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県立広島大学人間文化学部紀要 ,51-60(2014) 大学教職員に対するストレス・マネジメント・プログラム の効果について 原 田   淳 背景と目的 大学は、教育・研究機関として人材育成や研究開発において重要な拠点であり、産学連携や地域連 携などで社会や地域への貢献という役割も担っている。大学がこのような役割を果たしていくために は、構成員である教職員が、その能力を十分に発揮することが求められる。また、認証評価機関によ る大学の第三者評価制度が導入・義務化され、教育研究、組織運営、および、施設設備についての評 価を受けることとなった。このことは、職員は高度専門職業人として能力開発に取り組むことを求め られており、教員は教育・研究に関する能力を高める必要があることを示している。しかし、現在多 くの大学では、契約職員・非常勤職員の増加や教員の任期制導入により、雇用の不安定化が進行して おり、能力開発にとってのぞましい環境とはいえない。また、入学人口の減少によって、大学間の競 争が激しくなり、仕事は繁忙化している。こうした環境の変化により、大学教職員のストレスは増大 しているものと思われる。 大学職員のストレスに関する研究としては、岩田が2005年に全国の大学・短期大学の職員を対象に 健康調査に関するアンケートを実施しており、大学職員に対するメンタルヘルス教育が必要であるこ とを示している(岩田 2009)。岩田は、厚生労働省が策定した「労働者の心の健康の保持増進のため の指針」(厚生労働省 2006)に沿って「心の健康づくり計画」を作成してメンタルヘルスケアの体制 を整備し、メンタルヘルス教育の実施をすべきであるとしている。しかし、具体的なメンタルヘルス 教育の内容については述べていない。大学教員のストレスに関する研究として、職業性ストレス簡易 調査票による健康調査を行ったものがある(木村,橋川,木内 2007)。調査結果を分析することで、 大学教員の職業性ストレスモデルとして、「仕事の適性度」、「働きがい」が「不安感」、「抑うつ感」 に影響を及ぼすことを明らかにして、今後、ますますストレスを感じる教員が増えると推測している。 しかし、効果的なストレス軽減の方策については議論していない。久利は、大学教員のストレス測定 尺度を作成し、大学助手を対象とした調査を行っている(久利 2004)。ストレス測定尺度として、「研 究」に関する尺度、「研究以外の業務」に関する尺度、「学生との関係」に関する尺度、「上司との関係」 に関する尺度、「同僚との関係」に関する尺度、および、「部下との関係」に関する尺度を作成し、実 際の調査にもとづいて因子分析を行っている。久利は、大学助手のストレス構造について特徴的な点 として、雑務の負担と上司との関係が精神的健康を低下させる方向に影響を及ぼすと述べている。し かし、実践的なストレス対処法については示していない。 ストレスやメンタルヘルスに関する研究として、島は、心理・社会的なストレスのうち企業にお けるものを取り上げて、企業におけるメンタルヘルスの問題と対処方法について具体的に示してい る(島 1998)。楠奥は、航空会社を事例にしたストレス・マネジメントについて考察している(楠奥 2004)。ハードな職務によるストレスを笑いによって爽快感に変えるという方法であり、エンドルフィ ンの分泌が「やる気」に関わるドーパミン分泌を促すというメカニズムを解説している。しかし、事 例にとりあげている航空会社は、採用段階でユーモア・センスや思いやりなどの資質を重視しており、 従業員の資質に依存している部分も少なくないと思われる。筒井は、現代における社会・経済環境の 51

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Page 1: 164942 人間文化学部紀要 表紙 - Hiroshima Universityharp.lib.hiroshima-u.ac.jp/pu-hiroshima/file/12216/... · 久利は、大学教員のストレス測定 尺度を作成し、大学助手を対象とした調査を行っている(久利

県立広島大学人間文化学部紀要 9,51-60(2014)

