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28
2018年度版 『過去の災害』から学ぼう! 『人々の思い』 佐賀 災害歴史遺産 伝えよう

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Page 1: 伝えよう 佐賀 災害歴史遺産...shouboubousai@pref.saga.lg.jp 佐賀県消防防災課 防災・減災さが検索 小学校 年 組 名 前 『過去の災害』から学ぼう!『

2018年度版

〒840-8570 佐賀市城内1丁目1-59

Tel:0952-25-7362

パンフレットに関するお問い合わせ先は

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[email protected]

佐賀県消防防災課

防災・減災さが 検索

  小学校   年  組

名 前

『過去の災害』から学ぼう! 『人々の思い』

佐賀の災害歴史遺産伝えよう

さ い が い れ き し い さ ん

Page 2: 伝えよう 佐賀 災害歴史遺産...shouboubousai@pref.saga.lg.jp 佐賀県消防防災課 防災・減災さが検索 小学校 年 組 名 前 『過去の災害』から学ぼう!『

天 山天 山

六角川六角川

嘉瀬川

嘉瀬川

筑後川

筑後川

松浦川

松浦川

01020304050607080910

潮塞観音(白石町)【自助の力】

鹿島おどり(鹿島市)【共助の力】

水屋と揚げ舟(鳥栖市)【先人の知恵】

昭和20年と24年の水害(佐賀市)【災害の伝承】

有田川の大洪水(伊万里市)【災害の伝承】

松本家住宅(有田町)【災害にそなえた家づくりと共助】

住吉天神社(伊万里市)【災害の伝承】

町切の治水施設(唐津市)【先人の知恵】

天神尾溜池の石碑(神埼市)【災害の伝承】

菅原神社(鳥栖市)【災害の伝承】

11

13

15

17

19

21

23

25

26

26

はじめに 目 次有明海と玄海灘に面し、緩やかな山々に囲まれた佐賀県。私たちのふるさとは、

美しく豊かな自然にあふれる一方で、昔から川の氾濫や浸水、土砂崩れなどの災害

に襲われてきました。

昔の人たちは大きな災害にあうたびに、その恐ろしさと教訓を忘れないために

石碑を建てたり、建物などに被害が大きくならないような工夫をしてきたのです。

また、地域のお祭りや行事の中には、災害を乗り越え、みんなで助け合う気持ちを

持ち続けようという思いから始まったものもあります。こうしたものを佐賀県では

「災害歴史遺産」と呼び、この冊子では、その中から10の遺産を紹介しています。

災害は突然やってきます。だからこそ、昔の人たちが私たちに残してくれた教訓

や知恵を知っておくことは、あなたと家族や友達の命を守る助けになります。

その時のために、今、どのような「災害への備え」をすべきか考え、周囲の人たち

とも話し合うことが大切です。

そして、これまで受け継がれてきた「災害歴史遺産」を、今度は私たちが、どのよう

にして未来の人たちに伝えていくのか、しっかり考えてみましょう。

『過去の災害』から学ぼう! 『人々の思い』

佐賀の災害歴史遺産伝えよう

過去に佐賀県で起きた大きな災害 ●大雨

●台風

●地震

●高潮

01

02

03

1009

05

07 08

06

04

あり あけ か い げん か い な だ ゆる

お そ

せ き ひ

ち いき ぎょう じ

たて もの

とつ ぜん

さい がい れき し い

ち え

さん

そな

ひ がい く ふう

お そ きょうくん

は ん ら ん しん す い さ い が いど しゃ くず

さ い が い れ き し い さ ん

Page 3: 伝えよう 佐賀 災害歴史遺産...shouboubousai@pref.saga.lg.jp 佐賀県消防防災課 防災・減災さが検索 小学校 年 組 名 前 『過去の災害』から学ぼう!『

天 山天 山

六角川六角川

嘉瀬川

嘉瀬川

筑後川

筑後川

松浦川

松浦川

01020304050607080910

潮塞観音(白石町)【自助の力】

鹿島おどり(鹿島市)【共助の力】

水屋と揚げ舟(鳥栖市)【先人の知恵】

昭和20年と24年の水害(佐賀市)【災害の伝承】

有田川の大洪水(伊万里市)【災害の伝承】

松本家住宅(有田町)【災害にそなえた家づくりと共助】

住吉天神社(伊万里市)【災害の伝承】

町切の治水施設(唐津市)【先人の知恵】

天神尾溜池の石碑(神埼市)【災害の伝承】

菅原神社(鳥栖市)【災害の伝承】

11

13

15

17

19

21

23

25

26

26

はじめに 目 次有明海と玄海灘に面し、緩やかな山々に囲まれた佐賀県。私たちのふるさとは、

美しく豊かな自然にあふれる一方で、昔から川の氾濫や浸水、土砂崩れなどの災害

に襲われてきました。

昔の人たちは大きな災害にあうたびに、その恐ろしさと教訓を忘れないために

石碑を建てたり、建物などに被害が大きくならないような工夫をしてきたのです。

また、地域のお祭りや行事の中には、災害を乗り越え、みんなで助け合う気持ちを

持ち続けようという思いから始まったものもあります。こうしたものを佐賀県では

「災害歴史遺産」と呼び、この冊子では、その中から10の遺産を紹介しています。

災害は突然やってきます。だからこそ、昔の人たちが私たちに残してくれた教訓

や知恵を知っておくことは、あなたと家族や友達の命を守る助けになります。

その時のために、今、どのような「災害への備え」をすべきか考え、周囲の人たち

とも話し合うことが大切です。

そして、これまで受け継がれてきた「災害歴史遺産」を、今度は私たちが、どのよう

にして未来の人たちに伝えていくのか、しっかり考えてみましょう。

『過去の災害』から学ぼう! 『人々の思い』

佐賀の災害歴史遺産伝えよう

過去に佐賀県で起きた大きな災害 ●大雨

●台風

●地震

●高潮

01

02

03

1009

05

07 08

06

04

あり あけ か い げん か い な だ ゆる

お そ

せ き ひ

ち いき ぎょう じ

たて もの

とつ ぜん

さい がい れき し い

ち え

さん

そな

ひ がい く ふう

お そ きょうくん

は ん ら ん しん す い さ い が いど しゃ くず

さ い が い れ き し い さ ん

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01

私たちの住んでるまちに海の水がくるってこわいね

テーマ 自助の力じ じょ ちから

白石町福富

しろしろ いしいし

ふくふく どみどみ

ちょうちょう

起きた災害お さいがい

 有あり

明あけ

海かい

に近い白しろ

石いし

町ちょう

は昔から、海を堤てい

防ぼう

などで仕切って海水を抜き、農のう

地ち

などに

する干かん

拓たく

が進められてきました。そのため低い平へい

野や

が広がっていて、台風や高たか

潮しお

くるたびに災さい

害がい

が起こりやすい場所でした。台風などの低てい

気き

圧あつ

によって海面が高く

もり上がることを「高たか

潮しお

」といいます。もり上がった海面が強い風におされると、

陸りく

地ち

にまで海水がおしよせ、大きな災さい

害がい

になることがあります。そんな白しろ

石いし

町ちょう

の福ふく

富どみ

地区に、災さい

害がい

にまつわる不ふ

思し

議ぎ

な伝でん

説せつ

が残っています。

高たか

潮しお

がまちをおそう

でもそんな時とき

、不ふ

思し

議ぎ

な出で

来き

事ごと

が起お

こったんだ

潮し お

塞ど め

観か ん

音の ん

水すい

害がい

からまちを守る観かん

音のん

さまの伝でん

説せつ

3

上:福富地区には干拓による農地が広がっています下:国道沿いに建てられているお堂

私わたし

たちの住す

んでいるまちにまで海

うみ

の水みず

がくるって高潮ってこわいね

かつての堤防あと今は住宅地ですが、以前はここまでが海岸でした

お堂の中に「潮塞観音」が まつられています

潮塞観音がもともと見つかった場所に大正 5 年に建てられた祠

ほこら

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01

私たちの住んでるまちに海の水がくるってこわいね

テーマ 自助の力じ じょ ちから

白石町福富

しろしろ いしいし

ふくふく どみどみ

ちょうちょう

エピソード

「自じ

助じょ

」の大切さを学まな

4

観音さまが助けてくれた!

