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2050年まで日本は持つのか?AI が示す「破綻と存続のシナリ オ」 810年後に決定的な分岐点が来る 広井 良典 京都大学こころの未来研究センター教授 プロフィール AI活用によって未来を予測し提言する――そんな取り組みが日本で行われている。京都大学 の広井良典教授らと日立が共同研究し、日本の未来シナリオとその分岐点を解析した。一体 どのようなものか。広井教授が解説する。 AIは未来予測や政策に活用できるか AI(人工知能)」という言葉が、あらゆる場面に登場している。 アメリカの未来学者カーツワイルが唱えたいわゆる「シンギュラリティ(技術的特異 点)」論ないし“2045年問題”のように、最高度に発達したAIがやがて人間を凌駕し、さら にはそれが人体改造された人間と結びついて“永遠の意識”が生まれるといった議論も存在 する。 また、AIによって人間の仕事ないし雇用の大半が取って代わられ大量の失業が生まれると いった話題は繰り返し論じられている。 しかし昨今の議論を聞いていると、いささかAIの能力が過大評価ないし“神聖化”されてい るように思われることが多い。 私は1980年代末の2年間をアメリカのボストンで(MITの大学院生として)過ごしたが、 当時はAIの「第二次ブーム」と呼ばれている時期で、現在と同様にAI論が非常に盛り上が っており、“病気の診断もすべてAIが行うようになるので医者はいらなくなる”といった議 論もよく行われていた。 その後いったんそうした「ブーム」は沈静化し、やがてリバイバルとなったわけだが、そ うした流れからも、少し冷静な視点が重要だろう。

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2050年まで日本は持つのか?AIが示す「破綻と存続のシナリオ」8~10年後に決定的な分岐点が来る

広井 良典京都大学こころの未来研究センター教授プロフィール

AI活用によって未来を予測し提言する――そんな取り組みが日本で行われている。京都大学の広井良典教授らと日立が共同研究し、日本の未来シナリオとその分岐点を解析した。一体どのようなものか。広井教授が解説する。 AIは未来予測や政策に活用できるか「AI(人工知能)」という言葉が、あらゆる場面に登場している。アメリカの未来学者カーツワイルが唱えたいわゆる「シンギュラリティ(技術的特異点)」論ないし“2045年問題”のように、最高度に発達したAIがやがて人間を凌駕し、さらにはそれが人体改造された人間と結びついて“永遠の意識”が生まれるといった議論も存在する。また、AIによって人間の仕事ないし雇用の大半が取って代わられ大量の失業が生まれるといった話題は繰り返し論じられている。しかし昨今の議論を聞いていると、いささかAIの能力が過大評価ないし“神聖化”されているように思われることが多い。私は1980年代末の2年間をアメリカのボストンで(MITの大学院生として)過ごしたが、当時はAIの「第二次ブーム」と呼ばれている時期で、現在と同様にAI論が非常に盛り上がっており、“病気の診断もすべてAIが行うようになるので医者はいらなくなる”といった議論もよく行われていた。その後いったんそうした「ブーム」は沈静化し、やがてリバイバルとなったわけだが、そうした流れからも、少し冷静な視点が重要だろう。

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〔PHOTO〕iStockいずれにしても、このようにAIに対する社会的関心が高まっている中で、私たちの研究グループ(私を含む京都大学の研究者4名と、2016年6月に京都大学に創設された日立京大ラボのメンバー数名)は2017年9月、AIを活用した日本社会の持続可能性と政策提言に関する研究成果を公表した(「AIの活用により、持続可能な日本の未来に向けた政策を提言」ウェブサイト参照)。その内容は、AIを活用して2050年頃に向けた約2万通りの将来シミュレーションを行い、併せて採られるべき政策の選択肢を提起するという趣旨のものだった。“AIを活用した社会構想と政策への活用”という研究はほとんど日本初のものだったこともあり、政府の各省庁、関連機関、地方自治体、民間企業等、各方面から多くの問い合わせをいただき、こうしたテーマに対する関心の高さと手ごたえを感じた(たとえば長野県庁の取り組みについては、「県の政策、AIが提言――18年度、実証研究実施へ」日本経済新聞・長野版2012年2月2日付記事参照)。ここではその概要を紹介するとともに、その先に展望される日本や世界の未来像について若干の議論を行ってみたい。

