12 16 no.1215 「 人生には必ず節目があり 徳洲 …...tisは2009年 10 月...

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10 28 10 Virtual Private Network 65 調10 10 17 30 12 39 11 21 65 11 沿1 沿「さらなるレベルアップを 目指す」と福田次長 「結局、医師が集まらないと離島応援はで きません。医師の確保、医師の離職防止が、当 たり前ですが、重要です」と出雲徳洲会病院 (島根県、 183床)の田原英樹院長は言いきる。 医師確保については、古くからの友人や先 輩、後輩はもちろんのこと、さまざまな会合に 出席し、交流を広げ、知り合いになった医師に 地道に声をかけ続けることに尽きるという。 「人生には必ず節目があり、ふと転勤を考える時期があり ます。その時に、誘われていたことを思い出してもらうこ とが大切です」と田原院長。出雲病院で田原院長を除いた 13人の常勤医中、同院開院時(2006年4月)に宇治徳洲会病 院(京都府)から転勤してきた医師が1人、自ら応募してき た医師が1人、大学医局から派遣されてきた医師が3人。 それ以外の8人の医師は、すべて田原院長の知り合いだ。 同院への入職理由について、自ら応募してきた医師は 「離島医療にも興味があった」。大学医局派遣の3人中2人 は同院を希望し入職、また、田原院長に誘われ、同院が自分 のスタイルに合っていた医師が7人。うち1人は以前から 「徳洲会が実践している患者さんのための医療に感銘を 受けていた」というのが動機だ。 医師にしかできない仕事に専念できる環境を 離職防止については「『医師の働き方改革』を進める必 要があります。大事なことは、限られた時間のなかで、医師 にしかできない仕事に専念できる環境を醸成することで す」 (田原院長)。 これには、まずメディカルクラーク(医師事務作業補助 者)の活用が挙げられる。診断書や紹介状、退院サマリー、 処方箋・臨時処方箋の作成代行から、入退院に関する入力 作業、外来補助。また、病棟回診や家族面談にもメディカル クラークが可能な限り同行し、医師がボイスレコーダーに 録音した音声をカルテに記録する。 さらに、輸液が切れる前のアナウンス、患者さんの要望 聞きなど、あらゆる面から医師をサポートし、医師は医師 にしかできないことだけに専念する。 医師の勤務体制の見直しも必要だ。当直明けは午前9時 で帰宅、患者さんの家族への説明は午後5時までに終わら せる(家族が来院できない場合は電話で対応し、できれば 録音しておく)。午後5時からは当直医に引き継ぎ、夜間は 主治医を呼び出さない。当直や夕診の免除、フレックスタ イム制の導入などだ。 「子育て中や親の介護を担っている 医師、単身赴任中の医師のために、その人に合った勤務時 間を弾力的に設定することで、長く勤務してもらえるよう になります」と田原院長は自らの経験をもとに説く。 すでに出雲病院が導入している「複数主治医制」も、完 全な休息時間の確保や、主治医が出張中や外来・検査・手 術などで患者さんに対応できない時に、迅速な対応が可能 になるなどメリットが多い。今後の課題としては、まだ副 主治医の概念が十分浸透していないところもあるため、一 層の理解促進を図っていく考えだ。 田原院長は「とにかく、その先生の希望が叶うような環 境をつくることが重要です」と語気を強める。(つづく) 離島応援 田原・出雲病院院長の提言 ④ 「人生には必ず節目があり  ふと転勤を考える時がある」 「その人に合った 勤務時間の設定 も」と田原院長 徳洲会グループと縁の深い 「ペシャワール会」現地代表で、 PMS(ピース・ジャパン・メディカ ル・サービス)基地病院総院長 の 中 村 哲 医 師 が12月4日、アフ ガニスタンで車で移動中、凶弾 に倒れた。 中村医師は1946年、福岡県 に生まれ、九州大学医学部卒業後、病院勤務を経て84年、パキ スタン北西のペシャワールにあるミッション病院への派遣要請を 受け赴任し、パキスタン人やアフガン難民のハンセン病治療を 開始。そのかたわら難民キャンプでアフガン難民の一般診療に も携わった。 赴任前の82年、神経内科を専門とする中村医師は福岡徳洲会 病院で内科や外科の研修を受けた。現地ではさまざまな疾患の 治療を行う必要があるためだ。中村医師は現地で診療活動を10 年間継続、その間、徳田虎雄・徳洲会理事長(当時)に医療支援 を求めた。ミッション病院ハンセン病棟に「この建物は徳洲会の 援助で設立された」と書かれたプレートが掲げられているのは、 そうした経緯からだ。 89年、中村医師はアフガニスタン国内に活動を広げ、山岳部 の医療過疎地でハンセン病や結核など貧困層に多い疾患診療を スタート。 2000年には旱 かん ばつ 被害に苦しむ現地で、灌 かん がい 事業を始め、 03年からは農村復興のため水利事業に携わっていた。 中村医師が聴診器を重機の操作レバーに持ち替えたのは、医 療よりも“パンと水”の確保が焦眉の急を告げていたからだ。旱魃 により現地では1,200万人が被災、WHO(世界保健機関)は飢餓線 上の人が400万人、 100万人は餓死すると発表。中村医師は「病は あとで治せる。まずは生きておれ」と井戸1,600本を掘り上げた。 その後、砂漠化した大地を復活させるため、7年がかりで灌漑 用水路25.5㎞を整備、1万4,000ヘクタールを緑地化し、60万人の 食料を生産するまでに至った。 中村医師は現地での体験をとおして次の言葉を残している。 「私たちが己の分限を知り、誠実である限り、天の恵みと人の真 心は信頼に足るということです」 追悼中村哲医師 「病はあとで治せる。まずは生きておれ」 アフガニスタンで整備した用水路の前 に立つ中村医師 T I S 創立10周年 10 10 10 使Personal Health Record 10 「選ばれる病院にならないと生 き残れません」と尾﨑社長 試験中の受付システム 命だけは平等だ 令和12 16 日 月曜日│No. 1215

