ある少女の憂...ある少女の憂 ゆう 鬱うつ 287 目...

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ある少女の憂ゆ

鬱うつ

287

次異世界でカフェを開店しました。3

7

書き下ろし番外編

ある騎士団員の懐か

古こ

329

ある男性客の葛か

藤とう

235

異世界でカフェを開店しました。3

9 異世界でカフェを開店しました。3

今もコートのポケットに手を入れ、縮こまって歩いていた男性が、ふらふらと引き寄せ

られていった。

しばらくすると、彼の手には、まだ湯気の立ち上るホカホカの肉まんが。

冷えきった両手を温めるように持っていた肉まんに、彼は大口を開けて噛みついた。

中から出てきた熱い肉汁で口を火や

けど傷

しそうになりながら、ハフハフと咀そ

しゃく嚼

すると、お

いしさと温かさがじんわりと広がっていく。

いつしか体だけでなく、心まで温かくなっていた。

店先で肉まんを半分ほど堪た

能のう

した後、男性はそれを片手で持ち、頬ほ

張ば

りながら歩き出

す。体に吹きつける風の冷たさは、もう気にならなかった。手に持った肉まんが、どん

な分厚いコートよりも、体と心を温め、満たしてくれるからだ。

そんな彼を見て、寒さに震える人々は、一人、また一人とカフェ・おむすびへ足を向

けるのだった。

プロローグ

フェリフォミア王国の王都の、メインストリートを少し外れた通りから、笑顔で歩い

てくる人々。一い

様よう

に満足げな表情で、手には同じロゴマークの入った箱を抱えている。

それは彼らが、道具街にあるカフェ・おむすびで購入したものだった。

公おおやけに

は知られていないが、その店は異世界にある日本という国からやってきた、一人

の女性によって営い

となま

れていた。

人目を引く赤いドア。その横にあるショーケースには、目にも鮮あ

やかなケーキが何種

類も並んでいる。しかし、それよりも人々の興味を引いているのは、ショーケースの上

の、テイクアウト用の小窓から漂

ただよ

ってくるいい匂いだ。

湯気と共に、通りの中ほどまで届くその匂いの元は、セイロで蒸されてぷっくり太っ

た肉まんだった。

空から

っ風か

が吹き、冬の寒さが厳しくなってきたこの日、それは道行く人々を誘惑する。

8

11 異世界でカフェを開店しました。3 10

コートなどは羽織っておらず、この季節に外を出歩くにしては、どう見ても薄着だった。

アンジェリカはカフェの隣に立つサイラス魔術具店の一人娘で、家業を手伝い、店で

受付と販売をしている。

店からカフェまでは数歩の距離しかないため、外が

套とう

を着る手間を惜お

しみ、そのままの

格好でやってきたようだ。

「今日は、いつにも増して寒いね〜」

「そんな格好だからでしょ!」

アンジェリカに呆れた視線を送るヘレナは、オレンジ色の髪をショートヘアにして、

カフェの制服に身を包んでいる。

今年十九歳になった彼女は、十六歳のときからカフェ・おむすびで働いていた。アン

ジェリカとの付き合いも同じ頃に始まったため、今ではかなり気安い仲である。

ヘレナの一つ年上であるアンジェリカは、常連客としてカフェに通うだけでなく、忙

しいときは手伝ってくれている。また魔術具職人である彼女の父親は、カフェの設備関

係を担に

ってくれていた。

アンジェリカは、カウンターの空あ

いている席に座るなり、「はぁ」とため息を吐つ

いて突っ

伏す。

第一章 

女の子には悩みがたくさんあります。

フェリフォミア国立総合魔術学院――通称『学院』に、この秋から新たに料理科が設

置されたことは、大きな話題を呼んでいた。

カフェ・おむすびのオーナー兼店長であるリサ・クロカワ・クロードを中心に、約二

年かけて準備が行われた。ようやく授業が開始されて、既に数ヶ月が経つ。

季節は、冬を迎えていた。

カラン、と小気味よいドアベルの音が響き、カフェ・おむすびの店員ヘレナ・チェス

ターは、そちらを見る。

「いらっしゃいませ〜……って、なんだアンジェリカか」

「ども〜」

赤いドアから入ってきたのは、アンジェリカ・サイラスだった。はちみつ色の髪をポ

ニーテールにした彼女は、体を両腕で抱くようにし、寒そうにしている。それもそのはず、

13 異世界でカフェを開店しました。3 12

「悩むって何をよ?」

「……うぅ〜」

「そんなに言い辛いことなの?」

「……いや、それがさぁ……昨日、服の整理をしてたんだ。でね、毎年着る花祭りの衣

装を試しに着てみたんだけど……入んなかったのよ……」

アンジェリカは、がっくりと項う

垂だ

れた。

フェリフォミア王国では、毎年春に花祭りという大きな祭りが行われる。国の主要な

特産品である、花の収穫を祝う祭りだ。フェリフォミア王国は別名『花の王国』と呼ば

れるほど、花も花祭りも有名だった。

花祭りは国を挙げて行われ、国民は皆、伝統衣装を着て参加するのが通例である。

アンジェリカは、毎年着ているその伝統衣装を着られなくなった――つまり太ってし

まったと告白したのだ。

それを聞いたヘレナは、改めてアンジェリカを眺めた。言われてみると、出会った頃

の彼女は、今よりもっとスリムだったような気もする。

だが、ほぼ毎日顔を合わせているせいか、体型の変化に全く気付かなかった。

「実は、去年もぎりぎりだったんだよ……はぁ、今年はいよいよ新調しなきゃいけない

いつも明るく溌は

剌らつ

としている彼女には、珍しい姿だった。

「どうしたの? 

