け の も に る 理 な る や 際 題 つ 綱 つ ... · を tarkasamgraha, bombay,...

7
―インドと西洋の比 稿 西 適用されない性質(dharma「属性」)、すなわち「共通しない性 - 西

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Page 1: け の も に る 理 な る や 際 題 つ 綱 つ ... · を tarkasamgraha, Bombay, 1925)。「認識」は確かに最近類 示 し て い る が 、 そ

〈研

論文

7〉

「定義」

について

―インドと西洋の比較研究―

ンドでは、学問の手順

として

、古く

から提示、定義、考察の

三つが挙げられ、後代には、特

に提示

と定義だけをまとめた一群

の綱要

書文

献が現れる。一方、アリストテ

レスも科学の出発点の

一つ

に定義を挙げる。いずれにお

いても、定義

は基本的で重要

問題である。定義

につ

いて

は、「

Xと

~で

ある」と

いうよう

実際

に具体的な

Xの定義を与

える

〈定義

の実践〉と

「定義」の定

義や条件や目的等を扱う

〈定義の理論〉

いう二つ

の大きな問題が

ある。後者

は前者の根拠となるば

かりで

なく、定義批判の根拠と

もなる。定義批判

はたとえ

他の定

義を用

意できな

くて

も、〈定義

の理論〉

に基づかな

い限り、不

可能であ

る。本稿

は、イ

ンドにお

ける

〈定義の理論〉の二、三の問題を取りあげ

、それらが、西洋

にギリ

シアのアリ

ストテ

レスによ

って

、どのよ

うに考えられた

か、それを検討す

るものである。

佐 藤 裕 之

、「定

、「

適用されない性質(dharma「属性」)、すなわち「共通しない性

、「

」、

(sajatiya

(vijatiya) j

、「

〈基

Itva

-vattva

西

Page 2: け の も に る 理 な る や 際 題 つ 綱 つ ... · を tarkasamgraha, Bombay, 1925)。「認識」は確かに最近類 示 し て い る が 、 そ

「最

十種

差」である(例えば『トピカ』1-8)。これは、諸概念を類種の段

に分

の中

に正

以上の二つの「定義」比較するために、類【A】に属する種

[al][a2]、類「B」に属する種【b1】【b2】を考え、種【al】を

定義

れ次

ンド

「同

、「同

【a2】と異類群の種【b1】【b2】を排除する性質」であり、アリ

ストテレスの「最近類十種差」に従えば、「類「A」十種差(種

[al]と種[a2]との差)」である。アリストテレスのいう種差は、

種[al]と種【a2】の差を意味するだけであって、種[al]と種

[b1]【b2】との差を意味するものではない。ほとんどの場合、

種[al]と種[a2]の差は、同時に種[al]と種【b1】【b2】と

味す

が期

され

、種

って

ンド

排除する性質」だけに相当する。一方、類「A」はそれを述べる

ことによって類【B】に含まれる種【b1】[b2]に適用されない

味す

、最

ドで

相当

ス自

「類

、【同

に入

い】

から

【そ

の対

】切

、種

は、

うち

るも

対象を】切り離す

べきものである」(『トピカ』6-3

.)と述

べて

る通りであ

る。し

たが

って、インドとアリストテレスの相違は、

表現の違

いだけ

に過ぎな

いように思われる。

かし、

アリ

ストテ

レスにおいては、最

近類

が異類群を切

り離

し、種差が同類群を切り離すというように、別

なるものが異類群

と同類群を排除す

ると考えられ、それが固定化

しているが、イン

にお

いて

は固定化して

いない。確かに、インドにお

いて、知覚

「感官と対象の接触から生じる認識」

と定義

されるとき、知覚

は認識の種である

から、「認識」が異

類群

を切

り離す最近類

にな

り、「感官と対象の接触から生じ

る」

は認識

という類に属す

る知

覚と推理等との差、つまり、同類

群を切り

離す種差になる。

だが、

実体の種である地の定義

「匂

いをも

つもの」であ

って

、「最近

十種差」

に従う

「匂

いをもつ実

体」

ではな

い。

なぜなら、「匂

いをもつもの」は実体だけに限ら

れるので

あって、実体以外

の何

(性質や運動等)

