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Page 1: 一 神話・伝説に見られる特徴的な語り...神話・伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木) 0 一二三 べている。太平洋に伝承の海洋型国産み神話に類似。またヌホコを男性の象徴とし、交合による国産み神話とも見られる」と述

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一二一

神話伝説に見られる特徴的な語り

佐佐木 

 

日本の神話や伝説を細かく読んでいくとこれまで注目されていない特徴的な語りかたが話のなかにしばしば表

れることに気づくここでいう特徴的な語りかたとは一つの出来事やことがらを二段構えのかたちで語る

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というこ

とである本稿ではその現象が認められると判断される諸話を取り上げ「二段構えの語り」とは実際にどのよう

なものなのかまたそれはどのような経緯によって成立したものなのかということを具体的に分析し確認すること

にしたい

 

最初に取り上げるのは『古事記』の伊い

ざなきのみこと

邪那岐命と伊い

ざなみのみこと

邪那美命『日本書紀』の伊い

ざなきのみこと

奘諾尊と伊い

ざなみのみこと

奘冉尊とが世に出現し

た直後に展開する神話でありいわゆる「修理固成」の場面である)

1(

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一二二

A 

ここに天つ神諸

もろもろの

命みことも

ちて伊い

ざなきのみこと

邪那岐命伊い

ざなみのみこと

邪那美命二柱の神に「この漂た

だよへ

る國を修め理つ

り固め成せ」と詔の

りて天の沼ぬ

矛ぼこ

を賜ひて言こ

依よ

さしたまひき故二柱の神天の浮橋に立たしてその沼ぬ

矛ぼこ

を指し下ろして画か

きたまへば盬し

こをろこをろに画き鳴な

して引き上げたまふ時その矛の末より垂し

ただり

落つる盬累か

なり積もりて島

と成りきこれ淤お

能の

碁ご

呂ろ

島なり

〔神代記〕

B 

伊いざなきのみこと

奘諾尊と伊い

ざなみのみこと

奘冉尊天の浮橋の上に立たして共に計は

からひ

て曰の

たまは

く「底そ

こつした

下に豈あ

國無けむや」とのたまひて

廼すなはち

天あめ

之の

瓊ぬ

瓊は玉なり此をば努ぬ

と云ふ矛ほ

を以て指し下ろして探

かきさぐる

是こ

に滄

あをうなはら

溟を獲え

き其の矛の鋒さ

より滴し

ただ瀝

る潮

凝りて一ひ

とつの

嶋に成れり名な

けて磤お

馭ご

慮ろ

嶋と曰い

〔神代紀第四段〕

 

これらの話に見える「天の沼ぬ

矛ぼこ

」「天之瓊ぬ

矛ぼこ

」が男根を象徴するものだという見解は古くからある一方それ

はあらぬ拡張であり避けるべき解釈だというような意見もたびたび表明されてきた

 『日本書紀』本書の記述であるBについて古典大系では「矛で海を探る国産み神話は蒙古に例がある」と指摘し

たうえで次のような解説を加えている

C 

しかし日本神話では国土が浮く魚や海月(くら

)などに喩えられているから矛によって海中の魚を刺

してそれを得るのを国を得る神話としたものかと見る見方もあるそれと別にホコを男根の象徴と見れば

以下はそのまま交合による国産みと見ることもできるような記述である

 

同じBの記述について新編古典全集でもほぼ同じ趣旨の解説を加えており「矛で海を探り国を得る神話は南

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一二三

太平洋に伝承の海洋型国産み神話に類似またヌホコを男性の象徴とし交合による国産み神話とも見られる」と述

べている

 

二種の注釈に見える解説のなかで本稿にとって重要なのは矛を指し下ろして搔き探るという動作について「ホ

コを男根の象徴と見れば以下はそのまま交合による国産みと見ることもできるような記述である」〔古典大系〕と

か「ヌホコを男性の象徴とし交合による国産み神話とも見られる」〔新編古典全集〕とかといった部分である確

かにABの記述を素直に読めば直後に展開される男女二神の交合による国産みをどうしても想像せざるをえ

ない正反対にABの内容は直後に展開される男根交合国産みとはまったく無関係だと断じるとしたらそ

れはかえって不自然で無理なことである

 

矛の先端から滴り落ちた塩が凝り固まって島ができたあとで男女二神は身体に関する問答と柱回りとを行うそ

して相手を讃美することばを互いに交わしてから交合を行って子としての国土を産んでいくだからその場面

に至る前の段階で語られるABの内容は特に印象的で重要な国産みの場面から神話の伝承者によって事前に連想

されたものであり国産みの場面よりも前にある部分にあとになって持ち込まれたものだろう

 

このことを少し具体的に説明するとほぼ次のようになる二神が相手を讃美し合って交合を行い次々に国土を

産んでいくというきわめて重要な場面について語る前に神話の伝承者はその重要な場面を強く意識したそのこ

とから伝承者は二神による交合国産みによく似た動作

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0

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0

として矛を海中に指し下ろしてそれを搔き回しあと

で矛を引き上げるとその先端から塩が滴り落ちそれが凝り固まって島ができたという一連の過程を連想したそ

して結局はその連想を話のなかに組み入れたのだろうということである

 

このように想定してよければ「修理固成」の条とそれに続く「国土創成」の条とは本項の冒頭で述べた「二段

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一二四

構えの語り」を構成していることになる交合国産みのイメージを強く与えるABの話を語ることがその一段め

にあたり実際に二神が交合によって国土を産んでいくのを語ることがその二段めにあたる言うまでもなく二

つの段の成立から見れば順序は逆である伝承者に連想を働かせるもとになったのは二段めの語りであり伝承者が

その二段めの語りに基づいて新たに連想したことが一段めの語りである一段めの語りが強い印象を与える二段

めの語りから事前に連想されたものである以上両者が内容的に似たものになったりまた重なる部分を含むものに

なったりするのは当然である

 

ABの話の直前にあるのは『古事記』『日本書紀』にいう「神世七代」の条であるこの条にも「二段構えの

語り」にあたるものが認められる

 

同条に出現するのは「国く

にのとこたちのみこと

常立尊より伊い

ざなきのみこと

奘諾尊伊い

ざなみのみこと

奘冉尊に迄い

るまで」〔紀〕の神々であり伊奘諾尊伊奘

冉尊が出現する直前には大お

ほとのぢのみこと

戸之道尊と大お

ほとまべのみこと

苫辺尊面

おもだるのみこと

足尊と惶

かしこねのみこと

根尊という二組の対偶神が出現しているこれら

のうち面足尊と惶根尊は『古事記』の於お

母も

陀だ

流る

神と阿あ

夜や

訶か

志し

古こ

泥ね

神にあたる二神の名は「面足る」「あや恐か

ね」の意だと説明されている「面足る」「あや恐こね」が何を意味するかについてはいくつかの説があるがそれら

のうち大野晋の説明がよく知られておりまた妥当である)

2(

D 

思うにこの一対の神は男と女とであるから男神が女神に対して「あなたの容貌は整って美しい」と

言ったのに対して女神が男神に「まあ何と恐れ多いこと」と返事をしたのではあるまいか単語の基本的な意味

から推してこのような場面と見る解釈がその最も根源的な意味を把えているもののように思う

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一二五

 

同じ説明は古典大系『日本書紀』の注にも取り入れられており同書の補注に「男女の会話が神として位置を占め

たものと思われる」という解説が見える思想大系『古事記』の「容貌が整っていて美しいことを神格化」「畏敬の

念を抱いたことを神格化」という「面足る」「あや恐こね」に対する解説も対偶神の名を同じように解釈したう

えでのものである

 

確かに「面足る」「あや恐こね」という「男女の会話」あるいは神名はすぐあとに見える男女二神の発言から

伝承者が事前に連想したものだと考えられるさきにも言及したように二神が交合によって子としての国土を産ん

でいく直前に相手を讃美することばを発し合う場面があり結果的にその発言が神名のかたちをとって話のなかに

入り込んだということであるこれが「二段構えの語り」の一段めの語りに相当する

 

二神が相手を讃美することばを発し合い子としての国土を産んでいく場面は

E 

ここに伊邪那岐命先に「あなにやしえをとめを」と言ひ後に妹伊邪那美命「なにやしえをとこを」

と言ひきかく言ひ竟を

へて御み

合あひ

して生める子はhellip

〔神代記〕

F 

陽を

神かみ

先づ唱へて曰の

たまは

く「妍あ

なにゑや

哉可え

愛少女」とのたまふ陰め

神かみ

後に和こ

へて曰はく「妍あ

なにゑや

哉可え

愛少男」との

たまふ然し

かうし

て後に宮を同じくして共に住す

ひて児こ

を生む

〔神代紀四段一書第一〕

などと語られているこれらEFの話に見える「あなにやしhellip」「あなにゑやhellip」などの感動を表すことばや

「愛え

をとこ男

を」「愛え

をとめ女

を」などの讃めことばを発したあとで女神が国土を産んでいくことを描写するのが二段めの語り

になる

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一二六

 

このように神名の「面足る」「あや恐こね」とEFの話との間に「二段構えの語り」にあたるものが認められ

ると考えるその場合にまず男神が女神を讃美しなければならないという思考のありかたに従えば大野の説明の

ように「面足る」が男神の発したことばであり「あや恐こね」が女神の発したことばである

 

EFの話に見える二神の発言はそれぞれ感動を表すことばと讃めことばとの二つから成るが「面足る」「あや

恐こね」のうち前者はそうなっていない『古事記』では「恐こね」が感動詞を伴って「あや

9

9

恐こね」となっており

『日本書紀』にもそれに類似する神名がいくつか出ているしかし「面足る」にはこの単純な神名しかなく感動詞

を伴った神名は見えない神話的な背景機能のうえでは対偶神ではあっても神名の語構成は対偶的なものにはな

っていない

 

それには然るべき理由がありそうである二段めの語りから事前に連想された一段めの語りに二段めの語りに

出てくるのと同じような対偶的な神名を導入すれば二つの段に出てくる表現は互いにパラレルな構成をもつことに

なるその結果伝承者が一方から他方を連想したことがわかりやすくなるそれを避けて後次的に導入する一段

めの語りともとからある二段めの語りとを一続きものとして提示するためには一段めの語りのなかに後次的に導

入するものを二段めのそれとは別の構成をもつものに仕立てればよい

 

ABの話とEFの話とは日本神話のなかでも特に重要な原初の二神による「国土創成」の話でありその

成立の過程には多くの伝承者が関与したはずであるそれだけにさまざまな伝承者によるさまざまな連想がそこに

働いたに違いない「国土創成」をめぐる話に右で述べたような二種の「二段構えの語り」が認められるのは話

がそうした複雑な過程を経て成立したことの反映だろう

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一二七

 

次には『古事記』の神武天皇の条に見える話を取り上げる「三輪山伝説」の一つであり「丹に

塗ぬり

矢や

伝説」と呼ば

れるものである

G 

更に大お

ほきさき

后とせむ美を

とめ人

を求ま

ぎたまひし時大お

ほくめのみこと

久米命の曰ま

しけらく「此こ

こ間

に媛を

とめ女

あり是こ

を神の御み

子こ

と謂い

ふその

神の御子と謂ふ所ゆ

ゑ以

は三み

しまのみぞくひ

嶋湟咋の女む

すめ

名は勢せ

夜や

陀だ

多た

良ら

比ひ

売め

その容か

たちうるは

姿麗美しくありき故か

美み

和わ

の大お

物もの

主ぬしのかみ

見み め感

でてその美人の大く

そ ま

便為れる時丹に

塗ぬり

矢や

に化な

りてその大便為れる溝み

より流れ下りてその美人の富ほ

登と

を突

ききここにその美人驚きて立ち走りいすすきき乃す

なはち

その矢を将も

ち来て床と

の辺に置けば忽た

ちまち

麗うるはし

壮をとこ夫

に成りて即す

なはち

その美人を娶め

して生める子名は富ほ

登と

多た

多た

良ら

伊い

須す

須す

岐き

比ひめのみこと

売命と謂ひ亦の名を比ひ

売め

多た

多た

良ら

伊い

須す

気け

余よ

理り

比ひ

売め

是こ

はその富ほ

登と

と云ふことを悪に

みて後に名を改めつるぞと謂ふ故是こ

をもちて神の御子と謂ふなり」とま

をしき

〔神武記〕

 

三輪山の大物主神が容姿美麗な人間の女を気に入り赤く塗った矢に変身して溝を流れ下ったそして女が大

便をしている所へ行って矢の姿のままでその陰部を突いた女が矢を家に持ち帰って床の辺に置いたところ矢は

美男に変身して女と結婚したやがて比ひ

売め

多た

多た

良ら

伊い

須す

気け

余よ

理り

比ひ

売め

が生まれこの娘が初代の天皇である神武天皇の后

になったという

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一二八

 

このGの話にも「二段構えの語り」が明瞭に表れていると認められるので右に話を引用するにあたって二つの

段に相当する部分にそれぞれ傍線を付しておいた二重線を付した「丹に

塗ぬり

矢や

に化な

りてその大く

そ ま

便為れる溝み

より流れ下

りてその美人の富ほ

登と

を突きき」という部分が一段めの語りに相当し太線を付した「その矢を将も

ち来て床と

の辺に

置けば忽た

ちまち

麗うるはし

き壮を

とこ夫

に成りて即す

なはち

その美人を娶め

してhellip」という部分が二段めの語りに相当する二種の線を付

した部分の関係はどのようになっているのか

 

神の変身した丹塗矢が「美を

とめ人

の富ほ

登と

を突」いたとあるのは神と女との交合結婚を婉曲に述べたものだと言われ

るそのとおりだろうまたすぐあとの記述に女が家に持ち帰った丹塗矢が「麗う

るはし

き壮を

とこ夫

」に変身して「その美

人を娶め

し」たとありこちらはまともな結婚の話になっているそれでこの話では神と女とが結婚したことについ

て二種の説明が重なっているとも言われる

 

このように神と女との結婚を語る話が二種あることをどのように理解すべきかについていくつかの見解が提示

されているそれらの見解の当否はともかくとしてこの話に「二段構えの語り」という視点を導入すれば従来の

見解とは別の把握のしかたが可能になる

 

神が矢から美男へと変身ししかもその神が人間の女と結婚したという太線の部分はきわめて不思議で印象的な

内容をもつものであるその不思議で印象的な場面について語る前にやはり神と人間の女との交合結婚を示唆す

ることとして神の変身した矢が女の陰部を突くという連想を伝承者にもたらしたそして連想した内容が結果的

に話のなかに持ち込まれたのが二重線の部分だろうと想定することが可能である

 

神の変身した矢が女の陰部を突くという一段めの語りと美男に変身した神が女と交合結婚するという二段めの

語りとは表現上はまったく異なるものの内容面では大きい違いがないこの話の場合結局は神と人間の女との

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一二九

交合結婚について述べることが目的でありまた一方の語りが他方の語りから連想されたものでもあるから二つ

の語りの内容に大きい違いがないのも納得できる

 

崇神記に見える「苧を

だまき環

伝説」がそうであるようにGの話の場合にも大物主神が美男に変身して女のもとにやっ

て来て結局は両者が結婚して子が誕生したというのがもともとの内容だっただろう矢が女の陰部を突いたとい

う部分はなくても神婚の話は十分に成り立つ)

3(

 

Gの話によく似た内容をもつものとして「賀か

ものやしろの

茂社縁起」がよく知られているそれは『釈日本紀』に引かれた

もので『山城国風土記』の逸文である

H 

賀かものたけつのみのみこと

茂建角身命丹た

にはのくに

波国の神か

野の

の神伊い

可か

古こ

夜や

日ひ

売め

を娶め

して生みませる子名を玉た

依より

日ひ

子こ

と曰い

ひ次を玉た

依より

日ひ

売め

曰ふ玉依日売石川の瀬せ

見み

の小川に川遊びせし時丹塗矢川上より流れ下りき乃ち取りて床の辺に挿さ

置き遂に孕は

みて男を

とこご子

を生みき(略)加

かものわけいかづちのみこと

茂別雷命と號な

く謂い

はゆる丹塗矢は乙お

訓くに

の郡の社や

しろに

坐ま

せる火

ほのいかづちのかみ

雷神

なり

〔『釈日本紀』巻第九〕

 

Gの話とこのHの話で特に似ているのは

G 

その美人の大く

そ ま

便為れる時丹に

塗ぬり

矢や

に化な

りてその大便為れる溝み

より流れ下りて(略)乃ちその矢を将も

ち来て

床とこ

の辺に置けばhellip

H 

玉依日売石川の瀬せ

見み

の小川に川遊びせし時丹塗矢川上より流れ下りき乃ち取りて床の辺に挿さ

し置き

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一三〇

hellip

という部分であり二話が系統的に密接な関係にあることが知られるGの話の丹塗矢は蛇神であり雷神でもある

大物主神が変身したものだしHの話の丹塗矢は「火ほ

のいかづちのかみ

雷神」という名の雷神であるこうした点もGHの二

話が同じ系統を引く話であることを示している

 

Gの話に含まれる「その美人の富ほ

登と

を突ききここにその美人驚きて立ち走りいすすきき」という部分と

「忽た

ちまち

麗うるはし

き壮を

とこ夫

に成りて即す

なはち

その美人を娶め

して」という部分とは対応する表現がHの話には見えないGの話

の「二段構えの語り」にあたるものが同系統に属すると思われるHの話にはそろって含まれていないのである

 

しかしGHの話のどちらでも川を流れてきた丹塗矢の正体が神であることは自明だからHの伝説ではそれ

を「床と

の辺へ

に挿さ

し置」いたと述べるだけで女が「遂に孕は

みて男を

のこご子

を生」んだことの背景や経緯が容易に想像できた

に違いない

 

Gの話を構成するもとになった古い話に矢が男に変身して女と交合結婚したという説明が含まれていたかいな

かったかは不明であるしかしかりに変身結婚に関する説明が含まれていなかったにしても矢を床の辺に置

いたという説明さえ含まれていればそれに基づいて伝承者は神と女とが交合結婚したことを理解しただろう

あえて言えば伝承者が理解した内容そのものが二段めの語りにあたることになるそして伝承者は自分が理解し

たことから「その美人の富ほ

登と

を突きき」という矢の動きを連想し一段めの語りとしてそれをあとで話に付加したの

だろうと想定できる

 

このように考えればHの話のようにもともと「二段構えの語り」にあたるものがなかに含まれていなくても

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一三一

GHの話と同じ系統に属する古い話が結果的にそれを含むに至ることはありえたと思われる

 

Gの話に登場する神と女との間には二段構えの両段にまたがるかたちの内容面で逆転した対応関係が認められ

 

ⅰ 

美しい女美形の男

 

ⅱ 

男の矢への変身矢の男への変身

 

ⅲ 

矢の女のもとへの到来女の矢の持ち帰り

 

この種の逆転した関係は口承時代にその骨格がほぼ成立しただろうと思われる古い話にしばしば見られるもの

である矢が陰部を突く場面を矢が美男に変身して女と結婚した話から伝承者が連想し後次的に話のなかに持ち

込んだものだとしてもその連想は相当に古い時代に起こったことだろう

 

次に取り上げるのも大物主神をめぐる「三輪山伝説」の一つだがこちらは神と人間の女との結婚が破綻したこと

を語る話になっている

I 

是こ

の後に倭や

まとととびももそひめのみこと

迹迹日百襲姫命大お

ほものぬしのかみ

物主神の妻と為な

る然し

れども其そ

の神常に昼は見えずして夜のみ来み

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一三二

倭迹迹姫命夫に語りて曰い

く「君常に昼は見えたまはねば分あ

きらか明

に其の尊み

顔かほ

を視ること得ず願はくは暫し

し留りたまへ明

くるつあした

旦に仰ぎて美う

るは麗

しき威み

すがた儀

を覲み

たてまつらむと欲お

ふ」といふ大神対こ

へて曰く「言こ

とわりいやちこ

理灼然

なり吾明

くるつあした

旦に汝い

ましが

194797くし

笥げ

に入りて居らむ願はくは吾が形にな驚きましそ」とのたまふ爰こ

に倭迹迹姫命

心の裏う

に密ひ

そかに

異あやしぶ

明くるを待ちて194797笥を見れば遂に美麗しき小こ

をろち蛇

有り其の長さ太さ衣し

たひも紐

の如し則ち驚

き叫さ

け啼

ぶ時に大神恥ぢて忽

たちまちに

人の形と化な

りたまふ其の妻に謂か

りて曰く「汝い

まし

忍びずして吾に羞は

ぢみせ

吾還か

りて汝に羞せむ」とのたまふ仍よ

りて大お

ほぞら虚

を践ほ

みて御み

もろの諸

山やま

に登ります爰に倭迹迹姫命仰ぎ見

て悔いて急つ

き居う

則ち箸に陰ほ

を撞つ

きて薨か

むさり

ましぬ乃ち大お

ほち市

に葬は

りまつる故か

時の人其の墓を號な

けて箸は

墓はか

と謂い

ふ是の墓は日ひ

は人作り夜は神作る故か

大坂山の石を運びて造る

〔崇神紀〕

 

これは『日本書紀』の崇神天皇の条に見えるものでさまざまな話題を含む興味深い内容の話である

 

Gの話の場合と同様にこのIの話にも二重線と太線とを付しておいた「二段構えの語り」に相当するものが認

められるからである

 

妻の倭や

まとととびももそひめのみこと

迹迹日百襲姫命が夫である大物主神が自分に課した「私の姿に驚いてはならない」という禁を犯してしま

ったこれに怒った夫は御み

もろの諸

山やま

(三輪山)に登って行ったがその様子を仰ぎ見た妻は悔やんでその場にどすんと座

り込んだするとそこにあった箸が妻の陰部に突き刺さり妻はそのまま死んでしまった妻を葬る墓は昼に人

が造り夜には神が造ったという話の末尾の内容に因んで一般に「箸は

墓はか

伝説」と呼ばれている

 

Iの話より前の記述に倭迹迹日百襲姫命は「天皇の姑み

をば」

だという説明が見える大物主神の妻になったというの

だから巫女的な性格を強くもつ女である彼女の名はとても長いので話のなかでは「倭迹迹姫命」と略称されて

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一三三

いる)

4(

 「是の墓は日ひ

は人作り夜は神作る」という話の末尾を読んですぐに想起されることがあるそれは努ぬ

賀か

咩め

という女の産んだ「小さき蛇」が「明くれば言こ

とはぬが如く闇く

るれば母と語」ったという「晡く

れふしの

時臥山や

」〔『常陸

国風土記』那珂郡茨城里〕の話である「神の子である蛇が昼は物を言わなかったが夜になれば母と話をした」

というのは神が昼にはほとんど行動せず夜には活発に行動するという当時の人々の考えを反映するものだろう

これは夜には神が墓を造ったというIの話に一致する

 

それだけでなく夜には神が墓を造ったという説明は同じIの話の冒頭近くに「其そ

の神常に昼は見えずして

夜のみ来み

す」とある説明と内容的に対応している冒頭の近くで述べたことと末尾の近くで述べたこととを照応さ

せたかたちである

 「二段構えの語り」に相当するものは一見しただけではこの話に含まれていないように思われるしかし話の

文脈を細かくたどると二重線を付した「大お

ほぞら虚

を践ほ

みて御み

もろの諸

山やま

に登ります」という部分と「仰ぎ見て悔いて急つ

き居う

則ち箸に陰ほ

を撞つ

きて薨か

むさり

ましぬ」という太線の部分とがそれに相当することがわかる前者は大物主神によ

る天空での動作であり後者は倭迹迹姫命による地上での動作であるこれらの動作により一方は本来の拠点に戻

り他方は他界へ赴いた

 

二重線の部分と太線の部分とについて二種の動作の間にどのような関係があるというのか二種の動作を描写し

た部分に「二段構えの語り」を認めるのは深読みの結果ではないのかなどといった疑問が生じるかも知れないし

かし話の文脈から見れば実はそのように判断するのは間違いであることが明らかになる

 「大虚を践みて」という夫の動作は新編古典全集の注で「雷神の象徴」だと解説され「天空をふみとどろかし

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一三四

て」と現代語訳されている蛇神である大物主神は雷神でもあるからそれは妥当な解説である「大虚を践みて」

は雷鳴は神が天空を踏みつける音だと見なしたうえでの表現である

 

この点に関しては『萬葉集』の歌が参考になる

J 

天雲を 

ほろに踏みあだし 

鳴る神も 

今日にまさりて 

恐かしこけ

めやも

〔十九四二三五〕

 「天の雲をばらばらに踏み散らして音を響かせる雷神も今日の天皇の御前より恐れ多いはずはないだろう」の意

を表す歌である作者はこのような歌を詠むことによって天皇の威徳あるいは権力に対して畏怖の念と敬愛の

情とを表明したのである第三句の「鳴る神」とは雷神のことで「(天で音を響かせて)鳴る神」の意である雷鳴

は神が天雲を踏みつけることによって出る音だという把握のしかたが歌の背後にあるIの話に「大虚を践みて」

とあるのは雷神に対して上代の人々がいだいていた畏怖の念を端的に表すものになっている

 

他方の「急つ

き居う

」という妻の動作については古典大系の注に「どすんとすわったツキは衝キと同じ」という

解説が見え新編古典全集の注には

K 「急」の字にどすんと坐る様子を表現ツキは「突」で尻餠をつく後悔でがっくりきた姿がよく出てい

と見える【妻が箸で陰部を突いたという話題の背後には男女の交合のイメージが濃厚にまとわりついていたと考え

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一三五

られる夫婦をめぐる話だからそれは当然のことである】

 

夫婦の動作についてまとめると「大虚を践みて」は妻に禁を犯されたことを恥じた大物主神が勢いよく天空

を踏みつけるさまを表すまた「急き居」は夫の課した禁を犯したことを悔いた倭迹迹姫命が地面に急にすわ

り込むさまを表すどちらも

 

I 《身体の一部を急に下方に移動させその先にある物を勢いよく突く》

という動作であるこのことを確認すれば天空でなされる「大虚を践みて」と地上でなされる「急き居」とは

互いに類似し対応する動作だということがわかる夫と妻による二種の動作にこうした類似と対応とが認められる以

上それが話を深読みすることによって得られた誤った理解であるはずはない

 

妻に「箸に陰ほ

を撞つ

きて薨か

むさり

ましぬ」という忌まわしい事態が生じたわけだから「急き居」というのは語り手に

とっても聞き手にとってもきわめて衝撃的な動作である伝承者は妻の驚くべき動作について語る前にその場面の

ことを強く意識しただろうそして妻の動作に対応し類似する夫の動作としていかにも雷神らしい「大虚を践み

て」という動作を連想し話のなかに持ち込んだのだろう

 

ただし二重線を付した部分と太線を付した部分の「大虚を践みて」と「急き居」とは内容的には酷似あるい

は類似したことを表すものになっている一方で表現の具体的なありかたは大きく異なっている

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それは当然である

 

さきに「神世七代」の条に出現する「面足る」「あや恐か

こね」という対偶神の名とEFの話に見える男女二神

の讃美表現とについて述べたように一段めの語りと二段めの語りには異なる表現を用いなければならない内容面

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一三六

で類似し対応する二つの部分が表現の面でも同じように類似し対応していれば伝承者が一方をもとにして他方を

作ったことが聞き手に悟られやすくなるからである「大虚を践みて」と「急き居」とであれば両者の表現は異

なるからそれらは一方から他方を連想したものだとは悟られにくいのである

 

こう見てくるとIの話にもやはり「二段構えの語り」が認められることがわかる「大虚を践みて」という動作

をあえて描写しなくても怒った神が御諸山に帰って行ったと述べるだけで話は十分に成り立つ当該の箇所は

もともと「大虚を践みて」という表現を含まない単純なものだっただろう

 

この話のなかには大物主神と倭迹迹姫命とに関して互いに対比的だと見なしうる項目が多く含まれている特

に目立つものを整理すれば

 

ⅰ 

神人

 

ⅱ 

夫妻

 

ⅲ 

応じる願う

 

ⅳ 

禁を課す禁を犯す

 

ⅴ 

恥じる悔いる

 

ⅵ 

天空地上

 

ⅶ 

足で踏みつける尻餠を突く

 

ⅷ 

本拠地に戻る他界へ赴く

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一三七

というようになる

 

神と人間の女とが結婚したもののそれは根本的な矛盾を含む無理な結び付きだった神と人間との間にあるそ

の根本的な矛盾が夫が課した禁を妻が犯すという大きな溝となって現れ結局のところ両者は別離を迎えざるをえ

なかったというのがIの話の趣旨である話の伝承者が神と人間との根本的な相違を明確に意識しながら語った

話だからⅰ〜ⅷのような対比的な項目を含むことになったということだろう

 

ここで「二段構えの語り」の成立に深い関わりをもつと思われる『萬葉集』の歌の構成について見てみる歌の

構成というのは一方から他方を連想することによって成立する序詞と本旨との関係である

L 

春はるされば

去者 

先まづ

鳴なく

鳥とり

乃の うぐひすの

之 

事こと

先さき

立だち

之し 

君をし待たむ

〔十一九三五〕

 「春さればhelliphellipう

ぐひすの

」の三句が序詞でありそれが本旨の「言こ

先立ちし君をし待たむ」を導入している第一句

第二句の表現にあるように「

」は春を迎えて真っ先に鳴く鳥であるそれを序詞の末尾に置いて「(あなたが私

に)先に声を掛けた」の意の「言先立ちし」つまり本旨を導入する表現とした「言先立ちし」という相手の行動を

描写する前に春になって真っ先に鳴く鳥を歌の作者が連想しそれを歌の前半に置いたのであるだから作者が

言いたい本旨の内容が先にありそれから序詞が連想されたという関係であるあとで連想された序詞は意味的

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一三八

にも内容的にも本旨に類似するものになっているが本旨の表現とは異なっている

M 

牛うし

窓まと

之の 

浪なみ

乃の

塩しほ

左さ

猪ゐ 

嶋しまとよみ

響 

所よそりしきみは

依之君 

逢はずかもあらむ

〔十一二七三一〕

 

序詞の「牛窓のhelliphellip島」は本旨である「響と

み寄そりしhellip」から連想されたものであり同時に本旨を導入する表

現にもなっているこの序詞は「潮し

騒さゐ

の波のざわめきのように島も」の意を表し本旨の「響み寄そりし君はhellip」は

「噂もうるさいほどに私との関係を言い立てられたあなたはhellip」の意を表す「潮騒」という音にかかわる現象と

人の噂が激しいことをいう「響み」との類似性が歌の前半と後半とを結び付けている噂がうるさいという現実か

ら作者は「潮騒」のざわめきを連想して序詞としたのだから本旨の内容が先にあり序詞は本旨に基づいて連想

されたという関係である

N 

天あま

飛と

ぶや 

軽の社の 

斎いはひつき

槻 

幾代まであらむ 

隠こもりづま

嬬そも

〔十一二六五六〕

 

女が詠んだと思われるこの歌では「天あ

飛と

ぶやhelliphellip齋い

ひ槻つ

」の三句が序詞として四句以下の表現を導入している

序詞の末尾に置かれた「齋ひ槻」は神聖である故に人が触れてはならない木をさすまた第五句の「隠こ

り妻」は

人に知られてはならない間がらにある妻をさすそのような内容面での共通性が歌の前半にある序詞と後半にある

本旨とを強く結び付けている「齋い

ひ槻」と「隠こ

り妻」とは表現が異なっているが両者の関係はMの歌に出て

いる「潮騒」と「響み」とのそれに酷似している

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一三九

 

以上の三首に見られる序詞と本旨との関係はさきに見た諸話の一段めの語りと二段めの語りとの関係に相当する

三首の序詞は本旨の内容から連想されたものであり諸話の一段めの語りは二段めの語りの内容から連想されたもの

であるしかし連想を呼ぶもとになったこととそれから連想されたこととは三首でも諸話でも表現が互いに異

なるものになっている

 

話を「二段構えの語り」に戻し次の話に認められる「二段構えの語り」について検討するしかし次の話の語

りのありかたは見てきた三話と異なる点がある

O 

萩原の里土は中の中なり右萩原と名づくる故は息お

きながたらしひめのみこと

長帯日売命韓か

らくに国

より還か

り上りましし時御船此の村

に宿りたまひき一夜の間に萩一ひ

ともと根

生お

ひき高さ一ひ

丈つゑ

ばかりなり仍よ

りて萩原と名づく即す

なはち

御井を闢は

りき

故かれ

針は

間ま

井ゐ

といふ其の処は墾は

らず又墫も

たひの

水溢あ

れて井と成りき故韓か

の清水と號く其の水朝に汲むに

朝に出でず爾す

なはち

酒殿を造りき故酒田といふ舟傾き乾か

れき故傾か

ぶきだ田

といふ米よ

舂つき

女め

等ら

が陰ほ

を陪

おもとびとくな

従婚

ぎ断ちき故陰ほ

とたち絶

田だ

といふ仍す

なはち

萩多く栄えき故萩原といふ爾こ

に祭れる神は少

すくなたらしのみこと

足命にます

〔『播磨国風土記』揖保郡〕

 

これは『播磨国風土記』に見える話で息お

きながたらしひめのみこと

長帯日売命(神功皇后)の聖性と威徳とを強調する内容になっている

 

これまで見た三話と同様にこのOの話にも女陰の話題が含まれているそれは「陰ほ

絶たち

田だ

」という地名の由来を

説明する短小な話のなかに見える息長帯日売命に仕える陪お

もとびと

従が米よ

舂つき

女め

等ら

と交合して陰部を傷つけたそのことが

この地名の由来になったという)

5(

陰部を傷つけたことを語る「陪お

もとびとくな

従婚ぎ断た

ちき」の「断た

ちき」は「裂傷をおはせた」

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一四〇

〔古典全書〕の意だと比較的古い注釈にありこれを踏襲する新しい注釈もある妥当な解説である

 

以上で見た三話と異なる点というのは二重線の部分と太線の部分とが

O 

米よね

舂つき

女め

等ら

が陰ほ

を陪お

もとびとくな

従婚ぎ断ちき

というように一文のなかに連続して出ている点である見てきた三話では二種の線を付した部分は近接した位置

にあるがOの話の場合はそれが極端なかたちで表れているまた二重線の部分が三話のように何らかの動作

状態を描写した表現になってはおらず「米よ

舂つき

女め

等ら

」という複合名詞になっている点も三話とは異なる

 

二種の線を付した一文の内容についていささか気になるのは「陪お

もとびとくな

従婚ぎ断た

ちき」という動作の対象になったの

が「米よ

舂つき

女め

等ら

が陰ほ

」だということである

 「米よ

舂つき

女め

等ら

」という複合名詞に含まれる「舂つ

く」は「突く」という動詞の一用法である「舂く」は「きねなどの

先で強く打っておしつぶしたり穀物のからなどを除いたり精白したりする」〔『日本国語大辞典』第二版〕の意で

あり「舂女」は「臼で穀物をつく女」〔同〕の意である

 

結局のところ「舂く」という動作は「臼などの器に棒状の物を押し込みなかにある穀物などを押しつぶす」の

意を表すわけだがいささか気になると述べたのは「舂く」という動作と「婚く

ぎ断ち」「陰ほ

絶た

ち」という動作との

間に認められる

O 《狭い空間に棒状の物を差し入れその奥にある部分または物を強く突き破る》

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一四一

という物理的な動き

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としての類似性であるこれは既に取り上げたABの話やIの話に見られる二種の動きの

類似性と同じである

 

交合によって陰部を損傷したのと同様に棒状の物で「舂く」ことによって穀物などの本来の形態も損なわれる

だから「舂く」と「婚く

ぎ断ち」「陰ほ

絶た

ち」とは物理的な動きだけではなく動きによって生じる結果

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においても類

似している

 

このように話のなかに先に出てくる「舂き」とその直後に出てくる「婚く

ぎ断ち」「陰ほ

絶た

ち」との間には物理

的な動きとそれがもたらす結果との双方に関して顕著な対応類似が認められるそのような対応類似が生じた

ことについて次のように想定することができるだろうつまり話の伝承者があとで自分が語る交合という動作

を強く意識したそのために交合に類似した動きを表す「舂く」を事前に連想しさらにはその語を含む「米舂女

等」をも連想してそれを結果的に話のなかに持ち込んだのではないかということである現にGの「丹塗矢伝

説」に「その美人の富ほ

登と

を突きき」とありIの「箸は

墓はか

伝説」にも「陰を衝つ

きて」とあってそれらの「突き」「衝

き」は表記こそ違え「舂き」と同じ動詞である

 「婚く

ぎ断ち」「陰ほ

絶た

ち」は凄惨かつ深刻な事態だからそれに類似する「舂く」という動作を事前に伝承者が連想

することは十分にありえたと思われるそのように想定すればOの話にも「二段構えの語り」が表れていることに

なる

 

話の展開に従えば「舂く」を含む「米舂女等」が一段めの語りとして先に出てきて「婚く

ぎ断た

ち」「陰ほ

絶た

ち」が二

段めの語りとしてあとに出てくるしかし話が成立した経緯から見れば二段めの語りがもとで一段めの語りが生

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一四二

まれたわけだから実際の先後関係は正反対である

 「二段構えの語り」が以上のような経緯で成立したのだとすればOの話では陪お

もとびと

従が交合を行って陰部を損傷さ

せた対象はもともと「米舂女等」だとは限定されていなかったことになるそれで話は成り立つ

 

Oの話に認められる「二段構えの語り」は前節で確認したような歌の構成のありかたから見ればいったいどの

ようなものだと言えるのか

P 

窺うかねらふ

良布 

跡と み見

山やま

雪ゆき

之の 

いちしろく 

恋ひば妹が名 

人知らむかも

〔十二三四六〕

 

この歌では「じっと見ていて獲物を狙う」の意の「うかねらふ」が「跡と

み見

山」の「跡見」に掛かる枕詞になって

いる「うかねらふ」を承ける「跡と

み見

」は狩猟に関して用いられた語である注釈辞書に見える説明をまとめれ

ば「跡見」は「鳥獣が通ったあとを見てそれが通った時間やそれが今いる場所などを判断することまたそれ

を行う役の猟師」の意である歌の作者が「跡見」という語からそれと類義をもつ「うかねらふ」という動詞を

連想しそれを「跡見」という名詞を導入する枕詞としたのである「うかねらふ」と「跡見」とは類義の語だが

音韻面ではまったく異なっているこれはOの話の「米よ

舂つき

女め

等ら

」の「舂く」と「婚く

ぎ断ち」「陰ほ

絶た

ち」との関係に

近い

 『古事記』に見える次の歌謡では序詞と本旨との関係がPの歌の「跡見」と「うかねらふ」とのそれに類似し

たものになっている

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一四三

Q 

倭やまとへ方

に 

西吹き上げて 

玖く

毛も

婆ば

那な

礼れ 

曽そ

岐き

袁を

理り

登と

母も 

吾忘れめや

〔記五五〕

 「倭や

まとへ方

にhelliphellip雲離れ」の三句が序詞となって本旨の「退そ

き」あるいは「退き居り」を導入している「退き」は

「遠ざかり」の意を表す動詞だから「雲離れ」という複合語に用いられた「離れ」とは類義語の関係にある本旨

の「退き」を言うためにそれと類義をもつ「離れ」を事前に連想しそれを末尾に置いて長い序詞を構成したわけ

である「雲離れ」と「退き居り」とは音韻面で類似するところがない「離れ」と「退き」との関係はやはりO

の話の「米よ

舂つき

女め

等ら

」の「舂く」と「婚く

ぎ断ち」「陰ほ

絶た

ち」との関係に近いと言える

R ふさ

手た

折をり 

多た

武むの

山やま

霧ぎり 

繁みかも 

細川の瀬に 

波騒きける

〔九一七〇四〕

 

この歌では地名の「多た

武む

」を「曲げる」の意を表す「たむ」という動詞に見立てそれから事前に連想された

類義の「手折り」に「

ふさ

」を付し「たむ」の枕詞としている「手た

折を

る」は「手で曲げて取る」の意であり「

は「総房」のことで花や実が束になって付いたものをさす本旨の表現に用いるべき「たむ」から類義を表す

「手折る」という動詞を連想したのであるこれもまたOの話の「断つ」と「舂く」との関係を思わせる「たむ」

と「手折り」とは初頭の音節が同じだが互いに音節数が異なっている

 

三首の「跡見」「退き」「たむ」が「二段構えの語り」の二段めのかたりに相当しそれから連想された「うかね

らふ」「雲離れ」「

手折り」が一段めの語りに相当すると言えるだろう

 

既に述べたようにOの話は聖性と威徳とを具えた息長帯日売命に関する話である「一夜の間に萩一ひ

根もとお生

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一四四

き」「墫も

たひの

水溢あ

れて井と成りき」その他の不思議な事態が起こったことが話のなかでくり返し述べられている

同様にほかならぬ息長帯日売命に仕える陪お

もとびと

従が米舂女等と交合を行って陰部を傷つけた結果「萩多く栄えき」

という事態が生じたということなのだろう

 

Oの話が載っているのと同じ『播磨国風土記』に

S 

讃さ よ容

といふ所ゆ

ゑ以

は大神妹い

もせ

二柱競ひて国占し

めましし時妹玉た

津つ

日ひめのみこと

女命生ける鹿を捕と

り臥せて其の腹を

割さ

きて其の血に稲種ま

きき仍よ

りて一夜の間に苗な

生お

ひき即す

なはち

取りて殖う

ゑしめたまひき爾こ

に大神勅の

りたま

ひしく「汝な

にも妹

は五さ月夜よ

に殖ゑつるかも」とのりたまひて即や

て他

あだしところ

処に去りたまひき故か

五月夜の郡こ

ほりと

號なづ

神を賛さ

用よ

都つ

比ひめのみこと

売命と名づく

〔讃容郡〕

という話が見えまた次のような話も見える

T 

丹に

津つ

日ひ

子こ

の神「法ほ

太だ

の川底を雲う

るみ潤

の方に越さむと欲お

ふ」と爾し

かい云

ひし時彼の村に在い

せる太お

水みづ

の神辞い

びて

云の

りたまひしく「吾は宍し

の血を以て佃た

つくる

故か

河の水を欲ほ

りせず」とのりたまひきその時丹津日子云ひし

く「此の神は河を堀る事に倦う

みて爾いへるのみ」といひき故雲う

弥み

と號な

く今い

人ひと

雲潤と號な

〔賀毛郡〕

 

Sの話は鹿の腹を割いてその血に稲を蒔いたら一夜で苗が生えたというものであるまたTの話は宍し

つま

り動物の血で田を作るから河の水は必要ないと神が言ったというものである二話では稲などの植物を植える際

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一四五

には普通に水を用いるよりも動物の血を用いた方が成長がずっと早いと述べているようである

 

これらの話には動物の血と稲あるいは田と一夜での苗の成長の三つの要素の結び付きが確認できる)

6(

この

ことはOの「陰絶田」の話を想起させずにはおかないつまり稲あるいは田は「陰絶田」の話に出ている「米よ

舂つき

女め

等ら

」に対応するように思われるしまた動物の血は女らと陪従らとの交合によって陰部から出たはずの血に

対応するように思われるさらに一夜で急に苗が成長したという事態は「陰絶田」の話の前半部に「一夜の間に

萩一ひ

根もとお生

ひき」とありまた「陰絶田」という地名に続いて「仍す

なはち

萩多く栄えき」とあることに内容的に対応する

と理解することができる

 

だから「米よ

舂つき

女め

等ら

が陰ほ

を陪お

もとびとくな

従婚ぎ断ちき故陰ほ

絶たち

田だ

といふ仍す

なはち

萩多く栄えき」という一連の表現では

陰部を損傷させたことと萩が多く栄えたこととの間には「そのことが原因で」の意の明確な因果関係があると

見るべきだろう

 

三つの要素の結び付きがOの話にも認められる以上同話と動物の血に関する話は古い時代に行われていた儀礼

を背景とするものだと考えることができるだろう動物の血と人間の血との違いはあるがそれらは神に動物の犠

牲を捧げたことによって豊穣繁栄がもたらされたという人々の遠い記憶を伝えるものなのではないか

 「国土創成」をめぐるABの話とEFの話Gの「丹塗矢伝説」Iの「箸墓伝説」Oの「陰絶田」をめぐる

話のどれでも女陰交合結婚などのことが話題となっているこれらの諸話に「二段構えの語り」が認められる

ことを以上の論述で確認した

 

ただし「二段構えの語り」が認められることと女陰交合などの話題が含まれることとの二点を条件として

以上の諸話を選んだわけではない「二段構えの語り」が認められる諸話を取り上げたところそれらには女陰交

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一四六

合などの話題が共通して含まれていたというのが実際である

 

女陰を矢が突くにしても何かが原因で女陰が損傷を受けるにしてもとにかく女陰や交合に関する話題は話の

語り手にも聞き手にも強い印象を与えたはずである時にはそれは刺激的衝撃的な印象さえ与えたに違いない

それだからこそ女陰交合に関する出来事はその内容に類似し対応する連想を呼びやすかったのだろう「二段

構えの語り」と女陰交合の話題とが以上の諸話のなかに共存するのはそのような理由によるものと考えられる

 

以上で確認したように「二段構えの語り」が表れていると判断される諸話に女陰交合などの話題が共通して

含まれている論述の流れに従えば交合結婚を語るものではないがやはり女陰のことが一つの話題になってい

る次の話を取り上げる必要があるだろう

U 

須す

佐さ

之のをのみこと

男命(略)勝ちさびに天あ

まてらすおほみかみ

照大御神の営つ

くだ田

を離は

ちその溝を埋めまたその大お

ほにへ嘗

を聞こしめす殿に屎く

まり散らしき故か

然し

すれども天照大御神は咎と

めずてhellip(略)なほその悪しき態わ

止まずて転う

てありき天照大御

神忌い

みはた服

屋や

に坐ま

しまして神か

御み そ衣

織らしめたまひし時その服屋の頂む

を穿う

ち天あ

の斑ふ

ちこま馬

を逆さ

剝は

ぎに剝ぎて堕お

し入る

る時に天の服は

織おり

女め

見驚きて梭ひ

に陰ほ

と上

を衝つ

きて死にき故か

ここに天照大御神見畏か

しこみ

て天の石い

屋や

戸と

を開

きてさし籠もりましきここに高た

天ま

の原皆暗く葦

あしはらのなかつくにことごと

原中国悉に闇く

しこれによりて常と

夜よ

往ゆ

ききここに

万よろづのわざはひ

妖悉に発お

りき

〔神代記〕

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一四七

 

これは『古事記』の神話の一部であり須佐之男命の「勝ちさび」の場面とその姉である天照大御神の「石屋籠

もり」の場面である天照大御神が機織りをしている時に弟の須佐之男命が皮を剝いだ馬を服は

屋や

の屋根を壊し

てなかに投げ入れたそれに驚いた服は

織おり

女め

が縦糸の間に横糸を通すための道具である梭ひ

を誤って自分の陰部に突

き刺して死んだそれを見て弟の行動を恐れた天照大御神が石い

屋や

に籠もってしまったので世界は暗闇に閉ざされ

多くの災禍がはびこったという

 

二重線を付した「その服屋の頂む

を穿う

ち天あ

の斑ふ

ちこま馬

を逆さ

剝は

ぎに剝ぎて堕お

し入るる時にhellip」という部分と太線を付し

た「梭ひ

に陰ほ

と上

を衝つ

きて死にき」という部分とは表現のありかたがまったく異なるしかし皮を剝いだ馬を屋根

を壊して建物のなかに投げ入れることと梭ひ

で勢いよく突いて陰部を傷つけることとが物理的な動きとして酷似し

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ている

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ことは事実である二つの部分では

U 《ある物体を急に動かしその勢いで別の物体を破損する》

ということが共通の骨子になっているこのような動きはIOの話の場合の動きと酷似している

 

二つの部分に描写されている物理的な動きをこのように要約するとこれまで見た諸話の場合と同様にUの話に

表れている「二段構えの語り」について次のように推測すべきことになるつまり皮を剝いだ馬を服屋の屋根

を壊して投げ入れたという二重線の部分は梭で陰部を突いて服織女が死んだという太線の部分に基づいて伝承者

が事前に連想して話のなかに持ち込んだものだろうということである

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一四八

 

確かに梭で陰部を突いて女が死んだというのはあまりにも衝撃的で印象的な出来事である特に『日本書紀』

の所伝には「天照大神驚お

どろ動

きたまひて梭を以て身を傷い

ましむ」〔本書〕とありまた「稚わ

かひるめのみこと

日尊驚きたまひ

て機は

より墮お

ちて持たる梭を以て體み

を傷や

らしめて神か

むさ退

りましぬ」〔一書第一〕とあって事態はさらに深刻であ

る至高神である天照大神自身が陰部を損傷しまたその分身である稚日尊が同じ原因で死んだというのだからこ

れ以上の重大事件はない

 

ただしここで一つの問題が生じる伝承者が連想したことを神話のなかに持ち込む以前には梭を突き刺して陰

部を損傷したという話題はあっても屋根を壊して馬を投げ入れたという話題は含まれていなかったことになるそ

こで馬に関する話題が直前に置かれていなくても天照大御神が石屋に籠もるという展開になりえたのかとの問

題が生じるのである少なくともUの話では馬の投げ入れに驚いて服織女が陰部に損傷を負って死んだので

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その

ことを恐れた天照大御神が石屋に籠もってしまったというように読めるからである

 

結論を言えば馬を投げ入れるという行動はなくても天照大御神が石屋に籠もるという展開になりえたと理解

することができるそのことを支持するのは『日本書紀』に見える次の所伝である

V 

日ひのかみのみこと

神尊天あ

まのかきた

垣田を以て御田としたまふ時に素戔嗚尊春は渠み

塡う

め畔あ

はなち毀

す又秋の穀

たなつものすで

已に成りぬるとき

に則ち冒

ひきわたす

に絡あ

ぜなは縄

を以てす且ま

たひのかみ

日神の機は

殿どの

に居ま

します時に則ち斑ぶ

駒こま

を生い

剝は

ぎにして其の殿

みあらかの

内に納な

げいる

凡す

て此の諸

もろもろの

事尽

ことごとくに

是これあづきな

無状し然れども日神恩

このかみおととむつま

親しき意

みこころもちに

して慍と

めたまはず恨みたまはず皆

平たひ

らかなる心を以て容ゆ

したまふ日神の新

にひなへきこ

嘗しめす時に及お

よ至

びて素戔嗚尊則ち新

にひなへのみや

宮の御み

まし席

の下に陰ひ

そかに

ら送く

そま糞

る日神知し

しめさずして俓た

に席み

ましの

上に坐ゐ

たまふ是に由よ

りて日神體み

みこぞ挙

りて不や

くさ平

みたまふ故以

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一四九

て恚い

か恨

りまして廼す

なはち

天あまのいはや

石窟に居ま

して其の磐い

戸と

を閉さ

しぬ

〔一書第二〕

 

素すさのをのみこと

戔嗚尊の悪行がどのような順序でこのVの話にあげられているかを少し細かく見てみる天照大神の御み

田た

素戔嗚尊が損壊する話が最初に置かれておりそれはUの話の場合と同じであるしかしその直後にはUの話と

大きく異なって馬を投げ入れる話が置かれているそしてこの悪行を含む「諸

もろもろ

の事」について「日ひ

神かみ

恩このかみおととむつま

親しき意

みこころもちに

して慍と

めたまはず恨みたまはず皆平た

らかなる心を以て容ゆ

したまふ」という説明が付され

ている馬を投げ入れたことは天照大神の石屋籠もりと直結しておらずむしろ日神は馬の投げ入れを含む多くの

悪行を許したというのである

 

Vの話で石屋籠もりと直結しているのはそのあとになされた悪行であるそれは「素戔嗚尊則ち新

にひなへのみや

宮の御み

まし席

の下に陰ひ

そかに

自ら送く

そま糞

る」という蛮行でありこれによって「日神知しめさずして俓た

に席み

ましの

上に坐ゐ

たまふ是に

由よ

りて日神體み

みこぞ挙

りて不や

くさ平

みたまふ」というひどい状況が生じたつまり新宮のなかでの脱糞という悪行が日ひ

神かみ

に病をもたらしさらには同神を石屋に籠もらせたというのである陰部が損傷した事件ではなくて新宮での脱糞

という蛮行が石屋籠もりの原因となりえたことをVの話が証明している【天照大神にあたる神を「日神」とする所

伝はより古い時代に成立したものだと言われる】

 

新宮での脱糞が石屋籠もりの原因になったとするVの話には女陰が損傷したことはまったく見えないこれに対

してUの話やさきに引用した『日本書紀』の本書一書第二の話では馬の投げ入れに驚いた女神が陰部を損傷し

そのことが女神の石屋籠もりの原因となっている話の内容にこのような相違がある事実は女神が陰部を損傷した

ことと女神が石屋に籠もったこととは必ずしも一連のものではないことしたがって話の成立について考えるにあ

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一五〇

たっては二つのことを別々に処理してかまわないということを示している

 

ただしUの話で大きな問題となるのは馬を投げ入れるという行動がなければ女神が驚いて陰部を損傷すると

いう事態も起こらないということであるこの点で女神が陰部を損傷するという事態だけが話に含まれ馬を投

げ入れるという行動は話に含まれないという話の状況は想定できないのである

 

一連の話のなかにまずXのことが出ていて次にYのことが出ているという「二段構えの語り」について考える際

にぜひとも考慮しておくべきことがあるつまりあることをもとにしてそれに類似することを伝承者が連想し

連想した内容を結果的に話のなかに持ち込むには一般的に二とおりの過程がありうるということである

a 

先に出てくるXが伝承者に強い印象を与えるためにXについて語ったあとにそれに類似した内容をもつY

を伝承者が連想するという過程

b 

あとに出てくるYが伝承者に強い印象を与えるためにYについて語る前にそれに類似した内容をもつXを

伝承者が連想するという過程

 

これまで見てきた「二段構えの語り」はすべてbの過程を経て生じたものだと考えたしそのように考えて特に

問題はなかったしかしUVの二話の場合はそのように考えることは不可能であるUの話では馬を投げ入

れたことが女神が陰部を損傷する原因になっておりVの話では新宮で脱糞したことが女神に病をもたらす原

因となっている二重線の部分が原因を表しており太線の部分が結果を表しているわけだから二つの部分は密接

な因果関係を構成しているのである

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一五一

 

そこでUVの二話に表れている「二段構えの語り」がbの過程を経て成立したと仮定して具体的に話の展開

について考えてみる陰部を損傷したことだけがUの話に含まれるという段階を想定すれば女神がなぜ梭で陰部を

突くことになったのか何も説明がなく話の展開が唐突すぎる聞き手は話の展開が理解できないのであるまた

同様に女神が糞の上に座って病を得たことだけがVの話に含まれるという段階を想定すればそこになぜ糞があっ

たのかが不明であるこちらも話の展開そのものが成り立たない

 

一方で「二段構えの語り」はbの過程を経て成立したという仮定を捨てそれはaの過程を経て成立したものだ

と仮定してみる二重線の部分だけが話に含まれており伝承者はそれをもとにして太線の部分を連想し連想した

ことをあとで話のなかに持ち込んだというふうにである

 

Uの話にはもともと馬を投げ入れたことだけがあり伝承者はそれをもとに酷似する動きをとることとして

梭で陰部を突くという動作を連想した馬の皮を剝いだうえ屋根を壊してそれを服屋の中に投げ入れるという悪行

は女神が梭で陰部を突くという事故がなくても女神を恐れさせて石屋に籠もらせるには十分である

 

またVの話の場合にはもともと新宮で脱糞をしたことだけが含まれており伝承者はそれに基づいて女神が

その糞の上に座って病を得たことを連想した女神が新嘗の儀礼を行う前にその神聖な新宮でこっそり脱糞をする

という蛮行は女神が糞の上に座って病を得るという事態が起こらなくても女神を怒らせて石窟に籠もらせるには

十分である

 

こうしてbの過程を想定すればもとの話は成り立たないが逆にaの過程を想定すればUVの二話にも「二

段構えの語り」が表れていると考えることができる実はaの過程を想定することによって「二段構えの語り」が

表れていることを順当に説明しうる話はすぐあとに取り上げるようにほかにもまだある

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一五二

 

女陰が何らかの原因で損傷したことを述べるIOUの三話についてさきに一段めの語りと二段めの語りの

内容を検討したうえでそれぞれを次のように一文にまとめておいた

I 《身体の一部を急に下方に移動させその先にある物を勢いよく突く》

O 《狭い空間に棒状の物を差し入れその奥にある部分または物を強く突く》

U 《ある物体を急に動かしその勢いで別の物体を破損する》

 

三話に認められる「二段構えの語り」の内容はこのようにどれも同じような動きを表すものになっているそれ

だけでなくABの話やGの話に見られる「二段構えの語り」もまた同じような動きを表すものになっている

ということは女陰が損傷を受けたことを述べる三話に「二段構えの語り」を認めることの妥当性を逆の面から証

するものだと言えるのではないか

 

これに対し女陰の損傷が話題となっていない「二段構えの語り」が認められる別の諸話についてその内容を

一文にまとめるとその一文はこれらとまったく異なる動きを表すものとなる(後述)そのこともさきに述べた

ような「二段構えの語り」の存在を認めるべき一つの論拠となると考える

 

Uの話と同様にaの過程を経て「二段構えの語り」が成立したと推定される話をここでもう一つ取り上げる

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一五三

それは『古事記』に見える神話でのちに地上界の支配者になる大お

ほなむぢの

穴牟遅神か

をその兄弟である八や

十そ

神がみ

が殺害する場

面である

W 

ここに八や

十そ

神がみ

見てまた欺あ

ざむき

て山に率ゐ

て入りて大お

樹き

を切り伏せ茹ひ

矢や

をその木に打ち立てその中に入らし

むる即ちその氷ひ

目め

矢や

を打ち離ちて拷う

ち殺しきここにまたその御み

祖おや

の命み

こと

哭な

きつつ求ま

げば見得てすな

はちその木を折りて取り出で活かしてその子に告げて言ひしく「汝い

まし

此こ こ間

にあらば遂に八十神のために滅

ぼさえなむ」といひてすなはち木き

国くに

の大お

屋や

毘び

古この

神かみ

の御み

もと所

に違た

へ遣りきここに八十神

ぎ追ひ臻い

りて矢や

刺ざ

し乞ふ時に木の俣ま

より漏く

き逃がして云の

りたまひしく「須す

佐さ

能のをのみこと

男命の坐ま

します根の堅か

州す

国くに

に参ま

向ふべし必ず

その大神議は

りたまひなむ」とのりたまひき故か

詔の

りたまひし命の随ま

にまに

須佐之男命の御所に参ま

ゐいた到

ればhellip

〔神代記〕

 

八十神が大木を切り倒してそれを裂き裂け目に楔

くさび

状の「茹ひ

矢や

」を押し立てておいたそしてそこに大穴牟遅神

を入らせて楔状の物を引き抜き同神を圧死させた同神の母が木を折って息子を救い出しこれを蘇生させて大お

屋や

毘び

古この

神かみ

のもとへ逃がしてやったさらに八十神が追いついて息子を引き渡すように母に要求した時には母が息

子をこっそり木の俣から須佐能男命のもとへ逃がしてやったという

 

Wの話の直前には八十神に脅迫された大穴牟遅神が焼けた岩をかかえ込んで死んでしまったという話が置か

れている死んだ大穴牟遅神はやはり母の尽力によって復活したというそれが一回めの死と復活を語る話だから

Wの話で語られる死と復活は二回めのそれである一回めの死が岩を抱き取ることによってもたらされ二回めの死

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一五四

が木の俣に挟まれることによってもたらされた死因の内容が一回めと二回めとでは逆転している

 

また大穴牟遅神の二度にわたる死は天照大御神の二度にわたる死と奇妙なかたちで対応している天照大御神

の死はまず同神自身あるいはその分身の女神が木製の梭で陰部を突いて死ぬというかたちで語られるまた

そのあとで同神自身が岩屋に籠もってしまうというかたちで死が語られるがそれは太陽神の象徴的な死である

両神の死の内容を細かく比較すると両神の体と岩木とが次のように互いに逆転した奇妙な関係を示しているこ

とがわかる

  

大穴牟遅神の死helliphelliphellip体が岩をかかえるdarr木の俣が体を挟む

  

天照大御神の死helliphelliphellip木が体のなかに入るdarr体が岩のなかに入る

 

地上の支配者と世界の至高神との間に死をめぐってこのような逆転した関係が認められるのはきわめて興味深

いことである)

7(

 

さて「二段構えの語り」だがWの話のうち母が息子を「その木を折りて取り出で活かして」大お

屋や

毘び

古この

神かみ

のも

とへ逃がしてやったという二重線の部分が一段めの語りにあたる二段めの語りにあたるのは母が息子を「木の

俣また

より漏く

き逃がし」て須佐能男命のもとへ向かわせたという太線の部分である

 

つまりこの神話では俣になった「その木を折りて」母が息子を救い出す一段めの語りと母が息子を「木の俣

より漏く

き」逃がしてやる二段めの語りとは

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一五五

W 《母が息子を木の俣から救出しあるいは逃がして別の神のもとへ送り出す》

という酷似した内容のものになっている

 

地上の支配者となるべき大穴牟遅神が木の俣に挟まれて死んで母に救われる話の方が同神の母が木の俣から息

子を逃がしてやる話よりもずっと衝撃的で印象的であるだから神話の伝承者が一段めの語りの内容を強く意

識しそれに酷似した内容をもつ二段めの語りを連想してあとで話のなかに持ち込んだのだろうと推測される

より印象的な出来事を語り終えたあともそれが意識のなかから消え去らず類似し対応することがらをあとで連想し

てしまったと考えられる【一段めの話から二段めの話が連想されたというaの過程をたどったとおぼしい実例は

僅少であるそれには然るべき理由があったと考えるべきだが目下のところそれは不明である】

 

Wの話がこのような経緯をたどったとすると母が木を折って息子を救い出しこれを蘇生させてから別の神のも

とへ逃がしてやったという一段めの語りだけが話に含まれていた段階を例によって想定しなければならない一

段めの語りだけで話は成り立つのか

 

結論を言えばその想定は可能である八十神のもとから逃げた大穴牟遅神が須佐能男命のいる地まで行ったと

いうような単純な内容の話になっている方が以下との続きかたは自然である二重線の部分の末尾にある「木き

国くに

の大お

屋や

毘び

古この

神かみ

の御み

もと所

に違た

へ遣りき」の「大屋毘古神」の部分を太線の部分にある「須佐能男命」とすれば話は無

理なく以下に続くのであるまずは大屋毘古神のもとへ逃げて行ったという部分がなかったとすれば母は木の裂け

目から息子を救い出しこれを蘇生させて須佐能男命のもとへ送り出したというわかりやすい展開になるしたが

ってaの過程を経てWの話が成立しただろうという推定は十分に成り立つ

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一五六

 

二重線の「木き

国くに

の大お

屋や

毘び

古この

神かみ

の御み

もと所

に違た

へ遣りき」という部分は「木国のhellip」で始まっているそれは「大お

樹き

切り伏せ」「茹ひ

矢や

をその木に打ち立て」「その木を折りて」などWの話にくり返し出ている「樹木」から連想され

たものだろう

 

太線の部分にある「木の俣ま

より漏く

き逃がして」以下の表現からその前に置かれた二重線の部分が連想されたと

いうbの過程は想定できない二重線の部分が話に含まれていないという段階はなぜ太線の部分が話に含まれてい

るのかということつまり「木の俣ま

より漏く

き逃がして」とある理由が説明できないのである大穴牟遅神が八十神に

殺害されて復活したという理由があって始めて「木の俣ま

より漏く

き逃がして」以下の表現が意味をもつのである

 

木の俣に挟まれて圧死した大穴牟遅神が母の尽力によって蘇生したあとには同神が須佐能男命から与えられた

いくつもの試練を妻の須す

勢せ

理り

毘び

売め

の助力を得てそのたびごとに克服するという話が続くさらに大穴牟遅神が

須勢理毘売をその父のもとから奪って逃げるとともに自分に苦難をもたらした八十神を追い払って「始めて国を作

りたま」うたという展開になっているまたそのあとにも大穴牟遅神の子を産んだ八や

上かみ

比ひ

売め

が須世理毘売を恐

れて「その生める子をば木の俣に挟みて返」ったという話が続いている八上比売の話にまたもや「木の俣」

のことが出てくるわけである

 

この「木の俣」の話もまた大穴牟遅神が「木の俣」に挟まれて圧死した話から連想されたものである可能性が想

定できるがそのように想定する場合に問題となることがあるそれは両話の間に置かれた話があまりにも長大な

ものだということであるしかし大穴牟遅神と生まれた子との間には

 

ⅰ 

父子

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一五七

 

ⅱ 

木の俣に挟まれて死ぬ生まれて木の俣に挟まれる

 

ⅲ 

母が救い出す母が置き去りにする

 

ⅳ 

母が別地へ向かわせる母がもとの地に戻る

というような対比的な関係も認められるのでありこうした関係が偶然に生じたものだとは考えがたいだから父

が木の俣で圧死させられることから生まれた子を木の俣に置くことが連想されたという可能性をここでは否定し

ないでおく【より古い時代には大穴牟遅神が木の俣に挟まれて死ぬ話と八上比売が木の俣に新生児を挟む話とは

直結した一連のものだったことも想定できる】

 

以上の論述では「二段構えの語り」の様態について数話を例示してやや細かく検討を加えたその結果話に

含まれる特定のことからがそれに類似し対応することがらを伝承者に連想させ連想した内容が結果的に話のなか

に組み込まれてしまうという特徴的な現象を上代の神話や伝説を通して確認することができたと考える

 

同じ「二段構えの語り」の現象が認められる話は本稿で取り上げた諸話で尽きているのではなくまだ何話か上

代の文献に見える紙幅の関係でそれらを取り上げて細かく検討を加えることができないからここで二話だけに

ついて結論を述べておき具体的な検討は別稿で行うことにする

 

二話のうち一つは神話に見えるもので娘たちを飲み食らう大蛇を須佐能男命が退治する場面である『古事記』

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一五八

で言えば「是の高こ

志し

の八や

俣また

の遠を

呂ろ

智ち

年と

毎ごと

に来て喫く

へり」という部分と「船ふ

毎ごと

に己お

が頭を垂い入れてその酒を飲み

き」という部分とが「二段構えの語り」に相当する二つの部分の内容をまとめると

  《大蛇が出雲へやってきて足あ

名なづち椎

のがわに属するものを食らいあるいは飲む》

というようになる娘たちを食らい飲む大蛇が酒を飲むという同じ行動が原因で退治されてしまうのである

 

またもう一つの話は『播磨国風土記』の賀古郡の条に見える「比礼墓伝説」であるこの話では「印い

なみ南

」の女

が「隠な

び妻」であり「辞い

び妻」でもあるからこれは「古代の口がたり特有の面白さ」をもつものだという興味深

い見解がある

 

話の冒頭近くにある「度わ

たりもり

子紀き伊の国く

人ひと

小を

玉たま

申さく「我は天

すめらみこと

皇の贄に

人びと

たらめや」とまをす」という部分とその

あとにある「印南の別嬢聞きて驚き畏か

しこみ

即や

て南な

都つ

麻ま

嶋に遁に

げ度りき」という部分とが「二段構えの語り」に

相当する二つの部分のうちのあとの部分は別嬢が天皇の求婚を嫌がって

0

0

0

0

島に逃げて隠れたことを述べたものだか

ら二つの部分は同じく「辞い

び」を内容とするものだと言える「度わ

たりもり

子」つまり船頭の「我は天

すめらみこと

皇の贄に

人びと

たらめや」

という発言に倣って天皇の求婚を嫌がる別嬢の心情を言い表せば「吾は天皇の妻

9

9

9

9

たらめや」というようになる

  

船頭の「辞び」helliphelliphellip「我は天

すめらみこと

皇の贄に

人びと

たらめや」

  

別嬢の「辞び」helliphelliphellip「吾は天皇の妻

9

9

9

9

たらめや」

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一五九

 

結局二つの「辞び」は単なる拒否ではなく次のような同じ内容を表す「辞び」なのである

  《私は天皇にお仕えなどしない》

 

この話の末尾近くには別嬢の遺体について「大き飄つ

むじ

川下より来て其の尸か

ばねを

川中に纏ま

き入れき求むれども得

ず」と述べられているがその部分と別嬢が島に逃げて隠れた

0

0

0

という前の部分ともまた「二段構えの語り」を構

成している二つの部分はともに別嬢の「隠び」を内容とするものなので次のように一つにまとめることができる

  《別嬢が「隠な

び」をした》

 「辞び」も「隠び」も話のなかに二度ずつ表れているのである

 

大蛇退治の神話と「弟日姫子伝説」とには「二段構えの語り」を認めるにあたって解決すべき多くの問題が含ま

れているしかしそれらを一つ一つ検討していけば見てきた諸話と同様の特徴的な語りを二話にも認めることが

できる

註(1) 

本稿にあげる『古事記』『日本書紀』『風土記』などの記述は本文訓読文ともに古典文学大系のものを引用するまた

『萬葉集』の本文訓読文は新編古典全集のものを引用するただしいずれも読みやすさと理解しやすさとを考慮して

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一六〇

もとの表記形式その他を改めることが少なくない

(2) 

大野晋「記紀の創世神話の構成」〔『文学』一九六五年八月〕のちに『仮名遣と上代語』(一九八二年)に収載

(3) 「丹塗矢伝説」の成立については小著『伝承と言語』(一九九五年)のⅡ部四章で私見を述べたただし同書に述べたこ

とと本稿で述べたことの間には一点だけ相違がある丹塗矢が女の陰部を突いたという話は神と人間の女とが結婚したこ

とを明確に語ったものではないからそのことを明確にするために女の持ち帰った丹塗矢が男に変身して子が生まれたとい

う話があとになって付加されたのだと同書では述べたそれは既存の一説に見える解釈を妥当なものと認めそれを踏

襲したものだった本稿では「二段構えの語り」がこの話にも認められるという見解に立ってかつて小著で述べた考えを

訂正する

(4) 

女に与えられた「倭迹迹日百襲姫命」という名の語構成ははたしてどのようなものなのかこれを疑問の余地なく解明す

ることはかなり難しい

   

初頭の「倭」と末尾の「姫命」は除くとして「迹と

迹と

日び

百もも

襲そ

」の「百襲」は字面のとおり「多くの着衣」の意であるかも

知れないこの女の夫は蛇神だから蛇が何度も脱皮をくり返すことを背景とする名を妻がもつことは十分にありうること

だろう「百襲」の「襲」には字を構成する要素として「衣」がある「襲」の字は「重ねて着る」「覆う」「継ぐ」「おそ

う」などの意を表す

   

ある特徴や習性を表す語が当人ではなく周囲の者の名に含まれる例は「丹塗矢伝説」の登場者にも見られるたとえば

矢で陰部を突かれて慌てた女が勢せ

夜や

陀だ

多た

良ら

比ひ

売め

であるのにその女の産んだ娘が「陰に矢を立てられ震え姫」の意の「富ほ

登と

多た

多た

良ら

伊い

須す

須す

岐き

比ひめのみこと

売命」という名を与えられている母の経験したことが娘の名に反映しているのである

   「晡く

れふしの

時臥山やま

」〔『常陸国風土記』那珂郡茨城里〕の話に登場する子として蛇を産んだ女とその兄は「努ぬ

賀か

咩め

」「努ぬ

賀か

古こ

という名を与えられているこれらの名も原義を解明するのは難しいが「ぬか」はやはり脱皮の意を表す「脱ぬ

か」かも知れ

ない『和名類聚抄』の「蛻」の項に「毛も

沼ぬ

久く

」とあり『色葉字類抄』の「

蛻」の項に「ヘミノモヌケ」とあるこれらの

「脱ぬ

く」「脱ぬ

け」がこの場合に参考になる下二段活用動詞の「脱け」が「脱か彦脱か姫」では「脱か」となってい

るわけだが上代語では「明け」「荒れ」「枯れ」などの下二段活用動詞が「明か時(暁)」「新あ

垣がき

」「枯から

木き

」などの複合名詞を

構成しているのに同じである

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一六一

 

名の意味をこのように理解することは生まれた子を入れる器を何度か大きいものに替えたという脱皮を暗示する説明と

吻合する中世には「もぬけの衣」という表現もあるから「もぬけ」の「も」はあるいは「裳」か

(5) 「陰ほ

絶たち

田だ

」という地名と「米よね

舂つき

女め

等ら

が陰ほと

を陪おもとびとくな

従婚ぎ断ちき」という説明との関係には理解するのが難しい点がある

「陰絶田」に含まれる「絶つ」はもともと「長い間にわたって継続してきたことを止めまた幅のある物体を切る」の意を

表す動詞であるこれの自動詞である「絶ゆ」も基本的に意味は同じであるだから「陪お

もとびと

従」との交合によって陰部が損

傷したことをあえて「婚ぎ絶ち

9

9

き」と表現した理由が不明である物を損傷したことがなぜ「絶つ」と表現されたのか

「婚ぎ絶ちき」を「裂傷をおはせた」〔古典全書〕の意だと説明してもその疑問は解消しない

   「陰絶田」はもと「陰に(男根が)立つ田」の意の「陰立9

田」だったかも知れないそのように想定すれば神武記の

「丹塗矢伝説」に登場する「富ほ

登と

多た

多た

良ら

伊い

須す

須す

岐き

比ひ

売め

」という名の「ほとたたら」と意味的に対応するただし矢の場合に

「立つ」を用いた理由は理解できるが男根の場合にも同様に「立つ」を用いたとは想定しにくい「絶つ」とあることはや

はり不審のままである

(6) 

三つの要素の結びつきについては益田勝実「日本神話における外在と内在日本神話論における始原と展開」〔国文学

『解釈と鑑賞』一九七七年十月〕によるただしこの論にはOの話に関する言及がまったくないOの話のなかに三要素の

結び付きを読み取るのは私見にすぎない

(7) 

両神の死因をめぐる逆転関係については小著『日本の神話伝説を読む』(岩波新書二〇〇七年)の第二章第二節で述

べた

(日本語日本文学科 

教授)

Page 2: 一 神話・伝説に見られる特徴的な語り...神話・伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木) 0 一二三 べている。太平洋に伝承の海洋型国産み神話に類似。またヌホコを男性の象徴とし、交合による国産み神話とも見られる」と述

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一二二

A 

ここに天つ神諸

もろもろの

命みことも

ちて伊い

ざなきのみこと

邪那岐命伊い

ざなみのみこと

邪那美命二柱の神に「この漂た

だよへ

る國を修め理つ

り固め成せ」と詔の

りて天の沼ぬ

矛ぼこ

を賜ひて言こ

依よ

さしたまひき故二柱の神天の浮橋に立たしてその沼ぬ

矛ぼこ

を指し下ろして画か

きたまへば盬し

こをろこをろに画き鳴な

して引き上げたまふ時その矛の末より垂し

ただり

落つる盬累か

なり積もりて島

と成りきこれ淤お

能の

碁ご

呂ろ

島なり

〔神代記〕

B 

伊いざなきのみこと

奘諾尊と伊い

ざなみのみこと

奘冉尊天の浮橋の上に立たして共に計は

からひ

て曰の

たまは

く「底そ

こつした

下に豈あ

國無けむや」とのたまひて

廼すなはち

天あめ

之の

瓊ぬ

瓊は玉なり此をば努ぬ

と云ふ矛ほ

を以て指し下ろして探

かきさぐる

是こ

に滄

あをうなはら

溟を獲え

き其の矛の鋒さ

より滴し

ただ瀝

る潮

凝りて一ひ

とつの

嶋に成れり名な

けて磤お

馭ご

慮ろ

嶋と曰い

〔神代紀第四段〕

 

これらの話に見える「天の沼ぬ

矛ぼこ

」「天之瓊ぬ

矛ぼこ

」が男根を象徴するものだという見解は古くからある一方それ

はあらぬ拡張であり避けるべき解釈だというような意見もたびたび表明されてきた

 『日本書紀』本書の記述であるBについて古典大系では「矛で海を探る国産み神話は蒙古に例がある」と指摘し

たうえで次のような解説を加えている

C 

しかし日本神話では国土が浮く魚や海月(くら

)などに喩えられているから矛によって海中の魚を刺

してそれを得るのを国を得る神話としたものかと見る見方もあるそれと別にホコを男根の象徴と見れば

以下はそのまま交合による国産みと見ることもできるような記述である

 

同じBの記述について新編古典全集でもほぼ同じ趣旨の解説を加えており「矛で海を探り国を得る神話は南

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一二三

太平洋に伝承の海洋型国産み神話に類似またヌホコを男性の象徴とし交合による国産み神話とも見られる」と述

べている

 

二種の注釈に見える解説のなかで本稿にとって重要なのは矛を指し下ろして搔き探るという動作について「ホ

コを男根の象徴と見れば以下はそのまま交合による国産みと見ることもできるような記述である」〔古典大系〕と

か「ヌホコを男性の象徴とし交合による国産み神話とも見られる」〔新編古典全集〕とかといった部分である確

かにABの記述を素直に読めば直後に展開される男女二神の交合による国産みをどうしても想像せざるをえ

ない正反対にABの内容は直後に展開される男根交合国産みとはまったく無関係だと断じるとしたらそ

れはかえって不自然で無理なことである

 

矛の先端から滴り落ちた塩が凝り固まって島ができたあとで男女二神は身体に関する問答と柱回りとを行うそ

して相手を讃美することばを互いに交わしてから交合を行って子としての国土を産んでいくだからその場面

に至る前の段階で語られるABの内容は特に印象的で重要な国産みの場面から神話の伝承者によって事前に連想

されたものであり国産みの場面よりも前にある部分にあとになって持ち込まれたものだろう

 

