243...243 244 叢 律 論 法 二、『日本之法律』の法典論争関係記事...

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法律論叢 第八 【資 料】 『日本之法律』 ニー目 DCBA” はじめに 「日本之法律』 FE の法典論争関係記事 第一巻(明治二﹇〜一 第二巻(明治二三年) 第三巻(明治二四年) 第四巻(明治二五年) 第一〜六号 第七〜一二号 第五巻(明治二六年) 第六巻(明治二七年) }二年) (以上、第八〇巻四11五合併号) (以上、第八一巻一号) (以上、本号) (以下、次号) 243

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Page 1: 243...243 244 叢 律 論 法 二、『日本之法律』の法典論争関係記事 D.第四巻(明治二五年) 衛門氏の駁撃を為せること其れ其二つ、此二つの反対、殊中司法大臣の反対せること是れ其一つ、有名なる永井松右て事の外つれ易き、意外の

法律論叢 第八一巻 第四・五合併号(二〇〇九・三)

【資 料】

『日本之法律』にみる法典論争関係記事(三)

    ニー目

DCBA” 次はじめに

「日本之法律』

FE

の法典論争関係記事

第一巻(明治二[~一

第二巻(明治二三年)

第三巻(明治二四年)

第四巻(明治二五年)

  第一~六号

  第七~一二号

第五巻(明治二六年)

第六巻(明治二七年)

}二年)

 (以上、第八〇巻四11五合併号)

 (以上、第八一巻一号)

 (以上、本号)

 (以下、次号)

243

Page 2: 243...243 244 叢 律 論 法 二、『日本之法律』の法典論争関係記事 D.第四巻(明治二五年) 衛門氏の駁撃を為せること其れ其二つ、此二つの反対、殊中司法大臣の反対せること是れ其一つ、有名なる永井松右て事の外つれ易き、意外の

244叢論律法

二、『日本之法律』の法典論争関係記事

D.第四巻(明治二五年)

 雑報(第四巻一号、明治二五年一月発党)

 「妊商の喜11国家の憂」

商法部分施行の法案は、破竹の勢を以て衆議院の第二議会

を通過せるが、之を見、之を開[聞]きたる好商輩は、ソ

レ通過してはと燥ぎ立ち、貴族院にては是非喰止めさせん

と計画せる矢先、欝塵一声、衆議院解散の命下り、他の未

通過の議案と共に、商法部分施行の建議案も、亦遂に其効

を失ふに至れるは、好商の為には賀すへきも、国家の為に

は吊せさるへからす、

 「意外の反対二つ」

商法施行後の経済社会の状況を視し者は、何人も、商法部分

施行の建議案に反対するものあらさるへしと思ひしに、当

て事の外つれ易き、意外の反対を二つ迄見るに及べり、田

中司法大臣の反対せること是れ其一つ、有名なる永井松右

衛門氏の駁撃を為せること其れ其二つ、此二つの反対、殊

に永井氏の反対は、余の夢寡だに思ひ設けぬ所、余は、翌

日の議事筆記を見て、永井氏の反対ありしを知るや、思は

ずも一驚を喫したり、但し氏の反対は、第一期議会の時と

は事かはり、何となく情々として勢なく、而して其声の細

くして議場に透らさりしは、内に顧て疾しき所あれはなる

にや、出来ることなら聞かまほし、

 寺尾亨「民法の修正は急遽にすへからす」

          (第四巻二号、明治二五年二月発党)

昨年、帝国議会に於て、商法実施延期の決議を為すや、其

理由は主として修正に在りしもの・如し、当時、延期論者

の云ふ所を聞くに、概ね皆な曰く、商法中、条理に背くも

の多く、慣習に惇るもの少からす、須らく実施するに先ち、

幾多の修正を施さざるべからすと、其決議を為してより、殆

んと将に一裏葛を換へんとし、之れが実施の期も亦将に一

星霜を出てさらんとす、而して荘然徒過、修正の声蓼々聞

ゆるなきものは何ぞや、余輩は窃に其言ふ所、其行ふ所に

副はざるを悲まずんばあらざるなり、

然るに頃日更に説を為す者あり、曰く民法も亦、学理上杜

 ママ 

選の識を免れざるもの鮮少なりとせず、民度風俗に背馳す

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「日本之法律』にみる法典論争関係記事(三)245

るもの亦更僕すべからず、宜しく速に修正すべしと、余輩

も亦民法を以て完全無鉄、金科玉条、一字一句も移動し得

べからさるものとは思惟はず、否な学理に反し、慣例に違

ふもの間々之れあるを認むるなり、故に必らず修正せざる

べからざるを知ると難も、然れとも修正なるものは、素と

是れ容易の業に非ず、讐へば蜂の蜜を醸し、簸の繭を作る

が如く、身、其中に入て倶に化するに非されは則ち能はざ

るなり、而して其此に至る真に難し 、若し軽躁急遽之に

着手して、筍且の修正を為す如きあらば、一の条理を除か

んと欲して更に一の不条理を加へ、一の不便を去らんと擬

して更に一の不便を増し、甚しきに至ては、民法中、他の

法典との間に矛盾撞着の弊を生じ、遂に拾収すべからざる

の患を胎して、他日、膀を噛むの悔あらんことを恐る・な

り、鳴呼修正山豆に遽に企つへけんや、

民法修正の容易に着手すべからざることは、此一理由を以

て、至れり尽せりと信ずれとも、尚ほ二一二の理由を挙けて

余輩の説を確めんと欲す、

第一、民法の条文は頗る浩潮にして、固より商法と日を同

ふして語るべからず、之れが編纂も亦実に多くの日子を要

せり、而して其実施の期将に期月を出でざらんとす、五行

倶もに下り、眼光紙背に透る者と難も、此僅々たる歳月の

間に、完全なる修正を加へんことは到底望むへからず、姑

息の修正は之れを為さ・るの優れるに若かさるのみならず、

却て其弊に勝へざるものあらん、

第二、商法中には、商界の古習に惇りて、一見不都合を感

ずるの条文往々之れなきに非ざるが如しと難も、民法に至

りては、其実施の日、忽ちにして億兆蒼生の頭上に重大な

る利害の関係を及ぼすもの、余輩未だ之れあるを見ず、今

一々之れが証左を枚挙すること能はずと難も、修正論者に

                 ママ 

して、実際上不都合を感ずるの箇条を排列せるものなく、殊

に夫の汲々民法を其根底より破壊せんと勉むる者すら、其

難ずる所、多くは学理陳腐なり、無用の法文多しなど云ふ

に止まるの一事を以てするも、亦其然るを知るべきなり、

第三、民法草案は、仏人ボアソナード氏の手に成りしもの

にして、其編纂委員亦多く仏法家を以て組織したり、是を

以て其採るところ、概ね仏国法律に在り、而して仏国法律

は、我国の法曹社会に最も古く、且つ最も汎く行はる・も

のにして、殆んど裁判上の慣例を成し、従て一般人民の脳

裏に浸染するものと謂ふも、敢て過三=口に非ざるなり、試に

見よ、上は大審院より、下は区裁判所に至るまで、仏国法

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246叢論律法

律の薫陶に浴したる者、十中常に七入、唯々代言人は、英

法家、知名の士に多しと云ふと難も、之を折算すれは、仏

国法律の教育を受けたる者、少くとも過半数の上に出るや

明けし、然らば則ち民法の実施は、我法曹社会に最も平易

にして、其便宜なるもの、蓋し民法の右に出つるものなか

るべし、

已に之を実施して便宜、之を適用して弊害を生ずることな

くんば、将た何を苦んでか遽然修正を加へんとするや、然

りと難も、余輩は未来永劫、些個の修正をも容さすと云ふ

に非すして、徐うに適当の修正を加へんことを欲する者な

り、其所謂る適当の修正は如何して之を為すべき乎、是れ

自ら別問題にして、余輩の胸中別に成算のあるあり、他日

詳論するの機会あるべし、

民法修正の軽々しく着手すべからざること、事理此の如く

正大、意義斯の如く明確なるにも拘はらす、尚ほ之れを為

さんとする者あるは余輩の解せざる所なり、況んや之れか

為めに延期を主張する者をや、又況んや口、延期を唱へて、

腹、廃棄を希望し、以て窃に民法廃棄の猜手段を為す者を

や、若し夫れ商法実施延期の覆轍を踏むか如きは、余輩の

最も取らさる所なり、

 雑報(第四巻三号、明治二五年三月発見)

 「法典施行と内閣の意見」

《国会》子伝へ云ふ『法典実施の期已に迫るも、法官の中に

は未た一閲もせさるものあり、況んや人民をや、故に議会

にして若し之を延期するに決せは、政府は無論之に同意す

へし』と、果して然るか、法律執行の責ある法官、執行の

期日已てに迫れる今日、法典を一閲もせすとは何事そ、《国

会》子の報、到底、実なりとは信せられす、良しや之を実

なりとするも、此れ等瀬惰判事の為に、予期せる執行の期

を延はすへきにあらす、而して人民に至ては、法律に服す

へき義務のあるもの、其与られたる周知期限は、之を研究

するに充分ならすとせす、故に又、之れにも延期の理由存

せす、況や商法延期の定まれる後、商人か商法研究を止め

たるの事実は、彼れ等に与ふるに猶予の期限を以てするも、

到底その益なきことを証するに充分なるに於てをや、之を

要するに、《国会》報する所の事は『百年、河清を待っ』底

の愚策、我か賢明なる内閣諸公の意見にあらす、

館説

「法典は須らく断行すべし」

      (第四巻四号、

明治二五年四月発党)

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『日本之法律』にみる法典論争関係記事(三)247

段雷一震、蟄虫、戸を啓き、春風馳蕩、桜花、燗を極む、踊

に宜しく、狂ふに好し、花車挽き出すへく、屋台担き廻は

るへし、此の時に当り、非法典論者また起り、法典施行延

期の説を唱ふ、豊に痴蝶と其痴を街ひ、狂蜂と其狂を競は

んとてか、迂又愚、

法典の破壊を企てたる狂漢は彼れ等か党与中に在りき、又

その無期延期を主張せる痴人は、亦同しく彼れ等の仲間中

に在りき、然れとも、今は則ち其跡を絶ち、唯法典の修正に

従ふか為に、唯僅かなる時日を要求するに至りたるは、彼

れ等か法典論者に降を請ひたる一証として、余は先つ之を

賞し置かさるへからす、

彼れ等は曰く、『法典の規定は不完全なり、宜しく之を修正

せさるへからす、修正したる上にあらされは、其実行は之

を為すへからす』と、是れ彼れ等の常套論鋒、又その金城

湯池、唯一無二の根拠なり、然りといへとも、余を以て之

れを見れは、之れは是れ『痴人、夢を説くもの』、

抑々人の智識は限りあるものなり、而して社会の事物に涯

りなし、人の見得るところは狭阻なる一部に止まる、而し

て其得さるところのものは無辺なり、又人の思想の及ふと

ころは区域あるものなり、而して其以外に在るところのも

のは多し、然れは則ち、完全、暇なきものを作為るは、到底

人力の及ふところにあらさるにあらすや、良しや一旦之を

作為り得たりとするも、変遷進化を常にする社会には、忽

ちまた不完全のものたらさるへからす、是れ皆な人の了知

する所、而して独り法典にのみ完全を望むは何ぞ、愚、愚、

愚、且

夫れ、宇内各国、何れの国か能く完全の法を布ける、又

何れの邦か能く無訣の律を行へる、露か独か、填か、仏か、

抑々亦彼れ等の奉尊する英米か、

仏の法律、改廃を要するもの多し、蘭の法律未た完美の誉

あらす、独の法律善からさるにあらさるも、固より以て無

欠といふこと能はす、而して露国の法律は則ちいふに足ら

す、英と米とに至ては、完全の域を離るること遠く、無鉄の

境を距ること査なり、乃ち宇内星羅の国、其数固より少な

からすと錐、完全の法を施し、無鉄の律を布けるもの、及

ひ現に施行しつ・あるもの、未た一国も之れあることなき

なり、而して我邦現行の法律は、陳々腐々、幾んといふに

足るものなし、旋れに加ふるに、系統のその間に聯続する

ものあることなきを以て、支離滅裂、四分五裂、固より法

典規定の比にあらす、然れは則ち、法律施行は益あつて害

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卜論律法

なきものなり、既に益あつて害なし、之を実行せすして何

をかせん、痴漢の拒斥は之を憂ふるに足らす、狂客の妨碍

は之を顧みるに及はさるなり、

これを従来の実歴に徴するに、法令実施の期いたる毎に、

その施行の期を緩むべく請求するは、我が邦人民一般の習

慣なるが如し、大は則ち商法施行延期のことより、小は則

ち水道工事の着手のことの如き、又或ひは遊廓朱引地の変

更のことの如き、大概ね皆然らざる莫し、而して商法は延

期に決して、人皆な商界の紛擾を救ふに由なかりしを憾み、

水道工事其他の工事の如きは、断行すれば輌ち群蛙その鳴

を止む、今回、法典施行延期論の如き、亦此種の鷺々のみ、

之を気に掛けずして可なり、又之を耳に留めずして可なり、

先づ試に思へ、彼れ等の望む如くに、修正の為め、仮すに

三四の歳月を以てすれば、充分の修正を為し得るや否やを、

惟ふに静坐謹慎閉目沈思、而かる後、事に当るも、失錯齪齪

を免かれ得ざるは人の常態なり、而して民商諸法の立法者

は、十数年の間、拮据法典の編纂に従ひたるも、其結果は

尚ほ完全なりといふこと能はさるにあらずや、之を如何ぞ

僅々三四の歳月、法典の修正に従へたれはとて、充分に其

効果を収むるを得んや、且彼れ等の見て以て悪ししとする

者、善きか悪しきか、其実未だ之を知ること能はず、而し

て其見て以て悪ししとするもの、其実却て便なるも知るべ

からざると同しく、又其の見て以て善しと思ひるもの、却

て人之を不利なりとするも計られず、之を要するに、其善

しといへ、悪し・といふもの、畢寛『坐上の空論』、固より

確実なりといふこと能はざれば、寧ろ之を実験に掛けたる

上、徐うに其の修正に従事するに若かさるなり、また何を

遽て・、一旦定めたる施行の期限を緩むべけんや、

之に加ふるに、彼等の唱ふる論旨は取るべきものなし、粁

は今改めて之をいふの要なきも、彼れ等が、口に法典の不

完全を唱ふるに拘はらず、何処か如何に不完全にして、而

して如何に修正すべきか、又其不完全なる法典は、之を改

めされば如何なる弊害あるか、確然之を指摘し、明然之を

掲挙せるものあることなきの一事は、彼れ等の論の採用す

へからさるを証して余りあるなり、(註参看)、然るに、堂々

たる新聞記者までが、之れに雷同し、之れに附和し、以て

法典施行の期延はすへきの論を、貴重なる社説欄内に填載

して憶ぢざるものあるは、余輩は、絶倒せざらんと欲する

も得ざるなり、併し現時の新聞記者は多く無学なり、無識

なり、殊に其法学上の知識は、一層訣乏を告ぐるもの等な

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『日本之法律」にみる法典論争関係記事(三)249

れば、是れ亦、彼れ等の無識を表彰する他の旗旋と一様に、

之を顧腸せずして可ならんか、

 註 法典の攻撃を為せるもの頗る多きも、多くは皆な、見

  当違ひの攻撃、徒に其愚を世間に暴らすに過きず、而

  して会々其当るるものは、極て軽微の暇疵、固より以

  て法典の施行を止むる価を有せず、

殊に此法典実施の如何は、現行条約改正の問題-我か国の

主権を傷け、我が国の体面を汚し、且我が国の財源を害ふ

条約を改正する問題とも、亦密接の関係を有するものなる

が故に、此点よりして概察を下すも、亦法典は必ず之を実

行せさるへからさるを覚ふ、

之を要するに、民法、商法幾んど無く、人皆な空漠なる条

理に依りて行動せさるべからざる我が国の今日、法典の実

施は極て必要なり、須らく之を断行せざるべからず、彼の

鴛々たる延期論者の嫉枯声は、照魔の宝鏡を籍り来て之を

見れば、英米法学者苦悶の嘆語のみ、而して之に雷同し附

和せる者の傲々は、愴夫の寝言に過ぎず、固より吾人の顧

慮を煩はすべき価あるものにあらざるなり、断行せよ、断

行せよ、躊躇することなく法典を断行せよ、愴夫の寝言、狂

客の嘆語、何の顧胎をか要せん、

 如水剣客「法典論評」(一)

          (第四巻四号、明治二五年四月発党)

法学協会雑誌、《法典批評》の一欄を掲げて法典の批評に従

ひてより、明法誌叢また此欄を設く、蓋し時にとつての必

要欄なり、ソコで以て、僕も人のすることしてみんとて、

   《一》民法財産取得篇第二十七条

売買を為すの約束、即ち人の所謂売買の予約なるものの効

果は、仏国法学者の蝶々論して措かさる所なるか、中には、

余輩をして噴飯に耐えざらしむるものありて存せり、我か

民法の立法者は、量に之を襲ふてか、此の事に関して為せ

る規定を見れは、奇絶妙絶、余輩をして呆然たらしむるも

のあるを見る、其規定に曰く、

 売渡又は買受の一方のみの予約あるときは、要約者か、財

 産篇第三百八条の条件及ひ区別に従ひて、契約の取消を

 要求せる時なり、諾約者は、其の予約に於て定めたる代

 価及ひ条件を以て、契約を取結ふ義務を負担す、(第二十

 六条の規定)

