2.大強度陽子ビームの物理 -...

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2.1 はじめに 本章では,大強度陽子加速器施設である J-PARC(Japan ProtonAcceleratorResearchComplex)[1]を例にとり,大 強度陽子ビームの物理について紹介していきたい. J-PARC は茨城県東海村に位置する大強度陽子加速器施 設であり,陽子を加速する加速器群と,加速した陽子を標 的に当てて生じた二次粒子を利用するための実験施設から なる(図1).J-PARCの建設は2001年に日本原子力研究開 発機構と高エネルギー加速器研究機構の共同で開始さ れ,2009年には第1期計画で建設した全実験施設へのビー ム供給が開始された.現在,J-PARC では,各施設へのビー ム供給を行いながら,設計ビーム出力である 3 GeV のエネ ルギーで 1 MW,50 GeV(第1期では 30 GeV)のエネル ギーで 0.75 MW の達成をめざして,加速器群のビームコ ミッショニング(ビーム調整運転)が行われている. J-PARCは,加速器群で加速された陽子を静止した標的中の 原子核に衝突させることによって生成される様々な二次粒子 ビームを用いて,原子核・素粒子物理学,材料科学,生命 科学,原子力工学に渡る幅広い分野での研究を行うことを 目的に建設された加速器施設である.1 GeV 程度の運動エネ ルギーをもった陽子を原子核に衝突させると,おもに原子核破 砕反応が起こり,原子核を構成する陽子と中性子が放出さ れる.また,この反応に際して ! 中間子と,これが崩壊して 生成するミューオンが生成される.一方,数十 GeV のエネル ギーをもった陽子を原子核に衝突させると,K 中間子や反陽子, 高エネルギーニュートリノ等が生成される.このような陽子 ビームの特性を利用し,それぞれの実験に用いる二次ビームの 生成に適したエネルギーの陽子ビームを各実験施設に供給す るために,J-PARC の加速器群では次のようなカスケード構成 を採用している[2].まず 400 MeV(第1期では181 MeV)の線 形加速器(長さ 245 m)で加速された負水素イオンを 3 GeV シンクロトロン(周長348 m)に入射する.負水素イオンは入射時 に荷電変換フォイルによって電子を剥ぎ取られ,陽子となる 注1 小特集 ビーム物理の世界~近くて遠い隣の分野~ 2.大強度陽子ビームの物理 池 上 雅 紀,陳 栄浩 高エネルギー加速器研究機構 (原稿受付:2010年6月24日) 大強度陽子加速器施設である J-PARC(Japan Proton Accelerator Research Complex)を例にとり,空間電荷 効果がとくに重要な役割を果たす低エネルギー部と,ビームと外界との相互作用によってもたらされるビームの 集団的な不安定性が重要となる高エネルギー部に分けて,大強度陽子ビームの物理について紹介する. Keywords: space-charge effect, space-charge neutralization, structure resonance, beam halo, beam instability, wake field, impedance, skin effect 注1 線形加速器から 3 GeV シンクロトロンにビームを入射する際には,先に入射したビームに重畳してビームを入射する多重入 射が行われる.すなわち,シンクロトロン中を周回して入射点に戻ってくるビームに重ねるように次のビームが入射される.こ の入射の際に荷電を変換するのはリウビウの定理に制限されず,位相空間中でのビーム密度を高めるためである.イオン源を 除けば,加速する粒子が陽子でも負水素イオンでも,線形加速器自体の設計は変わらない.J-PARC の線形加速器で加速する粒 子は負水素イオンであるが,ここでは加速器分野での通例に習って加速する粒子が陽子であるか負水素イオンであるかに関わ らず,「陽子線形加速器」と呼ぶことにする. 2. Physics of High Intensity Proton Beam IKEGAMI Masanori and CHIN Yong Ho corresponding author’s e-mail: [email protected] J.PlasmaFusionRes.Vol.86,No.8(2010)453‐460 図1 J-PARC の航空写真(上)と施設レイアウトの模式図(下). !2010 The Japan Society of Plasma Science and Nuclear Fusion Research 453

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Page 1: 2.大強度陽子ビームの物理 - jspf.or.jpビームを用いて,原子核・素粒子物理学,材料科学,生命 科学,原子力工学に渡る幅広い分野での研究を行うことを

2.1 はじめに本章では,大強度陽子加速器施設である J-PARC(Japan

Proton Accelerator Research Complex)[1]を例にとり,大

強度陽子ビームの物理について紹介していきたい.

J-PARCは茨城県東海村に位置する大強度陽子加速器施

設であり,陽子を加速する加速器群と,加速した陽子を標

的に当てて生じた二次粒子を利用するための実験施設から

なる(図1).J-PARCの建設は2001年に日本原子力研究開

発機構と高エネルギー加速器研究機構の共同で開始さ

れ,2009年には第1期計画で建設した全実験施設へのビー

ム供給が開始された.現在,J-PARCでは,各施設へのビー

ム供給を行いながら,設計ビーム出力である 3 GeVのエネ

ルギーで 1MW,50 GeV(第1期では 30 GeV)のエネル

ギーで 0.75 MWの達成をめざして,加速器群のビームコ

ミッショニング(ビーム調整運転)が行われている.

J-PARCは,加速器群で加速された陽子を静止した標的中の

原子核に衝突させることによって生成される様々な二次粒子

ビームを用いて,原子核・素粒子物理学,材料科学,生命

科学,原子力工学に渡る幅広い分野での研究を行うことを

目的に建設された加速器施設である.1 GeV程度の運動エネ

ルギーをもった陽子を原子核に衝突させると,おもに原子核破

砕反応が起こり,原子核を構成する陽子と中性子が放出さ

れる.また,この反応に際して�中間子と,これが崩壊して

生成するミューオンが生成される.一方,数十GeVのエネル

ギーをもった陽子を原子核に衝突させると,K中間子や反陽子,

高エネルギーニュートリノ等が生成される.このような陽子

ビームの特性を利用し,それぞれの実験に用いる二次ビームの

生成に適したエネルギーの陽子ビームを各実験施設に供給す

るために,J-PARCの加速器群では次のようなカスケード構成

を採用している[2].まず 400 MeV(第1期では181 MeV)の線

形加速器(長さ 245 m)で加速された負水素イオンを3 GeV

シンクロトロン(周長348 m)に入射する.負水素イオンは入射時

に荷電変換フォイルによって電子を剥ぎ取られ,陽子となる注1.

