福祉課の方々に届き日本で初めて

音声式体温計が同居家族の有無にかかわらず給付されるようになったのである

 

今は携帯電話が音声で読み上げてくれてメールや時間GPSなどの便利な

機能を視覚障がい者の方も利用できるようになっただがそのことを知っている

健常者の方は全国にどれくらいいるだろうかまたこのことを知っている当事者である視覚障

がい者の方が全国にどのくらいいるだろうか私はまだ知らない人が多いと思う

 

ここ十五年程で視覚障がい者の人は白杖をついているということはほぼ知られてきたが生

活を助ける機器が発達してきているということは知らない人も多いだろうそれが「あの人は

目が動いているから見えている」とか「あの人はずっと目をつぶっているから見えていない」

「物を避けているから見えている」「物にぶつかっているから見えていない」という勝手な

思い込みで障がいの重さをはかることにつながっているのではないだろうかでもそれは間違っ

ている目を閉じれば視覚障がい者の疑似体験はできるでもそれはあくまでも体験であって

個人個人の見え方はそれぞれ違うし外見や行動で障がいの重度を判断するのは良くないと私は

思う同じような見え方ができたとしても全く同じ動きなんてできる訳ないのだから毎日父

と生活していてもどのくらい見えているのか私にもはっきり分からないなにげに父たちがこな

している日常の動作であっても私たち健常者にははかりしれない恐怖と不安努力があるの

だ誰でも目をつぶれば見えない世界を体験した気になる松葉杖をつけばその体験をした気

になる車イスに乗ればその体験をした気になるだが本当の障がい者の苦悩と努力の一部

入賞作文集 16

入賞作文

しか体験していないことを知ってお

いてほしい私たちには当たり前に

できるようなことがあってもどん

なに望んでもできない人たちがいる

ということとみんなの正しい理解と

知識が障がい者の明るい未来へとつ

ながっていくということを知ってほ

しいそしてこのことを広めていか

なければならない

 「少しずつhellip一歩ずつhellip」

17 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

 「Pick your 

head up」

 

これは父がいつも私にかけてくれる魔法の言葉です

 「顔をあげなさい下を向かない」という意味です

 

私の父は生まれも育ちもニューヨークのアメリカ人です女の子は父親に似るとよく言われ

ますが私もそうで日本人の母親よりも父の方に髪質も肌の色も本当によく似ています子供

が親に似ることはあたりまえのことですが私はそのためにいやな思い悲しい思いをいくどと

なくしてきました

 

初めて自分がみんなとちがうんだなと思ったのは幼稚園に入学してまもなくのことでした同

じ組の女の子たちが何人かして楽しそうに遊んでいたので

ローリンズ リコ

福島県福島市立渡利中学校 一年

「差別のない世界へ」

文部科学大臣奨励賞

入賞作文集 18

入賞作文

 「まぜて」

と声をかけると一人の子が言いました

 「このグループは日本人で髪がまっすぐな人しか入れないのリコちゃんは髪がチリチリだし

ハーフだからダメ」と

 

私はとても悲しくなりましたそしてそれは卒園するまで続きました

 

小学校は人数も少なかったせいかみんなとても仲良くて私の外見のことを言う人はだれ一

人いませんでしたまるで兄弟のようにみんな自然に接してくれましたでも習い事やいろい

ろな大会など他校の子たちといっしょになる場面ではやはり髪の毛や肌のことをからかわれ

ることはよくあることでした私には二学年上の兄がいますが兄もやはり父の方に似ています

おだやかな性格の兄は私以上につらい思いをしてきたと思います

 

父は兄や私の話を聞くたびに

 「Pick your 

head up」

と言いましたそして

 「自分に自信とほこりをもちなさいあなたたちは二つの文化を受けついでそれはとてもす

ばらしいことなんだよ」

といつも話してくれました

 

中学に入って間もないころでしたある男の子がいきなり私に向かって言いまし

19 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

 「おまえ風呂に入っているのか黒いぞ外国人はくさいからな」

 

私はとてもはずかしくなりましたそしていかりや悲しみがこみあげてきました

まわりにいた友達は彼の言葉に苦笑いをしていました私はいかりのあまり彼をな

ぐりたくなりましたその時私は父のあの言葉を思い出しました私は顔を上げ

相手の目を見て静かに自分の傷ついた気持ちを伝えました

 

彼は私に向かってこう言いました

 「ごめんわるかった」

 

彼は人を傷つけるということが彼の想像以上に重くそしてひどいことだと少し気付いたよう

でした

 

差別やいじめというのは私たちのまわりでは小さなことから大きなことまで本当によくあり

ますそして差別やいじめをしている側からすればそれをじょう談だという人も多いのです

まわりの人たちもやはりじょう談や遊びの中でのことにとらえてしまう人たちもとても多いので

すだから小学校の時から私たちは道徳などでいじめや人権などについて学んでいてもなかな

かそれがなくならないのだと思いますでも実際に差別やいじめをされている方はみんなの想

像よりはるかに傷ついているということつらいということそして悲しいということを私はこ

の人権作文を通してたくさんの人に知ってほしいのですけがをすれば日がたつごとにそのけ

がは治っていくでしょうまわりからも治っていく様子が見てわかるでしょうでも心に受けた

傷は本人にしかわからないのですその傷がどんなに深くて痛いものか本人にしかわからないの

入賞作文集 20

入賞作文

です

 

肌の色が違っていてもかみの毛が

違っていても私たちはみんな同じ人間

です心を持った人間です相手の気

持ちを思いやり相手の立場になって

考えればいじめや差別はなくなると

思います今も世界のいたるところで

人種差別が問題となり争いが起きてい

ます私は世界から差別やいじめがな

くなるように強い心を持ってまずは

自分から立ち向かっていきたいです

21 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

 

あなたには大好きなふる里がありますか私には緑の木々と青い海に囲まれた自然豊かな

大好きなふる里があります私のふる里は過去に公害という大きな被害をうけた水俣ですそ

の水俣病で患者はもちろんそうでない人も長い間差別をうけてきました

 

父が幼い頃まだ水俣病の原因が究明されておらず水俣病はうつると言われていました列

車が水俣の駅につくと窓をしめ手で口をおおった人もいました修学旅行に行くと同じ宿

舎になった学校から苦情を言われたこともありました水俣出身ということで結婚を断られた人

や就職試験をうけることさえできなかった人もいました水俣に住んでいることをかくして隠

れるようにひっそり暮らしていた人もいましたまた同じ水俣に住む人でさえ奇病と呼び距

離をおきましたそのことでたくさんの人々が傷つきあってきたのですいろいろな立場の人々

井いの

上うえ

 由ゆ

紀き

子こ

熊本県熊本県立八代中学校 一年

私の大好きなふる里

法務副大臣賞

入賞作文集 22

入賞作文

がせまい土地に住んでいるのですから仕方がなかったのかもしれません

 

しかし今では原因も究明され海の安全も確認されたことでそのようなことはほとんどな

くなりました私たちは過去のことを忘れるくらい楽しくすごしています

 

私は今八代の中学校に通っています私は自分が水俣出身ということを隠すこともありませ

ん友だちもまたそのことを知っていますがからかったりいじめたりする人は誰一人いません

 

しかし先日水俣の中学校のサッカー部が練習試合中に相手チームの選手から

「さわるな水俣病がうつる」

と言われたという記事が新聞にのっていました今でもこういう風に思っている人がいるのか

と思うと残念で仕方ありません何気なく言った一言だったのかもしれませんがその一言は

私たち水俣に住む者にとって非常に悔しく悲しいものでした

 

小学校の総合的な学習の時間で水俣病について学習しました原因となった会社を訪問したり

患者の方から当時の話をきいたり交流も行いましたそんな中で苦労されたり何も言えずに

黙って亡くなった人のことを知り水俣に住んでいながら何も知らなかったことをはずかしく思

いました水俣病についてしっかり学び正しい知識を得ることが差別や偏見をなくすのだと気

付きました

 

中学校の道徳の時間ではハンセン病について学習しましたこれも水俣病同様

正しい知識がなかったためにおきた悲しく悔しい悲劇でした

 

私たちが差別や偏見をなくすためにできることそれはその人その出来事に

23 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

ついてしっかり知ること知ろうと努力すること正しい知識を深めるために学習

することではないかと思いますそうすれば水俣病やハンセン病のようにむや

みに人と人とが傷つけあったり憎しみあったりすることはなくなるのではないで

しょうか

 

先日テレビで水俣のダイバーが紹介されましたその人は本当はほこりたい水俣を心の中

にじっとしまいこみ誰にも言えず何年もの間生きてきた人でしたしかし水俣の地にも

どり自分はこのすばらしい美しいふる里を紹介したいと海にもぐり写真をとり続けておら

れるそうです心に差別という深い傷を負いながら水俣の再生を皆に知らせたいと頑張る人

がいることに感動しました

 

今水俣はごみの分別リサイクル事業など市民全員で環境にやさしい町づくりをすすめてい

ます私は差別や偏見から立ちなおり再生しようと環境問題に一生懸命とりくんでいるふる

里水俣をほこりに思っています

 

水俣では運動会等多くの行事で「水俣ハイヤ節」というものが踊られますこれは水俣病

の患者の方が水俣の青い海と豊漁を願って振りつけをされた踊りだそうです私たちと同じ思い

をする人が二度とでないことを祈りながら私たちは毎年皆でこの踊りを踊ります

 

水俣の悲しい過去を変えることはできませんが私はあやまちを二度とくりかえさないため

にこの美しい自然を守り真実を語り継いでいきたいですそして差別や偏見のない社会に

なるよう自分から努力していきたいと思います

入賞作文集 24

入賞作文

25 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

 

みなさんは「本当の『平和』とは」と質問されたら何と答えますか「戦争や紛争などが

ないこと」ですかそれとも「自分自身の幸せのこと」ですか一人ひとりの抱く「平和」のイ

メージは違うことでしょう

 

僕の思う本当の「平和」それは「家族」がいて「家庭」があることだと思いますなぜそう

思うかというと今僕は訳あって家族とは離ればなれに暮らしているからです一歳前後には既

に家族とは離れ施設にいました母親や姉兄の存在はわかっていますが一緒に過ごした時

間は限られたもので今でもほとんど交流はありませんそのせいか僕はいつも「家族」や「家

庭」というものに強い憧れを抱いています

 

自分がまだ幼い頃は自分と同じくらいの子が母親と手をつないでいる姿がとてもうらやまし

大おお

田た

 葵あおい

栃木県さくら市立喜連川中学校 三年

「家族」とは何か

法務大臣政務官賞

入賞作文集 26

入賞作文

「どうして自分には母親がいないんだろう」と思っていました仕舞いには自らの母親を恨ん

でしまったのです小学生になってもその気持ちは変わらず母親への恨みは増すばかりでした

 

しかし小学五年生の夏思いもよらぬ出来事が起きましたそれは引っ越しがあったこと

ですそこで僕は新しい土地そして新しい里親という人たちに出会いました里親の人たち

と暮らした数年間僕は幸せでしたそこで僕は僕の周りにはいつも支えてくれる人たちがい

ることに気づきました血のつながりがなくても僕に自分の子どものように接し育ててくれ

た里親の人たち養護施設の先生方などたくさんの方たちに僕は見守られて成長してきたこと

に気づいたのです僕を支えてくれる人すべてに感謝の気持ちがわき出てきましたそれ以来

僕は親という存在にこだわらなくなりましたそれどころか自分に命を与えてくれた親に感謝

の思いを抱くようになったのです

 

この夏母親の育児放棄が原因で二人の乳幼児が衰弱死するという悲しい事件がありました

二人の子どもにろくに食事も与えず風呂も入れなかったそうですさらに逮捕後その母親は

「家に帰ってあげなかったことを今も後悔している子どもは私を恨んでいると思う」

という言ってはならない発言をしました僕は怒る前に亡くなった二人の子ども

たちがかわいそうでなりませんでした

 

と同時に僕はこの母親はどうしてこのようなことをしてしまったのだろうと

すごく考えさせられました僕は本来親は子どもを殺すのではなく守るために

27 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

いるのだと考えますたとえ小さな子どもでも立派な一人の人間ですその命を

守り育てていくことが親として大切な役目だと思うのですこの母親はどこで

勘違いしたかは知りませんが親としての自分の責任を理解していなかったのでは

ないでしょうか

 

そしてその勘違いを誰も母親に気づかせてあげられなかった事実母親が一緒に遊び歩いて

いた友人はもちろん母親の家族が少しでも助けることができていたら母親の行動を戒めるこ

とができていたら連絡を受けた児童相談所がもう少し踏み込んだ行動が取れていたらこのよ

うな悲しい結末にはならずに済んだのではないでしょうかやりきれない思いばかりがこみあげ

てきます

 

もう一つこの母親は大きな勘違いをしていますそれは「子どもは私を恨んでいると思う」

という言葉です僕はこの子どもたちが母親を恨んでいるとは思えません子どもたちは母

親が帰宅するといつもハイタッチをして喜んで迎えたそうです子どもたちは母親のことが大

好きだったのでしょうたとえ自分たちを見放した母親でも恨んでいるとは決して思えないの

です

 

子どもは心の底から自分の母親のことを恨めないと僕は思いますこの世に生を受け笑った

り怒ったり泣いたりと毎日いろいろな経験ができるのは自分を生んでくれた母親という存在

があったからです正直僕も小さい頃は母を恨んだことがありました愛情の裏返しというよ

うに母親への思いが憎しみに変化してしまったのですでも心の底には母への恨みとは全く

入賞作文集 28

入賞作文

正反対の気持ちが存在し続けていましただ

からこそこの子どもたちがどんな思いで死

んでいったのかわかるような気がします母

親を信じひたすら母親の帰りをまちわびて

いた思いが

 

僕にとっての「家族」それは同じ屋根の

下で暮らす人々のことですたとえ血はつな

がっていなくても僕を支え励ましてくれる

人たちそのすべての人が僕にとっての大切

な「家族」なのです今僕の暮らす養護施設

にはいろいろな事情を抱えた二歳位から高

校生までの子どもたちや職員の方が約六十人

います今の僕には全員大切な「家族」で

す僕はこれからもこの「家族」を大切に

一日一日精一杯平和に生きていきたいです

29 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

 

授業でハンセン病について学んだ日両親と「偏見」や「差別」について口角泡を飛ばす議論

を深夜まで繰り広げた身体障害者の父と看護師の母を持つ私は幼い頃から「命の大切さ」を

訴える両親の姿を見て育って来たそんな私は真摯な気持ちからハンセン病罹患者と向き合い

たいと思いこの夏草津にある療養施設栗生楽泉園を訪れた

 

草津までの道のり私は罹患者の気持ちを絶えず考えていたハンセン病について調べると「ら

い予防法」により罹患者は隔離され人権を無視された扱いを受けたことが分かった罹患者の

言葉が書かれた本ではどんなに過酷な仕打ちを受けたか他人をどれほど恨み憎んでいるか

が書かれていたその為私は無意識の内に「罹患者は全員恨みを抱いている」と勝手に思い込

んでいたしかしこんな思い込み自体が偏見や差別を生む原因になるということを後に思い知

大おお

井い

 海み

琴こと

群馬県群馬大学教育学部附属中学校 三年

忘れてはならないこと

全国人権擁護委員連合会長賞

入賞作文集 30

入賞作文

らされることになるのである

 

私を迎えてくれたのは入園者自治会長の藤田三四郎さん藤田さんは大変お元気でその容姿

からはハンセン病を伺い知ることはできなかったしかし藤田さんは紛れもない罹患者なのだ

その証拠に藤田さんの名は本名ではない罹患者は施設に入所するにあたり偽名を使用させら

れたと言うつまりその時点で罹患者は世間から存在を消されてしまうのであるそんな藤田

さんから語られた話はハンセン病だと宣告され三度も命を絶とうとしたこと重症患者の看

護を押しつけられ数え切れない人を看取り自らの手で葬ったこと家族が受けた迫害や侮辱的

な言葉など想像を絶するもので筆舌し難いものだったしかしこんな迫害と差別は同時にハ

ンセン病患者達の人権回復闘争の歴史でもあったのだ闘争の末「らい予防法」が廃止される

と今まで差別や人権侵害を繰り返していた多くの人が掌を返す様に態度を変えたと言う私は聞

いていて怒りを覚えたが不思議なことに耳を塞ぎたくなる様な内容を語る藤田さんからは全

く怒りや恨みが感じられないのだ私は話を聞くまで自分の運命を呪い周囲への恨みつらみ

の言葉が出てくるとばかり思っていたしかし出てきた言葉は「入園出来て良かった差別は

受けたが今では恨みを抱く罹患者も少なくなったそればかりか最近はたくさんの人が我々を

理解し協力してくれるので嬉しい何故なら一人の百歩は力が無いが百人の一歩

は力になるから」と言う感謝の言葉だったのだ本当に「恨みは無いのか」と何度

聞いても答えは同じだった私は恥ずかしくなったハンセン病について調べ罹

患者の心を理解したようなつもりでいながら実は何も理解できてなくてそれば

31 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

かりか罹患者を偏見の眼で見ていたのは私自身だったのだ私は話を聞いてとめ

どなく溢れ出る涙を拭いながら心の片隅に潜んでいた「偏見と言う名の種」が身

体から洗い流されていくのを感じていたそれは同時に「思い込みや無知が偏見

や差別を生みだす」ことを強く感じた瞬間でもあったそれだけに藤田さんの「自

分と同様に他人を愛すればいつか必ず世界から差別はなくなる他人を愛して下さい」の慈愛に

満ちた言葉が一層重く腑に落ちるのだった

 

帰りがけ千五百ページにも及ぶ「入所者証言集」を手渡されたその際私は見えない襷も

手渡された気がしたその襷とは証言集に記された罹患者の「事実を風化させないで私達の事

を忘れないで」という搾り出すような叫び声とその姿だったのである

 

ハンセン病が治る病気であるのに誤った知識から悲惨な人権侵害が長期に渡り続いた同じ間

違いを繰り返さないためにも事実を語りついで行く必要があるここ楽泉園でも高齢化が進み

証言者の数が減っているこれは全国一五全てのハンセン病療養所に共通することだハンセン

病問題は罹患者がいなくなればそれで終わると言う問題ではない今後人権問題を考える際重

要な指針になりうる事実なのだそしてこの事実の風化を防ぐことが私達若い世代の役目だと

私は思う

 

私は小六の時友人達から突然イジメを受けたそれを引きずり他人を恐れ憎み自分を

嫌って生きて来たしかし罹患者の声が私に生きる力と前を向いて歩む勇気を与えてくれた

楽泉園訪問は私に人生観が変わる程の衝撃を与えてくれたのだこんな私だが罹患者の声を伝

入賞作文集 32

入賞作文

える「百人の中の一人」にはなれるはず

だそのために私は今この作文を書い

ている文字は時を越えて生き続けるか

ら私はこれからも楽泉園訪問を続ける

つもりだ実際に中学生の私が出来るこ

とには限りがあるが差別や偏見を少し

でも減らすために一歩を踏み出すつもり

でいる「自分と同様に他人を愛すれば

いつか差別は無くなる」と言う藤田さ

んの言葉を胸に

33 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

 

森に囲まれたその一画には教会や寺院神社があり小さなショッピングセンターやレスト

ランもある床屋や図書館郵便局や浴場もあるしかしそれらの施設を利用するのはその一

画に住む人たちだけだ緑の外側に住む人が利用することはないそこはハンセン病の療養所

多磨全生園である

 

僕は七年前に清瀬市に引っ越してきた夏のある日昆虫が大好きな僕は何気なくその森の

中に入って行ったそして歩き回っているうちにその場所が一つの「町」であることに気付

いた

 

毎日セミやカマキリやナナフシを探しながらどうしてこんな所があるのだろうと思った

 

僕が一番不思議に思ったのは古い木造の小学校だいつも誰もいない校舎と小さな運動場近

久く

米め

 一かず

輝き

埼玉県学校法人立教学院立教新座中学校 一年

ハンセン病について考えたこと

社団法人日本新聞協会会長賞

入賞作文集 34

入賞作文

くに小学校があるのにどうしてこんな所に小学校があるのだろう小学一年生の僕はとても不思

議に思った

 

夏に地域交流を目的とした盆踊りと花火大会が行われるいつもは人のいない小学校跡は多く

の人であふれかえり普段は見かけない重い後遺症の老人たちもこの日は外に出て盆踊りを楽し

む初めて参加したときは言葉が出なかった正直「怖い」と思った

 

夏が来るたびに僕は盆踊り大会に参加した低学年から高学年へと進むにつれて少しずつハ

ンセン病のことが分かってきた

 

六年生のときに社会科見学で全生園の元患者を訪れることになっただが僕は都合で参加で

きなかった僕はそれをずっと悔やんでいる

 

今年の夏僕はハンセン病資料館に出かけた見学者は僕一人でとても緊張したなるべく

音を立てないようにパネルを見て回った

 

強制隔離の現実にとても驚いた狭い部屋に押し込められ症状の軽い患者が重症の患者の世

話をしたという子供を持つ権利や生まれる赤ん坊の命まで奪われていた逃げ出したり反抗的

な患者は「不良患者」と呼ばれ窓の小さな暗い監房に閉じ込められた

 

医学が進歩し療養所も徐々に改善されていったが強制隔離を命じる「らい予防

法」が廃止されたのは一九九六年だという隔離が始まった一九〇八年から約九〇

年も経っていた僕が生まれるほんの一年前のことである特効薬が開発され本

格的な治療が始まったのは昭和二十二年である現実に合わない法律を廃止するの

35 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

にどうしてそんなに時間がかかったのだろうか

 

資料をもらってハンセン病資料館を後にした家を出るときは帰りに虫の観察

をするつもりだったがとてもそんな気にはなれなかったいつもセミが集まる桜

の木には目もくれずに早足で家に帰った

 

資料の中で一番心が痛んだのは療養所の子供たちのことだ療養所に入所したのはハンセン

病を発症した子どもたちだけではない親が発症したために入所する子どもたちもいた当時は

ハンセン病は遺伝病だとされていたからだ親から無理やり引き離された子どもたちは「すぐに

帰れるから」という言葉を信じていたというしかし一生療養所を出ることができなかった人が

多かったという社会的な差別がひどかったからだと資料に書かれていたが僕には実感がわか

なかったのでもう少し調べてみることにした

 

図書館で『ハンセン病を生きて』(伊波敏男著)という本を見つけた少し難しかったが差

別の現実が僕にもわかる部分があったそれは元患者たちに対して書かれた匿名のひどい手紙

である長年隔離されて苦しんできた人たちをさらに傷つける言葉が並んでいた悲しく暗い

気持ちになった

 

日本は経済大国として世界の注目を浴びているだが人権意識の面ではどうだろう「らい

予防法」を二〇世紀の末まで廃止できなかったことをどう考えたらよいのだろうか明治時代に

隔離が始まったときそれは外国に対する体面を保つためだったという病気の人を治療するの

ではなく「隠す」のが目的だったのだいまだに差別意識を持つ人がいるのは社会がそうした

入賞作文集 36

入賞作文

過去に対する反省をしていないから

だと思う

 

僕が不思議に思った小学校はすで

に取り壊されて今では小さな石碑

だけが残っている老朽化がひどく

残しておくことができなくなったか

らだという全生園の古い建物はど

んどん取り壊されていく石碑だけ

ではあの不思議さが伝わらないのが

とても残念だ

37 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

 

僕の曾祖父は医者嫌いでしたそのため腹痛で病院に運ばれた時は膵臓癌の末期で余命三ヶ

月でした手術もできない手遅れの状態でした家族皆で話し合い曾祖父の辛い気持ちを第一に

考え曾祖父に病を隠すことになりました曾祖父は次第に病院の中を歩いては転倒し体中あ

ざだらけになりベッドの上で縛られることになっていました曾祖父は病名の宣告を受けてい

ないため元気で歩けると思っているが実際歩くと転んでしまう何でこんな風になってしまっ

たのかさえわからない

 

家族と病院に行くと「包丁もてこいこれぶった切って家さ帰る」と騒いでいましたあん

なに優しかった曾祖父の姿に言葉も出ず恐いくらいでした何も知らされずベッドに縛り付

けられれば誰もがそうなることでしょう「じいちゃんどご一緒に車さのせでいてくれの」と

櫻さくらだ田

 要かな

太た

山形県酒田市立松山中学校 三年

日本放送協会会長賞

悔いのない最期を

入賞作文集 38

入賞作文

せがまれたときもありますかわいそうで涙がポロポロこぼれました「おじいちゃんどご家

さ連れで帰ろうよ」とせがんでも家族も仕事で忙しいためか誰も首を縦に振ってくれず病院

にいた方が安心ということになりました膵臓癌は予想以上に激しい痛みのため医師から強い

痛み止めと強い睡眠剤を勧められましたがそれを導入することにより安楽死に近い状況にな

ることも医師から告げられていました家族は決断をせまられました曾祖父に相談もせずに決

めていいことなのか家に帰りたい曾祖父の意志は封じ込められたままでいいのか家族で悩み

ました結局痛みに耐えている姿は見ていられなくその薬を使うことになりましたその後

曾祖父は次第に弱っていき口も利けなくなり静かに亡くなっていきました僕はどこか心を

引きずったままでした僕達家族が曾祖父に宣告もせず意見も聞かず命の長さを決めてしまっ

たこと当時幼かった僕には何もしてあげられなかったことが今思い出しても残念です

 

最近授業で人権について学習しているときに幼い頃の記憶がよみがえりふと曾祖父のこと

を思い出しました

 

曾祖父はどんな思いで亡くなったのだろう最後に意識のあるうちに一度でいいから家に帰っ

てきたかっただろう身体拘束は今は病院でも禁止されていると思いますがあの頃は確かに曾

祖父のおなかに黒いベルトのようなものが巻きついていました決して自分の力で

は外せないようなものでしたもがき苦しむ曾祖父の姿を見た時に看護師さんに

目を隠され別の部屋に連れて行かれました見せたくない光景だったのだと思いま

すでもあの姿は僕の脳裏に焼き付いています病院の中での人材不足のためだっ

39 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

たのでしょうか人が人らしく生きていない姿でした

 

七十八年生きてきて何も悪いことをしていないのに縛られ家にも帰れない

病気で余命幾ばくもない人には人権というものは存在しないのでしょうか最近の

医療の現場では自己決定権があることについて学びました

 

仏壇に向かい静かに目を閉じると優しく穏やかに微笑む曾祖父の笑顔が浮かびますどんな

気持ちで亡くなっていったのかその気持ちを考えると苦しい気持ちになります野球の大会に

行く前仏壇に手を合わせます「やればできる努力しろ」とよく励ましてくれました曾祖

父の力には何もなれなかったけれど目には見えない力で応援してくれる曾祖父に線香をあげて

自分を省みる時があります曾祖母が元気なので曾祖父を助けられなかった分曾祖母の力に

なっていくことを曾祖父に約束しています

 

夏休み中のニュースで高齢者の所在不明者が多数のため百歳以上の安否確認調査をしていま

した自分の親を平気で捨て遺骨さえもひきとらない亡くなっていたのに年金を不正受給する

ために隠していたなど耳をふさぎたくなるような事件もありました犬や猫が年をとって弱っ

てきた手がかかるから面倒だからと捨ててしまうそれと同じ現象が弱い高齢者にも及んでき

ているのだと思います

 

やはりこの世に生まれてきたもの全てに自分の意志で生きることを決めていける権利がある

と思います長い年月を苦労や努力と向き合いながら精一杯生きてくれたおかげで今の幸せが

あることを忘れずにいたい人はいずれ誰でも年をとります自由に動けなくなった時に自分の

入賞作文集 40

入賞作文

願いが叶う社会を築き「悔いなく満足で楽しく幸せな人生だった」と思えるように人とし

ての誇りを持って満足できる最期を迎えられるように考えていきたいもう二度と僕が見た自

己決定権のない社会にならないように高齢者には今までの感謝の気持ちで本人の希望をでき

るだけ叶えられるように努力していきたいいずれ僕達も迎える高齢社会だからhellip

41 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

 

私は小学六年生の時から盲導犬候補の子犬を育てるボランティアをしています「犬を飼っ

てみたい」と言う私に両親が「せっかく犬を飼うのなら社会に役立つことをしよう」と提案

したからです生後二ヵ月の子犬を預かり一歳の誕生日を迎えるまで世話をするのがボランティ

アの役目です初めて訓練士さんから子犬を手渡された時は不安でドキドキしましたが子犬は

すぐに私の腕の中で眠ってしまいました初めて会った私のことを信頼して安心しきった寝顔

で眠っている姿は本当に可愛かったですラブラドールの子犬はとてもやんちゃで私の家にやっ

て来たその日からいたずらばかりしていましたがしかられてもクヨクヨせずどんな相手にも

 林はやし

 里り

咲さ

東京都小平市立小平第六中学校 三年

差別のない社会に

(パピーウォーカーの経験から学んだこと)

法務事務次官賞

入賞作文集 42

入賞作文

フレンドリーに近づいていく姿から私は明るく前向きに生きることを教わりました子犬たち

と過ごした日々は私にとって一番の宝物ですそしてあっという間に一歳の誕生日がやって来ま

した誕生日が悲しいという経験は初めてでした訓練所への入所日の前日には長い長い散歩を

して最後のお別れをしました「今までありがとう」そう言った私のことを不思議そうに見てい

た子犬の顔が今も目に焼きついています別れは本当につらいけれど涙を見せたら子犬が心配す

るので頑張って笑顔で見送りました

 

私の家で育てた一頭目の子犬は現在盲導犬になって頑張っていますそして今年四月に巣立っ

ていった二頭目の子犬は神奈川にある訓練センターで訓練中です

 

このボランティアを通して私は多くのことを学びましたまず盲導犬の役割ですがこれは単

に目の不自由な方が便利に一人でどこへでも行けるようにするためだけではありません視覚障

がいのある方にとって人の手をわずらわせるのはとてもつらいことなのだそうですたとえ家

族に対してでも「迷惑をかけるのではないか」と思って我慢することが多く「私なんかいない

方がいいんじゃないか」と考えてしまうこともあったといいますその失われそうになった尊

厳を取り戻す手助けをするのが盲導犬の役目なのです犬は訓練を共にするパートナーのことを

大好きになるので「自分は他者からこんなにも大好きになってもらえる存在なん

だ」と気づいて自信を取り戻し新しい一歩を踏み出せるようになるのだそうです

 

また私がボランティア登録している日本盲導犬協会では二〇〇八年に新しい

試みが始まりました受刑者が盲導犬候補の子犬を育てる動物を介在した日本初

43 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

の教育プログラムです罪を犯した人も心から反省してきちんと罪を償えば社会

は差別することなく受け入れるべきですしかし実際はとても偏見が多く元受刑

者たちは「どうせ自分はだめな人間なんだ」と思い再び罪を犯してしまう悪循環

が起こっているそうですその悪循環を断ち切り受刑者たちがスムーズに社会復

帰を果たせるよう支援するのが「あさひ盲導犬パピープロジェクト」です受刑者たちは約十ヵ

月の間子犬たちを世話しながら一緒に過ごし「役に立つ喜び達成する喜び信頼される喜び」

を感じることで自分の価値を再確認するのだそうです今年一月に第一期のプロジェクトを修了

した受刑者の感想に次のようなものがありました

 「今後自分もパピーに笑われないようにきちんとしなければならないパピーは慈しむこと

寛容の心を教えてくれました」

 

犬は決して差別をしません健康な人にも障がいのある人にもお金持ちにも貧しい人にも

権力のある人にも犯罪を犯した人にも全く同じように接してくれますそんな犬たちと一緒に過

ごすことで自信をなくした人たちも自分のことをかけがえのない大切な存在であると思えるよ

うになるのです

 

私たち人間も差別のない社会をつくる努力をしなければならないと思います一人一人が相

手を大切に思う心を忘れなければこの社会はもっと住み良い場所になるはずです私はこのボ

ランティアを通して学んだことを生かしてこれからも一層努力していきたいと思います

入賞作文集 44

入賞作文

45 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

 

僕は祖父のために自助具を作ろうと思った祖父は去年の夏脳梗塞で倒れた祖父は一命

を取り留めたものの右手と右足がまひしてしまったのだその三週間前僕も車椅子から転倒し

て足を骨折した

 

僕には障害がある車椅子で生活することが多いしかし僕のことを障害者だといって差別

するような友達は一人もいない

 

祖父は歩けるようになりたいという気持ちが強かっただからリハビリを頑張り自分で

歩けるようになるまで回復した頑張っている祖父がかっこいいと僕は思った祖父はリハビ

リを頑張ったにも関わらず右手がうまく動かせなくなってしまっただからご飯を食べる時も

服を着替える時も時間がかかる普段何気なくやっていた動作がとても大変だと祖父は言ってい

守もり

田た

 幸こう

平へい

静岡県静岡大学教育学部附属浜松中学校 三年

祖父への靴下

法務事務次官賞

入賞作文集 46

入賞作文

た僕も何か役に立てることはないかと考えた

 

僕の学校には総合学習という授業があるそこで僕は福祉というカテゴリーを選んだ自

分で社会に役立てることを考え実際に行動することが目標だった僕は障害者のために何が

できるかを考えた

 

僕は二年前に静岡文化芸術大学で障害者がいかに日常生活で不自由のない生活ができるかを

考えるプロジェクトがあるのを新聞で知ったそれは大学生たちが個人個人にあった自助具を

作るプロジェクトだった僕は障害者のために何かできるのではと感じた

 

僕は静岡文化芸術大学へ行って僕にもできることがないかと聞いたすると学生さんが

自助具を作ってみないかと声をかけてくれた僕は迷わず「はい」と言った障害者のために

役に立てることがあると思うとすばらしいことだと思ったからだ

 

祖父のつらい顔を見ると日常生活に数々の大きな壁があることが伝わってくる

 

僕は祖父の数々の大きな壁を突き破ろうと思った祖父のために自助具を考え作ろうと僕

は思った祖父が靴下の脱ぎ履きが大変だと言っていたことを思い出したそこで脱ぎ履きし

やすい靴下はできないか考えた靴下の両脇にひもを取り付けてそれを引っ張ると靴下が縮み

脱ぎ履きしやすくなる仕組みだ大学の先生も良いアイディアだと言って褒めてく

れたこれは障害者だけでなく健常者にも使えると言われたユニバーサルデザ

インだと分かった

 

ユニバーサルデザインは年齢や障害の有無にかかわらず全ての人が使いやす

47 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

いように工夫された用具などのデザインである境界がなくなるように健常者が障

害者に対する偏見を考え差別意識がなくなるチャンスだと思った障害者と健常

者が共によりよく生きることが大切だと僕は思った

 

自助具の作品展では杖をついているお年寄り車椅子に乗った若い女性目の

見えない人福祉関係者など沢山の人々が観に来ていた皆自分の生活を良くしようと思っ

ているようだったまた障害者のためにできることは何だろうかと考えている健常者もいるよ

うだった

 

二年生の時の総合学習では二箇所のデイサービスを訪問したデイサービスには六十五歳以

上のお年寄りがいた暗く元気のない人明るく振る舞い誰とでも話せる人など様々だった

しかし僕が一番印象に残ったのは笑顔を絶やさず優しくお年寄りに接していた介護士だった

お年寄りの中には悩みを抱えている人が多いそうだその悩みを解消させる人もまた介護士だっ

た僕は介護士がお年寄りの体を支えるだけではなく心もそっと支えて生きる喜びを与え

ているのだと感じた

 

現代は三世代で暮らす家族が減り核家族が増えているそれはお年寄りの世話が大変だ

からという理由が多いだから老人ホームやデイサービスに預ける人が増えていると僕には

思えたお年寄りの中には自分が嫌われているのではないかとさえ思ってしまう人もいるそう

だそれはお年寄りにとって辛く悲しいことだと思うある介護士がこんなことをおっしゃっ

ていた「人の優しさはお金では買えない」誰にでも優しい心があると思うしかしあと一歩

入賞作文集 48

入賞作文

のところで行動に移すことができない人が多いの

だ僕たちが平和な社会で暮らせるのは今まで

頑張ってきてくれたお年寄りのお陰であることを

忘れてはいけないお年寄りを大切にすることは

当たり前のことなのだ

 

また障害者に対しても偏見の目で見ないで

そっと近づいて手を貸してあげれば健常者との

高い大きな壁を崩すことができると思う

 

障害者にも高齢者にもまた健常者にも人権

はあるお互いの人権を大切にすることが明る

い未来に繋がっていくのだと思う

 

早く祖父に僕の作った靴下を届けたい

49 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

 

僕は小学校六年生まで福岡県に住んでいましたそこで僕が体験したことです五年生のこ

ろ僕の友だちのA君が同級生のK君の靴を隠したりからかったりしていることがよくあり

ました最初は僕もあまり気にしていませんでしたがK君のことを「なんだかかわいそう」と

思うようになりました

 

ある日僕は勇気をだして先生に「K君がいじめにあっています」と報告しました初め先生は

「じゃれ合っているだけだろう」と「いじめ」とは思ってくれませんでしたでもその後「いじ

め」と分かりA君は先生に注意されその日一日は反省した様子で過ごしていましたしかし

次の日学校に行くといじめは前以上にエスカレートしていて蹴ったりたたいたりするように

なりましたしかも「死ね」「うざい」「消えろ」などの言葉が飛び交うようになりそんな日々

法務事務次官賞

浦うら

谷たに

 毅たける

徳島県三好市立池田中学校 三年

いじめをなくすために今

入賞作文集 50

入賞作文

が続きました

 

それは六年生になっても続きました僕はそのいじめを止めることができず毎日見て見ぬ

振りをしていました今思うと自分がとても恥ずかしいです本当の友達なら止めるべきなの

にそれだけではなくいじめられているK君に声一つかけることができずにいました心の中

ではA君に「やめろよ」と言おうと思っていたけどなぜか勇気が出ませんでした次にい

じめられるのが自分になるのが恐くて言えなかったのです

 

そんな日々が続く中僕の気持ちを大きく変える出来事がありました父の死ですそのとき

のことは今でも忘れることができません聞いたときには頭の中が真っ白になりました最初

は信じることができませんでした一週間も二週間も学校に行けずただぼーっと過ごしてい

ましたいろんなことを考え徐々に「死」というものの悲しさつらさ「死」という意味の

重さがわかってきましたそして時間はかかりましたが「命は一瞬にして消え二度と戻っ

てこないものだだから命を大切に今を大切にしなければならない」と深く受け止めることが

できるようになりましたそして周りの子たちは僕のような経験がないから「死ね」とか軽々

しく言えるのだろうと思いこの気持ちを伝えなくてはならないと考えました僕が強くならな

くてはと思いました

 

こんな気持ちになったとき僕には時間がありませんでした母の実家がある徳

島への引っ越しが一週間後に決まっていたのです落ち込んでいる暇は無いと思

い学校に行った僕はA君に言いました「いじめなんかやめろよいじめたって

51 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

喜ぶ人はいないし悲しむ人がいるだけだろ自分だってほんとは嫌だろ『死ね』

とか『消えろ』とか言葉の重さを知らないのに言うなよ」と言いました父親の

突然の死そのあと僕が考えたことも伝えました

 

友だちは黙って聞いてくれました僕の言葉にうなずいてそのあとK君の

ところへ行き「ごめん言葉の重さも知らずに言って本当にごめんぜったいに死ねなんて

ことは言わないそしていじめは絶対にしないほんとうにごめん」とあやまりましたK君

はとても優しい笑顔で「いいよ」と一言言いました僕もK君に言いました

「今まで助けてあげられなくてごめん」

K君は笑顔で「ありがとう」と言ってくれました今まで自分の中でもやもやしていた気持ちが

スーっと晴れました

 

今も時々耳にする暴言冗談半分で言っているのかもしれませんしかしいついじめにつ

ながるかわかりません他人を傷つけることで自分のストレスを晴らそうとしているのでしょう

関係ないふりをしようとする自分がいます楽な考え方をする自分がいますそんな時亡くなっ

た父の顔やK君の優しい笑顔を思い出しますあの時の自分のように強い気持ちを持とう「や

めろよ」と一言言うするとまた気持ちがスーっとしてきました

 

父の分も頑張って生き抜こうと決めた僕にとって正しいことを素直に認め悪いことを否定

できる強い意志を持つことが目標ですそして何よりも命を大切に今を大切にしていきたい

と思っています

入賞作文集 52

入賞作文

53 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

 

ぼくは今まで四つの外国に暮らしいろいろな国の人たちの中で育ってきた

 

まずタイで生まれてタイ人のメイドさんやドライバーさんにいつも遊んでもらっていた

らしい一才になると週一回の体操教室にも通いタイ人の友達もいたそうだ

 

次にシンガポールでは初めてナサリースクール(保育園)に通いいろいろな国の友達と

知り合ったプレイルームにある滑り台を滑る順番争いでいつも勝つのは体の大きい金髪の友

達だった

 

一回目の香港生活では英語の幼稚園に通ったその時のぼくの一番の友達はカナダ人だった

彼とはよくベイブレードをして遊んだが父が日本の出張で買ってきてくれた独楽や剣玉をして

遊ぶこともあった

村むら

瀬せ

 広ひろ

高たか

香港日本人学校中学部 二年

国境をこえて

海 外 作 品

今回は本選への応募とすることはできませんでしたが

 海外から寄せられた作品のうち一作品を御紹介します

入賞作文集 54

海外作品

 

それからインドでは日本人学校に通ったが夏休みには毎年アメリカンスクールのサマー

スクールに参加したし日本人のいない現地のテニススクールにも入り二年間通ったまたイ

ンドの現地幼稚園に通っていた妹のベストフレンドはコンゴ人でその兄弟もぼくの友達だった

 

そして三年間の日本生活を経て今また香港に戻ってきた

 

このようにぼくはいろいろな国でいろいろな国の人たちのお世話になりいろいろな国

の友達と遊んで育った肌が真っ黒な友達もゲームの話をすればすぐに仲良くなれたし髪が

金色の友達もポケモンの話をすれば気が合ったぼくは小さい頃から英語はうまくしゃべれ

なかったけれどもジェスチャーをつけたでたらめ英語でも充分に話は通じただからいろい

ろな国の人たちの中でぼくが日本人だからといって差別されたり嫌な思いをしたりしたこと

はないしぼくも肌の色が違うからとか言葉が通じないからという理由で違う人間だと思っ

たことはないそうぼくは外国人を差別したことはない

 

しかし本当にぼくは外国人を差別したことがないのだろうか外国人を差別した発言を一

度もしたことがないかと考えると自信がない

 

例えば香港人には赤信号でも平気で渡る人がたくさんいるそれを見てぼくは

「香港人はしょうがないな」

と思うでもよく見ると香港人全員が信号無視をしているわけではないまた

世界には今でも戦争をしている国がいくつもある

「人を傷つけ合うなんて馬鹿げている」

55 第30回全国中学生人権作文コンテスト

海外作品

とぼくは悲しくなるでもそれも好きで戦っている人がいるとも思えないその

人たちがそうなったのには何かきっと原因があるはずだ

 

逆に外国人から見ると日本人はどのように思われているのだろう

 

インドから日本に帰国した時毎日ごみがたくさん出ることにぼくはとても驚

いたインドの人たちがよく使う道端にあるカレー屋さんではバナナの葉で作ったお皿にカ

レーを入れてくれる食べた後そのお皿を道に捨てるとのら牛がその葉っぱを食べるそして

牛のふんは燃料になるというそれに比べて日本はちょっと歩くとペットボトルの飲み物が

買えファーストフードのお店では使い捨ての食器を使い立派なお菓子の箱を開けると中身が

少なくてがっかりすることもあるある時母が捨てたジャムの空きびんをメイドさんとエア

コンの修理にきていたワーカーさんとが取り合ってけんかをしていたこともあったそれを見

てぼくはあきれてしまったが逆にインド人から見ると使い捨て文化のしみついた日本人は

とんでもない人間にみえるのかもしれない国によって考え方や行動パターンが違うのは歴史

的背景や宗教習慣気候などのいろいろなことが関わっているのだと思う

 

このように考えると差別とはその人の一部しか見ていないことや自分のやり方だけが正

しいと思うことからおきるのではないかと思うその人が自分とは違った行動をとったとしても

それには深い理由があるのだろうと考えればきっと納得できると思うぼくもこれからは否

定的な発言をする前にその人たちのことをいろいろな角度から見て理解する努力をしてみよう

と思う外国との間には自分の国とは違う言葉や文化という壁があるとみんな言うがそこに

入賞作文集 56

海外作品

あるのは壁ではなく橋だとぼくは思う理解

し合おうという気持ちがあればきっと誰でも

その橋を渡っていけるはずだ気持ちの国境を

こえるのにパスポートはいらないお互いを理

解し合おうと思う気持ちが一番大切だと思う

そしてぼくはこれから日本人として生きる

のではなく地球人として生きていこうと思う

57 第30回全国中学生人権作文コンテスト

海外作品

法務局地方法務局名 郵便番号 所  在  地 電  話

金沢地方法務局人権擁護課920-0024 金沢市西念3-4-1金沢駅西合同庁舎(平成23年3月11日まで) 076-231-1244

921-8505 金沢市新神田4-3-10金沢新神田合同庁舎(平成23年3月14日から) 076-292-7804

富山地方法務局人権擁護課 930-0856 富山市牛島新町11番7号富山合同庁舎 076-441-6376

大阪法務局人権擁護部 540-8544 大阪市中央区谷町2丁目1番17号大阪第2法務合同庁舎 06-6942-9492

京都地方法務局人権擁護課 602-8577 京都市上京区荒神口通河原町東入上生洲町197番地 075-231-0131

神戸地方法務局人権擁護課 650-0042 神戸市中央区波止場町1番1号神戸第2地方合同庁舎 078-392-1821

奈良地方法務局人権擁護課 630-8305 奈良市東紀寺町3-4-1奈良第2法務総合庁舎 0742-23-5457

大津地方法務局人権擁護課 520-8516 大津市御陵町3番6号大津法務総合庁舎 077-522-4673

和歌山地方法務局人権擁護課 640-8552 和歌山市二番丁2番地和歌山地方合同庁舎 073-422-5131

広島法務局人権擁護部 730-8536 広島市中区上八丁堀6番30号広島合同庁舎 082-228-5790

山口地方法務局人権擁護課 753-8577 山口市中河原町6番16号山口地方合同庁舎2号館 083-922-2295

岡山地方法務局人権擁護課 700-8616 岡山市北区南方1丁目3番58号 086-224-5761

鳥取地方法務局人権擁護課 680-0011 鳥取市東町2丁目302番地鳥取第2地方合同庁舎 0857-22-2289

松江地方法務局人権擁護課 690-0886 松江市母衣町50番地松江法務合同庁舎 0852-32-4260

高松法務局人権擁護部 761-8077 高松市出作町585-4 087-815-5311

徳島地方法務局人権擁護課 770-8512 徳島市徳島町城内6番地6徳島地方合同庁舎 088-622-4171

高知地方法務局人権擁護課 780-8509 高知市栄田町2丁目2番10号高知よさこい咲都合同庁舎 088-822-3331

松山地方法務局人権擁護課 790-8505 松山市宮田町188番地6松山地方合同庁舎 089-932-0888

福岡法務局人権擁護部 814-0005 福岡市早良区祖原14-15福岡法務局西新出張所庁舎5階 092-832-4311

佐賀地方法務局人権擁護課 840-0041 佐賀市城内2丁目10番20号佐賀合同庁舎 0952-26-2148

長崎地方法務局人権擁護課 850-8507 長崎市万才町8番16号 095-826-8127大分地方法務局人権擁護課 870-8513 大分市荷揚町7番5号大分法務総合庁舎 097-532-3368

熊本地方法務局人権擁護課 862-0971 熊本市大江3丁目1番53号熊本第2合同庁舎 096-364-2145

鹿児島地方法務局人権擁護課 890-8518 鹿児島市鴨池新町1番2号 099-259-0684宮崎地方法務局人権擁護課 880-8513 宮崎市別府町1番1号宮崎法務総合庁舎 0985-22-5124

那覇地方法務局人権擁護課 900-8544 那覇市樋川1丁目15番15号那覇第1地方合同庁舎 098-854-1215

入賞作文集 58

問合せ先一覧

法務局地方法務局名 郵便番号 所  在  地 電  話

札幌法務局人権擁護部 060-0808 札幌市北区北8条西2丁目1番1札幌第1合同庁舎 011-709-2311

函館地方法務局人権擁護課 040-8533 函館市新川町25番18号函館地方合同庁舎 0138-23-9528

旭川地方法務局人権擁護課 078-8502 旭川市宮前通東4155番31旭川合同庁舎 0166-38-1114

釧路地方法務局人権擁護課 085-8522 釧路市幸町10丁目3番地釧路地方合同庁舎 0154-31-5014

仙台法務局人権擁護部 980-8601 仙台市青葉区春日町7番25号仙台第3法務総合庁舎 022-225-5739

福島地方法務局人権擁護課 960-8021 福島市霞町1番46号福島合同庁舎 024-534-1994

山形地方法務局人権擁護課 990-0041 山形市緑町1丁目5番48号山形地方合同庁舎 023-625-1321

盛岡地方法務局人権擁護課 020-0023 盛岡市内丸7番25号盛岡合同庁舎 019-624-9859秋田地方法務局人権擁護課 010-0951 秋田市山王7丁目1番3号 018-862-6533

青森地方法務局人権擁護課 030-8511 青森市長島1丁目3番5号青森第二合同庁舎 017-776-9024

東京法務局人権擁護部 102-8225 千代田区九段南1丁目1番15号九段第2合同庁舎 03-5213-1234

横浜地方法務局人権擁護課 231-8411 横浜市中区北仲通5丁目57番地横浜第2合同庁舎 045-641-7926

さいたま地方法務局人権擁護課 338-8513 さいたま市中央区下落合5-12-1さいたま第二法務総合庁舎 048-859-3507

千葉地方法務局人権擁護課 260-8518 千葉市中央区中央港1丁目11番3号千葉地方合同庁舎 043-302-1319

水戸地方法務局人権擁護課 310-0061 水戸市北見町1番1号水戸地方法務合同庁舎 029-227-9919

宇都宮地方法務局人権擁護課 320-8515 宇都宮市小幡2丁目1番11号宇都宮地方法務合同庁舎 028-623-0926

前橋地方法務局人権擁護課 371-8535 前橋市大手町2丁目10番5号前橋合同庁舎 027-221-4426

静岡地方法務局人権擁護課 420-8650 静岡市葵区追手町9番50号静岡地方合同庁舎 054-254-3555

甲府地方法務局人権擁護課 400-8520 甲府市北口1丁目2番19号甲府地方合同庁舎 055-252-7239

長野地方法務局人権擁護課 380-0846 長野市旭町1108番地長野第2合同庁舎 026-235-6634

新潟地方法務局人権擁護課 951-8504 新潟市中央区西大畑町5191番地新潟地方法務総合庁舎 025-222-1564

名古屋法務局人権擁護部 460-8513 名古屋市中区三の丸2丁目2番1号名古屋合同庁舎第1号館 052-952-8111

津地方法務局人権擁護課 514-8503 津市丸之内26番8号津合同庁舎 059-228-4193岐阜地方法務局人権擁護課 500-8729 岐阜市金竜町5丁目13番地 058-245-3181

福井地方法務局人権擁護課 910-8504 福井市春山1丁目1番54号福井春山合同庁舎 0776-22-5090

問合せ先一覧 (法務局地方法務局)

59 第30回全国中学生人権作文コンテスト

問合せ先一覧

世界人権宣言啓発書画「鳥」「自由と解放」を表わしたもの 小木太法書オタビオロス画(財)人権擁護協力会提供

入賞作文集 60

すべての人間は生まれながらにして

自由でありかつ尊厳と権利とに

ついて平等である人間は理性と

良心とを授けられており互いに同胞の

精神をもって行動しなければならない

―――

世界人権宣言 第一条

―――

第三〇回

 全国中学生人権作文コンテスト

中央大会表彰式

印  刷 平成23年1月25日

発  行 平成23年2月14日

発 行 者 法務省人権擁護局

全国人権擁護委員連合会

東京都千代田区霞が関一丁目1番1号

電話 03(3580)4111 内線5875

URL httpwwwmojgojpJINKEN

第30回全国中学生人権作文コンテスト中央大会審査員

感想をお聞かせください本作文集を読まれた感想等を下記の連絡先又はkeihatsumojgojpまでお寄せください

無断転載を禁じます本作文集に掲載された作文や写真等を地方自治体が広報誌に掲載したり学校が教材に使用される場合などにはあらかじめ下記に御連絡ください

100-8977 東京都千代田区霞が関一丁目1番1号 法務省人権擁護局人権啓発課 TEL03(3580)4111 内線5875

作  家(審査員長) 落 合 恵 子映画監督 山 田 洋 次社団法人日本新聞協会事務局長 川 嶋   明日本放送協会解説委員室解説委員 南   直 樹文部科学省初等中等教育局視学官 三 好 仁 司全国人権擁護委員連合会長 中 村 浩 紹法務省人権擁護局長   井 忠 雄

(敬称略)

【式次第】

第一部

 会

主催者あいさつ

賞状授与

内閣総理大臣賞法務大臣賞

文部科学大臣奨励賞法務副大臣賞

法務大臣政務官賞

全国人権擁護委員連合会長賞

社団法人日本新聞協会会長賞

日本放送協会会長賞(以上各一名)

法務事務次官賞(三名) 計一一名

学校への感謝状贈呈

高円宮妃殿下おことば

来賓祝辞

第二部

各受賞作文の朗読

内閣総理大臣賞法務大臣賞

文部科学大臣奨励賞

全国人権擁護委員連合会長賞

社団法人日本新聞協会会長賞

日本放送協会会長賞

 評

全国中学生人権作文コンテスト中央大会審査員

 山田洋次氏

 落合恵子氏(ビデオレター形式)

第三部

新垣勉さんコンサート

 会 平成二二年一二月一八日(土)

午後一時三〇分〜三時五〇分

於ニッショーホール

「いじめ」や暴力行為等は人権侵害です

法務局地方法務局では

人権侵害による被害を受けた方を

救済するための活動を行っています

お気軽にご相談ください

女性の人権ホットライン

インターネット人権相談受付窓口

ゼロナナゼロのハートライン

0570-070-810

子どもの人権110番ぜろぜろななのひゃくとおばん

 0120-007-110

パソコンから httpwwwmojgojpJINKENjinken113html携帯電話から httpwwwjinkengojpsoudanmobile001html

インターネット人権相談 検 索

Human Rights法務省人権擁護局全国人権擁護委員連合会

人権イメージキャラクター人KENあゆみちゃん人KENまもる君

全国共通通話料無料

全国共通ナビダイヤル

この冊子は環境保護印刷の「水なし印刷」で印刷されています

第30回全国中学生人権作文コンテスト入賞作文集

法務省人権擁護局全国人権擁護委員連合会

人権イメージキャラクター人KENまもる君人KENあゆみちゃん

この冊子には音声コードが各頁(奇数頁 左下偶数頁 右下)に印刷されています専用の読み上げ装置で読み取ると記録されている情報を音声で聞くことが出来ます

Human Rights法務省人権擁護局全国人権擁護委員連合会

 全国中学生人権作文コンテスト入賞作文集

 全国中学生人権作文コンテスト入賞作文集

第30回

 

十五年前父が篠山の町中を歩いているとこう言われた「そんな棒きれ振り回さんといて」

と父は決して棒きれを振り回していた訳ではないただ白杖を持って歩いていただけだそ

の話を聞いて私は驚いたたった十五年前のことだけど信じられない気持ちでいっぱいになっ

ただが十五年経った今ではそんなことはないだろうマスメディアが発達しいろんなハン

ディを持った人のことが紹介されたり障がい者の方自身が社会参加する機会が増えたからだと

 

そしてこんな話も聞いたことがある電車に乗った時に時間が知りたくて携帯電話を開い

たときのことだ「こんなとこで電話したらアカンやろ」と中年のおばさんに怒鳴られたそうだ

優先座席の近くだったということもあるが『目の不自由な人=白杖を持っている』という認識

は広まってきているが時間を知りたいときには音声が出る時計や携帯電話を使うということは

法務大臣賞

辻つじ

本もと

 桃もも

佳か

兵庫県篠山市立西紀中学校 三年

少しずつhellip一歩ずつhellip

入賞作文集 14

入賞作文

ほとんど知られていないのだそのとき父は説明しようと思ったがどうせ分かってもらえな

いと思い「すみません」と謝りとても悲しい気持ちになったそうだ見えている人は時間

が知りたければ時計を見ればすぐに分かるだが目が不自由だと音で聞くしかないのだ私は

障がい者が暮らしやすいような機器が発達してきていることをもっと社会に広めていくことが

必要だと思うそうすることで協力してくれる人や理解してくれる人が増えていくのではな

いだろうか

 

視覚障がい者の方が日常生活を送る上で給付や貸与される機器がある音声で教えてくれる

時計や体重計文章読み上げ器などがそれだこれらは以前県の基準で市が実施要綱を定めて

そこが窓口となって行われていたが法改正により各市区町村対応となったしかしこの日

常生活用具の中に健常な家族と同居している視覚障がい者には給付してもらえない物もあるの

だそれは体温計や体重計であったりするこの体温計がなければ家族が出かけている間に

体調が悪くなっても計測することはできないのだ

 

父の知り合いに赤ちゃんを連れた全盲のお母さんがいる体温を計るのに複数の体温計で赤

ちゃんの体温を計りその体温計に印をつけて病院まで持っていって見てもらったり家族が帰っ

てくるのを待って見てもらうことがあるそうだ私たちは簡単に体温を計ること

ができるが見えない人たちはそれができないために生命の危険にさらされてしま

うことがあるのだせっかく便利な機器が発明されても値段が高くて簡単に購

入できないもしくは制度のカベによってそのサービスが受けられないことがあ

15 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

るしかし私の住む篠山市では父たちの声が福祉課の方々に届き日本で初めて

音声式体温計が同居家族の有無にかかわらず給付されるようになったのである

 

今は携帯電話が音声で読み上げてくれてメールや時間GPSなどの便利な

機能を視覚障がい者の方も利用できるようになっただがそのことを知っている

健常者の方は全国にどれくらいいるだろうかまたこのことを知っている当事者である視覚障

がい者の方が全国にどのくらいいるだろうか私はまだ知らない人が多いと思う

 

ここ十五年程で視覚障がい者の人は白杖をついているということはほぼ知られてきたが生

活を助ける機器が発達してきているということは知らない人も多いだろうそれが「あの人は

目が動いているから見えている」とか「あの人はずっと目をつぶっているから見えていない」

「物を避けているから見えている」「物にぶつかっているから見えていない」という勝手な

思い込みで障がいの重さをはかることにつながっているのではないだろうかでもそれは間違っ

ている目を閉じれば視覚障がい者の疑似体験はできるでもそれはあくまでも体験であって

個人個人の見え方はそれぞれ違うし外見や行動で障がいの重度を判断するのは良くないと私は

思う同じような見え方ができたとしても全く同じ動きなんてできる訳ないのだから毎日父

と生活していてもどのくらい見えているのか私にもはっきり分からないなにげに父たちがこな

している日常の動作であっても私たち健常者にははかりしれない恐怖と不安努力があるの

だ誰でも目をつぶれば見えない世界を体験した気になる松葉杖をつけばその体験をした気

になる車イスに乗ればその体験をした気になるだが本当の障がい者の苦悩と努力の一部

入賞作文集 16

入賞作文

しか体験していないことを知ってお

いてほしい私たちには当たり前に

できるようなことがあってもどん

なに望んでもできない人たちがいる

ということとみんなの正しい理解と

知識が障がい者の明るい未来へとつ

ながっていくということを知ってほ

しいそしてこのことを広めていか

なければならない

 「少しずつhellip一歩ずつhellip」

17 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

 「Pick your 

head up」

 

これは父がいつも私にかけてくれる魔法の言葉です

 「顔をあげなさい下を向かない」という意味です

 

私の父は生まれも育ちもニューヨークのアメリカ人です女の子は父親に似るとよく言われ

ますが私もそうで日本人の母親よりも父の方に髪質も肌の色も本当によく似ています子供

が親に似ることはあたりまえのことですが私はそのためにいやな思い悲しい思いをいくどと

なくしてきました

 

初めて自分がみんなとちがうんだなと思ったのは幼稚園に入学してまもなくのことでした同

じ組の女の子たちが何人かして楽しそうに遊んでいたので

ローリンズ リコ

福島県福島市立渡利中学校 一年

「差別のない世界へ」

文部科学大臣奨励賞

入賞作文集 18

入賞作文

 「まぜて」

と声をかけると一人の子が言いました

 「このグループは日本人で髪がまっすぐな人しか入れないのリコちゃんは髪がチリチリだし

ハーフだからダメ」と

 

私はとても悲しくなりましたそしてそれは卒園するまで続きました

 

小学校は人数も少なかったせいかみんなとても仲良くて私の外見のことを言う人はだれ一

人いませんでしたまるで兄弟のようにみんな自然に接してくれましたでも習い事やいろい

ろな大会など他校の子たちといっしょになる場面ではやはり髪の毛や肌のことをからかわれ

ることはよくあることでした私には二学年上の兄がいますが兄もやはり父の方に似ています

おだやかな性格の兄は私以上につらい思いをしてきたと思います

 

父は兄や私の話を聞くたびに

 「Pick your 

head up」

と言いましたそして

 「自分に自信とほこりをもちなさいあなたたちは二つの文化を受けついでそれはとてもす

ばらしいことなんだよ」

といつも話してくれました

 

中学に入って間もないころでしたある男の子がいきなり私に向かって言いまし

19 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

 「おまえ風呂に入っているのか黒いぞ外国人はくさいからな」

 

私はとてもはずかしくなりましたそしていかりや悲しみがこみあげてきました

まわりにいた友達は彼の言葉に苦笑いをしていました私はいかりのあまり彼をな

ぐりたくなりましたその時私は父のあの言葉を思い出しました私は顔を上げ

相手の目を見て静かに自分の傷ついた気持ちを伝えました

 

彼は私に向かってこう言いました

 「ごめんわるかった」

 

彼は人を傷つけるということが彼の想像以上に重くそしてひどいことだと少し気付いたよう

でした

 

差別やいじめというのは私たちのまわりでは小さなことから大きなことまで本当によくあり

ますそして差別やいじめをしている側からすればそれをじょう談だという人も多いのです

まわりの人たちもやはりじょう談や遊びの中でのことにとらえてしまう人たちもとても多いので

すだから小学校の時から私たちは道徳などでいじめや人権などについて学んでいてもなかな

かそれがなくならないのだと思いますでも実際に差別やいじめをされている方はみんなの想

像よりはるかに傷ついているということつらいということそして悲しいということを私はこ

の人権作文を通してたくさんの人に知ってほしいのですけがをすれば日がたつごとにそのけ

がは治っていくでしょうまわりからも治っていく様子が見てわかるでしょうでも心に受けた

傷は本人にしかわからないのですその傷がどんなに深くて痛いものか本人にしかわからないの

入賞作文集 20

入賞作文

です

 

肌の色が違っていてもかみの毛が

違っていても私たちはみんな同じ人間

です心を持った人間です相手の気

持ちを思いやり相手の立場になって

考えればいじめや差別はなくなると

思います今も世界のいたるところで

人種差別が問題となり争いが起きてい

ます私は世界から差別やいじめがな

くなるように強い心を持ってまずは

自分から立ち向かっていきたいです

21 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

 

あなたには大好きなふる里がありますか私には緑の木々と青い海に囲まれた自然豊かな

大好きなふる里があります私のふる里は過去に公害という大きな被害をうけた水俣ですそ

の水俣病で患者はもちろんそうでない人も長い間差別をうけてきました

 

父が幼い頃まだ水俣病の原因が究明されておらず水俣病はうつると言われていました列

車が水俣の駅につくと窓をしめ手で口をおおった人もいました修学旅行に行くと同じ宿

舎になった学校から苦情を言われたこともありました水俣出身ということで結婚を断られた人

や就職試験をうけることさえできなかった人もいました水俣に住んでいることをかくして隠

れるようにひっそり暮らしていた人もいましたまた同じ水俣に住む人でさえ奇病と呼び距

離をおきましたそのことでたくさんの人々が傷つきあってきたのですいろいろな立場の人々

井いの

上うえ

 由ゆ

紀き

子こ

熊本県熊本県立八代中学校 一年

私の大好きなふる里

法務副大臣賞

入賞作文集 22

入賞作文

がせまい土地に住んでいるのですから仕方がなかったのかもしれません

 

しかし今では原因も究明され海の安全も確認されたことでそのようなことはほとんどな

くなりました私たちは過去のことを忘れるくらい楽しくすごしています

 

私は今八代の中学校に通っています私は自分が水俣出身ということを隠すこともありませ

ん友だちもまたそのことを知っていますがからかったりいじめたりする人は誰一人いません

 

しかし先日水俣の中学校のサッカー部が練習試合中に相手チームの選手から

「さわるな水俣病がうつる」

と言われたという記事が新聞にのっていました今でもこういう風に思っている人がいるのか

と思うと残念で仕方ありません何気なく言った一言だったのかもしれませんがその一言は

私たち水俣に住む者にとって非常に悔しく悲しいものでした

 

小学校の総合的な学習の時間で水俣病について学習しました原因となった会社を訪問したり

患者の方から当時の話をきいたり交流も行いましたそんな中で苦労されたり何も言えずに

黙って亡くなった人のことを知り水俣に住んでいながら何も知らなかったことをはずかしく思

いました水俣病についてしっかり学び正しい知識を得ることが差別や偏見をなくすのだと気

付きました

 

中学校の道徳の時間ではハンセン病について学習しましたこれも水俣病同様

正しい知識がなかったためにおきた悲しく悔しい悲劇でした

 

私たちが差別や偏見をなくすためにできることそれはその人その出来事に

23 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

ついてしっかり知ること知ろうと努力すること正しい知識を深めるために学習

することではないかと思いますそうすれば水俣病やハンセン病のようにむや

みに人と人とが傷つけあったり憎しみあったりすることはなくなるのではないで

しょうか

 

先日テレビで水俣のダイバーが紹介されましたその人は本当はほこりたい水俣を心の中

にじっとしまいこみ誰にも言えず何年もの間生きてきた人でしたしかし水俣の地にも

どり自分はこのすばらしい美しいふる里を紹介したいと海にもぐり写真をとり続けておら

れるそうです心に差別という深い傷を負いながら水俣の再生を皆に知らせたいと頑張る人

がいることに感動しました

 

今水俣はごみの分別リサイクル事業など市民全員で環境にやさしい町づくりをすすめてい

ます私は差別や偏見から立ちなおり再生しようと環境問題に一生懸命とりくんでいるふる

里水俣をほこりに思っています

 

水俣では運動会等多くの行事で「水俣ハイヤ節」というものが踊られますこれは水俣病

の患者の方が水俣の青い海と豊漁を願って振りつけをされた踊りだそうです私たちと同じ思い

をする人が二度とでないことを祈りながら私たちは毎年皆でこの踊りを踊ります

 

水俣の悲しい過去を変えることはできませんが私はあやまちを二度とくりかえさないため

にこの美しい自然を守り真実を語り継いでいきたいですそして差別や偏見のない社会に

なるよう自分から努力していきたいと思います

入賞作文集 24

入賞作文

25 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

 

みなさんは「本当の『平和』とは」と質問されたら何と答えますか「戦争や紛争などが

ないこと」ですかそれとも「自分自身の幸せのこと」ですか一人ひとりの抱く「平和」のイ

メージは違うことでしょう

 

僕の思う本当の「平和」それは「家族」がいて「家庭」があることだと思いますなぜそう

思うかというと今僕は訳あって家族とは離ればなれに暮らしているからです一歳前後には既

に家族とは離れ施設にいました母親や姉兄の存在はわかっていますが一緒に過ごした時

間は限られたもので今でもほとんど交流はありませんそのせいか僕はいつも「家族」や「家

庭」というものに強い憧れを抱いています

 

自分がまだ幼い頃は自分と同じくらいの子が母親と手をつないでいる姿がとてもうらやまし

大おお

田た

 葵あおい

栃木県さくら市立喜連川中学校 三年

「家族」とは何か

法務大臣政務官賞

入賞作文集 26

入賞作文

「どうして自分には母親がいないんだろう」と思っていました仕舞いには自らの母親を恨ん

でしまったのです小学生になってもその気持ちは変わらず母親への恨みは増すばかりでした

 

しかし小学五年生の夏思いもよらぬ出来事が起きましたそれは引っ越しがあったこと

ですそこで僕は新しい土地そして新しい里親という人たちに出会いました里親の人たち

と暮らした数年間僕は幸せでしたそこで僕は僕の周りにはいつも支えてくれる人たちがい

ることに気づきました血のつながりがなくても僕に自分の子どものように接し育ててくれ

た里親の人たち養護施設の先生方などたくさんの方たちに僕は見守られて成長してきたこと

に気づいたのです僕を支えてくれる人すべてに感謝の気持ちがわき出てきましたそれ以来

僕は親という存在にこだわらなくなりましたそれどころか自分に命を与えてくれた親に感謝

の思いを抱くようになったのです

 

この夏母親の育児放棄が原因で二人の乳幼児が衰弱死するという悲しい事件がありました

二人の子どもにろくに食事も与えず風呂も入れなかったそうですさらに逮捕後その母親は

「家に帰ってあげなかったことを今も後悔している子どもは私を恨んでいると思う」

という言ってはならない発言をしました僕は怒る前に亡くなった二人の子ども

たちがかわいそうでなりませんでした

 

と同時に僕はこの母親はどうしてこのようなことをしてしまったのだろうと

すごく考えさせられました僕は本来親は子どもを殺すのではなく守るために

27 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

いるのだと考えますたとえ小さな子どもでも立派な一人の人間ですその命を

守り育てていくことが親として大切な役目だと思うのですこの母親はどこで

勘違いしたかは知りませんが親としての自分の責任を理解していなかったのでは

ないでしょうか

 

そしてその勘違いを誰も母親に気づかせてあげられなかった事実母親が一緒に遊び歩いて

いた友人はもちろん母親の家族が少しでも助けることができていたら母親の行動を戒めるこ

とができていたら連絡を受けた児童相談所がもう少し踏み込んだ行動が取れていたらこのよ

うな悲しい結末にはならずに済んだのではないでしょうかやりきれない思いばかりがこみあげ

てきます

 

もう一つこの母親は大きな勘違いをしていますそれは「子どもは私を恨んでいると思う」

という言葉です僕はこの子どもたちが母親を恨んでいるとは思えません子どもたちは母

親が帰宅するといつもハイタッチをして喜んで迎えたそうです子どもたちは母親のことが大

好きだったのでしょうたとえ自分たちを見放した母親でも恨んでいるとは決して思えないの

です

 

子どもは心の底から自分の母親のことを恨めないと僕は思いますこの世に生を受け笑った

り怒ったり泣いたりと毎日いろいろな経験ができるのは自分を生んでくれた母親という存在

があったからです正直僕も小さい頃は母を恨んだことがありました愛情の裏返しというよ

うに母親への思いが憎しみに変化してしまったのですでも心の底には母への恨みとは全く

入賞作文集 28

入賞作文

正反対の気持ちが存在し続けていましただ

からこそこの子どもたちがどんな思いで死

んでいったのかわかるような気がします母

親を信じひたすら母親の帰りをまちわびて

いた思いが

 

僕にとっての「家族」それは同じ屋根の

下で暮らす人々のことですたとえ血はつな

がっていなくても僕を支え励ましてくれる

人たちそのすべての人が僕にとっての大切

な「家族」なのです今僕の暮らす養護施設

にはいろいろな事情を抱えた二歳位から高

校生までの子どもたちや職員の方が約六十人

います今の僕には全員大切な「家族」で

す僕はこれからもこの「家族」を大切に

一日一日精一杯平和に生きていきたいです

29 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

 

授業でハンセン病について学んだ日両親と「偏見」や「差別」について口角泡を飛ばす議論

を深夜まで繰り広げた身体障害者の父と看護師の母を持つ私は幼い頃から「命の大切さ」を

訴える両親の姿を見て育って来たそんな私は真摯な気持ちからハンセン病罹患者と向き合い

たいと思いこの夏草津にある療養施設栗生楽泉園を訪れた

 

草津までの道のり私は罹患者の気持ちを絶えず考えていたハンセン病について調べると「ら

い予防法」により罹患者は隔離され人権を無視された扱いを受けたことが分かった罹患者の

言葉が書かれた本ではどんなに過酷な仕打ちを受けたか他人をどれほど恨み憎んでいるか

が書かれていたその為私は無意識の内に「罹患者は全員恨みを抱いている」と勝手に思い込

んでいたしかしこんな思い込み自体が偏見や差別を生む原因になるということを後に思い知

大おお

井い

 海み

琴こと

群馬県群馬大学教育学部附属中学校 三年

忘れてはならないこと

全国人権擁護委員連合会長賞

入賞作文集 30

入賞作文

らされることになるのである

 

私を迎えてくれたのは入園者自治会長の藤田三四郎さん藤田さんは大変お元気でその容姿

からはハンセン病を伺い知ることはできなかったしかし藤田さんは紛れもない罹患者なのだ

その証拠に藤田さんの名は本名ではない罹患者は施設に入所するにあたり偽名を使用させら

れたと言うつまりその時点で罹患者は世間から存在を消されてしまうのであるそんな藤田

さんから語られた話はハンセン病だと宣告され三度も命を絶とうとしたこと重症患者の看

護を押しつけられ数え切れない人を看取り自らの手で葬ったこと家族が受けた迫害や侮辱的

な言葉など想像を絶するもので筆舌し難いものだったしかしこんな迫害と差別は同時にハ

ンセン病患者達の人権回復闘争の歴史でもあったのだ闘争の末「らい予防法」が廃止される

と今まで差別や人権侵害を繰り返していた多くの人が掌を返す様に態度を変えたと言う私は聞

いていて怒りを覚えたが不思議なことに耳を塞ぎたくなる様な内容を語る藤田さんからは全

く怒りや恨みが感じられないのだ私は話を聞くまで自分の運命を呪い周囲への恨みつらみ

の言葉が出てくるとばかり思っていたしかし出てきた言葉は「入園出来て良かった差別は

受けたが今では恨みを抱く罹患者も少なくなったそればかりか最近はたくさんの人が我々を

理解し協力してくれるので嬉しい何故なら一人の百歩は力が無いが百人の一歩

は力になるから」と言う感謝の言葉だったのだ本当に「恨みは無いのか」と何度

聞いても答えは同じだった私は恥ずかしくなったハンセン病について調べ罹

患者の心を理解したようなつもりでいながら実は何も理解できてなくてそれば

31 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

かりか罹患者を偏見の眼で見ていたのは私自身だったのだ私は話を聞いてとめ

どなく溢れ出る涙を拭いながら心の片隅に潜んでいた「偏見と言う名の種」が身

体から洗い流されていくのを感じていたそれは同時に「思い込みや無知が偏見

や差別を生みだす」ことを強く感じた瞬間でもあったそれだけに藤田さんの「自

分と同様に他人を愛すればいつか必ず世界から差別はなくなる他人を愛して下さい」の慈愛に

満ちた言葉が一層重く腑に落ちるのだった

 

帰りがけ千五百ページにも及ぶ「入所者証言集」を手渡されたその際私は見えない襷も

手渡された気がしたその襷とは証言集に記された罹患者の「事実を風化させないで私達の事

を忘れないで」という搾り出すような叫び声とその姿だったのである

 

ハンセン病が治る病気であるのに誤った知識から悲惨な人権侵害が長期に渡り続いた同じ間

違いを繰り返さないためにも事実を語りついで行く必要があるここ楽泉園でも高齢化が進み

証言者の数が減っているこれは全国一五全てのハンセン病療養所に共通することだハンセン

病問題は罹患者がいなくなればそれで終わると言う問題ではない今後人権問題を考える際重

要な指針になりうる事実なのだそしてこの事実の風化を防ぐことが私達若い世代の役目だと

私は思う

 

私は小六の時友人達から突然イジメを受けたそれを引きずり他人を恐れ憎み自分を

嫌って生きて来たしかし罹患者の声が私に生きる力と前を向いて歩む勇気を与えてくれた

楽泉園訪問は私に人生観が変わる程の衝撃を与えてくれたのだこんな私だが罹患者の声を伝

入賞作文集 32

入賞作文

える「百人の中の一人」にはなれるはず

だそのために私は今この作文を書い

ている文字は時を越えて生き続けるか

ら私はこれからも楽泉園訪問を続ける

つもりだ実際に中学生の私が出来るこ

とには限りがあるが差別や偏見を少し

でも減らすために一歩を踏み出すつもり

でいる「自分と同様に他人を愛すれば

いつか差別は無くなる」と言う藤田さ

んの言葉を胸に

33 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

 

森に囲まれたその一画には教会や寺院神社があり小さなショッピングセンターやレスト

ランもある床屋や図書館郵便局や浴場もあるしかしそれらの施設を利用するのはその一

画に住む人たちだけだ緑の外側に住む人が利用することはないそこはハンセン病の療養所

多磨全生園である

 

僕は七年前に清瀬市に引っ越してきた夏のある日昆虫が大好きな僕は何気なくその森の

中に入って行ったそして歩き回っているうちにその場所が一つの「町」であることに気付

いた

 

毎日セミやカマキリやナナフシを探しながらどうしてこんな所があるのだろうと思った

 

僕が一番不思議に思ったのは古い木造の小学校だいつも誰もいない校舎と小さな運動場近

久く

米め

 一かず

輝き

埼玉県学校法人立教学院立教新座中学校 一年

ハンセン病について考えたこと

社団法人日本新聞協会会長賞

入賞作文集 34

入賞作文

くに小学校があるのにどうしてこんな所に小学校があるのだろう小学一年生の僕はとても不思

議に思った

 

夏に地域交流を目的とした盆踊りと花火大会が行われるいつもは人のいない小学校跡は多く

の人であふれかえり普段は見かけない重い後遺症の老人たちもこの日は外に出て盆踊りを楽し

む初めて参加したときは言葉が出なかった正直「怖い」と思った

 

夏が来るたびに僕は盆踊り大会に参加した低学年から高学年へと進むにつれて少しずつハ

ンセン病のことが分かってきた

 

六年生のときに社会科見学で全生園の元患者を訪れることになっただが僕は都合で参加で

きなかった僕はそれをずっと悔やんでいる

 

今年の夏僕はハンセン病資料館に出かけた見学者は僕一人でとても緊張したなるべく

音を立てないようにパネルを見て回った

 

強制隔離の現実にとても驚いた狭い部屋に押し込められ症状の軽い患者が重症の患者の世

話をしたという子供を持つ権利や生まれる赤ん坊の命まで奪われていた逃げ出したり反抗的

な患者は「不良患者」と呼ばれ窓の小さな暗い監房に閉じ込められた

 

医学が進歩し療養所も徐々に改善されていったが強制隔離を命じる「らい予防

法」が廃止されたのは一九九六年だという隔離が始まった一九〇八年から約九〇

年も経っていた僕が生まれるほんの一年前のことである特効薬が開発され本

格的な治療が始まったのは昭和二十二年である現実に合わない法律を廃止するの

35 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

にどうしてそんなに時間がかかったのだろうか

 

資料をもらってハンセン病資料館を後にした家を出るときは帰りに虫の観察

をするつもりだったがとてもそんな気にはなれなかったいつもセミが集まる桜

の木には目もくれずに早足で家に帰った

 

資料の中で一番心が痛んだのは療養所の子供たちのことだ療養所に入所したのはハンセン

病を発症した子どもたちだけではない親が発症したために入所する子どもたちもいた当時は

ハンセン病は遺伝病だとされていたからだ親から無理やり引き離された子どもたちは「すぐに

帰れるから」という言葉を信じていたというしかし一生療養所を出ることができなかった人が

多かったという社会的な差別がひどかったからだと資料に書かれていたが僕には実感がわか

なかったのでもう少し調べてみることにした

 

図書館で『ハンセン病を生きて』(伊波敏男著)という本を見つけた少し難しかったが差

別の現実が僕にもわかる部分があったそれは元患者たちに対して書かれた匿名のひどい手紙

である長年隔離されて苦しんできた人たちをさらに傷つける言葉が並んでいた悲しく暗い

気持ちになった

 

日本は経済大国として世界の注目を浴びているだが人権意識の面ではどうだろう「らい

予防法」を二〇世紀の末まで廃止できなかったことをどう考えたらよいのだろうか明治時代に

隔離が始まったときそれは外国に対する体面を保つためだったという病気の人を治療するの

ではなく「隠す」のが目的だったのだいまだに差別意識を持つ人がいるのは社会がそうした

入賞作文集 36

入賞作文

過去に対する反省をしていないから

だと思う

 

僕が不思議に思った小学校はすで

に取り壊されて今では小さな石碑

だけが残っている老朽化がひどく

残しておくことができなくなったか

らだという全生園の古い建物はど

んどん取り壊されていく石碑だけ

ではあの不思議さが伝わらないのが

とても残念だ

37 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

 

僕の曾祖父は医者嫌いでしたそのため腹痛で病院に運ばれた時は膵臓癌の末期で余命三ヶ

月でした手術もできない手遅れの状態でした家族皆で話し合い曾祖父の辛い気持ちを第一に

考え曾祖父に病を隠すことになりました曾祖父は次第に病院の中を歩いては転倒し体中あ

ざだらけになりベッドの上で縛られることになっていました曾祖父は病名の宣告を受けてい

ないため元気で歩けると思っているが実際歩くと転んでしまう何でこんな風になってしまっ

たのかさえわからない

 

家族と病院に行くと「包丁もてこいこれぶった切って家さ帰る」と騒いでいましたあん

なに優しかった曾祖父の姿に言葉も出ず恐いくらいでした何も知らされずベッドに縛り付

けられれば誰もがそうなることでしょう「じいちゃんどご一緒に車さのせでいてくれの」と

櫻さくらだ田

 要かな

太た

山形県酒田市立松山中学校 三年

日本放送協会会長賞

悔いのない最期を

入賞作文集 38

入賞作文

せがまれたときもありますかわいそうで涙がポロポロこぼれました「おじいちゃんどご家

さ連れで帰ろうよ」とせがんでも家族も仕事で忙しいためか誰も首を縦に振ってくれず病院

にいた方が安心ということになりました膵臓癌は予想以上に激しい痛みのため医師から強い

痛み止めと強い睡眠剤を勧められましたがそれを導入することにより安楽死に近い状況にな

ることも医師から告げられていました家族は決断をせまられました曾祖父に相談もせずに決

めていいことなのか家に帰りたい曾祖父の意志は封じ込められたままでいいのか家族で悩み

ました結局痛みに耐えている姿は見ていられなくその薬を使うことになりましたその後

曾祖父は次第に弱っていき口も利けなくなり静かに亡くなっていきました僕はどこか心を

引きずったままでした僕達家族が曾祖父に宣告もせず意見も聞かず命の長さを決めてしまっ

たこと当時幼かった僕には何もしてあげられなかったことが今思い出しても残念です

 

最近授業で人権について学習しているときに幼い頃の記憶がよみがえりふと曾祖父のこと

を思い出しました

 

曾祖父はどんな思いで亡くなったのだろう最後に意識のあるうちに一度でいいから家に帰っ

てきたかっただろう身体拘束は今は病院でも禁止されていると思いますがあの頃は確かに曾

祖父のおなかに黒いベルトのようなものが巻きついていました決して自分の力で

は外せないようなものでしたもがき苦しむ曾祖父の姿を見た時に看護師さんに

目を隠され別の部屋に連れて行かれました見せたくない光景だったのだと思いま

すでもあの姿は僕の脳裏に焼き付いています病院の中での人材不足のためだっ

39 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

たのでしょうか人が人らしく生きていない姿でした

 

七十八年生きてきて何も悪いことをしていないのに縛られ家にも帰れない

病気で余命幾ばくもない人には人権というものは存在しないのでしょうか最近の

医療の現場では自己決定権があることについて学びました

 

仏壇に向かい静かに目を閉じると優しく穏やかに微笑む曾祖父の笑顔が浮かびますどんな

気持ちで亡くなっていったのかその気持ちを考えると苦しい気持ちになります野球の大会に

行く前仏壇に手を合わせます「やればできる努力しろ」とよく励ましてくれました曾祖

父の力には何もなれなかったけれど目には見えない力で応援してくれる曾祖父に線香をあげて

自分を省みる時があります曾祖母が元気なので曾祖父を助けられなかった分曾祖母の力に

なっていくことを曾祖父に約束しています

 

夏休み中のニュースで高齢者の所在不明者が多数のため百歳以上の安否確認調査をしていま

した自分の親を平気で捨て遺骨さえもひきとらない亡くなっていたのに年金を不正受給する

ために隠していたなど耳をふさぎたくなるような事件もありました犬や猫が年をとって弱っ

てきた手がかかるから面倒だからと捨ててしまうそれと同じ現象が弱い高齢者にも及んでき

ているのだと思います

 

やはりこの世に生まれてきたもの全てに自分の意志で生きることを決めていける権利がある

と思います長い年月を苦労や努力と向き合いながら精一杯生きてくれたおかげで今の幸せが

あることを忘れずにいたい人はいずれ誰でも年をとります自由に動けなくなった時に自分の

入賞作文集 40

入賞作文

願いが叶う社会を築き「悔いなく満足で楽しく幸せな人生だった」と思えるように人とし

ての誇りを持って満足できる最期を迎えられるように考えていきたいもう二度と僕が見た自

己決定権のない社会にならないように高齢者には今までの感謝の気持ちで本人の希望をでき

るだけ叶えられるように努力していきたいいずれ僕達も迎える高齢社会だからhellip

41 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

 

私は小学六年生の時から盲導犬候補の子犬を育てるボランティアをしています「犬を飼っ

てみたい」と言う私に両親が「せっかく犬を飼うのなら社会に役立つことをしよう」と提案

したからです生後二ヵ月の子犬を預かり一歳の誕生日を迎えるまで世話をするのがボランティ

アの役目です初めて訓練士さんから子犬を手渡された時は不安でドキドキしましたが子犬は

すぐに私の腕の中で眠ってしまいました初めて会った私のことを信頼して安心しきった寝顔

で眠っている姿は本当に可愛かったですラブラドールの子犬はとてもやんちゃで私の家にやっ

て来たその日からいたずらばかりしていましたがしかられてもクヨクヨせずどんな相手にも

 林はやし

 里り

咲さ

東京都小平市立小平第六中学校 三年

差別のない社会に

(パピーウォーカーの経験から学んだこと)

法務事務次官賞

入賞作文集 42

入賞作文

フレンドリーに近づいていく姿から私は明るく前向きに生きることを教わりました子犬たち

と過ごした日々は私にとって一番の宝物ですそしてあっという間に一歳の誕生日がやって来ま

した誕生日が悲しいという経験は初めてでした訓練所への入所日の前日には長い長い散歩を

して最後のお別れをしました「今までありがとう」そう言った私のことを不思議そうに見てい

た子犬の顔が今も目に焼きついています別れは本当につらいけれど涙を見せたら子犬が心配す

るので頑張って笑顔で見送りました

 

私の家で育てた一頭目の子犬は現在盲導犬になって頑張っていますそして今年四月に巣立っ

ていった二頭目の子犬は神奈川にある訓練センターで訓練中です

 

このボランティアを通して私は多くのことを学びましたまず盲導犬の役割ですがこれは単

に目の不自由な方が便利に一人でどこへでも行けるようにするためだけではありません視覚障

がいのある方にとって人の手をわずらわせるのはとてもつらいことなのだそうですたとえ家

族に対してでも「迷惑をかけるのではないか」と思って我慢することが多く「私なんかいない

方がいいんじゃないか」と考えてしまうこともあったといいますその失われそうになった尊

厳を取り戻す手助けをするのが盲導犬の役目なのです犬は訓練を共にするパートナーのことを

大好きになるので「自分は他者からこんなにも大好きになってもらえる存在なん

だ」と気づいて自信を取り戻し新しい一歩を踏み出せるようになるのだそうです

 

また私がボランティア登録している日本盲導犬協会では二〇〇八年に新しい

試みが始まりました受刑者が盲導犬候補の子犬を育てる動物を介在した日本初

43 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

の教育プログラムです罪を犯した人も心から反省してきちんと罪を償えば社会

は差別することなく受け入れるべきですしかし実際はとても偏見が多く元受刑

者たちは「どうせ自分はだめな人間なんだ」と思い再び罪を犯してしまう悪循環

が起こっているそうですその悪循環を断ち切り受刑者たちがスムーズに社会復

帰を果たせるよう支援するのが「あさひ盲導犬パピープロジェクト」です受刑者たちは約十ヵ

月の間子犬たちを世話しながら一緒に過ごし「役に立つ喜び達成する喜び信頼される喜び」

を感じることで自分の価値を再確認するのだそうです今年一月に第一期のプロジェクトを修了

した受刑者の感想に次のようなものがありました

 「今後自分もパピーに笑われないようにきちんとしなければならないパピーは慈しむこと

寛容の心を教えてくれました」

 

犬は決して差別をしません健康な人にも障がいのある人にもお金持ちにも貧しい人にも

権力のある人にも犯罪を犯した人にも全く同じように接してくれますそんな犬たちと一緒に過

ごすことで自信をなくした人たちも自分のことをかけがえのない大切な存在であると思えるよ

うになるのです

 

私たち人間も差別のない社会をつくる努力をしなければならないと思います一人一人が相

手を大切に思う心を忘れなければこの社会はもっと住み良い場所になるはずです私はこのボ

ランティアを通して学んだことを生かしてこれからも一層努力していきたいと思います

入賞作文集 44

入賞作文

45 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

 

僕は祖父のために自助具を作ろうと思った祖父は去年の夏脳梗塞で倒れた祖父は一命

を取り留めたものの右手と右足がまひしてしまったのだその三週間前僕も車椅子から転倒し

て足を骨折した

 

僕には障害がある車椅子で生活することが多いしかし僕のことを障害者だといって差別

するような友達は一人もいない

 

祖父は歩けるようになりたいという気持ちが強かっただからリハビリを頑張り自分で

歩けるようになるまで回復した頑張っている祖父がかっこいいと僕は思った祖父はリハビ

リを頑張ったにも関わらず右手がうまく動かせなくなってしまっただからご飯を食べる時も

服を着替える時も時間がかかる普段何気なくやっていた動作がとても大変だと祖父は言ってい

守もり

田た

 幸こう

平へい

静岡県静岡大学教育学部附属浜松中学校 三年

祖父への靴下

法務事務次官賞

入賞作文集 46

入賞作文

た僕も何か役に立てることはないかと考えた

 

僕の学校には総合学習という授業があるそこで僕は福祉というカテゴリーを選んだ自

分で社会に役立てることを考え実際に行動することが目標だった僕は障害者のために何が

できるかを考えた

 

僕は二年前に静岡文化芸術大学で障害者がいかに日常生活で不自由のない生活ができるかを

考えるプロジェクトがあるのを新聞で知ったそれは大学生たちが個人個人にあった自助具を

作るプロジェクトだった僕は障害者のために何かできるのではと感じた

 

僕は静岡文化芸術大学へ行って僕にもできることがないかと聞いたすると学生さんが

自助具を作ってみないかと声をかけてくれた僕は迷わず「はい」と言った障害者のために

役に立てることがあると思うとすばらしいことだと思ったからだ

 

祖父のつらい顔を見ると日常生活に数々の大きな壁があることが伝わってくる

 

僕は祖父の数々の大きな壁を突き破ろうと思った祖父のために自助具を考え作ろうと僕

は思った祖父が靴下の脱ぎ履きが大変だと言っていたことを思い出したそこで脱ぎ履きし

やすい靴下はできないか考えた靴下の両脇にひもを取り付けてそれを引っ張ると靴下が縮み

脱ぎ履きしやすくなる仕組みだ大学の先生も良いアイディアだと言って褒めてく

れたこれは障害者だけでなく健常者にも使えると言われたユニバーサルデザ

インだと分かった

 

ユニバーサルデザインは年齢や障害の有無にかかわらず全ての人が使いやす

47 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

いように工夫された用具などのデザインである境界がなくなるように健常者が障

害者に対する偏見を考え差別意識がなくなるチャンスだと思った障害者と健常

者が共によりよく生きることが大切だと僕は思った

 

自助具の作品展では杖をついているお年寄り車椅子に乗った若い女性目の

見えない人福祉関係者など沢山の人々が観に来ていた皆自分の生活を良くしようと思っ

ているようだったまた障害者のためにできることは何だろうかと考えている健常者もいるよ

うだった

 

二年生の時の総合学習では二箇所のデイサービスを訪問したデイサービスには六十五歳以

上のお年寄りがいた暗く元気のない人明るく振る舞い誰とでも話せる人など様々だった

しかし僕が一番印象に残ったのは笑顔を絶やさず優しくお年寄りに接していた介護士だった

お年寄りの中には悩みを抱えている人が多いそうだその悩みを解消させる人もまた介護士だっ

た僕は介護士がお年寄りの体を支えるだけではなく心もそっと支えて生きる喜びを与え

ているのだと感じた

 

現代は三世代で暮らす家族が減り核家族が増えているそれはお年寄りの世話が大変だ

からという理由が多いだから老人ホームやデイサービスに預ける人が増えていると僕には

思えたお年寄りの中には自分が嫌われているのではないかとさえ思ってしまう人もいるそう

だそれはお年寄りにとって辛く悲しいことだと思うある介護士がこんなことをおっしゃっ

ていた「人の優しさはお金では買えない」誰にでも優しい心があると思うしかしあと一歩

入賞作文集 48

入賞作文

のところで行動に移すことができない人が多いの

だ僕たちが平和な社会で暮らせるのは今まで

頑張ってきてくれたお年寄りのお陰であることを

忘れてはいけないお年寄りを大切にすることは

当たり前のことなのだ

 

また障害者に対しても偏見の目で見ないで

そっと近づいて手を貸してあげれば健常者との

高い大きな壁を崩すことができると思う

 

障害者にも高齢者にもまた健常者にも人権

はあるお互いの人権を大切にすることが明る

い未来に繋がっていくのだと思う

 

早く祖父に僕の作った靴下を届けたい

49 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

 

僕は小学校六年生まで福岡県に住んでいましたそこで僕が体験したことです五年生のこ

ろ僕の友だちのA君が同級生のK君の靴を隠したりからかったりしていることがよくあり

ました最初は僕もあまり気にしていませんでしたがK君のことを「なんだかかわいそう」と

思うようになりました

 

ある日僕は勇気をだして先生に「K君がいじめにあっています」と報告しました初め先生は

「じゃれ合っているだけだろう」と「いじめ」とは思ってくれませんでしたでもその後「いじ

め」と分かりA君は先生に注意されその日一日は反省した様子で過ごしていましたしかし

次の日学校に行くといじめは前以上にエスカレートしていて蹴ったりたたいたりするように

なりましたしかも「死ね」「うざい」「消えろ」などの言葉が飛び交うようになりそんな日々

法務事務次官賞

浦うら

谷たに

 毅たける

徳島県三好市立池田中学校 三年

いじめをなくすために今

入賞作文集 50

入賞作文

が続きました

 

それは六年生になっても続きました僕はそのいじめを止めることができず毎日見て見ぬ

振りをしていました今思うと自分がとても恥ずかしいです本当の友達なら止めるべきなの

にそれだけではなくいじめられているK君に声一つかけることができずにいました心の中

ではA君に「やめろよ」と言おうと思っていたけどなぜか勇気が出ませんでした次にい

じめられるのが自分になるのが恐くて言えなかったのです

 

そんな日々が続く中僕の気持ちを大きく変える出来事がありました父の死ですそのとき

のことは今でも忘れることができません聞いたときには頭の中が真っ白になりました最初

は信じることができませんでした一週間も二週間も学校に行けずただぼーっと過ごしてい

ましたいろんなことを考え徐々に「死」というものの悲しさつらさ「死」という意味の

重さがわかってきましたそして時間はかかりましたが「命は一瞬にして消え二度と戻っ

てこないものだだから命を大切に今を大切にしなければならない」と深く受け止めることが

できるようになりましたそして周りの子たちは僕のような経験がないから「死ね」とか軽々

しく言えるのだろうと思いこの気持ちを伝えなくてはならないと考えました僕が強くならな

くてはと思いました

 

こんな気持ちになったとき僕には時間がありませんでした母の実家がある徳

島への引っ越しが一週間後に決まっていたのです落ち込んでいる暇は無いと思

い学校に行った僕はA君に言いました「いじめなんかやめろよいじめたって

51 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

喜ぶ人はいないし悲しむ人がいるだけだろ自分だってほんとは嫌だろ『死ね』

とか『消えろ』とか言葉の重さを知らないのに言うなよ」と言いました父親の

突然の死そのあと僕が考えたことも伝えました

 

友だちは黙って聞いてくれました僕の言葉にうなずいてそのあとK君の

ところへ行き「ごめん言葉の重さも知らずに言って本当にごめんぜったいに死ねなんて

ことは言わないそしていじめは絶対にしないほんとうにごめん」とあやまりましたK君

はとても優しい笑顔で「いいよ」と一言言いました僕もK君に言いました

「今まで助けてあげられなくてごめん」

K君は笑顔で「ありがとう」と言ってくれました今まで自分の中でもやもやしていた気持ちが

スーっと晴れました

 

今も時々耳にする暴言冗談半分で言っているのかもしれませんしかしいついじめにつ

ながるかわかりません他人を傷つけることで自分のストレスを晴らそうとしているのでしょう

関係ないふりをしようとする自分がいます楽な考え方をする自分がいますそんな時亡くなっ

た父の顔やK君の優しい笑顔を思い出しますあの時の自分のように強い気持ちを持とう「や

めろよ」と一言言うするとまた気持ちがスーっとしてきました

 

父の分も頑張って生き抜こうと決めた僕にとって正しいことを素直に認め悪いことを否定

できる強い意志を持つことが目標ですそして何よりも命を大切に今を大切にしていきたい

と思っています

入賞作文集 52

入賞作文

53 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

 

ぼくは今まで四つの外国に暮らしいろいろな国の人たちの中で育ってきた

 

まずタイで生まれてタイ人のメイドさんやドライバーさんにいつも遊んでもらっていた

らしい一才になると週一回の体操教室にも通いタイ人の友達もいたそうだ

 

次にシンガポールでは初めてナサリースクール(保育園)に通いいろいろな国の友達と

知り合ったプレイルームにある滑り台を滑る順番争いでいつも勝つのは体の大きい金髪の友

達だった

 

一回目の香港生活では英語の幼稚園に通ったその時のぼくの一番の友達はカナダ人だった

彼とはよくベイブレードをして遊んだが父が日本の出張で買ってきてくれた独楽や剣玉をして

遊ぶこともあった

村むら

瀬せ

 広ひろ

高たか

香港日本人学校中学部 二年

国境をこえて

海 外 作 品

今回は本選への応募とすることはできませんでしたが

 海外から寄せられた作品のうち一作品を御紹介します

入賞作文集 54

海外作品

 

それからインドでは日本人学校に通ったが夏休みには毎年アメリカンスクールのサマー

スクールに参加したし日本人のいない現地のテニススクールにも入り二年間通ったまたイ

ンドの現地幼稚園に通っていた妹のベストフレンドはコンゴ人でその兄弟もぼくの友達だった

 

そして三年間の日本生活を経て今また香港に戻ってきた

 

このようにぼくはいろいろな国でいろいろな国の人たちのお世話になりいろいろな国

の友達と遊んで育った肌が真っ黒な友達もゲームの話をすればすぐに仲良くなれたし髪が

金色の友達もポケモンの話をすれば気が合ったぼくは小さい頃から英語はうまくしゃべれ

なかったけれどもジェスチャーをつけたでたらめ英語でも充分に話は通じただからいろい

ろな国の人たちの中でぼくが日本人だからといって差別されたり嫌な思いをしたりしたこと

はないしぼくも肌の色が違うからとか言葉が通じないからという理由で違う人間だと思っ

たことはないそうぼくは外国人を差別したことはない

 

しかし本当にぼくは外国人を差別したことがないのだろうか外国人を差別した発言を一

度もしたことがないかと考えると自信がない

 

例えば香港人には赤信号でも平気で渡る人がたくさんいるそれを見てぼくは

「香港人はしょうがないな」

と思うでもよく見ると香港人全員が信号無視をしているわけではないまた

世界には今でも戦争をしている国がいくつもある

「人を傷つけ合うなんて馬鹿げている」

55 第30回全国中学生人権作文コンテスト

海外作品

とぼくは悲しくなるでもそれも好きで戦っている人がいるとも思えないその

人たちがそうなったのには何かきっと原因があるはずだ

 

逆に外国人から見ると日本人はどのように思われているのだろう

 

インドから日本に帰国した時毎日ごみがたくさん出ることにぼくはとても驚

いたインドの人たちがよく使う道端にあるカレー屋さんではバナナの葉で作ったお皿にカ

レーを入れてくれる食べた後そのお皿を道に捨てるとのら牛がその葉っぱを食べるそして

牛のふんは燃料になるというそれに比べて日本はちょっと歩くとペットボトルの飲み物が

買えファーストフードのお店では使い捨ての食器を使い立派なお菓子の箱を開けると中身が

少なくてがっかりすることもあるある時母が捨てたジャムの空きびんをメイドさんとエア

コンの修理にきていたワーカーさんとが取り合ってけんかをしていたこともあったそれを見

てぼくはあきれてしまったが逆にインド人から見ると使い捨て文化のしみついた日本人は

とんでもない人間にみえるのかもしれない国によって考え方や行動パターンが違うのは歴史

的背景や宗教習慣気候などのいろいろなことが関わっているのだと思う

 

このように考えると差別とはその人の一部しか見ていないことや自分のやり方だけが正

しいと思うことからおきるのではないかと思うその人が自分とは違った行動をとったとしても

それには深い理由があるのだろうと考えればきっと納得できると思うぼくもこれからは否

定的な発言をする前にその人たちのことをいろいろな角度から見て理解する努力をしてみよう

と思う外国との間には自分の国とは違う言葉や文化という壁があるとみんな言うがそこに

入賞作文集 56

海外作品

あるのは壁ではなく橋だとぼくは思う理解

し合おうという気持ちがあればきっと誰でも

その橋を渡っていけるはずだ気持ちの国境を

こえるのにパスポートはいらないお互いを理

解し合おうと思う気持ちが一番大切だと思う

そしてぼくはこれから日本人として生きる

のではなく地球人として生きていこうと思う

57 第30回全国中学生人権作文コンテスト

海外作品

法務局地方法務局名 郵便番号 所  在  地 電  話

金沢地方法務局人権擁護課920-0024 金沢市西念3-4-1金沢駅西合同庁舎(平成23年3月11日まで) 076-231-1244

921-8505 金沢市新神田4-3-10金沢新神田合同庁舎(平成23年3月14日から) 076-292-7804

富山地方法務局人権擁護課 930-0856 富山市牛島新町11番7号富山合同庁舎 076-441-6376

大阪法務局人権擁護部 540-8544 大阪市中央区谷町2丁目1番17号大阪第2法務合同庁舎 06-6942-9492

京都地方法務局人権擁護課 602-8577 京都市上京区荒神口通河原町東入上生洲町197番地 075-231-0131

神戸地方法務局人権擁護課 650-0042 神戸市中央区波止場町1番1号神戸第2地方合同庁舎 078-392-1821

奈良地方法務局人権擁護課 630-8305 奈良市東紀寺町3-4-1奈良第2法務総合庁舎 0742-23-5457

大津地方法務局人権擁護課 520-8516 大津市御陵町3番6号大津法務総合庁舎 077-522-4673

和歌山地方法務局人権擁護課 640-8552 和歌山市二番丁2番地和歌山地方合同庁舎 073-422-5131

広島法務局人権擁護部 730-8536 広島市中区上八丁堀6番30号広島合同庁舎 082-228-5790

山口地方法務局人権擁護課 753-8577 山口市中河原町6番16号山口地方合同庁舎2号館 083-922-2295

岡山地方法務局人権擁護課 700-8616 岡山市北区南方1丁目3番58号 086-224-5761

鳥取地方法務局人権擁護課 680-0011 鳥取市東町2丁目302番地鳥取第2地方合同庁舎 0857-22-2289

松江地方法務局人権擁護課 690-0886 松江市母衣町50番地松江法務合同庁舎 0852-32-4260

高松法務局人権擁護部 761-8077 高松市出作町585-4 087-815-5311

徳島地方法務局人権擁護課 770-8512 徳島市徳島町城内6番地6徳島地方合同庁舎 088-622-4171

高知地方法務局人権擁護課 780-8509 高知市栄田町2丁目2番10号高知よさこい咲都合同庁舎 088-822-3331

松山地方法務局人権擁護課 790-8505 松山市宮田町188番地6松山地方合同庁舎 089-932-0888

福岡法務局人権擁護部 814-0005 福岡市早良区祖原14-15福岡法務局西新出張所庁舎5階 092-832-4311

佐賀地方法務局人権擁護課 840-0041 佐賀市城内2丁目10番20号佐賀合同庁舎 0952-26-2148

長崎地方法務局人権擁護課 850-8507 長崎市万才町8番16号 095-826-8127大分地方法務局人権擁護課 870-8513 大分市荷揚町7番5号大分法務総合庁舎 097-532-3368

熊本地方法務局人権擁護課 862-0971 熊本市大江3丁目1番53号熊本第2合同庁舎 096-364-2145

鹿児島地方法務局人権擁護課 890-8518 鹿児島市鴨池新町1番2号 099-259-0684宮崎地方法務局人権擁護課 880-8513 宮崎市別府町1番1号宮崎法務総合庁舎 0985-22-5124

那覇地方法務局人権擁護課 900-8544 那覇市樋川1丁目15番15号那覇第1地方合同庁舎 098-854-1215

入賞作文集 58

問合せ先一覧

法務局地方法務局名 郵便番号 所  在  地 電  話

札幌法務局人権擁護部 060-0808 札幌市北区北8条西2丁目1番1札幌第1合同庁舎 011-709-2311

函館地方法務局人権擁護課 040-8533 函館市新川町25番18号函館地方合同庁舎 0138-23-9528

旭川地方法務局人権擁護課 078-8502 旭川市宮前通東4155番31旭川合同庁舎 0166-38-1114

釧路地方法務局人権擁護課 085-8522 釧路市幸町10丁目3番地釧路地方合同庁舎 0154-31-5014

仙台法務局人権擁護部 980-8601 仙台市青葉区春日町7番25号仙台第3法務総合庁舎 022-225-5739

福島地方法務局人権擁護課 960-8021 福島市霞町1番46号福島合同庁舎 024-534-1994

山形地方法務局人権擁護課 990-0041 山形市緑町1丁目5番48号山形地方合同庁舎 023-625-1321

盛岡地方法務局人権擁護課 020-0023 盛岡市内丸7番25号盛岡合同庁舎 019-624-9859秋田地方法務局人権擁護課 010-0951 秋田市山王7丁目1番3号 018-862-6533

青森地方法務局人権擁護課 030-8511 青森市長島1丁目3番5号青森第二合同庁舎 017-776-9024

東京法務局人権擁護部 102-8225 千代田区九段南1丁目1番15号九段第2合同庁舎 03-5213-1234

横浜地方法務局人権擁護課 231-8411 横浜市中区北仲通5丁目57番地横浜第2合同庁舎 045-641-7926

さいたま地方法務局人権擁護課 338-8513 さいたま市中央区下落合5-12-1さいたま第二法務総合庁舎 048-859-3507

千葉地方法務局人権擁護課 260-8518 千葉市中央区中央港1丁目11番3号千葉地方合同庁舎 043-302-1319

水戸地方法務局人権擁護課 310-0061 水戸市北見町1番1号水戸地方法務合同庁舎 029-227-9919

宇都宮地方法務局人権擁護課 320-8515 宇都宮市小幡2丁目1番11号宇都宮地方法務合同庁舎 028-623-0926

前橋地方法務局人権擁護課 371-8535 前橋市大手町2丁目10番5号前橋合同庁舎 027-221-4426

静岡地方法務局人権擁護課 420-8650 静岡市葵区追手町9番50号静岡地方合同庁舎 054-254-3555

甲府地方法務局人権擁護課 400-8520 甲府市北口1丁目2番19号甲府地方合同庁舎 055-252-7239

長野地方法務局人権擁護課 380-0846 長野市旭町1108番地長野第2合同庁舎 026-235-6634

新潟地方法務局人権擁護課 951-8504 新潟市中央区西大畑町5191番地新潟地方法務総合庁舎 025-222-1564

名古屋法務局人権擁護部 460-8513 名古屋市中区三の丸2丁目2番1号名古屋合同庁舎第1号館 052-952-8111

津地方法務局人権擁護課 514-8503 津市丸之内26番8号津合同庁舎 059-228-4193岐阜地方法務局人権擁護課 500-8729 岐阜市金竜町5丁目13番地 058-245-3181

福井地方法務局人権擁護課 910-8504 福井市春山1丁目1番54号福井春山合同庁舎 0776-22-5090

問合せ先一覧 (法務局地方法務局)

59 第30回全国中学生人権作文コンテスト

問合せ先一覧

世界人権宣言啓発書画「鳥」「自由と解放」を表わしたもの 小木太法書オタビオロス画(財)人権擁護協力会提供

入賞作文集 60

すべての人間は生まれながらにして

自由でありかつ尊厳と権利とに

ついて平等である人間は理性と

良心とを授けられており互いに同胞の

精神をもって行動しなければならない

―――

世界人権宣言 第一条

―――

第三〇回

 全国中学生人権作文コンテスト

中央大会表彰式

印  刷 平成23年1月25日

発  行 平成23年2月14日

発 行 者 法務省人権擁護局

全国人権擁護委員連合会

東京都千代田区霞が関一丁目1番1号

電話 03(3580)4111 内線5875

URL httpwwwmojgojpJINKEN

第30回全国中学生人権作文コンテスト中央大会審査員

感想をお聞かせください本作文集を読まれた感想等を下記の連絡先又はkeihatsumojgojpまでお寄せください

無断転載を禁じます本作文集に掲載された作文や写真等を地方自治体が広報誌に掲載したり学校が教材に使用される場合などにはあらかじめ下記に御連絡ください

100-8977 東京都千代田区霞が関一丁目1番1号 法務省人権擁護局人権啓発課 TEL03(3580)4111 内線5875

作  家(審査員長) 落 合 恵 子映画監督 山 田 洋 次社団法人日本新聞協会事務局長 川 嶋   明日本放送協会解説委員室解説委員 南   直 樹文部科学省初等中等教育局視学官 三 好 仁 司全国人権擁護委員連合会長 中 村 浩 紹法務省人権擁護局長   井 忠 雄

(敬称略)

【式次第】

第一部

 会

主催者あいさつ

賞状授与

内閣総理大臣賞法務大臣賞

文部科学大臣奨励賞法務副大臣賞

法務大臣政務官賞

全国人権擁護委員連合会長賞

社団法人日本新聞協会会長賞

日本放送協会会長賞(以上各一名)

法務事務次官賞(三名) 計一一名

学校への感謝状贈呈

高円宮妃殿下おことば

来賓祝辞

第二部

各受賞作文の朗読

内閣総理大臣賞法務大臣賞

文部科学大臣奨励賞

全国人権擁護委員連合会長賞

社団法人日本新聞協会会長賞

日本放送協会会長賞

 評

全国中学生人権作文コンテスト中央大会審査員

 山田洋次氏

 落合恵子氏(ビデオレター形式)

第三部

新垣勉さんコンサート

 会 平成二二年一二月一八日(土)

午後一時三〇分〜三時五〇分

於ニッショーホール

「いじめ」や暴力行為等は人権侵害です

法務局地方法務局では

人権侵害による被害を受けた方を

救済するための活動を行っています

お気軽にご相談ください

女性の人権ホットライン

インターネット人権相談受付窓口

ゼロナナゼロのハートライン

0570-070-810

子どもの人権110番ぜろぜろななのひゃくとおばん

 0120-007-110

パソコンから httpwwwmojgojpJINKENjinken113html携帯電話から httpwwwjinkengojpsoudanmobile001html

インターネット人権相談 検 索

Human Rights法務省人権擁護局全国人権擁護委員連合会

人権イメージキャラクター人KENあゆみちゃん人KENまもる君

全国共通通話料無料

全国共通ナビダイヤル

この冊子は環境保護印刷の「水なし印刷」で印刷されています

第30回全国中学生人権作文コンテスト入賞作文集

法務省人権擁護局全国人権擁護委員連合会

人権イメージキャラクター人KENまもる君人KENあゆみちゃん

この冊子には音声コードが各頁(奇数頁 左下偶数頁 右下)に印刷されています専用の読み上げ装置で読み取ると記録されている情報を音声で聞くことが出来ます

Human Rights法務省人権擁護局全国人権擁護委員連合会

 全国中学生人権作文コンテスト入賞作文集

 全国中学生人権作文コンテスト入賞作文集

第30回

ほとんど知られていないのだそのとき父は説明しようと思ったがどうせ分かってもらえな

いと思い「すみません」と謝りとても悲しい気持ちになったそうだ見えている人は時間

が知りたければ時計を見ればすぐに分かるだが目が不自由だと音で聞くしかないのだ私は

障がい者が暮らしやすいような機器が発達してきていることをもっと社会に広めていくことが

必要だと思うそうすることで協力してくれる人や理解してくれる人が増えていくのではな

いだろうか

 

視覚障がい者の方が日常生活を送る上で給付や貸与される機器がある音声で教えてくれる

時計や体重計文章読み上げ器などがそれだこれらは以前県の基準で市が実施要綱を定めて

そこが窓口となって行われていたが法改正により各市区町村対応となったしかしこの日

常生活用具の中に健常な家族と同居している視覚障がい者には給付してもらえない物もあるの

だそれは体温計や体重計であったりするこの体温計がなければ家族が出かけている間に

体調が悪くなっても計測することはできないのだ

 

父の知り合いに赤ちゃんを連れた全盲のお母さんがいる体温を計るのに複数の体温計で赤

ちゃんの体温を計りその体温計に印をつけて病院まで持っていって見てもらったり家族が帰っ

てくるのを待って見てもらうことがあるそうだ私たちは簡単に体温を計ること

ができるが見えない人たちはそれができないために生命の危険にさらされてしま

うことがあるのだせっかく便利な機器が発明されても値段が高くて簡単に購

入できないもしくは制度のカベによってそのサービスが受けられないことがあ

15 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

るしかし私の住む篠山市では父たちの声が福祉課の方々に届き日本で初めて

音声式体温計が同居家族の有無にかかわらず給付されるようになったのである

 

今は携帯電話が音声で読み上げてくれてメールや時間GPSなどの便利な

機能を視覚障がい者の方も利用できるようになっただがそのことを知っている

健常者の方は全国にどれくらいいるだろうかまたこのことを知っている当事者である視覚障

がい者の方が全国にどのくらいいるだろうか私はまだ知らない人が多いと思う

 

ここ十五年程で視覚障がい者の人は白杖をついているということはほぼ知られてきたが生

活を助ける機器が発達してきているということは知らない人も多いだろうそれが「あの人は

目が動いているから見えている」とか「あの人はずっと目をつぶっているから見えていない」

「物を避けているから見えている」「物にぶつかっているから見えていない」という勝手な

思い込みで障がいの重さをはかることにつながっているのではないだろうかでもそれは間違っ

ている目を閉じれば視覚障がい者の疑似体験はできるでもそれはあくまでも体験であって

個人個人の見え方はそれぞれ違うし外見や行動で障がいの重度を判断するのは良くないと私は

思う同じような見え方ができたとしても全く同じ動きなんてできる訳ないのだから毎日父

と生活していてもどのくらい見えているのか私にもはっきり分からないなにげに父たちがこな

している日常の動作であっても私たち健常者にははかりしれない恐怖と不安努力があるの

だ誰でも目をつぶれば見えない世界を体験した気になる松葉杖をつけばその体験をした気

になる車イスに乗ればその体験をした気になるだが本当の障がい者の苦悩と努力の一部

入賞作文集 16

入賞作文

しか体験していないことを知ってお

いてほしい私たちには当たり前に

できるようなことがあってもどん

なに望んでもできない人たちがいる

ということとみんなの正しい理解と

知識が障がい者の明るい未来へとつ

ながっていくということを知ってほ

しいそしてこのことを広めていか

なければならない

 「少しずつhellip一歩ずつhellip」

17 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

 「Pick your 

head up」

 

これは父がいつも私にかけてくれる魔法の言葉です

 「顔をあげなさい下を向かない」という意味です

 

私の父は生まれも育ちもニューヨークのアメリカ人です女の子は父親に似るとよく言われ

ますが私もそうで日本人の母親よりも父の方に髪質も肌の色も本当によく似ています子供

が親に似ることはあたりまえのことですが私はそのためにいやな思い悲しい思いをいくどと

なくしてきました

 

初めて自分がみんなとちがうんだなと思ったのは幼稚園に入学してまもなくのことでした同

じ組の女の子たちが何人かして楽しそうに遊んでいたので

ローリンズ リコ

福島県福島市立渡利中学校 一年

「差別のない世界へ」

文部科学大臣奨励賞

入賞作文集 18

入賞作文

 「まぜて」

と声をかけると一人の子が言いました

 「このグループは日本人で髪がまっすぐな人しか入れないのリコちゃんは髪がチリチリだし

ハーフだからダメ」と

 

私はとても悲しくなりましたそしてそれは卒園するまで続きました

 

小学校は人数も少なかったせいかみんなとても仲良くて私の外見のことを言う人はだれ一

人いませんでしたまるで兄弟のようにみんな自然に接してくれましたでも習い事やいろい

ろな大会など他校の子たちといっしょになる場面ではやはり髪の毛や肌のことをからかわれ

ることはよくあることでした私には二学年上の兄がいますが兄もやはり父の方に似ています

おだやかな性格の兄は私以上につらい思いをしてきたと思います

 

父は兄や私の話を聞くたびに

 「Pick your 

head up」

と言いましたそして

 「自分に自信とほこりをもちなさいあなたたちは二つの文化を受けついでそれはとてもす

ばらしいことなんだよ」

といつも話してくれました

 

中学に入って間もないころでしたある男の子がいきなり私に向かって言いまし

19 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

 「おまえ風呂に入っているのか黒いぞ外国人はくさいからな」

 

私はとてもはずかしくなりましたそしていかりや悲しみがこみあげてきました

まわりにいた友達は彼の言葉に苦笑いをしていました私はいかりのあまり彼をな

ぐりたくなりましたその時私は父のあの言葉を思い出しました私は顔を上げ

相手の目を見て静かに自分の傷ついた気持ちを伝えました

 

彼は私に向かってこう言いました

 「ごめんわるかった」

 

彼は人を傷つけるということが彼の想像以上に重くそしてひどいことだと少し気付いたよう

でした

 

差別やいじめというのは私たちのまわりでは小さなことから大きなことまで本当によくあり

ますそして差別やいじめをしている側からすればそれをじょう談だという人も多いのです

まわりの人たちもやはりじょう談や遊びの中でのことにとらえてしまう人たちもとても多いので

すだから小学校の時から私たちは道徳などでいじめや人権などについて学んでいてもなかな

かそれがなくならないのだと思いますでも実際に差別やいじめをされている方はみんなの想

像よりはるかに傷ついているということつらいということそして悲しいということを私はこ

の人権作文を通してたくさんの人に知ってほしいのですけがをすれば日がたつごとにそのけ

がは治っていくでしょうまわりからも治っていく様子が見てわかるでしょうでも心に受けた

傷は本人にしかわからないのですその傷がどんなに深くて痛いものか本人にしかわからないの

入賞作文集 20

入賞作文

です

 

肌の色が違っていてもかみの毛が

違っていても私たちはみんな同じ人間

です心を持った人間です相手の気

持ちを思いやり相手の立場になって

考えればいじめや差別はなくなると

思います今も世界のいたるところで

人種差別が問題となり争いが起きてい

ます私は世界から差別やいじめがな

くなるように強い心を持ってまずは

自分から立ち向かっていきたいです

21 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

 

あなたには大好きなふる里がありますか私には緑の木々と青い海に囲まれた自然豊かな

大好きなふる里があります私のふる里は過去に公害という大きな被害をうけた水俣ですそ

の水俣病で患者はもちろんそうでない人も長い間差別をうけてきました

 

父が幼い頃まだ水俣病の原因が究明されておらず水俣病はうつると言われていました列

車が水俣の駅につくと窓をしめ手で口をおおった人もいました修学旅行に行くと同じ宿

舎になった学校から苦情を言われたこともありました水俣出身ということで結婚を断られた人

や就職試験をうけることさえできなかった人もいました水俣に住んでいることをかくして隠

れるようにひっそり暮らしていた人もいましたまた同じ水俣に住む人でさえ奇病と呼び距

離をおきましたそのことでたくさんの人々が傷つきあってきたのですいろいろな立場の人々

井いの

上うえ

 由ゆ

紀き

子こ

熊本県熊本県立八代中学校 一年

私の大好きなふる里

法務副大臣賞

入賞作文集 22

入賞作文

がせまい土地に住んでいるのですから仕方がなかったのかもしれません

 

しかし今では原因も究明され海の安全も確認されたことでそのようなことはほとんどな

くなりました私たちは過去のことを忘れるくらい楽しくすごしています

 

私は今八代の中学校に通っています私は自分が水俣出身ということを隠すこともありませ

ん友だちもまたそのことを知っていますがからかったりいじめたりする人は誰一人いません

 

しかし先日水俣の中学校のサッカー部が練習試合中に相手チームの選手から

「さわるな水俣病がうつる」

と言われたという記事が新聞にのっていました今でもこういう風に思っている人がいるのか

と思うと残念で仕方ありません何気なく言った一言だったのかもしれませんがその一言は

私たち水俣に住む者にとって非常に悔しく悲しいものでした

 

小学校の総合的な学習の時間で水俣病について学習しました原因となった会社を訪問したり

患者の方から当時の話をきいたり交流も行いましたそんな中で苦労されたり何も言えずに

黙って亡くなった人のことを知り水俣に住んでいながら何も知らなかったことをはずかしく思

いました水俣病についてしっかり学び正しい知識を得ることが差別や偏見をなくすのだと気

付きました

 

中学校の道徳の時間ではハンセン病について学習しましたこれも水俣病同様

正しい知識がなかったためにおきた悲しく悔しい悲劇でした

 

私たちが差別や偏見をなくすためにできることそれはその人その出来事に

23 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

ついてしっかり知ること知ろうと努力すること正しい知識を深めるために学習

することではないかと思いますそうすれば水俣病やハンセン病のようにむや

みに人と人とが傷つけあったり憎しみあったりすることはなくなるのではないで

しょうか

 

先日テレビで水俣のダイバーが紹介されましたその人は本当はほこりたい水俣を心の中

にじっとしまいこみ誰にも言えず何年もの間生きてきた人でしたしかし水俣の地にも

どり自分はこのすばらしい美しいふる里を紹介したいと海にもぐり写真をとり続けておら

れるそうです心に差別という深い傷を負いながら水俣の再生を皆に知らせたいと頑張る人

がいることに感動しました

 

今水俣はごみの分別リサイクル事業など市民全員で環境にやさしい町づくりをすすめてい

ます私は差別や偏見から立ちなおり再生しようと環境問題に一生懸命とりくんでいるふる

里水俣をほこりに思っています

 

水俣では運動会等多くの行事で「水俣ハイヤ節」というものが踊られますこれは水俣病

の患者の方が水俣の青い海と豊漁を願って振りつけをされた踊りだそうです私たちと同じ思い

をする人が二度とでないことを祈りながら私たちは毎年皆でこの踊りを踊ります

 

水俣の悲しい過去を変えることはできませんが私はあやまちを二度とくりかえさないため

にこの美しい自然を守り真実を語り継いでいきたいですそして差別や偏見のない社会に

なるよう自分から努力していきたいと思います

入賞作文集 24

入賞作文

25 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

 

みなさんは「本当の『平和』とは」と質問されたら何と答えますか「戦争や紛争などが

ないこと」ですかそれとも「自分自身の幸せのこと」ですか一人ひとりの抱く「平和」のイ

メージは違うことでしょう

 

僕の思う本当の「平和」それは「家族」がいて「家庭」があることだと思いますなぜそう

思うかというと今僕は訳あって家族とは離ればなれに暮らしているからです一歳前後には既

に家族とは離れ施設にいました母親や姉兄の存在はわかっていますが一緒に過ごした時

間は限られたもので今でもほとんど交流はありませんそのせいか僕はいつも「家族」や「家

庭」というものに強い憧れを抱いています

 

自分がまだ幼い頃は自分と同じくらいの子が母親と手をつないでいる姿がとてもうらやまし

大おお

田た

 葵あおい

栃木県さくら市立喜連川中学校 三年

「家族」とは何か

法務大臣政務官賞

入賞作文集 26

入賞作文

「どうして自分には母親がいないんだろう」と思っていました仕舞いには自らの母親を恨ん

でしまったのです小学生になってもその気持ちは変わらず母親への恨みは増すばかりでした

 

しかし小学五年生の夏思いもよらぬ出来事が起きましたそれは引っ越しがあったこと

ですそこで僕は新しい土地そして新しい里親という人たちに出会いました里親の人たち

と暮らした数年間僕は幸せでしたそこで僕は僕の周りにはいつも支えてくれる人たちがい

ることに気づきました血のつながりがなくても僕に自分の子どものように接し育ててくれ

た里親の人たち養護施設の先生方などたくさんの方たちに僕は見守られて成長してきたこと

に気づいたのです僕を支えてくれる人すべてに感謝の気持ちがわき出てきましたそれ以来

僕は親という存在にこだわらなくなりましたそれどころか自分に命を与えてくれた親に感謝

の思いを抱くようになったのです

 

この夏母親の育児放棄が原因で二人の乳幼児が衰弱死するという悲しい事件がありました

二人の子どもにろくに食事も与えず風呂も入れなかったそうですさらに逮捕後その母親は

「家に帰ってあげなかったことを今も後悔している子どもは私を恨んでいると思う」

という言ってはならない発言をしました僕は怒る前に亡くなった二人の子ども

たちがかわいそうでなりませんでした

 

と同時に僕はこの母親はどうしてこのようなことをしてしまったのだろうと

すごく考えさせられました僕は本来親は子どもを殺すのではなく守るために

27 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

いるのだと考えますたとえ小さな子どもでも立派な一人の人間ですその命を

守り育てていくことが親として大切な役目だと思うのですこの母親はどこで

勘違いしたかは知りませんが親としての自分の責任を理解していなかったのでは

ないでしょうか

 

そしてその勘違いを誰も母親に気づかせてあげられなかった事実母親が一緒に遊び歩いて

いた友人はもちろん母親の家族が少しでも助けることができていたら母親の行動を戒めるこ

とができていたら連絡を受けた児童相談所がもう少し踏み込んだ行動が取れていたらこのよ

うな悲しい結末にはならずに済んだのではないでしょうかやりきれない思いばかりがこみあげ

てきます

 

もう一つこの母親は大きな勘違いをしていますそれは「子どもは私を恨んでいると思う」

という言葉です僕はこの子どもたちが母親を恨んでいるとは思えません子どもたちは母

親が帰宅するといつもハイタッチをして喜んで迎えたそうです子どもたちは母親のことが大

好きだったのでしょうたとえ自分たちを見放した母親でも恨んでいるとは決して思えないの

です

 

子どもは心の底から自分の母親のことを恨めないと僕は思いますこの世に生を受け笑った

り怒ったり泣いたりと毎日いろいろな経験ができるのは自分を生んでくれた母親という存在

があったからです正直僕も小さい頃は母を恨んだことがありました愛情の裏返しというよ

うに母親への思いが憎しみに変化してしまったのですでも心の底には母への恨みとは全く

入賞作文集 28

入賞作文

正反対の気持ちが存在し続けていましただ

からこそこの子どもたちがどんな思いで死

んでいったのかわかるような気がします母

親を信じひたすら母親の帰りをまちわびて

いた思いが

 

僕にとっての「家族」それは同じ屋根の

下で暮らす人々のことですたとえ血はつな

がっていなくても僕を支え励ましてくれる

人たちそのすべての人が僕にとっての大切

な「家族」なのです今僕の暮らす養護施設

にはいろいろな事情を抱えた二歳位から高

校生までの子どもたちや職員の方が約六十人

います今の僕には全員大切な「家族」で

す僕はこれからもこの「家族」を大切に

一日一日精一杯平和に生きていきたいです

29 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

 

授業でハンセン病について学んだ日両親と「偏見」や「差別」について口角泡を飛ばす議論

を深夜まで繰り広げた身体障害者の父と看護師の母を持つ私は幼い頃から「命の大切さ」を

訴える両親の姿を見て育って来たそんな私は真摯な気持ちからハンセン病罹患者と向き合い

たいと思いこの夏草津にある療養施設栗生楽泉園を訪れた

 

草津までの道のり私は罹患者の気持ちを絶えず考えていたハンセン病について調べると「ら

い予防法」により罹患者は隔離され人権を無視された扱いを受けたことが分かった罹患者の

言葉が書かれた本ではどんなに過酷な仕打ちを受けたか他人をどれほど恨み憎んでいるか

が書かれていたその為私は無意識の内に「罹患者は全員恨みを抱いている」と勝手に思い込

んでいたしかしこんな思い込み自体が偏見や差別を生む原因になるということを後に思い知

大おお

井い

 海み

琴こと

群馬県群馬大学教育学部附属中学校 三年

忘れてはならないこと

全国人権擁護委員連合会長賞

入賞作文集 30

入賞作文

らされることになるのである

 

私を迎えてくれたのは入園者自治会長の藤田三四郎さん藤田さんは大変お元気でその容姿

からはハンセン病を伺い知ることはできなかったしかし藤田さんは紛れもない罹患者なのだ

その証拠に藤田さんの名は本名ではない罹患者は施設に入所するにあたり偽名を使用させら

れたと言うつまりその時点で罹患者は世間から存在を消されてしまうのであるそんな藤田

さんから語られた話はハンセン病だと宣告され三度も命を絶とうとしたこと重症患者の看

護を押しつけられ数え切れない人を看取り自らの手で葬ったこと家族が受けた迫害や侮辱的

な言葉など想像を絶するもので筆舌し難いものだったしかしこんな迫害と差別は同時にハ

ンセン病患者達の人権回復闘争の歴史でもあったのだ闘争の末「らい予防法」が廃止される

と今まで差別や人権侵害を繰り返していた多くの人が掌を返す様に態度を変えたと言う私は聞

いていて怒りを覚えたが不思議なことに耳を塞ぎたくなる様な内容を語る藤田さんからは全

く怒りや恨みが感じられないのだ私は話を聞くまで自分の運命を呪い周囲への恨みつらみ

の言葉が出てくるとばかり思っていたしかし出てきた言葉は「入園出来て良かった差別は

受けたが今では恨みを抱く罹患者も少なくなったそればかりか最近はたくさんの人が我々を

理解し協力してくれるので嬉しい何故なら一人の百歩は力が無いが百人の一歩

は力になるから」と言う感謝の言葉だったのだ本当に「恨みは無いのか」と何度

聞いても答えは同じだった私は恥ずかしくなったハンセン病について調べ罹

患者の心を理解したようなつもりでいながら実は何も理解できてなくてそれば

31 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

かりか罹患者を偏見の眼で見ていたのは私自身だったのだ私は話を聞いてとめ

どなく溢れ出る涙を拭いながら心の片隅に潜んでいた「偏見と言う名の種」が身

体から洗い流されていくのを感じていたそれは同時に「思い込みや無知が偏見

や差別を生みだす」ことを強く感じた瞬間でもあったそれだけに藤田さんの「自

分と同様に他人を愛すればいつか必ず世界から差別はなくなる他人を愛して下さい」の慈愛に

満ちた言葉が一層重く腑に落ちるのだった

 

帰りがけ千五百ページにも及ぶ「入所者証言集」を手渡されたその際私は見えない襷も

手渡された気がしたその襷とは証言集に記された罹患者の「事実を風化させないで私達の事

を忘れないで」という搾り出すような叫び声とその姿だったのである

 

ハンセン病が治る病気であるのに誤った知識から悲惨な人権侵害が長期に渡り続いた同じ間

違いを繰り返さないためにも事実を語りついで行く必要があるここ楽泉園でも高齢化が進み

証言者の数が減っているこれは全国一五全てのハンセン病療養所に共通することだハンセン

病問題は罹患者がいなくなればそれで終わると言う問題ではない今後人権問題を考える際重

要な指針になりうる事実なのだそしてこの事実の風化を防ぐことが私達若い世代の役目だと

私は思う

 

私は小六の時友人達から突然イジメを受けたそれを引きずり他人を恐れ憎み自分を

嫌って生きて来たしかし罹患者の声が私に生きる力と前を向いて歩む勇気を与えてくれた

楽泉園訪問は私に人生観が変わる程の衝撃を与えてくれたのだこんな私だが罹患者の声を伝

入賞作文集 32

入賞作文

える「百人の中の一人」にはなれるはず

だそのために私は今この作文を書い

ている文字は時を越えて生き続けるか

ら私はこれからも楽泉園訪問を続ける

つもりだ実際に中学生の私が出来るこ

とには限りがあるが差別や偏見を少し

でも減らすために一歩を踏み出すつもり

でいる「自分と同様に他人を愛すれば

いつか差別は無くなる」と言う藤田さ

んの言葉を胸に

33 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

 

森に囲まれたその一画には教会や寺院神社があり小さなショッピングセンターやレスト

ランもある床屋や図書館郵便局や浴場もあるしかしそれらの施設を利用するのはその一

画に住む人たちだけだ緑の外側に住む人が利用することはないそこはハンセン病の療養所

多磨全生園である

 

僕は七年前に清瀬市に引っ越してきた夏のある日昆虫が大好きな僕は何気なくその森の

中に入って行ったそして歩き回っているうちにその場所が一つの「町」であることに気付

いた

 

毎日セミやカマキリやナナフシを探しながらどうしてこんな所があるのだろうと思った

 

僕が一番不思議に思ったのは古い木造の小学校だいつも誰もいない校舎と小さな運動場近

久く

米め

 一かず

輝き

埼玉県学校法人立教学院立教新座中学校 一年

ハンセン病について考えたこと

社団法人日本新聞協会会長賞

入賞作文集 34

入賞作文

くに小学校があるのにどうしてこんな所に小学校があるのだろう小学一年生の僕はとても不思

議に思った

 

夏に地域交流を目的とした盆踊りと花火大会が行われるいつもは人のいない小学校跡は多く

の人であふれかえり普段は見かけない重い後遺症の老人たちもこの日は外に出て盆踊りを楽し

む初めて参加したときは言葉が出なかった正直「怖い」と思った

 

夏が来るたびに僕は盆踊り大会に参加した低学年から高学年へと進むにつれて少しずつハ

ンセン病のことが分かってきた

 

六年生のときに社会科見学で全生園の元患者を訪れることになっただが僕は都合で参加で

きなかった僕はそれをずっと悔やんでいる

 

今年の夏僕はハンセン病資料館に出かけた見学者は僕一人でとても緊張したなるべく

音を立てないようにパネルを見て回った

 

強制隔離の現実にとても驚いた狭い部屋に押し込められ症状の軽い患者が重症の患者の世

話をしたという子供を持つ権利や生まれる赤ん坊の命まで奪われていた逃げ出したり反抗的

な患者は「不良患者」と呼ばれ窓の小さな暗い監房に閉じ込められた

 

医学が進歩し療養所も徐々に改善されていったが強制隔離を命じる「らい予防

法」が廃止されたのは一九九六年だという隔離が始まった一九〇八年から約九〇

年も経っていた僕が生まれるほんの一年前のことである特効薬が開発され本

格的な治療が始まったのは昭和二十二年である現実に合わない法律を廃止するの

35 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

にどうしてそんなに時間がかかったのだろうか

 

資料をもらってハンセン病資料館を後にした家を出るときは帰りに虫の観察

をするつもりだったがとてもそんな気にはなれなかったいつもセミが集まる桜

の木には目もくれずに早足で家に帰った

 

資料の中で一番心が痛んだのは療養所の子供たちのことだ療養所に入所したのはハンセン

病を発症した子どもたちだけではない親が発症したために入所する子どもたちもいた当時は

ハンセン病は遺伝病だとされていたからだ親から無理やり引き離された子どもたちは「すぐに

帰れるから」という言葉を信じていたというしかし一生療養所を出ることができなかった人が

多かったという社会的な差別がひどかったからだと資料に書かれていたが僕には実感がわか

なかったのでもう少し調べてみることにした

 

図書館で『ハンセン病を生きて』(伊波敏男著)という本を見つけた少し難しかったが差

別の現実が僕にもわかる部分があったそれは元患者たちに対して書かれた匿名のひどい手紙

である長年隔離されて苦しんできた人たちをさらに傷つける言葉が並んでいた悲しく暗い

気持ちになった

 

日本は経済大国として世界の注目を浴びているだが人権意識の面ではどうだろう「らい

予防法」を二〇世紀の末まで廃止できなかったことをどう考えたらよいのだろうか明治時代に

隔離が始まったときそれは外国に対する体面を保つためだったという病気の人を治療するの

ではなく「隠す」のが目的だったのだいまだに差別意識を持つ人がいるのは社会がそうした

入賞作文集 36

入賞作文

過去に対する反省をしていないから

だと思う

 

僕が不思議に思った小学校はすで

に取り壊されて今では小さな石碑

だけが残っている老朽化がひどく

残しておくことができなくなったか

らだという全生園の古い建物はど

んどん取り壊されていく石碑だけ

ではあの不思議さが伝わらないのが

とても残念だ

37 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

 

僕の曾祖父は医者嫌いでしたそのため腹痛で病院に運ばれた時は膵臓癌の末期で余命三ヶ

月でした手術もできない手遅れの状態でした家族皆で話し合い曾祖父の辛い気持ちを第一に

考え曾祖父に病を隠すことになりました曾祖父は次第に病院の中を歩いては転倒し体中あ

ざだらけになりベッドの上で縛られることになっていました曾祖父は病名の宣告を受けてい

ないため元気で歩けると思っているが実際歩くと転んでしまう何でこんな風になってしまっ

たのかさえわからない

 

家族と病院に行くと「包丁もてこいこれぶった切って家さ帰る」と騒いでいましたあん

なに優しかった曾祖父の姿に言葉も出ず恐いくらいでした何も知らされずベッドに縛り付

けられれば誰もがそうなることでしょう「じいちゃんどご一緒に車さのせでいてくれの」と

櫻さくらだ田

 要かな

太た

山形県酒田市立松山中学校 三年

日本放送協会会長賞

悔いのない最期を

入賞作文集 38

入賞作文

せがまれたときもありますかわいそうで涙がポロポロこぼれました「おじいちゃんどご家

さ連れで帰ろうよ」とせがんでも家族も仕事で忙しいためか誰も首を縦に振ってくれず病院

にいた方が安心ということになりました膵臓癌は予想以上に激しい痛みのため医師から強い

痛み止めと強い睡眠剤を勧められましたがそれを導入することにより安楽死に近い状況にな

ることも医師から告げられていました家族は決断をせまられました曾祖父に相談もせずに決

めていいことなのか家に帰りたい曾祖父の意志は封じ込められたままでいいのか家族で悩み

ました結局痛みに耐えている姿は見ていられなくその薬を使うことになりましたその後

曾祖父は次第に弱っていき口も利けなくなり静かに亡くなっていきました僕はどこか心を

引きずったままでした僕達家族が曾祖父に宣告もせず意見も聞かず命の長さを決めてしまっ

たこと当時幼かった僕には何もしてあげられなかったことが今思い出しても残念です

 

最近授業で人権について学習しているときに幼い頃の記憶がよみがえりふと曾祖父のこと

を思い出しました

 

曾祖父はどんな思いで亡くなったのだろう最後に意識のあるうちに一度でいいから家に帰っ

てきたかっただろう身体拘束は今は病院でも禁止されていると思いますがあの頃は確かに曾

祖父のおなかに黒いベルトのようなものが巻きついていました決して自分の力で

は外せないようなものでしたもがき苦しむ曾祖父の姿を見た時に看護師さんに

目を隠され別の部屋に連れて行かれました見せたくない光景だったのだと思いま

すでもあの姿は僕の脳裏に焼き付いています病院の中での人材不足のためだっ

39 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

たのでしょうか人が人らしく生きていない姿でした

 

七十八年生きてきて何も悪いことをしていないのに縛られ家にも帰れない

病気で余命幾ばくもない人には人権というものは存在しないのでしょうか最近の

医療の現場では自己決定権があることについて学びました

 

仏壇に向かい静かに目を閉じると優しく穏やかに微笑む曾祖父の笑顔が浮かびますどんな

気持ちで亡くなっていったのかその気持ちを考えると苦しい気持ちになります野球の大会に

行く前仏壇に手を合わせます「やればできる努力しろ」とよく励ましてくれました曾祖

父の力には何もなれなかったけれど目には見えない力で応援してくれる曾祖父に線香をあげて

自分を省みる時があります曾祖母が元気なので曾祖父を助けられなかった分曾祖母の力に

なっていくことを曾祖父に約束しています

 

夏休み中のニュースで高齢者の所在不明者が多数のため百歳以上の安否確認調査をしていま

した自分の親を平気で捨て遺骨さえもひきとらない亡くなっていたのに年金を不正受給する

ために隠していたなど耳をふさぎたくなるような事件もありました犬や猫が年をとって弱っ

てきた手がかかるから面倒だからと捨ててしまうそれと同じ現象が弱い高齢者にも及んでき

ているのだと思います

 

やはりこの世に生まれてきたもの全てに自分の意志で生きることを決めていける権利がある

と思います長い年月を苦労や努力と向き合いながら精一杯生きてくれたおかげで今の幸せが

あることを忘れずにいたい人はいずれ誰でも年をとります自由に動けなくなった時に自分の

入賞作文集 40

入賞作文

願いが叶う社会を築き「悔いなく満足で楽しく幸せな人生だった」と思えるように人とし

ての誇りを持って満足できる最期を迎えられるように考えていきたいもう二度と僕が見た自

己決定権のない社会にならないように高齢者には今までの感謝の気持ちで本人の希望をでき

るだけ叶えられるように努力していきたいいずれ僕達も迎える高齢社会だからhellip

41 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

 

私は小学六年生の時から盲導犬候補の子犬を育てるボランティアをしています「犬を飼っ

てみたい」と言う私に両親が「せっかく犬を飼うのなら社会に役立つことをしよう」と提案

したからです生後二ヵ月の子犬を預かり一歳の誕生日を迎えるまで世話をするのがボランティ

アの役目です初めて訓練士さんから子犬を手渡された時は不安でドキドキしましたが子犬は

すぐに私の腕の中で眠ってしまいました初めて会った私のことを信頼して安心しきった寝顔

で眠っている姿は本当に可愛かったですラブラドールの子犬はとてもやんちゃで私の家にやっ

て来たその日からいたずらばかりしていましたがしかられてもクヨクヨせずどんな相手にも

 林はやし

 里り

咲さ

東京都小平市立小平第六中学校 三年

差別のない社会に

(パピーウォーカーの経験から学んだこと)

法務事務次官賞

入賞作文集 42

入賞作文

フレンドリーに近づいていく姿から私は明るく前向きに生きることを教わりました子犬たち

と過ごした日々は私にとって一番の宝物ですそしてあっという間に一歳の誕生日がやって来ま

した誕生日が悲しいという経験は初めてでした訓練所への入所日の前日には長い長い散歩を

して最後のお別れをしました「今までありがとう」そう言った私のことを不思議そうに見てい

た子犬の顔が今も目に焼きついています別れは本当につらいけれど涙を見せたら子犬が心配す

るので頑張って笑顔で見送りました

 

私の家で育てた一頭目の子犬は現在盲導犬になって頑張っていますそして今年四月に巣立っ

ていった二頭目の子犬は神奈川にある訓練センターで訓練中です

 

このボランティアを通して私は多くのことを学びましたまず盲導犬の役割ですがこれは単

に目の不自由な方が便利に一人でどこへでも行けるようにするためだけではありません視覚障

がいのある方にとって人の手をわずらわせるのはとてもつらいことなのだそうですたとえ家

族に対してでも「迷惑をかけるのではないか」と思って我慢することが多く「私なんかいない

方がいいんじゃないか」と考えてしまうこともあったといいますその失われそうになった尊

厳を取り戻す手助けをするのが盲導犬の役目なのです犬は訓練を共にするパートナーのことを

大好きになるので「自分は他者からこんなにも大好きになってもらえる存在なん

だ」と気づいて自信を取り戻し新しい一歩を踏み出せるようになるのだそうです

 

また私がボランティア登録している日本盲導犬協会では二〇〇八年に新しい

試みが始まりました受刑者が盲導犬候補の子犬を育てる動物を介在した日本初

43 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

の教育プログラムです罪を犯した人も心から反省してきちんと罪を償えば社会

は差別することなく受け入れるべきですしかし実際はとても偏見が多く元受刑

者たちは「どうせ自分はだめな人間なんだ」と思い再び罪を犯してしまう悪循環

が起こっているそうですその悪循環を断ち切り受刑者たちがスムーズに社会復

帰を果たせるよう支援するのが「あさひ盲導犬パピープロジェクト」です受刑者たちは約十ヵ

月の間子犬たちを世話しながら一緒に過ごし「役に立つ喜び達成する喜び信頼される喜び」

を感じることで自分の価値を再確認するのだそうです今年一月に第一期のプロジェクトを修了

した受刑者の感想に次のようなものがありました

 「今後自分もパピーに笑われないようにきちんとしなければならないパピーは慈しむこと

寛容の心を教えてくれました」

 

犬は決して差別をしません健康な人にも障がいのある人にもお金持ちにも貧しい人にも

権力のある人にも犯罪を犯した人にも全く同じように接してくれますそんな犬たちと一緒に過

ごすことで自信をなくした人たちも自分のことをかけがえのない大切な存在であると思えるよ

うになるのです

 

私たち人間も差別のない社会をつくる努力をしなければならないと思います一人一人が相

手を大切に思う心を忘れなければこの社会はもっと住み良い場所になるはずです私はこのボ

ランティアを通して学んだことを生かしてこれからも一層努力していきたいと思います

入賞作文集 44

入賞作文

45 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

 

僕は祖父のために自助具を作ろうと思った祖父は去年の夏脳梗塞で倒れた祖父は一命

を取り留めたものの右手と右足がまひしてしまったのだその三週間前僕も車椅子から転倒し

て足を骨折した

 

僕には障害がある車椅子で生活することが多いしかし僕のことを障害者だといって差別

するような友達は一人もいない

 

祖父は歩けるようになりたいという気持ちが強かっただからリハビリを頑張り自分で

歩けるようになるまで回復した頑張っている祖父がかっこいいと僕は思った祖父はリハビ

リを頑張ったにも関わらず右手がうまく動かせなくなってしまっただからご飯を食べる時も

服を着替える時も時間がかかる普段何気なくやっていた動作がとても大変だと祖父は言ってい

守もり

田た

 幸こう

平へい

静岡県静岡大学教育学部附属浜松中学校 三年

祖父への靴下

法務事務次官賞

入賞作文集 46

入賞作文

た僕も何か役に立てることはないかと考えた

 

僕の学校には総合学習という授業があるそこで僕は福祉というカテゴリーを選んだ自

分で社会に役立てることを考え実際に行動することが目標だった僕は障害者のために何が

できるかを考えた

 

僕は二年前に静岡文化芸術大学で障害者がいかに日常生活で不自由のない生活ができるかを

考えるプロジェクトがあるのを新聞で知ったそれは大学生たちが個人個人にあった自助具を

作るプロジェクトだった僕は障害者のために何かできるのではと感じた

 

僕は静岡文化芸術大学へ行って僕にもできることがないかと聞いたすると学生さんが

自助具を作ってみないかと声をかけてくれた僕は迷わず「はい」と言った障害者のために

役に立てることがあると思うとすばらしいことだと思ったからだ

 

祖父のつらい顔を見ると日常生活に数々の大きな壁があることが伝わってくる

 

僕は祖父の数々の大きな壁を突き破ろうと思った祖父のために自助具を考え作ろうと僕

は思った祖父が靴下の脱ぎ履きが大変だと言っていたことを思い出したそこで脱ぎ履きし

やすい靴下はできないか考えた靴下の両脇にひもを取り付けてそれを引っ張ると靴下が縮み

脱ぎ履きしやすくなる仕組みだ大学の先生も良いアイディアだと言って褒めてく

れたこれは障害者だけでなく健常者にも使えると言われたユニバーサルデザ

インだと分かった

 

ユニバーサルデザインは年齢や障害の有無にかかわらず全ての人が使いやす

47 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

いように工夫された用具などのデザインである境界がなくなるように健常者が障

害者に対する偏見を考え差別意識がなくなるチャンスだと思った障害者と健常

者が共によりよく生きることが大切だと僕は思った

 

自助具の作品展では杖をついているお年寄り車椅子に乗った若い女性目の

見えない人福祉関係者など沢山の人々が観に来ていた皆自分の生活を良くしようと思っ

ているようだったまた障害者のためにできることは何だろうかと考えている健常者もいるよ

うだった

 

二年生の時の総合学習では二箇所のデイサービスを訪問したデイサービスには六十五歳以

上のお年寄りがいた暗く元気のない人明るく振る舞い誰とでも話せる人など様々だった

しかし僕が一番印象に残ったのは笑顔を絶やさず優しくお年寄りに接していた介護士だった

お年寄りの中には悩みを抱えている人が多いそうだその悩みを解消させる人もまた介護士だっ

た僕は介護士がお年寄りの体を支えるだけではなく心もそっと支えて生きる喜びを与え

ているのだと感じた

 

現代は三世代で暮らす家族が減り核家族が増えているそれはお年寄りの世話が大変だ

からという理由が多いだから老人ホームやデイサービスに預ける人が増えていると僕には

思えたお年寄りの中には自分が嫌われているのではないかとさえ思ってしまう人もいるそう

だそれはお年寄りにとって辛く悲しいことだと思うある介護士がこんなことをおっしゃっ

ていた「人の優しさはお金では買えない」誰にでも優しい心があると思うしかしあと一歩

入賞作文集 48

入賞作文

のところで行動に移すことができない人が多いの

だ僕たちが平和な社会で暮らせるのは今まで

頑張ってきてくれたお年寄りのお陰であることを

忘れてはいけないお年寄りを大切にすることは

当たり前のことなのだ

 

また障害者に対しても偏見の目で見ないで

そっと近づいて手を貸してあげれば健常者との

高い大きな壁を崩すことができると思う

 

障害者にも高齢者にもまた健常者にも人権

はあるお互いの人権を大切にすることが明る

い未来に繋がっていくのだと思う

 

早く祖父に僕の作った靴下を届けたい

49 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

 

僕は小学校六年生まで福岡県に住んでいましたそこで僕が体験したことです五年生のこ

ろ僕の友だちのA君が同級生のK君の靴を隠したりからかったりしていることがよくあり

ました最初は僕もあまり気にしていませんでしたがK君のことを「なんだかかわいそう」と

思うようになりました

 

ある日僕は勇気をだして先生に「K君がいじめにあっています」と報告しました初め先生は

「じゃれ合っているだけだろう」と「いじめ」とは思ってくれませんでしたでもその後「いじ

め」と分かりA君は先生に注意されその日一日は反省した様子で過ごしていましたしかし

次の日学校に行くといじめは前以上にエスカレートしていて蹴ったりたたいたりするように

なりましたしかも「死ね」「うざい」「消えろ」などの言葉が飛び交うようになりそんな日々

法務事務次官賞

浦うら

谷たに

 毅たける

徳島県三好市立池田中学校 三年

いじめをなくすために今

入賞作文集 50

入賞作文

が続きました

 

それは六年生になっても続きました僕はそのいじめを止めることができず毎日見て見ぬ

振りをしていました今思うと自分がとても恥ずかしいです本当の友達なら止めるべきなの

にそれだけではなくいじめられているK君に声一つかけることができずにいました心の中

ではA君に「やめろよ」と言おうと思っていたけどなぜか勇気が出ませんでした次にい

じめられるのが自分になるのが恐くて言えなかったのです

 

そんな日々が続く中僕の気持ちを大きく変える出来事がありました父の死ですそのとき

のことは今でも忘れることができません聞いたときには頭の中が真っ白になりました最初

は信じることができませんでした一週間も二週間も学校に行けずただぼーっと過ごしてい

ましたいろんなことを考え徐々に「死」というものの悲しさつらさ「死」という意味の

重さがわかってきましたそして時間はかかりましたが「命は一瞬にして消え二度と戻っ

てこないものだだから命を大切に今を大切にしなければならない」と深く受け止めることが

できるようになりましたそして周りの子たちは僕のような経験がないから「死ね」とか軽々

しく言えるのだろうと思いこの気持ちを伝えなくてはならないと考えました僕が強くならな

くてはと思いました

 

こんな気持ちになったとき僕には時間がありませんでした母の実家がある徳

島への引っ越しが一週間後に決まっていたのです落ち込んでいる暇は無いと思

い学校に行った僕はA君に言いました「いじめなんかやめろよいじめたって

51 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

喜ぶ人はいないし悲しむ人がいるだけだろ自分だってほんとは嫌だろ『死ね』

とか『消えろ』とか言葉の重さを知らないのに言うなよ」と言いました父親の

突然の死そのあと僕が考えたことも伝えました

 

友だちは黙って聞いてくれました僕の言葉にうなずいてそのあとK君の

ところへ行き「ごめん言葉の重さも知らずに言って本当にごめんぜったいに死ねなんて

ことは言わないそしていじめは絶対にしないほんとうにごめん」とあやまりましたK君

はとても優しい笑顔で「いいよ」と一言言いました僕もK君に言いました

「今まで助けてあげられなくてごめん」

K君は笑顔で「ありがとう」と言ってくれました今まで自分の中でもやもやしていた気持ちが

スーっと晴れました

 

今も時々耳にする暴言冗談半分で言っているのかもしれませんしかしいついじめにつ

ながるかわかりません他人を傷つけることで自分のストレスを晴らそうとしているのでしょう

関係ないふりをしようとする自分がいます楽な考え方をする自分がいますそんな時亡くなっ

た父の顔やK君の優しい笑顔を思い出しますあの時の自分のように強い気持ちを持とう「や

めろよ」と一言言うするとまた気持ちがスーっとしてきました

 

父の分も頑張って生き抜こうと決めた僕にとって正しいことを素直に認め悪いことを否定

できる強い意志を持つことが目標ですそして何よりも命を大切に今を大切にしていきたい

と思っています

入賞作文集 52

入賞作文

53 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

 

ぼくは今まで四つの外国に暮らしいろいろな国の人たちの中で育ってきた

 

まずタイで生まれてタイ人のメイドさんやドライバーさんにいつも遊んでもらっていた

らしい一才になると週一回の体操教室にも通いタイ人の友達もいたそうだ

 

次にシンガポールでは初めてナサリースクール(保育園)に通いいろいろな国の友達と

知り合ったプレイルームにある滑り台を滑る順番争いでいつも勝つのは体の大きい金髪の友

達だった

 

一回目の香港生活では英語の幼稚園に通ったその時のぼくの一番の友達はカナダ人だった

彼とはよくベイブレードをして遊んだが父が日本の出張で買ってきてくれた独楽や剣玉をして

遊ぶこともあった

村むら

瀬せ

 広ひろ

高たか

香港日本人学校中学部 二年

国境をこえて

海 外 作 品

今回は本選への応募とすることはできませんでしたが

 海外から寄せられた作品のうち一作品を御紹介します

入賞作文集 54

海外作品

 

それからインドでは日本人学校に通ったが夏休みには毎年アメリカンスクールのサマー

スクールに参加したし日本人のいない現地のテニススクールにも入り二年間通ったまたイ

ンドの現地幼稚園に通っていた妹のベストフレンドはコンゴ人でその兄弟もぼくの友達だった

 

そして三年間の日本生活を経て今また香港に戻ってきた

 

このようにぼくはいろいろな国でいろいろな国の人たちのお世話になりいろいろな国

の友達と遊んで育った肌が真っ黒な友達もゲームの話をすればすぐに仲良くなれたし髪が

金色の友達もポケモンの話をすれば気が合ったぼくは小さい頃から英語はうまくしゃべれ

なかったけれどもジェスチャーをつけたでたらめ英語でも充分に話は通じただからいろい

ろな国の人たちの中でぼくが日本人だからといって差別されたり嫌な思いをしたりしたこと

はないしぼくも肌の色が違うからとか言葉が通じないからという理由で違う人間だと思っ

たことはないそうぼくは外国人を差別したことはない

 

しかし本当にぼくは外国人を差別したことがないのだろうか外国人を差別した発言を一

度もしたことがないかと考えると自信がない

 

例えば香港人には赤信号でも平気で渡る人がたくさんいるそれを見てぼくは

「香港人はしょうがないな」

と思うでもよく見ると香港人全員が信号無視をしているわけではないまた

世界には今でも戦争をしている国がいくつもある

「人を傷つけ合うなんて馬鹿げている」

55 第30回全国中学生人権作文コンテスト

海外作品

とぼくは悲しくなるでもそれも好きで戦っている人がいるとも思えないその

人たちがそうなったのには何かきっと原因があるはずだ

 

逆に外国人から見ると日本人はどのように思われているのだろう

 

インドから日本に帰国した時毎日ごみがたくさん出ることにぼくはとても驚

いたインドの人たちがよく使う道端にあるカレー屋さんではバナナの葉で作ったお皿にカ

レーを入れてくれる食べた後そのお皿を道に捨てるとのら牛がその葉っぱを食べるそして

牛のふんは燃料になるというそれに比べて日本はちょっと歩くとペットボトルの飲み物が

買えファーストフードのお店では使い捨ての食器を使い立派なお菓子の箱を開けると中身が

少なくてがっかりすることもあるある時母が捨てたジャムの空きびんをメイドさんとエア

コンの修理にきていたワーカーさんとが取り合ってけんかをしていたこともあったそれを見

てぼくはあきれてしまったが逆にインド人から見ると使い捨て文化のしみついた日本人は

とんでもない人間にみえるのかもしれない国によって考え方や行動パターンが違うのは歴史

的背景や宗教習慣気候などのいろいろなことが関わっているのだと思う

 

このように考えると差別とはその人の一部しか見ていないことや自分のやり方だけが正

しいと思うことからおきるのではないかと思うその人が自分とは違った行動をとったとしても

それには深い理由があるのだろうと考えればきっと納得できると思うぼくもこれからは否

定的な発言をする前にその人たちのことをいろいろな角度から見て理解する努力をしてみよう

と思う外国との間には自分の国とは違う言葉や文化という壁があるとみんな言うがそこに

入賞作文集 56

海外作品

あるのは壁ではなく橋だとぼくは思う理解

し合おうという気持ちがあればきっと誰でも

その橋を渡っていけるはずだ気持ちの国境を

こえるのにパスポートはいらないお互いを理

解し合おうと思う気持ちが一番大切だと思う

そしてぼくはこれから日本人として生きる

のではなく地球人として生きていこうと思う

57 第30回全国中学生人権作文コンテスト

海外作品

法務局地方法務局名 郵便番号 所  在  地 電  話

金沢地方法務局人権擁護課920-0024 金沢市西念3-4-1金沢駅西合同庁舎(平成23年3月11日まで) 076-231-1244

921-8505 金沢市新神田4-3-10金沢新神田合同庁舎(平成23年3月14日から) 076-292-7804

富山地方法務局人権擁護課 930-0856 富山市牛島新町11番7号富山合同庁舎 076-441-6376

大阪法務局人権擁護部 540-8544 大阪市中央区谷町2丁目1番17号大阪第2法務合同庁舎 06-6942-9492

京都地方法務局人権擁護課 602-8577 京都市上京区荒神口通河原町東入上生洲町197番地 075-231-0131

神戸地方法務局人権擁護課 650-0042 神戸市中央区波止場町1番1号神戸第2地方合同庁舎 078-392-1821

奈良地方法務局人権擁護課 630-8305 奈良市東紀寺町3-4-1奈良第2法務総合庁舎 0742-23-5457

大津地方法務局人権擁護課 520-8516 大津市御陵町3番6号大津法務総合庁舎 077-522-4673

和歌山地方法務局人権擁護課 640-8552 和歌山市二番丁2番地和歌山地方合同庁舎 073-422-5131

広島法務局人権擁護部 730-8536 広島市中区上八丁堀6番30号広島合同庁舎 082-228-5790

山口地方法務局人権擁護課 753-8577 山口市中河原町6番16号山口地方合同庁舎2号館 083-922-2295

岡山地方法務局人権擁護課 700-8616 岡山市北区南方1丁目3番58号 086-224-5761

鳥取地方法務局人権擁護課 680-0011 鳥取市東町2丁目302番地鳥取第2地方合同庁舎 0857-22-2289

松江地方法務局人権擁護課 690-0886 松江市母衣町50番地松江法務合同庁舎 0852-32-4260

高松法務局人権擁護部 761-8077 高松市出作町585-4 087-815-5311

徳島地方法務局人権擁護課 770-8512 徳島市徳島町城内6番地6徳島地方合同庁舎 088-622-4171

高知地方法務局人権擁護課 780-8509 高知市栄田町2丁目2番10号高知よさこい咲都合同庁舎 088-822-3331

松山地方法務局人権擁護課 790-8505 松山市宮田町188番地6松山地方合同庁舎 089-932-0888

福岡法務局人権擁護部 814-0005 福岡市早良区祖原14-15福岡法務局西新出張所庁舎5階 092-832-4311

佐賀地方法務局人権擁護課 840-0041 佐賀市城内2丁目10番20号佐賀合同庁舎 0952-26-2148

長崎地方法務局人権擁護課 850-8507 長崎市万才町8番16号 095-826-8127大分地方法務局人権擁護課 870-8513 大分市荷揚町7番5号大分法務総合庁舎 097-532-3368

熊本地方法務局人権擁護課 862-0971 熊本市大江3丁目1番53号熊本第2合同庁舎 096-364-2145

鹿児島地方法務局人権擁護課 890-8518 鹿児島市鴨池新町1番2号 099-259-0684宮崎地方法務局人権擁護課 880-8513 宮崎市別府町1番1号宮崎法務総合庁舎 0985-22-5124

那覇地方法務局人権擁護課 900-8544 那覇市樋川1丁目15番15号那覇第1地方合同庁舎 098-854-1215

入賞作文集 58

問合せ先一覧

法務局地方法務局名 郵便番号 所  在  地 電  話

札幌法務局人権擁護部 060-0808 札幌市北区北8条西2丁目1番1札幌第1合同庁舎 011-709-2311

函館地方法務局人権擁護課 040-8533 函館市新川町25番18号函館地方合同庁舎 0138-23-9528

旭川地方法務局人権擁護課 078-8502 旭川市宮前通東4155番31旭川合同庁舎 0166-38-1114

釧路地方法務局人権擁護課 085-8522 釧路市幸町10丁目3番地釧路地方合同庁舎 0154-31-5014

仙台法務局人権擁護部 980-8601 仙台市青葉区春日町7番25号仙台第3法務総合庁舎 022-225-5739

福島地方法務局人権擁護課 960-8021 福島市霞町1番46号福島合同庁舎 024-534-1994

山形地方法務局人権擁護課 990-0041 山形市緑町1丁目5番48号山形地方合同庁舎 023-625-1321

盛岡地方法務局人権擁護課 020-0023 盛岡市内丸7番25号盛岡合同庁舎 019-624-9859秋田地方法務局人権擁護課 010-0951 秋田市山王7丁目1番3号 018-862-6533

青森地方法務局人権擁護課 030-8511 青森市長島1丁目3番5号青森第二合同庁舎 017-776-9024

東京法務局人権擁護部 102-8225 千代田区九段南1丁目1番15号九段第2合同庁舎 03-5213-1234

横浜地方法務局人権擁護課 231-8411 横浜市中区北仲通5丁目57番地横浜第2合同庁舎 045-641-7926

さいたま地方法務局人権擁護課 338-8513 さいたま市中央区下落合5-12-1さいたま第二法務総合庁舎 048-859-3507

千葉地方法務局人権擁護課 260-8518 千葉市中央区中央港1丁目11番3号千葉地方合同庁舎 043-302-1319

水戸地方法務局人権擁護課 310-0061 水戸市北見町1番1号水戸地方法務合同庁舎 029-227-9919

宇都宮地方法務局人権擁護課 320-8515 宇都宮市小幡2丁目1番11号宇都宮地方法務合同庁舎 028-623-0926

前橋地方法務局人権擁護課 371-8535 前橋市大手町2丁目10番5号前橋合同庁舎 027-221-4426

静岡地方法務局人権擁護課 420-8650 静岡市葵区追手町9番50号静岡地方合同庁舎 054-254-3555

甲府地方法務局人権擁護課 400-8520 甲府市北口1丁目2番19号甲府地方合同庁舎 055-252-7239

長野地方法務局人権擁護課 380-0846 長野市旭町1108番地長野第2合同庁舎 026-235-6634

新潟地方法務局人権擁護課 951-8504 新潟市中央区西大畑町5191番地新潟地方法務総合庁舎 025-222-1564

名古屋法務局人権擁護部 460-8513 名古屋市中区三の丸2丁目2番1号名古屋合同庁舎第1号館 052-952-8111

津地方法務局人権擁護課 514-8503 津市丸之内26番8号津合同庁舎 059-228-4193岐阜地方法務局人権擁護課 500-8729 岐阜市金竜町5丁目13番地 058-245-3181

福井地方法務局人権擁護課 910-8504 福井市春山1丁目1番54号福井春山合同庁舎 0776-22-5090

問合せ先一覧 (法務局地方法務局)

59 第30回全国中学生人権作文コンテスト

問合せ先一覧

世界人権宣言啓発書画「鳥」「自由と解放」を表わしたもの 小木太法書オタビオロス画(財)人権擁護協力会提供

入賞作文集 60

すべての人間は生まれながらにして

自由でありかつ尊厳と権利とに

ついて平等である人間は理性と

良心とを授けられており互いに同胞の

精神をもって行動しなければならない

―――

世界人権宣言 第一条

―――

第三〇回

 全国中学生人権作文コンテスト

中央大会表彰式

印  刷 平成23年1月25日

発  行 平成23年2月14日

発 行 者 法務省人権擁護局

全国人権擁護委員連合会

東京都千代田区霞が関一丁目1番1号

電話 03(3580)4111 内線5875

URL httpwwwmojgojpJINKEN

第30回全国中学生人権作文コンテスト中央大会審査員

感想をお聞かせください本作文集を読まれた感想等を下記の連絡先又はkeihatsumojgojpまでお寄せください

無断転載を禁じます本作文集に掲載された作文や写真等を地方自治体が広報誌に掲載したり学校が教材に使用される場合などにはあらかじめ下記に御連絡ください

100-8977 東京都千代田区霞が関一丁目1番1号 法務省人権擁護局人権啓発課 TEL03(3580)4111 内線5875

作  家(審査員長) 落 合 恵 子映画監督 山 田 洋 次社団法人日本新聞協会事務局長 川 嶋   明日本放送協会解説委員室解説委員 南   直 樹文部科学省初等中等教育局視学官 三 好 仁 司全国人権擁護委員連合会長 中 村 浩 紹法務省人権擁護局長   井 忠 雄

(敬称略)

【式次第】

第一部

 会

主催者あいさつ

賞状授与

内閣総理大臣賞法務大臣賞

文部科学大臣奨励賞法務副大臣賞

法務大臣政務官賞

全国人権擁護委員連合会長賞

社団法人日本新聞協会会長賞

日本放送協会会長賞(以上各一名)

法務事務次官賞(三名) 計一一名

学校への感謝状贈呈

高円宮妃殿下おことば

来賓祝辞

第二部

各受賞作文の朗読

内閣総理大臣賞法務大臣賞

文部科学大臣奨励賞

全国人権擁護委員連合会長賞

社団法人日本新聞協会会長賞

日本放送協会会長賞

 評

全国中学生人権作文コンテスト中央大会審査員

 山田洋次氏

 落合恵子氏(ビデオレター形式)

第三部

新垣勉さんコンサート

 会 平成二二年一二月一八日(土)

午後一時三〇分〜三時五〇分

於ニッショーホール

「いじめ」や暴力行為等は人権侵害です

法務局地方法務局では

人権侵害による被害を受けた方を

救済するための活動を行っています

お気軽にご相談ください

女性の人権ホットライン

インターネット人権相談受付窓口

ゼロナナゼロのハートライン

0570-070-810

子どもの人権110番ぜろぜろななのひゃくとおばん

 0120-007-110

パソコンから httpwwwmojgojpJINKENjinken113html携帯電話から httpwwwjinkengojpsoudanmobile001html

インターネット人権相談 検 索

Human Rights法務省人権擁護局全国人権擁護委員連合会

人権イメージキャラクター人KENあゆみちゃん人KENまもる君

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第30回全国中学生人権作文コンテスト入賞作文集

法務省人権擁護局全国人権擁護委員連合会

人権イメージキャラクター人KENまもる君人KENあゆみちゃん

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 全国中学生人権作文コンテスト入賞作文集

 全国中学生人権作文コンテスト入賞作文集

第30回

るしかし私の住む篠山市では父たちの声が福祉課の方々に届き日本で初めて

音声式体温計が同居家族の有無にかかわらず給付されるようになったのである

 

今は携帯電話が音声で読み上げてくれてメールや時間GPSなどの便利な

機能を視覚障がい者の方も利用できるようになっただがそのことを知っている

健常者の方は全国にどれくらいいるだろうかまたこのことを知っている当事者である視覚障

がい者の方が全国にどのくらいいるだろうか私はまだ知らない人が多いと思う

 

ここ十五年程で視覚障がい者の人は白杖をついているということはほぼ知られてきたが生

活を助ける機器が発達してきているということは知らない人も多いだろうそれが「あの人は

目が動いているから見えている」とか「あの人はずっと目をつぶっているから見えていない」

「物を避けているから見えている」「物にぶつかっているから見えていない」という勝手な

思い込みで障がいの重さをはかることにつながっているのではないだろうかでもそれは間違っ

ている目を閉じれば視覚障がい者の疑似体験はできるでもそれはあくまでも体験であって

個人個人の見え方はそれぞれ違うし外見や行動で障がいの重度を判断するのは良くないと私は

思う同じような見え方ができたとしても全く同じ動きなんてできる訳ないのだから毎日父

と生活していてもどのくらい見えているのか私にもはっきり分からないなにげに父たちがこな

している日常の動作であっても私たち健常者にははかりしれない恐怖と不安努力があるの

だ誰でも目をつぶれば見えない世界を体験した気になる松葉杖をつけばその体験をした気

になる車イスに乗ればその体験をした気になるだが本当の障がい者の苦悩と努力の一部

入賞作文集 16

入賞作文

しか体験していないことを知ってお

いてほしい私たちには当たり前に

できるようなことがあってもどん

なに望んでもできない人たちがいる

ということとみんなの正しい理解と

知識が障がい者の明るい未来へとつ

ながっていくということを知ってほ

しいそしてこのことを広めていか

なければならない

 「少しずつhellip一歩ずつhellip」

17 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

 「Pick your 

head up」

 

これは父がいつも私にかけてくれる魔法の言葉です

 「顔をあげなさい下を向かない」という意味です

 

私の父は生まれも育ちもニューヨークのアメリカ人です女の子は父親に似るとよく言われ

ますが私もそうで日本人の母親よりも父の方に髪質も肌の色も本当によく似ています子供

が親に似ることはあたりまえのことですが私はそのためにいやな思い悲しい思いをいくどと

なくしてきました

 

初めて自分がみんなとちがうんだなと思ったのは幼稚園に入学してまもなくのことでした同

じ組の女の子たちが何人かして楽しそうに遊んでいたので

ローリンズ リコ

福島県福島市立渡利中学校 一年

「差別のない世界へ」

文部科学大臣奨励賞

入賞作文集 18

入賞作文

 「まぜて」

と声をかけると一人の子が言いました

 「このグループは日本人で髪がまっすぐな人しか入れないのリコちゃんは髪がチリチリだし

ハーフだからダメ」と

 

私はとても悲しくなりましたそしてそれは卒園するまで続きました

 

小学校は人数も少なかったせいかみんなとても仲良くて私の外見のことを言う人はだれ一

人いませんでしたまるで兄弟のようにみんな自然に接してくれましたでも習い事やいろい

ろな大会など他校の子たちといっしょになる場面ではやはり髪の毛や肌のことをからかわれ

ることはよくあることでした私には二学年上の兄がいますが兄もやはり父の方に似ています

おだやかな性格の兄は私以上につらい思いをしてきたと思います

 

父は兄や私の話を聞くたびに

 「Pick your 

head up」

と言いましたそして

 「自分に自信とほこりをもちなさいあなたたちは二つの文化を受けついでそれはとてもす

ばらしいことなんだよ」

といつも話してくれました

 

中学に入って間もないころでしたある男の子がいきなり私に向かって言いまし

19 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

 「おまえ風呂に入っているのか黒いぞ外国人はくさいからな」

 

私はとてもはずかしくなりましたそしていかりや悲しみがこみあげてきました

まわりにいた友達は彼の言葉に苦笑いをしていました私はいかりのあまり彼をな

ぐりたくなりましたその時私は父のあの言葉を思い出しました私は顔を上げ

相手の目を見て静かに自分の傷ついた気持ちを伝えました

 

彼は私に向かってこう言いました

 「ごめんわるかった」

 

彼は人を傷つけるということが彼の想像以上に重くそしてひどいことだと少し気付いたよう

でした

 

差別やいじめというのは私たちのまわりでは小さなことから大きなことまで本当によくあり

ますそして差別やいじめをしている側からすればそれをじょう談だという人も多いのです

まわりの人たちもやはりじょう談や遊びの中でのことにとらえてしまう人たちもとても多いので

すだから小学校の時から私たちは道徳などでいじめや人権などについて学んでいてもなかな

かそれがなくならないのだと思いますでも実際に差別やいじめをされている方はみんなの想

像よりはるかに傷ついているということつらいということそして悲しいということを私はこ

の人権作文を通してたくさんの人に知ってほしいのですけがをすれば日がたつごとにそのけ

がは治っていくでしょうまわりからも治っていく様子が見てわかるでしょうでも心に受けた

傷は本人にしかわからないのですその傷がどんなに深くて痛いものか本人にしかわからないの

入賞作文集 20

入賞作文

です

 

肌の色が違っていてもかみの毛が

違っていても私たちはみんな同じ人間

です心を持った人間です相手の気

持ちを思いやり相手の立場になって

考えればいじめや差別はなくなると

思います今も世界のいたるところで

人種差別が問題となり争いが起きてい

ます私は世界から差別やいじめがな

くなるように強い心を持ってまずは

自分から立ち向かっていきたいです

21 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

 

あなたには大好きなふる里がありますか私には緑の木々と青い海に囲まれた自然豊かな

大好きなふる里があります私のふる里は過去に公害という大きな被害をうけた水俣ですそ

の水俣病で患者はもちろんそうでない人も長い間差別をうけてきました

 

父が幼い頃まだ水俣病の原因が究明されておらず水俣病はうつると言われていました列

車が水俣の駅につくと窓をしめ手で口をおおった人もいました修学旅行に行くと同じ宿

舎になった学校から苦情を言われたこともありました水俣出身ということで結婚を断られた人

や就職試験をうけることさえできなかった人もいました水俣に住んでいることをかくして隠

れるようにひっそり暮らしていた人もいましたまた同じ水俣に住む人でさえ奇病と呼び距

離をおきましたそのことでたくさんの人々が傷つきあってきたのですいろいろな立場の人々

井いの

上うえ

 由ゆ

紀き

子こ

熊本県熊本県立八代中学校 一年

私の大好きなふる里

法務副大臣賞

入賞作文集 22

入賞作文

がせまい土地に住んでいるのですから仕方がなかったのかもしれません

 

しかし今では原因も究明され海の安全も確認されたことでそのようなことはほとんどな

くなりました私たちは過去のことを忘れるくらい楽しくすごしています

 

私は今八代の中学校に通っています私は自分が水俣出身ということを隠すこともありませ

ん友だちもまたそのことを知っていますがからかったりいじめたりする人は誰一人いません

 

しかし先日水俣の中学校のサッカー部が練習試合中に相手チームの選手から

「さわるな水俣病がうつる」

と言われたという記事が新聞にのっていました今でもこういう風に思っている人がいるのか

と思うと残念で仕方ありません何気なく言った一言だったのかもしれませんがその一言は

私たち水俣に住む者にとって非常に悔しく悲しいものでした

 

小学校の総合的な学習の時間で水俣病について学習しました原因となった会社を訪問したり

患者の方から当時の話をきいたり交流も行いましたそんな中で苦労されたり何も言えずに

黙って亡くなった人のことを知り水俣に住んでいながら何も知らなかったことをはずかしく思

いました水俣病についてしっかり学び正しい知識を得ることが差別や偏見をなくすのだと気

付きました

 

中学校の道徳の時間ではハンセン病について学習しましたこれも水俣病同様

正しい知識がなかったためにおきた悲しく悔しい悲劇でした

 

私たちが差別や偏見をなくすためにできることそれはその人その出来事に

23 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

ついてしっかり知ること知ろうと努力すること正しい知識を深めるために学習

することではないかと思いますそうすれば水俣病やハンセン病のようにむや

みに人と人とが傷つけあったり憎しみあったりすることはなくなるのではないで

しょうか

 

先日テレビで水俣のダイバーが紹介されましたその人は本当はほこりたい水俣を心の中

にじっとしまいこみ誰にも言えず何年もの間生きてきた人でしたしかし水俣の地にも

どり自分はこのすばらしい美しいふる里を紹介したいと海にもぐり写真をとり続けておら

れるそうです心に差別という深い傷を負いながら水俣の再生を皆に知らせたいと頑張る人

がいることに感動しました

 

今水俣はごみの分別リサイクル事業など市民全員で環境にやさしい町づくりをすすめてい

ます私は差別や偏見から立ちなおり再生しようと環境問題に一生懸命とりくんでいるふる

里水俣をほこりに思っています

 

水俣では運動会等多くの行事で「水俣ハイヤ節」というものが踊られますこれは水俣病

の患者の方が水俣の青い海と豊漁を願って振りつけをされた踊りだそうです私たちと同じ思い

をする人が二度とでないことを祈りながら私たちは毎年皆でこの踊りを踊ります

 

水俣の悲しい過去を変えることはできませんが私はあやまちを二度とくりかえさないため

にこの美しい自然を守り真実を語り継いでいきたいですそして差別や偏見のない社会に

なるよう自分から努力していきたいと思います

入賞作文集 24

入賞作文

25 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

 

みなさんは「本当の『平和』とは」と質問されたら何と答えますか「戦争や紛争などが

ないこと」ですかそれとも「自分自身の幸せのこと」ですか一人ひとりの抱く「平和」のイ

メージは違うことでしょう

 

僕の思う本当の「平和」それは「家族」がいて「家庭」があることだと思いますなぜそう

思うかというと今僕は訳あって家族とは離ればなれに暮らしているからです一歳前後には既

に家族とは離れ施設にいました母親や姉兄の存在はわかっていますが一緒に過ごした時

間は限られたもので今でもほとんど交流はありませんそのせいか僕はいつも「家族」や「家

庭」というものに強い憧れを抱いています

 

自分がまだ幼い頃は自分と同じくらいの子が母親と手をつないでいる姿がとてもうらやまし

大おお

田た

 葵あおい

栃木県さくら市立喜連川中学校 三年

「家族」とは何か

法務大臣政務官賞

入賞作文集 26

入賞作文

「どうして自分には母親がいないんだろう」と思っていました仕舞いには自らの母親を恨ん

でしまったのです小学生になってもその気持ちは変わらず母親への恨みは増すばかりでした

 

しかし小学五年生の夏思いもよらぬ出来事が起きましたそれは引っ越しがあったこと

ですそこで僕は新しい土地そして新しい里親という人たちに出会いました里親の人たち

と暮らした数年間僕は幸せでしたそこで僕は僕の周りにはいつも支えてくれる人たちがい

ることに気づきました血のつながりがなくても僕に自分の子どものように接し育ててくれ

た里親の人たち養護施設の先生方などたくさんの方たちに僕は見守られて成長してきたこと

に気づいたのです僕を支えてくれる人すべてに感謝の気持ちがわき出てきましたそれ以来

僕は親という存在にこだわらなくなりましたそれどころか自分に命を与えてくれた親に感謝

の思いを抱くようになったのです

 

この夏母親の育児放棄が原因で二人の乳幼児が衰弱死するという悲しい事件がありました

二人の子どもにろくに食事も与えず風呂も入れなかったそうですさらに逮捕後その母親は

「家に帰ってあげなかったことを今も後悔している子どもは私を恨んでいると思う」

という言ってはならない発言をしました僕は怒る前に亡くなった二人の子ども

たちがかわいそうでなりませんでした

 

と同時に僕はこの母親はどうしてこのようなことをしてしまったのだろうと

すごく考えさせられました僕は本来親は子どもを殺すのではなく守るために

27 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

いるのだと考えますたとえ小さな子どもでも立派な一人の人間ですその命を

守り育てていくことが親として大切な役目だと思うのですこの母親はどこで

勘違いしたかは知りませんが親としての自分の責任を理解していなかったのでは

ないでしょうか

 

そしてその勘違いを誰も母親に気づかせてあげられなかった事実母親が一緒に遊び歩いて

いた友人はもちろん母親の家族が少しでも助けることができていたら母親の行動を戒めるこ

とができていたら連絡を受けた児童相談所がもう少し踏み込んだ行動が取れていたらこのよ

うな悲しい結末にはならずに済んだのではないでしょうかやりきれない思いばかりがこみあげ

てきます

 

もう一つこの母親は大きな勘違いをしていますそれは「子どもは私を恨んでいると思う」

という言葉です僕はこの子どもたちが母親を恨んでいるとは思えません子どもたちは母

親が帰宅するといつもハイタッチをして喜んで迎えたそうです子どもたちは母親のことが大

好きだったのでしょうたとえ自分たちを見放した母親でも恨んでいるとは決して思えないの

です

 

子どもは心の底から自分の母親のことを恨めないと僕は思いますこの世に生を受け笑った

り怒ったり泣いたりと毎日いろいろな経験ができるのは自分を生んでくれた母親という存在

があったからです正直僕も小さい頃は母を恨んだことがありました愛情の裏返しというよ

うに母親への思いが憎しみに変化してしまったのですでも心の底には母への恨みとは全く

入賞作文集 28

入賞作文

正反対の気持ちが存在し続けていましただ

からこそこの子どもたちがどんな思いで死

んでいったのかわかるような気がします母

親を信じひたすら母親の帰りをまちわびて

いた思いが

 

僕にとっての「家族」それは同じ屋根の

下で暮らす人々のことですたとえ血はつな

がっていなくても僕を支え励ましてくれる

人たちそのすべての人が僕にとっての大切

な「家族」なのです今僕の暮らす養護施設

にはいろいろな事情を抱えた二歳位から高

校生までの子どもたちや職員の方が約六十人

います今の僕には全員大切な「家族」で

す僕はこれからもこの「家族」を大切に

一日一日精一杯平和に生きていきたいです

29 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

 

授業でハンセン病について学んだ日両親と「偏見」や「差別」について口角泡を飛ばす議論

を深夜まで繰り広げた身体障害者の父と看護師の母を持つ私は幼い頃から「命の大切さ」を

訴える両親の姿を見て育って来たそんな私は真摯な気持ちからハンセン病罹患者と向き合い

たいと思いこの夏草津にある療養施設栗生楽泉園を訪れた

 

草津までの道のり私は罹患者の気持ちを絶えず考えていたハンセン病について調べると「ら

い予防法」により罹患者は隔離され人権を無視された扱いを受けたことが分かった罹患者の

言葉が書かれた本ではどんなに過酷な仕打ちを受けたか他人をどれほど恨み憎んでいるか

が書かれていたその為私は無意識の内に「罹患者は全員恨みを抱いている」と勝手に思い込

んでいたしかしこんな思い込み自体が偏見や差別を生む原因になるということを後に思い知

大おお

井い

 海み

琴こと

群馬県群馬大学教育学部附属中学校 三年

忘れてはならないこと

全国人権擁護委員連合会長賞

入賞作文集 30

入賞作文

らされることになるのである

 

私を迎えてくれたのは入園者自治会長の藤田三四郎さん藤田さんは大変お元気でその容姿

からはハンセン病を伺い知ることはできなかったしかし藤田さんは紛れもない罹患者なのだ

その証拠に藤田さんの名は本名ではない罹患者は施設に入所するにあたり偽名を使用させら

れたと言うつまりその時点で罹患者は世間から存在を消されてしまうのであるそんな藤田

さんから語られた話はハンセン病だと宣告され三度も命を絶とうとしたこと重症患者の看

護を押しつけられ数え切れない人を看取り自らの手で葬ったこと家族が受けた迫害や侮辱的

な言葉など想像を絶するもので筆舌し難いものだったしかしこんな迫害と差別は同時にハ

ンセン病患者達の人権回復闘争の歴史でもあったのだ闘争の末「らい予防法」が廃止される

と今まで差別や人権侵害を繰り返していた多くの人が掌を返す様に態度を変えたと言う私は聞

いていて怒りを覚えたが不思議なことに耳を塞ぎたくなる様な内容を語る藤田さんからは全

く怒りや恨みが感じられないのだ私は話を聞くまで自分の運命を呪い周囲への恨みつらみ

の言葉が出てくるとばかり思っていたしかし出てきた言葉は「入園出来て良かった差別は

受けたが今では恨みを抱く罹患者も少なくなったそればかりか最近はたくさんの人が我々を

理解し協力してくれるので嬉しい何故なら一人の百歩は力が無いが百人の一歩

は力になるから」と言う感謝の言葉だったのだ本当に「恨みは無いのか」と何度

聞いても答えは同じだった私は恥ずかしくなったハンセン病について調べ罹

患者の心を理解したようなつもりでいながら実は何も理解できてなくてそれば

31 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

かりか罹患者を偏見の眼で見ていたのは私自身だったのだ私は話を聞いてとめ

どなく溢れ出る涙を拭いながら心の片隅に潜んでいた「偏見と言う名の種」が身

体から洗い流されていくのを感じていたそれは同時に「思い込みや無知が偏見

や差別を生みだす」ことを強く感じた瞬間でもあったそれだけに藤田さんの「自

分と同様に他人を愛すればいつか必ず世界から差別はなくなる他人を愛して下さい」の慈愛に

満ちた言葉が一層重く腑に落ちるのだった

 

帰りがけ千五百ページにも及ぶ「入所者証言集」を手渡されたその際私は見えない襷も

手渡された気がしたその襷とは証言集に記された罹患者の「事実を風化させないで私達の事

を忘れないで」という搾り出すような叫び声とその姿だったのである

 

ハンセン病が治る病気であるのに誤った知識から悲惨な人権侵害が長期に渡り続いた同じ間

違いを繰り返さないためにも事実を語りついで行く必要があるここ楽泉園でも高齢化が進み

証言者の数が減っているこれは全国一五全てのハンセン病療養所に共通することだハンセン

病問題は罹患者がいなくなればそれで終わると言う問題ではない今後人権問題を考える際重

要な指針になりうる事実なのだそしてこの事実の風化を防ぐことが私達若い世代の役目だと

私は思う

 

私は小六の時友人達から突然イジメを受けたそれを引きずり他人を恐れ憎み自分を

嫌って生きて来たしかし罹患者の声が私に生きる力と前を向いて歩む勇気を与えてくれた

楽泉園訪問は私に人生観が変わる程の衝撃を与えてくれたのだこんな私だが罹患者の声を伝

入賞作文集 32

入賞作文

える「百人の中の一人」にはなれるはず

だそのために私は今この作文を書い

ている文字は時を越えて生き続けるか

ら私はこれからも楽泉園訪問を続ける

つもりだ実際に中学生の私が出来るこ

とには限りがあるが差別や偏見を少し

でも減らすために一歩を踏み出すつもり

でいる「自分と同様に他人を愛すれば

いつか差別は無くなる」と言う藤田さ

んの言葉を胸に

33 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

 

森に囲まれたその一画には教会や寺院神社があり小さなショッピングセンターやレスト

ランもある床屋や図書館郵便局や浴場もあるしかしそれらの施設を利用するのはその一

画に住む人たちだけだ緑の外側に住む人が利用することはないそこはハンセン病の療養所

多磨全生園である

 

僕は七年前に清瀬市に引っ越してきた夏のある日昆虫が大好きな僕は何気なくその森の

中に入って行ったそして歩き回っているうちにその場所が一つの「町」であることに気付

いた

 

毎日セミやカマキリやナナフシを探しながらどうしてこんな所があるのだろうと思った

 

僕が一番不思議に思ったのは古い木造の小学校だいつも誰もいない校舎と小さな運動場近

久く

米め

 一かず

輝き

埼玉県学校法人立教学院立教新座中学校 一年

ハンセン病について考えたこと

社団法人日本新聞協会会長賞

入賞作文集 34

入賞作文

くに小学校があるのにどうしてこんな所に小学校があるのだろう小学一年生の僕はとても不思

議に思った

 

夏に地域交流を目的とした盆踊りと花火大会が行われるいつもは人のいない小学校跡は多く

の人であふれかえり普段は見かけない重い後遺症の老人たちもこの日は外に出て盆踊りを楽し

む初めて参加したときは言葉が出なかった正直「怖い」と思った

 

夏が来るたびに僕は盆踊り大会に参加した低学年から高学年へと進むにつれて少しずつハ

ンセン病のことが分かってきた

 

六年生のときに社会科見学で全生園の元患者を訪れることになっただが僕は都合で参加で

きなかった僕はそれをずっと悔やんでいる

 

今年の夏僕はハンセン病資料館に出かけた見学者は僕一人でとても緊張したなるべく

音を立てないようにパネルを見て回った

 

強制隔離の現実にとても驚いた狭い部屋に押し込められ症状の軽い患者が重症の患者の世

話をしたという子供を持つ権利や生まれる赤ん坊の命まで奪われていた逃げ出したり反抗的

な患者は「不良患者」と呼ばれ窓の小さな暗い監房に閉じ込められた

 

医学が進歩し療養所も徐々に改善されていったが強制隔離を命じる「らい予防

法」が廃止されたのは一九九六年だという隔離が始まった一九〇八年から約九〇

年も経っていた僕が生まれるほんの一年前のことである特効薬が開発され本

格的な治療が始まったのは昭和二十二年である現実に合わない法律を廃止するの

35 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

にどうしてそんなに時間がかかったのだろうか

 

資料をもらってハンセン病資料館を後にした家を出るときは帰りに虫の観察

をするつもりだったがとてもそんな気にはなれなかったいつもセミが集まる桜

の木には目もくれずに早足で家に帰った

 

資料の中で一番心が痛んだのは療養所の子供たちのことだ療養所に入所したのはハンセン

病を発症した子どもたちだけではない親が発症したために入所する子どもたちもいた当時は

ハンセン病は遺伝病だとされていたからだ親から無理やり引き離された子どもたちは「すぐに

帰れるから」という言葉を信じていたというしかし一生療養所を出ることができなかった人が

多かったという社会的な差別がひどかったからだと資料に書かれていたが僕には実感がわか

なかったのでもう少し調べてみることにした

 

図書館で『ハンセン病を生きて』(伊波敏男著)という本を見つけた少し難しかったが差

別の現実が僕にもわかる部分があったそれは元患者たちに対して書かれた匿名のひどい手紙

である長年隔離されて苦しんできた人たちをさらに傷つける言葉が並んでいた悲しく暗い

気持ちになった

 

日本は経済大国として世界の注目を浴びているだが人権意識の面ではどうだろう「らい

予防法」を二〇世紀の末まで廃止できなかったことをどう考えたらよいのだろうか明治時代に

隔離が始まったときそれは外国に対する体面を保つためだったという病気の人を治療するの

ではなく「隠す」のが目的だったのだいまだに差別意識を持つ人がいるのは社会がそうした

入賞作文集 36

入賞作文

過去に対する反省をしていないから

だと思う

 

僕が不思議に思った小学校はすで

に取り壊されて今では小さな石碑

だけが残っている老朽化がひどく

残しておくことができなくなったか

らだという全生園の古い建物はど

んどん取り壊されていく石碑だけ

ではあの不思議さが伝わらないのが

とても残念だ

37 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

 

僕の曾祖父は医者嫌いでしたそのため腹痛で病院に運ばれた時は膵臓癌の末期で余命三ヶ

月でした手術もできない手遅れの状態でした家族皆で話し合い曾祖父の辛い気持ちを第一に

考え曾祖父に病を隠すことになりました曾祖父は次第に病院の中を歩いては転倒し体中あ

ざだらけになりベッドの上で縛られることになっていました曾祖父は病名の宣告を受けてい

ないため元気で歩けると思っているが実際歩くと転んでしまう何でこんな風になってしまっ

たのかさえわからない

 

家族と病院に行くと「包丁もてこいこれぶった切って家さ帰る」と騒いでいましたあん

なに優しかった曾祖父の姿に言葉も出ず恐いくらいでした何も知らされずベッドに縛り付

けられれば誰もがそうなることでしょう「じいちゃんどご一緒に車さのせでいてくれの」と

櫻さくらだ田

 要かな

太た

山形県酒田市立松山中学校 三年

日本放送協会会長賞

悔いのない最期を

入賞作文集 38

入賞作文

せがまれたときもありますかわいそうで涙がポロポロこぼれました「おじいちゃんどご家

さ連れで帰ろうよ」とせがんでも家族も仕事で忙しいためか誰も首を縦に振ってくれず病院

にいた方が安心ということになりました膵臓癌は予想以上に激しい痛みのため医師から強い

痛み止めと強い睡眠剤を勧められましたがそれを導入することにより安楽死に近い状況にな

ることも医師から告げられていました家族は決断をせまられました曾祖父に相談もせずに決

めていいことなのか家に帰りたい曾祖父の意志は封じ込められたままでいいのか家族で悩み

ました結局痛みに耐えている姿は見ていられなくその薬を使うことになりましたその後

曾祖父は次第に弱っていき口も利けなくなり静かに亡くなっていきました僕はどこか心を

引きずったままでした僕達家族が曾祖父に宣告もせず意見も聞かず命の長さを決めてしまっ

たこと当時幼かった僕には何もしてあげられなかったことが今思い出しても残念です

 

最近授業で人権について学習しているときに幼い頃の記憶がよみがえりふと曾祖父のこと

を思い出しました

 

曾祖父はどんな思いで亡くなったのだろう最後に意識のあるうちに一度でいいから家に帰っ

てきたかっただろう身体拘束は今は病院でも禁止されていると思いますがあの頃は確かに曾

祖父のおなかに黒いベルトのようなものが巻きついていました決して自分の力で

は外せないようなものでしたもがき苦しむ曾祖父の姿を見た時に看護師さんに

目を隠され別の部屋に連れて行かれました見せたくない光景だったのだと思いま

すでもあの姿は僕の脳裏に焼き付いています病院の中での人材不足のためだっ

39 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

たのでしょうか人が人らしく生きていない姿でした

 

七十八年生きてきて何も悪いことをしていないのに縛られ家にも帰れない

病気で余命幾ばくもない人には人権というものは存在しないのでしょうか最近の

医療の現場では自己決定権があることについて学びました

 

仏壇に向かい静かに目を閉じると優しく穏やかに微笑む曾祖父の笑顔が浮かびますどんな

気持ちで亡くなっていったのかその気持ちを考えると苦しい気持ちになります野球の大会に

行く前仏壇に手を合わせます「やればできる努力しろ」とよく励ましてくれました曾祖

父の力には何もなれなかったけれど目には見えない力で応援してくれる曾祖父に線香をあげて

自分を省みる時があります曾祖母が元気なので曾祖父を助けられなかった分曾祖母の力に

なっていくことを曾祖父に約束しています

 

夏休み中のニュースで高齢者の所在不明者が多数のため百歳以上の安否確認調査をしていま

した自分の親を平気で捨て遺骨さえもひきとらない亡くなっていたのに年金を不正受給する

ために隠していたなど耳をふさぎたくなるような事件もありました犬や猫が年をとって弱っ

てきた手がかかるから面倒だからと捨ててしまうそれと同じ現象が弱い高齢者にも及んでき

ているのだと思います

 

やはりこの世に生まれてきたもの全てに自分の意志で生きることを決めていける権利がある

と思います長い年月を苦労や努力と向き合いながら精一杯生きてくれたおかげで今の幸せが

あることを忘れずにいたい人はいずれ誰でも年をとります自由に動けなくなった時に自分の

入賞作文集 40

入賞作文

願いが叶う社会を築き「悔いなく満足で楽しく幸せな人生だった」と思えるように人とし

ての誇りを持って満足できる最期を迎えられるように考えていきたいもう二度と僕が見た自

己決定権のない社会にならないように高齢者には今までの感謝の気持ちで本人の希望をでき

るだけ叶えられるように努力していきたいいずれ僕達も迎える高齢社会だからhellip

41 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

 

私は小学六年生の時から盲導犬候補の子犬を育てるボランティアをしています「犬を飼っ

てみたい」と言う私に両親が「せっかく犬を飼うのなら社会に役立つことをしよう」と提案

したからです生後二ヵ月の子犬を預かり一歳の誕生日を迎えるまで世話をするのがボランティ

アの役目です初めて訓練士さんから子犬を手渡された時は不安でドキドキしましたが子犬は

すぐに私の腕の中で眠ってしまいました初めて会った私のことを信頼して安心しきった寝顔

で眠っている姿は本当に可愛かったですラブラドールの子犬はとてもやんちゃで私の家にやっ

て来たその日からいたずらばかりしていましたがしかられてもクヨクヨせずどんな相手にも

 林はやし

 里り

咲さ

東京都小平市立小平第六中学校 三年

差別のない社会に

(パピーウォーカーの経験から学んだこと)