本条は、売買の予約を以て売買と同視せる仏国民法の為に

倣はす、売買の予約は、諾約者に作為の義務を負はす効を

生すと規定せるものなり、之れには別に難なし、而るに次

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250叢論律法

なる規定を見れは、曰く

 諾約者か契約を取結ふことを拒むときは、裁判所は、売

 買か成立したりとの判決を為す、

 不動産権の売買に関するときは、其判決を登記す、

 売渡の予約を登記したるときは、右判決は登記に之を附

 記す、其登記は売主の承継人に対し、既往に遡りて効力

 を生す、

余の所謂る奇絶妙絶、怪哉を呼はしむる規定とは則ち之を

指すなり、蓋し売買の予約は売買にあらす、単に売買を為

すへき作為の義務を生するに過きさるは、第二十六条の規

定する所、余の今陳へし所の如し、之を以て、諾約者か契

約の取結を拒み、其義務の履践を為さ・るときに、売買の

成立せることを言渡する裁判所の判決は、裁判を以て契約

の成立を認むるにあらずして、之を成立せしむることと為

る可し、是れ一奇、然れとも、怠慢なる債務者の為に、債

権者の利益を損傷せしめさるへく保護せんと欲せは、斯の

如くなるも可なり、然れとも、予約の登記を許す規定に至

ては、我れ得て其理由を発見すること能はざるに苦しむな

り、夫れ登記也者は、譲与の契約に於て、第三者の権利を

保護する為に設けられたる公示方法なるに、譲与にあらさ

る契約の為め、所有権の移転を条件に繋らしむるは何事そ、

古今各国の法制、其類多く、其種砂なからず、随つて驚異

に耐えさる規定頗る多しと難も、此の法文の如くに奇にし

て且怪なるものは、吾れは未た遭遇せさるなり、余輩が之

を認て奇絶妙絶といふもの、知らず非耶、

   《一》登記法第一条

現行登記法第一条の規定を見るに、左の如き文あるを見る、

 地所、建物、船舶の売買、譲与、質入、書入の登記を請

 はんとする者は、本法に従ひ登記を請ふ可し、

此の規定は、批難を受くべき箇所二あり、

 一 其一は、登記の方式に従ふべき契約を、汎く不動産

  の移転を約するものに及ぼさず、単に地所、建物、船舶

  を目的とするものに限りたること是なり、抑々登記の

  方式を、動産の転移を目的とする契約に履ましめざる

  所以のものは、此の種の物は、一定の処を有せず、且

  隠患に容易なるを以て、之を設くるも其効なきに由る、

  故に之に異なり、隠患するに易からず、及び一定の処

  を有するものは、凡て皆な登記の手続に従はしむるは、

 事の宜しきに適ひ、且つ法理に合ふを見る、而して不

  動産は皆な此種の性質を有するものなるに、登記すべ

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『日本之法律』にみる法典論争関係記事(三)251

  きものを、其中の或る者(即ち地所、建物、船舶)の

  みに限りたるは何ぞ、

 二 其二は則ち、登記の方式に従ふべき契約を、汎く不

  動産の転移を目的とするものに及ぼさず、唯々之を売

  買、譲与、質入、書入する四者にのみ限りたること是

  也、夫れ公示の方式を設けて、権利の転移のありたる

  ことを、広く世問に告示せしむる所以のものは、秘密

  契約の犠牲と為りて、空しく損害を蒙むるものなから

  しめんが為なるにあらずや、然れば則ち、権利の取得

  を為せる方法が、売買、譲与、書入、質入に在ると、其

  他に在るとは毫も之を問ふの必要なきにあらずや、即

  ち不動産の転移を約せるものは、総て皆な之を登記せ

  しむるの必要あり、而るに唯だ之を売買、譲与、書入、

  質入の、四箇の方法に因りて権利の取得を為せるもの

  のみに限りたるは何ぞ、

之を要するに、本条の規定は、権利の目的物の上に於て(一)、

及び権利を取得する方法の上に於て(二)、余り狭隆に過ぐ

るを見る、登記法改正の際には、最も先に之を改めざるべ

と               ヘ

カらさるなり

然れども余は、本条の規定の中に、受戻約束(俗に所謂買

戻契約)の明記あらざるを以て、之を本条の暇に帰するこ

となし、蓋受戻約束なる者は、売買契約中の一条欺にして、

売買以外のものに非さるが故に、売買契約の登記を為すへ

きことを命せる本条の規定は、また明かに受戻約束の登記

を為すへきことを命するものなればなり、然るに世間、人

多く、愚者また勘なからずして、本条に受戻約束の文字な

きは、則ち此契約に就ては、登記を為すことを要せさるも

のなりといはさるべからずといふものあり、曰く

 登記法第一条には、『地所、建物、船舶の売買、譲与、質

 入、書入の登記を請はんとする者は、本法に従ひ登記を

 請ふべし』とありて、売買、譲与、質入、書入の外、受戻

 の明文なきを以て、一見、人をして、受戻は登記すべき

 者なりと知らしむる能はざるべし、昨年第二期の議会に

 於て、衆議院議員浅香、安田の両氏が主張者となり、提

 出したる登記法改正案に由るも、其第一条及第六条に於

 て、現行登記法の明文の外、とくに『買戻、賃貸金、及

 敷金前払の契約を登記すべし』と云ふを見たり、夫れ受

 戻約束は、既成の売買を解除するものにして、未生の売

 買を結ばしむるものに非ず、売買と受戻とは正に反対の

 地位に在て存す、法文の不備若くは不明なるときは、其

Page 10: 243...243 244 叢 律 論 法 二、『日本之法律』の法典論争関係記事 D.第四巻(明治二五年) 衛門氏の駁撃を為せること其れ其二つ、此二つの反対、殊中司法大臣の反対せること是れ其一つ、有名なる永井松右て事の外つれ易き、意外の

   意を推して精神を尋ぬべしと錐、売買なる語の中に、此

522  反対の意義あるものまでも包含したるものと解釈するこ

   とを得べきか、余輩不敏、未だ其理を知らずと云々、

  余は実に其愚に驚く、

叢論律法

  夫れ現行の登記法は、浅香、安田、両衆議院議員、及

 び改正登記法案に賛成を為せる人々の手に成りたるも

 のにあらざれば、其等の人々の有せる意見が如何にあ

 りとも、粁は登記法の解釈を為す上に於て、毫も勢力

 あるものにあらず、況んや衆議院内三百の頭顔、法理

 に明らかなるもの幾干もあらざるに、改正登記法案に

賛成せるものには、格別、名ある法律家ありとも聞へ

 ざるに於てをや、

二 且夫れ受戻約束は、売買を成立せしむるものにあら

 ずして、其解除を為す者なるは固より論なきも、然れど

も又、売買以外に独立して存在するものにあらずして、

変体売買の中に於ける}条欺たり、(売買の中に存せざ

 る受戻約束は、一の新なる売買にして、菰に所謂受戻

約束にあらず)、而して単に売買といふ時は、変体売買

 固より其中に包含せらる・を以て、受戻約歓付きの売

買また売買の語中に存するは疑を容れざるなり、然れ

  ば則ち、登記法第一条に所謂『売買』の語に依り、受

  戻約束また登記を要するものなりといふも、何の不都

  合か之れあらんや、

然るに論者は、敢て之に反する説を主張せんとす、其愚は

欄れむべく、其妄は笑ふに耐えたり、

 雑報(第四巻四号、明治二五年四月発免)

 「法典施行延期論復た起る」

法典の実施を延はさんとするもの、此頃の陽気につれて又

浮かれ出つ、時候の然らしむるところとはいへ、其痴其愚、

また憐れむへき哉、

法典の規定は不完全なりとは、彼れ等の万口一声、常に以

て本拠と為すところ、然れとも、彼れ等は唯々之を口にす

るのみ、其証を挙けしものは一人もなく、其改正案を示せ

しものは半人もなし、否な全く無きにはあらさるも、江木

法学士の法螺の声、山喜法学士の謬論誤説、否らされは則

ち、旧東京商工会のアケビ的修正案等、其会々あるところ

のものも無き方却て優るか如きものに過ぎざれば、其実あ

らさると異なることなきなり、

且夫れ、商法の延期は二年前に在り、而して其延期を為せ

Page 11: 243...243 244 叢 律 論 法 二、『日本之法律』の法典論争関係記事 D.第四巻(明治二五年) 衛門氏の駁撃を為せること其れ其二つ、此二つの反対、殊中司法大臣の反対せること是れ其一つ、有名なる永井松右て事の外つれ易き、意外の

『日本之法律』にみる法典論争関係記事(三)一253

る理由は固より雑駁、一なることなしと錐も、延期して修

正すへしとの論、即ち修正に基ける延期論は其多数なりき、

而して今に至るも一条の修正を為せるものあるを見す、又

半条の修正すへきものあることを示せるを聞かす、加ふる

に商界は乱れて麻の如く、狡徒猜児は、白昼、詐欺を行ふ

て悼らす、妊商鮎買は公然騙術を逞ふして恐る・ことなし、

而して良商正頁は、其犠牲と為りて産を傷ふる、信用是に

於てか閉塞し、取引是に於てか萎み縮めり、是れ目あるも

の・見て知るところ、耳あるもの・聞て知るところ、悼ま

さるものあることなく、悔まさるものあることなし、謂ふ

可し、商法の延期は好商に幸せるものなりと、之を如何ぞ

    ママ 

復ひ其徹を踏むべけんや、

或ひは日はんか、周知の期短きに過きたるは、是れ教へす

して人を岡するものなりと、然れとも、法律は是れ一科専

 ママ 

問の学、良しや三四の歳月、その研究に従へたればとて、

容易く之を知り得べきものにあらず、況んや、平仮名新聞

すら読み得ざる愴夫野人が、法律を了知するに至るを侯つ

が如きは、仏教徒の所謂『弥勒の出世を侯つ』もの、到底、

相手に為るべき談にあらす、況んや商法の延期を為せる後、

商人が商法の講習を止めたるの一事は、彼れ等に与ふるに

周知期限を以てするも、無益なることを証して充分なるに

於てをや、之を如何ぞ法典の施行を延ふべき、

要之するに、法典施行延期論なるものは、非法典編纂論を

唱へて能はざりし敗残の余卒が、依て以て其余喘を維ぐ量

塞のみ、固より勢ある者に非ざれば、吾人は深く追窮せず

して可也、併し此度が彼等の最後の屍なりと思ふ時は、聯

か憐欄の情なきにあらず、呵々、

 館説「日報記者また病に罹るか」

          (第四巻五号、明治二五年五月発党)

万事万端、政府の意を以て其意と為すとの噂ある日報記者

は、法典実施は内閣諸公の決するところなるにも拘らす、近

頃頻りに其反対に運動を為すもの・如し、記者山豆亦法典非

難の病に罹るか、

法典非難は好し、又その攻撃は悪からず、但々之を難じ、ま

た之を攻撃する、誠意に出で、誠心に成り、而して潜思、而

して熟慮、発して能く其肯繁に当るものならざるべからず、

然るに法典非難の説を視来れば、熟慮に出でず、潜思に成

らず、誠心実意に基くもの幾んどあることなし、山豆に浩歎

に勝ふべけんや、而して日報記者の法典非難、余は亦其中

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254叢訟ロ冊律法

の一に加へさるへからざるを信ず、非邪、

    壱  民法は憲法に抵触せず、

日報記者は(東京日日新聞四月二十二日発刊の分以下十号)

