た ma ろ を こ と の tra” う 説 駒 の 考 は く 解 澤 亦 が で 文...
TRANSCRIPT
一
『解深密経』S
am.
dh
inir
moca
na
su -
tra
(SN
S
)が唯識説
を説く最も重要な経典であることは、言うまでもないであ
ろう。特に「唯識」と漢訳されることの多い
“vijñap
ti-
ma -tra”
という語について言えば、この語が最初に用いられ
たのは、『解深密経』「分別瑜伽品」の一節においてであっ
たと考えられている
この点について、例えば結城令聞博士は、
唯識學上に於ける唯識と云ふ言葉の起源が『解深密
經』分別瑜伽品の「我説、識所縁唯識所現」と云ふ
文句に因つてゐると云ふことは、今更改めて言ふま
でもないことであり、而して本學派が主張する眼目
が、唯識無境の義理を詮顯せんとしてゐることも、
亦周知のことである。
(1)
と述べられ、また横山紘一氏は、次のように言われてい
る。
「唯識」のサンスクリットはヴィジュニャプティ・
マートラvijñ
apti-m
a -tra
である。この語が最初に用
いられたのは、『解深密経』「分別瑜伽品」の次の一
文である。
「慈氏菩薩、復、仏に白して言く。世尊よ、諸の毘
鉢舎那三摩地所行の影像、彼は此の心と当に異なる
こと有りと言うべきや、異なること無しと言うべき
や。仏、慈氏菩薩に告げて曰く。善男子よ、当に異
なること無しと言うべし。何を以っての故に。
彼の影像は唯だ是れ識なるに由るが故な
ヽ
ヽ
ヽ
ヽ
ヽ
ヽ
ヽ
ヽ
ヽ
ヽ
ヽ
ヽ
ヽ
ヽ
ヽ
ヽ
ヽ
ヽ
りヽ
。善男子
よ、我、識の所縁は唯識の所現なりと説くが故な
り。」毘
鉢舎那とはヨーガ
yoga
という実践法のうちの
一四一
『解深密経』の「唯識」の経文について
松 本 史 朗
駒澤大學佛
學部研究紀
第六十一號 平成十五年三月
『解深密経』の「唯識」の経文について(松本)
一四二
一つである。このようにヨーガ実践の体験を描写す
るなかに、はじめて唯識(vijñ
aptim
a -tra
)という語が
あらわれた点に注目しなければならない。つまり、
「ヨーガを修する心に現われてくるさまざまの影像
は唯だ識にすぎない」という自覚的体験こそが唯識
説を形成するにいたった内面的根源力であった。
(2)
ここで横山氏が”「ヨーガを修する心に現われてくるさ
まざまの影像は唯だ識にすぎない」という自覚的体験こそ
が唯識説を形成するにいたった“と述べられたことは適切
であろう。つまり、ここに説かれるのは、所謂「影像門の
唯識」であり、禅定経験において現われる様々の影像を識
〔の作りだしたもの〕にすぎないと見る見方なのである。
しかし、
で結城博士が挙げた玄奘訳の経文、つまり、
「我説識所縁唯識所現」という経文の意味を如何に解する
か、とりわけ、その原サンスクリット文を如何に想定する
かという問題は、未解決のまま残されていたと言えるであ
ろう。しかるに、この問題に正面から取り組み、関連する
諸文献を精査して独自の解釈を提示したのが、以下に示す
シュミットハウゼンS
chm
ithau
sen
教授の画期的な論文な
のである。
Sch
mith
ausen
L;
“On
the
Vijñ
aptim
a -traP
assagein
Sam. d
hin
irmocan
asu -traVIII.7”
『神秘思想論集』S
tud
ies
ofM
ysticismin
Hon
orof
the
1150thA
nn
iversaryof
Kobod
aishi's
Nirva -n. am
,N
aritasanS
hin
shoji,
1984,pp
.
433-455
〔以下「唯識論文」と呼び、
と略す〕
本論文は基本的には、このシュミットハウゼン教授の
「唯識論文」に提示された解釈に異論を提起しようとする
ものに他ならない。ただし、予じめ述べておけば、教授が
示された文献学的な成果が極めて優れたものであることは
今更言うまでもない。従って、私はその成果にほぼ全面的
に依拠して、自らの解釈を構築することができた。後はた
だ、教授とは、テキストの読み方に、若干の相違があるだ
けなのである。
二
では、シュミットハウゼン教授は「唯識論文」で『解深
密経』の問題の経文ついて、その原文を如何に想定し、ど
のような解釈を示されたのか。それについて見るためには、
まず『解深密経』の問題の経文を含む部分の漢訳・チベッ
ト訳のテキストを示さなければならないであろう。そこで
以下に、二つの漢訳・チベット訳、更に、現代の研究者に
よる翻訳として、ラモットL
amotte
による仏訳と野沢静証
博士による和訳を、順次に示すことにしよう。
〔1〕彌勒菩薩言、世尊、毘婆舎那三昧境界、為異彼
『解深密経』の「唯識」の経文について(松本)
一四三
心、不異彼心。佛言、彌勒、我説不異。何義不異。
以唯是心觀彼境像。
(y)
何―以―故―。―我―説―但―是―心―意―識―觀―得―名―
故―。
(x)(
大正一六、六七四下二一―二四行)〔菩提流支訳〕
〔2〕慈氏菩薩、復白佛言、世尊、諸毘鉢舎那三摩地所
行影像、彼與此心、當言有異、當言無異。佛告慈氏
菩薩曰、善男子、當言無異。何以故。由彼影像、唯
是識故。
(y)
善―男―子―、―我―説―識―所―縁―唯―識―所―現―故―。
(x)(
大正一六、
六九八上二七行―中二行)〔玄奘訳〕
〔3〕|bcom
ldanh. das
rnampar
ltabar
bgyidpah. i
tin .
n .eh. dsin
gyispyod
yulgzugs
brñangan
lagspa
deci
lags
|
sems
de
dan .
tha
dad
pa
shes
bgyih. am
|
tha
dadpa
ma
lagsshes
bgyi
|byams
patha
dadpa
ma
yinshes
byah. o
||cih. iphyir
thadad
pam
ayin
shena
|gzugsbrñan
dernam
parrig
patsam
duzad
pah. i
ph
yirte
|
byam
sp
arn
amp
arses
pa
ni
dm
igsp
a
rnampar
rigpa
tsamgyis
rabtu
phyeba
yinno
shes
n .asbsad
do
|(P,N .u,29a7-b1)
Les
images
perçu
esen
concen
tration-in
spectrice
sont-ellesdifférentes
ounon-différentes
dela
pensée
〔quiperçoit
〕?
―R.
Elles
ne
sont
pas
différen
tesd
ela
pen
sée.
Po
urq
uo
in
’end
ifférent-elles
pas?
Parce
qu
eces
images
nesont
rienqu’idée,
J'aidit
quel'objet
dela
connaissancese
définit
《Idée-sans-plus
》. (3)
世尊よ、觀察者の三昧の行境なる影像はこれかの心
と異なるとなすや異ならずとなすや?
慈氏よ、異ならずとなす。何故に異ならざるや?
曰く。かの影像は唯記識にすぎざるが故なり。慈氏
よ、識は唯記識によつて顯示される所縁を有す、と
吾れは説く。
(4)
この内の〔2〕は、正に横山氏が
で引用された玄奘訳
の経文に他ならないが、これらの〔1〕―〔3〕において、
何よりも問題となるのが、私が実線を付した文章
であ
り、さらにまた破線を付した文章
なのである。
このうち
の原梵文の想定は、すでに一九五七年に野沢
博士によってなされており、博士は、次のように言われて
いる。『
識は唯記識によつて顯示される所縁を有す、と吾
れは説く。』と譯出せるチベット文は、「rn
am-p
ar
çes-pani
dmigs-pa
rnam-par-rig-pa-tsam
gyisrab-tu-
phye-bayin
no
||」である。『攝大乗論釋』に引用さ
れているチベット文は、最後に、有財釋を譯する場
合に使用する「can
」を加えてrab
-tu-p
hye-b
acan
yinno
||となつている。
『解深密経』の「唯識」の経文について(松本)
一四四
ところが、『解深密經』では、「識所縁唯識所現故」
となつているから、梵文は「vijñ
a -na-a -lam
ban
am.vijñ
apti-m
a -tra-prabh
a -vitam
」となつていたと推察さ
れ、したがつて、チベット文は「rn
am-p
arçes-p
ah. i
dm
igs-pa
……」と見なすべきである。乏しき經験に
よれば、北京版で「p
an
i
」或は「p
ah. i
」とあるもの
が、デルケ版で「p
ah. i
」或は「p
an
i
」となつている
場合が非常に多く、今の場合も「p
an
i
」を「p
ah. i
」
と訂正して「識の所縁は唯記識によつて顯示された
り。」と譯出してもよいと思う。
(5)
即ち野沢博士は
について
“vijña -n
a-a -lamban
am.vijñ
apti-
ma -tra-p
rabh
a -vitam”
という原文を想定されたのであるが、
これは主として玄奘訳〔2〕を根拠にしている。しかも博
士は、この玄奘訳〔2〕にもとづいて、チベット訳〔3〕
の
についても“rnam
parses
pani”
「識は」を“rnam
par
sespah. i”
「識の」と訂正することを提唱されたのであるが、
既にラモットは、一九三五年の『解深密経』のチベット訳
テキストと仏訳を含む研究書において、当該部分のチベッ
ト訳テキストを
“rnampar
sespah. i
〔dmigs
pa
〕”
という形
で示しており、その註記には、
“vijña -na -lambana”
という梵
語の想定が示されている。
(6)
おそらくラモットは、野沢博
士に先んじて、玄奘訳〔2〕にもとづいて、チベット訳テ
キストを訂正し、その原語を
“vijña -n
a-a -lamban
a”
と想定し
たのであろう。
これに対して、チベット訳〔3〕の
の当該部分は、や
はり、北京版・デルゲ版等のように“rnam
parses
pani”
と
読むべきだとおそらく最初に主張されたのは、シュミット
ハウゼン教授であったと思われる。即ち一九六九年のD
er
Nir
va -
n.a
-Ab
sch
nitt
ind
er
Vin
isca
ya
sa
m.g
ra
ha
n.d
er
Yoga -
ca -
ra
bh
u -m
i
〔以下『涅槃章』と呼び
Der
Nir
va -
n. a
と
略す〕における
“prabha -vita”
という語に対する詳細な註記(
7)
の中で、教授は『摂大乗論』やイェシェーニンボ
Ye
ses
sñin .
po
の註釈における
の引用にもとづき、ラモットの
テキストに示された
“rnampar
sespah. i”
は
“rnampar
ses
pani”
に訂正すべきであると論じ(
8)、
について、基本的に
は、次のような翻訳と原文想定を示された。
die
Perzep
tion(v
ijña -
na
m)
seid
urch
einb
loßes
Be
wu
ßtm
ache
nd
es
Ob
jek
tes
ge
ke
nn
zeich
ne
t
(a -
lam
ba
na
vijñ
ap
tim
a -tr
ap
ra
bh
a -v
ita
-).(D
er
Nir
va -n. a
,p.110)
ここに、一九八四年の「唯識論文」にまで継承される教
授の基本的理解が示されているが、それを一言で言えば
には
“a -lambana-vijñapti”
という複合語が含まれているとい
う考え方であると見ることができる。これこそ、私が本論
『解深密経』の「唯識」の経文について(松本)
一四五
文において異議を呈したいと考えている見解なのである
が、それはともかく、本論文でも論じるように、教授の
「唯識論文」が発表されて以後は
“rnam
par
sesp
an
i”
を
“rnampar
sespah. i”
と訂正するという野沢博士やラモット
教授の理解は、最早不適切であることが明らかになったと
思われるので、それについてこれ以上問題にする必要はな
いであろう。因みに、竹村牧男氏も一九七六年の「vijñapti
について」なる論文において、関連文献を調査し、“rn
am
par
sesp
an
i”
という読みを「標準とすることにしたい」
(9)
と言われている。
さて、「唯識論文」によれば、シュミットハウゼン教授は
荒牧典俊氏と、
の原文想定に関して討議をする機会をも
たれたらしい。荒牧氏の論文によれば、それは一九七九年
から一九八〇年にかけてのことのようであるが(
10)
、この討
議の結果として教授において成立したのが、教授の「唯識
論文」であるとされているようである。
では、この論文の内容を見てみよう。シュミットハウゼ
ン教授は、まず、
のチベット訳について
“rnam
par
ses
pah. i”
というラモット、及び、野沢博士の読みの不適切性
を指摘し、
〔T(a)
〕rnampar
sespa
nidm
igspa
rnampar
rigpa
tsam
gyisrab
tuphye
bayin
no(shes
n .asbsad
do)//
(
p.436)
というチベット大蔵経に認められる読みの正当性を確定
し、さらに、このチベット訳については、次の二つの訳が
可能であると論じられる。
〔T1
〕“Mind
(vijñ
an
a)
isconstituted
by(p
ra
bh
a -vita
,→is
characterized
by,or:con
sistsin
)m
erecogn
ition
(vijñ
ap
tima -tr
a)
ofan
object(a -la
mba
na
)”(p.436)
〔T2
〕“Min
dis
ano
bject
that
isco
nstitu
tedb
ym
ere
cognition”(
p.436)
しかし、問題の
については『摂大乗論』
Ma
ha -ya -n
asa
m.gra
ha
〔MSg
〕(
,7
)における引用では
〔T(b)
〕rnampar
sespa
nidmigs
parnam
parrig
patsam
gyisrab
tuphye
bacan
yinno
(shesn .as
bsaddo)
⁄⁄
(p.436)
とチベット訳されているので、
〔T3
〕“Min
dh
as
anobject
that
iscon
stituted
bym
ere
cognition”(
p.436)
という訳も可能であるとされている。
以上の教授の議論について言えば、私は後論するように、
“can”
を有する〔T
(b)
〕は不適切なチベット訳だと考えて
いるので、〔T
(a)
〕をいかに解すべきかが問題になるであ
ろうが、〔T
1〕はすでに一九六九年に教授によって示され
『解深密経』の「唯識」の経文について(松本)
一四六
た
の翻訳に基本的に一致していることは、明らかである。
その特徴は、すでに述べたように、その原文に“a -lam
bana-
vijñapti”という複合語の存在を想定する点にある。
これに対して〔T
2
〕は、基本的には私の理解と一致する
が、私は、“m
ind
” (vijña -n
a)
と“anobject” (a -lam
bana)
の語順
を逆に考え、“an
object” (a -lamban
a)
を主語、“m
ind
” (vijña -n
a)
を述語と見なしている。
なお、“rn
amp
arp
hye
ba”
つまり“p
rabha -vita”
を教授は
“isconstituted
by”“is
characterizedby”
“consistsin”
と訳さ
れ、その内、“is
characterized
by”
は
の“seid
urch
…
gekenn
zeichn
et”
と一致しているように思われるが、私と
しては、この語は「…によって生みだされた」“is
produced
by”
と訳すべきだと考えており、それについては、本論文
の最後に多少詳しく論じたい。
次に教授は、
について、サンスクリット原文の想定に
論を進められ、荒牧氏が『摂大乗論』に引用された
の原
文を、*(tad
)a -lam
ban
am.h
ivijñ
aptim
a -traprab
ha -vitam.
vijña -namity
aham.vada -m
i(MSgN
(11)
,,text,p.63)
と想定されていたものを、
〔A
〕
*a -lam
banam.vijñaptim
a -traprabha -vitam.vijña -nam
…
(p.437)
という形にまで短縮することが可能だと論じ、これに対し
て、
についての自らの想定を、
〔S
〕
*a -lam
banavijñ
aptim
a -traprabh
a -vitam.vijñ
a -nam
…
(p.437)
として提示されたのである。
荒牧氏も二〇〇〇年に出版された論文では、一九八〇年
のシュミットハウゼン教授との討議においては、自らの原
文想定が〔A
〕であったことを認められているが、その同
じ論文では、教授の一九八四年の「唯識論文」の成果を全
面的に認め、教授が提示された〔S
〕の原文想定を承認さ
れるに至っている。
(12)
さて、
に関する〔S
〕と〔A
〕の原文想定について言
えば、まず私は、シュミットハウゼン教授が、
の主要部
分について、基本的には〔S
〕か〔A
〕かの想定しかあり得
ないと論じられたことを、極めて優れた考察だと考える。
即ち、〔S
〕と〔A
〕の相違は、教授も言われるように、
“a -lamban
a”
の後に“m. ”
という
anu
sva -ra
があるかないか、
あるいは、写本で言えば、an
usva -ra
を示す点が“n
a”
字の
上に有るかないか、という僅かなものにしかすぎないが、
重要なことは、教授の考察によって、
の主要部分につい
て“a -lamban
a”
で始まり、“vijñ
a -na”
で終るという語順が確
定されたことであろう。この語順の確定にあたって、教授
『解深密経』の「唯識」の経文について(松本)
一四七
が主要な根拠とされたのが、仏陀扇多B
uddhasa -nta
によっ
て漢訳された『摂大乗論』においては、
が、
〔4〕彼念、唯識所明、識我説(大正三一、一〇一上)
として漢訳されているという事実であった。教授は、この
仏陀扇多による漢訳がサンスクリット文の語順をそのまま
忠実に反映していると見なされ、
This
means
thatthe
sentencew
eare
concernedw
ith
startedw
itha -
lam
ba
na
,w
hereas
vijñ
a -n
acam
ein
theend,im
mediately
beforew
hatw
ouldcorrespond
tosh
es
n .a
sb
sa
dd
o.(
pp.436-437)
と述べられたが、この論述の内容は、正確だと思われる。
因みに〔4〕の「念」は、“a -lam
bana”の訳語である。
(13)
従って、問題の
の主要部分の原文としては、〔S
〕か
〔A
〕かという二つの想定しかあり得ないとする教授の理解
は、適切であろう。では、二つの想定のうち、いずれか正
しいのか。すでに述べたように、荒牧氏は、自らが想定し
ていた〔A
〕を、シュミットハウゼン教授の「唯識論文」
公表後に放棄し、教授の想定である〔S
〕を承認されるに
至ったが、私は、基本的に〔A
〕の方が正しいと考える。
しかし、その理由について述べる以前に、教授が〔S
〕の
翻訳として示された四つの英訳を以下に掲げておこう。
〔S1
〕
“mind
(vijña -na)is
characterizedas
(or:consistsin)
merely
cognizin
g(lit.:m
aking
know
n)
[its](object)
[with
ou
tstressin
gan
yo
fits
pecu
liarities].”
(
p.441
)
〔S2
〕
“(
……)
Min
d(vijñ
a -na)
isch
aracterizedb
y(or:
consists
of)m
erecogn
itionof
[its]object
[with
out
therebeing
anyrea
lobject]”
(
p.441
)
〔S3
〕
“(
……)
Mind
ischaracterized
by[th
efa
ct
tha
tits]
objectis
nothingbut
cognition.”
(
p.441
)
〔S4
〕
“(
……)
Mind
hasan
objectw
hichis
constitutedby
mere
cognition.”
(
p.441
)
このうち、私見によれば、〔S3
〕と〔S4
〕は、いずれも、
不自然な翻訳だと思われる。〔S3
〕の翻訳を、教授は、
Or,
ifon
ep
refersto
sup
ply
avirtu
alabstract
suffix
aftervijñaptim
a -tra-:
(
p.441
)
と述べた後に提示されるのであるが、これは、原文を、
“a -lambana-vijñapti-m
a -trata --prabha -vitam.vijña -nam
”
と想定す
れば、〔S
3
〕の訳が可能になるという意味であろうか。し
かし、このような原文想定は、それ自体が不適切であろう。
というのも
のチベット訳に
“
…rnampar
rigpa
tsamñid
ky
is”とあるわけでもなく、また
“a -lamb
ana-vijñ
apti-
matrata --p
rabha -vita”
という表現自体も、その構造があまり
にも複雑で、不自然であると思われるからである。
『解深密経』の「唯識」の経文について(松本)
一四八
また、〔S
4
〕を、教授は、“a -lam
ban
a-vijñap
ti-ma -tra-
prabh
a -vita”
をbahu
vrh
複合語と解する場合であり、“can
”
を有するチベット訳〔T
(b)
〕に、その例が見られるとされ
るようであるが、しかし、“a -la
mb
an
a-v
ijña -p
ti-ma -tra
-
prab
ha -vitam.
vijña -n
am”
を”vijñ
a -na
は、vijñ
apti-m
a -tra-
prab
ha -vita
なる
a -lamb
ana
を有す“と理解するのは、
bah
uvr
hi
複合語の解釈としても、自然だとは言えないで
あろう。というのも、そのような理解を表現するためには、
原文は“vijñ
apti-m
a -tra-prabh
a -vita-a -lamban
am.vijñ
a -nam
”
と
あるのが普通だと思われるからである。
次に、〔S
1
〕と〔S
2
〕に、大きな相違は存在しない。い
ずれも、原文に“a -lam
bana-vijñ
apti”
という複合語の存在を
認め、これを、前分を属格とする
tatpu
rus. a
複合語と見る
点に特徴がある。これは、すでに述べたように、一九六九
年の『涅槃章』に示された⑥以来の教授の基本的理解であ
るが、〔S
1
〕と〔S
2
〕との相違を言えば、両者では、
“ma -tra”
「だけ」「のみ」の意味する所が異なっている。即
ち、〔S
2
〕では、“m
a -tra”
は、”外境は存在せず、識だけが
ある“という場合の”だけ“を意味するが、〔S
1
〕では、
”対象の特殊相ではなくて、対象だけ、つまり、対象一般、
即ち、対象の総相を認識する“という場合の”だけ“を意
味するというのである。この点を、教授は、“m
ind
cognizesits
objectas
aw
hole”
(
p.440
)とも表現されて
いる。
シュミットハウゼン教授は、〔S
2
〕に示される理解を、
“anidealist
understandingof
thew
ordvijñ
ap
tima -tr
a”
(
p.441
)と認めておられ、ここに所謂”唯識無境“の理論
が説かれていると解されるのであるが、教授の解釈の独自
性は、この〔S
2
〕の”唯識無境“説が〔S
1
〕に示される
”アビダルマの伝統的な識(vijña -na
)の定義“を下敷にして、
それを巧みに利用した上で提示されていると見る点にあ
る。つまり”唯識“という新しい理論の導入に当っては
”アビダルマの伝統的な識の定義“という伝統的な装い“a
traditionalgarb”
(
p.454
)が利用されたというのである。
この点を教授は“the
doublem
eaning”
(
p.454
)という表
現でも示されているようである。
では”アビダルマの伝統的な識(vijña -na
)の定義“とは何
か。教授は、様々の論書の用例を示されるが、その中には
『倶舎論』A
bh
idh
arm
ako
sa
bh
a -s. y
a
〔ed.Pradhan
〕の
〔5〕
vijña -nam.prativijñaptih.
〔
,k,16a
〕.vis. ayam.vis. ayam.
prativijñaptir
upalabdhirvijña -naskandha
ityucyate.
〔p.11,ll.6-7
〕
や、『品類足論』P
ra
ka
ra
n. a
の
〔6〕眼識云何、謂依眼根、各了別色。(大正二六、六九
『解深密経』の「唯識」の経文について(松本)
一四九
三上五行)
も含まれている。
(14)
この「各了別色」の原語を教授は、
“ru -pa-prativijñapti”
と想定されるのである。
また、シュミットハウゼン教授は、“a -lam
bana-vijñ
apti”
という原語を有する用例は提示されていないが、ヴァスバ
ンドゥV
asubandhuの『五蘊論』P
añ
ca
ska
nd
ha
ka
におけ
る〔7〕
rnampar
sespa
gan .she
na/
dmigs
parnam
parrig
pah. o//
(P,Si,16b8
)
の傍線を付した部分の原語を、“a -lam
bana-vijñ
apti”
である
と想定されている。
(15)
更に教授は
“vijña -na”
の対象を限定する“m
a -tra”
が”対象
一般“”対象の総相“を意味する用例も多く示されている
が、その中には『中辺分別論』M
ad
hy
a -n
ta
vib
ha -
ga
(ed.Nagao
)の
〔8〕
artham
a -tred
r. s. tirvijñ
a -nam.
/arth
avises. ed
r. s. tis
caitasa -vedana -dayah.
//
(p.20,ll.19-20
)
の前半部分や、『中辺分別論釈疏』M
ad
hy
a -n
tavib
ha -g
at.
ka -
(MA
VT. ,ed.Yam
aguchi
)の
〔9〕
vastusvaru -pama -tropalabdhir
ityarthah.
/(p.31,l.10)
も含まれている。
(16)
〔9〕は、〔8〕の前半部分の註釈個所
の結語である。
また、教授は『順正理論』の
〔10〕識謂了別者、是唯総取境界相義。(大正二九、三四
二上一四行)
という一文も示されたが、これは、〔5〕の“v
ijña -n
am.
prativijñ
aptih. ”
という『倶舎論』の偈を註釈したものであ
る。以
上の用例が提示されたことにより、まず”アビダルマ
の伝統的な識(vijñ
a -na
)の定義“とは、〔5〕の表現を用い
れば、“vis. ayam.
vis. ayam.prativijñaptir
upalabdhir”
というよ
うなものであることが理解され、それが、〔7〕の『五蘊
論』のチベット訳
“dm
igsp
arn
amp
arrig
pa”
によれば、
“a -lamban
a-vijñap
ti”
と呼ばれたらしいということが知られ
る。ここに、識の定義に関して
“a -lambana-vijñapti”
を原語(
17)
とすると思われるチベット訳が得られたことは、何と言っ
ても重要であろう。
しかも、その識の
“vijñap
ti”“u
palabd
hi”
という作用は、
〔8〕の表現を用いれば、“artha-m
a -tra”
つまり「対象だけ」
「対象一般」「対象全般」を認識するものであることも、教
授の指摘によって示されたのである。すると、教授の想定
される〔S
〕のうち、“a -lam
bana-vijñapti-ma -tra”
までを”ア
ビダルマの伝統的な識の定義“として解釈することが可能
になったように見える。
『解深密経』の「唯識」の経文について(松本)
一五〇
しかし、〔8〕や〔9〕の用例より考えて、”アビダルマ
の伝統的な識の定義“は、“arth
a-vijñap
ti-ma -tra”
ではなく
“artha-m
a -tra-vijñap
ti”
でなければならない筈である。そこ
で教授が提示されたのが、『阿毘達磨灯論』
Abh
idh
arm
ad
pa
(ed.Jaini
)の
〔11〕
vastu -palabdhima -tram.
hicittam.
(p.78.l.11
)
という文である。つまり、“vastu
-up
alabdh
i-ma -tra”
という
語順であっても、それは“vastu-m
a -tra-upalabdhi”
を表現し
得るということであろう。ただし『阿毘達磨灯論』の成立
は遅い。この点について、教授は懸念を示されているが、
しかし、この論書が、毘婆沙師(V
aibha -s. ika
)の作品である
事実は、教授が想定される『解深密経』の〔S
〕の
“a -lamban
a-vijñap
ti-ma -tra”
というような言葉使いも、”アビ
ダルマの識の定義“にもとづいて容易に理解され形成され
ることができた、と教授は論じておられるのである。
(18)
また、シュミットハウゼン教授は”アビダルマの識の定
義“から帰結するかもしれない
“a -lamban
a-ma -tra-vijñ
apti”
と〔S
〕の“a -lamban
a-vijñap
ti-ma -tra”
の語順の相違という
問題を解決するために、”〔S
1
〕ではなく〔S
2
〕が、『解深
密経』の真意である“とする次のような論述を、〔S
1
〕と
〔S2
〕にはさまれた部分に置かれている。
Bu
tof
course
the
Su -tra
does
not
mean
that.
Ith
as
delib
eratelych
osen
the
exp
ression
*a -
lam
ba
na
-
vijñ
ap
tima -
tra
-(in
steadof,
e.g.,
a -la
mb
an
am
a --
tra
vijñ
ap
ti- )in
orderto
evoke,in
thecontext
ofthe
precedingsentence
thathad
enouncedthe
idealityof
the
images
perceived
inm
editation
by
qu
alifying
themas
vijñ
ap
tima -tr
a,
anidealist
understandingof
thew
ordvijñ
ap
tima -tr
a.
Therefore,
inth
econ
tex
t
of
the
Su -
tra
the
sen
ten
ceh
aso
fco
urse
tob
e
understoodas:
(
p.441
)
ここで、冒頭の一文中“that”
とは、
の直前に置かれて
いる〔S1
〕の趣旨を指しており、
末尾の
“as”
の後には、
〔S2
〕が置かれるのである。つまり教授は、〔S
1
〕を”アビ
ダルマの識の定義“に合致するものと見なし、〔S
2
〕を
”唯識無境“つまり”唯識“説を説くものと見なされ、『解
深密経』は
“a -lamb
ana-m
a -tra-vijñap
ti”
ではなく、
“a -lamban
a-vijñap
ti-ma -tra”
という語順を敢て採用すること
によって”唯識“説を説いた、と主張されているのである。
しかし、そうであるとすれば、仮りに〔S
〕の妥当性を
認め、
には、実際
“a -lambana-vijñapti-m
a -tra
…”
と書かれ
ていたと仮定したとしても、この表現が”アビダルマの伝
統的な識の定義“を踏えているということは言い得るであ
ろうか。この点を、私は疑問に思うのである。
『解深密経』の「唯識」の経文について(松本)
一五一
に説かれる”唯識“説は”アビダルマの伝統的な識の
定義“を踏まえて説かれている、という見解は、一九六九
年の『涅槃章』
以来の教授のいわば独創的な見解と言え
るものであろう。しかし、“a -lam
ban
a-ma -tra-vijñ
apti”
と
“a -lamban
a-vijñap
ti-ma -tra”
が別の理論を説いているとする
ならば、後者の表現が前者を踏まえていると見るのは、不
可能ではあるまいか。まして、我々は、教授の議論の基礎
をなしている
“a -lamban
a-ma -tra-vijñ
apti”
なる複合語の存在
を確認できてはいないのである。その様な仮定的な存在で
ある“a -lam
bana-m
a -tra-vijñap
ti”にもとづいて、“a -lam
bana-
vijñap
ti-ma -tra”
の存在を、論理的に妥当なものとして、つ
まり、前者を”踏えたもの“として、想定するという作業
は、極めて不確実なもののように思われる。
勿論、
の主要部分が
“a -lamb
an. am.vijñ
apti-m
a -tra-
prabh
a -vitam.vijñ
a -nam
”
という〔A
〕を原文としていると想
定する私としても、そこに”アビダルマの伝統的な識の定
義“が全く踏えられていないとは考えない。つまり、そこ
に“vijñana”
に関連して“vijñapti”
という語が使用されてい
るということ自体がやはり、その定義が踏まえられている
ことを示しているであろう。しかし、
で、そして、
でも、説かれているのは、あくまで
“vijñap
ti-ma -tra”
であ
って、“a -lam
bana-ma -tra”
ではない。この点で、私は、教授
の見解に賛成できないのである。
さて、私は、教授が
について想定された〔S
〕を見て、
すぐにそれは不適切ではないかと感じたのであるが、その
とき私が考えたのは、次のようなことであった。即ち、も
しも、
に、“a -lam
bana-vijñapti-ma -tra-prabha -vitam
”
と書か
れていたとすれば、仏教文献史土、
が初めて提起した
”唯識“説の重要性の故に、“a -lam
bana-vijñ
apti-m
a -tra”
とい
う表現は、その後の瑜伽行派において流行し、従って瑜伽
行派の文献に多用されているのが認められる筈であるが、
そのような形跡は全く見られない。これに対して、
“vijñapti-ma -tra”
なる表現は、その後の瑜伽行派において正
に流行し多用された。この事実は、“a -lam
ban
a-vijñap
ti-
ma -tra”
なる複合語が、
に存在しないことを示しているで
あろう、というものであった。
以上は、私の第一印象であったが、その後、教授の「唯
識論文」を通読することによって
“a -lamb
anam.
vijñap
ti-
ma -tra-p
rabha -vitam
”
という〔A
〕の方が正しいであろうと
いう私の印象は、確信に近いものへと変っていった。「唯
識論文」が様々の関連文献の提示とその読解において極め
て優れた研究であることは言うまでもないが、教授がその
後、一九八七年の『アーラヤ識論』A -
la
ya
vijñ
a -n
a
〔A -la
ya
と略〕で提示し、そして読解された『解深密経』チ
『解深密経』の「唯識」の経文について(松本)
一五二
ベット訳(大蔵経所収の訳とは異訳)の敦煌写本(S
tein
Tib.N
o.194
)つまり、袴谷憲昭氏によって学界に提供された(
19)
写本の関連部分ほど重要なものはないと私には思われた。
つまり、私は、この部分が提示されたことにより、教授の
解釈の成立しないことが明示されたと考えたのである。そ
こで、その敦煌写本から
+
に相当する部分を示せば、
次の通りである。
〔12〕
rnampar
rigpa
tsamgyi
phyirte
/gzugs
brñande
ladm
yigspa
rnampar
rigpa
tsamdu
rabdu
bsgoms
paste
/byams
pan .as
rnampar
rigpa
shesbsado//
(20)
しかるに、教授はこのチベット訳について、その語順が
原サンスクリット文の語順をある程度反映しているならば
とした上で、次のような原文想定を示されている。
*vijñap
tima -tratva -t
[/]tasya
pratib
imb
asya<
/>
a -lamb
ana(m. ?)vijñ
aptim
a -traprab
ha -vitam.