このことを少し具体的に説明するとほぼ次のようになる二神が相手を讃美し合って交合を行い次々に国土を

産んでいくというきわめて重要な場面について語る前に神話の伝承者はその重要な場面を強く意識したそのこ

とから伝承者は二神による交合国産みによく似た動作

0

0

0

0

0

0

として矛を海中に指し下ろしてそれを搔き回しあと

で矛を引き上げるとその先端から塩が滴り落ちそれが凝り固まって島ができたという一連の過程を連想したそ

して結局はその連想を話のなかに組み入れたのだろうということである

 

このように想定してよければ「修理固成」の条とそれに続く「国土創成」の条とは本項の冒頭で述べた「二段

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一二四

構えの語り」を構成していることになる交合国産みのイメージを強く与えるABの話を語ることがその一段め

にあたり実際に二神が交合によって国土を産んでいくのを語ることがその二段めにあたる言うまでもなく二

つの段の成立から見れば順序は逆である伝承者に連想を働かせるもとになったのは二段めの語りであり伝承者が

その二段めの語りに基づいて新たに連想したことが一段めの語りである一段めの語りが強い印象を与える二段

めの語りから事前に連想されたものである以上両者が内容的に似たものになったりまた重なる部分を含むものに

なったりするのは当然である

 

ABの話の直前にあるのは『古事記』『日本書紀』にいう「神世七代」の条であるこの条にも「二段構えの

語り」にあたるものが認められる

 

同条に出現するのは「国く

にのとこたちのみこと

常立尊より伊い

ざなきのみこと

奘諾尊伊い

ざなみのみこと

奘冉尊に迄い

るまで」〔紀〕の神々であり伊奘諾尊伊奘

冉尊が出現する直前には大お

ほとのぢのみこと

戸之道尊と大お

ほとまべのみこと

苫辺尊面

おもだるのみこと

足尊と惶

かしこねのみこと

根尊という二組の対偶神が出現しているこれら

のうち面足尊と惶根尊は『古事記』の於お

母も

陀だ

流る

神と阿あ

夜や

訶か

志し

古こ

泥ね

神にあたる二神の名は「面足る」「あや恐か

ね」の意だと説明されている「面足る」「あや恐こね」が何を意味するかについてはいくつかの説があるがそれら

のうち大野晋の説明がよく知られておりまた妥当である)

2(

D 

思うにこの一対の神は男と女とであるから男神が女神に対して「あなたの容貌は整って美しい」と

言ったのに対して女神が男神に「まあ何と恐れ多いこと」と返事をしたのではあるまいか単語の基本的な意味

から推してこのような場面と見る解釈がその最も根源的な意味を把えているもののように思う

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一二五

 

同じ説明は古典大系『日本書紀』の注にも取り入れられており同書の補注に「男女の会話が神として位置を占め

たものと思われる」という解説が見える思想大系『古事記』の「容貌が整っていて美しいことを神格化」「畏敬の

念を抱いたことを神格化」という「面足る」「あや恐こね」に対する解説も対偶神の名を同じように解釈したう

えでのものである

 

確かに「面足る」「あや恐こね」という「男女の会話」あるいは神名はすぐあとに見える男女二神の発言から

伝承者が事前に連想したものだと考えられるさきにも言及したように二神が交合によって子としての国土を産ん

でいく直前に相手を讃美することばを発し合う場面があり結果的にその発言が神名のかたちをとって話のなかに

入り込んだということであるこれが「二段構えの語り」の一段めの語りに相当する

 

二神が相手を讃美することばを発し合い子としての国土を産んでいく場面は

E 

ここに伊邪那岐命先に「あなにやしえをとめを」と言ひ後に妹伊邪那美命「なにやしえをとこを」

と言ひきかく言ひ竟を

へて御み

合あひ

して生める子はhellip

〔神代記〕

F 

陽を

神かみ

先づ唱へて曰の

たまは

く「妍あ

なにゑや

哉可え

愛少女」とのたまふ陰め

神かみ

後に和こ

へて曰はく「妍あ

なにゑや

哉可え

愛少男」との

たまふ然し

かうし

て後に宮を同じくして共に住す

ひて児こ

を生む

〔神代紀四段一書第一〕

などと語られているこれらEFの話に見える「あなにやしhellip」「あなにゑやhellip」などの感動を表すことばや

「愛え

をとこ男

を」「愛え

をとめ女

を」などの讃めことばを発したあとで女神が国土を産んでいくことを描写するのが二段めの語り

になる

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一二六

 

このように神名の「面足る」「あや恐こね」とEFの話との間に「二段構えの語り」にあたるものが認められ

ると考えるその場合にまず男神が女神を讃美しなければならないという思考のありかたに従えば大野の説明の

ように「面足る」が男神の発したことばであり「あや恐こね」が女神の発したことばである

 

EFの話に見える二神の発言はそれぞれ感動を表すことばと讃めことばとの二つから成るが「面足る」「あや

恐こね」のうち前者はそうなっていない『古事記』では「恐こね」が感動詞を伴って「あや

9

9

恐こね」となっており

『日本書紀』にもそれに類似する神名がいくつか出ているしかし「面足る」にはこの単純な神名しかなく感動詞

を伴った神名は見えない神話的な背景機能のうえでは対偶神ではあっても神名の語構成は対偶的なものにはな

っていない

 

それには然るべき理由がありそうである二段めの語りから事前に連想された一段めの語りに二段めの語りに

出てくるのと同じような対偶的な神名を導入すれば二つの段に出てくる表現は互いにパラレルな構成をもつことに

なるその結果伝承者が一方から他方を連想したことがわかりやすくなるそれを避けて後次的に導入する一段

めの語りともとからある二段めの語りとを一続きものとして提示するためには一段めの語りのなかに後次的に導

入するものを二段めのそれとは別の構成をもつものに仕立てればよい

 

ABの話とEFの話とは日本神話のなかでも特に重要な原初の二神による「国土創成」の話でありその

成立の過程には多くの伝承者が関与したはずであるそれだけにさまざまな伝承者によるさまざまな連想がそこに

働いたに違いない「国土創成」をめぐる話に右で述べたような二種の「二段構えの語り」が認められるのは話

がそうした複雑な過程を経て成立したことの反映だろう

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一二七

 

次には『古事記』の神武天皇の条に見える話を取り上げる「三輪山伝説」の一つであり「丹に

塗ぬり

矢や

伝説」と呼ば

れるものである

G 

更に大お

ほきさき

后とせむ美を

とめ人

を求ま

ぎたまひし時大お

ほくめのみこと

久米命の曰ま

しけらく「此こ

こ間

に媛を

とめ女

あり是こ

を神の御み

子こ

と謂い

ふその

神の御子と謂ふ所ゆ

ゑ以

は三み

しまのみぞくひ

嶋湟咋の女む

すめ

名は勢せ

夜や

陀だ

多た

良ら

比ひ

売め

その容か

たちうるは

姿麗美しくありき故か

美み

和わ

の大お

物もの

主ぬしのかみ

見み め感

でてその美人の大く

そ ま

便為れる時丹に

塗ぬり

矢や

に化な

りてその大便為れる溝み

より流れ下りてその美人の富ほ

登と

を突

ききここにその美人驚きて立ち走りいすすきき乃す

なはち

その矢を将も

ち来て床と

の辺に置けば忽た

ちまち

麗うるはし

壮をとこ夫

に成りて即す

なはち

その美人を娶め

して生める子名は富ほ

登と

多た

多た

良ら

伊い

須す

須す

岐き

比ひめのみこと

売命と謂ひ亦の名を比ひ

売め

多た

多た

良ら

伊い

須す

気け

余よ

理り

比ひ

売め

是こ

はその富ほ

登と

と云ふことを悪に

みて後に名を改めつるぞと謂ふ故是こ

をもちて神の御子と謂ふなり」とま

をしき

〔神武記〕

 

三輪山の大物主神が容姿美麗な人間の女を気に入り赤く塗った矢に変身して溝を流れ下ったそして女が大

便をしている所へ行って矢の姿のままでその陰部を突いた女が矢を家に持ち帰って床の辺に置いたところ矢は

美男に変身して女と結婚したやがて比ひ

売め

多た

多た

良ら

伊い

須す

気け

余よ

理り

比ひ

売め

が生まれこの娘が初代の天皇である神武天皇の后

になったという

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一二八

 

このGの話にも「二段構えの語り」が明瞭に表れていると認められるので右に話を引用するにあたって二つの

段に相当する部分にそれぞれ傍線を付しておいた二重線を付した「丹に

塗ぬり

矢や

に化な

りてその大く

そ ま

便為れる溝み

より流れ下

りてその美人の富ほ

登と

を突きき」という部分が一段めの語りに相当し太線を付した「その矢を将も

ち来て床と

の辺に

置けば忽た

ちまち

麗うるはし

き壮を

とこ夫

に成りて即す

なはち

その美人を娶め

してhellip」という部分が二段めの語りに相当する二種の線を付

した部分の関係はどのようになっているのか

 

神の変身した丹塗矢が「美を

とめ人

の富ほ

登と

を突」いたとあるのは神と女との交合結婚を婉曲に述べたものだと言われ

るそのとおりだろうまたすぐあとの記述に女が家に持ち帰った丹塗矢が「麗う

るはし

き壮を

とこ夫

」に変身して「その美

人を娶め

し」たとありこちらはまともな結婚の話になっているそれでこの話では神と女とが結婚したことについ

て二種の説明が重なっているとも言われる

 

このように神と女との結婚を語る話が二種あることをどのように理解すべきかについていくつかの見解が提示

されているそれらの見解の当否はともかくとしてこの話に「二段構えの語り」という視点を導入すれば従来の

見解とは別の把握のしかたが可能になる

 

神が矢から美男へと変身ししかもその神が人間の女と結婚したという太線の部分はきわめて不思議で印象的な

内容をもつものであるその不思議で印象的な場面について語る前にやはり神と人間の女との交合結婚を示唆す

ることとして神の変身した矢が女の陰部を突くという連想を伝承者にもたらしたそして連想した内容が結果的

に話のなかに持ち込まれたのが二重線の部分だろうと想定することが可能である

 

神の変身した矢が女の陰部を突くという一段めの語りと美男に変身した神が女と交合結婚するという二段めの

語りとは表現上はまったく異なるものの内容面では大きい違いがないこの話の場合結局は神と人間の女との

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一二九

交合結婚について述べることが目的でありまた一方の語りが他方の語りから連想されたものでもあるから二つ

の語りの内容に大きい違いがないのも納得できる

 

崇神記に見える「苧を

だまき環

伝説」がそうであるようにGの話の場合にも大物主神が美男に変身して女のもとにやっ

て来て結局は両者が結婚して子が誕生したというのがもともとの内容だっただろう矢が女の陰部を突いたとい

う部分はなくても神婚の話は十分に成り立つ)

3(

 

Gの話によく似た内容をもつものとして「賀か

ものやしろの

茂社縁起」がよく知られているそれは『釈日本紀』に引かれた

もので『山城国風土記』の逸文である

H 

賀かものたけつのみのみこと

茂建角身命丹た

にはのくに

波国の神か

野の

の神伊い

可か

古こ

夜や

日ひ

売め

を娶め

して生みませる子名を玉た

依より

日ひ

子こ

と曰い

ひ次を玉た

依より

日ひ

売め

曰ふ玉依日売石川の瀬せ

見み

の小川に川遊びせし時丹塗矢川上より流れ下りき乃ち取りて床の辺に挿さ

置き遂に孕は

みて男を

とこご子

を生みき(略)加

かものわけいかづちのみこと

茂別雷命と號な

く謂い

はゆる丹塗矢は乙お

訓くに

の郡の社や

しろに

坐ま

せる火

ほのいかづちのかみ

雷神

なり

〔『釈日本紀』巻第九〕

 

Gの話とこのHの話で特に似ているのは

G 

その美人の大く

そ ま

便為れる時丹に

塗ぬり

矢や

に化な

りてその大便為れる溝み

より流れ下りて(略)乃ちその矢を将も

ち来て

床とこ

の辺に置けばhellip

H 

玉依日売石川の瀬せ

見み

の小川に川遊びせし時丹塗矢川上より流れ下りき乃ち取りて床の辺に挿さ

し置き

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一三〇

hellip

という部分であり二話が系統的に密接な関係にあることが知られるGの話の丹塗矢は蛇神であり雷神でもある

大物主神が変身したものだしHの話の丹塗矢は「火ほ

のいかづちのかみ

雷神」という名の雷神であるこうした点もGHの二

話が同じ系統を引く話であることを示している

 

Gの話に含まれる「その美人の富ほ

登と

を突ききここにその美人驚きて立ち走りいすすきき」という部分と

「忽た

ちまち

麗うるはし

き壮を

とこ夫

に成りて即す

なはち

その美人を娶め

して」という部分とは対応する表現がHの話には見えないGの話

の「二段構えの語り」にあたるものが同系統に属すると思われるHの話にはそろって含まれていないのである

 

しかしGHの話のどちらでも川を流れてきた丹塗矢の正体が神であることは自明だからHの伝説ではそれ

を「床と

の辺へ

に挿さ

し置」いたと述べるだけで女が「遂に孕は

みて男を

のこご子

を生」んだことの背景や経緯が容易に想像できた

に違いない

 

Gの話を構成するもとになった古い話に矢が男に変身して女と交合結婚したという説明が含まれていたかいな

かったかは不明であるしかしかりに変身結婚に関する説明が含まれていなかったにしても矢を床の辺に置

いたという説明さえ含まれていればそれに基づいて伝承者は神と女とが交合結婚したことを理解しただろう

あえて言えば伝承者が理解した内容そのものが二段めの語りにあたることになるそして伝承者は自分が理解し

たことから「その美人の富ほ

登と

を突きき」という矢の動きを連想し一段めの語りとしてそれをあとで話に付加したの

だろうと想定できる

 

このように考えればHの話のようにもともと「二段構えの語り」にあたるものがなかに含まれていなくても

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一三一

GHの話と同じ系統に属する古い話が結果的にそれを含むに至ることはありえたと思われる

 

Gの話に登場する神と女との間には二段構えの両段にまたがるかたちの内容面で逆転した対応関係が認められ

 

ⅰ 

美しい女美形の男

 

ⅱ 

男の矢への変身矢の男への変身

 

ⅲ 

矢の女のもとへの到来女の矢の持ち帰り

 

この種の逆転した関係は口承時代にその骨格がほぼ成立しただろうと思われる古い話にしばしば見られるもの

である矢が陰部を突く場面を矢が美男に変身して女と結婚した話から伝承者が連想し後次的に話のなかに持ち

込んだものだとしてもその連想は相当に古い時代に起こったことだろう

 

次に取り上げるのも大物主神をめぐる「三輪山伝説」の一つだがこちらは神と人間の女との結婚が破綻したこと

を語る話になっている

I 

是こ

の後に倭や

まとととびももそひめのみこと

迹迹日百襲姫命大お

ほものぬしのかみ

物主神の妻と為な

る然し

れども其そ

の神常に昼は見えずして夜のみ来み

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一三二

倭迹迹姫命夫に語りて曰い

く「君常に昼は見えたまはねば分あ

きらか明

に其の尊み

顔かほ

を視ること得ず願はくは暫し

し留りたまへ明

くるつあした

旦に仰ぎて美う

るは麗

しき威み

すがた儀

を覲み

たてまつらむと欲お

ふ」といふ大神対こ

へて曰く「言こ

とわりいやちこ

理灼然

なり吾明

くるつあした

旦に汝い

ましが

194797くし

笥げ

に入りて居らむ願はくは吾が形にな驚きましそ」とのたまふ爰こ

に倭迹迹姫命

心の裏う

に密ひ

そかに

異あやしぶ

明くるを待ちて194797笥を見れば遂に美麗しき小こ

をろち蛇

有り其の長さ太さ衣し

たひも紐

の如し則ち驚

き叫さ

け啼

ぶ時に大神恥ぢて忽

たちまちに

人の形と化な

りたまふ其の妻に謂か

りて曰く「汝い

まし

忍びずして吾に羞は

ぢみせ

吾還か

りて汝に羞せむ」とのたまふ仍よ

りて大お

ほぞら虚

を践ほ

みて御み

もろの諸

山やま

に登ります爰に倭迹迹姫命仰ぎ見

て悔いて急つ

き居う

則ち箸に陰ほ

を撞つ

きて薨か

むさり

ましぬ乃ち大お

ほち市

に葬は

りまつる故か

時の人其の墓を號な

けて箸は

墓はか

と謂い

ふ是の墓は日ひ

は人作り夜は神作る故か

大坂山の石を運びて造る

〔崇神紀〕

 

これは『日本書紀』の崇神天皇の条に見えるものでさまざまな話題を含む興味深い内容の話である

 

Gの話の場合と同様にこのIの話にも二重線と太線とを付しておいた「二段構えの語り」に相当するものが認

められるからである

 

妻の倭や

まとととびももそひめのみこと

迹迹日百襲姫命が夫である大物主神が自分に課した「私の姿に驚いてはならない」という禁を犯してしま

ったこれに怒った夫は御み

もろの諸

山やま

(三輪山)に登って行ったがその様子を仰ぎ見た妻は悔やんでその場にどすんと座

り込んだするとそこにあった箸が妻の陰部に突き刺さり妻はそのまま死んでしまった妻を葬る墓は昼に人

が造り夜には神が造ったという話の末尾の内容に因んで一般に「箸は

墓はか

伝説」と呼ばれている

 

Iの話より前の記述に倭迹迹日百襲姫命は「天皇の姑み

をば」

だという説明が見える大物主神の妻になったというの

だから巫女的な性格を強くもつ女である彼女の名はとても長いので話のなかでは「倭迹迹姫命」と略称されて

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一三三

いる)

4(

 「是の墓は日ひ

は人作り夜は神作る」という話の末尾を読んですぐに想起されることがあるそれは努ぬ

賀か

咩め

という女の産んだ「小さき蛇」が「明くれば言こ

とはぬが如く闇く

るれば母と語」ったという「晡く

れふしの

時臥山や

」〔『常陸

国風土記』那珂郡茨城里〕の話である「神の子である蛇が昼は物を言わなかったが夜になれば母と話をした」

というのは神が昼にはほとんど行動せず夜には活発に行動するという当時の人々の考えを反映するものだろう

これは夜には神が墓を造ったというIの話に一致する

 

それだけでなく夜には神が墓を造ったという説明は同じIの話の冒頭近くに「其そ

の神常に昼は見えずして

夜のみ来み

す」とある説明と内容的に対応している冒頭の近くで述べたことと末尾の近くで述べたこととを照応さ

せたかたちである

 「二段構えの語り」に相当するものは一見しただけではこの話に含まれていないように思われるしかし話の

文脈を細かくたどると二重線を付した「大お

ほぞら虚

を践ほ

みて御み

もろの諸

山やま

に登ります」という部分と「仰ぎ見て悔いて急つ

き居う

則ち箸に陰ほ

を撞つ

きて薨か

むさり

ましぬ」という太線の部分とがそれに相当することがわかる前者は大物主神によ

る天空での動作であり後者は倭迹迹姫命による地上での動作であるこれらの動作により一方は本来の拠点に戻

り他方は他界へ赴いた

 

二重線の部分と太線の部分とについて二種の動作の間にどのような関係があるというのか二種の動作を描写し

た部分に「二段構えの語り」を認めるのは深読みの結果ではないのかなどといった疑問が生じるかも知れないし

かし話の文脈から見れば実はそのように判断するのは間違いであることが明らかになる

 「大虚を践みて」という夫の動作は新編古典全集の注で「雷神の象徴」だと解説され「天空をふみとどろかし

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一三四

て」と現代語訳されている蛇神である大物主神は雷神でもあるからそれは妥当な解説である「大虚を践みて」

は雷鳴は神が天空を踏みつける音だと見なしたうえでの表現である

 

この点に関しては『萬葉集』の歌が参考になる

J 

天雲を 

ほろに踏みあだし 

鳴る神も 

今日にまさりて 

恐かしこけ

めやも

〔十九四二三五〕

 「天の雲をばらばらに踏み散らして音を響かせる雷神も今日の天皇の御前より恐れ多いはずはないだろう」の意

を表す歌である作者はこのような歌を詠むことによって天皇の威徳あるいは権力に対して畏怖の念と敬愛の

情とを表明したのである第三句の「鳴る神」とは雷神のことで「(天で音を響かせて)鳴る神」の意である雷鳴

は神が天雲を踏みつけることによって出る音だという把握のしかたが歌の背後にあるIの話に「大虚を践みて」

とあるのは雷神に対して上代の人々がいだいていた畏怖の念を端的に表すものになっている

 

他方の「急つ

き居う

」という妻の動作については古典大系の注に「どすんとすわったツキは衝キと同じ」という

解説が見え新編古典全集の注には

K 「急」の字にどすんと坐る様子を表現ツキは「突」で尻餠をつく後悔でがっくりきた姿がよく出てい

と見える【妻が箸で陰部を突いたという話題の背後には男女の交合のイメージが濃厚にまとわりついていたと考え

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一三五

られる夫婦をめぐる話だからそれは当然のことである】

 

夫婦の動作についてまとめると「大虚を践みて」は妻に禁を犯されたことを恥じた大物主神が勢いよく天空

を踏みつけるさまを表すまた「急き居」は夫の課した禁を犯したことを悔いた倭迹迹姫命が地面に急にすわ

り込むさまを表すどちらも

 

I 《身体の一部を急に下方に移動させその先にある物を勢いよく突く》

という動作であるこのことを確認すれば天空でなされる「大虚を践みて」と地上でなされる「急き居」とは

互いに類似し対応する動作だということがわかる夫と妻による二種の動作にこうした類似と対応とが認められる以

上それが話を深読みすることによって得られた誤った理解であるはずはない

 

妻に「箸に陰ほ

を撞つ

きて薨か

むさり

ましぬ」という忌まわしい事態が生じたわけだから「急き居」というのは語り手に

とっても聞き手にとってもきわめて衝撃的な動作である伝承者は妻の驚くべき動作について語る前にその場面の

ことを強く意識しただろうそして妻の動作に対応し類似する夫の動作としていかにも雷神らしい「大虚を践み

て」という動作を連想し話のなかに持ち込んだのだろう

 

ただし二重線を付した部分と太線を付した部分の「大虚を践みて」と「急き居」とは内容的には酷似あるい

は類似したことを表すものになっている一方で表現の具体的なありかたは大きく異なっている

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それは当然である

 

さきに「神世七代」の条に出現する「面足る」「あや恐か

こね」という対偶神の名とEFの話に見える男女二神

の讃美表現とについて述べたように一段めの語りと二段めの語りには異なる表現を用いなければならない内容面

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一三六

で類似し対応する二つの部分が表現の面でも同じように類似し対応していれば伝承者が一方をもとにして他方を

作ったことが聞き手に悟られやすくなるからである「大虚を践みて」と「急き居」とであれば両者の表現は異

なるからそれらは一方から他方を連想したものだとは悟られにくいのである

 

こう見てくるとIの話にもやはり「二段構えの語り」が認められることがわかる「大虚を践みて」という動作

をあえて描写しなくても怒った神が御諸山に帰って行ったと述べるだけで話は十分に成り立つ当該の箇所は

もともと「大虚を践みて」という表現を含まない単純なものだっただろう

 

この話のなかには大物主神と倭迹迹姫命とに関して互いに対比的だと見なしうる項目が多く含まれている特

に目立つものを整理すれば

 

ⅰ 

神人

 

ⅱ 

夫妻

 

ⅲ 

応じる願う

 

ⅳ 

禁を課す禁を犯す

 

ⅴ 

恥じる悔いる

 

ⅵ 

天空地上

 

ⅶ 

足で踏みつける尻餠を突く

 

ⅷ 

本拠地に戻る他界へ赴く

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一三七

というようになる

 

神と人間の女とが結婚したもののそれは根本的な矛盾を含む無理な結び付きだった神と人間との間にあるそ

の根本的な矛盾が夫が課した禁を妻が犯すという大きな溝となって現れ結局のところ両者は別離を迎えざるをえ

なかったというのがIの話の趣旨である話の伝承者が神と人間との根本的な相違を明確に意識しながら語った

話だからⅰ〜ⅷのような対比的な項目を含むことになったということだろう

 

ここで「二段構えの語り」の成立に深い関わりをもつと思われる『萬葉集』の歌の構成について見てみる歌の

構成というのは一方から他方を連想することによって成立する序詞と本旨との関係である

L 

春はるされば

去者 

先まづ

鳴なく

鳥とり

乃の うぐひすの

之 

事こと

先さき

立だち

之し 

君をし待たむ

〔十一九三五〕

 「春さればhelliphellipう

ぐひすの

」の三句が序詞でありそれが本旨の「言こ

先立ちし君をし待たむ」を導入している第一句

第二句の表現にあるように「

」は春を迎えて真っ先に鳴く鳥であるそれを序詞の末尾に置いて「(あなたが私

に)先に声を掛けた」の意の「言先立ちし」つまり本旨を導入する表現とした「言先立ちし」という相手の行動を

描写する前に春になって真っ先に鳴く鳥を歌の作者が連想しそれを歌の前半に置いたのであるだから作者が

言いたい本旨の内容が先にありそれから序詞が連想されたという関係であるあとで連想された序詞は意味的

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一三八

にも内容的にも本旨に類似するものになっているが本旨の表現とは異なっている

M 

牛うし

窓まと

之の 

浪なみ

乃の

塩しほ

左さ

猪ゐ 

嶋しまとよみ

響 

所よそりしきみは

依之君 

逢はずかもあらむ

〔十一二七三一〕

 

序詞の「牛窓のhelliphellip島」は本旨である「響と

み寄そりしhellip」から連想されたものであり同時に本旨を導入する表

現にもなっているこの序詞は「潮し

騒さゐ

の波のざわめきのように島も」の意を表し本旨の「響み寄そりし君はhellip」は

「噂もうるさいほどに私との関係を言い立てられたあなたはhellip」の意を表す「潮騒」という音にかかわる現象と

人の噂が激しいことをいう「響み」との類似性が歌の前半と後半とを結び付けている噂がうるさいという現実か

ら作者は「潮騒」のざわめきを連想して序詞としたのだから本旨の内容が先にあり序詞は本旨に基づいて連想

されたという関係である

N 

天あま

飛と

ぶや 

軽の社の 

斎いはひつき

槻 

幾代まであらむ 

隠こもりづま

嬬そも

〔十一二六五六〕

 

女が詠んだと思われるこの歌では「天あ

飛と

ぶやhelliphellip齋い

ひ槻つ

」の三句が序詞として四句以下の表現を導入している

序詞の末尾に置かれた「齋ひ槻」は神聖である故に人が触れてはならない木をさすまた第五句の「隠こ

り妻」は

人に知られてはならない間がらにある妻をさすそのような内容面での共通性が歌の前半にある序詞と後半にある

本旨とを強く結び付けている「齋い

ひ槻」と「隠こ

り妻」とは表現が異なっているが両者の関係はMの歌に出て

いる「潮騒」と「響み」とのそれに酷似している

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一三九

 

以上の三首に見られる序詞と本旨との関係はさきに見た諸話の一段めの語りと二段めの語りとの関係に相当する

三首の序詞は本旨の内容から連想されたものであり諸話の一段めの語りは二段めの語りの内容から連想されたもの

であるしかし連想を呼ぶもとになったこととそれから連想されたこととは三首でも諸話でも表現が互いに異

なるものになっている

 

話を「二段構えの語り」に戻し次の話に認められる「二段構えの語り」について検討するしかし次の話の語

りのありかたは見てきた三話と異なる点がある

O 

萩原の里土は中の中なり右萩原と名づくる故は息お

きながたらしひめのみこと

長帯日売命韓か

らくに国

より還か

り上りましし時御船此の村

に宿りたまひき一夜の間に萩一ひ

ともと根

生お

ひき高さ一ひ

丈つゑ

ばかりなり仍よ

りて萩原と名づく即す

なはち

御井を闢は

りき

故かれ

針は

間ま

井ゐ

といふ其の処は墾は

らず又墫も

たひの

水溢あ

れて井と成りき故韓か

の清水と號く其の水朝に汲むに

朝に出でず爾す

なはち

酒殿を造りき故酒田といふ舟傾き乾か

れき故傾か

ぶきだ田

といふ米よ

舂つき

女め

等ら

が陰ほ

を陪

おもとびとくな

従婚

ぎ断ちき故陰ほ

とたち絶

田だ

といふ仍す

なはち

萩多く栄えき故萩原といふ爾こ

に祭れる神は少

すくなたらしのみこと

足命にます

〔『播磨国風土記』揖保郡〕

 

これは『播磨国風土記』に見える話で息お

きながたらしひめのみこと

長帯日売命(神功皇后)の聖性と威徳とを強調する内容になっている

 

これまで見た三話と同様にこのOの話にも女陰の話題が含まれているそれは「陰ほ

絶たち

田だ

」という地名の由来を

説明する短小な話のなかに見える息長帯日売命に仕える陪お

もとびと

従が米よ

舂つき

女め

等ら

と交合して陰部を傷つけたそのことが

この地名の由来になったという)

5(

陰部を傷つけたことを語る「陪お

もとびとくな

従婚ぎ断た

ちき」の「断た

ちき」は「裂傷をおはせた」

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一四〇

〔古典全書〕の意だと比較的古い注釈にありこれを踏襲する新しい注釈もある妥当な解説である

 

以上で見た三話と異なる点というのは二重線の部分と太線の部分とが

O 

米よね

舂つき

女め

等ら

が陰ほ

を陪お

もとびとくな

従婚ぎ断ちき

というように一文のなかに連続して出ている点である見てきた三話では二種の線を付した部分は近接した位置

にあるがOの話の場合はそれが極端なかたちで表れているまた二重線の部分が三話のように何らかの動作

状態を描写した表現になってはおらず「米よ

舂つき

女め

等ら

」という複合名詞になっている点も三話とは異なる

 

二種の線を付した一文の内容についていささか気になるのは「陪お

もとびとくな

従婚ぎ断た

ちき」という動作の対象になったの

が「米よ

舂つき

女め

等ら

が陰ほ

」だということである

 「米よ

舂つき

女め

等ら

」という複合名詞に含まれる「舂つ

く」は「突く」という動詞の一用法である「舂く」は「きねなどの

先で強く打っておしつぶしたり穀物のからなどを除いたり精白したりする」〔『日本国語大辞典』第二版〕の意で

あり「舂女」は「臼で穀物をつく女」〔同〕の意である

 

結局のところ「舂く」という動作は「臼などの器に棒状の物を押し込みなかにある穀物などを押しつぶす」の

意を表すわけだがいささか気になると述べたのは「舂く」という動作と「婚く

ぎ断ち」「陰ほ

絶た

ち」という動作との

間に認められる

O 《狭い空間に棒状の物を差し入れその奥にある部分または物を強く突き破る》

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一四一

という物理的な動き

0

0

0

0

0

0

としての類似性であるこれは既に取り上げたABの話やIの話に見られる二種の動きの

類似性と同じである

 

交合によって陰部を損傷したのと同様に棒状の物で「舂く」ことによって穀物などの本来の形態も損なわれる

だから「舂く」と「婚く

ぎ断ち」「陰ほ

絶た

ち」とは物理的な動きだけではなく動きによって生じる結果

0

0

においても類

似している

 

このように話のなかに先に出てくる「舂き」とその直後に出てくる「婚く

ぎ断ち」「陰ほ

絶た

ち」との間には物理

的な動きとそれがもたらす結果との双方に関して顕著な対応類似が認められるそのような対応類似が生じた

ことについて次のように想定することができるだろうつまり話の伝承者があとで自分が語る交合という動作

を強く意識したそのために交合に類似した動きを表す「舂く」を事前に連想しさらにはその語を含む「米舂女

等」をも連想してそれを結果的に話のなかに持ち込んだのではないかということである現にGの「丹塗矢伝

説」に「その美人の富ほ

登と

を突きき」とありIの「箸は

墓はか

伝説」にも「陰を衝つ

きて」とあってそれらの「突き」「衝

き」は表記こそ違え「舂き」と同じ動詞である

 「婚く

ぎ断ち」「陰ほ

絶た

ち」は凄惨かつ深刻な事態だからそれに類似する「舂く」という動作を事前に伝承者が連想

することは十分にありえたと思われるそのように想定すればOの話にも「二段構えの語り」が表れていることに

なる

 

話の展開に従えば「舂く」を含む「米舂女等」が一段めの語りとして先に出てきて「婚く

ぎ断た

ち」「陰ほ

絶た

ち」が二

段めの語りとしてあとに出てくるしかし話が成立した経緯から見れば二段めの語りがもとで一段めの語りが生

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一四二

まれたわけだから実際の先後関係は正反対である

 「二段構えの語り」が以上のような経緯で成立したのだとすればOの話では陪お

もとびと

従が交合を行って陰部を損傷さ

せた対象はもともと「米舂女等」だとは限定されていなかったことになるそれで話は成り立つ

 

Oの話に認められる「二段構えの語り」は前節で確認したような歌の構成のありかたから見ればいったいどの

ようなものだと言えるのか

P 

窺うかねらふ

良布 

跡と み見

山やま

雪ゆき

之の 

いちしろく 

恋ひば妹が名 

人知らむかも

〔十二三四六〕

 

この歌では「じっと見ていて獲物を狙う」の意の「うかねらふ」が「跡と

み見

山」の「跡見」に掛かる枕詞になって

いる「うかねらふ」を承ける「跡と

み見

」は狩猟に関して用いられた語である注釈辞書に見える説明をまとめれ

ば「跡見」は「鳥獣が通ったあとを見てそれが通った時間やそれが今いる場所などを判断することまたそれ

を行う役の猟師」の意である歌の作者が「跡見」という語からそれと類義をもつ「うかねらふ」という動詞を

連想しそれを「跡見」という名詞を導入する枕詞としたのである「うかねらふ」と「跡見」とは類義の語だが

音韻面ではまったく異なっているこれはOの話の「米よ

舂つき

女め

等ら

」の「舂く」と「婚く

ぎ断ち」「陰ほ

絶た

ち」との関係に

近い

 『古事記』に見える次の歌謡では序詞と本旨との関係がPの歌の「跡見」と「うかねらふ」とのそれに類似し

たものになっている

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一四三

Q 

倭やまとへ方

に 

西吹き上げて 

玖く

毛も

婆ば

那な

礼れ 

曽そ

岐き

袁を

理り

登と

母も 

吾忘れめや

〔記五五〕

 「倭や

まとへ方

にhelliphellip雲離れ」の三句が序詞となって本旨の「退そ

き」あるいは「退き居り」を導入している「退き」は

「遠ざかり」の意を表す動詞だから「雲離れ」という複合語に用いられた「離れ」とは類義語の関係にある本旨

の「退き」を言うためにそれと類義をもつ「離れ」を事前に連想しそれを末尾に置いて長い序詞を構成したわけ

である「雲離れ」と「退き居り」とは音韻面で類似するところがない「離れ」と「退き」との関係はやはりO

の話の「米よ

舂つき

女め

等ら

」の「舂く」と「婚く

ぎ断ち」「陰ほ

絶た

ち」との関係に近いと言える

R ふさ

手た

折をり 

多た

武むの

山やま

霧ぎり 

繁みかも 

細川の瀬に 

波騒きける

〔九一七〇四〕

 

この歌では地名の「多た

武む

」を「曲げる」の意を表す「たむ」という動詞に見立てそれから事前に連想された

類義の「手折り」に「

ふさ

」を付し「たむ」の枕詞としている「手た

折を

る」は「手で曲げて取る」の意であり「

は「総房」のことで花や実が束になって付いたものをさす本旨の表現に用いるべき「たむ」から類義を表す

「手折る」という動詞を連想したのであるこれもまたOの話の「断つ」と「舂く」との関係を思わせる「たむ」

と「手折り」とは初頭の音節が同じだが互いに音節数が異なっている

 

三首の「跡見」「退き」「たむ」が「二段構えの語り」の二段めのかたりに相当しそれから連想された「うかね

らふ」「雲離れ」「

手折り」が一段めの語りに相当すると言えるだろう

 

既に述べたようにOの話は聖性と威徳とを具えた息長帯日売命に関する話である「一夜の間に萩一ひ

根もとお生

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一四四

き」「墫も

たひの

水溢あ

れて井と成りき」その他の不思議な事態が起こったことが話のなかでくり返し述べられている

同様にほかならぬ息長帯日売命に仕える陪お

もとびと

従が米舂女等と交合を行って陰部を傷つけた結果「萩多く栄えき」

という事態が生じたということなのだろう

 

Oの話が載っているのと同じ『播磨国風土記』に

S 

讃さ よ容

といふ所ゆ

ゑ以

は大神妹い

もせ

二柱競ひて国占し

めましし時妹玉た

津つ

日ひめのみこと

女命生ける鹿を捕と

り臥せて其の腹を

割さ

きて其の血に稲種ま

きき仍よ

りて一夜の間に苗な

生お

ひき即す

なはち

取りて殖う

ゑしめたまひき爾こ

に大神勅の

りたま

ひしく「汝な

にも妹

は五さ月夜よ

に殖ゑつるかも」とのりたまひて即や

て他

あだしところ

処に去りたまひき故か

五月夜の郡こ

ほりと

號なづ

神を賛さ

用よ

都つ

比ひめのみこと

売命と名づく

〔讃容郡〕

という話が見えまた次のような話も見える

T 

丹に

津つ

日ひ

子こ

の神「法ほ

太だ

の川底を雲う

るみ潤

の方に越さむと欲お

ふ」と爾し

かい云

ひし時彼の村に在い

せる太お

水みづ

の神辞い

びて

云の

りたまひしく「吾は宍し

の血を以て佃た

つくる

故か

河の水を欲ほ

りせず」とのりたまひきその時丹津日子云ひし

く「此の神は河を堀る事に倦う

みて爾いへるのみ」といひき故雲う

弥み

と號な

く今い

人ひと

雲潤と號な

〔賀毛郡〕

 

Sの話は鹿の腹を割いてその血に稲を蒔いたら一夜で苗が生えたというものであるまたTの話は宍し

つま

り動物の血で田を作るから河の水は必要ないと神が言ったというものである二話では稲などの植物を植える際

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一四五

には普通に水を用いるよりも動物の血を用いた方が成長がずっと早いと述べているようである

 

これらの話には動物の血と稲あるいは田と一夜での苗の成長の三つの要素の結び付きが確認できる)

6(

この

ことはOの「陰絶田」の話を想起させずにはおかないつまり稲あるいは田は「陰絶田」の話に出ている「米よ

舂つき

女め

等ら

」に対応するように思われるしまた動物の血は女らと陪従らとの交合によって陰部から出たはずの血に

対応するように思われるさらに一夜で急に苗が成長したという事態は「陰絶田」の話の前半部に「一夜の間に

萩一ひ

根もとお生

ひき」とありまた「陰絶田」という地名に続いて「仍す

なはち

萩多く栄えき」とあることに内容的に対応する

と理解することができる

 

だから「米よ

舂つき

女め

等ら

が陰ほ

を陪お

もとびとくな

従婚ぎ断ちき故陰ほ

絶たち

田だ

といふ仍す

なはち

萩多く栄えき」という一連の表現では

陰部を損傷させたことと萩が多く栄えたこととの間には「そのことが原因で」の意の明確な因果関係があると

見るべきだろう

 

三つの要素の結び付きがOの話にも認められる以上同話と動物の血に関する話は古い時代に行われていた儀礼

を背景とするものだと考えることができるだろう動物の血と人間の血との違いはあるがそれらは神に動物の犠

牲を捧げたことによって豊穣繁栄がもたらされたという人々の遠い記憶を伝えるものなのではないか

 「国土創成」をめぐるABの話とEFの話Gの「丹塗矢伝説」Iの「箸墓伝説」Oの「陰絶田」をめぐる

話のどれでも女陰交合結婚などのことが話題となっているこれらの諸話に「二段構えの語り」が認められる

ことを以上の論述で確認した

 

ただし「二段構えの語り」が認められることと女陰交合などの話題が含まれることとの二点を条件として

以上の諸話を選んだわけではない「二段構えの語り」が認められる諸話を取り上げたところそれらには女陰交

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一四六

合などの話題が共通して含まれていたというのが実際である

 

女陰を矢が突くにしても何かが原因で女陰が損傷を受けるにしてもとにかく女陰や交合に関する話題は話の

語り手にも聞き手にも強い印象を与えたはずである時にはそれは刺激的衝撃的な印象さえ与えたに違いない

それだからこそ女陰交合に関する出来事はその内容に類似し対応する連想を呼びやすかったのだろう「二段

構えの語り」と女陰交合の話題とが以上の諸話のなかに共存するのはそのような理由によるものと考えられる

 

以上で確認したように「二段構えの語り」が表れていると判断される諸話に女陰交合などの話題が共通して

含まれている論述の流れに従えば交合結婚を語るものではないがやはり女陰のことが一つの話題になってい

る次の話を取り上げる必要があるだろう

U 

須す

佐さ

之のをのみこと

男命(略)勝ちさびに天あ

まてらすおほみかみ

照大御神の営つ

くだ田

を離は

ちその溝を埋めまたその大お

ほにへ嘗

を聞こしめす殿に屎く

まり散らしき故か

然し

すれども天照大御神は咎と

めずてhellip(略)なほその悪しき態わ

止まずて転う

てありき天照大御

神忌い

みはた服

屋や

に坐ま

しまして神か

御み そ衣

織らしめたまひし時その服屋の頂む

を穿う

ち天あ

の斑ふ

ちこま馬

を逆さ

剝は

ぎに剝ぎて堕お

し入る

る時に天の服は

織おり

女め

見驚きて梭ひ

に陰ほ

と上

を衝つ

きて死にき故か

ここに天照大御神見畏か

しこみ

て天の石い

屋や

戸と

を開

きてさし籠もりましきここに高た

天ま

の原皆暗く葦

あしはらのなかつくにことごと

原中国悉に闇く

しこれによりて常と

夜よ

往ゆ

ききここに

万よろづのわざはひ

妖悉に発お

りき

〔神代記〕

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一四七

 

これは『古事記』の神話の一部であり須佐之男命の「勝ちさび」の場面とその姉である天照大御神の「石屋籠

もり」の場面である天照大御神が機織りをしている時に弟の須佐之男命が皮を剝いだ馬を服は

屋や

の屋根を壊し

てなかに投げ入れたそれに驚いた服は

織おり

女め

が縦糸の間に横糸を通すための道具である梭ひ

を誤って自分の陰部に突

き刺して死んだそれを見て弟の行動を恐れた天照大御神が石い

屋や

に籠もってしまったので世界は暗闇に閉ざされ

多くの災禍がはびこったという

 

二重線を付した「その服屋の頂む

を穿う

ち天あ

の斑ふ

ちこま馬

を逆さ

剝は

ぎに剝ぎて堕お

し入るる時にhellip」という部分と太線を付し

た「梭ひ

に陰ほ

と上

を衝つ

きて死にき」という部分とは表現のありかたがまったく異なるしかし皮を剝いだ馬を屋根

を壊して建物のなかに投げ入れることと梭ひ

で勢いよく突いて陰部を傷つけることとが物理的な動きとして酷似し

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ている

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ことは事実である二つの部分では

U 《ある物体を急に動かしその勢いで別の物体を破損する》

ということが共通の骨子になっているこのような動きはIOの話の場合の動きと酷似している

 

二つの部分に描写されている物理的な動きをこのように要約するとこれまで見た諸話の場合と同様にUの話に

表れている「二段構えの語り」について次のように推測すべきことになるつまり皮を剝いだ馬を服屋の屋根

を壊して投げ入れたという二重線の部分は梭で陰部を突いて服織女が死んだという太線の部分に基づいて伝承者

が事前に連想して話のなかに持ち込んだものだろうということである

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一四八

 

確かに梭で陰部を突いて女が死んだというのはあまりにも衝撃的で印象的な出来事である特に『日本書紀』

の所伝には「天照大神驚お

どろ動

きたまひて梭を以て身を傷い

ましむ」〔本書〕とありまた「稚わ

かひるめのみこと

日尊驚きたまひ

て機は

より墮お

ちて持たる梭を以て體み

を傷や

らしめて神か

むさ退

りましぬ」〔一書第一〕とあって事態はさらに深刻であ

る至高神である天照大神自身が陰部を損傷しまたその分身である稚日尊が同じ原因で死んだというのだからこ

れ以上の重大事件はない

 

ただしここで一つの問題が生じる伝承者が連想したことを神話のなかに持ち込む以前には梭を突き刺して陰

部を損傷したという話題はあっても屋根を壊して馬を投げ入れたという話題は含まれていなかったことになるそ

こで馬に関する話題が直前に置かれていなくても天照大御神が石屋に籠もるという展開になりえたのかとの問

題が生じるのである少なくともUの話では馬の投げ入れに驚いて服織女が陰部に損傷を負って死んだので

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その

ことを恐れた天照大御神が石屋に籠もってしまったというように読めるからである

 

結論を言えば馬を投げ入れるという行動はなくても天照大御神が石屋に籠もるという展開になりえたと理解

することができるそのことを支持するのは『日本書紀』に見える次の所伝である

V 

日ひのかみのみこと

神尊天あ

まのかきた

垣田を以て御田としたまふ時に素戔嗚尊春は渠み

塡う

め畔あ

はなち毀

す又秋の穀

たなつものすで

已に成りぬるとき

に則ち冒

ひきわたす

に絡あ

ぜなは縄

を以てす且ま

たひのかみ

日神の機は

殿どの

に居ま

します時に則ち斑ぶ

駒こま

を生い

剝は

ぎにして其の殿

みあらかの

内に納な

げいる

凡す

て此の諸

もろもろの

事尽

ことごとくに

是これあづきな

無状し然れども日神恩

このかみおととむつま

親しき意

みこころもちに

して慍と

めたまはず恨みたまはず皆

平たひ

らかなる心を以て容ゆ

したまふ日神の新

にひなへきこ

嘗しめす時に及お

よ至

びて素戔嗚尊則ち新

にひなへのみや

宮の御み

まし席

の下に陰ひ

そかに

ら送く

そま糞

る日神知し

しめさずして俓た

に席み

ましの

上に坐ゐ

たまふ是に由よ

りて日神體み

みこぞ挙

りて不や

くさ平

みたまふ故以

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一四九

て恚い

か恨

りまして廼す

なはち

天あまのいはや

石窟に居ま

して其の磐い

戸と

を閉さ

しぬ

〔一書第二〕

 

素すさのをのみこと

戔嗚尊の悪行がどのような順序でこのVの話にあげられているかを少し細かく見てみる天照大神の御み

田た

素戔嗚尊が損壊する話が最初に置かれておりそれはUの話の場合と同じであるしかしその直後にはUの話と

大きく異なって馬を投げ入れる話が置かれているそしてこの悪行を含む「諸

もろもろ

の事」について「日ひ

神かみ

恩このかみおととむつま

親しき意

みこころもちに

して慍と

めたまはず恨みたまはず皆平た

らかなる心を以て容ゆ

したまふ」という説明が付され

ている馬を投げ入れたことは天照大神の石屋籠もりと直結しておらずむしろ日神は馬の投げ入れを含む多くの

悪行を許したというのである

 

Vの話で石屋籠もりと直結しているのはそのあとになされた悪行であるそれは「素戔嗚尊則ち新

にひなへのみや

宮の御み

まし席

の下に陰ひ

そかに

自ら送く

そま糞

る」という蛮行でありこれによって「日神知しめさずして俓た

に席み

ましの

上に坐ゐ

たまふ是に

由よ

りて日神體み

みこぞ挙

りて不や

くさ平

みたまふ」というひどい状況が生じたつまり新宮のなかでの脱糞という悪行が日ひ

神かみ

に病をもたらしさらには同神を石屋に籠もらせたというのである陰部が損傷した事件ではなくて新宮での脱糞

という蛮行が石屋籠もりの原因となりえたことをVの話が証明している【天照大神にあたる神を「日神」とする所

伝はより古い時代に成立したものだと言われる】

 

新宮での脱糞が石屋籠もりの原因になったとするVの話には女陰が損傷したことはまったく見えないこれに対

してUの話やさきに引用した『日本書紀』の本書一書第二の話では馬の投げ入れに驚いた女神が陰部を損傷し

そのことが女神の石屋籠もりの原因となっている話の内容にこのような相違がある事実は女神が陰部を損傷した

ことと女神が石屋に籠もったこととは必ずしも一連のものではないことしたがって話の成立について考えるにあ

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一五〇

たっては二つのことを別々に処理してかまわないということを示している

 

ただしUの話で大きな問題となるのは馬を投げ入れるという行動がなければ女神が驚いて陰部を損傷すると

いう事態も起こらないということであるこの点で女神が陰部を損傷するという事態だけが話に含まれ馬を投

げ入れるという行動は話に含まれないという話の状況は想定できないのである

 

一連の話のなかにまずXのことが出ていて次にYのことが出ているという「二段構えの語り」について考える際

にぜひとも考慮しておくべきことがあるつまりあることをもとにしてそれに類似することを伝承者が連想し

連想した内容を結果的に話のなかに持ち込むには一般的に二とおりの過程がありうるということである

a 

先に出てくるXが伝承者に強い印象を与えるためにXについて語ったあとにそれに類似した内容をもつY

を伝承者が連想するという過程

b 

あとに出てくるYが伝承者に強い印象を与えるためにYについて語る前にそれに類似した内容をもつXを

伝承者が連想するという過程

 

これまで見てきた「二段構えの語り」はすべてbの過程を経て生じたものだと考えたしそのように考えて特に

問題はなかったしかしUVの二話の場合はそのように考えることは不可能であるUの話では馬を投げ入

れたことが女神が陰部を損傷する原因になっておりVの話では新宮で脱糞したことが女神に病をもたらす原

因となっている二重線の部分が原因を表しており太線の部分が結果を表しているわけだから二つの部分は密接

な因果関係を構成しているのである

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一五一

 

そこでUVの二話に表れている「二段構えの語り」がbの過程を経て成立したと仮定して具体的に話の展開

について考えてみる陰部を損傷したことだけがUの話に含まれるという段階を想定すれば女神がなぜ梭で陰部を

突くことになったのか何も説明がなく話の展開が唐突すぎる聞き手は話の展開が理解できないのであるまた

同様に女神が糞の上に座って病を得たことだけがVの話に含まれるという段階を想定すればそこになぜ糞があっ

たのかが不明であるこちらも話の展開そのものが成り立たない

 

一方で「二段構えの語り」はbの過程を経て成立したという仮定を捨てそれはaの過程を経て成立したものだ

と仮定してみる二重線の部分だけが話に含まれており伝承者はそれをもとにして太線の部分を連想し連想した

ことをあとで話のなかに持ち込んだというふうにである

 

Uの話にはもともと馬を投げ入れたことだけがあり伝承者はそれをもとに酷似する動きをとることとして

梭で陰部を突くという動作を連想した馬の皮を剝いだうえ屋根を壊してそれを服屋の中に投げ入れるという悪行

は女神が梭で陰部を突くという事故がなくても女神を恐れさせて石屋に籠もらせるには十分である

 

またVの話の場合にはもともと新宮で脱糞をしたことだけが含まれており伝承者はそれに基づいて女神が

その糞の上に座って病を得たことを連想した女神が新嘗の儀礼を行う前にその神聖な新宮でこっそり脱糞をする

という蛮行は女神が糞の上に座って病を得るという事態が起こらなくても女神を怒らせて石窟に籠もらせるには

十分である

 

こうしてbの過程を想定すればもとの話は成り立たないが逆にaの過程を想定すればUVの二話にも「二

段構えの語り」が表れていると考えることができる実はaの過程を想定することによって「二段構えの語り」が

表れていることを順当に説明しうる話はすぐあとに取り上げるようにほかにもまだある

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一五二

 

女陰が何らかの原因で損傷したことを述べるIOUの三話についてさきに一段めの語りと二段めの語りの

内容を検討したうえでそれぞれを次のように一文にまとめておいた

I 《身体の一部を急に下方に移動させその先にある物を勢いよく突く》

O 《狭い空間に棒状の物を差し入れその奥にある部分または物を強く突く》

U 《ある物体を急に動かしその勢いで別の物体を破損する》

 

三話に認められる「二段構えの語り」の内容はこのようにどれも同じような動きを表すものになっているそれ

だけでなくABの話やGの話に見られる「二段構えの語り」もまた同じような動きを表すものになっている

ということは女陰が損傷を受けたことを述べる三話に「二段構えの語り」を認めることの妥当性を逆の面から証

するものだと言えるのではないか

 

これに対し女陰の損傷が話題となっていない「二段構えの語り」が認められる別の諸話についてその内容を

一文にまとめるとその一文はこれらとまったく異なる動きを表すものとなる(後述)そのこともさきに述べた

ような「二段構えの語り」の存在を認めるべき一つの論拠となると考える

 

Uの話と同様にaの過程を経て「二段構えの語り」が成立したと推定される話をここでもう一つ取り上げる

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一五三

それは『古事記』に見える神話でのちに地上界の支配者になる大お

ほなむぢの

穴牟遅神か

をその兄弟である八や

十そ

神がみ

が殺害する場

面である

W 

ここに八や

十そ

神がみ

見てまた欺あ

ざむき

て山に率ゐ

て入りて大お

樹き

を切り伏せ茹ひ

矢や

をその木に打ち立てその中に入らし

むる即ちその氷ひ

目め

矢や

を打ち離ちて拷う

ち殺しきここにまたその御み

祖おや

の命み

こと

哭な

きつつ求ま

げば見得てすな

はちその木を折りて取り出で活かしてその子に告げて言ひしく「汝い

まし

此こ こ間

にあらば遂に八十神のために滅

ぼさえなむ」といひてすなはち木き

国くに

の大お

屋や

毘び

古この

神かみ

の御み

もと所

に違た

へ遣りきここに八十神

ぎ追ひ臻い

りて矢や

刺ざ

し乞ふ時に木の俣ま

より漏く

き逃がして云の

りたまひしく「須す

佐さ

能のをのみこと

男命の坐ま

します根の堅か

州す

国くに

に参ま

向ふべし必ず

その大神議は

りたまひなむ」とのりたまひき故か

詔の

りたまひし命の随ま

にまに

須佐之男命の御所に参ま

ゐいた到

ればhellip

〔神代記〕

 

八十神が大木を切り倒してそれを裂き裂け目に楔

くさび

状の「茹ひ

矢や

」を押し立てておいたそしてそこに大穴牟遅神

を入らせて楔状の物を引き抜き同神を圧死させた同神の母が木を折って息子を救い出しこれを蘇生させて大お

屋や

毘び

古この

神かみ

のもとへ逃がしてやったさらに八十神が追いついて息子を引き渡すように母に要求した時には母が息

子をこっそり木の俣から須佐能男命のもとへ逃がしてやったという

 

Wの話の直前には八十神に脅迫された大穴牟遅神が焼けた岩をかかえ込んで死んでしまったという話が置か

れている死んだ大穴牟遅神はやはり母の尽力によって復活したというそれが一回めの死と復活を語る話だから

Wの話で語られる死と復活は二回めのそれである一回めの死が岩を抱き取ることによってもたらされ二回めの死

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一五四

が木の俣に挟まれることによってもたらされた死因の内容が一回めと二回めとでは逆転している

 

また大穴牟遅神の二度にわたる死は天照大御神の二度にわたる死と奇妙なかたちで対応している天照大御神

の死はまず同神自身あるいはその分身の女神が木製の梭で陰部を突いて死ぬというかたちで語られるまた

そのあとで同神自身が岩屋に籠もってしまうというかたちで死が語られるがそれは太陽神の象徴的な死である

両神の死の内容を細かく比較すると両神の体と岩木とが次のように互いに逆転した奇妙な関係を示しているこ

とがわかる

  

大穴牟遅神の死helliphelliphellip体が岩をかかえるdarr木の俣が体を挟む

  

天照大御神の死helliphelliphellip木が体のなかに入るdarr体が岩のなかに入る

 

地上の支配者と世界の至高神との間に死をめぐってこのような逆転した関係が認められるのはきわめて興味深

いことである)

7(

 

さて「二段構えの語り」だがWの話のうち母が息子を「その木を折りて取り出で活かして」大お

屋や

毘び

古この

神かみ

のも

とへ逃がしてやったという二重線の部分が一段めの語りにあたる二段めの語りにあたるのは母が息子を「木の

俣また

より漏く

き逃がし」て須佐能男命のもとへ向かわせたという太線の部分である

 

つまりこの神話では俣になった「その木を折りて」母が息子を救い出す一段めの語りと母が息子を「木の俣

より漏く

き」逃がしてやる二段めの語りとは

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一五五

W 《母が息子を木の俣から救出しあるいは逃がして別の神のもとへ送り出す》

という酷似した内容のものになっている

 

地上の支配者となるべき大穴牟遅神が木の俣に挟まれて死んで母に救われる話の方が同神の母が木の俣から息

子を逃がしてやる話よりもずっと衝撃的で印象的であるだから神話の伝承者が一段めの語りの内容を強く意

識しそれに酷似した内容をもつ二段めの語りを連想してあとで話のなかに持ち込んだのだろうと推測される

より印象的な出来事を語り終えたあともそれが意識のなかから消え去らず類似し対応することがらをあとで連想し

てしまったと考えられる【一段めの話から二段めの話が連想されたというaの過程をたどったとおぼしい実例は

僅少であるそれには然るべき理由があったと考えるべきだが目下のところそれは不明である】

 

Wの話がこのような経緯をたどったとすると母が木を折って息子を救い出しこれを蘇生させてから別の神のも

とへ逃がしてやったという一段めの語りだけが話に含まれていた段階を例によって想定しなければならない一

段めの語りだけで話は成り立つのか

 

結論を言えばその想定は可能である八十神のもとから逃げた大穴牟遅神が須佐能男命のいる地まで行ったと

いうような単純な内容の話になっている方が以下との続きかたは自然である二重線の部分の末尾にある「木き

国くに

の大お

屋や

毘び

古この

神かみ

の御み

もと所

に違た

へ遣りき」の「大屋毘古神」の部分を太線の部分にある「須佐能男命」とすれば話は無

理なく以下に続くのであるまずは大屋毘古神のもとへ逃げて行ったという部分がなかったとすれば母は木の裂け

目から息子を救い出しこれを蘇生させて須佐能男命のもとへ送り出したというわかりやすい展開になるしたが

ってaの過程を経てWの話が成立しただろうという推定は十分に成り立つ

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一五六

 

二重線の「木き

国くに

の大お

屋や

毘び

古この

神かみ

の御み

もと所

に違た

へ遣りき」という部分は「木国のhellip」で始まっているそれは「大お

樹き

切り伏せ」「茹ひ

矢や

をその木に打ち立て」「その木を折りて」などWの話にくり返し出ている「樹木」から連想され

たものだろう

 

太線の部分にある「木の俣ま

より漏く

き逃がして」以下の表現からその前に置かれた二重線の部分が連想されたと

いうbの過程は想定できない二重線の部分が話に含まれていないという段階はなぜ太線の部分が話に含まれてい

るのかということつまり「木の俣ま

より漏く

き逃がして」とある理由が説明できないのである大穴牟遅神が八十神に

殺害されて復活したという理由があって始めて「木の俣ま

より漏く

き逃がして」以下の表現が意味をもつのである

 

木の俣に挟まれて圧死した大穴牟遅神が母の尽力によって蘇生したあとには同神が須佐能男命から与えられた

いくつもの試練を妻の須す

勢せ

理り

毘び

売め

の助力を得てそのたびごとに克服するという話が続くさらに大穴牟遅神が

須勢理毘売をその父のもとから奪って逃げるとともに自分に苦難をもたらした八十神を追い払って「始めて国を作

りたま」うたという展開になっているまたそのあとにも大穴牟遅神の子を産んだ八や

上かみ

比ひ

売め

が須世理毘売を恐

れて「その生める子をば木の俣に挟みて返」ったという話が続いている八上比売の話にまたもや「木の俣」

のことが出てくるわけである

 

この「木の俣」の話もまた大穴牟遅神が「木の俣」に挟まれて圧死した話から連想されたものである可能性が想

定できるがそのように想定する場合に問題となることがあるそれは両話の間に置かれた話があまりにも長大な

ものだということであるしかし大穴牟遅神と生まれた子との間には

 

ⅰ 

父子

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一五七

 

ⅱ 

木の俣に挟まれて死ぬ生まれて木の俣に挟まれる

 

ⅲ 

母が救い出す母が置き去りにする

 

ⅳ 

母が別地へ向かわせる母がもとの地に戻る

というような対比的な関係も認められるのでありこうした関係が偶然に生じたものだとは考えがたいだから父

が木の俣で圧死させられることから生まれた子を木の俣に置くことが連想されたという可能性をここでは否定し

ないでおく【より古い時代には大穴牟遅神が木の俣に挟まれて死ぬ話と八上比売が木の俣に新生児を挟む話とは

直結した一連のものだったことも想定できる】

 

以上の論述では「二段構えの語り」の様態について数話を例示してやや細かく検討を加えたその結果話に

含まれる特定のことからがそれに類似し対応することがらを伝承者に連想させ連想した内容が結果的に話のなか

に組み込まれてしまうという特徴的な現象を上代の神話や伝説を通して確認することができたと考える

 

同じ「二段構えの語り」の現象が認められる話は本稿で取り上げた諸話で尽きているのではなくまだ何話か上

代の文献に見える紙幅の関係でそれらを取り上げて細かく検討を加えることができないからここで二話だけに

ついて結論を述べておき具体的な検討は別稿で行うことにする

 

二話のうち一つは神話に見えるもので娘たちを飲み食らう大蛇を須佐能男命が退治する場面である『古事記』

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一五八

で言えば「是の高こ

志し

の八や

俣また

の遠を

呂ろ

智ち

年と

毎ごと

に来て喫く

へり」という部分と「船ふ

毎ごと

に己お

が頭を垂い入れてその酒を飲み

き」という部分とが「二段構えの語り」に相当する二つの部分の内容をまとめると

  《大蛇が出雲へやってきて足あ

名なづち椎

のがわに属するものを食らいあるいは飲む》

というようになる娘たちを食らい飲む大蛇が酒を飲むという同じ行動が原因で退治されてしまうのである

 

またもう一つの話は『播磨国風土記』の賀古郡の条に見える「比礼墓伝説」であるこの話では「印い

なみ南

」の女

が「隠な

び妻」であり「辞い

び妻」でもあるからこれは「古代の口がたり特有の面白さ」をもつものだという興味深

い見解がある

 

話の冒頭近くにある「度わ

たりもり

子紀き伊の国く

人ひと

小を

玉たま

申さく「我は天

すめらみこと

皇の贄に

人びと

たらめや」とまをす」という部分とその

あとにある「印南の別嬢聞きて驚き畏か

しこみ

即や

て南な

都つ

麻ま

嶋に遁に

げ度りき」という部分とが「二段構えの語り」に

相当する二つの部分のうちのあとの部分は別嬢が天皇の求婚を嫌がって

0

0

0

0

島に逃げて隠れたことを述べたものだか

ら二つの部分は同じく「辞い

び」を内容とするものだと言える「度わ

たりもり

子」つまり船頭の「我は天

すめらみこと

皇の贄に

人びと

たらめや」

という発言に倣って天皇の求婚を嫌がる別嬢の心情を言い表せば「吾は天皇の妻

9

9

9

9

たらめや」というようになる

  

船頭の「辞び」helliphelliphellip「我は天

すめらみこと

皇の贄に

人びと

たらめや」

  

別嬢の「辞び」helliphelliphellip「吾は天皇の妻

9

9

9

9

たらめや」

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一五九

 

結局二つの「辞び」は単なる拒否ではなく次のような同じ内容を表す「辞び」なのである

  《私は天皇にお仕えなどしない》

 

この話の末尾近くには別嬢の遺体について「大き飄つ

むじ

川下より来て其の尸か

ばねを

川中に纏ま

き入れき求むれども得

ず」と述べられているがその部分と別嬢が島に逃げて隠れた

0

0

0

という前の部分ともまた「二段構えの語り」を構

成している二つの部分はともに別嬢の「隠び」を内容とするものなので次のように一つにまとめることができる

  《別嬢が「隠な

び」をした》

 「辞び」も「隠び」も話のなかに二度ずつ表れているのである

 

大蛇退治の神話と「弟日姫子伝説」とには「二段構えの語り」を認めるにあたって解決すべき多くの問題が含ま

れているしかしそれらを一つ一つ検討していけば見てきた諸話と同様の特徴的な語りを二話にも認めることが

できる

註(1) 

本稿にあげる『古事記』『日本書紀』『風土記』などの記述は本文訓読文ともに古典文学大系のものを引用するまた

『萬葉集』の本文訓読文は新編古典全集のものを引用するただしいずれも読みやすさと理解しやすさとを考慮して

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一六〇

もとの表記形式その他を改めることが少なくない

(2) 

大野晋「記紀の創世神話の構成」〔『文学』一九六五年八月〕のちに『仮名遣と上代語』(一九八二年)に収載

(3) 「丹塗矢伝説」の成立については小著『伝承と言語』(一九九五年)のⅡ部四章で私見を述べたただし同書に述べたこ

とと本稿で述べたことの間には一点だけ相違がある丹塗矢が女の陰部を突いたという話は神と人間の女とが結婚したこ

とを明確に語ったものではないからそのことを明確にするために女の持ち帰った丹塗矢が男に変身して子が生まれたとい

う話があとになって付加されたのだと同書では述べたそれは既存の一説に見える解釈を妥当なものと認めそれを踏

襲したものだった本稿では「二段構えの語り」がこの話にも認められるという見解に立ってかつて小著で述べた考えを

訂正する

(4) 

女に与えられた「倭迹迹日百襲姫命」という名の語構成ははたしてどのようなものなのかこれを疑問の余地なく解明す

ることはかなり難しい

   

初頭の「倭」と末尾の「姫命」は除くとして「迹と

迹と

日び

百もも

襲そ

」の「百襲」は字面のとおり「多くの着衣」の意であるかも

知れないこの女の夫は蛇神だから蛇が何度も脱皮をくり返すことを背景とする名を妻がもつことは十分にありうること

だろう「百襲」の「襲」には字を構成する要素として「衣」がある「襲」の字は「重ねて着る」「覆う」「継ぐ」「おそ

う」などの意を表す

   

ある特徴や習性を表す語が当人ではなく周囲の者の名に含まれる例は「丹塗矢伝説」の登場者にも見られるたとえば

矢で陰部を突かれて慌てた女が勢せ

夜や

陀だ

多た

良ら

比ひ

売め

であるのにその女の産んだ娘が「陰に矢を立てられ震え姫」の意の「富ほ

登と

多た

多た

良ら

伊い

須す

須す

岐き

比ひめのみこと

売命」という名を与えられている母の経験したことが娘の名に反映しているのである

   「晡く

れふしの

時臥山やま

」〔『常陸国風土記』那珂郡茨城里〕の話に登場する子として蛇を産んだ女とその兄は「努ぬ

賀か

咩め

」「努ぬ

賀か

古こ

という名を与えられているこれらの名も原義を解明するのは難しいが「ぬか」はやはり脱皮の意を表す「脱ぬ

か」かも知れ

ない『和名類聚抄』の「蛻」の項に「毛も

沼ぬ

久く

」とあり『色葉字類抄』の「

蛻」の項に「ヘミノモヌケ」とあるこれらの

「脱ぬ

く」「脱ぬ

け」がこの場合に参考になる下二段活用動詞の「脱け」が「脱か彦脱か姫」では「脱か」となってい

るわけだが上代語では「明け」「荒れ」「枯れ」などの下二段活用動詞が「明か時(暁)」「新あ

垣がき

」「枯から

木き

」などの複合名詞を

構成しているのに同じである

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一六一

 

名の意味をこのように理解することは生まれた子を入れる器を何度か大きいものに替えたという脱皮を暗示する説明と

吻合する中世には「もぬけの衣」という表現もあるから「もぬけ」の「も」はあるいは「裳」か

(5) 「陰ほ

絶たち

田だ

」という地名と「米よね

舂つき

女め

等ら

が陰ほと

を陪おもとびとくな

従婚ぎ断ちき」という説明との関係には理解するのが難しい点がある

「陰絶田」に含まれる「絶つ」はもともと「長い間にわたって継続してきたことを止めまた幅のある物体を切る」の意を

表す動詞であるこれの自動詞である「絶ゆ」も基本的に意味は同じであるだから「陪お

もとびと

従」との交合によって陰部が損

傷したことをあえて「婚ぎ絶ち

9

9

き」と表現した理由が不明である物を損傷したことがなぜ「絶つ」と表現されたのか

「婚ぎ絶ちき」を「裂傷をおはせた」〔古典全書〕の意だと説明してもその疑問は解消しない

   「陰絶田」はもと「陰に(男根が)立つ田」の意の「陰立9

田」だったかも知れないそのように想定すれば神武記の

「丹塗矢伝説」に登場する「富ほ

登と

多た

多た

良ら

伊い

須す

須す

岐き

比ひ

売め

」という名の「ほとたたら」と意味的に対応するただし矢の場合に

「立つ」を用いた理由は理解できるが男根の場合にも同様に「立つ」を用いたとは想定しにくい「絶つ」とあることはや

はり不審のままである

(6) 

三つの要素の結びつきについては益田勝実「日本神話における外在と内在日本神話論における始原と展開」〔国文学

『解釈と鑑賞』一九七七年十月〕によるただしこの論にはOの話に関する言及がまったくないOの話のなかに三要素の

結び付きを読み取るのは私見にすぎない

(7) 

両神の死因をめぐる逆転関係については小著『日本の神話伝説を読む』(岩波新書二〇〇七年)の第二章第二節で述

べた

(日本語日本文学科 

教授)

Page 3: 一 神話・伝説に見られる特徴的な語り...神話・伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木) 0 一二三 べている。太平洋に伝承の海洋型国産み神話に類似。またヌホコを男性の象徴とし、交合による国産み神話とも見られる」と述

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一二三

太平洋に伝承の海洋型国産み神話に類似またヌホコを男性の象徴とし交合による国産み神話とも見られる」と述

べている

 

二種の注釈に見える解説のなかで本稿にとって重要なのは矛を指し下ろして搔き探るという動作について「ホ

コを男根の象徴と見れば以下はそのまま交合による国産みと見ることもできるような記述である」〔古典大系〕と

か「ヌホコを男性の象徴とし交合による国産み神話とも見られる」〔新編古典全集〕とかといった部分である確

かにABの記述を素直に読めば直後に展開される男女二神の交合による国産みをどうしても想像せざるをえ

ない正反対にABの内容は直後に展開される男根交合国産みとはまったく無関係だと断じるとしたらそ

れはかえって不自然で無理なことである

 

矛の先端から滴り落ちた塩が凝り固まって島ができたあとで男女二神は身体に関する問答と柱回りとを行うそ

して相手を讃美することばを互いに交わしてから交合を行って子としての国土を産んでいくだからその場面

に至る前の段階で語られるABの内容は特に印象的で重要な国産みの場面から神話の伝承者によって事前に連想

されたものであり国産みの場面よりも前にある部分にあとになって持ち込まれたものだろう

 

このことを少し具体的に説明するとほぼ次のようになる二神が相手を讃美し合って交合を行い次々に国土を

産んでいくというきわめて重要な場面について語る前に神話の伝承者はその重要な場面を強く意識したそのこ

とから伝承者は二神による交合国産みによく似た動作

0

0

0

0

0

0

として矛を海中に指し下ろしてそれを搔き回しあと

で矛を引き上げるとその先端から塩が滴り落ちそれが凝り固まって島ができたという一連の過程を連想したそ

して結局はその連想を話のなかに組み入れたのだろうということである

 

このように想定してよければ「修理固成」の条とそれに続く「国土創成」の条とは本項の冒頭で述べた「二段

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一二四

構えの語り」を構成していることになる交合国産みのイメージを強く与えるABの話を語ることがその一段め

にあたり実際に二神が交合によって国土を産んでいくのを語ることがその二段めにあたる言うまでもなく二

つの段の成立から見れば順序は逆である伝承者に連想を働かせるもとになったのは二段めの語りであり伝承者が

その二段めの語りに基づいて新たに連想したことが一段めの語りである一段めの語りが強い印象を与える二段

めの語りから事前に連想されたものである以上両者が内容的に似たものになったりまた重なる部分を含むものに

なったりするのは当然である

 

ABの話の直前にあるのは『古事記』『日本書紀』にいう「神世七代」の条であるこの条にも「二段構えの

語り」にあたるものが認められる

 

同条に出現するのは「国く

にのとこたちのみこと

常立尊より伊い

ざなきのみこと

奘諾尊伊い

ざなみのみこと

奘冉尊に迄い

るまで」〔紀〕の神々であり伊奘諾尊伊奘

冉尊が出現する直前には大お

ほとのぢのみこと

戸之道尊と大お

ほとまべのみこと

苫辺尊面

おもだるのみこと

足尊と惶

かしこねのみこと

根尊という二組の対偶神が出現しているこれら

のうち面足尊と惶根尊は『古事記』の於お

母も

陀だ

流る

神と阿あ

夜や

訶か

志し

古こ

泥ね

神にあたる二神の名は「面足る」「あや恐か

ね」の意だと説明されている「面足る」「あや恐こね」が何を意味するかについてはいくつかの説があるがそれら

のうち大野晋の説明がよく知られておりまた妥当である)

2(

D 

思うにこの一対の神は男と女とであるから男神が女神に対して「あなたの容貌は整って美しい」と

言ったのに対して女神が男神に「まあ何と恐れ多いこと」と返事をしたのではあるまいか単語の基本的な意味

から推してこのような場面と見る解釈がその最も根源的な意味を把えているもののように思う

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一二五

 

同じ説明は古典大系『日本書紀』の注にも取り入れられており同書の補注に「男女の会話が神として位置を占め

たものと思われる」という解説が見える思想大系『古事記』の「容貌が整っていて美しいことを神格化」「畏敬の

念を抱いたことを神格化」という「面足る」「あや恐こね」に対する解説も対偶神の名を同じように解釈したう

えでのものである

 

確かに「面足る」「あや恐こね」という「男女の会話」あるいは神名はすぐあとに見える男女二神の発言から

伝承者が事前に連想したものだと考えられるさきにも言及したように二神が交合によって子としての国土を産ん

でいく直前に相手を讃美することばを発し合う場面があり結果的にその発言が神名のかたちをとって話のなかに

入り込んだということであるこれが「二段構えの語り」の一段めの語りに相当する

 

二神が相手を讃美することばを発し合い子としての国土を産んでいく場面は

E 

ここに伊邪那岐命先に「あなにやしえをとめを」と言ひ後に妹伊邪那美命「なにやしえをとこを」

と言ひきかく言ひ竟を

へて御み

合あひ

して生める子はhellip

〔神代記〕

F 

陽を

神かみ

先づ唱へて曰の

たまは

く「妍あ

なにゑや

哉可え

愛少女」とのたまふ陰め

神かみ

後に和こ

へて曰はく「妍あ

なにゑや

哉可え

愛少男」との

たまふ然し

かうし

て後に宮を同じくして共に住す

ひて児こ

を生む

〔神代紀四段一書第一〕

などと語られているこれらEFの話に見える「あなにやしhellip」「あなにゑやhellip」などの感動を表すことばや

「愛え

をとこ男

を」「愛え

をとめ女

を」などの讃めことばを発したあとで女神が国土を産んでいくことを描写するのが二段めの語り

になる

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一二六

 

このように神名の「面足る」「あや恐こね」とEFの話との間に「二段構えの語り」にあたるものが認められ

ると考えるその場合にまず男神が女神を讃美しなければならないという思考のありかたに従えば大野の説明の

ように「面足る」が男神の発したことばであり「あや恐こね」が女神の発したことばである

 

EFの話に見える二神の発言はそれぞれ感動を表すことばと讃めことばとの二つから成るが「面足る」「あや

恐こね」のうち前者はそうなっていない『古事記』では「恐こね」が感動詞を伴って「あや

9

9

恐こね」となっており

『日本書紀』にもそれに類似する神名がいくつか出ているしかし「面足る」にはこの単純な神名しかなく感動詞

を伴った神名は見えない神話的な背景機能のうえでは対偶神ではあっても神名の語構成は対偶的なものにはな

っていない

 

それには然るべき理由がありそうである二段めの語りから事前に連想された一段めの語りに二段めの語りに

出てくるのと同じような対偶的な神名を導入すれば二つの段に出てくる表現は互いにパラレルな構成をもつことに

なるその結果伝承者が一方から他方を連想したことがわかりやすくなるそれを避けて後次的に導入する一段

めの語りともとからある二段めの語りとを一続きものとして提示するためには一段めの語りのなかに後次的に導

入するものを二段めのそれとは別の構成をもつものに仕立てればよい

 

ABの話とEFの話とは日本神話のなかでも特に重要な原初の二神による「国土創成」の話でありその

成立の過程には多くの伝承者が関与したはずであるそれだけにさまざまな伝承者によるさまざまな連想がそこに

働いたに違いない「国土創成」をめぐる話に右で述べたような二種の「二段構えの語り」が認められるのは話

がそうした複雑な過程を経て成立したことの反映だろう

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一二七

 