法務事務次官賞

入賞作文集 42

入賞作文

フレンドリーに近づいていく姿から私は明るく前向きに生きることを教わりました子犬たち

と過ごした日々は私にとって一番の宝物ですそしてあっという間に一歳の誕生日がやって来ま

した誕生日が悲しいという経験は初めてでした訓練所への入所日の前日には長い長い散歩を

して最後のお別れをしました「今までありがとう」そう言った私のことを不思議そうに見てい

た子犬の顔が今も目に焼きついています別れは本当につらいけれど涙を見せたら子犬が心配す

るので頑張って笑顔で見送りました

 

私の家で育てた一頭目の子犬は現在盲導犬になって頑張っていますそして今年四月に巣立っ

ていった二頭目の子犬は神奈川にある訓練センターで訓練中です

 

このボランティアを通して私は多くのことを学びましたまず盲導犬の役割ですがこれは単

に目の不自由な方が便利に一人でどこへでも行けるようにするためだけではありません視覚障

がいのある方にとって人の手をわずらわせるのはとてもつらいことなのだそうですたとえ家

族に対してでも「迷惑をかけるのではないか」と思って我慢することが多く「私なんかいない

方がいいんじゃないか」と考えてしまうこともあったといいますその失われそうになった尊

厳を取り戻す手助けをするのが盲導犬の役目なのです犬は訓練を共にするパートナーのことを

大好きになるので「自分は他者からこんなにも大好きになってもらえる存在なん

だ」と気づいて自信を取り戻し新しい一歩を踏み出せるようになるのだそうです

 

また私がボランティア登録している日本盲導犬協会では二〇〇八年に新しい

試みが始まりました受刑者が盲導犬候補の子犬を育てる動物を介在した日本初

43 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

の教育プログラムです罪を犯した人も心から反省してきちんと罪を償えば社会

は差別することなく受け入れるべきですしかし実際はとても偏見が多く元受刑

者たちは「どうせ自分はだめな人間なんだ」と思い再び罪を犯してしまう悪循環

が起こっているそうですその悪循環を断ち切り受刑者たちがスムーズに社会復

帰を果たせるよう支援するのが「あさひ盲導犬パピープロジェクト」です受刑者たちは約十ヵ

月の間子犬たちを世話しながら一緒に過ごし「役に立つ喜び達成する喜び信頼される喜び」

を感じることで自分の価値を再確認するのだそうです今年一月に第一期のプロジェクトを修了

した受刑者の感想に次のようなものがありました

 「今後自分もパピーに笑われないようにきちんとしなければならないパピーは慈しむこと

寛容の心を教えてくれました」

 

犬は決して差別をしません健康な人にも障がいのある人にもお金持ちにも貧しい人にも

権力のある人にも犯罪を犯した人にも全く同じように接してくれますそんな犬たちと一緒に過

ごすことで自信をなくした人たちも自分のことをかけがえのない大切な存在であると思えるよ

うになるのです

 

私たち人間も差別のない社会をつくる努力をしなければならないと思います一人一人が相

手を大切に思う心を忘れなければこの社会はもっと住み良い場所になるはずです私はこのボ

ランティアを通して学んだことを生かしてこれからも一層努力していきたいと思います

入賞作文集 44

入賞作文

45 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

 

僕は祖父のために自助具を作ろうと思った祖父は去年の夏脳梗塞で倒れた祖父は一命

を取り留めたものの右手と右足がまひしてしまったのだその三週間前僕も車椅子から転倒し

て足を骨折した

 

僕には障害がある車椅子で生活することが多いしかし僕のことを障害者だといって差別

するような友達は一人もいない

 

祖父は歩けるようになりたいという気持ちが強かっただからリハビリを頑張り自分で

歩けるようになるまで回復した頑張っている祖父がかっこいいと僕は思った祖父はリハビ

リを頑張ったにも関わらず右手がうまく動かせなくなってしまっただからご飯を食べる時も

服を着替える時も時間がかかる普段何気なくやっていた動作がとても大変だと祖父は言ってい

守もり

田た

 幸こう

平へい

静岡県静岡大学教育学部附属浜松中学校 三年

祖父への靴下

法務事務次官賞

入賞作文集 46

入賞作文

た僕も何か役に立てることはないかと考えた

 

僕の学校には総合学習という授業があるそこで僕は福祉というカテゴリーを選んだ自

分で社会に役立てることを考え実際に行動することが目標だった僕は障害者のために何が

できるかを考えた

 

僕は二年前に静岡文化芸術大学で障害者がいかに日常生活で不自由のない生活ができるかを

考えるプロジェクトがあるのを新聞で知ったそれは大学生たちが個人個人にあった自助具を

作るプロジェクトだった僕は障害者のために何かできるのではと感じた

 

僕は静岡文化芸術大学へ行って僕にもできることがないかと聞いたすると学生さんが

自助具を作ってみないかと声をかけてくれた僕は迷わず「はい」と言った障害者のために

役に立てることがあると思うとすばらしいことだと思ったからだ

 

祖父のつらい顔を見ると日常生活に数々の大きな壁があることが伝わってくる

 

僕は祖父の数々の大きな壁を突き破ろうと思った祖父のために自助具を考え作ろうと僕

は思った祖父が靴下の脱ぎ履きが大変だと言っていたことを思い出したそこで脱ぎ履きし

やすい靴下はできないか考えた靴下の両脇にひもを取り付けてそれを引っ張ると靴下が縮み

脱ぎ履きしやすくなる仕組みだ大学の先生も良いアイディアだと言って褒めてく

れたこれは障害者だけでなく健常者にも使えると言われたユニバーサルデザ

インだと分かった

 

ユニバーサルデザインは年齢や障害の有無にかかわらず全ての人が使いやす

47 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

いように工夫された用具などのデザインである境界がなくなるように健常者が障

害者に対する偏見を考え差別意識がなくなるチャンスだと思った障害者と健常

者が共によりよく生きることが大切だと僕は思った

 

自助具の作品展では杖をついているお年寄り車椅子に乗った若い女性目の

見えない人福祉関係者など沢山の人々が観に来ていた皆自分の生活を良くしようと思っ

ているようだったまた障害者のためにできることは何だろうかと考えている健常者もいるよ

うだった

 

二年生の時の総合学習では二箇所のデイサービスを訪問したデイサービスには六十五歳以

上のお年寄りがいた暗く元気のない人明るく振る舞い誰とでも話せる人など様々だった

しかし僕が一番印象に残ったのは笑顔を絶やさず優しくお年寄りに接していた介護士だった

お年寄りの中には悩みを抱えている人が多いそうだその悩みを解消させる人もまた介護士だっ

た僕は介護士がお年寄りの体を支えるだけではなく心もそっと支えて生きる喜びを与え

ているのだと感じた

 

現代は三世代で暮らす家族が減り核家族が増えているそれはお年寄りの世話が大変だ

からという理由が多いだから老人ホームやデイサービスに預ける人が増えていると僕には

思えたお年寄りの中には自分が嫌われているのではないかとさえ思ってしまう人もいるそう

だそれはお年寄りにとって辛く悲しいことだと思うある介護士がこんなことをおっしゃっ

ていた「人の優しさはお金では買えない」誰にでも優しい心があると思うしかしあと一歩

入賞作文集 48

入賞作文

のところで行動に移すことができない人が多いの

だ僕たちが平和な社会で暮らせるのは今まで

頑張ってきてくれたお年寄りのお陰であることを

忘れてはいけないお年寄りを大切にすることは

当たり前のことなのだ

 

また障害者に対しても偏見の目で見ないで

そっと近づいて手を貸してあげれば健常者との

高い大きな壁を崩すことができると思う

 

障害者にも高齢者にもまた健常者にも人権

はあるお互いの人権を大切にすることが明る

い未来に繋がっていくのだと思う

 

早く祖父に僕の作った靴下を届けたい

49 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

 

僕は小学校六年生まで福岡県に住んでいましたそこで僕が体験したことです五年生のこ

ろ僕の友だちのA君が同級生のK君の靴を隠したりからかったりしていることがよくあり

ました最初は僕もあまり気にしていませんでしたがK君のことを「なんだかかわいそう」と

思うようになりました

 

ある日僕は勇気をだして先生に「K君がいじめにあっています」と報告しました初め先生は

「じゃれ合っているだけだろう」と「いじめ」とは思ってくれませんでしたでもその後「いじ

め」と分かりA君は先生に注意されその日一日は反省した様子で過ごしていましたしかし

次の日学校に行くといじめは前以上にエスカレートしていて蹴ったりたたいたりするように

なりましたしかも「死ね」「うざい」「消えろ」などの言葉が飛び交うようになりそんな日々

法務事務次官賞

浦うら

谷たに

 毅たける

徳島県三好市立池田中学校 三年

いじめをなくすために今

入賞作文集 50

入賞作文

が続きました

 

それは六年生になっても続きました僕はそのいじめを止めることができず毎日見て見ぬ

振りをしていました今思うと自分がとても恥ずかしいです本当の友達なら止めるべきなの

にそれだけではなくいじめられているK君に声一つかけることができずにいました心の中

ではA君に「やめろよ」と言おうと思っていたけどなぜか勇気が出ませんでした次にい

じめられるのが自分になるのが恐くて言えなかったのです

 

そんな日々が続く中僕の気持ちを大きく変える出来事がありました父の死ですそのとき

のことは今でも忘れることができません聞いたときには頭の中が真っ白になりました最初

は信じることができませんでした一週間も二週間も学校に行けずただぼーっと過ごしてい

ましたいろんなことを考え徐々に「死」というものの悲しさつらさ「死」という意味の

重さがわかってきましたそして時間はかかりましたが「命は一瞬にして消え二度と戻っ

てこないものだだから命を大切に今を大切にしなければならない」と深く受け止めることが

できるようになりましたそして周りの子たちは僕のような経験がないから「死ね」とか軽々

しく言えるのだろうと思いこの気持ちを伝えなくてはならないと考えました僕が強くならな

くてはと思いました

 

こんな気持ちになったとき僕には時間がありませんでした母の実家がある徳

島への引っ越しが一週間後に決まっていたのです落ち込んでいる暇は無いと思

い学校に行った僕はA君に言いました「いじめなんかやめろよいじめたって

51 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

喜ぶ人はいないし悲しむ人がいるだけだろ自分だってほんとは嫌だろ『死ね』

とか『消えろ』とか言葉の重さを知らないのに言うなよ」と言いました父親の

突然の死そのあと僕が考えたことも伝えました

 

友だちは黙って聞いてくれました僕の言葉にうなずいてそのあとK君の

ところへ行き「ごめん言葉の重さも知らずに言って本当にごめんぜったいに死ねなんて

ことは言わないそしていじめは絶対にしないほんとうにごめん」とあやまりましたK君

はとても優しい笑顔で「いいよ」と一言言いました僕もK君に言いました

「今まで助けてあげられなくてごめん」

K君は笑顔で「ありがとう」と言ってくれました今まで自分の中でもやもやしていた気持ちが

スーっと晴れました

 

今も時々耳にする暴言冗談半分で言っているのかもしれませんしかしいついじめにつ

ながるかわかりません他人を傷つけることで自分のストレスを晴らそうとしているのでしょう

関係ないふりをしようとする自分がいます楽な考え方をする自分がいますそんな時亡くなっ

た父の顔やK君の優しい笑顔を思い出しますあの時の自分のように強い気持ちを持とう「や

めろよ」と一言言うするとまた気持ちがスーっとしてきました

 

父の分も頑張って生き抜こうと決めた僕にとって正しいことを素直に認め悪いことを否定

できる強い意志を持つことが目標ですそして何よりも命を大切に今を大切にしていきたい

と思っています

入賞作文集 52

入賞作文

53 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

 

ぼくは今まで四つの外国に暮らしいろいろな国の人たちの中で育ってきた

 

まずタイで生まれてタイ人のメイドさんやドライバーさんにいつも遊んでもらっていた

らしい一才になると週一回の体操教室にも通いタイ人の友達もいたそうだ

 

次にシンガポールでは初めてナサリースクール(保育園)に通いいろいろな国の友達と

知り合ったプレイルームにある滑り台を滑る順番争いでいつも勝つのは体の大きい金髪の友

達だった

 

一回目の香港生活では英語の幼稚園に通ったその時のぼくの一番の友達はカナダ人だった

彼とはよくベイブレードをして遊んだが父が日本の出張で買ってきてくれた独楽や剣玉をして

遊ぶこともあった

村むら

瀬せ

 広ひろ

高たか

香港日本人学校中学部 二年

国境をこえて

海 外 作 品

今回は本選への応募とすることはできませんでしたが

 海外から寄せられた作品のうち一作品を御紹介します

入賞作文集 54

海外作品

 

それからインドでは日本人学校に通ったが夏休みには毎年アメリカンスクールのサマー

スクールに参加したし日本人のいない現地のテニススクールにも入り二年間通ったまたイ

ンドの現地幼稚園に通っていた妹のベストフレンドはコンゴ人でその兄弟もぼくの友達だった

 

そして三年間の日本生活を経て今また香港に戻ってきた

 

このようにぼくはいろいろな国でいろいろな国の人たちのお世話になりいろいろな国

の友達と遊んで育った肌が真っ黒な友達もゲームの話をすればすぐに仲良くなれたし髪が

金色の友達もポケモンの話をすれば気が合ったぼくは小さい頃から英語はうまくしゃべれ

なかったけれどもジェスチャーをつけたでたらめ英語でも充分に話は通じただからいろい

ろな国の人たちの中でぼくが日本人だからといって差別されたり嫌な思いをしたりしたこと

はないしぼくも肌の色が違うからとか言葉が通じないからという理由で違う人間だと思っ

たことはないそうぼくは外国人を差別したことはない

 

しかし本当にぼくは外国人を差別したことがないのだろうか外国人を差別した発言を一

度もしたことがないかと考えると自信がない

 

例えば香港人には赤信号でも平気で渡る人がたくさんいるそれを見てぼくは

「香港人はしょうがないな」

と思うでもよく見ると香港人全員が信号無視をしているわけではないまた

世界には今でも戦争をしている国がいくつもある

「人を傷つけ合うなんて馬鹿げている」

55 第30回全国中学生人権作文コンテスト

海外作品

とぼくは悲しくなるでもそれも好きで戦っている人がいるとも思えないその

人たちがそうなったのには何かきっと原因があるはずだ

 

逆に外国人から見ると日本人はどのように思われているのだろう

 

インドから日本に帰国した時毎日ごみがたくさん出ることにぼくはとても驚

いたインドの人たちがよく使う道端にあるカレー屋さんではバナナの葉で作ったお皿にカ

レーを入れてくれる食べた後そのお皿を道に捨てるとのら牛がその葉っぱを食べるそして

牛のふんは燃料になるというそれに比べて日本はちょっと歩くとペットボトルの飲み物が

買えファーストフードのお店では使い捨ての食器を使い立派なお菓子の箱を開けると中身が

少なくてがっかりすることもあるある時母が捨てたジャムの空きびんをメイドさんとエア

コンの修理にきていたワーカーさんとが取り合ってけんかをしていたこともあったそれを見

てぼくはあきれてしまったが逆にインド人から見ると使い捨て文化のしみついた日本人は

とんでもない人間にみえるのかもしれない国によって考え方や行動パターンが違うのは歴史

的背景や宗教習慣気候などのいろいろなことが関わっているのだと思う

 

このように考えると差別とはその人の一部しか見ていないことや自分のやり方だけが正

しいと思うことからおきるのではないかと思うその人が自分とは違った行動をとったとしても

それには深い理由があるのだろうと考えればきっと納得できると思うぼくもこれからは否

定的な発言をする前にその人たちのことをいろいろな角度から見て理解する努力をしてみよう

と思う外国との間には自分の国とは違う言葉や文化という壁があるとみんな言うがそこに

入賞作文集 56

海外作品

あるのは壁ではなく橋だとぼくは思う理解

し合おうという気持ちがあればきっと誰でも

その橋を渡っていけるはずだ気持ちの国境を

こえるのにパスポートはいらないお互いを理

解し合おうと思う気持ちが一番大切だと思う

そしてぼくはこれから日本人として生きる

のではなく地球人として生きていこうと思う

57 第30回全国中学生人権作文コンテスト

海外作品

法務局地方法務局名 郵便番号 所  在  地 電  話

金沢地方法務局人権擁護課920-0024 金沢市西念3-4-1金沢駅西合同庁舎(平成23年3月11日まで) 076-231-1244

921-8505 金沢市新神田4-3-10金沢新神田合同庁舎(平成23年3月14日から) 076-292-7804

富山地方法務局人権擁護課 930-0856 富山市牛島新町11番7号富山合同庁舎 076-441-6376

大阪法務局人権擁護部 540-8544 大阪市中央区谷町2丁目1番17号大阪第2法務合同庁舎 06-6942-9492

京都地方法務局人権擁護課 602-8577 京都市上京区荒神口通河原町東入上生洲町197番地 075-231-0131

神戸地方法務局人権擁護課 650-0042 神戸市中央区波止場町1番1号神戸第2地方合同庁舎 078-392-1821

奈良地方法務局人権擁護課 630-8305 奈良市東紀寺町3-4-1奈良第2法務総合庁舎 0742-23-5457

大津地方法務局人権擁護課 520-8516 大津市御陵町3番6号大津法務総合庁舎 077-522-4673

和歌山地方法務局人権擁護課 640-8552 和歌山市二番丁2番地和歌山地方合同庁舎 073-422-5131

広島法務局人権擁護部 730-8536 広島市中区上八丁堀6番30号広島合同庁舎 082-228-5790

山口地方法務局人権擁護課 753-8577 山口市中河原町6番16号山口地方合同庁舎2号館 083-922-2295

岡山地方法務局人権擁護課 700-8616 岡山市北区南方1丁目3番58号 086-224-5761

鳥取地方法務局人権擁護課 680-0011 鳥取市東町2丁目302番地鳥取第2地方合同庁舎 0857-22-2289

松江地方法務局人権擁護課 690-0886 松江市母衣町50番地松江法務合同庁舎 0852-32-4260

高松法務局人権擁護部 761-8077 高松市出作町585-4 087-815-5311

徳島地方法務局人権擁護課 770-8512 徳島市徳島町城内6番地6徳島地方合同庁舎 088-622-4171

高知地方法務局人権擁護課 780-8509 高知市栄田町2丁目2番10号高知よさこい咲都合同庁舎 088-822-3331

松山地方法務局人権擁護課 790-8505 松山市宮田町188番地6松山地方合同庁舎 089-932-0888

福岡法務局人権擁護部 814-0005 福岡市早良区祖原14-15福岡法務局西新出張所庁舎5階 092-832-4311

佐賀地方法務局人権擁護課 840-0041 佐賀市城内2丁目10番20号佐賀合同庁舎 0952-26-2148

長崎地方法務局人権擁護課 850-8507 長崎市万才町8番16号 095-826-8127大分地方法務局人権擁護課 870-8513 大分市荷揚町7番5号大分法務総合庁舎 097-532-3368

熊本地方法務局人権擁護課 862-0971 熊本市大江3丁目1番53号熊本第2合同庁舎 096-364-2145

鹿児島地方法務局人権擁護課 890-8518 鹿児島市鴨池新町1番2号 099-259-0684宮崎地方法務局人権擁護課 880-8513 宮崎市別府町1番1号宮崎法務総合庁舎 0985-22-5124

那覇地方法務局人権擁護課 900-8544 那覇市樋川1丁目15番15号那覇第1地方合同庁舎 098-854-1215

入賞作文集 58

問合せ先一覧

法務局地方法務局名 郵便番号 所  在  地 電  話

札幌法務局人権擁護部 060-0808 札幌市北区北8条西2丁目1番1札幌第1合同庁舎 011-709-2311

函館地方法務局人権擁護課 040-8533 函館市新川町25番18号函館地方合同庁舎 0138-23-9528

旭川地方法務局人権擁護課 078-8502 旭川市宮前通東4155番31旭川合同庁舎 0166-38-1114

釧路地方法務局人権擁護課 085-8522 釧路市幸町10丁目3番地釧路地方合同庁舎 0154-31-5014

仙台法務局人権擁護部 980-8601 仙台市青葉区春日町7番25号仙台第3法務総合庁舎 022-225-5739

福島地方法務局人権擁護課 960-8021 福島市霞町1番46号福島合同庁舎 024-534-1994

山形地方法務局人権擁護課 990-0041 山形市緑町1丁目5番48号山形地方合同庁舎 023-625-1321

盛岡地方法務局人権擁護課 020-0023 盛岡市内丸7番25号盛岡合同庁舎 019-624-9859秋田地方法務局人権擁護課 010-0951 秋田市山王7丁目1番3号 018-862-6533

青森地方法務局人権擁護課 030-8511 青森市長島1丁目3番5号青森第二合同庁舎 017-776-9024

東京法務局人権擁護部 102-8225 千代田区九段南1丁目1番15号九段第2合同庁舎 03-5213-1234

横浜地方法務局人権擁護課 231-8411 横浜市中区北仲通5丁目57番地横浜第2合同庁舎 045-641-7926

さいたま地方法務局人権擁護課 338-8513 さいたま市中央区下落合5-12-1さいたま第二法務総合庁舎 048-859-3507

千葉地方法務局人権擁護課 260-8518 千葉市中央区中央港1丁目11番3号千葉地方合同庁舎 043-302-1319

水戸地方法務局人権擁護課 310-0061 水戸市北見町1番1号水戸地方法務合同庁舎 029-227-9919

宇都宮地方法務局人権擁護課 320-8515 宇都宮市小幡2丁目1番11号宇都宮地方法務合同庁舎 028-623-0926

前橋地方法務局人権擁護課 371-8535 前橋市大手町2丁目10番5号前橋合同庁舎 027-221-4426

静岡地方法務局人権擁護課 420-8650 静岡市葵区追手町9番50号静岡地方合同庁舎 054-254-3555

甲府地方法務局人権擁護課 400-8520 甲府市北口1丁目2番19号甲府地方合同庁舎 055-252-7239

長野地方法務局人権擁護課 380-0846 長野市旭町1108番地長野第2合同庁舎 026-235-6634

新潟地方法務局人権擁護課 951-8504 新潟市中央区西大畑町5191番地新潟地方法務総合庁舎 025-222-1564

名古屋法務局人権擁護部 460-8513 名古屋市中区三の丸2丁目2番1号名古屋合同庁舎第1号館 052-952-8111

津地方法務局人権擁護課 514-8503 津市丸之内26番8号津合同庁舎 059-228-4193岐阜地方法務局人権擁護課 500-8729 岐阜市金竜町5丁目13番地 058-245-3181

福井地方法務局人権擁護課 910-8504 福井市春山1丁目1番54号福井春山合同庁舎 0776-22-5090

問合せ先一覧 (法務局地方法務局)

59 第30回全国中学生人権作文コンテスト

問合せ先一覧

世界人権宣言啓発書画「鳥」「自由と解放」を表わしたもの 小木太法書オタビオロス画(財)人権擁護協力会提供

入賞作文集 60

すべての人間は生まれながらにして

自由でありかつ尊厳と権利とに

ついて平等である人間は理性と

良心とを授けられており互いに同胞の

精神をもって行動しなければならない

―――

世界人権宣言 第一条

―――

第三〇回

 全国中学生人権作文コンテスト

中央大会表彰式

印  刷 平成23年1月25日

発  行 平成23年2月14日

発 行 者 法務省人権擁護局

全国人権擁護委員連合会

東京都千代田区霞が関一丁目1番1号

電話 03(3580)4111 内線5875

URL httpwwwmojgojpJINKEN

第30回全国中学生人権作文コンテスト中央大会審査員

感想をお聞かせください本作文集を読まれた感想等を下記の連絡先又はkeihatsumojgojpまでお寄せください

無断転載を禁じます本作文集に掲載された作文や写真等を地方自治体が広報誌に掲載したり学校が教材に使用される場合などにはあらかじめ下記に御連絡ください

100-8977 東京都千代田区霞が関一丁目1番1号 法務省人権擁護局人権啓発課 TEL03(3580)4111 内線5875

作  家(審査員長) 落 合 恵 子映画監督 山 田 洋 次社団法人日本新聞協会事務局長 川 嶋   明日本放送協会解説委員室解説委員 南   直 樹文部科学省初等中等教育局視学官 三 好 仁 司全国人権擁護委員連合会長 中 村 浩 紹法務省人権擁護局長   井 忠 雄

(敬称略)

【式次第】

第一部

 会

主催者あいさつ

賞状授与

内閣総理大臣賞法務大臣賞

文部科学大臣奨励賞法務副大臣賞

法務大臣政務官賞

全国人権擁護委員連合会長賞

社団法人日本新聞協会会長賞

日本放送協会会長賞(以上各一名)

法務事務次官賞(三名) 計一一名

学校への感謝状贈呈

高円宮妃殿下おことば

来賓祝辞

第二部

各受賞作文の朗読

内閣総理大臣賞法務大臣賞

文部科学大臣奨励賞

全国人権擁護委員連合会長賞

社団法人日本新聞協会会長賞

日本放送協会会長賞

 評

全国中学生人権作文コンテスト中央大会審査員

 山田洋次氏

 落合恵子氏(ビデオレター形式)

第三部

新垣勉さんコンサート

 会 平成二二年一二月一八日(土)

午後一時三〇分〜三時五〇分

於ニッショーホール

「いじめ」や暴力行為等は人権侵害です

法務局地方法務局では

人権侵害による被害を受けた方を

救済するための活動を行っています

お気軽にご相談ください

女性の人権ホットライン

インターネット人権相談受付窓口

ゼロナナゼロのハートライン

0570-070-810

子どもの人権110番ぜろぜろななのひゃくとおばん

 0120-007-110

パソコンから httpwwwmojgojpJINKENjinken113html携帯電話から httpwwwjinkengojpsoudanmobile001html

インターネット人権相談 検 索

Human Rights法務省人権擁護局全国人権擁護委員連合会

人権イメージキャラクター人KENあゆみちゃん人KENまもる君

全国共通通話料無料

全国共通ナビダイヤル

この冊子は環境保護印刷の「水なし印刷」で印刷されています

第30回全国中学生人権作文コンテスト入賞作文集

法務省人権擁護局全国人権擁護委員連合会

人権イメージキャラクター人KENまもる君人KENあゆみちゃん

この冊子には音声コードが各頁(奇数頁 左下偶数頁 右下)に印刷されています専用の読み上げ装置で読み取ると記録されている情報を音声で聞くことが出来ます

Human Rights法務省人権擁護局全国人権擁護委員連合会

 全国中学生人権作文コンテスト入賞作文集

 全国中学生人権作文コンテスト入賞作文集

第30回

しか体験していないことを知ってお

いてほしい私たちには当たり前に

できるようなことがあってもどん

なに望んでもできない人たちがいる

ということとみんなの正しい理解と

知識が障がい者の明るい未来へとつ

ながっていくということを知ってほ

しいそしてこのことを広めていか

なければならない

 「少しずつhellip一歩ずつhellip」

17 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

 「Pick your 

head up」

 

これは父がいつも私にかけてくれる魔法の言葉です

 「顔をあげなさい下を向かない」という意味です

 

私の父は生まれも育ちもニューヨークのアメリカ人です女の子は父親に似るとよく言われ

ますが私もそうで日本人の母親よりも父の方に髪質も肌の色も本当によく似ています子供

が親に似ることはあたりまえのことですが私はそのためにいやな思い悲しい思いをいくどと

なくしてきました

 

初めて自分がみんなとちがうんだなと思ったのは幼稚園に入学してまもなくのことでした同

じ組の女の子たちが何人かして楽しそうに遊んでいたので

ローリンズ リコ

福島県福島市立渡利中学校 一年

「差別のない世界へ」

文部科学大臣奨励賞

入賞作文集 18

入賞作文

 「まぜて」

と声をかけると一人の子が言いました

 「このグループは日本人で髪がまっすぐな人しか入れないのリコちゃんは髪がチリチリだし

ハーフだからダメ」と

 

私はとても悲しくなりましたそしてそれは卒園するまで続きました

 

小学校は人数も少なかったせいかみんなとても仲良くて私の外見のことを言う人はだれ一

人いませんでしたまるで兄弟のようにみんな自然に接してくれましたでも習い事やいろい

ろな大会など他校の子たちといっしょになる場面ではやはり髪の毛や肌のことをからかわれ

ることはよくあることでした私には二学年上の兄がいますが兄もやはり父の方に似ています

おだやかな性格の兄は私以上につらい思いをしてきたと思います

 

父は兄や私の話を聞くたびに

 「Pick your 

head up」

と言いましたそして

 「自分に自信とほこりをもちなさいあなたたちは二つの文化を受けついでそれはとてもす

ばらしいことなんだよ」

といつも話してくれました

 

中学に入って間もないころでしたある男の子がいきなり私に向かって言いまし

19 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

 「おまえ風呂に入っているのか黒いぞ外国人はくさいからな」

 

私はとてもはずかしくなりましたそしていかりや悲しみがこみあげてきました

まわりにいた友達は彼の言葉に苦笑いをしていました私はいかりのあまり彼をな

ぐりたくなりましたその時私は父のあの言葉を思い出しました私は顔を上げ

相手の目を見て静かに自分の傷ついた気持ちを伝えました

 

彼は私に向かってこう言いました

 「ごめんわるかった」

 

彼は人を傷つけるということが彼の想像以上に重くそしてひどいことだと少し気付いたよう

でした

 

差別やいじめというのは私たちのまわりでは小さなことから大きなことまで本当によくあり

ますそして差別やいじめをしている側からすればそれをじょう談だという人も多いのです

まわりの人たちもやはりじょう談や遊びの中でのことにとらえてしまう人たちもとても多いので

すだから小学校の時から私たちは道徳などでいじめや人権などについて学んでいてもなかな

かそれがなくならないのだと思いますでも実際に差別やいじめをされている方はみんなの想

像よりはるかに傷ついているということつらいということそして悲しいということを私はこ

の人権作文を通してたくさんの人に知ってほしいのですけがをすれば日がたつごとにそのけ

がは治っていくでしょうまわりからも治っていく様子が見てわかるでしょうでも心に受けた

傷は本人にしかわからないのですその傷がどんなに深くて痛いものか本人にしかわからないの

入賞作文集 20

入賞作文

です

 

肌の色が違っていてもかみの毛が

違っていても私たちはみんな同じ人間

です心を持った人間です相手の気

持ちを思いやり相手の立場になって

考えればいじめや差別はなくなると

思います今も世界のいたるところで

人種差別が問題となり争いが起きてい

ます私は世界から差別やいじめがな

くなるように強い心を持ってまずは

自分から立ち向かっていきたいです

21 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

 

あなたには大好きなふる里がありますか私には緑の木々と青い海に囲まれた自然豊かな

大好きなふる里があります私のふる里は過去に公害という大きな被害をうけた水俣ですそ

の水俣病で患者はもちろんそうでない人も長い間差別をうけてきました

 

父が幼い頃まだ水俣病の原因が究明されておらず水俣病はうつると言われていました列

車が水俣の駅につくと窓をしめ手で口をおおった人もいました修学旅行に行くと同じ宿

舎になった学校から苦情を言われたこともありました水俣出身ということで結婚を断られた人

や就職試験をうけることさえできなかった人もいました水俣に住んでいることをかくして隠

れるようにひっそり暮らしていた人もいましたまた同じ水俣に住む人でさえ奇病と呼び距

離をおきましたそのことでたくさんの人々が傷つきあってきたのですいろいろな立場の人々

井いの

上うえ

 由ゆ

紀き

子こ

熊本県熊本県立八代中学校 一年

私の大好きなふる里

法務副大臣賞

入賞作文集 22

入賞作文

がせまい土地に住んでいるのですから仕方がなかったのかもしれません

 

しかし今では原因も究明され海の安全も確認されたことでそのようなことはほとんどな

くなりました私たちは過去のことを忘れるくらい楽しくすごしています

 

私は今八代の中学校に通っています私は自分が水俣出身ということを隠すこともありませ

ん友だちもまたそのことを知っていますがからかったりいじめたりする人は誰一人いません

 

しかし先日水俣の中学校のサッカー部が練習試合中に相手チームの選手から

「さわるな水俣病がうつる」

と言われたという記事が新聞にのっていました今でもこういう風に思っている人がいるのか

と思うと残念で仕方ありません何気なく言った一言だったのかもしれませんがその一言は

私たち水俣に住む者にとって非常に悔しく悲しいものでした

 

小学校の総合的な学習の時間で水俣病について学習しました原因となった会社を訪問したり

患者の方から当時の話をきいたり交流も行いましたそんな中で苦労されたり何も言えずに

黙って亡くなった人のことを知り水俣に住んでいながら何も知らなかったことをはずかしく思

いました水俣病についてしっかり学び正しい知識を得ることが差別や偏見をなくすのだと気

付きました

 

中学校の道徳の時間ではハンセン病について学習しましたこれも水俣病同様

正しい知識がなかったためにおきた悲しく悔しい悲劇でした

 

私たちが差別や偏見をなくすためにできることそれはその人その出来事に

23 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

ついてしっかり知ること知ろうと努力すること正しい知識を深めるために学習

することではないかと思いますそうすれば水俣病やハンセン病のようにむや

みに人と人とが傷つけあったり憎しみあったりすることはなくなるのではないで

しょうか

 

先日テレビで水俣のダイバーが紹介されましたその人は本当はほこりたい水俣を心の中

にじっとしまいこみ誰にも言えず何年もの間生きてきた人でしたしかし水俣の地にも

どり自分はこのすばらしい美しいふる里を紹介したいと海にもぐり写真をとり続けておら

れるそうです心に差別という深い傷を負いながら水俣の再生を皆に知らせたいと頑張る人

がいることに感動しました

 

今水俣はごみの分別リサイクル事業など市民全員で環境にやさしい町づくりをすすめてい

ます私は差別や偏見から立ちなおり再生しようと環境問題に一生懸命とりくんでいるふる

里水俣をほこりに思っています

 

水俣では運動会等多くの行事で「水俣ハイヤ節」というものが踊られますこれは水俣病

の患者の方が水俣の青い海と豊漁を願って振りつけをされた踊りだそうです私たちと同じ思い

をする人が二度とでないことを祈りながら私たちは毎年皆でこの踊りを踊ります

 

水俣の悲しい過去を変えることはできませんが私はあやまちを二度とくりかえさないため

にこの美しい自然を守り真実を語り継いでいきたいですそして差別や偏見のない社会に

なるよう自分から努力していきたいと思います

入賞作文集 24

入賞作文

25 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

 

みなさんは「本当の『平和』とは」と質問されたら何と答えますか「戦争や紛争などが

ないこと」ですかそれとも「自分自身の幸せのこと」ですか一人ひとりの抱く「平和」のイ

メージは違うことでしょう

 

僕の思う本当の「平和」それは「家族」がいて「家庭」があることだと思いますなぜそう

思うかというと今僕は訳あって家族とは離ればなれに暮らしているからです一歳前後には既

に家族とは離れ施設にいました母親や姉兄の存在はわかっていますが一緒に過ごした時

間は限られたもので今でもほとんど交流はありませんそのせいか僕はいつも「家族」や「家

庭」というものに強い憧れを抱いています

 

自分がまだ幼い頃は自分と同じくらいの子が母親と手をつないでいる姿がとてもうらやまし

大おお

田た

 葵あおい

栃木県さくら市立喜連川中学校 三年

「家族」とは何か

法務大臣政務官賞

入賞作文集 26

入賞作文

「どうして自分には母親がいないんだろう」と思っていました仕舞いには自らの母親を恨ん

でしまったのです小学生になってもその気持ちは変わらず母親への恨みは増すばかりでした

 

しかし小学五年生の夏思いもよらぬ出来事が起きましたそれは引っ越しがあったこと

ですそこで僕は新しい土地そして新しい里親という人たちに出会いました里親の人たち

と暮らした数年間僕は幸せでしたそこで僕は僕の周りにはいつも支えてくれる人たちがい

ることに気づきました血のつながりがなくても僕に自分の子どものように接し育ててくれ

た里親の人たち養護施設の先生方などたくさんの方たちに僕は見守られて成長してきたこと

に気づいたのです僕を支えてくれる人すべてに感謝の気持ちがわき出てきましたそれ以来

僕は親という存在にこだわらなくなりましたそれどころか自分に命を与えてくれた親に感謝

の思いを抱くようになったのです

 

この夏母親の育児放棄が原因で二人の乳幼児が衰弱死するという悲しい事件がありました

二人の子どもにろくに食事も与えず風呂も入れなかったそうですさらに逮捕後その母親は

「家に帰ってあげなかったことを今も後悔している子どもは私を恨んでいると思う」

という言ってはならない発言をしました僕は怒る前に亡くなった二人の子ども

たちがかわいそうでなりませんでした

 

と同時に僕はこの母親はどうしてこのようなことをしてしまったのだろうと

すごく考えさせられました僕は本来親は子どもを殺すのではなく守るために

27 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

いるのだと考えますたとえ小さな子どもでも立派な一人の人間ですその命を

守り育てていくことが親として大切な役目だと思うのですこの母親はどこで

勘違いしたかは知りませんが親としての自分の責任を理解していなかったのでは

ないでしょうか

 

そしてその勘違いを誰も母親に気づかせてあげられなかった事実母親が一緒に遊び歩いて

いた友人はもちろん母親の家族が少しでも助けることができていたら母親の行動を戒めるこ

とができていたら連絡を受けた児童相談所がもう少し踏み込んだ行動が取れていたらこのよ

うな悲しい結末にはならずに済んだのではないでしょうかやりきれない思いばかりがこみあげ

てきます

 

もう一つこの母親は大きな勘違いをしていますそれは「子どもは私を恨んでいると思う」

という言葉です僕はこの子どもたちが母親を恨んでいるとは思えません子どもたちは母

親が帰宅するといつもハイタッチをして喜んで迎えたそうです子どもたちは母親のことが大

好きだったのでしょうたとえ自分たちを見放した母親でも恨んでいるとは決して思えないの

です

 

子どもは心の底から自分の母親のことを恨めないと僕は思いますこの世に生を受け笑った

り怒ったり泣いたりと毎日いろいろな経験ができるのは自分を生んでくれた母親という存在

があったからです正直僕も小さい頃は母を恨んだことがありました愛情の裏返しというよ

うに母親への思いが憎しみに変化してしまったのですでも心の底には母への恨みとは全く

入賞作文集 28

入賞作文

正反対の気持ちが存在し続けていましただ

からこそこの子どもたちがどんな思いで死

んでいったのかわかるような気がします母

親を信じひたすら母親の帰りをまちわびて

いた思いが

 

僕にとっての「家族」それは同じ屋根の

下で暮らす人々のことですたとえ血はつな

がっていなくても僕を支え励ましてくれる

人たちそのすべての人が僕にとっての大切

な「家族」なのです今僕の暮らす養護施設

にはいろいろな事情を抱えた二歳位から高

校生までの子どもたちや職員の方が約六十人

います今の僕には全員大切な「家族」で

す僕はこれからもこの「家族」を大切に

一日一日精一杯平和に生きていきたいです

29 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

 

授業でハンセン病について学んだ日両親と「偏見」や「差別」について口角泡を飛ばす議論

を深夜まで繰り広げた身体障害者の父と看護師の母を持つ私は幼い頃から「命の大切さ」を

訴える両親の姿を見て育って来たそんな私は真摯な気持ちからハンセン病罹患者と向き合い

たいと思いこの夏草津にある療養施設栗生楽泉園を訪れた

 

草津までの道のり私は罹患者の気持ちを絶えず考えていたハンセン病について調べると「ら

い予防法」により罹患者は隔離され人権を無視された扱いを受けたことが分かった罹患者の

言葉が書かれた本ではどんなに過酷な仕打ちを受けたか他人をどれほど恨み憎んでいるか

が書かれていたその為私は無意識の内に「罹患者は全員恨みを抱いている」と勝手に思い込

んでいたしかしこんな思い込み自体が偏見や差別を生む原因になるということを後に思い知

大おお

井い

 海み

琴こと

群馬県群馬大学教育学部附属中学校 三年

忘れてはならないこと

全国人権擁護委員連合会長賞

入賞作文集 30

入賞作文

らされることになるのである

 

私を迎えてくれたのは入園者自治会長の藤田三四郎さん藤田さんは大変お元気でその容姿

からはハンセン病を伺い知ることはできなかったしかし藤田さんは紛れもない罹患者なのだ

その証拠に藤田さんの名は本名ではない罹患者は施設に入所するにあたり偽名を使用させら

れたと言うつまりその時点で罹患者は世間から存在を消されてしまうのであるそんな藤田

さんから語られた話はハンセン病だと宣告され三度も命を絶とうとしたこと重症患者の看

護を押しつけられ数え切れない人を看取り自らの手で葬ったこと家族が受けた迫害や侮辱的

な言葉など想像を絶するもので筆舌し難いものだったしかしこんな迫害と差別は同時にハ

ンセン病患者達の人権回復闘争の歴史でもあったのだ闘争の末「らい予防法」が廃止される

と今まで差別や人権侵害を繰り返していた多くの人が掌を返す様に態度を変えたと言う私は聞

いていて怒りを覚えたが不思議なことに耳を塞ぎたくなる様な内容を語る藤田さんからは全

く怒りや恨みが感じられないのだ私は話を聞くまで自分の運命を呪い周囲への恨みつらみ

の言葉が出てくるとばかり思っていたしかし出てきた言葉は「入園出来て良かった差別は

受けたが今では恨みを抱く罹患者も少なくなったそればかりか最近はたくさんの人が我々を

理解し協力してくれるので嬉しい何故なら一人の百歩は力が無いが百人の一歩

は力になるから」と言う感謝の言葉だったのだ本当に「恨みは無いのか」と何度

聞いても答えは同じだった私は恥ずかしくなったハンセン病について調べ罹

患者の心を理解したようなつもりでいながら実は何も理解できてなくてそれば

31 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

かりか罹患者を偏見の眼で見ていたのは私自身だったのだ私は話を聞いてとめ

どなく溢れ出る涙を拭いながら心の片隅に潜んでいた「偏見と言う名の種」が身

体から洗い流されていくのを感じていたそれは同時に「思い込みや無知が偏見

や差別を生みだす」ことを強く感じた瞬間でもあったそれだけに藤田さんの「自

分と同様に他人を愛すればいつか必ず世界から差別はなくなる他人を愛して下さい」の慈愛に

満ちた言葉が一層重く腑に落ちるのだった

 

帰りがけ千五百ページにも及ぶ「入所者証言集」を手渡されたその際私は見えない襷も

手渡された気がしたその襷とは証言集に記された罹患者の「事実を風化させないで私達の事

を忘れないで」という搾り出すような叫び声とその姿だったのである

 

ハンセン病が治る病気であるのに誤った知識から悲惨な人権侵害が長期に渡り続いた同じ間

違いを繰り返さないためにも事実を語りついで行く必要があるここ楽泉園でも高齢化が進み

証言者の数が減っているこれは全国一五全てのハンセン病療養所に共通することだハンセン

病問題は罹患者がいなくなればそれで終わると言う問題ではない今後人権問題を考える際重

要な指針になりうる事実なのだそしてこの事実の風化を防ぐことが私達若い世代の役目だと

私は思う

 

私は小六の時友人達から突然イジメを受けたそれを引きずり他人を恐れ憎み自分を

嫌って生きて来たしかし罹患者の声が私に生きる力と前を向いて歩む勇気を与えてくれた

楽泉園訪問は私に人生観が変わる程の衝撃を与えてくれたのだこんな私だが罹患者の声を伝

入賞作文集 32

入賞作文

える「百人の中の一人」にはなれるはず

だそのために私は今この作文を書い

ている文字は時を越えて生き続けるか

ら私はこれからも楽泉園訪問を続ける

つもりだ実際に中学生の私が出来るこ

とには限りがあるが差別や偏見を少し

でも減らすために一歩を踏み出すつもり

でいる「自分と同様に他人を愛すれば

いつか差別は無くなる」と言う藤田さ

んの言葉を胸に

33 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

 

森に囲まれたその一画には教会や寺院神社があり小さなショッピングセンターやレスト

ランもある床屋や図書館郵便局や浴場もあるしかしそれらの施設を利用するのはその一

画に住む人たちだけだ緑の外側に住む人が利用することはないそこはハンセン病の療養所

多磨全生園である

 

僕は七年前に清瀬市に引っ越してきた夏のある日昆虫が大好きな僕は何気なくその森の

中に入って行ったそして歩き回っているうちにその場所が一つの「町」であることに気付

いた

 

毎日セミやカマキリやナナフシを探しながらどうしてこんな所があるのだろうと思った

 

僕が一番不思議に思ったのは古い木造の小学校だいつも誰もいない校舎と小さな運動場近

久く

米め

 一かず

輝き

埼玉県学校法人立教学院立教新座中学校 一年

ハンセン病について考えたこと

社団法人日本新聞協会会長賞

入賞作文集 34

入賞作文

くに小学校があるのにどうしてこんな所に小学校があるのだろう小学一年生の僕はとても不思

議に思った

 

夏に地域交流を目的とした盆踊りと花火大会が行われるいつもは人のいない小学校跡は多く

の人であふれかえり普段は見かけない重い後遺症の老人たちもこの日は外に出て盆踊りを楽し

む初めて参加したときは言葉が出なかった正直「怖い」と思った

 

夏が来るたびに僕は盆踊り大会に参加した低学年から高学年へと進むにつれて少しずつハ

ンセン病のことが分かってきた

 

六年生のときに社会科見学で全生園の元患者を訪れることになっただが僕は都合で参加で

きなかった僕はそれをずっと悔やんでいる

 

今年の夏僕はハンセン病資料館に出かけた見学者は僕一人でとても緊張したなるべく

音を立てないようにパネルを見て回った

 

強制隔離の現実にとても驚いた狭い部屋に押し込められ症状の軽い患者が重症の患者の世

話をしたという子供を持つ権利や生まれる赤ん坊の命まで奪われていた逃げ出したり反抗的

な患者は「不良患者」と呼ばれ窓の小さな暗い監房に閉じ込められた

 

医学が進歩し療養所も徐々に改善されていったが強制隔離を命じる「らい予防

法」が廃止されたのは一九九六年だという隔離が始まった一九〇八年から約九〇

年も経っていた僕が生まれるほんの一年前のことである特効薬が開発され本

格的な治療が始まったのは昭和二十二年である現実に合わない法律を廃止するの

35 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

にどうしてそんなに時間がかかったのだろうか

 

資料をもらってハンセン病資料館を後にした家を出るときは帰りに虫の観察

をするつもりだったがとてもそんな気にはなれなかったいつもセミが集まる桜

の木には目もくれずに早足で家に帰った

 

資料の中で一番心が痛んだのは療養所の子供たちのことだ療養所に入所したのはハンセン

病を発症した子どもたちだけではない親が発症したために入所する子どもたちもいた当時は

ハンセン病は遺伝病だとされていたからだ親から無理やり引き離された子どもたちは「すぐに

帰れるから」という言葉を信じていたというしかし一生療養所を出ることができなかった人が

多かったという社会的な差別がひどかったからだと資料に書かれていたが僕には実感がわか

なかったのでもう少し調べてみることにした

 

図書館で『ハンセン病を生きて』(伊波敏男著)という本を見つけた少し難しかったが差

別の現実が僕にもわかる部分があったそれは元患者たちに対して書かれた匿名のひどい手紙

である長年隔離されて苦しんできた人たちをさらに傷つける言葉が並んでいた悲しく暗い

気持ちになった

 

日本は経済大国として世界の注目を浴びているだが人権意識の面ではどうだろう「らい

予防法」を二〇世紀の末まで廃止できなかったことをどう考えたらよいのだろうか明治時代に

隔離が始まったときそれは外国に対する体面を保つためだったという病気の人を治療するの

ではなく「隠す」のが目的だったのだいまだに差別意識を持つ人がいるのは社会がそうした

入賞作文集 36

入賞作文

過去に対する反省をしていないから

だと思う

 

僕が不思議に思った小学校はすで

に取り壊されて今では小さな石碑

だけが残っている老朽化がひどく

残しておくことができなくなったか

らだという全生園の古い建物はど

んどん取り壊されていく石碑だけ

ではあの不思議さが伝わらないのが

とても残念だ

37 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

 

僕の曾祖父は医者嫌いでしたそのため腹痛で病院に運ばれた時は膵臓癌の末期で余命三ヶ

月でした手術もできない手遅れの状態でした家族皆で話し合い曾祖父の辛い気持ちを第一に

考え曾祖父に病を隠すことになりました曾祖父は次第に病院の中を歩いては転倒し体中あ

ざだらけになりベッドの上で縛られることになっていました曾祖父は病名の宣告を受けてい

ないため元気で歩けると思っているが実際歩くと転んでしまう何でこんな風になってしまっ

たのかさえわからない

 

家族と病院に行くと「包丁もてこいこれぶった切って家さ帰る」と騒いでいましたあん

なに優しかった曾祖父の姿に言葉も出ず恐いくらいでした何も知らされずベッドに縛り付

けられれば誰もがそうなることでしょう「じいちゃんどご一緒に車さのせでいてくれの」と

櫻さくらだ田

 要かな

太た

山形県酒田市立松山中学校 三年

日本放送協会会長賞

悔いのない最期を

入賞作文集 38

入賞作文

せがまれたときもありますかわいそうで涙がポロポロこぼれました「おじいちゃんどご家

さ連れで帰ろうよ」とせがんでも家族も仕事で忙しいためか誰も首を縦に振ってくれず病院

にいた方が安心ということになりました膵臓癌は予想以上に激しい痛みのため医師から強い

痛み止めと強い睡眠剤を勧められましたがそれを導入することにより安楽死に近い状況にな

ることも医師から告げられていました家族は決断をせまられました曾祖父に相談もせずに決

めていいことなのか家に帰りたい曾祖父の意志は封じ込められたままでいいのか家族で悩み

ました結局痛みに耐えている姿は見ていられなくその薬を使うことになりましたその後

曾祖父は次第に弱っていき口も利けなくなり静かに亡くなっていきました僕はどこか心を

引きずったままでした僕達家族が曾祖父に宣告もせず意見も聞かず命の長さを決めてしまっ

たこと当時幼かった僕には何もしてあげられなかったことが今思い出しても残念です

 

最近授業で人権について学習しているときに幼い頃の記憶がよみがえりふと曾祖父のこと

を思い出しました

 

曾祖父はどんな思いで亡くなったのだろう最後に意識のあるうちに一度でいいから家に帰っ

てきたかっただろう身体拘束は今は病院でも禁止されていると思いますがあの頃は確かに曾

祖父のおなかに黒いベルトのようなものが巻きついていました決して自分の力で

は外せないようなものでしたもがき苦しむ曾祖父の姿を見た時に看護師さんに

目を隠され別の部屋に連れて行かれました見せたくない光景だったのだと思いま

すでもあの姿は僕の脳裏に焼き付いています病院の中での人材不足のためだっ

39 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

たのでしょうか人が人らしく生きていない姿でした

 

七十八年生きてきて何も悪いことをしていないのに縛られ家にも帰れない

病気で余命幾ばくもない人には人権というものは存在しないのでしょうか最近の

医療の現場では自己決定権があることについて学びました

 

仏壇に向かい静かに目を閉じると優しく穏やかに微笑む曾祖父の笑顔が浮かびますどんな

気持ちで亡くなっていったのかその気持ちを考えると苦しい気持ちになります野球の大会に

行く前仏壇に手を合わせます「やればできる努力しろ」とよく励ましてくれました曾祖

父の力には何もなれなかったけれど目には見えない力で応援してくれる曾祖父に線香をあげて

自分を省みる時があります曾祖母が元気なので曾祖父を助けられなかった分曾祖母の力に

なっていくことを曾祖父に約束しています

 

夏休み中のニュースで高齢者の所在不明者が多数のため百歳以上の安否確認調査をしていま

した自分の親を平気で捨て遺骨さえもひきとらない亡くなっていたのに年金を不正受給する

ために隠していたなど耳をふさぎたくなるような事件もありました犬や猫が年をとって弱っ

てきた手がかかるから面倒だからと捨ててしまうそれと同じ現象が弱い高齢者にも及んでき

ているのだと思います

 

やはりこの世に生まれてきたもの全てに自分の意志で生きることを決めていける権利がある

と思います長い年月を苦労や努力と向き合いながら精一杯生きてくれたおかげで今の幸せが

あることを忘れずにいたい人はいずれ誰でも年をとります自由に動けなくなった時に自分の

入賞作文集 40

入賞作文

願いが叶う社会を築き「悔いなく満足で楽しく幸せな人生だった」と思えるように人とし

ての誇りを持って満足できる最期を迎えられるように考えていきたいもう二度と僕が見た自

己決定権のない社会にならないように高齢者には今までの感謝の気持ちで本人の希望をでき

るだけ叶えられるように努力していきたいいずれ僕達も迎える高齢社会だからhellip

41 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

 

私は小学六年生の時から盲導犬候補の子犬を育てるボランティアをしています「犬を飼っ

てみたい」と言う私に両親が「せっかく犬を飼うのなら社会に役立つことをしよう」と提案

したからです生後二ヵ月の子犬を預かり一歳の誕生日を迎えるまで世話をするのがボランティ

アの役目です初めて訓練士さんから子犬を手渡された時は不安でドキドキしましたが子犬は

すぐに私の腕の中で眠ってしまいました初めて会った私のことを信頼して安心しきった寝顔

で眠っている姿は本当に可愛かったですラブラドールの子犬はとてもやんちゃで私の家にやっ

て来たその日からいたずらばかりしていましたがしかられてもクヨクヨせずどんな相手にも

 林はやし

 里り

咲さ

東京都小平市立小平第六中学校 三年

差別のない社会に

(パピーウォーカーの経験から学んだこと)

法務事務次官賞

入賞作文集 42

入賞作文

フレンドリーに近づいていく姿から私は明るく前向きに生きることを教わりました子犬たち

と過ごした日々は私にとって一番の宝物ですそしてあっという間に一歳の誕生日がやって来ま

した誕生日が悲しいという経験は初めてでした訓練所への入所日の前日には長い長い散歩を

して最後のお別れをしました「今までありがとう」そう言った私のことを不思議そうに見てい

た子犬の顔が今も目に焼きついています別れは本当につらいけれど涙を見せたら子犬が心配す

るので頑張って笑顔で見送りました

 

私の家で育てた一頭目の子犬は現在盲導犬になって頑張っていますそして今年四月に巣立っ

ていった二頭目の子犬は神奈川にある訓練センターで訓練中です

 

このボランティアを通して私は多くのことを学びましたまず盲導犬の役割ですがこれは単

に目の不自由な方が便利に一人でどこへでも行けるようにするためだけではありません視覚障

がいのある方にとって人の手をわずらわせるのはとてもつらいことなのだそうですたとえ家

族に対してでも「迷惑をかけるのではないか」と思って我慢することが多く「私なんかいない

方がいいんじゃないか」と考えてしまうこともあったといいますその失われそうになった尊

厳を取り戻す手助けをするのが盲導犬の役目なのです犬は訓練を共にするパートナーのことを

大好きになるので「自分は他者からこんなにも大好きになってもらえる存在なん

だ」と気づいて自信を取り戻し新しい一歩を踏み出せるようになるのだそうです

 

また私がボランティア登録している日本盲導犬協会では二〇〇八年に新しい

試みが始まりました受刑者が盲導犬候補の子犬を育てる動物を介在した日本初

43 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

の教育プログラムです罪を犯した人も心から反省してきちんと罪を償えば社会

は差別することなく受け入れるべきですしかし実際はとても偏見が多く元受刑

者たちは「どうせ自分はだめな人間なんだ」と思い再び罪を犯してしまう悪循環

が起こっているそうですその悪循環を断ち切り受刑者たちがスムーズに社会復

帰を果たせるよう支援するのが「あさひ盲導犬パピープロジェクト」です受刑者たちは約十ヵ

月の間子犬たちを世話しながら一緒に過ごし「役に立つ喜び達成する喜び信頼される喜び」

を感じることで自分の価値を再確認するのだそうです今年一月に第一期のプロジェクトを修了

した受刑者の感想に次のようなものがありました

 「今後自分もパピーに笑われないようにきちんとしなければならないパピーは慈しむこと

寛容の心を教えてくれました」

 

犬は決して差別をしません健康な人にも障がいのある人にもお金持ちにも貧しい人にも

権力のある人にも犯罪を犯した人にも全く同じように接してくれますそんな犬たちと一緒に過

ごすことで自信をなくした人たちも自分のことをかけがえのない大切な存在であると思えるよ

うになるのです

 

私たち人間も差別のない社会をつくる努力をしなければならないと思います一人一人が相

手を大切に思う心を忘れなければこの社会はもっと住み良い場所になるはずです私はこのボ

ランティアを通して学んだことを生かしてこれからも一層努力していきたいと思います

入賞作文集 44

入賞作文

45 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

 

僕は祖父のために自助具を作ろうと思った祖父は去年の夏脳梗塞で倒れた祖父は一命

を取り留めたものの右手と右足がまひしてしまったのだその三週間前僕も車椅子から転倒し

て足を骨折した

 

僕には障害がある車椅子で生活することが多いしかし僕のことを障害者だといって差別

するような友達は一人もいない

 

祖父は歩けるようになりたいという気持ちが強かっただからリハビリを頑張り自分で

歩けるようになるまで回復した頑張っている祖父がかっこいいと僕は思った祖父はリハビ

リを頑張ったにも関わらず右手がうまく動かせなくなってしまっただからご飯を食べる時も

服を着替える時も時間がかかる普段何気なくやっていた動作がとても大変だと祖父は言ってい

守もり

田た

 幸こう

平へい

静岡県静岡大学教育学部附属浜松中学校 三年

祖父への靴下

法務事務次官賞

入賞作文集 46

入賞作文

た僕も何か役に立てることはないかと考えた

 

僕の学校には総合学習という授業があるそこで僕は福祉というカテゴリーを選んだ自

分で社会に役立てることを考え実際に行動することが目標だった僕は障害者のために何が

できるかを考えた

 

僕は二年前に静岡文化芸術大学で障害者がいかに日常生活で不自由のない生活ができるかを

考えるプロジェクトがあるのを新聞で知ったそれは大学生たちが個人個人にあった自助具を

作るプロジェクトだった僕は障害者のために何かできるのではと感じた

 

僕は静岡文化芸術大学へ行って僕にもできることがないかと聞いたすると学生さんが

自助具を作ってみないかと声をかけてくれた僕は迷わず「はい」と言った障害者のために

役に立てることがあると思うとすばらしいことだと思ったからだ

 

祖父のつらい顔を見ると日常生活に数々の大きな壁があることが伝わってくる

 

僕は祖父の数々の大きな壁を突き破ろうと思った祖父のために自助具を考え作ろうと僕

は思った祖父が靴下の脱ぎ履きが大変だと言っていたことを思い出したそこで脱ぎ履きし

やすい靴下はできないか考えた靴下の両脇にひもを取り付けてそれを引っ張ると靴下が縮み

脱ぎ履きしやすくなる仕組みだ大学の先生も良いアイディアだと言って褒めてく

れたこれは障害者だけでなく健常者にも使えると言われたユニバーサルデザ

インだと分かった

 

ユニバーサルデザインは年齢や障害の有無にかかわらず全ての人が使いやす

47 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

いように工夫された用具などのデザインである境界がなくなるように健常者が障

害者に対する偏見を考え差別意識がなくなるチャンスだと思った障害者と健常

者が共によりよく生きることが大切だと僕は思った

 

自助具の作品展では杖をついているお年寄り車椅子に乗った若い女性目の

見えない人福祉関係者など沢山の人々が観に来ていた皆自分の生活を良くしようと思っ

ているようだったまた障害者のためにできることは何だろうかと考えている健常者もいるよ

うだった

 

二年生の時の総合学習では二箇所のデイサービスを訪問したデイサービスには六十五歳以

上のお年寄りがいた暗く元気のない人明るく振る舞い誰とでも話せる人など様々だった

しかし僕が一番印象に残ったのは笑顔を絶やさず優しくお年寄りに接していた介護士だった

お年寄りの中には悩みを抱えている人が多いそうだその悩みを解消させる人もまた介護士だっ

た僕は介護士がお年寄りの体を支えるだけではなく心もそっと支えて生きる喜びを与え

ているのだと感じた

 

現代は三世代で暮らす家族が減り核家族が増えているそれはお年寄りの世話が大変だ

からという理由が多いだから老人ホームやデイサービスに預ける人が増えていると僕には

思えたお年寄りの中には自分が嫌われているのではないかとさえ思ってしまう人もいるそう

だそれはお年寄りにとって辛く悲しいことだと思うある介護士がこんなことをおっしゃっ

ていた「人の優しさはお金では買えない」誰にでも優しい心があると思うしかしあと一歩

入賞作文集 48

入賞作文

のところで行動に移すことができない人が多いの

だ僕たちが平和な社会で暮らせるのは今まで

頑張ってきてくれたお年寄りのお陰であることを

忘れてはいけないお年寄りを大切にすることは

当たり前のことなのだ

 

また障害者に対しても偏見の目で見ないで

そっと近づいて手を貸してあげれば健常者との

高い大きな壁を崩すことができると思う

 

障害者にも高齢者にもまた健常者にも人権

はあるお互いの人権を大切にすることが明る

い未来に繋がっていくのだと思う

 

早く祖父に僕の作った靴下を届けたい

49 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

 

僕は小学校六年生まで福岡県に住んでいましたそこで僕が体験したことです五年生のこ

ろ僕の友だちのA君が同級生のK君の靴を隠したりからかったりしていることがよくあり

ました最初は僕もあまり気にしていませんでしたがK君のことを「なんだかかわいそう」と

思うようになりました

 

ある日僕は勇気をだして先生に「K君がいじめにあっています」と報告しました初め先生は

「じゃれ合っているだけだろう」と「いじめ」とは思ってくれませんでしたでもその後「いじ

め」と分かりA君は先生に注意されその日一日は反省した様子で過ごしていましたしかし

次の日学校に行くといじめは前以上にエスカレートしていて蹴ったりたたいたりするように

なりましたしかも「死ね」「うざい」「消えろ」などの言葉が飛び交うようになりそんな日々

法務事務次官賞

浦うら

谷たに

 毅たける

徳島県三好市立池田中学校 三年

いじめをなくすために今

入賞作文集 50

入賞作文

が続きました

 

それは六年生になっても続きました僕はそのいじめを止めることができず毎日見て見ぬ

振りをしていました今思うと自分がとても恥ずかしいです本当の友達なら止めるべきなの

にそれだけではなくいじめられているK君に声一つかけることができずにいました心の中

ではA君に「やめろよ」と言おうと思っていたけどなぜか勇気が出ませんでした次にい

じめられるのが自分になるのが恐くて言えなかったのです

 

そんな日々が続く中僕の気持ちを大きく変える出来事がありました父の死ですそのとき

のことは今でも忘れることができません聞いたときには頭の中が真っ白になりました最初

は信じることができませんでした一週間も二週間も学校に行けずただぼーっと過ごしてい

ましたいろんなことを考え徐々に「死」というものの悲しさつらさ「死」という意味の

重さがわかってきましたそして時間はかかりましたが「命は一瞬にして消え二度と戻っ

てこないものだだから命を大切に今を大切にしなければならない」と深く受け止めることが

できるようになりましたそして周りの子たちは僕のような経験がないから「死ね」とか軽々

しく言えるのだろうと思いこの気持ちを伝えなくてはならないと考えました僕が強くならな

くてはと思いました

 

こんな気持ちになったとき僕には時間がありませんでした母の実家がある徳

島への引っ越しが一週間後に決まっていたのです落ち込んでいる暇は無いと思

い学校に行った僕はA君に言いました「いじめなんかやめろよいじめたって

51 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

喜ぶ人はいないし悲しむ人がいるだけだろ自分だってほんとは嫌だろ『死ね』

とか『消えろ』とか言葉の重さを知らないのに言うなよ」と言いました父親の

突然の死そのあと僕が考えたことも伝えました

 

友だちは黙って聞いてくれました僕の言葉にうなずいてそのあとK君の

ところへ行き「ごめん言葉の重さも知らずに言って本当にごめんぜったいに死ねなんて

ことは言わないそしていじめは絶対にしないほんとうにごめん」とあやまりましたK君

はとても優しい笑顔で「いいよ」と一言言いました僕もK君に言いました

「今まで助けてあげられなくてごめん」

K君は笑顔で「ありがとう」と言ってくれました今まで自分の中でもやもやしていた気持ちが

スーっと晴れました

 

今も時々耳にする暴言冗談半分で言っているのかもしれませんしかしいついじめにつ

ながるかわかりません他人を傷つけることで自分のストレスを晴らそうとしているのでしょう

関係ないふりをしようとする自分がいます楽な考え方をする自分がいますそんな時亡くなっ

た父の顔やK君の優しい笑顔を思い出しますあの時の自分のように強い気持ちを持とう「や

めろよ」と一言言うするとまた気持ちがスーっとしてきました

 

父の分も頑張って生き抜こうと決めた僕にとって正しいことを素直に認め悪いことを否定

できる強い意志を持つことが目標ですそして何よりも命を大切に今を大切にしていきたい

と思っています

入賞作文集 52

入賞作文

53 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

 

ぼくは今まで四つの外国に暮らしいろいろな国の人たちの中で育ってきた

 

まずタイで生まれてタイ人のメイドさんやドライバーさんにいつも遊んでもらっていた

らしい一才になると週一回の体操教室にも通いタイ人の友達もいたそうだ

 

次にシンガポールでは初めてナサリースクール(保育園)に通いいろいろな国の友達と

知り合ったプレイルームにある滑り台を滑る順番争いでいつも勝つのは体の大きい金髪の友

達だった

 

一回目の香港生活では英語の幼稚園に通ったその時のぼくの一番の友達はカナダ人だった

彼とはよくベイブレードをして遊んだが父が日本の出張で買ってきてくれた独楽や剣玉をして

遊ぶこともあった

村むら

瀬せ

 広ひろ

高たか

香港日本人学校中学部 二年

国境をこえて

海 外 作 品

今回は本選への応募とすることはできませんでしたが

 海外から寄せられた作品のうち一作品を御紹介します

入賞作文集 54

海外作品

 

それからインドでは日本人学校に通ったが夏休みには毎年アメリカンスクールのサマー

スクールに参加したし日本人のいない現地のテニススクールにも入り二年間通ったまたイ

ンドの現地幼稚園に通っていた妹のベストフレンドはコンゴ人でその兄弟もぼくの友達だった

 

そして三年間の日本生活を経て今また香港に戻ってきた

 

このようにぼくはいろいろな国でいろいろな国の人たちのお世話になりいろいろな国

の友達と遊んで育った肌が真っ黒な友達もゲームの話をすればすぐに仲良くなれたし髪が

金色の友達もポケモンの話をすれば気が合ったぼくは小さい頃から英語はうまくしゃべれ

なかったけれどもジェスチャーをつけたでたらめ英語でも充分に話は通じただからいろい

ろな国の人たちの中でぼくが日本人だからといって差別されたり嫌な思いをしたりしたこと

はないしぼくも肌の色が違うからとか言葉が通じないからという理由で違う人間だと思っ

たことはないそうぼくは外国人を差別したことはない

 

しかし本当にぼくは外国人を差別したことがないのだろうか外国人を差別した発言を一

度もしたことがないかと考えると自信がない

 

例えば香港人には赤信号でも平気で渡る人がたくさんいるそれを見てぼくは

「香港人はしょうがないな」

と思うでもよく見ると香港人全員が信号無視をしているわけではないまた

世界には今でも戦争をしている国がいくつもある

「人を傷つけ合うなんて馬鹿げている」

55 第30回全国中学生人権作文コンテスト

海外作品

とぼくは悲しくなるでもそれも好きで戦っている人がいるとも思えないその

人たちがそうなったのには何かきっと原因があるはずだ

 

逆に外国人から見ると日本人はどのように思われているのだろう

 

インドから日本に帰国した時毎日ごみがたくさん出ることにぼくはとても驚

いたインドの人たちがよく使う道端にあるカレー屋さんではバナナの葉で作ったお皿にカ

レーを入れてくれる食べた後そのお皿を道に捨てるとのら牛がその葉っぱを食べるそして

牛のふんは燃料になるというそれに比べて日本はちょっと歩くとペットボトルの飲み物が

買えファーストフードのお店では使い捨ての食器を使い立派なお菓子の箱を開けると中身が

少なくてがっかりすることもあるある時母が捨てたジャムの空きびんをメイドさんとエア

コンの修理にきていたワーカーさんとが取り合ってけんかをしていたこともあったそれを見

てぼくはあきれてしまったが逆にインド人から見ると使い捨て文化のしみついた日本人は

とんでもない人間にみえるのかもしれない国によって考え方や行動パターンが違うのは歴史

的背景や宗教習慣気候などのいろいろなことが関わっているのだと思う

 

このように考えると差別とはその人の一部しか見ていないことや自分のやり方だけが正

しいと思うことからおきるのではないかと思うその人が自分とは違った行動をとったとしても

それには深い理由があるのだろうと考えればきっと納得できると思うぼくもこれからは否

定的な発言をする前にその人たちのことをいろいろな角度から見て理解する努力をしてみよう

と思う外国との間には自分の国とは違う言葉や文化という壁があるとみんな言うがそこに

入賞作文集 56

海外作品

あるのは壁ではなく橋だとぼくは思う理解

し合おうという気持ちがあればきっと誰でも

その橋を渡っていけるはずだ気持ちの国境を

こえるのにパスポートはいらないお互いを理

解し合おうと思う気持ちが一番大切だと思う

そしてぼくはこれから日本人として生きる

のではなく地球人として生きていこうと思う

57 第30回全国中学生人権作文コンテスト

海外作品

法務局地方法務局名 郵便番号 所  在  地 電  話

金沢地方法務局人権擁護課920-0024 金沢市西念3-4-1金沢駅西合同庁舎(平成23年3月11日まで) 076-231-1244

921-8505 金沢市新神田4-3-10金沢新神田合同庁舎(平成23年3月14日から) 076-292-7804

富山地方法務局人権擁護課 930-0856 富山市牛島新町11番7号富山合同庁舎 076-441-6376

大阪法務局人権擁護部 540-8544 大阪市中央区谷町2丁目1番17号大阪第2法務合同庁舎 06-6942-9492

京都地方法務局人権擁護課 602-8577 京都市上京区荒神口通河原町東入上生洲町197番地 075-231-0131

神戸地方法務局人権擁護課 650-0042 神戸市中央区波止場町1番1号神戸第2地方合同庁舎 078-392-1821

奈良地方法務局人権擁護課 630-8305 奈良市東紀寺町3-4-1奈良第2法務総合庁舎 0742-23-5457

大津地方法務局人権擁護課 520-8516 大津市御陵町3番6号大津法務総合庁舎 077-522-4673

和歌山地方法務局人権擁護課 640-8552 和歌山市二番丁2番地和歌山地方合同庁舎 073-422-5131

広島法務局人権擁護部 730-8536 広島市中区上八丁堀6番30号広島合同庁舎 082-228-5790

山口地方法務局人権擁護課 753-8577 山口市中河原町6番16号山口地方合同庁舎2号館 083-922-2295

岡山地方法務局人権擁護課 700-8616 岡山市北区南方1丁目3番58号 086-224-5761

鳥取地方法務局人権擁護課 680-0011 鳥取市東町2丁目302番地鳥取第2地方合同庁舎 0857-22-2289

松江地方法務局人権擁護課 690-0886 松江市母衣町50番地松江法務合同庁舎 0852-32-4260

高松法務局人権擁護部 761-8077 高松市出作町585-4 087-815-5311

徳島地方法務局人権擁護課 770-8512 徳島市徳島町城内6番地6徳島地方合同庁舎 088-622-4171

高知地方法務局人権擁護課 780-8509 高知市栄田町2丁目2番10号高知よさこい咲都合同庁舎 088-822-3331

松山地方法務局人権擁護課 790-8505 松山市宮田町188番地6松山地方合同庁舎 089-932-0888

福岡法務局人権擁護部 814-0005 福岡市早良区祖原14-15福岡法務局西新出張所庁舎5階 092-832-4311

佐賀地方法務局人権擁護課 840-0041 佐賀市城内2丁目10番20号佐賀合同庁舎 0952-26-2148

長崎地方法務局人権擁護課 850-8507 長崎市万才町8番16号 095-826-8127大分地方法務局人権擁護課 870-8513 大分市荷揚町7番5号大分法務総合庁舎 097-532-3368

熊本地方法務局人権擁護課 862-0971 熊本市大江3丁目1番53号熊本第2合同庁舎 096-364-2145

鹿児島地方法務局人権擁護課 890-8518 鹿児島市鴨池新町1番2号 099-259-0684宮崎地方法務局人権擁護課 880-8513 宮崎市別府町1番1号宮崎法務総合庁舎 0985-22-5124

那覇地方法務局人権擁護課 900-8544 那覇市樋川1丁目15番15号那覇第1地方合同庁舎 098-854-1215

入賞作文集 58

問合せ先一覧

法務局地方法務局名 郵便番号 所  在  地 電  話

札幌法務局人権擁護部 060-0808 札幌市北区北8条西2丁目1番1札幌第1合同庁舎 011-709-2311

函館地方法務局人権擁護課 040-8533 函館市新川町25番18号函館地方合同庁舎 0138-23-9528

旭川地方法務局人権擁護課 078-8502 旭川市宮前通東4155番31旭川合同庁舎 0166-38-1114

釧路地方法務局人権擁護課 085-8522 釧路市幸町10丁目3番地釧路地方合同庁舎 0154-31-5014

仙台法務局人権擁護部 980-8601 仙台市青葉区春日町7番25号仙台第3法務総合庁舎 022-225-5739

福島地方法務局人権擁護課 960-8021 福島市霞町1番46号福島合同庁舎 024-534-1994

山形地方法務局人権擁護課 990-0041 山形市緑町1丁目5番48号山形地方合同庁舎 023-625-1321

盛岡地方法務局人権擁護課 020-0023 盛岡市内丸7番25号盛岡合同庁舎 019-624-9859秋田地方法務局人権擁護課 010-0951 秋田市山王7丁目1番3号 018-862-6533

青森地方法務局人権擁護課 030-8511 青森市長島1丁目3番5号青森第二合同庁舎 017-776-9024

東京法務局人権擁護部 102-8225 千代田区九段南1丁目1番15号九段第2合同庁舎 03-5213-1234

横浜地方法務局人権擁護課 231-8411 横浜市中区北仲通5丁目57番地横浜第2合同庁舎 045-641-7926

さいたま地方法務局人権擁護課 338-8513 さいたま市中央区下落合5-12-1さいたま第二法務総合庁舎 048-859-3507

千葉地方法務局人権擁護課 260-8518 千葉市中央区中央港1丁目11番3号千葉地方合同庁舎 043-302-1319

水戸地方法務局人権擁護課 310-0061 水戸市北見町1番1号水戸地方法務合同庁舎 029-227-9919

宇都宮地方法務局人権擁護課 320-8515 宇都宮市小幡2丁目1番11号宇都宮地方法務合同庁舎 028-623-0926

前橋地方法務局人権擁護課 371-8535 前橋市大手町2丁目10番5号前橋合同庁舎 027-221-4426

静岡地方法務局人権擁護課 420-8650 静岡市葵区追手町9番50号静岡地方合同庁舎 054-254-3555

甲府地方法務局人権擁護課 400-8520 甲府市北口1丁目2番19号甲府地方合同庁舎 055-252-7239

長野地方法務局人権擁護課 380-0846 長野市旭町1108番地長野第2合同庁舎 026-235-6634

新潟地方法務局人権擁護課 951-8504 新潟市中央区西大畑町5191番地新潟地方法務総合庁舎 025-222-1564

名古屋法務局人権擁護部 460-8513 名古屋市中区三の丸2丁目2番1号名古屋合同庁舎第1号館 052-952-8111

津地方法務局人権擁護課 514-8503 津市丸之内26番8号津合同庁舎 059-228-4193岐阜地方法務局人権擁護課 500-8729 岐阜市金竜町5丁目13番地 058-245-3181

福井地方法務局人権擁護課 910-8504 福井市春山1丁目1番54号福井春山合同庁舎 0776-22-5090

問合せ先一覧 (法務局地方法務局)

59 第30回全国中学生人権作文コンテスト

問合せ先一覧

世界人権宣言啓発書画「鳥」「自由と解放」を表わしたもの 小木太法書オタビオロス画(財)人権擁護協力会提供

入賞作文集 60

すべての人間は生まれながらにして

自由でありかつ尊厳と権利とに

ついて平等である人間は理性と

良心とを授けられており互いに同胞の

精神をもって行動しなければならない

―――

世界人権宣言 第一条

―――

第三〇回

 全国中学生人権作文コンテスト

中央大会表彰式

印  刷 平成23年1月25日

発  行 平成23年2月14日

発 行 者 法務省人権擁護局

全国人権擁護委員連合会

東京都千代田区霞が関一丁目1番1号

電話 03(3580)4111 内線5875

URL httpwwwmojgojpJINKEN

第30回全国中学生人権作文コンテスト中央大会審査員

感想をお聞かせください本作文集を読まれた感想等を下記の連絡先又はkeihatsumojgojpまでお寄せください

無断転載を禁じます本作文集に掲載された作文や写真等を地方自治体が広報誌に掲載したり学校が教材に使用される場合などにはあらかじめ下記に御連絡ください

100-8977 東京都千代田区霞が関一丁目1番1号 法務省人権擁護局人権啓発課 TEL03(3580)4111 内線5875

作  家(審査員長) 落 合 恵 子映画監督 山 田 洋 次社団法人日本新聞協会事務局長 川 嶋   明日本放送協会解説委員室解説委員 南   直 樹文部科学省初等中等教育局視学官 三 好 仁 司全国人権擁護委員連合会長 中 村 浩 紹法務省人権擁護局長   井 忠 雄

(敬称略)

【式次第】

第一部

 会

主催者あいさつ

賞状授与

内閣総理大臣賞法務大臣賞

文部科学大臣奨励賞法務副大臣賞

法務大臣政務官賞

全国人権擁護委員連合会長賞

社団法人日本新聞協会会長賞

日本放送協会会長賞(以上各一名)

法務事務次官賞(三名) 計一一名

学校への感謝状贈呈

高円宮妃殿下おことば

来賓祝辞

第二部

各受賞作文の朗読

内閣総理大臣賞法務大臣賞

文部科学大臣奨励賞

全国人権擁護委員連合会長賞

社団法人日本新聞協会会長賞

日本放送協会会長賞

 評

全国中学生人権作文コンテスト中央大会審査員

 山田洋次氏

 落合恵子氏(ビデオレター形式)

第三部

新垣勉さんコンサート

 会 平成二二年一二月一八日(土)

午後一時三〇分〜三時五〇分

於ニッショーホール

「いじめ」や暴力行為等は人権侵害です

法務局地方法務局では

人権侵害による被害を受けた方を

救済するための活動を行っています

お気軽にご相談ください

女性の人権ホットライン

インターネット人権相談受付窓口

ゼロナナゼロのハートライン

0570-070-810

子どもの人権110番ぜろぜろななのひゃくとおばん

 0120-007-110

パソコンから httpwwwmojgojpJINKENjinken113html携帯電話から httpwwwjinkengojpsoudanmobile001html

インターネット人権相談 検 索

Human Rights法務省人権擁護局全国人権擁護委員連合会

人権イメージキャラクター人KENあゆみちゃん人KENまもる君

全国共通通話料無料

全国共通ナビダイヤル

この冊子は環境保護印刷の「水なし印刷」で印刷されています

第30回全国中学生人権作文コンテスト入賞作文集

法務省人権擁護局全国人権擁護委員連合会

人権イメージキャラクター人KENまもる君人KENあゆみちゃん

この冊子には音声コードが各頁(奇数頁 左下偶数頁 右下)に印刷されています専用の読み上げ装置で読み取ると記録されている情報を音声で聞くことが出来ます

Human Rights法務省人権擁護局全国人権擁護委員連合会

 全国中学生人権作文コンテスト入賞作文集

 全国中学生人権作文コンテスト入賞作文集

第30回

 「Pick your 

head up」

 

これは父がいつも私にかけてくれる魔法の言葉です

 「顔をあげなさい下を向かない」という意味です

 

私の父は生まれも育ちもニューヨークのアメリカ人です女の子は父親に似るとよく言われ

ますが私もそうで日本人の母親よりも父の方に髪質も肌の色も本当によく似ています子供

が親に似ることはあたりまえのことですが私はそのためにいやな思い悲しい思いをいくどと

なくしてきました

 

初めて自分がみんなとちがうんだなと思ったのは幼稚園に入学してまもなくのことでした同

じ組の女の子たちが何人かして楽しそうに遊んでいたので

ローリンズ リコ

福島県福島市立渡利中学校 一年

「差別のない世界へ」

文部科学大臣奨励賞

入賞作文集 18

入賞作文

 「まぜて」

と声をかけると一人の子が言いました

 「このグループは日本人で髪がまっすぐな人しか入れないのリコちゃんは髪がチリチリだし

ハーフだからダメ」と

 

私はとても悲しくなりましたそしてそれは卒園するまで続きました

 

小学校は人数も少なかったせいかみんなとても仲良くて私の外見のことを言う人はだれ一

人いませんでしたまるで兄弟のようにみんな自然に接してくれましたでも習い事やいろい

ろな大会など他校の子たちといっしょになる場面ではやはり髪の毛や肌のことをからかわれ

ることはよくあることでした私には二学年上の兄がいますが兄もやはり父の方に似ています

おだやかな性格の兄は私以上につらい思いをしてきたと思います

 

父は兄や私の話を聞くたびに

 「Pick your 

head up」

と言いましたそして

 「自分に自信とほこりをもちなさいあなたたちは二つの文化を受けついでそれはとてもす

ばらしいことなんだよ」

といつも話してくれました

 

中学に入って間もないころでしたある男の子がいきなり私に向かって言いまし

19 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

 「おまえ風呂に入っているのか黒いぞ外国人はくさいからな」

 

私はとてもはずかしくなりましたそしていかりや悲しみがこみあげてきました

まわりにいた友達は彼の言葉に苦笑いをしていました私はいかりのあまり彼をな

ぐりたくなりましたその時私は父のあの言葉を思い出しました私は顔を上げ

相手の目を見て静かに自分の傷ついた気持ちを伝えました

 

彼は私に向かってこう言いました

 「ごめんわるかった」

 

彼は人を傷つけるということが彼の想像以上に重くそしてひどいことだと少し気付いたよう

でした

 

差別やいじめというのは私たちのまわりでは小さなことから大きなことまで本当によくあり

ますそして差別やいじめをしている側からすればそれをじょう談だという人も多いのです

まわりの人たちもやはりじょう談や遊びの中でのことにとらえてしまう人たちもとても多いので

すだから小学校の時から私たちは道徳などでいじめや人権などについて学んでいてもなかな

かそれがなくならないのだと思いますでも実際に差別やいじめをされている方はみんなの想

像よりはるかに傷ついているということつらいということそして悲しいということを私はこ

の人権作文を通してたくさんの人に知ってほしいのですけがをすれば日がたつごとにそのけ

がは治っていくでしょうまわりからも治っていく様子が見てわかるでしょうでも心に受けた

傷は本人にしかわからないのですその傷がどんなに深くて痛いものか本人にしかわからないの

入賞作文集 20

入賞作文

です

 

肌の色が違っていてもかみの毛が

違っていても私たちはみんな同じ人間

です心を持った人間です相手の気

持ちを思いやり相手の立場になって

考えればいじめや差別はなくなると

思います今も世界のいたるところで

人種差別が問題となり争いが起きてい

ます私は世界から差別やいじめがな

くなるように強い心を持ってまずは

自分から立ち向かっていきたいです

21 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

 

あなたには大好きなふる里がありますか私には緑の木々と青い海に囲まれた自然豊かな

大好きなふる里があります私のふる里は過去に公害という大きな被害をうけた水俣ですそ

の水俣病で患者はもちろんそうでない人も長い間差別をうけてきました

 

父が幼い頃まだ水俣病の原因が究明されておらず水俣病はうつると言われていました列

車が水俣の駅につくと窓をしめ手で口をおおった人もいました修学旅行に行くと同じ宿

舎になった学校から苦情を言われたこともありました水俣出身ということで結婚を断られた人

や就職試験をうけることさえできなかった人もいました水俣に住んでいることをかくして隠

れるようにひっそり暮らしていた人もいましたまた同じ水俣に住む人でさえ奇病と呼び距

離をおきましたそのことでたくさんの人々が傷つきあってきたのですいろいろな立場の人々

井いの

上うえ

 由ゆ

紀き

子こ

熊本県熊本県立八代中学校 一年

私の大好きなふる里

法務副大臣賞

入賞作文集 22

入賞作文

がせまい土地に住んでいるのですから仕方がなかったのかもしれません

 

しかし今では原因も究明され海の安全も確認されたことでそのようなことはほとんどな

くなりました私たちは過去のことを忘れるくらい楽しくすごしています

 

私は今八代の中学校に通っています私は自分が水俣出身ということを隠すこともありませ

ん友だちもまたそのことを知っていますがからかったりいじめたりする人は誰一人いません

 

しかし先日水俣の中学校のサッカー部が練習試合中に相手チームの選手から

「さわるな水俣病がうつる」

と言われたという記事が新聞にのっていました今でもこういう風に思っている人がいるのか

と思うと残念で仕方ありません何気なく言った一言だったのかもしれませんがその一言は

私たち水俣に住む者にとって非常に悔しく悲しいものでした

 

小学校の総合的な学習の時間で水俣病について学習しました原因となった会社を訪問したり

患者の方から当時の話をきいたり交流も行いましたそんな中で苦労されたり何も言えずに

黙って亡くなった人のことを知り水俣に住んでいながら何も知らなかったことをはずかしく思

いました水俣病についてしっかり学び正しい知識を得ることが差別や偏見をなくすのだと気

付きました

 

中学校の道徳の時間ではハンセン病について学習しましたこれも水俣病同様

正しい知識がなかったためにおきた悲しく悔しい悲劇でした

 

私たちが差別や偏見をなくすためにできることそれはその人その出来事に

23 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

ついてしっかり知ること知ろうと努力すること正しい知識を深めるために学習

することではないかと思いますそうすれば水俣病やハンセン病のようにむや

みに人と人とが傷つけあったり憎しみあったりすることはなくなるのではないで

しょうか

 

先日テレビで水俣のダイバーが紹介されましたその人は本当はほこりたい水俣を心の中

にじっとしまいこみ誰にも言えず何年もの間生きてきた人でしたしかし水俣の地にも

どり自分はこのすばらしい美しいふる里を紹介したいと海にもぐり写真をとり続けておら

れるそうです心に差別という深い傷を負いながら水俣の再生を皆に知らせたいと頑張る人

がいることに感動しました

 

今水俣はごみの分別リサイクル事業など市民全員で環境にやさしい町づくりをすすめてい

ます私は差別や偏見から立ちなおり再生しようと環境問題に一生懸命とりくんでいるふる

里水俣をほこりに思っています

 

水俣では運動会等多くの行事で「水俣ハイヤ節」というものが踊られますこれは水俣病

の患者の方が水俣の青い海と豊漁を願って振りつけをされた踊りだそうです私たちと同じ思い

をする人が二度とでないことを祈りながら私たちは毎年皆でこの踊りを踊ります

 

水俣の悲しい過去を変えることはできませんが私はあやまちを二度とくりかえさないため

にこの美しい自然を守り真実を語り継いでいきたいですそして差別や偏見のない社会に

なるよう自分から努力していきたいと思います

入賞作文集 24

入賞作文

25 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

 

みなさんは「本当の『平和』とは」と質問されたら何と答えますか「戦争や紛争などが

ないこと」ですかそれとも「自分自身の幸せのこと」ですか一人ひとりの抱く「平和」のイ

メージは違うことでしょう

 

僕の思う本当の「平和」それは「家族」がいて「家庭」があることだと思いますなぜそう

思うかというと今僕は訳あって家族とは離ればなれに暮らしているからです一歳前後には既

に家族とは離れ施設にいました母親や姉兄の存在はわかっていますが一緒に過ごした時

間は限られたもので今でもほとんど交流はありませんそのせいか僕はいつも「家族」や「家

庭」というものに強い憧れを抱いています

 

自分がまだ幼い頃は自分と同じくらいの子が母親と手をつないでいる姿がとてもうらやまし

大おお

田た

 葵あおい

栃木県さくら市立喜連川中学校 三年

「家族」とは何か

法務大臣政務官賞

入賞作文集 26

入賞作文

「どうして自分には母親がいないんだろう」と思っていました仕舞いには自らの母親を恨ん

でしまったのです小学生になってもその気持ちは変わらず母親への恨みは増すばかりでした

 

しかし小学五年生の夏思いもよらぬ出来事が起きましたそれは引っ越しがあったこと

ですそこで僕は新しい土地そして新しい里親という人たちに出会いました里親の人たち

と暮らした数年間僕は幸せでしたそこで僕は僕の周りにはいつも支えてくれる人たちがい

ることに気づきました血のつながりがなくても僕に自分の子どものように接し育ててくれ

た里親の人たち養護施設の先生方などたくさんの方たちに僕は見守られて成長してきたこと

に気づいたのです僕を支えてくれる人すべてに感謝の気持ちがわき出てきましたそれ以来

僕は親という存在にこだわらなくなりましたそれどころか自分に命を与えてくれた親に感謝

の思いを抱くようになったのです

 

この夏母親の育児放棄が原因で二人の乳幼児が衰弱死するという悲しい事件がありました

二人の子どもにろくに食事も与えず風呂も入れなかったそうですさらに逮捕後その母親は

「家に帰ってあげなかったことを今も後悔している子どもは私を恨んでいると思う」

という言ってはならない発言をしました僕は怒る前に亡くなった二人の子ども

たちがかわいそうでなりませんでした

 

と同時に僕はこの母親はどうしてこのようなことをしてしまったのだろうと

すごく考えさせられました僕は本来親は子どもを殺すのではなく守るために

27 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

いるのだと考えますたとえ小さな子どもでも立派な一人の人間ですその命を

守り育てていくことが親として大切な役目だと思うのですこの母親はどこで

勘違いしたかは知りませんが親としての自分の責任を理解していなかったのでは

ないでしょうか

 

そしてその勘違いを誰も母親に気づかせてあげられなかった事実母親が一緒に遊び歩いて

いた友人はもちろん母親の家族が少しでも助けることができていたら母親の行動を戒めるこ

とができていたら連絡を受けた児童相談所がもう少し踏み込んだ行動が取れていたらこのよ

うな悲しい結末にはならずに済んだのではないでしょうかやりきれない思いばかりがこみあげ

てきます

 

もう一つこの母親は大きな勘違いをしていますそれは「子どもは私を恨んでいると思う」

という言葉です僕はこの子どもたちが母親を恨んでいるとは思えません子どもたちは母

親が帰宅するといつもハイタッチをして喜んで迎えたそうです子どもたちは母親のことが大

好きだったのでしょうたとえ自分たちを見放した母親でも恨んでいるとは決して思えないの

です

 

子どもは心の底から自分の母親のことを恨めないと僕は思いますこの世に生を受け笑った

り怒ったり泣いたりと毎日いろいろな経験ができるのは自分を生んでくれた母親という存在

があったからです正直僕も小さい頃は母を恨んだことがありました愛情の裏返しというよ

うに母親への思いが憎しみに変化してしまったのですでも心の底には母への恨みとは全く

入賞作文集 28

入賞作文

正反対の気持ちが存在し続けていましただ

からこそこの子どもたちがどんな思いで死

んでいったのかわかるような気がします母

親を信じひたすら母親の帰りをまちわびて

いた思いが

 

僕にとっての「家族」それは同じ屋根の

下で暮らす人々のことですたとえ血はつな

がっていなくても僕を支え励ましてくれる

人たちそのすべての人が僕にとっての大切

な「家族」なのです今僕の暮らす養護施設

にはいろいろな事情を抱えた二歳位から高

校生までの子どもたちや職員の方が約六十人

います今の僕には全員大切な「家族」で

す僕はこれからもこの「家族」を大切に

一日一日精一杯平和に生きていきたいです

29 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

 

授業でハンセン病について学んだ日両親と「偏見」や「差別」について口角泡を飛ばす議論

を深夜まで繰り広げた身体障害者の父と看護師の母を持つ私は幼い頃から「命の大切さ」を

訴える両親の姿を見て育って来たそんな私は真摯な気持ちからハンセン病罹患者と向き合い

たいと思いこの夏草津にある療養施設栗生楽泉園を訪れた

 

草津までの道のり私は罹患者の気持ちを絶えず考えていたハンセン病について調べると「ら

い予防法」により罹患者は隔離され人権を無視された扱いを受けたことが分かった罹患者の

言葉が書かれた本ではどんなに過酷な仕打ちを受けたか他人をどれほど恨み憎んでいるか

が書かれていたその為私は無意識の内に「罹患者は全員恨みを抱いている」と勝手に思い込

んでいたしかしこんな思い込み自体が偏見や差別を生む原因になるということを後に思い知

大おお

井い

 海み

琴こと

群馬県群馬大学教育学部附属中学校 三年

忘れてはならないこと

全国人権擁護委員連合会長賞

入賞作文集 30

入賞作文

らされることになるのである

 

私を迎えてくれたのは入園者自治会長の藤田三四郎さん藤田さんは大変お元気でその容姿

からはハンセン病を伺い知ることはできなかったしかし藤田さんは紛れもない罹患者なのだ

その証拠に藤田さんの名は本名ではない罹患者は施設に入所するにあたり偽名を使用させら

れたと言うつまりその時点で罹患者は世間から存在を消されてしまうのであるそんな藤田

さんから語られた話はハンセン病だと宣告され三度も命を絶とうとしたこと重症患者の看

護を押しつけられ数え切れない人を看取り自らの手で葬ったこと家族が受けた迫害や侮辱的

な言葉など想像を絶するもので筆舌し難いものだったしかしこんな迫害と差別は同時にハ

ンセン病患者達の人権回復闘争の歴史でもあったのだ闘争の末「らい予防法」が廃止される

と今まで差別や人権侵害を繰り返していた多くの人が掌を返す様に態度を変えたと言う私は聞

いていて怒りを覚えたが不思議なことに耳を塞ぎたくなる様な内容を語る藤田さんからは全

く怒りや恨みが感じられないのだ私は話を聞くまで自分の運命を呪い周囲への恨みつらみ

の言葉が出てくるとばかり思っていたしかし出てきた言葉は「入園出来て良かった差別は

受けたが今では恨みを抱く罹患者も少なくなったそればかりか最近はたくさんの人が我々を

理解し協力してくれるので嬉しい何故なら一人の百歩は力が無いが百人の一歩

は力になるから」と言う感謝の言葉だったのだ本当に「恨みは無いのか」と何度

聞いても答えは同じだった私は恥ずかしくなったハンセン病について調べ罹

患者の心を理解したようなつもりでいながら実は何も理解できてなくてそれば

31 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

かりか罹患者を偏見の眼で見ていたのは私自身だったのだ私は話を聞いてとめ

どなく溢れ出る涙を拭いながら心の片隅に潜んでいた「偏見と言う名の種」が身

体から洗い流されていくのを感じていたそれは同時に「思い込みや無知が偏見

や差別を生みだす」ことを強く感じた瞬間でもあったそれだけに藤田さんの「自

分と同様に他人を愛すればいつか必ず世界から差別はなくなる他人を愛して下さい」の慈愛に

満ちた言葉が一層重く腑に落ちるのだった

 

帰りがけ千五百ページにも及ぶ「入所者証言集」を手渡されたその際私は見えない襷も

手渡された気がしたその襷とは証言集に記された罹患者の「事実を風化させないで私達の事

を忘れないで」という搾り出すような叫び声とその姿だったのである

 

ハンセン病が治る病気であるのに誤った知識から悲惨な人権侵害が長期に渡り続いた同じ間

違いを繰り返さないためにも事実を語りついで行く必要があるここ楽泉園でも高齢化が進み

証言者の数が減っているこれは全国一五全てのハンセン病療養所に共通することだハンセン

病問題は罹患者がいなくなればそれで終わると言う問題ではない今後人権問題を考える際重

要な指針になりうる事実なのだそしてこの事実の風化を防ぐことが私達若い世代の役目だと

私は思う

 

私は小六の時友人達から突然イジメを受けたそれを引きずり他人を恐れ憎み自分を

嫌って生きて来たしかし罹患者の声が私に生きる力と前を向いて歩む勇気を与えてくれた

楽泉園訪問は私に人生観が変わる程の衝撃を与えてくれたのだこんな私だが罹患者の声を伝

入賞作文集 32

入賞作文

える「百人の中の一人」にはなれるはず

だそのために私は今この作文を書い

ている文字は時を越えて生き続けるか

ら私はこれからも楽泉園訪問を続ける

つもりだ実際に中学生の私が出来るこ

とには限りがあるが差別や偏見を少し

でも減らすために一歩を踏み出すつもり

でいる「自分と同様に他人を愛すれば

いつか差別は無くなる」と言う藤田さ

んの言葉を胸に

33 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

 

森に囲まれたその一画には教会や寺院神社があり小さなショッピングセンターやレスト

ランもある床屋や図書館郵便局や浴場もあるしかしそれらの施設を利用するのはその一

画に住む人たちだけだ緑の外側に住む人が利用することはないそこはハンセン病の療養所

多磨全生園である

 

僕は七年前に清瀬市に引っ越してきた夏のある日昆虫が大好きな僕は何気なくその森の

中に入って行ったそして歩き回っているうちにその場所が一つの「町」であることに気付

いた

 

毎日セミやカマキリやナナフシを探しながらどうしてこんな所があるのだろうと思った

 

僕が一番不思議に思ったのは古い木造の小学校だいつも誰もいない校舎と小さな運動場近

久く

米め

 一かず

輝き

埼玉県学校法人立教学院立教新座中学校 一年

ハンセン病について考えたこと

社団法人日本新聞協会会長賞

入賞作文集 34

入賞作文

くに小学校があるのにどうしてこんな所に小学校があるのだろう小学一年生の僕はとても不思

議に思った

 

夏に地域交流を目的とした盆踊りと花火大会が行われるいつもは人のいない小学校跡は多く

の人であふれかえり普段は見かけない重い後遺症の老人たちもこの日は外に出て盆踊りを楽し

む初めて参加したときは言葉が出なかった正直「怖い」と思った

 

夏が来るたびに僕は盆踊り大会に参加した低学年から高学年へと進むにつれて少しずつハ

ンセン病のことが分かってきた

 

六年生のときに社会科見学で全生園の元患者を訪れることになっただが僕は都合で参加で

きなかった僕はそれをずっと悔やんでいる

 

今年の夏僕はハンセン病資料館に出かけた見学者は僕一人でとても緊張したなるべく

音を立てないようにパネルを見て回った

 

強制隔離の現実にとても驚いた狭い部屋に押し込められ症状の軽い患者が重症の患者の世

話をしたという子供を持つ権利や生まれる赤ん坊の命まで奪われていた逃げ出したり反抗的

な患者は「不良患者」と呼ばれ窓の小さな暗い監房に閉じ込められた

 

医学が進歩し療養所も徐々に改善されていったが強制隔離を命じる「らい予防

法」が廃止されたのは一九九六年だという隔離が始まった一九〇八年から約九〇

年も経っていた僕が生まれるほんの一年前のことである特効薬が開発され本

格的な治療が始まったのは昭和二十二年である現実に合わない法律を廃止するの

35 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

にどうしてそんなに時間がかかったのだろうか

 

資料をもらってハンセン病資料館を後にした家を出るときは帰りに虫の観察

をするつもりだったがとてもそんな気にはなれなかったいつもセミが集まる桜

の木には目もくれずに早足で家に帰った

 

資料の中で一番心が痛んだのは療養所の子供たちのことだ療養所に入所したのはハンセン

病を発症した子どもたちだけではない親が発症したために入所する子どもたちもいた当時は

ハンセン病は遺伝病だとされていたからだ親から無理やり引き離された子どもたちは「すぐに

帰れるから」という言葉を信じていたというしかし一生療養所を出ることができなかった人が

多かったという社会的な差別がひどかったからだと資料に書かれていたが僕には実感がわか

なかったのでもう少し調べてみることにした

 

図書館で『ハンセン病を生きて』(伊波敏男著)という本を見つけた少し難しかったが差

別の現実が僕にもわかる部分があったそれは元患者たちに対して書かれた匿名のひどい手紙

である長年隔離されて苦しんできた人たちをさらに傷つける言葉が並んでいた悲しく暗い

気持ちになった

 

日本は経済大国として世界の注目を浴びているだが人権意識の面ではどうだろう「らい

予防法」を二〇世紀の末まで廃止できなかったことをどう考えたらよいのだろうか明治時代に

隔離が始まったときそれは外国に対する体面を保つためだったという病気の人を治療するの

ではなく「隠す」のが目的だったのだいまだに差別意識を持つ人がいるのは社会がそうした

入賞作文集 36

入賞作文

過去に対する反省をしていないから

だと思う

 

僕が不思議に思った小学校はすで

に取り壊されて今では小さな石碑

だけが残っている老朽化がひどく

残しておくことができなくなったか

らだという全生園の古い建物はど

んどん取り壊されていく石碑だけ

ではあの不思議さが伝わらないのが

とても残念だ

37 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

 

僕の曾祖父は医者嫌いでしたそのため腹痛で病院に運ばれた時は膵臓癌の末期で余命三ヶ

月でした手術もできない手遅れの状態でした家族皆で話し合い曾祖父の辛い気持ちを第一に

考え曾祖父に病を隠すことになりました曾祖父は次第に病院の中を歩いては転倒し体中あ

ざだらけになりベッドの上で縛られることになっていました曾祖父は病名の宣告を受けてい

ないため元気で歩けると思っているが実際歩くと転んでしまう何でこんな風になってしまっ

たのかさえわからない

 

家族と病院に行くと「包丁もてこいこれぶった切って家さ帰る」と騒いでいましたあん

なに優しかった曾祖父の姿に言葉も出ず恐いくらいでした何も知らされずベッドに縛り付

けられれば誰もがそうなることでしょう「じいちゃんどご一緒に車さのせでいてくれの」と

櫻さくらだ田

 要かな

太た

山形県酒田市立松山中学校 三年

日本放送協会会長賞

悔いのない最期を

入賞作文集 38

入賞作文

せがまれたときもありますかわいそうで涙がポロポロこぼれました「おじいちゃんどご家

さ連れで帰ろうよ」とせがんでも家族も仕事で忙しいためか誰も首を縦に振ってくれず病院

にいた方が安心ということになりました膵臓癌は予想以上に激しい痛みのため医師から強い

痛み止めと強い睡眠剤を勧められましたがそれを導入することにより安楽死に近い状況にな

ることも医師から告げられていました家族は決断をせまられました曾祖父に相談もせずに決

めていいことなのか家に帰りたい曾祖父の意志は封じ込められたままでいいのか家族で悩み

ました結局痛みに耐えている姿は見ていられなくその薬を使うことになりましたその後

曾祖父は次第に弱っていき口も利けなくなり静かに亡くなっていきました僕はどこか心を

引きずったままでした僕達家族が曾祖父に宣告もせず意見も聞かず命の長さを決めてしまっ

たこと当時幼かった僕には何もしてあげられなかったことが今思い出しても残念です

 

最近授業で人権について学習しているときに幼い頃の記憶がよみがえりふと曾祖父のこと

を思い出しました

 

曾祖父はどんな思いで亡くなったのだろう最後に意識のあるうちに一度でいいから家に帰っ

てきたかっただろう身体拘束は今は病院でも禁止されていると思いますがあの頃は確かに曾

祖父のおなかに黒いベルトのようなものが巻きついていました決して自分の力で

は外せないようなものでしたもがき苦しむ曾祖父の姿を見た時に看護師さんに

目を隠され別の部屋に連れて行かれました見せたくない光景だったのだと思いま

すでもあの姿は僕の脳裏に焼き付いています病院の中での人材不足のためだっ

39 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

たのでしょうか人が人らしく生きていない姿でした

 

七十八年生きてきて何も悪いことをしていないのに縛られ家にも帰れない

病気で余命幾ばくもない人には人権というものは存在しないのでしょうか最近の

医療の現場では自己決定権があることについて学びました

 

仏壇に向かい静かに目を閉じると優しく穏やかに微笑む曾祖父の笑顔が浮かびますどんな

気持ちで亡くなっていったのかその気持ちを考えると苦しい気持ちになります野球の大会に

行く前仏壇に手を合わせます「やればできる努力しろ」とよく励ましてくれました曾祖

父の力には何もなれなかったけれど目には見えない力で応援してくれる曾祖父に線香をあげて

自分を省みる時があります曾祖母が元気なので曾祖父を助けられなかった分曾祖母の力に

なっていくことを曾祖父に約束しています

 

夏休み中のニュースで高齢者の所在不明者が多数のため百歳以上の安否確認調査をしていま

した自分の親を平気で捨て遺骨さえもひきとらない亡くなっていたのに年金を不正受給する

ために隠していたなど耳をふさぎたくなるような事件もありました犬や猫が年をとって弱っ

てきた手がかかるから面倒だからと捨ててしまうそれと同じ現象が弱い高齢者にも及んでき

ているのだと思います

 

やはりこの世に生まれてきたもの全てに自分の意志で生きることを決めていける権利がある

と思います長い年月を苦労や努力と向き合いながら精一杯生きてくれたおかげで今の幸せが

あることを忘れずにいたい人はいずれ誰でも年をとります自由に動けなくなった時に自分の

入賞作文集 40

入賞作文

願いが叶う社会を築き「悔いなく満足で楽しく幸せな人生だった」と思えるように人とし

ての誇りを持って満足できる最期を迎えられるように考えていきたいもう二度と僕が見た自

己決定権のない社会にならないように高齢者には今までの感謝の気持ちで本人の希望をでき

るだけ叶えられるように努力していきたいいずれ僕達も迎える高齢社会だからhellip

41 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

 

私は小学六年生の時から盲導犬候補の子犬を育てるボランティアをしています「犬を飼っ

てみたい」と言う私に両親が「せっかく犬を飼うのなら社会に役立つことをしよう」と提案

したからです生後二ヵ月の子犬を預かり一歳の誕生日を迎えるまで世話をするのがボランティ

アの役目です初めて訓練士さんから子犬を手渡された時は不安でドキドキしましたが子犬は

すぐに私の腕の中で眠ってしまいました初めて会った私のことを信頼して安心しきった寝顔

で眠っている姿は本当に可愛かったですラブラドールの子犬はとてもやんちゃで私の家にやっ

て来たその日からいたずらばかりしていましたがしかられてもクヨクヨせずどんな相手にも

 林はやし

 里り

咲さ

東京都小平市立小平第六中学校 三年

差別のない社会に

(パピーウォーカーの経験から学んだこと)

法務事務次官賞

入賞作文集 42

入賞作文

フレンドリーに近づいていく姿から私は明るく前向きに生きることを教わりました子犬たち

と過ごした日々は私にとって一番の宝物ですそしてあっという間に一歳の誕生日がやって来ま

した誕生日が悲しいという経験は初めてでした訓練所への入所日の前日には長い長い散歩を

して最後のお別れをしました「今までありがとう」そう言った私のことを不思議そうに見てい

た子犬の顔が今も目に焼きついています別れは本当につらいけれど涙を見せたら子犬が心配す

るので頑張って笑顔で見送りました

 

私の家で育てた一頭目の子犬は現在盲導犬になって頑張っていますそして今年四月に巣立っ

ていった二頭目の子犬は神奈川にある訓練センターで訓練中です

 

このボランティアを通して私は多くのことを学びましたまず盲導犬の役割ですがこれは単

に目の不自由な方が便利に一人でどこへでも行けるようにするためだけではありません視覚障

がいのある方にとって人の手をわずらわせるのはとてもつらいことなのだそうですたとえ家

族に対してでも「迷惑をかけるのではないか」と思って我慢することが多く「私なんかいない

方がいいんじゃないか」と考えてしまうこともあったといいますその失われそうになった尊

厳を取り戻す手助けをするのが盲導犬の役目なのです犬は訓練を共にするパートナーのことを

大好きになるので「自分は他者からこんなにも大好きになってもらえる存在なん

だ」と気づいて自信を取り戻し新しい一歩を踏み出せるようになるのだそうです

 

また私がボランティア登録している日本盲導犬協会では二〇〇八年に新しい

試みが始まりました受刑者が盲導犬候補の子犬を育てる動物を介在した日本初

43 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

の教育プログラムです罪を犯した人も心から反省してきちんと罪を償えば社会

は差別することなく受け入れるべきですしかし実際はとても偏見が多く元受刑

者たちは「どうせ自分はだめな人間なんだ」と思い再び罪を犯してしまう悪循環

が起こっているそうですその悪循環を断ち切り受刑者たちがスムーズに社会復

帰を果たせるよう支援するのが「あさひ盲導犬パピープロジェクト」です受刑者たちは約十ヵ

月の間子犬たちを世話しながら一緒に過ごし「役に立つ喜び達成する喜び信頼される喜び」

を感じることで自分の価値を再確認するのだそうです今年一月に第一期のプロジェクトを修了

した受刑者の感想に次のようなものがありました

 「今後自分もパピーに笑われないようにきちんとしなければならないパピーは慈しむこと

寛容の心を教えてくれました」

 

犬は決して差別をしません健康な人にも障がいのある人にもお金持ちにも貧しい人にも

権力のある人にも犯罪を犯した人にも全く同じように接してくれますそんな犬たちと一緒に過

ごすことで自信をなくした人たちも自分のことをかけがえのない大切な存在であると思えるよ

うになるのです

 

私たち人間も差別のない社会をつくる努力をしなければならないと思います一人一人が相

手を大切に思う心を忘れなければこの社会はもっと住み良い場所になるはずです私はこのボ

ランティアを通して学んだことを生かしてこれからも一層努力していきたいと思います

入賞作文集 44

入賞作文

45 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

 

僕は祖父のために自助具を作ろうと思った祖父は去年の夏脳梗塞で倒れた祖父は一命

を取り留めたものの右手と右足がまひしてしまったのだその三週間前僕も車椅子から転倒し

て足を骨折した

 

僕には障害がある車椅子で生活することが多いしかし僕のことを障害者だといって差別

するような友達は一人もいない

 

祖父は歩けるようになりたいという気持ちが強かっただからリハビリを頑張り自分で

歩けるようになるまで回復した頑張っている祖父がかっこいいと僕は思った祖父はリハビ

リを頑張ったにも関わらず右手がうまく動かせなくなってしまっただからご飯を食べる時も

服を着替える時も時間がかかる普段何気なくやっていた動作がとても大変だと祖父は言ってい

守もり

田た

 幸こう

平へい

静岡県静岡大学教育学部附属浜松中学校 三年

祖父への靴下

法務事務次官賞

入賞作文集 46

入賞作文

た僕も何か役に立てることはないかと考えた

 

僕の学校には総合学習という授業があるそこで僕は福祉というカテゴリーを選んだ自

分で社会に役立てることを考え実際に行動することが目標だった僕は障害者のために何が

できるかを考えた

 

僕は二年前に静岡文化芸術大学で障害者がいかに日常生活で不自由のない生活ができるかを

考えるプロジェクトがあるのを新聞で知ったそれは大学生たちが個人個人にあった自助具を

作るプロジェクトだった僕は障害者のために何かできるのではと感じた

 

僕は静岡文化芸術大学へ行って僕にもできることがないかと聞いたすると学生さんが

自助具を作ってみないかと声をかけてくれた僕は迷わず「はい」と言った障害者のために

役に立てることがあると思うとすばらしいことだと思ったからだ

 

祖父のつらい顔を見ると日常生活に数々の大きな壁があることが伝わってくる

 

僕は祖父の数々の大きな壁を突き破ろうと思った祖父のために自助具を考え作ろうと僕

は思った祖父が靴下の脱ぎ履きが大変だと言っていたことを思い出したそこで脱ぎ履きし

やすい靴下はできないか考えた靴下の両脇にひもを取り付けてそれを引っ張ると靴下が縮み

脱ぎ履きしやすくなる仕組みだ大学の先生も良いアイディアだと言って褒めてく

れたこれは障害者だけでなく健常者にも使えると言われたユニバーサルデザ

インだと分かった

 

ユニバーサルデザインは年齢や障害の有無にかかわらず全ての人が使いやす

47 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

いように工夫された用具などのデザインである境界がなくなるように健常者が障

害者に対する偏見を考え差別意識がなくなるチャンスだと思った障害者と健常

者が共によりよく生きることが大切だと僕は思った

 

自助具の作品展では杖をついているお年寄り車椅子に乗った若い女性目の

見えない人福祉関係者など沢山の人々が観に来ていた皆自分の生活を良くしようと思っ

ているようだったまた障害者のためにできることは何だろうかと考えている健常者もいるよ

うだった

 

二年生の時の総合学習では二箇所のデイサービスを訪問したデイサービスには六十五歳以

上のお年寄りがいた暗く元気のない人明るく振る舞い誰とでも話せる人など様々だった

しかし僕が一番印象に残ったのは笑顔を絶やさず優しくお年寄りに接していた介護士だった

お年寄りの中には悩みを抱えている人が多いそうだその悩みを解消させる人もまた介護士だっ

た僕は介護士がお年寄りの体を支えるだけではなく心もそっと支えて生きる喜びを与え

ているのだと感じた

 

現代は三世代で暮らす家族が減り核家族が増えているそれはお年寄りの世話が大変だ

からという理由が多いだから老人ホームやデイサービスに預ける人が増えていると僕には

思えたお年寄りの中には自分が嫌われているのではないかとさえ思ってしまう人もいるそう

だそれはお年寄りにとって辛く悲しいことだと思うある介護士がこんなことをおっしゃっ

ていた「人の優しさはお金では買えない」誰にでも優しい心があると思うしかしあと一歩

入賞作文集 48

入賞作文

のところで行動に移すことができない人が多いの

だ僕たちが平和な社会で暮らせるのは今まで

頑張ってきてくれたお年寄りのお陰であることを

忘れてはいけないお年寄りを大切にすることは

当たり前のことなのだ

 

また障害者に対しても偏見の目で見ないで

そっと近づいて手を貸してあげれば健常者との

高い大きな壁を崩すことができると思う

 

障害者にも高齢者にもまた健常者にも人権

はあるお互いの人権を大切にすることが明る

い未来に繋がっていくのだと思う

 

早く祖父に僕の作った靴下を届けたい

49 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

 

僕は小学校六年生まで福岡県に住んでいましたそこで僕が体験したことです五年生のこ

ろ僕の友だちのA君が同級生のK君の靴を隠したりからかったりしていることがよくあり

ました最初は僕もあまり気にしていませんでしたがK君のことを「なんだかかわいそう」と

思うようになりました

 

ある日僕は勇気をだして先生に「K君がいじめにあっています」と報告しました初め先生は

「じゃれ合っているだけだろう」と「いじめ」とは思ってくれませんでしたでもその後「いじ

め」と分かりA君は先生に注意されその日一日は反省した様子で過ごしていましたしかし

次の日学校に行くといじめは前以上にエスカレートしていて蹴ったりたたいたりするように

なりましたしかも「死ね」「うざい」「消えろ」などの言葉が飛び交うようになりそんな日々

法務事務次官賞

浦うら

谷たに

 毅たける

徳島県三好市立池田中学校 三年

いじめをなくすために今

入賞作文集 50

入賞作文

が続きました

 

それは六年生になっても続きました僕はそのいじめを止めることができず毎日見て見ぬ

振りをしていました今思うと自分がとても恥ずかしいです本当の友達なら止めるべきなの

にそれだけではなくいじめられているK君に声一つかけることができずにいました心の中

ではA君に「やめろよ」と言おうと思っていたけどなぜか勇気が出ませんでした次にい

じめられるのが自分になるのが恐くて言えなかったのです

 

そんな日々が続く中僕の気持ちを大きく変える出来事がありました父の死ですそのとき

のことは今でも忘れることができません聞いたときには頭の中が真っ白になりました最初

は信じることができませんでした一週間も二週間も学校に行けずただぼーっと過ごしてい

ましたいろんなことを考え徐々に「死」というものの悲しさつらさ「死」という意味の

重さがわかってきましたそして時間はかかりましたが「命は一瞬にして消え二度と戻っ

てこないものだだから命を大切に今を大切にしなければならない」と深く受け止めることが

できるようになりましたそして周りの子たちは僕のような経験がないから「死ね」とか軽々

しく言えるのだろうと思いこの気持ちを伝えなくてはならないと考えました僕が強くならな

くてはと思いました

 

こんな気持ちになったとき僕には時間がありませんでした母の実家がある徳

島への引っ越しが一週間後に決まっていたのです落ち込んでいる暇は無いと思

い学校に行った僕はA君に言いました「いじめなんかやめろよいじめたって

51 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

喜ぶ人はいないし悲しむ人がいるだけだろ自分だってほんとは嫌だろ『死ね』

とか『消えろ』とか言葉の重さを知らないのに言うなよ」と言いました父親の

突然の死そのあと僕が考えたことも伝えました

 

友だちは黙って聞いてくれました僕の言葉にうなずいてそのあとK君の

ところへ行き「ごめん言葉の重さも知らずに言って本当にごめんぜったいに死ねなんて

ことは言わないそしていじめは絶対にしないほんとうにごめん」とあやまりましたK君

はとても優しい笑顔で「いいよ」と一言言いました僕もK君に言いました

「今まで助けてあげられなくてごめん」

K君は笑顔で「ありがとう」と言ってくれました今まで自分の中でもやもやしていた気持ちが

スーっと晴れました

 

今も時々耳にする暴言冗談半分で言っているのかもしれませんしかしいついじめにつ

ながるかわかりません他人を傷つけることで自分のストレスを晴らそうとしているのでしょう

関係ないふりをしようとする自分がいます楽な考え方をする自分がいますそんな時亡くなっ

た父の顔やK君の優しい笑顔を思い出しますあの時の自分のように強い気持ちを持とう「や

めろよ」と一言言うするとまた気持ちがスーっとしてきました

 

父の分も頑張って生き抜こうと決めた僕にとって正しいことを素直に認め悪いことを否定

できる強い意志を持つことが目標ですそして何よりも命を大切に今を大切にしていきたい

と思っています

入賞作文集 52

入賞作文

53 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

 

ぼくは今まで四つの外国に暮らしいろいろな国の人たちの中で育ってきた

 

まずタイで生まれてタイ人のメイドさんやドライバーさんにいつも遊んでもらっていた

らしい一才になると週一回の体操教室にも通いタイ人の友達もいたそうだ

 

次にシンガポールでは初めてナサリースクール(保育園)に通いいろいろな国の友達と

知り合ったプレイルームにある滑り台を滑る順番争いでいつも勝つのは体の大きい金髪の友

達だった

 

一回目の香港生活では英語の幼稚園に通ったその時のぼくの一番の友達はカナダ人だった

彼とはよくベイブレードをして遊んだが父が日本の出張で買ってきてくれた独楽や剣玉をして

遊ぶこともあった

村むら

瀬せ

 広ひろ

高たか

香港日本人学校中学部 二年

国境をこえて

海 外 作 品

今回は本選への応募とすることはできませんでしたが

 海外から寄せられた作品のうち一作品を御紹介します

入賞作文集 54

海外作品

 

それからインドでは日本人学校に通ったが夏休みには毎年アメリカンスクールのサマー

スクールに参加したし日本人のいない現地のテニススクールにも入り二年間通ったまたイ

ンドの現地幼稚園に通っていた妹のベストフレンドはコンゴ人でその兄弟もぼくの友達だった

 

そして三年間の日本生活を経て今また香港に戻ってきた

 

このようにぼくはいろいろな国でいろいろな国の人たちのお世話になりいろいろな国

の友達と遊んで育った肌が真っ黒な友達もゲームの話をすればすぐに仲良くなれたし髪が

金色の友達もポケモンの話をすれば気が合ったぼくは小さい頃から英語はうまくしゃべれ

なかったけれどもジェスチャーをつけたでたらめ英語でも充分に話は通じただからいろい

ろな国の人たちの中でぼくが日本人だからといって差別されたり嫌な思いをしたりしたこと

はないしぼくも肌の色が違うからとか言葉が通じないからという理由で違う人間だと思っ

たことはないそうぼくは外国人を差別したことはない

 

しかし本当にぼくは外国人を差別したことがないのだろうか外国人を差別した発言を一

度もしたことがないかと考えると自信がない

 

例えば香港人には赤信号でも平気で渡る人がたくさんいるそれを見てぼくは

「香港人はしょうがないな」

と思うでもよく見ると香港人全員が信号無視をしているわけではないまた

世界には今でも戦争をしている国がいくつもある

「人を傷つけ合うなんて馬鹿げている」

55 第30回全国中学生人権作文コンテスト

海外作品

とぼくは悲しくなるでもそれも好きで戦っている人がいるとも思えないその

人たちがそうなったのには何かきっと原因があるはずだ

 

逆に外国人から見ると日本人はどのように思われているのだろう

 

インドから日本に帰国した時毎日ごみがたくさん出ることにぼくはとても驚

いたインドの人たちがよく使う道端にあるカレー屋さんではバナナの葉で作ったお皿にカ

レーを入れてくれる食べた後そのお皿を道に捨てるとのら牛がその葉っぱを食べるそして

牛のふんは燃料になるというそれに比べて日本はちょっと歩くとペットボトルの飲み物が

買えファーストフードのお店では使い捨ての食器を使い立派なお菓子の箱を開けると中身が

少なくてがっかりすることもあるある時母が捨てたジャムの空きびんをメイドさんとエア

コンの修理にきていたワーカーさんとが取り合ってけんかをしていたこともあったそれを見

てぼくはあきれてしまったが逆にインド人から見ると使い捨て文化のしみついた日本人は

とんでもない人間にみえるのかもしれない国によって考え方や行動パターンが違うのは歴史

的背景や宗教習慣気候などのいろいろなことが関わっているのだと思う

 

このように考えると差別とはその人の一部しか見ていないことや自分のやり方だけが正

しいと思うことからおきるのではないかと思うその人が自分とは違った行動をとったとしても

それには深い理由があるのだろうと考えればきっと納得できると思うぼくもこれからは否

定的な発言をする前にその人たちのことをいろいろな角度から見て理解する努力をしてみよう

と思う外国との間には自分の国とは違う言葉や文化という壁があるとみんな言うがそこに

入賞作文集 56

海外作品

あるのは壁ではなく橋だとぼくは思う理解

し合おうという気持ちがあればきっと誰でも

その橋を渡っていけるはずだ気持ちの国境を

こえるのにパスポートはいらないお互いを理

解し合おうと思う気持ちが一番大切だと思う

そしてぼくはこれから日本人として生きる

のではなく地球人として生きていこうと思う

57 第30回全国中学生人権作文コンテスト

海外作品

法務局地方法務局名 郵便番号 所  在  地 電  話

金沢地方法務局人権擁護課920-0024 金沢市西念3-4-1金沢駅西合同庁舎(平成23年3月11日まで) 076-231-1244

921-8505 金沢市新神田4-3-10金沢新神田合同庁舎(平成23年3月14日から) 076-292-7804

富山地方法務局人権擁護課 930-0856 富山市牛島新町11番7号富山合同庁舎 076-441-6376

大阪法務局人権擁護部 540-8544 大阪市中央区谷町2丁目1番17号大阪第2法務合同庁舎 06-6942-9492

京都地方法務局人権擁護課 602-8577 京都市上京区荒神口通河原町東入上生洲町197番地 075-231-0131

神戸地方法務局人権擁護課 650-0042 神戸市中央区波止場町1番1号神戸第2地方合同庁舎 078-392-1821

奈良地方法務局人権擁護課 630-8305 奈良市東紀寺町3-4-1奈良第2法務総合庁舎 0742-23-5457

大津地方法務局人権擁護課 520-8516 大津市御陵町3番6号大津法務総合庁舎 077-522-4673

和歌山地方法務局人権擁護課 640-8552 和歌山市二番丁2番地和歌山地方合同庁舎 073-422-5131

広島法務局人権擁護部 730-8536 広島市中区上八丁堀6番30号広島合同庁舎 082-228-5790

山口地方法務局人権擁護課 753-8577 山口市中河原町6番16号山口地方合同庁舎2号館 083-922-2295

岡山地方法務局人権擁護課 700-8616 岡山市北区南方1丁目3番58号 086-224-5761

鳥取地方法務局人権擁護課 680-0011 鳥取市東町2丁目302番地鳥取第2地方合同庁舎 0857-22-2289

松江地方法務局人権擁護課 690-0886 松江市母衣町50番地松江法務合同庁舎 0852-32-4260

高松法務局人権擁護部 761-8077 高松市出作町585-4 087-815-5311

徳島地方法務局人権擁護課 770-8512 徳島市徳島町城内6番地6徳島地方合同庁舎 088-622-4171

高知地方法務局人権擁護課 780-8509 高知市栄田町2丁目2番10号高知よさこい咲都合同庁舎 088-822-3331

松山地方法務局人権擁護課 790-8505 松山市宮田町188番地6松山地方合同庁舎 089-932-0888

福岡法務局人権擁護部 814-0005 福岡市早良区祖原14-15福岡法務局西新出張所庁舎5階 092-832-4311

佐賀地方法務局人権擁護課 840-0041 佐賀市城内2丁目10番20号佐賀合同庁舎 0952-26-2148

長崎地方法務局人権擁護課 850-8507 長崎市万才町8番16号 095-826-8127大分地方法務局人権擁護課 870-8513 大分市荷揚町7番5号大分法務総合庁舎 097-532-3368

熊本地方法務局人権擁護課 862-0971 熊本市大江3丁目1番53号熊本第2合同庁舎 096-364-2145

鹿児島地方法務局人権擁護課 890-8518 鹿児島市鴨池新町1番2号 099-259-0684宮崎地方法務局人権擁護課 880-8513 宮崎市別府町1番1号宮崎法務総合庁舎 0985-22-5124

那覇地方法務局人権擁護課 900-8544 那覇市樋川1丁目15番15号那覇第1地方合同庁舎 098-854-1215

入賞作文集 58

問合せ先一覧

法務局地方法務局名 郵便番号 所  在  地 電  話

札幌法務局人権擁護部 060-0808 札幌市北区北8条西2丁目1番1札幌第1合同庁舎 011-709-2311

函館地方法務局人権擁護課 040-8533 函館市新川町25番18号函館地方合同庁舎 0138-23-9528

旭川地方法務局人権擁護課 078-8502 旭川市宮前通東4155番31旭川合同庁舎 0166-38-1114

釧路地方法務局人権擁護課 085-8522 釧路市幸町10丁目3番地釧路地方合同庁舎 0154-31-5014

仙台法務局人権擁護部 980-8601 仙台市青葉区春日町7番25号仙台第3法務総合庁舎 022-225-5739

福島地方法務局人権擁護課 960-8021 福島市霞町1番46号福島合同庁舎 024-534-1994

山形地方法務局人権擁護課 990-0041 山形市緑町1丁目5番48号山形地方合同庁舎 023-625-1321

盛岡地方法務局人権擁護課 020-0023 盛岡市内丸7番25号盛岡合同庁舎 019-624-9859秋田地方法務局人権擁護課 010-0951 秋田市山王7丁目1番3号 018-862-6533

青森地方法務局人権擁護課 030-8511 青森市長島1丁目3番5号青森第二合同庁舎 017-776-9024

東京法務局人権擁護部 102-8225 千代田区九段南1丁目1番15号九段第2合同庁舎 03-5213-1234

横浜地方法務局人権擁護課 231-8411 横浜市中区北仲通5丁目57番地横浜第2合同庁舎 045-641-7926

さいたま地方法務局人権擁護課 338-8513 さいたま市中央区下落合5-12-1さいたま第二法務総合庁舎 048-859-3507

千葉地方法務局人権擁護課 260-8518 千葉市中央区中央港1丁目11番3号千葉地方合同庁舎 043-302-1319

水戸地方法務局人権擁護課 310-0061 水戸市北見町1番1号水戸地方法務合同庁舎 029-227-9919

宇都宮地方法務局人権擁護課 320-8515 宇都宮市小幡2丁目1番11号宇都宮地方法務合同庁舎 028-623-0926

前橋地方法務局人権擁護課 371-8535 前橋市大手町2丁目10番5号前橋合同庁舎 027-221-4426

静岡地方法務局人権擁護課 420-8650 静岡市葵区追手町9番50号静岡地方合同庁舎 054-254-3555

甲府地方法務局人権擁護課 400-8520 甲府市北口1丁目2番19号甲府地方合同庁舎 055-252-7239

長野地方法務局人権擁護課 380-0846 長野市旭町1108番地長野第2合同庁舎 026-235-6634

新潟地方法務局人権擁護課 951-8504 新潟市中央区西大畑町5191番地新潟地方法務総合庁舎 025-222-1564

名古屋法務局人権擁護部 460-8513 名古屋市中区三の丸2丁目2番1号名古屋合同庁舎第1号館 052-952-8111

津地方法務局人権擁護課 514-8503 津市丸之内26番8号津合同庁舎 059-228-4193岐阜地方法務局人権擁護課 500-8729 岐阜市金竜町5丁目13番地 058-245-3181

福井地方法務局人権擁護課 910-8504 福井市春山1丁目1番54号福井春山合同庁舎 0776-22-5090

問合せ先一覧 (法務局地方法務局)

59 第30回全国中学生人権作文コンテスト

問合せ先一覧

世界人権宣言啓発書画「鳥」「自由と解放」を表わしたもの 小木太法書オタビオロス画(財)人権擁護協力会提供

入賞作文集 60

すべての人間は生まれながらにして

自由でありかつ尊厳と権利とに

ついて平等である人間は理性と

良心とを授けられており互いに同胞の

精神をもって行動しなければならない

―――

世界人権宣言 第一条

―――

第三〇回

 全国中学生人権作文コンテスト

中央大会表彰式

印  刷 平成23年1月25日

発  行 平成23年2月14日

発 行 者 法務省人権擁護局

全国人権擁護委員連合会

東京都千代田区霞が関一丁目1番1号

電話 03(3580)4111 内線5875

URL httpwwwmojgojpJINKEN

第30回全国中学生人権作文コンテスト中央大会審査員

感想をお聞かせください本作文集を読まれた感想等を下記の連絡先又はkeihatsumojgojpまでお寄せください

無断転載を禁じます本作文集に掲載された作文や写真等を地方自治体が広報誌に掲載したり学校が教材に使用される場合などにはあらかじめ下記に御連絡ください

100-8977 東京都千代田区霞が関一丁目1番1号 法務省人権擁護局人権啓発課 TEL03(3580)4111 内線5875

作  家(審査員長) 落 合 恵 子映画監督 山 田 洋 次社団法人日本新聞協会事務局長 川 嶋   明日本放送協会解説委員室解説委員 南   直 樹文部科学省初等中等教育局視学官 三 好 仁 司全国人権擁護委員連合会長 中 村 浩 紹法務省人権擁護局長   井 忠 雄

(敬称略)

【式次第】

第一部

 会

主催者あいさつ

賞状授与

内閣総理大臣賞法務大臣賞

文部科学大臣奨励賞法務副大臣賞

法務大臣政務官賞

全国人権擁護委員連合会長賞

社団法人日本新聞協会会長賞

日本放送協会会長賞(以上各一名)

法務事務次官賞(三名) 計一一名

学校への感謝状贈呈

高円宮妃殿下おことば

来賓祝辞

第二部

各受賞作文の朗読

内閣総理大臣賞法務大臣賞

文部科学大臣奨励賞

全国人権擁護委員連合会長賞

社団法人日本新聞協会会長賞

日本放送協会会長賞

 評

全国中学生人権作文コンテスト中央大会審査員

 山田洋次氏

 落合恵子氏(ビデオレター形式)

第三部

新垣勉さんコンサート

 会 平成二二年一二月一八日(土)

午後一時三〇分〜三時五〇分

於ニッショーホール

「いじめ」や暴力行為等は人権侵害です

法務局地方法務局では

人権侵害による被害を受けた方を

救済するための活動を行っています

お気軽にご相談ください

女性の人権ホットライン

インターネット人権相談受付窓口

ゼロナナゼロのハートライン

0570-070-810

子どもの人権110番ぜろぜろななのひゃくとおばん

 0120-007-110

パソコンから httpwwwmojgojpJINKENjinken113html携帯電話から httpwwwjinkengojpsoudanmobile001html

インターネット人権相談 検 索

Human Rights法務省人権擁護局全国人権擁護委員連合会

人権イメージキャラクター人KENあゆみちゃん人KENまもる君

全国共通通話料無料

全国共通ナビダイヤル

この冊子は環境保護印刷の「水なし印刷」で印刷されています

第30回全国中学生人権作文コンテスト入賞作文集

法務省人権擁護局全国人権擁護委員連合会

人権イメージキャラクター人KENまもる君人KENあゆみちゃん

この冊子には音声コードが各頁(奇数頁 左下偶数頁 右下)に印刷されています専用の読み上げ装置で読み取ると記録されている情報を音声で聞くことが出来ます

Human Rights法務省人権擁護局全国人権擁護委員連合会

 全国中学生人権作文コンテスト入賞作文集

 全国中学生人権作文コンテスト入賞作文集

第30回

 「まぜて」

と声をかけると一人の子が言いました

 「このグループは日本人で髪がまっすぐな人しか入れないのリコちゃんは髪がチリチリだし

ハーフだからダメ」と

 

私はとても悲しくなりましたそしてそれは卒園するまで続きました

 

小学校は人数も少なかったせいかみんなとても仲良くて私の外見のことを言う人はだれ一

人いませんでしたまるで兄弟のようにみんな自然に接してくれましたでも習い事やいろい

ろな大会など他校の子たちといっしょになる場面ではやはり髪の毛や肌のことをからかわれ

ることはよくあることでした私には二学年上の兄がいますが兄もやはり父の方に似ています

おだやかな性格の兄は私以上につらい思いをしてきたと思います

 

父は兄や私の話を聞くたびに

 「Pick your 

head up」

と言いましたそして

 「自分に自信とほこりをもちなさいあなたたちは二つの文化を受けついでそれはとてもす

ばらしいことなんだよ」

といつも話してくれました

 

中学に入って間もないころでしたある男の子がいきなり私に向かって言いまし

19 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

 「おまえ風呂に入っているのか黒いぞ外国人はくさいからな」

 

私はとてもはずかしくなりましたそしていかりや悲しみがこみあげてきました

まわりにいた友達は彼の言葉に苦笑いをしていました私はいかりのあまり彼をな

ぐりたくなりましたその時私は父のあの言葉を思い出しました私は顔を上げ

相手の目を見て静かに自分の傷ついた気持ちを伝えました

 

彼は私に向かってこう言いました

 「ごめんわるかった」

 

彼は人を傷つけるということが彼の想像以上に重くそしてひどいことだと少し気付いたよう

でした

 

差別やいじめというのは私たちのまわりでは小さなことから大きなことまで本当によくあり

ますそして差別やいじめをしている側からすればそれをじょう談だという人も多いのです

まわりの人たちもやはりじょう談や遊びの中でのことにとらえてしまう人たちもとても多いので

すだから小学校の時から私たちは道徳などでいじめや人権などについて学んでいてもなかな

かそれがなくならないのだと思いますでも実際に差別やいじめをされている方はみんなの想

像よりはるかに傷ついているということつらいということそして悲しいということを私はこ

の人権作文を通してたくさんの人に知ってほしいのですけがをすれば日がたつごとにそのけ

がは治っていくでしょうまわりからも治っていく様子が見てわかるでしょうでも心に受けた

傷は本人にしかわからないのですその傷がどんなに深くて痛いものか本人にしかわからないの

入賞作文集 20

入賞作文

です

 

肌の色が違っていてもかみの毛が

違っていても私たちはみんな同じ人間

です心を持った人間です相手の気

持ちを思いやり相手の立場になって

考えればいじめや差別はなくなると

思います今も世界のいたるところで

人種差別が問題となり争いが起きてい

ます私は世界から差別やいじめがな

くなるように強い心を持ってまずは

自分から立ち向かっていきたいです

21 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

 

あなたには大好きなふる里がありますか私には緑の木々と青い海に囲まれた自然豊かな

大好きなふる里があります私のふる里は過去に公害という大きな被害をうけた水俣ですそ

の水俣病で患者はもちろんそうでない人も長い間差別をうけてきました

 

父が幼い頃まだ水俣病の原因が究明されておらず水俣病はうつると言われていました列

車が水俣の駅につくと窓をしめ手で口をおおった人もいました修学旅行に行くと同じ宿

舎になった学校から苦情を言われたこともありました水俣出身ということで結婚を断られた人

や就職試験をうけることさえできなかった人もいました水俣に住んでいることをかくして隠

れるようにひっそり暮らしていた人もいましたまた同じ水俣に住む人でさえ奇病と呼び距

離をおきましたそのことでたくさんの人々が傷つきあってきたのですいろいろな立場の人々

井いの

上うえ

 由ゆ

紀き

子こ

熊本県熊本県立八代中学校 一年

私の大好きなふる里

法務副大臣賞

入賞作文集 22

入賞作文

がせまい土地に住んでいるのですから仕方がなかったのかもしれません

 

しかし今では原因も究明され海の安全も確認されたことでそのようなことはほとんどな

くなりました私たちは過去のことを忘れるくらい楽しくすごしています

 

私は今八代の中学校に通っています私は自分が水俣出身ということを隠すこともありませ

ん友だちもまたそのことを知っていますがからかったりいじめたりする人は誰一人いません

 

しかし先日水俣の中学校のサッカー部が練習試合中に相手チームの選手から

「さわるな水俣病がうつる」

と言われたという記事が新聞にのっていました今でもこういう風に思っている人がいるのか

と思うと残念で仕方ありません何気なく言った一言だったのかもしれませんがその一言は

私たち水俣に住む者にとって非常に悔しく悲しいものでした

 

小学校の総合的な学習の時間で水俣病について学習しました原因となった会社を訪問したり

患者の方から当時の話をきいたり交流も行いましたそんな中で苦労されたり何も言えずに

黙って亡くなった人のことを知り水俣に住んでいながら何も知らなかったことをはずかしく思

いました水俣病についてしっかり学び正しい知識を得ることが差別や偏見をなくすのだと気

付きました

 

中学校の道徳の時間ではハンセン病について学習しましたこれも水俣病同様

正しい知識がなかったためにおきた悲しく悔しい悲劇でした

 

私たちが差別や偏見をなくすためにできることそれはその人その出来事に

23 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

ついてしっかり知ること知ろうと努力すること正しい知識を深めるために学習

することではないかと思いますそうすれば水俣病やハンセン病のようにむや

みに人と人とが傷つけあったり憎しみあったりすることはなくなるのではないで

しょうか

 

先日テレビで水俣のダイバーが紹介されましたその人は本当はほこりたい水俣を心の中

にじっとしまいこみ誰にも言えず何年もの間生きてきた人でしたしかし水俣の地にも

どり自分はこのすばらしい美しいふる里を紹介したいと海にもぐり写真をとり続けておら

れるそうです心に差別という深い傷を負いながら水俣の再生を皆に知らせたいと頑張る人

がいることに感動しました

 

今水俣はごみの分別リサイクル事業など市民全員で環境にやさしい町づくりをすすめてい

ます私は差別や偏見から立ちなおり再生しようと環境問題に一生懸命とりくんでいるふる

里水俣をほこりに思っています

 

水俣では運動会等多くの行事で「水俣ハイヤ節」というものが踊られますこれは水俣病

の患者の方が水俣の青い海と豊漁を願って振りつけをされた踊りだそうです私たちと同じ思い

をする人が二度とでないことを祈りながら私たちは毎年皆でこの踊りを踊ります

 

水俣の悲しい過去を変えることはできませんが私はあやまちを二度とくりかえさないため

にこの美しい自然を守り真実を語り継いでいきたいですそして差別や偏見のない社会に

なるよう自分から努力していきたいと思います

入賞作文集 24

入賞作文

25 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

 

みなさんは「本当の『平和』とは」と質問されたら何と答えますか「戦争や紛争などが

ないこと」ですかそれとも「自分自身の幸せのこと」ですか一人ひとりの抱く「平和」のイ

メージは違うことでしょう

 

僕の思う本当の「平和」それは「家族」がいて「家庭」があることだと思いますなぜそう

思うかというと今僕は訳あって家族とは離ればなれに暮らしているからです一歳前後には既

に家族とは離れ施設にいました母親や姉兄の存在はわかっていますが一緒に過ごした時

間は限られたもので今でもほとんど交流はありませんそのせいか僕はいつも「家族」や「家

庭」というものに強い憧れを抱いています

 

自分がまだ幼い頃は自分と同じくらいの子が母親と手をつないでいる姿がとてもうらやまし

大おお

田た

 葵あおい

栃木県さくら市立喜連川中学校 三年

「家族」とは何か

法務大臣政務官賞

入賞作文集 26

入賞作文

「どうして自分には母親がいないんだろう」と思っていました仕舞いには自らの母親を恨ん

でしまったのです小学生になってもその気持ちは変わらず母親への恨みは増すばかりでした

 

しかし小学五年生の夏思いもよらぬ出来事が起きましたそれは引っ越しがあったこと

ですそこで僕は新しい土地そして新しい里親という人たちに出会いました里親の人たち

と暮らした数年間僕は幸せでしたそこで僕は僕の周りにはいつも支えてくれる人たちがい

ることに気づきました血のつながりがなくても僕に自分の子どものように接し育ててくれ

た里親の人たち養護施設の先生方などたくさんの方たちに僕は見守られて成長してきたこと

に気づいたのです僕を支えてくれる人すべてに感謝の気持ちがわき出てきましたそれ以来

僕は親という存在にこだわらなくなりましたそれどころか自分に命を与えてくれた親に感謝

の思いを抱くようになったのです

 

この夏母親の育児放棄が原因で二人の乳幼児が衰弱死するという悲しい事件がありました

二人の子どもにろくに食事も与えず風呂も入れなかったそうですさらに逮捕後その母親は

「家に帰ってあげなかったことを今も後悔している子どもは私を恨んでいると思う」

という言ってはならない発言をしました僕は怒る前に亡くなった二人の子ども

たちがかわいそうでなりませんでした

 

と同時に僕はこの母親はどうしてこのようなことをしてしまったのだろうと

すごく考えさせられました僕は本来親は子どもを殺すのではなく守るために

27 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

いるのだと考えますたとえ小さな子どもでも立派な一人の人間ですその命を

守り育てていくことが親として大切な役目だと思うのですこの母親はどこで

勘違いしたかは知りませんが親としての自分の責任を理解していなかったのでは

ないでしょうか

 

そしてその勘違いを誰も母親に気づかせてあげられなかった事実母親が一緒に遊び歩いて

いた友人はもちろん母親の家族が少しでも助けることができていたら母親の行動を戒めるこ

とができていたら連絡を受けた児童相談所がもう少し踏み込んだ行動が取れていたらこのよ

うな悲しい結末にはならずに済んだのではないでしょうかやりきれない思いばかりがこみあげ

てきます

 

もう一つこの母親は大きな勘違いをしていますそれは「子どもは私を恨んでいると思う」

という言葉です僕はこの子どもたちが母親を恨んでいるとは思えません子どもたちは母

親が帰宅するといつもハイタッチをして喜んで迎えたそうです子どもたちは母親のことが大

好きだったのでしょうたとえ自分たちを見放した母親でも恨んでいるとは決して思えないの

です

 

子どもは心の底から自分の母親のことを恨めないと僕は思いますこの世に生を受け笑った

り怒ったり泣いたりと毎日いろいろな経験ができるのは自分を生んでくれた母親という存在

があったからです正直僕も小さい頃は母を恨んだことがありました愛情の裏返しというよ

うに母親への思いが憎しみに変化してしまったのですでも心の底には母への恨みとは全く

入賞作文集 28

入賞作文

正反対の気持ちが存在し続けていましただ

からこそこの子どもたちがどんな思いで死

んでいったのかわかるような気がします母

親を信じひたすら母親の帰りをまちわびて

いた思いが

 

僕にとっての「家族」それは同じ屋根の

下で暮らす人々のことですたとえ血はつな

がっていなくても僕を支え励ましてくれる

人たちそのすべての人が僕にとっての大切

な「家族」なのです今僕の暮らす養護施設

にはいろいろな事情を抱えた二歳位から高

校生までの子どもたちや職員の方が約六十人

います今の僕には全員大切な「家族」で

す僕はこれからもこの「家族」を大切に

一日一日精一杯平和に生きていきたいです

29 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

 

授業でハンセン病について学んだ日両親と「偏見」や「差別」について口角泡を飛ばす議論

を深夜まで繰り広げた身体障害者の父と看護師の母を持つ私は幼い頃から「命の大切さ」を

訴える両親の姿を見て育って来たそんな私は真摯な気持ちからハンセン病罹患者と向き合い

たいと思いこの夏草津にある療養施設栗生楽泉園を訪れた

 

草津までの道のり私は罹患者の気持ちを絶えず考えていたハンセン病について調べると「ら

い予防法」により罹患者は隔離され人権を無視された扱いを受けたことが分かった罹患者の

言葉が書かれた本ではどんなに過酷な仕打ちを受けたか他人をどれほど恨み憎んでいるか

が書かれていたその為私は無意識の内に「罹患者は全員恨みを抱いている」と勝手に思い込

んでいたしかしこんな思い込み自体が偏見や差別を生む原因になるということを後に思い知

大おお

井い

 海み

琴こと

群馬県群馬大学教育学部附属中学校 三年

忘れてはならないこと

全国人権擁護委員連合会長賞

入賞作文集 30

入賞作文

らされることになるのである

 

私を迎えてくれたのは入園者自治会長の藤田三四郎さん藤田さんは大変お元気でその容姿

からはハンセン病を伺い知ることはできなかったしかし藤田さんは紛れもない罹患者なのだ

その証拠に藤田さんの名は本名ではない罹患者は施設に入所するにあたり偽名を使用させら

れたと言うつまりその時点で罹患者は世間から存在を消されてしまうのであるそんな藤田

さんから語られた話はハンセン病だと宣告され三度も命を絶とうとしたこと重症患者の看

護を押しつけられ数え切れない人を看取り自らの手で葬ったこと家族が受けた迫害や侮辱的

な言葉など想像を絶するもので筆舌し難いものだったしかしこんな迫害と差別は同時にハ

ンセン病患者達の人権回復闘争の歴史でもあったのだ闘争の末「らい予防法」が廃止される

と今まで差別や人権侵害を繰り返していた多くの人が掌を返す様に態度を変えたと言う私は聞

いていて怒りを覚えたが不思議なことに耳を塞ぎたくなる様な内容を語る藤田さんからは全

く怒りや恨みが感じられないのだ私は話を聞くまで自分の運命を呪い周囲への恨みつらみ

の言葉が出てくるとばかり思っていたしかし出てきた言葉は「入園出来て良かった差別は

受けたが今では恨みを抱く罹患者も少なくなったそればかりか最近はたくさんの人が我々を

理解し協力してくれるので嬉しい何故なら一人の百歩は力が無いが百人の一歩

は力になるから」と言う感謝の言葉だったのだ本当に「恨みは無いのか」と何度

聞いても答えは同じだった私は恥ずかしくなったハンセン病について調べ罹

患者の心を理解したようなつもりでいながら実は何も理解できてなくてそれば

31 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

かりか罹患者を偏見の眼で見ていたのは私自身だったのだ私は話を聞いてとめ

どなく溢れ出る涙を拭いながら心の片隅に潜んでいた「偏見と言う名の種」が身

体から洗い流されていくのを感じていたそれは同時に「思い込みや無知が偏見

や差別を生みだす」ことを強く感じた瞬間でもあったそれだけに藤田さんの「自

分と同様に他人を愛すればいつか必ず世界から差別はなくなる他人を愛して下さい」の慈愛に

満ちた言葉が一層重く腑に落ちるのだった

 

帰りがけ千五百ページにも及ぶ「入所者証言集」を手渡されたその際私は見えない襷も

手渡された気がしたその襷とは証言集に記された罹患者の「事実を風化させないで私達の事

を忘れないで」という搾り出すような叫び声とその姿だったのである

 

ハンセン病が治る病気であるのに誤った知識から悲惨な人権侵害が長期に渡り続いた同じ間

違いを繰り返さないためにも事実を語りついで行く必要があるここ楽泉園でも高齢化が進み

証言者の数が減っているこれは全国一五全てのハンセン病療養所に共通することだハンセン

病問題は罹患者がいなくなればそれで終わると言う問題ではない今後人権問題を考える際重

要な指針になりうる事実なのだそしてこの事実の風化を防ぐことが私達若い世代の役目だと

私は思う

 

私は小六の時友人達から突然イジメを受けたそれを引きずり他人を恐れ憎み自分を

嫌って生きて来たしかし罹患者の声が私に生きる力と前を向いて歩む勇気を与えてくれた

楽泉園訪問は私に人生観が変わる程の衝撃を与えてくれたのだこんな私だが罹患者の声を伝

入賞作文集 32

入賞作文

える「百人の中の一人」にはなれるはず

だそのために私は今この作文を書い

ている文字は時を越えて生き続けるか

ら私はこれからも楽泉園訪問を続ける

つもりだ実際に中学生の私が出来るこ

とには限りがあるが差別や偏見を少し

でも減らすために一歩を踏み出すつもり

でいる「自分と同様に他人を愛すれば

いつか差別は無くなる」と言う藤田さ

んの言葉を胸に

33 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

 

森に囲まれたその一画には教会や寺院神社があり小さなショッピングセンターやレスト

ランもある床屋や図書館郵便局や浴場もあるしかしそれらの施設を利用するのはその一

画に住む人たちだけだ緑の外側に住む人が利用することはないそこはハンセン病の療養所

多磨全生園である

 

僕は七年前に清瀬市に引っ越してきた夏のある日昆虫が大好きな僕は何気なくその森の

中に入って行ったそして歩き回っているうちにその場所が一つの「町」であることに気付

いた

 

毎日セミやカマキリやナナフシを探しながらどうしてこんな所があるのだろうと思った

 

僕が一番不思議に思ったのは古い木造の小学校だいつも誰もいない校舎と小さな運動場近

久く

米め

 一かず

輝き

埼玉県学校法人立教学院立教新座中学校 一年

ハンセン病について考えたこと

社団法人日本新聞協会会長賞

入賞作文集 34

入賞作文

くに小学校があるのにどうしてこんな所に小学校があるのだろう小学一年生の僕はとても不思

議に思った

 

夏に地域交流を目的とした盆踊りと花火大会が行われるいつもは人のいない小学校跡は多く

の人であふれかえり普段は見かけない重い後遺症の老人たちもこの日は外に出て盆踊りを楽し

む初めて参加したときは言葉が出なかった正直「怖い」と思った

 

夏が来るたびに僕は盆踊り大会に参加した低学年から高学年へと進むにつれて少しずつハ

ンセン病のことが分かってきた

 

六年生のときに社会科見学で全生園の元患者を訪れることになっただが僕は都合で参加で

きなかった僕はそれをずっと悔やんでいる

 

今年の夏僕はハンセン病資料館に出かけた見学者は僕一人でとても緊張したなるべく

音を立てないようにパネルを見て回った

 

強制隔離の現実にとても驚いた狭い部屋に押し込められ症状の軽い患者が重症の患者の世

話をしたという子供を持つ権利や生まれる赤ん坊の命まで奪われていた逃げ出したり反抗的

な患者は「不良患者」と呼ばれ窓の小さな暗い監房に閉じ込められた

 

医学が進歩し療養所も徐々に改善されていったが強制隔離を命じる「らい予防

法」が廃止されたのは一九九六年だという隔離が始まった一九〇八年から約九〇

年も経っていた僕が生まれるほんの一年前のことである特効薬が開発され本

格的な治療が始まったのは昭和二十二年である現実に合わない法律を廃止するの

35 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

にどうしてそんなに時間がかかったのだろうか

 

資料をもらってハンセン病資料館を後にした家を出るときは帰りに虫の観察

をするつもりだったがとてもそんな気にはなれなかったいつもセミが集まる桜

の木には目もくれずに早足で家に帰った

 

資料の中で一番心が痛んだのは療養所の子供たちのことだ療養所に入所したのはハンセン

病を発症した子どもたちだけではない親が発症したために入所する子どもたちもいた当時は

ハンセン病は遺伝病だとされていたからだ親から無理やり引き離された子どもたちは「すぐに

帰れるから」という言葉を信じていたというしかし一生療養所を出ることができなかった人が

多かったという社会的な差別がひどかったからだと資料に書かれていたが僕には実感がわか

なかったのでもう少し調べてみることにした

 

図書館で『ハンセン病を生きて』(伊波敏男著)という本を見つけた少し難しかったが差

別の現実が僕にもわかる部分があったそれは元患者たちに対して書かれた匿名のひどい手紙

である長年隔離されて苦しんできた人たちをさらに傷つける言葉が並んでいた悲しく暗い

気持ちになった

 

日本は経済大国として世界の注目を浴びているだが人権意識の面ではどうだろう「らい

予防法」を二〇世紀の末まで廃止できなかったことをどう考えたらよいのだろうか明治時代に

隔離が始まったときそれは外国に対する体面を保つためだったという病気の人を治療するの

ではなく「隠す」のが目的だったのだいまだに差別意識を持つ人がいるのは社会がそうした

入賞作文集 36

入賞作文

過去に対する反省をしていないから

だと思う

 

僕が不思議に思った小学校はすで

に取り壊されて今では小さな石碑

だけが残っている老朽化がひどく

残しておくことができなくなったか

らだという全生園の古い建物はど

んどん取り壊されていく石碑だけ

ではあの不思議さが伝わらないのが

とても残念だ

37 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

 

僕の曾祖父は医者嫌いでしたそのため腹痛で病院に運ばれた時は膵臓癌の末期で余命三ヶ

月でした手術もできない手遅れの状態でした家族皆で話し合い曾祖父の辛い気持ちを第一に

考え曾祖父に病を隠すことになりました曾祖父は次第に病院の中を歩いては転倒し体中あ

ざだらけになりベッドの上で縛られることになっていました曾祖父は病名の宣告を受けてい

ないため元気で歩けると思っているが実際歩くと転んでしまう何でこんな風になってしまっ

たのかさえわからない

 

家族と病院に行くと「包丁もてこいこれぶった切って家さ帰る」と騒いでいましたあん

なに優しかった曾祖父の姿に言葉も出ず恐いくらいでした何も知らされずベッドに縛り付

けられれば誰もがそうなることでしょう「じいちゃんどご一緒に車さのせでいてくれの」と

櫻さくらだ田

 要かな

太た

山形県酒田市立松山中学校 三年

日本放送協会会長賞

悔いのない最期を

入賞作文集 38

入賞作文

せがまれたときもありますかわいそうで涙がポロポロこぼれました「おじいちゃんどご家

さ連れで帰ろうよ」とせがんでも家族も仕事で忙しいためか誰も首を縦に振ってくれず病院

にいた方が安心ということになりました膵臓癌は予想以上に激しい痛みのため医師から強い

痛み止めと強い睡眠剤を勧められましたがそれを導入することにより安楽死に近い状況にな

ることも医師から告げられていました家族は決断をせまられました曾祖父に相談もせずに決

めていいことなのか家に帰りたい曾祖父の意志は封じ込められたままでいいのか家族で悩み

ました結局痛みに耐えている姿は見ていられなくその薬を使うことになりましたその後

曾祖父は次第に弱っていき口も利けなくなり静かに亡くなっていきました僕はどこか心を

引きずったままでした僕達家族が曾祖父に宣告もせず意見も聞かず命の長さを決めてしまっ

たこと当時幼かった僕には何もしてあげられなかったことが今思い出しても残念です

 

最近授業で人権について学習しているときに幼い頃の記憶がよみがえりふと曾祖父のこと

を思い出しました

 

曾祖父はどんな思いで亡くなったのだろう最後に意識のあるうちに一度でいいから家に帰っ

てきたかっただろう身体拘束は今は病院でも禁止されていると思いますがあの頃は確かに曾

祖父のおなかに黒いベルトのようなものが巻きついていました決して自分の力で

は外せないようなものでしたもがき苦しむ曾祖父の姿を見た時に看護師さんに

目を隠され別の部屋に連れて行かれました見せたくない光景だったのだと思いま

すでもあの姿は僕の脳裏に焼き付いています病院の中での人材不足のためだっ

39 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

たのでしょうか人が人らしく生きていない姿でした

 

七十八年生きてきて何も悪いことをしていないのに縛られ家にも帰れない

病気で余命幾ばくもない人には人権というものは存在しないのでしょうか最近の

医療の現場では自己決定権があることについて学びました

 

仏壇に向かい静かに目を閉じると優しく穏やかに微笑む曾祖父の笑顔が浮かびますどんな

気持ちで亡くなっていったのかその気持ちを考えると苦しい気持ちになります野球の大会に

行く前仏壇に手を合わせます「やればできる努力しろ」とよく励ましてくれました曾祖

父の力には何もなれなかったけれど目には見えない力で応援してくれる曾祖父に線香をあげて

自分を省みる時があります曾祖母が元気なので曾祖父を助けられなかった分曾祖母の力に

なっていくことを曾祖父に約束しています

 

夏休み中のニュースで高齢者の所在不明者が多数のため百歳以上の安否確認調査をしていま

した自分の親を平気で捨て遺骨さえもひきとらない亡くなっていたのに年金を不正受給する

ために隠していたなど耳をふさぎたくなるような事件もありました犬や猫が年をとって弱っ

てきた手がかかるから面倒だからと捨ててしまうそれと同じ現象が弱い高齢者にも及んでき

ているのだと思います

 

やはりこの世に生まれてきたもの全てに自分の意志で生きることを決めていける権利がある

と思います長い年月を苦労や努力と向き合いながら精一杯生きてくれたおかげで今の幸せが

あることを忘れずにいたい人はいずれ誰でも年をとります自由に動けなくなった時に自分の

入賞作文集 40

入賞作文

願いが叶う社会を築き「悔いなく満足で楽しく幸せな人生だった」と思えるように人とし

ての誇りを持って満足できる最期を迎えられるように考えていきたいもう二度と僕が見た自

己決定権のない社会にならないように高齢者には今までの感謝の気持ちで本人の希望をでき

るだけ叶えられるように努力していきたいいずれ僕達も迎える高齢社会だからhellip

41 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

 

私は小学六年生の時から盲導犬候補の子犬を育てるボランティアをしています「犬を飼っ

てみたい」と言う私に両親が「せっかく犬を飼うのなら社会に役立つことをしよう」と提案

したからです生後二ヵ月の子犬を預かり一歳の誕生日を迎えるまで世話をするのがボランティ

アの役目です初めて訓練士さんから子犬を手渡された時は不安でドキドキしましたが子犬は

すぐに私の腕の中で眠ってしまいました初めて会った私のことを信頼して安心しきった寝顔

で眠っている姿は本当に可愛かったですラブラドールの子犬はとてもやんちゃで私の家にやっ

て来たその日からいたずらばかりしていましたがしかられてもクヨクヨせずどんな相手にも

 林はやし

 里り

咲さ

東京都小平市立小平第六中学校 三年

差別のない社会に

(パピーウォーカーの経験から学んだこと)

法務事務次官賞

入賞作文集 42

入賞作文

フレンドリーに近づいていく姿から私は明るく前向きに生きることを教わりました子犬たち

と過ごした日々は私にとって一番の宝物ですそしてあっという間に一歳の誕生日がやって来ま

した誕生日が悲しいという経験は初めてでした訓練所への入所日の前日には長い長い散歩を

して最後のお別れをしました「今までありがとう」そう言った私のことを不思議そうに見てい

た子犬の顔が今も目に焼きついています別れは本当につらいけれど涙を見せたら子犬が心配す

るので頑張って笑顔で見送りました

 

私の家で育てた一頭目の子犬は現在盲導犬になって頑張っていますそして今年四月に巣立っ

ていった二頭目の子犬は神奈川にある訓練センターで訓練中です

 

このボランティアを通して私は多くのことを学びましたまず盲導犬の役割ですがこれは単

に目の不自由な方が便利に一人でどこへでも行けるようにするためだけではありません視覚障

がいのある方にとって人の手をわずらわせるのはとてもつらいことなのだそうですたとえ家

族に対してでも「迷惑をかけるのではないか」と思って我慢することが多く「私なんかいない

方がいいんじゃないか」と考えてしまうこともあったといいますその失われそうになった尊

厳を取り戻す手助けをするのが盲導犬の役目なのです犬は訓練を共にするパートナーのことを

大好きになるので「自分は他者からこんなにも大好きになってもらえる存在なん

だ」と気づいて自信を取り戻し新しい一歩を踏み出せるようになるのだそうです

 

また私がボランティア登録している日本盲導犬協会では二〇〇八年に新しい

試みが始まりました受刑者が盲導犬候補の子犬を育てる動物を介在した日本初

43 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

の教育プログラムです罪を犯した人も心から反省してきちんと罪を償えば社会

は差別することなく受け入れるべきですしかし実際はとても偏見が多く元受刑

者たちは「どうせ自分はだめな人間なんだ」と思い再び罪を犯してしまう悪循環

が起こっているそうですその悪循環を断ち切り受刑者たちがスムーズに社会復

帰を果たせるよう支援するのが「あさひ盲導犬パピープロジェクト」です受刑者たちは約十ヵ

月の間子犬たちを世話しながら一緒に過ごし「役に立つ喜び達成する喜び信頼される喜び」

を感じることで自分の価値を再確認するのだそうです今年一月に第一期のプロジェクトを修了

した受刑者の感想に次のようなものがありました

 「今後自分もパピーに笑われないようにきちんとしなければならないパピーは慈しむこと

寛容の心を教えてくれました」

 

犬は決して差別をしません健康な人にも障がいのある人にもお金持ちにも貧しい人にも

権力のある人にも犯罪を犯した人にも全く同じように接してくれますそんな犬たちと一緒に過

ごすことで自信をなくした人たちも自分のことをかけがえのない大切な存在であると思えるよ

うになるのです

 

私たち人間も差別のない社会をつくる努力をしなければならないと思います一人一人が相

手を大切に思う心を忘れなければこの社会はもっと住み良い場所になるはずです私はこのボ

ランティアを通して学んだことを生かしてこれからも一層努力していきたいと思います

入賞作文集 44

入賞作文

45 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

 

僕は祖父のために自助具を作ろうと思った祖父は去年の夏脳梗塞で倒れた祖父は一命

を取り留めたものの右手と右足がまひしてしまったのだその三週間前僕も車椅子から転倒し

て足を骨折した

 

僕には障害がある車椅子で生活することが多いしかし僕のことを障害者だといって差別

するような友達は一人もいない

 

祖父は歩けるようになりたいという気持ちが強かっただからリハビリを頑張り自分で

歩けるようになるまで回復した頑張っている祖父がかっこいいと僕は思った祖父はリハビ

リを頑張ったにも関わらず右手がうまく動かせなくなってしまっただからご飯を食べる時も

服を着替える時も時間がかかる普段何気なくやっていた動作がとても大変だと祖父は言ってい

守もり

田た

 幸こう

平へい

静岡県静岡大学教育学部附属浜松中学校 三年

祖父への靴下

法務事務次官賞

入賞作文集 46

入賞作文

た僕も何か役に立てることはないかと考えた

 

僕の学校には総合学習という授業があるそこで僕は福祉というカテゴリーを選んだ自

分で社会に役立てることを考え実際に行動することが目標だった僕は障害者のために何が

できるかを考えた

 

僕は二年前に静岡文化芸術大学で障害者がいかに日常生活で不自由のない生活ができるかを

考えるプロジェクトがあるのを新聞で知ったそれは大学生たちが個人個人にあった自助具を

作るプロジェクトだった僕は障害者のために何かできるのではと感じた

 

僕は静岡文化芸術大学へ行って僕にもできることがないかと聞いたすると学生さんが

自助具を作ってみないかと声をかけてくれた僕は迷わず「はい」と言った障害者のために

役に立てることがあると思うとすばらしいことだと思ったからだ

 

祖父のつらい顔を見ると日常生活に数々の大きな壁があることが伝わってくる

 

僕は祖父の数々の大きな壁を突き破ろうと思った祖父のために自助具を考え作ろうと僕

は思った祖父が靴下の脱ぎ履きが大変だと言っていたことを思い出したそこで脱ぎ履きし

やすい靴下はできないか考えた靴下の両脇にひもを取り付けてそれを引っ張ると靴下が縮み

脱ぎ履きしやすくなる仕組みだ大学の先生も良いアイディアだと言って褒めてく

れたこれは障害者だけでなく健常者にも使えると言われたユニバーサルデザ

インだと分かった

 

ユニバーサルデザインは年齢や障害の有無にかかわらず全ての人が使いやす

47 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

いように工夫された用具などのデザインである境界がなくなるように健常者が障

害者に対する偏見を考え差別意識がなくなるチャンスだと思った障害者と健常

者が共によりよく生きることが大切だと僕は思った

 

自助具の作品展では杖をついているお年寄り車椅子に乗った若い女性目の

見えない人福祉関係者など沢山の人々が観に来ていた皆自分の生活を良くしようと思っ

ているようだったまた障害者のためにできることは何だろうかと考えている健常者もいるよ

うだった

 

二年生の時の総合学習では二箇所のデイサービスを訪問したデイサービスには六十五歳以

上のお年寄りがいた暗く元気のない人明るく振る舞い誰とでも話せる人など様々だった

しかし僕が一番印象に残ったのは笑顔を絶やさず優しくお年寄りに接していた介護士だった

お年寄りの中には悩みを抱えている人が多いそうだその悩みを解消させる人もまた介護士だっ

た僕は介護士がお年寄りの体を支えるだけではなく心もそっと支えて生きる喜びを与え

ているのだと感じた

 

現代は三世代で暮らす家族が減り核家族が増えているそれはお年寄りの世話が大変だ

からという理由が多いだから老人ホームやデイサービスに預ける人が増えていると僕には

思えたお年寄りの中には自分が嫌われているのではないかとさえ思ってしまう人もいるそう

だそれはお年寄りにとって辛く悲しいことだと思うある介護士がこんなことをおっしゃっ

ていた「人の優しさはお金では買えない」誰にでも優しい心があると思うしかしあと一歩

入賞作文集 48

入賞作文

のところで行動に移すことができない人が多いの

だ僕たちが平和な社会で暮らせるのは今まで

頑張ってきてくれたお年寄りのお陰であることを

忘れてはいけないお年寄りを大切にすることは

当たり前のことなのだ

 

また障害者に対しても偏見の目で見ないで

そっと近づいて手を貸してあげれば健常者との

高い大きな壁を崩すことができると思う

 

障害者にも高齢者にもまた健常者にも人権

はあるお互いの人権を大切にすることが明る

い未来に繋がっていくのだと思う

 

早く祖父に僕の作った靴下を届けたい

49 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

 

僕は小学校六年生まで福岡県に住んでいましたそこで僕が体験したことです五年生のこ

ろ僕の友だちのA君が同級生のK君の靴を隠したりからかったりしていることがよくあり

ました最初は僕もあまり気にしていませんでしたがK君のことを「なんだかかわいそう」と

思うようになりました

 

ある日僕は勇気をだして先生に「K君がいじめにあっています」と報告しました初め先生は

「じゃれ合っているだけだろう」と「いじめ」とは思ってくれませんでしたでもその後「いじ

め」と分かりA君は先生に注意されその日一日は反省した様子で過ごしていましたしかし

次の日学校に行くといじめは前以上にエスカレートしていて蹴ったりたたいたりするように

なりましたしかも「死ね」「うざい」「消えろ」などの言葉が飛び交うようになりそんな日々

法務事務次官賞

浦うら

谷たに

 毅たける

徳島県三好市立池田中学校 三年

いじめをなくすために今

入賞作文集 50

入賞作文

が続きました

 

それは六年生になっても続きました僕はそのいじめを止めることができず毎日見て見ぬ

振りをしていました今思うと自分がとても恥ずかしいです本当の友達なら止めるべきなの

にそれだけではなくいじめられているK君に声一つかけることができずにいました心の中

ではA君に「やめろよ」と言おうと思っていたけどなぜか勇気が出ませんでした次にい

じめられるのが自分になるのが恐くて言えなかったのです

 

そんな日々が続く中僕の気持ちを大きく変える出来事がありました父の死ですそのとき

のことは今でも忘れることができません聞いたときには頭の中が真っ白になりました最初

は信じることができませんでした一週間も二週間も学校に行けずただぼーっと過ごしてい

ましたいろんなことを考え徐々に「死」というものの悲しさつらさ「死」という意味の

重さがわかってきましたそして時間はかかりましたが「命は一瞬にして消え二度と戻っ

てこないものだだから命を大切に今を大切にしなければならない」と深く受け止めることが

できるようになりましたそして周りの子たちは僕のような経験がないから「死ね」とか軽々

しく言えるのだろうと思いこの気持ちを伝えなくてはならないと考えました僕が強くならな

くてはと思いました

 

こんな気持ちになったとき僕には時間がありませんでした母の実家がある徳

島への引っ越しが一週間後に決まっていたのです落ち込んでいる暇は無いと思

い学校に行った僕はA君に言いました「いじめなんかやめろよいじめたって

51 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

喜ぶ人はいないし悲しむ人がいるだけだろ自分だってほんとは嫌だろ『死ね』

とか『消えろ』とか言葉の重さを知らないのに言うなよ」と言いました父親の

突然の死そのあと僕が考えたことも伝えました

 

友だちは黙って聞いてくれました僕の言葉にうなずいてそのあとK君の

ところへ行き「ごめん言葉の重さも知らずに言って本当にごめんぜったいに死ねなんて

ことは言わないそしていじめは絶対にしないほんとうにごめん」とあやまりましたK君

はとても優しい笑顔で「いいよ」と一言言いました僕もK君に言いました

「今まで助けてあげられなくてごめん」

K君は笑顔で「ありがとう」と言ってくれました今まで自分の中でもやもやしていた気持ちが

スーっと晴れました

 

今も時々耳にする暴言冗談半分で言っているのかもしれませんしかしいついじめにつ

ながるかわかりません他人を傷つけることで自分のストレスを晴らそうとしているのでしょう

関係ないふりをしようとする自分がいます楽な考え方をする自分がいますそんな時亡くなっ

た父の顔やK君の優しい笑顔を思い出しますあの時の自分のように強い気持ちを持とう「や

めろよ」と一言言うするとまた気持ちがスーっとしてきました

 

父の分も頑張って生き抜こうと決めた僕にとって正しいことを素直に認め悪いことを否定

できる強い意志を持つことが目標ですそして何よりも命を大切に今を大切にしていきたい

と思っています

入賞作文集 52

入賞作文

53 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

 

ぼくは今まで四つの外国に暮らしいろいろな国の人たちの中で育ってきた

 

まずタイで生まれてタイ人のメイドさんやドライバーさんにいつも遊んでもらっていた

らしい一才になると週一回の体操教室にも通いタイ人の友達もいたそうだ

 

次にシンガポールでは初めてナサリースクール(保育園)に通いいろいろな国の友達と

知り合ったプレイルームにある滑り台を滑る順番争いでいつも勝つのは体の大きい金髪の友

達だった

 

一回目の香港生活では英語の幼稚園に通ったその時のぼくの一番の友達はカナダ人だった

彼とはよくベイブレードをして遊んだが父が日本の出張で買ってきてくれた独楽や剣玉をして

遊ぶこともあった

村むら

瀬せ

 広ひろ

高たか

香港日本人学校中学部 二年

国境をこえて

海 外 作 品

今回は本選への応募とすることはできませんでしたが

 海外から寄せられた作品のうち一作品を御紹介します

入賞作文集 54

海外作品

 

それからインドでは日本人学校に通ったが夏休みには毎年アメリカンスクールのサマー

スクールに参加したし日本人のいない現地のテニススクールにも入り二年間通ったまたイ

ンドの現地幼稚園に通っていた妹のベストフレンドはコンゴ人でその兄弟もぼくの友達だった

 

そして三年間の日本生活を経て今また香港に戻ってきた

 

このようにぼくはいろいろな国でいろいろな国の人たちのお世話になりいろいろな国

の友達と遊んで育った肌が真っ黒な友達もゲームの話をすればすぐに仲良くなれたし髪が

金色の友達もポケモンの話をすれば気が合ったぼくは小さい頃から英語はうまくしゃべれ

なかったけれどもジェスチャーをつけたでたらめ英語でも充分に話は通じただからいろい

ろな国の人たちの中でぼくが日本人だからといって差別されたり嫌な思いをしたりしたこと

はないしぼくも肌の色が違うからとか言葉が通じないからという理由で違う人間だと思っ

たことはないそうぼくは外国人を差別したことはない

 

しかし本当にぼくは外国人を差別したことがないのだろうか外国人を差別した発言を一

度もしたことがないかと考えると自信がない

 

例えば香港人には赤信号でも平気で渡る人がたくさんいるそれを見てぼくは

「香港人はしょうがないな」

と思うでもよく見ると香港人全員が信号無視をしているわけではないまた

世界には今でも戦争をしている国がいくつもある

「人を傷つけ合うなんて馬鹿げている」

55 第30回全国中学生人権作文コンテスト

海外作品

とぼくは悲しくなるでもそれも好きで戦っている人がいるとも思えないその

人たちがそうなったのには何かきっと原因があるはずだ

 

逆に外国人から見ると日本人はどのように思われているのだろう

 

インドから日本に帰国した時毎日ごみがたくさん出ることにぼくはとても驚

いたインドの人たちがよく使う道端にあるカレー屋さんではバナナの葉で作ったお皿にカ

レーを入れてくれる食べた後そのお皿を道に捨てるとのら牛がその葉っぱを食べるそして

牛のふんは燃料になるというそれに比べて日本はちょっと歩くとペットボトルの飲み物が

買えファーストフードのお店では使い捨ての食器を使い立派なお菓子の箱を開けると中身が

少なくてがっかりすることもあるある時母が捨てたジャムの空きびんをメイドさんとエア

コンの修理にきていたワーカーさんとが取り合ってけんかをしていたこともあったそれを見

てぼくはあきれてしまったが逆にインド人から見ると使い捨て文化のしみついた日本人は

とんでもない人間にみえるのかもしれない国によって考え方や行動パターンが違うのは歴史

的背景や宗教習慣気候などのいろいろなことが関わっているのだと思う

 

このように考えると差別とはその人の一部しか見ていないことや自分のやり方だけが正

しいと思うことからおきるのではないかと思うその人が自分とは違った行動をとったとしても

それには深い理由があるのだろうと考えればきっと納得できると思うぼくもこれからは否

定的な発言をする前にその人たちのことをいろいろな角度から見て理解する努力をしてみよう

と思う外国との間には自分の国とは違う言葉や文化という壁があるとみんな言うがそこに

入賞作文集 56

海外作品

あるのは壁ではなく橋だとぼくは思う理解

し合おうという気持ちがあればきっと誰でも

その橋を渡っていけるはずだ気持ちの国境を

こえるのにパスポートはいらないお互いを理

解し合おうと思う気持ちが一番大切だと思う

そしてぼくはこれから日本人として生きる

のではなく地球人として生きていこうと思う

57 第30回全国中学生人権作文コンテスト

海外作品

法務局地方法務局名 郵便番号 所  在  地 電  話

金沢地方法務局人権擁護課920-0024 金沢市西念3-4-1金沢駅西合同庁舎(平成23年3月11日まで) 076-231-1244

921-8505 金沢市新神田4-3-10金沢新神田合同庁舎(平成23年3月14日から) 076-292-7804

富山地方法務局人権擁護課 930-0856 富山市牛島新町11番7号富山合同庁舎 076-441-6376

大阪法務局人権擁護部 540-8544 大阪市中央区谷町2丁目1番17号大阪第2法務合同庁舎 06-6942-9492

京都地方法務局人権擁護課 602-8577 京都市上京区荒神口通河原町東入上生洲町197番地 075-231-0131

神戸地方法務局人権擁護課 650-0042 神戸市中央区波止場町1番1号神戸第2地方合同庁舎 078-392-1821

奈良地方法務局人権擁護課 630-8305 奈良市東紀寺町3-4-1奈良第2法務総合庁舎 0742-23-5457

大津地方法務局人権擁護課 520-8516 大津市御陵町3番6号大津法務総合庁舎 077-522-4673

和歌山地方法務局人権擁護課 640-8552 和歌山市二番丁2番地和歌山地方合同庁舎 073-422-5131

広島法務局人権擁護部 730-8536 広島市中区上八丁堀6番30号広島合同庁舎 082-228-5790

山口地方法務局人権擁護課 753-8577 山口市中河原町6番16号山口地方合同庁舎2号館 083-922-2295

岡山地方法務局人権擁護課 700-8616 岡山市北区南方1丁目3番58号 086-224-5761

鳥取地方法務局人権擁護課 680-0011 鳥取市東町2丁目302番地鳥取第2地方合同庁舎 0857-22-2289

松江地方法務局人権擁護課 690-0886 松江市母衣町50番地松江法務合同庁舎 0852-32-4260

高松法務局人権擁護部 761-8077 高松市出作町585-4 087-815-5311

徳島地方法務局人権擁護課 770-8512 徳島市徳島町城内6番地6徳島地方合同庁舎 088-622-4171

高知地方法務局人権擁護課 780-8509 高知市栄田町2丁目2番10号高知よさこい咲都合同庁舎 088-822-3331

松山地方法務局人権擁護課 790-8505 松山市宮田町188番地6松山地方合同庁舎 089-932-0888

福岡法務局人権擁護部 814-0005 福岡市早良区祖原14-15福岡法務局西新出張所庁舎5階 092-832-4311

佐賀地方法務局人権擁護課 840-0041 佐賀市城内2丁目10番20号佐賀合同庁舎 0952-26-2148

長崎地方法務局人権擁護課 850-8507 長崎市万才町8番16号 095-826-8127大分地方法務局人権擁護課 870-8513 大分市荷揚町7番5号大分法務総合庁舎 097-532-3368

熊本地方法務局人権擁護課 862-0971 熊本市大江3丁目1番53号熊本第2合同庁舎 096-364-2145

鹿児島地方法務局人権擁護課 890-8518 鹿児島市鴨池新町1番2号 099-259-0684宮崎地方法務局人権擁護課 880-8513 宮崎市別府町1番1号宮崎法務総合庁舎 0985-22-5124

那覇地方法務局人権擁護課 900-8544 那覇市樋川1丁目15番15号那覇第1地方合同庁舎 098-854-1215

入賞作文集 58

問合せ先一覧

法務局地方法務局名 郵便番号 所  在  地 電  話

札幌法務局人権擁護部 060-0808 札幌市北区北8条西2丁目1番1札幌第1合同庁舎 011-709-2311

函館地方法務局人権擁護課 040-8533 函館市新川町25番18号函館地方合同庁舎 0138-23-9528

旭川地方法務局人権擁護課 078-8502 旭川市宮前通東4155番31旭川合同庁舎 0166-38-1114

釧路地方法務局人権擁護課 085-8522 釧路市幸町10丁目3番地釧路地方合同庁舎 0154-31-5014

仙台法務局人権擁護部 980-8601 仙台市青葉区春日町7番25号仙台第3法務総合庁舎 022-225-5739

福島地方法務局人権擁護課 960-8021 福島市霞町1番46号福島合同庁舎 024-534-1994

山形地方法務局人権擁護課 990-0041 山形市緑町1丁目5番48号山形地方合同庁舎 023-625-1321

盛岡地方法務局人権擁護課 020-0023 盛岡市内丸7番25号盛岡合同庁舎 019-624-9859秋田地方法務局人権擁護課 010-0951 秋田市山王7丁目1番3号 018-862-6533

青森地方法務局人権擁護課 030-8511 青森市長島1丁目3番5号青森第二合同庁舎 017-776-9024

東京法務局人権擁護部 102-8225 千代田区九段南1丁目1番15号九段第2合同庁舎 03-5213-1234

横浜地方法務局人権擁護課 231-8411 横浜市中区北仲通5丁目57番地横浜第2合同庁舎 045-641-7926

さいたま地方法務局人権擁護課 338-8513 さいたま市中央区下落合5-12-1さいたま第二法務総合庁舎 048-859-3507

千葉地方法務局人権擁護課 260-8518 千葉市中央区中央港1丁目11番3号千葉地方合同庁舎 043-302-1319

水戸地方法務局人権擁護課 310-0061 水戸市北見町1番1号水戸地方法務合同庁舎 029-227-9919

宇都宮地方法務局人権擁護課 320-8515 宇都宮市小幡2丁目1番11号宇都宮地方法務合同庁舎 028-623-0926

前橋地方法務局人権擁護課 371-8535 前橋市大手町2丁目10番5号前橋合同庁舎 027-221-4426

静岡地方法務局人権擁護課 420-8650 静岡市葵区追手町9番50号静岡地方合同庁舎 054-254-3555

甲府地方法務局人権擁護課 400-8520 甲府市北口1丁目2番19号甲府地方合同庁舎 055-252-7239

長野地方法務局人権擁護課 380-0846 長野市旭町1108番地長野第2合同庁舎 026-235-6634

新潟地方法務局人権擁護課 951-8504 新潟市中央区西大畑町5191番地新潟地方法務総合庁舎 025-222-1564

名古屋法務局人権擁護部 460-8513 名古屋市中区三の丸2丁目2番1号名古屋合同庁舎第1号館 052-952-8111

津地方法務局人権擁護課 514-8503 津市丸之内26番8号津合同庁舎 059-228-4193岐阜地方法務局人権擁護課 500-8729 岐阜市金竜町5丁目13番地 058-245-3181

福井地方法務局人権擁護課 910-8504 福井市春山1丁目1番54号福井春山合同庁舎 0776-22-5090

問合せ先一覧 (法務局地方法務局)

59 第30回全国中学生人権作文コンテスト

問合せ先一覧

世界人権宣言啓発書画「鳥」「自由と解放」を表わしたもの 小木太法書オタビオロス画(財)人権擁護協力会提供

入賞作文集 60

すべての人間は生まれながらにして

自由でありかつ尊厳と権利とに

ついて平等である人間は理性と

良心とを授けられており互いに同胞の

精神をもって行動しなければならない

―――

世界人権宣言 第一条

―――

第三〇回

 全国中学生人権作文コンテスト

中央大会表彰式

印  刷 平成23年1月25日

発  行 平成23年2月14日

発 行 者 法務省人権擁護局

全国人権擁護委員連合会

東京都千代田区霞が関一丁目1番1号

電話 03(3580)4111 内線5875

URL httpwwwmojgojpJINKEN

第30回全国中学生人権作文コンテスト中央大会審査員

感想をお聞かせください本作文集を読まれた感想等を下記の連絡先又はkeihatsumojgojpまでお寄せください

無断転載を禁じます本作文集に掲載された作文や写真等を地方自治体が広報誌に掲載したり学校が教材に使用される場合などにはあらかじめ下記に御連絡ください

100-8977 東京都千代田区霞が関一丁目1番1号 法務省人権擁護局人権啓発課 TEL03(3580)4111 内線5875

作  家(審査員長) 落 合 恵 子映画監督 山 田 洋 次社団法人日本新聞協会事務局長 川 嶋   明日本放送協会解説委員室解説委員 南   直 樹文部科学省初等中等教育局視学官 三 好 仁 司全国人権擁護委員連合会長 中 村 浩 紹法務省人権擁護局長   井 忠 雄

(敬称略)

【式次第】

第一部

 会

主催者あいさつ

賞状授与

内閣総理大臣賞法務大臣賞

文部科学大臣奨励賞法務副大臣賞

法務大臣政務官賞

全国人権擁護委員連合会長賞

社団法人日本新聞協会会長賞

日本放送協会会長賞(以上各一名)

法務事務次官賞(三名) 計一一名

学校への感謝状贈呈

高円宮妃殿下おことば

来賓祝辞

第二部

各受賞作文の朗読

内閣総理大臣賞法務大臣賞

文部科学大臣奨励賞

全国人権擁護委員連合会長賞

社団法人日本新聞協会会長賞

日本放送協会会長賞

 評

全国中学生人権作文コンテスト中央大会審査員

 山田洋次氏

 落合恵子氏(ビデオレター形式)

第三部

新垣勉さんコンサート

 会 平成二二年一二月一八日(土)

午後一時三〇分〜三時五〇分

於ニッショーホール

「いじめ」や暴力行為等は人権侵害です

法務局地方法務局では

人権侵害による被害を受けた方を

救済するための活動を行っています

お気軽にご相談ください

女性の人権ホットライン

インターネット人権相談受付窓口

ゼロナナゼロのハートライン

0570-070-810

子どもの人権110番ぜろぜろななのひゃくとおばん

 0120-007-110

パソコンから httpwwwmojgojpJINKENjinken113html携帯電話から httpwwwjinkengojpsoudanmobile001html

インターネット人権相談 検 索

Human Rights法務省人権擁護局全国人権擁護委員連合会

人権イメージキャラクター人KENあゆみちゃん人KENまもる君

全国共通通話料無料

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この冊子は環境保護印刷の「水なし印刷」で印刷されています

第30回全国中学生人権作文コンテスト入賞作文集

法務省人権擁護局全国人権擁護委員連合会

人権イメージキャラクター人KENまもる君人KENあゆみちゃん

この冊子には音声コードが各頁(奇数頁 左下偶数頁 右下)に印刷されています専用の読み上げ装置で読み取ると記録されている情報を音声で聞くことが出来ます

Human Rights法務省人権擁護局全国人権擁護委員連合会

 全国中学生人権作文コンテスト入賞作文集

 全国中学生人権作文コンテスト入賞作文集

第30回

 「おまえ風呂に入っているのか黒いぞ外国人はくさいからな」

 

私はとてもはずかしくなりましたそしていかりや悲しみがこみあげてきました

まわりにいた友達は彼の言葉に苦笑いをしていました私はいかりのあまり彼をな

ぐりたくなりましたその時私は父のあの言葉を思い出しました私は顔を上げ

相手の目を見て静かに自分の傷ついた気持ちを伝えました

 

彼は私に向かってこう言いました

 「ごめんわるかった」

 

彼は人を傷つけるということが彼の想像以上に重くそしてひどいことだと少し気付いたよう

でした

 

差別やいじめというのは私たちのまわりでは小さなことから大きなことまで本当によくあり

ますそして差別やいじめをしている側からすればそれをじょう談だという人も多いのです

まわりの人たちもやはりじょう談や遊びの中でのことにとらえてしまう人たちもとても多いので

すだから小学校の時から私たちは道徳などでいじめや人権などについて学んでいてもなかな

かそれがなくならないのだと思いますでも実際に差別やいじめをされている方はみんなの想

像よりはるかに傷ついているということつらいということそして悲しいということを私はこ

の人権作文を通してたくさんの人に知ってほしいのですけがをすれば日がたつごとにそのけ

がは治っていくでしょうまわりからも治っていく様子が見てわかるでしょうでも心に受けた

傷は本人にしかわからないのですその傷がどんなに深くて痛いものか本人にしかわからないの

入賞作文集 20

入賞作文

です

 

肌の色が違っていてもかみの毛が

違っていても私たちはみんな同じ人間

です心を持った人間です相手の気

持ちを思いやり相手の立場になって

考えればいじめや差別はなくなると

思います今も世界のいたるところで

人種差別が問題となり争いが起きてい

ます私は世界から差別やいじめがな

くなるように強い心を持ってまずは

自分から立ち向かっていきたいです

21 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

 

あなたには大好きなふる里がありますか私には緑の木々と青い海に囲まれた自然豊かな

大好きなふる里があります私のふる里は過去に公害という大きな被害をうけた水俣ですそ

の水俣病で患者はもちろんそうでない人も長い間差別をうけてきました

 

父が幼い頃まだ水俣病の原因が究明されておらず水俣病はうつると言われていました列

車が水俣の駅につくと窓をしめ手で口をおおった人もいました修学旅行に行くと同じ宿

舎になった学校から苦情を言われたこともありました水俣出身ということで結婚を断られた人

や就職試験をうけることさえできなかった人もいました水俣に住んでいることをかくして隠

れるようにひっそり暮らしていた人もいましたまた同じ水俣に住む人でさえ奇病と呼び距

離をおきましたそのことでたくさんの人々が傷つきあってきたのですいろいろな立場の人々

井いの

上うえ

 由ゆ

紀き

子こ

熊本県熊本県立八代中学校 一年

私の大好きなふる里

法務副大臣賞

入賞作文集 22

入賞作文

がせまい土地に住んでいるのですから仕方がなかったのかもしれません

 

しかし今では原因も究明され海の安全も確認されたことでそのようなことはほとんどな

くなりました私たちは過去のことを忘れるくらい楽しくすごしています

 

私は今八代の中学校に通っています私は自分が水俣出身ということを隠すこともありませ

ん友だちもまたそのことを知っていますがからかったりいじめたりする人は誰一人いません

 

しかし先日水俣の中学校のサッカー部が練習試合中に相手チームの選手から

「さわるな水俣病がうつる」

と言われたという記事が新聞にのっていました今でもこういう風に思っている人がいるのか

と思うと残念で仕方ありません何気なく言った一言だったのかもしれませんがその一言は

私たち水俣に住む者にとって非常に悔しく悲しいものでした

 

小学校の総合的な学習の時間で水俣病について学習しました原因となった会社を訪問したり

患者の方から当時の話をきいたり交流も行いましたそんな中で苦労されたり何も言えずに

黙って亡くなった人のことを知り水俣に住んでいながら何も知らなかったことをはずかしく思

いました水俣病についてしっかり学び正しい知識を得ることが差別や偏見をなくすのだと気

付きました

 

中学校の道徳の時間ではハンセン病について学習しましたこれも水俣病同様

正しい知識がなかったためにおきた悲しく悔しい悲劇でした

 

私たちが差別や偏見をなくすためにできることそれはその人その出来事に

23 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

ついてしっかり知ること知ろうと努力すること正しい知識を深めるために学習

することではないかと思いますそうすれば水俣病やハンセン病のようにむや

みに人と人とが傷つけあったり憎しみあったりすることはなくなるのではないで

しょうか

 

先日テレビで水俣のダイバーが紹介されましたその人は本当はほこりたい水俣を心の中

にじっとしまいこみ誰にも言えず何年もの間生きてきた人でしたしかし水俣の地にも

どり自分はこのすばらしい美しいふる里を紹介したいと海にもぐり写真をとり続けておら

れるそうです心に差別という深い傷を負いながら水俣の再生を皆に知らせたいと頑張る人

がいることに感動しました

 

今水俣はごみの分別リサイクル事業など市民全員で環境にやさしい町づくりをすすめてい

ます私は差別や偏見から立ちなおり再生しようと環境問題に一生懸命とりくんでいるふる

里水俣をほこりに思っています

 

水俣では運動会等多くの行事で「水俣ハイヤ節」というものが踊られますこれは水俣病

の患者の方が水俣の青い海と豊漁を願って振りつけをされた踊りだそうです私たちと同じ思い

をする人が二度とでないことを祈りながら私たちは毎年皆でこの踊りを踊ります

 

水俣の悲しい過去を変えることはできませんが私はあやまちを二度とくりかえさないため

にこの美しい自然を守り真実を語り継いでいきたいですそして差別や偏見のない社会に

なるよう自分から努力していきたいと思います

入賞作文集 24

入賞作文

25 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

 

みなさんは「本当の『平和』とは」と質問されたら何と答えますか「戦争や紛争などが

ないこと」ですかそれとも「自分自身の幸せのこと」ですか一人ひとりの抱く「平和」のイ

メージは違うことでしょう

 

僕の思う本当の「平和」それは「家族」がいて「家庭」があることだと思いますなぜそう

思うかというと今僕は訳あって家族とは離ればなれに暮らしているからです一歳前後には既

に家族とは離れ施設にいました母親や姉兄の存在はわかっていますが一緒に過ごした時

間は限られたもので今でもほとんど交流はありませんそのせいか僕はいつも「家族」や「家

庭」というものに強い憧れを抱いています

 

自分がまだ幼い頃は自分と同じくらいの子が母親と手をつないでいる姿がとてもうらやまし

大おお

田た

 葵あおい

栃木県さくら市立喜連川中学校 三年

「家族」とは何か

法務大臣政務官賞

入賞作文集 26

入賞作文

「どうして自分には母親がいないんだろう」と思っていました仕舞いには自らの母親を恨ん

でしまったのです小学生になってもその気持ちは変わらず母親への恨みは増すばかりでした

 

しかし小学五年生の夏思いもよらぬ出来事が起きましたそれは引っ越しがあったこと

ですそこで僕は新しい土地そして新しい里親という人たちに出会いました里親の人たち

と暮らした数年間僕は幸せでしたそこで僕は僕の周りにはいつも支えてくれる人たちがい

ることに気づきました血のつながりがなくても僕に自分の子どものように接し育ててくれ

た里親の人たち養護施設の先生方などたくさんの方たちに僕は見守られて成長してきたこと

に気づいたのです僕を支えてくれる人すべてに感謝の気持ちがわき出てきましたそれ以来

僕は親という存在にこだわらなくなりましたそれどころか自分に命を与えてくれた親に感謝

の思いを抱くようになったのです

 

この夏母親の育児放棄が原因で二人の乳幼児が衰弱死するという悲しい事件がありました

二人の子どもにろくに食事も与えず風呂も入れなかったそうですさらに逮捕後その母親は

「家に帰ってあげなかったことを今も後悔している子どもは私を恨んでいると思う」

という言ってはならない発言をしました僕は怒る前に亡くなった二人の子ども

たちがかわいそうでなりませんでした

 

と同時に僕はこの母親はどうしてこのようなことをしてしまったのだろうと

すごく考えさせられました僕は本来親は子どもを殺すのではなく守るために

27 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

いるのだと考えますたとえ小さな子どもでも立派な一人の人間ですその命を

守り育てていくことが親として大切な役目だと思うのですこの母親はどこで

勘違いしたかは知りませんが親としての自分の責任を理解していなかったのでは

ないでしょうか

 

そしてその勘違いを誰も母親に気づかせてあげられなかった事実母親が一緒に遊び歩いて

いた友人はもちろん母親の家族が少しでも助けることができていたら母親の行動を戒めるこ

とができていたら連絡を受けた児童相談所がもう少し踏み込んだ行動が取れていたらこのよ

うな悲しい結末にはならずに済んだのではないでしょうかやりきれない思いばかりがこみあげ

てきます

 

もう一つこの母親は大きな勘違いをしていますそれは「子どもは私を恨んでいると思う」

という言葉です僕はこの子どもたちが母親を恨んでいるとは思えません子どもたちは母

親が帰宅するといつもハイタッチをして喜んで迎えたそうです子どもたちは母親のことが大

好きだったのでしょうたとえ自分たちを見放した母親でも恨んでいるとは決して思えないの

です

 

子どもは心の底から自分の母親のことを恨めないと僕は思いますこの世に生を受け笑った

り怒ったり泣いたりと毎日いろいろな経験ができるのは自分を生んでくれた母親という存在

があったからです正直僕も小さい頃は母を恨んだことがありました愛情の裏返しというよ

うに母親への思いが憎しみに変化してしまったのですでも心の底には母への恨みとは全く

入賞作文集 28

入賞作文

正反対の気持ちが存在し続けていましただ

からこそこの子どもたちがどんな思いで死

んでいったのかわかるような気がします母

親を信じひたすら母親の帰りをまちわびて

いた思いが

 

僕にとっての「家族」それは同じ屋根の

下で暮らす人々のことですたとえ血はつな

がっていなくても僕を支え励ましてくれる

人たちそのすべての人が僕にとっての大切

な「家族」なのです今僕の暮らす養護施設

にはいろいろな事情を抱えた二歳位から高

校生までの子どもたちや職員の方が約六十人

います今の僕には全員大切な「家族」で

す僕はこれからもこの「家族」を大切に

一日一日精一杯平和に生きていきたいです

29 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

 

授業でハンセン病について学んだ日両親と「偏見」や「差別」について口角泡を飛ばす議論

を深夜まで繰り広げた身体障害者の父と看護師の母を持つ私は幼い頃から「命の大切さ」を

訴える両親の姿を見て育って来たそんな私は真摯な気持ちからハンセン病罹患者と向き合い

たいと思いこの夏草津にある療養施設栗生楽泉園を訪れた

 

草津までの道のり私は罹患者の気持ちを絶えず考えていたハンセン病について調べると「ら

い予防法」により罹患者は隔離され人権を無視された扱いを受けたことが分かった罹患者の

言葉が書かれた本ではどんなに過酷な仕打ちを受けたか他人をどれほど恨み憎んでいるか

が書かれていたその為私は無意識の内に「罹患者は全員恨みを抱いている」と勝手に思い込

んでいたしかしこんな思い込み自体が偏見や差別を生む原因になるということを後に思い知

大おお

井い

 海み

琴こと

群馬県群馬大学教育学部附属中学校 三年

忘れてはならないこと

全国人権擁護委員連合会長賞

入賞作文集 30

入賞作文

らされることになるのである

 