Maitreya
maya -
vijña -namuktam
/,
(A -la
ya
,,n.625,p.382
)
私が、この原文想定を優れたものと考えるのは、まず何
よりも、教授が
“gzugs
brñ
and
ela”
の部分を、属格で
“tasyap
ratibimbasya”
と想定されたからである。勿論、教
授の言われように、“tasya
pratibimbasya”
は、その前にあ
る“vijñaptima -tratva -t”
にかかる。つまり、これは、「その影
像は、表識(
21)
のみ(vijñ
apti-m
a -tra
)であるから」と訳しうる。
これによって、従来知られていた大蔵経本チベット訳の相
当個所、つまり
“gzugs
brñan
de
rnam
par
rigp
atsam
du
zadpah. i
phyir//”
によっては、充分に確定できなかった
の原文が確定されたと思われる。即ち
は、教授が
で想
定されたように、正に
“vijñap
tima -tratva -t
tasya
pratib
imb
asya”
を原文としていたように思われる。
“vijñaptima -tratva -t”
と“tasyapratibim
basya”
の順序について
いえば、菩提流支訳〔1〕の「以唯是心観、彼境像」は、
この順序を明示していると思われる。
では、敦煌写本〔12〕の出現により、
については、ど
のような結論が導かれるであろうか。即ち、
“a -lamban
a-”
という〔S
〕が正しいのか。それとも、
“a -lamban
am. ”
とい
う〔A
〕が正しいのであろうか。これについての教授のコ
メントは、次の通りである。
As
fora -la
mba
na
-/a -la
mba
na
m. ,I
find
itd
ifficult
to
decid
eon
wh
ichof
these
readin
gsth
eT
un
-hu
ang
translation
isbased
.B
ut
ifth
evocative
by
am
sp
a
(Maitreya)
hasm
aintainedits
originalposition
inthe
sentence,I
feelthat
thereading
a -la
mba
na
m.w
ould
be
odd
froma
stylisticp
oint
ofview
.F
or,th
ough
adm
itting
that
more
systematic
investigation
ofth
is
matter
isrequired,
asfar
asI
cansee
apattern
“subj.
『解深密経』の「唯識」の経文について(松本)
一五三
―pred
.nou
n
―voc.
…”d
oesn
otoccu
r,w
hereas
a
pattern
“pred
.nou
n
―voc.
―subj.”
isqu
itecom
mon
.
And
Idoubt
thatit
ispossible
totake
thepassage
to
mean
“Ih
avetau
ght
vijñ
a -n
ato
bean
objectcon
-
stitutedby
mere
cognition/
representation”.
(A -la
ya
,
,n.625,p.383)
ここで教授は、〔12〕が〔S
〕と〔A
〕のいずれの読みに
もとづいていたか決定するのは難しいとして、その理由を、
“byampa”
(Maitreya
)「弥勒よ」という呼格名詞のチベット
訳語が原文における位置を維持しているなら”述語名詞・
呼格名詞・主語“という語順が一般的であるから、
“vijña -n
a”
を主語と見るべきであるが、その場合にも、
“vijña -n
a”
は、“vijñ
apti-m
a -tra-prabh
a -vita”なる
“a -lamban
a”
である、というよりも
“vijña -n
a”
は、“a -lam
ban
a-vijñap
ti-
ma -tra-prabha -vita”
である、という読みの方が自然であるか
ら、と論じられているように思われる。
この見解について言えば、まず私は、敦煌写本の〔12〕
は、明瞭に〔A
〕の読みを支持していると考えるのである。
というのも、〔12〕の訳は、
について、いわば”二分説“
というような理解にもとづいているからである。即ち、
〔12〕の
相当部分、つまり、
dmyigs
parnam
parrigs
patsam
durab
dubsgom
spa
ste/byam
pan .as
rnampar
rigpa
shesbsado
//
を見ると、この文章は“ste”
という語によって”二分“され
ている。即ち、“ste”
いう接続辞の意義を考慮するならば、
は、a -lam
bana
は、vijñapti-m
a -tra-prabha -vita
である。つま
り、M
aitre
ya
よ、私によって、〔a -la
mb
an
a
は〕
vijña -na
であると説かれた。
と訳しうるであろう。このように、
を一応
“prabh
a -vitam. ”
の後で、二分する理解を、”二分説“と呼ぶ
ことにしたい。この呼称は、以下に示す
の諸訳の検討に
おいて有効となるであろう。
しかし、私は、
が、二つの文章より成っていると主張
するのではなく、それはやはり、一つの文章を形成してい
ると見る。ただし、その文章は、いわば、二つの要素に分
割できると考えるので”二分説“という呼称を用いるので
ある。
結論として言えば、私は、
の原文として、ほぼ次のよ
うな形を想定する。
〔M
〕a -lamban
am.h. i
vijñap
tima -trap
rabha -vitam.
Maitreya
vijña -namitim
ayoktam/
“Maitreya”
(byamp
a
)という呼格が、
のどの位置にあ
ったのか、あるいは、本来
に含まれていたのか、という
『解深密経』の「唯識」の経文について(松本)
一五四
ことも、明確ではない。
二つの漢訳〔1〕〔2〕の
相当部分に「弥勒」の語は
なく、玄奘訳〔2〕に「善男子」の語があるだけである。
しかし、「善男子」は、“M
aitreya”
を訳したものである可
能性は充分にある。そこで、
には、やはり“M
aitreya”
の
語があると考えたが、
におけるその位置の理解について
は、シュミットハウゼン教授に従った。〔12〕より考えて
も、“M
aitreya”
を
“a -lamban
am. ”
の後に置くことはできず、
従って、“prabha -vitam. ”
の後に置くのが適切であろう。
〔12〕の“n .as...bsado”
〔3〕の
“n .asbsad
do”
〔1〕〔2〕
の「我説」の原語については、かつて荒牧氏が
で想定さ
れた(
22)“ah
am.vad
a -mi”
ではなく、シュミットハウゼン教授の
“maya -
…uktam”
に従った。それはまず、こちらの想定の方
が、より一般的であると考えたためと、さらに、教授が指
摘された(
23)玄
奘訳の『摂大乗論釈』(世親釈)の「我所説」
(大正三一、三三八下)という訳語の存在を重視したからで
あるが、それ以外にも後論するような重要な理由がある。
ただし、教授のように
“may
a -vijñ
a -nam
uk
tam”
とせず
“vijña -namiti
mayoktam
”
としたのは、チベット訳〔3〕の
“shesn .as
bsaddo”
という語順を重視したからであり、また
“vijña -nam”
の位置を考えたためである。
教授は
で”述語名語・呼格・主語“の語順が一般的で
あるとしながらも、”vijñ
a -na
は
a -lamban
a
である“という
のは不自然であるから、”vijñ
a -na
は
a -lamb
ana-vijñ
apti-m
a -
tra-prabh
a -vita
である“という〔S
〕が正しいと論じられた
ように思う。しかしかつての荒牧氏の想定
のように
“vijña -nam”
の後に“iti”
があるとすれば、“vijña -nam
”
を主語
ではなく述語と考えることもできるのではなかろうか。二
つのチベット訳〔3〕〔12〕、及び『摂大乗論』『摂大乗論
釈』のチベット訳における引用(後出〔19〕〔25〕)でも、
“shes”
という訳語が用いられているので、やはり、原文に
“iti”
があったと想定するのが自然であろう。
更に残された問題は、“a -lam
banam. ”
の後にかつての荒牧
氏の想定
のように、“hi”
「というのも」「つまり」があっ
たか否である。二つの漢訳における「故」、及びチベット
訳〔3〕の“ni”
より考えて“hi”
が“a -lambanam. ”
の後に存在
していた可能性は高い。さもなければ、
と
との接続の
関係が不明瞭なものとなるであろう。菩提流支訳の〔1〕
では
の冒頭に「何以故」の語さえ置かれているのである。
確かに敦煌写本の〔12〕には、一般に“hi”
に対応するチベ
ット訳語である“ni”
は存在しない。しかし〔12〕では
の
末尾に“ste”
が存在し、これが「つまり」という意味で“hi”
の意味を表しているかもしれない。
この“hi”に関するシュミットハウゼン教授の議論は次の
『解深密経』の「唯識」の経文について(松本)
一五五
通りである
Ihave
ignoredh
ithough
itseem
sto
besupported
by
thefinal
particlein
Bodhiruci’s
andH
süan-tsang’s
Chinese
versions(see
§12:
[Bo]
and[H
]).
But
this
may
have
beenin
du
cedby
the
question
“wh
y?”
preceding(in
Bodhiruci:im
mediately
preceding)our
sentence,or
bylogical
considerations.B
esides,there
isno
traceof
hi
inthe
comm
entaries.A
ndeven
ifh
i
hadactually
beenthere,the
sourcem
aterialdoesnot
offerany
clueas
toits
position.In
viewof
theresult
ofth
efollow
ing
investigation
(§§13ff.)——
show
ing
thatthere
istextualsupport
forboth
[S]and
[A]—
—,
itw
ouldseem
that,if
therew
asany
hi,
itcan
have
follo
wed
neith
era -
lam
ba
na
(imp
ossib
lein
[S]
:
compound!)
nor- p
ra
bh
a -vita
(impossible
in[A
]:
hi
shouldbe
thesecond
word).(
p.437)
ここで、まず教授は、二つの「故」について、これは
“wh
y?”
「何以故」という問いによって、論理的な配慮から
導き出されたものかもしれないとされるが、すでに述べた
ように、菩提流支訳〔1〕の場合、「何以故」は、
の冒頭
に位置しているのである。つまり
は、〔1〕では「何以
故…故」という形を取っている。しかるに、この「何以故」
故�
故�
を
末尾の“vijñaptim
a -tratva -t”
の“-tva -t”
に対応すると見る
ことはできないであろう。すると、〔1〕において
の冒
頭にある「何以故」は玄奘訳〔2〕にも対応するものがな
い表現であると知られる。これは決して、
の前にある
〔1〕の「何義不異」、〔2〕の「何以故」、〔3〕の
“cih. i
phyirtha
dadpa
ma
yinshe
na”
に対応するものではない。
従って、菩提流支訳〔1〕が、
を
の理由と規定してい
ることは、明らかである。
教授は諸註釈書に“hi”
の痕跡がないとも言われる。しか
し、註釈書は、かなり読みづらいものであり、また、“h
i”
を「つまり」「けだし」「実に」と解するとき、註釈書では、
それを註釈しないこともあり得るであろう。また教授は⑮
末尾で
の原文について〔S
〕を想定しても、〔A
〕を想定
しても、“h
i”
の語順を想定できないことから、“h
i”
の存在
を否定されているように見えるが、最末尾の
“n
or
- pra
bh
a -vita
(impossible
in
〔A
〕):h
ishould
bethe
second
wo
rd”
という文章は、私にとって理解不能なのである。
“hi”
が文章の二番目に置かれるべき
“the
second
word
”
だ
というのは、教授の言われる通りであろう。しかし、〔A
〕
を想定した場合、“h
i”
が二番目の位置に、つまり、
“-prabh
a -vitam. ”
ではなくて、“a -lam
banam. ”
の後に置かれる
ことには、何の不自然さもないであろう。とすれば、教授
『解深密経』の「唯識」の経文について(松本)
一五六
は、
〔A
〕の想定に関しては、語
順の上から“hi”
の存在の不可能性を指摘しておられないよ
うに思われるが、これは教授の議論に関する私の理解が不
正確なためであろうか。
勿論、私も、
において“h
i”
の存在を想定することにつ
いて、全面的な確信を有しているわけではない。私が以下
に示す解釈からすれば
“hi”
がなくて
“a -lamb
anam.
”
と
“vijñap
ti-ma -tra-p
rabha -vitam. ”
とが直結していた方が論旨が
分り易いようにも思われる。またもし“hi”
が“a -lambanam. ”
の直後に存在していたとすれば、当然のことながら〔S
〕
の想定は全く不可能であったであろう。あるいは〔A
〕が
〔S
〕と誤解されることもなかったであろう。ただし関連す
る諸文献、つまり
の翻訳(漢訳とチベット訳)とその註釈
書の翻訳との中に、確かに〔S
〕の読みにもとづいている
と確定できるような記述も、以下に論じるように、存在し
ないと思われる。そこで私としては、一応
の想定原文の
二番目の位置に、つまり“a -lam
banam. ”
の直後に“hi”
の存在
を想定しておきたい。
このようにして、私は、
の原文として〔M
〕を想定す
るのであるが、それを私は次のように訳したいと思う。
〔Mt
〕というのも、表識のみ(vijñapti-m
a -tra
)によって生
みだされた(prabha -vita
)所縁(a -lam
bana
)は識である、
と私によって説かれたからである。
このうち、“p
rabha -vita”
を「生みだされた」と訳すこと
については、読者に疑問があるかもしれない。現にシュミ
ットハウゼン教授はこの語を
“characte
rized
by
”
とか
“du
rch
…
gekenn
zeichn
et”
と訳されているのである。しか
し、この点については、本論文の最後に詳論したい。
そこで以下に、
に関する〔M
〕という原文想定と、そ
の私訳である〔M
t
〕の妥当性を示すために、シュミットハ
ウゼン教授が考察された諸文献を、具体的に検討したい。
三
まず、
については、
を含む『解深密経』の一節、つ
まり〔1〕〔2〕〔3〕の論旨を、正確に把握する必要があ
るであろう。ではそこで何が説かれているのか。そこには、
弥勒が”三味の行境である影像(sam
a -dh
i-gocara-pratibim
ba
)
〔
〕が、その心(citta
)〔
〕から(
24)
異なっているか、いな
いか、“という問いをなしたのに対して、仏陀(世尊)
はまず”異なっていない“と答えて、さらに、その理由を、
”その影像〔
〕は、表識のみであるからである(
)。+
“と説明しているのである。従って、全体の論旨は、
”pratib
imb
a
〔
〕は、c
itta
〔
〕から異なっていな
い“というものである、と理解することができる。
『解深密経』の「唯識」の経文について(松本)
一五七
このように理解することの妥当性は、〔1〕〔2〕〔3〕
直後のテキストが次のようになっていることからも、知ら
れるであろう。
〔13〕弥勒菩薩言、世尊、若彼心境像、不異於心、(大正
一六、六七四下二四―二五行)〔菩提流支訳〕
〔14〕世尊、若彼所行影像、即与此心、無有異者、(同右、
六九八中二―三行)〔玄奘訳〕
〔15〕
bcomldan
h. dastin .
n .eh. dsin
gyispyod
yulgi
gzugs
brñande
galtegzugs (
25)sem
sde
lastha
dadpa
ma
lags
na/
(P,N .u,29b1-2
)
この記述をチベット訳〔15〕によって訳せば、次のよう
になるであろう。
世尊よ、もしも、その三昧の行境たる影像(sam
a -dhi-
gocara-pratibim
ba
)〔
〕が、その心(citta)〔
〕か
ら異なっていないならば、
即ち『解深密経』〔1〕〔2〕〔3〕の全体の趣旨は
”pratibim
ba
〔
〕は、citta
〔
〕から異なっていない“
(
isnot
differentfrom
)というものであり、従って〔1〕
〔2〕〔3〕末尾の
では、この趣旨が述べられ、それが直
後の〔13〕〔14〕〔15〕にも受け継がれていく、と見るべき
であろう。
とすれば、
においても、その主語は“pratibim
ba”
〔
〕
に相当するものであり、述語は
“citta”
〔
〕に相当するも
のでなければならない。言うまでもなく、
では、それは
順次に“a -lam
bana”
〔
〕と“vijña -na”
〔
〕なのである。
つまり、
は
“a -lamb
ana”
〔
〕という主語が“vijñ
a -na”
〔
〕という述語名詞から異ならない、と述べるものであ
るからこそ、論旨が、その直後の
”もしも、その
pratibim
ba
〔
〕が、そのcitta
〔
〕から異ならないとす
れば“と説く一文(〔13〕〔14〕〔15〕)に連続することができ
るのである。勿論、ここには、伝統的に認められてきた
“citta”
と“vijña -na”
の同義語性が前提されている。
従って、
については、“a -lam
bana”
〔
〕を主語とし、
“vijña -n
a”
〔
〕を述語と見る〔M
〕〔Mt
〕の解釈が妥当で
あることが理解されると思われる。
そこで『解深密経』の諸訳について、
を見ると、ま
ず、〔1〕の菩提流支訳「何以故、我説但是心意識観得名
故」は、シュミットハウゼン教授(
26)
同様、これをいかに理解
すべきか私にはわからない。ただし、「得名」は
“prabha -vita”
、「観」は、“a -lam
bana”
の訳であろう。
次に、〔2〕の玄奘訳について言えば、厳密であるべき
玄奘訳において、
が何故「善男子、我説識所縁唯識所現
故」と訳されているのか、これも理解に苦しむ所である。
「我説識所縁唯識所現」は、
における横山氏の読み下し
『解深密経』の「唯識」の経文について(松本)
一五八
のように、「我、識の所縁は唯識の所現なりと説く」と読
まれるのが一般的であろう。するとこれは、意味としては
〔M
〕のa -lam
banam.hi
vijñaptima -traprabha -vitam.
までにしか
対応していないことになる。確かに
“vijña -n
a”
に対応する
「識」という語は用いられている。しかし、「識所縁」は、
「識の所縁」と読むのが、自然な読み方であろう。この点
についてシュミットハウゼン教授は、円測『解深密経疏』
のチベット訳において、この玄奘の「識所縁」という訳語
が、“rnam
parses
pah. idm
igspa
[ni]”
とチベット訳された
ことを報告されている。
(27)
すると、「識所縁」とは、「識の
所縁」としか読みようがないものなのであろうか。
この点についての私見は、後に詳論するが、ここで一つ
言えることは、「識所縁唯識所現」という表現は、「識」
“vijña -n
am. ”
〔
〕と「所縁唯識所現」“a -lam
ban
am.
〔hi
〕
vijñap
tima -trap
rabh
a -vitam. ”
〔
〕との同一性、不異性を、
”「識」=「所縁唯識所現」“という形で説いているとも解
釈できるかもしれない、ということである。
次に〔3〕のチベット訳における
については、これ
は、主語
“a -lamban
am. ”
〔
〕と述語名語
“vijña -n
am. ”
〔
〕
の関係を取り違えたものと思われる。サンスクリット文に
おいて、名詞が二つ挙げられて、その同一性が言われる場
合、チベット訳において、主語と述語の取り違えが起ると
いうことは、珍しいことではないであろう。
(28)
さらに敦煌写本のチベット訳〔12〕について言えば、す
でに示した
の「私によって」という語の後に
「a -lambana
は」という語を補えば、その内容は、私の〔M
t
〕
に一致するであろう。〔12〕がすでに述べた”二分説“に
もとづいて訳を示していることは、明らかであるが、しか
し、勿論、
は一つの文章と見なされるべきものであり、
従って、〔M
t
〕の解釈が成立すると考える。
以上の諸訳の内、敦煌写本の〔12〕が最も強く〔M
〕を
支持していると思われるが、〔1〕〔2〕〔3〕〔12〕のうち
原文が〔S
〕でなければ、想定できないというような訳は
一つもないと思われる。シュミットハウゼン教授は、〔S
4
〕
つまり”vijñ
a -na
はvijñap
ti-ma -tra-p
rabha -vita
なる
a -lamban
a
を有す“という解釈によれば、〔S
〕は玄奘訳〔2〕の
と
一致すると考えられるかもしれないが、〔S
4
〕のbah
uvr
hi
複合語の理解は、すでに述べたように、前分と後分の語順
が逆であるように思われ、従って、〔S
〕を〔S4
〕と訳すこ
と自体が、私には不適切であると思われる。
四
では次に問題の経文が『摂大乗論』にいかに引用される
か見てみよう。問題の経文は、次に示すように、『十地経』
『解深密経』の「唯識」の経文について(松本)
一五九
Da
sa
bh
u -m
ika
su -
tra
の経文の引用の後に、示されている。
〔16〕眞實未覺者、唯識事、云何得知。從阿含及解釋順
義中。是中阿含、如佛十地經所説、三界唯心作。相
續解
經中、彌勒菩薩問佛言、世尊、所有彼三昧境
界中見像、彼為於心異為不異。佛言、彌勒不異。何
以故、彼―念―唯―識―所―明―、―識―我―説―。(大正三一、一〇一上
一七―二三行)〔仏陀扇多訳〕
〔17〕若人未得眞如智覺、於唯識中、云何得起比智。由
聖
及眞理、可得比度。聖
者、如十地經中佛世尊
言、佛子、三界者唯有識。又如解節經中説、是時彌
勒菩薩摩訶薩問佛世尊、世尊、此色相是定心所縁境、
為與心異、與心不異。佛世尊言、彌勒、與心不異。
何以故、我―説―唯―有―識―、―此―色―相―境―界―識―所―顯―現―。(同右、一
一八中二一―二八行)〔真諦訳〕
〔18〕其有未得眞智覺者、於唯識中、云何比知。由
及
理、應可比知。此中
者、如十地經薄伽梵説、如是
三界皆唯有心。又薄伽梵解深密經亦如是説、謂彼經
中、慈氏菩薩、問世尊言、諸三摩地所行影像、彼與
此心、當言有異、當言無異。佛告慈氏、當言無異。
何以故、由彼影像唯是識故。我―説―識―所―縁―唯―識―所―現―故―。
(同右、一三八中二―八行)〔玄奘訳〕
〔19〕
dekho
nases
pasm
asad
pasrnam
parrig
patsam
ñiddu
jiltarrjes
sudpag
parbya
shena
|lun .dan .
rigs
pasdpag
parbya
ste
|
dela
lun .ni
bcomldan
h. daskyis
sabcu
palas
h. di
ltaste
|kham
sgsu
mp
ah. d
in
isem
stsam
mo
shes
gsun .spa
dan .
|
dgon .spa
n .espar
h. grelpalas
byan .chub
sems
dpah.byam
spas
shusnas
bcomldan
h. daskyis
bkah.stsalpa
ltabu
ste
|bcomldan
h. dasgan .
tin .n .e
hdsingyispyod
yulgyigzugsbrñan
decisem
sde
lastha
dadpa
shes
bgyih. am
|thadad
pam
alags
shesbgyi
|bcomldan
h. daskyis
bkah.stsalpa
|byams
patha
dadpa
ma
yin
shesbyah. o
||de
cih. iphyirshe
na
|rnampar
sespa
nidm
igspa
rnampar
rigpa
tsamgyis
rabtu
phyeba
canyin
noshes
n .asbsad
do
||(M
SgN,
,text,pp.61
―
62)
このうち、チベット訳〔19〕を訳せば、ほぼ次のように
なると思われる。
実義の知(tattva-jñ
a -na
)によって目覚めていない人
(aprabuddha
)によって、表識のみであること(vijñapti-
ma -trata -
)は、いかにして推理される(an
um
yate
)か。
阿含(a -gam
a
)と道理(yukti
)によって推理される。
このうち阿含とは、世尊によって『十地経』に
『解深密経』の「唯識」の経文について(松本)
一六〇
「三界に属するものは、心のみである」(citta-m
a -tram
idam.
yadid
am.traid
haa -tu
kam
)と説かれた通りであり、
また、『解深密経』に、弥勒菩薩が質問したのに対
し、世尊が言われた通りである。
即ち、「世尊よ、その三昧の行境である影像
(sama -d
hi-gocara-p
ratibim
ba
)はその心(citta
)から異
なっていると言われるのか、異なっていないと言わ
れるのか」。世尊が言われた。「弥勒よ、異なってい
ないと言われる。それは何故かと言えば、表識のみ
によって生みだされた所縁は識であると私によって
説かれたからである」。
ここでまず注意すべきは、この『摂大乗論』の記述にお
いては“vijñapti-m
a -trata -”
を推理するための阿含として『十
地経』の所謂”三界唯心“の経文が第一に挙げられ、その
後『解深密経』の問題の経文が示されている点である。こ
れは、何を示すであろうか。おそらく『摂大乗論』の著者
アサンガが『十地経』よりも、あるいは、その”三界唯心“
の経文よりも、『解深密経』の問題の経文の方が後代の成立
であることを理解していたことを、示しているであろう。
しかるに私は『解深密経』自身もそのことを意識してい
たのではないかと考えるのである。つまり、
末尾の
“n .asb
sadd
o”
「我説」“m
aya -u
ktam
”
とは、『解深密経』
が
の所説を、すでに『十地経』の”三界唯心“の経文に
よって説かれたものとして示すために用いた語ではないか
と思うのである。シュミットハウゼン教授は「唯識論文」
で
“n .asb
sadd
o”
の原文が
“maya -
de
sitam(u
ktam
)”
と
“aham.
vada -m
i”
「私は説く」とのいずれであるか、という
問題を考察され、結果として前者を支持されているようで
あるが(
29)
、前者は「私によってすでに説かれた」をも意味す
るから、『解深密経』の
が最初の”唯識“説の表明では
なく、この経以前に”唯識“説が説かれていたことになっ
てしまうという懸念を、次のように表明されている。
Th
ism
ean
sth
atw
ith[A
]th
eu
nd
esirab
le
consequenceindicated
in§
7,viz.thatthere
must
be
som
ee
arlier
en
un
ciation
of
the
do
ctrine
of
vijñ
ap
tima -tr
a,
wou
ldat
leastrem
aina
possib
ilty.
(
p.439
〔9.
〕)〔傍線=松本〕
しかし、注意すべきは、アサンガは、〔16〕―〔19〕で、
“citta-ma -trata -”
ではなく、正に
“vijñapti-ma -trata -”
の教証と
して、『十地経』の”三界唯心“の経文を、『解深密経』の
問題の経文の前に置いていることなのである。従って、
の“n .asbsad
do”
「我説」は“m
aya -uktam
”
に対応し、『十地
経』の”三界唯心“の経文を意図していると見ることがで
きるであろう。
『解深密経』の「唯識」の経文について(松本)
一六一
しかるに、そうであるとすれば、
の主語と述語の構造
は”三界唯心“の経文のそれと一致していなければならな
い。即ち、『十地経』(ed.K
ondo
)の”三界唯心“の経文は、
〔20〕
cittama -tram
idam.yad
idam.traidha -tukam
(p.98
)
というものであり、これがそのまま『摂大乗論』〔16〕―
〔19〕で引用されているとすれば、この経文の構造は
“citta-ma -tram
idam. ”
「これは心のみである」と考えること
ができる。つまり、ここでは、「これ」(id
am
)という対象
的契機〔
〕が主語であり、「心のみ」(citta-m
a -tra
)という
主観的契機〔
〕が述語なのである。従って、
において
も
“a -lamban
a”
〔
〕が主語であり
“vijña -n
a”
〔
〕が述語
でなければならない。さもなければ、
はその構造におい
て、”三界唯心“の経文〔20〕に一致しなくなるからであ
る。なお、ここでも
“citta”
と
“vijña -na”
の伝統的な同義語
性が前提として認められていることは言うまでもない。
さて、『摂大乗論』〔16〕―〔19〕に眼を通して、まず気
づかれることは、そこでは
が引用されていないのではな
いかという点である。
(30)
確かに、玄奘訳〔18〕に限っては、
破線を付した部分に
の訳文が認められるが、
に相当
するものは、〔16〕〔17〕〔19〕に欠けているので、これは
玄奘が原文にないものを『解深密経』〔2〕から補った語
であろうと考えられる。訳語も〔2〕の
と全く一致して
いる。なお
についても、訳語は一致しているので、玄奘
は、すでに訳していた『解深密経』の訳文
を、ここ
に置いたものと考えられる。
(31)
次に〔16〕―〔19〕の
について言えば、そこには、玄
奘訳においても〔2〕にはあった「善男子」の語はなく、
チベット訳においても〔3〕にはあった
“byams
pa”
の語
はないから、〔16〕―〔19〕の
の原文には“M
aitreya”
に
相当する語は無かったであろう。問題は、
の冒頭に
“tad”
があったか否かであるが、仏陀扇多訳〔16〕の「彼―
念」、真諦訳〔17〕の「此―色相境界」によれば、原文は
“tada -lam
banam. ”
であったように見える。
しかし、『解深密経』〔2〕の訳文をそのまま用いている
ように見える玄奘訳〔18〕は別にして、チベット訳〔19〕
の
に“dmigs
pade
…”
ではなく、単に“dm
igspa
…”
とあ
ることから考えて、「彼」や「此」に対応する“tad”
は、少
なくとも、チベット訳〔19〕の原本には存在しなかったで
あろうと考えられる。
しかし、これによっても、著者であるアサンガ自身が
の冒頭に
“tad”
を用いたか用いなかったかは、確定できな
いであろう。シュミットハウゼン教授は、ヴァスバンドゥ
の註釈に至って初めて“tad”
が付加され、“tad
a -lambanam. ”
という表現が成立したと見なされるようである(
32)が
、私はむ
『解深密経』の「唯識」の経文について(松本)
一六二
しろ、アサンガの『摂大乗論』〔16〕―〔19〕に相当する
原文の
は“tada -lam
banam.
……”
と書かれていたと見たい。
これは、かつて
で荒牧氏が想定されたことでもあろう。
私が『摂大乗論』の
冒頭に“tad
a -lambanam. ”
を想定す
る理由は二つである。その第一は、〔16〕の仏陀扇多訳で
あり、その「彼―念―唯識所明、識我説」は原梵文を語順に忠
実に逐語的に訳していると考えられるからである。第二の
理由は、文章の勢いというようなものである。即ち、『解
深密経』それ自体の
について見ると、そこには、確かに
“tat”
「それ」の何らかの形は存在している。即ち〔1〕に
「彼―境像」、〔2〕に「彼―影像」、〔3〕〔12〕に
“gzugsbrñan
de__ ”
とあるからである。すでに
で見たように、シュミッ
トハウゼン教授も、敦煌写本〔12〕の
“gzugs
brñan
de__
la”
について“tasya
pratibimbasya”
を想定されていた。
このような「彼」「彼」“de”
つまり“tat”
が“pratibimba”
の同格として必要なのは、この
“pratibimba”
がその前に出
る
“sama -d
hi-gocara-
pratibim
ba”
を指すことを明示するた
めである。しかるに『摂大乗論』における『解深密経』の
引用においては
が省略されてしまった。従って、
は
“a -lambanam. ”
か、“a -lam
bana-”
で唐突に始まらなければなら
ない。この突然用いられる
“a -lamb
anam. ”
が
“sama -d
hi-
gocara-pratibim
ba”
を意味することを示すためには、やは
り、それを同格で限定する
“tat”
が必要であり、従って、
アサンガは、“tad
a -lambanam. ”
と書くことによって始めて、
この語が“sam
a -dh
i-gocara-pratibim
ba”
を意味することを示
すことができたのであろうと思われる。言ってみれば『摂
大乗論』における問題の経文の引用は、
を削除する代り
に、
から“tat”
を受け継ぎ、それを“a -lam
bana”
の同格と
して
の冒頭に置き、それによって
“a -lamban
a”
を限定し
たのであろう。
以上のように考えて、私は『摂大乗論』〔16〕―〔19〕
の
に相当する原文(アサンガの書いたもの)には、すでに
その冒頭に“tad”
が置かれていたと考える。
そこで再び、仏陀扇多訳の〔16〕において
を見ると、
その「彼念唯識所明識我説」は、すでに述べたような”二
分説“的な訳となっており、これは「彼念唯識所明、識我
説」と一応二分して理解することが可能である。つまり、
原文としては
“tada -lam
banam.
vijñap
ti-ma -tra-p
rabha -vitam.
vijña -namitim
aya -uktam
”
を想定できるのである。
しかるに、ここには“hi”
も含まれていなかったであろう。
“hi”
の機能は、『解深密経』〔1〕〔2〕〔3〕においては、
の直前におかれていた「何義不異」「何以故」“cih. i
phyir
tha
dad
pa
ma
yinsh
en
a”
が、
を欠く〔16〕〔17〕〔19〕
においては、
の直前に、「何以故」「何以故」“d
ecih. i
『解深密経』の「唯識」の経文について(松本)
一六三
phyirshe
na“(tat
kasyahetoh. )
という形で置かれたことによ
って、すでに果されたと思われるからである。
次に真諦訳〔17〕の
「我説唯有識、此色相境界識所顕
現」は難解であるが、これに関する次に示すシュミットハ
ウゼン教授の理解は、全く適切だと思われる。
This
translationis
notquite
literal,but
thefact
that
thesentence
issplit
upinfo
two
statements
pointsto
[A].