曰く、

 我民法典は、独り模範を仏国民法典に取りたるのみなら

 ず、其条章の彙類排列、其規程の繁簡疎密、殆と仏国民法

 典を直訳したるの姿あり、而して仏国民法典編纂の当時

 は、法律学及び法律史の研究未だ精ならず、其参考とす

 べき旧法典の如き、遠くしてジヤスチニアンの法典、近

 くして弗列力大王の普通国法、皆単純なる私権の干繋を

 定めたるものには非らす、是を以て仏国民法典の編纂者

 も、亦仏国法律の全典を定むるの心を以て従事し、其成

 就する所も、亦従て私権干繋の範囲を超越し、殆ど憲法

 の一半部を形成したり、我民法の編纂者亦其の晒を襲ひ、

 而も憲法既に発布せられたるの後、猶ほ其原則を採て敷

 術するを知らず、憲法制定の前に、専ら仏国法を祖述し

 て起草したる原案を取て、其公権に関する規程をも其侭

 に採用し、曾て取捨を加へざりしを以て、其条文規程は

 以て仏国憲法の施行法規たるべきも、以て帝国憲法の施

行法規たる能はず、従て政令の秤格を将来に生ずるの虞

 あるもの勘からざるのみならず、民法適当の範囲を超脱

 して、憲法の規程を変更するもの亦現に之あり、憲法と

 撞着するの故を以て之を無効なりとすれば、一篇の体系

 を整備するの民法は、支離滅裂、完膚なきに至るべし、而

 して修正を加へざれば、此紛雑は理まらざるなり、此瑠

 疵は癒せざるなり、

仏国法典の参考に資したるものは、ジヤスチニアン帝の法

典、及び弗列力大王の普通国法に過ぎざりしや否や、又其

規定するところは、其固有の領域に安んぜず、憲法の範囲

を翼食せるや否や、又我民法全篇、果して仏国法典の醗訳

に過ぎざるや否や、今之をいふの要なし、然れども、我民

法を以て、憲法の規定と抵触し、又其精神を撹乱するもの

と為すに至ては、余輩之を黙止すること能はず、請ふ以下

其所説を掲げて一々之を駁撃せん、

日報記者、語を継で曰く、

 帝国憲法は、行政命令の独立を規定して、公共の安全を

 保持するが為に、将た臣民の幸福を増進するが為に、法

 律を変更せざる限り、法律と併ひ行はる・の命令を発し、

 若くは発せしむるの大権を存留したり、是を以て、地方

 政務、行政訴訟、財政、警察、勧業の類、皆法律命令併ひ

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『日本之法律jにみる法典論争関係記事(三)255

行はれて、慎重の規定と敏活の運用と兼全からしむるを

得たり、然るに、民法に於ては、命令の領域を認むる極

めて狭隆に失し、彪大駁雑の行政事務を統治するに、殆

と法律のみを以てするの傾向あり、否、僅々一二の条項

を除ては、命令の独立的効力を認めたるの 、皆無なり

と謂はざるべからず、是れ命令権の行動に付て、明に憲

法と撞着するものなり、

帝国憲法は、君主統治の大権を以て一切権利の本源とな

し、必ず大権流失の結果たる憲法若くは法律の、許与と

保護に依らざれば一切の権利は存立し得ざるの旨を明に

したり、即ち所有権の如きも、憲法第廿七条の本文は、固

有権を承認したるに似たりと錐も、所謂不可侵の担保は、

此条文により確然創定せられたるものにして、此不可侵

担保と難も、戦時及び事変の場合に於て、大権の施行に

反抗する能はざるは、実に憲法第三十一条の明言する所

なり、則ち帝国憲法は、君主大権の外に一切権利の本源

を認めず、而して此原則より流出する一切の法規は、君

主大権の発動により、国家を保持するの範囲に於てする

より外、毫も私権の享有活動を許さfるを本領とす、顧

て民法の規定する所を視れば、国法の上、別に天法あり、

国家の享有を許したる権利の外、別に天賦の権利あるを

認むるもの、比々として皆是なるのみならず、国家権力

の発動作用は、此権利を許与し保護するものに非ずして、

一に此権利を妨碍沮遇するものとし、従て国家の権力の

発動作用をは、成るべく之を制限せんとするの条章、班々

として観るべし、之れ国体政制の大本に反して、決して我

憲法と相容るべからざるのみならず、人定の憲法は、直

に天法を書に筆したる民法の規定に勝つ能はずといふが

如き妄念を国民に与へ、国権行動の大本に付き、憲法の

趣旨に逆行する観想を養はしむるの弊なしとせず、是れ

国権の性質と権利の本源とについて、民法は憲法と撞着

するものなり、

夫れ民法は一の法律にして固より憲法に非ず、亦た憲法

附属の法律に非す、故に其効力は、固より晩出の他の法

律に反抗すべくもあらず、従て立法を拘束するの条規は、

之を民法中に設くるも、曾て其効力なしと錐も、巳に憲法

の体質を借し、亦憲法の精神に反するの拘束を存す、憲

法を紛更するの請は断して免るべからず、故に学理上民

法の領域を論ずるは姑く置くも、其立法を拘束するの規

程を設くるに至て、民法は亦憲法と撞着するものと言は

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   ざるを得ず

562 日報記者の所謂憲法抵触論は、実とに斯の如きに過ぎざる

  なり、余は其狂妄粗慢の太しきに呆る、

叢論律法

 帝国憲法が、行政命令の独立を規定して、公共の安

全を保持するか為に、将た臣民の幸福を増進するか為

に、法律を変更せざる限りに於て、法律と並び行はる

・命令を発し、若くは発せしむるの大権を存留したる

は真なり、然れども、如何なるものは命令の領域に属

し、如何なるものは法律の区域に入るへきや、憲法は

何等の明言もせざるが故に、正当の理由に根拠し、或

るものを以て法律の領域内に入る・も、固とより憲法

の規定に反せざるのみならず、併せて又、其精神にも

違ふことなきなり、記者の所謂『命令の独立的効力を

認めたるの 、皆無なりと謂はざるべからざるもの』、

知らず何等の証拠かある、縦し命令に区域を狭めたる

の跡、民法の中にありとするも、狭むへき正当の理由

ありて狭めたりとせば、其命令の区域を狭めたるの規

定は、また之を憲法に撞着するものといふへからざる

なり、日報記者漫りに放言することを止めて、先づ其

然らざることを証する正確明了の証拠を示せ、蓋し証

                       ママ 

 拠なきの断言は、彼の泡沫と同じく、重量なく価直な

 きなり、

 且記者の説は、独立命令の領域は、之を拡むれば拡む

 る程、公共の安全を保持するの上に於て、将た臣民の

幸福を増進するの上に於て、効あるべきことをいふも

 のなるが故に、其中に、命令をして、法律の領分を貿

 食せしめんとする禍心を包発するを見る、而して又此

            ママ 

 説は、代議制体を覆へしで、専制政治の旧態に復する

 にあらざれば止まざるもの、明に憲法の紛更を試むる

 ものなり、然るに記者は、倒さまに民法を目して憲法

 と抵触すと説く、『盗賊タケみ\し』の古諺、真とに吾

 人を欺かず、

二 帝国憲法が、君主統治の大権を以て一切権利の本源

 と為し、必ず大権流出の結果たる憲法若くば法律の、許

与と保護とに依らざれば、一切の権利は存立し得ざる

 旨を明にしたるは真なり、然れども、国法の上、別に

 天法あるを認め、国家の享有を許したる権利の外、別

 に天賦の権利あることを認むるものに至ては、余輩は

之を民法の中に求むること多時、而して終に之を求め

得ざるなり、知らず、記者は何れのところに斯の如き

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『日本之法律』にみる法典論争関係記事(三)257

条章を求め得たるか、

惟ふに憲法は国家の大憲、臣民の遵由すべき大則たる

には相違なきも、其規定するところは綾に綱領に止ま

る、是に於てか則ち、別に施行法規ありて其運転に資

するは、古今各国皆然らざるなし、

然れとも、法令の規定するところは限りあり、而して

社会に起る事実は涯りなし、而るに法令の規定せざる

ところは、国家は之に与かること能はずとて拗郷せん

か、争擾紛議は絶ゆることあらざるべくして、而して

国家の秩序は之を保すること能はず、社会の康安は之

を持すること能はざるべし、是に於てか則ち、其漏れ

たるものに就ては、世の所謂条理なるものを以て、其

行為の標準と為すことあり、

世の近眼者流、此事実を視るやすなはちいふ、是れ国

法の上に天法あるを認むるもの、国家の享有を許した

る権利の外、別に天賦の権利あるを認むるもの、憲法

法規と相容れずと、然れども、之れは是れ痴漢迂夫の

見、而して日報記者の論、亦其範囲の中に属す、

抑々条理なるものが、人民の権利関係の上に効ある所

以のものは、条理自身、法律たるの威力を有するが故

に非ずして、国法か認て以て之に実力を附与するに由

るものなることは、例へば彼の慣習が、法律に威力の

附与を受て、以て各人民の権利関係の上に効あるに至

ると異なることなし、慣習にして法律より威力の附与

を得んか、是れ法律中の一規定たり、また元との慣習

にあらさると等しく、条理にして実力の附与を国法に

得んか、是れ亦国法中の一条欺なり、また元との条理

にあらざるなり、既に条理にあらず、法律以外に法律

あるの観、実際有り得べからざるにあらずや、而して

条理を認て法律と為し、之に法律たる実力の附与を為

せる法律(民法)は、是れ亦君主統治の大権よりして

流出せるものにあらずや、果して然れば、其認て以て

強制の実力を附与せるもの、亦之を統治の大権より流

出せるものと謂はさるへからず、乃ち国家の享有を許

したる権利の外、別に天賦の権利あることを認むるも

のは、理論上有ること能はざるにあらずや、然るに記

者は、民法法典を以て、国法の上、別に天法あること

を認め、国家の享有を許したる権利の外、別に天賦の

権利あることを認むといふ、要するに、先に所謂『痴

漢迂夫の見解』に陥れるもの、余は寧ろ其愚を憐れま

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258叢論律法

  んのみ、

 三 民法は立法を拘束するの規程を設けず、縦し之を設

  けしとするも、民法は他の晩出の法律に勝つべき効力

  を有せざるが故に、其規程は無効なるを免かれず、而

  して無効なる規程は、因て以て他の法規を左右するこ

  と能はざるが故に、憲法紛更の事実は民法の中に在り

  得べからざるなり、而るに記者は、立法を拘束するの

  規程を設くるに至て、民法は亦憲法と撞着すといふ、

  記者の此言、其心意に立入て之を論ずるは姑く措くも、

  其有らざるものを以て有りといふに至て、記者は亦世

  を欺き人を謳ふるものといはざるべからず、

日報記者の憲法抵触論、其取るに足らざること斯の如し、

而して更に進んで其細目に立入れば、妄誕不稽幾んど言語

に絶す、記者曰く、独立命令は、憲法第九条の大権より流

出して、実に国家行政権施用の枢軸をなすものなり、例へ

ば、市制に於て市会の議決に委任するの事件(第三十条)、

市参事会の処理に委任するの事務(第六十四条)、市長管掌

の事務(第七十四条)、予算の強制加額を要する支出(第百

十八条)を定る、必ず法律及び勅令、若くは命令に依るこ

とを明にし、府県制、郡制、亦従て此軌轍を履み、法令の併

行を規定したるが如き、又行政裁判法に於て、其管轄事件

を定むるに、法律又は勅令を以てするの規程を明にし(第

十五条)、以て法令の両者を準則とする国家行政の作用と相

伴はしめたるが如き、将た相当の制限を定めて処罰を命令

に委任するの法律(明治二十三年法律第八十四条)を設け、

以て命令をして制裁あらしめたるが如き、皆命令をして独

立の効力を保有し、以て行政の準則たらしむる憲法第九条

の精神に出でずんばあらず、顧て民法の公権に関する規程

を見る時は、吾曹は、殆と民法は、独立命令なるもの・存

在を認めざるかの疑なき能はず、民法財産編の中左の数条

あり、

 第三十三条 物料の採掘、道路の劃線、樹木の採伐、水

  其他の物の収取に付き、一般又は一地方の公益の為め

  設けたる地役は、行政法を以て之を規定す、

 第三十四条 土地の所有者は、其地上に一切の築造、栽

  植を為し、又は之を廃することを得

                        マこ

  又其地下に一切の関馨及び採掘を為すことを得、右執

  れの場合に於ても、公益の為め、行政法を以て定めた

  る規則及び制限に従ふことを要す、

  此他相隣地の利益の為め、所有権の行使に付したる制

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『日本之法律』にみる法典論争関係記事(三)259

  限及び条件は、地役の章に於て之を規定す、

 第二百三十二条 一般又は一地方の、公有又は私有に属

  する水の使用及び取締は、行政法を以て之を規定す、

民法の用語既に法と規則とを区分す、即ち単に行政法と呼

ぶものは行政に関する法律にして、又行政法を以て定めた

る規則と言ふは、行政法律の委任に由りて発する命令を指

すが如し、而して所有権と交渉する国家行政権の作用は、法

律若くはその委任に依る命令を以てするの外、準則とすべ

きものなきをもつて民法の一原則としたること、右の数号、

及び之に類する許多の条文を以て明白なりと言ふべし、是

れ明に憲法第九条の精神を蒙晦にするものなり、

憲法第九条の精神を蒙晦にする結果は、必ず現行の行政法

規を支離滅裂にし、従て行政権行用の阻碍とならざるを得

ず、即ち法人の設定の如き、警察の禁令の如き、水利土工

の政令及其裁判の如き、狩猟捕漁の取締の如き、鉱業の規

程の如き、将た私産の公用徴収に関する規程の如き、皆民

法の規程する所と衝突せざるはなく、此衝突は、一方に於

て立法の拘束となり、一方に於て行政の阻碍となり、而し

て他の一方に於ては、全く憲法が自由の活動を認めたる行

政大権を麻痺せしめ、警察の如きは殆と全く運用を停止せ

ざるを得ざるに至るべし、夫れ民法をして、憲法と同じく

立法行政の大原則となり、一切の法規皆之より流出し、而

も一切之に抵触するを許さ“るものならしめば、此の如き

条項を存留して、立法行政の行用をその下に屈従せしむる

も亦可なり、奈何せん、民法は私権の干繋を規定するを以

て其当然の領域とし、仮令一種の編纂法(恐らくは学理に

背反する旧式の編纂法)に従て、公権の私権に及ぼす干繋

をも併せて規定することありとすれば、一般法律と同等の

効力を憲法の下に保ち、其条規亦必ず憲法の精神に依遵せ

ざるべからず、而して晩出の法律に対しては、毫も拘束を

行ふこと能はさることを、吾曹は私人権利の干繋独り民法

の覇束を受くべきを認む、公権の干繋に至ては、民法の規

定に委するを以て、国法の常経を失するものとし、之を民

法の条章より除去するを以て本旨となし、若し止むなくん

ば、悉く憲法の精神に従て修正を加へんことを主張す、

ア・是れ何たる講語ぞ、余は日報記者の不学無術に驚く、

 一 夫れ独立命令が、国家行政権施行の枢軸たるは、薄識

  なる記者の指示を受けざるも吾人之を知る、而して我

  民法の立法者はまた固より之を知る、故に其命令の宜

  しく占むべき領域は、民法の規定之を狭めず、仮令之

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260叢論律法

を狭むることありとも、謂はれなく之を狭むることあ

らさるなり、記者の示せる民法財産篇第三十三条、乃

至第二百三十二条の如きは、何れも皆所有権に侵害を

加ふるものに非さるはなし、其規定を行政に関する法

律に推談するは当然の事、何の不可なる事か之れあら

んや、而して之か為に独立命令の区域の縮少せられざ

るなり、蓋し是れ憲法の規定するところ、民法は致す

ところにあらず、従て之を民法に責むるは、俗に所謂

『御門違ひ』の甚だしきもの、余は其杜撰孟浪を喉笑は

ざらんと欲するも得ざるなり、記者能く眼を拭つて帝

国憲法を観よ、必ず其中に左の規定の存するを見ん、

 第二十七条 日本臣民は其の所有権を侵さる・こと

  なし、

  公益の為必要なる処分は、法律の定むる所に依る、

公益の為に施すところの所有権の侵害は、法律ならざ

れば為すこと能はざるは、憲法の此条之を定めて嫡然

灼然、何人もまた之を疑ふを容さず、而して記者の援き

たる民法財産編第三十三条乃至第二百三十二条の規定

するところは、皆公益に基く所有権の侵害に係る、之

を行政に関する法律の規定に譲る、却て憲法の明条に

適合するもの、素より以て、独立命令を設けたる精神

 に違ふことなし、然るに記者は、民法財産篇の右の規

 定を以て、明に憲法第九条の精神を蒙晦にするものな

 りと説く、知らず、憲法の明条に適合して、而して尚

 其規定の精神を蒙晦にするを得るか、愚又朦、

二 憲法第九条の精神を蒙晦にする結果は、必ず現行の

 行政法規を支離滅裂にし、従て行政権行用の阻碍とな

 らざるを得ざるも、然れども、民法の規定が、憲法第

九条の精神を蒙晦にせざること右の如くなりとすれば、

 此憂は、民法の規定よりして生ずることあらざるなり、

 然るに日報記者の愚なる、公益の為の所有権の侵害は、

憲法之を法律の規定に推談せることを知らず、民法を

 以て独立命令の領域を狭むるものと為して憂ふ、正に

 是れ、痴人の其蔭に驚き、怯夫の其逡音に恐る・もの、

 余輩は絶倒せざらんと欲するも得ざるなり、

 中村清彦「我国の家制と民法」(一)

         (第四巻五号、明治二五年五月発党)

   緒 論

立法の要は社会進歩の程度に適合するに在り、社会進歩の

Page 19: 243...243 244 叢 律 論 法 二、『日本之法律』の法典論争関係記事 D.第四巻(明治二五年) 衛門氏の駁撃を為せること其れ其二つ、此二つの反対、殊中司法大臣の反対せること是れ其一つ、有名なる永井松右て事の外つれ易き、意外の