次には『古事記』の神武天皇の条に見える話を取り上げる「三輪山伝説」の一つであり「丹に

塗ぬり

矢や

伝説」と呼ば

れるものである

G 

更に大お

ほきさき

后とせむ美を

とめ人

を求ま

ぎたまひし時大お

ほくめのみこと

久米命の曰ま

しけらく「此こ

こ間

に媛を

とめ女

あり是こ

を神の御み

子こ

と謂い

ふその

神の御子と謂ふ所ゆ

ゑ以

は三み

しまのみぞくひ

嶋湟咋の女む

すめ

名は勢せ

夜や

陀だ

多た

良ら

比ひ

売め

その容か

たちうるは

姿麗美しくありき故か

美み

和わ

の大お

物もの

主ぬしのかみ

見み め感

でてその美人の大く

そ ま

便為れる時丹に

塗ぬり

矢や

に化な

りてその大便為れる溝み

より流れ下りてその美人の富ほ

登と

を突

ききここにその美人驚きて立ち走りいすすきき乃す

なはち

その矢を将も

ち来て床と

の辺に置けば忽た

ちまち

麗うるはし

壮をとこ夫

に成りて即す

なはち

その美人を娶め

して生める子名は富ほ

登と

多た

多た

良ら

伊い

須す

須す

岐き

比ひめのみこと

売命と謂ひ亦の名を比ひ

売め

多た

多た

良ら

伊い

須す

気け

余よ

理り

比ひ

売め

是こ

はその富ほ

登と

と云ふことを悪に

みて後に名を改めつるぞと謂ふ故是こ

をもちて神の御子と謂ふなり」とま

をしき

〔神武記〕

 

三輪山の大物主神が容姿美麗な人間の女を気に入り赤く塗った矢に変身して溝を流れ下ったそして女が大

便をしている所へ行って矢の姿のままでその陰部を突いた女が矢を家に持ち帰って床の辺に置いたところ矢は

美男に変身して女と結婚したやがて比ひ

売め

多た

多た

良ら

伊い

須す

気け

余よ

理り

比ひ

売め

が生まれこの娘が初代の天皇である神武天皇の后

になったという

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一二八

 

このGの話にも「二段構えの語り」が明瞭に表れていると認められるので右に話を引用するにあたって二つの

段に相当する部分にそれぞれ傍線を付しておいた二重線を付した「丹に

塗ぬり

矢や

に化な

りてその大く

そ ま

便為れる溝み

より流れ下

りてその美人の富ほ

登と

を突きき」という部分が一段めの語りに相当し太線を付した「その矢を将も

ち来て床と

の辺に

置けば忽た

ちまち

麗うるはし

き壮を

とこ夫

に成りて即す

なはち

その美人を娶め

してhellip」という部分が二段めの語りに相当する二種の線を付

した部分の関係はどのようになっているのか

 

神の変身した丹塗矢が「美を

とめ人

の富ほ

登と

を突」いたとあるのは神と女との交合結婚を婉曲に述べたものだと言われ

るそのとおりだろうまたすぐあとの記述に女が家に持ち帰った丹塗矢が「麗う

るはし

き壮を

とこ夫

」に変身して「その美

人を娶め

し」たとありこちらはまともな結婚の話になっているそれでこの話では神と女とが結婚したことについ

て二種の説明が重なっているとも言われる

 

このように神と女との結婚を語る話が二種あることをどのように理解すべきかについていくつかの見解が提示

されているそれらの見解の当否はともかくとしてこの話に「二段構えの語り」という視点を導入すれば従来の

見解とは別の把握のしかたが可能になる

 

神が矢から美男へと変身ししかもその神が人間の女と結婚したという太線の部分はきわめて不思議で印象的な

内容をもつものであるその不思議で印象的な場面について語る前にやはり神と人間の女との交合結婚を示唆す

ることとして神の変身した矢が女の陰部を突くという連想を伝承者にもたらしたそして連想した内容が結果的

に話のなかに持ち込まれたのが二重線の部分だろうと想定することが可能である

 

神の変身した矢が女の陰部を突くという一段めの語りと美男に変身した神が女と交合結婚するという二段めの

語りとは表現上はまったく異なるものの内容面では大きい違いがないこの話の場合結局は神と人間の女との

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一二九

交合結婚について述べることが目的でありまた一方の語りが他方の語りから連想されたものでもあるから二つ

の語りの内容に大きい違いがないのも納得できる

 

崇神記に見える「苧を

だまき環

伝説」がそうであるようにGの話の場合にも大物主神が美男に変身して女のもとにやっ

て来て結局は両者が結婚して子が誕生したというのがもともとの内容だっただろう矢が女の陰部を突いたとい

う部分はなくても神婚の話は十分に成り立つ)

3(

 

Gの話によく似た内容をもつものとして「賀か

ものやしろの

茂社縁起」がよく知られているそれは『釈日本紀』に引かれた

もので『山城国風土記』の逸文である

H 

賀かものたけつのみのみこと

茂建角身命丹た

にはのくに

波国の神か

野の

の神伊い

可か

古こ

夜や

日ひ

売め

を娶め

して生みませる子名を玉た

依より

日ひ

子こ

と曰い

ひ次を玉た

依より

日ひ

売め

曰ふ玉依日売石川の瀬せ

見み

の小川に川遊びせし時丹塗矢川上より流れ下りき乃ち取りて床の辺に挿さ

置き遂に孕は

みて男を

とこご子

を生みき(略)加

かものわけいかづちのみこと

茂別雷命と號な

く謂い

はゆる丹塗矢は乙お

訓くに

の郡の社や

しろに

坐ま

せる火

ほのいかづちのかみ

雷神

なり

〔『釈日本紀』巻第九〕

 

Gの話とこのHの話で特に似ているのは

G 

その美人の大く

そ ま

便為れる時丹に

塗ぬり

矢や

に化な

りてその大便為れる溝み

より流れ下りて(略)乃ちその矢を将も

ち来て

床とこ

の辺に置けばhellip

H 

玉依日売石川の瀬せ

見み

の小川に川遊びせし時丹塗矢川上より流れ下りき乃ち取りて床の辺に挿さ

し置き

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一三〇

hellip

という部分であり二話が系統的に密接な関係にあることが知られるGの話の丹塗矢は蛇神であり雷神でもある

大物主神が変身したものだしHの話の丹塗矢は「火ほ

のいかづちのかみ

雷神」という名の雷神であるこうした点もGHの二

話が同じ系統を引く話であることを示している

 

Gの話に含まれる「その美人の富ほ

登と

を突ききここにその美人驚きて立ち走りいすすきき」という部分と

「忽た

ちまち

麗うるはし

き壮を

とこ夫

に成りて即す

なはち

その美人を娶め

して」という部分とは対応する表現がHの話には見えないGの話

の「二段構えの語り」にあたるものが同系統に属すると思われるHの話にはそろって含まれていないのである

 

しかしGHの話のどちらでも川を流れてきた丹塗矢の正体が神であることは自明だからHの伝説ではそれ

を「床と

の辺へ

に挿さ

し置」いたと述べるだけで女が「遂に孕は

みて男を

のこご子

を生」んだことの背景や経緯が容易に想像できた

に違いない

 

Gの話を構成するもとになった古い話に矢が男に変身して女と交合結婚したという説明が含まれていたかいな

かったかは不明であるしかしかりに変身結婚に関する説明が含まれていなかったにしても矢を床の辺に置

いたという説明さえ含まれていればそれに基づいて伝承者は神と女とが交合結婚したことを理解しただろう

あえて言えば伝承者が理解した内容そのものが二段めの語りにあたることになるそして伝承者は自分が理解し

たことから「その美人の富ほ

登と

を突きき」という矢の動きを連想し一段めの語りとしてそれをあとで話に付加したの

だろうと想定できる

 

このように考えればHの話のようにもともと「二段構えの語り」にあたるものがなかに含まれていなくても

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一三一

GHの話と同じ系統に属する古い話が結果的にそれを含むに至ることはありえたと思われる

 

Gの話に登場する神と女との間には二段構えの両段にまたがるかたちの内容面で逆転した対応関係が認められ

 

ⅰ 

美しい女美形の男

 

ⅱ 

男の矢への変身矢の男への変身

 

ⅲ 

矢の女のもとへの到来女の矢の持ち帰り

 

この種の逆転した関係は口承時代にその骨格がほぼ成立しただろうと思われる古い話にしばしば見られるもの

である矢が陰部を突く場面を矢が美男に変身して女と結婚した話から伝承者が連想し後次的に話のなかに持ち

込んだものだとしてもその連想は相当に古い時代に起こったことだろう

 

次に取り上げるのも大物主神をめぐる「三輪山伝説」の一つだがこちらは神と人間の女との結婚が破綻したこと

を語る話になっている

I 

是こ

の後に倭や

まとととびももそひめのみこと

迹迹日百襲姫命大お

ほものぬしのかみ

物主神の妻と為な

る然し

れども其そ

の神常に昼は見えずして夜のみ来み

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一三二

倭迹迹姫命夫に語りて曰い

く「君常に昼は見えたまはねば分あ

きらか明

に其の尊み

顔かほ

を視ること得ず願はくは暫し

し留りたまへ明

くるつあした

旦に仰ぎて美う

るは麗

しき威み

すがた儀

を覲み

たてまつらむと欲お

ふ」といふ大神対こ

へて曰く「言こ

とわりいやちこ

理灼然

なり吾明

くるつあした

旦に汝い

ましが

194797くし

笥げ

に入りて居らむ願はくは吾が形にな驚きましそ」とのたまふ爰こ

に倭迹迹姫命

心の裏う

に密ひ

そかに

異あやしぶ

明くるを待ちて194797笥を見れば遂に美麗しき小こ

をろち蛇

有り其の長さ太さ衣し

たひも紐

の如し則ち驚

き叫さ

け啼

ぶ時に大神恥ぢて忽

たちまちに

人の形と化な

りたまふ其の妻に謂か

りて曰く「汝い

まし

忍びずして吾に羞は

ぢみせ

吾還か

りて汝に羞せむ」とのたまふ仍よ

りて大お

ほぞら虚

を践ほ

みて御み

もろの諸

山やま

に登ります爰に倭迹迹姫命仰ぎ見

て悔いて急つ

き居う

則ち箸に陰ほ

を撞つ

きて薨か

むさり

ましぬ乃ち大お

ほち市

に葬は

りまつる故か

時の人其の墓を號な

けて箸は

墓はか

と謂い

ふ是の墓は日ひ

は人作り夜は神作る故か

大坂山の石を運びて造る

〔崇神紀〕

 

これは『日本書紀』の崇神天皇の条に見えるものでさまざまな話題を含む興味深い内容の話である

 

Gの話の場合と同様にこのIの話にも二重線と太線とを付しておいた「二段構えの語り」に相当するものが認

められるからである

 

妻の倭や

まとととびももそひめのみこと

迹迹日百襲姫命が夫である大物主神が自分に課した「私の姿に驚いてはならない」という禁を犯してしま

ったこれに怒った夫は御み

もろの諸

山やま

(三輪山)に登って行ったがその様子を仰ぎ見た妻は悔やんでその場にどすんと座

り込んだするとそこにあった箸が妻の陰部に突き刺さり妻はそのまま死んでしまった妻を葬る墓は昼に人

が造り夜には神が造ったという話の末尾の内容に因んで一般に「箸は

墓はか

伝説」と呼ばれている

 

Iの話より前の記述に倭迹迹日百襲姫命は「天皇の姑み

をば」

だという説明が見える大物主神の妻になったというの

だから巫女的な性格を強くもつ女である彼女の名はとても長いので話のなかでは「倭迹迹姫命」と略称されて

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一三三

いる)

4(

 「是の墓は日ひ

は人作り夜は神作る」という話の末尾を読んですぐに想起されることがあるそれは努ぬ

賀か

咩め

という女の産んだ「小さき蛇」が「明くれば言こ

とはぬが如く闇く

るれば母と語」ったという「晡く

れふしの

時臥山や

」〔『常陸

国風土記』那珂郡茨城里〕の話である「神の子である蛇が昼は物を言わなかったが夜になれば母と話をした」

というのは神が昼にはほとんど行動せず夜には活発に行動するという当時の人々の考えを反映するものだろう

これは夜には神が墓を造ったというIの話に一致する

 

それだけでなく夜には神が墓を造ったという説明は同じIの話の冒頭近くに「其そ

の神常に昼は見えずして

夜のみ来み

す」とある説明と内容的に対応している冒頭の近くで述べたことと末尾の近くで述べたこととを照応さ

せたかたちである

 「二段構えの語り」に相当するものは一見しただけではこの話に含まれていないように思われるしかし話の

文脈を細かくたどると二重線を付した「大お

ほぞら虚

を践ほ

みて御み

もろの諸

山やま

に登ります」という部分と「仰ぎ見て悔いて急つ

き居う

則ち箸に陰ほ

を撞つ

きて薨か

むさり

ましぬ」という太線の部分とがそれに相当することがわかる前者は大物主神によ

る天空での動作であり後者は倭迹迹姫命による地上での動作であるこれらの動作により一方は本来の拠点に戻

り他方は他界へ赴いた

 

二重線の部分と太線の部分とについて二種の動作の間にどのような関係があるというのか二種の動作を描写し

た部分に「二段構えの語り」を認めるのは深読みの結果ではないのかなどといった疑問が生じるかも知れないし

かし話の文脈から見れば実はそのように判断するのは間違いであることが明らかになる

 「大虚を践みて」という夫の動作は新編古典全集の注で「雷神の象徴」だと解説され「天空をふみとどろかし

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一三四

て」と現代語訳されている蛇神である大物主神は雷神でもあるからそれは妥当な解説である「大虚を践みて」

は雷鳴は神が天空を踏みつける音だと見なしたうえでの表現である

 

この点に関しては『萬葉集』の歌が参考になる

J 

天雲を 

ほろに踏みあだし 

鳴る神も 

今日にまさりて 

恐かしこけ

めやも

〔十九四二三五〕

 「天の雲をばらばらに踏み散らして音を響かせる雷神も今日の天皇の御前より恐れ多いはずはないだろう」の意

を表す歌である作者はこのような歌を詠むことによって天皇の威徳あるいは権力に対して畏怖の念と敬愛の

情とを表明したのである第三句の「鳴る神」とは雷神のことで「(天で音を響かせて)鳴る神」の意である雷鳴

は神が天雲を踏みつけることによって出る音だという把握のしかたが歌の背後にあるIの話に「大虚を践みて」

とあるのは雷神に対して上代の人々がいだいていた畏怖の念を端的に表すものになっている

 

他方の「急つ

き居う

」という妻の動作については古典大系の注に「どすんとすわったツキは衝キと同じ」という

解説が見え新編古典全集の注には

K 「急」の字にどすんと坐る様子を表現ツキは「突」で尻餠をつく後悔でがっくりきた姿がよく出てい

と見える【妻が箸で陰部を突いたという話題の背後には男女の交合のイメージが濃厚にまとわりついていたと考え

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一三五

られる夫婦をめぐる話だからそれは当然のことである】

 

夫婦の動作についてまとめると「大虚を践みて」は妻に禁を犯されたことを恥じた大物主神が勢いよく天空

を踏みつけるさまを表すまた「急き居」は夫の課した禁を犯したことを悔いた倭迹迹姫命が地面に急にすわ

り込むさまを表すどちらも

 

I 《身体の一部を急に下方に移動させその先にある物を勢いよく突く》

という動作であるこのことを確認すれば天空でなされる「大虚を践みて」と地上でなされる「急き居」とは

互いに類似し対応する動作だということがわかる夫と妻による二種の動作にこうした類似と対応とが認められる以

上それが話を深読みすることによって得られた誤った理解であるはずはない

 

妻に「箸に陰ほ

を撞つ

きて薨か

むさり

ましぬ」という忌まわしい事態が生じたわけだから「急き居」というのは語り手に

とっても聞き手にとってもきわめて衝撃的な動作である伝承者は妻の驚くべき動作について語る前にその場面の

ことを強く意識しただろうそして妻の動作に対応し類似する夫の動作としていかにも雷神らしい「大虚を践み

て」という動作を連想し話のなかに持ち込んだのだろう

 

ただし二重線を付した部分と太線を付した部分の「大虚を践みて」と「急き居」とは内容的には酷似あるい

は類似したことを表すものになっている一方で表現の具体的なありかたは大きく異なっている

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それは当然である

 

さきに「神世七代」の条に出現する「面足る」「あや恐か

こね」という対偶神の名とEFの話に見える男女二神

の讃美表現とについて述べたように一段めの語りと二段めの語りには異なる表現を用いなければならない内容面

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一三六

で類似し対応する二つの部分が表現の面でも同じように類似し対応していれば伝承者が一方をもとにして他方を

作ったことが聞き手に悟られやすくなるからである「大虚を践みて」と「急き居」とであれば両者の表現は異

なるからそれらは一方から他方を連想したものだとは悟られにくいのである

 

こう見てくるとIの話にもやはり「二段構えの語り」が認められることがわかる「大虚を践みて」という動作

をあえて描写しなくても怒った神が御諸山に帰って行ったと述べるだけで話は十分に成り立つ当該の箇所は

もともと「大虚を践みて」という表現を含まない単純なものだっただろう

 

この話のなかには大物主神と倭迹迹姫命とに関して互いに対比的だと見なしうる項目が多く含まれている特

に目立つものを整理すれば

 

ⅰ 

神人

 

ⅱ 

夫妻

 

ⅲ 

応じる願う

 

ⅳ 

禁を課す禁を犯す

 

ⅴ 

恥じる悔いる

 

ⅵ 

天空地上

 

ⅶ 

足で踏みつける尻餠を突く

 

ⅷ 

本拠地に戻る他界へ赴く

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一三七

というようになる

 

神と人間の女とが結婚したもののそれは根本的な矛盾を含む無理な結び付きだった神と人間との間にあるそ

の根本的な矛盾が夫が課した禁を妻が犯すという大きな溝となって現れ結局のところ両者は別離を迎えざるをえ

なかったというのがIの話の趣旨である話の伝承者が神と人間との根本的な相違を明確に意識しながら語った

話だからⅰ〜ⅷのような対比的な項目を含むことになったということだろう

 

ここで「二段構えの語り」の成立に深い関わりをもつと思われる『萬葉集』の歌の構成について見てみる歌の

構成というのは一方から他方を連想することによって成立する序詞と本旨との関係である

L 

春はるされば

去者 

先まづ

鳴なく

鳥とり

乃の うぐひすの

之 

事こと

先さき

立だち

之し 

君をし待たむ

〔十一九三五〕

 「春さればhelliphellipう

ぐひすの

」の三句が序詞でありそれが本旨の「言こ

先立ちし君をし待たむ」を導入している第一句

第二句の表現にあるように「

」は春を迎えて真っ先に鳴く鳥であるそれを序詞の末尾に置いて「(あなたが私

に)先に声を掛けた」の意の「言先立ちし」つまり本旨を導入する表現とした「言先立ちし」という相手の行動を

描写する前に春になって真っ先に鳴く鳥を歌の作者が連想しそれを歌の前半に置いたのであるだから作者が

言いたい本旨の内容が先にありそれから序詞が連想されたという関係であるあとで連想された序詞は意味的

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一三八

にも内容的にも本旨に類似するものになっているが本旨の表現とは異なっている

M 

牛うし

窓まと

之の 

浪なみ

乃の

塩しほ

左さ

猪ゐ 

嶋しまとよみ

響 

所よそりしきみは

依之君 

逢はずかもあらむ

〔十一二七三一〕

 

序詞の「牛窓のhelliphellip島」は本旨である「響と

み寄そりしhellip」から連想されたものであり同時に本旨を導入する表

現にもなっているこの序詞は「潮し

騒さゐ

の波のざわめきのように島も」の意を表し本旨の「響み寄そりし君はhellip」は

「噂もうるさいほどに私との関係を言い立てられたあなたはhellip」の意を表す「潮騒」という音にかかわる現象と

人の噂が激しいことをいう「響み」との類似性が歌の前半と後半とを結び付けている噂がうるさいという現実か

ら作者は「潮騒」のざわめきを連想して序詞としたのだから本旨の内容が先にあり序詞は本旨に基づいて連想

されたという関係である

N 

天あま

飛と

ぶや 

軽の社の 

斎いはひつき

槻 

幾代まであらむ 

隠こもりづま

嬬そも

〔十一二六五六〕

 

女が詠んだと思われるこの歌では「天あ

飛と

ぶやhelliphellip齋い

ひ槻つ

」の三句が序詞として四句以下の表現を導入している

序詞の末尾に置かれた「齋ひ槻」は神聖である故に人が触れてはならない木をさすまた第五句の「隠こ

り妻」は

人に知られてはならない間がらにある妻をさすそのような内容面での共通性が歌の前半にある序詞と後半にある

本旨とを強く結び付けている「齋い

ひ槻」と「隠こ

り妻」とは表現が異なっているが両者の関係はMの歌に出て

いる「潮騒」と「響み」とのそれに酷似している

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一三九

 

以上の三首に見られる序詞と本旨との関係はさきに見た諸話の一段めの語りと二段めの語りとの関係に相当する

三首の序詞は本旨の内容から連想されたものであり諸話の一段めの語りは二段めの語りの内容から連想されたもの

であるしかし連想を呼ぶもとになったこととそれから連想されたこととは三首でも諸話でも表現が互いに異

なるものになっている

 

話を「二段構えの語り」に戻し次の話に認められる「二段構えの語り」について検討するしかし次の話の語

りのありかたは見てきた三話と異なる点がある

O 

萩原の里土は中の中なり右萩原と名づくる故は息お

きながたらしひめのみこと

長帯日売命韓か

らくに国

より還か

り上りましし時御船此の村

に宿りたまひき一夜の間に萩一ひ

ともと根

生お

ひき高さ一ひ

丈つゑ

ばかりなり仍よ

りて萩原と名づく即す

なはち

御井を闢は

りき

故かれ

針は

間ま

井ゐ

といふ其の処は墾は

らず又墫も

たひの

水溢あ

れて井と成りき故韓か

の清水と號く其の水朝に汲むに

朝に出でず爾す

なはち

酒殿を造りき故酒田といふ舟傾き乾か

れき故傾か

ぶきだ田

といふ米よ

舂つき

女め

等ら

が陰ほ

を陪

おもとびとくな

従婚

ぎ断ちき故陰ほ

とたち絶

田だ

といふ仍す

なはち

萩多く栄えき故萩原といふ爾こ

に祭れる神は少

すくなたらしのみこと

足命にます

〔『播磨国風土記』揖保郡〕

 

これは『播磨国風土記』に見える話で息お

きながたらしひめのみこと

長帯日売命(神功皇后)の聖性と威徳とを強調する内容になっている

 

これまで見た三話と同様にこのOの話にも女陰の話題が含まれているそれは「陰ほ

絶たち

田だ

」という地名の由来を

説明する短小な話のなかに見える息長帯日売命に仕える陪お

もとびと

従が米よ

舂つき

女め

等ら

と交合して陰部を傷つけたそのことが

この地名の由来になったという)

5(

陰部を傷つけたことを語る「陪お

もとびとくな

従婚ぎ断た

ちき」の「断た

ちき」は「裂傷をおはせた」

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一四〇

〔古典全書〕の意だと比較的古い注釈にありこれを踏襲する新しい注釈もある妥当な解説である

 

以上で見た三話と異なる点というのは二重線の部分と太線の部分とが

O 

米よね

舂つき

女め

等ら

が陰ほ

を陪お

もとびとくな

従婚ぎ断ちき

というように一文のなかに連続して出ている点である見てきた三話では二種の線を付した部分は近接した位置

にあるがOの話の場合はそれが極端なかたちで表れているまた二重線の部分が三話のように何らかの動作

状態を描写した表現になってはおらず「米よ

舂つき

女め

等ら

」という複合名詞になっている点も三話とは異なる

 

二種の線を付した一文の内容についていささか気になるのは「陪お

もとびとくな

従婚ぎ断た

ちき」という動作の対象になったの

が「米よ

舂つき

女め

等ら

が陰ほ

」だということである

 「米よ

舂つき

女め

等ら

」という複合名詞に含まれる「舂つ

く」は「突く」という動詞の一用法である「舂く」は「きねなどの

先で強く打っておしつぶしたり穀物のからなどを除いたり精白したりする」〔『日本国語大辞典』第二版〕の意で

あり「舂女」は「臼で穀物をつく女」〔同〕の意である

 

結局のところ「舂く」という動作は「臼などの器に棒状の物を押し込みなかにある穀物などを押しつぶす」の

意を表すわけだがいささか気になると述べたのは「舂く」という動作と「婚く

ぎ断ち」「陰ほ

絶た

ち」という動作との

間に認められる

O 《狭い空間に棒状の物を差し入れその奥にある部分または物を強く突き破る》

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一四一

という物理的な動き

0

0

0

0

0

0

としての類似性であるこれは既に取り上げたABの話やIの話に見られる二種の動きの

類似性と同じである

 

交合によって陰部を損傷したのと同様に棒状の物で「舂く」ことによって穀物などの本来の形態も損なわれる

だから「舂く」と「婚く

ぎ断ち」「陰ほ

絶た

ち」とは物理的な動きだけではなく動きによって生じる結果

0

0

においても類

似している

 

このように話のなかに先に出てくる「舂き」とその直後に出てくる「婚く

ぎ断ち」「陰ほ

絶た

ち」との間には物理

的な動きとそれがもたらす結果との双方に関して顕著な対応類似が認められるそのような対応類似が生じた

ことについて次のように想定することができるだろうつまり話の伝承者があとで自分が語る交合という動作

を強く意識したそのために交合に類似した動きを表す「舂く」を事前に連想しさらにはその語を含む「米舂女

等」をも連想してそれを結果的に話のなかに持ち込んだのではないかということである現にGの「丹塗矢伝

説」に「その美人の富ほ

登と

を突きき」とありIの「箸は

墓はか

伝説」にも「陰を衝つ

きて」とあってそれらの「突き」「衝

き」は表記こそ違え「舂き」と同じ動詞である

 「婚く

ぎ断ち」「陰ほ

絶た

ち」は凄惨かつ深刻な事態だからそれに類似する「舂く」という動作を事前に伝承者が連想

することは十分にありえたと思われるそのように想定すればOの話にも「二段構えの語り」が表れていることに

なる

 

話の展開に従えば「舂く」を含む「米舂女等」が一段めの語りとして先に出てきて「婚く

ぎ断た

ち」「陰ほ

絶た

ち」が二

段めの語りとしてあとに出てくるしかし話が成立した経緯から見れば二段めの語りがもとで一段めの語りが生

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一四二

まれたわけだから実際の先後関係は正反対である

 「二段構えの語り」が以上のような経緯で成立したのだとすればOの話では陪お

もとびと

従が交合を行って陰部を損傷さ

せた対象はもともと「米舂女等」だとは限定されていなかったことになるそれで話は成り立つ

 

Oの話に認められる「二段構えの語り」は前節で確認したような歌の構成のありかたから見ればいったいどの

ようなものだと言えるのか

P 

窺うかねらふ

良布 

跡と み見

山やま

雪ゆき

之の 

いちしろく 

恋ひば妹が名 

人知らむかも

〔十二三四六〕

 

この歌では「じっと見ていて獲物を狙う」の意の「うかねらふ」が「跡と

み見

山」の「跡見」に掛かる枕詞になって

いる「うかねらふ」を承ける「跡と

み見

」は狩猟に関して用いられた語である注釈辞書に見える説明をまとめれ

ば「跡見」は「鳥獣が通ったあとを見てそれが通った時間やそれが今いる場所などを判断することまたそれ

を行う役の猟師」の意である歌の作者が「跡見」という語からそれと類義をもつ「うかねらふ」という動詞を

連想しそれを「跡見」という名詞を導入する枕詞としたのである「うかねらふ」と「跡見」とは類義の語だが

音韻面ではまったく異なっているこれはOの話の「米よ

舂つき

女め

等ら

」の「舂く」と「婚く

ぎ断ち」「陰ほ

絶た

ち」との関係に

近い

 『古事記』に見える次の歌謡では序詞と本旨との関係がPの歌の「跡見」と「うかねらふ」とのそれに類似し

たものになっている

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一四三

Q 

倭やまとへ方

に 

西吹き上げて 

玖く

毛も

婆ば

那な

礼れ 

曽そ

岐き

袁を

理り

登と

母も 

吾忘れめや

〔記五五〕

 「倭や

まとへ方

にhelliphellip雲離れ」の三句が序詞となって本旨の「退そ

き」あるいは「退き居り」を導入している「退き」は

「遠ざかり」の意を表す動詞だから「雲離れ」という複合語に用いられた「離れ」とは類義語の関係にある本旨

の「退き」を言うためにそれと類義をもつ「離れ」を事前に連想しそれを末尾に置いて長い序詞を構成したわけ

である「雲離れ」と「退き居り」とは音韻面で類似するところがない「離れ」と「退き」との関係はやはりO

の話の「米よ

舂つき

女め

等ら

」の「舂く」と「婚く

ぎ断ち」「陰ほ

絶た

ち」との関係に近いと言える

R ふさ

手た

折をり 

多た

武むの

山やま

霧ぎり 

繁みかも 

細川の瀬に 

波騒きける

〔九一七〇四〕

 

この歌では地名の「多た

武む

」を「曲げる」の意を表す「たむ」という動詞に見立てそれから事前に連想された

類義の「手折り」に「

ふさ

」を付し「たむ」の枕詞としている「手た

折を

る」は「手で曲げて取る」の意であり「

は「総房」のことで花や実が束になって付いたものをさす本旨の表現に用いるべき「たむ」から類義を表す

「手折る」という動詞を連想したのであるこれもまたOの話の「断つ」と「舂く」との関係を思わせる「たむ」

と「手折り」とは初頭の音節が同じだが互いに音節数が異なっている

 

三首の「跡見」「退き」「たむ」が「二段構えの語り」の二段めのかたりに相当しそれから連想された「うかね

らふ」「雲離れ」「

手折り」が一段めの語りに相当すると言えるだろう

 

既に述べたようにOの話は聖性と威徳とを具えた息長帯日売命に関する話である「一夜の間に萩一ひ

根もとお生

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一四四

き」「墫も

たひの

水溢あ

れて井と成りき」その他の不思議な事態が起こったことが話のなかでくり返し述べられている

同様にほかならぬ息長帯日売命に仕える陪お

もとびと

従が米舂女等と交合を行って陰部を傷つけた結果「萩多く栄えき」

という事態が生じたということなのだろう

 

Oの話が載っているのと同じ『播磨国風土記』に

S 

讃さ よ容

といふ所ゆ

ゑ以

は大神妹い

もせ

二柱競ひて国占し

めましし時妹玉た

津つ

日ひめのみこと

女命生ける鹿を捕と

り臥せて其の腹を

割さ

きて其の血に稲種ま

きき仍よ

りて一夜の間に苗な

生お

ひき即す

なはち

取りて殖う

ゑしめたまひき爾こ

に大神勅の

りたま

ひしく「汝な

にも妹

は五さ月夜よ

に殖ゑつるかも」とのりたまひて即や

て他

あだしところ

処に去りたまひき故か

五月夜の郡こ

ほりと

號なづ

神を賛さ

用よ

都つ

比ひめのみこと

売命と名づく

〔讃容郡〕

という話が見えまた次のような話も見える

T 

丹に

津つ

日ひ

子こ

の神「法ほ

太だ

の川底を雲う

るみ潤

の方に越さむと欲お

ふ」と爾し

かい云

ひし時彼の村に在い

せる太お

水みづ

の神辞い

びて

云の

りたまひしく「吾は宍し

の血を以て佃た

つくる

故か

河の水を欲ほ

りせず」とのりたまひきその時丹津日子云ひし

く「此の神は河を堀る事に倦う

みて爾いへるのみ」といひき故雲う

弥み

と號な

く今い

人ひと

雲潤と號な

〔賀毛郡〕

 

Sの話は鹿の腹を割いてその血に稲を蒔いたら一夜で苗が生えたというものであるまたTの話は宍し

つま

り動物の血で田を作るから河の水は必要ないと神が言ったというものである二話では稲などの植物を植える際

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一四五

には普通に水を用いるよりも動物の血を用いた方が成長がずっと早いと述べているようである

 

これらの話には動物の血と稲あるいは田と一夜での苗の成長の三つの要素の結び付きが確認できる)

6(

この

ことはOの「陰絶田」の話を想起させずにはおかないつまり稲あるいは田は「陰絶田」の話に出ている「米よ

舂つき

女め

等ら

」に対応するように思われるしまた動物の血は女らと陪従らとの交合によって陰部から出たはずの血に

対応するように思われるさらに一夜で急に苗が成長したという事態は「陰絶田」の話の前半部に「一夜の間に

萩一ひ

根もとお生

ひき」とありまた「陰絶田」という地名に続いて「仍す

なはち

萩多く栄えき」とあることに内容的に対応する

と理解することができる

 

だから「米よ

舂つき

女め

等ら

が陰ほ

を陪お

もとびとくな

従婚ぎ断ちき故陰ほ

絶たち

田だ

といふ仍す

なはち

萩多く栄えき」という一連の表現では

陰部を損傷させたことと萩が多く栄えたこととの間には「そのことが原因で」の意の明確な因果関係があると

見るべきだろう

 

三つの要素の結び付きがOの話にも認められる以上同話と動物の血に関する話は古い時代に行われていた儀礼

を背景とするものだと考えることができるだろう動物の血と人間の血との違いはあるがそれらは神に動物の犠

牲を捧げたことによって豊穣繁栄がもたらされたという人々の遠い記憶を伝えるものなのではないか

 「国土創成」をめぐるABの話とEFの話Gの「丹塗矢伝説」Iの「箸墓伝説」Oの「陰絶田」をめぐる

話のどれでも女陰交合結婚などのことが話題となっているこれらの諸話に「二段構えの語り」が認められる

ことを以上の論述で確認した

 

ただし「二段構えの語り」が認められることと女陰交合などの話題が含まれることとの二点を条件として

以上の諸話を選んだわけではない「二段構えの語り」が認められる諸話を取り上げたところそれらには女陰交

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一四六

合などの話題が共通して含まれていたというのが実際である

 

女陰を矢が突くにしても何かが原因で女陰が損傷を受けるにしてもとにかく女陰や交合に関する話題は話の

語り手にも聞き手にも強い印象を与えたはずである時にはそれは刺激的衝撃的な印象さえ与えたに違いない

それだからこそ女陰交合に関する出来事はその内容に類似し対応する連想を呼びやすかったのだろう「二段

構えの語り」と女陰交合の話題とが以上の諸話のなかに共存するのはそのような理由によるものと考えられる

 

以上で確認したように「二段構えの語り」が表れていると判断される諸話に女陰交合などの話題が共通して

含まれている論述の流れに従えば交合結婚を語るものではないがやはり女陰のことが一つの話題になってい

る次の話を取り上げる必要があるだろう

U 

須す

佐さ

之のをのみこと

男命(略)勝ちさびに天あ

まてらすおほみかみ

照大御神の営つ

くだ田

を離は

ちその溝を埋めまたその大お

ほにへ嘗

を聞こしめす殿に屎く

まり散らしき故か

然し

すれども天照大御神は咎と

めずてhellip(略)なほその悪しき態わ

止まずて転う

てありき天照大御

神忌い

みはた服

屋や

に坐ま

しまして神か

御み そ衣

織らしめたまひし時その服屋の頂む

を穿う

ち天あ

の斑ふ

ちこま馬

を逆さ

剝は

ぎに剝ぎて堕お

し入る

る時に天の服は

織おり

女め

見驚きて梭ひ

に陰ほ

と上

を衝つ

きて死にき故か

ここに天照大御神見畏か

しこみ

て天の石い

屋や

戸と

を開

きてさし籠もりましきここに高た

天ま

の原皆暗く葦

あしはらのなかつくにことごと

原中国悉に闇く

しこれによりて常と

夜よ

往ゆ

ききここに

万よろづのわざはひ

妖悉に発お

りき

〔神代記〕

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一四七

 

これは『古事記』の神話の一部であり須佐之男命の「勝ちさび」の場面とその姉である天照大御神の「石屋籠

もり」の場面である天照大御神が機織りをしている時に弟の須佐之男命が皮を剝いだ馬を服は

屋や

の屋根を壊し

てなかに投げ入れたそれに驚いた服は

織おり

女め

が縦糸の間に横糸を通すための道具である梭ひ

を誤って自分の陰部に突

き刺して死んだそれを見て弟の行動を恐れた天照大御神が石い

屋や

に籠もってしまったので世界は暗闇に閉ざされ

多くの災禍がはびこったという

 

二重線を付した「その服屋の頂む

を穿う

ち天あ

の斑ふ

ちこま馬

を逆さ

剝は

ぎに剝ぎて堕お

し入るる時にhellip」という部分と太線を付し

た「梭ひ

に陰ほ

と上

を衝つ

きて死にき」という部分とは表現のありかたがまったく異なるしかし皮を剝いだ馬を屋根

を壊して建物のなかに投げ入れることと梭ひ

で勢いよく突いて陰部を傷つけることとが物理的な動きとして酷似し

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ている

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ことは事実である二つの部分では

U 《ある物体を急に動かしその勢いで別の物体を破損する》

ということが共通の骨子になっているこのような動きはIOの話の場合の動きと酷似している

 

二つの部分に描写されている物理的な動きをこのように要約するとこれまで見た諸話の場合と同様にUの話に

表れている「二段構えの語り」について次のように推測すべきことになるつまり皮を剝いだ馬を服屋の屋根

を壊して投げ入れたという二重線の部分は梭で陰部を突いて服織女が死んだという太線の部分に基づいて伝承者

が事前に連想して話のなかに持ち込んだものだろうということである

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一四八

 

確かに梭で陰部を突いて女が死んだというのはあまりにも衝撃的で印象的な出来事である特に『日本書紀』

の所伝には「天照大神驚お

どろ動

きたまひて梭を以て身を傷い

ましむ」〔本書〕とありまた「稚わ

かひるめのみこと

日尊驚きたまひ

て機は

より墮お

ちて持たる梭を以て體み

を傷や

らしめて神か

むさ退

りましぬ」〔一書第一〕とあって事態はさらに深刻であ

る至高神である天照大神自身が陰部を損傷しまたその分身である稚日尊が同じ原因で死んだというのだからこ

れ以上の重大事件はない

 

ただしここで一つの問題が生じる伝承者が連想したことを神話のなかに持ち込む以前には梭を突き刺して陰

部を損傷したという話題はあっても屋根を壊して馬を投げ入れたという話題は含まれていなかったことになるそ

こで馬に関する話題が直前に置かれていなくても天照大御神が石屋に籠もるという展開になりえたのかとの問

題が生じるのである少なくともUの話では馬の投げ入れに驚いて服織女が陰部に損傷を負って死んだので

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その

ことを恐れた天照大御神が石屋に籠もってしまったというように読めるからである

 

結論を言えば馬を投げ入れるという行動はなくても天照大御神が石屋に籠もるという展開になりえたと理解

することができるそのことを支持するのは『日本書紀』に見える次の所伝である

V 

日ひのかみのみこと

神尊天あ

まのかきた

垣田を以て御田としたまふ時に素戔嗚尊春は渠み

塡う

め畔あ

はなち毀

す又秋の穀

たなつものすで

已に成りぬるとき

に則ち冒

ひきわたす

に絡あ

ぜなは縄

を以てす且ま

たひのかみ

日神の機は

殿どの

に居ま

します時に則ち斑ぶ

駒こま

を生い

剝は

ぎにして其の殿

みあらかの

内に納な

げいる

凡す

て此の諸

もろもろの

事尽

ことごとくに

是これあづきな

無状し然れども日神恩

このかみおととむつま

親しき意

みこころもちに

して慍と

めたまはず恨みたまはず皆

平たひ

らかなる心を以て容ゆ

したまふ日神の新

にひなへきこ

嘗しめす時に及お

よ至

びて素戔嗚尊則ち新

にひなへのみや

宮の御み

まし席

の下に陰ひ

そかに

ら送く

そま糞

る日神知し

しめさずして俓た

に席み

ましの

上に坐ゐ

たまふ是に由よ

りて日神體み

みこぞ挙

りて不や

くさ平

みたまふ故以

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一四九

て恚い

か恨

りまして廼す

なはち

天あまのいはや

石窟に居ま

して其の磐い

戸と

を閉さ

しぬ

〔一書第二〕

 

素すさのをのみこと

戔嗚尊の悪行がどのような順序でこのVの話にあげられているかを少し細かく見てみる天照大神の御み

田た

素戔嗚尊が損壊する話が最初に置かれておりそれはUの話の場合と同じであるしかしその直後にはUの話と

大きく異なって馬を投げ入れる話が置かれているそしてこの悪行を含む「諸

もろもろ

の事」について「日ひ

神かみ

恩このかみおととむつま

親しき意

みこころもちに

して慍と

めたまはず恨みたまはず皆平た

らかなる心を以て容ゆ

したまふ」という説明が付され

ている馬を投げ入れたことは天照大神の石屋籠もりと直結しておらずむしろ日神は馬の投げ入れを含む多くの

悪行を許したというのである

 

Vの話で石屋籠もりと直結しているのはそのあとになされた悪行であるそれは「素戔嗚尊則ち新

にひなへのみや

宮の御み

まし席

の下に陰ひ

そかに

自ら送く

そま糞

る」という蛮行でありこれによって「日神知しめさずして俓た

に席み

ましの

上に坐ゐ

たまふ是に

由よ

りて日神體み

みこぞ挙

りて不や

くさ平

みたまふ」というひどい状況が生じたつまり新宮のなかでの脱糞という悪行が日ひ

神かみ

に病をもたらしさらには同神を石屋に籠もらせたというのである陰部が損傷した事件ではなくて新宮での脱糞

という蛮行が石屋籠もりの原因となりえたことをVの話が証明している【天照大神にあたる神を「日神」とする所

伝はより古い時代に成立したものだと言われる】

 

新宮での脱糞が石屋籠もりの原因になったとするVの話には女陰が損傷したことはまったく見えないこれに対

してUの話やさきに引用した『日本書紀』の本書一書第二の話では馬の投げ入れに驚いた女神が陰部を損傷し

そのことが女神の石屋籠もりの原因となっている話の内容にこのような相違がある事実は女神が陰部を損傷した

ことと女神が石屋に籠もったこととは必ずしも一連のものではないことしたがって話の成立について考えるにあ

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一五〇

たっては二つのことを別々に処理してかまわないということを示している

 

ただしUの話で大きな問題となるのは馬を投げ入れるという行動がなければ女神が驚いて陰部を損傷すると

いう事態も起こらないということであるこの点で女神が陰部を損傷するという事態だけが話に含まれ馬を投

げ入れるという行動は話に含まれないという話の状況は想定できないのである

 

一連の話のなかにまずXのことが出ていて次にYのことが出ているという「二段構えの語り」について考える際

にぜひとも考慮しておくべきことがあるつまりあることをもとにしてそれに類似することを伝承者が連想し

連想した内容を結果的に話のなかに持ち込むには一般的に二とおりの過程がありうるということである

a 

先に出てくるXが伝承者に強い印象を与えるためにXについて語ったあとにそれに類似した内容をもつY

を伝承者が連想するという過程

b 

あとに出てくるYが伝承者に強い印象を与えるためにYについて語る前にそれに類似した内容をもつXを

伝承者が連想するという過程

 

これまで見てきた「二段構えの語り」はすべてbの過程を経て生じたものだと考えたしそのように考えて特に

問題はなかったしかしUVの二話の場合はそのように考えることは不可能であるUの話では馬を投げ入

れたことが女神が陰部を損傷する原因になっておりVの話では新宮で脱糞したことが女神に病をもたらす原

因となっている二重線の部分が原因を表しており太線の部分が結果を表しているわけだから二つの部分は密接

な因果関係を構成しているのである

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一五一

 

そこでUVの二話に表れている「二段構えの語り」がbの過程を経て成立したと仮定して具体的に話の展開

について考えてみる陰部を損傷したことだけがUの話に含まれるという段階を想定すれば女神がなぜ梭で陰部を

突くことになったのか何も説明がなく話の展開が唐突すぎる聞き手は話の展開が理解できないのであるまた

同様に女神が糞の上に座って病を得たことだけがVの話に含まれるという段階を想定すればそこになぜ糞があっ

たのかが不明であるこちらも話の展開そのものが成り立たない

 

一方で「二段構えの語り」はbの過程を経て成立したという仮定を捨てそれはaの過程を経て成立したものだ

と仮定してみる二重線の部分だけが話に含まれており伝承者はそれをもとにして太線の部分を連想し連想した

ことをあとで話のなかに持ち込んだというふうにである

 

Uの話にはもともと馬を投げ入れたことだけがあり伝承者はそれをもとに酷似する動きをとることとして

梭で陰部を突くという動作を連想した馬の皮を剝いだうえ屋根を壊してそれを服屋の中に投げ入れるという悪行

は女神が梭で陰部を突くという事故がなくても女神を恐れさせて石屋に籠もらせるには十分である

 

またVの話の場合にはもともと新宮で脱糞をしたことだけが含まれており伝承者はそれに基づいて女神が

その糞の上に座って病を得たことを連想した女神が新嘗の儀礼を行う前にその神聖な新宮でこっそり脱糞をする

という蛮行は女神が糞の上に座って病を得るという事態が起こらなくても女神を怒らせて石窟に籠もらせるには

十分である

 

こうしてbの過程を想定すればもとの話は成り立たないが逆にaの過程を想定すればUVの二話にも「二

段構えの語り」が表れていると考えることができる実はaの過程を想定することによって「二段構えの語り」が

表れていることを順当に説明しうる話はすぐあとに取り上げるようにほかにもまだある

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一五二

 

女陰が何らかの原因で損傷したことを述べるIOUの三話についてさきに一段めの語りと二段めの語りの

内容を検討したうえでそれぞれを次のように一文にまとめておいた

I 《身体の一部を急に下方に移動させその先にある物を勢いよく突く》

O 《狭い空間に棒状の物を差し入れその奥にある部分または物を強く突く》

U 《ある物体を急に動かしその勢いで別の物体を破損する》

 

三話に認められる「二段構えの語り」の内容はこのようにどれも同じような動きを表すものになっているそれ

だけでなくABの話やGの話に見られる「二段構えの語り」もまた同じような動きを表すものになっている

ということは女陰が損傷を受けたことを述べる三話に「二段構えの語り」を認めることの妥当性を逆の面から証

するものだと言えるのではないか

 

これに対し女陰の損傷が話題となっていない「二段構えの語り」が認められる別の諸話についてその内容を

一文にまとめるとその一文はこれらとまったく異なる動きを表すものとなる(後述)そのこともさきに述べた

ような「二段構えの語り」の存在を認めるべき一つの論拠となると考える

 

Uの話と同様にaの過程を経て「二段構えの語り」が成立したと推定される話をここでもう一つ取り上げる

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一五三

それは『古事記』に見える神話でのちに地上界の支配者になる大お

ほなむぢの

穴牟遅神か

をその兄弟である八や

十そ

神がみ

が殺害する場

面である

W 

ここに八や

十そ

神がみ

見てまた欺あ

ざむき

て山に率ゐ

て入りて大お

樹き

を切り伏せ茹ひ

矢や

をその木に打ち立てその中に入らし

むる即ちその氷ひ

目め

矢や

を打ち離ちて拷う

ち殺しきここにまたその御み

祖おや

の命み

こと

哭な

きつつ求ま

げば見得てすな

はちその木を折りて取り出で活かしてその子に告げて言ひしく「汝い

まし

此こ こ間

にあらば遂に八十神のために滅

ぼさえなむ」といひてすなはち木き

国くに

の大お

屋や

毘び

古この

神かみ

の御み

もと所

に違た

へ遣りきここに八十神

ぎ追ひ臻い

りて矢や

刺ざ

し乞ふ時に木の俣ま

より漏く

き逃がして云の

りたまひしく「須す

佐さ

能のをのみこと

男命の坐ま

します根の堅か

州す

国くに

に参ま

向ふべし必ず

その大神議は

りたまひなむ」とのりたまひき故か

詔の

りたまひし命の随ま

にまに

須佐之男命の御所に参ま

ゐいた到

ればhellip

〔神代記〕

 

八十神が大木を切り倒してそれを裂き裂け目に楔

くさび

状の「茹ひ

矢や

」を押し立てておいたそしてそこに大穴牟遅神

を入らせて楔状の物を引き抜き同神を圧死させた同神の母が木を折って息子を救い出しこれを蘇生させて大お

屋や

毘び

古この

神かみ

のもとへ逃がしてやったさらに八十神が追いついて息子を引き渡すように母に要求した時には母が息

子をこっそり木の俣から須佐能男命のもとへ逃がしてやったという

 

Wの話の直前には八十神に脅迫された大穴牟遅神が焼けた岩をかかえ込んで死んでしまったという話が置か

れている死んだ大穴牟遅神はやはり母の尽力によって復活したというそれが一回めの死と復活を語る話だから

Wの話で語られる死と復活は二回めのそれである一回めの死が岩を抱き取ることによってもたらされ二回めの死

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一五四

が木の俣に挟まれることによってもたらされた死因の内容が一回めと二回めとでは逆転している

 

また大穴牟遅神の二度にわたる死は天照大御神の二度にわたる死と奇妙なかたちで対応している天照大御神

の死はまず同神自身あるいはその分身の女神が木製の梭で陰部を突いて死ぬというかたちで語られるまた

そのあとで同神自身が岩屋に籠もってしまうというかたちで死が語られるがそれは太陽神の象徴的な死である

両神の死の内容を細かく比較すると両神の体と岩木とが次のように互いに逆転した奇妙な関係を示しているこ

とがわかる

  

大穴牟遅神の死helliphelliphellip体が岩をかかえるdarr木の俣が体を挟む

  

天照大御神の死helliphelliphellip木が体のなかに入るdarr体が岩のなかに入る

 

地上の支配者と世界の至高神との間に死をめぐってこのような逆転した関係が認められるのはきわめて興味深

いことである)

7(

 

さて「二段構えの語り」だがWの話のうち母が息子を「その木を折りて取り出で活かして」大お

屋や

毘び

古この

神かみ

のも

とへ逃がしてやったという二重線の部分が一段めの語りにあたる二段めの語りにあたるのは母が息子を「木の

俣また

より漏く

き逃がし」て須佐能男命のもとへ向かわせたという太線の部分である

 

つまりこの神話では俣になった「その木を折りて」母が息子を救い出す一段めの語りと母が息子を「木の俣

より漏く

き」逃がしてやる二段めの語りとは

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一五五

W 《母が息子を木の俣から救出しあるいは逃がして別の神のもとへ送り出す》

という酷似した内容のものになっている

 

地上の支配者となるべき大穴牟遅神が木の俣に挟まれて死んで母に救われる話の方が同神の母が木の俣から息

子を逃がしてやる話よりもずっと衝撃的で印象的であるだから神話の伝承者が一段めの語りの内容を強く意

識しそれに酷似した内容をもつ二段めの語りを連想してあとで話のなかに持ち込んだのだろうと推測される

より印象的な出来事を語り終えたあともそれが意識のなかから消え去らず類似し対応することがらをあとで連想し

てしまったと考えられる【一段めの話から二段めの話が連想されたというaの過程をたどったとおぼしい実例は

僅少であるそれには然るべき理由があったと考えるべきだが目下のところそれは不明である】

 

Wの話がこのような経緯をたどったとすると母が木を折って息子を救い出しこれを蘇生させてから別の神のも

とへ逃がしてやったという一段めの語りだけが話に含まれていた段階を例によって想定しなければならない一

段めの語りだけで話は成り立つのか

 

結論を言えばその想定は可能である八十神のもとから逃げた大穴牟遅神が須佐能男命のいる地まで行ったと

いうような単純な内容の話になっている方が以下との続きかたは自然である二重線の部分の末尾にある「木き

国くに

の大お

屋や

毘び

古この

神かみ

の御み

もと所

に違た

へ遣りき」の「大屋毘古神」の部分を太線の部分にある「須佐能男命」とすれば話は無

理なく以下に続くのであるまずは大屋毘古神のもとへ逃げて行ったという部分がなかったとすれば母は木の裂け

目から息子を救い出しこれを蘇生させて須佐能男命のもとへ送り出したというわかりやすい展開になるしたが

ってaの過程を経てWの話が成立しただろうという推定は十分に成り立つ

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一五六

 

二重線の「木き

国くに

の大お

屋や

毘び

古この

神かみ

の御み

もと所

に違た

へ遣りき」という部分は「木国のhellip」で始まっているそれは「大お

樹き

切り伏せ」「茹ひ

矢や

をその木に打ち立て」「その木を折りて」などWの話にくり返し出ている「樹木」から連想され

たものだろう

 

太線の部分にある「木の俣ま

より漏く

き逃がして」以下の表現からその前に置かれた二重線の部分が連想されたと

いうbの過程は想定できない二重線の部分が話に含まれていないという段階はなぜ太線の部分が話に含まれてい

るのかということつまり「木の俣ま

より漏く

き逃がして」とある理由が説明できないのである大穴牟遅神が八十神に

殺害されて復活したという理由があって始めて「木の俣ま

より漏く

き逃がして」以下の表現が意味をもつのである

 

木の俣に挟まれて圧死した大穴牟遅神が母の尽力によって蘇生したあとには同神が須佐能男命から与えられた

いくつもの試練を妻の須す

勢せ

理り

毘び

売め

の助力を得てそのたびごとに克服するという話が続くさらに大穴牟遅神が

須勢理毘売をその父のもとから奪って逃げるとともに自分に苦難をもたらした八十神を追い払って「始めて国を作

りたま」うたという展開になっているまたそのあとにも大穴牟遅神の子を産んだ八や

上かみ

比ひ

売め

が須世理毘売を恐

れて「その生める子をば木の俣に挟みて返」ったという話が続いている八上比売の話にまたもや「木の俣」

のことが出てくるわけである

 

この「木の俣」の話もまた大穴牟遅神が「木の俣」に挟まれて圧死した話から連想されたものである可能性が想

定できるがそのように想定する場合に問題となることがあるそれは両話の間に置かれた話があまりにも長大な

ものだということであるしかし大穴牟遅神と生まれた子との間には

 

ⅰ 

父子

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一五七

 

ⅱ 

木の俣に挟まれて死ぬ生まれて木の俣に挟まれる

 

ⅲ 

母が救い出す母が置き去りにする

 

ⅳ 

母が別地へ向かわせる母がもとの地に戻る

というような対比的な関係も認められるのでありこうした関係が偶然に生じたものだとは考えがたいだから父

が木の俣で圧死させられることから生まれた子を木の俣に置くことが連想されたという可能性をここでは否定し

ないでおく【より古い時代には大穴牟遅神が木の俣に挟まれて死ぬ話と八上比売が木の俣に新生児を挟む話とは

直結した一連のものだったことも想定できる】

 

以上の論述では「二段構えの語り」の様態について数話を例示してやや細かく検討を加えたその結果話に

含まれる特定のことからがそれに類似し対応することがらを伝承者に連想させ連想した内容が結果的に話のなか

に組み込まれてしまうという特徴的な現象を上代の神話や伝説を通して確認することができたと考える

 

同じ「二段構えの語り」の現象が認められる話は本稿で取り上げた諸話で尽きているのではなくまだ何話か上

代の文献に見える紙幅の関係でそれらを取り上げて細かく検討を加えることができないからここで二話だけに

ついて結論を述べておき具体的な検討は別稿で行うことにする

 

二話のうち一つは神話に見えるもので娘たちを飲み食らう大蛇を須佐能男命が退治する場面である『古事記』

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一五八

で言えば「是の高こ

志し

の八や

俣また

の遠を

呂ろ

智ち

年と

毎ごと

に来て喫く

へり」という部分と「船ふ

毎ごと

に己お

が頭を垂い入れてその酒を飲み

き」という部分とが「二段構えの語り」に相当する二つの部分の内容をまとめると

  《大蛇が出雲へやってきて足あ

名なづち椎

のがわに属するものを食らいあるいは飲む》

というようになる娘たちを食らい飲む大蛇が酒を飲むという同じ行動が原因で退治されてしまうのである

 

またもう一つの話は『播磨国風土記』の賀古郡の条に見える「比礼墓伝説」であるこの話では「印い

なみ南

」の女

が「隠な

び妻」であり「辞い

び妻」でもあるからこれは「古代の口がたり特有の面白さ」をもつものだという興味深

い見解がある

 

話の冒頭近くにある「度わ

たりもり

子紀き伊の国く

人ひと

小を

玉たま

申さく「我は天

すめらみこと

皇の贄に

人びと

たらめや」とまをす」という部分とその

あとにある「印南の別嬢聞きて驚き畏か

しこみ

即や

て南な

都つ

麻ま

嶋に遁に

げ度りき」という部分とが「二段構えの語り」に

相当する二つの部分のうちのあとの部分は別嬢が天皇の求婚を嫌がって

0

0

0

0

島に逃げて隠れたことを述べたものだか

ら二つの部分は同じく「辞い

び」を内容とするものだと言える「度わ

たりもり

子」つまり船頭の「我は天

すめらみこと

皇の贄に

人びと

たらめや」

という発言に倣って天皇の求婚を嫌がる別嬢の心情を言い表せば「吾は天皇の妻

9

9

9

9

たらめや」というようになる

  

船頭の「辞び」helliphelliphellip「我は天

すめらみこと

皇の贄に

人びと

たらめや」

  

別嬢の「辞び」helliphelliphellip「吾は天皇の妻

9

9

9

9

たらめや」

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一五九

 

結局二つの「辞び」は単なる拒否ではなく次のような同じ内容を表す「辞び」なのである

  《私は天皇にお仕えなどしない》

 

この話の末尾近くには別嬢の遺体について「大き飄つ

むじ

川下より来て其の尸か

ばねを

川中に纏ま

き入れき求むれども得

ず」と述べられているがその部分と別嬢が島に逃げて隠れた

0

0

0

という前の部分ともまた「二段構えの語り」を構

成している二つの部分はともに別嬢の「隠び」を内容とするものなので次のように一つにまとめることができる

  《別嬢が「隠な

び」をした》

 「辞び」も「隠び」も話のなかに二度ずつ表れているのである

 

大蛇退治の神話と「弟日姫子伝説」とには「二段構えの語り」を認めるにあたって解決すべき多くの問題が含ま

れているしかしそれらを一つ一つ検討していけば見てきた諸話と同様の特徴的な語りを二話にも認めることが

できる

註(1) 

本稿にあげる『古事記』『日本書紀』『風土記』などの記述は本文訓読文ともに古典文学大系のものを引用するまた

『萬葉集』の本文訓読文は新編古典全集のものを引用するただしいずれも読みやすさと理解しやすさとを考慮して

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一六〇

もとの表記形式その他を改めることが少なくない

(2) 

大野晋「記紀の創世神話の構成」〔『文学』一九六五年八月〕のちに『仮名遣と上代語』(一九八二年)に収載

(3) 「丹塗矢伝説」の成立については小著『伝承と言語』(一九九五年)のⅡ部四章で私見を述べたただし同書に述べたこ

とと本稿で述べたことの間には一点だけ相違がある丹塗矢が女の陰部を突いたという話は神と人間の女とが結婚したこ

とを明確に語ったものではないからそのことを明確にするために女の持ち帰った丹塗矢が男に変身して子が生まれたとい

う話があとになって付加されたのだと同書では述べたそれは既存の一説に見える解釈を妥当なものと認めそれを踏

襲したものだった本稿では「二段構えの語り」がこの話にも認められるという見解に立ってかつて小著で述べた考えを

訂正する

(4) 

女に与えられた「倭迹迹日百襲姫命」という名の語構成ははたしてどのようなものなのかこれを疑問の余地なく解明す

ることはかなり難しい

   

初頭の「倭」と末尾の「姫命」は除くとして「迹と

迹と

日び

百もも

襲そ

」の「百襲」は字面のとおり「多くの着衣」の意であるかも

知れないこの女の夫は蛇神だから蛇が何度も脱皮をくり返すことを背景とする名を妻がもつことは十分にありうること

だろう「百襲」の「襲」には字を構成する要素として「衣」がある「襲」の字は「重ねて着る」「覆う」「継ぐ」「おそ

う」などの意を表す

   

ある特徴や習性を表す語が当人ではなく周囲の者の名に含まれる例は「丹塗矢伝説」の登場者にも見られるたとえば

矢で陰部を突かれて慌てた女が勢せ

夜や

陀だ

多た

良ら

比ひ

売め

であるのにその女の産んだ娘が「陰に矢を立てられ震え姫」の意の「富ほ

登と

多た

多た

良ら

伊い

須す

須す

岐き

比ひめのみこと

売命」という名を与えられている母の経験したことが娘の名に反映しているのである

   「晡く

れふしの

時臥山やま

」〔『常陸国風土記』那珂郡茨城里〕の話に登場する子として蛇を産んだ女とその兄は「努ぬ

賀か

咩め

」「努ぬ

賀か

古こ

という名を与えられているこれらの名も原義を解明するのは難しいが「ぬか」はやはり脱皮の意を表す「脱ぬ

か」かも知れ

ない『和名類聚抄』の「蛻」の項に「毛も

沼ぬ

久く

」とあり『色葉字類抄』の「

蛻」の項に「ヘミノモヌケ」とあるこれらの

「脱ぬ

く」「脱ぬ

け」がこの場合に参考になる下二段活用動詞の「脱け」が「脱か彦脱か姫」では「脱か」となってい

るわけだが上代語では「明け」「荒れ」「枯れ」などの下二段活用動詞が「明か時(暁)」「新あ

垣がき

」「枯から

木き

」などの複合名詞を

構成しているのに同じである

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一六一

 

名の意味をこのように理解することは生まれた子を入れる器を何度か大きいものに替えたという脱皮を暗示する説明と

吻合する中世には「もぬけの衣」という表現もあるから「もぬけ」の「も」はあるいは「裳」か

(5) 「陰ほ

絶たち

田だ

」という地名と「米よね

舂つき

女め

等ら

が陰ほと

を陪おもとびとくな

従婚ぎ断ちき」という説明との関係には理解するのが難しい点がある

「陰絶田」に含まれる「絶つ」はもともと「長い間にわたって継続してきたことを止めまた幅のある物体を切る」の意を

表す動詞であるこれの自動詞である「絶ゆ」も基本的に意味は同じであるだから「陪お

もとびと

従」との交合によって陰部が損

傷したことをあえて「婚ぎ絶ち

9

9

き」と表現した理由が不明である物を損傷したことがなぜ「絶つ」と表現されたのか

「婚ぎ絶ちき」を「裂傷をおはせた」〔古典全書〕の意だと説明してもその疑問は解消しない

   「陰絶田」はもと「陰に(男根が)立つ田」の意の「陰立9

田」だったかも知れないそのように想定すれば神武記の

「丹塗矢伝説」に登場する「富ほ

登と

多た

多た

良ら

伊い

須す

須す

岐き

比ひ

売め

」という名の「ほとたたら」と意味的に対応するただし矢の場合に

「立つ」を用いた理由は理解できるが男根の場合にも同様に「立つ」を用いたとは想定しにくい「絶つ」とあることはや

はり不審のままである

(6) 

三つの要素の結びつきについては益田勝実「日本神話における外在と内在日本神話論における始原と展開」〔国文学

『解釈と鑑賞』一九七七年十月〕によるただしこの論にはOの話に関する言及がまったくないOの話のなかに三要素の

結び付きを読み取るのは私見にすぎない

(7) 

両神の死因をめぐる逆転関係については小著『日本の神話伝説を読む』(岩波新書二〇〇七年)の第二章第二節で述

べた

(日本語日本文学科 

教授)

Page 4: 一 神話・伝説に見られる特徴的な語り...神話・伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木) 0 一二三 べている。太平洋に伝承の海洋型国産み神話に類似。またヌホコを男性の象徴とし、交合による国産み神話とも見られる」と述

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一二四

構えの語り」を構成していることになる交合国産みのイメージを強く与えるABの話を語ることがその一段め

にあたり実際に二神が交合によって国土を産んでいくのを語ることがその二段めにあたる言うまでもなく二

つの段の成立から見れば順序は逆である伝承者に連想を働かせるもとになったのは二段めの語りであり伝承者が

その二段めの語りに基づいて新たに連想したことが一段めの語りである一段めの語りが強い印象を与える二段

めの語りから事前に連想されたものである以上両者が内容的に似たものになったりまた重なる部分を含むものに

なったりするのは当然である

 

ABの話の直前にあるのは『古事記』『日本書紀』にいう「神世七代」の条であるこの条にも「二段構えの

語り」にあたるものが認められる

 

同条に出現するのは「国く

にのとこたちのみこと

常立尊より伊い

ざなきのみこと

奘諾尊伊い

ざなみのみこと

奘冉尊に迄い

るまで」〔紀〕の神々であり伊奘諾尊伊奘

冉尊が出現する直前には大お

ほとのぢのみこと

戸之道尊と大お

ほとまべのみこと

苫辺尊面

おもだるのみこと

足尊と惶

かしこねのみこと

根尊という二組の対偶神が出現しているこれら

のうち面足尊と惶根尊は『古事記』の於お

母も

陀だ

流る

神と阿あ

夜や

訶か

志し

古こ

泥ね

神にあたる二神の名は「面足る」「あや恐か

ね」の意だと説明されている「面足る」「あや恐こね」が何を意味するかについてはいくつかの説があるがそれら

のうち大野晋の説明がよく知られておりまた妥当である)

2(

D 

思うにこの一対の神は男と女とであるから男神が女神に対して「あなたの容貌は整って美しい」と

言ったのに対して女神が男神に「まあ何と恐れ多いこと」と返事をしたのではあるまいか単語の基本的な意味

から推してこのような場面と見る解釈がその最も根源的な意味を把えているもののように思う

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一二五

 

同じ説明は古典大系『日本書紀』の注にも取り入れられており同書の補注に「男女の会話が神として位置を占め

たものと思われる」という解説が見える思想大系『古事記』の「容貌が整っていて美しいことを神格化」「畏敬の

念を抱いたことを神格化」という「面足る」「あや恐こね」に対する解説も対偶神の名を同じように解釈したう

えでのものである

 

確かに「面足る」「あや恐こね」という「男女の会話」あるいは神名はすぐあとに見える男女二神の発言から

伝承者が事前に連想したものだと考えられるさきにも言及したように二神が交合によって子としての国土を産ん

でいく直前に相手を讃美することばを発し合う場面があり結果的にその発言が神名のかたちをとって話のなかに

入り込んだということであるこれが「二段構えの語り」の一段めの語りに相当する

 

二神が相手を讃美することばを発し合い子としての国土を産んでいく場面は

E 

ここに伊邪那岐命先に「あなにやしえをとめを」と言ひ後に妹伊邪那美命「なにやしえをとこを」

と言ひきかく言ひ竟を

へて御み

合あひ

して生める子はhellip

〔神代記〕

F 

陽を

神かみ

先づ唱へて曰の

たまは

く「妍あ

なにゑや

哉可え

愛少女」とのたまふ陰め

神かみ

後に和こ

へて曰はく「妍あ

なにゑや

哉可え

愛少男」との

たまふ然し

かうし

て後に宮を同じくして共に住す

ひて児こ

を生む

〔神代紀四段一書第一〕

などと語られているこれらEFの話に見える「あなにやしhellip」「あなにゑやhellip」などの感動を表すことばや

「愛え

をとこ男

を」「愛え

をとめ女

を」などの讃めことばを発したあとで女神が国土を産んでいくことを描写するのが二段めの語り

になる

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一二六

 

このように神名の「面足る」「あや恐こね」とEFの話との間に「二段構えの語り」にあたるものが認められ

ると考えるその場合にまず男神が女神を讃美しなければならないという思考のありかたに従えば大野の説明の

ように「面足る」が男神の発したことばであり「あや恐こね」が女神の発したことばである

 

EFの話に見える二神の発言はそれぞれ感動を表すことばと讃めことばとの二つから成るが「面足る」「あや

恐こね」のうち前者はそうなっていない『古事記』では「恐こね」が感動詞を伴って「あや

9

9

恐こね」となっており

『日本書紀』にもそれに類似する神名がいくつか出ているしかし「面足る」にはこの単純な神名しかなく感動詞

を伴った神名は見えない神話的な背景機能のうえでは対偶神ではあっても神名の語構成は対偶的なものにはな

っていない

 

それには然るべき理由がありそうである二段めの語りから事前に連想された一段めの語りに二段めの語りに

出てくるのと同じような対偶的な神名を導入すれば二つの段に出てくる表現は互いにパラレルな構成をもつことに

なるその結果伝承者が一方から他方を連想したことがわかりやすくなるそれを避けて後次的に導入する一段

めの語りともとからある二段めの語りとを一続きものとして提示するためには一段めの語りのなかに後次的に導

入するものを二段めのそれとは別の構成をもつものに仕立てればよい

 

ABの話とEFの話とは日本神話のなかでも特に重要な原初の二神による「国土創成」の話でありその

成立の過程には多くの伝承者が関与したはずであるそれだけにさまざまな伝承者によるさまざまな連想がそこに

働いたに違いない「国土創成」をめぐる話に右で述べたような二種の「二段構えの語り」が認められるのは話

がそうした複雑な過程を経て成立したことの反映だろう

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一二七

 

次には『古事記』の神武天皇の条に見える話を取り上げる「三輪山伝説」の一つであり「丹に

塗ぬり

矢や

伝説」と呼ば

れるものである

G 

更に大お

ほきさき

后とせむ美を

とめ人

を求ま

ぎたまひし時大お

ほくめのみこと

久米命の曰ま

しけらく「此こ

こ間

に媛を

とめ女

あり是こ

を神の御み

子こ

と謂い

ふその

神の御子と謂ふ所ゆ

ゑ以

は三み

しまのみぞくひ

嶋湟咋の女む

すめ

名は勢せ

夜や

陀だ

多た

良ら

比ひ

売め

その容か

たちうるは

姿麗美しくありき故か

美み

和わ

の大お

物もの

主ぬしのかみ

見み め感

でてその美人の大く

そ ま

便為れる時丹に

塗ぬり

矢や

に化な

りてその大便為れる溝み

より流れ下りてその美人の富ほ

登と

を突

ききここにその美人驚きて立ち走りいすすきき乃す

なはち

その矢を将も

ち来て床と

の辺に置けば忽た

ちまち

麗うるはし

壮をとこ夫

に成りて即す

なはち

その美人を娶め

して生める子名は富ほ

登と

多た

多た

良ら

伊い

須す

須す

岐き

比ひめのみこと

売命と謂ひ亦の名を比ひ

売め

多た

多た

良ら

伊い

須す

気け

余よ

理り

比ひ

売め

是こ

はその富ほ

登と

と云ふことを悪に

みて後に名を改めつるぞと謂ふ故是こ

をもちて神の御子と謂ふなり」とま

をしき

〔神武記〕

 

三輪山の大物主神が容姿美麗な人間の女を気に入り赤く塗った矢に変身して溝を流れ下ったそして女が大

便をしている所へ行って矢の姿のままでその陰部を突いた女が矢を家に持ち帰って床の辺に置いたところ矢は

美男に変身して女と結婚したやがて比ひ

売め

多た

多た

良ら

伊い

須す

気け

余よ

理り

比ひ

売め

が生まれこの娘が初代の天皇である神武天皇の后

になったという

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一二八

 

このGの話にも「二段構えの語り」が明瞭に表れていると認められるので右に話を引用するにあたって二つの

段に相当する部分にそれぞれ傍線を付しておいた二重線を付した「丹に

塗ぬり

矢や

に化な

りてその大く

そ ま

便為れる溝み

より流れ下

りてその美人の富ほ

登と

を突きき」という部分が一段めの語りに相当し太線を付した「その矢を将も

ち来て床と

の辺に

置けば忽た

ちまち

麗うるはし

き壮を

とこ夫

に成りて即す

なはち

その美人を娶め

してhellip」という部分が二段めの語りに相当する二種の線を付

した部分の関係はどのようになっているのか

 

神の変身した丹塗矢が「美を

とめ人

の富ほ

登と

を突」いたとあるのは神と女との交合結婚を婉曲に述べたものだと言われ

るそのとおりだろうまたすぐあとの記述に女が家に持ち帰った丹塗矢が「麗う

るはし

き壮を

とこ夫

」に変身して「その美

人を娶め

し」たとありこちらはまともな結婚の話になっているそれでこの話では神と女とが結婚したことについ

て二種の説明が重なっているとも言われる

 

このように神と女との結婚を語る話が二種あることをどのように理解すべきかについていくつかの見解が提示

されているそれらの見解の当否はともかくとしてこの話に「二段構えの語り」という視点を導入すれば従来の

見解とは別の把握のしかたが可能になる

 

神が矢から美男へと変身ししかもその神が人間の女と結婚したという太線の部分はきわめて不思議で印象的な

内容をもつものであるその不思議で印象的な場面について語る前にやはり神と人間の女との交合結婚を示唆す

ることとして神の変身した矢が女の陰部を突くという連想を伝承者にもたらしたそして連想した内容が結果的

に話のなかに持ち込まれたのが二重線の部分だろうと想定することが可能である

 

神の変身した矢が女の陰部を突くという一段めの語りと美男に変身した神が女と交合結婚するという二段めの

語りとは表現上はまったく異なるものの内容面では大きい違いがないこの話の場合結局は神と人間の女との

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一二九

交合結婚について述べることが目的でありまた一方の語りが他方の語りから連想されたものでもあるから二つ

の語りの内容に大きい違いがないのも納得できる

 

崇神記に見える「苧を

だまき環

伝説」がそうであるようにGの話の場合にも大物主神が美男に変身して女のもとにやっ

て来て結局は両者が結婚して子が誕生したというのがもともとの内容だっただろう矢が女の陰部を突いたとい

う部分はなくても神婚の話は十分に成り立つ)

3(

 

Gの話によく似た内容をもつものとして「賀か

ものやしろの

茂社縁起」がよく知られているそれは『釈日本紀』に引かれた

もので『山城国風土記』の逸文である

H 

賀かものたけつのみのみこと

茂建角身命丹た

にはのくに

波国の神か

野の

の神伊い

可か

古こ

夜や

日ひ

売め

を娶め

して生みませる子名を玉た

依より

日ひ

子こ

と曰い

ひ次を玉た

依より

日ひ

売め

曰ふ玉依日売石川の瀬せ

見み

の小川に川遊びせし時丹塗矢川上より流れ下りき乃ち取りて床の辺に挿さ

置き遂に孕は

みて男を

とこご子

を生みき(略)加

かものわけいかづちのみこと

茂別雷命と號な

く謂い

はゆる丹塗矢は乙お

訓くに

の郡の社や

しろに

坐ま

せる火

ほのいかづちのかみ

雷神

なり

〔『釈日本紀』巻第九〕

 

Gの話とこのHの話で特に似ているのは

G 

その美人の大く

そ ま

便為れる時丹に

塗ぬり

矢や

に化な

りてその大便為れる溝み

より流れ下りて(略)乃ちその矢を将も

ち来て

床とこ

の辺に置けばhellip

H 

玉依日売石川の瀬せ

見み

の小川に川遊びせし時丹塗矢川上より流れ下りき乃ち取りて床の辺に挿さ

し置き

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一三〇

hellip

という部分であり二話が系統的に密接な関係にあることが知られるGの話の丹塗矢は蛇神であり雷神でもある

大物主神が変身したものだしHの話の丹塗矢は「火ほ

のいかづちのかみ

雷神」という名の雷神であるこうした点もGHの二

話が同じ系統を引く話であることを示している

 

Gの話に含まれる「その美人の富ほ

登と

を突ききここにその美人驚きて立ち走りいすすきき」という部分と

「忽た

ちまち

麗うるはし

き壮を

とこ夫

に成りて即す

なはち

その美人を娶め

して」という部分とは対応する表現がHの話には見えないGの話

の「二段構えの語り」にあたるものが同系統に属すると思われるHの話にはそろって含まれていないのである

 

しかしGHの話のどちらでも川を流れてきた丹塗矢の正体が神であることは自明だからHの伝説ではそれ

を「床と

の辺へ

に挿さ

し置」いたと述べるだけで女が「遂に孕は

みて男を

のこご子

を生」んだことの背景や経緯が容易に想像できた

に違いない

 

Gの話を構成するもとになった古い話に矢が男に変身して女と交合結婚したという説明が含まれていたかいな

かったかは不明であるしかしかりに変身結婚に関する説明が含まれていなかったにしても矢を床の辺に置

いたという説明さえ含まれていればそれに基づいて伝承者は神と女とが交合結婚したことを理解しただろう

あえて言えば伝承者が理解した内容そのものが二段めの語りにあたることになるそして伝承者は自分が理解し

たことから「その美人の富ほ

登と

を突きき」という矢の動きを連想し一段めの語りとしてそれをあとで話に付加したの

だろうと想定できる

 

このように考えればHの話のようにもともと「二段構えの語り」にあたるものがなかに含まれていなくても

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一三一

GHの話と同じ系統に属する古い話が結果的にそれを含むに至ることはありえたと思われる

 

Gの話に登場する神と女との間には二段構えの両段にまたがるかたちの内容面で逆転した対応関係が認められ

 

ⅰ 

美しい女美形の男

 

ⅱ 

男の矢への変身矢の男への変身

 

ⅲ 

矢の女のもとへの到来女の矢の持ち帰り

 

この種の逆転した関係は口承時代にその骨格がほぼ成立しただろうと思われる古い話にしばしば見られるもの

である矢が陰部を突く場面を矢が美男に変身して女と結婚した話から伝承者が連想し後次的に話のなかに持ち

込んだものだとしてもその連想は相当に古い時代に起こったことだろう

 