For
some
reason,
Param
a -rtha
wou
ldseem
to
havereversed
theorder,
i.e.
placedvijñ
a -n
am
first
andcom
binedit
with
ma -tr
aw
hileat
thesam
etim
e
omitting
-ma -tr
ain
thesecond
partof
histranslation
wh
ichw
ou
ldh
aveto
rep
rese
nt
the
sub
ject
(a -
lam
ba
na
)an
dth
efirst
pred
icate(v
ijña
ptim
a --
tra
pra
bh
a -vita
)of
[A].
(
p.442
)〔傍線=松本〕
即ち、まずこの真諦の訳が、
を“two
statements”
に分
ける”二分説“にもとづいていることは、明らかである。
そして、訳文においては、原文の語順を入れかえた上で
“tada -lam
banam.
vijñap
ti-ma -tra-p
rabha -vitam. ”
を「此色相境
界、識所顕現」と訳し、“vijñ
a -nam
itim
aya -u
ktam”
を「我
説唯有識」と訳したと考えられる。しかも、その場合に
“ma -tra”
を“vijñapti”
ではなく“vijña -na”
の後ろに結合してい
るかのごとく、「我説唯―有識」と訳したのである。
しかるに、教授がこの「唯有識」について、この表現が
真諦訳〔17〕における『十地経』の”三界唯心“の経文の
引用における、“citta-m
a -tram”
の訳語と一致していること
を指摘されている(
33)こ
とは、重要である、即ち、〔17〕は、
十地経中…三界者、唯有識、
解節経中…我説、唯有識、…
という二つの経文を、「唯識」の教証として示していると
見ることができるが、これによれば、真諦は、『十地経』
の”三界唯心“の経文の“citta-m
a -tram”
と『解深密経』
の“vijña -n
am”
を全く同義と見なしていたことが理解され
る。つまり、彼は“vijña -nam
”
も、“citta-m
a -tram”
と同様に、
主語〔
〕ではなく述語〔
〕であると見なし、“citta-m
a -tra”
の
“ma -tra”
を、意味としては
“vijña -n
a-”
の後にもあるべき
だと考えて、「唯有識」という訳語を形成したのである。
このように見れば、真諦が
の「我説」“m
aya -u
ktam”
という語の意味を、『十地経』の”三界唯心“の経文にお
いて”すでに私によって言われた“という意味に解した可
能性は、充分に存在する。つまり、真諦が、
の“vijña -nam
”について、「唯有識」という「唯」をともなった訳文を示
さざるを得なかったのは、「我説」の原語を”私によって
すでに『十地経』で説かれた“という意味に解したために、
“citta-ma -tram
”
の訳語である「唯有識」を、
についても
『解深密経』の「唯識」の経文について(松本)
一六四
繰返すことが必要だと考えたためであろう。
真諦がこのような理解をもっていたことは、後に見るヴ
ァスバンドゥ『摂大乗論釈』の真諦訳においても確認する
ことができるが、すでに述べたように、これを私は基本的
には正しい理解だと思っている。つまり
の「我説」“n .as
bsad
do”
という語は、『解深密経』それ自体が『十地経』
の”三界唯心“の経文〔20〕に言及した表現だと見るので
ある。
いずれにせよ
で教授が認められているように真諦訳
〔17〕に示される”二分説“が、『解深密経』の
冒頭を
“a -lamban
am. ”
と読む〔A
〕を支持していることは、明らか
である。
(34)
次に、チベット訳〔19〕の
について言えば、シュミッ
トハウゼン教授が論じられるように、
(35)“rnam
parses
pani
dmigs
parnam
parrig
patsam
gyirabtu
phyeba
can___
yinno”
が、“a -lam
banavijñaptima -traprabha -vitam.
vijña -nam”
というテ
キスト、つまり、〔S
〕を訳したものであること、及びその
場合“a -lam
bana-vijñaptima -traprabha -vitam. ”
は“a -lambana”
を
前分とし
“vijñap
tima -trap
rabha -vita”
を後分とし、両者の間
に同格の格関係がある
bahu
vrh
i
複合語と解されているこ
とは、確実であるかのように見える。
確かに
“can”
は
bahu
vrh
i
複合語の翻訳に用いられる語
である。しかし、“a -lam
bana-vijñ
aptim
a -traprabh
a -vitam. ”
を
”vijñap
tima -trap
rabha -vita
なる
a -lamban
a
を有する“と読解
することは、可能であろうか。すでに述べたように、この
ような読解は、基本的にはテキストが、“vijñ
aptim
a -tra-
prabh
a -vita-a -lamban
am. ”
となっているときにのみ可能だと
思われる。教授は
Wack
ern
age
l
の文法書
Alti
nd
isch
e
Gra
mm
atik
(,1,§
116)
におけるbahuvr
hi”
複合語の説明
に“pu
tra-hata”
等の用例が見られること等から“a -lam
bana-
vijñaptima -traprabha -vitam. ”
を”vijñaptim
a -traprabha -vita
なる
a -lamb
ana
を有する“と訳しうると考えられるようである
が(36)、
このような変則的な
bahu
vrh
i
複合語を、『解深密経』
のような素朴な文体をもつ経典が用いるとは思えない。つ
まり、『解深密経』の著者は、
という自らの極めて重要
な提言について、人々の誤解を避けるためにも、
”vijñap
tima -trap
rabha -vita
なる
a -lamban
a
を有する“という
内容を意味するためには、当然
“vijñap
tima -trap
rabha -vita-
a -lambanam. ”
という表現を用いざるを得なかったであろう。
従って、〔19〕における
“can”
の存在から直ちに
“a -lamban
a-”
という〔S
〕の妥当性を導き出すことはできな
いと思われる。
また、“can
”
が
bah
uvr
hi
複合語を指示するとしても、
について想定されうる
bahu
vrh
i
複合語は、“a -lam
bana”
『解深密経』の「唯識」の経文について(松本)
一六五
を前分とし、
“vijñap
tima -trap
rabh
a -vita”
を後分とする
“a -lamban
a-vijñap
tima -trap
rabha -vitam. ”
だけではない。“can
”
は
“vijñap
tima -tra”
を前分とし
“prabh
a -vita”
を後分とする
“vijñaptima -tra-prabha -vitam. ”
というbahuvr
hi
複合語を指示
すると見ることもできると思われる。つまり、この複合語
を”vijñaptim
a -traによって
prabha -vita
されたものを有する
〔a -lamb
ana
〕“と読むわけである。この場合、〔19〕の
のチベット訳に
“can”
の語があったからといって、それは
“a -lambanam.
vijñaptima -tra-prabha -vitam. ”
という〔A
〕の原文
想定を排除する理由にはならないということになる。
勿論、私は、“a -lam
banam.
vijñap
tima -tra-p
rabha -vitam
”
と
は”vijñ
apim
a -tra
によってp
rabha -vitaされたa -lam
bana
“と
読むべきであり、これを、”vijñ
ap
tima -
tra
によって
prabha -vita
されたものを有するa -lam
bana
“と読むのは、不
適切であると考える。しかし問題は、そこにあるのではな
い。チベット訳者が、“a -lam
ban
am.vijñ
aptim
a -traprab
ha --
vitam. ”
のうち“vijñaptim
a -tra-prabha -vitam”
をbahuvrhi
複合
語と解し“rab
tuphye
ba”
の後に
“can”
を付けた可能性も
あるのではないかと論じているのである。後論するように、
『摂大乗論釈』のチベット訳を見れば、このような解釈の
妥当性が示されるように思われる。
五
では、次にヴァスバンドゥの『摂大乗論釈』M
ah
a -y
a -n
a-
sa
m.gra
ha
bh
a -s. y
a
について、見てみよう。『摂大乗論釈』
には、漢訳三種、つまり真諦訳(大正一五九五番)、達摩笈
多訳(大正一五九六番)、玄奘訳(大正一五九七番)、及び、チ
ベット訳(D
,No.4050
)がある。
これら四種の翻訳のうち漢訳三種においては『摂大乗論』
の本文が「論曰」として全文引用され、それに対して次に
ヴァスバンドゥの註釈が「釈曰」として示されるという構
成がとられている。しかるに、チベット訳においては「釈
曰」以下に相当するヴァスバンドゥの註釈が示されるだけ
で、「論曰」に対応する部分、つまり『摂大乗論』の本文
にそのまま相当するものは、含まれていない。このような
スタイル、つまり『摂大乗論』の本文の全てを註釈に組み
込んでいないスタイルは、以下にみるアスヴァバーヴァに
よる『摂大乗論会釈』のチベット訳でも、同様である。
さて、『摂大乗論釈』の三つの漢訳のうち、真諦訳と玄
奘訳の本文は、すでに〔17〕と〔18〕に示したものと同一
であるので、これについて論じる必要はない。残された一
つの漢訳、つまり達摩笈多訳では、『摂大乗論』〔16〕―
〔19〕の中の『解深密経』に関連する部分は、次のように
『解深密経』の「唯識」の経文について(松本)
一六六
なっている。
〔21〕又解節經中世尊説、時彌勒菩薩問世尊言、所有三
昧境像、云何與定心、爲可説異、爲不可説異。世尊
言、彌勒不異。何以故、定―心―所―縁―唯―識―所―顯―、―我―説―爲―
識―。(大正三一、二八五中二〇―二三行)
このうち、
に相当する部分、つまり、傍線を付した
「定心所縁唯識所顕、我説為識」を、私は
に関する極め
て正確な訳であると考える。つまり、この訳文は、一応
”二分説“にもとづいているが、
を二つの文章と見てい
るわけではない。というのも「我説為識」つまり”我は、
説いて識と為す“というのは、何を”説いて識と為す“の
かと言えば、それは、「所縁」を”説いて識と為す“とし
か考えられない。従って〔21〕における
の訳文は、文章
の構造に関する理解においては、〔M
〕〔Mt
〕に示される私
の解釈と完全に一致している。シュミットハウゼン教授も、
〔21〕の
が明確に〔A
〕を支持することを認めておられる。
(37)
勿論、〔21〕は、『摂大乗論』〔16〕〔17〕〔19〕と同
様、
を欠いている。従って、
が“a -lambanam. ”
で始まる
唐突さを避けるために、“a -lam
banam. ”
の前に
“tad”
が置か
れていた可能性もある。その場合、達摩笈多が
“tad
a -lamb
anam. ”
「その所縁」と読んだか、“tad
-a -lamb
anam. ”
「それの所縁」と読んだかは確定できないが、〔21〕のそれ
までの論旨の流れを考えれば
“tada -lam
banam. ”
と見るのが
自然であろう。つまり、「その所縁」“th
ato
bje
ctive
sup
port”
の“that”
を説明して、「定心所縁」即ち”定心の
所縁“と訳したのであろう。しかし、”定心の所縁“と訳
したからといって、これを“tad-a -lam
banam. ”
の訳と見なし、
その場合“tad”
は“sama -dhi”
を意味すると考えるとすれば、
これは却って、論旨の流れを不自然に解することになるで
あろう。また、このような想定、つまり、〔21〕
冒頭は
“tada -lam
banam. ”
となっていたとする想定の妥当性は、以
下に検討する達摩笈多訳『摂大乗論釈』の註釈文によって
も、ある程度、示されるであろう。
では、『摂大乗論釈』において、
の註釈文を中心に関
連部分の真諦訳・達摩笈多訳・玄奘訳・チベット訳を以下
に示そう。予じめ言えば、これは難解な個所であり、とり
わけ、真諦訳について、このことが言える。シュミットハ
ウゼン教授は、以上四訳の対照を詳しく示されているが、
(38)
以下の私の議論も、その成果に多くを負っていることは、
言うまでもない。
〔22〕釋曰。
由此夢譬、於十八界等處、應知唯識無塵
等。何故引二阿含明聖教。前是略説、後是廣説。即
以前證後。……
釋曰。
佛―説―唯―有―識―、無塵故。若爾、此色是觀行人
『解深密経』の「唯識」の経文について(松本)
一六七
所見、爲是何法。
如經言、此―色―相―境―界―、―識―所―顯―現―、
實無境界。是識變異所作。
先説唯識―、後説境界識、此二識有何異。欲顯有兩
分。前識是定體、後識是定境。此體及境、本是一識。
一似能分別起、一似所分別起。(大正三一、一八二下
二―二〇行)〔真諦訳〕
〔23〕釋曰。
此唯有識者、如十地經及
解節經所説
故。此攀縁唯識所顯故。我説唯識者、此所攀縁、唯
識所顯。此有何義、為顯唯識離義故。由是識所攝
故。
佛言、我説爲識、顯彼三昧境界是識故。(同
右、二八五中二八行―下三行)〔達摩笈多訳〕
〔24〕釋曰。
此唯有識、由教顯示。如十地經言、如是
三界皆唯有心故。
解深密經中、我説識所縁唯識所
現故者、謂識所縁唯識所現、無別境義。
復擧識―
者、顯我所説定識―所行、唯識所現、無別有體。(同右、
三三八下二一―二五行)〔玄奘訳〕
〔25〕
h. didag
nirnam
parses
patsam
mo
shesbya
ba
sabcu
palas
gsun .spa
dan ./
dgon .spa
n .espar
h. grel
pah. imdo
laskyan .
/rnampar
sespa
nidmigs
parnam
parrig
patsam
gyisrab
tuphye
bacan
noshes
n .as
bsaddo
shesgsun .s
pades
nadm
igspa
rnampar
rig
patsam
gyisrab
tuphye
bacan
denirnam
parrig
pa
tsamñid
de/
dongyis
ston .pa
shesbya
bah. ithatshig
go//
rnam
par
sesp
ash
esn .as
bsadd
osh
esbya
bah. irnam
parses
pasm
ospa
desni
tin .n .e
h. dsingyi
spyodyulgyirnam
parses
pabstan
to//(D
,Ri,144a6-
b1
)
この『摂大乗論釈』の一節〔22〕―〔25〕について、私
の結論を予じめ言えば、私は〔22〕―〔25〕の実線を付し
た部分が
に相当すると考えている。つまり、〔22〕―
〔25〕は、全体として見れば、ヴァスバンドゥが、
の経
文を引用して、それに対する自己の理解を示した註釈とな
っていると考えるのである。
まず、この一節の理解を困難にしているのは、
と
の結合関係に関する解釈であろうと思われるが、その
と
の構造を、チベット訳によって示せば、ほぼ次のよう
になるであろう。
「これらは唯識(vijña -na-m
a -tra
)である」というのは
(iti
)、『十地経』に説かれ(u
kta
)、『解深密経』に
も、
“a -lambanam.
…vijña -namiti
mayoktam
”
と説か
れた(ukta
)のは、
(39)
……〔
〕……〔という意味で
ある〕(ity
arthah.
)。
つまり、このチベット訳には、「これらは唯識(vijñ
a -na-
ma -tra
)である」ということは、『十地経』の経文と『解深
『解深密経』の「唯識」の経文について(松本)
一六八
密経』の
という経文の二つによって知られるが、その内
の後者について、ヴァスバンドゥが自己の解釈を示したも
のが、省略して示した部分、つまり、
である、という理
解が認められるように思われる。しかるに、私はこれを基
本的には正しい理解であると考えるのである。
玄奘訳〔24〕の
を見ると、その冒頭に「此唯有識」と
あり、これは〔25〕の
“h. di
dag
ni
rnam
par
sesp
atsam
mo”
「これらは唯識(vijñ
a -na-m
a -tra
)である」に対応してい
る。これを玄奘は、「由教顕示」、つまり「教」“a -gam
a”
に
よって示される内容と規定しているが、その“a -gam
a”
とは、
具体的には、『十地経』と『解深密経』の経文を指すので
ある。ここで注意すべきは、玄奘が「此唯有識」を『十地
経』の経文とは見なしていないという点であって、それ故
にこそ、玄奘は、『十地経』の経文として、「如是三界、皆
唯有心」という言葉、おそらく梵文原典には、存在しなか
ったであろう言葉を、敢て付加しているのである。
次に〔23〕の達摩笈多訳について、この問題を考えてみ
ると、〔23〕の理解も、明らかに玄奘のそれに一致してい
る。即ち、
冒頭の「此唯有識」は、『十地経』の経文と
されているのではなく、「如十地経及解節経所説」、つまり、
『十地経』と『解深密経』の「所説」、即ち、説かれる内容
とされているのである。
しかし、もう一度、チベット訳〔25〕の
にもどれば、
“h. didag
nirnam
parses
patsam
mo
shesbya
basa
bcupa
lasgsu
n .sp
a”
の
“shes
bya
ba”
は、“iti”
の訳語であり、
“gsun .spa”
は“ukta”
の訳語であろう。とすれば“h. di
dagni
rnampar
sespa
tsamm
o”
「これらは唯識(vijña -na-m
a -tra
)で
ある」という語が『十地経』の経文であると解釈される可
能性はあったと思われる。勿論『十地経』の有名な”三界
唯心“の経文〔20〕は、“citta-m
a -tra”
を説くものであり、
“vijña -n
a-ma -tra”
とは述べていない。それ故、「これらは唯
識(vijñ
a -na-m
a -tra
)である」という語が、『十地経』の経文
と見なされる筈はないと考えられるかもしれない。しか
し、”唯識“(vijñ
aptim
a -tra -
)ということは、『十地経』の
”三界唯心“の経文においてすでに言われていたという理
解は、『摂大乗論』〔16〕―〔19〕に、明確に示されている
だけではなく、上述したように、私は、
が「我説」“n .as
bsaddo”
(maya -
uktam
)と述べるとき、これは、『解深密経』
自身が、『十地経』の”三界唯心“の経文〔20〕に言及し
たものであろう、と考えている。従って、
冒頭の「此唯
有識」“h. didag
nirnampar
sespa
tsamm
o”
という語と『十
地経』の関係をいかに考えるかということが、重要な問題
となるのである。
では、この問題に注意して、真諦訳〔22〕の
及び
『解深密経』の「唯識」の経文について(松本)
一六九
を見てみよう。真諦訳は、概して、真諦自身による説明を
多く含み、そのため、彼によって訳されたテキストに関し
ては正確な理解が困難な場合が多いが、ここも、その例外
ではない。しかし、真諦は、重要なポイントは押えている
のである。
まず、冒頭に、「於十八界等処、応知唯識無塵等」とあ
るのが、問題の「此唯有識」“h. d
id
agn
irn
amp
arses
pa
tsamm
o”
という語の原文に対する翻訳であろう。すると、
真諦も、これを『十地経』の経文とは見なしてはおらず、
『十地経』と『解深密経』という二つの
“a -ga -ma”
によって
説示される内容であると見ていることが知られる。この点
は、その後の「何故引二―阿―含―、明聖教」という文によって、
明らかである。
しかるに、更に、真諦は、『十地経』の経文(”三界唯心“の
経文を指すであろう)を「略説」とし、『解深密経』の
を
「広説」として、「以前証後」、つまり、”前者によって後者
が証せられる“と述べている。では、この「以前証後」と
いう真諦の説明が意味する所は何であろうか。私は『解深
密経』
の「我説」“n .as
bsad
do”
(maya -
uktam
)という語
を、真諦が”すでに『十地経』において私によって説かれ
た“という意味に理解していたことを示していると見るの
である。しかし、これについては、さらに
に関する
真諦の説明を理解する必要があるであろう。
では、以下に、『摂大乗論釈』〔22〕―〔25〕の
の
内容について考察しよう。まず言えることは、〔22〕―
〔25〕のすべての翻訳が基本的には、『解深密経』の
、あ
るいは、厳密に言えば、『摂大乗論』〔16〕―〔19〕に引用
された
を二分する”二分説“にもとづく理解を示してい
るということである。ただし、ここでの”二分説“とは
を、“[tad
]a -lam
ban
am.vijñ
aptim
a -traprab
ha -vitam. ”
という
”前分“と“vijña -nam
itim
ayoktam”
という”後分“とに二分
して、その意味を説明する、という単純な”二分説“では
ない。つまり、それは、〔23〕〔24〕〔25〕の翻訳を信じる
とすれば、少なくとも経文の引用に関しては、まず“[tad
]
a -lamb
anam.
vijñap
tima -trap
rabh
a -vitam.vijñ
a -nam
iti
mayoktam
”
という
の”全分“が示され、それに対して註
釈が加えられ、次に
“vijña -n
amiti
mayoktam
”
という
の
”後分“が示され、それに対して註釈が加えられる、とい
う体裁をとる、いわば特殊な”二分説“なのである。
このうち、経文
の”全分“の引用が示された後に加え
られる註釈文、つまり破線を付した部分
について
は、シュミットハウゼン教授の詳しい考察があるが、教授
は、この部分を(2
)と呼び、次のように述べておられる。
As
for
(2),
aco
mp
arison
of
the
variou
sversio
ns
『解深密経』の「唯識」の経文について(松本)
一七〇
suggeststhe
following
original:
(2a)*ta
d(B
hH :ta
d-)
a -la
mba
na
m.(B
ht :-n
a-)
vijñ
ap
tima -tr
ap
ra
bh
a -vita
m.
(2b)vijñ
ap
tima -tr
am
eva
(2c)a
rth
asu -
nya
m
(2d)ity
arth
ah.
/
(
p.445
)
しかるに、私は、ここに示された教授の原文想定に、基
本的に賛成なのである。即ち、まず、(2a
)について言え
ば、〔23〕で達摩笈多が「此所攀縁、唯識所顕」と訳した
原文は、確かに“tad
a -lambanam.
vijñaptima -tra-prabha -vitam. ”
であろう。では、玄奘訳においては、(2a
)は、いかに訳
されたかと言えば、「識所縁唯識所現」である。この場合、
玄奘はテキストを
“tad-a -lambanam. ”
と読んでいたであろう
という推定が、シュミットハンゼン教授によってなされて
おり、これが
(2a
)の括弧内に、(B
hH :
tad-)として示さ
れているが、この想定は、私には、疑問に思われる。とい
うのも、上述したように、
を欠く『摂大乗論』で
は、
が
“a -lamban
am. ”
から始まる唐突さを避けるために、
“a -lamban
am. ”
の前に
“tad”
が、すでに同格として置かれて
いたと思うが、ここ(2 a
)においても、「識所縁」が、た
とえ漢文として、”識の所縁“を意味しようとも、その
“tad”
を“tad-”
つまり、tatpurus. a
複合語の前分と解する必
要はないと思われる。即ち、“tad
”
は、教授の表現を用い
れば、“an
aph
oricalfu
nction
”
(
p.446
)において用いら
れ、“tad
a -lamban
am. ”
と書かれていたものを、玄奘がその
通りに理解したとしても、彼がこれを”識の所縁“と説明
することに、何等不都合はないからである。従って、玄奘
の「識所縁」という訳語から、玄奘は原文を
“tad-
a -lambanam. ”
というtatpurus. a
複合語であり、その“tad”
は
“vijña -na”
を意味すると理解していたと確定することはでき
ないであろう。
また、教授は、
(2a
)のチベット訳
“dm
igsp
arn
am
parrig
patsam
gyisrab
tuphye
bacan
de”
の原文を“tad
a -lamban
avijñap
tima -trap
rabha -vitam. ”
であるとする議論を、
次のように展開される。
On
theother
hand,theT
ibeta
nversion
(Bh
t )of
(2a)
cannotbe
interpretedin
thesense
of
〔A
〕becauseas
in
〔T(b)
〕(see§
4)the
particleca
ncom
pelsus
to
taked
mig
sp
arn
am
pa
rrig
pa
tsa
mgyis
ra
btu
ph
ye
ba
ca
nas
au
nit,
i.e.
pre
sup
po
ses
*a -
lam
ba
na
vijñ
ap
tima -
tra
pra
bh
a -v
itataken
asa
bahuvrhicom
poundin
thesense
of
〔S4
〕.Therefore,
inB
ht
a -lamban
acan
not
beth
esu
bjectof
(2a),an
d
thedem
onstrativepronoun
de
cannotbe
itsattribute
『解深密経』の「唯識」の経文について(松本)
一七一
butonly
referto
an
oth
er
subjectw
hichcan
hardlybe
anythingbut
“mind”(vijña -na)
(
p.444
)
しかし、(2a
)のチベット訳に“can”
があることから、そ
こに、“a -lam
bana”
を前分として、“vijñaptim
a -traprabha -vita”
を後分とする
“a -lamb
ana-vijñ
aptim
a -traprab
ha -vita”
なる
bah
uvr
hi
複合語の存在を確定することはできないであろ
う。すでに述べたように、原文が
“a -lamb
anam.
vijñaptima -tra-prabha -vitam
”となっているときに、チベット
訳者が、この後半を
“vijñap
tima -tra”
を前分とし
“prabh
a -vita”
を後分とする
bahu
vrh
i
複合語と解し、その
理解を“can
”
という訳語で示した、という可能性も否定で
きないからである。その理解は、勿論、不適切ではあるが、
しかし、可能性としては認められるであろう。
教授は、(2a
)チベット訳における
“can”
の存在を根拠
に“a -lamban
a-vijñap
tima -trap
rabha -vitam
”
なるbah
uvr
hi
複
合語の存在を想定され、従って、チベット訳によれば、(2a
)
の主語は
“a -lamban
a”
ではなくて、“vijñ
a -na”
でなければな
らないと論じられるのであるが(勿論、原文としては、
の
括弧内に示されたように
“tada -lam
banavijñ
aptim
a -traprabh
a -vitam. ”
が想定され、冒頭の
“tad”
は
“vijña -n
a”
を意味するというのであ
る)、これは、驚くべき主張であるように思われる。とい
うのも、直後の(2b
)に、“vijñ
aptim
a -trameva”
(「唯識」
〔23〕、“rn
amp
arrig
pa
tsamñ
idd
e”
〔25〕)とある以上、(2a
)
と(2
b
)とを合体して成立する主張は、”vijñ
a -na
は、
vijñap
ti-ma -tra
に他ならない“というものになってしまうか
らである。
”識(vijñ
a -na
)は唯識(vijñ
apti-m
a -tra
)である“というの
は、私には、全く不合理な表現だと思われる(
40)が
、教授は、
この表現を不合理なものと感じておられないようである。
というのも、教授は、
に続けて、次のように言われるか
らである。
This
sentenceis
understoodby
Bht
asfollow
s:
“Th
is
〔min
d
〕
wh
ichh
asan
ob
jectivesu
pp
ort
(a -la
mba
na
)thatis
constitutedby
mere
cognitionis
no
thin
gb
ut
me
reco
gn
ition
,i.e
.d
evo
ido
fan
〔external
〕object(a
rth
a).
(
p.445
)
これは、チベット訳によれば、
(2
)は、このように
理解されると述べたものであるが、ここには、“T
his
〔mind
〕…is
nothingbut
mere
cognition”
という表現が認め
られる。いうまでもなく、これは、“tad
(i.e.vijña -n
am
)…
vijñaptima -tram
eva”
を訳したものであるが、これは私には、
不合理な表現だと思われるのである。
しかるに、私見とは反対に、教授は、
(2c
)の
“arthasu -nyam”
(「実無境界」〔22〕、「離義」〔23〕、「無別境」〔24〕、
『解深密経』の「唯識」の経文について(松本)
一七二
“dongyis
ston .pa”
〔25〕)の主語が
“a -lambana”
であるという
のは、不自然ではないかとして、
Besides,
Iw
onderif
*a
rth
asu -
nya
in(2c)
canreally
bepredicated
ofthe
obje
ctiv
esu
pp
ort
(a -la
mba
na
),
asit
certainlyw
ouldhave
tobe
inthis
version.
(
p.446
)
と言われ、その主語はむしろ
“vijña -n
a”
がふさわしいとさ
れるのである。しかし、こちらの方は、つまり、
“a -lambana”
が“arthasu -nya”の主語とされることに、私は不
自然さを感じないのである。まして、そこでは、主語は単
なる
“a -lamb
ana”
ではなく、“tad
a -lamb
anam
”
つまり、
“sama -dhi-gocara-pratibim
ba”
としての“a -lam
bana”
なのであ
る。その“a -lam
ban
a”
つまり、“tad
a -lamb
anam
”
に“artha-
su -nya”
という述語が付せられることには、充分意味がある
であろう。
シュミットハウゼン教授も認めておられるように(
41)、(2a
)
に関して、漢訳三種は、すべて、“[tad]
a -lambanam. ”
という
“a -lamb
ana”
を主語とする解釈〔A
〕を示している。即ち、
「此色相境界、識所顕現」(〔22〕)、「此所攀縁、唯識所顕」
(〔23〕)、「識所縁、唯識所現」(〔24〕)である。これに対し
て、チベット訳に見られる
“can”
の一語のみで、(2a
)の
主語を
“vijña -n
a”
であると規定できるであろうか。教授が
チベット訳によって想定される
“tada -lam
ban
avijñap
ti-
ma -trap
rabha -vitam. ”
を見ても、そこには、“vijñ
a -na”
という
語すら存在していないのである。冒頭の
“tad”
こそ
“vijña -na”
を意味すると教授は解される訳であるが、この解
釈には、余りにも反証が多すぎるのではなかろうか。
従って、私は、(2
a
)の主語、及び(2
)全体の主語を
“tada -lam
banam”
だと考えておきたい。かくして、(2
)、つ
まり、
に関する第一の註釈文(破線部分
)は、チベッ
ト訳に従って、ほぼ次のように訳される。
表識のみによって生みだされた(vijñapti-m
a -tra-prabha --
vita
)、その所縁(tad
a -lamb
anam
)は、表識のみ
(vijñap
ti-ma -tra
)にほかならない。つまり〔それは〕
〔外的な〕対象を欠いている(arth
a-sun
ya
)、という
意味である。
このように訳すとき、私はチベット訳
“can”
を誤訳であ
り、削除すべきものと考えているのである。“a
rtha
-
su -nyam
”
の後に、真諦訳〔22〕には、「是識変異所作」と
あり、達摩笈多訳〔23〕には、「由是識所摂故」とあり、
これらの訳語に相当する何等かの原語があったことも、想
定されるが、玄奘訳・チベット訳には、それは、反映され
ていない。ただし、「是識変異所作」であれ、「由是識所摂
故」であれ、その主語は、“vijñ
a -na”
ではなくて、
『解深密経』の「唯識」の経文について(松本)
一七三
“a -lambana”
であろう。尤も、教授は、「由是識所摂故」を、
次の(3)つまり、〔22〕―〔25〕の
の説明と見なされる
ようである。
(42)
では次に、『摂大乗論釈』〔22〕―〔25〕の
について
考察しよう。まずチベット訳〔25〕、達摩笈多訳〔23〕に
よれば、そこには、『解深密経』の経文
のうち”後
分“つまり、“vijña -nam
itimayoktam
”
が、“rnam
parses
pa
shesn .as
bsaddo”
「我説為識」という訳文によって提示さ
れていることは、明らかである。では、この”後分“につ
いて、ヴァスバンドゥは、いかなる註釈を与えているのか。
彼の註釈文は、チベット訳〔25〕では
rnampar
sespa
smos
pades
nitin .n .e
h. dsingyispyod
yulgyirnampar
sespa
bstanto
//
である。この部分は〔22〕―〔25〕の
全体を(3
)と呼
び、この部分
を(3b
)(3c
)と呼ぶシュミットハウゼン
教授によって、次のように訳されている。
Wh
atis
ind
icated
(d
yo
tita
or
the
like
)b
yth
is
emp
loymen
tof
〔the
word
〕‘min
d’
(vijñ
a -n
agra
ha
-
n. en
a?