大学教職員に対するストレス・マネジメント・プログラム の効果について

原 田   淳

背景と目的 大学は、教育・研究機関として人材育成や研究開発において重要な拠点であり、産学連携や地域連携などで社会や地域への貢献という役割も担っている。大学がこのような役割を果たしていくためには、構成員である教職員が、その能力を十分に発揮することが求められる。また、認証評価機関による大学の第三者評価制度が導入・義務化され、教育研究、組織運営、および、施設設備についての評価を受けることとなった。このことは、職員は高度専門職業人として能力開発に取り組むことを求められており、教員は教育・研究に関する能力を高める必要があることを示している。しかし、現在多くの大学では、契約職員・非常勤職員の増加や教員の任期制導入により、雇用の不安定化が進行しており、能力開発にとってのぞましい環境とはいえない。また、入学人口の減少によって、大学間の競争が激しくなり、仕事は繁忙化している。こうした環境の変化により、大学教職員のストレスは増大しているものと思われる。 大学職員のストレスに関する研究としては、岩田が2005年に全国の大学・短期大学の職員を対象に健康調査に関するアンケートを実施しており、大学職員に対するメンタルヘルス教育が必要であることを示している(岩田 2009)。岩田は、厚生労働省が策定した「労働者の心の健康の保持増進のための指針」(厚生労働省 2006)に沿って「心の健康づくり計画」を作成してメンタルヘルスケアの体制を整備し、メンタルヘルス教育の実施をすべきであるとしている。しかし、具体的なメンタルヘルス教育の内容については述べていない。大学教員のストレスに関する研究として、職業性ストレス簡易調査票による健康調査を行ったものがある(木村,橋川,木内 2007)。調査結果を分析することで、大学教員の職業性ストレスモデルとして、「仕事の適性度」、「働きがい」が「不安感」、「抑うつ感」に影響を及ぼすことを明らかにして、今後、ますますストレスを感じる教員が増えると推測している。しかし、効果的なストレス軽減の方策については議論していない。久利は、大学教員のストレス測定尺度を作成し、大学助手を対象とした調査を行っている(久利 2004)。ストレス測定尺度として、「研究」に関する尺度、「研究以外の業務」に関する尺度、「学生との関係」に関する尺度、「上司との関係」に関する尺度、「同僚との関係」に関する尺度、および、「部下との関係」に関する尺度を作成し、実際の調査にもとづいて因子分析を行っている。久利は、大学助手のストレス構造について特徴的な点として、雑務の負担と上司との関係が精神的健康を低下させる方向に影響を及ぼすと述べている。しかし、実践的なストレス対処法については示していない。 ストレスやメンタルヘルスに関する研究として、島は、心理・社会的なストレスのうち企業におけるものを取り上げて、企業におけるメンタルヘルスの問題と対処方法について具体的に示している(島 1998)。楠奥は、航空会社を事例にしたストレス・マネジメントについて考察している(楠奥 2004)。ハードな職務によるストレスを笑いによって爽快感に変えるという方法であり、エンドルフィンの分泌が「やる気」に関わるドーパミン分泌を促すというメカニズムを解説している。しかし、事例にとりあげている航空会社は、採用段階でユーモア・センスや思いやりなどの資質を重視しており、従業員の資質に依存している部分も少なくないと思われる。筒井は、現代における社会・経済環境の

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原田  淳   大学教職員に対するストレス・マネジメント・プログラムの効果について