小特集 ビーム物理の世界~近くて遠い隣の分野~

2.大強度陽子ビームの物理

池上雅紀,陳 栄浩高エネルギー加速器研究機構

(原稿受付:2010年6月24日)

大強度陽子加速器施設である J-PARC(Japan Proton Accelerator Research Complex)を例にとり,空間電荷効果がとくに重要な役割を果たす低エネルギー部と,ビームと外界との相互作用によってもたらされるビームの集団的な不安定性が重要となる高エネルギー部に分けて,大強度陽子ビームの物理について紹介する.

Keywords:space-charge effect, space-charge neutralization, structure resonance, beam halo, beam instability, wake field,

impedance, skin effect

注1 線形加速器から 3 GeVシンクロトロンにビームを入射する際には,先に入射したビームに重畳してビームを入射する多重入射が行われる.すなわち,シンクロトロン中を周回して入射点に戻ってくるビームに重ねるように次のビームが入射される.この入射の際に荷電を変換するのはリウビウの定理に制限されず,位相空間中でのビーム密度を高めるためである.イオン源を除けば,加速する粒子が陽子でも負水素イオンでも,線形加速器自体の設計は変わらない.J-PARCの線形加速器で加速する粒子は負水素イオンであるが,ここでは加速器分野での通例に習って加速する粒子が陽子であるか負水素イオンであるかに関わらず,「陽子線形加速器」と呼ぶことにする.

2. Physics of High Intensity Proton Beam

IKEGAMI Masanori and CHIN Yong Ho corresponding author’s e-mail: [email protected]

J. Plasma Fusion Res. Vol.86, No.8 (2010)453‐460

図1 J-PARCの航空写真(上)と施設レイアウトの模式図(下).

�2010 The Japan Society of PlasmaScience and Nuclear Fusion Research

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Page 2: 2.大強度陽子ビームの物理 - jspf.or.jpビームを用いて,原子核・素粒子物理学,材料科学,生命 科学,原子力工学に渡る幅広い分野での研究を行うことを

3 GeVシンクロトロンで加速された陽子は,中性子および

ミューオンを利用する実験施設に供給されるとともに,そ

の一部分はパルス偏向電磁石で振り分けられ,50 GeVシン

クロトロン(周長 1568 m)に入射される.50 GeVシンクロ

トロンで加速された高エネルギーの陽子は,K中間子や高

エネルギーニュートリノを利用する実験施設に供給され

る.このようにして 3 GeVと 50 GeV(第1期では 30 GeV)

という異なる2種類のエネルギーの陽子ビームを供給する

ことによって,バラエティーに富んだ二次粒子を用いた実

験を可能としているのが,J-PARCの特色である.

この J-PARCの例からも明らかなように,陽子ビームは

様々な二次粒子ビームを生成する「ドライバー」として非

常に有用であり,現在,様々な用途をめざした陽子加速器

あるいは「プロトンドライバー」注2の建設が世界各国で計

画されている.最新のプロトンドライバーであり,すでに

建設され稼働が開始されているものとしては,J-PARCの

他に,米国の SNS(Spallation Neutron Source)があげられ

る.SNSは中性子の利用に特化した陽子加速器施設であ

り,2009年,加速器ベースのパルス中性子源として世界最

高出力である 1MWのビーム加速に成功し,現在,設計

ビーム出力である 1.4 MWをめざしたビームコミッショニ

ングを継続している[3].

これらのプロトンドライバーでは,二次粒子を利用する

という性質上,一次ビームである陽子ビームに可能な限り

大きなビーム出力が要求される.SNSの例からもわかるよ

うに,近年,1MWクラスの陽子ビーム出力も現実のもの

となってきており,プロトンドライバーの将来計画の中に

は,数MWのビーム出力をめざすものも現れ始めた[4].

一方,加速器のビーム出力が大きくなってくると,ビー

ムロスの低減が本質的な課題となってくる.ここでいう

ビームロスとは,「ビームを構成する粒子が何らかの原因

で正常に加速あるいは輸送されず,ビーム軌道を囲む真空

チャンバーの壁面に衝突して失われる現象」である.大強

度加速器においては,きわめてわずかな割合のビームロス

でさえ加速器本体の放射化を引き起こし,そのメンテナン

スを著しく困難にする.大強度陽子加速器では,ビームロ

スに起因する加速器本体の放射化が,最終的にその加速器

のビーム出力を制限すると考えられている.プロトンドラ

イバーはしばしば全長数百mを超えるような大規模な加速

器施設であり,そのような施設全体に渡って遠隔メンテナ

ンスシステムを構築することはコスト的に実現が難しい.

そのため,加速器の設計を行うにあたっては,人が加速器

本体に直接手を触れてメンテナンスを行う,いわゆる“ハ

ンズオンメンテナンス”を想定することが通例となってい

る.このハンズオンメンテナンスを実現するためには,

ビームロスをおよそ1W/m以下に抑える必要がある[5].

すなわち,ビーム出力が 1MWのプロトンドライバーで

は,ビームロス率をおよそ 10-6 /m以下に抑える必要があ

ることとなる.このような非常に小さな割合のビームロス

を予測しコントロールすることが,大強度陽子ビームにお

けるビーム物理の非常に大きな課題となっている.