 1914( 大たい

正しょう

3) 年の高たか

潮しお

から100年以上がすぎました。今では有あり

明あけ

海かい

の海かい

岸がん

には強くて

じょうぶな堤てい

防ぼう

がつくられ、白しろ

石いし

町ちょう

に高たか

潮しお

の被ひ

害がい

はほとんどありません。それでも福ふく

富どみ

地区の人

たちは台風が近づいてくると、風が強くなる前に、自分から先に立って避ひ

難なん

所じょ

に行くそうです。

 災さい

害がい

が起きた時には「三さん

助じょ

」が必ひつ

要よう

だと言われています。自分や家か

族ぞく

を自みずか

ら守る「自じ

助じょ

」、近

所の人と助け合う「共きょう

助じょ

」、自じ

衛えい

隊たい

などの公こう

的てき

機き

関かん

が行う「公こう

助じょ

」のことです。この中でまず一番

に大切なのは「自じ

助じょ

」です。

 福ふく

富どみ

地区の人たちは、昔の災さい

害がい

の経けい

験けん

から「災さい

害がい

はいつ、どんな形で起こるかわからない」と

いうことを学びました。だからこそ日ごろから「自じ

助じょ

」を心がけ、

早め早めに対たい

策さく

・行動しているのです。そして、災さい

害がい

のおそろし

さや教きょう

訓くん

を伝えるために、潮しお

塞どめ

観かん

音のん

の伝でん

説せつ

を今でも大切に守り続

けています。

 1914(大たい

正しょう

3)年8月25日、台風がおそってきた時のことです。強い風にあおら

れた高たか

潮しお

が堤てい

防ぼう

を何か所もこわし、町の中におしよせてきました。多くの若わか

者もの

や消しょう

防ぼう

団だん

が出しゅつ

動どう

して、堤てい

防ぼう

を修しゅう

理り

して高たか

潮しお

を防ふせ

ごうとしますが、自し

然ぜん

の力には勝てず、あた

り一面は海のように水びたしになりました。

 そして、いよいよ一番大事な堤てい

防ぼう

である「五ご

千せん

間げん

土ど

居い

」がくずれようとした時、どこからともなく小屋

が流れてきて、こわれかけた堤てい

防ぼう

をふさぎました。それから、すーっと海水が引いていったのだそうです。

 やがて台風はおさまり、堤てい

防ぼう

をふさいだ小屋の中をのぞいてみると「千せん

手じゅ

観かん

音のん

」が出てきました。こ

れを見つけた人たちは「観かん

音のん

さまが千本の手を使って高たか

潮しお

を止めてくれた!おかげで

大だい

災さい

害がい

にならなくてすんだ!」とよろこび、心から感かん

謝しゃ

しました。それから人々は、流

れついた観かん

音のん

像ぞう

に「潮しお

塞どめ

観かん

音のん

」と名前をつけて、土地の守まも

り神がみ

にしたそうです。

 今でも潮しお

塞どめ

観かん

音のん

は国こく

道どう

444号のそばの目立つ場所にあります。福ふく

富どみ

地区の人たちは潮しお

塞どめ

観かん

音のん

をまつるお堂どう

を建た

て、その伝でん

説せつ

を記しる

した看かん

板ばん

作りました。また、毎年8月25日には「潮しお

塞どめ

観かん

音のん

祭まつ

り」も行い、観かん

音のん

まの伝でん

説せつ

をお年とし

寄よ

りから子どもたちへ伝えているそうです。 溝上光一さん「潮

しお

塞どめ

観かん

音のん

100 周年記念祭」の実行委員長として、地域に潮塞観音の歴史を伝える活動をされています

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02テーマ 共助の力

きょう じょ ちから

鹿島市かか しましま しし

起きた災害お さいがい

 鹿か

島しま

市は「ガタリンピック」など有ゆう

名めい

なまちおこしイベントがあります。しかし、

もう一つ、忘わす

れてはならない大事なお祭まつ

りがあります。毎年8月に行われる「鹿か

島しま

おどり」です。鹿か

島しま

おどりは1963(昭しょう

和わ

38)年に始まり、50年以上も続いています。

今はお盆ぼん

の前の2日間に行われ、3000人以上の市民が参さん

加か

し、約2万5000人のお客さんが見に

くるそうです。

  とてもにぎやかな鹿

島しま

おどりですが、始まったキッカケは1962(昭しょう

和わ

37)年7月8日に鹿か

島しま

をお

そったおそろしい大だい

水すい

害がい

でした。鹿か

島しま

市は塩しお

田た

川がわ

と中なか

川がわ

にはさまれていて、大雨が降ふ

るとたびたび洪こう

水ずい

が起こりました。この時も梅つ

雨ゆ

の大雨で川の水があふれ出て、家が流されたり泥どろ

水みず

につかったりし

て、5人の死し

者しゃ

が出ました。この水すい

害がい

のせいで、それぞれの地区で行われていた夏なつ

祭まつ

りも中止になり、

鹿か

島しま

の人たちはすっかり元気をなくしてしまいました。                 

現在の「鹿島おどり」の様子

5

その悲かな

しみを乗の

りこえるために鹿か

島しま

の人ひと

たちはあることを考かんが

えたんだ

鹿か

島しま

をおそったおそろしい水すい

害がい

復ふっ

興こう

のシンボルとなった夏なつ

祭まつ

鹿か

島し ま

おどり

5人も亡な

くなった人ひと

がいるんだね悲かな

しいなあ…

水浸しとなった鹿島平野

(写真:鹿島市提供)

自衛隊による救出活動がおこなわれました

(写真:鹿島市提供)

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02テーマ 共助の力

きょう じょ ちから

鹿島市かか しましま しし

たか

エピソード

まちに元気を取りもどそう!

まつりはにぎわい、鹿島に元気がとりもどされました

6

みんなで力をあわせてお祭りを復ふっ

活かつ

させたんだね

 そこで立ちあがったのが鹿か

島しま

の若わか

者もの

たちです。「災さい

害がい

を乗りこえ、鹿か

島しま

に元気を取

りもどそう!」と、市民みんなの大きな夏なつ

祭まつ

りを行うことにしたのです。おおぜいの

人たちがまちの中心部に集まり、「一いっ

声せい

浮ぶ

立りゅう

」「鹿か

島しま

小こ

唄うた

」など昔からある歌に合わせて、

いっせいにおどり出しました。「ヤッサ、ヤッサ」という大きなかけ声もひびきわたり、今までにない

盛も

り上がりようです。市民は鹿か

島しま

おどりのおかげで元げん

気き

を取りもどし、復ふっ

興こう

にむけた最初の一歩をふ

み出したのです。

 今では川の水すい

量りょう

を調ちょう

節せつ

する排はい

水すい

設せつ

備び

などができ、鹿か

島しま

で水すい

害がい

はほとんどありません。水すい

害がい

を経けい

験けん

した人も、そのこわさを知る人もへりました。そこで鹿か

島しま

おどりをする前に、神さまに祈いの

る儀ぎ

式しき

行うようにしました。市民がいつまでも水すい

害がい

のことを忘わす

れず、安全で

平和な社会を守ることを、地元の守まも

り神がみ

にちかうためです。

助け合う気持ちを大切にする

 鹿か

島しま

おどりには地区の人だけでなく、市し

役やく

所しょ

や病びょう

院いん

、会かい

社しゃ

ではたらく人たちのグループや、

保ほ

育いく

所しょ

や幼よう

稚ち

園えん

の子どもたちも参加します。地区ごとに鹿か

島しま

おどりの練習会もあって、お年とし

寄よ

りが子どもに歌やおどり方を教えています。みんながおたがいの顔や名前をおぼえて、協きょう

力りょく

ながら、鹿か

島しま

おどりを成せい

功こう

させるためにがんばるのです。

 このように、地ち

域いき

に住む人たちが助け合うことを「共きょう

助じょ

」と言います。もしも災さい

害がい

が起きた

時、いち早くかけつけて、力になってくれるのは近所の人たちで

す。この共きょう

助じょ

の心があれば、近くのおじいちゃんおばあちゃんも、

子どもたちも、お店の人も、消しょう

防ぼう

団だん

も、みんなで助け合い、乗り

こえることができるでしょう。    

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鳥栖市水屋町

とと すす しし

みずみず やや まちまちテーマ 先人の知恵

せん じん ち え

03起きた災害お さいがい

水屋町の集落では、洪水に備えて、石垣により高くした家が並んでいます

このときの水害では、水屋天満宮の鳥居が水没するほどでした

上:住宅の軒下には今も揚げ舟が残されています下:中央の水屋町の左を大木川、右を宝満川が流れています

7

そんな時とき

のために水みず

屋や

町まち

の人ひと

たちはさまざまな工

夫ふう

をしていたんだよ

まちが海うみ

のようになるなんて信しん

じられない!