今回の研究の出発点にあったのは、現在の日本社会は「持続可能性」という点において“危機的”と言わざるをえない状況にあるという問題意識である。日本社会が持続可能性において危機的であるということは、多くの事実関係から言えることだが、特に次のような点が重要ないし象徴的な事柄と言えると思われる。(1)財政あるいは世代間継承性における持続可能性しばしば指摘されるように、政府の債務残高ないし借金が1000兆円あるいはGDPの約2倍という、国際的に見ても突出した規模に及んでおり、言い換えれば膨大な借金を将来世代にツケ回ししていること(2)人口における持続可能性生活保護受給世帯ないし貧困世帯の割合が90年代半ば以降急速に増加しており、格差が着

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実に広がるとともに、子ども・若者への支援――筆者が「人生前半の社会保障」と呼んできたもの――が国際的に見てきわめて手薄いことから、若年世代の困窮や生活不安が拡大し、このことが低出生率あるいは少子化の大きな背景となっていること(3)コミュニティないし「つながり」に関する持続可能性著名な国際比較調査(ミシガン大学が中心に行っている「世界価値観調査World V?lues Survey」)において、「社会的孤立度」(=家族などの集団を超えたつながりや交流がどのくらいあるかに関する度合い)が、日本は先進諸国においてもっとも高くなっていることこうした事実に示されるように、現在の日本は持続可能性という点において相当深刻な状況にある。そして、「2050年、日本は持続可能か」という問いをテーマとして設定した場合、現在のような政策や対応を続けていれば、日本は「持続可能シナリオ」よりも「破局シナリオ」に至る蓋然性が高いのではないか。こうした問題意識を踏まえ、AI技術を活用し、また「幸福度」といった主観的な要素も視野に入れた形で将来シミュレーションを行い、日本社会の未来の分岐構造がどのようなもので、またどのような対応がなされるべきかを探ったのが今回の研究である((図1)参照)。

具体的には、以上のような関心から私を含む京都大学の4名の研究者が挙げた149個の社会指標についての因果関係モデルを構築。その後、AIを用いたシミュレーションにより2018年から2052年までの35年間の期間にわたる約2万通りの未来シナリオ予測を行った。それらをまず23のシナリオ・グループに分類した上で、最終的に6つの代表的なグループに分類した(分類にあたっては、①人口、②財政・社会保障、③都市・地域、④環境・資源という4つの局面の持続可能性と、(?)雇用、(b)格差、(c)健康、(d)幸福という4つの領域に注目した)。その具体的イメージについてはまず図2及び図3を参照いただきたい(これらの意味についてはこの後でさらに説明する)。

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集中すべきか、分散すべきか

1)2050年に向けた未来シナリオとして主に「都市集中型」と「地方分散型」のグループがあり、その概要は以下のようになる。(+)都市集中型シナリオ主に都市の企業が主導する技術革新によって、人口の都市への一極集中が進行し、地方は衰退する。出生率の低下と格差の拡大がさらに進行し、個人の健康寿命や幸福感は低下する一方で、政府支出の都市への集中によって政府の財政は持ち直す。(b)地方分散型シナリオ地方へ人口分散が起こり、出生率が持ち直して格差が縮小し、個人の健康寿命や幸福感も増大する。ただし、次項以降に述べるように、地方分散シナリオは、政府の財政あるいは環境 (CO2排出量など)を悪化させる可能性を含むため、このシナリオを真に持続可能な