)isth
em
ind
〔that
cogn
izes
〕the
ob
jects
〔perceivedin
〕meditative
concentration(sa
ma -d
hi-
goca
ra
).”
(
p.447
)〔傍線=松本〕
つまり、教授は、
の
“tin .n .e
h. dsin
gyisp
yodyu
lgyi
rnam
par
sesp
a”
というチベット訳語を
“the
min
d
〔that
cog
nize
s
〕the
ob
jects
〔pe
rceive
din
〕me
ditative
concentration(sam
a -dhigocara)”
と訳されたのであるが、私
は、この訳には従えない。まず、このチベット訳語自身が、
極めて奇妙なものであることを認めなければならない。と
いうのも、これを直訳すれば、”sam
a -dh
i-go
cara
のヽ
vijña -n
a
“となるからである。このチベット訳語に対する
に示された教授の“the
mind
〔thatcognizes
〕theobjects
…”
という英訳は、教授がその原語を
“sama -d
hi-gocaram.
vijña --
nam. ”
と想定された結果であることが、教授の議論から知ら
れるが、
(43)“sam
a -dhi-gocaram.vijña -nam. ”
という想定が正しい
とすれば、“sam
a -dhi-gocaram. ”
は bahuvr
hi
複合語である
から、当然そのチベット訳は、“can
”
を有していなければ
ならない。つまり、“rnam
parses
patin .
n .eh. dsin
gyispyod
yu
lcan
”
等の形になっていなければならない。それ故、
“tin .n .e
h. dsingyi
spyodyul
gyirnan
parses
pa”
というチベ
ット訳は、不適切な訳であると推定される。
しかるに、〔23〕の達摩笈多訳を見れば、この問題は、
解決される筈である。即ち、そこに「顕彼三昧境界是識故」
とあるのが
に対応しているが、この訳は”彼の三昧の境
界(sam
a -dh
i-gocara
)は是れ識(vijñ
a -na
)なりと顕すが故
に“と読むことができる。つまり、ここで
“sam
a -dh
i-
『解深密経』の「唯識」の経文について(松本)
一七四
go
cara”
と
“vijña -n
a”
は主語と述語であり、“sam
a -dh
i-
gocara”は
bahuvrhi
複合語ではないのである。私は、この
点で、達摩笈多訳は正しい理解を示していると考える。従
って、
は、次のように訳すべきであろう。
「識」(vijñ
a -na
)という語によって(grah
an. ena?
)、(44)
三
昧の行境(sam
a -dh
i-gocara
)〔
〕は(
45)
、識(vijñ
a -na
)
〔
〕であると説かれたのである。
これは言うまでもなく、”二分説“を明示する註釈であ
って、”vijñ
aptim
a -tra-prabh
a -vita
なる
a -lamban
a
〔
〕は、
vijña -n
a
〔
〕である“と述べて、”前分“と”後分“を接
続する理解を示したものに他ならない。
しかるに、シュミットハウゼン教授は、このような理解
を採用されないのである。即ち、教授は次のように言われ
る。
As
againstthis,the
Chinese
versions,esp.Bh
Dh ,seem
tobe
basedon
adifferent
syntacticalinterpretation,
or
on
ad
iffere
nt
read
ing
,o
fth
ew
ord
s
sa
ma -d
hig
oca
ra
and
vijñ
a -n
a(e.g.th
eym
ight
have
read*sa
ma -d
hig
oca
ro
vijñ
a -n
am.
dyotita
h.instead
of
*sa
ma -d
hig
oca
ra
m.vijñ
a -n
am.
dy
otita
m,
but
there
areoth
erp
ossibilities).
Su
chan
interp
retationor
readingw
ouldhow
everseem
tobe
inseparablylinked
upw
iththe
assumption
thatthe
functionof
(3)is
to
repeat,
and
comm
ent
up
on,
the
second
part
ofth
e
Su -trasentence
(byinterpreting
vijñanaas
asecond
pred
icate).It
wou
ldth
ereforep
resup
pose
that
(2)
repeats,
and
comm
ents
up
on,
the
firstp
artof
the
Su -tra
senten
ceon
ly.T
hu
s,it
wou
ldn
otagree
with
theresult
ofthe
investigationof
§13.
3.1
according
tow
hich(2)
isoriginally
anexplanation
ofthe
wh
ole
Su -tra
sen
ten
ce.
Acco
rdin
gly
,in
(3)
too
the
interpretationor
readingsupporting
〔A
〕canhardly
havebeen
theoriginal
one.
(
pp.447-448
)〔傍線=
松本〕
ここで教授は、まず、漢訳、特に達摩笈多訳「顕彼三昧
境界是識故」が、(3
c
)つまり
の傍線を付した部分を
“sama -dhi-gocaram.
vijña -nam.dyotitam
”
ではなく、“sam
a -dhi-
gocarovijñ
a -nam.
dyotitah. ”
と読んだのではないかと想定さ
れているが、この想定は、“dyotita”
という想定(
46)の
蓋然性を
別とすれば、全く正確なものと思われる。しかし、
で、
教授は、テキストをこのように読む解釈の妥当性を承認さ
れていない。というのも、このような解釈によれば、(2
)
では
の前半が註釈され、(3
)では
の後半が註釈される
という理解、つまり、私の言葉でいえば、”二分説“が認
『解深密経』の「唯識」の経文について(松本)
一七五
められていることになるが、実際には、(2
)〔これは、
で私が
と呼んだ〔25〕
の中の註釈文〕では、
全文
の説明がなされているから、このような”二分説“にもと
づく理解は成立しない、と論じられるのである。
しかし私は、教授が、
で“(2)
iso
rigin
allyan
explan
ationof
the
wh
ole
Su -tra
senten
ce”
と言われること
に、同意できない。というのも、(2
)〔=
〕の直前に
の全文が引用されているのは確かであるが、その註釈(2
)
においては、
の全文は註釈されてはいないからである。
即ち、チベット訳〔25〕の
によるならば、そこに引用さ
れた経文(実線を付したもの)の内、“rnam
parses
pani
…
shes
n .asb
sadd
o”
に当る部分、あるいは、達摩笈多訳
〔23〕
によるならば、そこに引用された経文のうち「我
説唯識」に当る部分、つまり、私が
の”後分“と考える
“vijña -n
amiti
maya -
uktam
”
に当る部分の註釈はなされてい
ないのである。それ故、〔23〕では
において、再び「我
説為識」という
の”後分“が引用され、それについての
註釈文が、「顕彼三昧境界是識故」として示される必要が
あったのである。
言うまでもなく、チベット訳〔25〕も、全く同じ形式で
あって、
において、再び
”後分“の引用が、“rn
am
parses
pashes
n .asbsad
do”
として示され、その後に、ヴ
ァスバンドゥの註釈文が
として示されたのである。
では、玄奘訳〔24〕についてはどうかといえば、
〔24〕
において、
の全文の引用がまず示されている。
しかし、その後の註釈文においては、引用された「我説識
所縁唯識所現」という
の経文のうち、「我説識」という
三文字(これは、原文でも、三語に対応する)については、註
釈文が示されていない。勿論「識―所縁唯識所現、無別境義」
という註釈文は、「我説識―」の「識」の註釈を含んでいる
と見ることもできる、。しかし、これは、漢訳を文字通り
に読むからであって、原文を想定するならば、この註釈文
の冒頭にも、また
に引用された経文の冒頭にも、
“vijña -na-a -lambanam. ”
というような語が存在していないこと
は、最早、明らかであろう。とすれば、玄奘訳〔24〕にお
いても、
には
の全文が引用されてはいるが、その註釈
文には、
の”後分“つまり“vijña -nam
itim
aya -uktam
”
に
相当するものに関する註釈が含まれていないことは、確実
である。
そこで〔24〕
を見ると、その冒頭に、「復挙識―者」と
ある。この「識」は明らかに
“vijña -n
a”
であるから、ここ
には、“vijñ
a -nam
itim
aya -
uk
tam”
という
”後分“の
うち最初の語しか引用されていないと思われるかもしれな
いが、それは正しくない。この「復挙識―者」は、チベット
『解深密経』の「唯識」の経文について(松本)
一七六
訳〔25〕
の“rnampar
sespa
smos
pades
ni”
に相当する
ものであり、厳密には、経文の引用なのではなく、ヴァス
バンドゥによる註釈文
の冒頭をなすものなのである。で
は、“vijñ
a -nam
itim
aya -u
ktam”
という
の”後分“は、玄
奘訳〔24〕
では、引用されていないのかといえば、そう
ではない。つまり、「顕我―所―説―定識―所行、唯識所現」のう
ちの「我所説」「識」という語によって、そこに引用され
た
”後分“の“vijña -nam
itim
aya -uktam
”
が訳されている
のである。
つまり、玄奘訳〔24〕
においては、
”後分“とい
う経文の引用が註釈文の中に埋もれていて、それが経文で
あることが判読不能なものとされている。おそらく、玄奘
とすれば、
の個所において、すでに
全文の引用と、そ
れに対する註釈文は一応全て示した、という形式を採りた
かったのであろう。それ故、玄奘は、「復挙識者」という
所でも、他の諸訳より考えれば、おそらく原語は存在しな
かったであろうと思われる「復」という語を敢て用いたの
である。これは、経文
の「識」については、すでに
の
ところで、「識所縁」という表現によって、引用も註釈文
も示されたにもかかわらず、ここで再び註釈がなされる、
ということを意味しようとして、玄奘が付加した語であろ
う。従って、原文を想定して読むとすれば、玄奘訳
〔24〕
は、次のように読解される。
「識」「我所説」つまり、“vijña -nam
itim
aya -uktam
”
という経文の「識」という語(「挙識」)によって
“vijñ
a -n
a-g
rah
an. e
na
”
、「定」「所行」つまり、
“sama -dhi-gocara”
は「識」“vijña -na”
であり(「唯識所
現」)、「無別有体」であると、明らかにされた
(「顕」)。
このうち、「唯識所現」の「唯」「所現」は、経文
の
玄奘訳に一致させるためになされた玄奘による付加であろ
う。ここに「唯識所現」とあるからと言って、その原文に、
“vijñap
ti-ma -tra-p
rabh
a -vita”
を想定すべきでないことは、
〔23〕
、〔25〕
を見れば、明らかであろう。つまり、
原文としては、“vijñ
a -nam
”
のみを想定すべきなのである。
しかるに、「無別有体」という語も、玄奘による付加であ
ることが明らかであるにもかかわらず、これは重要な意味
をもっている。というのも、この語は”sam
a -dh
i-gocara
は、
vijña -n
a
であって、vijñ
a -na
から別のものではない“という
“sama -dhi-gocara”
=“a -lambana”
〔
〕と
“vijña -na”
〔
〕の
同一性、不異性を表しているからである。しかも、この同
一性・不異性は常に
“gocara”“a -lam
bana”
という対象的契
機〔
〕を主語とし、“citta”
“vijña -n
a”
という主観的契機
〔
〕を述語としていることを忘れてはならない。つまり、
『解深密経』の「唯識」の経文について(松本)
一七七
『解深密経』
の趣旨は元来”
は、
から異なっていな
い“”
は、
である“と説くことに目的があったからで
ある。勿論、これは『十地経』”三界唯心“の経文〔20〕
も同様である。つまり、
として主語におかれるのは、
常に対象的契機、即ち、“id
am”
“pratibim
ba”“a -lam
bana”
で
あり、
として述語におかれるのは、常に主観的契機、つ
まり、“citta”
“vijñapti”“vijña -na”
なのである。
しかし、それならば何故、玄奘は
について、「我説識
所縁唯識所現」などという原文には相応しないように見え
る訳文を形成したのであろうか。何故、素直な達摩笈多訳
に従わなかったのであろうか。実は、そこには真諦訳から
の影響が見られるのである。
真諦訳〔22〕の
については、私はすでに考察を提示し
た。即ちそこに、「以前証後」とあるのは、真諦が『解深
密経』の「我説」“m
aya -uktam
”
という語を”すでに『十地
経』において私によって説かれた“という意味に解してい
たことを示している、と論じたのである。しかし、これで
は、勿論、充分な説明となっていない。そこでまず、『摂
大乗論』〔17〕から、真諦による
の訳を、次に示そう。
我説唯有識、此色相境界識所顕現。
これについては、
に、シュミットハウゼン教授の考察
が示されており、私も、その成果に従うことは、すでに述
べたが、しかし、ここで問題にすべきは、教授が
で、
For
some
reason,
Param
a -rtha
wou
ldseem
toh
ave
reversedth
eord
er,i.e.p
lacedv
ijña -
na
mfirst
and
combined
itw
ithm
a -tr
a.
〔傍線=松本〕
と言われたことなのである。即ち、真諦は、何故、語順を
逆にして訳したのであろうか。つまり“vijñ
a -nam
itim
aya -
uktam
”
の訳文を前に置いたのは何故なのか。さらに、何
故“vijña -nam”
を「唯有識」と訳したのか。この問題に対す
る解答は、『摂大乗論釈』〔22〕
を解読することによ
って与えられるのである。
まず
の冒頭には、「仏説唯有識」とあるが、この語は、
まず第一に
の“vijña -n
amiti
maya -
uktam
”
即ち、
では、
「我説唯有識」と訳される経文、つまり”後分“の引用と
考えなければならない。この引用が「我説…」となってい
ないで、「仏説…」となっているのは、奇異であると思わ
れるかもしれないが、これが
の”後分“の引用でないと
すれば、〔22〕
には、
の”前分“の引用は存在する
が、”後分“の引用は存在しないという不合理に陥いる。
それ故、「仏説唯有識」は、まず第一に、
の”後分“た
る“vijña -namiti
maya -
uktam”
の訳であると見なければなら
ない。
では何故に、その引用が「我―説唯有識」ではなく、「仏―
『解深密経』の「唯識」の経文について(松本)
一七八
説唯有識」として示されているのであろうか。結論より言
えば、ここで「仏説」とは、”『十地経』において仏によっ
て説かれた“ということを意味しているからである。即ち、
まず第一に、シュミットハウゼン教授も注意されていたよ
うに、真諦の「唯有識」という訳語は、〔17〕において
『十地経』の”三界唯心“の経文〔20〕の引用において
“citta-ma -tram
”
に対して与えられた訳語と同一である。つま
り、そこでは、〔20〕の“cittam
a -tram.idam.
yadidam.
traidha -tu-
kam”
が、「三界者唯有識」と訳されていたのである。
“citta-ma -tra”
に「唯心」ではなく、「唯有識―」という訳
語が与えられるのは問題であると考えられるかもしれない
が、これは、真諦が、『摂大乗論』〔16〕―〔19〕の趣旨を
理解した上で、敢てなした訳なのである。というのも、そ
こではアサンガによって、“vijñ
aptim
a -trata -”(これを真諦は、
〔17〕で「唯識」と訳す)は、『十地経』の”三界唯心“の経
文と『解深密経』の
の経文という二つの阿含によって推
理される、という趣旨の主張がなされたからである。従っ
て、このアサンガの主張に従う限り、『十地経』の”三界
唯心“の経文〔20〕は、“vijñ
aptim
a -trata -”
を説いていなけ
ればならない。こう考えたために、真諦は、経文〔20〕の
“citta-ma -tra”
を、敢えて「唯有識―」と訳したのである。
しかるに、真諦が『摂大乗論釈』〔22〕
で、『解深密
経』
”後分“の引用を、「我―説唯有識」ではなく、「仏―
説唯有識」として示した理由は、「有唯識」という語を
『十地経』〔20〕の“citta-m
a -tram”
の訳語と一致させること
によって、「仏説有唯識」とは、実は”『十地経』において
仏によって説かれた“という意味であること、言い換れば、
「仏説有唯識」の「有唯識」とは、『十地経』の経文である
ことを、示そうとしたからに他ならない。
これは奇妙な解釈であると思われるかもしれないが、そ
うではない。即ち、真諦は、まず、『解深密経』の
”後
分“に、「我説」“vijña -nam
itim
aya -uktam
”
と述べられたこ
との意味について考えたであろう。そして、これが、”…
…は、識(vijñ
a -na
)である、と私によって〔すでに〕説か
れた“を意味するとすれば、”…は、識である“という主
張は、すでに仏陀によって『解深密経』以前の経典におい
て説かれている、と理解したであろう。すでに述べたよう
に、私も、この理解は基本的に正しい、つまり、
”後
分“の“m
aya -uktam
”
は、『解深密経』自身が、先行する経
典の所説に言及したものと考えるのである。
しかるに、すでに述べたように、『摂大乗論』〔16〕―
〔19〕は、“vijñ
aptim
a -trata -”
は『十地経』”三界唯心“の経
文〔20〕と『解深密経』
によって説かれている、と述べ
ている。これを読んだ真諦が、『解深密経』
の”後分“に
『解深密経』の「唯識」の経文について(松本)
一七九
示される”…は、識である“という仏陀の主張は、すでに、
『十地経』”三界唯心“の経文〔20〕において述べられてい
た、と考えたとしても、何の不思議もないであろう。従っ
て、真諦は〔22〕
で、『解深密経』
”後分“の
“vijña -n
amiti
maya -
uktam
”
の引用を示す際に、これを敢て
「仏―説唯有識」として示し、この経文、つまり、厳密に言
えば、このうちの「唯有識」は、『十地経』の経文〔20〕
であることを示そうとしたのである。
この点は、〔22〕
の構造を把握することによって、
理解される。即ち〔22〕
は、
仏説「唯有識」……
如経言「此色相境界、識所顕現」……
というように、
の”後分“つまり“vijñ
a -nam
itim
aya -
uk
tam
”
と、
の”前分“つまり
“
〔tad
〕a -lam
ba
na
m.vijñ
aptim
a -traprabh
a -vitam”
を引用し、その註釈を加えると
いう体裁を、一応はそなえている。しかし、
の”後分“に
ついては、「仏説」と述べ、”前分“については、「如経言」
と述べて、その表現を変えている。つまり、「如経言」の
後には、経文の引用が来ることは、読者には理解できるが、
「仏説」の後に来るのが、引用であることは、読者には理
解しにくいものとなっている。
まして、ここで「仏説唯有識」とあるのと、「此色相境
界、識所顕現」とあるのが、同一の経典からの引用である
と解する読者は少ないであろう。しかるに、それこそが真
諦の意図したことだったのである。つまり、簡単に言えば、
真諦は、ここに、「仏説唯有識」と「如経言、此色相境界、
識所顕現」という二つの経典、つまり、『十地経』と『解
深密経』の所説が列挙されている、と読者に理解させよう
としたのである。
この点は、〔22〕の
を読めば理解される筈である。こ
の
は、基本的には、原文に対応するものをもたない真諦
独自の解釈を示す個所と思われるが、そこで、まず、真諦
は、「先―説唯識、後―説境界識」と述べている。ここでの
「先」と「後」は、明らかに〔22〕
の「前」と「後」に
対応している。すると、この
でも、「先」は、『十地経』、
「後」は『解深密経』を意味すると考えられる。従って、
「先―説唯識、後―説境界識」は、仏は、先ず、『十地経』”三
界唯心“の経文〔20〕において「唯識」を説き、後に、
『解深密経』
の
”前分“つまり、“
a -la
mb
an
am.
vijñap
tima -trap
rabh
a -vitam”
において「境界識」を説いた、
という意味に理解できるであろう。
「境界」は、真諦において一般に“a -lam
ban
a”
の訳語で
あり、それは、「此色相境―界―、識所顕現」という
”前分“の
訳においても、同様である。従って、奇妙なことではある
『解深密経』の「唯識」の経文について(松本)
一八〇
が、“a -lam
ban
am.vijñ
aptim
a -traprab
ha -vitam
”
という
”前分“の内容を、真諦が「境界識」と呼ぶこともありえ
たということになるであろう。この「境界識」という語は
また、
”前分“の真諦訳である「此色相境―界―識―所顕現」
にも含まれているのである。すると「境界識」とは、”境
界としての識“と理解されるべきものであり、対象的契機
〔
〕に相当する。つまり、真諦は、
”前分“たる
“a -lambanam.
vijñaptima -traprabha -vitam. ”
を”vijñaptima -tra
に
よってp
rabha -vita
されたa -lam
bana
“と読み、それを「境界
識」、つまり、”a -lam
bana
としての識“と呼んだのである。
この場合”a -lam
bana
としての識“は、真諦によれば、主観
的契機〔
〕ではなくて、対象的契機〔
〕なのであり、
従って、その際「識」の原語も、
”後分“に見える
“vijña -n
a”
ではなく、”前分“に出る“vijñ
apti”
であると理解
されていたであろう。「境界識」の「識」の原語を
“vijñap
ti”
と見なせば「境界識」は対象的契機〔
〕を表
現することもできるからである。このような真諦の理解は、
〔22〕
の次の記述に明瞭である。
此二識有何異。欲顕有両分。前識是定体、後識是定
境。此体及境、本是一識。一似能分別起、一似所分
別起。
即ち、ここで「二識」とは「唯識」と「境界識」の二つ
を指すが、それらは、本来同じ一識が両分として現われた
ものであるというのである。その「両分」を、真諦は「定
体」「定境」、または、「能分別」「所分別」と呼んでいる。
つまり、本来は一つの識であるものに、対象的契機〔
〕
と主観的契機〔
〕として、次のような「両分」、または
「二識」が、存在するというのである。
唯識(vijña -na
)
・前識・定体・能分別
境界識(vijñapti
)
・後識・定境・所分別
そして、真諦は、『解深密経』
の
”前分”たる
“a -lamban
am.vijñ
aptim
a -traprabh
a -vitam”
によって
が説か
れ、
の”後分“たる“vijñanam
itim
aya -uktam
”
を、”『十
地経』三界唯心の経文において、私によってすでに説かれ
た“という意味に理解したうえで、この”後分“によっ
て
が説かれた、と見なしているのである。
このような真諦の解釈は一見すると突飛なものである
が、よくテキストを読んでみると、相当に深い理解を含ん
でいることが知られる。特に、『十地経』”三界唯心“の経
文〔20〕が、『解深密経』
”後分”つまり、“vijña -nam
iti
maya -
uktam
”
において意図されていると、真諦が理解した
〔と思われる〕点は、卓見であろう。しかるに、シュミッ
トハウゼン教授の解釈には、このような視点は存在しない。
教授は、「唯識論文」で『摂大乗論釈』についての考察を
『解深密経』の「唯識」の経文について(松本)
一八一
示す場合にも〔23〕〔24〕〔25〕の内『十地経』に関説す
る
の部分については問題とされず、
のみを扱かわ
れているからである。従って、『十地経』”三界唯心“の経
文〔20〕が、『解深密経』
の経文といかなる関係をもつ
かについて、あまり配慮されなかったように思う。
では、真諦の理解に従って、先ヽず『十地経』”三界唯
心“の経文〔20〕は「唯識」を説き、後ヽに『解深密経』
の”前分“は「境界識」を説くというなら、何故、「境界識」
が説かれる必要があったのかと言えば、その理由を、真諦
は〔22〕
末尾で、次のように述べている。
無塵故。若爾、此色是観行人所見、為是何法。
つまり、『十地経』”三界唯心“の経文〔20〕によって、
”唯識無境“が宣言されたために、”それならば、瑜伽行者
の三昧の中に現われてくる対象とは、一体、何なのか“と
いう疑問が生じたので、この疑問を解決するために、『解
深密経』
”前分“によって「境界識」が説かれたという
のである。即ち”三昧中に現われてくる対象a -lam
ban
aも
vijñap
tima -tra-p
rabh
a -vita
である“というのが、『解深密
経』
”前分“によって与えられた解答である、と真諦は
見るのである。
従って、真諦が”二分説“によって
を理解しているこ
とは、明らかであるが、その”二分説“は、
の”後分“を
『十地経』の所説であると見、その”前分“を『解深密経』
が新たに提起した独自の説であると見るという独特なもの
であった。しかし、この理解は、やはり玄奘に大きな影響
を与えたと思われる。
(47)
つまり、真諦が『摂大乗論』〔17〕
で
の”後分“の訳を「我説唯有識」として前に置き、そ
の後に”前分“の訳を、「此色相境界識所顕現」として置
いたのは、”後分“が『解深密経』に先行する『十地経』
の所説であると考えたためであったが、玄奘は、『摂大乗
論』〔16〕―〔19〕の説明よりして、この真諦の理解が妥
当であることを認めざるを得なかった。そこで、玄奘もま
た、真諦に従い、その訳文において”語順の逆転“を行っ
たのである。即ち、玄奘訳〔2〕
の訳文のうち「我説識」
は、真諦訳〔17〕の「我説唯有識」及び、
”後分“の
“vijña -namiti
maya -
uktam”
に対応し、「所縁唯識所現」は、
真諦訳〔17〕の「此色相境界識所顕現」、及び、
”前
分“の“a -lam
banam.vijñaptim
a -traprabha -vitam. ”
に対応する。
従って、訳文の語順は、原文とは相違し、むしろ真諦に従
って、いわば”歴史的語順“つまり、『十地経』の所説を
先行させる語順が採用されたのであるが、
の原文の意味
に忠実であるためには、玄奘の訳文は、「所縁唯識所現、
我説識」と逆に読まなければならない。勿論、玄奘が、
の訳文中「識所縁」を確かに”識の所縁“とも読ませてい
『解深密経』の「唯識」の経文について(松本)
一八二
ることは、〔24〕
の「謂、識所縁唯識所現」を見れば、
明らかである。しかし、”識の所縁“と読ませること
が、
に関する玄奘の訳文、つまり、「我説識所縁唯識所
現」という訳文を形成する根本の原因だったとは思えない。
何故なら、すでに述べたように、
に
“vijña -n
a-a -lamban
a”
なる複合語の存在しないことは、玄奘自身も知っていたの
であり、また、「我説」に対応する“m
aya -uktam
”
というよ
うな原文が、
の末尾に置かれていることは、今日では明
らかなのである。とすれば、玄奘はやはり自らの訳文にお
いて、”語順の逆転“を行ったのであり、その理由は、すで
に見た真諦の解釈と、彼の”語順の逆転“を、基本的には
妥当なものであると判断したからに他ならない。
かくして、『摂大乗論釈』〔22〕―〔25〕にもどれば、そ
こでは、真諦訳も、達摩笈多訳も、玄奘訳も、チベット訳
も、その全てが
を二分する”二分説“を採用している。
しかるに、”二分説“とは、基本的に”a -lam
bana
は、vijña -na
である“というものであるから、〔A
〕を支持するものであ
ることは、言うまでもない。
六
では次に、アスヴァバーヴァの『摂大乗論会釈』につい
て検討しよう。これについては、玄奘訳とチベット訳があ
るだけであるが、シュミットハウゼン教授によっても示さ
れたように
(48)、
その当該部分は、次の通りである。
〔26〕
我説識所縁唯識所現故者、
我説在外識所縁
境、唯是内識之所顯現。
是所縁境、識爲自性
義。
此意説言、識所縁境、唯是識上所現影像、無
別有體。(大正三一、四〇〇中二五―二八行)
〔27〕
dmigs
parnam
parrig
patsam
gyisrab
tuphye
ba
cansh
esb
yab
an
ip
hyi
rolgyi
dm
igsp
am
ed
pah. o//
rnampar
sespa
dmigs
payin
parn .as
bsaddo
//
shesbya
bani
h. diltar
dmigs
pade
rnampar
rigpa
tsamgyis
rabtu
ph
yeba
ni
deh. i
n .obo
ñid
cesbya
bah. ithatshig
ste/
rnampar
sespa
nidm
igspar
snan .ba
tsamgyis
rabtu
phyeba
yinpar
bsaddo
shesbya
bah. ithatshig
go//(D
,Ri,221b4-5)
ここで、実線を付した部分が
に対応する。チベット訳
を見れば、このアスヴァバーヴァによる註釈が、明らかに
”二分説“にもとづいていることが知られる。即ち、この
註釈の全体の構成は、まず
において、
”前分“つまり、
“a -lambanam.
vijñaptima -traprabha -vitam
”
が引用されて、その
註釈文が示され、次に
において、“a -lam
ban
am.
……
『解深密経』の「唯識」の経文について(松本)
一八三
vijña -n
amiti
maya -
uktam
”
という
の”後分“、より厳密に
は、
”前分“の主語たる“a -lam
banam. ”
と”後分“全体を
接続する形で、経文の引用がなされて、その註釈文が示さ
れ、さらには
において、
全体の説明がなされる、とい
う構成となっていると思われる。
に対する玄奘訳「我説識所縁唯識所現故」はすでに見
た『摂大乗論釈』〔24〕でもそうであったように、これを
二分して引用することは不可能であるために、〔26〕の
で
も、
全体の引用が示されているのである。つまり、これ
は翻訳上のテクニックの問題であって、チベット訳
〔27〕
を信頼すれば、原文では、〔26〕の冒頭に
の全文
が引用されているということはなかったと思われる。従っ
て、玄奘訳がどの程度、原文に忠実であるかについては、
疑問がある。そこで以下にチベット訳〔27〕の和訳を示す
ことにしよう。なお、和訳にあたっては“can
”は、チベッ
ト訳者による誤解と考えてこれを削除し、かつ、主語と述
語の関係も、
においては、“a -lam
bana”
つまり対象的契機
〔
〕が主語であり、“vijñ
a -na”
つまり、主観的契機〔
〕
が述語であるという理解から、チベット訳とは語順を逆に
訳している個所もある。
“a -lamban
am.vijñ
aptim
a -traprabh
a -vitam”
というの
は、外的な(b
a -hya
)所縁(a -lam
ban
a
)をもたないも
のである。
“a -lamban
am.vijñ
a -nam
itim
aya -u
ktam”
というの
は、即ち、表識のみによって生みだされた(vijñ
apti-
ma -tra-prabha -vita
)その所縁(tad
a -lambanam
)は、それ
(vijña -n
a
)を自性とする(tat-svabh
a -vam
)、という意味
である。
即ち、顕現のみ(snan .
batsam
,pratibha -sa-m
a -tra
)に
よって生みだされた
(
49)
(prabha -vita
)所縁(a -lam
bana
)は、
識(vijñ
a -na
)であると説かれた(u
kta
)、という意味
である。
この内容について、玄奘訳と比較しつつ考察すれば、ま
ず、
に関する註釈文、つまり「外的な所縁をもたないも
のである」つまり、教授の想定によれば、“b
a -h
ya
-
a -lamb
ana-virah
itam”
について、教授は次のように言われ
る。
Moreover,I
wonder
ifp
hyi
rol
gyi
dm
igs
pa
med
pa
(someth
ing
like*ba -
hy
a -la
mba
na
vir
ah
ita
)―like
*a
rth
asu -
ny
ain
Bh
(2c
)(s.§13.3.1
)―can
really
beused
asan
attributeor
predicateof
a -la
mba
na
as
itw
ouldhave
toif
thetext
were
basedon
〔A
〕.(
p.449
)
つまり、“b
a -hya-a -lam
ban
a-virahita”
は、『摂大乗論釈』
『解深密経』の「唯識」の経文について(松本)
一八四
〔23〕〔25〕
の“artha-su -n
ya”
と同様に、“a -lam
bana”
を主
語とする述語になりえないのではないかという疑問を述べ
られるのであるが、これは、教授が〔S
〕の想定に立って、
“a -lambana-virahita”
の主語を“vijña -na”
と見なすべきだとい
う見解を含意している。しかし、“artha-su -nya”
の場合と同
様、“a -lam
bana-virah
ita”
が“a -lamban
a”
の述語となること
に、問題はない。というのも、もし原文を“a -lam
ban
am
a -lambana-virahitam
”
とでも想定するならば、これは明らか
に不自然であろうが、主語たる
“a -lamb
anam.