そんなに落ち込んで」

ヘレナが驚きながら、アンジェリカの前に水の入ったグラスを置く。

ややあって、アンジェリカがむくりと頭を上げた。そしてグラスに手を伸ばしたが、

何かを思い出したようにハッとして、その手をひっこめた。

「ううー……」

眉根を寄せ、唸う

り声を上げるアンジェリカ。

「……本当に、どうしちゃったの?」

普段と違う彼女を、ヘレナは訝い

ぶかし

げに見つめた。

アンジェリカは、カウンターに頬ほ

杖づえ

をつき、正面に立つヘレナを上から下まで舐める

ように見る。

ショートカットの似合う、すっきりとした顔の輪り

郭かく

。制服の襟え

に囲まれた首は細く、

ウエストはきゅっと締まっている。キュロットから伸びる脚は、程よく筋肉がついてい

るが細く、スラリとしていた。

アンジェリカは羨う

らやま

しそうな顔で、再びため息を吐つ

く。

「ヘレナは悩んでなさそうだなぁ」

15 異世界でカフェを開店しました。3 14

この世界では珍しい黒髪と黒い瞳を持つ彼女は、カフェ・おむすびのオーナー兼店長

のリサである。三年半前に異世界からやってきて、この店を作った女性だ。

ヘレナやアンジェリカと同年代に見えるが、今年で二十五歳になる。こちらの世界の

人々は、リサがいた世界で言うところの欧風の顔立ちをしているため、日本人であるリ

サは、実年齢より若く見られることが多い。

リサは手にしていた料理を客に出し終えると、アンジェリカたちのもとへやってきた。

そんな彼女に、アンジェリカが尋ねる。

「あれ? 

リサ、今日は学院に行かなくていいの?」

「学院は今日から冬休みよ」

数ヶ月前、フェリフォミア国立総合魔術学院に、新たに料理科が設置された。リサは

その料理科の、総合監修と講師を務めている。そのため、カフェで料理を作る日は、週

に二、三日ほどに減った。

しかし、学院は今日から冬休みに入ったので、リサは本業とも言えるカフェの仕事に

打ち込んでいた。

「いいよね〜、学生は。長い休みがあって羨う

らやま

し〜い!」

店番をさぼってカフェに来たのであろうアンジェリカの台セ

リフ詞

に、リサは苦笑する。

かなぁ」

アンジェリカはそう言って頬ほ

杖づえ

をつくのをやめ、カウンターに置いた腕の中に顔を埋う

める。

「でも、花祭りって何ヶ月も先でしょ? 

それまでに痩や

せれば、衣装を作り直す必要は

ないじゃない」

「もちろん、それも考えてるけど……」

「あら、そう。……で、今日は何にするの?」

ヘレナは、アンジェリカにメニューを渡しながら尋た

ねた。

「えっと、何にしよっかな〜」

「……それがダメなんじゃない?」

「――っ! 

わかってるよ! 

お茶で!」

アンジェリカは膨ふ

れっ面つ

を作ると、渡されたメニューを開くことなく、ヘレナに突き

返した。

「はいはい〜」

そのときカウンターの奥から、料理が載った皿を持って女性が顔を出した。

「あら、アンジーいらっしゃい。来てたんだ」

17 異世界でカフェを開店しました。3 16

を考えた。そして、その原因に思い至る。

アンジェリカは、カフェ・おむすびのお菓子が大好きだ。どんなお菓子も喜んで食べ

るが、中でもエッグタルトが大好物である。

彼女はエッグタルトを、週に何度かテイクアウトしていく。それは、エッグタルトが

メニューに登場した二年前から続いていた。

そのエッグタルトだが、他のケーキより小ぶりであるにもかかわらず、カロリーは決

して低くない。なぜなら生き

地じ

にはたっぷりのバターと卵、そして砂糖が使われているか

らだ。

アンジェリカはそんなエッグタルトを、一度に二個も三個も食べる。朝昼晩にしっか

り食事を取った上で、間食として食べるのだ。成人女性が一日に必要とするカロリーを、

大幅に超こ

えていることは明白だった。

「なるほどね〜。それで落ち込んでたら、ガントさんに追い出されたんだ」

ガントとはアンジェリカの父親で、サイラス魔術具店の店主である。優秀な魔術具職

人で、生活に使われる魔術具の製作を得意としている。

カフェ・おむすびで使われている調理機器のほとんどは、彼が作ったものだ。

「そう! 

ひどいんだよ! 『太ったかな?』って聞いたら『そういえばそうかもなぁ、

「そんなこと言ってるけど、アンジーだって今休んでるじゃない? 

店番はいいの?」

「それがね、実は、お父さんに追い出されてさ……」

「ええ! ? 

何で?」

リサは驚いて聞いたが、アンジェリカは黙り込んでしまった。ヘレナは料理を注文し

ようとしている客に気付き、リサに目配せしてからそちらへ向かう。

「追い出されたって、何かあったの? 

私でよかったら相談に乗るけど」

リサの言葉を聞いたアンジェリカはガバッと顔を上げ、彼女の方に身を乗り出す。

「本当! ? 

じゃあさ、じゃあさっ、ダイエット手伝ってくれる?」

「へっ! ?」

思わぬことを言われて面食らうリサに、アンジェリカは先程ヘレナに話した内容を改

めて伝えた。前々から抱えていたその悩みが、ここにきていよいよ深刻化し、かなり焦っ

ているようだ。

リサもヘレナと同じように、数年前に出会ったときのアンジェリカを思い出す。その

頃の彼女に比べると、確かにふっくらしている気がした。

「花祭りまでに、せめて去年の衣装が着られる体型に戻したいよぅ!」

鬼き

気き

迫る表情で懇こ

願がん

され、リサは少し腰が引けつつも、アンジェリカがなぜ太ったか

19 異世界でカフェを開店しました。3 18

「うんうん、でも経験はあるんでしょ? 

その経験を生かして、協力してよ〜」

「協力って……私に出来ることって言ったら、ダイエットメニューを考えることくらい

しか……」

リサの言葉に、アンジェリカは目を輝かせた。

「ダイエットメニュー! ! 

それでいいよ、めちゃくちゃいいじゃん!」

「いや、ダイエットメニューって言っても私、専門家じゃないから大したものは出来な

いよ? 

それに運動もしないと、痩せるのは難しいんじゃ……」

「それは自分で頑張るから! 

お願い、ダイエットメニュー作って〜」

アンジェリカはカウンターの上に身を乗り出して、リサに向かって拝お

む。

リサもアンジェリカのダイエットに協力したいという気持ちはあった。何しろアンジ

ェリカが太ってしまったのは、自分が作ったお菓子のせいとも言えるからだ。

ただ、リサはダイエットの専門家ではないので、元の世界にいたときにテレビや雑誌

で目にした程度の、一般的な知識しかない。

だからあまり期待しないで欲しいと前置きして、協力することに同意した。

カフェの営業が終わり、帰宅したリサは、クロード家の自室でダイエットメニューに

でも女はそこそこ肉がついてた方が可愛いぞ、がはははっ』だって! ! 