本章では,大強度陽子ビームの物理を紹介するにあたっ

て,入射器である線形加速器,とくにその低エネルギー部

で重要になる現象と,高エネルギー部である円形加速器

(シンクロトロンあるいは蓄積リング)で重要になる現象

を分けて考えたい.低エネルギー部では,ビームを構成す

る粒子のもつ電荷に起因する相互作用,すなわち空間電荷

効果が支配的となる.高エネルギー部では,空間電荷効果

はビーム自信の誘起する磁場によって打ち消されるため,

その効果は小さくなり,逆にビームの誘起する電磁場と外

界との相互作用によってもたらされるビームの集団的な不

安定性が重要度を増してくる.

この章ではこれらの例として,2.2節でJ-PARCの線形加

速器における空間電荷効果を,2.3節では主に J-PARCの

50 GeVシンクロトロンで見られるビーム不安定性につい

て紹介する.

2.2 J-PARC線形加速器におけるビーム物理大強度陽子線形加速器においては,空間電荷効果によっ

て周期的な外部集束力(ビームを限られた空間に閉じ込め

るために外部から加える集束力)との間の共鳴現象や,

ビーム密度の高いコアの周りに希薄なビームハローが生成

される現象等,様々な現象が引き起こされることが知られ

ている.空間電荷効果は本質的に多体現象であり,その研

究はParticle-In-Cell 法を用いた粒子シミュレーションに負

うところが大きい.近年は計算機の能力が飛躍的に向上し

たこともあり,数百万個,ときには数十億個のシミュレー

ション粒子を用いたシミュレーションも行われるように

なってきた[6].上述のような非常に小さな割合のビーム

ロスを予見するためには,このような大規模シミュレー

ションの導入によってシミュレーションの精度を極めて高

いものにすることが要求されている.しかし,このような

シミュレーション研究において常に問題となるのが,「十

分現実的な初期分布を用いてシミュレーションを行えてい

るか」ということである.上述のように,空間電荷力は低

エネルギー部ほどその影響が顕著になる.最近の陽子線形

加速器では,イオン源から引き出した運動エネルギーが数

十 keVの陽子(あるいは負水素イオン)をRFQ(Radio

Frequency Quadruple linac)と呼ばれる加速空洞に入射し

て 3MeV程度までの初期加速を行うのが定番となってい

る.このイオン源とRFQをつなぐビーム輸送系(Low En-

ergy Beam Transport または LEBTと呼ばれる)で輸送さ

れるビームのエネルギーは陽子線形加速器の中でも際立っ

て低く,そのためこのセクションにおける空間電荷効果は

際立って強い.空間電荷効果が顕著な系では,空間電荷に

起因する発散力に打ち勝つだけの外部集束力を与えてやら

ないと,ビームはたちまちにしてこの効果のもつ非線形性

によって「エミッタンス」増大を引き起こす.ここでいう

「エミッタンス」とは位相空間でビームの占める体積を表

し,加速器のビームの質を示す重要な指標となっている.

注2 プロトンドライバーという用語には,まだ確立した定義がないように思われる.ここでは加速された一次ビームである陽子ではなく,もっぱら二次粒子を利用する目的で建設された陽子加速器のことをプロトンドライバーと呼ぶこととする.

Journal of Plasma and Fusion Research Vol.86, No.8 August 2010

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リウビウの定理から,いったん増大してしまったエミッタ

ンスを小さくすることは,ビーム冷却と呼ばれる特殊なプ

ロセスによらない限り,行うことができない.したがって,

大強度陽子加速器においては,いかに空間電荷効果に起因

するエミッタンス増大を起こさせないようにビームを加速

するかが重要な課題となる.

このLEBTは通常長さが1 m程度のごく短いビーム輸送

系であるが,空間電荷効果が非常に強いため,大強度陽子

線形加速器の中でも特にその設計に注意を要するセクショ

ンのひとつとなっている.J-PARCの LEBTでは,空間電

荷効果を緩和するため,「空間電荷の中和」と呼ばれる現

象を積極的に利用している.加速器では気体分子との散乱

によってエミッタンスが増大したりビームが失われたりす

るのを防ぐため,ビームの軌道を真空チャンバーで囲み,

高真空状態に保つのが通例である.しかし,LEBTではイ

オン源から負水素イオンの生成に用いる水素ガスの流入が

あるため,通常真空度が他のセクションに比べると良くな

い.そのような環境の中に負水素イオンのビームを入射す

るとチャンバー中の残留ガスが負水素イオンとの衝突に

よってイオン化される.そして,このとき生じた正イオン

の一部はビームのもつ空間電場に捕捉され,その空間電場

を中和する注3.このプロセスは,原理的にはある時定数を

もって空間電荷を完全に中和するまで進行するが,現実の

加速器では空間電荷が完全に中和されることはなく,どの

程度の中和が実現されているかは実験的に求められること

が多い.J-PARCの LEBTでは,この空間電荷の中和の助

けを借りることによって,空間電荷による発散力および非

線形効果を抑制し,比較的弱い集束力で集束しながらビー

ムをRFQに導いている.この空間電荷の中和のプロセスは

モデル化が容易でなく,そのことに起因する曖昧さが下流

のビームシミュレーションを行う上で非常に大きな課題と

なっている.実際,実験的に求められる空間電荷の中和の

度合いについても,どういうメカニズムでそれが決まって

いるのかは必ずしも明確ではない.このあたりはまさにプ

ラズマ物理と加速器物理の境界に位置しており,プラズマ

物理の知見を生かすことによって現象の理解やモデルの高

度化が今後進められることが期待される.

加速器では,ビームを空間的にごく限られた領域に閉じ

込めて加速するために,外部から集束力を加えならビーム

を加速する.この外部集束力は,最上流部であるRFQでは

高周波電場によって与えられるが,それより下流では四重

極磁場によって与えられることが多い.そのための四重極

電磁石と加速するための加速空洞の配置の設計を,ラティ

ス設計と呼ぶ.線形加速器のラティス設計においては,

ビームのエネルギーが下流に行くにしたがって増加するた

め,厳密な意味での周期的なラティスは実現できないが,

近似的に周期的な系を構築することが通例となっている.