私を迎えてくれたのは入園者自治会長の藤田三四郎さん藤田さんは大変お元気でその容姿

からはハンセン病を伺い知ることはできなかったしかし藤田さんは紛れもない罹患者なのだ

その証拠に藤田さんの名は本名ではない罹患者は施設に入所するにあたり偽名を使用させら

れたと言うつまりその時点で罹患者は世間から存在を消されてしまうのであるそんな藤田

さんから語られた話はハンセン病だと宣告され三度も命を絶とうとしたこと重症患者の看

護を押しつけられ数え切れない人を看取り自らの手で葬ったこと家族が受けた迫害や侮辱的

な言葉など想像を絶するもので筆舌し難いものだったしかしこんな迫害と差別は同時にハ

ンセン病患者達の人権回復闘争の歴史でもあったのだ闘争の末「らい予防法」が廃止される

と今まで差別や人権侵害を繰り返していた多くの人が掌を返す様に態度を変えたと言う私は聞

いていて怒りを覚えたが不思議なことに耳を塞ぎたくなる様な内容を語る藤田さんからは全

く怒りや恨みが感じられないのだ私は話を聞くまで自分の運命を呪い周囲への恨みつらみ

の言葉が出てくるとばかり思っていたしかし出てきた言葉は「入園出来て良かった差別は

受けたが今では恨みを抱く罹患者も少なくなったそればかりか最近はたくさんの人が我々を

理解し協力してくれるので嬉しい何故なら一人の百歩は力が無いが百人の一歩

は力になるから」と言う感謝の言葉だったのだ本当に「恨みは無いのか」と何度

聞いても答えは同じだった私は恥ずかしくなったハンセン病について調べ罹

患者の心を理解したようなつもりでいながら実は何も理解できてなくてそれば

31 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

かりか罹患者を偏見の眼で見ていたのは私自身だったのだ私は話を聞いてとめ

どなく溢れ出る涙を拭いながら心の片隅に潜んでいた「偏見と言う名の種」が身

体から洗い流されていくのを感じていたそれは同時に「思い込みや無知が偏見

や差別を生みだす」ことを強く感じた瞬間でもあったそれだけに藤田さんの「自

分と同様に他人を愛すればいつか必ず世界から差別はなくなる他人を愛して下さい」の慈愛に

満ちた言葉が一層重く腑に落ちるのだった

 

帰りがけ千五百ページにも及ぶ「入所者証言集」を手渡されたその際私は見えない襷も

手渡された気がしたその襷とは証言集に記された罹患者の「事実を風化させないで私達の事

を忘れないで」という搾り出すような叫び声とその姿だったのである

 

ハンセン病が治る病気であるのに誤った知識から悲惨な人権侵害が長期に渡り続いた同じ間

違いを繰り返さないためにも事実を語りついで行く必要があるここ楽泉園でも高齢化が進み

証言者の数が減っているこれは全国一五全てのハンセン病療養所に共通することだハンセン

病問題は罹患者がいなくなればそれで終わると言う問題ではない今後人権問題を考える際重

要な指針になりうる事実なのだそしてこの事実の風化を防ぐことが私達若い世代の役目だと

私は思う

 

私は小六の時友人達から突然イジメを受けたそれを引きずり他人を恐れ憎み自分を

嫌って生きて来たしかし罹患者の声が私に生きる力と前を向いて歩む勇気を与えてくれた

楽泉園訪問は私に人生観が変わる程の衝撃を与えてくれたのだこんな私だが罹患者の声を伝

入賞作文集 32

入賞作文

える「百人の中の一人」にはなれるはず

だそのために私は今この作文を書い

ている文字は時を越えて生き続けるか

ら私はこれからも楽泉園訪問を続ける

つもりだ実際に中学生の私が出来るこ

とには限りがあるが差別や偏見を少し

でも減らすために一歩を踏み出すつもり

でいる「自分と同様に他人を愛すれば

いつか差別は無くなる」と言う藤田さ

んの言葉を胸に

33 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

 

森に囲まれたその一画には教会や寺院神社があり小さなショッピングセンターやレスト

ランもある床屋や図書館郵便局や浴場もあるしかしそれらの施設を利用するのはその一

画に住む人たちだけだ緑の外側に住む人が利用することはないそこはハンセン病の療養所

多磨全生園である

 

僕は七年前に清瀬市に引っ越してきた夏のある日昆虫が大好きな僕は何気なくその森の

中に入って行ったそして歩き回っているうちにその場所が一つの「町」であることに気付

いた

 

毎日セミやカマキリやナナフシを探しながらどうしてこんな所があるのだろうと思った

 

僕が一番不思議に思ったのは古い木造の小学校だいつも誰もいない校舎と小さな運動場近

久く

米め

 一かず

輝き

埼玉県学校法人立教学院立教新座中学校 一年

ハンセン病について考えたこと

社団法人日本新聞協会会長賞

入賞作文集 34

入賞作文

くに小学校があるのにどうしてこんな所に小学校があるのだろう小学一年生の僕はとても不思

議に思った

 

夏に地域交流を目的とした盆踊りと花火大会が行われるいつもは人のいない小学校跡は多く

の人であふれかえり普段は見かけない重い後遺症の老人たちもこの日は外に出て盆踊りを楽し

む初めて参加したときは言葉が出なかった正直「怖い」と思った

 

夏が来るたびに僕は盆踊り大会に参加した低学年から高学年へと進むにつれて少しずつハ

ンセン病のことが分かってきた

 

六年生のときに社会科見学で全生園の元患者を訪れることになっただが僕は都合で参加で

きなかった僕はそれをずっと悔やんでいる

 

今年の夏僕はハンセン病資料館に出かけた見学者は僕一人でとても緊張したなるべく

音を立てないようにパネルを見て回った

 

強制隔離の現実にとても驚いた狭い部屋に押し込められ症状の軽い患者が重症の患者の世

話をしたという子供を持つ権利や生まれる赤ん坊の命まで奪われていた逃げ出したり反抗的

な患者は「不良患者」と呼ばれ窓の小さな暗い監房に閉じ込められた

 

医学が進歩し療養所も徐々に改善されていったが強制隔離を命じる「らい予防

法」が廃止されたのは一九九六年だという隔離が始まった一九〇八年から約九〇

年も経っていた僕が生まれるほんの一年前のことである特効薬が開発され本

格的な治療が始まったのは昭和二十二年である現実に合わない法律を廃止するの

35 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

にどうしてそんなに時間がかかったのだろうか

 

資料をもらってハンセン病資料館を後にした家を出るときは帰りに虫の観察

をするつもりだったがとてもそんな気にはなれなかったいつもセミが集まる桜

の木には目もくれずに早足で家に帰った

 

資料の中で一番心が痛んだのは療養所の子供たちのことだ療養所に入所したのはハンセン

病を発症した子どもたちだけではない親が発症したために入所する子どもたちもいた当時は

ハンセン病は遺伝病だとされていたからだ親から無理やり引き離された子どもたちは「すぐに

帰れるから」という言葉を信じていたというしかし一生療養所を出ることができなかった人が

多かったという社会的な差別がひどかったからだと資料に書かれていたが僕には実感がわか

なかったのでもう少し調べてみることにした

 

図書館で『ハンセン病を生きて』(伊波敏男著)という本を見つけた少し難しかったが差

別の現実が僕にもわかる部分があったそれは元患者たちに対して書かれた匿名のひどい手紙

である長年隔離されて苦しんできた人たちをさらに傷つける言葉が並んでいた悲しく暗い

気持ちになった

 

日本は経済大国として世界の注目を浴びているだが人権意識の面ではどうだろう「らい

予防法」を二〇世紀の末まで廃止できなかったことをどう考えたらよいのだろうか明治時代に

隔離が始まったときそれは外国に対する体面を保つためだったという病気の人を治療するの

ではなく「隠す」のが目的だったのだいまだに差別意識を持つ人がいるのは社会がそうした

入賞作文集 36

入賞作文

過去に対する反省をしていないから

だと思う

 

僕が不思議に思った小学校はすで

に取り壊されて今では小さな石碑

だけが残っている老朽化がひどく

残しておくことができなくなったか

らだという全生園の古い建物はど

んどん取り壊されていく石碑だけ

ではあの不思議さが伝わらないのが

とても残念だ

37 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

 

僕の曾祖父は医者嫌いでしたそのため腹痛で病院に運ばれた時は膵臓癌の末期で余命三ヶ

月でした手術もできない手遅れの状態でした家族皆で話し合い曾祖父の辛い気持ちを第一に

考え曾祖父に病を隠すことになりました曾祖父は次第に病院の中を歩いては転倒し体中あ

ざだらけになりベッドの上で縛られることになっていました曾祖父は病名の宣告を受けてい

ないため元気で歩けると思っているが実際歩くと転んでしまう何でこんな風になってしまっ

たのかさえわからない

 

家族と病院に行くと「包丁もてこいこれぶった切って家さ帰る」と騒いでいましたあん

なに優しかった曾祖父の姿に言葉も出ず恐いくらいでした何も知らされずベッドに縛り付

けられれば誰もがそうなることでしょう「じいちゃんどご一緒に車さのせでいてくれの」と

櫻さくらだ田

 要かな

太た

山形県酒田市立松山中学校 三年

日本放送協会会長賞

悔いのない最期を

入賞作文集 38

入賞作文

せがまれたときもありますかわいそうで涙がポロポロこぼれました「おじいちゃんどご家

さ連れで帰ろうよ」とせがんでも家族も仕事で忙しいためか誰も首を縦に振ってくれず病院

にいた方が安心ということになりました膵臓癌は予想以上に激しい痛みのため医師から強い

痛み止めと強い睡眠剤を勧められましたがそれを導入することにより安楽死に近い状況にな

ることも医師から告げられていました家族は決断をせまられました曾祖父に相談もせずに決

めていいことなのか家に帰りたい曾祖父の意志は封じ込められたままでいいのか家族で悩み

ました結局痛みに耐えている姿は見ていられなくその薬を使うことになりましたその後

曾祖父は次第に弱っていき口も利けなくなり静かに亡くなっていきました僕はどこか心を

引きずったままでした僕達家族が曾祖父に宣告もせず意見も聞かず命の長さを決めてしまっ

たこと当時幼かった僕には何もしてあげられなかったことが今思い出しても残念です

 

最近授業で人権について学習しているときに幼い頃の記憶がよみがえりふと曾祖父のこと

を思い出しました

 

曾祖父はどんな思いで亡くなったのだろう最後に意識のあるうちに一度でいいから家に帰っ

てきたかっただろう身体拘束は今は病院でも禁止されていると思いますがあの頃は確かに曾

祖父のおなかに黒いベルトのようなものが巻きついていました決して自分の力で

は外せないようなものでしたもがき苦しむ曾祖父の姿を見た時に看護師さんに

目を隠され別の部屋に連れて行かれました見せたくない光景だったのだと思いま

すでもあの姿は僕の脳裏に焼き付いています病院の中での人材不足のためだっ

39 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

たのでしょうか人が人らしく生きていない姿でした

 

七十八年生きてきて何も悪いことをしていないのに縛られ家にも帰れない

病気で余命幾ばくもない人には人権というものは存在しないのでしょうか最近の

医療の現場では自己決定権があることについて学びました

 

仏壇に向かい静かに目を閉じると優しく穏やかに微笑む曾祖父の笑顔が浮かびますどんな

気持ちで亡くなっていったのかその気持ちを考えると苦しい気持ちになります野球の大会に

行く前仏壇に手を合わせます「やればできる努力しろ」とよく励ましてくれました曾祖

父の力には何もなれなかったけれど目には見えない力で応援してくれる曾祖父に線香をあげて

自分を省みる時があります曾祖母が元気なので曾祖父を助けられなかった分曾祖母の力に

なっていくことを曾祖父に約束しています

 

夏休み中のニュースで高齢者の所在不明者が多数のため百歳以上の安否確認調査をしていま

した自分の親を平気で捨て遺骨さえもひきとらない亡くなっていたのに年金を不正受給する

ために隠していたなど耳をふさぎたくなるような事件もありました犬や猫が年をとって弱っ

てきた手がかかるから面倒だからと捨ててしまうそれと同じ現象が弱い高齢者にも及んでき

ているのだと思います

 

やはりこの世に生まれてきたもの全てに自分の意志で生きることを決めていける権利がある

と思います長い年月を苦労や努力と向き合いながら精一杯生きてくれたおかげで今の幸せが

あることを忘れずにいたい人はいずれ誰でも年をとります自由に動けなくなった時に自分の

入賞作文集 40

入賞作文

願いが叶う社会を築き「悔いなく満足で楽しく幸せな人生だった」と思えるように人とし

ての誇りを持って満足できる最期を迎えられるように考えていきたいもう二度と僕が見た自

己決定権のない社会にならないように高齢者には今までの感謝の気持ちで本人の希望をでき

るだけ叶えられるように努力していきたいいずれ僕達も迎える高齢社会だからhellip

41 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

 

私は小学六年生の時から盲導犬候補の子犬を育てるボランティアをしています「犬を飼っ

てみたい」と言う私に両親が「せっかく犬を飼うのなら社会に役立つことをしよう」と提案

したからです生後二ヵ月の子犬を預かり一歳の誕生日を迎えるまで世話をするのがボランティ

アの役目です初めて訓練士さんから子犬を手渡された時は不安でドキドキしましたが子犬は

すぐに私の腕の中で眠ってしまいました初めて会った私のことを信頼して安心しきった寝顔

で眠っている姿は本当に可愛かったですラブラドールの子犬はとてもやんちゃで私の家にやっ

て来たその日からいたずらばかりしていましたがしかられてもクヨクヨせずどんな相手にも

 林はやし

 里り

咲さ

東京都小平市立小平第六中学校 三年

差別のない社会に

(パピーウォーカーの経験から学んだこと)

法務事務次官賞

入賞作文集 42

入賞作文

フレンドリーに近づいていく姿から私は明るく前向きに生きることを教わりました子犬たち

と過ごした日々は私にとって一番の宝物ですそしてあっという間に一歳の誕生日がやって来ま

した誕生日が悲しいという経験は初めてでした訓練所への入所日の前日には長い長い散歩を

して最後のお別れをしました「今までありがとう」そう言った私のことを不思議そうに見てい

た子犬の顔が今も目に焼きついています別れは本当につらいけれど涙を見せたら子犬が心配す

るので頑張って笑顔で見送りました

 

私の家で育てた一頭目の子犬は現在盲導犬になって頑張っていますそして今年四月に巣立っ

ていった二頭目の子犬は神奈川にある訓練センターで訓練中です

 

このボランティアを通して私は多くのことを学びましたまず盲導犬の役割ですがこれは単

に目の不自由な方が便利に一人でどこへでも行けるようにするためだけではありません視覚障

がいのある方にとって人の手をわずらわせるのはとてもつらいことなのだそうですたとえ家

族に対してでも「迷惑をかけるのではないか」と思って我慢することが多く「私なんかいない

方がいいんじゃないか」と考えてしまうこともあったといいますその失われそうになった尊

厳を取り戻す手助けをするのが盲導犬の役目なのです犬は訓練を共にするパートナーのことを

大好きになるので「自分は他者からこんなにも大好きになってもらえる存在なん

だ」と気づいて自信を取り戻し新しい一歩を踏み出せるようになるのだそうです

 

また私がボランティア登録している日本盲導犬協会では二〇〇八年に新しい

試みが始まりました受刑者が盲導犬候補の子犬を育てる動物を介在した日本初

43 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

の教育プログラムです罪を犯した人も心から反省してきちんと罪を償えば社会

は差別することなく受け入れるべきですしかし実際はとても偏見が多く元受刑

者たちは「どうせ自分はだめな人間なんだ」と思い再び罪を犯してしまう悪循環

が起こっているそうですその悪循環を断ち切り受刑者たちがスムーズに社会復

帰を果たせるよう支援するのが「あさひ盲導犬パピープロジェクト」です受刑者たちは約十ヵ

月の間子犬たちを世話しながら一緒に過ごし「役に立つ喜び達成する喜び信頼される喜び」

を感じることで自分の価値を再確認するのだそうです今年一月に第一期のプロジェクトを修了

した受刑者の感想に次のようなものがありました

 「今後自分もパピーに笑われないようにきちんとしなければならないパピーは慈しむこと

寛容の心を教えてくれました」

 

犬は決して差別をしません健康な人にも障がいのある人にもお金持ちにも貧しい人にも

権力のある人にも犯罪を犯した人にも全く同じように接してくれますそんな犬たちと一緒に過

ごすことで自信をなくした人たちも自分のことをかけがえのない大切な存在であると思えるよ

うになるのです

 

私たち人間も差別のない社会をつくる努力をしなければならないと思います一人一人が相

手を大切に思う心を忘れなければこの社会はもっと住み良い場所になるはずです私はこのボ

ランティアを通して学んだことを生かしてこれからも一層努力していきたいと思います

入賞作文集 44

入賞作文

45 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

 

僕は祖父のために自助具を作ろうと思った祖父は去年の夏脳梗塞で倒れた祖父は一命

を取り留めたものの右手と右足がまひしてしまったのだその三週間前僕も車椅子から転倒し

て足を骨折した

 

僕には障害がある車椅子で生活することが多いしかし僕のことを障害者だといって差別

するような友達は一人もいない

 

祖父は歩けるようになりたいという気持ちが強かっただからリハビリを頑張り自分で

歩けるようになるまで回復した頑張っている祖父がかっこいいと僕は思った祖父はリハビ

リを頑張ったにも関わらず右手がうまく動かせなくなってしまっただからご飯を食べる時も

服を着替える時も時間がかかる普段何気なくやっていた動作がとても大変だと祖父は言ってい

守もり

田た

 幸こう

平へい

静岡県静岡大学教育学部附属浜松中学校 三年

祖父への靴下

法務事務次官賞

入賞作文集 46

入賞作文

た僕も何か役に立てることはないかと考えた

 

僕の学校には総合学習という授業があるそこで僕は福祉というカテゴリーを選んだ自

分で社会に役立てることを考え実際に行動することが目標だった僕は障害者のために何が

できるかを考えた

 

僕は二年前に静岡文化芸術大学で障害者がいかに日常生活で不自由のない生活ができるかを

考えるプロジェクトがあるのを新聞で知ったそれは大学生たちが個人個人にあった自助具を

作るプロジェクトだった僕は障害者のために何かできるのではと感じた

 

僕は静岡文化芸術大学へ行って僕にもできることがないかと聞いたすると学生さんが

自助具を作ってみないかと声をかけてくれた僕は迷わず「はい」と言った障害者のために

役に立てることがあると思うとすばらしいことだと思ったからだ

 

祖父のつらい顔を見ると日常生活に数々の大きな壁があることが伝わってくる

 

僕は祖父の数々の大きな壁を突き破ろうと思った祖父のために自助具を考え作ろうと僕

は思った祖父が靴下の脱ぎ履きが大変だと言っていたことを思い出したそこで脱ぎ履きし

やすい靴下はできないか考えた靴下の両脇にひもを取り付けてそれを引っ張ると靴下が縮み

脱ぎ履きしやすくなる仕組みだ大学の先生も良いアイディアだと言って褒めてく

れたこれは障害者だけでなく健常者にも使えると言われたユニバーサルデザ

インだと分かった

 

ユニバーサルデザインは年齢や障害の有無にかかわらず全ての人が使いやす

47 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

いように工夫された用具などのデザインである境界がなくなるように健常者が障

害者に対する偏見を考え差別意識がなくなるチャンスだと思った障害者と健常

者が共によりよく生きることが大切だと僕は思った

 

自助具の作品展では杖をついているお年寄り車椅子に乗った若い女性目の

見えない人福祉関係者など沢山の人々が観に来ていた皆自分の生活を良くしようと思っ

ているようだったまた障害者のためにできることは何だろうかと考えている健常者もいるよ

うだった

 

二年生の時の総合学習では二箇所のデイサービスを訪問したデイサービスには六十五歳以

上のお年寄りがいた暗く元気のない人明るく振る舞い誰とでも話せる人など様々だった

しかし僕が一番印象に残ったのは笑顔を絶やさず優しくお年寄りに接していた介護士だった

お年寄りの中には悩みを抱えている人が多いそうだその悩みを解消させる人もまた介護士だっ

た僕は介護士がお年寄りの体を支えるだけではなく心もそっと支えて生きる喜びを与え

ているのだと感じた

 

現代は三世代で暮らす家族が減り核家族が増えているそれはお年寄りの世話が大変だ

からという理由が多いだから老人ホームやデイサービスに預ける人が増えていると僕には

思えたお年寄りの中には自分が嫌われているのではないかとさえ思ってしまう人もいるそう

だそれはお年寄りにとって辛く悲しいことだと思うある介護士がこんなことをおっしゃっ

ていた「人の優しさはお金では買えない」誰にでも優しい心があると思うしかしあと一歩

入賞作文集 48

入賞作文

のところで行動に移すことができない人が多いの

だ僕たちが平和な社会で暮らせるのは今まで

頑張ってきてくれたお年寄りのお陰であることを

忘れてはいけないお年寄りを大切にすることは

当たり前のことなのだ

 

また障害者に対しても偏見の目で見ないで

そっと近づいて手を貸してあげれば健常者との

高い大きな壁を崩すことができると思う

 

障害者にも高齢者にもまた健常者にも人権

はあるお互いの人権を大切にすることが明る

い未来に繋がっていくのだと思う

 

早く祖父に僕の作った靴下を届けたい

49 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

 

僕は小学校六年生まで福岡県に住んでいましたそこで僕が体験したことです五年生のこ

ろ僕の友だちのA君が同級生のK君の靴を隠したりからかったりしていることがよくあり

ました最初は僕もあまり気にしていませんでしたがK君のことを「なんだかかわいそう」と

思うようになりました

 

ある日僕は勇気をだして先生に「K君がいじめにあっています」と報告しました初め先生は

「じゃれ合っているだけだろう」と「いじめ」とは思ってくれませんでしたでもその後「いじ

め」と分かりA君は先生に注意されその日一日は反省した様子で過ごしていましたしかし

次の日学校に行くといじめは前以上にエスカレートしていて蹴ったりたたいたりするように

なりましたしかも「死ね」「うざい」「消えろ」などの言葉が飛び交うようになりそんな日々

法務事務次官賞

浦うら

谷たに

 毅たける

徳島県三好市立池田中学校 三年

いじめをなくすために今

入賞作文集 50

入賞作文

が続きました

 

それは六年生になっても続きました僕はそのいじめを止めることができず毎日見て見ぬ

振りをしていました今思うと自分がとても恥ずかしいです本当の友達なら止めるべきなの

にそれだけではなくいじめられているK君に声一つかけることができずにいました心の中

ではA君に「やめろよ」と言おうと思っていたけどなぜか勇気が出ませんでした次にい

じめられるのが自分になるのが恐くて言えなかったのです

 

そんな日々が続く中僕の気持ちを大きく変える出来事がありました父の死ですそのとき

のことは今でも忘れることができません聞いたときには頭の中が真っ白になりました最初

は信じることができませんでした一週間も二週間も学校に行けずただぼーっと過ごしてい

ましたいろんなことを考え徐々に「死」というものの悲しさつらさ「死」という意味の

重さがわかってきましたそして時間はかかりましたが「命は一瞬にして消え二度と戻っ

てこないものだだから命を大切に今を大切にしなければならない」と深く受け止めることが

できるようになりましたそして周りの子たちは僕のような経験がないから「死ね」とか軽々

しく言えるのだろうと思いこの気持ちを伝えなくてはならないと考えました僕が強くならな

くてはと思いました

 

こんな気持ちになったとき僕には時間がありませんでした母の実家がある徳

島への引っ越しが一週間後に決まっていたのです落ち込んでいる暇は無いと思

い学校に行った僕はA君に言いました「いじめなんかやめろよいじめたって

51 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

喜ぶ人はいないし悲しむ人がいるだけだろ自分だってほんとは嫌だろ『死ね』

とか『消えろ』とか言葉の重さを知らないのに言うなよ」と言いました父親の

突然の死そのあと僕が考えたことも伝えました

 

友だちは黙って聞いてくれました僕の言葉にうなずいてそのあとK君の

ところへ行き「ごめん言葉の重さも知らずに言って本当にごめんぜったいに死ねなんて

ことは言わないそしていじめは絶対にしないほんとうにごめん」とあやまりましたK君

はとても優しい笑顔で「いいよ」と一言言いました僕もK君に言いました

「今まで助けてあげられなくてごめん」

K君は笑顔で「ありがとう」と言ってくれました今まで自分の中でもやもやしていた気持ちが

スーっと晴れました

 

今も時々耳にする暴言冗談半分で言っているのかもしれませんしかしいついじめにつ

ながるかわかりません他人を傷つけることで自分のストレスを晴らそうとしているのでしょう

関係ないふりをしようとする自分がいます楽な考え方をする自分がいますそんな時亡くなっ

た父の顔やK君の優しい笑顔を思い出しますあの時の自分のように強い気持ちを持とう「や

めろよ」と一言言うするとまた気持ちがスーっとしてきました

 

父の分も頑張って生き抜こうと決めた僕にとって正しいことを素直に認め悪いことを否定

できる強い意志を持つことが目標ですそして何よりも命を大切に今を大切にしていきたい

と思っています

入賞作文集 52

入賞作文

53 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

 

ぼくは今まで四つの外国に暮らしいろいろな国の人たちの中で育ってきた

 

まずタイで生まれてタイ人のメイドさんやドライバーさんにいつも遊んでもらっていた

らしい一才になると週一回の体操教室にも通いタイ人の友達もいたそうだ

 

次にシンガポールでは初めてナサリースクール(保育園)に通いいろいろな国の友達と

知り合ったプレイルームにある滑り台を滑る順番争いでいつも勝つのは体の大きい金髪の友

達だった

 

一回目の香港生活では英語の幼稚園に通ったその時のぼくの一番の友達はカナダ人だった

彼とはよくベイブレードをして遊んだが父が日本の出張で買ってきてくれた独楽や剣玉をして

遊ぶこともあった

村むら

瀬せ

 広ひろ

高たか

香港日本人学校中学部 二年

国境をこえて

海 外 作 品

今回は本選への応募とすることはできませんでしたが

 海外から寄せられた作品のうち一作品を御紹介します

入賞作文集 54

海外作品

 

それからインドでは日本人学校に通ったが夏休みには毎年アメリカンスクールのサマー

スクールに参加したし日本人のいない現地のテニススクールにも入り二年間通ったまたイ

ンドの現地幼稚園に通っていた妹のベストフレンドはコンゴ人でその兄弟もぼくの友達だった

 

そして三年間の日本生活を経て今また香港に戻ってきた

 

このようにぼくはいろいろな国でいろいろな国の人たちのお世話になりいろいろな国

の友達と遊んで育った肌が真っ黒な友達もゲームの話をすればすぐに仲良くなれたし髪が

金色の友達もポケモンの話をすれば気が合ったぼくは小さい頃から英語はうまくしゃべれ

なかったけれどもジェスチャーをつけたでたらめ英語でも充分に話は通じただからいろい

ろな国の人たちの中でぼくが日本人だからといって差別されたり嫌な思いをしたりしたこと

はないしぼくも肌の色が違うからとか言葉が通じないからという理由で違う人間だと思っ

たことはないそうぼくは外国人を差別したことはない

 

しかし本当にぼくは外国人を差別したことがないのだろうか外国人を差別した発言を一

度もしたことがないかと考えると自信がない

 

例えば香港人には赤信号でも平気で渡る人がたくさんいるそれを見てぼくは

「香港人はしょうがないな」

と思うでもよく見ると香港人全員が信号無視をしているわけではないまた

世界には今でも戦争をしている国がいくつもある

「人を傷つけ合うなんて馬鹿げている」

55 第30回全国中学生人権作文コンテスト

海外作品

とぼくは悲しくなるでもそれも好きで戦っている人がいるとも思えないその

人たちがそうなったのには何かきっと原因があるはずだ

 

逆に外国人から見ると日本人はどのように思われているのだろう

 

インドから日本に帰国した時毎日ごみがたくさん出ることにぼくはとても驚

いたインドの人たちがよく使う道端にあるカレー屋さんではバナナの葉で作ったお皿にカ

レーを入れてくれる食べた後そのお皿を道に捨てるとのら牛がその葉っぱを食べるそして

牛のふんは燃料になるというそれに比べて日本はちょっと歩くとペットボトルの飲み物が

買えファーストフードのお店では使い捨ての食器を使い立派なお菓子の箱を開けると中身が

少なくてがっかりすることもあるある時母が捨てたジャムの空きびんをメイドさんとエア

コンの修理にきていたワーカーさんとが取り合ってけんかをしていたこともあったそれを見

てぼくはあきれてしまったが逆にインド人から見ると使い捨て文化のしみついた日本人は

とんでもない人間にみえるのかもしれない国によって考え方や行動パターンが違うのは歴史

的背景や宗教習慣気候などのいろいろなことが関わっているのだと思う

 

このように考えると差別とはその人の一部しか見ていないことや自分のやり方だけが正

しいと思うことからおきるのではないかと思うその人が自分とは違った行動をとったとしても

それには深い理由があるのだろうと考えればきっと納得できると思うぼくもこれからは否

定的な発言をする前にその人たちのことをいろいろな角度から見て理解する努力をしてみよう

と思う外国との間には自分の国とは違う言葉や文化という壁があるとみんな言うがそこに

入賞作文集 56

海外作品

あるのは壁ではなく橋だとぼくは思う理解

し合おうという気持ちがあればきっと誰でも

その橋を渡っていけるはずだ気持ちの国境を

こえるのにパスポートはいらないお互いを理

解し合おうと思う気持ちが一番大切だと思う

そしてぼくはこれから日本人として生きる

のではなく地球人として生きていこうと思う

57 第30回全国中学生人権作文コンテスト

海外作品

法務局地方法務局名 郵便番号 所  在  地 電  話

金沢地方法務局人権擁護課920-0024 金沢市西念3-4-1金沢駅西合同庁舎(平成23年3月11日まで) 076-231-1244

921-8505 金沢市新神田4-3-10金沢新神田合同庁舎(平成23年3月14日から) 076-292-7804

富山地方法務局人権擁護課 930-0856 富山市牛島新町11番7号富山合同庁舎 076-441-6376

大阪法務局人権擁護部 540-8544 大阪市中央区谷町2丁目1番17号大阪第2法務合同庁舎 06-6942-9492

京都地方法務局人権擁護課 602-8577 京都市上京区荒神口通河原町東入上生洲町197番地 075-231-0131

神戸地方法務局人権擁護課 650-0042 神戸市中央区波止場町1番1号神戸第2地方合同庁舎 078-392-1821

奈良地方法務局人権擁護課 630-8305 奈良市東紀寺町3-4-1奈良第2法務総合庁舎 0742-23-5457

大津地方法務局人権擁護課 520-8516 大津市御陵町3番6号大津法務総合庁舎 077-522-4673

和歌山地方法務局人権擁護課 640-8552 和歌山市二番丁2番地和歌山地方合同庁舎 073-422-5131

広島法務局人権擁護部 730-8536 広島市中区上八丁堀6番30号広島合同庁舎 082-228-5790

山口地方法務局人権擁護課 753-8577 山口市中河原町6番16号山口地方合同庁舎2号館 083-922-2295

岡山地方法務局人権擁護課 700-8616 岡山市北区南方1丁目3番58号 086-224-5761

鳥取地方法務局人権擁護課 680-0011 鳥取市東町2丁目302番地鳥取第2地方合同庁舎 0857-22-2289

松江地方法務局人権擁護課 690-0886 松江市母衣町50番地松江法務合同庁舎 0852-32-4260

高松法務局人権擁護部 761-8077 高松市出作町585-4 087-815-5311

徳島地方法務局人権擁護課 770-8512 徳島市徳島町城内6番地6徳島地方合同庁舎 088-622-4171

高知地方法務局人権擁護課 780-8509 高知市栄田町2丁目2番10号高知よさこい咲都合同庁舎 088-822-3331

松山地方法務局人権擁護課 790-8505 松山市宮田町188番地6松山地方合同庁舎 089-932-0888

福岡法務局人権擁護部 814-0005 福岡市早良区祖原14-15福岡法務局西新出張所庁舎5階 092-832-4311

佐賀地方法務局人権擁護課 840-0041 佐賀市城内2丁目10番20号佐賀合同庁舎 0952-26-2148

長崎地方法務局人権擁護課 850-8507 長崎市万才町8番16号 095-826-8127大分地方法務局人権擁護課 870-8513 大分市荷揚町7番5号大分法務総合庁舎 097-532-3368

熊本地方法務局人権擁護課 862-0971 熊本市大江3丁目1番53号熊本第2合同庁舎 096-364-2145

鹿児島地方法務局人権擁護課 890-8518 鹿児島市鴨池新町1番2号 099-259-0684宮崎地方法務局人権擁護課 880-8513 宮崎市別府町1番1号宮崎法務総合庁舎 0985-22-5124

那覇地方法務局人権擁護課 900-8544 那覇市樋川1丁目15番15号那覇第1地方合同庁舎 098-854-1215

入賞作文集 58

問合せ先一覧

法務局地方法務局名 郵便番号 所  在  地 電  話

札幌法務局人権擁護部 060-0808 札幌市北区北8条西2丁目1番1札幌第1合同庁舎 011-709-2311

函館地方法務局人権擁護課 040-8533 函館市新川町25番18号函館地方合同庁舎 0138-23-9528

旭川地方法務局人権擁護課 078-8502 旭川市宮前通東4155番31旭川合同庁舎 0166-38-1114

釧路地方法務局人権擁護課 085-8522 釧路市幸町10丁目3番地釧路地方合同庁舎 0154-31-5014

仙台法務局人権擁護部 980-8601 仙台市青葉区春日町7番25号仙台第3法務総合庁舎 022-225-5739

福島地方法務局人権擁護課 960-8021 福島市霞町1番46号福島合同庁舎 024-534-1994

山形地方法務局人権擁護課 990-0041 山形市緑町1丁目5番48号山形地方合同庁舎 023-625-1321

盛岡地方法務局人権擁護課 020-0023 盛岡市内丸7番25号盛岡合同庁舎 019-624-9859秋田地方法務局人権擁護課 010-0951 秋田市山王7丁目1番3号 018-862-6533

青森地方法務局人権擁護課 030-8511 青森市長島1丁目3番5号青森第二合同庁舎 017-776-9024

東京法務局人権擁護部 102-8225 千代田区九段南1丁目1番15号九段第2合同庁舎 03-5213-1234

横浜地方法務局人権擁護課 231-8411 横浜市中区北仲通5丁目57番地横浜第2合同庁舎 045-641-7926

さいたま地方法務局人権擁護課 338-8513 さいたま市中央区下落合5-12-1さいたま第二法務総合庁舎 048-859-3507

千葉地方法務局人権擁護課 260-8518 千葉市中央区中央港1丁目11番3号千葉地方合同庁舎 043-302-1319

水戸地方法務局人権擁護課 310-0061 水戸市北見町1番1号水戸地方法務合同庁舎 029-227-9919

宇都宮地方法務局人権擁護課 320-8515 宇都宮市小幡2丁目1番11号宇都宮地方法務合同庁舎 028-623-0926

前橋地方法務局人権擁護課 371-8535 前橋市大手町2丁目10番5号前橋合同庁舎 027-221-4426

静岡地方法務局人権擁護課 420-8650 静岡市葵区追手町9番50号静岡地方合同庁舎 054-254-3555

甲府地方法務局人権擁護課 400-8520 甲府市北口1丁目2番19号甲府地方合同庁舎 055-252-7239

長野地方法務局人権擁護課 380-0846 長野市旭町1108番地長野第2合同庁舎 026-235-6634

新潟地方法務局人権擁護課 951-8504 新潟市中央区西大畑町5191番地新潟地方法務総合庁舎 025-222-1564

名古屋法務局人権擁護部 460-8513 名古屋市中区三の丸2丁目2番1号名古屋合同庁舎第1号館 052-952-8111

津地方法務局人権擁護課 514-8503 津市丸之内26番8号津合同庁舎 059-228-4193岐阜地方法務局人権擁護課 500-8729 岐阜市金竜町5丁目13番地 058-245-3181

福井地方法務局人権擁護課 910-8504 福井市春山1丁目1番54号福井春山合同庁舎 0776-22-5090

問合せ先一覧 (法務局地方法務局)

59 第30回全国中学生人権作文コンテスト

問合せ先一覧

世界人権宣言啓発書画「鳥」「自由と解放」を表わしたもの 小木太法書オタビオロス画(財)人権擁護協力会提供

入賞作文集 60

すべての人間は生まれながらにして

自由でありかつ尊厳と権利とに

ついて平等である人間は理性と

良心とを授けられており互いに同胞の

精神をもって行動しなければならない

―――

世界人権宣言 第一条

―――

第三〇回

 全国中学生人権作文コンテスト

中央大会表彰式

印  刷 平成23年1月25日

発  行 平成23年2月14日

発 行 者 法務省人権擁護局

全国人権擁護委員連合会

東京都千代田区霞が関一丁目1番1号

電話 03(3580)4111 内線5875

URL httpwwwmojgojpJINKEN

第30回全国中学生人権作文コンテスト中央大会審査員

感想をお聞かせください本作文集を読まれた感想等を下記の連絡先又はkeihatsumojgojpまでお寄せください

無断転載を禁じます本作文集に掲載された作文や写真等を地方自治体が広報誌に掲載したり学校が教材に使用される場合などにはあらかじめ下記に御連絡ください

100-8977 東京都千代田区霞が関一丁目1番1号 法務省人権擁護局人権啓発課 TEL03(3580)4111 内線5875

作  家(審査員長) 落 合 恵 子映画監督 山 田 洋 次社団法人日本新聞協会事務局長 川 嶋   明日本放送協会解説委員室解説委員 南   直 樹文部科学省初等中等教育局視学官 三 好 仁 司全国人権擁護委員連合会長 中 村 浩 紹法務省人権擁護局長   井 忠 雄

(敬称略)

【式次第】

第一部

 会

主催者あいさつ

賞状授与

内閣総理大臣賞法務大臣賞

文部科学大臣奨励賞法務副大臣賞

法務大臣政務官賞

全国人権擁護委員連合会長賞

社団法人日本新聞協会会長賞

日本放送協会会長賞(以上各一名)

法務事務次官賞(三名) 計一一名

学校への感謝状贈呈

高円宮妃殿下おことば

来賓祝辞

第二部

各受賞作文の朗読

内閣総理大臣賞法務大臣賞

文部科学大臣奨励賞

全国人権擁護委員連合会長賞

社団法人日本新聞協会会長賞

日本放送協会会長賞

 評

全国中学生人権作文コンテスト中央大会審査員

 山田洋次氏

 落合恵子氏(ビデオレター形式)

第三部

新垣勉さんコンサート

 会 平成二二年一二月一八日(土)

午後一時三〇分〜三時五〇分

於ニッショーホール

「いじめ」や暴力行為等は人権侵害です

法務局地方法務局では

人権侵害による被害を受けた方を

救済するための活動を行っています

お気軽にご相談ください

女性の人権ホットライン

インターネット人権相談受付窓口

ゼロナナゼロのハートライン

0570-070-810

子どもの人権110番ぜろぜろななのひゃくとおばん

 0120-007-110

パソコンから httpwwwmojgojpJINKENjinken113html携帯電話から httpwwwjinkengojpsoudanmobile001html

インターネット人権相談 検 索

Human Rights法務省人権擁護局全国人権擁護委員連合会

人権イメージキャラクター人KENあゆみちゃん人KENまもる君

全国共通通話料無料

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この冊子は環境保護印刷の「水なし印刷」で印刷されています

第30回全国中学生人権作文コンテスト入賞作文集

法務省人権擁護局全国人権擁護委員連合会

人権イメージキャラクター人KENまもる君人KENあゆみちゃん

この冊子には音声コードが各頁(奇数頁 左下偶数頁 右下)に印刷されています専用の読み上げ装置で読み取ると記録されている情報を音声で聞くことが出来ます

Human Rights法務省人権擁護局全国人権擁護委員連合会

 全国中学生人権作文コンテスト入賞作文集

 全国中学生人権作文コンテスト入賞作文集

第30回

です

 

肌の色が違っていてもかみの毛が

違っていても私たちはみんな同じ人間

です心を持った人間です相手の気

持ちを思いやり相手の立場になって

考えればいじめや差別はなくなると

思います今も世界のいたるところで

人種差別が問題となり争いが起きてい

ます私は世界から差別やいじめがな

くなるように強い心を持ってまずは

自分から立ち向かっていきたいです

21 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

 

あなたには大好きなふる里がありますか私には緑の木々と青い海に囲まれた自然豊かな

大好きなふる里があります私のふる里は過去に公害という大きな被害をうけた水俣ですそ

の水俣病で患者はもちろんそうでない人も長い間差別をうけてきました

 

父が幼い頃まだ水俣病の原因が究明されておらず水俣病はうつると言われていました列

車が水俣の駅につくと窓をしめ手で口をおおった人もいました修学旅行に行くと同じ宿

舎になった学校から苦情を言われたこともありました水俣出身ということで結婚を断られた人

や就職試験をうけることさえできなかった人もいました水俣に住んでいることをかくして隠

れるようにひっそり暮らしていた人もいましたまた同じ水俣に住む人でさえ奇病と呼び距

離をおきましたそのことでたくさんの人々が傷つきあってきたのですいろいろな立場の人々

井いの

上うえ

 由ゆ

紀き

子こ

熊本県熊本県立八代中学校 一年

私の大好きなふる里

法務副大臣賞

入賞作文集 22

入賞作文

がせまい土地に住んでいるのですから仕方がなかったのかもしれません

 

しかし今では原因も究明され海の安全も確認されたことでそのようなことはほとんどな

くなりました私たちは過去のことを忘れるくらい楽しくすごしています

 

私は今八代の中学校に通っています私は自分が水俣出身ということを隠すこともありませ

ん友だちもまたそのことを知っていますがからかったりいじめたりする人は誰一人いません

 

しかし先日水俣の中学校のサッカー部が練習試合中に相手チームの選手から

「さわるな水俣病がうつる」

と言われたという記事が新聞にのっていました今でもこういう風に思っている人がいるのか

と思うと残念で仕方ありません何気なく言った一言だったのかもしれませんがその一言は

私たち水俣に住む者にとって非常に悔しく悲しいものでした

 

小学校の総合的な学習の時間で水俣病について学習しました原因となった会社を訪問したり

患者の方から当時の話をきいたり交流も行いましたそんな中で苦労されたり何も言えずに

黙って亡くなった人のことを知り水俣に住んでいながら何も知らなかったことをはずかしく思

いました水俣病についてしっかり学び正しい知識を得ることが差別や偏見をなくすのだと気

付きました

 

中学校の道徳の時間ではハンセン病について学習しましたこれも水俣病同様

正しい知識がなかったためにおきた悲しく悔しい悲劇でした

 

私たちが差別や偏見をなくすためにできることそれはその人その出来事に

23 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

ついてしっかり知ること知ろうと努力すること正しい知識を深めるために学習

することではないかと思いますそうすれば水俣病やハンセン病のようにむや

みに人と人とが傷つけあったり憎しみあったりすることはなくなるのではないで

しょうか

 

先日テレビで水俣のダイバーが紹介されましたその人は本当はほこりたい水俣を心の中

にじっとしまいこみ誰にも言えず何年もの間生きてきた人でしたしかし水俣の地にも

どり自分はこのすばらしい美しいふる里を紹介したいと海にもぐり写真をとり続けておら

れるそうです心に差別という深い傷を負いながら水俣の再生を皆に知らせたいと頑張る人

がいることに感動しました

 

今水俣はごみの分別リサイクル事業など市民全員で環境にやさしい町づくりをすすめてい

ます私は差別や偏見から立ちなおり再生しようと環境問題に一生懸命とりくんでいるふる

里水俣をほこりに思っています

 

水俣では運動会等多くの行事で「水俣ハイヤ節」というものが踊られますこれは水俣病

の患者の方が水俣の青い海と豊漁を願って振りつけをされた踊りだそうです私たちと同じ思い

をする人が二度とでないことを祈りながら私たちは毎年皆でこの踊りを踊ります

 

水俣の悲しい過去を変えることはできませんが私はあやまちを二度とくりかえさないため

にこの美しい自然を守り真実を語り継いでいきたいですそして差別や偏見のない社会に

なるよう自分から努力していきたいと思います

入賞作文集 24

入賞作文

25 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

 

みなさんは「本当の『平和』とは」と質問されたら何と答えますか「戦争や紛争などが

ないこと」ですかそれとも「自分自身の幸せのこと」ですか一人ひとりの抱く「平和」のイ

メージは違うことでしょう

 

僕の思う本当の「平和」それは「家族」がいて「家庭」があることだと思いますなぜそう

思うかというと今僕は訳あって家族とは離ればなれに暮らしているからです一歳前後には既

に家族とは離れ施設にいました母親や姉兄の存在はわかっていますが一緒に過ごした時

間は限られたもので今でもほとんど交流はありませんそのせいか僕はいつも「家族」や「家

庭」というものに強い憧れを抱いています

 

自分がまだ幼い頃は自分と同じくらいの子が母親と手をつないでいる姿がとてもうらやまし

大おお

田た

 葵あおい

栃木県さくら市立喜連川中学校 三年

「家族」とは何か

法務大臣政務官賞

入賞作文集 26

入賞作文

「どうして自分には母親がいないんだろう」と思っていました仕舞いには自らの母親を恨ん

でしまったのです小学生になってもその気持ちは変わらず母親への恨みは増すばかりでした

 

しかし小学五年生の夏思いもよらぬ出来事が起きましたそれは引っ越しがあったこと

ですそこで僕は新しい土地そして新しい里親という人たちに出会いました里親の人たち

と暮らした数年間僕は幸せでしたそこで僕は僕の周りにはいつも支えてくれる人たちがい

ることに気づきました血のつながりがなくても僕に自分の子どものように接し育ててくれ

た里親の人たち養護施設の先生方などたくさんの方たちに僕は見守られて成長してきたこと

に気づいたのです僕を支えてくれる人すべてに感謝の気持ちがわき出てきましたそれ以来

僕は親という存在にこだわらなくなりましたそれどころか自分に命を与えてくれた親に感謝

の思いを抱くようになったのです

 

この夏母親の育児放棄が原因で二人の乳幼児が衰弱死するという悲しい事件がありました

二人の子どもにろくに食事も与えず風呂も入れなかったそうですさらに逮捕後その母親は

「家に帰ってあげなかったことを今も後悔している子どもは私を恨んでいると思う」

という言ってはならない発言をしました僕は怒る前に亡くなった二人の子ども

たちがかわいそうでなりませんでした

 

と同時に僕はこの母親はどうしてこのようなことをしてしまったのだろうと

すごく考えさせられました僕は本来親は子どもを殺すのではなく守るために

27 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

いるのだと考えますたとえ小さな子どもでも立派な一人の人間ですその命を

守り育てていくことが親として大切な役目だと思うのですこの母親はどこで

勘違いしたかは知りませんが親としての自分の責任を理解していなかったのでは

ないでしょうか

 

そしてその勘違いを誰も母親に気づかせてあげられなかった事実母親が一緒に遊び歩いて

いた友人はもちろん母親の家族が少しでも助けることができていたら母親の行動を戒めるこ

とができていたら連絡を受けた児童相談所がもう少し踏み込んだ行動が取れていたらこのよ

うな悲しい結末にはならずに済んだのではないでしょうかやりきれない思いばかりがこみあげ

てきます

 

もう一つこの母親は大きな勘違いをしていますそれは「子どもは私を恨んでいると思う」

という言葉です僕はこの子どもたちが母親を恨んでいるとは思えません子どもたちは母

親が帰宅するといつもハイタッチをして喜んで迎えたそうです子どもたちは母親のことが大

好きだったのでしょうたとえ自分たちを見放した母親でも恨んでいるとは決して思えないの

です

 

子どもは心の底から自分の母親のことを恨めないと僕は思いますこの世に生を受け笑った

り怒ったり泣いたりと毎日いろいろな経験ができるのは自分を生んでくれた母親という存在

があったからです正直僕も小さい頃は母を恨んだことがありました愛情の裏返しというよ

うに母親への思いが憎しみに変化してしまったのですでも心の底には母への恨みとは全く

入賞作文集 28

入賞作文

正反対の気持ちが存在し続けていましただ

からこそこの子どもたちがどんな思いで死

んでいったのかわかるような気がします母

親を信じひたすら母親の帰りをまちわびて

いた思いが

 

僕にとっての「家族」それは同じ屋根の

下で暮らす人々のことですたとえ血はつな

がっていなくても僕を支え励ましてくれる

人たちそのすべての人が僕にとっての大切

な「家族」なのです今僕の暮らす養護施設

にはいろいろな事情を抱えた二歳位から高

校生までの子どもたちや職員の方が約六十人

います今の僕には全員大切な「家族」で

す僕はこれからもこの「家族」を大切に

一日一日精一杯平和に生きていきたいです

29 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

 

授業でハンセン病について学んだ日両親と「偏見」や「差別」について口角泡を飛ばす議論

を深夜まで繰り広げた身体障害者の父と看護師の母を持つ私は幼い頃から「命の大切さ」を

訴える両親の姿を見て育って来たそんな私は真摯な気持ちからハンセン病罹患者と向き合い

たいと思いこの夏草津にある療養施設栗生楽泉園を訪れた

 

草津までの道のり私は罹患者の気持ちを絶えず考えていたハンセン病について調べると「ら

い予防法」により罹患者は隔離され人権を無視された扱いを受けたことが分かった罹患者の

言葉が書かれた本ではどんなに過酷な仕打ちを受けたか他人をどれほど恨み憎んでいるか

が書かれていたその為私は無意識の内に「罹患者は全員恨みを抱いている」と勝手に思い込

んでいたしかしこんな思い込み自体が偏見や差別を生む原因になるということを後に思い知

大おお

井い

 海み

琴こと

群馬県群馬大学教育学部附属中学校 三年

忘れてはならないこと

全国人権擁護委員連合会長賞

入賞作文集 30

入賞作文

らされることになるのである

 

私を迎えてくれたのは入園者自治会長の藤田三四郎さん藤田さんは大変お元気でその容姿

からはハンセン病を伺い知ることはできなかったしかし藤田さんは紛れもない罹患者なのだ

その証拠に藤田さんの名は本名ではない罹患者は施設に入所するにあたり偽名を使用させら

れたと言うつまりその時点で罹患者は世間から存在を消されてしまうのであるそんな藤田

さんから語られた話はハンセン病だと宣告され三度も命を絶とうとしたこと重症患者の看

護を押しつけられ数え切れない人を看取り自らの手で葬ったこと家族が受けた迫害や侮辱的

な言葉など想像を絶するもので筆舌し難いものだったしかしこんな迫害と差別は同時にハ

ンセン病患者達の人権回復闘争の歴史でもあったのだ闘争の末「らい予防法」が廃止される

と今まで差別や人権侵害を繰り返していた多くの人が掌を返す様に態度を変えたと言う私は聞

いていて怒りを覚えたが不思議なことに耳を塞ぎたくなる様な内容を語る藤田さんからは全

く怒りや恨みが感じられないのだ私は話を聞くまで自分の運命を呪い周囲への恨みつらみ

の言葉が出てくるとばかり思っていたしかし出てきた言葉は「入園出来て良かった差別は

受けたが今では恨みを抱く罹患者も少なくなったそればかりか最近はたくさんの人が我々を

理解し協力してくれるので嬉しい何故なら一人の百歩は力が無いが百人の一歩

は力になるから」と言う感謝の言葉だったのだ本当に「恨みは無いのか」と何度

聞いても答えは同じだった私は恥ずかしくなったハンセン病について調べ罹

患者の心を理解したようなつもりでいながら実は何も理解できてなくてそれば

31 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

かりか罹患者を偏見の眼で見ていたのは私自身だったのだ私は話を聞いてとめ

どなく溢れ出る涙を拭いながら心の片隅に潜んでいた「偏見と言う名の種」が身

体から洗い流されていくのを感じていたそれは同時に「思い込みや無知が偏見

や差別を生みだす」ことを強く感じた瞬間でもあったそれだけに藤田さんの「自

分と同様に他人を愛すればいつか必ず世界から差別はなくなる他人を愛して下さい」の慈愛に

満ちた言葉が一層重く腑に落ちるのだった

 

帰りがけ千五百ページにも及ぶ「入所者証言集」を手渡されたその際私は見えない襷も

手渡された気がしたその襷とは証言集に記された罹患者の「事実を風化させないで私達の事

を忘れないで」という搾り出すような叫び声とその姿だったのである

 

ハンセン病が治る病気であるのに誤った知識から悲惨な人権侵害が長期に渡り続いた同じ間

違いを繰り返さないためにも事実を語りついで行く必要があるここ楽泉園でも高齢化が進み

証言者の数が減っているこれは全国一五全てのハンセン病療養所に共通することだハンセン

病問題は罹患者がいなくなればそれで終わると言う問題ではない今後人権問題を考える際重

要な指針になりうる事実なのだそしてこの事実の風化を防ぐことが私達若い世代の役目だと

私は思う

 

私は小六の時友人達から突然イジメを受けたそれを引きずり他人を恐れ憎み自分を

嫌って生きて来たしかし罹患者の声が私に生きる力と前を向いて歩む勇気を与えてくれた

楽泉園訪問は私に人生観が変わる程の衝撃を与えてくれたのだこんな私だが罹患者の声を伝

入賞作文集 32

入賞作文

える「百人の中の一人」にはなれるはず

だそのために私は今この作文を書い

ている文字は時を越えて生き続けるか

ら私はこれからも楽泉園訪問を続ける

つもりだ実際に中学生の私が出来るこ

とには限りがあるが差別や偏見を少し

でも減らすために一歩を踏み出すつもり

でいる「自分と同様に他人を愛すれば

いつか差別は無くなる」と言う藤田さ

んの言葉を胸に

33 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

 

森に囲まれたその一画には教会や寺院神社があり小さなショッピングセンターやレスト

ランもある床屋や図書館郵便局や浴場もあるしかしそれらの施設を利用するのはその一

画に住む人たちだけだ緑の外側に住む人が利用することはないそこはハンセン病の療養所

多磨全生園である

 

僕は七年前に清瀬市に引っ越してきた夏のある日昆虫が大好きな僕は何気なくその森の

中に入って行ったそして歩き回っているうちにその場所が一つの「町」であることに気付

いた

 

毎日セミやカマキリやナナフシを探しながらどうしてこんな所があるのだろうと思った

 

僕が一番不思議に思ったのは古い木造の小学校だいつも誰もいない校舎と小さな運動場近

久く

米め

 一かず

輝き

埼玉県学校法人立教学院立教新座中学校 一年

ハンセン病について考えたこと

社団法人日本新聞協会会長賞

入賞作文集 34

入賞作文

くに小学校があるのにどうしてこんな所に小学校があるのだろう小学一年生の僕はとても不思

議に思った

 

夏に地域交流を目的とした盆踊りと花火大会が行われるいつもは人のいない小学校跡は多く

の人であふれかえり普段は見かけない重い後遺症の老人たちもこの日は外に出て盆踊りを楽し

む初めて参加したときは言葉が出なかった正直「怖い」と思った

 

夏が来るたびに僕は盆踊り大会に参加した低学年から高学年へと進むにつれて少しずつハ

ンセン病のことが分かってきた

 

六年生のときに社会科見学で全生園の元患者を訪れることになっただが僕は都合で参加で

きなかった僕はそれをずっと悔やんでいる

 

今年の夏僕はハンセン病資料館に出かけた見学者は僕一人でとても緊張したなるべく

音を立てないようにパネルを見て回った

 

強制隔離の現実にとても驚いた狭い部屋に押し込められ症状の軽い患者が重症の患者の世

話をしたという子供を持つ権利や生まれる赤ん坊の命まで奪われていた逃げ出したり反抗的

な患者は「不良患者」と呼ばれ窓の小さな暗い監房に閉じ込められた

 

医学が進歩し療養所も徐々に改善されていったが強制隔離を命じる「らい予防

法」が廃止されたのは一九九六年だという隔離が始まった一九〇八年から約九〇

年も経っていた僕が生まれるほんの一年前のことである特効薬が開発され本

格的な治療が始まったのは昭和二十二年である現実に合わない法律を廃止するの

35 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

にどうしてそんなに時間がかかったのだろうか

 

資料をもらってハンセン病資料館を後にした家を出るときは帰りに虫の観察

をするつもりだったがとてもそんな気にはなれなかったいつもセミが集まる桜

の木には目もくれずに早足で家に帰った

 

資料の中で一番心が痛んだのは療養所の子供たちのことだ療養所に入所したのはハンセン

病を発症した子どもたちだけではない親が発症したために入所する子どもたちもいた当時は

ハンセン病は遺伝病だとされていたからだ親から無理やり引き離された子どもたちは「すぐに

帰れるから」という言葉を信じていたというしかし一生療養所を出ることができなかった人が

多かったという社会的な差別がひどかったからだと資料に書かれていたが僕には実感がわか

なかったのでもう少し調べてみることにした

 

図書館で『ハンセン病を生きて』(伊波敏男著)という本を見つけた少し難しかったが差

別の現実が僕にもわかる部分があったそれは元患者たちに対して書かれた匿名のひどい手紙

である長年隔離されて苦しんできた人たちをさらに傷つける言葉が並んでいた悲しく暗い

気持ちになった

 

日本は経済大国として世界の注目を浴びているだが人権意識の面ではどうだろう「らい

予防法」を二〇世紀の末まで廃止できなかったことをどう考えたらよいのだろうか明治時代に

隔離が始まったときそれは外国に対する体面を保つためだったという病気の人を治療するの

ではなく「隠す」のが目的だったのだいまだに差別意識を持つ人がいるのは社会がそうした

入賞作文集 36

入賞作文

過去に対する反省をしていないから

だと思う

 

僕が不思議に思った小学校はすで

に取り壊されて今では小さな石碑

だけが残っている老朽化がひどく

残しておくことができなくなったか

らだという全生園の古い建物はど

んどん取り壊されていく石碑だけ

ではあの不思議さが伝わらないのが

とても残念だ

37 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

 

僕の曾祖父は医者嫌いでしたそのため腹痛で病院に運ばれた時は膵臓癌の末期で余命三ヶ

月でした手術もできない手遅れの状態でした家族皆で話し合い曾祖父の辛い気持ちを第一に

考え曾祖父に病を隠すことになりました曾祖父は次第に病院の中を歩いては転倒し体中あ

ざだらけになりベッドの上で縛られることになっていました曾祖父は病名の宣告を受けてい

ないため元気で歩けると思っているが実際歩くと転んでしまう何でこんな風になってしまっ

たのかさえわからない

 

家族と病院に行くと「包丁もてこいこれぶった切って家さ帰る」と騒いでいましたあん

なに優しかった曾祖父の姿に言葉も出ず恐いくらいでした何も知らされずベッドに縛り付

けられれば誰もがそうなることでしょう「じいちゃんどご一緒に車さのせでいてくれの」と

櫻さくらだ田

 要かな

太た

山形県酒田市立松山中学校 三年

日本放送協会会長賞

悔いのない最期を

入賞作文集 38

入賞作文

せがまれたときもありますかわいそうで涙がポロポロこぼれました「おじいちゃんどご家

さ連れで帰ろうよ」とせがんでも家族も仕事で忙しいためか誰も首を縦に振ってくれず病院

にいた方が安心ということになりました膵臓癌は予想以上に激しい痛みのため医師から強い

痛み止めと強い睡眠剤を勧められましたがそれを導入することにより安楽死に近い状況にな

ることも医師から告げられていました家族は決断をせまられました曾祖父に相談もせずに決

めていいことなのか家に帰りたい曾祖父の意志は封じ込められたままでいいのか家族で悩み

ました結局痛みに耐えている姿は見ていられなくその薬を使うことになりましたその後

曾祖父は次第に弱っていき口も利けなくなり静かに亡くなっていきました僕はどこか心を

引きずったままでした僕達家族が曾祖父に宣告もせず意見も聞かず命の長さを決めてしまっ

たこと当時幼かった僕には何もしてあげられなかったことが今思い出しても残念です

 

最近授業で人権について学習しているときに幼い頃の記憶がよみがえりふと曾祖父のこと

を思い出しました

 

曾祖父はどんな思いで亡くなったのだろう最後に意識のあるうちに一度でいいから家に帰っ

てきたかっただろう身体拘束は今は病院でも禁止されていると思いますがあの頃は確かに曾

祖父のおなかに黒いベルトのようなものが巻きついていました決して自分の力で

は外せないようなものでしたもがき苦しむ曾祖父の姿を見た時に看護師さんに

目を隠され別の部屋に連れて行かれました見せたくない光景だったのだと思いま

すでもあの姿は僕の脳裏に焼き付いています病院の中での人材不足のためだっ

39 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

たのでしょうか人が人らしく生きていない姿でした

 

七十八年生きてきて何も悪いことをしていないのに縛られ家にも帰れない

病気で余命幾ばくもない人には人権というものは存在しないのでしょうか最近の

医療の現場では自己決定権があることについて学びました

 

仏壇に向かい静かに目を閉じると優しく穏やかに微笑む曾祖父の笑顔が浮かびますどんな

気持ちで亡くなっていったのかその気持ちを考えると苦しい気持ちになります野球の大会に

行く前仏壇に手を合わせます「やればできる努力しろ」とよく励ましてくれました曾祖

父の力には何もなれなかったけれど目には見えない力で応援してくれる曾祖父に線香をあげて

自分を省みる時があります曾祖母が元気なので曾祖父を助けられなかった分曾祖母の力に

なっていくことを曾祖父に約束しています

 

夏休み中のニュースで高齢者の所在不明者が多数のため百歳以上の安否確認調査をしていま

した自分の親を平気で捨て遺骨さえもひきとらない亡くなっていたのに年金を不正受給する

ために隠していたなど耳をふさぎたくなるような事件もありました犬や猫が年をとって弱っ

てきた手がかかるから面倒だからと捨ててしまうそれと同じ現象が弱い高齢者にも及んでき

ているのだと思います

 

やはりこの世に生まれてきたもの全てに自分の意志で生きることを決めていける権利がある

と思います長い年月を苦労や努力と向き合いながら精一杯生きてくれたおかげで今の幸せが

あることを忘れずにいたい人はいずれ誰でも年をとります自由に動けなくなった時に自分の

入賞作文集 40

入賞作文

願いが叶う社会を築き「悔いなく満足で楽しく幸せな人生だった」と思えるように人とし

ての誇りを持って満足できる最期を迎えられるように考えていきたいもう二度と僕が見た自

己決定権のない社会にならないように高齢者には今までの感謝の気持ちで本人の希望をでき

るだけ叶えられるように努力していきたいいずれ僕達も迎える高齢社会だからhellip

41 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

 

私は小学六年生の時から盲導犬候補の子犬を育てるボランティアをしています「犬を飼っ

てみたい」と言う私に両親が「せっかく犬を飼うのなら社会に役立つことをしよう」と提案

したからです生後二ヵ月の子犬を預かり一歳の誕生日を迎えるまで世話をするのがボランティ

アの役目です初めて訓練士さんから子犬を手渡された時は不安でドキドキしましたが子犬は

すぐに私の腕の中で眠ってしまいました初めて会った私のことを信頼して安心しきった寝顔

で眠っている姿は本当に可愛かったですラブラドールの子犬はとてもやんちゃで私の家にやっ

て来たその日からいたずらばかりしていましたがしかられてもクヨクヨせずどんな相手にも

 林はやし

 里り

咲さ

東京都小平市立小平第六中学校 三年

差別のない社会に

(パピーウォーカーの経験から学んだこと)

法務事務次官賞

入賞作文集 42

入賞作文

フレンドリーに近づいていく姿から私は明るく前向きに生きることを教わりました子犬たち

と過ごした日々は私にとって一番の宝物ですそしてあっという間に一歳の誕生日がやって来ま

した誕生日が悲しいという経験は初めてでした訓練所への入所日の前日には長い長い散歩を

して最後のお別れをしました「今までありがとう」そう言った私のことを不思議そうに見てい

た子犬の顔が今も目に焼きついています別れは本当につらいけれど涙を見せたら子犬が心配す

るので頑張って笑顔で見送りました

 

私の家で育てた一頭目の子犬は現在盲導犬になって頑張っていますそして今年四月に巣立っ

ていった二頭目の子犬は神奈川にある訓練センターで訓練中です

 

このボランティアを通して私は多くのことを学びましたまず盲導犬の役割ですがこれは単

に目の不自由な方が便利に一人でどこへでも行けるようにするためだけではありません視覚障

がいのある方にとって人の手をわずらわせるのはとてもつらいことなのだそうですたとえ家

族に対してでも「迷惑をかけるのではないか」と思って我慢することが多く「私なんかいない

方がいいんじゃないか」と考えてしまうこともあったといいますその失われそうになった尊

厳を取り戻す手助けをするのが盲導犬の役目なのです犬は訓練を共にするパートナーのことを

大好きになるので「自分は他者からこんなにも大好きになってもらえる存在なん

だ」と気づいて自信を取り戻し新しい一歩を踏み出せるようになるのだそうです

 

また私がボランティア登録している日本盲導犬協会では二〇〇八年に新しい

試みが始まりました受刑者が盲導犬候補の子犬を育てる動物を介在した日本初

43 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

の教育プログラムです罪を犯した人も心から反省してきちんと罪を償えば社会

は差別することなく受け入れるべきですしかし実際はとても偏見が多く元受刑

者たちは「どうせ自分はだめな人間なんだ」と思い再び罪を犯してしまう悪循環

が起こっているそうですその悪循環を断ち切り受刑者たちがスムーズに社会復

帰を果たせるよう支援するのが「あさひ盲導犬パピープロジェクト」です受刑者たちは約十ヵ

月の間子犬たちを世話しながら一緒に過ごし「役に立つ喜び達成する喜び信頼される喜び」

を感じることで自分の価値を再確認するのだそうです今年一月に第一期のプロジェクトを修了

した受刑者の感想に次のようなものがありました

 「今後自分もパピーに笑われないようにきちんとしなければならないパピーは慈しむこと

寛容の心を教えてくれました」

 

犬は決して差別をしません健康な人にも障がいのある人にもお金持ちにも貧しい人にも

権力のある人にも犯罪を犯した人にも全く同じように接してくれますそんな犬たちと一緒に過

ごすことで自信をなくした人たちも自分のことをかけがえのない大切な存在であると思えるよ

うになるのです

 

私たち人間も差別のない社会をつくる努力をしなければならないと思います一人一人が相

手を大切に思う心を忘れなければこの社会はもっと住み良い場所になるはずです私はこのボ

ランティアを通して学んだことを生かしてこれからも一層努力していきたいと思います

入賞作文集 44

入賞作文

45 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

 

僕は祖父のために自助具を作ろうと思った祖父は去年の夏脳梗塞で倒れた祖父は一命

を取り留めたものの右手と右足がまひしてしまったのだその三週間前僕も車椅子から転倒し

て足を骨折した

 

僕には障害がある車椅子で生活することが多いしかし僕のことを障害者だといって差別

するような友達は一人もいない

 

祖父は歩けるようになりたいという気持ちが強かっただからリハビリを頑張り自分で

歩けるようになるまで回復した頑張っている祖父がかっこいいと僕は思った祖父はリハビ

リを頑張ったにも関わらず右手がうまく動かせなくなってしまっただからご飯を食べる時も

服を着替える時も時間がかかる普段何気なくやっていた動作がとても大変だと祖父は言ってい

守もり

田た

 幸こう

平へい

静岡県静岡大学教育学部附属浜松中学校 三年

祖父への靴下

法務事務次官賞

入賞作文集 46

入賞作文

た僕も何か役に立てることはないかと考えた

 

僕の学校には総合学習という授業があるそこで僕は福祉というカテゴリーを選んだ自

分で社会に役立てることを考え実際に行動することが目標だった僕は障害者のために何が

できるかを考えた

 

僕は二年前に静岡文化芸術大学で障害者がいかに日常生活で不自由のない生活ができるかを

考えるプロジェクトがあるのを新聞で知ったそれは大学生たちが個人個人にあった自助具を

作るプロジェクトだった僕は障害者のために何かできるのではと感じた

 

僕は静岡文化芸術大学へ行って僕にもできることがないかと聞いたすると学生さんが

自助具を作ってみないかと声をかけてくれた僕は迷わず「はい」と言った障害者のために

役に立てることがあると思うとすばらしいことだと思ったからだ

 

祖父のつらい顔を見ると日常生活に数々の大きな壁があることが伝わってくる

 

僕は祖父の数々の大きな壁を突き破ろうと思った祖父のために自助具を考え作ろうと僕

は思った祖父が靴下の脱ぎ履きが大変だと言っていたことを思い出したそこで脱ぎ履きし

やすい靴下はできないか考えた靴下の両脇にひもを取り付けてそれを引っ張ると靴下が縮み

脱ぎ履きしやすくなる仕組みだ大学の先生も良いアイディアだと言って褒めてく

れたこれは障害者だけでなく健常者にも使えると言われたユニバーサルデザ

インだと分かった

 

ユニバーサルデザインは年齢や障害の有無にかかわらず全ての人が使いやす

47 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

いように工夫された用具などのデザインである境界がなくなるように健常者が障

害者に対する偏見を考え差別意識がなくなるチャンスだと思った障害者と健常

者が共によりよく生きることが大切だと僕は思った

 

自助具の作品展では杖をついているお年寄り車椅子に乗った若い女性目の

見えない人福祉関係者など沢山の人々が観に来ていた皆自分の生活を良くしようと思っ

ているようだったまた障害者のためにできることは何だろうかと考えている健常者もいるよ

うだった

 

二年生の時の総合学習では二箇所のデイサービスを訪問したデイサービスには六十五歳以

上のお年寄りがいた暗く元気のない人明るく振る舞い誰とでも話せる人など様々だった

しかし僕が一番印象に残ったのは笑顔を絶やさず優しくお年寄りに接していた介護士だった

お年寄りの中には悩みを抱えている人が多いそうだその悩みを解消させる人もまた介護士だっ

た僕は介護士がお年寄りの体を支えるだけではなく心もそっと支えて生きる喜びを与え

ているのだと感じた

 

現代は三世代で暮らす家族が減り核家族が増えているそれはお年寄りの世話が大変だ

からという理由が多いだから老人ホームやデイサービスに預ける人が増えていると僕には

思えたお年寄りの中には自分が嫌われているのではないかとさえ思ってしまう人もいるそう

だそれはお年寄りにとって辛く悲しいことだと思うある介護士がこんなことをおっしゃっ

ていた「人の優しさはお金では買えない」誰にでも優しい心があると思うしかしあと一歩

入賞作文集 48

入賞作文

のところで行動に移すことができない人が多いの

だ僕たちが平和な社会で暮らせるのは今まで

頑張ってきてくれたお年寄りのお陰であることを

忘れてはいけないお年寄りを大切にすることは

当たり前のことなのだ

 

また障害者に対しても偏見の目で見ないで

そっと近づいて手を貸してあげれば健常者との

高い大きな壁を崩すことができると思う

 

障害者にも高齢者にもまた健常者にも人権

はあるお互いの人権を大切にすることが明る

い未来に繋がっていくのだと思う

 

早く祖父に僕の作った靴下を届けたい

49 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

 

僕は小学校六年生まで福岡県に住んでいましたそこで僕が体験したことです五年生のこ

ろ僕の友だちのA君が同級生のK君の靴を隠したりからかったりしていることがよくあり

ました最初は僕もあまり気にしていませんでしたがK君のことを「なんだかかわいそう」と

思うようになりました

 

ある日僕は勇気をだして先生に「K君がいじめにあっています」と報告しました初め先生は

「じゃれ合っているだけだろう」と「いじめ」とは思ってくれませんでしたでもその後「いじ

め」と分かりA君は先生に注意されその日一日は反省した様子で過ごしていましたしかし

次の日学校に行くといじめは前以上にエスカレートしていて蹴ったりたたいたりするように

なりましたしかも「死ね」「うざい」「消えろ」などの言葉が飛び交うようになりそんな日々

法務事務次官賞

浦うら

谷たに

 毅たける

徳島県三好市立池田中学校 三年

いじめをなくすために今

入賞作文集 50

入賞作文

が続きました

 

それは六年生になっても続きました僕はそのいじめを止めることができず毎日見て見ぬ

振りをしていました今思うと自分がとても恥ずかしいです本当の友達なら止めるべきなの

にそれだけではなくいじめられているK君に声一つかけることができずにいました心の中

ではA君に「やめろよ」と言おうと思っていたけどなぜか勇気が出ませんでした次にい

じめられるのが自分になるのが恐くて言えなかったのです

 

そんな日々が続く中僕の気持ちを大きく変える出来事がありました父の死ですそのとき

のことは今でも忘れることができません聞いたときには頭の中が真っ白になりました最初

は信じることができませんでした一週間も二週間も学校に行けずただぼーっと過ごしてい

ましたいろんなことを考え徐々に「死」というものの悲しさつらさ「死」という意味の

重さがわかってきましたそして時間はかかりましたが「命は一瞬にして消え二度と戻っ

てこないものだだから命を大切に今を大切にしなければならない」と深く受け止めることが

できるようになりましたそして周りの子たちは僕のような経験がないから「死ね」とか軽々

しく言えるのだろうと思いこの気持ちを伝えなくてはならないと考えました僕が強くならな

くてはと思いました

 

こんな気持ちになったとき僕には時間がありませんでした母の実家がある徳

島への引っ越しが一週間後に決まっていたのです落ち込んでいる暇は無いと思

い学校に行った僕はA君に言いました「いじめなんかやめろよいじめたって

51 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

喜ぶ人はいないし悲しむ人がいるだけだろ自分だってほんとは嫌だろ『死ね』

とか『消えろ』とか言葉の重さを知らないのに言うなよ」と言いました父親の

突然の死そのあと僕が考えたことも伝えました

 

友だちは黙って聞いてくれました僕の言葉にうなずいてそのあとK君の

ところへ行き「ごめん言葉の重さも知らずに言って本当にごめんぜったいに死ねなんて

ことは言わないそしていじめは絶対にしないほんとうにごめん」とあやまりましたK君

はとても優しい笑顔で「いいよ」と一言言いました僕もK君に言いました

「今まで助けてあげられなくてごめん」

K君は笑顔で「ありがとう」と言ってくれました今まで自分の中でもやもやしていた気持ちが

スーっと晴れました

 

今も時々耳にする暴言冗談半分で言っているのかもしれませんしかしいついじめにつ

ながるかわかりません他人を傷つけることで自分のストレスを晴らそうとしているのでしょう

関係ないふりをしようとする自分がいます楽な考え方をする自分がいますそんな時亡くなっ

た父の顔やK君の優しい笑顔を思い出しますあの時の自分のように強い気持ちを持とう「や

めろよ」と一言言うするとまた気持ちがスーっとしてきました

 

父の分も頑張って生き抜こうと決めた僕にとって正しいことを素直に認め悪いことを否定

できる強い意志を持つことが目標ですそして何よりも命を大切に今を大切にしていきたい

と思っています

入賞作文集 52

入賞作文

53 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

 

ぼくは今まで四つの外国に暮らしいろいろな国の人たちの中で育ってきた

 

まずタイで生まれてタイ人のメイドさんやドライバーさんにいつも遊んでもらっていた

らしい一才になると週一回の体操教室にも通いタイ人の友達もいたそうだ

 

次にシンガポールでは初めてナサリースクール(保育園)に通いいろいろな国の友達と

知り合ったプレイルームにある滑り台を滑る順番争いでいつも勝つのは体の大きい金髪の友

達だった

 

一回目の香港生活では英語の幼稚園に通ったその時のぼくの一番の友達はカナダ人だった

彼とはよくベイブレードをして遊んだが父が日本の出張で買ってきてくれた独楽や剣玉をして

遊ぶこともあった

村むら

瀬せ

 広ひろ

高たか

香港日本人学校中学部 二年

国境をこえて

海 外 作 品

今回は本選への応募とすることはできませんでしたが

 海外から寄せられた作品のうち一作品を御紹介します

入賞作文集 54

海外作品

 

それからインドでは日本人学校に通ったが夏休みには毎年アメリカンスクールのサマー

スクールに参加したし日本人のいない現地のテニススクールにも入り二年間通ったまたイ

ンドの現地幼稚園に通っていた妹のベストフレンドはコンゴ人でその兄弟もぼくの友達だった

 

そして三年間の日本生活を経て今また香港に戻ってきた

 

このようにぼくはいろいろな国でいろいろな国の人たちのお世話になりいろいろな国

の友達と遊んで育った肌が真っ黒な友達もゲームの話をすればすぐに仲良くなれたし髪が

金色の友達もポケモンの話をすれば気が合ったぼくは小さい頃から英語はうまくしゃべれ

なかったけれどもジェスチャーをつけたでたらめ英語でも充分に話は通じただからいろい

ろな国の人たちの中でぼくが日本人だからといって差別されたり嫌な思いをしたりしたこと

はないしぼくも肌の色が違うからとか言葉が通じないからという理由で違う人間だと思っ

たことはないそうぼくは外国人を差別したことはない

 

しかし本当にぼくは外国人を差別したことがないのだろうか外国人を差別した発言を一

度もしたことがないかと考えると自信がない

 

例えば香港人には赤信号でも平気で渡る人がたくさんいるそれを見てぼくは

「香港人はしょうがないな」

と思うでもよく見ると香港人全員が信号無視をしているわけではないまた

世界には今でも戦争をしている国がいくつもある

「人を傷つけ合うなんて馬鹿げている」

55 第30回全国中学生人権作文コンテスト

海外作品

とぼくは悲しくなるでもそれも好きで戦っている人がいるとも思えないその

人たちがそうなったのには何かきっと原因があるはずだ

 

逆に外国人から見ると日本人はどのように思われているのだろう

 

インドから日本に帰国した時毎日ごみがたくさん出ることにぼくはとても驚

いたインドの人たちがよく使う道端にあるカレー屋さんではバナナの葉で作ったお皿にカ

レーを入れてくれる食べた後そのお皿を道に捨てるとのら牛がその葉っぱを食べるそして

牛のふんは燃料になるというそれに比べて日本はちょっと歩くとペットボトルの飲み物が

買えファーストフードのお店では使い捨ての食器を使い立派なお菓子の箱を開けると中身が

少なくてがっかりすることもあるある時母が捨てたジャムの空きびんをメイドさんとエア

コンの修理にきていたワーカーさんとが取り合ってけんかをしていたこともあったそれを見

てぼくはあきれてしまったが逆にインド人から見ると使い捨て文化のしみついた日本人は

とんでもない人間にみえるのかもしれない国によって考え方や行動パターンが違うのは歴史

的背景や宗教習慣気候などのいろいろなことが関わっているのだと思う

 

このように考えると差別とはその人の一部しか見ていないことや自分のやり方だけが正

しいと思うことからおきるのではないかと思うその人が自分とは違った行動をとったとしても

それには深い理由があるのだろうと考えればきっと納得できると思うぼくもこれからは否

定的な発言をする前にその人たちのことをいろいろな角度から見て理解する努力をしてみよう

と思う外国との間には自分の国とは違う言葉や文化という壁があるとみんな言うがそこに

入賞作文集 56

海外作品

あるのは壁ではなく橋だとぼくは思う理解

し合おうという気持ちがあればきっと誰でも

その橋を渡っていけるはずだ気持ちの国境を

こえるのにパスポートはいらないお互いを理

解し合おうと思う気持ちが一番大切だと思う

そしてぼくはこれから日本人として生きる

のではなく地球人として生きていこうと思う

57 第30回全国中学生人権作文コンテスト

海外作品

法務局地方法務局名 郵便番号 所  在  地 電  話

金沢地方法務局人権擁護課920-0024 金沢市西念3-4-1金沢駅西合同庁舎(平成23年3月11日まで) 076-231-1244

921-8505 金沢市新神田4-3-10金沢新神田合同庁舎(平成23年3月14日から) 076-292-7804

富山地方法務局人権擁護課 930-0856 富山市牛島新町11番7号富山合同庁舎 076-441-6376

大阪法務局人権擁護部 540-8544 大阪市中央区谷町2丁目1番17号大阪第2法務合同庁舎 06-6942-9492

京都地方法務局人権擁護課 602-8577 京都市上京区荒神口通河原町東入上生洲町197番地 075-231-0131

神戸地方法務局人権擁護課 650-0042 神戸市中央区波止場町1番1号神戸第2地方合同庁舎 078-392-1821

奈良地方法務局人権擁護課 630-8305 奈良市東紀寺町3-4-1奈良第2法務総合庁舎 0742-23-5457

大津地方法務局人権擁護課 520-8516 大津市御陵町3番6号大津法務総合庁舎 077-522-4673

和歌山地方法務局人権擁護課 640-8552 和歌山市二番丁2番地和歌山地方合同庁舎 073-422-5131

広島法務局人権擁護部 730-8536 広島市中区上八丁堀6番30号広島合同庁舎 082-228-5790

山口地方法務局人権擁護課 753-8577 山口市中河原町6番16号山口地方合同庁舎2号館 083-922-2295

岡山地方法務局人権擁護課 700-8616 岡山市北区南方1丁目3番58号 086-224-5761

鳥取地方法務局人権擁護課 680-0011 鳥取市東町2丁目302番地鳥取第2地方合同庁舎 0857-22-2289

松江地方法務局人権擁護課 690-0886 松江市母衣町50番地松江法務合同庁舎 0852-32-4260

高松法務局人権擁護部 761-8077 高松市出作町585-4 087-815-5311

徳島地方法務局人権擁護課 770-8512 徳島市徳島町城内6番地6徳島地方合同庁舎 088-622-4171

高知地方法務局人権擁護課 780-8509 高知市栄田町2丁目2番10号高知よさこい咲都合同庁舎 088-822-3331

松山地方法務局人権擁護課 790-8505 松山市宮田町188番地6松山地方合同庁舎 089-932-0888

福岡法務局人権擁護部 814-0005 福岡市早良区祖原14-15福岡法務局西新出張所庁舎5階 092-832-4311

佐賀地方法務局人権擁護課 840-0041 佐賀市城内2丁目10番20号佐賀合同庁舎 0952-26-2148

長崎地方法務局人権擁護課 850-8507 長崎市万才町8番16号 095-826-8127大分地方法務局人権擁護課 870-8513 大分市荷揚町7番5号大分法務総合庁舎 097-532-3368

熊本地方法務局人権擁護課 862-0971 熊本市大江3丁目1番53号熊本第2合同庁舎 096-364-2145

鹿児島地方法務局人権擁護課 890-8518 鹿児島市鴨池新町1番2号 099-259-0684宮崎地方法務局人権擁護課 880-8513 宮崎市別府町1番1号宮崎法務総合庁舎 0985-22-5124

那覇地方法務局人権擁護課 900-8544 那覇市樋川1丁目15番15号那覇第1地方合同庁舎 098-854-1215

入賞作文集 58

問合せ先一覧

法務局地方法務局名 郵便番号 所  在  地 電  話

札幌法務局人権擁護部 060-0808 札幌市北区北8条西2丁目1番1札幌第1合同庁舎 011-709-2311

函館地方法務局人権擁護課 040-8533 函館市新川町25番18号函館地方合同庁舎 0138-23-9528

旭川地方法務局人権擁護課 078-8502 旭川市宮前通東4155番31旭川合同庁舎 0166-38-1114

釧路地方法務局人権擁護課 085-8522 釧路市幸町10丁目3番地釧路地方合同庁舎 0154-31-5014

仙台法務局人権擁護部 980-8601 仙台市青葉区春日町7番25号仙台第3法務総合庁舎 022-225-5739

福島地方法務局人権擁護課 960-8021 福島市霞町1番46号福島合同庁舎 024-534-1994

山形地方法務局人権擁護課 990-0041 山形市緑町1丁目5番48号山形地方合同庁舎 023-625-1321

盛岡地方法務局人権擁護課 020-0023 盛岡市内丸7番25号盛岡合同庁舎 019-624-9859秋田地方法務局人権擁護課 010-0951 秋田市山王7丁目1番3号 018-862-6533

青森地方法務局人権擁護課 030-8511 青森市長島1丁目3番5号青森第二合同庁舎 017-776-9024

東京法務局人権擁護部 102-8225 千代田区九段南1丁目1番15号九段第2合同庁舎 03-5213-1234

横浜地方法務局人権擁護課 231-8411 横浜市中区北仲通5丁目57番地横浜第2合同庁舎 045-641-7926

さいたま地方法務局人権擁護課 338-8513 さいたま市中央区下落合5-12-1さいたま第二法務総合庁舎 048-859-3507

千葉地方法務局人権擁護課 260-8518 千葉市中央区中央港1丁目11番3号千葉地方合同庁舎 043-302-1319

水戸地方法務局人権擁護課 310-0061 水戸市北見町1番1号水戸地方法務合同庁舎 029-227-9919

宇都宮地方法務局人権擁護課 320-8515 宇都宮市小幡2丁目1番11号宇都宮地方法務合同庁舎 028-623-0926

前橋地方法務局人権擁護課 371-8535 前橋市大手町2丁目10番5号前橋合同庁舎 027-221-4426

静岡地方法務局人権擁護課 420-8650 静岡市葵区追手町9番50号静岡地方合同庁舎 054-254-3555

甲府地方法務局人権擁護課 400-8520 甲府市北口1丁目2番19号甲府地方合同庁舎 055-252-7239

長野地方法務局人権擁護課 380-0846 長野市旭町1108番地長野第2合同庁舎 026-235-6634

新潟地方法務局人権擁護課 951-8504 新潟市中央区西大畑町5191番地新潟地方法務総合庁舎 025-222-1564

名古屋法務局人権擁護部 460-8513 名古屋市中区三の丸2丁目2番1号名古屋合同庁舎第1号館 052-952-8111

津地方法務局人権擁護課 514-8503 津市丸之内26番8号津合同庁舎 059-228-4193岐阜地方法務局人権擁護課 500-8729 岐阜市金竜町5丁目13番地 058-245-3181

福井地方法務局人権擁護課 910-8504 福井市春山1丁目1番54号福井春山合同庁舎 0776-22-5090

問合せ先一覧 (法務局地方法務局)

59 第30回全国中学生人権作文コンテスト

問合せ先一覧

世界人権宣言啓発書画「鳥」「自由と解放」を表わしたもの 小木太法書オタビオロス画(財)人権擁護協力会提供

入賞作文集 60

すべての人間は生まれながらにして

自由でありかつ尊厳と権利とに

ついて平等である人間は理性と

良心とを授けられており互いに同胞の

精神をもって行動しなければならない

―――

世界人権宣言 第一条

―――

第三〇回

 全国中学生人権作文コンテスト

中央大会表彰式

印  刷 平成23年1月25日

発  行 平成23年2月14日

発 行 者 法務省人権擁護局

全国人権擁護委員連合会

東京都千代田区霞が関一丁目1番1号

電話 03(3580)4111 内線5875

URL httpwwwmojgojpJINKEN

第30回全国中学生人権作文コンテスト中央大会審査員

感想をお聞かせください本作文集を読まれた感想等を下記の連絡先又はkeihatsumojgojpまでお寄せください

無断転載を禁じます本作文集に掲載された作文や写真等を地方自治体が広報誌に掲載したり学校が教材に使用される場合などにはあらかじめ下記に御連絡ください

100-8977 東京都千代田区霞が関一丁目1番1号 法務省人権擁護局人権啓発課 TEL03(3580)4111 内線5875

作  家(審査員長) 落 合 恵 子映画監督 山 田 洋 次社団法人日本新聞協会事務局長 川 嶋   明日本放送協会解説委員室解説委員 南   直 樹文部科学省初等中等教育局視学官 三 好 仁 司全国人権擁護委員連合会長 中 村 浩 紹法務省人権擁護局長   井 忠 雄

(敬称略)

【式次第】

第一部

 会

主催者あいさつ

賞状授与

内閣総理大臣賞法務大臣賞

文部科学大臣奨励賞法務副大臣賞

法務大臣政務官賞

全国人権擁護委員連合会長賞

社団法人日本新聞協会会長賞

日本放送協会会長賞(以上各一名)

法務事務次官賞(三名) 計一一名

学校への感謝状贈呈

高円宮妃殿下おことば

来賓祝辞

第二部

各受賞作文の朗読

内閣総理大臣賞法務大臣賞

文部科学大臣奨励賞

全国人権擁護委員連合会長賞

社団法人日本新聞協会会長賞

日本放送協会会長賞

 評

全国中学生人権作文コンテスト中央大会審査員

 山田洋次氏

 落合恵子氏(ビデオレター形式)

第三部

新垣勉さんコンサート

 会 平成二二年一二月一八日(土)

午後一時三〇分〜三時五〇分

於ニッショーホール

「いじめ」や暴力行為等は人権侵害です

法務局地方法務局では

人権侵害による被害を受けた方を

救済するための活動を行っています

お気軽にご相談ください

女性の人権ホットライン

インターネット人権相談受付窓口

ゼロナナゼロのハートライン

0570-070-810

子どもの人権110番ぜろぜろななのひゃくとおばん

 0120-007-110

パソコンから httpwwwmojgojpJINKENjinken113html携帯電話から httpwwwjinkengojpsoudanmobile001html

インターネット人権相談 検 索

Human Rights法務省人権擁護局全国人権擁護委員連合会

人権イメージキャラクター人KENあゆみちゃん人KENまもる君

全国共通通話料無料

全国共通ナビダイヤル

この冊子は環境保護印刷の「水なし印刷」で印刷されています

第30回全国中学生人権作文コンテスト入賞作文集

法務省人権擁護局全国人権擁護委員連合会

人権イメージキャラクター人KENまもる君人KENあゆみちゃん

この冊子には音声コードが各頁(奇数頁 左下偶数頁 右下)に印刷されています専用の読み上げ装置で読み取ると記録されている情報を音声で聞くことが出来ます

Human Rights法務省人権擁護局全国人権擁護委員連合会

 全国中学生人権作文コンテスト入賞作文集

 全国中学生人権作文コンテスト入賞作文集

第30回

 

あなたには大好きなふる里がありますか私には緑の木々と青い海に囲まれた自然豊かな

大好きなふる里があります私のふる里は過去に公害という大きな被害をうけた水俣ですそ

の水俣病で患者はもちろんそうでない人も長い間差別をうけてきました

 

父が幼い頃まだ水俣病の原因が究明されておらず水俣病はうつると言われていました列

車が水俣の駅につくと窓をしめ手で口をおおった人もいました修学旅行に行くと同じ宿

舎になった学校から苦情を言われたこともありました水俣出身ということで結婚を断られた人

や就職試験をうけることさえできなかった人もいました水俣に住んでいることをかくして隠

れるようにひっそり暮らしていた人もいましたまた同じ水俣に住む人でさえ奇病と呼び距

離をおきましたそのことでたくさんの人々が傷つきあってきたのですいろいろな立場の人々

井いの

上うえ

 由ゆ

紀き

子こ

熊本県熊本県立八代中学校 一年

私の大好きなふる里

法務副大臣賞

入賞作文集 22

入賞作文

がせまい土地に住んでいるのですから仕方がなかったのかもしれません

 

しかし今では原因も究明され海の安全も確認されたことでそのようなことはほとんどな

くなりました私たちは過去のことを忘れるくらい楽しくすごしています

 

私は今八代の中学校に通っています私は自分が水俣出身ということを隠すこともありませ

ん友だちもまたそのことを知っていますがからかったりいじめたりする人は誰一人いません

 

しかし先日水俣の中学校のサッカー部が練習試合中に相手チームの選手から

「さわるな水俣病がうつる」

と言われたという記事が新聞にのっていました今でもこういう風に思っている人がいるのか

と思うと残念で仕方ありません何気なく言った一言だったのかもしれませんがその一言は

私たち水俣に住む者にとって非常に悔しく悲しいものでした

 

小学校の総合的な学習の時間で水俣病について学習しました原因となった会社を訪問したり

患者の方から当時の話をきいたり交流も行いましたそんな中で苦労されたり何も言えずに

黙って亡くなった人のことを知り水俣に住んでいながら何も知らなかったことをはずかしく思

いました水俣病についてしっかり学び正しい知識を得ることが差別や偏見をなくすのだと気

付きました

 

中学校の道徳の時間ではハンセン病について学習しましたこれも水俣病同様

正しい知識がなかったためにおきた悲しく悔しい悲劇でした

 

私たちが差別や偏見をなくすためにできることそれはその人その出来事に

23 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

ついてしっかり知ること知ろうと努力すること正しい知識を深めるために学習

することではないかと思いますそうすれば水俣病やハンセン病のようにむや

みに人と人とが傷つけあったり憎しみあったりすることはなくなるのではないで

しょうか

 

先日テレビで水俣のダイバーが紹介されましたその人は本当はほこりたい水俣を心の中

にじっとしまいこみ誰にも言えず何年もの間生きてきた人でしたしかし水俣の地にも

どり自分はこのすばらしい美しいふる里を紹介したいと海にもぐり写真をとり続けておら

れるそうです心に差別という深い傷を負いながら水俣の再生を皆に知らせたいと頑張る人

がいることに感動しました

 

今水俣はごみの分別リサイクル事業など市民全員で環境にやさしい町づくりをすすめてい

ます私は差別や偏見から立ちなおり再生しようと環境問題に一生懸命とりくんでいるふる

里水俣をほこりに思っています

 

水俣では運動会等多くの行事で「水俣ハイヤ節」というものが踊られますこれは水俣病

の患者の方が水俣の青い海と豊漁を願って振りつけをされた踊りだそうです私たちと同じ思い

をする人が二度とでないことを祈りながら私たちは毎年皆でこの踊りを踊ります

 

水俣の悲しい過去を変えることはできませんが私はあやまちを二度とくりかえさないため

にこの美しい自然を守り真実を語り継いでいきたいですそして差別や偏見のない社会に

なるよう自分から努力していきたいと思います

入賞作文集 24

入賞作文

25 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

 

みなさんは「本当の『平和』とは」と質問されたら何と答えますか「戦争や紛争などが

ないこと」ですかそれとも「自分自身の幸せのこと」ですか一人ひとりの抱く「平和」のイ

メージは違うことでしょう

 

僕の思う本当の「平和」それは「家族」がいて「家庭」があることだと思いますなぜそう

思うかというと今僕は訳あって家族とは離ればなれに暮らしているからです一歳前後には既

に家族とは離れ施設にいました母親や姉兄の存在はわかっていますが一緒に過ごした時

間は限られたもので今でもほとんど交流はありませんそのせいか僕はいつも「家族」や「家

庭」というものに強い憧れを抱いています

 

自分がまだ幼い頃は自分と同じくらいの子が母親と手をつないでいる姿がとてもうらやまし

大おお

田た

 葵あおい

栃木県さくら市立喜連川中学校 三年

「家族」とは何か

法務大臣政務官賞

入賞作文集 26

入賞作文

「どうして自分には母親がいないんだろう」と思っていました仕舞いには自らの母親を恨ん

でしまったのです小学生になってもその気持ちは変わらず母親への恨みは増すばかりでした

 

しかし小学五年生の夏思いもよらぬ出来事が起きましたそれは引っ越しがあったこと

ですそこで僕は新しい土地そして新しい里親という人たちに出会いました里親の人たち

と暮らした数年間僕は幸せでしたそこで僕は僕の周りにはいつも支えてくれる人たちがい

ることに気づきました血のつながりがなくても僕に自分の子どものように接し育ててくれ

た里親の人たち養護施設の先生方などたくさんの方たちに僕は見守られて成長してきたこと

に気づいたのです僕を支えてくれる人すべてに感謝の気持ちがわき出てきましたそれ以来

僕は親という存在にこだわらなくなりましたそれどころか自分に命を与えてくれた親に感謝

の思いを抱くようになったのです

 

この夏母親の育児放棄が原因で二人の乳幼児が衰弱死するという悲しい事件がありました

二人の子どもにろくに食事も与えず風呂も入れなかったそうですさらに逮捕後その母親は

「家に帰ってあげなかったことを今も後悔している子どもは私を恨んでいると思う」

という言ってはならない発言をしました僕は怒る前に亡くなった二人の子ども

たちがかわいそうでなりませんでした

 

と同時に僕はこの母親はどうしてこのようなことをしてしまったのだろうと

すごく考えさせられました僕は本来親は子どもを殺すのではなく守るために

27 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

いるのだと考えますたとえ小さな子どもでも立派な一人の人間ですその命を

守り育てていくことが親として大切な役目だと思うのですこの母親はどこで

勘違いしたかは知りませんが親としての自分の責任を理解していなかったのでは

ないでしょうか

 

そしてその勘違いを誰も母親に気づかせてあげられなかった事実母親が一緒に遊び歩いて

いた友人はもちろん母親の家族が少しでも助けることができていたら母親の行動を戒めるこ

とができていたら連絡を受けた児童相談所がもう少し踏み込んだ行動が取れていたらこのよ

うな悲しい結末にはならずに済んだのではないでしょうかやりきれない思いばかりがこみあげ

てきます

 

もう一つこの母親は大きな勘違いをしていますそれは「子どもは私を恨んでいると思う」

という言葉です僕はこの子どもたちが母親を恨んでいるとは思えません子どもたちは母

親が帰宅するといつもハイタッチをして喜んで迎えたそうです子どもたちは母親のことが大

好きだったのでしょうたとえ自分たちを見放した母親でも恨んでいるとは決して思えないの

です

 

子どもは心の底から自分の母親のことを恨めないと僕は思いますこの世に生を受け笑った

り怒ったり泣いたりと毎日いろいろな経験ができるのは自分を生んでくれた母親という存在

があったからです正直僕も小さい頃は母を恨んだことがありました愛情の裏返しというよ

うに母親への思いが憎しみに変化してしまったのですでも心の底には母への恨みとは全く

入賞作文集 28

入賞作文

正反対の気持ちが存在し続けていましただ

からこそこの子どもたちがどんな思いで死

んでいったのかわかるような気がします母

親を信じひたすら母親の帰りをまちわびて

いた思いが

 

僕にとっての「家族」それは同じ屋根の

下で暮らす人々のことですたとえ血はつな

がっていなくても僕を支え励ましてくれる

人たちそのすべての人が僕にとっての大切

な「家族」なのです今僕の暮らす養護施設

にはいろいろな事情を抱えた二歳位から高

校生までの子どもたちや職員の方が約六十人

います今の僕には全員大切な「家族」で

す僕はこれからもこの「家族」を大切に

一日一日精一杯平和に生きていきたいです

29 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

 

授業でハンセン病について学んだ日両親と「偏見」や「差別」について口角泡を飛ばす議論

を深夜まで繰り広げた身体障害者の父と看護師の母を持つ私は幼い頃から「命の大切さ」を

訴える両親の姿を見て育って来たそんな私は真摯な気持ちからハンセン病罹患者と向き合い

たいと思いこの夏草津にある療養施設栗生楽泉園を訪れた

 

草津までの道のり私は罹患者の気持ちを絶えず考えていたハンセン病について調べると「ら

い予防法」により罹患者は隔離され人権を無視された扱いを受けたことが分かった罹患者の

言葉が書かれた本ではどんなに過酷な仕打ちを受けたか他人をどれほど恨み憎んでいるか

が書かれていたその為私は無意識の内に「罹患者は全員恨みを抱いている」と勝手に思い込

んでいたしかしこんな思い込み自体が偏見や差別を生む原因になるということを後に思い知

大おお

井い

 海み

琴こと

群馬県群馬大学教育学部附属中学校 三年

忘れてはならないこと

全国人権擁護委員連合会長賞

入賞作文集 30

入賞作文

らされることになるのである

 

私を迎えてくれたのは入園者自治会長の藤田三四郎さん藤田さんは大変お元気でその容姿

からはハンセン病を伺い知ることはできなかったしかし藤田さんは紛れもない罹患者なのだ

その証拠に藤田さんの名は本名ではない罹患者は施設に入所するにあたり偽名を使用させら

れたと言うつまりその時点で罹患者は世間から存在を消されてしまうのであるそんな藤田

さんから語られた話はハンセン病だと宣告され三度も命を絶とうとしたこと重症患者の看

護を押しつけられ数え切れない人を看取り自らの手で葬ったこと家族が受けた迫害や侮辱的

な言葉など想像を絶するもので筆舌し難いものだったしかしこんな迫害と差別は同時にハ

ンセン病患者達の人権回復闘争の歴史でもあったのだ闘争の末「らい予防法」が廃止される

と今まで差別や人権侵害を繰り返していた多くの人が掌を返す様に態度を変えたと言う私は聞

いていて怒りを覚えたが不思議なことに耳を塞ぎたくなる様な内容を語る藤田さんからは全

く怒りや恨みが感じられないのだ私は話を聞くまで自分の運命を呪い周囲への恨みつらみ

の言葉が出てくるとばかり思っていたしかし出てきた言葉は「入園出来て良かった差別は

受けたが今では恨みを抱く罹患者も少なくなったそればかりか最近はたくさんの人が我々を

理解し協力してくれるので嬉しい何故なら一人の百歩は力が無いが百人の一歩

は力になるから」と言う感謝の言葉だったのだ本当に「恨みは無いのか」と何度

聞いても答えは同じだった私は恥ずかしくなったハンセン病について調べ罹

患者の心を理解したようなつもりでいながら実は何も理解できてなくてそれば

31 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

かりか罹患者を偏見の眼で見ていたのは私自身だったのだ私は話を聞いてとめ

どなく溢れ出る涙を拭いながら心の片隅に潜んでいた「偏見と言う名の種」が身

体から洗い流されていくのを感じていたそれは同時に「思い込みや無知が偏見

や差別を生みだす」ことを強く感じた瞬間でもあったそれだけに藤田さんの「自

分と同様に他人を愛すればいつか必ず世界から差別はなくなる他人を愛して下さい」の慈愛に

満ちた言葉が一層重く腑に落ちるのだった

 

帰りがけ千五百ページにも及ぶ「入所者証言集」を手渡されたその際私は見えない襷も

手渡された気がしたその襷とは証言集に記された罹患者の「事実を風化させないで私達の事

を忘れないで」という搾り出すような叫び声とその姿だったのである

 

ハンセン病が治る病気であるのに誤った知識から悲惨な人権侵害が長期に渡り続いた同じ間

違いを繰り返さないためにも事実を語りついで行く必要があるここ楽泉園でも高齢化が進み

証言者の数が減っているこれは全国一五全てのハンセン病療養所に共通することだハンセン

病問題は罹患者がいなくなればそれで終わると言う問題ではない今後人権問題を考える際重

要な指針になりうる事実なのだそしてこの事実の風化を防ぐことが私達若い世代の役目だと

私は思う

 

私は小六の時友人達から突然イジメを受けたそれを引きずり他人を恐れ憎み自分を

嫌って生きて来たしかし罹患者の声が私に生きる力と前を向いて歩む勇気を与えてくれた

楽泉園訪問は私に人生観が変わる程の衝撃を与えてくれたのだこんな私だが罹患者の声を伝

入賞作文集 32

入賞作文

える「百人の中の一人」にはなれるはず

だそのために私は今この作文を書い

ている文字は時を越えて生き続けるか

ら私はこれからも楽泉園訪問を続ける

つもりだ実際に中学生の私が出来るこ

とには限りがあるが差別や偏見を少し

でも減らすために一歩を踏み出すつもり

でいる「自分と同様に他人を愛すれば

いつか差別は無くなる」と言う藤田さ

んの言葉を胸に

33 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

 

森に囲まれたその一画には教会や寺院神社があり小さなショッピングセンターやレスト

ランもある床屋や図書館郵便局や浴場もあるしかしそれらの施設を利用するのはその一

画に住む人たちだけだ緑の外側に住む人が利用することはないそこはハンセン病の療養所

多磨全生園である

 

僕は七年前に清瀬市に引っ越してきた夏のある日昆虫が大好きな僕は何気なくその森の

中に入って行ったそして歩き回っているうちにその場所が一つの「町」であることに気付

いた

 

毎日セミやカマキリやナナフシを探しながらどうしてこんな所があるのだろうと思った

 

僕が一番不思議に思ったのは古い木造の小学校だいつも誰もいない校舎と小さな運動場近

久く

米め

 一かず

輝き

埼玉県学校法人立教学院立教新座中学校 一年

ハンセン病について考えたこと

社団法人日本新聞協会会長賞

入賞作文集 34

入賞作文

くに小学校があるのにどうしてこんな所に小学校があるのだろう小学一年生の僕はとても不思

議に思った

 

夏に地域交流を目的とした盆踊りと花火大会が行われるいつもは人のいない小学校跡は多く

の人であふれかえり普段は見かけない重い後遺症の老人たちもこの日は外に出て盆踊りを楽し

む初めて参加したときは言葉が出なかった正直「怖い」と思った

 

夏が来るたびに僕は盆踊り大会に参加した低学年から高学年へと進むにつれて少しずつハ

ンセン病のことが分かってきた

 

六年生のときに社会科見学で全生園の元患者を訪れることになっただが僕は都合で参加で

きなかった僕はそれをずっと悔やんでいる

 

今年の夏僕はハンセン病資料館に出かけた見学者は僕一人でとても緊張したなるべく

音を立てないようにパネルを見て回った

 

強制隔離の現実にとても驚いた狭い部屋に押し込められ症状の軽い患者が重症の患者の世

話をしたという子供を持つ権利や生まれる赤ん坊の命まで奪われていた逃げ出したり反抗的

な患者は「不良患者」と呼ばれ窓の小さな暗い監房に閉じ込められた

 

医学が進歩し療養所も徐々に改善されていったが強制隔離を命じる「らい予防

法」が廃止されたのは一九九六年だという隔離が始まった一九〇八年から約九〇

年も経っていた僕が生まれるほんの一年前のことである特効薬が開発され本

格的な治療が始まったのは昭和二十二年である現実に合わない法律を廃止するの

35 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

にどうしてそんなに時間がかかったのだろうか

 

資料をもらってハンセン病資料館を後にした家を出るときは帰りに虫の観察

をするつもりだったがとてもそんな気にはなれなかったいつもセミが集まる桜

の木には目もくれずに早足で家に帰った

 

資料の中で一番心が痛んだのは療養所の子供たちのことだ療養所に入所したのはハンセン

病を発症した子どもたちだけではない親が発症したために入所する子どもたちもいた当時は

ハンセン病は遺伝病だとされていたからだ親から無理やり引き離された子どもたちは「すぐに

帰れるから」という言葉を信じていたというしかし一生療養所を出ることができなかった人が

多かったという社会的な差別がひどかったからだと資料に書かれていたが僕には実感がわか

なかったのでもう少し調べてみることにした

 

図書館で『ハンセン病を生きて』(伊波敏男著)という本を見つけた少し難しかったが差

別の現実が僕にもわかる部分があったそれは元患者たちに対して書かれた匿名のひどい手紙

である長年隔離されて苦しんできた人たちをさらに傷つける言葉が並んでいた悲しく暗い

気持ちになった

 

日本は経済大国として世界の注目を浴びているだが人権意識の面ではどうだろう「らい

予防法」を二〇世紀の末まで廃止できなかったことをどう考えたらよいのだろうか明治時代に

隔離が始まったときそれは外国に対する体面を保つためだったという病気の人を治療するの

ではなく「隠す」のが目的だったのだいまだに差別意識を持つ人がいるのは社会がそうした

入賞作文集 36

入賞作文

過去に対する反省をしていないから

だと思う

 

僕が不思議に思った小学校はすで

に取り壊されて今では小さな石碑

だけが残っている老朽化がひどく

残しておくことができなくなったか

らだという全生園の古い建物はど

んどん取り壊されていく石碑だけ

ではあの不思議さが伝わらないのが

とても残念だ

37 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

 

僕の曾祖父は医者嫌いでしたそのため腹痛で病院に運ばれた時は膵臓癌の末期で余命三ヶ

月でした手術もできない手遅れの状態でした家族皆で話し合い曾祖父の辛い気持ちを第一に

考え曾祖父に病を隠すことになりました曾祖父は次第に病院の中を歩いては転倒し体中あ

ざだらけになりベッドの上で縛られることになっていました曾祖父は病名の宣告を受けてい

ないため元気で歩けると思っているが実際歩くと転んでしまう何でこんな風になってしまっ

たのかさえわからない

 

家族と病院に行くと「包丁もてこいこれぶった切って家さ帰る」と騒いでいましたあん

なに優しかった曾祖父の姿に言葉も出ず恐いくらいでした何も知らされずベッドに縛り付

けられれば誰もがそうなることでしょう「じいちゃんどご一緒に車さのせでいてくれの」と

櫻さくらだ田

 要かな

太た

山形県酒田市立松山中学校 三年

日本放送協会会長賞

悔いのない最期を

入賞作文集 38

入賞作文

せがまれたときもありますかわいそうで涙がポロポロこぼれました「おじいちゃんどご家

さ連れで帰ろうよ」とせがんでも家族も仕事で忙しいためか誰も首を縦に振ってくれず病院

にいた方が安心ということになりました膵臓癌は予想以上に激しい痛みのため医師から強い

痛み止めと強い睡眠剤を勧められましたがそれを導入することにより安楽死に近い状況にな

ることも医師から告げられていました家族は決断をせまられました曾祖父に相談もせずに決

めていいことなのか家に帰りたい曾祖父の意志は封じ込められたままでいいのか家族で悩み

ました結局痛みに耐えている姿は見ていられなくその薬を使うことになりましたその後

曾祖父は次第に弱っていき口も利けなくなり静かに亡くなっていきました僕はどこか心を

引きずったままでした僕達家族が曾祖父に宣告もせず意見も聞かず命の長さを決めてしまっ

たこと当時幼かった僕には何もしてあげられなかったことが今思い出しても残念です

 

最近授業で人権について学習しているときに幼い頃の記憶がよみがえりふと曾祖父のこと

を思い出しました

 

曾祖父はどんな思いで亡くなったのだろう最後に意識のあるうちに一度でいいから家に帰っ

てきたかっただろう身体拘束は今は病院でも禁止されていると思いますがあの頃は確かに曾

祖父のおなかに黒いベルトのようなものが巻きついていました決して自分の力で

は外せないようなものでしたもがき苦しむ曾祖父の姿を見た時に看護師さんに

目を隠され別の部屋に連れて行かれました見せたくない光景だったのだと思いま

すでもあの姿は僕の脳裏に焼き付いています病院の中での人材不足のためだっ

39 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

たのでしょうか人が人らしく生きていない姿でした

 

七十八年生きてきて何も悪いことをしていないのに縛られ家にも帰れない

病気で余命幾ばくもない人には人権というものは存在しないのでしょうか最近の

医療の現場では自己決定権があることについて学びました

 

仏壇に向かい静かに目を閉じると優しく穏やかに微笑む曾祖父の笑顔が浮かびますどんな

気持ちで亡くなっていったのかその気持ちを考えると苦しい気持ちになります野球の大会に

行く前仏壇に手を合わせます「やればできる努力しろ」とよく励ましてくれました曾祖

父の力には何もなれなかったけれど目には見えない力で応援してくれる曾祖父に線香をあげて

自分を省みる時があります曾祖母が元気なので曾祖父を助けられなかった分曾祖母の力に

なっていくことを曾祖父に約束しています

 

夏休み中のニュースで高齢者の所在不明者が多数のため百歳以上の安否確認調査をしていま

した自分の親を平気で捨て遺骨さえもひきとらない亡くなっていたのに年金を不正受給する

ために隠していたなど耳をふさぎたくなるような事件もありました犬や猫が年をとって弱っ

てきた手がかかるから面倒だからと捨ててしまうそれと同じ現象が弱い高齢者にも及んでき

ているのだと思います

 

やはりこの世に生まれてきたもの全てに自分の意志で生きることを決めていける権利がある

と思います長い年月を苦労や努力と向き合いながら精一杯生きてくれたおかげで今の幸せが

あることを忘れずにいたい人はいずれ誰でも年をとります自由に動けなくなった時に自分の

入賞作文集 40

入賞作文

願いが叶う社会を築き「悔いなく満足で楽しく幸せな人生だった」と思えるように人とし

ての誇りを持って満足できる最期を迎えられるように考えていきたいもう二度と僕が見た自

己決定権のない社会にならないように高齢者には今までの感謝の気持ちで本人の希望をでき

るだけ叶えられるように努力していきたいいずれ僕達も迎える高齢社会だからhellip

41 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

 

私は小学六年生の時から盲導犬候補の子犬を育てるボランティアをしています「犬を飼っ

てみたい」と言う私に両親が「せっかく犬を飼うのなら社会に役立つことをしよう」と提案

したからです生後二ヵ月の子犬を預かり一歳の誕生日を迎えるまで世話をするのがボランティ

アの役目です初めて訓練士さんから子犬を手渡された時は不安でドキドキしましたが子犬は

すぐに私の腕の中で眠ってしまいました初めて会った私のことを信頼して安心しきった寝顔

で眠っている姿は本当に可愛かったですラブラドールの子犬はとてもやんちゃで私の家にやっ

て来たその日からいたずらばかりしていましたがしかられてもクヨクヨせずどんな相手にも

 林はやし

 里り

咲さ

東京都小平市立小平第六中学校 三年

差別のない社会に

(パピーウォーカーの経験から学んだこと)

法務事務次官賞

入賞作文集 42

入賞作文

フレンドリーに近づいていく姿から私は明るく前向きに生きることを教わりました子犬たち

と過ごした日々は私にとって一番の宝物ですそしてあっという間に一歳の誕生日がやって来ま

した誕生日が悲しいという経験は初めてでした訓練所への入所日の前日には長い長い散歩を

して最後のお別れをしました「今までありがとう」そう言った私のことを不思議そうに見てい

た子犬の顔が今も目に焼きついています別れは本当につらいけれど涙を見せたら子犬が心配す

るので頑張って笑顔で見送りました

 

私の家で育てた一頭目の子犬は現在盲導犬になって頑張っていますそして今年四月に巣立っ

ていった二頭目の子犬は神奈川にある訓練センターで訓練中です

 

このボランティアを通して私は多くのことを学びましたまず盲導犬の役割ですがこれは単

に目の不自由な方が便利に一人でどこへでも行けるようにするためだけではありません視覚障

がいのある方にとって人の手をわずらわせるのはとてもつらいことなのだそうですたとえ家

族に対してでも「迷惑をかけるのではないか」と思って我慢することが多く「私なんかいない

方がいいんじゃないか」と考えてしまうこともあったといいますその失われそうになった尊

厳を取り戻す手助けをするのが盲導犬の役目なのです犬は訓練を共にするパートナーのことを

大好きになるので「自分は他者からこんなにも大好きになってもらえる存在なん

だ」と気づいて自信を取り戻し新しい一歩を踏み出せるようになるのだそうです

 

また私がボランティア登録している日本盲導犬協会では二〇〇八年に新しい

試みが始まりました受刑者が盲導犬候補の子犬を育てる動物を介在した日本初

43 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

の教育プログラムです罪を犯した人も心から反省してきちんと罪を償えば社会

は差別することなく受け入れるべきですしかし実際はとても偏見が多く元受刑

者たちは「どうせ自分はだめな人間なんだ」と思い再び罪を犯してしまう悪循環

が起こっているそうですその悪循環を断ち切り受刑者たちがスムーズに社会復

帰を果たせるよう支援するのが「あさひ盲導犬パピープロジェクト」です受刑者たちは約十ヵ

月の間子犬たちを世話しながら一緒に過ごし「役に立つ喜び達成する喜び信頼される喜び」

を感じることで自分の価値を再確認するのだそうです今年一月に第一期のプロジェクトを修了

した受刑者の感想に次のようなものがありました

 「今後自分もパピーに笑われないようにきちんとしなければならないパピーは慈しむこと

寛容の心を教えてくれました」

 

犬は決して差別をしません健康な人にも障がいのある人にもお金持ちにも貧しい人にも

権力のある人にも犯罪を犯した人にも全く同じように接してくれますそんな犬たちと一緒に過

ごすことで自信をなくした人たちも自分のことをかけがえのない大切な存在であると思えるよ

うになるのです

 

私たち人間も差別のない社会をつくる努力をしなければならないと思います一人一人が相

手を大切に思う心を忘れなければこの社会はもっと住み良い場所になるはずです私はこのボ

ランティアを通して学んだことを生かしてこれからも一層努力していきたいと思います

入賞作文集 44

入賞作文

45 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

 

僕は祖父のために自助具を作ろうと思った祖父は去年の夏脳梗塞で倒れた祖父は一命

を取り留めたものの右手と右足がまひしてしまったのだその三週間前僕も車椅子から転倒し

て足を骨折した

 

僕には障害がある車椅子で生活することが多いしかし僕のことを障害者だといって差別

するような友達は一人もいない

 

祖父は歩けるようになりたいという気持ちが強かっただからリハビリを頑張り自分で

歩けるようになるまで回復した頑張っている祖父がかっこいいと僕は思った祖父はリハビ

リを頑張ったにも関わらず右手がうまく動かせなくなってしまっただからご飯を食べる時も

服を着替える時も時間がかかる普段何気なくやっていた動作がとても大変だと祖父は言ってい

守もり

田た

 幸こう

平へい

静岡県静岡大学教育学部附属浜松中学校 三年

祖父への靴下

法務事務次官賞

入賞作文集 46

入賞作文

た僕も何か役に立てることはないかと考えた

 

僕の学校には総合学習という授業があるそこで僕は福祉というカテゴリーを選んだ自

分で社会に役立てることを考え実際に行動することが目標だった僕は障害者のために何が

できるかを考えた

 

僕は二年前に静岡文化芸術大学で障害者がいかに日常生活で不自由のない生活ができるかを

考えるプロジェクトがあるのを新聞で知ったそれは大学生たちが個人個人にあった自助具を

作るプロジェクトだった僕は障害者のために何かできるのではと感じた

 

僕は静岡文化芸術大学へ行って僕にもできることがないかと聞いたすると学生さんが

自助具を作ってみないかと声をかけてくれた僕は迷わず「はい」と言った障害者のために

役に立てることがあると思うとすばらしいことだと思ったからだ

 

祖父のつらい顔を見ると日常生活に数々の大きな壁があることが伝わってくる

 

僕は祖父の数々の大きな壁を突き破ろうと思った祖父のために自助具を考え作ろうと僕

は思った祖父が靴下の脱ぎ履きが大変だと言っていたことを思い出したそこで脱ぎ履きし

やすい靴下はできないか考えた靴下の両脇にひもを取り付けてそれを引っ張ると靴下が縮み

脱ぎ履きしやすくなる仕組みだ大学の先生も良いアイディアだと言って褒めてく

れたこれは障害者だけでなく健常者にも使えると言われたユニバーサルデザ

インだと分かった

 

ユニバーサルデザインは年齢や障害の有無にかかわらず全ての人が使いやす

47 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

いように工夫された用具などのデザインである境界がなくなるように健常者が障

害者に対する偏見を考え差別意識がなくなるチャンスだと思った障害者と健常

者が共によりよく生きることが大切だと僕は思った

 

自助具の作品展では杖をついているお年寄り車椅子に乗った若い女性目の

見えない人福祉関係者など沢山の人々が観に来ていた皆自分の生活を良くしようと思っ

ているようだったまた障害者のためにできることは何だろうかと考えている健常者もいるよ

うだった

 

二年生の時の総合学習では二箇所のデイサービスを訪問したデイサービスには六十五歳以

上のお年寄りがいた暗く元気のない人明るく振る舞い誰とでも話せる人など様々だった

しかし僕が一番印象に残ったのは笑顔を絶やさず優しくお年寄りに接していた介護士だった

お年寄りの中には悩みを抱えている人が多いそうだその悩みを解消させる人もまた介護士だっ

た僕は介護士がお年寄りの体を支えるだけではなく心もそっと支えて生きる喜びを与え

ているのだと感じた

 

現代は三世代で暮らす家族が減り核家族が増えているそれはお年寄りの世話が大変だ

からという理由が多いだから老人ホームやデイサービスに預ける人が増えていると僕には

思えたお年寄りの中には自分が嫌われているのではないかとさえ思ってしまう人もいるそう

だそれはお年寄りにとって辛く悲しいことだと思うある介護士がこんなことをおっしゃっ

ていた「人の優しさはお金では買えない」誰にでも優しい心があると思うしかしあと一歩

入賞作文集 48

入賞作文

のところで行動に移すことができない人が多いの

だ僕たちが平和な社会で暮らせるのは今まで

頑張ってきてくれたお年寄りのお陰であることを

忘れてはいけないお年寄りを大切にすることは

当たり前のことなのだ

 

また障害者に対しても偏見の目で見ないで

そっと近づいて手を貸してあげれば健常者との

高い大きな壁を崩すことができると思う

 

障害者にも高齢者にもまた健常者にも人権

はあるお互いの人権を大切にすることが明る

い未来に繋がっていくのだと思う

 

早く祖父に僕の作った靴下を届けたい

49 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

 

僕は小学校六年生まで福岡県に住んでいましたそこで僕が体験したことです五年生のこ

ろ僕の友だちのA君が同級生のK君の靴を隠したりからかったりしていることがよくあり

ました最初は僕もあまり気にしていませんでしたがK君のことを「なんだかかわいそう」と

思うようになりました

 

ある日僕は勇気をだして先生に「K君がいじめにあっています」と報告しました初め先生は

「じゃれ合っているだけだろう」と「いじめ」とは思ってくれませんでしたでもその後「いじ

め」と分かりA君は先生に注意されその日一日は反省した様子で過ごしていましたしかし

次の日学校に行くといじめは前以上にエスカレートしていて蹴ったりたたいたりするように

なりましたしかも「死ね」「うざい」「消えろ」などの言葉が飛び交うようになりそんな日々

法務事務次官賞

浦うら

谷たに

 毅たける

徳島県三好市立池田中学校 三年

いじめをなくすために今

入賞作文集 50

入賞作文

が続きました

 

それは六年生になっても続きました僕はそのいじめを止めることができず毎日見て見ぬ

振りをしていました今思うと自分がとても恥ずかしいです本当の友達なら止めるべきなの

にそれだけではなくいじめられているK君に声一つかけることができずにいました心の中

ではA君に「やめろよ」と言おうと思っていたけどなぜか勇気が出ませんでした次にい

じめられるのが自分になるのが恐くて言えなかったのです

 

そんな日々が続く中僕の気持ちを大きく変える出来事がありました父の死ですそのとき

のことは今でも忘れることができません聞いたときには頭の中が真っ白になりました最初

は信じることができませんでした一週間も二週間も学校に行けずただぼーっと過ごしてい

ましたいろんなことを考え徐々に「死」というものの悲しさつらさ「死」という意味の

重さがわかってきましたそして時間はかかりましたが「命は一瞬にして消え二度と戻っ

てこないものだだから命を大切に今を大切にしなければならない」と深く受け止めることが

できるようになりましたそして周りの子たちは僕のような経験がないから「死ね」とか軽々

しく言えるのだろうと思いこの気持ちを伝えなくてはならないと考えました僕が強くならな

くてはと思いました

 

こんな気持ちになったとき僕には時間がありませんでした母の実家がある徳

島への引っ越しが一週間後に決まっていたのです落ち込んでいる暇は無いと思

い学校に行った僕はA君に言いました「いじめなんかやめろよいじめたって

51 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

喜ぶ人はいないし悲しむ人がいるだけだろ自分だってほんとは嫌だろ『死ね』

とか『消えろ』とか言葉の重さを知らないのに言うなよ」と言いました父親の

突然の死そのあと僕が考えたことも伝えました

 

友だちは黙って聞いてくれました僕の言葉にうなずいてそのあとK君の

ところへ行き「ごめん言葉の重さも知らずに言って本当にごめんぜったいに死ねなんて

ことは言わないそしていじめは絶対にしないほんとうにごめん」とあやまりましたK君

はとても優しい笑顔で「いいよ」と一言言いました僕もK君に言いました

「今まで助けてあげられなくてごめん」

K君は笑顔で「ありがとう」と言ってくれました今まで自分の中でもやもやしていた気持ちが

スーっと晴れました

 

今も時々耳にする暴言冗談半分で言っているのかもしれませんしかしいついじめにつ

ながるかわかりません他人を傷つけることで自分のストレスを晴らそうとしているのでしょう

関係ないふりをしようとする自分がいます楽な考え方をする自分がいますそんな時亡くなっ

た父の顔やK君の優しい笑顔を思い出しますあの時の自分のように強い気持ちを持とう「や

めろよ」と一言言うするとまた気持ちがスーっとしてきました

 

父の分も頑張って生き抜こうと決めた僕にとって正しいことを素直に認め悪いことを否定

できる強い意志を持つことが目標ですそして何よりも命を大切に今を大切にしていきたい

と思っています

入賞作文集 52

入賞作文

53 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

 

ぼくは今まで四つの外国に暮らしいろいろな国の人たちの中で育ってきた

 

まずタイで生まれてタイ人のメイドさんやドライバーさんにいつも遊んでもらっていた

らしい一才になると週一回の体操教室にも通いタイ人の友達もいたそうだ

 

次にシンガポールでは初めてナサリースクール(保育園)に通いいろいろな国の友達と

知り合ったプレイルームにある滑り台を滑る順番争いでいつも勝つのは体の大きい金髪の友

達だった

 

一回目の香港生活では英語の幼稚園に通ったその時のぼくの一番の友達はカナダ人だった

彼とはよくベイブレードをして遊んだが父が日本の出張で買ってきてくれた独楽や剣玉をして

遊ぶこともあった

村むら

瀬せ

 広ひろ

高たか

香港日本人学校中学部 二年

国境をこえて

海 外 作 品

今回は本選への応募とすることはできませんでしたが

 海外から寄せられた作品のうち一作品を御紹介します

入賞作文集 54

海外作品

 

それからインドでは日本人学校に通ったが夏休みには毎年アメリカンスクールのサマー

スクールに参加したし日本人のいない現地のテニススクールにも入り二年間通ったまたイ

ンドの現地幼稚園に通っていた妹のベストフレンドはコンゴ人でその兄弟もぼくの友達だった

 

そして三年間の日本生活を経て今また香港に戻ってきた

 

このようにぼくはいろいろな国でいろいろな国の人たちのお世話になりいろいろな国

の友達と遊んで育った肌が真っ黒な友達もゲームの話をすればすぐに仲良くなれたし髪が

金色の友達もポケモンの話をすれば気が合ったぼくは小さい頃から英語はうまくしゃべれ

なかったけれどもジェスチャーをつけたでたらめ英語でも充分に話は通じただからいろい

ろな国の人たちの中でぼくが日本人だからといって差別されたり嫌な思いをしたりしたこと

はないしぼくも肌の色が違うからとか言葉が通じないからという理由で違う人間だと思っ

たことはないそうぼくは外国人を差別したことはない

 

しかし本当にぼくは外国人を差別したことがないのだろうか外国人を差別した発言を一

度もしたことがないかと考えると自信がない

 

例えば香港人には赤信号でも平気で渡る人がたくさんいるそれを見てぼくは

「香港人はしょうがないな」

と思うでもよく見ると香港人全員が信号無視をしているわけではないまた

世界には今でも戦争をしている国がいくつもある

「人を傷つけ合うなんて馬鹿げている」

55 第30回全国中学生人権作文コンテスト

海外作品

とぼくは悲しくなるでもそれも好きで戦っている人がいるとも思えないその

人たちがそうなったのには何かきっと原因があるはずだ

 

逆に外国人から見ると日本人はどのように思われているのだろう

 

インドから日本に帰国した時毎日ごみがたくさん出ることにぼくはとても驚

いたインドの人たちがよく使う道端にあるカレー屋さんではバナナの葉で作ったお皿にカ

レーを入れてくれる食べた後そのお皿を道に捨てるとのら牛がその葉っぱを食べるそして

牛のふんは燃料になるというそれに比べて日本はちょっと歩くとペットボトルの飲み物が

買えファーストフードのお店では使い捨ての食器を使い立派なお菓子の箱を開けると中身が

少なくてがっかりすることもあるある時母が捨てたジャムの空きびんをメイドさんとエア

コンの修理にきていたワーカーさんとが取り合ってけんかをしていたこともあったそれを見

てぼくはあきれてしまったが逆にインド人から見ると使い捨て文化のしみついた日本人は

とんでもない人間にみえるのかもしれない国によって考え方や行動パターンが違うのは歴史

的背景や宗教習慣気候などのいろいろなことが関わっているのだと思う

 

このように考えると差別とはその人の一部しか見ていないことや自分のやり方だけが正

しいと思うことからおきるのではないかと思うその人が自分とは違った行動をとったとしても

それには深い理由があるのだろうと考えればきっと納得できると思うぼくもこれからは否

定的な発言をする前にその人たちのことをいろいろな角度から見て理解する努力をしてみよう

と思う外国との間には自分の国とは違う言葉や文化という壁があるとみんな言うがそこに

入賞作文集 56

海外作品

あるのは壁ではなく橋だとぼくは思う理解

し合おうという気持ちがあればきっと誰でも

その橋を渡っていけるはずだ気持ちの国境を

こえるのにパスポートはいらないお互いを理

解し合おうと思う気持ちが一番大切だと思う

そしてぼくはこれから日本人として生きる

のではなく地球人として生きていこうと思う

57 第30回全国中学生人権作文コンテスト

海外作品

法務局地方法務局名 郵便番号 所  在  地 電  話

金沢地方法務局人権擁護課920-0024 金沢市西念3-4-1金沢駅西合同庁舎(平成23年3月11日まで) 076-231-1244

921-8505 金沢市新神田4-3-10金沢新神田合同庁舎(平成23年3月14日から) 076-292-7804

富山地方法務局人権擁護課 930-0856 富山市牛島新町11番7号富山合同庁舎 076-441-6376

大阪法務局人権擁護部 540-8544 大阪市中央区谷町2丁目1番17号大阪第2法務合同庁舎 06-6942-9492

京都地方法務局人権擁護課 602-8577 京都市上京区荒神口通河原町東入上生洲町197番地 075-231-0131

神戸地方法務局人権擁護課 650-0042 神戸市中央区波止場町1番1号神戸第2地方合同庁舎 078-392-1821

奈良地方法務局人権擁護課 630-8305 奈良市東紀寺町3-4-1奈良第2法務総合庁舎 0742-23-5457

大津地方法務局人権擁護課 520-8516 大津市御陵町3番6号大津法務総合庁舎 077-522-4673

和歌山地方法務局人権擁護課 640-8552 和歌山市二番丁2番地和歌山地方合同庁舎 073-422-5131

広島法務局人権擁護部 730-8536 広島市中区上八丁堀6番30号広島合同庁舎 082-228-5790

山口地方法務局人権擁護課 753-8577 山口市中河原町6番16号山口地方合同庁舎2号館 083-922-2295

岡山地方法務局人権擁護課 700-8616 岡山市北区南方1丁目3番58号 086-224-5761

鳥取地方法務局人権擁護課 680-0011 鳥取市東町2丁目302番地鳥取第2地方合同庁舎 0857-22-2289

松江地方法務局人権擁護課 690-0886 松江市母衣町50番地松江法務合同庁舎 0852-32-4260

高松法務局人権擁護部 761-8077 高松市出作町585-4 087-815-5311

徳島地方法務局人権擁護課 770-8512 徳島市徳島町城内6番地6徳島地方合同庁舎 088-622-4171

高知地方法務局人権擁護課 780-8509 高知市栄田町2丁目2番10号高知よさこい咲都合同庁舎 088-822-3331

松山地方法務局人権擁護課 790-8505 松山市宮田町188番地6松山地方合同庁舎 089-932-0888

福岡法務局人権擁護部 814-0005 福岡市早良区祖原14-15福岡法務局西新出張所庁舎5階 092-832-4311

佐賀地方法務局人権擁護課 840-0041 佐賀市城内2丁目10番20号佐賀合同庁舎 0952-26-2148

長崎地方法務局人権擁護課 850-8507 長崎市万才町8番16号 095-826-8127大分地方法務局人権擁護課 870-8513 大分市荷揚町7番5号大分法務総合庁舎 097-532-3368

熊本地方法務局人権擁護課 862-0971 熊本市大江3丁目1番53号熊本第2合同庁舎 096-364-2145

鹿児島地方法務局人権擁護課 890-8518 鹿児島市鴨池新町1番2号 099-259-0684宮崎地方法務局人権擁護課 880-8513 宮崎市別府町1番1号宮崎法務総合庁舎 0985-22-5124

那覇地方法務局人権擁護課 900-8544 那覇市樋川1丁目15番15号那覇第1地方合同庁舎 098-854-1215

入賞作文集 58

問合せ先一覧

法務局地方法務局名 郵便番号 所  在  地 電  話

札幌法務局人権擁護部 060-0808 札幌市北区北8条西2丁目1番1札幌第1合同庁舎 011-709-2311

函館地方法務局人権擁護課 040-8533 函館市新川町25番18号函館地方合同庁舎 0138-23-9528

旭川地方法務局人権擁護課 078-8502 旭川市宮前通東4155番31旭川合同庁舎 0166-38-1114

釧路地方法務局人権擁護課 085-8522 釧路市幸町10丁目3番地釧路地方合同庁舎 0154-31-5014

仙台法務局人権擁護部 980-8601 仙台市青葉区春日町7番25号仙台第3法務総合庁舎 022-225-5739

福島地方法務局人権擁護課 960-8021 福島市霞町1番46号福島合同庁舎 024-534-1994

山形地方法務局人権擁護課 990-0041 山形市緑町1丁目5番48号山形地方合同庁舎 023-625-1321

盛岡地方法務局人権擁護課 020-0023 盛岡市内丸7番25号盛岡合同庁舎 019-624-9859秋田地方法務局人権擁護課 010-0951 秋田市山王7丁目1番3号 018-862-6533

青森地方法務局人権擁護課 030-8511 青森市長島1丁目3番5号青森第二合同庁舎 017-776-9024

東京法務局人権擁護部 102-8225 千代田区九段南1丁目1番15号九段第2合同庁舎 03-5213-1234

横浜地方法務局人権擁護課 231-8411 横浜市中区北仲通5丁目57番地横浜第2合同庁舎 045-641-7926

さいたま地方法務局人権擁護課 338-8513 さいたま市中央区下落合5-12-1さいたま第二法務総合庁舎 048-859-3507

千葉地方法務局人権擁護課 260-8518 千葉市中央区中央港1丁目11番3号千葉地方合同庁舎 043-302-1319

水戸地方法務局人権擁護課 310-0061 水戸市北見町1番1号水戸地方法務合同庁舎 029-227-9919

宇都宮地方法務局人権擁護課 320-8515 宇都宮市小幡2丁目1番11号宇都宮地方法務合同庁舎 028-623-0926

前橋地方法務局人権擁護課 371-8535 前橋市大手町2丁目10番5号前橋合同庁舎 027-221-4426

静岡地方法務局人権擁護課 420-8650 静岡市葵区追手町9番50号静岡地方合同庁舎 054-254-3555

甲府地方法務局人権擁護課 400-8520 甲府市北口1丁目2番19号甲府地方合同庁舎 055-252-7239

長野地方法務局人権擁護課 380-0846 長野市旭町1108番地長野第2合同庁舎 026-235-6634

新潟地方法務局人権擁護課 951-8504 新潟市中央区西大畑町5191番地新潟地方法務総合庁舎 025-222-1564

名古屋法務局人権擁護部 460-8513 名古屋市中区三の丸2丁目2番1号名古屋合同庁舎第1号館 052-952-8111

津地方法務局人権擁護課 514-8503 津市丸之内26番8号津合同庁舎 059-228-4193岐阜地方法務局人権擁護課 500-8729 岐阜市金竜町5丁目13番地 058-245-3181

福井地方法務局人権擁護課 910-8504 福井市春山1丁目1番54号福井春山合同庁舎 0776-22-5090

問合せ先一覧 (法務局地方法務局)

59 第30回全国中学生人権作文コンテスト

問合せ先一覧

世界人権宣言啓発書画「鳥」「自由と解放」を表わしたもの 小木太法書オタビオロス画(財)人権擁護協力会提供

入賞作文集 60

すべての人間は生まれながらにして

自由でありかつ尊厳と権利とに

ついて平等である人間は理性と

良心とを授けられており互いに同胞の

精神をもって行動しなければならない

―――

世界人権宣言 第一条

―――

第三〇回

 全国中学生人権作文コンテスト

中央大会表彰式

印  刷 平成23年1月25日

発  行 平成23年2月14日

発 行 者 法務省人権擁護局

全国人権擁護委員連合会

東京都千代田区霞が関一丁目1番1号

電話 03(3580)4111 内線5875

URL httpwwwmojgojpJINKEN

第30回全国中学生人権作文コンテスト中央大会審査員

感想をお聞かせください本作文集を読まれた感想等を下記の連絡先又はkeihatsumojgojpまでお寄せください

無断転載を禁じます本作文集に掲載された作文や写真等を地方自治体が広報誌に掲載したり学校が教材に使用される場合などにはあらかじめ下記に御連絡ください

100-8977 東京都千代田区霞が関一丁目1番1号 法務省人権擁護局人権啓発課 TEL03(3580)4111 内線5875

作  家(審査員長) 落 合 恵 子映画監督 山 田 洋 次社団法人日本新聞協会事務局長 川 嶋   明日本放送協会解説委員室解説委員 南   直 樹文部科学省初等中等教育局視学官 三 好 仁 司全国人権擁護委員連合会長 中 村 浩 紹法務省人権擁護局長   井 忠 雄

(敬称略)

【式次第】

第一部

 会

主催者あいさつ

賞状授与

内閣総理大臣賞法務大臣賞

文部科学大臣奨励賞法務副大臣賞

法務大臣政務官賞

全国人権擁護委員連合会長賞

社団法人日本新聞協会会長賞

日本放送協会会長賞(以上各一名)

法務事務次官賞(三名) 計一一名

学校への感謝状贈呈

高円宮妃殿下おことば

来賓祝辞

第二部

各受賞作文の朗読

内閣総理大臣賞法務大臣賞

文部科学大臣奨励賞

全国人権擁護委員連合会長賞

社団法人日本新聞協会会長賞

日本放送協会会長賞

 評

全国中学生人権作文コンテスト中央大会審査員

 山田洋次氏

 落合恵子氏(ビデオレター形式)

第三部

新垣勉さんコンサート

 会 平成二二年一二月一八日(土)

午後一時三〇分〜三時五〇分

於ニッショーホール

「いじめ」や暴力行為等は人権侵害です

法務局地方法務局では

人権侵害による被害を受けた方を

救済するための活動を行っています

お気軽にご相談ください

女性の人権ホットライン

インターネット人権相談受付窓口

ゼロナナゼロのハートライン

0570-070-810

子どもの人権110番ぜろぜろななのひゃくとおばん

 0120-007-110

パソコンから httpwwwmojgojpJINKENjinken113html携帯電話から httpwwwjinkengojpsoudanmobile001html

インターネット人権相談 検 索

Human Rights法務省人権擁護局全国人権擁護委員連合会

人権イメージキャラクター人KENあゆみちゃん人KENまもる君

全国共通通話料無料

全国共通ナビダイヤル

この冊子は環境保護印刷の「水なし印刷」で印刷されています

第30回全国中学生人権作文コンテスト入賞作文集

法務省人権擁護局全国人権擁護委員連合会

人権イメージキャラクター人KENまもる君人KENあゆみちゃん

この冊子には音声コードが各頁(奇数頁 左下偶数頁 右下)に印刷されています専用の読み上げ装置で読み取ると記録されている情報を音声で聞くことが出来ます

Human Rights法務省人権擁護局全国人権擁護委員連合会

 全国中学生人権作文コンテスト入賞作文集

 全国中学生人権作文コンテスト入賞作文集

第30回

がせまい土地に住んでいるのですから仕方がなかったのかもしれません

 

しかし今では原因も究明され海の安全も確認されたことでそのようなことはほとんどな

くなりました私たちは過去のことを忘れるくらい楽しくすごしています

 

私は今八代の中学校に通っています私は自分が水俣出身ということを隠すこともありませ

ん友だちもまたそのことを知っていますがからかったりいじめたりする人は誰一人いません

 

しかし先日水俣の中学校のサッカー部が練習試合中に相手チームの選手から

「さわるな水俣病がうつる」

と言われたという記事が新聞にのっていました今でもこういう風に思っている人がいるのか

と思うと残念で仕方ありません何気なく言った一言だったのかもしれませんがその一言は

私たち水俣に住む者にとって非常に悔しく悲しいものでした

 

小学校の総合的な学習の時間で水俣病について学習しました原因となった会社を訪問したり

患者の方から当時の話をきいたり交流も行いましたそんな中で苦労されたり何も言えずに

黙って亡くなった人のことを知り水俣に住んでいながら何も知らなかったことをはずかしく思

いました水俣病についてしっかり学び正しい知識を得ることが差別や偏見をなくすのだと気

付きました

 

中学校の道徳の時間ではハンセン病について学習しましたこれも水俣病同様

正しい知識がなかったためにおきた悲しく悔しい悲劇でした

 

私たちが差別や偏見をなくすためにできることそれはその人その出来事に

23 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

ついてしっかり知ること知ろうと努力すること正しい知識を深めるために学習

することではないかと思いますそうすれば水俣病やハンセン病のようにむや

みに人と人とが傷つけあったり憎しみあったりすることはなくなるのではないで

しょうか

 

先日テレビで水俣のダイバーが紹介されましたその人は本当はほこりたい水俣を心の中

にじっとしまいこみ誰にも言えず何年もの間生きてきた人でしたしかし水俣の地にも

どり自分はこのすばらしい美しいふる里を紹介したいと海にもぐり写真をとり続けておら

れるそうです心に差別という深い傷を負いながら水俣の再生を皆に知らせたいと頑張る人

がいることに感動しました

 

今水俣はごみの分別リサイクル事業など市民全員で環境にやさしい町づくりをすすめてい

ます私は差別や偏見から立ちなおり再生しようと環境問題に一生懸命とりくんでいるふる

里水俣をほこりに思っています

 

水俣では運動会等多くの行事で「水俣ハイヤ節」というものが踊られますこれは水俣病

の患者の方が水俣の青い海と豊漁を願って振りつけをされた踊りだそうです私たちと同じ思い

をする人が二度とでないことを祈りながら私たちは毎年皆でこの踊りを踊ります

 

水俣の悲しい過去を変えることはできませんが私はあやまちを二度とくりかえさないため

にこの美しい自然を守り真実を語り継いでいきたいですそして差別や偏見のない社会に

なるよう自分から努力していきたいと思います

入賞作文集 24

入賞作文

25 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

 

みなさんは「本当の『平和』とは」と質問されたら何と答えますか「戦争や紛争などが

ないこと」ですかそれとも「自分自身の幸せのこと」ですか一人ひとりの抱く「平和」のイ

メージは違うことでしょう

 

僕の思う本当の「平和」それは「家族」がいて「家庭」があることだと思いますなぜそう

思うかというと今僕は訳あって家族とは離ればなれに暮らしているからです一歳前後には既

に家族とは離れ施設にいました母親や姉兄の存在はわかっていますが一緒に過ごした時

間は限られたもので今でもほとんど交流はありませんそのせいか僕はいつも「家族」や「家

庭」というものに強い憧れを抱いています

 

自分がまだ幼い頃は自分と同じくらいの子が母親と手をつないでいる姿がとてもうらやまし

大おお

田た

 葵あおい

栃木県さくら市立喜連川中学校 三年

「家族」とは何か

法務大臣政務官賞

入賞作文集 26

入賞作文

「どうして自分には母親がいないんだろう」と思っていました仕舞いには自らの母親を恨ん

でしまったのです小学生になってもその気持ちは変わらず母親への恨みは増すばかりでした

 

しかし小学五年生の夏思いもよらぬ出来事が起きましたそれは引っ越しがあったこと

ですそこで僕は新しい土地そして新しい里親という人たちに出会いました里親の人たち

と暮らした数年間僕は幸せでしたそこで僕は僕の周りにはいつも支えてくれる人たちがい

ることに気づきました血のつながりがなくても僕に自分の子どものように接し育ててくれ

た里親の人たち養護施設の先生方などたくさんの方たちに僕は見守られて成長してきたこと

に気づいたのです僕を支えてくれる人すべてに感謝の気持ちがわき出てきましたそれ以来

僕は親という存在にこだわらなくなりましたそれどころか自分に命を与えてくれた親に感謝

の思いを抱くようになったのです

 

この夏母親の育児放棄が原因で二人の乳幼児が衰弱死するという悲しい事件がありました

二人の子どもにろくに食事も与えず風呂も入れなかったそうですさらに逮捕後その母親は

「家に帰ってあげなかったことを今も後悔している子どもは私を恨んでいると思う」

という言ってはならない発言をしました僕は怒る前に亡くなった二人の子ども

たちがかわいそうでなりませんでした

 

と同時に僕はこの母親はどうしてこのようなことをしてしまったのだろうと

すごく考えさせられました僕は本来親は子どもを殺すのではなく守るために

27 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

いるのだと考えますたとえ小さな子どもでも立派な一人の人間ですその命を

守り育てていくことが親として大切な役目だと思うのですこの母親はどこで

勘違いしたかは知りませんが親としての自分の責任を理解していなかったのでは

ないでしょうか

 

そしてその勘違いを誰も母親に気づかせてあげられなかった事実母親が一緒に遊び歩いて

いた友人はもちろん母親の家族が少しでも助けることができていたら母親の行動を戒めるこ

とができていたら連絡を受けた児童相談所がもう少し踏み込んだ行動が取れていたらこのよ

うな悲しい結末にはならずに済んだのではないでしょうかやりきれない思いばかりがこみあげ

てきます

 

もう一つこの母親は大きな勘違いをしていますそれは「子どもは私を恨んでいると思う」

という言葉です僕はこの子どもたちが母親を恨んでいるとは思えません子どもたちは母

親が帰宅するといつもハイタッチをして喜んで迎えたそうです子どもたちは母親のことが大

好きだったのでしょうたとえ自分たちを見放した母親でも恨んでいるとは決して思えないの

です

 

子どもは心の底から自分の母親のことを恨めないと僕は思いますこの世に生を受け笑った

り怒ったり泣いたりと毎日いろいろな経験ができるのは自分を生んでくれた母親という存在

があったからです正直僕も小さい頃は母を恨んだことがありました愛情の裏返しというよ

うに母親への思いが憎しみに変化してしまったのですでも心の底には母への恨みとは全く

入賞作文集 28

入賞作文

正反対の気持ちが存在し続けていましただ

からこそこの子どもたちがどんな思いで死

んでいったのかわかるような気がします母

親を信じひたすら母親の帰りをまちわびて

いた思いが

 

僕にとっての「家族」それは同じ屋根の

下で暮らす人々のことですたとえ血はつな

がっていなくても僕を支え励ましてくれる

人たちそのすべての人が僕にとっての大切

な「家族」なのです今僕の暮らす養護施設

にはいろいろな事情を抱えた二歳位から高

校生までの子どもたちや職員の方が約六十人

います今の僕には全員大切な「家族」で

す僕はこれからもこの「家族」を大切に

一日一日精一杯平和に生きていきたいです

29 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

 

授業でハンセン病について学んだ日両親と「偏見」や「差別」について口角泡を飛ばす議論

を深夜まで繰り広げた身体障害者の父と看護師の母を持つ私は幼い頃から「命の大切さ」を

訴える両親の姿を見て育って来たそんな私は真摯な気持ちからハンセン病罹患者と向き合い

たいと思いこの夏草津にある療養施設栗生楽泉園を訪れた

 

草津までの道のり私は罹患者の気持ちを絶えず考えていたハンセン病について調べると「ら

い予防法」により罹患者は隔離され人権を無視された扱いを受けたことが分かった罹患者の

言葉が書かれた本ではどんなに過酷な仕打ちを受けたか他人をどれほど恨み憎んでいるか

が書かれていたその為私は無意識の内に「罹患者は全員恨みを抱いている」と勝手に思い込

んでいたしかしこんな思い込み自体が偏見や差別を生む原因になるということを後に思い知

大おお

井い

 海み

琴こと

群馬県群馬大学教育学部附属中学校 三年

忘れてはならないこと

全国人権擁護委員連合会長賞

入賞作文集 30

入賞作文

らされることになるのである

 

私を迎えてくれたのは入園者自治会長の藤田三四郎さん藤田さんは大変お元気でその容姿

からはハンセン病を伺い知ることはできなかったしかし藤田さんは紛れもない罹患者なのだ

その証拠に藤田さんの名は本名ではない罹患者は施設に入所するにあたり偽名を使用させら

れたと言うつまりその時点で罹患者は世間から存在を消されてしまうのであるそんな藤田

さんから語られた話はハンセン病だと宣告され三度も命を絶とうとしたこと重症患者の看

護を押しつけられ数え切れない人を看取り自らの手で葬ったこと家族が受けた迫害や侮辱的

な言葉など想像を絶するもので筆舌し難いものだったしかしこんな迫害と差別は同時にハ

ンセン病患者達の人権回復闘争の歴史でもあったのだ闘争の末「らい予防法」が廃止される

と今まで差別や人権侵害を繰り返していた多くの人が掌を返す様に態度を変えたと言う私は聞

いていて怒りを覚えたが不思議なことに耳を塞ぎたくなる様な内容を語る藤田さんからは全

く怒りや恨みが感じられないのだ私は話を聞くまで自分の運命を呪い周囲への恨みつらみ

の言葉が出てくるとばかり思っていたしかし出てきた言葉は「入園出来て良かった差別は

受けたが今では恨みを抱く罹患者も少なくなったそればかりか最近はたくさんの人が我々を

理解し協力してくれるので嬉しい何故なら一人の百歩は力が無いが百人の一歩

は力になるから」と言う感謝の言葉だったのだ本当に「恨みは無いのか」と何度

聞いても答えは同じだった私は恥ずかしくなったハンセン病について調べ罹

患者の心を理解したようなつもりでいながら実は何も理解できてなくてそれば

31 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

かりか罹患者を偏見の眼で見ていたのは私自身だったのだ私は話を聞いてとめ

どなく溢れ出る涙を拭いながら心の片隅に潜んでいた「偏見と言う名の種」が身

体から洗い流されていくのを感じていたそれは同時に「思い込みや無知が偏見

や差別を生みだす」ことを強く感じた瞬間でもあったそれだけに藤田さんの「自

分と同様に他人を愛すればいつか必ず世界から差別はなくなる他人を愛して下さい」の慈愛に

満ちた言葉が一層重く腑に落ちるのだった

 

帰りがけ千五百ページにも及ぶ「入所者証言集」を手渡されたその際私は見えない襷も

手渡された気がしたその襷とは証言集に記された罹患者の「事実を風化させないで私達の事

を忘れないで」という搾り出すような叫び声とその姿だったのである

 

ハンセン病が治る病気であるのに誤った知識から悲惨な人権侵害が長期に渡り続いた同じ間

違いを繰り返さないためにも事実を語りついで行く必要があるここ楽泉園でも高齢化が進み

証言者の数が減っているこれは全国一五全てのハンセン病療養所に共通することだハンセン

病問題は罹患者がいなくなればそれで終わると言う問題ではない今後人権問題を考える際重

要な指針になりうる事実なのだそしてこの事実の風化を防ぐことが私達若い世代の役目だと

私は思う

 

私は小六の時友人達から突然イジメを受けたそれを引きずり他人を恐れ憎み自分を

嫌って生きて来たしかし罹患者の声が私に生きる力と前を向いて歩む勇気を与えてくれた

楽泉園訪問は私に人生観が変わる程の衝撃を与えてくれたのだこんな私だが罹患者の声を伝

入賞作文集 32

入賞作文

える「百人の中の一人」にはなれるはず

だそのために私は今この作文を書い

ている文字は時を越えて生き続けるか

ら私はこれからも楽泉園訪問を続ける

つもりだ実際に中学生の私が出来るこ

とには限りがあるが差別や偏見を少し

でも減らすために一歩を踏み出すつもり

でいる「自分と同様に他人を愛すれば

いつか差別は無くなる」と言う藤田さ

んの言葉を胸に

33 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

 

森に囲まれたその一画には教会や寺院神社があり小さなショッピングセンターやレスト

ランもある床屋や図書館郵便局や浴場もあるしかしそれらの施設を利用するのはその一

画に住む人たちだけだ緑の外側に住む人が利用することはないそこはハンセン病の療養所

多磨全生園である

 

僕は七年前に清瀬市に引っ越してきた夏のある日昆虫が大好きな僕は何気なくその森の

中に入って行ったそして歩き回っているうちにその場所が一つの「町」であることに気付

いた

 

毎日セミやカマキリやナナフシを探しながらどうしてこんな所があるのだろうと思った

 

僕が一番不思議に思ったのは古い木造の小学校だいつも誰もいない校舎と小さな運動場近

久く

米め

 一かず

輝き

埼玉県学校法人立教学院立教新座中学校 一年

ハンセン病について考えたこと

社団法人日本新聞協会会長賞

入賞作文集 34

入賞作文

くに小学校があるのにどうしてこんな所に小学校があるのだろう小学一年生の僕はとても不思

議に思った

 

夏に地域交流を目的とした盆踊りと花火大会が行われるいつもは人のいない小学校跡は多く

の人であふれかえり普段は見かけない重い後遺症の老人たちもこの日は外に出て盆踊りを楽し

む初めて参加したときは言葉が出なかった正直「怖い」と思った

 

夏が来るたびに僕は盆踊り大会に参加した低学年から高学年へと進むにつれて少しずつハ

ンセン病のことが分かってきた

 

六年生のときに社会科見学で全生園の元患者を訪れることになっただが僕は都合で参加で

きなかった僕はそれをずっと悔やんでいる

 

今年の夏僕はハンセン病資料館に出かけた見学者は僕一人でとても緊張したなるべく

音を立てないようにパネルを見て回った

 

強制隔離の現実にとても驚いた狭い部屋に押し込められ症状の軽い患者が重症の患者の世

話をしたという子供を持つ権利や生まれる赤ん坊の命まで奪われていた逃げ出したり反抗的

な患者は「不良患者」と呼ばれ窓の小さな暗い監房に閉じ込められた

 

医学が進歩し療養所も徐々に改善されていったが強制隔離を命じる「らい予防

法」が廃止されたのは一九九六年だという隔離が始まった一九〇八年から約九〇

年も経っていた僕が生まれるほんの一年前のことである特効薬が開発され本

格的な治療が始まったのは昭和二十二年である現実に合わない法律を廃止するの

35 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

にどうしてそんなに時間がかかったのだろうか

 

資料をもらってハンセン病資料館を後にした家を出るときは帰りに虫の観察

をするつもりだったがとてもそんな気にはなれなかったいつもセミが集まる桜

の木には目もくれずに早足で家に帰った

 

資料の中で一番心が痛んだのは療養所の子供たちのことだ療養所に入所したのはハンセン

病を発症した子どもたちだけではない親が発症したために入所する子どもたちもいた当時は

ハンセン病は遺伝病だとされていたからだ親から無理やり引き離された子どもたちは「すぐに

帰れるから」という言葉を信じていたというしかし一生療養所を出ることができなかった人が

多かったという社会的な差別がひどかったからだと資料に書かれていたが僕には実感がわか

なかったのでもう少し調べてみることにした

 

図書館で『ハンセン病を生きて』(伊波敏男著)という本を見つけた少し難しかったが差

別の現実が僕にもわかる部分があったそれは元患者たちに対して書かれた匿名のひどい手紙

である長年隔離されて苦しんできた人たちをさらに傷つける言葉が並んでいた悲しく暗い

気持ちになった

 

日本は経済大国として世界の注目を浴びているだが人権意識の面ではどうだろう「らい

予防法」を二〇世紀の末まで廃止できなかったことをどう考えたらよいのだろうか明治時代に

隔離が始まったときそれは外国に対する体面を保つためだったという病気の人を治療するの

ではなく「隠す」のが目的だったのだいまだに差別意識を持つ人がいるのは社会がそうした

入賞作文集 36

入賞作文

過去に対する反省をしていないから

だと思う

 

僕が不思議に思った小学校はすで

に取り壊されて今では小さな石碑

だけが残っている老朽化がひどく

残しておくことができなくなったか

らだという全生園の古い建物はど

んどん取り壊されていく石碑だけ

ではあの不思議さが伝わらないのが

とても残念だ

37 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

 

僕の曾祖父は医者嫌いでしたそのため腹痛で病院に運ばれた時は膵臓癌の末期で余命三ヶ

月でした手術もできない手遅れの状態でした家族皆で話し合い曾祖父の辛い気持ちを第一に

考え曾祖父に病を隠すことになりました曾祖父は次第に病院の中を歩いては転倒し体中あ

ざだらけになりベッドの上で縛られることになっていました曾祖父は病名の宣告を受けてい

ないため元気で歩けると思っているが実際歩くと転んでしまう何でこんな風になってしまっ

たのかさえわからない

 

家族と病院に行くと「包丁もてこいこれぶった切って家さ帰る」と騒いでいましたあん

なに優しかった曾祖父の姿に言葉も出ず恐いくらいでした何も知らされずベッドに縛り付

けられれば誰もがそうなることでしょう「じいちゃんどご一緒に車さのせでいてくれの」と

櫻さくらだ田

 要かな

太た

山形県酒田市立松山中学校 三年

日本放送協会会長賞

悔いのない最期を

入賞作文集 38

入賞作文

せがまれたときもありますかわいそうで涙がポロポロこぼれました「おじいちゃんどご家

さ連れで帰ろうよ」とせがんでも家族も仕事で忙しいためか誰も首を縦に振ってくれず病院

にいた方が安心ということになりました膵臓癌は予想以上に激しい痛みのため医師から強い

痛み止めと強い睡眠剤を勧められましたがそれを導入することにより安楽死に近い状況にな

ることも医師から告げられていました家族は決断をせまられました曾祖父に相談もせずに決

めていいことなのか家に帰りたい曾祖父の意志は封じ込められたままでいいのか家族で悩み

ました結局痛みに耐えている姿は見ていられなくその薬を使うことになりましたその後

曾祖父は次第に弱っていき口も利けなくなり静かに亡くなっていきました僕はどこか心を

引きずったままでした僕達家族が曾祖父に宣告もせず意見も聞かず命の長さを決めてしまっ

たこと当時幼かった僕には何もしてあげられなかったことが今思い出しても残念です

 

最近授業で人権について学習しているときに幼い頃の記憶がよみがえりふと曾祖父のこと

を思い出しました

 

曾祖父はどんな思いで亡くなったのだろう最後に意識のあるうちに一度でいいから家に帰っ

てきたかっただろう身体拘束は今は病院でも禁止されていると思いますがあの頃は確かに曾

祖父のおなかに黒いベルトのようなものが巻きついていました決して自分の力で

は外せないようなものでしたもがき苦しむ曾祖父の姿を見た時に看護師さんに

目を隠され別の部屋に連れて行かれました見せたくない光景だったのだと思いま

すでもあの姿は僕の脳裏に焼き付いています病院の中での人材不足のためだっ

39 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

たのでしょうか人が人らしく生きていない姿でした

 

七十八年生きてきて何も悪いことをしていないのに縛られ家にも帰れない

病気で余命幾ばくもない人には人権というものは存在しないのでしょうか最近の

医療の現場では自己決定権があることについて学びました

 

仏壇に向かい静かに目を閉じると優しく穏やかに微笑む曾祖父の笑顔が浮かびますどんな

気持ちで亡くなっていったのかその気持ちを考えると苦しい気持ちになります野球の大会に

行く前仏壇に手を合わせます「やればできる努力しろ」とよく励ましてくれました曾祖

父の力には何もなれなかったけれど目には見えない力で応援してくれる曾祖父に線香をあげて

自分を省みる時があります曾祖母が元気なので曾祖父を助けられなかった分曾祖母の力に

なっていくことを曾祖父に約束しています

 

夏休み中のニュースで高齢者の所在不明者が多数のため百歳以上の安否確認調査をしていま

した自分の親を平気で捨て遺骨さえもひきとらない亡くなっていたのに年金を不正受給する

ために隠していたなど耳をふさぎたくなるような事件もありました犬や猫が年をとって弱っ

てきた手がかかるから面倒だからと捨ててしまうそれと同じ現象が弱い高齢者にも及んでき

ているのだと思います

 

やはりこの世に生まれてきたもの全てに自分の意志で生きることを決めていける権利がある

と思います長い年月を苦労や努力と向き合いながら精一杯生きてくれたおかげで今の幸せが

あることを忘れずにいたい人はいずれ誰でも年をとります自由に動けなくなった時に自分の

入賞作文集 40

入賞作文

願いが叶う社会を築き「悔いなく満足で楽しく幸せな人生だった」と思えるように人とし

ての誇りを持って満足できる最期を迎えられるように考えていきたいもう二度と僕が見た自

己決定権のない社会にならないように高齢者には今までの感謝の気持ちで本人の希望をでき

るだけ叶えられるように努力していきたいいずれ僕達も迎える高齢社会だからhellip

41 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

 

私は小学六年生の時から盲導犬候補の子犬を育てるボランティアをしています「犬を飼っ

てみたい」と言う私に両親が「せっかく犬を飼うのなら社会に役立つことをしよう」と提案

したからです生後二ヵ月の子犬を預かり一歳の誕生日を迎えるまで世話をするのがボランティ

アの役目です初めて訓練士さんから子犬を手渡された時は不安でドキドキしましたが子犬は

すぐに私の腕の中で眠ってしまいました初めて会った私のことを信頼して安心しきった寝顔

で眠っている姿は本当に可愛かったですラブラドールの子犬はとてもやんちゃで私の家にやっ

て来たその日からいたずらばかりしていましたがしかられてもクヨクヨせずどんな相手にも

 林はやし

 里り

咲さ

東京都小平市立小平第六中学校 三年

差別のない社会に

(パピーウォーカーの経験から学んだこと)

法務事務次官賞

入賞作文集 42

入賞作文

フレンドリーに近づいていく姿から私は明るく前向きに生きることを教わりました子犬たち

と過ごした日々は私にとって一番の宝物ですそしてあっという間に一歳の誕生日がやって来ま

した誕生日が悲しいという経験は初めてでした訓練所への入所日の前日には長い長い散歩を

して最後のお別れをしました「今までありがとう」そう言った私のことを不思議そうに見てい

た子犬の顔が今も目に焼きついています別れは本当につらいけれど涙を見せたら子犬が心配す

るので頑張って笑顔で見送りました

 

私の家で育てた一頭目の子犬は現在盲導犬になって頑張っていますそして今年四月に巣立っ

ていった二頭目の子犬は神奈川にある訓練センターで訓練中です

 

このボランティアを通して私は多くのことを学びましたまず盲導犬の役割ですがこれは単

に目の不自由な方が便利に一人でどこへでも行けるようにするためだけではありません視覚障

がいのある方にとって人の手をわずらわせるのはとてもつらいことなのだそうですたとえ家

族に対してでも「迷惑をかけるのではないか」と思って我慢することが多く「私なんかいない

方がいいんじゃないか」と考えてしまうこともあったといいますその失われそうになった尊

厳を取り戻す手助けをするのが盲導犬の役目なのです犬は訓練を共にするパートナーのことを

大好きになるので「自分は他者からこんなにも大好きになってもらえる存在なん

だ」と気づいて自信を取り戻し新しい一歩を踏み出せるようになるのだそうです

 

また私がボランティア登録している日本盲導犬協会では二〇〇八年に新しい

試みが始まりました受刑者が盲導犬候補の子犬を育てる動物を介在した日本初

43 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

の教育プログラムです罪を犯した人も心から反省してきちんと罪を償えば社会

は差別することなく受け入れるべきですしかし実際はとても偏見が多く元受刑

者たちは「どうせ自分はだめな人間なんだ」と思い再び罪を犯してしまう悪循環

が起こっているそうですその悪循環を断ち切り受刑者たちがスムーズに社会復

帰を果たせるよう支援するのが「あさひ盲導犬パピープロジェクト」です受刑者たちは約十ヵ

月の間子犬たちを世話しながら一緒に過ごし「役に立つ喜び達成する喜び信頼される喜び」

を感じることで自分の価値を再確認するのだそうです今年一月に第一期のプロジェクトを修了

した受刑者の感想に次のようなものがありました

 「今後自分もパピーに笑われないようにきちんとしなければならないパピーは慈しむこと

寛容の心を教えてくれました」

 

犬は決して差別をしません健康な人にも障がいのある人にもお金持ちにも貧しい人にも

権力のある人にも犯罪を犯した人にも全く同じように接してくれますそんな犬たちと一緒に過

ごすことで自信をなくした人たちも自分のことをかけがえのない大切な存在であると思えるよ

うになるのです

 

私たち人間も差別のない社会をつくる努力をしなければならないと思います一人一人が相

手を大切に思う心を忘れなければこの社会はもっと住み良い場所になるはずです私はこのボ

ランティアを通して学んだことを生かしてこれからも一層努力していきたいと思います

入賞作文集 44

入賞作文

45 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

 

僕は祖父のために自助具を作ろうと思った祖父は去年の夏脳梗塞で倒れた祖父は一命

を取り留めたものの右手と右足がまひしてしまったのだその三週間前僕も車椅子から転倒し

て足を骨折した

 

僕には障害がある車椅子で生活することが多いしかし僕のことを障害者だといって差別

するような友達は一人もいない

 

祖父は歩けるようになりたいという気持ちが強かっただからリハビリを頑張り自分で

歩けるようになるまで回復した頑張っている祖父がかっこいいと僕は思った祖父はリハビ

リを頑張ったにも関わらず右手がうまく動かせなくなってしまっただからご飯を食べる時も

服を着替える時も時間がかかる普段何気なくやっていた動作がとても大変だと祖父は言ってい

守もり

田た

 幸こう

平へい

静岡県静岡大学教育学部附属浜松中学校 三年

祖父への靴下

法務事務次官賞

入賞作文集 46

入賞作文

た僕も何か役に立てることはないかと考えた

 

僕の学校には総合学習という授業があるそこで僕は福祉というカテゴリーを選んだ自

分で社会に役立てることを考え実際に行動することが目標だった僕は障害者のために何が

できるかを考えた

 

僕は二年前に静岡文化芸術大学で障害者がいかに日常生活で不自由のない生活ができるかを

考えるプロジェクトがあるのを新聞で知ったそれは大学生たちが個人個人にあった自助具を

作るプロジェクトだった僕は障害者のために何かできるのではと感じた

 

僕は静岡文化芸術大学へ行って僕にもできることがないかと聞いたすると学生さんが

自助具を作ってみないかと声をかけてくれた僕は迷わず「はい」と言った障害者のために

役に立てることがあると思うとすばらしいことだと思ったからだ

 

祖父のつらい顔を見ると日常生活に数々の大きな壁があることが伝わってくる

 

僕は祖父の数々の大きな壁を突き破ろうと思った祖父のために自助具を考え作ろうと僕

は思った祖父が靴下の脱ぎ履きが大変だと言っていたことを思い出したそこで脱ぎ履きし

やすい靴下はできないか考えた靴下の両脇にひもを取り付けてそれを引っ張ると靴下が縮み

脱ぎ履きしやすくなる仕組みだ大学の先生も良いアイディアだと言って褒めてく

れたこれは障害者だけでなく健常者にも使えると言われたユニバーサルデザ

インだと分かった

 

ユニバーサルデザインは年齢や障害の有無にかかわらず全ての人が使いやす

47 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

いように工夫された用具などのデザインである境界がなくなるように健常者が障

害者に対する偏見を考え差別意識がなくなるチャンスだと思った障害者と健常

者が共によりよく生きることが大切だと僕は思った

 

自助具の作品展では杖をついているお年寄り車椅子に乗った若い女性目の

見えない人福祉関係者など沢山の人々が観に来ていた皆自分の生活を良くしようと思っ

ているようだったまた障害者のためにできることは何だろうかと考えている健常者もいるよ

うだった

 

二年生の時の総合学習では二箇所のデイサービスを訪問したデイサービスには六十五歳以

上のお年寄りがいた暗く元気のない人明るく振る舞い誰とでも話せる人など様々だった

しかし僕が一番印象に残ったのは笑顔を絶やさず優しくお年寄りに接していた介護士だった

お年寄りの中には悩みを抱えている人が多いそうだその悩みを解消させる人もまた介護士だっ

た僕は介護士がお年寄りの体を支えるだけではなく心もそっと支えて生きる喜びを与え

ているのだと感じた

 

現代は三世代で暮らす家族が減り核家族が増えているそれはお年寄りの世話が大変だ

からという理由が多いだから老人ホームやデイサービスに預ける人が増えていると僕には

思えたお年寄りの中には自分が嫌われているのではないかとさえ思ってしまう人もいるそう

だそれはお年寄りにとって辛く悲しいことだと思うある介護士がこんなことをおっしゃっ

ていた「人の優しさはお金では買えない」誰にでも優しい心があると思うしかしあと一歩

入賞作文集 48

入賞作文

のところで行動に移すことができない人が多いの

だ僕たちが平和な社会で暮らせるのは今まで

頑張ってきてくれたお年寄りのお陰であることを

忘れてはいけないお年寄りを大切にすることは

当たり前のことなのだ

 

また障害者に対しても偏見の目で見ないで

そっと近づいて手を貸してあげれば健常者との

高い大きな壁を崩すことができると思う

 

障害者にも高齢者にもまた健常者にも人権

はあるお互いの人権を大切にすることが明る

い未来に繋がっていくのだと思う

 

早く祖父に僕の作った靴下を届けたい

49 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

 

僕は小学校六年生まで福岡県に住んでいましたそこで僕が体験したことです五年生のこ

ろ僕の友だちのA君が同級生のK君の靴を隠したりからかったりしていることがよくあり

ました最初は僕もあまり気にしていませんでしたがK君のことを「なんだかかわいそう」と

思うようになりました

 

ある日僕は勇気をだして先生に「K君がいじめにあっています」と報告しました初め先生は

「じゃれ合っているだけだろう」と「いじめ」とは思ってくれませんでしたでもその後「いじ

め」と分かりA君は先生に注意されその日一日は反省した様子で過ごしていましたしかし

次の日学校に行くといじめは前以上にエスカレートしていて蹴ったりたたいたりするように

なりましたしかも「死ね」「うざい」「消えろ」などの言葉が飛び交うようになりそんな日々

法務事務次官賞

浦うら

谷たに

 毅たける

徳島県三好市立池田中学校 三年

いじめをなくすために今

入賞作文集 50

入賞作文

が続きました

 

それは六年生になっても続きました僕はそのいじめを止めることができず毎日見て見ぬ

振りをしていました今思うと自分がとても恥ずかしいです本当の友達なら止めるべきなの

にそれだけではなくいじめられているK君に声一つかけることができずにいました心の中

ではA君に「やめろよ」と言おうと思っていたけどなぜか勇気が出ませんでした次にい

じめられるのが自分になるのが恐くて言えなかったのです

 

そんな日々が続く中僕の気持ちを大きく変える出来事がありました父の死ですそのとき

のことは今でも忘れることができません聞いたときには頭の中が真っ白になりました最初

は信じることができませんでした一週間も二週間も学校に行けずただぼーっと過ごしてい

ましたいろんなことを考え徐々に「死」というものの悲しさつらさ「死」という意味の

重さがわかってきましたそして時間はかかりましたが「命は一瞬にして消え二度と戻っ

てこないものだだから命を大切に今を大切にしなければならない」と深く受け止めることが

できるようになりましたそして周りの子たちは僕のような経験がないから「死ね」とか軽々

しく言えるのだろうと思いこの気持ちを伝えなくてはならないと考えました僕が強くならな

くてはと思いました

 

こんな気持ちになったとき僕には時間がありませんでした母の実家がある徳

島への引っ越しが一週間後に決まっていたのです落ち込んでいる暇は無いと思

い学校に行った僕はA君に言いました「いじめなんかやめろよいじめたって

51 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

喜ぶ人はいないし悲しむ人がいるだけだろ自分だってほんとは嫌だろ『死ね』

とか『消えろ』とか言葉の重さを知らないのに言うなよ」と言いました父親の

突然の死そのあと僕が考えたことも伝えました

 

友だちは黙って聞いてくれました僕の言葉にうなずいてそのあとK君の

ところへ行き「ごめん言葉の重さも知らずに言って本当にごめんぜったいに死ねなんて

ことは言わないそしていじめは絶対にしないほんとうにごめん」とあやまりましたK君

はとても優しい笑顔で「いいよ」と一言言いました僕もK君に言いました

「今まで助けてあげられなくてごめん」

K君は笑顔で「ありがとう」と言ってくれました今まで自分の中でもやもやしていた気持ちが

スーっと晴れました

 

今も時々耳にする暴言冗談半分で言っているのかもしれませんしかしいついじめにつ

ながるかわかりません他人を傷つけることで自分のストレスを晴らそうとしているのでしょう

関係ないふりをしようとする自分がいます楽な考え方をする自分がいますそんな時亡くなっ

た父の顔やK君の優しい笑顔を思い出しますあの時の自分のように強い気持ちを持とう「や

めろよ」と一言言うするとまた気持ちがスーっとしてきました

 

父の分も頑張って生き抜こうと決めた僕にとって正しいことを素直に認め悪いことを否定

できる強い意志を持つことが目標ですそして何よりも命を大切に今を大切にしていきたい

と思っています

入賞作文集 52

入賞作文

53 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

 

ぼくは今まで四つの外国に暮らしいろいろな国の人たちの中で育ってきた

 

まずタイで生まれてタイ人のメイドさんやドライバーさんにいつも遊んでもらっていた

らしい一才になると週一回の体操教室にも通いタイ人の友達もいたそうだ

 

次にシンガポールでは初めてナサリースクール(保育園)に通いいろいろな国の友達と

知り合ったプレイルームにある滑り台を滑る順番争いでいつも勝つのは体の大きい金髪の友

達だった

 

一回目の香港生活では英語の幼稚園に通ったその時のぼくの一番の友達はカナダ人だった

彼とはよくベイブレードをして遊んだが父が日本の出張で買ってきてくれた独楽や剣玉をして

遊ぶこともあった

村むら

瀬せ

 広ひろ

高たか

香港日本人学校中学部 二年

国境をこえて

海 外 作 品

今回は本選への応募とすることはできませんでしたが

 海外から寄せられた作品のうち一作品を御紹介します

入賞作文集 54

海外作品

 

それからインドでは日本人学校に通ったが夏休みには毎年アメリカンスクールのサマー

スクールに参加したし日本人のいない現地のテニススクールにも入り二年間通ったまたイ

ンドの現地幼稚園に通っていた妹のベストフレンドはコンゴ人でその兄弟もぼくの友達だった

 

そして三年間の日本生活を経て今また香港に戻ってきた

 

このようにぼくはいろいろな国でいろいろな国の人たちのお世話になりいろいろな国

の友達と遊んで育った肌が真っ黒な友達もゲームの話をすればすぐに仲良くなれたし髪が

金色の友達もポケモンの話をすれば気が合ったぼくは小さい頃から英語はうまくしゃべれ

なかったけれどもジェスチャーをつけたでたらめ英語でも充分に話は通じただからいろい

ろな国の人たちの中でぼくが日本人だからといって差別されたり嫌な思いをしたりしたこと

はないしぼくも肌の色が違うからとか言葉が通じないからという理由で違う人間だと思っ

たことはないそうぼくは外国人を差別したことはない

 

しかし本当にぼくは外国人を差別したことがないのだろうか外国人を差別した発言を一

度もしたことがないかと考えると自信がない

 

例えば香港人には赤信号でも平気で渡る人がたくさんいるそれを見てぼくは

「香港人はしょうがないな」

と思うでもよく見ると香港人全員が信号無視をしているわけではないまた

世界には今でも戦争をしている国がいくつもある

「人を傷つけ合うなんて馬鹿げている」

55 第30回全国中学生人権作文コンテスト

海外作品

とぼくは悲しくなるでもそれも好きで戦っている人がいるとも思えないその

人たちがそうなったのには何かきっと原因があるはずだ

 

逆に外国人から見ると日本人はどのように思われているのだろう

 

インドから日本に帰国した時毎日ごみがたくさん出ることにぼくはとても驚

いたインドの人たちがよく使う道端にあるカレー屋さんではバナナの葉で作ったお皿にカ

レーを入れてくれる食べた後そのお皿を道に捨てるとのら牛がその葉っぱを食べるそして

牛のふんは燃料になるというそれに比べて日本はちょっと歩くとペットボトルの飲み物が

買えファーストフードのお店では使い捨ての食器を使い立派なお菓子の箱を開けると中身が

少なくてがっかりすることもあるある時母が捨てたジャムの空きびんをメイドさんとエア

コンの修理にきていたワーカーさんとが取り合ってけんかをしていたこともあったそれを見

てぼくはあきれてしまったが逆にインド人から見ると使い捨て文化のしみついた日本人は

とんでもない人間にみえるのかもしれない国によって考え方や行動パターンが違うのは歴史

的背景や宗教習慣気候などのいろいろなことが関わっているのだと思う

 

このように考えると差別とはその人の一部しか見ていないことや自分のやり方だけが正

しいと思うことからおきるのではないかと思うその人が自分とは違った行動をとったとしても

それには深い理由があるのだろうと考えればきっと納得できると思うぼくもこれからは否

定的な発言をする前にその人たちのことをいろいろな角度から見て理解する努力をしてみよう

と思う外国との間には自分の国とは違う言葉や文化という壁があるとみんな言うがそこに

入賞作文集 56

海外作品

あるのは壁ではなく橋だとぼくは思う理解

し合おうという気持ちがあればきっと誰でも

その橋を渡っていけるはずだ気持ちの国境を

こえるのにパスポートはいらないお互いを理

解し合おうと思う気持ちが一番大切だと思う

そしてぼくはこれから日本人として生きる

のではなく地球人として生きていこうと思う

57 第30回全国中学生人権作文コンテスト

海外作品

法務局地方法務局名 郵便番号 所  在  地 電  話

金沢地方法務局人権擁護課920-0024 金沢市西念3-4-1金沢駅西合同庁舎(平成23年3月11日まで) 076-231-1244

921-8505 金沢市新神田4-3-10金沢新神田合同庁舎(平成23年3月14日から) 076-292-7804

富山地方法務局人権擁護課 930-0856 富山市牛島新町11番7号富山合同庁舎 076-441-6376

大阪法務局人権擁護部 540-8544 大阪市中央区谷町2丁目1番17号大阪第2法務合同庁舎 06-6942-9492

京都地方法務局人権擁護課 602-8577 京都市上京区荒神口通河原町東入上生洲町197番地 075-231-0131

神戸地方法務局人権擁護課 650-0042 神戸市中央区波止場町1番1号神戸第2地方合同庁舎 078-392-1821

奈良地方法務局人権擁護課 630-8305 奈良市東紀寺町3-4-1奈良第2法務総合庁舎 0742-23-5457

大津地方法務局人権擁護課 520-8516 大津市御陵町3番6号大津法務総合庁舎 077-522-4673

和歌山地方法務局人権擁護課 640-8552 和歌山市二番丁2番地和歌山地方合同庁舎 073-422-5131

広島法務局人権擁護部 730-8536 広島市中区上八丁堀6番30号広島合同庁舎 082-228-5790

山口地方法務局人権擁護課 753-8577 山口市中河原町6番16号山口地方合同庁舎2号館 083-922-2295

岡山地方法務局人権擁護課 700-8616 岡山市北区南方1丁目3番58号 086-224-5761

鳥取地方法務局人権擁護課 680-0011 鳥取市東町2丁目302番地鳥取第2地方合同庁舎 0857-22-2289

松江地方法務局人権擁護課 690-0886 松江市母衣町50番地松江法務合同庁舎 0852-32-4260

高松法務局人権擁護部 761-8077 高松市出作町585-4 087-815-5311

徳島地方法務局人権擁護課 770-8512 徳島市徳島町城内6番地6徳島地方合同庁舎 088-622-4171

高知地方法務局人権擁護課 780-8509 高知市栄田町2丁目2番10号高知よさこい咲都合同庁舎 088-822-3331

松山地方法務局人権擁護課 790-8505 松山市宮田町188番地6松山地方合同庁舎 089-932-0888

福岡法務局人権擁護部 814-0005 福岡市早良区祖原14-15福岡法務局西新出張所庁舎5階 092-832-4311

佐賀地方法務局人権擁護課 840-0041 佐賀市城内2丁目10番20号佐賀合同庁舎 0952-26-2148

長崎地方法務局人権擁護課 850-8507 長崎市万才町8番16号 095-826-8127大分地方法務局人権擁護課 870-8513 大分市荷揚町7番5号大分法務総合庁舎 097-532-3368

熊本地方法務局人権擁護課 862-0971 熊本市大江3丁目1番53号熊本第2合同庁舎 096-364-2145

鹿児島地方法務局人権擁護課 890-8518 鹿児島市鴨池新町1番2号 099-259-0684宮崎地方法務局人権擁護課 880-8513 宮崎市別府町1番1号宮崎法務総合庁舎 0985-22-5124

那覇地方法務局人権擁護課 900-8544 那覇市樋川1丁目15番15号那覇第1地方合同庁舎 098-854-1215

入賞作文集 58

問合せ先一覧

法務局地方法務局名 郵便番号 所  在  地 電  話

札幌法務局人権擁護部 060-0808 札幌市北区北8条西2丁目1番1札幌第1合同庁舎 011-709-2311

函館地方法務局人権擁護課 040-8533 函館市新川町25番18号函館地方合同庁舎 0138-23-9528

旭川地方法務局人権擁護課 078-8502 旭川市宮前通東4155番31旭川合同庁舎 0166-38-1114

釧路地方法務局人権擁護課 085-8522 釧路市幸町10丁目3番地釧路地方合同庁舎 0154-31-5014

仙台法務局人権擁護部 980-8601 仙台市青葉区春日町7番25号仙台第3法務総合庁舎 022-225-5739

福島地方法務局人権擁護課 960-8021 福島市霞町1番46号福島合同庁舎 024-534-1994

山形地方法務局人権擁護課 990-0041 山形市緑町1丁目5番48号山形地方合同庁舎 023-625-1321

盛岡地方法務局人権擁護課 020-0023 盛岡市内丸7番25号盛岡合同庁舎 019-624-9859秋田地方法務局人権擁護課 010-0951 秋田市山王7丁目1番3号 018-862-6533

青森地方法務局人権擁護課 030-8511 青森市長島1丁目3番5号青森第二合同庁舎 017-776-9024

東京法務局人権擁護部 102-8225 千代田区九段南1丁目1番15号九段第2合同庁舎 03-5213-1234

横浜地方法務局人権擁護課 231-8411 横浜市中区北仲通5丁目57番地横浜第2合同庁舎 045-641-7926

さいたま地方法務局人権擁護課 338-8513 さいたま市中央区下落合5-12-1さいたま第二法務総合庁舎 048-859-3507

千葉地方法務局人権擁護課 260-8518 千葉市中央区中央港1丁目11番3号千葉地方合同庁舎 043-302-1319

水戸地方法務局人権擁護課 310-0061 水戸市北見町1番1号水戸地方法務合同庁舎 029-227-9919

宇都宮地方法務局人権擁護課 320-8515 宇都宮市小幡2丁目1番11号宇都宮地方法務合同庁舎 028-623-0926

前橋地方法務局人権擁護課 371-8535 前橋市大手町2丁目10番5号前橋合同庁舎 027-221-4426

静岡地方法務局人権擁護課 420-8650 静岡市葵区追手町9番50号静岡地方合同庁舎 054-254-3555

甲府地方法務局人権擁護課 400-8520 甲府市北口1丁目2番19号甲府地方合同庁舎 055-252-7239

長野地方法務局人権擁護課 380-0846 長野市旭町1108番地長野第2合同庁舎 026-235-6634

新潟地方法務局人権擁護課 951-8504 新潟市中央区西大畑町5191番地新潟地方法務総合庁舎 025-222-1564

名古屋法務局人権擁護部 460-8513 名古屋市中区三の丸2丁目2番1号名古屋合同庁舎第1号館 052-952-8111

津地方法務局人権擁護課 514-8503 津市丸之内26番8号津合同庁舎 059-228-4193岐阜地方法務局人権擁護課 500-8729 岐阜市金竜町5丁目13番地 058-245-3181

福井地方法務局人権擁護課 910-8504 福井市春山1丁目1番54号福井春山合同庁舎 0776-22-5090

問合せ先一覧 (法務局地方法務局)

59 第30回全国中学生人権作文コンテスト

問合せ先一覧

世界人権宣言啓発書画「鳥」「自由と解放」を表わしたもの 小木太法書オタビオロス画(財)人権擁護協力会提供

入賞作文集 60

すべての人間は生まれながらにして

自由でありかつ尊厳と権利とに

ついて平等である人間は理性と

良心とを授けられており互いに同胞の

精神をもって行動しなければならない

―――

世界人権宣言 第一条

―――

第三〇回

 全国中学生人権作文コンテスト

中央大会表彰式

印  刷 平成23年1月25日

発  行 平成23年2月14日

発 行 者 法務省人権擁護局

全国人権擁護委員連合会

東京都千代田区霞が関一丁目1番1号

電話 03(3580)4111 内線5875

URL httpwwwmojgojpJINKEN

第30回全国中学生人権作文コンテスト中央大会審査員

感想をお聞かせください本作文集を読まれた感想等を下記の連絡先又はkeihatsumojgojpまでお寄せください

無断転載を禁じます本作文集に掲載された作文や写真等を地方自治体が広報誌に掲載したり学校が教材に使用される場合などにはあらかじめ下記に御連絡ください

100-8977 東京都千代田区霞が関一丁目1番1号 法務省人権擁護局人権啓発課 TEL03(3580)4111 内線5875

作  家(審査員長) 落 合 恵 子映画監督 山 田 洋 次社団法人日本新聞協会事務局長 川 嶋   明日本放送協会解説委員室解説委員 南   直 樹文部科学省初等中等教育局視学官 三 好 仁 司全国人権擁護委員連合会長 中 村 浩 紹法務省人権擁護局長   井 忠 雄

(敬称略)

【式次第】

第一部

 会

主催者あいさつ

賞状授与

内閣総理大臣賞法務大臣賞

文部科学大臣奨励賞法務副大臣賞

法務大臣政務官賞

全国人権擁護委員連合会長賞

社団法人日本新聞協会会長賞

日本放送協会会長賞(以上各一名)

法務事務次官賞(三名) 計一一名

学校への感謝状贈呈

高円宮妃殿下おことば

来賓祝辞

第二部

各受賞作文の朗読

内閣総理大臣賞法務大臣賞

文部科学大臣奨励賞

全国人権擁護委員連合会長賞

社団法人日本新聞協会会長賞

日本放送協会会長賞

 評

全国中学生人権作文コンテスト中央大会審査員

 山田洋次氏

 落合恵子氏(ビデオレター形式)

第三部

新垣勉さんコンサート

 会 平成二二年一二月一八日(土)

午後一時三〇分〜三時五〇分

於ニッショーホール

「いじめ」や暴力行為等は人権侵害です

法務局地方法務局では

人権侵害による被害を受けた方を

救済するための活動を行っています

お気軽にご相談ください

女性の人権ホットライン

インターネット人権相談受付窓口

ゼロナナゼロのハートライン

0570-070-810

子どもの人権110番ぜろぜろななのひゃくとおばん

 0120-007-110

パソコンから httpwwwmojgojpJINKENjinken113html携帯電話から httpwwwjinkengojpsoudanmobile001html

インターネット人権相談 検 索

Human Rights法務省人権擁護局全国人権擁護委員連合会

人権イメージキャラクター人KENあゆみちゃん人KENまもる君

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この冊子は環境保護印刷の「水なし印刷」で印刷されています

第30回全国中学生人権作文コンテスト入賞作文集

法務省人権擁護局全国人権擁護委員連合会

人権イメージキャラクター人KENまもる君人KENあゆみちゃん

この冊子には音声コードが各頁(奇数頁 左下偶数頁 右下)に印刷されています専用の読み上げ装置で読み取ると記録されている情報を音声で聞くことが出来ます

Human Rights法務省人権擁護局全国人権擁護委員連合会

 全国中学生人権作文コンテスト入賞作文集

 全国中学生人権作文コンテスト入賞作文集

第30回

ついてしっかり知ること知ろうと努力すること正しい知識を深めるために学習

することではないかと思いますそうすれば水俣病やハンセン病のようにむや

みに人と人とが傷つけあったり憎しみあったりすることはなくなるのではないで

しょうか

 

先日テレビで水俣のダイバーが紹介されましたその人は本当はほこりたい水俣を心の中

にじっとしまいこみ誰にも言えず何年もの間生きてきた人でしたしかし水俣の地にも

どり自分はこのすばらしい美しいふる里を紹介したいと海にもぐり写真をとり続けておら

れるそうです心に差別という深い傷を負いながら水俣の再生を皆に知らせたいと頑張る人

がいることに感動しました

 

今水俣はごみの分別リサイクル事業など市民全員で環境にやさしい町づくりをすすめてい

ます私は差別や偏見から立ちなおり再生しようと環境問題に一生懸命とりくんでいるふる

里水俣をほこりに思っています

 

水俣では運動会等多くの行事で「水俣ハイヤ節」というものが踊られますこれは水俣病

の患者の方が水俣の青い海と豊漁を願って振りつけをされた踊りだそうです私たちと同じ思い

をする人が二度とでないことを祈りながら私たちは毎年皆でこの踊りを踊ります

 

水俣の悲しい過去を変えることはできませんが私はあやまちを二度とくりかえさないため

にこの美しい自然を守り真実を語り継いでいきたいですそして差別や偏見のない社会に

なるよう自分から努力していきたいと思います

入賞作文集 24

入賞作文

25 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

 

みなさんは「本当の『平和』とは」と質問されたら何と答えますか「戦争や紛争などが

ないこと」ですかそれとも「自分自身の幸せのこと」ですか一人ひとりの抱く「平和」のイ

メージは違うことでしょう

 

僕の思う本当の「平和」それは「家族」がいて「家庭」があることだと思いますなぜそう

思うかというと今僕は訳あって家族とは離ればなれに暮らしているからです一歳前後には既

に家族とは離れ施設にいました母親や姉兄の存在はわかっていますが一緒に過ごした時

間は限られたもので今でもほとんど交流はありませんそのせいか僕はいつも「家族」や「家

庭」というものに強い憧れを抱いています

 

自分がまだ幼い頃は自分と同じくらいの子が母親と手をつないでいる姿がとてもうらやまし

大おお

田た

 葵あおい

栃木県さくら市立喜連川中学校 三年

「家族」とは何か

法務大臣政務官賞

入賞作文集 26

入賞作文

「どうして自分には母親がいないんだろう」と思っていました仕舞いには自らの母親を恨ん

でしまったのです小学生になってもその気持ちは変わらず母親への恨みは増すばかりでした

 

しかし小学五年生の夏思いもよらぬ出来事が起きましたそれは引っ越しがあったこと

ですそこで僕は新しい土地そして新しい里親という人たちに出会いました里親の人たち

と暮らした数年間僕は幸せでしたそこで僕は僕の周りにはいつも支えてくれる人たちがい

ることに気づきました血のつながりがなくても僕に自分の子どものように接し育ててくれ

た里親の人たち養護施設の先生方などたくさんの方たちに僕は見守られて成長してきたこと

に気づいたのです僕を支えてくれる人すべてに感謝の気持ちがわき出てきましたそれ以来

僕は親という存在にこだわらなくなりましたそれどころか自分に命を与えてくれた親に感謝

の思いを抱くようになったのです

 

この夏母親の育児放棄が原因で二人の乳幼児が衰弱死するという悲しい事件がありました

二人の子どもにろくに食事も与えず風呂も入れなかったそうですさらに逮捕後その母親は

「家に帰ってあげなかったことを今も後悔している子どもは私を恨んでいると思う」

という言ってはならない発言をしました僕は怒る前に亡くなった二人の子ども

たちがかわいそうでなりませんでした

 

と同時に僕はこの母親はどうしてこのようなことをしてしまったのだろうと

すごく考えさせられました僕は本来親は子どもを殺すのではなく守るために

27 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

いるのだと考えますたとえ小さな子どもでも立派な一人の人間ですその命を

守り育てていくことが親として大切な役目だと思うのですこの母親はどこで

勘違いしたかは知りませんが親としての自分の責任を理解していなかったのでは

ないでしょうか

 

そしてその勘違いを誰も母親に気づかせてあげられなかった事実母親が一緒に遊び歩いて

いた友人はもちろん母親の家族が少しでも助けることができていたら母親の行動を戒めるこ

とができていたら連絡を受けた児童相談所がもう少し踏み込んだ行動が取れていたらこのよ

うな悲しい結末にはならずに済んだのではないでしょうかやりきれない思いばかりがこみあげ

てきます

 

もう一つこの母親は大きな勘違いをしていますそれは「子どもは私を恨んでいると思う」

という言葉です僕はこの子どもたちが母親を恨んでいるとは思えません子どもたちは母

親が帰宅するといつもハイタッチをして喜んで迎えたそうです子どもたちは母親のことが大

好きだったのでしょうたとえ自分たちを見放した母親でも恨んでいるとは決して思えないの

です

 

子どもは心の底から自分の母親のことを恨めないと僕は思いますこの世に生を受け笑った

り怒ったり泣いたりと毎日いろいろな経験ができるのは自分を生んでくれた母親という存在

があったからです正直僕も小さい頃は母を恨んだことがありました愛情の裏返しというよ

うに母親への思いが憎しみに変化してしまったのですでも心の底には母への恨みとは全く

入賞作文集 28

入賞作文

正反対の気持ちが存在し続けていましただ

からこそこの子どもたちがどんな思いで死

んでいったのかわかるような気がします母

親を信じひたすら母親の帰りをまちわびて

いた思いが

 

僕にとっての「家族」それは同じ屋根の

下で暮らす人々のことですたとえ血はつな

がっていなくても僕を支え励ましてくれる

人たちそのすべての人が僕にとっての大切

な「家族」なのです今僕の暮らす養護施設

にはいろいろな事情を抱えた二歳位から高

校生までの子どもたちや職員の方が約六十人

います今の僕には全員大切な「家族」で

す僕はこれからもこの「家族」を大切に

一日一日精一杯平和に生きていきたいです

29 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

 

授業でハンセン病について学んだ日両親と「偏見」や「差別」について口角泡を飛ばす議論

を深夜まで繰り広げた身体障害者の父と看護師の母を持つ私は幼い頃から「命の大切さ」を

訴える両親の姿を見て育って来たそんな私は真摯な気持ちからハンセン病罹患者と向き合い

たいと思いこの夏草津にある療養施設栗生楽泉園を訪れた

 

草津までの道のり私は罹患者の気持ちを絶えず考えていたハンセン病について調べると「ら

い予防法」により罹患者は隔離され人権を無視された扱いを受けたことが分かった罹患者の

言葉が書かれた本ではどんなに過酷な仕打ちを受けたか他人をどれほど恨み憎んでいるか

が書かれていたその為私は無意識の内に「罹患者は全員恨みを抱いている」と勝手に思い込

んでいたしかしこんな思い込み自体が偏見や差別を生む原因になるということを後に思い知

大おお

井い

 海み

琴こと

群馬県群馬大学教育学部附属中学校 三年

忘れてはならないこと

全国人権擁護委員連合会長賞

入賞作文集 30

入賞作文

らされることになるのである

 

私を迎えてくれたのは入園者自治会長の藤田三四郎さん藤田さんは大変お元気でその容姿

からはハンセン病を伺い知ることはできなかったしかし藤田さんは紛れもない罹患者なのだ

その証拠に藤田さんの名は本名ではない罹患者は施設に入所するにあたり偽名を使用させら

れたと言うつまりその時点で罹患者は世間から存在を消されてしまうのであるそんな藤田

さんから語られた話はハンセン病だと宣告され三度も命を絶とうとしたこと重症患者の看

護を押しつけられ数え切れない人を看取り自らの手で葬ったこと家族が受けた迫害や侮辱的

な言葉など想像を絶するもので筆舌し難いものだったしかしこんな迫害と差別は同時にハ

ンセン病患者達の人権回復闘争の歴史でもあったのだ闘争の末「らい予防法」が廃止される

と今まで差別や人権侵害を繰り返していた多くの人が掌を返す様に態度を変えたと言う私は聞

いていて怒りを覚えたが不思議なことに耳を塞ぎたくなる様な内容を語る藤田さんからは全

く怒りや恨みが感じられないのだ私は話を聞くまで自分の運命を呪い周囲への恨みつらみ

の言葉が出てくるとばかり思っていたしかし出てきた言葉は「入園出来て良かった差別は

受けたが今では恨みを抱く罹患者も少なくなったそればかりか最近はたくさんの人が我々を

理解し協力してくれるので嬉しい何故なら一人の百歩は力が無いが百人の一歩

は力になるから」と言う感謝の言葉だったのだ本当に「恨みは無いのか」と何度

聞いても答えは同じだった私は恥ずかしくなったハンセン病について調べ罹

患者の心を理解したようなつもりでいながら実は何も理解できてなくてそれば

31 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

かりか罹患者を偏見の眼で見ていたのは私自身だったのだ私は話を聞いてとめ

どなく溢れ出る涙を拭いながら心の片隅に潜んでいた「偏見と言う名の種」が身

体から洗い流されていくのを感じていたそれは同時に「思い込みや無知が偏見

や差別を生みだす」ことを強く感じた瞬間でもあったそれだけに藤田さんの「自

分と同様に他人を愛すればいつか必ず世界から差別はなくなる他人を愛して下さい」の慈愛に

満ちた言葉が一層重く腑に落ちるのだった

 

帰りがけ千五百ページにも及ぶ「入所者証言集」を手渡されたその際私は見えない襷も

手渡された気がしたその襷とは証言集に記された罹患者の「事実を風化させないで私達の事

を忘れないで」という搾り出すような叫び声とその姿だったのである

 

ハンセン病が治る病気であるのに誤った知識から悲惨な人権侵害が長期に渡り続いた同じ間

違いを繰り返さないためにも事実を語りついで行く必要があるここ楽泉園でも高齢化が進み

証言者の数が減っているこれは全国一五全てのハンセン病療養所に共通することだハンセン

病問題は罹患者がいなくなればそれで終わると言う問題ではない今後人権問題を考える際重

要な指針になりうる事実なのだそしてこの事実の風化を防ぐことが私達若い世代の役目だと

私は思う

 

私は小六の時友人達から突然イジメを受けたそれを引きずり他人を恐れ憎み自分を

嫌って生きて来たしかし罹患者の声が私に生きる力と前を向いて歩む勇気を与えてくれた

楽泉園訪問は私に人生観が変わる程の衝撃を与えてくれたのだこんな私だが罹患者の声を伝

入賞作文集 32

入賞作文

える「百人の中の一人」にはなれるはず

だそのために私は今この作文を書い

ている文字は時を越えて生き続けるか

ら私はこれからも楽泉園訪問を続ける

つもりだ実際に中学生の私が出来るこ

とには限りがあるが差別や偏見を少し

でも減らすために一歩を踏み出すつもり

でいる「自分と同様に他人を愛すれば

いつか差別は無くなる」と言う藤田さ

んの言葉を胸に

33 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

 