乙女心が全然

わかってない!」

憤ふん

慨がい

したアンジェリカは、目の前のグラスをグワシッと掴つ

み、中に入っていた水を勢

いよく飲み干した。だが変なところに入ったらしく、盛大にむせ返る。

リサは慌てて紙ナプキンを差し出し、空か

になったグラスに水を注つ

ぎ足した。

「……げほっ、とにかく花祭りまでに何とかしたいの。衣装を新しく作るとなるとお金

がかかるし、そもそも年に一回しか着ないのに、新しく買うのは無駄だな〜って思うし。

ねぇリサ、何とかならないかな〜」

アンジェリカは「お願いっ」と言いながら、手を合わせてリサに懇こ

願がん

した。

彼女がこうまで痩や

せたいと願うのには、金銭的な理由もある。花祭りの衣装に既製品

はなく、全てオーダーメイドだ。伝統に則の

っとり

作られるその衣装は、各家で柄が違うため、

生き

地じ

から作らなければならない。着る機会は年に一度しかないのに、作るにはかなりの

費用がかかるので、それだけは避けたかった。

「ダイエットねぇ。太るのは簡単だけど、痩せるのは難しいよね。私もダイエットの経

験はあるけど、結局続かなかったし……」

リサは過去の経験を思い出しながら言った。

21 異世界でカフェを開店しました。3 20

「そうなんですか〜。……マスター、ダイエットって何ですか?」

何か楽しいことだと思ったのか、笑顔で聞いてきたバジルを見て、リサは苦笑した。

精霊は人間と違ってご飯を食べる必要がないため、痩や

せたり太ったりすることもない。

必要なエネルギーはそれぞれが司る物質、例えばバジルの場合は植物から得る。バジル

はリサの作った料理が好きで、よく一緒に食事をしている。けれど、そもそも精霊に食

事は必要ないのだから、バジルは精霊の中でも例外なのかもしれない。

リサからダイエットとは何なのかを説明されても、バジルはイマイチ理解できていな

い様子だった。だが、リサが人間を果物にたとえて「養分や水分が多いと大きい実が出

来るけど、大味でおいしくなかったりするでしょ? 

アンジェリカもちょっと大きくな

りすぎたから、少し小さくなりたいんだって」と言うと、納得したようだった。

「それでマスターは、その方法を考えているんですね〜」

「そうなの。でもこっちの世界に来てからカロリーとかGI値とか気にしたことがな

かったし、そもそも私にその手の専門知識があるわけでもないからなぁ」

「カロリー? 

GI値?」と頭の上にハテナマークを浮かべているバジルをよそに、リ

サは思考の海に沈んだ。

アンジェリカの好物であるケーキ類は、全般的にカロリーが高い。元の世界には砂糖

ついて考えてみた。

「う〜ん、ダイエットメニューねぇ……」

過去に実践したダイエット法を思い出し、紙に箇条書きしていく。断だ

食じき

、炭水化物抜

き等々。さらにダイエットに有効だと聞いたことがある食材も、書き出していく。トマ

ト、チョコレート、寒か

天てん

、海藻……。ただ、それらをダイエットメニューにどう活用し

ていくかが悩みどころだった。

「マスター、今度は何を考えているんです?」

気付けばテーブルの上に、緑の服を纏ま

った身長二十センチほどの精霊がいた。

緑を司

つかさどる

精霊のバジルだ。リサがこの世界にきたときに知り合った縁で『契約』を

結んだ彼女は、常にリサのそばにいる。

バジルはリサと一緒にカフェから帰ってくるなり、ソファのクッションの上でうたた

寝をしていたが、いつの間にか起きていたようだ。

リサが箇条書きした文字を見て、不思議そうな表情を浮かべている。別の世界の文字

で書いてあるため、何と書いてあるのかわからないらしい。

「今日、アンジェリカから相談されたダイエットのことで、何かいいアイデアがないか

考えてるんだ」

23 異世界でカフェを開店しました。3 22

そのため、いつもより早く起きたリサであったが、既にキッチンや洗濯場などでは、

侍女たちが忙しく働いていた。

リサは洗濯場で、一人の侍女に声をかける。

「おはようございます」

「あら、リサお嬢様、おはようございます。どうされました? 

こんな早くから」

洗い物を仕分けしていた侍女は、にこやかに挨あ

拶さつ

を返した。

「忙しいところごめんなさい。今、少し大丈夫?」

「はい、何ですか?」

リサよりいくつか年下の侍女は、嫌な顔ひとつせず、リサの方へ体を向けた。

「聞きたいことがあってね。ダイエットの経験ってある?」

「ダイエットですか? 

そりゃ、ありますよ〜」

それを聞いたリサは、思わず身を乗り出すようにして尋た

ねる。

「本当! ? 

どういうことをしたの?」

「う〜ん……食事を少なくしたり、移動のときには駅馬車を使わないで極力歩いた

り……あと、仕事中はあまり座らず立ったままでいたり、ですかね」

「そっかあ。ダイエットに効く食べ物とか知らないかな?」

に代わる甘味料がたくさんあったため、低カロリーでもおいしいスイーツを作れただろ

う。だが、こちらの世界にそういったものはない。

アンジェリカには酷だろうが、ダイエット中は彼女が大好きなエッグタルトも禁止に

するしかない。

その上で、リサが知る限りの低カロリー食品を使って、ダイエットを無理なく続けら

れるおいしいメニューを開発しなければ。

不思議そうに眺めるバジルの前で、リサは自分が持つ知恵を振り絞り、アイデアを書

き出していくのであった。

第二章 

食べないわけにはいきません。

翌朝、リサはクロード家で働く侍女たちに話を聞くことにした。

昨夜は元の世界での経験や知識をもとにダイエットメニューを考えてみたものの、あ

まり良いアイデアが浮かばなかった。だからこちらの世界で行われているダイエット法

について、情報を集めようと思ったのだ。

25 異世界でカフェを開店しました。3 24

れていたリサを助けてくれた、恩人でもある。

柔らかな色合いのツーピースドレスをビシッと着こなしている彼女は、『シリルメ

リー』という人気服飾店を経営している。

カフェ・おむすびや料理科の制服も、シリルメリー製だった。

アナスタシアの声で、リサはハッと我に返った。

そういえば、彼女にはまだ聞いていなかったと気が付く。

「シアさん、ダイエットってしたことあります?」

「あら、リサちゃんってば、ダイエットしてるの?」

「いえ、私ではなくて……」

リサはこれまでのいきさつを、アナスタシアに話した。アンジェリカから相談された

ことに始まり、侍女たちに話を聞いて回ったことまでだ。

やがて話を聞き終えたアナスタシアが口を開く。

「そうだったの。私もお店の従業員からよく相談されるわ。うちのお店はお洋服を売っ

てるから、自分たちの格好が一番の宣伝になるの。だから、否い

が応お

でも体型に気を遣う

のよね」

「シアさんは、いつもどうアドバイスしてるんですか?」

「ダイエットに効く食べ物ですか? 

