永 野 征 男 boeing and the politics of growth in the ......永 野 征 男 ( 34) 34...

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No.39 2004 pp.33 48 33 : 156-8550 3-25-40 Department of Geography, College of Humanities and Sciences, Nihon University: 3-25-40 Sakurajosui Setagaya-ku, Tokyo, 156-8550 Japan 33 Boeing and the Politics of Growth in the Northwest, United State Yukio NAGANO (Received November 1, 2003) At first glance, it might seem like a remarkable thing that the world’s largest company town was treating its prime employer poorly. Certainly no existing political theory on the left or the right would predict that such a thing would happen, and political practice usually dictates against making things hard for big employ- ers. The Seattle area had grown a lot in the fifty years Boeing had been part of the landscape, both by design and by accident. Indeed, the region, like most others in the United States, had spent a lot of time, money, and energy trying to grow, trying to diversify and expand its economy as well as trying to help Boeing succeed. But the antigrowth coalition, typically a coalition of middle and upper class interests whose livelihoods do not appear to depend on more growth, can succeed at changing the game to make growth more difficult. Wash- ington State- prodded by antigrowth forces- jumped into the fray, legislating a Growth Management Act to try to control growth. This came at a time when communities around the country were mortgaging their souls to get factories to locate nearby. Keywords Aircraft Industry, Boeing, Seattle 2001 9 2003 GDP 2003 7 2 2 3 77.6 4.8 6.8 13.8 2002 582 2 77.4 6.6 6 11.2 40 6,840

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Page 1: 永 野 征 男 Boeing and the Politics of Growth in the ......永 野 征 男 ( 34) 34 ワシントン州シアトル市における航空機産業の現状と問題点について

日本大学文理学部自然科学研究所研究紀要No.39 (2004) pp.33 - 48

─   ─33

日本大学文理学部地理学教室 :〒156-8550 東京都世田谷区桜上水 3-25-40

Department of Geography, College of Humanities and Sciences, Nihon University: 3-25-40 Sakurajosui Setagaya-ku, Tokyo, 156-8550 Japan

( )33

ワシントン州シアトル市における航空機産業の

現状と問題点について

永 野 征 男

Boeing and the Politics of Growth in the Northwest, United State

Yukio NAGANO(Received November 1, 2003)

At first glance, it might seem like a remarkable thing that the world’s largest company town was treating its prime employer poorly. Certainly no existing political theory on the left or the right would predict that such a thing would happen, and political practice usually dictates against making things hard for big employ-ers.

The Seattle area had grown a lot in the fifty years Boeing had been part of the landscape, both by design and by accident. Indeed, the region, like most others in the United States, had spent a lot of time, money, and energy trying to grow, trying to diversify and expand its economy as well as trying to help Boeing succeed.

But the antigrowth coalition, typically a coalition of middle and upper class interests whose livelihoods do not appear to depend on more growth, can succeed at changing the game to make growth more difficult. Wash-ington State-prodded by antigrowth forces-jumped into the fray, legislating a Growth Management Act to try to control growth. This came at a time when communities around the country were mortgaging their souls to get factories to locate nearby.

Keywords:Aircraft Industry, Boeing, Seattle

はじめに

アメリカ連邦政府は,2001年9月のテロ以降,国

民の個人消費は落ち込むと考えていた。しかし,

2003年になると急速ともいえる経済回復がみられ,

GDPでは大幅なプラス成長となった。

その一方で,合衆国北西部に位置するワシントン

州は,全米の動きとは異なり,景気の後退が深刻化

している。2003年の失業率は7%の大台にのぼり,

南に隣接するオレゴン州に次いでワースト2位であ

る。この数字は,これから予想される,州内の最大

企業である航空機産業ボーイング社の2~3万人規

模のレイオフによっては,さらに増えるといわれて

いる。

たとえば,シアトル大都市圏内の失業保険加入率

は,前年比で77.6%増の4.8万件という高い値であ

り,オフィスの空室率は6.8%増の13.8%を示した。

ちなみに,州内の巨大企業の売上高(2002年)の比

較では,第1位のボーイング社は582億ドル,2位

はマイクロソフト社の77.4億ドル(この中には訴訟

費用の6.6億ドルを含む),つづいて開業6年目のア

マゾンドットコム社の11.2億ドルである。わが国で

有名なシアトルを本社とするスターバックス社は,

前年比で40%増の6,840万ドルであった。

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ワシントン州シアトル市における航空機産業の現状と問題点について

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なかでも,世界的な巨大企業ボーイング社の存在

は,シアトルのこれまでの発展を支え,企業城下町

の呼称にふさわしい都市化を呈してきた。しかし,

近年の航空機産業そのものの低迷に拍車をかけるよ

うな,ニューヨークでのテロ発生からイラク戦争ま

での出来事は,この国の主力製造業の混迷をいっそ

う強めている。2000年におけるボーイングの本社機

能のシカゴ移転にはじまり,今日の従業員の大量解

雇問題は,ボーイング社の工場が分散立地している

ピュージェット湾岸地域に暗い影を投げている。

本稿では,企業城下町の成立要因の分析,そして

第二次大戦後の航空機産業の動向をふまえて,この

一大企業の地域における展開過程と,テロ以降の混

迷の状況を解明したい。

1 シアトルにおける航空機産業の拡大過程

合衆国における航空機産業の立地は,カリフォル

ニア州のロサンゼルス周辺地域に代表されるよう

な,戦闘機の量産や宇宙開発などに関連して,米軍

との関係がもっとも大きい。その点,シアトルへの

立地時期の早さや要因は特徴を有している。そこ

で,以下のように企業の展開過程を4期に分けて検

討したい。

1-1 航空機産業の萌芽期

はじめにシアトルへ会社設立を考えたWilliam

Boeingは,1881年にデトロイトに生まれた。父親の

Bill Boeingは,木材関係の仕事をしていたが,彼が

8歳のときに死別している。イエール大学の機械工

学科を終了したW. Boeingは,すでに父親が取得し

ていたワシントン州Aberdeenに移住し,28歳から

木材業を始めた。

この頃から飛行機に対する強い関心をもち,1910

年のロサンゼルスで行われた航空ショウーでは,フ

ランス人の飛行機に搭乗している。シアトルへ帰京

した後も,彼の飛行機への夢は衰えず,周囲の人た

ちからは嘲笑されることもあった。

1914年には,T. Marneyがマーチン型の水上飛行

艇でシアトルを訪れた際に搭乗している。当初は,

彼自身が操縦することを考えていたようだが,しだ

いに航空機の製造に興味を持ちはじめた。そして,

1916年にシアトル港へ南部から流入する大河川

Duwamish川の堤防上の旧造船所を改築し,海軍将

校(G.C. Wwestervelt)と機械エンジニアで操縦士

(H. Munter)の3名で,初の航空機製造会社Pacific

Airo Co.,を創設した。

この場所で生産された水上飛行艇(S&W)は,海

軍に販売することを考えていた。この飛行艇は先

のマーチン型に類似していたが,フロートの部分

が軽く外見的に翼部分が豪華であった。彼の仕事

としては,製造技術よりも飛行機を造る必要性を

アピールすることに専念した。具体的には,国家

防衛にとって軍用機の重要性を訴えつづけた。こ

のことは,第一次世界大戦時に現実のことになっ

た。

1918年には,社名をBoeing Airplain Co.,に変更し,

海軍からの発注を受けた。翌1919年に,支社をワ

シントンDCにも開設している。

Boeingの起業したシアトルという地域は,1815年

の東部からの白人移住が最初である。移住者の多

くは農業開拓というよりも,商業を起こすために

定住した。それは,この町が他の都市から孤立し

ていたため,貿易による発展以外は考えられなかっ

た。温暖な気候と豊富な魚介類を中心に発展した

シアトルは,1890年代に世界でもっとも急速に発展

した都市社会であった。

Boeingの企業が成功した要因としては,立地要

因に強く影響する何かがあったということよりも,

むしろ何が近かったかという点にある。ワシント

ン州で最初の経済の黄金期は,1897年のアラスカに

おけるゴールドラッシュとの関係が深い。シアト

ルの人口は,1870年の1,000人から1890年には4.2

万人となり,1910年には23.7万人と急増した。シア

トルはアラスカへの鉱山労働者の供給地として,政

府は金鉱の発見者に対し,シアトルにある政府機

関への登録を義務づけるなど,合衆国北西部のシ

アトルの発展は目ざましかった。(図1)