森に囲まれたその一画には教会や寺院神社があり小さなショッピングセンターやレスト

ランもある床屋や図書館郵便局や浴場もあるしかしそれらの施設を利用するのはその一

画に住む人たちだけだ緑の外側に住む人が利用することはないそこはハンセン病の療養所

多磨全生園である

 

僕は七年前に清瀬市に引っ越してきた夏のある日昆虫が大好きな僕は何気なくその森の

中に入って行ったそして歩き回っているうちにその場所が一つの「町」であることに気付

いた

 

毎日セミやカマキリやナナフシを探しながらどうしてこんな所があるのだろうと思った

 

僕が一番不思議に思ったのは古い木造の小学校だいつも誰もいない校舎と小さな運動場近

久く

米め

 一かず

輝き

埼玉県学校法人立教学院立教新座中学校 一年

ハンセン病について考えたこと

社団法人日本新聞協会会長賞

入賞作文集 34

入賞作文

くに小学校があるのにどうしてこんな所に小学校があるのだろう小学一年生の僕はとても不思

議に思った

 

夏に地域交流を目的とした盆踊りと花火大会が行われるいつもは人のいない小学校跡は多く

の人であふれかえり普段は見かけない重い後遺症の老人たちもこの日は外に出て盆踊りを楽し

む初めて参加したときは言葉が出なかった正直「怖い」と思った

 

夏が来るたびに僕は盆踊り大会に参加した低学年から高学年へと進むにつれて少しずつハ

ンセン病のことが分かってきた

 

六年生のときに社会科見学で全生園の元患者を訪れることになっただが僕は都合で参加で

きなかった僕はそれをずっと悔やんでいる

 

今年の夏僕はハンセン病資料館に出かけた見学者は僕一人でとても緊張したなるべく

音を立てないようにパネルを見て回った

 

強制隔離の現実にとても驚いた狭い部屋に押し込められ症状の軽い患者が重症の患者の世

話をしたという子供を持つ権利や生まれる赤ん坊の命まで奪われていた逃げ出したり反抗的

な患者は「不良患者」と呼ばれ窓の小さな暗い監房に閉じ込められた

 

医学が進歩し療養所も徐々に改善されていったが強制隔離を命じる「らい予防

法」が廃止されたのは一九九六年だという隔離が始まった一九〇八年から約九〇

年も経っていた僕が生まれるほんの一年前のことである特効薬が開発され本

格的な治療が始まったのは昭和二十二年である現実に合わない法律を廃止するの

35 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

にどうしてそんなに時間がかかったのだろうか

 

資料をもらってハンセン病資料館を後にした家を出るときは帰りに虫の観察

をするつもりだったがとてもそんな気にはなれなかったいつもセミが集まる桜

の木には目もくれずに早足で家に帰った

 

資料の中で一番心が痛んだのは療養所の子供たちのことだ療養所に入所したのはハンセン

病を発症した子どもたちだけではない親が発症したために入所する子どもたちもいた当時は

ハンセン病は遺伝病だとされていたからだ親から無理やり引き離された子どもたちは「すぐに

帰れるから」という言葉を信じていたというしかし一生療養所を出ることができなかった人が

多かったという社会的な差別がひどかったからだと資料に書かれていたが僕には実感がわか

なかったのでもう少し調べてみることにした

 

図書館で『ハンセン病を生きて』(伊波敏男著)という本を見つけた少し難しかったが差

別の現実が僕にもわかる部分があったそれは元患者たちに対して書かれた匿名のひどい手紙

である長年隔離されて苦しんできた人たちをさらに傷つける言葉が並んでいた悲しく暗い

気持ちになった

 

日本は経済大国として世界の注目を浴びているだが人権意識の面ではどうだろう「らい

予防法」を二〇世紀の末まで廃止できなかったことをどう考えたらよいのだろうか明治時代に

隔離が始まったときそれは外国に対する体面を保つためだったという病気の人を治療するの

ではなく「隠す」のが目的だったのだいまだに差別意識を持つ人がいるのは社会がそうした

入賞作文集 36

入賞作文

過去に対する反省をしていないから

だと思う

 

僕が不思議に思った小学校はすで

に取り壊されて今では小さな石碑

だけが残っている老朽化がひどく

残しておくことができなくなったか

らだという全生園の古い建物はど

んどん取り壊されていく石碑だけ

ではあの不思議さが伝わらないのが

とても残念だ

37 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

 

僕の曾祖父は医者嫌いでしたそのため腹痛で病院に運ばれた時は膵臓癌の末期で余命三ヶ

月でした手術もできない手遅れの状態でした家族皆で話し合い曾祖父の辛い気持ちを第一に

考え曾祖父に病を隠すことになりました曾祖父は次第に病院の中を歩いては転倒し体中あ

ざだらけになりベッドの上で縛られることになっていました曾祖父は病名の宣告を受けてい

ないため元気で歩けると思っているが実際歩くと転んでしまう何でこんな風になってしまっ

たのかさえわからない

 

家族と病院に行くと「包丁もてこいこれぶった切って家さ帰る」と騒いでいましたあん

なに優しかった曾祖父の姿に言葉も出ず恐いくらいでした何も知らされずベッドに縛り付

けられれば誰もがそうなることでしょう「じいちゃんどご一緒に車さのせでいてくれの」と

櫻さくらだ田

 要かな

太た

山形県酒田市立松山中学校 三年

日本放送協会会長賞

悔いのない最期を

入賞作文集 38

入賞作文

せがまれたときもありますかわいそうで涙がポロポロこぼれました「おじいちゃんどご家

さ連れで帰ろうよ」とせがんでも家族も仕事で忙しいためか誰も首を縦に振ってくれず病院

にいた方が安心ということになりました膵臓癌は予想以上に激しい痛みのため医師から強い

痛み止めと強い睡眠剤を勧められましたがそれを導入することにより安楽死に近い状況にな

ることも医師から告げられていました家族は決断をせまられました曾祖父に相談もせずに決

めていいことなのか家に帰りたい曾祖父の意志は封じ込められたままでいいのか家族で悩み

ました結局痛みに耐えている姿は見ていられなくその薬を使うことになりましたその後

曾祖父は次第に弱っていき口も利けなくなり静かに亡くなっていきました僕はどこか心を

引きずったままでした僕達家族が曾祖父に宣告もせず意見も聞かず命の長さを決めてしまっ

たこと当時幼かった僕には何もしてあげられなかったことが今思い出しても残念です

 

最近授業で人権について学習しているときに幼い頃の記憶がよみがえりふと曾祖父のこと

を思い出しました

 

曾祖父はどんな思いで亡くなったのだろう最後に意識のあるうちに一度でいいから家に帰っ

てきたかっただろう身体拘束は今は病院でも禁止されていると思いますがあの頃は確かに曾

祖父のおなかに黒いベルトのようなものが巻きついていました決して自分の力で

は外せないようなものでしたもがき苦しむ曾祖父の姿を見た時に看護師さんに

目を隠され別の部屋に連れて行かれました見せたくない光景だったのだと思いま

すでもあの姿は僕の脳裏に焼き付いています病院の中での人材不足のためだっ

39 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

たのでしょうか人が人らしく生きていない姿でした

 

七十八年生きてきて何も悪いことをしていないのに縛られ家にも帰れない

病気で余命幾ばくもない人には人権というものは存在しないのでしょうか最近の

医療の現場では自己決定権があることについて学びました

 

仏壇に向かい静かに目を閉じると優しく穏やかに微笑む曾祖父の笑顔が浮かびますどんな

気持ちで亡くなっていったのかその気持ちを考えると苦しい気持ちになります野球の大会に

行く前仏壇に手を合わせます「やればできる努力しろ」とよく励ましてくれました曾祖

父の力には何もなれなかったけれど目には見えない力で応援してくれる曾祖父に線香をあげて

自分を省みる時があります曾祖母が元気なので曾祖父を助けられなかった分曾祖母の力に

なっていくことを曾祖父に約束しています

 

夏休み中のニュースで高齢者の所在不明者が多数のため百歳以上の安否確認調査をしていま

した自分の親を平気で捨て遺骨さえもひきとらない亡くなっていたのに年金を不正受給する

ために隠していたなど耳をふさぎたくなるような事件もありました犬や猫が年をとって弱っ

てきた手がかかるから面倒だからと捨ててしまうそれと同じ現象が弱い高齢者にも及んでき

ているのだと思います

 

やはりこの世に生まれてきたもの全てに自分の意志で生きることを決めていける権利がある

と思います長い年月を苦労や努力と向き合いながら精一杯生きてくれたおかげで今の幸せが

あることを忘れずにいたい人はいずれ誰でも年をとります自由に動けなくなった時に自分の

入賞作文集 40

入賞作文

願いが叶う社会を築き「悔いなく満足で楽しく幸せな人生だった」と思えるように人とし

ての誇りを持って満足できる最期を迎えられるように考えていきたいもう二度と僕が見た自

己決定権のない社会にならないように高齢者には今までの感謝の気持ちで本人の希望をでき

るだけ叶えられるように努力していきたいいずれ僕達も迎える高齢社会だからhellip

41 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

 

私は小学六年生の時から盲導犬候補の子犬を育てるボランティアをしています「犬を飼っ

てみたい」と言う私に両親が「せっかく犬を飼うのなら社会に役立つことをしよう」と提案

したからです生後二ヵ月の子犬を預かり一歳の誕生日を迎えるまで世話をするのがボランティ

アの役目です初めて訓練士さんから子犬を手渡された時は不安でドキドキしましたが子犬は

すぐに私の腕の中で眠ってしまいました初めて会った私のことを信頼して安心しきった寝顔

で眠っている姿は本当に可愛かったですラブラドールの子犬はとてもやんちゃで私の家にやっ

て来たその日からいたずらばかりしていましたがしかられてもクヨクヨせずどんな相手にも

 林はやし

 里り

咲さ

東京都小平市立小平第六中学校 三年

差別のない社会に

(パピーウォーカーの経験から学んだこと)

法務事務次官賞

入賞作文集 42

入賞作文

フレンドリーに近づいていく姿から私は明るく前向きに生きることを教わりました子犬たち

と過ごした日々は私にとって一番の宝物ですそしてあっという間に一歳の誕生日がやって来ま

した誕生日が悲しいという経験は初めてでした訓練所への入所日の前日には長い長い散歩を

して最後のお別れをしました「今までありがとう」そう言った私のことを不思議そうに見てい

た子犬の顔が今も目に焼きついています別れは本当につらいけれど涙を見せたら子犬が心配す

るので頑張って笑顔で見送りました

 

私の家で育てた一頭目の子犬は現在盲導犬になって頑張っていますそして今年四月に巣立っ

ていった二頭目の子犬は神奈川にある訓練センターで訓練中です

 

このボランティアを通して私は多くのことを学びましたまず盲導犬の役割ですがこれは単

に目の不自由な方が便利に一人でどこへでも行けるようにするためだけではありません視覚障

がいのある方にとって人の手をわずらわせるのはとてもつらいことなのだそうですたとえ家

族に対してでも「迷惑をかけるのではないか」と思って我慢することが多く「私なんかいない

方がいいんじゃないか」と考えてしまうこともあったといいますその失われそうになった尊

厳を取り戻す手助けをするのが盲導犬の役目なのです犬は訓練を共にするパートナーのことを

大好きになるので「自分は他者からこんなにも大好きになってもらえる存在なん

だ」と気づいて自信を取り戻し新しい一歩を踏み出せるようになるのだそうです

 

また私がボランティア登録している日本盲導犬協会では二〇〇八年に新しい

試みが始まりました受刑者が盲導犬候補の子犬を育てる動物を介在した日本初

43 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

の教育プログラムです罪を犯した人も心から反省してきちんと罪を償えば社会

は差別することなく受け入れるべきですしかし実際はとても偏見が多く元受刑

者たちは「どうせ自分はだめな人間なんだ」と思い再び罪を犯してしまう悪循環

が起こっているそうですその悪循環を断ち切り受刑者たちがスムーズに社会復

帰を果たせるよう支援するのが「あさひ盲導犬パピープロジェクト」です受刑者たちは約十ヵ

月の間子犬たちを世話しながら一緒に過ごし「役に立つ喜び達成する喜び信頼される喜び」

を感じることで自分の価値を再確認するのだそうです今年一月に第一期のプロジェクトを修了

した受刑者の感想に次のようなものがありました

 「今後自分もパピーに笑われないようにきちんとしなければならないパピーは慈しむこと

寛容の心を教えてくれました」

 

犬は決して差別をしません健康な人にも障がいのある人にもお金持ちにも貧しい人にも

権力のある人にも犯罪を犯した人にも全く同じように接してくれますそんな犬たちと一緒に過

ごすことで自信をなくした人たちも自分のことをかけがえのない大切な存在であると思えるよ

うになるのです

 

私たち人間も差別のない社会をつくる努力をしなければならないと思います一人一人が相

手を大切に思う心を忘れなければこの社会はもっと住み良い場所になるはずです私はこのボ

ランティアを通して学んだことを生かしてこれからも一層努力していきたいと思います

入賞作文集 44

入賞作文

45 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

 

僕は祖父のために自助具を作ろうと思った祖父は去年の夏脳梗塞で倒れた祖父は一命

を取り留めたものの右手と右足がまひしてしまったのだその三週間前僕も車椅子から転倒し

て足を骨折した

 

僕には障害がある車椅子で生活することが多いしかし僕のことを障害者だといって差別

するような友達は一人もいない

 

祖父は歩けるようになりたいという気持ちが強かっただからリハビリを頑張り自分で

歩けるようになるまで回復した頑張っている祖父がかっこいいと僕は思った祖父はリハビ

リを頑張ったにも関わらず右手がうまく動かせなくなってしまっただからご飯を食べる時も

服を着替える時も時間がかかる普段何気なくやっていた動作がとても大変だと祖父は言ってい

守もり

田た

 幸こう

平へい

静岡県静岡大学教育学部附属浜松中学校 三年

祖父への靴下

法務事務次官賞

入賞作文集 46

入賞作文

た僕も何か役に立てることはないかと考えた

 

僕の学校には総合学習という授業があるそこで僕は福祉というカテゴリーを選んだ自

分で社会に役立てることを考え実際に行動することが目標だった僕は障害者のために何が

できるかを考えた

 

僕は二年前に静岡文化芸術大学で障害者がいかに日常生活で不自由のない生活ができるかを

考えるプロジェクトがあるのを新聞で知ったそれは大学生たちが個人個人にあった自助具を

作るプロジェクトだった僕は障害者のために何かできるのではと感じた

 

僕は静岡文化芸術大学へ行って僕にもできることがないかと聞いたすると学生さんが

自助具を作ってみないかと声をかけてくれた僕は迷わず「はい」と言った障害者のために

役に立てることがあると思うとすばらしいことだと思ったからだ

 

祖父のつらい顔を見ると日常生活に数々の大きな壁があることが伝わってくる

 

僕は祖父の数々の大きな壁を突き破ろうと思った祖父のために自助具を考え作ろうと僕

は思った祖父が靴下の脱ぎ履きが大変だと言っていたことを思い出したそこで脱ぎ履きし

やすい靴下はできないか考えた靴下の両脇にひもを取り付けてそれを引っ張ると靴下が縮み

脱ぎ履きしやすくなる仕組みだ大学の先生も良いアイディアだと言って褒めてく

れたこれは障害者だけでなく健常者にも使えると言われたユニバーサルデザ

インだと分かった

 

ユニバーサルデザインは年齢や障害の有無にかかわらず全ての人が使いやす

47 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

いように工夫された用具などのデザインである境界がなくなるように健常者が障

害者に対する偏見を考え差別意識がなくなるチャンスだと思った障害者と健常

者が共によりよく生きることが大切だと僕は思った

 

自助具の作品展では杖をついているお年寄り車椅子に乗った若い女性目の

見えない人福祉関係者など沢山の人々が観に来ていた皆自分の生活を良くしようと思っ

ているようだったまた障害者のためにできることは何だろうかと考えている健常者もいるよ

うだった

 

二年生の時の総合学習では二箇所のデイサービスを訪問したデイサービスには六十五歳以

上のお年寄りがいた暗く元気のない人明るく振る舞い誰とでも話せる人など様々だった

しかし僕が一番印象に残ったのは笑顔を絶やさず優しくお年寄りに接していた介護士だった

お年寄りの中には悩みを抱えている人が多いそうだその悩みを解消させる人もまた介護士だっ

た僕は介護士がお年寄りの体を支えるだけではなく心もそっと支えて生きる喜びを与え

ているのだと感じた

 

現代は三世代で暮らす家族が減り核家族が増えているそれはお年寄りの世話が大変だ

からという理由が多いだから老人ホームやデイサービスに預ける人が増えていると僕には

思えたお年寄りの中には自分が嫌われているのではないかとさえ思ってしまう人もいるそう

だそれはお年寄りにとって辛く悲しいことだと思うある介護士がこんなことをおっしゃっ

ていた「人の優しさはお金では買えない」誰にでも優しい心があると思うしかしあと一歩

入賞作文集 48

入賞作文

のところで行動に移すことができない人が多いの

だ僕たちが平和な社会で暮らせるのは今まで

頑張ってきてくれたお年寄りのお陰であることを

忘れてはいけないお年寄りを大切にすることは

当たり前のことなのだ

 

また障害者に対しても偏見の目で見ないで

そっと近づいて手を貸してあげれば健常者との

高い大きな壁を崩すことができると思う

 

障害者にも高齢者にもまた健常者にも人権

はあるお互いの人権を大切にすることが明る

い未来に繋がっていくのだと思う

 

早く祖父に僕の作った靴下を届けたい

49 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

 

僕は小学校六年生まで福岡県に住んでいましたそこで僕が体験したことです五年生のこ

ろ僕の友だちのA君が同級生のK君の靴を隠したりからかったりしていることがよくあり

ました最初は僕もあまり気にしていませんでしたがK君のことを「なんだかかわいそう」と

思うようになりました

 

ある日僕は勇気をだして先生に「K君がいじめにあっています」と報告しました初め先生は

「じゃれ合っているだけだろう」と「いじめ」とは思ってくれませんでしたでもその後「いじ

め」と分かりA君は先生に注意されその日一日は反省した様子で過ごしていましたしかし

次の日学校に行くといじめは前以上にエスカレートしていて蹴ったりたたいたりするように

なりましたしかも「死ね」「うざい」「消えろ」などの言葉が飛び交うようになりそんな日々

法務事務次官賞

浦うら

谷たに

 毅たける

徳島県三好市立池田中学校 三年

いじめをなくすために今

入賞作文集 50

入賞作文

が続きました

 

それは六年生になっても続きました僕はそのいじめを止めることができず毎日見て見ぬ

振りをしていました今思うと自分がとても恥ずかしいです本当の友達なら止めるべきなの

にそれだけではなくいじめられているK君に声一つかけることができずにいました心の中

ではA君に「やめろよ」と言おうと思っていたけどなぜか勇気が出ませんでした次にい

じめられるのが自分になるのが恐くて言えなかったのです

 

そんな日々が続く中僕の気持ちを大きく変える出来事がありました父の死ですそのとき

のことは今でも忘れることができません聞いたときには頭の中が真っ白になりました最初

は信じることができませんでした一週間も二週間も学校に行けずただぼーっと過ごしてい

ましたいろんなことを考え徐々に「死」というものの悲しさつらさ「死」という意味の

重さがわかってきましたそして時間はかかりましたが「命は一瞬にして消え二度と戻っ

てこないものだだから命を大切に今を大切にしなければならない」と深く受け止めることが

できるようになりましたそして周りの子たちは僕のような経験がないから「死ね」とか軽々

しく言えるのだろうと思いこの気持ちを伝えなくてはならないと考えました僕が強くならな

くてはと思いました

 

こんな気持ちになったとき僕には時間がありませんでした母の実家がある徳

島への引っ越しが一週間後に決まっていたのです落ち込んでいる暇は無いと思

い学校に行った僕はA君に言いました「いじめなんかやめろよいじめたって

51 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

喜ぶ人はいないし悲しむ人がいるだけだろ自分だってほんとは嫌だろ『死ね』

とか『消えろ』とか言葉の重さを知らないのに言うなよ」と言いました父親の

突然の死そのあと僕が考えたことも伝えました

 

友だちは黙って聞いてくれました僕の言葉にうなずいてそのあとK君の

ところへ行き「ごめん言葉の重さも知らずに言って本当にごめんぜったいに死ねなんて

ことは言わないそしていじめは絶対にしないほんとうにごめん」とあやまりましたK君

はとても優しい笑顔で「いいよ」と一言言いました僕もK君に言いました

「今まで助けてあげられなくてごめん」

K君は笑顔で「ありがとう」と言ってくれました今まで自分の中でもやもやしていた気持ちが

スーっと晴れました

 

今も時々耳にする暴言冗談半分で言っているのかもしれませんしかしいついじめにつ

ながるかわかりません他人を傷つけることで自分のストレスを晴らそうとしているのでしょう

関係ないふりをしようとする自分がいます楽な考え方をする自分がいますそんな時亡くなっ

た父の顔やK君の優しい笑顔を思い出しますあの時の自分のように強い気持ちを持とう「や

めろよ」と一言言うするとまた気持ちがスーっとしてきました

 

父の分も頑張って生き抜こうと決めた僕にとって正しいことを素直に認め悪いことを否定

できる強い意志を持つことが目標ですそして何よりも命を大切に今を大切にしていきたい

と思っています

入賞作文集 52

入賞作文

53 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

 

ぼくは今まで四つの外国に暮らしいろいろな国の人たちの中で育ってきた

 

まずタイで生まれてタイ人のメイドさんやドライバーさんにいつも遊んでもらっていた

らしい一才になると週一回の体操教室にも通いタイ人の友達もいたそうだ

 

次にシンガポールでは初めてナサリースクール(保育園)に通いいろいろな国の友達と

知り合ったプレイルームにある滑り台を滑る順番争いでいつも勝つのは体の大きい金髪の友

達だった

 

一回目の香港生活では英語の幼稚園に通ったその時のぼくの一番の友達はカナダ人だった

彼とはよくベイブレードをして遊んだが父が日本の出張で買ってきてくれた独楽や剣玉をして

遊ぶこともあった

村むら

瀬せ

 広ひろ

高たか

香港日本人学校中学部 二年

国境をこえて

海 外 作 品

今回は本選への応募とすることはできませんでしたが

 海外から寄せられた作品のうち一作品を御紹介します

入賞作文集 54

海外作品

 

それからインドでは日本人学校に通ったが夏休みには毎年アメリカンスクールのサマー

スクールに参加したし日本人のいない現地のテニススクールにも入り二年間通ったまたイ

ンドの現地幼稚園に通っていた妹のベストフレンドはコンゴ人でその兄弟もぼくの友達だった

 

そして三年間の日本生活を経て今また香港に戻ってきた

 

このようにぼくはいろいろな国でいろいろな国の人たちのお世話になりいろいろな国

の友達と遊んで育った肌が真っ黒な友達もゲームの話をすればすぐに仲良くなれたし髪が

金色の友達もポケモンの話をすれば気が合ったぼくは小さい頃から英語はうまくしゃべれ

なかったけれどもジェスチャーをつけたでたらめ英語でも充分に話は通じただからいろい

ろな国の人たちの中でぼくが日本人だからといって差別されたり嫌な思いをしたりしたこと

はないしぼくも肌の色が違うからとか言葉が通じないからという理由で違う人間だと思っ

たことはないそうぼくは外国人を差別したことはない

 

しかし本当にぼくは外国人を差別したことがないのだろうか外国人を差別した発言を一

度もしたことがないかと考えると自信がない

 

例えば香港人には赤信号でも平気で渡る人がたくさんいるそれを見てぼくは

「香港人はしょうがないな」

と思うでもよく見ると香港人全員が信号無視をしているわけではないまた

世界には今でも戦争をしている国がいくつもある

「人を傷つけ合うなんて馬鹿げている」

55 第30回全国中学生人権作文コンテスト

海外作品

とぼくは悲しくなるでもそれも好きで戦っている人がいるとも思えないその

人たちがそうなったのには何かきっと原因があるはずだ

 

逆に外国人から見ると日本人はどのように思われているのだろう

 

インドから日本に帰国した時毎日ごみがたくさん出ることにぼくはとても驚

いたインドの人たちがよく使う道端にあるカレー屋さんではバナナの葉で作ったお皿にカ

レーを入れてくれる食べた後そのお皿を道に捨てるとのら牛がその葉っぱを食べるそして

牛のふんは燃料になるというそれに比べて日本はちょっと歩くとペットボトルの飲み物が

買えファーストフードのお店では使い捨ての食器を使い立派なお菓子の箱を開けると中身が

少なくてがっかりすることもあるある時母が捨てたジャムの空きびんをメイドさんとエア

コンの修理にきていたワーカーさんとが取り合ってけんかをしていたこともあったそれを見

てぼくはあきれてしまったが逆にインド人から見ると使い捨て文化のしみついた日本人は

とんでもない人間にみえるのかもしれない国によって考え方や行動パターンが違うのは歴史

的背景や宗教習慣気候などのいろいろなことが関わっているのだと思う

 

このように考えると差別とはその人の一部しか見ていないことや自分のやり方だけが正

しいと思うことからおきるのではないかと思うその人が自分とは違った行動をとったとしても

それには深い理由があるのだろうと考えればきっと納得できると思うぼくもこれからは否

定的な発言をする前にその人たちのことをいろいろな角度から見て理解する努力をしてみよう

と思う外国との間には自分の国とは違う言葉や文化という壁があるとみんな言うがそこに

入賞作文集 56

海外作品

あるのは壁ではなく橋だとぼくは思う理解

し合おうという気持ちがあればきっと誰でも

その橋を渡っていけるはずだ気持ちの国境を

こえるのにパスポートはいらないお互いを理

解し合おうと思う気持ちが一番大切だと思う

そしてぼくはこれから日本人として生きる

のではなく地球人として生きていこうと思う

57 第30回全国中学生人権作文コンテスト

海外作品

法務局地方法務局名 郵便番号 所  在  地 電  話

金沢地方法務局人権擁護課920-0024 金沢市西念3-4-1金沢駅西合同庁舎(平成23年3月11日まで) 076-231-1244

921-8505 金沢市新神田4-3-10金沢新神田合同庁舎(平成23年3月14日から) 076-292-7804

富山地方法務局人権擁護課 930-0856 富山市牛島新町11番7号富山合同庁舎 076-441-6376

大阪法務局人権擁護部 540-8544 大阪市中央区谷町2丁目1番17号大阪第2法務合同庁舎 06-6942-9492

京都地方法務局人権擁護課 602-8577 京都市上京区荒神口通河原町東入上生洲町197番地 075-231-0131

神戸地方法務局人権擁護課 650-0042 神戸市中央区波止場町1番1号神戸第2地方合同庁舎 078-392-1821

奈良地方法務局人権擁護課 630-8305 奈良市東紀寺町3-4-1奈良第2法務総合庁舎 0742-23-5457

大津地方法務局人権擁護課 520-8516 大津市御陵町3番6号大津法務総合庁舎 077-522-4673

和歌山地方法務局人権擁護課 640-8552 和歌山市二番丁2番地和歌山地方合同庁舎 073-422-5131

広島法務局人権擁護部 730-8536 広島市中区上八丁堀6番30号広島合同庁舎 082-228-5790

山口地方法務局人権擁護課 753-8577 山口市中河原町6番16号山口地方合同庁舎2号館 083-922-2295

岡山地方法務局人権擁護課 700-8616 岡山市北区南方1丁目3番58号 086-224-5761

鳥取地方法務局人権擁護課 680-0011 鳥取市東町2丁目302番地鳥取第2地方合同庁舎 0857-22-2289

松江地方法務局人権擁護課 690-0886 松江市母衣町50番地松江法務合同庁舎 0852-32-4260

高松法務局人権擁護部 761-8077 高松市出作町585-4 087-815-5311

徳島地方法務局人権擁護課 770-8512 徳島市徳島町城内6番地6徳島地方合同庁舎 088-622-4171

高知地方法務局人権擁護課 780-8509 高知市栄田町2丁目2番10号高知よさこい咲都合同庁舎 088-822-3331

松山地方法務局人権擁護課 790-8505 松山市宮田町188番地6松山地方合同庁舎 089-932-0888

福岡法務局人権擁護部 814-0005 福岡市早良区祖原14-15福岡法務局西新出張所庁舎5階 092-832-4311

佐賀地方法務局人権擁護課 840-0041 佐賀市城内2丁目10番20号佐賀合同庁舎 0952-26-2148

長崎地方法務局人権擁護課 850-8507 長崎市万才町8番16号 095-826-8127大分地方法務局人権擁護課 870-8513 大分市荷揚町7番5号大分法務総合庁舎 097-532-3368

熊本地方法務局人権擁護課 862-0971 熊本市大江3丁目1番53号熊本第2合同庁舎 096-364-2145

鹿児島地方法務局人権擁護課 890-8518 鹿児島市鴨池新町1番2号 099-259-0684宮崎地方法務局人権擁護課 880-8513 宮崎市別府町1番1号宮崎法務総合庁舎 0985-22-5124

那覇地方法務局人権擁護課 900-8544 那覇市樋川1丁目15番15号那覇第1地方合同庁舎 098-854-1215

入賞作文集 58

問合せ先一覧

法務局地方法務局名 郵便番号 所  在  地 電  話

札幌法務局人権擁護部 060-0808 札幌市北区北8条西2丁目1番1札幌第1合同庁舎 011-709-2311

函館地方法務局人権擁護課 040-8533 函館市新川町25番18号函館地方合同庁舎 0138-23-9528

旭川地方法務局人権擁護課 078-8502 旭川市宮前通東4155番31旭川合同庁舎 0166-38-1114

釧路地方法務局人権擁護課 085-8522 釧路市幸町10丁目3番地釧路地方合同庁舎 0154-31-5014

仙台法務局人権擁護部 980-8601 仙台市青葉区春日町7番25号仙台第3法務総合庁舎 022-225-5739

福島地方法務局人権擁護課 960-8021 福島市霞町1番46号福島合同庁舎 024-534-1994

山形地方法務局人権擁護課 990-0041 山形市緑町1丁目5番48号山形地方合同庁舎 023-625-1321

盛岡地方法務局人権擁護課 020-0023 盛岡市内丸7番25号盛岡合同庁舎 019-624-9859秋田地方法務局人権擁護課 010-0951 秋田市山王7丁目1番3号 018-862-6533

青森地方法務局人権擁護課 030-8511 青森市長島1丁目3番5号青森第二合同庁舎 017-776-9024

東京法務局人権擁護部 102-8225 千代田区九段南1丁目1番15号九段第2合同庁舎 03-5213-1234

横浜地方法務局人権擁護課 231-8411 横浜市中区北仲通5丁目57番地横浜第2合同庁舎 045-641-7926

さいたま地方法務局人権擁護課 338-8513 さいたま市中央区下落合5-12-1さいたま第二法務総合庁舎 048-859-3507

千葉地方法務局人権擁護課 260-8518 千葉市中央区中央港1丁目11番3号千葉地方合同庁舎 043-302-1319

水戸地方法務局人権擁護課 310-0061 水戸市北見町1番1号水戸地方法務合同庁舎 029-227-9919

宇都宮地方法務局人権擁護課 320-8515 宇都宮市小幡2丁目1番11号宇都宮地方法務合同庁舎 028-623-0926

前橋地方法務局人権擁護課 371-8535 前橋市大手町2丁目10番5号前橋合同庁舎 027-221-4426

静岡地方法務局人権擁護課 420-8650 静岡市葵区追手町9番50号静岡地方合同庁舎 054-254-3555

甲府地方法務局人権擁護課 400-8520 甲府市北口1丁目2番19号甲府地方合同庁舎 055-252-7239

長野地方法務局人権擁護課 380-0846 長野市旭町1108番地長野第2合同庁舎 026-235-6634

新潟地方法務局人権擁護課 951-8504 新潟市中央区西大畑町5191番地新潟地方法務総合庁舎 025-222-1564

名古屋法務局人権擁護部 460-8513 名古屋市中区三の丸2丁目2番1号名古屋合同庁舎第1号館 052-952-8111

津地方法務局人権擁護課 514-8503 津市丸之内26番8号津合同庁舎 059-228-4193岐阜地方法務局人権擁護課 500-8729 岐阜市金竜町5丁目13番地 058-245-3181

福井地方法務局人権擁護課 910-8504 福井市春山1丁目1番54号福井春山合同庁舎 0776-22-5090

問合せ先一覧 (法務局地方法務局)

59 第30回全国中学生人権作文コンテスト

問合せ先一覧

世界人権宣言啓発書画「鳥」「自由と解放」を表わしたもの 小木太法書オタビオロス画(財)人権擁護協力会提供

入賞作文集 60

すべての人間は生まれながらにして

自由でありかつ尊厳と権利とに

ついて平等である人間は理性と

良心とを授けられており互いに同胞の

精神をもって行動しなければならない

―――

世界人権宣言 第一条

―――

第三〇回

 全国中学生人権作文コンテスト

中央大会表彰式

印  刷 平成23年1月25日

発  行 平成23年2月14日

発 行 者 法務省人権擁護局

全国人権擁護委員連合会

東京都千代田区霞が関一丁目1番1号

電話 03(3580)4111 内線5875

URL httpwwwmojgojpJINKEN

第30回全国中学生人権作文コンテスト中央大会審査員

感想をお聞かせください本作文集を読まれた感想等を下記の連絡先又はkeihatsumojgojpまでお寄せください

無断転載を禁じます本作文集に掲載された作文や写真等を地方自治体が広報誌に掲載したり学校が教材に使用される場合などにはあらかじめ下記に御連絡ください

100-8977 東京都千代田区霞が関一丁目1番1号 法務省人権擁護局人権啓発課 TEL03(3580)4111 内線5875

作  家(審査員長) 落 合 恵 子映画監督 山 田 洋 次社団法人日本新聞協会事務局長 川 嶋   明日本放送協会解説委員室解説委員 南   直 樹文部科学省初等中等教育局視学官 三 好 仁 司全国人権擁護委員連合会長 中 村 浩 紹法務省人権擁護局長   井 忠 雄

(敬称略)

【式次第】

第一部

 会

主催者あいさつ

賞状授与

内閣総理大臣賞法務大臣賞

文部科学大臣奨励賞法務副大臣賞

法務大臣政務官賞

全国人権擁護委員連合会長賞

社団法人日本新聞協会会長賞

日本放送協会会長賞(以上各一名)

法務事務次官賞(三名) 計一一名

学校への感謝状贈呈

高円宮妃殿下おことば

来賓祝辞

第二部

各受賞作文の朗読

内閣総理大臣賞法務大臣賞

文部科学大臣奨励賞

全国人権擁護委員連合会長賞

社団法人日本新聞協会会長賞

日本放送協会会長賞

 評

全国中学生人権作文コンテスト中央大会審査員

 山田洋次氏

 落合恵子氏(ビデオレター形式)

第三部

新垣勉さんコンサート

 会 平成二二年一二月一八日(土)

午後一時三〇分〜三時五〇分

於ニッショーホール

「いじめ」や暴力行為等は人権侵害です

法務局地方法務局では

人権侵害による被害を受けた方を

救済するための活動を行っています

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女性の人権ホットライン

インターネット人権相談受付窓口

ゼロナナゼロのハートライン

0570-070-810

子どもの人権110番ぜろぜろななのひゃくとおばん

 0120-007-110

パソコンから httpwwwmojgojpJINKENjinken113html携帯電話から httpwwwjinkengojpsoudanmobile001html

インターネット人権相談 検 索

Human Rights法務省人権擁護局全国人権擁護委員連合会

人権イメージキャラクター人KENあゆみちゃん人KENまもる君

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第30回全国中学生人権作文コンテスト入賞作文集

法務省人権擁護局全国人権擁護委員連合会

人権イメージキャラクター人KENまもる君人KENあゆみちゃん

この冊子には音声コードが各頁(奇数頁 左下偶数頁 右下)に印刷されています専用の読み上げ装置で読み取ると記録されている情報を音声で聞くことが出来ます

Human Rights法務省人権擁護局全国人権擁護委員連合会

 全国中学生人権作文コンテスト入賞作文集

 全国中学生人権作文コンテスト入賞作文集

第30回

25 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

 

みなさんは「本当の『平和』とは」と質問されたら何と答えますか「戦争や紛争などが

ないこと」ですかそれとも「自分自身の幸せのこと」ですか一人ひとりの抱く「平和」のイ

メージは違うことでしょう

 

僕の思う本当の「平和」それは「家族」がいて「家庭」があることだと思いますなぜそう

思うかというと今僕は訳あって家族とは離ればなれに暮らしているからです一歳前後には既

に家族とは離れ施設にいました母親や姉兄の存在はわかっていますが一緒に過ごした時

間は限られたもので今でもほとんど交流はありませんそのせいか僕はいつも「家族」や「家

庭」というものに強い憧れを抱いています

 

自分がまだ幼い頃は自分と同じくらいの子が母親と手をつないでいる姿がとてもうらやまし

大おお

田た

 葵あおい

栃木県さくら市立喜連川中学校 三年

「家族」とは何か

法務大臣政務官賞

入賞作文集 26

入賞作文

「どうして自分には母親がいないんだろう」と思っていました仕舞いには自らの母親を恨ん

でしまったのです小学生になってもその気持ちは変わらず母親への恨みは増すばかりでした

 

しかし小学五年生の夏思いもよらぬ出来事が起きましたそれは引っ越しがあったこと

ですそこで僕は新しい土地そして新しい里親という人たちに出会いました里親の人たち

と暮らした数年間僕は幸せでしたそこで僕は僕の周りにはいつも支えてくれる人たちがい

ることに気づきました血のつながりがなくても僕に自分の子どものように接し育ててくれ

た里親の人たち養護施設の先生方などたくさんの方たちに僕は見守られて成長してきたこと

に気づいたのです僕を支えてくれる人すべてに感謝の気持ちがわき出てきましたそれ以来

僕は親という存在にこだわらなくなりましたそれどころか自分に命を与えてくれた親に感謝

の思いを抱くようになったのです

 

この夏母親の育児放棄が原因で二人の乳幼児が衰弱死するという悲しい事件がありました

二人の子どもにろくに食事も与えず風呂も入れなかったそうですさらに逮捕後その母親は

「家に帰ってあげなかったことを今も後悔している子どもは私を恨んでいると思う」

という言ってはならない発言をしました僕は怒る前に亡くなった二人の子ども

たちがかわいそうでなりませんでした

 

と同時に僕はこの母親はどうしてこのようなことをしてしまったのだろうと

すごく考えさせられました僕は本来親は子どもを殺すのではなく守るために

27 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

いるのだと考えますたとえ小さな子どもでも立派な一人の人間ですその命を

守り育てていくことが親として大切な役目だと思うのですこの母親はどこで

勘違いしたかは知りませんが親としての自分の責任を理解していなかったのでは

ないでしょうか

 

そしてその勘違いを誰も母親に気づかせてあげられなかった事実母親が一緒に遊び歩いて

いた友人はもちろん母親の家族が少しでも助けることができていたら母親の行動を戒めるこ

とができていたら連絡を受けた児童相談所がもう少し踏み込んだ行動が取れていたらこのよ

うな悲しい結末にはならずに済んだのではないでしょうかやりきれない思いばかりがこみあげ

てきます

 

もう一つこの母親は大きな勘違いをしていますそれは「子どもは私を恨んでいると思う」

という言葉です僕はこの子どもたちが母親を恨んでいるとは思えません子どもたちは母

親が帰宅するといつもハイタッチをして喜んで迎えたそうです子どもたちは母親のことが大

好きだったのでしょうたとえ自分たちを見放した母親でも恨んでいるとは決して思えないの

です

 

子どもは心の底から自分の母親のことを恨めないと僕は思いますこの世に生を受け笑った

り怒ったり泣いたりと毎日いろいろな経験ができるのは自分を生んでくれた母親という存在

があったからです正直僕も小さい頃は母を恨んだことがありました愛情の裏返しというよ

うに母親への思いが憎しみに変化してしまったのですでも心の底には母への恨みとは全く

入賞作文集 28

入賞作文

正反対の気持ちが存在し続けていましただ

からこそこの子どもたちがどんな思いで死

んでいったのかわかるような気がします母

親を信じひたすら母親の帰りをまちわびて

いた思いが

 

僕にとっての「家族」それは同じ屋根の

下で暮らす人々のことですたとえ血はつな

がっていなくても僕を支え励ましてくれる

人たちそのすべての人が僕にとっての大切

な「家族」なのです今僕の暮らす養護施設

にはいろいろな事情を抱えた二歳位から高

校生までの子どもたちや職員の方が約六十人

います今の僕には全員大切な「家族」で

す僕はこれからもこの「家族」を大切に

一日一日精一杯平和に生きていきたいです

29 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

 

授業でハンセン病について学んだ日両親と「偏見」や「差別」について口角泡を飛ばす議論

を深夜まで繰り広げた身体障害者の父と看護師の母を持つ私は幼い頃から「命の大切さ」を

訴える両親の姿を見て育って来たそんな私は真摯な気持ちからハンセン病罹患者と向き合い

たいと思いこの夏草津にある療養施設栗生楽泉園を訪れた

 

草津までの道のり私は罹患者の気持ちを絶えず考えていたハンセン病について調べると「ら

い予防法」により罹患者は隔離され人権を無視された扱いを受けたことが分かった罹患者の

言葉が書かれた本ではどんなに過酷な仕打ちを受けたか他人をどれほど恨み憎んでいるか

が書かれていたその為私は無意識の内に「罹患者は全員恨みを抱いている」と勝手に思い込

んでいたしかしこんな思い込み自体が偏見や差別を生む原因になるということを後に思い知

大おお

井い

 海み

琴こと

群馬県群馬大学教育学部附属中学校 三年

忘れてはならないこと

全国人権擁護委員連合会長賞

入賞作文集 30

入賞作文

らされることになるのである

 

私を迎えてくれたのは入園者自治会長の藤田三四郎さん藤田さんは大変お元気でその容姿

からはハンセン病を伺い知ることはできなかったしかし藤田さんは紛れもない罹患者なのだ

その証拠に藤田さんの名は本名ではない罹患者は施設に入所するにあたり偽名を使用させら

れたと言うつまりその時点で罹患者は世間から存在を消されてしまうのであるそんな藤田

さんから語られた話はハンセン病だと宣告され三度も命を絶とうとしたこと重症患者の看

護を押しつけられ数え切れない人を看取り自らの手で葬ったこと家族が受けた迫害や侮辱的

な言葉など想像を絶するもので筆舌し難いものだったしかしこんな迫害と差別は同時にハ

ンセン病患者達の人権回復闘争の歴史でもあったのだ闘争の末「らい予防法」が廃止される

と今まで差別や人権侵害を繰り返していた多くの人が掌を返す様に態度を変えたと言う私は聞

いていて怒りを覚えたが不思議なことに耳を塞ぎたくなる様な内容を語る藤田さんからは全

く怒りや恨みが感じられないのだ私は話を聞くまで自分の運命を呪い周囲への恨みつらみ

の言葉が出てくるとばかり思っていたしかし出てきた言葉は「入園出来て良かった差別は

受けたが今では恨みを抱く罹患者も少なくなったそればかりか最近はたくさんの人が我々を

理解し協力してくれるので嬉しい何故なら一人の百歩は力が無いが百人の一歩

は力になるから」と言う感謝の言葉だったのだ本当に「恨みは無いのか」と何度

聞いても答えは同じだった私は恥ずかしくなったハンセン病について調べ罹

患者の心を理解したようなつもりでいながら実は何も理解できてなくてそれば

31 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

かりか罹患者を偏見の眼で見ていたのは私自身だったのだ私は話を聞いてとめ

どなく溢れ出る涙を拭いながら心の片隅に潜んでいた「偏見と言う名の種」が身

体から洗い流されていくのを感じていたそれは同時に「思い込みや無知が偏見

や差別を生みだす」ことを強く感じた瞬間でもあったそれだけに藤田さんの「自

分と同様に他人を愛すればいつか必ず世界から差別はなくなる他人を愛して下さい」の慈愛に

満ちた言葉が一層重く腑に落ちるのだった

 

帰りがけ千五百ページにも及ぶ「入所者証言集」を手渡されたその際私は見えない襷も

手渡された気がしたその襷とは証言集に記された罹患者の「事実を風化させないで私達の事

を忘れないで」という搾り出すような叫び声とその姿だったのである

 

ハンセン病が治る病気であるのに誤った知識から悲惨な人権侵害が長期に渡り続いた同じ間

違いを繰り返さないためにも事実を語りついで行く必要があるここ楽泉園でも高齢化が進み

証言者の数が減っているこれは全国一五全てのハンセン病療養所に共通することだハンセン

病問題は罹患者がいなくなればそれで終わると言う問題ではない今後人権問題を考える際重

要な指針になりうる事実なのだそしてこの事実の風化を防ぐことが私達若い世代の役目だと

私は思う

 

私は小六の時友人達から突然イジメを受けたそれを引きずり他人を恐れ憎み自分を

嫌って生きて来たしかし罹患者の声が私に生きる力と前を向いて歩む勇気を与えてくれた

楽泉園訪問は私に人生観が変わる程の衝撃を与えてくれたのだこんな私だが罹患者の声を伝

入賞作文集 32

入賞作文

える「百人の中の一人」にはなれるはず

だそのために私は今この作文を書い

ている文字は時を越えて生き続けるか

ら私はこれからも楽泉園訪問を続ける

つもりだ実際に中学生の私が出来るこ

とには限りがあるが差別や偏見を少し

でも減らすために一歩を踏み出すつもり

でいる「自分と同様に他人を愛すれば

いつか差別は無くなる」と言う藤田さ

んの言葉を胸に

33 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

 

森に囲まれたその一画には教会や寺院神社があり小さなショッピングセンターやレスト

ランもある床屋や図書館郵便局や浴場もあるしかしそれらの施設を利用するのはその一

画に住む人たちだけだ緑の外側に住む人が利用することはないそこはハンセン病の療養所

多磨全生園である

 

僕は七年前に清瀬市に引っ越してきた夏のある日昆虫が大好きな僕は何気なくその森の

中に入って行ったそして歩き回っているうちにその場所が一つの「町」であることに気付

いた

 

毎日セミやカマキリやナナフシを探しながらどうしてこんな所があるのだろうと思った

 

僕が一番不思議に思ったのは古い木造の小学校だいつも誰もいない校舎と小さな運動場近

久く

米め

 一かず

輝き

埼玉県学校法人立教学院立教新座中学校 一年

ハンセン病について考えたこと

社団法人日本新聞協会会長賞

入賞作文集 34

入賞作文

くに小学校があるのにどうしてこんな所に小学校があるのだろう小学一年生の僕はとても不思

議に思った

 

夏に地域交流を目的とした盆踊りと花火大会が行われるいつもは人のいない小学校跡は多く

の人であふれかえり普段は見かけない重い後遺症の老人たちもこの日は外に出て盆踊りを楽し

む初めて参加したときは言葉が出なかった正直「怖い」と思った

 

夏が来るたびに僕は盆踊り大会に参加した低学年から高学年へと進むにつれて少しずつハ

ンセン病のことが分かってきた

 

六年生のときに社会科見学で全生園の元患者を訪れることになっただが僕は都合で参加で

きなかった僕はそれをずっと悔やんでいる

 

今年の夏僕はハンセン病資料館に出かけた見学者は僕一人でとても緊張したなるべく

音を立てないようにパネルを見て回った

 

強制隔離の現実にとても驚いた狭い部屋に押し込められ症状の軽い患者が重症の患者の世

話をしたという子供を持つ権利や生まれる赤ん坊の命まで奪われていた逃げ出したり反抗的

な患者は「不良患者」と呼ばれ窓の小さな暗い監房に閉じ込められた

 

医学が進歩し療養所も徐々に改善されていったが強制隔離を命じる「らい予防

法」が廃止されたのは一九九六年だという隔離が始まった一九〇八年から約九〇

年も経っていた僕が生まれるほんの一年前のことである特効薬が開発され本

格的な治療が始まったのは昭和二十二年である現実に合わない法律を廃止するの

35 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

にどうしてそんなに時間がかかったのだろうか

 

資料をもらってハンセン病資料館を後にした家を出るときは帰りに虫の観察

をするつもりだったがとてもそんな気にはなれなかったいつもセミが集まる桜

の木には目もくれずに早足で家に帰った

 

資料の中で一番心が痛んだのは療養所の子供たちのことだ療養所に入所したのはハンセン

病を発症した子どもたちだけではない親が発症したために入所する子どもたちもいた当時は

ハンセン病は遺伝病だとされていたからだ親から無理やり引き離された子どもたちは「すぐに

帰れるから」という言葉を信じていたというしかし一生療養所を出ることができなかった人が

多かったという社会的な差別がひどかったからだと資料に書かれていたが僕には実感がわか

なかったのでもう少し調べてみることにした

 

図書館で『ハンセン病を生きて』(伊波敏男著)という本を見つけた少し難しかったが差

別の現実が僕にもわかる部分があったそれは元患者たちに対して書かれた匿名のひどい手紙

である長年隔離されて苦しんできた人たちをさらに傷つける言葉が並んでいた悲しく暗い

気持ちになった

 

日本は経済大国として世界の注目を浴びているだが人権意識の面ではどうだろう「らい

予防法」を二〇世紀の末まで廃止できなかったことをどう考えたらよいのだろうか明治時代に

隔離が始まったときそれは外国に対する体面を保つためだったという病気の人を治療するの

ではなく「隠す」のが目的だったのだいまだに差別意識を持つ人がいるのは社会がそうした

入賞作文集 36

入賞作文

過去に対する反省をしていないから

だと思う

 

僕が不思議に思った小学校はすで

に取り壊されて今では小さな石碑

だけが残っている老朽化がひどく

残しておくことができなくなったか

らだという全生園の古い建物はど

んどん取り壊されていく石碑だけ

ではあの不思議さが伝わらないのが

とても残念だ

37 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

 

僕の曾祖父は医者嫌いでしたそのため腹痛で病院に運ばれた時は膵臓癌の末期で余命三ヶ

月でした手術もできない手遅れの状態でした家族皆で話し合い曾祖父の辛い気持ちを第一に

考え曾祖父に病を隠すことになりました曾祖父は次第に病院の中を歩いては転倒し体中あ

ざだらけになりベッドの上で縛られることになっていました曾祖父は病名の宣告を受けてい

ないため元気で歩けると思っているが実際歩くと転んでしまう何でこんな風になってしまっ

たのかさえわからない

 

家族と病院に行くと「包丁もてこいこれぶった切って家さ帰る」と騒いでいましたあん

なに優しかった曾祖父の姿に言葉も出ず恐いくらいでした何も知らされずベッドに縛り付

けられれば誰もがそうなることでしょう「じいちゃんどご一緒に車さのせでいてくれの」と

櫻さくらだ田

 要かな

太た

山形県酒田市立松山中学校 三年

日本放送協会会長賞

悔いのない最期を

入賞作文集 38

入賞作文

せがまれたときもありますかわいそうで涙がポロポロこぼれました「おじいちゃんどご家

さ連れで帰ろうよ」とせがんでも家族も仕事で忙しいためか誰も首を縦に振ってくれず病院

にいた方が安心ということになりました膵臓癌は予想以上に激しい痛みのため医師から強い

痛み止めと強い睡眠剤を勧められましたがそれを導入することにより安楽死に近い状況にな

ることも医師から告げられていました家族は決断をせまられました曾祖父に相談もせずに決

めていいことなのか家に帰りたい曾祖父の意志は封じ込められたままでいいのか家族で悩み

ました結局痛みに耐えている姿は見ていられなくその薬を使うことになりましたその後

曾祖父は次第に弱っていき口も利けなくなり静かに亡くなっていきました僕はどこか心を

引きずったままでした僕達家族が曾祖父に宣告もせず意見も聞かず命の長さを決めてしまっ

たこと当時幼かった僕には何もしてあげられなかったことが今思い出しても残念です

 

最近授業で人権について学習しているときに幼い頃の記憶がよみがえりふと曾祖父のこと

を思い出しました

 

曾祖父はどんな思いで亡くなったのだろう最後に意識のあるうちに一度でいいから家に帰っ

てきたかっただろう身体拘束は今は病院でも禁止されていると思いますがあの頃は確かに曾

祖父のおなかに黒いベルトのようなものが巻きついていました決して自分の力で

は外せないようなものでしたもがき苦しむ曾祖父の姿を見た時に看護師さんに

目を隠され別の部屋に連れて行かれました見せたくない光景だったのだと思いま

すでもあの姿は僕の脳裏に焼き付いています病院の中での人材不足のためだっ

39 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

たのでしょうか人が人らしく生きていない姿でした

 

七十八年生きてきて何も悪いことをしていないのに縛られ家にも帰れない

病気で余命幾ばくもない人には人権というものは存在しないのでしょうか最近の

医療の現場では自己決定権があることについて学びました

 

仏壇に向かい静かに目を閉じると優しく穏やかに微笑む曾祖父の笑顔が浮かびますどんな

気持ちで亡くなっていったのかその気持ちを考えると苦しい気持ちになります野球の大会に

行く前仏壇に手を合わせます「やればできる努力しろ」とよく励ましてくれました曾祖

父の力には何もなれなかったけれど目には見えない力で応援してくれる曾祖父に線香をあげて

自分を省みる時があります曾祖母が元気なので曾祖父を助けられなかった分曾祖母の力に

なっていくことを曾祖父に約束しています

 

夏休み中のニュースで高齢者の所在不明者が多数のため百歳以上の安否確認調査をしていま

した自分の親を平気で捨て遺骨さえもひきとらない亡くなっていたのに年金を不正受給する

ために隠していたなど耳をふさぎたくなるような事件もありました犬や猫が年をとって弱っ

てきた手がかかるから面倒だからと捨ててしまうそれと同じ現象が弱い高齢者にも及んでき

ているのだと思います

 

やはりこの世に生まれてきたもの全てに自分の意志で生きることを決めていける権利がある

と思います長い年月を苦労や努力と向き合いながら精一杯生きてくれたおかげで今の幸せが

あることを忘れずにいたい人はいずれ誰でも年をとります自由に動けなくなった時に自分の

入賞作文集 40

入賞作文

願いが叶う社会を築き「悔いなく満足で楽しく幸せな人生だった」と思えるように人とし

ての誇りを持って満足できる最期を迎えられるように考えていきたいもう二度と僕が見た自

己決定権のない社会にならないように高齢者には今までの感謝の気持ちで本人の希望をでき

るだけ叶えられるように努力していきたいいずれ僕達も迎える高齢社会だからhellip

41 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

 

私は小学六年生の時から盲導犬候補の子犬を育てるボランティアをしています「犬を飼っ

てみたい」と言う私に両親が「せっかく犬を飼うのなら社会に役立つことをしよう」と提案

したからです生後二ヵ月の子犬を預かり一歳の誕生日を迎えるまで世話をするのがボランティ

アの役目です初めて訓練士さんから子犬を手渡された時は不安でドキドキしましたが子犬は

すぐに私の腕の中で眠ってしまいました初めて会った私のことを信頼して安心しきった寝顔

で眠っている姿は本当に可愛かったですラブラドールの子犬はとてもやんちゃで私の家にやっ

て来たその日からいたずらばかりしていましたがしかられてもクヨクヨせずどんな相手にも

 林はやし

 里り

咲さ

東京都小平市立小平第六中学校 三年

差別のない社会に

(パピーウォーカーの経験から学んだこと)

法務事務次官賞

入賞作文集 42

入賞作文

フレンドリーに近づいていく姿から私は明るく前向きに生きることを教わりました子犬たち

と過ごした日々は私にとって一番の宝物ですそしてあっという間に一歳の誕生日がやって来ま

した誕生日が悲しいという経験は初めてでした訓練所への入所日の前日には長い長い散歩を

して最後のお別れをしました「今までありがとう」そう言った私のことを不思議そうに見てい

た子犬の顔が今も目に焼きついています別れは本当につらいけれど涙を見せたら子犬が心配す

るので頑張って笑顔で見送りました

 

私の家で育てた一頭目の子犬は現在盲導犬になって頑張っていますそして今年四月に巣立っ

ていった二頭目の子犬は神奈川にある訓練センターで訓練中です

 

このボランティアを通して私は多くのことを学びましたまず盲導犬の役割ですがこれは単

に目の不自由な方が便利に一人でどこへでも行けるようにするためだけではありません視覚障

がいのある方にとって人の手をわずらわせるのはとてもつらいことなのだそうですたとえ家

族に対してでも「迷惑をかけるのではないか」と思って我慢することが多く「私なんかいない

方がいいんじゃないか」と考えてしまうこともあったといいますその失われそうになった尊

厳を取り戻す手助けをするのが盲導犬の役目なのです犬は訓練を共にするパートナーのことを

大好きになるので「自分は他者からこんなにも大好きになってもらえる存在なん

だ」と気づいて自信を取り戻し新しい一歩を踏み出せるようになるのだそうです

 

また私がボランティア登録している日本盲導犬協会では二〇〇八年に新しい

試みが始まりました受刑者が盲導犬候補の子犬を育てる動物を介在した日本初

43 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

の教育プログラムです罪を犯した人も心から反省してきちんと罪を償えば社会

は差別することなく受け入れるべきですしかし実際はとても偏見が多く元受刑

者たちは「どうせ自分はだめな人間なんだ」と思い再び罪を犯してしまう悪循環

が起こっているそうですその悪循環を断ち切り受刑者たちがスムーズに社会復

帰を果たせるよう支援するのが「あさひ盲導犬パピープロジェクト」です受刑者たちは約十ヵ

月の間子犬たちを世話しながら一緒に過ごし「役に立つ喜び達成する喜び信頼される喜び」

を感じることで自分の価値を再確認するのだそうです今年一月に第一期のプロジェクトを修了

した受刑者の感想に次のようなものがありました

 「今後自分もパピーに笑われないようにきちんとしなければならないパピーは慈しむこと

寛容の心を教えてくれました」

 

犬は決して差別をしません健康な人にも障がいのある人にもお金持ちにも貧しい人にも

権力のある人にも犯罪を犯した人にも全く同じように接してくれますそんな犬たちと一緒に過

ごすことで自信をなくした人たちも自分のことをかけがえのない大切な存在であると思えるよ

うになるのです

 

私たち人間も差別のない社会をつくる努力をしなければならないと思います一人一人が相

手を大切に思う心を忘れなければこの社会はもっと住み良い場所になるはずです私はこのボ

ランティアを通して学んだことを生かしてこれからも一層努力していきたいと思います

入賞作文集 44

入賞作文

45 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

 

僕は祖父のために自助具を作ろうと思った祖父は去年の夏脳梗塞で倒れた祖父は一命

を取り留めたものの右手と右足がまひしてしまったのだその三週間前僕も車椅子から転倒し

て足を骨折した

 

僕には障害がある車椅子で生活することが多いしかし僕のことを障害者だといって差別

するような友達は一人もいない

 

祖父は歩けるようになりたいという気持ちが強かっただからリハビリを頑張り自分で

歩けるようになるまで回復した頑張っている祖父がかっこいいと僕は思った祖父はリハビ

リを頑張ったにも関わらず右手がうまく動かせなくなってしまっただからご飯を食べる時も

服を着替える時も時間がかかる普段何気なくやっていた動作がとても大変だと祖父は言ってい

守もり

田た

 幸こう

平へい

静岡県静岡大学教育学部附属浜松中学校 三年

祖父への靴下

法務事務次官賞

入賞作文集 46

入賞作文

た僕も何か役に立てることはないかと考えた

 

僕の学校には総合学習という授業があるそこで僕は福祉というカテゴリーを選んだ自

分で社会に役立てることを考え実際に行動することが目標だった僕は障害者のために何が

できるかを考えた

 

僕は二年前に静岡文化芸術大学で障害者がいかに日常生活で不自由のない生活ができるかを

考えるプロジェクトがあるのを新聞で知ったそれは大学生たちが個人個人にあった自助具を

作るプロジェクトだった僕は障害者のために何かできるのではと感じた

 

僕は静岡文化芸術大学へ行って僕にもできることがないかと聞いたすると学生さんが

自助具を作ってみないかと声をかけてくれた僕は迷わず「はい」と言った障害者のために

役に立てることがあると思うとすばらしいことだと思ったからだ

 

祖父のつらい顔を見ると日常生活に数々の大きな壁があることが伝わってくる

 

僕は祖父の数々の大きな壁を突き破ろうと思った祖父のために自助具を考え作ろうと僕

は思った祖父が靴下の脱ぎ履きが大変だと言っていたことを思い出したそこで脱ぎ履きし

やすい靴下はできないか考えた靴下の両脇にひもを取り付けてそれを引っ張ると靴下が縮み

脱ぎ履きしやすくなる仕組みだ大学の先生も良いアイディアだと言って褒めてく

れたこれは障害者だけでなく健常者にも使えると言われたユニバーサルデザ

インだと分かった

 

ユニバーサルデザインは年齢や障害の有無にかかわらず全ての人が使いやす

47 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

いように工夫された用具などのデザインである境界がなくなるように健常者が障

害者に対する偏見を考え差別意識がなくなるチャンスだと思った障害者と健常

者が共によりよく生きることが大切だと僕は思った

 

自助具の作品展では杖をついているお年寄り車椅子に乗った若い女性目の

見えない人福祉関係者など沢山の人々が観に来ていた皆自分の生活を良くしようと思っ

ているようだったまた障害者のためにできることは何だろうかと考えている健常者もいるよ

うだった

 

二年生の時の総合学習では二箇所のデイサービスを訪問したデイサービスには六十五歳以

上のお年寄りがいた暗く元気のない人明るく振る舞い誰とでも話せる人など様々だった

しかし僕が一番印象に残ったのは笑顔を絶やさず優しくお年寄りに接していた介護士だった

お年寄りの中には悩みを抱えている人が多いそうだその悩みを解消させる人もまた介護士だっ

た僕は介護士がお年寄りの体を支えるだけではなく心もそっと支えて生きる喜びを与え

ているのだと感じた

 

現代は三世代で暮らす家族が減り核家族が増えているそれはお年寄りの世話が大変だ

からという理由が多いだから老人ホームやデイサービスに預ける人が増えていると僕には

思えたお年寄りの中には自分が嫌われているのではないかとさえ思ってしまう人もいるそう

だそれはお年寄りにとって辛く悲しいことだと思うある介護士がこんなことをおっしゃっ

ていた「人の優しさはお金では買えない」誰にでも優しい心があると思うしかしあと一歩

入賞作文集 48

入賞作文

のところで行動に移すことができない人が多いの

だ僕たちが平和な社会で暮らせるのは今まで

頑張ってきてくれたお年寄りのお陰であることを

忘れてはいけないお年寄りを大切にすることは

当たり前のことなのだ

 

また障害者に対しても偏見の目で見ないで

そっと近づいて手を貸してあげれば健常者との

高い大きな壁を崩すことができると思う

 

障害者にも高齢者にもまた健常者にも人権

はあるお互いの人権を大切にすることが明る

い未来に繋がっていくのだと思う

 

早く祖父に僕の作った靴下を届けたい

49 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

 

僕は小学校六年生まで福岡県に住んでいましたそこで僕が体験したことです五年生のこ

ろ僕の友だちのA君が同級生のK君の靴を隠したりからかったりしていることがよくあり

ました最初は僕もあまり気にしていませんでしたがK君のことを「なんだかかわいそう」と

思うようになりました

 

ある日僕は勇気をだして先生に「K君がいじめにあっています」と報告しました初め先生は

「じゃれ合っているだけだろう」と「いじめ」とは思ってくれませんでしたでもその後「いじ

め」と分かりA君は先生に注意されその日一日は反省した様子で過ごしていましたしかし

次の日学校に行くといじめは前以上にエスカレートしていて蹴ったりたたいたりするように

なりましたしかも「死ね」「うざい」「消えろ」などの言葉が飛び交うようになりそんな日々

法務事務次官賞

浦うら

谷たに

 毅たける

徳島県三好市立池田中学校 三年

いじめをなくすために今

入賞作文集 50

入賞作文

が続きました

 

それは六年生になっても続きました僕はそのいじめを止めることができず毎日見て見ぬ

振りをしていました今思うと自分がとても恥ずかしいです本当の友達なら止めるべきなの

にそれだけではなくいじめられているK君に声一つかけることができずにいました心の中

ではA君に「やめろよ」と言おうと思っていたけどなぜか勇気が出ませんでした次にい

じめられるのが自分になるのが恐くて言えなかったのです

 

そんな日々が続く中僕の気持ちを大きく変える出来事がありました父の死ですそのとき

のことは今でも忘れることができません聞いたときには頭の中が真っ白になりました最初

は信じることができませんでした一週間も二週間も学校に行けずただぼーっと過ごしてい

ましたいろんなことを考え徐々に「死」というものの悲しさつらさ「死」という意味の

重さがわかってきましたそして時間はかかりましたが「命は一瞬にして消え二度と戻っ

てこないものだだから命を大切に今を大切にしなければならない」と深く受け止めることが

できるようになりましたそして周りの子たちは僕のような経験がないから「死ね」とか軽々

しく言えるのだろうと思いこの気持ちを伝えなくてはならないと考えました僕が強くならな

くてはと思いました

 

こんな気持ちになったとき僕には時間がありませんでした母の実家がある徳

島への引っ越しが一週間後に決まっていたのです落ち込んでいる暇は無いと思

い学校に行った僕はA君に言いました「いじめなんかやめろよいじめたって

51 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

喜ぶ人はいないし悲しむ人がいるだけだろ自分だってほんとは嫌だろ『死ね』

とか『消えろ』とか言葉の重さを知らないのに言うなよ」と言いました父親の

突然の死そのあと僕が考えたことも伝えました

 

友だちは黙って聞いてくれました僕の言葉にうなずいてそのあとK君の

ところへ行き「ごめん言葉の重さも知らずに言って本当にごめんぜったいに死ねなんて

ことは言わないそしていじめは絶対にしないほんとうにごめん」とあやまりましたK君

はとても優しい笑顔で「いいよ」と一言言いました僕もK君に言いました

「今まで助けてあげられなくてごめん」

K君は笑顔で「ありがとう」と言ってくれました今まで自分の中でもやもやしていた気持ちが

スーっと晴れました

 

今も時々耳にする暴言冗談半分で言っているのかもしれませんしかしいついじめにつ

ながるかわかりません他人を傷つけることで自分のストレスを晴らそうとしているのでしょう

関係ないふりをしようとする自分がいます楽な考え方をする自分がいますそんな時亡くなっ

た父の顔やK君の優しい笑顔を思い出しますあの時の自分のように強い気持ちを持とう「や

めろよ」と一言言うするとまた気持ちがスーっとしてきました

 

父の分も頑張って生き抜こうと決めた僕にとって正しいことを素直に認め悪いことを否定

できる強い意志を持つことが目標ですそして何よりも命を大切に今を大切にしていきたい

と思っています

入賞作文集 52

入賞作文

53 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

 

ぼくは今まで四つの外国に暮らしいろいろな国の人たちの中で育ってきた

 

まずタイで生まれてタイ人のメイドさんやドライバーさんにいつも遊んでもらっていた

らしい一才になると週一回の体操教室にも通いタイ人の友達もいたそうだ

 

次にシンガポールでは初めてナサリースクール(保育園)に通いいろいろな国の友達と

知り合ったプレイルームにある滑り台を滑る順番争いでいつも勝つのは体の大きい金髪の友

達だった

 

一回目の香港生活では英語の幼稚園に通ったその時のぼくの一番の友達はカナダ人だった

彼とはよくベイブレードをして遊んだが父が日本の出張で買ってきてくれた独楽や剣玉をして

遊ぶこともあった

村むら

瀬せ

 広ひろ

高たか

香港日本人学校中学部 二年

国境をこえて

海 外 作 品

今回は本選への応募とすることはできませんでしたが

 海外から寄せられた作品のうち一作品を御紹介します

入賞作文集 54

海外作品

 

それからインドでは日本人学校に通ったが夏休みには毎年アメリカンスクールのサマー

スクールに参加したし日本人のいない現地のテニススクールにも入り二年間通ったまたイ

ンドの現地幼稚園に通っていた妹のベストフレンドはコンゴ人でその兄弟もぼくの友達だった

 

そして三年間の日本生活を経て今また香港に戻ってきた

 

このようにぼくはいろいろな国でいろいろな国の人たちのお世話になりいろいろな国

の友達と遊んで育った肌が真っ黒な友達もゲームの話をすればすぐに仲良くなれたし髪が

金色の友達もポケモンの話をすれば気が合ったぼくは小さい頃から英語はうまくしゃべれ

なかったけれどもジェスチャーをつけたでたらめ英語でも充分に話は通じただからいろい

ろな国の人たちの中でぼくが日本人だからといって差別されたり嫌な思いをしたりしたこと

はないしぼくも肌の色が違うからとか言葉が通じないからという理由で違う人間だと思っ

たことはないそうぼくは外国人を差別したことはない

 

しかし本当にぼくは外国人を差別したことがないのだろうか外国人を差別した発言を一

度もしたことがないかと考えると自信がない

 

例えば香港人には赤信号でも平気で渡る人がたくさんいるそれを見てぼくは

「香港人はしょうがないな」

と思うでもよく見ると香港人全員が信号無視をしているわけではないまた

世界には今でも戦争をしている国がいくつもある

「人を傷つけ合うなんて馬鹿げている」

55 第30回全国中学生人権作文コンテスト

海外作品

とぼくは悲しくなるでもそれも好きで戦っている人がいるとも思えないその

人たちがそうなったのには何かきっと原因があるはずだ

 

逆に外国人から見ると日本人はどのように思われているのだろう

 

インドから日本に帰国した時毎日ごみがたくさん出ることにぼくはとても驚

いたインドの人たちがよく使う道端にあるカレー屋さんではバナナの葉で作ったお皿にカ

レーを入れてくれる食べた後そのお皿を道に捨てるとのら牛がその葉っぱを食べるそして

牛のふんは燃料になるというそれに比べて日本はちょっと歩くとペットボトルの飲み物が

買えファーストフードのお店では使い捨ての食器を使い立派なお菓子の箱を開けると中身が

少なくてがっかりすることもあるある時母が捨てたジャムの空きびんをメイドさんとエア

コンの修理にきていたワーカーさんとが取り合ってけんかをしていたこともあったそれを見

てぼくはあきれてしまったが逆にインド人から見ると使い捨て文化のしみついた日本人は

とんでもない人間にみえるのかもしれない国によって考え方や行動パターンが違うのは歴史

的背景や宗教習慣気候などのいろいろなことが関わっているのだと思う

 

このように考えると差別とはその人の一部しか見ていないことや自分のやり方だけが正

しいと思うことからおきるのではないかと思うその人が自分とは違った行動をとったとしても

それには深い理由があるのだろうと考えればきっと納得できると思うぼくもこれからは否

定的な発言をする前にその人たちのことをいろいろな角度から見て理解する努力をしてみよう

と思う外国との間には自分の国とは違う言葉や文化という壁があるとみんな言うがそこに

入賞作文集 56

海外作品

あるのは壁ではなく橋だとぼくは思う理解

し合おうという気持ちがあればきっと誰でも

その橋を渡っていけるはずだ気持ちの国境を

こえるのにパスポートはいらないお互いを理

解し合おうと思う気持ちが一番大切だと思う

そしてぼくはこれから日本人として生きる

のではなく地球人として生きていこうと思う

57 第30回全国中学生人権作文コンテスト

海外作品

法務局地方法務局名 郵便番号 所  在  地 電  話

金沢地方法務局人権擁護課920-0024 金沢市西念3-4-1金沢駅西合同庁舎(平成23年3月11日まで) 076-231-1244

921-8505 金沢市新神田4-3-10金沢新神田合同庁舎(平成23年3月14日から) 076-292-7804

富山地方法務局人権擁護課 930-0856 富山市牛島新町11番7号富山合同庁舎 076-441-6376

大阪法務局人権擁護部 540-8544 大阪市中央区谷町2丁目1番17号大阪第2法務合同庁舎 06-6942-9492

京都地方法務局人権擁護課 602-8577 京都市上京区荒神口通河原町東入上生洲町197番地 075-231-0131

神戸地方法務局人権擁護課 650-0042 神戸市中央区波止場町1番1号神戸第2地方合同庁舎 078-392-1821

奈良地方法務局人権擁護課 630-8305 奈良市東紀寺町3-4-1奈良第2法務総合庁舎 0742-23-5457

大津地方法務局人権擁護課 520-8516 大津市御陵町3番6号大津法務総合庁舎 077-522-4673

和歌山地方法務局人権擁護課 640-8552 和歌山市二番丁2番地和歌山地方合同庁舎 073-422-5131

広島法務局人権擁護部 730-8536 広島市中区上八丁堀6番30号広島合同庁舎 082-228-5790

山口地方法務局人権擁護課 753-8577 山口市中河原町6番16号山口地方合同庁舎2号館 083-922-2295

岡山地方法務局人権擁護課 700-8616 岡山市北区南方1丁目3番58号 086-224-5761

鳥取地方法務局人権擁護課 680-0011 鳥取市東町2丁目302番地鳥取第2地方合同庁舎 0857-22-2289

松江地方法務局人権擁護課 690-0886 松江市母衣町50番地松江法務合同庁舎 0852-32-4260

高松法務局人権擁護部 761-8077 高松市出作町585-4 087-815-5311

徳島地方法務局人権擁護課 770-8512 徳島市徳島町城内6番地6徳島地方合同庁舎 088-622-4171

高知地方法務局人権擁護課 780-8509 高知市栄田町2丁目2番10号高知よさこい咲都合同庁舎 088-822-3331

松山地方法務局人権擁護課 790-8505 松山市宮田町188番地6松山地方合同庁舎 089-932-0888

福岡法務局人権擁護部 814-0005 福岡市早良区祖原14-15福岡法務局西新出張所庁舎5階 092-832-4311

佐賀地方法務局人権擁護課 840-0041 佐賀市城内2丁目10番20号佐賀合同庁舎 0952-26-2148

長崎地方法務局人権擁護課 850-8507 長崎市万才町8番16号 095-826-8127大分地方法務局人権擁護課 870-8513 大分市荷揚町7番5号大分法務総合庁舎 097-532-3368

熊本地方法務局人権擁護課 862-0971 熊本市大江3丁目1番53号熊本第2合同庁舎 096-364-2145

鹿児島地方法務局人権擁護課 890-8518 鹿児島市鴨池新町1番2号 099-259-0684宮崎地方法務局人権擁護課 880-8513 宮崎市別府町1番1号宮崎法務総合庁舎 0985-22-5124

那覇地方法務局人権擁護課 900-8544 那覇市樋川1丁目15番15号那覇第1地方合同庁舎 098-854-1215

入賞作文集 58

問合せ先一覧

法務局地方法務局名 郵便番号 所  在  地 電  話

札幌法務局人権擁護部 060-0808 札幌市北区北8条西2丁目1番1札幌第1合同庁舎 011-709-2311

函館地方法務局人権擁護課 040-8533 函館市新川町25番18号函館地方合同庁舎 0138-23-9528

旭川地方法務局人権擁護課 078-8502 旭川市宮前通東4155番31旭川合同庁舎 0166-38-1114

釧路地方法務局人権擁護課 085-8522 釧路市幸町10丁目3番地釧路地方合同庁舎 0154-31-5014

仙台法務局人権擁護部 980-8601 仙台市青葉区春日町7番25号仙台第3法務総合庁舎 022-225-5739

福島地方法務局人権擁護課 960-8021 福島市霞町1番46号福島合同庁舎 024-534-1994

山形地方法務局人権擁護課 990-0041 山形市緑町1丁目5番48号山形地方合同庁舎 023-625-1321

盛岡地方法務局人権擁護課 020-0023 盛岡市内丸7番25号盛岡合同庁舎 019-624-9859秋田地方法務局人権擁護課 010-0951 秋田市山王7丁目1番3号 018-862-6533

青森地方法務局人権擁護課 030-8511 青森市長島1丁目3番5号青森第二合同庁舎 017-776-9024

東京法務局人権擁護部 102-8225 千代田区九段南1丁目1番15号九段第2合同庁舎 03-5213-1234

横浜地方法務局人権擁護課 231-8411 横浜市中区北仲通5丁目57番地横浜第2合同庁舎 045-641-7926

さいたま地方法務局人権擁護課 338-8513 さいたま市中央区下落合5-12-1さいたま第二法務総合庁舎 048-859-3507

千葉地方法務局人権擁護課 260-8518 千葉市中央区中央港1丁目11番3号千葉地方合同庁舎 043-302-1319

水戸地方法務局人権擁護課 310-0061 水戸市北見町1番1号水戸地方法務合同庁舎 029-227-9919

宇都宮地方法務局人権擁護課 320-8515 宇都宮市小幡2丁目1番11号宇都宮地方法務合同庁舎 028-623-0926

前橋地方法務局人権擁護課 371-8535 前橋市大手町2丁目10番5号前橋合同庁舎 027-221-4426

静岡地方法務局人権擁護課 420-8650 静岡市葵区追手町9番50号静岡地方合同庁舎 054-254-3555

甲府地方法務局人権擁護課 400-8520 甲府市北口1丁目2番19号甲府地方合同庁舎 055-252-7239

長野地方法務局人権擁護課 380-0846 長野市旭町1108番地長野第2合同庁舎 026-235-6634

新潟地方法務局人権擁護課 951-8504 新潟市中央区西大畑町5191番地新潟地方法務総合庁舎 025-222-1564

名古屋法務局人権擁護部 460-8513 名古屋市中区三の丸2丁目2番1号名古屋合同庁舎第1号館 052-952-8111

津地方法務局人権擁護課 514-8503 津市丸之内26番8号津合同庁舎 059-228-4193岐阜地方法務局人権擁護課 500-8729 岐阜市金竜町5丁目13番地 058-245-3181

福井地方法務局人権擁護課 910-8504 福井市春山1丁目1番54号福井春山合同庁舎 0776-22-5090

問合せ先一覧 (法務局地方法務局)

59 第30回全国中学生人権作文コンテスト

問合せ先一覧

世界人権宣言啓発書画「鳥」「自由と解放」を表わしたもの 小木太法書オタビオロス画(財)人権擁護協力会提供

入賞作文集 60

すべての人間は生まれながらにして

自由でありかつ尊厳と権利とに

ついて平等である人間は理性と

良心とを授けられており互いに同胞の

精神をもって行動しなければならない

―――

世界人権宣言 第一条

―――

第三〇回

 全国中学生人権作文コンテスト

中央大会表彰式

印  刷 平成23年1月25日

発  行 平成23年2月14日

発 行 者 法務省人権擁護局

全国人権擁護委員連合会

東京都千代田区霞が関一丁目1番1号

電話 03(3580)4111 内線5875

URL httpwwwmojgojpJINKEN

第30回全国中学生人権作文コンテスト中央大会審査員

感想をお聞かせください本作文集を読まれた感想等を下記の連絡先又はkeihatsumojgojpまでお寄せください

無断転載を禁じます本作文集に掲載された作文や写真等を地方自治体が広報誌に掲載したり学校が教材に使用される場合などにはあらかじめ下記に御連絡ください

100-8977 東京都千代田区霞が関一丁目1番1号 法務省人権擁護局人権啓発課 TEL03(3580)4111 内線5875

作  家(審査員長) 落 合 恵 子映画監督 山 田 洋 次社団法人日本新聞協会事務局長 川 嶋   明日本放送協会解説委員室解説委員 南   直 樹文部科学省初等中等教育局視学官 三 好 仁 司全国人権擁護委員連合会長 中 村 浩 紹法務省人権擁護局長   井 忠 雄

(敬称略)

【式次第】

第一部

 会

主催者あいさつ

賞状授与

内閣総理大臣賞法務大臣賞

文部科学大臣奨励賞法務副大臣賞

法務大臣政務官賞

全国人権擁護委員連合会長賞

社団法人日本新聞協会会長賞

日本放送協会会長賞(以上各一名)

法務事務次官賞(三名) 計一一名

学校への感謝状贈呈

高円宮妃殿下おことば

来賓祝辞

第二部

各受賞作文の朗読

内閣総理大臣賞法務大臣賞

文部科学大臣奨励賞

全国人権擁護委員連合会長賞

社団法人日本新聞協会会長賞

日本放送協会会長賞

 評

全国中学生人権作文コンテスト中央大会審査員

 山田洋次氏

 落合恵子氏(ビデオレター形式)

第三部

新垣勉さんコンサート

 会 平成二二年一二月一八日(土)

午後一時三〇分〜三時五〇分

於ニッショーホール

「いじめ」や暴力行為等は人権侵害です

法務局地方法務局では

人権侵害による被害を受けた方を

救済するための活動を行っています

お気軽にご相談ください

女性の人権ホットライン

インターネット人権相談受付窓口

ゼロナナゼロのハートライン

0570-070-810

子どもの人権110番ぜろぜろななのひゃくとおばん

 0120-007-110

パソコンから httpwwwmojgojpJINKENjinken113html携帯電話から httpwwwjinkengojpsoudanmobile001html

インターネット人権相談 検 索

Human Rights法務省人権擁護局全国人権擁護委員連合会

人権イメージキャラクター人KENあゆみちゃん人KENまもる君

全国共通通話料無料

全国共通ナビダイヤル

この冊子は環境保護印刷の「水なし印刷」で印刷されています

第30回全国中学生人権作文コンテスト入賞作文集

法務省人権擁護局全国人権擁護委員連合会

人権イメージキャラクター人KENまもる君人KENあゆみちゃん

この冊子には音声コードが各頁(奇数頁 左下偶数頁 右下)に印刷されています専用の読み上げ装置で読み取ると記録されている情報を音声で聞くことが出来ます

Human Rights法務省人権擁護局全国人権擁護委員連合会

 全国中学生人権作文コンテスト入賞作文集

 全国中学生人権作文コンテスト入賞作文集

第30回

 

みなさんは「本当の『平和』とは」と質問されたら何と答えますか「戦争や紛争などが

ないこと」ですかそれとも「自分自身の幸せのこと」ですか一人ひとりの抱く「平和」のイ

メージは違うことでしょう

 

僕の思う本当の「平和」それは「家族」がいて「家庭」があることだと思いますなぜそう

思うかというと今僕は訳あって家族とは離ればなれに暮らしているからです一歳前後には既

に家族とは離れ施設にいました母親や姉兄の存在はわかっていますが一緒に過ごした時

間は限られたもので今でもほとんど交流はありませんそのせいか僕はいつも「家族」や「家

庭」というものに強い憧れを抱いています

 

自分がまだ幼い頃は自分と同じくらいの子が母親と手をつないでいる姿がとてもうらやまし

大おお

田た

 葵あおい

栃木県さくら市立喜連川中学校 三年

「家族」とは何か

法務大臣政務官賞

入賞作文集 26

入賞作文

「どうして自分には母親がいないんだろう」と思っていました仕舞いには自らの母親を恨ん

でしまったのです小学生になってもその気持ちは変わらず母親への恨みは増すばかりでした

 

しかし小学五年生の夏思いもよらぬ出来事が起きましたそれは引っ越しがあったこと

ですそこで僕は新しい土地そして新しい里親という人たちに出会いました里親の人たち

と暮らした数年間僕は幸せでしたそこで僕は僕の周りにはいつも支えてくれる人たちがい

ることに気づきました血のつながりがなくても僕に自分の子どものように接し育ててくれ

た里親の人たち養護施設の先生方などたくさんの方たちに僕は見守られて成長してきたこと

に気づいたのです僕を支えてくれる人すべてに感謝の気持ちがわき出てきましたそれ以来

僕は親という存在にこだわらなくなりましたそれどころか自分に命を与えてくれた親に感謝

の思いを抱くようになったのです

 

この夏母親の育児放棄が原因で二人の乳幼児が衰弱死するという悲しい事件がありました

二人の子どもにろくに食事も与えず風呂も入れなかったそうですさらに逮捕後その母親は

「家に帰ってあげなかったことを今も後悔している子どもは私を恨んでいると思う」

という言ってはならない発言をしました僕は怒る前に亡くなった二人の子ども

たちがかわいそうでなりませんでした

 

と同時に僕はこの母親はどうしてこのようなことをしてしまったのだろうと

すごく考えさせられました僕は本来親は子どもを殺すのではなく守るために

27 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

いるのだと考えますたとえ小さな子どもでも立派な一人の人間ですその命を

守り育てていくことが親として大切な役目だと思うのですこの母親はどこで

勘違いしたかは知りませんが親としての自分の責任を理解していなかったのでは

ないでしょうか

 

そしてその勘違いを誰も母親に気づかせてあげられなかった事実母親が一緒に遊び歩いて

いた友人はもちろん母親の家族が少しでも助けることができていたら母親の行動を戒めるこ

とができていたら連絡を受けた児童相談所がもう少し踏み込んだ行動が取れていたらこのよ

うな悲しい結末にはならずに済んだのではないでしょうかやりきれない思いばかりがこみあげ

てきます

 

もう一つこの母親は大きな勘違いをしていますそれは「子どもは私を恨んでいると思う」

という言葉です僕はこの子どもたちが母親を恨んでいるとは思えません子どもたちは母

親が帰宅するといつもハイタッチをして喜んで迎えたそうです子どもたちは母親のことが大

好きだったのでしょうたとえ自分たちを見放した母親でも恨んでいるとは決して思えないの

です

 

子どもは心の底から自分の母親のことを恨めないと僕は思いますこの世に生を受け笑った

り怒ったり泣いたりと毎日いろいろな経験ができるのは自分を生んでくれた母親という存在

があったからです正直僕も小さい頃は母を恨んだことがありました愛情の裏返しというよ

うに母親への思いが憎しみに変化してしまったのですでも心の底には母への恨みとは全く

入賞作文集 28

入賞作文

正反対の気持ちが存在し続けていましただ

からこそこの子どもたちがどんな思いで死

んでいったのかわかるような気がします母

親を信じひたすら母親の帰りをまちわびて

いた思いが

 

僕にとっての「家族」それは同じ屋根の

下で暮らす人々のことですたとえ血はつな

がっていなくても僕を支え励ましてくれる

人たちそのすべての人が僕にとっての大切

な「家族」なのです今僕の暮らす養護施設

にはいろいろな事情を抱えた二歳位から高

校生までの子どもたちや職員の方が約六十人

います今の僕には全員大切な「家族」で

す僕はこれからもこの「家族」を大切に

一日一日精一杯平和に生きていきたいです

29 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

 

授業でハンセン病について学んだ日両親と「偏見」や「差別」について口角泡を飛ばす議論

を深夜まで繰り広げた身体障害者の父と看護師の母を持つ私は幼い頃から「命の大切さ」を

訴える両親の姿を見て育って来たそんな私は真摯な気持ちからハンセン病罹患者と向き合い

たいと思いこの夏草津にある療養施設栗生楽泉園を訪れた

 

草津までの道のり私は罹患者の気持ちを絶えず考えていたハンセン病について調べると「ら

い予防法」により罹患者は隔離され人権を無視された扱いを受けたことが分かった罹患者の

言葉が書かれた本ではどんなに過酷な仕打ちを受けたか他人をどれほど恨み憎んでいるか

が書かれていたその為私は無意識の内に「罹患者は全員恨みを抱いている」と勝手に思い込

んでいたしかしこんな思い込み自体が偏見や差別を生む原因になるということを後に思い知

大おお

井い

 海み

琴こと

群馬県群馬大学教育学部附属中学校 三年

忘れてはならないこと

全国人権擁護委員連合会長賞

入賞作文集 30

入賞作文

らされることになるのである

 

私を迎えてくれたのは入園者自治会長の藤田三四郎さん藤田さんは大変お元気でその容姿

からはハンセン病を伺い知ることはできなかったしかし藤田さんは紛れもない罹患者なのだ

その証拠に藤田さんの名は本名ではない罹患者は施設に入所するにあたり偽名を使用させら

れたと言うつまりその時点で罹患者は世間から存在を消されてしまうのであるそんな藤田

さんから語られた話はハンセン病だと宣告され三度も命を絶とうとしたこと重症患者の看

護を押しつけられ数え切れない人を看取り自らの手で葬ったこと家族が受けた迫害や侮辱的

な言葉など想像を絶するもので筆舌し難いものだったしかしこんな迫害と差別は同時にハ

ンセン病患者達の人権回復闘争の歴史でもあったのだ闘争の末「らい予防法」が廃止される

と今まで差別や人権侵害を繰り返していた多くの人が掌を返す様に態度を変えたと言う私は聞

いていて怒りを覚えたが不思議なことに耳を塞ぎたくなる様な内容を語る藤田さんからは全

く怒りや恨みが感じられないのだ私は話を聞くまで自分の運命を呪い周囲への恨みつらみ

の言葉が出てくるとばかり思っていたしかし出てきた言葉は「入園出来て良かった差別は

受けたが今では恨みを抱く罹患者も少なくなったそればかりか最近はたくさんの人が我々を

理解し協力してくれるので嬉しい何故なら一人の百歩は力が無いが百人の一歩

は力になるから」と言う感謝の言葉だったのだ本当に「恨みは無いのか」と何度

聞いても答えは同じだった私は恥ずかしくなったハンセン病について調べ罹

患者の心を理解したようなつもりでいながら実は何も理解できてなくてそれば

31 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

かりか罹患者を偏見の眼で見ていたのは私自身だったのだ私は話を聞いてとめ

どなく溢れ出る涙を拭いながら心の片隅に潜んでいた「偏見と言う名の種」が身

体から洗い流されていくのを感じていたそれは同時に「思い込みや無知が偏見

や差別を生みだす」ことを強く感じた瞬間でもあったそれだけに藤田さんの「自

分と同様に他人を愛すればいつか必ず世界から差別はなくなる他人を愛して下さい」の慈愛に

満ちた言葉が一層重く腑に落ちるのだった

 

帰りがけ千五百ページにも及ぶ「入所者証言集」を手渡されたその際私は見えない襷も

手渡された気がしたその襷とは証言集に記された罹患者の「事実を風化させないで私達の事

を忘れないで」という搾り出すような叫び声とその姿だったのである

 

ハンセン病が治る病気であるのに誤った知識から悲惨な人権侵害が長期に渡り続いた同じ間

違いを繰り返さないためにも事実を語りついで行く必要があるここ楽泉園でも高齢化が進み

証言者の数が減っているこれは全国一五全てのハンセン病療養所に共通することだハンセン

病問題は罹患者がいなくなればそれで終わると言う問題ではない今後人権問題を考える際重

要な指針になりうる事実なのだそしてこの事実の風化を防ぐことが私達若い世代の役目だと

私は思う

 

私は小六の時友人達から突然イジメを受けたそれを引きずり他人を恐れ憎み自分を

嫌って生きて来たしかし罹患者の声が私に生きる力と前を向いて歩む勇気を与えてくれた

楽泉園訪問は私に人生観が変わる程の衝撃を与えてくれたのだこんな私だが罹患者の声を伝

入賞作文集 32

入賞作文

える「百人の中の一人」にはなれるはず

だそのために私は今この作文を書い

ている文字は時を越えて生き続けるか

ら私はこれからも楽泉園訪問を続ける

つもりだ実際に中学生の私が出来るこ

とには限りがあるが差別や偏見を少し

でも減らすために一歩を踏み出すつもり

でいる「自分と同様に他人を愛すれば

いつか差別は無くなる」と言う藤田さ

んの言葉を胸に

33 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

 

森に囲まれたその一画には教会や寺院神社があり小さなショッピングセンターやレスト

ランもある床屋や図書館郵便局や浴場もあるしかしそれらの施設を利用するのはその一

画に住む人たちだけだ緑の外側に住む人が利用することはないそこはハンセン病の療養所

多磨全生園である

 

僕は七年前に清瀬市に引っ越してきた夏のある日昆虫が大好きな僕は何気なくその森の

中に入って行ったそして歩き回っているうちにその場所が一つの「町」であることに気付

いた

 

毎日セミやカマキリやナナフシを探しながらどうしてこんな所があるのだろうと思った

 

僕が一番不思議に思ったのは古い木造の小学校だいつも誰もいない校舎と小さな運動場近

久く

米め

 一かず

輝き

埼玉県学校法人立教学院立教新座中学校 一年

ハンセン病について考えたこと

社団法人日本新聞協会会長賞

入賞作文集 34

入賞作文

くに小学校があるのにどうしてこんな所に小学校があるのだろう小学一年生の僕はとても不思

議に思った

 

夏に地域交流を目的とした盆踊りと花火大会が行われるいつもは人のいない小学校跡は多く

の人であふれかえり普段は見かけない重い後遺症の老人たちもこの日は外に出て盆踊りを楽し

む初めて参加したときは言葉が出なかった正直「怖い」と思った

 

夏が来るたびに僕は盆踊り大会に参加した低学年から高学年へと進むにつれて少しずつハ

ンセン病のことが分かってきた

 

六年生のときに社会科見学で全生園の元患者を訪れることになっただが僕は都合で参加で

きなかった僕はそれをずっと悔やんでいる

 

今年の夏僕はハンセン病資料館に出かけた見学者は僕一人でとても緊張したなるべく

音を立てないようにパネルを見て回った

 

強制隔離の現実にとても驚いた狭い部屋に押し込められ症状の軽い患者が重症の患者の世

話をしたという子供を持つ権利や生まれる赤ん坊の命まで奪われていた逃げ出したり反抗的

な患者は「不良患者」と呼ばれ窓の小さな暗い監房に閉じ込められた

 

医学が進歩し療養所も徐々に改善されていったが強制隔離を命じる「らい予防

法」が廃止されたのは一九九六年だという隔離が始まった一九〇八年から約九〇

年も経っていた僕が生まれるほんの一年前のことである特効薬が開発され本

格的な治療が始まったのは昭和二十二年である現実に合わない法律を廃止するの

35 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

にどうしてそんなに時間がかかったのだろうか

 

資料をもらってハンセン病資料館を後にした家を出るときは帰りに虫の観察

をするつもりだったがとてもそんな気にはなれなかったいつもセミが集まる桜

の木には目もくれずに早足で家に帰った

 

資料の中で一番心が痛んだのは療養所の子供たちのことだ療養所に入所したのはハンセン

病を発症した子どもたちだけではない親が発症したために入所する子どもたちもいた当時は

ハンセン病は遺伝病だとされていたからだ親から無理やり引き離された子どもたちは「すぐに

帰れるから」という言葉を信じていたというしかし一生療養所を出ることができなかった人が

多かったという社会的な差別がひどかったからだと資料に書かれていたが僕には実感がわか

なかったのでもう少し調べてみることにした

 

図書館で『ハンセン病を生きて』(伊波敏男著)という本を見つけた少し難しかったが差

別の現実が僕にもわかる部分があったそれは元患者たちに対して書かれた匿名のひどい手紙

である長年隔離されて苦しんできた人たちをさらに傷つける言葉が並んでいた悲しく暗い

気持ちになった

 

日本は経済大国として世界の注目を浴びているだが人権意識の面ではどうだろう「らい

予防法」を二〇世紀の末まで廃止できなかったことをどう考えたらよいのだろうか明治時代に

隔離が始まったときそれは外国に対する体面を保つためだったという病気の人を治療するの

ではなく「隠す」のが目的だったのだいまだに差別意識を持つ人がいるのは社会がそうした

入賞作文集 36

入賞作文

過去に対する反省をしていないから

だと思う

 

僕が不思議に思った小学校はすで

に取り壊されて今では小さな石碑

だけが残っている老朽化がひどく

残しておくことができなくなったか

らだという全生園の古い建物はど

んどん取り壊されていく石碑だけ

ではあの不思議さが伝わらないのが

とても残念だ

37 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

 

僕の曾祖父は医者嫌いでしたそのため腹痛で病院に運ばれた時は膵臓癌の末期で余命三ヶ

月でした手術もできない手遅れの状態でした家族皆で話し合い曾祖父の辛い気持ちを第一に

考え曾祖父に病を隠すことになりました曾祖父は次第に病院の中を歩いては転倒し体中あ

ざだらけになりベッドの上で縛られることになっていました曾祖父は病名の宣告を受けてい

ないため元気で歩けると思っているが実際歩くと転んでしまう何でこんな風になってしまっ

たのかさえわからない

 

家族と病院に行くと「包丁もてこいこれぶった切って家さ帰る」と騒いでいましたあん

なに優しかった曾祖父の姿に言葉も出ず恐いくらいでした何も知らされずベッドに縛り付

けられれば誰もがそうなることでしょう「じいちゃんどご一緒に車さのせでいてくれの」と

櫻さくらだ田

 要かな

太た

山形県酒田市立松山中学校 三年

日本放送協会会長賞

悔いのない最期を

入賞作文集 38

入賞作文

せがまれたときもありますかわいそうで涙がポロポロこぼれました「おじいちゃんどご家

さ連れで帰ろうよ」とせがんでも家族も仕事で忙しいためか誰も首を縦に振ってくれず病院

にいた方が安心ということになりました膵臓癌は予想以上に激しい痛みのため医師から強い

痛み止めと強い睡眠剤を勧められましたがそれを導入することにより安楽死に近い状況にな

ることも医師から告げられていました家族は決断をせまられました曾祖父に相談もせずに決

めていいことなのか家に帰りたい曾祖父の意志は封じ込められたままでいいのか家族で悩み

ました結局痛みに耐えている姿は見ていられなくその薬を使うことになりましたその後

曾祖父は次第に弱っていき口も利けなくなり静かに亡くなっていきました僕はどこか心を

引きずったままでした僕達家族が曾祖父に宣告もせず意見も聞かず命の長さを決めてしまっ

たこと当時幼かった僕には何もしてあげられなかったことが今思い出しても残念です

 

最近授業で人権について学習しているときに幼い頃の記憶がよみがえりふと曾祖父のこと

を思い出しました

 

曾祖父はどんな思いで亡くなったのだろう最後に意識のあるうちに一度でいいから家に帰っ

てきたかっただろう身体拘束は今は病院でも禁止されていると思いますがあの頃は確かに曾

祖父のおなかに黒いベルトのようなものが巻きついていました決して自分の力で

は外せないようなものでしたもがき苦しむ曾祖父の姿を見た時に看護師さんに

目を隠され別の部屋に連れて行かれました見せたくない光景だったのだと思いま

すでもあの姿は僕の脳裏に焼き付いています病院の中での人材不足のためだっ

39 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

たのでしょうか人が人らしく生きていない姿でした

 

七十八年生きてきて何も悪いことをしていないのに縛られ家にも帰れない

病気で余命幾ばくもない人には人権というものは存在しないのでしょうか最近の

医療の現場では自己決定権があることについて学びました

 

仏壇に向かい静かに目を閉じると優しく穏やかに微笑む曾祖父の笑顔が浮かびますどんな

気持ちで亡くなっていったのかその気持ちを考えると苦しい気持ちになります野球の大会に

行く前仏壇に手を合わせます「やればできる努力しろ」とよく励ましてくれました曾祖

父の力には何もなれなかったけれど目には見えない力で応援してくれる曾祖父に線香をあげて

自分を省みる時があります曾祖母が元気なので曾祖父を助けられなかった分曾祖母の力に

なっていくことを曾祖父に約束しています

 

夏休み中のニュースで高齢者の所在不明者が多数のため百歳以上の安否確認調査をしていま

した自分の親を平気で捨て遺骨さえもひきとらない亡くなっていたのに年金を不正受給する

ために隠していたなど耳をふさぎたくなるような事件もありました犬や猫が年をとって弱っ

てきた手がかかるから面倒だからと捨ててしまうそれと同じ現象が弱い高齢者にも及んでき

ているのだと思います

 

やはりこの世に生まれてきたもの全てに自分の意志で生きることを決めていける権利がある

と思います長い年月を苦労や努力と向き合いながら精一杯生きてくれたおかげで今の幸せが

あることを忘れずにいたい人はいずれ誰でも年をとります自由に動けなくなった時に自分の

入賞作文集 40

入賞作文

願いが叶う社会を築き「悔いなく満足で楽しく幸せな人生だった」と思えるように人とし

ての誇りを持って満足できる最期を迎えられるように考えていきたいもう二度と僕が見た自

己決定権のない社会にならないように高齢者には今までの感謝の気持ちで本人の希望をでき

るだけ叶えられるように努力していきたいいずれ僕達も迎える高齢社会だからhellip

41 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

 

私は小学六年生の時から盲導犬候補の子犬を育てるボランティアをしています「犬を飼っ

てみたい」と言う私に両親が「せっかく犬を飼うのなら社会に役立つことをしよう」と提案

したからです生後二ヵ月の子犬を預かり一歳の誕生日を迎えるまで世話をするのがボランティ

アの役目です初めて訓練士さんから子犬を手渡された時は不安でドキドキしましたが子犬は

すぐに私の腕の中で眠ってしまいました初めて会った私のことを信頼して安心しきった寝顔

で眠っている姿は本当に可愛かったですラブラドールの子犬はとてもやんちゃで私の家にやっ

て来たその日からいたずらばかりしていましたがしかられてもクヨクヨせずどんな相手にも

 林はやし

 里り

咲さ

東京都小平市立小平第六中学校 三年

差別のない社会に

(パピーウォーカーの経験から学んだこと)

法務事務次官賞

入賞作文集 42

入賞作文

フレンドリーに近づいていく姿から私は明るく前向きに生きることを教わりました子犬たち

と過ごした日々は私にとって一番の宝物ですそしてあっという間に一歳の誕生日がやって来ま

した誕生日が悲しいという経験は初めてでした訓練所への入所日の前日には長い長い散歩を

して最後のお別れをしました「今までありがとう」そう言った私のことを不思議そうに見てい

た子犬の顔が今も目に焼きついています別れは本当につらいけれど涙を見せたら子犬が心配す

るので頑張って笑顔で見送りました

 

私の家で育てた一頭目の子犬は現在盲導犬になって頑張っていますそして今年四月に巣立っ

ていった二頭目の子犬は神奈川にある訓練センターで訓練中です

 

このボランティアを通して私は多くのことを学びましたまず盲導犬の役割ですがこれは単

に目の不自由な方が便利に一人でどこへでも行けるようにするためだけではありません視覚障

がいのある方にとって人の手をわずらわせるのはとてもつらいことなのだそうですたとえ家

族に対してでも「迷惑をかけるのではないか」と思って我慢することが多く「私なんかいない

方がいいんじゃないか」と考えてしまうこともあったといいますその失われそうになった尊

厳を取り戻す手助けをするのが盲導犬の役目なのです犬は訓練を共にするパートナーのことを

大好きになるので「自分は他者からこんなにも大好きになってもらえる存在なん

だ」と気づいて自信を取り戻し新しい一歩を踏み出せるようになるのだそうです

 

また私がボランティア登録している日本盲導犬協会では二〇〇八年に新しい

試みが始まりました受刑者が盲導犬候補の子犬を育てる動物を介在した日本初

43 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

の教育プログラムです罪を犯した人も心から反省してきちんと罪を償えば社会

は差別することなく受け入れるべきですしかし実際はとても偏見が多く元受刑

者たちは「どうせ自分はだめな人間なんだ」と思い再び罪を犯してしまう悪循環

が起こっているそうですその悪循環を断ち切り受刑者たちがスムーズに社会復

帰を果たせるよう支援するのが「あさひ盲導犬パピープロジェクト」です受刑者たちは約十ヵ

月の間子犬たちを世話しながら一緒に過ごし「役に立つ喜び達成する喜び信頼される喜び」

を感じることで自分の価値を再確認するのだそうです今年一月に第一期のプロジェクトを修了

した受刑者の感想に次のようなものがありました

 「今後自分もパピーに笑われないようにきちんとしなければならないパピーは慈しむこと

寛容の心を教えてくれました」

 

犬は決して差別をしません健康な人にも障がいのある人にもお金持ちにも貧しい人にも

権力のある人にも犯罪を犯した人にも全く同じように接してくれますそんな犬たちと一緒に過

ごすことで自信をなくした人たちも自分のことをかけがえのない大切な存在であると思えるよ

うになるのです

 

私たち人間も差別のない社会をつくる努力をしなければならないと思います一人一人が相

手を大切に思う心を忘れなければこの社会はもっと住み良い場所になるはずです私はこのボ

ランティアを通して学んだことを生かしてこれからも一層努力していきたいと思います

入賞作文集 44

入賞作文

45 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

 

僕は祖父のために自助具を作ろうと思った祖父は去年の夏脳梗塞で倒れた祖父は一命

を取り留めたものの右手と右足がまひしてしまったのだその三週間前僕も車椅子から転倒し

て足を骨折した

 

僕には障害がある車椅子で生活することが多いしかし僕のことを障害者だといって差別

するような友達は一人もいない

 

祖父は歩けるようになりたいという気持ちが強かっただからリハビリを頑張り自分で

歩けるようになるまで回復した頑張っている祖父がかっこいいと僕は思った祖父はリハビ

リを頑張ったにも関わらず右手がうまく動かせなくなってしまっただからご飯を食べる時も

服を着替える時も時間がかかる普段何気なくやっていた動作がとても大変だと祖父は言ってい

守もり

田た

 幸こう

平へい

静岡県静岡大学教育学部附属浜松中学校 三年

祖父への靴下

法務事務次官賞

入賞作文集 46

入賞作文

た僕も何か役に立てることはないかと考えた

 

僕の学校には総合学習という授業があるそこで僕は福祉というカテゴリーを選んだ自

分で社会に役立てることを考え実際に行動することが目標だった僕は障害者のために何が

できるかを考えた

 

僕は二年前に静岡文化芸術大学で障害者がいかに日常生活で不自由のない生活ができるかを

考えるプロジェクトがあるのを新聞で知ったそれは大学生たちが個人個人にあった自助具を

作るプロジェクトだった僕は障害者のために何かできるのではと感じた

 

僕は静岡文化芸術大学へ行って僕にもできることがないかと聞いたすると学生さんが

自助具を作ってみないかと声をかけてくれた僕は迷わず「はい」と言った障害者のために

役に立てることがあると思うとすばらしいことだと思ったからだ

 

祖父のつらい顔を見ると日常生活に数々の大きな壁があることが伝わってくる

 

僕は祖父の数々の大きな壁を突き破ろうと思った祖父のために自助具を考え作ろうと僕

は思った祖父が靴下の脱ぎ履きが大変だと言っていたことを思い出したそこで脱ぎ履きし

やすい靴下はできないか考えた靴下の両脇にひもを取り付けてそれを引っ張ると靴下が縮み

脱ぎ履きしやすくなる仕組みだ大学の先生も良いアイディアだと言って褒めてく

れたこれは障害者だけでなく健常者にも使えると言われたユニバーサルデザ

インだと分かった

 

ユニバーサルデザインは年齢や障害の有無にかかわらず全ての人が使いやす

47 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

いように工夫された用具などのデザインである境界がなくなるように健常者が障

害者に対する偏見を考え差別意識がなくなるチャンスだと思った障害者と健常

者が共によりよく生きることが大切だと僕は思った

 

自助具の作品展では杖をついているお年寄り車椅子に乗った若い女性目の

見えない人福祉関係者など沢山の人々が観に来ていた皆自分の生活を良くしようと思っ

ているようだったまた障害者のためにできることは何だろうかと考えている健常者もいるよ

うだった

 

二年生の時の総合学習では二箇所のデイサービスを訪問したデイサービスには六十五歳以

上のお年寄りがいた暗く元気のない人明るく振る舞い誰とでも話せる人など様々だった

しかし僕が一番印象に残ったのは笑顔を絶やさず優しくお年寄りに接していた介護士だった

お年寄りの中には悩みを抱えている人が多いそうだその悩みを解消させる人もまた介護士だっ

た僕は介護士がお年寄りの体を支えるだけではなく心もそっと支えて生きる喜びを与え

ているのだと感じた

 

現代は三世代で暮らす家族が減り核家族が増えているそれはお年寄りの世話が大変だ

からという理由が多いだから老人ホームやデイサービスに預ける人が増えていると僕には

思えたお年寄りの中には自分が嫌われているのではないかとさえ思ってしまう人もいるそう

だそれはお年寄りにとって辛く悲しいことだと思うある介護士がこんなことをおっしゃっ

ていた「人の優しさはお金では買えない」誰にでも優しい心があると思うしかしあと一歩

入賞作文集 48

入賞作文

のところで行動に移すことができない人が多いの

だ僕たちが平和な社会で暮らせるのは今まで

頑張ってきてくれたお年寄りのお陰であることを

忘れてはいけないお年寄りを大切にすることは

当たり前のことなのだ

 

また障害者に対しても偏見の目で見ないで

そっと近づいて手を貸してあげれば健常者との

高い大きな壁を崩すことができると思う

 

障害者にも高齢者にもまた健常者にも人権

はあるお互いの人権を大切にすることが明る

い未来に繋がっていくのだと思う

 

早く祖父に僕の作った靴下を届けたい

49 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

 

僕は小学校六年生まで福岡県に住んでいましたそこで僕が体験したことです五年生のこ

ろ僕の友だちのA君が同級生のK君の靴を隠したりからかったりしていることがよくあり

ました最初は僕もあまり気にしていませんでしたがK君のことを「なんだかかわいそう」と

思うようになりました

 

ある日僕は勇気をだして先生に「K君がいじめにあっています」と報告しました初め先生は

「じゃれ合っているだけだろう」と「いじめ」とは思ってくれませんでしたでもその後「いじ

め」と分かりA君は先生に注意されその日一日は反省した様子で過ごしていましたしかし

次の日学校に行くといじめは前以上にエスカレートしていて蹴ったりたたいたりするように

なりましたしかも「死ね」「うざい」「消えろ」などの言葉が飛び交うようになりそんな日々

法務事務次官賞

浦うら

谷たに

 毅たける

徳島県三好市立池田中学校 三年

いじめをなくすために今

入賞作文集 50

入賞作文

が続きました

 

それは六年生になっても続きました僕はそのいじめを止めることができず毎日見て見ぬ

振りをしていました今思うと自分がとても恥ずかしいです本当の友達なら止めるべきなの

にそれだけではなくいじめられているK君に声一つかけることができずにいました心の中

ではA君に「やめろよ」と言おうと思っていたけどなぜか勇気が出ませんでした次にい

じめられるのが自分になるのが恐くて言えなかったのです

 

そんな日々が続く中僕の気持ちを大きく変える出来事がありました父の死ですそのとき

のことは今でも忘れることができません聞いたときには頭の中が真っ白になりました最初

は信じることができませんでした一週間も二週間も学校に行けずただぼーっと過ごしてい

ましたいろんなことを考え徐々に「死」というものの悲しさつらさ「死」という意味の

重さがわかってきましたそして時間はかかりましたが「命は一瞬にして消え二度と戻っ

てこないものだだから命を大切に今を大切にしなければならない」と深く受け止めることが

できるようになりましたそして周りの子たちは僕のような経験がないから「死ね」とか軽々

しく言えるのだろうと思いこの気持ちを伝えなくてはならないと考えました僕が強くならな

くてはと思いました

 

こんな気持ちになったとき僕には時間がありませんでした母の実家がある徳

島への引っ越しが一週間後に決まっていたのです落ち込んでいる暇は無いと思

い学校に行った僕はA君に言いました「いじめなんかやめろよいじめたって

51 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

喜ぶ人はいないし悲しむ人がいるだけだろ自分だってほんとは嫌だろ『死ね』

とか『消えろ』とか言葉の重さを知らないのに言うなよ」と言いました父親の

突然の死そのあと僕が考えたことも伝えました

 

友だちは黙って聞いてくれました僕の言葉にうなずいてそのあとK君の

ところへ行き「ごめん言葉の重さも知らずに言って本当にごめんぜったいに死ねなんて

ことは言わないそしていじめは絶対にしないほんとうにごめん」とあやまりましたK君

はとても優しい笑顔で「いいよ」と一言言いました僕もK君に言いました

「今まで助けてあげられなくてごめん」

K君は笑顔で「ありがとう」と言ってくれました今まで自分の中でもやもやしていた気持ちが

スーっと晴れました

 

今も時々耳にする暴言冗談半分で言っているのかもしれませんしかしいついじめにつ

ながるかわかりません他人を傷つけることで自分のストレスを晴らそうとしているのでしょう

関係ないふりをしようとする自分がいます楽な考え方をする自分がいますそんな時亡くなっ

た父の顔やK君の優しい笑顔を思い出しますあの時の自分のように強い気持ちを持とう「や

めろよ」と一言言うするとまた気持ちがスーっとしてきました

 

父の分も頑張って生き抜こうと決めた僕にとって正しいことを素直に認め悪いことを否定

できる強い意志を持つことが目標ですそして何よりも命を大切に今を大切にしていきたい

と思っています

入賞作文集 52

入賞作文

53 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

 

ぼくは今まで四つの外国に暮らしいろいろな国の人たちの中で育ってきた

 

まずタイで生まれてタイ人のメイドさんやドライバーさんにいつも遊んでもらっていた

らしい一才になると週一回の体操教室にも通いタイ人の友達もいたそうだ

 

次にシンガポールでは初めてナサリースクール(保育園)に通いいろいろな国の友達と

知り合ったプレイルームにある滑り台を滑る順番争いでいつも勝つのは体の大きい金髪の友

達だった

 

一回目の香港生活では英語の幼稚園に通ったその時のぼくの一番の友達はカナダ人だった

彼とはよくベイブレードをして遊んだが父が日本の出張で買ってきてくれた独楽や剣玉をして

遊ぶこともあった

村むら

瀬せ

 広ひろ

高たか

香港日本人学校中学部 二年

国境をこえて

海 外 作 品

今回は本選への応募とすることはできませんでしたが

 海外から寄せられた作品のうち一作品を御紹介します

入賞作文集 54

海外作品

 

それからインドでは日本人学校に通ったが夏休みには毎年アメリカンスクールのサマー

スクールに参加したし日本人のいない現地のテニススクールにも入り二年間通ったまたイ

ンドの現地幼稚園に通っていた妹のベストフレンドはコンゴ人でその兄弟もぼくの友達だった

 

そして三年間の日本生活を経て今また香港に戻ってきた

 

このようにぼくはいろいろな国でいろいろな国の人たちのお世話になりいろいろな国

の友達と遊んで育った肌が真っ黒な友達もゲームの話をすればすぐに仲良くなれたし髪が

金色の友達もポケモンの話をすれば気が合ったぼくは小さい頃から英語はうまくしゃべれ

なかったけれどもジェスチャーをつけたでたらめ英語でも充分に話は通じただからいろい

ろな国の人たちの中でぼくが日本人だからといって差別されたり嫌な思いをしたりしたこと

はないしぼくも肌の色が違うからとか言葉が通じないからという理由で違う人間だと思っ

たことはないそうぼくは外国人を差別したことはない

 

しかし本当にぼくは外国人を差別したことがないのだろうか外国人を差別した発言を一

度もしたことがないかと考えると自信がない

 

例えば香港人には赤信号でも平気で渡る人がたくさんいるそれを見てぼくは

「香港人はしょうがないな」

と思うでもよく見ると香港人全員が信号無視をしているわけではないまた

世界には今でも戦争をしている国がいくつもある

「人を傷つけ合うなんて馬鹿げている」

55 第30回全国中学生人権作文コンテスト

海外作品

とぼくは悲しくなるでもそれも好きで戦っている人がいるとも思えないその

人たちがそうなったのには何かきっと原因があるはずだ

 

逆に外国人から見ると日本人はどのように思われているのだろう

 

インドから日本に帰国した時毎日ごみがたくさん出ることにぼくはとても驚

いたインドの人たちがよく使う道端にあるカレー屋さんではバナナの葉で作ったお皿にカ

レーを入れてくれる食べた後そのお皿を道に捨てるとのら牛がその葉っぱを食べるそして

牛のふんは燃料になるというそれに比べて日本はちょっと歩くとペットボトルの飲み物が

買えファーストフードのお店では使い捨ての食器を使い立派なお菓子の箱を開けると中身が

少なくてがっかりすることもあるある時母が捨てたジャムの空きびんをメイドさんとエア

コンの修理にきていたワーカーさんとが取り合ってけんかをしていたこともあったそれを見

てぼくはあきれてしまったが逆にインド人から見ると使い捨て文化のしみついた日本人は

とんでもない人間にみえるのかもしれない国によって考え方や行動パターンが違うのは歴史

的背景や宗教習慣気候などのいろいろなことが関わっているのだと思う

 

このように考えると差別とはその人の一部しか見ていないことや自分のやり方だけが正

しいと思うことからおきるのではないかと思うその人が自分とは違った行動をとったとしても

それには深い理由があるのだろうと考えればきっと納得できると思うぼくもこれからは否

定的な発言をする前にその人たちのことをいろいろな角度から見て理解する努力をしてみよう

と思う外国との間には自分の国とは違う言葉や文化という壁があるとみんな言うがそこに

入賞作文集 56

海外作品

あるのは壁ではなく橋だとぼくは思う理解

し合おうという気持ちがあればきっと誰でも

その橋を渡っていけるはずだ気持ちの国境を

こえるのにパスポートはいらないお互いを理

解し合おうと思う気持ちが一番大切だと思う

そしてぼくはこれから日本人として生きる

のではなく地球人として生きていこうと思う

57 第30回全国中学生人権作文コンテスト

海外作品

法務局地方法務局名 郵便番号 所  在  地 電  話

金沢地方法務局人権擁護課920-0024 金沢市西念3-4-1金沢駅西合同庁舎(平成23年3月11日まで) 076-231-1244

921-8505 金沢市新神田4-3-10金沢新神田合同庁舎(平成23年3月14日から) 076-292-7804

富山地方法務局人権擁護課 930-0856 富山市牛島新町11番7号富山合同庁舎 076-441-6376

大阪法務局人権擁護部 540-8544 大阪市中央区谷町2丁目1番17号大阪第2法務合同庁舎 06-6942-9492

京都地方法務局人権擁護課 602-8577 京都市上京区荒神口通河原町東入上生洲町197番地 075-231-0131

神戸地方法務局人権擁護課 650-0042 神戸市中央区波止場町1番1号神戸第2地方合同庁舎 078-392-1821

奈良地方法務局人権擁護課 630-8305 奈良市東紀寺町3-4-1奈良第2法務総合庁舎 0742-23-5457

大津地方法務局人権擁護課 520-8516 大津市御陵町3番6号大津法務総合庁舎 077-522-4673

和歌山地方法務局人権擁護課 640-8552 和歌山市二番丁2番地和歌山地方合同庁舎 073-422-5131

広島法務局人権擁護部 730-8536 広島市中区上八丁堀6番30号広島合同庁舎 082-228-5790

山口地方法務局人権擁護課 753-8577 山口市中河原町6番16号山口地方合同庁舎2号館 083-922-2295

岡山地方法務局人権擁護課 700-8616 岡山市北区南方1丁目3番58号 086-224-5761

鳥取地方法務局人権擁護課 680-0011 鳥取市東町2丁目302番地鳥取第2地方合同庁舎 0857-22-2289

松江地方法務局人権擁護課 690-0886 松江市母衣町50番地松江法務合同庁舎 0852-32-4260

高松法務局人権擁護部 761-8077 高松市出作町585-4 087-815-5311

徳島地方法務局人権擁護課 770-8512 徳島市徳島町城内6番地6徳島地方合同庁舎 088-622-4171

高知地方法務局人権擁護課 780-8509 高知市栄田町2丁目2番10号高知よさこい咲都合同庁舎 088-822-3331

松山地方法務局人権擁護課 790-8505 松山市宮田町188番地6松山地方合同庁舎 089-932-0888

福岡法務局人権擁護部 814-0005 福岡市早良区祖原14-15福岡法務局西新出張所庁舎5階 092-832-4311

佐賀地方法務局人権擁護課 840-0041 佐賀市城内2丁目10番20号佐賀合同庁舎 0952-26-2148

長崎地方法務局人権擁護課 850-8507 長崎市万才町8番16号 095-826-8127大分地方法務局人権擁護課 870-8513 大分市荷揚町7番5号大分法務総合庁舎 097-532-3368

熊本地方法務局人権擁護課 862-0971 熊本市大江3丁目1番53号熊本第2合同庁舎 096-364-2145

鹿児島地方法務局人権擁護課 890-8518 鹿児島市鴨池新町1番2号 099-259-0684宮崎地方法務局人権擁護課 880-8513 宮崎市別府町1番1号宮崎法務総合庁舎 0985-22-5124

那覇地方法務局人権擁護課 900-8544 那覇市樋川1丁目15番15号那覇第1地方合同庁舎 098-854-1215

入賞作文集 58

問合せ先一覧

法務局地方法務局名 郵便番号 所  在  地 電  話

札幌法務局人権擁護部 060-0808 札幌市北区北8条西2丁目1番1札幌第1合同庁舎 011-709-2311

函館地方法務局人権擁護課 040-8533 函館市新川町25番18号函館地方合同庁舎 0138-23-9528

旭川地方法務局人権擁護課 078-8502 旭川市宮前通東4155番31旭川合同庁舎 0166-38-1114

釧路地方法務局人権擁護課 085-8522 釧路市幸町10丁目3番地釧路地方合同庁舎 0154-31-5014

仙台法務局人権擁護部 980-8601 仙台市青葉区春日町7番25号仙台第3法務総合庁舎 022-225-5739

福島地方法務局人権擁護課 960-8021 福島市霞町1番46号福島合同庁舎 024-534-1994

山形地方法務局人権擁護課 990-0041 山形市緑町1丁目5番48号山形地方合同庁舎 023-625-1321

盛岡地方法務局人権擁護課 020-0023 盛岡市内丸7番25号盛岡合同庁舎 019-624-9859秋田地方法務局人権擁護課 010-0951 秋田市山王7丁目1番3号 018-862-6533

青森地方法務局人権擁護課 030-8511 青森市長島1丁目3番5号青森第二合同庁舎 017-776-9024

東京法務局人権擁護部 102-8225 千代田区九段南1丁目1番15号九段第2合同庁舎 03-5213-1234

横浜地方法務局人権擁護課 231-8411 横浜市中区北仲通5丁目57番地横浜第2合同庁舎 045-641-7926

さいたま地方法務局人権擁護課 338-8513 さいたま市中央区下落合5-12-1さいたま第二法務総合庁舎 048-859-3507

千葉地方法務局人権擁護課 260-8518 千葉市中央区中央港1丁目11番3号千葉地方合同庁舎 043-302-1319

水戸地方法務局人権擁護課 310-0061 水戸市北見町1番1号水戸地方法務合同庁舎 029-227-9919

宇都宮地方法務局人権擁護課 320-8515 宇都宮市小幡2丁目1番11号宇都宮地方法務合同庁舎 028-623-0926

前橋地方法務局人権擁護課 371-8535 前橋市大手町2丁目10番5号前橋合同庁舎 027-221-4426

静岡地方法務局人権擁護課 420-8650 静岡市葵区追手町9番50号静岡地方合同庁舎 054-254-3555

甲府地方法務局人権擁護課 400-8520 甲府市北口1丁目2番19号甲府地方合同庁舎 055-252-7239

長野地方法務局人権擁護課 380-0846 長野市旭町1108番地長野第2合同庁舎 026-235-6634

新潟地方法務局人権擁護課 951-8504 新潟市中央区西大畑町5191番地新潟地方法務総合庁舎 025-222-1564

名古屋法務局人権擁護部 460-8513 名古屋市中区三の丸2丁目2番1号名古屋合同庁舎第1号館 052-952-8111

津地方法務局人権擁護課 514-8503 津市丸之内26番8号津合同庁舎 059-228-4193岐阜地方法務局人権擁護課 500-8729 岐阜市金竜町5丁目13番地 058-245-3181

福井地方法務局人権擁護課 910-8504 福井市春山1丁目1番54号福井春山合同庁舎 0776-22-5090

問合せ先一覧 (法務局地方法務局)

59 第30回全国中学生人権作文コンテスト

問合せ先一覧

世界人権宣言啓発書画「鳥」「自由と解放」を表わしたもの 小木太法書オタビオロス画(財)人権擁護協力会提供

入賞作文集 60

すべての人間は生まれながらにして

自由でありかつ尊厳と権利とに

ついて平等である人間は理性と

良心とを授けられており互いに同胞の

精神をもって行動しなければならない

―――

世界人権宣言 第一条

―――

第三〇回

 全国中学生人権作文コンテスト

中央大会表彰式

印  刷 平成23年1月25日

発  行 平成23年2月14日

発 行 者 法務省人権擁護局

全国人権擁護委員連合会

東京都千代田区霞が関一丁目1番1号

電話 03(3580)4111 内線5875

URL httpwwwmojgojpJINKEN

第30回全国中学生人権作文コンテスト中央大会審査員

感想をお聞かせください本作文集を読まれた感想等を下記の連絡先又はkeihatsumojgojpまでお寄せください

無断転載を禁じます本作文集に掲載された作文や写真等を地方自治体が広報誌に掲載したり学校が教材に使用される場合などにはあらかじめ下記に御連絡ください

100-8977 東京都千代田区霞が関一丁目1番1号 法務省人権擁護局人権啓発課 TEL03(3580)4111 内線5875

作  家(審査員長) 落 合 恵 子映画監督 山 田 洋 次社団法人日本新聞協会事務局長 川 嶋   明日本放送協会解説委員室解説委員 南   直 樹文部科学省初等中等教育局視学官 三 好 仁 司全国人権擁護委員連合会長 中 村 浩 紹法務省人権擁護局長   井 忠 雄

(敬称略)

【式次第】

第一部

 会

主催者あいさつ

賞状授与

内閣総理大臣賞法務大臣賞

文部科学大臣奨励賞法務副大臣賞

法務大臣政務官賞

全国人権擁護委員連合会長賞

社団法人日本新聞協会会長賞

日本放送協会会長賞(以上各一名)

法務事務次官賞(三名) 計一一名

学校への感謝状贈呈

高円宮妃殿下おことば

来賓祝辞

第二部

各受賞作文の朗読

内閣総理大臣賞法務大臣賞

文部科学大臣奨励賞

全国人権擁護委員連合会長賞

社団法人日本新聞協会会長賞

日本放送協会会長賞

 評

全国中学生人権作文コンテスト中央大会審査員

 山田洋次氏

 落合恵子氏(ビデオレター形式)

第三部

新垣勉さんコンサート

 会 平成二二年一二月一八日(土)

午後一時三〇分〜三時五〇分

於ニッショーホール

「いじめ」や暴力行為等は人権侵害です

法務局地方法務局では

人権侵害による被害を受けた方を

救済するための活動を行っています

お気軽にご相談ください

女性の人権ホットライン

インターネット人権相談受付窓口

ゼロナナゼロのハートライン

0570-070-810

子どもの人権110番ぜろぜろななのひゃくとおばん

 0120-007-110

パソコンから httpwwwmojgojpJINKENjinken113html携帯電話から httpwwwjinkengojpsoudanmobile001html

インターネット人権相談 検 索

Human Rights法務省人権擁護局全国人権擁護委員連合会

人権イメージキャラクター人KENあゆみちゃん人KENまもる君

全国共通通話料無料

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この冊子は環境保護印刷の「水なし印刷」で印刷されています

第30回全国中学生人権作文コンテスト入賞作文集

法務省人権擁護局全国人権擁護委員連合会

人権イメージキャラクター人KENまもる君人KENあゆみちゃん

この冊子には音声コードが各頁(奇数頁 左下偶数頁 右下)に印刷されています専用の読み上げ装置で読み取ると記録されている情報を音声で聞くことが出来ます

Human Rights法務省人権擁護局全国人権擁護委員連合会

 全国中学生人権作文コンテスト入賞作文集

 全国中学生人権作文コンテスト入賞作文集

第30回

「どうして自分には母親がいないんだろう」と思っていました仕舞いには自らの母親を恨ん

でしまったのです小学生になってもその気持ちは変わらず母親への恨みは増すばかりでした

 

しかし小学五年生の夏思いもよらぬ出来事が起きましたそれは引っ越しがあったこと

ですそこで僕は新しい土地そして新しい里親という人たちに出会いました里親の人たち

と暮らした数年間僕は幸せでしたそこで僕は僕の周りにはいつも支えてくれる人たちがい

ることに気づきました血のつながりがなくても僕に自分の子どものように接し育ててくれ

た里親の人たち養護施設の先生方などたくさんの方たちに僕は見守られて成長してきたこと

に気づいたのです僕を支えてくれる人すべてに感謝の気持ちがわき出てきましたそれ以来

僕は親という存在にこだわらなくなりましたそれどころか自分に命を与えてくれた親に感謝

の思いを抱くようになったのです

 

この夏母親の育児放棄が原因で二人の乳幼児が衰弱死するという悲しい事件がありました

二人の子どもにろくに食事も与えず風呂も入れなかったそうですさらに逮捕後その母親は

「家に帰ってあげなかったことを今も後悔している子どもは私を恨んでいると思う」

という言ってはならない発言をしました僕は怒る前に亡くなった二人の子ども

たちがかわいそうでなりませんでした

 

と同時に僕はこの母親はどうしてこのようなことをしてしまったのだろうと

すごく考えさせられました僕は本来親は子どもを殺すのではなく守るために

27 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

いるのだと考えますたとえ小さな子どもでも立派な一人の人間ですその命を

守り育てていくことが親として大切な役目だと思うのですこの母親はどこで

勘違いしたかは知りませんが親としての自分の責任を理解していなかったのでは

ないでしょうか

 

そしてその勘違いを誰も母親に気づかせてあげられなかった事実母親が一緒に遊び歩いて

いた友人はもちろん母親の家族が少しでも助けることができていたら母親の行動を戒めるこ

とができていたら連絡を受けた児童相談所がもう少し踏み込んだ行動が取れていたらこのよ

うな悲しい結末にはならずに済んだのではないでしょうかやりきれない思いばかりがこみあげ

てきます

 

もう一つこの母親は大きな勘違いをしていますそれは「子どもは私を恨んでいると思う」

という言葉です僕はこの子どもたちが母親を恨んでいるとは思えません子どもたちは母

親が帰宅するといつもハイタッチをして喜んで迎えたそうです子どもたちは母親のことが大

好きだったのでしょうたとえ自分たちを見放した母親でも恨んでいるとは決して思えないの

です

 

子どもは心の底から自分の母親のことを恨めないと僕は思いますこの世に生を受け笑った

り怒ったり泣いたりと毎日いろいろな経験ができるのは自分を生んでくれた母親という存在

があったからです正直僕も小さい頃は母を恨んだことがありました愛情の裏返しというよ

うに母親への思いが憎しみに変化してしまったのですでも心の底には母への恨みとは全く

入賞作文集 28

入賞作文

正反対の気持ちが存在し続けていましただ

からこそこの子どもたちがどんな思いで死

んでいったのかわかるような気がします母

親を信じひたすら母親の帰りをまちわびて

いた思いが

 

僕にとっての「家族」それは同じ屋根の

下で暮らす人々のことですたとえ血はつな

がっていなくても僕を支え励ましてくれる

人たちそのすべての人が僕にとっての大切

な「家族」なのです今僕の暮らす養護施設

にはいろいろな事情を抱えた二歳位から高

校生までの子どもたちや職員の方が約六十人

います今の僕には全員大切な「家族」で

す僕はこれからもこの「家族」を大切に

一日一日精一杯平和に生きていきたいです

29 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

 

授業でハンセン病について学んだ日両親と「偏見」や「差別」について口角泡を飛ばす議論

を深夜まで繰り広げた身体障害者の父と看護師の母を持つ私は幼い頃から「命の大切さ」を

訴える両親の姿を見て育って来たそんな私は真摯な気持ちからハンセン病罹患者と向き合い

たいと思いこの夏草津にある療養施設栗生楽泉園を訪れた

 

草津までの道のり私は罹患者の気持ちを絶えず考えていたハンセン病について調べると「ら

い予防法」により罹患者は隔離され人権を無視された扱いを受けたことが分かった罹患者の

言葉が書かれた本ではどんなに過酷な仕打ちを受けたか他人をどれほど恨み憎んでいるか

が書かれていたその為私は無意識の内に「罹患者は全員恨みを抱いている」と勝手に思い込

んでいたしかしこんな思い込み自体が偏見や差別を生む原因になるということを後に思い知

大おお

井い

 海み

琴こと

群馬県群馬大学教育学部附属中学校 三年

忘れてはならないこと

全国人権擁護委員連合会長賞

入賞作文集 30

入賞作文

らされることになるのである

 

私を迎えてくれたのは入園者自治会長の藤田三四郎さん藤田さんは大変お元気でその容姿

からはハンセン病を伺い知ることはできなかったしかし藤田さんは紛れもない罹患者なのだ

その証拠に藤田さんの名は本名ではない罹患者は施設に入所するにあたり偽名を使用させら

れたと言うつまりその時点で罹患者は世間から存在を消されてしまうのであるそんな藤田

さんから語られた話はハンセン病だと宣告され三度も命を絶とうとしたこと重症患者の看

護を押しつけられ数え切れない人を看取り自らの手で葬ったこと家族が受けた迫害や侮辱的

な言葉など想像を絶するもので筆舌し難いものだったしかしこんな迫害と差別は同時にハ

ンセン病患者達の人権回復闘争の歴史でもあったのだ闘争の末「らい予防法」が廃止される

と今まで差別や人権侵害を繰り返していた多くの人が掌を返す様に態度を変えたと言う私は聞

いていて怒りを覚えたが不思議なことに耳を塞ぎたくなる様な内容を語る藤田さんからは全

く怒りや恨みが感じられないのだ私は話を聞くまで自分の運命を呪い周囲への恨みつらみ

の言葉が出てくるとばかり思っていたしかし出てきた言葉は「入園出来て良かった差別は

受けたが今では恨みを抱く罹患者も少なくなったそればかりか最近はたくさんの人が我々を

理解し協力してくれるので嬉しい何故なら一人の百歩は力が無いが百人の一歩

は力になるから」と言う感謝の言葉だったのだ本当に「恨みは無いのか」と何度

聞いても答えは同じだった私は恥ずかしくなったハンセン病について調べ罹

患者の心を理解したようなつもりでいながら実は何も理解できてなくてそれば

31 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

かりか罹患者を偏見の眼で見ていたのは私自身だったのだ私は話を聞いてとめ

どなく溢れ出る涙を拭いながら心の片隅に潜んでいた「偏見と言う名の種」が身

体から洗い流されていくのを感じていたそれは同時に「思い込みや無知が偏見

や差別を生みだす」ことを強く感じた瞬間でもあったそれだけに藤田さんの「自

分と同様に他人を愛すればいつか必ず世界から差別はなくなる他人を愛して下さい」の慈愛に

満ちた言葉が一層重く腑に落ちるのだった

 

帰りがけ千五百ページにも及ぶ「入所者証言集」を手渡されたその際私は見えない襷も

手渡された気がしたその襷とは証言集に記された罹患者の「事実を風化させないで私達の事

を忘れないで」という搾り出すような叫び声とその姿だったのである

 

ハンセン病が治る病気であるのに誤った知識から悲惨な人権侵害が長期に渡り続いた同じ間

違いを繰り返さないためにも事実を語りついで行く必要があるここ楽泉園でも高齢化が進み

証言者の数が減っているこれは全国一五全てのハンセン病療養所に共通することだハンセン

病問題は罹患者がいなくなればそれで終わると言う問題ではない今後人権問題を考える際重

要な指針になりうる事実なのだそしてこの事実の風化を防ぐことが私達若い世代の役目だと

私は思う

 

私は小六の時友人達から突然イジメを受けたそれを引きずり他人を恐れ憎み自分を

嫌って生きて来たしかし罹患者の声が私に生きる力と前を向いて歩む勇気を与えてくれた

楽泉園訪問は私に人生観が変わる程の衝撃を与えてくれたのだこんな私だが罹患者の声を伝

入賞作文集 32

入賞作文

える「百人の中の一人」にはなれるはず

だそのために私は今この作文を書い

ている文字は時を越えて生き続けるか

ら私はこれからも楽泉園訪問を続ける

つもりだ実際に中学生の私が出来るこ

とには限りがあるが差別や偏見を少し

でも減らすために一歩を踏み出すつもり

でいる「自分と同様に他人を愛すれば

いつか差別は無くなる」と言う藤田さ

んの言葉を胸に

33 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

 

森に囲まれたその一画には教会や寺院神社があり小さなショッピングセンターやレスト

ランもある床屋や図書館郵便局や浴場もあるしかしそれらの施設を利用するのはその一

画に住む人たちだけだ緑の外側に住む人が利用することはないそこはハンセン病の療養所

多磨全生園である

 

僕は七年前に清瀬市に引っ越してきた夏のある日昆虫が大好きな僕は何気なくその森の

中に入って行ったそして歩き回っているうちにその場所が一つの「町」であることに気付

いた

 

毎日セミやカマキリやナナフシを探しながらどうしてこんな所があるのだろうと思った

 

僕が一番不思議に思ったのは古い木造の小学校だいつも誰もいない校舎と小さな運動場近

久く

米め

 一かず

輝き

埼玉県学校法人立教学院立教新座中学校 一年

ハンセン病について考えたこと

社団法人日本新聞協会会長賞

入賞作文集 34

入賞作文

くに小学校があるのにどうしてこんな所に小学校があるのだろう小学一年生の僕はとても不思

議に思った

 

夏に地域交流を目的とした盆踊りと花火大会が行われるいつもは人のいない小学校跡は多く

の人であふれかえり普段は見かけない重い後遺症の老人たちもこの日は外に出て盆踊りを楽し

む初めて参加したときは言葉が出なかった正直「怖い」と思った

 

夏が来るたびに僕は盆踊り大会に参加した低学年から高学年へと進むにつれて少しずつハ

ンセン病のことが分かってきた

 

六年生のときに社会科見学で全生園の元患者を訪れることになっただが僕は都合で参加で

きなかった僕はそれをずっと悔やんでいる

 

今年の夏僕はハンセン病資料館に出かけた見学者は僕一人でとても緊張したなるべく

音を立てないようにパネルを見て回った

 

強制隔離の現実にとても驚いた狭い部屋に押し込められ症状の軽い患者が重症の患者の世

話をしたという子供を持つ権利や生まれる赤ん坊の命まで奪われていた逃げ出したり反抗的

な患者は「不良患者」と呼ばれ窓の小さな暗い監房に閉じ込められた

 

医学が進歩し療養所も徐々に改善されていったが強制隔離を命じる「らい予防

法」が廃止されたのは一九九六年だという隔離が始まった一九〇八年から約九〇

年も経っていた僕が生まれるほんの一年前のことである特効薬が開発され本

格的な治療が始まったのは昭和二十二年である現実に合わない法律を廃止するの

35 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

にどうしてそんなに時間がかかったのだろうか

 

資料をもらってハンセン病資料館を後にした家を出るときは帰りに虫の観察

をするつもりだったがとてもそんな気にはなれなかったいつもセミが集まる桜

の木には目もくれずに早足で家に帰った

 

資料の中で一番心が痛んだのは療養所の子供たちのことだ療養所に入所したのはハンセン

病を発症した子どもたちだけではない親が発症したために入所する子どもたちもいた当時は

ハンセン病は遺伝病だとされていたからだ親から無理やり引き離された子どもたちは「すぐに

帰れるから」という言葉を信じていたというしかし一生療養所を出ることができなかった人が

多かったという社会的な差別がひどかったからだと資料に書かれていたが僕には実感がわか

なかったのでもう少し調べてみることにした

 

図書館で『ハンセン病を生きて』(伊波敏男著)という本を見つけた少し難しかったが差

別の現実が僕にもわかる部分があったそれは元患者たちに対して書かれた匿名のひどい手紙

である長年隔離されて苦しんできた人たちをさらに傷つける言葉が並んでいた悲しく暗い

気持ちになった

 

日本は経済大国として世界の注目を浴びているだが人権意識の面ではどうだろう「らい

予防法」を二〇世紀の末まで廃止できなかったことをどう考えたらよいのだろうか明治時代に

隔離が始まったときそれは外国に対する体面を保つためだったという病気の人を治療するの

ではなく「隠す」のが目的だったのだいまだに差別意識を持つ人がいるのは社会がそうした

入賞作文集 36

入賞作文

過去に対する反省をしていないから

だと思う

 

僕が不思議に思った小学校はすで

に取り壊されて今では小さな石碑

だけが残っている老朽化がひどく

残しておくことができなくなったか

らだという全生園の古い建物はど

んどん取り壊されていく石碑だけ

ではあの不思議さが伝わらないのが

とても残念だ

37 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

 

僕の曾祖父は医者嫌いでしたそのため腹痛で病院に運ばれた時は膵臓癌の末期で余命三ヶ

月でした手術もできない手遅れの状態でした家族皆で話し合い曾祖父の辛い気持ちを第一に

考え曾祖父に病を隠すことになりました曾祖父は次第に病院の中を歩いては転倒し体中あ

ざだらけになりベッドの上で縛られることになっていました曾祖父は病名の宣告を受けてい

ないため元気で歩けると思っているが実際歩くと転んでしまう何でこんな風になってしまっ

たのかさえわからない

 

家族と病院に行くと「包丁もてこいこれぶった切って家さ帰る」と騒いでいましたあん

なに優しかった曾祖父の姿に言葉も出ず恐いくらいでした何も知らされずベッドに縛り付

けられれば誰もがそうなることでしょう「じいちゃんどご一緒に車さのせでいてくれの」と

櫻さくらだ田

 要かな

太た

山形県酒田市立松山中学校 三年

日本放送協会会長賞

悔いのない最期を

入賞作文集 38

入賞作文

せがまれたときもありますかわいそうで涙がポロポロこぼれました「おじいちゃんどご家

さ連れで帰ろうよ」とせがんでも家族も仕事で忙しいためか誰も首を縦に振ってくれず病院

にいた方が安心ということになりました膵臓癌は予想以上に激しい痛みのため医師から強い

痛み止めと強い睡眠剤を勧められましたがそれを導入することにより安楽死に近い状況にな

ることも医師から告げられていました家族は決断をせまられました曾祖父に相談もせずに決

めていいことなのか家に帰りたい曾祖父の意志は封じ込められたままでいいのか家族で悩み

ました結局痛みに耐えている姿は見ていられなくその薬を使うことになりましたその後

曾祖父は次第に弱っていき口も利けなくなり静かに亡くなっていきました僕はどこか心を

引きずったままでした僕達家族が曾祖父に宣告もせず意見も聞かず命の長さを決めてしまっ

たこと当時幼かった僕には何もしてあげられなかったことが今思い出しても残念です

 

最近授業で人権について学習しているときに幼い頃の記憶がよみがえりふと曾祖父のこと

を思い出しました

 

曾祖父はどんな思いで亡くなったのだろう最後に意識のあるうちに一度でいいから家に帰っ

てきたかっただろう身体拘束は今は病院でも禁止されていると思いますがあの頃は確かに曾

祖父のおなかに黒いベルトのようなものが巻きついていました決して自分の力で

は外せないようなものでしたもがき苦しむ曾祖父の姿を見た時に看護師さんに

目を隠され別の部屋に連れて行かれました見せたくない光景だったのだと思いま

すでもあの姿は僕の脳裏に焼き付いています病院の中での人材不足のためだっ

39 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

たのでしょうか人が人らしく生きていない姿でした

 

七十八年生きてきて何も悪いことをしていないのに縛られ家にも帰れない

病気で余命幾ばくもない人には人権というものは存在しないのでしょうか最近の

医療の現場では自己決定権があることについて学びました

 

仏壇に向かい静かに目を閉じると優しく穏やかに微笑む曾祖父の笑顔が浮かびますどんな

気持ちで亡くなっていったのかその気持ちを考えると苦しい気持ちになります野球の大会に

行く前仏壇に手を合わせます「やればできる努力しろ」とよく励ましてくれました曾祖

父の力には何もなれなかったけれど目には見えない力で応援してくれる曾祖父に線香をあげて

自分を省みる時があります曾祖母が元気なので曾祖父を助けられなかった分曾祖母の力に

なっていくことを曾祖父に約束しています

 

夏休み中のニュースで高齢者の所在不明者が多数のため百歳以上の安否確認調査をしていま

した自分の親を平気で捨て遺骨さえもひきとらない亡くなっていたのに年金を不正受給する

ために隠していたなど耳をふさぎたくなるような事件もありました犬や猫が年をとって弱っ

てきた手がかかるから面倒だからと捨ててしまうそれと同じ現象が弱い高齢者にも及んでき

ているのだと思います

 

やはりこの世に生まれてきたもの全てに自分の意志で生きることを決めていける権利がある

と思います長い年月を苦労や努力と向き合いながら精一杯生きてくれたおかげで今の幸せが

あることを忘れずにいたい人はいずれ誰でも年をとります自由に動けなくなった時に自分の

入賞作文集 40

入賞作文

願いが叶う社会を築き「悔いなく満足で楽しく幸せな人生だった」と思えるように人とし

ての誇りを持って満足できる最期を迎えられるように考えていきたいもう二度と僕が見た自

己決定権のない社会にならないように高齢者には今までの感謝の気持ちで本人の希望をでき

るだけ叶えられるように努力していきたいいずれ僕達も迎える高齢社会だからhellip

41 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

 

私は小学六年生の時から盲導犬候補の子犬を育てるボランティアをしています「犬を飼っ

てみたい」と言う私に両親が「せっかく犬を飼うのなら社会に役立つことをしよう」と提案

したからです生後二ヵ月の子犬を預かり一歳の誕生日を迎えるまで世話をするのがボランティ

アの役目です初めて訓練士さんから子犬を手渡された時は不安でドキドキしましたが子犬は

すぐに私の腕の中で眠ってしまいました初めて会った私のことを信頼して安心しきった寝顔

で眠っている姿は本当に可愛かったですラブラドールの子犬はとてもやんちゃで私の家にやっ

て来たその日からいたずらばかりしていましたがしかられてもクヨクヨせずどんな相手にも

 林はやし

 里り

咲さ

東京都小平市立小平第六中学校 三年

差別のない社会に

(パピーウォーカーの経験から学んだこと)

法務事務次官賞

入賞作文集 42

入賞作文

フレンドリーに近づいていく姿から私は明るく前向きに生きることを教わりました子犬たち

と過ごした日々は私にとって一番の宝物ですそしてあっという間に一歳の誕生日がやって来ま

した誕生日が悲しいという経験は初めてでした訓練所への入所日の前日には長い長い散歩を

して最後のお別れをしました「今までありがとう」そう言った私のことを不思議そうに見てい

た子犬の顔が今も目に焼きついています別れは本当につらいけれど涙を見せたら子犬が心配す

るので頑張って笑顔で見送りました

 

私の家で育てた一頭目の子犬は現在盲導犬になって頑張っていますそして今年四月に巣立っ

ていった二頭目の子犬は神奈川にある訓練センターで訓練中です

 

このボランティアを通して私は多くのことを学びましたまず盲導犬の役割ですがこれは単

に目の不自由な方が便利に一人でどこへでも行けるようにするためだけではありません視覚障

がいのある方にとって人の手をわずらわせるのはとてもつらいことなのだそうですたとえ家

族に対してでも「迷惑をかけるのではないか」と思って我慢することが多く「私なんかいない

方がいいんじゃないか」と考えてしまうこともあったといいますその失われそうになった尊

厳を取り戻す手助けをするのが盲導犬の役目なのです犬は訓練を共にするパートナーのことを

大好きになるので「自分は他者からこんなにも大好きになってもらえる存在なん

だ」と気づいて自信を取り戻し新しい一歩を踏み出せるようになるのだそうです

 

また私がボランティア登録している日本盲導犬協会では二〇〇八年に新しい

試みが始まりました受刑者が盲導犬候補の子犬を育てる動物を介在した日本初

43 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

の教育プログラムです罪を犯した人も心から反省してきちんと罪を償えば社会

は差別することなく受け入れるべきですしかし実際はとても偏見が多く元受刑

者たちは「どうせ自分はだめな人間なんだ」と思い再び罪を犯してしまう悪循環

が起こっているそうですその悪循環を断ち切り受刑者たちがスムーズに社会復

帰を果たせるよう支援するのが「あさひ盲導犬パピープロジェクト」です受刑者たちは約十ヵ

月の間子犬たちを世話しながら一緒に過ごし「役に立つ喜び達成する喜び信頼される喜び」

を感じることで自分の価値を再確認するのだそうです今年一月に第一期のプロジェクトを修了

した受刑者の感想に次のようなものがありました

 「今後自分もパピーに笑われないようにきちんとしなければならないパピーは慈しむこと

寛容の心を教えてくれました」

 

犬は決して差別をしません健康な人にも障がいのある人にもお金持ちにも貧しい人にも

権力のある人にも犯罪を犯した人にも全く同じように接してくれますそんな犬たちと一緒に過

ごすことで自信をなくした人たちも自分のことをかけがえのない大切な存在であると思えるよ

うになるのです

 

私たち人間も差別のない社会をつくる努力をしなければならないと思います一人一人が相

手を大切に思う心を忘れなければこの社会はもっと住み良い場所になるはずです私はこのボ

ランティアを通して学んだことを生かしてこれからも一層努力していきたいと思います

入賞作文集 44

入賞作文

45 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

 

僕は祖父のために自助具を作ろうと思った祖父は去年の夏脳梗塞で倒れた祖父は一命

を取り留めたものの右手と右足がまひしてしまったのだその三週間前僕も車椅子から転倒し

て足を骨折した

 

僕には障害がある車椅子で生活することが多いしかし僕のことを障害者だといって差別

するような友達は一人もいない

 

祖父は歩けるようになりたいという気持ちが強かっただからリハビリを頑張り自分で

歩けるようになるまで回復した頑張っている祖父がかっこいいと僕は思った祖父はリハビ

リを頑張ったにも関わらず右手がうまく動かせなくなってしまっただからご飯を食べる時も

服を着替える時も時間がかかる普段何気なくやっていた動作がとても大変だと祖父は言ってい

守もり

田た

 幸こう

平へい

静岡県静岡大学教育学部附属浜松中学校 三年

祖父への靴下

法務事務次官賞

入賞作文集 46

入賞作文

た僕も何か役に立てることはないかと考えた

 

僕の学校には総合学習という授業があるそこで僕は福祉というカテゴリーを選んだ自

分で社会に役立てることを考え実際に行動することが目標だった僕は障害者のために何が

できるかを考えた

 

僕は二年前に静岡文化芸術大学で障害者がいかに日常生活で不自由のない生活ができるかを

考えるプロジェクトがあるのを新聞で知ったそれは大学生たちが個人個人にあった自助具を

作るプロジェクトだった僕は障害者のために何かできるのではと感じた

 

僕は静岡文化芸術大学へ行って僕にもできることがないかと聞いたすると学生さんが

自助具を作ってみないかと声をかけてくれた僕は迷わず「はい」と言った障害者のために

役に立てることがあると思うとすばらしいことだと思ったからだ

 

祖父のつらい顔を見ると日常生活に数々の大きな壁があることが伝わってくる

 

僕は祖父の数々の大きな壁を突き破ろうと思った祖父のために自助具を考え作ろうと僕

は思った祖父が靴下の脱ぎ履きが大変だと言っていたことを思い出したそこで脱ぎ履きし

やすい靴下はできないか考えた靴下の両脇にひもを取り付けてそれを引っ張ると靴下が縮み

脱ぎ履きしやすくなる仕組みだ大学の先生も良いアイディアだと言って褒めてく

れたこれは障害者だけでなく健常者にも使えると言われたユニバーサルデザ

インだと分かった

 

ユニバーサルデザインは年齢や障害の有無にかかわらず全ての人が使いやす

47 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

いように工夫された用具などのデザインである境界がなくなるように健常者が障

害者に対する偏見を考え差別意識がなくなるチャンスだと思った障害者と健常

者が共によりよく生きることが大切だと僕は思った

 

自助具の作品展では杖をついているお年寄り車椅子に乗った若い女性目の

見えない人福祉関係者など沢山の人々が観に来ていた皆自分の生活を良くしようと思っ

ているようだったまた障害者のためにできることは何だろうかと考えている健常者もいるよ

うだった

 

二年生の時の総合学習では二箇所のデイサービスを訪問したデイサービスには六十五歳以

上のお年寄りがいた暗く元気のない人明るく振る舞い誰とでも話せる人など様々だった

しかし僕が一番印象に残ったのは笑顔を絶やさず優しくお年寄りに接していた介護士だった

お年寄りの中には悩みを抱えている人が多いそうだその悩みを解消させる人もまた介護士だっ

た僕は介護士がお年寄りの体を支えるだけではなく心もそっと支えて生きる喜びを与え

ているのだと感じた

 

現代は三世代で暮らす家族が減り核家族が増えているそれはお年寄りの世話が大変だ

からという理由が多いだから老人ホームやデイサービスに預ける人が増えていると僕には

思えたお年寄りの中には自分が嫌われているのではないかとさえ思ってしまう人もいるそう

だそれはお年寄りにとって辛く悲しいことだと思うある介護士がこんなことをおっしゃっ

ていた「人の優しさはお金では買えない」誰にでも優しい心があると思うしかしあと一歩

入賞作文集 48

入賞作文

のところで行動に移すことができない人が多いの

だ僕たちが平和な社会で暮らせるのは今まで

頑張ってきてくれたお年寄りのお陰であることを

忘れてはいけないお年寄りを大切にすることは

当たり前のことなのだ

 

また障害者に対しても偏見の目で見ないで

そっと近づいて手を貸してあげれば健常者との

高い大きな壁を崩すことができると思う

 

障害者にも高齢者にもまた健常者にも人権

はあるお互いの人権を大切にすることが明る

い未来に繋がっていくのだと思う

 

早く祖父に僕の作った靴下を届けたい

49 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

 

僕は小学校六年生まで福岡県に住んでいましたそこで僕が体験したことです五年生のこ

ろ僕の友だちのA君が同級生のK君の靴を隠したりからかったりしていることがよくあり

ました最初は僕もあまり気にしていませんでしたがK君のことを「なんだかかわいそう」と

思うようになりました

 

ある日僕は勇気をだして先生に「K君がいじめにあっています」と報告しました初め先生は

「じゃれ合っているだけだろう」と「いじめ」とは思ってくれませんでしたでもその後「いじ

め」と分かりA君は先生に注意されその日一日は反省した様子で過ごしていましたしかし

次の日学校に行くといじめは前以上にエスカレートしていて蹴ったりたたいたりするように

なりましたしかも「死ね」「うざい」「消えろ」などの言葉が飛び交うようになりそんな日々

法務事務次官賞

浦うら

谷たに

 毅たける

徳島県三好市立池田中学校 三年

いじめをなくすために今

入賞作文集 50

入賞作文

が続きました

 

それは六年生になっても続きました僕はそのいじめを止めることができず毎日見て見ぬ

振りをしていました今思うと自分がとても恥ずかしいです本当の友達なら止めるべきなの

にそれだけではなくいじめられているK君に声一つかけることができずにいました心の中

ではA君に「やめろよ」と言おうと思っていたけどなぜか勇気が出ませんでした次にい

じめられるのが自分になるのが恐くて言えなかったのです

 

そんな日々が続く中僕の気持ちを大きく変える出来事がありました父の死ですそのとき

のことは今でも忘れることができません聞いたときには頭の中が真っ白になりました最初

は信じることができませんでした一週間も二週間も学校に行けずただぼーっと過ごしてい

ましたいろんなことを考え徐々に「死」というものの悲しさつらさ「死」という意味の

重さがわかってきましたそして時間はかかりましたが「命は一瞬にして消え二度と戻っ

てこないものだだから命を大切に今を大切にしなければならない」と深く受け止めることが

できるようになりましたそして周りの子たちは僕のような経験がないから「死ね」とか軽々

しく言えるのだろうと思いこの気持ちを伝えなくてはならないと考えました僕が強くならな

くてはと思いました

 

こんな気持ちになったとき僕には時間がありませんでした母の実家がある徳

島への引っ越しが一週間後に決まっていたのです落ち込んでいる暇は無いと思

い学校に行った僕はA君に言いました「いじめなんかやめろよいじめたって

51 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

喜ぶ人はいないし悲しむ人がいるだけだろ自分だってほんとは嫌だろ『死ね』

とか『消えろ』とか言葉の重さを知らないのに言うなよ」と言いました父親の

突然の死そのあと僕が考えたことも伝えました

 

友だちは黙って聞いてくれました僕の言葉にうなずいてそのあとK君の

ところへ行き「ごめん言葉の重さも知らずに言って本当にごめんぜったいに死ねなんて

ことは言わないそしていじめは絶対にしないほんとうにごめん」とあやまりましたK君

はとても優しい笑顔で「いいよ」と一言言いました僕もK君に言いました

「今まで助けてあげられなくてごめん」

K君は笑顔で「ありがとう」と言ってくれました今まで自分の中でもやもやしていた気持ちが

スーっと晴れました

 

今も時々耳にする暴言冗談半分で言っているのかもしれませんしかしいついじめにつ

ながるかわかりません他人を傷つけることで自分のストレスを晴らそうとしているのでしょう

関係ないふりをしようとする自分がいます楽な考え方をする自分がいますそんな時亡くなっ

た父の顔やK君の優しい笑顔を思い出しますあの時の自分のように強い気持ちを持とう「や

めろよ」と一言言うするとまた気持ちがスーっとしてきました

 

父の分も頑張って生き抜こうと決めた僕にとって正しいことを素直に認め悪いことを否定

できる強い意志を持つことが目標ですそして何よりも命を大切に今を大切にしていきたい

と思っています

入賞作文集 52

入賞作文

53 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

 

ぼくは今まで四つの外国に暮らしいろいろな国の人たちの中で育ってきた

 

まずタイで生まれてタイ人のメイドさんやドライバーさんにいつも遊んでもらっていた

らしい一才になると週一回の体操教室にも通いタイ人の友達もいたそうだ

 

次にシンガポールでは初めてナサリースクール(保育園)に通いいろいろな国の友達と

知り合ったプレイルームにある滑り台を滑る順番争いでいつも勝つのは体の大きい金髪の友

達だった

 

一回目の香港生活では英語の幼稚園に通ったその時のぼくの一番の友達はカナダ人だった

彼とはよくベイブレードをして遊んだが父が日本の出張で買ってきてくれた独楽や剣玉をして

遊ぶこともあった

村むら

瀬せ

 広ひろ

高たか

香港日本人学校中学部 二年

国境をこえて

海 外 作 品

今回は本選への応募とすることはできませんでしたが

 海外から寄せられた作品のうち一作品を御紹介します

入賞作文集 54

海外作品

 

それからインドでは日本人学校に通ったが夏休みには毎年アメリカンスクールのサマー

スクールに参加したし日本人のいない現地のテニススクールにも入り二年間通ったまたイ

ンドの現地幼稚園に通っていた妹のベストフレンドはコンゴ人でその兄弟もぼくの友達だった

 

そして三年間の日本生活を経て今また香港に戻ってきた

 

このようにぼくはいろいろな国でいろいろな国の人たちのお世話になりいろいろな国

の友達と遊んで育った肌が真っ黒な友達もゲームの話をすればすぐに仲良くなれたし髪が

金色の友達もポケモンの話をすれば気が合ったぼくは小さい頃から英語はうまくしゃべれ

なかったけれどもジェスチャーをつけたでたらめ英語でも充分に話は通じただからいろい

ろな国の人たちの中でぼくが日本人だからといって差別されたり嫌な思いをしたりしたこと

はないしぼくも肌の色が違うからとか言葉が通じないからという理由で違う人間だと思っ

たことはないそうぼくは外国人を差別したことはない

 

しかし本当にぼくは外国人を差別したことがないのだろうか外国人を差別した発言を一

度もしたことがないかと考えると自信がない

 

例えば香港人には赤信号でも平気で渡る人がたくさんいるそれを見てぼくは

「香港人はしょうがないな」

と思うでもよく見ると香港人全員が信号無視をしているわけではないまた

世界には今でも戦争をしている国がいくつもある

「人を傷つけ合うなんて馬鹿げている」

55 第30回全国中学生人権作文コンテスト

海外作品

とぼくは悲しくなるでもそれも好きで戦っている人がいるとも思えないその

人たちがそうなったのには何かきっと原因があるはずだ

 

逆に外国人から見ると日本人はどのように思われているのだろう

 

インドから日本に帰国した時毎日ごみがたくさん出ることにぼくはとても驚

いたインドの人たちがよく使う道端にあるカレー屋さんではバナナの葉で作ったお皿にカ

レーを入れてくれる食べた後そのお皿を道に捨てるとのら牛がその葉っぱを食べるそして

牛のふんは燃料になるというそれに比べて日本はちょっと歩くとペットボトルの飲み物が

買えファーストフードのお店では使い捨ての食器を使い立派なお菓子の箱を開けると中身が

少なくてがっかりすることもあるある時母が捨てたジャムの空きびんをメイドさんとエア

コンの修理にきていたワーカーさんとが取り合ってけんかをしていたこともあったそれを見

てぼくはあきれてしまったが逆にインド人から見ると使い捨て文化のしみついた日本人は

とんでもない人間にみえるのかもしれない国によって考え方や行動パターンが違うのは歴史

的背景や宗教習慣気候などのいろいろなことが関わっているのだと思う

 

このように考えると差別とはその人の一部しか見ていないことや自分のやり方だけが正

しいと思うことからおきるのではないかと思うその人が自分とは違った行動をとったとしても

それには深い理由があるのだろうと考えればきっと納得できると思うぼくもこれからは否

定的な発言をする前にその人たちのことをいろいろな角度から見て理解する努力をしてみよう

と思う外国との間には自分の国とは違う言葉や文化という壁があるとみんな言うがそこに

入賞作文集 56

海外作品

あるのは壁ではなく橋だとぼくは思う理解

し合おうという気持ちがあればきっと誰でも

その橋を渡っていけるはずだ気持ちの国境を

こえるのにパスポートはいらないお互いを理

解し合おうと思う気持ちが一番大切だと思う

そしてぼくはこれから日本人として生きる

のではなく地球人として生きていこうと思う

57 第30回全国中学生人権作文コンテスト

海外作品

法務局地方法務局名 郵便番号 所  在  地 電  話

金沢地方法務局人権擁護課920-0024 金沢市西念3-4-1金沢駅西合同庁舎(平成23年3月11日まで) 076-231-1244

921-8505 金沢市新神田4-3-10金沢新神田合同庁舎(平成23年3月14日から) 076-292-7804

富山地方法務局人権擁護課 930-0856 富山市牛島新町11番7号富山合同庁舎 076-441-6376

大阪法務局人権擁護部 540-8544 大阪市中央区谷町2丁目1番17号大阪第2法務合同庁舎 06-6942-9492

京都地方法務局人権擁護課 602-8577 京都市上京区荒神口通河原町東入上生洲町197番地 075-231-0131

神戸地方法務局人権擁護課 650-0042 神戸市中央区波止場町1番1号神戸第2地方合同庁舎 078-392-1821

奈良地方法務局人権擁護課 630-8305 奈良市東紀寺町3-4-1奈良第2法務総合庁舎 0742-23-5457

大津地方法務局人権擁護課 520-8516 大津市御陵町3番6号大津法務総合庁舎 077-522-4673

和歌山地方法務局人権擁護課 640-8552 和歌山市二番丁2番地和歌山地方合同庁舎 073-422-5131

広島法務局人権擁護部 730-8536 広島市中区上八丁堀6番30号広島合同庁舎 082-228-5790

山口地方法務局人権擁護課 753-8577 山口市中河原町6番16号山口地方合同庁舎2号館 083-922-2295

岡山地方法務局人権擁護課 700-8616 岡山市北区南方1丁目3番58号 086-224-5761

鳥取地方法務局人権擁護課 680-0011 鳥取市東町2丁目302番地鳥取第2地方合同庁舎 0857-22-2289

松江地方法務局人権擁護課 690-0886 松江市母衣町50番地松江法務合同庁舎 0852-32-4260

高松法務局人権擁護部 761-8077 高松市出作町585-4 087-815-5311

徳島地方法務局人権擁護課 770-8512 徳島市徳島町城内6番地6徳島地方合同庁舎 088-622-4171

高知地方法務局人権擁護課 780-8509 高知市栄田町2丁目2番10号高知よさこい咲都合同庁舎 088-822-3331

松山地方法務局人権擁護課 790-8505 松山市宮田町188番地6松山地方合同庁舎 089-932-0888

福岡法務局人権擁護部 814-0005 福岡市早良区祖原14-15福岡法務局西新出張所庁舎5階 092-832-4311

佐賀地方法務局人権擁護課 840-0041 佐賀市城内2丁目10番20号佐賀合同庁舎 0952-26-2148

長崎地方法務局人権擁護課 850-8507 長崎市万才町8番16号 095-826-8127大分地方法務局人権擁護課 870-8513 大分市荷揚町7番5号大分法務総合庁舎 097-532-3368

熊本地方法務局人権擁護課 862-0971 熊本市大江3丁目1番53号熊本第2合同庁舎 096-364-2145

鹿児島地方法務局人権擁護課 890-8518 鹿児島市鴨池新町1番2号 099-259-0684宮崎地方法務局人権擁護課 880-8513 宮崎市別府町1番1号宮崎法務総合庁舎 0985-22-5124

那覇地方法務局人権擁護課 900-8544 那覇市樋川1丁目15番15号那覇第1地方合同庁舎 098-854-1215

入賞作文集 58

問合せ先一覧

法務局地方法務局名 郵便番号 所  在  地 電  話

札幌法務局人権擁護部 060-0808 札幌市北区北8条西2丁目1番1札幌第1合同庁舎 011-709-2311

函館地方法務局人権擁護課 040-8533 函館市新川町25番18号函館地方合同庁舎 0138-23-9528

旭川地方法務局人権擁護課 078-8502 旭川市宮前通東4155番31旭川合同庁舎 0166-38-1114

釧路地方法務局人権擁護課 085-8522 釧路市幸町10丁目3番地釧路地方合同庁舎 0154-31-5014

仙台法務局人権擁護部 980-8601 仙台市青葉区春日町7番25号仙台第3法務総合庁舎 022-225-5739

福島地方法務局人権擁護課 960-8021 福島市霞町1番46号福島合同庁舎 024-534-1994

山形地方法務局人権擁護課 990-0041 山形市緑町1丁目5番48号山形地方合同庁舎 023-625-1321

盛岡地方法務局人権擁護課 020-0023 盛岡市内丸7番25号盛岡合同庁舎 019-624-9859秋田地方法務局人権擁護課 010-0951 秋田市山王7丁目1番3号 018-862-6533

青森地方法務局人権擁護課 030-8511 青森市長島1丁目3番5号青森第二合同庁舎 017-776-9024

東京法務局人権擁護部 102-8225 千代田区九段南1丁目1番15号九段第2合同庁舎 03-5213-1234

横浜地方法務局人権擁護課 231-8411 横浜市中区北仲通5丁目57番地横浜第2合同庁舎 045-641-7926

さいたま地方法務局人権擁護課 338-8513 さいたま市中央区下落合5-12-1さいたま第二法務総合庁舎 048-859-3507

千葉地方法務局人権擁護課 260-8518 千葉市中央区中央港1丁目11番3号千葉地方合同庁舎 043-302-1319

水戸地方法務局人権擁護課 310-0061 水戸市北見町1番1号水戸地方法務合同庁舎 029-227-9919

宇都宮地方法務局人権擁護課 320-8515 宇都宮市小幡2丁目1番11号宇都宮地方法務合同庁舎 028-623-0926

前橋地方法務局人権擁護課 371-8535 前橋市大手町2丁目10番5号前橋合同庁舎 027-221-4426

静岡地方法務局人権擁護課 420-8650 静岡市葵区追手町9番50号静岡地方合同庁舎 054-254-3555

甲府地方法務局人権擁護課 400-8520 甲府市北口1丁目2番19号甲府地方合同庁舎 055-252-7239

長野地方法務局人権擁護課 380-0846 長野市旭町1108番地長野第2合同庁舎 026-235-6634

新潟地方法務局人権擁護課 951-8504 新潟市中央区西大畑町5191番地新潟地方法務総合庁舎 025-222-1564

名古屋法務局人権擁護部 460-8513 名古屋市中区三の丸2丁目2番1号名古屋合同庁舎第1号館 052-952-8111

津地方法務局人権擁護課 514-8503 津市丸之内26番8号津合同庁舎 059-228-4193岐阜地方法務局人権擁護課 500-8729 岐阜市金竜町5丁目13番地 058-245-3181

福井地方法務局人権擁護課 910-8504 福井市春山1丁目1番54号福井春山合同庁舎 0776-22-5090

問合せ先一覧 (法務局地方法務局)

59 第30回全国中学生人権作文コンテスト

問合せ先一覧

世界人権宣言啓発書画「鳥」「自由と解放」を表わしたもの 小木太法書オタビオロス画(財)人権擁護協力会提供

入賞作文集 60

すべての人間は生まれながらにして

自由でありかつ尊厳と権利とに

ついて平等である人間は理性と

良心とを授けられており互いに同胞の

精神をもって行動しなければならない

―――

世界人権宣言 第一条

―――

第三〇回

 全国中学生人権作文コンテスト

中央大会表彰式

印  刷 平成23年1月25日

発  行 平成23年2月14日

発 行 者 法務省人権擁護局

全国人権擁護委員連合会

東京都千代田区霞が関一丁目1番1号

電話 03(3580)4111 内線5875

URL httpwwwmojgojpJINKEN

第30回全国中学生人権作文コンテスト中央大会審査員

感想をお聞かせください本作文集を読まれた感想等を下記の連絡先又はkeihatsumojgojpまでお寄せください

無断転載を禁じます本作文集に掲載された作文や写真等を地方自治体が広報誌に掲載したり学校が教材に使用される場合などにはあらかじめ下記に御連絡ください

100-8977 東京都千代田区霞が関一丁目1番1号 法務省人権擁護局人権啓発課 TEL03(3580)4111 内線5875

作  家(審査員長) 落 合 恵 子映画監督 山 田 洋 次社団法人日本新聞協会事務局長 川 嶋   明日本放送協会解説委員室解説委員 南   直 樹文部科学省初等中等教育局視学官 三 好 仁 司全国人権擁護委員連合会長 中 村 浩 紹法務省人権擁護局長   井 忠 雄

(敬称略)

【式次第】

第一部

 会

主催者あいさつ

賞状授与

内閣総理大臣賞法務大臣賞

文部科学大臣奨励賞法務副大臣賞

法務大臣政務官賞

全国人権擁護委員連合会長賞

社団法人日本新聞協会会長賞

日本放送協会会長賞(以上各一名)

法務事務次官賞(三名) 計一一名

学校への感謝状贈呈

高円宮妃殿下おことば

来賓祝辞

第二部

各受賞作文の朗読

内閣総理大臣賞法務大臣賞

文部科学大臣奨励賞

全国人権擁護委員連合会長賞

社団法人日本新聞協会会長賞

日本放送協会会長賞

 評

全国中学生人権作文コンテスト中央大会審査員

 山田洋次氏

 落合恵子氏(ビデオレター形式)

第三部

新垣勉さんコンサート

 会 平成二二年一二月一八日(土)

午後一時三〇分〜三時五〇分

於ニッショーホール

「いじめ」や暴力行為等は人権侵害です

法務局地方法務局では

人権侵害による被害を受けた方を

救済するための活動を行っています

お気軽にご相談ください

女性の人権ホットライン

インターネット人権相談受付窓口

ゼロナナゼロのハートライン

0570-070-810

子どもの人権110番ぜろぜろななのひゃくとおばん

 0120-007-110

パソコンから httpwwwmojgojpJINKENjinken113html携帯電話から httpwwwjinkengojpsoudanmobile001html

インターネット人権相談 検 索

Human Rights法務省人権擁護局全国人権擁護委員連合会

人権イメージキャラクター人KENあゆみちゃん人KENまもる君

全国共通通話料無料

全国共通ナビダイヤル

この冊子は環境保護印刷の「水なし印刷」で印刷されています

第30回全国中学生人権作文コンテスト入賞作文集

法務省人権擁護局全国人権擁護委員連合会

人権イメージキャラクター人KENまもる君人KENあゆみちゃん

この冊子には音声コードが各頁(奇数頁 左下偶数頁 右下)に印刷されています専用の読み上げ装置で読み取ると記録されている情報を音声で聞くことが出来ます

Human Rights法務省人権擁護局全国人権擁護委員連合会

 全国中学生人権作文コンテスト入賞作文集

 全国中学生人権作文コンテスト入賞作文集

第30回

いるのだと考えますたとえ小さな子どもでも立派な一人の人間ですその命を

守り育てていくことが親として大切な役目だと思うのですこの母親はどこで

勘違いしたかは知りませんが親としての自分の責任を理解していなかったのでは

ないでしょうか

 

そしてその勘違いを誰も母親に気づかせてあげられなかった事実母親が一緒に遊び歩いて

いた友人はもちろん母親の家族が少しでも助けることができていたら母親の行動を戒めるこ

とができていたら連絡を受けた児童相談所がもう少し踏み込んだ行動が取れていたらこのよ

うな悲しい結末にはならずに済んだのではないでしょうかやりきれない思いばかりがこみあげ

てきます

 

もう一つこの母親は大きな勘違いをしていますそれは「子どもは私を恨んでいると思う」

という言葉です僕はこの子どもたちが母親を恨んでいるとは思えません子どもたちは母

親が帰宅するといつもハイタッチをして喜んで迎えたそうです子どもたちは母親のことが大

好きだったのでしょうたとえ自分たちを見放した母親でも恨んでいるとは決して思えないの

です

 

子どもは心の底から自分の母親のことを恨めないと僕は思いますこの世に生を受け笑った

り怒ったり泣いたりと毎日いろいろな経験ができるのは自分を生んでくれた母親という存在

があったからです正直僕も小さい頃は母を恨んだことがありました愛情の裏返しというよ

うに母親への思いが憎しみに変化してしまったのですでも心の底には母への恨みとは全く

入賞作文集 28

入賞作文

正反対の気持ちが存在し続けていましただ

からこそこの子どもたちがどんな思いで死

んでいったのかわかるような気がします母

親を信じひたすら母親の帰りをまちわびて

いた思いが

 

僕にとっての「家族」それは同じ屋根の

下で暮らす人々のことですたとえ血はつな

がっていなくても僕を支え励ましてくれる

人たちそのすべての人が僕にとっての大切

な「家族」なのです今僕の暮らす養護施設

にはいろいろな事情を抱えた二歳位から高

校生までの子どもたちや職員の方が約六十人

います今の僕には全員大切な「家族」で

す僕はこれからもこの「家族」を大切に

一日一日精一杯平和に生きていきたいです

29 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

 

授業でハンセン病について学んだ日両親と「偏見」や「差別」について口角泡を飛ばす議論

を深夜まで繰り広げた身体障害者の父と看護師の母を持つ私は幼い頃から「命の大切さ」を

訴える両親の姿を見て育って来たそんな私は真摯な気持ちからハンセン病罹患者と向き合い

たいと思いこの夏草津にある療養施設栗生楽泉園を訪れた

 

草津までの道のり私は罹患者の気持ちを絶えず考えていたハンセン病について調べると「ら

い予防法」により罹患者は隔離され人権を無視された扱いを受けたことが分かった罹患者の

言葉が書かれた本ではどんなに過酷な仕打ちを受けたか他人をどれほど恨み憎んでいるか

が書かれていたその為私は無意識の内に「罹患者は全員恨みを抱いている」と勝手に思い込

んでいたしかしこんな思い込み自体が偏見や差別を生む原因になるということを後に思い知

大おお

井い

 海み

琴こと

群馬県群馬大学教育学部附属中学校 三年

忘れてはならないこと

全国人権擁護委員連合会長賞

入賞作文集 30

入賞作文

らされることになるのである

 

私を迎えてくれたのは入園者自治会長の藤田三四郎さん藤田さんは大変お元気でその容姿

からはハンセン病を伺い知ることはできなかったしかし藤田さんは紛れもない罹患者なのだ

その証拠に藤田さんの名は本名ではない罹患者は施設に入所するにあたり偽名を使用させら

れたと言うつまりその時点で罹患者は世間から存在を消されてしまうのであるそんな藤田

さんから語られた話はハンセン病だと宣告され三度も命を絶とうとしたこと重症患者の看

護を押しつけられ数え切れない人を看取り自らの手で葬ったこと家族が受けた迫害や侮辱的

な言葉など想像を絶するもので筆舌し難いものだったしかしこんな迫害と差別は同時にハ

ンセン病患者達の人権回復闘争の歴史でもあったのだ闘争の末「らい予防法」が廃止される

と今まで差別や人権侵害を繰り返していた多くの人が掌を返す様に態度を変えたと言う私は聞

いていて怒りを覚えたが不思議なことに耳を塞ぎたくなる様な内容を語る藤田さんからは全

く怒りや恨みが感じられないのだ私は話を聞くまで自分の運命を呪い周囲への恨みつらみ

の言葉が出てくるとばかり思っていたしかし出てきた言葉は「入園出来て良かった差別は

受けたが今では恨みを抱く罹患者も少なくなったそればかりか最近はたくさんの人が我々を

理解し協力してくれるので嬉しい何故なら一人の百歩は力が無いが百人の一歩

は力になるから」と言う感謝の言葉だったのだ本当に「恨みは無いのか」と何度

聞いても答えは同じだった私は恥ずかしくなったハンセン病について調べ罹

患者の心を理解したようなつもりでいながら実は何も理解できてなくてそれば

31 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

かりか罹患者を偏見の眼で見ていたのは私自身だったのだ私は話を聞いてとめ

どなく溢れ出る涙を拭いながら心の片隅に潜んでいた「偏見と言う名の種」が身

体から洗い流されていくのを感じていたそれは同時に「思い込みや無知が偏見

や差別を生みだす」ことを強く感じた瞬間でもあったそれだけに藤田さんの「自

分と同様に他人を愛すればいつか必ず世界から差別はなくなる他人を愛して下さい」の慈愛に

満ちた言葉が一層重く腑に落ちるのだった

 

帰りがけ千五百ページにも及ぶ「入所者証言集」を手渡されたその際私は見えない襷も

手渡された気がしたその襷とは証言集に記された罹患者の「事実を風化させないで私達の事

を忘れないで」という搾り出すような叫び声とその姿だったのである

 

ハンセン病が治る病気であるのに誤った知識から悲惨な人権侵害が長期に渡り続いた同じ間

違いを繰り返さないためにも事実を語りついで行く必要があるここ楽泉園でも高齢化が進み

証言者の数が減っているこれは全国一五全てのハンセン病療養所に共通することだハンセン

病問題は罹患者がいなくなればそれで終わると言う問題ではない今後人権問題を考える際重

要な指針になりうる事実なのだそしてこの事実の風化を防ぐことが私達若い世代の役目だと

私は思う

 

私は小六の時友人達から突然イジメを受けたそれを引きずり他人を恐れ憎み自分を

嫌って生きて来たしかし罹患者の声が私に生きる力と前を向いて歩む勇気を与えてくれた

楽泉園訪問は私に人生観が変わる程の衝撃を与えてくれたのだこんな私だが罹患者の声を伝

入賞作文集 32

入賞作文

える「百人の中の一人」にはなれるはず

だそのために私は今この作文を書い

ている文字は時を越えて生き続けるか

ら私はこれからも楽泉園訪問を続ける

つもりだ実際に中学生の私が出来るこ

とには限りがあるが差別や偏見を少し

でも減らすために一歩を踏み出すつもり

でいる「自分と同様に他人を愛すれば

いつか差別は無くなる」と言う藤田さ

んの言葉を胸に

33 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

 

森に囲まれたその一画には教会や寺院神社があり小さなショッピングセンターやレスト

ランもある床屋や図書館郵便局や浴場もあるしかしそれらの施設を利用するのはその一

画に住む人たちだけだ緑の外側に住む人が利用することはないそこはハンセン病の療養所

多磨全生園である

 

僕は七年前に清瀬市に引っ越してきた夏のある日昆虫が大好きな僕は何気なくその森の

中に入って行ったそして歩き回っているうちにその場所が一つの「町」であることに気付

いた

 

毎日セミやカマキリやナナフシを探しながらどうしてこんな所があるのだろうと思った

 

僕が一番不思議に思ったのは古い木造の小学校だいつも誰もいない校舎と小さな運動場近

久く

米め

 一かず

輝き

埼玉県学校法人立教学院立教新座中学校 一年

ハンセン病について考えたこと

社団法人日本新聞協会会長賞

入賞作文集 34

入賞作文

くに小学校があるのにどうしてこんな所に小学校があるのだろう小学一年生の僕はとても不思

議に思った

 

夏に地域交流を目的とした盆踊りと花火大会が行われるいつもは人のいない小学校跡は多く

の人であふれかえり普段は見かけない重い後遺症の老人たちもこの日は外に出て盆踊りを楽し

む初めて参加したときは言葉が出なかった正直「怖い」と思った

 

夏が来るたびに僕は盆踊り大会に参加した低学年から高学年へと進むにつれて少しずつハ

ンセン病のことが分かってきた

 

六年生のときに社会科見学で全生園の元患者を訪れることになっただが僕は都合で参加で

きなかった僕はそれをずっと悔やんでいる

 

今年の夏僕はハンセン病資料館に出かけた見学者は僕一人でとても緊張したなるべく

音を立てないようにパネルを見て回った

 

強制隔離の現実にとても驚いた狭い部屋に押し込められ症状の軽い患者が重症の患者の世

話をしたという子供を持つ権利や生まれる赤ん坊の命まで奪われていた逃げ出したり反抗的

な患者は「不良患者」と呼ばれ窓の小さな暗い監房に閉じ込められた

 

医学が進歩し療養所も徐々に改善されていったが強制隔離を命じる「らい予防

法」が廃止されたのは一九九六年だという隔離が始まった一九〇八年から約九〇

年も経っていた僕が生まれるほんの一年前のことである特効薬が開発され本

格的な治療が始まったのは昭和二十二年である現実に合わない法律を廃止するの

35 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

にどうしてそんなに時間がかかったのだろうか

 

資料をもらってハンセン病資料館を後にした家を出るときは帰りに虫の観察

をするつもりだったがとてもそんな気にはなれなかったいつもセミが集まる桜

の木には目もくれずに早足で家に帰った

 

資料の中で一番心が痛んだのは療養所の子供たちのことだ療養所に入所したのはハンセン

病を発症した子どもたちだけではない親が発症したために入所する子どもたちもいた当時は

ハンセン病は遺伝病だとされていたからだ親から無理やり引き離された子どもたちは「すぐに

帰れるから」という言葉を信じていたというしかし一生療養所を出ることができなかった人が

多かったという社会的な差別がひどかったからだと資料に書かれていたが僕には実感がわか

なかったのでもう少し調べてみることにした

 

図書館で『ハンセン病を生きて』(伊波敏男著)という本を見つけた少し難しかったが差

別の現実が僕にもわかる部分があったそれは元患者たちに対して書かれた匿名のひどい手紙

である長年隔離されて苦しんできた人たちをさらに傷つける言葉が並んでいた悲しく暗い

気持ちになった

 

日本は経済大国として世界の注目を浴びているだが人権意識の面ではどうだろう「らい

予防法」を二〇世紀の末まで廃止できなかったことをどう考えたらよいのだろうか明治時代に

隔離が始まったときそれは外国に対する体面を保つためだったという病気の人を治療するの

ではなく「隠す」のが目的だったのだいまだに差別意識を持つ人がいるのは社会がそうした

入賞作文集 36

入賞作文

過去に対する反省をしていないから

だと思う

 

僕が不思議に思った小学校はすで

に取り壊されて今では小さな石碑

だけが残っている老朽化がひどく

残しておくことができなくなったか

らだという全生園の古い建物はど

んどん取り壊されていく石碑だけ

ではあの不思議さが伝わらないのが

とても残念だ

37 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

 

僕の曾祖父は医者嫌いでしたそのため腹痛で病院に運ばれた時は膵臓癌の末期で余命三ヶ

月でした手術もできない手遅れの状態でした家族皆で話し合い曾祖父の辛い気持ちを第一に

考え曾祖父に病を隠すことになりました曾祖父は次第に病院の中を歩いては転倒し体中あ

ざだらけになりベッドの上で縛られることになっていました曾祖父は病名の宣告を受けてい

ないため元気で歩けると思っているが実際歩くと転んでしまう何でこんな風になってしまっ

たのかさえわからない

 

家族と病院に行くと「包丁もてこいこれぶった切って家さ帰る」と騒いでいましたあん

なに優しかった曾祖父の姿に言葉も出ず恐いくらいでした何も知らされずベッドに縛り付

けられれば誰もがそうなることでしょう「じいちゃんどご一緒に車さのせでいてくれの」と

櫻さくらだ田

 要かな

太た

山形県酒田市立松山中学校 三年

日本放送協会会長賞

悔いのない最期を

入賞作文集 38

入賞作文

せがまれたときもありますかわいそうで涙がポロポロこぼれました「おじいちゃんどご家

さ連れで帰ろうよ」とせがんでも家族も仕事で忙しいためか誰も首を縦に振ってくれず病院

にいた方が安心ということになりました膵臓癌は予想以上に激しい痛みのため医師から強い

痛み止めと強い睡眠剤を勧められましたがそれを導入することにより安楽死に近い状況にな

ることも医師から告げられていました家族は決断をせまられました曾祖父に相談もせずに決

めていいことなのか家に帰りたい曾祖父の意志は封じ込められたままでいいのか家族で悩み

ました結局痛みに耐えている姿は見ていられなくその薬を使うことになりましたその後

曾祖父は次第に弱っていき口も利けなくなり静かに亡くなっていきました僕はどこか心を

引きずったままでした僕達家族が曾祖父に宣告もせず意見も聞かず命の長さを決めてしまっ

たこと当時幼かった僕には何もしてあげられなかったことが今思い出しても残念です

 

最近授業で人権について学習しているときに幼い頃の記憶がよみがえりふと曾祖父のこと

を思い出しました

 

曾祖父はどんな思いで亡くなったのだろう最後に意識のあるうちに一度でいいから家に帰っ

てきたかっただろう身体拘束は今は病院でも禁止されていると思いますがあの頃は確かに曾

祖父のおなかに黒いベルトのようなものが巻きついていました決して自分の力で

は外せないようなものでしたもがき苦しむ曾祖父の姿を見た時に看護師さんに

目を隠され別の部屋に連れて行かれました見せたくない光景だったのだと思いま

すでもあの姿は僕の脳裏に焼き付いています病院の中での人材不足のためだっ

39 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

たのでしょうか人が人らしく生きていない姿でした

 

七十八年生きてきて何も悪いことをしていないのに縛られ家にも帰れない

病気で余命幾ばくもない人には人権というものは存在しないのでしょうか最近の

医療の現場では自己決定権があることについて学びました

 

仏壇に向かい静かに目を閉じると優しく穏やかに微笑む曾祖父の笑顔が浮かびますどんな

気持ちで亡くなっていったのかその気持ちを考えると苦しい気持ちになります野球の大会に

行く前仏壇に手を合わせます「やればできる努力しろ」とよく励ましてくれました曾祖

父の力には何もなれなかったけれど目には見えない力で応援してくれる曾祖父に線香をあげて

自分を省みる時があります曾祖母が元気なので曾祖父を助けられなかった分曾祖母の力に

なっていくことを曾祖父に約束しています

 

夏休み中のニュースで高齢者の所在不明者が多数のため百歳以上の安否確認調査をしていま

した自分の親を平気で捨て遺骨さえもひきとらない亡くなっていたのに年金を不正受給する

ために隠していたなど耳をふさぎたくなるような事件もありました犬や猫が年をとって弱っ

てきた手がかかるから面倒だからと捨ててしまうそれと同じ現象が弱い高齢者にも及んでき

ているのだと思います

 

やはりこの世に生まれてきたもの全てに自分の意志で生きることを決めていける権利がある

と思います長い年月を苦労や努力と向き合いながら精一杯生きてくれたおかげで今の幸せが

あることを忘れずにいたい人はいずれ誰でも年をとります自由に動けなくなった時に自分の

入賞作文集 40

入賞作文

願いが叶う社会を築き「悔いなく満足で楽しく幸せな人生だった」と思えるように人とし

ての誇りを持って満足できる最期を迎えられるように考えていきたいもう二度と僕が見た自

己決定権のない社会にならないように高齢者には今までの感謝の気持ちで本人の希望をでき

るだけ叶えられるように努力していきたいいずれ僕達も迎える高齢社会だからhellip

41 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

 

私は小学六年生の時から盲導犬候補の子犬を育てるボランティアをしています「犬を飼っ

てみたい」と言う私に両親が「せっかく犬を飼うのなら社会に役立つことをしよう」と提案

したからです生後二ヵ月の子犬を預かり一歳の誕生日を迎えるまで世話をするのがボランティ

アの役目です初めて訓練士さんから子犬を手渡された時は不安でドキドキしましたが子犬は

すぐに私の腕の中で眠ってしまいました初めて会った私のことを信頼して安心しきった寝顔

で眠っている姿は本当に可愛かったですラブラドールの子犬はとてもやんちゃで私の家にやっ

て来たその日からいたずらばかりしていましたがしかられてもクヨクヨせずどんな相手にも

 林はやし

 里り

咲さ

東京都小平市立小平第六中学校 三年

差別のない社会に

(パピーウォーカーの経験から学んだこと)

法務事務次官賞

入賞作文集 42

入賞作文

フレンドリーに近づいていく姿から私は明るく前向きに生きることを教わりました子犬たち

と過ごした日々は私にとって一番の宝物ですそしてあっという間に一歳の誕生日がやって来ま

した誕生日が悲しいという経験は初めてでした訓練所への入所日の前日には長い長い散歩を

して最後のお別れをしました「今までありがとう」そう言った私のことを不思議そうに見てい

た子犬の顔が今も目に焼きついています別れは本当につらいけれど涙を見せたら子犬が心配す

るので頑張って笑顔で見送りました

 

私の家で育てた一頭目の子犬は現在盲導犬になって頑張っていますそして今年四月に巣立っ

ていった二頭目の子犬は神奈川にある訓練センターで訓練中です

 

このボランティアを通して私は多くのことを学びましたまず盲導犬の役割ですがこれは単

に目の不自由な方が便利に一人でどこへでも行けるようにするためだけではありません視覚障

がいのある方にとって人の手をわずらわせるのはとてもつらいことなのだそうですたとえ家

族に対してでも「迷惑をかけるのではないか」と思って我慢することが多く「私なんかいない

方がいいんじゃないか」と考えてしまうこともあったといいますその失われそうになった尊

厳を取り戻す手助けをするのが盲導犬の役目なのです犬は訓練を共にするパートナーのことを

大好きになるので「自分は他者からこんなにも大好きになってもらえる存在なん

だ」と気づいて自信を取り戻し新しい一歩を踏み出せるようになるのだそうです

 

また私がボランティア登録している日本盲導犬協会では二〇〇八年に新しい

試みが始まりました受刑者が盲導犬候補の子犬を育てる動物を介在した日本初

43 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

の教育プログラムです罪を犯した人も心から反省してきちんと罪を償えば社会

は差別することなく受け入れるべきですしかし実際はとても偏見が多く元受刑

者たちは「どうせ自分はだめな人間なんだ」と思い再び罪を犯してしまう悪循環

が起こっているそうですその悪循環を断ち切り受刑者たちがスムーズに社会復

帰を果たせるよう支援するのが「あさひ盲導犬パピープロジェクト」です受刑者たちは約十ヵ

月の間子犬たちを世話しながら一緒に過ごし「役に立つ喜び達成する喜び信頼される喜び」

を感じることで自分の価値を再確認するのだそうです今年一月に第一期のプロジェクトを修了

した受刑者の感想に次のようなものがありました

 「今後自分もパピーに笑われないようにきちんとしなければならないパピーは慈しむこと

寛容の心を教えてくれました」

 

犬は決して差別をしません健康な人にも障がいのある人にもお金持ちにも貧しい人にも

権力のある人にも犯罪を犯した人にも全く同じように接してくれますそんな犬たちと一緒に過

ごすことで自信をなくした人たちも自分のことをかけがえのない大切な存在であると思えるよ

うになるのです

 

私たち人間も差別のない社会をつくる努力をしなければならないと思います一人一人が相

手を大切に思う心を忘れなければこの社会はもっと住み良い場所になるはずです私はこのボ

ランティアを通して学んだことを生かしてこれからも一層努力していきたいと思います

入賞作文集 44

入賞作文

45 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

 

僕は祖父のために自助具を作ろうと思った祖父は去年の夏脳梗塞で倒れた祖父は一命

を取り留めたものの右手と右足がまひしてしまったのだその三週間前僕も車椅子から転倒し

て足を骨折した

 

僕には障害がある車椅子で生活することが多いしかし僕のことを障害者だといって差別

するような友達は一人もいない

 

祖父は歩けるようになりたいという気持ちが強かっただからリハビリを頑張り自分で

歩けるようになるまで回復した頑張っている祖父がかっこいいと僕は思った祖父はリハビ

リを頑張ったにも関わらず右手がうまく動かせなくなってしまっただからご飯を食べる時も

服を着替える時も時間がかかる普段何気なくやっていた動作がとても大変だと祖父は言ってい

守もり

田た

 幸こう

平へい

静岡県静岡大学教育学部附属浜松中学校 三年

祖父への靴下

法務事務次官賞

入賞作文集 46

入賞作文

た僕も何か役に立てることはないかと考えた

 

僕の学校には総合学習という授業があるそこで僕は福祉というカテゴリーを選んだ自

分で社会に役立てることを考え実際に行動することが目標だった僕は障害者のために何が

できるかを考えた

 

僕は二年前に静岡文化芸術大学で障害者がいかに日常生活で不自由のない生活ができるかを

考えるプロジェクトがあるのを新聞で知ったそれは大学生たちが個人個人にあった自助具を

作るプロジェクトだった僕は障害者のために何かできるのではと感じた

 

僕は静岡文化芸術大学へ行って僕にもできることがないかと聞いたすると学生さんが

自助具を作ってみないかと声をかけてくれた僕は迷わず「はい」と言った障害者のために

役に立てることがあると思うとすばらしいことだと思ったからだ

 

祖父のつらい顔を見ると日常生活に数々の大きな壁があることが伝わってくる

 

僕は祖父の数々の大きな壁を突き破ろうと思った祖父のために自助具を考え作ろうと僕

は思った祖父が靴下の脱ぎ履きが大変だと言っていたことを思い出したそこで脱ぎ履きし

やすい靴下はできないか考えた靴下の両脇にひもを取り付けてそれを引っ張ると靴下が縮み

脱ぎ履きしやすくなる仕組みだ大学の先生も良いアイディアだと言って褒めてく

れたこれは障害者だけでなく健常者にも使えると言われたユニバーサルデザ

インだと分かった

 

ユニバーサルデザインは年齢や障害の有無にかかわらず全ての人が使いやす

47 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

いように工夫された用具などのデザインである境界がなくなるように健常者が障

害者に対する偏見を考え差別意識がなくなるチャンスだと思った障害者と健常

者が共によりよく生きることが大切だと僕は思った

 

自助具の作品展では杖をついているお年寄り車椅子に乗った若い女性目の

見えない人福祉関係者など沢山の人々が観に来ていた皆自分の生活を良くしようと思っ

ているようだったまた障害者のためにできることは何だろうかと考えている健常者もいるよ

うだった

 

二年生の時の総合学習では二箇所のデイサービスを訪問したデイサービスには六十五歳以

上のお年寄りがいた暗く元気のない人明るく振る舞い誰とでも話せる人など様々だった

しかし僕が一番印象に残ったのは笑顔を絶やさず優しくお年寄りに接していた介護士だった

お年寄りの中には悩みを抱えている人が多いそうだその悩みを解消させる人もまた介護士だっ

た僕は介護士がお年寄りの体を支えるだけではなく心もそっと支えて生きる喜びを与え

ているのだと感じた

 

現代は三世代で暮らす家族が減り核家族が増えているそれはお年寄りの世話が大変だ

からという理由が多いだから老人ホームやデイサービスに預ける人が増えていると僕には

思えたお年寄りの中には自分が嫌われているのではないかとさえ思ってしまう人もいるそう

だそれはお年寄りにとって辛く悲しいことだと思うある介護士がこんなことをおっしゃっ

ていた「人の優しさはお金では買えない」誰にでも優しい心があると思うしかしあと一歩

入賞作文集 48

入賞作文

のところで行動に移すことができない人が多いの

だ僕たちが平和な社会で暮らせるのは今まで

頑張ってきてくれたお年寄りのお陰であることを

忘れてはいけないお年寄りを大切にすることは

当たり前のことなのだ

 

また障害者に対しても偏見の目で見ないで

そっと近づいて手を貸してあげれば健常者との

高い大きな壁を崩すことができると思う

 

障害者にも高齢者にもまた健常者にも人権

はあるお互いの人権を大切にすることが明る

い未来に繋がっていくのだと思う

 

早く祖父に僕の作った靴下を届けたい

49 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

 

僕は小学校六年生まで福岡県に住んでいましたそこで僕が体験したことです五年生のこ

ろ僕の友だちのA君が同級生のK君の靴を隠したりからかったりしていることがよくあり

ました最初は僕もあまり気にしていませんでしたがK君のことを「なんだかかわいそう」と

思うようになりました

 

ある日僕は勇気をだして先生に「K君がいじめにあっています」と報告しました初め先生は

「じゃれ合っているだけだろう」と「いじめ」とは思ってくれませんでしたでもその後「いじ

め」と分かりA君は先生に注意されその日一日は反省した様子で過ごしていましたしかし

次の日学校に行くといじめは前以上にエスカレートしていて蹴ったりたたいたりするように

なりましたしかも「死ね」「うざい」「消えろ」などの言葉が飛び交うようになりそんな日々

法務事務次官賞

浦うら

谷たに

 毅たける

徳島県三好市立池田中学校 三年

いじめをなくすために今

入賞作文集 50

入賞作文

が続きました

 

