のおはなし の伝道師の顔をもつ、明治・大正の詩人 山村暮鳥 ·...

88 90 ちょう は少 しょう ねん のころからはたらきはじめ、職 しょく にん 、商 しょう にん 、教 きょう いん 、通 つう やく と、何 なん も職 しょく を変 えました。 うえ のふたりの王 おう は、上 うえ のおひめさまたちと結 けっ こん したということです。 1 「春 はる の河 かわ 」はなんという詩 しゅう におさめられている? 2 ちょう は、どんな宗 しゅう きょう を人 ひと びとに広 ひろ めていた? 1 しん じゅ をさがしてくれたのは? ㋐ミツバチ ㋑アリ ㋒カモ 2 いち ばん した の王 おう は、ミツバチの女 じょ おう と結 けっ こん した。〇か×か? 豆知識 豆知識 おはなし クイズ おはなし クイズ こたえは つぎ のページ こたえは つぎ のページ んだにち年  月  日 )( 年  月  日 )( 年  月  日 3 1 のおはなし んだにち年  月  日 )( 年  月  日 )( 年  月  日 すえ っ子 の王 おう のやさしさが、みんなを幸 しあわ せにします キリスト教 きょう の伝 でん どう の顔 かお をもつ、明 めい ・大 たい しょう の詩 じん 3 2 のおはなし やま むら ちょう 90 91 日本の グリム 童話

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Page 1: のおはなし の伝道師の顔をもつ、明治・大正の詩人 山村暮鳥 · のおはなし 山 やま 村 むら 暮 ぼ 鳥 ちょう むかし、三人 にん の王

88ページのこたえ

❶ロバ ❷〇

90ページのこたえ

❶『雲く

』 ❷キリスト教

きょう

暮ぼ

鳥ちょう

は少しょう

年ねん

のころからはたらきはじめ、職しょく

人にん

、商しょう

人にん

、教きょう

員いん

、通つう

訳やく

と、何なん

度ど

も職しょく

を変か

えました。上うえ

のふたりの王おう

子じ

は、上うえ

のおひめさまたちと結けっ

婚こん

したということです。

1 「春はる

の河かわ

」はなんという詩し

集しゅう

におさめられている?2 暮

鳥ちょう

は、どんな宗しゅう

教きょう

を人ひと

びとに広ひろ

めていた?

1 真しん

珠じゅ

をさがしてくれたのは? ㋐ミツバチ ㋑アリ ㋒カモ2 一

いち

番ばん

下した

の王おう

子じ

は、ミツバチの女じょ

王おう

と結けっ

婚こん

した。〇か×か?

豆知識豆知識

おはなしクイズ

おはなしクイズ

こたえは次つぎ

のページこたえは次つぎ

のページ

読よ

んだ日ひ

にち(    年  月  日 )(    年  月  日 )(    年  月  日 )

3月 1日のおはなし

読よ

んだ日ひ

にち(    年  月  日 )(    年  月  日 )(    年  月  日 )