『日本之法律』にみる法典論争関係記事(三)261

程度に適合するに至らは、社会の或る時代に於ける国民の

法律的自信、即ち権利義務の確信と、立法作用と相一致する

の謂なり、国民は已に一夫多妻の制を目して道理に背くも

のと確信し、撮然たる慣習の力を生成しては、必す一婦な

るへきものなりといふ感想を有するに当て、立法は尚新に

一夫多妻の制を採用するか如き、或は国民尚女子の公権を

有し得へきを革新せざるに先て、立法は新に女子に選挙権

を与ふるか如き、之を立法と法律的自信と相秤格するの例

件となす、若し立法にして、斯の如く社会進歩の程度と相

齪齪するときは、社会の進歩を以て只一の目的とする法律

は、却て国民の経済組織を紛乱し、風俗習慣を破壊し、倫理

        ママ 

道徳を滅却し、会以て基本然の目的を埋喪するの積杵とな

らずんはあらす、然り而して、立法と法律的自信との適合

は、唯其大要綱目に付て之を必要となすのみにあらす、必

すや、其微細の点に於ても亦然るを要す、其適合益々精密

なれは、法律は益々以て可なりとす、然らさるもの、俗に

之を称して『人情に戻れる法律』と謂ふ、人情に戻れる法

                       ママ 

律は、行はれて以て社会を害せすんは、即ち行はすれして

以て死法となる、立法の事山豆愼て而して重んせさるへけん

余は此前提の理由を以て、之を我民法人事編、及ひ財産取

得編相続の章に擬し、其日本現時の社会か、因て以て成形

せらるる所の家制に対する影響に付、柳か看察を試みんと

欲する者なり、可乎、

現時の我日本帝国社会は、其過去三千年の歴史と共に、家

族制度の尚頗る旺盛なる社会たる事実は、敢て新に論弁す

るの必要を認めず、而して来る明治二十六年一月一日より

施行の運に会する日本民法の人事編及財産取得編(第十三

章)相続に関する法規は、之を公平に看察すれは、敢て全

然箇人制度の外国法理を盲信したるの余りに成るものに非

すして、幾分か我国固有の家制を尊重したるの痕跡あるは

事実なり、即ち我国固有の家制に変更を加へ、之を欧米普

通の法理に適合せしめんことを勉めたるものなり、其意の

存する所を視るに、蓋し我家制に於て現存する非理の部分

を棄て・、補ふに正当なる法理に基ける規則を以てせるも

のならん、果して然らは、余は其立法の大意に於て一も異

議を挟むを得す、議論を必要とする点は、只其変更の程度

に在りて存するものなり、

我人事法及び相続法を微細に検販し来れは、余か論拠に於

て講究を要するもの甚た多し、然れとも、今余は唯其最も

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262

←論律法

著しき点のみに制限せんとす、

    第一章 家制と養料義務

人事篇第二十七条乃至第二十九条は、親族相互の問の養料

義務を規定し、第二百四十三条は、戸主の家族に対する養

育義務を規定せり、略に曰く、直系の親族は相互に養料を

給する義務を負担す、兄弟姉妹の間には、疾病其他本人の

責に帰せさる事故に因りて自ら生活する能はさる場合に限

り、相互に養料を給する義務あり、戸主は家族に対して養

育及普通教育の費用を負担す、但家族か自ら其費用を弁す

ることを得るとき、又は戸主の許諾を受けすして他所に在

るときは此限にあらすと、

親は猶一家内に於て撮然たる君主の如しとなす我社会に於

て、兄は猶親の如しとなす我社会に於て、伯叔を視て甚た

親に近しとなす我社会に於て、家族互に相孤立し、箇々其

財布を提けて市に飲食を需むるか如き失体を卑む所の我社

会に於て、一家を以て一城壁となし、家族一致和合して他

の侮を防くを以て尊しとし、子は父の為に匿し、父は子の

為に匿し、直きこと其中に在りと信する所の我家制に於て、

斯る法規は果して如何なる観をなすへきや、我は、或る社

会は家制より箇人制に向つて進歩すへきものなることを聞

く、往古若くは現時の我家制に欠点多きも亦之れを知る、敢

て暴を以て暴に代へんことを主張する者にあらす、羅馬法

の行はる・現時の欧州諸国現行の法律は、何れも養料の義

務を制限すること、我が将来の民法よりも尚ほ一層甚しき

を瞑過せんとするものにあらす、然れとも、其の然る所以

のものは、彼れ別に之れか理由、即はち歴史を有するなり、

我国は、彼れと歴史を異にせり、宗教を異にせり、徳義信

仰を異にせり、人種文明を異にせり、而して亦た政体を異

にせり、之れを要言すれは、社会を異にせり、立法者は我

家制を制縛するに民法を以てす、民法何をか命す、無条件

に養料の義務あるものは、単に直系の親族のみに限るとな

し、兄弟姉妹の間に於ては、其責にあらすして生活する能

はさる場合にあらずんは存せすとし、伯叔姑甥姪の間、若

      ママ 

くは其以上の考系親に於ては、全く其義務なしとし、(家族

たる場合を除きて)、夫婦相互の養料義務は、全く之を一千

四百六十九条の民法法典に発見する能はす、只戸主たる夫

若くは婦は、其配偶者自ら給する能はさるとき、及仮処分

の場合のみ此義務ありとなす、目前飢謹に頻し、必然凍死

に至るへき親族を認めて尚且之を救はす、否其請求を強て

尚之に応せさるも、法律は之を認めて正理となす、是山豆或

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『日本之法律』にみる法典論争関係記事(三)263

                     ママ 

人情に戻るものにあらさらんや、余は単純なる動義を標準

として法律の規則を論するの愚たるを知る、即ち他人に於

ても一切養料支給の義務ありとは云はす、親族の関係に於

て、民法は現に六親等を認むるにあらすや(第十九条第二

項)、我は尚此六親等皆養料の義務を設定すへしとも云はす、

我民法の認容する養料義務の区域は、甚たしく狭阻に過く、

甚しく残忍に過くと断言するに躊躇せさるものなり、民法

は云ふ、戸主は家族に特有財産ある場合には、其養育費用

支弁の義務に任せすと、(第二百四十三条の論結)、余は寧

ろ家族の特有財産を有するを禁するも、尚戸主の養育義務

をして無条件ならしめんことを希ふ者なり、我家制に関す

る法律的自信も亦正に然るへきを信するものなり、一家の

円満和合は寧ろ生計費の一途に出てんことを請求すること

大なり、我家制に於ける戸主は、自ら進んて此義務に任せ

んことを請求するものなり、是我か一種の特質なり、若し

夫れ戸主其家族兄弟姉妹に対して曰く、汝は汝の財産を以

て朝餐の食費を償ふべし、我は唯我児孫と卓を同ふして食

せんのみと、戸主たる夫其婦に対して曰はく、汝は特有財

産を有するにより、我は養料を給せす、須く自ら給すべし

と、我将来の民法は、此言を認めて以て必至の正理となす

なり、斯の如くんは、家は尚能く家たるを得へきか、倫理

の基本は尚能く浮動戻乱せさるを得るか、人の結合は尚能

く維持せられ得るか、読者は果して何様の感をなすや、若

し克く箇人制度の頗る暢育せる外国法理に基く所の迷想を

一洗して、之を新なる我国、家制の厳正醇良なる我国の社

会に比照考籔すれは如何、余か耳は今現に読者絶叫の声を

聞く、『家制の破壊』

    第二章 家制と離婚訴権

人事篇第八十七条は、離婚請求の訴権を夫婦のみに属せし

めたり、尊属親は其権を有せす、戸主も其権を有せす、之

を欧米の法理に視れは、此既定の当に然るへきを知る、而

して之を我国の家制に視れは如何、余は婦を以て人格を有

せさる物件の一と看倣す如き古制を再興せんことを希はす、

夫婦相和して風波隠かなるに、尚且姑舅に許すに無条件な

る離婚訴権を行ふことを以てせんと主張するものにあらす、

然れ共亦我国の婚嫁は、外国法理の如く、単に男女共同生

存のみを以て目的とするものにあらす、姓氏、系統、家号

を相続して、祖宗の祭祀を立派に継続すること、即ち家名

相続の目的実に主要なる部分を占むるものなるを信す、故

に一夫即一家あるの外国は舎て論せさるも、我国に在ては、

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264

卜勢口冊律法

戸主なるものは、此神聖なる目的に於て勉めさるへからさ

るは論を竣たず、親権を行ふ者は其祖先を敬し、其家名を

維持し、祖宗の威厳に籍て後昆を戒め、家内の例証に因て、

倫理を教へ、愛と孝と、悌と友とは之が一和の索縄たり、一

家の面目に害ある事は、実に筍も存続せさらしむるを期し、

道あり義あり、撮乎として堅牢なる一小社会的団体をなす

之を家制となす、然るに民法は曰はく、如何なる理由ある

も、戸主若くは新権を行ふ所の者に離婚請求の権を与へす、

婦姦通するも、破廉恥罪若くは重罪を犯すも、婦尊属親た

る己に対し、暴虐、脅迫、若くは重大の侮辱を加ふるも、尚

且配偶者にして之を不問に置けは、自ら進て其婦を去らし

むるの権なしと、(第八十七条論結)、夫婦の愛情は時とし

て邪正の裁断を朦ますことあり、此時に当りて親たるもの

に法廷の加担を要求するの権を支へす、親権若くは戸主の

権、何の処に向て生存を求めんとするか、実に子、子たらさ

る時にも、尚父、父たることを禁せられたるものなり、是

山豆人倫の変にあらさらんや、立法者は、取得篇第二百九十

四条に於て相続を説明して曰く、家督相続人は、姓氏系統、

家号、及び一切の財産を相続して戸主となる、系譜、世襲

財産、祭具、墓地、商号及商標は、家督相続の特権を組成

すと、規定精密、殆んと異議を容る・の地なし、人事篇第

八十一条に離婚の特定原因を列挙し、其第七条に於て曰く、

           ママ 

婦又は入夫より其家の尊族親に対し、又は尊属親より婦又

は入夫に対する暴虐、脅迫、及重大の侮辱と、又同第三十八

条以下及第六十条に於て、子は父母若くは其代表者か許諾

を与ふるにあらすんは、婚姻をなすを得すとし、許諾の欠

乏するときは婚姻無効請求の権利を、其許諾を為すへき人

に与へたり、第二百四十六条は、戸主に家族婚姻許諾の権

利を附与せり、是に由て之を観れは、立法者は家督を重ん

                       ママ 

し、祭祀を以て其特権の一となせる者なり、婦又は入婦の

尊属親に対する不敬を以て、離婚の原由の一となしたるか

如き、父母の許諾なくしてなせる婚姻は、其請求によりて

無効となすへきを規定せるか如き、戸主に婚姻許諾の権を

与へたるか如き、家を重し、尊属親を敬し、親権を尊ふこ

と、即家制を重しとするの意思あること夫れ斯の如し、然

るに、如何なる原因に基くも、家父自ら児曹の婦を去らし

むることを得すとなす、山豆彼に明にして之に暗きの識を免

れんや、自家撞着の甚しきものと云はさるを得す、此の如

くんは、家祖の祀は如何にして益々昌盛永久なるを得んや、

一人自ら唇めて一家辱めらる、一家辱められて一郷悦死す、

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『日本之法律』にみる法典論争関係記事(三)265

而して民法尚且其救済の道を与へす、家郷の腐燗は国の元

素の腐燗たり、法の弊極まるを看るへし、読者は斯かる民

法の施行も、尚微妙なる我家制に害なしとするか、我国民

の倫理想念に戻らすとするか、余か脳中、今方に異様の現

象を生す、孝の字の書万片々、相分裂して散去す、臆乎、

 飛花落葉「穴探しの穴探し」

          (第四巻五号、明治二五年五月発党)

博士、学士の吐く辞の中には、法理の正鵠に背反する緑言

許多あり、強て之を行はれしめんとする時は、殊言を以て

人心を盤惑し、社会を棄乱するの結果を生ぜん、慎まさる

べけんや、又該殊言中、近世の学理に反する者、並に前後

恨触する者枚挙に暇あらす、故に之を行はれしめんとなら

ば、数年の年月を与へ、適任の学者及実務家をして、充分

に修正を加へしむるの外、彼れ等をして、充分に考へしめ

さるべからず、今二学者の篠言中、修正すへき点を一々挙

 ママ 

止するの暇なしと錐も、余は弦に、法学士鈴木宗言氏の殊

言に就き、著大の欠点を指示せん、(法学新報第十三号、土

方法学博士の論説の句調を、柳かモヂリテ仮り用ふ、其れ

礼としては、博士にも一本参るへけれは、其お積りで・・

・)、

   《萱》商法第八条の規定に対する穴探しの穴探し

不動産に関する権を目的とする契約は、之を商取引とする

べきや否は、何れにも理由あることなるへきも、我邦商法

の規定が、射利を目的とする不動産の買得及其転売を商取

引と為し、而して鈴木法学士亦、不動産を目的とする契約

は、之を商取引とせざる可らずといふ説を執りて、其説大

体に於て相同じき上は、今更彼是れ云ふの必要なきも、不

動産を目的とする凡ての契約を商取引とせず、買得及転売

の二者のみ、射利を旨趣とするときに於て商取引となした

る商法の規定を、非理不当なるものなりと揚言せる鈴木法

学士の説を聞くときは余輩はお膀で茶を沸ささるへからす、

鈴木法学士は曰く、

 本条(商法第八条)但書には、単に買得及転売とのみあ

 るが故に、築港又は鉄道布設の挙あることを知り、又は

 外人雑居を許すの説あるを聞きて、地価の暴騰するを予

 知し、転売以て奇利を博せんと欲し、枢要となるべき地

 所を買入れたるが如き場合に限り商取引と為すを得べき

 も、同一の風説ありて地価の暴騰するに乗じ、従来自己の

 所有せる地所を売却するが如き場合には、其目的、元来

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266

鮨論律法

 射利にあれとも、之を商取引と為すこと能はず、何とな

 れば、是れ初売にして転売にあらず、而して初売は本条

 の認めざる所なればなり、余輩は、地価暴騰するに乗じ

 て、従来の所有地を売却し利益を得ると、暴騰するの機

 に乗じて、転売し利益を得るの目的を以て、其未だ騰貴

 せさる前に之を買入れ置くとの問に、如何なる差異ある

 かを発見する能はず、立法者何の見る所ありて、独り転

 売のみを商取引と認めたるか、是れ本条に於ける欠点の

 第一なり、又本条但書は、射利を旨趣とする土地の買得

 及転売と書下して、其区域を土地の売買に限れり、然と

 も、不動産に関する権利を目的とするもの、土地売買の

 外猶多し、立法者が、土地の売買のみを以て商取引と為

 し、自余の不動産に関する契約を商取引と認めさるは果

 して何の意ぞ、土地を売買して利益を得んと欲するは商

 取引なれども、貸家営業を為して利益を得るは商取引に

 あらずと云は“、誰が其理由の説明に苦しまざらん、是

 れ本条における欠点の第二なり、

ア・是れ何たる誕言そや、

 一 地価の暴騰するに乗じて、従来の所有地を売却し利

  益を得ると、暴騰するの機に乗じて、転売し利益を得

 るの目的を以て、其未た騰貴せざる前に之を買入れ置

 くとの間に、何等の差異もあることなきは、核提の童

 子なほ克く之を知る、之を以て、商法の立法者は、此

 ニツの者の間に、何等の差異も之を置くことなし、請

 ふ能く其眼玉をムキ出して、之に就ての商法の規定を

 見よ、

  不動産に関する権利を目的とする契約は商取引とせ

  ず、但射利を旨趣とする買得及び転売は此限に在らず、

 通常の眼玉を以て、通常に之を解釈するときは、射利

 を旨趣とする買得及び転売は、其買入れが、地価の騰

 高せる後に在ると将た其前に在るとを問はず、十把一

 束、皆之を商取引と為すとの法意と為さ“るべからず、

 而るに氏は、地価の騰高せざる前に買入れたる土地は、

 其買入れ井に転売が、共に利を射る目的に出つるとき

 も、之を商取引とせざるは、商法法典の規定する所な

 りといふ、知らず、此の如き規定は、商法の何れの所

 に在るか、又如何にするにより、此の如くに法律の意

 義を解するを得るか、余は鈴木法学士の眼玉のヘンテ

 コなるに驚かざる可らず、是れ其穴の一、

二 土地の初ての売却、1換言せば則ち、従来己れの有

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『日本之法律』にみる法典論争関係記事(三)267

 せる土地を売るの所為は、仮令射利の目的に出つる時

と難も、之を商取引と見るを得さるの理由は、人が其

所有(売る為に買入れたるにあらさる)物を売るも、此

所為を商取引とせさるに異ならず、蓋媒介-即売る為

 に買入れを為す移転の条件は、営利の条件と共に、取

 引の商事たるに必要欠くべからさるは人の皆認むる所、

 而して従来所有の土地を売るは、媒介なる、商事に必

 要の一条件を具ふることなきが故に、之を商取引と倣

 し得さるは論なきなり、而るに氏は、従来所有し来れ

 る土地を売るの所為をも、商取引と為さfるべからず

 といふ、余は氏の薄識に呆れざらんと欲するも得ざる

 なり、是れ其穴の二、

三 不動産に関する権利を目的とするもの、土地売買の

 外に猶多きは、鈴木法学士の言を待たさるも余は之を

 知る、而して土地を売買して利益を得んと欲するは商

 取引とするも、貸家営業を為して利益を得るは不らず

 といふの不理なることも、亦鈴木法学士の森言を待た

 ずして之を知る、然れども、我が商法の立法者は、何

 時、何処に、土地売買の外には不動産を目的とする契

 約なしといへ、又土地の売買は之を商取引と認むるも、

  貸家営業を為して利益を計るものは、之を商取引と認

  めずといへたるか、予は商法を通じて之れを読み、氏

  の認めし如き区別の存することを見当らざるなり、山豆

  に氏の眼玉は、無中に有を認め得るに由るか、余は其

  奇にして怪なるにブツ魂消ずんばあらざるなり、是れ

  其穴の三、而も大なる穴といはさるへからず、

思ふに我邦に於ける英法学者は、博士たると学士たるとを

問はず、法典を視ること親の敵の如く、故らに屍理窟を捏

造して之を攻撃するの弊あり、唾棄すへく、損斥すべく、間

に一ツもバリ飛すべく欲するは、現今旦ハ眼の人士が、異口

同音、唱えて以て已まさる所、而して我が欄れむ鈴木法学

士、亦等しく屍理窟を捏造する学者ならざるやは、余輩未

だ俄に判断すること能はずと難、エンヤラヤツト我商法を

非難し、攻撃するに当りて、一般英法学者の弊風を襲ひ、立

法者の云はざることを云へたりなど謳ひ、人がナントいは

ふと其れにはかまわず、荷も眼に触る・規定は、一切モツ

サイ之を攻撃せんと力めたる跡は、《商法穴探》の各所に現

れたる放言に依りて明らかなり、夫子自身は、ヨツ程えら

もの・積りなるべきも、傍よりして之を見るときは、彼の

お玉杓子が、既に蛙に変化し遂ふせりと信じ、厳然として

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268叢払ロ冊律法

鼻ウゴメかすも、猶依然尾を留めて、他人の啖笑を招く底

の憾なき能はざるは、(此一段は法学新報第十三号に於ける

鈴木法学士の論説、《商法穴探》の句調に似せたる筆者の苦

           ママ 

心、ヨックお眼をとめて五覧)余輩の絶倒せざらんと欲す

るも能はざる所なり

   《弐》商法第九条の規定に対する穴探しの穴探し

商法第九条の規定は、商人の定義を掲げて、終りに此取引

に属せさるもの何たるかを示せるものなり、鈴木法学士之

れに批難を加へて曰く、(ヨセば良いのに)、

 …、法文常業として商取引を為すことを謂ふとある

 を以て、常業と称し得るには、商取引の実行あるを必要

 とするや否や、…、法文明瞭を欠き、斯る問題を招

 くに至る、是山豆に一の欠点として指摘するの価直なから

 んや、然らは則ち之を修正すること如何、曰く『商人と

 は、総て常業とするの意思を以て、商取引を為す者を謂

 ふ』と修正せば、庶幾くは欠漏なからんか、

然れども、

 一 常業として商取引を為すものを謂ふの語は、邸舗を

  開張して客を待つもの・如きは、実際取引を為せると

  否とに拘はらず、之を商人とするに充分なるの意を示

  して明なり、此法文に付ては、商人たるか為には、取

  引の実行あることを要するや否やに付、余輩はチトの

  疑をも起すことなし、而るに、無中、有を認むる氏の

  眼玉にして、其要否に付き疑を懐くを免れざるは、山豆

  物を反対に見るは、氏の眼の特能なるに由るか、是れ

  亦穴の一に入れさるへからず、

 二 且夫れ、常業として商取引を為すものと、常業とする

  の意思を以て商取引を為すものと、其問に幾許の差異

  かある、常業として商取引を為すものは、常に必ず、常

  業とするの意を以て商取引を為すものなるが故に、意

  思云云の一語は、之を加ふるも、法文の意義を変更する

  に足らず、却て其簡潔を害ふの失あるを免かれす、而

  るに氏は、之れなければ、法の真意は之を表彰するに

  充分ならずといふ、知らず氏は、5+3は、3+2+

  3よりも小なりとするか、理に階いにも程のあるもの

  なり、是れ固より穴の一に入れざるべからず、

次に大法学士は又曰く、

 本条(第九条)第二項は、農作牧畜、養貿狩猟、捕魚及

 び採藻の業を営むは商業と看倣さずと、是れ亦解すべか

 らざるの規定と云はざるべからず、余輩は、…、其

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「日本之法律』にみる法典論争関係記事(三)269

 為す所の事業筍も射利にありて、直接若くは間接に価物

 の変換を為すとき、直ちに之を商業とするもの真理なる

 を主張するものなり、

真理は或ひは然らん、然れとも、法典は理窟の湊合より成

立つものにあらず、而して或る特別なる事情は、時に立法

者をして、真理の準縄に依ること能はざらしむることにお

気の付かれざる氏は、余ツ程○○○のお方と謂はざるべか

らず、是れ亦固より穴とするに足る、

   《参》商法第十一条及其次条に対する穴探しの穴探し

第十条及び其次条に就き、鈴木学士の所謂穴の、真の穴な

るや否やを観察せん、鈴木学士は、未成年者の為す一時の商

取引を為すときに、或る数多の条件を具備することを要求

せる第十条、及び第十二条の規定を批難し、例を援て曰く、

 今弦に富家の少年あり、父兄より百金を乞ひ得て之を銀

 行に託し、花の朝、月の夕、他行の費用を要する毎に、

 小切手を以て之を引出さんとす、斯る場合に於ても、尚

 一々、本条第一より第四に至る要件を具備せざるべから

 ざるか、法文明確、其要件を具備するの必要あること疑

 を容るべからず、鳴呼是本条より生ずる悪結果、余輩は、

 一日も早く本条の改正を願はざるべからず、

之と同一のヘボ論は、余輩曾て法学協会雑誌(本年の第一

号)紙上に見たり、梅法学博士の起稿に成る、而して僕の

兄、天狂道人の一撃に遭ふて紛砕せらる、思ふに鈴木学士

の論、この梅博士の説より脱胎し来れるもの、余輩は唯々

其晒を笑ひ、其愚を欄まんのみ、

 一 夫れ鈴木学士の例に援ける場合の如きは、世間にあ

  り得へきこととも思はれず、縦しや之れありとするに

  も極て稀有のことに属す、而して一国の立法者は、斯

  る稀有の場合に就て法を立つへきものにあらず、

 二 且商事上の行為は、之を民事上の行為に比するに、法

  鎖の束縛峻厳酷烈、固より同日の談にあらず、加ふる

  に其一蹉蹟は、忽ち家産を蕩尽するに足ることあるが

  故に、知慮少く経験に乏しき未成年には、容易に商業

  を営むことを得せしむべからざるなり、

夫れ然り、然るが故に、鈴木学士の之に反する説は、余輩

之を穴の一に算へ、而して一日も早く改められんことを願

はざるべからず、

   《騨》商法第十二条に対する穴探しの穴探し

其他、商法第十二条の規定を解して、婦に商業を為すべく

許諾を与へ得る夫は、成年者ならざるも可なりといひ、而

Page 28: 243...243 244 叢 律 論 法 二、『日本之法律』の法典論争関係記事 D.第四巻(明治二五年) 衛門氏の駁撃を為せること其れ其二つ、此二つの反対、殊中司法大臣の反対せること是れ其一つ、有名なる永井松右て事の外つれ易き、意外の

270叢勢ロ田律法

して之を不都合なりと攻撃せるが如きは、己れ法律の解釈

を誤りて、其罪を立法者に帰するものに過ぎざれば、余は

寧ろ之を一笑に付せん、

   《伍》結言

之を要するに、鈴木法学士の《商法穴探》は、謬論誤説を以

て充されて、全篇まるで穴より成る、而して商法の穴は一

も探し当てさるなり、余は鈴木大法学士の卓見に呆れ、且

之を登載せる法学新報記者の豪胆に驚く、

 如水剣客「法典論評」(二)

          (第四巻五号、明治二五年五月発見)