”
には
“vijñaptima -traprabha -vitam
”
という限定語が付されているの
である。”vijñ
aptim
a -traprab
ha -vita
なる
a -lamb
ana
は、
a -lambana
をもたない“(“a -lam
banam.vijñaptim
a -tra-prabha -vitam
itia -lam
bana-virah
itam”
)と述べることに、何等不合理はない
であろう。まして、後者の“a -lam
bana”
には、“ba -h
ya-”
とい
う限定語が付せられているのであるから、そこでは、
“a -lamban
a”
について“vijñ
apti-m
a -tra-prabh
a -vita”
と“ba -hya”
という限定語が対比されており、従って、論理的にも適切
な註釈がなされているのである。
しかるに、この“ba -hya-a -lam
bana-virahitam”
なる註釈文、
つまり、
”前文“である
“a -
la
mb
an
am.
vijñap
tima -trap
rabh
a -vitam”
という経文に対する註釈文は、
玄奘訳〔26〕
には欠けている。すると、本来、このよう
な註釈文は、原文には存在しなかったのかと思われるかも
しれないが、シュミットハウゼン教授は、〔26〕
の冒頭
の「我説在―外―識所縁境」の「在外」が、“ba -h
ya-a -lamban
a-
virahitam
”
の“ba -hya”
に相当するのではないかと鋭く指摘
されている。
(50)
しかるに、この指摘は、実は教授自身の主張に対する反
証ともなりうる重要性をそなえている。つまり、〔26〕
冒頭の前掲の一文中の「在外」を、
における註釈文の“a
fragmen
t”
(
p.449,n
.49
)であると見て、この一文から省
いてしまえば、この一文は「我説識所縁境」となるが、こ
の「我説識所縁境」が、〔27〕
冒頭の傍線部、つまり、
“rnampar
sespa
dmigs
payin
parn .as
bsaddo”
と逐語的に
対応していることは、明らかであろう。つまり玄奘訳〔26〕
においても、チベット訳〔27〕においても、
の冒頭に
は、
から、その”後分“を主とする引用、つまり、
“a -lambanam.
vijña -namiti
maya -
uktam”
という引用が示され
ているのである。
これに対して、シュミットハウゼン教授は〔26〕〔27〕
において、
が”二分“されて引用され、註釈されている
という”二分説“を、否定されるのであるが、これは、言
うまでもなく、”二分説“を認めれば、“a -lam
banam.
…”
とい
う〔A
〕を、
に関して承認せざるを得なくなるからであ
『解深密経』の「唯識」の経文について(松本)
一八五
る。では、いかにして、教授は〔26〕〔27〕において”二
分説“を否定されるのであろうか。教授は言われる。
On
theother
hand,thesplitting
upof
theprat
kainto
the
two
senten
ces(1a)
+(1b
)an
d(1c)
and
the
repetitionof
dm
igs
pa
in(1c)
would
seemto
support
〔A
〕,providedthat
(1c)is
understoodas
“Ihave
taughtthat
mind
isthe
object”,
or,assum
inga
confusionof
subjectand
predicateon
thepart
ofthe
translators:
“Ihave
taughtthat
theobject
ism
ind”.
But
thisw
ouldcontradict
theunam
biguoustestim
ony
of(U
t(3)).
……
……
Therefore,I
shouldprefer
toattribute
thesplitting
of
theprat
kainto
two
sep
ara
tesen
ten
ces
inU
tto
the
translators,
and
toregard
dm
igs
pa
asa
glossof
vijñ
a -n
a,
rend
ering
not
a -la
mba
na
but
up
ala
bd
hi
which
isoften
usedas
aquasi-synonym
ofvijñ
a -n
aor
vijñ
ap
ti.T
heSkt.of
(1)m
aythen
haverun
likethis:
(1a
)*a -la
mba
na
vijñ
ap
tipra
bh
a -vita
m.
(1b
)ba -h
ya -la
mba
na
vir
ah
itam.
(1c
)vijñ
a -n
am
up
ala
bd
hir
itim
aya -
desita
m
(or
:a
ha
m.va
da -m
i)iti.
Th
iste
xt
wo
uld
ex
celle
ntly
fit
〔S
〕.(p
,44
9)
〔“upalabdhi”
を除き、傍線=松本〕
ここでまず、教授は経文
の本文を二つの文章に二分す
る”二分説“が、〔A
〕を支持することを認められている。
すでに論じたように、私の理解は教授が“I
have
taugh
t
that
the
objectis
min
d”
と訳されたものに相当する。しか
るに、教授は”二分“説が〔26〕〔27〕に関して成立しな
い理由を以下に説明されるのであるが、第一に挙げられる
理由、おそらく教授にとっては最大の理由は、“U
t(3 )”
と
教授によって呼ばれるチベット訳〔27〕
の読解にあるの
である。しかるに、この読解については、後論したい。
次に挙げられる理由は、省略して示した部分に説かれる
が、この部分は前掲の
である。しかし、“b
a -h
ya
-
a -lamban
a-virahitam
”
は“a -lamban
am”
の述語たりえないの
ではないか、という
で述べられた教授の見解に対する私
見は、すでに述べた通りである。
次に教授は、チベット訳〔27〕
冒頭の傍線部、つま
り“rnampar
sespa
dmigs
payin
parn .as
bsaddo”
を、
の
経文の引用ではないと論じられるように見える。というの
も、この中の“dm
igspa”
というチベット語は、“vijña -na”
で
はなく“u
palab
dh
i”
の訳語であると主張されるからある。
しかし、この主張は、私には到底、賛同できないものであ
『解深密経』の「唯識」の経文について(松本)
一八六
る。というのも、第一に、従来の議論において、チベット
訳について言えば、『解深密経』〔3〕、『摂大乗論』〔19〕、
『摂大乗論釈』〔25〕において、“d
mig
sp
a”
は例外なく
“a -lambana”
の訳語であって、〔3〕〔19〕〔25〕のどこにも、
“up
alabd
hi”
という語が用いられた形跡はない。つまり、
“up
alabd
hi”
の訳語は、そこには認められないのである。
それにもかかわらず、『摂大乗論会釈』〔27〕
に至って突
如として“dm
igspa”
を“a -lambana”
ではなく“upalabdhi”
の
訳語と見なされるというのは、教授がここに
の経文から
の引用を認めず、”二分説“を排除して、それによって
“a -lamban
am.
…”
という〔A
〕を否定しようとされる意図に
もとづくものであろう。
しかし、まず〔27〕の
の始まり方、つまり、“
…
shesbya
bani”
(iti
)と“
…shesbya
bani”
(iti)を見れば、
この二つの“iti”
の前に
の経文の引用が示されていないと
考える方が、不自然であろう。まして、すでに論じたよう
に、〔26〕
冒頭の「我説在―外―識所縁境」から「在外」を
削除すれば、「我説識所縁境」は、〔27〕
冒頭の“rn
am
parses
padm
igspa
yinpar
n .asbsad
do”
に、語順は別にし
ても、“wo
rdfo
rw
ord
”
に対応するのである。とすれば、
〔27〕
冒頭のこの部分が、
の一部からの引用、つまり、
“a -lambanam.
vijña -namiti
maya -
uktam”
の翻訳であり、従っ
て、“dm
igspa”
の原語が“a -lam
bana”
であることも、明らか
なのである。
そこで、最後に『摂大乗論会釈』チベット訳〔27〕
に
ついて考察しよう。すでに述べたように、教授は〔27〕に
おいては、この
にこそ〔S
〕を支持する最も有力な根拠
があると考えられるのであるが、その
に関する教授の議
論とは、次の通りである。
Itis
advisable
tostart
with
(3)becau
seit
isqu
ite
unambiguous
inU
t.The
sentenceis
intendedto
give
thepurport
ofthe
Su -trasentence
asa
whole:
“Th
em
eanin
gis:
Min
dh
asb
eentau
ght
tob
e
characterizedby
merely
ap
pea
rin
gas
theobject.”
Ifw
echoose
pra
tibh
a -sa
torender
sn
an .
ba
(Uc
?
)and
ke
ep
toth
ew
ord
ord
er
of
the
Su -tra
sentencew
hichis
paraphrased,thecrucial
partof
Ut
(3)w
ouldcorrespond
toSanskrit
(3)
*a -
lam
ba
na
pra
tib
ha -
sa
ma -
tra
pra
bh
a -v
ita
m.
vijñ
a -n
am
.
Th
isis
anu
nam
biguou
ssu
pp
ortfor
〔S
〕,and
there
is,fromthe
pointof
viewof
Ut
(dm
igs
pa
r_
)noroom
leftfor
areading
a -la
mba
na
m.__ .
(
pp,448-449
)
ここで(3)とは、私の言う
を意味しており、教授
像�
影�
『解深密経』の「唯識」の経文について(松本)
一八七
は、
は
全文の意味を説明していると解される。これに
ついては、私も異論はない。次に教授は、
の英訳を示さ
れるが、この英訳は
の私の和訳とは、大きく趣旨が
異なっている。つまり、教授の理解のポイントは、“d
migs
par
snan .
ba”を”a -lam
bana
として顕現するもの“と読み、
ここに“a -lam
bana-pratibha -sa”
という複合語の存在を想定す
ることにある。即ち、教授はチベット訳が“dm
igspar___
snan .
ba”
であって“d
migs
pa__
snan .
ba”
でない以上、この原文に
は、“a -lam
bana-p
ratibha -sa”
という複合語を想定せざるを得
ないと論じられるのである。
しかし、“dm
igspar”
の“par”
にそれ程大きな意義を認め
ることができるであろうか。私は単純に“d
mig
sp
ar”
は
“dm
igsp
a”
の誤りであろうと考えている。つまり、“sn
an .
ba”
というチベット語は、”…として顕現する“という意味
で使用されることが多く、そのため、元来の訳語であった
“pa”
が“par”
に、ある段階で変化しただけだと見ている。
つまり、私は
の原文について、教授とは反対に、
a -lamban
am.p
ratibha -sa-m
a -tra-prabh
a -vitam.vijñ
a -nam
ityuktam
を想定するのであるが、さもなければ、
の内容は、
、
特に、その冒頭の傍線を付した部分、つまり、
の経文の
一部と一致しなくなるのである。
シュミットハウゼン教授は、『摂大乗論』『摂大乗論釈』
チベット訳〔19〕〔25〕の
に見られる“can
”
をbahu
vrh
i
複合語を示すものと解され、また〔27〕の“dm
igspar___
snan .
ba”
から
“a -lambana-pratibha -sa”
という複合語の存在を想定
されたが、チベット訳は必ずしも正確とは限らない。
例えば〔27〕
における
”前分“の引用の末尾には
“can”
が付けられている。この
“can”
が、“a -lam
ban
a-
vijñap
tima -trap
rabha -vita”
という
bahu
vrh
i
複合語の存在の
想定を可能にするとすれば、教授が
で想定された
の原
文、つまり“a -lam
banap
ratibha -sam
a -traprabh
a -vitam
…”
とい
うのは、単に
“vijñap
ti”
を“pratibh
a -sa”
に言い換えたもの
にしかすぎないから、何故チベット訳者は、この表現をも
“vijña -n
am”
を形容する
bahu
vrh
i
複合語だと考え、
の訳
文に
“can”
を加えて
“dm
igsp
a__sn
an .b
atsam
gyisrab
tu
ph
yeba
can___
yin
…”
としなかったのであろうか。訳者は後
者についてのみ、“a -lam
bana-pratibha -sa”
という複合語の存
在を認めたのであろうか。私見によれば、元来
“can”
を加
える訳し方自体が誤りなのである。従って、チベット訳を
全面的に信頼すべきではない。
が“a -lamb
anam.
…”
か
“a -lamban
a-
…”
かという問題を、単に“p
a”
でなく
“par”
で
あるという現存のチベット訳の読みのみによって決定する
のは、無理であろう。玄奘訳〔26〕の
においても、主語
『解深密経』の「唯識」の経文について(松本)
一八八
は“vijña -na”
ではなく、“a -lam
bana”
なのである。
最後に〔26〕〔27〕
の註釈文の趣旨について一言して
おきたい。この部分の翻訳は、すでに
に示したが、
注意したいのは、次の部分である。
即是所縁境、識為自性義
h. diltar
dmigs
pade
rnampar
rigpa
tsamgyis
rabtu
phyeba
nideh. in .obo
ñidces
byabah. itha
tshigste
/
これは、明らかに、
の構造が“a -lam
ban
a”
(主語)は
“vijña -n
a”
(述語)である、というものであることを示して
いる文章である。つまり
“a -lam
ba
na
”
は、”vijñ
a -na
を
svabha -va
(本質)としている“というのは、“a -lam
bana”
と
“vijña -n
a”
の“ta -da -tm
ya”
関係を示すものであって、この関
係は、一種の同一性ではあるが、厳密には、同一性ではな
い。つまり、この関係を逆にして、”vijña -naはa -lam
bana
を
svabha -va
とする“と述べることはできないからである。つ
まり、この二項の間には、一定方向性が認められる。その
一定方向性が、
においては、”a -lam
bana
は、vijña -naであ
る“という主語・述語の関係として示されているのであっ
て、もしも、
が”vijñ
a -na
は、a -lam
bana
である“という
主語・述語の関係を説くものであるとすれば、
における
註釈文は、”vijñ
a -na
は、a -lam
bana
をsvabha -va
とする“と
書かれていなければならなかったであろう。従って、
”a -lambana
は、vijña -na
をsvabha -va
とする“という
の註
釈文は、
について、”a -lam
bana
は、vijña -na
である“とい
う主語・述語の関係を、確定するものなのである。
しかるに、シュミットハウゼン教授は、
の“deh. i
n .o
boñ
id”
(「識為自性義」)の原語を、“tat-svabh
a -vam”
と想定
しながらも、その“tat”
「それ」は、“vijñ
a -na”
ではなく
“vijñap
ti”
を指すのではないかと想定され、従って、
全
体の意味は、次のような意味になると主張される。
“I.e.
(or:F
or
)that
object
(or,d
efinitely
better,
with
Uc:
itsob
ject,i.
e.th
eob
jectof
vijñ
an
a
)isconstituted
bym
erecognition,
i.e.
has
(that
)(viz.m
erecognition
)asits
nature.”
(
p,450
)
しかし、これは、私見によれば、〔26〕〔27〕が”二分
説“にもとづいていること、つまり、
冒頭にも
の一部
の引用が認められることを、教授が理解されなかったこと、
即ち、
を、
に対する註釈文と見なされなかったこと
にもとづく見解であり、支持することはできない。つまり、
教授よりすれば、
に、”a -lam
bana
は、vijña -na
である“と
いう主語・述語の関係が示されていると考えるべきではな
いとして、“tat”
は“vijña -na”
ではなく“vijñapti”
を指す、と
理解されたのであろう。
教授は、「識為自性義」の「識」が、円測『解深密経疏』
『解深密経』の「唯識」の経文について(松本)
一八九
に引用された文のチベット訳では、“rn
amp
arrig
pa”
とな
っていることを指摘されているが、
(51)
これも、漢文文献の
チベット訳者たる法成の理解を示すものにすぎない。『摂
大乗論会釈』〔26〕〔27〕には、
が二分されて引用され、
註釈されている、つまり、そこには、”二分説“が認めら
れる、という私見が正しいとすれば、
の
に関する教
授の理解は成立しないと思われる。
七
では、次にイェシェーニンボY
eses
sñin .
po
(Jña -n
agar-
bha
)(52)
による註釈書(P
,No.5535
)を見てみよう。彼は
に
ついて、次のように言う。
〔28〕
rigspa
bstanpah. iphyir
/rnampar
sespa
nidmigs
parnam
parrig
patsam
gyisrab
tuphye
bayin
no
shesn .as
bsaddo
//shesgsun .s
so//
dmigs
paniyulgyirnam
parsem
ssnan .
bayin
la/
deyan .
rnampar
rigpa
dan .tha
dadpa
ma
yinte
/
cigcar
dmigs
pah. iphyirro
//
(53)
このうち
の傍線を付した部分が
に相当するが、〔28〕
全体は、次のように訳されるであろう。
道理(y
uk
ti
)を示すために、〔仏陀によって〕
“a -lamban
am.vijñ
aptim
a -traprabh
a -vitam.vijñ
a -nam
iti
mayoktam
”
と説かれた。
所縁(a -lam
bana
)は、境の形象(vis. aya-a -ka -ra
)にお
いて心(citta
)が顕現したものであり、
それ(d
e,a -lam
bana
)も、表識(vijñ
apti
)から異な
っていない。
〔その二者は〕一緒に知覚される(s
ah
a-
upalambha
)からである。
ここで、
の“de”
「それ」が何を指すかが問題であろう。
野沢博士は、「それ」は、「心の顕現」を指すと解される。
(54)
一方、シュミットハウゼン教授は、“th
is
〔app
earance
of
min
din
the
form
of
ano
bje
ct
〕”
(
,p.4
51
)か
“the
objectivesu
pp
ort”
(
,p.451,n
.55
)と解される。前者は、
野沢博士の解釈と一致するが、後者は“a -lam
bana”
を意味す
るであろう。
私は、このうち、後者の解釈、つまり、「それ」は
“a -lamb
ana”
を意味するという解釈を採る。その理由は
は
の
“a -lamban
am.vijñ
aptim
a -traprabh
a -vitam. ”
の註釈文で
あり、
は
のうち“a -lam
banam.
…vijña -namiti
mayoktam
”の註釈文であると考えるからである。このような解釈の妥
当性は、
によっても確認される。
即ち
は、教授も指摘されているように、
(55)
ダルマキー
ルティD
harmak
rti
の“saha-upalambha-niyam
a”
の議論を、
『解深密経』の「唯識」の経文について(松本)
一九〇
ここに適用したものであり、“sah
a-up
alambh
a”
の主語、つ
まり、一緒に知覚されるものは、必ず二つのものでなけれ
ばならない。では、その二者とは何かと言えば、ここでは
それは、“a -lam
bana”
と“vijñap
ti”
であろう。“a -lam
bana”
と
“vijñ
ap
ti”
は一緒に知覚される(sa
ha
-up
ala
mb
ha
)から
“a -lamban
a”
は“vijñap
ti”
から異なっていない、と述べるこ
とは、
に存在する”a -lam
bana
は、vijñ
ana
である“とい
う主語・述語の関係に関する適切な註釈となりえていると
思われる。従ってこの点からも
の「それ」を“a -lam
bana”
を指すと考えたい。
ただし、
には“vijñ
apti”
ではなく“vijñ
a -na”
という語が
あった方が、私の議論にとっては好都合であることは、認
めざるを得ない。
(56)
しかし、すでに『倶舎論』〔5〕に示さ
れたように、“vijñapti”
は、いわば“vijña -na”の本質である。
従って、イェシェーニンボは両者を区別する必要を、ここ
では感じなかったと理解しておきたい。
さて、イェシェーニンボの註釈〔28〕については、シュ
ミットハウゼン教授も、この〔28〕が“a -lam
banam.
…”
とい
う〔A
〕を支持することを認めておられる。即ち、教授は
次のように言われる。
Ifin
thistext,
which
triesto
interpretthe
sentence
underdiscussion
inthe
lightof
theepistem
ologyof
Dh
armak
rtian
dh
isfo
llow
ers
(→sa
hop
ala
mbh
an
iya
ma
argum
ent),
(2)an
d(3)
are
actuallya
paraphraseof
thebasic
text
―butI
amnot
surethey
are
―,a
paraphrasem
oreoverw
hich,free
thoughit
is,w
illstill
havesubstantially
preservedthe
syntacticalstructureof
thelatter,Jña -nagarbha
would
see
mto
con
firm
〔A
〕
be
cause
dm
ig
sp
a
(a -la
mba
na
)
functionsas
thegram
matical
subject,
asin
〔A1
〕.Mo
reover,
he
wo
uld
have
split
the
sentenceinto
two,
againas
in
〔A1
〕.
(
p.451
)〔傍
線=松本〕
即ち、(2
)と(3
)、つまり〔28〕の
と
が
の
“parap
hrase”
であり、
の“the
syntactical
structu
re”
を実
質的に維持しているとすれば、
の主語は
“a -lamban
a”
で
あり、従って、イェシェーニンボは、“a -lam
banam.
…”
とい
う〔A
〕を支持しているように見える、というのである。
全くそのとおりであろう。すでに述べたように、私は、
と
は
の註釈文であると見るのである。また、教授は
末尾で、イェシェーニンボが
を二分する”二分説“を採
用していることを、承認されているようである。従って、
イェシェーニンボの註釈〔28〕に対する教授の議論の結論
は、次のようなものである。
『解深密経』の「唯識」の経文について(松本)
一九一
Inan
ycase,
Jña -n
agarbha
canh
ardly
bead
du
cedin
supportof
〔S
〕.(p.451)
八
では、最後にチャンチュプズトゥル
By
an .ch
ub
rdsu
h. phrul
作とされる註釈書(
57)(P
,No.5845
)を見ることにしよう。
そこでは
について、次のように言われる。
〔29〕
h. ona
sems
dan .gzugs
brñanshes
gdagssu
yan .ji
ltarru
n .sñ
amp
alas
rnam
par
sesp
an
id
migs
pa
rnampar
rigpa
tsamgyis
rabtu
phyeba
yinno
shes
n .asbsad
doshes
byaba
gsun .ste
/
rnampar
sespa
ñidgzugs
brñangyi
dmigs
palta
bursnan .
bassem
sdan .
gzugsbrñan
shesgdags
suyan .
run .lasem
skyin .o
bo
ñid (58)las
tha
mi
dad
pah. i
gzugs
brñande
niran .
rigpah. i
tshulgyis
rnampar
rigpa
ni
rnampar
sespah. i
mtshan
ñidyin
noshes
bstanto
//
(P,C
o,193b1-3
)
これについての私訳は次の通りである。
では、心(citta
)〔
〕と影像(p
ratibim
ba
)〔
〕
であると、いかにして仮説できるかと言えば、
“a -lamban
am.vijñ
aptim
a -traprabh
a -vitam.vijñ
a -nam
iti
mayoktam
”
と〔仏陀によって〕説かれたのである。
即ち、
識(v
ijña -n
a
)〔
〕だけが、影像という所縁
(pratibim
ba-a -lamban
a
)〔
〕のように顕現するので、
心〔
〕と影像〔
〕であると仮説することもで
きるが、
心〔
〕という自性(n .o
boñid,
svabha -va
)(59)
から異
なっていないその影像〔
〕は、自己認識(svasam. -
vitti
)というあり方(tshul
)によって表識(vijñapti)
で
あることが、識(vijñ
a -na
)〔
〕の相(laks. an. a
)であ
ると説示された〔という意味である〕。
しかるに、シュミットハウゼン教授は、〔29〕
を次の
ように訳されるのである。
Th
eessen
tialch
aracteristic(la
ks. a
n. a)
of
min
d
(vijñ
a -n
a)
isth
atth
isim
agew
hich
isn
otd
ifferent
fromm
ind
itself(citta
-(sv
a)
ru -
pa
)is
cognized
(vijñ
ap
ti)by
way
ofau
topercep
tion(sva
sa
m.vitti)
―thisis
what
hasbeen
taught
〔bythe
Buddha
〕(or:w
hatis
shown
〔bythe
Su -trapassage
〕.” (60)
(
p.452
)
〔傍線=松本〕
この翻訳は、〔29〕
〔これは教授の(3)
に相当する〕に
関する教授の次のような理解にもとづいている。
『解深密経』の「唯識」の経文について(松本)
一九二
Th
us,
there
canb
eh
ardly
any
dou
bt
that
(3)is
a
parap
hrase
of
the
Su -tra
sen
ten
ceu
nd
er
discu
ssion.A
nd
there
canalso
beh
ardly
any
dou
bt
thatthe
texton
which
thisparaphrase
isbased
can
onlybe
〔S〕,not
〔A
〕;forclearly
rn
am
pa
rses
pa
=vijñ
a -n
ais
thedefiniendum
,i.
e.m
usthave
been
takenas
the
sub
jectof
the
wh
oleS
u -trasen
tence,
wh
ere
asg
zu
gs
brñ
an
(p
ra
tib
im
ba
)w
hich
correspondsto
a -la
mba
na
canonly
beconstrued
as
the
gram
matical
ob
ject
of
rn
am
pa
rrig
pa
=vijñ
ap
ti.This
isprecisely
theconstruction
of
〔S2
〕.B
yanch
ub
rdzu
’ph
rul’s
com
men
taryis
thu
san
un
ambigu
ous
sup
port
of
〔S
〕.(p
.452)
〔傍線=松
本〕
ここで、教授が〔29〕
〔(3)
〕を
の“parap
hrase”
で
あると論じられるのは、正しいであろう。しかし、だから
といって〔29〕が〔S
〕を支持しているということになる
であろうか。教授は
で、
において“vijñ
a -na”
は定義さ
れるもの“defin
iend
um
”
であり、従って
全体の主語であ
ると論じられた。これは、
の”…は識(vijñ
a -na
)の相
(laks. an. a
)である“という表現において、“laks. an. a”
は”定
義“を意味するので、“vijña -na”
は“laks. ya”
(定義されるもの)
であり、従って主語である、という理解を示すものであろ
うが、
における“laks. an. a”
という語の存在だけから、こ
のような結論を導くことができるであろうか。
さらに
傍線部で教授は、
においては“a -lam
bana”
に
対応する“p
ratibim
ba”
は“vijñap
ti”
の文法的目的語(th
e
gramm
aticalobject
)になっていると主張されるのであるが、
この主張に、私は疑問を感じるのである。勿論、この主張
を認めれば“p
ratibimba”
(a -lamban
a
)は“vijñ
apti”
の目的語
であるから、
において“a -lam
bana-vijñ
apti”
という複合語
の存在を想定することが可能となり、従って、〔S
〕の妥当
性が成立することになるのであるが、はたして、
に関す
る教授の読解は正しいのであろうか。
の主要部分は、次の通りである。
gzugsbrñan
deni
ran .rig
pah. itshul
gyisrnam
parrig
panirnam
parses
pah. imtshan
ñidyin
no
これは、少なくとも、難解な、あるいは、不自然な文章
だと思われる。というのも、一つの文章の中に“ni”
が二回
も用いられているからである。従って、私は充分な自信を
もって、この
を訳すことができない。
に掲げた私
の訳文にも、“rn
amp
arrig
pa”
を「表識で―あ―る―こ―と―が」と
訳す点に不自然さが認められる。
これに対して教授は、“gzugs
brñande
…rnampar
rigpa”
『解深密経』の「唯識」の経文について(松本)
一九三
という表現を、“this
image
…iscognized
(vijñapti)”
と訳され
ているから、教授がこの表現を”この影像を認識すること“
と解されているのは明らかである。しかし“p
ratibimba”
を
“vijñap
ti”の文法的目的語と解することは、確かに妥当な
のであろうか。例えば、野沢博士は
を、
かの影像を自証するという理趣からすれば
svasam. vid-yogen
a、記識は識の相vijñ
a -na-laks. an. a
で
ある、ということを表示する(
61)。
と訳されている。この訳文によれば博士は、“p
ratibim
ba”
を“vijñapti”
ではなく「自証」“svasam. vitti”
つまり「自己認
識」の対象と見なしていることが知られる。
私は
の野沢博士の訳が必ずしも正しいと考えるもので
はないが、ただこの
の訳を私が評価したいのは、そこで
野沢博士が“p
ratibimba”
を“vijñap
ti”
の対象とされていな
い点なのである。一体、“
…vijñap
ti”
という複合語で”…を
認識すること“を意味する用例はあるのであろうか。〔7〕
の『五蘊論』の用例“dm
igspa
rnampar
rigpa”
こそそれで
あると言われるかもしれないが、少なくとも、そのサンス
クリット原語は確認されていないのである。
(62)
あるいは、『摂大乗論』(
, 2
)に現れる“yu
lgyi
rnam
parrig
pa”
(desa-vijñapti
)というような語がその用例なので
あろうか。しかし、長尾博士はこの語を「場所の表象」
(63)
と
訳されている。“vijñ
apti”
を「認識」とせず「表象」と訳
されたのは、博士に“vijñ
apti”
に関する次のような理解が
あったためである。
ただ、vijñ
a -na
が「知ること」「認識すること」とい
う知の作用を主として示すのに対し、vijñ
apti
は
「知らしめる」という使役相から来た語で、主観の
作用よりも、表現され知られている内容を具体的に
指す場合が多い。(M
SgN,
,p278
)
これは、適切な理解であろう。すると、
の
“gzu
gs
brñan
de”
を“rnam
par
rigp
a”
の目的語とすることに疑問
が生じるのではなかろうか。まして
の“gzugs
brñan
de
niran .rig
pah. itshulgyisrnam
parrig
pa”
では二つの語は離
れており“gzugs
brñande”
の後に“ni”
さえ置かれているの
である。それでも、“rn
amp
arrig
pa”
は“gzugs
brñan
de”
を目的語として“gzu
gsbrñ
and
e”
と結合し、それを”認識
する“という意味を表現できるのであろうか。
ここで想起すべきことは、このチャンチュプズトゥル作
とされる『解深密経』の註釈書がチベットで撰述された文
献であるとされることである。
(64)
従って、この註釈書の説
明に、どの程度の正確さを求めることができるかというこ
とも、明らかではない。
私見によれば、〔29〕
は確かに
全文の解釈を示した
『解深密経』の「唯識」の経文について(松本)
一九四
ものである。つまり、
は、基本的には“a -lam
bana”
に相
当する“p
ratibim
ba”
〔
〕を主語として始まり、(第一の
“ni”
は
“pra
tibim
ba
”
=“a -lam
ba
na
”
が主語たることを示す)
“vijña -na”〔
〕を述語とし、さらに“shes
n .asbsad
do”
(iti
maya -
uktam
)に対応する“shes
bstanto”
「と説示された」で
終る、と考えられる。とすれば“rnam
parses
pah. im
tshan
ñid
”
の“mtsh
anñ
id”
に大きな意味はなく“rn
amp
arses
pah. im
tshanñid”
全体が
の“vijña -nam”
に相当するのでは
なかろうか。また“ran .
rigpah. itshulgyis
rnampar
rigpa”
は
“vijñap
ti-ma -tra-p
rabha -vitam
”
の註釈を示した文ということ
になる。この点についてシュミットハウゼン教授が、
and
-ma -tr
aseem
sto
beexp
lained
byra
n .rig
pa
’i
tsh
ul
gyis
(sva
sa
m.vittiy
ogen
a)
(
p.452
)
と指摘されたのは、適切だと思われる。教授は、この言明
について理由を示されないが、おそらく教授は“m
a -tra”
の
意味を、”外境の否定“と理解し、それが「自己認識」と
いう語によって註釈されたと見なされたのであろう。つま
り、外境が無ければ、認識は「自己認識」にならざるをえ
ないからである。
このように考えれば
は、“p
ratibimba”
なる“a -lam
bana”
は“vijñap
ti-ma -tra-p
rabha -vita”
であり、〔故に〕“vijñ
ana”
で
あると説かれた、という意味に理解できるかもしれない。
とすれば、これは〔S
〕ではなく〔A
〕を支持することにな
るであろう。
教授は
の“prabh
a -vita”
は
の“laks. an. a”
によって説明
されたと解される。これは“p
rabha -vita”
を“characterized
”
”定義づけられた“と解されるからであろう。すると
“vijña -n
a”
の“laks. an. a”
は“pratib
imb
a
(a -lamb
ana
)-vijñap
ti-
ma -tra
”
である、と説く
は、“v
ijña -n
a”
は“a -lam
ba
na
-
vijñap
ti-ma -tra”
によってp
rabha -vita
されている、と説く
の説明たりえているということになるのである。この解釈
は、“prabha -vita”
と“laks. an. a”
の対応関係を認めるとすれば、
確かに論理的ではある。しかし、私は“gzugs
brñande”
が
“rnam
par
rigp
a”
の目的語となるという解釈に、相変らず
疑問を感じるので、〔29〕が“an
un
amb
iguou
ssu
pp
ortof
〔S
〕”
(
)であるとは思えないのである。
尤も、この註釈書がチベットで撰述されたものであるこ
とが確定された以上、シュミットハウゼン教授の
理解は
全く正しいのかもしれない。というのも、この註釈書の著
者であるチベット人は『解深密経』のサンスクリット原典
を参照せず、ただそのチベット訳だけにもとづいて、この
註釈書を書いたと考えられる。とすれば、この註釈書の
解釈は、チベット訳『解深密経』における
の訳文に対す
る解釈にすぎず、その意味では二次的重要性しかもたない
『解深密経』の「唯識」の経文について(松本)
一九五
ということになるであろう。『解深密経』チベット訳にお
いて
が“rnampar
sespa
ni
…”
と訳されているのを見て、
この註釈書の著者が、“vijña -na”
を
の主語であると考えた
としても、確かに何の不思議もないであろう。
九
では、以上の考察をまとめてみよう。私は、その説明に
疑問を感じる註釈〔29〕を除けば、『解深密経』〔1〕―
〔3〕〔12〕、『摂大乗論』〔16〕―〔19〕、『摂大乗論釈』〔21〕、
〔22〕―〔25〕、『摂大乗論会釈』〔26〕〔27〕、イェシェーニ
ンボ釈〔28〕は、すべて
を“a -lamban
am.