次に取り上げるのも大物主神をめぐる「三輪山伝説」の一つだがこちらは神と人間の女との結婚が破綻したこと

を語る話になっている

I 

是こ

の後に倭や

まとととびももそひめのみこと

迹迹日百襲姫命大お

ほものぬしのかみ

物主神の妻と為な

る然し

れども其そ

の神常に昼は見えずして夜のみ来み

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一三二

倭迹迹姫命夫に語りて曰い

く「君常に昼は見えたまはねば分あ

きらか明

に其の尊み

顔かほ

を視ること得ず願はくは暫し

し留りたまへ明

くるつあした

旦に仰ぎて美う

るは麗

しき威み

すがた儀

を覲み

たてまつらむと欲お

ふ」といふ大神対こ

へて曰く「言こ

とわりいやちこ

理灼然

なり吾明

くるつあした

旦に汝い

ましが

194797くし

笥げ

に入りて居らむ願はくは吾が形にな驚きましそ」とのたまふ爰こ

に倭迹迹姫命

心の裏う

に密ひ

そかに

異あやしぶ

明くるを待ちて194797笥を見れば遂に美麗しき小こ

をろち蛇

有り其の長さ太さ衣し

たひも紐

の如し則ち驚

き叫さ

け啼

ぶ時に大神恥ぢて忽

たちまちに

人の形と化な

りたまふ其の妻に謂か

りて曰く「汝い

まし

忍びずして吾に羞は

ぢみせ

吾還か

りて汝に羞せむ」とのたまふ仍よ

りて大お

ほぞら虚

を践ほ

みて御み

もろの諸

山やま

に登ります爰に倭迹迹姫命仰ぎ見

て悔いて急つ

き居う

則ち箸に陰ほ

を撞つ

きて薨か

むさり

ましぬ乃ち大お

ほち市

に葬は

りまつる故か

時の人其の墓を號な

けて箸は

墓はか

と謂い

ふ是の墓は日ひ

は人作り夜は神作る故か

大坂山の石を運びて造る

〔崇神紀〕

 

これは『日本書紀』の崇神天皇の条に見えるものでさまざまな話題を含む興味深い内容の話である

 

Gの話の場合と同様にこのIの話にも二重線と太線とを付しておいた「二段構えの語り」に相当するものが認

められるからである

 

妻の倭や

まとととびももそひめのみこと

迹迹日百襲姫命が夫である大物主神が自分に課した「私の姿に驚いてはならない」という禁を犯してしま

ったこれに怒った夫は御み

もろの諸

山やま

(三輪山)に登って行ったがその様子を仰ぎ見た妻は悔やんでその場にどすんと座

り込んだするとそこにあった箸が妻の陰部に突き刺さり妻はそのまま死んでしまった妻を葬る墓は昼に人

が造り夜には神が造ったという話の末尾の内容に因んで一般に「箸は

墓はか

伝説」と呼ばれている

 

Iの話より前の記述に倭迹迹日百襲姫命は「天皇の姑み

をば」

だという説明が見える大物主神の妻になったというの

だから巫女的な性格を強くもつ女である彼女の名はとても長いので話のなかでは「倭迹迹姫命」と略称されて

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一三三

いる)

4(

 「是の墓は日ひ

は人作り夜は神作る」という話の末尾を読んですぐに想起されることがあるそれは努ぬ

賀か

咩め

という女の産んだ「小さき蛇」が「明くれば言こ

とはぬが如く闇く

るれば母と語」ったという「晡く

れふしの

時臥山や

」〔『常陸

国風土記』那珂郡茨城里〕の話である「神の子である蛇が昼は物を言わなかったが夜になれば母と話をした」

というのは神が昼にはほとんど行動せず夜には活発に行動するという当時の人々の考えを反映するものだろう

これは夜には神が墓を造ったというIの話に一致する

 

それだけでなく夜には神が墓を造ったという説明は同じIの話の冒頭近くに「其そ

の神常に昼は見えずして

夜のみ来み

す」とある説明と内容的に対応している冒頭の近くで述べたことと末尾の近くで述べたこととを照応さ

せたかたちである

 「二段構えの語り」に相当するものは一見しただけではこの話に含まれていないように思われるしかし話の

文脈を細かくたどると二重線を付した「大お

ほぞら虚

を践ほ

みて御み

もろの諸

山やま

に登ります」という部分と「仰ぎ見て悔いて急つ

き居う

則ち箸に陰ほ

を撞つ

きて薨か

むさり

ましぬ」という太線の部分とがそれに相当することがわかる前者は大物主神によ

る天空での動作であり後者は倭迹迹姫命による地上での動作であるこれらの動作により一方は本来の拠点に戻

り他方は他界へ赴いた

 

二重線の部分と太線の部分とについて二種の動作の間にどのような関係があるというのか二種の動作を描写し

た部分に「二段構えの語り」を認めるのは深読みの結果ではないのかなどといった疑問が生じるかも知れないし

かし話の文脈から見れば実はそのように判断するのは間違いであることが明らかになる

 「大虚を践みて」という夫の動作は新編古典全集の注で「雷神の象徴」だと解説され「天空をふみとどろかし

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一三四

て」と現代語訳されている蛇神である大物主神は雷神でもあるからそれは妥当な解説である「大虚を践みて」

は雷鳴は神が天空を踏みつける音だと見なしたうえでの表現である

 

この点に関しては『萬葉集』の歌が参考になる

J 

天雲を 

ほろに踏みあだし 

鳴る神も 

今日にまさりて 

恐かしこけ

めやも

〔十九四二三五〕

 「天の雲をばらばらに踏み散らして音を響かせる雷神も今日の天皇の御前より恐れ多いはずはないだろう」の意

を表す歌である作者はこのような歌を詠むことによって天皇の威徳あるいは権力に対して畏怖の念と敬愛の

情とを表明したのである第三句の「鳴る神」とは雷神のことで「(天で音を響かせて)鳴る神」の意である雷鳴

は神が天雲を踏みつけることによって出る音だという把握のしかたが歌の背後にあるIの話に「大虚を践みて」

とあるのは雷神に対して上代の人々がいだいていた畏怖の念を端的に表すものになっている

 

他方の「急つ

き居う

」という妻の動作については古典大系の注に「どすんとすわったツキは衝キと同じ」という

解説が見え新編古典全集の注には

K 「急」の字にどすんと坐る様子を表現ツキは「突」で尻餠をつく後悔でがっくりきた姿がよく出てい

と見える【妻が箸で陰部を突いたという話題の背後には男女の交合のイメージが濃厚にまとわりついていたと考え

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一三五

られる夫婦をめぐる話だからそれは当然のことである】

 

夫婦の動作についてまとめると「大虚を践みて」は妻に禁を犯されたことを恥じた大物主神が勢いよく天空

を踏みつけるさまを表すまた「急き居」は夫の課した禁を犯したことを悔いた倭迹迹姫命が地面に急にすわ

り込むさまを表すどちらも

 

I 《身体の一部を急に下方に移動させその先にある物を勢いよく突く》

という動作であるこのことを確認すれば天空でなされる「大虚を践みて」と地上でなされる「急き居」とは

互いに類似し対応する動作だということがわかる夫と妻による二種の動作にこうした類似と対応とが認められる以

上それが話を深読みすることによって得られた誤った理解であるはずはない

 

妻に「箸に陰ほ

を撞つ

きて薨か

むさり

ましぬ」という忌まわしい事態が生じたわけだから「急き居」というのは語り手に

とっても聞き手にとってもきわめて衝撃的な動作である伝承者は妻の驚くべき動作について語る前にその場面の

ことを強く意識しただろうそして妻の動作に対応し類似する夫の動作としていかにも雷神らしい「大虚を践み

て」という動作を連想し話のなかに持ち込んだのだろう

 

ただし二重線を付した部分と太線を付した部分の「大虚を践みて」と「急き居」とは内容的には酷似あるい

は類似したことを表すものになっている一方で表現の具体的なありかたは大きく異なっている

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0

それは当然である

 

さきに「神世七代」の条に出現する「面足る」「あや恐か

こね」という対偶神の名とEFの話に見える男女二神

の讃美表現とについて述べたように一段めの語りと二段めの語りには異なる表現を用いなければならない内容面

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一三六

で類似し対応する二つの部分が表現の面でも同じように類似し対応していれば伝承者が一方をもとにして他方を

作ったことが聞き手に悟られやすくなるからである「大虚を践みて」と「急き居」とであれば両者の表現は異

なるからそれらは一方から他方を連想したものだとは悟られにくいのである

 

こう見てくるとIの話にもやはり「二段構えの語り」が認められることがわかる「大虚を践みて」という動作

をあえて描写しなくても怒った神が御諸山に帰って行ったと述べるだけで話は十分に成り立つ当該の箇所は

もともと「大虚を践みて」という表現を含まない単純なものだっただろう

 

この話のなかには大物主神と倭迹迹姫命とに関して互いに対比的だと見なしうる項目が多く含まれている特

に目立つものを整理すれば

 

ⅰ 

神人

 

ⅱ 

夫妻

 

ⅲ 

応じる願う

 

ⅳ 

禁を課す禁を犯す

 

ⅴ 

恥じる悔いる

 

ⅵ 

天空地上

 

ⅶ 

足で踏みつける尻餠を突く

 

ⅷ 

本拠地に戻る他界へ赴く

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一三七

というようになる

 

神と人間の女とが結婚したもののそれは根本的な矛盾を含む無理な結び付きだった神と人間との間にあるそ

の根本的な矛盾が夫が課した禁を妻が犯すという大きな溝となって現れ結局のところ両者は別離を迎えざるをえ

なかったというのがIの話の趣旨である話の伝承者が神と人間との根本的な相違を明確に意識しながら語った

話だからⅰ〜ⅷのような対比的な項目を含むことになったということだろう

 

ここで「二段構えの語り」の成立に深い関わりをもつと思われる『萬葉集』の歌の構成について見てみる歌の

構成というのは一方から他方を連想することによって成立する序詞と本旨との関係である

L 

春はるされば

去者 

先まづ

鳴なく

鳥とり

乃の うぐひすの

之 

事こと

先さき

立だち

之し 

君をし待たむ

〔十一九三五〕

 「春さればhelliphellipう

ぐひすの

」の三句が序詞でありそれが本旨の「言こ

先立ちし君をし待たむ」を導入している第一句

第二句の表現にあるように「

」は春を迎えて真っ先に鳴く鳥であるそれを序詞の末尾に置いて「(あなたが私

に)先に声を掛けた」の意の「言先立ちし」つまり本旨を導入する表現とした「言先立ちし」という相手の行動を

描写する前に春になって真っ先に鳴く鳥を歌の作者が連想しそれを歌の前半に置いたのであるだから作者が

言いたい本旨の内容が先にありそれから序詞が連想されたという関係であるあとで連想された序詞は意味的

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一三八

にも内容的にも本旨に類似するものになっているが本旨の表現とは異なっている

M 

牛うし

窓まと

之の 

浪なみ

乃の

塩しほ

左さ

猪ゐ 

嶋しまとよみ

響 

所よそりしきみは

依之君 

逢はずかもあらむ

〔十一二七三一〕

 

序詞の「牛窓のhelliphellip島」は本旨である「響と

み寄そりしhellip」から連想されたものであり同時に本旨を導入する表

現にもなっているこの序詞は「潮し

騒さゐ

の波のざわめきのように島も」の意を表し本旨の「響み寄そりし君はhellip」は

「噂もうるさいほどに私との関係を言い立てられたあなたはhellip」の意を表す「潮騒」という音にかかわる現象と

人の噂が激しいことをいう「響み」との類似性が歌の前半と後半とを結び付けている噂がうるさいという現実か

ら作者は「潮騒」のざわめきを連想して序詞としたのだから本旨の内容が先にあり序詞は本旨に基づいて連想

されたという関係である

N 

天あま

飛と

ぶや 

軽の社の 

斎いはひつき

槻 

幾代まであらむ 

隠こもりづま

嬬そも

〔十一二六五六〕

 

女が詠んだと思われるこの歌では「天あ

飛と

ぶやhelliphellip齋い

ひ槻つ

」の三句が序詞として四句以下の表現を導入している

序詞の末尾に置かれた「齋ひ槻」は神聖である故に人が触れてはならない木をさすまた第五句の「隠こ

り妻」は

人に知られてはならない間がらにある妻をさすそのような内容面での共通性が歌の前半にある序詞と後半にある

本旨とを強く結び付けている「齋い

ひ槻」と「隠こ

り妻」とは表現が異なっているが両者の関係はMの歌に出て

いる「潮騒」と「響み」とのそれに酷似している

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一三九

 

以上の三首に見られる序詞と本旨との関係はさきに見た諸話の一段めの語りと二段めの語りとの関係に相当する

三首の序詞は本旨の内容から連想されたものであり諸話の一段めの語りは二段めの語りの内容から連想されたもの

であるしかし連想を呼ぶもとになったこととそれから連想されたこととは三首でも諸話でも表現が互いに異

なるものになっている

 

話を「二段構えの語り」に戻し次の話に認められる「二段構えの語り」について検討するしかし次の話の語

りのありかたは見てきた三話と異なる点がある

O 

萩原の里土は中の中なり右萩原と名づくる故は息お

きながたらしひめのみこと

長帯日売命韓か

らくに国

より還か

り上りましし時御船此の村

に宿りたまひき一夜の間に萩一ひ

ともと根

生お

ひき高さ一ひ

丈つゑ

ばかりなり仍よ

りて萩原と名づく即す

なはち

御井を闢は

りき

故かれ

針は

間ま

井ゐ

といふ其の処は墾は

らず又墫も

たひの

水溢あ

れて井と成りき故韓か

の清水と號く其の水朝に汲むに

朝に出でず爾す

なはち

酒殿を造りき故酒田といふ舟傾き乾か

れき故傾か

ぶきだ田

といふ米よ

舂つき

女め

等ら

が陰ほ

を陪

おもとびとくな

従婚

ぎ断ちき故陰ほ

とたち絶

田だ

といふ仍す

なはち

萩多く栄えき故萩原といふ爾こ

に祭れる神は少

すくなたらしのみこと

足命にます

〔『播磨国風土記』揖保郡〕

 

これは『播磨国風土記』に見える話で息お

きながたらしひめのみこと

長帯日売命(神功皇后)の聖性と威徳とを強調する内容になっている

 

これまで見た三話と同様にこのOの話にも女陰の話題が含まれているそれは「陰ほ

絶たち

田だ

」という地名の由来を

説明する短小な話のなかに見える息長帯日売命に仕える陪お

もとびと

従が米よ

舂つき

女め

等ら

と交合して陰部を傷つけたそのことが

この地名の由来になったという)

5(

陰部を傷つけたことを語る「陪お

もとびとくな

従婚ぎ断た

ちき」の「断た

ちき」は「裂傷をおはせた」

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一四〇

〔古典全書〕の意だと比較的古い注釈にありこれを踏襲する新しい注釈もある妥当な解説である

 

以上で見た三話と異なる点というのは二重線の部分と太線の部分とが

O 

米よね

舂つき

女め

等ら

が陰ほ

を陪お

もとびとくな

従婚ぎ断ちき

というように一文のなかに連続して出ている点である見てきた三話では二種の線を付した部分は近接した位置

にあるがOの話の場合はそれが極端なかたちで表れているまた二重線の部分が三話のように何らかの動作

状態を描写した表現になってはおらず「米よ

舂つき

女め

等ら

」という複合名詞になっている点も三話とは異なる

 

二種の線を付した一文の内容についていささか気になるのは「陪お

もとびとくな

従婚ぎ断た

ちき」という動作の対象になったの

が「米よ

舂つき

女め

等ら

が陰ほ

」だということである

 「米よ

舂つき

女め

等ら

」という複合名詞に含まれる「舂つ

く」は「突く」という動詞の一用法である「舂く」は「きねなどの

先で強く打っておしつぶしたり穀物のからなどを除いたり精白したりする」〔『日本国語大辞典』第二版〕の意で

あり「舂女」は「臼で穀物をつく女」〔同〕の意である

 

結局のところ「舂く」という動作は「臼などの器に棒状の物を押し込みなかにある穀物などを押しつぶす」の

意を表すわけだがいささか気になると述べたのは「舂く」という動作と「婚く

ぎ断ち」「陰ほ

絶た

ち」という動作との

間に認められる

O 《狭い空間に棒状の物を差し入れその奥にある部分または物を強く突き破る》

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一四一

という物理的な動き

0

0

0

0

0

0

としての類似性であるこれは既に取り上げたABの話やIの話に見られる二種の動きの

類似性と同じである

 

交合によって陰部を損傷したのと同様に棒状の物で「舂く」ことによって穀物などの本来の形態も損なわれる

だから「舂く」と「婚く

ぎ断ち」「陰ほ

絶た

ち」とは物理的な動きだけではなく動きによって生じる結果

0

0

においても類

似している

 

このように話のなかに先に出てくる「舂き」とその直後に出てくる「婚く

ぎ断ち」「陰ほ

絶た

ち」との間には物理

的な動きとそれがもたらす結果との双方に関して顕著な対応類似が認められるそのような対応類似が生じた

ことについて次のように想定することができるだろうつまり話の伝承者があとで自分が語る交合という動作

を強く意識したそのために交合に類似した動きを表す「舂く」を事前に連想しさらにはその語を含む「米舂女

等」をも連想してそれを結果的に話のなかに持ち込んだのではないかということである現にGの「丹塗矢伝

説」に「その美人の富ほ

登と

を突きき」とありIの「箸は

墓はか

伝説」にも「陰を衝つ

きて」とあってそれらの「突き」「衝

き」は表記こそ違え「舂き」と同じ動詞である

 「婚く

ぎ断ち」「陰ほ

絶た

ち」は凄惨かつ深刻な事態だからそれに類似する「舂く」という動作を事前に伝承者が連想

することは十分にありえたと思われるそのように想定すればOの話にも「二段構えの語り」が表れていることに

なる

 

話の展開に従えば「舂く」を含む「米舂女等」が一段めの語りとして先に出てきて「婚く

ぎ断た

ち」「陰ほ

絶た

ち」が二

段めの語りとしてあとに出てくるしかし話が成立した経緯から見れば二段めの語りがもとで一段めの語りが生

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一四二

まれたわけだから実際の先後関係は正反対である

 「二段構えの語り」が以上のような経緯で成立したのだとすればOの話では陪お

もとびと

従が交合を行って陰部を損傷さ

せた対象はもともと「米舂女等」だとは限定されていなかったことになるそれで話は成り立つ

 

Oの話に認められる「二段構えの語り」は前節で確認したような歌の構成のありかたから見ればいったいどの

ようなものだと言えるのか

P 

窺うかねらふ

良布 

跡と み見

山やま

雪ゆき

之の 

いちしろく 

恋ひば妹が名 

人知らむかも

〔十二三四六〕

 

この歌では「じっと見ていて獲物を狙う」の意の「うかねらふ」が「跡と

み見

山」の「跡見」に掛かる枕詞になって

いる「うかねらふ」を承ける「跡と

み見

」は狩猟に関して用いられた語である注釈辞書に見える説明をまとめれ

ば「跡見」は「鳥獣が通ったあとを見てそれが通った時間やそれが今いる場所などを判断することまたそれ

を行う役の猟師」の意である歌の作者が「跡見」という語からそれと類義をもつ「うかねらふ」という動詞を

連想しそれを「跡見」という名詞を導入する枕詞としたのである「うかねらふ」と「跡見」とは類義の語だが

音韻面ではまったく異なっているこれはOの話の「米よ

舂つき

女め

等ら

」の「舂く」と「婚く

ぎ断ち」「陰ほ

絶た

ち」との関係に

近い

 『古事記』に見える次の歌謡では序詞と本旨との関係がPの歌の「跡見」と「うかねらふ」とのそれに類似し

たものになっている

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一四三

Q 

倭やまとへ方

に 

西吹き上げて 

玖く

毛も

婆ば

那な

礼れ 

曽そ

岐き

袁を

理り

登と

母も 

吾忘れめや

〔記五五〕

 「倭や

まとへ方

にhelliphellip雲離れ」の三句が序詞となって本旨の「退そ

き」あるいは「退き居り」を導入している「退き」は

「遠ざかり」の意を表す動詞だから「雲離れ」という複合語に用いられた「離れ」とは類義語の関係にある本旨

の「退き」を言うためにそれと類義をもつ「離れ」を事前に連想しそれを末尾に置いて長い序詞を構成したわけ

である「雲離れ」と「退き居り」とは音韻面で類似するところがない「離れ」と「退き」との関係はやはりO

の話の「米よ

舂つき

女め

等ら

」の「舂く」と「婚く

ぎ断ち」「陰ほ

絶た

ち」との関係に近いと言える

R ふさ

手た

折をり 

多た

武むの

山やま

霧ぎり 

繁みかも 

細川の瀬に 

波騒きける

〔九一七〇四〕

 

この歌では地名の「多た

武む

」を「曲げる」の意を表す「たむ」という動詞に見立てそれから事前に連想された

類義の「手折り」に「

ふさ

」を付し「たむ」の枕詞としている「手た

折を

る」は「手で曲げて取る」の意であり「

は「総房」のことで花や実が束になって付いたものをさす本旨の表現に用いるべき「たむ」から類義を表す

「手折る」という動詞を連想したのであるこれもまたOの話の「断つ」と「舂く」との関係を思わせる「たむ」

と「手折り」とは初頭の音節が同じだが互いに音節数が異なっている

 

三首の「跡見」「退き」「たむ」が「二段構えの語り」の二段めのかたりに相当しそれから連想された「うかね

らふ」「雲離れ」「

手折り」が一段めの語りに相当すると言えるだろう

 

既に述べたようにOの話は聖性と威徳とを具えた息長帯日売命に関する話である「一夜の間に萩一ひ

根もとお生

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一四四

き」「墫も

たひの

水溢あ

れて井と成りき」その他の不思議な事態が起こったことが話のなかでくり返し述べられている

同様にほかならぬ息長帯日売命に仕える陪お

もとびと

従が米舂女等と交合を行って陰部を傷つけた結果「萩多く栄えき」

という事態が生じたということなのだろう

 

Oの話が載っているのと同じ『播磨国風土記』に

S 

讃さ よ容

といふ所ゆ

ゑ以

は大神妹い

もせ

二柱競ひて国占し

めましし時妹玉た

津つ

日ひめのみこと

女命生ける鹿を捕と

り臥せて其の腹を

割さ

きて其の血に稲種ま

きき仍よ

りて一夜の間に苗な

生お

ひき即す

なはち

取りて殖う

ゑしめたまひき爾こ

に大神勅の

りたま

ひしく「汝な

にも妹

は五さ月夜よ

に殖ゑつるかも」とのりたまひて即や

て他

あだしところ

処に去りたまひき故か

五月夜の郡こ

ほりと

號なづ

神を賛さ

用よ

都つ

比ひめのみこと

売命と名づく

〔讃容郡〕

という話が見えまた次のような話も見える

T 

丹に

津つ

日ひ

子こ

の神「法ほ

太だ

の川底を雲う

るみ潤

の方に越さむと欲お

ふ」と爾し

かい云

ひし時彼の村に在い

せる太お

水みづ

の神辞い

びて

云の

りたまひしく「吾は宍し

の血を以て佃た

つくる

故か

河の水を欲ほ

りせず」とのりたまひきその時丹津日子云ひし

く「此の神は河を堀る事に倦う

みて爾いへるのみ」といひき故雲う

弥み

と號な

く今い

人ひと

雲潤と號な

〔賀毛郡〕

 

Sの話は鹿の腹を割いてその血に稲を蒔いたら一夜で苗が生えたというものであるまたTの話は宍し

つま

り動物の血で田を作るから河の水は必要ないと神が言ったというものである二話では稲などの植物を植える際

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一四五

には普通に水を用いるよりも動物の血を用いた方が成長がずっと早いと述べているようである

 

これらの話には動物の血と稲あるいは田と一夜での苗の成長の三つの要素の結び付きが確認できる)

6(

この

ことはOの「陰絶田」の話を想起させずにはおかないつまり稲あるいは田は「陰絶田」の話に出ている「米よ

舂つき

女め

等ら

」に対応するように思われるしまた動物の血は女らと陪従らとの交合によって陰部から出たはずの血に

対応するように思われるさらに一夜で急に苗が成長したという事態は「陰絶田」の話の前半部に「一夜の間に

萩一ひ

根もとお生

ひき」とありまた「陰絶田」という地名に続いて「仍す

なはち

萩多く栄えき」とあることに内容的に対応する

と理解することができる

 

だから「米よ

舂つき

女め

等ら

が陰ほ

を陪お

もとびとくな

従婚ぎ断ちき故陰ほ

絶たち

田だ

といふ仍す

なはち

萩多く栄えき」という一連の表現では

陰部を損傷させたことと萩が多く栄えたこととの間には「そのことが原因で」の意の明確な因果関係があると

見るべきだろう

 

三つの要素の結び付きがOの話にも認められる以上同話と動物の血に関する話は古い時代に行われていた儀礼

を背景とするものだと考えることができるだろう動物の血と人間の血との違いはあるがそれらは神に動物の犠

牲を捧げたことによって豊穣繁栄がもたらされたという人々の遠い記憶を伝えるものなのではないか

 「国土創成」をめぐるABの話とEFの話Gの「丹塗矢伝説」Iの「箸墓伝説」Oの「陰絶田」をめぐる

話のどれでも女陰交合結婚などのことが話題となっているこれらの諸話に「二段構えの語り」が認められる

ことを以上の論述で確認した

 

ただし「二段構えの語り」が認められることと女陰交合などの話題が含まれることとの二点を条件として

以上の諸話を選んだわけではない「二段構えの語り」が認められる諸話を取り上げたところそれらには女陰交

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一四六

合などの話題が共通して含まれていたというのが実際である

 

女陰を矢が突くにしても何かが原因で女陰が損傷を受けるにしてもとにかく女陰や交合に関する話題は話の

語り手にも聞き手にも強い印象を与えたはずである時にはそれは刺激的衝撃的な印象さえ与えたに違いない

それだからこそ女陰交合に関する出来事はその内容に類似し対応する連想を呼びやすかったのだろう「二段

構えの語り」と女陰交合の話題とが以上の諸話のなかに共存するのはそのような理由によるものと考えられる

 

以上で確認したように「二段構えの語り」が表れていると判断される諸話に女陰交合などの話題が共通して

含まれている論述の流れに従えば交合結婚を語るものではないがやはり女陰のことが一つの話題になってい

る次の話を取り上げる必要があるだろう

U 

須す

佐さ

之のをのみこと

男命(略)勝ちさびに天あ

まてらすおほみかみ

照大御神の営つ

くだ田

を離は

ちその溝を埋めまたその大お

ほにへ嘗

を聞こしめす殿に屎く

まり散らしき故か

然し

すれども天照大御神は咎と

めずてhellip(略)なほその悪しき態わ

止まずて転う

てありき天照大御

神忌い

みはた服

屋や

に坐ま

しまして神か

御み そ衣

織らしめたまひし時その服屋の頂む

を穿う

ち天あ

の斑ふ

ちこま馬

を逆さ

剝は

ぎに剝ぎて堕お

し入る

る時に天の服は

織おり

女め

見驚きて梭ひ

に陰ほ

と上

を衝つ

きて死にき故か

ここに天照大御神見畏か

しこみ

て天の石い

屋や

戸と

を開

きてさし籠もりましきここに高た

天ま

の原皆暗く葦

あしはらのなかつくにことごと

原中国悉に闇く

しこれによりて常と

夜よ

往ゆ

ききここに

万よろづのわざはひ

妖悉に発お

りき

〔神代記〕

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一四七

 

これは『古事記』の神話の一部であり須佐之男命の「勝ちさび」の場面とその姉である天照大御神の「石屋籠

もり」の場面である天照大御神が機織りをしている時に弟の須佐之男命が皮を剝いだ馬を服は

屋や

の屋根を壊し

てなかに投げ入れたそれに驚いた服は

織おり

女め

が縦糸の間に横糸を通すための道具である梭ひ

を誤って自分の陰部に突

き刺して死んだそれを見て弟の行動を恐れた天照大御神が石い

屋や

に籠もってしまったので世界は暗闇に閉ざされ

多くの災禍がはびこったという

 

二重線を付した「その服屋の頂む

を穿う

ち天あ

の斑ふ

ちこま馬

を逆さ

剝は

ぎに剝ぎて堕お

し入るる時にhellip」という部分と太線を付し

た「梭ひ

に陰ほ

と上

を衝つ

きて死にき」という部分とは表現のありかたがまったく異なるしかし皮を剝いだ馬を屋根

を壊して建物のなかに投げ入れることと梭ひ

で勢いよく突いて陰部を傷つけることとが物理的な動きとして酷似し

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ている

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ことは事実である二つの部分では

U 《ある物体を急に動かしその勢いで別の物体を破損する》

ということが共通の骨子になっているこのような動きはIOの話の場合の動きと酷似している

 

二つの部分に描写されている物理的な動きをこのように要約するとこれまで見た諸話の場合と同様にUの話に

表れている「二段構えの語り」について次のように推測すべきことになるつまり皮を剝いだ馬を服屋の屋根

を壊して投げ入れたという二重線の部分は梭で陰部を突いて服織女が死んだという太線の部分に基づいて伝承者

が事前に連想して話のなかに持ち込んだものだろうということである

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一四八

 

確かに梭で陰部を突いて女が死んだというのはあまりにも衝撃的で印象的な出来事である特に『日本書紀』

の所伝には「天照大神驚お

どろ動

きたまひて梭を以て身を傷い

ましむ」〔本書〕とありまた「稚わ

かひるめのみこと

日尊驚きたまひ

て機は

より墮お

ちて持たる梭を以て體み

を傷や

らしめて神か

むさ退

りましぬ」〔一書第一〕とあって事態はさらに深刻であ

る至高神である天照大神自身が陰部を損傷しまたその分身である稚日尊が同じ原因で死んだというのだからこ

れ以上の重大事件はない

 

ただしここで一つの問題が生じる伝承者が連想したことを神話のなかに持ち込む以前には梭を突き刺して陰

部を損傷したという話題はあっても屋根を壊して馬を投げ入れたという話題は含まれていなかったことになるそ

こで馬に関する話題が直前に置かれていなくても天照大御神が石屋に籠もるという展開になりえたのかとの問

題が生じるのである少なくともUの話では馬の投げ入れに驚いて服織女が陰部に損傷を負って死んだので

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その

ことを恐れた天照大御神が石屋に籠もってしまったというように読めるからである

 

結論を言えば馬を投げ入れるという行動はなくても天照大御神が石屋に籠もるという展開になりえたと理解

することができるそのことを支持するのは『日本書紀』に見える次の所伝である

V 

日ひのかみのみこと

神尊天あ

まのかきた

垣田を以て御田としたまふ時に素戔嗚尊春は渠み

塡う

め畔あ

はなち毀

す又秋の穀

たなつものすで

已に成りぬるとき

に則ち冒

ひきわたす

に絡あ

ぜなは縄

を以てす且ま

たひのかみ

日神の機は

殿どの

に居ま

します時に則ち斑ぶ

駒こま

を生い

剝は

ぎにして其の殿

みあらかの

内に納な

げいる

凡す

て此の諸

もろもろの

事尽

ことごとくに

是これあづきな

無状し然れども日神恩

このかみおととむつま

親しき意

みこころもちに

して慍と

めたまはず恨みたまはず皆

平たひ

らかなる心を以て容ゆ

したまふ日神の新

にひなへきこ

嘗しめす時に及お

よ至

びて素戔嗚尊則ち新

にひなへのみや

宮の御み

まし席

の下に陰ひ

そかに

ら送く

そま糞

る日神知し

しめさずして俓た

に席み

ましの

上に坐ゐ

たまふ是に由よ

りて日神體み

みこぞ挙

りて不や

くさ平

みたまふ故以

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一四九

て恚い

か恨

りまして廼す

なはち

天あまのいはや

石窟に居ま

して其の磐い

戸と

を閉さ

しぬ

〔一書第二〕

 

素すさのをのみこと

戔嗚尊の悪行がどのような順序でこのVの話にあげられているかを少し細かく見てみる天照大神の御み

田た

素戔嗚尊が損壊する話が最初に置かれておりそれはUの話の場合と同じであるしかしその直後にはUの話と

大きく異なって馬を投げ入れる話が置かれているそしてこの悪行を含む「諸

もろもろ

の事」について「日ひ

神かみ

恩このかみおととむつま

親しき意

みこころもちに

して慍と

めたまはず恨みたまはず皆平た

らかなる心を以て容ゆ

したまふ」という説明が付され

ている馬を投げ入れたことは天照大神の石屋籠もりと直結しておらずむしろ日神は馬の投げ入れを含む多くの

悪行を許したというのである

 

Vの話で石屋籠もりと直結しているのはそのあとになされた悪行であるそれは「素戔嗚尊則ち新

にひなへのみや

宮の御み

まし席

の下に陰ひ

そかに

自ら送く

そま糞

る」という蛮行でありこれによって「日神知しめさずして俓た

に席み

ましの

上に坐ゐ

たまふ是に

由よ

りて日神體み

みこぞ挙

りて不や

くさ平

みたまふ」というひどい状況が生じたつまり新宮のなかでの脱糞という悪行が日ひ

神かみ

に病をもたらしさらには同神を石屋に籠もらせたというのである陰部が損傷した事件ではなくて新宮での脱糞

という蛮行が石屋籠もりの原因となりえたことをVの話が証明している【天照大神にあたる神を「日神」とする所

伝はより古い時代に成立したものだと言われる】

 

新宮での脱糞が石屋籠もりの原因になったとするVの話には女陰が損傷したことはまったく見えないこれに対

してUの話やさきに引用した『日本書紀』の本書一書第二の話では馬の投げ入れに驚いた女神が陰部を損傷し

そのことが女神の石屋籠もりの原因となっている話の内容にこのような相違がある事実は女神が陰部を損傷した

ことと女神が石屋に籠もったこととは必ずしも一連のものではないことしたがって話の成立について考えるにあ

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一五〇

たっては二つのことを別々に処理してかまわないということを示している

 

ただしUの話で大きな問題となるのは馬を投げ入れるという行動がなければ女神が驚いて陰部を損傷すると

いう事態も起こらないということであるこの点で女神が陰部を損傷するという事態だけが話に含まれ馬を投

げ入れるという行動は話に含まれないという話の状況は想定できないのである

 

一連の話のなかにまずXのことが出ていて次にYのことが出ているという「二段構えの語り」について考える際

にぜひとも考慮しておくべきことがあるつまりあることをもとにしてそれに類似することを伝承者が連想し

連想した内容を結果的に話のなかに持ち込むには一般的に二とおりの過程がありうるということである

a 

先に出てくるXが伝承者に強い印象を与えるためにXについて語ったあとにそれに類似した内容をもつY

を伝承者が連想するという過程

b 

あとに出てくるYが伝承者に強い印象を与えるためにYについて語る前にそれに類似した内容をもつXを

伝承者が連想するという過程

 

これまで見てきた「二段構えの語り」はすべてbの過程を経て生じたものだと考えたしそのように考えて特に

問題はなかったしかしUVの二話の場合はそのように考えることは不可能であるUの話では馬を投げ入

れたことが女神が陰部を損傷する原因になっておりVの話では新宮で脱糞したことが女神に病をもたらす原

因となっている二重線の部分が原因を表しており太線の部分が結果を表しているわけだから二つの部分は密接

な因果関係を構成しているのである

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一五一

 

そこでUVの二話に表れている「二段構えの語り」がbの過程を経て成立したと仮定して具体的に話の展開

について考えてみる陰部を損傷したことだけがUの話に含まれるという段階を想定すれば女神がなぜ梭で陰部を

突くことになったのか何も説明がなく話の展開が唐突すぎる聞き手は話の展開が理解できないのであるまた

同様に女神が糞の上に座って病を得たことだけがVの話に含まれるという段階を想定すればそこになぜ糞があっ

たのかが不明であるこちらも話の展開そのものが成り立たない

 

一方で「二段構えの語り」はbの過程を経て成立したという仮定を捨てそれはaの過程を経て成立したものだ

と仮定してみる二重線の部分だけが話に含まれており伝承者はそれをもとにして太線の部分を連想し連想した

ことをあとで話のなかに持ち込んだというふうにである

 

Uの話にはもともと馬を投げ入れたことだけがあり伝承者はそれをもとに酷似する動きをとることとして

梭で陰部を突くという動作を連想した馬の皮を剝いだうえ屋根を壊してそれを服屋の中に投げ入れるという悪行

は女神が梭で陰部を突くという事故がなくても女神を恐れさせて石屋に籠もらせるには十分である

 

またVの話の場合にはもともと新宮で脱糞をしたことだけが含まれており伝承者はそれに基づいて女神が

その糞の上に座って病を得たことを連想した女神が新嘗の儀礼を行う前にその神聖な新宮でこっそり脱糞をする

という蛮行は女神が糞の上に座って病を得るという事態が起こらなくても女神を怒らせて石窟に籠もらせるには

十分である

 

こうしてbの過程を想定すればもとの話は成り立たないが逆にaの過程を想定すればUVの二話にも「二

段構えの語り」が表れていると考えることができる実はaの過程を想定することによって「二段構えの語り」が

表れていることを順当に説明しうる話はすぐあとに取り上げるようにほかにもまだある

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一五二

 

女陰が何らかの原因で損傷したことを述べるIOUの三話についてさきに一段めの語りと二段めの語りの

内容を検討したうえでそれぞれを次のように一文にまとめておいた

I 《身体の一部を急に下方に移動させその先にある物を勢いよく突く》

O 《狭い空間に棒状の物を差し入れその奥にある部分または物を強く突く》

U 《ある物体を急に動かしその勢いで別の物体を破損する》

 

三話に認められる「二段構えの語り」の内容はこのようにどれも同じような動きを表すものになっているそれ

だけでなくABの話やGの話に見られる「二段構えの語り」もまた同じような動きを表すものになっている

ということは女陰が損傷を受けたことを述べる三話に「二段構えの語り」を認めることの妥当性を逆の面から証

するものだと言えるのではないか

 

これに対し女陰の損傷が話題となっていない「二段構えの語り」が認められる別の諸話についてその内容を

一文にまとめるとその一文はこれらとまったく異なる動きを表すものとなる(後述)そのこともさきに述べた

ような「二段構えの語り」の存在を認めるべき一つの論拠となると考える

 

Uの話と同様にaの過程を経て「二段構えの語り」が成立したと推定される話をここでもう一つ取り上げる

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一五三

それは『古事記』に見える神話でのちに地上界の支配者になる大お

ほなむぢの

穴牟遅神か

をその兄弟である八や

十そ

神がみ

が殺害する場

面である

W 

ここに八や

十そ

神がみ

見てまた欺あ

ざむき

て山に率ゐ

て入りて大お

樹き

を切り伏せ茹ひ

矢や

をその木に打ち立てその中に入らし

むる即ちその氷ひ

目め

矢や

を打ち離ちて拷う

ち殺しきここにまたその御み

祖おや

の命み

こと

哭な

きつつ求ま

げば見得てすな

はちその木を折りて取り出で活かしてその子に告げて言ひしく「汝い

まし

此こ こ間

にあらば遂に八十神のために滅

ぼさえなむ」といひてすなはち木き

国くに

の大お

屋や

毘び

古この

神かみ

の御み

もと所

に違た

へ遣りきここに八十神

ぎ追ひ臻い

りて矢や

刺ざ

し乞ふ時に木の俣ま

より漏く

き逃がして云の

りたまひしく「須す

佐さ

能のをのみこと

男命の坐ま

します根の堅か

州す

国くに

に参ま

向ふべし必ず

その大神議は

りたまひなむ」とのりたまひき故か

詔の

りたまひし命の随ま

にまに

須佐之男命の御所に参ま

ゐいた到

ればhellip

〔神代記〕

 

八十神が大木を切り倒してそれを裂き裂け目に楔

くさび

状の「茹ひ

矢や

」を押し立てておいたそしてそこに大穴牟遅神

を入らせて楔状の物を引き抜き同神を圧死させた同神の母が木を折って息子を救い出しこれを蘇生させて大お

屋や

毘び

古この

神かみ

のもとへ逃がしてやったさらに八十神が追いついて息子を引き渡すように母に要求した時には母が息

子をこっそり木の俣から須佐能男命のもとへ逃がしてやったという

 

Wの話の直前には八十神に脅迫された大穴牟遅神が焼けた岩をかかえ込んで死んでしまったという話が置か

れている死んだ大穴牟遅神はやはり母の尽力によって復活したというそれが一回めの死と復活を語る話だから

Wの話で語られる死と復活は二回めのそれである一回めの死が岩を抱き取ることによってもたらされ二回めの死

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一五四

が木の俣に挟まれることによってもたらされた死因の内容が一回めと二回めとでは逆転している

 

また大穴牟遅神の二度にわたる死は天照大御神の二度にわたる死と奇妙なかたちで対応している天照大御神

の死はまず同神自身あるいはその分身の女神が木製の梭で陰部を突いて死ぬというかたちで語られるまた

そのあとで同神自身が岩屋に籠もってしまうというかたちで死が語られるがそれは太陽神の象徴的な死である

両神の死の内容を細かく比較すると両神の体と岩木とが次のように互いに逆転した奇妙な関係を示しているこ

とがわかる

  

大穴牟遅神の死helliphelliphellip体が岩をかかえるdarr木の俣が体を挟む

  

天照大御神の死helliphelliphellip木が体のなかに入るdarr体が岩のなかに入る

 

地上の支配者と世界の至高神との間に死をめぐってこのような逆転した関係が認められるのはきわめて興味深

いことである)

7(

 

さて「二段構えの語り」だがWの話のうち母が息子を「その木を折りて取り出で活かして」大お

屋や

毘び

古この

神かみ

のも

とへ逃がしてやったという二重線の部分が一段めの語りにあたる二段めの語りにあたるのは母が息子を「木の

俣また

より漏く

き逃がし」て須佐能男命のもとへ向かわせたという太線の部分である

 

つまりこの神話では俣になった「その木を折りて」母が息子を救い出す一段めの語りと母が息子を「木の俣

より漏く

き」逃がしてやる二段めの語りとは

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一五五

W 《母が息子を木の俣から救出しあるいは逃がして別の神のもとへ送り出す》

という酷似した内容のものになっている

 

地上の支配者となるべき大穴牟遅神が木の俣に挟まれて死んで母に救われる話の方が同神の母が木の俣から息

子を逃がしてやる話よりもずっと衝撃的で印象的であるだから神話の伝承者が一段めの語りの内容を強く意

識しそれに酷似した内容をもつ二段めの語りを連想してあとで話のなかに持ち込んだのだろうと推測される

より印象的な出来事を語り終えたあともそれが意識のなかから消え去らず類似し対応することがらをあとで連想し

てしまったと考えられる【一段めの話から二段めの話が連想されたというaの過程をたどったとおぼしい実例は

僅少であるそれには然るべき理由があったと考えるべきだが目下のところそれは不明である】

 

Wの話がこのような経緯をたどったとすると母が木を折って息子を救い出しこれを蘇生させてから別の神のも

とへ逃がしてやったという一段めの語りだけが話に含まれていた段階を例によって想定しなければならない一

段めの語りだけで話は成り立つのか

 

結論を言えばその想定は可能である八十神のもとから逃げた大穴牟遅神が須佐能男命のいる地まで行ったと

いうような単純な内容の話になっている方が以下との続きかたは自然である二重線の部分の末尾にある「木き

国くに

の大お

屋や

毘び

古この

神かみ

の御み

もと所

に違た

へ遣りき」の「大屋毘古神」の部分を太線の部分にある「須佐能男命」とすれば話は無

理なく以下に続くのであるまずは大屋毘古神のもとへ逃げて行ったという部分がなかったとすれば母は木の裂け

目から息子を救い出しこれを蘇生させて須佐能男命のもとへ送り出したというわかりやすい展開になるしたが

ってaの過程を経てWの話が成立しただろうという推定は十分に成り立つ

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一五六

 

二重線の「木き

国くに

の大お

屋や

毘び

古この

神かみ

の御み

もと所

に違た

へ遣りき」という部分は「木国のhellip」で始まっているそれは「大お

樹き

切り伏せ」「茹ひ

矢や

をその木に打ち立て」「その木を折りて」などWの話にくり返し出ている「樹木」から連想され

たものだろう

 

太線の部分にある「木の俣ま

より漏く

き逃がして」以下の表現からその前に置かれた二重線の部分が連想されたと

いうbの過程は想定できない二重線の部分が話に含まれていないという段階はなぜ太線の部分が話に含まれてい

るのかということつまり「木の俣ま

より漏く

き逃がして」とある理由が説明できないのである大穴牟遅神が八十神に

殺害されて復活したという理由があって始めて「木の俣ま

より漏く

き逃がして」以下の表現が意味をもつのである

 

木の俣に挟まれて圧死した大穴牟遅神が母の尽力によって蘇生したあとには同神が須佐能男命から与えられた

いくつもの試練を妻の須す

勢せ

理り

毘び

売め

の助力を得てそのたびごとに克服するという話が続くさらに大穴牟遅神が

須勢理毘売をその父のもとから奪って逃げるとともに自分に苦難をもたらした八十神を追い払って「始めて国を作

りたま」うたという展開になっているまたそのあとにも大穴牟遅神の子を産んだ八や

上かみ

比ひ

売め

が須世理毘売を恐

れて「その生める子をば木の俣に挟みて返」ったという話が続いている八上比売の話にまたもや「木の俣」

のことが出てくるわけである

 

この「木の俣」の話もまた大穴牟遅神が「木の俣」に挟まれて圧死した話から連想されたものである可能性が想

定できるがそのように想定する場合に問題となることがあるそれは両話の間に置かれた話があまりにも長大な

ものだということであるしかし大穴牟遅神と生まれた子との間には

 

ⅰ 

父子

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一五七

 

ⅱ 

木の俣に挟まれて死ぬ生まれて木の俣に挟まれる

 

ⅲ 

母が救い出す母が置き去りにする

 

ⅳ 

母が別地へ向かわせる母がもとの地に戻る

というような対比的な関係も認められるのでありこうした関係が偶然に生じたものだとは考えがたいだから父

が木の俣で圧死させられることから生まれた子を木の俣に置くことが連想されたという可能性をここでは否定し

ないでおく【より古い時代には大穴牟遅神が木の俣に挟まれて死ぬ話と八上比売が木の俣に新生児を挟む話とは

直結した一連のものだったことも想定できる】

 

以上の論述では「二段構えの語り」の様態について数話を例示してやや細かく検討を加えたその結果話に

含まれる特定のことからがそれに類似し対応することがらを伝承者に連想させ連想した内容が結果的に話のなか

に組み込まれてしまうという特徴的な現象を上代の神話や伝説を通して確認することができたと考える

 

同じ「二段構えの語り」の現象が認められる話は本稿で取り上げた諸話で尽きているのではなくまだ何話か上

代の文献に見える紙幅の関係でそれらを取り上げて細かく検討を加えることができないからここで二話だけに

ついて結論を述べておき具体的な検討は別稿で行うことにする

 

二話のうち一つは神話に見えるもので娘たちを飲み食らう大蛇を須佐能男命が退治する場面である『古事記』

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一五八

で言えば「是の高こ

志し

の八や

俣また

の遠を

呂ろ

智ち

年と

毎ごと

に来て喫く

へり」という部分と「船ふ

毎ごと

に己お

が頭を垂い入れてその酒を飲み

き」という部分とが「二段構えの語り」に相当する二つの部分の内容をまとめると

  《大蛇が出雲へやってきて足あ

名なづち椎

のがわに属するものを食らいあるいは飲む》

というようになる娘たちを食らい飲む大蛇が酒を飲むという同じ行動が原因で退治されてしまうのである

 

またもう一つの話は『播磨国風土記』の賀古郡の条に見える「比礼墓伝説」であるこの話では「印い

なみ南

」の女

が「隠な

び妻」であり「辞い

び妻」でもあるからこれは「古代の口がたり特有の面白さ」をもつものだという興味深

い見解がある

 

話の冒頭近くにある「度わ

たりもり

子紀き伊の国く

人ひと

小を

玉たま

申さく「我は天

すめらみこと

皇の贄に

人びと

たらめや」とまをす」という部分とその

あとにある「印南の別嬢聞きて驚き畏か

しこみ

即や

て南な

都つ

麻ま

嶋に遁に

げ度りき」という部分とが「二段構えの語り」に

相当する二つの部分のうちのあとの部分は別嬢が天皇の求婚を嫌がって

0

0

0

0

島に逃げて隠れたことを述べたものだか

ら二つの部分は同じく「辞い

び」を内容とするものだと言える「度わ

たりもり

子」つまり船頭の「我は天

すめらみこと

皇の贄に

人びと

たらめや」

という発言に倣って天皇の求婚を嫌がる別嬢の心情を言い表せば「吾は天皇の妻

9

9

9

9

たらめや」というようになる

  

船頭の「辞び」helliphelliphellip「我は天

すめらみこと

皇の贄に

人びと

たらめや」

  

別嬢の「辞び」helliphelliphellip「吾は天皇の妻

9

9

9

9

たらめや」

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一五九

 

結局二つの「辞び」は単なる拒否ではなく次のような同じ内容を表す「辞び」なのである

  《私は天皇にお仕えなどしない》

 

この話の末尾近くには別嬢の遺体について「大き飄つ

むじ

川下より来て其の尸か

ばねを

川中に纏ま

き入れき求むれども得

ず」と述べられているがその部分と別嬢が島に逃げて隠れた

0

0

0

という前の部分ともまた「二段構えの語り」を構

成している二つの部分はともに別嬢の「隠び」を内容とするものなので次のように一つにまとめることができる

  《別嬢が「隠な

び」をした》

 「辞び」も「隠び」も話のなかに二度ずつ表れているのである

 

大蛇退治の神話と「弟日姫子伝説」とには「二段構えの語り」を認めるにあたって解決すべき多くの問題が含ま

れているしかしそれらを一つ一つ検討していけば見てきた諸話と同様の特徴的な語りを二話にも認めることが

できる

註(1) 

本稿にあげる『古事記』『日本書紀』『風土記』などの記述は本文訓読文ともに古典文学大系のものを引用するまた

『萬葉集』の本文訓読文は新編古典全集のものを引用するただしいずれも読みやすさと理解しやすさとを考慮して

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一六〇

もとの表記形式その他を改めることが少なくない

(2) 

大野晋「記紀の創世神話の構成」〔『文学』一九六五年八月〕のちに『仮名遣と上代語』(一九八二年)に収載

(3) 「丹塗矢伝説」の成立については小著『伝承と言語』(一九九五年)のⅡ部四章で私見を述べたただし同書に述べたこ

とと本稿で述べたことの間には一点だけ相違がある丹塗矢が女の陰部を突いたという話は神と人間の女とが結婚したこ

とを明確に語ったものではないからそのことを明確にするために女の持ち帰った丹塗矢が男に変身して子が生まれたとい

う話があとになって付加されたのだと同書では述べたそれは既存の一説に見える解釈を妥当なものと認めそれを踏

襲したものだった本稿では「二段構えの語り」がこの話にも認められるという見解に立ってかつて小著で述べた考えを

訂正する

(4) 

女に与えられた「倭迹迹日百襲姫命」という名の語構成ははたしてどのようなものなのかこれを疑問の余地なく解明す

ることはかなり難しい

   

初頭の「倭」と末尾の「姫命」は除くとして「迹と

迹と

日び

百もも

襲そ

」の「百襲」は字面のとおり「多くの着衣」の意であるかも

知れないこの女の夫は蛇神だから蛇が何度も脱皮をくり返すことを背景とする名を妻がもつことは十分にありうること

だろう「百襲」の「襲」には字を構成する要素として「衣」がある「襲」の字は「重ねて着る」「覆う」「継ぐ」「おそ

う」などの意を表す

   

ある特徴や習性を表す語が当人ではなく周囲の者の名に含まれる例は「丹塗矢伝説」の登場者にも見られるたとえば

矢で陰部を突かれて慌てた女が勢せ

夜や

陀だ

多た

良ら

比ひ

売め

であるのにその女の産んだ娘が「陰に矢を立てられ震え姫」の意の「富ほ

登と

多た

多た

良ら

伊い

須す

須す

岐き

比ひめのみこと

売命」という名を与えられている母の経験したことが娘の名に反映しているのである

   「晡く

れふしの

時臥山やま

」〔『常陸国風土記』那珂郡茨城里〕の話に登場する子として蛇を産んだ女とその兄は「努ぬ

賀か

咩め

」「努ぬ

賀か

古こ

という名を与えられているこれらの名も原義を解明するのは難しいが「ぬか」はやはり脱皮の意を表す「脱ぬ

か」かも知れ

ない『和名類聚抄』の「蛻」の項に「毛も

沼ぬ

久く

」とあり『色葉字類抄』の「

蛻」の項に「ヘミノモヌケ」とあるこれらの

「脱ぬ

く」「脱ぬ

け」がこの場合に参考になる下二段活用動詞の「脱け」が「脱か彦脱か姫」では「脱か」となってい

るわけだが上代語では「明け」「荒れ」「枯れ」などの下二段活用動詞が「明か時(暁)」「新あ

垣がき

」「枯から

木き

」などの複合名詞を

構成しているのに同じである

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一六一

 

名の意味をこのように理解することは生まれた子を入れる器を何度か大きいものに替えたという脱皮を暗示する説明と

吻合する中世には「もぬけの衣」という表現もあるから「もぬけ」の「も」はあるいは「裳」か

(5) 「陰ほ

絶たち

田だ

」という地名と「米よね

舂つき

女め

等ら

が陰ほと

を陪おもとびとくな

従婚ぎ断ちき」という説明との関係には理解するのが難しい点がある

「陰絶田」に含まれる「絶つ」はもともと「長い間にわたって継続してきたことを止めまた幅のある物体を切る」の意を

表す動詞であるこれの自動詞である「絶ゆ」も基本的に意味は同じであるだから「陪お

もとびと

従」との交合によって陰部が損

傷したことをあえて「婚ぎ絶ち

9

9

き」と表現した理由が不明である物を損傷したことがなぜ「絶つ」と表現されたのか

「婚ぎ絶ちき」を「裂傷をおはせた」〔古典全書〕の意だと説明してもその疑問は解消しない

   「陰絶田」はもと「陰に(男根が)立つ田」の意の「陰立9

田」だったかも知れないそのように想定すれば神武記の

「丹塗矢伝説」に登場する「富ほ

登と

多た

多た

良ら

伊い

須す

須す

岐き

比ひ

売め

」という名の「ほとたたら」と意味的に対応するただし矢の場合に

「立つ」を用いた理由は理解できるが男根の場合にも同様に「立つ」を用いたとは想定しにくい「絶つ」とあることはや

はり不審のままである

(6) 

三つの要素の結びつきについては益田勝実「日本神話における外在と内在日本神話論における始原と展開」〔国文学

『解釈と鑑賞』一九七七年十月〕によるただしこの論にはOの話に関する言及がまったくないOの話のなかに三要素の

結び付きを読み取るのは私見にすぎない

(7) 

両神の死因をめぐる逆転関係については小著『日本の神話伝説を読む』(岩波新書二〇〇七年)の第二章第二節で述

べた

(日本語日本文学科 

教授)

Page 5: 一 神話・伝説に見られる特徴的な語り...神話・伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木) 0 一二三 べている。太平洋に伝承の海洋型国産み神話に類似。またヌホコを男性の象徴とし、交合による国産み神話とも見られる」と述

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一二五

 

同じ説明は古典大系『日本書紀』の注にも取り入れられており同書の補注に「男女の会話が神として位置を占め

たものと思われる」という解説が見える思想大系『古事記』の「容貌が整っていて美しいことを神格化」「畏敬の

念を抱いたことを神格化」という「面足る」「あや恐こね」に対する解説も対偶神の名を同じように解釈したう

えでのものである

 

確かに「面足る」「あや恐こね」という「男女の会話」あるいは神名はすぐあとに見える男女二神の発言から

伝承者が事前に連想したものだと考えられるさきにも言及したように二神が交合によって子としての国土を産ん

でいく直前に相手を讃美することばを発し合う場面があり結果的にその発言が神名のかたちをとって話のなかに

入り込んだということであるこれが「二段構えの語り」の一段めの語りに相当する

 

二神が相手を讃美することばを発し合い子としての国土を産んでいく場面は

E 

ここに伊邪那岐命先に「あなにやしえをとめを」と言ひ後に妹伊邪那美命「なにやしえをとこを」

と言ひきかく言ひ竟を

へて御み

合あひ

して生める子はhellip

〔神代記〕

F 

陽を

神かみ

先づ唱へて曰の

たまは

く「妍あ

なにゑや

哉可え

愛少女」とのたまふ陰め

神かみ

後に和こ

へて曰はく「妍あ

なにゑや

哉可え

愛少男」との

たまふ然し

かうし

て後に宮を同じくして共に住す

ひて児こ

を生む

〔神代紀四段一書第一〕

などと語られているこれらEFの話に見える「あなにやしhellip」「あなにゑやhellip」などの感動を表すことばや

「愛え

をとこ男

を」「愛え

をとめ女

を」などの讃めことばを発したあとで女神が国土を産んでいくことを描写するのが二段めの語り

になる

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一二六

 

このように神名の「面足る」「あや恐こね」とEFの話との間に「二段構えの語り」にあたるものが認められ

ると考えるその場合にまず男神が女神を讃美しなければならないという思考のありかたに従えば大野の説明の

ように「面足る」が男神の発したことばであり「あや恐こね」が女神の発したことばである

 

EFの話に見える二神の発言はそれぞれ感動を表すことばと讃めことばとの二つから成るが「面足る」「あや

恐こね」のうち前者はそうなっていない『古事記』では「恐こね」が感動詞を伴って「あや

9

9

恐こね」となっており

『日本書紀』にもそれに類似する神名がいくつか出ているしかし「面足る」にはこの単純な神名しかなく感動詞

を伴った神名は見えない神話的な背景機能のうえでは対偶神ではあっても神名の語構成は対偶的なものにはな

っていない

 

それには然るべき理由がありそうである二段めの語りから事前に連想された一段めの語りに二段めの語りに

出てくるのと同じような対偶的な神名を導入すれば二つの段に出てくる表現は互いにパラレルな構成をもつことに

なるその結果伝承者が一方から他方を連想したことがわかりやすくなるそれを避けて後次的に導入する一段

めの語りともとからある二段めの語りとを一続きものとして提示するためには一段めの語りのなかに後次的に導

入するものを二段めのそれとは別の構成をもつものに仕立てればよい

 

ABの話とEFの話とは日本神話のなかでも特に重要な原初の二神による「国土創成」の話でありその

成立の過程には多くの伝承者が関与したはずであるそれだけにさまざまな伝承者によるさまざまな連想がそこに

働いたに違いない「国土創成」をめぐる話に右で述べたような二種の「二段構えの語り」が認められるのは話

がそうした複雑な過程を経て成立したことの反映だろう

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一二七

 

次には『古事記』の神武天皇の条に見える話を取り上げる「三輪山伝説」の一つであり「丹に

塗ぬり

矢や

伝説」と呼ば

れるものである

G 

更に大お

ほきさき

后とせむ美を

とめ人

を求ま

ぎたまひし時大お

ほくめのみこと

久米命の曰ま

しけらく「此こ

こ間

に媛を

とめ女

あり是こ

を神の御み

子こ

と謂い

ふその

神の御子と謂ふ所ゆ

ゑ以

は三み

しまのみぞくひ

嶋湟咋の女む

すめ

名は勢せ

夜や

陀だ

多た

良ら

比ひ

売め

その容か

たちうるは

姿麗美しくありき故か

美み

和わ

の大お

物もの

主ぬしのかみ

見み め感

でてその美人の大く

そ ま

便為れる時丹に

塗ぬり

矢や

に化な

りてその大便為れる溝み

より流れ下りてその美人の富ほ

登と

を突

ききここにその美人驚きて立ち走りいすすきき乃す

なはち

その矢を将も

ち来て床と

の辺に置けば忽た

ちまち

麗うるはし

壮をとこ夫

に成りて即す

なはち

その美人を娶め

して生める子名は富ほ

登と

多た

多た

良ら

伊い

須す

須す

岐き

比ひめのみこと

売命と謂ひ亦の名を比ひ

売め

多た

多た

良ら

伊い

須す

気け

余よ

理り

比ひ

売め

是こ

はその富ほ

登と

と云ふことを悪に

みて後に名を改めつるぞと謂ふ故是こ

をもちて神の御子と謂ふなり」とま

をしき

〔神武記〕

 

三輪山の大物主神が容姿美麗な人間の女を気に入り赤く塗った矢に変身して溝を流れ下ったそして女が大

便をしている所へ行って矢の姿のままでその陰部を突いた女が矢を家に持ち帰って床の辺に置いたところ矢は

美男に変身して女と結婚したやがて比ひ

売め

多た

多た

良ら

伊い

須す

気け

余よ

理り

比ひ

売め

が生まれこの娘が初代の天皇である神武天皇の后

になったという

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一二八

 

このGの話にも「二段構えの語り」が明瞭に表れていると認められるので右に話を引用するにあたって二つの

段に相当する部分にそれぞれ傍線を付しておいた二重線を付した「丹に

塗ぬり

矢や

に化な

りてその大く

そ ま

便為れる溝み

より流れ下

りてその美人の富ほ

登と

を突きき」という部分が一段めの語りに相当し太線を付した「その矢を将も

ち来て床と

の辺に

置けば忽た

ちまち

麗うるはし

き壮を

とこ夫

に成りて即す

なはち

その美人を娶め

してhellip」という部分が二段めの語りに相当する二種の線を付

した部分の関係はどのようになっているのか

 

神の変身した丹塗矢が「美を

とめ人

の富ほ

登と

を突」いたとあるのは神と女との交合結婚を婉曲に述べたものだと言われ

るそのとおりだろうまたすぐあとの記述に女が家に持ち帰った丹塗矢が「麗う

るはし

き壮を

とこ夫

」に変身して「その美

人を娶め

し」たとありこちらはまともな結婚の話になっているそれでこの話では神と女とが結婚したことについ

て二種の説明が重なっているとも言われる

 

このように神と女との結婚を語る話が二種あることをどのように理解すべきかについていくつかの見解が提示

されているそれらの見解の当否はともかくとしてこの話に「二段構えの語り」という視点を導入すれば従来の

見解とは別の把握のしかたが可能になる

 

神が矢から美男へと変身ししかもその神が人間の女と結婚したという太線の部分はきわめて不思議で印象的な

内容をもつものであるその不思議で印象的な場面について語る前にやはり神と人間の女との交合結婚を示唆す

ることとして神の変身した矢が女の陰部を突くという連想を伝承者にもたらしたそして連想した内容が結果的

に話のなかに持ち込まれたのが二重線の部分だろうと想定することが可能である

 

神の変身した矢が女の陰部を突くという一段めの語りと美男に変身した神が女と交合結婚するという二段めの

語りとは表現上はまったく異なるものの内容面では大きい違いがないこの話の場合結局は神と人間の女との

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一二九

交合結婚について述べることが目的でありまた一方の語りが他方の語りから連想されたものでもあるから二つ

の語りの内容に大きい違いがないのも納得できる

 

崇神記に見える「苧を

だまき環

伝説」がそうであるようにGの話の場合にも大物主神が美男に変身して女のもとにやっ

て来て結局は両者が結婚して子が誕生したというのがもともとの内容だっただろう矢が女の陰部を突いたとい

う部分はなくても神婚の話は十分に成り立つ)

3(

 

Gの話によく似た内容をもつものとして「賀か

ものやしろの

茂社縁起」がよく知られているそれは『釈日本紀』に引かれた

もので『山城国風土記』の逸文である

H 

賀かものたけつのみのみこと

茂建角身命丹た

にはのくに

波国の神か

野の

の神伊い

可か

古こ

夜や

日ひ

売め

を娶め

して生みませる子名を玉た

依より

日ひ

子こ

と曰い

ひ次を玉た

依より

日ひ

売め

曰ふ玉依日売石川の瀬せ

見み

の小川に川遊びせし時丹塗矢川上より流れ下りき乃ち取りて床の辺に挿さ

置き遂に孕は

みて男を

とこご子

を生みき(略)加

かものわけいかづちのみこと

茂別雷命と號な

く謂い

はゆる丹塗矢は乙お

訓くに

の郡の社や

しろに

坐ま

せる火

ほのいかづちのかみ

雷神

なり

〔『釈日本紀』巻第九〕

 

Gの話とこのHの話で特に似ているのは

G 

その美人の大く

そ ま

便為れる時丹に

塗ぬり

矢や

に化な

りてその大便為れる溝み

より流れ下りて(略)乃ちその矢を将も

ち来て

床とこ

の辺に置けばhellip

H 

玉依日売石川の瀬せ

見み

の小川に川遊びせし時丹塗矢川上より流れ下りき乃ち取りて床の辺に挿さ

し置き

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一三〇

hellip

という部分であり二話が系統的に密接な関係にあることが知られるGの話の丹塗矢は蛇神であり雷神でもある

大物主神が変身したものだしHの話の丹塗矢は「火ほ

のいかづちのかみ

雷神」という名の雷神であるこうした点もGHの二

話が同じ系統を引く話であることを示している

 

Gの話に含まれる「その美人の富ほ

登と

を突ききここにその美人驚きて立ち走りいすすきき」という部分と

「忽た

ちまち

麗うるはし

き壮を

とこ夫

に成りて即す

なはち

その美人を娶め

して」という部分とは対応する表現がHの話には見えないGの話

の「二段構えの語り」にあたるものが同系統に属すると思われるHの話にはそろって含まれていないのである

 

しかしGHの話のどちらでも川を流れてきた丹塗矢の正体が神であることは自明だからHの伝説ではそれ

を「床と

の辺へ

に挿さ

し置」いたと述べるだけで女が「遂に孕は

みて男を

のこご子

を生」んだことの背景や経緯が容易に想像できた

に違いない

 

Gの話を構成するもとになった古い話に矢が男に変身して女と交合結婚したという説明が含まれていたかいな

かったかは不明であるしかしかりに変身結婚に関する説明が含まれていなかったにしても矢を床の辺に置

いたという説明さえ含まれていればそれに基づいて伝承者は神と女とが交合結婚したことを理解しただろう

あえて言えば伝承者が理解した内容そのものが二段めの語りにあたることになるそして伝承者は自分が理解し

たことから「その美人の富ほ

登と

を突きき」という矢の動きを連想し一段めの語りとしてそれをあとで話に付加したの

だろうと想定できる

 

このように考えればHの話のようにもともと「二段構えの語り」にあたるものがなかに含まれていなくても

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一三一

GHの話と同じ系統に属する古い話が結果的にそれを含むに至ることはありえたと思われる

 

Gの話に登場する神と女との間には二段構えの両段にまたがるかたちの内容面で逆転した対応関係が認められ

 

ⅰ 

美しい女美形の男

 

ⅱ 

男の矢への変身矢の男への変身

 

ⅲ 

矢の女のもとへの到来女の矢の持ち帰り

 

この種の逆転した関係は口承時代にその骨格がほぼ成立しただろうと思われる古い話にしばしば見られるもの

である矢が陰部を突く場面を矢が美男に変身して女と結婚した話から伝承者が連想し後次的に話のなかに持ち

込んだものだとしてもその連想は相当に古い時代に起こったことだろう

 

次に取り上げるのも大物主神をめぐる「三輪山伝説」の一つだがこちらは神と人間の女との結婚が破綻したこと

を語る話になっている

I 

是こ

の後に倭や

まとととびももそひめのみこと

迹迹日百襲姫命大お

ほものぬしのかみ

物主神の妻と為な

る然し

れども其そ

の神常に昼は見えずして夜のみ来み

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一三二

倭迹迹姫命夫に語りて曰い

く「君常に昼は見えたまはねば分あ

きらか明

に其の尊み

顔かほ

を視ること得ず願はくは暫し

し留りたまへ明

くるつあした

旦に仰ぎて美う

るは麗

しき威み

すがた儀

を覲み

たてまつらむと欲お

ふ」といふ大神対こ

へて曰く「言こ

とわりいやちこ

理灼然

なり吾明

くるつあした

旦に汝い

ましが

194797くし

笥げ

に入りて居らむ願はくは吾が形にな驚きましそ」とのたまふ爰こ

に倭迹迹姫命

心の裏う

に密ひ

そかに

異あやしぶ

明くるを待ちて194797笥を見れば遂に美麗しき小こ

をろち蛇

有り其の長さ太さ衣し

たひも紐

の如し則ち驚

き叫さ

け啼

ぶ時に大神恥ぢて忽

たちまちに

人の形と化な

りたまふ其の妻に謂か

りて曰く「汝い

まし

忍びずして吾に羞は

ぢみせ

吾還か

りて汝に羞せむ」とのたまふ仍よ

りて大お

ほぞら虚

を践ほ

みて御み

もろの諸

山やま

に登ります爰に倭迹迹姫命仰ぎ見

て悔いて急つ

き居う

則ち箸に陰ほ

を撞つ

きて薨か

むさり

ましぬ乃ち大お

ほち市

に葬は

りまつる故か

時の人其の墓を號な

けて箸は

墓はか

と謂い

ふ是の墓は日ひ

は人作り夜は神作る故か

大坂山の石を運びて造る

〔崇神紀〕

 

これは『日本書紀』の崇神天皇の条に見えるものでさまざまな話題を含む興味深い内容の話である

 

Gの話の場合と同様にこのIの話にも二重線と太線とを付しておいた「二段構えの語り」に相当するものが認

められるからである

 

妻の倭や

まとととびももそひめのみこと

迹迹日百襲姫命が夫である大物主神が自分に課した「私の姿に驚いてはならない」という禁を犯してしま

ったこれに怒った夫は御み

もろの諸

山やま

(三輪山)に登って行ったがその様子を仰ぎ見た妻は悔やんでその場にどすんと座

り込んだするとそこにあった箸が妻の陰部に突き刺さり妻はそのまま死んでしまった妻を葬る墓は昼に人

が造り夜には神が造ったという話の末尾の内容に因んで一般に「箸は

墓はか

伝説」と呼ばれている

 

Iの話より前の記述に倭迹迹日百襲姫命は「天皇の姑み

をば」

だという説明が見える大物主神の妻になったというの

だから巫女的な性格を強くもつ女である彼女の名はとても長いので話のなかでは「倭迹迹姫命」と略称されて

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一三三

いる)

4(

 「是の墓は日ひ

は人作り夜は神作る」という話の末尾を読んですぐに想起されることがあるそれは努ぬ

賀か

咩め

という女の産んだ「小さき蛇」が「明くれば言こ

とはぬが如く闇く

るれば母と語」ったという「晡く

れふしの

時臥山や

」〔『常陸

国風土記』那珂郡茨城里〕の話である「神の子である蛇が昼は物を言わなかったが夜になれば母と話をした」

というのは神が昼にはほとんど行動せず夜には活発に行動するという当時の人々の考えを反映するものだろう

これは夜には神が墓を造ったというIの話に一致する

 

それだけでなく夜には神が墓を造ったという説明は同じIの話の冒頭近くに「其そ

の神常に昼は見えずして

夜のみ来み

す」とある説明と内容的に対応している冒頭の近くで述べたことと末尾の近くで述べたこととを照応さ

せたかたちである

 「二段構えの語り」に相当するものは一見しただけではこの話に含まれていないように思われるしかし話の

文脈を細かくたどると二重線を付した「大お

ほぞら虚

を践ほ

みて御み

もろの諸

山やま

に登ります」という部分と「仰ぎ見て悔いて急つ

き居う

則ち箸に陰ほ

を撞つ

きて薨か

むさり

ましぬ」という太線の部分とがそれに相当することがわかる前者は大物主神によ

る天空での動作であり後者は倭迹迹姫命による地上での動作であるこれらの動作により一方は本来の拠点に戻

り他方は他界へ赴いた

 

二重線の部分と太線の部分とについて二種の動作の間にどのような関係があるというのか二種の動作を描写し

た部分に「二段構えの語り」を認めるのは深読みの結果ではないのかなどといった疑問が生じるかも知れないし

かし話の文脈から見れば実はそのように判断するのは間違いであることが明らかになる

 「大虚を践みて」という夫の動作は新編古典全集の注で「雷神の象徴」だと解説され「天空をふみとどろかし

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一三四

て」と現代語訳されている蛇神である大物主神は雷神でもあるからそれは妥当な解説である「大虚を践みて」

は雷鳴は神が天空を踏みつける音だと見なしたうえでの表現である

 

この点に関しては『萬葉集』の歌が参考になる

J 

天雲を 

ほろに踏みあだし 

鳴る神も 

今日にまさりて 

恐かしこけ

めやも

〔十九四二三五〕

 「天の雲をばらばらに踏み散らして音を響かせる雷神も今日の天皇の御前より恐れ多いはずはないだろう」の意

を表す歌である作者はこのような歌を詠むことによって天皇の威徳あるいは権力に対して畏怖の念と敬愛の

情とを表明したのである第三句の「鳴る神」とは雷神のことで「(天で音を響かせて)鳴る神」の意である雷鳴

は神が天雲を踏みつけることによって出る音だという把握のしかたが歌の背後にあるIの話に「大虚を践みて」

とあるのは雷神に対して上代の人々がいだいていた畏怖の念を端的に表すものになっている

 

他方の「急つ

き居う

」という妻の動作については古典大系の注に「どすんとすわったツキは衝キと同じ」という

解説が見え新編古典全集の注には

K 「急」の字にどすんと坐る様子を表現ツキは「突」で尻餠をつく後悔でがっくりきた姿がよく出てい

と見える【妻が箸で陰部を突いたという話題の背後には男女の交合のイメージが濃厚にまとわりついていたと考え

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一三五

られる夫婦をめぐる話だからそれは当然のことである】

 

夫婦の動作についてまとめると「大虚を践みて」は妻に禁を犯されたことを恥じた大物主神が勢いよく天空

を踏みつけるさまを表すまた「急き居」は夫の課した禁を犯したことを悔いた倭迹迹姫命が地面に急にすわ

り込むさまを表すどちらも

 

I 《身体の一部を急に下方に移動させその先にある物を勢いよく突く》

という動作であるこのことを確認すれば天空でなされる「大虚を践みて」と地上でなされる「急き居」とは

互いに類似し対応する動作だということがわかる夫と妻による二種の動作にこうした類似と対応とが認められる以

上それが話を深読みすることによって得られた誤った理解であるはずはない

 

妻に「箸に陰ほ

を撞つ

きて薨か

むさり

ましぬ」という忌まわしい事態が生じたわけだから「急き居」というのは語り手に

とっても聞き手にとってもきわめて衝撃的な動作である伝承者は妻の驚くべき動作について語る前にその場面の

ことを強く意識しただろうそして妻の動作に対応し類似する夫の動作としていかにも雷神らしい「大虚を践み

て」という動作を連想し話のなかに持ち込んだのだろう

 

ただし二重線を付した部分と太線を付した部分の「大虚を践みて」と「急き居」とは内容的には酷似あるい

は類似したことを表すものになっている一方で表現の具体的なありかたは大きく異なっている

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それは当然である

 

さきに「神世七代」の条に出現する「面足る」「あや恐か

こね」という対偶神の名とEFの話に見える男女二神

の讃美表現とについて述べたように一段めの語りと二段めの語りには異なる表現を用いなければならない内容面

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一三六

で類似し対応する二つの部分が表現の面でも同じように類似し対応していれば伝承者が一方をもとにして他方を

作ったことが聞き手に悟られやすくなるからである「大虚を践みて」と「急き居」とであれば両者の表現は異

なるからそれらは一方から他方を連想したものだとは悟られにくいのである

 

こう見てくるとIの話にもやはり「二段構えの語り」が認められることがわかる「大虚を践みて」という動作

をあえて描写しなくても怒った神が御諸山に帰って行ったと述べるだけで話は十分に成り立つ当該の箇所は

もともと「大虚を践みて」という表現を含まない単純なものだっただろう

 

この話のなかには大物主神と倭迹迹姫命とに関して互いに対比的だと見なしうる項目が多く含まれている特

に目立つものを整理すれば

 

ⅰ 

神人

 

ⅱ 

夫妻

 

ⅲ 

応じる願う

 

ⅳ 

禁を課す禁を犯す

 

ⅴ 

恥じる悔いる

 

ⅵ 

天空地上

 

ⅶ 

足で踏みつける尻餠を突く

 

ⅷ 

本拠地に戻る他界へ赴く

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一三七

というようになる

 

神と人間の女とが結婚したもののそれは根本的な矛盾を含む無理な結び付きだった神と人間との間にあるそ

の根本的な矛盾が夫が課した禁を妻が犯すという大きな溝となって現れ結局のところ両者は別離を迎えざるをえ

なかったというのがIの話の趣旨である話の伝承者が神と人間との根本的な相違を明確に意識しながら語った

話だからⅰ〜ⅷのような対比的な項目を含むことになったということだろう

 

ここで「二段構えの語り」の成立に深い関わりをもつと思われる『萬葉集』の歌の構成について見てみる歌の

構成というのは一方から他方を連想することによって成立する序詞と本旨との関係である

L 

春はるされば

去者 

先まづ

鳴なく

鳥とり

乃の うぐひすの

之 

事こと

先さき

立だち

之し 

君をし待たむ

〔十一九三五〕

 「春さればhelliphellipう

ぐひすの

」の三句が序詞でありそれが本旨の「言こ

先立ちし君をし待たむ」を導入している第一句

第二句の表現にあるように「

」は春を迎えて真っ先に鳴く鳥であるそれを序詞の末尾に置いて「(あなたが私

に)先に声を掛けた」の意の「言先立ちし」つまり本旨を導入する表現とした「言先立ちし」という相手の行動を

描写する前に春になって真っ先に鳴く鳥を歌の作者が連想しそれを歌の前半に置いたのであるだから作者が

言いたい本旨の内容が先にありそれから序詞が連想されたという関係であるあとで連想された序詞は意味的

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一三八

にも内容的にも本旨に類似するものになっているが本旨の表現とは異なっている

M 

牛うし

窓まと

之の 

浪なみ

乃の

塩しほ

左さ

猪ゐ 

嶋しまとよみ

響 

所よそりしきみは

依之君 

逢はずかもあらむ

〔十一二七三一〕

 