そうすることによって,その系に整合の取れた(すなわち

無駄なビームサイズの振動がない)ビーム条件を見つける

ことが容易になる.無駄なビームサイズの振動は,エミッ

タンスの増大や後述するビームハロー生成の原因になるこ

とが知られている.

一方,ラティスに近似的な周期性を導入することによっ

て,共鳴現象に対する考慮が必要となってくる.一般に

ビームを構成する各粒子は,理想的な軌道の周りを振動し

ながら加速されていく.この粒子の振動の周期は,外部か

ら与える集束力と空間電荷力の強さによって定まる.一方

で,外部集束力を与える四重極電磁石はある特定の周期で

配置されているので,その周期とビームの振動の周期が一

定の条件を満たすと共鳴現象が引き起こされ,エミッタン

スの増大あるいはビームロスの原因となる.この現象を

「構造共鳴」と呼ぶ.線形加速器では円形の加速器と異な

り,同じ場所を粒子が何度も周回することはない.そのた

め線形加速器で加速される間に粒子が振動する回数は円形

加速器に比べて桁違いに小さく,陽子線形加速器の場合,

普通は数回から数十回程度である.したがって,陽子線形

加速器の設計においては,成長率の特に大きな共鳴だけを

考慮すれば良いということになる.ただし,ここで注意し

なければならないのは,共鳴の影響の評価にあたって,空

間電荷効果の果たす役割を考慮に入れる必要があるという

ことである.

空間電荷効果が顕著なビームにおける構造共鳴は,1980

年代に精力的な研究が行われた[7].この時期は,重イオン

ビームを用いた慣性核融合に応用することに強く動機づけ

られて,大強度イオンビームにおける空間電荷効果の理解

が大きく前進した時期である.理論的には,線形化された

ブラソフ方程式注4を用いて,KV(Kapchinsky-Vladimirsky)

分布[8]の安定性が解析され,周期的な外部集束力の下に

おいてビームが不安定になる条件が導き出された.しか

し,現実のビーム分布は一般にKV分布とは異なると考え

られるため,ここで導き出されたすべての条件で実際にエ

ミッタンス増大やビームロスが引き起こされるとは限らな

い.したがって,陽子線形加速器を設計する上では,どの

共鳴が実際に危険で,どの共鳴が危険でないかを見極める

ことが肝要となる.この時期,2次元の Particle-In-Cell

シミュレーションも大強度ビームにおける空間電荷効果の

研究に本格的に取り入れられ,これを用いて,より現実的

であると思われるビーム分布における構造共鳴の研究が行

われた.その結果,「集束系1周期あたりの粒子振動の位

相進みが90度以下になるように設計すれば,危険な共鳴は

避けることができる」というのが大強度イオン線形加速器

の設計指針として広く認められてきた.しかし,最近に

なって位相進み60度付近の共鳴が SNSの線形加速器で

ビームロスの原因になっている可能性が指摘される等,議

論が再燃する兆しがある[3].

一方,粒子の振動にはビームの進行方向(縦方向)の振

注3 空間電荷の中和は陽子ビームの場合も起こりうる.この場合は,チャンバー中に生じる電子も重要な役割を果たす.負水素イオンビームの場合には,残留ガスとの散乱によって自分自身も軌道電子を失って正イオンのソースになり得る.

注4 より正確には,ブラソフ方程式について,その定常分布についての摂動を考え,摂動の一次の項までをとった方程式.周期的な集束系における定常分布はKV分布しか知られていない.

Special Topic Article 2. Physics of High Intensity Proton Beam M. Ikegami and Y.H. Chin

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動とそれに垂直な面内(横方向)での振動の2種類がある.

大強度のイオンビームにおいては,粒子の縦方向の運動と

横方向の運動が空間電荷効果によって結合しており,この

2つの振動の間の結合共鳴も起こり得る.この結合共鳴の

条件が満たされると,縦方向のエミッタンスが横方向に,

あるいは横方向のエミッタンスが縦方向に移動する.この

共鳴については,1990年代後半から2000年代前半にかけて

精力的な研究が行われ,「加速の過程で結合共鳴条件を一

時的に満たすことは危険ではない」というのが一般的な理

解となっている[9].加速の全区間において結合共鳴条件

を避けることは陽子線形加速器の設計上非常に強い制約と

なるため,この知見は実用上,非常に大きな意味がある.

これら2つの共鳴条件は,現実の陽子線形加速器を設計

する上で非常に重要な設計指針を与えるものであるが,そ

の実験的な検証が十分に行われているとは言い難い.より

大強度のプロトンドライバーが求められるに従って,より

詳細な検証が求められてきており,そのことを背景とし

て,共鳴の影響を実験的に検証する努力が現在でも進めら

れている[10].