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TISは2009年10

月28日、電子カルテの統

合、グループ全体の情報

共有化などを目的に設立。

尾﨑社長は「10年前には

今の会社の形は想像でき

ませんでした。モチベー

ションの高い社員のおか

げです」と目を細める。

大きなターニングポイ

ントのひとつとして、尾

﨑社長は「グループ専有

のネットワークを確立し

たこと」を挙げる。

現在、徳洲会の全病院

が閉域網のVPN(Virtual

Private Network

)を整備、

65病院の電子カルテも同

ネットワークに接続して

いる。こうした環境の下、

グループ内の各種データ

を一元管理できるように

なった。

運用の背景には、グル

ープ横断的な情報システ

ム管理部会(SE部会)

の設立がある。同部会は

各病院に所属するシステ

ムエンジニア(SE)約

130人で構成、医療分

野のICTに関する情報

提供・共有、法的事項の

整備など行う。尾﨑社長

は「各病院のSEが勝手

に電子カルテを設定した

ら、情報の一元管理はで

きません。こうした部会

があるのが、徳洲会の最

大のメリットと言えま

す」と強調する。

同様に医療データのマ

スターコード(管理番号)

統一も、グループの各診

療科の医師やコメディカ

ルなどで構成する各部会

と協力することで実現。

現在までに約8割のコー

ドを統一した。

こうしたデータは、グ

ループ内で学会発表や臨

床研究などに活用、MI

D–

NET(国の医療情

報データベース)にも提

供している。同データベ

ースは医薬品などの副作

用の解析に用い、安全対

策の高度化を推進するの

が目的。これまで徳洲会

から10病院がデータを提

供していたが、今年から

さらに10病院を追加した。

また、TISはBI(病

院運営管理)ツールの構

築、薬品発注管理システ

ム「MEDITIS」や

医療材料発注管理システ

ム「ZAITIS」の開

発などにより、病院運営

をサポートしている。

もうひとつ大きなター

ニングポイントとして、

「17年度から新卒採用を

開始したこと」が挙げら

れる。現在、社員30人の

うち新卒入社は12人、さ

らに来年度入社予定の新

卒内定者も7人いる。尾

第39回医療情報学連合

大会が11月21日から4日

間にわたり、千葉県内で

開催された。TISの福

田秀樹・導入管理部次長

(医療情報技師)は、一

般口演で「厚労省ガイド

ライン第5版にもとづく

情報システム運用管理規

程の改訂とシステム監査

実施について」をテーマ

に発表した。

TISと徳洲会グルー

プの情報システム管理部

会(SE部会)は、外部

機関の協力を得て、グル

ープ65病院共通で利用す

る情報システム運用管理

規程の第4・2版から第

5版への改訂作業に取り

組み、昨年11月にリリー

スした。

改訂にあたり、共通の

帳票・台帳類を新たに作

成、これらを利用するこ

とで規程に沿ったシステ

ム運用を目指した。さら

に、各病院の新規程への

切り替えと新しい運用へ

の移行状況をTISとS

E部会で把握、病院から

さまざまな質問や相談を

受けながらフォローした。

また、新規程に基づい

たシステム監査を行うべ

く、監査表や監査手順を

検討・作成し、これまで

に4病院で監査を実施、

来年1月以降も継続して

監査を計画している。

病院の規模や体制、従

来の運用はそれぞれ異な