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ものとするには、細心の注意が必要となる。

〔PHOTO〕iStock(2)8~10年後までに都市集中型か地方分散型かを選択して必要な政策を実行すべきである。今から8~10年程度後に、都市集中型シナリオと地方分散型シナリオとの分岐が発生し、以降は両シナリオが再び交わることはない。持続可能性の観点からより望ましいと考えられる地方分散型シナリオへの分岐を実現するには、労働生産性から資源生産性への転換を促す環境課税、地域経済を促す再生可能エネルギーの活性化、まちづくりのための地域公共交通機関の充実、地域コミュニティを支える文化や倫理の伝承、住民・地域社会の資産形成を促す社会保障などの政策が有効である。(3)持続可能な地方分散型シナリオの実現には、約17~20年後まで継続的な政策実行が必要である。地方分散型シナリオは、都市集中型シナリオに比べると相対的に持続可能性に優れているが、地域内の経済循環が十分に機能しないと財政あるいは環境が極度に悪化し、(2)で述べた分岐の後にやがて持続不能となる可能性がある。これらの持続不能シナリオへの分岐は17~20年後までに発生する。持続可能シナリオへ誘導するには、地方税収、地域内エネルギー自給率、地方雇用などについて経済循環を高める政策を継続的に実行する必要がある。以上がシミュレーション結果の概要だが、将来の日本社会が分岐していくシナリオのイメージを示したのが(図2)で、赤い部分のグループが「都市集中型シナリオ」で他が「地方分散型シナリオ」であり、両者が互いに離れて分岐している様子が示されている(これは2042年時点のもの)。研究を進めた私自身にとってもある意味で予想外だったのだが、AIによる日本の未来についての今回のシミュレーションが示したのは、日本全体の持続可能性を図っていく上で、

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「都市集中」――とりわけその象徴としての東京への一極集中――か「地方分散」かという分岐ないし対立軸が、もっとも本質的な分岐点ないし選択肢であるという内容だった。言い換えれば、日本社会全体の持続可能性を考えていくうえで、ヒト・モノ・カネができる限り地域内で循環するような「分散型の社会システム」に転換していくことが、決定的な意味をもつということが示されたという点である。以上が今回私たちが行った、AIを活用した日本社会の未来に関するシミュレーションの概要だが、「地方分散型シナリオ」と言っても、現在の日本はあまりにも一極集中が顕著であるため、そのイメージがつかみにくいという人が多いだろう。この点をもう少し明らかにするべく、次回、海外の例や戦後日本の政策展開を概括することを通じ、問題の所在と今後の方向性をクリアにすることを試みたい。後編はこちら:ムラとマチを捨ててきた日本の未来はやっぱり「地方分散」にあり

ムラとマチを捨ててきた日本の未来はやっぱり「地方分散」にありAIが2050年の未来を予測すると…

「地方分散型」社会のイメージ前回(「2050年まで日本は持つのか?AIが示す『破綻と存続のシナリオ』」)、京都大学と日立で実施したAI活用による未来予測と政策提言についての概要を紹介した。人口激減と東京一極集中が進む日本において、主に都市集中型と地方分散型という2つのシナリオがある。現在進行形で起きている都市集中とは異なり、地方分散はイメージしづらいかもしれない。いったいどのようなものだろうか。京都大学こころの未来研究センター教授・広井良典氏が、海外の事例や戦後日本の政策展開を概括しながら、問題の所在と今後の方向性を明らかにする。「地方分散型」社会あるいは「持続可能な地域」というもののイメージをもつため、まず写真①をご覧いただきたい。

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これはドイツのニュルンベルク郊外にあるエアランゲンという地方都市(人口約10万人)の中心部の様子である。印象的なこととして、ドイツのほとんどの都市がそうであるように、中心部から自動車を完全に排除して歩行者だけの空間にし、人々が「歩いて楽しむ」ことができ、しかもゆるやかなコミュニティ的つながりが感じられるような街になっているという点がある。そして何より、人口10万人という中規模以下の都市でありながら、中心部が活気あるにぎわいを見せているというのが印象深く、これはここエアランゲンに限らずドイツの中小都市すべてに言えることである。残念ながら、日本での同様の規模の地方都市はいわゆるシャッター通りになり空洞化しているのがほとんどという状況だ。一般に、ヨーロッパの都市においては1980年代前後から、都市の中心部において大胆に自動車交通を抑制し、歩行者が“歩いて楽しめる”空間をつくっていくという方向が顕著になり、現在では広く浸透している。私はほぼ毎年ドイツを中心にヨーロッパの都市や農村を訪れているが、私が見る限りそうした姿がもっとも顕著なのはドイツの都市であり、加えてデンマークなど北欧、オランダ、フランスなど、概してドイツ以北のヨーロッパにおいて明瞭で、意識的な政策が進められている帰結と考えられる。写真②のザールブリュッケンは人口18万人ほどの地方都市だが、駅前から中心市街地への道路が写真に見られるように完全に歩行者だけの空間となっている。