そんなものがあったら、私も知りたいです!」

その後、リサは他の侍女にも聞き込みをした。だが、返ってきたのは似たような回答

ばかりで、あまり有力な情報は得られなかった。

ただ、彼女たちの多くが、今まさにダイエット中だった。

リサがやってくる前、この世界にはお菓子類がなく、食事も今より質素だったのだ。

だが、リサが来てからこの家の食事もおいしくて、栄養豊富なものになった。

そのため、彼女たちは皆ここ最近、体型が気になっているらしい。

リサは驚くと同時に、これまでの自分の行動が、予想していなかった弊へ

害がい

を生んでい

ることを思い知らされ、頭を抱えた。

朝食の席でも、リサはダイエットのことを考えていた。

ぼーっとしたままご飯を食べるリサが気になったのか、隣に座るアナスタシアが、心

配そうな視線を向けてくる。

「リサちゃん、どうしたの?」

アナスタシア・アシュリー・クロードは、リサの養母だ。この世界に来てすぐ行き倒

27 異世界でカフェを開店しました。3 26

「リサさん、ダイエットメニューを考えてるんですって?」

カフェに出勤するなり、リサはおっとりした声で呼び止められた。振り向くと、カフ

ェの制服を着たオリヴィア・シャーレインが立っていた。

彼女はリサよりも四つ年上で、一児を持つシングルマザーだ。だが、とてもそうは見

えないほど若々しく、色気に溢あ

れている。ミルクティー色の長い髪、たれ目がちの目元

にぽつりとある泣きぼくろ、そして女性でもつい目がいってしまう豊満な胸が、魅力的

だった。

「オリヴィア、おはよう。耳が早いね〜。誰から聞いたの?」

「ヘレナからよ。私もすごく興味あるわ〜、ダイエットメニューだなんて」

やはりその手の話題には、女性ならば誰しも関心があるようで、オリヴィアも例に漏

れず興き

ょうみしんしん

味津々な様子だ。

「まだ考え始めたばかりだよ。どんなダイエットしてるのか、いろんな人に聞いてると

こ。ちなみに、オリヴィアのダイエット法は?」

「私? 

そうねぇ、息子とたくさん遊ぶことかしら? 

やんちゃ盛りだから、息子に付

き合ってるうちに自然と体を動かすことになって、一石二鳥なの」

「要は、運動するってことか〜。食事を工夫して痩や

せたって人が、一人もいないんだよ

リサが問うと、アナスタシアは頬に手をあて、悩ましげな顔をした。

「それが、私も困っているのよ。『食べるものを減らしなさい』と言って倒れられたら

大変だから、『運動しなさい』って言うしかないのよね〜」

「いや〜、女の子は大変だねぇ」

リサとアナスタシアの会話に、突如、男性が割り込んできた。それはリサの向かい側

に座る、ギルフォードだった。

ギルフォード・ハイド・クロードはアナスタシアの夫であり、リサの養父でもある。

そして彼は、王宮の筆頭魔術師というすごい肩書を持つ人でもあった。

二人の話を興味深げに聞いていたギルフォードは、しみじみと頷う

なずい

ている。

そんな彼に、アナスタシアが言う。

「女の子は色々と気を遣うのよ! 

特に好きな人の前では、可愛くありたいじゃない?」

「そういうものなのかい? 

でも、君はいつでも可愛いよ、アナスタシア」

「あら、嬉しいわ。うふふ」

アナスタシアとギルフォードは見つめ合い、二人の世界に入ってしまった。相変わら

ず仲のいい二人に苦笑しながら、リサは朝食を再開した。

29 異世界でカフェを開店しました。3 28

「リサさん、いつも賄い作ってもらって、すいません」

シルバーブロンドにブルーアイ、そして常に無表情の彼は、一見冷たそうに見える。

だが本当は優しく、男気のある青年だ。

いつも冷静沈着なためか大人びた雰囲気を持っているが、実際は二十一歳とまだ若く、

アランと一つしか違わない。

カフェ・おむすびの従業員第一号であるジークは、料理の腕をぐんぐん上げていき、

今ではリサと同じく学院で教き

ょうべん鞭

を取っている。そして、リサの恋人でもあった。

「アランくん、ジークくん、お疲れ様」

ルンルン気分丸出しのアランと、クールな無表情のジークは実に対照的だ。そんな二

人が並んでいるのが、いつものことながらおかしくて、リサは笑いを堪こ

える。

そこで、アランが口を開いた。

「あれ? 

今日の賄いは何かこう……控えめというか、つましい感じがしますね。彩い

ろどり

はありますけど」

「おい、アラン。失礼なこと言うなよ」

ジークにぎろりと睨に

まれたアランは、慌てて言い訳する。

「い、いやぁ〜、悪い意味じゃなくてですね」

ねぇ」

「確かに、ダイエットにいい食事って、あまり想像つかないわね」

オリヴィアとの会話からもいいヒントは得られず、リサはう〜んと唸う

りながら、開店

準備に取り掛かった。

開店準備を終えた後は、スタッフ全員で早めの昼食を取る。その日の賄ま

かない

は、昨日リ

サが自宅で考えたダイエットメニューだった。

サラダに、野菜たっぷりのスープ、ほうれん草に似た野菜であるザラナが入った卵焼

き、それに豆ご飯と、デザートのフルーツがついている。

「は〜、お腹空す

いた! 