り、「規程に沿った運用

が難しいケースもある」

と吐露するも、「新規程

の運用とシステム監査は、

病院のセキュリティレベ

ルの向上に寄与するもの

と考えます。さらなるレ

ベルアップを目指して活

動を続けていきたい」と

意欲を示した。

「さらなるレベルアップを目指す」と福田次長

「結局、医師が集まらないと離島応援はできません。医師の確保、医師の離職防止が、当たり前ですが、重要です」と出雲徳洲会病院(島根県、183床)の田原英樹院長は言いきる。医師確保については、古くからの友人や先輩、後輩はもちろんのこと、さまざまな会合に出席し、交流を広げ、知り合いになった医師に地道に声をかけ続けることに尽きるという。

「人生には必ず節目があり、ふと転勤を考える時期があります。その時に、誘われていたことを思い出してもらうことが大切です」と田原院長。出雲病院で田原院長を除いた13人の常勤医中、同院開院時(2006年4月)に宇治徳洲会病院(京都府)から転勤してきた医師が1人、自ら応募してきた医師が1人、大学医局から派遣されてきた医師が3人。それ以外の8人の医師は、すべて田原院長の知り合いだ。同院への入職理由について、自ら応募してきた医師は

「離島医療にも興味があった」。大学医局派遣の3人中2人は同院を希望し入職、また、田原院長に誘われ、同院が自分のスタイルに合っていた医師が7人。うち1人は以前から「徳洲会が実践している患者さんのための医療に感銘を受けていた」というのが動機だ。

医師にしかできない仕事に専念できる環境を離職防止については「『医師の働き方改革』を進める必要があります。大事なことは、限られた時間のなかで、医師にしかできない仕事に専念できる環境を醸成することです」(田原院長)。これには、まずメディカルクラーク(医師事務作業補助者)の活用が挙げられる。診断書や紹介状、退院サマリー、処方箋・臨時処方箋の作成代行から、入退院に関する入力作業、外来補助。また、病棟回診や家族面談にもメディカルクラークが可能な限り同行し、医師がボイスレコーダーに録音した音声をカルテに記録する。さらに、輸液が切れる前のアナウンス、患者さんの要望聞きなど、あらゆる面から医師をサポートし、医師は医師にしかできないことだけに専念する。医師の勤務体制の見直しも必要だ。当直明けは午前9時で帰宅、患者さんの家族への説明は午後5時までに終わらせる(家族が来院できない場合は電話で対応し、できれば録音しておく)。午後5時からは当直医に引き継ぎ、夜間は主治医を呼び出さない。当直や夕診の免除、フレックスタイム制の導入などだ。「子育て中や親の介護を担っている医師、単身赴任中の医師のために、その人に合った勤務時間を弾力的に設定することで、長く勤務してもらえるようになります」と田原院長は自らの経験をもとに説く。すでに出雲病院が導入している「複数主治医制」も、完全な休息時間の確保や、主治医が出張中や外来・検査・手術などで患者さんに対応できない時に、迅速な対応が可能になるなどメリットが多い。今後の課題としては、まだ副主治医の概念が十分浸透していないところもあるため、一層の理解促進を図っていく考えだ。田原院長は「とにかく、その先生の希望が叶うような環境をつくることが重要です」と語気を強める。(つづく)

離島応援� 田原・出雲病院院長の提言 ④

 「人生には必ず節目があり  ふと転勤を考える時がある」

「その人に合った勤務時間の設定も」と田原院長

徳洲会グループと縁の深い「ペシャワール会」現地代表で、PMS(ピース・ジャパン・メディカル・サービス)基地病院総院長の中村哲医師が12月4日、アフガニスタンで車で移動中、凶弾に倒れた。中村医師は1946年、福岡県