それは六年生になっても続きました僕はそのいじめを止めることができず毎日見て見ぬ

振りをしていました今思うと自分がとても恥ずかしいです本当の友達なら止めるべきなの

にそれだけではなくいじめられているK君に声一つかけることができずにいました心の中

ではA君に「やめろよ」と言おうと思っていたけどなぜか勇気が出ませんでした次にい

じめられるのが自分になるのが恐くて言えなかったのです

 

そんな日々が続く中僕の気持ちを大きく変える出来事がありました父の死ですそのとき

のことは今でも忘れることができません聞いたときには頭の中が真っ白になりました最初

は信じることができませんでした一週間も二週間も学校に行けずただぼーっと過ごしてい

ましたいろんなことを考え徐々に「死」というものの悲しさつらさ「死」という意味の

重さがわかってきましたそして時間はかかりましたが「命は一瞬にして消え二度と戻っ

てこないものだだから命を大切に今を大切にしなければならない」と深く受け止めることが

できるようになりましたそして周りの子たちは僕のような経験がないから「死ね」とか軽々

しく言えるのだろうと思いこの気持ちを伝えなくてはならないと考えました僕が強くならな

くてはと思いました

 

こんな気持ちになったとき僕には時間がありませんでした母の実家がある徳

島への引っ越しが一週間後に決まっていたのです落ち込んでいる暇は無いと思

い学校に行った僕はA君に言いました「いじめなんかやめろよいじめたって

51 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

喜ぶ人はいないし悲しむ人がいるだけだろ自分だってほんとは嫌だろ『死ね』

とか『消えろ』とか言葉の重さを知らないのに言うなよ」と言いました父親の

突然の死そのあと僕が考えたことも伝えました

 

友だちは黙って聞いてくれました僕の言葉にうなずいてそのあとK君の

ところへ行き「ごめん言葉の重さも知らずに言って本当にごめんぜったいに死ねなんて

ことは言わないそしていじめは絶対にしないほんとうにごめん」とあやまりましたK君

はとても優しい笑顔で「いいよ」と一言言いました僕もK君に言いました

「今まで助けてあげられなくてごめん」

K君は笑顔で「ありがとう」と言ってくれました今まで自分の中でもやもやしていた気持ちが

スーっと晴れました

 

今も時々耳にする暴言冗談半分で言っているのかもしれませんしかしいついじめにつ

ながるかわかりません他人を傷つけることで自分のストレスを晴らそうとしているのでしょう

関係ないふりをしようとする自分がいます楽な考え方をする自分がいますそんな時亡くなっ

た父の顔やK君の優しい笑顔を思い出しますあの時の自分のように強い気持ちを持とう「や

めろよ」と一言言うするとまた気持ちがスーっとしてきました

 

父の分も頑張って生き抜こうと決めた僕にとって正しいことを素直に認め悪いことを否定

できる強い意志を持つことが目標ですそして何よりも命を大切に今を大切にしていきたい

と思っています

入賞作文集 52

入賞作文

53 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

 

ぼくは今まで四つの外国に暮らしいろいろな国の人たちの中で育ってきた

 

まずタイで生まれてタイ人のメイドさんやドライバーさんにいつも遊んでもらっていた

らしい一才になると週一回の体操教室にも通いタイ人の友達もいたそうだ

 

次にシンガポールでは初めてナサリースクール(保育園)に通いいろいろな国の友達と

知り合ったプレイルームにある滑り台を滑る順番争いでいつも勝つのは体の大きい金髪の友

達だった

 

一回目の香港生活では英語の幼稚園に通ったその時のぼくの一番の友達はカナダ人だった

彼とはよくベイブレードをして遊んだが父が日本の出張で買ってきてくれた独楽や剣玉をして

遊ぶこともあった

村むら

瀬せ

 広ひろ

高たか

香港日本人学校中学部 二年

国境をこえて

海 外 作 品

今回は本選への応募とすることはできませんでしたが

 海外から寄せられた作品のうち一作品を御紹介します

入賞作文集 54

海外作品

 

それからインドでは日本人学校に通ったが夏休みには毎年アメリカンスクールのサマー

スクールに参加したし日本人のいない現地のテニススクールにも入り二年間通ったまたイ

ンドの現地幼稚園に通っていた妹のベストフレンドはコンゴ人でその兄弟もぼくの友達だった

 

そして三年間の日本生活を経て今また香港に戻ってきた

 

このようにぼくはいろいろな国でいろいろな国の人たちのお世話になりいろいろな国

の友達と遊んで育った肌が真っ黒な友達もゲームの話をすればすぐに仲良くなれたし髪が

金色の友達もポケモンの話をすれば気が合ったぼくは小さい頃から英語はうまくしゃべれ

なかったけれどもジェスチャーをつけたでたらめ英語でも充分に話は通じただからいろい

ろな国の人たちの中でぼくが日本人だからといって差別されたり嫌な思いをしたりしたこと

はないしぼくも肌の色が違うからとか言葉が通じないからという理由で違う人間だと思っ

たことはないそうぼくは外国人を差別したことはない

 

しかし本当にぼくは外国人を差別したことがないのだろうか外国人を差別した発言を一

度もしたことがないかと考えると自信がない

 

例えば香港人には赤信号でも平気で渡る人がたくさんいるそれを見てぼくは

「香港人はしょうがないな」

と思うでもよく見ると香港人全員が信号無視をしているわけではないまた

世界には今でも戦争をしている国がいくつもある

「人を傷つけ合うなんて馬鹿げている」

55 第30回全国中学生人権作文コンテスト

海外作品

とぼくは悲しくなるでもそれも好きで戦っている人がいるとも思えないその

人たちがそうなったのには何かきっと原因があるはずだ

 

逆に外国人から見ると日本人はどのように思われているのだろう

 

インドから日本に帰国した時毎日ごみがたくさん出ることにぼくはとても驚

いたインドの人たちがよく使う道端にあるカレー屋さんではバナナの葉で作ったお皿にカ

レーを入れてくれる食べた後そのお皿を道に捨てるとのら牛がその葉っぱを食べるそして

牛のふんは燃料になるというそれに比べて日本はちょっと歩くとペットボトルの飲み物が

買えファーストフードのお店では使い捨ての食器を使い立派なお菓子の箱を開けると中身が

少なくてがっかりすることもあるある時母が捨てたジャムの空きびんをメイドさんとエア

コンの修理にきていたワーカーさんとが取り合ってけんかをしていたこともあったそれを見

てぼくはあきれてしまったが逆にインド人から見ると使い捨て文化のしみついた日本人は

とんでもない人間にみえるのかもしれない国によって考え方や行動パターンが違うのは歴史

的背景や宗教習慣気候などのいろいろなことが関わっているのだと思う

 

このように考えると差別とはその人の一部しか見ていないことや自分のやり方だけが正

しいと思うことからおきるのではないかと思うその人が自分とは違った行動をとったとしても

それには深い理由があるのだろうと考えればきっと納得できると思うぼくもこれからは否

定的な発言をする前にその人たちのことをいろいろな角度から見て理解する努力をしてみよう

と思う外国との間には自分の国とは違う言葉や文化という壁があるとみんな言うがそこに

入賞作文集 56

海外作品

あるのは壁ではなく橋だとぼくは思う理解

し合おうという気持ちがあればきっと誰でも

その橋を渡っていけるはずだ気持ちの国境を

こえるのにパスポートはいらないお互いを理

解し合おうと思う気持ちが一番大切だと思う

そしてぼくはこれから日本人として生きる

のではなく地球人として生きていこうと思う

57 第30回全国中学生人権作文コンテスト

海外作品

法務局地方法務局名 郵便番号 所  在  地 電  話

金沢地方法務局人権擁護課920-0024 金沢市西念3-4-1金沢駅西合同庁舎(平成23年3月11日まで) 076-231-1244

921-8505 金沢市新神田4-3-10金沢新神田合同庁舎(平成23年3月14日から) 076-292-7804

富山地方法務局人権擁護課 930-0856 富山市牛島新町11番7号富山合同庁舎 076-441-6376

大阪法務局人権擁護部 540-8544 大阪市中央区谷町2丁目1番17号大阪第2法務合同庁舎 06-6942-9492

京都地方法務局人権擁護課 602-8577 京都市上京区荒神口通河原町東入上生洲町197番地 075-231-0131

神戸地方法務局人権擁護課 650-0042 神戸市中央区波止場町1番1号神戸第2地方合同庁舎 078-392-1821

奈良地方法務局人権擁護課 630-8305 奈良市東紀寺町3-4-1奈良第2法務総合庁舎 0742-23-5457

大津地方法務局人権擁護課 520-8516 大津市御陵町3番6号大津法務総合庁舎 077-522-4673

和歌山地方法務局人権擁護課 640-8552 和歌山市二番丁2番地和歌山地方合同庁舎 073-422-5131

広島法務局人権擁護部 730-8536 広島市中区上八丁堀6番30号広島合同庁舎 082-228-5790

山口地方法務局人権擁護課 753-8577 山口市中河原町6番16号山口地方合同庁舎2号館 083-922-2295

岡山地方法務局人権擁護課 700-8616 岡山市北区南方1丁目3番58号 086-224-5761

鳥取地方法務局人権擁護課 680-0011 鳥取市東町2丁目302番地鳥取第2地方合同庁舎 0857-22-2289

松江地方法務局人権擁護課 690-0886 松江市母衣町50番地松江法務合同庁舎 0852-32-4260

高松法務局人権擁護部 761-8077 高松市出作町585-4 087-815-5311

徳島地方法務局人権擁護課 770-8512 徳島市徳島町城内6番地6徳島地方合同庁舎 088-622-4171

高知地方法務局人権擁護課 780-8509 高知市栄田町2丁目2番10号高知よさこい咲都合同庁舎 088-822-3331

松山地方法務局人権擁護課 790-8505 松山市宮田町188番地6松山地方合同庁舎 089-932-0888

福岡法務局人権擁護部 814-0005 福岡市早良区祖原14-15福岡法務局西新出張所庁舎5階 092-832-4311

佐賀地方法務局人権擁護課 840-0041 佐賀市城内2丁目10番20号佐賀合同庁舎 0952-26-2148

長崎地方法務局人権擁護課 850-8507 長崎市万才町8番16号 095-826-8127大分地方法務局人権擁護課 870-8513 大分市荷揚町7番5号大分法務総合庁舎 097-532-3368

熊本地方法務局人権擁護課 862-0971 熊本市大江3丁目1番53号熊本第2合同庁舎 096-364-2145

鹿児島地方法務局人権擁護課 890-8518 鹿児島市鴨池新町1番2号 099-259-0684宮崎地方法務局人権擁護課 880-8513 宮崎市別府町1番1号宮崎法務総合庁舎 0985-22-5124

那覇地方法務局人権擁護課 900-8544 那覇市樋川1丁目15番15号那覇第1地方合同庁舎 098-854-1215

入賞作文集 58

問合せ先一覧

法務局地方法務局名 郵便番号 所  在  地 電  話

札幌法務局人権擁護部 060-0808 札幌市北区北8条西2丁目1番1札幌第1合同庁舎 011-709-2311

函館地方法務局人権擁護課 040-8533 函館市新川町25番18号函館地方合同庁舎 0138-23-9528

旭川地方法務局人権擁護課 078-8502 旭川市宮前通東4155番31旭川合同庁舎 0166-38-1114

釧路地方法務局人権擁護課 085-8522 釧路市幸町10丁目3番地釧路地方合同庁舎 0154-31-5014

仙台法務局人権擁護部 980-8601 仙台市青葉区春日町7番25号仙台第3法務総合庁舎 022-225-5739

福島地方法務局人権擁護課 960-8021 福島市霞町1番46号福島合同庁舎 024-534-1994

山形地方法務局人権擁護課 990-0041 山形市緑町1丁目5番48号山形地方合同庁舎 023-625-1321

盛岡地方法務局人権擁護課 020-0023 盛岡市内丸7番25号盛岡合同庁舎 019-624-9859秋田地方法務局人権擁護課 010-0951 秋田市山王7丁目1番3号 018-862-6533

青森地方法務局人権擁護課 030-8511 青森市長島1丁目3番5号青森第二合同庁舎 017-776-9024

東京法務局人権擁護部 102-8225 千代田区九段南1丁目1番15号九段第2合同庁舎 03-5213-1234

横浜地方法務局人権擁護課 231-8411 横浜市中区北仲通5丁目57番地横浜第2合同庁舎 045-641-7926

さいたま地方法務局人権擁護課 338-8513 さいたま市中央区下落合5-12-1さいたま第二法務総合庁舎 048-859-3507

千葉地方法務局人権擁護課 260-8518 千葉市中央区中央港1丁目11番3号千葉地方合同庁舎 043-302-1319

水戸地方法務局人権擁護課 310-0061 水戸市北見町1番1号水戸地方法務合同庁舎 029-227-9919

宇都宮地方法務局人権擁護課 320-8515 宇都宮市小幡2丁目1番11号宇都宮地方法務合同庁舎 028-623-0926

前橋地方法務局人権擁護課 371-8535 前橋市大手町2丁目10番5号前橋合同庁舎 027-221-4426

静岡地方法務局人権擁護課 420-8650 静岡市葵区追手町9番50号静岡地方合同庁舎 054-254-3555

甲府地方法務局人権擁護課 400-8520 甲府市北口1丁目2番19号甲府地方合同庁舎 055-252-7239

長野地方法務局人権擁護課 380-0846 長野市旭町1108番地長野第2合同庁舎 026-235-6634

新潟地方法務局人権擁護課 951-8504 新潟市中央区西大畑町5191番地新潟地方法務総合庁舎 025-222-1564

名古屋法務局人権擁護部 460-8513 名古屋市中区三の丸2丁目2番1号名古屋合同庁舎第1号館 052-952-8111

津地方法務局人権擁護課 514-8503 津市丸之内26番8号津合同庁舎 059-228-4193岐阜地方法務局人権擁護課 500-8729 岐阜市金竜町5丁目13番地 058-245-3181

福井地方法務局人権擁護課 910-8504 福井市春山1丁目1番54号福井春山合同庁舎 0776-22-5090

問合せ先一覧 (法務局地方法務局)

59 第30回全国中学生人権作文コンテスト

問合せ先一覧

世界人権宣言啓発書画「鳥」「自由と解放」を表わしたもの 小木太法書オタビオロス画(財)人権擁護協力会提供

入賞作文集 60

すべての人間は生まれながらにして

自由でありかつ尊厳と権利とに

ついて平等である人間は理性と

良心とを授けられており互いに同胞の

精神をもって行動しなければならない

―――

世界人権宣言 第一条

―――

第三〇回

 全国中学生人権作文コンテスト

中央大会表彰式

印  刷 平成23年1月25日

発  行 平成23年2月14日

発 行 者 法務省人権擁護局

全国人権擁護委員連合会

東京都千代田区霞が関一丁目1番1号

電話 03(3580)4111 内線5875

URL httpwwwmojgojpJINKEN

第30回全国中学生人権作文コンテスト中央大会審査員

感想をお聞かせください本作文集を読まれた感想等を下記の連絡先又はkeihatsumojgojpまでお寄せください

無断転載を禁じます本作文集に掲載された作文や写真等を地方自治体が広報誌に掲載したり学校が教材に使用される場合などにはあらかじめ下記に御連絡ください

100-8977 東京都千代田区霞が関一丁目1番1号 法務省人権擁護局人権啓発課 TEL03(3580)4111 内線5875

作  家(審査員長) 落 合 恵 子映画監督 山 田 洋 次社団法人日本新聞協会事務局長 川 嶋   明日本放送協会解説委員室解説委員 南   直 樹文部科学省初等中等教育局視学官 三 好 仁 司全国人権擁護委員連合会長 中 村 浩 紹法務省人権擁護局長   井 忠 雄

(敬称略)

【式次第】

第一部

 会

主催者あいさつ

賞状授与

内閣総理大臣賞法務大臣賞

文部科学大臣奨励賞法務副大臣賞

法務大臣政務官賞

全国人権擁護委員連合会長賞

社団法人日本新聞協会会長賞

日本放送協会会長賞(以上各一名)

法務事務次官賞(三名) 計一一名

学校への感謝状贈呈

高円宮妃殿下おことば

来賓祝辞

第二部

各受賞作文の朗読

内閣総理大臣賞法務大臣賞

文部科学大臣奨励賞

全国人権擁護委員連合会長賞

社団法人日本新聞協会会長賞

日本放送協会会長賞

 評

全国中学生人権作文コンテスト中央大会審査員

 山田洋次氏

 落合恵子氏(ビデオレター形式)

第三部

新垣勉さんコンサート

 会 平成二二年一二月一八日(土)

午後一時三〇分〜三時五〇分

於ニッショーホール

「いじめ」や暴力行為等は人権侵害です

法務局地方法務局では

人権侵害による被害を受けた方を

救済するための活動を行っています

お気軽にご相談ください

女性の人権ホットライン

インターネット人権相談受付窓口

ゼロナナゼロのハートライン

0570-070-810

子どもの人権110番ぜろぜろななのひゃくとおばん

 0120-007-110

パソコンから httpwwwmojgojpJINKENjinken113html携帯電話から httpwwwjinkengojpsoudanmobile001html

インターネット人権相談 検 索

Human Rights法務省人権擁護局全国人権擁護委員連合会

人権イメージキャラクター人KENあゆみちゃん人KENまもる君

全国共通通話料無料

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この冊子は環境保護印刷の「水なし印刷」で印刷されています

第30回全国中学生人権作文コンテスト入賞作文集

法務省人権擁護局全国人権擁護委員連合会

人権イメージキャラクター人KENまもる君人KENあゆみちゃん

この冊子には音声コードが各頁(奇数頁 左下偶数頁 右下)に印刷されています専用の読み上げ装置で読み取ると記録されている情報を音声で聞くことが出来ます

Human Rights法務省人権擁護局全国人権擁護委員連合会

 全国中学生人権作文コンテスト入賞作文集

 全国中学生人権作文コンテスト入賞作文集

第30回

正反対の気持ちが存在し続けていましただ

からこそこの子どもたちがどんな思いで死

んでいったのかわかるような気がします母

親を信じひたすら母親の帰りをまちわびて

いた思いが

 

僕にとっての「家族」それは同じ屋根の

下で暮らす人々のことですたとえ血はつな

がっていなくても僕を支え励ましてくれる

人たちそのすべての人が僕にとっての大切

な「家族」なのです今僕の暮らす養護施設

にはいろいろな事情を抱えた二歳位から高

校生までの子どもたちや職員の方が約六十人

います今の僕には全員大切な「家族」で

す僕はこれからもこの「家族」を大切に

一日一日精一杯平和に生きていきたいです

29 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

 

授業でハンセン病について学んだ日両親と「偏見」や「差別」について口角泡を飛ばす議論

を深夜まで繰り広げた身体障害者の父と看護師の母を持つ私は幼い頃から「命の大切さ」を

訴える両親の姿を見て育って来たそんな私は真摯な気持ちからハンセン病罹患者と向き合い

たいと思いこの夏草津にある療養施設栗生楽泉園を訪れた

 

草津までの道のり私は罹患者の気持ちを絶えず考えていたハンセン病について調べると「ら

い予防法」により罹患者は隔離され人権を無視された扱いを受けたことが分かった罹患者の

言葉が書かれた本ではどんなに過酷な仕打ちを受けたか他人をどれほど恨み憎んでいるか

が書かれていたその為私は無意識の内に「罹患者は全員恨みを抱いている」と勝手に思い込

んでいたしかしこんな思い込み自体が偏見や差別を生む原因になるということを後に思い知

大おお

井い

 海み

琴こと

群馬県群馬大学教育学部附属中学校 三年

忘れてはならないこと

全国人権擁護委員連合会長賞

入賞作文集 30

入賞作文

らされることになるのである

 

私を迎えてくれたのは入園者自治会長の藤田三四郎さん藤田さんは大変お元気でその容姿

からはハンセン病を伺い知ることはできなかったしかし藤田さんは紛れもない罹患者なのだ

その証拠に藤田さんの名は本名ではない罹患者は施設に入所するにあたり偽名を使用させら

れたと言うつまりその時点で罹患者は世間から存在を消されてしまうのであるそんな藤田

さんから語られた話はハンセン病だと宣告され三度も命を絶とうとしたこと重症患者の看

護を押しつけられ数え切れない人を看取り自らの手で葬ったこと家族が受けた迫害や侮辱的

な言葉など想像を絶するもので筆舌し難いものだったしかしこんな迫害と差別は同時にハ

ンセン病患者達の人権回復闘争の歴史でもあったのだ闘争の末「らい予防法」が廃止される

と今まで差別や人権侵害を繰り返していた多くの人が掌を返す様に態度を変えたと言う私は聞

いていて怒りを覚えたが不思議なことに耳を塞ぎたくなる様な内容を語る藤田さんからは全

く怒りや恨みが感じられないのだ私は話を聞くまで自分の運命を呪い周囲への恨みつらみ

の言葉が出てくるとばかり思っていたしかし出てきた言葉は「入園出来て良かった差別は

受けたが今では恨みを抱く罹患者も少なくなったそればかりか最近はたくさんの人が我々を

理解し協力してくれるので嬉しい何故なら一人の百歩は力が無いが百人の一歩

は力になるから」と言う感謝の言葉だったのだ本当に「恨みは無いのか」と何度

聞いても答えは同じだった私は恥ずかしくなったハンセン病について調べ罹

患者の心を理解したようなつもりでいながら実は何も理解できてなくてそれば

31 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

かりか罹患者を偏見の眼で見ていたのは私自身だったのだ私は話を聞いてとめ

どなく溢れ出る涙を拭いながら心の片隅に潜んでいた「偏見と言う名の種」が身

体から洗い流されていくのを感じていたそれは同時に「思い込みや無知が偏見

や差別を生みだす」ことを強く感じた瞬間でもあったそれだけに藤田さんの「自

分と同様に他人を愛すればいつか必ず世界から差別はなくなる他人を愛して下さい」の慈愛に

満ちた言葉が一層重く腑に落ちるのだった

 

帰りがけ千五百ページにも及ぶ「入所者証言集」を手渡されたその際私は見えない襷も

手渡された気がしたその襷とは証言集に記された罹患者の「事実を風化させないで私達の事

を忘れないで」という搾り出すような叫び声とその姿だったのである

 

ハンセン病が治る病気であるのに誤った知識から悲惨な人権侵害が長期に渡り続いた同じ間

違いを繰り返さないためにも事実を語りついで行く必要があるここ楽泉園でも高齢化が進み

証言者の数が減っているこれは全国一五全てのハンセン病療養所に共通することだハンセン

病問題は罹患者がいなくなればそれで終わると言う問題ではない今後人権問題を考える際重

要な指針になりうる事実なのだそしてこの事実の風化を防ぐことが私達若い世代の役目だと

私は思う

 

私は小六の時友人達から突然イジメを受けたそれを引きずり他人を恐れ憎み自分を

嫌って生きて来たしかし罹患者の声が私に生きる力と前を向いて歩む勇気を与えてくれた

楽泉園訪問は私に人生観が変わる程の衝撃を与えてくれたのだこんな私だが罹患者の声を伝

入賞作文集 32

入賞作文

える「百人の中の一人」にはなれるはず

だそのために私は今この作文を書い

ている文字は時を越えて生き続けるか

ら私はこれからも楽泉園訪問を続ける

つもりだ実際に中学生の私が出来るこ

とには限りがあるが差別や偏見を少し

でも減らすために一歩を踏み出すつもり

でいる「自分と同様に他人を愛すれば

いつか差別は無くなる」と言う藤田さ

んの言葉を胸に

33 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

 

森に囲まれたその一画には教会や寺院神社があり小さなショッピングセンターやレスト

ランもある床屋や図書館郵便局や浴場もあるしかしそれらの施設を利用するのはその一

画に住む人たちだけだ緑の外側に住む人が利用することはないそこはハンセン病の療養所

多磨全生園である

 

僕は七年前に清瀬市に引っ越してきた夏のある日昆虫が大好きな僕は何気なくその森の

中に入って行ったそして歩き回っているうちにその場所が一つの「町」であることに気付

いた

 

毎日セミやカマキリやナナフシを探しながらどうしてこんな所があるのだろうと思った

 

僕が一番不思議に思ったのは古い木造の小学校だいつも誰もいない校舎と小さな運動場近

久く

米め

 一かず

輝き

埼玉県学校法人立教学院立教新座中学校 一年

ハンセン病について考えたこと

社団法人日本新聞協会会長賞

入賞作文集 34

入賞作文

くに小学校があるのにどうしてこんな所に小学校があるのだろう小学一年生の僕はとても不思

議に思った

 

夏に地域交流を目的とした盆踊りと花火大会が行われるいつもは人のいない小学校跡は多く

の人であふれかえり普段は見かけない重い後遺症の老人たちもこの日は外に出て盆踊りを楽し

む初めて参加したときは言葉が出なかった正直「怖い」と思った

 

夏が来るたびに僕は盆踊り大会に参加した低学年から高学年へと進むにつれて少しずつハ

ンセン病のことが分かってきた

 

六年生のときに社会科見学で全生園の元患者を訪れることになっただが僕は都合で参加で

きなかった僕はそれをずっと悔やんでいる

 

今年の夏僕はハンセン病資料館に出かけた見学者は僕一人でとても緊張したなるべく

音を立てないようにパネルを見て回った

 

強制隔離の現実にとても驚いた狭い部屋に押し込められ症状の軽い患者が重症の患者の世

話をしたという子供を持つ権利や生まれる赤ん坊の命まで奪われていた逃げ出したり反抗的

な患者は「不良患者」と呼ばれ窓の小さな暗い監房に閉じ込められた

 

医学が進歩し療養所も徐々に改善されていったが強制隔離を命じる「らい予防

法」が廃止されたのは一九九六年だという隔離が始まった一九〇八年から約九〇

年も経っていた僕が生まれるほんの一年前のことである特効薬が開発され本

格的な治療が始まったのは昭和二十二年である現実に合わない法律を廃止するの

35 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

にどうしてそんなに時間がかかったのだろうか

 

資料をもらってハンセン病資料館を後にした家を出るときは帰りに虫の観察

をするつもりだったがとてもそんな気にはなれなかったいつもセミが集まる桜

の木には目もくれずに早足で家に帰った

 

資料の中で一番心が痛んだのは療養所の子供たちのことだ療養所に入所したのはハンセン

病を発症した子どもたちだけではない親が発症したために入所する子どもたちもいた当時は

ハンセン病は遺伝病だとされていたからだ親から無理やり引き離された子どもたちは「すぐに

帰れるから」という言葉を信じていたというしかし一生療養所を出ることができなかった人が

多かったという社会的な差別がひどかったからだと資料に書かれていたが僕には実感がわか

なかったのでもう少し調べてみることにした

 

図書館で『ハンセン病を生きて』(伊波敏男著)という本を見つけた少し難しかったが差

別の現実が僕にもわかる部分があったそれは元患者たちに対して書かれた匿名のひどい手紙

である長年隔離されて苦しんできた人たちをさらに傷つける言葉が並んでいた悲しく暗い

気持ちになった

 

日本は経済大国として世界の注目を浴びているだが人権意識の面ではどうだろう「らい

予防法」を二〇世紀の末まで廃止できなかったことをどう考えたらよいのだろうか明治時代に

隔離が始まったときそれは外国に対する体面を保つためだったという病気の人を治療するの

ではなく「隠す」のが目的だったのだいまだに差別意識を持つ人がいるのは社会がそうした

入賞作文集 36

入賞作文

過去に対する反省をしていないから

だと思う

 

僕が不思議に思った小学校はすで

に取り壊されて今では小さな石碑

だけが残っている老朽化がひどく

残しておくことができなくなったか

らだという全生園の古い建物はど

んどん取り壊されていく石碑だけ

ではあの不思議さが伝わらないのが

とても残念だ

37 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

 

僕の曾祖父は医者嫌いでしたそのため腹痛で病院に運ばれた時は膵臓癌の末期で余命三ヶ

月でした手術もできない手遅れの状態でした家族皆で話し合い曾祖父の辛い気持ちを第一に

考え曾祖父に病を隠すことになりました曾祖父は次第に病院の中を歩いては転倒し体中あ

ざだらけになりベッドの上で縛られることになっていました曾祖父は病名の宣告を受けてい

ないため元気で歩けると思っているが実際歩くと転んでしまう何でこんな風になってしまっ

たのかさえわからない

 

家族と病院に行くと「包丁もてこいこれぶった切って家さ帰る」と騒いでいましたあん

なに優しかった曾祖父の姿に言葉も出ず恐いくらいでした何も知らされずベッドに縛り付

けられれば誰もがそうなることでしょう「じいちゃんどご一緒に車さのせでいてくれの」と

櫻さくらだ田

 要かな

太た

山形県酒田市立松山中学校 三年

日本放送協会会長賞

悔いのない最期を

入賞作文集 38

入賞作文

せがまれたときもありますかわいそうで涙がポロポロこぼれました「おじいちゃんどご家

さ連れで帰ろうよ」とせがんでも家族も仕事で忙しいためか誰も首を縦に振ってくれず病院

にいた方が安心ということになりました膵臓癌は予想以上に激しい痛みのため医師から強い

痛み止めと強い睡眠剤を勧められましたがそれを導入することにより安楽死に近い状況にな

ることも医師から告げられていました家族は決断をせまられました曾祖父に相談もせずに決

めていいことなのか家に帰りたい曾祖父の意志は封じ込められたままでいいのか家族で悩み

ました結局痛みに耐えている姿は見ていられなくその薬を使うことになりましたその後

曾祖父は次第に弱っていき口も利けなくなり静かに亡くなっていきました僕はどこか心を

引きずったままでした僕達家族が曾祖父に宣告もせず意見も聞かず命の長さを決めてしまっ

たこと当時幼かった僕には何もしてあげられなかったことが今思い出しても残念です

 

最近授業で人権について学習しているときに幼い頃の記憶がよみがえりふと曾祖父のこと

を思い出しました

 

曾祖父はどんな思いで亡くなったのだろう最後に意識のあるうちに一度でいいから家に帰っ

てきたかっただろう身体拘束は今は病院でも禁止されていると思いますがあの頃は確かに曾

祖父のおなかに黒いベルトのようなものが巻きついていました決して自分の力で

は外せないようなものでしたもがき苦しむ曾祖父の姿を見た時に看護師さんに

目を隠され別の部屋に連れて行かれました見せたくない光景だったのだと思いま

すでもあの姿は僕の脳裏に焼き付いています病院の中での人材不足のためだっ

39 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

たのでしょうか人が人らしく生きていない姿でした

 

七十八年生きてきて何も悪いことをしていないのに縛られ家にも帰れない

病気で余命幾ばくもない人には人権というものは存在しないのでしょうか最近の

医療の現場では自己決定権があることについて学びました

 

仏壇に向かい静かに目を閉じると優しく穏やかに微笑む曾祖父の笑顔が浮かびますどんな

気持ちで亡くなっていったのかその気持ちを考えると苦しい気持ちになります野球の大会に

行く前仏壇に手を合わせます「やればできる努力しろ」とよく励ましてくれました曾祖

父の力には何もなれなかったけれど目には見えない力で応援してくれる曾祖父に線香をあげて

自分を省みる時があります曾祖母が元気なので曾祖父を助けられなかった分曾祖母の力に

なっていくことを曾祖父に約束しています

 

夏休み中のニュースで高齢者の所在不明者が多数のため百歳以上の安否確認調査をしていま

した自分の親を平気で捨て遺骨さえもひきとらない亡くなっていたのに年金を不正受給する

ために隠していたなど耳をふさぎたくなるような事件もありました犬や猫が年をとって弱っ

てきた手がかかるから面倒だからと捨ててしまうそれと同じ現象が弱い高齢者にも及んでき

ているのだと思います

 

やはりこの世に生まれてきたもの全てに自分の意志で生きることを決めていける権利がある

と思います長い年月を苦労や努力と向き合いながら精一杯生きてくれたおかげで今の幸せが

あることを忘れずにいたい人はいずれ誰でも年をとります自由に動けなくなった時に自分の

入賞作文集 40

入賞作文

願いが叶う社会を築き「悔いなく満足で楽しく幸せな人生だった」と思えるように人とし

ての誇りを持って満足できる最期を迎えられるように考えていきたいもう二度と僕が見た自

己決定権のない社会にならないように高齢者には今までの感謝の気持ちで本人の希望をでき

るだけ叶えられるように努力していきたいいずれ僕達も迎える高齢社会だからhellip

41 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

 

私は小学六年生の時から盲導犬候補の子犬を育てるボランティアをしています「犬を飼っ

てみたい」と言う私に両親が「せっかく犬を飼うのなら社会に役立つことをしよう」と提案

したからです生後二ヵ月の子犬を預かり一歳の誕生日を迎えるまで世話をするのがボランティ

アの役目です初めて訓練士さんから子犬を手渡された時は不安でドキドキしましたが子犬は

すぐに私の腕の中で眠ってしまいました初めて会った私のことを信頼して安心しきった寝顔

で眠っている姿は本当に可愛かったですラブラドールの子犬はとてもやんちゃで私の家にやっ

て来たその日からいたずらばかりしていましたがしかられてもクヨクヨせずどんな相手にも

 林はやし

 里り

咲さ

東京都小平市立小平第六中学校 三年

差別のない社会に

(パピーウォーカーの経験から学んだこと)

法務事務次官賞

入賞作文集 42

入賞作文

フレンドリーに近づいていく姿から私は明るく前向きに生きることを教わりました子犬たち

と過ごした日々は私にとって一番の宝物ですそしてあっという間に一歳の誕生日がやって来ま

した誕生日が悲しいという経験は初めてでした訓練所への入所日の前日には長い長い散歩を

して最後のお別れをしました「今までありがとう」そう言った私のことを不思議そうに見てい

た子犬の顔が今も目に焼きついています別れは本当につらいけれど涙を見せたら子犬が心配す

るので頑張って笑顔で見送りました

 

私の家で育てた一頭目の子犬は現在盲導犬になって頑張っていますそして今年四月に巣立っ

ていった二頭目の子犬は神奈川にある訓練センターで訓練中です

 

このボランティアを通して私は多くのことを学びましたまず盲導犬の役割ですがこれは単

に目の不自由な方が便利に一人でどこへでも行けるようにするためだけではありません視覚障

がいのある方にとって人の手をわずらわせるのはとてもつらいことなのだそうですたとえ家

族に対してでも「迷惑をかけるのではないか」と思って我慢することが多く「私なんかいない

方がいいんじゃないか」と考えてしまうこともあったといいますその失われそうになった尊

厳を取り戻す手助けをするのが盲導犬の役目なのです犬は訓練を共にするパートナーのことを

大好きになるので「自分は他者からこんなにも大好きになってもらえる存在なん

だ」と気づいて自信を取り戻し新しい一歩を踏み出せるようになるのだそうです

 

また私がボランティア登録している日本盲導犬協会では二〇〇八年に新しい

試みが始まりました受刑者が盲導犬候補の子犬を育てる動物を介在した日本初

43 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

の教育プログラムです罪を犯した人も心から反省してきちんと罪を償えば社会

は差別することなく受け入れるべきですしかし実際はとても偏見が多く元受刑

者たちは「どうせ自分はだめな人間なんだ」と思い再び罪を犯してしまう悪循環

が起こっているそうですその悪循環を断ち切り受刑者たちがスムーズに社会復

帰を果たせるよう支援するのが「あさひ盲導犬パピープロジェクト」です受刑者たちは約十ヵ

月の間子犬たちを世話しながら一緒に過ごし「役に立つ喜び達成する喜び信頼される喜び」

を感じることで自分の価値を再確認するのだそうです今年一月に第一期のプロジェクトを修了

した受刑者の感想に次のようなものがありました

 「今後自分もパピーに笑われないようにきちんとしなければならないパピーは慈しむこと

寛容の心を教えてくれました」

 

犬は決して差別をしません健康な人にも障がいのある人にもお金持ちにも貧しい人にも

権力のある人にも犯罪を犯した人にも全く同じように接してくれますそんな犬たちと一緒に過

ごすことで自信をなくした人たちも自分のことをかけがえのない大切な存在であると思えるよ

うになるのです

 

私たち人間も差別のない社会をつくる努力をしなければならないと思います一人一人が相

手を大切に思う心を忘れなければこの社会はもっと住み良い場所になるはずです私はこのボ

ランティアを通して学んだことを生かしてこれからも一層努力していきたいと思います

入賞作文集 44

入賞作文

45 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

 

僕は祖父のために自助具を作ろうと思った祖父は去年の夏脳梗塞で倒れた祖父は一命

を取り留めたものの右手と右足がまひしてしまったのだその三週間前僕も車椅子から転倒し

て足を骨折した

 

僕には障害がある車椅子で生活することが多いしかし僕のことを障害者だといって差別

するような友達は一人もいない

 

祖父は歩けるようになりたいという気持ちが強かっただからリハビリを頑張り自分で

歩けるようになるまで回復した頑張っている祖父がかっこいいと僕は思った祖父はリハビ

リを頑張ったにも関わらず右手がうまく動かせなくなってしまっただからご飯を食べる時も

服を着替える時も時間がかかる普段何気なくやっていた動作がとても大変だと祖父は言ってい

守もり

田た

 幸こう

平へい

静岡県静岡大学教育学部附属浜松中学校 三年

祖父への靴下

法務事務次官賞

入賞作文集 46

入賞作文

た僕も何か役に立てることはないかと考えた

 

僕の学校には総合学習という授業があるそこで僕は福祉というカテゴリーを選んだ自

分で社会に役立てることを考え実際に行動することが目標だった僕は障害者のために何が

できるかを考えた

 

僕は二年前に静岡文化芸術大学で障害者がいかに日常生活で不自由のない生活ができるかを

考えるプロジェクトがあるのを新聞で知ったそれは大学生たちが個人個人にあった自助具を

作るプロジェクトだった僕は障害者のために何かできるのではと感じた

 

僕は静岡文化芸術大学へ行って僕にもできることがないかと聞いたすると学生さんが

自助具を作ってみないかと声をかけてくれた僕は迷わず「はい」と言った障害者のために

役に立てることがあると思うとすばらしいことだと思ったからだ

 

祖父のつらい顔を見ると日常生活に数々の大きな壁があることが伝わってくる

 

僕は祖父の数々の大きな壁を突き破ろうと思った祖父のために自助具を考え作ろうと僕

は思った祖父が靴下の脱ぎ履きが大変だと言っていたことを思い出したそこで脱ぎ履きし

やすい靴下はできないか考えた靴下の両脇にひもを取り付けてそれを引っ張ると靴下が縮み

脱ぎ履きしやすくなる仕組みだ大学の先生も良いアイディアだと言って褒めてく

れたこれは障害者だけでなく健常者にも使えると言われたユニバーサルデザ

インだと分かった

 

ユニバーサルデザインは年齢や障害の有無にかかわらず全ての人が使いやす

47 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

いように工夫された用具などのデザインである境界がなくなるように健常者が障

害者に対する偏見を考え差別意識がなくなるチャンスだと思った障害者と健常

者が共によりよく生きることが大切だと僕は思った

 

自助具の作品展では杖をついているお年寄り車椅子に乗った若い女性目の

見えない人福祉関係者など沢山の人々が観に来ていた皆自分の生活を良くしようと思っ

ているようだったまた障害者のためにできることは何だろうかと考えている健常者もいるよ

うだった

 

二年生の時の総合学習では二箇所のデイサービスを訪問したデイサービスには六十五歳以

上のお年寄りがいた暗く元気のない人明るく振る舞い誰とでも話せる人など様々だった

しかし僕が一番印象に残ったのは笑顔を絶やさず優しくお年寄りに接していた介護士だった

お年寄りの中には悩みを抱えている人が多いそうだその悩みを解消させる人もまた介護士だっ

た僕は介護士がお年寄りの体を支えるだけではなく心もそっと支えて生きる喜びを与え

ているのだと感じた

 

現代は三世代で暮らす家族が減り核家族が増えているそれはお年寄りの世話が大変だ

からという理由が多いだから老人ホームやデイサービスに預ける人が増えていると僕には

思えたお年寄りの中には自分が嫌われているのではないかとさえ思ってしまう人もいるそう

だそれはお年寄りにとって辛く悲しいことだと思うある介護士がこんなことをおっしゃっ

ていた「人の優しさはお金では買えない」誰にでも優しい心があると思うしかしあと一歩

入賞作文集 48

入賞作文

のところで行動に移すことができない人が多いの

だ僕たちが平和な社会で暮らせるのは今まで

頑張ってきてくれたお年寄りのお陰であることを

忘れてはいけないお年寄りを大切にすることは

当たり前のことなのだ

 

また障害者に対しても偏見の目で見ないで

そっと近づいて手を貸してあげれば健常者との

高い大きな壁を崩すことができると思う

 

障害者にも高齢者にもまた健常者にも人権

はあるお互いの人権を大切にすることが明る

い未来に繋がっていくのだと思う

 

早く祖父に僕の作った靴下を届けたい

49 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

 

僕は小学校六年生まで福岡県に住んでいましたそこで僕が体験したことです五年生のこ

ろ僕の友だちのA君が同級生のK君の靴を隠したりからかったりしていることがよくあり

ました最初は僕もあまり気にしていませんでしたがK君のことを「なんだかかわいそう」と

思うようになりました

 

ある日僕は勇気をだして先生に「K君がいじめにあっています」と報告しました初め先生は

「じゃれ合っているだけだろう」と「いじめ」とは思ってくれませんでしたでもその後「いじ

め」と分かりA君は先生に注意されその日一日は反省した様子で過ごしていましたしかし

次の日学校に行くといじめは前以上にエスカレートしていて蹴ったりたたいたりするように

なりましたしかも「死ね」「うざい」「消えろ」などの言葉が飛び交うようになりそんな日々

法務事務次官賞

浦うら

谷たに

 毅たける

徳島県三好市立池田中学校 三年

いじめをなくすために今

入賞作文集 50

入賞作文

が続きました

 

それは六年生になっても続きました僕はそのいじめを止めることができず毎日見て見ぬ

振りをしていました今思うと自分がとても恥ずかしいです本当の友達なら止めるべきなの

にそれだけではなくいじめられているK君に声一つかけることができずにいました心の中

ではA君に「やめろよ」と言おうと思っていたけどなぜか勇気が出ませんでした次にい

じめられるのが自分になるのが恐くて言えなかったのです

 

そんな日々が続く中僕の気持ちを大きく変える出来事がありました父の死ですそのとき

のことは今でも忘れることができません聞いたときには頭の中が真っ白になりました最初

は信じることができませんでした一週間も二週間も学校に行けずただぼーっと過ごしてい

ましたいろんなことを考え徐々に「死」というものの悲しさつらさ「死」という意味の

重さがわかってきましたそして時間はかかりましたが「命は一瞬にして消え二度と戻っ

てこないものだだから命を大切に今を大切にしなければならない」と深く受け止めることが

できるようになりましたそして周りの子たちは僕のような経験がないから「死ね」とか軽々

しく言えるのだろうと思いこの気持ちを伝えなくてはならないと考えました僕が強くならな

くてはと思いました

 

こんな気持ちになったとき僕には時間がありませんでした母の実家がある徳

島への引っ越しが一週間後に決まっていたのです落ち込んでいる暇は無いと思

い学校に行った僕はA君に言いました「いじめなんかやめろよいじめたって

51 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

喜ぶ人はいないし悲しむ人がいるだけだろ自分だってほんとは嫌だろ『死ね』

とか『消えろ』とか言葉の重さを知らないのに言うなよ」と言いました父親の

突然の死そのあと僕が考えたことも伝えました

 

友だちは黙って聞いてくれました僕の言葉にうなずいてそのあとK君の

ところへ行き「ごめん言葉の重さも知らずに言って本当にごめんぜったいに死ねなんて

ことは言わないそしていじめは絶対にしないほんとうにごめん」とあやまりましたK君

はとても優しい笑顔で「いいよ」と一言言いました僕もK君に言いました

「今まで助けてあげられなくてごめん」

K君は笑顔で「ありがとう」と言ってくれました今まで自分の中でもやもやしていた気持ちが

スーっと晴れました

 

今も時々耳にする暴言冗談半分で言っているのかもしれませんしかしいついじめにつ

ながるかわかりません他人を傷つけることで自分のストレスを晴らそうとしているのでしょう

関係ないふりをしようとする自分がいます楽な考え方をする自分がいますそんな時亡くなっ

た父の顔やK君の優しい笑顔を思い出しますあの時の自分のように強い気持ちを持とう「や

めろよ」と一言言うするとまた気持ちがスーっとしてきました

 

父の分も頑張って生き抜こうと決めた僕にとって正しいことを素直に認め悪いことを否定

できる強い意志を持つことが目標ですそして何よりも命を大切に今を大切にしていきたい

と思っています

入賞作文集 52

入賞作文

53 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

 

ぼくは今まで四つの外国に暮らしいろいろな国の人たちの中で育ってきた

 

まずタイで生まれてタイ人のメイドさんやドライバーさんにいつも遊んでもらっていた

らしい一才になると週一回の体操教室にも通いタイ人の友達もいたそうだ

 

次にシンガポールでは初めてナサリースクール(保育園)に通いいろいろな国の友達と

知り合ったプレイルームにある滑り台を滑る順番争いでいつも勝つのは体の大きい金髪の友

達だった

 

一回目の香港生活では英語の幼稚園に通ったその時のぼくの一番の友達はカナダ人だった

彼とはよくベイブレードをして遊んだが父が日本の出張で買ってきてくれた独楽や剣玉をして

遊ぶこともあった

村むら

瀬せ

 広ひろ

高たか

香港日本人学校中学部 二年

国境をこえて

海 外 作 品

今回は本選への応募とすることはできませんでしたが

 海外から寄せられた作品のうち一作品を御紹介します

入賞作文集 54

海外作品

 

それからインドでは日本人学校に通ったが夏休みには毎年アメリカンスクールのサマー

スクールに参加したし日本人のいない現地のテニススクールにも入り二年間通ったまたイ

ンドの現地幼稚園に通っていた妹のベストフレンドはコンゴ人でその兄弟もぼくの友達だった

 

そして三年間の日本生活を経て今また香港に戻ってきた

 

このようにぼくはいろいろな国でいろいろな国の人たちのお世話になりいろいろな国

の友達と遊んで育った肌が真っ黒な友達もゲームの話をすればすぐに仲良くなれたし髪が

金色の友達もポケモンの話をすれば気が合ったぼくは小さい頃から英語はうまくしゃべれ

なかったけれどもジェスチャーをつけたでたらめ英語でも充分に話は通じただからいろい

ろな国の人たちの中でぼくが日本人だからといって差別されたり嫌な思いをしたりしたこと

はないしぼくも肌の色が違うからとか言葉が通じないからという理由で違う人間だと思っ

たことはないそうぼくは外国人を差別したことはない

 

しかし本当にぼくは外国人を差別したことがないのだろうか外国人を差別した発言を一

度もしたことがないかと考えると自信がない

 

例えば香港人には赤信号でも平気で渡る人がたくさんいるそれを見てぼくは

「香港人はしょうがないな」

と思うでもよく見ると香港人全員が信号無視をしているわけではないまた

世界には今でも戦争をしている国がいくつもある

「人を傷つけ合うなんて馬鹿げている」

55 第30回全国中学生人権作文コンテスト

海外作品

とぼくは悲しくなるでもそれも好きで戦っている人がいるとも思えないその

人たちがそうなったのには何かきっと原因があるはずだ

 

逆に外国人から見ると日本人はどのように思われているのだろう

 

インドから日本に帰国した時毎日ごみがたくさん出ることにぼくはとても驚

いたインドの人たちがよく使う道端にあるカレー屋さんではバナナの葉で作ったお皿にカ

レーを入れてくれる食べた後そのお皿を道に捨てるとのら牛がその葉っぱを食べるそして

牛のふんは燃料になるというそれに比べて日本はちょっと歩くとペットボトルの飲み物が

買えファーストフードのお店では使い捨ての食器を使い立派なお菓子の箱を開けると中身が

少なくてがっかりすることもあるある時母が捨てたジャムの空きびんをメイドさんとエア

コンの修理にきていたワーカーさんとが取り合ってけんかをしていたこともあったそれを見

てぼくはあきれてしまったが逆にインド人から見ると使い捨て文化のしみついた日本人は

とんでもない人間にみえるのかもしれない国によって考え方や行動パターンが違うのは歴史

的背景や宗教習慣気候などのいろいろなことが関わっているのだと思う

 

このように考えると差別とはその人の一部しか見ていないことや自分のやり方だけが正

しいと思うことからおきるのではないかと思うその人が自分とは違った行動をとったとしても

それには深い理由があるのだろうと考えればきっと納得できると思うぼくもこれからは否

定的な発言をする前にその人たちのことをいろいろな角度から見て理解する努力をしてみよう

と思う外国との間には自分の国とは違う言葉や文化という壁があるとみんな言うがそこに

入賞作文集 56

海外作品

あるのは壁ではなく橋だとぼくは思う理解

し合おうという気持ちがあればきっと誰でも

その橋を渡っていけるはずだ気持ちの国境を

こえるのにパスポートはいらないお互いを理

解し合おうと思う気持ちが一番大切だと思う

そしてぼくはこれから日本人として生きる

のではなく地球人として生きていこうと思う

57 第30回全国中学生人権作文コンテスト

海外作品

法務局地方法務局名 郵便番号 所  在  地 電  話

金沢地方法務局人権擁護課920-0024 金沢市西念3-4-1金沢駅西合同庁舎(平成23年3月11日まで) 076-231-1244

921-8505 金沢市新神田4-3-10金沢新神田合同庁舎(平成23年3月14日から) 076-292-7804

富山地方法務局人権擁護課 930-0856 富山市牛島新町11番7号富山合同庁舎 076-441-6376

大阪法務局人権擁護部 540-8544 大阪市中央区谷町2丁目1番17号大阪第2法務合同庁舎 06-6942-9492

京都地方法務局人権擁護課 602-8577 京都市上京区荒神口通河原町東入上生洲町197番地 075-231-0131

神戸地方法務局人権擁護課 650-0042 神戸市中央区波止場町1番1号神戸第2地方合同庁舎 078-392-1821

奈良地方法務局人権擁護課 630-8305 奈良市東紀寺町3-4-1奈良第2法務総合庁舎 0742-23-5457

大津地方法務局人権擁護課 520-8516 大津市御陵町3番6号大津法務総合庁舎 077-522-4673

和歌山地方法務局人権擁護課 640-8552 和歌山市二番丁2番地和歌山地方合同庁舎 073-422-5131

広島法務局人権擁護部 730-8536 広島市中区上八丁堀6番30号広島合同庁舎 082-228-5790

山口地方法務局人権擁護課 753-8577 山口市中河原町6番16号山口地方合同庁舎2号館 083-922-2295

岡山地方法務局人権擁護課 700-8616 岡山市北区南方1丁目3番58号 086-224-5761

鳥取地方法務局人権擁護課 680-0011 鳥取市東町2丁目302番地鳥取第2地方合同庁舎 0857-22-2289

松江地方法務局人権擁護課 690-0886 松江市母衣町50番地松江法務合同庁舎 0852-32-4260

高松法務局人権擁護部 761-8077 高松市出作町585-4 087-815-5311

徳島地方法務局人権擁護課 770-8512 徳島市徳島町城内6番地6徳島地方合同庁舎 088-622-4171

高知地方法務局人権擁護課 780-8509 高知市栄田町2丁目2番10号高知よさこい咲都合同庁舎 088-822-3331

松山地方法務局人権擁護課 790-8505 松山市宮田町188番地6松山地方合同庁舎 089-932-0888

福岡法務局人権擁護部 814-0005 福岡市早良区祖原14-15福岡法務局西新出張所庁舎5階 092-832-4311

佐賀地方法務局人権擁護課 840-0041 佐賀市城内2丁目10番20号佐賀合同庁舎 0952-26-2148

長崎地方法務局人権擁護課 850-8507 長崎市万才町8番16号 095-826-8127大分地方法務局人権擁護課 870-8513 大分市荷揚町7番5号大分法務総合庁舎 097-532-3368

熊本地方法務局人権擁護課 862-0971 熊本市大江3丁目1番53号熊本第2合同庁舎 096-364-2145

鹿児島地方法務局人権擁護課 890-8518 鹿児島市鴨池新町1番2号 099-259-0684宮崎地方法務局人権擁護課 880-8513 宮崎市別府町1番1号宮崎法務総合庁舎 0985-22-5124

那覇地方法務局人権擁護課 900-8544 那覇市樋川1丁目15番15号那覇第1地方合同庁舎 098-854-1215

入賞作文集 58

問合せ先一覧

法務局地方法務局名 郵便番号 所  在  地 電  話

札幌法務局人権擁護部 060-0808 札幌市北区北8条西2丁目1番1札幌第1合同庁舎 011-709-2311

函館地方法務局人権擁護課 040-8533 函館市新川町25番18号函館地方合同庁舎 0138-23-9528

旭川地方法務局人権擁護課 078-8502 旭川市宮前通東4155番31旭川合同庁舎 0166-38-1114

釧路地方法務局人権擁護課 085-8522 釧路市幸町10丁目3番地釧路地方合同庁舎 0154-31-5014

仙台法務局人権擁護部 980-8601 仙台市青葉区春日町7番25号仙台第3法務総合庁舎 022-225-5739

福島地方法務局人権擁護課 960-8021 福島市霞町1番46号福島合同庁舎 024-534-1994

山形地方法務局人権擁護課 990-0041 山形市緑町1丁目5番48号山形地方合同庁舎 023-625-1321

盛岡地方法務局人権擁護課 020-0023 盛岡市内丸7番25号盛岡合同庁舎 019-624-9859秋田地方法務局人権擁護課 010-0951 秋田市山王7丁目1番3号 018-862-6533

青森地方法務局人権擁護課 030-8511 青森市長島1丁目3番5号青森第二合同庁舎 017-776-9024

東京法務局人権擁護部 102-8225 千代田区九段南1丁目1番15号九段第2合同庁舎 03-5213-1234

横浜地方法務局人権擁護課 231-8411 横浜市中区北仲通5丁目57番地横浜第2合同庁舎 045-641-7926

さいたま地方法務局人権擁護課 338-8513 さいたま市中央区下落合5-12-1さいたま第二法務総合庁舎 048-859-3507

千葉地方法務局人権擁護課 260-8518 千葉市中央区中央港1丁目11番3号千葉地方合同庁舎 043-302-1319

水戸地方法務局人権擁護課 310-0061 水戸市北見町1番1号水戸地方法務合同庁舎 029-227-9919

宇都宮地方法務局人権擁護課 320-8515 宇都宮市小幡2丁目1番11号宇都宮地方法務合同庁舎 028-623-0926

前橋地方法務局人権擁護課 371-8535 前橋市大手町2丁目10番5号前橋合同庁舎 027-221-4426

静岡地方法務局人権擁護課 420-8650 静岡市葵区追手町9番50号静岡地方合同庁舎 054-254-3555

甲府地方法務局人権擁護課 400-8520 甲府市北口1丁目2番19号甲府地方合同庁舎 055-252-7239

長野地方法務局人権擁護課 380-0846 長野市旭町1108番地長野第2合同庁舎 026-235-6634

新潟地方法務局人権擁護課 951-8504 新潟市中央区西大畑町5191番地新潟地方法務総合庁舎 025-222-1564

名古屋法務局人権擁護部 460-8513 名古屋市中区三の丸2丁目2番1号名古屋合同庁舎第1号館 052-952-8111

津地方法務局人権擁護課 514-8503 津市丸之内26番8号津合同庁舎 059-228-4193岐阜地方法務局人権擁護課 500-8729 岐阜市金竜町5丁目13番地 058-245-3181

福井地方法務局人権擁護課 910-8504 福井市春山1丁目1番54号福井春山合同庁舎 0776-22-5090

問合せ先一覧 (法務局地方法務局)

59 第30回全国中学生人権作文コンテスト

問合せ先一覧

世界人権宣言啓発書画「鳥」「自由と解放」を表わしたもの 小木太法書オタビオロス画(財)人権擁護協力会提供

入賞作文集 60

すべての人間は生まれながらにして

自由でありかつ尊厳と権利とに

ついて平等である人間は理性と

良心とを授けられており互いに同胞の

精神をもって行動しなければならない

―――

世界人権宣言 第一条

―――

第三〇回

 全国中学生人権作文コンテスト

中央大会表彰式

印  刷 平成23年1月25日

発  行 平成23年2月14日

発 行 者 法務省人権擁護局

全国人権擁護委員連合会

東京都千代田区霞が関一丁目1番1号

電話 03(3580)4111 内線5875

URL httpwwwmojgojpJINKEN

第30回全国中学生人権作文コンテスト中央大会審査員

感想をお聞かせください本作文集を読まれた感想等を下記の連絡先又はkeihatsumojgojpまでお寄せください

無断転載を禁じます本作文集に掲載された作文や写真等を地方自治体が広報誌に掲載したり学校が教材に使用される場合などにはあらかじめ下記に御連絡ください

100-8977 東京都千代田区霞が関一丁目1番1号 法務省人権擁護局人権啓発課 TEL03(3580)4111 内線5875

作  家(審査員長) 落 合 恵 子映画監督 山 田 洋 次社団法人日本新聞協会事務局長 川 嶋   明日本放送協会解説委員室解説委員 南   直 樹文部科学省初等中等教育局視学官 三 好 仁 司全国人権擁護委員連合会長 中 村 浩 紹法務省人権擁護局長   井 忠 雄

(敬称略)

【式次第】

第一部

 会

主催者あいさつ

賞状授与

内閣総理大臣賞法務大臣賞

文部科学大臣奨励賞法務副大臣賞

法務大臣政務官賞

全国人権擁護委員連合会長賞

社団法人日本新聞協会会長賞

日本放送協会会長賞(以上各一名)

法務事務次官賞(三名) 計一一名

学校への感謝状贈呈

高円宮妃殿下おことば

来賓祝辞

第二部

各受賞作文の朗読

内閣総理大臣賞法務大臣賞

文部科学大臣奨励賞

全国人権擁護委員連合会長賞

社団法人日本新聞協会会長賞

日本放送協会会長賞

 評

全国中学生人権作文コンテスト中央大会審査員

 山田洋次氏

 落合恵子氏(ビデオレター形式)

第三部

新垣勉さんコンサート

 会 平成二二年一二月一八日(土)

午後一時三〇分〜三時五〇分

於ニッショーホール

「いじめ」や暴力行為等は人権侵害です

法務局地方法務局では

人権侵害による被害を受けた方を

救済するための活動を行っています

お気軽にご相談ください

女性の人権ホットライン

インターネット人権相談受付窓口

ゼロナナゼロのハートライン

0570-070-810

子どもの人権110番ぜろぜろななのひゃくとおばん

 0120-007-110

パソコンから httpwwwmojgojpJINKENjinken113html携帯電話から httpwwwjinkengojpsoudanmobile001html

インターネット人権相談 検 索

Human Rights法務省人権擁護局全国人権擁護委員連合会

人権イメージキャラクター人KENあゆみちゃん人KENまもる君

全国共通通話料無料

全国共通ナビダイヤル

この冊子は環境保護印刷の「水なし印刷」で印刷されています

第30回全国中学生人権作文コンテスト入賞作文集

法務省人権擁護局全国人権擁護委員連合会

人権イメージキャラクター人KENまもる君人KENあゆみちゃん

この冊子には音声コードが各頁(奇数頁 左下偶数頁 右下)に印刷されています専用の読み上げ装置で読み取ると記録されている情報を音声で聞くことが出来ます

Human Rights法務省人権擁護局全国人権擁護委員連合会

 全国中学生人権作文コンテスト入賞作文集

 全国中学生人権作文コンテスト入賞作文集

第30回

 

授業でハンセン病について学んだ日両親と「偏見」や「差別」について口角泡を飛ばす議論

を深夜まで繰り広げた身体障害者の父と看護師の母を持つ私は幼い頃から「命の大切さ」を

訴える両親の姿を見て育って来たそんな私は真摯な気持ちからハンセン病罹患者と向き合い

たいと思いこの夏草津にある療養施設栗生楽泉園を訪れた

 

草津までの道のり私は罹患者の気持ちを絶えず考えていたハンセン病について調べると「ら

い予防法」により罹患者は隔離され人権を無視された扱いを受けたことが分かった罹患者の

言葉が書かれた本ではどんなに過酷な仕打ちを受けたか他人をどれほど恨み憎んでいるか

が書かれていたその為私は無意識の内に「罹患者は全員恨みを抱いている」と勝手に思い込

んでいたしかしこんな思い込み自体が偏見や差別を生む原因になるということを後に思い知

大おお

井い

 海み

琴こと

群馬県群馬大学教育学部附属中学校 三年

忘れてはならないこと

全国人権擁護委員連合会長賞

入賞作文集 30

入賞作文

らされることになるのである

 

私を迎えてくれたのは入園者自治会長の藤田三四郎さん藤田さんは大変お元気でその容姿

からはハンセン病を伺い知ることはできなかったしかし藤田さんは紛れもない罹患者なのだ

その証拠に藤田さんの名は本名ではない罹患者は施設に入所するにあたり偽名を使用させら

れたと言うつまりその時点で罹患者は世間から存在を消されてしまうのであるそんな藤田

さんから語られた話はハンセン病だと宣告され三度も命を絶とうとしたこと重症患者の看

護を押しつけられ数え切れない人を看取り自らの手で葬ったこと家族が受けた迫害や侮辱的

な言葉など想像を絶するもので筆舌し難いものだったしかしこんな迫害と差別は同時にハ

ンセン病患者達の人権回復闘争の歴史でもあったのだ闘争の末「らい予防法」が廃止される

と今まで差別や人権侵害を繰り返していた多くの人が掌を返す様に態度を変えたと言う私は聞

いていて怒りを覚えたが不思議なことに耳を塞ぎたくなる様な内容を語る藤田さんからは全

く怒りや恨みが感じられないのだ私は話を聞くまで自分の運命を呪い周囲への恨みつらみ

の言葉が出てくるとばかり思っていたしかし出てきた言葉は「入園出来て良かった差別は

受けたが今では恨みを抱く罹患者も少なくなったそればかりか最近はたくさんの人が我々を

理解し協力してくれるので嬉しい何故なら一人の百歩は力が無いが百人の一歩

は力になるから」と言う感謝の言葉だったのだ本当に「恨みは無いのか」と何度

聞いても答えは同じだった私は恥ずかしくなったハンセン病について調べ罹

患者の心を理解したようなつもりでいながら実は何も理解できてなくてそれば

31 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

かりか罹患者を偏見の眼で見ていたのは私自身だったのだ私は話を聞いてとめ

どなく溢れ出る涙を拭いながら心の片隅に潜んでいた「偏見と言う名の種」が身

体から洗い流されていくのを感じていたそれは同時に「思い込みや無知が偏見

や差別を生みだす」ことを強く感じた瞬間でもあったそれだけに藤田さんの「自

分と同様に他人を愛すればいつか必ず世界から差別はなくなる他人を愛して下さい」の慈愛に

満ちた言葉が一層重く腑に落ちるのだった

 

帰りがけ千五百ページにも及ぶ「入所者証言集」を手渡されたその際私は見えない襷も

手渡された気がしたその襷とは証言集に記された罹患者の「事実を風化させないで私達の事

を忘れないで」という搾り出すような叫び声とその姿だったのである

 

ハンセン病が治る病気であるのに誤った知識から悲惨な人権侵害が長期に渡り続いた同じ間

違いを繰り返さないためにも事実を語りついで行く必要があるここ楽泉園でも高齢化が進み

証言者の数が減っているこれは全国一五全てのハンセン病療養所に共通することだハンセン

病問題は罹患者がいなくなればそれで終わると言う問題ではない今後人権問題を考える際重

要な指針になりうる事実なのだそしてこの事実の風化を防ぐことが私達若い世代の役目だと

私は思う

 

私は小六の時友人達から突然イジメを受けたそれを引きずり他人を恐れ憎み自分を

嫌って生きて来たしかし罹患者の声が私に生きる力と前を向いて歩む勇気を与えてくれた

楽泉園訪問は私に人生観が変わる程の衝撃を与えてくれたのだこんな私だが罹患者の声を伝

入賞作文集 32

入賞作文

える「百人の中の一人」にはなれるはず

だそのために私は今この作文を書い

ている文字は時を越えて生き続けるか

ら私はこれからも楽泉園訪問を続ける

つもりだ実際に中学生の私が出来るこ

とには限りがあるが差別や偏見を少し

でも減らすために一歩を踏み出すつもり

でいる「自分と同様に他人を愛すれば

いつか差別は無くなる」と言う藤田さ

んの言葉を胸に

33 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

 

森に囲まれたその一画には教会や寺院神社があり小さなショッピングセンターやレスト

ランもある床屋や図書館郵便局や浴場もあるしかしそれらの施設を利用するのはその一

画に住む人たちだけだ緑の外側に住む人が利用することはないそこはハンセン病の療養所

多磨全生園である

 

僕は七年前に清瀬市に引っ越してきた夏のある日昆虫が大好きな僕は何気なくその森の

中に入って行ったそして歩き回っているうちにその場所が一つの「町」であることに気付

いた

 

毎日セミやカマキリやナナフシを探しながらどうしてこんな所があるのだろうと思った

 

僕が一番不思議に思ったのは古い木造の小学校だいつも誰もいない校舎と小さな運動場近

久く

米め

 一かず

輝き

埼玉県学校法人立教学院立教新座中学校 一年

ハンセン病について考えたこと

社団法人日本新聞協会会長賞

入賞作文集 34

入賞作文

くに小学校があるのにどうしてこんな所に小学校があるのだろう小学一年生の僕はとても不思

議に思った

 

夏に地域交流を目的とした盆踊りと花火大会が行われるいつもは人のいない小学校跡は多く

の人であふれかえり普段は見かけない重い後遺症の老人たちもこの日は外に出て盆踊りを楽し

む初めて参加したときは言葉が出なかった正直「怖い」と思った

 

夏が来るたびに僕は盆踊り大会に参加した低学年から高学年へと進むにつれて少しずつハ

ンセン病のことが分かってきた

 

六年生のときに社会科見学で全生園の元患者を訪れることになっただが僕は都合で参加で

きなかった僕はそれをずっと悔やんでいる

 

今年の夏僕はハンセン病資料館に出かけた見学者は僕一人でとても緊張したなるべく

音を立てないようにパネルを見て回った

 

強制隔離の現実にとても驚いた狭い部屋に押し込められ症状の軽い患者が重症の患者の世

話をしたという子供を持つ権利や生まれる赤ん坊の命まで奪われていた逃げ出したり反抗的

な患者は「不良患者」と呼ばれ窓の小さな暗い監房に閉じ込められた

 

医学が進歩し療養所も徐々に改善されていったが強制隔離を命じる「らい予防

法」が廃止されたのは一九九六年だという隔離が始まった一九〇八年から約九〇

年も経っていた僕が生まれるほんの一年前のことである特効薬が開発され本

格的な治療が始まったのは昭和二十二年である現実に合わない法律を廃止するの

35 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

にどうしてそんなに時間がかかったのだろうか

 

資料をもらってハンセン病資料館を後にした家を出るときは帰りに虫の観察

をするつもりだったがとてもそんな気にはなれなかったいつもセミが集まる桜

の木には目もくれずに早足で家に帰った

 

資料の中で一番心が痛んだのは療養所の子供たちのことだ療養所に入所したのはハンセン

病を発症した子どもたちだけではない親が発症したために入所する子どもたちもいた当時は

ハンセン病は遺伝病だとされていたからだ親から無理やり引き離された子どもたちは「すぐに

帰れるから」という言葉を信じていたというしかし一生療養所を出ることができなかった人が

多かったという社会的な差別がひどかったからだと資料に書かれていたが僕には実感がわか

なかったのでもう少し調べてみることにした

 

図書館で『ハンセン病を生きて』(伊波敏男著)という本を見つけた少し難しかったが差

別の現実が僕にもわかる部分があったそれは元患者たちに対して書かれた匿名のひどい手紙

である長年隔離されて苦しんできた人たちをさらに傷つける言葉が並んでいた悲しく暗い

気持ちになった

 

日本は経済大国として世界の注目を浴びているだが人権意識の面ではどうだろう「らい

予防法」を二〇世紀の末まで廃止できなかったことをどう考えたらよいのだろうか明治時代に

隔離が始まったときそれは外国に対する体面を保つためだったという病気の人を治療するの

ではなく「隠す」のが目的だったのだいまだに差別意識を持つ人がいるのは社会がそうした

入賞作文集 36

入賞作文

過去に対する反省をしていないから

だと思う

 

僕が不思議に思った小学校はすで

に取り壊されて今では小さな石碑

だけが残っている老朽化がひどく

残しておくことができなくなったか

らだという全生園の古い建物はど

んどん取り壊されていく石碑だけ

ではあの不思議さが伝わらないのが

とても残念だ

37 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

 

僕の曾祖父は医者嫌いでしたそのため腹痛で病院に運ばれた時は膵臓癌の末期で余命三ヶ

月でした手術もできない手遅れの状態でした家族皆で話し合い曾祖父の辛い気持ちを第一に

考え曾祖父に病を隠すことになりました曾祖父は次第に病院の中を歩いては転倒し体中あ

ざだらけになりベッドの上で縛られることになっていました曾祖父は病名の宣告を受けてい

ないため元気で歩けると思っているが実際歩くと転んでしまう何でこんな風になってしまっ

たのかさえわからない

 

家族と病院に行くと「包丁もてこいこれぶった切って家さ帰る」と騒いでいましたあん

なに優しかった曾祖父の姿に言葉も出ず恐いくらいでした何も知らされずベッドに縛り付

けられれば誰もがそうなることでしょう「じいちゃんどご一緒に車さのせでいてくれの」と

櫻さくらだ田

 要かな

太た

山形県酒田市立松山中学校 三年

日本放送協会会長賞

悔いのない最期を

入賞作文集 38

入賞作文

せがまれたときもありますかわいそうで涙がポロポロこぼれました「おじいちゃんどご家

さ連れで帰ろうよ」とせがんでも家族も仕事で忙しいためか誰も首を縦に振ってくれず病院

にいた方が安心ということになりました膵臓癌は予想以上に激しい痛みのため医師から強い

痛み止めと強い睡眠剤を勧められましたがそれを導入することにより安楽死に近い状況にな

ることも医師から告げられていました家族は決断をせまられました曾祖父に相談もせずに決

めていいことなのか家に帰りたい曾祖父の意志は封じ込められたままでいいのか家族で悩み

ました結局痛みに耐えている姿は見ていられなくその薬を使うことになりましたその後

曾祖父は次第に弱っていき口も利けなくなり静かに亡くなっていきました僕はどこか心を

引きずったままでした僕達家族が曾祖父に宣告もせず意見も聞かず命の長さを決めてしまっ

たこと当時幼かった僕には何もしてあげられなかったことが今思い出しても残念です

 

最近授業で人権について学習しているときに幼い頃の記憶がよみがえりふと曾祖父のこと

を思い出しました

 

曾祖父はどんな思いで亡くなったのだろう最後に意識のあるうちに一度でいいから家に帰っ

てきたかっただろう身体拘束は今は病院でも禁止されていると思いますがあの頃は確かに曾

祖父のおなかに黒いベルトのようなものが巻きついていました決して自分の力で

は外せないようなものでしたもがき苦しむ曾祖父の姿を見た時に看護師さんに

目を隠され別の部屋に連れて行かれました見せたくない光景だったのだと思いま

すでもあの姿は僕の脳裏に焼き付いています病院の中での人材不足のためだっ

39 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

たのでしょうか人が人らしく生きていない姿でした

 

七十八年生きてきて何も悪いことをしていないのに縛られ家にも帰れない

病気で余命幾ばくもない人には人権というものは存在しないのでしょうか最近の

医療の現場では自己決定権があることについて学びました

 

仏壇に向かい静かに目を閉じると優しく穏やかに微笑む曾祖父の笑顔が浮かびますどんな

気持ちで亡くなっていったのかその気持ちを考えると苦しい気持ちになります野球の大会に

行く前仏壇に手を合わせます「やればできる努力しろ」とよく励ましてくれました曾祖

父の力には何もなれなかったけれど目には見えない力で応援してくれる曾祖父に線香をあげて

自分を省みる時があります曾祖母が元気なので曾祖父を助けられなかった分曾祖母の力に

なっていくことを曾祖父に約束しています

 

夏休み中のニュースで高齢者の所在不明者が多数のため百歳以上の安否確認調査をしていま

した自分の親を平気で捨て遺骨さえもひきとらない亡くなっていたのに年金を不正受給する

ために隠していたなど耳をふさぎたくなるような事件もありました犬や猫が年をとって弱っ

てきた手がかかるから面倒だからと捨ててしまうそれと同じ現象が弱い高齢者にも及んでき

ているのだと思います

 

やはりこの世に生まれてきたもの全てに自分の意志で生きることを決めていける権利がある

と思います長い年月を苦労や努力と向き合いながら精一杯生きてくれたおかげで今の幸せが

あることを忘れずにいたい人はいずれ誰でも年をとります自由に動けなくなった時に自分の

入賞作文集 40

入賞作文

願いが叶う社会を築き「悔いなく満足で楽しく幸せな人生だった」と思えるように人とし

ての誇りを持って満足できる最期を迎えられるように考えていきたいもう二度と僕が見た自

己決定権のない社会にならないように高齢者には今までの感謝の気持ちで本人の希望をでき

るだけ叶えられるように努力していきたいいずれ僕達も迎える高齢社会だからhellip

41 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

 

私は小学六年生の時から盲導犬候補の子犬を育てるボランティアをしています「犬を飼っ

てみたい」と言う私に両親が「せっかく犬を飼うのなら社会に役立つことをしよう」と提案

したからです生後二ヵ月の子犬を預かり一歳の誕生日を迎えるまで世話をするのがボランティ

アの役目です初めて訓練士さんから子犬を手渡された時は不安でドキドキしましたが子犬は

すぐに私の腕の中で眠ってしまいました初めて会った私のことを信頼して安心しきった寝顔

で眠っている姿は本当に可愛かったですラブラドールの子犬はとてもやんちゃで私の家にやっ

て来たその日からいたずらばかりしていましたがしかられてもクヨクヨせずどんな相手にも

 林はやし

 里り

咲さ

東京都小平市立小平第六中学校 三年

差別のない社会に

(パピーウォーカーの経験から学んだこと)

法務事務次官賞

入賞作文集 42

入賞作文

フレンドリーに近づいていく姿から私は明るく前向きに生きることを教わりました子犬たち

と過ごした日々は私にとって一番の宝物ですそしてあっという間に一歳の誕生日がやって来ま

した誕生日が悲しいという経験は初めてでした訓練所への入所日の前日には長い長い散歩を

して最後のお別れをしました「今までありがとう」そう言った私のことを不思議そうに見てい

た子犬の顔が今も目に焼きついています別れは本当につらいけれど涙を見せたら子犬が心配す

るので頑張って笑顔で見送りました

 

私の家で育てた一頭目の子犬は現在盲導犬になって頑張っていますそして今年四月に巣立っ

ていった二頭目の子犬は神奈川にある訓練センターで訓練中です

 

このボランティアを通して私は多くのことを学びましたまず盲導犬の役割ですがこれは単

に目の不自由な方が便利に一人でどこへでも行けるようにするためだけではありません視覚障

がいのある方にとって人の手をわずらわせるのはとてもつらいことなのだそうですたとえ家

族に対してでも「迷惑をかけるのではないか」と思って我慢することが多く「私なんかいない

方がいいんじゃないか」と考えてしまうこともあったといいますその失われそうになった尊

厳を取り戻す手助けをするのが盲導犬の役目なのです犬は訓練を共にするパートナーのことを

大好きになるので「自分は他者からこんなにも大好きになってもらえる存在なん

だ」と気づいて自信を取り戻し新しい一歩を踏み出せるようになるのだそうです

 

また私がボランティア登録している日本盲導犬協会では二〇〇八年に新しい

試みが始まりました受刑者が盲導犬候補の子犬を育てる動物を介在した日本初

43 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

の教育プログラムです罪を犯した人も心から反省してきちんと罪を償えば社会

は差別することなく受け入れるべきですしかし実際はとても偏見が多く元受刑

者たちは「どうせ自分はだめな人間なんだ」と思い再び罪を犯してしまう悪循環

が起こっているそうですその悪循環を断ち切り受刑者たちがスムーズに社会復

帰を果たせるよう支援するのが「あさひ盲導犬パピープロジェクト」です受刑者たちは約十ヵ

月の間子犬たちを世話しながら一緒に過ごし「役に立つ喜び達成する喜び信頼される喜び」

を感じることで自分の価値を再確認するのだそうです今年一月に第一期のプロジェクトを修了

した受刑者の感想に次のようなものがありました

 「今後自分もパピーに笑われないようにきちんとしなければならないパピーは慈しむこと

寛容の心を教えてくれました」

 

犬は決して差別をしません健康な人にも障がいのある人にもお金持ちにも貧しい人にも

権力のある人にも犯罪を犯した人にも全く同じように接してくれますそんな犬たちと一緒に過

ごすことで自信をなくした人たちも自分のことをかけがえのない大切な存在であると思えるよ

うになるのです

 

私たち人間も差別のない社会をつくる努力をしなければならないと思います一人一人が相

手を大切に思う心を忘れなければこの社会はもっと住み良い場所になるはずです私はこのボ

ランティアを通して学んだことを生かしてこれからも一層努力していきたいと思います

入賞作文集 44

入賞作文

45 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

 

僕は祖父のために自助具を作ろうと思った祖父は去年の夏脳梗塞で倒れた祖父は一命

を取り留めたものの右手と右足がまひしてしまったのだその三週間前僕も車椅子から転倒し

て足を骨折した

 

僕には障害がある車椅子で生活することが多いしかし僕のことを障害者だといって差別

するような友達は一人もいない

 

祖父は歩けるようになりたいという気持ちが強かっただからリハビリを頑張り自分で

歩けるようになるまで回復した頑張っている祖父がかっこいいと僕は思った祖父はリハビ

リを頑張ったにも関わらず右手がうまく動かせなくなってしまっただからご飯を食べる時も

服を着替える時も時間がかかる普段何気なくやっていた動作がとても大変だと祖父は言ってい

守もり

田た

 幸こう

平へい

静岡県静岡大学教育学部附属浜松中学校 三年

祖父への靴下

法務事務次官賞

入賞作文集 46

入賞作文

た僕も何か役に立てることはないかと考えた

 

僕の学校には総合学習という授業があるそこで僕は福祉というカテゴリーを選んだ自

分で社会に役立てることを考え実際に行動することが目標だった僕は障害者のために何が

できるかを考えた

 

僕は二年前に静岡文化芸術大学で障害者がいかに日常生活で不自由のない生活ができるかを

考えるプロジェクトがあるのを新聞で知ったそれは大学生たちが個人個人にあった自助具を

作るプロジェクトだった僕は障害者のために何かできるのではと感じた

 

僕は静岡文化芸術大学へ行って僕にもできることがないかと聞いたすると学生さんが

自助具を作ってみないかと声をかけてくれた僕は迷わず「はい」と言った障害者のために

役に立てることがあると思うとすばらしいことだと思ったからだ

 

祖父のつらい顔を見ると日常生活に数々の大きな壁があることが伝わってくる

 

僕は祖父の数々の大きな壁を突き破ろうと思った祖父のために自助具を考え作ろうと僕

は思った祖父が靴下の脱ぎ履きが大変だと言っていたことを思い出したそこで脱ぎ履きし

やすい靴下はできないか考えた靴下の両脇にひもを取り付けてそれを引っ張ると靴下が縮み

脱ぎ履きしやすくなる仕組みだ大学の先生も良いアイディアだと言って褒めてく

れたこれは障害者だけでなく健常者にも使えると言われたユニバーサルデザ

インだと分かった

 

ユニバーサルデザインは年齢や障害の有無にかかわらず全ての人が使いやす

47 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

いように工夫された用具などのデザインである境界がなくなるように健常者が障

害者に対する偏見を考え差別意識がなくなるチャンスだと思った障害者と健常

者が共によりよく生きることが大切だと僕は思った

 

自助具の作品展では杖をついているお年寄り車椅子に乗った若い女性目の

見えない人福祉関係者など沢山の人々が観に来ていた皆自分の生活を良くしようと思っ

ているようだったまた障害者のためにできることは何だろうかと考えている健常者もいるよ

うだった

 

二年生の時の総合学習では二箇所のデイサービスを訪問したデイサービスには六十五歳以

上のお年寄りがいた暗く元気のない人明るく振る舞い誰とでも話せる人など様々だった

しかし僕が一番印象に残ったのは笑顔を絶やさず優しくお年寄りに接していた介護士だった

お年寄りの中には悩みを抱えている人が多いそうだその悩みを解消させる人もまた介護士だっ

た僕は介護士がお年寄りの体を支えるだけではなく心もそっと支えて生きる喜びを与え

ているのだと感じた

 

現代は三世代で暮らす家族が減り核家族が増えているそれはお年寄りの世話が大変だ

からという理由が多いだから老人ホームやデイサービスに預ける人が増えていると僕には

思えたお年寄りの中には自分が嫌われているのではないかとさえ思ってしまう人もいるそう

だそれはお年寄りにとって辛く悲しいことだと思うある介護士がこんなことをおっしゃっ

ていた「人の優しさはお金では買えない」誰にでも優しい心があると思うしかしあと一歩

入賞作文集 48

入賞作文

のところで行動に移すことができない人が多いの

だ僕たちが平和な社会で暮らせるのは今まで

頑張ってきてくれたお年寄りのお陰であることを

忘れてはいけないお年寄りを大切にすることは

当たり前のことなのだ

 

また障害者に対しても偏見の目で見ないで

そっと近づいて手を貸してあげれば健常者との

高い大きな壁を崩すことができると思う

 

障害者にも高齢者にもまた健常者にも人権

はあるお互いの人権を大切にすることが明る

い未来に繋がっていくのだと思う

 

早く祖父に僕の作った靴下を届けたい

49 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

 

僕は小学校六年生まで福岡県に住んでいましたそこで僕が体験したことです五年生のこ

ろ僕の友だちのA君が同級生のK君の靴を隠したりからかったりしていることがよくあり

ました最初は僕もあまり気にしていませんでしたがK君のことを「なんだかかわいそう」と

思うようになりました

 

ある日僕は勇気をだして先生に「K君がいじめにあっています」と報告しました初め先生は

「じゃれ合っているだけだろう」と「いじめ」とは思ってくれませんでしたでもその後「いじ

め」と分かりA君は先生に注意されその日一日は反省した様子で過ごしていましたしかし

次の日学校に行くといじめは前以上にエスカレートしていて蹴ったりたたいたりするように

なりましたしかも「死ね」「うざい」「消えろ」などの言葉が飛び交うようになりそんな日々

法務事務次官賞

浦うら

谷たに

 毅たける

徳島県三好市立池田中学校 三年

いじめをなくすために今

入賞作文集 50

入賞作文

が続きました

 

それは六年生になっても続きました僕はそのいじめを止めることができず毎日見て見ぬ

振りをしていました今思うと自分がとても恥ずかしいです本当の友達なら止めるべきなの

にそれだけではなくいじめられているK君に声一つかけることができずにいました心の中

ではA君に「やめろよ」と言おうと思っていたけどなぜか勇気が出ませんでした次にい

じめられるのが自分になるのが恐くて言えなかったのです

 

そんな日々が続く中僕の気持ちを大きく変える出来事がありました父の死ですそのとき

のことは今でも忘れることができません聞いたときには頭の中が真っ白になりました最初

は信じることができませんでした一週間も二週間も学校に行けずただぼーっと過ごしてい

ましたいろんなことを考え徐々に「死」というものの悲しさつらさ「死」という意味の

重さがわかってきましたそして時間はかかりましたが「命は一瞬にして消え二度と戻っ

てこないものだだから命を大切に今を大切にしなければならない」と深く受け止めることが

できるようになりましたそして周りの子たちは僕のような経験がないから「死ね」とか軽々

しく言えるのだろうと思いこの気持ちを伝えなくてはならないと考えました僕が強くならな

くてはと思いました

 

こんな気持ちになったとき僕には時間がありませんでした母の実家がある徳

島への引っ越しが一週間後に決まっていたのです落ち込んでいる暇は無いと思

い学校に行った僕はA君に言いました「いじめなんかやめろよいじめたって

51 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

喜ぶ人はいないし悲しむ人がいるだけだろ自分だってほんとは嫌だろ『死ね』

とか『消えろ』とか言葉の重さを知らないのに言うなよ」と言いました父親の

突然の死そのあと僕が考えたことも伝えました

 

友だちは黙って聞いてくれました僕の言葉にうなずいてそのあとK君の

ところへ行き「ごめん言葉の重さも知らずに言って本当にごめんぜったいに死ねなんて

ことは言わないそしていじめは絶対にしないほんとうにごめん」とあやまりましたK君

はとても優しい笑顔で「いいよ」と一言言いました僕もK君に言いました

「今まで助けてあげられなくてごめん」

K君は笑顔で「ありがとう」と言ってくれました今まで自分の中でもやもやしていた気持ちが

スーっと晴れました

 

今も時々耳にする暴言冗談半分で言っているのかもしれませんしかしいついじめにつ

ながるかわかりません他人を傷つけることで自分のストレスを晴らそうとしているのでしょう

関係ないふりをしようとする自分がいます楽な考え方をする自分がいますそんな時亡くなっ

た父の顔やK君の優しい笑顔を思い出しますあの時の自分のように強い気持ちを持とう「や

めろよ」と一言言うするとまた気持ちがスーっとしてきました

 

父の分も頑張って生き抜こうと決めた僕にとって正しいことを素直に認め悪いことを否定

できる強い意志を持つことが目標ですそして何よりも命を大切に今を大切にしていきたい

と思っています

入賞作文集 52

入賞作文

53 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

 

ぼくは今まで四つの外国に暮らしいろいろな国の人たちの中で育ってきた

 

まずタイで生まれてタイ人のメイドさんやドライバーさんにいつも遊んでもらっていた

らしい一才になると週一回の体操教室にも通いタイ人の友達もいたそうだ

 

次にシンガポールでは初めてナサリースクール(保育園)に通いいろいろな国の友達と

知り合ったプレイルームにある滑り台を滑る順番争いでいつも勝つのは体の大きい金髪の友

達だった

 

一回目の香港生活では英語の幼稚園に通ったその時のぼくの一番の友達はカナダ人だった

彼とはよくベイブレードをして遊んだが父が日本の出張で買ってきてくれた独楽や剣玉をして

遊ぶこともあった

村むら

瀬せ

 広ひろ

高たか

香港日本人学校中学部 二年

国境をこえて

海 外 作 品

今回は本選への応募とすることはできませんでしたが

 海外から寄せられた作品のうち一作品を御紹介します

入賞作文集 54

海外作品

 

それからインドでは日本人学校に通ったが夏休みには毎年アメリカンスクールのサマー

スクールに参加したし日本人のいない現地のテニススクールにも入り二年間通ったまたイ

ンドの現地幼稚園に通っていた妹のベストフレンドはコンゴ人でその兄弟もぼくの友達だった

 

そして三年間の日本生活を経て今また香港に戻ってきた

 

このようにぼくはいろいろな国でいろいろな国の人たちのお世話になりいろいろな国

の友達と遊んで育った肌が真っ黒な友達もゲームの話をすればすぐに仲良くなれたし髪が

金色の友達もポケモンの話をすれば気が合ったぼくは小さい頃から英語はうまくしゃべれ

なかったけれどもジェスチャーをつけたでたらめ英語でも充分に話は通じただからいろい

ろな国の人たちの中でぼくが日本人だからといって差別されたり嫌な思いをしたりしたこと

はないしぼくも肌の色が違うからとか言葉が通じないからという理由で違う人間だと思っ

たことはないそうぼくは外国人を差別したことはない

 

しかし本当にぼくは外国人を差別したことがないのだろうか外国人を差別した発言を一

度もしたことがないかと考えると自信がない

 

例えば香港人には赤信号でも平気で渡る人がたくさんいるそれを見てぼくは

「香港人はしょうがないな」

と思うでもよく見ると香港人全員が信号無視をしているわけではないまた

世界には今でも戦争をしている国がいくつもある

「人を傷つけ合うなんて馬鹿げている」

55 第30回全国中学生人権作文コンテスト

海外作品

とぼくは悲しくなるでもそれも好きで戦っている人がいるとも思えないその

人たちがそうなったのには何かきっと原因があるはずだ

 

逆に外国人から見ると日本人はどのように思われているのだろう

 

インドから日本に帰国した時毎日ごみがたくさん出ることにぼくはとても驚

いたインドの人たちがよく使う道端にあるカレー屋さんではバナナの葉で作ったお皿にカ

レーを入れてくれる食べた後そのお皿を道に捨てるとのら牛がその葉っぱを食べるそして

牛のふんは燃料になるというそれに比べて日本はちょっと歩くとペットボトルの飲み物が

買えファーストフードのお店では使い捨ての食器を使い立派なお菓子の箱を開けると中身が

少なくてがっかりすることもあるある時母が捨てたジャムの空きびんをメイドさんとエア

コンの修理にきていたワーカーさんとが取り合ってけんかをしていたこともあったそれを見

てぼくはあきれてしまったが逆にインド人から見ると使い捨て文化のしみついた日本人は

とんでもない人間にみえるのかもしれない国によって考え方や行動パターンが違うのは歴史

的背景や宗教習慣気候などのいろいろなことが関わっているのだと思う

 

このように考えると差別とはその人の一部しか見ていないことや自分のやり方だけが正

しいと思うことからおきるのではないかと思うその人が自分とは違った行動をとったとしても

それには深い理由があるのだろうと考えればきっと納得できると思うぼくもこれからは否

定的な発言をする前にその人たちのことをいろいろな角度から見て理解する努力をしてみよう

と思う外国との間には自分の国とは違う言葉や文化という壁があるとみんな言うがそこに

入賞作文集 56

海外作品

あるのは壁ではなく橋だとぼくは思う理解

し合おうという気持ちがあればきっと誰でも

その橋を渡っていけるはずだ気持ちの国境を

こえるのにパスポートはいらないお互いを理

解し合おうと思う気持ちが一番大切だと思う

そしてぼくはこれから日本人として生きる

のではなく地球人として生きていこうと思う

57 第30回全国中学生人権作文コンテスト

海外作品

法務局地方法務局名 郵便番号 所  在  地 電  話

金沢地方法務局人権擁護課920-0024 金沢市西念3-4-1金沢駅西合同庁舎(平成23年3月11日まで) 076-231-1244

921-8505 金沢市新神田4-3-10金沢新神田合同庁舎(平成23年3月14日から) 076-292-7804

富山地方法務局人権擁護課 930-0856 富山市牛島新町11番7号富山合同庁舎 076-441-6376

大阪法務局人権擁護部 540-8544 大阪市中央区谷町2丁目1番17号大阪第2法務合同庁舎 06-6942-9492

京都地方法務局人権擁護課 602-8577 京都市上京区荒神口通河原町東入上生洲町197番地 075-231-0131

神戸地方法務局人権擁護課 650-0042 神戸市中央区波止場町1番1号神戸第2地方合同庁舎 078-392-1821

奈良地方法務局人権擁護課 630-8305 奈良市東紀寺町3-4-1奈良第2法務総合庁舎 0742-23-5457

大津地方法務局人権擁護課 520-8516 大津市御陵町3番6号大津法務総合庁舎 077-522-4673

和歌山地方法務局人権擁護課 640-8552 和歌山市二番丁2番地和歌山地方合同庁舎 073-422-5131

広島法務局人権擁護部 730-8536 広島市中区上八丁堀6番30号広島合同庁舎 082-228-5790

山口地方法務局人権擁護課 753-8577 山口市中河原町6番16号山口地方合同庁舎2号館 083-922-2295

岡山地方法務局人権擁護課 700-8616 岡山市北区南方1丁目3番58号 086-224-5761

鳥取地方法務局人権擁護課 680-0011 鳥取市東町2丁目302番地鳥取第2地方合同庁舎 0857-22-2289

松江地方法務局人権擁護課 690-0886 松江市母衣町50番地松江法務合同庁舎 0852-32-4260

高松法務局人権擁護部 761-8077 高松市出作町585-4 087-815-5311

徳島地方法務局人権擁護課 770-8512 徳島市徳島町城内6番地6徳島地方合同庁舎 088-622-4171

高知地方法務局人権擁護課 780-8509 高知市栄田町2丁目2番10号高知よさこい咲都合同庁舎 088-822-3331

松山地方法務局人権擁護課 790-8505 松山市宮田町188番地6松山地方合同庁舎 089-932-0888

福岡法務局人権擁護部 814-0005 福岡市早良区祖原14-15福岡法務局西新出張所庁舎5階 092-832-4311

佐賀地方法務局人権擁護課 840-0041 佐賀市城内2丁目10番20号佐賀合同庁舎 0952-26-2148

長崎地方法務局人権擁護課 850-8507 長崎市万才町8番16号 095-826-8127大分地方法務局人権擁護課 870-8513 大分市荷揚町7番5号大分法務総合庁舎 097-532-3368

熊本地方法務局人権擁護課 862-0971 熊本市大江3丁目1番53号熊本第2合同庁舎 096-364-2145

鹿児島地方法務局人権擁護課 890-8518 鹿児島市鴨池新町1番2号 099-259-0684宮崎地方法務局人権擁護課 880-8513 宮崎市別府町1番1号宮崎法務総合庁舎 0985-22-5124

那覇地方法務局人権擁護課 900-8544 那覇市樋川1丁目15番15号那覇第1地方合同庁舎 098-854-1215

入賞作文集 58

問合せ先一覧

法務局地方法務局名 郵便番号 所  在  地 電  話

札幌法務局人権擁護部 060-0808 札幌市北区北8条西2丁目1番1札幌第1合同庁舎 011-709-2311

函館地方法務局人権擁護課 040-8533 函館市新川町25番18号函館地方合同庁舎 0138-23-9528

旭川地方法務局人権擁護課 078-8502 旭川市宮前通東4155番31旭川合同庁舎 0166-38-1114

釧路地方法務局人権擁護課 085-8522 釧路市幸町10丁目3番地釧路地方合同庁舎 0154-31-5014

仙台法務局人権擁護部 980-8601 仙台市青葉区春日町7番25号仙台第3法務総合庁舎 022-225-5739

福島地方法務局人権擁護課 960-8021 福島市霞町1番46号福島合同庁舎 024-534-1994

山形地方法務局人権擁護課 990-0041 山形市緑町1丁目5番48号山形地方合同庁舎 023-625-1321

盛岡地方法務局人権擁護課 020-0023 盛岡市内丸7番25号盛岡合同庁舎 019-624-9859秋田地方法務局人権擁護課 010-0951 秋田市山王7丁目1番3号 018-862-6533

青森地方法務局人権擁護課 030-8511 青森市長島1丁目3番5号青森第二合同庁舎 017-776-9024

東京法務局人権擁護部 102-8225 千代田区九段南1丁目1番15号九段第2合同庁舎 03-5213-1234

横浜地方法務局人権擁護課 231-8411 横浜市中区北仲通5丁目57番地横浜第2合同庁舎 045-641-7926

さいたま地方法務局人権擁護課 338-8513 さいたま市中央区下落合5-12-1さいたま第二法務総合庁舎 048-859-3507

千葉地方法務局人権擁護課 260-8518 千葉市中央区中央港1丁目11番3号千葉地方合同庁舎 043-302-1319

水戸地方法務局人権擁護課 310-0061 水戸市北見町1番1号水戸地方法務合同庁舎 029-227-9919

宇都宮地方法務局人権擁護課 320-8515 宇都宮市小幡2丁目1番11号宇都宮地方法務合同庁舎 028-623-0926

前橋地方法務局人権擁護課 371-8535 前橋市大手町2丁目10番5号前橋合同庁舎 027-221-4426

静岡地方法務局人権擁護課 420-8650 静岡市葵区追手町9番50号静岡地方合同庁舎 054-254-3555

甲府地方法務局人権擁護課 400-8520 甲府市北口1丁目2番19号甲府地方合同庁舎 055-252-7239

長野地方法務局人権擁護課 380-0846 長野市旭町1108番地長野第2合同庁舎 026-235-6634

新潟地方法務局人権擁護課 951-8504 新潟市中央区西大畑町5191番地新潟地方法務総合庁舎 025-222-1564

名古屋法務局人権擁護部 460-8513 名古屋市中区三の丸2丁目2番1号名古屋合同庁舎第1号館 052-952-8111

津地方法務局人権擁護課 514-8503 津市丸之内26番8号津合同庁舎 059-228-4193岐阜地方法務局人権擁護課 500-8729 岐阜市金竜町5丁目13番地 058-245-3181

福井地方法務局人権擁護課 910-8504 福井市春山1丁目1番54号福井春山合同庁舎 0776-22-5090

問合せ先一覧 (法務局地方法務局)

59 第30回全国中学生人権作文コンテスト

問合せ先一覧

世界人権宣言啓発書画「鳥」「自由と解放」を表わしたもの 小木太法書オタビオロス画(財)人権擁護協力会提供

入賞作文集 60

すべての人間は生まれながらにして

自由でありかつ尊厳と権利とに

ついて平等である人間は理性と

良心とを授けられており互いに同胞の

精神をもって行動しなければならない

―――

世界人権宣言 第一条

―――

第三〇回

 全国中学生人権作文コンテスト

中央大会表彰式

印  刷 平成23年1月25日

発  行 平成23年2月14日

発 行 者 法務省人権擁護局

全国人権擁護委員連合会

東京都千代田区霞が関一丁目1番1号

電話 03(3580)4111 内線5875

URL httpwwwmojgojpJINKEN

第30回全国中学生人権作文コンテスト中央大会審査員

感想をお聞かせください本作文集を読まれた感想等を下記の連絡先又はkeihatsumojgojpまでお寄せください

無断転載を禁じます本作文集に掲載された作文や写真等を地方自治体が広報誌に掲載したり学校が教材に使用される場合などにはあらかじめ下記に御連絡ください

100-8977 東京都千代田区霞が関一丁目1番1号 法務省人権擁護局人権啓発課 TEL03(3580)4111 内線5875

作  家(審査員長) 落 合 恵 子映画監督 山 田 洋 次社団法人日本新聞協会事務局長 川 嶋   明日本放送協会解説委員室解説委員 南   直 樹文部科学省初等中等教育局視学官 三 好 仁 司全国人権擁護委員連合会長 中 村 浩 紹法務省人権擁護局長   井 忠 雄

(敬称略)

【式次第】

第一部

 会

主催者あいさつ

賞状授与

内閣総理大臣賞法務大臣賞

文部科学大臣奨励賞法務副大臣賞

法務大臣政務官賞

全国人権擁護委員連合会長賞

社団法人日本新聞協会会長賞

日本放送協会会長賞(以上各一名)

法務事務次官賞(三名) 計一一名

学校への感謝状贈呈

高円宮妃殿下おことば

来賓祝辞

第二部

各受賞作文の朗読

内閣総理大臣賞法務大臣賞

文部科学大臣奨励賞

全国人権擁護委員連合会長賞

社団法人日本新聞協会会長賞

日本放送協会会長賞

 評

全国中学生人権作文コンテスト中央大会審査員

 山田洋次氏

 落合恵子氏(ビデオレター形式)

第三部

新垣勉さんコンサート

 会 平成二二年一二月一八日(土)

午後一時三〇分〜三時五〇分

於ニッショーホール

「いじめ」や暴力行為等は人権侵害です

法務局地方法務局では

人権侵害による被害を受けた方を

救済するための活動を行っています

お気軽にご相談ください

女性の人権ホットライン

インターネット人権相談受付窓口

ゼロナナゼロのハートライン

0570-070-810

子どもの人権110番ぜろぜろななのひゃくとおばん

 0120-007-110

パソコンから httpwwwmojgojpJINKENjinken113html携帯電話から httpwwwjinkengojpsoudanmobile001html

インターネット人権相談 検 索

Human Rights法務省人権擁護局全国人権擁護委員連合会

人権イメージキャラクター人KENあゆみちゃん人KENまもる君

全国共通通話料無料

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この冊子は環境保護印刷の「水なし印刷」で印刷されています

第30回全国中学生人権作文コンテスト入賞作文集

法務省人権擁護局全国人権擁護委員連合会

人権イメージキャラクター人KENまもる君人KENあゆみちゃん

この冊子には音声コードが各頁(奇数頁 左下偶数頁 右下)に印刷されています専用の読み上げ装置で読み取ると記録されている情報を音声で聞くことが出来ます

Human Rights法務省人権擁護局全国人権擁護委員連合会

 全国中学生人権作文コンテスト入賞作文集

 全国中学生人権作文コンテスト入賞作文集

第30回

らされることになるのである

 

私を迎えてくれたのは入園者自治会長の藤田三四郎さん藤田さんは大変お元気でその容姿

からはハンセン病を伺い知ることはできなかったしかし藤田さんは紛れもない罹患者なのだ

その証拠に藤田さんの名は本名ではない罹患者は施設に入所するにあたり偽名を使用させら

れたと言うつまりその時点で罹患者は世間から存在を消されてしまうのであるそんな藤田

さんから語られた話はハンセン病だと宣告され三度も命を絶とうとしたこと重症患者の看

護を押しつけられ数え切れない人を看取り自らの手で葬ったこと家族が受けた迫害や侮辱的

な言葉など想像を絶するもので筆舌し難いものだったしかしこんな迫害と差別は同時にハ

ンセン病患者達の人権回復闘争の歴史でもあったのだ闘争の末「らい予防法」が廃止される

と今まで差別や人権侵害を繰り返していた多くの人が掌を返す様に態度を変えたと言う私は聞

いていて怒りを覚えたが不思議なことに耳を塞ぎたくなる様な内容を語る藤田さんからは全

く怒りや恨みが感じられないのだ私は話を聞くまで自分の運命を呪い周囲への恨みつらみ

の言葉が出てくるとばかり思っていたしかし出てきた言葉は「入園出来て良かった差別は

受けたが今では恨みを抱く罹患者も少なくなったそればかりか最近はたくさんの人が我々を

理解し協力してくれるので嬉しい何故なら一人の百歩は力が無いが百人の一歩

は力になるから」と言う感謝の言葉だったのだ本当に「恨みは無いのか」と何度

聞いても答えは同じだった私は恥ずかしくなったハンセン病について調べ罹

患者の心を理解したようなつもりでいながら実は何も理解できてなくてそれば

31 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

かりか罹患者を偏見の眼で見ていたのは私自身だったのだ私は話を聞いてとめ

どなく溢れ出る涙を拭いながら心の片隅に潜んでいた「偏見と言う名の種」が身

体から洗い流されていくのを感じていたそれは同時に「思い込みや無知が偏見

や差別を生みだす」ことを強く感じた瞬間でもあったそれだけに藤田さんの「自

分と同様に他人を愛すればいつか必ず世界から差別はなくなる他人を愛して下さい」の慈愛に

満ちた言葉が一層重く腑に落ちるのだった

 

帰りがけ千五百ページにも及ぶ「入所者証言集」を手渡されたその際私は見えない襷も

手渡された気がしたその襷とは証言集に記された罹患者の「事実を風化させないで私達の事

を忘れないで」という搾り出すような叫び声とその姿だったのである

 

ハンセン病が治る病気であるのに誤った知識から悲惨な人権侵害が長期に渡り続いた同じ間

違いを繰り返さないためにも事実を語りついで行く必要があるここ楽泉園でも高齢化が進み

証言者の数が減っているこれは全国一五全てのハンセン病療養所に共通することだハンセン

病問題は罹患者がいなくなればそれで終わると言う問題ではない今後人権問題を考える際重

要な指針になりうる事実なのだそしてこの事実の風化を防ぐことが私達若い世代の役目だと

私は思う

 

私は小六の時友人達から突然イジメを受けたそれを引きずり他人を恐れ憎み自分を

嫌って生きて来たしかし罹患者の声が私に生きる力と前を向いて歩む勇気を与えてくれた

楽泉園訪問は私に人生観が変わる程の衝撃を与えてくれたのだこんな私だが罹患者の声を伝

入賞作文集 32

入賞作文

える「百人の中の一人」にはなれるはず

だそのために私は今この作文を書い

ている文字は時を越えて生き続けるか

ら私はこれからも楽泉園訪問を続ける

つもりだ実際に中学生の私が出来るこ

とには限りがあるが差別や偏見を少し

でも減らすために一歩を踏み出すつもり

でいる「自分と同様に他人を愛すれば

いつか差別は無くなる」と言う藤田さ

んの言葉を胸に

33 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

 

森に囲まれたその一画には教会や寺院神社があり小さなショッピングセンターやレスト

ランもある床屋や図書館郵便局や浴場もあるしかしそれらの施設を利用するのはその一

画に住む人たちだけだ緑の外側に住む人が利用することはないそこはハンセン病の療養所

多磨全生園である

 

僕は七年前に清瀬市に引っ越してきた夏のある日昆虫が大好きな僕は何気なくその森の

中に入って行ったそして歩き回っているうちにその場所が一つの「町」であることに気付

いた

 

毎日セミやカマキリやナナフシを探しながらどうしてこんな所があるのだろうと思った

 

僕が一番不思議に思ったのは古い木造の小学校だいつも誰もいない校舎と小さな運動場近

久く

米め

 一かず

輝き

埼玉県学校法人立教学院立教新座中学校 一年

ハンセン病について考えたこと

社団法人日本新聞協会会長賞

入賞作文集 34

入賞作文

くに小学校があるのにどうしてこんな所に小学校があるのだろう小学一年生の僕はとても不思

議に思った

 

夏に地域交流を目的とした盆踊りと花火大会が行われるいつもは人のいない小学校跡は多く

の人であふれかえり普段は見かけない重い後遺症の老人たちもこの日は外に出て盆踊りを楽し

む初めて参加したときは言葉が出なかった正直「怖い」と思った

 

夏が来るたびに僕は盆踊り大会に参加した低学年から高学年へと進むにつれて少しずつハ

ンセン病のことが分かってきた

 

六年生のときに社会科見学で全生園の元患者を訪れることになっただが僕は都合で参加で

きなかった僕はそれをずっと悔やんでいる

 

今年の夏僕はハンセン病資料館に出かけた見学者は僕一人でとても緊張したなるべく

音を立てないようにパネルを見て回った

 

強制隔離の現実にとても驚いた狭い部屋に押し込められ症状の軽い患者が重症の患者の世

話をしたという子供を持つ権利や生まれる赤ん坊の命まで奪われていた逃げ出したり反抗的

な患者は「不良患者」と呼ばれ窓の小さな暗い監房に閉じ込められた

 

医学が進歩し療養所も徐々に改善されていったが強制隔離を命じる「らい予防

法」が廃止されたのは一九九六年だという隔離が始まった一九〇八年から約九〇

年も経っていた僕が生まれるほんの一年前のことである特効薬が開発され本

格的な治療が始まったのは昭和二十二年である現実に合わない法律を廃止するの

35 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

にどうしてそんなに時間がかかったのだろうか

 

資料をもらってハンセン病資料館を後にした家を出るときは帰りに虫の観察

をするつもりだったがとてもそんな気にはなれなかったいつもセミが集まる桜

の木には目もくれずに早足で家に帰った

 

資料の中で一番心が痛んだのは療養所の子供たちのことだ療養所に入所したのはハンセン

病を発症した子どもたちだけではない親が発症したために入所する子どもたちもいた当時は

ハンセン病は遺伝病だとされていたからだ親から無理やり引き離された子どもたちは「すぐに

帰れるから」という言葉を信じていたというしかし一生療養所を出ることができなかった人が

多かったという社会的な差別がひどかったからだと資料に書かれていたが僕には実感がわか

なかったのでもう少し調べてみることにした

 

図書館で『ハンセン病を生きて』(伊波敏男著)という本を見つけた少し難しかったが差

別の現実が僕にもわかる部分があったそれは元患者たちに対して書かれた匿名のひどい手紙

である長年隔離されて苦しんできた人たちをさらに傷つける言葉が並んでいた悲しく暗い

気持ちになった

 

日本は経済大国として世界の注目を浴びているだが人権意識の面ではどうだろう「らい

予防法」を二〇世紀の末まで廃止できなかったことをどう考えたらよいのだろうか明治時代に

隔離が始まったときそれは外国に対する体面を保つためだったという病気の人を治療するの

ではなく「隠す」のが目的だったのだいまだに差別意識を持つ人がいるのは社会がそうした

入賞作文集 36

入賞作文

過去に対する反省をしていないから

だと思う

 

僕が不思議に思った小学校はすで

に取り壊されて今では小さな石碑

だけが残っている老朽化がひどく

残しておくことができなくなったか

らだという全生園の古い建物はど

んどん取り壊されていく石碑だけ

ではあの不思議さが伝わらないのが

とても残念だ

37 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

 

僕の曾祖父は医者嫌いでしたそのため腹痛で病院に運ばれた時は膵臓癌の末期で余命三ヶ

月でした手術もできない手遅れの状態でした家族皆で話し合い曾祖父の辛い気持ちを第一に

考え曾祖父に病を隠すことになりました曾祖父は次第に病院の中を歩いては転倒し体中あ

ざだらけになりベッドの上で縛られることになっていました曾祖父は病名の宣告を受けてい

ないため元気で歩けると思っているが実際歩くと転んでしまう何でこんな風になってしまっ

たのかさえわからない

 

家族と病院に行くと「包丁もてこいこれぶった切って家さ帰る」と騒いでいましたあん

なに優しかった曾祖父の姿に言葉も出ず恐いくらいでした何も知らされずベッドに縛り付

けられれば誰もがそうなることでしょう「じいちゃんどご一緒に車さのせでいてくれの」と

櫻さくらだ田

 要かな

太た

山形県酒田市立松山中学校 三年

日本放送協会会長賞

悔いのない最期を

入賞作文集 38

入賞作文

せがまれたときもありますかわいそうで涙がポロポロこぼれました「おじいちゃんどご家

さ連れで帰ろうよ」とせがんでも家族も仕事で忙しいためか誰も首を縦に振ってくれず病院

にいた方が安心ということになりました膵臓癌は予想以上に激しい痛みのため医師から強い

痛み止めと強い睡眠剤を勧められましたがそれを導入することにより安楽死に近い状況にな

ることも医師から告げられていました家族は決断をせまられました曾祖父に相談もせずに決

めていいことなのか家に帰りたい曾祖父の意志は封じ込められたままでいいのか家族で悩み

ました結局痛みに耐えている姿は見ていられなくその薬を使うことになりましたその後

曾祖父は次第に弱っていき口も利けなくなり静かに亡くなっていきました僕はどこか心を

引きずったままでした僕達家族が曾祖父に宣告もせず意見も聞かず命の長さを決めてしまっ

たこと当時幼かった僕には何もしてあげられなかったことが今思い出しても残念です

 

最近授業で人権について学習しているときに幼い頃の記憶がよみがえりふと曾祖父のこと

を思い出しました

 

曾祖父はどんな思いで亡くなったのだろう最後に意識のあるうちに一度でいいから家に帰っ

てきたかっただろう身体拘束は今は病院でも禁止されていると思いますがあの頃は確かに曾

祖父のおなかに黒いベルトのようなものが巻きついていました決して自分の力で

は外せないようなものでしたもがき苦しむ曾祖父の姿を見た時に看護師さんに

目を隠され別の部屋に連れて行かれました見せたくない光景だったのだと思いま

すでもあの姿は僕の脳裏に焼き付いています病院の中での人材不足のためだっ

39 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

たのでしょうか人が人らしく生きていない姿でした

 

七十八年生きてきて何も悪いことをしていないのに縛られ家にも帰れない

病気で余命幾ばくもない人には人権というものは存在しないのでしょうか最近の

医療の現場では自己決定権があることについて学びました

 

仏壇に向かい静かに目を閉じると優しく穏やかに微笑む曾祖父の笑顔が浮かびますどんな

気持ちで亡くなっていったのかその気持ちを考えると苦しい気持ちになります野球の大会に

行く前仏壇に手を合わせます「やればできる努力しろ」とよく励ましてくれました曾祖

父の力には何もなれなかったけれど目には見えない力で応援してくれる曾祖父に線香をあげて

自分を省みる時があります曾祖母が元気なので曾祖父を助けられなかった分曾祖母の力に

なっていくことを曾祖父に約束しています

 

夏休み中のニュースで高齢者の所在不明者が多数のため百歳以上の安否確認調査をしていま

した自分の親を平気で捨て遺骨さえもひきとらない亡くなっていたのに年金を不正受給する

ために隠していたなど耳をふさぎたくなるような事件もありました犬や猫が年をとって弱っ

てきた手がかかるから面倒だからと捨ててしまうそれと同じ現象が弱い高齢者にも及んでき

ているのだと思います

 

やはりこの世に生まれてきたもの全てに自分の意志で生きることを決めていける権利がある

と思います長い年月を苦労や努力と向き合いながら精一杯生きてくれたおかげで今の幸せが

あることを忘れずにいたい人はいずれ誰でも年をとります自由に動けなくなった時に自分の

入賞作文集 40

入賞作文

願いが叶う社会を築き「悔いなく満足で楽しく幸せな人生だった」と思えるように人とし

ての誇りを持って満足できる最期を迎えられるように考えていきたいもう二度と僕が見た自

己決定権のない社会にならないように高齢者には今までの感謝の気持ちで本人の希望をでき

るだけ叶えられるように努力していきたいいずれ僕達も迎える高齢社会だからhellip

41 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

 

私は小学六年生の時から盲導犬候補の子犬を育てるボランティアをしています「犬を飼っ

てみたい」と言う私に両親が「せっかく犬を飼うのなら社会に役立つことをしよう」と提案

したからです生後二ヵ月の子犬を預かり一歳の誕生日を迎えるまで世話をするのがボランティ

アの役目です初めて訓練士さんから子犬を手渡された時は不安でドキドキしましたが子犬は

すぐに私の腕の中で眠ってしまいました初めて会った私のことを信頼して安心しきった寝顔

で眠っている姿は本当に可愛かったですラブラドールの子犬はとてもやんちゃで私の家にやっ

て来たその日からいたずらばかりしていましたがしかられてもクヨクヨせずどんな相手にも

 林はやし

 里り

咲さ

東京都小平市立小平第六中学校 三年

差別のない社会に

(パピーウォーカーの経験から学んだこと)

法務事務次官賞

入賞作文集 42

入賞作文

フレンドリーに近づいていく姿から私は明るく前向きに生きることを教わりました子犬たち

と過ごした日々は私にとって一番の宝物ですそしてあっという間に一歳の誕生日がやって来ま

した誕生日が悲しいという経験は初めてでした訓練所への入所日の前日には長い長い散歩を

して最後のお別れをしました「今までありがとう」そう言った私のことを不思議そうに見てい

た子犬の顔が今も目に焼きついています別れは本当につらいけれど涙を見せたら子犬が心配す

るので頑張って笑顔で見送りました

 

私の家で育てた一頭目の子犬は現在盲導犬になって頑張っていますそして今年四月に巣立っ

ていった二頭目の子犬は神奈川にある訓練センターで訓練中です

 

このボランティアを通して私は多くのことを学びましたまず盲導犬の役割ですがこれは単

に目の不自由な方が便利に一人でどこへでも行けるようにするためだけではありません視覚障

がいのある方にとって人の手をわずらわせるのはとてもつらいことなのだそうですたとえ家

族に対してでも「迷惑をかけるのではないか」と思って我慢することが多く「私なんかいない

方がいいんじゃないか」と考えてしまうこともあったといいますその失われそうになった尊

厳を取り戻す手助けをするのが盲導犬の役目なのです犬は訓練を共にするパートナーのことを

大好きになるので「自分は他者からこんなにも大好きになってもらえる存在なん

だ」と気づいて自信を取り戻し新しい一歩を踏み出せるようになるのだそうです

 

また私がボランティア登録している日本盲導犬協会では二〇〇八年に新しい

試みが始まりました受刑者が盲導犬候補の子犬を育てる動物を介在した日本初

43 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

の教育プログラムです罪を犯した人も心から反省してきちんと罪を償えば社会

は差別することなく受け入れるべきですしかし実際はとても偏見が多く元受刑

者たちは「どうせ自分はだめな人間なんだ」と思い再び罪を犯してしまう悪循環

が起こっているそうですその悪循環を断ち切り受刑者たちがスムーズに社会復

帰を果たせるよう支援するのが「あさひ盲導犬パピープロジェクト」です受刑者たちは約十ヵ

月の間子犬たちを世話しながら一緒に過ごし「役に立つ喜び達成する喜び信頼される喜び」

を感じることで自分の価値を再確認するのだそうです今年一月に第一期のプロジェクトを修了

した受刑者の感想に次のようなものがありました

 「今後自分もパピーに笑われないようにきちんとしなければならないパピーは慈しむこと

寛容の心を教えてくれました」

 

犬は決して差別をしません健康な人にも障がいのある人にもお金持ちにも貧しい人にも

権力のある人にも犯罪を犯した人にも全く同じように接してくれますそんな犬たちと一緒に過

ごすことで自信をなくした人たちも自分のことをかけがえのない大切な存在であると思えるよ

うになるのです

 

私たち人間も差別のない社会をつくる努力をしなければならないと思います一人一人が相

手を大切に思う心を忘れなければこの社会はもっと住み良い場所になるはずです私はこのボ

ランティアを通して学んだことを生かしてこれからも一層努力していきたいと思います

入賞作文集 44

入賞作文

45 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

 

僕は祖父のために自助具を作ろうと思った祖父は去年の夏脳梗塞で倒れた祖父は一命

を取り留めたものの右手と右足がまひしてしまったのだその三週間前僕も車椅子から転倒し

て足を骨折した

 

僕には障害がある車椅子で生活することが多いしかし僕のことを障害者だといって差別

するような友達は一人もいない

 

祖父は歩けるようになりたいという気持ちが強かっただからリハビリを頑張り自分で

歩けるようになるまで回復した頑張っている祖父がかっこいいと僕は思った祖父はリハビ

リを頑張ったにも関わらず右手がうまく動かせなくなってしまっただからご飯を食べる時も

服を着替える時も時間がかかる普段何気なくやっていた動作がとても大変だと祖父は言ってい

守もり

田た

 幸こう

平へい

静岡県静岡大学教育学部附属浜松中学校 三年

祖父への靴下

法務事務次官賞

入賞作文集 46

入賞作文

た僕も何か役に立てることはないかと考えた

 

僕の学校には総合学習という授業があるそこで僕は福祉というカテゴリーを選んだ自

分で社会に役立てることを考え実際に行動することが目標だった僕は障害者のために何が

できるかを考えた

 

僕は二年前に静岡文化芸術大学で障害者がいかに日常生活で不自由のない生活ができるかを

考えるプロジェクトがあるのを新聞で知ったそれは大学生たちが個人個人にあった自助具を

作るプロジェクトだった僕は障害者のために何かできるのではと感じた

 

僕は静岡文化芸術大学へ行って僕にもできることがないかと聞いたすると学生さんが

自助具を作ってみないかと声をかけてくれた僕は迷わず「はい」と言った障害者のために

役に立てることがあると思うとすばらしいことだと思ったからだ

 

祖父のつらい顔を見ると日常生活に数々の大きな壁があることが伝わってくる

 

僕は祖父の数々の大きな壁を突き破ろうと思った祖父のために自助具を考え作ろうと僕

は思った祖父が靴下の脱ぎ履きが大変だと言っていたことを思い出したそこで脱ぎ履きし

やすい靴下はできないか考えた靴下の両脇にひもを取り付けてそれを引っ張ると靴下が縮み

脱ぎ履きしやすくなる仕組みだ大学の先生も良いアイディアだと言って褒めてく

れたこれは障害者だけでなく健常者にも使えると言われたユニバーサルデザ

インだと分かった

 

ユニバーサルデザインは年齢や障害の有無にかかわらず全ての人が使いやす

47 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

いように工夫された用具などのデザインである境界がなくなるように健常者が障

害者に対する偏見を考え差別意識がなくなるチャンスだと思った障害者と健常

者が共によりよく生きることが大切だと僕は思った

 

自助具の作品展では杖をついているお年寄り車椅子に乗った若い女性目の

見えない人福祉関係者など沢山の人々が観に来ていた皆自分の生活を良くしようと思っ

ているようだったまた障害者のためにできることは何だろうかと考えている健常者もいるよ

うだった

 

二年生の時の総合学習では二箇所のデイサービスを訪問したデイサービスには六十五歳以

上のお年寄りがいた暗く元気のない人明るく振る舞い誰とでも話せる人など様々だった

しかし僕が一番印象に残ったのは笑顔を絶やさず優しくお年寄りに接していた介護士だった

お年寄りの中には悩みを抱えている人が多いそうだその悩みを解消させる人もまた介護士だっ

た僕は介護士がお年寄りの体を支えるだけではなく心もそっと支えて生きる喜びを与え

ているのだと感じた

 

現代は三世代で暮らす家族が減り核家族が増えているそれはお年寄りの世話が大変だ

からという理由が多いだから老人ホームやデイサービスに預ける人が増えていると僕には

思えたお年寄りの中には自分が嫌われているのではないかとさえ思ってしまう人もいるそう

だそれはお年寄りにとって辛く悲しいことだと思うある介護士がこんなことをおっしゃっ

ていた「人の優しさはお金では買えない」誰にでも優しい心があると思うしかしあと一歩

入賞作文集 48

入賞作文

のところで行動に移すことができない人が多いの

だ僕たちが平和な社会で暮らせるのは今まで

頑張ってきてくれたお年寄りのお陰であることを

忘れてはいけないお年寄りを大切にすることは

当たり前のことなのだ

 

また障害者に対しても偏見の目で見ないで

そっと近づいて手を貸してあげれば健常者との

高い大きな壁を崩すことができると思う

 

障害者にも高齢者にもまた健常者にも人権

はあるお互いの人権を大切にすることが明る

い未来に繋がっていくのだと思う

 

早く祖父に僕の作った靴下を届けたい

49 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

 

僕は小学校六年生まで福岡県に住んでいましたそこで僕が体験したことです五年生のこ

ろ僕の友だちのA君が同級生のK君の靴を隠したりからかったりしていることがよくあり

ました最初は僕もあまり気にしていませんでしたがK君のことを「なんだかかわいそう」と

思うようになりました

 

ある日僕は勇気をだして先生に「K君がいじめにあっています」と報告しました初め先生は

「じゃれ合っているだけだろう」と「いじめ」とは思ってくれませんでしたでもその後「いじ

め」と分かりA君は先生に注意されその日一日は反省した様子で過ごしていましたしかし

次の日学校に行くといじめは前以上にエスカレートしていて蹴ったりたたいたりするように

なりましたしかも「死ね」「うざい」「消えろ」などの言葉が飛び交うようになりそんな日々

法務事務次官賞

浦うら

谷たに

 毅たける

徳島県三好市立池田中学校 三年

いじめをなくすために今

入賞作文集 50

入賞作文

が続きました

 

それは六年生になっても続きました僕はそのいじめを止めることができず毎日見て見ぬ

振りをしていました今思うと自分がとても恥ずかしいです本当の友達なら止めるべきなの

にそれだけではなくいじめられているK君に声一つかけることができずにいました心の中

ではA君に「やめろよ」と言おうと思っていたけどなぜか勇気が出ませんでした次にい

じめられるのが自分になるのが恐くて言えなかったのです

 

そんな日々が続く中僕の気持ちを大きく変える出来事がありました父の死ですそのとき

のことは今でも忘れることができません聞いたときには頭の中が真っ白になりました最初

は信じることができませんでした一週間も二週間も学校に行けずただぼーっと過ごしてい

ましたいろんなことを考え徐々に「死」というものの悲しさつらさ「死」という意味の

重さがわかってきましたそして時間はかかりましたが「命は一瞬にして消え二度と戻っ

てこないものだだから命を大切に今を大切にしなければならない」と深く受け止めることが

できるようになりましたそして周りの子たちは僕のような経験がないから「死ね」とか軽々

しく言えるのだろうと思いこの気持ちを伝えなくてはならないと考えました僕が強くならな

くてはと思いました

 

こんな気持ちになったとき僕には時間がありませんでした母の実家がある徳

島への引っ越しが一週間後に決まっていたのです落ち込んでいる暇は無いと思

い学校に行った僕はA君に言いました「いじめなんかやめろよいじめたって

51 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

喜ぶ人はいないし悲しむ人がいるだけだろ自分だってほんとは嫌だろ『死ね』

とか『消えろ』とか言葉の重さを知らないのに言うなよ」と言いました父親の

突然の死そのあと僕が考えたことも伝えました

 

友だちは黙って聞いてくれました僕の言葉にうなずいてそのあとK君の

ところへ行き「ごめん言葉の重さも知らずに言って本当にごめんぜったいに死ねなんて

ことは言わないそしていじめは絶対にしないほんとうにごめん」とあやまりましたK君

はとても優しい笑顔で「いいよ」と一言言いました僕もK君に言いました

「今まで助けてあげられなくてごめん」

K君は笑顔で「ありがとう」と言ってくれました今まで自分の中でもやもやしていた気持ちが

スーっと晴れました

 

今も時々耳にする暴言冗談半分で言っているのかもしれませんしかしいついじめにつ

ながるかわかりません他人を傷つけることで自分のストレスを晴らそうとしているのでしょう

関係ないふりをしようとする自分がいます楽な考え方をする自分がいますそんな時亡くなっ

た父の顔やK君の優しい笑顔を思い出しますあの時の自分のように強い気持ちを持とう「や

めろよ」と一言言うするとまた気持ちがスーっとしてきました

 

父の分も頑張って生き抜こうと決めた僕にとって正しいことを素直に認め悪いことを否定

できる強い意志を持つことが目標ですそして何よりも命を大切に今を大切にしていきたい

と思っています

入賞作文集 52

入賞作文

53 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

 

ぼくは今まで四つの外国に暮らしいろいろな国の人たちの中で育ってきた

 

まずタイで生まれてタイ人のメイドさんやドライバーさんにいつも遊んでもらっていた

らしい一才になると週一回の体操教室にも通いタイ人の友達もいたそうだ

 

次にシンガポールでは初めてナサリースクール(保育園)に通いいろいろな国の友達と

知り合ったプレイルームにある滑り台を滑る順番争いでいつも勝つのは体の大きい金髪の友

達だった

 

一回目の香港生活では英語の幼稚園に通ったその時のぼくの一番の友達はカナダ人だった

彼とはよくベイブレードをして遊んだが父が日本の出張で買ってきてくれた独楽や剣玉をして

遊ぶこともあった

村むら

瀬せ

 広ひろ

高たか

香港日本人学校中学部 二年

国境をこえて

海 外 作 品

今回は本選への応募とすることはできませんでしたが

 海外から寄せられた作品のうち一作品を御紹介します

入賞作文集 54

海外作品

 

それからインドでは日本人学校に通ったが夏休みには毎年アメリカンスクールのサマー

スクールに参加したし日本人のいない現地のテニススクールにも入り二年間通ったまたイ

ンドの現地幼稚園に通っていた妹のベストフレンドはコンゴ人でその兄弟もぼくの友達だった

 

そして三年間の日本生活を経て今また香港に戻ってきた

 

このようにぼくはいろいろな国でいろいろな国の人たちのお世話になりいろいろな国

の友達と遊んで育った肌が真っ黒な友達もゲームの話をすればすぐに仲良くなれたし髪が

金色の友達もポケモンの話をすれば気が合ったぼくは小さい頃から英語はうまくしゃべれ

なかったけれどもジェスチャーをつけたでたらめ英語でも充分に話は通じただからいろい

ろな国の人たちの中でぼくが日本人だからといって差別されたり嫌な思いをしたりしたこと

はないしぼくも肌の色が違うからとか言葉が通じないからという理由で違う人間だと思っ

たことはないそうぼくは外国人を差別したことはない

 

しかし本当にぼくは外国人を差別したことがないのだろうか外国人を差別した発言を一

度もしたことがないかと考えると自信がない

 

例えば香港人には赤信号でも平気で渡る人がたくさんいるそれを見てぼくは

「香港人はしょうがないな」

と思うでもよく見ると香港人全員が信号無視をしているわけではないまた

世界には今でも戦争をしている国がいくつもある

「人を傷つけ合うなんて馬鹿げている」

55 第30回全国中学生人権作文コンテスト

海外作品

とぼくは悲しくなるでもそれも好きで戦っている人がいるとも思えないその

人たちがそうなったのには何かきっと原因があるはずだ

 

逆に外国人から見ると日本人はどのように思われているのだろう

 

インドから日本に帰国した時毎日ごみがたくさん出ることにぼくはとても驚

いたインドの人たちがよく使う道端にあるカレー屋さんではバナナの葉で作ったお皿にカ

レーを入れてくれる食べた後そのお皿を道に捨てるとのら牛がその葉っぱを食べるそして

牛のふんは燃料になるというそれに比べて日本はちょっと歩くとペットボトルの飲み物が

買えファーストフードのお店では使い捨ての食器を使い立派なお菓子の箱を開けると中身が

少なくてがっかりすることもあるある時母が捨てたジャムの空きびんをメイドさんとエア

コンの修理にきていたワーカーさんとが取り合ってけんかをしていたこともあったそれを見

てぼくはあきれてしまったが逆にインド人から見ると使い捨て文化のしみついた日本人は

とんでもない人間にみえるのかもしれない国によって考え方や行動パターンが違うのは歴史

的背景や宗教習慣気候などのいろいろなことが関わっているのだと思う

 

このように考えると差別とはその人の一部しか見ていないことや自分のやり方だけが正

しいと思うことからおきるのではないかと思うその人が自分とは違った行動をとったとしても

それには深い理由があるのだろうと考えればきっと納得できると思うぼくもこれからは否

定的な発言をする前にその人たちのことをいろいろな角度から見て理解する努力をしてみよう

と思う外国との間には自分の国とは違う言葉や文化という壁があるとみんな言うがそこに

入賞作文集 56

海外作品

あるのは壁ではなく橋だとぼくは思う理解

し合おうという気持ちがあればきっと誰でも

その橋を渡っていけるはずだ気持ちの国境を

こえるのにパスポートはいらないお互いを理

解し合おうと思う気持ちが一番大切だと思う

そしてぼくはこれから日本人として生きる

のではなく地球人として生きていこうと思う

57 第30回全国中学生人権作文コンテスト

海外作品

法務局地方法務局名 郵便番号 所  在  地 電  話

金沢地方法務局人権擁護課920-0024 金沢市西念3-4-1金沢駅西合同庁舎(平成23年3月11日まで) 076-231-1244

921-8505 金沢市新神田4-3-10金沢新神田合同庁舎(平成23年3月14日から) 076-292-7804

富山地方法務局人権擁護課 930-0856 富山市牛島新町11番7号富山合同庁舎 076-441-6376

大阪法務局人権擁護部 540-8544 大阪市中央区谷町2丁目1番17号大阪第2法務合同庁舎 06-6942-9492

京都地方法務局人権擁護課 602-8577 京都市上京区荒神口通河原町東入上生洲町197番地 075-231-0131

神戸地方法務局人権擁護課 650-0042 神戸市中央区波止場町1番1号神戸第2地方合同庁舎 078-392-1821

奈良地方法務局人権擁護課 630-8305 奈良市東紀寺町3-4-1奈良第2法務総合庁舎 0742-23-5457

大津地方法務局人権擁護課 520-8516 大津市御陵町3番6号大津法務総合庁舎 077-522-4673

和歌山地方法務局人権擁護課 640-8552 和歌山市二番丁2番地和歌山地方合同庁舎 073-422-5131

広島法務局人権擁護部 730-8536 広島市中区上八丁堀6番30号広島合同庁舎 082-228-5790

山口地方法務局人権擁護課 753-8577 山口市中河原町6番16号山口地方合同庁舎2号館 083-922-2295

岡山地方法務局人権擁護課 700-8616 岡山市北区南方1丁目3番58号 086-224-5761

鳥取地方法務局人権擁護課 680-0011 鳥取市東町2丁目302番地鳥取第2地方合同庁舎 0857-22-2289

松江地方法務局人権擁護課 690-0886 松江市母衣町50番地松江法務合同庁舎 0852-32-4260

高松法務局人権擁護部 761-8077 高松市出作町585-4 087-815-5311

徳島地方法務局人権擁護課 770-8512 徳島市徳島町城内6番地6徳島地方合同庁舎 088-622-4171

高知地方法務局人権擁護課 780-8509 高知市栄田町2丁目2番10号高知よさこい咲都合同庁舎 088-822-3331

松山地方法務局人権擁護課 790-8505 松山市宮田町188番地6松山地方合同庁舎 089-932-0888

福岡法務局人権擁護部 814-0005 福岡市早良区祖原14-15福岡法務局西新出張所庁舎5階 092-832-4311

佐賀地方法務局人権擁護課 840-0041 佐賀市城内2丁目10番20号佐賀合同庁舎 0952-26-2148

長崎地方法務局人権擁護課 850-8507 長崎市万才町8番16号 095-826-8127大分地方法務局人権擁護課 870-8513 大分市荷揚町7番5号大分法務総合庁舎 097-532-3368

熊本地方法務局人権擁護課 862-0971 熊本市大江3丁目1番53号熊本第2合同庁舎 096-364-2145

鹿児島地方法務局人権擁護課 890-8518 鹿児島市鴨池新町1番2号 099-259-0684宮崎地方法務局人権擁護課 880-8513 宮崎市別府町1番1号宮崎法務総合庁舎 0985-22-5124

那覇地方法務局人権擁護課 900-8544 那覇市樋川1丁目15番15号那覇第1地方合同庁舎 098-854-1215

入賞作文集 58

問合せ先一覧

法務局地方法務局名 郵便番号 所  在  地 電  話

札幌法務局人権擁護部 060-0808 札幌市北区北8条西2丁目1番1札幌第1合同庁舎 011-709-2311

函館地方法務局人権擁護課 040-8533 函館市新川町25番18号函館地方合同庁舎 0138-23-9528

旭川地方法務局人権擁護課 078-8502 旭川市宮前通東4155番31旭川合同庁舎 0166-38-1114

釧路地方法務局人権擁護課 085-8522 釧路市幸町10丁目3番地釧路地方合同庁舎 0154-31-5014

仙台法務局人権擁護部 980-8601 仙台市青葉区春日町7番25号仙台第3法務総合庁舎 022-225-5739

福島地方法務局人権擁護課 960-8021 福島市霞町1番46号福島合同庁舎 024-534-1994

山形地方法務局人権擁護課 990-0041 山形市緑町1丁目5番48号山形地方合同庁舎 023-625-1321

盛岡地方法務局人権擁護課 020-0023 盛岡市内丸7番25号盛岡合同庁舎 019-624-9859秋田地方法務局人権擁護課 010-0951 秋田市山王7丁目1番3号 018-862-6533

青森地方法務局人権擁護課 030-8511 青森市長島1丁目3番5号青森第二合同庁舎 017-776-9024

東京法務局人権擁護部 102-8225 千代田区九段南1丁目1番15号九段第2合同庁舎 03-5213-1234

横浜地方法務局人権擁護課 231-8411 横浜市中区北仲通5丁目57番地横浜第2合同庁舎 045-641-7926

さいたま地方法務局人権擁護課 338-8513 さいたま市中央区下落合5-12-1さいたま第二法務総合庁舎 048-859-3507

千葉地方法務局人権擁護課 260-8518 千葉市中央区中央港1丁目11番3号千葉地方合同庁舎 043-302-1319

水戸地方法務局人権擁護課 310-0061 水戸市北見町1番1号水戸地方法務合同庁舎 029-227-9919

宇都宮地方法務局人権擁護課 320-8515 宇都宮市小幡2丁目1番11号宇都宮地方法務合同庁舎 028-623-0926

前橋地方法務局人権擁護課 371-8535 前橋市大手町2丁目10番5号前橋合同庁舎 027-221-4426

静岡地方法務局人権擁護課 420-8650 静岡市葵区追手町9番50号静岡地方合同庁舎 054-254-3555

甲府地方法務局人権擁護課 400-8520 甲府市北口1丁目2番19号甲府地方合同庁舎 055-252-7239

長野地方法務局人権擁護課 380-0846 長野市旭町1108番地長野第2合同庁舎 026-235-6634

新潟地方法務局人権擁護課 951-8504 新潟市中央区西大畑町5191番地新潟地方法務総合庁舎 025-222-1564

名古屋法務局人権擁護部 460-8513 名古屋市中区三の丸2丁目2番1号名古屋合同庁舎第1号館 052-952-8111

津地方法務局人権擁護課 514-8503 津市丸之内26番8号津合同庁舎 059-228-4193岐阜地方法務局人権擁護課 500-8729 岐阜市金竜町5丁目13番地 058-245-3181

福井地方法務局人権擁護課 910-8504 福井市春山1丁目1番54号福井春山合同庁舎 0776-22-5090

問合せ先一覧 (法務局地方法務局)

59 第30回全国中学生人権作文コンテスト

問合せ先一覧

世界人権宣言啓発書画「鳥」「自由と解放」を表わしたもの 小木太法書オタビオロス画(財)人権擁護協力会提供

入賞作文集 60

すべての人間は生まれながらにして

自由でありかつ尊厳と権利とに

ついて平等である人間は理性と

良心とを授けられており互いに同胞の

精神をもって行動しなければならない

―――

世界人権宣言 第一条

―――

第三〇回

 全国中学生人権作文コンテスト

中央大会表彰式

印  刷 平成23年1月25日

発  行 平成23年2月14日

発 行 者 法務省人権擁護局

全国人権擁護委員連合会

東京都千代田区霞が関一丁目1番1号

電話 03(3580)4111 内線5875

URL httpwwwmojgojpJINKEN

第30回全国中学生人権作文コンテスト中央大会審査員

感想をお聞かせください本作文集を読まれた感想等を下記の連絡先又はkeihatsumojgojpまでお寄せください

無断転載を禁じます本作文集に掲載された作文や写真等を地方自治体が広報誌に掲載したり学校が教材に使用される場合などにはあらかじめ下記に御連絡ください

100-8977 東京都千代田区霞が関一丁目1番1号 法務省人権擁護局人権啓発課 TEL03(3580)4111 内線5875

作  家(審査員長) 落 合 恵 子映画監督 山 田 洋 次社団法人日本新聞協会事務局長 川 嶋   明日本放送協会解説委員室解説委員 南   直 樹文部科学省初等中等教育局視学官 三 好 仁 司全国人権擁護委員連合会長 中 村 浩 紹法務省人権擁護局長   井 忠 雄

(敬称略)

【式次第】

第一部

 会

主催者あいさつ

賞状授与

内閣総理大臣賞法務大臣賞

文部科学大臣奨励賞法務副大臣賞

法務大臣政務官賞

全国人権擁護委員連合会長賞

社団法人日本新聞協会会長賞

日本放送協会会長賞(以上各一名)

法務事務次官賞(三名) 計一一名

学校への感謝状贈呈

高円宮妃殿下おことば

来賓祝辞

第二部

各受賞作文の朗読

内閣総理大臣賞法務大臣賞

文部科学大臣奨励賞

全国人権擁護委員連合会長賞

社団法人日本新聞協会会長賞

日本放送協会会長賞

 評

全国中学生人権作文コンテスト中央大会審査員

 山田洋次氏

 落合恵子氏(ビデオレター形式)

第三部

新垣勉さんコンサート

 会 平成二二年一二月一八日(土)

午後一時三〇分〜三時五〇分

於ニッショーホール

「いじめ」や暴力行為等は人権侵害です

法務局地方法務局では

人権侵害による被害を受けた方を

救済するための活動を行っています

お気軽にご相談ください

女性の人権ホットライン

インターネット人権相談受付窓口

ゼロナナゼロのハートライン

0570-070-810

子どもの人権110番ぜろぜろななのひゃくとおばん

 0120-007-110

パソコンから httpwwwmojgojpJINKENjinken113html携帯電話から httpwwwjinkengojpsoudanmobile001html

インターネット人権相談 検 索

Human Rights法務省人権擁護局全国人権擁護委員連合会

人権イメージキャラクター人KENあゆみちゃん人KENまもる君

全国共通通話料無料

全国共通ナビダイヤル

この冊子は環境保護印刷の「水なし印刷」で印刷されています

第30回全国中学生人権作文コンテスト入賞作文集

法務省人権擁護局全国人権擁護委員連合会

人権イメージキャラクター人KENまもる君人KENあゆみちゃん

この冊子には音声コードが各頁(奇数頁 左下偶数頁 右下)に印刷されています専用の読み上げ装置で読み取ると記録されている情報を音声で聞くことが出来ます

Human Rights法務省人権擁護局全国人権擁護委員連合会

 全国中学生人権作文コンテスト入賞作文集

 全国中学生人権作文コンテスト入賞作文集

第30回

かりか罹患者を偏見の眼で見ていたのは私自身だったのだ私は話を聞いてとめ

どなく溢れ出る涙を拭いながら心の片隅に潜んでいた「偏見と言う名の種」が身

体から洗い流されていくのを感じていたそれは同時に「思い込みや無知が偏見

や差別を生みだす」ことを強く感じた瞬間でもあったそれだけに藤田さんの「自

分と同様に他人を愛すればいつか必ず世界から差別はなくなる他人を愛して下さい」の慈愛に

満ちた言葉が一層重く腑に落ちるのだった

 

帰りがけ千五百ページにも及ぶ「入所者証言集」を手渡されたその際私は見えない襷も

手渡された気がしたその襷とは証言集に記された罹患者の「事実を風化させないで私達の事

を忘れないで」という搾り出すような叫び声とその姿だったのである

 

ハンセン病が治る病気であるのに誤った知識から悲惨な人権侵害が長期に渡り続いた同じ間

違いを繰り返さないためにも事実を語りついで行く必要があるここ楽泉園でも高齢化が進み

証言者の数が減っているこれは全国一五全てのハンセン病療養所に共通することだハンセン

病問題は罹患者がいなくなればそれで終わると言う問題ではない今後人権問題を考える際重

要な指針になりうる事実なのだそしてこの事実の風化を防ぐことが私達若い世代の役目だと

私は思う

 

私は小六の時友人達から突然イジメを受けたそれを引きずり他人を恐れ憎み自分を

嫌って生きて来たしかし罹患者の声が私に生きる力と前を向いて歩む勇気を与えてくれた

楽泉園訪問は私に人生観が変わる程の衝撃を与えてくれたのだこんな私だが罹患者の声を伝

入賞作文集 32

入賞作文

える「百人の中の一人」にはなれるはず

だそのために私は今この作文を書い

ている文字は時を越えて生き続けるか

ら私はこれからも楽泉園訪問を続ける

つもりだ実際に中学生の私が出来るこ

とには限りがあるが差別や偏見を少し

でも減らすために一歩を踏み出すつもり

でいる「自分と同様に他人を愛すれば

いつか差別は無くなる」と言う藤田さ

んの言葉を胸に

33 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

 

森に囲まれたその一画には教会や寺院神社があり小さなショッピングセンターやレスト

ランもある床屋や図書館郵便局や浴場もあるしかしそれらの施設を利用するのはその一

画に住む人たちだけだ緑の外側に住む人が利用することはないそこはハンセン病の療養所

多磨全生園である

 

僕は七年前に清瀬市に引っ越してきた夏のある日昆虫が大好きな僕は何気なくその森の

中に入って行ったそして歩き回っているうちにその場所が一つの「町」であることに気付

いた

 

毎日セミやカマキリやナナフシを探しながらどうしてこんな所があるのだろうと思った

 

僕が一番不思議に思ったのは古い木造の小学校だいつも誰もいない校舎と小さな運動場近

久く

米め

 一かず

輝き

埼玉県学校法人立教学院立教新座中学校 一年

ハンセン病について考えたこと

社団法人日本新聞協会会長賞

入賞作文集 34

入賞作文

くに小学校があるのにどうしてこんな所に小学校があるのだろう小学一年生の僕はとても不思

議に思った

 

夏に地域交流を目的とした盆踊りと花火大会が行われるいつもは人のいない小学校跡は多く

の人であふれかえり普段は見かけない重い後遺症の老人たちもこの日は外に出て盆踊りを楽し

む初めて参加したときは言葉が出なかった正直「怖い」と思った

 

夏が来るたびに僕は盆踊り大会に参加した低学年から高学年へと進むにつれて少しずつハ

ンセン病のことが分かってきた

 

六年生のときに社会科見学で全生園の元患者を訪れることになっただが僕は都合で参加で

きなかった僕はそれをずっと悔やんでいる

 

今年の夏僕はハンセン病資料館に出かけた見学者は僕一人でとても緊張したなるべく

音を立てないようにパネルを見て回った

 

強制隔離の現実にとても驚いた狭い部屋に押し込められ症状の軽い患者が重症の患者の世

話をしたという子供を持つ権利や生まれる赤ん坊の命まで奪われていた逃げ出したり反抗的

な患者は「不良患者」と呼ばれ窓の小さな暗い監房に閉じ込められた

 

医学が進歩し療養所も徐々に改善されていったが強制隔離を命じる「らい予防

法」が廃止されたのは一九九六年だという隔離が始まった一九〇八年から約九〇

年も経っていた僕が生まれるほんの一年前のことである特効薬が開発され本

格的な治療が始まったのは昭和二十二年である現実に合わない法律を廃止するの

35 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

にどうしてそんなに時間がかかったのだろうか

 

資料をもらってハンセン病資料館を後にした家を出るときは帰りに虫の観察

をするつもりだったがとてもそんな気にはなれなかったいつもセミが集まる桜

の木には目もくれずに早足で家に帰った

 

資料の中で一番心が痛んだのは療養所の子供たちのことだ療養所に入所したのはハンセン

病を発症した子どもたちだけではない親が発症したために入所する子どもたちもいた当時は

ハンセン病は遺伝病だとされていたからだ親から無理やり引き離された子どもたちは「すぐに

帰れるから」という言葉を信じていたというしかし一生療養所を出ることができなかった人が

多かったという社会的な差別がひどかったからだと資料に書かれていたが僕には実感がわか

なかったのでもう少し調べてみることにした

 

図書館で『ハンセン病を生きて』(伊波敏男著)という本を見つけた少し難しかったが差

別の現実が僕にもわかる部分があったそれは元患者たちに対して書かれた匿名のひどい手紙

である長年隔離されて苦しんできた人たちをさらに傷つける言葉が並んでいた悲しく暗い

気持ちになった

 

日本は経済大国として世界の注目を浴びているだが人権意識の面ではどうだろう「らい

予防法」を二〇世紀の末まで廃止できなかったことをどう考えたらよいのだろうか明治時代に

隔離が始まったときそれは外国に対する体面を保つためだったという病気の人を治療するの

ではなく「隠す」のが目的だったのだいまだに差別意識を持つ人がいるのは社会がそうした

入賞作文集 36

入賞作文

過去に対する反省をしていないから

だと思う

 

僕が不思議に思った小学校はすで

に取り壊されて今では小さな石碑

だけが残っている老朽化がひどく

残しておくことができなくなったか

らだという全生園の古い建物はど

んどん取り壊されていく石碑だけ

ではあの不思議さが伝わらないのが

とても残念だ

37 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

 

僕の曾祖父は医者嫌いでしたそのため腹痛で病院に運ばれた時は膵臓癌の末期で余命三ヶ

月でした手術もできない手遅れの状態でした家族皆で話し合い曾祖父の辛い気持ちを第一に

考え曾祖父に病を隠すことになりました曾祖父は次第に病院の中を歩いては転倒し体中あ

ざだらけになりベッドの上で縛られることになっていました曾祖父は病名の宣告を受けてい

ないため元気で歩けると思っているが実際歩くと転んでしまう何でこんな風になってしまっ

たのかさえわからない

 

家族と病院に行くと「包丁もてこいこれぶった切って家さ帰る」と騒いでいましたあん

なに優しかった曾祖父の姿に言葉も出ず恐いくらいでした何も知らされずベッドに縛り付

けられれば誰もがそうなることでしょう「じいちゃんどご一緒に車さのせでいてくれの」と

櫻さくらだ田

 要かな

太た

山形県酒田市立松山中学校 三年

日本放送協会会長賞

悔いのない最期を

入賞作文集 38

入賞作文

せがまれたときもありますかわいそうで涙がポロポロこぼれました「おじいちゃんどご家

さ連れで帰ろうよ」とせがんでも家族も仕事で忙しいためか誰も首を縦に振ってくれず病院

にいた方が安心ということになりました膵臓癌は予想以上に激しい痛みのため医師から強い

痛み止めと強い睡眠剤を勧められましたがそれを導入することにより安楽死に近い状況にな

ることも医師から告げられていました家族は決断をせまられました曾祖父に相談もせずに決

めていいことなのか家に帰りたい曾祖父の意志は封じ込められたままでいいのか家族で悩み

ました結局痛みに耐えている姿は見ていられなくその薬を使うことになりましたその後

曾祖父は次第に弱っていき口も利けなくなり静かに亡くなっていきました僕はどこか心を

引きずったままでした僕達家族が曾祖父に宣告もせず意見も聞かず命の長さを決めてしまっ

たこと当時幼かった僕には何もしてあげられなかったことが今思い出しても残念です

 

最近授業で人権について学習しているときに幼い頃の記憶がよみがえりふと曾祖父のこと

を思い出しました

 

曾祖父はどんな思いで亡くなったのだろう最後に意識のあるうちに一度でいいから家に帰っ

てきたかっただろう身体拘束は今は病院でも禁止されていると思いますがあの頃は確かに曾

祖父のおなかに黒いベルトのようなものが巻きついていました決して自分の力で

は外せないようなものでしたもがき苦しむ曾祖父の姿を見た時に看護師さんに

目を隠され別の部屋に連れて行かれました見せたくない光景だったのだと思いま

すでもあの姿は僕の脳裏に焼き付いています病院の中での人材不足のためだっ

39 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

たのでしょうか人が人らしく生きていない姿でした

 

七十八年生きてきて何も悪いことをしていないのに縛られ家にも帰れない

病気で余命幾ばくもない人には人権というものは存在しないのでしょうか最近の

医療の現場では自己決定権があることについて学びました

 

仏壇に向かい静かに目を閉じると優しく穏やかに微笑む曾祖父の笑顔が浮かびますどんな

気持ちで亡くなっていったのかその気持ちを考えると苦しい気持ちになります野球の大会に

行く前仏壇に手を合わせます「やればできる努力しろ」とよく励ましてくれました曾祖

父の力には何もなれなかったけれど目には見えない力で応援してくれる曾祖父に線香をあげて

自分を省みる時があります曾祖母が元気なので曾祖父を助けられなかった分曾祖母の力に

なっていくことを曾祖父に約束しています

 

夏休み中のニュースで高齢者の所在不明者が多数のため百歳以上の安否確認調査をしていま

した自分の親を平気で捨て遺骨さえもひきとらない亡くなっていたのに年金を不正受給する

ために隠していたなど耳をふさぎたくなるような事件もありました犬や猫が年をとって弱っ

てきた手がかかるから面倒だからと捨ててしまうそれと同じ現象が弱い高齢者にも及んでき

ているのだと思います

 

やはりこの世に生まれてきたもの全てに自分の意志で生きることを決めていける権利がある

と思います長い年月を苦労や努力と向き合いながら精一杯生きてくれたおかげで今の幸せが

あることを忘れずにいたい人はいずれ誰でも年をとります自由に動けなくなった時に自分の

入賞作文集 40

入賞作文

願いが叶う社会を築き「悔いなく満足で楽しく幸せな人生だった」と思えるように人とし

ての誇りを持って満足できる最期を迎えられるように考えていきたいもう二度と僕が見た自

己決定権のない社会にならないように高齢者には今までの感謝の気持ちで本人の希望をでき

るだけ叶えられるように努力していきたいいずれ僕達も迎える高齢社会だからhellip

41 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

 

私は小学六年生の時から盲導犬候補の子犬を育てるボランティアをしています「犬を飼っ

てみたい」と言う私に両親が「せっかく犬を飼うのなら社会に役立つことをしよう」と提案

したからです生後二ヵ月の子犬を預かり一歳の誕生日を迎えるまで世話をするのがボランティ

アの役目です初めて訓練士さんから子犬を手渡された時は不安でドキドキしましたが子犬は

すぐに私の腕の中で眠ってしまいました初めて会った私のことを信頼して安心しきった寝顔

で眠っている姿は本当に可愛かったですラブラドールの子犬はとてもやんちゃで私の家にやっ

て来たその日からいたずらばかりしていましたがしかられてもクヨクヨせずどんな相手にも

 林はやし

 里り

咲さ

東京都小平市立小平第六中学校 三年

差別のない社会に

(パピーウォーカーの経験から学んだこと)

法務事務次官賞

入賞作文集 42

入賞作文

フレンドリーに近づいていく姿から私は明るく前向きに生きることを教わりました子犬たち

と過ごした日々は私にとって一番の宝物ですそしてあっという間に一歳の誕生日がやって来ま

した誕生日が悲しいという経験は初めてでした訓練所への入所日の前日には長い長い散歩を

して最後のお別れをしました「今までありがとう」そう言った私のことを不思議そうに見てい

た子犬の顔が今も目に焼きついています別れは本当につらいけれど涙を見せたら子犬が心配す

るので頑張って笑顔で見送りました

 

私の家で育てた一頭目の子犬は現在盲導犬になって頑張っていますそして今年四月に巣立っ

ていった二頭目の子犬は神奈川にある訓練センターで訓練中です

 

このボランティアを通して私は多くのことを学びましたまず盲導犬の役割ですがこれは単

に目の不自由な方が便利に一人でどこへでも行けるようにするためだけではありません視覚障

がいのある方にとって人の手をわずらわせるのはとてもつらいことなのだそうですたとえ家

族に対してでも「迷惑をかけるのではないか」と思って我慢することが多く「私なんかいない

方がいいんじゃないか」と考えてしまうこともあったといいますその失われそうになった尊

厳を取り戻す手助けをするのが盲導犬の役目なのです犬は訓練を共にするパートナーのことを

大好きになるので「自分は他者からこんなにも大好きになってもらえる存在なん

だ」と気づいて自信を取り戻し新しい一歩を踏み出せるようになるのだそうです

 

また私がボランティア登録している日本盲導犬協会では二〇〇八年に新しい

試みが始まりました受刑者が盲導犬候補の子犬を育てる動物を介在した日本初

43 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

の教育プログラムです罪を犯した人も心から反省してきちんと罪を償えば社会

は差別することなく受け入れるべきですしかし実際はとても偏見が多く元受刑

者たちは「どうせ自分はだめな人間なんだ」と思い再び罪を犯してしまう悪循環

が起こっているそうですその悪循環を断ち切り受刑者たちがスムーズに社会復

帰を果たせるよう支援するのが「あさひ盲導犬パピープロジェクト」です受刑者たちは約十ヵ

月の間子犬たちを世話しながら一緒に過ごし「役に立つ喜び達成する喜び信頼される喜び」

を感じることで自分の価値を再確認するのだそうです今年一月に第一期のプロジェクトを修了

した受刑者の感想に次のようなものがありました

 「今後自分もパピーに笑われないようにきちんとしなければならないパピーは慈しむこと

寛容の心を教えてくれました」

 

犬は決して差別をしません健康な人にも障がいのある人にもお金持ちにも貧しい人にも

権力のある人にも犯罪を犯した人にも全く同じように接してくれますそんな犬たちと一緒に過

ごすことで自信をなくした人たちも自分のことをかけがえのない大切な存在であると思えるよ

うになるのです

 

私たち人間も差別のない社会をつくる努力をしなければならないと思います一人一人が相

手を大切に思う心を忘れなければこの社会はもっと住み良い場所になるはずです私はこのボ

ランティアを通して学んだことを生かしてこれからも一層努力していきたいと思います

入賞作文集 44

入賞作文

45 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

 

僕は祖父のために自助具を作ろうと思った祖父は去年の夏脳梗塞で倒れた祖父は一命

を取り留めたものの右手と右足がまひしてしまったのだその三週間前僕も車椅子から転倒し

て足を骨折した

 

僕には障害がある車椅子で生活することが多いしかし僕のことを障害者だといって差別

するような友達は一人もいない

 

祖父は歩けるようになりたいという気持ちが強かっただからリハビリを頑張り自分で

歩けるようになるまで回復した頑張っている祖父がかっこいいと僕は思った祖父はリハビ

リを頑張ったにも関わらず右手がうまく動かせなくなってしまっただからご飯を食べる時も

服を着替える時も時間がかかる普段何気なくやっていた動作がとても大変だと祖父は言ってい

守もり

田た

 幸こう

平へい

静岡県静岡大学教育学部附属浜松中学校 三年

祖父への靴下

法務事務次官賞

入賞作文集 46

入賞作文

た僕も何か役に立てることはないかと考えた

 

僕の学校には総合学習という授業があるそこで僕は福祉というカテゴリーを選んだ自

分で社会に役立てることを考え実際に行動することが目標だった僕は障害者のために何が

できるかを考えた

 

僕は二年前に静岡文化芸術大学で障害者がいかに日常生活で不自由のない生活ができるかを

考えるプロジェクトがあるのを新聞で知ったそれは大学生たちが個人個人にあった自助具を

作るプロジェクトだった僕は障害者のために何かできるのではと感じた

 

僕は静岡文化芸術大学へ行って僕にもできることがないかと聞いたすると学生さんが

自助具を作ってみないかと声をかけてくれた僕は迷わず「はい」と言った障害者のために

役に立てることがあると思うとすばらしいことだと思ったからだ

 

祖父のつらい顔を見ると日常生活に数々の大きな壁があることが伝わってくる

 

僕は祖父の数々の大きな壁を突き破ろうと思った祖父のために自助具を考え作ろうと僕

は思った祖父が靴下の脱ぎ履きが大変だと言っていたことを思い出したそこで脱ぎ履きし

やすい靴下はできないか考えた靴下の両脇にひもを取り付けてそれを引っ張ると靴下が縮み

脱ぎ履きしやすくなる仕組みだ大学の先生も良いアイディアだと言って褒めてく

れたこれは障害者だけでなく健常者にも使えると言われたユニバーサルデザ

インだと分かった

 

ユニバーサルデザインは年齢や障害の有無にかかわらず全ての人が使いやす

47 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

いように工夫された用具などのデザインである境界がなくなるように健常者が障

害者に対する偏見を考え差別意識がなくなるチャンスだと思った障害者と健常

者が共によりよく生きることが大切だと僕は思った

 

自助具の作品展では杖をついているお年寄り車椅子に乗った若い女性目の

見えない人福祉関係者など沢山の人々が観に来ていた皆自分の生活を良くしようと思っ

ているようだったまた障害者のためにできることは何だろうかと考えている健常者もいるよ

うだった

 

二年生の時の総合学習では二箇所のデイサービスを訪問したデイサービスには六十五歳以

上のお年寄りがいた暗く元気のない人明るく振る舞い誰とでも話せる人など様々だった

しかし僕が一番印象に残ったのは笑顔を絶やさず優しくお年寄りに接していた介護士だった

お年寄りの中には悩みを抱えている人が多いそうだその悩みを解消させる人もまた介護士だっ

た僕は介護士がお年寄りの体を支えるだけではなく心もそっと支えて生きる喜びを与え

ているのだと感じた

 

現代は三世代で暮らす家族が減り核家族が増えているそれはお年寄りの世話が大変だ

からという理由が多いだから老人ホームやデイサービスに預ける人が増えていると僕には

思えたお年寄りの中には自分が嫌われているのではないかとさえ思ってしまう人もいるそう

だそれはお年寄りにとって辛く悲しいことだと思うある介護士がこんなことをおっしゃっ

ていた「人の優しさはお金では買えない」誰にでも優しい心があると思うしかしあと一歩

入賞作文集 48

入賞作文

のところで行動に移すことができない人が多いの

だ僕たちが平和な社会で暮らせるのは今まで

頑張ってきてくれたお年寄りのお陰であることを

忘れてはいけないお年寄りを大切にすることは

当たり前のことなのだ

 

また障害者に対しても偏見の目で見ないで

そっと近づいて手を貸してあげれば健常者との

高い大きな壁を崩すことができると思う

 

障害者にも高齢者にもまた健常者にも人権

はあるお互いの人権を大切にすることが明る

い未来に繋がっていくのだと思う

 

早く祖父に僕の作った靴下を届けたい

49 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

 

僕は小学校六年生まで福岡県に住んでいましたそこで僕が体験したことです五年生のこ

ろ僕の友だちのA君が同級生のK君の靴を隠したりからかったりしていることがよくあり

ました最初は僕もあまり気にしていませんでしたがK君のことを「なんだかかわいそう」と

思うようになりました

 

ある日僕は勇気をだして先生に「K君がいじめにあっています」と報告しました初め先生は

「じゃれ合っているだけだろう」と「いじめ」とは思ってくれませんでしたでもその後「いじ

め」と分かりA君は先生に注意されその日一日は反省した様子で過ごしていましたしかし

次の日学校に行くといじめは前以上にエスカレートしていて蹴ったりたたいたりするように

なりましたしかも「死ね」「うざい」「消えろ」などの言葉が飛び交うようになりそんな日々

法務事務次官賞

浦うら

谷たに

 毅たける

徳島県三好市立池田中学校 三年

いじめをなくすために今

入賞作文集 50

入賞作文

が続きました

 

それは六年生になっても続きました僕はそのいじめを止めることができず毎日見て見ぬ

振りをしていました今思うと自分がとても恥ずかしいです本当の友達なら止めるべきなの

にそれだけではなくいじめられているK君に声一つかけることができずにいました心の中

ではA君に「やめろよ」と言おうと思っていたけどなぜか勇気が出ませんでした次にい

じめられるのが自分になるのが恐くて言えなかったのです

 

そんな日々が続く中僕の気持ちを大きく変える出来事がありました父の死ですそのとき

のことは今でも忘れることができません聞いたときには頭の中が真っ白になりました最初

は信じることができませんでした一週間も二週間も学校に行けずただぼーっと過ごしてい

ましたいろんなことを考え徐々に「死」というものの悲しさつらさ「死」という意味の

重さがわかってきましたそして時間はかかりましたが「命は一瞬にして消え二度と戻っ

てこないものだだから命を大切に今を大切にしなければならない」と深く受け止めることが

できるようになりましたそして周りの子たちは僕のような経験がないから「死ね」とか軽々

しく言えるのだろうと思いこの気持ちを伝えなくてはならないと考えました僕が強くならな

くてはと思いました

 

こんな気持ちになったとき僕には時間がありませんでした母の実家がある徳

島への引っ越しが一週間後に決まっていたのです落ち込んでいる暇は無いと思

い学校に行った僕はA君に言いました「いじめなんかやめろよいじめたって

51 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

喜ぶ人はいないし悲しむ人がいるだけだろ自分だってほんとは嫌だろ『死ね』

とか『消えろ』とか言葉の重さを知らないのに言うなよ」と言いました父親の

突然の死そのあと僕が考えたことも伝えました

 

友だちは黙って聞いてくれました僕の言葉にうなずいてそのあとK君の

ところへ行き「ごめん言葉の重さも知らずに言って本当にごめんぜったいに死ねなんて

ことは言わないそしていじめは絶対にしないほんとうにごめん」とあやまりましたK君

はとても優しい笑顔で「いいよ」と一言言いました僕もK君に言いました

「今まで助けてあげられなくてごめん」

K君は笑顔で「ありがとう」と言ってくれました今まで自分の中でもやもやしていた気持ちが

スーっと晴れました

 

今も時々耳にする暴言冗談半分で言っているのかもしれませんしかしいついじめにつ

ながるかわかりません他人を傷つけることで自分のストレスを晴らそうとしているのでしょう

関係ないふりをしようとする自分がいます楽な考え方をする自分がいますそんな時亡くなっ

た父の顔やK君の優しい笑顔を思い出しますあの時の自分のように強い気持ちを持とう「や

めろよ」と一言言うするとまた気持ちがスーっとしてきました

 

父の分も頑張って生き抜こうと決めた僕にとって正しいことを素直に認め悪いことを否定

できる強い意志を持つことが目標ですそして何よりも命を大切に今を大切にしていきたい

と思っています

入賞作文集 52

入賞作文

53 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

 

ぼくは今まで四つの外国に暮らしいろいろな国の人たちの中で育ってきた

 

まずタイで生まれてタイ人のメイドさんやドライバーさんにいつも遊んでもらっていた

らしい一才になると週一回の体操教室にも通いタイ人の友達もいたそうだ

 

次にシンガポールでは初めてナサリースクール(保育園)に通いいろいろな国の友達と

知り合ったプレイルームにある滑り台を滑る順番争いでいつも勝つのは体の大きい金髪の友

達だった

 

一回目の香港生活では英語の幼稚園に通ったその時のぼくの一番の友達はカナダ人だった

彼とはよくベイブレードをして遊んだが父が日本の出張で買ってきてくれた独楽や剣玉をして

遊ぶこともあった

村むら

瀬せ

 広ひろ

高たか

香港日本人学校中学部 二年

国境をこえて

海 外 作 品

今回は本選への応募とすることはできませんでしたが

 海外から寄せられた作品のうち一作品を御紹介します

入賞作文集 54

海外作品

 

それからインドでは日本人学校に通ったが夏休みには毎年アメリカンスクールのサマー

スクールに参加したし日本人のいない現地のテニススクールにも入り二年間通ったまたイ

ンドの現地幼稚園に通っていた妹のベストフレンドはコンゴ人でその兄弟もぼくの友達だった

 

そして三年間の日本生活を経て今また香港に戻ってきた

 

このようにぼくはいろいろな国でいろいろな国の人たちのお世話になりいろいろな国

の友達と遊んで育った肌が真っ黒な友達もゲームの話をすればすぐに仲良くなれたし髪が

金色の友達もポケモンの話をすれば気が合ったぼくは小さい頃から英語はうまくしゃべれ

なかったけれどもジェスチャーをつけたでたらめ英語でも充分に話は通じただからいろい

ろな国の人たちの中でぼくが日本人だからといって差別されたり嫌な思いをしたりしたこと

はないしぼくも肌の色が違うからとか言葉が通じないからという理由で違う人間だと思っ

たことはないそうぼくは外国人を差別したことはない

 

しかし本当にぼくは外国人を差別したことがないのだろうか外国人を差別した発言を一

度もしたことがないかと考えると自信がない

 

例えば香港人には赤信号でも平気で渡る人がたくさんいるそれを見てぼくは

「香港人はしょうがないな」

と思うでもよく見ると香港人全員が信号無視をしているわけではないまた

世界には今でも戦争をしている国がいくつもある

「人を傷つけ合うなんて馬鹿げている」

55 第30回全国中学生人権作文コンテスト

海外作品

とぼくは悲しくなるでもそれも好きで戦っている人がいるとも思えないその

人たちがそうなったのには何かきっと原因があるはずだ

 

逆に外国人から見ると日本人はどのように思われているのだろう

 

インドから日本に帰国した時毎日ごみがたくさん出ることにぼくはとても驚

いたインドの人たちがよく使う道端にあるカレー屋さんではバナナの葉で作ったお皿にカ

レーを入れてくれる食べた後そのお皿を道に捨てるとのら牛がその葉っぱを食べるそして

牛のふんは燃料になるというそれに比べて日本はちょっと歩くとペットボトルの飲み物が

買えファーストフードのお店では使い捨ての食器を使い立派なお菓子の箱を開けると中身が

少なくてがっかりすることもあるある時母が捨てたジャムの空きびんをメイドさんとエア

コンの修理にきていたワーカーさんとが取り合ってけんかをしていたこともあったそれを見

てぼくはあきれてしまったが逆にインド人から見ると使い捨て文化のしみついた日本人は

とんでもない人間にみえるのかもしれない国によって考え方や行動パターンが違うのは歴史

的背景や宗教習慣気候などのいろいろなことが関わっているのだと思う

 

このように考えると差別とはその人の一部しか見ていないことや自分のやり方だけが正

しいと思うことからおきるのではないかと思うその人が自分とは違った行動をとったとしても

それには深い理由があるのだろうと考えればきっと納得できると思うぼくもこれからは否

定的な発言をする前にその人たちのことをいろいろな角度から見て理解する努力をしてみよう

と思う外国との間には自分の国とは違う言葉や文化という壁があるとみんな言うがそこに

入賞作文集 56

海外作品

あるのは壁ではなく橋だとぼくは思う理解

し合おうという気持ちがあればきっと誰でも

その橋を渡っていけるはずだ気持ちの国境を

こえるのにパスポートはいらないお互いを理

解し合おうと思う気持ちが一番大切だと思う

そしてぼくはこれから日本人として生きる

のではなく地球人として生きていこうと思う

57 第30回全国中学生人権作文コンテスト

海外作品

法務局地方法務局名 郵便番号 所  在  地 電  話

金沢地方法務局人権擁護課920-0024 金沢市西念3-4-1金沢駅西合同庁舎(平成23年3月11日まで) 076-231-1244

921-8505 金沢市新神田4-3-10金沢新神田合同庁舎(平成23年3月14日から) 076-292-7804

富山地方法務局人権擁護課 930-0856 富山市牛島新町11番7号富山合同庁舎 076-441-6376

大阪法務局人権擁護部 540-8544 大阪市中央区谷町2丁目1番17号大阪第2法務合同庁舎 06-6942-9492

京都地方法務局人権擁護課 602-8577 京都市上京区荒神口通河原町東入上生洲町197番地 075-231-0131

神戸地方法務局人権擁護課 650-0042 神戸市中央区波止場町1番1号神戸第2地方合同庁舎 078-392-1821

奈良地方法務局人権擁護課 630-8305 奈良市東紀寺町3-4-1奈良第2法務総合庁舎 0742-23-5457

大津地方法務局人権擁護課 520-8516 大津市御陵町3番6号大津法務総合庁舎 077-522-4673

和歌山地方法務局人権擁護課 640-8552 和歌山市二番丁2番地和歌山地方合同庁舎 073-422-5131

広島法務局人権擁護部 730-8536 広島市中区上八丁堀6番30号広島合同庁舎 082-228-5790

山口地方法務局人権擁護課 753-8577 山口市中河原町6番16号山口地方合同庁舎2号館 083-922-2295

岡山地方法務局人権擁護課 700-8616 岡山市北区南方1丁目3番58号 086-224-5761

鳥取地方法務局人権擁護課 680-0011 鳥取市東町2丁目302番地鳥取第2地方合同庁舎 0857-22-2289

松江地方法務局人権擁護課 690-0886 松江市母衣町50番地松江法務合同庁舎 0852-32-4260

高松法務局人権擁護部 761-8077 高松市出作町585-4 087-815-5311

徳島地方法務局人権擁護課 770-8512 徳島市徳島町城内6番地6徳島地方合同庁舎 088-622-4171

高知地方法務局人権擁護課 780-8509 高知市栄田町2丁目2番10号高知よさこい咲都合同庁舎 088-822-3331

松山地方法務局人権擁護課 790-8505 松山市宮田町188番地6松山地方合同庁舎 089-932-0888

福岡法務局人権擁護部 814-0005 福岡市早良区祖原14-15福岡法務局西新出張所庁舎5階 092-832-4311

佐賀地方法務局人権擁護課 840-0041 佐賀市城内2丁目10番20号佐賀合同庁舎 0952-26-2148

長崎地方法務局人権擁護課 850-8507 長崎市万才町8番16号 095-826-8127大分地方法務局人権擁護課 870-8513 大分市荷揚町7番5号大分法務総合庁舎 097-532-3368

熊本地方法務局人権擁護課 862-0971 熊本市大江3丁目1番53号熊本第2合同庁舎 096-364-2145

鹿児島地方法務局人権擁護課 890-8518 鹿児島市鴨池新町1番2号 099-259-0684宮崎地方法務局人権擁護課 880-8513 宮崎市別府町1番1号宮崎法務総合庁舎 0985-22-5124

那覇地方法務局人権擁護課 900-8544 那覇市樋川1丁目15番15号那覇第1地方合同庁舎 098-854-1215

入賞作文集 58

問合せ先一覧

法務局地方法務局名 郵便番号 所  在  地 電  話

札幌法務局人権擁護部 060-0808 札幌市北区北8条西2丁目1番1札幌第1合同庁舎 011-709-2311

函館地方法務局人権擁護課 040-8533 函館市新川町25番18号函館地方合同庁舎 0138-23-9528

旭川地方法務局人権擁護課 078-8502 旭川市宮前通東4155番31旭川合同庁舎 0166-38-1114

釧路地方法務局人権擁護課 085-8522 釧路市幸町10丁目3番地釧路地方合同庁舎 0154-31-5014

仙台法務局人権擁護部 980-8601 仙台市青葉区春日町7番25号仙台第3法務総合庁舎 022-225-5739

福島地方法務局人権擁護課 960-8021 福島市霞町1番46号福島合同庁舎 024-534-1994

山形地方法務局人権擁護課 990-0041 山形市緑町1丁目5番48号山形地方合同庁舎 023-625-1321

盛岡地方法務局人権擁護課 020-0023 盛岡市内丸7番25号盛岡合同庁舎 019-624-9859秋田地方法務局人権擁護課 010-0951 秋田市山王7丁目1番3号 018-862-6533

青森地方法務局人権擁護課 030-8511 青森市長島1丁目3番5号青森第二合同庁舎 017-776-9024

東京法務局人権擁護部 102-8225 千代田区九段南1丁目1番15号九段第2合同庁舎 03-5213-1234

横浜地方法務局人権擁護課 231-8411 横浜市中区北仲通5丁目57番地横浜第2合同庁舎 045-641-7926

さいたま地方法務局人権擁護課 338-8513 さいたま市中央区下落合5-12-1さいたま第二法務総合庁舎 048-859-3507

千葉地方法務局人権擁護課 260-8518 千葉市中央区中央港1丁目11番3号千葉地方合同庁舎 043-302-1319

水戸地方法務局人権擁護課 310-0061 水戸市北見町1番1号水戸地方法務合同庁舎 029-227-9919

宇都宮地方法務局人権擁護課 320-8515 宇都宮市小幡2丁目1番11号宇都宮地方法務合同庁舎 028-623-0926

前橋地方法務局人権擁護課 371-8535 前橋市大手町2丁目10番5号前橋合同庁舎 027-221-4426

静岡地方法務局人権擁護課 420-8650 静岡市葵区追手町9番50号静岡地方合同庁舎 054-254-3555

甲府地方法務局人権擁護課 400-8520 甲府市北口1丁目2番19号甲府地方合同庁舎 055-252-7239

長野地方法務局人権擁護課 380-0846 長野市旭町1108番地長野第2合同庁舎 026-235-6634

新潟地方法務局人権擁護課 951-8504 新潟市中央区西大畑町5191番地新潟地方法務総合庁舎 025-222-1564

名古屋法務局人権擁護部 460-8513 名古屋市中区三の丸2丁目2番1号名古屋合同庁舎第1号館 052-952-8111

津地方法務局人権擁護課 514-8503 津市丸之内26番8号津合同庁舎 059-228-4193岐阜地方法務局人権擁護課 500-8729 岐阜市金竜町5丁目13番地 058-245-3181

福井地方法務局人権擁護課 910-8504 福井市春山1丁目1番54号福井春山合同庁舎 0776-22-5090

問合せ先一覧 (法務局地方法務局)

59 第30回全国中学生人権作文コンテスト

問合せ先一覧

世界人権宣言啓発書画「鳥」「自由と解放」を表わしたもの 小木太法書オタビオロス画(財)人権擁護協力会提供

入賞作文集 60

すべての人間は生まれながらにして

自由でありかつ尊厳と権利とに

ついて平等である人間は理性と

良心とを授けられており互いに同胞の

精神をもって行動しなければならない

―――

世界人権宣言 第一条

―――

第三〇回

 全国中学生人権作文コンテスト

中央大会表彰式

印  刷 平成23年1月25日

発  行 平成23年2月14日

発 行 者 法務省人権擁護局

全国人権擁護委員連合会

東京都千代田区霞が関一丁目1番1号

電話 03(3580)4111 内線5875

URL httpwwwmojgojpJINKEN

第30回全国中学生人権作文コンテスト中央大会審査員

感想をお聞かせください本作文集を読まれた感想等を下記の連絡先又はkeihatsumojgojpまでお寄せください

無断転載を禁じます本作文集に掲載された作文や写真等を地方自治体が広報誌に掲載したり学校が教材に使用される場合などにはあらかじめ下記に御連絡ください

100-8977 東京都千代田区霞が関一丁目1番1号 法務省人権擁護局人権啓発課 TEL03(3580)4111 内線5875

作  家(審査員長) 落 合 恵 子映画監督 山 田 洋 次社団法人日本新聞協会事務局長 川 嶋   明日本放送協会解説委員室解説委員 南   直 樹文部科学省初等中等教育局視学官 三 好 仁 司全国人権擁護委員連合会長 中 村 浩 紹法務省人権擁護局長   井 忠 雄

(敬称略)

【式次第】

第一部

 会

主催者あいさつ

賞状授与

内閣総理大臣賞法務大臣賞

文部科学大臣奨励賞法務副大臣賞

法務大臣政務官賞

全国人権擁護委員連合会長賞

社団法人日本新聞協会会長賞

日本放送協会会長賞(以上各一名)

法務事務次官賞(三名) 計一一名

学校への感謝状贈呈

高円宮妃殿下おことば

来賓祝辞

第二部

各受賞作文の朗読

内閣総理大臣賞法務大臣賞

文部科学大臣奨励賞

全国人権擁護委員連合会長賞

社団法人日本新聞協会会長賞

日本放送協会会長賞

 評

全国中学生人権作文コンテスト中央大会審査員

 山田洋次氏

 落合恵子氏(ビデオレター形式)

第三部

新垣勉さんコンサート

 会 平成二二年一二月一八日(土)

午後一時三〇分〜三時五〇分

於ニッショーホール

「いじめ」や暴力行為等は人権侵害です

法務局地方法務局では

人権侵害による被害を受けた方を

救済するための活動を行っています

お気軽にご相談ください

女性の人権ホットライン

インターネット人権相談受付窓口

ゼロナナゼロのハートライン

0570-070-810

子どもの人権110番ぜろぜろななのひゃくとおばん

 0120-007-110

パソコンから httpwwwmojgojpJINKENjinken113html携帯電話から httpwwwjinkengojpsoudanmobile001html

インターネット人権相談 検 索

Human Rights法務省人権擁護局全国人権擁護委員連合会

人権イメージキャラクター人KENあゆみちゃん人KENまもる君

全国共通通話料無料

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この冊子は環境保護印刷の「水なし印刷」で印刷されています

第30回全国中学生人権作文コンテスト入賞作文集

法務省人権擁護局全国人権擁護委員連合会

人権イメージキャラクター人KENまもる君人KENあゆみちゃん

この冊子には音声コードが各頁(奇数頁 左下偶数頁 右下)に印刷されています専用の読み上げ装置で読み取ると記録されている情報を音声で聞くことが出来ます

Human Rights法務省人権擁護局全国人権擁護委員連合会

 全国中学生人権作文コンテスト入賞作文集

 全国中学生人権作文コンテスト入賞作文集

第30回

える「百人の中の一人」にはなれるはず

だそのために私は今この作文を書い

ている文字は時を越えて生き続けるか

ら私はこれからも楽泉園訪問を続ける

つもりだ実際に中学生の私が出来るこ

とには限りがあるが差別や偏見を少し

でも減らすために一歩を踏み出すつもり

でいる「自分と同様に他人を愛すれば

いつか差別は無くなる」と言う藤田さ

んの言葉を胸に

33 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

 

森に囲まれたその一画には教会や寺院神社があり小さなショッピングセンターやレスト

ランもある床屋や図書館郵便局や浴場もあるしかしそれらの施設を利用するのはその一

画に住む人たちだけだ緑の外側に住む人が利用することはないそこはハンセン病の療養所

多磨全生園である

 

僕は七年前に清瀬市に引っ越してきた夏のある日昆虫が大好きな僕は何気なくその森の

中に入って行ったそして歩き回っているうちにその場所が一つの「町」であることに気付

いた

 

毎日セミやカマキリやナナフシを探しながらどうしてこんな所があるのだろうと思った

 

僕が一番不思議に思ったのは古い木造の小学校だいつも誰もいない校舎と小さな運動場近

久く

米め

 一かず

輝き

埼玉県学校法人立教学院立教新座中学校 一年

ハンセン病について考えたこと

社団法人日本新聞協会会長賞

入賞作文集 34

入賞作文

くに小学校があるのにどうしてこんな所に小学校があるのだろう小学一年生の僕はとても不思

議に思った

 

夏に地域交流を目的とした盆踊りと花火大会が行われるいつもは人のいない小学校跡は多く

の人であふれかえり普段は見かけない重い後遺症の老人たちもこの日は外に出て盆踊りを楽し

む初めて参加したときは言葉が出なかった正直「怖い」と思った

 

夏が来るたびに僕は盆踊り大会に参加した低学年から高学年へと進むにつれて少しずつハ

ンセン病のことが分かってきた

 

六年生のときに社会科見学で全生園の元患者を訪れることになっただが僕は都合で参加で

きなかった僕はそれをずっと悔やんでいる

 

今年の夏僕はハンセン病資料館に出かけた見学者は僕一人でとても緊張したなるべく

音を立てないようにパネルを見て回った

 

強制隔離の現実にとても驚いた狭い部屋に押し込められ症状の軽い患者が重症の患者の世

話をしたという子供を持つ権利や生まれる赤ん坊の命まで奪われていた逃げ出したり反抗的

な患者は「不良患者」と呼ばれ窓の小さな暗い監房に閉じ込められた

 

医学が進歩し療養所も徐々に改善されていったが強制隔離を命じる「らい予防

法」が廃止されたのは一九九六年だという隔離が始まった一九〇八年から約九〇

年も経っていた僕が生まれるほんの一年前のことである特効薬が開発され本

格的な治療が始まったのは昭和二十二年である現実に合わない法律を廃止するの

35 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

にどうしてそんなに時間がかかったのだろうか

 

資料をもらってハンセン病資料館を後にした家を出るときは帰りに虫の観察

をするつもりだったがとてもそんな気にはなれなかったいつもセミが集まる桜

の木には目もくれずに早足で家に帰った

 

資料の中で一番心が痛んだのは療養所の子供たちのことだ療養所に入所したのはハンセン

病を発症した子どもたちだけではない親が発症したために入所する子どもたちもいた当時は

ハンセン病は遺伝病だとされていたからだ親から無理やり引き離された子どもたちは「すぐに

帰れるから」という言葉を信じていたというしかし一生療養所を出ることができなかった人が

多かったという社会的な差別がひどかったからだと資料に書かれていたが僕には実感がわか

なかったのでもう少し調べてみることにした

 

図書館で『ハンセン病を生きて』(伊波敏男著)という本を見つけた少し難しかったが差

別の現実が僕にもわかる部分があったそれは元患者たちに対して書かれた匿名のひどい手紙

である長年隔離されて苦しんできた人たちをさらに傷つける言葉が並んでいた悲しく暗い

気持ちになった

 

日本は経済大国として世界の注目を浴びているだが人権意識の面ではどうだろう「らい

予防法」を二〇世紀の末まで廃止できなかったことをどう考えたらよいのだろうか明治時代に

隔離が始まったときそれは外国に対する体面を保つためだったという病気の人を治療するの

ではなく「隠す」のが目的だったのだいまだに差別意識を持つ人がいるのは社会がそうした

入賞作文集 36

入賞作文

過去に対する反省をしていないから

だと思う

 

僕が不思議に思った小学校はすで

に取り壊されて今では小さな石碑

だけが残っている老朽化がひどく

残しておくことができなくなったか

らだという全生園の古い建物はど

んどん取り壊されていく石碑だけ

ではあの不思議さが伝わらないのが

とても残念だ

37 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

 

僕の曾祖父は医者嫌いでしたそのため腹痛で病院に運ばれた時は膵臓癌の末期で余命三ヶ

月でした手術もできない手遅れの状態でした家族皆で話し合い曾祖父の辛い気持ちを第一に

考え曾祖父に病を隠すことになりました曾祖父は次第に病院の中を歩いては転倒し体中あ

ざだらけになりベッドの上で縛られることになっていました曾祖父は病名の宣告を受けてい

ないため元気で歩けると思っているが実際歩くと転んでしまう何でこんな風になってしまっ

たのかさえわからない

 

家族と病院に行くと「包丁もてこいこれぶった切って家さ帰る」と騒いでいましたあん

なに優しかった曾祖父の姿に言葉も出ず恐いくらいでした何も知らされずベッドに縛り付

けられれば誰もがそうなることでしょう「じいちゃんどご一緒に車さのせでいてくれの」と

櫻さくらだ田

 要かな

太た

山形県酒田市立松山中学校 三年

日本放送協会会長賞

悔いのない最期を

入賞作文集 38

入賞作文

せがまれたときもありますかわいそうで涙がポロポロこぼれました「おじいちゃんどご家

さ連れで帰ろうよ」とせがんでも家族も仕事で忙しいためか誰も首を縦に振ってくれず病院

にいた方が安心ということになりました膵臓癌は予想以上に激しい痛みのため医師から強い

痛み止めと強い睡眠剤を勧められましたがそれを導入することにより安楽死に近い状況にな

ることも医師から告げられていました家族は決断をせまられました曾祖父に相談もせずに決

めていいことなのか家に帰りたい曾祖父の意志は封じ込められたままでいいのか家族で悩み

ました結局痛みに耐えている姿は見ていられなくその薬を使うことになりましたその後

曾祖父は次第に弱っていき口も利けなくなり静かに亡くなっていきました僕はどこか心を

引きずったままでした僕達家族が曾祖父に宣告もせず意見も聞かず命の長さを決めてしまっ

たこと当時幼かった僕には何もしてあげられなかったことが今思い出しても残念です

 

最近授業で人権について学習しているときに幼い頃の記憶がよみがえりふと曾祖父のこと

を思い出しました

 

曾祖父はどんな思いで亡くなったのだろう最後に意識のあるうちに一度でいいから家に帰っ

てきたかっただろう身体拘束は今は病院でも禁止されていると思いますがあの頃は確かに曾

祖父のおなかに黒いベルトのようなものが巻きついていました決して自分の力で

は外せないようなものでしたもがき苦しむ曾祖父の姿を見た時に看護師さんに

目を隠され別の部屋に連れて行かれました見せたくない光景だったのだと思いま

すでもあの姿は僕の脳裏に焼き付いています病院の中での人材不足のためだっ

39 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

たのでしょうか人が人らしく生きていない姿でした

 

七十八年生きてきて何も悪いことをしていないのに縛られ家にも帰れない

病気で余命幾ばくもない人には人権というものは存在しないのでしょうか最近の

医療の現場では自己決定権があることについて学びました

 

仏壇に向かい静かに目を閉じると優しく穏やかに微笑む曾祖父の笑顔が浮かびますどんな

気持ちで亡くなっていったのかその気持ちを考えると苦しい気持ちになります野球の大会に

行く前仏壇に手を合わせます「やればできる努力しろ」とよく励ましてくれました曾祖

父の力には何もなれなかったけれど目には見えない力で応援してくれる曾祖父に線香をあげて

自分を省みる時があります曾祖母が元気なので曾祖父を助けられなかった分曾祖母の力に

なっていくことを曾祖父に約束しています

 

夏休み中のニュースで高齢者の所在不明者が多数のため百歳以上の安否確認調査をしていま

した自分の親を平気で捨て遺骨さえもひきとらない亡くなっていたのに年金を不正受給する

ために隠していたなど耳をふさぎたくなるような事件もありました犬や猫が年をとって弱っ

てきた手がかかるから面倒だからと捨ててしまうそれと同じ現象が弱い高齢者にも及んでき

ているのだと思います

 

やはりこの世に生まれてきたもの全てに自分の意志で生きることを決めていける権利がある

と思います長い年月を苦労や努力と向き合いながら精一杯生きてくれたおかげで今の幸せが

あることを忘れずにいたい人はいずれ誰でも年をとります自由に動けなくなった時に自分の

入賞作文集 40

入賞作文

願いが叶う社会を築き「悔いなく満足で楽しく幸せな人生だった」と思えるように人とし

ての誇りを持って満足できる最期を迎えられるように考えていきたいもう二度と僕が見た自

己決定権のない社会にならないように高齢者には今までの感謝の気持ちで本人の希望をでき

るだけ叶えられるように努力していきたいいずれ僕達も迎える高齢社会だからhellip

41 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

 

私は小学六年生の時から盲導犬候補の子犬を育てるボランティアをしています「犬を飼っ

てみたい」と言う私に両親が「せっかく犬を飼うのなら社会に役立つことをしよう」と提案

したからです生後二ヵ月の子犬を預かり一歳の誕生日を迎えるまで世話をするのがボランティ

アの役目です初めて訓練士さんから子犬を手渡された時は不安でドキドキしましたが子犬は

すぐに私の腕の中で眠ってしまいました初めて会った私のことを信頼して安心しきった寝顔

で眠っている姿は本当に可愛かったですラブラドールの子犬はとてもやんちゃで私の家にやっ

て来たその日からいたずらばかりしていましたがしかられてもクヨクヨせずどんな相手にも

 林はやし

 里り

咲さ

東京都小平市立小平第六中学校 三年

差別のない社会に

(パピーウォーカーの経験から学んだこと)

法務事務次官賞

入賞作文集 42

入賞作文

フレンドリーに近づいていく姿から私は明るく前向きに生きることを教わりました子犬たち

と過ごした日々は私にとって一番の宝物ですそしてあっという間に一歳の誕生日がやって来ま

した誕生日が悲しいという経験は初めてでした訓練所への入所日の前日には長い長い散歩を

して最後のお別れをしました「今までありがとう」そう言った私のことを不思議そうに見てい

た子犬の顔が今も目に焼きついています別れは本当につらいけれど涙を見せたら子犬が心配す

るので頑張って笑顔で見送りました

 

私の家で育てた一頭目の子犬は現在盲導犬になって頑張っていますそして今年四月に巣立っ

ていった二頭目の子犬は神奈川にある訓練センターで訓練中です

 

このボランティアを通して私は多くのことを学びましたまず盲導犬の役割ですがこれは単

に目の不自由な方が便利に一人でどこへでも行けるようにするためだけではありません視覚障

がいのある方にとって人の手をわずらわせるのはとてもつらいことなのだそうですたとえ家

族に対してでも「迷惑をかけるのではないか」と思って我慢することが多く「私なんかいない

方がいいんじゃないか」と考えてしまうこともあったといいますその失われそうになった尊

厳を取り戻す手助けをするのが盲導犬の役目なのです犬は訓練を共にするパートナーのことを

大好きになるので「自分は他者からこんなにも大好きになってもらえる存在なん

だ」と気づいて自信を取り戻し新しい一歩を踏み出せるようになるのだそうです

 

また私がボランティア登録している日本盲導犬協会では二〇〇八年に新しい

試みが始まりました受刑者が盲導犬候補の子犬を育てる動物を介在した日本初

43 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

の教育プログラムです罪を犯した人も心から反省してきちんと罪を償えば社会

は差別することなく受け入れるべきですしかし実際はとても偏見が多く元受刑

者たちは「どうせ自分はだめな人間なんだ」と思い再び罪を犯してしまう悪循環

が起こっているそうですその悪循環を断ち切り受刑者たちがスムーズに社会復

帰を果たせるよう支援するのが「あさひ盲導犬パピープロジェクト」です受刑者たちは約十ヵ

月の間子犬たちを世話しながら一緒に過ごし「役に立つ喜び達成する喜び信頼される喜び」

を感じることで自分の価値を再確認するのだそうです今年一月に第一期のプロジェクトを修了

した受刑者の感想に次のようなものがありました

 「今後自分もパピーに笑われないようにきちんとしなければならないパピーは慈しむこと

寛容の心を教えてくれました」

 

犬は決して差別をしません健康な人にも障がいのある人にもお金持ちにも貧しい人にも

権力のある人にも犯罪を犯した人にも全く同じように接してくれますそんな犬たちと一緒に過

ごすことで自信をなくした人たちも自分のことをかけがえのない大切な存在であると思えるよ

うになるのです

 

私たち人間も差別のない社会をつくる努力をしなければならないと思います一人一人が相

手を大切に思う心を忘れなければこの社会はもっと住み良い場所になるはずです私はこのボ

ランティアを通して学んだことを生かしてこれからも一層努力していきたいと思います

入賞作文集 44

入賞作文

45 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

 

僕は祖父のために自助具を作ろうと思った祖父は去年の夏脳梗塞で倒れた祖父は一命

を取り留めたものの右手と右足がまひしてしまったのだその三週間前僕も車椅子から転倒し

て足を骨折した

 

僕には障害がある車椅子で生活することが多いしかし僕のことを障害者だといって差別

するような友達は一人もいない

 

祖父は歩けるようになりたいという気持ちが強かっただからリハビリを頑張り自分で

歩けるようになるまで回復した頑張っている祖父がかっこいいと僕は思った祖父はリハビ

リを頑張ったにも関わらず右手がうまく動かせなくなってしまっただからご飯を食べる時も

服を着替える時も時間がかかる普段何気なくやっていた動作がとても大変だと祖父は言ってい

守もり

田た

 幸こう

平へい

静岡県静岡大学教育学部附属浜松中学校 三年

祖父への靴下

法務事務次官賞

入賞作文集 46

入賞作文

た僕も何か役に立てることはないかと考えた

 

僕の学校には総合学習という授業があるそこで僕は福祉というカテゴリーを選んだ自

分で社会に役立てることを考え実際に行動することが目標だった僕は障害者のために何が

できるかを考えた

 

僕は二年前に静岡文化芸術大学で障害者がいかに日常生活で不自由のない生活ができるかを

考えるプロジェクトがあるのを新聞で知ったそれは大学生たちが個人個人にあった自助具を

作るプロジェクトだった僕は障害者のために何かできるのではと感じた

 

僕は静岡文化芸術大学へ行って僕にもできることがないかと聞いたすると学生さんが

自助具を作ってみないかと声をかけてくれた僕は迷わず「はい」と言った障害者のために

役に立てることがあると思うとすばらしいことだと思ったからだ

 

祖父のつらい顔を見ると日常生活に数々の大きな壁があることが伝わってくる

 

僕は祖父の数々の大きな壁を突き破ろうと思った祖父のために自助具を考え作ろうと僕

は思った祖父が靴下の脱ぎ履きが大変だと言っていたことを思い出したそこで脱ぎ履きし

やすい靴下はできないか考えた靴下の両脇にひもを取り付けてそれを引っ張ると靴下が縮み

脱ぎ履きしやすくなる仕組みだ大学の先生も良いアイディアだと言って褒めてく

れたこれは障害者だけでなく健常者にも使えると言われたユニバーサルデザ

インだと分かった

 

ユニバーサルデザインは年齢や障害の有無にかかわらず全ての人が使いやす

47 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

いように工夫された用具などのデザインである境界がなくなるように健常者が障

害者に対する偏見を考え差別意識がなくなるチャンスだと思った障害者と健常

者が共によりよく生きることが大切だと僕は思った

 

自助具の作品展では杖をついているお年寄り車椅子に乗った若い女性目の

見えない人福祉関係者など沢山の人々が観に来ていた皆自分の生活を良くしようと思っ

ているようだったまた障害者のためにできることは何だろうかと考えている健常者もいるよ

うだった

 

二年生の時の総合学習では二箇所のデイサービスを訪問したデイサービスには六十五歳以

上のお年寄りがいた暗く元気のない人明るく振る舞い誰とでも話せる人など様々だった

しかし僕が一番印象に残ったのは笑顔を絶やさず優しくお年寄りに接していた介護士だった

お年寄りの中には悩みを抱えている人が多いそうだその悩みを解消させる人もまた介護士だっ

た僕は介護士がお年寄りの体を支えるだけではなく心もそっと支えて生きる喜びを与え

ているのだと感じた

 

現代は三世代で暮らす家族が減り核家族が増えているそれはお年寄りの世話が大変だ

からという理由が多いだから老人ホームやデイサービスに預ける人が増えていると僕には

思えたお年寄りの中には自分が嫌われているのではないかとさえ思ってしまう人もいるそう

だそれはお年寄りにとって辛く悲しいことだと思うある介護士がこんなことをおっしゃっ

ていた「人の優しさはお金では買えない」誰にでも優しい心があると思うしかしあと一歩

入賞作文集 48

入賞作文

のところで行動に移すことができない人が多いの

だ僕たちが平和な社会で暮らせるのは今まで

頑張ってきてくれたお年寄りのお陰であることを

忘れてはいけないお年寄りを大切にすることは

当たり前のことなのだ

 

また障害者に対しても偏見の目で見ないで

そっと近づいて手を貸してあげれば健常者との

高い大きな壁を崩すことができると思う

 

障害者にも高齢者にもまた健常者にも人権

はあるお互いの人権を大切にすることが明る

い未来に繋がっていくのだと思う

 

早く祖父に僕の作った靴下を届けたい

49 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

 

僕は小学校六年生まで福岡県に住んでいましたそこで僕が体験したことです五年生のこ

ろ僕の友だちのA君が同級生のK君の靴を隠したりからかったりしていることがよくあり

ました最初は僕もあまり気にしていませんでしたがK君のことを「なんだかかわいそう」と

思うようになりました

 

ある日僕は勇気をだして先生に「K君がいじめにあっています」と報告しました初め先生は

「じゃれ合っているだけだろう」と「いじめ」とは思ってくれませんでしたでもその後「いじ

め」と分かりA君は先生に注意されその日一日は反省した様子で過ごしていましたしかし

次の日学校に行くといじめは前以上にエスカレートしていて蹴ったりたたいたりするように

なりましたしかも「死ね」「うざい」「消えろ」などの言葉が飛び交うようになりそんな日々

法務事務次官賞

浦うら

谷たに

 毅たける

徳島県三好市立池田中学校 三年

いじめをなくすために今

入賞作文集 50

入賞作文

が続きました

 