筑ちく

後ご

川がわ

の恵めぐ

みと災さい

害がい

災さい

害がい

に備そな

える先せん

人じん

の知ち

恵え

水み ず

屋や

と揚あ

げ舟ぶ ね

 筑ちく

後ご

川がわ

は、熊くま

本もと

・大おお

分いた

・福ふく

岡おか

・佐さ

賀が

の4つの県を流れる九州最さい

大だい

の川です。筑ちく

後ご

川がわ

おかげで佐さ

賀が

平へい

野や

や筑ちく

後ご

平へい

野や

がうるおされ、たくさんの作物を収しゅう

穫かく

することができま

す。その反面、ひとたび大雨が降ふ

ると“暴あば

れ川がわ

”になり、多くの災さい

害がい

を起こしました。

 鳥と

栖す

市し

にある水みず

屋や

町まち

も、昔は洪こう

水ずい

被ひ

害がい

がたえない地ち

域いき

でした。筑ちく

後ご

川がわ

支し

流りゅう

の宝ほう

満まん

川と、大だい

木き

川、

秋あき

光みつ

川に囲まれ、大雨が降ふ

ると四し

方ほう

八はっ

方ぽう

から水が流れこんできたからです。

 佐さ

賀が

県で一番大きな災さい

害がい

といわれる1953(昭しょう

和わ

28) 年の大だい

水すい

害がい

の時も、筑ちく

後ご

川がわ

をはじめとする

多くの川があふれました。すると水みず

屋や

町まち

の全体が水につかり、神社の鳥とり

居い

まで水すい

没ぼつ

してしまいました。

水みず

屋や

町まち

のお年とし

寄よ

りに話を聞くと、この水すい

害がい

の時は1階の天てん

井じょう

がつかるくらい水かさが上がり、まる

で海のような光こう

景けい

になったそうです。ある人は2階で助けを待ち続け、またある人は3日間も小屋

の中ですごしたそうです。1週間たっても水は引かず、道路も通れなかったので、助かった人たちが

舟ふね

に乗ってそれぞれの家を回り、にぎり飯めし

や飲み物をとどけたということです。

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鳥栖市水屋町

とと すす しし

みずみず やや まちまちテーマ 先人の知恵

せん じん ち え

03 たか

エピソード

水屋の石いし

垣がき

は洪水に備え高く築かれています

ここにあった水みず

屋や

は昭和 28 年

の水すい

害がい

のあと

に解かい

体たい

されまし

たが、家の近く

に建てられてい

たことがわかり

ます

大石喜代美さん昭和 28 年の水害を経験

「水には苦く

労ろう

もさせられたが、お米がとれるのも水のおかげ」と自然と共

きょう

存ぞん

してきたくらしをふりかえられました

8

浸しん

水すい

への備そな

えを考えよう

 それほど洪こう

水ずい

や浸しん

水すい

にあいやすい水みず

屋や

町まち

ですから、昔の人は知ち

恵え

をしぼって、独どく

特とく

の水すい

害がい

対たい

策さく

を考え出しました。

 家を建た

てる時は土台に石いし

垣がき

を積んで、道路より1~2mくらい高い所に建た

てまし

た。このように家の土台を高めることを「屋や

地ぢ

盛もり

」と言います。家のそばには「水みず

屋や

」という2階建

ての小屋も建た

てました。1階は米やみそ、しょうゆなどを保管し、2階は洪こう

水ずい

の時の避ひ

難なん

場所に使っ

たそうです。

 洪こう

水ずい

になって水がたまってしまうと、道路が使えなくなります。そこで移動用の木の舟ふね

を作り、

ふだんは物もの

置おき

の軒のき

下した

につるしていたそうです。この舟ふね

のことを、大切なお

米をぬらさないよう舟ふね

で揚あ

げるので「揚あ

げ舟ぶね

」とよんだと言う人もいま

す。さらに、家の北側に木を何本か植えて、洪こう

水ずい

で流されてきた木が家に

ぶつからないようにしました。この家を守る木のことを「屋や

敷しき

林りん

」と言

います。

 屋や

地ぢ

盛もり

、水みず

屋や

、揚あ

げ舟ぶね

、屋や

敷しき

林りん

は、水屋町の人たちが自みずか

ら考えて行った

水すい

害がい

対たい

策さく

です。川の水があふれておしよせてきても、人の命と家、大切な

食料、家か

畜ちく

を守ることができるように、さまざまな工く

夫ふう

をしたわけです。

人の命と食料を工く

夫ふう

して守る

 家の中や道路に水が入ってくることを「浸しん

水すい

」と言います。浸しん

水すい

してきた時に無理して外に出

ると、危き

険けん

がたくさんあります。足もとが見えにくいために溝みぞ

に落ちたり、水に流されたり、危あぶ

ない

物を踏ふ

んだりするかもしれないからです。水みず

屋や

町まち

の人はきっと浸しん

水すい

のこわさを知っていたのでしょう。家の中で安全に助けを待つため

にも、どう備そな

えておけばいいのか、先せん

人じん

の知ち

恵え

に学んで日ごろから

考えておきたいものです。

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佐賀市大和町川上地区

ささ がが

やまやま とと ちょうちょう

しし

かわかわ かみかみ ちち くく

テーマ 災害の伝承(口伝)

さい がい でんしょう

04起きた災害お さいがい

家の周りがほとんど水没してしまっていることがわかります

川上地区の水害当時の 様子を撮影した写真が残っていました水の勢いがとても強く、家をのみこんでしまい そうです

9

左:二十菩薩碑右:当時の様子を知るお年寄りに話を聞きました

台風がもたらした大だい

水すい

害がい

 雨水をためておくダムも、洪こう

水ずい

をふせぐ強い堤てい

防ぼう

もなかった時代。台風や大雨がくる

たびに川の水があふれ出し、大きな水すい

害がい

を起こしていました。1945(昭しょう

和わ

20)年の枕まくら

崎ざき

台風と、1949(昭しょう

和わ

24)年のジュディス台風の時も、佐さ

賀が

のあちらこちらで大だい

洪こう

水ずい

が発生しました。佐さ

賀が

市を流れる大きな川、嘉か

瀬せ

川がわ

の流りゅう

域いき

にある大やまと

和町川かわ

上かみ

地区でも田畑が泥どろ

水みず

につ

かり、家が流され、多くの被ひ

害がい

が出たそうです。昭しょう

和わ

20年の水すい

害がい

では20人、昭しょう

和わ

24年の水すい

害がい

では

18人が犠ぎ

牲せい

になりました。それから「二に

十じゅう

菩ぼ

薩さつ

碑ひ

」という石せき

碑ひ

が建た

てられ、今も災さい

害がい

のおそろしさを

語かた

りついでいます。

 川かわ

上かみ

地区にはそれらの災さい

害がい

を今でもおぼえているお年とし

寄よ

りがたくさんいます。子どもの頃に体たい

験けん

た災さい

害がい

の話を紹しょう

介かい

しましょう。

子どもの頃に体たい

験けん

したおそろしい水すい

害がい

昭しょ う

和わ

20年と24年の水

す い

害が い

実じっ

際さい

に体験した人ひと

の話はなし

を聞き

いてみよう

たった4年の間にこんなに大きな水害が2回もあったんだね

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佐賀市大和町川上地区

ささ がが

やまやま とと ちょうちょう

しし

かわかわ かみかみ ちち くく

テーマ 災害の伝承(口伝)

さい がい でんしょう

04 たか

エピソード

 こうした災さい

害がい

の体たい

験けん

談だん

から、私たちは多くのことを学ぶことができます。「高い所まで浸しん

水すい

たら、ドアや窓まど

が開あ

かなくなる」「ぬれてこまるものは家の高い所に上げておく」「飲み水や保ほ

存ぞん

食しょく

の準じゅん

備び

が必ひつ

要よう

」「川のそばは危き

険けん

。早めに避ひ

難なん

しよう」などと想そう

像ぞう

して、災さい

害がい

への備そな

えに役

立てることができるのです。

 あなたもお年とし

寄よ

りと話す時、昔の災さい

害がい

の話もぜひ聞いてみま

しょう。そして、もし自分が災さい

害がい

にあった時はどうしたらいい

のか、家族と話し合ってみましょう。

川上地区のお年寄りたちから、当時体験した水害の話を聞かせていただきました

10

災さい

害がい

の体たい

験けん

談だん

に学ぼう

 「北ほく

山ざん

ダムができる前は、大雨が降るとよく田んぼや畑が水につかっていました。

昭しょう

和わ

20年と24年の台風の時も川から水があふれてきましたが、ここまで水かさが

高くなるとは思っていませんでした。家の中に浸しん

水すい

する前に、1階にあった食料や着

物を2階に上げ、牛と馬を安全な場所に避ひ

難なん

させました」

 「1階が水につかってしまうと、窓まど

が開あ

けられなくなり、家の外に出られませんでした。ですから天てん

井じょう

に穴あな

を開あ

けて、そこから屋根の上にのぼって助けを待ちました。地じ

盤ばん

の低い家の方から『助けてく

んさーい』とさけぶ声が聞こえ、牛や馬もたくさん流されていました。助けを待つ間は飲み水がなく、

流れてきた食しょく

料りょう

を拾って食べたりしました」

 「昭しょう

和わ

24年の水すい

害がい

の時は小学3年生でした。夜の間に水かさが

増してきたので、天てん

井じょう

に避ひ

難なん

しました。米や食しょく

料りょう

、たたみも高い所

に上げました。『大雨が来たら、にぎり飯めし

を作って上においておけ』

と言われていたので、この日もごはんをたくさん炊た

きました。そ

れから3日くらいは水が引かず、料理もできなかったので、にぎ

り飯めし

があって助かりました」

 「東ひがし

平ひら

川の堤てい

防ぼう

がこわれた時、川の近くにある家が3軒けん

流されま

した。その家に住んでいた10人が、川のそばの大きな木につか

まり、助けを待っていました。水の勢いきお

いが強かったので、その人

たちは服をはぎとられ丸まる

裸はだか

になっていました。1日中、木の上で

助けを待っていたようです」

おじいさんおばあさんが災さい

害がい

にあった日

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05伊万里市二里町

いい まま

にに りり ちょうちょう

りり しし

テーマ 災害の伝承(手記)