1-2 第一次世界大戦後の混迷期

この時期は,全世界の航空機メーカーが注文量

の減少により低迷した。そのような中でボーイン

グ社が倒産を免れたのは,広大な土地資産を所有

していたこと,飛行機以外にも家具やボートの製

造を手がけていたためである。このことは,Boeing

自身が空を飛ぶ夢を単に追いつづけていただけで

はなく,企業家としてのビジネスに対する洞察力

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図 1 シアトル市周辺図

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を有していた証しとなる。

また,シアトルという土地は,飛行機製造の材料

となる木材が豊富であったこと,工業用電力の供給

が充分であったこと,さらに地元のワシントン大学

で高度な技術者の養成ができたこと,人口規模から

くる労働力供給の安易さや,工場までの河川交通が

エンジンなどの部品の搬送に有利であったことも大

きい。

この頃のボーイング社に関して特記できること

は,機体の全ての部分に金属を使うことに成功して

いる。その結果,大型の爆撃機や国際郵便専用機,

商業用ジェット機の開発を可能にした。労働力の面

では,アジア系アメリカ人や,白人女性を労働者と

して雇用した。そして,1928年には株式の公開に踏

み切り,翌年には関連企業を合併してUnited Air

Craft & Transpotain に改名した。当時の247型機は,

世界中の商業用旅客機のモデルとなった。

しかし,この時期には二つの問題が生じた。一つ

はUnited航空に対して247型機の導入を強要したこ

とで,反発した他の航空会社が,後発のダグラス社

のDC-3型を導入した。機能面では後者の方が優れ

ていたことから,ボーイングの次期主力機(737型)

が市場に出るまでの間に,DC-3は3,000機の受注が

あった。第二は,1934年に合衆国で「U.S. Airmail法」

が発効され,単独企業からの飛行機の買い上げや郵

送業務が禁止された。したがって,ボーイング社は

この分野で撤退することになった。

1-3 第二次大戦後の再興隆期

戦時下にボーイング社へは数千機の戦闘機の発注

があった。そのために工場は80万から4,100万平方

フィートに拡張された。従業員は1940年の7,500人

から,1943年には32,000人に増加し,工場のあるレ

ントン市の人口は3倍になった。

ボーイング社は1944年までに5万人を雇用し,6億

ドルの売り上げとなった。これは1939年のシアト

ル内の全工場での売上高の10倍に相当する。この

時点までに,工場はAberdean, Bellingham, Hoguiam,

Everett, Chehalis, Tacoma, に建設され,関連する下

請工場は67社であった。

同社がシアトル全域に大きな影響力を持ち始めた

ことは,シアトルを含むKing郡内で6人に1人が同

社の従業員であったことからも推定できる。ちなみ

に郡人口は,1940年の50.4万人から1950年には73.2

万人に増大していた。この急増は,当然のように戦

後における住宅不足や犯罪の増加,公衆衛生上の問

題を引き起こした。1945年には若い弁護士であった

William Allenが社長に就任した。終戦後は同社の売

り上げも下落し,従業員数が1.1万人まで下がった。

政府や市当局も援助はしたものの,低迷がつづき一

時従業者は9,000人,レントン工場も閉鎖された。

その中で空軍による資金供与は,大きな景気回復

の要因となった。同社は軍関連の工場をWichitaへ

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移転した。これは軍の航空機関連産業が南に偏して

いたこと,さらにはカリフォルニアの関連企業もし

だいに東海岸へ移行しつつあった。商業用ジェット

機製造を主力にしてきたボーイング社は,朝鮮戦争

と冷戦によって1940年代後半から1950年代にかけ

て軍関係の受注が増えた。

なかでも爆撃機B-47,B-52,KC135を建造し,こ

れが後の707型の成功に連がった。大型の707型は,

合衆国にとっては期待される機種であったが,商業

用ジェット機のシェアを考えると大きな賭けでも

あった。しかし,他社が大型機生産を見合わせる中

で,このビジネスは大成功を納め,同社とシアトル

との関係も深くなった。その結果,同社はワシント

ン大学へエンジニアの大学院開設を全面的に援助

し,従業員の師弟はそこで専門的知識を学び,ボー

イング社へ就職した。

1-4 経済不況による低迷期

1958年,ボーイング社は6万人を雇用するまでに

拡大し,Business Week紙はシアトルを「企業城下

町」と呼んだ。1959年には社内から上院議員に当選

したH. Jacksonがいる。ボーイング社にとって1960

年代から1970年代にかけてはわずかな動きしかな

かった。超音速輸送機(SST)は,途中で政府資金

話が立ち消え,1969年以降のレイオフが進んだ。

1969年は2.5万人,70年には4.1万人,71年に2.5

万人を数えた。70年代を通して新規発注は1機もな

く,倒産寸前の状況であった。1968年に社長はT.

Wilsonとなり,不況の克服に向かって企業の多角化

を計った。具体的には,風車・水中翼船・高速輸送

システム開発・タービンエンジンの分野に進出し

た。しかし,これまでのラインと異なるこれら建造

は良い結果には連がらなかった。変わったところで

は,1960年以降,オレゴン州東部の広大な所有地を

貸し出し,農業面での企業活動まで指向した。

レイオフとなった従業員の15%が地域外へ去っ

たが,それまでの航空機製造の財はシアトルに蓄積

され,この地の経済の基盤となった。つまり,W.