…”
と読む〔A
〕
を支持していると考える。
そのうち、私より見て
の趣旨を最も正確に表している
と思われる達摩笈多訳『摂大乗論釈』〔21〕における
の
引用を、再度次に示しておこう。
定心所縁唯識所顕、我説為識。
また、『解深密経』〔1〕―〔3〕について言えば、まず
そこでは“sam
a -dh
-gocara-pratib
imb
a”
という対象的契機
〔
〕が主語となり、それが、“citta”
という主観的契機
〔
〕から異なっているかいないか、ということが問題と
されていることを理解する必要がある。しかるに、この問
題に対して、仏陀は異なっていないと答えている。では、
何故異なっていないかという理由を示すために、
と
の
経文が存在するのであるから、
においても、
において
も、その主語は対象的契機〔
〕であり、従って、
にお
いて、それは“a -lam
bana”
でなければならないであろう。
(65)
また『解深密経』
について注目すべ
きことは、そこに見られる「我説」“n .as
bsad
do”
(maya -
uktam
)という表現が『十地経』”三界唯心“の経文〔20〕
を意図しているであろうということである。つまり『解深
密経』は自らの”唯識“説の先駆者が『十地経』の
”三界唯心“の経文〔20〕であることを、自ら認めている
のである。
(66)
しかるに重要なことは、この経文〔20〕自身
も対象的契機
〕である
“idam
”
を主語とし、主観的契
機
〕である。“citta-m
a -tra”
を述語とする構造をそなえ
ており、『解深密経』
の構造も、これに一致していると
考えられるのである。
次に『摂大乗論釈』及び『摂大乗論会釈』において
は、
を基本的に
“a -lamban
am.vijñ
aptim
a -traprabh
a -vitam. ”
と“
〔a -lambanam.
〕vijña -namitim
aya -uktam
”
とに二分して引
用し註釈するという”二分説“が採用されている。”二分
説“は〔A
〕を支持するものであるが、特に真諦訳『摂大
乗論釈』〔22〕には独自の”二分説“が認められた。それ
は、言ってみれば
のうち
“vijña -n
amiti
〔maya -
uktam
〕”
『解深密経』の「唯識」の経文について(松本)
一九六
を『十地経』”三界唯心“の経文〔20〕の所説と見なし、
“a -lambanam.
vijñaptima -traprabha -vitam. ”
を『解深密経』の所
説と見なし、前者を「略説」後者を「広説」と規定するも
のである。このような理解から、真諦は
の訳文において、
語順を逆転させたと思われるが、この真諦の理解に影響さ
れたと思われる玄奘も、自らの訳文において”語順の逆転“
を行なったのである。
なお、イェシェーニンボの注釈〔28〕も、”二分説“に
もとづいており、従って〔A〕を支持していることは、シ
ュミットハウゼン教授も、承認されているであろう。
以上の考察によって『解深密経』〔1〕―〔3〕の問題
の経文
の原文を、すでに示したように、ほぼ次のように
想定することが、認められるように思われる。
〔M
〕a -lambanam.
hivijñaptim
a -traprabha -vitam.[M
aitreya]
vijña -namitim
ayoktam.
では、これが何故、次のように訳されるのであろうか。
〔Mt
〕というのも、表識のみ(vijñ
apti-m
a -tra
)によって
生みだされた(prabha -vita
)所縁(a -lam
bana
)は識であ
る、と私によって説かれたからである。
つまり、“p
rabha -vita”
は、何故「生みだされた」と訳し
うるのであろうか。これについて、以下に論じよう。
一〇
“prabh
a -vita”
の語義についてはシュミットハウゼン教授
の詳しい考察がある。というよりも『瑜伽師地論』「摂決
択分」「涅槃章」に用いられる“p
rabh
a -vita”
という語に対
する詳細な註記(
67)に
おいて、教授の『解深密経』の経文
に
対する解釈が初めて示されたのである。つまり
における
“prabh
a -vita”
が“du
rch
…gekenn
zeichn
et”
と訳された
は、
その註記の一部をなしているのである。従って、教授の
に関する理解は、“p
rabha -vita”
という語に関する教授の解
釈に依存していることが推測される。
教授は「唯識論文」でも
の“prabha -vita”
について〔S1
〕
で“characterizedas”
(“consistsin”
)、〔S2
〕で“characterized
by
”
という訳語を示されてるが、後者は
の
“du
rch
…
gekenn
zeichn
et”
に一致しているであろう。しかし、教授
の一九六九年の著作『涅槃章』における“p
rabha -vita”
の註
記(そこには
も含まれる)では
“pra
bh
a -vita
”
に関して
“gekenn
zeichn
etals”
も示されているから、“p
rabha -vita”
に
関する教授の理解に基本的な変化はないであろう。因みに、
その註記では
“p
ra
bh
a -v
ita
”
の語義として、
a)“zustan
de
ge
brach
t,”“e
rzeu
gt,”
b)“m
anife
stiert,”
c)“gekennzeichnetals,”
d)“gekennzeichnetdurch”
等が示さ
『解深密経』の「唯識」の経文について(松本)
一九七
れている。
しかるに“p
rabha -vita”
に関する私見の要点を言えば、そ
れは、この語が特に瑜伽行派の文献において”…によって
特徴づけられる“”…によって規定される“”…として示さ
れる“という意味において用いられることがあるのは事実
であるとしても、この語の元来の意味は”生みだされ
た“であり『解深密経』
においても、この意味で用いら
れているであろうというものなのである。
確かに“p
rabh
a -vita”
は漢訳では「所顕」「所顕示」など
と訳されることが多く、
の漢訳では、仏陀扇多訳〔16〕
の「所明」なども”明らかにされた“を意味するようであ
る。また、菩提流支訳〔1〕では「得名」と訳されており、
これは“p
rabh
a -vita”
を、”…と名づけられる“という意味
に解したものであろう。チベット訳“rab
tup
hye
ba”
も
”開かれた“という意味であろうから、そこに”生みださ
れた“というような”生起“の意味は認められないように
見える。
シュミットハウゼン教授はチャンチュプズトゥルの註釈
〔29〕は、
の“A-prabha -vitam
B”
という構造を、その同義
である“A
isthe
laks. an. aof
B”
という構造に変換したもので
あると解されるが、
(68)“A
-prabh
a -vitamB
”
が“Aist
laks. an. am
vonB
”
と同義である、というのは、教授の『涅槃章』以来
の見解である(
69)
。すると、この見解によれば、“prabha -vita”
は
”…によって特徴づけられる“を意味することになり、その
場合には、AとBとの二項の間に、”生起“の関係、つま
り時間的な関係や因果関係は認められないことになる。従
って、“prabha -vita”
が、BはAによって”生みだされた“と
いう意味を表現することはありえないということになるで
あろう。
しかるに、このようなシュミットハウゼン教授の
“prabh
a -vita”
理解は、教授の影響力もあってか、学界にお
いて、ある程度一般的なものであり、特に瑜伽行派の文献
の翻訳において研究者が“p
rabha -vita”
を”生みだされた“
と訳す例は少ないであろう。例えば、『解深密経』
の
“prabh
a -vita”
は、ラモットによって“se
défin
it”
(
)と訳
され、『摂大乗論』の〔19〕に引用された
における
“prab
ha -vita”
は、ラモットによって“form
ép
ar”
(MS
gL,
,
p.94
)と訳され、長尾雅人博士によって「として顕わにな
っている」(M
SgN,
,p.289
)と訳されている。
さらに、高崎直道博士の“prabha -vita”
理解を見てみよう。
それは『宝性論』R
atn
agotr
avib
ha -ga
(RG
,ed.
Johnston
)の
次の文章に関するものである。
〔30〕
buddhatvamavinirbha -gasukladharm
aprabha -vitam/
a -dity
a -ka
savajjñ
a -nap
raha -n. ad
vayalak
s. an. am//
『解深密経』の「唯識」の経文について(松本)
一九八
(RG
,,k.4,p.80,ll.7-8
)
これについて博士は、まず『宝性論』の和訳では、次のよ
うな訳を示されている。
不分離なる白浄の法によって顕わされる仏の本性
は、太陽および虚空のごとく、智と断との二種を特
色としている。
(70)
つまり
“prabha -vita”を「…によって顕わされる」と訳さ
れたのである。しかし、近年の国訳においては、博士は、
当該個所の漢訳に、次のような註記を付されている。
清浄真妙の法を捨離せず S本「白浄の法と不分離
(av
inir
bh
a -g
a-
su
kla
dh
ar
ma)として示される
(prabha -vita
)」。prabha -vita
はほとんど繋辞のはたらき
をもって同格の意味を表わす(漢訳はその意をあらわ
している)。(71)
つまり、博士は“-prabha -vita”
を「…として示される」と
訳されるに至っている。これはシュミットハウゼン教授の
“gekenn
zeichn
etals”
に、ほぼ一致するであろう。高崎博
士は、シュミットハウゼン教授の『涅槃章』における
“prab
ha -vita”
の註記に一九七四年の『如来蔵思想の形成』
以来注目されているから、
(72)
このような訳文の変更には、
教授の影響が認められるかもしれない。高崎博士はさらに、
において「p
rabha -vita
はほとんど繋辞のはたらきをもっ
て同格の意を表わす」とまで言われたが、私はこの解釈、
及び「…として示される」という訳に賛成できないのであ
る。“p
rabh
a -vita”
には、やはり”生みだされた“という
”生起“の意味、つまり、時間的因果関係の意味が込めら
れていると思われる。即ち、私は〔30〕の前半を、次のよ
うに訳すのである。
仏たること(bu
dd
hatva
)は、不可分離(avin
irbha -ga
)
なる白法(su
kla-dh
arma
)によって生みだされたもの
(prabha -vita
)である。
そこで、この読解の正当性を、以下に示したいと思う。
言うまでもなく『宝性論』〔30〕の所説は、『大乗荘厳経論
釈』M
ah
a -y
a -n
asu
tra -la
m.ka -ra
bh
a -s. y
a
(MS
A,
ed.L
évi
)「菩
提品」の次の一節との関連で理解されるべきである。
〔31〕sarvad
harm
a -sca
bu
dd
hatvam.
,tath
ata -ya -
abh
inn
atva -ttad
visud
dh
iprab
ha -vitatva -c
ca
buddhatvasya,na
cakascid
dharmo
'stiparikalpitena
dh
armasvab
ha -ve
na,
suk
ladh
armam
ayam.
ca
bud
dh
atvam.p
a -ramita -d
na -m.
kusala -n
a -m.tad
bha -ven
a
parivr. tteh./
(MSA
,p.34,ll.7-9
)
切法は、仏たること(b
ud
dh
atva
)である」。仏
たることは、真如(tath
ata -
)が異なっていないから、
また、それ(tath
ata -
)を浄化すること(visu
dd
hi
)に
『解深密経』の「唯識」の経文について(松本)
一九九
よって生みだされたもの(p
rabh
a -vita
)であるから。
しかるに、分別された法の自性に関して「いかなる
法も存在しない」。「仏たることは、白法から生じた
もの(su
kla-dh
arma-m
aya
)である」。諸の波羅蜜等の
善(kusala)が、それ(buddhatva
)に転じる(parivr. tti
)
から。
ここで偈(IX
,k.4c
)の“su
kladh
armam
ayam.tac
ca”
は
“sukladharmam
ayam.ca
buddhatvam. ”
として引用され、その
意味が”諸の善がbu
dd
hatva
に転ずるから“と説明されて
いる。前掲『宝性論』〔30〕の
“bu
dd
hatvam
…
suklad
harm
a-prabh
a -vitam”
が、基本的にこの『大乗荘厳経
論』の「菩提品」第四偈c(
,k.4c
)と同義であることは、
明らかである。すると“sukla-dharm
a-mayam
”の“m
aya”
が
”…から生じたもの“を意味するなら(
73)ば
“suk
la-dh
arma-
prabh
a -vitam”
の
“prabh
a -vita”
も、”…から生じた“”…から
生みだされた“”…によって生みだされた“を意味するこ
とになるであろう。
しかるに、『大乗荘厳経論』「菩提品」第一偈・第二偈は
次の通りである。
〔32〕
ameyair
dus. karasatairam
eyaih.kusala -cayaih.
/
aprameyen. a
ka -lenaam
eya -varan. aks. aya -t//
(MSA
,,k.1
)
sarva -ka -rajñata -va -ptih.sarva -varan. anirm
ala -/
vivr. ta -ratnape. teva
buddhatvam.sam
uda -h. rtam.//
(MSA
,,k.2
)〔p33,ll.13-16
〕
無量の百の難行(d
us. k
ara
)によって、無量の善
(kusala
)の集積によって、無量の時を経て、無量の
障(a -v
ara
n. a
)の滅尽(k
s. ay
a
)にもとづいて、
一切の障の垢から離れた一切種智性(sarva -ka -rajñ
ata -
)
の獲得(ava -p
ti
)が、宝の箱(ratn
a-pet. a -
)が開かれた
如くにあり、それが、仏たること(bu
dd
hatva
)であ
ると言われる。
この二偈を見れば、「善」“ku
lala”
と“bud
dh
atva”
との間
に、因果関係が認められることが知られる。つまり、
“bud
dh
atva”
とは、無量の“ku
sala”
の集積、それも、無量
の時を要する集積によって、漸くにして得られる果である、
という趣旨が〔32〕には示されている。しかるに、この
〔32〕の“ku
sala”
と〔31〕の“ku
sala”
と“sukla-d
harm
a”
は
同義であるから、「菩提品」第四偈c“su
kla-dh
arma-m
ayam.tac
ca”
は「しかるに、それ(buddhatva
)は白法から生じた
ものである」と解することができるであろう。従って、
『宝性論』〔30〕の“buddhatvam
…sukladharma-prabha -vitam
”
は、”仏たることはsu
kla-dh
arma
によって顕わされる“で
も”仏たることは…su
kla-dh
arma
として示される“でもな
『解深密経』の「唯識」の経文について(松本)
二〇〇
く、”仏たることはsu
kla-dh
arma
によって生みだされる“
を意味するであろう。
高崎博士は
で「白浄の法と不分離として示される」と
いう訳を示されているが、私見によれば、原意から大きく
離れていると思われる。“p
rabha -vita”
に因果関係、つまり
”生起“の因果関係を認めない理解は、シュミットハウゼ
ン教授の“p
rabh
a -vita”理解の特徴であると思われるが、こ
のような理解が、高崎博士においては「p
rabha -vita
はほと
んど繋辞のはたらきをもって同格の意を表わす」という解
釈をも生みだしたように思われる。
もしも“p
rabha -vita”
が繋辞であり、同格の意を表すなら
ば、“A
-prabh
a -vitamB
”
といっても、“B
-prabh
a -vitamA
”
と
いっても、同じこと、つまり、“A=
B”
を表すだけであろう。
教授は、“A
-prabha -vitamB
”
は“Ais
thelaks. an. a
ofB
”
(Aist
laks. an. amvon
B
)と同義であるとされるのであるから、さす
がに“p
rabha -vita”
を繋辞と見なす理解までには至っていな
い。しかし、“p
rabha -vita”
の意味から”生起“や時間的因
果関係を排除する方向を徹底させれば、確かに”prabha -vita
は繋辞にすぎない“という理解が生じるであろう。
さて、シュミットハウゼン教授は、“A
-prab
ha -vitam
B”
は“Ais
thelaks. an. a
ofB
”
であると主張された。これは、あ
る意味では正しい。というのも、“laks. an. a”
にも、時間性
または因果関係が含意されるからである。
そこで『宝性論』〔30〕の“bu
dd
hatvam
…jña -n
a-prah
a -n. a-
dvaya-laks. an. am”
の“laks. an. a”
について考えてみよう。これ
は、一般的には”仏たることは…智と断の二つを相(特徴)
としている“などと訳される。
の高崎博士の訳も「…を
特色としている」である。しかし、ここで“laks. an. a”
は単
なる「特色」なのではない。即ち〔30〕における“laks. an. a”
の意味を探るためには、やはり『大乗荘厳経論』〔32〕に
もどらなければならない。即ち、そこに“am
eya-a -varan. a-
ks. aya -t
…bud
dh
atvam”
とあるが、これは“a -varan. a-ks. aya”
と
“bu
dd
hatva”
の因果関係を表している。つまり“a -varan. a-
ks. aya”
「障の滅尽」が因であり“buddhatva”
が果なのである。
しかるに、偈の“a -varan. a-ks. aya -t”
は釈
Bh
a -s.
ya
において
“klesa-jñeya-a -varan. asyapraha -n. a -t”
(MSA
,p.33,l.23
)と註釈
されている。すると『宝性論』〔30〕の“b
ud
dh
atvam
…
jña -n
a-prah
a -n. a-dvaya-laks. an. am
”
も”bu
dd
hatva
はjña -n
a-
prah
a -n. a-dvaya
から生じる“ということを意味しているこ
とが理解される。つまり”bu
dd
hatva
という果は
jña -n
a-
praha -n. a
という因から生じる“というのである。
では、この場合“laks. an. a”
をどのように訳すべきなのか。
私はかつて、金沢篤氏の意見に従い、「必要条件」という
訳を提示したことがあった。つまり、次のように論じたの
『解深密経』の「唯識」の経文について(松本)
二〇一
である。
laks. an. a
を「必要条件」と訳すのは、金沢篤氏の御教
示による。成程、P
ra
sa
nn
ap
ad
a -
(Pras
)には次の
ような文例が見られる。
sarva-prapañcôpasama-laks. an. am.
nirva -n. amuktam. //
(Pras,521,13-14
)
これは、涅槃が戯論の寂滅をlaks. an. a
としている、
という意味であるが、そうであれば、
sarva-prap
añca-p
ariks. aya -deva____
tad
〔=n
irva -n. a
〕-adhigam
a -t//
(Pras,522,1-2
)
という関係が成立する。つまり、戯論の滅のみ・・
から
涅槃が証得される、ということは、戯論の滅が無け
れば、涅槃〔の証得〕は無いから〔A
B-laks. an. ah.
〕
というときは、Bが無ければ、Aがない、つまりA
はBに対してavina -bha -va
関係をもつのである。
(74)
“laks. an. a”
を「必要条件」と訳すのは、やや不隠当に見
えるかもしれない。“laks. an. a”
には、確かに”定義“”特徴“
という意味も存在する。しかし、
に示された
Pra
sa
nn
ap
ad
a -
の文例を見ると、そこには“upasam
a”
また
は“pariks. aya”
と“nirva -n. a”
との間に、因果関係が認められ
るのであり、しかも“eva”
の使用によって”因がなければ、
果は生じない“という
avina -b
ha -va
関係が示されている。
従って、そこでは“laks. an. a”
は確かに「必要条件」を意味
している訳である。しかし、「必要条件」という漢字四文
字の煩を避けて、ここでは同じ意味において、敢て「要因」
という訳語を使用したい。それ故、『宝性論』〔30〕の後半
は、
〔仏たることは〕太陽と虚空のように、知と断との
二者を要因(laks. an. a
)とする。
と訳しておきたい。
しかるに“laks. an. a”
のこのような用例は、実は、瑜伽行派
の文献においても、認められる。例えば、重要な用例の一
つに『大乗荘厳経論釈』「菩提品」の次の一文がある。
〔33〕
dharmaka -ya
a -srayapara -vr. ttilaks. an. ah./
(MSA
,p.45,
l.5
)法身(d
harm
a-ka -ya
)は、転依(a -sraya-p
ara -vr. tti
)を要
因(laks. an. a
)としている。
ここには「転依」を因として「法身」を果とする因果関
係が説かれている。即ち、「転依」なしに「法身」はない
のである。この因果関係は、スティラマティの注釈
Su -
tra -la
m.ka -ra
bh
a -s. y
a
にも、次のように述べられている。
〔34〕
namkun
gshirnam
parses
pala
yodpah. i
gzun .ba
dan .h. dsin
pah. idri
ma
span .snas
choskyi
dbyin .sm
e
lon .lta
buh. i
yeses
sugyu
rp
an
ach
oskyi
skush
es
『解深密経』の「唯識」の経文について(松本)
二〇二
byah. o//
(D,M
i,135b6
)
アーラヤ識に存在する所取と能取の垢が断ぜられて
法界(d
harm
a-dh
a -tu
)たる大円鏡智(a -d
arsa-jña -n
a
)に
転じたとき、法身と言われる。
従って〔33〕において“laks. an. a”
は、単なる”特徴“を
意味しているのではない。
また『大乗荘厳経論』「菩提品」の第五六偈abには、
次のようにある。
〔35〕sarvad
harm
advaya -va -ratath
ata -sud
dh
ilaks. an. ah.
/
(MSA
,,k.56ab,p.44,l.8
)
二障(d
vaya-a -va -ra
)から一切法の真如(tath
ata -
)を浄
化すること(suddhi
)を要因(laks. an. a)としている。
ここで“laks. an. a”
は〔30〕〔33〕同様、明らかにbah
uvr
hi
複合語の後分であるが、この複合語が形容する主語が何で
あるかは、この偈には示されていない。それは、次の偈に
出る“sam
ud
a -gamah. ”
を指すと見ることができるかもしれ
ないが、しかし、むしろ〔35〕の主語は、〔33〕のように
“dh
armaka -ya”
と言ってもよく、また『宝性論』〔30〕や、
『大乗荘厳経論』〔32〕のように“bu
dd
hatva”
と見てもよい
ものであろう。“b
ud
dh
atva”
は中性名詞であるから〔34〕
の“laks. an. ah. ”
という男性形には適合しないと思われるかも
しれないが、『大乗荘厳経論』の著者は、そんなことは意
に介さなかったであろう。つまり、彼は“d
harm
aka -ya”
で
あろうと“bu
dd
hatva”
であろうと意に介さず、とにかく絶
対的実在、それも、果としての絶対的実在について語って
いたのである。従って、『大乗荘厳経論釈』〔31〕の
〔tathata -ya -
abhin
natva -t
〕tadvisu
dd
hip
rabha -vitatva -c
cabuddhatvasya
も〔35〕と同義となるであろう。つまり、
は、すでに
に示したように、
仏たることは、それ(ta
tha
ta -
)を浄化すること
(visud
dh
i
)によって生みだされたもの(p
rabh
a -vita
)
であるから。
と訳されるのである。
従って、シュミットハウゼン教授の理解とは異なった意
味において、つまり、因果関係を表現する意味において、
“A-prabha -vitam
B”
=“Ais
thelaks. an. a
ofB
”
は成立する。即ち、『大乗荘厳経論釈』
の趣旨は、
tathata --visuddhi-prabha -vitam.buddhatvam
(A-prabha -vitam
B
)
と解され『大乗荘厳経論』〔35〕の趣旨は、
〔buddhatvam?
〕tathata --suddhi-laks. an. am(B
A-laks. an. am
)
と解されるからである。“B
A-lak
s. an. am”
が
“Ais
the
『解深密経』の「唯識」の経文について(松本)
二〇三
laks. an. aof
B”
と同義であることは、言うまでもない
因みに、シュミットハウゼン教授が、元来『涅槃章』の
“prabh
a -vita”
の註記において、その語義の探求を開始され
た原因となったのは、『瑜伽師地論』「摂決択分」「涅槃章」
の次の一文であった。
〔36〕gnas
gyurpa
deni
debshin
ñidrnam
pardag
pas
rabtu
phyeba
dan ./
(Der
Nir
va -n.
a,p.44,ll.2-3
)
これを教授は、
〔Weil
〕diese
,Neu
gestaltun
gd
erG
run
dlage‘
du
rch
die
Rein
igun
gd
erS
oheit
konstitu
iertist
(tath
ata -
-
visu
dd
hi-p
ra
bh
a -vita -
),(Der
Nir
va -n. a
,p.45
)
と訳されたが、私としては
“konstitu
iert”という訳よりも
”生みだされた“という訳のほうがよいと思われる。つま
り、〔36〕は、次のように訳すべきであろう。
その転依(a -sraya-p
arivr. tti
)は、真如を浄化すること
(tath
ata --v
isud
dh
i
)によって生みだされたもの
(prabha -vita
)であり、
(75)
同じことは「摂決択分」「涅槃章」の次の一節について
も言える。
〔37〕spros
pam
edpah. i
mtshan
ñiddan .
|choskyi
dbyin .s
sintu
rnampar
dagpah. i
mtshan
ñidyin
no
||(D
er
Nir
va -n. a
,p
.50,ll.17-18
)
これを、教授は、
Sie
istg
ek
en
nze
ichn
et
〔dad
urch
,d
aßsie
〕frei
(od
er:je
nse
its
)von
aller
〔un
ang
em
esse
ne
n
〕
,Ausbreitung‘
〔ist
〕(nis. p
ra
pa
ñca
-laks. a
n. a -
),undsie
istgeken
nzeich
net
du
rchd
as
(=b
esteht
ind
em
)
〔Re
sultat
de
r
〕vollk
om
me
ne
nR
ein
igu
ng
de
r
,Ursach
ed
er
〔üb
erw
eltlich
en
〕Ge
ge
be
nh
eite
n‘
(dh
ar
ma
dh
a -tu
-su
vi
su
dd
hi-la
ks.
an.
a -
).
(De
r
Nir
va -n. a
, p.51
)〔傍線=松本〕
と訳されるのであるが、以上述べた考察からして、
〔転依は〕無戯論(n
is. prap
añca
)を要因(laks. an. a
)と
し、法界をよく浄化すること(d
ha
rma
-dh
a -tu-
suvisuddhi
)を要因(laks. an. a
)とする。
と訳す方が適切であろう。というのも、ここで、転依
(a -sraya-parivr. tti
)は『大乗荘厳経論釈』〔33〕におけるよう
に、因として述べられているのではなく、〔37〕の直前と
も言える個所に示される次の文章におけるのと同様に、果
として把えられているからである。
(76)
〔38〕dgra
bcompah. i
gnasgyur
pani
skyem
cheddrug
gi
rgyulas
byun .ba
ma
yingyi
|debshin
ñidla
dmigs
pah. ilambsgom
spah. irgyu
lasbyun .
bayin
te
|(D
er
Nir
va -n. a
, p.50,ll.4-6
)
『解深密経』の「唯識」の経文について(松本)
二〇四
阿羅漢(a
rha
t
)の転依(a -
sray
a-p
ariv
r. tti
)は六処
(s. ad. a -yatana
)を因(hetu
)とするものではなく、真如
を所縁とする修道(tath
ata --a -lamb
ana-m
a -rga-bh
a -vana -
)
を因(hetu
)としている。
(77)
従って、〔37〕においても、“d
harm
a-dh
a -tu-su
visud
dh
i”
を因として「転依」を果とする因果関係が説かれていると
考えられる。その場合、勿論、浄化されるもの(visodhya
)(78)
である“d
harm
a-dh
a -tu”
は、〔31〕〔35〕〔36〕の“tath
ata -”
「真如」と同義である。
しかし、〔37〕において、「無戯論」と「転依」とのあい
だに、因と果の関係を認めることはできるのであろうか。
この疑問は当然であるが、私はできると考えている。即ち、
これは中観派の文献ではあるが、
に示した
Pra
sa
nn
ap
ad
a -
の二つの文章の趣旨を考えれば、そこには
“sarv
a-p
rap
añ
ca
-up
asa
ma
”
または
“sarv
a-p
rap
an -c
a-
pariks. aya”
を因とし“nirva -n. a”
または“nirva -n. a-adhigam
a”を
果とする因果関係が説かれている。しかるに、この因果関
係を瑜伽行派では認めない、ということはないであろう。
それ故、〔37〕の「無戯論」と「転依」との間にも、因果
関係が説かれている。つまり、戯論(p
rapañ
ca
)が無くな
らなければ、「転依」は生じない、というのである。
また、『中辺分別論釈疏』M
ad
hy
a -n
tav
ib
ha -
ga
t.k
a -
(ed.Yamaguchi
)にも、次のようにある。
〔39〕
dh
armad
ha -tu
pratived
hap
rabh
a -vitatva -db
ud
dh
a-
vacanasya
|yasm
a -tsa
rv
a -k
a -ra
pa
risu
dd
ha
dh
ar-
ma
ka -
ya
sa
m.
jñ
ak
en
ad
ha
rm
ad
ha -
tuv
ase
na
pra
bh
a -v
ito
dh
arm
ad
ha -tu
nis. y
and
ah.su -tra -d
iko
de
sa
na -d
ha
rm
ah.
|dh
ar
ma
dh
a -tva
gr
ata
ya -
tann
is. yand
adesan
a -dh
arma -grata -
dh
armad
ha -tu
parisu
-
ddhinimittatva -c
ca
|(p.101,ll.11
―15
)(79)
仏語(b
ud
dh
a-v
ac
an
a
)は、法界を通達すること
(dharma-dha -tu-prativedha
)によって生みだされたもの
(prab
ha -vita
)であるから。即ち、一切種において浄
化された法身といわれる法界(dharm
a-dha -tu
)の力に
よって、法界の等流(d
harn
a-dh
a -tu-n
is. yand
a
)である
経(su -tra
)等の教説としての法(d
esana --d
harm
a
)が
生みだされた(prabha -vita,
(
80)rab
tubyun .
ba
)からである。
法界の最勝性(agrata -
)によって、それ(法界)の等
流(nis. yanda
)である教説としての法(desana --dharm
a
)
の最勝性がある。法界を浄化すること(d
ha
rma
-
dha -tu-parisuddhi
)を原因(nim
itta
)とするからである。
ここでも
“dh
arma-d
ha -tu
-pratived
ha”
または
“dh
arma-
dh
a -tu-p
arisud
dh
i”
を因とし、“b
ud
dh
a-vacana”
または
“desan
a --dh
arma”
を果とする因果関係が説かれている。ま
『解深密経』の「唯識」の経文について(松本)
二〇五
た、ここでは
“-prabh
a -vita”
の意味が
“-laks. an. a”
ではなく
“-nimitta”
という表現によって示されている。“nim
itta”
は、
山口博士の和訳(
81)の
通り、ここでは「因」を意味するであろ
う。なお、ここでも“d
harm
a-dh
a -tu”
が“tathata -”
と同義で
あることは言うまでもない。
しかし、“p
rabha -vita”
に因果関係や時間性を認めること
ができない用例も、瑜伽行派の文献には、確かに存在する
であろう。例えば、『宝性論』には、次の文章がある。
〔40〕
trividh
abu
dd
hak
a -yaprab
ha -vitatvam.
hi
tatha -ga-
tatvam/
(RG
,p.7 2,ll.9-10)
〔41〕
debshin
gsegspa
ñidnisan .s
rgyaskyisku
rnampa
gsumgyis
rabtu
phyeba
yinte
/(D
,Phi,111b5
)
これを高崎博士は、次のように訳される。
けだし、如来たることは、三種仏身を以って顕わさ
れるものである(
82)。
博士の訳は“-p
rabh
a -vitatvam. ”
をチベット訳に従って
“-prabha -vitam. ”
と読んでいるようであるが、いずれにせよ、
ここで、“trividha-buddha-ka -ya”
と“tatha -gatatva”
との間に、
因果関係を認めるのは困難であろう。漢訳も、“p
rabha -vita”
を「得名義」(大正三一、八三九上一五行)と訳している。
さらに『瑜伽師地論』「摂決択分」中「菩薩地」には、
次の用例がある。
〔42〕何等為真如、謂、法無我所―顕―、聖智所行、非一切
言談安足処事。(大正三〇、六九六上四―六行)
〔43〕
debshin
ñidgan .