空間電荷効果によって引き起こされる現象の中でも,特

にビームロスに直結する現象であると考えられているの

が,密度の高いビームコアの周りに希薄なビームハローが

形成される現象である.このビームハローの生成過程は

1990年代半ばから盛んに研究され始めた[11].上述のよう

に,線形加速器のラティスの設計が定まると,そのラティ

スに対して整合の取れたビーム条件,すなわち無駄なビー

ムサイズの振動を起こさない条件を見つけることができ

る.線形加速器の運転においては,この条件を満たすよう

に運転パラメータの調整を行うのであるが,実際には様々

なハードウェアの制約からある程度の振動が残ってしま

う.この振動を不整合振動と呼ぶ.大強度陽子加速器にお

けるビームハロー生成の主なメカニズムは,この不整合振

動を行うビームコアとその周りを運動する粒子の間の2:

1共鳴であると考えられている注5.このメカニズムは,

「ハローを構成する粒子を模擬するテスト粒子の運動は

ビームコアの空間電荷の影響を受けるが,ビームコアの運

動はテスト粒子の空間電荷の影響を受けない」とする粒子

-核モデルを用いて精力的に研究がなされた.ビームハ

ローを構成する粒子の数は,ビームコアを構成する粒子に

比べて圧倒的に少ないと考えられるので,このモデルは良

い近似として成り立つと考えられる.図2は粒子-核モデ

ルを用いたシミュレーション結果の一例である[12].図2

では,横方向の不整合振動をするビームコアを考えている

が,この振動には鉛直方向と垂直方向の2つの自由度に対

応して2つの固有モードが存在する.1つは水平方向と鉛

直方向のビームサイズが同位相で振動する脈動モード,も

う1つは逆位相で振動する四重極モードである.図2に示

された3つの列は,モードの混合の仕方の違いに対応して

いる.図2の上段は,それぞれのモード混合におけるビー

ムサイズの振動の様子を表したものであり,下段は,その

ビームコアの周りを運動するテスト粒子の運動の様子をポ

アンカレ断面図という図を用いて表したものである.ポワ

ンカレ断面図は,ある特定の位相における粒子の位相空間

での座標のみをプロットしたものであり,加速器物理にお

いては,ラティスの周期性の影響を取り除いて,粒子の運

動が本来もつ安定性を表示するためにしばしば用いられ

る.この図で,粒子がある閉曲線上にある場合は粒子の運

動が正則であることを表し,粒子がある領域を塗りつぶす

ような動きをする場合は粒子の運動がその領域でカオス的

であることを表している.図2では,ビームコアが2つの

注5 ビームハロー生成のメカニズムとして,これ以外のものが存在しないことが示されたわけではない.

図2 粒子-核モデルに基づいて計算されたテスト粒子のビームコアのまわりでの運動の様子.上段はコアのエンベロープの振動の様子を表したもので,実線が水平方向のエンベロープ,破線が鉛直方向のエンベロープを表す.下段はこのコアの周りで運動するテスト粒子の運動の様子を表したもので,コアの水平方向エンベロープが最大になった位相での(x, x’)位相平面上での位置をプロットしたもの.左はコアが純粋な脈動モードの振動をしている場合,右は純粋な四重極モードの振動をしている場合,中央は脈動モードと四重極モードが混合した振動をしている場合.

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固有モードが混合した振動を行った場合,ある特定の位相

空間上の領域で粒子の運動がカオス的になることを示して

いる.この図の中央に位置する正則な領域は「ビームコア

の内部で振動する粒子が存在すること」を表しており,そ

の上下に2つ正則な領域の島が見えるのは「粒子とビーム

コアの振動の間で2:1の共鳴が存在すること」を示して

いる.もともとビームコアの周りにいた粒子の一部が,こ

の2:1共鳴でエネルギーを得てビームコアから離れたと

ころまで現れるようになるというのがこのモデルにおける

ビームハロー生成のメカニズムの理解である.実際のビー

ムハロー生成の過程で粒子のカオス的な運動が果たす役割

は必ずしも明らかではないが,図3の粒子シミュレーショ

ンを見ると,粒子の運動がカオス的になるケースでビーム

ハローの密度が高くなっていることが見て取れる[13].J-

PARCの線形加速器でもこのようなビームハローの生成が

観測され,それを軽減する努力が続けられてきた.J-

PARCの場合は,線形加速器の上流部で生じた縦方向の不

整合振動が空間電荷による結合を介して横方向に移り,そ

れが横方向のビームハローを形成するという現象が見られ

た.J-PARCでは,3次元のParticle-In-Cellシミュレーショ

ンによって上記のようなメカニズムを同定し,ビーム整合

を改善することによって,実際のビーム運転におけるビー

ムハロー生成を軽減することに成功している[14].

この章では大強度陽子線形加速器において空間電荷効果

が引き起こす主だった現象を概観した.大強度陽子線形加

速器における空間電荷効果の理解が大きく前進した時期と

して,1980年代と1990年代半ば以降の2つの時期があげら

れる.前者では2次元の Particle-In-Cell シミュレーション

が,後者では3次元の Particle-In-Cell シミュレーションが

理解を深める上で非常に重要な役割を果たしており,計算

機の進歩が大強度陽子ビームにおける空間電荷効果の理解

に与えた影響は軽視できない.一方,前者では重イオン慣

性核融合への応用,後者では大強度のプロトンドライバー

の実現という強い動機づけによる後押しがあったことも忘

れてはならない.現在,プロトンドライバーとして陽子加

速器に要求されるビームパワーは益々増大する傾向にあ

り,より小さな割合のビームロスを精密に予見するため

に,より精密な現象の理解が要求されている.陽子線形加

速器の粒子シミュレーションにおいては,単純な計算機の

能力向上によって得られる知見は飽和してきつつある感が

ある.今後は,数値モデルの精密化や数値的な研究と実験

的な研究を有機的に結びつけることによって,空間電荷効

果が引き起こす現象の理解を深めていく必要があると考え

られる.

2.3 J-PARCシンクロトロンにおけるビーム不安定性

この章では J-PARCの2つのシンクロトロン,即ち

3 GeVシンクロトロンと 50 GeVシンクロトロンにおける

ビーム不安定性について紹介する.ただし,ビーム不安定

性の理論を網羅することは紙面の都合上難しいので,ここ

ではひとつのトピックとして最近の理論の成果から明らか

になってきた表皮効果にまつわるインピーダンスの評価を

取り上げ,これを例として大強度陽子シンクロトロンにお

けるビーム不安定について紹介したい.