起きた災害お さいがい

11

家が流されるなんてどれくらいひどい災害だったんだろう。想そう

像ぞう

もできないよ…

下:「金武神社 重要箱」と書かれた木箱  に記録が大切に保管されています

上 : 線路沿いに石碑が並ぶ。手前が八菩薩の碑   手前から3つ目が水天宮

真夜中におそってきた大だい

洪こう

水ずい

有あ り

田た

川が わ

の大だ い

洪こ う

水ず い

災さい

害がい

をありのままに記き

録ろく

したノート

そうだね。当時の人たちが記したノートが残っているから

見てみよう !

 腰こし

岳だけ

と国くに

見み

山さん

地ち

という二つの山にはさまれた伊い

万ま

里り

市の二に

里り

町ちょう

。町の中央を有あり

田た

川がわ

が流れていて、のどかな風ふう

景けい

が広がっています。この有あり

田た

川がわ

は二に

里り

町ちょう

の生せい

活かつ

用よう

水すい

や農のう

業ぎょう

用よう

水すい

として欠かせない川でしたが、たびたび水すい

害がい

を起こす川でもありました。

 1948(昭しょう

和わ

23)年には大だい

洪こう

水ずい

がありました。9月10日から雨が降ふ

り続いて有あり

田た

川がわ

が増ぞう

水すい

し、

11日の夜、にごった川の水が一気に町の中におしよせてきたのです。真夜中になると、有あり

田た

川がわ

の流りゅう

域いき

にある家が流され始めました。避ひ

難なん

できなかった人は家とともに流され、二に

里り

町ちょう

だけで12人の命いのち

がうばわれました。町の中は土ど

砂しゃ

や、建たて

物もの

がばらばらにこわれた瓦が

れきにおおわれ、橋もほとんど

流されてしまったそうです。

今は改修されていますが、上流の大

おお

井い

手で

堰ぜき

もこの洪水により流されました

金武神社付近にある六ろく

地じ

蔵ぞう

塔とう

笠の高さ (1.5 メートル ) まで水がきたという

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05伊万里市二里町

いい まま

にに りり ちょうちょう

りり しし

テーマ 災害の伝承(手記)

たか

エピソード

 二に

里り

町ちょう

には水すい

害がい

にまつわる石せき

碑ひ

が、町のあちらこちらにあります。MR金かん

武たけ

駅えき

のそばにある

「八はち

菩ぼ

薩さつ

の碑ひ

」「水すい

天てん

宮ぐう

」は、 昭しょう

和わ

23年の大だい

洪こう

水ずい

の犠ぎ

牲せい

者しゃ

をなぐさめ、安全を祈いの

るために建た

られました。毎年夏には金かん

武たけ

集落の子どもたちが中心になって「八はち

菩ぼ

薩さつ

さんの市いち

」「水すい

天てん

宮ぐう

んの市いち

」というお祭りを行っています。

 今いま

では有あり

田た

川がわ

の改かい

修しゅう

工こう

事じ

が終わり、水すい

害がい

ほとんどありません。二に

里り

町ちょう

の人たちにとっ

て、有あり

田た

川がわ

は自し

然ぜん

豊ゆた

かなふるさとのシンボル

になっています。しかし、災さい

害がい

を起こす川の

こわさを忘れてはならないという教きょう

訓くん

ももち

続けています。記き

録ろく

ノートや石せき

碑ひ

、そしてお

祭りを通して災さい

害がい

の歴れき

史し

を伝え、もう二度と

起こらないようにと祈っています。

田中親さんが残した「有田川 大水害記録」当時の災害の様子を伝える貴

重ちょう

な資料です

12

 昭しょう

和わ

23年の有あり

田た

川がわ

の大だい

洪こう

水ずい

の様よう

子す

を、二に

里り

町ちょう

の人が書き残した記き

録ろく

があります。

  一つは、金

かん

武たけ

神社に古くからある『積つみ

立たて

基き

金きん

台だい

帳ちょう

』です。これは昔の人がお金の

出入りなどを書きつけたノートのようなものです。そのなかに大だい

洪こう

水ずい

の記き

録ろく

もあり

ました。「前夜から小雨が降ふ

り続き、夜7時から豪ごう

雨う

となり、午後9時40分には有あり

田た

川がわ

が増ぞう

水すい

して

堤てい

防ぼう

をこえ、警けい

鐘しょう

(危き

険けん

を知らせる鐘かね

)が打ちならされ、防ぼう

水すい

活かつ

動どう

が始まった」と書かれています。

さらに死し

者しゃ

と流された家の数、お見み

舞ま

いの金きん

額がく

、助けに来た人たちの人数まで、細かく書かれてい

ました。

 もう一つは、二に

里り

町ちょう

の田た

中なか

親ちかし

さんという人が書いた『有あり

田た

川がわ

大だい

水すい

害がい

記き

録ろく

』です。田中さんは30歳さい

くらいの時に、この大だい

洪こう

水ずい

にあいました。一家4人が家ごと川に流

され、伊い

万ま

里り

湾わん

の越こし

木き

島じま

に流れつき、奇き

跡せき

的てき

に助かったそうです。

田中さんの記き

録ろく

によると「午前2時前に2階の天てん

井じょう

あたりから水が

ビュービュー入り出した。そして2時になると同時に電でん

灯とう

が消え、

ガチャンガチャンと大きな音がなり、家が倒とう

壊かい

した」とあります。

洪こう

水ずい

で家が流される瞬しゅん

間かん

の様よう

子す

がありのままに書かれていて、おそ

ろしさがじわじわと伝わってきます。

水すい

害がい

の記き

録ろく

ノート

災さい

害がい

を忘わす

れないために

おだやかに流れる有田川のそばに「有田川改修竣工記念碑」が建てられています

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06テーマ 災害に

そなえた家づくりと共助

有田町ありあり たた ちょうちょう

起きた災害お さいがい

13

そんな災さい

害がい

に備そな

えて建た

てられた家いえ

が有あり

田た

町ちょう

にあるんだ

有田に残る「松本家住宅」には、災害へのさまざまな備えがなされています

やきものの町を焼や

きつくした大おお

火か

事じ

家いえ

づくりにこめた防ぼう

災さい

と助たす

け合あ

いの心

松ま つ

本も と

家け

住じ ゅ う

宅た く

50人にん

もの人が亡くなるなんて本ほん

当とう

に大たい

変へん

な火か

事じ

だったんだね

 台風は強い風や大雨をもたらすだけでなく、時として火事のもとにもなります。

最さい

初しょ

は小さな火でも風にあおられれば、いきおいよく燃も

え始め、大きなほのおにな

ることがあるからです。

 やきもので有名な有あり

田た

町ちょう

では、江え

戸ど

時代に町中を焼や

きつくす大おお

火か

事じ

がありました。1828(文ぶん

政せい

11)