末す え

っ子こ

の王お う

子じ

のやさしさが、みんなを幸しあわ

せにします キリスト教きょう

の伝で ん

道ど う

師し

の顔か お

をもつ、明め い

治じ

・大た い

正しょう

の詩し

人じ ん

3月2日のおはなし

山やま

村むら

暮ぼ

鳥ちょう

むかし、三人に

の王お

子じ

が旅た

に出で

した。すると、歩あ

き出だ

してすぐ、

大おお

きなアリの巣す

を見み

つけました。

「この巣す

をこわしてしまおう」

上うえ

のふたりの王お

子じ

が言い

いました。

「そんなかわいそうなことをして

は、だめですよ!」

一いち

番ばん

下した

の王お

子じ

が言い

いました。

少すこ

し進す

むと今こ

度ど

は、湖

みずうみが

ありま

した。湖

みずうみに

はカモがいます。

「つかまえて、焼や

いて食た

べよう」

また、上う

のふたりの王お

子じ

が言い

と、一い

番ばん

下した

の王お

子じ

が止と

めました。

そして、さらに進す

むと、今こ

度ど

ミツバチの巣す

がありました。

「火ひ

をつけて、ミツバチを追お

い出だ

したら、ハチミツをなめよう」

このときも、一い

番ばん

下した

の王お

子じ

が止と

めました。

そのうちに、三人に

の王お

子じ

は大お

なお城し

につきました。中な

には、だ

れもいません。石い

でできた人ひ

や馬う

の置お

物もの

ばかりです。どうも、魔ま

法ほう

をかけられているようです。

おくの部へ

屋や

に進す

むと、小こ

人びと

がい

て、石い

の板い

を王お

子じ

たちにわたしま

した。

石いし

の板い

には〝三み

つの仕し

事ごと

をする

と、このお城し

の魔ま

法ほう

がとける〟と

書か

いてありました。

最さい

初しょ

の仕し

事ごと

は、森も

のコケの下し

ら、真し

珠じゅ

を千せ

つぶ、ひろってくる

というのです。

上うえ

のふたりの王お

子じ

が順

じゅん

番ばん

にさが

しに行い

きましたが、見み

つけられず、

石いし

になってしまいました。そこで、

一いち

番ばん

下した

の王お

子じ

がさがしに行い

くと、

助たす

けたアリがやって来き

て、真し

珠じゅ

千せん

つぶ、すぐに見み

つけ出だ

してくれ

ました。

つぎの仕し

事ごと

は、おひめさまのし

んしつのカギを見み

つけてくること

です。このときも、助た

けたカモが

やって来き

て、海う

の底そ

からカギをさ

がしてくれました。

最さい

後ご

は、三人に

のそっくりなおひ

めさまの中な

から、ハチミツ好ず

きな

一いち

番ばん

下した

のおひめさまをさがし出だ

という仕し

事ごと

でした。

するとまた、助た

けてあげたミツ

バチの女じ

王おう

がやって来き

て、くちび

るからハチミツのにおいのする、

一いち

番ばん

下した

のおひめさまを教お

えてくれ

ました。

一いち

番ばん

下した

の王お

子じ

が、三み

つの仕し

事ごと

やり終お

えたときです。お城し

の魔ま

法ほう

がとけて、石い

にされていた人ひ

や馬う

がもとのすがたにもどりました。

一いち

番ばん

下した

の王お

子じ

は、かわいい一い

番ばん

下した

のおひめさまと結け

婚こん

して、幸し

あわせ

になりました。

たのしい

たつぷりと

春はる

の河か

ながれてゐい

るのか

ゐい

ないのか

ういてゐい

藁わら

くづず

のうごくので

それとしられる

日に

本ほん

の里さ

山やま

の景け

色しき

を見み

たことが

ありますか? 