円形加速器で加速できる最大陽子電流を決める大きな効

果に空間電荷効果とビーム不安定性がある.ここでは,高

エネルギーの円形加速器で特に重要となるビーム不安定性

について紹介する.ビーム不安定性とは,円形加速器の中

を周回するビームが自分を取り巻く様々な装置(ビーム

チェンバー,高周波空洞,電磁石など)と電磁気的に相互

作用した結果,航跡場という電磁場を作りだし,この航跡

場がビームに作用してビームの集合的運動を引き起こした

結果,ビーム全体の挙動が不安定になる現象である.ビー

ムの重心が大きく振動するためにビーム全体がビームチェ

ンバーに衝突する極端な場合以外にも,ビームの重心運動

によってビームの端の陽子がビームチェンバーに衝突して

ビームロスを起こしたり,ビームのもっと複雑な集合的運

動によってビームの形状が広がり,やはりビームロスを引

き起こしたりすることがある.したがって,加速器の放射

化を最小限に抑えるためにはビーム不安定の制御が大変重

要である.ビーム不安定が起こった時の対処方法として

は,フィードバック装置によってビームの振動を減少させ

る方向にビームを蹴ってビームを安定化させる方法があ

り,現在 50 GeVシンクロトロンではこういったフィード

バック装置の開発が進んでいる.しかし最も重要なことは

図3 Particle-In-Cellシミュレーションの結果得られたビーム分布を(x, x’)位相平面上に射影したもの.左はコアが純粋な脈動モードの振動をしている場合,右は純粋な四重極モードの振動をしている場合,中央は脈動モードと四重極モードが混合した振動をしている場合.

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RF Shield

Ti flange

Ti sleeve

TiN coating Thickness : 15 nm

CapacitorCapacitance : 330

ビームとビームを取り巻く装置との電磁気学的相互作用を

最小化することである.つまり航跡場をできるだけ発生さ

せないよう,これらの装置を設計することである.

ビームとビームを取り巻く装置との電磁気的相互作用を

記述するパラメータとしてインピーダンスが用いられてい

る.インピーダンスとは簡単に言えば,単位電流をもつ

ビームがビームを取り巻く装置を通過した際にビームが航

跡場から受けるキックを積分したものである.インピーダ

ンスには縦方向と横方向のインピーダンスがある.J-

PARCの2つのシンクロトロンで問題になるのは特に横方

向のインピーダンスである.横方向インピーダンスの主な

発生源はキッカー電磁石とビームチェンバーである.キッ

カー電磁石とはビームの入出射の際にビームを円形加速器

の外から内へ或いはその逆の方向に蹴りだす電磁石であ

る.キッカー電磁石にはパルス電源との間の長いケーブル

があり,航跡場が電流となってこのケーブルに入り込み,

中で共鳴を起こした結果,鋭いスペクトラムのインピーダ

ンスを作りだす.このインピーダンスの軽減のためには

キッカー電磁石の設計段階で措置が講じられている必要が

あるが,J-PARCでは現状では十分な措置がなされていな

い.キッカーインピーダンスについてはここでは割愛す

る.本章の眼目はビームチェンバーの作るインピーダンス

である.

J-PARCの2つの円形加速器はともにシンクロトロンで

あるため,電磁石の強さが時間的に変化する.そのため,

ビームチェンバーに金属を使用している場合,渦電流が発

生し,その渦電流が作る磁場によってビーム内の粒子の軌

道が乱される.この効果の低減には,発生した渦電流が速

やかに減衰する様に,できるだけ抵抗の大きい金属をビー

ムチェンバーの材質として使用する方法が有効である.50

GeVシンクロトロンでは実際この理由によってビーム

チェンバーの材質にステンレスを使用している.しかし,

渦電流の強さが電磁石の時間的変化に比例するため,繰り

返しの大きい 3 GeVシンクロトロン(25 Hz)では金属の

ビームチェンバーを使用することはできず,代わりにセラ

ミックのビームチェンバーを使用している.

2.3.1 3 GeVシンクロトロンのセラミックビームチェンバー

セラミックチェンバーは真空容器としての機能は十分で

あるが,電磁波を透過するので,そのままではビームを取

り巻く電磁場もチェンバーの外に大きく広がり,周りの装

置と相互作用して,巨大なインピーダンスを作ってしま

う.一般的に金属のチェンバーを使用した場合は,ビーム

の電流と同じ大きさで符号が逆の鏡像電流がチェンバーの

表面を走り,ビーム電流との間で電磁場を作りながら進ん

でいく.チェンバーの材質の体積抵抗率がゼロで,チェン

バーが凹凸や段差のないスムーズな形状をしていれば,

ビーム,鏡像電流,その間の電磁場は何の摂動も受けず,

そのまま前方に進んでいくので,ビームから見たチェン

バーのインピーダンスはゼロになる.もちろん現実には

チェンバーの材質の体積抵抗率はゼロではないので,チェ

ンバーの表面を走る鏡像電流は抵抗を感じ,多少のエネル

ギー損失を起こす.このエネルギーは航跡場となってビー

ムに作用するので,ビームから見てインピーダンスが発生

する.これを加速器科学ではresistive-wallインピーダンス

と呼んでいる.チェンバーの材質の体積抵抗率が大きいほ

どresistive-wallインピーダンスは大きくなるのでステンレ

スなどは不利な材質である.しかし一方では電磁石が作る

渦電流はできるだけ小さくしたいので,50 GeVシンクロト

ロンではステンレスチェンバーを採用せざるを得なかっ

た.このことは 50 GeVシンクロトロンにおけるインピー

ダンスを3 GeVシンクロトロンに比べて飛躍的に増大させ

た.この詳細は次章で述べる.