年9月16日、「子ね

年どし

の大おお

風かぜ

(シーボルト台風)」というとても大きな台風がきて、有あり

田た

町ちょう

にも強い風

雨がおそいかかりました。そしてなんと、やきものを焼く窯かま

の火をあおり、火事を出してしまった

のです。その火は次から次へと建たて

物もの

に燃も

え移うつ

りました。ついに有田の町は跡あと

形かた

もないほど焼や

けおち、

40~50人もの人が亡な

くなりました。この大おお

火か

事じ

は「有あり

田た

の大たい

火か

」とよばれ、有あり

田た

町ちょう

で一番おそろ

しい災さい

害がい

だったといわれています。

「永代帳 ( 正司家文書 )」(有田町歴史民俗資料館提供)には、大火事のすさまじさが詳しく記されています

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06テーマ 災害に

そなえた家づくりと共助

有田町ありあり たた ちょうちょう

たか

エピソード

災さい

害がい

に備そな

えた家

14

こまった時は助け合う

基礎の高さが一目でわかります

家の横には空き地がひろがっています

「安政6年松浦郡有田郷図」(佐賀県立図書館所蔵)大火から 30 年後の復興した有田の町並みの様子が描かれています。

 有あり

田た

町ちょう

の内うち

山やま

地区は、やきもの工場やお店がたくさ

ん集まっている場所です。それらの建たて

物もの

のほとんどが、

「有あり

田た

の大たい

火か

」のあとに建た

てられました。明めい

治じ

時代に

活かつ

躍やく

した商しょう

人にん

、松まつ

本もと

庄しょう

之の

助すけ

が建た

てた「松まつ

本もと

家け

住じゅう

宅たく

」もそのひとつです。

 この家は3階かい

建だ

てで、昔の蔵くら

(倉そう

庫こ

)のような建たて

物もの

ですが、災さい

害がい

備そな

えた工く

夫ふう

がたくさんあります。たとえば、家の土ど

台だい

(基き

礎そ

)は地上

1m、地下1mと、とても高くつくられています。土台が高いと、洪こう

水ずい

が起きても床ゆか

の上まで浸しん

水すい

しにくくなるからです。壁かべ

には「漆しっ

喰くい

(石せっ

灰かい

にねん土などをねり合わせたもの)」が塗ぬ

られています。漆しっ

喰くい

燃も

えにくいため、古くからお城しろ

や蔵くら

の壁かべ

によく使われていました。ま

た、火事になった時にほかの建たて

物もの

に燃も

え移うつ

らないように、家のまわり

は庭や空あ

き地ち

にしたそうです。

 さらに入口の土ど

間ま

や台所、お風ふ

呂ろ

はとても広くつくられました。災さい

害がい

が起きた時、住民が集まって、

困こま

っている人のためにお米を炊た

いたり、お風ふ

呂ろ

を貸か

したりするためです。

 松まつ

本もと

庄しょう

之の

助すけ

がこの家を建た

てる時、母おともから「災さい

害がい

に備そな

えた家にしてほしい」とたのまれ

たそうです。なぜなら、おともは「有あり

田た

の大たい

火か

」のことを親やお年とし

寄よ

りから聞いて、そのこわ

さをよく知っていたからです。庄しょう

之の

助すけ

は母の言いつけを守りました。それから台風がきても家

がこわれることはなく、今でも子し

孫そん

が住み続つづ

けています。

 庄しょう

之の

助すけ

は有あり

田た

町ちょう

に銀ぎん

行こう

をつくり、町の発はっ

展てん

のために力をつくしました。そしてお金持ちだけで

なく庶しょ

民みん

や、困こま

っている人たちの役に立ちたいと思っ

ていました。そんな庄しょう

之の

助すけ

の努ど

力りょく

もあり、有あり

田た

町ちょう

は世界

でも有名なやきものの町になりました。

 台風や大雨を人間の手で止めることはできません。

しかし、被ひ

害がい

を少しでも小さくする工く

夫ふう

はできます。

日ごろから災さい

害がい

に備そな

え、いざという時は助け合う「思い

やりの心」が大切なのだと、この家が教えてくれます。

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テーマ 災害の伝承(記録) ★

伊万里市南波多町

いい まま

みなみみなみ はは たた ちょうちょう

りり しし

07起きた災害お さいがい

15

上:歴史を感じさせるたたずまいの住吉天神社下:平成 18 年大雨 水留地区の洪水の様子  写真提供:武雄河川事務所

水すい

害がい

が起こりやすい地ち

形けい

江え

戸ど

時代から続つづ

く洪こう

水ずい

の記き

録ろく

住す み

吉よ し

天て ん

神じ ん

社じ ゃ

2.9 mってどれくらいの高さなんだろう !