序詞の「牛窓のhelliphellip島」は本旨である「響と

み寄そりしhellip」から連想されたものであり同時に本旨を導入する表

現にもなっているこの序詞は「潮し

騒さゐ

の波のざわめきのように島も」の意を表し本旨の「響み寄そりし君はhellip」は

「噂もうるさいほどに私との関係を言い立てられたあなたはhellip」の意を表す「潮騒」という音にかかわる現象と

人の噂が激しいことをいう「響み」との類似性が歌の前半と後半とを結び付けている噂がうるさいという現実か

ら作者は「潮騒」のざわめきを連想して序詞としたのだから本旨の内容が先にあり序詞は本旨に基づいて連想

されたという関係である

N 

天あま

飛と

ぶや 

軽の社の 

斎いはひつき

槻 

幾代まであらむ 

隠こもりづま

嬬そも

〔十一二六五六〕

 

女が詠んだと思われるこの歌では「天あ

飛と

ぶやhelliphellip齋い

ひ槻つ

」の三句が序詞として四句以下の表現を導入している

序詞の末尾に置かれた「齋ひ槻」は神聖である故に人が触れてはならない木をさすまた第五句の「隠こ

り妻」は

人に知られてはならない間がらにある妻をさすそのような内容面での共通性が歌の前半にある序詞と後半にある

本旨とを強く結び付けている「齋い

ひ槻」と「隠こ

り妻」とは表現が異なっているが両者の関係はMの歌に出て

いる「潮騒」と「響み」とのそれに酷似している

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一三九

 

以上の三首に見られる序詞と本旨との関係はさきに見た諸話の一段めの語りと二段めの語りとの関係に相当する

三首の序詞は本旨の内容から連想されたものであり諸話の一段めの語りは二段めの語りの内容から連想されたもの

であるしかし連想を呼ぶもとになったこととそれから連想されたこととは三首でも諸話でも表現が互いに異

なるものになっている

 

話を「二段構えの語り」に戻し次の話に認められる「二段構えの語り」について検討するしかし次の話の語

りのありかたは見てきた三話と異なる点がある

O 

萩原の里土は中の中なり右萩原と名づくる故は息お

きながたらしひめのみこと

長帯日売命韓か

らくに国

より還か

り上りましし時御船此の村

に宿りたまひき一夜の間に萩一ひ

ともと根

生お

ひき高さ一ひ

丈つゑ

ばかりなり仍よ

りて萩原と名づく即す

なはち

御井を闢は

りき

故かれ

針は

間ま

井ゐ

といふ其の処は墾は

らず又墫も

たひの

水溢あ

れて井と成りき故韓か

の清水と號く其の水朝に汲むに

朝に出でず爾す

なはち

酒殿を造りき故酒田といふ舟傾き乾か

れき故傾か

ぶきだ田

といふ米よ

舂つき

女め

等ら

が陰ほ

を陪

おもとびとくな

従婚

ぎ断ちき故陰ほ

とたち絶

田だ

といふ仍す

なはち

萩多く栄えき故萩原といふ爾こ

に祭れる神は少

すくなたらしのみこと

足命にます

〔『播磨国風土記』揖保郡〕

 

これは『播磨国風土記』に見える話で息お

きながたらしひめのみこと

長帯日売命(神功皇后)の聖性と威徳とを強調する内容になっている

 

これまで見た三話と同様にこのOの話にも女陰の話題が含まれているそれは「陰ほ

絶たち

田だ

」という地名の由来を

説明する短小な話のなかに見える息長帯日売命に仕える陪お

もとびと

従が米よ

舂つき

女め

等ら

と交合して陰部を傷つけたそのことが

この地名の由来になったという)

5(

陰部を傷つけたことを語る「陪お

もとびとくな

従婚ぎ断た

ちき」の「断た

ちき」は「裂傷をおはせた」

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一四〇

〔古典全書〕の意だと比較的古い注釈にありこれを踏襲する新しい注釈もある妥当な解説である

 

以上で見た三話と異なる点というのは二重線の部分と太線の部分とが

O 

米よね

舂つき

女め

等ら

が陰ほ

を陪お

もとびとくな

従婚ぎ断ちき

というように一文のなかに連続して出ている点である見てきた三話では二種の線を付した部分は近接した位置

にあるがOの話の場合はそれが極端なかたちで表れているまた二重線の部分が三話のように何らかの動作

状態を描写した表現になってはおらず「米よ

舂つき

女め

等ら

」という複合名詞になっている点も三話とは異なる

 

二種の線を付した一文の内容についていささか気になるのは「陪お

もとびとくな

従婚ぎ断た

ちき」という動作の対象になったの

が「米よ

舂つき

女め

等ら

が陰ほ

」だということである

 「米よ

舂つき

女め

等ら

」という複合名詞に含まれる「舂つ

く」は「突く」という動詞の一用法である「舂く」は「きねなどの

先で強く打っておしつぶしたり穀物のからなどを除いたり精白したりする」〔『日本国語大辞典』第二版〕の意で

あり「舂女」は「臼で穀物をつく女」〔同〕の意である

 

結局のところ「舂く」という動作は「臼などの器に棒状の物を押し込みなかにある穀物などを押しつぶす」の

意を表すわけだがいささか気になると述べたのは「舂く」という動作と「婚く

ぎ断ち」「陰ほ

絶た

ち」という動作との

間に認められる

O 《狭い空間に棒状の物を差し入れその奥にある部分または物を強く突き破る》

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一四一

という物理的な動き

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0

0

0

0

0

としての類似性であるこれは既に取り上げたABの話やIの話に見られる二種の動きの

類似性と同じである

 

交合によって陰部を損傷したのと同様に棒状の物で「舂く」ことによって穀物などの本来の形態も損なわれる

だから「舂く」と「婚く

ぎ断ち」「陰ほ

絶た

ち」とは物理的な動きだけではなく動きによって生じる結果

0

0

においても類

似している

 

このように話のなかに先に出てくる「舂き」とその直後に出てくる「婚く

ぎ断ち」「陰ほ

絶た

ち」との間には物理

的な動きとそれがもたらす結果との双方に関して顕著な対応類似が認められるそのような対応類似が生じた

ことについて次のように想定することができるだろうつまり話の伝承者があとで自分が語る交合という動作

を強く意識したそのために交合に類似した動きを表す「舂く」を事前に連想しさらにはその語を含む「米舂女

等」をも連想してそれを結果的に話のなかに持ち込んだのではないかということである現にGの「丹塗矢伝

説」に「その美人の富ほ

登と

を突きき」とありIの「箸は

墓はか

伝説」にも「陰を衝つ

きて」とあってそれらの「突き」「衝

き」は表記こそ違え「舂き」と同じ動詞である

 「婚く

ぎ断ち」「陰ほ

絶た

ち」は凄惨かつ深刻な事態だからそれに類似する「舂く」という動作を事前に伝承者が連想

することは十分にありえたと思われるそのように想定すればOの話にも「二段構えの語り」が表れていることに

なる

 

話の展開に従えば「舂く」を含む「米舂女等」が一段めの語りとして先に出てきて「婚く

ぎ断た

ち」「陰ほ

絶た

ち」が二

段めの語りとしてあとに出てくるしかし話が成立した経緯から見れば二段めの語りがもとで一段めの語りが生

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一四二

まれたわけだから実際の先後関係は正反対である

 「二段構えの語り」が以上のような経緯で成立したのだとすればOの話では陪お

もとびと

従が交合を行って陰部を損傷さ

せた対象はもともと「米舂女等」だとは限定されていなかったことになるそれで話は成り立つ

 

Oの話に認められる「二段構えの語り」は前節で確認したような歌の構成のありかたから見ればいったいどの

ようなものだと言えるのか

P 

窺うかねらふ

良布 

跡と み見

山やま

雪ゆき

之の 

いちしろく 

恋ひば妹が名 

人知らむかも

〔十二三四六〕

 

この歌では「じっと見ていて獲物を狙う」の意の「うかねらふ」が「跡と

み見

山」の「跡見」に掛かる枕詞になって

いる「うかねらふ」を承ける「跡と

み見

」は狩猟に関して用いられた語である注釈辞書に見える説明をまとめれ

ば「跡見」は「鳥獣が通ったあとを見てそれが通った時間やそれが今いる場所などを判断することまたそれ

を行う役の猟師」の意である歌の作者が「跡見」という語からそれと類義をもつ「うかねらふ」という動詞を

連想しそれを「跡見」という名詞を導入する枕詞としたのである「うかねらふ」と「跡見」とは類義の語だが

音韻面ではまったく異なっているこれはOの話の「米よ

舂つき

女め

等ら

」の「舂く」と「婚く

ぎ断ち」「陰ほ

絶た

ち」との関係に

近い

 『古事記』に見える次の歌謡では序詞と本旨との関係がPの歌の「跡見」と「うかねらふ」とのそれに類似し

たものになっている

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一四三

Q 

倭やまとへ方

に 

西吹き上げて 

玖く

毛も

婆ば

那な

礼れ 

曽そ

岐き

袁を

理り

登と

母も 

吾忘れめや

〔記五五〕

 「倭や

まとへ方

にhelliphellip雲離れ」の三句が序詞となって本旨の「退そ

き」あるいは「退き居り」を導入している「退き」は

「遠ざかり」の意を表す動詞だから「雲離れ」という複合語に用いられた「離れ」とは類義語の関係にある本旨

の「退き」を言うためにそれと類義をもつ「離れ」を事前に連想しそれを末尾に置いて長い序詞を構成したわけ

である「雲離れ」と「退き居り」とは音韻面で類似するところがない「離れ」と「退き」との関係はやはりO

の話の「米よ

舂つき

女め

等ら

」の「舂く」と「婚く

ぎ断ち」「陰ほ

絶た

ち」との関係に近いと言える

R ふさ

手た

折をり 

多た

武むの

山やま

霧ぎり 

繁みかも 

細川の瀬に 

波騒きける

〔九一七〇四〕

 

この歌では地名の「多た

武む

」を「曲げる」の意を表す「たむ」という動詞に見立てそれから事前に連想された

類義の「手折り」に「

ふさ

」を付し「たむ」の枕詞としている「手た

折を

る」は「手で曲げて取る」の意であり「

は「総房」のことで花や実が束になって付いたものをさす本旨の表現に用いるべき「たむ」から類義を表す

「手折る」という動詞を連想したのであるこれもまたOの話の「断つ」と「舂く」との関係を思わせる「たむ」

と「手折り」とは初頭の音節が同じだが互いに音節数が異なっている

 

三首の「跡見」「退き」「たむ」が「二段構えの語り」の二段めのかたりに相当しそれから連想された「うかね

らふ」「雲離れ」「

手折り」が一段めの語りに相当すると言えるだろう

 

既に述べたようにOの話は聖性と威徳とを具えた息長帯日売命に関する話である「一夜の間に萩一ひ

根もとお生

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一四四

き」「墫も

たひの

水溢あ

れて井と成りき」その他の不思議な事態が起こったことが話のなかでくり返し述べられている

同様にほかならぬ息長帯日売命に仕える陪お

もとびと

従が米舂女等と交合を行って陰部を傷つけた結果「萩多く栄えき」

という事態が生じたということなのだろう

 

Oの話が載っているのと同じ『播磨国風土記』に

S 

讃さ よ容

といふ所ゆ

ゑ以

は大神妹い

もせ

二柱競ひて国占し

めましし時妹玉た

津つ

日ひめのみこと

女命生ける鹿を捕と

り臥せて其の腹を

割さ

きて其の血に稲種ま

きき仍よ

りて一夜の間に苗な

生お

ひき即す

なはち

取りて殖う

ゑしめたまひき爾こ

に大神勅の

りたま

ひしく「汝な

にも妹

は五さ月夜よ

に殖ゑつるかも」とのりたまひて即や

て他

あだしところ

処に去りたまひき故か

五月夜の郡こ

ほりと

號なづ

神を賛さ

用よ

都つ

比ひめのみこと

売命と名づく

〔讃容郡〕

という話が見えまた次のような話も見える

T 

丹に

津つ

日ひ

子こ

の神「法ほ

太だ

の川底を雲う

るみ潤

の方に越さむと欲お

ふ」と爾し

かい云

ひし時彼の村に在い

せる太お

水みづ

の神辞い

びて

云の

りたまひしく「吾は宍し

の血を以て佃た

つくる

故か

河の水を欲ほ

りせず」とのりたまひきその時丹津日子云ひし

く「此の神は河を堀る事に倦う

みて爾いへるのみ」といひき故雲う

弥み

と號な

く今い

人ひと

雲潤と號な

〔賀毛郡〕

 

Sの話は鹿の腹を割いてその血に稲を蒔いたら一夜で苗が生えたというものであるまたTの話は宍し

つま

り動物の血で田を作るから河の水は必要ないと神が言ったというものである二話では稲などの植物を植える際

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一四五

には普通に水を用いるよりも動物の血を用いた方が成長がずっと早いと述べているようである

 

これらの話には動物の血と稲あるいは田と一夜での苗の成長の三つの要素の結び付きが確認できる)

6(

この

ことはOの「陰絶田」の話を想起させずにはおかないつまり稲あるいは田は「陰絶田」の話に出ている「米よ

舂つき

女め

等ら

」に対応するように思われるしまた動物の血は女らと陪従らとの交合によって陰部から出たはずの血に

対応するように思われるさらに一夜で急に苗が成長したという事態は「陰絶田」の話の前半部に「一夜の間に

萩一ひ

根もとお生

ひき」とありまた「陰絶田」という地名に続いて「仍す

なはち

萩多く栄えき」とあることに内容的に対応する

と理解することができる

 

だから「米よ

舂つき

女め

等ら

が陰ほ

を陪お

もとびとくな

従婚ぎ断ちき故陰ほ

絶たち

田だ

といふ仍す

なはち

萩多く栄えき」という一連の表現では

陰部を損傷させたことと萩が多く栄えたこととの間には「そのことが原因で」の意の明確な因果関係があると

見るべきだろう

 

三つの要素の結び付きがOの話にも認められる以上同話と動物の血に関する話は古い時代に行われていた儀礼

を背景とするものだと考えることができるだろう動物の血と人間の血との違いはあるがそれらは神に動物の犠

牲を捧げたことによって豊穣繁栄がもたらされたという人々の遠い記憶を伝えるものなのではないか

 「国土創成」をめぐるABの話とEFの話Gの「丹塗矢伝説」Iの「箸墓伝説」Oの「陰絶田」をめぐる

話のどれでも女陰交合結婚などのことが話題となっているこれらの諸話に「二段構えの語り」が認められる

ことを以上の論述で確認した

 

ただし「二段構えの語り」が認められることと女陰交合などの話題が含まれることとの二点を条件として

以上の諸話を選んだわけではない「二段構えの語り」が認められる諸話を取り上げたところそれらには女陰交

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一四六

合などの話題が共通して含まれていたというのが実際である

 

女陰を矢が突くにしても何かが原因で女陰が損傷を受けるにしてもとにかく女陰や交合に関する話題は話の

語り手にも聞き手にも強い印象を与えたはずである時にはそれは刺激的衝撃的な印象さえ与えたに違いない

それだからこそ女陰交合に関する出来事はその内容に類似し対応する連想を呼びやすかったのだろう「二段

構えの語り」と女陰交合の話題とが以上の諸話のなかに共存するのはそのような理由によるものと考えられる

 

以上で確認したように「二段構えの語り」が表れていると判断される諸話に女陰交合などの話題が共通して

含まれている論述の流れに従えば交合結婚を語るものではないがやはり女陰のことが一つの話題になってい

る次の話を取り上げる必要があるだろう

U 

須す

佐さ

之のをのみこと

男命(略)勝ちさびに天あ

まてらすおほみかみ

照大御神の営つ

くだ田

を離は

ちその溝を埋めまたその大お

ほにへ嘗

を聞こしめす殿に屎く

まり散らしき故か

然し

すれども天照大御神は咎と

めずてhellip(略)なほその悪しき態わ

止まずて転う

てありき天照大御

神忌い

みはた服

屋や

に坐ま

しまして神か

御み そ衣

織らしめたまひし時その服屋の頂む

を穿う

ち天あ

の斑ふ

ちこま馬

を逆さ

剝は

ぎに剝ぎて堕お

し入る

る時に天の服は

織おり

女め

見驚きて梭ひ

に陰ほ

と上

を衝つ

きて死にき故か

ここに天照大御神見畏か

しこみ

て天の石い

屋や

戸と

を開

きてさし籠もりましきここに高た

天ま

の原皆暗く葦

あしはらのなかつくにことごと

原中国悉に闇く

しこれによりて常と

夜よ

往ゆ

ききここに

万よろづのわざはひ

妖悉に発お

りき

〔神代記〕

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一四七

 

これは『古事記』の神話の一部であり須佐之男命の「勝ちさび」の場面とその姉である天照大御神の「石屋籠

もり」の場面である天照大御神が機織りをしている時に弟の須佐之男命が皮を剝いだ馬を服は

屋や

の屋根を壊し

てなかに投げ入れたそれに驚いた服は

織おり

女め

が縦糸の間に横糸を通すための道具である梭ひ

を誤って自分の陰部に突

き刺して死んだそれを見て弟の行動を恐れた天照大御神が石い

屋や

に籠もってしまったので世界は暗闇に閉ざされ

多くの災禍がはびこったという

 

二重線を付した「その服屋の頂む

を穿う

ち天あ

の斑ふ

ちこま馬

を逆さ

剝は

ぎに剝ぎて堕お

し入るる時にhellip」という部分と太線を付し

た「梭ひ

に陰ほ

と上

を衝つ

きて死にき」という部分とは表現のありかたがまったく異なるしかし皮を剝いだ馬を屋根

を壊して建物のなかに投げ入れることと梭ひ

で勢いよく突いて陰部を傷つけることとが物理的な動きとして酷似し

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ている

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ことは事実である二つの部分では

U 《ある物体を急に動かしその勢いで別の物体を破損する》

ということが共通の骨子になっているこのような動きはIOの話の場合の動きと酷似している

 

二つの部分に描写されている物理的な動きをこのように要約するとこれまで見た諸話の場合と同様にUの話に

表れている「二段構えの語り」について次のように推測すべきことになるつまり皮を剝いだ馬を服屋の屋根

を壊して投げ入れたという二重線の部分は梭で陰部を突いて服織女が死んだという太線の部分に基づいて伝承者

が事前に連想して話のなかに持ち込んだものだろうということである

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一四八

 

確かに梭で陰部を突いて女が死んだというのはあまりにも衝撃的で印象的な出来事である特に『日本書紀』

の所伝には「天照大神驚お

どろ動

きたまひて梭を以て身を傷い

ましむ」〔本書〕とありまた「稚わ

かひるめのみこと

日尊驚きたまひ

て機は

より墮お

ちて持たる梭を以て體み

を傷や

らしめて神か

むさ退

りましぬ」〔一書第一〕とあって事態はさらに深刻であ

る至高神である天照大神自身が陰部を損傷しまたその分身である稚日尊が同じ原因で死んだというのだからこ

れ以上の重大事件はない

 

ただしここで一つの問題が生じる伝承者が連想したことを神話のなかに持ち込む以前には梭を突き刺して陰

部を損傷したという話題はあっても屋根を壊して馬を投げ入れたという話題は含まれていなかったことになるそ

こで馬に関する話題が直前に置かれていなくても天照大御神が石屋に籠もるという展開になりえたのかとの問

題が生じるのである少なくともUの話では馬の投げ入れに驚いて服織女が陰部に損傷を負って死んだので

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その

ことを恐れた天照大御神が石屋に籠もってしまったというように読めるからである

 

結論を言えば馬を投げ入れるという行動はなくても天照大御神が石屋に籠もるという展開になりえたと理解

することができるそのことを支持するのは『日本書紀』に見える次の所伝である

V 

日ひのかみのみこと

神尊天あ

まのかきた

垣田を以て御田としたまふ時に素戔嗚尊春は渠み

塡う

め畔あ

はなち毀

す又秋の穀

たなつものすで

已に成りぬるとき

に則ち冒

ひきわたす

に絡あ

ぜなは縄

を以てす且ま

たひのかみ

日神の機は

殿どの

に居ま

します時に則ち斑ぶ

駒こま

を生い

剝は

ぎにして其の殿

みあらかの

内に納な

げいる

凡す

て此の諸

もろもろの

事尽

ことごとくに

是これあづきな

無状し然れども日神恩

このかみおととむつま

親しき意

みこころもちに

して慍と

めたまはず恨みたまはず皆

平たひ

らかなる心を以て容ゆ

したまふ日神の新

にひなへきこ

嘗しめす時に及お

よ至

びて素戔嗚尊則ち新

にひなへのみや

宮の御み

まし席

の下に陰ひ

そかに

ら送く

そま糞

る日神知し

しめさずして俓た

に席み

ましの

上に坐ゐ

たまふ是に由よ

りて日神體み

みこぞ挙

りて不や

くさ平

みたまふ故以

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一四九

て恚い

か恨

りまして廼す

なはち

天あまのいはや

石窟に居ま

して其の磐い

戸と

を閉さ

しぬ

〔一書第二〕

 

素すさのをのみこと

戔嗚尊の悪行がどのような順序でこのVの話にあげられているかを少し細かく見てみる天照大神の御み

田た

素戔嗚尊が損壊する話が最初に置かれておりそれはUの話の場合と同じであるしかしその直後にはUの話と

大きく異なって馬を投げ入れる話が置かれているそしてこの悪行を含む「諸

もろもろ

の事」について「日ひ

神かみ

恩このかみおととむつま

親しき意

みこころもちに

して慍と

めたまはず恨みたまはず皆平た

らかなる心を以て容ゆ

したまふ」という説明が付され

ている馬を投げ入れたことは天照大神の石屋籠もりと直結しておらずむしろ日神は馬の投げ入れを含む多くの

悪行を許したというのである

 

Vの話で石屋籠もりと直結しているのはそのあとになされた悪行であるそれは「素戔嗚尊則ち新

にひなへのみや

宮の御み

まし席

の下に陰ひ

そかに

自ら送く

そま糞

る」という蛮行でありこれによって「日神知しめさずして俓た

に席み

ましの

上に坐ゐ

たまふ是に

由よ

りて日神體み

みこぞ挙

りて不や

くさ平

みたまふ」というひどい状況が生じたつまり新宮のなかでの脱糞という悪行が日ひ

神かみ

に病をもたらしさらには同神を石屋に籠もらせたというのである陰部が損傷した事件ではなくて新宮での脱糞

という蛮行が石屋籠もりの原因となりえたことをVの話が証明している【天照大神にあたる神を「日神」とする所

伝はより古い時代に成立したものだと言われる】

 

新宮での脱糞が石屋籠もりの原因になったとするVの話には女陰が損傷したことはまったく見えないこれに対

してUの話やさきに引用した『日本書紀』の本書一書第二の話では馬の投げ入れに驚いた女神が陰部を損傷し

そのことが女神の石屋籠もりの原因となっている話の内容にこのような相違がある事実は女神が陰部を損傷した

ことと女神が石屋に籠もったこととは必ずしも一連のものではないことしたがって話の成立について考えるにあ

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一五〇

たっては二つのことを別々に処理してかまわないということを示している

 

ただしUの話で大きな問題となるのは馬を投げ入れるという行動がなければ女神が驚いて陰部を損傷すると

いう事態も起こらないということであるこの点で女神が陰部を損傷するという事態だけが話に含まれ馬を投

げ入れるという行動は話に含まれないという話の状況は想定できないのである

 

一連の話のなかにまずXのことが出ていて次にYのことが出ているという「二段構えの語り」について考える際

にぜひとも考慮しておくべきことがあるつまりあることをもとにしてそれに類似することを伝承者が連想し

連想した内容を結果的に話のなかに持ち込むには一般的に二とおりの過程がありうるということである

a 

先に出てくるXが伝承者に強い印象を与えるためにXについて語ったあとにそれに類似した内容をもつY

を伝承者が連想するという過程

b 

あとに出てくるYが伝承者に強い印象を与えるためにYについて語る前にそれに類似した内容をもつXを

伝承者が連想するという過程

 

これまで見てきた「二段構えの語り」はすべてbの過程を経て生じたものだと考えたしそのように考えて特に

問題はなかったしかしUVの二話の場合はそのように考えることは不可能であるUの話では馬を投げ入

れたことが女神が陰部を損傷する原因になっておりVの話では新宮で脱糞したことが女神に病をもたらす原

因となっている二重線の部分が原因を表しており太線の部分が結果を表しているわけだから二つの部分は密接

な因果関係を構成しているのである

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一五一

 

そこでUVの二話に表れている「二段構えの語り」がbの過程を経て成立したと仮定して具体的に話の展開

について考えてみる陰部を損傷したことだけがUの話に含まれるという段階を想定すれば女神がなぜ梭で陰部を

突くことになったのか何も説明がなく話の展開が唐突すぎる聞き手は話の展開が理解できないのであるまた

同様に女神が糞の上に座って病を得たことだけがVの話に含まれるという段階を想定すればそこになぜ糞があっ

たのかが不明であるこちらも話の展開そのものが成り立たない

 

一方で「二段構えの語り」はbの過程を経て成立したという仮定を捨てそれはaの過程を経て成立したものだ

と仮定してみる二重線の部分だけが話に含まれており伝承者はそれをもとにして太線の部分を連想し連想した

ことをあとで話のなかに持ち込んだというふうにである

 

Uの話にはもともと馬を投げ入れたことだけがあり伝承者はそれをもとに酷似する動きをとることとして

梭で陰部を突くという動作を連想した馬の皮を剝いだうえ屋根を壊してそれを服屋の中に投げ入れるという悪行

は女神が梭で陰部を突くという事故がなくても女神を恐れさせて石屋に籠もらせるには十分である

 

またVの話の場合にはもともと新宮で脱糞をしたことだけが含まれており伝承者はそれに基づいて女神が

その糞の上に座って病を得たことを連想した女神が新嘗の儀礼を行う前にその神聖な新宮でこっそり脱糞をする

という蛮行は女神が糞の上に座って病を得るという事態が起こらなくても女神を怒らせて石窟に籠もらせるには

十分である

 

こうしてbの過程を想定すればもとの話は成り立たないが逆にaの過程を想定すればUVの二話にも「二

段構えの語り」が表れていると考えることができる実はaの過程を想定することによって「二段構えの語り」が

表れていることを順当に説明しうる話はすぐあとに取り上げるようにほかにもまだある

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一五二

 

女陰が何らかの原因で損傷したことを述べるIOUの三話についてさきに一段めの語りと二段めの語りの

内容を検討したうえでそれぞれを次のように一文にまとめておいた

I 《身体の一部を急に下方に移動させその先にある物を勢いよく突く》

O 《狭い空間に棒状の物を差し入れその奥にある部分または物を強く突く》

U 《ある物体を急に動かしその勢いで別の物体を破損する》

 

三話に認められる「二段構えの語り」の内容はこのようにどれも同じような動きを表すものになっているそれ

だけでなくABの話やGの話に見られる「二段構えの語り」もまた同じような動きを表すものになっている

ということは女陰が損傷を受けたことを述べる三話に「二段構えの語り」を認めることの妥当性を逆の面から証

するものだと言えるのではないか

 

これに対し女陰の損傷が話題となっていない「二段構えの語り」が認められる別の諸話についてその内容を

一文にまとめるとその一文はこれらとまったく異なる動きを表すものとなる(後述)そのこともさきに述べた

ような「二段構えの語り」の存在を認めるべき一つの論拠となると考える

 

Uの話と同様にaの過程を経て「二段構えの語り」が成立したと推定される話をここでもう一つ取り上げる

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一五三

それは『古事記』に見える神話でのちに地上界の支配者になる大お

ほなむぢの

穴牟遅神か

をその兄弟である八や

十そ

神がみ

が殺害する場

面である

W 

ここに八や

十そ

神がみ

見てまた欺あ

ざむき

て山に率ゐ

て入りて大お

樹き

を切り伏せ茹ひ

矢や

をその木に打ち立てその中に入らし

むる即ちその氷ひ

目め

矢や

を打ち離ちて拷う

ち殺しきここにまたその御み

祖おや

の命み

こと

哭な

きつつ求ま

げば見得てすな

はちその木を折りて取り出で活かしてその子に告げて言ひしく「汝い

まし

此こ こ間

にあらば遂に八十神のために滅

ぼさえなむ」といひてすなはち木き

国くに

の大お

屋や

毘び

古この

神かみ

の御み

もと所

に違た

へ遣りきここに八十神

ぎ追ひ臻い

りて矢や

刺ざ

し乞ふ時に木の俣ま

より漏く

き逃がして云の

りたまひしく「須す

佐さ

能のをのみこと

男命の坐ま

します根の堅か

州す

国くに

に参ま

向ふべし必ず

その大神議は

りたまひなむ」とのりたまひき故か

詔の

りたまひし命の随ま

にまに

須佐之男命の御所に参ま

ゐいた到

ればhellip

〔神代記〕

 

八十神が大木を切り倒してそれを裂き裂け目に楔

くさび

状の「茹ひ

矢や

」を押し立てておいたそしてそこに大穴牟遅神

を入らせて楔状の物を引き抜き同神を圧死させた同神の母が木を折って息子を救い出しこれを蘇生させて大お

屋や

毘び

古この

神かみ

のもとへ逃がしてやったさらに八十神が追いついて息子を引き渡すように母に要求した時には母が息

子をこっそり木の俣から須佐能男命のもとへ逃がしてやったという

 

Wの話の直前には八十神に脅迫された大穴牟遅神が焼けた岩をかかえ込んで死んでしまったという話が置か

れている死んだ大穴牟遅神はやはり母の尽力によって復活したというそれが一回めの死と復活を語る話だから

Wの話で語られる死と復活は二回めのそれである一回めの死が岩を抱き取ることによってもたらされ二回めの死

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一五四

が木の俣に挟まれることによってもたらされた死因の内容が一回めと二回めとでは逆転している

 

また大穴牟遅神の二度にわたる死は天照大御神の二度にわたる死と奇妙なかたちで対応している天照大御神

の死はまず同神自身あるいはその分身の女神が木製の梭で陰部を突いて死ぬというかたちで語られるまた

そのあとで同神自身が岩屋に籠もってしまうというかたちで死が語られるがそれは太陽神の象徴的な死である

両神の死の内容を細かく比較すると両神の体と岩木とが次のように互いに逆転した奇妙な関係を示しているこ

とがわかる

  

大穴牟遅神の死helliphelliphellip体が岩をかかえるdarr木の俣が体を挟む

  

天照大御神の死helliphelliphellip木が体のなかに入るdarr体が岩のなかに入る

 

地上の支配者と世界の至高神との間に死をめぐってこのような逆転した関係が認められるのはきわめて興味深

いことである)

7(

 

さて「二段構えの語り」だがWの話のうち母が息子を「その木を折りて取り出で活かして」大お

屋や

毘び

古この

神かみ

のも

とへ逃がしてやったという二重線の部分が一段めの語りにあたる二段めの語りにあたるのは母が息子を「木の

俣また

より漏く

き逃がし」て須佐能男命のもとへ向かわせたという太線の部分である

 

つまりこの神話では俣になった「その木を折りて」母が息子を救い出す一段めの語りと母が息子を「木の俣

より漏く

き」逃がしてやる二段めの語りとは

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一五五

W 《母が息子を木の俣から救出しあるいは逃がして別の神のもとへ送り出す》

という酷似した内容のものになっている

 

地上の支配者となるべき大穴牟遅神が木の俣に挟まれて死んで母に救われる話の方が同神の母が木の俣から息

子を逃がしてやる話よりもずっと衝撃的で印象的であるだから神話の伝承者が一段めの語りの内容を強く意

識しそれに酷似した内容をもつ二段めの語りを連想してあとで話のなかに持ち込んだのだろうと推測される

より印象的な出来事を語り終えたあともそれが意識のなかから消え去らず類似し対応することがらをあとで連想し

てしまったと考えられる【一段めの話から二段めの話が連想されたというaの過程をたどったとおぼしい実例は

僅少であるそれには然るべき理由があったと考えるべきだが目下のところそれは不明である】

 

Wの話がこのような経緯をたどったとすると母が木を折って息子を救い出しこれを蘇生させてから別の神のも

とへ逃がしてやったという一段めの語りだけが話に含まれていた段階を例によって想定しなければならない一

段めの語りだけで話は成り立つのか

 

結論を言えばその想定は可能である八十神のもとから逃げた大穴牟遅神が須佐能男命のいる地まで行ったと

いうような単純な内容の話になっている方が以下との続きかたは自然である二重線の部分の末尾にある「木き

国くに

の大お

屋や

毘び

古この

神かみ

の御み

もと所

に違た

へ遣りき」の「大屋毘古神」の部分を太線の部分にある「須佐能男命」とすれば話は無

理なく以下に続くのであるまずは大屋毘古神のもとへ逃げて行ったという部分がなかったとすれば母は木の裂け

目から息子を救い出しこれを蘇生させて須佐能男命のもとへ送り出したというわかりやすい展開になるしたが

ってaの過程を経てWの話が成立しただろうという推定は十分に成り立つ

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一五六

 

二重線の「木き

国くに

の大お

屋や

毘び

古この

神かみ

の御み

もと所

に違た

へ遣りき」という部分は「木国のhellip」で始まっているそれは「大お

樹き

切り伏せ」「茹ひ

矢や

をその木に打ち立て」「その木を折りて」などWの話にくり返し出ている「樹木」から連想され

たものだろう

 

太線の部分にある「木の俣ま

より漏く

き逃がして」以下の表現からその前に置かれた二重線の部分が連想されたと

いうbの過程は想定できない二重線の部分が話に含まれていないという段階はなぜ太線の部分が話に含まれてい

るのかということつまり「木の俣ま

より漏く

き逃がして」とある理由が説明できないのである大穴牟遅神が八十神に

殺害されて復活したという理由があって始めて「木の俣ま

より漏く

き逃がして」以下の表現が意味をもつのである

 

木の俣に挟まれて圧死した大穴牟遅神が母の尽力によって蘇生したあとには同神が須佐能男命から与えられた

いくつもの試練を妻の須す

勢せ

理り

毘び

売め

の助力を得てそのたびごとに克服するという話が続くさらに大穴牟遅神が

須勢理毘売をその父のもとから奪って逃げるとともに自分に苦難をもたらした八十神を追い払って「始めて国を作

りたま」うたという展開になっているまたそのあとにも大穴牟遅神の子を産んだ八や

上かみ

比ひ

売め

が須世理毘売を恐

れて「その生める子をば木の俣に挟みて返」ったという話が続いている八上比売の話にまたもや「木の俣」

のことが出てくるわけである

 

この「木の俣」の話もまた大穴牟遅神が「木の俣」に挟まれて圧死した話から連想されたものである可能性が想

定できるがそのように想定する場合に問題となることがあるそれは両話の間に置かれた話があまりにも長大な

ものだということであるしかし大穴牟遅神と生まれた子との間には

 

ⅰ 

父子

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一五七

 

ⅱ 

木の俣に挟まれて死ぬ生まれて木の俣に挟まれる

 

ⅲ 

母が救い出す母が置き去りにする

 

ⅳ 

母が別地へ向かわせる母がもとの地に戻る

というような対比的な関係も認められるのでありこうした関係が偶然に生じたものだとは考えがたいだから父

が木の俣で圧死させられることから生まれた子を木の俣に置くことが連想されたという可能性をここでは否定し

ないでおく【より古い時代には大穴牟遅神が木の俣に挟まれて死ぬ話と八上比売が木の俣に新生児を挟む話とは

直結した一連のものだったことも想定できる】

 

以上の論述では「二段構えの語り」の様態について数話を例示してやや細かく検討を加えたその結果話に

含まれる特定のことからがそれに類似し対応することがらを伝承者に連想させ連想した内容が結果的に話のなか

に組み込まれてしまうという特徴的な現象を上代の神話や伝説を通して確認することができたと考える

 

同じ「二段構えの語り」の現象が認められる話は本稿で取り上げた諸話で尽きているのではなくまだ何話か上

代の文献に見える紙幅の関係でそれらを取り上げて細かく検討を加えることができないからここで二話だけに

ついて結論を述べておき具体的な検討は別稿で行うことにする

 

二話のうち一つは神話に見えるもので娘たちを飲み食らう大蛇を須佐能男命が退治する場面である『古事記』

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一五八

で言えば「是の高こ

志し

の八や

俣また

の遠を

呂ろ

智ち

年と

毎ごと

に来て喫く

へり」という部分と「船ふ

毎ごと

に己お

が頭を垂い入れてその酒を飲み

き」という部分とが「二段構えの語り」に相当する二つの部分の内容をまとめると

  《大蛇が出雲へやってきて足あ

名なづち椎

のがわに属するものを食らいあるいは飲む》

というようになる娘たちを食らい飲む大蛇が酒を飲むという同じ行動が原因で退治されてしまうのである

 

またもう一つの話は『播磨国風土記』の賀古郡の条に見える「比礼墓伝説」であるこの話では「印い

なみ南

」の女

が「隠な

び妻」であり「辞い

び妻」でもあるからこれは「古代の口がたり特有の面白さ」をもつものだという興味深

い見解がある

 

話の冒頭近くにある「度わ

たりもり

子紀き伊の国く

人ひと

小を

玉たま

申さく「我は天

すめらみこと

皇の贄に

人びと

たらめや」とまをす」という部分とその

あとにある「印南の別嬢聞きて驚き畏か

しこみ

即や

て南な

都つ

麻ま

嶋に遁に

げ度りき」という部分とが「二段構えの語り」に

相当する二つの部分のうちのあとの部分は別嬢が天皇の求婚を嫌がって

0

0

0

0

島に逃げて隠れたことを述べたものだか

ら二つの部分は同じく「辞い

び」を内容とするものだと言える「度わ

たりもり

子」つまり船頭の「我は天

すめらみこと

皇の贄に

人びと

たらめや」

という発言に倣って天皇の求婚を嫌がる別嬢の心情を言い表せば「吾は天皇の妻

9

9

9

9

たらめや」というようになる

  

船頭の「辞び」helliphelliphellip「我は天

すめらみこと

皇の贄に

人びと

たらめや」

  

別嬢の「辞び」helliphelliphellip「吾は天皇の妻

9

9

9

9

たらめや」

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一五九

 

結局二つの「辞び」は単なる拒否ではなく次のような同じ内容を表す「辞び」なのである

  《私は天皇にお仕えなどしない》

 

この話の末尾近くには別嬢の遺体について「大き飄つ

むじ

川下より来て其の尸か

ばねを

川中に纏ま

き入れき求むれども得

ず」と述べられているがその部分と別嬢が島に逃げて隠れた

0

0

0

という前の部分ともまた「二段構えの語り」を構

成している二つの部分はともに別嬢の「隠び」を内容とするものなので次のように一つにまとめることができる

  《別嬢が「隠な

び」をした》

 「辞び」も「隠び」も話のなかに二度ずつ表れているのである

 

大蛇退治の神話と「弟日姫子伝説」とには「二段構えの語り」を認めるにあたって解決すべき多くの問題が含ま

れているしかしそれらを一つ一つ検討していけば見てきた諸話と同様の特徴的な語りを二話にも認めることが

できる

註(1) 

本稿にあげる『古事記』『日本書紀』『風土記』などの記述は本文訓読文ともに古典文学大系のものを引用するまた

『萬葉集』の本文訓読文は新編古典全集のものを引用するただしいずれも読みやすさと理解しやすさとを考慮して

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一六〇

もとの表記形式その他を改めることが少なくない

(2) 

大野晋「記紀の創世神話の構成」〔『文学』一九六五年八月〕のちに『仮名遣と上代語』(一九八二年)に収載

(3) 「丹塗矢伝説」の成立については小著『伝承と言語』(一九九五年)のⅡ部四章で私見を述べたただし同書に述べたこ

とと本稿で述べたことの間には一点だけ相違がある丹塗矢が女の陰部を突いたという話は神と人間の女とが結婚したこ

とを明確に語ったものではないからそのことを明確にするために女の持ち帰った丹塗矢が男に変身して子が生まれたとい

う話があとになって付加されたのだと同書では述べたそれは既存の一説に見える解釈を妥当なものと認めそれを踏

襲したものだった本稿では「二段構えの語り」がこの話にも認められるという見解に立ってかつて小著で述べた考えを

訂正する

(4) 

女に与えられた「倭迹迹日百襲姫命」という名の語構成ははたしてどのようなものなのかこれを疑問の余地なく解明す

ることはかなり難しい

   

初頭の「倭」と末尾の「姫命」は除くとして「迹と

迹と

日び

百もも

襲そ

」の「百襲」は字面のとおり「多くの着衣」の意であるかも

知れないこの女の夫は蛇神だから蛇が何度も脱皮をくり返すことを背景とする名を妻がもつことは十分にありうること

だろう「百襲」の「襲」には字を構成する要素として「衣」がある「襲」の字は「重ねて着る」「覆う」「継ぐ」「おそ

う」などの意を表す

   

ある特徴や習性を表す語が当人ではなく周囲の者の名に含まれる例は「丹塗矢伝説」の登場者にも見られるたとえば

矢で陰部を突かれて慌てた女が勢せ

夜や

陀だ

多た

良ら

比ひ

売め

であるのにその女の産んだ娘が「陰に矢を立てられ震え姫」の意の「富ほ

登と

多た

多た

良ら

伊い

須す

須す

岐き

比ひめのみこと

売命」という名を与えられている母の経験したことが娘の名に反映しているのである

   「晡く

れふしの

時臥山やま

」〔『常陸国風土記』那珂郡茨城里〕の話に登場する子として蛇を産んだ女とその兄は「努ぬ

賀か

咩め

」「努ぬ

賀か

古こ

という名を与えられているこれらの名も原義を解明するのは難しいが「ぬか」はやはり脱皮の意を表す「脱ぬ

か」かも知れ

ない『和名類聚抄』の「蛻」の項に「毛も

沼ぬ

久く

」とあり『色葉字類抄』の「

蛻」の項に「ヘミノモヌケ」とあるこれらの

「脱ぬ

く」「脱ぬ

け」がこの場合に参考になる下二段活用動詞の「脱け」が「脱か彦脱か姫」では「脱か」となってい

るわけだが上代語では「明け」「荒れ」「枯れ」などの下二段活用動詞が「明か時(暁)」「新あ

垣がき

」「枯から

木き

」などの複合名詞を

構成しているのに同じである

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一六一

 

名の意味をこのように理解することは生まれた子を入れる器を何度か大きいものに替えたという脱皮を暗示する説明と

吻合する中世には「もぬけの衣」という表現もあるから「もぬけ」の「も」はあるいは「裳」か

(5) 「陰ほ

絶たち

田だ

」という地名と「米よね

舂つき

女め

等ら

が陰ほと

を陪おもとびとくな

従婚ぎ断ちき」という説明との関係には理解するのが難しい点がある

「陰絶田」に含まれる「絶つ」はもともと「長い間にわたって継続してきたことを止めまた幅のある物体を切る」の意を

表す動詞であるこれの自動詞である「絶ゆ」も基本的に意味は同じであるだから「陪お

もとびと

従」との交合によって陰部が損

傷したことをあえて「婚ぎ絶ち

9

9

き」と表現した理由が不明である物を損傷したことがなぜ「絶つ」と表現されたのか

「婚ぎ絶ちき」を「裂傷をおはせた」〔古典全書〕の意だと説明してもその疑問は解消しない

   「陰絶田」はもと「陰に(男根が)立つ田」の意の「陰立9

田」だったかも知れないそのように想定すれば神武記の

「丹塗矢伝説」に登場する「富ほ

登と

多た

多た

良ら

伊い

須す

須す

岐き

比ひ

売め

」という名の「ほとたたら」と意味的に対応するただし矢の場合に

「立つ」を用いた理由は理解できるが男根の場合にも同様に「立つ」を用いたとは想定しにくい「絶つ」とあることはや

はり不審のままである

(6) 

三つの要素の結びつきについては益田勝実「日本神話における外在と内在日本神話論における始原と展開」〔国文学

『解釈と鑑賞』一九七七年十月〕によるただしこの論にはOの話に関する言及がまったくないOの話のなかに三要素の

結び付きを読み取るのは私見にすぎない

(7) 

両神の死因をめぐる逆転関係については小著『日本の神話伝説を読む』(岩波新書二〇〇七年)の第二章第二節で述

べた

(日本語日本文学科 

教授)

Page 6: 一 神話・伝説に見られる特徴的な語り...神話・伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木) 0 一二三 べている。太平洋に伝承の海洋型国産み神話に類似。またヌホコを男性の象徴とし、交合による国産み神話とも見られる」と述

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一二六

 

このように神名の「面足る」「あや恐こね」とEFの話との間に「二段構えの語り」にあたるものが認められ

ると考えるその場合にまず男神が女神を讃美しなければならないという思考のありかたに従えば大野の説明の

ように「面足る」が男神の発したことばであり「あや恐こね」が女神の発したことばである

 

EFの話に見える二神の発言はそれぞれ感動を表すことばと讃めことばとの二つから成るが「面足る」「あや

恐こね」のうち前者はそうなっていない『古事記』では「恐こね」が感動詞を伴って「あや

9

9

恐こね」となっており

『日本書紀』にもそれに類似する神名がいくつか出ているしかし「面足る」にはこの単純な神名しかなく感動詞

を伴った神名は見えない神話的な背景機能のうえでは対偶神ではあっても神名の語構成は対偶的なものにはな

っていない

 

それには然るべき理由がありそうである二段めの語りから事前に連想された一段めの語りに二段めの語りに

出てくるのと同じような対偶的な神名を導入すれば二つの段に出てくる表現は互いにパラレルな構成をもつことに

なるその結果伝承者が一方から他方を連想したことがわかりやすくなるそれを避けて後次的に導入する一段

めの語りともとからある二段めの語りとを一続きものとして提示するためには一段めの語りのなかに後次的に導

入するものを二段めのそれとは別の構成をもつものに仕立てればよい

 

ABの話とEFの話とは日本神話のなかでも特に重要な原初の二神による「国土創成」の話でありその

成立の過程には多くの伝承者が関与したはずであるそれだけにさまざまな伝承者によるさまざまな連想がそこに

働いたに違いない「国土創成」をめぐる話に右で述べたような二種の「二段構えの語り」が認められるのは話

がそうした複雑な過程を経て成立したことの反映だろう

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一二七

 

次には『古事記』の神武天皇の条に見える話を取り上げる「三輪山伝説」の一つであり「丹に

塗ぬり

矢や

伝説」と呼ば

れるものである

G 

更に大お

ほきさき

后とせむ美を

とめ人

を求ま

ぎたまひし時大お

ほくめのみこと

久米命の曰ま

しけらく「此こ

こ間

に媛を

とめ女

あり是こ

を神の御み

子こ

と謂い

ふその

神の御子と謂ふ所ゆ

ゑ以

は三み

しまのみぞくひ

嶋湟咋の女む

すめ

名は勢せ

夜や

陀だ

多た

良ら

比ひ

売め

その容か

たちうるは

姿麗美しくありき故か

美み

和わ

の大お

物もの

主ぬしのかみ

見み め感

でてその美人の大く

そ ま

便為れる時丹に

塗ぬり

矢や

に化な

りてその大便為れる溝み

より流れ下りてその美人の富ほ

登と

を突

ききここにその美人驚きて立ち走りいすすきき乃す

なはち

その矢を将も

ち来て床と

の辺に置けば忽た

ちまち

麗うるはし

壮をとこ夫

に成りて即す

なはち

その美人を娶め

して生める子名は富ほ

登と

多た

多た

良ら

伊い

須す

須す

岐き

比ひめのみこと

売命と謂ひ亦の名を比ひ

売め

多た

多た

良ら

伊い

須す

気け

余よ

理り

比ひ

売め

是こ

はその富ほ

登と

と云ふことを悪に

みて後に名を改めつるぞと謂ふ故是こ

をもちて神の御子と謂ふなり」とま

をしき

〔神武記〕

 

三輪山の大物主神が容姿美麗な人間の女を気に入り赤く塗った矢に変身して溝を流れ下ったそして女が大

便をしている所へ行って矢の姿のままでその陰部を突いた女が矢を家に持ち帰って床の辺に置いたところ矢は

美男に変身して女と結婚したやがて比ひ

売め

多た

多た

良ら

伊い

須す

気け

余よ

理り

比ひ

売め

が生まれこの娘が初代の天皇である神武天皇の后

になったという

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一二八

 

このGの話にも「二段構えの語り」が明瞭に表れていると認められるので右に話を引用するにあたって二つの

段に相当する部分にそれぞれ傍線を付しておいた二重線を付した「丹に

塗ぬり

矢や

に化な

りてその大く

そ ま

便為れる溝み

より流れ下

りてその美人の富ほ

登と

を突きき」という部分が一段めの語りに相当し太線を付した「その矢を将も

ち来て床と

の辺に

置けば忽た

ちまち

麗うるはし

き壮を

とこ夫

に成りて即す

なはち

その美人を娶め

してhellip」という部分が二段めの語りに相当する二種の線を付

した部分の関係はどのようになっているのか

 

神の変身した丹塗矢が「美を

とめ人

の富ほ

登と

を突」いたとあるのは神と女との交合結婚を婉曲に述べたものだと言われ

るそのとおりだろうまたすぐあとの記述に女が家に持ち帰った丹塗矢が「麗う

るはし

き壮を

とこ夫

」に変身して「その美

人を娶め

し」たとありこちらはまともな結婚の話になっているそれでこの話では神と女とが結婚したことについ

て二種の説明が重なっているとも言われる

 

このように神と女との結婚を語る話が二種あることをどのように理解すべきかについていくつかの見解が提示

されているそれらの見解の当否はともかくとしてこの話に「二段構えの語り」という視点を導入すれば従来の

見解とは別の把握のしかたが可能になる

 

神が矢から美男へと変身ししかもその神が人間の女と結婚したという太線の部分はきわめて不思議で印象的な

内容をもつものであるその不思議で印象的な場面について語る前にやはり神と人間の女との交合結婚を示唆す

ることとして神の変身した矢が女の陰部を突くという連想を伝承者にもたらしたそして連想した内容が結果的

に話のなかに持ち込まれたのが二重線の部分だろうと想定することが可能である

 

神の変身した矢が女の陰部を突くという一段めの語りと美男に変身した神が女と交合結婚するという二段めの

語りとは表現上はまったく異なるものの内容面では大きい違いがないこの話の場合結局は神と人間の女との

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一二九

交合結婚について述べることが目的でありまた一方の語りが他方の語りから連想されたものでもあるから二つ

の語りの内容に大きい違いがないのも納得できる

 

崇神記に見える「苧を

だまき環

伝説」がそうであるようにGの話の場合にも大物主神が美男に変身して女のもとにやっ

て来て結局は両者が結婚して子が誕生したというのがもともとの内容だっただろう矢が女の陰部を突いたとい

う部分はなくても神婚の話は十分に成り立つ)

3(

 

Gの話によく似た内容をもつものとして「賀か

ものやしろの

茂社縁起」がよく知られているそれは『釈日本紀』に引かれた

もので『山城国風土記』の逸文である

H 

賀かものたけつのみのみこと

茂建角身命丹た

にはのくに

波国の神か

野の

の神伊い

可か

古こ

夜や

日ひ

売め

を娶め

して生みませる子名を玉た

依より

日ひ

子こ

と曰い

ひ次を玉た

依より

日ひ

売め

曰ふ玉依日売石川の瀬せ

見み

の小川に川遊びせし時丹塗矢川上より流れ下りき乃ち取りて床の辺に挿さ

置き遂に孕は

みて男を

とこご子

を生みき(略)加

かものわけいかづちのみこと

茂別雷命と號な

く謂い

はゆる丹塗矢は乙お

訓くに

の郡の社や

しろに

坐ま

せる火

ほのいかづちのかみ

雷神

なり

〔『釈日本紀』巻第九〕

 

Gの話とこのHの話で特に似ているのは

G 

その美人の大く

そ ま

便為れる時丹に

塗ぬり

矢や

に化な

りてその大便為れる溝み

より流れ下りて(略)乃ちその矢を将も

ち来て

床とこ

の辺に置けばhellip

H 

玉依日売石川の瀬せ

見み

の小川に川遊びせし時丹塗矢川上より流れ下りき乃ち取りて床の辺に挿さ

し置き

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一三〇

hellip

という部分であり二話が系統的に密接な関係にあることが知られるGの話の丹塗矢は蛇神であり雷神でもある

大物主神が変身したものだしHの話の丹塗矢は「火ほ

のいかづちのかみ

雷神」という名の雷神であるこうした点もGHの二

話が同じ系統を引く話であることを示している

 

Gの話に含まれる「その美人の富ほ

登と

を突ききここにその美人驚きて立ち走りいすすきき」という部分と

「忽た

ちまち

麗うるはし

き壮を

とこ夫

に成りて即す

なはち

その美人を娶め

して」という部分とは対応する表現がHの話には見えないGの話

の「二段構えの語り」にあたるものが同系統に属すると思われるHの話にはそろって含まれていないのである

 

しかしGHの話のどちらでも川を流れてきた丹塗矢の正体が神であることは自明だからHの伝説ではそれ

を「床と

の辺へ

に挿さ

し置」いたと述べるだけで女が「遂に孕は

みて男を

のこご子

を生」んだことの背景や経緯が容易に想像できた

に違いない

 

Gの話を構成するもとになった古い話に矢が男に変身して女と交合結婚したという説明が含まれていたかいな

かったかは不明であるしかしかりに変身結婚に関する説明が含まれていなかったにしても矢を床の辺に置

いたという説明さえ含まれていればそれに基づいて伝承者は神と女とが交合結婚したことを理解しただろう

あえて言えば伝承者が理解した内容そのものが二段めの語りにあたることになるそして伝承者は自分が理解し

たことから「その美人の富ほ

登と

を突きき」という矢の動きを連想し一段めの語りとしてそれをあとで話に付加したの

だろうと想定できる

 

このように考えればHの話のようにもともと「二段構えの語り」にあたるものがなかに含まれていなくても

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一三一

GHの話と同じ系統に属する古い話が結果的にそれを含むに至ることはありえたと思われる

 

Gの話に登場する神と女との間には二段構えの両段にまたがるかたちの内容面で逆転した対応関係が認められ

 

ⅰ 

美しい女美形の男

 

ⅱ 

男の矢への変身矢の男への変身

 

ⅲ 

矢の女のもとへの到来女の矢の持ち帰り

 

この種の逆転した関係は口承時代にその骨格がほぼ成立しただろうと思われる古い話にしばしば見られるもの

である矢が陰部を突く場面を矢が美男に変身して女と結婚した話から伝承者が連想し後次的に話のなかに持ち

込んだものだとしてもその連想は相当に古い時代に起こったことだろう

 

次に取り上げるのも大物主神をめぐる「三輪山伝説」の一つだがこちらは神と人間の女との結婚が破綻したこと

を語る話になっている

I 

是こ

の後に倭や

まとととびももそひめのみこと

迹迹日百襲姫命大お

ほものぬしのかみ

物主神の妻と為な

る然し

れども其そ

の神常に昼は見えずして夜のみ来み

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一三二

倭迹迹姫命夫に語りて曰い

く「君常に昼は見えたまはねば分あ

きらか明

に其の尊み

顔かほ

を視ること得ず願はくは暫し

し留りたまへ明

くるつあした

旦に仰ぎて美う

るは麗

しき威み

すがた儀

を覲み

たてまつらむと欲お

ふ」といふ大神対こ

へて曰く「言こ

とわりいやちこ

理灼然

なり吾明

くるつあした

旦に汝い

ましが

194797くし

笥げ

に入りて居らむ願はくは吾が形にな驚きましそ」とのたまふ爰こ

に倭迹迹姫命

心の裏う

に密ひ

そかに

異あやしぶ

明くるを待ちて194797笥を見れば遂に美麗しき小こ

をろち蛇

有り其の長さ太さ衣し

たひも紐

の如し則ち驚

き叫さ

け啼

ぶ時に大神恥ぢて忽

たちまちに

人の形と化な

りたまふ其の妻に謂か

りて曰く「汝い

まし

忍びずして吾に羞は

ぢみせ

吾還か

りて汝に羞せむ」とのたまふ仍よ

りて大お

ほぞら虚

を践ほ

みて御み

もろの諸

山やま

に登ります爰に倭迹迹姫命仰ぎ見

て悔いて急つ

き居う

則ち箸に陰ほ

を撞つ

きて薨か

むさり

ましぬ乃ち大お

ほち市

に葬は

りまつる故か

時の人其の墓を號な

けて箸は

墓はか

と謂い

ふ是の墓は日ひ

は人作り夜は神作る故か

大坂山の石を運びて造る

〔崇神紀〕

 

これは『日本書紀』の崇神天皇の条に見えるものでさまざまな話題を含む興味深い内容の話である

 

Gの話の場合と同様にこのIの話にも二重線と太線とを付しておいた「二段構えの語り」に相当するものが認

められるからである

 

妻の倭や

まとととびももそひめのみこと

迹迹日百襲姫命が夫である大物主神が自分に課した「私の姿に驚いてはならない」という禁を犯してしま

ったこれに怒った夫は御み

もろの諸

山やま

(三輪山)に登って行ったがその様子を仰ぎ見た妻は悔やんでその場にどすんと座

り込んだするとそこにあった箸が妻の陰部に突き刺さり妻はそのまま死んでしまった妻を葬る墓は昼に人

が造り夜には神が造ったという話の末尾の内容に因んで一般に「箸は

墓はか

伝説」と呼ばれている

 

Iの話より前の記述に倭迹迹日百襲姫命は「天皇の姑み

をば」

だという説明が見える大物主神の妻になったというの

だから巫女的な性格を強くもつ女である彼女の名はとても長いので話のなかでは「倭迹迹姫命」と略称されて

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一三三

いる)

4(

 「是の墓は日ひ

は人作り夜は神作る」という話の末尾を読んですぐに想起されることがあるそれは努ぬ

賀か

咩め

という女の産んだ「小さき蛇」が「明くれば言こ

とはぬが如く闇く

るれば母と語」ったという「晡く

れふしの

時臥山や

」〔『常陸

国風土記』那珂郡茨城里〕の話である「神の子である蛇が昼は物を言わなかったが夜になれば母と話をした」

というのは神が昼にはほとんど行動せず夜には活発に行動するという当時の人々の考えを反映するものだろう

これは夜には神が墓を造ったというIの話に一致する

 

それだけでなく夜には神が墓を造ったという説明は同じIの話の冒頭近くに「其そ

の神常に昼は見えずして

夜のみ来み

す」とある説明と内容的に対応している冒頭の近くで述べたことと末尾の近くで述べたこととを照応さ

せたかたちである

 「二段構えの語り」に相当するものは一見しただけではこの話に含まれていないように思われるしかし話の

文脈を細かくたどると二重線を付した「大お

ほぞら虚

を践ほ

みて御み

もろの諸

山やま

に登ります」という部分と「仰ぎ見て悔いて急つ

き居う

則ち箸に陰ほ

を撞つ

きて薨か

むさり

ましぬ」という太線の部分とがそれに相当することがわかる前者は大物主神によ

る天空での動作であり後者は倭迹迹姫命による地上での動作であるこれらの動作により一方は本来の拠点に戻

り他方は他界へ赴いた

 

二重線の部分と太線の部分とについて二種の動作の間にどのような関係があるというのか二種の動作を描写し

た部分に「二段構えの語り」を認めるのは深読みの結果ではないのかなどといった疑問が生じるかも知れないし

かし話の文脈から見れば実はそのように判断するのは間違いであることが明らかになる

 「大虚を践みて」という夫の動作は新編古典全集の注で「雷神の象徴」だと解説され「天空をふみとどろかし

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一三四

て」と現代語訳されている蛇神である大物主神は雷神でもあるからそれは妥当な解説である「大虚を践みて」

は雷鳴は神が天空を踏みつける音だと見なしたうえでの表現である

 

この点に関しては『萬葉集』の歌が参考になる

J 

天雲を 

ほろに踏みあだし 

鳴る神も 

今日にまさりて 

恐かしこけ

めやも

〔十九四二三五〕

 「天の雲をばらばらに踏み散らして音を響かせる雷神も今日の天皇の御前より恐れ多いはずはないだろう」の意

を表す歌である作者はこのような歌を詠むことによって天皇の威徳あるいは権力に対して畏怖の念と敬愛の

情とを表明したのである第三句の「鳴る神」とは雷神のことで「(天で音を響かせて)鳴る神」の意である雷鳴

は神が天雲を踏みつけることによって出る音だという把握のしかたが歌の背後にあるIの話に「大虚を践みて」

とあるのは雷神に対して上代の人々がいだいていた畏怖の念を端的に表すものになっている

 

他方の「急つ

き居う

」という妻の動作については古典大系の注に「どすんとすわったツキは衝キと同じ」という

解説が見え新編古典全集の注には

K 「急」の字にどすんと坐る様子を表現ツキは「突」で尻餠をつく後悔でがっくりきた姿がよく出てい

と見える【妻が箸で陰部を突いたという話題の背後には男女の交合のイメージが濃厚にまとわりついていたと考え

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一三五

られる夫婦をめぐる話だからそれは当然のことである】

 

夫婦の動作についてまとめると「大虚を践みて」は妻に禁を犯されたことを恥じた大物主神が勢いよく天空

を踏みつけるさまを表すまた「急き居」は夫の課した禁を犯したことを悔いた倭迹迹姫命が地面に急にすわ

り込むさまを表すどちらも

 

I 《身体の一部を急に下方に移動させその先にある物を勢いよく突く》

という動作であるこのことを確認すれば天空でなされる「大虚を践みて」と地上でなされる「急き居」とは

互いに類似し対応する動作だということがわかる夫と妻による二種の動作にこうした類似と対応とが認められる以

上それが話を深読みすることによって得られた誤った理解であるはずはない

 

妻に「箸に陰ほ

を撞つ

きて薨か

むさり

ましぬ」という忌まわしい事態が生じたわけだから「急き居」というのは語り手に

とっても聞き手にとってもきわめて衝撃的な動作である伝承者は妻の驚くべき動作について語る前にその場面の

ことを強く意識しただろうそして妻の動作に対応し類似する夫の動作としていかにも雷神らしい「大虚を践み

て」という動作を連想し話のなかに持ち込んだのだろう

 

ただし二重線を付した部分と太線を付した部分の「大虚を践みて」と「急き居」とは内容的には酷似あるい

は類似したことを表すものになっている一方で表現の具体的なありかたは大きく異なっている

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それは当然である

 

さきに「神世七代」の条に出現する「面足る」「あや恐か

こね」という対偶神の名とEFの話に見える男女二神

の讃美表現とについて述べたように一段めの語りと二段めの語りには異なる表現を用いなければならない内容面

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一三六

で類似し対応する二つの部分が表現の面でも同じように類似し対応していれば伝承者が一方をもとにして他方を

作ったことが聞き手に悟られやすくなるからである「大虚を践みて」と「急き居」とであれば両者の表現は異

なるからそれらは一方から他方を連想したものだとは悟られにくいのである

 

こう見てくるとIの話にもやはり「二段構えの語り」が認められることがわかる「大虚を践みて」という動作

をあえて描写しなくても怒った神が御諸山に帰って行ったと述べるだけで話は十分に成り立つ当該の箇所は

もともと「大虚を践みて」という表現を含まない単純なものだっただろう

 

この話のなかには大物主神と倭迹迹姫命とに関して互いに対比的だと見なしうる項目が多く含まれている特

に目立つものを整理すれば

 

ⅰ 

神人

 

ⅱ 

夫妻

 

ⅲ 

応じる願う

 

ⅳ 

禁を課す禁を犯す

 

ⅴ 

恥じる悔いる

 

ⅵ 

天空地上

 

ⅶ 

足で踏みつける尻餠を突く

 

ⅷ 

本拠地に戻る他界へ赴く

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一三七

というようになる

 

神と人間の女とが結婚したもののそれは根本的な矛盾を含む無理な結び付きだった神と人間との間にあるそ

の根本的な矛盾が夫が課した禁を妻が犯すという大きな溝となって現れ結局のところ両者は別離を迎えざるをえ

なかったというのがIの話の趣旨である話の伝承者が神と人間との根本的な相違を明確に意識しながら語った

話だからⅰ〜ⅷのような対比的な項目を含むことになったということだろう

 

ここで「二段構えの語り」の成立に深い関わりをもつと思われる『萬葉集』の歌の構成について見てみる歌の

構成というのは一方から他方を連想することによって成立する序詞と本旨との関係である

L 

春はるされば

去者 

先まづ

鳴なく

鳥とり

乃の うぐひすの

之 

事こと

先さき

立だち

之し 

君をし待たむ

〔十一九三五〕

 「春さればhelliphellipう

ぐひすの

」の三句が序詞でありそれが本旨の「言こ

先立ちし君をし待たむ」を導入している第一句

第二句の表現にあるように「

」は春を迎えて真っ先に鳴く鳥であるそれを序詞の末尾に置いて「(あなたが私

に)先に声を掛けた」の意の「言先立ちし」つまり本旨を導入する表現とした「言先立ちし」という相手の行動を

描写する前に春になって真っ先に鳴く鳥を歌の作者が連想しそれを歌の前半に置いたのであるだから作者が

言いたい本旨の内容が先にありそれから序詞が連想されたという関係であるあとで連想された序詞は意味的

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一三八

にも内容的にも本旨に類似するものになっているが本旨の表現とは異なっている

M 

牛うし

窓まと

之の 

浪なみ

乃の

塩しほ

左さ

猪ゐ 

嶋しまとよみ

響 

所よそりしきみは

依之君 

逢はずかもあらむ

〔十一二七三一〕

 

序詞の「牛窓のhelliphellip島」は本旨である「響と

み寄そりしhellip」から連想されたものであり同時に本旨を導入する表

現にもなっているこの序詞は「潮し

騒さゐ

の波のざわめきのように島も」の意を表し本旨の「響み寄そりし君はhellip」は

「噂もうるさいほどに私との関係を言い立てられたあなたはhellip」の意を表す「潮騒」という音にかかわる現象と

人の噂が激しいことをいう「響み」との類似性が歌の前半と後半とを結び付けている噂がうるさいという現実か

ら作者は「潮騒」のざわめきを連想して序詞としたのだから本旨の内容が先にあり序詞は本旨に基づいて連想

されたという関係である

N 

天あま

飛と

ぶや 

軽の社の 

斎いはひつき

槻 

幾代まであらむ 

隠こもりづま

嬬そも

〔十一二六五六〕

 

女が詠んだと思われるこの歌では「天あ

飛と

ぶやhelliphellip齋い

ひ槻つ

」の三句が序詞として四句以下の表現を導入している

序詞の末尾に置かれた「齋ひ槻」は神聖である故に人が触れてはならない木をさすまた第五句の「隠こ

り妻」は

人に知られてはならない間がらにある妻をさすそのような内容面での共通性が歌の前半にある序詞と後半にある

本旨とを強く結び付けている「齋い

ひ槻」と「隠こ

り妻」とは表現が異なっているが両者の関係はMの歌に出て

いる「潮騒」と「響み」とのそれに酷似している

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一三九

 

以上の三首に見られる序詞と本旨との関係はさきに見た諸話の一段めの語りと二段めの語りとの関係に相当する

三首の序詞は本旨の内容から連想されたものであり諸話の一段めの語りは二段めの語りの内容から連想されたもの

であるしかし連想を呼ぶもとになったこととそれから連想されたこととは三首でも諸話でも表現が互いに異

なるものになっている

 

話を「二段構えの語り」に戻し次の話に認められる「二段構えの語り」について検討するしかし次の話の語

りのありかたは見てきた三話と異なる点がある

O 

萩原の里土は中の中なり右萩原と名づくる故は息お

きながたらしひめのみこと

長帯日売命韓か

らくに国

より還か

り上りましし時御船此の村

に宿りたまひき一夜の間に萩一ひ

ともと根

生お

ひき高さ一ひ

丈つゑ

ばかりなり仍よ

りて萩原と名づく即す

なはち

御井を闢は

りき

故かれ

針は

間ま

井ゐ

といふ其の処は墾は

らず又墫も

たひの

水溢あ

れて井と成りき故韓か

の清水と號く其の水朝に汲むに

朝に出でず爾す

なはち

酒殿を造りき故酒田といふ舟傾き乾か

れき故傾か

ぶきだ田

といふ米よ

舂つき

女め

等ら

が陰ほ

を陪

おもとびとくな

従婚

ぎ断ちき故陰ほ

とたち絶

田だ

といふ仍す

なはち

萩多く栄えき故萩原といふ爾こ

に祭れる神は少

すくなたらしのみこと

足命にます

〔『播磨国風土記』揖保郡〕

 

これは『播磨国風土記』に見える話で息お

きながたらしひめのみこと

長帯日売命(神功皇后)の聖性と威徳とを強調する内容になっている

 

これまで見た三話と同様にこのOの話にも女陰の話題が含まれているそれは「陰ほ

絶たち

田だ

」という地名の由来を

説明する短小な話のなかに見える息長帯日売命に仕える陪お

もとびと

従が米よ

舂つき

女め

等ら

と交合して陰部を傷つけたそのことが

この地名の由来になったという)

5(

陰部を傷つけたことを語る「陪お

もとびとくな

従婚ぎ断た

ちき」の「断た

ちき」は「裂傷をおはせた」

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一四〇

〔古典全書〕の意だと比較的古い注釈にありこれを踏襲する新しい注釈もある妥当な解説である

 

以上で見た三話と異なる点というのは二重線の部分と太線の部分とが

O 

米よね

舂つき

女め

等ら

が陰ほ

を陪お

もとびとくな

従婚ぎ断ちき

というように一文のなかに連続して出ている点である見てきた三話では二種の線を付した部分は近接した位置

にあるがOの話の場合はそれが極端なかたちで表れているまた二重線の部分が三話のように何らかの動作

状態を描写した表現になってはおらず「米よ

舂つき

女め

等ら

」という複合名詞になっている点も三話とは異なる

 

二種の線を付した一文の内容についていささか気になるのは「陪お

もとびとくな

従婚ぎ断た

ちき」という動作の対象になったの

が「米よ

舂つき

女め

等ら

が陰ほ

」だということである

 「米よ

舂つき

女め

等ら

」という複合名詞に含まれる「舂つ

く」は「突く」という動詞の一用法である「舂く」は「きねなどの

先で強く打っておしつぶしたり穀物のからなどを除いたり精白したりする」〔『日本国語大辞典』第二版〕の意で

あり「舂女」は「臼で穀物をつく女」〔同〕の意である

 

結局のところ「舂く」という動作は「臼などの器に棒状の物を押し込みなかにある穀物などを押しつぶす」の

意を表すわけだがいささか気になると述べたのは「舂く」という動作と「婚く

ぎ断ち」「陰ほ

絶た

ち」という動作との

間に認められる

O 《狭い空間に棒状の物を差し入れその奥にある部分または物を強く突き破る》

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一四一

という物理的な動き

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0

0

0

0

0

としての類似性であるこれは既に取り上げたABの話やIの話に見られる二種の動きの

類似性と同じである

 

交合によって陰部を損傷したのと同様に棒状の物で「舂く」ことによって穀物などの本来の形態も損なわれる

だから「舂く」と「婚く

ぎ断ち」「陰ほ

絶た

ち」とは物理的な動きだけではなく動きによって生じる結果

0

0

においても類

似している

 

このように話のなかに先に出てくる「舂き」とその直後に出てくる「婚く

ぎ断ち」「陰ほ

絶た

ち」との間には物理

的な動きとそれがもたらす結果との双方に関して顕著な対応類似が認められるそのような対応類似が生じた

ことについて次のように想定することができるだろうつまり話の伝承者があとで自分が語る交合という動作

を強く意識したそのために交合に類似した動きを表す「舂く」を事前に連想しさらにはその語を含む「米舂女

等」をも連想してそれを結果的に話のなかに持ち込んだのではないかということである現にGの「丹塗矢伝

説」に「その美人の富ほ

登と

を突きき」とありIの「箸は

墓はか

伝説」にも「陰を衝つ

きて」とあってそれらの「突き」「衝

き」は表記こそ違え「舂き」と同じ動詞である

 「婚く

ぎ断ち」「陰ほ

絶た

ち」は凄惨かつ深刻な事態だからそれに類似する「舂く」という動作を事前に伝承者が連想

することは十分にありえたと思われるそのように想定すればOの話にも「二段構えの語り」が表れていることに

なる

 

話の展開に従えば「舂く」を含む「米舂女等」が一段めの語りとして先に出てきて「婚く

ぎ断た

ち」「陰ほ

絶た

ち」が二

段めの語りとしてあとに出てくるしかし話が成立した経緯から見れば二段めの語りがもとで一段めの語りが生

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一四二

まれたわけだから実際の先後関係は正反対である

 「二段構えの語り」が以上のような経緯で成立したのだとすればOの話では陪お

もとびと

従が交合を行って陰部を損傷さ

せた対象はもともと「米舂女等」だとは限定されていなかったことになるそれで話は成り立つ

 

Oの話に認められる「二段構えの語り」は前節で確認したような歌の構成のありかたから見ればいったいどの

ようなものだと言えるのか

P 

窺うかねらふ

良布 

跡と み見

山やま

雪ゆき

之の 

いちしろく 

恋ひば妹が名 

人知らむかも

〔十二三四六〕

 

この歌では「じっと見ていて獲物を狙う」の意の「うかねらふ」が「跡と

み見

山」の「跡見」に掛かる枕詞になって

いる「うかねらふ」を承ける「跡と

み見

」は狩猟に関して用いられた語である注釈辞書に見える説明をまとめれ

ば「跡見」は「鳥獣が通ったあとを見てそれが通った時間やそれが今いる場所などを判断することまたそれ

を行う役の猟師」の意である歌の作者が「跡見」という語からそれと類義をもつ「うかねらふ」という動詞を

連想しそれを「跡見」という名詞を導入する枕詞としたのである「うかねらふ」と「跡見」とは類義の語だが

音韻面ではまったく異なっているこれはOの話の「米よ

舂つき

女め

等ら

」の「舂く」と「婚く

ぎ断ち」「陰ほ

絶た

ち」との関係に

近い

 『古事記』に見える次の歌謡では序詞と本旨との関係がPの歌の「跡見」と「うかねらふ」とのそれに類似し

たものになっている

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一四三

Q 

倭やまとへ方

に 

西吹き上げて 

玖く

毛も

婆ば

那な

礼れ 

曽そ

岐き

袁を

理り

登と

母も 

吾忘れめや

〔記五五〕

 「倭や

まとへ方

にhelliphellip雲離れ」の三句が序詞となって本旨の「退そ

き」あるいは「退き居り」を導入している「退き」は

「遠ざかり」の意を表す動詞だから「雲離れ」という複合語に用いられた「離れ」とは類義語の関係にある本旨

の「退き」を言うためにそれと類義をもつ「離れ」を事前に連想しそれを末尾に置いて長い序詞を構成したわけ

である「雲離れ」と「退き居り」とは音韻面で類似するところがない「離れ」と「退き」との関係はやはりO

の話の「米よ

舂つき

女め

等ら

」の「舂く」と「婚く

ぎ断ち」「陰ほ

絶た

ち」との関係に近いと言える

R ふさ

手た

折をり 

多た

武むの

山やま

霧ぎり 

繁みかも 

細川の瀬に 

波騒きける

〔九一七〇四〕

 

この歌では地名の「多た

武む

」を「曲げる」の意を表す「たむ」という動詞に見立てそれから事前に連想された

類義の「手折り」に「

ふさ

」を付し「たむ」の枕詞としている「手た

折を

る」は「手で曲げて取る」の意であり「

は「総房」のことで花や実が束になって付いたものをさす本旨の表現に用いるべき「たむ」から類義を表す

「手折る」という動詞を連想したのであるこれもまたOの話の「断つ」と「舂く」との関係を思わせる「たむ」

と「手折り」とは初頭の音節が同じだが互いに音節数が異なっている

 

三首の「跡見」「退き」「たむ」が「二段構えの語り」の二段めのかたりに相当しそれから連想された「うかね

らふ」「雲離れ」「

手折り」が一段めの語りに相当すると言えるだろう

 

既に述べたようにOの話は聖性と威徳とを具えた息長帯日売命に関する話である「一夜の間に萩一ひ

根もとお生

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一四四

き」「墫も

たひの

水溢あ

れて井と成りき」その他の不思議な事態が起こったことが話のなかでくり返し述べられている

同様にほかならぬ息長帯日売命に仕える陪お

もとびと

従が米舂女等と交合を行って陰部を傷つけた結果「萩多く栄えき」

という事態が生じたということなのだろう

 

Oの話が載っているのと同じ『播磨国風土記』に

S 

讃さ よ容

といふ所ゆ

ゑ以

は大神妹い

もせ

二柱競ひて国占し

めましし時妹玉た

津つ

日ひめのみこと

女命生ける鹿を捕と

り臥せて其の腹を

割さ

きて其の血に稲種ま

きき仍よ

りて一夜の間に苗な

生お

ひき即す

なはち

取りて殖う

ゑしめたまひき爾こ

に大神勅の

りたま

ひしく「汝な

にも妹

は五さ月夜よ

に殖ゑつるかも」とのりたまひて即や

て他

あだしところ

処に去りたまひき故か

五月夜の郡こ

ほりと

號なづ

神を賛さ

用よ

都つ

比ひめのみこと

売命と名づく

〔讃容郡〕

という話が見えまた次のような話も見える

T 

丹に

津つ

日ひ

子こ

の神「法ほ

太だ

の川底を雲う

るみ潤

の方に越さむと欲お

ふ」と爾し

かい云

ひし時彼の村に在い

せる太お

水みづ

の神辞い

びて

云の

りたまひしく「吾は宍し

の血を以て佃た

つくる

故か

河の水を欲ほ

りせず」とのりたまひきその時丹津日子云ひし

く「此の神は河を堀る事に倦う

みて爾いへるのみ」といひき故雲う

弥み

と號な

く今い

人ひと

雲潤と號な

〔賀毛郡〕

 

