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054 NATURE INTERFACE Feb. 2004 no.19 使 使 使 使 伊藤公一 千葉大学フロンティアメディカル工学研究開発センター 教授 聞き手=桜井裕子 Interview最先端インタヴ いとう こういち 1950 年、愛 知 県 生まれ。 74年、千葉大学工学部電 子工学科卒業。 76年、同 大大学院修士課程修了。 7679年東京工業大学 助手。現在、千葉大学フ ロンティアメディカル工学研 究開発センターおよび工学 部 都 市 環 境システム学 科 教授。おもにプリントアンテ ナ、小型アンテナ、ハイパ ーサーミア用アプリケータ 等アンテナの医療応用、 人体と電磁波の相互関係 の研究に従事している。 電磁波と人体の影響関係を測定する 人体等価フ ントム 電波無響室にて

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Page 1: 1950 74 76 79 電磁波と人体の影響関係を測定する 人体等価ファ … · 磁 波 測 定 の 現 状 と 今 後 の 展 望 に つ い て お 聞 き し た 。

054NATURE INTERFACE Feb. 2004 no.19

携帯電話などの普及にともない、そこから発

生する電磁波の人体への影響について不安や関

心が高まっている。しかし、心配されるのはそ

れだけではない。

近い将来、ユビキタス・ネットワーク社会が

訪れるとされているが、無線通信機器の数がそ

れほど多くない現在ですら、ある機器の通信の

際に、他の機器の通信が途切れるような例がし

ばしば見られる。とすると、いずれ同じ周波数

帯の無線機器が一つの空間に多数点在するよう

になったとき、やはり、それぞれの機器の電波

が干渉し合い、正常な通信は妨げられてしまう

のではないだろうか。重要情報を通信している

ときの中断や、ヘルスケアをサポートする機器

の誤作動といった危険性は十分予測され、その

ような問題は当然、現実にユビキタス社会が到

来する前に解決しておかねばならないだろう。

そのためには、まず、電磁波と人体、あるい

は環境との相互作用を、定量的・客観的に測定

し評価することが必要だ。アンテナの研究に従

事し、現在とくに電磁波と生体の相互影響の問

題に取り組んでいる伊藤公一氏に、電磁波測定

の現状と今後の展望についてお聞きした。

――電磁波の影響評価のご研究ですが、人体との

〝相互影響〞とあります。これはどのような意

味なのでしょうか。

伊藤――電磁波が人体に影響を与えるということ

だけでなく、電磁波にとっても、人体は通信時の

障害物であるということです。実際、人体の近く

で携帯通信機器を使用すると、入力インピーダン

スや放射指向性などのアンテナ特性が変化するこ

とがわかっており、とくに体に密着させて使う携

帯電話の場合、放射電力の約四〇パーセント以上

が人体に吸収されてしまうこともあります。です

から、高効率なアンテナを設計するためにも、や

はり定量的な評価が必要になるわけです。

これは通信機器の開発だけでなく、後ほどお話

しする医療用アンテナの設計にも重要となってく

ることです。

――電磁波は、人体へどのように影響するのでし

ょうか。

伊藤――電磁波を吸収することで生体内の温度が

上がる、というのがおもな影響です。これが健康

に影響するかどうかが多くの方の興味のあるとこ

ろでしょうが、これについては、測定データをも

とに別途研究がされています。工学の研究者とし

ては、定量的かつ客観的データを出すところまで

が仕事ですね。

――電磁波と人体の相互影響は、何を用いて測定

されるのでしょうか。

伊藤――本物の人間を使って実験するわけにはい

きませんから、導電率や比誘電率などの電気的特

性や形状的特性など、生体組織の物理特性を模し

た「ファントム(擬似生体)」を用いています。フ

ァントムには、コンピュータシミュレーションに

使う数値ファントムや、実際に実験をおこなうた

伊藤公一千葉大学フロンティアメディカル工学研究開発センター 教授

聞き手=桜井裕子

Interview│最先端インタヴューいとう・こういち1950年、愛知県生まれ。74年、千葉大学工学部電子工学科卒業。76年、同大大学院修士課程修了。76~79年東京工業大学助手。現在、千葉大学フロンティアメディカル工学研究開発センターおよび工学部都市環境システム学科教授。おもにプリントアンテナ、小型アンテナ、ハイパーサーミア用アプリケータ等アンテナの医療応用、人体と電磁波の相互関係の研究に従事している。