変化や家族関係の変化による多用なストレスを具体的に示している。職場、学校、そして、家庭でのストレスは心理・社会的な要因によるものであり、こうした心理・社会的ストレスへの対処が重要であるとしている。また、ストレスに過剰適応することについても言及しており、ストレスの対処については、運動、栄養、休養のバランス、特に休養が重要であることを示している。具体的なストレス対処の方法については、自律訓練法やバイオフィードバック技法など、いくつかのリラクセーション法をあげている(筒井 1998)。 大学教職員に対してメンタルヘルスに関するセミナーが開催されることはあるが、ストレスに対処する基本的な考え方(認知を変える、休養、気分転換、相談など)が示されるにとどまっており、実践的な方法については、ほとんど提供されていないのが現状である。ごく少数ではあるが、職員を対象としたメンタルヘルスケアのプログラムを導入した大学がある。その内容は、ストレス検査を実施して不調者に臨床心理士や医師によるカウンセリングを提供するというものである(日本経済新聞 2011)。しかし、重要なのは、不調を感じる前に自分でストレスを上手にコントロールすることである。 ストレス・マネジメントのプログラムは、すでにヨーガ療法を用いたプログラムを開発しており、広島大学大学院において博士課程大学院生・ポスドク研究員対象のセミナーとして実施し、ストレス軽減に一定の効果があることを確認している(原田 2012)。 そこで、ストレス・マネジメント・セミナーの対象者を大学教職員に拡大し、その効果について検証を行う。

方法 広島大学大学院で開催するストレス・マネジメント・セミナーを博士課程大学院生・ポスドク研究員に加えて大学教職員も受講可能として案内し、受講前後の気分プロフィール検査等の結果を比較して効果を検証することとした。 広島大学大学院でのストレス・マネジメント・セミナーは、次に示す構成である。1 )オリエンテーション(30分)2 )講義「ストレスとストレス・マネジメント」(90分)3 )実習「ブリージング・エクササイズ、レジスタンス運動」(90分)4 )実習「呼吸法、マインドフルネスの技法」(90分)

 講義では、ヨーガや禅など東洋哲学の教えにもとづいてストレスに対処する認知のあり方について解説している。心理・社会的なストレスは、過去のできごとに対するネガティブな感情や思考、あるいは、将来に対する不安が要因となっている。ヨーガや禅などの東洋哲学では、いま現在のことに意識を向けることを説いており、その智慧を身につければ、ストレスに対する認知をポジティブなものに変えることが期待できる(サッチダーナンダ 1989;田中 2008)。 実習のプログラムは、身体性がありマインドフルネスの要素を含んだものとして、ヨーガ療法で用いられているバイオフィードバック法(木村 2011)を採用している。肉体次元のバイオフィードバック法は、初心者であっても効果が実感しやすく、一人で取り組みやすいという特長がある。呼吸次元のバイオフィードバック法としての呼吸法は、ゆっくり時間をかけて息を吐ききることで自律神経系のバランスを回復させるため、ストレスを軽減するのに十分な効果が期待できる。さらに、これらの技法は、自分の肉体や呼吸に意識を集中して客観視するため、マインドフルネスの要素を含んでいる。マインドフルネスとは、「今の瞬間の現実に常に気づきを向け、その現実をあるがままに知覚して、

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それに対する思考や感情にはとらわれないという心のあり方」を意味する言葉である(熊野 2007)。マインドフルネス瞑想は臨床研究も多く、心身症や、うつ病、不安障害、睡眠障害など多くの疾患に対して症状の軽減が認められており、第三世代の認知行動療法として注目されている(杉浦 2008;竹林 2009)。実習には、自分の感情や思考を客観視するためのマインドフルネスの技法も取り入れている。

 講義の概要を以下に示す。1 . ストレスが生じるメカニズム 心理・社会的なストレスは、過去のできごとに対するネガティブな感情や思考、あるいは、将来

に対する不安が要因となっていることを示す。さらに、過去のできごと、将来に待ち受けていること、いずれに対するストレスであっても反復すればするほど強化されることを解説する。

2 . ストレスによる生理的反応 ストレスによって、自律神経系のバランスが乱れると、どのような生理的反応が起こるか示し、

過剰反応を放置していると心身症などを引き起こすことを説明する。3 . 安定した心のあり方 ストレス・マネジメントは直接的には、ストレスの軽減を目的としているが、本来の目的は、心

の安定を目指すものである。そこで、安定している心の 3 要件(①良い集中状態、②ゆっくりした心理作用、③内心の平静さ/静けさ)を示して、それがどのような状態かについて解説する。