Sの話は鹿の腹を割いてその血に稲を蒔いたら一夜で苗が生えたというものであるまたTの話は宍し

つま

り動物の血で田を作るから河の水は必要ないと神が言ったというものである二話では稲などの植物を植える際

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一四五

には普通に水を用いるよりも動物の血を用いた方が成長がずっと早いと述べているようである

 

これらの話には動物の血と稲あるいは田と一夜での苗の成長の三つの要素の結び付きが確認できる)

6(

この

ことはOの「陰絶田」の話を想起させずにはおかないつまり稲あるいは田は「陰絶田」の話に出ている「米よ

舂つき

女め

等ら

」に対応するように思われるしまた動物の血は女らと陪従らとの交合によって陰部から出たはずの血に

対応するように思われるさらに一夜で急に苗が成長したという事態は「陰絶田」の話の前半部に「一夜の間に

萩一ひ

根もとお生

ひき」とありまた「陰絶田」という地名に続いて「仍す

なはち

萩多く栄えき」とあることに内容的に対応する

と理解することができる

 

だから「米よ

舂つき

女め

等ら

が陰ほ

を陪お

もとびとくな

従婚ぎ断ちき故陰ほ

絶たち

田だ

といふ仍す

なはち

萩多く栄えき」という一連の表現では

陰部を損傷させたことと萩が多く栄えたこととの間には「そのことが原因で」の意の明確な因果関係があると

見るべきだろう

 

三つの要素の結び付きがOの話にも認められる以上同話と動物の血に関する話は古い時代に行われていた儀礼

を背景とするものだと考えることができるだろう動物の血と人間の血との違いはあるがそれらは神に動物の犠

牲を捧げたことによって豊穣繁栄がもたらされたという人々の遠い記憶を伝えるものなのではないか

 「国土創成」をめぐるABの話とEFの話Gの「丹塗矢伝説」Iの「箸墓伝説」Oの「陰絶田」をめぐる

話のどれでも女陰交合結婚などのことが話題となっているこれらの諸話に「二段構えの語り」が認められる

ことを以上の論述で確認した

 

ただし「二段構えの語り」が認められることと女陰交合などの話題が含まれることとの二点を条件として

以上の諸話を選んだわけではない「二段構えの語り」が認められる諸話を取り上げたところそれらには女陰交

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一四六

合などの話題が共通して含まれていたというのが実際である

 

女陰を矢が突くにしても何かが原因で女陰が損傷を受けるにしてもとにかく女陰や交合に関する話題は話の

語り手にも聞き手にも強い印象を与えたはずである時にはそれは刺激的衝撃的な印象さえ与えたに違いない

それだからこそ女陰交合に関する出来事はその内容に類似し対応する連想を呼びやすかったのだろう「二段

構えの語り」と女陰交合の話題とが以上の諸話のなかに共存するのはそのような理由によるものと考えられる

 

以上で確認したように「二段構えの語り」が表れていると判断される諸話に女陰交合などの話題が共通して

含まれている論述の流れに従えば交合結婚を語るものではないがやはり女陰のことが一つの話題になってい

る次の話を取り上げる必要があるだろう

U 

須す

佐さ

之のをのみこと

男命(略)勝ちさびに天あ

まてらすおほみかみ

照大御神の営つ

くだ田

を離は

ちその溝を埋めまたその大お

ほにへ嘗

を聞こしめす殿に屎く

まり散らしき故か

然し

すれども天照大御神は咎と

めずてhellip(略)なほその悪しき態わ

止まずて転う

てありき天照大御

神忌い

みはた服

屋や

に坐ま

しまして神か

御み そ衣

織らしめたまひし時その服屋の頂む

を穿う

ち天あ

の斑ふ

ちこま馬

を逆さ

剝は

ぎに剝ぎて堕お

し入る

る時に天の服は

織おり

女め

見驚きて梭ひ

に陰ほ

と上

を衝つ

きて死にき故か

ここに天照大御神見畏か

しこみ

て天の石い

屋や

戸と

を開

きてさし籠もりましきここに高た

天ま

の原皆暗く葦

あしはらのなかつくにことごと

原中国悉に闇く

しこれによりて常と

夜よ

往ゆ

ききここに

万よろづのわざはひ

妖悉に発お

りき

〔神代記〕

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一四七

 

これは『古事記』の神話の一部であり須佐之男命の「勝ちさび」の場面とその姉である天照大御神の「石屋籠

もり」の場面である天照大御神が機織りをしている時に弟の須佐之男命が皮を剝いだ馬を服は

屋や

の屋根を壊し

てなかに投げ入れたそれに驚いた服は

織おり

女め

が縦糸の間に横糸を通すための道具である梭ひ

を誤って自分の陰部に突

き刺して死んだそれを見て弟の行動を恐れた天照大御神が石い

屋や

に籠もってしまったので世界は暗闇に閉ざされ

多くの災禍がはびこったという

 

二重線を付した「その服屋の頂む

を穿う

ち天あ

の斑ふ

ちこま馬

を逆さ

剝は

ぎに剝ぎて堕お

し入るる時にhellip」という部分と太線を付し

た「梭ひ

に陰ほ

と上

を衝つ

きて死にき」という部分とは表現のありかたがまったく異なるしかし皮を剝いだ馬を屋根

を壊して建物のなかに投げ入れることと梭ひ

で勢いよく突いて陰部を傷つけることとが物理的な動きとして酷似し

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ている

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ことは事実である二つの部分では

U 《ある物体を急に動かしその勢いで別の物体を破損する》

ということが共通の骨子になっているこのような動きはIOの話の場合の動きと酷似している

 

二つの部分に描写されている物理的な動きをこのように要約するとこれまで見た諸話の場合と同様にUの話に

表れている「二段構えの語り」について次のように推測すべきことになるつまり皮を剝いだ馬を服屋の屋根

を壊して投げ入れたという二重線の部分は梭で陰部を突いて服織女が死んだという太線の部分に基づいて伝承者

が事前に連想して話のなかに持ち込んだものだろうということである

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一四八

 

確かに梭で陰部を突いて女が死んだというのはあまりにも衝撃的で印象的な出来事である特に『日本書紀』

の所伝には「天照大神驚お

どろ動

きたまひて梭を以て身を傷い

ましむ」〔本書〕とありまた「稚わ

かひるめのみこと

日尊驚きたまひ

て機は

より墮お

ちて持たる梭を以て體み

を傷や

らしめて神か

むさ退

りましぬ」〔一書第一〕とあって事態はさらに深刻であ

る至高神である天照大神自身が陰部を損傷しまたその分身である稚日尊が同じ原因で死んだというのだからこ

れ以上の重大事件はない

 

ただしここで一つの問題が生じる伝承者が連想したことを神話のなかに持ち込む以前には梭を突き刺して陰

部を損傷したという話題はあっても屋根を壊して馬を投げ入れたという話題は含まれていなかったことになるそ

こで馬に関する話題が直前に置かれていなくても天照大御神が石屋に籠もるという展開になりえたのかとの問

題が生じるのである少なくともUの話では馬の投げ入れに驚いて服織女が陰部に損傷を負って死んだので

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その

ことを恐れた天照大御神が石屋に籠もってしまったというように読めるからである

 

結論を言えば馬を投げ入れるという行動はなくても天照大御神が石屋に籠もるという展開になりえたと理解

することができるそのことを支持するのは『日本書紀』に見える次の所伝である

V 

日ひのかみのみこと

神尊天あ

まのかきた

垣田を以て御田としたまふ時に素戔嗚尊春は渠み

塡う

め畔あ

はなち毀

す又秋の穀

たなつものすで

已に成りぬるとき

に則ち冒

ひきわたす

に絡あ

ぜなは縄

を以てす且ま

たひのかみ

日神の機は

殿どの

に居ま

します時に則ち斑ぶ

駒こま

を生い

剝は

ぎにして其の殿

みあらかの

内に納な

げいる

凡す

て此の諸

もろもろの

事尽

ことごとくに

是これあづきな

無状し然れども日神恩

このかみおととむつま

親しき意

みこころもちに

して慍と

めたまはず恨みたまはず皆

平たひ

らかなる心を以て容ゆ

したまふ日神の新

にひなへきこ

嘗しめす時に及お

よ至

びて素戔嗚尊則ち新

にひなへのみや

宮の御み

まし席

の下に陰ひ

そかに

ら送く

そま糞

る日神知し

しめさずして俓た

に席み

ましの

上に坐ゐ

たまふ是に由よ

りて日神體み

みこぞ挙

りて不や

くさ平

みたまふ故以

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一四九

て恚い

か恨

りまして廼す

なはち

天あまのいはや

石窟に居ま

して其の磐い

戸と

を閉さ

しぬ

〔一書第二〕

 

素すさのをのみこと

戔嗚尊の悪行がどのような順序でこのVの話にあげられているかを少し細かく見てみる天照大神の御み

田た

素戔嗚尊が損壊する話が最初に置かれておりそれはUの話の場合と同じであるしかしその直後にはUの話と

大きく異なって馬を投げ入れる話が置かれているそしてこの悪行を含む「諸

もろもろ

の事」について「日ひ

神かみ

恩このかみおととむつま

親しき意

みこころもちに

して慍と

めたまはず恨みたまはず皆平た

らかなる心を以て容ゆ

したまふ」という説明が付され

ている馬を投げ入れたことは天照大神の石屋籠もりと直結しておらずむしろ日神は馬の投げ入れを含む多くの

悪行を許したというのである

 

Vの話で石屋籠もりと直結しているのはそのあとになされた悪行であるそれは「素戔嗚尊則ち新

にひなへのみや

宮の御み

まし席

の下に陰ひ

そかに

自ら送く

そま糞

る」という蛮行でありこれによって「日神知しめさずして俓た

に席み

ましの

上に坐ゐ

たまふ是に

由よ

りて日神體み

みこぞ挙

りて不や

くさ平

みたまふ」というひどい状況が生じたつまり新宮のなかでの脱糞という悪行が日ひ

神かみ

に病をもたらしさらには同神を石屋に籠もらせたというのである陰部が損傷した事件ではなくて新宮での脱糞

という蛮行が石屋籠もりの原因となりえたことをVの話が証明している【天照大神にあたる神を「日神」とする所

伝はより古い時代に成立したものだと言われる】

 

新宮での脱糞が石屋籠もりの原因になったとするVの話には女陰が損傷したことはまったく見えないこれに対

してUの話やさきに引用した『日本書紀』の本書一書第二の話では馬の投げ入れに驚いた女神が陰部を損傷し

そのことが女神の石屋籠もりの原因となっている話の内容にこのような相違がある事実は女神が陰部を損傷した

ことと女神が石屋に籠もったこととは必ずしも一連のものではないことしたがって話の成立について考えるにあ

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一五〇

たっては二つのことを別々に処理してかまわないということを示している

 

ただしUの話で大きな問題となるのは馬を投げ入れるという行動がなければ女神が驚いて陰部を損傷すると

いう事態も起こらないということであるこの点で女神が陰部を損傷するという事態だけが話に含まれ馬を投

げ入れるという行動は話に含まれないという話の状況は想定できないのである

 

一連の話のなかにまずXのことが出ていて次にYのことが出ているという「二段構えの語り」について考える際

にぜひとも考慮しておくべきことがあるつまりあることをもとにしてそれに類似することを伝承者が連想し

連想した内容を結果的に話のなかに持ち込むには一般的に二とおりの過程がありうるということである

a 

先に出てくるXが伝承者に強い印象を与えるためにXについて語ったあとにそれに類似した内容をもつY

を伝承者が連想するという過程

b 

あとに出てくるYが伝承者に強い印象を与えるためにYについて語る前にそれに類似した内容をもつXを

伝承者が連想するという過程

 

これまで見てきた「二段構えの語り」はすべてbの過程を経て生じたものだと考えたしそのように考えて特に

問題はなかったしかしUVの二話の場合はそのように考えることは不可能であるUの話では馬を投げ入

れたことが女神が陰部を損傷する原因になっておりVの話では新宮で脱糞したことが女神に病をもたらす原

因となっている二重線の部分が原因を表しており太線の部分が結果を表しているわけだから二つの部分は密接

な因果関係を構成しているのである

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一五一

 

そこでUVの二話に表れている「二段構えの語り」がbの過程を経て成立したと仮定して具体的に話の展開

について考えてみる陰部を損傷したことだけがUの話に含まれるという段階を想定すれば女神がなぜ梭で陰部を

突くことになったのか何も説明がなく話の展開が唐突すぎる聞き手は話の展開が理解できないのであるまた

同様に女神が糞の上に座って病を得たことだけがVの話に含まれるという段階を想定すればそこになぜ糞があっ

たのかが不明であるこちらも話の展開そのものが成り立たない

 

一方で「二段構えの語り」はbの過程を経て成立したという仮定を捨てそれはaの過程を経て成立したものだ

と仮定してみる二重線の部分だけが話に含まれており伝承者はそれをもとにして太線の部分を連想し連想した

ことをあとで話のなかに持ち込んだというふうにである

 

Uの話にはもともと馬を投げ入れたことだけがあり伝承者はそれをもとに酷似する動きをとることとして

梭で陰部を突くという動作を連想した馬の皮を剝いだうえ屋根を壊してそれを服屋の中に投げ入れるという悪行

は女神が梭で陰部を突くという事故がなくても女神を恐れさせて石屋に籠もらせるには十分である

 

またVの話の場合にはもともと新宮で脱糞をしたことだけが含まれており伝承者はそれに基づいて女神が

その糞の上に座って病を得たことを連想した女神が新嘗の儀礼を行う前にその神聖な新宮でこっそり脱糞をする

という蛮行は女神が糞の上に座って病を得るという事態が起こらなくても女神を怒らせて石窟に籠もらせるには

十分である

 

こうしてbの過程を想定すればもとの話は成り立たないが逆にaの過程を想定すればUVの二話にも「二

段構えの語り」が表れていると考えることができる実はaの過程を想定することによって「二段構えの語り」が

表れていることを順当に説明しうる話はすぐあとに取り上げるようにほかにもまだある

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一五二

 

女陰が何らかの原因で損傷したことを述べるIOUの三話についてさきに一段めの語りと二段めの語りの

内容を検討したうえでそれぞれを次のように一文にまとめておいた

I 《身体の一部を急に下方に移動させその先にある物を勢いよく突く》

O 《狭い空間に棒状の物を差し入れその奥にある部分または物を強く突く》

U 《ある物体を急に動かしその勢いで別の物体を破損する》

 

三話に認められる「二段構えの語り」の内容はこのようにどれも同じような動きを表すものになっているそれ

だけでなくABの話やGの話に見られる「二段構えの語り」もまた同じような動きを表すものになっている

ということは女陰が損傷を受けたことを述べる三話に「二段構えの語り」を認めることの妥当性を逆の面から証

するものだと言えるのではないか

 

これに対し女陰の損傷が話題となっていない「二段構えの語り」が認められる別の諸話についてその内容を

一文にまとめるとその一文はこれらとまったく異なる動きを表すものとなる(後述)そのこともさきに述べた

ような「二段構えの語り」の存在を認めるべき一つの論拠となると考える

 

Uの話と同様にaの過程を経て「二段構えの語り」が成立したと推定される話をここでもう一つ取り上げる

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一五三

それは『古事記』に見える神話でのちに地上界の支配者になる大お

ほなむぢの

穴牟遅神か

をその兄弟である八や

十そ

神がみ

が殺害する場

面である

W 

ここに八や

十そ

神がみ

見てまた欺あ

ざむき

て山に率ゐ

て入りて大お

樹き

を切り伏せ茹ひ

矢や

をその木に打ち立てその中に入らし

むる即ちその氷ひ

目め

矢や

を打ち離ちて拷う

ち殺しきここにまたその御み

祖おや

の命み

こと

哭な

きつつ求ま

げば見得てすな

はちその木を折りて取り出で活かしてその子に告げて言ひしく「汝い

まし

此こ こ間

にあらば遂に八十神のために滅

ぼさえなむ」といひてすなはち木き

国くに

の大お

屋や

毘び

古この

神かみ

の御み

もと所

に違た

へ遣りきここに八十神

ぎ追ひ臻い

りて矢や

刺ざ

し乞ふ時に木の俣ま

より漏く

き逃がして云の

りたまひしく「須す

佐さ

能のをのみこと

男命の坐ま

します根の堅か

州す

国くに

に参ま

向ふべし必ず

その大神議は

りたまひなむ」とのりたまひき故か

詔の

りたまひし命の随ま

にまに

須佐之男命の御所に参ま

ゐいた到

ればhellip

〔神代記〕

 

八十神が大木を切り倒してそれを裂き裂け目に楔

くさび

状の「茹ひ

矢や

」を押し立てておいたそしてそこに大穴牟遅神

を入らせて楔状の物を引き抜き同神を圧死させた同神の母が木を折って息子を救い出しこれを蘇生させて大お

屋や

毘び

古この

神かみ

のもとへ逃がしてやったさらに八十神が追いついて息子を引き渡すように母に要求した時には母が息

子をこっそり木の俣から須佐能男命のもとへ逃がしてやったという

 

Wの話の直前には八十神に脅迫された大穴牟遅神が焼けた岩をかかえ込んで死んでしまったという話が置か

れている死んだ大穴牟遅神はやはり母の尽力によって復活したというそれが一回めの死と復活を語る話だから

Wの話で語られる死と復活は二回めのそれである一回めの死が岩を抱き取ることによってもたらされ二回めの死

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一五四

が木の俣に挟まれることによってもたらされた死因の内容が一回めと二回めとでは逆転している

 

また大穴牟遅神の二度にわたる死は天照大御神の二度にわたる死と奇妙なかたちで対応している天照大御神

の死はまず同神自身あるいはその分身の女神が木製の梭で陰部を突いて死ぬというかたちで語られるまた

そのあとで同神自身が岩屋に籠もってしまうというかたちで死が語られるがそれは太陽神の象徴的な死である

両神の死の内容を細かく比較すると両神の体と岩木とが次のように互いに逆転した奇妙な関係を示しているこ

とがわかる

  

大穴牟遅神の死helliphelliphellip体が岩をかかえるdarr木の俣が体を挟む

  

天照大御神の死helliphelliphellip木が体のなかに入るdarr体が岩のなかに入る

 

地上の支配者と世界の至高神との間に死をめぐってこのような逆転した関係が認められるのはきわめて興味深

いことである)

7(

 

さて「二段構えの語り」だがWの話のうち母が息子を「その木を折りて取り出で活かして」大お

屋や

毘び

古この

神かみ

のも

とへ逃がしてやったという二重線の部分が一段めの語りにあたる二段めの語りにあたるのは母が息子を「木の

俣また

より漏く

き逃がし」て須佐能男命のもとへ向かわせたという太線の部分である

 

つまりこの神話では俣になった「その木を折りて」母が息子を救い出す一段めの語りと母が息子を「木の俣

より漏く

き」逃がしてやる二段めの語りとは

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一五五

W 《母が息子を木の俣から救出しあるいは逃がして別の神のもとへ送り出す》

という酷似した内容のものになっている

 

地上の支配者となるべき大穴牟遅神が木の俣に挟まれて死んで母に救われる話の方が同神の母が木の俣から息

子を逃がしてやる話よりもずっと衝撃的で印象的であるだから神話の伝承者が一段めの語りの内容を強く意

識しそれに酷似した内容をもつ二段めの語りを連想してあとで話のなかに持ち込んだのだろうと推測される

より印象的な出来事を語り終えたあともそれが意識のなかから消え去らず類似し対応することがらをあとで連想し

てしまったと考えられる【一段めの話から二段めの話が連想されたというaの過程をたどったとおぼしい実例は

僅少であるそれには然るべき理由があったと考えるべきだが目下のところそれは不明である】

 

Wの話がこのような経緯をたどったとすると母が木を折って息子を救い出しこれを蘇生させてから別の神のも

とへ逃がしてやったという一段めの語りだけが話に含まれていた段階を例によって想定しなければならない一

段めの語りだけで話は成り立つのか

 

結論を言えばその想定は可能である八十神のもとから逃げた大穴牟遅神が須佐能男命のいる地まで行ったと

いうような単純な内容の話になっている方が以下との続きかたは自然である二重線の部分の末尾にある「木き

国くに

の大お

屋や

毘び

古この

神かみ

の御み

もと所

に違た

へ遣りき」の「大屋毘古神」の部分を太線の部分にある「須佐能男命」とすれば話は無

理なく以下に続くのであるまずは大屋毘古神のもとへ逃げて行ったという部分がなかったとすれば母は木の裂け

目から息子を救い出しこれを蘇生させて須佐能男命のもとへ送り出したというわかりやすい展開になるしたが

ってaの過程を経てWの話が成立しただろうという推定は十分に成り立つ

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一五六

 

二重線の「木き

国くに

の大お

屋や

毘び

古この

神かみ

の御み

もと所

に違た

へ遣りき」という部分は「木国のhellip」で始まっているそれは「大お

樹き

切り伏せ」「茹ひ

矢や

をその木に打ち立て」「その木を折りて」などWの話にくり返し出ている「樹木」から連想され

たものだろう

 

太線の部分にある「木の俣ま

より漏く

き逃がして」以下の表現からその前に置かれた二重線の部分が連想されたと

いうbの過程は想定できない二重線の部分が話に含まれていないという段階はなぜ太線の部分が話に含まれてい

るのかということつまり「木の俣ま

より漏く

き逃がして」とある理由が説明できないのである大穴牟遅神が八十神に

殺害されて復活したという理由があって始めて「木の俣ま

より漏く

き逃がして」以下の表現が意味をもつのである

 

木の俣に挟まれて圧死した大穴牟遅神が母の尽力によって蘇生したあとには同神が須佐能男命から与えられた

いくつもの試練を妻の須す

勢せ

理り

毘び

売め

の助力を得てそのたびごとに克服するという話が続くさらに大穴牟遅神が

須勢理毘売をその父のもとから奪って逃げるとともに自分に苦難をもたらした八十神を追い払って「始めて国を作

りたま」うたという展開になっているまたそのあとにも大穴牟遅神の子を産んだ八や

上かみ

比ひ

売め

が須世理毘売を恐

れて「その生める子をば木の俣に挟みて返」ったという話が続いている八上比売の話にまたもや「木の俣」

のことが出てくるわけである

 

この「木の俣」の話もまた大穴牟遅神が「木の俣」に挟まれて圧死した話から連想されたものである可能性が想

定できるがそのように想定する場合に問題となることがあるそれは両話の間に置かれた話があまりにも長大な

ものだということであるしかし大穴牟遅神と生まれた子との間には

 

ⅰ 

父子

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一五七

 

ⅱ 

木の俣に挟まれて死ぬ生まれて木の俣に挟まれる

 

ⅲ 

母が救い出す母が置き去りにする

 

ⅳ 

母が別地へ向かわせる母がもとの地に戻る

というような対比的な関係も認められるのでありこうした関係が偶然に生じたものだとは考えがたいだから父

が木の俣で圧死させられることから生まれた子を木の俣に置くことが連想されたという可能性をここでは否定し

ないでおく【より古い時代には大穴牟遅神が木の俣に挟まれて死ぬ話と八上比売が木の俣に新生児を挟む話とは

直結した一連のものだったことも想定できる】

 

以上の論述では「二段構えの語り」の様態について数話を例示してやや細かく検討を加えたその結果話に

含まれる特定のことからがそれに類似し対応することがらを伝承者に連想させ連想した内容が結果的に話のなか

に組み込まれてしまうという特徴的な現象を上代の神話や伝説を通して確認することができたと考える

 

同じ「二段構えの語り」の現象が認められる話は本稿で取り上げた諸話で尽きているのではなくまだ何話か上

代の文献に見える紙幅の関係でそれらを取り上げて細かく検討を加えることができないからここで二話だけに

ついて結論を述べておき具体的な検討は別稿で行うことにする

 

二話のうち一つは神話に見えるもので娘たちを飲み食らう大蛇を須佐能男命が退治する場面である『古事記』

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一五八

で言えば「是の高こ

志し

の八や

俣また

の遠を

呂ろ

智ち

年と

毎ごと

に来て喫く

へり」という部分と「船ふ

毎ごと

に己お

が頭を垂い入れてその酒を飲み

き」という部分とが「二段構えの語り」に相当する二つの部分の内容をまとめると

  《大蛇が出雲へやってきて足あ

名なづち椎

のがわに属するものを食らいあるいは飲む》

というようになる娘たちを食らい飲む大蛇が酒を飲むという同じ行動が原因で退治されてしまうのである

 

またもう一つの話は『播磨国風土記』の賀古郡の条に見える「比礼墓伝説」であるこの話では「印い

なみ南

」の女

が「隠な

び妻」であり「辞い

び妻」でもあるからこれは「古代の口がたり特有の面白さ」をもつものだという興味深

い見解がある

 

話の冒頭近くにある「度わ

たりもり

子紀き伊の国く

人ひと

小を

玉たま

申さく「我は天

すめらみこと

皇の贄に

人びと

たらめや」とまをす」という部分とその

あとにある「印南の別嬢聞きて驚き畏か

しこみ

即や

て南な

都つ

麻ま

嶋に遁に

げ度りき」という部分とが「二段構えの語り」に

相当する二つの部分のうちのあとの部分は別嬢が天皇の求婚を嫌がって

0

0

0

0

島に逃げて隠れたことを述べたものだか

ら二つの部分は同じく「辞い

び」を内容とするものだと言える「度わ

たりもり

子」つまり船頭の「我は天

すめらみこと

皇の贄に

人びと

たらめや」

という発言に倣って天皇の求婚を嫌がる別嬢の心情を言い表せば「吾は天皇の妻

9

9

9

9

たらめや」というようになる

  

船頭の「辞び」helliphelliphellip「我は天

すめらみこと

皇の贄に

人びと

たらめや」

  

別嬢の「辞び」helliphelliphellip「吾は天皇の妻

9

9

9

9

たらめや」

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一五九

 

結局二つの「辞び」は単なる拒否ではなく次のような同じ内容を表す「辞び」なのである

  《私は天皇にお仕えなどしない》

 

この話の末尾近くには別嬢の遺体について「大き飄つ

むじ

川下より来て其の尸か

ばねを

川中に纏ま

き入れき求むれども得

ず」と述べられているがその部分と別嬢が島に逃げて隠れた

0

0

0

という前の部分ともまた「二段構えの語り」を構

成している二つの部分はともに別嬢の「隠び」を内容とするものなので次のように一つにまとめることができる

  《別嬢が「隠な

び」をした》

 「辞び」も「隠び」も話のなかに二度ずつ表れているのである

 

大蛇退治の神話と「弟日姫子伝説」とには「二段構えの語り」を認めるにあたって解決すべき多くの問題が含ま

れているしかしそれらを一つ一つ検討していけば見てきた諸話と同様の特徴的な語りを二話にも認めることが

できる

註(1) 

本稿にあげる『古事記』『日本書紀』『風土記』などの記述は本文訓読文ともに古典文学大系のものを引用するまた

『萬葉集』の本文訓読文は新編古典全集のものを引用するただしいずれも読みやすさと理解しやすさとを考慮して

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一六〇

もとの表記形式その他を改めることが少なくない

(2) 

大野晋「記紀の創世神話の構成」〔『文学』一九六五年八月〕のちに『仮名遣と上代語』(一九八二年)に収載

(3) 「丹塗矢伝説」の成立については小著『伝承と言語』(一九九五年)のⅡ部四章で私見を述べたただし同書に述べたこ

とと本稿で述べたことの間には一点だけ相違がある丹塗矢が女の陰部を突いたという話は神と人間の女とが結婚したこ

とを明確に語ったものではないからそのことを明確にするために女の持ち帰った丹塗矢が男に変身して子が生まれたとい

う話があとになって付加されたのだと同書では述べたそれは既存の一説に見える解釈を妥当なものと認めそれを踏

襲したものだった本稿では「二段構えの語り」がこの話にも認められるという見解に立ってかつて小著で述べた考えを

訂正する

(4) 

女に与えられた「倭迹迹日百襲姫命」という名の語構成ははたしてどのようなものなのかこれを疑問の余地なく解明す

ることはかなり難しい

   

初頭の「倭」と末尾の「姫命」は除くとして「迹と

迹と

日び

百もも

襲そ

」の「百襲」は字面のとおり「多くの着衣」の意であるかも

知れないこの女の夫は蛇神だから蛇が何度も脱皮をくり返すことを背景とする名を妻がもつことは十分にありうること

だろう「百襲」の「襲」には字を構成する要素として「衣」がある「襲」の字は「重ねて着る」「覆う」「継ぐ」「おそ

う」などの意を表す

   

ある特徴や習性を表す語が当人ではなく周囲の者の名に含まれる例は「丹塗矢伝説」の登場者にも見られるたとえば

矢で陰部を突かれて慌てた女が勢せ

夜や

陀だ

多た

良ら

比ひ

売め

であるのにその女の産んだ娘が「陰に矢を立てられ震え姫」の意の「富ほ

登と

多た

多た

良ら

伊い

須す

須す

岐き

比ひめのみこと

売命」という名を与えられている母の経験したことが娘の名に反映しているのである

   「晡く

れふしの

時臥山やま

」〔『常陸国風土記』那珂郡茨城里〕の話に登場する子として蛇を産んだ女とその兄は「努ぬ

賀か

咩め

」「努ぬ

賀か

古こ

という名を与えられているこれらの名も原義を解明するのは難しいが「ぬか」はやはり脱皮の意を表す「脱ぬ

か」かも知れ

ない『和名類聚抄』の「蛻」の項に「毛も

沼ぬ

久く

」とあり『色葉字類抄』の「

蛻」の項に「ヘミノモヌケ」とあるこれらの

「脱ぬ

く」「脱ぬ

け」がこの場合に参考になる下二段活用動詞の「脱け」が「脱か彦脱か姫」では「脱か」となってい

るわけだが上代語では「明け」「荒れ」「枯れ」などの下二段活用動詞が「明か時(暁)」「新あ

垣がき

」「枯から

木き

」などの複合名詞を

構成しているのに同じである

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一六一

 

名の意味をこのように理解することは生まれた子を入れる器を何度か大きいものに替えたという脱皮を暗示する説明と

吻合する中世には「もぬけの衣」という表現もあるから「もぬけ」の「も」はあるいは「裳」か

(5) 「陰ほ

絶たち

田だ

」という地名と「米よね

舂つき

女め

等ら

が陰ほと

を陪おもとびとくな

従婚ぎ断ちき」という説明との関係には理解するのが難しい点がある

「陰絶田」に含まれる「絶つ」はもともと「長い間にわたって継続してきたことを止めまた幅のある物体を切る」の意を

表す動詞であるこれの自動詞である「絶ゆ」も基本的に意味は同じであるだから「陪お

もとびと

従」との交合によって陰部が損

傷したことをあえて「婚ぎ絶ち

9

9

き」と表現した理由が不明である物を損傷したことがなぜ「絶つ」と表現されたのか

「婚ぎ絶ちき」を「裂傷をおはせた」〔古典全書〕の意だと説明してもその疑問は解消しない

   「陰絶田」はもと「陰に(男根が)立つ田」の意の「陰立9

田」だったかも知れないそのように想定すれば神武記の

「丹塗矢伝説」に登場する「富ほ

登と

多た

多た

良ら

伊い

須す

須す

岐き

比ひ

売め

」という名の「ほとたたら」と意味的に対応するただし矢の場合に

「立つ」を用いた理由は理解できるが男根の場合にも同様に「立つ」を用いたとは想定しにくい「絶つ」とあることはや

はり不審のままである

(6) 

三つの要素の結びつきについては益田勝実「日本神話における外在と内在日本神話論における始原と展開」〔国文学

『解釈と鑑賞』一九七七年十月〕によるただしこの論にはOの話に関する言及がまったくないOの話のなかに三要素の

結び付きを読み取るのは私見にすぎない

(7) 

両神の死因をめぐる逆転関係については小著『日本の神話伝説を読む』(岩波新書二〇〇七年)の第二章第二節で述

べた

(日本語日本文学科 

教授)

Page 7: 一 神話・伝説に見られる特徴的な語り...神話・伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木) 0 一二三 べている。太平洋に伝承の海洋型国産み神話に類似。またヌホコを男性の象徴とし、交合による国産み神話とも見られる」と述

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一二七

 

次には『古事記』の神武天皇の条に見える話を取り上げる「三輪山伝説」の一つであり「丹に

塗ぬり

矢や

伝説」と呼ば

れるものである

G 

更に大お

ほきさき

后とせむ美を

とめ人

を求ま

ぎたまひし時大お

ほくめのみこと

久米命の曰ま

しけらく「此こ

こ間

に媛を

とめ女

あり是こ

を神の御み

子こ

と謂い

ふその

神の御子と謂ふ所ゆ

ゑ以

は三み

しまのみぞくひ

嶋湟咋の女む

すめ

名は勢せ

夜や

陀だ

多た

良ら

比ひ

売め

その容か

たちうるは

姿麗美しくありき故か

美み

和わ

の大お

物もの

主ぬしのかみ

見み め感

でてその美人の大く

そ ま

便為れる時丹に

塗ぬり

矢や

に化な

りてその大便為れる溝み

より流れ下りてその美人の富ほ

登と

を突

ききここにその美人驚きて立ち走りいすすきき乃す

なはち

その矢を将も

ち来て床と

の辺に置けば忽た

ちまち

麗うるはし

壮をとこ夫

に成りて即す

なはち

その美人を娶め

して生める子名は富ほ

登と

多た

多た

良ら

伊い

須す

須す

岐き

比ひめのみこと

売命と謂ひ亦の名を比ひ

売め

多た

多た

良ら

伊い

須す

気け

余よ

理り

比ひ

売め

是こ

はその富ほ

登と

と云ふことを悪に

みて後に名を改めつるぞと謂ふ故是こ

をもちて神の御子と謂ふなり」とま

をしき

〔神武記〕

 

三輪山の大物主神が容姿美麗な人間の女を気に入り赤く塗った矢に変身して溝を流れ下ったそして女が大

便をしている所へ行って矢の姿のままでその陰部を突いた女が矢を家に持ち帰って床の辺に置いたところ矢は

美男に変身して女と結婚したやがて比ひ

売め

多た

多た

良ら

伊い

須す

気け

余よ

理り

比ひ

売め

が生まれこの娘が初代の天皇である神武天皇の后

になったという

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一二八

 

このGの話にも「二段構えの語り」が明瞭に表れていると認められるので右に話を引用するにあたって二つの

段に相当する部分にそれぞれ傍線を付しておいた二重線を付した「丹に

塗ぬり

矢や

に化な

りてその大く

そ ま

便為れる溝み

より流れ下

りてその美人の富ほ

登と

を突きき」という部分が一段めの語りに相当し太線を付した「その矢を将も

ち来て床と

の辺に

置けば忽た

ちまち

麗うるはし

き壮を

とこ夫

に成りて即す

なはち

その美人を娶め

してhellip」という部分が二段めの語りに相当する二種の線を付

した部分の関係はどのようになっているのか

 

神の変身した丹塗矢が「美を

とめ人

の富ほ

登と

を突」いたとあるのは神と女との交合結婚を婉曲に述べたものだと言われ

るそのとおりだろうまたすぐあとの記述に女が家に持ち帰った丹塗矢が「麗う

るはし

き壮を

とこ夫

」に変身して「その美

人を娶め

し」たとありこちらはまともな結婚の話になっているそれでこの話では神と女とが結婚したことについ

て二種の説明が重なっているとも言われる

 

このように神と女との結婚を語る話が二種あることをどのように理解すべきかについていくつかの見解が提示

されているそれらの見解の当否はともかくとしてこの話に「二段構えの語り」という視点を導入すれば従来の

見解とは別の把握のしかたが可能になる

 

神が矢から美男へと変身ししかもその神が人間の女と結婚したという太線の部分はきわめて不思議で印象的な

内容をもつものであるその不思議で印象的な場面について語る前にやはり神と人間の女との交合結婚を示唆す

ることとして神の変身した矢が女の陰部を突くという連想を伝承者にもたらしたそして連想した内容が結果的

に話のなかに持ち込まれたのが二重線の部分だろうと想定することが可能である

 

神の変身した矢が女の陰部を突くという一段めの語りと美男に変身した神が女と交合結婚するという二段めの

語りとは表現上はまったく異なるものの内容面では大きい違いがないこの話の場合結局は神と人間の女との

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一二九

交合結婚について述べることが目的でありまた一方の語りが他方の語りから連想されたものでもあるから二つ

の語りの内容に大きい違いがないのも納得できる

 

崇神記に見える「苧を

だまき環

伝説」がそうであるようにGの話の場合にも大物主神が美男に変身して女のもとにやっ

て来て結局は両者が結婚して子が誕生したというのがもともとの内容だっただろう矢が女の陰部を突いたとい

う部分はなくても神婚の話は十分に成り立つ)

3(

 

Gの話によく似た内容をもつものとして「賀か

ものやしろの

茂社縁起」がよく知られているそれは『釈日本紀』に引かれた

もので『山城国風土記』の逸文である

H 

賀かものたけつのみのみこと

茂建角身命丹た

にはのくに

波国の神か

野の

の神伊い

可か

古こ

夜や

日ひ

売め

を娶め

して生みませる子名を玉た

依より

日ひ

子こ

と曰い

ひ次を玉た

依より

日ひ

売め

曰ふ玉依日売石川の瀬せ

見み

の小川に川遊びせし時丹塗矢川上より流れ下りき乃ち取りて床の辺に挿さ

置き遂に孕は

みて男を

とこご子

を生みき(略)加

かものわけいかづちのみこと

茂別雷命と號な

く謂い

はゆる丹塗矢は乙お

訓くに

の郡の社や

しろに

坐ま

せる火

ほのいかづちのかみ

雷神

なり

〔『釈日本紀』巻第九〕

 

Gの話とこのHの話で特に似ているのは

G 

その美人の大く

そ ま

便為れる時丹に

塗ぬり

矢や

に化な

りてその大便為れる溝み

より流れ下りて(略)乃ちその矢を将も

ち来て

床とこ

の辺に置けばhellip

H 

玉依日売石川の瀬せ

見み

の小川に川遊びせし時丹塗矢川上より流れ下りき乃ち取りて床の辺に挿さ

し置き

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一三〇

hellip

という部分であり二話が系統的に密接な関係にあることが知られるGの話の丹塗矢は蛇神であり雷神でもある

大物主神が変身したものだしHの話の丹塗矢は「火ほ

のいかづちのかみ

雷神」という名の雷神であるこうした点もGHの二

話が同じ系統を引く話であることを示している

 

Gの話に含まれる「その美人の富ほ

登と

を突ききここにその美人驚きて立ち走りいすすきき」という部分と

「忽た

ちまち

麗うるはし

き壮を

とこ夫

に成りて即す

なはち

その美人を娶め

して」という部分とは対応する表現がHの話には見えないGの話

の「二段構えの語り」にあたるものが同系統に属すると思われるHの話にはそろって含まれていないのである

 

しかしGHの話のどちらでも川を流れてきた丹塗矢の正体が神であることは自明だからHの伝説ではそれ

を「床と

の辺へ

に挿さ

し置」いたと述べるだけで女が「遂に孕は

みて男を

のこご子

を生」んだことの背景や経緯が容易に想像できた

に違いない

 

Gの話を構成するもとになった古い話に矢が男に変身して女と交合結婚したという説明が含まれていたかいな

かったかは不明であるしかしかりに変身結婚に関する説明が含まれていなかったにしても矢を床の辺に置

いたという説明さえ含まれていればそれに基づいて伝承者は神と女とが交合結婚したことを理解しただろう

あえて言えば伝承者が理解した内容そのものが二段めの語りにあたることになるそして伝承者は自分が理解し

たことから「その美人の富ほ

登と

を突きき」という矢の動きを連想し一段めの語りとしてそれをあとで話に付加したの

だろうと想定できる

 

このように考えればHの話のようにもともと「二段構えの語り」にあたるものがなかに含まれていなくても

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一三一

GHの話と同じ系統に属する古い話が結果的にそれを含むに至ることはありえたと思われる

 

Gの話に登場する神と女との間には二段構えの両段にまたがるかたちの内容面で逆転した対応関係が認められ

 

ⅰ 

美しい女美形の男

 

ⅱ 

男の矢への変身矢の男への変身

 

ⅲ 

矢の女のもとへの到来女の矢の持ち帰り

 

この種の逆転した関係は口承時代にその骨格がほぼ成立しただろうと思われる古い話にしばしば見られるもの

である矢が陰部を突く場面を矢が美男に変身して女と結婚した話から伝承者が連想し後次的に話のなかに持ち

込んだものだとしてもその連想は相当に古い時代に起こったことだろう

 

次に取り上げるのも大物主神をめぐる「三輪山伝説」の一つだがこちらは神と人間の女との結婚が破綻したこと

を語る話になっている

I 

是こ

の後に倭や

まとととびももそひめのみこと

迹迹日百襲姫命大お

ほものぬしのかみ

物主神の妻と為な

る然し

れども其そ

の神常に昼は見えずして夜のみ来み

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一三二

倭迹迹姫命夫に語りて曰い

く「君常に昼は見えたまはねば分あ

きらか明

に其の尊み

顔かほ

を視ること得ず願はくは暫し

し留りたまへ明

くるつあした

旦に仰ぎて美う

るは麗

しき威み

すがた儀

を覲み

たてまつらむと欲お

ふ」といふ大神対こ

へて曰く「言こ

とわりいやちこ

理灼然

なり吾明

くるつあした

旦に汝い

ましが

194797くし

笥げ

に入りて居らむ願はくは吾が形にな驚きましそ」とのたまふ爰こ

に倭迹迹姫命

心の裏う

に密ひ

そかに

異あやしぶ

明くるを待ちて194797笥を見れば遂に美麗しき小こ

をろち蛇

有り其の長さ太さ衣し

たひも紐

の如し則ち驚

き叫さ

け啼

ぶ時に大神恥ぢて忽

たちまちに

人の形と化な

りたまふ其の妻に謂か

りて曰く「汝い

まし

忍びずして吾に羞は

ぢみせ

吾還か

りて汝に羞せむ」とのたまふ仍よ

りて大お

ほぞら虚

を践ほ

みて御み

もろの諸

山やま

に登ります爰に倭迹迹姫命仰ぎ見

て悔いて急つ

き居う

則ち箸に陰ほ

を撞つ

きて薨か

むさり

ましぬ乃ち大お

ほち市

に葬は

りまつる故か

時の人其の墓を號な

けて箸は

墓はか

と謂い

ふ是の墓は日ひ

は人作り夜は神作る故か

大坂山の石を運びて造る

〔崇神紀〕

 

これは『日本書紀』の崇神天皇の条に見えるものでさまざまな話題を含む興味深い内容の話である

 

Gの話の場合と同様にこのIの話にも二重線と太線とを付しておいた「二段構えの語り」に相当するものが認

められるからである

 

妻の倭や

まとととびももそひめのみこと

迹迹日百襲姫命が夫である大物主神が自分に課した「私の姿に驚いてはならない」という禁を犯してしま

ったこれに怒った夫は御み

もろの諸

山やま

(三輪山)に登って行ったがその様子を仰ぎ見た妻は悔やんでその場にどすんと座

り込んだするとそこにあった箸が妻の陰部に突き刺さり妻はそのまま死んでしまった妻を葬る墓は昼に人

が造り夜には神が造ったという話の末尾の内容に因んで一般に「箸は

墓はか

伝説」と呼ばれている

 

Iの話より前の記述に倭迹迹日百襲姫命は「天皇の姑み

をば」

だという説明が見える大物主神の妻になったというの

だから巫女的な性格を強くもつ女である彼女の名はとても長いので話のなかでは「倭迹迹姫命」と略称されて

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一三三

いる)

4(

 「是の墓は日ひ

は人作り夜は神作る」という話の末尾を読んですぐに想起されることがあるそれは努ぬ

賀か

咩め

という女の産んだ「小さき蛇」が「明くれば言こ

とはぬが如く闇く

るれば母と語」ったという「晡く

れふしの

時臥山や

」〔『常陸

国風土記』那珂郡茨城里〕の話である「神の子である蛇が昼は物を言わなかったが夜になれば母と話をした」

というのは神が昼にはほとんど行動せず夜には活発に行動するという当時の人々の考えを反映するものだろう

これは夜には神が墓を造ったというIの話に一致する

 

それだけでなく夜には神が墓を造ったという説明は同じIの話の冒頭近くに「其そ

の神常に昼は見えずして

夜のみ来み

す」とある説明と内容的に対応している冒頭の近くで述べたことと末尾の近くで述べたこととを照応さ

せたかたちである

 「二段構えの語り」に相当するものは一見しただけではこの話に含まれていないように思われるしかし話の

文脈を細かくたどると二重線を付した「大お

ほぞら虚

を践ほ

みて御み

もろの諸

山やま

に登ります」という部分と「仰ぎ見て悔いて急つ

き居う

則ち箸に陰ほ

を撞つ

きて薨か

むさり

ましぬ」という太線の部分とがそれに相当することがわかる前者は大物主神によ

る天空での動作であり後者は倭迹迹姫命による地上での動作であるこれらの動作により一方は本来の拠点に戻

り他方は他界へ赴いた

 

二重線の部分と太線の部分とについて二種の動作の間にどのような関係があるというのか二種の動作を描写し

た部分に「二段構えの語り」を認めるのは深読みの結果ではないのかなどといった疑問が生じるかも知れないし

かし話の文脈から見れば実はそのように判断するのは間違いであることが明らかになる

 「大虚を践みて」という夫の動作は新編古典全集の注で「雷神の象徴」だと解説され「天空をふみとどろかし

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一三四

て」と現代語訳されている蛇神である大物主神は雷神でもあるからそれは妥当な解説である「大虚を践みて」

は雷鳴は神が天空を踏みつける音だと見なしたうえでの表現である

 

この点に関しては『萬葉集』の歌が参考になる

J 

天雲を 

ほろに踏みあだし 

鳴る神も 

今日にまさりて 

恐かしこけ

めやも

〔十九四二三五〕

 「天の雲をばらばらに踏み散らして音を響かせる雷神も今日の天皇の御前より恐れ多いはずはないだろう」の意

を表す歌である作者はこのような歌を詠むことによって天皇の威徳あるいは権力に対して畏怖の念と敬愛の

情とを表明したのである第三句の「鳴る神」とは雷神のことで「(天で音を響かせて)鳴る神」の意である雷鳴

は神が天雲を踏みつけることによって出る音だという把握のしかたが歌の背後にあるIの話に「大虚を践みて」

とあるのは雷神に対して上代の人々がいだいていた畏怖の念を端的に表すものになっている

 

他方の「急つ

き居う

」という妻の動作については古典大系の注に「どすんとすわったツキは衝キと同じ」という

解説が見え新編古典全集の注には

K 「急」の字にどすんと坐る様子を表現ツキは「突」で尻餠をつく後悔でがっくりきた姿がよく出てい

と見える【妻が箸で陰部を突いたという話題の背後には男女の交合のイメージが濃厚にまとわりついていたと考え

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一三五

られる夫婦をめぐる話だからそれは当然のことである】

 

夫婦の動作についてまとめると「大虚を践みて」は妻に禁を犯されたことを恥じた大物主神が勢いよく天空

を踏みつけるさまを表すまた「急き居」は夫の課した禁を犯したことを悔いた倭迹迹姫命が地面に急にすわ

り込むさまを表すどちらも

 

I 《身体の一部を急に下方に移動させその先にある物を勢いよく突く》

という動作であるこのことを確認すれば天空でなされる「大虚を践みて」と地上でなされる「急き居」とは

互いに類似し対応する動作だということがわかる夫と妻による二種の動作にこうした類似と対応とが認められる以

上それが話を深読みすることによって得られた誤った理解であるはずはない

 

妻に「箸に陰ほ

を撞つ

きて薨か

むさり

ましぬ」という忌まわしい事態が生じたわけだから「急き居」というのは語り手に

とっても聞き手にとってもきわめて衝撃的な動作である伝承者は妻の驚くべき動作について語る前にその場面の

ことを強く意識しただろうそして妻の動作に対応し類似する夫の動作としていかにも雷神らしい「大虚を践み

て」という動作を連想し話のなかに持ち込んだのだろう

 

ただし二重線を付した部分と太線を付した部分の「大虚を践みて」と「急き居」とは内容的には酷似あるい

は類似したことを表すものになっている一方で表現の具体的なありかたは大きく異なっている

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0

それは当然である

 

さきに「神世七代」の条に出現する「面足る」「あや恐か

こね」という対偶神の名とEFの話に見える男女二神

の讃美表現とについて述べたように一段めの語りと二段めの語りには異なる表現を用いなければならない内容面

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一三六

で類似し対応する二つの部分が表現の面でも同じように類似し対応していれば伝承者が一方をもとにして他方を

作ったことが聞き手に悟られやすくなるからである「大虚を践みて」と「急き居」とであれば両者の表現は異

なるからそれらは一方から他方を連想したものだとは悟られにくいのである

 

こう見てくるとIの話にもやはり「二段構えの語り」が認められることがわかる「大虚を践みて」という動作

をあえて描写しなくても怒った神が御諸山に帰って行ったと述べるだけで話は十分に成り立つ当該の箇所は

もともと「大虚を践みて」という表現を含まない単純なものだっただろう

 

この話のなかには大物主神と倭迹迹姫命とに関して互いに対比的だと見なしうる項目が多く含まれている特

に目立つものを整理すれば

 

ⅰ 

神人

 

ⅱ 

夫妻

 

ⅲ 

応じる願う

 

ⅳ 

禁を課す禁を犯す

 

ⅴ 

恥じる悔いる

 

ⅵ 

天空地上

 

ⅶ 

足で踏みつける尻餠を突く

 

ⅷ 

本拠地に戻る他界へ赴く

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一三七

というようになる

 

神と人間の女とが結婚したもののそれは根本的な矛盾を含む無理な結び付きだった神と人間との間にあるそ

の根本的な矛盾が夫が課した禁を妻が犯すという大きな溝となって現れ結局のところ両者は別離を迎えざるをえ

なかったというのがIの話の趣旨である話の伝承者が神と人間との根本的な相違を明確に意識しながら語った

話だからⅰ〜ⅷのような対比的な項目を含むことになったということだろう

 

ここで「二段構えの語り」の成立に深い関わりをもつと思われる『萬葉集』の歌の構成について見てみる歌の

構成というのは一方から他方を連想することによって成立する序詞と本旨との関係である

L 

春はるされば

去者 

先まづ

鳴なく

鳥とり

乃の うぐひすの

之 

事こと

先さき

立だち

之し 

君をし待たむ

〔十一九三五〕

 「春さればhelliphellipう

ぐひすの

」の三句が序詞でありそれが本旨の「言こ

先立ちし君をし待たむ」を導入している第一句

第二句の表現にあるように「

」は春を迎えて真っ先に鳴く鳥であるそれを序詞の末尾に置いて「(あなたが私

に)先に声を掛けた」の意の「言先立ちし」つまり本旨を導入する表現とした「言先立ちし」という相手の行動を

描写する前に春になって真っ先に鳴く鳥を歌の作者が連想しそれを歌の前半に置いたのであるだから作者が

言いたい本旨の内容が先にありそれから序詞が連想されたという関係であるあとで連想された序詞は意味的

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一三八

にも内容的にも本旨に類似するものになっているが本旨の表現とは異なっている

M 

牛うし

窓まと

之の 

浪なみ

乃の

塩しほ

左さ

猪ゐ 

嶋しまとよみ

響 

所よそりしきみは

依之君 

逢はずかもあらむ

〔十一二七三一〕

 

序詞の「牛窓のhelliphellip島」は本旨である「響と

み寄そりしhellip」から連想されたものであり同時に本旨を導入する表

現にもなっているこの序詞は「潮し

騒さゐ

の波のざわめきのように島も」の意を表し本旨の「響み寄そりし君はhellip」は

「噂もうるさいほどに私との関係を言い立てられたあなたはhellip」の意を表す「潮騒」という音にかかわる現象と

人の噂が激しいことをいう「響み」との類似性が歌の前半と後半とを結び付けている噂がうるさいという現実か

ら作者は「潮騒」のざわめきを連想して序詞としたのだから本旨の内容が先にあり序詞は本旨に基づいて連想

されたという関係である

N 

天あま

飛と

ぶや 

軽の社の 

斎いはひつき

槻 

幾代まであらむ 

隠こもりづま

嬬そも

〔十一二六五六〕

 

女が詠んだと思われるこの歌では「天あ

飛と

ぶやhelliphellip齋い

ひ槻つ

」の三句が序詞として四句以下の表現を導入している

序詞の末尾に置かれた「齋ひ槻」は神聖である故に人が触れてはならない木をさすまた第五句の「隠こ

り妻」は

人に知られてはならない間がらにある妻をさすそのような内容面での共通性が歌の前半にある序詞と後半にある

本旨とを強く結び付けている「齋い

ひ槻」と「隠こ

り妻」とは表現が異なっているが両者の関係はMの歌に出て

いる「潮騒」と「響み」とのそれに酷似している

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一三九

 

以上の三首に見られる序詞と本旨との関係はさきに見た諸話の一段めの語りと二段めの語りとの関係に相当する

三首の序詞は本旨の内容から連想されたものであり諸話の一段めの語りは二段めの語りの内容から連想されたもの

であるしかし連想を呼ぶもとになったこととそれから連想されたこととは三首でも諸話でも表現が互いに異

なるものになっている

 

話を「二段構えの語り」に戻し次の話に認められる「二段構えの語り」について検討するしかし次の話の語

りのありかたは見てきた三話と異なる点がある

O 

萩原の里土は中の中なり右萩原と名づくる故は息お

きながたらしひめのみこと

長帯日売命韓か

らくに国

より還か

り上りましし時御船此の村

に宿りたまひき一夜の間に萩一ひ

ともと根

生お

ひき高さ一ひ

丈つゑ

ばかりなり仍よ

りて萩原と名づく即す

なはち

御井を闢は

りき

故かれ

針は

間ま

井ゐ

といふ其の処は墾は

らず又墫も

たひの

水溢あ

れて井と成りき故韓か

の清水と號く其の水朝に汲むに

朝に出でず爾す

なはち

酒殿を造りき故酒田といふ舟傾き乾か

れき故傾か

ぶきだ田

といふ米よ

舂つき

女め

等ら

が陰ほ

を陪

おもとびとくな

従婚

ぎ断ちき故陰ほ

とたち絶

田だ

といふ仍す

なはち

萩多く栄えき故萩原といふ爾こ

に祭れる神は少

すくなたらしのみこと

足命にます

〔『播磨国風土記』揖保郡〕

 

これは『播磨国風土記』に見える話で息お

きながたらしひめのみこと

長帯日売命(神功皇后)の聖性と威徳とを強調する内容になっている

 

これまで見た三話と同様にこのOの話にも女陰の話題が含まれているそれは「陰ほ

絶たち

田だ

」という地名の由来を

説明する短小な話のなかに見える息長帯日売命に仕える陪お

もとびと

従が米よ

舂つき

女め

等ら

と交合して陰部を傷つけたそのことが

この地名の由来になったという)

5(

陰部を傷つけたことを語る「陪お

もとびとくな

従婚ぎ断た

ちき」の「断た

ちき」は「裂傷をおはせた」

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一四〇

〔古典全書〕の意だと比較的古い注釈にありこれを踏襲する新しい注釈もある妥当な解説である

 

以上で見た三話と異なる点というのは二重線の部分と太線の部分とが

O 

米よね

舂つき

女め

等ら

が陰ほ

を陪お

もとびとくな

従婚ぎ断ちき

というように一文のなかに連続して出ている点である見てきた三話では二種の線を付した部分は近接した位置

にあるがOの話の場合はそれが極端なかたちで表れているまた二重線の部分が三話のように何らかの動作

状態を描写した表現になってはおらず「米よ

舂つき

女め

等ら

」という複合名詞になっている点も三話とは異なる

 

二種の線を付した一文の内容についていささか気になるのは「陪お

もとびとくな

従婚ぎ断た

ちき」という動作の対象になったの

が「米よ

舂つき

女め

等ら

が陰ほ

」だということである

 「米よ

舂つき

女め

等ら

」という複合名詞に含まれる「舂つ

く」は「突く」という動詞の一用法である「舂く」は「きねなどの

先で強く打っておしつぶしたり穀物のからなどを除いたり精白したりする」〔『日本国語大辞典』第二版〕の意で

あり「舂女」は「臼で穀物をつく女」〔同〕の意である

 

結局のところ「舂く」という動作は「臼などの器に棒状の物を押し込みなかにある穀物などを押しつぶす」の

意を表すわけだがいささか気になると述べたのは「舂く」という動作と「婚く

ぎ断ち」「陰ほ

絶た

ち」という動作との

間に認められる

O 《狭い空間に棒状の物を差し入れその奥にある部分または物を強く突き破る》

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一四一

という物理的な動き

0

0

0

0

0

0

としての類似性であるこれは既に取り上げたABの話やIの話に見られる二種の動きの

類似性と同じである

 

交合によって陰部を損傷したのと同様に棒状の物で「舂く」ことによって穀物などの本来の形態も損なわれる

だから「舂く」と「婚く

ぎ断ち」「陰ほ

絶た

ち」とは物理的な動きだけではなく動きによって生じる結果

0

0

においても類

似している

 

このように話のなかに先に出てくる「舂き」とその直後に出てくる「婚く

ぎ断ち」「陰ほ

絶た

ち」との間には物理

的な動きとそれがもたらす結果との双方に関して顕著な対応類似が認められるそのような対応類似が生じた

ことについて次のように想定することができるだろうつまり話の伝承者があとで自分が語る交合という動作

を強く意識したそのために交合に類似した動きを表す「舂く」を事前に連想しさらにはその語を含む「米舂女

等」をも連想してそれを結果的に話のなかに持ち込んだのではないかということである現にGの「丹塗矢伝

説」に「その美人の富ほ

登と

を突きき」とありIの「箸は

墓はか

伝説」にも「陰を衝つ

きて」とあってそれらの「突き」「衝

き」は表記こそ違え「舂き」と同じ動詞である

 「婚く

ぎ断ち」「陰ほ

絶た

ち」は凄惨かつ深刻な事態だからそれに類似する「舂く」という動作を事前に伝承者が連想

することは十分にありえたと思われるそのように想定すればOの話にも「二段構えの語り」が表れていることに

なる

 

話の展開に従えば「舂く」を含む「米舂女等」が一段めの語りとして先に出てきて「婚く

ぎ断た

ち」「陰ほ

絶た

ち」が二

段めの語りとしてあとに出てくるしかし話が成立した経緯から見れば二段めの語りがもとで一段めの語りが生

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一四二

まれたわけだから実際の先後関係は正反対である

 「二段構えの語り」が以上のような経緯で成立したのだとすればOの話では陪お

もとびと

従が交合を行って陰部を損傷さ

せた対象はもともと「米舂女等」だとは限定されていなかったことになるそれで話は成り立つ

 

Oの話に認められる「二段構えの語り」は前節で確認したような歌の構成のありかたから見ればいったいどの

ようなものだと言えるのか

P 

窺うかねらふ

良布 

跡と み見

山やま

雪ゆき

之の 

いちしろく 

恋ひば妹が名 

人知らむかも

〔十二三四六〕

 

この歌では「じっと見ていて獲物を狙う」の意の「うかねらふ」が「跡と

み見

山」の「跡見」に掛かる枕詞になって

いる「うかねらふ」を承ける「跡と

み見

」は狩猟に関して用いられた語である注釈辞書に見える説明をまとめれ

ば「跡見」は「鳥獣が通ったあとを見てそれが通った時間やそれが今いる場所などを判断することまたそれ

を行う役の猟師」の意である歌の作者が「跡見」という語からそれと類義をもつ「うかねらふ」という動詞を

連想しそれを「跡見」という名詞を導入する枕詞としたのである「うかねらふ」と「跡見」とは類義の語だが

音韻面ではまったく異なっているこれはOの話の「米よ

舂つき

女め

等ら

」の「舂く」と「婚く

ぎ断ち」「陰ほ

絶た

ち」との関係に

近い

 『古事記』に見える次の歌謡では序詞と本旨との関係がPの歌の「跡見」と「うかねらふ」とのそれに類似し

たものになっている

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一四三

Q 

倭やまとへ方

に 

西吹き上げて 

玖く

毛も

婆ば

那な

礼れ 

曽そ

岐き

袁を

理り

登と

母も 

吾忘れめや

〔記五五〕

 「倭や

まとへ方

にhelliphellip雲離れ」の三句が序詞となって本旨の「退そ

き」あるいは「退き居り」を導入している「退き」は

「遠ざかり」の意を表す動詞だから「雲離れ」という複合語に用いられた「離れ」とは類義語の関係にある本旨

の「退き」を言うためにそれと類義をもつ「離れ」を事前に連想しそれを末尾に置いて長い序詞を構成したわけ

である「雲離れ」と「退き居り」とは音韻面で類似するところがない「離れ」と「退き」との関係はやはりO

の話の「米よ

舂つき

女め

等ら

」の「舂く」と「婚く

ぎ断ち」「陰ほ

絶た

ち」との関係に近いと言える

R ふさ

手た

折をり 

多た

武むの

山やま

霧ぎり 

繁みかも 

細川の瀬に 

波騒きける

〔九一七〇四〕

 

この歌では地名の「多た

武む

」を「曲げる」の意を表す「たむ」という動詞に見立てそれから事前に連想された

類義の「手折り」に「

ふさ

」を付し「たむ」の枕詞としている「手た

折を

る」は「手で曲げて取る」の意であり「

は「総房」のことで花や実が束になって付いたものをさす本旨の表現に用いるべき「たむ」から類義を表す

「手折る」という動詞を連想したのであるこれもまたOの話の「断つ」と「舂く」との関係を思わせる「たむ」

と「手折り」とは初頭の音節が同じだが互いに音節数が異なっている

 

三首の「跡見」「退き」「たむ」が「二段構えの語り」の二段めのかたりに相当しそれから連想された「うかね

らふ」「雲離れ」「

手折り」が一段めの語りに相当すると言えるだろう

 

既に述べたようにOの話は聖性と威徳とを具えた息長帯日売命に関する話である「一夜の間に萩一ひ

根もとお生

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一四四

き」「墫も

たひの

水溢あ

れて井と成りき」その他の不思議な事態が起こったことが話のなかでくり返し述べられている

同様にほかならぬ息長帯日売命に仕える陪お

もとびと

従が米舂女等と交合を行って陰部を傷つけた結果「萩多く栄えき」

という事態が生じたということなのだろう

 

Oの話が載っているのと同じ『播磨国風土記』に

S 

讃さ よ容

といふ所ゆ

ゑ以

は大神妹い

もせ

二柱競ひて国占し

めましし時妹玉た

津つ

日ひめのみこと

女命生ける鹿を捕と

り臥せて其の腹を

割さ

きて其の血に稲種ま

きき仍よ

りて一夜の間に苗な

生お

ひき即す

なはち

取りて殖う

ゑしめたまひき爾こ

に大神勅の

りたま

ひしく「汝な

にも妹

は五さ月夜よ

に殖ゑつるかも」とのりたまひて即や

て他

あだしところ

処に去りたまひき故か

五月夜の郡こ

ほりと

號なづ

神を賛さ

用よ

都つ

比ひめのみこと

売命と名づく

〔讃容郡〕

という話が見えまた次のような話も見える

T 

丹に

津つ

日ひ

子こ

の神「法ほ

太だ

の川底を雲う

るみ潤

の方に越さむと欲お

ふ」と爾し

かい云

ひし時彼の村に在い

せる太お

水みづ

の神辞い

びて

云の

りたまひしく「吾は宍し

の血を以て佃た

つくる

故か

河の水を欲ほ

りせず」とのりたまひきその時丹津日子云ひし

く「此の神は河を堀る事に倦う

みて爾いへるのみ」といひき故雲う

弥み

と號な

く今い

人ひと

雲潤と號な

〔賀毛郡〕

 

Sの話は鹿の腹を割いてその血に稲を蒔いたら一夜で苗が生えたというものであるまたTの話は宍し

つま

り動物の血で田を作るから河の水は必要ないと神が言ったというものである二話では稲などの植物を植える際

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一四五

には普通に水を用いるよりも動物の血を用いた方が成長がずっと早いと述べているようである

 

これらの話には動物の血と稲あるいは田と一夜での苗の成長の三つの要素の結び付きが確認できる)

6(

この

ことはOの「陰絶田」の話を想起させずにはおかないつまり稲あるいは田は「陰絶田」の話に出ている「米よ

舂つき

女め

等ら

」に対応するように思われるしまた動物の血は女らと陪従らとの交合によって陰部から出たはずの血に

対応するように思われるさらに一夜で急に苗が成長したという事態は「陰絶田」の話の前半部に「一夜の間に

萩一ひ

根もとお生

ひき」とありまた「陰絶田」という地名に続いて「仍す

なはち

萩多く栄えき」とあることに内容的に対応する

と理解することができる

 

だから「米よ

舂つき

女め

等ら

が陰ほ

を陪お

もとびとくな

従婚ぎ断ちき故陰ほ

絶たち

田だ

といふ仍す

なはち

萩多く栄えき」という一連の表現では

陰部を損傷させたことと萩が多く栄えたこととの間には「そのことが原因で」の意の明確な因果関係があると

見るべきだろう

 

三つの要素の結び付きがOの話にも認められる以上同話と動物の血に関する話は古い時代に行われていた儀礼

を背景とするものだと考えることができるだろう動物の血と人間の血との違いはあるがそれらは神に動物の犠

牲を捧げたことによって豊穣繁栄がもたらされたという人々の遠い記憶を伝えるものなのではないか

 「国土創成」をめぐるABの話とEFの話Gの「丹塗矢伝説」Iの「箸墓伝説」Oの「陰絶田」をめぐる

話のどれでも女陰交合結婚などのことが話題となっているこれらの諸話に「二段構えの語り」が認められる

ことを以上の論述で確認した

 

ただし「二段構えの語り」が認められることと女陰交合などの話題が含まれることとの二点を条件として

以上の諸話を選んだわけではない「二段構えの語り」が認められる諸話を取り上げたところそれらには女陰交

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一四六

合などの話題が共通して含まれていたというのが実際である

 

女陰を矢が突くにしても何かが原因で女陰が損傷を受けるにしてもとにかく女陰や交合に関する話題は話の

語り手にも聞き手にも強い印象を与えたはずである時にはそれは刺激的衝撃的な印象さえ与えたに違いない

それだからこそ女陰交合に関する出来事はその内容に類似し対応する連想を呼びやすかったのだろう「二段

構えの語り」と女陰交合の話題とが以上の諸話のなかに共存するのはそのような理由によるものと考えられる

 

以上で確認したように「二段構えの語り」が表れていると判断される諸話に女陰交合などの話題が共通して

含まれている論述の流れに従えば交合結婚を語るものではないがやはり女陰のことが一つの話題になってい

る次の話を取り上げる必要があるだろう

U 

須す

佐さ

之のをのみこと

男命(略)勝ちさびに天あ

まてらすおほみかみ

照大御神の営つ

くだ田

を離は

ちその溝を埋めまたその大お

ほにへ嘗

を聞こしめす殿に屎く

まり散らしき故か

然し

すれども天照大御神は咎と

めずてhellip(略)なほその悪しき態わ

止まずて転う

てありき天照大御

神忌い

みはた服

屋や

に坐ま

しまして神か

御み そ衣

織らしめたまひし時その服屋の頂む

を穿う

ち天あ

の斑ふ

ちこま馬

を逆さ

剝は

ぎに剝ぎて堕お

し入る

る時に天の服は

織おり

女め

見驚きて梭ひ

に陰ほ

と上

を衝つ

きて死にき故か

ここに天照大御神見畏か

しこみ

て天の石い

屋や

戸と

を開

きてさし籠もりましきここに高た

天ま

の原皆暗く葦

あしはらのなかつくにことごと

原中国悉に闇く

しこれによりて常と

夜よ

往ゆ

ききここに

万よろづのわざはひ

妖悉に発お

りき

〔神代記〕

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一四七

 

これは『古事記』の神話の一部であり須佐之男命の「勝ちさび」の場面とその姉である天照大御神の「石屋籠

もり」の場面である天照大御神が機織りをしている時に弟の須佐之男命が皮を剝いだ馬を服は

屋や

の屋根を壊し

てなかに投げ入れたそれに驚いた服は

織おり

女め

が縦糸の間に横糸を通すための道具である梭ひ

を誤って自分の陰部に突

き刺して死んだそれを見て弟の行動を恐れた天照大御神が石い

屋や

に籠もってしまったので世界は暗闇に閉ざされ

多くの災禍がはびこったという

 

二重線を付した「その服屋の頂む

を穿う

ち天あ

の斑ふ

ちこま馬

を逆さ

剝は

ぎに剝ぎて堕お

し入るる時にhellip」という部分と太線を付し

た「梭ひ

に陰ほ

と上

を衝つ

きて死にき」という部分とは表現のありかたがまったく異なるしかし皮を剝いだ馬を屋根

を壊して建物のなかに投げ入れることと梭ひ

で勢いよく突いて陰部を傷つけることとが物理的な動きとして酷似し

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ている

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ことは事実である二つの部分では

U 《ある物体を急に動かしその勢いで別の物体を破損する》

ということが共通の骨子になっているこのような動きはIOの話の場合の動きと酷似している

 

二つの部分に描写されている物理的な動きをこのように要約するとこれまで見た諸話の場合と同様にUの話に

表れている「二段構えの語り」について次のように推測すべきことになるつまり皮を剝いだ馬を服屋の屋根

を壊して投げ入れたという二重線の部分は梭で陰部を突いて服織女が死んだという太線の部分に基づいて伝承者

が事前に連想して話のなかに持ち込んだものだろうということである

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一四八

 

確かに梭で陰部を突いて女が死んだというのはあまりにも衝撃的で印象的な出来事である特に『日本書紀』

の所伝には「天照大神驚お

どろ動

きたまひて梭を以て身を傷い

ましむ」〔本書〕とありまた「稚わ

かひるめのみこと

日尊驚きたまひ

て機は

より墮お

ちて持たる梭を以て體み

を傷や

らしめて神か

むさ退

りましぬ」〔一書第一〕とあって事態はさらに深刻であ

る至高神である天照大神自身が陰部を損傷しまたその分身である稚日尊が同じ原因で死んだというのだからこ

れ以上の重大事件はない

 

ただしここで一つの問題が生じる伝承者が連想したことを神話のなかに持ち込む以前には梭を突き刺して陰

部を損傷したという話題はあっても屋根を壊して馬を投げ入れたという話題は含まれていなかったことになるそ

こで馬に関する話題が直前に置かれていなくても天照大御神が石屋に籠もるという展開になりえたのかとの問

題が生じるのである少なくともUの話では馬の投げ入れに驚いて服織女が陰部に損傷を負って死んだので

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その

ことを恐れた天照大御神が石屋に籠もってしまったというように読めるからである

 

結論を言えば馬を投げ入れるという行動はなくても天照大御神が石屋に籠もるという展開になりえたと理解

することができるそのことを支持するのは『日本書紀』に見える次の所伝である

V 

日ひのかみのみこと

神尊天あ

まのかきた

垣田を以て御田としたまふ時に素戔嗚尊春は渠み

塡う

め畔あ

はなち毀

す又秋の穀

たなつものすで

已に成りぬるとき

に則ち冒

ひきわたす

に絡あ

ぜなは縄

を以てす且ま

たひのかみ

日神の機は

殿どの

に居ま

します時に則ち斑ぶ

駒こま

を生い

剝は

ぎにして其の殿

みあらかの

内に納な

げいる

凡す

て此の諸

もろもろの

事尽

ことごとくに

是これあづきな

無状し然れども日神恩

このかみおととむつま

親しき意

みこころもちに

して慍と

めたまはず恨みたまはず皆

平たひ

らかなる心を以て容ゆ

したまふ日神の新

にひなへきこ

嘗しめす時に及お

よ至

びて素戔嗚尊則ち新

にひなへのみや

宮の御み

まし席

の下に陰ひ

そかに

ら送く

そま糞

る日神知し

しめさずして俓た

に席み

ましの

上に坐ゐ

たまふ是に由よ

りて日神體み

みこぞ挙

りて不や

くさ平

みたまふ故以

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一四九

て恚い

か恨

りまして廼す

なはち

天あまのいはや

石窟に居ま

して其の磐い

戸と

を閉さ

しぬ

〔一書第二〕

 

素すさのをのみこと

戔嗚尊の悪行がどのような順序でこのVの話にあげられているかを少し細かく見てみる天照大神の御み

田た

素戔嗚尊が損壊する話が最初に置かれておりそれはUの話の場合と同じであるしかしその直後にはUの話と

大きく異なって馬を投げ入れる話が置かれているそしてこの悪行を含む「諸

もろもろ

の事」について「日ひ

神かみ

恩このかみおととむつま

親しき意

みこころもちに

して慍と

めたまはず恨みたまはず皆平た

らかなる心を以て容ゆ

したまふ」という説明が付され

ている馬を投げ入れたことは天照大神の石屋籠もりと直結しておらずむしろ日神は馬の投げ入れを含む多くの

悪行を許したというのである

 

Vの話で石屋籠もりと直結しているのはそのあとになされた悪行であるそれは「素戔嗚尊則ち新

にひなへのみや

宮の御み

まし席

の下に陰ひ

そかに

自ら送く

そま糞

る」という蛮行でありこれによって「日神知しめさずして俓た

に席み

ましの

上に坐ゐ

たまふ是に

由よ

りて日神體み

みこぞ挙

りて不や

くさ平

みたまふ」というひどい状況が生じたつまり新宮のなかでの脱糞という悪行が日ひ

神かみ

に病をもたらしさらには同神を石屋に籠もらせたというのである陰部が損傷した事件ではなくて新宮での脱糞

という蛮行が石屋籠もりの原因となりえたことをVの話が証明している【天照大神にあたる神を「日神」とする所

伝はより古い時代に成立したものだと言われる】

 

新宮での脱糞が石屋籠もりの原因になったとするVの話には女陰が損傷したことはまったく見えないこれに対

してUの話やさきに引用した『日本書紀』の本書一書第二の話では馬の投げ入れに驚いた女神が陰部を損傷し

そのことが女神の石屋籠もりの原因となっている話の内容にこのような相違がある事実は女神が陰部を損傷した

ことと女神が石屋に籠もったこととは必ずしも一連のものではないことしたがって話の成立について考えるにあ

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一五〇

たっては二つのことを別々に処理してかまわないということを示している

 

ただしUの話で大きな問題となるのは馬を投げ入れるという行動がなければ女神が驚いて陰部を損傷すると

いう事態も起こらないということであるこの点で女神が陰部を損傷するという事態だけが話に含まれ馬を投

げ入れるという行動は話に含まれないという話の状況は想定できないのである

 

一連の話のなかにまずXのことが出ていて次にYのことが出ているという「二段構えの語り」について考える際

にぜひとも考慮しておくべきことがあるつまりあることをもとにしてそれに類似することを伝承者が連想し

連想した内容を結果的に話のなかに持ち込むには一般的に二とおりの過程がありうるということである

a 

先に出てくるXが伝承者に強い印象を与えるためにXについて語ったあとにそれに類似した内容をもつY

を伝承者が連想するという過程

b 

あとに出てくるYが伝承者に強い印象を与えるためにYについて語る前にそれに類似した内容をもつXを

伝承者が連想するという過程

 

これまで見てきた「二段構えの語り」はすべてbの過程を経て生じたものだと考えたしそのように考えて特に

問題はなかったしかしUVの二話の場合はそのように考えることは不可能であるUの話では馬を投げ入

れたことが女神が陰部を損傷する原因になっておりVの話では新宮で脱糞したことが女神に病をもたらす原

因となっている二重線の部分が原因を表しており太線の部分が結果を表しているわけだから二つの部分は密接

な因果関係を構成しているのである

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一五一

 

そこでUVの二話に表れている「二段構えの語り」がbの過程を経て成立したと仮定して具体的に話の展開

について考えてみる陰部を損傷したことだけがUの話に含まれるという段階を想定すれば女神がなぜ梭で陰部を

突くことになったのか何も説明がなく話の展開が唐突すぎる聞き手は話の展開が理解できないのであるまた

同様に女神が糞の上に座って病を得たことだけがVの話に含まれるという段階を想定すればそこになぜ糞があっ

たのかが不明であるこちらも話の展開そのものが成り立たない

 

一方で「二段構えの語り」はbの過程を経て成立したという仮定を捨てそれはaの過程を経て成立したものだ

と仮定してみる二重線の部分だけが話に含まれており伝承者はそれをもとにして太線の部分を連想し連想した

ことをあとで話のなかに持ち込んだというふうにである

 

Uの話にはもともと馬を投げ入れたことだけがあり伝承者はそれをもとに酷似する動きをとることとして

梭で陰部を突くという動作を連想した馬の皮を剝いだうえ屋根を壊してそれを服屋の中に投げ入れるという悪行

は女神が梭で陰部を突くという事故がなくても女神を恐れさせて石屋に籠もらせるには十分である

 

またVの話の場合にはもともと新宮で脱糞をしたことだけが含まれており伝承者はそれに基づいて女神が

その糞の上に座って病を得たことを連想した女神が新嘗の儀礼を行う前にその神聖な新宮でこっそり脱糞をする

という蛮行は女神が糞の上に座って病を得るという事態が起こらなくても女神を怒らせて石窟に籠もらせるには

十分である

 

こうしてbの過程を想定すればもとの話は成り立たないが逆にaの過程を想定すればUVの二話にも「二

段構えの語り」が表れていると考えることができる実はaの過程を想定することによって「二段構えの語り」が

表れていることを順当に説明しうる話はすぐあとに取り上げるようにほかにもまだある

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一五二

 