そういうことを知し

ることができるよう水つづみ

留地区の人たちはあるところに水

すい

位い

を記録しているんだ

 伊い

万ま

里り

市し

の南みなみ

波は

多た

町ちょう

水つづみ

留地区は昔から洪こう

水ずい

がよく起こる地ち

域いき

でした。水つづみ

留地区は

山にかこまれた盆ぼん

地ち

にあり、山から流れ落ちる水がここに集まってしまうからです。

さらに、地区の中を流れる波は

多た

川は曲がりくねり、川かわ

幅はば

が急にせまくなる場所もあ

ります。ですから、大雨が降ふ

ると川の水が流れきれずにあふれ出し、田んぼも水びたしになるのです。

「水が留とど

まる」ことから「水つづみ

留」という地名になったとも言われています。

 2006(平へい

成せい

18)年9月16日の大雨の時も、大だい

水すい

害がい

が発生しました。一番高いところで2.9mも

水すい

位い

が上がり、国こく

道どう

は水につかって川のようになり、約80戸の家が床ゆか

上うえ

浸しん

水すい

になったそうです。

平成18 年の大雨では、南波多町の府招地区で大規模な土砂災害が発生しました

神社の近くにある電柱にも、水位が記録されています

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テーマ 災害の伝承(記録) ★

伊万里市南波多町

いい まま

みなみみなみ はは たた ちょうちょう

りり しし

07 エピソード

16

記き

録ろく

は未来へのメッセージ

線で囲んだ場所には「安政四年」と記されています 

後世の人たちに伝えるため、水位の記録は石碑にしっかり刻みこまれています

神社に残された洪こう

水ずい

の水すい

位い

 この水つづみ

留地区にはとてもめずらしい神社があります。住すみ

吉よし

天てん

神じん

社じゃ

という名前の、小さくて歴れき

史し

のある神社です。神社の

うしろには波は

多た

川が流れ、正面には田んぼが広がっているこ

とから、この神社も昔からよく洪こう

水ずい

で水につかっていました。そのため地元

の人たちが神社の柱はしら

に水すい

位い

の線をきざんで、記録してきたのです。

 一番高い所にある線を見ると、その横に「安あん

政せい

四年」と書かれています。

これは江え

戸ど

時代の終わりごろの1857年のことで、この時の水すい

位い

が3m近く

上がったことがわかります。それは神社の鳥とり

居い

の上までつかってしまうくら

いの高さです。

 一番古いのは「寛かん

保ぽう

元がん

年ねん

」と書かれた線で、江え

戸ど

時代の中ごろの1741年

にも洪こう

水ずい

があったことを示しています。ほかにも「昭しょう

和わ

23年」や「平へい

成せい

2年」

と書かれた線もあり、水つづみ

留地区の洪こう

水ずい

の歴れき

史し

を知ることができます。

 だれが、何のために、神社の柱はしら

に線をきざんだのかはわかりません。ですが、水つづみ

留地区は昔

から洪こう

水ずい

が多かったので、「大雨が降ふ

ったら、ここまで水がくることがあるから気をつけなさい」

と伝えるために、昔の人が書き始めたのでしょう。住すみ

吉よし

天てん

神じん

社じゃ

は昔、お祭まつ

りや相すもう

撲などが行われ、

人がよく集まる場所でした。柱はしら

の線を見るたびに、水つづみ

留の人たちは洪こう

水ずい

に注意するよう気持ちを

引きしめたはずです。

 それから現代になり、1996(平へい

成せい

8) 年「南みなみ

波は

多た

の昔を語る会」の人たちが、住すみ

吉よし

天てん

神じん

社じゃ

の鳥とり

居い

のとなりに石せき

碑ひ

を建た

てました。この石せき

碑ひ

は丈じょう

夫ぶ

な石でつくられ、神社の

柱はしら

に残された水すい

位い

の記き

録ろく

がそのまま書き写されています。もしも住吉天神

社がほかの場所に移されたりしても、この石せき

碑ひ

があれば大切な記き

録ろく

はずっ

と残るでしょう。

 災さい

害がい

の記き

録ろく

を残していくことは、自分たちの住むまちにどん

な災さい

害がい

が起こるかを伝えていくことです。記き

録ろく

が未来の子ど

もたちを守ることにもつながるのです。

約300年も前から記録をし続けているんだね

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08テーマ 先人の知恵

せん じん ち え

唐津市相知町

からから つつ

おうおう ちち ちょうちょう

しし

たか

エピソード

17

それだけでなく相知の人たちは川と共きょう

存ぞん

していくためいろいろな工夫を考えたんだ

水害が起きてもできるだけ被害を少なくするための工夫なんだね

上:町切堰は厳木川の水を取りこむためにつくられました下:現在も稼働している水車が見学できます

写真奥の方に流れる松浦川に対し、横方向につくられた「横提」かなりの長さだとわかります

水すい

害がい

をふせぐ先せん

人じん

の知ち

恵え

水の災さい

害がい

をふせぎ、水の恵めぐ

みを利用する

町ち ょ う

切ぎ り

の治ち

水す い

施し

設せ つ

 唐から

津つ

を代表する大きな川といえば松まつ

浦うら

川がわ

と厳きゅうらぎ

木川がわ

です。この二つの川は相おう

知ち

町ちょう

中心部で合流し、1本の川になります。松まつ

浦うら

川がわ

と厳きゅうらぎ

木川がわ

が「会あ

う地ち

」だから、「相おう

知ち

」という地ち

名めい

になったとも言われています。しかしこれらの川は、昔からよく洪こう

水ずい

を起こし、人の命いのち

や家、農のう

地ち

をうばってきました。そのため相おう

知ち

には、水すい

害がい

をふせぐための堤てい

防ぼう

やため池がつくられ、水すい

害がい

にまつわる石せき

碑ひ

もたくさんあります。

 なかでもめずらしいのが堤てい

防ぼう

です。ふつうの堤てい

防ぼう

は川の流れにそって、たて方向につくられます。

しかし相おう

知ち

では、川とほぼ直角になるように横方向につくられた堤てい

防ぼう

が何カ所もあるのです。これ

を「横よこ

提てい

」といいます。もし、ふつうの堤てい

防ぼう

がこわれても、横よこ

提てい

で水の流れを受けとめることがで

きます。横よこ

提てい

のおかげで、下か

流りゅう

にある集しゅう

落らく

や農地への被ひ

害がい

を少なくすることができました。

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08テーマ 先人の知恵

せん じん ち え

唐津市相知町

からから つつ

おうおう ちち ちょうちょう

しし

たか

エピソード

石盛信行さん「自然と暮らしを考える研究会」代表相知の歴史を次

世せ

代だい

につなぐためにさまざまな活動をされています

18

災さい

害がい

を乗りこえるために必ひつ

要よう

なのは? 厳

きゅうらぎ

木川がわ

が洪こう

水ずい

を起こして町ちょう

切ぎり

堰ぜき

がこわれると、村人たちが改かい

修しゅう

工事を行いました。町ちょう

切ぎり

堰ぜき

のそ

ばにある1885(明めい

治じ

18)年の石せき

碑ひ

を見ると、「昨年7月の洪こう

水ずい

で堰せき

がこわれたので、相おう

知ち

の16

の村の若わか

者もの

4000人が1カ月かけて修しゅう

理り

した」と書かれています。町の安全と農のう

作さく

物もつ

を守るため

に、おおぜいの人たちが工事に参さん

加か

したことがわかります。災さい

害がい

を乗りこえるためには、目もく

標ひょう

を決

めて人々をまとめるリーダーと、みんなが助け合って努ど

力りょく

することが必ひつ

要よう

なのです。

 やがて時代が変わり、1955( 昭しょう

和わ

30) 年ごろまでは町ちょう

切ぎり

地区の周辺に20基き

以上の水すい

車しゃ

があり

ましたが、年ねん

々ねん

へっていきました。1996(平へい

成せい

8)年にはわずか2基き

になったそうです。そこで地じ

元もと

の人たちは「自し

然ぜん

と暮く

らしを考える研けん

究きゅう

会かい

」をつくって水すい

車しゃ

の保ほ

存ぞん

活かつ

動どう

を始め、4基き

の水すい

車しゃ

をよみが

えらせました。今でも田た

植う

えの時じ

期き

になると水すい

車しゃ

を使い、田んぼに水を引き入れるそうです。

また、環かん

境きょう

の大切さを学ぶイベントなども行い、

地ち

域いき

のシンボルとして水すい

車しゃ

を活用しています。

 こうして、相おう

知ち

の人々 が知ち

恵え

をいかしながら災さい

害がい

を乗りこえた歴れき

史し

を、広く伝えているのです。

 しかし、いくら水すい

害がい

が多いと言っても、生活や稲いな

作さく

をするうえで川は欠かせない

ものでした。そこで洪こう

水ずい

をふせいだり、水の便べん

をよくしたりする「治ち

水すい

」のための

施し

設せつ

(建たて

物もの

などの設せつ

備び

)もつくられました。

 考えたのは、江え

戸ど

時代の唐から

津つ

のお殿との

さまです。「川よりも一いち

段だん

い所に田んぼをつくって、水すい

害がい

にあわないようにしよう」とひらめ

き、高い所にある田んぼに水を運ぶための方ほう

法ほう

を考えたのです。そ

れは、①厳きゅうらぎ

木川がわ

に「堰せき

」をつくり、川の水を取りこむ ②取りこんだ

水を「用よう

水すい

路ろ

」で集しゅう

落らく

に運ぶ ③用よう

水すい

路ろ

を流れてきた水を「水すい

車しゃ

」で

田んぼに引き上げる──という方ほう

法ほう

です。そのおかげで、水すい

害がい

から

田畑を守りながら、水をうまく利用することもでき、お米が安定し

て収しゅう

穫かく

できるようになりました。これらは町ちょう

切ぎり

地区にあるので、「町ちょう

切ぎり

堰ぜき

」「町ちょう

切ぎり

用よう

水すい

」「町ちょう

切ぎり

水すい

車しゃ

」とよばれています。

水をうまく利用する

町切堰の近くにある 3 つの改修記念碑( 左から明治18 年、昭和19 年、昭和43 年 )

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テーマ 災害の伝承(石碑) ★

神埼市かんかん ざきざき しし

09起きた災害お さいがい

19

ため池の決壊ってこんなに大きな災害になるんだね…

ため池が決けっ

壊かい

するこわさ

上:「天神尾溜池」は今も地域の田畑に   とってなくてはならない存在です下:溜池の脇には「銘肝碑」と刻まれ  た石碑があります

災さい

害がい

の教きょう

訓くん

を伝つた

える石せき

碑ひ

天て ん

神じ ん

尾お

溜た め

池い け

の石せ き

碑ひ

 神かん

埼ざき

町まち

尾お

崎ざき

の山あいに「天てん

神じん

尾お

溜ため

池いけ

」という名のため池があります。ため池とは、農のう

業ぎょう

や防ぼう

災さい

のために雨水などをためておく池のことで、江え

戸ど

時代に多く作られたそうです。

佐さ

賀が

県だけでも約2600カ所にため池があります。

 天てん

神じん

尾お

溜ため

池いけ

は農のう

業ぎょう

用よう

のため池です。水が必ひつ

要よう

な時じ

期き

になると、山の上からすそ野にある田畑に水を送り

出します。この周辺には大きな河か

川せん

がなく、昔からたびたび「水みず

不ぶ

足そく

」や、土がかわいて作物がかれる「干かん

ばつ」が起きていました。天てん

神じん

尾お

溜ため

池いけ

は農のう

業ぎょう

をする上で欠かせない大切な水すい

源げん

なのです。

 ところがこの天てん

神じん

尾お

溜ため

池いけ

も大雨のためにこわれ、大きな水すい

害がい

が起きたことがあります。1947(昭しょう

和わ

22)年6月21日から降ふ

り続いた雨のせいで、天てん

神じん

尾お

溜ため

池いけ

に大たい

量りょう

の雨水がたまりました。そして、ついに

24日の朝8時ごろ、堤つつみ

がくずれ落ちる「決けっ

壊かい

」が起きてしまった

のです。ため池からあふれ出た水や土ど

砂しゃ

は、一気に山を下って流

れおち、田畑をうめつくし、農のう

作さく

物もつ

の植えつけができなくなりま

した。ため池につながっている岩いわ

田た

川がわ

の流りゅう

域いき

では、家屋が床ゆか

上うえ

で浸しん

水すい

し、小屋も流されてしまいました。

普段のくらしを支えているため池でも、こわい一面があることを伝えていくことが大切だね

昭和 22 年 6 月 25 日 佐賀新聞       佐賀新聞社提供天神尾溜池の決壊が新聞記事で伝えられています

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テーマ 災害の伝承(石碑) ★

神埼市かんかん ざきざき しし

09 たか

エピソード

山口正俊さんため池が決壊した当時、山口さんが通っていた小学校の校長先生が野田先生でした野田先生が「銘肝碑」の文字に込めた思いを語っていただきました

20

未来に災さい

害がい

を伝える石せき

碑ひ

 天てん

神じん

尾お

溜ため

池いけ

の石せき

碑ひ

のように、佐さ

賀が

県には災さい

害がい

にまつわる石せき

碑ひ

がたくさんあります。その場所

で起こった災さい

害がい

を記き

録ろく

する石せき

碑ひ

、災さい

害がい

の犠ぎ

牲せい

者しゃ

をなぐさめる石せき

碑ひ

、もう二度と災さい

害がい

が起きない

ように祈いの

るための石せき

碑ひ

、復ふっ

旧きゅう

工こう

事じ

が終わった記念に建た

てた石せき

碑ひ

…などです。大きさも形も、建た

られた年代もさまざまですが、昔の人はこわれにくい石に大切な情じょう

報ほう

をきざんで、未来の人た

ちに伝えようとしたのでしょう。

 道路や川のわきで、または山の中で石せき

碑ひ

を見かけたら、「昔

の人たちは私たちに何を伝えようとしているんだろう?」と考

えてみてください。その土地の歴れき

史し

を物語る、大切なメッセー

ジがかくされているかもしれません。

 やがて土ど

砂しゃ

にうまった田畑

は少しずつもとの状じょう

態たい

にもど

りました。1969(昭しょう

和わ

44)