里さと

山やま

とは、人ひ

が住す

んでいて、田た

んぼや畑は

たけ

や山や

が、す

ぐ近ち

くにあるところです。この詩し

は、そんな春は

の里さ

山やま

の風ふ

景けい

を思お

起お

こさせてくれます。

田た

植う

えの時じ

期き

になると、田た

んぼ

をたがやして川か

から水み

を引ひ

きま

す。そのときに、わらくずが、水み

といっしょに川か

に流な

れ出で

たのかも

しれませんね。

草くさ

木き

や動ど

物ぶつ

が動う

きだすための、

力ちからをあたえてくれる春は

のゆたかさ

が、ゆったりとした川か

の流な

れから

つたわってくるようです。

山やま

村むら

暮ぼ

鳥ちょう(一八八四~一九二四

年ねん

)は、キリスト教き

ょうを人ひ

びとに広ひ

めながら、心こ

ころ

にのこる詩し

をつぎつ

ぎとつくり出だ

した、明め

治じ

・大た

正しょう

時じ

代だい

の詩し

人じん

です。四十年ね

という短み

じかい

人じん

生せい

のうち、詩し

をつくったのは十

五年ね

足た

らずですが、その短み

じかい間あ

いだで

も、詩し

の様よ

子す

はどんどん変か

わって

いきました。

「春は

の河か

」は、なくなった翌よ

年とし

出しゅっ

版ぱん

された、詩し

集しゅう『雲く

』の中な

の一い

編ぺん

です。暮ぼ

鳥ちょうは、人に

間げん

の命い

のちのたい

せつさを見み

つめ、その思お

いを言こ

葉ば

にして、あらわしてきました。

四十歳さ

近ちか

くになると「春は

の河か

のように、自じ

分ぶん

の見み

たままの景け

色しき

をのびやかな言こ

葉ば

でつづっていま

す。病

びょう

気き

やまずしさで苦く

しみぬい

た末す

に見み

た自し

然ぜん

や人に

間げん

のいとなみ

に、暮ぼ

鳥ちょうは

素す

直なお

な感か

動どう

をおぼえた

にちがいありません。

9091

日本の詩

グリム童話

Page 2: のおはなし の伝道師の顔をもつ、明治・大正の詩人 山村暮鳥 · のおはなし 山 やま 村 むら 暮 ぼ 鳥 ちょう むかし、三人 にん の王

115ページのこたえ

❶くぎの頭あ

たま

 ❷㋒ふたりとも

116ページのこたえ

❶〇 ❷㋐定て

子し

『枕まくらの

草そう

子し

』は、『方ほう

丈じょう

記き

』『徒つれ

然づれ

草ぐさ

』とならぶ日に

本ほん

三さん

大だい

随ずい

筆ひつ

のひとつです。このお話はなし

は、『アラビアンナイト(千せん

夜や

一いち

夜や

物もの

語がたり

)』のひとつとして知し

られています。

1 『枕まくらの

草そう

子し

』は、日に

本ほん

ではじめての随ずい

筆ひつ

集しゅう

。〇か×か?2 清

せい

少しょう

納な

言ごん

がつかえていたのはだれ? ㋐定てい

子し

㋑一いち

条じょう

天てん

皇のう

㋒彰しょう

子し

1 地ち

下か

からランプをとってきたのはだれ? ㋐アラジン ㋑おひめさま ㋒魔ま

法ほう

使つか

い2 アラジンがランプをとりに行

くとき、わたされたのは?

豆知識豆知識

おはなしクイズ

おはなしクイズ

こたえは次つぎ

のページこたえは次つぎ

のページ

読よ

んだ日ひ

にち(    年  月  日 )(    年  月  日 )(    年  月  日 )読よ

んだ日ひ

にち(    年  月  日 )(    年  月  日 )(    年  月  日 )