それは六年生になっても続きました僕はそのいじめを止めることができず毎日見て見ぬ

振りをしていました今思うと自分がとても恥ずかしいです本当の友達なら止めるべきなの

にそれだけではなくいじめられているK君に声一つかけることができずにいました心の中

ではA君に「やめろよ」と言おうと思っていたけどなぜか勇気が出ませんでした次にい

じめられるのが自分になるのが恐くて言えなかったのです

 

そんな日々が続く中僕の気持ちを大きく変える出来事がありました父の死ですそのとき

のことは今でも忘れることができません聞いたときには頭の中が真っ白になりました最初

は信じることができませんでした一週間も二週間も学校に行けずただぼーっと過ごしてい

ましたいろんなことを考え徐々に「死」というものの悲しさつらさ「死」という意味の

重さがわかってきましたそして時間はかかりましたが「命は一瞬にして消え二度と戻っ

てこないものだだから命を大切に今を大切にしなければならない」と深く受け止めることが

できるようになりましたそして周りの子たちは僕のような経験がないから「死ね」とか軽々

しく言えるのだろうと思いこの気持ちを伝えなくてはならないと考えました僕が強くならな

くてはと思いました

 

こんな気持ちになったとき僕には時間がありませんでした母の実家がある徳

島への引っ越しが一週間後に決まっていたのです落ち込んでいる暇は無いと思

い学校に行った僕はA君に言いました「いじめなんかやめろよいじめたって

51 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

喜ぶ人はいないし悲しむ人がいるだけだろ自分だってほんとは嫌だろ『死ね』

とか『消えろ』とか言葉の重さを知らないのに言うなよ」と言いました父親の

突然の死そのあと僕が考えたことも伝えました

 

友だちは黙って聞いてくれました僕の言葉にうなずいてそのあとK君の

ところへ行き「ごめん言葉の重さも知らずに言って本当にごめんぜったいに死ねなんて

ことは言わないそしていじめは絶対にしないほんとうにごめん」とあやまりましたK君

はとても優しい笑顔で「いいよ」と一言言いました僕もK君に言いました

「今まで助けてあげられなくてごめん」

K君は笑顔で「ありがとう」と言ってくれました今まで自分の中でもやもやしていた気持ちが

スーっと晴れました

 

今も時々耳にする暴言冗談半分で言っているのかもしれませんしかしいついじめにつ

ながるかわかりません他人を傷つけることで自分のストレスを晴らそうとしているのでしょう

関係ないふりをしようとする自分がいます楽な考え方をする自分がいますそんな時亡くなっ

た父の顔やK君の優しい笑顔を思い出しますあの時の自分のように強い気持ちを持とう「や

めろよ」と一言言うするとまた気持ちがスーっとしてきました

 

父の分も頑張って生き抜こうと決めた僕にとって正しいことを素直に認め悪いことを否定

できる強い意志を持つことが目標ですそして何よりも命を大切に今を大切にしていきたい

と思っています

入賞作文集 52

入賞作文

53 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

 

ぼくは今まで四つの外国に暮らしいろいろな国の人たちの中で育ってきた

 

まずタイで生まれてタイ人のメイドさんやドライバーさんにいつも遊んでもらっていた

らしい一才になると週一回の体操教室にも通いタイ人の友達もいたそうだ

 

次にシンガポールでは初めてナサリースクール(保育園)に通いいろいろな国の友達と

知り合ったプレイルームにある滑り台を滑る順番争いでいつも勝つのは体の大きい金髪の友

達だった

 

一回目の香港生活では英語の幼稚園に通ったその時のぼくの一番の友達はカナダ人だった

彼とはよくベイブレードをして遊んだが父が日本の出張で買ってきてくれた独楽や剣玉をして

遊ぶこともあった

村むら

瀬せ

 広ひろ

高たか

香港日本人学校中学部 二年

国境をこえて

海 外 作 品

今回は本選への応募とすることはできませんでしたが

 海外から寄せられた作品のうち一作品を御紹介します

入賞作文集 54

海外作品

 

それからインドでは日本人学校に通ったが夏休みには毎年アメリカンスクールのサマー

スクールに参加したし日本人のいない現地のテニススクールにも入り二年間通ったまたイ

ンドの現地幼稚園に通っていた妹のベストフレンドはコンゴ人でその兄弟もぼくの友達だった

 

そして三年間の日本生活を経て今また香港に戻ってきた

 

このようにぼくはいろいろな国でいろいろな国の人たちのお世話になりいろいろな国

の友達と遊んで育った肌が真っ黒な友達もゲームの話をすればすぐに仲良くなれたし髪が

金色の友達もポケモンの話をすれば気が合ったぼくは小さい頃から英語はうまくしゃべれ

なかったけれどもジェスチャーをつけたでたらめ英語でも充分に話は通じただからいろい

ろな国の人たちの中でぼくが日本人だからといって差別されたり嫌な思いをしたりしたこと

はないしぼくも肌の色が違うからとか言葉が通じないからという理由で違う人間だと思っ

たことはないそうぼくは外国人を差別したことはない

 

しかし本当にぼくは外国人を差別したことがないのだろうか外国人を差別した発言を一

度もしたことがないかと考えると自信がない

 

例えば香港人には赤信号でも平気で渡る人がたくさんいるそれを見てぼくは

「香港人はしょうがないな」

と思うでもよく見ると香港人全員が信号無視をしているわけではないまた

世界には今でも戦争をしている国がいくつもある

「人を傷つけ合うなんて馬鹿げている」

55 第30回全国中学生人権作文コンテスト

海外作品

とぼくは悲しくなるでもそれも好きで戦っている人がいるとも思えないその

人たちがそうなったのには何かきっと原因があるはずだ

 

逆に外国人から見ると日本人はどのように思われているのだろう

 

インドから日本に帰国した時毎日ごみがたくさん出ることにぼくはとても驚

いたインドの人たちがよく使う道端にあるカレー屋さんではバナナの葉で作ったお皿にカ

レーを入れてくれる食べた後そのお皿を道に捨てるとのら牛がその葉っぱを食べるそして

牛のふんは燃料になるというそれに比べて日本はちょっと歩くとペットボトルの飲み物が

買えファーストフードのお店では使い捨ての食器を使い立派なお菓子の箱を開けると中身が

少なくてがっかりすることもあるある時母が捨てたジャムの空きびんをメイドさんとエア

コンの修理にきていたワーカーさんとが取り合ってけんかをしていたこともあったそれを見

てぼくはあきれてしまったが逆にインド人から見ると使い捨て文化のしみついた日本人は

とんでもない人間にみえるのかもしれない国によって考え方や行動パターンが違うのは歴史

的背景や宗教習慣気候などのいろいろなことが関わっているのだと思う

 

このように考えると差別とはその人の一部しか見ていないことや自分のやり方だけが正

しいと思うことからおきるのではないかと思うその人が自分とは違った行動をとったとしても

それには深い理由があるのだろうと考えればきっと納得できると思うぼくもこれからは否

定的な発言をする前にその人たちのことをいろいろな角度から見て理解する努力をしてみよう

と思う外国との間には自分の国とは違う言葉や文化という壁があるとみんな言うがそこに

入賞作文集 56

海外作品

あるのは壁ではなく橋だとぼくは思う理解

し合おうという気持ちがあればきっと誰でも

その橋を渡っていけるはずだ気持ちの国境を

こえるのにパスポートはいらないお互いを理

解し合おうと思う気持ちが一番大切だと思う

そしてぼくはこれから日本人として生きる

のではなく地球人として生きていこうと思う

57 第30回全国中学生人権作文コンテスト

海外作品

法務局地方法務局名 郵便番号 所  在  地 電  話

金沢地方法務局人権擁護課920-0024 金沢市西念3-4-1金沢駅西合同庁舎(平成23年3月11日まで) 076-231-1244

921-8505 金沢市新神田4-3-10金沢新神田合同庁舎(平成23年3月14日から) 076-292-7804

富山地方法務局人権擁護課 930-0856 富山市牛島新町11番7号富山合同庁舎 076-441-6376

大阪法務局人権擁護部 540-8544 大阪市中央区谷町2丁目1番17号大阪第2法務合同庁舎 06-6942-9492

京都地方法務局人権擁護課 602-8577 京都市上京区荒神口通河原町東入上生洲町197番地 075-231-0131

神戸地方法務局人権擁護課 650-0042 神戸市中央区波止場町1番1号神戸第2地方合同庁舎 078-392-1821

奈良地方法務局人権擁護課 630-8305 奈良市東紀寺町3-4-1奈良第2法務総合庁舎 0742-23-5457

大津地方法務局人権擁護課 520-8516 大津市御陵町3番6号大津法務総合庁舎 077-522-4673

和歌山地方法務局人権擁護課 640-8552 和歌山市二番丁2番地和歌山地方合同庁舎 073-422-5131

広島法務局人権擁護部 730-8536 広島市中区上八丁堀6番30号広島合同庁舎 082-228-5790

山口地方法務局人権擁護課 753-8577 山口市中河原町6番16号山口地方合同庁舎2号館 083-922-2295

岡山地方法務局人権擁護課 700-8616 岡山市北区南方1丁目3番58号 086-224-5761

鳥取地方法務局人権擁護課 680-0011 鳥取市東町2丁目302番地鳥取第2地方合同庁舎 0857-22-2289

松江地方法務局人権擁護課 690-0886 松江市母衣町50番地松江法務合同庁舎 0852-32-4260

高松法務局人権擁護部 761-8077 高松市出作町585-4 087-815-5311

徳島地方法務局人権擁護課 770-8512 徳島市徳島町城内6番地6徳島地方合同庁舎 088-622-4171

高知地方法務局人権擁護課 780-8509 高知市栄田町2丁目2番10号高知よさこい咲都合同庁舎 088-822-3331

松山地方法務局人権擁護課 790-8505 松山市宮田町188番地6松山地方合同庁舎 089-932-0888

福岡法務局人権擁護部 814-0005 福岡市早良区祖原14-15福岡法務局西新出張所庁舎5階 092-832-4311

佐賀地方法務局人権擁護課 840-0041 佐賀市城内2丁目10番20号佐賀合同庁舎 0952-26-2148

長崎地方法務局人権擁護課 850-8507 長崎市万才町8番16号 095-826-8127大分地方法務局人権擁護課 870-8513 大分市荷揚町7番5号大分法務総合庁舎 097-532-3368

熊本地方法務局人権擁護課 862-0971 熊本市大江3丁目1番53号熊本第2合同庁舎 096-364-2145

鹿児島地方法務局人権擁護課 890-8518 鹿児島市鴨池新町1番2号 099-259-0684宮崎地方法務局人権擁護課 880-8513 宮崎市別府町1番1号宮崎法務総合庁舎 0985-22-5124

那覇地方法務局人権擁護課 900-8544 那覇市樋川1丁目15番15号那覇第1地方合同庁舎 098-854-1215

入賞作文集 58

問合せ先一覧

法務局地方法務局名 郵便番号 所  在  地 電  話

札幌法務局人権擁護部 060-0808 札幌市北区北8条西2丁目1番1札幌第1合同庁舎 011-709-2311

函館地方法務局人権擁護課 040-8533 函館市新川町25番18号函館地方合同庁舎 0138-23-9528

旭川地方法務局人権擁護課 078-8502 旭川市宮前通東4155番31旭川合同庁舎 0166-38-1114

釧路地方法務局人権擁護課 085-8522 釧路市幸町10丁目3番地釧路地方合同庁舎 0154-31-5014

仙台法務局人権擁護部 980-8601 仙台市青葉区春日町7番25号仙台第3法務総合庁舎 022-225-5739

福島地方法務局人権擁護課 960-8021 福島市霞町1番46号福島合同庁舎 024-534-1994

山形地方法務局人権擁護課 990-0041 山形市緑町1丁目5番48号山形地方合同庁舎 023-625-1321

盛岡地方法務局人権擁護課 020-0023 盛岡市内丸7番25号盛岡合同庁舎 019-624-9859秋田地方法務局人権擁護課 010-0951 秋田市山王7丁目1番3号 018-862-6533

青森地方法務局人権擁護課 030-8511 青森市長島1丁目3番5号青森第二合同庁舎 017-776-9024

東京法務局人権擁護部 102-8225 千代田区九段南1丁目1番15号九段第2合同庁舎 03-5213-1234

横浜地方法務局人権擁護課 231-8411 横浜市中区北仲通5丁目57番地横浜第2合同庁舎 045-641-7926

さいたま地方法務局人権擁護課 338-8513 さいたま市中央区下落合5-12-1さいたま第二法務総合庁舎 048-859-3507

千葉地方法務局人権擁護課 260-8518 千葉市中央区中央港1丁目11番3号千葉地方合同庁舎 043-302-1319

水戸地方法務局人権擁護課 310-0061 水戸市北見町1番1号水戸地方法務合同庁舎 029-227-9919

宇都宮地方法務局人権擁護課 320-8515 宇都宮市小幡2丁目1番11号宇都宮地方法務合同庁舎 028-623-0926

前橋地方法務局人権擁護課 371-8535 前橋市大手町2丁目10番5号前橋合同庁舎 027-221-4426

静岡地方法務局人権擁護課 420-8650 静岡市葵区追手町9番50号静岡地方合同庁舎 054-254-3555

甲府地方法務局人権擁護課 400-8520 甲府市北口1丁目2番19号甲府地方合同庁舎 055-252-7239

長野地方法務局人権擁護課 380-0846 長野市旭町1108番地長野第2合同庁舎 026-235-6634

新潟地方法務局人権擁護課 951-8504 新潟市中央区西大畑町5191番地新潟地方法務総合庁舎 025-222-1564

名古屋法務局人権擁護部 460-8513 名古屋市中区三の丸2丁目2番1号名古屋合同庁舎第1号館 052-952-8111

津地方法務局人権擁護課 514-8503 津市丸之内26番8号津合同庁舎 059-228-4193岐阜地方法務局人権擁護課 500-8729 岐阜市金竜町5丁目13番地 058-245-3181

福井地方法務局人権擁護課 910-8504 福井市春山1丁目1番54号福井春山合同庁舎 0776-22-5090

問合せ先一覧 (法務局地方法務局)

59 第30回全国中学生人権作文コンテスト

問合せ先一覧

世界人権宣言啓発書画「鳥」「自由と解放」を表わしたもの 小木太法書オタビオロス画(財)人権擁護協力会提供

入賞作文集 60

すべての人間は生まれながらにして

自由でありかつ尊厳と権利とに

ついて平等である人間は理性と

良心とを授けられており互いに同胞の

精神をもって行動しなければならない

―――

世界人権宣言 第一条

―――

第三〇回

 全国中学生人権作文コンテスト

中央大会表彰式

印  刷 平成23年1月25日

発  行 平成23年2月14日

発 行 者 法務省人権擁護局

全国人権擁護委員連合会

東京都千代田区霞が関一丁目1番1号

電話 03(3580)4111 内線5875

URL httpwwwmojgojpJINKEN

第30回全国中学生人権作文コンテスト中央大会審査員

感想をお聞かせください本作文集を読まれた感想等を下記の連絡先又はkeihatsumojgojpまでお寄せください

無断転載を禁じます本作文集に掲載された作文や写真等を地方自治体が広報誌に掲載したり学校が教材に使用される場合などにはあらかじめ下記に御連絡ください

100-8977 東京都千代田区霞が関一丁目1番1号 法務省人権擁護局人権啓発課 TEL03(3580)4111 内線5875

作  家(審査員長) 落 合 恵 子映画監督 山 田 洋 次社団法人日本新聞協会事務局長 川 嶋   明日本放送協会解説委員室解説委員 南   直 樹文部科学省初等中等教育局視学官 三 好 仁 司全国人権擁護委員連合会長 中 村 浩 紹法務省人権擁護局長   井 忠 雄

(敬称略)

【式次第】

第一部

 会

主催者あいさつ

賞状授与

内閣総理大臣賞法務大臣賞

文部科学大臣奨励賞法務副大臣賞

法務大臣政務官賞

全国人権擁護委員連合会長賞

社団法人日本新聞協会会長賞

日本放送協会会長賞(以上各一名)

法務事務次官賞(三名) 計一一名

学校への感謝状贈呈

高円宮妃殿下おことば

来賓祝辞

第二部

各受賞作文の朗読

内閣総理大臣賞法務大臣賞

文部科学大臣奨励賞

全国人権擁護委員連合会長賞

社団法人日本新聞協会会長賞

日本放送協会会長賞

 評

全国中学生人権作文コンテスト中央大会審査員

 山田洋次氏

 落合恵子氏(ビデオレター形式)

第三部

新垣勉さんコンサート

 会 平成二二年一二月一八日(土)

午後一時三〇分〜三時五〇分

於ニッショーホール

「いじめ」や暴力行為等は人権侵害です

法務局地方法務局では

人権侵害による被害を受けた方を

救済するための活動を行っています

お気軽にご相談ください

女性の人権ホットライン

インターネット人権相談受付窓口

ゼロナナゼロのハートライン

0570-070-810

子どもの人権110番ぜろぜろななのひゃくとおばん

 0120-007-110

パソコンから httpwwwmojgojpJINKENjinken113html携帯電話から httpwwwjinkengojpsoudanmobile001html

インターネット人権相談 検 索

Human Rights法務省人権擁護局全国人権擁護委員連合会

人権イメージキャラクター人KENあゆみちゃん人KENまもる君

全国共通通話料無料

全国共通ナビダイヤル

この冊子は環境保護印刷の「水なし印刷」で印刷されています

第30回全国中学生人権作文コンテスト入賞作文集

法務省人権擁護局全国人権擁護委員連合会

人権イメージキャラクター人KENまもる君人KENあゆみちゃん

この冊子には音声コードが各頁(奇数頁 左下偶数頁 右下)に印刷されています専用の読み上げ装置で読み取ると記録されている情報を音声で聞くことが出来ます

Human Rights法務省人権擁護局全国人権擁護委員連合会

 全国中学生人権作文コンテスト入賞作文集

 全国中学生人権作文コンテスト入賞作文集

第30回

 

森に囲まれたその一画には教会や寺院神社があり小さなショッピングセンターやレスト

ランもある床屋や図書館郵便局や浴場もあるしかしそれらの施設を利用するのはその一

画に住む人たちだけだ緑の外側に住む人が利用することはないそこはハンセン病の療養所

多磨全生園である

 

僕は七年前に清瀬市に引っ越してきた夏のある日昆虫が大好きな僕は何気なくその森の

中に入って行ったそして歩き回っているうちにその場所が一つの「町」であることに気付

いた

 

毎日セミやカマキリやナナフシを探しながらどうしてこんな所があるのだろうと思った

 

僕が一番不思議に思ったのは古い木造の小学校だいつも誰もいない校舎と小さな運動場近

久く

米め

 一かず

輝き

埼玉県学校法人立教学院立教新座中学校 一年

ハンセン病について考えたこと

社団法人日本新聞協会会長賞

入賞作文集 34

入賞作文

くに小学校があるのにどうしてこんな所に小学校があるのだろう小学一年生の僕はとても不思

議に思った

 

夏に地域交流を目的とした盆踊りと花火大会が行われるいつもは人のいない小学校跡は多く

の人であふれかえり普段は見かけない重い後遺症の老人たちもこの日は外に出て盆踊りを楽し

む初めて参加したときは言葉が出なかった正直「怖い」と思った

 

夏が来るたびに僕は盆踊り大会に参加した低学年から高学年へと進むにつれて少しずつハ

ンセン病のことが分かってきた

 

六年生のときに社会科見学で全生園の元患者を訪れることになっただが僕は都合で参加で

きなかった僕はそれをずっと悔やんでいる

 

今年の夏僕はハンセン病資料館に出かけた見学者は僕一人でとても緊張したなるべく

音を立てないようにパネルを見て回った

 

強制隔離の現実にとても驚いた狭い部屋に押し込められ症状の軽い患者が重症の患者の世

話をしたという子供を持つ権利や生まれる赤ん坊の命まで奪われていた逃げ出したり反抗的

な患者は「不良患者」と呼ばれ窓の小さな暗い監房に閉じ込められた

 

医学が進歩し療養所も徐々に改善されていったが強制隔離を命じる「らい予防

法」が廃止されたのは一九九六年だという隔離が始まった一九〇八年から約九〇

年も経っていた僕が生まれるほんの一年前のことである特効薬が開発され本

格的な治療が始まったのは昭和二十二年である現実に合わない法律を廃止するの

35 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

にどうしてそんなに時間がかかったのだろうか

 

資料をもらってハンセン病資料館を後にした家を出るときは帰りに虫の観察

をするつもりだったがとてもそんな気にはなれなかったいつもセミが集まる桜

の木には目もくれずに早足で家に帰った

 

資料の中で一番心が痛んだのは療養所の子供たちのことだ療養所に入所したのはハンセン

病を発症した子どもたちだけではない親が発症したために入所する子どもたちもいた当時は

ハンセン病は遺伝病だとされていたからだ親から無理やり引き離された子どもたちは「すぐに

帰れるから」という言葉を信じていたというしかし一生療養所を出ることができなかった人が

多かったという社会的な差別がひどかったからだと資料に書かれていたが僕には実感がわか

なかったのでもう少し調べてみることにした

 

図書館で『ハンセン病を生きて』(伊波敏男著)という本を見つけた少し難しかったが差

別の現実が僕にもわかる部分があったそれは元患者たちに対して書かれた匿名のひどい手紙

である長年隔離されて苦しんできた人たちをさらに傷つける言葉が並んでいた悲しく暗い

気持ちになった

 

日本は経済大国として世界の注目を浴びているだが人権意識の面ではどうだろう「らい

予防法」を二〇世紀の末まで廃止できなかったことをどう考えたらよいのだろうか明治時代に

隔離が始まったときそれは外国に対する体面を保つためだったという病気の人を治療するの

ではなく「隠す」のが目的だったのだいまだに差別意識を持つ人がいるのは社会がそうした

入賞作文集 36

入賞作文

過去に対する反省をしていないから

だと思う

 

僕が不思議に思った小学校はすで

に取り壊されて今では小さな石碑

だけが残っている老朽化がひどく

残しておくことができなくなったか

らだという全生園の古い建物はど

んどん取り壊されていく石碑だけ

ではあの不思議さが伝わらないのが

とても残念だ

37 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

 

僕の曾祖父は医者嫌いでしたそのため腹痛で病院に運ばれた時は膵臓癌の末期で余命三ヶ

月でした手術もできない手遅れの状態でした家族皆で話し合い曾祖父の辛い気持ちを第一に

考え曾祖父に病を隠すことになりました曾祖父は次第に病院の中を歩いては転倒し体中あ

ざだらけになりベッドの上で縛られることになっていました曾祖父は病名の宣告を受けてい

ないため元気で歩けると思っているが実際歩くと転んでしまう何でこんな風になってしまっ

たのかさえわからない

 

家族と病院に行くと「包丁もてこいこれぶった切って家さ帰る」と騒いでいましたあん

なに優しかった曾祖父の姿に言葉も出ず恐いくらいでした何も知らされずベッドに縛り付

けられれば誰もがそうなることでしょう「じいちゃんどご一緒に車さのせでいてくれの」と

櫻さくらだ田

 要かな

太た

山形県酒田市立松山中学校 三年

日本放送協会会長賞

悔いのない最期を

入賞作文集 38

入賞作文

せがまれたときもありますかわいそうで涙がポロポロこぼれました「おじいちゃんどご家

さ連れで帰ろうよ」とせがんでも家族も仕事で忙しいためか誰も首を縦に振ってくれず病院

にいた方が安心ということになりました膵臓癌は予想以上に激しい痛みのため医師から強い

痛み止めと強い睡眠剤を勧められましたがそれを導入することにより安楽死に近い状況にな

ることも医師から告げられていました家族は決断をせまられました曾祖父に相談もせずに決

めていいことなのか家に帰りたい曾祖父の意志は封じ込められたままでいいのか家族で悩み

ました結局痛みに耐えている姿は見ていられなくその薬を使うことになりましたその後

曾祖父は次第に弱っていき口も利けなくなり静かに亡くなっていきました僕はどこか心を

引きずったままでした僕達家族が曾祖父に宣告もせず意見も聞かず命の長さを決めてしまっ

たこと当時幼かった僕には何もしてあげられなかったことが今思い出しても残念です

 

最近授業で人権について学習しているときに幼い頃の記憶がよみがえりふと曾祖父のこと

を思い出しました

 

曾祖父はどんな思いで亡くなったのだろう最後に意識のあるうちに一度でいいから家に帰っ

てきたかっただろう身体拘束は今は病院でも禁止されていると思いますがあの頃は確かに曾

祖父のおなかに黒いベルトのようなものが巻きついていました決して自分の力で

は外せないようなものでしたもがき苦しむ曾祖父の姿を見た時に看護師さんに

目を隠され別の部屋に連れて行かれました見せたくない光景だったのだと思いま

すでもあの姿は僕の脳裏に焼き付いています病院の中での人材不足のためだっ

39 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

たのでしょうか人が人らしく生きていない姿でした

 

七十八年生きてきて何も悪いことをしていないのに縛られ家にも帰れない

病気で余命幾ばくもない人には人権というものは存在しないのでしょうか最近の

医療の現場では自己決定権があることについて学びました

 

仏壇に向かい静かに目を閉じると優しく穏やかに微笑む曾祖父の笑顔が浮かびますどんな

気持ちで亡くなっていったのかその気持ちを考えると苦しい気持ちになります野球の大会に

行く前仏壇に手を合わせます「やればできる努力しろ」とよく励ましてくれました曾祖

父の力には何もなれなかったけれど目には見えない力で応援してくれる曾祖父に線香をあげて

自分を省みる時があります曾祖母が元気なので曾祖父を助けられなかった分曾祖母の力に

なっていくことを曾祖父に約束しています

 

夏休み中のニュースで高齢者の所在不明者が多数のため百歳以上の安否確認調査をしていま

した自分の親を平気で捨て遺骨さえもひきとらない亡くなっていたのに年金を不正受給する

ために隠していたなど耳をふさぎたくなるような事件もありました犬や猫が年をとって弱っ

てきた手がかかるから面倒だからと捨ててしまうそれと同じ現象が弱い高齢者にも及んでき

ているのだと思います

 

やはりこの世に生まれてきたもの全てに自分の意志で生きることを決めていける権利がある

と思います長い年月を苦労や努力と向き合いながら精一杯生きてくれたおかげで今の幸せが

あることを忘れずにいたい人はいずれ誰でも年をとります自由に動けなくなった時に自分の

入賞作文集 40

入賞作文

願いが叶う社会を築き「悔いなく満足で楽しく幸せな人生だった」と思えるように人とし

ての誇りを持って満足できる最期を迎えられるように考えていきたいもう二度と僕が見た自

己決定権のない社会にならないように高齢者には今までの感謝の気持ちで本人の希望をでき

るだけ叶えられるように努力していきたいいずれ僕達も迎える高齢社会だからhellip

41 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

 

私は小学六年生の時から盲導犬候補の子犬を育てるボランティアをしています「犬を飼っ

てみたい」と言う私に両親が「せっかく犬を飼うのなら社会に役立つことをしよう」と提案

したからです生後二ヵ月の子犬を預かり一歳の誕生日を迎えるまで世話をするのがボランティ

アの役目です初めて訓練士さんから子犬を手渡された時は不安でドキドキしましたが子犬は

すぐに私の腕の中で眠ってしまいました初めて会った私のことを信頼して安心しきった寝顔

で眠っている姿は本当に可愛かったですラブラドールの子犬はとてもやんちゃで私の家にやっ

て来たその日からいたずらばかりしていましたがしかられてもクヨクヨせずどんな相手にも

 林はやし

 里り

咲さ

東京都小平市立小平第六中学校 三年

差別のない社会に

(パピーウォーカーの経験から学んだこと)

法務事務次官賞

入賞作文集 42

入賞作文

フレンドリーに近づいていく姿から私は明るく前向きに生きることを教わりました子犬たち

と過ごした日々は私にとって一番の宝物ですそしてあっという間に一歳の誕生日がやって来ま

した誕生日が悲しいという経験は初めてでした訓練所への入所日の前日には長い長い散歩を

して最後のお別れをしました「今までありがとう」そう言った私のことを不思議そうに見てい

た子犬の顔が今も目に焼きついています別れは本当につらいけれど涙を見せたら子犬が心配す

るので頑張って笑顔で見送りました

 

私の家で育てた一頭目の子犬は現在盲導犬になって頑張っていますそして今年四月に巣立っ

ていった二頭目の子犬は神奈川にある訓練センターで訓練中です

 

このボランティアを通して私は多くのことを学びましたまず盲導犬の役割ですがこれは単

に目の不自由な方が便利に一人でどこへでも行けるようにするためだけではありません視覚障

がいのある方にとって人の手をわずらわせるのはとてもつらいことなのだそうですたとえ家

族に対してでも「迷惑をかけるのではないか」と思って我慢することが多く「私なんかいない

方がいいんじゃないか」と考えてしまうこともあったといいますその失われそうになった尊

厳を取り戻す手助けをするのが盲導犬の役目なのです犬は訓練を共にするパートナーのことを

大好きになるので「自分は他者からこんなにも大好きになってもらえる存在なん

だ」と気づいて自信を取り戻し新しい一歩を踏み出せるようになるのだそうです

 

また私がボランティア登録している日本盲導犬協会では二〇〇八年に新しい

試みが始まりました受刑者が盲導犬候補の子犬を育てる動物を介在した日本初

43 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

の教育プログラムです罪を犯した人も心から反省してきちんと罪を償えば社会

は差別することなく受け入れるべきですしかし実際はとても偏見が多く元受刑

者たちは「どうせ自分はだめな人間なんだ」と思い再び罪を犯してしまう悪循環

が起こっているそうですその悪循環を断ち切り受刑者たちがスムーズに社会復

帰を果たせるよう支援するのが「あさひ盲導犬パピープロジェクト」です受刑者たちは約十ヵ

月の間子犬たちを世話しながら一緒に過ごし「役に立つ喜び達成する喜び信頼される喜び」

を感じることで自分の価値を再確認するのだそうです今年一月に第一期のプロジェクトを修了

した受刑者の感想に次のようなものがありました

 「今後自分もパピーに笑われないようにきちんとしなければならないパピーは慈しむこと

寛容の心を教えてくれました」

 

犬は決して差別をしません健康な人にも障がいのある人にもお金持ちにも貧しい人にも

権力のある人にも犯罪を犯した人にも全く同じように接してくれますそんな犬たちと一緒に過

ごすことで自信をなくした人たちも自分のことをかけがえのない大切な存在であると思えるよ

うになるのです

 

私たち人間も差別のない社会をつくる努力をしなければならないと思います一人一人が相

手を大切に思う心を忘れなければこの社会はもっと住み良い場所になるはずです私はこのボ

ランティアを通して学んだことを生かしてこれからも一層努力していきたいと思います

入賞作文集 44

入賞作文

45 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

 

僕は祖父のために自助具を作ろうと思った祖父は去年の夏脳梗塞で倒れた祖父は一命

を取り留めたものの右手と右足がまひしてしまったのだその三週間前僕も車椅子から転倒し

て足を骨折した

 

僕には障害がある車椅子で生活することが多いしかし僕のことを障害者だといって差別

するような友達は一人もいない

 

祖父は歩けるようになりたいという気持ちが強かっただからリハビリを頑張り自分で

歩けるようになるまで回復した頑張っている祖父がかっこいいと僕は思った祖父はリハビ

リを頑張ったにも関わらず右手がうまく動かせなくなってしまっただからご飯を食べる時も

服を着替える時も時間がかかる普段何気なくやっていた動作がとても大変だと祖父は言ってい

守もり

田た

 幸こう

平へい

静岡県静岡大学教育学部附属浜松中学校 三年

祖父への靴下

法務事務次官賞

入賞作文集 46

入賞作文

た僕も何か役に立てることはないかと考えた

 

僕の学校には総合学習という授業があるそこで僕は福祉というカテゴリーを選んだ自

分で社会に役立てることを考え実際に行動することが目標だった僕は障害者のために何が

できるかを考えた

 

僕は二年前に静岡文化芸術大学で障害者がいかに日常生活で不自由のない生活ができるかを

考えるプロジェクトがあるのを新聞で知ったそれは大学生たちが個人個人にあった自助具を

作るプロジェクトだった僕は障害者のために何かできるのではと感じた

 

僕は静岡文化芸術大学へ行って僕にもできることがないかと聞いたすると学生さんが

自助具を作ってみないかと声をかけてくれた僕は迷わず「はい」と言った障害者のために

役に立てることがあると思うとすばらしいことだと思ったからだ

 

祖父のつらい顔を見ると日常生活に数々の大きな壁があることが伝わってくる

 

僕は祖父の数々の大きな壁を突き破ろうと思った祖父のために自助具を考え作ろうと僕

は思った祖父が靴下の脱ぎ履きが大変だと言っていたことを思い出したそこで脱ぎ履きし

やすい靴下はできないか考えた靴下の両脇にひもを取り付けてそれを引っ張ると靴下が縮み

脱ぎ履きしやすくなる仕組みだ大学の先生も良いアイディアだと言って褒めてく

れたこれは障害者だけでなく健常者にも使えると言われたユニバーサルデザ

インだと分かった

 

ユニバーサルデザインは年齢や障害の有無にかかわらず全ての人が使いやす

47 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

いように工夫された用具などのデザインである境界がなくなるように健常者が障

害者に対する偏見を考え差別意識がなくなるチャンスだと思った障害者と健常

者が共によりよく生きることが大切だと僕は思った

 

自助具の作品展では杖をついているお年寄り車椅子に乗った若い女性目の

見えない人福祉関係者など沢山の人々が観に来ていた皆自分の生活を良くしようと思っ

ているようだったまた障害者のためにできることは何だろうかと考えている健常者もいるよ

うだった

 

二年生の時の総合学習では二箇所のデイサービスを訪問したデイサービスには六十五歳以

上のお年寄りがいた暗く元気のない人明るく振る舞い誰とでも話せる人など様々だった

しかし僕が一番印象に残ったのは笑顔を絶やさず優しくお年寄りに接していた介護士だった

お年寄りの中には悩みを抱えている人が多いそうだその悩みを解消させる人もまた介護士だっ

た僕は介護士がお年寄りの体を支えるだけではなく心もそっと支えて生きる喜びを与え

ているのだと感じた

 

現代は三世代で暮らす家族が減り核家族が増えているそれはお年寄りの世話が大変だ

からという理由が多いだから老人ホームやデイサービスに預ける人が増えていると僕には

思えたお年寄りの中には自分が嫌われているのではないかとさえ思ってしまう人もいるそう

だそれはお年寄りにとって辛く悲しいことだと思うある介護士がこんなことをおっしゃっ

ていた「人の優しさはお金では買えない」誰にでも優しい心があると思うしかしあと一歩

入賞作文集 48

入賞作文

のところで行動に移すことができない人が多いの

だ僕たちが平和な社会で暮らせるのは今まで

頑張ってきてくれたお年寄りのお陰であることを

忘れてはいけないお年寄りを大切にすることは

当たり前のことなのだ

 

また障害者に対しても偏見の目で見ないで

そっと近づいて手を貸してあげれば健常者との

高い大きな壁を崩すことができると思う

 

障害者にも高齢者にもまた健常者にも人権

はあるお互いの人権を大切にすることが明る

い未来に繋がっていくのだと思う

 

早く祖父に僕の作った靴下を届けたい

49 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

 

僕は小学校六年生まで福岡県に住んでいましたそこで僕が体験したことです五年生のこ

ろ僕の友だちのA君が同級生のK君の靴を隠したりからかったりしていることがよくあり

ました最初は僕もあまり気にしていませんでしたがK君のことを「なんだかかわいそう」と

思うようになりました

 

ある日僕は勇気をだして先生に「K君がいじめにあっています」と報告しました初め先生は

「じゃれ合っているだけだろう」と「いじめ」とは思ってくれませんでしたでもその後「いじ

め」と分かりA君は先生に注意されその日一日は反省した様子で過ごしていましたしかし

次の日学校に行くといじめは前以上にエスカレートしていて蹴ったりたたいたりするように

なりましたしかも「死ね」「うざい」「消えろ」などの言葉が飛び交うようになりそんな日々

法務事務次官賞

浦うら

谷たに

 毅たける

徳島県三好市立池田中学校 三年

いじめをなくすために今

入賞作文集 50

入賞作文

が続きました

 

それは六年生になっても続きました僕はそのいじめを止めることができず毎日見て見ぬ

振りをしていました今思うと自分がとても恥ずかしいです本当の友達なら止めるべきなの

にそれだけではなくいじめられているK君に声一つかけることができずにいました心の中

ではA君に「やめろよ」と言おうと思っていたけどなぜか勇気が出ませんでした次にい

じめられるのが自分になるのが恐くて言えなかったのです

 

そんな日々が続く中僕の気持ちを大きく変える出来事がありました父の死ですそのとき

のことは今でも忘れることができません聞いたときには頭の中が真っ白になりました最初

は信じることができませんでした一週間も二週間も学校に行けずただぼーっと過ごしてい

ましたいろんなことを考え徐々に「死」というものの悲しさつらさ「死」という意味の

重さがわかってきましたそして時間はかかりましたが「命は一瞬にして消え二度と戻っ

てこないものだだから命を大切に今を大切にしなければならない」と深く受け止めることが

できるようになりましたそして周りの子たちは僕のような経験がないから「死ね」とか軽々

しく言えるのだろうと思いこの気持ちを伝えなくてはならないと考えました僕が強くならな

くてはと思いました

 

こんな気持ちになったとき僕には時間がありませんでした母の実家がある徳

島への引っ越しが一週間後に決まっていたのです落ち込んでいる暇は無いと思

い学校に行った僕はA君に言いました「いじめなんかやめろよいじめたって

51 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

喜ぶ人はいないし悲しむ人がいるだけだろ自分だってほんとは嫌だろ『死ね』

とか『消えろ』とか言葉の重さを知らないのに言うなよ」と言いました父親の

突然の死そのあと僕が考えたことも伝えました

 

友だちは黙って聞いてくれました僕の言葉にうなずいてそのあとK君の

ところへ行き「ごめん言葉の重さも知らずに言って本当にごめんぜったいに死ねなんて

ことは言わないそしていじめは絶対にしないほんとうにごめん」とあやまりましたK君

はとても優しい笑顔で「いいよ」と一言言いました僕もK君に言いました

「今まで助けてあげられなくてごめん」

K君は笑顔で「ありがとう」と言ってくれました今まで自分の中でもやもやしていた気持ちが

スーっと晴れました

 

今も時々耳にする暴言冗談半分で言っているのかもしれませんしかしいついじめにつ

ながるかわかりません他人を傷つけることで自分のストレスを晴らそうとしているのでしょう

関係ないふりをしようとする自分がいます楽な考え方をする自分がいますそんな時亡くなっ

た父の顔やK君の優しい笑顔を思い出しますあの時の自分のように強い気持ちを持とう「や

めろよ」と一言言うするとまた気持ちがスーっとしてきました

 

父の分も頑張って生き抜こうと決めた僕にとって正しいことを素直に認め悪いことを否定

できる強い意志を持つことが目標ですそして何よりも命を大切に今を大切にしていきたい

と思っています

入賞作文集 52

入賞作文

53 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

 

ぼくは今まで四つの外国に暮らしいろいろな国の人たちの中で育ってきた

 

まずタイで生まれてタイ人のメイドさんやドライバーさんにいつも遊んでもらっていた

らしい一才になると週一回の体操教室にも通いタイ人の友達もいたそうだ

 

次にシンガポールでは初めてナサリースクール(保育園)に通いいろいろな国の友達と

知り合ったプレイルームにある滑り台を滑る順番争いでいつも勝つのは体の大きい金髪の友

達だった

 

一回目の香港生活では英語の幼稚園に通ったその時のぼくの一番の友達はカナダ人だった

彼とはよくベイブレードをして遊んだが父が日本の出張で買ってきてくれた独楽や剣玉をして

遊ぶこともあった

村むら

瀬せ

 広ひろ

高たか

香港日本人学校中学部 二年

国境をこえて

海 外 作 品

今回は本選への応募とすることはできませんでしたが

 海外から寄せられた作品のうち一作品を御紹介します

入賞作文集 54

海外作品

 

それからインドでは日本人学校に通ったが夏休みには毎年アメリカンスクールのサマー

スクールに参加したし日本人のいない現地のテニススクールにも入り二年間通ったまたイ

ンドの現地幼稚園に通っていた妹のベストフレンドはコンゴ人でその兄弟もぼくの友達だった

 

そして三年間の日本生活を経て今また香港に戻ってきた

 

このようにぼくはいろいろな国でいろいろな国の人たちのお世話になりいろいろな国

の友達と遊んで育った肌が真っ黒な友達もゲームの話をすればすぐに仲良くなれたし髪が

金色の友達もポケモンの話をすれば気が合ったぼくは小さい頃から英語はうまくしゃべれ

なかったけれどもジェスチャーをつけたでたらめ英語でも充分に話は通じただからいろい

ろな国の人たちの中でぼくが日本人だからといって差別されたり嫌な思いをしたりしたこと

はないしぼくも肌の色が違うからとか言葉が通じないからという理由で違う人間だと思っ

たことはないそうぼくは外国人を差別したことはない

 

しかし本当にぼくは外国人を差別したことがないのだろうか外国人を差別した発言を一

度もしたことがないかと考えると自信がない

 

例えば香港人には赤信号でも平気で渡る人がたくさんいるそれを見てぼくは

「香港人はしょうがないな」

と思うでもよく見ると香港人全員が信号無視をしているわけではないまた

世界には今でも戦争をしている国がいくつもある

「人を傷つけ合うなんて馬鹿げている」

55 第30回全国中学生人権作文コンテスト

海外作品

とぼくは悲しくなるでもそれも好きで戦っている人がいるとも思えないその

人たちがそうなったのには何かきっと原因があるはずだ

 

逆に外国人から見ると日本人はどのように思われているのだろう

 

インドから日本に帰国した時毎日ごみがたくさん出ることにぼくはとても驚

いたインドの人たちがよく使う道端にあるカレー屋さんではバナナの葉で作ったお皿にカ

レーを入れてくれる食べた後そのお皿を道に捨てるとのら牛がその葉っぱを食べるそして

牛のふんは燃料になるというそれに比べて日本はちょっと歩くとペットボトルの飲み物が

買えファーストフードのお店では使い捨ての食器を使い立派なお菓子の箱を開けると中身が

少なくてがっかりすることもあるある時母が捨てたジャムの空きびんをメイドさんとエア

コンの修理にきていたワーカーさんとが取り合ってけんかをしていたこともあったそれを見

てぼくはあきれてしまったが逆にインド人から見ると使い捨て文化のしみついた日本人は

とんでもない人間にみえるのかもしれない国によって考え方や行動パターンが違うのは歴史

的背景や宗教習慣気候などのいろいろなことが関わっているのだと思う

 

このように考えると差別とはその人の一部しか見ていないことや自分のやり方だけが正

しいと思うことからおきるのではないかと思うその人が自分とは違った行動をとったとしても

それには深い理由があるのだろうと考えればきっと納得できると思うぼくもこれからは否

定的な発言をする前にその人たちのことをいろいろな角度から見て理解する努力をしてみよう

と思う外国との間には自分の国とは違う言葉や文化という壁があるとみんな言うがそこに

入賞作文集 56

海外作品

あるのは壁ではなく橋だとぼくは思う理解

し合おうという気持ちがあればきっと誰でも

その橋を渡っていけるはずだ気持ちの国境を

こえるのにパスポートはいらないお互いを理

解し合おうと思う気持ちが一番大切だと思う

そしてぼくはこれから日本人として生きる

のではなく地球人として生きていこうと思う

57 第30回全国中学生人権作文コンテスト

海外作品

法務局地方法務局名 郵便番号 所  在  地 電  話

金沢地方法務局人権擁護課920-0024 金沢市西念3-4-1金沢駅西合同庁舎(平成23年3月11日まで) 076-231-1244

921-8505 金沢市新神田4-3-10金沢新神田合同庁舎(平成23年3月14日から) 076-292-7804

富山地方法務局人権擁護課 930-0856 富山市牛島新町11番7号富山合同庁舎 076-441-6376

大阪法務局人権擁護部 540-8544 大阪市中央区谷町2丁目1番17号大阪第2法務合同庁舎 06-6942-9492

京都地方法務局人権擁護課 602-8577 京都市上京区荒神口通河原町東入上生洲町197番地 075-231-0131

神戸地方法務局人権擁護課 650-0042 神戸市中央区波止場町1番1号神戸第2地方合同庁舎 078-392-1821

奈良地方法務局人権擁護課 630-8305 奈良市東紀寺町3-4-1奈良第2法務総合庁舎 0742-23-5457

大津地方法務局人権擁護課 520-8516 大津市御陵町3番6号大津法務総合庁舎 077-522-4673

和歌山地方法務局人権擁護課 640-8552 和歌山市二番丁2番地和歌山地方合同庁舎 073-422-5131

広島法務局人権擁護部 730-8536 広島市中区上八丁堀6番30号広島合同庁舎 082-228-5790

山口地方法務局人権擁護課 753-8577 山口市中河原町6番16号山口地方合同庁舎2号館 083-922-2295

岡山地方法務局人権擁護課 700-8616 岡山市北区南方1丁目3番58号 086-224-5761

鳥取地方法務局人権擁護課 680-0011 鳥取市東町2丁目302番地鳥取第2地方合同庁舎 0857-22-2289

松江地方法務局人権擁護課 690-0886 松江市母衣町50番地松江法務合同庁舎 0852-32-4260

高松法務局人権擁護部 761-8077 高松市出作町585-4 087-815-5311

徳島地方法務局人権擁護課 770-8512 徳島市徳島町城内6番地6徳島地方合同庁舎 088-622-4171

高知地方法務局人権擁護課 780-8509 高知市栄田町2丁目2番10号高知よさこい咲都合同庁舎 088-822-3331

松山地方法務局人権擁護課 790-8505 松山市宮田町188番地6松山地方合同庁舎 089-932-0888

福岡法務局人権擁護部 814-0005 福岡市早良区祖原14-15福岡法務局西新出張所庁舎5階 092-832-4311

佐賀地方法務局人権擁護課 840-0041 佐賀市城内2丁目10番20号佐賀合同庁舎 0952-26-2148

長崎地方法務局人権擁護課 850-8507 長崎市万才町8番16号 095-826-8127大分地方法務局人権擁護課 870-8513 大分市荷揚町7番5号大分法務総合庁舎 097-532-3368

熊本地方法務局人権擁護課 862-0971 熊本市大江3丁目1番53号熊本第2合同庁舎 096-364-2145

鹿児島地方法務局人権擁護課 890-8518 鹿児島市鴨池新町1番2号 099-259-0684宮崎地方法務局人権擁護課 880-8513 宮崎市別府町1番1号宮崎法務総合庁舎 0985-22-5124

那覇地方法務局人権擁護課 900-8544 那覇市樋川1丁目15番15号那覇第1地方合同庁舎 098-854-1215

入賞作文集 58

問合せ先一覧

法務局地方法務局名 郵便番号 所  在  地 電  話

札幌法務局人権擁護部 060-0808 札幌市北区北8条西2丁目1番1札幌第1合同庁舎 011-709-2311

函館地方法務局人権擁護課 040-8533 函館市新川町25番18号函館地方合同庁舎 0138-23-9528

旭川地方法務局人権擁護課 078-8502 旭川市宮前通東4155番31旭川合同庁舎 0166-38-1114

釧路地方法務局人権擁護課 085-8522 釧路市幸町10丁目3番地釧路地方合同庁舎 0154-31-5014

仙台法務局人権擁護部 980-8601 仙台市青葉区春日町7番25号仙台第3法務総合庁舎 022-225-5739

福島地方法務局人権擁護課 960-8021 福島市霞町1番46号福島合同庁舎 024-534-1994

山形地方法務局人権擁護課 990-0041 山形市緑町1丁目5番48号山形地方合同庁舎 023-625-1321

盛岡地方法務局人権擁護課 020-0023 盛岡市内丸7番25号盛岡合同庁舎 019-624-9859秋田地方法務局人権擁護課 010-0951 秋田市山王7丁目1番3号 018-862-6533

青森地方法務局人権擁護課 030-8511 青森市長島1丁目3番5号青森第二合同庁舎 017-776-9024

東京法務局人権擁護部 102-8225 千代田区九段南1丁目1番15号九段第2合同庁舎 03-5213-1234

横浜地方法務局人権擁護課 231-8411 横浜市中区北仲通5丁目57番地横浜第2合同庁舎 045-641-7926

さいたま地方法務局人権擁護課 338-8513 さいたま市中央区下落合5-12-1さいたま第二法務総合庁舎 048-859-3507

千葉地方法務局人権擁護課 260-8518 千葉市中央区中央港1丁目11番3号千葉地方合同庁舎 043-302-1319

水戸地方法務局人権擁護課 310-0061 水戸市北見町1番1号水戸地方法務合同庁舎 029-227-9919

宇都宮地方法務局人権擁護課 320-8515 宇都宮市小幡2丁目1番11号宇都宮地方法務合同庁舎 028-623-0926

前橋地方法務局人権擁護課 371-8535 前橋市大手町2丁目10番5号前橋合同庁舎 027-221-4426

静岡地方法務局人権擁護課 420-8650 静岡市葵区追手町9番50号静岡地方合同庁舎 054-254-3555

甲府地方法務局人権擁護課 400-8520 甲府市北口1丁目2番19号甲府地方合同庁舎 055-252-7239

長野地方法務局人権擁護課 380-0846 長野市旭町1108番地長野第2合同庁舎 026-235-6634

新潟地方法務局人権擁護課 951-8504 新潟市中央区西大畑町5191番地新潟地方法務総合庁舎 025-222-1564

名古屋法務局人権擁護部 460-8513 名古屋市中区三の丸2丁目2番1号名古屋合同庁舎第1号館 052-952-8111

津地方法務局人権擁護課 514-8503 津市丸之内26番8号津合同庁舎 059-228-4193岐阜地方法務局人権擁護課 500-8729 岐阜市金竜町5丁目13番地 058-245-3181

福井地方法務局人権擁護課 910-8504 福井市春山1丁目1番54号福井春山合同庁舎 0776-22-5090

問合せ先一覧 (法務局地方法務局)

59 第30回全国中学生人権作文コンテスト

問合せ先一覧

世界人権宣言啓発書画「鳥」「自由と解放」を表わしたもの 小木太法書オタビオロス画(財)人権擁護協力会提供

入賞作文集 60

すべての人間は生まれながらにして

自由でありかつ尊厳と権利とに

ついて平等である人間は理性と

良心とを授けられており互いに同胞の

精神をもって行動しなければならない

―――

世界人権宣言 第一条

―――

第三〇回

 全国中学生人権作文コンテスト

中央大会表彰式

印  刷 平成23年1月25日

発  行 平成23年2月14日

発 行 者 法務省人権擁護局

全国人権擁護委員連合会

東京都千代田区霞が関一丁目1番1号

電話 03(3580)4111 内線5875

URL httpwwwmojgojpJINKEN

第30回全国中学生人権作文コンテスト中央大会審査員

感想をお聞かせください本作文集を読まれた感想等を下記の連絡先又はkeihatsumojgojpまでお寄せください

無断転載を禁じます本作文集に掲載された作文や写真等を地方自治体が広報誌に掲載したり学校が教材に使用される場合などにはあらかじめ下記に御連絡ください

100-8977 東京都千代田区霞が関一丁目1番1号 法務省人権擁護局人権啓発課 TEL03(3580)4111 内線5875

作  家(審査員長) 落 合 恵 子映画監督 山 田 洋 次社団法人日本新聞協会事務局長 川 嶋   明日本放送協会解説委員室解説委員 南   直 樹文部科学省初等中等教育局視学官 三 好 仁 司全国人権擁護委員連合会長 中 村 浩 紹法務省人権擁護局長   井 忠 雄

(敬称略)

【式次第】

第一部

 会

主催者あいさつ

賞状授与

内閣総理大臣賞法務大臣賞

文部科学大臣奨励賞法務副大臣賞

法務大臣政務官賞

全国人権擁護委員連合会長賞

社団法人日本新聞協会会長賞

日本放送協会会長賞(以上各一名)

法務事務次官賞(三名) 計一一名

学校への感謝状贈呈

高円宮妃殿下おことば

来賓祝辞

第二部

各受賞作文の朗読

内閣総理大臣賞法務大臣賞

文部科学大臣奨励賞

全国人権擁護委員連合会長賞

社団法人日本新聞協会会長賞

日本放送協会会長賞

 評

全国中学生人権作文コンテスト中央大会審査員

 山田洋次氏

 落合恵子氏(ビデオレター形式)

第三部

新垣勉さんコンサート

 会 平成二二年一二月一八日(土)

午後一時三〇分〜三時五〇分

於ニッショーホール

「いじめ」や暴力行為等は人権侵害です

法務局地方法務局では

人権侵害による被害を受けた方を

救済するための活動を行っています

お気軽にご相談ください

女性の人権ホットライン

インターネット人権相談受付窓口

ゼロナナゼロのハートライン

0570-070-810

子どもの人権110番ぜろぜろななのひゃくとおばん

 0120-007-110

パソコンから httpwwwmojgojpJINKENjinken113html携帯電話から httpwwwjinkengojpsoudanmobile001html

インターネット人権相談 検 索

Human Rights法務省人権擁護局全国人権擁護委員連合会

人権イメージキャラクター人KENあゆみちゃん人KENまもる君

全国共通通話料無料

全国共通ナビダイヤル

この冊子は環境保護印刷の「水なし印刷」で印刷されています

第30回全国中学生人権作文コンテスト入賞作文集

法務省人権擁護局全国人権擁護委員連合会

人権イメージキャラクター人KENまもる君人KENあゆみちゃん

この冊子には音声コードが各頁(奇数頁 左下偶数頁 右下)に印刷されています専用の読み上げ装置で読み取ると記録されている情報を音声で聞くことが出来ます

Human Rights法務省人権擁護局全国人権擁護委員連合会

 全国中学生人権作文コンテスト入賞作文集

 全国中学生人権作文コンテスト入賞作文集

第30回

くに小学校があるのにどうしてこんな所に小学校があるのだろう小学一年生の僕はとても不思

議に思った

 

夏に地域交流を目的とした盆踊りと花火大会が行われるいつもは人のいない小学校跡は多く

の人であふれかえり普段は見かけない重い後遺症の老人たちもこの日は外に出て盆踊りを楽し

む初めて参加したときは言葉が出なかった正直「怖い」と思った

 

夏が来るたびに僕は盆踊り大会に参加した低学年から高学年へと進むにつれて少しずつハ

ンセン病のことが分かってきた

 

六年生のときに社会科見学で全生園の元患者を訪れることになっただが僕は都合で参加で

きなかった僕はそれをずっと悔やんでいる

 

今年の夏僕はハンセン病資料館に出かけた見学者は僕一人でとても緊張したなるべく

音を立てないようにパネルを見て回った

 

強制隔離の現実にとても驚いた狭い部屋に押し込められ症状の軽い患者が重症の患者の世

話をしたという子供を持つ権利や生まれる赤ん坊の命まで奪われていた逃げ出したり反抗的

な患者は「不良患者」と呼ばれ窓の小さな暗い監房に閉じ込められた

 

医学が進歩し療養所も徐々に改善されていったが強制隔離を命じる「らい予防

法」が廃止されたのは一九九六年だという隔離が始まった一九〇八年から約九〇

年も経っていた僕が生まれるほんの一年前のことである特効薬が開発され本

格的な治療が始まったのは昭和二十二年である現実に合わない法律を廃止するの

35 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

にどうしてそんなに時間がかかったのだろうか

 

資料をもらってハンセン病資料館を後にした家を出るときは帰りに虫の観察

をするつもりだったがとてもそんな気にはなれなかったいつもセミが集まる桜

の木には目もくれずに早足で家に帰った

 

資料の中で一番心が痛んだのは療養所の子供たちのことだ療養所に入所したのはハンセン

病を発症した子どもたちだけではない親が発症したために入所する子どもたちもいた当時は

ハンセン病は遺伝病だとされていたからだ親から無理やり引き離された子どもたちは「すぐに

帰れるから」という言葉を信じていたというしかし一生療養所を出ることができなかった人が

多かったという社会的な差別がひどかったからだと資料に書かれていたが僕には実感がわか

なかったのでもう少し調べてみることにした

 

図書館で『ハンセン病を生きて』(伊波敏男著)という本を見つけた少し難しかったが差

別の現実が僕にもわかる部分があったそれは元患者たちに対して書かれた匿名のひどい手紙

である長年隔離されて苦しんできた人たちをさらに傷つける言葉が並んでいた悲しく暗い

気持ちになった

 

日本は経済大国として世界の注目を浴びているだが人権意識の面ではどうだろう「らい

予防法」を二〇世紀の末まで廃止できなかったことをどう考えたらよいのだろうか明治時代に

隔離が始まったときそれは外国に対する体面を保つためだったという病気の人を治療するの

ではなく「隠す」のが目的だったのだいまだに差別意識を持つ人がいるのは社会がそうした

入賞作文集 36

入賞作文

過去に対する反省をしていないから

だと思う

 

僕が不思議に思った小学校はすで

に取り壊されて今では小さな石碑

だけが残っている老朽化がひどく

残しておくことができなくなったか

らだという全生園の古い建物はど

んどん取り壊されていく石碑だけ

ではあの不思議さが伝わらないのが

とても残念だ

37 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

 

僕の曾祖父は医者嫌いでしたそのため腹痛で病院に運ばれた時は膵臓癌の末期で余命三ヶ

月でした手術もできない手遅れの状態でした家族皆で話し合い曾祖父の辛い気持ちを第一に

考え曾祖父に病を隠すことになりました曾祖父は次第に病院の中を歩いては転倒し体中あ

ざだらけになりベッドの上で縛られることになっていました曾祖父は病名の宣告を受けてい

ないため元気で歩けると思っているが実際歩くと転んでしまう何でこんな風になってしまっ

たのかさえわからない

 

家族と病院に行くと「包丁もてこいこれぶった切って家さ帰る」と騒いでいましたあん

なに優しかった曾祖父の姿に言葉も出ず恐いくらいでした何も知らされずベッドに縛り付

けられれば誰もがそうなることでしょう「じいちゃんどご一緒に車さのせでいてくれの」と

櫻さくらだ田

 要かな

太た

山形県酒田市立松山中学校 三年

日本放送協会会長賞

悔いのない最期を

入賞作文集 38

入賞作文

せがまれたときもありますかわいそうで涙がポロポロこぼれました「おじいちゃんどご家

さ連れで帰ろうよ」とせがんでも家族も仕事で忙しいためか誰も首を縦に振ってくれず病院

にいた方が安心ということになりました膵臓癌は予想以上に激しい痛みのため医師から強い

痛み止めと強い睡眠剤を勧められましたがそれを導入することにより安楽死に近い状況にな

ることも医師から告げられていました家族は決断をせまられました曾祖父に相談もせずに決

めていいことなのか家に帰りたい曾祖父の意志は封じ込められたままでいいのか家族で悩み

ました結局痛みに耐えている姿は見ていられなくその薬を使うことになりましたその後

曾祖父は次第に弱っていき口も利けなくなり静かに亡くなっていきました僕はどこか心を

引きずったままでした僕達家族が曾祖父に宣告もせず意見も聞かず命の長さを決めてしまっ

たこと当時幼かった僕には何もしてあげられなかったことが今思い出しても残念です

 

最近授業で人権について学習しているときに幼い頃の記憶がよみがえりふと曾祖父のこと

を思い出しました

 

曾祖父はどんな思いで亡くなったのだろう最後に意識のあるうちに一度でいいから家に帰っ

てきたかっただろう身体拘束は今は病院でも禁止されていると思いますがあの頃は確かに曾

祖父のおなかに黒いベルトのようなものが巻きついていました決して自分の力で

は外せないようなものでしたもがき苦しむ曾祖父の姿を見た時に看護師さんに

目を隠され別の部屋に連れて行かれました見せたくない光景だったのだと思いま

すでもあの姿は僕の脳裏に焼き付いています病院の中での人材不足のためだっ

39 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

たのでしょうか人が人らしく生きていない姿でした

 

七十八年生きてきて何も悪いことをしていないのに縛られ家にも帰れない

病気で余命幾ばくもない人には人権というものは存在しないのでしょうか最近の

医療の現場では自己決定権があることについて学びました

 

仏壇に向かい静かに目を閉じると優しく穏やかに微笑む曾祖父の笑顔が浮かびますどんな

気持ちで亡くなっていったのかその気持ちを考えると苦しい気持ちになります野球の大会に

行く前仏壇に手を合わせます「やればできる努力しろ」とよく励ましてくれました曾祖

父の力には何もなれなかったけれど目には見えない力で応援してくれる曾祖父に線香をあげて

自分を省みる時があります曾祖母が元気なので曾祖父を助けられなかった分曾祖母の力に

なっていくことを曾祖父に約束しています

 

夏休み中のニュースで高齢者の所在不明者が多数のため百歳以上の安否確認調査をしていま

した自分の親を平気で捨て遺骨さえもひきとらない亡くなっていたのに年金を不正受給する

ために隠していたなど耳をふさぎたくなるような事件もありました犬や猫が年をとって弱っ

てきた手がかかるから面倒だからと捨ててしまうそれと同じ現象が弱い高齢者にも及んでき

ているのだと思います

 

やはりこの世に生まれてきたもの全てに自分の意志で生きることを決めていける権利がある

と思います長い年月を苦労や努力と向き合いながら精一杯生きてくれたおかげで今の幸せが

あることを忘れずにいたい人はいずれ誰でも年をとります自由に動けなくなった時に自分の

入賞作文集 40

入賞作文

願いが叶う社会を築き「悔いなく満足で楽しく幸せな人生だった」と思えるように人とし

ての誇りを持って満足できる最期を迎えられるように考えていきたいもう二度と僕が見た自

己決定権のない社会にならないように高齢者には今までの感謝の気持ちで本人の希望をでき

るだけ叶えられるように努力していきたいいずれ僕達も迎える高齢社会だからhellip

41 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

 

私は小学六年生の時から盲導犬候補の子犬を育てるボランティアをしています「犬を飼っ

てみたい」と言う私に両親が「せっかく犬を飼うのなら社会に役立つことをしよう」と提案

したからです生後二ヵ月の子犬を預かり一歳の誕生日を迎えるまで世話をするのがボランティ

アの役目です初めて訓練士さんから子犬を手渡された時は不安でドキドキしましたが子犬は

すぐに私の腕の中で眠ってしまいました初めて会った私のことを信頼して安心しきった寝顔

で眠っている姿は本当に可愛かったですラブラドールの子犬はとてもやんちゃで私の家にやっ

て来たその日からいたずらばかりしていましたがしかられてもクヨクヨせずどんな相手にも

 林はやし

 里り

咲さ

東京都小平市立小平第六中学校 三年

差別のない社会に

(パピーウォーカーの経験から学んだこと)

法務事務次官賞

入賞作文集 42

入賞作文

フレンドリーに近づいていく姿から私は明るく前向きに生きることを教わりました子犬たち

と過ごした日々は私にとって一番の宝物ですそしてあっという間に一歳の誕生日がやって来ま

した誕生日が悲しいという経験は初めてでした訓練所への入所日の前日には長い長い散歩を

して最後のお別れをしました「今までありがとう」そう言った私のことを不思議そうに見てい

た子犬の顔が今も目に焼きついています別れは本当につらいけれど涙を見せたら子犬が心配す

るので頑張って笑顔で見送りました

 

私の家で育てた一頭目の子犬は現在盲導犬になって頑張っていますそして今年四月に巣立っ

ていった二頭目の子犬は神奈川にある訓練センターで訓練中です

 

このボランティアを通して私は多くのことを学びましたまず盲導犬の役割ですがこれは単

に目の不自由な方が便利に一人でどこへでも行けるようにするためだけではありません視覚障

がいのある方にとって人の手をわずらわせるのはとてもつらいことなのだそうですたとえ家

族に対してでも「迷惑をかけるのではないか」と思って我慢することが多く「私なんかいない

方がいいんじゃないか」と考えてしまうこともあったといいますその失われそうになった尊

厳を取り戻す手助けをするのが盲導犬の役目なのです犬は訓練を共にするパートナーのことを

大好きになるので「自分は他者からこんなにも大好きになってもらえる存在なん

だ」と気づいて自信を取り戻し新しい一歩を踏み出せるようになるのだそうです

 

また私がボランティア登録している日本盲導犬協会では二〇〇八年に新しい

試みが始まりました受刑者が盲導犬候補の子犬を育てる動物を介在した日本初

43 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

の教育プログラムです罪を犯した人も心から反省してきちんと罪を償えば社会

は差別することなく受け入れるべきですしかし実際はとても偏見が多く元受刑

者たちは「どうせ自分はだめな人間なんだ」と思い再び罪を犯してしまう悪循環

が起こっているそうですその悪循環を断ち切り受刑者たちがスムーズに社会復

帰を果たせるよう支援するのが「あさひ盲導犬パピープロジェクト」です受刑者たちは約十ヵ

月の間子犬たちを世話しながら一緒に過ごし「役に立つ喜び達成する喜び信頼される喜び」

を感じることで自分の価値を再確認するのだそうです今年一月に第一期のプロジェクトを修了

した受刑者の感想に次のようなものがありました

 「今後自分もパピーに笑われないようにきちんとしなければならないパピーは慈しむこと

寛容の心を教えてくれました」

 

犬は決して差別をしません健康な人にも障がいのある人にもお金持ちにも貧しい人にも

権力のある人にも犯罪を犯した人にも全く同じように接してくれますそんな犬たちと一緒に過

ごすことで自信をなくした人たちも自分のことをかけがえのない大切な存在であると思えるよ

うになるのです

 

私たち人間も差別のない社会をつくる努力をしなければならないと思います一人一人が相

手を大切に思う心を忘れなければこの社会はもっと住み良い場所になるはずです私はこのボ

ランティアを通して学んだことを生かしてこれからも一層努力していきたいと思います

入賞作文集 44

入賞作文

45 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

 

僕は祖父のために自助具を作ろうと思った祖父は去年の夏脳梗塞で倒れた祖父は一命

を取り留めたものの右手と右足がまひしてしまったのだその三週間前僕も車椅子から転倒し

て足を骨折した

 

僕には障害がある車椅子で生活することが多いしかし僕のことを障害者だといって差別

するような友達は一人もいない

 

祖父は歩けるようになりたいという気持ちが強かっただからリハビリを頑張り自分で

歩けるようになるまで回復した頑張っている祖父がかっこいいと僕は思った祖父はリハビ

リを頑張ったにも関わらず右手がうまく動かせなくなってしまっただからご飯を食べる時も

服を着替える時も時間がかかる普段何気なくやっていた動作がとても大変だと祖父は言ってい

守もり

田た

 幸こう

平へい

静岡県静岡大学教育学部附属浜松中学校 三年

祖父への靴下

法務事務次官賞

入賞作文集 46

入賞作文

た僕も何か役に立てることはないかと考えた

 

僕の学校には総合学習という授業があるそこで僕は福祉というカテゴリーを選んだ自

分で社会に役立てることを考え実際に行動することが目標だった僕は障害者のために何が

できるかを考えた

 

僕は二年前に静岡文化芸術大学で障害者がいかに日常生活で不自由のない生活ができるかを

考えるプロジェクトがあるのを新聞で知ったそれは大学生たちが個人個人にあった自助具を

作るプロジェクトだった僕は障害者のために何かできるのではと感じた

 

僕は静岡文化芸術大学へ行って僕にもできることがないかと聞いたすると学生さんが

自助具を作ってみないかと声をかけてくれた僕は迷わず「はい」と言った障害者のために

役に立てることがあると思うとすばらしいことだと思ったからだ

 

祖父のつらい顔を見ると日常生活に数々の大きな壁があることが伝わってくる

 

僕は祖父の数々の大きな壁を突き破ろうと思った祖父のために自助具を考え作ろうと僕

は思った祖父が靴下の脱ぎ履きが大変だと言っていたことを思い出したそこで脱ぎ履きし

やすい靴下はできないか考えた靴下の両脇にひもを取り付けてそれを引っ張ると靴下が縮み

脱ぎ履きしやすくなる仕組みだ大学の先生も良いアイディアだと言って褒めてく

れたこれは障害者だけでなく健常者にも使えると言われたユニバーサルデザ

インだと分かった

 

ユニバーサルデザインは年齢や障害の有無にかかわらず全ての人が使いやす

47 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

いように工夫された用具などのデザインである境界がなくなるように健常者が障

害者に対する偏見を考え差別意識がなくなるチャンスだと思った障害者と健常

者が共によりよく生きることが大切だと僕は思った

 

自助具の作品展では杖をついているお年寄り車椅子に乗った若い女性目の

見えない人福祉関係者など沢山の人々が観に来ていた皆自分の生活を良くしようと思っ

ているようだったまた障害者のためにできることは何だろうかと考えている健常者もいるよ

うだった

 

二年生の時の総合学習では二箇所のデイサービスを訪問したデイサービスには六十五歳以

上のお年寄りがいた暗く元気のない人明るく振る舞い誰とでも話せる人など様々だった

しかし僕が一番印象に残ったのは笑顔を絶やさず優しくお年寄りに接していた介護士だった

お年寄りの中には悩みを抱えている人が多いそうだその悩みを解消させる人もまた介護士だっ

た僕は介護士がお年寄りの体を支えるだけではなく心もそっと支えて生きる喜びを与え

ているのだと感じた

 

現代は三世代で暮らす家族が減り核家族が増えているそれはお年寄りの世話が大変だ

からという理由が多いだから老人ホームやデイサービスに預ける人が増えていると僕には

思えたお年寄りの中には自分が嫌われているのではないかとさえ思ってしまう人もいるそう

だそれはお年寄りにとって辛く悲しいことだと思うある介護士がこんなことをおっしゃっ

ていた「人の優しさはお金では買えない」誰にでも優しい心があると思うしかしあと一歩

入賞作文集 48

入賞作文

のところで行動に移すことができない人が多いの

だ僕たちが平和な社会で暮らせるのは今まで

頑張ってきてくれたお年寄りのお陰であることを

忘れてはいけないお年寄りを大切にすることは

当たり前のことなのだ

 

また障害者に対しても偏見の目で見ないで

そっと近づいて手を貸してあげれば健常者との

高い大きな壁を崩すことができると思う

 

障害者にも高齢者にもまた健常者にも人権

はあるお互いの人権を大切にすることが明る

い未来に繋がっていくのだと思う

 

早く祖父に僕の作った靴下を届けたい

49 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

 

僕は小学校六年生まで福岡県に住んでいましたそこで僕が体験したことです五年生のこ

ろ僕の友だちのA君が同級生のK君の靴を隠したりからかったりしていることがよくあり

ました最初は僕もあまり気にしていませんでしたがK君のことを「なんだかかわいそう」と

思うようになりました

 

ある日僕は勇気をだして先生に「K君がいじめにあっています」と報告しました初め先生は

「じゃれ合っているだけだろう」と「いじめ」とは思ってくれませんでしたでもその後「いじ

め」と分かりA君は先生に注意されその日一日は反省した様子で過ごしていましたしかし

次の日学校に行くといじめは前以上にエスカレートしていて蹴ったりたたいたりするように

なりましたしかも「死ね」「うざい」「消えろ」などの言葉が飛び交うようになりそんな日々

法務事務次官賞

浦うら

谷たに

 毅たける

徳島県三好市立池田中学校 三年

いじめをなくすために今

入賞作文集 50

入賞作文

が続きました

 

それは六年生になっても続きました僕はそのいじめを止めることができず毎日見て見ぬ

振りをしていました今思うと自分がとても恥ずかしいです本当の友達なら止めるべきなの

にそれだけではなくいじめられているK君に声一つかけることができずにいました心の中

ではA君に「やめろよ」と言おうと思っていたけどなぜか勇気が出ませんでした次にい

じめられるのが自分になるのが恐くて言えなかったのです

 

そんな日々が続く中僕の気持ちを大きく変える出来事がありました父の死ですそのとき

のことは今でも忘れることができません聞いたときには頭の中が真っ白になりました最初

は信じることができませんでした一週間も二週間も学校に行けずただぼーっと過ごしてい

ましたいろんなことを考え徐々に「死」というものの悲しさつらさ「死」という意味の

重さがわかってきましたそして時間はかかりましたが「命は一瞬にして消え二度と戻っ

てこないものだだから命を大切に今を大切にしなければならない」と深く受け止めることが

できるようになりましたそして周りの子たちは僕のような経験がないから「死ね」とか軽々

しく言えるのだろうと思いこの気持ちを伝えなくてはならないと考えました僕が強くならな

くてはと思いました

 

こんな気持ちになったとき僕には時間がありませんでした母の実家がある徳

島への引っ越しが一週間後に決まっていたのです落ち込んでいる暇は無いと思

い学校に行った僕はA君に言いました「いじめなんかやめろよいじめたって

51 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

喜ぶ人はいないし悲しむ人がいるだけだろ自分だってほんとは嫌だろ『死ね』

とか『消えろ』とか言葉の重さを知らないのに言うなよ」と言いました父親の

突然の死そのあと僕が考えたことも伝えました

 

友だちは黙って聞いてくれました僕の言葉にうなずいてそのあとK君の

ところへ行き「ごめん言葉の重さも知らずに言って本当にごめんぜったいに死ねなんて

ことは言わないそしていじめは絶対にしないほんとうにごめん」とあやまりましたK君

はとても優しい笑顔で「いいよ」と一言言いました僕もK君に言いました

「今まで助けてあげられなくてごめん」

K君は笑顔で「ありがとう」と言ってくれました今まで自分の中でもやもやしていた気持ちが

スーっと晴れました

 

今も時々耳にする暴言冗談半分で言っているのかもしれませんしかしいついじめにつ

ながるかわかりません他人を傷つけることで自分のストレスを晴らそうとしているのでしょう

関係ないふりをしようとする自分がいます楽な考え方をする自分がいますそんな時亡くなっ

た父の顔やK君の優しい笑顔を思い出しますあの時の自分のように強い気持ちを持とう「や

めろよ」と一言言うするとまた気持ちがスーっとしてきました

 

父の分も頑張って生き抜こうと決めた僕にとって正しいことを素直に認め悪いことを否定

できる強い意志を持つことが目標ですそして何よりも命を大切に今を大切にしていきたい

と思っています

入賞作文集 52

入賞作文

53 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

 

ぼくは今まで四つの外国に暮らしいろいろな国の人たちの中で育ってきた

 

まずタイで生まれてタイ人のメイドさんやドライバーさんにいつも遊んでもらっていた

らしい一才になると週一回の体操教室にも通いタイ人の友達もいたそうだ

 

次にシンガポールでは初めてナサリースクール(保育園)に通いいろいろな国の友達と

知り合ったプレイルームにある滑り台を滑る順番争いでいつも勝つのは体の大きい金髪の友

達だった

 

一回目の香港生活では英語の幼稚園に通ったその時のぼくの一番の友達はカナダ人だった

彼とはよくベイブレードをして遊んだが父が日本の出張で買ってきてくれた独楽や剣玉をして

遊ぶこともあった

村むら

瀬せ

 広ひろ

高たか

香港日本人学校中学部 二年

国境をこえて

海 外 作 品

今回は本選への応募とすることはできませんでしたが

 海外から寄せられた作品のうち一作品を御紹介します

入賞作文集 54

海外作品

 

それからインドでは日本人学校に通ったが夏休みには毎年アメリカンスクールのサマー

スクールに参加したし日本人のいない現地のテニススクールにも入り二年間通ったまたイ

ンドの現地幼稚園に通っていた妹のベストフレンドはコンゴ人でその兄弟もぼくの友達だった

 

そして三年間の日本生活を経て今また香港に戻ってきた

 

このようにぼくはいろいろな国でいろいろな国の人たちのお世話になりいろいろな国

の友達と遊んで育った肌が真っ黒な友達もゲームの話をすればすぐに仲良くなれたし髪が

金色の友達もポケモンの話をすれば気が合ったぼくは小さい頃から英語はうまくしゃべれ

なかったけれどもジェスチャーをつけたでたらめ英語でも充分に話は通じただからいろい

ろな国の人たちの中でぼくが日本人だからといって差別されたり嫌な思いをしたりしたこと

はないしぼくも肌の色が違うからとか言葉が通じないからという理由で違う人間だと思っ

たことはないそうぼくは外国人を差別したことはない

 

しかし本当にぼくは外国人を差別したことがないのだろうか外国人を差別した発言を一

度もしたことがないかと考えると自信がない

 

例えば香港人には赤信号でも平気で渡る人がたくさんいるそれを見てぼくは

「香港人はしょうがないな」

と思うでもよく見ると香港人全員が信号無視をしているわけではないまた

世界には今でも戦争をしている国がいくつもある

「人を傷つけ合うなんて馬鹿げている」

55 第30回全国中学生人権作文コンテスト

海外作品

とぼくは悲しくなるでもそれも好きで戦っている人がいるとも思えないその

人たちがそうなったのには何かきっと原因があるはずだ

 

逆に外国人から見ると日本人はどのように思われているのだろう

 

インドから日本に帰国した時毎日ごみがたくさん出ることにぼくはとても驚

いたインドの人たちがよく使う道端にあるカレー屋さんではバナナの葉で作ったお皿にカ

レーを入れてくれる食べた後そのお皿を道に捨てるとのら牛がその葉っぱを食べるそして

牛のふんは燃料になるというそれに比べて日本はちょっと歩くとペットボトルの飲み物が

買えファーストフードのお店では使い捨ての食器を使い立派なお菓子の箱を開けると中身が

少なくてがっかりすることもあるある時母が捨てたジャムの空きびんをメイドさんとエア

コンの修理にきていたワーカーさんとが取り合ってけんかをしていたこともあったそれを見

てぼくはあきれてしまったが逆にインド人から見ると使い捨て文化のしみついた日本人は

とんでもない人間にみえるのかもしれない国によって考え方や行動パターンが違うのは歴史

的背景や宗教習慣気候などのいろいろなことが関わっているのだと思う

 

このように考えると差別とはその人の一部しか見ていないことや自分のやり方だけが正

しいと思うことからおきるのではないかと思うその人が自分とは違った行動をとったとしても

それには深い理由があるのだろうと考えればきっと納得できると思うぼくもこれからは否

定的な発言をする前にその人たちのことをいろいろな角度から見て理解する努力をしてみよう

と思う外国との間には自分の国とは違う言葉や文化という壁があるとみんな言うがそこに

入賞作文集 56

海外作品

あるのは壁ではなく橋だとぼくは思う理解

し合おうという気持ちがあればきっと誰でも

その橋を渡っていけるはずだ気持ちの国境を

こえるのにパスポートはいらないお互いを理

解し合おうと思う気持ちが一番大切だと思う

そしてぼくはこれから日本人として生きる

のではなく地球人として生きていこうと思う

57 第30回全国中学生人権作文コンテスト

海外作品

法務局地方法務局名 郵便番号 所  在  地 電  話

金沢地方法務局人権擁護課920-0024 金沢市西念3-4-1金沢駅西合同庁舎(平成23年3月11日まで) 076-231-1244

921-8505 金沢市新神田4-3-10金沢新神田合同庁舎(平成23年3月14日から) 076-292-7804

富山地方法務局人権擁護課 930-0856 富山市牛島新町11番7号富山合同庁舎 076-441-6376

大阪法務局人権擁護部 540-8544 大阪市中央区谷町2丁目1番17号大阪第2法務合同庁舎 06-6942-9492

京都地方法務局人権擁護課 602-8577 京都市上京区荒神口通河原町東入上生洲町197番地 075-231-0131

神戸地方法務局人権擁護課 650-0042 神戸市中央区波止場町1番1号神戸第2地方合同庁舎 078-392-1821

奈良地方法務局人権擁護課 630-8305 奈良市東紀寺町3-4-1奈良第2法務総合庁舎 0742-23-5457

大津地方法務局人権擁護課 520-8516 大津市御陵町3番6号大津法務総合庁舎 077-522-4673

和歌山地方法務局人権擁護課 640-8552 和歌山市二番丁2番地和歌山地方合同庁舎 073-422-5131

広島法務局人権擁護部 730-8536 広島市中区上八丁堀6番30号広島合同庁舎 082-228-5790

山口地方法務局人権擁護課 753-8577 山口市中河原町6番16号山口地方合同庁舎2号館 083-922-2295

岡山地方法務局人権擁護課 700-8616 岡山市北区南方1丁目3番58号 086-224-5761

鳥取地方法務局人権擁護課 680-0011 鳥取市東町2丁目302番地鳥取第2地方合同庁舎 0857-22-2289

松江地方法務局人権擁護課 690-0886 松江市母衣町50番地松江法務合同庁舎 0852-32-4260

高松法務局人権擁護部 761-8077 高松市出作町585-4 087-815-5311

徳島地方法務局人権擁護課 770-8512 徳島市徳島町城内6番地6徳島地方合同庁舎 088-622-4171

高知地方法務局人権擁護課 780-8509 高知市栄田町2丁目2番10号高知よさこい咲都合同庁舎 088-822-3331

松山地方法務局人権擁護課 790-8505 松山市宮田町188番地6松山地方合同庁舎 089-932-0888

福岡法務局人権擁護部 814-0005 福岡市早良区祖原14-15福岡法務局西新出張所庁舎5階 092-832-4311

佐賀地方法務局人権擁護課 840-0041 佐賀市城内2丁目10番20号佐賀合同庁舎 0952-26-2148

長崎地方法務局人権擁護課 850-8507 長崎市万才町8番16号 095-826-8127大分地方法務局人権擁護課 870-8513 大分市荷揚町7番5号大分法務総合庁舎 097-532-3368

熊本地方法務局人権擁護課 862-0971 熊本市大江3丁目1番53号熊本第2合同庁舎 096-364-2145

鹿児島地方法務局人権擁護課 890-8518 鹿児島市鴨池新町1番2号 099-259-0684宮崎地方法務局人権擁護課 880-8513 宮崎市別府町1番1号宮崎法務総合庁舎 0985-22-5124

那覇地方法務局人権擁護課 900-8544 那覇市樋川1丁目15番15号那覇第1地方合同庁舎 098-854-1215

入賞作文集 58

問合せ先一覧

法務局地方法務局名 郵便番号 所  在  地 電  話

札幌法務局人権擁護部 060-0808 札幌市北区北8条西2丁目1番1札幌第1合同庁舎 011-709-2311

函館地方法務局人権擁護課 040-8533 函館市新川町25番18号函館地方合同庁舎 0138-23-9528

旭川地方法務局人権擁護課 078-8502 旭川市宮前通東4155番31旭川合同庁舎 0166-38-1114

釧路地方法務局人権擁護課 085-8522 釧路市幸町10丁目3番地釧路地方合同庁舎 0154-31-5014

仙台法務局人権擁護部 980-8601 仙台市青葉区春日町7番25号仙台第3法務総合庁舎 022-225-5739

福島地方法務局人権擁護課 960-8021 福島市霞町1番46号福島合同庁舎 024-534-1994

山形地方法務局人権擁護課 990-0041 山形市緑町1丁目5番48号山形地方合同庁舎 023-625-1321

盛岡地方法務局人権擁護課 020-0023 盛岡市内丸7番25号盛岡合同庁舎 019-624-9859秋田地方法務局人権擁護課 010-0951 秋田市山王7丁目1番3号 018-862-6533

青森地方法務局人権擁護課 030-8511 青森市長島1丁目3番5号青森第二合同庁舎 017-776-9024

東京法務局人権擁護部 102-8225 千代田区九段南1丁目1番15号九段第2合同庁舎 03-5213-1234

横浜地方法務局人権擁護課 231-8411 横浜市中区北仲通5丁目57番地横浜第2合同庁舎 045-641-7926

さいたま地方法務局人権擁護課 338-8513 さいたま市中央区下落合5-12-1さいたま第二法務総合庁舎 048-859-3507

千葉地方法務局人権擁護課 260-8518 千葉市中央区中央港1丁目11番3号千葉地方合同庁舎 043-302-1319

水戸地方法務局人権擁護課 310-0061 水戸市北見町1番1号水戸地方法務合同庁舎 029-227-9919

宇都宮地方法務局人権擁護課 320-8515 宇都宮市小幡2丁目1番11号宇都宮地方法務合同庁舎 028-623-0926

前橋地方法務局人権擁護課 371-8535 前橋市大手町2丁目10番5号前橋合同庁舎 027-221-4426

静岡地方法務局人権擁護課 420-8650 静岡市葵区追手町9番50号静岡地方合同庁舎 054-254-3555

甲府地方法務局人権擁護課 400-8520 甲府市北口1丁目2番19号甲府地方合同庁舎 055-252-7239

長野地方法務局人権擁護課 380-0846 長野市旭町1108番地長野第2合同庁舎 026-235-6634

新潟地方法務局人権擁護課 951-8504 新潟市中央区西大畑町5191番地新潟地方法務総合庁舎 025-222-1564

名古屋法務局人権擁護部 460-8513 名古屋市中区三の丸2丁目2番1号名古屋合同庁舎第1号館 052-952-8111

津地方法務局人権擁護課 514-8503 津市丸之内26番8号津合同庁舎 059-228-4193岐阜地方法務局人権擁護課 500-8729 岐阜市金竜町5丁目13番地 058-245-3181

福井地方法務局人権擁護課 910-8504 福井市春山1丁目1番54号福井春山合同庁舎 0776-22-5090

問合せ先一覧 (法務局地方法務局)

59 第30回全国中学生人権作文コンテスト

問合せ先一覧

世界人権宣言啓発書画「鳥」「自由と解放」を表わしたもの 小木太法書オタビオロス画(財)人権擁護協力会提供

入賞作文集 60

すべての人間は生まれながらにして

自由でありかつ尊厳と権利とに

ついて平等である人間は理性と

良心とを授けられており互いに同胞の

精神をもって行動しなければならない

―――

世界人権宣言 第一条

―――

第三〇回

 全国中学生人権作文コンテスト

中央大会表彰式

印  刷 平成23年1月25日

発  行 平成23年2月14日

発 行 者 法務省人権擁護局

全国人権擁護委員連合会

東京都千代田区霞が関一丁目1番1号

電話 03(3580)4111 内線5875

URL httpwwwmojgojpJINKEN

第30回全国中学生人権作文コンテスト中央大会審査員

感想をお聞かせください本作文集を読まれた感想等を下記の連絡先又はkeihatsumojgojpまでお寄せください

無断転載を禁じます本作文集に掲載された作文や写真等を地方自治体が広報誌に掲載したり学校が教材に使用される場合などにはあらかじめ下記に御連絡ください

100-8977 東京都千代田区霞が関一丁目1番1号 法務省人権擁護局人権啓発課 TEL03(3580)4111 内線5875

作  家(審査員長) 落 合 恵 子映画監督 山 田 洋 次社団法人日本新聞協会事務局長 川 嶋   明日本放送協会解説委員室解説委員 南   直 樹文部科学省初等中等教育局視学官 三 好 仁 司全国人権擁護委員連合会長 中 村 浩 紹法務省人権擁護局長   井 忠 雄

(敬称略)

【式次第】

第一部

 会

主催者あいさつ

賞状授与

内閣総理大臣賞法務大臣賞

文部科学大臣奨励賞法務副大臣賞

法務大臣政務官賞

全国人権擁護委員連合会長賞

社団法人日本新聞協会会長賞

日本放送協会会長賞(以上各一名)

法務事務次官賞(三名) 計一一名

学校への感謝状贈呈

高円宮妃殿下おことば

来賓祝辞

第二部

各受賞作文の朗読

内閣総理大臣賞法務大臣賞

文部科学大臣奨励賞

全国人権擁護委員連合会長賞

社団法人日本新聞協会会長賞

日本放送協会会長賞

 評

全国中学生人権作文コンテスト中央大会審査員

 山田洋次氏

 落合恵子氏(ビデオレター形式)

第三部

新垣勉さんコンサート

 会 平成二二年一二月一八日(土)

午後一時三〇分〜三時五〇分

於ニッショーホール

「いじめ」や暴力行為等は人権侵害です

法務局地方法務局では

人権侵害による被害を受けた方を

救済するための活動を行っています

お気軽にご相談ください

女性の人権ホットライン

インターネット人権相談受付窓口

ゼロナナゼロのハートライン

0570-070-810

子どもの人権110番ぜろぜろななのひゃくとおばん

 0120-007-110

パソコンから httpwwwmojgojpJINKENjinken113html携帯電話から httpwwwjinkengojpsoudanmobile001html

インターネット人権相談 検 索

Human Rights法務省人権擁護局全国人権擁護委員連合会

人権イメージキャラクター人KENあゆみちゃん人KENまもる君

全国共通通話料無料

全国共通ナビダイヤル

この冊子は環境保護印刷の「水なし印刷」で印刷されています

第30回全国中学生人権作文コンテスト入賞作文集

法務省人権擁護局全国人権擁護委員連合会

人権イメージキャラクター人KENまもる君人KENあゆみちゃん

この冊子には音声コードが各頁(奇数頁 左下偶数頁 右下)に印刷されています専用の読み上げ装置で読み取ると記録されている情報を音声で聞くことが出来ます

Human Rights法務省人権擁護局全国人権擁護委員連合会

 全国中学生人権作文コンテスト入賞作文集

 全国中学生人権作文コンテスト入賞作文集

第30回

にどうしてそんなに時間がかかったのだろうか

 

資料をもらってハンセン病資料館を後にした家を出るときは帰りに虫の観察

をするつもりだったがとてもそんな気にはなれなかったいつもセミが集まる桜

の木には目もくれずに早足で家に帰った

 

資料の中で一番心が痛んだのは療養所の子供たちのことだ療養所に入所したのはハンセン

病を発症した子どもたちだけではない親が発症したために入所する子どもたちもいた当時は

ハンセン病は遺伝病だとされていたからだ親から無理やり引き離された子どもたちは「すぐに

帰れるから」という言葉を信じていたというしかし一生療養所を出ることができなかった人が

多かったという社会的な差別がひどかったからだと資料に書かれていたが僕には実感がわか

なかったのでもう少し調べてみることにした

 

図書館で『ハンセン病を生きて』(伊波敏男著)という本を見つけた少し難しかったが差

別の現実が僕にもわかる部分があったそれは元患者たちに対して書かれた匿名のひどい手紙

である長年隔離されて苦しんできた人たちをさらに傷つける言葉が並んでいた悲しく暗い

気持ちになった

 

日本は経済大国として世界の注目を浴びているだが人権意識の面ではどうだろう「らい

予防法」を二〇世紀の末まで廃止できなかったことをどう考えたらよいのだろうか明治時代に

隔離が始まったときそれは外国に対する体面を保つためだったという病気の人を治療するの

ではなく「隠す」のが目的だったのだいまだに差別意識を持つ人がいるのは社会がそうした

入賞作文集 36

入賞作文

過去に対する反省をしていないから

だと思う

 

僕が不思議に思った小学校はすで

に取り壊されて今では小さな石碑

だけが残っている老朽化がひどく

残しておくことができなくなったか

らだという全生園の古い建物はど

んどん取り壊されていく石碑だけ

ではあの不思議さが伝わらないのが

とても残念だ

37 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

 

僕の曾祖父は医者嫌いでしたそのため腹痛で病院に運ばれた時は膵臓癌の末期で余命三ヶ

月でした手術もできない手遅れの状態でした家族皆で話し合い曾祖父の辛い気持ちを第一に

考え曾祖父に病を隠すことになりました曾祖父は次第に病院の中を歩いては転倒し体中あ

ざだらけになりベッドの上で縛られることになっていました曾祖父は病名の宣告を受けてい

ないため元気で歩けると思っているが実際歩くと転んでしまう何でこんな風になってしまっ

たのかさえわからない

 

家族と病院に行くと「包丁もてこいこれぶった切って家さ帰る」と騒いでいましたあん

なに優しかった曾祖父の姿に言葉も出ず恐いくらいでした何も知らされずベッドに縛り付

けられれば誰もがそうなることでしょう「じいちゃんどご一緒に車さのせでいてくれの」と

櫻さくらだ田

 要かな

太た

山形県酒田市立松山中学校 三年

日本放送協会会長賞

悔いのない最期を

入賞作文集 38

入賞作文

せがまれたときもありますかわいそうで涙がポロポロこぼれました「おじいちゃんどご家

さ連れで帰ろうよ」とせがんでも家族も仕事で忙しいためか誰も首を縦に振ってくれず病院

にいた方が安心ということになりました膵臓癌は予想以上に激しい痛みのため医師から強い

痛み止めと強い睡眠剤を勧められましたがそれを導入することにより安楽死に近い状況にな

ることも医師から告げられていました家族は決断をせまられました曾祖父に相談もせずに決

めていいことなのか家に帰りたい曾祖父の意志は封じ込められたままでいいのか家族で悩み

ました結局痛みに耐えている姿は見ていられなくその薬を使うことになりましたその後

曾祖父は次第に弱っていき口も利けなくなり静かに亡くなっていきました僕はどこか心を

引きずったままでした僕達家族が曾祖父に宣告もせず意見も聞かず命の長さを決めてしまっ

たこと当時幼かった僕には何もしてあげられなかったことが今思い出しても残念です

 

最近授業で人権について学習しているときに幼い頃の記憶がよみがえりふと曾祖父のこと

を思い出しました

 

曾祖父はどんな思いで亡くなったのだろう最後に意識のあるうちに一度でいいから家に帰っ

てきたかっただろう身体拘束は今は病院でも禁止されていると思いますがあの頃は確かに曾

祖父のおなかに黒いベルトのようなものが巻きついていました決して自分の力で

は外せないようなものでしたもがき苦しむ曾祖父の姿を見た時に看護師さんに

目を隠され別の部屋に連れて行かれました見せたくない光景だったのだと思いま

すでもあの姿は僕の脳裏に焼き付いています病院の中での人材不足のためだっ

39 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

たのでしょうか人が人らしく生きていない姿でした

 

七十八年生きてきて何も悪いことをしていないのに縛られ家にも帰れない

病気で余命幾ばくもない人には人権というものは存在しないのでしょうか最近の

医療の現場では自己決定権があることについて学びました

 

仏壇に向かい静かに目を閉じると優しく穏やかに微笑む曾祖父の笑顔が浮かびますどんな

気持ちで亡くなっていったのかその気持ちを考えると苦しい気持ちになります野球の大会に

行く前仏壇に手を合わせます「やればできる努力しろ」とよく励ましてくれました曾祖

父の力には何もなれなかったけれど目には見えない力で応援してくれる曾祖父に線香をあげて

自分を省みる時があります曾祖母が元気なので曾祖父を助けられなかった分曾祖母の力に

なっていくことを曾祖父に約束しています

 

夏休み中のニュースで高齢者の所在不明者が多数のため百歳以上の安否確認調査をしていま

した自分の親を平気で捨て遺骨さえもひきとらない亡くなっていたのに年金を不正受給する

ために隠していたなど耳をふさぎたくなるような事件もありました犬や猫が年をとって弱っ

てきた手がかかるから面倒だからと捨ててしまうそれと同じ現象が弱い高齢者にも及んでき

ているのだと思います

 

やはりこの世に生まれてきたもの全てに自分の意志で生きることを決めていける権利がある

と思います長い年月を苦労や努力と向き合いながら精一杯生きてくれたおかげで今の幸せが

あることを忘れずにいたい人はいずれ誰でも年をとります自由に動けなくなった時に自分の

入賞作文集 40

入賞作文

願いが叶う社会を築き「悔いなく満足で楽しく幸せな人生だった」と思えるように人とし

ての誇りを持って満足できる最期を迎えられるように考えていきたいもう二度と僕が見た自

己決定権のない社会にならないように高齢者には今までの感謝の気持ちで本人の希望をでき

るだけ叶えられるように努力していきたいいずれ僕達も迎える高齢社会だからhellip

41 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

 

私は小学六年生の時から盲導犬候補の子犬を育てるボランティアをしています「犬を飼っ

てみたい」と言う私に両親が「せっかく犬を飼うのなら社会に役立つことをしよう」と提案

したからです生後二ヵ月の子犬を預かり一歳の誕生日を迎えるまで世話をするのがボランティ

アの役目です初めて訓練士さんから子犬を手渡された時は不安でドキドキしましたが子犬は

すぐに私の腕の中で眠ってしまいました初めて会った私のことを信頼して安心しきった寝顔

で眠っている姿は本当に可愛かったですラブラドールの子犬はとてもやんちゃで私の家にやっ

て来たその日からいたずらばかりしていましたがしかられてもクヨクヨせずどんな相手にも

 林はやし

 里り

咲さ

東京都小平市立小平第六中学校 三年

差別のない社会に

(パピーウォーカーの経験から学んだこと)

法務事務次官賞

入賞作文集 42

入賞作文

フレンドリーに近づいていく姿から私は明るく前向きに生きることを教わりました子犬たち

と過ごした日々は私にとって一番の宝物ですそしてあっという間に一歳の誕生日がやって来ま

した誕生日が悲しいという経験は初めてでした訓練所への入所日の前日には長い長い散歩を

して最後のお別れをしました「今までありがとう」そう言った私のことを不思議そうに見てい

た子犬の顔が今も目に焼きついています別れは本当につらいけれど涙を見せたら子犬が心配す

るので頑張って笑顔で見送りました

 

私の家で育てた一頭目の子犬は現在盲導犬になって頑張っていますそして今年四月に巣立っ

ていった二頭目の子犬は神奈川にある訓練センターで訓練中です

 

このボランティアを通して私は多くのことを学びましたまず盲導犬の役割ですがこれは単

に目の不自由な方が便利に一人でどこへでも行けるようにするためだけではありません視覚障

がいのある方にとって人の手をわずらわせるのはとてもつらいことなのだそうですたとえ家

族に対してでも「迷惑をかけるのではないか」と思って我慢することが多く「私なんかいない

方がいいんじゃないか」と考えてしまうこともあったといいますその失われそうになった尊

厳を取り戻す手助けをするのが盲導犬の役目なのです犬は訓練を共にするパートナーのことを

大好きになるので「自分は他者からこんなにも大好きになってもらえる存在なん

だ」と気づいて自信を取り戻し新しい一歩を踏み出せるようになるのだそうです

 

また私がボランティア登録している日本盲導犬協会では二〇〇八年に新しい

試みが始まりました受刑者が盲導犬候補の子犬を育てる動物を介在した日本初

43 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

の教育プログラムです罪を犯した人も心から反省してきちんと罪を償えば社会

は差別することなく受け入れるべきですしかし実際はとても偏見が多く元受刑

者たちは「どうせ自分はだめな人間なんだ」と思い再び罪を犯してしまう悪循環

が起こっているそうですその悪循環を断ち切り受刑者たちがスムーズに社会復

帰を果たせるよう支援するのが「あさひ盲導犬パピープロジェクト」です受刑者たちは約十ヵ

月の間子犬たちを世話しながら一緒に過ごし「役に立つ喜び達成する喜び信頼される喜び」

を感じることで自分の価値を再確認するのだそうです今年一月に第一期のプロジェクトを修了

した受刑者の感想に次のようなものがありました

 「今後自分もパピーに笑われないようにきちんとしなければならないパピーは慈しむこと

寛容の心を教えてくれました」

 

犬は決して差別をしません健康な人にも障がいのある人にもお金持ちにも貧しい人にも

権力のある人にも犯罪を犯した人にも全く同じように接してくれますそんな犬たちと一緒に過

ごすことで自信をなくした人たちも自分のことをかけがえのない大切な存在であると思えるよ

うになるのです

 

私たち人間も差別のない社会をつくる努力をしなければならないと思います一人一人が相

手を大切に思う心を忘れなければこの社会はもっと住み良い場所になるはずです私はこのボ

ランティアを通して学んだことを生かしてこれからも一層努力していきたいと思います

入賞作文集 44

入賞作文

45 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

 

僕は祖父のために自助具を作ろうと思った祖父は去年の夏脳梗塞で倒れた祖父は一命

を取り留めたものの右手と右足がまひしてしまったのだその三週間前僕も車椅子から転倒し

て足を骨折した

 

僕には障害がある車椅子で生活することが多いしかし僕のことを障害者だといって差別

するような友達は一人もいない

 

祖父は歩けるようになりたいという気持ちが強かっただからリハビリを頑張り自分で

歩けるようになるまで回復した頑張っている祖父がかっこいいと僕は思った祖父はリハビ

リを頑張ったにも関わらず右手がうまく動かせなくなってしまっただからご飯を食べる時も

服を着替える時も時間がかかる普段何気なくやっていた動作がとても大変だと祖父は言ってい

守もり

田た

 幸こう

平へい

静岡県静岡大学教育学部附属浜松中学校 三年

祖父への靴下

法務事務次官賞

入賞作文集 46

入賞作文

た僕も何か役に立てることはないかと考えた

 

僕の学校には総合学習という授業があるそこで僕は福祉というカテゴリーを選んだ自

分で社会に役立てることを考え実際に行動することが目標だった僕は障害者のために何が

できるかを考えた

 

僕は二年前に静岡文化芸術大学で障害者がいかに日常生活で不自由のない生活ができるかを

考えるプロジェクトがあるのを新聞で知ったそれは大学生たちが個人個人にあった自助具を

作るプロジェクトだった僕は障害者のために何かできるのではと感じた

 

僕は静岡文化芸術大学へ行って僕にもできることがないかと聞いたすると学生さんが

自助具を作ってみないかと声をかけてくれた僕は迷わず「はい」と言った障害者のために

役に立てることがあると思うとすばらしいことだと思ったからだ

 

祖父のつらい顔を見ると日常生活に数々の大きな壁があることが伝わってくる

 

僕は祖父の数々の大きな壁を突き破ろうと思った祖父のために自助具を考え作ろうと僕

は思った祖父が靴下の脱ぎ履きが大変だと言っていたことを思い出したそこで脱ぎ履きし

やすい靴下はできないか考えた靴下の両脇にひもを取り付けてそれを引っ張ると靴下が縮み

脱ぎ履きしやすくなる仕組みだ大学の先生も良いアイディアだと言って褒めてく

れたこれは障害者だけでなく健常者にも使えると言われたユニバーサルデザ

インだと分かった

 

ユニバーサルデザインは年齢や障害の有無にかかわらず全ての人が使いやす

47 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

いように工夫された用具などのデザインである境界がなくなるように健常者が障

害者に対する偏見を考え差別意識がなくなるチャンスだと思った障害者と健常

者が共によりよく生きることが大切だと僕は思った

 

自助具の作品展では杖をついているお年寄り車椅子に乗った若い女性目の

見えない人福祉関係者など沢山の人々が観に来ていた皆自分の生活を良くしようと思っ

ているようだったまた障害者のためにできることは何だろうかと考えている健常者もいるよ

うだった

 

二年生の時の総合学習では二箇所のデイサービスを訪問したデイサービスには六十五歳以

上のお年寄りがいた暗く元気のない人明るく振る舞い誰とでも話せる人など様々だった

しかし僕が一番印象に残ったのは笑顔を絶やさず優しくお年寄りに接していた介護士だった

お年寄りの中には悩みを抱えている人が多いそうだその悩みを解消させる人もまた介護士だっ

た僕は介護士がお年寄りの体を支えるだけではなく心もそっと支えて生きる喜びを与え

ているのだと感じた

 

現代は三世代で暮らす家族が減り核家族が増えているそれはお年寄りの世話が大変だ

からという理由が多いだから老人ホームやデイサービスに預ける人が増えていると僕には

思えたお年寄りの中には自分が嫌われているのではないかとさえ思ってしまう人もいるそう

だそれはお年寄りにとって辛く悲しいことだと思うある介護士がこんなことをおっしゃっ

ていた「人の優しさはお金では買えない」誰にでも優しい心があると思うしかしあと一歩

入賞作文集 48

入賞作文

のところで行動に移すことができない人が多いの

だ僕たちが平和な社会で暮らせるのは今まで

頑張ってきてくれたお年寄りのお陰であることを

忘れてはいけないお年寄りを大切にすることは

当たり前のことなのだ

 

また障害者に対しても偏見の目で見ないで

そっと近づいて手を貸してあげれば健常者との

高い大きな壁を崩すことができると思う

 

障害者にも高齢者にもまた健常者にも人権

はあるお互いの人権を大切にすることが明る

い未来に繋がっていくのだと思う

 

早く祖父に僕の作った靴下を届けたい

49 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

 

僕は小学校六年生まで福岡県に住んでいましたそこで僕が体験したことです五年生のこ

ろ僕の友だちのA君が同級生のK君の靴を隠したりからかったりしていることがよくあり

ました最初は僕もあまり気にしていませんでしたがK君のことを「なんだかかわいそう」と

思うようになりました

 

ある日僕は勇気をだして先生に「K君がいじめにあっています」と報告しました初め先生は

「じゃれ合っているだけだろう」と「いじめ」とは思ってくれませんでしたでもその後「いじ

め」と分かりA君は先生に注意されその日一日は反省した様子で過ごしていましたしかし

次の日学校に行くといじめは前以上にエスカレートしていて蹴ったりたたいたりするように

なりましたしかも「死ね」「うざい」「消えろ」などの言葉が飛び交うようになりそんな日々

法務事務次官賞

浦うら

谷たに

 毅たける

徳島県三好市立池田中学校 三年

いじめをなくすために今

入賞作文集 50

入賞作文

が続きました

 

それは六年生になっても続きました僕はそのいじめを止めることができず毎日見て見ぬ

振りをしていました今思うと自分がとても恥ずかしいです本当の友達なら止めるべきなの

にそれだけではなくいじめられているK君に声一つかけることができずにいました心の中

ではA君に「やめろよ」と言おうと思っていたけどなぜか勇気が出ませんでした次にい

じめられるのが自分になるのが恐くて言えなかったのです

 

そんな日々が続く中僕の気持ちを大きく変える出来事がありました父の死ですそのとき

のことは今でも忘れることができません聞いたときには頭の中が真っ白になりました最初

は信じることができませんでした一週間も二週間も学校に行けずただぼーっと過ごしてい

ましたいろんなことを考え徐々に「死」というものの悲しさつらさ「死」という意味の

重さがわかってきましたそして時間はかかりましたが「命は一瞬にして消え二度と戻っ

てこないものだだから命を大切に今を大切にしなければならない」と深く受け止めることが

できるようになりましたそして周りの子たちは僕のような経験がないから「死ね」とか軽々

しく言えるのだろうと思いこの気持ちを伝えなくてはならないと考えました僕が強くならな

くてはと思いました

 

こんな気持ちになったとき僕には時間がありませんでした母の実家がある徳

島への引っ越しが一週間後に決まっていたのです落ち込んでいる暇は無いと思

い学校に行った僕はA君に言いました「いじめなんかやめろよいじめたって

51 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

喜ぶ人はいないし悲しむ人がいるだけだろ自分だってほんとは嫌だろ『死ね』

とか『消えろ』とか言葉の重さを知らないのに言うなよ」と言いました父親の

突然の死そのあと僕が考えたことも伝えました

 

友だちは黙って聞いてくれました僕の言葉にうなずいてそのあとK君の

ところへ行き「ごめん言葉の重さも知らずに言って本当にごめんぜったいに死ねなんて

ことは言わないそしていじめは絶対にしないほんとうにごめん」とあやまりましたK君

はとても優しい笑顔で「いいよ」と一言言いました僕もK君に言いました

「今まで助けてあげられなくてごめん」

K君は笑顔で「ありがとう」と言ってくれました今まで自分の中でもやもやしていた気持ちが

スーっと晴れました

 

今も時々耳にする暴言冗談半分で言っているのかもしれませんしかしいついじめにつ

ながるかわかりません他人を傷つけることで自分のストレスを晴らそうとしているのでしょう

関係ないふりをしようとする自分がいます楽な考え方をする自分がいますそんな時亡くなっ

た父の顔やK君の優しい笑顔を思い出しますあの時の自分のように強い気持ちを持とう「や

めろよ」と一言言うするとまた気持ちがスーっとしてきました

 

父の分も頑張って生き抜こうと決めた僕にとって正しいことを素直に認め悪いことを否定

できる強い意志を持つことが目標ですそして何よりも命を大切に今を大切にしていきたい

と思っています

入賞作文集 52

入賞作文

53 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

 

ぼくは今まで四つの外国に暮らしいろいろな国の人たちの中で育ってきた

 

まずタイで生まれてタイ人のメイドさんやドライバーさんにいつも遊んでもらっていた

らしい一才になると週一回の体操教室にも通いタイ人の友達もいたそうだ

 

次にシンガポールでは初めてナサリースクール(保育園)に通いいろいろな国の友達と

知り合ったプレイルームにある滑り台を滑る順番争いでいつも勝つのは体の大きい金髪の友

達だった

 

一回目の香港生活では英語の幼稚園に通ったその時のぼくの一番の友達はカナダ人だった

彼とはよくベイブレードをして遊んだが父が日本の出張で買ってきてくれた独楽や剣玉をして

遊ぶこともあった

村むら

瀬せ

 広ひろ

高たか

香港日本人学校中学部 二年

国境をこえて

海 外 作 品

今回は本選への応募とすることはできませんでしたが

 海外から寄せられた作品のうち一作品を御紹介します

入賞作文集 54

海外作品

 

それからインドでは日本人学校に通ったが夏休みには毎年アメリカンスクールのサマー

スクールに参加したし日本人のいない現地のテニススクールにも入り二年間通ったまたイ

ンドの現地幼稚園に通っていた妹のベストフレンドはコンゴ人でその兄弟もぼくの友達だった

 

そして三年間の日本生活を経て今また香港に戻ってきた

 

このようにぼくはいろいろな国でいろいろな国の人たちのお世話になりいろいろな国

の友達と遊んで育った肌が真っ黒な友達もゲームの話をすればすぐに仲良くなれたし髪が

金色の友達もポケモンの話をすれば気が合ったぼくは小さい頃から英語はうまくしゃべれ

なかったけれどもジェスチャーをつけたでたらめ英語でも充分に話は通じただからいろい

ろな国の人たちの中でぼくが日本人だからといって差別されたり嫌な思いをしたりしたこと

はないしぼくも肌の色が違うからとか言葉が通じないからという理由で違う人間だと思っ

たことはないそうぼくは外国人を差別したことはない

 

しかし本当にぼくは外国人を差別したことがないのだろうか外国人を差別した発言を一

度もしたことがないかと考えると自信がない

 

例えば香港人には赤信号でも平気で渡る人がたくさんいるそれを見てぼくは

「香港人はしょうがないな」

と思うでもよく見ると香港人全員が信号無視をしているわけではないまた

世界には今でも戦争をしている国がいくつもある

「人を傷つけ合うなんて馬鹿げている」

55 第30回全国中学生人権作文コンテスト

海外作品

とぼくは悲しくなるでもそれも好きで戦っている人がいるとも思えないその

人たちがそうなったのには何かきっと原因があるはずだ

 

逆に外国人から見ると日本人はどのように思われているのだろう

 

インドから日本に帰国した時毎日ごみがたくさん出ることにぼくはとても驚

いたインドの人たちがよく使う道端にあるカレー屋さんではバナナの葉で作ったお皿にカ

レーを入れてくれる食べた後そのお皿を道に捨てるとのら牛がその葉っぱを食べるそして

牛のふんは燃料になるというそれに比べて日本はちょっと歩くとペットボトルの飲み物が

買えファーストフードのお店では使い捨ての食器を使い立派なお菓子の箱を開けると中身が

少なくてがっかりすることもあるある時母が捨てたジャムの空きびんをメイドさんとエア

コンの修理にきていたワーカーさんとが取り合ってけんかをしていたこともあったそれを見

てぼくはあきれてしまったが逆にインド人から見ると使い捨て文化のしみついた日本人は

とんでもない人間にみえるのかもしれない国によって考え方や行動パターンが違うのは歴史

的背景や宗教習慣気候などのいろいろなことが関わっているのだと思う

 

このように考えると差別とはその人の一部しか見ていないことや自分のやり方だけが正

しいと思うことからおきるのではないかと思うその人が自分とは違った行動をとったとしても

それには深い理由があるのだろうと考えればきっと納得できると思うぼくもこれからは否

定的な発言をする前にその人たちのことをいろいろな角度から見て理解する努力をしてみよう

と思う外国との間には自分の国とは違う言葉や文化という壁があるとみんな言うがそこに

入賞作文集 56

海外作品

あるのは壁ではなく橋だとぼくは思う理解

し合おうという気持ちがあればきっと誰でも

その橋を渡っていけるはずだ気持ちの国境を

こえるのにパスポートはいらないお互いを理

解し合おうと思う気持ちが一番大切だと思う

そしてぼくはこれから日本人として生きる

のではなく地球人として生きていこうと思う

57 第30回全国中学生人権作文コンテスト

海外作品

法務局地方法務局名 郵便番号 所  在  地 電  話

金沢地方法務局人権擁護課920-0024 金沢市西念3-4-1金沢駅西合同庁舎(平成23年3月11日まで) 076-231-1244

921-8505 金沢市新神田4-3-10金沢新神田合同庁舎(平成23年3月14日から) 076-292-7804

富山地方法務局人権擁護課 930-0856 富山市牛島新町11番7号富山合同庁舎 076-441-6376

大阪法務局人権擁護部 540-8544 大阪市中央区谷町2丁目1番17号大阪第2法務合同庁舎 06-6942-9492

京都地方法務局人権擁護課 602-8577 京都市上京区荒神口通河原町東入上生洲町197番地 075-231-0131

神戸地方法務局人権擁護課 650-0042 神戸市中央区波止場町1番1号神戸第2地方合同庁舎 078-392-1821

奈良地方法務局人権擁護課 630-8305 奈良市東紀寺町3-4-1奈良第2法務総合庁舎 0742-23-5457

大津地方法務局人権擁護課 520-8516 大津市御陵町3番6号大津法務総合庁舎 077-522-4673

和歌山地方法務局人権擁護課 640-8552 和歌山市二番丁2番地和歌山地方合同庁舎 073-422-5131

広島法務局人権擁護部 730-8536 広島市中区上八丁堀6番30号広島合同庁舎 082-228-5790

山口地方法務局人権擁護課 753-8577 山口市中河原町6番16号山口地方合同庁舎2号館 083-922-2295

岡山地方法務局人権擁護課 700-8616 岡山市北区南方1丁目3番58号 086-224-5761

鳥取地方法務局人権擁護課 680-0011 鳥取市東町2丁目302番地鳥取第2地方合同庁舎 0857-22-2289

松江地方法務局人権擁護課 690-0886 松江市母衣町50番地松江法務合同庁舎 0852-32-4260

高松法務局人権擁護部 761-8077 高松市出作町585-4 087-815-5311

徳島地方法務局人権擁護課 770-8512 徳島市徳島町城内6番地6徳島地方合同庁舎 088-622-4171

高知地方法務局人権擁護課 780-8509 高知市栄田町2丁目2番10号高知よさこい咲都合同庁舎 088-822-3331

松山地方法務局人権擁護課 790-8505 松山市宮田町188番地6松山地方合同庁舎 089-932-0888

福岡法務局人権擁護部 814-0005 福岡市早良区祖原14-15福岡法務局西新出張所庁舎5階 092-832-4311

佐賀地方法務局人権擁護課 840-0041 佐賀市城内2丁目10番20号佐賀合同庁舎 0952-26-2148

長崎地方法務局人権擁護課 850-8507 長崎市万才町8番16号 095-826-8127大分地方法務局人権擁護課 870-8513 大分市荷揚町7番5号大分法務総合庁舎 097-532-3368

熊本地方法務局人権擁護課 862-0971 熊本市大江3丁目1番53号熊本第2合同庁舎 096-364-2145

鹿児島地方法務局人権擁護課 890-8518 鹿児島市鴨池新町1番2号 099-259-0684宮崎地方法務局人権擁護課 880-8513 宮崎市別府町1番1号宮崎法務総合庁舎 0985-22-5124

那覇地方法務局人権擁護課 900-8544 那覇市樋川1丁目15番15号那覇第1地方合同庁舎 098-854-1215

入賞作文集 58

問合せ先一覧

法務局地方法務局名 郵便番号 所  在  地 電  話

札幌法務局人権擁護部 060-0808 札幌市北区北8条西2丁目1番1札幌第1合同庁舎 011-709-2311

函館地方法務局人権擁護課 040-8533 函館市新川町25番18号函館地方合同庁舎 0138-23-9528

旭川地方法務局人権擁護課 078-8502 旭川市宮前通東4155番31旭川合同庁舎 0166-38-1114

釧路地方法務局人権擁護課 085-8522 釧路市幸町10丁目3番地釧路地方合同庁舎 0154-31-5014

仙台法務局人権擁護部 980-8601 仙台市青葉区春日町7番25号仙台第3法務総合庁舎 022-225-5739

福島地方法務局人権擁護課 960-8021 福島市霞町1番46号福島合同庁舎 024-534-1994

山形地方法務局人権擁護課 990-0041 山形市緑町1丁目5番48号山形地方合同庁舎 023-625-1321

盛岡地方法務局人権擁護課 020-0023 盛岡市内丸7番25号盛岡合同庁舎 019-624-9859秋田地方法務局人権擁護課 010-0951 秋田市山王7丁目1番3号 018-862-6533

青森地方法務局人権擁護課 030-8511 青森市長島1丁目3番5号青森第二合同庁舎 017-776-9024

東京法務局人権擁護部 102-8225 千代田区九段南1丁目1番15号九段第2合同庁舎 03-5213-1234

横浜地方法務局人権擁護課 231-8411 横浜市中区北仲通5丁目57番地横浜第2合同庁舎 045-641-7926

さいたま地方法務局人権擁護課 338-8513 さいたま市中央区下落合5-12-1さいたま第二法務総合庁舎 048-859-3507

千葉地方法務局人権擁護課 260-8518 千葉市中央区中央港1丁目11番3号千葉地方合同庁舎 043-302-1319

水戸地方法務局人権擁護課 310-0061 水戸市北見町1番1号水戸地方法務合同庁舎 029-227-9919

宇都宮地方法務局人権擁護課 320-8515 宇都宮市小幡2丁目1番11号宇都宮地方法務合同庁舎 028-623-0926

前橋地方法務局人権擁護課 371-8535 前橋市大手町2丁目10番5号前橋合同庁舎 027-221-4426

静岡地方法務局人権擁護課 420-8650 静岡市葵区追手町9番50号静岡地方合同庁舎 054-254-3555

甲府地方法務局人権擁護課 400-8520 甲府市北口1丁目2番19号甲府地方合同庁舎 055-252-7239

長野地方法務局人権擁護課 380-0846 長野市旭町1108番地長野第2合同庁舎 026-235-6634

新潟地方法務局人権擁護課 951-8504 新潟市中央区西大畑町5191番地新潟地方法務総合庁舎 025-222-1564

名古屋法務局人権擁護部 460-8513 名古屋市中区三の丸2丁目2番1号名古屋合同庁舎第1号館 052-952-8111

津地方法務局人権擁護課 514-8503 津市丸之内26番8号津合同庁舎 059-228-4193岐阜地方法務局人権擁護課 500-8729 岐阜市金竜町5丁目13番地 058-245-3181

福井地方法務局人権擁護課 910-8504 福井市春山1丁目1番54号福井春山合同庁舎 0776-22-5090

問合せ先一覧 (法務局地方法務局)

59 第30回全国中学生人権作文コンテスト

問合せ先一覧

世界人権宣言啓発書画「鳥」「自由と解放」を表わしたもの 小木太法書オタビオロス画(財)人権擁護協力会提供

入賞作文集 60

すべての人間は生まれながらにして

自由でありかつ尊厳と権利とに

ついて平等である人間は理性と

良心とを授けられており互いに同胞の

精神をもって行動しなければならない

―――

世界人権宣言 第一条

―――

第三〇回

 全国中学生人権作文コンテスト

中央大会表彰式

印  刷 平成23年1月25日

発  行 平成23年2月14日

発 行 者 法務省人権擁護局

全国人権擁護委員連合会

東京都千代田区霞が関一丁目1番1号

電話 03(3580)4111 内線5875

URL httpwwwmojgojpJINKEN

第30回全国中学生人権作文コンテスト中央大会審査員

感想をお聞かせください本作文集を読まれた感想等を下記の連絡先又はkeihatsumojgojpまでお寄せください

無断転載を禁じます本作文集に掲載された作文や写真等を地方自治体が広報誌に掲載したり学校が教材に使用される場合などにはあらかじめ下記に御連絡ください

100-8977 東京都千代田区霞が関一丁目1番1号 法務省人権擁護局人権啓発課 TEL03(3580)4111 内線5875

作  家(審査員長) 落 合 恵 子映画監督 山 田 洋 次社団法人日本新聞協会事務局長 川 嶋   明日本放送協会解説委員室解説委員 南   直 樹文部科学省初等中等教育局視学官 三 好 仁 司全国人権擁護委員連合会長 中 村 浩 紹法務省人権擁護局長   井 忠 雄

(敬称略)

【式次第】

第一部

 会

主催者あいさつ

賞状授与

内閣総理大臣賞法務大臣賞

文部科学大臣奨励賞法務副大臣賞

法務大臣政務官賞

全国人権擁護委員連合会長賞

社団法人日本新聞協会会長賞

日本放送協会会長賞(以上各一名)

法務事務次官賞(三名) 計一一名

学校への感謝状贈呈

高円宮妃殿下おことば

来賓祝辞

第二部

各受賞作文の朗読

内閣総理大臣賞法務大臣賞

文部科学大臣奨励賞

全国人権擁護委員連合会長賞

社団法人日本新聞協会会長賞

日本放送協会会長賞

 評

全国中学生人権作文コンテスト中央大会審査員

 山田洋次氏

 落合恵子氏(ビデオレター形式)

第三部

新垣勉さんコンサート

 会 平成二二年一二月一八日(土)

午後一時三〇分〜三時五〇分

於ニッショーホール

「いじめ」や暴力行為等は人権侵害です

法務局地方法務局では

人権侵害による被害を受けた方を

救済するための活動を行っています

お気軽にご相談ください

女性の人権ホットライン

インターネット人権相談受付窓口

ゼロナナゼロのハートライン

0570-070-810

子どもの人権110番ぜろぜろななのひゃくとおばん

 0120-007-110

パソコンから httpwwwmojgojpJINKENjinken113html携帯電話から httpwwwjinkengojpsoudanmobile001html

インターネット人権相談 検 索

Human Rights法務省人権擁護局全国人権擁護委員連合会

人権イメージキャラクター人KENあゆみちゃん人KENまもる君

全国共通通話料無料

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この冊子は環境保護印刷の「水なし印刷」で印刷されています

第30回全国中学生人権作文コンテスト入賞作文集

法務省人権擁護局全国人権擁護委員連合会

人権イメージキャラクター人KENまもる君人KENあゆみちゃん

この冊子には音声コードが各頁(奇数頁 左下偶数頁 右下)に印刷されています専用の読み上げ装置で読み取ると記録されている情報を音声で聞くことが出来ます

Human Rights法務省人権擁護局全国人権擁護委員連合会

 全国中学生人権作文コンテスト入賞作文集

 全国中学生人権作文コンテスト入賞作文集

第30回

過去に対する反省をしていないから

だと思う

 

僕が不思議に思った小学校はすで

に取り壊されて今では小さな石碑

だけが残っている老朽化がひどく

残しておくことができなくなったか

らだという全生園の古い建物はど

んどん取り壊されていく石碑だけ

ではあの不思議さが伝わらないのが

とても残念だ

37 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

 

僕の曾祖父は医者嫌いでしたそのため腹痛で病院に運ばれた時は膵臓癌の末期で余命三ヶ

月でした手術もできない手遅れの状態でした家族皆で話し合い曾祖父の辛い気持ちを第一に

考え曾祖父に病を隠すことになりました曾祖父は次第に病院の中を歩いては転倒し体中あ

ざだらけになりベッドの上で縛られることになっていました曾祖父は病名の宣告を受けてい

ないため元気で歩けると思っているが実際歩くと転んでしまう何でこんな風になってしまっ

たのかさえわからない

 

家族と病院に行くと「包丁もてこいこれぶった切って家さ帰る」と騒いでいましたあん

なに優しかった曾祖父の姿に言葉も出ず恐いくらいでした何も知らされずベッドに縛り付

けられれば誰もがそうなることでしょう「じいちゃんどご一緒に車さのせでいてくれの」と

櫻さくらだ田

 要かな

太た

山形県酒田市立松山中学校 三年

日本放送協会会長賞

悔いのない最期を

入賞作文集 38

入賞作文

せがまれたときもありますかわいそうで涙がポロポロこぼれました「おじいちゃんどご家

さ連れで帰ろうよ」とせがんでも家族も仕事で忙しいためか誰も首を縦に振ってくれず病院

にいた方が安心ということになりました膵臓癌は予想以上に激しい痛みのため医師から強い

痛み止めと強い睡眠剤を勧められましたがそれを導入することにより安楽死に近い状況にな

ることも医師から告げられていました家族は決断をせまられました曾祖父に相談もせずに決

めていいことなのか家に帰りたい曾祖父の意志は封じ込められたままでいいのか家族で悩み

ました結局痛みに耐えている姿は見ていられなくその薬を使うことになりましたその後

曾祖父は次第に弱っていき口も利けなくなり静かに亡くなっていきました僕はどこか心を

引きずったままでした僕達家族が曾祖父に宣告もせず意見も聞かず命の長さを決めてしまっ

たこと当時幼かった僕には何もしてあげられなかったことが今思い出しても残念です

 

最近授業で人権について学習しているときに幼い頃の記憶がよみがえりふと曾祖父のこと

を思い出しました

 

曾祖父はどんな思いで亡くなったのだろう最後に意識のあるうちに一度でいいから家に帰っ

てきたかっただろう身体拘束は今は病院でも禁止されていると思いますがあの頃は確かに曾

祖父のおなかに黒いベルトのようなものが巻きついていました決して自分の力で

は外せないようなものでしたもがき苦しむ曾祖父の姿を見た時に看護師さんに

目を隠され別の部屋に連れて行かれました見せたくない光景だったのだと思いま

すでもあの姿は僕の脳裏に焼き付いています病院の中での人材不足のためだっ

39 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

たのでしょうか人が人らしく生きていない姿でした

 

七十八年生きてきて何も悪いことをしていないのに縛られ家にも帰れない

病気で余命幾ばくもない人には人権というものは存在しないのでしょうか最近の

医療の現場では自己決定権があることについて学びました

 

仏壇に向かい静かに目を閉じると優しく穏やかに微笑む曾祖父の笑顔が浮かびますどんな

気持ちで亡くなっていったのかその気持ちを考えると苦しい気持ちになります野球の大会に

行く前仏壇に手を合わせます「やればできる努力しろ」とよく励ましてくれました曾祖

父の力には何もなれなかったけれど目には見えない力で応援してくれる曾祖父に線香をあげて

自分を省みる時があります曾祖母が元気なので曾祖父を助けられなかった分曾祖母の力に

なっていくことを曾祖父に約束しています

 

夏休み中のニュースで高齢者の所在不明者が多数のため百歳以上の安否確認調査をしていま

した自分の親を平気で捨て遺骨さえもひきとらない亡くなっていたのに年金を不正受給する

ために隠していたなど耳をふさぎたくなるような事件もありました犬や猫が年をとって弱っ

てきた手がかかるから面倒だからと捨ててしまうそれと同じ現象が弱い高齢者にも及んでき

ているのだと思います

 

やはりこの世に生まれてきたもの全てに自分の意志で生きることを決めていける権利がある

と思います長い年月を苦労や努力と向き合いながら精一杯生きてくれたおかげで今の幸せが

あることを忘れずにいたい人はいずれ誰でも年をとります自由に動けなくなった時に自分の

入賞作文集 40

入賞作文

願いが叶う社会を築き「悔いなく満足で楽しく幸せな人生だった」と思えるように人とし

ての誇りを持って満足できる最期を迎えられるように考えていきたいもう二度と僕が見た自

己決定権のない社会にならないように高齢者には今までの感謝の気持ちで本人の希望をでき

るだけ叶えられるように努力していきたいいずれ僕達も迎える高齢社会だからhellip

41 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

 

私は小学六年生の時から盲導犬候補の子犬を育てるボランティアをしています「犬を飼っ

てみたい」と言う私に両親が「せっかく犬を飼うのなら社会に役立つことをしよう」と提案

したからです生後二ヵ月の子犬を預かり一歳の誕生日を迎えるまで世話をするのがボランティ

アの役目です初めて訓練士さんから子犬を手渡された時は不安でドキドキしましたが子犬は

すぐに私の腕の中で眠ってしまいました初めて会った私のことを信頼して安心しきった寝顔

で眠っている姿は本当に可愛かったですラブラドールの子犬はとてもやんちゃで私の家にやっ

て来たその日からいたずらばかりしていましたがしかられてもクヨクヨせずどんな相手にも

 林はやし

 里り

咲さ

東京都小平市立小平第六中学校 三年

差別のない社会に

(パピーウォーカーの経験から学んだこと)

法務事務次官賞

入賞作文集 42

入賞作文

フレンドリーに近づいていく姿から私は明るく前向きに生きることを教わりました子犬たち

と過ごした日々は私にとって一番の宝物ですそしてあっという間に一歳の誕生日がやって来ま

した誕生日が悲しいという経験は初めてでした訓練所への入所日の前日には長い長い散歩を

して最後のお別れをしました「今までありがとう」そう言った私のことを不思議そうに見てい

た子犬の顔が今も目に焼きついています別れは本当につらいけれど涙を見せたら子犬が心配す

るので頑張って笑顔で見送りました

 

私の家で育てた一頭目の子犬は現在盲導犬になって頑張っていますそして今年四月に巣立っ

ていった二頭目の子犬は神奈川にある訓練センターで訓練中です

 

このボランティアを通して私は多くのことを学びましたまず盲導犬の役割ですがこれは単

に目の不自由な方が便利に一人でどこへでも行けるようにするためだけではありません視覚障

がいのある方にとって人の手をわずらわせるのはとてもつらいことなのだそうですたとえ家

族に対してでも「迷惑をかけるのではないか」と思って我慢することが多く「私なんかいない

方がいいんじゃないか」と考えてしまうこともあったといいますその失われそうになった尊

厳を取り戻す手助けをするのが盲導犬の役目なのです犬は訓練を共にするパートナーのことを

大好きになるので「自分は他者からこんなにも大好きになってもらえる存在なん

だ」と気づいて自信を取り戻し新しい一歩を踏み出せるようになるのだそうです

 

また私がボランティア登録している日本盲導犬協会では二〇〇八年に新しい

試みが始まりました受刑者が盲導犬候補の子犬を育てる動物を介在した日本初

43 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

の教育プログラムです罪を犯した人も心から反省してきちんと罪を償えば社会

は差別することなく受け入れるべきですしかし実際はとても偏見が多く元受刑

者たちは「どうせ自分はだめな人間なんだ」と思い再び罪を犯してしまう悪循環

が起こっているそうですその悪循環を断ち切り受刑者たちがスムーズに社会復

帰を果たせるよう支援するのが「あさひ盲導犬パピープロジェクト」です受刑者たちは約十ヵ

月の間子犬たちを世話しながら一緒に過ごし「役に立つ喜び達成する喜び信頼される喜び」

を感じることで自分の価値を再確認するのだそうです今年一月に第一期のプロジェクトを修了

した受刑者の感想に次のようなものがありました

 「今後自分もパピーに笑われないようにきちんとしなければならないパピーは慈しむこと

寛容の心を教えてくれました」

 

犬は決して差別をしません健康な人にも障がいのある人にもお金持ちにも貧しい人にも

権力のある人にも犯罪を犯した人にも全く同じように接してくれますそんな犬たちと一緒に過

ごすことで自信をなくした人たちも自分のことをかけがえのない大切な存在であると思えるよ

うになるのです

 

私たち人間も差別のない社会をつくる努力をしなければならないと思います一人一人が相

手を大切に思う心を忘れなければこの社会はもっと住み良い場所になるはずです私はこのボ

ランティアを通して学んだことを生かしてこれからも一層努力していきたいと思います

入賞作文集 44

入賞作文

45 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

 

僕は祖父のために自助具を作ろうと思った祖父は去年の夏脳梗塞で倒れた祖父は一命

を取り留めたものの右手と右足がまひしてしまったのだその三週間前僕も車椅子から転倒し

て足を骨折した

 

僕には障害がある車椅子で生活することが多いしかし僕のことを障害者だといって差別

するような友達は一人もいない

 

祖父は歩けるようになりたいという気持ちが強かっただからリハビリを頑張り自分で

歩けるようになるまで回復した頑張っている祖父がかっこいいと僕は思った祖父はリハビ

リを頑張ったにも関わらず右手がうまく動かせなくなってしまっただからご飯を食べる時も

服を着替える時も時間がかかる普段何気なくやっていた動作がとても大変だと祖父は言ってい

守もり

田た

 幸こう

平へい

静岡県静岡大学教育学部附属浜松中学校 三年

祖父への靴下

法務事務次官賞

入賞作文集 46

入賞作文

た僕も何か役に立てることはないかと考えた

 

僕の学校には総合学習という授業があるそこで僕は福祉というカテゴリーを選んだ自

分で社会に役立てることを考え実際に行動することが目標だった僕は障害者のために何が

できるかを考えた

 

僕は二年前に静岡文化芸術大学で障害者がいかに日常生活で不自由のない生活ができるかを

考えるプロジェクトがあるのを新聞で知ったそれは大学生たちが個人個人にあった自助具を

作るプロジェクトだった僕は障害者のために何かできるのではと感じた

 

僕は静岡文化芸術大学へ行って僕にもできることがないかと聞いたすると学生さんが

自助具を作ってみないかと声をかけてくれた僕は迷わず「はい」と言った障害者のために

役に立てることがあると思うとすばらしいことだと思ったからだ

 

祖父のつらい顔を見ると日常生活に数々の大きな壁があることが伝わってくる

 

僕は祖父の数々の大きな壁を突き破ろうと思った祖父のために自助具を考え作ろうと僕

は思った祖父が靴下の脱ぎ履きが大変だと言っていたことを思い出したそこで脱ぎ履きし

やすい靴下はできないか考えた靴下の両脇にひもを取り付けてそれを引っ張ると靴下が縮み

脱ぎ履きしやすくなる仕組みだ大学の先生も良いアイディアだと言って褒めてく

れたこれは障害者だけでなく健常者にも使えると言われたユニバーサルデザ

インだと分かった

 

ユニバーサルデザインは年齢や障害の有無にかかわらず全ての人が使いやす

47 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

いように工夫された用具などのデザインである境界がなくなるように健常者が障

害者に対する偏見を考え差別意識がなくなるチャンスだと思った障害者と健常

者が共によりよく生きることが大切だと僕は思った

 

自助具の作品展では杖をついているお年寄り車椅子に乗った若い女性目の

見えない人福祉関係者など沢山の人々が観に来ていた皆自分の生活を良くしようと思っ

ているようだったまた障害者のためにできることは何だろうかと考えている健常者もいるよ

うだった

 

二年生の時の総合学習では二箇所のデイサービスを訪問したデイサービスには六十五歳以

上のお年寄りがいた暗く元気のない人明るく振る舞い誰とでも話せる人など様々だった

しかし僕が一番印象に残ったのは笑顔を絶やさず優しくお年寄りに接していた介護士だった

お年寄りの中には悩みを抱えている人が多いそうだその悩みを解消させる人もまた介護士だっ

た僕は介護士がお年寄りの体を支えるだけではなく心もそっと支えて生きる喜びを与え

ているのだと感じた

 

現代は三世代で暮らす家族が減り核家族が増えているそれはお年寄りの世話が大変だ

からという理由が多いだから老人ホームやデイサービスに預ける人が増えていると僕には

思えたお年寄りの中には自分が嫌われているのではないかとさえ思ってしまう人もいるそう

だそれはお年寄りにとって辛く悲しいことだと思うある介護士がこんなことをおっしゃっ

ていた「人の優しさはお金では買えない」誰にでも優しい心があると思うしかしあと一歩

入賞作文集 48

入賞作文

のところで行動に移すことができない人が多いの

だ僕たちが平和な社会で暮らせるのは今まで

頑張ってきてくれたお年寄りのお陰であることを

忘れてはいけないお年寄りを大切にすることは

当たり前のことなのだ

 

また障害者に対しても偏見の目で見ないで

そっと近づいて手を貸してあげれば健常者との

高い大きな壁を崩すことができると思う

 

障害者にも高齢者にもまた健常者にも人権

はあるお互いの人権を大切にすることが明る

い未来に繋がっていくのだと思う

 

早く祖父に僕の作った靴下を届けたい

49 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

 

僕は小学校六年生まで福岡県に住んでいましたそこで僕が体験したことです五年生のこ

ろ僕の友だちのA君が同級生のK君の靴を隠したりからかったりしていることがよくあり

ました最初は僕もあまり気にしていませんでしたがK君のことを「なんだかかわいそう」と

思うようになりました

 

ある日僕は勇気をだして先生に「K君がいじめにあっています」と報告しました初め先生は

「じゃれ合っているだけだろう」と「いじめ」とは思ってくれませんでしたでもその後「いじ

め」と分かりA君は先生に注意されその日一日は反省した様子で過ごしていましたしかし

次の日学校に行くといじめは前以上にエスカレートしていて蹴ったりたたいたりするように

なりましたしかも「死ね」「うざい」「消えろ」などの言葉が飛び交うようになりそんな日々

法務事務次官賞

浦うら

谷たに

 毅たける

徳島県三好市立池田中学校 三年

いじめをなくすために今

入賞作文集 50

入賞作文

が続きました

 

それは六年生になっても続きました僕はそのいじめを止めることができず毎日見て見ぬ

振りをしていました今思うと自分がとても恥ずかしいです本当の友達なら止めるべきなの

にそれだけではなくいじめられているK君に声一つかけることができずにいました心の中

ではA君に「やめろよ」と言おうと思っていたけどなぜか勇気が出ませんでした次にい

じめられるのが自分になるのが恐くて言えなかったのです

 

そんな日々が続く中僕の気持ちを大きく変える出来事がありました父の死ですそのとき

のことは今でも忘れることができません聞いたときには頭の中が真っ白になりました最初

は信じることができませんでした一週間も二週間も学校に行けずただぼーっと過ごしてい

ましたいろんなことを考え徐々に「死」というものの悲しさつらさ「死」という意味の

重さがわかってきましたそして時間はかかりましたが「命は一瞬にして消え二度と戻っ

てこないものだだから命を大切に今を大切にしなければならない」と深く受け止めることが

できるようになりましたそして周りの子たちは僕のような経験がないから「死ね」とか軽々

しく言えるのだろうと思いこの気持ちを伝えなくてはならないと考えました僕が強くならな

くてはと思いました

 

こんな気持ちになったとき僕には時間がありませんでした母の実家がある徳

島への引っ越しが一週間後に決まっていたのです落ち込んでいる暇は無いと思

い学校に行った僕はA君に言いました「いじめなんかやめろよいじめたって

51 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

喜ぶ人はいないし悲しむ人がいるだけだろ自分だってほんとは嫌だろ『死ね』

とか『消えろ』とか言葉の重さを知らないのに言うなよ」と言いました父親の

突然の死そのあと僕が考えたことも伝えました

 

友だちは黙って聞いてくれました僕の言葉にうなずいてそのあとK君の

ところへ行き「ごめん言葉の重さも知らずに言って本当にごめんぜったいに死ねなんて

ことは言わないそしていじめは絶対にしないほんとうにごめん」とあやまりましたK君

はとても優しい笑顔で「いいよ」と一言言いました僕もK君に言いました

「今まで助けてあげられなくてごめん」

K君は笑顔で「ありがとう」と言ってくれました今まで自分の中でもやもやしていた気持ちが

スーっと晴れました

 

今も時々耳にする暴言冗談半分で言っているのかもしれませんしかしいついじめにつ

ながるかわかりません他人を傷つけることで自分のストレスを晴らそうとしているのでしょう

関係ないふりをしようとする自分がいます楽な考え方をする自分がいますそんな時亡くなっ

た父の顔やK君の優しい笑顔を思い出しますあの時の自分のように強い気持ちを持とう「や

めろよ」と一言言うするとまた気持ちがスーっとしてきました

 

父の分も頑張って生き抜こうと決めた僕にとって正しいことを素直に認め悪いことを否定

できる強い意志を持つことが目標ですそして何よりも命を大切に今を大切にしていきたい

と思っています

入賞作文集 52

入賞作文

53 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

 

ぼくは今まで四つの外国に暮らしいろいろな国の人たちの中で育ってきた

 

まずタイで生まれてタイ人のメイドさんやドライバーさんにいつも遊んでもらっていた

らしい一才になると週一回の体操教室にも通いタイ人の友達もいたそうだ

 

次にシンガポールでは初めてナサリースクール(保育園)に通いいろいろな国の友達と

知り合ったプレイルームにある滑り台を滑る順番争いでいつも勝つのは体の大きい金髪の友

達だった

 

一回目の香港生活では英語の幼稚園に通ったその時のぼくの一番の友達はカナダ人だった

彼とはよくベイブレードをして遊んだが父が日本の出張で買ってきてくれた独楽や剣玉をして

遊ぶこともあった

村むら

瀬せ

 広ひろ

高たか

香港日本人学校中学部 二年

国境をこえて

海 外 作 品

今回は本選への応募とすることはできませんでしたが

 海外から寄せられた作品のうち一作品を御紹介します

入賞作文集 54

海外作品

 

それからインドでは日本人学校に通ったが夏休みには毎年アメリカンスクールのサマー

スクールに参加したし日本人のいない現地のテニススクールにも入り二年間通ったまたイ

ンドの現地幼稚園に通っていた妹のベストフレンドはコンゴ人でその兄弟もぼくの友達だった

 

そして三年間の日本生活を経て今また香港に戻ってきた

 

このようにぼくはいろいろな国でいろいろな国の人たちのお世話になりいろいろな国

の友達と遊んで育った肌が真っ黒な友達もゲームの話をすればすぐに仲良くなれたし髪が

金色の友達もポケモンの話をすれば気が合ったぼくは小さい頃から英語はうまくしゃべれ

なかったけれどもジェスチャーをつけたでたらめ英語でも充分に話は通じただからいろい

ろな国の人たちの中でぼくが日本人だからといって差別されたり嫌な思いをしたりしたこと

はないしぼくも肌の色が違うからとか言葉が通じないからという理由で違う人間だと思っ

たことはないそうぼくは外国人を差別したことはない

 

しかし本当にぼくは外国人を差別したことがないのだろうか外国人を差別した発言を一

度もしたことがないかと考えると自信がない

 

例えば香港人には赤信号でも平気で渡る人がたくさんいるそれを見てぼくは

「香港人はしょうがないな」

と思うでもよく見ると香港人全員が信号無視をしているわけではないまた

世界には今でも戦争をしている国がいくつもある

「人を傷つけ合うなんて馬鹿げている」

55 第30回全国中学生人権作文コンテスト

海外作品

とぼくは悲しくなるでもそれも好きで戦っている人がいるとも思えないその

人たちがそうなったのには何かきっと原因があるはずだ

 

逆に外国人から見ると日本人はどのように思われているのだろう

 

インドから日本に帰国した時毎日ごみがたくさん出ることにぼくはとても驚

いたインドの人たちがよく使う道端にあるカレー屋さんではバナナの葉で作ったお皿にカ

レーを入れてくれる食べた後そのお皿を道に捨てるとのら牛がその葉っぱを食べるそして

牛のふんは燃料になるというそれに比べて日本はちょっと歩くとペットボトルの飲み物が

買えファーストフードのお店では使い捨ての食器を使い立派なお菓子の箱を開けると中身が

少なくてがっかりすることもあるある時母が捨てたジャムの空きびんをメイドさんとエア

コンの修理にきていたワーカーさんとが取り合ってけんかをしていたこともあったそれを見

てぼくはあきれてしまったが逆にインド人から見ると使い捨て文化のしみついた日本人は

とんでもない人間にみえるのかもしれない国によって考え方や行動パターンが違うのは歴史

的背景や宗教習慣気候などのいろいろなことが関わっているのだと思う

 

このように考えると差別とはその人の一部しか見ていないことや自分のやり方だけが正

しいと思うことからおきるのではないかと思うその人が自分とは違った行動をとったとしても

それには深い理由があるのだろうと考えればきっと納得できると思うぼくもこれからは否

定的な発言をする前にその人たちのことをいろいろな角度から見て理解する努力をしてみよう

と思う外国との間には自分の国とは違う言葉や文化という壁があるとみんな言うがそこに

入賞作文集 56

海外作品

あるのは壁ではなく橋だとぼくは思う理解

し合おうという気持ちがあればきっと誰でも

その橋を渡っていけるはずだ気持ちの国境を

こえるのにパスポートはいらないお互いを理

解し合おうと思う気持ちが一番大切だと思う

そしてぼくはこれから日本人として生きる

のではなく地球人として生きていこうと思う

57 第30回全国中学生人権作文コンテスト

海外作品

法務局地方法務局名 郵便番号 所  在  地 電  話

金沢地方法務局人権擁護課920-0024 金沢市西念3-4-1金沢駅西合同庁舎(平成23年3月11日まで) 076-231-1244

921-8505 金沢市新神田4-3-10金沢新神田合同庁舎(平成23年3月14日から) 076-292-7804

富山地方法務局人権擁護課 930-0856 富山市牛島新町11番7号富山合同庁舎 076-441-6376

大阪法務局人権擁護部 540-8544 大阪市中央区谷町2丁目1番17号大阪第2法務合同庁舎 06-6942-9492

京都地方法務局人権擁護課 602-8577 京都市上京区荒神口通河原町東入上生洲町197番地 075-231-0131

神戸地方法務局人権擁護課 650-0042 神戸市中央区波止場町1番1号神戸第2地方合同庁舎 078-392-1821

奈良地方法務局人権擁護課 630-8305 奈良市東紀寺町3-4-1奈良第2法務総合庁舎 0742-23-5457

大津地方法務局人権擁護課 520-8516 大津市御陵町3番6号大津法務総合庁舎 077-522-4673

和歌山地方法務局人権擁護課 640-8552 和歌山市二番丁2番地和歌山地方合同庁舎 073-422-5131

広島法務局人権擁護部 730-8536 広島市中区上八丁堀6番30号広島合同庁舎 082-228-5790

山口地方法務局人権擁護課 753-8577 山口市中河原町6番16号山口地方合同庁舎2号館 083-922-2295

岡山地方法務局人権擁護課 700-8616 岡山市北区南方1丁目3番58号 086-224-5761

鳥取地方法務局人権擁護課 680-0011 鳥取市東町2丁目302番地鳥取第2地方合同庁舎 0857-22-2289

松江地方法務局人権擁護課 690-0886 松江市母衣町50番地松江法務合同庁舎 0852-32-4260

高松法務局人権擁護部 761-8077 高松市出作町585-4 087-815-5311

徳島地方法務局人権擁護課 770-8512 徳島市徳島町城内6番地6徳島地方合同庁舎 088-622-4171

高知地方法務局人権擁護課 780-8509 高知市栄田町2丁目2番10号高知よさこい咲都合同庁舎 088-822-3331

松山地方法務局人権擁護課 790-8505 松山市宮田町188番地6松山地方合同庁舎 089-932-0888

福岡法務局人権擁護部 814-0005 福岡市早良区祖原14-15福岡法務局西新出張所庁舎5階 092-832-4311

佐賀地方法務局人権擁護課 840-0041 佐賀市城内2丁目10番20号佐賀合同庁舎 0952-26-2148

長崎地方法務局人権擁護課 850-8507 長崎市万才町8番16号 095-826-8127大分地方法務局人権擁護課 870-8513 大分市荷揚町7番5号大分法務総合庁舎 097-532-3368

熊本地方法務局人権擁護課 862-0971 熊本市大江3丁目1番53号熊本第2合同庁舎 096-364-2145

鹿児島地方法務局人権擁護課 890-8518 鹿児島市鴨池新町1番2号 099-259-0684宮崎地方法務局人権擁護課 880-8513 宮崎市別府町1番1号宮崎法務総合庁舎 0985-22-5124

那覇地方法務局人権擁護課 900-8544 那覇市樋川1丁目15番15号那覇第1地方合同庁舎 098-854-1215

入賞作文集 58

問合せ先一覧

法務局地方法務局名 郵便番号 所  在  地 電  話

札幌法務局人権擁護部 060-0808 札幌市北区北8条西2丁目1番1札幌第1合同庁舎 011-709-2311

函館地方法務局人権擁護課 040-8533 函館市新川町25番18号函館地方合同庁舎 0138-23-9528

旭川地方法務局人権擁護課 078-8502 旭川市宮前通東4155番31旭川合同庁舎 0166-38-1114

釧路地方法務局人権擁護課 085-8522 釧路市幸町10丁目3番地釧路地方合同庁舎 0154-31-5014

仙台法務局人権擁護部 980-8601 仙台市青葉区春日町7番25号仙台第3法務総合庁舎 022-225-5739

福島地方法務局人権擁護課 960-8021 福島市霞町1番46号福島合同庁舎 024-534-1994

山形地方法務局人権擁護課 990-0041 山形市緑町1丁目5番48号山形地方合同庁舎 023-625-1321

盛岡地方法務局人権擁護課 020-0023 盛岡市内丸7番25号盛岡合同庁舎 019-624-9859秋田地方法務局人権擁護課 010-0951 秋田市山王7丁目1番3号 018-862-6533

青森地方法務局人権擁護課 030-8511 青森市長島1丁目3番5号青森第二合同庁舎 017-776-9024

東京法務局人権擁護部 102-8225 千代田区九段南1丁目1番15号九段第2合同庁舎 03-5213-1234

横浜地方法務局人権擁護課 231-8411 横浜市中区北仲通5丁目57番地横浜第2合同庁舎 045-641-7926

さいたま地方法務局人権擁護課 338-8513 さいたま市中央区下落合5-12-1さいたま第二法務総合庁舎 048-859-3507

千葉地方法務局人権擁護課 260-8518 千葉市中央区中央港1丁目11番3号千葉地方合同庁舎 043-302-1319

水戸地方法務局人権擁護課 310-0061 水戸市北見町1番1号水戸地方法務合同庁舎 029-227-9919

宇都宮地方法務局人権擁護課 320-8515 宇都宮市小幡2丁目1番11号宇都宮地方法務合同庁舎 028-623-0926

前橋地方法務局人権擁護課 371-8535 前橋市大手町2丁目10番5号前橋合同庁舎 027-221-4426

静岡地方法務局人権擁護課 420-8650 静岡市葵区追手町9番50号静岡地方合同庁舎 054-254-3555

甲府地方法務局人権擁護課 400-8520 甲府市北口1丁目2番19号甲府地方合同庁舎 055-252-7239

長野地方法務局人権擁護課 380-0846 長野市旭町1108番地長野第2合同庁舎 026-235-6634

新潟地方法務局人権擁護課 951-8504 新潟市中央区西大畑町5191番地新潟地方法務総合庁舎 025-222-1564

名古屋法務局人権擁護部 460-8513 名古屋市中区三の丸2丁目2番1号名古屋合同庁舎第1号館 052-952-8111

津地方法務局人権擁護課 514-8503 津市丸之内26番8号津合同庁舎 059-228-4193岐阜地方法務局人権擁護課 500-8729 岐阜市金竜町5丁目13番地 058-245-3181

福井地方法務局人権擁護課 910-8504 福井市春山1丁目1番54号福井春山合同庁舎 0776-22-5090

問合せ先一覧 (法務局地方法務局)

59 第30回全国中学生人権作文コンテスト

問合せ先一覧

世界人権宣言啓発書画「鳥」「自由と解放」を表わしたもの 小木太法書オタビオロス画(財)人権擁護協力会提供

入賞作文集 60

すべての人間は生まれながらにして

自由でありかつ尊厳と権利とに

ついて平等である人間は理性と

良心とを授けられており互いに同胞の

精神をもって行動しなければならない

―――

世界人権宣言 第一条

―――

第三〇回

 全国中学生人権作文コンテスト

中央大会表彰式

印  刷 平成23年1月25日

発  行 平成23年2月14日

発 行 者 法務省人権擁護局

全国人権擁護委員連合会

東京都千代田区霞が関一丁目1番1号

電話 03(3580)4111 内線5875

URL httpwwwmojgojpJINKEN

第30回全国中学生人権作文コンテスト中央大会審査員

感想をお聞かせください本作文集を読まれた感想等を下記の連絡先又はkeihatsumojgojpまでお寄せください

無断転載を禁じます本作文集に掲載された作文や写真等を地方自治体が広報誌に掲載したり学校が教材に使用される場合などにはあらかじめ下記に御連絡ください

100-8977 東京都千代田区霞が関一丁目1番1号 法務省人権擁護局人権啓発課 TEL03(3580)4111 内線5875

作  家(審査員長) 落 合 恵 子映画監督 山 田 洋 次社団法人日本新聞協会事務局長 川 嶋   明日本放送協会解説委員室解説委員 南   直 樹文部科学省初等中等教育局視学官 三 好 仁 司全国人権擁護委員連合会長 中 村 浩 紹法務省人権擁護局長   井 忠 雄

(敬称略)

【式次第】

第一部

 会

主催者あいさつ

賞状授与

内閣総理大臣賞法務大臣賞

文部科学大臣奨励賞法務副大臣賞

法務大臣政務官賞

全国人権擁護委員連合会長賞

社団法人日本新聞協会会長賞

日本放送協会会長賞(以上各一名)

法務事務次官賞(三名) 計一一名

学校への感謝状贈呈

高円宮妃殿下おことば

来賓祝辞

第二部

各受賞作文の朗読

内閣総理大臣賞法務大臣賞

文部科学大臣奨励賞

全国人権擁護委員連合会長賞

社団法人日本新聞協会会長賞

日本放送協会会長賞

 評

全国中学生人権作文コンテスト中央大会審査員

 山田洋次氏

 落合恵子氏(ビデオレター形式)

第三部

新垣勉さんコンサート

 会 平成二二年一二月一八日(土)

午後一時三〇分〜三時五〇分

於ニッショーホール

「いじめ」や暴力行為等は人権侵害です

法務局地方法務局では

人権侵害による被害を受けた方を

救済するための活動を行っています

お気軽にご相談ください

女性の人権ホットライン

インターネット人権相談受付窓口

ゼロナナゼロのハートライン

0570-070-810

子どもの人権110番ぜろぜろななのひゃくとおばん

 0120-007-110

パソコンから httpwwwmojgojpJINKENjinken113html携帯電話から httpwwwjinkengojpsoudanmobile001html

インターネット人権相談 検 索

Human Rights法務省人権擁護局全国人権擁護委員連合会

人権イメージキャラクター人KENあゆみちゃん人KENまもる君

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この冊子は環境保護印刷の「水なし印刷」で印刷されています

第30回全国中学生人権作文コンテスト入賞作文集

法務省人権擁護局全国人権擁護委員連合会

人権イメージキャラクター人KENまもる君人KENあゆみちゃん

この冊子には音声コードが各頁(奇数頁 左下偶数頁 右下)に印刷されています専用の読み上げ装置で読み取ると記録されている情報を音声で聞くことが出来ます

Human Rights法務省人権擁護局全国人権擁護委員連合会

 全国中学生人権作文コンテスト入賞作文集

 全国中学生人権作文コンテスト入賞作文集

第30回

 

僕の曾祖父は医者嫌いでしたそのため腹痛で病院に運ばれた時は膵臓癌の末期で余命三ヶ

月でした手術もできない手遅れの状態でした家族皆で話し合い曾祖父の辛い気持ちを第一に

考え曾祖父に病を隠すことになりました曾祖父は次第に病院の中を歩いては転倒し体中あ

ざだらけになりベッドの上で縛られることになっていました曾祖父は病名の宣告を受けてい

ないため元気で歩けると思っているが実際歩くと転んでしまう何でこんな風になってしまっ

たのかさえわからない

 

家族と病院に行くと「包丁もてこいこれぶった切って家さ帰る」と騒いでいましたあん

なに優しかった曾祖父の姿に言葉も出ず恐いくらいでした何も知らされずベッドに縛り付

けられれば誰もがそうなることでしょう「じいちゃんどご一緒に車さのせでいてくれの」と

櫻さくらだ田

 要かな

太た

山形県酒田市立松山中学校 三年

日本放送協会会長賞

悔いのない最期を

入賞作文集 38

入賞作文

せがまれたときもありますかわいそうで涙がポロポロこぼれました「おじいちゃんどご家

さ連れで帰ろうよ」とせがんでも家族も仕事で忙しいためか誰も首を縦に振ってくれず病院

にいた方が安心ということになりました膵臓癌は予想以上に激しい痛みのため医師から強い

痛み止めと強い睡眠剤を勧められましたがそれを導入することにより安楽死に近い状況にな

ることも医師から告げられていました家族は決断をせまられました曾祖父に相談もせずに決

めていいことなのか家に帰りたい曾祖父の意志は封じ込められたままでいいのか家族で悩み

ました結局痛みに耐えている姿は見ていられなくその薬を使うことになりましたその後

曾祖父は次第に弱っていき口も利けなくなり静かに亡くなっていきました僕はどこか心を

引きずったままでした僕達家族が曾祖父に宣告もせず意見も聞かず命の長さを決めてしまっ

たこと当時幼かった僕には何もしてあげられなかったことが今思い出しても残念です

 

最近授業で人権について学習しているときに幼い頃の記憶がよみがえりふと曾祖父のこと

を思い出しました

 

曾祖父はどんな思いで亡くなったのだろう最後に意識のあるうちに一度でいいから家に帰っ

てきたかっただろう身体拘束は今は病院でも禁止されていると思いますがあの頃は確かに曾

祖父のおなかに黒いベルトのようなものが巻きついていました決して自分の力で

は外せないようなものでしたもがき苦しむ曾祖父の姿を見た時に看護師さんに

目を隠され別の部屋に連れて行かれました見せたくない光景だったのだと思いま

すでもあの姿は僕の脳裏に焼き付いています病院の中での人材不足のためだっ

39 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

たのでしょうか人が人らしく生きていない姿でした

 

七十八年生きてきて何も悪いことをしていないのに縛られ家にも帰れない

病気で余命幾ばくもない人には人権というものは存在しないのでしょうか最近の

医療の現場では自己決定権があることについて学びました

 

仏壇に向かい静かに目を閉じると優しく穏やかに微笑む曾祖父の笑顔が浮かびますどんな

気持ちで亡くなっていったのかその気持ちを考えると苦しい気持ちになります野球の大会に

行く前仏壇に手を合わせます「やればできる努力しろ」とよく励ましてくれました曾祖

父の力には何もなれなかったけれど目には見えない力で応援してくれる曾祖父に線香をあげて

自分を省みる時があります曾祖母が元気なので曾祖父を助けられなかった分曾祖母の力に

なっていくことを曾祖父に約束しています

 

夏休み中のニュースで高齢者の所在不明者が多数のため百歳以上の安否確認調査をしていま

した自分の親を平気で捨て遺骨さえもひきとらない亡くなっていたのに年金を不正受給する

ために隠していたなど耳をふさぎたくなるような事件もありました犬や猫が年をとって弱っ

てきた手がかかるから面倒だからと捨ててしまうそれと同じ現象が弱い高齢者にも及んでき

ているのだと思います

 

やはりこの世に生まれてきたもの全てに自分の意志で生きることを決めていける権利がある

と思います長い年月を苦労や努力と向き合いながら精一杯生きてくれたおかげで今の幸せが

あることを忘れずにいたい人はいずれ誰でも年をとります自由に動けなくなった時に自分の

入賞作文集 40

入賞作文

願いが叶う社会を築き「悔いなく満足で楽しく幸せな人生だった」と思えるように人とし

ての誇りを持って満足できる最期を迎えられるように考えていきたいもう二度と僕が見た自

己決定権のない社会にならないように高齢者には今までの感謝の気持ちで本人の希望をでき

るだけ叶えられるように努力していきたいいずれ僕達も迎える高齢社会だからhellip

41 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

 

私は小学六年生の時から盲導犬候補の子犬を育てるボランティアをしています「犬を飼っ

てみたい」と言う私に両親が「せっかく犬を飼うのなら社会に役立つことをしよう」と提案

したからです生後二ヵ月の子犬を預かり一歳の誕生日を迎えるまで世話をするのがボランティ

アの役目です初めて訓練士さんから子犬を手渡された時は不安でドキドキしましたが子犬は

すぐに私の腕の中で眠ってしまいました初めて会った私のことを信頼して安心しきった寝顔

で眠っている姿は本当に可愛かったですラブラドールの子犬はとてもやんちゃで私の家にやっ

て来たその日からいたずらばかりしていましたがしかられてもクヨクヨせずどんな相手にも

 林はやし

 里り

咲さ

東京都小平市立小平第六中学校 三年

差別のない社会に

(パピーウォーカーの経験から学んだこと)

法務事務次官賞

入賞作文集 42

入賞作文

フレンドリーに近づいていく姿から私は明るく前向きに生きることを教わりました子犬たち

と過ごした日々は私にとって一番の宝物ですそしてあっという間に一歳の誕生日がやって来ま

した誕生日が悲しいという経験は初めてでした訓練所への入所日の前日には長い長い散歩を

して最後のお別れをしました「今までありがとう」そう言った私のことを不思議そうに見てい

た子犬の顔が今も目に焼きついています別れは本当につらいけれど涙を見せたら子犬が心配す

るので頑張って笑顔で見送りました

 

私の家で育てた一頭目の子犬は現在盲導犬になって頑張っていますそして今年四月に巣立っ

ていった二頭目の子犬は神奈川にある訓練センターで訓練中です

 

このボランティアを通して私は多くのことを学びましたまず盲導犬の役割ですがこれは単

に目の不自由な方が便利に一人でどこへでも行けるようにするためだけではありません視覚障

がいのある方にとって人の手をわずらわせるのはとてもつらいことなのだそうですたとえ家

族に対してでも「迷惑をかけるのではないか」と思って我慢することが多く「私なんかいない

方がいいんじゃないか」と考えてしまうこともあったといいますその失われそうになった尊

厳を取り戻す手助けをするのが盲導犬の役目なのです犬は訓練を共にするパートナーのことを

大好きになるので「自分は他者からこんなにも大好きになってもらえる存在なん

だ」と気づいて自信を取り戻し新しい一歩を踏み出せるようになるのだそうです

 

また私がボランティア登録している日本盲導犬協会では二〇〇八年に新しい

試みが始まりました受刑者が盲導犬候補の子犬を育てる動物を介在した日本初

43 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

の教育プログラムです罪を犯した人も心から反省してきちんと罪を償えば社会

は差別することなく受け入れるべきですしかし実際はとても偏見が多く元受刑

者たちは「どうせ自分はだめな人間なんだ」と思い再び罪を犯してしまう悪循環

が起こっているそうですその悪循環を断ち切り受刑者たちがスムーズに社会復

帰を果たせるよう支援するのが「あさひ盲導犬パピープロジェクト」です受刑者たちは約十ヵ

月の間子犬たちを世話しながら一緒に過ごし「役に立つ喜び達成する喜び信頼される喜び」

を感じることで自分の価値を再確認するのだそうです今年一月に第一期のプロジェクトを修了

した受刑者の感想に次のようなものがありました

 「今後自分もパピーに笑われないようにきちんとしなければならないパピーは慈しむこと

寛容の心を教えてくれました」

 

犬は決して差別をしません健康な人にも障がいのある人にもお金持ちにも貧しい人にも

権力のある人にも犯罪を犯した人にも全く同じように接してくれますそんな犬たちと一緒に過

ごすことで自信をなくした人たちも自分のことをかけがえのない大切な存在であると思えるよ

うになるのです

 

私たち人間も差別のない社会をつくる努力をしなければならないと思います一人一人が相

手を大切に思う心を忘れなければこの社会はもっと住み良い場所になるはずです私はこのボ

ランティアを通して学んだことを生かしてこれからも一層努力していきたいと思います

入賞作文集 44

入賞作文

45 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

 

僕は祖父のために自助具を作ろうと思った祖父は去年の夏脳梗塞で倒れた祖父は一命

を取り留めたものの右手と右足がまひしてしまったのだその三週間前僕も車椅子から転倒し

て足を骨折した

 

僕には障害がある車椅子で生活することが多いしかし僕のことを障害者だといって差別

するような友達は一人もいない

 

祖父は歩けるようになりたいという気持ちが強かっただからリハビリを頑張り自分で

歩けるようになるまで回復した頑張っている祖父がかっこいいと僕は思った祖父はリハビ

リを頑張ったにも関わらず右手がうまく動かせなくなってしまっただからご飯を食べる時も

服を着替える時も時間がかかる普段何気なくやっていた動作がとても大変だと祖父は言ってい

守もり

田た

 幸こう

平へい

静岡県静岡大学教育学部附属浜松中学校 三年

祖父への靴下

法務事務次官賞

入賞作文集 46

入賞作文

た僕も何か役に立てることはないかと考えた

 

僕の学校には総合学習という授業があるそこで僕は福祉というカテゴリーを選んだ自

分で社会に役立てることを考え実際に行動することが目標だった僕は障害者のために何が

できるかを考えた

 

僕は二年前に静岡文化芸術大学で障害者がいかに日常生活で不自由のない生活ができるかを

考えるプロジェクトがあるのを新聞で知ったそれは大学生たちが個人個人にあった自助具を

作るプロジェクトだった僕は障害者のために何かできるのではと感じた

 

僕は静岡文化芸術大学へ行って僕にもできることがないかと聞いたすると学生さんが

自助具を作ってみないかと声をかけてくれた僕は迷わず「はい」と言った障害者のために

役に立てることがあると思うとすばらしいことだと思ったからだ

 

祖父のつらい顔を見ると日常生活に数々の大きな壁があることが伝わってくる

 

僕は祖父の数々の大きな壁を突き破ろうと思った祖父のために自助具を考え作ろうと僕

は思った祖父が靴下の脱ぎ履きが大変だと言っていたことを思い出したそこで脱ぎ履きし

やすい靴下はできないか考えた靴下の両脇にひもを取り付けてそれを引っ張ると靴下が縮み

脱ぎ履きしやすくなる仕組みだ大学の先生も良いアイディアだと言って褒めてく

れたこれは障害者だけでなく健常者にも使えると言われたユニバーサルデザ

インだと分かった

 

ユニバーサルデザインは年齢や障害の有無にかかわらず全ての人が使いやす

47 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

いように工夫された用具などのデザインである境界がなくなるように健常者が障

害者に対する偏見を考え差別意識がなくなるチャンスだと思った障害者と健常

者が共によりよく生きることが大切だと僕は思った

 

自助具の作品展では杖をついているお年寄り車椅子に乗った若い女性目の

見えない人福祉関係者など沢山の人々が観に来ていた皆自分の生活を良くしようと思っ

ているようだったまた障害者のためにできることは何だろうかと考えている健常者もいるよ

うだった

 

二年生の時の総合学習では二箇所のデイサービスを訪問したデイサービスには六十五歳以

上のお年寄りがいた暗く元気のない人明るく振る舞い誰とでも話せる人など様々だった

しかし僕が一番印象に残ったのは笑顔を絶やさず優しくお年寄りに接していた介護士だった

お年寄りの中には悩みを抱えている人が多いそうだその悩みを解消させる人もまた介護士だっ

た僕は介護士がお年寄りの体を支えるだけではなく心もそっと支えて生きる喜びを与え

ているのだと感じた

 

現代は三世代で暮らす家族が減り核家族が増えているそれはお年寄りの世話が大変だ

からという理由が多いだから老人ホームやデイサービスに預ける人が増えていると僕には

思えたお年寄りの中には自分が嫌われているのではないかとさえ思ってしまう人もいるそう

だそれはお年寄りにとって辛く悲しいことだと思うある介護士がこんなことをおっしゃっ

ていた「人の優しさはお金では買えない」誰にでも優しい心があると思うしかしあと一歩

入賞作文集 48

入賞作文

のところで行動に移すことができない人が多いの

だ僕たちが平和な社会で暮らせるのは今まで

頑張ってきてくれたお年寄りのお陰であることを

忘れてはいけないお年寄りを大切にすることは

当たり前のことなのだ

 

また障害者に対しても偏見の目で見ないで

そっと近づいて手を貸してあげれば健常者との

高い大きな壁を崩すことができると思う

 

障害者にも高齢者にもまた健常者にも人権

はあるお互いの人権を大切にすることが明る

い未来に繋がっていくのだと思う

 

早く祖父に僕の作った靴下を届けたい

49 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

 

僕は小学校六年生まで福岡県に住んでいましたそこで僕が体験したことです五年生のこ

ろ僕の友だちのA君が同級生のK君の靴を隠したりからかったりしていることがよくあり

ました最初は僕もあまり気にしていませんでしたがK君のことを「なんだかかわいそう」と

思うようになりました

 

ある日僕は勇気をだして先生に「K君がいじめにあっています」と報告しました初め先生は

「じゃれ合っているだけだろう」と「いじめ」とは思ってくれませんでしたでもその後「いじ

め」と分かりA君は先生に注意されその日一日は反省した様子で過ごしていましたしかし

次の日学校に行くといじめは前以上にエスカレートしていて蹴ったりたたいたりするように

なりましたしかも「死ね」「うざい」「消えろ」などの言葉が飛び交うようになりそんな日々

法務事務次官賞

浦うら

谷たに

 毅たける

徳島県三好市立池田中学校 三年

いじめをなくすために今

入賞作文集 50

入賞作文

が続きました

 

それは六年生になっても続きました僕はそのいじめを止めることができず毎日見て見ぬ

振りをしていました今思うと自分がとても恥ずかしいです本当の友達なら止めるべきなの

にそれだけではなくいじめられているK君に声一つかけることができずにいました心の中

ではA君に「やめろよ」と言おうと思っていたけどなぜか勇気が出ませんでした次にい

じめられるのが自分になるのが恐くて言えなかったのです

 

そんな日々が続く中僕の気持ちを大きく変える出来事がありました父の死ですそのとき

のことは今でも忘れることができません聞いたときには頭の中が真っ白になりました最初

は信じることができませんでした一週間も二週間も学校に行けずただぼーっと過ごしてい

ましたいろんなことを考え徐々に「死」というものの悲しさつらさ「死」という意味の

重さがわかってきましたそして時間はかかりましたが「命は一瞬にして消え二度と戻っ

てこないものだだから命を大切に今を大切にしなければならない」と深く受け止めることが

できるようになりましたそして周りの子たちは僕のような経験がないから「死ね」とか軽々

しく言えるのだろうと思いこの気持ちを伝えなくてはならないと考えました僕が強くならな

くてはと思いました

 

こんな気持ちになったとき僕には時間がありませんでした母の実家がある徳

島への引っ越しが一週間後に決まっていたのです落ち込んでいる暇は無いと思

い学校に行った僕はA君に言いました「いじめなんかやめろよいじめたって

51 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

喜ぶ人はいないし悲しむ人がいるだけだろ自分だってほんとは嫌だろ『死ね』

とか『消えろ』とか言葉の重さを知らないのに言うなよ」と言いました父親の

突然の死そのあと僕が考えたことも伝えました

 

友だちは黙って聞いてくれました僕の言葉にうなずいてそのあとK君の

ところへ行き「ごめん言葉の重さも知らずに言って本当にごめんぜったいに死ねなんて

ことは言わないそしていじめは絶対にしないほんとうにごめん」とあやまりましたK君

はとても優しい笑顔で「いいよ」と一言言いました僕もK君に言いました

「今まで助けてあげられなくてごめん」

K君は笑顔で「ありがとう」と言ってくれました今まで自分の中でもやもやしていた気持ちが

スーっと晴れました

 

今も時々耳にする暴言冗談半分で言っているのかもしれませんしかしいついじめにつ

ながるかわかりません他人を傷つけることで自分のストレスを晴らそうとしているのでしょう

関係ないふりをしようとする自分がいます楽な考え方をする自分がいますそんな時亡くなっ

た父の顔やK君の優しい笑顔を思い出しますあの時の自分のように強い気持ちを持とう「や

めろよ」と一言言うするとまた気持ちがスーっとしてきました

 

父の分も頑張って生き抜こうと決めた僕にとって正しいことを素直に認め悪いことを否定

できる強い意志を持つことが目標ですそして何よりも命を大切に今を大切にしていきたい

と思っています

入賞作文集 52

入賞作文

53 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

 

ぼくは今まで四つの外国に暮らしいろいろな国の人たちの中で育ってきた

 

まずタイで生まれてタイ人のメイドさんやドライバーさんにいつも遊んでもらっていた

らしい一才になると週一回の体操教室にも通いタイ人の友達もいたそうだ

 

次にシンガポールでは初めてナサリースクール(保育園)に通いいろいろな国の友達と

知り合ったプレイルームにある滑り台を滑る順番争いでいつも勝つのは体の大きい金髪の友

達だった

 

一回目の香港生活では英語の幼稚園に通ったその時のぼくの一番の友達はカナダ人だった

彼とはよくベイブレードをして遊んだが父が日本の出張で買ってきてくれた独楽や剣玉をして

遊ぶこともあった

村むら

瀬せ

 広ひろ

高たか

香港日本人学校中学部 二年

国境をこえて

海 外 作 品

今回は本選への応募とすることはできませんでしたが

 海外から寄せられた作品のうち一作品を御紹介します

入賞作文集 54

海外作品

 

それからインドでは日本人学校に通ったが夏休みには毎年アメリカンスクールのサマー

スクールに参加したし日本人のいない現地のテニススクールにも入り二年間通ったまたイ

ンドの現地幼稚園に通っていた妹のベストフレンドはコンゴ人でその兄弟もぼくの友達だった

 

そして三年間の日本生活を経て今また香港に戻ってきた

 

このようにぼくはいろいろな国でいろいろな国の人たちのお世話になりいろいろな国

の友達と遊んで育った肌が真っ黒な友達もゲームの話をすればすぐに仲良くなれたし髪が

金色の友達もポケモンの話をすれば気が合ったぼくは小さい頃から英語はうまくしゃべれ

なかったけれどもジェスチャーをつけたでたらめ英語でも充分に話は通じただからいろい

ろな国の人たちの中でぼくが日本人だからといって差別されたり嫌な思いをしたりしたこと

はないしぼくも肌の色が違うからとか言葉が通じないからという理由で違う人間だと思っ

たことはないそうぼくは外国人を差別したことはない

 

しかし本当にぼくは外国人を差別したことがないのだろうか外国人を差別した発言を一

度もしたことがないかと考えると自信がない

 

例えば香港人には赤信号でも平気で渡る人がたくさんいるそれを見てぼくは

「香港人はしょうがないな」

と思うでもよく見ると香港人全員が信号無視をしているわけではないまた

世界には今でも戦争をしている国がいくつもある

「人を傷つけ合うなんて馬鹿げている」

55 第30回全国中学生人権作文コンテスト

海外作品

とぼくは悲しくなるでもそれも好きで戦っている人がいるとも思えないその

人たちがそうなったのには何かきっと原因があるはずだ

 

逆に外国人から見ると日本人はどのように思われているのだろう

 

インドから日本に帰国した時毎日ごみがたくさん出ることにぼくはとても驚

いたインドの人たちがよく使う道端にあるカレー屋さんではバナナの葉で作ったお皿にカ

レーを入れてくれる食べた後そのお皿を道に捨てるとのら牛がその葉っぱを食べるそして

牛のふんは燃料になるというそれに比べて日本はちょっと歩くとペットボトルの飲み物が

買えファーストフードのお店では使い捨ての食器を使い立派なお菓子の箱を開けると中身が

少なくてがっかりすることもあるある時母が捨てたジャムの空きびんをメイドさんとエア

コンの修理にきていたワーカーさんとが取り合ってけんかをしていたこともあったそれを見

てぼくはあきれてしまったが逆にインド人から見ると使い捨て文化のしみついた日本人は

とんでもない人間にみえるのかもしれない国によって考え方や行動パターンが違うのは歴史

的背景や宗教習慣気候などのいろいろなことが関わっているのだと思う

 

このように考えると差別とはその人の一部しか見ていないことや自分のやり方だけが正

しいと思うことからおきるのではないかと思うその人が自分とは違った行動をとったとしても

それには深い理由があるのだろうと考えればきっと納得できると思うぼくもこれからは否

定的な発言をする前にその人たちのことをいろいろな角度から見て理解する努力をしてみよう

と思う外国との間には自分の国とは違う言葉や文化という壁があるとみんな言うがそこに

入賞作文集 56

海外作品

あるのは壁ではなく橋だとぼくは思う理解

し合おうという気持ちがあればきっと誰でも

その橋を渡っていけるはずだ気持ちの国境を

こえるのにパスポートはいらないお互いを理

解し合おうと思う気持ちが一番大切だと思う

そしてぼくはこれから日本人として生きる

のではなく地球人として生きていこうと思う

57 第30回全国中学生人権作文コンテスト

海外作品

法務局地方法務局名 郵便番号 所  在  地 電  話

金沢地方法務局人権擁護課920-0024 金沢市西念3-4-1金沢駅西合同庁舎(平成23年3月11日まで) 076-231-1244

921-8505 金沢市新神田4-3-10金沢新神田合同庁舎(平成23年3月14日から) 076-292-7804

富山地方法務局人権擁護課 930-0856 富山市牛島新町11番7号富山合同庁舎 076-441-6376

大阪法務局人権擁護部 540-8544 大阪市中央区谷町2丁目1番17号大阪第2法務合同庁舎 06-6942-9492

京都地方法務局人権擁護課 602-8577 京都市上京区荒神口通河原町東入上生洲町197番地 075-231-0131

神戸地方法務局人権擁護課 650-0042 神戸市中央区波止場町1番1号神戸第2地方合同庁舎 078-392-1821

奈良地方法務局人権擁護課 630-8305 奈良市東紀寺町3-4-1奈良第2法務総合庁舎 0742-23-5457

大津地方法務局人権擁護課 520-8516 大津市御陵町3番6号大津法務総合庁舎 077-522-4673

和歌山地方法務局人権擁護課 640-8552 和歌山市二番丁2番地和歌山地方合同庁舎 073-422-5131

広島法務局人権擁護部 730-8536 広島市中区上八丁堀6番30号広島合同庁舎 082-228-5790

山口地方法務局人権擁護課 753-8577 山口市中河原町6番16号山口地方合同庁舎2号館 083-922-2295

岡山地方法務局人権擁護課 700-8616 岡山市北区南方1丁目3番58号 086-224-5761

鳥取地方法務局人権擁護課 680-0011 鳥取市東町2丁目302番地鳥取第2地方合同庁舎 0857-22-2289

松江地方法務局人権擁護課 690-0886 松江市母衣町50番地松江法務合同庁舎 0852-32-4260

高松法務局人権擁護部 761-8077 高松市出作町585-4 087-815-5311

徳島地方法務局人権擁護課 770-8512 徳島市徳島町城内6番地6徳島地方合同庁舎 088-622-4171

高知地方法務局人権擁護課 780-8509 高知市栄田町2丁目2番10号高知よさこい咲都合同庁舎 088-822-3331

松山地方法務局人権擁護課 790-8505 松山市宮田町188番地6松山地方合同庁舎 089-932-0888

福岡法務局人権擁護部 814-0005 福岡市早良区祖原14-15福岡法務局西新出張所庁舎5階 092-832-4311

佐賀地方法務局人権擁護課 840-0041 佐賀市城内2丁目10番20号佐賀合同庁舎 0952-26-2148

長崎地方法務局人権擁護課 850-8507 長崎市万才町8番16号 095-826-8127大分地方法務局人権擁護課 870-8513 大分市荷揚町7番5号大分法務総合庁舎 097-532-3368

熊本地方法務局人権擁護課 862-0971 熊本市大江3丁目1番53号熊本第2合同庁舎 096-364-2145

鹿児島地方法務局人権擁護課 890-8518 鹿児島市鴨池新町1番2号 099-259-0684宮崎地方法務局人権擁護課 880-8513 宮崎市別府町1番1号宮崎法務総合庁舎 0985-22-5124

那覇地方法務局人権擁護課 900-8544 那覇市樋川1丁目15番15号那覇第1地方合同庁舎 098-854-1215

入賞作文集 58

問合せ先一覧

法務局地方法務局名 郵便番号 所  在  地 電  話

札幌法務局人権擁護部 060-0808 札幌市北区北8条西2丁目1番1札幌第1合同庁舎 011-709-2311

函館地方法務局人権擁護課 040-8533 函館市新川町25番18号函館地方合同庁舎 0138-23-9528

旭川地方法務局人権擁護課 078-8502 旭川市宮前通東4155番31旭川合同庁舎 0166-38-1114

釧路地方法務局人権擁護課 085-8522 釧路市幸町10丁目3番地釧路地方合同庁舎 0154-31-5014

仙台法務局人権擁護部 980-8601 仙台市青葉区春日町7番25号仙台第3法務総合庁舎 022-225-5739

福島地方法務局人権擁護課 960-8021 福島市霞町1番46号福島合同庁舎 024-534-1994

山形地方法務局人権擁護課 990-0041 山形市緑町1丁目5番48号山形地方合同庁舎 023-625-1321

盛岡地方法務局人権擁護課 020-0023 盛岡市内丸7番25号盛岡合同庁舎 019-624-9859秋田地方法務局人権擁護課 010-0951 秋田市山王7丁目1番3号 018-862-6533

青森地方法務局人権擁護課 030-8511 青森市長島1丁目3番5号青森第二合同庁舎 017-776-9024

東京法務局人権擁護部 102-8225 千代田区九段南1丁目1番15号九段第2合同庁舎 03-5213-1234

横浜地方法務局人権擁護課 231-8411 横浜市中区北仲通5丁目57番地横浜第2合同庁舎 045-641-7926

さいたま地方法務局人権擁護課 338-8513 さいたま市中央区下落合5-12-1さいたま第二法務総合庁舎 048-859-3507

千葉地方法務局人権擁護課 260-8518 千葉市中央区中央港1丁目11番3号千葉地方合同庁舎 043-302-1319

水戸地方法務局人権擁護課 310-0061 水戸市北見町1番1号水戸地方法務合同庁舎 029-227-9919

宇都宮地方法務局人権擁護課 320-8515 宇都宮市小幡2丁目1番11号宇都宮地方法務合同庁舎 028-623-0926

前橋地方法務局人権擁護課 371-8535 前橋市大手町2丁目10番5号前橋合同庁舎 027-221-4426

静岡地方法務局人権擁護課 420-8650 静岡市葵区追手町9番50号静岡地方合同庁舎 054-254-3555

甲府地方法務局人権擁護課 400-8520 甲府市北口1丁目2番19号甲府地方合同庁舎 055-252-7239

長野地方法務局人権擁護課 380-0846 長野市旭町1108番地長野第2合同庁舎 026-235-6634

新潟地方法務局人権擁護課 951-8504 新潟市中央区西大畑町5191番地新潟地方法務総合庁舎 025-222-1564

名古屋法務局人権擁護部 460-8513 名古屋市中区三の丸2丁目2番1号名古屋合同庁舎第1号館 052-952-8111

津地方法務局人権擁護課 514-8503 津市丸之内26番8号津合同庁舎 059-228-4193岐阜地方法務局人権擁護課 500-8729 岐阜市金竜町5丁目13番地 058-245-3181

福井地方法務局人権擁護課 910-8504 福井市春山1丁目1番54号福井春山合同庁舎 0776-22-5090

問合せ先一覧 (法務局地方法務局)

59 第30回全国中学生人権作文コンテスト

問合せ先一覧

世界人権宣言啓発書画「鳥」「自由と解放」を表わしたもの 小木太法書オタビオロス画(財)人権擁護協力会提供

入賞作文集 60

すべての人間は生まれながらにして

自由でありかつ尊厳と権利とに

ついて平等である人間は理性と

良心とを授けられており互いに同胞の

精神をもって行動しなければならない

―――

世界人権宣言 第一条

―――

第三〇回

 全国中学生人権作文コンテスト

中央大会表彰式

印  刷 平成23年1月25日

発  行 平成23年2月14日

発 行 者 法務省人権擁護局

全国人権擁護委員連合会

東京都千代田区霞が関一丁目1番1号

電話 03(3580)4111 内線5875

URL httpwwwmojgojpJINKEN

第30回全国中学生人権作文コンテスト中央大会審査員

感想をお聞かせください本作文集を読まれた感想等を下記の連絡先又はkeihatsumojgojpまでお寄せください

無断転載を禁じます本作文集に掲載された作文や写真等を地方自治体が広報誌に掲載したり学校が教材に使用される場合などにはあらかじめ下記に御連絡ください

100-8977 東京都千代田区霞が関一丁目1番1号 法務省人権擁護局人権啓発課 TEL03(3580)4111 内線5875

作  家(審査員長) 落 合 恵 子映画監督 山 田 洋 次社団法人日本新聞協会事務局長 川 嶋   明日本放送協会解説委員室解説委員 南   直 樹文部科学省初等中等教育局視学官 三 好 仁 司全国人権擁護委員連合会長 中 村 浩 紹法務省人権擁護局長   井 忠 雄

(敬称略)

【式次第】

第一部

 会

主催者あいさつ

賞状授与

内閣総理大臣賞法務大臣賞

文部科学大臣奨励賞法務副大臣賞

法務大臣政務官賞

全国人権擁護委員連合会長賞

社団法人日本新聞協会会長賞

日本放送協会会長賞(以上各一名)

法務事務次官賞(三名) 計一一名

学校への感謝状贈呈

高円宮妃殿下おことば

来賓祝辞

第二部

各受賞作文の朗読

内閣総理大臣賞法務大臣賞

文部科学大臣奨励賞

全国人権擁護委員連合会長賞

社団法人日本新聞協会会長賞

日本放送協会会長賞

 評

全国中学生人権作文コンテスト中央大会審査員

 山田洋次氏

 落合恵子氏(ビデオレター形式)

第三部

新垣勉さんコンサート

 会 平成二二年一二月一八日(土)

午後一時三〇分〜三時五〇分

於ニッショーホール

「いじめ」や暴力行為等は人権侵害です

法務局地方法務局では

人権侵害による被害を受けた方を

救済するための活動を行っています

お気軽にご相談ください

女性の人権ホットライン

インターネット人権相談受付窓口

ゼロナナゼロのハートライン

0570-070-810

子どもの人権110番ぜろぜろななのひゃくとおばん

 0120-007-110

パソコンから httpwwwmojgojpJINKENjinken113html携帯電話から httpwwwjinkengojpsoudanmobile001html

インターネット人権相談 検 索

Human Rights法務省人権擁護局全国人権擁護委員連合会

人権イメージキャラクター人KENあゆみちゃん人KENまもる君

全国共通通話料無料

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この冊子は環境保護印刷の「水なし印刷」で印刷されています

第30回全国中学生人権作文コンテスト入賞作文集

法務省人権擁護局全国人権擁護委員連合会

人権イメージキャラクター人KENまもる君人KENあゆみちゃん

この冊子には音声コードが各頁(奇数頁 左下偶数頁 右下)に印刷されています専用の読み上げ装置で読み取ると記録されている情報を音声で聞くことが出来ます

Human Rights法務省人権擁護局全国人権擁護委員連合会

 全国中学生人権作文コンテスト入賞作文集

 全国中学生人権作文コンテスト入賞作文集

第30回

せがまれたときもありますかわいそうで涙がポロポロこぼれました「おじいちゃんどご家

さ連れで帰ろうよ」とせがんでも家族も仕事で忙しいためか誰も首を縦に振ってくれず病院

にいた方が安心ということになりました膵臓癌は予想以上に激しい痛みのため医師から強い

痛み止めと強い睡眠剤を勧められましたがそれを導入することにより安楽死に近い状況にな

ることも医師から告げられていました家族は決断をせまられました曾祖父に相談もせずに決

めていいことなのか家に帰りたい曾祖父の意志は封じ込められたままでいいのか家族で悩み

ました結局痛みに耐えている姿は見ていられなくその薬を使うことになりましたその後

曾祖父は次第に弱っていき口も利けなくなり静かに亡くなっていきました僕はどこか心を

引きずったままでした僕達家族が曾祖父に宣告もせず意見も聞かず命の長さを決めてしまっ

たこと当時幼かった僕には何もしてあげられなかったことが今思い出しても残念です

 

最近授業で人権について学習しているときに幼い頃の記憶がよみがえりふと曾祖父のこと

を思い出しました

 

曾祖父はどんな思いで亡くなったのだろう最後に意識のあるうちに一度でいいから家に帰っ

てきたかっただろう身体拘束は今は病院でも禁止されていると思いますがあの頃は確かに曾

祖父のおなかに黒いベルトのようなものが巻きついていました決して自分の力で

は外せないようなものでしたもがき苦しむ曾祖父の姿を見た時に看護師さんに

目を隠され別の部屋に連れて行かれました見せたくない光景だったのだと思いま

すでもあの姿は僕の脳裏に焼き付いています病院の中での人材不足のためだっ

39 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

たのでしょうか人が人らしく生きていない姿でした

 

七十八年生きてきて何も悪いことをしていないのに縛られ家にも帰れない

病気で余命幾ばくもない人には人権というものは存在しないのでしょうか最近の

医療の現場では自己決定権があることについて学びました

 

仏壇に向かい静かに目を閉じると優しく穏やかに微笑む曾祖父の笑顔が浮かびますどんな

気持ちで亡くなっていったのかその気持ちを考えると苦しい気持ちになります野球の大会に

行く前仏壇に手を合わせます「やればできる努力しろ」とよく励ましてくれました曾祖

父の力には何もなれなかったけれど目には見えない力で応援してくれる曾祖父に線香をあげて

自分を省みる時があります曾祖母が元気なので曾祖父を助けられなかった分曾祖母の力に

なっていくことを曾祖父に約束しています

 

夏休み中のニュースで高齢者の所在不明者が多数のため百歳以上の安否確認調査をしていま

した自分の親を平気で捨て遺骨さえもひきとらない亡くなっていたのに年金を不正受給する

ために隠していたなど耳をふさぎたくなるような事件もありました犬や猫が年をとって弱っ

てきた手がかかるから面倒だからと捨ててしまうそれと同じ現象が弱い高齢者にも及んでき

ているのだと思います

 

やはりこの世に生まれてきたもの全てに自分の意志で生きることを決めていける権利がある

と思います長い年月を苦労や努力と向き合いながら精一杯生きてくれたおかげで今の幸せが

あることを忘れずにいたい人はいずれ誰でも年をとります自由に動けなくなった時に自分の

入賞作文集 40

入賞作文

願いが叶う社会を築き「悔いなく満足で楽しく幸せな人生だった」と思えるように人とし

ての誇りを持って満足できる最期を迎えられるように考えていきたいもう二度と僕が見た自

己決定権のない社会にならないように高齢者には今までの感謝の気持ちで本人の希望をでき

るだけ叶えられるように努力していきたいいずれ僕達も迎える高齢社会だからhellip

41 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

 

私は小学六年生の時から盲導犬候補の子犬を育てるボランティアをしています「犬を飼っ

てみたい」と言う私に両親が「せっかく犬を飼うのなら社会に役立つことをしよう」と提案

したからです生後二ヵ月の子犬を預かり一歳の誕生日を迎えるまで世話をするのがボランティ

アの役目です初めて訓練士さんから子犬を手渡された時は不安でドキドキしましたが子犬は

すぐに私の腕の中で眠ってしまいました初めて会った私のことを信頼して安心しきった寝顔

で眠っている姿は本当に可愛かったですラブラドールの子犬はとてもやんちゃで私の家にやっ

て来たその日からいたずらばかりしていましたがしかられてもクヨクヨせずどんな相手にも

 林はやし

 里り

咲さ

東京都小平市立小平第六中学校 三年

差別のない社会に

(パピーウォーカーの経験から学んだこと)

法務事務次官賞

入賞作文集 42

入賞作文

フレンドリーに近づいていく姿から私は明るく前向きに生きることを教わりました子犬たち

と過ごした日々は私にとって一番の宝物ですそしてあっという間に一歳の誕生日がやって来ま

した誕生日が悲しいという経験は初めてでした訓練所への入所日の前日には長い長い散歩を

して最後のお別れをしました「今までありがとう」そう言った私のことを不思議そうに見てい

た子犬の顔が今も目に焼きついています別れは本当につらいけれど涙を見せたら子犬が心配す

るので頑張って笑顔で見送りました

 

私の家で育てた一頭目の子犬は現在盲導犬になって頑張っていますそして今年四月に巣立っ

ていった二頭目の子犬は神奈川にある訓練センターで訓練中です

 

このボランティアを通して私は多くのことを学びましたまず盲導犬の役割ですがこれは単

に目の不自由な方が便利に一人でどこへでも行けるようにするためだけではありません視覚障

がいのある方にとって人の手をわずらわせるのはとてもつらいことなのだそうですたとえ家

族に対してでも「迷惑をかけるのではないか」と思って我慢することが多く「私なんかいない

方がいいんじゃないか」と考えてしまうこともあったといいますその失われそうになった尊

厳を取り戻す手助けをするのが盲導犬の役目なのです犬は訓練を共にするパートナーのことを

大好きになるので「自分は他者からこんなにも大好きになってもらえる存在なん

だ」と気づいて自信を取り戻し新しい一歩を踏み出せるようになるのだそうです

 

また私がボランティア登録している日本盲導犬協会では二〇〇八年に新しい

試みが始まりました受刑者が盲導犬候補の子犬を育てる動物を介在した日本初

43 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

の教育プログラムです罪を犯した人も心から反省してきちんと罪を償えば社会

は差別することなく受け入れるべきですしかし実際はとても偏見が多く元受刑

者たちは「どうせ自分はだめな人間なんだ」と思い再び罪を犯してしまう悪循環

が起こっているそうですその悪循環を断ち切り受刑者たちがスムーズに社会復

帰を果たせるよう支援するのが「あさひ盲導犬パピープロジェクト」です受刑者たちは約十ヵ

月の間子犬たちを世話しながら一緒に過ごし「役に立つ喜び達成する喜び信頼される喜び」

を感じることで自分の価値を再確認するのだそうです今年一月に第一期のプロジェクトを修了

した受刑者の感想に次のようなものがありました

 「今後自分もパピーに笑われないようにきちんとしなければならないパピーは慈しむこと

寛容の心を教えてくれました」

 

犬は決して差別をしません健康な人にも障がいのある人にもお金持ちにも貧しい人にも

権力のある人にも犯罪を犯した人にも全く同じように接してくれますそんな犬たちと一緒に過

ごすことで自信をなくした人たちも自分のことをかけがえのない大切な存在であると思えるよ

うになるのです

 

私たち人間も差別のない社会をつくる努力をしなければならないと思います一人一人が相

手を大切に思う心を忘れなければこの社会はもっと住み良い場所になるはずです私はこのボ

ランティアを通して学んだことを生かしてこれからも一層努力していきたいと思います

入賞作文集 44

入賞作文

45 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

 

僕は祖父のために自助具を作ろうと思った祖父は去年の夏脳梗塞で倒れた祖父は一命

を取り留めたものの右手と右足がまひしてしまったのだその三週間前僕も車椅子から転倒し

て足を骨折した

 

僕には障害がある車椅子で生活することが多いしかし僕のことを障害者だといって差別

するような友達は一人もいない

 

祖父は歩けるようになりたいという気持ちが強かっただからリハビリを頑張り自分で

歩けるようになるまで回復した頑張っている祖父がかっこいいと僕は思った祖父はリハビ

リを頑張ったにも関わらず右手がうまく動かせなくなってしまっただからご飯を食べる時も

服を着替える時も時間がかかる普段何気なくやっていた動作がとても大変だと祖父は言ってい

守もり

田た

 幸こう

平へい

静岡県静岡大学教育学部附属浜松中学校 三年

祖父への靴下

法務事務次官賞

入賞作文集 46

入賞作文

た僕も何か役に立てることはないかと考えた

 

僕の学校には総合学習という授業があるそこで僕は福祉というカテゴリーを選んだ自

分で社会に役立てることを考え実際に行動することが目標だった僕は障害者のために何が

できるかを考えた

 

僕は二年前に静岡文化芸術大学で障害者がいかに日常生活で不自由のない生活ができるかを

考えるプロジェクトがあるのを新聞で知ったそれは大学生たちが個人個人にあった自助具を

作るプロジェクトだった僕は障害者のために何かできるのではと感じた

 

僕は静岡文化芸術大学へ行って僕にもできることがないかと聞いたすると学生さんが

自助具を作ってみないかと声をかけてくれた僕は迷わず「はい」と言った障害者のために

役に立てることがあると思うとすばらしいことだと思ったからだ

 

祖父のつらい顔を見ると日常生活に数々の大きな壁があることが伝わってくる

 

僕は祖父の数々の大きな壁を突き破ろうと思った祖父のために自助具を考え作ろうと僕

は思った祖父が靴下の脱ぎ履きが大変だと言っていたことを思い出したそこで脱ぎ履きし

やすい靴下はできないか考えた靴下の両脇にひもを取り付けてそれを引っ張ると靴下が縮み

脱ぎ履きしやすくなる仕組みだ大学の先生も良いアイディアだと言って褒めてく

れたこれは障害者だけでなく健常者にも使えると言われたユニバーサルデザ

インだと分かった

 

ユニバーサルデザインは年齢や障害の有無にかかわらず全ての人が使いやす

47 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

いように工夫された用具などのデザインである境界がなくなるように健常者が障

害者に対する偏見を考え差別意識がなくなるチャンスだと思った障害者と健常

者が共によりよく生きることが大切だと僕は思った

 

自助具の作品展では杖をついているお年寄り車椅子に乗った若い女性目の

見えない人福祉関係者など沢山の人々が観に来ていた皆自分の生活を良くしようと思っ

ているようだったまた障害者のためにできることは何だろうかと考えている健常者もいるよ

うだった

 