今日の賄いは〜っと」

ご機嫌な様子で二階のスタッフルームにやってきたのは、アラン・トレイルだった。

元は王宮の見習い料理人だったが、料理長の推す

薦せん

によりカフェで働き始めたアランは、

今年で二十歳になる。鶯

うぐいす色

のクリクリした髪が特徴的で、いつもニコニコしている彼は、

女性スタッフからよくワンコにたとえられている。どこかにくめない、チャーミングな

青年だ。

アランに続いて部屋に入ってきたのは、ジーク・ブラウンだった。

31 異世界でカフェを開店しました。3 30

さそうだし」

ヘレナが満足げな顔で言った。

「私もそう思うわ。それなりに彩い

ろどり

もあって、いいわよね」

オリヴィアも、ヘレナに同意する。

どうやら、女性陣には好評のようだ。

一方、男性陣はと言うと……

「おいしいですけど、物足りない感じはありますね」

ジークが、食べていたサラダの器う

つわを

テーブルに置きながら言った。

「そうっすね。具体的に言うと、肉が欲しいです!」

アランもジークと同意見らしい。

予想通りだったので、リサはやはりと思った。肉を使うと、どうしてもカロリーが高

くなるので、今日の献立には使わなかったのだ。

だが若い男性は肉を好む傾向があるので、物足りなく感じるというのには頷う

なずけ

る。女

性だって、肉が食べたい日もあるだろう。

肉の代わりになる食材はないかと知恵を振り絞るリサの脳の

裏り

に、あるものが浮かんだ。

「そうか、あれだったら作れるかも……」

そんなアランを見ながら、リサは苦笑した。

「やっぱり、そう見えるか〜」

貧相に見えないよう工夫したつもりだが、料理のプロであるアランの目はごまかせな

かった。

「今、ダイエットメニューを考え中でさ、試しに作ってみたんだよね」

リサの言葉で、アランは思い出したように言う。

「あ、それヘレナちゃんとオリヴィアさんが、今朝話してたやつですね」

「あら、盗み聞きしてたんですか?」

「おわっ、ヘレナちゃん」

噂うわさを

すれば影という言葉通りのタイミングで、アランの背後からヘレナが顔を覗の

かせ

た。彼女の横には、オリヴィアもいる。

「みんな揃そ

ったことだし、食べよう」

リサがそう促う

ながす

と、メンバーはそれぞれの席に着いた。

賄まかない

を食べながら、リサは今日の献こ

立だて

について率直な感想を聞いてみた。

「私は結構いいと思いますよ。適度にお腹いっぱいになるし、野菜中心だから体にも良

33 異世界でカフェを開店しました。3 32

カフェとの取引を担当している職員がいるか聞くと、「少々お待ちください」と言われ、

待合室に通された。

ソファに座り、室内の調度品を眺めながら待っていたリサは、後ろから肩を叩かれた。

「リ〜サ〜ちゃんっ」

「アレクさん! ?」

「やぁ!」

振り向いた先にいたのは、アシュリー商会の代表である、アレクシス・ジゼル・アシュ

リーだった。彼は、リサの義母アナスタシアの実兄でもある。

「今日はカフェ・おむすびの担当者が不在だから、代わりに僕が対応させてもらおうか

と思ってね」

「突然来てしまって、すみません」

「いやいや、気にしないで〜。僕も、ちょうど手が空あ

いてたし」

とは言われたものの、代表であるアレクシスに直接応対してもらうことに恐縮しつつ、

リサは彼の執務室へついていった。

「それで、今日はどんなご用なんだい?」

何やら一人でぶつぶつと呟つ

ぶやき

始めたリサに、カフェのスタッフ一同は瞠ど

目もく

した。だが、

いつものことなので、すぐに食事を再開したのだった。

第三章 

苦い水を作ります。

ダイエットメニューのことで新たなアイデアを思いついたリサは、さっそく行動を開

始した。

賄まかない

を食べ終えた後、カフェを飛び出してやってきたのは、アシュリー商会。カフェ

の食材からテイクアウト用の容器まで、幅広く納品してもらっている会社だ。

カフェには担当職員が納品がてら定期的に来てくれるので、リサから訪ねるのは久し

ぶりだった。だが、リサは迷わず一階の受付カウンターに向かった。

「こんにちは。カフェ・おむすびの者なんですが……」

「いらっしゃいませ。いつもお世話になっております」

受付の女性は、リサを見るなりにっこり微笑んだ。どうやら顔を覚えていてくれたら

しい。

35 異世界でカフェを開店しました。3 34

「一番近い海まで馬車で一日というところだから、早ければ明あ

さって

後日には届けられるかな」

「本当ですか! ? 

ありがとうございます! 