宮きゅう

中ちゅう

での日ひ

びは、清せ い

少しょう

納な

言ご ん

の宝たから

でした古ふ る

びたランプをこすると、ふしぎな男おとこ

があらわれました

3月28日のおはなし

3月27日のおはなし

清せい

少しょう

納な

言ごん

は、平へ

安あん

時じ

代だい

に書か

かれ

た日に

本ほん

ではじめての随ず

筆ひつ

集しゅう(自じ

分ぶん

の思お

ったことをまとめた読よ

みも

の)『枕

まくらの

草そう

子し

』の作さ

者しゃ

の女じ

性せい

です。

たとえば、こんなことを書いてい

ます。

ある日ひ

、夜よ

ふけまでおしゃべり

を楽た

しんでいたのに、藤ふ

原わらの

行ゆき

成なり

急きゅうに帰か

ってしまいました。行ゆ

成なり

は、

帰かえ

った翌よ

朝あさ

、「鳥と

の鳴な

き声ご

にさい

そくされてしかたなく」と、しゃ

れたいいわけをしました。

すると清せ

少しょう

納な

言ごん

は、「それは函か

谷こく

関かん

の鳥と

のことですか」と聞き

き返か

します。函か

谷こく

関かん

とは、中

ちゅう

国ごく

の関せ

所しょ

(通つ

行こう

する人ひ

や荷に

物もつ

を検け

査さ

すると

ころ)で、あるえらい人ひ

が夜や

間かん

国くに

ににげ帰か

るのに、部ぶ

下か

に一い

番ばん

鳥どり

の鳴な

きまねをさせて関せ

を開あ

けさせ

たという伝で

説せつ

があります。

つまり、「早は

く帰か

りたかっただ

けでしょ」と、ユーモアをこめた

いじわるを言い

っているのです。

行ゆき

成なり

はあわてて、「あなたとわ

たしの間あ

いだにあるのは逢お

坂さか

の関せ

じゃ

ないですか」と、「逢あ

」という字じ

を使つ

って、会あ

いたい気き

持も

ちをつた

えました。すると、清せ

少しょう

納な

言ごん

から

つぎの和わ

歌か

がとどきました。

  夜よ

をこめて

  鳥と

の空そ

音ね

は 謀は

るとも

  よに逢お

坂さか

関せき

は許ゆ

さじ

「函か

谷こく

関かん

じゃないんですから、鳥と

の鳴な

きまねじゃ逢お

坂さか

の関せ

は開ひ

きま

せんよ」。つまり、「会あ

うもんです

か」という意い

味み

です。

清せい

少しょう

納な

言ごん

は知ち

識しき

が深ふ

く、頭あ

たまの回か

転てん

が速は

い人ひ

でした。こうして、学が

のある人ひ

たちとやり取と

りすること

が、一い

番ばん

の楽た

しみだったのです。

清せい

少しょう

納な

言ごん

がつかえた、一い

条じょう

天てん

皇のう

のきさきである定て

子し

もまた、年と

下した

ながらとても頭あ

たまのいい人ひ

でした。

清せい

少しょう

納な

言ごん

は定て

子し

を心こ

ころ

からした

い、そのすばらしさや知ち

的てき

なやり

取と

り、そして宮

きゅう

中ちゅうの四し

季き

のおもむ

きなどを、感か

じるままに『枕

まくらの

草そう

子し

』につづったのです。

やがて定て

子し

の一い

族ぞく

が権け

力りょく

争あらそいに

やぶれ、定て

子し

は宮

きゅう

廷てい

での立た

場ば

を弱よ

くしました。そのとき、清せ

少しょう

納な

言ごん

には、定て

子し

のライバルの彰

しょう

子し

につ

かえる話は

なしがきましたが、ことわり

ました。生

しょう

涯がい

の主し

人じん

は定て

子し

ひとり

と、心こ

ころに決き

めていたのでしょう。

定てい

子し

がわかくしてなくなったあ

とは、都み

やこの表

おもて

舞ぶ

台たい

から消き

え、はな

やかな日ひ

びを思お

いながら、静し

かに

余よ

生せい

を送お

ったといわれています。

アラジンという気き

のいい若わ

者もの

いました。あるときとつぜん、悪わ

い魔ま

法ほう

使つか

いがあらわれて、

「わたしはおまえのおじさんだよ」

と言い

うと、アラジンを野の

原はら