shena
/chos
bdagm
edpas
rabtu
phyeba
/h. phagspah. iye
seskyispyod
yul/mn .on
par
brjodpa
tshigtham
scad
kyigshih. i
gnassu
ma
gyur
pah. idn .ospo
gan .yin
pah. o//
(D,Shi,287b3-4
)
真如(ta
tha
ta -
)とは何か、法無我性(d
ha
rma
-
naira -tm
ya
)によって生みだされたもの(p
rabh
a -vita
)
であり、聖者の智の行境(a -rya-jña -na-gocara
)であり、
一切の言語(ab
hila -p
a
)の依りどころ(a -sp
ada
)とな
っていない事(vastu
)〔基体〕である。
ここで、“p
rabha -vita”
を「生みだされた」と訳したこと
について、読者に疑問が生じるのは当然であろう。確かに
ここには、“d
harm
a-naira -tm
ya”
と
“tathata -”
との間に因果
関係は説かれていないように見える。つまり、「真如」は、
「法無我性」によって”示される“”規定される“”定義され
る“ということのみが、ここに説かれているように見える
のである。しかし、ここには法無我性が理解されなければ、
または、法に対する執着が無くならなければ、真如は理解
されない、というような意味で、「法無我性」と「真如」
との因果関係が説かれていないであろうか。
この点で、『阿毘達磨雑集論』A
bh
id
ha
rm
a
『解深密経』の「唯識」の経文について(松本)
二〇六
sa
mu
cca
ya
bh
a -s. y
a(ed.T
atia)
の次の文例は、興味深い。
〔44〕
parinis. pannovisuddhya -lam
banatva -tparatantrapari-
kalpitalaks. an. a -bha -vasvabha -vatva -cca
parama -rthas
cais. a
nih. svab
ha -vata -p
rabh
a -vitas
ceti
param
a -rtha-
nih. svabha -vataya -nih. svabha -vah. /
(p,114,ll.23-25
)
円成実(p
arinis. p
ann
a
)は、浄化の所縁(visu
dd
hy-
a -lamb
ana
)であるから、また、依他起(p
aratantra
)
に(83)遍
計所執(p
arikalpita
)の相(laks. an. a
)が無いこと
(ab
ha -v
a
)を自性(sv
ab
ha -v
a
)とするから、勝義
(pa
ram
a -rtha
)であり、また、これは、無自性性
(nih. s
va
bh
a -v
ata -
)によって生みだされたもの
(prab
ha -vita
)である、というわけで、勝義無自性性
(pa
ram
a -rtha
-nih. s
va
bh
a -va
ta -
)によって、無自性
(nih. svabha -va
)である。
ここで、“p
rabha -vita”
を「生みだされたもの」と訳せる
であろうか。対応する玄奘の訳は、「所顕」(大正三一、七五
二上一五行)である。しかるに私は、“n
ih. svabh
a -vata -”と
“parin
is. pan
na”
との間に、やはり、因果関係は認められる
と思うのである。即ち、ここで
“parin
is. pan
na”
が
“parama -rtha”
と言われていることに注目したい。“param
a-
artha”
「勝義」とは最高の
artha
を意味するが、その場合
“artha”
とは”対象“”目的“さらには”結果“を意味する
語なのである。では何故
“parin
is. pan
na”
は”最高の結
果“と言われるのか。それは、「依他起」に「遍計所執」
が無いこと、というよりも、無くなること〔これは「転依」
という語によって示すこともできる〕という原因によって
生みだされる結果だからである。このように考えれば、
“paratantra-parikalpita-laks. an. a-abha -va”
と“parama-artha”
つ
まり、“p
arinis. p
ann
a”
との間に、因果関係を認めることが
できると思われる。しかるに、“n
ih. svabha -vata --p
rabha -vita”
の
“nih. svab
ha -vata -”
とは
“paratan
tra-parikalp
ita-laks. an. a-
abh
a -va”
と別のものではないであろう。とすれば、
“nih. svabh
a -vata --prabh
a -vita”
は、“n
ih. svabha -vata -”
を因とし、
“parin
is. pan
na”
を果とする因果関係を、説いていることに
なるのではなかろうか。
しかるに、ここに示される
“nih. svab
ha -vata -”
と
“parin
is. pan
na”
の関係は、〔43〕における
“dh
arma-
naira -tmya”
と“tathata -”
の関係と一致してる。即ち〔43〕で
は
“tathata -”
が
“dh
arma-n
aira -tmya-p
rabha -vita”
と言われる
のであるが、“d
harm
a-naira -tm
ya”
と
“nih. svabh
a -vata -”
は、
同義であり、〔44〕の
“parinis. panna”
が
“tathata -”
を意味す
ることは、前者が〔44〕で、“visuddhy-a -lam
bana”
「浄化の
所縁」と規定されることによっても、知られるであろう(
84)。
従って、瑜伽行派の文献において、“p
rabha -vita”
が一見
『解深密経』の「唯識」の経文について(松本)
二〇七
すると、因果関係を示していないように見える場合でも、
注意深く、その用例を読解すれば、そこにはやはり、ある
種の因果関係が表現されている場合が少なくない。
私はすでに、瑜伽行派の文献において、“p
rabha -vita”
が
単に”示される””規定される“を意味することがあった
としても、それは、“p
rabh
a -vita”
の本来の意味ではなく、
本来の意味は「生みだされた」である、と主張した。では、
その本来の意味とは、仏教文献では、どこに確認できるの
であろうか。この問題について、私は、シュミットハウゼ
ン教授の“prabha -vita”
に関する註記を含む『涅槃章』(一九
六九年)と同年に出版されたルエッグRu
egg
教授『如来蔵
と種姓の理論』L
ath
éo
rie
du
Ta
tha -
ga
tag
arb
ha
et
du
Gotr
a
〔La
théorie
〕(Paris,1969
)における“prabha -vita”
に
関する考察(
85)か
ら、大きな稗益を受けた。ルエッグ教授は、
そこで仏典における“p
rabha -vita”
の多くの用例を示された
が、その中で、私にとって何よりも重要と思われたのは
『八千頌般若経』As. t. a
sa -
ha
srik
a -p
ra
jña -
pa -
ra
mita -
〔AS
〕
(ed.V
aidya
)における“p
rabha -vita”
の用例であり、さらに
“prabh
a -vita”
がハリバドラH
aribhad
ra
によって、“n
irja -ta”
「生じた」と註釈された事実や、“prabha -vita”
がチベット訳
で
“rabtu
ph
yeba”
だけではなく“byu
n .ba”
「生じた」と
訳された事実が(
86)指
摘されたことである。
そこで極めて重要と思われる『八千頌般若経』の用例を
以下に示そう。まず次の用例がある。
〔45〕
srota -pattiphalamasam. skr. taprabha -vitam
itina
stha --
tavyam/
(AS,p.18,ll.22-23
)
預流果は、無為(asam.
skr. ta
)によって生みだされた
もの(p
rabha -vita
)である、と〔考えて、菩薩は預流
果に〕住するべきではない。
このうち“asam. skr. ta-p
rabha -vita”
について、ハリバドラ
は、『現観荘厳論光明』A
bh
isa
ma
ya -
lam.
ka -
ra -
lok
a -
〔AA
A -
〕
(ed.Wogihara
)で、次のように註釈する。
〔46〕
asam. skr. taprabha -vitamiti
tattvato’nutpa -dasvabha --
vatva -nm
a -rgasya -sam. skr. tanirja -tam.
ph
alam.ka -ryam
/
(AA
A -,p.143,ll.6-7
)
“asam. skr. ta-prabha -vita”
とは、実義として(tattvatah.
)、
道(m
a -rga
)は、無生起(an
utp
a -da
)を自性とするか
ら、道の果(p
hala
)、つまり結果(ka -rya
)は、有為か
ら生じたものではない(a-sam.
skr. ta-nirja -ta
)である。
ここでは、確かに、“p
rabha -vita”
が“nirja -ta”
「生じた」と
註釈されている。
しかるに、さらに重要なことは、一七九年に漢訳された
『道行般若経』に、〔45〕に相当する訳が含まれていること
なのである。つまり、次の一文が、この経における〔45〕
『解深密経』の「唯識」の経文について(松本)
二〇八
の訳であると思われる。
〔47〕須陀
道、不―動―成―就―、不当於中住。(大正八、四二
九中二三―二四行)
つまり、「不動」が
“asam.sk
r. ta”
の訳語、「成就」が
“prabh
a -vita”の訳語だと思われる。“asam. skr. ta-p
rabha -vita”
に対する「不動成就」という訳語は、『大明度経』(大正八、
四八二下)、『摩訶般若鈔経』(同、五一二上)でも用いられる
が、羅什訳の『小品般若経』では、〔45〕全体が、
〔48〕不応住須陀
無―為―果―。(大正八、五四〇中一〇行)
と訳されている。「無為果」の原語をどのように考えるか
は問題であろうが、私は、これは、”無為の果“”無為から
生じた果“という意味で“
…phalamasam. skr. ta-prabha -vitam
”
を訳したものと考える。つまり、預流果という果(p
hala
)
は、無為によって生みだされた果である、という解釈がな
されているように思われる。なお、この羅什訳は、『仏母
出生三法蔵般若波羅蜜多経』(大正八、五九二下)でも、「応」
の字を欠いて、そのまま継承されている。
要するに、『道行般若経』〔47〕の「成就」の訳語の原文
に“prabh
a -vita”
が存在したことは、確実であろう。ただし
「成就」という訳語から、ストレートに「生みだされた」
という理解を引き出すのは、困難であるかもしれない。そ
こで重要となるのが、次の用例なのである。
〔49〕
ye’pi
tea -nanda
atte
’dhvanyabhu -vam. s
tatha -gata -
arhan
tah.sam
yaksam. bud
dh
a -h. ,te
’py
a -nan
da
itaeva
prajñ
apa -ram
ita -tah.p
rabha -vita -h.
/
…ye’p
ite
a -nan
da
ana -gate
’dh
vani
bh
avis. yanti
tatha -gata -
arhan
tah.sam
yak
sam. bu
dd
ha -h. ,
te’p
ya -n
and
aita
eva
prajñ
a -pa -ram
ita -tah.p
rabh
a -vayis. yante
/
…ye’p
ite
a -nandaetarhy
aprameyes. v
asam. khyeyes. ulokadha -tus. u
tatha -gata -
arhan
tah.sam
yaksam. b
ud
dh
a -stis. t. h
anti
dh
riyan
tey
a -pay
anti,
te’p
ya -n
and
aita
eva
prajñ
a -pa -ram
ita -tah.p
rabh
a -vyante
/
(AS
,p.231,ll.13-
19
)アーナンダよ、過去世に生じた如来・阿羅漢・正覚
者たち、彼等も、アーナンダよ、この般若波羅蜜
(pr
ajñ
a -p
a -r
am
ita -
)だけから、生みだされた
(prabh
a -vita -h.
)のである。…アーナンダよ、未来世に
生じるであろう如来・阿羅漢・正覚者たち、彼等も、
アーナンダよ、この般若波羅蜜だけから、生みださ
れるであろう。(p
rabha -vayis. yan
te
)。…アーナンダよ、
今、無量、阿僧
の世界に住し、敬われ、生存して
いる如来・阿羅漢・正覚者たち、彼等も、この般若
波羅蜜だけから、生みだされている(prabha -vyante
)。
これは、三世の諸仏が、般若波羅蜜だけから生じた、生
『解深密経』の「唯識」の経文について(松本)
二〇九
じるであろう、生じることを述べた一節であるか、極めて
重要なことは、ここに、従格を示す“-tah. ”
と“prabh
a -vita”
の結合が、過去・未来・現在の三時に関して
“
…tah.
prabha -vita -h. ”“
…tah.prabha -vayis. yante”
“
…tah.prabha -vyante”
という形で認められることである。“p
rabha -vita”
は具格と
のみ結合すると思われていたが、ここで従格とも結合する(
87)
ことが示された意義は大きいであろう。というのも、これ
によって、“p
rabha -vita”
に”生起“の意味があること、つ
まり、“
…prabh
a -vita”
が”…から生みだされた“”…によっ
て生みだされた“という意味をもつことが、明示されたか
らである。この点は、漢訳によっても示される。即ち、
〔49〕に相当する漢訳は、次の通りである。
〔50〕過去不可復計仏、悉従―其中成―就―得仏、…甫当来不
可復計仏、悉従―般若波羅蜜成―就―得仏、…十方今現在
不可復計仏、悉従―般若波羅蜜成―就―得仏。(大正八、四
六九中一二―一六行)(『道行』)
〔51〕十方三世無数諸仏、悉従―明度成―仏。(同右、五〇三
上一四―一五行)(『大明度』)
〔52〕阿難、過去諸仏、皆従―般若波羅蜜出―、…未来諸
仏、皆従―般若波羅蜜出―、…現在無量世界諸仏、皆従―
般若波羅蜜出―、(同、五七八下一二―一六行)〔『小品』〕
〔53〕阿難、過去〔未来〕諸仏如来応供正等正覚、皆従―
般若波羅蜜多出―生―、…于今現在十方無量阿僧
世界
現住説法者、諸仏如来応供正等正覚、皆従―般若波羅
蜜多出―生―。(同右、六六六上一四―二〇行)〔『仏母』〕
つまり、“p
rabh
a -vita”
(prab
ha -vita -h. ,
prab
ha -vay
is. yan
te,
prab
ha -vyan
te
)は”「従…成就〔得〕」「従…成」「従…出」
「従…出生」“と訳されている。最後の『仏母』の「従…
出生」が、最も明確に、“p
rabha -vita”
の語義を示している
であろう。従って、“p
rabha -vita”
は、すでに一七九年に訳
された『道行般若経』の原典において、”…から、生みだ
された“という意味で用いられていたことが判明した。
これは、瑜伽行派がこの語を使用するより、かなり以前
のことであり、ここに“p
rabha -vita”
の本来の意味が示され
ていることは、確実であろう。すでに見たように、ハリバ
ドラは“prabha -vita”
を“nirja -ta”
という語によって置きかえ
て註釈したのであるが、これは、ともに『八千頌般若経』
に現われる“prajña -pa -ram
ita --prabha -vita”
と“prajña -pa -ramita --
nirja -ta”
という表現を同一視したことによる註釈であろう。
即ち、〔49〕の少し前の個所には、次の文章がある。
〔54〕
prajñ
a -pa -ram
ita -nirja -ta -
hi
a -nan
da
bu
dd
ha -n
a -m.bhagavata -m.
bodhih. .
(AS,p.229,l.5
)(88)
諸仏・世尊の菩提(bod
hi
)は、般若波羅蜜から生じ
た(nirja -ta
)ものである。
『解深密経』の「唯識」の経文について(松本)
二一〇
これを『道行』は、次のように訳している。
〔55〕過去当来今現在仏、皆従―般若波羅蜜出―生―。(大正八、
四六九上一―二行)
これによって、ハリバドラが、“p
rabha -vita”
を“nirja -ta”
と解したのは、適切だったことが理解されるであろう。
さて、“p
rabha -vita”
が「生みだされた」を意味する用例
で、重要と思われるものを、もう一つ示しておこう。それ
は、『勝鬘経』S
rm
a -la -
su -
tra
における用例である。以下、
求那跋陀羅訳・菩提流志訳・チベット訳、さらに、チベッ
ト訳の和訳を示そう。
〔56〕世尊、摂受正法者、是摩訶衍。何以故。摩訶衍
者、出―生―一切声聞縁覚世間出世間善法。世尊、如阿
耨大池出八大河、如是摩訶衍出生一切声聞縁覚世間
出世間善法。(大正一二、二一九中七―一〇行)
〔57〕善哉世尊、摂受正法者、則名大乗。何以故。大乗
者出―生―一切声聞独覚世出世間所有善法。如阿耨達池、
出八大河。如是大乗、出生一切声聞独覚世出世間所
有善法。(大正一一、六七五上五―八行)
〔58〕
bcomld
anh. d
asd
amp
ah. ich
osses
bgyiba
de
ni
thegpa
chenpoh. itshig
bladags
lagsso
//de
cih. islad
du
she
na
/bcom
ldan
h. das
ñan
thos
dan .
ran .san .s
rgyaskyitheg
patham
scad
dan ./h. jig
rtenpa
dan .h. jig
rtenlas
h. daspah. idge
bah. ichostham
scad
nithegpa
chen
pos
rabtu
ph
yebah. i
sladd
uh. o
//bcom
ldan
h. dash. di
ltaste
dperna
klun .chen
pobshi
nim
tsho
ma
drospa
lash. byun .
n .o//
bcomldan
h. dasde
bshin
duñan
thosdan .
ran .san .s
rgyaskyitheg
patham
scad
dan ./h. jig
rtenpa
dan ./h. jig
rtenlas
h. daspah. idge
bah. i
chostham
scad
kyan .theg
pachen
polas
h. byun .n .o
//
(P,H. i,267b2-5
)
世尊よ、「正法」(sad
dh
arma
)というのは、「大乗」
の同義語(adhivacana
)です。それは何故かというと、
世尊よ、声聞と独覚の乗すべてと、世間的および出
世間的な善法(laukika-lokottara-kusala-dharm
a
)すべて
は、大乗によって生みだされた(rab
tup
hy
eb
a,
prabha -vita
)からです。
世尊よ、例えば四つの大河はアナヴァタプタ
An
avatapta
湖から生じる(h. b
yun .
)のです。世尊よ、
それと同様に、声聞と独覚の乗すべてと世間的およ
び出世間的善法すべても、大乗から生じるのです(
89)。
ここで、“p
rabha -vita”
は「出生」と漢訳されている。ま
た、その語義が、確かに「生みだされた」という生起を意
味することは、アナヴァタプタ湖から四大河が”生じる“
”流出する“という比喩によって明示されている。従って、
『解深密経』の「唯識」の経文について(松本)
二一一
“prabha -vita”
が、元来「生みだされた」を意味することは、
この『勝鬘経』の用例によっても、確認されるであろう(
90)。
では、『解深密経』の「分別瑜伽品」の
において、
“prabh
a -vita”は、その原義と思われる「生みだされた」と
いう意味で用いられたのであろうか。それとも、瑜伽行派
において発展させられたと思われる”特徴づけられる“
”示される“”規定される“あるいは、単なる繋辞として用
いられたのであろうか。言うまでもなく、私は、前者だと
思うのである。
この点については、まず『十地経』”三界唯心“の経文
〔20〕の意義を考慮すべきであろう。即ち、“citta-m
a -tram
idam
”
というのは、「これ」(id
am
)、つまり、現象的世界と
いう対象的契機〔
〕は、「心」(citta
)という主観的契機
〔
〕だけである、と言われている。しかし、「これは、心
だけである」という主張は、「これ」という現象的世界は、
虚妄なものであって、それは実在する「心」だけから生じ
たもの、あるいは、「心」だけが作りだしたものである、
ということを、当然含意する。つまり“citta-m
a -tram.idam
”
がもつ”bは、aだけである“という主張は、”bは、a
から生じたものである“”bは、aから作られたものである
“ということを含意するのである。即ち、“citta-m
a -tram.idam
”
という文章は、
〔59〕
sadeva
saumya
idamagra
a -sd
ekameva -dvit
yam. /
(Ch
a -n
dogya
Up
an
is. ad
,.2.1
)
という文の“sad
evaid
am”
「これは、有だけであった」に
趣旨が一致してるのであって、この
“sade
vaid
am”
も
“idam”
「これ」という現象世界が、唯一の実在である「有」
(sat
)から生じる、ということを含意しているのである。
従って、『十地経』”三界唯心“の経文〔20〕が、六十巻
『華厳経』で、
〔60〕三界虚妄、但是心作―。(大正九、五五八下一〇行)
というように「作」が付されて訳されたのは、当然のこと
だったのである。因みに、『摂大乗論』仏陀扇多訳〔16〕
にも「三界唯心作―」という訳語が見られる(
91)。
しかも、これは、単に漢訳の問題ではない、例えば、
『楞伽経』L
an .
ka -va
ta -ra
su -
tra
(ed.Nanjio
)には、次のような
偈が見られる。
〔61〕
vikalpava -sana -baddham.vicitram.
cittasam. bhavam/
bah
ira -k
hya -yate
nr. n. a -m.
cittama -tram.
hi
lauk
ikam
//
(
,k.32,p.154,ll.3-4
)
分別の習気と結びついた多様なもの(vicitra
)は、心
より生じたもの(citta-sam. bh
ava
)(92)
である。人々にと
って、外境として(bah
ir
)顕現している世間的なも
のは、心だけ(citta-m
a -tra
)である。
『解深密経』の「唯識」の経文について(松本)
二一二
つまり、ここで“citta-m
a -tra”
と“citta-sam. bhava”
が殆ど
同義であることは、明らかであろう。従って、この文から
も、”bは、aだけである“という主張は、”bは、aから
生じたものである“という主張を含意することが、知られ
るのである。
そこで、『解深密経』〔1〕―〔3〕について、この問題
を考えてみると、
は、基本的に”bは、aだけである“と
いう形式であることが知られるが、
は、その前半の
“a -lamban
am.h
ivijñ
aptim
a -traprabh
a -vitam. ”
は、”bは、aか
ら生じたものである“という形式であることが理解され
る。つまり、“prabha -vita”
は、”…によって生みだされた“を
意味するのである。
『解深密経』は、瑜伽行派の文献の中でも、アサンガ以
前の古期に属するものであって、そこでは、“p
rabh
a -vita”
は、素朴な意味に、つまり、「…によって生みだされた」
「…から生みだされた」という原義において用いられたと
しか考えられない。この語が”…によって示された““…
によって規定された“”…によって定義された“あるいは
単なる繋辞の様にして、極めてテクニカルに用られていく
のは、少なくとも、アサンガ以後のことであろう。現に、
“prabh
a -vita”
に「所顕」という訳語を用いることの多い玄
奘でさえ、
については敢て「所現」という訳語を用いて
いることは、注目すべきであろう。従って、結論を言え
ば、
においては、“prabha -vita”
を「…によって生みだされ
た」「…から生みだされた」と解するのが、妥当であろう。
なお、瑜伽行派の文献中の“p
rabha -vita”
について、更に
一言しておきたい。それは、瑜伽行派の文献においては、
“prabh
a -vita”
を含む文章が、後に原テキストに付加されて
いくという傾向がしばしば認められるように思われること
である。例えば、長尾博士の索引によれば(
93)。“p
rabha -vita”
は、『大乗荘厳経論』(偈)には用例がないが、『大乗荘厳経
論釈』には、ただ一例それが認められる。即ち、次の文中
においてである。
〔62〕
ebhistribhih.
ka -yaih.sa -srayah.
svapara -rthonidarsitah.
/d
vayo
h.svap
ara -rthap
rabh
a -vitatva -td
vayo
sca
tada -
sritatva -dy
atha -
pu -rvam
uk
tam. /
(MS
A,ad
,k.65,p.46,ll.5-7
)
しかし、これに対する漢訳は、次の通りである。
〔63〕示現一切自利他利依止故。(大正三一、六〇六下一〇
―一一行)
ここで、「示現」を“p
rabh
a -vita”
の訳語と見なすのは、
適切でないように思われる。というのも、「示現」は、直
前の偈(
,k.65
)の“n
idarsita”
の訳語としても用いられて
いるからである。しかも、〔63〕には“d
vayoh.
…dvayos”
の
『解深密経』の「唯識」の経文について(松本)
二一三
訳語が存在しない、とすれば、〔62〕中の傍線を付した部
分、つまり、“p
rabha -vita”
を含む“d
vayoh. ”
以下は、少なく
とも、漢訳されておらず、その原典に欠けていたと推定さ
れ、これが後に付加された文章であることも、充分考えら
れる。なお、アスヴァバーヴァやスティラマティによる註
釈を見ても、〔62〕は引用されていないので(
94)
、確定的な事
は言えない。
次に『菩薩地』B
od
his
attv
abh
u -m
i
(BB
h,ed
.D
utt
)は、
『解深密経』に先行する文献と思われるので、そこで
“prab
ha -vita”
がいかなる意味で用いられているかを探求す
ることは重要であろう。しかし私は、この作業を充分に果
すことができなかった。ただし、次の用例は注目に値する。
〔64〕
tatp
un
astattvalak
s. an. am.vy
avastha -n
atah.ad
vayaprab
ha -vitam.
veditavyam
/d
vayam.u
cyate
bha -vasca -bha -vas
ca/
(BB
h,p.26,ll.15-16
)
〔65〕真実義者、復有二種。一者有、二者無。(大正三
〇、九六八中二四―二五行)〔『善戒経』〕
〔66〕又真実相建立二種。一者有性、二者無性。(同右、
八九三上一八行)〔『地持経』〕
〔67〕又安立此真実義相、当知即是無二所―顕―。所言二
者、謂有非有。(同右、四八六下二四―二五行)〔『瑜伽
師地論』〕
〔64〕は、「真実義品」(tattva -rtha-pat. ala
)の一節であるか、
玄奘訳には対応するものの、『善戒経』『地持経』では、少
なくとも、“ad
vaya-prabh
a -vitam”
に対する訳文が欠けてい
る。先行する二訳に訳文が欠けていることから考えて、傍
線を付した部分、つまり
“prabha -vita”
を含む部分は、後代
の付加であると思われる。
また、「真実義品」には、次の文例もある。
〔68〕
bodhisattva -na -m.punah.
siks. a -ma -rgaprabha -vitam.
tatra
jña -nam.veditavyam
/
(BB
h,p.27,l.7
)
〔69〕菩薩摩訶薩、雖学如是中道、猶有障碍、是故不得
為一切智。(大正三〇、九六八下六―八行)〔『善戒経』〕
〔70〕是諸菩薩、所応修学。(同右、八九三上二七行)〔『地
持経』〕
〔71〕諸菩薩智、於此真実、学道所―顕―。(同右、四八七上
一三行)〔『瑜伽師地論』〕
ここでも、玄奘訳は梵本と一致しているが、『善戒経』
『地持経』の原典に“p
rabh
a -vita”
があったとは思えない。
おそらく、これも付加であろう。
さらに、梵本には、“p
rabha -vyate”
(BB
h,p
.278,l.10
)と
いう用例もあるが、『善戒経』(大正三〇、一〇一二下二二行)、
『地持経』(同、九五八下四行)には対応がないと思われる。
そこで想像されるのは、“p
rabha -vita”
はアサンガ以後の
『解深密経』の「唯識」の経文について(松本)
二一四
瑜伽行派において”…によって示される“”…によって規
定される“”…として示される“等の意味において、極め
て便利な表現として用いられ、瑜伽行派の古い文献に付加
されていったのではないかということである。勿論、この
ような結論は容易に導くことはできない。「本地分」の
『声聞地』『菩薩地』において“p
rabha -vita”
がどのように用
いられているかを精査する必要があるであろう。
しかし“p
rabh
a -vita”の原義が”生起“に関わり、「生み
だされた」という意味であるということ、及び『解深密経』
の”唯識“の経文、つまり
において“p
rabh
a -vita”
がこの
原義において用いられたということは、確実であろうと思
われる。従って、〔M
t
〕に示された
に関する私の理解は、
基本的には妥当なのではないかと考える。
本論文では、尊敬するシュミットハウゼン教授の見解に
異を唱えることになったが、最後に、教授の厳格な学問的
研究に深い敬意を捧げておきたい。私は、教授から多くの
御論文を頂き、大きな学恩を受けている。学問的良心とい
うものが今日もしもあるとすれば、それは正に教授の研究
において、具現されているように思われる。私は、教授の
御著書によって瑜伽行派の文献に興味をもち、学び始めた
ばかりである。従って、この論文では、私の無知ゆえに、
多くの誤りをおかしているかもしれない。また、教授の議
論を誤解している点も多いのではないかと恐れている。さ
らに、本論文が日本語で書かれている点を、教授にはお詫
びしたい。
この論文は、大学院生が先生に提出するレポートのよう
なつもりで書いてみた。教授の厳密かつ難解な議論を逐い
ながらも、自らテキストを読む歓びを感じることができた。
今後もしも可能であれば、教授からこの論文における私の
誤りを指摘して頂きたいと念じている(
95)。
(二〇〇二年一二月九日)
(註)
(1)結城令聞『心意識論より見たる唯識思想史』東方文化学院
一九三五年、一頁。
(2)横山紘一『唯識の哲学』平楽寺書店、一九七九年、五―六
頁。
(3)L
amotte
E.,
Sa
m. dh
inir
moca
na
Su -tr
a,
L'e
xp
lica
tion
des
mystè
res ,L
ouvain/Paris,1935,p.211.
(4)野沢静証『大乗仏教瑜伽行の研究』法蔵館、一九五七、一
九二頁。
(5)同右、二〇六頁、註(2)。
(6)L
amotte,
Sa
m.d
hin
irm
oca
na
Su -
tra
,p.91,l.19.
(7)D
er
Nir
va -n. a
,pp.109-113
(8)do.p.110,n
(w).
『解深密経』の「唯識」の経文について(松本)
二一五
(9)竹村牧男「vijñ
apti
について」『宗教研究』二二七、一九七
六年、五六八頁。
(10)C
f.A
ramak
iN
.,“To
ward
anU
nd
erstan
din
ng
of
the
Vijñaptim
a -trata -,”W
isd
om
,Com
pa
ssio
n,a
nd
the
Sea
rch
for
Un
dersta
nd
ing
(ed.SilkJ.
),Honolulu,2000,p.55.
(11)M
SgN
は、長尾雅人『摂大乗論 和訳と注解』(上下、講
談社、一九八二年―一九八七年)を指す。略号は、特に断
らない限りは、シュミットハウゼン教授の
A -la
ya
vijñ
a -na
〔A -la
ya
〕(Tokyo,1987
)で用いられたものに従う。
(12)C
f.Aram
aki,op
.cit.,pp.55-56.
(13)C
f.Nagao
G.M
.,A
nIn
dex
toA
sa
n .g
a's
Ma
ha -
ya -
na
sa
m. -
gra
ha
,II,Tokyo,1994,p.29,“a -lam
bana.”
(14)C
f.p.440,n.32.
(15)C
f.p
.440,n.32.
“dm
igsp
arn
amp
arrig
pa”
の原語を、
“a -lamban
a-vijñap
ti”
と想定することについて、私に異議が
あるということはない。しかし、『倶舎論』〔5〕“vis. ayam.
vis. ayam.prati
vijñaptir”
においても、“vis. aya-vijñapti”
という
複合語は認められず、また、シュミットハウゼン教授が指
摘された(
p.440,n
.32.
)Abh
idh
arm
asa
mu
cca
ya
の用例
“caks. u
rvijña -n
am.k
atamat
/cak
s. ura -sray
a -ru -p
a -lamb
ana -
pra
tivijñ
ap
tih. ”
(ed
.Go
kh
ale
,p.1
9
)にしても、ここに
“a -lambana-vijñapti”
という複合語は存在しない。
また、『五蘊論』〔7〕にしても、玄奘訳では、「云何識蘊、
謂、於―所―縁―境―、了別為性」(大正三一、八四九下二七行)と
なっており、“a -lam
bane
vijñap
tih. ”
という形も原文として想
定できるように見える。
なお、『広五蘊論』(地婆訶羅訳)でも、「云何識蘊、謂、
於―所―縁、了別為性」(大正三一、八五四中二八行)である。
また、スティラマティの『五蘊論分別疏』
Pa
ñca
ska
nd
ha
pra
ka
ra
n. avib
ha -s. a -
(D,N
o.4066
)では、〔7〕
の“dmigs
parnam
parrig
pa”
について、次のような註釈が
なされている。
dmigs
pani
sems
dan .sem
slas
byun .bah. i
yulte
//de
yan .
gzugsnas
choskyi
bardu
rnampa
druggo
//de
yan .rnam
parrig
pani
h. dsinpa
dan ./
rtogpa
dan .khon .
duchud
pashes
byabah. itha
tshiggo
//
(D,Si,231a7-b1
)
ここで“dm
igspa
rnampar
rigpa”
が“a -lambana-vijña -pti”
と
いう複合語であるとすれば、傍線を付した部分
“de
yan .
rnampar
rigpa”
の原文は何か。また、ここで、その複合語
は
tatpu
rus. a
と解されているのであろうか。疑問が残るよ
うに思われる。
しかし、G
un. aprabha
作とされる、P
an
ca
ska
nd
ha
viv
ar-
an. a
(D,N
o.4067
)では、
dmigs
panirnam
padrug
ste/gzugs
dan .
…chosrnam
sso
//de
dagkhon .
duchud
pani
rnampar
rigpa
sternam
parses
pah. o//
(Si,24b4
)
という註釈がなされ、Sah. i
rtsalag
のPa
ñca
ska
nd
ha
bh
a -s. ya
(D,N
o.4068
)では、
dmigs
pani
…gzugsdan .