4 . ストレス・マネジメントのための行動 ストレスをコントロールする方策としては、自分の置かれた環境を自分にとって居心地の良いも

のに変化させることも必要である。環境が変わることを期待するのではなく、自分の行動によって対人関係を良好にする方法について示す。具体的には、対人関係を構築するための基本的なスキルを解説する。

5 . バイオフィードバック法の原理 ヨーガ療法で用いられているバイオフィードバック法の原理について解説する。肉体次元のバイ

オフィードバック法では、筋肉に力を入れて緊張させた状態から脱力して弛緩させた状態に変化させることで、深い休息が得られることを示す。呼吸次元のバイオフィードバック法では、時間をかけてゆっくり息を吐ききることで、副交感神経を優位にさせてリラックスした状態をもたらすことを示す。このようなメカニズムを理解することで、実習の際に、深い休息、リラックスが意識しやすくなる。

6 . ストレス・マネジメントの技法 実習で行うストレス・マネジメントの技法について簡単に紹介する。ブリージング・エクササイ

ズ、レジスタンス運動、呼吸法、マインドフルネスに自分を観察する技法について概要を説明する。

 実習の概要は次のとおりである。1 . ブリージング・エクササイズ 身体の動きに同調させてゆっくりした呼吸をすることで、ゆったりした心理作用をもたらす。具

体的に指導するのは、ハンド・イン・アンド・アウト・ブリージング、ハンズ・ストレッチ・ブリージング、アンクル・ストレッチ・ブリージングである。

2 . レジスタンス運動 等尺性筋力トレーニングの負荷による緊張と、その後の弛緩を意識化することにより、自律神経

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原田  淳   大学教職員に対するストレス・マネジメント・プログラムの効果について

系の働きを整え、深い休息をもたらす。腹筋、背筋など体幹の筋肉や手足の筋肉など部位ごとのレジスタンス運動について実習する。

3 . 呼吸法 時間をかけてゆっくり息を吐ききることによって副交感神経を優位にして心身を落ち着かせる効

果がある。まず、腹部に手をあてて呼吸にともなう動きを感じとり意識化することを行う。次に腹式呼吸、胸式呼吸、肩式呼吸を実習し、その後で完全呼吸法を行う。さらに、より呼吸を意識化する効果のある片鼻交互の呼吸法も実習する。呼吸を意識化することができれば、マインドフルネスに自分を観察することが容易になると考えられる。

4 . マインドフルネスに自分を観察する技法 今の瞬間の自分の身体、思考、感情をありのままに観察することにより、ストレスの原因となる

思考や感情に巻き込まれないようにする。呼吸を数えながら雑念を放棄していく数息法を実習する。さらに、安定した心の要件の一つである“良い集中状態”に入った過去の体験を具体的に調べてみる。

 以上のような講義と実習からなるプログラムをストレス・マネジメント・セミナーとして実施する。 セミナーは、主たる対象が博士課程大学院生やポスドク研究員であるが、教職員も参加可能として広報し、2012年 2 月から2013年 4 月にかけて 4 回のセミナーに合計15名の教職員が参加した。

結果 受講者は、セミナーの開催案内を見て応募してきた教員 1 名と職員14名の合計15名である。男女の内訳は、男性 5 名、女性10名で、平均年齢は39.1歳(標準偏差は10.2)である。 受講前後にアンケートを実施して 受講者によるセミナーの評価を行った。セミナーの内容に基づいた 6 つの質問を設定し、回答は 0 ~ 4 の数値で求めた( 0 :「いいえ」、1 :どちらかと言えば「いいえ」、 2 :どちらとも言えない、 3 :どちらかと言えば「はい」、 4 :「はい」)。表 1 にアンケート結果を示す。受講前、受講後の値は、いずれも受講者の平均値である。

表 1.受講前・受講後のアンケート結果

質 問 受講前 受講後ストレスとストレスが及ぼす影響について理解していますか? 2.7 3.8ストレス・マネジメントの必要性について理解していますか? 2.7 3.7ストレス・マネジメントの考え方について理解していますか? 1.1 3.3レジスタンス運動によるストレス・マネジメントについて理解していますか? 0.3 3.3呼吸法によるストレス・マネジメントについて理解していますか? 1.0 3.3マインドフルネスの技法によるストレス・マネジメントについて理解していますか? 0.5 3.3