すごく助かります! !」

リサは頭を下げて、何度もお礼を言った。

アレクシスはにっこり笑って立ち上がると、背後の執務机から書類を取り出し、さら

さらと何か書きつけていく。おそらく海水の発注書だろう。

リサは目当てのものをこんなにスムーズに手に入れられるとは思っておらず、最悪、

自分で取りに行くことも考えていた。だが、ダメもとで頼んでみて良かったと思う。

海水と一緒に、以前味噌や醤し

ょうゆ油

を作るときに注文した豆も大量に届けてもらうように

頼むと、彼女はアシュリー商会を後にした。

「海水ねぇ……」

リサが帰った後、アレクシスは頼まれたものの手配を済ませ、執務室で別の仕事を片

付けていた。その最中、変わった注文をしていった義理の姪め

の姿が頭に浮かんでくる。

「今度は、何を作ろうとしていることやら……」

商売人の性さ

で、新しい商売に繋がりそうなことが気になるのはもちろん、リサの料理

のファンとして、次は何を作ってくれるのか楽しみだ。

執務室のソファに向かい合って座るなり、アレクシスは真剣な顔で本題を切り出した。

リサが直接アシュリー商会にやってくることはめったになく、しかも今日はアポなし

で訪れた。そのため、何か緊急にして重大な相談があるのではと、彼は考えたらしい。

「えっと……こんな注文をするのは私くらいだと思うのですが、海水を融ゆ

通ずう

していただ

きたいんです」

「海水って、海の水のことだよね?」

「そうです、その海水です」

リサの突拍子もない依頼を受け、アレクシスはぽかんとする。リサは予想通りのリア

クションに苦笑した。

「海水とは、これまた意外なものを注文するね。一応聞くけど、水に塩を溶かしたもの

ではダメなんだよね?」

「はい、海水じゃないとダメなんです」

アレクシスはカフェが開業した当初から、たくさんの無理難題を聞いてくれた。だか

ら、普通なら無理だと突っぱねられるような注文でも、きっと受けてくれるとリサは考

えていた。

すると彼は、詳しい事情を聞くこともなく快か

諾だく

する。

37 異世界でカフェを開店しました。3 36

みたいものがありまして」

申し訳なさそうに言ったリサに、シーゲルは微笑んでみせる。

「いえいえ、むしろ俺だったらすんなり話を通せなかったかもしれないんで、逆に良かっ

たんじゃないでしょうか。何せ代表が直じ

きじき々

に発注したわけですから。そのおかげで、早

急に手配できたんだと思いますよ」

シーゲルは海水の入った樽を器用に転がしながら、カフェの店内に運び入れる。リサ

はドアを押さえてそれを補助しつつ、自分の注文がいかに風変わりだったのかを改めて

実感し、苦笑した。

「一緒に注文された豆は昨日納品してるんで、ご注文の品はこれで全部ですよね?」

海水の樽を運び終えると、シーゲルはリサに確認する。

「はい、大丈夫です」

「じゃあ、いつも通りこちらにサインをお願いします」

リサはシーゲルから差し出された伝票を受け取り、サインして彼に返した。

「それで、今回は何を作るんですか?」

受け取った伝票を鞄か

ばんに

しまいながら、シーゲルがリサに聞いた。海水を使ってどんな

料理を作るのか、気になっているようだ。

そのためには、出来る限りの助力をしようと考えるアレクシスであった。

そして約束通り、リサがアシュリー商会を訪れた日の翌々日、大きな樽た

二つ分もの海

水がカフェに届けられた。

樽を運んできてくれたのは、アシュリー商会の職員であり、カフェ・おむすびとの取

引を担当しているシーゲルだった。

「それにしても、驚きましたよ〜。俺が休み明けに出勤したら、代表からいきなり『海

水の注文が入った』なんて言われるんですもん」

あははと笑いながらそう言った彼は、茶色の髪を短く切り、薄い顔をしている。ひょ

ろりとした体型から頼りなさげに見えるが、アシュリー商会の中でも、やり手の商人だ。

商談を強引にまとめるようなことはせず、下し

手て

に出つつも巧た

みな話術で、いつの間に

か話をまとめてしまう。だが商会側が得するだけでなく、顧こ

きゃく客

も満足する取引が出来る

ことが、彼の一番の商才だろう。

だからこそ、アレクシスは大事な姪め

であるリサの店を、シーゲルに担当させているのだ。

リサもシーゲルの人柄と仕事ぶりには、信頼を寄せていた。

「すみません、シーゲルさんの予定も聞かずに伺

うかが

ってしまって……実は、早急に作って

39 異世界でカフェを開店しました。3 38

それを作るためには、豆と

うにゅう乳

とにがりが必要なのだ。

リサは豆腐を作るにあたって、元の世界でのある経験を思い出していた。それは、高

校の理科の授業である。

理科の担当教師は、実験が好きな人だった。もちろん座学での授業もするが、『論よ

り証拠』『百ひ

ゃくぶん聞

は一見に如し

かず』をモットーとしていた彼の授業は、実験が多かった。

その実験の一つが、豆腐を作るというものだった。何を検証する実験だったのか、今

ではさっぱり覚えていない。だが、当時から料理が好きだったリサは、その手順と方法

だけはしっかり覚えている。

まずは豆乳作りだ。水に浸けていた豆の水気を切り、ミキサーに入れる。そして水を

少し加え、どろどろの状態にする。

少しツブツブが残るくらいまでミキサーに掛けてから、それを鍋に移して加熱して

いく。

焦げないようにかき混ぜながら弱火で十分くらい煮たら、火を止めてザルと布で濾こ

す。

熱いので木べらを使って濾していくと、徐々に水分がザルの下に置いたボウルの中に溜

まってくる。

やがて熱が冷め、手で触れるくらいになったところで、布をギュッと絞る。

「ちょっとダイエット料理を考えてまして。まだ詳細は教えられないんですが……」

「ダイエット料理ですか。いや〜、俺も最近下っ腹が気になってて、嫁からも『少し痩や

せた方がいい』って言われてるんですよね」

シーゲルは笑って、自分の腹をさすってみせた。リサにはもっと若く見えるが、彼は

三十代後半だという。いわゆる中年に差し掛かっているため、体型や体質が変わり始め

ているのだろう。

「じゃあダイエット料理が完成したら、是非いらしてください」

「必ず来ます。楽しみにしてますよ」

そう言うと、シーゲルは挨あ

拶さつ

もそこそこに帰っていった。

シーゲルと別れた後、リサはカフェの厨ち

ゅうぼう房

で作業に取り掛かった。今日は休業日で

あるため、店にいるのはリサ一人だ。

先に届いていた豆は、昨日から水に浸つ

けてふやかしてある。

リサはまず海水をザルと布で濾ろ

過か

し、細かな不純物を取り除いてから火にかけた。

彼女がこれから作ろうとしているもの、それは豆腐だった。

低カロリーで体に良く、肉の代わりとしても使えるという、良いところだらけの食材。

41 異世界でカフェを開店しました。3 40

「どうしたの? 

ジークくん。お休みの日なのに」

リサは目を丸くして尋た

ねた。

「一緒に出かけようと思って家に行ったら留守だったから、ここに来たんだ」

「あ、そうだったの? 

ごめん」

どうやらジークは、リサをデートに誘おうと考えていたようだ。リサは何かをやろう

と思い立つとそれに夢中になり、他のことが疎お

ろそか

になってしまいがちだ。だから、そん

な彼の気持ちなど露知らず、一人カフェに籠こ

っていたのである。

やや呆れ気味に、はぁとため息を吐つ

くジーク。リサは笑ってごまかすと、彼に豆乳が

入ったマグカップを差し出した。

「これ作ってたの。ダイエットメニュー作りの一環で」

「ミルク? 