二年生の時の総合学習では二箇所のデイサービスを訪問したデイサービスには六十五歳以

上のお年寄りがいた暗く元気のない人明るく振る舞い誰とでも話せる人など様々だった

しかし僕が一番印象に残ったのは笑顔を絶やさず優しくお年寄りに接していた介護士だった

お年寄りの中には悩みを抱えている人が多いそうだその悩みを解消させる人もまた介護士だっ

た僕は介護士がお年寄りの体を支えるだけではなく心もそっと支えて生きる喜びを与え

ているのだと感じた

 

現代は三世代で暮らす家族が減り核家族が増えているそれはお年寄りの世話が大変だ

からという理由が多いだから老人ホームやデイサービスに預ける人が増えていると僕には

思えたお年寄りの中には自分が嫌われているのではないかとさえ思ってしまう人もいるそう

だそれはお年寄りにとって辛く悲しいことだと思うある介護士がこんなことをおっしゃっ

ていた「人の優しさはお金では買えない」誰にでも優しい心があると思うしかしあと一歩

入賞作文集 48

入賞作文

のところで行動に移すことができない人が多いの

だ僕たちが平和な社会で暮らせるのは今まで

頑張ってきてくれたお年寄りのお陰であることを

忘れてはいけないお年寄りを大切にすることは

当たり前のことなのだ

 

また障害者に対しても偏見の目で見ないで

そっと近づいて手を貸してあげれば健常者との

高い大きな壁を崩すことができると思う

 

障害者にも高齢者にもまた健常者にも人権

はあるお互いの人権を大切にすることが明る

い未来に繋がっていくのだと思う

 

早く祖父に僕の作った靴下を届けたい

49 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

 

僕は小学校六年生まで福岡県に住んでいましたそこで僕が体験したことです五年生のこ

ろ僕の友だちのA君が同級生のK君の靴を隠したりからかったりしていることがよくあり

ました最初は僕もあまり気にしていませんでしたがK君のことを「なんだかかわいそう」と

思うようになりました

 

ある日僕は勇気をだして先生に「K君がいじめにあっています」と報告しました初め先生は

「じゃれ合っているだけだろう」と「いじめ」とは思ってくれませんでしたでもその後「いじ

め」と分かりA君は先生に注意されその日一日は反省した様子で過ごしていましたしかし

次の日学校に行くといじめは前以上にエスカレートしていて蹴ったりたたいたりするように

なりましたしかも「死ね」「うざい」「消えろ」などの言葉が飛び交うようになりそんな日々

法務事務次官賞

浦うら

谷たに

 毅たける

徳島県三好市立池田中学校 三年

いじめをなくすために今

入賞作文集 50

入賞作文

が続きました

 

それは六年生になっても続きました僕はそのいじめを止めることができず毎日見て見ぬ

振りをしていました今思うと自分がとても恥ずかしいです本当の友達なら止めるべきなの

にそれだけではなくいじめられているK君に声一つかけることができずにいました心の中

ではA君に「やめろよ」と言おうと思っていたけどなぜか勇気が出ませんでした次にい

じめられるのが自分になるのが恐くて言えなかったのです

 

そんな日々が続く中僕の気持ちを大きく変える出来事がありました父の死ですそのとき

のことは今でも忘れることができません聞いたときには頭の中が真っ白になりました最初

は信じることができませんでした一週間も二週間も学校に行けずただぼーっと過ごしてい

ましたいろんなことを考え徐々に「死」というものの悲しさつらさ「死」という意味の

重さがわかってきましたそして時間はかかりましたが「命は一瞬にして消え二度と戻っ

てこないものだだから命を大切に今を大切にしなければならない」と深く受け止めることが

できるようになりましたそして周りの子たちは僕のような経験がないから「死ね」とか軽々

しく言えるのだろうと思いこの気持ちを伝えなくてはならないと考えました僕が強くならな

くてはと思いました

 

こんな気持ちになったとき僕には時間がありませんでした母の実家がある徳

島への引っ越しが一週間後に決まっていたのです落ち込んでいる暇は無いと思

い学校に行った僕はA君に言いました「いじめなんかやめろよいじめたって

51 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

喜ぶ人はいないし悲しむ人がいるだけだろ自分だってほんとは嫌だろ『死ね』

とか『消えろ』とか言葉の重さを知らないのに言うなよ」と言いました父親の

突然の死そのあと僕が考えたことも伝えました

 

友だちは黙って聞いてくれました僕の言葉にうなずいてそのあとK君の

ところへ行き「ごめん言葉の重さも知らずに言って本当にごめんぜったいに死ねなんて

ことは言わないそしていじめは絶対にしないほんとうにごめん」とあやまりましたK君

はとても優しい笑顔で「いいよ」と一言言いました僕もK君に言いました

「今まで助けてあげられなくてごめん」

K君は笑顔で「ありがとう」と言ってくれました今まで自分の中でもやもやしていた気持ちが

スーっと晴れました

 

今も時々耳にする暴言冗談半分で言っているのかもしれませんしかしいついじめにつ

ながるかわかりません他人を傷つけることで自分のストレスを晴らそうとしているのでしょう

関係ないふりをしようとする自分がいます楽な考え方をする自分がいますそんな時亡くなっ

た父の顔やK君の優しい笑顔を思い出しますあの時の自分のように強い気持ちを持とう「や

めろよ」と一言言うするとまた気持ちがスーっとしてきました

 

父の分も頑張って生き抜こうと決めた僕にとって正しいことを素直に認め悪いことを否定

できる強い意志を持つことが目標ですそして何よりも命を大切に今を大切にしていきたい

と思っています

入賞作文集 52

入賞作文

53 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

 

ぼくは今まで四つの外国に暮らしいろいろな国の人たちの中で育ってきた

 

まずタイで生まれてタイ人のメイドさんやドライバーさんにいつも遊んでもらっていた

らしい一才になると週一回の体操教室にも通いタイ人の友達もいたそうだ

 

次にシンガポールでは初めてナサリースクール(保育園)に通いいろいろな国の友達と

知り合ったプレイルームにある滑り台を滑る順番争いでいつも勝つのは体の大きい金髪の友

達だった

 

一回目の香港生活では英語の幼稚園に通ったその時のぼくの一番の友達はカナダ人だった

彼とはよくベイブレードをして遊んだが父が日本の出張で買ってきてくれた独楽や剣玉をして

遊ぶこともあった

村むら

瀬せ

 広ひろ

高たか

香港日本人学校中学部 二年

国境をこえて

海 外 作 品

今回は本選への応募とすることはできませんでしたが

 海外から寄せられた作品のうち一作品を御紹介します

入賞作文集 54

海外作品

 

それからインドでは日本人学校に通ったが夏休みには毎年アメリカンスクールのサマー

スクールに参加したし日本人のいない現地のテニススクールにも入り二年間通ったまたイ

ンドの現地幼稚園に通っていた妹のベストフレンドはコンゴ人でその兄弟もぼくの友達だった

 

そして三年間の日本生活を経て今また香港に戻ってきた

 

このようにぼくはいろいろな国でいろいろな国の人たちのお世話になりいろいろな国

の友達と遊んで育った肌が真っ黒な友達もゲームの話をすればすぐに仲良くなれたし髪が

金色の友達もポケモンの話をすれば気が合ったぼくは小さい頃から英語はうまくしゃべれ

なかったけれどもジェスチャーをつけたでたらめ英語でも充分に話は通じただからいろい

ろな国の人たちの中でぼくが日本人だからといって差別されたり嫌な思いをしたりしたこと

はないしぼくも肌の色が違うからとか言葉が通じないからという理由で違う人間だと思っ

たことはないそうぼくは外国人を差別したことはない

 

しかし本当にぼくは外国人を差別したことがないのだろうか外国人を差別した発言を一

度もしたことがないかと考えると自信がない

 

例えば香港人には赤信号でも平気で渡る人がたくさんいるそれを見てぼくは

「香港人はしょうがないな」

と思うでもよく見ると香港人全員が信号無視をしているわけではないまた

世界には今でも戦争をしている国がいくつもある

「人を傷つけ合うなんて馬鹿げている」

55 第30回全国中学生人権作文コンテスト

海外作品

とぼくは悲しくなるでもそれも好きで戦っている人がいるとも思えないその

人たちがそうなったのには何かきっと原因があるはずだ

 

逆に外国人から見ると日本人はどのように思われているのだろう

 

インドから日本に帰国した時毎日ごみがたくさん出ることにぼくはとても驚

いたインドの人たちがよく使う道端にあるカレー屋さんではバナナの葉で作ったお皿にカ

レーを入れてくれる食べた後そのお皿を道に捨てるとのら牛がその葉っぱを食べるそして

牛のふんは燃料になるというそれに比べて日本はちょっと歩くとペットボトルの飲み物が

買えファーストフードのお店では使い捨ての食器を使い立派なお菓子の箱を開けると中身が

少なくてがっかりすることもあるある時母が捨てたジャムの空きびんをメイドさんとエア

コンの修理にきていたワーカーさんとが取り合ってけんかをしていたこともあったそれを見

てぼくはあきれてしまったが逆にインド人から見ると使い捨て文化のしみついた日本人は

とんでもない人間にみえるのかもしれない国によって考え方や行動パターンが違うのは歴史

的背景や宗教習慣気候などのいろいろなことが関わっているのだと思う

 

このように考えると差別とはその人の一部しか見ていないことや自分のやり方だけが正

しいと思うことからおきるのではないかと思うその人が自分とは違った行動をとったとしても

それには深い理由があるのだろうと考えればきっと納得できると思うぼくもこれからは否

定的な発言をする前にその人たちのことをいろいろな角度から見て理解する努力をしてみよう

と思う外国との間には自分の国とは違う言葉や文化という壁があるとみんな言うがそこに

入賞作文集 56

海外作品

あるのは壁ではなく橋だとぼくは思う理解

し合おうという気持ちがあればきっと誰でも

その橋を渡っていけるはずだ気持ちの国境を

こえるのにパスポートはいらないお互いを理

解し合おうと思う気持ちが一番大切だと思う

そしてぼくはこれから日本人として生きる

のではなく地球人として生きていこうと思う

57 第30回全国中学生人権作文コンテスト

海外作品

法務局地方法務局名 郵便番号 所  在  地 電  話

金沢地方法務局人権擁護課920-0024 金沢市西念3-4-1金沢駅西合同庁舎(平成23年3月11日まで) 076-231-1244

921-8505 金沢市新神田4-3-10金沢新神田合同庁舎(平成23年3月14日から) 076-292-7804

富山地方法務局人権擁護課 930-0856 富山市牛島新町11番7号富山合同庁舎 076-441-6376

大阪法務局人権擁護部 540-8544 大阪市中央区谷町2丁目1番17号大阪第2法務合同庁舎 06-6942-9492

京都地方法務局人権擁護課 602-8577 京都市上京区荒神口通河原町東入上生洲町197番地 075-231-0131

神戸地方法務局人権擁護課 650-0042 神戸市中央区波止場町1番1号神戸第2地方合同庁舎 078-392-1821

奈良地方法務局人権擁護課 630-8305 奈良市東紀寺町3-4-1奈良第2法務総合庁舎 0742-23-5457

大津地方法務局人権擁護課 520-8516 大津市御陵町3番6号大津法務総合庁舎 077-522-4673

和歌山地方法務局人権擁護課 640-8552 和歌山市二番丁2番地和歌山地方合同庁舎 073-422-5131

広島法務局人権擁護部 730-8536 広島市中区上八丁堀6番30号広島合同庁舎 082-228-5790

山口地方法務局人権擁護課 753-8577 山口市中河原町6番16号山口地方合同庁舎2号館 083-922-2295

岡山地方法務局人権擁護課 700-8616 岡山市北区南方1丁目3番58号 086-224-5761

鳥取地方法務局人権擁護課 680-0011 鳥取市東町2丁目302番地鳥取第2地方合同庁舎 0857-22-2289

松江地方法務局人権擁護課 690-0886 松江市母衣町50番地松江法務合同庁舎 0852-32-4260

高松法務局人権擁護部 761-8077 高松市出作町585-4 087-815-5311

徳島地方法務局人権擁護課 770-8512 徳島市徳島町城内6番地6徳島地方合同庁舎 088-622-4171

高知地方法務局人権擁護課 780-8509 高知市栄田町2丁目2番10号高知よさこい咲都合同庁舎 088-822-3331

松山地方法務局人権擁護課 790-8505 松山市宮田町188番地6松山地方合同庁舎 089-932-0888

福岡法務局人権擁護部 814-0005 福岡市早良区祖原14-15福岡法務局西新出張所庁舎5階 092-832-4311

佐賀地方法務局人権擁護課 840-0041 佐賀市城内2丁目10番20号佐賀合同庁舎 0952-26-2148

長崎地方法務局人権擁護課 850-8507 長崎市万才町8番16号 095-826-8127大分地方法務局人権擁護課 870-8513 大分市荷揚町7番5号大分法務総合庁舎 097-532-3368

熊本地方法務局人権擁護課 862-0971 熊本市大江3丁目1番53号熊本第2合同庁舎 096-364-2145

鹿児島地方法務局人権擁護課 890-8518 鹿児島市鴨池新町1番2号 099-259-0684宮崎地方法務局人権擁護課 880-8513 宮崎市別府町1番1号宮崎法務総合庁舎 0985-22-5124

那覇地方法務局人権擁護課 900-8544 那覇市樋川1丁目15番15号那覇第1地方合同庁舎 098-854-1215

入賞作文集 58

問合せ先一覧

法務局地方法務局名 郵便番号 所  在  地 電  話

札幌法務局人権擁護部 060-0808 札幌市北区北8条西2丁目1番1札幌第1合同庁舎 011-709-2311

函館地方法務局人権擁護課 040-8533 函館市新川町25番18号函館地方合同庁舎 0138-23-9528

旭川地方法務局人権擁護課 078-8502 旭川市宮前通東4155番31旭川合同庁舎 0166-38-1114

釧路地方法務局人権擁護課 085-8522 釧路市幸町10丁目3番地釧路地方合同庁舎 0154-31-5014

仙台法務局人権擁護部 980-8601 仙台市青葉区春日町7番25号仙台第3法務総合庁舎 022-225-5739

福島地方法務局人権擁護課 960-8021 福島市霞町1番46号福島合同庁舎 024-534-1994

山形地方法務局人権擁護課 990-0041 山形市緑町1丁目5番48号山形地方合同庁舎 023-625-1321

盛岡地方法務局人権擁護課 020-0023 盛岡市内丸7番25号盛岡合同庁舎 019-624-9859秋田地方法務局人権擁護課 010-0951 秋田市山王7丁目1番3号 018-862-6533

青森地方法務局人権擁護課 030-8511 青森市長島1丁目3番5号青森第二合同庁舎 017-776-9024

東京法務局人権擁護部 102-8225 千代田区九段南1丁目1番15号九段第2合同庁舎 03-5213-1234

横浜地方法務局人権擁護課 231-8411 横浜市中区北仲通5丁目57番地横浜第2合同庁舎 045-641-7926

さいたま地方法務局人権擁護課 338-8513 さいたま市中央区下落合5-12-1さいたま第二法務総合庁舎 048-859-3507

千葉地方法務局人権擁護課 260-8518 千葉市中央区中央港1丁目11番3号千葉地方合同庁舎 043-302-1319

水戸地方法務局人権擁護課 310-0061 水戸市北見町1番1号水戸地方法務合同庁舎 029-227-9919

宇都宮地方法務局人権擁護課 320-8515 宇都宮市小幡2丁目1番11号宇都宮地方法務合同庁舎 028-623-0926

前橋地方法務局人権擁護課 371-8535 前橋市大手町2丁目10番5号前橋合同庁舎 027-221-4426

静岡地方法務局人権擁護課 420-8650 静岡市葵区追手町9番50号静岡地方合同庁舎 054-254-3555

甲府地方法務局人権擁護課 400-8520 甲府市北口1丁目2番19号甲府地方合同庁舎 055-252-7239

長野地方法務局人権擁護課 380-0846 長野市旭町1108番地長野第2合同庁舎 026-235-6634

新潟地方法務局人権擁護課 951-8504 新潟市中央区西大畑町5191番地新潟地方法務総合庁舎 025-222-1564

名古屋法務局人権擁護部 460-8513 名古屋市中区三の丸2丁目2番1号名古屋合同庁舎第1号館 052-952-8111

津地方法務局人権擁護課 514-8503 津市丸之内26番8号津合同庁舎 059-228-4193岐阜地方法務局人権擁護課 500-8729 岐阜市金竜町5丁目13番地 058-245-3181

福井地方法務局人権擁護課 910-8504 福井市春山1丁目1番54号福井春山合同庁舎 0776-22-5090

問合せ先一覧 (法務局地方法務局)

59 第30回全国中学生人権作文コンテスト

問合せ先一覧

世界人権宣言啓発書画「鳥」「自由と解放」を表わしたもの 小木太法書オタビオロス画(財)人権擁護協力会提供

入賞作文集 60

すべての人間は生まれながらにして

自由でありかつ尊厳と権利とに

ついて平等である人間は理性と

良心とを授けられており互いに同胞の

精神をもって行動しなければならない

―――

世界人権宣言 第一条

―――

第三〇回

 全国中学生人権作文コンテスト

中央大会表彰式

印  刷 平成23年1月25日

発  行 平成23年2月14日

発 行 者 法務省人権擁護局

全国人権擁護委員連合会

東京都千代田区霞が関一丁目1番1号

電話 03(3580)4111 内線5875

URL httpwwwmojgojpJINKEN

第30回全国中学生人権作文コンテスト中央大会審査員

感想をお聞かせください本作文集を読まれた感想等を下記の連絡先又はkeihatsumojgojpまでお寄せください

無断転載を禁じます本作文集に掲載された作文や写真等を地方自治体が広報誌に掲載したり学校が教材に使用される場合などにはあらかじめ下記に御連絡ください

100-8977 東京都千代田区霞が関一丁目1番1号 法務省人権擁護局人権啓発課 TEL03(3580)4111 内線5875

作  家(審査員長) 落 合 恵 子映画監督 山 田 洋 次社団法人日本新聞協会事務局長 川 嶋   明日本放送協会解説委員室解説委員 南   直 樹文部科学省初等中等教育局視学官 三 好 仁 司全国人権擁護委員連合会長 中 村 浩 紹法務省人権擁護局長   井 忠 雄

(敬称略)

【式次第】

第一部

 会

主催者あいさつ

賞状授与

内閣総理大臣賞法務大臣賞

文部科学大臣奨励賞法務副大臣賞

法務大臣政務官賞

全国人権擁護委員連合会長賞

社団法人日本新聞協会会長賞

日本放送協会会長賞(以上各一名)

法務事務次官賞(三名) 計一一名

学校への感謝状贈呈

高円宮妃殿下おことば

来賓祝辞

第二部

各受賞作文の朗読

内閣総理大臣賞法務大臣賞

文部科学大臣奨励賞

全国人権擁護委員連合会長賞

社団法人日本新聞協会会長賞

日本放送協会会長賞

 評

全国中学生人権作文コンテスト中央大会審査員

 山田洋次氏

 落合恵子氏(ビデオレター形式)

第三部

新垣勉さんコンサート

 会 平成二二年一二月一八日(土)

午後一時三〇分〜三時五〇分

於ニッショーホール

「いじめ」や暴力行為等は人権侵害です

法務局地方法務局では

人権侵害による被害を受けた方を

救済するための活動を行っています

お気軽にご相談ください

女性の人権ホットライン

インターネット人権相談受付窓口

ゼロナナゼロのハートライン

0570-070-810

子どもの人権110番ぜろぜろななのひゃくとおばん

 0120-007-110

パソコンから httpwwwmojgojpJINKENjinken113html携帯電話から httpwwwjinkengojpsoudanmobile001html

インターネット人権相談 検 索

Human Rights法務省人権擁護局全国人権擁護委員連合会

人権イメージキャラクター人KENあゆみちゃん人KENまもる君

全国共通通話料無料

全国共通ナビダイヤル

この冊子は環境保護印刷の「水なし印刷」で印刷されています

第30回全国中学生人権作文コンテスト入賞作文集

法務省人権擁護局全国人権擁護委員連合会

人権イメージキャラクター人KENまもる君人KENあゆみちゃん

この冊子には音声コードが各頁(奇数頁 左下偶数頁 右下)に印刷されています専用の読み上げ装置で読み取ると記録されている情報を音声で聞くことが出来ます

Human Rights法務省人権擁護局全国人権擁護委員連合会

 全国中学生人権作文コンテスト入賞作文集

 全国中学生人権作文コンテスト入賞作文集

第30回

たのでしょうか人が人らしく生きていない姿でした

 

七十八年生きてきて何も悪いことをしていないのに縛られ家にも帰れない

病気で余命幾ばくもない人には人権というものは存在しないのでしょうか最近の

医療の現場では自己決定権があることについて学びました

 

仏壇に向かい静かに目を閉じると優しく穏やかに微笑む曾祖父の笑顔が浮かびますどんな

気持ちで亡くなっていったのかその気持ちを考えると苦しい気持ちになります野球の大会に

行く前仏壇に手を合わせます「やればできる努力しろ」とよく励ましてくれました曾祖

父の力には何もなれなかったけれど目には見えない力で応援してくれる曾祖父に線香をあげて

自分を省みる時があります曾祖母が元気なので曾祖父を助けられなかった分曾祖母の力に

なっていくことを曾祖父に約束しています

 

夏休み中のニュースで高齢者の所在不明者が多数のため百歳以上の安否確認調査をしていま

した自分の親を平気で捨て遺骨さえもひきとらない亡くなっていたのに年金を不正受給する

ために隠していたなど耳をふさぎたくなるような事件もありました犬や猫が年をとって弱っ

てきた手がかかるから面倒だからと捨ててしまうそれと同じ現象が弱い高齢者にも及んでき

ているのだと思います

 

やはりこの世に生まれてきたもの全てに自分の意志で生きることを決めていける権利がある

と思います長い年月を苦労や努力と向き合いながら精一杯生きてくれたおかげで今の幸せが

あることを忘れずにいたい人はいずれ誰でも年をとります自由に動けなくなった時に自分の

入賞作文集 40

入賞作文

願いが叶う社会を築き「悔いなく満足で楽しく幸せな人生だった」と思えるように人とし

ての誇りを持って満足できる最期を迎えられるように考えていきたいもう二度と僕が見た自

己決定権のない社会にならないように高齢者には今までの感謝の気持ちで本人の希望をでき

るだけ叶えられるように努力していきたいいずれ僕達も迎える高齢社会だからhellip

41 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

 

私は小学六年生の時から盲導犬候補の子犬を育てるボランティアをしています「犬を飼っ

てみたい」と言う私に両親が「せっかく犬を飼うのなら社会に役立つことをしよう」と提案

したからです生後二ヵ月の子犬を預かり一歳の誕生日を迎えるまで世話をするのがボランティ

アの役目です初めて訓練士さんから子犬を手渡された時は不安でドキドキしましたが子犬は

すぐに私の腕の中で眠ってしまいました初めて会った私のことを信頼して安心しきった寝顔

で眠っている姿は本当に可愛かったですラブラドールの子犬はとてもやんちゃで私の家にやっ

て来たその日からいたずらばかりしていましたがしかられてもクヨクヨせずどんな相手にも

 林はやし

 里り

咲さ

東京都小平市立小平第六中学校 三年

差別のない社会に

(パピーウォーカーの経験から学んだこと)

法務事務次官賞

入賞作文集 42

入賞作文

フレンドリーに近づいていく姿から私は明るく前向きに生きることを教わりました子犬たち

と過ごした日々は私にとって一番の宝物ですそしてあっという間に一歳の誕生日がやって来ま

した誕生日が悲しいという経験は初めてでした訓練所への入所日の前日には長い長い散歩を

して最後のお別れをしました「今までありがとう」そう言った私のことを不思議そうに見てい

た子犬の顔が今も目に焼きついています別れは本当につらいけれど涙を見せたら子犬が心配す

るので頑張って笑顔で見送りました

 

私の家で育てた一頭目の子犬は現在盲導犬になって頑張っていますそして今年四月に巣立っ

ていった二頭目の子犬は神奈川にある訓練センターで訓練中です

 

このボランティアを通して私は多くのことを学びましたまず盲導犬の役割ですがこれは単

に目の不自由な方が便利に一人でどこへでも行けるようにするためだけではありません視覚障

がいのある方にとって人の手をわずらわせるのはとてもつらいことなのだそうですたとえ家

族に対してでも「迷惑をかけるのではないか」と思って我慢することが多く「私なんかいない

方がいいんじゃないか」と考えてしまうこともあったといいますその失われそうになった尊

厳を取り戻す手助けをするのが盲導犬の役目なのです犬は訓練を共にするパートナーのことを

大好きになるので「自分は他者からこんなにも大好きになってもらえる存在なん

だ」と気づいて自信を取り戻し新しい一歩を踏み出せるようになるのだそうです

 

また私がボランティア登録している日本盲導犬協会では二〇〇八年に新しい

試みが始まりました受刑者が盲導犬候補の子犬を育てる動物を介在した日本初

43 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

の教育プログラムです罪を犯した人も心から反省してきちんと罪を償えば社会

は差別することなく受け入れるべきですしかし実際はとても偏見が多く元受刑

者たちは「どうせ自分はだめな人間なんだ」と思い再び罪を犯してしまう悪循環

が起こっているそうですその悪循環を断ち切り受刑者たちがスムーズに社会復

帰を果たせるよう支援するのが「あさひ盲導犬パピープロジェクト」です受刑者たちは約十ヵ

月の間子犬たちを世話しながら一緒に過ごし「役に立つ喜び達成する喜び信頼される喜び」

を感じることで自分の価値を再確認するのだそうです今年一月に第一期のプロジェクトを修了

した受刑者の感想に次のようなものがありました

 「今後自分もパピーに笑われないようにきちんとしなければならないパピーは慈しむこと

寛容の心を教えてくれました」

 

犬は決して差別をしません健康な人にも障がいのある人にもお金持ちにも貧しい人にも

権力のある人にも犯罪を犯した人にも全く同じように接してくれますそんな犬たちと一緒に過

ごすことで自信をなくした人たちも自分のことをかけがえのない大切な存在であると思えるよ

うになるのです

 

私たち人間も差別のない社会をつくる努力をしなければならないと思います一人一人が相

手を大切に思う心を忘れなければこの社会はもっと住み良い場所になるはずです私はこのボ

ランティアを通して学んだことを生かしてこれからも一層努力していきたいと思います

入賞作文集 44

入賞作文

45 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

 

僕は祖父のために自助具を作ろうと思った祖父は去年の夏脳梗塞で倒れた祖父は一命

を取り留めたものの右手と右足がまひしてしまったのだその三週間前僕も車椅子から転倒し

て足を骨折した

 

僕には障害がある車椅子で生活することが多いしかし僕のことを障害者だといって差別

するような友達は一人もいない

 

祖父は歩けるようになりたいという気持ちが強かっただからリハビリを頑張り自分で

歩けるようになるまで回復した頑張っている祖父がかっこいいと僕は思った祖父はリハビ

リを頑張ったにも関わらず右手がうまく動かせなくなってしまっただからご飯を食べる時も

服を着替える時も時間がかかる普段何気なくやっていた動作がとても大変だと祖父は言ってい

守もり

田た

 幸こう

平へい

静岡県静岡大学教育学部附属浜松中学校 三年

祖父への靴下

法務事務次官賞

入賞作文集 46

入賞作文

た僕も何か役に立てることはないかと考えた

 

僕の学校には総合学習という授業があるそこで僕は福祉というカテゴリーを選んだ自

分で社会に役立てることを考え実際に行動することが目標だった僕は障害者のために何が

できるかを考えた

 

僕は二年前に静岡文化芸術大学で障害者がいかに日常生活で不自由のない生活ができるかを

考えるプロジェクトがあるのを新聞で知ったそれは大学生たちが個人個人にあった自助具を

作るプロジェクトだった僕は障害者のために何かできるのではと感じた

 

僕は静岡文化芸術大学へ行って僕にもできることがないかと聞いたすると学生さんが

自助具を作ってみないかと声をかけてくれた僕は迷わず「はい」と言った障害者のために

役に立てることがあると思うとすばらしいことだと思ったからだ

 

祖父のつらい顔を見ると日常生活に数々の大きな壁があることが伝わってくる

 

僕は祖父の数々の大きな壁を突き破ろうと思った祖父のために自助具を考え作ろうと僕

は思った祖父が靴下の脱ぎ履きが大変だと言っていたことを思い出したそこで脱ぎ履きし

やすい靴下はできないか考えた靴下の両脇にひもを取り付けてそれを引っ張ると靴下が縮み

脱ぎ履きしやすくなる仕組みだ大学の先生も良いアイディアだと言って褒めてく

れたこれは障害者だけでなく健常者にも使えると言われたユニバーサルデザ

インだと分かった

 

ユニバーサルデザインは年齢や障害の有無にかかわらず全ての人が使いやす

47 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

いように工夫された用具などのデザインである境界がなくなるように健常者が障

害者に対する偏見を考え差別意識がなくなるチャンスだと思った障害者と健常

者が共によりよく生きることが大切だと僕は思った

 

自助具の作品展では杖をついているお年寄り車椅子に乗った若い女性目の

見えない人福祉関係者など沢山の人々が観に来ていた皆自分の生活を良くしようと思っ

ているようだったまた障害者のためにできることは何だろうかと考えている健常者もいるよ

うだった

 

二年生の時の総合学習では二箇所のデイサービスを訪問したデイサービスには六十五歳以

上のお年寄りがいた暗く元気のない人明るく振る舞い誰とでも話せる人など様々だった

しかし僕が一番印象に残ったのは笑顔を絶やさず優しくお年寄りに接していた介護士だった

お年寄りの中には悩みを抱えている人が多いそうだその悩みを解消させる人もまた介護士だっ

た僕は介護士がお年寄りの体を支えるだけではなく心もそっと支えて生きる喜びを与え

ているのだと感じた

 

現代は三世代で暮らす家族が減り核家族が増えているそれはお年寄りの世話が大変だ

からという理由が多いだから老人ホームやデイサービスに預ける人が増えていると僕には

思えたお年寄りの中には自分が嫌われているのではないかとさえ思ってしまう人もいるそう

だそれはお年寄りにとって辛く悲しいことだと思うある介護士がこんなことをおっしゃっ

ていた「人の優しさはお金では買えない」誰にでも優しい心があると思うしかしあと一歩

入賞作文集 48

入賞作文

のところで行動に移すことができない人が多いの

だ僕たちが平和な社会で暮らせるのは今まで

頑張ってきてくれたお年寄りのお陰であることを

忘れてはいけないお年寄りを大切にすることは

当たり前のことなのだ

 

また障害者に対しても偏見の目で見ないで

そっと近づいて手を貸してあげれば健常者との

高い大きな壁を崩すことができると思う

 

障害者にも高齢者にもまた健常者にも人権

はあるお互いの人権を大切にすることが明る

い未来に繋がっていくのだと思う

 

早く祖父に僕の作った靴下を届けたい

49 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

 

僕は小学校六年生まで福岡県に住んでいましたそこで僕が体験したことです五年生のこ

ろ僕の友だちのA君が同級生のK君の靴を隠したりからかったりしていることがよくあり

ました最初は僕もあまり気にしていませんでしたがK君のことを「なんだかかわいそう」と

思うようになりました

 

ある日僕は勇気をだして先生に「K君がいじめにあっています」と報告しました初め先生は

「じゃれ合っているだけだろう」と「いじめ」とは思ってくれませんでしたでもその後「いじ

め」と分かりA君は先生に注意されその日一日は反省した様子で過ごしていましたしかし

次の日学校に行くといじめは前以上にエスカレートしていて蹴ったりたたいたりするように

なりましたしかも「死ね」「うざい」「消えろ」などの言葉が飛び交うようになりそんな日々

法務事務次官賞

浦うら

谷たに

 毅たける

徳島県三好市立池田中学校 三年

いじめをなくすために今

入賞作文集 50

入賞作文

が続きました

 

それは六年生になっても続きました僕はそのいじめを止めることができず毎日見て見ぬ

振りをしていました今思うと自分がとても恥ずかしいです本当の友達なら止めるべきなの

にそれだけではなくいじめられているK君に声一つかけることができずにいました心の中

ではA君に「やめろよ」と言おうと思っていたけどなぜか勇気が出ませんでした次にい

じめられるのが自分になるのが恐くて言えなかったのです

 

そんな日々が続く中僕の気持ちを大きく変える出来事がありました父の死ですそのとき

のことは今でも忘れることができません聞いたときには頭の中が真っ白になりました最初

は信じることができませんでした一週間も二週間も学校に行けずただぼーっと過ごしてい

ましたいろんなことを考え徐々に「死」というものの悲しさつらさ「死」という意味の

重さがわかってきましたそして時間はかかりましたが「命は一瞬にして消え二度と戻っ

てこないものだだから命を大切に今を大切にしなければならない」と深く受け止めることが

できるようになりましたそして周りの子たちは僕のような経験がないから「死ね」とか軽々

しく言えるのだろうと思いこの気持ちを伝えなくてはならないと考えました僕が強くならな

くてはと思いました

 

こんな気持ちになったとき僕には時間がありませんでした母の実家がある徳

島への引っ越しが一週間後に決まっていたのです落ち込んでいる暇は無いと思

い学校に行った僕はA君に言いました「いじめなんかやめろよいじめたって

51 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

喜ぶ人はいないし悲しむ人がいるだけだろ自分だってほんとは嫌だろ『死ね』

とか『消えろ』とか言葉の重さを知らないのに言うなよ」と言いました父親の

突然の死そのあと僕が考えたことも伝えました

 

友だちは黙って聞いてくれました僕の言葉にうなずいてそのあとK君の

ところへ行き「ごめん言葉の重さも知らずに言って本当にごめんぜったいに死ねなんて

ことは言わないそしていじめは絶対にしないほんとうにごめん」とあやまりましたK君

はとても優しい笑顔で「いいよ」と一言言いました僕もK君に言いました

「今まで助けてあげられなくてごめん」

K君は笑顔で「ありがとう」と言ってくれました今まで自分の中でもやもやしていた気持ちが

スーっと晴れました

 

今も時々耳にする暴言冗談半分で言っているのかもしれませんしかしいついじめにつ

ながるかわかりません他人を傷つけることで自分のストレスを晴らそうとしているのでしょう

関係ないふりをしようとする自分がいます楽な考え方をする自分がいますそんな時亡くなっ

た父の顔やK君の優しい笑顔を思い出しますあの時の自分のように強い気持ちを持とう「や

めろよ」と一言言うするとまた気持ちがスーっとしてきました

 

父の分も頑張って生き抜こうと決めた僕にとって正しいことを素直に認め悪いことを否定

できる強い意志を持つことが目標ですそして何よりも命を大切に今を大切にしていきたい

と思っています

入賞作文集 52

入賞作文

53 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

 

ぼくは今まで四つの外国に暮らしいろいろな国の人たちの中で育ってきた

 

まずタイで生まれてタイ人のメイドさんやドライバーさんにいつも遊んでもらっていた

らしい一才になると週一回の体操教室にも通いタイ人の友達もいたそうだ

 

次にシンガポールでは初めてナサリースクール(保育園)に通いいろいろな国の友達と

知り合ったプレイルームにある滑り台を滑る順番争いでいつも勝つのは体の大きい金髪の友

達だった

 

一回目の香港生活では英語の幼稚園に通ったその時のぼくの一番の友達はカナダ人だった

彼とはよくベイブレードをして遊んだが父が日本の出張で買ってきてくれた独楽や剣玉をして

遊ぶこともあった

村むら

瀬せ

 広ひろ

高たか

香港日本人学校中学部 二年

国境をこえて

海 外 作 品

今回は本選への応募とすることはできませんでしたが

 海外から寄せられた作品のうち一作品を御紹介します

入賞作文集 54

海外作品

 

それからインドでは日本人学校に通ったが夏休みには毎年アメリカンスクールのサマー

スクールに参加したし日本人のいない現地のテニススクールにも入り二年間通ったまたイ

ンドの現地幼稚園に通っていた妹のベストフレンドはコンゴ人でその兄弟もぼくの友達だった

 

そして三年間の日本生活を経て今また香港に戻ってきた

 

このようにぼくはいろいろな国でいろいろな国の人たちのお世話になりいろいろな国

の友達と遊んで育った肌が真っ黒な友達もゲームの話をすればすぐに仲良くなれたし髪が

金色の友達もポケモンの話をすれば気が合ったぼくは小さい頃から英語はうまくしゃべれ

なかったけれどもジェスチャーをつけたでたらめ英語でも充分に話は通じただからいろい

ろな国の人たちの中でぼくが日本人だからといって差別されたり嫌な思いをしたりしたこと

はないしぼくも肌の色が違うからとか言葉が通じないからという理由で違う人間だと思っ

たことはないそうぼくは外国人を差別したことはない

 

しかし本当にぼくは外国人を差別したことがないのだろうか外国人を差別した発言を一

度もしたことがないかと考えると自信がない

 

例えば香港人には赤信号でも平気で渡る人がたくさんいるそれを見てぼくは

「香港人はしょうがないな」

と思うでもよく見ると香港人全員が信号無視をしているわけではないまた

世界には今でも戦争をしている国がいくつもある

「人を傷つけ合うなんて馬鹿げている」

55 第30回全国中学生人権作文コンテスト

海外作品

とぼくは悲しくなるでもそれも好きで戦っている人がいるとも思えないその

人たちがそうなったのには何かきっと原因があるはずだ

 

逆に外国人から見ると日本人はどのように思われているのだろう

 

インドから日本に帰国した時毎日ごみがたくさん出ることにぼくはとても驚

いたインドの人たちがよく使う道端にあるカレー屋さんではバナナの葉で作ったお皿にカ

レーを入れてくれる食べた後そのお皿を道に捨てるとのら牛がその葉っぱを食べるそして

牛のふんは燃料になるというそれに比べて日本はちょっと歩くとペットボトルの飲み物が

買えファーストフードのお店では使い捨ての食器を使い立派なお菓子の箱を開けると中身が

少なくてがっかりすることもあるある時母が捨てたジャムの空きびんをメイドさんとエア

コンの修理にきていたワーカーさんとが取り合ってけんかをしていたこともあったそれを見

てぼくはあきれてしまったが逆にインド人から見ると使い捨て文化のしみついた日本人は

とんでもない人間にみえるのかもしれない国によって考え方や行動パターンが違うのは歴史

的背景や宗教習慣気候などのいろいろなことが関わっているのだと思う

 

このように考えると差別とはその人の一部しか見ていないことや自分のやり方だけが正

しいと思うことからおきるのではないかと思うその人が自分とは違った行動をとったとしても

それには深い理由があるのだろうと考えればきっと納得できると思うぼくもこれからは否

定的な発言をする前にその人たちのことをいろいろな角度から見て理解する努力をしてみよう

と思う外国との間には自分の国とは違う言葉や文化という壁があるとみんな言うがそこに

入賞作文集 56

海外作品

あるのは壁ではなく橋だとぼくは思う理解

し合おうという気持ちがあればきっと誰でも

その橋を渡っていけるはずだ気持ちの国境を

こえるのにパスポートはいらないお互いを理

解し合おうと思う気持ちが一番大切だと思う

そしてぼくはこれから日本人として生きる

のではなく地球人として生きていこうと思う

57 第30回全国中学生人権作文コンテスト

海外作品

法務局地方法務局名 郵便番号 所  在  地 電  話

金沢地方法務局人権擁護課920-0024 金沢市西念3-4-1金沢駅西合同庁舎(平成23年3月11日まで) 076-231-1244

921-8505 金沢市新神田4-3-10金沢新神田合同庁舎(平成23年3月14日から) 076-292-7804

富山地方法務局人権擁護課 930-0856 富山市牛島新町11番7号富山合同庁舎 076-441-6376

大阪法務局人権擁護部 540-8544 大阪市中央区谷町2丁目1番17号大阪第2法務合同庁舎 06-6942-9492

京都地方法務局人権擁護課 602-8577 京都市上京区荒神口通河原町東入上生洲町197番地 075-231-0131

神戸地方法務局人権擁護課 650-0042 神戸市中央区波止場町1番1号神戸第2地方合同庁舎 078-392-1821

奈良地方法務局人権擁護課 630-8305 奈良市東紀寺町3-4-1奈良第2法務総合庁舎 0742-23-5457

大津地方法務局人権擁護課 520-8516 大津市御陵町3番6号大津法務総合庁舎 077-522-4673

和歌山地方法務局人権擁護課 640-8552 和歌山市二番丁2番地和歌山地方合同庁舎 073-422-5131

広島法務局人権擁護部 730-8536 広島市中区上八丁堀6番30号広島合同庁舎 082-228-5790

山口地方法務局人権擁護課 753-8577 山口市中河原町6番16号山口地方合同庁舎2号館 083-922-2295

岡山地方法務局人権擁護課 700-8616 岡山市北区南方1丁目3番58号 086-224-5761

鳥取地方法務局人権擁護課 680-0011 鳥取市東町2丁目302番地鳥取第2地方合同庁舎 0857-22-2289

松江地方法務局人権擁護課 690-0886 松江市母衣町50番地松江法務合同庁舎 0852-32-4260

高松法務局人権擁護部 761-8077 高松市出作町585-4 087-815-5311

徳島地方法務局人権擁護課 770-8512 徳島市徳島町城内6番地6徳島地方合同庁舎 088-622-4171

高知地方法務局人権擁護課 780-8509 高知市栄田町2丁目2番10号高知よさこい咲都合同庁舎 088-822-3331

松山地方法務局人権擁護課 790-8505 松山市宮田町188番地6松山地方合同庁舎 089-932-0888

福岡法務局人権擁護部 814-0005 福岡市早良区祖原14-15福岡法務局西新出張所庁舎5階 092-832-4311

佐賀地方法務局人権擁護課 840-0041 佐賀市城内2丁目10番20号佐賀合同庁舎 0952-26-2148

長崎地方法務局人権擁護課 850-8507 長崎市万才町8番16号 095-826-8127大分地方法務局人権擁護課 870-8513 大分市荷揚町7番5号大分法務総合庁舎 097-532-3368

熊本地方法務局人権擁護課 862-0971 熊本市大江3丁目1番53号熊本第2合同庁舎 096-364-2145

鹿児島地方法務局人権擁護課 890-8518 鹿児島市鴨池新町1番2号 099-259-0684宮崎地方法務局人権擁護課 880-8513 宮崎市別府町1番1号宮崎法務総合庁舎 0985-22-5124

那覇地方法務局人権擁護課 900-8544 那覇市樋川1丁目15番15号那覇第1地方合同庁舎 098-854-1215

入賞作文集 58

問合せ先一覧

法務局地方法務局名 郵便番号 所  在  地 電  話

札幌法務局人権擁護部 060-0808 札幌市北区北8条西2丁目1番1札幌第1合同庁舎 011-709-2311

函館地方法務局人権擁護課 040-8533 函館市新川町25番18号函館地方合同庁舎 0138-23-9528

旭川地方法務局人権擁護課 078-8502 旭川市宮前通東4155番31旭川合同庁舎 0166-38-1114

釧路地方法務局人権擁護課 085-8522 釧路市幸町10丁目3番地釧路地方合同庁舎 0154-31-5014

仙台法務局人権擁護部 980-8601 仙台市青葉区春日町7番25号仙台第3法務総合庁舎 022-225-5739

福島地方法務局人権擁護課 960-8021 福島市霞町1番46号福島合同庁舎 024-534-1994

山形地方法務局人権擁護課 990-0041 山形市緑町1丁目5番48号山形地方合同庁舎 023-625-1321

盛岡地方法務局人権擁護課 020-0023 盛岡市内丸7番25号盛岡合同庁舎 019-624-9859秋田地方法務局人権擁護課 010-0951 秋田市山王7丁目1番3号 018-862-6533

青森地方法務局人権擁護課 030-8511 青森市長島1丁目3番5号青森第二合同庁舎 017-776-9024

東京法務局人権擁護部 102-8225 千代田区九段南1丁目1番15号九段第2合同庁舎 03-5213-1234

横浜地方法務局人権擁護課 231-8411 横浜市中区北仲通5丁目57番地横浜第2合同庁舎 045-641-7926

さいたま地方法務局人権擁護課 338-8513 さいたま市中央区下落合5-12-1さいたま第二法務総合庁舎 048-859-3507

千葉地方法務局人権擁護課 260-8518 千葉市中央区中央港1丁目11番3号千葉地方合同庁舎 043-302-1319

水戸地方法務局人権擁護課 310-0061 水戸市北見町1番1号水戸地方法務合同庁舎 029-227-9919

宇都宮地方法務局人権擁護課 320-8515 宇都宮市小幡2丁目1番11号宇都宮地方法務合同庁舎 028-623-0926

前橋地方法務局人権擁護課 371-8535 前橋市大手町2丁目10番5号前橋合同庁舎 027-221-4426

静岡地方法務局人権擁護課 420-8650 静岡市葵区追手町9番50号静岡地方合同庁舎 054-254-3555

甲府地方法務局人権擁護課 400-8520 甲府市北口1丁目2番19号甲府地方合同庁舎 055-252-7239

長野地方法務局人権擁護課 380-0846 長野市旭町1108番地長野第2合同庁舎 026-235-6634

新潟地方法務局人権擁護課 951-8504 新潟市中央区西大畑町5191番地新潟地方法務総合庁舎 025-222-1564

名古屋法務局人権擁護部 460-8513 名古屋市中区三の丸2丁目2番1号名古屋合同庁舎第1号館 052-952-8111

津地方法務局人権擁護課 514-8503 津市丸之内26番8号津合同庁舎 059-228-4193岐阜地方法務局人権擁護課 500-8729 岐阜市金竜町5丁目13番地 058-245-3181

福井地方法務局人権擁護課 910-8504 福井市春山1丁目1番54号福井春山合同庁舎 0776-22-5090

問合せ先一覧 (法務局地方法務局)

59 第30回全国中学生人権作文コンテスト

問合せ先一覧

世界人権宣言啓発書画「鳥」「自由と解放」を表わしたもの 小木太法書オタビオロス画(財)人権擁護協力会提供

入賞作文集 60

すべての人間は生まれながらにして

自由でありかつ尊厳と権利とに

ついて平等である人間は理性と

良心とを授けられており互いに同胞の

精神をもって行動しなければならない

―――

世界人権宣言 第一条

―――

第三〇回

 全国中学生人権作文コンテスト

中央大会表彰式

印  刷 平成23年1月25日

発  行 平成23年2月14日

発 行 者 法務省人権擁護局

全国人権擁護委員連合会

東京都千代田区霞が関一丁目1番1号

電話 03(3580)4111 内線5875

URL httpwwwmojgojpJINKEN

第30回全国中学生人権作文コンテスト中央大会審査員

感想をお聞かせください本作文集を読まれた感想等を下記の連絡先又はkeihatsumojgojpまでお寄せください

無断転載を禁じます本作文集に掲載された作文や写真等を地方自治体が広報誌に掲載したり学校が教材に使用される場合などにはあらかじめ下記に御連絡ください

100-8977 東京都千代田区霞が関一丁目1番1号 法務省人権擁護局人権啓発課 TEL03(3580)4111 内線5875

作  家(審査員長) 落 合 恵 子映画監督 山 田 洋 次社団法人日本新聞協会事務局長 川 嶋   明日本放送協会解説委員室解説委員 南   直 樹文部科学省初等中等教育局視学官 三 好 仁 司全国人権擁護委員連合会長 中 村 浩 紹法務省人権擁護局長   井 忠 雄

(敬称略)

【式次第】

第一部

 会

主催者あいさつ

賞状授与

内閣総理大臣賞法務大臣賞

文部科学大臣奨励賞法務副大臣賞

法務大臣政務官賞

全国人権擁護委員連合会長賞

社団法人日本新聞協会会長賞

日本放送協会会長賞(以上各一名)

法務事務次官賞(三名) 計一一名

学校への感謝状贈呈

高円宮妃殿下おことば

来賓祝辞

第二部

各受賞作文の朗読

内閣総理大臣賞法務大臣賞

文部科学大臣奨励賞

全国人権擁護委員連合会長賞

社団法人日本新聞協会会長賞

日本放送協会会長賞

 評

全国中学生人権作文コンテスト中央大会審査員

 山田洋次氏

 落合恵子氏(ビデオレター形式)

第三部

新垣勉さんコンサート

 会 平成二二年一二月一八日(土)

午後一時三〇分〜三時五〇分

於ニッショーホール

「いじめ」や暴力行為等は人権侵害です

法務局地方法務局では

人権侵害による被害を受けた方を

救済するための活動を行っています

お気軽にご相談ください

女性の人権ホットライン

インターネット人権相談受付窓口

ゼロナナゼロのハートライン

0570-070-810

子どもの人権110番ぜろぜろななのひゃくとおばん

 0120-007-110

パソコンから httpwwwmojgojpJINKENjinken113html携帯電話から httpwwwjinkengojpsoudanmobile001html

インターネット人権相談 検 索

Human Rights法務省人権擁護局全国人権擁護委員連合会

人権イメージキャラクター人KENあゆみちゃん人KENまもる君

全国共通通話料無料

全国共通ナビダイヤル

この冊子は環境保護印刷の「水なし印刷」で印刷されています

第30回全国中学生人権作文コンテスト入賞作文集

法務省人権擁護局全国人権擁護委員連合会

人権イメージキャラクター人KENまもる君人KENあゆみちゃん

この冊子には音声コードが各頁(奇数頁 左下偶数頁 右下)に印刷されています専用の読み上げ装置で読み取ると記録されている情報を音声で聞くことが出来ます

Human Rights法務省人権擁護局全国人権擁護委員連合会

 全国中学生人権作文コンテスト入賞作文集

 全国中学生人権作文コンテスト入賞作文集

第30回

願いが叶う社会を築き「悔いなく満足で楽しく幸せな人生だった」と思えるように人とし

ての誇りを持って満足できる最期を迎えられるように考えていきたいもう二度と僕が見た自

己決定権のない社会にならないように高齢者には今までの感謝の気持ちで本人の希望をでき

るだけ叶えられるように努力していきたいいずれ僕達も迎える高齢社会だからhellip

41 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

 

私は小学六年生の時から盲導犬候補の子犬を育てるボランティアをしています「犬を飼っ

てみたい」と言う私に両親が「せっかく犬を飼うのなら社会に役立つことをしよう」と提案

したからです生後二ヵ月の子犬を預かり一歳の誕生日を迎えるまで世話をするのがボランティ

アの役目です初めて訓練士さんから子犬を手渡された時は不安でドキドキしましたが子犬は

すぐに私の腕の中で眠ってしまいました初めて会った私のことを信頼して安心しきった寝顔

で眠っている姿は本当に可愛かったですラブラドールの子犬はとてもやんちゃで私の家にやっ

て来たその日からいたずらばかりしていましたがしかられてもクヨクヨせずどんな相手にも

 林はやし

 里り

咲さ

東京都小平市立小平第六中学校 三年

差別のない社会に

(パピーウォーカーの経験から学んだこと)

法務事務次官賞

入賞作文集 42

入賞作文

フレンドリーに近づいていく姿から私は明るく前向きに生きることを教わりました子犬たち

と過ごした日々は私にとって一番の宝物ですそしてあっという間に一歳の誕生日がやって来ま

した誕生日が悲しいという経験は初めてでした訓練所への入所日の前日には長い長い散歩を

して最後のお別れをしました「今までありがとう」そう言った私のことを不思議そうに見てい

た子犬の顔が今も目に焼きついています別れは本当につらいけれど涙を見せたら子犬が心配す

るので頑張って笑顔で見送りました

 

私の家で育てた一頭目の子犬は現在盲導犬になって頑張っていますそして今年四月に巣立っ

ていった二頭目の子犬は神奈川にある訓練センターで訓練中です

 

このボランティアを通して私は多くのことを学びましたまず盲導犬の役割ですがこれは単

に目の不自由な方が便利に一人でどこへでも行けるようにするためだけではありません視覚障

がいのある方にとって人の手をわずらわせるのはとてもつらいことなのだそうですたとえ家

族に対してでも「迷惑をかけるのではないか」と思って我慢することが多く「私なんかいない

方がいいんじゃないか」と考えてしまうこともあったといいますその失われそうになった尊

厳を取り戻す手助けをするのが盲導犬の役目なのです犬は訓練を共にするパートナーのことを

大好きになるので「自分は他者からこんなにも大好きになってもらえる存在なん

だ」と気づいて自信を取り戻し新しい一歩を踏み出せるようになるのだそうです

 

また私がボランティア登録している日本盲導犬協会では二〇〇八年に新しい

試みが始まりました受刑者が盲導犬候補の子犬を育てる動物を介在した日本初

43 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

の教育プログラムです罪を犯した人も心から反省してきちんと罪を償えば社会

は差別することなく受け入れるべきですしかし実際はとても偏見が多く元受刑

者たちは「どうせ自分はだめな人間なんだ」と思い再び罪を犯してしまう悪循環

が起こっているそうですその悪循環を断ち切り受刑者たちがスムーズに社会復

帰を果たせるよう支援するのが「あさひ盲導犬パピープロジェクト」です受刑者たちは約十ヵ

月の間子犬たちを世話しながら一緒に過ごし「役に立つ喜び達成する喜び信頼される喜び」

を感じることで自分の価値を再確認するのだそうです今年一月に第一期のプロジェクトを修了

した受刑者の感想に次のようなものがありました

 「今後自分もパピーに笑われないようにきちんとしなければならないパピーは慈しむこと

寛容の心を教えてくれました」

 

犬は決して差別をしません健康な人にも障がいのある人にもお金持ちにも貧しい人にも

権力のある人にも犯罪を犯した人にも全く同じように接してくれますそんな犬たちと一緒に過

ごすことで自信をなくした人たちも自分のことをかけがえのない大切な存在であると思えるよ

うになるのです

 

私たち人間も差別のない社会をつくる努力をしなければならないと思います一人一人が相

手を大切に思う心を忘れなければこの社会はもっと住み良い場所になるはずです私はこのボ

ランティアを通して学んだことを生かしてこれからも一層努力していきたいと思います

入賞作文集 44

入賞作文

45 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

 

僕は祖父のために自助具を作ろうと思った祖父は去年の夏脳梗塞で倒れた祖父は一命

を取り留めたものの右手と右足がまひしてしまったのだその三週間前僕も車椅子から転倒し

て足を骨折した

 

僕には障害がある車椅子で生活することが多いしかし僕のことを障害者だといって差別

するような友達は一人もいない

 

祖父は歩けるようになりたいという気持ちが強かっただからリハビリを頑張り自分で

歩けるようになるまで回復した頑張っている祖父がかっこいいと僕は思った祖父はリハビ

リを頑張ったにも関わらず右手がうまく動かせなくなってしまっただからご飯を食べる時も

服を着替える時も時間がかかる普段何気なくやっていた動作がとても大変だと祖父は言ってい

守もり

田た

 幸こう

平へい

静岡県静岡大学教育学部附属浜松中学校 三年

祖父への靴下

法務事務次官賞

入賞作文集 46

入賞作文

た僕も何か役に立てることはないかと考えた

 

僕の学校には総合学習という授業があるそこで僕は福祉というカテゴリーを選んだ自

分で社会に役立てることを考え実際に行動することが目標だった僕は障害者のために何が

できるかを考えた

 

僕は二年前に静岡文化芸術大学で障害者がいかに日常生活で不自由のない生活ができるかを

考えるプロジェクトがあるのを新聞で知ったそれは大学生たちが個人個人にあった自助具を

作るプロジェクトだった僕は障害者のために何かできるのではと感じた

 

僕は静岡文化芸術大学へ行って僕にもできることがないかと聞いたすると学生さんが

自助具を作ってみないかと声をかけてくれた僕は迷わず「はい」と言った障害者のために

役に立てることがあると思うとすばらしいことだと思ったからだ

 

祖父のつらい顔を見ると日常生活に数々の大きな壁があることが伝わってくる

 

僕は祖父の数々の大きな壁を突き破ろうと思った祖父のために自助具を考え作ろうと僕

は思った祖父が靴下の脱ぎ履きが大変だと言っていたことを思い出したそこで脱ぎ履きし

やすい靴下はできないか考えた靴下の両脇にひもを取り付けてそれを引っ張ると靴下が縮み

脱ぎ履きしやすくなる仕組みだ大学の先生も良いアイディアだと言って褒めてく

れたこれは障害者だけでなく健常者にも使えると言われたユニバーサルデザ

インだと分かった

 

ユニバーサルデザインは年齢や障害の有無にかかわらず全ての人が使いやす

47 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

いように工夫された用具などのデザインである境界がなくなるように健常者が障

害者に対する偏見を考え差別意識がなくなるチャンスだと思った障害者と健常

者が共によりよく生きることが大切だと僕は思った

 

自助具の作品展では杖をついているお年寄り車椅子に乗った若い女性目の

見えない人福祉関係者など沢山の人々が観に来ていた皆自分の生活を良くしようと思っ

ているようだったまた障害者のためにできることは何だろうかと考えている健常者もいるよ

うだった

 

二年生の時の総合学習では二箇所のデイサービスを訪問したデイサービスには六十五歳以

上のお年寄りがいた暗く元気のない人明るく振る舞い誰とでも話せる人など様々だった

しかし僕が一番印象に残ったのは笑顔を絶やさず優しくお年寄りに接していた介護士だった

お年寄りの中には悩みを抱えている人が多いそうだその悩みを解消させる人もまた介護士だっ

た僕は介護士がお年寄りの体を支えるだけではなく心もそっと支えて生きる喜びを与え

ているのだと感じた

 

現代は三世代で暮らす家族が減り核家族が増えているそれはお年寄りの世話が大変だ

からという理由が多いだから老人ホームやデイサービスに預ける人が増えていると僕には

思えたお年寄りの中には自分が嫌われているのではないかとさえ思ってしまう人もいるそう

だそれはお年寄りにとって辛く悲しいことだと思うある介護士がこんなことをおっしゃっ

ていた「人の優しさはお金では買えない」誰にでも優しい心があると思うしかしあと一歩

入賞作文集 48

入賞作文

のところで行動に移すことができない人が多いの

だ僕たちが平和な社会で暮らせるのは今まで

頑張ってきてくれたお年寄りのお陰であることを

忘れてはいけないお年寄りを大切にすることは

当たり前のことなのだ

 

また障害者に対しても偏見の目で見ないで

そっと近づいて手を貸してあげれば健常者との

高い大きな壁を崩すことができると思う

 

障害者にも高齢者にもまた健常者にも人権

はあるお互いの人権を大切にすることが明る

い未来に繋がっていくのだと思う

 

早く祖父に僕の作った靴下を届けたい

49 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

 

僕は小学校六年生まで福岡県に住んでいましたそこで僕が体験したことです五年生のこ

ろ僕の友だちのA君が同級生のK君の靴を隠したりからかったりしていることがよくあり

ました最初は僕もあまり気にしていませんでしたがK君のことを「なんだかかわいそう」と

思うようになりました

 

ある日僕は勇気をだして先生に「K君がいじめにあっています」と報告しました初め先生は

「じゃれ合っているだけだろう」と「いじめ」とは思ってくれませんでしたでもその後「いじ

め」と分かりA君は先生に注意されその日一日は反省した様子で過ごしていましたしかし

次の日学校に行くといじめは前以上にエスカレートしていて蹴ったりたたいたりするように

なりましたしかも「死ね」「うざい」「消えろ」などの言葉が飛び交うようになりそんな日々

法務事務次官賞

浦うら

谷たに

 毅たける

徳島県三好市立池田中学校 三年

いじめをなくすために今

入賞作文集 50

入賞作文

が続きました

 

それは六年生になっても続きました僕はそのいじめを止めることができず毎日見て見ぬ

振りをしていました今思うと自分がとても恥ずかしいです本当の友達なら止めるべきなの

にそれだけではなくいじめられているK君に声一つかけることができずにいました心の中

ではA君に「やめろよ」と言おうと思っていたけどなぜか勇気が出ませんでした次にい

じめられるのが自分になるのが恐くて言えなかったのです

 

そんな日々が続く中僕の気持ちを大きく変える出来事がありました父の死ですそのとき

のことは今でも忘れることができません聞いたときには頭の中が真っ白になりました最初

は信じることができませんでした一週間も二週間も学校に行けずただぼーっと過ごしてい

ましたいろんなことを考え徐々に「死」というものの悲しさつらさ「死」という意味の

重さがわかってきましたそして時間はかかりましたが「命は一瞬にして消え二度と戻っ

てこないものだだから命を大切に今を大切にしなければならない」と深く受け止めることが

できるようになりましたそして周りの子たちは僕のような経験がないから「死ね」とか軽々

しく言えるのだろうと思いこの気持ちを伝えなくてはならないと考えました僕が強くならな

くてはと思いました

 

こんな気持ちになったとき僕には時間がありませんでした母の実家がある徳

島への引っ越しが一週間後に決まっていたのです落ち込んでいる暇は無いと思

い学校に行った僕はA君に言いました「いじめなんかやめろよいじめたって

51 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

喜ぶ人はいないし悲しむ人がいるだけだろ自分だってほんとは嫌だろ『死ね』

とか『消えろ』とか言葉の重さを知らないのに言うなよ」と言いました父親の

突然の死そのあと僕が考えたことも伝えました

 

友だちは黙って聞いてくれました僕の言葉にうなずいてそのあとK君の

ところへ行き「ごめん言葉の重さも知らずに言って本当にごめんぜったいに死ねなんて

ことは言わないそしていじめは絶対にしないほんとうにごめん」とあやまりましたK君

はとても優しい笑顔で「いいよ」と一言言いました僕もK君に言いました

「今まで助けてあげられなくてごめん」

K君は笑顔で「ありがとう」と言ってくれました今まで自分の中でもやもやしていた気持ちが

スーっと晴れました

 

今も時々耳にする暴言冗談半分で言っているのかもしれませんしかしいついじめにつ

ながるかわかりません他人を傷つけることで自分のストレスを晴らそうとしているのでしょう

関係ないふりをしようとする自分がいます楽な考え方をする自分がいますそんな時亡くなっ

た父の顔やK君の優しい笑顔を思い出しますあの時の自分のように強い気持ちを持とう「や

めろよ」と一言言うするとまた気持ちがスーっとしてきました

 

父の分も頑張って生き抜こうと決めた僕にとって正しいことを素直に認め悪いことを否定

できる強い意志を持つことが目標ですそして何よりも命を大切に今を大切にしていきたい

と思っています

入賞作文集 52

入賞作文

53 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

 

ぼくは今まで四つの外国に暮らしいろいろな国の人たちの中で育ってきた

 

まずタイで生まれてタイ人のメイドさんやドライバーさんにいつも遊んでもらっていた

らしい一才になると週一回の体操教室にも通いタイ人の友達もいたそうだ

 

次にシンガポールでは初めてナサリースクール(保育園)に通いいろいろな国の友達と

知り合ったプレイルームにある滑り台を滑る順番争いでいつも勝つのは体の大きい金髪の友

達だった

 

一回目の香港生活では英語の幼稚園に通ったその時のぼくの一番の友達はカナダ人だった

彼とはよくベイブレードをして遊んだが父が日本の出張で買ってきてくれた独楽や剣玉をして

遊ぶこともあった

村むら

瀬せ

 広ひろ

高たか

香港日本人学校中学部 二年

国境をこえて

海 外 作 品

今回は本選への応募とすることはできませんでしたが

 海外から寄せられた作品のうち一作品を御紹介します

入賞作文集 54

海外作品

 

それからインドでは日本人学校に通ったが夏休みには毎年アメリカンスクールのサマー

スクールに参加したし日本人のいない現地のテニススクールにも入り二年間通ったまたイ

ンドの現地幼稚園に通っていた妹のベストフレンドはコンゴ人でその兄弟もぼくの友達だった

 

そして三年間の日本生活を経て今また香港に戻ってきた

 

このようにぼくはいろいろな国でいろいろな国の人たちのお世話になりいろいろな国

の友達と遊んで育った肌が真っ黒な友達もゲームの話をすればすぐに仲良くなれたし髪が

金色の友達もポケモンの話をすれば気が合ったぼくは小さい頃から英語はうまくしゃべれ

なかったけれどもジェスチャーをつけたでたらめ英語でも充分に話は通じただからいろい

ろな国の人たちの中でぼくが日本人だからといって差別されたり嫌な思いをしたりしたこと

はないしぼくも肌の色が違うからとか言葉が通じないからという理由で違う人間だと思っ

たことはないそうぼくは外国人を差別したことはない

 

しかし本当にぼくは外国人を差別したことがないのだろうか外国人を差別した発言を一

度もしたことがないかと考えると自信がない

 

例えば香港人には赤信号でも平気で渡る人がたくさんいるそれを見てぼくは

「香港人はしょうがないな」

と思うでもよく見ると香港人全員が信号無視をしているわけではないまた

世界には今でも戦争をしている国がいくつもある

「人を傷つけ合うなんて馬鹿げている」

55 第30回全国中学生人権作文コンテスト

海外作品

とぼくは悲しくなるでもそれも好きで戦っている人がいるとも思えないその

人たちがそうなったのには何かきっと原因があるはずだ

 

逆に外国人から見ると日本人はどのように思われているのだろう

 

インドから日本に帰国した時毎日ごみがたくさん出ることにぼくはとても驚

いたインドの人たちがよく使う道端にあるカレー屋さんではバナナの葉で作ったお皿にカ

レーを入れてくれる食べた後そのお皿を道に捨てるとのら牛がその葉っぱを食べるそして

牛のふんは燃料になるというそれに比べて日本はちょっと歩くとペットボトルの飲み物が

買えファーストフードのお店では使い捨ての食器を使い立派なお菓子の箱を開けると中身が

少なくてがっかりすることもあるある時母が捨てたジャムの空きびんをメイドさんとエア

コンの修理にきていたワーカーさんとが取り合ってけんかをしていたこともあったそれを見

てぼくはあきれてしまったが逆にインド人から見ると使い捨て文化のしみついた日本人は

とんでもない人間にみえるのかもしれない国によって考え方や行動パターンが違うのは歴史

的背景や宗教習慣気候などのいろいろなことが関わっているのだと思う

 

このように考えると差別とはその人の一部しか見ていないことや自分のやり方だけが正

しいと思うことからおきるのではないかと思うその人が自分とは違った行動をとったとしても

それには深い理由があるのだろうと考えればきっと納得できると思うぼくもこれからは否

定的な発言をする前にその人たちのことをいろいろな角度から見て理解する努力をしてみよう

と思う外国との間には自分の国とは違う言葉や文化という壁があるとみんな言うがそこに

入賞作文集 56

海外作品

あるのは壁ではなく橋だとぼくは思う理解

し合おうという気持ちがあればきっと誰でも

その橋を渡っていけるはずだ気持ちの国境を

こえるのにパスポートはいらないお互いを理

解し合おうと思う気持ちが一番大切だと思う

そしてぼくはこれから日本人として生きる

のではなく地球人として生きていこうと思う

57 第30回全国中学生人権作文コンテスト

海外作品

法務局地方法務局名 郵便番号 所  在  地 電  話

金沢地方法務局人権擁護課920-0024 金沢市西念3-4-1金沢駅西合同庁舎(平成23年3月11日まで) 076-231-1244

921-8505 金沢市新神田4-3-10金沢新神田合同庁舎(平成23年3月14日から) 076-292-7804

富山地方法務局人権擁護課 930-0856 富山市牛島新町11番7号富山合同庁舎 076-441-6376

大阪法務局人権擁護部 540-8544 大阪市中央区谷町2丁目1番17号大阪第2法務合同庁舎 06-6942-9492

京都地方法務局人権擁護課 602-8577 京都市上京区荒神口通河原町東入上生洲町197番地 075-231-0131

神戸地方法務局人権擁護課 650-0042 神戸市中央区波止場町1番1号神戸第2地方合同庁舎 078-392-1821

奈良地方法務局人権擁護課 630-8305 奈良市東紀寺町3-4-1奈良第2法務総合庁舎 0742-23-5457

大津地方法務局人権擁護課 520-8516 大津市御陵町3番6号大津法務総合庁舎 077-522-4673

和歌山地方法務局人権擁護課 640-8552 和歌山市二番丁2番地和歌山地方合同庁舎 073-422-5131

広島法務局人権擁護部 730-8536 広島市中区上八丁堀6番30号広島合同庁舎 082-228-5790

山口地方法務局人権擁護課 753-8577 山口市中河原町6番16号山口地方合同庁舎2号館 083-922-2295

岡山地方法務局人権擁護課 700-8616 岡山市北区南方1丁目3番58号 086-224-5761

鳥取地方法務局人権擁護課 680-0011 鳥取市東町2丁目302番地鳥取第2地方合同庁舎 0857-22-2289

松江地方法務局人権擁護課 690-0886 松江市母衣町50番地松江法務合同庁舎 0852-32-4260

高松法務局人権擁護部 761-8077 高松市出作町585-4 087-815-5311

徳島地方法務局人権擁護課 770-8512 徳島市徳島町城内6番地6徳島地方合同庁舎 088-622-4171

高知地方法務局人権擁護課 780-8509 高知市栄田町2丁目2番10号高知よさこい咲都合同庁舎 088-822-3331

松山地方法務局人権擁護課 790-8505 松山市宮田町188番地6松山地方合同庁舎 089-932-0888

福岡法務局人権擁護部 814-0005 福岡市早良区祖原14-15福岡法務局西新出張所庁舎5階 092-832-4311

佐賀地方法務局人権擁護課 840-0041 佐賀市城内2丁目10番20号佐賀合同庁舎 0952-26-2148

長崎地方法務局人権擁護課 850-8507 長崎市万才町8番16号 095-826-8127大分地方法務局人権擁護課 870-8513 大分市荷揚町7番5号大分法務総合庁舎 097-532-3368

熊本地方法務局人権擁護課 862-0971 熊本市大江3丁目1番53号熊本第2合同庁舎 096-364-2145

鹿児島地方法務局人権擁護課 890-8518 鹿児島市鴨池新町1番2号 099-259-0684宮崎地方法務局人権擁護課 880-8513 宮崎市別府町1番1号宮崎法務総合庁舎 0985-22-5124

那覇地方法務局人権擁護課 900-8544 那覇市樋川1丁目15番15号那覇第1地方合同庁舎 098-854-1215

入賞作文集 58

問合せ先一覧

法務局地方法務局名 郵便番号 所  在  地 電  話

札幌法務局人権擁護部 060-0808 札幌市北区北8条西2丁目1番1札幌第1合同庁舎 011-709-2311

函館地方法務局人権擁護課 040-8533 函館市新川町25番18号函館地方合同庁舎 0138-23-9528

旭川地方法務局人権擁護課 078-8502 旭川市宮前通東4155番31旭川合同庁舎 0166-38-1114

釧路地方法務局人権擁護課 085-8522 釧路市幸町10丁目3番地釧路地方合同庁舎 0154-31-5014

仙台法務局人権擁護部 980-8601 仙台市青葉区春日町7番25号仙台第3法務総合庁舎 022-225-5739

福島地方法務局人権擁護課 960-8021 福島市霞町1番46号福島合同庁舎 024-534-1994

山形地方法務局人権擁護課 990-0041 山形市緑町1丁目5番48号山形地方合同庁舎 023-625-1321

盛岡地方法務局人権擁護課 020-0023 盛岡市内丸7番25号盛岡合同庁舎 019-624-9859秋田地方法務局人権擁護課 010-0951 秋田市山王7丁目1番3号 018-862-6533

青森地方法務局人権擁護課 030-8511 青森市長島1丁目3番5号青森第二合同庁舎 017-776-9024

東京法務局人権擁護部 102-8225 千代田区九段南1丁目1番15号九段第2合同庁舎 03-5213-1234

横浜地方法務局人権擁護課 231-8411 横浜市中区北仲通5丁目57番地横浜第2合同庁舎 045-641-7926

さいたま地方法務局人権擁護課 338-8513 さいたま市中央区下落合5-12-1さいたま第二法務総合庁舎 048-859-3507

千葉地方法務局人権擁護課 260-8518 千葉市中央区中央港1丁目11番3号千葉地方合同庁舎 043-302-1319

水戸地方法務局人権擁護課 310-0061 水戸市北見町1番1号水戸地方法務合同庁舎 029-227-9919

宇都宮地方法務局人権擁護課 320-8515 宇都宮市小幡2丁目1番11号宇都宮地方法務合同庁舎 028-623-0926

前橋地方法務局人権擁護課 371-8535 前橋市大手町2丁目10番5号前橋合同庁舎 027-221-4426

静岡地方法務局人権擁護課 420-8650 静岡市葵区追手町9番50号静岡地方合同庁舎 054-254-3555

甲府地方法務局人権擁護課 400-8520 甲府市北口1丁目2番19号甲府地方合同庁舎 055-252-7239

長野地方法務局人権擁護課 380-0846 長野市旭町1108番地長野第2合同庁舎 026-235-6634

新潟地方法務局人権擁護課 951-8504 新潟市中央区西大畑町5191番地新潟地方法務総合庁舎 025-222-1564

名古屋法務局人権擁護部 460-8513 名古屋市中区三の丸2丁目2番1号名古屋合同庁舎第1号館 052-952-8111

津地方法務局人権擁護課 514-8503 津市丸之内26番8号津合同庁舎 059-228-4193岐阜地方法務局人権擁護課 500-8729 岐阜市金竜町5丁目13番地 058-245-3181

福井地方法務局人権擁護課 910-8504 福井市春山1丁目1番54号福井春山合同庁舎 0776-22-5090

問合せ先一覧 (法務局地方法務局)

59 第30回全国中学生人権作文コンテスト

問合せ先一覧

世界人権宣言啓発書画「鳥」「自由と解放」を表わしたもの 小木太法書オタビオロス画(財)人権擁護協力会提供

入賞作文集 60

すべての人間は生まれながらにして

自由でありかつ尊厳と権利とに

ついて平等である人間は理性と

良心とを授けられており互いに同胞の

精神をもって行動しなければならない

―――

世界人権宣言 第一条

―――

第三〇回

 全国中学生人権作文コンテスト

中央大会表彰式

印  刷 平成23年1月25日

発  行 平成23年2月14日

発 行 者 法務省人権擁護局

全国人権擁護委員連合会

東京都千代田区霞が関一丁目1番1号

電話 03(3580)4111 内線5875

URL httpwwwmojgojpJINKEN

第30回全国中学生人権作文コンテスト中央大会審査員

感想をお聞かせください本作文集を読まれた感想等を下記の連絡先又はkeihatsumojgojpまでお寄せください

無断転載を禁じます本作文集に掲載された作文や写真等を地方自治体が広報誌に掲載したり学校が教材に使用される場合などにはあらかじめ下記に御連絡ください

100-8977 東京都千代田区霞が関一丁目1番1号 法務省人権擁護局人権啓発課 TEL03(3580)4111 内線5875

作  家(審査員長) 落 合 恵 子映画監督 山 田 洋 次社団法人日本新聞協会事務局長 川 嶋   明日本放送協会解説委員室解説委員 南   直 樹文部科学省初等中等教育局視学官 三 好 仁 司全国人権擁護委員連合会長 中 村 浩 紹法務省人権擁護局長   井 忠 雄

(敬称略)

【式次第】

第一部

 会

主催者あいさつ

賞状授与

内閣総理大臣賞法務大臣賞

文部科学大臣奨励賞法務副大臣賞

法務大臣政務官賞

全国人権擁護委員連合会長賞

社団法人日本新聞協会会長賞

日本放送協会会長賞(以上各一名)

法務事務次官賞(三名) 計一一名

学校への感謝状贈呈

高円宮妃殿下おことば

来賓祝辞

第二部

各受賞作文の朗読

内閣総理大臣賞法務大臣賞

文部科学大臣奨励賞

全国人権擁護委員連合会長賞

社団法人日本新聞協会会長賞

日本放送協会会長賞

 評

全国中学生人権作文コンテスト中央大会審査員

 山田洋次氏

 落合恵子氏(ビデオレター形式)

第三部

新垣勉さんコンサート

 会 平成二二年一二月一八日(土)

午後一時三〇分〜三時五〇分

於ニッショーホール

「いじめ」や暴力行為等は人権侵害です

法務局地方法務局では

人権侵害による被害を受けた方を

救済するための活動を行っています

お気軽にご相談ください

女性の人権ホットライン

インターネット人権相談受付窓口

ゼロナナゼロのハートライン

0570-070-810

子どもの人権110番ぜろぜろななのひゃくとおばん

 0120-007-110

パソコンから httpwwwmojgojpJINKENjinken113html携帯電話から httpwwwjinkengojpsoudanmobile001html

インターネット人権相談 検 索

Human Rights法務省人権擁護局全国人権擁護委員連合会

人権イメージキャラクター人KENあゆみちゃん人KENまもる君

全国共通通話料無料

全国共通ナビダイヤル

この冊子は環境保護印刷の「水なし印刷」で印刷されています

第30回全国中学生人権作文コンテスト入賞作文集

法務省人権擁護局全国人権擁護委員連合会

人権イメージキャラクター人KENまもる君人KENあゆみちゃん

この冊子には音声コードが各頁(奇数頁 左下偶数頁 右下)に印刷されています専用の読み上げ装置で読み取ると記録されている情報を音声で聞くことが出来ます

Human Rights法務省人権擁護局全国人権擁護委員連合会

 全国中学生人権作文コンテスト入賞作文集

 全国中学生人権作文コンテスト入賞作文集

第30回

 

私は小学六年生の時から盲導犬候補の子犬を育てるボランティアをしています「犬を飼っ

てみたい」と言う私に両親が「せっかく犬を飼うのなら社会に役立つことをしよう」と提案

したからです生後二ヵ月の子犬を預かり一歳の誕生日を迎えるまで世話をするのがボランティ

アの役目です初めて訓練士さんから子犬を手渡された時は不安でドキドキしましたが子犬は

すぐに私の腕の中で眠ってしまいました初めて会った私のことを信頼して安心しきった寝顔

で眠っている姿は本当に可愛かったですラブラドールの子犬はとてもやんちゃで私の家にやっ

て来たその日からいたずらばかりしていましたがしかられてもクヨクヨせずどんな相手にも

 林はやし

 里り

咲さ

東京都小平市立小平第六中学校 三年

差別のない社会に

(パピーウォーカーの経験から学んだこと)

法務事務次官賞

入賞作文集 42

入賞作文

フレンドリーに近づいていく姿から私は明るく前向きに生きることを教わりました子犬たち

と過ごした日々は私にとって一番の宝物ですそしてあっという間に一歳の誕生日がやって来ま

した誕生日が悲しいという経験は初めてでした訓練所への入所日の前日には長い長い散歩を

して最後のお別れをしました「今までありがとう」そう言った私のことを不思議そうに見てい

た子犬の顔が今も目に焼きついています別れは本当につらいけれど涙を見せたら子犬が心配す

るので頑張って笑顔で見送りました

 

私の家で育てた一頭目の子犬は現在盲導犬になって頑張っていますそして今年四月に巣立っ

ていった二頭目の子犬は神奈川にある訓練センターで訓練中です

 

このボランティアを通して私は多くのことを学びましたまず盲導犬の役割ですがこれは単

に目の不自由な方が便利に一人でどこへでも行けるようにするためだけではありません視覚障

がいのある方にとって人の手をわずらわせるのはとてもつらいことなのだそうですたとえ家

族に対してでも「迷惑をかけるのではないか」と思って我慢することが多く「私なんかいない

方がいいんじゃないか」と考えてしまうこともあったといいますその失われそうになった尊

厳を取り戻す手助けをするのが盲導犬の役目なのです犬は訓練を共にするパートナーのことを

大好きになるので「自分は他者からこんなにも大好きになってもらえる存在なん

だ」と気づいて自信を取り戻し新しい一歩を踏み出せるようになるのだそうです

 

また私がボランティア登録している日本盲導犬協会では二〇〇八年に新しい

試みが始まりました受刑者が盲導犬候補の子犬を育てる動物を介在した日本初

43 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

の教育プログラムです罪を犯した人も心から反省してきちんと罪を償えば社会

は差別することなく受け入れるべきですしかし実際はとても偏見が多く元受刑

者たちは「どうせ自分はだめな人間なんだ」と思い再び罪を犯してしまう悪循環

が起こっているそうですその悪循環を断ち切り受刑者たちがスムーズに社会復

帰を果たせるよう支援するのが「あさひ盲導犬パピープロジェクト」です受刑者たちは約十ヵ

月の間子犬たちを世話しながら一緒に過ごし「役に立つ喜び達成する喜び信頼される喜び」

を感じることで自分の価値を再確認するのだそうです今年一月に第一期のプロジェクトを修了

した受刑者の感想に次のようなものがありました

 「今後自分もパピーに笑われないようにきちんとしなければならないパピーは慈しむこと

寛容の心を教えてくれました」

 

犬は決して差別をしません健康な人にも障がいのある人にもお金持ちにも貧しい人にも

権力のある人にも犯罪を犯した人にも全く同じように接してくれますそんな犬たちと一緒に過

ごすことで自信をなくした人たちも自分のことをかけがえのない大切な存在であると思えるよ

うになるのです

 

私たち人間も差別のない社会をつくる努力をしなければならないと思います一人一人が相

手を大切に思う心を忘れなければこの社会はもっと住み良い場所になるはずです私はこのボ

ランティアを通して学んだことを生かしてこれからも一層努力していきたいと思います

入賞作文集 44

入賞作文

45 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

 

僕は祖父のために自助具を作ろうと思った祖父は去年の夏脳梗塞で倒れた祖父は一命

を取り留めたものの右手と右足がまひしてしまったのだその三週間前僕も車椅子から転倒し

て足を骨折した

 

僕には障害がある車椅子で生活することが多いしかし僕のことを障害者だといって差別

するような友達は一人もいない

 

祖父は歩けるようになりたいという気持ちが強かっただからリハビリを頑張り自分で

歩けるようになるまで回復した頑張っている祖父がかっこいいと僕は思った祖父はリハビ

リを頑張ったにも関わらず右手がうまく動かせなくなってしまっただからご飯を食べる時も

服を着替える時も時間がかかる普段何気なくやっていた動作がとても大変だと祖父は言ってい

守もり

田た

 幸こう

平へい

静岡県静岡大学教育学部附属浜松中学校 三年

祖父への靴下

法務事務次官賞

入賞作文集 46

入賞作文

た僕も何か役に立てることはないかと考えた

 

僕の学校には総合学習という授業があるそこで僕は福祉というカテゴリーを選んだ自

分で社会に役立てることを考え実際に行動することが目標だった僕は障害者のために何が

できるかを考えた

 

僕は二年前に静岡文化芸術大学で障害者がいかに日常生活で不自由のない生活ができるかを

考えるプロジェクトがあるのを新聞で知ったそれは大学生たちが個人個人にあった自助具を

作るプロジェクトだった僕は障害者のために何かできるのではと感じた

 

僕は静岡文化芸術大学へ行って僕にもできることがないかと聞いたすると学生さんが

自助具を作ってみないかと声をかけてくれた僕は迷わず「はい」と言った障害者のために

役に立てることがあると思うとすばらしいことだと思ったからだ

 

祖父のつらい顔を見ると日常生活に数々の大きな壁があることが伝わってくる

 

僕は祖父の数々の大きな壁を突き破ろうと思った祖父のために自助具を考え作ろうと僕

は思った祖父が靴下の脱ぎ履きが大変だと言っていたことを思い出したそこで脱ぎ履きし

やすい靴下はできないか考えた靴下の両脇にひもを取り付けてそれを引っ張ると靴下が縮み

脱ぎ履きしやすくなる仕組みだ大学の先生も良いアイディアだと言って褒めてく

れたこれは障害者だけでなく健常者にも使えると言われたユニバーサルデザ

インだと分かった

 

ユニバーサルデザインは年齢や障害の有無にかかわらず全ての人が使いやす

47 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

いように工夫された用具などのデザインである境界がなくなるように健常者が障

害者に対する偏見を考え差別意識がなくなるチャンスだと思った障害者と健常

者が共によりよく生きることが大切だと僕は思った

 

自助具の作品展では杖をついているお年寄り車椅子に乗った若い女性目の

見えない人福祉関係者など沢山の人々が観に来ていた皆自分の生活を良くしようと思っ

ているようだったまた障害者のためにできることは何だろうかと考えている健常者もいるよ

うだった

 

二年生の時の総合学習では二箇所のデイサービスを訪問したデイサービスには六十五歳以

上のお年寄りがいた暗く元気のない人明るく振る舞い誰とでも話せる人など様々だった

しかし僕が一番印象に残ったのは笑顔を絶やさず優しくお年寄りに接していた介護士だった

お年寄りの中には悩みを抱えている人が多いそうだその悩みを解消させる人もまた介護士だっ

た僕は介護士がお年寄りの体を支えるだけではなく心もそっと支えて生きる喜びを与え

ているのだと感じた

 

現代は三世代で暮らす家族が減り核家族が増えているそれはお年寄りの世話が大変だ

からという理由が多いだから老人ホームやデイサービスに預ける人が増えていると僕には

思えたお年寄りの中には自分が嫌われているのではないかとさえ思ってしまう人もいるそう

だそれはお年寄りにとって辛く悲しいことだと思うある介護士がこんなことをおっしゃっ

ていた「人の優しさはお金では買えない」誰にでも優しい心があると思うしかしあと一歩

入賞作文集 48

入賞作文

のところで行動に移すことができない人が多いの

だ僕たちが平和な社会で暮らせるのは今まで

頑張ってきてくれたお年寄りのお陰であることを

忘れてはいけないお年寄りを大切にすることは

当たり前のことなのだ

 

また障害者に対しても偏見の目で見ないで

そっと近づいて手を貸してあげれば健常者との

高い大きな壁を崩すことができると思う

 

障害者にも高齢者にもまた健常者にも人権

はあるお互いの人権を大切にすることが明る

い未来に繋がっていくのだと思う

 

早く祖父に僕の作った靴下を届けたい

49 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

 

僕は小学校六年生まで福岡県に住んでいましたそこで僕が体験したことです五年生のこ

ろ僕の友だちのA君が同級生のK君の靴を隠したりからかったりしていることがよくあり

ました最初は僕もあまり気にしていませんでしたがK君のことを「なんだかかわいそう」と

思うようになりました

 

ある日僕は勇気をだして先生に「K君がいじめにあっています」と報告しました初め先生は

「じゃれ合っているだけだろう」と「いじめ」とは思ってくれませんでしたでもその後「いじ

め」と分かりA君は先生に注意されその日一日は反省した様子で過ごしていましたしかし

次の日学校に行くといじめは前以上にエスカレートしていて蹴ったりたたいたりするように

なりましたしかも「死ね」「うざい」「消えろ」などの言葉が飛び交うようになりそんな日々

法務事務次官賞

浦うら

谷たに

 毅たける

徳島県三好市立池田中学校 三年

いじめをなくすために今

入賞作文集 50

入賞作文

が続きました

 

それは六年生になっても続きました僕はそのいじめを止めることができず毎日見て見ぬ

振りをしていました今思うと自分がとても恥ずかしいです本当の友達なら止めるべきなの

にそれだけではなくいじめられているK君に声一つかけることができずにいました心の中

ではA君に「やめろよ」と言おうと思っていたけどなぜか勇気が出ませんでした次にい

じめられるのが自分になるのが恐くて言えなかったのです

 

そんな日々が続く中僕の気持ちを大きく変える出来事がありました父の死ですそのとき

のことは今でも忘れることができません聞いたときには頭の中が真っ白になりました最初

は信じることができませんでした一週間も二週間も学校に行けずただぼーっと過ごしてい

ましたいろんなことを考え徐々に「死」というものの悲しさつらさ「死」という意味の

重さがわかってきましたそして時間はかかりましたが「命は一瞬にして消え二度と戻っ

てこないものだだから命を大切に今を大切にしなければならない」と深く受け止めることが

できるようになりましたそして周りの子たちは僕のような経験がないから「死ね」とか軽々

しく言えるのだろうと思いこの気持ちを伝えなくてはならないと考えました僕が強くならな

くてはと思いました

 

こんな気持ちになったとき僕には時間がありませんでした母の実家がある徳

島への引っ越しが一週間後に決まっていたのです落ち込んでいる暇は無いと思

い学校に行った僕はA君に言いました「いじめなんかやめろよいじめたって

51 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

喜ぶ人はいないし悲しむ人がいるだけだろ自分だってほんとは嫌だろ『死ね』

とか『消えろ』とか言葉の重さを知らないのに言うなよ」と言いました父親の

突然の死そのあと僕が考えたことも伝えました

 

友だちは黙って聞いてくれました僕の言葉にうなずいてそのあとK君の

ところへ行き「ごめん言葉の重さも知らずに言って本当にごめんぜったいに死ねなんて

ことは言わないそしていじめは絶対にしないほんとうにごめん」とあやまりましたK君

はとても優しい笑顔で「いいよ」と一言言いました僕もK君に言いました

「今まで助けてあげられなくてごめん」

K君は笑顔で「ありがとう」と言ってくれました今まで自分の中でもやもやしていた気持ちが

スーっと晴れました

 

今も時々耳にする暴言冗談半分で言っているのかもしれませんしかしいついじめにつ

ながるかわかりません他人を傷つけることで自分のストレスを晴らそうとしているのでしょう

関係ないふりをしようとする自分がいます楽な考え方をする自分がいますそんな時亡くなっ

た父の顔やK君の優しい笑顔を思い出しますあの時の自分のように強い気持ちを持とう「や

めろよ」と一言言うするとまた気持ちがスーっとしてきました

 

父の分も頑張って生き抜こうと決めた僕にとって正しいことを素直に認め悪いことを否定

できる強い意志を持つことが目標ですそして何よりも命を大切に今を大切にしていきたい

と思っています

入賞作文集 52

入賞作文

53 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

 

ぼくは今まで四つの外国に暮らしいろいろな国の人たちの中で育ってきた

 

まずタイで生まれてタイ人のメイドさんやドライバーさんにいつも遊んでもらっていた

らしい一才になると週一回の体操教室にも通いタイ人の友達もいたそうだ

 

次にシンガポールでは初めてナサリースクール(保育園)に通いいろいろな国の友達と

知り合ったプレイルームにある滑り台を滑る順番争いでいつも勝つのは体の大きい金髪の友

達だった

 

一回目の香港生活では英語の幼稚園に通ったその時のぼくの一番の友達はカナダ人だった

彼とはよくベイブレードをして遊んだが父が日本の出張で買ってきてくれた独楽や剣玉をして

遊ぶこともあった

村むら

瀬せ

 広ひろ

高たか

香港日本人学校中学部 二年

国境をこえて

海 外 作 品

今回は本選への応募とすることはできませんでしたが

 海外から寄せられた作品のうち一作品を御紹介します

入賞作文集 54

海外作品

 

それからインドでは日本人学校に通ったが夏休みには毎年アメリカンスクールのサマー

スクールに参加したし日本人のいない現地のテニススクールにも入り二年間通ったまたイ

ンドの現地幼稚園に通っていた妹のベストフレンドはコンゴ人でその兄弟もぼくの友達だった

 

そして三年間の日本生活を経て今また香港に戻ってきた

 

このようにぼくはいろいろな国でいろいろな国の人たちのお世話になりいろいろな国

の友達と遊んで育った肌が真っ黒な友達もゲームの話をすればすぐに仲良くなれたし髪が

金色の友達もポケモンの話をすれば気が合ったぼくは小さい頃から英語はうまくしゃべれ

なかったけれどもジェスチャーをつけたでたらめ英語でも充分に話は通じただからいろい

ろな国の人たちの中でぼくが日本人だからといって差別されたり嫌な思いをしたりしたこと

はないしぼくも肌の色が違うからとか言葉が通じないからという理由で違う人間だと思っ

たことはないそうぼくは外国人を差別したことはない

 

しかし本当にぼくは外国人を差別したことがないのだろうか外国人を差別した発言を一

度もしたことがないかと考えると自信がない

 

例えば香港人には赤信号でも平気で渡る人がたくさんいるそれを見てぼくは

「香港人はしょうがないな」

と思うでもよく見ると香港人全員が信号無視をしているわけではないまた

世界には今でも戦争をしている国がいくつもある

「人を傷つけ合うなんて馬鹿げている」

55 第30回全国中学生人権作文コンテスト

海外作品

とぼくは悲しくなるでもそれも好きで戦っている人がいるとも思えないその

人たちがそうなったのには何かきっと原因があるはずだ

 

逆に外国人から見ると日本人はどのように思われているのだろう

 

インドから日本に帰国した時毎日ごみがたくさん出ることにぼくはとても驚

いたインドの人たちがよく使う道端にあるカレー屋さんではバナナの葉で作ったお皿にカ

レーを入れてくれる食べた後そのお皿を道に捨てるとのら牛がその葉っぱを食べるそして

牛のふんは燃料になるというそれに比べて日本はちょっと歩くとペットボトルの飲み物が

買えファーストフードのお店では使い捨ての食器を使い立派なお菓子の箱を開けると中身が

少なくてがっかりすることもあるある時母が捨てたジャムの空きびんをメイドさんとエア

コンの修理にきていたワーカーさんとが取り合ってけんかをしていたこともあったそれを見

てぼくはあきれてしまったが逆にインド人から見ると使い捨て文化のしみついた日本人は

とんでもない人間にみえるのかもしれない国によって考え方や行動パターンが違うのは歴史

的背景や宗教習慣気候などのいろいろなことが関わっているのだと思う

 

このように考えると差別とはその人の一部しか見ていないことや自分のやり方だけが正

しいと思うことからおきるのではないかと思うその人が自分とは違った行動をとったとしても

それには深い理由があるのだろうと考えればきっと納得できると思うぼくもこれからは否

定的な発言をする前にその人たちのことをいろいろな角度から見て理解する努力をしてみよう

と思う外国との間には自分の国とは違う言葉や文化という壁があるとみんな言うがそこに

入賞作文集 56

海外作品

あるのは壁ではなく橋だとぼくは思う理解

し合おうという気持ちがあればきっと誰でも

その橋を渡っていけるはずだ気持ちの国境を

こえるのにパスポートはいらないお互いを理

解し合おうと思う気持ちが一番大切だと思う

そしてぼくはこれから日本人として生きる

のではなく地球人として生きていこうと思う

57 第30回全国中学生人権作文コンテスト

海外作品

法務局地方法務局名 郵便番号 所  在  地 電  話

金沢地方法務局人権擁護課920-0024 金沢市西念3-4-1金沢駅西合同庁舎(平成23年3月11日まで) 076-231-1244

921-8505 金沢市新神田4-3-10金沢新神田合同庁舎(平成23年3月14日から) 076-292-7804

富山地方法務局人権擁護課 930-0856 富山市牛島新町11番7号富山合同庁舎 076-441-6376

大阪法務局人権擁護部 540-8544 大阪市中央区谷町2丁目1番17号大阪第2法務合同庁舎 06-6942-9492

京都地方法務局人権擁護課 602-8577 京都市上京区荒神口通河原町東入上生洲町197番地 075-231-0131

神戸地方法務局人権擁護課 650-0042 神戸市中央区波止場町1番1号神戸第2地方合同庁舎 078-392-1821

奈良地方法務局人権擁護課 630-8305 奈良市東紀寺町3-4-1奈良第2法務総合庁舎 0742-23-5457

大津地方法務局人権擁護課 520-8516 大津市御陵町3番6号大津法務総合庁舎 077-522-4673

和歌山地方法務局人権擁護課 640-8552 和歌山市二番丁2番地和歌山地方合同庁舎 073-422-5131

広島法務局人権擁護部 730-8536 広島市中区上八丁堀6番30号広島合同庁舎 082-228-5790

山口地方法務局人権擁護課 753-8577 山口市中河原町6番16号山口地方合同庁舎2号館 083-922-2295

岡山地方法務局人権擁護課 700-8616 岡山市北区南方1丁目3番58号 086-224-5761

鳥取地方法務局人権擁護課 680-0011 鳥取市東町2丁目302番地鳥取第2地方合同庁舎 0857-22-2289

松江地方法務局人権擁護課 690-0886 松江市母衣町50番地松江法務合同庁舎 0852-32-4260

高松法務局人権擁護部 761-8077 高松市出作町585-4 087-815-5311

徳島地方法務局人権擁護課 770-8512 徳島市徳島町城内6番地6徳島地方合同庁舎 088-622-4171

高知地方法務局人権擁護課 780-8509 高知市栄田町2丁目2番10号高知よさこい咲都合同庁舎 088-822-3331

松山地方法務局人権擁護課 790-8505 松山市宮田町188番地6松山地方合同庁舎 089-932-0888

福岡法務局人権擁護部 814-0005 福岡市早良区祖原14-15福岡法務局西新出張所庁舎5階 092-832-4311

佐賀地方法務局人権擁護課 840-0041 佐賀市城内2丁目10番20号佐賀合同庁舎 0952-26-2148

長崎地方法務局人権擁護課 850-8507 長崎市万才町8番16号 095-826-8127大分地方法務局人権擁護課 870-8513 大分市荷揚町7番5号大分法務総合庁舎 097-532-3368

熊本地方法務局人権擁護課 862-0971 熊本市大江3丁目1番53号熊本第2合同庁舎 096-364-2145

鹿児島地方法務局人権擁護課 890-8518 鹿児島市鴨池新町1番2号 099-259-0684宮崎地方法務局人権擁護課 880-8513 宮崎市別府町1番1号宮崎法務総合庁舎 0985-22-5124

那覇地方法務局人権擁護課 900-8544 那覇市樋川1丁目15番15号那覇第1地方合同庁舎 098-854-1215

入賞作文集 58

問合せ先一覧

法務局地方法務局名 郵便番号 所  在  地 電  話

札幌法務局人権擁護部 060-0808 札幌市北区北8条西2丁目1番1札幌第1合同庁舎 011-709-2311

函館地方法務局人権擁護課 040-8533 函館市新川町25番18号函館地方合同庁舎 0138-23-9528

旭川地方法務局人権擁護課 078-8502 旭川市宮前通東4155番31旭川合同庁舎 0166-38-1114

釧路地方法務局人権擁護課 085-8522 釧路市幸町10丁目3番地釧路地方合同庁舎 0154-31-5014

仙台法務局人権擁護部 980-8601 仙台市青葉区春日町7番25号仙台第3法務総合庁舎 022-225-5739

福島地方法務局人権擁護課 960-8021 福島市霞町1番46号福島合同庁舎 024-534-1994

山形地方法務局人権擁護課 990-0041 山形市緑町1丁目5番48号山形地方合同庁舎 023-625-1321

盛岡地方法務局人権擁護課 020-0023 盛岡市内丸7番25号盛岡合同庁舎 019-624-9859秋田地方法務局人権擁護課 010-0951 秋田市山王7丁目1番3号 018-862-6533

青森地方法務局人権擁護課 030-8511 青森市長島1丁目3番5号青森第二合同庁舎 017-776-9024

東京法務局人権擁護部 102-8225 千代田区九段南1丁目1番15号九段第2合同庁舎 03-5213-1234

横浜地方法務局人権擁護課 231-8411 横浜市中区北仲通5丁目57番地横浜第2合同庁舎 045-641-7926

さいたま地方法務局人権擁護課 338-8513 さいたま市中央区下落合5-12-1さいたま第二法務総合庁舎 048-859-3507

千葉地方法務局人権擁護課 260-8518 千葉市中央区中央港1丁目11番3号千葉地方合同庁舎 043-302-1319

水戸地方法務局人権擁護課 310-0061 水戸市北見町1番1号水戸地方法務合同庁舎 029-227-9919

宇都宮地方法務局人権擁護課 320-8515 宇都宮市小幡2丁目1番11号宇都宮地方法務合同庁舎 028-623-0926

前橋地方法務局人権擁護課 371-8535 前橋市大手町2丁目10番5号前橋合同庁舎 027-221-4426

静岡地方法務局人権擁護課 420-8650 静岡市葵区追手町9番50号静岡地方合同庁舎 054-254-3555

甲府地方法務局人権擁護課 400-8520 甲府市北口1丁目2番19号甲府地方合同庁舎 055-252-7239

長野地方法務局人権擁護課 380-0846 長野市旭町1108番地長野第2合同庁舎 026-235-6634

新潟地方法務局人権擁護課 951-8504 新潟市中央区西大畑町5191番地新潟地方法務総合庁舎 025-222-1564

名古屋法務局人権擁護部 460-8513 名古屋市中区三の丸2丁目2番1号名古屋合同庁舎第1号館 052-952-8111

津地方法務局人権擁護課 514-8503 津市丸之内26番8号津合同庁舎 059-228-4193岐阜地方法務局人権擁護課 500-8729 岐阜市金竜町5丁目13番地 058-245-3181

福井地方法務局人権擁護課 910-8504 福井市春山1丁目1番54号福井春山合同庁舎 0776-22-5090

問合せ先一覧 (法務局地方法務局)

59 第30回全国中学生人権作文コンテスト

問合せ先一覧

世界人権宣言啓発書画「鳥」「自由と解放」を表わしたもの 小木太法書オタビオロス画(財)人権擁護協力会提供

入賞作文集 60

すべての人間は生まれながらにして

自由でありかつ尊厳と権利とに

ついて平等である人間は理性と

良心とを授けられており互いに同胞の

精神をもって行動しなければならない

―――

世界人権宣言 第一条

―――

第三〇回

 全国中学生人権作文コンテスト

中央大会表彰式

印  刷 平成23年1月25日

発  行 平成23年2月14日

発 行 者 法務省人権擁護局

全国人権擁護委員連合会

東京都千代田区霞が関一丁目1番1号

電話 03(3580)4111 内線5875

URL httpwwwmojgojpJINKEN

第30回全国中学生人権作文コンテスト中央大会審査員

感想をお聞かせください本作文集を読まれた感想等を下記の連絡先又はkeihatsumojgojpまでお寄せください

無断転載を禁じます本作文集に掲載された作文や写真等を地方自治体が広報誌に掲載したり学校が教材に使用される場合などにはあらかじめ下記に御連絡ください

100-8977 東京都千代田区霞が関一丁目1番1号 法務省人権擁護局人権啓発課 TEL03(3580)4111 内線5875

作  家(審査員長) 落 合 恵 子映画監督 山 田 洋 次社団法人日本新聞協会事務局長 川 嶋   明日本放送協会解説委員室解説委員 南   直 樹文部科学省初等中等教育局視学官 三 好 仁 司全国人権擁護委員連合会長 中 村 浩 紹法務省人権擁護局長   井 忠 雄

(敬称略)

【式次第】

第一部

 会

主催者あいさつ

賞状授与

内閣総理大臣賞法務大臣賞

文部科学大臣奨励賞法務副大臣賞

法務大臣政務官賞

全国人権擁護委員連合会長賞

社団法人日本新聞協会会長賞

日本放送協会会長賞(以上各一名)

法務事務次官賞(三名) 計一一名

学校への感謝状贈呈

高円宮妃殿下おことば

来賓祝辞

第二部

各受賞作文の朗読

内閣総理大臣賞法務大臣賞

文部科学大臣奨励賞

全国人権擁護委員連合会長賞

社団法人日本新聞協会会長賞

日本放送協会会長賞

 評

全国中学生人権作文コンテスト中央大会審査員

 山田洋次氏

 落合恵子氏(ビデオレター形式)

第三部

新垣勉さんコンサート

 会 平成二二年一二月一八日(土)

午後一時三〇分〜三時五〇分

於ニッショーホール

「いじめ」や暴力行為等は人権侵害です

法務局地方法務局では

人権侵害による被害を受けた方を

救済するための活動を行っています

お気軽にご相談ください

女性の人権ホットライン

インターネット人権相談受付窓口

ゼロナナゼロのハートライン

0570-070-810

子どもの人権110番ぜろぜろななのひゃくとおばん

 0120-007-110

パソコンから httpwwwmojgojpJINKENjinken113html携帯電話から httpwwwjinkengojpsoudanmobile001html

インターネット人権相談 検 索

Human Rights法務省人権擁護局全国人権擁護委員連合会

人権イメージキャラクター人KENあゆみちゃん人KENまもる君

全国共通通話料無料

全国共通ナビダイヤル

この冊子は環境保護印刷の「水なし印刷」で印刷されています

第30回全国中学生人権作文コンテスト入賞作文集

法務省人権擁護局全国人権擁護委員連合会

人権イメージキャラクター人KENまもる君人KENあゆみちゃん

この冊子には音声コードが各頁(奇数頁 左下偶数頁 右下)に印刷されています専用の読み上げ装置で読み取ると記録されている情報を音声で聞くことが出来ます

Human Rights法務省人権擁護局全国人権擁護委員連合会

 全国中学生人権作文コンテスト入賞作文集

 全国中学生人権作文コンテスト入賞作文集

第30回

フレンドリーに近づいていく姿から私は明るく前向きに生きることを教わりました子犬たち

と過ごした日々は私にとって一番の宝物ですそしてあっという間に一歳の誕生日がやって来ま

した誕生日が悲しいという経験は初めてでした訓練所への入所日の前日には長い長い散歩を

して最後のお別れをしました「今までありがとう」そう言った私のことを不思議そうに見てい

た子犬の顔が今も目に焼きついています別れは本当につらいけれど涙を見せたら子犬が心配す

るので頑張って笑顔で見送りました

 

私の家で育てた一頭目の子犬は現在盲導犬になって頑張っていますそして今年四月に巣立っ

ていった二頭目の子犬は神奈川にある訓練センターで訓練中です

 

このボランティアを通して私は多くのことを学びましたまず盲導犬の役割ですがこれは単

に目の不自由な方が便利に一人でどこへでも行けるようにするためだけではありません視覚障

がいのある方にとって人の手をわずらわせるのはとてもつらいことなのだそうですたとえ家

族に対してでも「迷惑をかけるのではないか」と思って我慢することが多く「私なんかいない

方がいいんじゃないか」と考えてしまうこともあったといいますその失われそうになった尊

厳を取り戻す手助けをするのが盲導犬の役目なのです犬は訓練を共にするパートナーのことを

大好きになるので「自分は他者からこんなにも大好きになってもらえる存在なん

だ」と気づいて自信を取り戻し新しい一歩を踏み出せるようになるのだそうです

 

また私がボランティア登録している日本盲導犬協会では二〇〇八年に新しい

試みが始まりました受刑者が盲導犬候補の子犬を育てる動物を介在した日本初

43 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

の教育プログラムです罪を犯した人も心から反省してきちんと罪を償えば社会

は差別することなく受け入れるべきですしかし実際はとても偏見が多く元受刑

者たちは「どうせ自分はだめな人間なんだ」と思い再び罪を犯してしまう悪循環

が起こっているそうですその悪循環を断ち切り受刑者たちがスムーズに社会復

帰を果たせるよう支援するのが「あさひ盲導犬パピープロジェクト」です受刑者たちは約十ヵ

月の間子犬たちを世話しながら一緒に過ごし「役に立つ喜び達成する喜び信頼される喜び」

を感じることで自分の価値を再確認するのだそうです今年一月に第一期のプロジェクトを修了

した受刑者の感想に次のようなものがありました

 「今後自分もパピーに笑われないようにきちんとしなければならないパピーは慈しむこと

寛容の心を教えてくれました」

 

犬は決して差別をしません健康な人にも障がいのある人にもお金持ちにも貧しい人にも

権力のある人にも犯罪を犯した人にも全く同じように接してくれますそんな犬たちと一緒に過

ごすことで自信をなくした人たちも自分のことをかけがえのない大切な存在であると思えるよ

うになるのです

 

私たち人間も差別のない社会をつくる努力をしなければならないと思います一人一人が相

手を大切に思う心を忘れなければこの社会はもっと住み良い場所になるはずです私はこのボ

ランティアを通して学んだことを生かしてこれからも一層努力していきたいと思います

入賞作文集 44

入賞作文

45 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

 

僕は祖父のために自助具を作ろうと思った祖父は去年の夏脳梗塞で倒れた祖父は一命

を取り留めたものの右手と右足がまひしてしまったのだその三週間前僕も車椅子から転倒し

て足を骨折した

 

僕には障害がある車椅子で生活することが多いしかし僕のことを障害者だといって差別

するような友達は一人もいない

 

祖父は歩けるようになりたいという気持ちが強かっただからリハビリを頑張り自分で

歩けるようになるまで回復した頑張っている祖父がかっこいいと僕は思った祖父はリハビ

リを頑張ったにも関わらず右手がうまく動かせなくなってしまっただからご飯を食べる時も

服を着替える時も時間がかかる普段何気なくやっていた動作がとても大変だと祖父は言ってい

守もり

田た

 幸こう

平へい

静岡県静岡大学教育学部附属浜松中学校 三年

祖父への靴下

法務事務次官賞

入賞作文集 46

入賞作文

た僕も何か役に立てることはないかと考えた

 

僕の学校には総合学習という授業があるそこで僕は福祉というカテゴリーを選んだ自

分で社会に役立てることを考え実際に行動することが目標だった僕は障害者のために何が

できるかを考えた

 

僕は二年前に静岡文化芸術大学で障害者がいかに日常生活で不自由のない生活ができるかを

考えるプロジェクトがあるのを新聞で知ったそれは大学生たちが個人個人にあった自助具を

作るプロジェクトだった僕は障害者のために何かできるのではと感じた

 

僕は静岡文化芸術大学へ行って僕にもできることがないかと聞いたすると学生さんが

自助具を作ってみないかと声をかけてくれた僕は迷わず「はい」と言った障害者のために

役に立てることがあると思うとすばらしいことだと思ったからだ

 

祖父のつらい顔を見ると日常生活に数々の大きな壁があることが伝わってくる

 

僕は祖父の数々の大きな壁を突き破ろうと思った祖父のために自助具を考え作ろうと僕

は思った祖父が靴下の脱ぎ履きが大変だと言っていたことを思い出したそこで脱ぎ履きし

やすい靴下はできないか考えた靴下の両脇にひもを取り付けてそれを引っ張ると靴下が縮み

脱ぎ履きしやすくなる仕組みだ大学の先生も良いアイディアだと言って褒めてく

れたこれは障害者だけでなく健常者にも使えると言われたユニバーサルデザ

インだと分かった

 

ユニバーサルデザインは年齢や障害の有無にかかわらず全ての人が使いやす

47 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

いように工夫された用具などのデザインである境界がなくなるように健常者が障

害者に対する偏見を考え差別意識がなくなるチャンスだと思った障害者と健常

者が共によりよく生きることが大切だと僕は思った

 

自助具の作品展では杖をついているお年寄り車椅子に乗った若い女性目の

見えない人福祉関係者など沢山の人々が観に来ていた皆自分の生活を良くしようと思っ

ているようだったまた障害者のためにできることは何だろうかと考えている健常者もいるよ

うだった

 

二年生の時の総合学習では二箇所のデイサービスを訪問したデイサービスには六十五歳以

上のお年寄りがいた暗く元気のない人明るく振る舞い誰とでも話せる人など様々だった

しかし僕が一番印象に残ったのは笑顔を絶やさず優しくお年寄りに接していた介護士だった

お年寄りの中には悩みを抱えている人が多いそうだその悩みを解消させる人もまた介護士だっ

た僕は介護士がお年寄りの体を支えるだけではなく心もそっと支えて生きる喜びを与え

ているのだと感じた

 

現代は三世代で暮らす家族が減り核家族が増えているそれはお年寄りの世話が大変だ

からという理由が多いだから老人ホームやデイサービスに預ける人が増えていると僕には

思えたお年寄りの中には自分が嫌われているのではないかとさえ思ってしまう人もいるそう

だそれはお年寄りにとって辛く悲しいことだと思うある介護士がこんなことをおっしゃっ

ていた「人の優しさはお金では買えない」誰にでも優しい心があると思うしかしあと一歩

入賞作文集 48

入賞作文

のところで行動に移すことができない人が多いの

だ僕たちが平和な社会で暮らせるのは今まで

頑張ってきてくれたお年寄りのお陰であることを

忘れてはいけないお年寄りを大切にすることは

当たり前のことなのだ

 

また障害者に対しても偏見の目で見ないで

そっと近づいて手を貸してあげれば健常者との

高い大きな壁を崩すことができると思う

 

障害者にも高齢者にもまた健常者にも人権

はあるお互いの人権を大切にすることが明る

い未来に繋がっていくのだと思う

 

早く祖父に僕の作った靴下を届けたい

49 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

 

僕は小学校六年生まで福岡県に住んでいましたそこで僕が体験したことです五年生のこ

ろ僕の友だちのA君が同級生のK君の靴を隠したりからかったりしていることがよくあり

ました最初は僕もあまり気にしていませんでしたがK君のことを「なんだかかわいそう」と

思うようになりました

 

ある日僕は勇気をだして先生に「K君がいじめにあっています」と報告しました初め先生は

「じゃれ合っているだけだろう」と「いじめ」とは思ってくれませんでしたでもその後「いじ

め」と分かりA君は先生に注意されその日一日は反省した様子で過ごしていましたしかし

次の日学校に行くといじめは前以上にエスカレートしていて蹴ったりたたいたりするように

なりましたしかも「死ね」「うざい」「消えろ」などの言葉が飛び交うようになりそんな日々

法務事務次官賞

浦うら

谷たに

 毅たける

徳島県三好市立池田中学校 三年

いじめをなくすために今

入賞作文集 50

入賞作文

が続きました

 

それは六年生になっても続きました僕はそのいじめを止めることができず毎日見て見ぬ

振りをしていました今思うと自分がとても恥ずかしいです本当の友達なら止めるべきなの

にそれだけではなくいじめられているK君に声一つかけることができずにいました心の中

ではA君に「やめろよ」と言おうと思っていたけどなぜか勇気が出ませんでした次にい

じめられるのが自分になるのが恐くて言えなかったのです

 

そんな日々が続く中僕の気持ちを大きく変える出来事がありました父の死ですそのとき

のことは今でも忘れることができません聞いたときには頭の中が真っ白になりました最初

は信じることができませんでした一週間も二週間も学校に行けずただぼーっと過ごしてい

ましたいろんなことを考え徐々に「死」というものの悲しさつらさ「死」という意味の

重さがわかってきましたそして時間はかかりましたが「命は一瞬にして消え二度と戻っ

てこないものだだから命を大切に今を大切にしなければならない」と深く受け止めることが

できるようになりましたそして周りの子たちは僕のような経験がないから「死ね」とか軽々

しく言えるのだろうと思いこの気持ちを伝えなくてはならないと考えました僕が強くならな

くてはと思いました

 

こんな気持ちになったとき僕には時間がありませんでした母の実家がある徳

島への引っ越しが一週間後に決まっていたのです落ち込んでいる暇は無いと思

い学校に行った僕はA君に言いました「いじめなんかやめろよいじめたって

51 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

喜ぶ人はいないし悲しむ人がいるだけだろ自分だってほんとは嫌だろ『死ね』

とか『消えろ』とか言葉の重さを知らないのに言うなよ」と言いました父親の

突然の死そのあと僕が考えたことも伝えました

 

友だちは黙って聞いてくれました僕の言葉にうなずいてそのあとK君の

ところへ行き「ごめん言葉の重さも知らずに言って本当にごめんぜったいに死ねなんて

ことは言わないそしていじめは絶対にしないほんとうにごめん」とあやまりましたK君

はとても優しい笑顔で「いいよ」と一言言いました僕もK君に言いました

「今まで助けてあげられなくてごめん」

K君は笑顔で「ありがとう」と言ってくれました今まで自分の中でもやもやしていた気持ちが

スーっと晴れました

 

今も時々耳にする暴言冗談半分で言っているのかもしれませんしかしいついじめにつ

ながるかわかりません他人を傷つけることで自分のストレスを晴らそうとしているのでしょう

関係ないふりをしようとする自分がいます楽な考え方をする自分がいますそんな時亡くなっ

た父の顔やK君の優しい笑顔を思い出しますあの時の自分のように強い気持ちを持とう「や

めろよ」と一言言うするとまた気持ちがスーっとしてきました

 

父の分も頑張って生き抜こうと決めた僕にとって正しいことを素直に認め悪いことを否定

できる強い意志を持つことが目標ですそして何よりも命を大切に今を大切にしていきたい

と思っています

入賞作文集 52

入賞作文

53 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

 

ぼくは今まで四つの外国に暮らしいろいろな国の人たちの中で育ってきた

 

まずタイで生まれてタイ人のメイドさんやドライバーさんにいつも遊んでもらっていた

らしい一才になると週一回の体操教室にも通いタイ人の友達もいたそうだ

 

次にシンガポールでは初めてナサリースクール(保育園)に通いいろいろな国の友達と

知り合ったプレイルームにある滑り台を滑る順番争いでいつも勝つのは体の大きい金髪の友

達だった

 

一回目の香港生活では英語の幼稚園に通ったその時のぼくの一番の友達はカナダ人だった

彼とはよくベイブレードをして遊んだが父が日本の出張で買ってきてくれた独楽や剣玉をして

遊ぶこともあった

村むら

瀬せ

 広ひろ

高たか

香港日本人学校中学部 二年

国境をこえて

海 外 作 品

今回は本選への応募とすることはできませんでしたが

 海外から寄せられた作品のうち一作品を御紹介します

入賞作文集 54

海外作品

 

それからインドでは日本人学校に通ったが夏休みには毎年アメリカンスクールのサマー

スクールに参加したし日本人のいない現地のテニススクールにも入り二年間通ったまたイ

ンドの現地幼稚園に通っていた妹のベストフレンドはコンゴ人でその兄弟もぼくの友達だった

 

そして三年間の日本生活を経て今また香港に戻ってきた

 

このようにぼくはいろいろな国でいろいろな国の人たちのお世話になりいろいろな国

の友達と遊んで育った肌が真っ黒な友達もゲームの話をすればすぐに仲良くなれたし髪が

金色の友達もポケモンの話をすれば気が合ったぼくは小さい頃から英語はうまくしゃべれ

なかったけれどもジェスチャーをつけたでたらめ英語でも充分に話は通じただからいろい

ろな国の人たちの中でぼくが日本人だからといって差別されたり嫌な思いをしたりしたこと

はないしぼくも肌の色が違うからとか言葉が通じないからという理由で違う人間だと思っ

たことはないそうぼくは外国人を差別したことはない

 

しかし本当にぼくは外国人を差別したことがないのだろうか外国人を差別した発言を一

度もしたことがないかと考えると自信がない

 

例えば香港人には赤信号でも平気で渡る人がたくさんいるそれを見てぼくは

「香港人はしょうがないな」

と思うでもよく見ると香港人全員が信号無視をしているわけではないまた

世界には今でも戦争をしている国がいくつもある

「人を傷つけ合うなんて馬鹿げている」

55 第30回全国中学生人権作文コンテスト

海外作品

とぼくは悲しくなるでもそれも好きで戦っている人がいるとも思えないその

人たちがそうなったのには何かきっと原因があるはずだ

 

逆に外国人から見ると日本人はどのように思われているのだろう

 

インドから日本に帰国した時毎日ごみがたくさん出ることにぼくはとても驚

いたインドの人たちがよく使う道端にあるカレー屋さんではバナナの葉で作ったお皿にカ

レーを入れてくれる食べた後そのお皿を道に捨てるとのら牛がその葉っぱを食べるそして

牛のふんは燃料になるというそれに比べて日本はちょっと歩くとペットボトルの飲み物が

買えファーストフードのお店では使い捨ての食器を使い立派なお菓子の箱を開けると中身が

少なくてがっかりすることもあるある時母が捨てたジャムの空きびんをメイドさんとエア

コンの修理にきていたワーカーさんとが取り合ってけんかをしていたこともあったそれを見

てぼくはあきれてしまったが逆にインド人から見ると使い捨て文化のしみついた日本人は

とんでもない人間にみえるのかもしれない国によって考え方や行動パターンが違うのは歴史

的背景や宗教習慣気候などのいろいろなことが関わっているのだと思う

 

このように考えると差別とはその人の一部しか見ていないことや自分のやり方だけが正

しいと思うことからおきるのではないかと思うその人が自分とは違った行動をとったとしても

それには深い理由があるのだろうと考えればきっと納得できると思うぼくもこれからは否

定的な発言をする前にその人たちのことをいろいろな角度から見て理解する努力をしてみよう

と思う外国との間には自分の国とは違う言葉や文化という壁があるとみんな言うがそこに

入賞作文集 56

海外作品

あるのは壁ではなく橋だとぼくは思う理解

し合おうという気持ちがあればきっと誰でも

その橋を渡っていけるはずだ気持ちの国境を

こえるのにパスポートはいらないお互いを理

解し合おうと思う気持ちが一番大切だと思う

そしてぼくはこれから日本人として生きる

のではなく地球人として生きていこうと思う

57 第30回全国中学生人権作文コンテスト

海外作品

法務局地方法務局名 郵便番号 所  在  地 電  話

金沢地方法務局人権擁護課920-0024 金沢市西念3-4-1金沢駅西合同庁舎(平成23年3月11日まで) 076-231-1244

921-8505 金沢市新神田4-3-10金沢新神田合同庁舎(平成23年3月14日から) 076-292-7804

富山地方法務局人権擁護課 930-0856 富山市牛島新町11番7号富山合同庁舎 076-441-6376

大阪法務局人権擁護部 540-8544 大阪市中央区谷町2丁目1番17号大阪第2法務合同庁舎 06-6942-9492

京都地方法務局人権擁護課 602-8577 京都市上京区荒神口通河原町東入上生洲町197番地 075-231-0131

神戸地方法務局人権擁護課 650-0042 神戸市中央区波止場町1番1号神戸第2地方合同庁舎 078-392-1821

奈良地方法務局人権擁護課 630-8305 奈良市東紀寺町3-4-1奈良第2法務総合庁舎 0742-23-5457

大津地方法務局人権擁護課 520-8516 大津市御陵町3番6号大津法務総合庁舎 077-522-4673

和歌山地方法務局人権擁護課 640-8552 和歌山市二番丁2番地和歌山地方合同庁舎 073-422-5131

広島法務局人権擁護部 730-8536 広島市中区上八丁堀6番30号広島合同庁舎 082-228-5790

山口地方法務局人権擁護課 753-8577 山口市中河原町6番16号山口地方合同庁舎2号館 083-922-2295

岡山地方法務局人権擁護課 700-8616 岡山市北区南方1丁目3番58号 086-224-5761

鳥取地方法務局人権擁護課 680-0011 鳥取市東町2丁目302番地鳥取第2地方合同庁舎 0857-22-2289

松江地方法務局人権擁護課 690-0886 松江市母衣町50番地松江法務合同庁舎 0852-32-4260

高松法務局人権擁護部 761-8077 高松市出作町585-4 087-815-5311

徳島地方法務局人権擁護課 770-8512 徳島市徳島町城内6番地6徳島地方合同庁舎 088-622-4171

高知地方法務局人権擁護課 780-8509 高知市栄田町2丁目2番10号高知よさこい咲都合同庁舎 088-822-3331

松山地方法務局人権擁護課 790-8505 松山市宮田町188番地6松山地方合同庁舎 089-932-0888

福岡法務局人権擁護部 814-0005 福岡市早良区祖原14-15福岡法務局西新出張所庁舎5階 092-832-4311

佐賀地方法務局人権擁護課 840-0041 佐賀市城内2丁目10番20号佐賀合同庁舎 0952-26-2148

長崎地方法務局人権擁護課 850-8507 長崎市万才町8番16号 095-826-8127大分地方法務局人権擁護課 870-8513 大分市荷揚町7番5号大分法務総合庁舎 097-532-3368

熊本地方法務局人権擁護課 862-0971 熊本市大江3丁目1番53号熊本第2合同庁舎 096-364-2145

鹿児島地方法務局人権擁護課 890-8518 鹿児島市鴨池新町1番2号 099-259-0684宮崎地方法務局人権擁護課 880-8513 宮崎市別府町1番1号宮崎法務総合庁舎 0985-22-5124

那覇地方法務局人権擁護課 900-8544 那覇市樋川1丁目15番15号那覇第1地方合同庁舎 098-854-1215

入賞作文集 58

問合せ先一覧

法務局地方法務局名 郵便番号 所  在  地 電  話

札幌法務局人権擁護部 060-0808 札幌市北区北8条西2丁目1番1札幌第1合同庁舎 011-709-2311

函館地方法務局人権擁護課 040-8533 函館市新川町25番18号函館地方合同庁舎 0138-23-9528

旭川地方法務局人権擁護課 078-8502 旭川市宮前通東4155番31旭川合同庁舎 0166-38-1114

釧路地方法務局人権擁護課 085-8522 釧路市幸町10丁目3番地釧路地方合同庁舎 0154-31-5014

仙台法務局人権擁護部 980-8601 仙台市青葉区春日町7番25号仙台第3法務総合庁舎 022-225-5739

福島地方法務局人権擁護課 960-8021 福島市霞町1番46号福島合同庁舎 024-534-1994

山形地方法務局人権擁護課 990-0041 山形市緑町1丁目5番48号山形地方合同庁舎 023-625-1321

盛岡地方法務局人権擁護課 020-0023 盛岡市内丸7番25号盛岡合同庁舎 019-624-9859秋田地方法務局人権擁護課 010-0951 秋田市山王7丁目1番3号 018-862-6533

青森地方法務局人権擁護課 030-8511 青森市長島1丁目3番5号青森第二合同庁舎 017-776-9024

東京法務局人権擁護部 102-8225 千代田区九段南1丁目1番15号九段第2合同庁舎 03-5213-1234

横浜地方法務局人権擁護課 231-8411 横浜市中区北仲通5丁目57番地横浜第2合同庁舎 045-641-7926

さいたま地方法務局人権擁護課 338-8513 さいたま市中央区下落合5-12-1さいたま第二法務総合庁舎 048-859-3507

千葉地方法務局人権擁護課 260-8518 千葉市中央区中央港1丁目11番3号千葉地方合同庁舎 043-302-1319

水戸地方法務局人権擁護課 310-0061 水戸市北見町1番1号水戸地方法務合同庁舎 029-227-9919

宇都宮地方法務局人権擁護課 320-8515 宇都宮市小幡2丁目1番11号宇都宮地方法務合同庁舎 028-623-0926

前橋地方法務局人権擁護課 371-8535 前橋市大手町2丁目10番5号前橋合同庁舎 027-221-4426

静岡地方法務局人権擁護課 420-8650 静岡市葵区追手町9番50号静岡地方合同庁舎 054-254-3555

甲府地方法務局人権擁護課 400-8520 甲府市北口1丁目2番19号甲府地方合同庁舎 055-252-7239

長野地方法務局人権擁護課 380-0846 長野市旭町1108番地長野第2合同庁舎 026-235-6634

新潟地方法務局人権擁護課 951-8504 新潟市中央区西大畑町5191番地新潟地方法務総合庁舎 025-222-1564

名古屋法務局人権擁護部 460-8513 名古屋市中区三の丸2丁目2番1号名古屋合同庁舎第1号館 052-952-8111

津地方法務局人権擁護課 514-8503 津市丸之内26番8号津合同庁舎 059-228-4193岐阜地方法務局人権擁護課 500-8729 岐阜市金竜町5丁目13番地 058-245-3181

福井地方法務局人権擁護課 910-8504 福井市春山1丁目1番54号福井春山合同庁舎 0776-22-5090

問合せ先一覧 (法務局地方法務局)

59 第30回全国中学生人権作文コンテスト

問合せ先一覧

世界人権宣言啓発書画「鳥」「自由と解放」を表わしたもの 小木太法書オタビオロス画(財)人権擁護協力会提供

入賞作文集 60

すべての人間は生まれながらにして

自由でありかつ尊厳と権利とに

ついて平等である人間は理性と

良心とを授けられており互いに同胞の

精神をもって行動しなければならない

―――

世界人権宣言 第一条

―――

第三〇回

 全国中学生人権作文コンテスト

中央大会表彰式

印  刷 平成23年1月25日

発  行 平成23年2月14日

発 行 者 法務省人権擁護局

全国人権擁護委員連合会

東京都千代田区霞が関一丁目1番1号

電話 03(3580)4111 内線5875

URL httpwwwmojgojpJINKEN

第30回全国中学生人権作文コンテスト中央大会審査員

感想をお聞かせください本作文集を読まれた感想等を下記の連絡先又はkeihatsumojgojpまでお寄せください

無断転載を禁じます本作文集に掲載された作文や写真等を地方自治体が広報誌に掲載したり学校が教材に使用される場合などにはあらかじめ下記に御連絡ください

100-8977 東京都千代田区霞が関一丁目1番1号 法務省人権擁護局人権啓発課 TEL03(3580)4111 内線5875

作  家(審査員長) 落 合 恵 子映画監督 山 田 洋 次社団法人日本新聞協会事務局長 川 嶋   明日本放送協会解説委員室解説委員 南   直 樹文部科学省初等中等教育局視学官 三 好 仁 司全国人権擁護委員連合会長 中 村 浩 紹法務省人権擁護局長   井 忠 雄

(敬称略)

【式次第】

第一部

 会

主催者あいさつ

賞状授与

内閣総理大臣賞法務大臣賞

文部科学大臣奨励賞法務副大臣賞

法務大臣政務官賞

全国人権擁護委員連合会長賞

社団法人日本新聞協会会長賞

日本放送協会会長賞(以上各一名)

法務事務次官賞(三名) 計一一名

学校への感謝状贈呈

高円宮妃殿下おことば

来賓祝辞

第二部

各受賞作文の朗読

内閣総理大臣賞法務大臣賞

文部科学大臣奨励賞

全国人権擁護委員連合会長賞

社団法人日本新聞協会会長賞

日本放送協会会長賞

 評

全国中学生人権作文コンテスト中央大会審査員

 山田洋次氏

 落合恵子氏(ビデオレター形式)

第三部

新垣勉さんコンサート

 会 平成二二年一二月一八日(土)

午後一時三〇分〜三時五〇分

於ニッショーホール

「いじめ」や暴力行為等は人権侵害です

法務局地方法務局では

人権侵害による被害を受けた方を

救済するための活動を行っています

お気軽にご相談ください

女性の人権ホットライン

インターネット人権相談受付窓口

ゼロナナゼロのハートライン

0570-070-810

子どもの人権110番ぜろぜろななのひゃくとおばん

 0120-007-110

パソコンから httpwwwmojgojpJINKENjinken113html携帯電話から httpwwwjinkengojpsoudanmobile001html

インターネット人権相談 検 索

Human Rights法務省人権擁護局全国人権擁護委員連合会

人権イメージキャラクター人KENあゆみちゃん人KENまもる君

全国共通通話料無料

全国共通ナビダイヤル

この冊子は環境保護印刷の「水なし印刷」で印刷されています

第30回全国中学生人権作文コンテスト入賞作文集

法務省人権擁護局全国人権擁護委員連合会

人権イメージキャラクター人KENまもる君人KENあゆみちゃん

この冊子には音声コードが各頁(奇数頁 左下偶数頁 右下)に印刷されています専用の読み上げ装置で読み取ると記録されている情報を音声で聞くことが出来ます

Human Rights法務省人権擁護局全国人権擁護委員連合会

 全国中学生人権作文コンテスト入賞作文集

 全国中学生人権作文コンテスト入賞作文集

第30回

の教育プログラムです罪を犯した人も心から反省してきちんと罪を償えば社会

は差別することなく受け入れるべきですしかし実際はとても偏見が多く元受刑

者たちは「どうせ自分はだめな人間なんだ」と思い再び罪を犯してしまう悪循環

が起こっているそうですその悪循環を断ち切り受刑者たちがスムーズに社会復

帰を果たせるよう支援するのが「あさひ盲導犬パピープロジェクト」です受刑者たちは約十ヵ

月の間子犬たちを世話しながら一緒に過ごし「役に立つ喜び達成する喜び信頼される喜び」

を感じることで自分の価値を再確認するのだそうです今年一月に第一期のプロジェクトを修了

した受刑者の感想に次のようなものがありました

 「今後自分もパピーに笑われないようにきちんとしなければならないパピーは慈しむこと

寛容の心を教えてくれました」

 

犬は決して差別をしません健康な人にも障がいのある人にもお金持ちにも貧しい人にも

権力のある人にも犯罪を犯した人にも全く同じように接してくれますそんな犬たちと一緒に過

ごすことで自信をなくした人たちも自分のことをかけがえのない大切な存在であると思えるよ

うになるのです

 

私たち人間も差別のない社会をつくる努力をしなければならないと思います一人一人が相

手を大切に思う心を忘れなければこの社会はもっと住み良い場所になるはずです私はこのボ

ランティアを通して学んだことを生かしてこれからも一層努力していきたいと思います

入賞作文集 44

入賞作文

45 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

 

僕は祖父のために自助具を作ろうと思った祖父は去年の夏脳梗塞で倒れた祖父は一命

を取り留めたものの右手と右足がまひしてしまったのだその三週間前僕も車椅子から転倒し

て足を骨折した

 

僕には障害がある車椅子で生活することが多いしかし僕のことを障害者だといって差別

するような友達は一人もいない

 

祖父は歩けるようになりたいという気持ちが強かっただからリハビリを頑張り自分で

歩けるようになるまで回復した頑張っている祖父がかっこいいと僕は思った祖父はリハビ

リを頑張ったにも関わらず右手がうまく動かせなくなってしまっただからご飯を食べる時も

服を着替える時も時間がかかる普段何気なくやっていた動作がとても大変だと祖父は言ってい

守もり

田た

 幸こう

平へい

静岡県静岡大学教育学部附属浜松中学校 三年

祖父への靴下

法務事務次官賞

入賞作文集 46

入賞作文

た僕も何か役に立てることはないかと考えた

 

僕の学校には総合学習という授業があるそこで僕は福祉というカテゴリーを選んだ自

分で社会に役立てることを考え実際に行動することが目標だった僕は障害者のために何が

できるかを考えた

 

僕は二年前に静岡文化芸術大学で障害者がいかに日常生活で不自由のない生活ができるかを

考えるプロジェクトがあるのを新聞で知ったそれは大学生たちが個人個人にあった自助具を

作るプロジェクトだった僕は障害者のために何かできるのではと感じた

 

僕は静岡文化芸術大学へ行って僕にもできることがないかと聞いたすると学生さんが

自助具を作ってみないかと声をかけてくれた僕は迷わず「はい」と言った障害者のために

役に立てることがあると思うとすばらしいことだと思ったからだ

 

祖父のつらい顔を見ると日常生活に数々の大きな壁があることが伝わってくる

 

僕は祖父の数々の大きな壁を突き破ろうと思った祖父のために自助具を考え作ろうと僕

は思った祖父が靴下の脱ぎ履きが大変だと言っていたことを思い出したそこで脱ぎ履きし

やすい靴下はできないか考えた靴下の両脇にひもを取り付けてそれを引っ張ると靴下が縮み

脱ぎ履きしやすくなる仕組みだ大学の先生も良いアイディアだと言って褒めてく

れたこれは障害者だけでなく健常者にも使えると言われたユニバーサルデザ

インだと分かった

 

ユニバーサルデザインは年齢や障害の有無にかかわらず全ての人が使いやす

47 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

いように工夫された用具などのデザインである境界がなくなるように健常者が障

害者に対する偏見を考え差別意識がなくなるチャンスだと思った障害者と健常

者が共によりよく生きることが大切だと僕は思った

 

自助具の作品展では杖をついているお年寄り車椅子に乗った若い女性目の

見えない人福祉関係者など沢山の人々が観に来ていた皆自分の生活を良くしようと思っ

ているようだったまた障害者のためにできることは何だろうかと考えている健常者もいるよ

うだった

 

二年生の時の総合学習では二箇所のデイサービスを訪問したデイサービスには六十五歳以

上のお年寄りがいた暗く元気のない人明るく振る舞い誰とでも話せる人など様々だった

しかし僕が一番印象に残ったのは笑顔を絶やさず優しくお年寄りに接していた介護士だった

お年寄りの中には悩みを抱えている人が多いそうだその悩みを解消させる人もまた介護士だっ

た僕は介護士がお年寄りの体を支えるだけではなく心もそっと支えて生きる喜びを与え

ているのだと感じた

 

現代は三世代で暮らす家族が減り核家族が増えているそれはお年寄りの世話が大変だ

からという理由が多いだから老人ホームやデイサービスに預ける人が増えていると僕には

思えたお年寄りの中には自分が嫌われているのではないかとさえ思ってしまう人もいるそう

だそれはお年寄りにとって辛く悲しいことだと思うある介護士がこんなことをおっしゃっ

ていた「人の優しさはお金では買えない」誰にでも優しい心があると思うしかしあと一歩

入賞作文集 48

入賞作文

のところで行動に移すことができない人が多いの

だ僕たちが平和な社会で暮らせるのは今まで

頑張ってきてくれたお年寄りのお陰であることを

忘れてはいけないお年寄りを大切にすることは

当たり前のことなのだ

 

また障害者に対しても偏見の目で見ないで

そっと近づいて手を貸してあげれば健常者との

高い大きな壁を崩すことができると思う

 

障害者にも高齢者にもまた健常者にも人権

はあるお互いの人権を大切にすることが明る

い未来に繋がっていくのだと思う

 

早く祖父に僕の作った靴下を届けたい

49 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

 

僕は小学校六年生まで福岡県に住んでいましたそこで僕が体験したことです五年生のこ

ろ僕の友だちのA君が同級生のK君の靴を隠したりからかったりしていることがよくあり

ました最初は僕もあまり気にしていませんでしたがK君のことを「なんだかかわいそう」と

思うようになりました

 

ある日僕は勇気をだして先生に「K君がいじめにあっています」と報告しました初め先生は

「じゃれ合っているだけだろう」と「いじめ」とは思ってくれませんでしたでもその後「いじ

め」と分かりA君は先生に注意されその日一日は反省した様子で過ごしていましたしかし

次の日学校に行くといじめは前以上にエスカレートしていて蹴ったりたたいたりするように

なりましたしかも「死ね」「うざい」「消えろ」などの言葉が飛び交うようになりそんな日々

法務事務次官賞

浦うら

谷たに

 毅たける

徳島県三好市立池田中学校 三年

いじめをなくすために今

入賞作文集 50

入賞作文

が続きました

 

それは六年生になっても続きました僕はそのいじめを止めることができず毎日見て見ぬ

振りをしていました今思うと自分がとても恥ずかしいです本当の友達なら止めるべきなの

にそれだけではなくいじめられているK君に声一つかけることができずにいました心の中

ではA君に「やめろよ」と言おうと思っていたけどなぜか勇気が出ませんでした次にい

じめられるのが自分になるのが恐くて言えなかったのです

 

そんな日々が続く中僕の気持ちを大きく変える出来事がありました父の死ですそのとき

のことは今でも忘れることができません聞いたときには頭の中が真っ白になりました最初

は信じることができませんでした一週間も二週間も学校に行けずただぼーっと過ごしてい

ましたいろんなことを考え徐々に「死」というものの悲しさつらさ「死」という意味の

重さがわかってきましたそして時間はかかりましたが「命は一瞬にして消え二度と戻っ

てこないものだだから命を大切に今を大切にしなければならない」と深く受け止めることが

できるようになりましたそして周りの子たちは僕のような経験がないから「死ね」とか軽々

しく言えるのだろうと思いこの気持ちを伝えなくてはならないと考えました僕が強くならな

くてはと思いました

 

こんな気持ちになったとき僕には時間がありませんでした母の実家がある徳

島への引っ越しが一週間後に決まっていたのです落ち込んでいる暇は無いと思

い学校に行った僕はA君に言いました「いじめなんかやめろよいじめたって

51 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

喜ぶ人はいないし悲しむ人がいるだけだろ自分だってほんとは嫌だろ『死ね』

とか『消えろ』とか言葉の重さを知らないのに言うなよ」と言いました父親の

突然の死そのあと僕が考えたことも伝えました

 

友だちは黙って聞いてくれました僕の言葉にうなずいてそのあとK君の

ところへ行き「ごめん言葉の重さも知らずに言って本当にごめんぜったいに死ねなんて

ことは言わないそしていじめは絶対にしないほんとうにごめん」とあやまりましたK君

はとても優しい笑顔で「いいよ」と一言言いました僕もK君に言いました

「今まで助けてあげられなくてごめん」

K君は笑顔で「ありがとう」と言ってくれました今まで自分の中でもやもやしていた気持ちが

スーっと晴れました

 

今も時々耳にする暴言冗談半分で言っているのかもしれませんしかしいついじめにつ

ながるかわかりません他人を傷つけることで自分のストレスを晴らそうとしているのでしょう

関係ないふりをしようとする自分がいます楽な考え方をする自分がいますそんな時亡くなっ

た父の顔やK君の優しい笑顔を思い出しますあの時の自分のように強い気持ちを持とう「や

めろよ」と一言言うするとまた気持ちがスーっとしてきました

 

父の分も頑張って生き抜こうと決めた僕にとって正しいことを素直に認め悪いことを否定

できる強い意志を持つことが目標ですそして何よりも命を大切に今を大切にしていきたい

と思っています

入賞作文集 52

入賞作文

53 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

 

ぼくは今まで四つの外国に暮らしいろいろな国の人たちの中で育ってきた

 

まずタイで生まれてタイ人のメイドさんやドライバーさんにいつも遊んでもらっていた

らしい一才になると週一回の体操教室にも通いタイ人の友達もいたそうだ

 

次にシンガポールでは初めてナサリースクール(保育園)に通いいろいろな国の友達と

知り合ったプレイルームにある滑り台を滑る順番争いでいつも勝つのは体の大きい金髪の友

達だった

 

一回目の香港生活では英語の幼稚園に通ったその時のぼくの一番の友達はカナダ人だった

彼とはよくベイブレードをして遊んだが父が日本の出張で買ってきてくれた独楽や剣玉をして

遊ぶこともあった

村むら

瀬せ

 広ひろ

高たか

香港日本人学校中学部 二年

国境をこえて

海 外 作 品

今回は本選への応募とすることはできませんでしたが

 海外から寄せられた作品のうち一作品を御紹介します

入賞作文集 54

海外作品

 

それからインドでは日本人学校に通ったが夏休みには毎年アメリカンスクールのサマー

スクールに参加したし日本人のいない現地のテニススクールにも入り二年間通ったまたイ

ンドの現地幼稚園に通っていた妹のベストフレンドはコンゴ人でその兄弟もぼくの友達だった

 

そして三年間の日本生活を経て今また香港に戻ってきた

 

このようにぼくはいろいろな国でいろいろな国の人たちのお世話になりいろいろな国

の友達と遊んで育った肌が真っ黒な友達もゲームの話をすればすぐに仲良くなれたし髪が

金色の友達もポケモンの話をすれば気が合ったぼくは小さい頃から英語はうまくしゃべれ

なかったけれどもジェスチャーをつけたでたらめ英語でも充分に話は通じただからいろい

ろな国の人たちの中でぼくが日本人だからといって差別されたり嫌な思いをしたりしたこと

はないしぼくも肌の色が違うからとか言葉が通じないからという理由で違う人間だと思っ

たことはないそうぼくは外国人を差別したことはない

 

しかし本当にぼくは外国人を差別したことがないのだろうか外国人を差別した発言を一

度もしたことがないかと考えると自信がない

 

例えば香港人には赤信号でも平気で渡る人がたくさんいるそれを見てぼくは

「香港人はしょうがないな」

と思うでもよく見ると香港人全員が信号無視をしているわけではないまた

世界には今でも戦争をしている国がいくつもある

「人を傷つけ合うなんて馬鹿げている」

55 第30回全国中学生人権作文コンテスト

海外作品

とぼくは悲しくなるでもそれも好きで戦っている人がいるとも思えないその

人たちがそうなったのには何かきっと原因があるはずだ

 

逆に外国人から見ると日本人はどのように思われているのだろう

 

インドから日本に帰国した時毎日ごみがたくさん出ることにぼくはとても驚

いたインドの人たちがよく使う道端にあるカレー屋さんではバナナの葉で作ったお皿にカ

レーを入れてくれる食べた後そのお皿を道に捨てるとのら牛がその葉っぱを食べるそして

牛のふんは燃料になるというそれに比べて日本はちょっと歩くとペットボトルの飲み物が

買えファーストフードのお店では使い捨ての食器を使い立派なお菓子の箱を開けると中身が

少なくてがっかりすることもあるある時母が捨てたジャムの空きびんをメイドさんとエア

コンの修理にきていたワーカーさんとが取り合ってけんかをしていたこともあったそれを見

てぼくはあきれてしまったが逆にインド人から見ると使い捨て文化のしみついた日本人は

とんでもない人間にみえるのかもしれない国によって考え方や行動パターンが違うのは歴史

的背景や宗教習慣気候などのいろいろなことが関わっているのだと思う

 

このように考えると差別とはその人の一部しか見ていないことや自分のやり方だけが正

しいと思うことからおきるのではないかと思うその人が自分とは違った行動をとったとしても

それには深い理由があるのだろうと考えればきっと納得できると思うぼくもこれからは否

定的な発言をする前にその人たちのことをいろいろな角度から見て理解する努力をしてみよう

と思う外国との間には自分の国とは違う言葉や文化という壁があるとみんな言うがそこに

入賞作文集 56

海外作品

あるのは壁ではなく橋だとぼくは思う理解

し合おうという気持ちがあればきっと誰でも

その橋を渡っていけるはずだ気持ちの国境を

こえるのにパスポートはいらないお互いを理

解し合おうと思う気持ちが一番大切だと思う

そしてぼくはこれから日本人として生きる

のではなく地球人として生きていこうと思う

57 第30回全国中学生人権作文コンテスト

海外作品

法務局地方法務局名 郵便番号 所  在  地 電  話

金沢地方法務局人権擁護課920-0024 金沢市西念3-4-1金沢駅西合同庁舎(平成23年3月11日まで) 076-231-1244

921-8505 金沢市新神田4-3-10金沢新神田合同庁舎(平成23年3月14日から) 076-292-7804

富山地方法務局人権擁護課 930-0856 富山市牛島新町11番7号富山合同庁舎 076-441-6376

大阪法務局人権擁護部 540-8544 大阪市中央区谷町2丁目1番17号大阪第2法務合同庁舎 06-6942-9492

京都地方法務局人権擁護課 602-8577 京都市上京区荒神口通河原町東入上生洲町197番地 075-231-0131

神戸地方法務局人権擁護課 650-0042 神戸市中央区波止場町1番1号神戸第2地方合同庁舎 078-392-1821

奈良地方法務局人権擁護課 630-8305 奈良市東紀寺町3-4-1奈良第2法務総合庁舎 0742-23-5457

大津地方法務局人権擁護課 520-8516 大津市御陵町3番6号大津法務総合庁舎 077-522-4673

和歌山地方法務局人権擁護課 640-8552 和歌山市二番丁2番地和歌山地方合同庁舎 073-422-5131

広島法務局人権擁護部 730-8536 広島市中区上八丁堀6番30号広島合同庁舎 082-228-5790

山口地方法務局人権擁護課 753-8577 山口市中河原町6番16号山口地方合同庁舎2号館 083-922-2295

岡山地方法務局人権擁護課 700-8616 岡山市北区南方1丁目3番58号 086-224-5761

鳥取地方法務局人権擁護課 680-0011 鳥取市東町2丁目302番地鳥取第2地方合同庁舎 0857-22-2289

松江地方法務局人権擁護課 690-0886 松江市母衣町50番地松江法務合同庁舎 0852-32-4260

高松法務局人権擁護部 761-8077 高松市出作町585-4 087-815-5311

徳島地方法務局人権擁護課 770-8512 徳島市徳島町城内6番地6徳島地方合同庁舎 088-622-4171

高知地方法務局人権擁護課 780-8509 高知市栄田町2丁目2番10号高知よさこい咲都合同庁舎 088-822-3331

松山地方法務局人権擁護課 790-8505 松山市宮田町188番地6松山地方合同庁舎 089-932-0888

福岡法務局人権擁護部 814-0005 福岡市早良区祖原14-15福岡法務局西新出張所庁舎5階 092-832-4311

佐賀地方法務局人権擁護課 840-0041 佐賀市城内2丁目10番20号佐賀合同庁舎 0952-26-2148

長崎地方法務局人権擁護課 850-8507 長崎市万才町8番16号 095-826-8127大分地方法務局人権擁護課 870-8513 大分市荷揚町7番5号大分法務総合庁舎 097-532-3368

熊本地方法務局人権擁護課 862-0971 熊本市大江3丁目1番53号熊本第2合同庁舎 096-364-2145

鹿児島地方法務局人権擁護課 890-8518 鹿児島市鴨池新町1番2号 099-259-0684宮崎地方法務局人権擁護課 880-8513 宮崎市別府町1番1号宮崎法務総合庁舎 0985-22-5124

那覇地方法務局人権擁護課 900-8544 那覇市樋川1丁目15番15号那覇第1地方合同庁舎 098-854-1215

入賞作文集 58

問合せ先一覧

法務局地方法務局名 郵便番号 所  在  地 電  話

札幌法務局人権擁護部 060-0808 札幌市北区北8条西2丁目1番1札幌第1合同庁舎 011-709-2311

函館地方法務局人権擁護課 040-8533 函館市新川町25番18号函館地方合同庁舎 0138-23-9528

旭川地方法務局人権擁護課 078-8502 旭川市宮前通東4155番31旭川合同庁舎 0166-38-1114

釧路地方法務局人権擁護課 085-8522 釧路市幸町10丁目3番地釧路地方合同庁舎 0154-31-5014

仙台法務局人権擁護部 980-8601 仙台市青葉区春日町7番25号仙台第3法務総合庁舎 022-225-5739

福島地方法務局人権擁護課 960-8021 福島市霞町1番46号福島合同庁舎 024-534-1994

山形地方法務局人権擁護課 990-0041 山形市緑町1丁目5番48号山形地方合同庁舎 023-625-1321

盛岡地方法務局人権擁護課 020-0023 盛岡市内丸7番25号盛岡合同庁舎 019-624-9859秋田地方法務局人権擁護課 010-0951 秋田市山王7丁目1番3号 018-862-6533

青森地方法務局人権擁護課 030-8511 青森市長島1丁目3番5号青森第二合同庁舎 017-776-9024

東京法務局人権擁護部 102-8225 千代田区九段南1丁目1番15号九段第2合同庁舎 03-5213-1234

横浜地方法務局人権擁護課 231-8411 横浜市中区北仲通5丁目57番地横浜第2合同庁舎 045-641-7926

さいたま地方法務局人権擁護課 338-8513 さいたま市中央区下落合5-12-1さいたま第二法務総合庁舎 048-859-3507

千葉地方法務局人権擁護課 260-8518 千葉市中央区中央港1丁目11番3号千葉地方合同庁舎 043-302-1319

水戸地方法務局人権擁護課 310-0061 水戸市北見町1番1号水戸地方法務合同庁舎 029-227-9919

宇都宮地方法務局人権擁護課 320-8515 宇都宮市小幡2丁目1番11号宇都宮地方法務合同庁舎 028-623-0926

前橋地方法務局人権擁護課 371-8535 前橋市大手町2丁目10番5号前橋合同庁舎 027-221-4426

静岡地方法務局人権擁護課 420-8650 静岡市葵区追手町9番50号静岡地方合同庁舎 054-254-3555

甲府地方法務局人権擁護課 400-8520 甲府市北口1丁目2番19号甲府地方合同庁舎 055-252-7239

長野地方法務局人権擁護課 380-0846 長野市旭町1108番地長野第2合同庁舎 026-235-6634

新潟地方法務局人権擁護課 951-8504 新潟市中央区西大畑町5191番地新潟地方法務総合庁舎 025-222-1564

名古屋法務局人権擁護部 460-8513 名古屋市中区三の丸2丁目2番1号名古屋合同庁舎第1号館 052-952-8111

津地方法務局人権擁護課 514-8503 津市丸之内26番8号津合同庁舎 059-228-4193岐阜地方法務局人権擁護課 500-8729 岐阜市金竜町5丁目13番地 058-245-3181

福井地方法務局人権擁護課 910-8504 福井市春山1丁目1番54号福井春山合同庁舎 0776-22-5090

問合せ先一覧 (法務局地方法務局)

59 第30回全国中学生人権作文コンテスト

問合せ先一覧

世界人権宣言啓発書画「鳥」「自由と解放」を表わしたもの 小木太法書オタビオロス画(財)人権擁護協力会提供

入賞作文集 60

すべての人間は生まれながらにして

自由でありかつ尊厳と権利とに

ついて平等である人間は理性と

良心とを授けられており互いに同胞の

精神をもって行動しなければならない

―――

世界人権宣言 第一条

―――

第三〇回

 全国中学生人権作文コンテスト

中央大会表彰式

印  刷 平成23年1月25日

発  行 平成23年2月14日

発 行 者 法務省人権擁護局

全国人権擁護委員連合会

東京都千代田区霞が関一丁目1番1号

電話 03(3580)4111 内線5875

URL httpwwwmojgojpJINKEN

第30回全国中学生人権作文コンテスト中央大会審査員

感想をお聞かせください本作文集を読まれた感想等を下記の連絡先又はkeihatsumojgojpまでお寄せください

無断転載を禁じます本作文集に掲載された作文や写真等を地方自治体が広報誌に掲載したり学校が教材に使用される場合などにはあらかじめ下記に御連絡ください

100-8977 東京都千代田区霞が関一丁目1番1号 法務省人権擁護局人権啓発課 TEL03(3580)4111 内線5875

作  家(審査員長) 落 合 恵 子映画監督 山 田 洋 次社団法人日本新聞協会事務局長 川 嶋   明日本放送協会解説委員室解説委員 南   直 樹文部科学省初等中等教育局視学官 三 好 仁 司全国人権擁護委員連合会長 中 村 浩 紹法務省人権擁護局長   井 忠 雄

(敬称略)

【式次第】

第一部

 会

主催者あいさつ

賞状授与

内閣総理大臣賞法務大臣賞

文部科学大臣奨励賞法務副大臣賞

法務大臣政務官賞

全国人権擁護委員連合会長賞

社団法人日本新聞協会会長賞

日本放送協会会長賞(以上各一名)

法務事務次官賞(三名) 計一一名

学校への感謝状贈呈

高円宮妃殿下おことば

来賓祝辞

第二部

各受賞作文の朗読

内閣総理大臣賞法務大臣賞

文部科学大臣奨励賞

全国人権擁護委員連合会長賞

社団法人日本新聞協会会長賞

日本放送協会会長賞

 評

全国中学生人権作文コンテスト中央大会審査員

 山田洋次氏

 落合恵子氏(ビデオレター形式)

第三部

新垣勉さんコンサート

 会 平成二二年一二月一八日(土)

午後一時三〇分〜三時五〇分

於ニッショーホール

「いじめ」や暴力行為等は人権侵害です

法務局地方法務局では

人権侵害による被害を受けた方を

救済するための活動を行っています

お気軽にご相談ください

女性の人権ホットライン

インターネット人権相談受付窓口

ゼロナナゼロのハートライン

0570-070-810

子どもの人権110番ぜろぜろななのひゃくとおばん

 0120-007-110

パソコンから httpwwwmojgojpJINKENjinken113html携帯電話から httpwwwjinkengojpsoudanmobile001html

インターネット人権相談 検 索

Human Rights法務省人権擁護局全国人権擁護委員連合会

人権イメージキャラクター人KENあゆみちゃん人KENまもる君

全国共通通話料無料

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この冊子は環境保護印刷の「水なし印刷」で印刷されています

第30回全国中学生人権作文コンテスト入賞作文集

法務省人権擁護局全国人権擁護委員連合会

人権イメージキャラクター人KENまもる君人KENあゆみちゃん

この冊子には音声コードが各頁(奇数頁 左下偶数頁 右下)に印刷されています専用の読み上げ装置で読み取ると記録されている情報を音声で聞くことが出来ます

Human Rights法務省人権擁護局全国人権擁護委員連合会

 全国中学生人権作文コンテスト入賞作文集

 全国中学生人権作文コンテスト入賞作文集

第30回

45 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

 

僕は祖父のために自助具を作ろうと思った祖父は去年の夏脳梗塞で倒れた祖父は一命

を取り留めたものの右手と右足がまひしてしまったのだその三週間前僕も車椅子から転倒し

て足を骨折した

 

僕には障害がある車椅子で生活することが多いしかし僕のことを障害者だといって差別

するような友達は一人もいない

 

祖父は歩けるようになりたいという気持ちが強かっただからリハビリを頑張り自分で

歩けるようになるまで回復した頑張っている祖父がかっこいいと僕は思った祖父はリハビ

リを頑張ったにも関わらず右手がうまく動かせなくなってしまっただからご飯を食べる時も

服を着替える時も時間がかかる普段何気なくやっていた動作がとても大変だと祖父は言ってい

守もり

田た

 幸こう

平へい

静岡県静岡大学教育学部附属浜松中学校 三年

祖父への靴下

法務事務次官賞

入賞作文集 46

入賞作文

た僕も何か役に立てることはないかと考えた

 

僕の学校には総合学習という授業があるそこで僕は福祉というカテゴリーを選んだ自

分で社会に役立てることを考え実際に行動することが目標だった僕は障害者のために何が

できるかを考えた

 

僕は二年前に静岡文化芸術大学で障害者がいかに日常生活で不自由のない生活ができるかを

考えるプロジェクトがあるのを新聞で知ったそれは大学生たちが個人個人にあった自助具を

作るプロジェクトだった僕は障害者のために何かできるのではと感じた

 

僕は静岡文化芸術大学へ行って僕にもできることがないかと聞いたすると学生さんが

自助具を作ってみないかと声をかけてくれた僕は迷わず「はい」と言った障害者のために

役に立てることがあると思うとすばらしいことだと思ったからだ

 

祖父のつらい顔を見ると日常生活に数々の大きな壁があることが伝わってくる

 

僕は祖父の数々の大きな壁を突き破ろうと思った祖父のために自助具を考え作ろうと僕

は思った祖父が靴下の脱ぎ履きが大変だと言っていたことを思い出したそこで脱ぎ履きし

やすい靴下はできないか考えた靴下の両脇にひもを取り付けてそれを引っ張ると靴下が縮み

脱ぎ履きしやすくなる仕組みだ大学の先生も良いアイディアだと言って褒めてく

れたこれは障害者だけでなく健常者にも使えると言われたユニバーサルデザ

インだと分かった

 

ユニバーサルデザインは年齢や障害の有無にかかわらず全ての人が使いやす

47 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

いように工夫された用具などのデザインである境界がなくなるように健常者が障

害者に対する偏見を考え差別意識がなくなるチャンスだと思った障害者と健常

者が共によりよく生きることが大切だと僕は思った

 

自助具の作品展では杖をついているお年寄り車椅子に乗った若い女性目の

見えない人福祉関係者など沢山の人々が観に来ていた皆自分の生活を良くしようと思っ

ているようだったまた障害者のためにできることは何だろうかと考えている健常者もいるよ

うだった

 

二年生の時の総合学習では二箇所のデイサービスを訪問したデイサービスには六十五歳以

上のお年寄りがいた暗く元気のない人明るく振る舞い誰とでも話せる人など様々だった

しかし僕が一番印象に残ったのは笑顔を絶やさず優しくお年寄りに接していた介護士だった

お年寄りの中には悩みを抱えている人が多いそうだその悩みを解消させる人もまた介護士だっ

た僕は介護士がお年寄りの体を支えるだけではなく心もそっと支えて生きる喜びを与え

ているのだと感じた

 

現代は三世代で暮らす家族が減り核家族が増えているそれはお年寄りの世話が大変だ

からという理由が多いだから老人ホームやデイサービスに預ける人が増えていると僕には

思えたお年寄りの中には自分が嫌われているのではないかとさえ思ってしまう人もいるそう

だそれはお年寄りにとって辛く悲しいことだと思うある介護士がこんなことをおっしゃっ

ていた「人の優しさはお金では買えない」誰にでも優しい心があると思うしかしあと一歩

入賞作文集 48

入賞作文

のところで行動に移すことができない人が多いの

だ僕たちが平和な社会で暮らせるのは今まで

頑張ってきてくれたお年寄りのお陰であることを

忘れてはいけないお年寄りを大切にすることは

当たり前のことなのだ

 

また障害者に対しても偏見の目で見ないで

そっと近づいて手を貸してあげれば健常者との

高い大きな壁を崩すことができると思う

 

障害者にも高齢者にもまた健常者にも人権

はあるお互いの人権を大切にすることが明る

い未来に繋がっていくのだと思う

 

早く祖父に僕の作った靴下を届けたい

49 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

 

僕は小学校六年生まで福岡県に住んでいましたそこで僕が体験したことです五年生のこ

ろ僕の友だちのA君が同級生のK君の靴を隠したりからかったりしていることがよくあり

ました最初は僕もあまり気にしていませんでしたがK君のことを「なんだかかわいそう」と

思うようになりました

 

ある日僕は勇気をだして先生に「K君がいじめにあっています」と報告しました初め先生は

「じゃれ合っているだけだろう」と「いじめ」とは思ってくれませんでしたでもその後「いじ

め」と分かりA君は先生に注意されその日一日は反省した様子で過ごしていましたしかし

次の日学校に行くといじめは前以上にエスカレートしていて蹴ったりたたいたりするように

なりましたしかも「死ね」「うざい」「消えろ」などの言葉が飛び交うようになりそんな日々

法務事務次官賞

浦うら

谷たに

 毅たける

徳島県三好市立池田中学校 三年

いじめをなくすために今

入賞作文集 50

入賞作文

が続きました

 

それは六年生になっても続きました僕はそのいじめを止めることができず毎日見て見ぬ

振りをしていました今思うと自分がとても恥ずかしいです本当の友達なら止めるべきなの

にそれだけではなくいじめられているK君に声一つかけることができずにいました心の中

ではA君に「やめろよ」と言おうと思っていたけどなぜか勇気が出ませんでした次にい

じめられるのが自分になるのが恐くて言えなかったのです

 

そんな日々が続く中僕の気持ちを大きく変える出来事がありました父の死ですそのとき

のことは今でも忘れることができません聞いたときには頭の中が真っ白になりました最初

は信じることができませんでした一週間も二週間も学校に行けずただぼーっと過ごしてい

ましたいろんなことを考え徐々に「死」というものの悲しさつらさ「死」という意味の

重さがわかってきましたそして時間はかかりましたが「命は一瞬にして消え二度と戻っ

てこないものだだから命を大切に今を大切にしなければならない」と深く受け止めることが

できるようになりましたそして周りの子たちは僕のような経験がないから「死ね」とか軽々

しく言えるのだろうと思いこの気持ちを伝えなくてはならないと考えました僕が強くならな

くてはと思いました

 

こんな気持ちになったとき僕には時間がありませんでした母の実家がある徳

島への引っ越しが一週間後に決まっていたのです落ち込んでいる暇は無いと思

い学校に行った僕はA君に言いました「いじめなんかやめろよいじめたって

51 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

喜ぶ人はいないし悲しむ人がいるだけだろ自分だってほんとは嫌だろ『死ね』

とか『消えろ』とか言葉の重さを知らないのに言うなよ」と言いました父親の

突然の死そのあと僕が考えたことも伝えました

 

友だちは黙って聞いてくれました僕の言葉にうなずいてそのあとK君の

ところへ行き「ごめん言葉の重さも知らずに言って本当にごめんぜったいに死ねなんて

ことは言わないそしていじめは絶対にしないほんとうにごめん」とあやまりましたK君

はとても優しい笑顔で「いいよ」と一言言いました僕もK君に言いました

「今まで助けてあげられなくてごめん」

K君は笑顔で「ありがとう」と言ってくれました今まで自分の中でもやもやしていた気持ちが

スーっと晴れました

 

今も時々耳にする暴言冗談半分で言っているのかもしれませんしかしいついじめにつ

ながるかわかりません他人を傷つけることで自分のストレスを晴らそうとしているのでしょう

関係ないふりをしようとする自分がいます楽な考え方をする自分がいますそんな時亡くなっ

た父の顔やK君の優しい笑顔を思い出しますあの時の自分のように強い気持ちを持とう「や

めろよ」と一言言うするとまた気持ちがスーっとしてきました

 

父の分も頑張って生き抜こうと決めた僕にとって正しいことを素直に認め悪いことを否定

できる強い意志を持つことが目標ですそして何よりも命を大切に今を大切にしていきたい

と思っています

入賞作文集 52

入賞作文

53 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

 

ぼくは今まで四つの外国に暮らしいろいろな国の人たちの中で育ってきた

 

まずタイで生まれてタイ人のメイドさんやドライバーさんにいつも遊んでもらっていた

らしい一才になると週一回の体操教室にも通いタイ人の友達もいたそうだ

 

次にシンガポールでは初めてナサリースクール(保育園)に通いいろいろな国の友達と

知り合ったプレイルームにある滑り台を滑る順番争いでいつも勝つのは体の大きい金髪の友

達だった

 

一回目の香港生活では英語の幼稚園に通ったその時のぼくの一番の友達はカナダ人だった

彼とはよくベイブレードをして遊んだが父が日本の出張で買ってきてくれた独楽や剣玉をして

遊ぶこともあった

村むら

瀬せ

 広ひろ

高たか

香港日本人学校中学部 二年

国境をこえて

海 外 作 品

今回は本選への応募とすることはできませんでしたが

 海外から寄せられた作品のうち一作品を御紹介します

入賞作文集 54

海外作品

 

それからインドでは日本人学校に通ったが夏休みには毎年アメリカンスクールのサマー

スクールに参加したし日本人のいない現地のテニススクールにも入り二年間通ったまたイ

ンドの現地幼稚園に通っていた妹のベストフレンドはコンゴ人でその兄弟もぼくの友達だった

 

そして三年間の日本生活を経て今また香港に戻ってきた

 

このようにぼくはいろいろな国でいろいろな国の人たちのお世話になりいろいろな国

の友達と遊んで育った肌が真っ黒な友達もゲームの話をすればすぐに仲良くなれたし髪が

金色の友達もポケモンの話をすれば気が合ったぼくは小さい頃から英語はうまくしゃべれ

なかったけれどもジェスチャーをつけたでたらめ英語でも充分に話は通じただからいろい

ろな国の人たちの中でぼくが日本人だからといって差別されたり嫌な思いをしたりしたこと

はないしぼくも肌の色が違うからとか言葉が通じないからという理由で違う人間だと思っ

たことはないそうぼくは外国人を差別したことはない

 

しかし本当にぼくは外国人を差別したことがないのだろうか外国人を差別した発言を一

度もしたことがないかと考えると自信がない

 

例えば香港人には赤信号でも平気で渡る人がたくさんいるそれを見てぼくは

「香港人はしょうがないな」

と思うでもよく見ると香港人全員が信号無視をしているわけではないまた

世界には今でも戦争をしている国がいくつもある

「人を傷つけ合うなんて馬鹿げている」

55 第30回全国中学生人権作文コンテスト

海外作品

とぼくは悲しくなるでもそれも好きで戦っている人がいるとも思えないその

人たちがそうなったのには何かきっと原因があるはずだ

 

逆に外国人から見ると日本人はどのように思われているのだろう

 

インドから日本に帰国した時毎日ごみがたくさん出ることにぼくはとても驚

いたインドの人たちがよく使う道端にあるカレー屋さんではバナナの葉で作ったお皿にカ

レーを入れてくれる食べた後そのお皿を道に捨てるとのら牛がその葉っぱを食べるそして

牛のふんは燃料になるというそれに比べて日本はちょっと歩くとペットボトルの飲み物が

買えファーストフードのお店では使い捨ての食器を使い立派なお菓子の箱を開けると中身が

少なくてがっかりすることもあるある時母が捨てたジャムの空きびんをメイドさんとエア

コンの修理にきていたワーカーさんとが取り合ってけんかをしていたこともあったそれを見

てぼくはあきれてしまったが逆にインド人から見ると使い捨て文化のしみついた日本人は

とんでもない人間にみえるのかもしれない国によって考え方や行動パターンが違うのは歴史

的背景や宗教習慣気候などのいろいろなことが関わっているのだと思う

 

このように考えると差別とはその人の一部しか見ていないことや自分のやり方だけが正

しいと思うことからおきるのではないかと思うその人が自分とは違った行動をとったとしても

それには深い理由があるのだろうと考えればきっと納得できると思うぼくもこれからは否

定的な発言をする前にその人たちのことをいろいろな角度から見て理解する努力をしてみよう

と思う外国との間には自分の国とは違う言葉や文化という壁があるとみんな言うがそこに

入賞作文集 56

海外作品

あるのは壁ではなく橋だとぼくは思う理解

し合おうという気持ちがあればきっと誰でも

その橋を渡っていけるはずだ気持ちの国境を

こえるのにパスポートはいらないお互いを理

解し合おうと思う気持ちが一番大切だと思う

そしてぼくはこれから日本人として生きる

のではなく地球人として生きていこうと思う

57 第30回全国中学生人権作文コンテスト

海外作品

法務局地方法務局名 郵便番号 所  在  地 電  話

金沢地方法務局人権擁護課920-0024 金沢市西念3-4-1金沢駅西合同庁舎(平成23年3月11日まで) 076-231-1244

921-8505 金沢市新神田4-3-10金沢新神田合同庁舎(平成23年3月14日から) 076-292-7804

富山地方法務局人権擁護課 930-0856 富山市牛島新町11番7号富山合同庁舎 076-441-6376

大阪法務局人権擁護部 540-8544 大阪市中央区谷町2丁目1番17号大阪第2法務合同庁舎 06-6942-9492

京都地方法務局人権擁護課 602-8577 京都市上京区荒神口通河原町東入上生洲町197番地 075-231-0131

神戸地方法務局人権擁護課 650-0042 神戸市中央区波止場町1番1号神戸第2地方合同庁舎 078-392-1821

奈良地方法務局人権擁護課 630-8305 奈良市東紀寺町3-4-1奈良第2法務総合庁舎 0742-23-5457

大津地方法務局人権擁護課 520-8516 大津市御陵町3番6号大津法務総合庁舎 077-522-4673

和歌山地方法務局人権擁護課 640-8552 和歌山市二番丁2番地和歌山地方合同庁舎 073-422-5131

広島法務局人権擁護部 730-8536 広島市中区上八丁堀6番30号広島合同庁舎 082-228-5790

山口地方法務局人権擁護課 753-8577 山口市中河原町6番16号山口地方合同庁舎2号館 083-922-2295

岡山地方法務局人権擁護課 700-8616 岡山市北区南方1丁目3番58号 086-224-5761

鳥取地方法務局人権擁護課 680-0011 鳥取市東町2丁目302番地鳥取第2地方合同庁舎 0857-22-2289

松江地方法務局人権擁護課 690-0886 松江市母衣町50番地松江法務合同庁舎 0852-32-4260

高松法務局人権擁護部 761-8077 高松市出作町585-4 087-815-5311

徳島地方法務局人権擁護課 770-8512 徳島市徳島町城内6番地6徳島地方合同庁舎 088-622-4171

高知地方法務局人権擁護課 780-8509 高知市栄田町2丁目2番10号高知よさこい咲都合同庁舎 088-822-3331

松山地方法務局人権擁護課 790-8505 松山市宮田町188番地6松山地方合同庁舎 089-932-0888

福岡法務局人権擁護部 814-0005 福岡市早良区祖原14-15福岡法務局西新出張所庁舎5階 092-832-4311

佐賀地方法務局人権擁護課 840-0041 佐賀市城内2丁目10番20号佐賀合同庁舎 0952-26-2148

長崎地方法務局人権擁護課 850-8507 長崎市万才町8番16号 095-826-8127大分地方法務局人権擁護課 870-8513 大分市荷揚町7番5号大分法務総合庁舎 097-532-3368

熊本地方法務局人権擁護課 862-0971 熊本市大江3丁目1番53号熊本第2合同庁舎 096-364-2145

鹿児島地方法務局人権擁護課 890-8518 鹿児島市鴨池新町1番2号 099-259-0684宮崎地方法務局人権擁護課 880-8513 宮崎市別府町1番1号宮崎法務総合庁舎 0985-22-5124

那覇地方法務局人権擁護課 900-8544 那覇市樋川1丁目15番15号那覇第1地方合同庁舎 098-854-1215

入賞作文集 58

問合せ先一覧

法務局地方法務局名 郵便番号 所  在  地 電  話

札幌法務局人権擁護部 060-0808 札幌市北区北8条西2丁目1番1札幌第1合同庁舎 011-709-2311

函館地方法務局人権擁護課 040-8533 函館市新川町25番18号函館地方合同庁舎 0138-23-9528

旭川地方法務局人権擁護課 078-8502 旭川市宮前通東4155番31旭川合同庁舎 0166-38-1114

釧路地方法務局人権擁護課 085-8522 釧路市幸町10丁目3番地釧路地方合同庁舎 0154-31-5014

仙台法務局人権擁護部 980-8601 仙台市青葉区春日町7番25号仙台第3法務総合庁舎 022-225-5739

福島地方法務局人権擁護課 960-8021 福島市霞町1番46号福島合同庁舎 024-534-1994

山形地方法務局人権擁護課 990-0041 山形市緑町1丁目5番48号山形地方合同庁舎 023-625-1321

盛岡地方法務局人権擁護課 020-0023 盛岡市内丸7番25号盛岡合同庁舎 019-624-9859秋田地方法務局人権擁護課 010-0951 秋田市山王7丁目1番3号 018-862-6533

青森地方法務局人権擁護課 030-8511 青森市長島1丁目3番5号青森第二合同庁舎 017-776-9024

東京法務局人権擁護部 102-8225 千代田区九段南1丁目1番15号九段第2合同庁舎 03-5213-1234

横浜地方法務局人権擁護課 231-8411 横浜市中区北仲通5丁目57番地横浜第2合同庁舎 045-641-7926

さいたま地方法務局人権擁護課 338-8513 さいたま市中央区下落合5-12-1さいたま第二法務総合庁舎 048-859-3507

千葉地方法務局人権擁護課 260-8518 千葉市中央区中央港1丁目11番3号千葉地方合同庁舎 043-302-1319

水戸地方法務局人権擁護課 310-0061 水戸市北見町1番1号水戸地方法務合同庁舎 029-227-9919

宇都宮地方法務局人権擁護課 320-8515 宇都宮市小幡2丁目1番11号宇都宮地方法務合同庁舎 028-623-0926

前橋地方法務局人権擁護課 371-8535 前橋市大手町2丁目10番5号前橋合同庁舎 027-221-4426

静岡地方法務局人権擁護課 420-8650 静岡市葵区追手町9番50号静岡地方合同庁舎 054-254-3555

甲府地方法務局人権擁護課 400-8520 甲府市北口1丁目2番19号甲府地方合同庁舎 055-252-7239

長野地方法務局人権擁護課 380-0846 長野市旭町1108番地長野第2合同庁舎 026-235-6634

新潟地方法務局人権擁護課 951-8504 新潟市中央区西大畑町5191番地新潟地方法務総合庁舎 025-222-1564

名古屋法務局人権擁護部 460-8513 名古屋市中区三の丸2丁目2番1号名古屋合同庁舎第1号館 052-952-8111

津地方法務局人権擁護課 514-8503 津市丸之内26番8号津合同庁舎 059-228-4193岐阜地方法務局人権擁護課 500-8729 岐阜市金竜町5丁目13番地 058-245-3181

福井地方法務局人権擁護課 910-8504 福井市春山1丁目1番54号福井春山合同庁舎 0776-22-5090

問合せ先一覧 (法務局地方法務局)

59 第30回全国中学生人権作文コンテスト

問合せ先一覧

世界人権宣言啓発書画「鳥」「自由と解放」を表わしたもの 小木太法書オタビオロス画(財)人権擁護協力会提供

入賞作文集 60

すべての人間は生まれながらにして

自由でありかつ尊厳と権利とに

ついて平等である人間は理性と

良心とを授けられており互いに同胞の

精神をもって行動しなければならない

―――

世界人権宣言 第一条

―――

第三〇回

 全国中学生人権作文コンテスト

中央大会表彰式

印  刷 平成23年1月25日

発  行 平成23年2月14日

発 行 者 法務省人権擁護局

全国人権擁護委員連合会

東京都千代田区霞が関一丁目1番1号

電話 03(3580)4111 内線5875

URL httpwwwmojgojpJINKEN

第30回全国中学生人権作文コンテスト中央大会審査員

感想をお聞かせください本作文集を読まれた感想等を下記の連絡先又はkeihatsumojgojpまでお寄せください

無断転載を禁じます本作文集に掲載された作文や写真等を地方自治体が広報誌に掲載したり学校が教材に使用される場合などにはあらかじめ下記に御連絡ください

100-8977 東京都千代田区霞が関一丁目1番1号 法務省人権擁護局人権啓発課 TEL03(3580)4111 内線5875

作  家(審査員長) 落 合 恵 子映画監督 山 田 洋 次社団法人日本新聞協会事務局長 川 嶋   明日本放送協会解説委員室解説委員 南   直 樹文部科学省初等中等教育局視学官 三 好 仁 司全国人権擁護委員連合会長 中 村 浩 紹法務省人権擁護局長   井 忠 雄

(敬称略)

【式次第】

第一部

 会

主催者あいさつ

賞状授与

内閣総理大臣賞法務大臣賞

文部科学大臣奨励賞法務副大臣賞

法務大臣政務官賞

全国人権擁護委員連合会長賞

社団法人日本新聞協会会長賞

日本放送協会会長賞(以上各一名)

法務事務次官賞(三名) 計一一名

学校への感謝状贈呈

高円宮妃殿下おことば

来賓祝辞

第二部

各受賞作文の朗読

内閣総理大臣賞法務大臣賞

文部科学大臣奨励賞

全国人権擁護委員連合会長賞

社団法人日本新聞協会会長賞

日本放送協会会長賞

 評

全国中学生人権作文コンテスト中央大会審査員

 山田洋次氏

 落合恵子氏(ビデオレター形式)

第三部

新垣勉さんコンサート

 会 平成二二年一二月一八日(土)

午後一時三〇分〜三時五〇分

於ニッショーホール

「いじめ」や暴力行為等は人権侵害です

法務局地方法務局では

人権侵害による被害を受けた方を

救済するための活動を行っています

お気軽にご相談ください

女性の人権ホットライン

インターネット人権相談受付窓口

ゼロナナゼロのハートライン

0570-070-810

子どもの人権110番ぜろぜろななのひゃくとおばん

 0120-007-110

パソコンから httpwwwmojgojpJINKENjinken113html携帯電話から httpwwwjinkengojpsoudanmobile001html

インターネット人権相談 検 索

Human Rights法務省人権擁護局全国人権擁護委員連合会

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第30回全国中学生人権作文コンテスト入賞作文集

法務省人権擁護局全国人権擁護委員連合会

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この冊子には音声コードが各頁(奇数頁 左下偶数頁 右下)に印刷されています専用の読み上げ装置で読み取ると記録されている情報を音声で聞くことが出来ます

Human Rights法務省人権擁護局全国人権擁護委員連合会

 全国中学生人権作文コンテスト入賞作文集

 全国中学生人権作文コンテスト入賞作文集

第30回

 

僕は祖父のために自助具を作ろうと思った祖父は去年の夏脳梗塞で倒れた祖父は一命

を取り留めたものの右手と右足がまひしてしまったのだその三週間前僕も車椅子から転倒し

て足を骨折した

 

僕には障害がある車椅子で生活することが多いしかし僕のことを障害者だといって差別

するような友達は一人もいない

 

祖父は歩けるようになりたいという気持ちが強かっただからリハビリを頑張り自分で

歩けるようになるまで回復した頑張っている祖父がかっこいいと僕は思った祖父はリハビ

リを頑張ったにも関わらず右手がうまく動かせなくなってしまっただからご飯を食べる時も

服を着替える時も時間がかかる普段何気なくやっていた動作がとても大変だと祖父は言ってい

守もり

田た

 幸こう

平へい

静岡県静岡大学教育学部附属浜松中学校 三年

祖父への靴下

法務事務次官賞

入賞作文集 46

入賞作文

た僕も何か役に立てることはないかと考えた

 

僕の学校には総合学習という授業があるそこで僕は福祉というカテゴリーを選んだ自

分で社会に役立てることを考え実際に行動することが目標だった僕は障害者のために何が

できるかを考えた

 

僕は二年前に静岡文化芸術大学で障害者がいかに日常生活で不自由のない生活ができるかを

考えるプロジェクトがあるのを新聞で知ったそれは大学生たちが個人個人にあった自助具を

作るプロジェクトだった僕は障害者のために何かできるのではと感じた

 

僕は静岡文化芸術大学へ行って僕にもできることがないかと聞いたすると学生さんが

自助具を作ってみないかと声をかけてくれた僕は迷わず「はい」と言った障害者のために

役に立てることがあると思うとすばらしいことだと思ったからだ

 

祖父のつらい顔を見ると日常生活に数々の大きな壁があることが伝わってくる

 

僕は祖父の数々の大きな壁を突き破ろうと思った祖父のために自助具を考え作ろうと僕

は思った祖父が靴下の脱ぎ履きが大変だと言っていたことを思い出したそこで脱ぎ履きし

やすい靴下はできないか考えた靴下の両脇にひもを取り付けてそれを引っ張ると靴下が縮み

脱ぎ履きしやすくなる仕組みだ大学の先生も良いアイディアだと言って褒めてく

れたこれは障害者だけでなく健常者にも使えると言われたユニバーサルデザ

インだと分かった

 

ユニバーサルデザインは年齢や障害の有無にかかわらず全ての人が使いやす

47 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

いように工夫された用具などのデザインである境界がなくなるように健常者が障

害者に対する偏見を考え差別意識がなくなるチャンスだと思った障害者と健常

者が共によりよく生きることが大切だと僕は思った

 

自助具の作品展では杖をついているお年寄り車椅子に乗った若い女性目の

見えない人福祉関係者など沢山の人々が観に来ていた皆自分の生活を良くしようと思っ

ているようだったまた障害者のためにできることは何だろうかと考えている健常者もいるよ

うだった

 

二年生の時の総合学習では二箇所のデイサービスを訪問したデイサービスには六十五歳以

上のお年寄りがいた暗く元気のない人明るく振る舞い誰とでも話せる人など様々だった

しかし僕が一番印象に残ったのは笑顔を絶やさず優しくお年寄りに接していた介護士だった

お年寄りの中には悩みを抱えている人が多いそうだその悩みを解消させる人もまた介護士だっ

た僕は介護士がお年寄りの体を支えるだけではなく心もそっと支えて生きる喜びを与え

ているのだと感じた

 

現代は三世代で暮らす家族が減り核家族が増えているそれはお年寄りの世話が大変だ

からという理由が多いだから老人ホームやデイサービスに預ける人が増えていると僕には

思えたお年寄りの中には自分が嫌われているのではないかとさえ思ってしまう人もいるそう

だそれはお年寄りにとって辛く悲しいことだと思うある介護士がこんなことをおっしゃっ

ていた「人の優しさはお金では買えない」誰にでも優しい心があると思うしかしあと一歩

入賞作文集 48

入賞作文

のところで行動に移すことができない人が多いの

だ僕たちが平和な社会で暮らせるのは今まで

頑張ってきてくれたお年寄りのお陰であることを

忘れてはいけないお年寄りを大切にすることは

当たり前のことなのだ

 

また障害者に対しても偏見の目で見ないで

そっと近づいて手を貸してあげれば健常者との

高い大きな壁を崩すことができると思う

 

障害者にも高齢者にもまた健常者にも人権

はあるお互いの人権を大切にすることが明る

い未来に繋がっていくのだと思う

 

早く祖父に僕の作った靴下を届けたい

49 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

 

僕は小学校六年生まで福岡県に住んでいましたそこで僕が体験したことです五年生のこ

ろ僕の友だちのA君が同級生のK君の靴を隠したりからかったりしていることがよくあり

ました最初は僕もあまり気にしていませんでしたがK君のことを「なんだかかわいそう」と

思うようになりました

 

ある日僕は勇気をだして先生に「K君がいじめにあっています」と報告しました初め先生は

「じゃれ合っているだけだろう」と「いじめ」とは思ってくれませんでしたでもその後「いじ

め」と分かりA君は先生に注意されその日一日は反省した様子で過ごしていましたしかし

次の日学校に行くといじめは前以上にエスカレートしていて蹴ったりたたいたりするように

なりましたしかも「死ね」「うざい」「消えろ」などの言葉が飛び交うようになりそんな日々

法務事務次官賞

浦うら

谷たに

 毅たける

徳島県三好市立池田中学校 三年

いじめをなくすために今

入賞作文集 50

入賞作文

が続きました

 

それは六年生になっても続きました僕はそのいじめを止めることができず毎日見て見ぬ

振りをしていました今思うと自分がとても恥ずかしいです本当の友達なら止めるべきなの

にそれだけではなくいじめられているK君に声一つかけることができずにいました心の中

ではA君に「やめろよ」と言おうと思っていたけどなぜか勇気が出ませんでした次にい

じめられるのが自分になるのが恐くて言えなかったのです

 

そんな日々が続く中僕の気持ちを大きく変える出来事がありました父の死ですそのとき

のことは今でも忘れることができません聞いたときには頭の中が真っ白になりました最初

は信じることができませんでした一週間も二週間も学校に行けずただぼーっと過ごしてい

ましたいろんなことを考え徐々に「死」というものの悲しさつらさ「死」という意味の

重さがわかってきましたそして時間はかかりましたが「命は一瞬にして消え二度と戻っ

てこないものだだから命を大切に今を大切にしなければならない」と深く受け止めることが

できるようになりましたそして周りの子たちは僕のような経験がないから「死ね」とか軽々

しく言えるのだろうと思いこの気持ちを伝えなくてはならないと考えました僕が強くならな

くてはと思いました

 

こんな気持ちになったとき僕には時間がありませんでした母の実家がある徳

島への引っ越しが一週間後に決まっていたのです落ち込んでいる暇は無いと思

い学校に行った僕はA君に言いました「いじめなんかやめろよいじめたって

51 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

喜ぶ人はいないし悲しむ人がいるだけだろ自分だってほんとは嫌だろ『死ね』

とか『消えろ』とか言葉の重さを知らないのに言うなよ」と言いました父親の

突然の死そのあと僕が考えたことも伝えました

 

友だちは黙って聞いてくれました僕の言葉にうなずいてそのあとK君の

ところへ行き「ごめん言葉の重さも知らずに言って本当にごめんぜったいに死ねなんて

ことは言わないそしていじめは絶対にしないほんとうにごめん」とあやまりましたK君

はとても優しい笑顔で「いいよ」と一言言いました僕もK君に言いました

「今まで助けてあげられなくてごめん」

K君は笑顔で「ありがとう」と言ってくれました今まで自分の中でもやもやしていた気持ちが

スーっと晴れました

 

今も時々耳にする暴言冗談半分で言っているのかもしれませんしかしいついじめにつ

ながるかわかりません他人を傷つけることで自分のストレスを晴らそうとしているのでしょう

関係ないふりをしようとする自分がいます楽な考え方をする自分がいますそんな時亡くなっ

た父の顔やK君の優しい笑顔を思い出しますあの時の自分のように強い気持ちを持とう「や

めろよ」と一言言うするとまた気持ちがスーっとしてきました

 

父の分も頑張って生き抜こうと決めた僕にとって正しいことを素直に認め悪いことを否定

できる強い意志を持つことが目標ですそして何よりも命を大切に今を大切にしていきたい

と思っています

入賞作文集 52

入賞作文

53 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

 

ぼくは今まで四つの外国に暮らしいろいろな国の人たちの中で育ってきた

 

まずタイで生まれてタイ人のメイドさんやドライバーさんにいつも遊んでもらっていた

らしい一才になると週一回の体操教室にも通いタイ人の友達もいたそうだ

 

次にシンガポールでは初めてナサリースクール(保育園)に通いいろいろな国の友達と

知り合ったプレイルームにある滑り台を滑る順番争いでいつも勝つのは体の大きい金髪の友

達だった

 

一回目の香港生活では英語の幼稚園に通ったその時のぼくの一番の友達はカナダ人だった

彼とはよくベイブレードをして遊んだが父が日本の出張で買ってきてくれた独楽や剣玉をして

遊ぶこともあった

村むら

瀬せ

 広ひろ

高たか

香港日本人学校中学部 二年

国境をこえて

海 外 作 品

今回は本選への応募とすることはできませんでしたが

 海外から寄せられた作品のうち一作品を御紹介します

入賞作文集 54

海外作品

 

それからインドでは日本人学校に通ったが夏休みには毎年アメリカンスクールのサマー

スクールに参加したし日本人のいない現地のテニススクールにも入り二年間通ったまたイ

ンドの現地幼稚園に通っていた妹のベストフレンドはコンゴ人でその兄弟もぼくの友達だった

 

そして三年間の日本生活を経て今また香港に戻ってきた

 

このようにぼくはいろいろな国でいろいろな国の人たちのお世話になりいろいろな国

の友達と遊んで育った肌が真っ黒な友達もゲームの話をすればすぐに仲良くなれたし髪が

金色の友達もポケモンの話をすれば気が合ったぼくは小さい頃から英語はうまくしゃべれ

なかったけれどもジェスチャーをつけたでたらめ英語でも充分に話は通じただからいろい

ろな国の人たちの中でぼくが日本人だからといって差別されたり嫌な思いをしたりしたこと

はないしぼくも肌の色が違うからとか言葉が通じないからという理由で違う人間だと思っ

たことはないそうぼくは外国人を差別したことはない

 

しかし本当にぼくは外国人を差別したことがないのだろうか外国人を差別した発言を一

度もしたことがないかと考えると自信がない

 

例えば香港人には赤信号でも平気で渡る人がたくさんいるそれを見てぼくは

「香港人はしょうがないな」

と思うでもよく見ると香港人全員が信号無視をしているわけではないまた

世界には今でも戦争をしている国がいくつもある

「人を傷つけ合うなんて馬鹿げている」

55 第30回全国中学生人権作文コンテスト

海外作品

とぼくは悲しくなるでもそれも好きで戦っている人がいるとも思えないその

人たちがそうなったのには何かきっと原因があるはずだ

 

逆に外国人から見ると日本人はどのように思われているのだろう

 

インドから日本に帰国した時毎日ごみがたくさん出ることにぼくはとても驚

いたインドの人たちがよく使う道端にあるカレー屋さんではバナナの葉で作ったお皿にカ

レーを入れてくれる食べた後そのお皿を道に捨てるとのら牛がその葉っぱを食べるそして

牛のふんは燃料になるというそれに比べて日本はちょっと歩くとペットボトルの飲み物が

買えファーストフードのお店では使い捨ての食器を使い立派なお菓子の箱を開けると中身が

少なくてがっかりすることもあるある時母が捨てたジャムの空きびんをメイドさんとエア

コンの修理にきていたワーカーさんとが取り合ってけんかをしていたこともあったそれを見

てぼくはあきれてしまったが逆にインド人から見ると使い捨て文化のしみついた日本人は

とんでもない人間にみえるのかもしれない国によって考え方や行動パターンが違うのは歴史

的背景や宗教習慣気候などのいろいろなことが関わっているのだと思う

 

このように考えると差別とはその人の一部しか見ていないことや自分のやり方だけが正

しいと思うことからおきるのではないかと思うその人が自分とは違った行動をとったとしても

それには深い理由があるのだろうと考えればきっと納得できると思うぼくもこれからは否

定的な発言をする前にその人たちのことをいろいろな角度から見て理解する努力をしてみよう

と思う外国との間には自分の国とは違う言葉や文化という壁があるとみんな言うがそこに

入賞作文集 56

海外作品

あるのは壁ではなく橋だとぼくは思う理解

し合おうという気持ちがあればきっと誰でも

その橋を渡っていけるはずだ気持ちの国境を

こえるのにパスポートはいらないお互いを理

解し合おうと思う気持ちが一番大切だと思う

そしてぼくはこれから日本人として生きる

のではなく地球人として生きていこうと思う

57 第30回全国中学生人権作文コンテスト

海外作品

法務局地方法務局名 郵便番号 所  在  地 電  話

金沢地方法務局人権擁護課920-0024 金沢市西念3-4-1金沢駅西合同庁舎(平成23年3月11日まで) 076-231-1244

921-8505 金沢市新神田4-3-10金沢新神田合同庁舎(平成23年3月14日から) 076-292-7804

富山地方法務局人権擁護課 930-0856 富山市牛島新町11番7号富山合同庁舎 076-441-6376

大阪法務局人権擁護部 540-8544 大阪市中央区谷町2丁目1番17号大阪第2法務合同庁舎 06-6942-9492

京都地方法務局人権擁護課 602-8577 京都市上京区荒神口通河原町東入上生洲町197番地 075-231-0131

神戸地方法務局人権擁護課 650-0042 神戸市中央区波止場町1番1号神戸第2地方合同庁舎 078-392-1821

奈良地方法務局人権擁護課 630-8305 奈良市東紀寺町3-4-1奈良第2法務総合庁舎 0742-23-5457

大津地方法務局人権擁護課 520-8516 大津市御陵町3番6号大津法務総合庁舎 077-522-4673

和歌山地方法務局人権擁護課 640-8552 和歌山市二番丁2番地和歌山地方合同庁舎 073-422-5131

広島法務局人権擁護部 730-8536 広島市中区上八丁堀6番30号広島合同庁舎 082-228-5790

山口地方法務局人権擁護課 753-8577 山口市中河原町6番16号山口地方合同庁舎2号館 083-922-2295

岡山地方法務局人権擁護課 700-8616 岡山市北区南方1丁目3番58号 086-224-5761

鳥取地方法務局人権擁護課 680-0011 鳥取市東町2丁目302番地鳥取第2地方合同庁舎 0857-22-2289

松江地方法務局人権擁護課 690-0886 松江市母衣町50番地松江法務合同庁舎 0852-32-4260

高松法務局人権擁護部 761-8077 高松市出作町585-4 087-815-5311

徳島地方法務局人権擁護課 770-8512 徳島市徳島町城内6番地6徳島地方合同庁舎 088-622-4171

高知地方法務局人権擁護課 780-8509 高知市栄田町2丁目2番10号高知よさこい咲都合同庁舎 088-822-3331

松山地方法務局人権擁護課 790-8505 松山市宮田町188番地6松山地方合同庁舎 089-932-0888

福岡法務局人権擁護部 814-0005 福岡市早良区祖原14-15福岡法務局西新出張所庁舎5階 092-832-4311

佐賀地方法務局人権擁護課 840-0041 佐賀市城内2丁目10番20号佐賀合同庁舎 0952-26-2148

長崎地方法務局人権擁護課 850-8507 長崎市万才町8番16号 095-826-8127大分地方法務局人権擁護課 870-8513 大分市荷揚町7番5号大分法務総合庁舎 097-532-3368

熊本地方法務局人権擁護課 862-0971 熊本市大江3丁目1番53号熊本第2合同庁舎 096-364-2145

鹿児島地方法務局人権擁護課 890-8518 鹿児島市鴨池新町1番2号 099-259-0684宮崎地方法務局人権擁護課 880-8513 宮崎市別府町1番1号宮崎法務総合庁舎 0985-22-5124

那覇地方法務局人権擁護課 900-8544 那覇市樋川1丁目15番15号那覇第1地方合同庁舎 098-854-1215

入賞作文集 58

問合せ先一覧

法務局地方法務局名 郵便番号 所  在  地 電  話

札幌法務局人権擁護部 060-0808 札幌市北区北8条西2丁目1番1札幌第1合同庁舎 011-709-2311

函館地方法務局人権擁護課 040-8533 函館市新川町25番18号函館地方合同庁舎 0138-23-9528

旭川地方法務局人権擁護課 078-8502 旭川市宮前通東4155番31旭川合同庁舎 0166-38-1114

釧路地方法務局人権擁護課 085-8522 釧路市幸町10丁目3番地釧路地方合同庁舎 0154-31-5014

仙台法務局人権擁護部 980-8601 仙台市青葉区春日町7番25号仙台第3法務総合庁舎 022-225-5739

福島地方法務局人権擁護課 960-8021 福島市霞町1番46号福島合同庁舎 024-534-1994

山形地方法務局人権擁護課 990-0041 山形市緑町1丁目5番48号山形地方合同庁舎 023-625-1321

盛岡地方法務局人権擁護課 020-0023 盛岡市内丸7番25号盛岡合同庁舎 019-624-9859秋田地方法務局人権擁護課 010-0951 秋田市山王7丁目1番3号 018-862-6533

青森地方法務局人権擁護課 030-8511 青森市長島1丁目3番5号青森第二合同庁舎 017-776-9024

東京法務局人権擁護部 102-8225 千代田区九段南1丁目1番15号九段第2合同庁舎 03-5213-1234

横浜地方法務局人権擁護課 231-8411 横浜市中区北仲通5丁目57番地横浜第2合同庁舎 045-641-7926

さいたま地方法務局人権擁護課 338-8513 さいたま市中央区下落合5-12-1さいたま第二法務総合庁舎 048-859-3507

千葉地方法務局人権擁護課 260-8518 千葉市中央区中央港1丁目11番3号千葉地方合同庁舎 043-302-1319

水戸地方法務局人権擁護課 310-0061 水戸市北見町1番1号水戸地方法務合同庁舎 029-227-9919

宇都宮地方法務局人権擁護課 320-8515 宇都宮市小幡2丁目1番11号宇都宮地方法務合同庁舎 028-623-0926

前橋地方法務局人権擁護課 371-8535 前橋市大手町2丁目10番5号前橋合同庁舎 027-221-4426

静岡地方法務局人権擁護課 420-8650 静岡市葵区追手町9番50号静岡地方合同庁舎 054-254-3555

甲府地方法務局人権擁護課 400-8520 甲府市北口1丁目2番19号甲府地方合同庁舎 055-252-7239

長野地方法務局人権擁護課 380-0846 長野市旭町1108番地長野第2合同庁舎 026-235-6634

新潟地方法務局人権擁護課 951-8504 新潟市中央区西大畑町5191番地新潟地方法務総合庁舎 025-222-1564

名古屋法務局人権擁護部 460-8513 名古屋市中区三の丸2丁目2番1号名古屋合同庁舎第1号館 052-952-8111

津地方法務局人権擁護課 514-8503 津市丸之内26番8号津合同庁舎 059-228-4193岐阜地方法務局人権擁護課 500-8729 岐阜市金竜町5丁目13番地 058-245-3181