女陰が何らかの原因で損傷したことを述べるIOUの三話についてさきに一段めの語りと二段めの語りの

内容を検討したうえでそれぞれを次のように一文にまとめておいた

I 《身体の一部を急に下方に移動させその先にある物を勢いよく突く》

O 《狭い空間に棒状の物を差し入れその奥にある部分または物を強く突く》

U 《ある物体を急に動かしその勢いで別の物体を破損する》

 

三話に認められる「二段構えの語り」の内容はこのようにどれも同じような動きを表すものになっているそれ

だけでなくABの話やGの話に見られる「二段構えの語り」もまた同じような動きを表すものになっている

ということは女陰が損傷を受けたことを述べる三話に「二段構えの語り」を認めることの妥当性を逆の面から証

するものだと言えるのではないか

 

これに対し女陰の損傷が話題となっていない「二段構えの語り」が認められる別の諸話についてその内容を

一文にまとめるとその一文はこれらとまったく異なる動きを表すものとなる(後述)そのこともさきに述べた

ような「二段構えの語り」の存在を認めるべき一つの論拠となると考える

 

Uの話と同様にaの過程を経て「二段構えの語り」が成立したと推定される話をここでもう一つ取り上げる

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一五三

それは『古事記』に見える神話でのちに地上界の支配者になる大お

ほなむぢの

穴牟遅神か

をその兄弟である八や

十そ

神がみ

が殺害する場

面である

W 

ここに八や

十そ

神がみ

見てまた欺あ

ざむき

て山に率ゐ

て入りて大お

樹き

を切り伏せ茹ひ

矢や

をその木に打ち立てその中に入らし

むる即ちその氷ひ

目め

矢や

を打ち離ちて拷う

ち殺しきここにまたその御み

祖おや

の命み

こと

哭な

きつつ求ま

げば見得てすな

はちその木を折りて取り出で活かしてその子に告げて言ひしく「汝い

まし

此こ こ間

にあらば遂に八十神のために滅

ぼさえなむ」といひてすなはち木き

国くに

の大お

屋や

毘び

古この

神かみ

の御み

もと所

に違た

へ遣りきここに八十神

ぎ追ひ臻い

りて矢や

刺ざ

し乞ふ時に木の俣ま

より漏く

き逃がして云の

りたまひしく「須す

佐さ

能のをのみこと

男命の坐ま

します根の堅か

州す

国くに

に参ま

向ふべし必ず

その大神議は

りたまひなむ」とのりたまひき故か

詔の

りたまひし命の随ま

にまに

須佐之男命の御所に参ま

ゐいた到

ればhellip

〔神代記〕

 

八十神が大木を切り倒してそれを裂き裂け目に楔

くさび

状の「茹ひ

矢や

」を押し立てておいたそしてそこに大穴牟遅神

を入らせて楔状の物を引き抜き同神を圧死させた同神の母が木を折って息子を救い出しこれを蘇生させて大お

屋や

毘び

古この

神かみ

のもとへ逃がしてやったさらに八十神が追いついて息子を引き渡すように母に要求した時には母が息

子をこっそり木の俣から須佐能男命のもとへ逃がしてやったという

 

Wの話の直前には八十神に脅迫された大穴牟遅神が焼けた岩をかかえ込んで死んでしまったという話が置か

れている死んだ大穴牟遅神はやはり母の尽力によって復活したというそれが一回めの死と復活を語る話だから

Wの話で語られる死と復活は二回めのそれである一回めの死が岩を抱き取ることによってもたらされ二回めの死

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一五四

が木の俣に挟まれることによってもたらされた死因の内容が一回めと二回めとでは逆転している

 

また大穴牟遅神の二度にわたる死は天照大御神の二度にわたる死と奇妙なかたちで対応している天照大御神

の死はまず同神自身あるいはその分身の女神が木製の梭で陰部を突いて死ぬというかたちで語られるまた

そのあとで同神自身が岩屋に籠もってしまうというかたちで死が語られるがそれは太陽神の象徴的な死である

両神の死の内容を細かく比較すると両神の体と岩木とが次のように互いに逆転した奇妙な関係を示しているこ

とがわかる

  

大穴牟遅神の死helliphelliphellip体が岩をかかえるdarr木の俣が体を挟む

  

天照大御神の死helliphelliphellip木が体のなかに入るdarr体が岩のなかに入る

 

地上の支配者と世界の至高神との間に死をめぐってこのような逆転した関係が認められるのはきわめて興味深

いことである)

7(

 

さて「二段構えの語り」だがWの話のうち母が息子を「その木を折りて取り出で活かして」大お

屋や

毘び

古この

神かみ

のも

とへ逃がしてやったという二重線の部分が一段めの語りにあたる二段めの語りにあたるのは母が息子を「木の

俣また

より漏く

き逃がし」て須佐能男命のもとへ向かわせたという太線の部分である

 

つまりこの神話では俣になった「その木を折りて」母が息子を救い出す一段めの語りと母が息子を「木の俣

より漏く

き」逃がしてやる二段めの語りとは

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一五五

W 《母が息子を木の俣から救出しあるいは逃がして別の神のもとへ送り出す》

という酷似した内容のものになっている

 

地上の支配者となるべき大穴牟遅神が木の俣に挟まれて死んで母に救われる話の方が同神の母が木の俣から息

子を逃がしてやる話よりもずっと衝撃的で印象的であるだから神話の伝承者が一段めの語りの内容を強く意

識しそれに酷似した内容をもつ二段めの語りを連想してあとで話のなかに持ち込んだのだろうと推測される

より印象的な出来事を語り終えたあともそれが意識のなかから消え去らず類似し対応することがらをあとで連想し

てしまったと考えられる【一段めの話から二段めの話が連想されたというaの過程をたどったとおぼしい実例は

僅少であるそれには然るべき理由があったと考えるべきだが目下のところそれは不明である】

 

Wの話がこのような経緯をたどったとすると母が木を折って息子を救い出しこれを蘇生させてから別の神のも

とへ逃がしてやったという一段めの語りだけが話に含まれていた段階を例によって想定しなければならない一

段めの語りだけで話は成り立つのか

 

結論を言えばその想定は可能である八十神のもとから逃げた大穴牟遅神が須佐能男命のいる地まで行ったと

いうような単純な内容の話になっている方が以下との続きかたは自然である二重線の部分の末尾にある「木き

国くに

の大お

屋や

毘び

古この

神かみ

の御み

もと所

に違た

へ遣りき」の「大屋毘古神」の部分を太線の部分にある「須佐能男命」とすれば話は無

理なく以下に続くのであるまずは大屋毘古神のもとへ逃げて行ったという部分がなかったとすれば母は木の裂け

目から息子を救い出しこれを蘇生させて須佐能男命のもとへ送り出したというわかりやすい展開になるしたが

ってaの過程を経てWの話が成立しただろうという推定は十分に成り立つ

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一五六

 

二重線の「木き

国くに

の大お

屋や

毘び

古この

神かみ

の御み

もと所

に違た

へ遣りき」という部分は「木国のhellip」で始まっているそれは「大お

樹き

切り伏せ」「茹ひ

矢や

をその木に打ち立て」「その木を折りて」などWの話にくり返し出ている「樹木」から連想され

たものだろう

 

太線の部分にある「木の俣ま

より漏く

き逃がして」以下の表現からその前に置かれた二重線の部分が連想されたと

いうbの過程は想定できない二重線の部分が話に含まれていないという段階はなぜ太線の部分が話に含まれてい

るのかということつまり「木の俣ま

より漏く

き逃がして」とある理由が説明できないのである大穴牟遅神が八十神に

殺害されて復活したという理由があって始めて「木の俣ま

より漏く

き逃がして」以下の表現が意味をもつのである

 

木の俣に挟まれて圧死した大穴牟遅神が母の尽力によって蘇生したあとには同神が須佐能男命から与えられた

いくつもの試練を妻の須す

勢せ

理り

毘び

売め

の助力を得てそのたびごとに克服するという話が続くさらに大穴牟遅神が

須勢理毘売をその父のもとから奪って逃げるとともに自分に苦難をもたらした八十神を追い払って「始めて国を作

りたま」うたという展開になっているまたそのあとにも大穴牟遅神の子を産んだ八や

上かみ

比ひ

売め

が須世理毘売を恐

れて「その生める子をば木の俣に挟みて返」ったという話が続いている八上比売の話にまたもや「木の俣」

のことが出てくるわけである

 

この「木の俣」の話もまた大穴牟遅神が「木の俣」に挟まれて圧死した話から連想されたものである可能性が想

定できるがそのように想定する場合に問題となることがあるそれは両話の間に置かれた話があまりにも長大な

ものだということであるしかし大穴牟遅神と生まれた子との間には

 

ⅰ 

父子

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一五七

 

ⅱ 

木の俣に挟まれて死ぬ生まれて木の俣に挟まれる

 

ⅲ 

母が救い出す母が置き去りにする

 

ⅳ 

母が別地へ向かわせる母がもとの地に戻る

というような対比的な関係も認められるのでありこうした関係が偶然に生じたものだとは考えがたいだから父

が木の俣で圧死させられることから生まれた子を木の俣に置くことが連想されたという可能性をここでは否定し

ないでおく【より古い時代には大穴牟遅神が木の俣に挟まれて死ぬ話と八上比売が木の俣に新生児を挟む話とは

直結した一連のものだったことも想定できる】

 

以上の論述では「二段構えの語り」の様態について数話を例示してやや細かく検討を加えたその結果話に

含まれる特定のことからがそれに類似し対応することがらを伝承者に連想させ連想した内容が結果的に話のなか

に組み込まれてしまうという特徴的な現象を上代の神話や伝説を通して確認することができたと考える

 

同じ「二段構えの語り」の現象が認められる話は本稿で取り上げた諸話で尽きているのではなくまだ何話か上

代の文献に見える紙幅の関係でそれらを取り上げて細かく検討を加えることができないからここで二話だけに

ついて結論を述べておき具体的な検討は別稿で行うことにする

 

二話のうち一つは神話に見えるもので娘たちを飲み食らう大蛇を須佐能男命が退治する場面である『古事記』

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一五八

で言えば「是の高こ

志し

の八や

俣また

の遠を

呂ろ

智ち

年と

毎ごと

に来て喫く

へり」という部分と「船ふ

毎ごと

に己お

が頭を垂い入れてその酒を飲み

き」という部分とが「二段構えの語り」に相当する二つの部分の内容をまとめると

  《大蛇が出雲へやってきて足あ

名なづち椎

のがわに属するものを食らいあるいは飲む》

というようになる娘たちを食らい飲む大蛇が酒を飲むという同じ行動が原因で退治されてしまうのである

 

またもう一つの話は『播磨国風土記』の賀古郡の条に見える「比礼墓伝説」であるこの話では「印い

なみ南

」の女

が「隠な

び妻」であり「辞い

び妻」でもあるからこれは「古代の口がたり特有の面白さ」をもつものだという興味深

い見解がある

 

話の冒頭近くにある「度わ

たりもり

子紀き伊の国く

人ひと

小を

玉たま

申さく「我は天

すめらみこと

皇の贄に

人びと

たらめや」とまをす」という部分とその

あとにある「印南の別嬢聞きて驚き畏か

しこみ

即や

て南な

都つ

麻ま

嶋に遁に

げ度りき」という部分とが「二段構えの語り」に

相当する二つの部分のうちのあとの部分は別嬢が天皇の求婚を嫌がって

0

0

0

0

島に逃げて隠れたことを述べたものだか

ら二つの部分は同じく「辞い

び」を内容とするものだと言える「度わ

たりもり

子」つまり船頭の「我は天

すめらみこと

皇の贄に

人びと

たらめや」

という発言に倣って天皇の求婚を嫌がる別嬢の心情を言い表せば「吾は天皇の妻

9

9

9

9

たらめや」というようになる

  

船頭の「辞び」helliphelliphellip「我は天

すめらみこと

皇の贄に

人びと

たらめや」

  

別嬢の「辞び」helliphelliphellip「吾は天皇の妻

9

9

9

9

たらめや」

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一五九

 

結局二つの「辞び」は単なる拒否ではなく次のような同じ内容を表す「辞び」なのである

  《私は天皇にお仕えなどしない》

 

この話の末尾近くには別嬢の遺体について「大き飄つ

むじ

川下より来て其の尸か

ばねを

川中に纏ま

き入れき求むれども得

ず」と述べられているがその部分と別嬢が島に逃げて隠れた

0

0

0

という前の部分ともまた「二段構えの語り」を構

成している二つの部分はともに別嬢の「隠び」を内容とするものなので次のように一つにまとめることができる

  《別嬢が「隠な

び」をした》

 「辞び」も「隠び」も話のなかに二度ずつ表れているのである

 

大蛇退治の神話と「弟日姫子伝説」とには「二段構えの語り」を認めるにあたって解決すべき多くの問題が含ま

れているしかしそれらを一つ一つ検討していけば見てきた諸話と同様の特徴的な語りを二話にも認めることが

できる

註(1) 

本稿にあげる『古事記』『日本書紀』『風土記』などの記述は本文訓読文ともに古典文学大系のものを引用するまた

『萬葉集』の本文訓読文は新編古典全集のものを引用するただしいずれも読みやすさと理解しやすさとを考慮して

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一六〇

もとの表記形式その他を改めることが少なくない

(2) 

大野晋「記紀の創世神話の構成」〔『文学』一九六五年八月〕のちに『仮名遣と上代語』(一九八二年)に収載

(3) 「丹塗矢伝説」の成立については小著『伝承と言語』(一九九五年)のⅡ部四章で私見を述べたただし同書に述べたこ

とと本稿で述べたことの間には一点だけ相違がある丹塗矢が女の陰部を突いたという話は神と人間の女とが結婚したこ

とを明確に語ったものではないからそのことを明確にするために女の持ち帰った丹塗矢が男に変身して子が生まれたとい

う話があとになって付加されたのだと同書では述べたそれは既存の一説に見える解釈を妥当なものと認めそれを踏

襲したものだった本稿では「二段構えの語り」がこの話にも認められるという見解に立ってかつて小著で述べた考えを

訂正する

(4) 

女に与えられた「倭迹迹日百襲姫命」という名の語構成ははたしてどのようなものなのかこれを疑問の余地なく解明す

ることはかなり難しい

   

初頭の「倭」と末尾の「姫命」は除くとして「迹と

迹と

日び

百もも

襲そ

」の「百襲」は字面のとおり「多くの着衣」の意であるかも

知れないこの女の夫は蛇神だから蛇が何度も脱皮をくり返すことを背景とする名を妻がもつことは十分にありうること

だろう「百襲」の「襲」には字を構成する要素として「衣」がある「襲」の字は「重ねて着る」「覆う」「継ぐ」「おそ

う」などの意を表す

   

ある特徴や習性を表す語が当人ではなく周囲の者の名に含まれる例は「丹塗矢伝説」の登場者にも見られるたとえば

矢で陰部を突かれて慌てた女が勢せ

夜や

陀だ

多た

良ら

比ひ

売め

であるのにその女の産んだ娘が「陰に矢を立てられ震え姫」の意の「富ほ

登と

多た

多た

良ら

伊い

須す

須す

岐き

比ひめのみこと

売命」という名を与えられている母の経験したことが娘の名に反映しているのである

   「晡く

れふしの

時臥山やま

」〔『常陸国風土記』那珂郡茨城里〕の話に登場する子として蛇を産んだ女とその兄は「努ぬ

賀か

咩め

」「努ぬ

賀か

古こ

という名を与えられているこれらの名も原義を解明するのは難しいが「ぬか」はやはり脱皮の意を表す「脱ぬ

か」かも知れ

ない『和名類聚抄』の「蛻」の項に「毛も

沼ぬ

久く

」とあり『色葉字類抄』の「

蛻」の項に「ヘミノモヌケ」とあるこれらの

「脱ぬ

く」「脱ぬ

け」がこの場合に参考になる下二段活用動詞の「脱け」が「脱か彦脱か姫」では「脱か」となってい

るわけだが上代語では「明け」「荒れ」「枯れ」などの下二段活用動詞が「明か時(暁)」「新あ

垣がき

」「枯から

木き

」などの複合名詞を

構成しているのに同じである

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一六一

 

名の意味をこのように理解することは生まれた子を入れる器を何度か大きいものに替えたという脱皮を暗示する説明と

吻合する中世には「もぬけの衣」という表現もあるから「もぬけ」の「も」はあるいは「裳」か

(5) 「陰ほ

絶たち

田だ

」という地名と「米よね

舂つき

女め

等ら

が陰ほと

を陪おもとびとくな

従婚ぎ断ちき」という説明との関係には理解するのが難しい点がある

「陰絶田」に含まれる「絶つ」はもともと「長い間にわたって継続してきたことを止めまた幅のある物体を切る」の意を

表す動詞であるこれの自動詞である「絶ゆ」も基本的に意味は同じであるだから「陪お

もとびと

従」との交合によって陰部が損

傷したことをあえて「婚ぎ絶ち

9

9

き」と表現した理由が不明である物を損傷したことがなぜ「絶つ」と表現されたのか

「婚ぎ絶ちき」を「裂傷をおはせた」〔古典全書〕の意だと説明してもその疑問は解消しない

   「陰絶田」はもと「陰に(男根が)立つ田」の意の「陰立9

田」だったかも知れないそのように想定すれば神武記の

「丹塗矢伝説」に登場する「富ほ

登と

多た

多た

良ら

伊い

須す

須す

岐き

比ひ

売め

」という名の「ほとたたら」と意味的に対応するただし矢の場合に

「立つ」を用いた理由は理解できるが男根の場合にも同様に「立つ」を用いたとは想定しにくい「絶つ」とあることはや

はり不審のままである

(6) 

三つの要素の結びつきについては益田勝実「日本神話における外在と内在日本神話論における始原と展開」〔国文学

『解釈と鑑賞』一九七七年十月〕によるただしこの論にはOの話に関する言及がまったくないOの話のなかに三要素の

結び付きを読み取るのは私見にすぎない

(7) 

両神の死因をめぐる逆転関係については小著『日本の神話伝説を読む』(岩波新書二〇〇七年)の第二章第二節で述

べた

(日本語日本文学科 

教授)

Page 8: 一 神話・伝説に見られる特徴的な語り...神話・伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木) 0 一二三 べている。太平洋に伝承の海洋型国産み神話に類似。またヌホコを男性の象徴とし、交合による国産み神話とも見られる」と述

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一二八

 

このGの話にも「二段構えの語り」が明瞭に表れていると認められるので右に話を引用するにあたって二つの

段に相当する部分にそれぞれ傍線を付しておいた二重線を付した「丹に

塗ぬり

矢や

に化な

りてその大く

そ ま

便為れる溝み

より流れ下

りてその美人の富ほ

登と

を突きき」という部分が一段めの語りに相当し太線を付した「その矢を将も

ち来て床と

の辺に

置けば忽た

ちまち

麗うるはし

き壮を

とこ夫

に成りて即す

なはち

その美人を娶め

してhellip」という部分が二段めの語りに相当する二種の線を付

した部分の関係はどのようになっているのか

 

神の変身した丹塗矢が「美を

とめ人

の富ほ

登と

を突」いたとあるのは神と女との交合結婚を婉曲に述べたものだと言われ

るそのとおりだろうまたすぐあとの記述に女が家に持ち帰った丹塗矢が「麗う

るはし

き壮を

とこ夫

」に変身して「その美

人を娶め

し」たとありこちらはまともな結婚の話になっているそれでこの話では神と女とが結婚したことについ

て二種の説明が重なっているとも言われる

 

このように神と女との結婚を語る話が二種あることをどのように理解すべきかについていくつかの見解が提示

されているそれらの見解の当否はともかくとしてこの話に「二段構えの語り」という視点を導入すれば従来の

見解とは別の把握のしかたが可能になる

 

神が矢から美男へと変身ししかもその神が人間の女と結婚したという太線の部分はきわめて不思議で印象的な

内容をもつものであるその不思議で印象的な場面について語る前にやはり神と人間の女との交合結婚を示唆す

ることとして神の変身した矢が女の陰部を突くという連想を伝承者にもたらしたそして連想した内容が結果的

に話のなかに持ち込まれたのが二重線の部分だろうと想定することが可能である

 

神の変身した矢が女の陰部を突くという一段めの語りと美男に変身した神が女と交合結婚するという二段めの

語りとは表現上はまったく異なるものの内容面では大きい違いがないこの話の場合結局は神と人間の女との

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一二九

交合結婚について述べることが目的でありまた一方の語りが他方の語りから連想されたものでもあるから二つ

の語りの内容に大きい違いがないのも納得できる

 

崇神記に見える「苧を

だまき環

伝説」がそうであるようにGの話の場合にも大物主神が美男に変身して女のもとにやっ

て来て結局は両者が結婚して子が誕生したというのがもともとの内容だっただろう矢が女の陰部を突いたとい

う部分はなくても神婚の話は十分に成り立つ)

3(

 

Gの話によく似た内容をもつものとして「賀か

ものやしろの

茂社縁起」がよく知られているそれは『釈日本紀』に引かれた

もので『山城国風土記』の逸文である

H 

賀かものたけつのみのみこと

茂建角身命丹た

にはのくに

波国の神か

野の

の神伊い

可か

古こ

夜や

日ひ

売め

を娶め

して生みませる子名を玉た

依より

日ひ

子こ

と曰い

ひ次を玉た

依より

日ひ

売め

曰ふ玉依日売石川の瀬せ

見み

の小川に川遊びせし時丹塗矢川上より流れ下りき乃ち取りて床の辺に挿さ

置き遂に孕は

みて男を

とこご子

を生みき(略)加

かものわけいかづちのみこと

茂別雷命と號な

く謂い

はゆる丹塗矢は乙お

訓くに

の郡の社や

しろに

坐ま

せる火

ほのいかづちのかみ

雷神

なり

〔『釈日本紀』巻第九〕

 

Gの話とこのHの話で特に似ているのは

G 

その美人の大く

そ ま

便為れる時丹に

塗ぬり

矢や

に化な

りてその大便為れる溝み

より流れ下りて(略)乃ちその矢を将も

ち来て

床とこ

の辺に置けばhellip

H 

玉依日売石川の瀬せ

見み

の小川に川遊びせし時丹塗矢川上より流れ下りき乃ち取りて床の辺に挿さ

し置き

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一三〇

hellip

という部分であり二話が系統的に密接な関係にあることが知られるGの話の丹塗矢は蛇神であり雷神でもある

大物主神が変身したものだしHの話の丹塗矢は「火ほ

のいかづちのかみ

雷神」という名の雷神であるこうした点もGHの二

話が同じ系統を引く話であることを示している

 

Gの話に含まれる「その美人の富ほ

登と

を突ききここにその美人驚きて立ち走りいすすきき」という部分と

「忽た

ちまち

麗うるはし

き壮を

とこ夫

に成りて即す

なはち

その美人を娶め

して」という部分とは対応する表現がHの話には見えないGの話

の「二段構えの語り」にあたるものが同系統に属すると思われるHの話にはそろって含まれていないのである

 

しかしGHの話のどちらでも川を流れてきた丹塗矢の正体が神であることは自明だからHの伝説ではそれ

を「床と

の辺へ

に挿さ

し置」いたと述べるだけで女が「遂に孕は

みて男を

のこご子

を生」んだことの背景や経緯が容易に想像できた

に違いない

 

Gの話を構成するもとになった古い話に矢が男に変身して女と交合結婚したという説明が含まれていたかいな

かったかは不明であるしかしかりに変身結婚に関する説明が含まれていなかったにしても矢を床の辺に置

いたという説明さえ含まれていればそれに基づいて伝承者は神と女とが交合結婚したことを理解しただろう

あえて言えば伝承者が理解した内容そのものが二段めの語りにあたることになるそして伝承者は自分が理解し

たことから「その美人の富ほ

登と

を突きき」という矢の動きを連想し一段めの語りとしてそれをあとで話に付加したの

だろうと想定できる

 

このように考えればHの話のようにもともと「二段構えの語り」にあたるものがなかに含まれていなくても

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一三一

GHの話と同じ系統に属する古い話が結果的にそれを含むに至ることはありえたと思われる

 

Gの話に登場する神と女との間には二段構えの両段にまたがるかたちの内容面で逆転した対応関係が認められ

 

ⅰ 

美しい女美形の男

 

ⅱ 

男の矢への変身矢の男への変身

 

ⅲ 

矢の女のもとへの到来女の矢の持ち帰り

 

この種の逆転した関係は口承時代にその骨格がほぼ成立しただろうと思われる古い話にしばしば見られるもの

である矢が陰部を突く場面を矢が美男に変身して女と結婚した話から伝承者が連想し後次的に話のなかに持ち

込んだものだとしてもその連想は相当に古い時代に起こったことだろう

 

次に取り上げるのも大物主神をめぐる「三輪山伝説」の一つだがこちらは神と人間の女との結婚が破綻したこと

を語る話になっている

I 

是こ

の後に倭や

まとととびももそひめのみこと

迹迹日百襲姫命大お

ほものぬしのかみ

物主神の妻と為な

る然し

れども其そ

の神常に昼は見えずして夜のみ来み

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一三二

倭迹迹姫命夫に語りて曰い

く「君常に昼は見えたまはねば分あ

きらか明

に其の尊み

顔かほ

を視ること得ず願はくは暫し

し留りたまへ明

くるつあした

旦に仰ぎて美う

るは麗

しき威み

すがた儀

を覲み

たてまつらむと欲お

ふ」といふ大神対こ

へて曰く「言こ

とわりいやちこ

理灼然

なり吾明

くるつあした

旦に汝い

ましが

194797くし

笥げ

に入りて居らむ願はくは吾が形にな驚きましそ」とのたまふ爰こ

に倭迹迹姫命

心の裏う

に密ひ

そかに

異あやしぶ

明くるを待ちて194797笥を見れば遂に美麗しき小こ

をろち蛇

有り其の長さ太さ衣し

たひも紐

の如し則ち驚

き叫さ

け啼

ぶ時に大神恥ぢて忽

たちまちに

人の形と化な

りたまふ其の妻に謂か

りて曰く「汝い

まし

忍びずして吾に羞は

ぢみせ

吾還か

りて汝に羞せむ」とのたまふ仍よ

りて大お

ほぞら虚

を践ほ

みて御み

もろの諸

山やま

に登ります爰に倭迹迹姫命仰ぎ見

て悔いて急つ

き居う

則ち箸に陰ほ

を撞つ

きて薨か

むさり

ましぬ乃ち大お

ほち市

に葬は

りまつる故か

時の人其の墓を號な

けて箸は

墓はか

と謂い

ふ是の墓は日ひ

は人作り夜は神作る故か

大坂山の石を運びて造る

〔崇神紀〕

 

これは『日本書紀』の崇神天皇の条に見えるものでさまざまな話題を含む興味深い内容の話である

 

Gの話の場合と同様にこのIの話にも二重線と太線とを付しておいた「二段構えの語り」に相当するものが認

められるからである

 

妻の倭や

まとととびももそひめのみこと

迹迹日百襲姫命が夫である大物主神が自分に課した「私の姿に驚いてはならない」という禁を犯してしま

ったこれに怒った夫は御み

もろの諸

山やま

(三輪山)に登って行ったがその様子を仰ぎ見た妻は悔やんでその場にどすんと座

り込んだするとそこにあった箸が妻の陰部に突き刺さり妻はそのまま死んでしまった妻を葬る墓は昼に人

が造り夜には神が造ったという話の末尾の内容に因んで一般に「箸は

墓はか

伝説」と呼ばれている

 

Iの話より前の記述に倭迹迹日百襲姫命は「天皇の姑み

をば」

だという説明が見える大物主神の妻になったというの

だから巫女的な性格を強くもつ女である彼女の名はとても長いので話のなかでは「倭迹迹姫命」と略称されて

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一三三

いる)

4(

 「是の墓は日ひ

は人作り夜は神作る」という話の末尾を読んですぐに想起されることがあるそれは努ぬ

賀か

咩め

という女の産んだ「小さき蛇」が「明くれば言こ

とはぬが如く闇く

るれば母と語」ったという「晡く

れふしの

時臥山や

」〔『常陸

国風土記』那珂郡茨城里〕の話である「神の子である蛇が昼は物を言わなかったが夜になれば母と話をした」

というのは神が昼にはほとんど行動せず夜には活発に行動するという当時の人々の考えを反映するものだろう

これは夜には神が墓を造ったというIの話に一致する

 

それだけでなく夜には神が墓を造ったという説明は同じIの話の冒頭近くに「其そ

の神常に昼は見えずして

夜のみ来み

す」とある説明と内容的に対応している冒頭の近くで述べたことと末尾の近くで述べたこととを照応さ

せたかたちである

 「二段構えの語り」に相当するものは一見しただけではこの話に含まれていないように思われるしかし話の

文脈を細かくたどると二重線を付した「大お

ほぞら虚

を践ほ

みて御み

もろの諸

山やま

に登ります」という部分と「仰ぎ見て悔いて急つ

き居う

則ち箸に陰ほ

を撞つ

きて薨か

むさり

ましぬ」という太線の部分とがそれに相当することがわかる前者は大物主神によ

る天空での動作であり後者は倭迹迹姫命による地上での動作であるこれらの動作により一方は本来の拠点に戻

り他方は他界へ赴いた

 

二重線の部分と太線の部分とについて二種の動作の間にどのような関係があるというのか二種の動作を描写し

た部分に「二段構えの語り」を認めるのは深読みの結果ではないのかなどといった疑問が生じるかも知れないし

かし話の文脈から見れば実はそのように判断するのは間違いであることが明らかになる

 「大虚を践みて」という夫の動作は新編古典全集の注で「雷神の象徴」だと解説され「天空をふみとどろかし

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一三四

て」と現代語訳されている蛇神である大物主神は雷神でもあるからそれは妥当な解説である「大虚を践みて」

は雷鳴は神が天空を踏みつける音だと見なしたうえでの表現である

 

この点に関しては『萬葉集』の歌が参考になる

J 

天雲を 

ほろに踏みあだし 

鳴る神も 

今日にまさりて 

恐かしこけ

めやも

〔十九四二三五〕

 「天の雲をばらばらに踏み散らして音を響かせる雷神も今日の天皇の御前より恐れ多いはずはないだろう」の意

を表す歌である作者はこのような歌を詠むことによって天皇の威徳あるいは権力に対して畏怖の念と敬愛の

情とを表明したのである第三句の「鳴る神」とは雷神のことで「(天で音を響かせて)鳴る神」の意である雷鳴

は神が天雲を踏みつけることによって出る音だという把握のしかたが歌の背後にあるIの話に「大虚を践みて」

とあるのは雷神に対して上代の人々がいだいていた畏怖の念を端的に表すものになっている

 

他方の「急つ

き居う

」という妻の動作については古典大系の注に「どすんとすわったツキは衝キと同じ」という

解説が見え新編古典全集の注には

K 「急」の字にどすんと坐る様子を表現ツキは「突」で尻餠をつく後悔でがっくりきた姿がよく出てい

と見える【妻が箸で陰部を突いたという話題の背後には男女の交合のイメージが濃厚にまとわりついていたと考え

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一三五

られる夫婦をめぐる話だからそれは当然のことである】

 

夫婦の動作についてまとめると「大虚を践みて」は妻に禁を犯されたことを恥じた大物主神が勢いよく天空

を踏みつけるさまを表すまた「急き居」は夫の課した禁を犯したことを悔いた倭迹迹姫命が地面に急にすわ

り込むさまを表すどちらも

 

I 《身体の一部を急に下方に移動させその先にある物を勢いよく突く》

という動作であるこのことを確認すれば天空でなされる「大虚を践みて」と地上でなされる「急き居」とは

互いに類似し対応する動作だということがわかる夫と妻による二種の動作にこうした類似と対応とが認められる以

上それが話を深読みすることによって得られた誤った理解であるはずはない

 

妻に「箸に陰ほ

を撞つ

きて薨か

むさり

ましぬ」という忌まわしい事態が生じたわけだから「急き居」というのは語り手に

とっても聞き手にとってもきわめて衝撃的な動作である伝承者は妻の驚くべき動作について語る前にその場面の

ことを強く意識しただろうそして妻の動作に対応し類似する夫の動作としていかにも雷神らしい「大虚を践み

て」という動作を連想し話のなかに持ち込んだのだろう

 

ただし二重線を付した部分と太線を付した部分の「大虚を践みて」と「急き居」とは内容的には酷似あるい

は類似したことを表すものになっている一方で表現の具体的なありかたは大きく異なっている

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それは当然である

 

さきに「神世七代」の条に出現する「面足る」「あや恐か

こね」という対偶神の名とEFの話に見える男女二神

の讃美表現とについて述べたように一段めの語りと二段めの語りには異なる表現を用いなければならない内容面

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一三六

で類似し対応する二つの部分が表現の面でも同じように類似し対応していれば伝承者が一方をもとにして他方を

作ったことが聞き手に悟られやすくなるからである「大虚を践みて」と「急き居」とであれば両者の表現は異

なるからそれらは一方から他方を連想したものだとは悟られにくいのである

 

こう見てくるとIの話にもやはり「二段構えの語り」が認められることがわかる「大虚を践みて」という動作

をあえて描写しなくても怒った神が御諸山に帰って行ったと述べるだけで話は十分に成り立つ当該の箇所は

もともと「大虚を践みて」という表現を含まない単純なものだっただろう

 

この話のなかには大物主神と倭迹迹姫命とに関して互いに対比的だと見なしうる項目が多く含まれている特

に目立つものを整理すれば

 

ⅰ 

神人

 

ⅱ 

夫妻

 

ⅲ 

応じる願う

 

ⅳ 

禁を課す禁を犯す

 

ⅴ 

恥じる悔いる

 

ⅵ 

天空地上

 

ⅶ 

足で踏みつける尻餠を突く

 

ⅷ 

本拠地に戻る他界へ赴く

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一三七

というようになる

 

神と人間の女とが結婚したもののそれは根本的な矛盾を含む無理な結び付きだった神と人間との間にあるそ

の根本的な矛盾が夫が課した禁を妻が犯すという大きな溝となって現れ結局のところ両者は別離を迎えざるをえ

なかったというのがIの話の趣旨である話の伝承者が神と人間との根本的な相違を明確に意識しながら語った

話だからⅰ〜ⅷのような対比的な項目を含むことになったということだろう

 

ここで「二段構えの語り」の成立に深い関わりをもつと思われる『萬葉集』の歌の構成について見てみる歌の

構成というのは一方から他方を連想することによって成立する序詞と本旨との関係である

L 

春はるされば

去者 

先まづ

鳴なく

鳥とり

乃の うぐひすの

之 

事こと

先さき

立だち

之し 

君をし待たむ

〔十一九三五〕

 「春さればhelliphellipう

ぐひすの

」の三句が序詞でありそれが本旨の「言こ

先立ちし君をし待たむ」を導入している第一句

第二句の表現にあるように「

」は春を迎えて真っ先に鳴く鳥であるそれを序詞の末尾に置いて「(あなたが私

に)先に声を掛けた」の意の「言先立ちし」つまり本旨を導入する表現とした「言先立ちし」という相手の行動を

描写する前に春になって真っ先に鳴く鳥を歌の作者が連想しそれを歌の前半に置いたのであるだから作者が

言いたい本旨の内容が先にありそれから序詞が連想されたという関係であるあとで連想された序詞は意味的

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一三八

にも内容的にも本旨に類似するものになっているが本旨の表現とは異なっている

M 

牛うし

窓まと

之の 

浪なみ

乃の

塩しほ

左さ

猪ゐ 

嶋しまとよみ

響 

所よそりしきみは

依之君 

逢はずかもあらむ

〔十一二七三一〕

 

序詞の「牛窓のhelliphellip島」は本旨である「響と

み寄そりしhellip」から連想されたものであり同時に本旨を導入する表

現にもなっているこの序詞は「潮し

騒さゐ

の波のざわめきのように島も」の意を表し本旨の「響み寄そりし君はhellip」は

「噂もうるさいほどに私との関係を言い立てられたあなたはhellip」の意を表す「潮騒」という音にかかわる現象と

人の噂が激しいことをいう「響み」との類似性が歌の前半と後半とを結び付けている噂がうるさいという現実か

ら作者は「潮騒」のざわめきを連想して序詞としたのだから本旨の内容が先にあり序詞は本旨に基づいて連想

されたという関係である

N 

天あま

飛と

ぶや 

軽の社の 

斎いはひつき

槻 

幾代まであらむ 

隠こもりづま

嬬そも

〔十一二六五六〕

 

女が詠んだと思われるこの歌では「天あ

飛と

ぶやhelliphellip齋い

ひ槻つ

」の三句が序詞として四句以下の表現を導入している

序詞の末尾に置かれた「齋ひ槻」は神聖である故に人が触れてはならない木をさすまた第五句の「隠こ

り妻」は

人に知られてはならない間がらにある妻をさすそのような内容面での共通性が歌の前半にある序詞と後半にある

本旨とを強く結び付けている「齋い

ひ槻」と「隠こ

り妻」とは表現が異なっているが両者の関係はMの歌に出て

いる「潮騒」と「響み」とのそれに酷似している

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一三九

 

以上の三首に見られる序詞と本旨との関係はさきに見た諸話の一段めの語りと二段めの語りとの関係に相当する

三首の序詞は本旨の内容から連想されたものであり諸話の一段めの語りは二段めの語りの内容から連想されたもの

であるしかし連想を呼ぶもとになったこととそれから連想されたこととは三首でも諸話でも表現が互いに異

なるものになっている

 

話を「二段構えの語り」に戻し次の話に認められる「二段構えの語り」について検討するしかし次の話の語

りのありかたは見てきた三話と異なる点がある

O 

萩原の里土は中の中なり右萩原と名づくる故は息お

きながたらしひめのみこと

長帯日売命韓か

らくに国

より還か

り上りましし時御船此の村

に宿りたまひき一夜の間に萩一ひ

ともと根

生お

ひき高さ一ひ

丈つゑ

ばかりなり仍よ

りて萩原と名づく即す

なはち

御井を闢は

りき

故かれ

針は

間ま

井ゐ

といふ其の処は墾は

らず又墫も

たひの

水溢あ

れて井と成りき故韓か

の清水と號く其の水朝に汲むに

朝に出でず爾す

なはち

酒殿を造りき故酒田といふ舟傾き乾か

れき故傾か

ぶきだ田

といふ米よ

舂つき

女め

等ら

が陰ほ

を陪

おもとびとくな

従婚

ぎ断ちき故陰ほ

とたち絶

田だ

といふ仍す

なはち

萩多く栄えき故萩原といふ爾こ

に祭れる神は少

すくなたらしのみこと

足命にます

〔『播磨国風土記』揖保郡〕

 

これは『播磨国風土記』に見える話で息お

きながたらしひめのみこと

長帯日売命(神功皇后)の聖性と威徳とを強調する内容になっている

 

これまで見た三話と同様にこのOの話にも女陰の話題が含まれているそれは「陰ほ

絶たち

田だ

」という地名の由来を

説明する短小な話のなかに見える息長帯日売命に仕える陪お

もとびと

従が米よ

舂つき

女め

等ら

と交合して陰部を傷つけたそのことが

この地名の由来になったという)

5(

陰部を傷つけたことを語る「陪お

もとびとくな

従婚ぎ断た

ちき」の「断た

ちき」は「裂傷をおはせた」

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一四〇

〔古典全書〕の意だと比較的古い注釈にありこれを踏襲する新しい注釈もある妥当な解説である

 

以上で見た三話と異なる点というのは二重線の部分と太線の部分とが

O 

米よね

舂つき

女め

等ら

が陰ほ

を陪お

もとびとくな

従婚ぎ断ちき

というように一文のなかに連続して出ている点である見てきた三話では二種の線を付した部分は近接した位置

にあるがOの話の場合はそれが極端なかたちで表れているまた二重線の部分が三話のように何らかの動作

状態を描写した表現になってはおらず「米よ

舂つき

女め

等ら

」という複合名詞になっている点も三話とは異なる

 

二種の線を付した一文の内容についていささか気になるのは「陪お

もとびとくな

従婚ぎ断た

ちき」という動作の対象になったの

が「米よ

舂つき

女め

等ら

が陰ほ

」だということである

 「米よ

舂つき

女め

等ら

」という複合名詞に含まれる「舂つ

く」は「突く」という動詞の一用法である「舂く」は「きねなどの

先で強く打っておしつぶしたり穀物のからなどを除いたり精白したりする」〔『日本国語大辞典』第二版〕の意で

あり「舂女」は「臼で穀物をつく女」〔同〕の意である

 

結局のところ「舂く」という動作は「臼などの器に棒状の物を押し込みなかにある穀物などを押しつぶす」の

意を表すわけだがいささか気になると述べたのは「舂く」という動作と「婚く

ぎ断ち」「陰ほ

絶た

ち」という動作との

間に認められる

O 《狭い空間に棒状の物を差し入れその奥にある部分または物を強く突き破る》

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一四一

という物理的な動き

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0

0

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0

としての類似性であるこれは既に取り上げたABの話やIの話に見られる二種の動きの

類似性と同じである

 

交合によって陰部を損傷したのと同様に棒状の物で「舂く」ことによって穀物などの本来の形態も損なわれる

だから「舂く」と「婚く

ぎ断ち」「陰ほ

絶た

ち」とは物理的な動きだけではなく動きによって生じる結果

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0

においても類

似している

 

このように話のなかに先に出てくる「舂き」とその直後に出てくる「婚く

ぎ断ち」「陰ほ

絶た

ち」との間には物理

的な動きとそれがもたらす結果との双方に関して顕著な対応類似が認められるそのような対応類似が生じた

ことについて次のように想定することができるだろうつまり話の伝承者があとで自分が語る交合という動作

を強く意識したそのために交合に類似した動きを表す「舂く」を事前に連想しさらにはその語を含む「米舂女

等」をも連想してそれを結果的に話のなかに持ち込んだのではないかということである現にGの「丹塗矢伝

説」に「その美人の富ほ

登と

を突きき」とありIの「箸は

墓はか

伝説」にも「陰を衝つ

きて」とあってそれらの「突き」「衝

き」は表記こそ違え「舂き」と同じ動詞である

 「婚く

ぎ断ち」「陰ほ

絶た

ち」は凄惨かつ深刻な事態だからそれに類似する「舂く」という動作を事前に伝承者が連想

することは十分にありえたと思われるそのように想定すればOの話にも「二段構えの語り」が表れていることに

なる

 

話の展開に従えば「舂く」を含む「米舂女等」が一段めの語りとして先に出てきて「婚く

ぎ断た

ち」「陰ほ

絶た

ち」が二

段めの語りとしてあとに出てくるしかし話が成立した経緯から見れば二段めの語りがもとで一段めの語りが生

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一四二

まれたわけだから実際の先後関係は正反対である

 「二段構えの語り」が以上のような経緯で成立したのだとすればOの話では陪お

もとびと

従が交合を行って陰部を損傷さ

せた対象はもともと「米舂女等」だとは限定されていなかったことになるそれで話は成り立つ

 

Oの話に認められる「二段構えの語り」は前節で確認したような歌の構成のありかたから見ればいったいどの

ようなものだと言えるのか

P 

窺うかねらふ

良布 

跡と み見

山やま

雪ゆき

之の 

いちしろく 

恋ひば妹が名 

人知らむかも

〔十二三四六〕

 

この歌では「じっと見ていて獲物を狙う」の意の「うかねらふ」が「跡と

み見

山」の「跡見」に掛かる枕詞になって

いる「うかねらふ」を承ける「跡と

み見

」は狩猟に関して用いられた語である注釈辞書に見える説明をまとめれ

ば「跡見」は「鳥獣が通ったあとを見てそれが通った時間やそれが今いる場所などを判断することまたそれ

を行う役の猟師」の意である歌の作者が「跡見」という語からそれと類義をもつ「うかねらふ」という動詞を

連想しそれを「跡見」という名詞を導入する枕詞としたのである「うかねらふ」と「跡見」とは類義の語だが

音韻面ではまったく異なっているこれはOの話の「米よ

舂つき

女め

等ら

」の「舂く」と「婚く

ぎ断ち」「陰ほ

絶た

ち」との関係に

近い

 『古事記』に見える次の歌謡では序詞と本旨との関係がPの歌の「跡見」と「うかねらふ」とのそれに類似し

たものになっている

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一四三

Q 

倭やまとへ方

に 

西吹き上げて 

玖く

毛も

婆ば

那な

礼れ 

曽そ

岐き

袁を

理り

登と

母も 

吾忘れめや

〔記五五〕

 「倭や

まとへ方

にhelliphellip雲離れ」の三句が序詞となって本旨の「退そ

き」あるいは「退き居り」を導入している「退き」は

「遠ざかり」の意を表す動詞だから「雲離れ」という複合語に用いられた「離れ」とは類義語の関係にある本旨

の「退き」を言うためにそれと類義をもつ「離れ」を事前に連想しそれを末尾に置いて長い序詞を構成したわけ

である「雲離れ」と「退き居り」とは音韻面で類似するところがない「離れ」と「退き」との関係はやはりO

の話の「米よ

舂つき

女め

等ら

」の「舂く」と「婚く

ぎ断ち」「陰ほ

絶た

ち」との関係に近いと言える

R ふさ

手た

折をり 

多た

武むの

山やま

霧ぎり 

繁みかも 

細川の瀬に 

波騒きける

〔九一七〇四〕

 

この歌では地名の「多た

武む

」を「曲げる」の意を表す「たむ」という動詞に見立てそれから事前に連想された

類義の「手折り」に「

ふさ

」を付し「たむ」の枕詞としている「手た

折を

る」は「手で曲げて取る」の意であり「

は「総房」のことで花や実が束になって付いたものをさす本旨の表現に用いるべき「たむ」から類義を表す

「手折る」という動詞を連想したのであるこれもまたOの話の「断つ」と「舂く」との関係を思わせる「たむ」

と「手折り」とは初頭の音節が同じだが互いに音節数が異なっている

 

三首の「跡見」「退き」「たむ」が「二段構えの語り」の二段めのかたりに相当しそれから連想された「うかね

らふ」「雲離れ」「

手折り」が一段めの語りに相当すると言えるだろう

 

既に述べたようにOの話は聖性と威徳とを具えた息長帯日売命に関する話である「一夜の間に萩一ひ

根もとお生

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一四四

き」「墫も

たひの

水溢あ

れて井と成りき」その他の不思議な事態が起こったことが話のなかでくり返し述べられている

同様にほかならぬ息長帯日売命に仕える陪お

もとびと

従が米舂女等と交合を行って陰部を傷つけた結果「萩多く栄えき」

という事態が生じたということなのだろう

 

Oの話が載っているのと同じ『播磨国風土記』に

S 

讃さ よ容

といふ所ゆ

ゑ以

は大神妹い

もせ

二柱競ひて国占し

めましし時妹玉た

津つ

日ひめのみこと

女命生ける鹿を捕と

り臥せて其の腹を

割さ

きて其の血に稲種ま

きき仍よ

りて一夜の間に苗な

生お

ひき即す

なはち

取りて殖う

ゑしめたまひき爾こ

に大神勅の

りたま

ひしく「汝な

にも妹

は五さ月夜よ

に殖ゑつるかも」とのりたまひて即や

て他

あだしところ

処に去りたまひき故か

五月夜の郡こ

ほりと

號なづ

神を賛さ

用よ

都つ

比ひめのみこと

売命と名づく

〔讃容郡〕

という話が見えまた次のような話も見える

T 

丹に

津つ

日ひ

子こ

の神「法ほ

太だ

の川底を雲う

るみ潤

の方に越さむと欲お

ふ」と爾し

かい云

ひし時彼の村に在い

せる太お

水みづ

の神辞い

びて

云の

りたまひしく「吾は宍し

の血を以て佃た

つくる

故か

河の水を欲ほ

りせず」とのりたまひきその時丹津日子云ひし

く「此の神は河を堀る事に倦う

みて爾いへるのみ」といひき故雲う

弥み

と號な

く今い

人ひと

雲潤と號な

〔賀毛郡〕

 

Sの話は鹿の腹を割いてその血に稲を蒔いたら一夜で苗が生えたというものであるまたTの話は宍し

つま

り動物の血で田を作るから河の水は必要ないと神が言ったというものである二話では稲などの植物を植える際

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一四五

には普通に水を用いるよりも動物の血を用いた方が成長がずっと早いと述べているようである

 

これらの話には動物の血と稲あるいは田と一夜での苗の成長の三つの要素の結び付きが確認できる)

6(

この

ことはOの「陰絶田」の話を想起させずにはおかないつまり稲あるいは田は「陰絶田」の話に出ている「米よ

舂つき

女め

等ら

」に対応するように思われるしまた動物の血は女らと陪従らとの交合によって陰部から出たはずの血に

対応するように思われるさらに一夜で急に苗が成長したという事態は「陰絶田」の話の前半部に「一夜の間に

萩一ひ

根もとお生

ひき」とありまた「陰絶田」という地名に続いて「仍す

なはち

萩多く栄えき」とあることに内容的に対応する

と理解することができる

 

だから「米よ

舂つき

女め

等ら

が陰ほ

を陪お

もとびとくな

従婚ぎ断ちき故陰ほ

絶たち

田だ

といふ仍す

なはち

萩多く栄えき」という一連の表現では

陰部を損傷させたことと萩が多く栄えたこととの間には「そのことが原因で」の意の明確な因果関係があると

見るべきだろう

 

三つの要素の結び付きがOの話にも認められる以上同話と動物の血に関する話は古い時代に行われていた儀礼

を背景とするものだと考えることができるだろう動物の血と人間の血との違いはあるがそれらは神に動物の犠

牲を捧げたことによって豊穣繁栄がもたらされたという人々の遠い記憶を伝えるものなのではないか

 「国土創成」をめぐるABの話とEFの話Gの「丹塗矢伝説」Iの「箸墓伝説」Oの「陰絶田」をめぐる

話のどれでも女陰交合結婚などのことが話題となっているこれらの諸話に「二段構えの語り」が認められる

ことを以上の論述で確認した

 

ただし「二段構えの語り」が認められることと女陰交合などの話題が含まれることとの二点を条件として

以上の諸話を選んだわけではない「二段構えの語り」が認められる諸話を取り上げたところそれらには女陰交

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一四六

合などの話題が共通して含まれていたというのが実際である

 

女陰を矢が突くにしても何かが原因で女陰が損傷を受けるにしてもとにかく女陰や交合に関する話題は話の

語り手にも聞き手にも強い印象を与えたはずである時にはそれは刺激的衝撃的な印象さえ与えたに違いない

それだからこそ女陰交合に関する出来事はその内容に類似し対応する連想を呼びやすかったのだろう「二段

構えの語り」と女陰交合の話題とが以上の諸話のなかに共存するのはそのような理由によるものと考えられる

 

以上で確認したように「二段構えの語り」が表れていると判断される諸話に女陰交合などの話題が共通して

含まれている論述の流れに従えば交合結婚を語るものではないがやはり女陰のことが一つの話題になってい

る次の話を取り上げる必要があるだろう

U 

須す

佐さ

之のをのみこと

男命(略)勝ちさびに天あ

まてらすおほみかみ

照大御神の営つ

くだ田

を離は

ちその溝を埋めまたその大お

ほにへ嘗

を聞こしめす殿に屎く

まり散らしき故か

然し

すれども天照大御神は咎と

めずてhellip(略)なほその悪しき態わ

止まずて転う

てありき天照大御

神忌い

みはた服

屋や

に坐ま

しまして神か

御み そ衣

織らしめたまひし時その服屋の頂む

を穿う

ち天あ

の斑ふ

ちこま馬

を逆さ

剝は

ぎに剝ぎて堕お

し入る

る時に天の服は

織おり

女め

見驚きて梭ひ

に陰ほ

と上

を衝つ

きて死にき故か

ここに天照大御神見畏か

しこみ

て天の石い

屋や

戸と

を開

きてさし籠もりましきここに高た

天ま

の原皆暗く葦

あしはらのなかつくにことごと

原中国悉に闇く

しこれによりて常と

夜よ

往ゆ

ききここに

万よろづのわざはひ

妖悉に発お

りき

〔神代記〕

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一四七

 

これは『古事記』の神話の一部であり須佐之男命の「勝ちさび」の場面とその姉である天照大御神の「石屋籠

もり」の場面である天照大御神が機織りをしている時に弟の須佐之男命が皮を剝いだ馬を服は

屋や

の屋根を壊し

てなかに投げ入れたそれに驚いた服は

織おり

女め

が縦糸の間に横糸を通すための道具である梭ひ

を誤って自分の陰部に突

き刺して死んだそれを見て弟の行動を恐れた天照大御神が石い

屋や

に籠もってしまったので世界は暗闇に閉ざされ

多くの災禍がはびこったという

 

二重線を付した「その服屋の頂む

を穿う

ち天あ

の斑ふ

ちこま馬

を逆さ

剝は

ぎに剝ぎて堕お

し入るる時にhellip」という部分と太線を付し

た「梭ひ

に陰ほ

と上

を衝つ

きて死にき」という部分とは表現のありかたがまったく異なるしかし皮を剝いだ馬を屋根

を壊して建物のなかに投げ入れることと梭ひ

で勢いよく突いて陰部を傷つけることとが物理的な動きとして酷似し

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ている

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ことは事実である二つの部分では

U 《ある物体を急に動かしその勢いで別の物体を破損する》

ということが共通の骨子になっているこのような動きはIOの話の場合の動きと酷似している

 

二つの部分に描写されている物理的な動きをこのように要約するとこれまで見た諸話の場合と同様にUの話に

表れている「二段構えの語り」について次のように推測すべきことになるつまり皮を剝いだ馬を服屋の屋根

を壊して投げ入れたという二重線の部分は梭で陰部を突いて服織女が死んだという太線の部分に基づいて伝承者

が事前に連想して話のなかに持ち込んだものだろうということである

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一四八

 

確かに梭で陰部を突いて女が死んだというのはあまりにも衝撃的で印象的な出来事である特に『日本書紀』

の所伝には「天照大神驚お

どろ動

きたまひて梭を以て身を傷い

ましむ」〔本書〕とありまた「稚わ

かひるめのみこと

日尊驚きたまひ

て機は

より墮お

ちて持たる梭を以て體み

を傷や

らしめて神か

むさ退

りましぬ」〔一書第一〕とあって事態はさらに深刻であ

る至高神である天照大神自身が陰部を損傷しまたその分身である稚日尊が同じ原因で死んだというのだからこ

れ以上の重大事件はない

 

ただしここで一つの問題が生じる伝承者が連想したことを神話のなかに持ち込む以前には梭を突き刺して陰

部を損傷したという話題はあっても屋根を壊して馬を投げ入れたという話題は含まれていなかったことになるそ

こで馬に関する話題が直前に置かれていなくても天照大御神が石屋に籠もるという展開になりえたのかとの問

題が生じるのである少なくともUの話では馬の投げ入れに驚いて服織女が陰部に損傷を負って死んだので

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その

ことを恐れた天照大御神が石屋に籠もってしまったというように読めるからである

 

結論を言えば馬を投げ入れるという行動はなくても天照大御神が石屋に籠もるという展開になりえたと理解

することができるそのことを支持するのは『日本書紀』に見える次の所伝である

V 

日ひのかみのみこと

神尊天あ

まのかきた

垣田を以て御田としたまふ時に素戔嗚尊春は渠み

塡う

め畔あ

はなち毀

す又秋の穀

たなつものすで

已に成りぬるとき

に則ち冒

ひきわたす

に絡あ

ぜなは縄

を以てす且ま

たひのかみ

日神の機は

殿どの

に居ま

します時に則ち斑ぶ

駒こま

を生い

剝は

ぎにして其の殿

みあらかの

内に納な

げいる

凡す

て此の諸

もろもろの

事尽

ことごとくに

是これあづきな

無状し然れども日神恩

このかみおととむつま

親しき意

みこころもちに

して慍と

めたまはず恨みたまはず皆

平たひ

らかなる心を以て容ゆ

したまふ日神の新

にひなへきこ

嘗しめす時に及お

よ至

びて素戔嗚尊則ち新

にひなへのみや

宮の御み

まし席

の下に陰ひ

そかに

ら送く

そま糞

る日神知し

しめさずして俓た

に席み

ましの

上に坐ゐ

たまふ是に由よ

りて日神體み

みこぞ挙

りて不や

くさ平

みたまふ故以

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一四九

て恚い

か恨

りまして廼す

なはち

天あまのいはや

石窟に居ま

して其の磐い

戸と

を閉さ

しぬ

〔一書第二〕

 

素すさのをのみこと

戔嗚尊の悪行がどのような順序でこのVの話にあげられているかを少し細かく見てみる天照大神の御み

田た

素戔嗚尊が損壊する話が最初に置かれておりそれはUの話の場合と同じであるしかしその直後にはUの話と

大きく異なって馬を投げ入れる話が置かれているそしてこの悪行を含む「諸

もろもろ

の事」について「日ひ

神かみ

恩このかみおととむつま

親しき意

みこころもちに

して慍と

めたまはず恨みたまはず皆平た

らかなる心を以て容ゆ

したまふ」という説明が付され

ている馬を投げ入れたことは天照大神の石屋籠もりと直結しておらずむしろ日神は馬の投げ入れを含む多くの

悪行を許したというのである

 

Vの話で石屋籠もりと直結しているのはそのあとになされた悪行であるそれは「素戔嗚尊則ち新

にひなへのみや

宮の御み

まし席

の下に陰ひ

そかに

自ら送く

そま糞

る」という蛮行でありこれによって「日神知しめさずして俓た

に席み

ましの

上に坐ゐ

たまふ是に

由よ

りて日神體み

みこぞ挙

りて不や

くさ平

みたまふ」というひどい状況が生じたつまり新宮のなかでの脱糞という悪行が日ひ

神かみ

に病をもたらしさらには同神を石屋に籠もらせたというのである陰部が損傷した事件ではなくて新宮での脱糞

という蛮行が石屋籠もりの原因となりえたことをVの話が証明している【天照大神にあたる神を「日神」とする所

伝はより古い時代に成立したものだと言われる】

 

新宮での脱糞が石屋籠もりの原因になったとするVの話には女陰が損傷したことはまったく見えないこれに対

してUの話やさきに引用した『日本書紀』の本書一書第二の話では馬の投げ入れに驚いた女神が陰部を損傷し

そのことが女神の石屋籠もりの原因となっている話の内容にこのような相違がある事実は女神が陰部を損傷した

ことと女神が石屋に籠もったこととは必ずしも一連のものではないことしたがって話の成立について考えるにあ

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一五〇

たっては二つのことを別々に処理してかまわないということを示している

 

ただしUの話で大きな問題となるのは馬を投げ入れるという行動がなければ女神が驚いて陰部を損傷すると

いう事態も起こらないということであるこの点で女神が陰部を損傷するという事態だけが話に含まれ馬を投

げ入れるという行動は話に含まれないという話の状況は想定できないのである

 

一連の話のなかにまずXのことが出ていて次にYのことが出ているという「二段構えの語り」について考える際

にぜひとも考慮しておくべきことがあるつまりあることをもとにしてそれに類似することを伝承者が連想し

連想した内容を結果的に話のなかに持ち込むには一般的に二とおりの過程がありうるということである

a 

先に出てくるXが伝承者に強い印象を与えるためにXについて語ったあとにそれに類似した内容をもつY

を伝承者が連想するという過程

b 

あとに出てくるYが伝承者に強い印象を与えるためにYについて語る前にそれに類似した内容をもつXを

伝承者が連想するという過程

 

これまで見てきた「二段構えの語り」はすべてbの過程を経て生じたものだと考えたしそのように考えて特に

問題はなかったしかしUVの二話の場合はそのように考えることは不可能であるUの話では馬を投げ入

れたことが女神が陰部を損傷する原因になっておりVの話では新宮で脱糞したことが女神に病をもたらす原

因となっている二重線の部分が原因を表しており太線の部分が結果を表しているわけだから二つの部分は密接

な因果関係を構成しているのである

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一五一

 

そこでUVの二話に表れている「二段構えの語り」がbの過程を経て成立したと仮定して具体的に話の展開

について考えてみる陰部を損傷したことだけがUの話に含まれるという段階を想定すれば女神がなぜ梭で陰部を

突くことになったのか何も説明がなく話の展開が唐突すぎる聞き手は話の展開が理解できないのであるまた

同様に女神が糞の上に座って病を得たことだけがVの話に含まれるという段階を想定すればそこになぜ糞があっ

たのかが不明であるこちらも話の展開そのものが成り立たない

 

一方で「二段構えの語り」はbの過程を経て成立したという仮定を捨てそれはaの過程を経て成立したものだ

と仮定してみる二重線の部分だけが話に含まれており伝承者はそれをもとにして太線の部分を連想し連想した

ことをあとで話のなかに持ち込んだというふうにである

 

Uの話にはもともと馬を投げ入れたことだけがあり伝承者はそれをもとに酷似する動きをとることとして

梭で陰部を突くという動作を連想した馬の皮を剝いだうえ屋根を壊してそれを服屋の中に投げ入れるという悪行

は女神が梭で陰部を突くという事故がなくても女神を恐れさせて石屋に籠もらせるには十分である

 

またVの話の場合にはもともと新宮で脱糞をしたことだけが含まれており伝承者はそれに基づいて女神が

その糞の上に座って病を得たことを連想した女神が新嘗の儀礼を行う前にその神聖な新宮でこっそり脱糞をする

という蛮行は女神が糞の上に座って病を得るという事態が起こらなくても女神を怒らせて石窟に籠もらせるには

十分である

 

こうしてbの過程を想定すればもとの話は成り立たないが逆にaの過程を想定すればUVの二話にも「二

段構えの語り」が表れていると考えることができる実はaの過程を想定することによって「二段構えの語り」が

表れていることを順当に説明しうる話はすぐあとに取り上げるようにほかにもまだある

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一五二

 

女陰が何らかの原因で損傷したことを述べるIOUの三話についてさきに一段めの語りと二段めの語りの

内容を検討したうえでそれぞれを次のように一文にまとめておいた

I 《身体の一部を急に下方に移動させその先にある物を勢いよく突く》

O 《狭い空間に棒状の物を差し入れその奥にある部分または物を強く突く》

U 《ある物体を急に動かしその勢いで別の物体を破損する》

 

三話に認められる「二段構えの語り」の内容はこのようにどれも同じような動きを表すものになっているそれ

だけでなくABの話やGの話に見られる「二段構えの語り」もまた同じような動きを表すものになっている

ということは女陰が損傷を受けたことを述べる三話に「二段構えの語り」を認めることの妥当性を逆の面から証

するものだと言えるのではないか

 

これに対し女陰の損傷が話題となっていない「二段構えの語り」が認められる別の諸話についてその内容を

一文にまとめるとその一文はこれらとまったく異なる動きを表すものとなる(後述)そのこともさきに述べた

ような「二段構えの語り」の存在を認めるべき一つの論拠となると考える

 

Uの話と同様にaの過程を経て「二段構えの語り」が成立したと推定される話をここでもう一つ取り上げる

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一五三

それは『古事記』に見える神話でのちに地上界の支配者になる大お

ほなむぢの

穴牟遅神か

をその兄弟である八や

十そ

神がみ

が殺害する場

面である

W 

ここに八や

十そ

神がみ

見てまた欺あ

ざむき

て山に率ゐ

て入りて大お

樹き

を切り伏せ茹ひ

矢や

をその木に打ち立てその中に入らし

むる即ちその氷ひ

目め

矢や

を打ち離ちて拷う

ち殺しきここにまたその御み

祖おや

の命み

こと

哭な

きつつ求ま

げば見得てすな

はちその木を折りて取り出で活かしてその子に告げて言ひしく「汝い

まし

此こ こ間

にあらば遂に八十神のために滅

ぼさえなむ」といひてすなはち木き

国くに

の大お

屋や

毘び

古この

神かみ

の御み

もと所

に違た

へ遣りきここに八十神

ぎ追ひ臻い

りて矢や

刺ざ

し乞ふ時に木の俣ま

より漏く

き逃がして云の

りたまひしく「須す

佐さ

能のをのみこと

男命の坐ま

します根の堅か

州す

国くに

に参ま

向ふべし必ず

その大神議は

りたまひなむ」とのりたまひき故か

詔の

りたまひし命の随ま

にまに

須佐之男命の御所に参ま

ゐいた到

ればhellip

〔神代記〕

 

八十神が大木を切り倒してそれを裂き裂け目に楔

くさび

状の「茹ひ

矢や

」を押し立てておいたそしてそこに大穴牟遅神

を入らせて楔状の物を引き抜き同神を圧死させた同神の母が木を折って息子を救い出しこれを蘇生させて大お

屋や

毘び

古この

神かみ

のもとへ逃がしてやったさらに八十神が追いついて息子を引き渡すように母に要求した時には母が息

子をこっそり木の俣から須佐能男命のもとへ逃がしてやったという

 

Wの話の直前には八十神に脅迫された大穴牟遅神が焼けた岩をかかえ込んで死んでしまったという話が置か

れている死んだ大穴牟遅神はやはり母の尽力によって復活したというそれが一回めの死と復活を語る話だから

Wの話で語られる死と復活は二回めのそれである一回めの死が岩を抱き取ることによってもたらされ二回めの死

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一五四

が木の俣に挟まれることによってもたらされた死因の内容が一回めと二回めとでは逆転している

 

また大穴牟遅神の二度にわたる死は天照大御神の二度にわたる死と奇妙なかたちで対応している天照大御神

の死はまず同神自身あるいはその分身の女神が木製の梭で陰部を突いて死ぬというかたちで語られるまた

そのあとで同神自身が岩屋に籠もってしまうというかたちで死が語られるがそれは太陽神の象徴的な死である

両神の死の内容を細かく比較すると両神の体と岩木とが次のように互いに逆転した奇妙な関係を示しているこ

とがわかる

  

大穴牟遅神の死helliphelliphellip体が岩をかかえるdarr木の俣が体を挟む

  

天照大御神の死helliphelliphellip木が体のなかに入るdarr体が岩のなかに入る

 

地上の支配者と世界の至高神との間に死をめぐってこのような逆転した関係が認められるのはきわめて興味深

いことである)

7(

 

さて「二段構えの語り」だがWの話のうち母が息子を「その木を折りて取り出で活かして」大お

屋や

毘び

古この

神かみ

のも

とへ逃がしてやったという二重線の部分が一段めの語りにあたる二段めの語りにあたるのは母が息子を「木の

俣また

より漏く

き逃がし」て須佐能男命のもとへ向かわせたという太線の部分である

 

つまりこの神話では俣になった「その木を折りて」母が息子を救い出す一段めの語りと母が息子を「木の俣

より漏く

き」逃がしてやる二段めの語りとは

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一五五

W 《母が息子を木の俣から救出しあるいは逃がして別の神のもとへ送り出す》

という酷似した内容のものになっている

 

地上の支配者となるべき大穴牟遅神が木の俣に挟まれて死んで母に救われる話の方が同神の母が木の俣から息

子を逃がしてやる話よりもずっと衝撃的で印象的であるだから神話の伝承者が一段めの語りの内容を強く意

識しそれに酷似した内容をもつ二段めの語りを連想してあとで話のなかに持ち込んだのだろうと推測される

より印象的な出来事を語り終えたあともそれが意識のなかから消え去らず類似し対応することがらをあとで連想し

てしまったと考えられる【一段めの話から二段めの話が連想されたというaの過程をたどったとおぼしい実例は

僅少であるそれには然るべき理由があったと考えるべきだが目下のところそれは不明である】

 

Wの話がこのような経緯をたどったとすると母が木を折って息子を救い出しこれを蘇生させてから別の神のも

とへ逃がしてやったという一段めの語りだけが話に含まれていた段階を例によって想定しなければならない一

段めの語りだけで話は成り立つのか

 

結論を言えばその想定は可能である八十神のもとから逃げた大穴牟遅神が須佐能男命のいる地まで行ったと

いうような単純な内容の話になっている方が以下との続きかたは自然である二重線の部分の末尾にある「木き

国くに

の大お

屋や

毘び

古この

神かみ

の御み

もと所

に違た

へ遣りき」の「大屋毘古神」の部分を太線の部分にある「須佐能男命」とすれば話は無

理なく以下に続くのであるまずは大屋毘古神のもとへ逃げて行ったという部分がなかったとすれば母は木の裂け

目から息子を救い出しこれを蘇生させて須佐能男命のもとへ送り出したというわかりやすい展開になるしたが

ってaの過程を経てWの話が成立しただろうという推定は十分に成り立つ

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一五六

 

二重線の「木き

国くに

の大お

屋や

毘び

古この

神かみ

の御み

もと所

に違た

へ遣りき」という部分は「木国のhellip」で始まっているそれは「大お

樹き

切り伏せ」「茹ひ

矢や

をその木に打ち立て」「その木を折りて」などWの話にくり返し出ている「樹木」から連想され

たものだろう

 

太線の部分にある「木の俣ま

より漏く

き逃がして」以下の表現からその前に置かれた二重線の部分が連想されたと

いうbの過程は想定できない二重線の部分が話に含まれていないという段階はなぜ太線の部分が話に含まれてい

るのかということつまり「木の俣ま

より漏く

き逃がして」とある理由が説明できないのである大穴牟遅神が八十神に

殺害されて復活したという理由があって始めて「木の俣ま

より漏く

き逃がして」以下の表現が意味をもつのである

 

木の俣に挟まれて圧死した大穴牟遅神が母の尽力によって蘇生したあとには同神が須佐能男命から与えられた

いくつもの試練を妻の須す

勢せ

理り

毘び

売め

の助力を得てそのたびごとに克服するという話が続くさらに大穴牟遅神が

須勢理毘売をその父のもとから奪って逃げるとともに自分に苦難をもたらした八十神を追い払って「始めて国を作

りたま」うたという展開になっているまたそのあとにも大穴牟遅神の子を産んだ八や

上かみ

比ひ

売め

が須世理毘売を恐

れて「その生める子をば木の俣に挟みて返」ったという話が続いている八上比売の話にまたもや「木の俣」

のことが出てくるわけである

 

この「木の俣」の話もまた大穴牟遅神が「木の俣」に挟まれて圧死した話から連想されたものである可能性が想

定できるがそのように想定する場合に問題となることがあるそれは両話の間に置かれた話があまりにも長大な

ものだということであるしかし大穴牟遅神と生まれた子との間には

 

ⅰ 

父子

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一五七

 

ⅱ 

木の俣に挟まれて死ぬ生まれて木の俣に挟まれる

 

ⅲ 

母が救い出す母が置き去りにする

 

ⅳ 

母が別地へ向かわせる母がもとの地に戻る

というような対比的な関係も認められるのでありこうした関係が偶然に生じたものだとは考えがたいだから父

が木の俣で圧死させられることから生まれた子を木の俣に置くことが連想されたという可能性をここでは否定し

ないでおく【より古い時代には大穴牟遅神が木の俣に挟まれて死ぬ話と八上比売が木の俣に新生児を挟む話とは

直結した一連のものだったことも想定できる】

 

以上の論述では「二段構えの語り」の様態について数話を例示してやや細かく検討を加えたその結果話に

含まれる特定のことからがそれに類似し対応することがらを伝承者に連想させ連想した内容が結果的に話のなか

に組み込まれてしまうという特徴的な現象を上代の神話や伝説を通して確認することができたと考える

 

同じ「二段構えの語り」の現象が認められる話は本稿で取り上げた諸話で尽きているのではなくまだ何話か上

代の文献に見える紙幅の関係でそれらを取り上げて細かく検討を加えることができないからここで二話だけに

ついて結論を述べておき具体的な検討は別稿で行うことにする

 

二話のうち一つは神話に見えるもので娘たちを飲み食らう大蛇を須佐能男命が退治する場面である『古事記』

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一五八

で言えば「是の高こ

志し

の八や

俣また

の遠を

呂ろ

智ち

年と

毎ごと

に来て喫く

へり」という部分と「船ふ

毎ごと

に己お

が頭を垂い入れてその酒を飲み

き」という部分とが「二段構えの語り」に相当する二つの部分の内容をまとめると

  《大蛇が出雲へやってきて足あ

名なづち椎

のがわに属するものを食らいあるいは飲む》

というようになる娘たちを食らい飲む大蛇が酒を飲むという同じ行動が原因で退治されてしまうのである

 

またもう一つの話は『播磨国風土記』の賀古郡の条に見える「比礼墓伝説」であるこの話では「印い

なみ南

」の女

が「隠な

び妻」であり「辞い

び妻」でもあるからこれは「古代の口がたり特有の面白さ」をもつものだという興味深

い見解がある

 

話の冒頭近くにある「度わ

たりもり

子紀き伊の国く

人ひと

小を

玉たま

申さく「我は天

すめらみこと

皇の贄に

人びと

たらめや」とまをす」という部分とその

あとにある「印南の別嬢聞きて驚き畏か

しこみ

即や

て南な

都つ

麻ま

嶋に遁に

げ度りき」という部分とが「二段構えの語り」に

相当する二つの部分のうちのあとの部分は別嬢が天皇の求婚を嫌がって

0

0

0

0

島に逃げて隠れたことを述べたものだか

ら二つの部分は同じく「辞い

び」を内容とするものだと言える「度わ

たりもり

子」つまり船頭の「我は天

すめらみこと

皇の贄に

人びと

たらめや」

という発言に倣って天皇の求婚を嫌がる別嬢の心情を言い表せば「吾は天皇の妻

9

9

9

9

たらめや」というようになる

  

船頭の「辞び」helliphelliphellip「我は天

すめらみこと

皇の贄に

人びと

たらめや」

  

別嬢の「辞び」helliphelliphellip「吾は天皇の妻

9

9

9

9

たらめや」

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一五九

 

結局二つの「辞び」は単なる拒否ではなく次のような同じ内容を表す「辞び」なのである

  《私は天皇にお仕えなどしない》

 

この話の末尾近くには別嬢の遺体について「大き飄つ

むじ

川下より来て其の尸か

ばねを

川中に纏ま

き入れき求むれども得

ず」と述べられているがその部分と別嬢が島に逃げて隠れた

0

0

0

という前の部分ともまた「二段構えの語り」を構

成している二つの部分はともに別嬢の「隠び」を内容とするものなので次のように一つにまとめることができる

  《別嬢が「隠な

び」をした》

 「辞び」も「隠び」も話のなかに二度ずつ表れているのである

 

大蛇退治の神話と「弟日姫子伝説」とには「二段構えの語り」を認めるにあたって解決すべき多くの問題が含ま

れているしかしそれらを一つ一つ検討していけば見てきた諸話と同様の特徴的な語りを二話にも認めることが

できる

註(1) 

本稿にあげる『古事記』『日本書紀』『風土記』などの記述は本文訓読文ともに古典文学大系のものを引用するまた

『萬葉集』の本文訓読文は新編古典全集のものを引用するただしいずれも読みやすさと理解しやすさとを考慮して

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一六〇

もとの表記形式その他を改めることが少なくない

(2) 

大野晋「記紀の創世神話の構成」〔『文学』一九六五年八月〕のちに『仮名遣と上代語』(一九八二年)に収載

(3) 「丹塗矢伝説」の成立については小著『伝承と言語』(一九九五年)のⅡ部四章で私見を述べたただし同書に述べたこ

とと本稿で述べたことの間には一点だけ相違がある丹塗矢が女の陰部を突いたという話は神と人間の女とが結婚したこ

とを明確に語ったものではないからそのことを明確にするために女の持ち帰った丹塗矢が男に変身して子が生まれたとい

う話があとになって付加されたのだと同書では述べたそれは既存の一説に見える解釈を妥当なものと認めそれを踏

襲したものだった本稿では「二段構えの語り」がこの話にも認められるという見解に立ってかつて小著で述べた考えを

訂正する

(4) 

女に与えられた「倭迹迹日百襲姫命」という名の語構成ははたしてどのようなものなのかこれを疑問の余地なく解明す

ることはかなり難しい

   

初頭の「倭」と末尾の「姫命」は除くとして「迹と

迹と

日び

百もも

襲そ

」の「百襲」は字面のとおり「多くの着衣」の意であるかも

知れないこの女の夫は蛇神だから蛇が何度も脱皮をくり返すことを背景とする名を妻がもつことは十分にありうること

だろう「百襲」の「襲」には字を構成する要素として「衣」がある「襲」の字は「重ねて着る」「覆う」「継ぐ」「おそ

う」などの意を表す

   

ある特徴や習性を表す語が当人ではなく周囲の者の名に含まれる例は「丹塗矢伝説」の登場者にも見られるたとえば

矢で陰部を突かれて慌てた女が勢せ

夜や

陀だ

多た

良ら

比ひ

売め

であるのにその女の産んだ娘が「陰に矢を立てられ震え姫」の意の「富ほ

登と

多た

多た

良ら

伊い

須す

須す

岐き

比ひめのみこと

売命」という名を与えられている母の経験したことが娘の名に反映しているのである

   「晡く

れふしの

時臥山やま

」〔『常陸国風土記』那珂郡茨城里〕の話に登場する子として蛇を産んだ女とその兄は「努ぬ

賀か

咩め

」「努ぬ

賀か

古こ

という名を与えられているこれらの名も原義を解明するのは難しいが「ぬか」はやはり脱皮の意を表す「脱ぬ

か」かも知れ

ない『和名類聚抄』の「蛻」の項に「毛も

沼ぬ

久く

」とあり『色葉字類抄』の「

蛻」の項に「ヘミノモヌケ」とあるこれらの

「脱ぬ

く」「脱ぬ

け」がこの場合に参考になる下二段活用動詞の「脱け」が「脱か彦脱か姫」では「脱か」となってい

るわけだが上代語では「明け」「荒れ」「枯れ」などの下二段活用動詞が「明か時(暁)」「新あ

垣がき

」「枯から

木き

」などの複合名詞を

構成しているのに同じである

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一六一

 