じゃないな……」

ジークはカップの中身を揺らしながら呟いた。

この世界におけるミルクは、ヤシの実に似た実から取れる。その実は熟成させると脂

肪分が増し、生クリームのようなものまで取れるという、大変優れた木の実なのだ。

ミルクも生クリームも、リサが元いた世界のものと同様に使うことが出来、カフェの

料理やお菓子には欠かせない食材となっている。

そうして出来た、薄いクリーム色の液体。これが豆と

うにゅう乳

だ。一方、布の中に残ったものが、

おからである。こちらも食材として利用しようと、リサは考えていた。

ここで、リサは豆乳の味見をすることにした。棚から適当なマグカップを取り出し、

出来立ての豆乳を掬す

い上げる。

「うん、濃いけどおいしい!」

まだ温かさの残る豆乳は、豆独特の風味が強い。だが、ほんのり甘みがあって、思っ

たより飲みやすかった。

「こんなことなら、豆乳だけでも前から作っておくべきだったなぁ。色々と使えるし」

リサは少し後悔しながら呟つ

ぶやく

と、次々と浮かんでくる、豆乳を使ったレシピに思いを

巡らせた。

元の世界では、豆乳は牛乳の代用品として広く使われていた。人々の健康志向が高ま

るにつれて、流は

行や

りのカフェやスイーツ専門店などで、その名を目にすることが増えた。

豆乳をちびちび飲みながら物思いにふけっていたリサは、ホールの方から聞こえてき

た物音で、ハッと我に返る。

ややあって厨ち

ゅうぼう房

に顔を出したのは、ジークだった。

「やっぱりいた」

43 異世界でカフェを開店しました。3 42

木べらでかき混ぜながら更に煮詰めていくと、海水が徐々に白は

濁だく

し始める。リサはそ

のあたりで一度火を止め、ザルと布で海水を濾ろ

過か

した。

リサの作業が気になるのか、ジークはミキサーでどろどろにした豆を煮詰めながら、

彼女の方を窺

うかが

っていた。

「リサさんは、いったい何を作ってるんだ?」

「にがりっていう液体を作ってるの。あと副産物として、塩も出来るよ」

本来は、にがりの方が副産物なのだが、今回ばかりは逆だった。

「にがり? 

何に使うものなんだ?」

「豆乳を固めるんだよ。ゼリーに使うグリッツと似たようなものかな」

グリッツとは赤くて小さい木の実のことで、その果汁には、ゼラチンのような性質が

ある。そのため、カフェではゼリーなどを作るときに使っているのだ。

「グリッツじゃダメなのか?」

「うーん、元の世界では、にがりを使ってたからね。にがりを使う基本的な作り方と、

グリッツを使うやり方と、両方試してみようと思って」

リサは濾過して透明になった海水を、再び火にかけた。かき混ぜながら中火で煮詰め

ていくと、水分がどんどん少なくなり、白くなっていく。やがてシャーベット状になっ

「豆

とうにゅう乳

っていうの。ざっくり言うと、豆を絞った汁」

ジークは豆乳の匂いを嗅か

いだ後、カップに口をつけた。そして少し口に含んで味わっ

てから、感想を述べる。

「口あたりはミルクに似てるけど、ちょっとクセがあるな」

「濃いままだから、なおさらそう感じるのかも。このまま飲むなら、薄めた方が良いね」

「これをどうするんだ?」

「これを使って、あるものを作るの。あと、ミルクの代用品としても使う予定だよ。何

しろ豆乳はミルクよりも健康的で太りにくくて、ダイエットに最適なんだ」

「じゃあ、お菓子にも使えたり?」

「もちろん!」

食事メニューよりもお菓子を作る方が得意なジークは、リサの言葉に目を輝かせた。

その様子に、リサは笑みを誘われる。そしてどうせなら今、彼に豆乳の作り方を教え

てしまおうと考え、まだ水に浸つ

かったままの豆をザルに上げた。

ジークに豆乳作りの手順を教えた後、リサは火にかけておいた海水の様子を見る。蒸

気を上げて煮え立つ鍋を覗の

き込むと、水量は元の三分の一ほどに減っていた。

45 異世界でカフェを開店しました。3 44

使用した器具を洗い始める。

「それで、結局何を作るんだ?」

「まぁ、それは明日のお楽しみってことで!」

翌日、リサは一番早くカフェに出勤した。そして厨房で朝の準備を済ませた後、さっ

そく豆腐作りに取り掛かる。

鍋を三つ用意し、それぞれに同じ分量の豆乳を入れて火にかけた。にがりの量が違う

ものを二種類と、グリッツを使ったものの、計三種類を作ろうと思ったからだ。

豆乳を大体七十度から八十度くらいまで熱したら火を止め、それぞれの鍋ににがりと

グリッツを加えていく。

グリッツを入れたものは、かき混ぜたらすぐ陶製の器う

つわに

移し替え、冷蔵庫で冷やすだ

けなので、非常に簡単だ。

にがりを入れたものは、もう少し手間がかかる。

ゆっくりかき混ぜていると、徐々に塊

かたまりが

出来始める。ある程度ダマになってきたら、

そのままの状態で少し置いておく。

十分から二十分くらい経つと、鍋の中身が白い固体と黄色味がかった液体に分離する。

たところで、彼女は鍋を火から下ろした。

その頃になると、ジークは豆と

うにゅう乳

を作り終え、リサの作業を興味深げに見学していた。

シャーベット状になった海水を、リサはザルと布を使って再び濾こ

していく。そうして

濾された液体がにがり、布の中に残ったものが塩だ。

「この液体が、にがり?」

「そう。試しに舐めてみる?」

ジークはリサの言葉を聞いて、にがりを指につけ、口に入れた。

「苦っ! !」

「あはは、言い忘れてたけど、にがりって私のいた世界では、苦い汁って書くんだよ」

「それを早く言ってくれ! !」

ぺっぺっと吐き出しているジークを笑いながら、リサは片付けを始めた。

出来上がったにがりを瓶に詰め、冷蔵庫にしまう彼女を見て、ジークが首を傾か

げる。

「あれ? 