電磁波と人体の影響関係を測定する

「人体等価ファントム」

人体と電磁波は相互に影響し合う

人体と同じ特性をもつ「ファントム」で測定

電波無響室にて

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最先端インタヴュー055

めの実験ファントムなどがあり、用途によってさ

まざまな種類があります。

数値ファントムというのはおもにMRI画像を

もとにコンピュータ上で作成した人体モデルで

す。数十万個以上のセルから構成され、それぞれ

のセルには対応する生体組織の電気定数が与えら

れています。これはおもに、人体近接時のアンテ

ナ特性の評価や、頭部内温度上昇値の評価などに

用いられています。一例を挙げると、図1は通信

総合研究所が中心となって共同開発された男女の

全身数値ファントムです。

しかし、より適切に評価するためには、計算だ

けではなく実際の実験による推定データが必要と

なり、そのために「実験ファントム」として、生

理食塩水を基本とした液体ファントムや、私ども

の研究室で開発した固体ファントムがあります。

このマネキンの頭部のようなものが固体ファント

ムの一つです(図2)。

――意外と軟らかく、ゴムのように弾力がありま

すね。

伊藤――ええ、寒天や脱イオン水などが材料です

から。電磁波測定の需要が広がっている現在、こ

のように安価で簡単につくれるファントムを提供

することも重要だと思います。われわれも、実験

室で鍋をグツグツさせてつくっているんですよ。

図3に示したのはマイクロ波帯(2GHz)にお

ける脳の等価ファントムのレシピで、人間の脳の

比誘電率や導電率に対応させてあります。ポリエ

チレン粉末や増粘剤(T

X

‐151

)、食塩(N

aCl

)の分

量を変えることで、他の臓器の電気定数も模する

ことができるんです。

――研究室で開発された固体ファントムには、ど

のような特長があるのですか?

伊藤――第一に、原材料の入手が容易なうえ、手

作業で製作できること。第二に、どんな形状にも

加工しやすく、切断面同士の密着性もよいこと。

第三に、自立した形状を保持でき、取り扱いやす

い強度をもっていること。第四に、比熱が高く、

熱伝導率が低いため、温度上昇からSAR

(Specific

Absorption

Rate:

高周波電磁界における熱的作用の評

価指標)を推定しやすいことです。

また、TX

‐151

ではなくグリセリンを用いると、

電気定数の安定性が高くなり、よりさまざまな生

体組織を模するファントムをつくることができま

す。ただしその場合は、単一組成比で模擬できる

周波数範囲が狭くなってしまうなど、それぞれ一

長一短がありますが。

――測定はどのようにおこなうのでしょうか。

伊藤――電波の反射をほとんどなくした「電波無

響室」でおこないます。測定方法には、液体ファ

ントムに電界プローブを挿入し、直接容器内の電

界を測定する方法と、固体ファントムに短時間数

十ワット程度の電磁波を照射し、赤外線カメラな

どで温度の上昇などを測定する方法があります。

固体ファントムを用いるものでは「サーモグラフ

ィ法」が代表的な方法で、図4のようなシステム

で測定をおこないます。

測定した結果の一例をみてみましょう(図5)。

アンテナと人体頭部モデルの距離を一五ミリで一

定とし、アンテナ出力は一ワットで規格化、電磁

波照射時間を三〇秒とした場合の測定結果です

が、図のように、電磁波発生源を中心に頭部の表

図2 伊藤研究室で開発された生体等価ファントム

図1 数値ファントムの一例 (独立行政法人通信総合研究所ホームページ〈平成13年4月26日報道発表〉より)