Gatesの法律事務所の拡充が,息子B. Gatesを名門

ハーバード大へ入れ,P. Allenとマイクロソフト社

をこの地に造ることと同じ論理である。

1990年代に入るとボーイング社は約3万人をレイ

オフした。しかし,シアトル市の経済は1969年や

1982年のような落ち込みは見られなかった。国家

全体が不況の中,同社は解雇の凍結や早期退職制度

を打ち出し,解雇者の数を削減することに努めた。

関連企業10社は,ハイテクやバイオ研究で南部の

Auburn, Tukwilaに工業団地に残存した。

2 ボーイング社と地元シアトル市との関係

ボーイング社の展開にとっては,シアトル市の地

域特性を無視することができない。まず,シアトル

市を含むピュージェット湾岸地域は,全米でも第二

次大戦後に急速な発展をとげた地域として位置づけ

られている。地元経済の発展とともに,中産階級が

居住しはじめ,市街地の郊外部に住宅が建設され

た。ワシントン州民の気風としては,古いものを改

革することよりも,新たな習慣を作ることを好ん

だ。したがって,連邦政府の上意下達に対抗するよ

うな政治スタイルが定着した。その点では,州政府

の考え方を州民は受け入れてきた。

しかし,発展には常に問題を含んでいた。住宅の

不足,犯罪の増加,公衆衛生問題,輸送システムの

ひずみ,教育施設の不足などがあった。これらの解

決のためには,シアトル大都市圏内で解決する手法

がとられてきた。

人口50万人のシアトル市は,州内で最大の都市

であるが,全国的にみたメトロポリスとしては小規

模である。大都市圏内には250万人が居住し,King

郡だけでも州有権者の30%が居住している。ちな

みに州人口の三分の二は,カスケード山脈の西側に

居住し,北部のBellinghamと南部のOlympiaとの間

に二分の一が住んでいる。

1970年代にL.H. ZiegerやH.V. Dalenなどの経済学

者たちは,ワシントン州の経済は多様性に欠けると

指摘してきたが,その後の同州の経済動向に合致し

なかった。航空機生産 ・ 農業 ・ 漁業 ・ 林業を中心と

するばかりでなく,ソフトウェア・バイオ ・ 貿易な

ども重要な役割をもち,依然として農業面での発展

は大きな力となった。

シアトルにおける経済人たちは,この町が「西部

のピッツバーグ」になることを夢見ていた。しかし,

鉄鉱石の生産地や鉄鋼市場に近接しているわけでも

なく,単に地域経済の発展を目指していた。なかで

も州北西部の住民の中には,多業種の産業集積を期

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図 2 1990年以降におけるボーイング社の航空機生産実態

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待する向きもあった。だが,必ずしも工業用地計画

や港湾施設の改良などの開発行為は好まなかった。

ワシントン州の1960年代以前の経済は,成長の

局地にあった。1940年代までは,ボーイング工場,

Brementonの海軍施設,Richlandの原子力開発があ

り,州中央部ではコロンビア盆地での河川やアルミ

ニュウムのプロジェクトが,連邦政府支援のもとに

実施された。ちなみに,1910年~40年の州内の農

業人口は47%あったものが,1951年には37%に減

少した。そして,ピュージェット湾岸地域の発展と

ともに,1960年から70年にかけて環境問題が取り

ざたされるようになった。

ワシントン州では,全米でもいち早く1970年代

初頭に環境保護をあつかう部門を設置し,1971年に

は「海岸線管理条例」を公布している。当時は,ボー

イング社も景気回復の兆しが見えつつあったが,湾

岸地域の人口増加率71%に対して,同社の雇用シェ

アは70年までの10年間に36%から21%に落ち込ん

だ。この時期の状況は,ボーイング社へさほどの影

響を与えなかったと思われる。旅客機のシェアでは

60%を占め,工場を分割することで不況を切り抜け

たことからも分る。

実際は,1983年の景気回復まで失業率は高かっ

た。この時期は,軍事費の削減と重なったことから,

これが不況要素と思われたが,実は商業用ジェット

機の低迷が原因であった。かつて,1968年には328

機(26億ドル)の受注があったが,翌年は164機に

落ち込んだ。その後,1980年・90年と売り上げは伸

びた。当時の同社の首脳部は,輸送システムと風力

タービンの売れ行きが回復の理由であって,商業用

ジェット機が会社を左右するとは考えてもいなかっ

た。雇用面は,もともと航空業界の不安定要素に

よって大きく動かされていた。軍事予算や宇宙プロ

グラムの隆盛期には,この業界も活気づいた。1970

年代の不況は,州議会も経済学者でも予測ができな

いほどであり,2010年に向かってゆっくりと成長す

ると予測していた。

1990年10月にボーイング社は777型の新型ジェッ

ト機の製造を発表した。かつてエバレットに広大な

所有地を持っていたが,すでにその一部をフレ

ディックソン社に売却済みであった。しかし,527

エーカーの土地を新たに入手することができた。郊

外へ工場を建設することは,州環境委員会(GMA)

も歓迎し,計画は議会を問題なく通過した。もちろ

ん,委員会としては,都市成長の最前線をどこに設

定するかを考えてきた。しかし,地元のエバレット

市の反応は異なり,GMAの存在を知っている市民

は27%のみであった。州政府が勝手に基準づくり

をしてきた良い例である。

1990年12月に州政府は,これまでのGMA決定事

項を強化したガイドライン(環境上重要な土地に対

する保護策,空地計画,土地利用計画)を発表した。

これにはボーイング社も反対の姿勢を示した。1991

年,同社は受注の減少とともに,従業員の新規雇用

を中止し,航空業界では初めてのレイオフを実施し

た。当時は世界的な不況に対応して,航空各社は運

賃の引き下げ競争に入り,採算を無視した価格競争

に突入した。受注の航空機の中には,発注延期の申

し出もあり,同社は規模縮小を余儀な

くされた。1990年の従業員数10.4万人

をピークとして減少し,1993年には1

万人の解雇をおこない,ジェット機の

生産を中止するとまで発表した。これ

により,州財政は3.2億万ドルの減収

となった。

このように,ボーイング社がレント

ンやエバレットに工場を増築しようと

考えても,法的規制は年ごとに厳しさ

を増した。同社の経営陣は,何回とな

く州議会に対して意見を述べてきた。

それは企業規模の大きさに関係く,一

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律の規制が課せられることを非難してきた。このあ

たりも,後述するシカゴへの本社機能移転に結びつ

く理由であろう。

また同社は,地元シアトル市にとって最大の慈善

事業支援団体であった。1994年には2.7億ドルが寄

付され,平均しても年間に6,000万ドルが,市当局

や教育関連,文化団体に贈られた。

ボーイング社と従業員組合との関係は,10年に一

回といった対立はあったが,総じて両者は友好関係

にあった。それは,従業員の多くが地元に居住して

おり,苦情も少なかった。1995年の69日間のスト

ライキでは,解決後すぐに職場復帰がみられた。た

とえば技術者は,2.4万~5.0万人で推移してきたが,

企業と争うことは少なかった。それは,平均年収4

万ドルという高い給与と,製品に対して高い誇りを

もっていたからである。

同社で2番目に大きな労組は,専門事務職の組合

(SPEEA)2万人であるが,自分たちの経済問題から

1993年に1日,1999年に40日間のストライキをおこ

なった。概して彼らは恵まれた労働条件下にあり,

組合員が企業側に同調することもあった。たとえ

ば,1991年にエバレット工場の拡大を考え,多くの

技術者たちは地方議員に対して,拡張案に反対しな

いように働きかけた。(図2)

2001年9月以降もボーイング社は,従業員1万人

削減を実施した。その結果,2003年では16,900人と

なり,5年前に比べて58%も減少している。従業員

の平均年齢は47歳,近々に25歳以下の熟練工がい

なくなる。また,主力となる製造機種は民間機から

軍用機への比率が上がると予測される。しかし,そ

のときには,一度解雇した従業員を再雇用しないこ

とに決定している。近年の組合によるストライキと

しては,2002年の秋にスト突入の可否を決議した

が,組合員の三分の二の同意が得られずに中止して

いる。

3 シアトル市当局とボーイング社の軋轢

ワシントン州では,企業からの税収入としてSales Tax,

Property Tax, Gross-receipts business & occupation Tax

(B&O)に頼る部分が大きい。全米の中では所得税

を課さない数少ない州である。しかし,1988年には

州議会で一定の所得税を課すような税制の改正が検

討されたこともある。翌年には,当時の州知事B.