0:「いいえ」、1:どちらかと言えば「いいえ」、2:どちらとも言えない、3:どちらかと言えば「はい」、4:「はい」

 受講前でも、ストレスやストレスによる影響、ストレス・マネジメントの必要性については、ある程度の理解がある。しかし、ストレス・マネジメントの考え方や具体的な技法については、ほとんど理解していないことがわかる。セミナーを受講することによって、ストレスやストレス・マネジメン

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トに対する理解が深まり、ストレス・マネジメントの実践方法を修得したと評価していることがわかる。 受講前アンケートでは、受講理由について自由記述による回答を求めた。受講理由について、表 2のような回答が得られた。

表 2.受講前アンケートの自由記述(受講理由)

・普段からストレスに弱く、ストレスがかかると過食、ひどくなると拒食、イライラするなどしてしまう。また、心も不安定になるため物事の判断力が鈍る、作業能力が落ちるなど悪循環になってしまう。このような状況を変えたいと思い、ストレスを感じにくくなる、ストレスを受けてもすぐ立ち直れるようになりたいためセミナーを受講した。

・日常生活において、些細なことや人からの言葉・態度でイライラすることがあるので、自分でケアできることはやりたいと思い受講した。

・以前ストレスで倒れたことがあり、小さいことを気にする自分が嫌だった。自分を変えて余計なことに悩まず生活できるようになりたいと思った。

・昨年度まで上司とそりが合わず、我慢して出勤していたが、身体に影響が出た。今後も同様な状況に置かれたときの対処法を身につけたいと考え受講した。

・仕事上のストレスから体調を悪くしている(胃炎)。仕事には差し支えないと思っているが、今後、仕事にまで支障をきたすと困るので、ストレス・マネジメントを学びたいと思い受講した。

 受講前アンケートからは、「自身の感じているストレスをコントロールできるようになりたい」という受講理由が明らかになった。 受講後アンケートでは、自由記述形式でセミナーに対する意見・感想を求めた。表 3 に受講後アンケートに記された回答を示す。

表 3.受講後アンケートの自由記述(セミナーに対する評価)

・講義と実習のどちらもとても勉強になった。普段、カッとなることがあったり、仕事が終わった後に気持ちが沈んだり、思い返すことや悩んだりすることもあったのだが、今日、学んだことを実践していきながら、少しでもストレスを軽減できるようにしたい。

・セミナーを受講しただけでリラックスできた。・セミナーでは、静かな環境の中で、同じ目的を持った受講者とストレスをあまり感じることなく、ストレス・マ

ネジメントの方法を学ぶことができた。しかし、実生活では時間に追われ、なかなか呼吸法等のマネジメントを取り入れる余裕もなく、自分を省察する機会もないので、実生活でどのように取り入れていくかが課題だと思った。「怒らない、ねたまない・うらやまない、愚痴らない」ことは難しいというか、できないと思った。

・「過去と他人は変えられない」という言葉で少しふっきれた気がした。自分を客観的に冷静に見るよう心がけていきたい。レジスタンス運動のあと、とてもすっきりした。

・ストレスをためない方法として自分の考え方を変えることが必要なことを納得できた。特に「怒らない、ねたまない・うらやまない、愚痴らない」、普段からこのことに気をつけ意識して自分のストレスをコントロールしていきたいと思った。ブリージング・エクササイズ、レジスタンス運動、呼吸法は、ぜひこれから試していきたいと思った。