に生まれ、九州大学医学部卒業後、病院勤務を経て84年、パキスタン北西のペシャワールにあるミッション病院への派遣要請を受け赴任し、パキスタン人やアフガン難民のハンセン病治療を開始。そのかたわら難民キャンプでアフガン難民の一般診療にも携わった。赴任前の82年、神経内科を専門とする中村医師は福岡徳洲会

病院で内科や外科の研修を受けた。現地ではさまざまな疾患の治療を行う必要があるためだ。中村医師は現地で診療活動を10年間継続、その間、徳田虎雄・徳洲会理事長(当時)に医療支援を求めた。ミッション病院ハンセン病棟に「この建物は徳洲会の援助で設立された」と書かれたプレートが掲げられているのは、そうした経緯からだ。89年、中村医師はアフガニスタン国内に活動を広げ、山岳部

の医療過疎地でハンセン病や結核など貧困層に多い疾患診療をスタート。2000年には旱

かん

魃ばつ

被害に苦しむ現地で、灌かん

漑がい

事業を始め、03年からは農村復興のため水利事業に携わっていた。中村医師が聴診器を重機の操作レバーに持ち替えたのは、医療よりも“パンと水”の確保が焦眉の急を告げていたからだ。旱魃により現地では1,200万人が被災、WHO(世界保健機関)は飢餓線上の人が400万人、100万人は餓死すると発表。中村医師は「病はあとで治せる。まずは生きておれ」と井戸1,600本を掘り上げた。その後、砂漠化した大地を復活させるため、7年がかりで灌漑用水路25.5㎞を整備、1万4,000ヘクタールを緑地化し、60万人の食料を生産するまでに至った。中村医師は現地での体験をとおして次の言葉を残している。

「私たちが己の分限を知り、誠実である限り、天の恵みと人の真心は信頼に足るということです」

追悼―中村哲医師

「病はあとで治せる。まずは生きておれ」

アフガニスタンで整備した用水路の前に立つ中村医師

T I S創立10周年

徳洲会ICT化促す

「次の10年はAIとPHR」

徳洲会インフォメーションシステム(TIS)は創

立10周年を迎えた。同社は徳洲会病院への電子カル

テの導入や医療ビッグデータを蓄積するインフラの

構築、データの統計解析を行うシステム開発などを

通じ、グループ全体のICT(情報通信技術)化を

統括・推進している。尾﨑勝彦社長に同社の展望を

聞いた。

﨑社長は「新卒採用を始

めた時は嬉しかったです。

当社には可能性があふれ

ています。これからも若

い力を育てていきたい」

と意欲的だ。

これからの10年のキー

ワードとしてAIとPH

Rを掲げる。

一般社団法人徳洲会と

シーメンスヘルスケアは、

AI(人工知能)ソリュ

ーションを用いた画像診

断の共同研究と検体検査

の工程の完全自動化、人

材最適化に向けた超音波

研修プログラムに関する

パートナーシップ(共同

事業)契約を締結。TI

Sは徳洲会が保有する医

療ビッグデータを匿名化、

機密保持に万全を期し研

究用に提供している。

AIを活用した受付シ

ステムの開発にも着手。

機械学習を用いた自然言

語処理、人物同定機能、

顔認識機能、音声認識機

能などを深化し、医療現

場のさまざまな場面で応

に保存した健診結果デー

タを、受診者はスマート

フォンなど端末からアク

セス、いつでも閲覧でき

る。現在は徳洲会グルー

プの職員を対象に試験運

用しており、修正を加え

用できるシステムを目指

す。また「Aiカルテ構

想」も推進。これは患者

さんの既往歴や主訴、画

像・検査データ、文献デー

タなどを使い総合的に診

断をサポート、最適治療

の選択支援を行うものだ。

一方、PHR(Personal

Health Record

)は、患者

さん本人が自らの医療・

健康情報を管理し、いつ

でも情報にアクセスでき

る仕組み。専用サーバー

たうえで今年度中には職

員以外の一般に向けサー

ビスを開始する計画だ。

尾﨑社長は「これから

は患者さん一人ひとりに、

よりきめ細かいサービス

を提供する必要がありま

す。選ばれる病院になら

ないと生き残れません。

10年間で築き上げた基盤

を生かし、次の時代のニ

ーズを読んで、成長して

いきたいと思います」と

未来を見据えている。

医療情報学連合大会

福田次長が口頭発表

「選ばれる病院にならないと生き残れません」と尾﨑社長

試験中の受付システム

徳 洲 新 聞 生い の ち

命だけは平等だ❸ 令和元年 12 月16 日 月曜日 │ No.1215