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ちなみに、こうした点は概してアメリカの都市とヨーロッパの都市で大きく異なっている。前回ふれたように、私はアメリカに80年代の終わり2年間と2001年の計3年ほど暮らしたが(ボストン)、アメリカの都市の場合、街が完全に自動車中心にできており、歩いて楽しめる空間や商店街的なものが非常に少ない。しかも貧富の差の大きさを背景に治安が悪いこともあって、中心部には(窓ガラスが割れたまま放置されているなど)荒廃したエリアやごみが散乱しているようなエリアが多く見られ、またヨーロッパに比べてカフェ的空間などのいわゆる「サード・プレイス(職場と自宅以外の居場所)」も少なく、街の“くつろいだ楽しさ”や“ゆったりした落ち着き”が欠如していると感じられることが多い。日本の場合、この後でふれるように、第二次大戦後は道路整備や流通業を含め“官民挙げて”アメリカをモデルに都市や地域をつくってきた面が大きいこともあり、その結果、残念ながらアメリカ同様に街が完全に自動車中心となり、また中心部が空洞化している場合が多いのが現状だ。

いま指摘したように「地域の持続可能性」という姿は「政策」によるところが大きく、ドイツなどはまさにそうした方向を目指した公共政策を展開してきた。一方、戦後の日本の(国レベルの)政策展開を振り返ると、むしろ地域の持続可能性を損なうような政策が行われてきた面が大きいのではないか。こうした点に関する戦後の日本の政策展開は、私見では次のような3段階に分けることが可能と思われる。第一ステップ:いわゆる高度成長期(1950~70年代頃)――“ムラ”を捨てる政策この時期は一言で言えば「農村から都市への人口大移動」の時期であり、またそれを支援する種々の強力な政策が行われた(大都市近辺での大量の団地ないし公的住宅整備など)。

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実際、農村部の人口減少がもっとも大きかったのはこの時期であったわけで、近年における農村部の人口社会減ははるかに少ないということを忘れてはならない。たとえば秋田県の場合でも、若者が大量に東京などの大都市圏に出て行ったのは昭和30年代~40年代頃の時代であり、近年のそうした社会減はずっと少ないのである。つまり近年地方都市や農村部の人口減少が著しいのは、最近の社会減が主要因ではなく、むしろ高度成長期に農村部に残った人たちが高齢化し、近時に至って自然減が顕著になっているからなのだ。同時に注意したいのは、この時代には地方の中小都市は(商店街などを含め)かなりの賑わいを保っていたという点である。というより、農村からは(東京などの大都市に限らず)地方の中小都市にも人口が流入していたので、地方都市の商店街や中心部がもっとも賑わっていたのが実はこの時代だったという点に留意する必要がある。全体として、この時期は“「工業化」一辺倒”の政策がとられたのであり、農業や農村の優先順位は大幅に下げられ、その結果、他の先進諸国とは異なり、この時期から日本の食料自給率は一貫して低下していった(図4)。

これは事実上「“ムラ”を捨てる政策」と評さざるをえない政策展開であり、日本の農村部の「持続可能性」はこの時期に大きく損なわれたのである。第二ステップ:1980~90年代頃――“マチ”を捨てる政策さらにそれが大きく変容するのが第二ステップの時期である。この時期は先ほどもふれた「アメリカ・モデル」と呼ぶべき都市・地域経済のあり方が政策面でも全面的に導入された。すなわち、流通政策・経済政策(当時の通産省)と道路・交通政策(当時の建設省等)のいずれもが強力に自動車・道路中心の都市・地域モデルを志向したのであり、それに呼応するかのように、同時期にイオンなどの大型モールが登場した(イオンの最初の大規模モールは1992年〔青森〕、93年〔秋田〕)。こうした過程を通じ、地方中小都市の中心部はこれ以降完全に空洞化が進むことになった。つまりこの時期は、実質的に「“マチ”を捨てる政策」がとられたのである。ここで重要な点は、現在の日本の地方都市の空洞化は、政策がうまく行かなかったからではなく、皮肉にも、むしろこの時期にとられた(国の)政策の“成功”の帰結とも言えるという認識である。こうした点(政策が目指したものと、その効果)をきちんと事後評価しなければ、今後の