Gardnerの政治力の非力によって改正案が通過しな

かった。その後,州選出の下院議員A. Wangからの

提案(航空機の部品にSales Tax〈5.24億ドル〉)が出

されたものの不成功に終わっている。

ボーイング社は,これまでも政治献金をしてこ

なかったわけではない。1960年代から1980年代に

かけて献金総額は少しずつ上昇していた。また,国

家レベルでは著名な政治家に対して寄付をおこな

い,その金額は全米で7位にランクされるほどで

あった。のちに寄付金に上限がつけられるようにな

ると,関連するロビー団体を支援するようになっ

た。今日では,以前のように一人の立候補者に対し,

数千ドルを寄付することも減少している。合衆国で

は政治献金が直接に企業の利益につながるものでは

ない。たとえば,州内の石油精製5社は献金額も上

位であったが,1997年の州議会ではタンカー入港制

限が成立したことからも分かるであろう。直接,

ボーイング社に関係する税金としては,B &Oのよう

に収入面で変動があっても,税額が変動しないこと

は魅力であった。

献金する一方で,同社はつねに何らかの行動を起

こしてきた。1960年代には,飛行機部品の売上税を

止めさせるために,系列下のダグラス社をカリフォ

ルニア州へ移転させ,5%の売上税が課せられると,

市場競争に勝てないとして,税制改正へ向かって積

極的に動いた。先述のロビーストに対しては,高圧

的な態度をとらず,彼らも企業側の特使のように行

動してきた。

その中心人物は,州政界でも注目されるF.G.Coffy

であった。その人柄は柔軟性があり,ボーイング社

の代弁者として最適であり,辞任する1966年まで

に多くのことを手がけた。とくに,地元のプロフッ

トボールチームSeahawks,大リーグのMarinersの

維持に,官民一体の協力体制を創りあげたことは有

名である。

4 航空機産業の町:レントン市とエバレット市

の実態

4-1 レントンにおける工場の拡張

ワシントン湖南端のレントンには,飛行機を製造

する施設があるようにみえない土地柄である。初め

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図 3 エバレット市周辺図

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の用地の選定理由は,飛行艇を水面から離着陸させ

るために,レントンのCedar川沿いは最適であった。

水上飛行艇は1919年にテストパイロットであった

E. Hubbardの開発によるものであった。彼と

B. Boeingは,同年にシアトルからカナダへ最初の

国際航空便を運び,その後は8年間もこの方式が続

いた。第二次大戦時には,海軍からこの飛行艇を購

入する引き合いがあったことから,ここに飛行機専

用工場が設置された。しかし,実際は飛行艇1機し

か造られず,すぐにB-29用の工場に変化した。

戦時下におけるレントンは,わずか4,000人の鉱

山町から4万人の町へと発展した。そして,ボーイ

ング社の隣接地には,Renton Municipal Airportが完

成した。当時,同市の昼間人口4万人のうち,約

60%にあたる2.5万人が同社で雇用されていた。こ

のレントンの地名は,探検家のW. Rentonにちなん

でつけられたが,市民たちはここに居住したB.

Boeingにちなんで“Boeington”に改名することまで

考えたことがある。

ここでB-737,757を製造するための工場建設を

計画したときは,市当局はインフラ整備費用の捻出

を考えていた。つまり,工場の完成による雇用の増

大とともに,売上税の増収,別途の歳入を考えてい

た。実際は1988年に住民税を課し,年間18万ドル

の収入増となった。工場開設を急ぐ同社は,とりあ

えず交通・騒音対策に200万ドルの支払いを同意し

たが,計画そのものは1990年の不況の影響で中止

された。同社と行政当局との軋轢は,I-5,405,167

号線の拡張計画をもつ連邦政府(運輸省)との間に

もあった。

1989年にボーイング社は,レントンの競馬場215

エーカーを8,200万ドルで購入した。ここは1933年

に開設された施設であるが,周辺の地主1,800名を

説得して取得した。さらに,同社の拡張計画は進み,

滑走路をワシントン湖の南岸まで延長しようと考え

た。これは,747型機をここからエバレットに輸送

するときに必要な工事であった。市側は許可の見返

りとして,Cedar川河口の浚渫工事費の一部負担を

要求してきた。レントン市内を流下するこの河川

は,カスケード山脈に源を発し,途中のダムが少な

いことから,10年間隔で大洪水をもたらした。この

被害額とくらべたときに,同社が負担する400万ド

ルは高くなかった。さらに,滑走路の延長予定地は

湿地でないことから,連邦政府の「湿地保護政策」

にも抵触しなかった。ただ,1993年には近隣のイン

ディアンMuckleshoot族が,この計画に対して,魚

介類の生息地を破壊するとして,抗議活動を起こし

た。その見返りの補償額が莫大であったことから,

ボーイング社はこの計画を断念した。

2002年から2003年の航空機の受注減少傾向にも

かかわらず,レントン市をはじめとする各工場が利

益を得ることができたのは,「Moving Line」の効果

が大きい。これは,1分間に2インチずつ組み立て

ラインが動き,これによって従業員の削減,コスト

の削減ができた。たとえば,レントン工場で生産さ

れる737型機は,組み立て時間を24日から13日に

短縮できた。これはエバレット工場の747・777型

機にも生かされている。

レントンでは,C. Corvi女史が副社長・レントン

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  図 4 エバレット工場周辺および工場閉鎖の現状    (現地調査による)

永 野 征 男

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ワシントン州シアトル市における航空機産業の現状と問題点について

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工場長として任されている。彼女はボーイング一族

の家庭に育ち,大学へ入学時の1968年のシアトル

には10万人が勤務していたが,1971年までに3.8万

人にも減少している。彼女は大学卒業と同時に同社

へ就職し,機内通路が1本の737型の生産に携わっ

た。2000年からは,同型機の最大の取引先であるラ

インエアー社や,サウスウエスト社などから662機

の大量発注を受けた。月産ペースを14機から17機

に引き上げるためには,労働者の増員ではなく,徹

底した合理化と在庫の削減を図るなど,彼女の経営

哲学には,GM社とトヨタの共同出資のニューユナ

イテッド=モーター社にあると云われている。とく

に,2001年のテロ発生以降,小規模かつ新興勢力の

航空会社が成功するといった,産業ビジネスモデル

が変更してきたことに着目し,それには737型機の

改良モデルが最適と考えた人物である。

4-2 エバレットと777型機

ボーイング社がエバレットに主力工場を移転した

のは,他に適当な用地が見つからなかったためであ

る。ここは1万フィートの滑走路をもつPaine Field

を有していた。かつて1960年代にエバレットを候

補地にしたことがある。しかし,余り注目されな

かった。他の候補地であったSanDiego, Denver,

Moseslake, Cleveland, Livermoreよりも低く捉えら

れていた。とくにカリフォルニア州には多くの関連

企業があり,一時,Oakland近郊のWalnut Creekに

移るかのようにみえた。しかし,従業員の説得が難

しく,同社が1966年にエバレット近隣の高速道路

ジャンクション建設に参画したことで,ここに工場

の移転が決定した。その結果,郡内に2.4万人の雇

用がもたらされた。(図3・4)