にがりを使って何か作るんじゃないのか?」

「もうこんな時間だし、残りは明日にしようと思って」

「あ、もう夕方か」

ジークが目を向けた厨ち

ゅうぼう房

の窓からは、茜

あかね

色の光が差し込んでいた。彼もリサと共に、

47 異世界でカフェを開店しました。3 46

布の合わせ目を開くと、真っ白な豆腐がプルンと顔を出した。元の世界でよく目にし

ていたのと同じ姿だったので、リサは小声で「おおっ!」と感嘆する。

そして、冷たい水を張ったボウルの中にそれを入れた。このまま三十分くらい水に浸つ

ければ、いよいよ完成だ。

そこでジークとアランが、揃そ

って厨房にやってきた。

「リサさん、おはようございます」

「おっはよ〜ございま〜す!」

いつもと変わらず冷静沈着なジークと、これまたいつもと同じニコニコ顔のアラン。

まるで主人に付き従うワンコのように、ジークの後ろについて歩くアランを見て、リサ

は微笑む。

そのアランは流し台に置かれているボウルを、興味深げに覗の

き込んだ。

「リサさん、それ何ですか?」

「アラン、先に手を洗え!」

「あ、はい!」

爪ブラシを使い、シャコシャコと音を立てて手を洗っていたジークに注意され、アラ

ンは慌ててそちらへ向かった。彼と入れ替わりに、手を洗い終えたジークがリサのもと

そうしたら、布を敷いたザルに固体を取り出すのだ。布を袋のようにして取り出したも

のを包み、口を絞ったら、上に重お

石し

を乗せて水気を切っていく。

これで作業は、ほぼ終了だ。

リサが達成感を覚えながら、ふぅと一息ついたところで、ヘレナが出勤してきた。

「おはようございます! 

どうしたんですか? 

こんなに早くから」

いつも一番早く出勤するヘレナは、リサを見て驚いている。

リサとジークは料理科の授業で不在のときも多いので、ヘレナが毎朝、店の鍵を開け

る役目を担に

っているのだ。

「おはよう。ヘレナこそ早いね。私はちょっと、ダイエットメニューに使う食材の試作

をね」

「もしかして、今日の賄ま

かない

で試食できたりするんですか?」

「そのつもり」

「わぁ! 

やった〜」

ヘレナは、ぱあっと顔を明るくして、機嫌よく厨ち

ゅうぼう房

を出ていった。その姿に笑みを

誘われながら、リサは片付けを始める。

使った鍋などを全て洗い終えたときには、豆腐の水切りもいい頃合いだった。

49 異世界でカフェを開店しました。3 48

「はいっ」

アランはピシッと背筋を伸ばして返事をすると、その日の献こ

立だて

を貼るボードの方へと

駆けていく。

ジークとリサは顔を見合わせ、小さく笑ってから、それぞれの作業に取り掛かった。

「へぇ〜。豆腐っていうんですか、これ」

開店準備が終わった後、二階のスタッフルームでは、リサが試作した豆腐が振舞われ

ていた。

ヘレナは豆腐が載った皿を左右に揺らして、まじまじと見つめている。

「左の二つは、にがりっていう液体で固めたもので、右のはグリッツで固めたものだよ。

まずはそのままで、その後、醤し

ょうゆ油

やドレッシングをかけて召し上がれ」

リサの説明に、ふむふむと頷う

なずく

と、他の四人は豆腐を匙さ

で掬す

って口に入れた。

プリンとも、ゼリーとも、茶碗蒸しとも違う、柔らかくも、こしのある食感。味は淡

白ではあるが、ほんのり甘く、豆の風味が口いっぱいに広がる。

リサも、同じように豆腐を味わう。出来上がった時点で味見はしたものの、改めて三

種類の豆腐を食べ比べ、それぞれの違いを生かして、どんな料理に利用できるか考えて

へやってくる。

「これが例のものですか?」

「そうだよ。三種類作ったから、今日の賄ま

かない

として、みんなで食べ比べしようと思って」

ジークはリサに許可を得てから、ボウルの底に沈む真っ白な豆腐を指でつついた。ア

ランもすぐさまやってきて、ジークと同じように豆腐をつつき始める。

「あ、アランくん、あまり強くつつくと……」

「あ……」

リサが注意しかけたものの、時既に遅く、アランがつついた部分には穴が開いてし

まった。

リサとジークは、ジト目でアランを見る。

「す、すいませんっ!」

慌てて頭を下げるアラン。リサは、やれやれとため息を吐つ

いた。お約束のようなこと

をしでかしたアランに、呆れつつも苦笑する。

「穴が開いたところは、アランくんが食べてよね」

「食べます食べます!」

「ならいいよ。それより、さっさと開店準備する!」

51 異世界でカフェを開店しました。3 50

いく。

「リサさん、この二つは、どちらもにがりを使っているんですよね? 

食感が違うのは

なぜですか?」

ジークの質問に、リサが答える。

「ああ、それは単純に、入ってるにがりの量が違うからだよ。にがりが多い方が固くな

るの」

それを聞いて、ジークは頷う

なずく

。他の三人も「へぇ〜」と声を漏らした。

「はいは〜い! 

リサさん」

まるで学校で生徒が質問するときのように、アランが手を挙げた。

「何? 

アランくん」

「何でわざわざ、にがりっていうのを使うんですか? 

こっちの豆腐みたいに、グリッ

ツで作ればいいんじゃないですか?」

「いいところに気付いたね! 

グリッツを使った方が簡単に作れるけど、デメリットも

あるんだ。グリッツで作ったゼリーは、熱を加えると溶けるでしょ? 

この豆腐も同じ

で、熱すると、溶けて液体に戻ってしまうの。だから、冷やして食べるしかない。その

点、にがりで作った豆腐は一度固まると、加熱しても溶けないの。焼いたり、スープの

具として使ったり、色々とレシピの幅が広がるんだよ!」

「おお! 

そんな利点があるんですね! !」

「その分、作るのに手間がかかるけどね」

リサが元いた世界では、豆腐は一パック百円前後でいつでも購入できた。それが自分

で作るとなると、足かけ二日もかかる。リサは物を安価で手軽に買うことが出来ること

のありがたみを、しみじみと感じた。

そんなとき、ヘレナが口を開く。

「ダイエットメニューに使うって言ってましたけど、実際、豆腐の何がダイエットにい

いんですか?」

豆腐の作り方が気になる男性陣に対して、女性陣は豆腐の効果の方が気になるようだ。

ヘレナだけでなく、オリヴィアも興き

ょうみしんしん

味津々な様子でリサを見ている。

「豆腐は体にいい上に、低カロリー……えっと、食べても太りにくいんだ。それに豆で

出来てるから、イソフラボンっていう物質が豊富に含まれててね。それが女の子に、す

ごくいい効果をもたらすの!」

「いい効果って、どんな?」

オリヴィアが、すかさず追及する。

EDITOR18
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