・ストレスを客観的に観ることができるように、本日のセミナーの体験を活かしていきたい。

 受講前アンケートでは、ストレスに対処する方法を身につけたいという理由をあげるものが多かったが、受講後には、ストレス・マネジメントの考え方や具体的な技法が理解できたというコメントが複数見られた。また、セミナーで学んだ内容を日常生活に取り入れていきたいというコメントも複数あった。このことは、受講者がセミナーで学んだ内容が有効であると考えていることを示している。 受講前後にsVYASA健康自己判定によるセミナーの効果測定を行った。sVYASA健康自己判定は、質問紙法によって、身体の健やか度、感情の健やか度、対社会の健やか度、自己存在の健やか度を測定する。健康状態の判定は、合計が27点以下は不良、28-55点は良、56-84点は良好である。表 4 に

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受講前後のsVYASA健康自己判定の得点を示す。

表 4.受講前後のsVYASA健康自己判定の得点

身体 感情 対社会 自己存在 合計前 後 前 後 前 後 前 後 前 後

受講者 1 14 15 8 15 12 13 20 20 54 63受講者 2 14 14 9 12 7 9 16 17 46 52受講者 3 16 17 15 12 11 13 18 19 60 61受講者 4 14 15 10 14 13 14 15 17 52 60受講者 5 18 19 19 20 15 15 21 21 73 75受講者 6 6 16 6 7 4 7 19 18 35 48受講者 7 17 19 16 13 14 14 18 20 65 66受講者 8 13 14 14 15 8 10 18 16 53 55受講者 9 11 16 11 15 10 18 19 20 51 69受講者10 18 17 18 19 12 14 19 21 67 71受講者11 14 16 13 16 15 17 20 21 62 70受講者12 8 14 13 17 10 14 17 19 48 64受講者13 14 18 14 15 14 14 20 20 62 67受講者14 18 19 18 20 14 14 21 21 71 74受講者15 19 20 17 19 14 14 20 21 70 74

平均 14.3 16.6 13.4 15.3 11.5 13.3 18.7 19.4 57.9 64.6

 受講者の中には、受講後、部分的に健やか度が減少しているものもいるが、全体としては、健やか度が増加している傾向が見てとれる。受講前後の合計得点を比較すると、15名すべてが増加している。受講者の平均を見ると、身体の健やか度、感情の健やか度、対社会の健やか度、自己存在の健やか度、合計、いずれも受講後に増加している。合計の平均値は、受講前の57.9点から、受講後は64.6点と6.7点の増加が見られる。

 POMSは、気分を評価する質問紙法の一つとしてMcNairらによって米国で開発された。65項目の質問により、「緊張-不安」、「抑うつ-落込」、「怒り-敵意」、「活気」、「疲労」、「混乱」の 6 つの気分尺度を同時に測定するものである。表 5 に受講前後のPOMS得点を示す。受講者の中には、受講後、

「活気」以外の項目において部分的に気分尺度の得点が増加しているものもいるが、全体としては、受講後に気分が安定する傾向が見られる。比較のために、表 6 に健康な30代男女のPOMS得点の平均値を示す(横山,荒記 1994)。受講前後のPOMS得点の平均を見ると、受講前は健康な20代男女の平均値と比べて「緊張-不安」、「抑うつ-落込」、「怒り-敵意」、「疲労」、「混乱」の 5 つの気分尺度は得点が高く、「活気」の気分尺度の得点は低い。このことは、受講者の気分が不安定でストレスを受けている可能性が高いことが推察される。しかし、受講後は、「緊張-不安」、「抑うつ-落込」、「怒り-敵意」、「疲労」、「混乱」の 5 つの気分尺度は得点が減少し、「活気」の気分尺度は得点が増加している。「抑うつ-落込」、「怒り-敵意」を除けば、健康な30代男女の平均値に近い値となっている。

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県立広島大学人間文化学部紀要 9,51-60(2014)