工場の建設は,747型の設計図の進行と平行して

進んだ。1969年から1971年は不況期にぶつかった

ために,建設業者も早急な支払いを請求しなかった

ことも幸いした。1980年代に入ると同社はさまざま

なプロジェクトを考えていた。たとえば,燃料効率

の高い中規模ジェット機の717型は,燃料コストの

低減とともに中止された。結局は,世界最大規模の

ツインエンジンのジェット機で,機体巾が広い777

型に決定した。この機種は部品の多くが工場内でデ

ザインされたために,スムーズに技術者へ伝達でき

た長所と,実物模型を造ることもなくデザインされ

てきた。

しかし,777型には広い土地が必要であり,1990

年3月に170億ドルをかけて,5,600万平方フィート

の拡大を決めた。それによって,9,500人の新たな

雇用が生まれ,1991年の2.4万人から1994年には3.3

万人に増加した。しかし,市当局にとって,人口増

加は住宅や学校建設の増加を意味していた。市側は

同社に対して,輸送関連事業費として5,000万ドル

以上,住宅費用 200万ドルを要求した。また

Snohomish郡は,道路整備用に920万ドル,住宅に

810万ドルを要求した。これらについては,ボーイ

ング社は地元雇用の増大効果で充分であるべきと激

怒したほどである。

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永 野 征 男

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5 新型モデル製造にともなう動向

航空機の業界においては,新機種への指向は強い

ものの,その時期や製造工場の場所に関する議論が

長期にわたる。いわゆる「7E7」型ジェット機の製

造工場がシアトルに立地するか否か,地元にとって

大きな議論となった。今日の中心機種である737・

777型が,今後さらに20~30年間製造されたとし

ても,廃止の時期を迎えたとしても,地元の雇用や

職種に大きな影響力をもつことが予想されるからで

ある。

そこで,新モデル成立までの経過を以下に記すこ

とにする。2000年にボーイング社は現行のジェット

旅客機よりも速い「Sonic Cruiser」を提案した。そ

の一方で,2001年9月11日の航空機を使ったテロ行

為発生を受け,利用旅客数と受注数の急減となるに

つれて財政破綻を受け,ボーイング社は3.5万人の

解雇をスタートした。これにより計画中のSonic

Cruiserは中止となり,現行のジェット旅客機より

も安価な7E7型モデルが提案された。経済の低迷し

た2002年当時,ワシントン州内におけるボーイン

グ社の就業者は6.2万人,関連企業のそれは15万人

であった。

2003年の3月には,新モデルの組立工場が州内の

工場のいずれかに決定することが発表された。少な

くとも2004年4月までには,同社の理事会で正式な

製造の可否が決定する運びである。

5-1 新モデル機の特徴について

この機種のスタイルは,外形がネズミイルカに似

ていると評されることが多い。機体の先端が突出

し,滑らかに流れる尾翼と,多少上向きにレイアウ

トされた小型の翼に特徴がある。これまでの航空力

学にとらわれることの無いデザインが,他の機種と

の差別化が図られ,さらに新たな航空力学の理論形

成に役立つことが期待された。近年では,1970年代

に翼の部分で発生する小さい竜巻状の風を防ぐた

め,翼の先端を折り曲げる工夫がNASAによって開

発され,エアバス,ボーイングの両社とも早期に導

入している。

これらの変化を航空機の技術革新とみるか,単な

る航空機の差別化とみるかは,議論の分かれるとこ

ろである。このことから分かるように,航空機の外

形の特徴ある変化は難しいところであり,その意味

では7E7型は全く新しいジェット機と呼べるかもし

れない。まず,エンジンのデザイン変更によって,

従前よりも10%の燃費効率を果たし,10%の空港使

用料の削減が期待されている。さらに,新しい機材

の活用や運行システムの改良,更なるデザインの検

討によって,競争相手のA330より10%以上の効率

が得られるとされている。

ボーイング社では,長年にわたり「20XX」と称さ

れる,将来型のジェット機に関する計画があり,そ

の中の一つが7E7であった。このプランは,1990年

代後半に現在の開発チームの主任W. Gilletteを中心

に分岐したグループである。当初の目標は,生産工

程における巨額の投資と,製造期間の長期化の改良

を目ざしていた。One in Tenと呼ばれるこのプロ

ジェクトは,一機当り10億ドルで10ヶ月内に完成

させる計画である。たとえば,現行の最新鋭機777

型は,1994年から製造され,完成までに5年を費や

した。正式なデータではないが,この間に100臆ド

ルかかったといわれる。

製造工場は,州内でこれまでの組立てラインを使

用し,安価な航空機生産に踏み切れるメリットが考

えられてきた。つまり,従来型の機体と多くの共通

性をもつ中で,単純化された機種という業界の常識

が踏襲されている。その意味では,空気力学的な設

計の躍進する中,共通項の多い旅客機という点で平

凡に見えるかもしれないが,設計から完成まで費用

削減を図った点では革命的ともいえる。

今日のように,6種の旅客機を生産するボーイン

グ社にとって,大型の777型と小型の737型は,唯

一成功モデルとして,今後20年以上にわたり需要

があるといわれるが,いずれは7E7型のような中型

に移行するものと考えられている。そして,同社の

航空機の種類が,3~4つのモデルに統合されると

思われる。そのためにも,胴体部分にはあらゆる必

要部品が,あらかじめ組み込まれて納入されなけれ

ばならない。7E7型機は,ほぼ767型と同じサイズ

であり,220~350人乗り,機内には2本の通路があ

り,可航距離は747型と同じ8,000マイルをマッハ

0.85で飛行できる。燃費的には15~20%減が可能

といわれ,テスト飛行は2007年,供給は2008年と

公表されている。

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図 5 7E7型機製造工場を誘致する諸州

永 野 征 男

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5-2 7E7モデルの海外組み立ての真意

7E7の最終の組み立て地としての有力な候補地に

は,エバレット工場が挙がっている。これまでの

747 ・777の生産工程にくらべ,7E7の場合は少数の

限られた完成部品が流れ,組み立てることになる。

エバレットでは,これまでにもツインの通路をもつ

機体が造られているし,1954年のDash 80以来,カ

リフォルニアで生産される717型以外の商業用

ジェット機は,シアトル周辺を最終の工程に選んで

きた。

他の動きとしては,すでにカンザス州のWichita

で,ボーイング社は州当局に対して,5億ドルもの

高額な免税措置と,奨励金を要請したともいわれ

る。いずれにしても関連部品を世界のどこに発注す

るかが決定した後に,結論を出すものと思われる。

本命のワシントン州は,2001年に本社機能がシカゴ

へ移動したことを受けて,今回は根強い話し合いを

求めている。製造場所が州内に決まれば,州の経済

回復を期待できるからである。知事のG. Lockeは,

早くも30億ドル分の免税措置を発表した。エバレッ

トでは,広大な土地があるものの,現状では何も見

えてきていない。今日,全米の20余州が工場立地

に名乗りを挙げている。(図5)