   《一》民法証拠篇の規定に対する土方博士の愚論

前後帳触、左抵右抵、支離滅裂を以て有名なる、《法典施行

無期延期論》を唱へて人を呆れしめたる法学博士土方寧氏

は、今度は、民法証拠篇の規定に対して非難を加へたり、

(法学新報第十三号掲載)、曰く、

 証拠篇中、修正を要する箇条枚挙に暇あらずと錐も、本

 篇の如きは、一部格段なる箇条の修正を以て足れりとす

 べからず、証拠法の意義を=疋し、主義を改革し、根底

 より「大修正を加ふるにあらざれば、到底実際に便利な

 る有益の法律となさんこと、得て望むべからざるなり、

相変らずの大法螺、余輩は、フキ出さざらんと欲するも得

ざるなり、而して其いふ所の如何なるものなるかを吟味す

れば、また相変らずの妄言譜語、《法典施行無期延期論》と、

弟たり難く兄たり難き者、其言に曰く、

 今、全篇を通覧するに、二箇の最とも疑を入るべき原則

 に依て、本篇を制定せるもの・如し、第一、吾人は虚言を

 吐くものなり、是れ大に人証を制限せる所以なり、然り

 と錐も、二十一条、二十三条の書式の如きは商事に適用

 せず(第二十四条、商法第二百七十八条)、商人に不便な

 る書式は俗人(俗人の二字、アツパレ博士の学識を表彰

 するに足る)にも不便ならん、敢て二者を区別するの必

 要あるを見ず、又六十条の如きは、最も普通の証拠を制

 限せるものにして、実際の不便推して知るべきなり、第

 二、判事は信任するに足らず、是れ法律規則を以て各種

 の証拠力を規定し、判事を束縛し、其事実認定の自由を

 制限せんとする所以なり、故に判事若し規定の証拠を採

 用せずして之を不問に置き、若くは之に反対の事実を認

 定することあらば、当事者は控訴するを得るのみならず、

 上告することを得べし、是れ訴訟の落着を遅延せしむる

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『日本之法律』にみる法典論争関係記事(三)271

 ものに非ずして何ぞや、固より証人の陳述と署名捺印し

 たる証書には、其証拠力に軽重あるべしと錐も、敢て法

 律を以て其効力を規定するの必要あらんや、判事若し不

 当の事実の認定を為すことあらば、控訴の道あり、徒ら

 に上告の原因を増加することを要せざるなり、

英法学者の法典攻撃、苦心焦慮の甲斐もなく、常に識者の

反撃を免かれ得ざるは、『傘屋の弟子、骨折て叱責を免かれ

ざる』と一班相似て、近頃お気の毒の至りに耐えず、而し

て土方博士の此論、また其お気の毒の吊詞を受けざるべか

らざるは、尚更以て気の毒の至りに耐えさるなり、

 吾人は虚言を吐くものなり、乃ち証人の為す所の陳

述は、信懸すべからざること多きに居るものなり、是

れ証拠篇の採用せる原則なるに相違なし、而して此原

則は、之を設けて不可なるものあることなし、蓋し人

みな清廉、民みな淳瑛、夜、鎖さず、途に遺ちたるを拾

はさる太古の美風、今傍ほ世に行はる・に於ては、此

の如き原則を法典に採用するは、実に不当なりと謂ふ

可し、余輩また之を攻撃するに怠らざるべきも、然れ

ども、今や時澆季、人みな軽薄、利の在る所は義に反く

も厭はず、益の存する所は、信に惇るも顧ることなき

 は、極て世事に迂なるものにあらざれば、皆之を認めて

疑はざる所なり、殊に裁判所に於ての証人は、或ひは

情の為に絆され、或ひは又利の為に迷はされて、虚偽

 の陳述を為すもの・勘なからざるは、実務に当るもの

 ・皆能く之を知る所なり、然るも之に制限を付せざる

 か、好邪小人独り法廷に威を揮ひ、良民正士は其残害

 する所と為るを免れざる可し、是れ或は土方博士の本

望なるべきも、正利の保護を以て任ずる立法者の、忍

 んで遂に能はざる所なり、乃ち人証に制限を附せる民

 法証拠篇の規定は、立法者の応に為すべき事を為せる

 ものにして、毫も不可なるものあることなし、而るに

 博士は之を難ず、愚論にあらずして何ぞ、

二 証拠篇第廿一条は、双務の契約を締結せる時に作る

 証書に関して或る規定を為し、又第二十三条は、片務

 の契約を結べる時に作る証書に関して或る規定を為し

 たるも、後に(第二十六条)此規定は、之を商事に適

 用せざることと為したるは、また土方博士の駁撃を為

 せる所なり、然れども、商事に在ては迅速を貴ぶ民事

 の比にあらず、而して之を支配する所の法律、成るべ

 きだけ、簡且易ならんことを欲するは、古今各国皆な

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272

靴論律法

 不らざることなきが故に、民商二事の問に、証書作為

 の条件に差異を置く、何の不可か之れあらんや、而し

 て博士はまた之を難ず、個し故らに説を為すものにあ

 らずんば、則ち非常の至愚、其論は之を顧みるに及ば

 ぐ         へ

 さるなり

三 博士の論を見るに、博士は、証人の使用を為し得べ

 き場合に、制限を付したる第六十条の規定を以て、最

 も普通の証拠を制限せりとて不便を訴ふるも、博士の

 如く大量に、且人を信ずること厚き例外漢を除けば、

 我か邦現今の実況、五十円以上に価する人権若くは物

 権の創設、変更、消滅等に、証書の作為を為さ・るも

 の甚だ稀なるのみならず、前にもいへるが如く、証言

 に信を置き難きこと多くして、而して之を制限するは、

 立法者の宜しく取るべき注意たることを思考するとき

 は、博士の此論、また之を愚論と為さ・るべからず、

四 博士は曰く、『判事は信任するに足らず、是れ民法証

 拠篇の採りたる原則なり』と、之れを証拠篇の規定に

 探るに、斯の如き帰結を全篇の内より抽出するは、余

 其能はざるものなるを信す、蓋し証拠篇中、各種の証

 拠の証明力を規定し、判事に認定の自由を剥奪せるも

のあるは、真なりと錐も、之を不らざるものに比すれ

ば僅かの部分に止まる、而して皆其然らざるべからざ

る理由あること、博士の起案に成る論説の比にあらざ

るを以て、(博士にして、個し各規定に就きて其不らさ

るを証明せば、余は一々之に答ふるを揮らさるべし)、

判事に事実認定の自由を剥奪するも、之を不当なりと

いふこと能はざるなり、而るに博士は之を難ず、知ら

ず博士は、全般の証拠、皆其取捨を判事の心証に委せ

さるべからさること、判事に於ける証拠の如くならざ

るべからずとするか、愚又妄、

且夫れ証書の採不を判事の心証に委したる証拠篇第七

十二条の規定は、博士は、其論の初に於て、『是れ吾人

は一般に虚言を吐くものにして、信用するに足らずと

の通則を定めたる嫌なきか』といつて、其不当なるを攻

撃したるに非ずや、而して弦に至れば則ち醗て判事に

認定の自由を奪へりと難ず、何ぞ其れ矛盾なるの甚し

き、山豆恨触の論を為すは氏の得意なるに由るか、抑々

亦、目に触る・所の法律は、其可否如何に拘らず、之

を攻撃するは則ち氏の職掌たるに由るか、其肩書と其

職務の重きに心附かば、請ふ少しく注意して其説を吐

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『日本之法律』にみる法典論争関係記事(三)273

  け、

  若し夫れ、法律に証拠の証明力を規定するの結果、上

  告の原由を増すといふに至ては、余は則ちいはん、応

  に起るべくして起る所の上告は、幾十百件に至るも之

  れを阻遇すへからずと、不らずんば則ち、初めより上

  告裁判所を設くるの厄介なきに若かざるなり、且此上

  告の如きは、判事にして法律の違背を為さざるときは、

  則ち起るに由なきもの、而して判事の法律に違背する

  か如きは、多くあらざるものなるを以て、法律に証拠の

  証明力を規定するは、縦し上告の原由の増加を為すと

  するも、其増加は実に僅々たるべきのみ、而して皆々

  起るべき正当の理由ありとすれは、上告の増加、何の

  憂ふべきことか之れあらんや、博士の論の如きは、上

  告の原由を総て廃するにあらされば巳まさるもの、余

  は唯々其狂妄に驚くのみ、

之れを要するに、博士の民法証拠篇征伐、いつもの如く非

理不当、アツパレ博士の肩書を汚すに足る、想ふに、法学

新報に取ては適当の材料たるべきも、吾人の眼に触るべき

ものにあらざれば、ザツト後来をタシナむること斯の如し、

   《二》民法財産取得篇第七十一条

売買の場合に於て、物件引渡以後、買主が、当然代金の利

息を負担すへき場合を、買受物件の、果実又は其他の入額

を生ずる場合にのみ限りたるは、仏国民法第千二百十五条

の規定せる所、而して学者の之を攻撃して措かざる所なり

しに、我が民法の立法者は、草案起稿の謬妄を襲ひ、また

之れと同一の規定を採用したり、民法財産取得篇第七十六

条を見るに曰く、

 買受物が、果実、其他金銭に見積ることを得べき定期の

 利息を生ずるときは、買主は、引渡の時より当然代金の

 利息を負担す、.

惟ふに、訟求して始て利子を生ずるは我が民法の原則、而

して当然、之を生ずる場合の如きは、吾人が稀に遭ふ所の

例外に過ぎず、然るに、法律が薮に原則の適用を撹め、買受

物件より、果実其他金銭に見積ることを得べき利息を生ず

る時に、引渡を受けたる買主をして、当然、未払代金の利子

を払ふべき義務を負はしめたるは何ぞ、是れ、蓋し、此の

種の場合に於ては、買主は物より利益を享くるが故に、売

主に、其対価たる代金の収益を得せしめさるは、公平の点

に於て欠くる所あるに由るものなり、余は、立法者の用意

の其当を得たるを嘉みす、然れども又、Aヱ歩その規定の

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274

卜論律法

範囲を拡張し、引渡の済める上は、総べて、買主は未払代

金の利子を負担せざるべからずと為す、勇気と注意のなか

りしを階まずんばあらざるなり、抑果実唯り利益にあらず、

金銭に見積ることを得べき定期の利益、亦唯り利益にあら

ざる故に、筍も利益の名の下に摂め得る所のものを、買主

か物より収め得るに於ては、買主は即ち物より利益を得る

ものなり、而して引渡は、常に買主を、物より収益し得べき

地位に置くものなるが故に、物の引渡を為せる以後は、必

らず利息を請求し得べしと為さば、却て立法の精神に添ふ

ものにあらずや、然るに立法者は、引渡を了れる売買の目

的物件が、果実其他金銭に見積ることを得べき定期の利益

を生ずる時にあらざれば、買主は、代金の収益を出冗王に得

せしめざるも可なりと為せり、山豆に果実其他金銭に見積る

ことを得べき利益唯り利益にして、其他の利益は之を利益

といふこと能はざるに由るか、余輩は其規定の狭隆に失せ

るを階しむ、

 盤入太輔「自由の行はれざる国には裁判上の慣例なし」

          (第四巻五号、明治二五年五月発免)