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面および内部の温度の上昇がみられました。この

結果は、横に並べてある計算値ともよく一致して

いることがわかります。

固体ファントムは頭部だけでなく、日本人の二

〇歳男性の平均値に従って製作した全身像なども

あるので、携帯電話を使用するときに肩が盛り上

がるとアンテナ特性にどう影響するか、などとい

うことも測定し、評価できるわけです。

また、業務用の無線機は腹部に装着して用いら

れることが多いので、今後は妊娠期間中の胎児へ

の影響も評価する必要が出てくるでしょうね。こ

れまでは簡易形状腹部モデルをつくって数値計算

をおこなってきましたが、現在は千葉大学の医学

研究院と共同で、MRI画像に基づく詳細な腹部

モデルの構築を予定しています。

――では、電磁波測定以外の先生のご研究につい

ても伺いたいと思います。先ほど「医療用アンテ

ナ」とおっしゃいましたが。

伊藤――アンテナは一昔前の技術だという印象を

もつ学生も多いのですが、実際は非常に応用範囲

が広く、将来的にも大きな可能性をもっている技

術だと思います。現在、アンテナ技術が応用され

ている用途は、情報伝送(通信や放送など)、情報収

集(レーダや電波天文など)、電力伝送(マイクロ波送電な

ど)、熱利用(電子レンジやがん温熱治療など)の四つに

大きく分けられるでしょう。

また、アンテナ技術として重要なのは、決めら

れた電磁波を特定の範囲または方向に送信する技

術と、遠方から届く微弱な電磁波のみを効率よ

く受信する技術なのですが、そのような技術は

すでに、MRIやマイクロ波CT、遠隔医療な

どの医療現場にも応用されているんです。

そして医療関係でわれわれの研究室が開発し

たものの一つに、がんの温熱治療(ハイパーサーミ

ア)用の微細径アンテナがあります(図6)。

――アンテナによる治療とは、どのようなもの

なのですか?

伊藤――ハイパーサーミアというのは、四二〜四

五度に加温すると生存率が急激に低下するとい

う、がん細胞の性質を利用した治療法なのです

が、この加温に、マイクロ波による熱的作用を

用いようというわけです。実際には、直径1ミ

リメートル程度の細いアンテナ複数本を皮膚表

面から患部に差し入れ、アンテナの先端から周

波数二・四五GHzのマイクロ波エネルギーを

がん細胞の内部に照射します。がん細胞に的確

に照射すれば、それだけを選択的に死滅させら

れるので、他の治療法に比べて副作用は少ない

ですし、周囲への電磁波の漏れも非常に少ない

ので、他の医療機器に与える影響もほとんどあ

りません。

この治療法は東京歯科大学市川総合病院と共

同で研究し、すでに昨年の夏から、倫理委員会

の承認を得て実際に臨床治療をおこなっていま

す。効果は上がっていると聞いています。

――人体内に電磁波を照射するということであ

れば、やはり影響が心配になりますが……。

伊藤――もちろん、ファントムを用いて徹底的に

シミュレーションをおこないました。ただし、

がん治療にも用いられるアンテナ技術

図3

マイクロ波帯(2GHz)における脳等価ファントムの組成

材料 質量(g)

脱イオン水 3375

ポリエチレン粉末 675.0

寒天 104.6

TX-151 45.6

NaCl 34.1

デヒトロ酢酸ナトリウム 2.0

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最先端インタヴュー057

人体内部の場合、筋肉などの生体組織の熱定数や

血流量によって、マイクロ波から発生する熱の分

布は大きく変わってしまいますから、測定・評価

は非常に難しかったですね。

ここではとくに血流量による変化を把握するこ

とが必要で、数値解析によるシミュレーションだ

けでなく、生体内の血流をも模したファントム

(ダイナミックファントム)を用いた測定が重要となって

きます。ダイナミックファントムの開発は今後の

大きな課題といえるでしょう。

――先生のご研究は、これらのほか、自動車など

の移動体の衛星通信用アンテナや、人体を伝送路

としたウェアラブルコンピュータの開発など、非

常に多岐にわたっておいでで、アンテナ技術のも

つ可能性の広さに気づかされます。

伊藤――いずれも、技術開発を通して社会に貢献

できれば、という気持ちでおこなっています。今

後も、ファントムの多様化・多目的化や、治療用

アンテナの改善などを通して、技術による社会貢

献を実現していきたいと考えています。

――大いに期待しています。本日はどうもありが

とうございました。

図4 サーモグラフィ法によるSAR評価システム

図6 治療用アンテナの一例:同軸スロットアンテナ

図5 頭部モデル内のSAR分布

図7 組織内加湿・組織内照射併用療法ハイパーサーミアと放射線療法を併用すると、増感効果が確認されたという