さてセラミックチェンバー単体ではインピーダンスは巨

大なものになってしまうので,3 GeVシンクロトロンでは

鏡像電流が走るための道として,薄くて細い銅の帯をセラ

ミックチェンバーの周りに一定間隔で張りめぐらせること

にした.これをRFシールドと呼ぶ.図4はRFシールドが

ついたセラミックチェンバーの様子を示す.銅の帯は 5.5

mmの幅でビームの進行方向に向かって走っている.厚み

は2 mm程度である.帯は4.5 mmの間隔を離して置かれて

いる.帯が細いのは銅の帯に発生する渦電流のループを十

分に小さくして,渦電流が作る磁場を小さくするためであ

る.しかし,このまま銅の帯が長く続いているとやはり大

きなループが生じてしまうので,銅の帯は 2 mおき位に一

旦切断され,間にコンデンサーを挟んで繋げられている.

コンデンサーが作るインピーダンスは周波数に反比例する

と考えれていたので,このコンデンサーは鏡像電流の高周

波成分は損失なく流すが,低周波成分(3 GeVシンクロト

ロンの繰り返し周波数である 25 Hz あたり)は遮断する役

割を持つ.しかし実際は高周波(MHz以上)ではコンデン

サーの持つキャパシタンスは十分に小さくなるが,代わり

にインダクタンス(周波数に比例)が増大し始め,コンデ

ンサーは磁性体のようなインダクターとして振る舞う.

セラミックチェンバーの内側はTiNの薄い膜(15 nm)

でコーティングされている.これはセラミックの内側で電

荷が生じた際に電荷が流れる道を作っておいて,その

チャージアップを防ぐためである.さて,ここで問題にな

るのはTiNの薄い膜にどれだけの鏡像電流が流れるかであ

る.膜の厚みはビームの持つ周波数(kHz からMHz帯)で

図4 3 GeVシンクロトロンのRFシールド付セラミックチェンバー.

Journal of Plasma and Fusion Research Vol.86, No.8 August 2010

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はスキンデプスより十分小さい.しかし,膜全体の作る抵

抗は体積抵抗率に比例し,電流の流れる層の厚みに反比例

するので,仮にこの膜に鏡像電流のすべてが流れると,膜

のインピーダンスは巨大なものになってしまう.そこでど

の程度の鏡像電流が膜を流れ,残りが銅の帯を流れるかを

精確に評価する理論が必要となった.膜が無限に薄くなれ

ばそこに流れる電流はゼロになるはずであるから,摂動論

によれば,膜が十分薄い範囲では,流れる電流の量は膜の

厚みに比例するはずである.もっと精緻な理論[15]を使っ

て計算するとその通りになる.こうして計算されたイン

ピーダンスは実物を使用した測定結果とよく一致した.リ

ング一周にわたるセラミックチェンバーRFシールドのイ

ンピーダンスを計算すると十分に小さいことがわかり,

RFシールド付のセラミックチェンバーを採用したことが

3 GeVシンクロトロンにとって正解だったことが確認され

た.実際,ビームパワーが200-300 kW程度になっても

3 GeVシンクロトロンではビーム不安定性は観測されてい

ない.

2.3.2 50 GeVシンクロトロンのステンレスビームチェンバー

50 GeVシンクロトロンは繰り返しが 0.3 Hz と小さいた

めに,ステンレスのビームチェンバーを採用することに

なった.しかし,ステンレスは金属としては体積抵抗率が

大きいので,ビームから見たインピーダンスも大きくな

る.そこでresistive-wallインピーダンスを計算する一般的

な公式を利用して計算してみると,キッカー電磁石のイン

ピーダンスと同程度のインピーダンスになり,この両者が

50 GeVシンクロトロンにおけるインピーダンスの二大発

生源であることがわかった.さて,この resistive-wall イン

ピーダンスの公式であるが,簡単にいうとビームチェン

バーの抵抗値を求める計算と同じである.即ち,抵抗値=

縦方向インピーダンスは,体積抵抗率にビームチェンバー

の長さを掛けたものをビームチェンバーの断面積で割れば

求まる.しかし実際には電流の高周波成分はスキンデプス

程度の範囲しか流れないので,ビームチェンバーの断面積

はスキンデプスとビームチェンバーの周長を掛けた値で置

き換える必要がある.こうして求めた縦方向インピーダン

スはもっと精確は理論を駆使して導いた公式と一致する.

こうした単純な計算を見直してみると可笑しなことに気

づく.50 GeVシンクロトロンで最も大きなビーム不安定を

起こすインピーダンスの周波数は 60 kHz あたりと思われ

ている.この周波数でのスキンデプスは約 2 mmで,ステ

ンレスビームチェンバーの厚み 2 mmと同程度である.電

磁波は金属の中ではスキンデプスまで進むと半分まで減衰

するので,60 kHzの高周波成分はチェンバーの外に達して

もまだ十分存在する.したがって,この高周波成分のかな

りの部分はトンネル効果によってチェンバーの外へ漏れて

いくと考えられる.これが本当ならこの高周波成分はビー

ムに影響を与える前にどこかへ行ってしまい,ビームから

見たインピーダンスは下がるだろう.これは本当だろう

か.元々スキンデプスという概念は無限に金属がある場合

を仮定しており,今回のように有限な厚みの金属を想定し

ていない.実は,「電磁波は金属の中ではスキンデプスま

で進むと半分まで減衰する」というのは必ずしも真実では

ない.そこで精緻な理論[16,17]を使って検証してみた.結

果としてわかったことは,スキンデプスがチェンバーの厚

みの約10倍以上にならないと全鏡像電流は薄いチェンバー

を流れてしまい,結果として電磁波は外には漏れない.つ

まり,チェンバーの薄い金属が完全に電磁波を遮断してし

まうのである.50 GeVシンクロトロンの周波数でいう

と,1 kHzから100 kHzあたりがこの「チェンバーの厚み<

スキンデプス<チェンバーの厚みの約10倍」の周波数帯域

に当たる.この帯域では全鏡像電流はチェンバーの断面積

にわたって流れるので,スキンデプスの深さまで流れると

改定した従来の公式から求まるresistive-wallインピーダン

スより実際のインピーダンスは大きくなる.50 GeVシンク

ロトロンでは最初の見積もりより3倍程度大きくなった.