法典を非難するの説、及之を維持するの説は、我輩既に之を

聞くを得たり、想ふに世上幾多の人士、亦既に之を熟知せ

られしなる可し、併し是れ皆尋常一様の説、深く賞嘆する

に足らざるなり、中に就て、法典を非難するの説の如きは、

平々凡々、其言ふ所一も根拠あることなし、而して又、法

典を是とするの説の如きも、只其結果のみに就て議論を下

し、未だ其基本上に渉りて論したるものあるを知らす、故

に其言ふ所亦薄弱なるを免れず、然りと錐も、余、従来世

上に流布せる説論の事績に付て之を考ふるに、法典を是と

するの説は、正理と事情とに適するもの・如く、之を非と

するの説は、正理に反し、事情に戻るのみならず、国家の

幸福を害するの恐れあるを覚ふ、余は元と熱心に法典を是

とするものなり、而して余は、国家の基礎上より、必ずや

法典なからざる可らさることを主張するものなり、即ち日

本国家は、法典に依るにあらざれば、決して人々の私権を

保固すること能はずと余は信するものなり、請ふ以下之を

論して余輩の論旨を明にせん、

   第一 自由の行はれざる国には真正の歴史なし

自由は自知自宰する生気、即ち至高の威力ある生気にして、

人の特有する性質なり、蓋し自由は人類の特有物中最も貴

重の威力にして、創像力も自由に於て其効力を顕はすこと

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『日本之法律』にみる法典論争関係記事(三)275

を得可く、人類の本性も、言辞に於て、著述に於て、将た行

為に於て、之ありて始めて発表するを得可し、其れ然り、自

由あれば生々揚々たる生気を常に人の行為に於て保有する

ことを得可く、之れなければ、人々は、決して常に生気を保

ちて動作することを得ざるなり、ドツクフヒル氏、曾て疑問

を提出して曰く、[『]国民が自由を愛好するは何故なるや、

又自由は何故に大事業の上に於て効用を顕はすや』と、プ

ルンチユリi氏の之に答へたるは下の如し、即ち『人々か

自由を好むは、独り圧制を悪むか為のみにあらず、又自由

の結果として占得せる物質的所有の欲望のみには[あ]ら

ず、自由は特別の性情、及び固有の刺戟を以て人心を収撹

し、自由に談論し、動作し、呼吸し得るの悦楽、並に唯々天

神と国法とのみに従属するを愉快とし、之を以て精神を興

起せしむるものなり、凡そ人として、自由を求て其自由に

外るる所あれば、忽ち将に奴隷たらんとす』と、実に然り、

自由は人の性情なれば、政治上及ひ社交上に於て、人の最

も之を欲望するものなり、若し夫れ政治上及び社交上に於

て自由の途なからんか、人の性情は轡屈するを以て、遂に

活気を帯ぶるの事業を見ること能はざる可し、抑々言論集

会出版の自由なく、交通の自由なき国に於ては、真正なる

事実を公然社会に発表することを得ざるを以て、事実は常

に隠々の間に埋没し、虚欺妄証を以て事実を構成するに至

る可し、是れ自然の結果にして、更に怪むに足らず、故に

自由の行はれざる国に於ては、真正の歴史あることなし、

   第二 自由の行はれさる国は尊重す可き慣例なし

法律が認めて以て裁判の基礎と為し得る慣例は、容易に之

を求む可らず、法典を非難する論者は、慣例に反するの事を

以て其議論の骨子と為すと難も、論者の所謂慣例は、果し

   ママ 

て裁所上の慣例と認め得可きものなるや、又取りて以て裁

判の標準と為し得可きものなるや否や、凡そ裁判上の標準

と為し得可き慣例は、数多の条件を具へて初めて有効と為

るものなり、第=般普通なること、第二永久行はれたる

こと、第三変改せられざりしことの三条件を旦ハ備するにあ

らずんば、則ち以て裁判上の慣例と認むることを得ざるな

り、然るに政治上及ひ社交上の自由能く行はれざる国に在

ては、言論交通の途全く杜絶するが故に、真正の事実は暗々

裏に埋没し、慣例成立の基礎は斯に破壊せらる・に至るな

り、其偶々慣例と認め得べきものありとも、正理に反する

を以て、之を取りて裁判上の標準と為すを得ず、是れ他な

し、人々の自由より出てたるものにあらざるを以て、其慣例

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276叢論律法

成立の基礎に暇理あるに因る、慣例は暗黙の契約に等しき

ものなれば、則ち最も状態に適せざる可らず、又道理に適

せざる可らず、若し其道理に戻るの慣例ならんか、又状態

に適せざるの慣例ならんか、決して裁判上の慣例と見倣す

ことを得ざるなり、然れば則ち、裁判上認め得可き慣例は、

如何なる分子を有して成立するか、曰く自由社会の分子に

由て成立せさる可らず、抑々自由なき国に於ては、到底尊

重す可き慣例の成立する理なし、何となれば、偶々人々が

相寄りて慣例を作り出さんとするも、圧制の為めに忽ち破

壊せらる・に至ればなり、之れに反して、自由国に於ては、

私権に関するの行為は凡べて人々の自由に任し、政府は決

して之れに干渉せざるを以て、一たび自由任意の事業を為

すや、即ち慣例と為りて、人々之れに準拠し、爾後益々輩

固の形態を有するに至るなり、故に曰はく、自由なき国に

於ては真正の歴史なく、又尊重す可き慣例を生せず、

   第三 日本は自由国にあらず

議会開設後は、日本亦自由国の仲間入を為したりと難も、未

だ十全なる自由国とはいふこと能はず、昔時の日本は、政

治上及ひ社交上、共に自由ならさる有様の極点に達したる

者也、独国大儒ブルンチュリー氏、東洋を評して曰く、『東

洋諸国の性質として、遂に真正の自由を得有すること能は

ざる可し』と、予輩此言を聞くや、初は頗る不可思議に堪

えざりき、然とも、熟々東洋諸国の性質を考ふるに、支那

と云ひ、朝鮮と云ひ、又我か日本と云ひ、真正の自由を得

有することを得ざるやの感なきにあらず、其の理由に至て

は、今一々之れを弁明せすと難も、此の二一二年間の事績に

徴せば、自ら之を知るを得可し、而して将来の日本は、真

正の自由国と為るや否やは弦に論するの必要なし、只既往

の日本国は、自由国なりしや否や、尊重す可き慣例の成立

しあることありや否やを吟味するを以て足れりとす、日本

が、昔時、政治上に於て自由の行はれさりしことは更に弁明

するを要せず、又社交上に於ても、昔時は諸侯の藩土に限

りて交通を為し各々関門を設けて以て自由の交通を杜絶し

たるに因り、取引上自由任意の慣例を見ることなし、偶々

尊重す可き慣例を作らんとするも諸侯の為めに忽ち之を打

破せられて、永久に続けるものあることなく、又藩土の別

に従て政治を異にしたるに因り、一般普通の慣例あること

なし、是れ日本に於ては、裁判上の標準と為し得可き慣例

は、絶てあることなしと言ふも不可なき所以なり、只日本

の慣例として一般に認め得可き者は、長子相続の例と、死

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『日本之法律』にみる法典論争関係記事(三)277

去せざるも、相続を其子に譲りて隠居することを得るの例

とのみなり、其他商業上の取引、及ひ民法上の取引に至て

は、各地各異なりて、一も裁判上の慣例と認め得可きもの

なし、然るに論者は、法典は日本の慣例に背くと云へり、知

らず、論者は、虚無なる慣例も、傍ほ之に反くを得と思ふ

か、余は其論鋒の奇なるに驚く、

   第四 慣例なき国は法典を必要と為す

夫れ此の如く、日本には真正の歴史なく、又尊重す可き慣

例なし、此の場合に於て、人々の私権は何に依て保護せら

る・か、又裁判所は、何を標準として裁判を為すか、古来

の慣例に依て裁判を受けんとするも、裁判上の慣例なきを

如何せん、然らば条理に依て其保護を受けんとするか、条

理は各人各異、一定の法則あるものにあらず、畢寛判事の

条理なりと思ふ所に一任することと為り、其危険なること

実に言ふ可らざるなり、之を各国の例に徴するに、論者は

英米二国を援ひて其論拠と為すと難とも、英米二国の如き

は、法典なきも私権の保護を為し得可きの理由ありて、存

するものなるがゆへに、此の論理を直ちに我が日本に適用

し得ざることは、識者の既に知る所なり、蓋英国の如きは、

古来自由と云へる真理の、国民の問に行はれしを以て、其

国民が、世々代々為し来りたる行為は完全なる慣例と為り、

後世子孫は其慣例を遵守せざるべからずと思惟し、政治上

の事にも、社交上の事にも、慣例に由て支配せらる・を常と

せり、是れ蓋、英国の慣例たる皆自由の作用に依て創造せ

られたるものなるにより、道理に適し、且国状にも適する

に依るなり、今憲法上のことに付て其一例を挙けんに、英

人は国民の自由を以て主と為し、自由は英国憲法の沿革変

遷より産めるの成績と見倣し、之を父祖より伝来したるの

遺続物として、殊に之を尊重し、子孫たる者は之を保守し、

之を拡張するの債務あるものと信したるか故に、憲法は全

く不文法にして、一々古来の慣例を以て規律と為すなり、失

れ此の如きの習慣は、之を他国に求め得可きや、決して之

を求め得可らざるなり、米国も亦之れに同しく、英国人士

の移住に依て其国を為したるものなるが故に、慣例を貴ぶ

こと敢て英国人士に譲らざるなり、而して此の両国は、政

治上及ひ社交上の自由共に優に、且燗慢たるが故に、斯く

後世尊重す可きの慣例を作り出すを得るなり、今眼を転し

て他国の状態を見よ、独逸国の如きは、其建国紀元九百十

一年の昔時にありと難とも、自由国の列に入りしは一千八

百七十一年一月一日、新帝国の代表者ヴエルサイユ宮殿に

Page 36: 243...243 244 叢 律 論 法 二、『日本之法律』の法典論争関係記事 D.第四巻(明治二五年) 衛門氏の駁撃を為せること其れ其二つ、此二つの反対、殊中司法大臣の反対せること是れ其一つ、有名なる永井松右て事の外つれ易き、意外の

278叢論律法

会し、維廉第一世を独逸皇帝の位に進めたる時に在り、白

耳義国は建国以来外国の領する所となり、其覇絆を脱して

自由国と為りしは、一千八百三十一年二月七日の憲法制定

に在り、英吉利国は最も新建国にして、其自由国と為りし

基礎は、一千八百四十八年三月四日の国会に在り、又荷蘭

国の自由を得たる基礎は、千八百四十八年十月二十五日の

撰挙勅令に在り、而して仏蘭西は一千七百八十九年の革命

に由て自由国と為りしと難も、仏国人の気性として、屡々

革命を好み、又典例の如きは、之れを顕然法章に明示する

にあらざれば価値なしとするの風あり、以上の諸国は現に

法典に依て私権を保護せり、此の他現に法典を実施して私

権を保護するを国是と認めたるの国数多ありと錐も、要す

るに、諸侯或ひは豪族等の覇絆を脱して、新自由国と為り

し邦国に在ては、皆な悉く法典を採用せざるものなし、彼

の英国の如きは、千二百十五年に於て、早くも自由国と為

りしもの也、其の自由国と為りし、遅速の程度、殆んど他諸

国に比して六百年以上の昔時に在るものなり、而して此の

時より既に自由の主義、満天下に流布したるを以て、尊重

す可き慣例を造り出すことを得たるものとす、然るに他の

諸国に於ては、自由国と為りたるの日浅きを以て、裁判上

に於ける慣例等を造り出すの暇なきなり、然れとも、慣例

なきか為めに、人々の私権を保護せずして可なりと云ふこ

とを得ざるが故に、国家人民の必要上、法典を編纂して之

れを実施せり、顧みて日本国の状態を視るに、其の建国は

頗る古くして、敢えて他国の年代に譲らずと難とも、自由

国と為り、立憲国家と為りしは漸く二年前にあらずや、其

明治二十三年以後に於ける状態は、日本国家の慣例として、

後世之を尊重するを得へきも、其廿三年以前に於ける状態

は、不自由の中に在て為し来りたるものなれば、則ち之を

尊重すべきの価値なきものなり、論者は、野蛮時代に於け

る例証を以て、之れを今日の時代に適用せんとするも、今

日に在ては、決して裁判上の慣例と認むることを得ざるな

り、斯く説き去り説き来らば、日本国の如きは、裁判上の

慣例なきことを知るを得可し、ブルンチユリー氏曰く『人

類中、即ち国民及各個人の中に於て、性来の天資教育、及

ひ開化に等差ありて、各之を其事業に発表す、人類自由の

度は、其人の気力と才能とに従て昇降するが故に、丈夫の

志気ある人民は、自由を争ひ、占得せんとするの決意熱心

あり、之に反して、柔儒卑屈なる人民は、奴隷に陥り易く、

其柔儒卑屈なるか為めに、政治上の至貴なる自由も亦従て

Page 37: 243...243 244 叢 律 論 法 二、『日本之法律』の法典論争関係記事 D.第四巻(明治二五年) 衛門氏の駁撃を為せること其れ其二つ、此二つの反対、殊中司法大臣の反対せること是れ其一つ、有名なる永井松右て事の外つれ易き、意外の

『日本之法律」にみる法典論争関係記事(三)279

安全輩固なること能はず、此政治上の自由の安全輩固なる

は、夫れ唯男子の気質を以て自治し、男子の精神を以て自

治自宰するの人民にして、之を施用し、之を保守する時に

在るのみ』と、実に自由は国家百般の元素と為るが故に、自

由の行はれざる国に於ては、百般に於ける動作の成立に暇

理あるを以て、到底後来人士の尊重すへき例を造り出すこ

と能はざるなり、此の原理に依て我か日本国の既往を追想

せば、蓋し反対論者と錐とも、裁判上の慣例最早充分に備

はれりと言ふこと能はざる可し、

 福島要三郎「新民法証拠篇第七十二条を読」

          (第四巻五号、明治二五年五月発免)

人証に制限を附するは、各国の法制皆な然らざるなし、而

して我が帝国民法の規定亦た然りとす、例之へば、証人た

るに必要の能力を定むるが如き、或ひは其証せんとする物

の価格に制限を置けるが如き、また証人の証明を為すの際

に、或る方式の履践に従はしむるか如き、比々皆然らざる

なし、思ふに、証人の証明は記臆の演述に外ならず、而し

て記臆は消散し易く、又誤謬を招き易すし、即ち其証拠は、

兎角、真実を錯り易き性質を具有するを以て、右の如き制

限を人証に附するは、之を失当の法制なりと謂ふべからず、

否な却て、其当を得たるものなるやも知るべからざるなり、

然れども同篇第七十二条の規定は、不当杜撰極まる、余は

之を読んで奇怪の念に耐えざるなり、同条に曰く、

 判事は証人の証拠に因りて拘束せられず、其心証に従て

 判決す、

即ち法律は、証人証拠の信懸力を挙げて、之を判事の心証

に委したり、是れ抑も何等の必要ありてのことか、

蓋し証拠なるものは、判事の意思を拘束し、之れに自由の

取捨を為さしめざるを以て其本性とす、而して法典は、右

                    ハママ 

第七十一条に於て、人証を以て証拠なりといへながら、其

取捨を判事の心証に一任す、山豆に、判事は証拠に依りて争

訟を判決すべしとの大原則は、之を人証の場合に適用する

こと能はさるに由るか、余は甚だ之に惑ふ、

人或ひは日はん、証人の陳述は、往々実際と反することあ

り、而るに倫し人証は必らず裁判官の従はざるべからざる

ものなりとせんか、裁判官は、事実と証言の一致せさるを知

るも、之を採用せざるべからざるの不都合あるを見る、是

れ右第七十二条の規定あるに至れる所以なりと、然れども

此説は非なり、其然る所以は、凡て民事の詞訟は、其原則

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280叢訟ロ冊律法

として、訴訟当事者の請求に基きて判決するを要す、三=口を

換へて之を云は“、当事者の請求に出てて判決すべき者に

非ず、故に当事者の提供せる証拠にして、其不十分なるこ

とを知ることありとも、判事は其証拠を補足し、以て証明

を為せるものに敗訴を言渡すること能はず、例之へば、書

証の場合に於て、双務の契約を締結するも、唯々一通の証

書を作れるのみにて、之を第三者に托することを為ささる

時の如き、また其目的物の数量に係る片務の契約を締結せ

る時に、其証書に於ける自書又は数量の記載に、特に捺印

を為すことを遺忘せる時の如きは、判事は此の証書を証拠

と為すこと能はざるか如し、果して然れば、独り人証の場

合に於てのみ、判事に無上の特権を与へて、証拠の取捨を

一任せるが如きは、必要の区域を超越せる不当の規定と云

はざるべからず、

また或る論者は曰く、法律は人証に依りても証明を為すこ

とを得と云へるに過ぎず、必らず之れに依りて証明を為す

べしといへるにあらざれば、証拠の輩固ならんことを欲せ

ば、他の証拠方法に依るを要す、其方法此に出でざれば、其

者の過失に帰せざるべからさるにより、法律は其者を保護

し、や・もすれば詐欺錯誤のあるを免かれざる、不完全なる

人証に強大の効力を与ふるを要せずと、若し此言を以て真

理に合するものとせんか、証言は、之を証拠と為すに足る

価値を有するものにあらずと云はざるべからず、余は、之

を極端に走れる暴論といふの外、他に適当なる評言のある

を知らず、

他の者は曰く、証人の証拠力は、法律之を判事の心証に委

したるを以て、到底参考人たるに過ぎず、然れども全く同

一なりと云ふこと能はざるは、参考人の陳述は、之を採る

と否とは判事に自由なる心証に在り、之を以て、判事は別

に其理由を示すことなく、之を廃棄するを得るも、証言に

至りては則ち然らず、之を取らざる時は、判事其理由を示

さざるべからずと、此論者の言は、之を法律の真意に合ふ

ものとするも、判事は、理由の明言を為せるときは、証拠

を排斥して之を取らず、其心証に依りて裁判を為すことを

得べしとの格言原則は、余輩不敏、未曾て之を聞けること

あらざるにより、此の如き理由に依りて、第七十二条の規

定の不当ならざることを信ぜんとするも、余は遂に之を信

ずること能はざるなり、

之を要するに、立法者の証人証拠に制限を附せるものは、

此種の証拠の、動もすれば詐欺其他の原由の為めに、事実

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「日本之法律』にみる法典論争関係記事(三)281

に合はさるの不完全あるに由るものなるへきか故に、之を

附するは必らずしも非ならず、然れども、之に数多の制限

を附したる上、更に其信懸力を奪ふて、之を判事の心証に

委せるに至りては、余は其理由のあることを看出すこと能

はず、若し人証は正確ならず、危険なり、恐るべきものな

りとせば、之に始めより制限を付せず、其取捨を判事に一

任すること、却て正当なるにあらざるか、矧んや判事に心

証の取捨を委するのことは、人証に強大の効力を与ふると、

其弊其害敦か大なるか、未だ容易く之を明言し得ざるもの

あるに於てをや、併し我邦の立法官は博学なり、山豆謂はれ

なくして斯の如き規定を為さんや、大方の君子、若し之を

知らば幸に告げよ、

 伊藤武寿「事務管理に関する帝国民法の疑義を論ず」

          (第四巻五号、明治二五年五月発党)