年には天てん

神じん

尾お

溜ため

池いけ

の改かい

修しゅう

工事も終わり、石せき

碑ひ

が建た

てられました。

 この石せき

碑ひ

の表には「堤てい

防ぼう

決けっ

壊かい

銘めい

肝かん

碑ひ

」、うら

側には「昭しょう

和わ

22年6月24日 天てん

災さい

は忘わす

れた

頃ころ

に来る」と書かれています。文字を書いた

のは、地元の小学校で教えていた野の

田だ

常つね

三ぞう

生です。じつは野田先生の家も岩いわ

田た

川がわ

の近く

にありました。昭和22年に天てん

神じん

尾お

溜ため

池いけ

が決けっ

壊かい

した時は、野田先

生の奥おく

さんが川に流されないよう、家の柱はしら

に必死でしがみついた

そうです。

 水すい

害がい

のおそろしさを思い知った野田先生は、「天てん

災さい

を肝きも

に銘めい

る(深く心にきざみこんで忘わす

れない)」という教きょう

訓くん

を伝えるために、

天てん

神じん

尾お

溜ため

池いけ

の石せき

碑ひ

に「銘めい

肝かん

碑ひ

」と名付けました。この石せき

碑ひ

を見る

たびに、地元の人たちはため池が決けっ

壊かい

した時のことを思い出すで

しょう。

災さい

害がい

を肝きも

にめいじる

「銘肝碑」の裏には 「天災は忘れた頃に来る」の文字がきざまれています

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テーマ 災害の伝承(鳥居) ★

鳥栖市とと すす しし

10起きた災害お さいがい

21

佐賀でも大きな地震が起きてたんだね…知らなかった

上:この鳥居のみが建立時の姿   をのこしています下:神社境内には地震で倒れた  鳥居が保存されています佐

賀が

県でも震しん

度ど

6弱じゃく

を記き

録ろく

菅す が

原わ ら

神じ ん

社じ ゃ

大おお

地じ

震しん

により倒とう

壊かい

した神社の鳥とり

居い

 2005(平へい

成せい

17)年3月20日午前10時53分ごろ、「福ふく

岡おか

県けん

西せい

方ほう

沖おき

地じ

震しん

」が発はっ

生せい

しました。マグニチュード7の強い地じ

震しん

で、1人が死し

亡ぼう

、1200人以上が負ふ

傷しょう

9000戸以上の家屋が損そん

壊かい

と、福ふく

岡おか

市を中心に多くの被ひ

害がい

が出ました。

 佐さ

賀が

県の鳥栖地方でも震しん

度ど

5強きょう

という強いゆれが記き

録ろく

されました。 県内のほかの市町でも震しん

度ど

4~6が記き

録ろく

され、15人が重じゅう

軽けい

傷しょう

、130戸以上の家が損そん

壊かい

しました。

 日本は地じ

震しん

の多い国です。1995(平へい

成せい

7)年の阪はん

神しん

・淡あわ

路じ

大だい

震しん

災さい

、2011(平へい

成せい

23)年の東ひがし

日に

本ほん

大だい

震しん

災さい

では、もとの姿すがた

がわからないほど、まちがこわれてしまい、多くの人が犠ぎ

牲せい

になりました。

しかし、これまで佐さ

賀が

や福ふく

岡おか

では地じ

震しん

はあまりありませんでした。経けい

験けん

もない、予よ

想そう

もしない地じ

震しん

に、

佐さ

賀が

の多くの人がおどろき、不安になりました。

佐賀で発生した記録に残っている地震の中で、一番大きい地震

だったんだ

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テーマ 災害の伝承(鳥居) ★

鳥栖市とと すす しし

10 たか

エピソード

地震で倒壊した直後の鳥居     佐賀新聞社提供

鳥居のひび割れも当時のまま残っています

22

地じ

震しん

は突とつ

然ぜん

起こるから… じつは原

はる

町まち

地区の周辺は昔から水すい

害がい

が多く、災さい

害がい

のおそろしさを知っている人がたくさんい

ます。そのため日ごろから災さい

害がい

に備そな

え、防ぼう

災さい

訓くん

練れん

や避ひ

難なん

訓くん

練れん

も毎年行っているそうです。だか

ら菅すが

原わら

神社の鳥とり

居い

が倒たお

れた時も、保ほ

存ぞん

して教きょう

訓くん

にしようとしたのでしょう。

 地じ

震しん

は突とつ

然ぜん

起こります。どんなに科学が発はっ

達たつ

した時代でも、地じ

震しん

の予よ

測そく

はとてもむずかしい

ことです。ですから、もしも自分の住むまちで地じ

震しん

が起きてしまっ

たら、「どこが危き

険けん

なのか」を知っておくことはとても大事です。

さらに「どこに避難すれば安全なのか」「どう家族と連れん

絡らく

を取り

合うか」などをふだんから考え、家族や近所の人とも話し合って

おきましょう。

助かったのは不幸中の幸い 地

震しん

の被ひ

害がい

は思いがけないところにも現あらわ

れました。

それは神社にある鳥とり

居い

です。多くの鳥とり

居い

はがんじょう

な石で作られていますが、地じ

震しん

の強いゆれにたえきれ

なかったのでしょう。福ふく

岡おか

県けん

西せい

方ほう

沖おき

地じ

震しん

では菅すが

原わら

神社(鳥と

栖す

市)と天てん

神社(唐から

津つ

市)の鳥とり

居い

が倒たお

れました。さらに2016(平へい

成せい

28)年の

熊くま

本もと

地じ

震しん

では、愛あたご

宕神社(佐さ

賀が

市)と新にきた

北神社(諸もろ

富どみ

町ちょう

)の鳥とり

居い

も倒たお

れたそうです。

 福ふく

岡おか

県けん

西せい

方ほう

沖おき

地じ

震しん

が起きた時は、ちょうど日曜日のお昼前。天気もよ

く、いつもなら子どもたちが神社で遊んでいる時間です。子どもたちが

倒たお

れた鳥とり

居い

の下じきにならなかったことは、不幸中の幸いだったと言

えるでしょう。

 菅すが

原わら

神社のある鳥と

栖す

市原はる

町まち

地区の人たちも、神社に当たり前のよう

にある鳥とり

居い

が倒たお

れてしまったことに、大きなショックを受けました。

そこで住民たちで話し合い、倒たお

れた鳥とり

居い

をすべて集めて、境けい

内だい

で保ほ

存ぞん

・公こう

開かい

することにしました。鳥とり

居い

が倒たお

れた理由や保ほ

存ぞん

する目的をま

とめた看かん

板ばん

も作り、地じ

震しん

のこわさを伝えています。

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大雨

昭和37年大雨 鹿島市   鹿島市提供

昭和28年大雨 小城市 ( 旧牛津町 )  武雄河川事務所提供

 太た

良ら

山さん

地ち

に集中的に降った雨により、この地域

では山やま

崩くず

れが341か所、流されたり、土ど

砂しゃ

に埋も

れたりして全ぜん

半はん

壊かい

した家は353戸にものぼりまし

た。大浦地区を中心に62名の死者・行ゆくえ

方不ふ

明めい

者しゃ

出ました。

 県内の主な河川が次々と決けっ

壊かい

し、各地で地すべ

りや土ど

石せき

流りゅう

(土や石が雨水と一緒に斜しゃ

面めん

を一気に

流れること)が発生しました。県の全域で被害が

広がり、筑後川沿ぞ

いの地域では、10日以上冠かん

水すい

(洪

水により田畑などが水をかぶること)が続いた地

域もありました。水害による被害額は1年間の県

民所しょ

得とく

の6割に到とう

達たつ

するほどで、死者も62名にの

ぼりました。

過去に佐賀県で起きた大きな災害

 佐賀県で発生する風ふう

水すい

害がい

のうち、その半分は大雨によるものです。6月~7月

の梅つ

雨ゆ

の時期は大雨が降ることが1年で最も多く、8月~9月も台風や秋あき

雨さめ

前ぜん

線せん

の影響で大雨がよく降ります。特に、長時間雨が降り続く中で短時間に集中した

雨が降った場合は、大きな災害が起きる可能性があるので注意が必要です。

 三みつ

瀬せ

地区を中心に、山、がけ崩れが926か所、全半壊した家は181戸、 15名の死者が出ました。

6月30日の大雨

7月7日~8日の大雨

6月25日~28日の大雨

23

1953年《昭和28年》