表 5.受講前後のPOMSの得点

緊張-不安 抑うつ-落込 怒り-敵意 活気 疲労 混乱前 後 前 後 前 後 前 後 前 後 前 後

受講者 1 26 17 14 5 29 15 2 1 22 16 7 5受講者 2 21 12 24 20 23 12 5 7 18 9 14 9受講者 3 21 20 16 17 10 7 10 16 14 11 16 17受講者 4 17 10 22 16 22 12 8 15 11 7 12 8受講者 5 1 1 5 5 2 1 16 15 2 2 3 3受講者 6 29 21 38 27 44 35 0 8 28 23 18 17受講者 7 18 17 17 20 27 21 20 15 11 9 14 13受講者 8 14 15 15 14 22 17 6 8 13 15 8 9受講者 9 19 8 11 1 37 4 9 23 21 4 8 1受講者10 11 10 14 15 29 27 10 13 16 15 7 8受講者11 11 11 12 15 11 13 16 22 7 9 6 8受講者12 17 10 22 12 15 7 7 17 24 13 12 7受講者13 10 13 8 10 8 10 12 15 19 18 9 8受講者14 13 4 15 3 9 4 6 11 9 4 9 5受講者15 8 5 3 1 17 9 28 32 3 2 2 2

平均 15.7 11.6 15.7 12.1 20.3 12.9 10.3 14.5 14.5 10.5 9.7 8.0

表 6.健康な30代男女のPOMS得点の平均値±標準偏差

緊張-不安 抑うつ-落込 怒り-敵意 活気 疲労 混乱30代男性 11.9±6.0 8.9±9.4 10.7±8.1 13.3±6.0 9.7±6.0 8.4±4.530代女性 11.0±6.2 8.7±8.7 10.8±7.9 13.3±6.7 8.5±6.0 7.7±4.3

考察 大学教職員に対するストレス・マネジメント・プログラムの効果について、受講前後のアンケート、sVYASA健康自己判定、および、POMSによる評価を行った。 受講後のアンケートより、セミナーを受講することによって、ストレスやストレス・マネジメントに対する理解が深まり、実習で学んだ技法に効果を感じていることが見受けられる。また、セミナーで学んだ内容を日常生活に取り入れていきたいというコメントも複数あり、受講者がセミナーの有効性を認めていることを示している。 受講前後のsVYASA健康自己判定の得点を比較すると、身体の健やか度だけでなく、心理・社会的ストレスに関連のある感情の健やか度、対社会の健やか度の得点が増加している。セミナーがストレス・マネジメントに一定の効果があることを示唆している。 受講前のPOMS得点の平均値は、健康な30代男女の平均値と比較して「緊張-不安」、「抑うつ-落込」、「怒り-敵意」、「疲労」、「混乱」の 5 つの気分尺度は得点が高く、「活気」の気分尺度は得点が低い。なかでも「怒り-敵意」が高いのは、自分以外の対象がストレスの原因になっているものと推察される。受講後は、「緊張-不安」、「抑うつ-落込」、「怒り-敵意」、「疲労」、「混乱」の 5 つの気分尺度は得点が減少し、そして、「活気」の気分尺度は得点が増加している。受講後のPOMS得点の平均値は、

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原田  淳   大学教職員に対するストレス・マネジメント・プログラムの効果について

「怒り-敵意」と「抑うつ-落込」を除いて健康な30代男女の平均値に近い値となっている。図 1 は、受講前後のPOMS得点(受講者平均)を比較したグラフである。受講前後のPOMS得点を比較すると、セミナーにはストレスを軽減する効果があるものと考えられる。

 今後の課題としては、対象を広げて実践的なストレス・マネジメント教育のプログラムを実施すること、および、生理的データによる評価も加えて効果検証の精度を上げることである。

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図 1.受講前後のPOMS得点(受講者平均)

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原田  淳   大学教職員に対するストレス・マネジメント・プログラムの効果について

Abstract

The evaluation of the stress management program for university faculty

Jun HARADA

The purpose of this paper is to evaluate the stress management program we proposed. The stress management program we have proposed is to use a yoga therapy. This program is comprised of practical training and lectures. This lecture comments on the way of the recognition for the stress based on teaching of Oriental philosophy. Breathing exercise, isometric exercise, the breathing method, and the meditation method are included in training. After carrying out this stress management program for 15 subjects, it was revealed that there was a constant effect for stress reduction.

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