…choskyibar
dudrug
go//
rnam
par
rigp
an
i/
dm
igs
pa
de
dag
h. dsin
pah. am
/rtog
spah. am
/khon .du
chudpa
labya
ste/
(D,Si,93b6-7
)
という註釈がなされるのであるから、
の
“de
yan .rn
am
『解深密経』の「唯識」の経文について(松本)
二一六
parrig
pa”
は、単に、“de
dagrnam
parrig
pa”
の誤りであ
り、従って、『五蘊論』の〔7〕の原文には、やはり、
“a -lambana-vijñapti”
というtatpurus. a
複合語が存在すると考
えるのが、妥当であるかもしれない。
なお、“vis. aya-vijñapti”
については、後註(62)参照。
(16)C
f.p.440,n.35.
(17)前註(15)参照。
(18)C
f.p.440,n.36.
(19)H
akamaya
N.,“T
heO
ldand
New
Tibetan
Translations
ofthe
Sa
m. dh
inir
moca
na
su -tr
a”
『駒澤大学仏教学部研究紀要』四
二、一九八四年、一九二―一七六頁。“AC
om
parative
Ed
itionof
the
Old
and
New
Tib
etanT
ranslation
sof
the
Sa
m.d
hin
irm
oca
na
-su -
tra
”
()『駒澤大学仏教学部論集』
一七、一九八六年、六一六―六〇〇頁。(
)『駒澤大学仏
教学部研究紀要』四五、一九八七年、三五四―三二〇頁。
(III
)『駒澤大学仏教学部論集』一八、一九八七年、六〇六
―五七二頁。また、袴谷憲昭『唯識思想論考』大蔵出版、
二〇〇一年、一〇九―一一三頁参照。なお袴谷氏によれば、
この敦煌写本(Stein
Tib.N
o.194
)は、大蔵経所収本に比べ
れば、古訳であり、skad
gsarbcad
以前の訳とされている。
(20)H
akamaya,“A
Com
parativeE
dition”
(
)〔前註(19)参照〕
p.336.
(21)本論文では、“vijñapti”
の訳語として「表識」というものを
用いたい。それは、まず第一に“vijña -na”
の訳語「識」と区
別したいからであり、第二には、“vijñapti-ru -pa”
が玄奘によ
って「表色」と訳されるからであり、第三には、現代の学
者が“vijñ
apti”
を認識ではなく「表象」と訳すこと〔後註
(40)参照〕にも、道理があると考えるからである。
(22)ただし
は、あくまでも『摂大乗論』に引用された
に
ついての想定である。
(23)C
f.p.439
(9.)
(24)日本語で「と」とすべきところを、敢て「から」と訳した。
これは、丁度英語の“different
from”
のようにサンスクリッ
ト語で“bh
inn
a”“an
ya”“an
tara”
等が「から」という従格を
とることを意識したためである。チベット訳でも“las”
「か
ら」という従格助辞を用いる。これに反して”と
は、
異なっていない“というような日本語は、
と
のいず
れが主語であるかを曖昧にしてしまう不明確な表現なので、
「と」という訳語は使用しない。つまり、
においても
においても、何が主語であるかが重要なのである。
(25)この“gzu
gs”
(bimba
)は、敦煌写本(S
teintib.N
o.194
)に欠
けている。C
f.Hakam
aya,“AC
omparative
Edition
(
)”p.334.
〔13〕〔14〕にも、相当する訳語がないので、後に付加され
た語であろう。なお、“g
zug
s”
の原語をラモットのいう
“ru -pa”
ではなく
“bimba”
であると確定したのは、伊藤秀憲
氏であろう。伊藤秀憲「本質の原語について」『印度学仏教
学研究』二一―一、一九七二年、一三四―一三五頁参照。
(26)C
f.p.442
(12.1).
(27)C
f.p.442,n.42.
(28)あるいは、大蔵経チベット訳〔3〕が、敦煌写本〔12〕と
は異なって、“vijñ
a -nam
”
の訳語を冒頭に置いていることは、
玄奘訳〔2〕の訳し方が、何等かの経緯を経て〔3〕に影
『解深密経』の「唯識」の経文について(松本)
二一七
響を与えたとは、考えられないであろうか。円測の『解深
密経疏』のチベット訳は、法成によってなされ、その法成
によるチベット訳では、シュミットハウゼン教授が指摘さ
れた通り、玄奘訳〔2〕の「我説識所縁唯識所現故」は、
“n .asrnam
parses
pah. idm
igspa
nirnam
parrig
patsam
lassnan .
barbsad
pah. iphyir
ro”(T
hi,117b6-7)
と訳されている。
これが、大蔵経所収のチベット訳〔3〕に影響を与えたと
考えたいところであるが、法成の活動時期は、上山大峻氏
(『敦煌仏教の研究』法蔵館、一九九〇年、八四―一一〇頁)
によれば八三〇年代、八四〇年代とされるので、法成の翻
訳からの影響ということは、考えにくいかもしれない。
大蔵経所収のチベット訳は訳者も知られていないが、八
二四年成立(山口瑞鳳『デンカルマ』八二四年成立説」『成
田山仏教研究所紀要』九、一九八五年、一―六一頁)の
『デンカルマ目録』(L
alou,N
o.117
)に収められていること
から見て、それ以前の成立と見られる。これらについて袴
谷『唯識思想論考』一一二頁参照。それ故、法成訳『解深
密経疏』が大蔵経所収のチベット訳に影響を与えた可能性
は低いように見えるが、しかし玄奘訳〔2〕を中心とする
中国の伝承が、何等かの経緯を経て、大蔵経所収のチベッ
ト訳〔2〕に影響したとは考えられないであろうか。
なお、後註(52)のシュタインケルナー教授の論文
(p.234
)によれば、法成訳『解深密経疏』は、『デンカルマ
目録』(L
alou,N
o.565
)に比定できるという。とすれば、大
蔵経中の『解深密経』チベット訳と法成訳『解深密経疏』
の成立について、その前後関係は、決められないというこ
とになるであろう。
(29)C
f.p.439
(9.).
(30)この点については、シュミットハウゼン教授の指摘がある。
Cf.
p.454(22.).
(31)袴谷氏の研究(桑山正進・袴谷憲昭『玄奘』大蔵出版、新
訂版、一九九一年、二五三頁)によれば、玄奘が『解深密
経』を訳したのは、貞観二一年(六四七年)、『摂大乗論本』
及び世親造『摂大乗論釈』を訳したのは、貞観二二年から
二三年のこととされる。
(32)C
f.pp.444-445.
(33)C
f.p.442,n41.
(34)”二分説“が常に〔A
〕を支持することは、教授も認めて
おられると思われる。
(35)C
f.p.441,ll.15-17;p.444,ll.12-16
(36)C
f.p.441,n.38.
(37)C
f.p.442
(12.3).
(38)C
f.p.443(13.).
(39)“shes
gsun .spa
desna”
の原文は、想定が難しい。シュミッ
トハウゼン教授は、“ity
anen
a”
を想定される(
p.445,n
.
45.
)。私は、ほぼこの理解に従ったつもりである。
(40)”vijña -na
はvijñapti-ma -tra
である“という表現を不合理なも
のとは見なされないシュミットハウゼン教授の理解は、次
の論述にも明示されている。
forin
MS
gII
he
almost
invariably
uses
vijñ
ap
ti(II.8:
vijña -n
a)as
the
gram
matical
(or
log
ical)su
bje
cto
f
vijñaptima -tra(ta -)
:itis,in
histerm
inology,notthe
objector
『解深密経』の「唯識」の経文について(松本)
二一八
image
butcogn
ition
itself
thatis
qualifiedto
becognition
only(because
itis
devoidof
anexternal
object:MSg
II.6).
On
theother
hand,the
reading[S]
ofthe
sentenceunder
discussion(
……-v
ijña
ptim
a -tr
ap
ra
bh
a -vita
m.vijñ
an
am
),
especially
ifu
nd
erstoodin
the
sense
of[S
2],p
reciselycorresponds
tothis
pattern.
(
pp.454-455
)〔vijñ
ap
ti
を
除き、傍線=松本〕
ここで教授は、アサンガが『摂大乗論』で、“v
ijña
pti-
ma -tra”
という述語の主語とするのは、“vijñ
apti”
であって、
“theobject
orim
age”ではないと言われる。確かに、教授が
指示された(
p.455,n.61)『摂大乗論』の個所(M
Sg.2,
.6,.7.2,
.9,.11
)では、”vijñ
apti
は、vijñ
apti-m
a -tra
である“という表現が認められる。
しかし、この場合に主語となる“vijñ
apti”
を“cognition
”
と訳することは、適切であろうか。長尾博士は、これをす
べて「表象」と訳されている。また、ラモットの仏訳も、
“idée”
である。更に、重要なことは“vijñ
apti”
は“vijñap
ti-ma -
tra”
であるという表現はなされていても、“v
ijña -n
a”
は
“vijñap
ti-ma -tra”
であるという表現は認められないというこ
とである。シュミットハウゼン教授は
で、M
Sg.8
にそ
の例が見られるとされたが、これは誤解ではなかろうか。
即ち、教授が指示された個所は、次のものと思われる。
dersnan .
barnam
parrig
patsam
duh. gyur
ro//
(MSgN
,,
text,p.64,ll.5-6)
この部分の玄奘訳は、
所現影像、得成唯識。(大正三一、一三八中二〇行)
であり、長尾博士の和訳も、次の通りである。
そこに現われた〔映像〕はただ表象のみであるというこ
と〔が、なおさら明瞭なこと〕となる。(M
SgN,
,p.294
)
つまり、ここで“vijñ
apti-m
a -tra”
の主語となっているのは、
“snan .
ba”
「影像」、荒牧氏の想定によれば
“a -bh
a -sa”
(MS
gN,
,text,p.64,l.12
)であって
“vijña -n
a”
ではない。それ
は正に教授の
の表現を用いれば“im
age”
なのである。
(41)C
f.pp.443-444
(13.1).
(42)C
f.p.443
(13.).
(43)後出
参照。
(44)シュミットハウゼン教授の理解(
p.445,l.3
)に従う。
(45)“spyod
yulgyi”
の“gyi”
は“ni”
の誤りであろうと思われる。
このような誤りは、チベット訳に時に認められる。例えば、
Pa
ñca
ska
nd
ha
bh
a -s. y
a
の“lusla
gnaspah. i
phyirshe
byaba
lalu
skyi
mig
lasogs
pah. i
dban .
po
dan .
bcasp
ah. igzu
gsla
byah. o//
(D,Si,112b3;P
,Hi,199b7
)の“kyi”
は“ni”
の誤りであ
ろう。
(46)C
f.p.447,l.10,n.47.
(47)『摂大乗論』をめぐる玄奘と真諦の関係については、袴谷
『玄奘』一七二―一七八頁、一八八―一九四頁参照。
(48)C
f.p.448.(14.).
(49)この段階では、すでに“p
rabha -vita”
は、原義から離れて、
「規定された」「特徴づけられた」という意味を表現してい
るかもしれない。
(50)C
f.p.449,n.49.
(51)C
f.p.450,n.52.
『解深密経』の「唯識」の経文について(松本)
二一九
(52)シュタインケルナーS
teinkelln
er
教授の論文によれば、著
者イェシェーニンボはチベット人ではないかということが、
強く示唆されている。C
f.SteinkellnerE
.,“Who
isB
yan .chub
rdzu
'ph
rul?,
Be
rli
ne
rIn
do
log
isch
eS
tud
ie
n,
4/5,1989,pp.231-233.”
野沢静証博士も指摘されているように(前掲書、一三頁、
一一―一二行)、この註釈書における経文のチベット訳は、
大蔵経の『解深密経』のチベット訳と一致している。従っ
て、この註釈書は、『解深密経』の原典ではなく、そのチベ
ット訳にもとづいて書かれた註釈書である可能性が高い。
それ故、著者はチベット人と想定するのが、自然であろう。
(53)野沢博士、前掲書、横組、p.22.
(54)野沢博士、前掲書、一九三頁九行。
(55)C
f.p.451,n.57.
(56)前註(52)に示したように、この註釈書はチベット人によ
って撰述された文献である可能性が高い。従って
“rnam
parrig
pa”
の原語を“vijña -na”
ではなくて、“vijñapti”
である
と想定すること自身が、あまり意味がないかもしれない。
(57)この註釈書の著者については、シュタインケルナー教授の
論文(前註〔52〕)において、九世紀前半に活躍したチベッ
ト人翻訳僧ルイギェルツェン
Klu
h. irgyal
mtsh
an
ではない
かという可能性が示唆された。しかし、私より見れば、こ
の教授の論文の重要性は、教授によって、この註釈書が
“bKah.
yan .dag
pah. itshad
ma”
なるチベット論書に言及して
いる事実(C
ho,159a2
)を示すことによって、この註釈書
がチベット撰述文献であることを確定した点にあるであろ
う。Cf.Steinkellner,
op
.cit.,pp.236-241;p.240,n.40.
しかるに、野沢博士も指摘したように(前掲書、一三頁)、
この註釈書における経文のチベット文は、大蔵経所収の
『解深密経』チベット訳の訳文と一致している。つまり、こ
の註釈書は、『解深密経』チベット訳に対する註釈書と思わ
れる。しかるに、その大蔵経の『解深密経』チベット訳は、
袴谷氏の研究(『唯蔵思想論考』一一二―一一三頁)により、
九世紀始めの八一四年ころまでになされた訳語の統一、つ
まり、“skad
gsarbcad
”
を踏えていることが知られている。
とすれば、この註釈書の成立は、少なくとも
“skad
gsar
bcad”
制定以後、そしておそらくは、『デンカルマ目録』成
立以前ということになるであろう。
(58)次註(59)参照。
(59)シュミットハウゼン教授は、この部分のテキストを“sem
sk
yin .o
bo
”
と示されるが(
p.4
52
,l.3
)、北京版によれば
“sems
kyin .o
boñid”
と読める。従って、これに対する原語
の想定も、教授のように、“citta-(sva)ru -p
a”
(
p.452,l.10
)
とするのではなく、“citta-svabha -va”
とすべきであろう。
なお、この註釈書において“n .o
boñid”
が“svabha -va”
に対
応することは、次の記述により、明らかである。
sems
kyi
n .ob
oñ
idm
edp
añ
idn
isem
sk
yin .o
bo
ñid
(svabha -va
)sems
med
pañid
yinte
/de
skaddu
sesrab
kyipharoltu
phyinpa
laskyan .sem
snisem
sm
edpa
yinte
/sem
skyi
ran .bsh
in
(prakr. ti
)ni
h. odgsal
bañ
idyin
no
shesgsun .s
so//
(P,C
o,186a6-7
)
なお、〔29〕
の“sems
kyin .o
boñid
lastha
mi
dadpah. i
『解深密経』の「唯識」の経文について(松本)
二二〇
gzugs
brñan
”
という表現の意味は、この註釈書の次の説明
によっても、理解されるであろう。
tin .n .e
h. dsingyi
spyodyul
gzugsbrñan
dedag
lashes
bya
banisem
slas
phyiroltum
agyur
pah. ichossem
skyin .o
boñid
dedag
lah. o
(P,C
o,186b1-2
)
「それらの三昧の行境たる影像(sa
ma -d
hi-g
oc
ara
-
pratib
imb
a)において」とは、心(citta
)から外にある
もの(b
a -h
ya
)ではない、心を自性とする(c
itta-
svabha -va
)それらの諸法において、という意味である。
なお、和訳は、野沢博士、前掲書、一九一頁参照。
(60)“bstan
to”
「説示された」という表現が、『解深密経』
の
「我説」“n .as
bsad
do”
に対応していると見るならば、“b
yth
eB
ud
dh
a”
という訳となり、その表現が、
によって
「説示された」ということを意味すると解するならば、
“wh
atis
show
n
〔byth
eS
u -trap
assage〕”という訳になる、
というのが、シュミットハウゼン教授の理解であろうが、
私は、前者の解釈に従いたい。
(61)野沢博士、前掲書、一九七頁。
(62)前註(15)参照。ただし、『唯識三十頌』第二偈の
“vijñap
tirvis. ayasya”
と、それを註釈した
“vis. ayavijñap
ty
〔-a -khyas
〕”
(TB
h,p.18,ll.15-16
)という語を如何に解すべき
かという問題は残る。
(63)M
SgN,
,p.275.
(64)前註(57)参照。
(65)シュミットハウゼン教授も、次の論述では、この点を、あ
る程度認めておられるように見える。
forin
thepreceding
sentenceof
theSu -tra
(see§
2
),thegram
matical
sub
jectq
ualified
asv
ijña
ptim
a -tr
ais
the
image
(pra
tibim
ba
,i.e.the
obje
ctiv
esu
pp
ort
ofm
indin
med
itativecon
centration
).Th
us,it
migh
th
aveseem
ed
natu
ralto
make
the
objectivesu
pp
ort,and
not
vijñ
a -n
a,
thesubject
ofthe
following
sentence,too.(
p.453,〔18.
〕)
〔傍線=松本〕
なお、ここで“th
ep
rece
din
gse
nte
nce
”
は
を、“th
e
following
sentence”
は
を指すであろう。
(66)『解深密経』は、どう見ても、瑜伽行派の創作した経典で
あり、従って、その
に示される”唯識“説が一般に認め
られるためには、瑜伽行派だけではなく、大乗仏教一般に
おいて、その権威が認められている経典である『十地経』
に”唯識“説が説かれていることを示す必要があったであ
ろう。「我説」は正にそれを示そうとした表現なのである。
(67)D
er
Nir
va -n. a
,n.46,pp.109-113.
(68)C
f.p.452,n.59.
(69)C
f.Der
Nir
va -
n. a,p.111,n.46.
(70)高崎直道『宝性論』講談社、一九八九年、一四二頁。
(71)同右『宝性論 法界無差別論』(新国訳大蔵経)大蔵出版、
一九九九年、二六四頁、註(3)。
(72)同右『如来蔵思想の形成』春秋社、一九七四年、四〇八頁、
註(23)参照。
(73)“sruta-m
aya-”
の“maya”
は普通“las
byun .ba”
とチベット訳
されるが、『法華経』(e
d.N
an
jio
)“sap
tara
tna
-ma
ya
-”(p.75,l.6
)の“m
aya”
は“lasbyas
pa”
(P,C
hu,35a4
)と訳され
『解深密経』の「唯識」の経文について(松本)
二二一
る。ただし、後者においても、“las”
「から」という従格助
辞は用いられている。なお、“
su
kla
dh
arm
a-m
ay
a”
(MSA
,IX,k.4
)の“m
aya”
の訳語は“ran .
bshin”
(D,P
hi,8b5-6
)。
(74)拙稿「Jñ
a -nagarb
ha
の「世俗不生論」批判について」『駒澤
大学仏教学部論集』一五、一九七四年、三九〇頁、註(13)。
(75)それ故、私は、シュミットハウゼン教授の〔36〕に関する
“Die
,Ne
ug
estaltu
ng
de
rG
run
dlag
e‘
alsR
esu
ltatist
infolged
essend
asR
esultat
der
Rein
igun
gd
erS
oheit”
(D
er
Nir
va -n. a
,p.113,ll.9-10)という解釈を妥当なものと考える。
(76)〔37〕において、“a -sraya-p
arivr. tti”
「転依」が果として把
えられていることは、シュミットハウゼン教授も、
にお
いて、“R
esultatder”
という語によって承認されている。
(77)私は〔38〕に対するシュミットハウゼン教授の次の翻訳に、
全面的には、従えない。
Die
‘Neugestaltung
derG
rundlage’desA
rhatist
nichtaus
de
rse
chsfach
en
Basis
he
rvorg
eg
ang
en
(
na
s. ad. a -
ya
tan
ah
etu
ka -
);sieist
vielmeh
rau
sd
erÜ
bun
gd
es
die
So
heit
zum
Ob
jekt
hab
end
en[sp
irituellen
]W
egeshervorgegangen
(tath
ata -
lam
ba
na
ma -rga
bh
a -va
na -h
etu
ka -
)
(Der
Nir
va -n. a
,p.51
)
というのも、ここに示された
“tathata -lam
ban
a-
ma -rgabh
a -vana -h
etuka -”
という教授の原文想定は妥当である
と思われるにもかかわらず、教授が、ここで“tath
ata -”
を
“a -lambana”
として有するものを“m
a -rga”
(“Weg”
)と解され
ているのに対して、私は、“tathata -”
を“a -lambana”
として有
するものは
“ma -rga-bh
a -vana -”
であろう、と考えるからであ
る。この私見については、『瑜伽師地論』の「真如所縁縁種
子」“tath
ata --a -lamban
a-pratyaya-b
ja”
に関する私見ととも
に、別稿において論証する予定であるが、ここでは、とり
あえず、〔38〕の玄奘訳を示しておこう。
非阿羅漢所得轉―依―、六處為因。然彼唯用縁―眞―如―境―修―道―為
因。(大正三〇、七四八中六―七行)
この訳は、明らかに「修道」“m
a -rga-bha -van
a -”
が
“tatha -ta -”
を“a -lambana”
として有する、という解釈を示している。
(78)“visodhya”
は、『宝性論』に次のように用いられている。
visod
hye
'rthe
gun. avati
tadvisu
dd
hip
arikarm
ayoga -t/
(RG
,p.5,l.6
)
浄化されるべきもの(visod
hya
)である対象が、功徳を
有しているならば、それ(tat=
visodh
ya
)を浄化する陶
冶は、ふさわしいから。
ここで、“visodhya”
“tat”
とは、直前に出る
“buddha-dha -tu”
「仏性」を指している。
(79)イタリックで示された部分は、梵文写本になく、山口益博
士が想定した梵文である。
(80)この“p
rabha -vita”
は山口博士による想定であるが、チベッ
ト訳“rab
tubyu
n .ba”
(D,B
i,238b5
)から考えて妥当であろ
う。なお“prabha -vita”
が“byun .ba”
と訳されることについて
は、後註(86)参照。
(81)山口益『中辺分別論釈疏』鈴木学術財団、一九六六年、一
五三頁。
(82)高崎『宝性論』一二七頁。
(83)“p
aratantra-p
arikalpita-laks. an. a-ab
ha -va”
という複合語を、
『解深密経』の「唯識」の経文について(松本)
二二二
チベット訳では、“gsh
angyi
db
an .d
an .ku
ntu
brtags
pah. i
mtshan
ñidm
edpa”
(D,L
i,84a7
)、つまり「依他起と遍計所
執の相の無(abha -va
)」と解しているが、対応する玄奘訳で
は、「於依他起中、無遍計所執相」(大正三一、七五二上一
四行)と訳している。教理的に考えて、つまり『中辺分別
論』(
,k.1)における遍計所執と依他起の於格的関係、及
び、「相無自性」は遍計所執をを主語とすることを考慮して、
玄奘訳に示された理解が適切であると判断した。
(84)瑜伽行派において、“tath
ata -”
は常に“a -lam
ban
a”
である、
この点は、『瑜伽師地論』〔38〕の
“tathata --
a -lamb
ana-
ma -rg
a-b
ha -v
an
a -”
という表現にも、「真如所縁縁種子」
“tathata --a -lam
bana-pratyaya-bja”
にも、示されている。
また、「摂決択分」には、「真如唯所縁縁摂」(大正三〇、
六九七下二二行)〔D
,Zi,5b1
〕とある。
なお、私は“a -lam
bana”
には「基体」“locu
s”
の意味もあ
ることを理解することが重要であると考えるが
(Cf.M
atsumoto
S.,“AC
riticalExchange
onthe
Ideaof
Dha -tu-
va -da”P
ru
nin
gth
eB
od
hi
Tree,H
onolulu,1997,p.207)、この
私見については、別稿において論証したい。
(85)C
f.L
ath
éorie,pp.347-351.
(86)C
f.L
ath
éorie,p.350,n.5.
なお、この註記によって指示される教授の論文R
uegg
D,S.,“A -rya
andB
hadantaV
imuktisena
onthe
Gotra-theory
ofthe
Prajña -pa -ram
ita -
(WZ
KSO
,12/13,1968
)”
の註(p.311,n.33
)
には『金剛般若経』V
ajr
acch
ed
ika -
(ed.Conze)
の
asam. skr. taprabha -vita -hy
a -ryapudgala -h./
(p.33,ll.1-2
)
という経文における“p
rabha -vita”
がBh
adan
taV
imu
ktisena
のAbh
isa
ma
ya -la
m. ka -ra
va -rttik
a
のチベット訳においては、
“rabtu
phyeba”
ではなく“
〔las
〕byun .ba”
(P,kha,43b6-7)
と
訳されている、という重要な指摘がある。というのも、
は、『金剛般若経』のチベット訳では、
h. phagspah. i
gan .zag
rnams
nih. dus
ma
bgyiskyis
rabtu
phyebah. islad
duh. o//
(P,T
si,164b1
)
と訳されるからである。なお、以下に、
の漢訳を挙げる。
一切賢聖、皆以―無為法而―有―差―別―。(大正八、七四九中一
七―一八行)〔羅什訳〕
一切聖人、皆以―無為法得―名―。(同右、七五三中二二―二
三行)〔菩提流支訳〕(〔1〕)でも、「得名」)
一切聖人、皆以―無為真如所―顕―現―故。(同右、七六二下二
一―二二行)〔真諦訳〕(〔17〕でも「所顕現」)
無為法、顕―明―聖人。(同右、七六七下九―一〇行)〔達摩
笈多訳〕
以諸賢聖補特伽羅、皆是無為之所―顕―故。(大正七、九八
一上七―八行)〔玄奘訳〕
以諸聖者、皆是無為所―顕―現―故。(大正八、七七二中二六
―二七行)〔義浄訳〕。
これらの漢訳によれば、“prabha -vita”
は”…によって顕わ
される“と訳すのが適切のように見える。
しかし、私は、
を、
何となれば、聖者たる人々は、無為(asam. skr. ta
)によ
って(から)生みだされたからである。
と訳したい(“p
rabh
a -vita”
は属格ではなく、従格と結合す
『解深密経』の「唯識」の経文について(松本)
二二三
ることもある。〔49〕参照)。それは、ルエッグ教授の論文
(Op
.cit.,p.311,n.32
)によって、ハリバドラの『現観荘厳論
光明』の次のような記述が示されたからである。
niru
ktam.tu
gun. otta -ran. a -rth
ena
dh
armad
ha -tu
rgotram.
/
tasma -d
dhite
gun. a -rohanti
prabhavantty
arthah./
evam.ca
kr. tvocyateasam. skr. tap
rabh
a -vita -h.sarva -ryap
ud
gala -iti.
(AA
A -,p.77,l.30-p.78,l.1)
これは、次のように訳しうるであろう。
一方(“g
otra
”の)語源的説明(n
iruk
ta
)は、功徳
(gun. a
)を生起する(u
tta -ran. a
)から、“go
tra”
は法界
(dh
arma-d
ha -tu
)である。何となれば、それらの功徳は、
それ(g
otr
a
)から、起こり(r
oh
an
ti
)生じる
(prab
havan
ti
)から、という意味である。このように考
えて、〔『金剛般若経』では〕“asam. sk
r. taprab
ha -vita -h.
sarva -ryapudgala -h. ”
(「一切の聖者たる人々は、無為から生
みだされた」)と言われるのである。
ここで、ハリバドラが、“-prabha -vita”
と“prabhavanti”
を
関連づけ、それらを、「…生みだされた」「生じる」の意味
に解していることは明らかである。ルエッグ教授によって、
このような解釈はすでに、A -rya
Vim
uktisen
a
によってもな
されていたこと、つまり、
とほぼ同文が、彼の
Abh
isa
ma
ya -la
m.ka -ra
vr. tti
(ed.Pensa,p.77,ll.19-20)
に見られ
ることが示されているが、私は、この解釈は基本的には正
しいと考える。つまり、『金剛般若経』の
において、
“-prabha -vita”
は「…生みだされた」を意味するのである。
なお、ルエッグ教授は、前掲論文で
を、
allS
aintly
person
s(a -
ry
ap
ud
ga
la -h. )
are‘con
stituted
’
(p
ra
bh
a -vita -
h. )by
thea
sa
m.skr. ta
.(op
.cit.,p.311,ll.12-13)
と訳されるようであるが、このうち“con
stituted
”
はシュミ
ットハウゼン教授の
における“konstituiert”
に一致してい
ることは、興味深い。ただし、ルエッグ教授は、
pra
bh
a -vita
isa
difficultterm
totranslate
andrequires
furtherinvestigations.
(op
.cit.p.311,n.33
)
とも述べられ、その“further
investigations”
が
La
théorie
に
おける“prabha -vita”
の考察に結実したのであろう。
(87)“prabhavanti”
と“tasma -t”
「それから」という従格との結合
については、前註(86)
参照。
(88)『金剛般若経』にも、次の文がある。
aton
irja -ta -h
isu
bh
u -tetath
a -gata -na -m
arhata -m.
samyaksam. -
bu
dd
ha -n
a -man
uttara -
samyak
sam. bo
dh
irato
nirja -ta -s
ca
buddha -bhagavantah.
/(p.33,ll.21-23)
(89)拙著『縁起と空』大蔵出版、一九八九年、三〇二頁参照。
(90)ともに、“p
rabh
a -vita”
を用いる『勝鬘経』と『解深密経』
は、無関係ではない。例えば、求那跋陀羅(G
un. ab
had
ra
三九四―四六八)は、両者(後者については、第九・十章
のみ)の最古の漢訳者である。なお、後者の第九章にある
“prabha -vita”(P
,N .u,52a8
)を求那跋陀羅は「名」(大正一六、
七一七下一九行)と訳している。
(91)なお、真諦訳〔22〕の「識変異所作」については、原語が
確定できないが、あるいは〔25〕
“rnam
par
rigp
atsam
ñidde”
に対応するかもしれない。
(92)“citta-sam. bh
ava”
は、正確には「心を起源(sam. bh
ava
)と
『解深密経』の「唯識」の経文について(松本)
二二四
するもの」と訳すべきであろう。
(93)N
agaoG
.M,
Ind
ex
toth
eM
ah
a -y
a -n
asu -tr
a -la
m.ka -ra
,P
artI,
Tokyo,1958,p.169.
(94)C
f.Ma
ha -y
a -n
asu -tr
a -la
m.ka -ra
t.ka -
(D,B
i,74a),S
u -tra -la
m. ka -ra
-
bh
a -s. y
a(D
,Mi,137b6-138a2).
(95)私がこの論文を書くきっかけは、次の論考を読むことによ
って与えられた。加藤弘二郎「「唯識」という文脈で語られ
る影像―『解深密経』「分別瑜伽品」と「声聞地」の比較検
討を通して―」『インド哲学仏教学研究』九、二〇〇二年、
五三―六五頁。加藤氏によれば、『解深密経』の経文
は、
「マイトレーヤよ、「識(vijñ
a -na
)は、対象が唯識として顕
現したものである」と私は説いたのである」(五八頁)と訳
される。
なお、東京大学所蔵の資料の参照に関して、同大学院の
石田尚敬氏の助力を得た。記して謝意を表したい。
〔付記〕校正の段階で、すでに高崎直道博士が、次のように論
じておられることに気がついた。
しかし、その背後に、右に挙げたような大乗の教理が用
意され、前提となっていた点で、唯識観の最初の創唱者
を『解深密経』と断定できるかどうか。さきの引用中で、
「我ヽ説ヽ識所縁唯識所現故」とあったのは気にかかる。ある
経中でこの種の表現に出合うときは、多くの場合、先行
の経典にその所説があったことを示すからである。(高崎
「瑜伽行派の形成」『講座大乗仏教8唯識思想』春秋社、
一九八二年、一四―一五頁)〔傍線=松本〕
これは、誠に鋭い指摘だと言わざるを得ない。しかも、博
士が「先行の経典」として、主として『十地経』の”三界唯
心“の経文を考えられていることは、右の論述に先行する説
明、及び、右の論述に付せられた
あるいは「三界唯心」をただちに置き換えた句と見ても
よい。(三七頁、註30)
という註によっても、知られるのである。従って、
の「我
説」は『解深密経』自身が”三界唯心“の経文に言及したも
のであるとする私見は、すでに高崎博士によって示唆されて
いたことになる。ただし私としては、「唯心」と「唯識」は、
一応区別して考えたいと思う。(二〇〇三、三、六)