1 kHz 以下の周波数帯では電磁波は外に漏れ出す.した

がって,低い周波数の電磁波ほど外にもれ,結果としてイ

ンピーダンスは下がる.

50 GeVシンクロトロンではこの大きなステンレスビー

ムチェンバーの resistive-wall インピーダンスのために100

kW程度のビームパワーでビーム不安定性が観測されてい

る.そのため,ビームを安定化させるためのフィードバッ

ク装置の開発,試験を現在行っている.

以上の 3 GeVシンクロトロンと 50 GeVシンクロトロン

の場合を総括すると,我々が習ったスキンデプスという概

念が実は曖昧で,スキンデプスが大きくなる低い周波数で

はあまり実用的ではない,あるいは間違った結論を出しや

すいことがわかる.また電磁波は元の状態(この場合は

チェンバーの中に留まる)をできるだけ保つように振る舞

うことがわかる.

2.4 大強度陽子ビームの物理とプラズマ物理本章を読まれておわかりのように,大強度陽子ビームの

物理とプラズマ物理にはオーバーラップする部分が多い.

大強度陽子ビームの粒子シミュレーションの標準的な手法

となっている Particle-In-Cell 法は元々プラズマ物理のシ

ミュレーションのために考案されたものであると聞くし,

ブラソフ方程式を用いて系の安定性を解析する手法もプラ

ズマ物理を専門とされる読者には馴染みの深いものであろ

うと思われる.

大強度陽子ビームの物理とプラズマ物理のオーバーラッ

プは空間電荷効果が特に重要となる低エネルギー部で顕著

なことはもちろんであるが,それにとどまらない.実際,

ビーム強度の増大に伴って,高エネルギーのシンクロトロ

ンにおいても空間電荷効果が無視できないものとなってき

ている.また,本章では紙面の都合で扱うことができな

かったが,高エネルギーのシンクロトロンで重要となる

ビームの不安定性を定量的に取り扱う理論もブラソフ方程

式を出発点として定式化されている.

もちろんこれらの類似は偶然ではなく,系の基礎となる

方程式が同じであることに起因している.ビームを構成す

る粒子の集団的な効果が重要となる大強度陽子ビームにお

いては,ビームをプラズマとして捉えることが本質的に重

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要なのである.その意味で,大強度陽子ビームの物理は

ビーム物理の中でもプラズマ物理の知見を生かすことが最

も自然に行える分野であると言えるかもしれない.

加速器の大型化に伴って高エネルギーフロンティアをめ

ざす加速器の建設が次第に難しくなってきた一方で,高

ビーム出力フロンティアをめざす動きはとどまる気配がな

い.より大出力のビームを実現するためにはより高密度な

ビームの挙動を,より精密に理解し予測する必要に迫られ

る.ビームの集団的効果の重要性は益々高まり,我々は

益々プラズマ物理の助けを借りなくてはならなくなるかも

しれない.そのような中で,今後,プラズマ物理とビーム

物理の垣根を越えたコラボレーションがより活発に展開さ

れていくことを期待したい.

参 考 文 献[1]S. Nagamiya, Nucl. Phys. A, 827, 179 (2009).[2]Y. Yamazaki ed., "Accelerator Technical Design Report

for J-PARC", KEK Report 2002-13.[3]Y. Zhang, "Experience and Lessons with the SNS Super-

conducting Linac", to be published in Procs. of IPAC10.[4]例えば,C. Vettier, C. J. Carlile and P. Carlsson, Nucl. In-

strum. Meths. in Phys. Res. A 600, 8 (2009).[5]N.V.MokhovandW.Choued., "BeamHalo andScraping",

Proc. of 7th ICFA mini-workshop on high intensity andhigh brightness hadron beams, Interlaken, Wisconsin,United States (1999).

[6]電子陽子加速器に応用したものではあるが,50 億個の

マクロ粒子を用いたParicle-In-Cellシミュレーションの例がある.J. Qiang, R. D. Ryne, M. Venturini and A.A.Zholents, "Billion Particle Linac Simulation for FutureLight Sources", in Procs. of LINAC08, Victoria, Canada,(2008) p. 1110.

[7]例えば,I. Hoffman, L.J. Laslett, L. Simith and I. Haber,Particle Accelerators, 13, 145 (1983).

[8]L.M. Kapchinsky and V.V. Vladimirsky, Procs. of the In-ternational Conference on High Energy Conference onHigh Energy Acceleators, CERN, Geneva, 1959, p.278.

[9]例えば,I.Hofmann,G.Franchetti,O.Boine-Frankenheim,J. Qiang, R. Ryne,D. Jeon and J.Wei, "EmittanceCouplingin High Intensity Beams Applied to the SNS Linac", inProcs. of PAC01, Chicago, United States, (2001) p. 2902.

[10]次の論文で一部の実験についての提案がなされている.D. Jeon, L. Groening, G. Franchetti, "A Fourth OrderResonance of a High Intensity Linac", to be published in

Procs. of PAC09.[11]例えば,K.M.Lagniel, Nucl. Instrum.Meths. inPhys.Res.

A 345, 46 (1994).[12]M. Ikegami,Nucl. Instrum.Meths. inPhys.Res.A435, 284

(1999).[13]M. Ikegami,Nucl. Instrum.Meths. inPhys.Res.A454, 289

(2000).[14]M.Ikegami, H. Sako, G. Wei. A. Miura, "Recent Progress

in the Beam Commissioning of J-PARC Linac", to be pub-

lished in Procs. of IPAC10.[15]B. Zotter, Part. Accelerators 1, 311 (1970).[16]B. Zotter, CERN Report, CERN-AB-2005-043 (2005).[17]E. Métral, CERN Report, CERN-AB-2005-084 (2005).

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