5-3 新たな機体素材の開発

7E7型の素材としては,合成素材(プラスチック

とカーボン繊維)「Composites」から成ることを発表

している。両翼と胴体部分でアルミニュウムに替わ

る予定である。金属よりも強くて軽いこの素材は,

もともと軍用機に多く使われている。たとえば,

B-2爆撃機に金属が使われることは無い。これまで

の民間技術では,この合成素材を使うことがコスト

高につながると考えられてきた。ボーイング社内で

この素材を研究するグループが設立されたのは,

1960年代の後半であり,エアバス社より遅れた。

また,この素材は他の繊維よりも柔軟であり,錆

びることもなく,アルミニュウムのように変形によ

る耐久性の低下もないため,航空機材としては最適

である。現在,777型機の重量の10%にあたる部分

で,この素材が使われている。コストを低くするた

めには,主翼のデザインだけではなく,製造法を変

える必要がある。新素材によって,主翼での多くの

ビス打ちが不要となり,翼の上と下の面は一体化し

たものとしてクレーンで運ぶことができる。

とくに,この主翼部分が海外発注される可能性が

大きい。今日でもボーイング社の仕事量の64%は,

海外調達に頼っている。そのうちの半分はエンジン

部分である。もし主翼を海外ということになると,

同社工場の最終的な仕上げ作業が,大きく削減され

る。下請け業者は,今後,小さい部品のみの受注と

なるであろう。つまり,7E7型では,製造技術革新

が大きいことになる。

さて,この新素材の発注先であるが,エアバス社

は2003年6月にA-380型用の納入業者として三菱

レーヨン(豊橋工場)を選定した。一方,ボーイン

グ社は,7E7型の主翼部分の組み立てを三菱重工へ

発注予定であると報じられた。現在の777型尾翼の

一部は,タコマ市のフレディックソン工場で製造さ

れている。そこにある日系企業の東レ株式会社は,

素材を同工場へ提供している。一方,これまでのア

ルミニュウム製造会社は,金属より10%軽く,費

用を低く押さえた新たなる合金を売り込んでいる。

いずれにしても,合成素材の利用は,航空機その

もののターニングポイントになると考えられる。  

6 米軍および宇宙開発との関連

近年の米軍とボーイング社との関係は,ロケット

の受注に現れている。同社とロッキード社は,EELV

(Air Fore’s Evolved Expendable Launch Vihicle)プロ

ジェクトと呼ばれるロケット製造の供給元である。

ボーイング社のデルタⅣロケットは,ロッキード社

のアトラスⅤと競合している。1998年,前者は1機

あたり18.8億ドルで28機の注文を得ている。ちな

みに後者のそれは19機であった。

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また,国防総省は老朽化している給油機(KC-

767)100機をボーイング社へ発注すべきか否か思考

中といわれている。発注というよりも,正確には賃

借契約である。条件は1機あたり6年契約であり,

200億ドルが想定されている。議会は2001年にこの

賃借を一旦認めている。しかし,当事者である空軍

は,むしろイラク戦争がらみで,40年以上を経た老

朽のKC-135E(68機)の切り替えを望んでいる。

もう一方の宇宙開発分野では,ボーイング社が

2000年にヒューズエレクトロニクス社の衛星製造

用の機械を3.75億ドルで購入したことを公表してい

る。ヒューズ社は,この分野で世界をリードする商

業用衛星の製造元である。現在,軌道上の40%の

衛星は同社のものである。この事実によってボーイ

ング社の株は75%以上も急上昇した。しかし,こ

の3年間は,通信衛星産業の急落により,その需要

は低迷している。

ボーイング社がこの衛星通信分野に参画した歴史

は新しく,1996年が最初である。この時に,ロック

ウェル社から3億ドルで宇宙開発案を入手した。ま

た,その直後にライバルのマグドネルダグラス社を

13億ドルで買収している。しかし,先述のように

この部門は決して好況ではなく,2002年にはサンノ

ゼに本拠をもつグローバルスター社が通信衛星で倒

産し,ボーイング社とヒューズ社は,中国へ非合法

に衛星技術を移転したと国防総省から告発されてい

る。当然に衛星関連でも解雇は進み,9,000人(2000

年)の従業員は,4,900人(2003年)まで落ち込んだ。

ボーイング社の社内における見通しの明るい部門

は,セントルイスに本部がある軍用機とミサイル部

門である。昨年の下半期の利益は,前年から40%

増えて389万ドルとなった。いずれにしても,ボー

イング社の軍関連の売り上げは,2001年の125億ド

ルから,2002年には140億ドルとなっている。

7 ボーイング本社のシカゴ移転の背景

2001年10月4日,ボーイング社はその本社機能

をシアトルからシカゴへ移転させた。シアトル市民

はもとより,ワシントン州当局にとっても青天の霹

靂に近いできごとの発表であった。一般的に,これ

まで本稿で分析してきたボーイング社は,世界的規

模の航空機メーカーというイメージが強い。しか

し,同社はつねにそれ以上のビジネスチャンスを模

索してきた。恐らく伝統的なシアトルの土地から外

部へ移動することで,3つの管理部門(商業・軍事・宇

宙)をそれぞれに独立させ,航空機(商業)部門を

単に一つの部門として捉え,同社の中核部門ではな

いことを示そうとしたと思われる。

本社を移転することは,企業の大きな変化を象徴

している。移動することで,その企業がグローバル

企業であると公言しているのに等しい。本社機能を

工場の一角から離すことは,同社の上層部の考えを

航空機一辺倒から,戦略的に変化させることにつな

がる。一つの部門に固まっていると,残りの部門が

全く見えてこなくなる。管理者たちが外部へ動く

と,製造工場までが外部へ移り,工場間のバランス

を保つことができる。たとえば,日本で生産する

747型の翼を,日本で生産して船で輸送することを

考えると,企業が海外調達を視野に入れていること

が公開されたことになる。

収益額は少ないが,同社の中で着実に売り上げを

伸ばしている部門は,宇宙や通信関連であって,売

り上げの64.4%(1998年)を占めていた航空機部門

は,翌年には59.8%にまで下落した。

幹部たちは,この10数年間,シアトルから外部

への移転を考えていた。もっとも,当初は本社の移

転まで考えていなかった。他社の事例では,営業上

の理由や象徴的なものをどうするか,そこにアクセ

ントがあった。たとえば,新聞出版業のKnight

Ridder社 は,長年住み慣れたマイアミの町から,

1998年にシリコンバレーへ移転した。これによっ

て,同社は最新のテクノロジーに一歩近づいた

が,一方では,新規産業に過敏であるといった信号

を送ったことになる。また,Citibank社は1998年の

Travelersとの合併を前にして,Palo Alto(カリフォ

ルニア州)への移転を考えた。その理由は,テクノ

ロジー関連の顧客のことを考えたからであって,単

なるニューヨークの銀行というイメージを払拭した

かったに過ぎない。

ボーイング社は,航空機産業の競争激化にとも

なって,取引先に近接した場所への立地を望んでき

た。まさに,ユナイテッド航空がオヘア空港(シカ

ゴ)の近隣地に本社を,デンバーに大規模な支社を

開設している。アメリカン航空はフォートワースに

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本拠地をもち,同時にオヘアに巨大な支社機能を,

またサウスウエスト航空の本社はダラスに,コンチ

ネンタル航空はヒューストンを本拠としている。

シカゴ大学の経済学者 T. Hubbardは,エアバス

社との比較を前提として,ボーイングの本拠地がシ

カゴであれば,ユナイテッド航空の経営陣としばし

ば会談ができるメリットを指摘している。具体的に

は,ユナイテッド航空とUS Airとの合併,アメリカ

ン航空とTWAとのそれが進んでいる現実をみたと

き,ユナイテッドとの取引を逃せば,結果的にUS

Airとの取引を失うことになるからである。

大企業の変革は,最近10~15年の経済動向に従っ

ている。つまり,多様なビジネスをもつ大企業は,

他分野に自立させた企業を整理し,小規模な持ち株

会社とする傾向にある。その代表例が,J. Welch率

いるGE社である。彼が就任してからは,家庭用か

ら原子炉までのさまざまな事業を再編し,成績の悪

い部門は閉鎖した。その結果,Fairfield社(コネチ

カット州)を世界の上位にまで引き上げ,企業トッ