に連つ

出だ

しました。そしてたき火び

をはじ

め、粉こ

をまき、じゅもんをとなえ

ました。すると地じ

面めん

がわれ、石い

とびらがあらわれました。

「下し

に宝た

から

のランプがあるからとっ

てきてくれんかね。それから、こ

の指ゆ

輪わ

をつけていくといい。助た

になるだろう」

下した

におり、古ふ

びたランプをとる

と階か

段だん

を上の

りました。見み

上あ

げると、

魔ま

法ほう

使つか

いが早は

くしろとせかします。

「待ま

ってよ。外そ

に出で

たらわたすよ」

魔ま

法ほう

使つか

いは、もたもたしている

アラジンにはらを立た

て、とびらを

しめてしまいました。

「おじさん、開あ

けてよ!」

おいのりをしようと手て

を合あ

わせ

たとき、なんと指ゆ

輪わ

から男お

とこがあら

われました。

「わたしは指ゆ

輪わ

の精せ

。おのぞみは

なんでもかなえてさしあげます」

「本ほ

当とう

かい。家い

に帰か

しておくれ」

つぎの瞬

しゅん

間かん

、アラジンはもう家い

にいました。

そして、持も

ち帰か

ったランプを売う

ろうとみがきはじめると、今こ

度ど

ランプの精せ

があらわれました。

「おのぞみをなんなりと」

アラジンはお金か

と屋や

敷しき

をお願ね

し、大お

金がね

持も

ちになりました。そし

て、美う

つくしいおひめさまと結け

婚こん

した

のです。おもしろくない魔ま

法ほう

使つか

は、ランプ売う

りに化ば

けて屋や

敷しき

をたずねました。

「古ふ

いランプはありませんか」

おひめさまは、ひみつを知し

らずに、ランプをわたしまし

た。すると、魔ま

法ほう

使つか

いはラン

プの力ち

から

で、おひめさまと屋や

敷しき

を自じ

分ぶん

の国く

に運は

んでしまいました。

帰かえ

ってきたアラジンは大お

あわ

て。指ゆ

輪わ

の精せ

に、屋や

敷しき

とおひめさ

まをもどすようにお願ね

いしました。

「それはできません。ランプの精せ

の力ち

から

はわたしよりも強つ

いのです」

「では、屋や

敷しき

に連つ

れていってくれ」

屋や

敷しき

についたアラジンは魔ま

法ほう

使つか

いと戦た

たか

いました。そのすきに、お

ひめさまがランプをこすりました。

「魔ま

法ほう

使つか

いをやっつけておくれ」

ランプの精せ

は魔ま

法ほう

使つか

いを投な

げと

ばし、すべてをもとにもどしてく

れました。それからふたりは、末す

ながく幸し

あわせにくらしました。

たのしい

116117

世界の民話イラク

歴史の名場面

Page 3: のおはなし の伝道師の顔をもつ、明治・大正の詩人 山村暮鳥 · のおはなし 山 やま 村 むら 暮 ぼ 鳥 ちょう むかし、三人 にん の王

139ページのこたえ

❶㋒おしり ❷〇

140ページのこたえ

❶㋐かけ軸じ

 ❷まばたきをした

達だ る ま

磨大だい

師し

はインドで生う

まれ、中ちゅう

国ごく

にわたって 9 年ねん

間かん

座ざ

禅ぜん

をし、さとりに達たっ

したといわれています。紫むらさき

式しき

部ぶ

は光こう

孝こう

天てん

皇のう

をモデルに『源げん

氏じ

物もの

語がたり

』を書か

いたともいわれています。  

1 桜さくら

の木き

の下した

から出で

てきたものは、なに? ㋐かけ軸じく

㋑長なが

ぐつ ㋒小こ

判ばん

2 ササの葉は

でだるまの目め

をこすったら、手て

をたたいた、まばたきをした、どっち?

1 春はる

の野の

原はら

でつんだものはなに? ㋐タンポポ ㋑お茶ちゃ

の葉は

㋒若わか

菜な

2 着き

物もの

のそでにふってきたものはなに?

豆知識豆知識

おはなしクイズ

おはなしクイズ

こたえは次つぎ

のページこたえは次つぎ

のページ

読よ

んだ日ひ

にち(    年  月  日 )(    年  月  日 )(    年  月  日 )読よ

んだ日ひ

にち(    年  月  日 )(    年  月  日 )(    年  月  日 )