に適用されることはないから

、それだけで

同類群と異類群を排除できるので

ある。

これに対し、知覚の場

合、

仮に

「感官と対象の接触から生ずるもの」

と定義

されると、彼

の独特

な考

えによれば、認識以

外の

「感

官と対象

の接

触の消

無」も感官と対象の接触から生じ

るものであるから、この定義

知覚以外のものにも適用されてし

まい、

広すぎ

ることになる。し

たが

って、それを排

除す

るため

に、「認識」

が必要

になり、適用

範囲を知覚だけに限定するのである。(palakyo ab

Page 3: け の も に る 理 な る や 際 題 つ 綱 つ ... · を tarkasamgraha, Bombay, 1925)。「認識」は確かに最近類 示 し て い る が 、 そ

Tarkasamgraha, Bombay, 1925)。「認識」は確かに最近類

「感

「最

った

。こ

「理

。「動

、「

、「

。「理

、「

。「

「定

、「

「知

「発

(genetic definition

」」

(guna)

「実

、「異

。「こ

。「

たのである° (Slokavarttika, pratyaksasutra, 19.)

。「こ

。「

(Samksepasartraka I, 523.)

(svarupalaksana)

(tatasthalaksana)

Page 4: け の も に る 理 な る や 際 題 つ 綱 つ ... · を tarkasamgraha, Bombay, 1925)。「認識」は確かに最近類 示 し て い る が 、 そ

は性

りも

る基

、本

る場

、本

。す

なわ

、本

いて

アリ

レス

って

ある(例えば『形而上学』7-4;『トピカ』7-3.)°この意味で、

(nom

inal definition)

(real d.)

、『ト

ピカ』(1-8.)において分類される四つの述語形式の中の一つで

の述

(主

に転

を示

)、

(主

いも

の)、

(主

に転

いで

の)、

(主

いで

いも

は、

が述

に転

る点

は等

、相

か否

点だ

であ

たが

って

、基

は、

と示

いも

に分

れ、

者が

に過

、定

広義

の特

性の一つであることになる(『トピカ』1-4.)

これ

し、

ドで

「主

と述

転換

、先

「共通

い性

「共

と」

「被定

項性

限項

と同

。S

定義

の制

限項

はS

あり

のS

性と同延のものであるPが共通しない性質になる。すなわち、

「XにPがあれば、そのXにはS性がある。XにS性があれば、

そのXにはPがある」という関係が成立している場合、PがSの

共通しない性質、つまり定義になる。そして、これは主語が述語

に転換されることを示していると思われる。したがって、インド

で考えられた定義は、アリストテレスのいう広義の特有性に相当

する。違いは、それをインドでは定義と考えるのに対して、アリ

ストテレスは広義の特有性の中で本質を示すものだけを定義と考

える点にある。

最後に、定義とものの成立の関係の問題を取りあげたい。まず、

インドには「定義と認識手段によってものの成立がある」という

原則がある。例えば、「匂いをもつもの」という定義と知覚等の

認識手段によって、地は成立することになる。

認識手段の問題は措いて、この原則を素直に解釈すれば、「も

のの成立のためには、定義が必要であること」、さらに「定義で

きないというのであれば、そのものは成立しない」ということに

なると思われる。すなわち、定義はものの成立のための条件と考

えられている。「ものの成立」については、「ものの実在の成立」

を意味するかも知れない。事実、このような理解に基づいて、ア

ドヴァイタ学派のシュリーハルシャは「定義に依存して、被定義

項の成立がある。しかし、定義は合理的に説明され

ない」

Page 5: け の も に る 理 な る や 際 題 つ 綱 つ ... · を tarkasamgraha, Bombay, 1925)。「認識」は確かに最近類 示 し て い る が 、 そ

(K

han

dan

akhan

da

khady

 e

. 

by

 