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展望は開けてこないだろう。

最後に第三ステップは、2000年代ないし2010年代以降の時期であり、かなりの希望を込めて言えば、以上のような流れとは異なる新たな潮流や政策転換の兆しが見られつつある。一つには、高齢化の進展により、“遠くのモールに自動車で買い物に行けない”という層が増加し、全国に600万人ないし700万人と言われる「買物難民」問題などが徐々に認知されるようになり、地域に根ざした商店街などの新たな価値が認知されつつある(余談ながら、私の実家は岡山市の中心市街地の半ばシャッター通り化している商店街だが、最近若い世代が続けてカフェを開いたり、高齢者の買い物客が増えるなど、新たな再生の兆しが表れ始めている)。また、人口減少社会への移行の中で、過度な低密度化の問題が顕在化し、人口増加期とは異なる都市・地域モデルの必要性が次第に認識されるようになり、筆者の言う「地域密着人口の増加」に加えて、若い世代の間にもローカル志向・地元志向といった新たな志向が広がりつつある。こうした中で、国交省などの政策の基調にも変化が見られ(「国土のグランドデザイン2050」(2014年)における“小さな拠点”の考え方など)、コミュニティなどの視点を重視した、高齢化・人口減少社会における新たな都市・地域像への模索が始まろうとしている。しかし他方で、最近支持が下がってきたものの、いわゆるアベノミクスなど、本稿で論じているような「ローカルな経済循環から出発してナショナル、グローバルと積み上げていく」という方向ではなく、むしろ「グローバル経済から出発してナショナル、ローカルへと降りていく」という“逆”の発想の政策志向がなお強く、現在は政策の転換期ないし分水嶺と言うべきかもしれない。それがまさに今回のAIによるシミュレーションで示された、「都市集中型」か「地方分散型」かという分岐ないし選択と重なるのである。分散型、ローカライゼーション、ポスト情報化本稿で述べてきた内容を再確認すると、私たちの研究グループは、AIを活用した日本社会の未来シミュレーションを行い、①人口、②財政・社会保障、③地域、④環境・資源という4つの持続可能性に注目し、日本が2050年に向けて持続可能であるための条件やそのためにとられるべき政策を提言する内容の成果をまとめた。そこでは興味深いことに、日本社会の持続可能性を実現していく上で、「都市集中型」か「地方分散型」かという分岐がもっとも本質的な選択肢であり、また健康、格差、幸福等の観点からは「地方分散型」が望ましいという結果が示された。この場合、「地方分散型」いう姿は、近年世界的にも気運が高まっている“ローカライゼーションloc?liz?tion”と呼応する社会像とも言える。さらに言えば、ここでは言及にとどめるが、それはある意味で逆説的にも、AIテクノロジーなど「情報化」の波の先にある、次なる「ポスト情報化」の時代を示唆する方向でもあるだろう(そうしたビジョンのスケッチとして(図5)参照)。

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こうした話題については昨年5月の『現代ビジネス』での拙稿「世界を正しく見るには、『グローバル化の終わり』という視点が必要だ」「『資本主義の未来』の姿~日本に残された最大の課題とは?」も参照されたい)。冒頭で述べたようにAIやその関連技術はなお発展途上であり、私たちの今回の試みも初発的な段階にとどまり、一つの視点を提示したというものにとどまっている。しかしいずれにしても、本稿で論じたように現在の日本社会が様々な面で危機に直面していることは確かであり、「2050年、日本は持続可能か?」という問いを正面から設定し、AI技術も活用しながら、かつ従来よりもひと回り大きな視野に立って、日本社会の未来とその選択について議論を行っていくことがいま何より求められているのである。