4月 11日のおはなし

かけ軸じ く

にえがかれただるまの絵え

にはひみつがあり……まだ寒さ む

い春は る

の日ひ

の様よ う

子す

が思お も

いうかぶ一い っ

首し ゅ

4月 12日のおはなし

むかし、市い

兵べ

衛え

さんの家い

に旅た

おぼうさんがとまりました。とこ

ろが夜よ

中なか

になると、おぼうさんが

苦くる

しみはじめたのです。市い

兵べ

衛え

んが部へ

屋や

にとんでいくと、

「わしが死し

んだら桜さ

くら

の木き

の下し

にう

め、春は

になったらほり出だ

してくれ」

おぼうさんはそう言い

って、死し

でしまいました。

市いち

兵べ

衛え

さんはなきがらをかめ

4

4

おさめて桜さ

くらの木き

の下し

にうめ、言い

れたとおり、春は

になるとほり出だ

ました。するとかめ

4

4

の中な

から、一

本ぽん

のかけ軸じ

が出で

てきました。そこ

には葉は

っぱに乗の

って海う

をわたる、

だるまの絵え

がかいてありました。

「あのぼうさんは、達だ

るま磨大だ

師し

だっ

たんだ」

市いち

兵べ

衛え

さんは村む

の人ひ

たちと相そ

談だん

し、かけ軸じ

を村む

の宝

たから

物もの

にしました。

それから何な

年ねん

たち、かけ軸じ

がだい

ぶ古ふ

くなったので

修しゅう

理り

に出だ

しました。

修しゅう

理り

がおわり店み

行い

くと、なんと同お

ようなかけ軸じ

が六

本ぽん

もあるのです。

「どれがあなたの

ものか、わからなく

なってしまったの

で、どれでも持も

って

いってください」

店みせ

の主し

人じん

が言い

いましたが、市い

兵べ

衛え

さんにもさっぱりわかりません。

「明あ

した日

、また出で

直なお

してきます」と、

ひとまず宿や

に帰か

りました。

その夜よ

のこと、市い

兵べ

衛え

さんの夢ゆ

にだるまがあらわれました。だる

まは、「ササの葉は

で目め

をこすって

くだされ」と言い

いました。

あくる日ひ

、市い

兵べ

衛え

さんは店み

に行い

くと、ササの葉は

でだるまの目め

をこ

すりました。一まい、二まい……。

そして五まい目め

をなでたとき、だ

るまがパチ、パチッとまばたきし

ました。

「これだ! これに、まちがいない」

市いち

兵べ

衛え

さんは、そのかけ軸じ

をだ

いじに村む

に持も

って帰か

りました。

そのかけ軸じ

は「まばたきだるま」

といわれ、今い

でもこのだるまの前ま

でまばたきするのをがまんして、

じっと見み

ていると、だるまのほう

がパチ、パチッとまばたきするそ

うです。

ふしぎ

君きみ

がため

春はる

の野の

に出い

若わか

菜な

摘つ

我わ

が衣

ころも

手で

雪ゆき

は降ふ

りつつ

(光こ

孝こう

天てん

皇のう

(現げ

代だい

語ご

訳やく

あなたのために春は

の野の

原はら

に出で

て、

若わか

菜な

をつんでいる。わたしの着き

物もの

そでに、雪ゆ

がひらひらふりかかって

いる。

この歌う

は時と

康やす

親しん

王のう

(八三〇~八

八七年ね

)、のちの光こ

孝こう

天てん

皇のう

がよん

だものです。親し

王のう

は心こ

ころがやさしく、

とてもハンサムだったといわれて

います。

春はる

とはいえ、まだ寒さ

いある日ひ

親しん

王のう

は野の

原はら

に出で

ると若わ

菜な

を見み

つけ

ました。冬ふ

から春は

のはじめのころ

は野や

菜さい

が少す

ないので、若わ

菜な

はたい

せつな食た

べものです。

「あの人ひ

に、つんであげよう」

親しん

王のう

はそう思お

って、この歌う

をよ

みました。

「君き

がため」はあなたのために、

「若わ

菜な

」はセリやナズナなど春は

芽め

を出だ

す野や

菜さい

や野や

草そう

。この時じ

期き

若わか

菜な

は、食た

べると長な

生い

きできると

いいつたえられていました。

「我わ

が衣

ころも

手で

に」は着き

物もの

のそで、

「雪ゆ

は降ふ

りつつ」は雪ゆ

がしきりに

ふっているという意い

味み

です。

親しん

王のう

はこの歌う

に若わ

菜な

をそえて、

恋こい

人びと

におくりました。

山やま

形がた

県けん

140141

民話・伝説山形県

百人一首

Page 4: のおはなし の伝道師の顔をもつ、明治・大正の詩人 山村暮鳥 · のおはなし 山 やま 村 むら 暮 ぼ 鳥 ちょう むかし、三人 にん の王

金かな

沢ざわ

という地ち

名めい

は、この藤とう

五ご

郎ろう

さんが金きん

をあらった沢さわ

(川かわ

)からきているともいわれています。『古こ

今きん

和わ

歌か

集しゅう

』は、平へい

安あん

時じ

代だい

前ぜん

期き

に醍だい

醐ご

天てん

皇のう

の命めい

令れい

でまとめられたといわれています。

1 藤とう

五ご

郎ろう

さんが、カラスに投な

げつけたものはなに?2 川

かわ

の砂すな

の中なか

にたくさんあったものはなに?

1 和わ

歌か

をよんだ人ひと

がわからないことをなんという?2 百

ひゃく

人にん

一いっ

首しゅ

をえらんだ人ひと

はだれ?

豆知識豆知識

おはなしクイズ

おはなしクイズ

こたえは次つぎ

のページこたえは次つぎ

のページ

356ページのこたえ

❶金き

の小こ

判ばん

 ❷金き

のつぶ

355ページのこたえ

❶㋒ウーロン茶ち

 ❷×

※この歌うた

に出で

てくる紅もみじ

葉は萩はぎ

の黄こう

葉よう

という説せつ

もあります。

読よ

んだ日ひ

にち(    年  月  日 )(    年  月  日 )(    年  月  日 )読よ

んだ日ひ

にち(    年  月  日 )(    年  月  日 )(    年  月  日 )