事務管理と云へば、既に学説上説明せらる・如く、吾人の

随意に為したる所為にして、他人の委任を受けたるに非さ

るも、他人の利益の為に、或は作為し、或は要約し、或はま

た約諾して、好意上諸般の事務を管理する所為を称するな

り、我民法第三百六十二条の規定によるも、亦此の学説に

基き、此所為の有効なるは勿論、相互権利義務の関係する

所を明にせり、然り而して、余が莚に、事務管理に関する

日本民法の疑義として論評せんと欲する所以のものは、事

務管理其物の如何に在らすして、此事に関する合意の性質

及び其効力に在り、則ち財産篇第三百廿三条との関係是な

り、設

問して曰く、事務管理の為に他人と要約せる合意は有効

なりや否や、例へば、甲者其友人乙者の不在中、其の家屋

の破損に及び、至急修繕せざれば将に大破に至らんとする

を以て、工人丙なる者に約し、負はしむるに修繕の義務を

以てせりとせん、此契約は、甲が第三者なる乙者の為に事

務管理を為さんとの趣旨に出てたるものにして、既に法律

上事務管理の正当なるを認定せる以上は、此合意の正当な

るは勿論にして、一見明瞭、些個の疑点無きもの・如し、

然れ共我民法典に拠るも、凡そ合意の成立条件には三個の

要素あり、即ち第一には当事者又は代人の承諾、第二、確

定にして吾人が処分権を有する目的、第三、真実且つ合法

の原因にして、是れ一般契約の要素として歓くべからざる

は、今日民法の制定を待て而して後然るに非ざる也、是故

に凡そ合意成立の基礎としては、必ず其の適実なる原因な

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282叢塾ロ冊律法

かる可らず、而して学説及び法律の規定によるも、原因欠

歓の為め合意の成立せざる場合は明白にして、則ち虚妄の

原因、不法の原因、及び無原因の場合に於ては、其合意は

法律上当然無効にして、権利を発すること無く、又義務を

生ずること無し、財産篇第三百九十三条は、此の無原因の

場合を注釈的に規定し来りて一個の原因を掲出せり、此規

定によれば、要約者が、合意に付き金銭に見積ることを得

べき正当の利益を有せさるときは、其合意は原因無き為め

無効なりと定め、而して第三者の為に要約を為せる時に於

ては、之に過怠約欺を加へざる時は、契約者に於て金銭に

見積ることを得べき利益を有せざるものと見倣すとの規定

を為し、則ち無原因の要約なるを以て無効なりとの推理結

論を与へたり、

是に於てか、予が弦に論評に従はんとする民法上の疑義は、

勢ひ発生せざるを得ず、何となれば、此法律の規定を適用し

て推考する時は、世上実際に最も要用にして、而して法律

上に於ては大に奨励して承認せる事務管理なる行為は、此

法文の為に奇怪なる障擬を受くるの結果を現はさ“るを得

ざればなり、

今や余が設問に対し、即ち事務管理の為に他人と要約せる

合意の有効なるや否やを断定せんと欲するに当り、該第三

百廿三条二項の法文を適用すれば、該契約は無効にして、為

に事務管理なる行為の性質も、亦大に変化の影響を受けざ

るを得ざるべし、甲者は其友人乙なる第三者の為に、丙な

る工人に要約して修覆の義務を約諾せしめたるも、此合意

は既に合意の成立条件を歓きたる無原因の要約にして丙者

其の義務の履行に着手せざるの前に於て、異議を唱へて拒

絶を為し、義務の履行を為さざる場合に於ては、事務管理

なる者の発生は遂に見るを得ざるべし、何となれば此要約

たる、他人の利益の為に為せるものにして、要約者たる甲

に於ては好意上の所為なるが故に、金銭に見積ることを得

べき利益なる者は、未だ一毫も之を有せざれはなり、是故

に丙工は少しも甲者の攣迫を受くる所無くして、此合意た

る全然無効に帰し、事務管理なるものは曾て発生せざるな

り、鳴呼均しく是れ日本民法なり、同しく是れ財産篇なり、

而して両個相容れさる規定を為し、一方には其の所為を勧

奨せるが如く、一方には其の性質範囲を縮少するは、あに

実とに奇怪の至りに非らずや、

反対の論を為すものあり、本間の場合を想像して曰く、是

れ純然たる事務管理の所為にして、法律上毫も無効の契約

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『日本之法律』にみる法典論争関係記事(三)283

となすべきものに非ずと、而して其説を聞くに曰く、元来、

第三者の為に為したる要約が、事務管理たるや否やを識別

するには、唯々要約者と諾約者の問に取結びたる合意その

者は、果して事務管理の所為なるや否やを判定するを以て

足れりとするものなり、故に本間第三者の為めに為せる要

約の如きは、既に第三百六十二条の条件を具備せる以上は、

その要約は有効にして、いふまでもなく、事務管理なる法

律上の所為なりと、

余は此の論に賛成する能はざるなり、彼れ本間の断案とし

て、事務管理の性質上より論下し来り、第三百六十二条を

引て以て解釈せんとするは理無きに非ず、余輩も亦事務管

理なるや否を識別せんが為には、事務管理の性質条件より

観察するの正当なる事を認めざるに非ず、然りといへども、

法文は畢寛之を如何せんとする乎、夫れ原因無き合意は無

効に非ずや、要約者は、約諾者に向て何等の強制手段をも施

す能はざる約束は、是量に無効に非ずや、幸にして約諾者

の好意の執行ある時に非ざれば、事務管理なる所為は、法

律上到底出生し能はざるに非すや、

論者或は説を為して曰く、本間の場合に於て、要約者は、

諾約者をして其約を履行せしむるに利益なしと謂ふべから

ず、何となれば、要約者は合意を取結ぶと同時に、約諾者を

して之を履行せしむるの義務を第三者に負ふものなり、則

ち一旦第三者の財産に関する要約を取結ぶや、既に事務管

理を始めたる者にして、之を継続するの権利義務ある者也、

故に若し要約者が、諾約者をして義務を履行せしめざれば、

第三者は、事務管理の原則により要約者を責譲するの権あ

り、既に第三者に此の権ありとせば、則ち要約者は、諾約

者をして履行せしむるに利益なしと謂ふべからす、而して

其責譲する権利ある理由は如何と云ふに、嚢に甲なる要約

者にして、此の事務管理の契約を為さ・る時は、他人或は

第三者の為に、其の事務を管理せしやも知るべからず、然

るに、甲者は丙者と要約せし故に、他人は乙者の家屋を顧

みざりしならん、夫れ然り、然るが故に、約諾者丙の未だ

修覆に着手せざる以前と錐も、甲丙間の要約は、乙なる第

三者に利害を及ぼさずと謂ふを得ず、従て甲丙間要約の成

立すると同時に甲乙問に事務管理の関係を生じ、義務権利

の発生するものにして、是れ則ち本間の場合は事務管理た

る所以なりと、

論者の言は、立論の基本に於て既に誤てり、千言万語、事

務管理たるを主張するも、到底、吾人を服せしむるに足ら

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284叢論律法

ざるなり、彼れ曰く、一旦第三者の為め其財産に関する契

約を取結びたる時は、則ち是れ事務管理の所為を始めたる

ものなり、是れ其の最も誤れるの甚たしきものにて、今や

吾人が論定せんとするところは、約諾者履行前の要約は事

務管理なりや否や、寧ろ其の合意は無効に非ざる乎を知ら

んとするに在り、然るに之を以て、速断にも事務管理なり

とし、以て一般合意に関する法律を顧みざるは、之を正確

の説明なりと謂ふを得べき乎、且つ夫れ要約者が管理の契

約を取結ぶと同時に、第三者に義務を負ふと云ひる議論の

如きは、浅薄にして取るに足らず、甲者が初めに此要約を

為さずる時は、他人が事務の管理を為すべかりしならんと

の理由の如きは、事実に於ては斯る場合の無きに非ざるも、

是れ単に想像に過きず、而して例令之あるにもせよ、為に第

三者に、甲者に管理を責譲する権利の発生すべしとは、如

何に牽強法律家の論なりとも、余は其奇怪なるに驚かざる

を得ざるなり、

要之するに、我法文の規定によれば、事務管理なるものは、

諾約者が、其負担せる義務の履行に着手したる時より以後

に於て、要約者と第三者との問に権利関係の発生すべきも

のにして、単に要約者が第三者と取結びたる合意のみにて

は、未だ事務管理と称するを得ざるのみならず、此の要約

たる、法律上当然無効にして、其成立を有せざるものとす、

元来、事務管理なるものは、法律上既に認定せられたる行

為なる以上は、今弦に一個の処為有るに当りて、其の事務

管理なるや否を識別せんには、矢張り反対論者の説の如く、

所為其者に付、直に事務管理の規則を適用するを至当とす、

然れ共事務管理なる者は、元是れ契約に非ず、要約者と第

三者との問に生ぜる権利関係を称するものなれば、要約者

と約諾者との間に於ける要約は、特別の規定なき限りは、

勿論普通一般の、合意成立の原則によりて解釈せざるべか

らず、而して財産篇第三百廿三条の規定は、此く奇怪にも、

事務管理の事項をして、児戯に類する結果を生せしむるに

至れり、

察するに我立法者は、敢て事務管理に関する要約を以て、

当然無効なりとせるの意志ありしには非ざるべし、元より

事務管理の行為を為すに要する合意も有効に成立し、要約

者は諾約者に対して、人権を獲得するものとしたるや疑な

し、然らば何故に前述の解釈を為すやと云ふに、是れ畢寛

法文の不完全なるに帰結すべき也、若し第三百廿三条の法

文にして、事務管理の場合の外云云なる一句の附文ありし

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『日本之法律』にみる法典論争関係記事(三)285

ならば、吾人を惑はしむること此の如くならざりしや必せ

り州而して我立法者が、何故此に注意せざりしやと尋求す

るに、余は仏国立法者の杜撰を踏襲せる過失なるべしと思

惟するなり、仏国民法第千百十九条には、第三者の為にす

る約諾及び要約を規定して曰く、一般に何人と難ども、自

己の為の外、自己の名義を以て約諾し、又は要約するを得

ずと、而して仏国立法者は、代理人及び事務管理人は、其

自ら為せる契約に因て、他人の為に要約し、且其契約より

生ずる人権は、直に其他人に属帰すべき規定を立てたるを

忘却したるなり、我民法は元より仏法典を直訳せる者にも

非ざれば、此等大に変形せる所ありと錐も、然れ共其事務

管理に関する場合の規定を忘れたる過失は、彼是其轍を一

にせる者と謂はざる可らず、論者或は日ん、合意の規定と

事務管理の規定とは各別の名義に基き、彼是同一なる者に

非ず、故に第三百二十三条は、事務管理云云を明言するの

要なしと、是れ立法の不完全なるを強て弁護し、敢て其非

を掩はんと欲するものにして、好て仏国法典の歓欠に倣ふ

者也、然らずんば註釈法典の名義を有する我民法が、何故

に一言半句を此処に吝みて、以て吾人をして其解釈を得さ

るに苦ましむるや、是故に余は、之を以て我立法者の不注

意に基因せしと断言するに揮らず、

 雑報(第四巻五号、明治二五年五月発免)

 「臭虫の身知らず」

法学新報、法典の編纂に与かりたる人々の法典実施を説く

を目して自画自賛、当にはならずといふ、却て知らず、ヤ

ケの極、非法典論を担き出せる法学士会、及び其尻馬に乗

る己れ等の徒が法典を非難するは、即ち非法典論の是なる

を天下に唱道するものにして、又是れ所謂自画自賛に外な

らざることを、正に是れ自殺的論鋒、

 「自家撞着」

英派法学士のワカラズヤの連中、法典攻撃の辞に窮するや

転ちいふ、是れ外人の手に成れるもの、(仏人の手に成れる

者といはさるはマダ感心)、焉んぞ採用すへけんやと、而し

て己れの談すところは外人の糟粕、(疑ふものは、英派の法

学校より出つる講義録を検せよ)、其書に筆するところのも

の又外人の糟粕、(縦令著述の文字を用ふるときと錐も、蘇

訳、1善くて纂訳に過ぎざるは是れ何よりの証拠)、乃ち満

身外人の糟粕より成るに拘はらず、法典の起草を為せる者

の外人なるを怪しむは怪しむ可し、之を是れ自家撞着とい

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286叢論律法

ふ、思慮あるものは為さず、

 「何ぞ唯た之を法に異しまん」

法典編纂外人の手にて起草せられしとて何かあらん、我が

邦百般の文物制度、皆是れ外来のものにあらざるはなし、何

ぞ唯々之を法に異しまん、

 「要は唯々実体の可否得失に在るのみ」

実体備し善からざらんか、固より之を改めさるへからず、実

体倫し失あらんか、何ぞ之を正すに吝ならん、余は喜んで

之を聴き、また歓んで之を容れん、

 「然れども」

法典規定の中、何れの点が悪しく、又何れの所が改めざる

べからざる、而して、施行の延期を為さざるべからざる程

悪しき点は那れなるか、先づ之を証し、先づ之を挙げよ、

 「彼れ等は常に之を言ふ」

曰く『法典の規定は不完全なり、宜しく之れを改めさるへ

からず」と、然れども唯々之を口にするのみ、その証を挙

げし者は幾人もなし、而して其証の挙がりしものも、極て

碩細の暇疵、固より以て施行延期の価あることなし、

 「其他の如きは」

恰も盲人の失を発つに異ならず、発つこと多きも当ること

なし、山喜法学士の大言、江木法学士の法螺、土方博士の籐

言、加ふるに日報記者の妄想、比々皆然らざるはなし、其

痴其愚、憐れむべしと難も、其法典の威力を損するに至て

は恕すべからず、

 「日報記者」

如何に思ふてか、近頃、梶を法典非難に向け、延期修正の

必要を説く、其論冗長、古独鼻揮と長きを争ひ、其理、晦

朦、馬鹿の披露を為すに異ならず、稜れたる紙面為に愈々

稼る、惜くも何ともなし、

 「法学新報記者」

『法治協会に於て、法典実施の運動費に充つるか為に、金

三万円を出す』と羨しそうにいふ、如何に焼けたればとて、

、  、  、

 「法典実施意見書」

法学士会々員の手に成るといふ、余輩は其参考書を併せて

之を見たり、無心に之を評せば、寝言の共進会、愚痴の陳

列所に異ならず、而して中には民法を見しことなき者が書

きしと思はる・箇所また勘からず、殊に日報記者の筆鋒と

同じく、新法典は憲法の命令権を減縮すと説くの章、其他

新法典は倫常を壊乱すといふの点杯、得意の謬論誤説、山

Page 45: 243...243 244 叢 律 論 法 二、『日本之法律』の法典論争関係記事 D.第四巻(明治二五年) 衛門氏の駁撃を為せること其れ其二つ、此二つの反対、殊中司法大臣の反対せること是れ其一つ、有名なる永井松右て事の外つれ易き、意外の

『日本之法律』にみる法典論争関係記事(三)287

の如く沢の如し、而して悟然、民法を目して不完全なりと

いふ、余は毎度なから彼等の鉄面皮に驚く、

 「之を秘密にするは何の必要に基く」

法学士会の法典実施延期意見書、秘密の字を書して之を各

大臣、両院議員、其他朝野有力の人に頒ちたり、敢て問ふ、

故らに之を秘密にする、知らず何の必要に基く、

 「其論するところ公正ならば」

別に之を隠すに及はさるにあらずや、それとも反対党の者

の攻撃を恐れてか、但しは又、見られて妄を知らるるが恥

かしいか、

 「公事を議するに秘密を以てす」

法学士会今回の運動費とに是れ、卑、卑、卑、随、随、随、

其為すところは知るべきのみ、

 「法治協会と法学士会」

法治協会、法学士会と対時して法典問題に運動を試みんと

す、知らぬものは見て以て双龍、深淵に壁を争ふものと為

す、而して知れるものは見て以て釣鐘と提灯の角力と為す、

釣鐘と提灯、初よりして比較にならず、

 「陀手段」

法典の修正は何人も異議なきところ、唯々異議あるを免か

れざるは、之を実施の前に為すか、将た之を其後にするか

に在るのみ、法学新報記者の狡檜なる、故らに知らざるの

風を装ひ、筍も修正を唱ふるものは、誰彼の別なく、皆援

て以て味方なりといひ、以て虚勢を張る、何ぞ其れ随なる、

援くものの都合はさることながら、援かるものの迷惑は之

を察せざるべからず、

 鬼頭玉汝「我国法律学の前途」

          (第四巻⊥ハ号、明治二五年六月発見)

幾百千の時日を費やし、幾千万の金額を失へ、幾度か頓挫

し、幾度か断続し、僅に其成を告けたる民商二法典の施行

延期法律案は、又々貴族院議員村田某等の提出する所とな

り、大多数を以て可決せられたり、

該延期案の衆議院に於ける運命如何は、寸前闇黒の此節柄、

何人も関心して措く能はさる所なるへし、我輩が、我国法

律学の前途に付て、弦に魯直の言を為すの已むを得さる所

以のものは、亦唯此学を思ふの微衷のみ、山豆他あらんや、山豆

他あらんや、

抑々英、仏、独の三者は、本邦法律学派の最強なるものに

して、唯独派の力、之を他の二者に比すれは梢蓬庭ありと

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288叢勢ロ冊律法

錐も、英仏二派の一長一短は、其力相頷頑して下らず、各

其流亜を朝野に有し、機に触れ会に乗して衝突抗争するこ

と久し、特に数年前幾多強大の私立学校勃興せしより以来

嘗て散点隠伏せる諸の異分子は、此に到て判然其所属を別

ち、天下の学者、子弟、荷くも少しく法律に志すもの、仏

に帰せさるは則ち英に帰し、或は否らされは独に入る、而

して英仏二者の競争殊に益々甚しく、之が機関雑誌は、局

外者をして、寧ろ純粋なる学術攻究に在らずして、冷嘲熱

罵の応答かと疑はしめしことさへあるなり、勢此の如くし

て、一に其学生の多からんことをこれ貧り、以て互に俗間

に誇揚せんとす、之よりして、法律書生、就中特別認可志

願者の間に在ては、流弊百出、間々言ふに忍ひざるものあ

りと聞けり、是亦事物必然の勢にして、之を然らしめたる

の責は誰に帰するや、我輩の詰問を待たすして自から中心

に悪謝するものあるべし、

夫れ然り、法律諸学派の相争ふや固より一日に非す、其弊

固より悲む可きものありと難も、醗て他の一面より之を観

察し来れば、其利益亦決して勘少にあらず、即所謂佗山の

石なるもの、互に相切瑳啓発して、結局此学の進歩を促す

に足るものあり、是我輩が流派の紛々たるを厭はすして、

多々益々盛ならんことを翼望する所以なり、

然れとも、慾の世の中なり、利の世界なり、況んや又確乎

たる遠大の目的を抱て、篤く一科の学に志すもの稀なるの

時節なり、其志小に、其識薄く、然も目前の利益を得るに

忙し、此無気力無精神の少年を駆て、順逆朝夕を保せさる

流潮中に屹然たらしめんとす、抑亦難ひ哉、立脚の堅から

さる、歩武の低さ、風声鶴喚に動揺して、日々に適従する

所を知らず、其随笑ふ可きも、其情や憐むべし、嚢に民法

商法の施行、明治廿六年一月よりと定めらる・や、天下多

数の法律学生は、之に依て一たび其心を定めたるものなり、

然るに、延期論の世上に再燃すると共に、再び悸恐の念を

起し、其貴族院の問題に上ぼるに及んでや、端なくも一大

恐慌を生するに至れり、今や断行延期両派論者の議論、尚

ほ正さに是非の酎戦中に在り、故に前日の一敗一勝、未だ

必ずしも大勢を制するに足らずと云ふ可し、而して其敗者

の言に曰く、彼等が国体倫常を説くは、俗耳を購着し易き

辞柄を籍るに過さるものなり、名を国家に托して自家の利

を営まんと欲するものなり、他の不平漢を煽動し、之を利

用して自家の野心を逞ふせんとするものなり、表に公平を

装ふて、其実色気を売るものなり、修正に托言して遂に無

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『日本之法律』にみる法典論争関係記事(三)289

期の延期に没了せしめんとするものなり、曰く何、曰く何

と、蓋し事物の内相は、之を発露せば間々臭見るに堪へさ

ることあり、但し我輩は、今この問題に関して其如何を追

討するを要せず、南瓜の頭も冬瓜の頭も、之を集むれば則

ち多数なり、如何なる公平の理由も必要の政略も、多数の

二字をば奈ともするを得ず、況んや堂々たる帝国貴族院に

於て、雲卿月客、博士豪農等、高名令聞ある諸種の士君子

が、討論連日、余藏なきを期せられたる決議に於てをや、今

更に死児の齢を算して之に蝶々の議を挿むは既に晩し、

我輩は昨今一部の議論を聞き、之を既往二十有余年間、我国

家進歩の歴史に照察して転々感慨に禁へさるものあり、憾

むらく、此種の議論をして、其勢力を二十年前に有せしめ

ざりしことを、縦令然らさるも、せめては之を数年の前に

発せしめさりしことを、今や我日本帝国は、既に其憲法を

有し、其刑法を有し、其訴訟法を有し、其諸種の地方自治

行政制度を有し、一切の法律制度、略ぼ殆んど往時の所謂

異国、即欧米諸国と相異なることなきに至れり、是明治初

年以来、上下の鋭意熱心せる結果にして、国家の生存発達

に必要なる重大の公私法は、僅に民商二法典の施行を侯て、

苑に一と通りの完成を告けんとするものなり、之を古語に

籍れば、九例僅に一費を欠くものなり、彫刻既に成つて将

さに眼晴を点せんとするものなり、我民商二法を以て、之

を我国既存の法律全体に比すれば、是一費のみ、是眼晴の

み、一費なきも丘を為すものは既に丘たらんとし、眼晴を

点せさるも、達磨の木像は既に達磨たらんとす、其丘たり

達磨たるに及んで、猶且つ一篭一晴を以て之を別物たらし

めんと希ふは、抑々亦大体に通せさるの論たるを免れんや、

今時の日本は旧時の日本に非す、之を世界進運の大勢に徴

し、之を列国国際の関係に考へ、其議論果して実際に行へ

得べく、其理由果して中外に持するに足る乎、彼区々醒齪、

虚名を貧り俗誉を求め、論語読みの論語知らずの批評を免

れんと欲して、特に一種装飾中立公平的の愚論を吐き、一

には俗人の歓心を買へ、一には国家の長計を誤るもの・如

き、又其中心既に自家理由の非なるを暁知し、猶且つ牽強

付会、幾多の好辞柄を仮り来て、思想単純、識見浅薄なる、

門地的履歴的政治家を欺岡左祖せしむる者の如き、若しも

世に此類の徒あらば、実に悲憤すべきの極にして、沙汰の

限りと言ふの外なし、然れとも、我輩は此に到て尚ほ国民

の多数を信するものなり、断行と延期との利害得失は、我

輩の言を待たさるも、既に人民各個が久しく自から熟知す

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290

拠論律法

る所なるべし、今日に於て、枝葉を好まさるものは果して

其根幹を抜くの勇ある乎、小者に密にして大者に忽かせに

す、世に此理ある乎、荷も国家の何物たるを解する者は、容

易に会心するあるや必せり、

民商二法典は、其必要如何に拘はらず、又其関係如何に関

せず、今や其延期の運命は、懸けて衆議院の上に在り、衆議

院果して如何に之を迎へんとする乎、政府遂に如何に之を

断せんとする乎、我輩は今皆二者に対して言ふ所なし、彼

れ等固より応さに、彼れか公平なる議決を為し、彼れか断

乎たる処分に出つるなるべし、山豆に必しも人言を待つもの

ならんや、我輩が特に本誌を仮つて世上先進の学者に訴へ

んとする処は、実に我法律学の前途に在り、旗幟城壁、各一

方に割拠し、機会ある毎に師を出して鹿を中原に逐はんと

す、壮は則ち壮、然れとも国利民福の増進を口にし、若くは

則ち学識研究の生涯を標するの士君子たる者、其国家未曾

有の大典に関し、是非の議論を上下するに方り、一点の私

心なきを希はさるを得ず、法典果して断行すべくんば、百

難を排し万障を破り、鷺々たる衆愚の論、若し之に抗する

ありとも、力を極めて之れを実施せしむるを力むべし、法

典果して修正すへき乎、委員の組織、猶予の制限、真に能

く修正の目的を達せしめ、再ひ之を曖昧摸稜の裡に葬むり、

彼の私利的論者をして其術智を施すに途なからしむるを期

すべし、抑々学者の江湖に重視せらる・所以のものは、其

知識あるに在り、其偏頗なきに在り、然るに一団の黒とす

る所は一団挙て之を白とし、未だ嘗て其間に真個公正の議

論を聞くこと少なきを憾ましむる如きもの、是将た何に由

て然るや、思ふに此二法典にして、施行にも非す、修正に

も非ず、遷延推移して終局する所なからしめんか、僅に発

達し来れる我法律学は、群心動揺の為に乏々として、其進

歩を妨けらる・こと幾何なるを知るべからず、而して彼の

多情無節の就学者をして、陰晴定めなき濠霧冥々の中に於

て、英仏間の海峡に漂はさしむるものなり、是山豆先進者の

責なしとせんや、世の天狗党、大に猛省する所なかるべか

らず、

 天狂道人「旧慣保持論の結果」

          (第四巻六号、明治二五年六月発見)