福井地方法務局人権擁護課 910-8504 福井市春山1丁目1番54号福井春山合同庁舎 0776-22-5090

問合せ先一覧 (法務局地方法務局)

59 第30回全国中学生人権作文コンテスト

問合せ先一覧

世界人権宣言啓発書画「鳥」「自由と解放」を表わしたもの 小木太法書オタビオロス画(財)人権擁護協力会提供

入賞作文集 60

すべての人間は生まれながらにして

自由でありかつ尊厳と権利とに

ついて平等である人間は理性と

良心とを授けられており互いに同胞の

精神をもって行動しなければならない

―――

世界人権宣言 第一条

―――

第三〇回

 全国中学生人権作文コンテスト

中央大会表彰式

印  刷 平成23年1月25日

発  行 平成23年2月14日

発 行 者 法務省人権擁護局

全国人権擁護委員連合会

東京都千代田区霞が関一丁目1番1号

電話 03(3580)4111 内線5875

URL httpwwwmojgojpJINKEN

第30回全国中学生人権作文コンテスト中央大会審査員

感想をお聞かせください本作文集を読まれた感想等を下記の連絡先又はkeihatsumojgojpまでお寄せください

無断転載を禁じます本作文集に掲載された作文や写真等を地方自治体が広報誌に掲載したり学校が教材に使用される場合などにはあらかじめ下記に御連絡ください

100-8977 東京都千代田区霞が関一丁目1番1号 法務省人権擁護局人権啓発課 TEL03(3580)4111 内線5875

作  家(審査員長) 落 合 恵 子映画監督 山 田 洋 次社団法人日本新聞協会事務局長 川 嶋   明日本放送協会解説委員室解説委員 南   直 樹文部科学省初等中等教育局視学官 三 好 仁 司全国人権擁護委員連合会長 中 村 浩 紹法務省人権擁護局長   井 忠 雄

(敬称略)

【式次第】

第一部

 会

主催者あいさつ

賞状授与

内閣総理大臣賞法務大臣賞

文部科学大臣奨励賞法務副大臣賞

法務大臣政務官賞

全国人権擁護委員連合会長賞

社団法人日本新聞協会会長賞

日本放送協会会長賞(以上各一名)

法務事務次官賞(三名) 計一一名

学校への感謝状贈呈

高円宮妃殿下おことば

来賓祝辞

第二部

各受賞作文の朗読

内閣総理大臣賞法務大臣賞

文部科学大臣奨励賞

全国人権擁護委員連合会長賞

社団法人日本新聞協会会長賞

日本放送協会会長賞

 評

全国中学生人権作文コンテスト中央大会審査員

 山田洋次氏

 落合恵子氏(ビデオレター形式)

第三部

新垣勉さんコンサート

 会 平成二二年一二月一八日(土)

午後一時三〇分〜三時五〇分

於ニッショーホール

「いじめ」や暴力行為等は人権侵害です

法務局地方法務局では

人権侵害による被害を受けた方を

救済するための活動を行っています

お気軽にご相談ください

女性の人権ホットライン

インターネット人権相談受付窓口

ゼロナナゼロのハートライン

0570-070-810

子どもの人権110番ぜろぜろななのひゃくとおばん

 0120-007-110

パソコンから httpwwwmojgojpJINKENjinken113html携帯電話から httpwwwjinkengojpsoudanmobile001html

インターネット人権相談 検 索

Human Rights法務省人権擁護局全国人権擁護委員連合会

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第30回全国中学生人権作文コンテスト入賞作文集

法務省人権擁護局全国人権擁護委員連合会

人権イメージキャラクター人KENまもる君人KENあゆみちゃん

この冊子には音声コードが各頁(奇数頁 左下偶数頁 右下)に印刷されています専用の読み上げ装置で読み取ると記録されている情報を音声で聞くことが出来ます

Human Rights法務省人権擁護局全国人権擁護委員連合会

 全国中学生人権作文コンテスト入賞作文集

 全国中学生人権作文コンテスト入賞作文集

第30回

た僕も何か役に立てることはないかと考えた

 

僕の学校には総合学習という授業があるそこで僕は福祉というカテゴリーを選んだ自

分で社会に役立てることを考え実際に行動することが目標だった僕は障害者のために何が

できるかを考えた

 

僕は二年前に静岡文化芸術大学で障害者がいかに日常生活で不自由のない生活ができるかを

考えるプロジェクトがあるのを新聞で知ったそれは大学生たちが個人個人にあった自助具を

作るプロジェクトだった僕は障害者のために何かできるのではと感じた

 

僕は静岡文化芸術大学へ行って僕にもできることがないかと聞いたすると学生さんが

自助具を作ってみないかと声をかけてくれた僕は迷わず「はい」と言った障害者のために

役に立てることがあると思うとすばらしいことだと思ったからだ

 

祖父のつらい顔を見ると日常生活に数々の大きな壁があることが伝わってくる

 

僕は祖父の数々の大きな壁を突き破ろうと思った祖父のために自助具を考え作ろうと僕

は思った祖父が靴下の脱ぎ履きが大変だと言っていたことを思い出したそこで脱ぎ履きし

やすい靴下はできないか考えた靴下の両脇にひもを取り付けてそれを引っ張ると靴下が縮み

脱ぎ履きしやすくなる仕組みだ大学の先生も良いアイディアだと言って褒めてく

れたこれは障害者だけでなく健常者にも使えると言われたユニバーサルデザ

インだと分かった

 

ユニバーサルデザインは年齢や障害の有無にかかわらず全ての人が使いやす

47 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

いように工夫された用具などのデザインである境界がなくなるように健常者が障

害者に対する偏見を考え差別意識がなくなるチャンスだと思った障害者と健常

者が共によりよく生きることが大切だと僕は思った

 

自助具の作品展では杖をついているお年寄り車椅子に乗った若い女性目の

見えない人福祉関係者など沢山の人々が観に来ていた皆自分の生活を良くしようと思っ

ているようだったまた障害者のためにできることは何だろうかと考えている健常者もいるよ

うだった

 

二年生の時の総合学習では二箇所のデイサービスを訪問したデイサービスには六十五歳以

上のお年寄りがいた暗く元気のない人明るく振る舞い誰とでも話せる人など様々だった

しかし僕が一番印象に残ったのは笑顔を絶やさず優しくお年寄りに接していた介護士だった

お年寄りの中には悩みを抱えている人が多いそうだその悩みを解消させる人もまた介護士だっ

た僕は介護士がお年寄りの体を支えるだけではなく心もそっと支えて生きる喜びを与え

ているのだと感じた

 

現代は三世代で暮らす家族が減り核家族が増えているそれはお年寄りの世話が大変だ

からという理由が多いだから老人ホームやデイサービスに預ける人が増えていると僕には

思えたお年寄りの中には自分が嫌われているのではないかとさえ思ってしまう人もいるそう

だそれはお年寄りにとって辛く悲しいことだと思うある介護士がこんなことをおっしゃっ

ていた「人の優しさはお金では買えない」誰にでも優しい心があると思うしかしあと一歩

入賞作文集 48

入賞作文

のところで行動に移すことができない人が多いの

だ僕たちが平和な社会で暮らせるのは今まで

頑張ってきてくれたお年寄りのお陰であることを

忘れてはいけないお年寄りを大切にすることは

当たり前のことなのだ

 

また障害者に対しても偏見の目で見ないで

そっと近づいて手を貸してあげれば健常者との

高い大きな壁を崩すことができると思う

 

障害者にも高齢者にもまた健常者にも人権

はあるお互いの人権を大切にすることが明る

い未来に繋がっていくのだと思う

 

早く祖父に僕の作った靴下を届けたい

49 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

 

僕は小学校六年生まで福岡県に住んでいましたそこで僕が体験したことです五年生のこ

ろ僕の友だちのA君が同級生のK君の靴を隠したりからかったりしていることがよくあり

ました最初は僕もあまり気にしていませんでしたがK君のことを「なんだかかわいそう」と

思うようになりました

 

ある日僕は勇気をだして先生に「K君がいじめにあっています」と報告しました初め先生は

「じゃれ合っているだけだろう」と「いじめ」とは思ってくれませんでしたでもその後「いじ

め」と分かりA君は先生に注意されその日一日は反省した様子で過ごしていましたしかし

次の日学校に行くといじめは前以上にエスカレートしていて蹴ったりたたいたりするように

なりましたしかも「死ね」「うざい」「消えろ」などの言葉が飛び交うようになりそんな日々

法務事務次官賞

浦うら

谷たに

 毅たける

徳島県三好市立池田中学校 三年

いじめをなくすために今

入賞作文集 50

入賞作文

が続きました

 

それは六年生になっても続きました僕はそのいじめを止めることができず毎日見て見ぬ

振りをしていました今思うと自分がとても恥ずかしいです本当の友達なら止めるべきなの

にそれだけではなくいじめられているK君に声一つかけることができずにいました心の中

ではA君に「やめろよ」と言おうと思っていたけどなぜか勇気が出ませんでした次にい

じめられるのが自分になるのが恐くて言えなかったのです

 

そんな日々が続く中僕の気持ちを大きく変える出来事がありました父の死ですそのとき

のことは今でも忘れることができません聞いたときには頭の中が真っ白になりました最初

は信じることができませんでした一週間も二週間も学校に行けずただぼーっと過ごしてい

ましたいろんなことを考え徐々に「死」というものの悲しさつらさ「死」という意味の

重さがわかってきましたそして時間はかかりましたが「命は一瞬にして消え二度と戻っ

てこないものだだから命を大切に今を大切にしなければならない」と深く受け止めることが

できるようになりましたそして周りの子たちは僕のような経験がないから「死ね」とか軽々

しく言えるのだろうと思いこの気持ちを伝えなくてはならないと考えました僕が強くならな

くてはと思いました

 

こんな気持ちになったとき僕には時間がありませんでした母の実家がある徳

島への引っ越しが一週間後に決まっていたのです落ち込んでいる暇は無いと思

い学校に行った僕はA君に言いました「いじめなんかやめろよいじめたって

51 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

喜ぶ人はいないし悲しむ人がいるだけだろ自分だってほんとは嫌だろ『死ね』

とか『消えろ』とか言葉の重さを知らないのに言うなよ」と言いました父親の

突然の死そのあと僕が考えたことも伝えました

 

友だちは黙って聞いてくれました僕の言葉にうなずいてそのあとK君の

ところへ行き「ごめん言葉の重さも知らずに言って本当にごめんぜったいに死ねなんて

ことは言わないそしていじめは絶対にしないほんとうにごめん」とあやまりましたK君

はとても優しい笑顔で「いいよ」と一言言いました僕もK君に言いました

「今まで助けてあげられなくてごめん」

K君は笑顔で「ありがとう」と言ってくれました今まで自分の中でもやもやしていた気持ちが

スーっと晴れました

 

今も時々耳にする暴言冗談半分で言っているのかもしれませんしかしいついじめにつ

ながるかわかりません他人を傷つけることで自分のストレスを晴らそうとしているのでしょう

関係ないふりをしようとする自分がいます楽な考え方をする自分がいますそんな時亡くなっ

た父の顔やK君の優しい笑顔を思い出しますあの時の自分のように強い気持ちを持とう「や

めろよ」と一言言うするとまた気持ちがスーっとしてきました

 

父の分も頑張って生き抜こうと決めた僕にとって正しいことを素直に認め悪いことを否定

できる強い意志を持つことが目標ですそして何よりも命を大切に今を大切にしていきたい

と思っています

入賞作文集 52

入賞作文

53 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

 

ぼくは今まで四つの外国に暮らしいろいろな国の人たちの中で育ってきた

 

まずタイで生まれてタイ人のメイドさんやドライバーさんにいつも遊んでもらっていた

らしい一才になると週一回の体操教室にも通いタイ人の友達もいたそうだ

 

次にシンガポールでは初めてナサリースクール(保育園)に通いいろいろな国の友達と

知り合ったプレイルームにある滑り台を滑る順番争いでいつも勝つのは体の大きい金髪の友

達だった

 

一回目の香港生活では英語の幼稚園に通ったその時のぼくの一番の友達はカナダ人だった

彼とはよくベイブレードをして遊んだが父が日本の出張で買ってきてくれた独楽や剣玉をして

遊ぶこともあった

村むら

瀬せ

 広ひろ

高たか

香港日本人学校中学部 二年

国境をこえて

海 外 作 品

今回は本選への応募とすることはできませんでしたが

 海外から寄せられた作品のうち一作品を御紹介します

入賞作文集 54

海外作品

 

それからインドでは日本人学校に通ったが夏休みには毎年アメリカンスクールのサマー

スクールに参加したし日本人のいない現地のテニススクールにも入り二年間通ったまたイ

ンドの現地幼稚園に通っていた妹のベストフレンドはコンゴ人でその兄弟もぼくの友達だった

 

そして三年間の日本生活を経て今また香港に戻ってきた

 

このようにぼくはいろいろな国でいろいろな国の人たちのお世話になりいろいろな国

の友達と遊んで育った肌が真っ黒な友達もゲームの話をすればすぐに仲良くなれたし髪が

金色の友達もポケモンの話をすれば気が合ったぼくは小さい頃から英語はうまくしゃべれ

なかったけれどもジェスチャーをつけたでたらめ英語でも充分に話は通じただからいろい

ろな国の人たちの中でぼくが日本人だからといって差別されたり嫌な思いをしたりしたこと

はないしぼくも肌の色が違うからとか言葉が通じないからという理由で違う人間だと思っ

たことはないそうぼくは外国人を差別したことはない

 

しかし本当にぼくは外国人を差別したことがないのだろうか外国人を差別した発言を一

度もしたことがないかと考えると自信がない

 

例えば香港人には赤信号でも平気で渡る人がたくさんいるそれを見てぼくは

「香港人はしょうがないな」

と思うでもよく見ると香港人全員が信号無視をしているわけではないまた

世界には今でも戦争をしている国がいくつもある

「人を傷つけ合うなんて馬鹿げている」

55 第30回全国中学生人権作文コンテスト

海外作品

とぼくは悲しくなるでもそれも好きで戦っている人がいるとも思えないその

人たちがそうなったのには何かきっと原因があるはずだ

 

逆に外国人から見ると日本人はどのように思われているのだろう

 

インドから日本に帰国した時毎日ごみがたくさん出ることにぼくはとても驚

いたインドの人たちがよく使う道端にあるカレー屋さんではバナナの葉で作ったお皿にカ

レーを入れてくれる食べた後そのお皿を道に捨てるとのら牛がその葉っぱを食べるそして

牛のふんは燃料になるというそれに比べて日本はちょっと歩くとペットボトルの飲み物が

買えファーストフードのお店では使い捨ての食器を使い立派なお菓子の箱を開けると中身が

少なくてがっかりすることもあるある時母が捨てたジャムの空きびんをメイドさんとエア

コンの修理にきていたワーカーさんとが取り合ってけんかをしていたこともあったそれを見

てぼくはあきれてしまったが逆にインド人から見ると使い捨て文化のしみついた日本人は

とんでもない人間にみえるのかもしれない国によって考え方や行動パターンが違うのは歴史

的背景や宗教習慣気候などのいろいろなことが関わっているのだと思う

 

このように考えると差別とはその人の一部しか見ていないことや自分のやり方だけが正

しいと思うことからおきるのではないかと思うその人が自分とは違った行動をとったとしても

それには深い理由があるのだろうと考えればきっと納得できると思うぼくもこれからは否

定的な発言をする前にその人たちのことをいろいろな角度から見て理解する努力をしてみよう

と思う外国との間には自分の国とは違う言葉や文化という壁があるとみんな言うがそこに

入賞作文集 56

海外作品

あるのは壁ではなく橋だとぼくは思う理解

し合おうという気持ちがあればきっと誰でも

その橋を渡っていけるはずだ気持ちの国境を

こえるのにパスポートはいらないお互いを理

解し合おうと思う気持ちが一番大切だと思う

そしてぼくはこれから日本人として生きる

のではなく地球人として生きていこうと思う

57 第30回全国中学生人権作文コンテスト

海外作品

法務局地方法務局名 郵便番号 所  在  地 電  話

金沢地方法務局人権擁護課920-0024 金沢市西念3-4-1金沢駅西合同庁舎(平成23年3月11日まで) 076-231-1244

921-8505 金沢市新神田4-3-10金沢新神田合同庁舎(平成23年3月14日から) 076-292-7804

富山地方法務局人権擁護課 930-0856 富山市牛島新町11番7号富山合同庁舎 076-441-6376

大阪法務局人権擁護部 540-8544 大阪市中央区谷町2丁目1番17号大阪第2法務合同庁舎 06-6942-9492

京都地方法務局人権擁護課 602-8577 京都市上京区荒神口通河原町東入上生洲町197番地 075-231-0131

神戸地方法務局人権擁護課 650-0042 神戸市中央区波止場町1番1号神戸第2地方合同庁舎 078-392-1821

奈良地方法務局人権擁護課 630-8305 奈良市東紀寺町3-4-1奈良第2法務総合庁舎 0742-23-5457

大津地方法務局人権擁護課 520-8516 大津市御陵町3番6号大津法務総合庁舎 077-522-4673

和歌山地方法務局人権擁護課 640-8552 和歌山市二番丁2番地和歌山地方合同庁舎 073-422-5131

広島法務局人権擁護部 730-8536 広島市中区上八丁堀6番30号広島合同庁舎 082-228-5790

山口地方法務局人権擁護課 753-8577 山口市中河原町6番16号山口地方合同庁舎2号館 083-922-2295

岡山地方法務局人権擁護課 700-8616 岡山市北区南方1丁目3番58号 086-224-5761

鳥取地方法務局人権擁護課 680-0011 鳥取市東町2丁目302番地鳥取第2地方合同庁舎 0857-22-2289

松江地方法務局人権擁護課 690-0886 松江市母衣町50番地松江法務合同庁舎 0852-32-4260

高松法務局人権擁護部 761-8077 高松市出作町585-4 087-815-5311

徳島地方法務局人権擁護課 770-8512 徳島市徳島町城内6番地6徳島地方合同庁舎 088-622-4171

高知地方法務局人権擁護課 780-8509 高知市栄田町2丁目2番10号高知よさこい咲都合同庁舎 088-822-3331

松山地方法務局人権擁護課 790-8505 松山市宮田町188番地6松山地方合同庁舎 089-932-0888

福岡法務局人権擁護部 814-0005 福岡市早良区祖原14-15福岡法務局西新出張所庁舎5階 092-832-4311

佐賀地方法務局人権擁護課 840-0041 佐賀市城内2丁目10番20号佐賀合同庁舎 0952-26-2148

長崎地方法務局人権擁護課 850-8507 長崎市万才町8番16号 095-826-8127大分地方法務局人権擁護課 870-8513 大分市荷揚町7番5号大分法務総合庁舎 097-532-3368

熊本地方法務局人権擁護課 862-0971 熊本市大江3丁目1番53号熊本第2合同庁舎 096-364-2145

鹿児島地方法務局人権擁護課 890-8518 鹿児島市鴨池新町1番2号 099-259-0684宮崎地方法務局人権擁護課 880-8513 宮崎市別府町1番1号宮崎法務総合庁舎 0985-22-5124

那覇地方法務局人権擁護課 900-8544 那覇市樋川1丁目15番15号那覇第1地方合同庁舎 098-854-1215

入賞作文集 58

問合せ先一覧

法務局地方法務局名 郵便番号 所  在  地 電  話

札幌法務局人権擁護部 060-0808 札幌市北区北8条西2丁目1番1札幌第1合同庁舎 011-709-2311

函館地方法務局人権擁護課 040-8533 函館市新川町25番18号函館地方合同庁舎 0138-23-9528

旭川地方法務局人権擁護課 078-8502 旭川市宮前通東4155番31旭川合同庁舎 0166-38-1114

釧路地方法務局人権擁護課 085-8522 釧路市幸町10丁目3番地釧路地方合同庁舎 0154-31-5014

仙台法務局人権擁護部 980-8601 仙台市青葉区春日町7番25号仙台第3法務総合庁舎 022-225-5739

福島地方法務局人権擁護課 960-8021 福島市霞町1番46号福島合同庁舎 024-534-1994

山形地方法務局人権擁護課 990-0041 山形市緑町1丁目5番48号山形地方合同庁舎 023-625-1321

盛岡地方法務局人権擁護課 020-0023 盛岡市内丸7番25号盛岡合同庁舎 019-624-9859秋田地方法務局人権擁護課 010-0951 秋田市山王7丁目1番3号 018-862-6533

青森地方法務局人権擁護課 030-8511 青森市長島1丁目3番5号青森第二合同庁舎 017-776-9024

東京法務局人権擁護部 102-8225 千代田区九段南1丁目1番15号九段第2合同庁舎 03-5213-1234

横浜地方法務局人権擁護課 231-8411 横浜市中区北仲通5丁目57番地横浜第2合同庁舎 045-641-7926

さいたま地方法務局人権擁護課 338-8513 さいたま市中央区下落合5-12-1さいたま第二法務総合庁舎 048-859-3507

千葉地方法務局人権擁護課 260-8518 千葉市中央区中央港1丁目11番3号千葉地方合同庁舎 043-302-1319

水戸地方法務局人権擁護課 310-0061 水戸市北見町1番1号水戸地方法務合同庁舎 029-227-9919

宇都宮地方法務局人権擁護課 320-8515 宇都宮市小幡2丁目1番11号宇都宮地方法務合同庁舎 028-623-0926

前橋地方法務局人権擁護課 371-8535 前橋市大手町2丁目10番5号前橋合同庁舎 027-221-4426

静岡地方法務局人権擁護課 420-8650 静岡市葵区追手町9番50号静岡地方合同庁舎 054-254-3555

甲府地方法務局人権擁護課 400-8520 甲府市北口1丁目2番19号甲府地方合同庁舎 055-252-7239

長野地方法務局人権擁護課 380-0846 長野市旭町1108番地長野第2合同庁舎 026-235-6634

新潟地方法務局人権擁護課 951-8504 新潟市中央区西大畑町5191番地新潟地方法務総合庁舎 025-222-1564

名古屋法務局人権擁護部 460-8513 名古屋市中区三の丸2丁目2番1号名古屋合同庁舎第1号館 052-952-8111

津地方法務局人権擁護課 514-8503 津市丸之内26番8号津合同庁舎 059-228-4193岐阜地方法務局人権擁護課 500-8729 岐阜市金竜町5丁目13番地 058-245-3181

福井地方法務局人権擁護課 910-8504 福井市春山1丁目1番54号福井春山合同庁舎 0776-22-5090

問合せ先一覧 (法務局地方法務局)

59 第30回全国中学生人権作文コンテスト

問合せ先一覧

世界人権宣言啓発書画「鳥」「自由と解放」を表わしたもの 小木太法書オタビオロス画(財)人権擁護協力会提供

入賞作文集 60

すべての人間は生まれながらにして

自由でありかつ尊厳と権利とに

ついて平等である人間は理性と

良心とを授けられており互いに同胞の

精神をもって行動しなければならない

―――

世界人権宣言 第一条

―――

第三〇回

 全国中学生人権作文コンテスト

中央大会表彰式

印  刷 平成23年1月25日

発  行 平成23年2月14日

発 行 者 法務省人権擁護局

全国人権擁護委員連合会

東京都千代田区霞が関一丁目1番1号

電話 03(3580)4111 内線5875

URL httpwwwmojgojpJINKEN

第30回全国中学生人権作文コンテスト中央大会審査員

感想をお聞かせください本作文集を読まれた感想等を下記の連絡先又はkeihatsumojgojpまでお寄せください

無断転載を禁じます本作文集に掲載された作文や写真等を地方自治体が広報誌に掲載したり学校が教材に使用される場合などにはあらかじめ下記に御連絡ください

100-8977 東京都千代田区霞が関一丁目1番1号 法務省人権擁護局人権啓発課 TEL03(3580)4111 内線5875

作  家(審査員長) 落 合 恵 子映画監督 山 田 洋 次社団法人日本新聞協会事務局長 川 嶋   明日本放送協会解説委員室解説委員 南   直 樹文部科学省初等中等教育局視学官 三 好 仁 司全国人権擁護委員連合会長 中 村 浩 紹法務省人権擁護局長   井 忠 雄

(敬称略)

【式次第】

第一部

 会

主催者あいさつ

賞状授与

内閣総理大臣賞法務大臣賞

文部科学大臣奨励賞法務副大臣賞

法務大臣政務官賞

全国人権擁護委員連合会長賞

社団法人日本新聞協会会長賞

日本放送協会会長賞(以上各一名)

法務事務次官賞(三名) 計一一名

学校への感謝状贈呈

高円宮妃殿下おことば

来賓祝辞

第二部

各受賞作文の朗読

内閣総理大臣賞法務大臣賞

文部科学大臣奨励賞

全国人権擁護委員連合会長賞

社団法人日本新聞協会会長賞

日本放送協会会長賞

 評

全国中学生人権作文コンテスト中央大会審査員

 山田洋次氏

 落合恵子氏(ビデオレター形式)

第三部

新垣勉さんコンサート

 会 平成二二年一二月一八日(土)

午後一時三〇分〜三時五〇分

於ニッショーホール

「いじめ」や暴力行為等は人権侵害です

法務局地方法務局では

人権侵害による被害を受けた方を

救済するための活動を行っています

お気軽にご相談ください

女性の人権ホットライン

インターネット人権相談受付窓口

ゼロナナゼロのハートライン

0570-070-810

子どもの人権110番ぜろぜろななのひゃくとおばん

 0120-007-110

パソコンから httpwwwmojgojpJINKENjinken113html携帯電話から httpwwwjinkengojpsoudanmobile001html

インターネット人権相談 検 索

Human Rights法務省人権擁護局全国人権擁護委員連合会

人権イメージキャラクター人KENあゆみちゃん人KENまもる君

全国共通通話料無料

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この冊子は環境保護印刷の「水なし印刷」で印刷されています

第30回全国中学生人権作文コンテスト入賞作文集

法務省人権擁護局全国人権擁護委員連合会

人権イメージキャラクター人KENまもる君人KENあゆみちゃん

この冊子には音声コードが各頁(奇数頁 左下偶数頁 右下)に印刷されています専用の読み上げ装置で読み取ると記録されている情報を音声で聞くことが出来ます

Human Rights法務省人権擁護局全国人権擁護委員連合会

 全国中学生人権作文コンテスト入賞作文集

 全国中学生人権作文コンテスト入賞作文集

第30回

いように工夫された用具などのデザインである境界がなくなるように健常者が障

害者に対する偏見を考え差別意識がなくなるチャンスだと思った障害者と健常

者が共によりよく生きることが大切だと僕は思った

 

自助具の作品展では杖をついているお年寄り車椅子に乗った若い女性目の

見えない人福祉関係者など沢山の人々が観に来ていた皆自分の生活を良くしようと思っ

ているようだったまた障害者のためにできることは何だろうかと考えている健常者もいるよ

うだった

 

二年生の時の総合学習では二箇所のデイサービスを訪問したデイサービスには六十五歳以

上のお年寄りがいた暗く元気のない人明るく振る舞い誰とでも話せる人など様々だった

しかし僕が一番印象に残ったのは笑顔を絶やさず優しくお年寄りに接していた介護士だった

お年寄りの中には悩みを抱えている人が多いそうだその悩みを解消させる人もまた介護士だっ

た僕は介護士がお年寄りの体を支えるだけではなく心もそっと支えて生きる喜びを与え

ているのだと感じた

 

現代は三世代で暮らす家族が減り核家族が増えているそれはお年寄りの世話が大変だ

からという理由が多いだから老人ホームやデイサービスに預ける人が増えていると僕には

思えたお年寄りの中には自分が嫌われているのではないかとさえ思ってしまう人もいるそう

だそれはお年寄りにとって辛く悲しいことだと思うある介護士がこんなことをおっしゃっ

ていた「人の優しさはお金では買えない」誰にでも優しい心があると思うしかしあと一歩

入賞作文集 48

入賞作文

のところで行動に移すことができない人が多いの

だ僕たちが平和な社会で暮らせるのは今まで

頑張ってきてくれたお年寄りのお陰であることを

忘れてはいけないお年寄りを大切にすることは

当たり前のことなのだ

 

また障害者に対しても偏見の目で見ないで

そっと近づいて手を貸してあげれば健常者との

高い大きな壁を崩すことができると思う

 

障害者にも高齢者にもまた健常者にも人権

はあるお互いの人権を大切にすることが明る

い未来に繋がっていくのだと思う

 

早く祖父に僕の作った靴下を届けたい

49 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

 

僕は小学校六年生まで福岡県に住んでいましたそこで僕が体験したことです五年生のこ

ろ僕の友だちのA君が同級生のK君の靴を隠したりからかったりしていることがよくあり

ました最初は僕もあまり気にしていませんでしたがK君のことを「なんだかかわいそう」と

思うようになりました

 

ある日僕は勇気をだして先生に「K君がいじめにあっています」と報告しました初め先生は

「じゃれ合っているだけだろう」と「いじめ」とは思ってくれませんでしたでもその後「いじ

め」と分かりA君は先生に注意されその日一日は反省した様子で過ごしていましたしかし

次の日学校に行くといじめは前以上にエスカレートしていて蹴ったりたたいたりするように

なりましたしかも「死ね」「うざい」「消えろ」などの言葉が飛び交うようになりそんな日々

法務事務次官賞

浦うら

谷たに

 毅たける

徳島県三好市立池田中学校 三年

いじめをなくすために今

入賞作文集 50

入賞作文

が続きました

 

それは六年生になっても続きました僕はそのいじめを止めることができず毎日見て見ぬ

振りをしていました今思うと自分がとても恥ずかしいです本当の友達なら止めるべきなの

にそれだけではなくいじめられているK君に声一つかけることができずにいました心の中

ではA君に「やめろよ」と言おうと思っていたけどなぜか勇気が出ませんでした次にい

じめられるのが自分になるのが恐くて言えなかったのです

 

そんな日々が続く中僕の気持ちを大きく変える出来事がありました父の死ですそのとき

のことは今でも忘れることができません聞いたときには頭の中が真っ白になりました最初

は信じることができませんでした一週間も二週間も学校に行けずただぼーっと過ごしてい

ましたいろんなことを考え徐々に「死」というものの悲しさつらさ「死」という意味の

重さがわかってきましたそして時間はかかりましたが「命は一瞬にして消え二度と戻っ

てこないものだだから命を大切に今を大切にしなければならない」と深く受け止めることが

できるようになりましたそして周りの子たちは僕のような経験がないから「死ね」とか軽々

しく言えるのだろうと思いこの気持ちを伝えなくてはならないと考えました僕が強くならな

くてはと思いました

 

こんな気持ちになったとき僕には時間がありませんでした母の実家がある徳

島への引っ越しが一週間後に決まっていたのです落ち込んでいる暇は無いと思

い学校に行った僕はA君に言いました「いじめなんかやめろよいじめたって

51 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

喜ぶ人はいないし悲しむ人がいるだけだろ自分だってほんとは嫌だろ『死ね』

とか『消えろ』とか言葉の重さを知らないのに言うなよ」と言いました父親の

突然の死そのあと僕が考えたことも伝えました

 

友だちは黙って聞いてくれました僕の言葉にうなずいてそのあとK君の

ところへ行き「ごめん言葉の重さも知らずに言って本当にごめんぜったいに死ねなんて

ことは言わないそしていじめは絶対にしないほんとうにごめん」とあやまりましたK君

はとても優しい笑顔で「いいよ」と一言言いました僕もK君に言いました

「今まで助けてあげられなくてごめん」

K君は笑顔で「ありがとう」と言ってくれました今まで自分の中でもやもやしていた気持ちが

スーっと晴れました

 

今も時々耳にする暴言冗談半分で言っているのかもしれませんしかしいついじめにつ

ながるかわかりません他人を傷つけることで自分のストレスを晴らそうとしているのでしょう

関係ないふりをしようとする自分がいます楽な考え方をする自分がいますそんな時亡くなっ

た父の顔やK君の優しい笑顔を思い出しますあの時の自分のように強い気持ちを持とう「や

めろよ」と一言言うするとまた気持ちがスーっとしてきました

 

父の分も頑張って生き抜こうと決めた僕にとって正しいことを素直に認め悪いことを否定

できる強い意志を持つことが目標ですそして何よりも命を大切に今を大切にしていきたい

と思っています

入賞作文集 52

入賞作文

53 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

 

ぼくは今まで四つの外国に暮らしいろいろな国の人たちの中で育ってきた

 

まずタイで生まれてタイ人のメイドさんやドライバーさんにいつも遊んでもらっていた

らしい一才になると週一回の体操教室にも通いタイ人の友達もいたそうだ

 

次にシンガポールでは初めてナサリースクール(保育園)に通いいろいろな国の友達と

知り合ったプレイルームにある滑り台を滑る順番争いでいつも勝つのは体の大きい金髪の友

達だった

 

一回目の香港生活では英語の幼稚園に通ったその時のぼくの一番の友達はカナダ人だった

彼とはよくベイブレードをして遊んだが父が日本の出張で買ってきてくれた独楽や剣玉をして

遊ぶこともあった

村むら

瀬せ

 広ひろ

高たか

香港日本人学校中学部 二年

国境をこえて

海 外 作 品

今回は本選への応募とすることはできませんでしたが

 海外から寄せられた作品のうち一作品を御紹介します

入賞作文集 54

海外作品

 

それからインドでは日本人学校に通ったが夏休みには毎年アメリカンスクールのサマー

スクールに参加したし日本人のいない現地のテニススクールにも入り二年間通ったまたイ

ンドの現地幼稚園に通っていた妹のベストフレンドはコンゴ人でその兄弟もぼくの友達だった

 

そして三年間の日本生活を経て今また香港に戻ってきた

 

このようにぼくはいろいろな国でいろいろな国の人たちのお世話になりいろいろな国

の友達と遊んで育った肌が真っ黒な友達もゲームの話をすればすぐに仲良くなれたし髪が

金色の友達もポケモンの話をすれば気が合ったぼくは小さい頃から英語はうまくしゃべれ

なかったけれどもジェスチャーをつけたでたらめ英語でも充分に話は通じただからいろい

ろな国の人たちの中でぼくが日本人だからといって差別されたり嫌な思いをしたりしたこと

はないしぼくも肌の色が違うからとか言葉が通じないからという理由で違う人間だと思っ

たことはないそうぼくは外国人を差別したことはない

 

しかし本当にぼくは外国人を差別したことがないのだろうか外国人を差別した発言を一

度もしたことがないかと考えると自信がない

 

例えば香港人には赤信号でも平気で渡る人がたくさんいるそれを見てぼくは

「香港人はしょうがないな」

と思うでもよく見ると香港人全員が信号無視をしているわけではないまた

世界には今でも戦争をしている国がいくつもある

「人を傷つけ合うなんて馬鹿げている」

55 第30回全国中学生人権作文コンテスト

海外作品

とぼくは悲しくなるでもそれも好きで戦っている人がいるとも思えないその

人たちがそうなったのには何かきっと原因があるはずだ

 

逆に外国人から見ると日本人はどのように思われているのだろう

 

インドから日本に帰国した時毎日ごみがたくさん出ることにぼくはとても驚

いたインドの人たちがよく使う道端にあるカレー屋さんではバナナの葉で作ったお皿にカ

レーを入れてくれる食べた後そのお皿を道に捨てるとのら牛がその葉っぱを食べるそして

牛のふんは燃料になるというそれに比べて日本はちょっと歩くとペットボトルの飲み物が

買えファーストフードのお店では使い捨ての食器を使い立派なお菓子の箱を開けると中身が

少なくてがっかりすることもあるある時母が捨てたジャムの空きびんをメイドさんとエア

コンの修理にきていたワーカーさんとが取り合ってけんかをしていたこともあったそれを見

てぼくはあきれてしまったが逆にインド人から見ると使い捨て文化のしみついた日本人は

とんでもない人間にみえるのかもしれない国によって考え方や行動パターンが違うのは歴史

的背景や宗教習慣気候などのいろいろなことが関わっているのだと思う

 

このように考えると差別とはその人の一部しか見ていないことや自分のやり方だけが正

しいと思うことからおきるのではないかと思うその人が自分とは違った行動をとったとしても

それには深い理由があるのだろうと考えればきっと納得できると思うぼくもこれからは否

定的な発言をする前にその人たちのことをいろいろな角度から見て理解する努力をしてみよう

と思う外国との間には自分の国とは違う言葉や文化という壁があるとみんな言うがそこに

入賞作文集 56

海外作品

あるのは壁ではなく橋だとぼくは思う理解

し合おうという気持ちがあればきっと誰でも

その橋を渡っていけるはずだ気持ちの国境を

こえるのにパスポートはいらないお互いを理

解し合おうと思う気持ちが一番大切だと思う

そしてぼくはこれから日本人として生きる

のではなく地球人として生きていこうと思う

57 第30回全国中学生人権作文コンテスト

海外作品

法務局地方法務局名 郵便番号 所  在  地 電  話

金沢地方法務局人権擁護課920-0024 金沢市西念3-4-1金沢駅西合同庁舎(平成23年3月11日まで) 076-231-1244

921-8505 金沢市新神田4-3-10金沢新神田合同庁舎(平成23年3月14日から) 076-292-7804

富山地方法務局人権擁護課 930-0856 富山市牛島新町11番7号富山合同庁舎 076-441-6376

大阪法務局人権擁護部 540-8544 大阪市中央区谷町2丁目1番17号大阪第2法務合同庁舎 06-6942-9492

京都地方法務局人権擁護課 602-8577 京都市上京区荒神口通河原町東入上生洲町197番地 075-231-0131

神戸地方法務局人権擁護課 650-0042 神戸市中央区波止場町1番1号神戸第2地方合同庁舎 078-392-1821

奈良地方法務局人権擁護課 630-8305 奈良市東紀寺町3-4-1奈良第2法務総合庁舎 0742-23-5457

大津地方法務局人権擁護課 520-8516 大津市御陵町3番6号大津法務総合庁舎 077-522-4673

和歌山地方法務局人権擁護課 640-8552 和歌山市二番丁2番地和歌山地方合同庁舎 073-422-5131

広島法務局人権擁護部 730-8536 広島市中区上八丁堀6番30号広島合同庁舎 082-228-5790

山口地方法務局人権擁護課 753-8577 山口市中河原町6番16号山口地方合同庁舎2号館 083-922-2295

岡山地方法務局人権擁護課 700-8616 岡山市北区南方1丁目3番58号 086-224-5761

鳥取地方法務局人権擁護課 680-0011 鳥取市東町2丁目302番地鳥取第2地方合同庁舎 0857-22-2289

松江地方法務局人権擁護課 690-0886 松江市母衣町50番地松江法務合同庁舎 0852-32-4260

高松法務局人権擁護部 761-8077 高松市出作町585-4 087-815-5311

徳島地方法務局人権擁護課 770-8512 徳島市徳島町城内6番地6徳島地方合同庁舎 088-622-4171

高知地方法務局人権擁護課 780-8509 高知市栄田町2丁目2番10号高知よさこい咲都合同庁舎 088-822-3331

松山地方法務局人権擁護課 790-8505 松山市宮田町188番地6松山地方合同庁舎 089-932-0888

福岡法務局人権擁護部 814-0005 福岡市早良区祖原14-15福岡法務局西新出張所庁舎5階 092-832-4311

佐賀地方法務局人権擁護課 840-0041 佐賀市城内2丁目10番20号佐賀合同庁舎 0952-26-2148

長崎地方法務局人権擁護課 850-8507 長崎市万才町8番16号 095-826-8127大分地方法務局人権擁護課 870-8513 大分市荷揚町7番5号大分法務総合庁舎 097-532-3368

熊本地方法務局人権擁護課 862-0971 熊本市大江3丁目1番53号熊本第2合同庁舎 096-364-2145

鹿児島地方法務局人権擁護課 890-8518 鹿児島市鴨池新町1番2号 099-259-0684宮崎地方法務局人権擁護課 880-8513 宮崎市別府町1番1号宮崎法務総合庁舎 0985-22-5124

那覇地方法務局人権擁護課 900-8544 那覇市樋川1丁目15番15号那覇第1地方合同庁舎 098-854-1215

入賞作文集 58

問合せ先一覧

法務局地方法務局名 郵便番号 所  在  地 電  話

札幌法務局人権擁護部 060-0808 札幌市北区北8条西2丁目1番1札幌第1合同庁舎 011-709-2311

函館地方法務局人権擁護課 040-8533 函館市新川町25番18号函館地方合同庁舎 0138-23-9528

旭川地方法務局人権擁護課 078-8502 旭川市宮前通東4155番31旭川合同庁舎 0166-38-1114

釧路地方法務局人権擁護課 085-8522 釧路市幸町10丁目3番地釧路地方合同庁舎 0154-31-5014

仙台法務局人権擁護部 980-8601 仙台市青葉区春日町7番25号仙台第3法務総合庁舎 022-225-5739

福島地方法務局人権擁護課 960-8021 福島市霞町1番46号福島合同庁舎 024-534-1994

山形地方法務局人権擁護課 990-0041 山形市緑町1丁目5番48号山形地方合同庁舎 023-625-1321

盛岡地方法務局人権擁護課 020-0023 盛岡市内丸7番25号盛岡合同庁舎 019-624-9859秋田地方法務局人権擁護課 010-0951 秋田市山王7丁目1番3号 018-862-6533

青森地方法務局人権擁護課 030-8511 青森市長島1丁目3番5号青森第二合同庁舎 017-776-9024

東京法務局人権擁護部 102-8225 千代田区九段南1丁目1番15号九段第2合同庁舎 03-5213-1234

横浜地方法務局人権擁護課 231-8411 横浜市中区北仲通5丁目57番地横浜第2合同庁舎 045-641-7926

さいたま地方法務局人権擁護課 338-8513 さいたま市中央区下落合5-12-1さいたま第二法務総合庁舎 048-859-3507

千葉地方法務局人権擁護課 260-8518 千葉市中央区中央港1丁目11番3号千葉地方合同庁舎 043-302-1319

水戸地方法務局人権擁護課 310-0061 水戸市北見町1番1号水戸地方法務合同庁舎 029-227-9919

宇都宮地方法務局人権擁護課 320-8515 宇都宮市小幡2丁目1番11号宇都宮地方法務合同庁舎 028-623-0926

前橋地方法務局人権擁護課 371-8535 前橋市大手町2丁目10番5号前橋合同庁舎 027-221-4426

静岡地方法務局人権擁護課 420-8650 静岡市葵区追手町9番50号静岡地方合同庁舎 054-254-3555

甲府地方法務局人権擁護課 400-8520 甲府市北口1丁目2番19号甲府地方合同庁舎 055-252-7239

長野地方法務局人権擁護課 380-0846 長野市旭町1108番地長野第2合同庁舎 026-235-6634

新潟地方法務局人権擁護課 951-8504 新潟市中央区西大畑町5191番地新潟地方法務総合庁舎 025-222-1564

名古屋法務局人権擁護部 460-8513 名古屋市中区三の丸2丁目2番1号名古屋合同庁舎第1号館 052-952-8111

津地方法務局人権擁護課 514-8503 津市丸之内26番8号津合同庁舎 059-228-4193岐阜地方法務局人権擁護課 500-8729 岐阜市金竜町5丁目13番地 058-245-3181

福井地方法務局人権擁護課 910-8504 福井市春山1丁目1番54号福井春山合同庁舎 0776-22-5090

問合せ先一覧 (法務局地方法務局)

59 第30回全国中学生人権作文コンテスト

問合せ先一覧

世界人権宣言啓発書画「鳥」「自由と解放」を表わしたもの 小木太法書オタビオロス画(財)人権擁護協力会提供

入賞作文集 60

すべての人間は生まれながらにして

自由でありかつ尊厳と権利とに

ついて平等である人間は理性と

良心とを授けられており互いに同胞の

精神をもって行動しなければならない

―――

世界人権宣言 第一条

―――

第三〇回

 全国中学生人権作文コンテスト

中央大会表彰式

印  刷 平成23年1月25日

発  行 平成23年2月14日

発 行 者 法務省人権擁護局

全国人権擁護委員連合会

東京都千代田区霞が関一丁目1番1号

電話 03(3580)4111 内線5875

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第30回全国中学生人権作文コンテスト中央大会審査員

感想をお聞かせください本作文集を読まれた感想等を下記の連絡先又はkeihatsumojgojpまでお寄せください

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100-8977 東京都千代田区霞が関一丁目1番1号 法務省人権擁護局人権啓発課 TEL03(3580)4111 内線5875

作  家(審査員長) 落 合 恵 子映画監督 山 田 洋 次社団法人日本新聞協会事務局長 川 嶋   明日本放送協会解説委員室解説委員 南   直 樹文部科学省初等中等教育局視学官 三 好 仁 司全国人権擁護委員連合会長 中 村 浩 紹法務省人権擁護局長   井 忠 雄

(敬称略)

【式次第】

第一部

 会

主催者あいさつ

賞状授与

内閣総理大臣賞法務大臣賞

文部科学大臣奨励賞法務副大臣賞

法務大臣政務官賞

全国人権擁護委員連合会長賞

社団法人日本新聞協会会長賞

日本放送協会会長賞(以上各一名)

法務事務次官賞(三名) 計一一名

学校への感謝状贈呈

高円宮妃殿下おことば

来賓祝辞

第二部

各受賞作文の朗読

内閣総理大臣賞法務大臣賞

文部科学大臣奨励賞

全国人権擁護委員連合会長賞

社団法人日本新聞協会会長賞

日本放送協会会長賞

 評

全国中学生人権作文コンテスト中央大会審査員

 山田洋次氏

 落合恵子氏(ビデオレター形式)

第三部

新垣勉さんコンサート

 会 平成二二年一二月一八日(土)

午後一時三〇分〜三時五〇分

於ニッショーホール

「いじめ」や暴力行為等は人権侵害です

法務局地方法務局では

人権侵害による被害を受けた方を

救済するための活動を行っています

お気軽にご相談ください

女性の人権ホットライン

インターネット人権相談受付窓口

ゼロナナゼロのハートライン

0570-070-810

子どもの人権110番ぜろぜろななのひゃくとおばん

 0120-007-110

パソコンから httpwwwmojgojpJINKENjinken113html携帯電話から httpwwwjinkengojpsoudanmobile001html

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Human Rights法務省人権擁護局全国人権擁護委員連合会

人権イメージキャラクター人KENあゆみちゃん人KENまもる君

全国共通通話料無料

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第30回全国中学生人権作文コンテスト入賞作文集

法務省人権擁護局全国人権擁護委員連合会

人権イメージキャラクター人KENまもる君人KENあゆみちゃん

この冊子には音声コードが各頁(奇数頁 左下偶数頁 右下)に印刷されています専用の読み上げ装置で読み取ると記録されている情報を音声で聞くことが出来ます

Human Rights法務省人権擁護局全国人権擁護委員連合会

 全国中学生人権作文コンテスト入賞作文集

 全国中学生人権作文コンテスト入賞作文集

第30回

のところで行動に移すことができない人が多いの

だ僕たちが平和な社会で暮らせるのは今まで

頑張ってきてくれたお年寄りのお陰であることを

忘れてはいけないお年寄りを大切にすることは

当たり前のことなのだ

 

また障害者に対しても偏見の目で見ないで

そっと近づいて手を貸してあげれば健常者との

高い大きな壁を崩すことができると思う

 

障害者にも高齢者にもまた健常者にも人権

はあるお互いの人権を大切にすることが明る

い未来に繋がっていくのだと思う

 

早く祖父に僕の作った靴下を届けたい

49 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

 

僕は小学校六年生まで福岡県に住んでいましたそこで僕が体験したことです五年生のこ

ろ僕の友だちのA君が同級生のK君の靴を隠したりからかったりしていることがよくあり

ました最初は僕もあまり気にしていませんでしたがK君のことを「なんだかかわいそう」と

思うようになりました

 

ある日僕は勇気をだして先生に「K君がいじめにあっています」と報告しました初め先生は

「じゃれ合っているだけだろう」と「いじめ」とは思ってくれませんでしたでもその後「いじ

め」と分かりA君は先生に注意されその日一日は反省した様子で過ごしていましたしかし

次の日学校に行くといじめは前以上にエスカレートしていて蹴ったりたたいたりするように

なりましたしかも「死ね」「うざい」「消えろ」などの言葉が飛び交うようになりそんな日々

法務事務次官賞

浦うら

谷たに

 毅たける

徳島県三好市立池田中学校 三年

いじめをなくすために今

入賞作文集 50

入賞作文

が続きました

 

それは六年生になっても続きました僕はそのいじめを止めることができず毎日見て見ぬ

振りをしていました今思うと自分がとても恥ずかしいです本当の友達なら止めるべきなの

にそれだけではなくいじめられているK君に声一つかけることができずにいました心の中

ではA君に「やめろよ」と言おうと思っていたけどなぜか勇気が出ませんでした次にい

じめられるのが自分になるのが恐くて言えなかったのです

 

そんな日々が続く中僕の気持ちを大きく変える出来事がありました父の死ですそのとき

のことは今でも忘れることができません聞いたときには頭の中が真っ白になりました最初

は信じることができませんでした一週間も二週間も学校に行けずただぼーっと過ごしてい

ましたいろんなことを考え徐々に「死」というものの悲しさつらさ「死」という意味の

重さがわかってきましたそして時間はかかりましたが「命は一瞬にして消え二度と戻っ

てこないものだだから命を大切に今を大切にしなければならない」と深く受け止めることが

できるようになりましたそして周りの子たちは僕のような経験がないから「死ね」とか軽々

しく言えるのだろうと思いこの気持ちを伝えなくてはならないと考えました僕が強くならな

くてはと思いました

 

こんな気持ちになったとき僕には時間がありませんでした母の実家がある徳

島への引っ越しが一週間後に決まっていたのです落ち込んでいる暇は無いと思

い学校に行った僕はA君に言いました「いじめなんかやめろよいじめたって

51 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

喜ぶ人はいないし悲しむ人がいるだけだろ自分だってほんとは嫌だろ『死ね』

とか『消えろ』とか言葉の重さを知らないのに言うなよ」と言いました父親の

突然の死そのあと僕が考えたことも伝えました

 

友だちは黙って聞いてくれました僕の言葉にうなずいてそのあとK君の

ところへ行き「ごめん言葉の重さも知らずに言って本当にごめんぜったいに死ねなんて

ことは言わないそしていじめは絶対にしないほんとうにごめん」とあやまりましたK君

はとても優しい笑顔で「いいよ」と一言言いました僕もK君に言いました

「今まで助けてあげられなくてごめん」

K君は笑顔で「ありがとう」と言ってくれました今まで自分の中でもやもやしていた気持ちが

スーっと晴れました

 

今も時々耳にする暴言冗談半分で言っているのかもしれませんしかしいついじめにつ

ながるかわかりません他人を傷つけることで自分のストレスを晴らそうとしているのでしょう

関係ないふりをしようとする自分がいます楽な考え方をする自分がいますそんな時亡くなっ

た父の顔やK君の優しい笑顔を思い出しますあの時の自分のように強い気持ちを持とう「や

めろよ」と一言言うするとまた気持ちがスーっとしてきました

 

父の分も頑張って生き抜こうと決めた僕にとって正しいことを素直に認め悪いことを否定

できる強い意志を持つことが目標ですそして何よりも命を大切に今を大切にしていきたい

と思っています

入賞作文集 52

入賞作文

53 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

 

ぼくは今まで四つの外国に暮らしいろいろな国の人たちの中で育ってきた

 

まずタイで生まれてタイ人のメイドさんやドライバーさんにいつも遊んでもらっていた

らしい一才になると週一回の体操教室にも通いタイ人の友達もいたそうだ

 

次にシンガポールでは初めてナサリースクール(保育園)に通いいろいろな国の友達と

知り合ったプレイルームにある滑り台を滑る順番争いでいつも勝つのは体の大きい金髪の友

達だった

 

一回目の香港生活では英語の幼稚園に通ったその時のぼくの一番の友達はカナダ人だった

彼とはよくベイブレードをして遊んだが父が日本の出張で買ってきてくれた独楽や剣玉をして

遊ぶこともあった

村むら

瀬せ

 広ひろ

高たか

香港日本人学校中学部 二年

国境をこえて

海 外 作 品

今回は本選への応募とすることはできませんでしたが

 海外から寄せられた作品のうち一作品を御紹介します

入賞作文集 54

海外作品

 

それからインドでは日本人学校に通ったが夏休みには毎年アメリカンスクールのサマー

スクールに参加したし日本人のいない現地のテニススクールにも入り二年間通ったまたイ

ンドの現地幼稚園に通っていた妹のベストフレンドはコンゴ人でその兄弟もぼくの友達だった

 

そして三年間の日本生活を経て今また香港に戻ってきた

 

このようにぼくはいろいろな国でいろいろな国の人たちのお世話になりいろいろな国

の友達と遊んで育った肌が真っ黒な友達もゲームの話をすればすぐに仲良くなれたし髪が

金色の友達もポケモンの話をすれば気が合ったぼくは小さい頃から英語はうまくしゃべれ

なかったけれどもジェスチャーをつけたでたらめ英語でも充分に話は通じただからいろい

ろな国の人たちの中でぼくが日本人だからといって差別されたり嫌な思いをしたりしたこと

はないしぼくも肌の色が違うからとか言葉が通じないからという理由で違う人間だと思っ

たことはないそうぼくは外国人を差別したことはない

 

しかし本当にぼくは外国人を差別したことがないのだろうか外国人を差別した発言を一

度もしたことがないかと考えると自信がない

 

例えば香港人には赤信号でも平気で渡る人がたくさんいるそれを見てぼくは

「香港人はしょうがないな」

と思うでもよく見ると香港人全員が信号無視をしているわけではないまた

世界には今でも戦争をしている国がいくつもある

「人を傷つけ合うなんて馬鹿げている」

55 第30回全国中学生人権作文コンテスト

海外作品

とぼくは悲しくなるでもそれも好きで戦っている人がいるとも思えないその

人たちがそうなったのには何かきっと原因があるはずだ

 

逆に外国人から見ると日本人はどのように思われているのだろう

 

インドから日本に帰国した時毎日ごみがたくさん出ることにぼくはとても驚

いたインドの人たちがよく使う道端にあるカレー屋さんではバナナの葉で作ったお皿にカ

レーを入れてくれる食べた後そのお皿を道に捨てるとのら牛がその葉っぱを食べるそして

牛のふんは燃料になるというそれに比べて日本はちょっと歩くとペットボトルの飲み物が

買えファーストフードのお店では使い捨ての食器を使い立派なお菓子の箱を開けると中身が

少なくてがっかりすることもあるある時母が捨てたジャムの空きびんをメイドさんとエア

コンの修理にきていたワーカーさんとが取り合ってけんかをしていたこともあったそれを見

てぼくはあきれてしまったが逆にインド人から見ると使い捨て文化のしみついた日本人は

とんでもない人間にみえるのかもしれない国によって考え方や行動パターンが違うのは歴史

的背景や宗教習慣気候などのいろいろなことが関わっているのだと思う

 

このように考えると差別とはその人の一部しか見ていないことや自分のやり方だけが正

しいと思うことからおきるのではないかと思うその人が自分とは違った行動をとったとしても

それには深い理由があるのだろうと考えればきっと納得できると思うぼくもこれからは否

定的な発言をする前にその人たちのことをいろいろな角度から見て理解する努力をしてみよう

と思う外国との間には自分の国とは違う言葉や文化という壁があるとみんな言うがそこに

入賞作文集 56

海外作品

あるのは壁ではなく橋だとぼくは思う理解

し合おうという気持ちがあればきっと誰でも

その橋を渡っていけるはずだ気持ちの国境を

こえるのにパスポートはいらないお互いを理

解し合おうと思う気持ちが一番大切だと思う

そしてぼくはこれから日本人として生きる

のではなく地球人として生きていこうと思う

57 第30回全国中学生人権作文コンテスト

海外作品

法務局地方法務局名 郵便番号 所  在  地 電  話

金沢地方法務局人権擁護課920-0024 金沢市西念3-4-1金沢駅西合同庁舎(平成23年3月11日まで) 076-231-1244

921-8505 金沢市新神田4-3-10金沢新神田合同庁舎(平成23年3月14日から) 076-292-7804

富山地方法務局人権擁護課 930-0856 富山市牛島新町11番7号富山合同庁舎 076-441-6376

大阪法務局人権擁護部 540-8544 大阪市中央区谷町2丁目1番17号大阪第2法務合同庁舎 06-6942-9492

京都地方法務局人権擁護課 602-8577 京都市上京区荒神口通河原町東入上生洲町197番地 075-231-0131

神戸地方法務局人権擁護課 650-0042 神戸市中央区波止場町1番1号神戸第2地方合同庁舎 078-392-1821

奈良地方法務局人権擁護課 630-8305 奈良市東紀寺町3-4-1奈良第2法務総合庁舎 0742-23-5457

大津地方法務局人権擁護課 520-8516 大津市御陵町3番6号大津法務総合庁舎 077-522-4673

和歌山地方法務局人権擁護課 640-8552 和歌山市二番丁2番地和歌山地方合同庁舎 073-422-5131

広島法務局人権擁護部 730-8536 広島市中区上八丁堀6番30号広島合同庁舎 082-228-5790

山口地方法務局人権擁護課 753-8577 山口市中河原町6番16号山口地方合同庁舎2号館 083-922-2295

岡山地方法務局人権擁護課 700-8616 岡山市北区南方1丁目3番58号 086-224-5761

鳥取地方法務局人権擁護課 680-0011 鳥取市東町2丁目302番地鳥取第2地方合同庁舎 0857-22-2289

松江地方法務局人権擁護課 690-0886 松江市母衣町50番地松江法務合同庁舎 0852-32-4260

高松法務局人権擁護部 761-8077 高松市出作町585-4 087-815-5311

徳島地方法務局人権擁護課 770-8512 徳島市徳島町城内6番地6徳島地方合同庁舎 088-622-4171

高知地方法務局人権擁護課 780-8509 高知市栄田町2丁目2番10号高知よさこい咲都合同庁舎 088-822-3331

松山地方法務局人権擁護課 790-8505 松山市宮田町188番地6松山地方合同庁舎 089-932-0888

福岡法務局人権擁護部 814-0005 福岡市早良区祖原14-15福岡法務局西新出張所庁舎5階 092-832-4311

佐賀地方法務局人権擁護課 840-0041 佐賀市城内2丁目10番20号佐賀合同庁舎 0952-26-2148

長崎地方法務局人権擁護課 850-8507 長崎市万才町8番16号 095-826-8127大分地方法務局人権擁護課 870-8513 大分市荷揚町7番5号大分法務総合庁舎 097-532-3368

熊本地方法務局人権擁護課 862-0971 熊本市大江3丁目1番53号熊本第2合同庁舎 096-364-2145

鹿児島地方法務局人権擁護課 890-8518 鹿児島市鴨池新町1番2号 099-259-0684宮崎地方法務局人権擁護課 880-8513 宮崎市別府町1番1号宮崎法務総合庁舎 0985-22-5124

那覇地方法務局人権擁護課 900-8544 那覇市樋川1丁目15番15号那覇第1地方合同庁舎 098-854-1215

入賞作文集 58

問合せ先一覧

法務局地方法務局名 郵便番号 所  在  地 電  話

札幌法務局人権擁護部 060-0808 札幌市北区北8条西2丁目1番1札幌第1合同庁舎 011-709-2311

函館地方法務局人権擁護課 040-8533 函館市新川町25番18号函館地方合同庁舎 0138-23-9528

旭川地方法務局人権擁護課 078-8502 旭川市宮前通東4155番31旭川合同庁舎 0166-38-1114

釧路地方法務局人権擁護課 085-8522 釧路市幸町10丁目3番地釧路地方合同庁舎 0154-31-5014

仙台法務局人権擁護部 980-8601 仙台市青葉区春日町7番25号仙台第3法務総合庁舎 022-225-5739

福島地方法務局人権擁護課 960-8021 福島市霞町1番46号福島合同庁舎 024-534-1994

山形地方法務局人権擁護課 990-0041 山形市緑町1丁目5番48号山形地方合同庁舎 023-625-1321

盛岡地方法務局人権擁護課 020-0023 盛岡市内丸7番25号盛岡合同庁舎 019-624-9859秋田地方法務局人権擁護課 010-0951 秋田市山王7丁目1番3号 018-862-6533

青森地方法務局人権擁護課 030-8511 青森市長島1丁目3番5号青森第二合同庁舎 017-776-9024

東京法務局人権擁護部 102-8225 千代田区九段南1丁目1番15号九段第2合同庁舎 03-5213-1234

横浜地方法務局人権擁護課 231-8411 横浜市中区北仲通5丁目57番地横浜第2合同庁舎 045-641-7926

さいたま地方法務局人権擁護課 338-8513 さいたま市中央区下落合5-12-1さいたま第二法務総合庁舎 048-859-3507

千葉地方法務局人権擁護課 260-8518 千葉市中央区中央港1丁目11番3号千葉地方合同庁舎 043-302-1319

水戸地方法務局人権擁護課 310-0061 水戸市北見町1番1号水戸地方法務合同庁舎 029-227-9919

宇都宮地方法務局人権擁護課 320-8515 宇都宮市小幡2丁目1番11号宇都宮地方法務合同庁舎 028-623-0926

前橋地方法務局人権擁護課 371-8535 前橋市大手町2丁目10番5号前橋合同庁舎 027-221-4426

静岡地方法務局人権擁護課 420-8650 静岡市葵区追手町9番50号静岡地方合同庁舎 054-254-3555

甲府地方法務局人権擁護課 400-8520 甲府市北口1丁目2番19号甲府地方合同庁舎 055-252-7239

長野地方法務局人権擁護課 380-0846 長野市旭町1108番地長野第2合同庁舎 026-235-6634

新潟地方法務局人権擁護課 951-8504 新潟市中央区西大畑町5191番地新潟地方法務総合庁舎 025-222-1564

名古屋法務局人権擁護部 460-8513 名古屋市中区三の丸2丁目2番1号名古屋合同庁舎第1号館 052-952-8111

津地方法務局人権擁護課 514-8503 津市丸之内26番8号津合同庁舎 059-228-4193岐阜地方法務局人権擁護課 500-8729 岐阜市金竜町5丁目13番地 058-245-3181

福井地方法務局人権擁護課 910-8504 福井市春山1丁目1番54号福井春山合同庁舎 0776-22-5090

問合せ先一覧 (法務局地方法務局)

59 第30回全国中学生人権作文コンテスト

問合せ先一覧

世界人権宣言啓発書画「鳥」「自由と解放」を表わしたもの 小木太法書オタビオロス画(財)人権擁護協力会提供

入賞作文集 60

すべての人間は生まれながらにして

自由でありかつ尊厳と権利とに

ついて平等である人間は理性と

良心とを授けられており互いに同胞の

精神をもって行動しなければならない

―――

世界人権宣言 第一条

―――

第三〇回

 全国中学生人権作文コンテスト

中央大会表彰式

印  刷 平成23年1月25日

発  行 平成23年2月14日

発 行 者 法務省人権擁護局

全国人権擁護委員連合会

東京都千代田区霞が関一丁目1番1号

電話 03(3580)4111 内線5875

URL httpwwwmojgojpJINKEN

第30回全国中学生人権作文コンテスト中央大会審査員

感想をお聞かせください本作文集を読まれた感想等を下記の連絡先又はkeihatsumojgojpまでお寄せください

無断転載を禁じます本作文集に掲載された作文や写真等を地方自治体が広報誌に掲載したり学校が教材に使用される場合などにはあらかじめ下記に御連絡ください

100-8977 東京都千代田区霞が関一丁目1番1号 法務省人権擁護局人権啓発課 TEL03(3580)4111 内線5875

作  家(審査員長) 落 合 恵 子映画監督 山 田 洋 次社団法人日本新聞協会事務局長 川 嶋   明日本放送協会解説委員室解説委員 南   直 樹文部科学省初等中等教育局視学官 三 好 仁 司全国人権擁護委員連合会長 中 村 浩 紹法務省人権擁護局長   井 忠 雄

(敬称略)

【式次第】

第一部

 会

主催者あいさつ

賞状授与

内閣総理大臣賞法務大臣賞

文部科学大臣奨励賞法務副大臣賞

法務大臣政務官賞

全国人権擁護委員連合会長賞

社団法人日本新聞協会会長賞

日本放送協会会長賞(以上各一名)

法務事務次官賞(三名) 計一一名

学校への感謝状贈呈

高円宮妃殿下おことば

来賓祝辞

第二部

各受賞作文の朗読

内閣総理大臣賞法務大臣賞

文部科学大臣奨励賞

全国人権擁護委員連合会長賞

社団法人日本新聞協会会長賞

日本放送協会会長賞

 評

全国中学生人権作文コンテスト中央大会審査員

 山田洋次氏

 落合恵子氏(ビデオレター形式)

第三部

新垣勉さんコンサート

 会 平成二二年一二月一八日(土)

午後一時三〇分〜三時五〇分

於ニッショーホール

「いじめ」や暴力行為等は人権侵害です

法務局地方法務局では

人権侵害による被害を受けた方を

救済するための活動を行っています

お気軽にご相談ください

女性の人権ホットライン

インターネット人権相談受付窓口

ゼロナナゼロのハートライン

0570-070-810

子どもの人権110番ぜろぜろななのひゃくとおばん

 0120-007-110

パソコンから httpwwwmojgojpJINKENjinken113html携帯電話から httpwwwjinkengojpsoudanmobile001html

インターネット人権相談 検 索

Human Rights法務省人権擁護局全国人権擁護委員連合会

人権イメージキャラクター人KENあゆみちゃん人KENまもる君

全国共通通話料無料

全国共通ナビダイヤル

この冊子は環境保護印刷の「水なし印刷」で印刷されています

第30回全国中学生人権作文コンテスト入賞作文集

法務省人権擁護局全国人権擁護委員連合会

人権イメージキャラクター人KENまもる君人KENあゆみちゃん

この冊子には音声コードが各頁(奇数頁 左下偶数頁 右下)に印刷されています専用の読み上げ装置で読み取ると記録されている情報を音声で聞くことが出来ます

Human Rights法務省人権擁護局全国人権擁護委員連合会

 全国中学生人権作文コンテスト入賞作文集

 全国中学生人権作文コンテスト入賞作文集

第30回

 

僕は小学校六年生まで福岡県に住んでいましたそこで僕が体験したことです五年生のこ

ろ僕の友だちのA君が同級生のK君の靴を隠したりからかったりしていることがよくあり

ました最初は僕もあまり気にしていませんでしたがK君のことを「なんだかかわいそう」と

思うようになりました

 

ある日僕は勇気をだして先生に「K君がいじめにあっています」と報告しました初め先生は

「じゃれ合っているだけだろう」と「いじめ」とは思ってくれませんでしたでもその後「いじ

め」と分かりA君は先生に注意されその日一日は反省した様子で過ごしていましたしかし

次の日学校に行くといじめは前以上にエスカレートしていて蹴ったりたたいたりするように

なりましたしかも「死ね」「うざい」「消えろ」などの言葉が飛び交うようになりそんな日々

法務事務次官賞

浦うら

谷たに

 毅たける

徳島県三好市立池田中学校 三年

いじめをなくすために今

入賞作文集 50

入賞作文

が続きました

 

それは六年生になっても続きました僕はそのいじめを止めることができず毎日見て見ぬ

振りをしていました今思うと自分がとても恥ずかしいです本当の友達なら止めるべきなの

にそれだけではなくいじめられているK君に声一つかけることができずにいました心の中

ではA君に「やめろよ」と言おうと思っていたけどなぜか勇気が出ませんでした次にい

じめられるのが自分になるのが恐くて言えなかったのです

 

そんな日々が続く中僕の気持ちを大きく変える出来事がありました父の死ですそのとき

のことは今でも忘れることができません聞いたときには頭の中が真っ白になりました最初

は信じることができませんでした一週間も二週間も学校に行けずただぼーっと過ごしてい

ましたいろんなことを考え徐々に「死」というものの悲しさつらさ「死」という意味の

重さがわかってきましたそして時間はかかりましたが「命は一瞬にして消え二度と戻っ

てこないものだだから命を大切に今を大切にしなければならない」と深く受け止めることが

できるようになりましたそして周りの子たちは僕のような経験がないから「死ね」とか軽々

しく言えるのだろうと思いこの気持ちを伝えなくてはならないと考えました僕が強くならな

くてはと思いました

 

こんな気持ちになったとき僕には時間がありませんでした母の実家がある徳

島への引っ越しが一週間後に決まっていたのです落ち込んでいる暇は無いと思

い学校に行った僕はA君に言いました「いじめなんかやめろよいじめたって

51 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

喜ぶ人はいないし悲しむ人がいるだけだろ自分だってほんとは嫌だろ『死ね』

とか『消えろ』とか言葉の重さを知らないのに言うなよ」と言いました父親の

突然の死そのあと僕が考えたことも伝えました

 

友だちは黙って聞いてくれました僕の言葉にうなずいてそのあとK君の

ところへ行き「ごめん言葉の重さも知らずに言って本当にごめんぜったいに死ねなんて

ことは言わないそしていじめは絶対にしないほんとうにごめん」とあやまりましたK君

はとても優しい笑顔で「いいよ」と一言言いました僕もK君に言いました

「今まで助けてあげられなくてごめん」

K君は笑顔で「ありがとう」と言ってくれました今まで自分の中でもやもやしていた気持ちが

スーっと晴れました

 

今も時々耳にする暴言冗談半分で言っているのかもしれませんしかしいついじめにつ

ながるかわかりません他人を傷つけることで自分のストレスを晴らそうとしているのでしょう

関係ないふりをしようとする自分がいます楽な考え方をする自分がいますそんな時亡くなっ

た父の顔やK君の優しい笑顔を思い出しますあの時の自分のように強い気持ちを持とう「や

めろよ」と一言言うするとまた気持ちがスーっとしてきました

 

父の分も頑張って生き抜こうと決めた僕にとって正しいことを素直に認め悪いことを否定

できる強い意志を持つことが目標ですそして何よりも命を大切に今を大切にしていきたい

と思っています

入賞作文集 52

入賞作文

53 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

 

ぼくは今まで四つの外国に暮らしいろいろな国の人たちの中で育ってきた

 

まずタイで生まれてタイ人のメイドさんやドライバーさんにいつも遊んでもらっていた

らしい一才になると週一回の体操教室にも通いタイ人の友達もいたそうだ

 

次にシンガポールでは初めてナサリースクール(保育園)に通いいろいろな国の友達と

知り合ったプレイルームにある滑り台を滑る順番争いでいつも勝つのは体の大きい金髪の友

達だった

 

一回目の香港生活では英語の幼稚園に通ったその時のぼくの一番の友達はカナダ人だった

彼とはよくベイブレードをして遊んだが父が日本の出張で買ってきてくれた独楽や剣玉をして

遊ぶこともあった

村むら

瀬せ

 広ひろ

高たか

香港日本人学校中学部 二年

国境をこえて

海 外 作 品

今回は本選への応募とすることはできませんでしたが

 海外から寄せられた作品のうち一作品を御紹介します

入賞作文集 54

海外作品

 

それからインドでは日本人学校に通ったが夏休みには毎年アメリカンスクールのサマー

スクールに参加したし日本人のいない現地のテニススクールにも入り二年間通ったまたイ

ンドの現地幼稚園に通っていた妹のベストフレンドはコンゴ人でその兄弟もぼくの友達だった

 

そして三年間の日本生活を経て今また香港に戻ってきた

 

このようにぼくはいろいろな国でいろいろな国の人たちのお世話になりいろいろな国

の友達と遊んで育った肌が真っ黒な友達もゲームの話をすればすぐに仲良くなれたし髪が

金色の友達もポケモンの話をすれば気が合ったぼくは小さい頃から英語はうまくしゃべれ

なかったけれどもジェスチャーをつけたでたらめ英語でも充分に話は通じただからいろい

ろな国の人たちの中でぼくが日本人だからといって差別されたり嫌な思いをしたりしたこと

はないしぼくも肌の色が違うからとか言葉が通じないからという理由で違う人間だと思っ

たことはないそうぼくは外国人を差別したことはない

 

しかし本当にぼくは外国人を差別したことがないのだろうか外国人を差別した発言を一

度もしたことがないかと考えると自信がない

 

例えば香港人には赤信号でも平気で渡る人がたくさんいるそれを見てぼくは

「香港人はしょうがないな」

と思うでもよく見ると香港人全員が信号無視をしているわけではないまた

世界には今でも戦争をしている国がいくつもある

「人を傷つけ合うなんて馬鹿げている」

55 第30回全国中学生人権作文コンテスト

海外作品

とぼくは悲しくなるでもそれも好きで戦っている人がいるとも思えないその

人たちがそうなったのには何かきっと原因があるはずだ

 

逆に外国人から見ると日本人はどのように思われているのだろう

 

インドから日本に帰国した時毎日ごみがたくさん出ることにぼくはとても驚

いたインドの人たちがよく使う道端にあるカレー屋さんではバナナの葉で作ったお皿にカ

レーを入れてくれる食べた後そのお皿を道に捨てるとのら牛がその葉っぱを食べるそして

牛のふんは燃料になるというそれに比べて日本はちょっと歩くとペットボトルの飲み物が

買えファーストフードのお店では使い捨ての食器を使い立派なお菓子の箱を開けると中身が

少なくてがっかりすることもあるある時母が捨てたジャムの空きびんをメイドさんとエア

コンの修理にきていたワーカーさんとが取り合ってけんかをしていたこともあったそれを見

てぼくはあきれてしまったが逆にインド人から見ると使い捨て文化のしみついた日本人は

とんでもない人間にみえるのかもしれない国によって考え方や行動パターンが違うのは歴史

的背景や宗教習慣気候などのいろいろなことが関わっているのだと思う

 

このように考えると差別とはその人の一部しか見ていないことや自分のやり方だけが正

しいと思うことからおきるのではないかと思うその人が自分とは違った行動をとったとしても

それには深い理由があるのだろうと考えればきっと納得できると思うぼくもこれからは否

定的な発言をする前にその人たちのことをいろいろな角度から見て理解する努力をしてみよう

と思う外国との間には自分の国とは違う言葉や文化という壁があるとみんな言うがそこに

入賞作文集 56

海外作品

あるのは壁ではなく橋だとぼくは思う理解

し合おうという気持ちがあればきっと誰でも

その橋を渡っていけるはずだ気持ちの国境を

こえるのにパスポートはいらないお互いを理

解し合おうと思う気持ちが一番大切だと思う

そしてぼくはこれから日本人として生きる

のではなく地球人として生きていこうと思う

57 第30回全国中学生人権作文コンテスト

海外作品

法務局地方法務局名 郵便番号 所  在  地 電  話

金沢地方法務局人権擁護課920-0024 金沢市西念3-4-1金沢駅西合同庁舎(平成23年3月11日まで) 076-231-1244

921-8505 金沢市新神田4-3-10金沢新神田合同庁舎(平成23年3月14日から) 076-292-7804

富山地方法務局人権擁護課 930-0856 富山市牛島新町11番7号富山合同庁舎 076-441-6376

大阪法務局人権擁護部 540-8544 大阪市中央区谷町2丁目1番17号大阪第2法務合同庁舎 06-6942-9492

京都地方法務局人権擁護課 602-8577 京都市上京区荒神口通河原町東入上生洲町197番地 075-231-0131

神戸地方法務局人権擁護課 650-0042 神戸市中央区波止場町1番1号神戸第2地方合同庁舎 078-392-1821

奈良地方法務局人権擁護課 630-8305 奈良市東紀寺町3-4-1奈良第2法務総合庁舎 0742-23-5457

大津地方法務局人権擁護課 520-8516 大津市御陵町3番6号大津法務総合庁舎 077-522-4673

和歌山地方法務局人権擁護課 640-8552 和歌山市二番丁2番地和歌山地方合同庁舎 073-422-5131

広島法務局人権擁護部 730-8536 広島市中区上八丁堀6番30号広島合同庁舎 082-228-5790

山口地方法務局人権擁護課 753-8577 山口市中河原町6番16号山口地方合同庁舎2号館 083-922-2295

岡山地方法務局人権擁護課 700-8616 岡山市北区南方1丁目3番58号 086-224-5761

鳥取地方法務局人権擁護課 680-0011 鳥取市東町2丁目302番地鳥取第2地方合同庁舎 0857-22-2289

松江地方法務局人権擁護課 690-0886 松江市母衣町50番地松江法務合同庁舎 0852-32-4260

高松法務局人権擁護部 761-8077 高松市出作町585-4 087-815-5311

徳島地方法務局人権擁護課 770-8512 徳島市徳島町城内6番地6徳島地方合同庁舎 088-622-4171

高知地方法務局人権擁護課 780-8509 高知市栄田町2丁目2番10号高知よさこい咲都合同庁舎 088-822-3331

松山地方法務局人権擁護課 790-8505 松山市宮田町188番地6松山地方合同庁舎 089-932-0888

福岡法務局人権擁護部 814-0005 福岡市早良区祖原14-15福岡法務局西新出張所庁舎5階 092-832-4311

佐賀地方法務局人権擁護課 840-0041 佐賀市城内2丁目10番20号佐賀合同庁舎 0952-26-2148

長崎地方法務局人権擁護課 850-8507 長崎市万才町8番16号 095-826-8127大分地方法務局人権擁護課 870-8513 大分市荷揚町7番5号大分法務総合庁舎 097-532-3368

熊本地方法務局人権擁護課 862-0971 熊本市大江3丁目1番53号熊本第2合同庁舎 096-364-2145

鹿児島地方法務局人権擁護課 890-8518 鹿児島市鴨池新町1番2号 099-259-0684宮崎地方法務局人権擁護課 880-8513 宮崎市別府町1番1号宮崎法務総合庁舎 0985-22-5124

那覇地方法務局人権擁護課 900-8544 那覇市樋川1丁目15番15号那覇第1地方合同庁舎 098-854-1215

入賞作文集 58

問合せ先一覧

法務局地方法務局名 郵便番号 所  在  地 電  話

札幌法務局人権擁護部 060-0808 札幌市北区北8条西2丁目1番1札幌第1合同庁舎 011-709-2311

函館地方法務局人権擁護課 040-8533 函館市新川町25番18号函館地方合同庁舎 0138-23-9528

旭川地方法務局人権擁護課 078-8502 旭川市宮前通東4155番31旭川合同庁舎 0166-38-1114

釧路地方法務局人権擁護課 085-8522 釧路市幸町10丁目3番地釧路地方合同庁舎 0154-31-5014

仙台法務局人権擁護部 980-8601 仙台市青葉区春日町7番25号仙台第3法務総合庁舎 022-225-5739

福島地方法務局人権擁護課 960-8021 福島市霞町1番46号福島合同庁舎 024-534-1994

山形地方法務局人権擁護課 990-0041 山形市緑町1丁目5番48号山形地方合同庁舎 023-625-1321

盛岡地方法務局人権擁護課 020-0023 盛岡市内丸7番25号盛岡合同庁舎 019-624-9859秋田地方法務局人権擁護課 010-0951 秋田市山王7丁目1番3号 018-862-6533

青森地方法務局人権擁護課 030-8511 青森市長島1丁目3番5号青森第二合同庁舎 017-776-9024

東京法務局人権擁護部 102-8225 千代田区九段南1丁目1番15号九段第2合同庁舎 03-5213-1234

横浜地方法務局人権擁護課 231-8411 横浜市中区北仲通5丁目57番地横浜第2合同庁舎 045-641-7926

さいたま地方法務局人権擁護課 338-8513 さいたま市中央区下落合5-12-1さいたま第二法務総合庁舎 048-859-3507

千葉地方法務局人権擁護課 260-8518 千葉市中央区中央港1丁目11番3号千葉地方合同庁舎 043-302-1319

水戸地方法務局人権擁護課 310-0061 水戸市北見町1番1号水戸地方法務合同庁舎 029-227-9919

宇都宮地方法務局人権擁護課 320-8515 宇都宮市小幡2丁目1番11号宇都宮地方法務合同庁舎 028-623-0926

前橋地方法務局人権擁護課 371-8535 前橋市大手町2丁目10番5号前橋合同庁舎 027-221-4426

静岡地方法務局人権擁護課 420-8650 静岡市葵区追手町9番50号静岡地方合同庁舎 054-254-3555

甲府地方法務局人権擁護課 400-8520 甲府市北口1丁目2番19号甲府地方合同庁舎 055-252-7239

長野地方法務局人権擁護課 380-0846 長野市旭町1108番地長野第2合同庁舎 026-235-6634

新潟地方法務局人権擁護課 951-8504 新潟市中央区西大畑町5191番地新潟地方法務総合庁舎 025-222-1564

名古屋法務局人権擁護部 460-8513 名古屋市中区三の丸2丁目2番1号名古屋合同庁舎第1号館 052-952-8111

津地方法務局人権擁護課 514-8503 津市丸之内26番8号津合同庁舎 059-228-4193岐阜地方法務局人権擁護課 500-8729 岐阜市金竜町5丁目13番地 058-245-3181

福井地方法務局人権擁護課 910-8504 福井市春山1丁目1番54号福井春山合同庁舎 0776-22-5090

問合せ先一覧 (法務局地方法務局)

59 第30回全国中学生人権作文コンテスト

問合せ先一覧

世界人権宣言啓発書画「鳥」「自由と解放」を表わしたもの 小木太法書オタビオロス画(財)人権擁護協力会提供

入賞作文集 60

すべての人間は生まれながらにして

自由でありかつ尊厳と権利とに

ついて平等である人間は理性と

良心とを授けられており互いに同胞の

精神をもって行動しなければならない

―――

世界人権宣言 第一条

―――

第三〇回

 全国中学生人権作文コンテスト

中央大会表彰式

印  刷 平成23年1月25日

発  行 平成23年2月14日

発 行 者 法務省人権擁護局

全国人権擁護委員連合会

東京都千代田区霞が関一丁目1番1号

電話 03(3580)4111 内線5875

URL httpwwwmojgojpJINKEN

第30回全国中学生人権作文コンテスト中央大会審査員

感想をお聞かせください本作文集を読まれた感想等を下記の連絡先又はkeihatsumojgojpまでお寄せください

無断転載を禁じます本作文集に掲載された作文や写真等を地方自治体が広報誌に掲載したり学校が教材に使用される場合などにはあらかじめ下記に御連絡ください

100-8977 東京都千代田区霞が関一丁目1番1号 法務省人権擁護局人権啓発課 TEL03(3580)4111 内線5875

作  家(審査員長) 落 合 恵 子映画監督 山 田 洋 次社団法人日本新聞協会事務局長 川 嶋   明日本放送協会解説委員室解説委員 南   直 樹文部科学省初等中等教育局視学官 三 好 仁 司全国人権擁護委員連合会長 中 村 浩 紹法務省人権擁護局長   井 忠 雄

(敬称略)

【式次第】

第一部

 会

主催者あいさつ

賞状授与

内閣総理大臣賞法務大臣賞

文部科学大臣奨励賞法務副大臣賞

法務大臣政務官賞

全国人権擁護委員連合会長賞

社団法人日本新聞協会会長賞

日本放送協会会長賞(以上各一名)

法務事務次官賞(三名) 計一一名

学校への感謝状贈呈

高円宮妃殿下おことば

来賓祝辞

第二部

各受賞作文の朗読

内閣総理大臣賞法務大臣賞

文部科学大臣奨励賞

全国人権擁護委員連合会長賞

社団法人日本新聞協会会長賞

日本放送協会会長賞

 評

全国中学生人権作文コンテスト中央大会審査員

 山田洋次氏

 落合恵子氏(ビデオレター形式)

第三部

新垣勉さんコンサート

 会 平成二二年一二月一八日(土)

午後一時三〇分〜三時五〇分

於ニッショーホール

「いじめ」や暴力行為等は人権侵害です

法務局地方法務局では

人権侵害による被害を受けた方を

救済するための活動を行っています

お気軽にご相談ください

女性の人権ホットライン

インターネット人権相談受付窓口

ゼロナナゼロのハートライン

0570-070-810

子どもの人権110番ぜろぜろななのひゃくとおばん

 0120-007-110

パソコンから httpwwwmojgojpJINKENjinken113html携帯電話から httpwwwjinkengojpsoudanmobile001html

インターネット人権相談 検 索

Human Rights法務省人権擁護局全国人権擁護委員連合会

人権イメージキャラクター人KENあゆみちゃん人KENまもる君

全国共通通話料無料

全国共通ナビダイヤル

この冊子は環境保護印刷の「水なし印刷」で印刷されています

第30回全国中学生人権作文コンテスト入賞作文集

法務省人権擁護局全国人権擁護委員連合会

人権イメージキャラクター人KENまもる君人KENあゆみちゃん

この冊子には音声コードが各頁(奇数頁 左下偶数頁 右下)に印刷されています専用の読み上げ装置で読み取ると記録されている情報を音声で聞くことが出来ます

Human Rights法務省人権擁護局全国人権擁護委員連合会

 全国中学生人権作文コンテスト入賞作文集

 全国中学生人権作文コンテスト入賞作文集

第30回

が続きました

 

それは六年生になっても続きました僕はそのいじめを止めることができず毎日見て見ぬ

振りをしていました今思うと自分がとても恥ずかしいです本当の友達なら止めるべきなの

にそれだけではなくいじめられているK君に声一つかけることができずにいました心の中

ではA君に「やめろよ」と言おうと思っていたけどなぜか勇気が出ませんでした次にい

じめられるのが自分になるのが恐くて言えなかったのです

 

そんな日々が続く中僕の気持ちを大きく変える出来事がありました父の死ですそのとき

のことは今でも忘れることができません聞いたときには頭の中が真っ白になりました最初

は信じることができませんでした一週間も二週間も学校に行けずただぼーっと過ごしてい

ましたいろんなことを考え徐々に「死」というものの悲しさつらさ「死」という意味の

重さがわかってきましたそして時間はかかりましたが「命は一瞬にして消え二度と戻っ

てこないものだだから命を大切に今を大切にしなければならない」と深く受け止めることが

できるようになりましたそして周りの子たちは僕のような経験がないから「死ね」とか軽々

しく言えるのだろうと思いこの気持ちを伝えなくてはならないと考えました僕が強くならな

くてはと思いました

 

こんな気持ちになったとき僕には時間がありませんでした母の実家がある徳

島への引っ越しが一週間後に決まっていたのです落ち込んでいる暇は無いと思

い学校に行った僕はA君に言いました「いじめなんかやめろよいじめたって

51 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

喜ぶ人はいないし悲しむ人がいるだけだろ自分だってほんとは嫌だろ『死ね』

とか『消えろ』とか言葉の重さを知らないのに言うなよ」と言いました父親の

突然の死そのあと僕が考えたことも伝えました

 

友だちは黙って聞いてくれました僕の言葉にうなずいてそのあとK君の

ところへ行き「ごめん言葉の重さも知らずに言って本当にごめんぜったいに死ねなんて

ことは言わないそしていじめは絶対にしないほんとうにごめん」とあやまりましたK君

はとても優しい笑顔で「いいよ」と一言言いました僕もK君に言いました

「今まで助けてあげられなくてごめん」

K君は笑顔で「ありがとう」と言ってくれました今まで自分の中でもやもやしていた気持ちが

スーっと晴れました

 

今も時々耳にする暴言冗談半分で言っているのかもしれませんしかしいついじめにつ

ながるかわかりません他人を傷つけることで自分のストレスを晴らそうとしているのでしょう

関係ないふりをしようとする自分がいます楽な考え方をする自分がいますそんな時亡くなっ

た父の顔やK君の優しい笑顔を思い出しますあの時の自分のように強い気持ちを持とう「や

めろよ」と一言言うするとまた気持ちがスーっとしてきました

 

父の分も頑張って生き抜こうと決めた僕にとって正しいことを素直に認め悪いことを否定

できる強い意志を持つことが目標ですそして何よりも命を大切に今を大切にしていきたい

と思っています

入賞作文集 52

入賞作文

53 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

 

ぼくは今まで四つの外国に暮らしいろいろな国の人たちの中で育ってきた

 

まずタイで生まれてタイ人のメイドさんやドライバーさんにいつも遊んでもらっていた

らしい一才になると週一回の体操教室にも通いタイ人の友達もいたそうだ

 

次にシンガポールでは初めてナサリースクール(保育園)に通いいろいろな国の友達と

知り合ったプレイルームにある滑り台を滑る順番争いでいつも勝つのは体の大きい金髪の友

達だった

 

一回目の香港生活では英語の幼稚園に通ったその時のぼくの一番の友達はカナダ人だった

彼とはよくベイブレードをして遊んだが父が日本の出張で買ってきてくれた独楽や剣玉をして

遊ぶこともあった

村むら

瀬せ

 広ひろ

高たか

香港日本人学校中学部 二年

国境をこえて

海 外 作 品

今回は本選への応募とすることはできませんでしたが

 海外から寄せられた作品のうち一作品を御紹介します

入賞作文集 54

海外作品

 

それからインドでは日本人学校に通ったが夏休みには毎年アメリカンスクールのサマー

スクールに参加したし日本人のいない現地のテニススクールにも入り二年間通ったまたイ

ンドの現地幼稚園に通っていた妹のベストフレンドはコンゴ人でその兄弟もぼくの友達だった

 

そして三年間の日本生活を経て今また香港に戻ってきた

 

このようにぼくはいろいろな国でいろいろな国の人たちのお世話になりいろいろな国

の友達と遊んで育った肌が真っ黒な友達もゲームの話をすればすぐに仲良くなれたし髪が

金色の友達もポケモンの話をすれば気が合ったぼくは小さい頃から英語はうまくしゃべれ

なかったけれどもジェスチャーをつけたでたらめ英語でも充分に話は通じただからいろい

ろな国の人たちの中でぼくが日本人だからといって差別されたり嫌な思いをしたりしたこと

はないしぼくも肌の色が違うからとか言葉が通じないからという理由で違う人間だと思っ

たことはないそうぼくは外国人を差別したことはない

 

しかし本当にぼくは外国人を差別したことがないのだろうか外国人を差別した発言を一

度もしたことがないかと考えると自信がない

 

例えば香港人には赤信号でも平気で渡る人がたくさんいるそれを見てぼくは

「香港人はしょうがないな」

と思うでもよく見ると香港人全員が信号無視をしているわけではないまた

世界には今でも戦争をしている国がいくつもある

「人を傷つけ合うなんて馬鹿げている」

55 第30回全国中学生人権作文コンテスト

海外作品

とぼくは悲しくなるでもそれも好きで戦っている人がいるとも思えないその

人たちがそうなったのには何かきっと原因があるはずだ

 

逆に外国人から見ると日本人はどのように思われているのだろう

 

インドから日本に帰国した時毎日ごみがたくさん出ることにぼくはとても驚

いたインドの人たちがよく使う道端にあるカレー屋さんではバナナの葉で作ったお皿にカ

レーを入れてくれる食べた後そのお皿を道に捨てるとのら牛がその葉っぱを食べるそして

牛のふんは燃料になるというそれに比べて日本はちょっと歩くとペットボトルの飲み物が

買えファーストフードのお店では使い捨ての食器を使い立派なお菓子の箱を開けると中身が

少なくてがっかりすることもあるある時母が捨てたジャムの空きびんをメイドさんとエア

コンの修理にきていたワーカーさんとが取り合ってけんかをしていたこともあったそれを見

てぼくはあきれてしまったが逆にインド人から見ると使い捨て文化のしみついた日本人は

とんでもない人間にみえるのかもしれない国によって考え方や行動パターンが違うのは歴史

的背景や宗教習慣気候などのいろいろなことが関わっているのだと思う

 

このように考えると差別とはその人の一部しか見ていないことや自分のやり方だけが正

しいと思うことからおきるのではないかと思うその人が自分とは違った行動をとったとしても

それには深い理由があるのだろうと考えればきっと納得できると思うぼくもこれからは否

定的な発言をする前にその人たちのことをいろいろな角度から見て理解する努力をしてみよう

と思う外国との間には自分の国とは違う言葉や文化という壁があるとみんな言うがそこに

入賞作文集 56

海外作品

あるのは壁ではなく橋だとぼくは思う理解

し合おうという気持ちがあればきっと誰でも

その橋を渡っていけるはずだ気持ちの国境を

こえるのにパスポートはいらないお互いを理

解し合おうと思う気持ちが一番大切だと思う

そしてぼくはこれから日本人として生きる

のではなく地球人として生きていこうと思う

57 第30回全国中学生人権作文コンテスト

海外作品

法務局地方法務局名 郵便番号 所  在  地 電  話

金沢地方法務局人権擁護課920-0024 金沢市西念3-4-1金沢駅西合同庁舎(平成23年3月11日まで) 076-231-1244

921-8505 金沢市新神田4-3-10金沢新神田合同庁舎(平成23年3月14日から) 076-292-7804

富山地方法務局人権擁護課 930-0856 富山市牛島新町11番7号富山合同庁舎 076-441-6376

大阪法務局人権擁護部 540-8544 大阪市中央区谷町2丁目1番17号大阪第2法務合同庁舎 06-6942-9492

京都地方法務局人権擁護課 602-8577 京都市上京区荒神口通河原町東入上生洲町197番地 075-231-0131

神戸地方法務局人権擁護課 650-0042 神戸市中央区波止場町1番1号神戸第2地方合同庁舎 078-392-1821

奈良地方法務局人権擁護課 630-8305 奈良市東紀寺町3-4-1奈良第2法務総合庁舎 0742-23-5457

大津地方法務局人権擁護課 520-8516 大津市御陵町3番6号大津法務総合庁舎 077-522-4673

和歌山地方法務局人権擁護課 640-8552 和歌山市二番丁2番地和歌山地方合同庁舎 073-422-5131

広島法務局人権擁護部 730-8536 広島市中区上八丁堀6番30号広島合同庁舎 082-228-5790

山口地方法務局人権擁護課 753-8577 山口市中河原町6番16号山口地方合同庁舎2号館 083-922-2295

岡山地方法務局人権擁護課 700-8616 岡山市北区南方1丁目3番58号 086-224-5761

鳥取地方法務局人権擁護課 680-0011 鳥取市東町2丁目302番地鳥取第2地方合同庁舎 0857-22-2289

松江地方法務局人権擁護課 690-0886 松江市母衣町50番地松江法務合同庁舎 0852-32-4260

高松法務局人権擁護部 761-8077 高松市出作町585-4 087-815-5311

徳島地方法務局人権擁護課 770-8512 徳島市徳島町城内6番地6徳島地方合同庁舎 088-622-4171

高知地方法務局人権擁護課 780-8509 高知市栄田町2丁目2番10号高知よさこい咲都合同庁舎 088-822-3331

松山地方法務局人権擁護課 790-8505 松山市宮田町188番地6松山地方合同庁舎 089-932-0888

福岡法務局人権擁護部 814-0005 福岡市早良区祖原14-15福岡法務局西新出張所庁舎5階 092-832-4311

佐賀地方法務局人権擁護課 840-0041 佐賀市城内2丁目10番20号佐賀合同庁舎 0952-26-2148

長崎地方法務局人権擁護課 850-8507 長崎市万才町8番16号 095-826-8127大分地方法務局人権擁護課 870-8513 大分市荷揚町7番5号大分法務総合庁舎 097-532-3368

熊本地方法務局人権擁護課 862-0971 熊本市大江3丁目1番53号熊本第2合同庁舎 096-364-2145

鹿児島地方法務局人権擁護課 890-8518 鹿児島市鴨池新町1番2号 099-259-0684宮崎地方法務局人権擁護課 880-8513 宮崎市別府町1番1号宮崎法務総合庁舎 0985-22-5124

那覇地方法務局人権擁護課 900-8544 那覇市樋川1丁目15番15号那覇第1地方合同庁舎 098-854-1215

入賞作文集 58

問合せ先一覧

法務局地方法務局名 郵便番号 所  在  地 電  話

札幌法務局人権擁護部 060-0808 札幌市北区北8条西2丁目1番1札幌第1合同庁舎 011-709-2311

函館地方法務局人権擁護課 040-8533 函館市新川町25番18号函館地方合同庁舎 0138-23-9528

旭川地方法務局人権擁護課 078-8502 旭川市宮前通東4155番31旭川合同庁舎 0166-38-1114

釧路地方法務局人権擁護課 085-8522 釧路市幸町10丁目3番地釧路地方合同庁舎 0154-31-5014

仙台法務局人権擁護部 980-8601 仙台市青葉区春日町7番25号仙台第3法務総合庁舎 022-225-5739

福島地方法務局人権擁護課 960-8021 福島市霞町1番46号福島合同庁舎 024-534-1994

山形地方法務局人権擁護課 990-0041 山形市緑町1丁目5番48号山形地方合同庁舎 023-625-1321

盛岡地方法務局人権擁護課 020-0023 盛岡市内丸7番25号盛岡合同庁舎 019-624-9859秋田地方法務局人権擁護課 010-0951 秋田市山王7丁目1番3号 018-862-6533

青森地方法務局人権擁護課 030-8511 青森市長島1丁目3番5号青森第二合同庁舎 017-776-9024

東京法務局人権擁護部 102-8225 千代田区九段南1丁目1番15号九段第2合同庁舎 03-5213-1234

横浜地方法務局人権擁護課 231-8411 横浜市中区北仲通5丁目57番地横浜第2合同庁舎 045-641-7926

さいたま地方法務局人権擁護課 338-8513 さいたま市中央区下落合5-12-1さいたま第二法務総合庁舎 048-859-3507

千葉地方法務局人権擁護課 260-8518 千葉市中央区中央港1丁目11番3号千葉地方合同庁舎 043-302-1319

水戸地方法務局人権擁護課 310-0061 水戸市北見町1番1号水戸地方法務合同庁舎 029-227-9919

宇都宮地方法務局人権擁護課 320-8515 宇都宮市小幡2丁目1番11号宇都宮地方法務合同庁舎 028-623-0926

前橋地方法務局人権擁護課 371-8535 前橋市大手町2丁目10番5号前橋合同庁舎 027-221-4426

静岡地方法務局人権擁護課 420-8650 静岡市葵区追手町9番50号静岡地方合同庁舎 054-254-3555

甲府地方法務局人権擁護課 400-8520 甲府市北口1丁目2番19号甲府地方合同庁舎 055-252-7239

長野地方法務局人権擁護課 380-0846 長野市旭町1108番地長野第2合同庁舎 026-235-6634

新潟地方法務局人権擁護課 951-8504 新潟市中央区西大畑町5191番地新潟地方法務総合庁舎 025-222-1564

名古屋法務局人権擁護部 460-8513 名古屋市中区三の丸2丁目2番1号名古屋合同庁舎第1号館 052-952-8111

津地方法務局人権擁護課 514-8503 津市丸之内26番8号津合同庁舎 059-228-4193岐阜地方法務局人権擁護課 500-8729 岐阜市金竜町5丁目13番地 058-245-3181

福井地方法務局人権擁護課 910-8504 福井市春山1丁目1番54号福井春山合同庁舎 0776-22-5090

問合せ先一覧 (法務局地方法務局)

59 第30回全国中学生人権作文コンテスト

問合せ先一覧

世界人権宣言啓発書画「鳥」「自由と解放」を表わしたもの 小木太法書オタビオロス画(財)人権擁護協力会提供

入賞作文集 60

すべての人間は生まれながらにして

自由でありかつ尊厳と権利とに

ついて平等である人間は理性と

良心とを授けられており互いに同胞の

精神をもって行動しなければならない

―――

世界人権宣言 第一条

―――

第三〇回

 全国中学生人権作文コンテスト

中央大会表彰式

印  刷 平成23年1月25日

発  行 平成23年2月14日

発 行 者 法務省人権擁護局

全国人権擁護委員連合会

東京都千代田区霞が関一丁目1番1号

電話 03(3580)4111 内線5875

URL httpwwwmojgojpJINKEN

第30回全国中学生人権作文コンテスト中央大会審査員

感想をお聞かせください本作文集を読まれた感想等を下記の連絡先又はkeihatsumojgojpまでお寄せください

無断転載を禁じます本作文集に掲載された作文や写真等を地方自治体が広報誌に掲載したり学校が教材に使用される場合などにはあらかじめ下記に御連絡ください

100-8977 東京都千代田区霞が関一丁目1番1号 法務省人権擁護局人権啓発課 TEL03(3580)4111 内線5875

作  家(審査員長) 落 合 恵 子映画監督 山 田 洋 次社団法人日本新聞協会事務局長 川 嶋   明日本放送協会解説委員室解説委員 南   直 樹文部科学省初等中等教育局視学官 三 好 仁 司全国人権擁護委員連合会長 中 村 浩 紹法務省人権擁護局長   井 忠 雄

(敬称略)

【式次第】

第一部

 会

主催者あいさつ

賞状授与

内閣総理大臣賞法務大臣賞

文部科学大臣奨励賞法務副大臣賞

法務大臣政務官賞

全国人権擁護委員連合会長賞

社団法人日本新聞協会会長賞

日本放送協会会長賞(以上各一名)

法務事務次官賞(三名) 計一一名

学校への感謝状贈呈

高円宮妃殿下おことば

来賓祝辞

第二部

各受賞作文の朗読

内閣総理大臣賞法務大臣賞

文部科学大臣奨励賞

全国人権擁護委員連合会長賞

社団法人日本新聞協会会長賞

日本放送協会会長賞

 評

全国中学生人権作文コンテスト中央大会審査員

 山田洋次氏

 落合恵子氏(ビデオレター形式)

第三部

新垣勉さんコンサート

 会 平成二二年一二月一八日(土)

午後一時三〇分〜三時五〇分

於ニッショーホール

「いじめ」や暴力行為等は人権侵害です

法務局地方法務局では

人権侵害による被害を受けた方を

救済するための活動を行っています

お気軽にご相談ください

女性の人権ホットライン

インターネット人権相談受付窓口

ゼロナナゼロのハートライン

0570-070-810

子どもの人権110番ぜろぜろななのひゃくとおばん

 0120-007-110

パソコンから httpwwwmojgojpJINKENjinken113html携帯電話から httpwwwjinkengojpsoudanmobile001html

インターネット人権相談 検 索

Human Rights法務省人権擁護局全国人権擁護委員連合会

人権イメージキャラクター人KENあゆみちゃん人KENまもる君

全国共通通話料無料

全国共通ナビダイヤル

この冊子は環境保護印刷の「水なし印刷」で印刷されています

第30回全国中学生人権作文コンテスト入賞作文集

法務省人権擁護局全国人権擁護委員連合会

人権イメージキャラクター人KENまもる君人KENあゆみちゃん

この冊子には音声コードが各頁(奇数頁 左下偶数頁 右下)に印刷されています専用の読み上げ装置で読み取ると記録されている情報を音声で聞くことが出来ます

Human Rights法務省人権擁護局全国人権擁護委員連合会

 全国中学生人権作文コンテスト入賞作文集

 全国中学生人権作文コンテスト入賞作文集

第30回

喜ぶ人はいないし悲しむ人がいるだけだろ自分だってほんとは嫌だろ『死ね』

とか『消えろ』とか言葉の重さを知らないのに言うなよ」と言いました父親の

突然の死そのあと僕が考えたことも伝えました

 

友だちは黙って聞いてくれました僕の言葉にうなずいてそのあとK君の

ところへ行き「ごめん言葉の重さも知らずに言って本当にごめんぜったいに死ねなんて

ことは言わないそしていじめは絶対にしないほんとうにごめん」とあやまりましたK君

はとても優しい笑顔で「いいよ」と一言言いました僕もK君に言いました

「今まで助けてあげられなくてごめん」

K君は笑顔で「ありがとう」と言ってくれました今まで自分の中でもやもやしていた気持ちが

スーっと晴れました

 

今も時々耳にする暴言冗談半分で言っているのかもしれませんしかしいついじめにつ

ながるかわかりません他人を傷つけることで自分のストレスを晴らそうとしているのでしょう

関係ないふりをしようとする自分がいます楽な考え方をする自分がいますそんな時亡くなっ

た父の顔やK君の優しい笑顔を思い出しますあの時の自分のように強い気持ちを持とう「や

めろよ」と一言言うするとまた気持ちがスーっとしてきました

 

父の分も頑張って生き抜こうと決めた僕にとって正しいことを素直に認め悪いことを否定

できる強い意志を持つことが目標ですそして何よりも命を大切に今を大切にしていきたい

と思っています

入賞作文集 52

入賞作文

53 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

 

ぼくは今まで四つの外国に暮らしいろいろな国の人たちの中で育ってきた

 

まずタイで生まれてタイ人のメイドさんやドライバーさんにいつも遊んでもらっていた

らしい一才になると週一回の体操教室にも通いタイ人の友達もいたそうだ

 

次にシンガポールでは初めてナサリースクール(保育園)に通いいろいろな国の友達と

知り合ったプレイルームにある滑り台を滑る順番争いでいつも勝つのは体の大きい金髪の友

達だった

 

一回目の香港生活では英語の幼稚園に通ったその時のぼくの一番の友達はカナダ人だった

彼とはよくベイブレードをして遊んだが父が日本の出張で買ってきてくれた独楽や剣玉をして

遊ぶこともあった

村むら

瀬せ

 広ひろ

高たか

香港日本人学校中学部 二年

国境をこえて

海 外 作 品

今回は本選への応募とすることはできませんでしたが

 海外から寄せられた作品のうち一作品を御紹介します

入賞作文集 54

海外作品

 

それからインドでは日本人学校に通ったが夏休みには毎年アメリカンスクールのサマー

スクールに参加したし日本人のいない現地のテニススクールにも入り二年間通ったまたイ

ンドの現地幼稚園に通っていた妹のベストフレンドはコンゴ人でその兄弟もぼくの友達だった

 

そして三年間の日本生活を経て今また香港に戻ってきた

 

このようにぼくはいろいろな国でいろいろな国の人たちのお世話になりいろいろな国

の友達と遊んで育った肌が真っ黒な友達もゲームの話をすればすぐに仲良くなれたし髪が

金色の友達もポケモンの話をすれば気が合ったぼくは小さい頃から英語はうまくしゃべれ

なかったけれどもジェスチャーをつけたでたらめ英語でも充分に話は通じただからいろい

ろな国の人たちの中でぼくが日本人だからといって差別されたり嫌な思いをしたりしたこと

はないしぼくも肌の色が違うからとか言葉が通じないからという理由で違う人間だと思っ

たことはないそうぼくは外国人を差別したことはない

 

しかし本当にぼくは外国人を差別したことがないのだろうか外国人を差別した発言を一

度もしたことがないかと考えると自信がない

 

例えば香港人には赤信号でも平気で渡る人がたくさんいるそれを見てぼくは

「香港人はしょうがないな」

と思うでもよく見ると香港人全員が信号無視をしているわけではないまた

世界には今でも戦争をしている国がいくつもある

「人を傷つけ合うなんて馬鹿げている」

55 第30回全国中学生人権作文コンテスト

海外作品

とぼくは悲しくなるでもそれも好きで戦っている人がいるとも思えないその

人たちがそうなったのには何かきっと原因があるはずだ

 

逆に外国人から見ると日本人はどのように思われているのだろう

 

インドから日本に帰国した時毎日ごみがたくさん出ることにぼくはとても驚

いたインドの人たちがよく使う道端にあるカレー屋さんではバナナの葉で作ったお皿にカ

レーを入れてくれる食べた後そのお皿を道に捨てるとのら牛がその葉っぱを食べるそして

牛のふんは燃料になるというそれに比べて日本はちょっと歩くとペットボトルの飲み物が

買えファーストフードのお店では使い捨ての食器を使い立派なお菓子の箱を開けると中身が

少なくてがっかりすることもあるある時母が捨てたジャムの空きびんをメイドさんとエア

コンの修理にきていたワーカーさんとが取り合ってけんかをしていたこともあったそれを見

てぼくはあきれてしまったが逆にインド人から見ると使い捨て文化のしみついた日本人は

とんでもない人間にみえるのかもしれない国によって考え方や行動パターンが違うのは歴史

的背景や宗教習慣気候などのいろいろなことが関わっているのだと思う

 

このように考えると差別とはその人の一部しか見ていないことや自分のやり方だけが正

しいと思うことからおきるのではないかと思うその人が自分とは違った行動をとったとしても

それには深い理由があるのだろうと考えればきっと納得できると思うぼくもこれからは否

定的な発言をする前にその人たちのことをいろいろな角度から見て理解する努力をしてみよう

と思う外国との間には自分の国とは違う言葉や文化という壁があるとみんな言うがそこに

入賞作文集 56

海外作品

あるのは壁ではなく橋だとぼくは思う理解

し合おうという気持ちがあればきっと誰でも

その橋を渡っていけるはずだ気持ちの国境を

こえるのにパスポートはいらないお互いを理

解し合おうと思う気持ちが一番大切だと思う

そしてぼくはこれから日本人として生きる

のではなく地球人として生きていこうと思う

57 第30回全国中学生人権作文コンテスト

海外作品

法務局地方法務局名 郵便番号 所  在  地 電  話

金沢地方法務局人権擁護課920-0024 金沢市西念3-4-1金沢駅西合同庁舎(平成23年3月11日まで) 076-231-1244

921-8505 金沢市新神田4-3-10金沢新神田合同庁舎(平成23年3月14日から) 076-292-7804

富山地方法務局人権擁護課 930-0856 富山市牛島新町11番7号富山合同庁舎 076-441-6376

大阪法務局人権擁護部 540-8544 大阪市中央区谷町2丁目1番17号大阪第2法務合同庁舎 06-6942-9492

京都地方法務局人権擁護課 602-8577 京都市上京区荒神口通河原町東入上生洲町197番地 075-231-0131

神戸地方法務局人権擁護課 650-0042 神戸市中央区波止場町1番1号神戸第2地方合同庁舎 078-392-1821

奈良地方法務局人権擁護課 630-8305 奈良市東紀寺町3-4-1奈良第2法務総合庁舎 0742-23-5457

大津地方法務局人権擁護課 520-8516 大津市御陵町3番6号大津法務総合庁舎 077-522-4673

和歌山地方法務局人権擁護課 640-8552 和歌山市二番丁2番地和歌山地方合同庁舎 073-422-5131

広島法務局人権擁護部 730-8536 広島市中区上八丁堀6番30号広島合同庁舎 082-228-5790

山口地方法務局人権擁護課 753-8577 山口市中河原町6番16号山口地方合同庁舎2号館 083-922-2295

岡山地方法務局人権擁護課 700-8616 岡山市北区南方1丁目3番58号 086-224-5761

鳥取地方法務局人権擁護課 680-0011 鳥取市東町2丁目302番地鳥取第2地方合同庁舎 0857-22-2289

松江地方法務局人権擁護課 690-0886 松江市母衣町50番地松江法務合同庁舎 0852-32-4260

高松法務局人権擁護部 761-8077 高松市出作町585-4 087-815-5311

徳島地方法務局人権擁護課 770-8512 徳島市徳島町城内6番地6徳島地方合同庁舎 088-622-4171

高知地方法務局人権擁護課 780-8509 高知市栄田町2丁目2番10号高知よさこい咲都合同庁舎 088-822-3331

松山地方法務局人権擁護課 790-8505 松山市宮田町188番地6松山地方合同庁舎 089-932-0888

福岡法務局人権擁護部 814-0005 福岡市早良区祖原14-15福岡法務局西新出張所庁舎5階 092-832-4311

佐賀地方法務局人権擁護課 840-0041 佐賀市城内2丁目10番20号佐賀合同庁舎 0952-26-2148

長崎地方法務局人権擁護課 850-8507 長崎市万才町8番16号 095-826-8127大分地方法務局人権擁護課 870-8513 大分市荷揚町7番5号大分法務総合庁舎 097-532-3368

熊本地方法務局人権擁護課 862-0971 熊本市大江3丁目1番53号熊本第2合同庁舎 096-364-2145

鹿児島地方法務局人権擁護課 890-8518 鹿児島市鴨池新町1番2号 099-259-0684宮崎地方法務局人権擁護課 880-8513 宮崎市別府町1番1号宮崎法務総合庁舎 0985-22-5124

那覇地方法務局人権擁護課 900-8544 那覇市樋川1丁目15番15号那覇第1地方合同庁舎 098-854-1215

入賞作文集 58

問合せ先一覧

法務局地方法務局名 郵便番号 所  在  地 電  話

札幌法務局人権擁護部 060-0808 札幌市北区北8条西2丁目1番1札幌第1合同庁舎 011-709-2311

函館地方法務局人権擁護課 040-8533 函館市新川町25番18号函館地方合同庁舎 0138-23-9528

旭川地方法務局人権擁護課 078-8502 旭川市宮前通東4155番31旭川合同庁舎 0166-38-1114

釧路地方法務局人権擁護課 085-8522 釧路市幸町10丁目3番地釧路地方合同庁舎 0154-31-5014

仙台法務局人権擁護部 980-8601 仙台市青葉区春日町7番25号仙台第3法務総合庁舎 022-225-5739

福島地方法務局人権擁護課 960-8021 福島市霞町1番46号福島合同庁舎 024-534-1994

山形地方法務局人権擁護課 990-0041 山形市緑町1丁目5番48号山形地方合同庁舎 023-625-1321

盛岡地方法務局人権擁護課 020-0023 盛岡市内丸7番25号盛岡合同庁舎 019-624-9859秋田地方法務局人権擁護課 010-0951 秋田市山王7丁目1番3号 018-862-6533

青森地方法務局人権擁護課 030-8511 青森市長島1丁目3番5号青森第二合同庁舎 017-776-9024

東京法務局人権擁護部 102-8225 千代田区九段南1丁目1番15号九段第2合同庁舎 03-5213-1234

横浜地方法務局人権擁護課 231-8411 横浜市中区北仲通5丁目57番地横浜第2合同庁舎 045-641-7926

さいたま地方法務局人権擁護課 338-8513 さいたま市中央区下落合5-12-1さいたま第二法務総合庁舎 048-859-3507

千葉地方法務局人権擁護課 260-8518 千葉市中央区中央港1丁目11番3号千葉地方合同庁舎 043-302-1319

水戸地方法務局人権擁護課 310-0061 水戸市北見町1番1号水戸地方法務合同庁舎 029-227-9919

宇都宮地方法務局人権擁護課 320-8515 宇都宮市小幡2丁目1番11号宇都宮地方法務合同庁舎 028-623-0926

前橋地方法務局人権擁護課 371-8535 前橋市大手町2丁目10番5号前橋合同庁舎 027-221-4426

静岡地方法務局人権擁護課 420-8650 静岡市葵区追手町9番50号静岡地方合同庁舎 054-254-3555

甲府地方法務局人権擁護課 400-8520 甲府市北口1丁目2番19号甲府地方合同庁舎 055-252-7239

長野地方法務局人権擁護課 380-0846 長野市旭町1108番地長野第2合同庁舎 026-235-6634

新潟地方法務局人権擁護課 951-8504 新潟市中央区西大畑町5191番地新潟地方法務総合庁舎 025-222-1564

名古屋法務局人権擁護部 460-8513 名古屋市中区三の丸2丁目2番1号名古屋合同庁舎第1号館 052-952-8111

津地方法務局人権擁護課 514-8503 津市丸之内26番8号津合同庁舎 059-228-4193岐阜地方法務局人権擁護課 500-8729 岐阜市金竜町5丁目13番地 058-245-3181

福井地方法務局人権擁護課 910-8504 福井市春山1丁目1番54号福井春山合同庁舎 0776-22-5090

問合せ先一覧 (法務局地方法務局)

59 第30回全国中学生人権作文コンテスト

問合せ先一覧

世界人権宣言啓発書画「鳥」「自由と解放」を表わしたもの 小木太法書オタビオロス画(財)人権擁護協力会提供

入賞作文集 60

すべての人間は生まれながらにして

自由でありかつ尊厳と権利とに

ついて平等である人間は理性と

良心とを授けられており互いに同胞の

精神をもって行動しなければならない

―――

世界人権宣言 第一条

―――

第三〇回

 全国中学生人権作文コンテスト

中央大会表彰式

印  刷 平成23年1月25日

発  行 平成23年2月14日

発 行 者 法務省人権擁護局

全国人権擁護委員連合会

東京都千代田区霞が関一丁目1番1号

電話 03(3580)4111 内線5875

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第30回全国中学生人権作文コンテスト中央大会審査員

感想をお聞かせください本作文集を読まれた感想等を下記の連絡先又はkeihatsumojgojpまでお寄せください

無断転載を禁じます本作文集に掲載された作文や写真等を地方自治体が広報誌に掲載したり学校が教材に使用される場合などにはあらかじめ下記に御連絡ください

100-8977 東京都千代田区霞が関一丁目1番1号 法務省人権擁護局人権啓発課 TEL03(3580)4111 内線5875

作  家(審査員長) 落 合 恵 子映画監督 山 田 洋 次社団法人日本新聞協会事務局長 川 嶋   明日本放送協会解説委員室解説委員 南   直 樹文部科学省初等中等教育局視学官 三 好 仁 司全国人権擁護委員連合会長 中 村 浩 紹法務省人権擁護局長   井 忠 雄

(敬称略)

【式次第】

第一部

 会

主催者あいさつ

賞状授与

内閣総理大臣賞法務大臣賞

文部科学大臣奨励賞法務副大臣賞

法務大臣政務官賞

全国人権擁護委員連合会長賞

社団法人日本新聞協会会長賞

日本放送協会会長賞(以上各一名)

法務事務次官賞(三名) 計一一名

学校への感謝状贈呈

高円宮妃殿下おことば

来賓祝辞

第二部

各受賞作文の朗読

内閣総理大臣賞法務大臣賞

文部科学大臣奨励賞

全国人権擁護委員連合会長賞

社団法人日本新聞協会会長賞

日本放送協会会長賞

 評

全国中学生人権作文コンテスト中央大会審査員

 山田洋次氏

 落合恵子氏(ビデオレター形式)

第三部

新垣勉さんコンサート

 会 平成二二年一二月一八日(土)

午後一時三〇分〜三時五〇分

於ニッショーホール

「いじめ」や暴力行為等は人権侵害です

法務局地方法務局では

人権侵害による被害を受けた方を

救済するための活動を行っています

お気軽にご相談ください

女性の人権ホットライン

インターネット人権相談受付窓口

ゼロナナゼロのハートライン

0570-070-810

子どもの人権110番ぜろぜろななのひゃくとおばん

 0120-007-110

パソコンから httpwwwmojgojpJINKENjinken113html携帯電話から httpwwwjinkengojpsoudanmobile001html

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人権イメージキャラクター人KENあゆみちゃん人KENまもる君

全国共通通話料無料

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第30回全国中学生人権作文コンテスト入賞作文集

法務省人権擁護局全国人権擁護委員連合会

人権イメージキャラクター人KENまもる君人KENあゆみちゃん

この冊子には音声コードが各頁(奇数頁 左下偶数頁 右下)に印刷されています専用の読み上げ装置で読み取ると記録されている情報を音声で聞くことが出来ます

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 全国中学生人権作文コンテスト入賞作文集

 全国中学生人権作文コンテスト入賞作文集

第30回

53 第30回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

 

ぼくは今まで四つの外国に暮らしいろいろな国の人たちの中で育ってきた

 

まずタイで生まれてタイ人のメイドさんやドライバーさんにいつも遊んでもらっていた

らしい一才になると週一回の体操教室にも通いタイ人の友達もいたそうだ

 

次にシンガポールでは初めてナサリースクール(保育園)に通いいろいろな国の友達と

知り合ったプレイルームにある滑り台を滑る順番争いでいつも勝つのは体の大きい金髪の友

達だった

 

一回目の香港生活では英語の幼稚園に通ったその時のぼくの一番の友達はカナダ人だった

彼とはよくベイブレードをして遊んだが父が日本の出張で買ってきてくれた独楽や剣玉をして

遊ぶこともあった

村むら

瀬せ

 広ひろ

高たか

香港日本人学校中学部 二年

国境をこえて

海 外 作 品

今回は本選への応募とすることはできませんでしたが

 海外から寄せられた作品のうち一作品を御紹介します

入賞作文集 54

海外作品

 

それからインドでは日本人学校に通ったが夏休みには毎年アメリカンスクールのサマー

スクールに参加したし日本人のいない現地のテニススクールにも入り二年間通ったまたイ

ンドの現地幼稚園に通っていた妹のベストフレンドはコンゴ人でその兄弟もぼくの友達だった

 

そして三年間の日本生活を経て今また香港に戻ってきた

 

このようにぼくはいろいろな国でいろいろな国の人たちのお世話になりいろいろな国

の友達と遊んで育った肌が真っ黒な友達もゲームの話をすればすぐに仲良くなれたし髪が

金色の友達もポケモンの話をすれば気が合ったぼくは小さい頃から英語はうまくしゃべれ

なかったけれどもジェスチャーをつけたでたらめ英語でも充分に話は通じただからいろい

ろな国の人たちの中でぼくが日本人だからといって差別されたり嫌な思いをしたりしたこと

はないしぼくも肌の色が違うからとか言葉が通じないからという理由で違う人間だと思っ

たことはないそうぼくは外国人を差別したことはない

 

しかし本当にぼくは外国人を差別したことがないのだろうか外国人を差別した発言を一

度もしたことがないかと考えると自信がない

 

例えば香港人には赤信号でも平気で渡る人がたくさんいるそれを見てぼくは

「香港人はしょうがないな」

と思うでもよく見ると香港人全員が信号無視をしているわけではないまた

世界には今でも戦争をしている国がいくつもある

「人を傷つけ合うなんて馬鹿げている」

55 第30回全国中学生人権作文コンテスト

海外作品

とぼくは悲しくなるでもそれも好きで戦っている人がいるとも思えないその

人たちがそうなったのには何かきっと原因があるはずだ

 

逆に外国人から見ると日本人はどのように思われているのだろう

 

インドから日本に帰国した時毎日ごみがたくさん出ることにぼくはとても驚

いたインドの人たちがよく使う道端にあるカレー屋さんではバナナの葉で作ったお皿にカ

レーを入れてくれる食べた後そのお皿を道に捨てるとのら牛がその葉っぱを食べるそして

牛のふんは燃料になるというそれに比べて日本はちょっと歩くとペットボトルの飲み物が

買えファーストフードのお店では使い捨ての食器を使い立派なお菓子の箱を開けると中身が

少なくてがっかりすることもあるある時母が捨てたジャムの空きびんをメイドさんとエア

コンの修理にきていたワーカーさんとが取り合ってけんかをしていたこともあったそれを見

てぼくはあきれてしまったが逆にインド人から見ると使い捨て文化のしみついた日本人は

とんでもない人間にみえるのかもしれない国によって考え方や行動パターンが違うのは歴史

的背景や宗教習慣気候などのいろいろなことが関わっているのだと思う

 

このように考えると差別とはその人の一部しか見ていないことや自分のやり方だけが正

しいと思うことからおきるのではないかと思うその人が自分とは違った行動をとったとしても

それには深い理由があるのだろうと考えればきっと納得できると思うぼくもこれからは否

定的な発言をする前にその人たちのことをいろいろな角度から見て理解する努力をしてみよう

と思う外国との間には自分の国とは違う言葉や文化という壁があるとみんな言うがそこに

入賞作文集 56

海外作品

あるのは壁ではなく橋だとぼくは思う理解

し合おうという気持ちがあればきっと誰でも

その橋を渡っていけるはずだ気持ちの国境を

こえるのにパスポートはいらないお互いを理

解し合おうと思う気持ちが一番大切だと思う

そしてぼくはこれから日本人として生きる

のではなく地球人として生きていこうと思う

57 第30回全国中学生人権作文コンテスト

海外作品

法務局地方法務局名 郵便番号 所  在  地 電  話

金沢地方法務局人権擁護課920-0024 金沢市西念3-4-1金沢駅西合同庁舎(平成23年3月11日まで) 076-231-1244

921-8505 金沢市新神田4-3-10金沢新神田合同庁舎(平成23年3月14日から) 076-292-7804

富山地方法務局人権擁護課 930-0856 富山市牛島新町11番7号富山合同庁舎 076-441-6376

大阪法務局人権擁護部 540-8544 大阪市中央区谷町2丁目1番17号大阪第2法務合同庁舎 06-6942-9492

京都地方法務局人権擁護課 602-8577 京都市上京区荒神口通河原町東入上生洲町197番地 075-231-0131

神戸地方法務局人権擁護課 650-0042 神戸市中央区波止場町1番1号神戸第2地方合同庁舎 078-392-1821

奈良地方法務局人権擁護課 630-8305 奈良市東紀寺町3-4-1奈良第2法務総合庁舎 0742-23-5457

大津地方法務局人権擁護課 520-8516 大津市御陵町3番6号大津法務総合庁舎 077-522-4673

和歌山地方法務局人権擁護課 640-8552 和歌山市二番丁2番地和歌山地方合同庁舎 073-422-5131

広島法務局人権擁護部 730-8536 広島市中区上八丁堀6番30号広島合同庁舎 082-228-5790

山口地方法務局人権擁護課 753-8577 山口市中河原町6番16号山口地方合同庁舎2号館 083-922-2295

岡山地方法務局人権擁護課 700-8616 岡山市北区南方1丁目3番58号 086-224-5761

鳥取地方法務局人権擁護課 680-0011 鳥取市東町2丁目302番地鳥取第2地方合同庁舎 0857-22-2289

松江地方法務局人権擁護課 690-0886 松江市母衣町50番地松江法務合同庁舎 0852-32-4260

高松法務局人権擁護部 761-8077 高松市出作町585-4 087-815-5311

徳島地方法務局人権擁護課 770-8512 徳島市徳島町城内6番地6徳島地方合同庁舎 088-622-4171

高知地方法務局人権擁護課 780-8509 高知市栄田町2丁目2番10号高知よさこい咲都合同庁舎 088-822-3331

松山地方法務局人権擁護課 790-8505 松山市宮田町188番地6松山地方合同庁舎 089-932-0888

福岡法務局人権擁護部 814-0005 福岡市早良区祖原14-15福岡法務局西新出張所庁舎5階 092-832-4311

佐賀地方法務局人権擁護課 840-0041 佐賀市城内2丁目10番20号佐賀合同庁舎 0952-26-2148

長崎地方法務局人権擁護課 850-8507 長崎市万才町8番16号 095-826-8127大分地方法務局人権擁護課 870-8513 大分市荷揚町7番5号大分法務総合庁舎 097-532-3368

熊本地方法務局人権擁護課 862-0971 熊本市大江3丁目1番53号熊本第2合同庁舎 096-364-2145

鹿児島地方法務局人権擁護課 890-8518 鹿児島市鴨池新町1番2号 099-259-0684宮崎地方法務局人権擁護課 880-8513 宮崎市別府町1番1号宮崎法務総合庁舎 0985-22-5124

那覇地方法務局人権擁護課 900-8544 那覇市樋川1丁目15番15号那覇第1地方合同庁舎 098-854-1215

入賞作文集 58

問合せ先一覧

法務局地方法務局名 郵便番号 所  在  地 電  話

札幌法務局人権擁護部 060-0808 札幌市北区北8条西2丁目1番1札幌第1合同庁舎 011-709-2311

函館地方法務局人権擁護課 040-8533 函館市新川町25番18号函館地方合同庁舎 0138-23-9528

旭川地方法務局人権擁護課 078-8502 旭川市宮前通東4155番31旭川合同庁舎 0166-38-1114

釧路地方法務局人権擁護課 085-8522 釧路市幸町10丁目3番地釧路地方合同庁舎 0154-31-5014

仙台法務局人権擁護部 980-8601 仙台市青葉区春日町7番25号仙台第3法務総合庁舎 022-225-5739

福島地方法務局人権擁護課 960-8021 福島市霞町1番46号福島合同庁舎 024-534-1994

山形地方法務局人権擁護課 990-0041 山形市緑町1丁目5番48号山形地方合同庁舎 023-625-1321

盛岡地方法務局人権擁護課 020-0023 盛岡市内丸7番25号盛岡合同庁舎 019-624-9859秋田地方法務局人権擁護課 010-0951 秋田市山王7丁目1番3号 018-862-6533

青森地方法務局人権擁護課 030-8511 青森市長島1丁目3番5号青森第二合同庁舎 017-776-9024

東京法務局人権擁護部 102-8225 千代田区九段南1丁目1番15号九段第2合同庁舎 03-5213-1234

横浜地方法務局人権擁護課 231-8411 横浜市中区北仲通5丁目57番地横浜第2合同庁舎 045-641-7926

さいたま地方法務局人権擁護課 338-8513 さいたま市中央区下落合5-12-1さいたま第二法務総合庁舎 048-859-3507

千葉地方法務局人権擁護課 260-8518 千葉市中央区中央港1丁目11番3号千葉地方合同庁舎 043-302-1319

水戸地方法務局人権擁護課 310-0061 水戸市北見町1番1号水戸地方法務合同庁舎 029-227-9919

宇都宮地方法務局人権擁護課 320-8515 宇都宮市小幡2丁目1番11号宇都宮地方法務合同庁舎 028-623-0926

前橋地方法務局人権擁護課 371-8535 前橋市大手町2丁目10番5号前橋合同庁舎 027-221-4426

静岡地方法務局人権擁護課 420-8650 静岡市葵区追手町9番50号静岡地方合同庁舎 054-254-3555

甲府地方法務局人権擁護課 400-8520 甲府市北口1丁目2番19号甲府地方合同庁舎 055-252-7239

長野地方法務局人権擁護課 380-0846 長野市旭町1108番地長野第2合同庁舎 026-235-6634

新潟地方法務局人権擁護課 951-8504 新潟市中央区西大畑町5191番地新潟地方法務総合庁舎 025-222-1564

名古屋法務局人権擁護部 460-8513 名古屋市中区三の丸2丁目2番1号名古屋合同庁舎第1号館 052-952-8111

津地方法務局人権擁護課 514-8503 津市丸之内26番8号津合同庁舎 059-228-4193岐阜地方法務局人権擁護課 500-8729 岐阜市金竜町5丁目13番地 058-245-3181

福井地方法務局人権擁護課 910-8504 福井市春山1丁目1番54号福井春山合同庁舎 0776-22-5090

問合せ先一覧 (法務局地方法務局)

59 第30回全国中学生人権作文コンテスト

問合せ先一覧

世界人権宣言啓発書画「鳥」「自由と解放」を表わしたもの 小木太法書オタビオロス画(財)人権擁護協力会提供

入賞作文集 60

すべての人間は生まれながらにして

自由でありかつ尊厳と権利とに

ついて平等である人間は理性と

良心とを授けられており互いに同胞の

精神をもって行動しなければならない

―――

世界人権宣言 第一条

―――

第三〇回

 全国中学生人権作文コンテスト

中央大会表彰式

印  刷 平成23年1月25日

発  行 平成23年2月14日

発 行 者 法務省人権擁護局

全国人権擁護委員連合会

東京都千代田区霞が関一丁目1番1号

電話 03(3580)4111 内線5875

URL httpwwwmojgojpJINKEN

第30回全国中学生人権作文コンテスト中央大会審査員

感想をお聞かせください本作文集を読まれた感想等を下記の連絡先又はkeihatsumojgojpまでお寄せください

無断転載を禁じます本作文集に掲載された作文や写真等を地方自治体が広報誌に掲載したり学校が教材に使用される場合などにはあらかじめ下記に御連絡ください

100-8977 東京都千代田区霞が関一丁目1番1号 法務省人権擁護局人権啓発課 TEL03(3580)4111 内線5875

作  家(審査員長) 落 合 恵 子映画監督 山 田 洋 次社団法人日本新聞協会事務局長 川 嶋   明日本放送協会解説委員室解説委員 南   直 樹文部科学省初等中等教育局視学官 三 好 仁 司全国人権擁護委員連合会長 中 村 浩 紹法務省人権擁護局長   井 忠 雄

(敬称略)

【式次第】

第一部

 会

主催者あいさつ

賞状授与

内閣総理大臣賞法務大臣賞

文部科学大臣奨励賞法務副大臣賞

法務大臣政務官賞

全国人権擁護委員連合会長賞

社団法人日本新聞協会会長賞

日本放送協会会長賞(以上各一名)

法務事務次官賞(三名) 計一一名

学校への感謝状贈呈

高円宮妃殿下おことば

来賓祝辞

第二部

各受賞作文の朗読

内閣総理大臣賞法務大臣賞

文部科学大臣奨励賞

全国人権擁護委員連合会長賞

社団法人日本新聞協会会長賞

日本放送協会会長賞

 評

全国中学生人権作文コンテスト中央大会審査員

 山田洋次氏

 落合恵子氏(ビデオレター形式)

第三部

新垣勉さんコンサート

 会 平成二二年一二月一八日(土)

午後一時三〇分〜三時五〇分

於ニッショーホール

「いじめ」や暴力行為等は人権侵害です

法務局地方法務局では

人権侵害による被害を受けた方を

救済するための活動を行っています

お気軽にご相談ください

女性の人権ホットライン

インターネット人権相談受付窓口

ゼロナナゼロのハートライン

0570-070-810

子どもの人権110番ぜろぜろななのひゃくとおばん

 0120-007-110

パソコンから httpwwwmojgojpJINKENjinken113html携帯電話から httpwwwjinkengojpsoudanmobile001html

インターネット人権相談 検 索

Human Rights法務省人権擁護局全国人権擁護委員連合会

人権イメージキャラクター人KENあゆみちゃん人KENまもる君

全国共通通話料無料

全国共通ナビダイヤル

この冊子は環境保護印刷の「水なし印刷」で印刷されています

第30回全国中学生人権作文コンテスト入賞作文集

法務省人権擁護局全国人権擁護委員連合会

人権イメージキャラクター人KENまもる君人KENあゆみちゃん

この冊子には音声コードが各頁(奇数頁 左下偶数頁 右下)に印刷されています専用の読み上げ装置で読み取ると記録されている情報を音声で聞くことが出来ます

Human Rights法務省人権擁護局全国人権擁護委員連合会

 全国中学生人権作文コンテスト入賞作文集

 全国中学生人権作文コンテスト入賞作文集

第30回

 

ぼくは今まで四つの外国に暮らしいろいろな国の人たちの中で育ってきた

 

まずタイで生まれてタイ人のメイドさんやドライバーさんにいつも遊んでもらっていた

らしい一才になると週一回の体操教室にも通いタイ人の友達もいたそうだ

 

次にシンガポールでは初めてナサリースクール(保育園)に通いいろいろな国の友達と

知り合ったプレイルームにある滑り台を滑る順番争いでいつも勝つのは体の大きい金髪の友

達だった

 

一回目の香港生活では英語の幼稚園に通ったその時のぼくの一番の友達はカナダ人だった

彼とはよくベイブレードをして遊んだが父が日本の出張で買ってきてくれた独楽や剣玉をして

遊ぶこともあった

村むら

瀬せ

 広ひろ

高たか

香港日本人学校中学部 二年

国境をこえて

海 外 作 品

今回は本選への応募とすることはできませんでしたが

 海外から寄せられた作品のうち一作品を御紹介します

入賞作文集 54

海外作品

 

それからインドでは日本人学校に通ったが夏休みには毎年アメリカンスクールのサマー

スクールに参加したし日本人のいない現地のテニススクールにも入り二年間通ったまたイ

ンドの現地幼稚園に通っていた妹のベストフレンドはコンゴ人でその兄弟もぼくの友達だった

 

そして三年間の日本生活を経て今また香港に戻ってきた

 

このようにぼくはいろいろな国でいろいろな国の人たちのお世話になりいろいろな国

の友達と遊んで育った肌が真っ黒な友達もゲームの話をすればすぐに仲良くなれたし髪が

金色の友達もポケモンの話をすれば気が合ったぼくは小さい頃から英語はうまくしゃべれ

なかったけれどもジェスチャーをつけたでたらめ英語でも充分に話は通じただからいろい

ろな国の人たちの中でぼくが日本人だからといって差別されたり嫌な思いをしたりしたこと

はないしぼくも肌の色が違うからとか言葉が通じないからという理由で違う人間だと思っ

たことはないそうぼくは外国人を差別したことはない

 

しかし本当にぼくは外国人を差別したことがないのだろうか外国人を差別した発言を一

度もしたことがないかと考えると自信がない

 

例えば香港人には赤信号でも平気で渡る人がたくさんいるそれを見てぼくは

「香港人はしょうがないな」

と思うでもよく見ると香港人全員が信号無視をしているわけではないまた

世界には今でも戦争をしている国がいくつもある

「人を傷つけ合うなんて馬鹿げている」

55 第30回全国中学生人権作文コンテスト

海外作品

とぼくは悲しくなるでもそれも好きで戦っている人がいるとも思えないその

人たちがそうなったのには何かきっと原因があるはずだ

 

逆に外国人から見ると日本人はどのように思われているのだろう

 

インドから日本に帰国した時毎日ごみがたくさん出ることにぼくはとても驚

いたインドの人たちがよく使う道端にあるカレー屋さんではバナナの葉で作ったお皿にカ

レーを入れてくれる食べた後そのお皿を道に捨てるとのら牛がその葉っぱを食べるそして

牛のふんは燃料になるというそれに比べて日本はちょっと歩くとペットボトルの飲み物が

買えファーストフードのお店では使い捨ての食器を使い立派なお菓子の箱を開けると中身が

少なくてがっかりすることもあるある時母が捨てたジャムの空きびんをメイドさんとエア

コンの修理にきていたワーカーさんとが取り合ってけんかをしていたこともあったそれを見

てぼくはあきれてしまったが逆にインド人から見ると使い捨て文化のしみついた日本人は

とんでもない人間にみえるのかもしれない国によって考え方や行動パターンが違うのは歴史

的背景や宗教習慣気候などのいろいろなことが関わっているのだと思う

 

このように考えると差別とはその人の一部しか見ていないことや自分のやり方だけが正

しいと思うことからおきるのではないかと思うその人が自分とは違った行動をとったとしても

それには深い理由があるのだろうと考えればきっと納得できると思うぼくもこれからは否

定的な発言をする前にその人たちのことをいろいろな角度から見て理解する努力をしてみよう

と思う外国との間には自分の国とは違う言葉や文化という壁があるとみんな言うがそこに

入賞作文集 56

海外作品

あるのは壁ではなく橋だとぼくは思う理解

し合おうという気持ちがあればきっと誰でも

その橋を渡っていけるはずだ気持ちの国境を

こえるのにパスポートはいらないお互いを理

解し合おうと思う気持ちが一番大切だと思う

そしてぼくはこれから日本人として生きる

のではなく地球人として生きていこうと思う

57 第30回全国中学生人権作文コンテスト

海外作品

法務局地方法務局名 郵便番号 所  在  地 電  話

金沢地方法務局人権擁護課920-0024 金沢市西念3-4-1金沢駅西合同庁舎(平成23年3月11日まで) 076-231-1244

921-8505 金沢市新神田4-3-10金沢新神田合同庁舎(平成23年3月14日から) 076-292-7804

富山地方法務局人権擁護課 930-0856 富山市牛島新町11番7号富山合同庁舎 076-441-6376

大阪法務局人権擁護部 540-8544 大阪市中央区谷町2丁目1番17号大阪第2法務合同庁舎 06-6942-9492

京都地方法務局人権擁護課 602-8577 京都市上京区荒神口通河原町東入上生洲町197番地 075-231-0131

神戸地方法務局人権擁護課 650-0042 神戸市中央区波止場町1番1号神戸第2地方合同庁舎 078-392-1821

奈良地方法務局人権擁護課 630-8305 奈良市東紀寺町3-4-1奈良第2法務総合庁舎 0742-23-5457

大津地方法務局人権擁護課 520-8516 大津市御陵町3番6号大津法務総合庁舎 077-522-4673

和歌山地方法務局人権擁護課 640-8552 和歌山市二番丁2番地和歌山地方合同庁舎 073-422-5131

広島法務局人権擁護部 730-8536 広島市中区上八丁堀6番30号広島合同庁舎 082-228-5790

山口地方法務局人権擁護課 753-8577 山口市中河原町6番16号山口地方合同庁舎2号館 083-922-2295

岡山地方法務局人権擁護課 700-8616 岡山市北区南方1丁目3番58号 086-224-5761

鳥取地方法務局人権擁護課 680-0011 鳥取市東町2丁目302番地鳥取第2地方合同庁舎 0857-22-2289

松江地方法務局人権擁護課 690-0886 松江市母衣町50番地松江法務合同庁舎 0852-32-4260

高松法務局人権擁護部 761-8077 高松市出作町585-4 087-815-5311

徳島地方法務局人権擁護課 770-8512 徳島市徳島町城内6番地6徳島地方合同庁舎 088-622-4171

高知地方法務局人権擁護課 780-8509 高知市栄田町2丁目2番10号高知よさこい咲都合同庁舎 088-822-3331

松山地方法務局人権擁護課 790-8505 松山市宮田町188番地6松山地方合同庁舎 089-932-0888

福岡法務局人権擁護部 814-0005 福岡市早良区祖原14-15福岡法務局西新出張所庁舎5階 092-832-4311

佐賀地方法務局人権擁護課 840-0041 佐賀市城内2丁目10番20号佐賀合同庁舎 0952-26-2148

長崎地方法務局人権擁護課 850-8507 長崎市万才町8番16号 095-826-8127大分地方法務局人権擁護課 870-8513 大分市荷揚町7番5号大分法務総合庁舎 097-532-3368

熊本地方法務局人権擁護課 862-0971 熊本市大江3丁目1番53号熊本第2合同庁舎 096-364-2145

鹿児島地方法務局人権擁護課 890-8518 鹿児島市鴨池新町1番2号 099-259-0684宮崎地方法務局人権擁護課 880-8513 宮崎市別府町1番1号宮崎法務総合庁舎 0985-22-5124

那覇地方法務局人権擁護課 900-8544 那覇市樋川1丁目15番15号那覇第1地方合同庁舎 098-854-1215

入賞作文集 58

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法務局地方法務局名 郵便番号 所  在  地 電  話

札幌法務局人権擁護部 060-0808 札幌市北区北8条西2丁目1番1札幌第1合同庁舎 011-709-2311

函館地方法務局人権擁護課 040-8533 函館市新川町25番18号函館地方合同庁舎 0138-23-9528

旭川地方法務局人権擁護課 078-8502 旭川市宮前通東4155番31旭川合同庁舎 0166-38-1114

釧路地方法務局人権擁護課 085-8522 釧路市幸町10丁目3番地釧路地方合同庁舎 0154-31-5014

仙台法務局人権擁護部 980-8601 仙台市青葉区春日町7番25号仙台第3法務総合庁舎 022-225-5739

福島地方法務局人権擁護課 960-8021 福島市霞町1番46号福島合同庁舎 024-534-1994

山形地方法務局人権擁護課 990-0041 山形市緑町1丁目5番48号山形地方合同庁舎 023-625-1321

盛岡地方法務局人権擁護課 020-0023 盛岡市内丸7番25号盛岡合同庁舎 019-624-9859秋田地方法務局人権擁護課 010-0951 秋田市山王7丁目1番3号 018-862-6533

青森地方法務局人権擁護課 030-8511 青森市長島1丁目3番5号青森第二合同庁舎 017-776-9024

東京法務局人権擁護部 102-8225 千代田区九段南1丁目1番15号九段第2合同庁舎 03-5213-1234

横浜地方法務局人権擁護課 231-8411 横浜市中区北仲通5丁目57番地横浜第2合同庁舎 045-641-7926

さいたま地方法務局人権擁護課 338-8513 さいたま市中央区下落合5-12-1さいたま第二法務総合庁舎 048-859-3507

千葉地方法務局人権擁護課 260-8518 千葉市中央区中央港1丁目11番3号千葉地方合同庁舎 043-302-1319

水戸地方法務局人権擁護課 310-0061 水戸市北見町1番1号水戸地方法務合同庁舎 029-227-9919

宇都宮地方法務局人権擁護課 320-8515 宇都宮市小幡2丁目1番11号宇都宮地方法務合同庁舎 028-623-0926

前橋地方法務局人権擁護課 371-8535 前橋市大手町2丁目10番5号前橋合同庁舎 027-221-4426

静岡地方法務局人権擁護課 420-8650 静岡市葵区追手町9番50号静岡地方合同庁舎 054-254-3555

甲府地方法務局人権擁護課 400-8520 甲府市北口1丁目2番19号甲府地方合同庁舎 055-252-7239

長野地方法務局人権擁護課 380-0846 長野市旭町1108番地長野第2合同庁舎 026-235-6634

新潟地方法務局人権擁護課 951-8504 新潟市中央区西大畑町5191番地新潟地方法務総合庁舎 025-222-1564

名古屋法務局人権擁護部 460-8513 名古屋市中区三の丸2丁目2番1号名古屋合同庁舎第1号館 052-952-8111

津地方法務局人権擁護課 514-8503 津市丸之内26番8号津合同庁舎 059-228-4193岐阜地方法務局人権擁護課 500-8729 岐阜市金竜町5丁目13番地 058-245-3181

福井地方法務局人権擁護課 910-8504 福井市春山1丁目1番54号福井春山合同庁舎 0776-22-5090

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入賞作文集 60

すべての人間は生まれながらにして

自由でありかつ尊厳と権利とに

ついて平等である人間は理性と

良心とを授けられており互いに同胞の

精神をもって行動しなければならない

―――

世界人権宣言 第一条

―――

第三〇回

 全国中学生人権作文コンテスト

中央大会表彰式

印  刷 平成23年1月25日

発  行 平成23年2月14日

発 行 者 法務省人権擁護局

全国人権擁護委員連合会

東京都千代田区霞が関一丁目1番1号

電話 03(3580)4111 内線5875

URL httpwwwmojgojpJINKEN

第30回全国中学生人権作文コンテスト中央大会審査員

感想をお聞かせください本作文集を読まれた感想等を下記の連絡先又はkeihatsumojgojpまでお寄せください

無断転載を禁じます本作文集に掲載された作文や写真等を地方自治体が広報誌に掲載したり学校が教材に使用される場合などにはあらかじめ下記に御連絡ください

100-8977 東京都千代田区霞が関一丁目1番1号 法務省人権擁護局人権啓発課 TEL03(3580)4111 内線5875

作  家(審査員長) 落 合 恵 子映画監督 山 田 洋 次社団法人日本新聞協会事務局長 川 嶋   明日本放送協会解説委員室解説委員 南   直 樹文部科学省初等中等教育局視学官 三 好 仁 司全国人権擁護委員連合会長 中 村 浩 紹法務省人権擁護局長   井 忠 雄

(敬称略)

【式次第】

第一部

 会

主催者あいさつ

賞状授与

内閣総理大臣賞法務大臣賞

文部科学大臣奨励賞法務副大臣賞

法務大臣政務官賞

全国人権擁護委員連合会長賞

社団法人日本新聞協会会長賞

日本放送協会会長賞(以上各一名)

法務事務次官賞(三名) 計一一名

学校への感謝状贈呈

高円宮妃殿下おことば

来賓祝辞

第二部

各受賞作文の朗読

内閣総理大臣賞法務大臣賞

文部科学大臣奨励賞

全国人権擁護委員連合会長賞

社団法人日本新聞協会会長賞

日本放送協会会長賞

 評

全国中学生人権作文コンテスト中央大会審査員

 山田洋次氏

 落合恵子氏(ビデオレター形式)

第三部

新垣勉さんコンサート

 会 平成二二年一二月一八日(土)

午後一時三〇分〜三時五〇分

於ニッショーホール

「いじめ」や暴力行為等は人権侵害です

法務局地方法務局では

人権侵害による被害を受けた方を

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0570-070-810

子どもの人権110番ぜろぜろななのひゃくとおばん

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第30回全国中学生人権作文コンテスト入賞作文集

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 全国中学生人権作文コンテスト入賞作文集

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第30回

 

それからインドでは日本人学校に通ったが夏休みには毎年アメリカンスクールのサマー

スクールに参加したし日本人のいない現地のテニススクールにも入り二年間通ったまたイ

ンドの現地幼稚園に通っていた妹のベストフレンドはコンゴ人でその兄弟もぼくの友達だった

 

そして三年間の日本生活を経て今また香港に戻ってきた

 

このようにぼくはいろいろな国でいろいろな国の人たちのお世話になりいろいろな国

の友達と遊んで育った肌が真っ黒な友達もゲームの話をすればすぐに仲良くなれたし髪が

金色の友達もポケモンの話をすれば気が合ったぼくは小さい頃から英語はうまくしゃべれ

なかったけれどもジェスチャーをつけたでたらめ英語でも充分に話は通じただからいろい

ろな国の人たちの中でぼくが日本人だからといって差別されたり嫌な思いをしたりしたこと

はないしぼくも肌の色が違うからとか言葉が通じないからという理由で違う人間だと思っ

たことはないそうぼくは外国人を差別したことはない

 

しかし本当にぼくは外国人を差別したことがないのだろうか外国人を差別した発言を一

度もしたことがないかと考えると自信がない

 

例えば香港人には赤信号でも平気で渡る人がたくさんいるそれを見てぼくは

「香港人はしょうがないな」

と思うでもよく見ると香港人全員が信号無視をしているわけではないまた

世界には今でも戦争をしている国がいくつもある

「人を傷つけ合うなんて馬鹿げている」

55 第30回全国中学生人権作文コンテスト

海外作品

とぼくは悲しくなるでもそれも好きで戦っている人がいるとも思えないその

人たちがそうなったのには何かきっと原因があるはずだ

 

逆に外国人から見ると日本人はどのように思われているのだろう

 

インドから日本に帰国した時毎日ごみがたくさん出ることにぼくはとても驚

いたインドの人たちがよく使う道端にあるカレー屋さんではバナナの葉で作ったお皿にカ

レーを入れてくれる食べた後そのお皿を道に捨てるとのら牛がその葉っぱを食べるそして

牛のふんは燃料になるというそれに比べて日本はちょっと歩くとペットボトルの飲み物が

買えファーストフードのお店では使い捨ての食器を使い立派なお菓子の箱を開けると中身が

少なくてがっかりすることもあるある時母が捨てたジャムの空きびんをメイドさんとエア

コンの修理にきていたワーカーさんとが取り合ってけんかをしていたこともあったそれを見

てぼくはあきれてしまったが逆にインド人から見ると使い捨て文化のしみついた日本人は

とんでもない人間にみえるのかもしれない国によって考え方や行動パターンが違うのは歴史

的背景や宗教習慣気候などのいろいろなことが関わっているのだと思う

 

このように考えると差別とはその人の一部しか見ていないことや自分のやり方だけが正

しいと思うことからおきるのではないかと思うその人が自分とは違った行動をとったとしても

それには深い理由があるのだろうと考えればきっと納得できると思うぼくもこれからは否

定的な発言をする前にその人たちのことをいろいろな角度から見て理解する努力をしてみよう

と思う外国との間には自分の国とは違う言葉や文化という壁があるとみんな言うがそこに

入賞作文集 56

海外作品

あるのは壁ではなく橋だとぼくは思う理解

し合おうという気持ちがあればきっと誰でも

その橋を渡っていけるはずだ気持ちの国境を

こえるのにパスポートはいらないお互いを理

解し合おうと思う気持ちが一番大切だと思う

そしてぼくはこれから日本人として生きる

のではなく地球人として生きていこうと思う

57 第30回全国中学生人権作文コンテスト

海外作品

法務局地方法務局名 郵便番号 所  在  地 電  話

金沢地方法務局人権擁護課920-0024 金沢市西念3-4-1金沢駅西合同庁舎(平成23年3月11日まで) 076-231-1244

921-8505 金沢市新神田4-3-10金沢新神田合同庁舎(平成23年3月14日から) 076-292-7804

富山地方法務局人権擁護課 930-0856 富山市牛島新町11番7号富山合同庁舎 076-441-6376

大阪法務局人権擁護部 540-8544 大阪市中央区谷町2丁目1番17号大阪第2法務合同庁舎 06-6942-9492

京都地方法務局人権擁護課 602-8577 京都市上京区荒神口通河原町東入上生洲町197番地 075-231-0131

神戸地方法務局人権擁護課 650-0042 神戸市中央区波止場町1番1号神戸第2地方合同庁舎 078-392-1821

奈良地方法務局人権擁護課 630-8305 奈良市東紀寺町3-4-1奈良第2法務総合庁舎 0742-23-5457

大津地方法務局人権擁護課 520-8516 大津市御陵町3番6号大津法務総合庁舎 077-522-4673

和歌山地方法務局人権擁護課 640-8552 和歌山市二番丁2番地和歌山地方合同庁舎 073-422-5131

広島法務局人権擁護部 730-8536 広島市中区上八丁堀6番30号広島合同庁舎 082-228-5790

山口地方法務局人権擁護課 753-8577 山口市中河原町6番16号山口地方合同庁舎2号館 083-922-2295

岡山地方法務局人権擁護課 700-8616 岡山市北区南方1丁目3番58号 086-224-5761

鳥取地方法務局人権擁護課 680-0011 鳥取市東町2丁目302番地鳥取第2地方合同庁舎 0857-22-2289

松江地方法務局人権擁護課 690-0886 松江市母衣町50番地松江法務合同庁舎 0852-32-4260

高松法務局人権擁護部 761-8077 高松市出作町585-4 087-815-5311

徳島地方法務局人権擁護課 770-8512 徳島市徳島町城内6番地6徳島地方合同庁舎 088-622-4171

高知地方法務局人権擁護課 780-8509 高知市栄田町2丁目2番10号高知よさこい咲都合同庁舎 088-822-3331

松山地方法務局人権擁護課 790-8505 松山市宮田町188番地6松山地方合同庁舎 089-932-0888

福岡法務局人権擁護部 814-0005 福岡市早良区祖原14-15福岡法務局西新出張所庁舎5階 092-832-4311

佐賀地方法務局人権擁護課 840-0041 佐賀市城内2丁目10番20号佐賀合同庁舎 0952-26-2148

長崎地方法務局人権擁護課 850-8507 長崎市万才町8番16号 095-826-8127大分地方法務局人権擁護課 870-8513 大分市荷揚町7番5号大分法務総合庁舎 097-532-3368

熊本地方法務局人権擁護課 862-0971 熊本市大江3丁目1番53号熊本第2合同庁舎 096-364-2145

鹿児島地方法務局人権擁護課 890-8518 鹿児島市鴨池新町1番2号 099-259-0684宮崎地方法務局人権擁護課 880-8513 宮崎市別府町1番1号宮崎法務総合庁舎 0985-22-5124

那覇地方法務局人権擁護課 900-8544 那覇市樋川1丁目15番15号那覇第1地方合同庁舎 098-854-1215

入賞作文集 58

問合せ先一覧

法務局地方法務局名 郵便番号 所  在  地 電  話

札幌法務局人権擁護部 060-0808 札幌市北区北8条西2丁目1番1札幌第1合同庁舎 011-709-2311

函館地方法務局人権擁護課 040-8533 函館市新川町25番18号函館地方合同庁舎 0138-23-9528

旭川地方法務局人権擁護課 078-8502 旭川市宮前通東4155番31旭川合同庁舎 0166-38-1114

釧路地方法務局人権擁護課 085-8522 釧路市幸町10丁目3番地釧路地方合同庁舎 0154-31-5014

仙台法務局人権擁護部 980-8601 仙台市青葉区春日町7番25号仙台第3法務総合庁舎 022-225-5739

福島地方法務局人権擁護課 960-8021 福島市霞町1番46号福島合同庁舎 024-534-1994

山形地方法務局人権擁護課 990-0041 山形市緑町1丁目5番48号山形地方合同庁舎 023-625-1321

盛岡地方法務局人権擁護課 020-0023 盛岡市内丸7番25号盛岡合同庁舎 019-624-9859秋田地方法務局人権擁護課 010-0951 秋田市山王7丁目1番3号 018-862-6533

青森地方法務局人権擁護課 030-8511 青森市長島1丁目3番5号青森第二合同庁舎 017-776-9024

東京法務局人権擁護部 102-8225 千代田区九段南1丁目1番15号九段第2合同庁舎 03-5213-1234

横浜地方法務局人権擁護課 231-8411 横浜市中区北仲通5丁目57番地横浜第2合同庁舎 045-641-7926

さいたま地方法務局人権擁護課 338-8513 さいたま市中央区下落合5-12-1さいたま第二法務総合庁舎 048-859-3507

千葉地方法務局人権擁護課 260-8518 千葉市中央区中央港1丁目11番3号千葉地方合同庁舎 043-302-1319

水戸地方法務局人権擁護課 310-0061 水戸市北見町1番1号水戸地方法務合同庁舎 029-227-9919

宇都宮地方法務局人権擁護課 320-8515 宇都宮市小幡2丁目1番11号宇都宮地方法務合同庁舎 028-623-0926

前橋地方法務局人権擁護課 371-8535 前橋市大手町2丁目10番5号前橋合同庁舎 027-221-4426

静岡地方法務局人権擁護課 420-8650 静岡市葵区追手町9番50号静岡地方合同庁舎 054-254-3555

甲府地方法務局人権擁護課 400-8520 甲府市北口1丁目2番19号甲府地方合同庁舎 055-252-7239

長野地方法務局人権擁護課 380-0846 長野市旭町1108番地長野第2合同庁舎 026-235-6634

新潟地方法務局人権擁護課 951-8504 新潟市中央区西大畑町5191番地新潟地方法務総合庁舎 025-222-1564

名古屋法務局人権擁護部 460-8513 名古屋市中区三の丸2丁目2番1号名古屋合同庁舎第1号館 052-952-8111

津地方法務局人権擁護課 514-8503 津市丸之内26番8号津合同庁舎 059-228-4193岐阜地方法務局人権擁護課 500-8729 岐阜市金竜町5丁目13番地 058-245-3181

福井地方法務局人権擁護課 910-8504 福井市春山1丁目1番54号福井春山合同庁舎 0776-22-5090

問合せ先一覧 (法務局地方法務局)

59 第30回全国中学生人権作文コンテスト

問合せ先一覧

世界人権宣言啓発書画「鳥」「自由と解放」を表わしたもの 小木太法書オタビオロス画(財)人権擁護協力会提供

入賞作文集 60

すべての人間は生まれながらにして

自由でありかつ尊厳と権利とに

ついて平等である人間は理性と

良心とを授けられており互いに同胞の

精神をもって行動しなければならない

―――

世界人権宣言 第一条

―――

第三〇回

 全国中学生人権作文コンテスト

中央大会表彰式

印  刷 平成23年1月25日

発  行 平成23年2月14日

発 行 者 法務省人権擁護局

全国人権擁護委員連合会

東京都千代田区霞が関一丁目1番1号

電話 03(3580)4111 内線5875

URL httpwwwmojgojpJINKEN

第30回全国中学生人権作文コンテスト中央大会審査員

感想をお聞かせください本作文集を読まれた感想等を下記の連絡先又はkeihatsumojgojpまでお寄せください

無断転載を禁じます本作文集に掲載された作文や写真等を地方自治体が広報誌に掲載したり学校が教材に使用される場合などにはあらかじめ下記に御連絡ください

100-8977 東京都千代田区霞が関一丁目1番1号 法務省人権擁護局人権啓発課 TEL03(3580)4111 内線5875

作  家(審査員長) 落 合 恵 子映画監督 山 田 洋 次社団法人日本新聞協会事務局長 川 嶋   明日本放送協会解説委員室解説委員 南   直 樹文部科学省初等中等教育局視学官 三 好 仁 司全国人権擁護委員連合会長 中 村 浩 紹法務省人権擁護局長   井 忠 雄

(敬称略)

【式次第】

第一部

 会

主催者あいさつ

賞状授与

内閣総理大臣賞法務大臣賞

文部科学大臣奨励賞法務副大臣賞

法務大臣政務官賞

全国人権擁護委員連合会長賞

社団法人日本新聞協会会長賞

日本放送協会会長賞(以上各一名)

法務事務次官賞(三名) 計一一名

学校への感謝状贈呈

高円宮妃殿下おことば

来賓祝辞

第二部

各受賞作文の朗読

内閣総理大臣賞法務大臣賞

文部科学大臣奨励賞

全国人権擁護委員連合会長賞

社団法人日本新聞協会会長賞

日本放送協会会長賞

 評

全国中学生人権作文コンテスト中央大会審査員

 山田洋次氏

 落合恵子氏(ビデオレター形式)

第三部

新垣勉さんコンサート

 会 平成二二年一二月一八日(土)

午後一時三〇分〜三時五〇分

於ニッショーホール

「いじめ」や暴力行為等は人権侵害です

法務局地方法務局では

人権侵害による被害を受けた方を

救済するための活動を行っています

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女性の人権ホットライン

インターネット人権相談受付窓口

ゼロナナゼロのハートライン

0570-070-810

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第30回

とぼくは悲しくなるでもそれも好きで戦っている人がいるとも思えないその

人たちがそうなったのには何かきっと原因があるはずだ

 

逆に外国人から見ると日本人はどのように思われているのだろう

 

インドから日本に帰国した時毎日ごみがたくさん出ることにぼくはとても驚

いたインドの人たちがよく使う道端にあるカレー屋さんではバナナの葉で作ったお皿にカ

レーを入れてくれる食べた後そのお皿を道に捨てるとのら牛がその葉っぱを食べるそして

牛のふんは燃料になるというそれに比べて日本はちょっと歩くとペットボトルの飲み物が

買えファーストフードのお店では使い捨ての食器を使い立派なお菓子の箱を開けると中身が

少なくてがっかりすることもあるある時母が捨てたジャムの空きびんをメイドさんとエア

コンの修理にきていたワーカーさんとが取り合ってけんかをしていたこともあったそれを見

てぼくはあきれてしまったが逆にインド人から見ると使い捨て文化のしみついた日本人は

とんでもない人間にみえるのかもしれない国によって考え方や行動パターンが違うのは歴史

的背景や宗教習慣気候などのいろいろなことが関わっているのだと思う

 

このように考えると差別とはその人の一部しか見ていないことや自分のやり方だけが正

しいと思うことからおきるのではないかと思うその人が自分とは違った行動をとったとしても

それには深い理由があるのだろうと考えればきっと納得できると思うぼくもこれからは否

定的な発言をする前にその人たちのことをいろいろな角度から見て理解する努力をしてみよう

と思う外国との間には自分の国とは違う言葉や文化という壁があるとみんな言うがそこに

入賞作文集 56

海外作品

あるのは壁ではなく橋だとぼくは思う理解

し合おうという気持ちがあればきっと誰でも

その橋を渡っていけるはずだ気持ちの国境を

こえるのにパスポートはいらないお互いを理

解し合おうと思う気持ちが一番大切だと思う

そしてぼくはこれから日本人として生きる

のではなく地球人として生きていこうと思う

57 第30回全国中学生人権作文コンテスト

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法務局地方法務局名 郵便番号 所  在  地 電  話

金沢地方法務局人権擁護課920-0024 金沢市西念3-4-1金沢駅西合同庁舎(平成23年3月11日まで) 076-231-1244

921-8505 金沢市新神田4-3-10金沢新神田合同庁舎(平成23年3月14日から) 076-292-7804

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大阪法務局人権擁護部 540-8544 大阪市中央区谷町2丁目1番17号大阪第2法務合同庁舎 06-6942-9492

京都地方法務局人権擁護課 602-8577 京都市上京区荒神口通河原町東入上生洲町197番地 075-231-0131

神戸地方法務局人権擁護課 650-0042 神戸市中央区波止場町1番1号神戸第2地方合同庁舎 078-392-1821

奈良地方法務局人権擁護課 630-8305 奈良市東紀寺町3-4-1奈良第2法務総合庁舎 0742-23-5457

大津地方法務局人権擁護課 520-8516 大津市御陵町3番6号大津法務総合庁舎 077-522-4673

和歌山地方法務局人権擁護課 640-8552 和歌山市二番丁2番地和歌山地方合同庁舎 073-422-5131

広島法務局人権擁護部 730-8536 広島市中区上八丁堀6番30号広島合同庁舎 082-228-5790

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岡山地方法務局人権擁護課 700-8616 岡山市北区南方1丁目3番58号 086-224-5761

鳥取地方法務局人権擁護課 680-0011 鳥取市東町2丁目302番地鳥取第2地方合同庁舎 0857-22-2289

松江地方法務局人権擁護課 690-0886 松江市母衣町50番地松江法務合同庁舎 0852-32-4260

高松法務局人権擁護部 761-8077 高松市出作町585-4 087-815-5311

徳島地方法務局人権擁護課 770-8512 徳島市徳島町城内6番地6徳島地方合同庁舎 088-622-4171

高知地方法務局人権擁護課 780-8509 高知市栄田町2丁目2番10号高知よさこい咲都合同庁舎 088-822-3331

松山地方法務局人権擁護課 790-8505 松山市宮田町188番地6松山地方合同庁舎 089-932-0888

福岡法務局人権擁護部 814-0005 福岡市早良区祖原14-15福岡法務局西新出張所庁舎5階 092-832-4311

佐賀地方法務局人権擁護課 840-0041 佐賀市城内2丁目10番20号佐賀合同庁舎 0952-26-2148

長崎地方法務局人権擁護課 850-8507 長崎市万才町8番16号 095-826-8127大分地方法務局人権擁護課 870-8513 大分市荷揚町7番5号大分法務総合庁舎 097-532-3368

熊本地方法務局人権擁護課 862-0971 熊本市大江3丁目1番53号熊本第2合同庁舎 096-364-2145

鹿児島地方法務局人権擁護課 890-8518 鹿児島市鴨池新町1番2号 099-259-0684宮崎地方法務局人権擁護課 880-8513 宮崎市別府町1番1号宮崎法務総合庁舎 0985-22-5124

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釧路地方法務局人権擁護課 085-8522 釧路市幸町10丁目3番地釧路地方合同庁舎 0154-31-5014

仙台法務局人権擁護部 980-8601 仙台市青葉区春日町7番25号仙台第3法務総合庁舎 022-225-5739

福島地方法務局人権擁護課 960-8021 福島市霞町1番46号福島合同庁舎 024-534-1994

山形地方法務局人権擁護課 990-0041 山形市緑町1丁目5番48号山形地方合同庁舎 023-625-1321

盛岡地方法務局人権擁護課 020-0023 盛岡市内丸7番25号盛岡合同庁舎 019-624-9859秋田地方法務局人権擁護課 010-0951 秋田市山王7丁目1番3号 018-862-6533

青森地方法務局人権擁護課 030-8511 青森市長島1丁目3番5号青森第二合同庁舎 017-776-9024

東京法務局人権擁護部 102-8225 千代田区九段南1丁目1番15号九段第2合同庁舎 03-5213-1234

横浜地方法務局人権擁護課 231-8411 横浜市中区北仲通5丁目57番地横浜第2合同庁舎 045-641-7926

さいたま地方法務局人権擁護課 338-8513 さいたま市中央区下落合5-12-1さいたま第二法務総合庁舎 048-859-3507

千葉地方法務局人権擁護課 260-8518 千葉市中央区中央港1丁目11番3号千葉地方合同庁舎 043-302-1319

水戸地方法務局人権擁護課 310-0061 水戸市北見町1番1号水戸地方法務合同庁舎 029-227-9919

宇都宮地方法務局人権擁護課 320-8515 宇都宮市小幡2丁目1番11号宇都宮地方法務合同庁舎 028-623-0926

前橋地方法務局人権擁護課 371-8535 前橋市大手町2丁目10番5号前橋合同庁舎 027-221-4426

静岡地方法務局人権擁護課 420-8650 静岡市葵区追手町9番50号静岡地方合同庁舎 054-254-3555

甲府地方法務局人権擁護課 400-8520 甲府市北口1丁目2番19号甲府地方合同庁舎 055-252-7239

長野地方法務局人権擁護課 380-0846 長野市旭町1108番地長野第2合同庁舎 026-235-6634

新潟地方法務局人権擁護課 951-8504 新潟市中央区西大畑町5191番地新潟地方法務総合庁舎 025-222-1564

名古屋法務局人権擁護部 460-8513 名古屋市中区三の丸2丁目2番1号名古屋合同庁舎第1号館 052-952-8111

津地方法務局人権擁護課 514-8503 津市丸之内26番8号津合同庁舎 059-228-4193岐阜地方法務局人権擁護課 500-8729 岐阜市金竜町5丁目13番地 058-245-3181

福井地方法務局人権擁護課 910-8504 福井市春山1丁目1番54号福井春山合同庁舎 0776-22-5090

問合せ先一覧 (法務局地方法務局)

59 第30回全国中学生人権作文コンテスト

問合せ先一覧

世界人権宣言啓発書画「鳥」「自由と解放」を表わしたもの 小木太法書オタビオロス画(財)人権擁護協力会提供

入賞作文集 60

すべての人間は生まれながらにして

自由でありかつ尊厳と権利とに

ついて平等である人間は理性と

良心とを授けられており互いに同胞の

精神をもって行動しなければならない

―――

世界人権宣言 第一条

―――

第三〇回

 全国中学生人権作文コンテスト

中央大会表彰式

印  刷 平成23年1月25日

発  行 平成23年2月14日

発 行 者 法務省人権擁護局

全国人権擁護委員連合会

東京都千代田区霞が関一丁目1番1号

電話 03(3580)4111 内線5875

URL httpwwwmojgojpJINKEN

第30回全国中学生人権作文コンテスト中央大会審査員

感想をお聞かせください本作文集を読まれた感想等を下記の連絡先又はkeihatsumojgojpまでお寄せください

無断転載を禁じます本作文集に掲載された作文や写真等を地方自治体が広報誌に掲載したり学校が教材に使用される場合などにはあらかじめ下記に御連絡ください

100-8977 東京都千代田区霞が関一丁目1番1号 法務省人権擁護局人権啓発課 TEL03(3580)4111 内線5875

作  家(審査員長) 落 合 恵 子映画監督 山 田 洋 次社団法人日本新聞協会事務局長 川 嶋   明日本放送協会解説委員室解説委員 南   直 樹文部科学省初等中等教育局視学官 三 好 仁 司全国人権擁護委員連合会長 中 村 浩 紹法務省人権擁護局長   井 忠 雄

(敬称略)

【式次第】

第一部

 会

主催者あいさつ

賞状授与

内閣総理大臣賞法務大臣賞

文部科学大臣奨励賞法務副大臣賞

法務大臣政務官賞

全国人権擁護委員連合会長賞

社団法人日本新聞協会会長賞

日本放送協会会長賞(以上各一名)

法務事務次官賞(三名) 計一一名

学校への感謝状贈呈

高円宮妃殿下おことば

来賓祝辞

第二部

各受賞作文の朗読

内閣総理大臣賞法務大臣賞

文部科学大臣奨励賞

全国人権擁護委員連合会長賞

社団法人日本新聞協会会長賞

日本放送協会会長賞

 評

全国中学生人権作文コンテスト中央大会審査員

 山田洋次氏

 落合恵子氏(ビデオレター形式)

第三部

新垣勉さんコンサート

 会 平成二二年一二月一八日(土)

午後一時三〇分〜三時五〇分

於ニッショーホール

「いじめ」や暴力行為等は人権侵害です

法務局地方法務局では

人権侵害による被害を受けた方を

救済するための活動を行っています

お気軽にご相談ください

女性の人権ホットライン

インターネット人権相談受付窓口

ゼロナナゼロのハートライン

0570-070-810

子どもの人権110番ぜろぜろななのひゃくとおばん

 0120-007-110

パソコンから httpwwwmojgojpJINKENjinken113html携帯電話から httpwwwjinkengojpsoudanmobile001html

インターネット人権相談 検 索

Human Rights法務省人権擁護局全国人権擁護委員連合会

人権イメージキャラクター人KENあゆみちゃん人KENまもる君

全国共通通話料無料

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この冊子は環境保護印刷の「水なし印刷」で印刷されています

第30回全国中学生人権作文コンテスト入賞作文集

法務省人権擁護局全国人権擁護委員連合会

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この冊子には音声コードが各頁(奇数頁 左下偶数頁 右下)に印刷されています専用の読み上げ装置で読み取ると記録されている情報を音声で聞くことが出来ます

Human Rights法務省人権擁護局全国人権擁護委員連合会

 全国中学生人権作文コンテスト入賞作文集

 全国中学生人権作文コンテスト入賞作文集

第30回

あるのは壁ではなく橋だとぼくは思う理解

し合おうという気持ちがあればきっと誰でも

その橋を渡っていけるはずだ気持ちの国境を

こえるのにパスポートはいらないお互いを理

解し合おうと思う気持ちが一番大切だと思う

そしてぼくはこれから日本人として生きる

のではなく地球人として生きていこうと思う

57 第30回全国中学生人権作文コンテスト

海外作品

法務局地方法務局名 郵便番号 所  在  地 電  話

金沢地方法務局人権擁護課920-0024 金沢市西念3-4-1金沢駅西合同庁舎(平成23年3月11日まで) 076-231-1244

921-8505 金沢市新神田4-3-10金沢新神田合同庁舎(平成23年3月14日から) 076-292-7804

富山地方法務局人権擁護課 930-0856 富山市牛島新町11番7号富山合同庁舎 076-441-6376

大阪法務局人権擁護部 540-8544 大阪市中央区谷町2丁目1番17号大阪第2法務合同庁舎 06-6942-9492

京都地方法務局人権擁護課 602-8577 京都市上京区荒神口通河原町東入上生洲町197番地 075-231-0131

神戸地方法務局人権擁護課 650-0042 神戸市中央区波止場町1番1号神戸第2地方合同庁舎 078-392-1821

奈良地方法務局人権擁護課 630-8305 奈良市東紀寺町3-4-1奈良第2法務総合庁舎 0742-23-5457

大津地方法務局人権擁護課 520-8516 大津市御陵町3番6号大津法務総合庁舎 077-522-4673

和歌山地方法務局人権擁護課 640-8552 和歌山市二番丁2番地和歌山地方合同庁舎 073-422-5131

広島法務局人権擁護部 730-8536 広島市中区上八丁堀6番30号広島合同庁舎 082-228-5790

山口地方法務局人権擁護課 753-8577 山口市中河原町6番16号山口地方合同庁舎2号館 083-922-2295

岡山地方法務局人権擁護課 700-8616 岡山市北区南方1丁目3番58号 086-224-5761

鳥取地方法務局人権擁護課 680-0011 鳥取市東町2丁目302番地鳥取第2地方合同庁舎 0857-22-2289

松江地方法務局人権擁護課 690-0886 松江市母衣町50番地松江法務合同庁舎 0852-32-4260

高松法務局人権擁護部 761-8077 高松市出作町585-4 087-815-5311

徳島地方法務局人権擁護課 770-8512 徳島市徳島町城内6番地6徳島地方合同庁舎 088-622-4171

高知地方法務局人権擁護課 780-8509 高知市栄田町2丁目2番10号高知よさこい咲都合同庁舎 088-822-3331

松山地方法務局人権擁護課 790-8505 松山市宮田町188番地6松山地方合同庁舎 089-932-0888

福岡法務局人権擁護部 814-0005 福岡市早良区祖原14-15福岡法務局西新出張所庁舎5階 092-832-4311

佐賀地方法務局人権擁護課 840-0041 佐賀市城内2丁目10番20号佐賀合同庁舎 0952-26-2148

長崎地方法務局人権擁護課 850-8507 長崎市万才町8番16号 095-826-8127大分地方法務局人権擁護課 870-8513 大分市荷揚町7番5号大分法務総合庁舎 097-532-3368

熊本地方法務局人権擁護課 862-0971 熊本市大江3丁目1番53号熊本第2合同庁舎 096-364-2145

鹿児島地方法務局人権擁護課 890-8518 鹿児島市鴨池新町1番2号 099-259-0684宮崎地方法務局人権擁護課 880-8513 宮崎市別府町1番1号宮崎法務総合庁舎 0985-22-5124

那覇地方法務局人権擁護課 900-8544 那覇市樋川1丁目15番15号那覇第1地方合同庁舎 098-854-1215

入賞作文集 58

問合せ先一覧

法務局地方法務局名 郵便番号 所  在  地 電  話

札幌法務局人権擁護部 060-0808 札幌市北区北8条西2丁目1番1札幌第1合同庁舎 011-709-2311

函館地方法務局人権擁護課 040-8533 函館市新川町25番18号函館地方合同庁舎 0138-23-9528

旭川地方法務局人権擁護課 078-8502 旭川市宮前通東4155番31旭川合同庁舎 0166-38-1114

釧路地方法務局人権擁護課 085-8522 釧路市幸町10丁目3番地釧路地方合同庁舎 0154-31-5014

仙台法務局人権擁護部 980-8601 仙台市青葉区春日町7番25号仙台第3法務総合庁舎 022-225-5739

福島地方法務局人権擁護課 960-8021 福島市霞町1番46号福島合同庁舎 024-534-1994

山形地方法務局人権擁護課 990-0041 山形市緑町1丁目5番48号山形地方合同庁舎 023-625-1321

盛岡地方法務局人権擁護課 020-0023 盛岡市内丸7番25号盛岡合同庁舎 019-624-9859秋田地方法務局人権擁護課 010-0951 秋田市山王7丁目1番3号 018-862-6533

青森地方法務局人権擁護課 030-8511 青森市長島1丁目3番5号青森第二合同庁舎 017-776-9024

東京法務局人権擁護部 102-8225 千代田区九段南1丁目1番15号九段第2合同庁舎 03-5213-1234

横浜地方法務局人権擁護課 231-8411 横浜市中区北仲通5丁目57番地横浜第2合同庁舎 045-641-7926

さいたま地方法務局人権擁護課 338-8513 さいたま市中央区下落合5-12-1さいたま第二法務総合庁舎 048-859-3507

千葉地方法務局人権擁護課 260-8518 千葉市中央区中央港1丁目11番3号千葉地方合同庁舎 043-302-1319

水戸地方法務局人権擁護課 310-0061 水戸市北見町1番1号水戸地方法務合同庁舎 029-227-9919

宇都宮地方法務局人権擁護課 320-8515 宇都宮市小幡2丁目1番11号宇都宮地方法務合同庁舎 028-623-0926

前橋地方法務局人権擁護課 371-8535 前橋市大手町2丁目10番5号前橋合同庁舎 027-221-4426

静岡地方法務局人権擁護課 420-8650 静岡市葵区追手町9番50号静岡地方合同庁舎 054-254-3555

甲府地方法務局人権擁護課 400-8520 甲府市北口1丁目2番19号甲府地方合同庁舎 055-252-7239

長野地方法務局人権擁護課 380-0846 長野市旭町1108番地長野第2合同庁舎 026-235-6634

新潟地方法務局人権擁護課 951-8504 新潟市中央区西大畑町5191番地新潟地方法務総合庁舎 025-222-1564

名古屋法務局人権擁護部 460-8513 名古屋市中区三の丸2丁目2番1号名古屋合同庁舎第1号館 052-952-8111

津地方法務局人権擁護課 514-8503 津市丸之内26番8号津合同庁舎 059-228-4193岐阜地方法務局人権擁護課 500-8729 岐阜市金竜町5丁目13番地 058-245-3181

福井地方法務局人権擁護課 910-8504 福井市春山1丁目1番54号福井春山合同庁舎 0776-22-5090

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入賞作文集 60

すべての人間は生まれながらにして

自由でありかつ尊厳と権利とに

ついて平等である人間は理性と

良心とを授けられており互いに同胞の

精神をもって行動しなければならない

―――

世界人権宣言 第一条

―――

第三〇回

 全国中学生人権作文コンテスト

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印  刷 平成23年1月25日

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電話 03(3580)4111 内線5875

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100-8977 東京都千代田区霞が関一丁目1番1号 法務省人権擁護局人権啓発課 TEL03(3580)4111 内線5875

作  家(審査員長) 落 合 恵 子映画監督 山 田 洋 次社団法人日本新聞協会事務局長 川 嶋   明日本放送協会解説委員室解説委員 南   直 樹文部科学省初等中等教育局視学官 三 好 仁 司全国人権擁護委員連合会長 中 村 浩 紹法務省人権擁護局長   井 忠 雄

(敬称略)

【式次第】

第一部

 会

主催者あいさつ

賞状授与

内閣総理大臣賞法務大臣賞

文部科学大臣奨励賞法務副大臣賞

法務大臣政務官賞

全国人権擁護委員連合会長賞

社団法人日本新聞協会会長賞

日本放送協会会長賞(以上各一名)

法務事務次官賞(三名) 計一一名

学校への感謝状贈呈

高円宮妃殿下おことば

来賓祝辞

第二部

各受賞作文の朗読

内閣総理大臣賞法務大臣賞

文部科学大臣奨励賞

全国人権擁護委員連合会長賞

社団法人日本新聞協会会長賞

日本放送協会会長賞

 評

全国中学生人権作文コンテスト中央大会審査員

 山田洋次氏

 落合恵子氏(ビデオレター形式)

第三部

新垣勉さんコンサート

 会 平成二二年一二月一八日(土)

午後一時三〇分〜三時五〇分

於ニッショーホール

「いじめ」や暴力行為等は人権侵害です

法務局地方法務局では

人権侵害による被害を受けた方を

救済するための活動を行っています

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0570-070-810

子どもの人権110番ぜろぜろななのひゃくとおばん

 0120-007-110

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法務局地方法務局名 郵便番号 所  在  地 電  話

金沢地方法務局人権擁護課920-0024 金沢市西念3-4-1金沢駅西合同庁舎(平成23年3月11日まで) 076-231-1244

921-8505 金沢市新神田4-3-10金沢新神田合同庁舎(平成23年3月14日から) 076-292-7804

富山地方法務局人権擁護課 930-0856 富山市牛島新町11番7号富山合同庁舎 076-441-6376

大阪法務局人権擁護部 540-8544 大阪市中央区谷町2丁目1番17号大阪第2法務合同庁舎 06-6942-9492

京都地方法務局人権擁護課 602-8577 京都市上京区荒神口通河原町東入上生洲町197番地 075-231-0131

神戸地方法務局人権擁護課 650-0042 神戸市中央区波止場町1番1号神戸第2地方合同庁舎 078-392-1821

奈良地方法務局人権擁護課 630-8305 奈良市東紀寺町3-4-1奈良第2法務総合庁舎 0742-23-5457

大津地方法務局人権擁護課 520-8516 大津市御陵町3番6号大津法務総合庁舎 077-522-4673

和歌山地方法務局人権擁護課 640-8552 和歌山市二番丁2番地和歌山地方合同庁舎 073-422-5131

広島法務局人権擁護部 730-8536 広島市中区上八丁堀6番30号広島合同庁舎 082-228-5790

山口地方法務局人権擁護課 753-8577 山口市中河原町6番16号山口地方合同庁舎2号館 083-922-2295

岡山地方法務局人権擁護課 700-8616 岡山市北区南方1丁目3番58号 086-224-5761

鳥取地方法務局人権擁護課 680-0011 鳥取市東町2丁目302番地鳥取第2地方合同庁舎 0857-22-2289

松江地方法務局人権擁護課 690-0886 松江市母衣町50番地松江法務合同庁舎 0852-32-4260

高松法務局人権擁護部 761-8077 高松市出作町585-4 087-815-5311

徳島地方法務局人権擁護課 770-8512 徳島市徳島町城内6番地6徳島地方合同庁舎 088-622-4171

高知地方法務局人権擁護課 780-8509 高知市栄田町2丁目2番10号高知よさこい咲都合同庁舎 088-822-3331

松山地方法務局人権擁護課 790-8505 松山市宮田町188番地6松山地方合同庁舎 089-932-0888

福岡法務局人権擁護部 814-0005 福岡市早良区祖原14-15福岡法務局西新出張所庁舎5階 092-832-4311

佐賀地方法務局人権擁護課 840-0041 佐賀市城内2丁目10番20号佐賀合同庁舎 0952-26-2148

長崎地方法務局人権擁護課 850-8507 長崎市万才町8番16号 095-826-8127大分地方法務局人権擁護課 870-8513 大分市荷揚町7番5号大分法務総合庁舎 097-532-3368

熊本地方法務局人権擁護課 862-0971 熊本市大江3丁目1番53号熊本第2合同庁舎 096-364-2145

鹿児島地方法務局人権擁護課 890-8518 鹿児島市鴨池新町1番2号 099-259-0684宮崎地方法務局人権擁護課 880-8513 宮崎市別府町1番1号宮崎法務総合庁舎 0985-22-5124

那覇地方法務局人権擁護課 900-8544 那覇市樋川1丁目15番15号那覇第1地方合同庁舎 098-854-1215

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旭川地方法務局人権擁護課 078-8502 旭川市宮前通東4155番31旭川合同庁舎 0166-38-1114

釧路地方法務局人権擁護課 085-8522 釧路市幸町10丁目3番地釧路地方合同庁舎 0154-31-5014

仙台法務局人権擁護部 980-8601 仙台市青葉区春日町7番25号仙台第3法務総合庁舎 022-225-5739

福島地方法務局人権擁護課 960-8021 福島市霞町1番46号福島合同庁舎 024-534-1994

山形地方法務局人権擁護課 990-0041 山形市緑町1丁目5番48号山形地方合同庁舎 023-625-1321

盛岡地方法務局人権擁護課 020-0023 盛岡市内丸7番25号盛岡合同庁舎 019-624-9859秋田地方法務局人権擁護課 010-0951 秋田市山王7丁目1番3号 018-862-6533

青森地方法務局人権擁護課 030-8511 青森市長島1丁目3番5号青森第二合同庁舎 017-776-9024

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横浜地方法務局人権擁護課 231-8411 横浜市中区北仲通5丁目57番地横浜第2合同庁舎 045-641-7926

さいたま地方法務局人権擁護課 338-8513 さいたま市中央区下落合5-12-1さいたま第二法務総合庁舎 048-859-3507

千葉地方法務局人権擁護課 260-8518 千葉市中央区中央港1丁目11番3号千葉地方合同庁舎 043-302-1319

水戸地方法務局人権擁護課 310-0061 水戸市北見町1番1号水戸地方法務合同庁舎 029-227-9919

宇都宮地方法務局人権擁護課 320-8515 宇都宮市小幡2丁目1番11号宇都宮地方法務合同庁舎 028-623-0926

前橋地方法務局人権擁護課 371-8535 前橋市大手町2丁目10番5号前橋合同庁舎 027-221-4426

静岡地方法務局人権擁護課 420-8650 静岡市葵区追手町9番50号静岡地方合同庁舎 054-254-3555

甲府地方法務局人権擁護課 400-8520 甲府市北口1丁目2番19号甲府地方合同庁舎 055-252-7239

長野地方法務局人権擁護課 380-0846 長野市旭町1108番地長野第2合同庁舎 026-235-6634

新潟地方法務局人権擁護課 951-8504 新潟市中央区西大畑町5191番地新潟地方法務総合庁舎 025-222-1564

名古屋法務局人権擁護部 460-8513 名古屋市中区三の丸2丁目2番1号名古屋合同庁舎第1号館 052-952-8111

津地方法務局人権擁護課 514-8503 津市丸之内26番8号津合同庁舎 059-228-4193岐阜地方法務局人権擁護課 500-8729 岐阜市金竜町5丁目13番地 058-245-3181

福井地方法務局人権擁護課 910-8504 福井市春山1丁目1番54号福井春山合同庁舎 0776-22-5090

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入賞作文集 60

すべての人間は生まれながらにして

自由でありかつ尊厳と権利とに

ついて平等である人間は理性と

良心とを授けられており互いに同胞の

精神をもって行動しなければならない

―――

世界人権宣言 第一条

―――

第三〇回

 全国中学生人権作文コンテスト

中央大会表彰式

印  刷 平成23年1月25日

発  行 平成23年2月14日

発 行 者 法務省人権擁護局

全国人権擁護委員連合会

東京都千代田区霞が関一丁目1番1号

電話 03(3580)4111 内線5875

URL httpwwwmojgojpJINKEN

第30回全国中学生人権作文コンテスト中央大会審査員

感想をお聞かせください本作文集を読まれた感想等を下記の連絡先又はkeihatsumojgojpまでお寄せください

無断転載を禁じます本作文集に掲載された作文や写真等を地方自治体が広報誌に掲載したり学校が教材に使用される場合などにはあらかじめ下記に御連絡ください

100-8977 東京都千代田区霞が関一丁目1番1号 法務省人権擁護局人権啓発課 TEL03(3580)4111 内線5875

作  家(審査員長) 落 合 恵 子映画監督 山 田 洋 次社団法人日本新聞協会事務局長 川 嶋   明日本放送協会解説委員室解説委員 南   直 樹文部科学省初等中等教育局視学官 三 好 仁 司全国人権擁護委員連合会長 中 村 浩 紹法務省人権擁護局長   井 忠 雄

(敬称略)

【式次第】

第一部

 会

主催者あいさつ

賞状授与

内閣総理大臣賞法務大臣賞

文部科学大臣奨励賞法務副大臣賞

法務大臣政務官賞

全国人権擁護委員連合会長賞

社団法人日本新聞協会会長賞

日本放送協会会長賞(以上各一名)

法務事務次官賞(三名) 計一一名

学校への感謝状贈呈

高円宮妃殿下おことば

来賓祝辞

第二部

各受賞作文の朗読

内閣総理大臣賞法務大臣賞

文部科学大臣奨励賞

全国人権擁護委員連合会長賞

社団法人日本新聞協会会長賞

日本放送協会会長賞

 評

全国中学生人権作文コンテスト中央大会審査員

 山田洋次氏

 落合恵子氏(ビデオレター形式)

第三部

新垣勉さんコンサート

 会 平成二二年一二月一八日(土)

午後一時三〇分〜三時五〇分

於ニッショーホール

「いじめ」や暴力行為等は人権侵害です

法務局地方法務局では

人権侵害による被害を受けた方を

救済するための活動を行っています

お気軽にご相談ください

女性の人権ホットライン

インターネット人権相談受付窓口

ゼロナナゼロのハートライン

0570-070-810

子どもの人権110番ぜろぜろななのひゃくとおばん

 0120-007-110

パソコンから httpwwwmojgojpJINKENjinken113html携帯電話から httpwwwjinkengojpsoudanmobile001html

インターネット人権相談 検 索

Human Rights法務省人権擁護局全国人権擁護委員連合会

人権イメージキャラクター人KENあゆみちゃん人KENまもる君

全国共通通話料無料

全国共通ナビダイヤル

この冊子は環境保護印刷の「水なし印刷」で印刷されています

第30回全国中学生人権作文コンテスト入賞作文集

法務省人権擁護局全国人権擁護委員連合会

人権イメージキャラクター人KENまもる君人KENあゆみちゃん

この冊子には音声コードが各頁(奇数頁 左下偶数頁 右下)に印刷されています専用の読み上げ装置で読み取ると記録されている情報を音声で聞くことが出来ます

Human Rights法務省人権擁護局全国人権擁護委員連合会

 全国中学生人権作文コンテスト入賞作文集

 全国中学生人権作文コンテスト入賞作文集

第30回

法務局地方法務局名 郵便番号 所  在  地 電  話

札幌法務局人権擁護部 060-0808 札幌市北区北8条西2丁目1番1札幌第1合同庁舎 011-709-2311

函館地方法務局人権擁護課 040-8533 函館市新川町25番18号函館地方合同庁舎 0138-23-9528

旭川地方法務局人権擁護課 078-8502 旭川市宮前通東4155番31旭川合同庁舎 0166-38-1114

釧路地方法務局人権擁護課 085-8522 釧路市幸町10丁目3番地釧路地方合同庁舎 0154-31-5014

仙台法務局人権擁護部 980-8601 仙台市青葉区春日町7番25号仙台第3法務総合庁舎 022-225-5739

福島地方法務局人権擁護課 960-8021 福島市霞町1番46号福島合同庁舎 024-534-1994

山形地方法務局人権擁護課 990-0041 山形市緑町1丁目5番48号山形地方合同庁舎 023-625-1321

盛岡地方法務局人権擁護課 020-0023 盛岡市内丸7番25号盛岡合同庁舎 019-624-9859秋田地方法務局人権擁護課 010-0951 秋田市山王7丁目1番3号 018-862-6533

青森地方法務局人権擁護課 030-8511 青森市長島1丁目3番5号青森第二合同庁舎 017-776-9024

東京法務局人権擁護部 102-8225 千代田区九段南1丁目1番15号九段第2合同庁舎 03-5213-1234

横浜地方法務局人権擁護課 231-8411 横浜市中区北仲通5丁目57番地横浜第2合同庁舎 045-641-7926

さいたま地方法務局人権擁護課 338-8513 さいたま市中央区下落合5-12-1さいたま第二法務総合庁舎 048-859-3507

千葉地方法務局人権擁護課 260-8518 千葉市中央区中央港1丁目11番3号千葉地方合同庁舎 043-302-1319

水戸地方法務局人権擁護課 310-0061 水戸市北見町1番1号水戸地方法務合同庁舎 029-227-9919

宇都宮地方法務局人権擁護課 320-8515 宇都宮市小幡2丁目1番11号宇都宮地方法務合同庁舎 028-623-0926

前橋地方法務局人権擁護課 371-8535 前橋市大手町2丁目10番5号前橋合同庁舎 027-221-4426

静岡地方法務局人権擁護課 420-8650 静岡市葵区追手町9番50号静岡地方合同庁舎 054-254-3555

甲府地方法務局人権擁護課 400-8520 甲府市北口1丁目2番19号甲府地方合同庁舎 055-252-7239

長野地方法務局人権擁護課 380-0846 長野市旭町1108番地長野第2合同庁舎 026-235-6634

新潟地方法務局人権擁護課 951-8504 新潟市中央区西大畑町5191番地新潟地方法務総合庁舎 025-222-1564

名古屋法務局人権擁護部 460-8513 名古屋市中区三の丸2丁目2番1号名古屋合同庁舎第1号館 052-952-8111

津地方法務局人権擁護課 514-8503 津市丸之内26番8号津合同庁舎 059-228-4193岐阜地方法務局人権擁護課 500-8729 岐阜市金竜町5丁目13番地 058-245-3181

福井地方法務局人権擁護課 910-8504 福井市春山1丁目1番54号福井春山合同庁舎 0776-22-5090

問合せ先一覧 (法務局地方法務局)

59 第30回全国中学生人権作文コンテスト

問合せ先一覧

世界人権宣言啓発書画「鳥」「自由と解放」を表わしたもの 小木太法書オタビオロス画(財)人権擁護協力会提供

入賞作文集 60

すべての人間は生まれながらにして

自由でありかつ尊厳と権利とに

ついて平等である人間は理性と

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―――

世界人権宣言 第一条

―――

第三〇回

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感想をお聞かせください本作文集を読まれた感想等を下記の連絡先又はkeihatsumojgojpまでお寄せください

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100-8977 東京都千代田区霞が関一丁目1番1号 法務省人権擁護局人権啓発課 TEL03(3580)4111 内線5875

作  家(審査員長) 落 合 恵 子映画監督 山 田 洋 次社団法人日本新聞協会事務局長 川 嶋   明日本放送協会解説委員室解説委員 南   直 樹文部科学省初等中等教育局視学官 三 好 仁 司全国人権擁護委員連合会長 中 村 浩 紹法務省人権擁護局長   井 忠 雄

(敬称略)

【式次第】

第一部

 会

主催者あいさつ

賞状授与

内閣総理大臣賞法務大臣賞

文部科学大臣奨励賞法務副大臣賞

法務大臣政務官賞

全国人権擁護委員連合会長賞

社団法人日本新聞協会会長賞

日本放送協会会長賞(以上各一名)

法務事務次官賞(三名) 計一一名

学校への感謝状贈呈

高円宮妃殿下おことば

来賓祝辞

第二部

各受賞作文の朗読

内閣総理大臣賞法務大臣賞

文部科学大臣奨励賞

全国人権擁護委員連合会長賞

社団法人日本新聞協会会長賞

日本放送協会会長賞

 評

全国中学生人権作文コンテスト中央大会審査員

 山田洋次氏

 落合恵子氏(ビデオレター形式)

第三部

新垣勉さんコンサート

 会 平成二二年一二月一八日(土)

午後一時三〇分〜三時五〇分

於ニッショーホール

「いじめ」や暴力行為等は人権侵害です

法務局地方法務局では

人権侵害による被害を受けた方を

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 0120-007-110

パソコンから httpwwwmojgojpJINKENjinken113html携帯電話から httpwwwjinkengojpsoudanmobile001html

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 全国中学生人権作文コンテスト入賞作文集

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世界人権宣言啓発書画「鳥」「自由と解放」を表わしたもの 小木太法書オタビオロス画(財)人権擁護協力会提供

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すべての人間は生まれながらにして

自由でありかつ尊厳と権利とに

ついて平等である人間は理性と

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主催者あいさつ

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内閣総理大臣賞法務大臣賞

文部科学大臣奨励賞法務副大臣賞

法務大臣政務官賞

全国人権擁護委員連合会長賞

社団法人日本新聞協会会長賞

日本放送協会会長賞(以上各一名)

法務事務次官賞(三名) 計一一名

学校への感謝状贈呈

高円宮妃殿下おことば

来賓祝辞

第二部

各受賞作文の朗読

内閣総理大臣賞法務大臣賞

文部科学大臣奨励賞

全国人権擁護委員連合会長賞

社団法人日本新聞協会会長賞

日本放送協会会長賞

 評

全国中学生人権作文コンテスト中央大会審査員

 山田洋次氏

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第三部

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 会 平成二二年一二月一八日(土)

午後一時三〇分〜三時五〇分

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「いじめ」や暴力行為等は人権侵害です

法務局地方法務局では

人権侵害による被害を受けた方を

救済するための活動を行っています

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0570-070-810

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 0120-007-110

パソコンから httpwwwmojgojpJINKENjinken113html携帯電話から httpwwwjinkengojpsoudanmobile001html

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この冊子には音声コードが各頁(奇数頁 左下偶数頁 右下)に印刷されています専用の読み上げ装置で読み取ると記録されている情報を音声で聞くことが出来ます

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 全国中学生人権作文コンテスト入賞作文集

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第30回

すべての人間は生まれながらにして

自由でありかつ尊厳と権利とに

ついて平等である人間は理性と

良心とを授けられており互いに同胞の

精神をもって行動しなければならない

―――

世界人権宣言 第一条

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第三〇回

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