プ(CEO)としての評価は高まった。彼の手法は,

製造業から金融業までが参考にしたほどである。

しかし,近年の投機家たちは,一つのビジネスを

指向する企業を好む傾向にあり,この持ち株制度の

方向は忌避されている。GM社は,車の部品部門を

切り離し,通信衛星部門はボーイング社へ売却し

た。ペプシ社は,飲料とスナックに力を入れるべく,

ボトル部門を分離した。

総じて,ボーイング社の直面する問題点は,①エ

アバス社,②ヨーロッパを守備する企業群,③ロ

ケット発射部門,との競争に集約できる。企業利益

を上げるには,いかに低価格でより良い商品を提供

できるかにかかっている。777型機の広い機内は好

評であり,これ以上の変革は不要と思われる。新型

機の開発によって,同社はいくつかの部門を分離独

立させるであろう。この成功の可否は不明である。

他へ移転しなければならない理由としては,シアト

ルが海外とのアクセスに不便,ワシントンDCや

ニューヨークへ3時間の距離にあること等の指摘が

ある。「人柄や場所もとくに問題はない。しかし,

王道から外れている」。この言葉は,今日のシアト

ルを良く表している。

27,000人の労働者は,つねに不安を感じている。

しかし,ボーイング社は売り上げの60%以上をシ

アトルで生み出している。すでに,州議会では転出

の意思決定そのものが,州経済にダメージを与えて

いると発表した。グローバルな企業に成長したボー

イング社は,Puget Sound, St. Louisと,南カリフォ

ルニアに分割されている。他の地域にも拠点があ

り,他には海外24か所の施設を所有または借り上

げている。本社の移転は,より柔軟性を求め,大消

費地に近いウォール街などの中央にこだわり続けた

一つの結果であろう。

シアトルには,Starbucks, Microsoft, Costcoの本社

があり,これら企業にとってシアトルは好ましい場

所であると云われている。航空機を利用しての立地

要因としては,なんら距離的な問題点はないからで

ある。したがって,ボーイング社の移転問題は,同

社の経営哲学に変化が生じたと考えた方が良いであ

ろう。冷戦終結にともなう軍需の縮小,競争相手と

してのAir bus社の台頭,1990年代半ばからの株式

市場における低迷などによって,会社そのものの将

来像について厳しい見通しが要求されてきた。この

点における同社の検討は早く,1998年には高齢の役

員6名をリストラし,移転についても計画が話題に

なっていた。当時の会社分布は,商業用飛行機はシ

アトルに中心があり,軍用と宇宙通信に関しては

St. LouisとSeal Beachにあった。また,カンザス州

のWichitaとカナダ,オーストラリアにも多くの社

員を抱えていた。同社の社長は,これらのどの都市

にも本社が近接することを好まなかった。

1998年,毎年シアトルで開催されてきた株主総

会がSt. Louisで開かれ,ダグラス社との合併が発表

された。1999年にはLos Angelsで,2000年はアラバ

マ州のHuntsvilleで開催された。

本社の移転先に挙げられた候補地の中では,Dalas

とWashingtonD.C.が所得税のかからない都市であっ

た。しかし,非課税であることがこれら都市を有利

にするものでもなかった。Chicago, Dalas, Denverの

すべてが主要な航空会社の中心地であった。ボーイ

ング社の方針としては,移転先に8月までに社員を

動かし,地元の教育施設に子供たちの入学手続きを

完了させようとした。この動きに対してマイクロソ

フト社は,ボーイング社の一つの取引先として,本

社がどこに移転しようとも,25年間続いた立地点と

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関係は変わることがないと断言している。

ふり返ると,1916年にボーイング社設立以来,今

回のことは初めてのできごとであり,2000年8月ま

でに決めると発表した。移転先には1,000名の雇用

が発生し,シアトルには生産設備を残すことで,

7,800名の雇用があると云われた。しかし,市当局

は不満の意を表わした。

ボーイング社は,ここ数年間にわたり政府と自治

体に対して減税を訴えつづけてきた。シアトル市を

含むKing郡では,1992年以降一貫して税額の再評

価を申請してきた。このことが本社移転の重要な要

因であるか否かは諸説がある。節税問題が大きな要

因ではないとする理由は,税金の多くは残存する工

場に課せられるからである。

同社と州政府との間には,土地の売買による収益

分についての免税措置が,1949年以降実施されてい

る。たとえば2000年度には1.2億ドルの免除を受け

た。さらに同社は,1995年以降に更新した製造機械

や設備についても免税も受け,2000年にはこの部分

で2億ドルの節税になったといわれる。また,同年

にはほとんどの部門で,失業保険税の削減を求める

交渉に入った。

ボーイング本社移転にともなう他社の反応とし

て,たとえばCostco社(本社は Issaquah)のケース

では,移転後の州内での販売額が1位になることに

ついて困惑しているとの新聞発表を行った。多くの

見方としては,ボーイングが今後ともこの土地で航

空機を造りつづけたとしても,本社の存在いかん

が,信用度に影響すると捉えている。専門家として

のD. Arnesen教授(シアトル大)の指摘は,世界地

図でシアトルのもつ意味がボーイングとマイクロソ

フトの存在である限り,その点で同社の移転は大き

なマイナスであるという。

マイクロソフトR. Belluzzo社長は,本社の移転を

考えていないと発表したように,各社ともボーイン

グ社ほどの大企業が撤退する土地であるという,イ

メージの悪さの回復に神経を使っている。

さて,政治家たちはこの移転をどこまで事前に把

握していたのであろうか。共和党・民主党ともに議

員たちは発表まで情報を掴んでいなかった。シアト

ル市長は,発表後,法人代表( J. Warner)にクレー

ムをつけたが再考されることがなかったし,市商工

会議所会頭(B. Watt)は,事前に情報を得ていた数

少ない人物であったが,1時間に及ぶ説得も有効で

はなかった。

共和党議員は,移転せざるを得ない理由に州政府

の諸法制の厳しさを指摘した。しかし,G. Locke知

事の説明は同社の企業戦略のためであり,金融・政

治の中心に近い場所への移転と断定づけた。さらに

同党は,州当局はビジネスの拡大しやすい環境を阻

害していると指摘した。とくに税負担の重さを訴え

た。

いずれにしても,発表の時期がアメリカの株価の

低落と失業者の増加時期と合致している。

移転先の候補になったシカゴ市長(R. Daley)は,

都市の経済力がスイスや台湾を大きく上回ることを

誇り,ダラス市長(R. Kirk)はボーイング社の必要

とするもの全てを提供するといった。一方,デン

バー市長(W. Webb)は,朝ゴルフが午後にはスキー

が可能な魅力を訴えた。その中でも,シカゴ市長は

減税を暗示していた。

8 イラク戦争が航空業界へ与えた影響

8-1 経営悪化の航空各社

イラク戦争のさなか,全世界で4,600億ドル相当

の観光産業への影響があるとみられた。しかし,テ

ロ後,数日で事態は回復するという見方もあった。

かつて,1991年の湾岸戦争時,観光収益の伸び率は

1.2%であったが,翌年には8.3%に上がっている。

今回は,国内第2位のユナイテッド航空が倒産す

ると危惧されていたし,USエアー社の方法を契機

に,テロ警戒度が最高コード(レッド)を示したと

きには,手持ち航空券をまったくフリーに旅行計画

の変更を可とする処置をも発表した。もっとも影響

を受ける路線は中東・北アフリカ・ヨーロッパの一

部であり,そしてアメリカ国内便の飛行便数の削減

が心配された。

すでに,2001年のテロ以降,航空業界では18億

ドル以上の損失が生じ,全体で10万人の従業員の

解雇など,負債総額は100億ドル以上に膨れ上がる

とみられてきた。ユナイテッド航空以外にも,アメ

リカン・デルタ・コンチネンタル・ノースウエスト

航空などは,財政的に困窮しているといわれる。中

でもユナイテッドは,2002年に3.2億ドルの損失を

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利 潤 株 価 販売額

単位:10億ドル単位:ドル・セント単位:100万ドル

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図 6 四半期ごとの諸収益の動向 (Bloomberg Newsによる)