.Y

og

in

dran

an

da

, 

ra

asi

1979

, p. 126.)と述べ、徹底した定義批判を行った。アドヴァイ

「「

て「それ

が何

か」と探求す

ること

は空しい探求で

ある」(『分析論

後書』2-8)と述べている。この言及

から、定義

は本質

を述べる

もので

って

も、定義されるものの存在

(=実在

)が成

立するわ

けではなく、定義されるものの実在を前提としてなされ

るもので

あることが明らかになる。す

なわち、いわば「ものの実

在の成立

によ

って定義がある」という原則が

たてられることになる。

以上のような、定義とものの成

立の関係は、定義の可

能性の問

に関わる。アリストテレスにと

って、定義は実在を前

提として

いるから、山羊鹿

(トラゲラポス)等の非実在物には定

義がな

ことになる

(『分

析論後

書』2-7)°

しかし、イ

ンドでは、定義さ

れないで、ものが区

別されて

いることは認められないから

、兎角

や亀毛等の非実在物も、他のも

のから区別されるもので

ある限り、

定義

される。

さらに、アリ

ストテレスは個別

的な感

覚的

諸実体

(太陽

、月、

クラテ

等)、

アは非

的で

ると

(『形而上

学』7-15)’

にも、善、真理、同

一性、単純概

念、固

有名詞等が非定義的

なものとしてあげられてきた。しかし、これ

がすべて他のも

のから区別されるものである限り、イ

ンドで

定義を与える

はずで

ある。インドに、非定義的なものはないと思

われる。

ただし、個別

的な実体や善等が非

定義的であると考えられて

も、

れは、無限後退等

の誤謬を逃れるために論理的、もしくは実践

な点で、非定義的

なのであ

って、それらの実在が否定されるわ

Page 6: け の も に る 理 な る や 際 題 つ 綱 つ ... · を tarkasamgraha, Bombay, 1925)。「認識」は確かに最近類 示 し て い る が 、 そ

けではないし、他のものから区別されていないのでもない。太陽

は実在するであろうし、善は悪

から区別

されて

いる。すなわち、

ンドでは、非定義的なものは他

から区別されないが、アリスト

テレス等は、非

定義的なもので

も他

から区別されていると考える。

ここ

に両者の相違がある。

上、〈定義の理論〉

の問題

を論じて

た。イ

ンドとア

リスト

テレスの相違は、しばし

ば指摘

されきたように、、「インドの定義

は本質

を述べるも

ので

はない」

ということに要

約される。本稿で

取り

あげた問題も

、こ

の点から派

生したもので

ある。

そこで

、問

は、なぜ、イ

ンドで本質

を述

べないものを定

義と考え

たかであ

る。も

ちろ

ん、イ

ソドで

いう本質

がアリストテ

レスの

いう本質と

全く同じで

はな

いだろう。

われ

われが基

本的

に了解し、ア

リスト

レスも言及して

いる「本質

は物

事に一つ」と

いうこと

さえ、イ

ンドに通用す

るかど

うかはあやし

い。極

めて特

殊な例にしても、

ラフマンの本質

は、有と知と喜

の三

つで

あるといわれ

る。し

って

、アリストテ

レスのいう本質

を述

べるも

ので

はな

いと

いっ

たとしても、それ

は驚く

に足ら

ない。し

かし

、イ

ンドでも本質と

いうも

のを考えた

はずであ

る。問題

は、そのイ

ンド的な本質でな

いものまでも、何故、定義と考え

たかで

ある。

もちろん、先述した通り、イ

ンドにおいて、定義は性質であり、

本質は基体であるから、本質は一次的な意味で定義ではな

い。ま

(stip

lativ

 d

.)’

lex

ica

l d

.)

」と

(1) Q・拙稿「「定義」の定義‐-インド哲学における「定義」をめ

ぐって――」『仏教文化』32・33(学術増刊号8) 合併号。

pp.(3)-(29)。

Page 7: け の も に る 理 な る や 際 題 つ 綱 つ ... · を tarkasamgraha, Bombay, 1925)。「認識」は確かに最近類 示 し て い る が 、 そ

(2)Cf・ R・Robinson, Definition, Oxford, 1954, pp.2-3.

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・B

ia

de

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de

fin

ition

 

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Jo

rn

l A

ia

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e, 

45, 

95

7,

 

p.3

73-

4; 

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K.

 

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985

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95; 

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・D

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he

 

ix

 

ay

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 K

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in

, 

lc

tta

, 

19

72,

・38・

(6) Cf. 拙稿「二つの「定義」」『印度学仏教学研究』43, 2, 1995,

pp.(86)-(89)。

(7) Cf. 拙稿「「定義」の定義」p.(12)。

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4-

1 0

) 

2, 

19

60,

1 1) Cf.「すべてのことが定義できるとは限らない。……その本質上、

。」

訳『フレーゲ哲学論集』岩波書店、p. 145)。インド哲学は誤ったレ