1962年《昭和37年》

1963年《昭和38年》

大きな水害が何回もあったんだね6~7月は大雨

が多いから注意した方がいいね

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過去に佐賀県で起きた大きな災害

24

 牛うし

津づ

川がわ

の堤防が決壊して、牛津町のほぼ全域が浸しん

水すい

により孤こ

立りつ

するという事じ

態たい

が発生しました。その他にも、山崩れ、ため

池決壊など県内の各地で大きな被害が発生し、死者は4名、床

上浸水が3,006戸、床下浸水は16,965戸にのぼりました。

8月28日~31日の大雨

昭和55年大雨 牛津川流域 武雄河川事務所提供

1980年《昭和55年》

平成2年大雨 佐賀市

 河川の堤てい

防ぼう

を越えた水が陸地に流れこむことにより、牛津町

では町全体の8割が浸水し、県全体でも平野部の約半分が浸水

しました。その他にも、県南部と中央部を中心に、山地での災

害が多発し、死者は2名、床上浸水が4,635戸、床下浸水は

21,113戸にのぼりました。

6月28日~7月3日の大雨1990年《平成2年》

 県内の各地でとても激しい雨が降り、24日から26日まで

に降った雨量は、多くの地区で平均的な7月の1か月間の雨量

を上回りました。死者は1名、床上浸水が81戸、床下浸水は

1,065戸にのぼりました。

7月24日~26日の大雨

平成 21 年大雨 武雄市

2009年《平成21年》

平成30年大雨 唐津市 (旧厳木町)

 数日前に九州に接近した台風第7号や梅ばい

雨う

前ぜん

線せん

の影響で九州

の広い範囲で大雨が降りました。佐賀県でも嬉うれし

野の

市の雨量が観かん

測そく

史し

上じょう

1位を更こう

新しん

するなど激しい雨が降り、県内に初めて大雨

特とく

別べつ

警けい

報ほう

が発はっ

表ぴょう

されました。死者2名、負ふ

傷しょう

者しゃ

3名、土砂崩れ

や浸水などによる住宅の被害が発生しました。

7月5日~8日の大雨2018年《平成30年》

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台風

 この台風は佐賀県に接近するにつれて速そく

度ど

が遅くなっていったため、佐賀県では長い時間雨が降り続きました。

この雨の影響により死者・行方不明者は佐賀、小城を中心に95名、家屋の被害は全壊234戸、半壊610戸とい

うとても大きな被害が出ました。

8月16日~18日(ジュディス台風)

 三瀬地区など脊せ

振ふり

山地を中心に大雨が降り、佐賀、神かん

埼ざき

、三み

養や

基き

、小お

城ぎ

地方では河川の堤防がいたるところで

決壊しました。死者・行方不明者は101名、倒とう

壊かい

した家か

屋おく

は304戸というとても大きな被害が出ました。

9月17日(枕まくら

崎ざき

台風)

平成18 年台風 伊万里市

9月16日~18日の台風(台風第13号)と秋雨前線豪雨

 佐賀市で観測史上3位となる秒速50.3メートルの最大瞬間風速を

観測し、県内各地で停電が発生し、生活に大きな影響を及ぼしました。

また、秋雨前線の影響により非常に激しい雨が降り、唐から

津つ

市や伊い

万ま

里り

市で土砂災害が発生し、3名が犠ぎ

牲せい

となりました。農産物への被害も

大きく、特に稲いね

については、過去最悪の出で

来き

となりました。

 佐賀市で観測史上1位となる秒速54.3メートルの最さい

大だい

瞬しゅん

間かん

風ふう

速そく

観測しました。この暴風の影響により、佐賀市と七なな

山やま

村むら

で家の倒壊に巻

き込まれ、2名が死亡、家屋の被害は、全壊9戸、半壊102戸、一部損壊

110戸にのぼり、その他にも農のう

業ぎょう

、商しょう

業ぎょう

への被害も多く発生しました。

9月13日~14日(台風第17号)

 台風第17号の約2週間後に上陸し、佐賀市は観測史上2位となる秒

速52.6メートルの最大瞬間風速を観測しました。連続して直ちょく

撃げき

した台

風による影響は大きく、家屋の被害では、全壊23戸、半壊673戸、一部

損壊34,208戸にのぼり、農業、商業など様々な被害をもたらしました。

9月27日(台風第19号)

 佐賀県は地ち

理り

的てき

に昔から台風が近づくことが多い地域です。台風は平へい

均きん

(1981

年~2010年)すると1年間に約26個発生していますが、佐賀県が位置する九州

北部地方への接せっ

近きん

を見てみると、9個も接近した年もあれば、1個も接近していな

い年もあるなど年によってばらつきがあります。台風が接近すると、大雨、暴ぼう

風ふう

高波、高たか

潮しお

などが発生し、佐賀県ではこれまでも大きな被害を受けてきました。

過去に佐賀県で起きた大きな災害

25

1945年《昭和20年》

1949年《昭和24年》

1991年《平成3年》

1991年《平成3年》

2006年《平成18年》

平成3年台風 佐賀市  佐賀新聞社提供

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地震

9月13日~14日(台風第17号)

9月27日(台風第19号)

 4月14日に発生した最大震度7の地震が起きた2日後、再び熊本地方を震源とするマグニチュード7.3の地

震が発生し、熊本県益まし

城き

町、西にし

原はら

村では震度7を記録しました。佐賀県では、佐賀市、神埼市、上かみ

峰みね

町で震度5

強を記録しました。この地震により、県内では、重傷者4名、軽傷者9名の被害が出ました。

4月16日 熊本地震

 台風の佐賀県の通つう

過か

と有明海の満潮が重なり高潮が発生しました。有明海とつな

がる15の河川で大波により堤防が崩壊し、久く

保ぼ

田た

町では堤防の上の部分が20m

にわたって壊れ、海水が流れ込んできました。また、芦あし

刈かり

町では、漁ぎょ

船せん

150隻せき

が高波を受け、堤防や道路に打ち上げられました。床上浸水は279戸、床下浸

水を含めると1,000戸以上の住宅が被害を受けました。

8月31日 台風第13号

昭和60年高潮 小城市(旧芦刈町)   武雄河川事務所提供

 福岡県西方沖を震しん

源げん

とするマグニチュード7.0の地震が発生し、佐賀県では

みやき町で最大震度の震度6弱を記録しました。この地震により、県内では、

重じゅう

傷しょう

者しゃ

1名、軽けい

傷しょう

者しゃ

14名、半壊1戸、一部損壊136戸の被害が出ました。

3月20日 福岡県西方沖地震

平成17 年福岡県西方沖地震 鳥栖市 佐賀新聞社提供

 台風の最もっと

も風が強いときと有明海の満潮が重なったことで、有明海沿岸の干かん

拓たく

堤防がいたるところで決壊し、

海水が陸りく

地ち

に流れ込んできました。この影響で、田畑は壊滅し、農作物にとても大きな被害が発生しました。また、

一部の地域では、住宅が屋根付近まで水すい

没ぼつ

するなど大きな災害となりました。

8月17日 台風第9号

過去に佐賀県で起きた大きな災害

26

 2019(平成31)年までに佐賀県で発生した記録に残っている地震では、福ふく

岡おか

県けん

西せい

方ほう

沖おき

地じ

震しん

の発生のときに、県で初めて震しん

度ど

6弱を観測しました。また、熊くま

本もと

地震

では、佐賀県で震度5強を観測し、県内に津つ

波なみ

注ちゅう

意い

報ほう

が発表されました。

 佐賀県内には、地震を引き起こす可能性がある活かつ

断だん

層そう

がいくつか存在していま

す。これらの活断層により地震が発生した場合、想定では佐賀県内で最大震度7

の揺れとなると予測されています。

高潮 佐賀県が面する有

あり

明あけ

海かい

は、潮しお

の満み

ち引ひ

きによる潮ちょう い

位(海面の高さ)の差がとても

大きい海として有ゆう

名めい

です。この有明海の満まん

潮ちょう

(海面が最も高い)のときと台風の接

近が重なると、気き

圧あつ

や風の影響により高潮が発生しやすくなります。有明海沿えん

岸がん

は、過去にも多くの高潮被害を受けてきました。

2005年《平成17年》

2016年《平成28年》

1956年《昭和31年》

1985年《昭和60年》

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