図 7 最近52週間における株価の動向(Bloomberg Newsによる)

永 野 征 男

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ワシントン州シアトル市における航空機産業の現状と問題点について

─   ─47 ( )47

生じ,2003年の1 ・2月だけでも749万ドルとなって

いる。たとえば一社が倒産すると,国内各社はその

ルートを引き継ぎ,フライト数を増やすことにな

る。すでに,それを目ざして動き出した英国のバー

ジンアトランティック航空すらある。

いずれにしても,戦争による航空産業全体への損

失は40億ドルといわれたが,途中でその数値は67

億ドルに変更され,今日では107億ドルともいわれ

る。2001年のテロ以降,ユナイテッドとアメリカン

は倒産保護策がとられ,後者の株価は34%も落ち

込み,1.95ドルの業界最安値をつけた。航空業界は,

政府に40億ドルの支援を依頼し,イラク終戦後の

免税措置をも申請した。また,ジェット燃料の価格

抑制とともに,毎日100万バーレルの放出を求めた。

しかし,燃料は2003年1月以来,21%の価格の上昇

を示し,1ガロン当たり1.20ドルと,前年2月から

57セントも上昇している。

連邦議会の反応は様々であるが,2003年に入って

からの上院議会での発言では,企業倒産を避けるべ

く30億ドル余の出費を要請,その代わりに幹部社

員のベアを中止する要請が提出された。具体的に

は,デルタ航空幹部の中には,1,290万ドルの給与

受給者が,またノースウエスト航空社長は2001年

より75%増の280万ドルを,コンチネンタル航空社

長は2001年の2倍近い1,190万ドルを得たといわれ

る。いずれの経営陣も,企業の経営難を労働者の解

雇という形で乗り切ろうとしてきたことが分かる。

8-2 航空機受注と株価にみるボーイング社への影響

2003年にボーイング社は,Auburn工場での生産を

外部に発注すると発表した。それによると,50の事

業部門を削減し,2004年までに400部門の縮小を計

画している。Auburnでは,2002年の秋に大手スー

パーSafewayに工場敷地の一部を売却し,さらに9

平方キロメートルの尾翼工場を含む数棟の建屋を売

却予定である。2005年までの間に,同工場は21.4か

ら13.8平方キロメートルまでに縮小される。これに

より,製造部品のうち簡単なものから外注が始まる

ことを意味している。従業員たちにとって作業工程

や部品の簡素化は,みずからが開発したものであ

り,その部分の切捨てに反発している。

一方,ボーイング機の受注は流動的である。アイ

ルランドの格安航空会社Ryanairは,2003年に737-

800型を100機発注したと報じられた。同社はすで

に同型機を31機所有している。長引く不景気の中

で,この取引は年間最大のものと予想される。ボー

イング社の2003年7月までの供給機は280機,2004

年にはこの100機を含め275~300機が予想されて

いる。Ryanair航空は,急速に成長を遂げてきた企業

であり,ロンドンやダブリンを中心に,ヨーロッパ

各都市との間に多くの路線を持つ。2004年には現行

ルートに加えて,さらに新規5路線の開設が発表さ

れた。その一方では,同社のライバル企業Easyjet

航空が,エアバス社へ120機の発注をしている。

アジア諸国の中では,インド航空がエアバス43

機の購入をインド議会に提示したが,しかし,未確

定のままである。ボーイング社としては,最近10

年間のインドとの強いつながりから,737型機の購

入を依頼している。また,インド国内第2位のAir

India社へ17機の777型を商談中である。同社は大

型機の導入によって,英国航空やルフトハンザ航空

との国際線競合を考えている。

台湾の中華航空が,10機の747-400型を発注して

いる。これには両国政府の外交上の特権が有利に作

用している。日本の航空業界では,全日空が45機

の737型を発注予定(供給は2005年4月以降)であ

ることが発表された。同社は,5年前から25機のエ

アバスを所有しているが,今回の計画は27年前か

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単位:10億ドル

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図 8 合衆国における航空会社の純益変動(U.S. Department of Transportation資料より)

永 野 征 男

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ワシントン州シアトル市における航空機産業の現状と問題点について

─   ─47 ( )47

ら使用してきた737型を段階的に破棄するために必

要なことであった。全日空のこのようなボーイング

社への大量発注の裏には,すでに2001年9月以前か

ら,使用航空機の種類を減らすことによって,メン

テナンスやトレーニング関連費用を削減することを

目的としてきた。実際は,126席の737-700型が中

心になるといわれる。

アジアの他社では,シンガポール航空が7年間使

用したA310に代わる新型機の発注を発表した。し

かし,SARSの後遺症もあって,決定が2004年にず

れ込むようである。また,タイ航空は,7機の747-

400型をユナイテッド航空から3.5億ドルで購入す

るといわれる。中古機の購入によりタイ側は約1億

ドルの節約となり,倒産を避けるために企業努力を

つづけるユナイテッドを多少なりとも支援すること

にもなる。さらに,ウズベキスタン航空は2機の

767-300ERを購入すると発表している。

現在,ボーイング社の株価の動きはどのように

なっているのであろうか。1995年3月に1,000ドル

の購入をしたとしても,今年3月の売却による利益

は10ドルといわれる。今日の終値27.84ドルは,こ

れまでの最低の値下がりであった。最高時(2000年

12月)の69.93ドルから,実に60%の下落となって

いる。もし,ユナイテッド航空が負債から抜け出す

ことに失敗をすると,予定していた受注機は破棄さ

れるために,ボーイング社は生産の60%を失うこ

とになる。航空各社は,過去に契約した発注機の破

棄を望んでいるが,ボーイング側としては納入時期

の延期までは認めたとしても,破棄することまで了

承していない。(図6・7・8)

以上のように,航空機産業の実態は世界経済の動

きと表裏一体であり,需給関係のバランスは単品の

規模・価格が大きいだけに,経済動向を明確に捉え

ることができるといった特徴をもっている。合衆国

の航空機生産の伝統的な中心地であるワシントン州

については,地域経済との相関度が大きいだけに,

ボーイング社の今後の動きに関して,今後とも調査

を継続する予定である。

謝辞

本研究の現地調査は,2000年以降の日本大学海外派遣学術調査,文理学部海外研究ファンドの研究費によると

ころが大きい。現地では,資料面でワシントン大学地理

学教室に,また研究上の指導をGeorge H. Kakiuchi名誉教授から受けることができた。記してここに感謝いたし

ます。また,この論文を2003年度で定年を迎える立石友男教授に謹呈いたします。

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