10月 12日のおはなし

秋あ き

のおわりのわびしい季き

節せ つ

をよんだ一い っ

首し ゅ

です 観か ん

音の ん

さまのお告つ

げで、およめさんをもらいました

10月 11日のおはなし

むかしの加か

賀が

の国く

(今い

の石い

川かわ

県けん

南なん

部ぶ

)のお話は

なしです。

富と

樫がし(

今いま

の金か

沢ざわ

市し

)という村む

に、

山やま

イモをほるのがうまい男お

とこ

がおり

ました。男お

とこは、イモほり藤と

五ご

郎ろう

よばれ、山や

の近ち

くで、ひっそりと

くらしていました。

ある日ひ

のこと、

「あれえ、りっぱな行

ぎょう

列れつ

が藤と

五ご

郎ろう

さんの家い

に来く

るぞ」

「なんでも、大や

まと和

の国く

(今い

の奈な

良ら

県けん

)の長

ちょう

者じゃ

さまが、むすめさんを

藤とう

五ご

郎ろう

さんのよめさんにしたいん

だと」

「なんかの、まちがいじゃありゃ

せんか?」

「その長

ちょう

者じゃ

さまが、夢ゆ

で観か

音のん

さま

のお告つ

げを聞き

いたそうな。富と

樫がし

村むら

のイモほり名め

人じん

に、むすめさんを

とつがせろとな」

村むら

人びと

たちは、口く

をあんぐり開あ

て、花は

よめ行

ぎょう

列れつ

が藤と

五ご

郎ろう

さんの家い

に向む

かっていくのを見み

ていました。

藤とう

五ご

郎ろう

さんも、そんな話は

なしをもち

こまれ、おどろくやら、しりごみ

するやら。それでも、観か

音のん

さまの

お告つ

げとあっては、追お

い返か

すわけ

にもいきません。藤と

五ご

郎ろう

さんは、

とうとう長

ちょう

者じゃ

さまのむすめをおよ

めさんにすることにしました。

およめさんをもらった藤と

五ご

郎ろう

んは、せっせと畑は

たけに豆ま

をまきます。

「あれま、カラスが豆ま

をほじくっ

ていかん!」

藤とう

五ご

郎ろう

さんはカラスを追お

いはら

おうと石い

をさがしましたが、畑は

たけで

は見み

つけられません。しかたなく、

家いえ

にもどって、およめさんの持も

ものの中な

にあった金き

の小こ

判ばん

を引ひ

ぱり出だ

して、カラスに投な

げつけま

した。

「あれあれ、なんてもったいない

ことを」

およめさんが、あわてて止と

めよ

うとすると、藤と

五ご

郎ろう

さん、ポカン

として、

「なにがもったいない。わしが山や

イモをいつもあらっとる川か

に、い

くらでもあるよ」

およめさんが、その川か

で砂す

を手て

ですくってみると、なんとキラキ

ラ光ひ

る金き

のつぶがいくらでもとれ

ました。

ふたりは、かごに何な

ばいもの金き

を集あ

めて、やがてりっぱなお屋や

敷しき

を建た

てるほどの長

ちょう

者じゃ

さまになりま

した。やはり、観か

音のん

さまのお告つ

は正た

しかったのですね。

百人一首

奥おく

山やま

紅もみじ葉踏ふ

み分わ

鳴な

く鹿し

声こえ

聞き

く時と

秋あき

は悲か

しき

(猿さ

丸まる

大だゆう夫)

(現げ

代だい

語ご

訳やく

人ひと

が足あ

をふみ入い

れない深ふ

い山や

の奥お

で、シカが一い

面めん

に散ち

ったモミジの葉は

をふみしめながら、鳴な

いている。ま

るで秋あ

がおわっていくのをおしむよ

うだ。そのシカの声こ

を聞き

く秋あ

という

季き

節せつ

は、とりわけさびしく、かなし

い気き

持も

ちにさせられるものだ。

この和わ

歌か

は、九世せ

紀き

の歌う

会かい

の記き

録ろく

に「よみ人び

しらず」という、作さ

者しゃ

がわからない歌う

としてのこされ

ています。『古こ

今きん

和わ

歌か

集しゅう』(

九〇五

年ねん

)でも、作さ

者しゃ

不ふ

明めい

とされました。

のちにこの歌う

の作さ

者しゃ

といわれる

ようになった猿さ

丸まる

大だゆう夫

は、じつは

なぞの人じ

物ぶつ

で、三さ

十じゅう

六ろっ

歌か

仙せん

という

歌うた

の名め

人じん

にもえらばれている人ひ

のに、生う

まれた年と

など、くわしい

ことがひとつもわかっていません。

それでも、『百

ひゃく

人にん

一いっ

首しゅ

』をえら

んだ藤ふ

原わらの

定てい

家か

は、この歌う

のすばら

しさをたたえて、伝で

説せつ

の歌か

人じん

、猿さ

丸まる

大だゆう夫

の作さ

としたようです。

日に

本ほん

人じん

の季き

節せつ

に対た

するこまやか

な心こ

ころ

の動う

きを、たくみにあらわし

ているのではないでしょうか。

たのしい

石いし

川かわ

県けん

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民話・伝説石川県

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