嘉永癸丑の際、黒船きたつて我が邦人の胆魂を冷してより、

我が邦の機運は日進月歩、↓旱ろ急進激歩、三千世界の歴

史中、幾んど其の比を見ざる程の、長足の進歩を為したる

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『日本之法律jにみる法典論争関係記事(三)291

は幸か不幸か、凡そ物には必ず利害の伴ふものなるを以て、

仮設之を幸なりしとするも、是れ唯た幸の点多かりしとい

ふに過ぎずして、害は絶て無かりしといふにあらざると等

しく、仮りに之を不幸なりしとするも、是れ亦不幸の廉多

かりしといふに外ならずして、利益は少しも無かりしとい

ふにあらざるは論なきなり、矧や開国交通の利を我れに与

へしことは無量無数、何人も之を疑ふを容さざるほど明ら

かなるもの存するにおいては、吾人は開国の畢寛我れを利

益したるを断言して揮からず、而して是れ皆進歩主義の致

すところなるを知るときは、此主義は到底之を舎つること

能はざるなり、

然るに何事ぞ、近日の我が邦の機運-殊に其法学界裡に於

ける機運は、ひたすら保守に傾かんとするの兆あるは何事

ぞ、山豆に進歩に厭きてか、開明を嫌ふてか、抑々亦保守の進

歩主義より利益を我れに致すことの多くてか、咄、咄、咄、

近頃我法学界裡に於ては、旧慣保持、古例墨守の説盛に行

はるるを見る、是れ其保守主義の行はるる傾ある著しき証

なりとす、而して此説は、一応之を開くときは、尤らしくて

穏かで、ソーして又利益ある様思はるるも、咀噛玩味、少

しく之を考ふるときは、ツマラナクテ乱暴で、ソーして又

弊害あることを発見するに難からず、

蓋し旧慣は必ずしも破ぶるべからざるものにあらず、又古

格は必ずしも守らざるべからざるものにあらず、否らざれ

ば則ち社会は退歩するの外あることなく、改良進歩は夢に

も見ること能はざるなり、先づ試に見よ、往時の日本に於

ける旧慣古格が如何にありしかを見よ、往時我が日本は、

  立憲政体ありしことなく、

  裁判は秘密に行はれ、

  人民に政治の得失をいふの権なく、

  武士威張りて町人ヘコミ、

  財産の権利は輩固ならず、

  大船巨舶は造ること能はず、

  外国貿易罷りならず、

  苗字あるものは特許ありしものに限り、

  刑罰峻酷、法令苛厳、おまけに之を執行するものは残

  忍狂妄、

  学は『子曰く』の研究に止まり、

  器械に瓦斯や蒸汽を用ゐしことなく、

  豚を喰はず、牛喰はず、固よりビフテキ、オムレツの

  味を知らざれば、葡萄酒、ビールに喉を鳴せるものあ

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292叢論律法

  ることなし、

  郵便の制度は綾に飛脚屋に依て便ぜられ、電信電話の

  利益は丸で知らず、

  講義録を売るものなければ之を買ふものもなく、(従て

  之を商ふて生命を繋ぐ学校もなかりし)、

  新聞雑誌は曾て存在せざりし、

ア・是れ官疋に往時の日本の状況にてありしなり、即ち其旧

慣若くは古格にてありしなり、而して今は即ち廃せられて

無し、而して無くて人其不便を鳴さ“るのみならず、却て

其利益を称へて止まず、然れば即ち、旧慣必ずしも守るべ

からず、古格必ずしも遵ふべからざるにあらずや、旧慣の

廃棄何かあらん、古例の廃止何かあらん、況や其謂ふとこ

ろの古例なるもの真の古例にあらずして、又其謂ふところ

の旧慣なるもの真の旧慣にあらざるに於てをや、而も尚ほ

論者は、旧慣の保持を唱へて、右の結果に到着するを顧み

ざるか、

如水剣客「法律論評」(三)

         (第四巻六号、明治二五年六月発党)

   民法財産取得[篇]第四十二条

仏朗西民法(第千五百九十九条)は、他人の物の売買を以

て無効と為したること、我か民法(財産取得篇第四十二条)

に異なるなきも、唯々彼れは、所謂『無効』の文字を、或

は取消し得べきの意に用ゐ、或は不成立の意に用ふるを以

て、無効の意義に就ては、学者の間議論紛々、法典発布後

百年に幾き今日、伍未だ帰結を同ふするに至らざるは、ま

ことに奇怪と謂ふの外なきなり、而して我が民法に於ては、

『無効』の文字は、不成立の意の外に之を用ゐざるを以て、

無効なる文字の意味に就ては、別に解釈上の議論を生する

ことなしと難も、然れども、之を無効なりと決したること

に就ては、異論を唱ふるものなきにあらず、法学博士梅謙

次郎君の如きは其中の一人なり、曰く、

 立法者が第四十三条(財産取得篇)の規定を設けたる所以

 [の]ものは、近世の法律に於ては、売主は必ず所有権を

 買主に移転することを約せるものと為すが故に、若し売

 主にして所有者たらさるときは、其所有権を移すこと能

 はさるに由ると難も、余を以て之れを見れば、皮想の論

 たるを免かれさるなり、蓋し士写王が必ず所有権を買主に

 移転す可きことは、別に疑を容るるを許ささるも、為に

 売主必ずしも売買の当時に其所有者たることを要せざる

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『日本之法律jにみる法典論争関係記事(三)293

なり、論者試に思ひ、代替物を売れる場合に於ては、売主

は、必ずしも売買の当時に其物件を所有するに非ず、然

り而して、買主に之が所有権を移転することを約するに

非ずや、而かも未だ此売買を以て無効と為せるものある

を聞かず、然れば則ち、特定物の売買に於ても亦他人の

物の売買を以て無効と為すの理あらざるなり、論者或は

日はん、仏国民法第千四百四十八条、我が民法財産篇第

三百三十一条に依れば、特定物の売買は、契約の当時直

ちに所有権を移転すべきものとす、然るに物件売買の当

時未だ士写王の所有に在らざるときは、如何してか直ちに

其所有権を移転することを得ん、故に他人の物の売買は

無効なりと、是れ亦其一を知りて未だ其二を知らさるも

のなり、夫れ論者が援引せる法条は、皆な諾約者の意思

を推測して、之が概則を設けたるものにして、結約者に

於て、其反対の明約を為すことを得るは言を待たざる所

なり、今や直ちに其所有権を移転せんこと是れ為す能は

ざるに在り、故に右の諸条は菰に之を適用すること能は

ざるなり、而して此諸条を適用すること能はさるが故に

契約無効なりと日ふは、山豆に敢て条理に合へるものと為

さんや、

特定物と代替物とは其間浬潤の差あり、従て其効亦大に同

じからざるが故に、代替物を目的とする契約に於て、之を

有せざる者之を売ることを約するも、其契約は無効たらさ

るの故を以て、特定物を目的とする売買に於ても、売主其

物を有せざるも、其契約無効たらずといふこと能はざるな

り、蓋し代替物とは、他物を以て替換し得る物の総称に過

きさるが故に、縦令当事者双方に於て欲するも、此物の所

有権は直ちに(即ち物を確定せしめずして)移転せしむる

こと能はず、従て此者を目的として売買を為せるものに、

所有権を直ちに転移せしむることを望む者はあらさるべき

も、(縦しや有りとも効なし)、特定物は、契約と同時に所

有権を移転するは、近世法律の定むる所、而して当事者双

方の望む所、然るに、其物にして売者に属せざらんか、其

契約は直ちに所有権を移すの効を生すること能はず、従て

買主の得んと欲せる目的(即ち買主の義務の原因)は此に

欠訣するが故に、其契約は無効たらさらんと欲するも得ざ

るなり、之を如何ぞ、代替物を目的とする場合に於て、売

主其物の所有者たらさるも契約有効なるの故を以て、特定

物を目的とする場合に於ても亦同一ならさるべからずとい

ふを得んや、知らず、論者は原因訣くるも尚契約は成立す

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294叢論律法

るに妨なしとするか、妄、

斯く云はば或は日はんか、特定物を授与する合意の場合に

於て、直ちに所有権の移転するものと為せるもの・如きは、

(財産篇第三百三十条一の規定)、当事者双方の意を推して

定めたるものなるが故に、当事者の意、不らさるに在るこ

と明らかなる場合に於ては、此規定は、固より之を適用す

ること能はずと、然り、財産篇第三百三十一条の規定は、当

事者の意を推測して定めたるものには相違なきも、所有権

の移転を他日に延ばす(所有権の移転を他Bに延ばすは即

ち所有権に期限を附するものなり)は我か民法の無効とす

る所也、(停止条件を附して、此所有権移転の運命を他日に

定むるを約するは然らず)、之に加ふるに取得篇第四十二条

の規定は、当事者の意、即時に所有権の移転を為さしむる

に在るときにのみ適用せらるへきものなるを以て、所有権

の移転を、他日に定まる運命に委するの契約は、固より之

を無効とすることあらさるなり、然れば即ち、他人の物の

売買を無効なりと為せる取得篇第四十二条の規定は、毫も

不可なることなきにあらずや、故に余は、此条に対する論

者の批難は、之を正当のものと思はず、

我か民法の立法者にして、他人の物の売買に就き規定する

こと、右の如くにして止みしならば、本条は実に善良の法

則なりしなるべきに、立法者は之れにて満足せず、更に進

んで左の一項を附加したり、曰く、

 然れども、売主は、売買の際、其物の他人に属するを知

 らさるに非ざれば、其無効を援用することを得ず

夫れ成立せざる売買は、何人も(荷も利害の関係を有する

ものは、仮令悪意の売買と難とも)之れを援用し得へきは

理の正しきものにあらずや、然るに、一方に於ては売買の

不成立を明言し、他方に於ては或る者(悪意の売買)に之

れを援用することを禁ず、矛盾する所なきを得んや、思ふ

に、我が立法者の賢明なる、之を知らさるにあらざらんや、

但々己れの物にあらざることを知りて他に売れるものに、

其売買の無効を唱へしむるは、立法者の衷心忍びざるもの

ありしに由れるや必せり、之を思へば柳か恕すべき所なき

に非ずと錐も、然れども、此の如き事情は、其売主に賠償

の責任を負はしむるに足るのみ、其売買の無効を唱へしめ

さるの理由とは為すこと能はざるなり、乃ち本項の規定は、

到底之を剛除するの可なるに若かざるなり、

雑報(第四巻六号、明治二五年六月発見)

Page 53: 243...243 244 叢 律 論 法 二、『日本之法律』の法典論争関係記事 D.第四巻(明治二五年) 衛門氏の駁撃を為せること其れ其二つ、此二つの反対、殊中司法大臣の反対せること是れ其一つ、有名なる永井松右て事の外つれ易き、意外の

『日本之法律』にみる法典論争関係記事(三)295

 「唯夫れ法典問題か」

此問題は、無事に貴族院を通過し来れるものなれば、今度

の議決こそ真の議決にして、法典の運命は之に因て定めら

る・ものたり、而して延期、断行の両派は、何れも相応に

賛成者を有すと聞けば、愈々開戦の暁に至らば、定めて激

しき戦闘を見るなるべし、知らず、其結果は如何なるべき

乎、延期か、断行か将た又其折衷(一部延期)か、未だ其

結果を見ざるの今日、固より之を確言するに由なしと難も、

感情を離れて、即ち妬心なく、過慮なく、且偏見妄想なく、

能く心を潜めて此問題の是非得失を考案するときは、無論、

余は断行論の勝つべきことを予言するに揮からず、蓋し延

期論の本拠は法学士会なり、而して其の金城湯池と頼む所

は、彼等の仲間の手にて成れる《法典実施延期意見書》にい

ふ所の外に出でず、然かるに該意見書たる、法典を傷けん

とする彼れ等の野心と、法典の解釈に馴れざる彼れ等の眼

と、法理に迂き彼れ等の考とによりコ子あけられたるもの

に過ぎざれば、全文皆謳妄、不らされば則ち謬論誤説、到

底衆議院内多数の者を籠絡するに適当ならざればなり、読

者若し之れを疑はず、余輩が左に掲ぐる弁妄書(法治協会

起稿)を読みて之れを知れ、

【以下、法治協会「弁妄書」は省略する…拙稿「斉藤孝

治・監入太輔・和田守菊次郎編『弁 妄』」『法律論叢』

第七八巻一号、参照】

法典延期論者常にいふ、法典不完全の箇所は枚挙に逞あら

ず、其修正を要するの所、一々屈指に耐えずと、余克く其

説くところを聴き細に其論ずるところを視るに、不完全の

説却て渠れ等の説くところに多く、誤謬の論却て渠れ等の

論ずるところに多し、而して其完からざるものを除き、其

謬まれるものを去れば、所謂渠れ等の説なる者のあること

なきは右いふ所の如し、山豆不完全の説を吐くことは渠等の

持前にして、而して誤謬の論を為すことは渠等の特有なる

に由るか、

 「或る人」

『法典に対する謬説の問屋は即ち英法学者なり』といふ、知

らざるものは以て酷評とせん、然れども、事の実際を知れ

るものは、則ち此語の至当なるに服す、

 「延期論者の好策」

法典延期論者、殊に人の注意を惹き、以て味方を募るに便

                   ママ 

せんが為め、法典攻撃の論拠を、『倫常の壌乱』、『大権の侵

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新論律法

害』等に取る、其策は則ち可なるも、其世を欺き、人を議

り、以て其間に私を済ぜんとするは恕すべからず、

 「然れども是尚可なり」

其大権の文字を屡し、至尊の威光をカサに被て反対論者を

中傷せんとするに至ては、明らかに是『城孤社鼠』、他人の

庇蔭の下に生を柳せんとするもの、吾人は力を極て其掃蕩

駆逐に努めさるべからず、不らずんば則ち此種の卑劣論者

続々現はれ来りて、而して大権は遂に此等狡徒の汚蔑する

ところと為るを免かれざるべし、是事体軽からさるもの、読

者亦之を傍観すること能はず、

 「内閣の決心は如何」

一派法学者のいふところによれば、民法は倫常を壊乱し、

其他著しき数多の暇瑛を有するものなり、而して民法は此

等の理由の為に貴族院を通過したり、余は、衆議院の、此

れ等の理由の為に欺騙せらるることなく、能く法典延期法

案を喰止むべきを信すれども、万に一ツ、此の如き理由を

以て、この法案が衆議院をも通過したりしならば、我が内

閣諸公は之れを如何せんとするか、之れを今日までの形況

によりて察するに、法典問題は、諸公の余り重要視せざる

が如く見ゆるも、法典の暇瑳、}派法学者のいふところの

如しとせば、諸公は、倫常を壊乱するところの法律に裁可

を得たるものなり、輔弼の責を尽せるものといふべからざ

るや明けし、而して其罪、震災救撞支出の件を議会に否認

せられたるに勝る、倫し不同意を唱へて断行を為すの勇気

なくんば、則ち責を引て其位を去らさるべからず、断行か、

引退か、諸公の択ふところのものは其れ敦与ぞ、

 「江木法学士」

法典延期論者の筒先なる江木法学士、曾て民法人事篇を評

していはく、是れ法典中に於て最も可なるもの、見るべき

ものは唯々此部のみと、然るに、今氏のいふところを聞け

ば、曰く人事篇は耶蘇教国の法理を輸入す、曰く箇人主義

を取つて家族制を壊る、曰く君父家長を汚蔑し、固有の倫

常を紫乱すと、凡そ世の欠点鍛所、一も之を旦ハせざるなき

が如く罵倒す、民法人事篇にして果して此の如きの欠点暇

所あるか、肝は姑く問はずして可なり、余は氏の見解の前

後著しく差違あるを問はんと欲するなり、其前に見て以て

可なりといへるもの真ならんか、今之を目して甚だしき暇

瑛あるものと為すは則ち立たず、又今いふところにして真

なるものとせんか、其前にいへるところのものは誤れるも

のと為さずるべからず、而して氏の不明不知、其いふとこ

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『日本之法律』にみる法典論争関係記事(三)一

ろは当にならさるもの也との誘は、敦れにするも免かる・

能はざるなり、氏は其前に見て以て見るべきものと為せる

ものにして、今は則ち法典中の最とも非なるものと為すの

明あり、安ぞ知らん、今日其見て以て蝦瑛ありと為すもの、

他日亦善美なるものとして称揚するの期あることを、要之

するに氏の見解は正確ならず、時により、又処によりて変

すべきものなるを以て、其今日吠え立てて狂ひ廻はる言の

如き、決して後に変ぜざるものなりといふこと能はざるな

り、聞くもの、それ宜しく注意して其言ふところに迷はさ

るることあること勿れ、

                       (未完)

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