名の意味をこのように理解することは生まれた子を入れる器を何度か大きいものに替えたという脱皮を暗示する説明と

吻合する中世には「もぬけの衣」という表現もあるから「もぬけ」の「も」はあるいは「裳」か

(5) 「陰ほ

絶たち

田だ

」という地名と「米よね

舂つき

女め

等ら

が陰ほと

を陪おもとびとくな

従婚ぎ断ちき」という説明との関係には理解するのが難しい点がある

「陰絶田」に含まれる「絶つ」はもともと「長い間にわたって継続してきたことを止めまた幅のある物体を切る」の意を

表す動詞であるこれの自動詞である「絶ゆ」も基本的に意味は同じであるだから「陪お

もとびと

従」との交合によって陰部が損

傷したことをあえて「婚ぎ絶ち

9

9

き」と表現した理由が不明である物を損傷したことがなぜ「絶つ」と表現されたのか

「婚ぎ絶ちき」を「裂傷をおはせた」〔古典全書〕の意だと説明してもその疑問は解消しない

   「陰絶田」はもと「陰に(男根が)立つ田」の意の「陰立9

田」だったかも知れないそのように想定すれば神武記の

「丹塗矢伝説」に登場する「富ほ

登と

多た

多た

良ら

伊い

須す

須す

岐き

比ひ

売め

」という名の「ほとたたら」と意味的に対応するただし矢の場合に

「立つ」を用いた理由は理解できるが男根の場合にも同様に「立つ」を用いたとは想定しにくい「絶つ」とあることはや

はり不審のままである

(6) 

三つの要素の結びつきについては益田勝実「日本神話における外在と内在日本神話論における始原と展開」〔国文学

『解釈と鑑賞』一九七七年十月〕によるただしこの論にはOの話に関する言及がまったくないOの話のなかに三要素の

結び付きを読み取るのは私見にすぎない

(7) 

両神の死因をめぐる逆転関係については小著『日本の神話伝説を読む』(岩波新書二〇〇七年)の第二章第二節で述

べた

(日本語日本文学科 

教授)

Page 9: 一 神話・伝説に見られる特徴的な語り...神話・伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木) 0 一二三 べている。太平洋に伝承の海洋型国産み神話に類似。またヌホコを男性の象徴とし、交合による国産み神話とも見られる」と述

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一二九

交合結婚について述べることが目的でありまた一方の語りが他方の語りから連想されたものでもあるから二つ

の語りの内容に大きい違いがないのも納得できる

 

崇神記に見える「苧を

だまき環

伝説」がそうであるようにGの話の場合にも大物主神が美男に変身して女のもとにやっ

て来て結局は両者が結婚して子が誕生したというのがもともとの内容だっただろう矢が女の陰部を突いたとい

う部分はなくても神婚の話は十分に成り立つ)

3(

 

Gの話によく似た内容をもつものとして「賀か

ものやしろの

茂社縁起」がよく知られているそれは『釈日本紀』に引かれた

もので『山城国風土記』の逸文である

H 

賀かものたけつのみのみこと

茂建角身命丹た

にはのくに

波国の神か

野の

の神伊い

可か

古こ

夜や

日ひ

売め

を娶め

して生みませる子名を玉た

依より

日ひ

子こ

と曰い

ひ次を玉た

依より

日ひ

売め

曰ふ玉依日売石川の瀬せ

見み

の小川に川遊びせし時丹塗矢川上より流れ下りき乃ち取りて床の辺に挿さ

置き遂に孕は

みて男を

とこご子

を生みき(略)加

かものわけいかづちのみこと

茂別雷命と號な

く謂い

はゆる丹塗矢は乙お

訓くに

の郡の社や

しろに

坐ま

せる火

ほのいかづちのかみ

雷神

なり

〔『釈日本紀』巻第九〕

 

Gの話とこのHの話で特に似ているのは

G 

その美人の大く

そ ま

便為れる時丹に

塗ぬり

矢や

に化な

りてその大便為れる溝み

より流れ下りて(略)乃ちその矢を将も

ち来て

床とこ

の辺に置けばhellip

H 

玉依日売石川の瀬せ

見み

の小川に川遊びせし時丹塗矢川上より流れ下りき乃ち取りて床の辺に挿さ

し置き

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一三〇

hellip

という部分であり二話が系統的に密接な関係にあることが知られるGの話の丹塗矢は蛇神であり雷神でもある

大物主神が変身したものだしHの話の丹塗矢は「火ほ

のいかづちのかみ

雷神」という名の雷神であるこうした点もGHの二

話が同じ系統を引く話であることを示している

 

Gの話に含まれる「その美人の富ほ

登と

を突ききここにその美人驚きて立ち走りいすすきき」という部分と

「忽た

ちまち

麗うるはし

き壮を

とこ夫

に成りて即す

なはち

その美人を娶め

して」という部分とは対応する表現がHの話には見えないGの話

の「二段構えの語り」にあたるものが同系統に属すると思われるHの話にはそろって含まれていないのである

 

しかしGHの話のどちらでも川を流れてきた丹塗矢の正体が神であることは自明だからHの伝説ではそれ

を「床と

の辺へ

に挿さ

し置」いたと述べるだけで女が「遂に孕は

みて男を

のこご子

を生」んだことの背景や経緯が容易に想像できた

に違いない

 

Gの話を構成するもとになった古い話に矢が男に変身して女と交合結婚したという説明が含まれていたかいな

かったかは不明であるしかしかりに変身結婚に関する説明が含まれていなかったにしても矢を床の辺に置

いたという説明さえ含まれていればそれに基づいて伝承者は神と女とが交合結婚したことを理解しただろう

あえて言えば伝承者が理解した内容そのものが二段めの語りにあたることになるそして伝承者は自分が理解し

たことから「その美人の富ほ

登と

を突きき」という矢の動きを連想し一段めの語りとしてそれをあとで話に付加したの

だろうと想定できる

 

このように考えればHの話のようにもともと「二段構えの語り」にあたるものがなかに含まれていなくても

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一三一

GHの話と同じ系統に属する古い話が結果的にそれを含むに至ることはありえたと思われる

 

Gの話に登場する神と女との間には二段構えの両段にまたがるかたちの内容面で逆転した対応関係が認められ

 

ⅰ 

美しい女美形の男

 

ⅱ 

男の矢への変身矢の男への変身

 

ⅲ 

矢の女のもとへの到来女の矢の持ち帰り

 

この種の逆転した関係は口承時代にその骨格がほぼ成立しただろうと思われる古い話にしばしば見られるもの

である矢が陰部を突く場面を矢が美男に変身して女と結婚した話から伝承者が連想し後次的に話のなかに持ち

込んだものだとしてもその連想は相当に古い時代に起こったことだろう

 

次に取り上げるのも大物主神をめぐる「三輪山伝説」の一つだがこちらは神と人間の女との結婚が破綻したこと

を語る話になっている

I 

是こ

の後に倭や

まとととびももそひめのみこと

迹迹日百襲姫命大お

ほものぬしのかみ

物主神の妻と為な

る然し

れども其そ

の神常に昼は見えずして夜のみ来み

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一三二

倭迹迹姫命夫に語りて曰い

く「君常に昼は見えたまはねば分あ

きらか明

に其の尊み

顔かほ

を視ること得ず願はくは暫し

し留りたまへ明

くるつあした

旦に仰ぎて美う

るは麗

しき威み

すがた儀

を覲み

たてまつらむと欲お

ふ」といふ大神対こ

へて曰く「言こ

とわりいやちこ

理灼然

なり吾明

くるつあした

旦に汝い

ましが

194797くし

笥げ

に入りて居らむ願はくは吾が形にな驚きましそ」とのたまふ爰こ

に倭迹迹姫命

心の裏う

に密ひ

そかに

異あやしぶ

明くるを待ちて194797笥を見れば遂に美麗しき小こ

をろち蛇

有り其の長さ太さ衣し

たひも紐

の如し則ち驚

き叫さ

け啼

ぶ時に大神恥ぢて忽

たちまちに

人の形と化な

りたまふ其の妻に謂か

りて曰く「汝い

まし

忍びずして吾に羞は

ぢみせ

吾還か

りて汝に羞せむ」とのたまふ仍よ

りて大お

ほぞら虚

を践ほ

みて御み

もろの諸

山やま

に登ります爰に倭迹迹姫命仰ぎ見

て悔いて急つ

き居う

則ち箸に陰ほ

を撞つ

きて薨か

むさり

ましぬ乃ち大お

ほち市

に葬は

りまつる故か

時の人其の墓を號な

けて箸は

墓はか

と謂い

ふ是の墓は日ひ

は人作り夜は神作る故か

大坂山の石を運びて造る

〔崇神紀〕

 

これは『日本書紀』の崇神天皇の条に見えるものでさまざまな話題を含む興味深い内容の話である

 

Gの話の場合と同様にこのIの話にも二重線と太線とを付しておいた「二段構えの語り」に相当するものが認

められるからである

 

妻の倭や

まとととびももそひめのみこと

迹迹日百襲姫命が夫である大物主神が自分に課した「私の姿に驚いてはならない」という禁を犯してしま

ったこれに怒った夫は御み

もろの諸

山やま

(三輪山)に登って行ったがその様子を仰ぎ見た妻は悔やんでその場にどすんと座

り込んだするとそこにあった箸が妻の陰部に突き刺さり妻はそのまま死んでしまった妻を葬る墓は昼に人

が造り夜には神が造ったという話の末尾の内容に因んで一般に「箸は

墓はか

伝説」と呼ばれている

 

Iの話より前の記述に倭迹迹日百襲姫命は「天皇の姑み

をば」

だという説明が見える大物主神の妻になったというの

だから巫女的な性格を強くもつ女である彼女の名はとても長いので話のなかでは「倭迹迹姫命」と略称されて

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一三三

いる)

4(

 「是の墓は日ひ

は人作り夜は神作る」という話の末尾を読んですぐに想起されることがあるそれは努ぬ

賀か

咩め

という女の産んだ「小さき蛇」が「明くれば言こ

とはぬが如く闇く

るれば母と語」ったという「晡く

れふしの

時臥山や

」〔『常陸

国風土記』那珂郡茨城里〕の話である「神の子である蛇が昼は物を言わなかったが夜になれば母と話をした」

というのは神が昼にはほとんど行動せず夜には活発に行動するという当時の人々の考えを反映するものだろう

これは夜には神が墓を造ったというIの話に一致する

 

それだけでなく夜には神が墓を造ったという説明は同じIの話の冒頭近くに「其そ

の神常に昼は見えずして

夜のみ来み

す」とある説明と内容的に対応している冒頭の近くで述べたことと末尾の近くで述べたこととを照応さ

せたかたちである

 「二段構えの語り」に相当するものは一見しただけではこの話に含まれていないように思われるしかし話の

文脈を細かくたどると二重線を付した「大お

ほぞら虚

を践ほ

みて御み

もろの諸

山やま

に登ります」という部分と「仰ぎ見て悔いて急つ

き居う

則ち箸に陰ほ

を撞つ

きて薨か

むさり

ましぬ」という太線の部分とがそれに相当することがわかる前者は大物主神によ

る天空での動作であり後者は倭迹迹姫命による地上での動作であるこれらの動作により一方は本来の拠点に戻

り他方は他界へ赴いた

 

二重線の部分と太線の部分とについて二種の動作の間にどのような関係があるというのか二種の動作を描写し

た部分に「二段構えの語り」を認めるのは深読みの結果ではないのかなどといった疑問が生じるかも知れないし

かし話の文脈から見れば実はそのように判断するのは間違いであることが明らかになる

 「大虚を践みて」という夫の動作は新編古典全集の注で「雷神の象徴」だと解説され「天空をふみとどろかし

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一三四

て」と現代語訳されている蛇神である大物主神は雷神でもあるからそれは妥当な解説である「大虚を践みて」

は雷鳴は神が天空を踏みつける音だと見なしたうえでの表現である

 

この点に関しては『萬葉集』の歌が参考になる

J 

天雲を 

ほろに踏みあだし 

鳴る神も 

今日にまさりて 

恐かしこけ

めやも

〔十九四二三五〕

 「天の雲をばらばらに踏み散らして音を響かせる雷神も今日の天皇の御前より恐れ多いはずはないだろう」の意

を表す歌である作者はこのような歌を詠むことによって天皇の威徳あるいは権力に対して畏怖の念と敬愛の

情とを表明したのである第三句の「鳴る神」とは雷神のことで「(天で音を響かせて)鳴る神」の意である雷鳴

は神が天雲を踏みつけることによって出る音だという把握のしかたが歌の背後にあるIの話に「大虚を践みて」

とあるのは雷神に対して上代の人々がいだいていた畏怖の念を端的に表すものになっている

 

他方の「急つ

き居う

」という妻の動作については古典大系の注に「どすんとすわったツキは衝キと同じ」という

解説が見え新編古典全集の注には

K 「急」の字にどすんと坐る様子を表現ツキは「突」で尻餠をつく後悔でがっくりきた姿がよく出てい

と見える【妻が箸で陰部を突いたという話題の背後には男女の交合のイメージが濃厚にまとわりついていたと考え

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一三五

られる夫婦をめぐる話だからそれは当然のことである】

 

夫婦の動作についてまとめると「大虚を践みて」は妻に禁を犯されたことを恥じた大物主神が勢いよく天空

を踏みつけるさまを表すまた「急き居」は夫の課した禁を犯したことを悔いた倭迹迹姫命が地面に急にすわ

り込むさまを表すどちらも

 

I 《身体の一部を急に下方に移動させその先にある物を勢いよく突く》

という動作であるこのことを確認すれば天空でなされる「大虚を践みて」と地上でなされる「急き居」とは

互いに類似し対応する動作だということがわかる夫と妻による二種の動作にこうした類似と対応とが認められる以

上それが話を深読みすることによって得られた誤った理解であるはずはない

 

妻に「箸に陰ほ

を撞つ

きて薨か

むさり

ましぬ」という忌まわしい事態が生じたわけだから「急き居」というのは語り手に

とっても聞き手にとってもきわめて衝撃的な動作である伝承者は妻の驚くべき動作について語る前にその場面の

ことを強く意識しただろうそして妻の動作に対応し類似する夫の動作としていかにも雷神らしい「大虚を践み

て」という動作を連想し話のなかに持ち込んだのだろう

 

ただし二重線を付した部分と太線を付した部分の「大虚を践みて」と「急き居」とは内容的には酷似あるい

は類似したことを表すものになっている一方で表現の具体的なありかたは大きく異なっている

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それは当然である

 

さきに「神世七代」の条に出現する「面足る」「あや恐か

こね」という対偶神の名とEFの話に見える男女二神

の讃美表現とについて述べたように一段めの語りと二段めの語りには異なる表現を用いなければならない内容面

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一三六

で類似し対応する二つの部分が表現の面でも同じように類似し対応していれば伝承者が一方をもとにして他方を

作ったことが聞き手に悟られやすくなるからである「大虚を践みて」と「急き居」とであれば両者の表現は異

なるからそれらは一方から他方を連想したものだとは悟られにくいのである

 

こう見てくるとIの話にもやはり「二段構えの語り」が認められることがわかる「大虚を践みて」という動作

をあえて描写しなくても怒った神が御諸山に帰って行ったと述べるだけで話は十分に成り立つ当該の箇所は

もともと「大虚を践みて」という表現を含まない単純なものだっただろう

 

この話のなかには大物主神と倭迹迹姫命とに関して互いに対比的だと見なしうる項目が多く含まれている特

に目立つものを整理すれば

 

ⅰ 

神人

 

ⅱ 

夫妻

 

ⅲ 

応じる願う

 

ⅳ 

禁を課す禁を犯す

 

ⅴ 

恥じる悔いる

 

ⅵ 

天空地上

 

ⅶ 

足で踏みつける尻餠を突く

 

ⅷ 

本拠地に戻る他界へ赴く

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一三七

というようになる

 

神と人間の女とが結婚したもののそれは根本的な矛盾を含む無理な結び付きだった神と人間との間にあるそ

の根本的な矛盾が夫が課した禁を妻が犯すという大きな溝となって現れ結局のところ両者は別離を迎えざるをえ

なかったというのがIの話の趣旨である話の伝承者が神と人間との根本的な相違を明確に意識しながら語った

話だからⅰ〜ⅷのような対比的な項目を含むことになったということだろう

 

ここで「二段構えの語り」の成立に深い関わりをもつと思われる『萬葉集』の歌の構成について見てみる歌の

構成というのは一方から他方を連想することによって成立する序詞と本旨との関係である

L 

春はるされば

去者 

先まづ

鳴なく

鳥とり

乃の うぐひすの

之 

事こと

先さき

立だち

之し 

君をし待たむ

〔十一九三五〕

 「春さればhelliphellipう

ぐひすの

」の三句が序詞でありそれが本旨の「言こ

先立ちし君をし待たむ」を導入している第一句

第二句の表現にあるように「

」は春を迎えて真っ先に鳴く鳥であるそれを序詞の末尾に置いて「(あなたが私

に)先に声を掛けた」の意の「言先立ちし」つまり本旨を導入する表現とした「言先立ちし」という相手の行動を

描写する前に春になって真っ先に鳴く鳥を歌の作者が連想しそれを歌の前半に置いたのであるだから作者が

言いたい本旨の内容が先にありそれから序詞が連想されたという関係であるあとで連想された序詞は意味的

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一三八

にも内容的にも本旨に類似するものになっているが本旨の表現とは異なっている

M 

牛うし

窓まと

之の 

浪なみ

乃の

塩しほ

左さ

猪ゐ 

嶋しまとよみ

響 

所よそりしきみは

依之君 

逢はずかもあらむ

〔十一二七三一〕

 

序詞の「牛窓のhelliphellip島」は本旨である「響と

み寄そりしhellip」から連想されたものであり同時に本旨を導入する表

現にもなっているこの序詞は「潮し

騒さゐ

の波のざわめきのように島も」の意を表し本旨の「響み寄そりし君はhellip」は

「噂もうるさいほどに私との関係を言い立てられたあなたはhellip」の意を表す「潮騒」という音にかかわる現象と

人の噂が激しいことをいう「響み」との類似性が歌の前半と後半とを結び付けている噂がうるさいという現実か

ら作者は「潮騒」のざわめきを連想して序詞としたのだから本旨の内容が先にあり序詞は本旨に基づいて連想

されたという関係である

N 

天あま

飛と

ぶや 

軽の社の 

斎いはひつき

槻 

幾代まであらむ 

隠こもりづま

嬬そも

〔十一二六五六〕

 

女が詠んだと思われるこの歌では「天あ

飛と

ぶやhelliphellip齋い

ひ槻つ

」の三句が序詞として四句以下の表現を導入している

序詞の末尾に置かれた「齋ひ槻」は神聖である故に人が触れてはならない木をさすまた第五句の「隠こ

り妻」は

人に知られてはならない間がらにある妻をさすそのような内容面での共通性が歌の前半にある序詞と後半にある

本旨とを強く結び付けている「齋い

ひ槻」と「隠こ

り妻」とは表現が異なっているが両者の関係はMの歌に出て

いる「潮騒」と「響み」とのそれに酷似している

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一三九

 

以上の三首に見られる序詞と本旨との関係はさきに見た諸話の一段めの語りと二段めの語りとの関係に相当する

三首の序詞は本旨の内容から連想されたものであり諸話の一段めの語りは二段めの語りの内容から連想されたもの

であるしかし連想を呼ぶもとになったこととそれから連想されたこととは三首でも諸話でも表現が互いに異

なるものになっている

 

話を「二段構えの語り」に戻し次の話に認められる「二段構えの語り」について検討するしかし次の話の語

りのありかたは見てきた三話と異なる点がある

O 

萩原の里土は中の中なり右萩原と名づくる故は息お

きながたらしひめのみこと

長帯日売命韓か

らくに国

より還か

り上りましし時御船此の村

に宿りたまひき一夜の間に萩一ひ

ともと根

生お

ひき高さ一ひ

丈つゑ

ばかりなり仍よ

りて萩原と名づく即す

なはち

御井を闢は

りき

故かれ

針は

間ま

井ゐ

といふ其の処は墾は

らず又墫も

たひの

水溢あ

れて井と成りき故韓か

の清水と號く其の水朝に汲むに

朝に出でず爾す

なはち

酒殿を造りき故酒田といふ舟傾き乾か

れき故傾か

ぶきだ田

といふ米よ

舂つき

女め

等ら

が陰ほ

を陪

おもとびとくな

従婚

ぎ断ちき故陰ほ

とたち絶

田だ

といふ仍す

なはち

萩多く栄えき故萩原といふ爾こ

に祭れる神は少

すくなたらしのみこと

足命にます

〔『播磨国風土記』揖保郡〕

 

これは『播磨国風土記』に見える話で息お

きながたらしひめのみこと

長帯日売命(神功皇后)の聖性と威徳とを強調する内容になっている

 

これまで見た三話と同様にこのOの話にも女陰の話題が含まれているそれは「陰ほ

絶たち

田だ

」という地名の由来を

説明する短小な話のなかに見える息長帯日売命に仕える陪お

もとびと

従が米よ

舂つき

女め

等ら

と交合して陰部を傷つけたそのことが

この地名の由来になったという)

5(

陰部を傷つけたことを語る「陪お

もとびとくな

従婚ぎ断た

ちき」の「断た

ちき」は「裂傷をおはせた」

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一四〇

〔古典全書〕の意だと比較的古い注釈にありこれを踏襲する新しい注釈もある妥当な解説である

 

以上で見た三話と異なる点というのは二重線の部分と太線の部分とが

O 

米よね

舂つき

女め

等ら

が陰ほ

を陪お

もとびとくな

従婚ぎ断ちき

というように一文のなかに連続して出ている点である見てきた三話では二種の線を付した部分は近接した位置

にあるがOの話の場合はそれが極端なかたちで表れているまた二重線の部分が三話のように何らかの動作

状態を描写した表現になってはおらず「米よ

舂つき

女め

等ら

」という複合名詞になっている点も三話とは異なる

 

二種の線を付した一文の内容についていささか気になるのは「陪お

もとびとくな

従婚ぎ断た

ちき」という動作の対象になったの

が「米よ

舂つき

女め

等ら

が陰ほ

」だということである

 「米よ

舂つき

女め

等ら

」という複合名詞に含まれる「舂つ

く」は「突く」という動詞の一用法である「舂く」は「きねなどの

先で強く打っておしつぶしたり穀物のからなどを除いたり精白したりする」〔『日本国語大辞典』第二版〕の意で

あり「舂女」は「臼で穀物をつく女」〔同〕の意である

 

結局のところ「舂く」という動作は「臼などの器に棒状の物を押し込みなかにある穀物などを押しつぶす」の

意を表すわけだがいささか気になると述べたのは「舂く」という動作と「婚く

ぎ断ち」「陰ほ

絶た

ち」という動作との

間に認められる

O 《狭い空間に棒状の物を差し入れその奥にある部分または物を強く突き破る》

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一四一

という物理的な動き

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としての類似性であるこれは既に取り上げたABの話やIの話に見られる二種の動きの

類似性と同じである

 

交合によって陰部を損傷したのと同様に棒状の物で「舂く」ことによって穀物などの本来の形態も損なわれる

だから「舂く」と「婚く

ぎ断ち」「陰ほ

絶た

ち」とは物理的な動きだけではなく動きによって生じる結果

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においても類

似している

 

このように話のなかに先に出てくる「舂き」とその直後に出てくる「婚く

ぎ断ち」「陰ほ

絶た

ち」との間には物理

的な動きとそれがもたらす結果との双方に関して顕著な対応類似が認められるそのような対応類似が生じた

ことについて次のように想定することができるだろうつまり話の伝承者があとで自分が語る交合という動作

を強く意識したそのために交合に類似した動きを表す「舂く」を事前に連想しさらにはその語を含む「米舂女

等」をも連想してそれを結果的に話のなかに持ち込んだのではないかということである現にGの「丹塗矢伝

説」に「その美人の富ほ

登と

を突きき」とありIの「箸は

墓はか

伝説」にも「陰を衝つ

きて」とあってそれらの「突き」「衝

き」は表記こそ違え「舂き」と同じ動詞である

 「婚く

ぎ断ち」「陰ほ

絶た

ち」は凄惨かつ深刻な事態だからそれに類似する「舂く」という動作を事前に伝承者が連想

することは十分にありえたと思われるそのように想定すればOの話にも「二段構えの語り」が表れていることに

なる

 

話の展開に従えば「舂く」を含む「米舂女等」が一段めの語りとして先に出てきて「婚く

ぎ断た

ち」「陰ほ

絶た

ち」が二

段めの語りとしてあとに出てくるしかし話が成立した経緯から見れば二段めの語りがもとで一段めの語りが生

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一四二

まれたわけだから実際の先後関係は正反対である

 「二段構えの語り」が以上のような経緯で成立したのだとすればOの話では陪お

もとびと

従が交合を行って陰部を損傷さ

せた対象はもともと「米舂女等」だとは限定されていなかったことになるそれで話は成り立つ

 

Oの話に認められる「二段構えの語り」は前節で確認したような歌の構成のありかたから見ればいったいどの

ようなものだと言えるのか

P 

窺うかねらふ

良布 

跡と み見

山やま

雪ゆき

之の 

いちしろく 

恋ひば妹が名 

人知らむかも

〔十二三四六〕

 

この歌では「じっと見ていて獲物を狙う」の意の「うかねらふ」が「跡と

み見

山」の「跡見」に掛かる枕詞になって

いる「うかねらふ」を承ける「跡と

み見

」は狩猟に関して用いられた語である注釈辞書に見える説明をまとめれ

ば「跡見」は「鳥獣が通ったあとを見てそれが通った時間やそれが今いる場所などを判断することまたそれ

を行う役の猟師」の意である歌の作者が「跡見」という語からそれと類義をもつ「うかねらふ」という動詞を

連想しそれを「跡見」という名詞を導入する枕詞としたのである「うかねらふ」と「跡見」とは類義の語だが

音韻面ではまったく異なっているこれはOの話の「米よ

舂つき

女め

等ら

」の「舂く」と「婚く

ぎ断ち」「陰ほ

絶た

ち」との関係に

近い

 『古事記』に見える次の歌謡では序詞と本旨との関係がPの歌の「跡見」と「うかねらふ」とのそれに類似し

たものになっている

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一四三

Q 

倭やまとへ方

に 

西吹き上げて 

玖く

毛も

婆ば

那な

礼れ 

曽そ

岐き

袁を

理り

登と

母も 

吾忘れめや

〔記五五〕

 「倭や

まとへ方

にhelliphellip雲離れ」の三句が序詞となって本旨の「退そ

き」あるいは「退き居り」を導入している「退き」は

「遠ざかり」の意を表す動詞だから「雲離れ」という複合語に用いられた「離れ」とは類義語の関係にある本旨

の「退き」を言うためにそれと類義をもつ「離れ」を事前に連想しそれを末尾に置いて長い序詞を構成したわけ

である「雲離れ」と「退き居り」とは音韻面で類似するところがない「離れ」と「退き」との関係はやはりO

の話の「米よ

舂つき

女め

等ら

」の「舂く」と「婚く

ぎ断ち」「陰ほ

絶た

ち」との関係に近いと言える

R ふさ

手た

折をり 

多た

武むの

山やま

霧ぎり 

繁みかも 

細川の瀬に 

波騒きける

〔九一七〇四〕

 

この歌では地名の「多た

武む

」を「曲げる」の意を表す「たむ」という動詞に見立てそれから事前に連想された

類義の「手折り」に「

ふさ

」を付し「たむ」の枕詞としている「手た

折を

る」は「手で曲げて取る」の意であり「

は「総房」のことで花や実が束になって付いたものをさす本旨の表現に用いるべき「たむ」から類義を表す

「手折る」という動詞を連想したのであるこれもまたOの話の「断つ」と「舂く」との関係を思わせる「たむ」

と「手折り」とは初頭の音節が同じだが互いに音節数が異なっている

 

三首の「跡見」「退き」「たむ」が「二段構えの語り」の二段めのかたりに相当しそれから連想された「うかね

らふ」「雲離れ」「

手折り」が一段めの語りに相当すると言えるだろう

 

既に述べたようにOの話は聖性と威徳とを具えた息長帯日売命に関する話である「一夜の間に萩一ひ

根もとお生

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一四四

き」「墫も

たひの

水溢あ

れて井と成りき」その他の不思議な事態が起こったことが話のなかでくり返し述べられている

同様にほかならぬ息長帯日売命に仕える陪お

もとびと

従が米舂女等と交合を行って陰部を傷つけた結果「萩多く栄えき」

という事態が生じたということなのだろう

 

Oの話が載っているのと同じ『播磨国風土記』に

S 

讃さ よ容

といふ所ゆ

ゑ以

は大神妹い

もせ

二柱競ひて国占し

めましし時妹玉た

津つ

日ひめのみこと

女命生ける鹿を捕と

り臥せて其の腹を

割さ

きて其の血に稲種ま

きき仍よ

りて一夜の間に苗な

生お

ひき即す

なはち

取りて殖う

ゑしめたまひき爾こ

に大神勅の

りたま

ひしく「汝な

にも妹

は五さ月夜よ

に殖ゑつるかも」とのりたまひて即や

て他

あだしところ

処に去りたまひき故か

五月夜の郡こ

ほりと

號なづ

神を賛さ

用よ

都つ

比ひめのみこと

売命と名づく

〔讃容郡〕

という話が見えまた次のような話も見える

T 

丹に

津つ

日ひ

子こ

の神「法ほ

太だ

の川底を雲う

るみ潤

の方に越さむと欲お

ふ」と爾し

かい云

ひし時彼の村に在い

せる太お

水みづ

の神辞い

びて

云の

りたまひしく「吾は宍し

の血を以て佃た

つくる

故か

河の水を欲ほ

りせず」とのりたまひきその時丹津日子云ひし

く「此の神は河を堀る事に倦う

みて爾いへるのみ」といひき故雲う

弥み

と號な

く今い

人ひと

雲潤と號な

〔賀毛郡〕

 

Sの話は鹿の腹を割いてその血に稲を蒔いたら一夜で苗が生えたというものであるまたTの話は宍し

つま

り動物の血で田を作るから河の水は必要ないと神が言ったというものである二話では稲などの植物を植える際

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一四五

には普通に水を用いるよりも動物の血を用いた方が成長がずっと早いと述べているようである

 

これらの話には動物の血と稲あるいは田と一夜での苗の成長の三つの要素の結び付きが確認できる)

6(

この

ことはOの「陰絶田」の話を想起させずにはおかないつまり稲あるいは田は「陰絶田」の話に出ている「米よ

舂つき

女め

等ら

」に対応するように思われるしまた動物の血は女らと陪従らとの交合によって陰部から出たはずの血に

対応するように思われるさらに一夜で急に苗が成長したという事態は「陰絶田」の話の前半部に「一夜の間に

萩一ひ

根もとお生

ひき」とありまた「陰絶田」という地名に続いて「仍す

なはち

萩多く栄えき」とあることに内容的に対応する

と理解することができる

 

だから「米よ

舂つき

女め

等ら

が陰ほ

を陪お

もとびとくな

従婚ぎ断ちき故陰ほ

絶たち

田だ

といふ仍す

なはち

萩多く栄えき」という一連の表現では

陰部を損傷させたことと萩が多く栄えたこととの間には「そのことが原因で」の意の明確な因果関係があると

見るべきだろう

 

三つの要素の結び付きがOの話にも認められる以上同話と動物の血に関する話は古い時代に行われていた儀礼

を背景とするものだと考えることができるだろう動物の血と人間の血との違いはあるがそれらは神に動物の犠

牲を捧げたことによって豊穣繁栄がもたらされたという人々の遠い記憶を伝えるものなのではないか

 「国土創成」をめぐるABの話とEFの話Gの「丹塗矢伝説」Iの「箸墓伝説」Oの「陰絶田」をめぐる

話のどれでも女陰交合結婚などのことが話題となっているこれらの諸話に「二段構えの語り」が認められる

ことを以上の論述で確認した

 

ただし「二段構えの語り」が認められることと女陰交合などの話題が含まれることとの二点を条件として

以上の諸話を選んだわけではない「二段構えの語り」が認められる諸話を取り上げたところそれらには女陰交

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一四六

合などの話題が共通して含まれていたというのが実際である

 

女陰を矢が突くにしても何かが原因で女陰が損傷を受けるにしてもとにかく女陰や交合に関する話題は話の

語り手にも聞き手にも強い印象を与えたはずである時にはそれは刺激的衝撃的な印象さえ与えたに違いない

それだからこそ女陰交合に関する出来事はその内容に類似し対応する連想を呼びやすかったのだろう「二段

構えの語り」と女陰交合の話題とが以上の諸話のなかに共存するのはそのような理由によるものと考えられる

 

以上で確認したように「二段構えの語り」が表れていると判断される諸話に女陰交合などの話題が共通して

含まれている論述の流れに従えば交合結婚を語るものではないがやはり女陰のことが一つの話題になってい

る次の話を取り上げる必要があるだろう

U 

須す

佐さ

之のをのみこと

男命(略)勝ちさびに天あ

まてらすおほみかみ

照大御神の営つ

くだ田

を離は

ちその溝を埋めまたその大お

ほにへ嘗

を聞こしめす殿に屎く

まり散らしき故か

然し

すれども天照大御神は咎と

めずてhellip(略)なほその悪しき態わ

止まずて転う

てありき天照大御

神忌い

みはた服

屋や

に坐ま

しまして神か

御み そ衣

織らしめたまひし時その服屋の頂む

を穿う

ち天あ

の斑ふ

ちこま馬

を逆さ

剝は

ぎに剝ぎて堕お

し入る

る時に天の服は

織おり

女め

見驚きて梭ひ

に陰ほ

と上

を衝つ

きて死にき故か

ここに天照大御神見畏か

しこみ

て天の石い

屋や

戸と

を開

きてさし籠もりましきここに高た

天ま

の原皆暗く葦

あしはらのなかつくにことごと

原中国悉に闇く

しこれによりて常と

夜よ

往ゆ

ききここに

万よろづのわざはひ

妖悉に発お

りき

〔神代記〕

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一四七

 

これは『古事記』の神話の一部であり須佐之男命の「勝ちさび」の場面とその姉である天照大御神の「石屋籠

もり」の場面である天照大御神が機織りをしている時に弟の須佐之男命が皮を剝いだ馬を服は

屋や

の屋根を壊し

てなかに投げ入れたそれに驚いた服は

織おり

女め

が縦糸の間に横糸を通すための道具である梭ひ

を誤って自分の陰部に突

き刺して死んだそれを見て弟の行動を恐れた天照大御神が石い

屋や

に籠もってしまったので世界は暗闇に閉ざされ

多くの災禍がはびこったという

 

二重線を付した「その服屋の頂む

を穿う

ち天あ

の斑ふ

ちこま馬

を逆さ

剝は

ぎに剝ぎて堕お

し入るる時にhellip」という部分と太線を付し

た「梭ひ

に陰ほ

と上

を衝つ

きて死にき」という部分とは表現のありかたがまったく異なるしかし皮を剝いだ馬を屋根

を壊して建物のなかに投げ入れることと梭ひ

で勢いよく突いて陰部を傷つけることとが物理的な動きとして酷似し

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ている

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ことは事実である二つの部分では

U 《ある物体を急に動かしその勢いで別の物体を破損する》

ということが共通の骨子になっているこのような動きはIOの話の場合の動きと酷似している

 

二つの部分に描写されている物理的な動きをこのように要約するとこれまで見た諸話の場合と同様にUの話に

表れている「二段構えの語り」について次のように推測すべきことになるつまり皮を剝いだ馬を服屋の屋根

を壊して投げ入れたという二重線の部分は梭で陰部を突いて服織女が死んだという太線の部分に基づいて伝承者

が事前に連想して話のなかに持ち込んだものだろうということである

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一四八

 

確かに梭で陰部を突いて女が死んだというのはあまりにも衝撃的で印象的な出来事である特に『日本書紀』

の所伝には「天照大神驚お

どろ動

きたまひて梭を以て身を傷い

ましむ」〔本書〕とありまた「稚わ

かひるめのみこと

日尊驚きたまひ

て機は

より墮お

ちて持たる梭を以て體み

を傷や

らしめて神か

むさ退

りましぬ」〔一書第一〕とあって事態はさらに深刻であ

る至高神である天照大神自身が陰部を損傷しまたその分身である稚日尊が同じ原因で死んだというのだからこ

れ以上の重大事件はない

 

ただしここで一つの問題が生じる伝承者が連想したことを神話のなかに持ち込む以前には梭を突き刺して陰

部を損傷したという話題はあっても屋根を壊して馬を投げ入れたという話題は含まれていなかったことになるそ

こで馬に関する話題が直前に置かれていなくても天照大御神が石屋に籠もるという展開になりえたのかとの問

題が生じるのである少なくともUの話では馬の投げ入れに驚いて服織女が陰部に損傷を負って死んだので

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その

ことを恐れた天照大御神が石屋に籠もってしまったというように読めるからである

 

結論を言えば馬を投げ入れるという行動はなくても天照大御神が石屋に籠もるという展開になりえたと理解

することができるそのことを支持するのは『日本書紀』に見える次の所伝である

V 

日ひのかみのみこと

神尊天あ

まのかきた

垣田を以て御田としたまふ時に素戔嗚尊春は渠み

塡う

め畔あ

はなち毀

す又秋の穀

たなつものすで

已に成りぬるとき

に則ち冒

ひきわたす

に絡あ

ぜなは縄

を以てす且ま

たひのかみ

日神の機は

殿どの

に居ま

します時に則ち斑ぶ

駒こま

を生い

剝は

ぎにして其の殿

みあらかの

内に納な

げいる

凡す

て此の諸

もろもろの

事尽

ことごとくに

是これあづきな

無状し然れども日神恩

このかみおととむつま

親しき意

みこころもちに

して慍と

めたまはず恨みたまはず皆

平たひ

らかなる心を以て容ゆ

したまふ日神の新

にひなへきこ

嘗しめす時に及お

よ至

びて素戔嗚尊則ち新

にひなへのみや

宮の御み

まし席

の下に陰ひ

そかに

ら送く

そま糞

る日神知し

しめさずして俓た

に席み

ましの

上に坐ゐ

たまふ是に由よ

りて日神體み

みこぞ挙

りて不や

くさ平

みたまふ故以

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一四九

て恚い

か恨

りまして廼す

なはち

天あまのいはや

石窟に居ま

して其の磐い

戸と

を閉さ

しぬ

〔一書第二〕

 

素すさのをのみこと

戔嗚尊の悪行がどのような順序でこのVの話にあげられているかを少し細かく見てみる天照大神の御み

田た

素戔嗚尊が損壊する話が最初に置かれておりそれはUの話の場合と同じであるしかしその直後にはUの話と

大きく異なって馬を投げ入れる話が置かれているそしてこの悪行を含む「諸

もろもろ

の事」について「日ひ

神かみ

恩このかみおととむつま

親しき意

みこころもちに

して慍と

めたまはず恨みたまはず皆平た

らかなる心を以て容ゆ

したまふ」という説明が付され

ている馬を投げ入れたことは天照大神の石屋籠もりと直結しておらずむしろ日神は馬の投げ入れを含む多くの

悪行を許したというのである

 

Vの話で石屋籠もりと直結しているのはそのあとになされた悪行であるそれは「素戔嗚尊則ち新

にひなへのみや

宮の御み

まし席

の下に陰ひ

そかに

自ら送く

そま糞

る」という蛮行でありこれによって「日神知しめさずして俓た

に席み

ましの

上に坐ゐ

たまふ是に

由よ

りて日神體み

みこぞ挙

りて不や

くさ平

みたまふ」というひどい状況が生じたつまり新宮のなかでの脱糞という悪行が日ひ

神かみ

に病をもたらしさらには同神を石屋に籠もらせたというのである陰部が損傷した事件ではなくて新宮での脱糞

という蛮行が石屋籠もりの原因となりえたことをVの話が証明している【天照大神にあたる神を「日神」とする所

伝はより古い時代に成立したものだと言われる】

 

新宮での脱糞が石屋籠もりの原因になったとするVの話には女陰が損傷したことはまったく見えないこれに対

してUの話やさきに引用した『日本書紀』の本書一書第二の話では馬の投げ入れに驚いた女神が陰部を損傷し

そのことが女神の石屋籠もりの原因となっている話の内容にこのような相違がある事実は女神が陰部を損傷した

ことと女神が石屋に籠もったこととは必ずしも一連のものではないことしたがって話の成立について考えるにあ

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一五〇

たっては二つのことを別々に処理してかまわないということを示している

 

ただしUの話で大きな問題となるのは馬を投げ入れるという行動がなければ女神が驚いて陰部を損傷すると

いう事態も起こらないということであるこの点で女神が陰部を損傷するという事態だけが話に含まれ馬を投

げ入れるという行動は話に含まれないという話の状況は想定できないのである

 

一連の話のなかにまずXのことが出ていて次にYのことが出ているという「二段構えの語り」について考える際

にぜひとも考慮しておくべきことがあるつまりあることをもとにしてそれに類似することを伝承者が連想し

連想した内容を結果的に話のなかに持ち込むには一般的に二とおりの過程がありうるということである

a 

先に出てくるXが伝承者に強い印象を与えるためにXについて語ったあとにそれに類似した内容をもつY

を伝承者が連想するという過程

b 

あとに出てくるYが伝承者に強い印象を与えるためにYについて語る前にそれに類似した内容をもつXを

伝承者が連想するという過程

 

これまで見てきた「二段構えの語り」はすべてbの過程を経て生じたものだと考えたしそのように考えて特に

問題はなかったしかしUVの二話の場合はそのように考えることは不可能であるUの話では馬を投げ入

れたことが女神が陰部を損傷する原因になっておりVの話では新宮で脱糞したことが女神に病をもたらす原

因となっている二重線の部分が原因を表しており太線の部分が結果を表しているわけだから二つの部分は密接

な因果関係を構成しているのである

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一五一

 

そこでUVの二話に表れている「二段構えの語り」がbの過程を経て成立したと仮定して具体的に話の展開

について考えてみる陰部を損傷したことだけがUの話に含まれるという段階を想定すれば女神がなぜ梭で陰部を

突くことになったのか何も説明がなく話の展開が唐突すぎる聞き手は話の展開が理解できないのであるまた

同様に女神が糞の上に座って病を得たことだけがVの話に含まれるという段階を想定すればそこになぜ糞があっ

たのかが不明であるこちらも話の展開そのものが成り立たない

 

一方で「二段構えの語り」はbの過程を経て成立したという仮定を捨てそれはaの過程を経て成立したものだ

と仮定してみる二重線の部分だけが話に含まれており伝承者はそれをもとにして太線の部分を連想し連想した

ことをあとで話のなかに持ち込んだというふうにである

 

Uの話にはもともと馬を投げ入れたことだけがあり伝承者はそれをもとに酷似する動きをとることとして

梭で陰部を突くという動作を連想した馬の皮を剝いだうえ屋根を壊してそれを服屋の中に投げ入れるという悪行

は女神が梭で陰部を突くという事故がなくても女神を恐れさせて石屋に籠もらせるには十分である

 

またVの話の場合にはもともと新宮で脱糞をしたことだけが含まれており伝承者はそれに基づいて女神が

その糞の上に座って病を得たことを連想した女神が新嘗の儀礼を行う前にその神聖な新宮でこっそり脱糞をする

という蛮行は女神が糞の上に座って病を得るという事態が起こらなくても女神を怒らせて石窟に籠もらせるには

十分である

 

こうしてbの過程を想定すればもとの話は成り立たないが逆にaの過程を想定すればUVの二話にも「二

段構えの語り」が表れていると考えることができる実はaの過程を想定することによって「二段構えの語り」が

表れていることを順当に説明しうる話はすぐあとに取り上げるようにほかにもまだある

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一五二

 

女陰が何らかの原因で損傷したことを述べるIOUの三話についてさきに一段めの語りと二段めの語りの

内容を検討したうえでそれぞれを次のように一文にまとめておいた

I 《身体の一部を急に下方に移動させその先にある物を勢いよく突く》

O 《狭い空間に棒状の物を差し入れその奥にある部分または物を強く突く》

U 《ある物体を急に動かしその勢いで別の物体を破損する》

 

三話に認められる「二段構えの語り」の内容はこのようにどれも同じような動きを表すものになっているそれ

だけでなくABの話やGの話に見られる「二段構えの語り」もまた同じような動きを表すものになっている

ということは女陰が損傷を受けたことを述べる三話に「二段構えの語り」を認めることの妥当性を逆の面から証

するものだと言えるのではないか

 

これに対し女陰の損傷が話題となっていない「二段構えの語り」が認められる別の諸話についてその内容を

一文にまとめるとその一文はこれらとまったく異なる動きを表すものとなる(後述)そのこともさきに述べた

ような「二段構えの語り」の存在を認めるべき一つの論拠となると考える

 

Uの話と同様にaの過程を経て「二段構えの語り」が成立したと推定される話をここでもう一つ取り上げる

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一五三

それは『古事記』に見える神話でのちに地上界の支配者になる大お

ほなむぢの

穴牟遅神か

をその兄弟である八や

十そ

神がみ

が殺害する場

面である

W 

ここに八や

十そ

神がみ

見てまた欺あ

ざむき

て山に率ゐ

て入りて大お

樹き

を切り伏せ茹ひ

矢や

をその木に打ち立てその中に入らし

むる即ちその氷ひ

目め

矢や

を打ち離ちて拷う

ち殺しきここにまたその御み

祖おや

の命み

こと

哭な

きつつ求ま

げば見得てすな

はちその木を折りて取り出で活かしてその子に告げて言ひしく「汝い

まし

此こ こ間

にあらば遂に八十神のために滅

ぼさえなむ」といひてすなはち木き

国くに

の大お

屋や

毘び

古この

神かみ

の御み

もと所

に違た

へ遣りきここに八十神

ぎ追ひ臻い

りて矢や

刺ざ

し乞ふ時に木の俣ま

より漏く

き逃がして云の

りたまひしく「須す

佐さ

能のをのみこと

男命の坐ま

します根の堅か

州す

国くに

に参ま

向ふべし必ず

その大神議は

りたまひなむ」とのりたまひき故か

詔の

りたまひし命の随ま

にまに

須佐之男命の御所に参ま

ゐいた到

ればhellip

〔神代記〕

 

八十神が大木を切り倒してそれを裂き裂け目に楔

くさび

状の「茹ひ

矢や

」を押し立てておいたそしてそこに大穴牟遅神

を入らせて楔状の物を引き抜き同神を圧死させた同神の母が木を折って息子を救い出しこれを蘇生させて大お

屋や

毘び

古この

神かみ

のもとへ逃がしてやったさらに八十神が追いついて息子を引き渡すように母に要求した時には母が息

子をこっそり木の俣から須佐能男命のもとへ逃がしてやったという

 

Wの話の直前には八十神に脅迫された大穴牟遅神が焼けた岩をかかえ込んで死んでしまったという話が置か

れている死んだ大穴牟遅神はやはり母の尽力によって復活したというそれが一回めの死と復活を語る話だから

Wの話で語られる死と復活は二回めのそれである一回めの死が岩を抱き取ることによってもたらされ二回めの死

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一五四

が木の俣に挟まれることによってもたらされた死因の内容が一回めと二回めとでは逆転している

 

また大穴牟遅神の二度にわたる死は天照大御神の二度にわたる死と奇妙なかたちで対応している天照大御神

の死はまず同神自身あるいはその分身の女神が木製の梭で陰部を突いて死ぬというかたちで語られるまた

そのあとで同神自身が岩屋に籠もってしまうというかたちで死が語られるがそれは太陽神の象徴的な死である

両神の死の内容を細かく比較すると両神の体と岩木とが次のように互いに逆転した奇妙な関係を示しているこ

とがわかる

  

大穴牟遅神の死helliphelliphellip体が岩をかかえるdarr木の俣が体を挟む

  

天照大御神の死helliphelliphellip木が体のなかに入るdarr体が岩のなかに入る

 

地上の支配者と世界の至高神との間に死をめぐってこのような逆転した関係が認められるのはきわめて興味深

いことである)

7(

 

さて「二段構えの語り」だがWの話のうち母が息子を「その木を折りて取り出で活かして」大お

屋や

毘び

古この

神かみ

のも

とへ逃がしてやったという二重線の部分が一段めの語りにあたる二段めの語りにあたるのは母が息子を「木の

俣また

より漏く

き逃がし」て須佐能男命のもとへ向かわせたという太線の部分である

 

つまりこの神話では俣になった「その木を折りて」母が息子を救い出す一段めの語りと母が息子を「木の俣

より漏く

き」逃がしてやる二段めの語りとは

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一五五

W 《母が息子を木の俣から救出しあるいは逃がして別の神のもとへ送り出す》

という酷似した内容のものになっている

 

地上の支配者となるべき大穴牟遅神が木の俣に挟まれて死んで母に救われる話の方が同神の母が木の俣から息

子を逃がしてやる話よりもずっと衝撃的で印象的であるだから神話の伝承者が一段めの語りの内容を強く意

識しそれに酷似した内容をもつ二段めの語りを連想してあとで話のなかに持ち込んだのだろうと推測される

より印象的な出来事を語り終えたあともそれが意識のなかから消え去らず類似し対応することがらをあとで連想し

てしまったと考えられる【一段めの話から二段めの話が連想されたというaの過程をたどったとおぼしい実例は

僅少であるそれには然るべき理由があったと考えるべきだが目下のところそれは不明である】

 

Wの話がこのような経緯をたどったとすると母が木を折って息子を救い出しこれを蘇生させてから別の神のも

とへ逃がしてやったという一段めの語りだけが話に含まれていた段階を例によって想定しなければならない一

段めの語りだけで話は成り立つのか

 

結論を言えばその想定は可能である八十神のもとから逃げた大穴牟遅神が須佐能男命のいる地まで行ったと

いうような単純な内容の話になっている方が以下との続きかたは自然である二重線の部分の末尾にある「木き

国くに

の大お

屋や

毘び

古この

神かみ

の御み

もと所

に違た

へ遣りき」の「大屋毘古神」の部分を太線の部分にある「須佐能男命」とすれば話は無

理なく以下に続くのであるまずは大屋毘古神のもとへ逃げて行ったという部分がなかったとすれば母は木の裂け

目から息子を救い出しこれを蘇生させて須佐能男命のもとへ送り出したというわかりやすい展開になるしたが

ってaの過程を経てWの話が成立しただろうという推定は十分に成り立つ

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一五六

 

二重線の「木き

国くに

の大お

屋や

毘び

古この

神かみ

の御み

もと所

に違た

へ遣りき」という部分は「木国のhellip」で始まっているそれは「大お

樹き

切り伏せ」「茹ひ

矢や

をその木に打ち立て」「その木を折りて」などWの話にくり返し出ている「樹木」から連想され

たものだろう

 

太線の部分にある「木の俣ま

より漏く

き逃がして」以下の表現からその前に置かれた二重線の部分が連想されたと

いうbの過程は想定できない二重線の部分が話に含まれていないという段階はなぜ太線の部分が話に含まれてい

るのかということつまり「木の俣ま

より漏く

き逃がして」とある理由が説明できないのである大穴牟遅神が八十神に

殺害されて復活したという理由があって始めて「木の俣ま

より漏く

き逃がして」以下の表現が意味をもつのである

 

木の俣に挟まれて圧死した大穴牟遅神が母の尽力によって蘇生したあとには同神が須佐能男命から与えられた

いくつもの試練を妻の須す

勢せ

理り

毘び

売め

の助力を得てそのたびごとに克服するという話が続くさらに大穴牟遅神が

須勢理毘売をその父のもとから奪って逃げるとともに自分に苦難をもたらした八十神を追い払って「始めて国を作

りたま」うたという展開になっているまたそのあとにも大穴牟遅神の子を産んだ八や

上かみ

比ひ

売め

が須世理毘売を恐

れて「その生める子をば木の俣に挟みて返」ったという話が続いている八上比売の話にまたもや「木の俣」

のことが出てくるわけである

 

この「木の俣」の話もまた大穴牟遅神が「木の俣」に挟まれて圧死した話から連想されたものである可能性が想

定できるがそのように想定する場合に問題となることがあるそれは両話の間に置かれた話があまりにも長大な

ものだということであるしかし大穴牟遅神と生まれた子との間には

 

ⅰ 

父子

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一五七

 

ⅱ 

木の俣に挟まれて死ぬ生まれて木の俣に挟まれる

 

ⅲ 

母が救い出す母が置き去りにする

 

ⅳ 

母が別地へ向かわせる母がもとの地に戻る

というような対比的な関係も認められるのでありこうした関係が偶然に生じたものだとは考えがたいだから父

が木の俣で圧死させられることから生まれた子を木の俣に置くことが連想されたという可能性をここでは否定し

ないでおく【より古い時代には大穴牟遅神が木の俣に挟まれて死ぬ話と八上比売が木の俣に新生児を挟む話とは

直結した一連のものだったことも想定できる】

 

以上の論述では「二段構えの語り」の様態について数話を例示してやや細かく検討を加えたその結果話に

含まれる特定のことからがそれに類似し対応することがらを伝承者に連想させ連想した内容が結果的に話のなか

に組み込まれてしまうという特徴的な現象を上代の神話や伝説を通して確認することができたと考える

 

同じ「二段構えの語り」の現象が認められる話は本稿で取り上げた諸話で尽きているのではなくまだ何話か上

代の文献に見える紙幅の関係でそれらを取り上げて細かく検討を加えることができないからここで二話だけに

ついて結論を述べておき具体的な検討は別稿で行うことにする

 

二話のうち一つは神話に見えるもので娘たちを飲み食らう大蛇を須佐能男命が退治する場面である『古事記』

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一五八

で言えば「是の高こ

志し

の八や

俣また

の遠を

呂ろ

智ち

年と

毎ごと

に来て喫く

へり」という部分と「船ふ

毎ごと

に己お

が頭を垂い入れてその酒を飲み

き」という部分とが「二段構えの語り」に相当する二つの部分の内容をまとめると

  《大蛇が出雲へやってきて足あ

名なづち椎

のがわに属するものを食らいあるいは飲む》

というようになる娘たちを食らい飲む大蛇が酒を飲むという同じ行動が原因で退治されてしまうのである

 

またもう一つの話は『播磨国風土記』の賀古郡の条に見える「比礼墓伝説」であるこの話では「印い

なみ南

」の女

が「隠な

び妻」であり「辞い

び妻」でもあるからこれは「古代の口がたり特有の面白さ」をもつものだという興味深

い見解がある

 

話の冒頭近くにある「度わ

たりもり

子紀き伊の国く

人ひと

小を

玉たま

申さく「我は天

すめらみこと

皇の贄に

人びと

たらめや」とまをす」という部分とその

あとにある「印南の別嬢聞きて驚き畏か

しこみ

即や

て南な

都つ

麻ま

嶋に遁に

げ度りき」という部分とが「二段構えの語り」に

相当する二つの部分のうちのあとの部分は別嬢が天皇の求婚を嫌がって

0

0

0

0

島に逃げて隠れたことを述べたものだか

ら二つの部分は同じく「辞い

び」を内容とするものだと言える「度わ

たりもり

子」つまり船頭の「我は天

すめらみこと

皇の贄に

人びと

たらめや」

という発言に倣って天皇の求婚を嫌がる別嬢の心情を言い表せば「吾は天皇の妻

9

9

9

9

たらめや」というようになる

  

船頭の「辞び」helliphelliphellip「我は天

すめらみこと

皇の贄に

人びと

たらめや」

  

別嬢の「辞び」helliphelliphellip「吾は天皇の妻

9

9

9

9

たらめや」

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一五九

 

結局二つの「辞び」は単なる拒否ではなく次のような同じ内容を表す「辞び」なのである

  《私は天皇にお仕えなどしない》

 

この話の末尾近くには別嬢の遺体について「大き飄つ

むじ

川下より来て其の尸か

ばねを

川中に纏ま

き入れき求むれども得

ず」と述べられているがその部分と別嬢が島に逃げて隠れた

0

0

0

という前の部分ともまた「二段構えの語り」を構

成している二つの部分はともに別嬢の「隠び」を内容とするものなので次のように一つにまとめることができる

  《別嬢が「隠な

び」をした》

 「辞び」も「隠び」も話のなかに二度ずつ表れているのである

 

大蛇退治の神話と「弟日姫子伝説」とには「二段構えの語り」を認めるにあたって解決すべき多くの問題が含ま

れているしかしそれらを一つ一つ検討していけば見てきた諸話と同様の特徴的な語りを二話にも認めることが

できる

註(1) 

本稿にあげる『古事記』『日本書紀』『風土記』などの記述は本文訓読文ともに古典文学大系のものを引用するまた

『萬葉集』の本文訓読文は新編古典全集のものを引用するただしいずれも読みやすさと理解しやすさとを考慮して

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一六〇

もとの表記形式その他を改めることが少なくない

(2) 

大野晋「記紀の創世神話の構成」〔『文学』一九六五年八月〕のちに『仮名遣と上代語』(一九八二年)に収載

(3) 「丹塗矢伝説」の成立については小著『伝承と言語』(一九九五年)のⅡ部四章で私見を述べたただし同書に述べたこ

とと本稿で述べたことの間には一点だけ相違がある丹塗矢が女の陰部を突いたという話は神と人間の女とが結婚したこ

とを明確に語ったものではないからそのことを明確にするために女の持ち帰った丹塗矢が男に変身して子が生まれたとい

う話があとになって付加されたのだと同書では述べたそれは既存の一説に見える解釈を妥当なものと認めそれを踏

襲したものだった本稿では「二段構えの語り」がこの話にも認められるという見解に立ってかつて小著で述べた考えを

訂正する

(4) 

女に与えられた「倭迹迹日百襲姫命」という名の語構成ははたしてどのようなものなのかこれを疑問の余地なく解明す

ることはかなり難しい

   

初頭の「倭」と末尾の「姫命」は除くとして「迹と

迹と

日び

百もも

襲そ

」の「百襲」は字面のとおり「多くの着衣」の意であるかも

知れないこの女の夫は蛇神だから蛇が何度も脱皮をくり返すことを背景とする名を妻がもつことは十分にありうること

だろう「百襲」の「襲」には字を構成する要素として「衣」がある「襲」の字は「重ねて着る」「覆う」「継ぐ」「おそ

う」などの意を表す

   

ある特徴や習性を表す語が当人ではなく周囲の者の名に含まれる例は「丹塗矢伝説」の登場者にも見られるたとえば

矢で陰部を突かれて慌てた女が勢せ

夜や

陀だ

多た

良ら

比ひ

売め

であるのにその女の産んだ娘が「陰に矢を立てられ震え姫」の意の「富ほ

登と

多た

多た

良ら

伊い

須す

須す

岐き

比ひめのみこと

売命」という名を与えられている母の経験したことが娘の名に反映しているのである

   「晡く

れふしの

時臥山やま

」〔『常陸国風土記』那珂郡茨城里〕の話に登場する子として蛇を産んだ女とその兄は「努ぬ

賀か

咩め

」「努ぬ

賀か

古こ

という名を与えられているこれらの名も原義を解明するのは難しいが「ぬか」はやはり脱皮の意を表す「脱ぬ

か」かも知れ

ない『和名類聚抄』の「蛻」の項に「毛も

沼ぬ

久く

」とあり『色葉字類抄』の「

蛻」の項に「ヘミノモヌケ」とあるこれらの

「脱ぬ

く」「脱ぬ

け」がこの場合に参考になる下二段活用動詞の「脱け」が「脱か彦脱か姫」では「脱か」となってい

るわけだが上代語では「明け」「荒れ」「枯れ」などの下二段活用動詞が「明か時(暁)」「新あ

垣がき

」「枯から

木き

」などの複合名詞を

構成しているのに同じである

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一六一

 

名の意味をこのように理解することは生まれた子を入れる器を何度か大きいものに替えたという脱皮を暗示する説明と

吻合する中世には「もぬけの衣」という表現もあるから「もぬけ」の「も」はあるいは「裳」か

(5) 「陰ほ

絶たち

田だ

」という地名と「米よね

舂つき

女め

等ら

が陰ほと

を陪おもとびとくな

従婚ぎ断ちき」という説明との関係には理解するのが難しい点がある

「陰絶田」に含まれる「絶つ」はもともと「長い間にわたって継続してきたことを止めまた幅のある物体を切る」の意を

表す動詞であるこれの自動詞である「絶ゆ」も基本的に意味は同じであるだから「陪お

もとびと

従」との交合によって陰部が損

傷したことをあえて「婚ぎ絶ち

9

9

き」と表現した理由が不明である物を損傷したことがなぜ「絶つ」と表現されたのか

「婚ぎ絶ちき」を「裂傷をおはせた」〔古典全書〕の意だと説明してもその疑問は解消しない

   「陰絶田」はもと「陰に(男根が)立つ田」の意の「陰立9

田」だったかも知れないそのように想定すれば神武記の

「丹塗矢伝説」に登場する「富ほ

登と

多た

多た

良ら

伊い

須す

須す

岐き

比ひ

売め

」という名の「ほとたたら」と意味的に対応するただし矢の場合に

「立つ」を用いた理由は理解できるが男根の場合にも同様に「立つ」を用いたとは想定しにくい「絶つ」とあることはや

はり不審のままである

(6) 

三つの要素の結びつきについては益田勝実「日本神話における外在と内在日本神話論における始原と展開」〔国文学

『解釈と鑑賞』一九七七年十月〕によるただしこの論にはOの話に関する言及がまったくないOの話のなかに三要素の

結び付きを読み取るのは私見にすぎない

(7) 

両神の死因をめぐる逆転関係については小著『日本の神話伝説を読む』(岩波新書二〇〇七年)の第二章第二節で述

べた

(日本語日本文学科 

教授)

Page 10: 一 神話・伝説に見られる特徴的な語り...神話・伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木) 0 一二三 べている。太平洋に伝承の海洋型国産み神話に類似。またヌホコを男性の象徴とし、交合による国産み神話とも見られる」と述

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一三〇

hellip

という部分であり二話が系統的に密接な関係にあることが知られるGの話の丹塗矢は蛇神であり雷神でもある

大物主神が変身したものだしHの話の丹塗矢は「火ほ

のいかづちのかみ

雷神」という名の雷神であるこうした点もGHの二

話が同じ系統を引く話であることを示している

 

Gの話に含まれる「その美人の富ほ

登と

を突ききここにその美人驚きて立ち走りいすすきき」という部分と

「忽た

ちまち

麗うるはし

き壮を

とこ夫

に成りて即す

なはち

その美人を娶め

して」という部分とは対応する表現がHの話には見えないGの話

の「二段構えの語り」にあたるものが同系統に属すると思われるHの話にはそろって含まれていないのである

 

しかしGHの話のどちらでも川を流れてきた丹塗矢の正体が神であることは自明だからHの伝説ではそれ

を「床と

の辺へ

に挿さ

し置」いたと述べるだけで女が「遂に孕は

みて男を

のこご子

を生」んだことの背景や経緯が容易に想像できた

に違いない

 

Gの話を構成するもとになった古い話に矢が男に変身して女と交合結婚したという説明が含まれていたかいな

かったかは不明であるしかしかりに変身結婚に関する説明が含まれていなかったにしても矢を床の辺に置

いたという説明さえ含まれていればそれに基づいて伝承者は神と女とが交合結婚したことを理解しただろう

あえて言えば伝承者が理解した内容そのものが二段めの語りにあたることになるそして伝承者は自分が理解し

たことから「その美人の富ほ

登と

を突きき」という矢の動きを連想し一段めの語りとしてそれをあとで話に付加したの

だろうと想定できる

 

このように考えればHの話のようにもともと「二段構えの語り」にあたるものがなかに含まれていなくても

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一三一

GHの話と同じ系統に属する古い話が結果的にそれを含むに至ることはありえたと思われる

 

Gの話に登場する神と女との間には二段構えの両段にまたがるかたちの内容面で逆転した対応関係が認められ

 

ⅰ 

美しい女美形の男

 

ⅱ 

男の矢への変身矢の男への変身

 

ⅲ 

矢の女のもとへの到来女の矢の持ち帰り

 

この種の逆転した関係は口承時代にその骨格がほぼ成立しただろうと思われる古い話にしばしば見られるもの

である矢が陰部を突く場面を矢が美男に変身して女と結婚した話から伝承者が連想し後次的に話のなかに持ち

込んだものだとしてもその連想は相当に古い時代に起こったことだろう

 

次に取り上げるのも大物主神をめぐる「三輪山伝説」の一つだがこちらは神と人間の女との結婚が破綻したこと

を語る話になっている

I 

是こ

の後に倭や

まとととびももそひめのみこと

迹迹日百襲姫命大お

ほものぬしのかみ

物主神の妻と為な

る然し

れども其そ

の神常に昼は見えずして夜のみ来み

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一三二

倭迹迹姫命夫に語りて曰い

く「君常に昼は見えたまはねば分あ

きらか明

に其の尊み

顔かほ

を視ること得ず願はくは暫し

し留りたまへ明

くるつあした

旦に仰ぎて美う

るは麗

しき威み

すがた儀

を覲み

たてまつらむと欲お

ふ」といふ大神対こ

へて曰く「言こ

とわりいやちこ

理灼然

なり吾明

くるつあした

旦に汝い

ましが

194797くし

笥げ

に入りて居らむ願はくは吾が形にな驚きましそ」とのたまふ爰こ

に倭迹迹姫命

心の裏う

に密ひ

そかに

異あやしぶ

明くるを待ちて194797笥を見れば遂に美麗しき小こ

をろち蛇

有り其の長さ太さ衣し

たひも紐

の如し則ち驚

き叫さ

け啼

ぶ時に大神恥ぢて忽

たちまちに

人の形と化な

りたまふ其の妻に謂か

りて曰く「汝い

まし

忍びずして吾に羞は

ぢみせ

吾還か

りて汝に羞せむ」とのたまふ仍よ

りて大お

ほぞら虚

を践ほ

みて御み

もろの諸

山やま

に登ります爰に倭迹迹姫命仰ぎ見

て悔いて急つ

き居う

則ち箸に陰ほ

を撞つ

きて薨か

むさり

ましぬ乃ち大お

ほち市

に葬は

りまつる故か

時の人其の墓を號な

けて箸は

墓はか

と謂い

ふ是の墓は日ひ

は人作り夜は神作る故か

大坂山の石を運びて造る

〔崇神紀〕

 

これは『日本書紀』の崇神天皇の条に見えるものでさまざまな話題を含む興味深い内容の話である

 

Gの話の場合と同様にこのIの話にも二重線と太線とを付しておいた「二段構えの語り」に相当するものが認

められるからである

 

妻の倭や

まとととびももそひめのみこと

迹迹日百襲姫命が夫である大物主神が自分に課した「私の姿に驚いてはならない」という禁を犯してしま

ったこれに怒った夫は御み

もろの諸

山やま

(三輪山)に登って行ったがその様子を仰ぎ見た妻は悔やんでその場にどすんと座

り込んだするとそこにあった箸が妻の陰部に突き刺さり妻はそのまま死んでしまった妻を葬る墓は昼に人

が造り夜には神が造ったという話の末尾の内容に因んで一般に「箸は

墓はか

伝説」と呼ばれている

 

Iの話より前の記述に倭迹迹日百襲姫命は「天皇の姑み

をば」

だという説明が見える大物主神の妻になったというの

だから巫女的な性格を強くもつ女である彼女の名はとても長いので話のなかでは「倭迹迹姫命」と略称されて

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一三三

いる)

4(

 「是の墓は日ひ

は人作り夜は神作る」という話の末尾を読んですぐに想起されることがあるそれは努ぬ

賀か

咩め

という女の産んだ「小さき蛇」が「明くれば言こ

とはぬが如く闇く

るれば母と語」ったという「晡く

れふしの

時臥山や

」〔『常陸

国風土記』那珂郡茨城里〕の話である「神の子である蛇が昼は物を言わなかったが夜になれば母と話をした」

というのは神が昼にはほとんど行動せず夜には活発に行動するという当時の人々の考えを反映するものだろう

これは夜には神が墓を造ったというIの話に一致する

 

それだけでなく夜には神が墓を造ったという説明は同じIの話の冒頭近くに「其そ

の神常に昼は見えずして

夜のみ来み

す」とある説明と内容的に対応している冒頭の近くで述べたことと末尾の近くで述べたこととを照応さ

せたかたちである

 「二段構えの語り」に相当するものは一見しただけではこの話に含まれていないように思われるしかし話の

文脈を細かくたどると二重線を付した「大お

ほぞら虚

を践ほ

みて御み

もろの諸

山やま

に登ります」という部分と「仰ぎ見て悔いて急つ

き居う

則ち箸に陰ほ

を撞つ

きて薨か

むさり

ましぬ」という太線の部分とがそれに相当することがわかる前者は大物主神によ

る天空での動作であり後者は倭迹迹姫命による地上での動作であるこれらの動作により一方は本来の拠点に戻

り他方は他界へ赴いた

 

二重線の部分と太線の部分とについて二種の動作の間にどのような関係があるというのか二種の動作を描写し

た部分に「二段構えの語り」を認めるのは深読みの結果ではないのかなどといった疑問が生じるかも知れないし

かし話の文脈から見れば実はそのように判断するのは間違いであることが明らかになる

 「大虚を践みて」という夫の動作は新編古典全集の注で「雷神の象徴」だと解説され「天空をふみとどろかし

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一三四

て」と現代語訳されている蛇神である大物主神は雷神でもあるからそれは妥当な解説である「大虚を践みて」

は雷鳴は神が天空を踏みつける音だと見なしたうえでの表現である

 

この点に関しては『萬葉集』の歌が参考になる

J 

天雲を 

ほろに踏みあだし 

鳴る神も 

今日にまさりて 

恐かしこけ

めやも

〔十九四二三五〕

 「天の雲をばらばらに踏み散らして音を響かせる雷神も今日の天皇の御前より恐れ多いはずはないだろう」の意

を表す歌である作者はこのような歌を詠むことによって天皇の威徳あるいは権力に対して畏怖の念と敬愛の

情とを表明したのである第三句の「鳴る神」とは雷神のことで「(天で音を響かせて)鳴る神」の意である雷鳴

は神が天雲を踏みつけることによって出る音だという把握のしかたが歌の背後にあるIの話に「大虚を践みて」

とあるのは雷神に対して上代の人々がいだいていた畏怖の念を端的に表すものになっている

 

他方の「急つ

き居う

」という妻の動作については古典大系の注に「どすんとすわったツキは衝キと同じ」という

解説が見え新編古典全集の注には

K 「急」の字にどすんと坐る様子を表現ツキは「突」で尻餠をつく後悔でがっくりきた姿がよく出てい

と見える【妻が箸で陰部を突いたという話題の背後には男女の交合のイメージが濃厚にまとわりついていたと考え

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一三五

られる夫婦をめぐる話だからそれは当然のことである】

 

夫婦の動作についてまとめると「大虚を践みて」は妻に禁を犯されたことを恥じた大物主神が勢いよく天空

を踏みつけるさまを表すまた「急き居」は夫の課した禁を犯したことを悔いた倭迹迹姫命が地面に急にすわ

り込むさまを表すどちらも

 

I 《身体の一部を急に下方に移動させその先にある物を勢いよく突く》

という動作であるこのことを確認すれば天空でなされる「大虚を践みて」と地上でなされる「急き居」とは

互いに類似し対応する動作だということがわかる夫と妻による二種の動作にこうした類似と対応とが認められる以

上それが話を深読みすることによって得られた誤った理解であるはずはない

 

妻に「箸に陰ほ

を撞つ

きて薨か

むさり

ましぬ」という忌まわしい事態が生じたわけだから「急き居」というのは語り手に

とっても聞き手にとってもきわめて衝撃的な動作である伝承者は妻の驚くべき動作について語る前にその場面の

ことを強く意識しただろうそして妻の動作に対応し類似する夫の動作としていかにも雷神らしい「大虚を践み

て」という動作を連想し話のなかに持ち込んだのだろう

 

ただし二重線を付した部分と太線を付した部分の「大虚を践みて」と「急き居」とは内容的には酷似あるい

は類似したことを表すものになっている一方で表現の具体的なありかたは大きく異なっている

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0

それは当然である

 

さきに「神世七代」の条に出現する「面足る」「あや恐か

こね」という対偶神の名とEFの話に見える男女二神

の讃美表現とについて述べたように一段めの語りと二段めの語りには異なる表現を用いなければならない内容面

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一三六

で類似し対応する二つの部分が表現の面でも同じように類似し対応していれば伝承者が一方をもとにして他方を

作ったことが聞き手に悟られやすくなるからである「大虚を践みて」と「急き居」とであれば両者の表現は異

なるからそれらは一方から他方を連想したものだとは悟られにくいのである

 

こう見てくるとIの話にもやはり「二段構えの語り」が認められることがわかる「大虚を践みて」という動作

をあえて描写しなくても怒った神が御諸山に帰って行ったと述べるだけで話は十分に成り立つ当該の箇所は

もともと「大虚を践みて」という表現を含まない単純なものだっただろう

 

この話のなかには大物主神と倭迹迹姫命とに関して互いに対比的だと見なしうる項目が多く含まれている特

に目立つものを整理すれば

 

ⅰ 

神人

 

ⅱ 

夫妻

 

ⅲ 

応じる願う

 

ⅳ 

禁を課す禁を犯す

 

ⅴ 

恥じる悔いる

 

ⅵ 

天空地上

 

ⅶ 

足で踏みつける尻餠を突く

 

ⅷ 

本拠地に戻る他界へ赴く

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一三七

というようになる

 

神と人間の女とが結婚したもののそれは根本的な矛盾を含む無理な結び付きだった神と人間との間にあるそ

の根本的な矛盾が夫が課した禁を妻が犯すという大きな溝となって現れ結局のところ両者は別離を迎えざるをえ

なかったというのがIの話の趣旨である話の伝承者が神と人間との根本的な相違を明確に意識しながら語った

話だからⅰ〜ⅷのような対比的な項目を含むことになったということだろう

 

ここで「二段構えの語り」の成立に深い関わりをもつと思われる『萬葉集』の歌の構成について見てみる歌の

構成というのは一方から他方を連想することによって成立する序詞と本旨との関係である

L 

春はるされば

去者 

先まづ

鳴なく

鳥とり

乃の うぐひすの

之 

事こと

先さき

立だち

之し 

君をし待たむ

〔十一九三五〕

 「春さればhelliphellipう

ぐひすの

」の三句が序詞でありそれが本旨の「言こ

先立ちし君をし待たむ」を導入している第一句

第二句の表現にあるように「

」は春を迎えて真っ先に鳴く鳥であるそれを序詞の末尾に置いて「(あなたが私

に)先に声を掛けた」の意の「言先立ちし」つまり本旨を導入する表現とした「言先立ちし」という相手の行動を

描写する前に春になって真っ先に鳴く鳥を歌の作者が連想しそれを歌の前半に置いたのであるだから作者が

言いたい本旨の内容が先にありそれから序詞が連想されたという関係であるあとで連想された序詞は意味的

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一三八

にも内容的にも本旨に類似するものになっているが本旨の表現とは異なっている

M 

牛うし

窓まと

之の 

浪なみ

乃の

塩しほ

左さ

猪ゐ 

嶋しまとよみ

響 

所よそりしきみは

依之君 

逢はずかもあらむ

〔十一二七三一〕

 

序詞の「牛窓のhelliphellip島」は本旨である「響と

み寄そりしhellip」から連想されたものであり同時に本旨を導入する表

現にもなっているこの序詞は「潮し

騒さゐ

の波のざわめきのように島も」の意を表し本旨の「響み寄そりし君はhellip」は

「噂もうるさいほどに私との関係を言い立てられたあなたはhellip」の意を表す「潮騒」という音にかかわる現象と

人の噂が激しいことをいう「響み」との類似性が歌の前半と後半とを結び付けている噂がうるさいという現実か

ら作者は「潮騒」のざわめきを連想して序詞としたのだから本旨の内容が先にあり序詞は本旨に基づいて連想

されたという関係である

N 

天あま

飛と

ぶや 

軽の社の 

斎いはひつき

槻 

幾代まであらむ 

隠こもりづま

嬬そも

〔十一二六五六〕

 

女が詠んだと思われるこの歌では「天あ

飛と

ぶやhelliphellip齋い

ひ槻つ

」の三句が序詞として四句以下の表現を導入している

序詞の末尾に置かれた「齋ひ槻」は神聖である故に人が触れてはならない木をさすまた第五句の「隠こ

り妻」は

人に知られてはならない間がらにある妻をさすそのような内容面での共通性が歌の前半にある序詞と後半にある

本旨とを強く結び付けている「齋い

ひ槻」と「隠こ

り妻」とは表現が異なっているが両者の関係はMの歌に出て

いる「潮騒」と「響み」とのそれに酷似している

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一三九

 

以上の三首に見られる序詞と本旨との関係はさきに見た諸話の一段めの語りと二段めの語りとの関係に相当する

三首の序詞は本旨の内容から連想されたものであり諸話の一段めの語りは二段めの語りの内容から連想されたもの

であるしかし連想を呼ぶもとになったこととそれから連想されたこととは三首でも諸話でも表現が互いに異

なるものになっている

 

話を「二段構えの語り」に戻し次の話に認められる「二段構えの語り」について検討するしかし次の話の語

りのありかたは見てきた三話と異なる点がある

O 

萩原の里土は中の中なり右萩原と名づくる故は息お

きながたらしひめのみこと

長帯日売命韓か

らくに国

より還か

り上りましし時御船此の村

に宿りたまひき一夜の間に萩一ひ

ともと根

生お

ひき高さ一ひ

丈つゑ

ばかりなり仍よ

りて萩原と名づく即す

なはち

御井を闢は

りき

故かれ

針は

間ま

井ゐ

といふ其の処は墾は

らず又墫も

たひの

水溢あ

れて井と成りき故韓か

の清水と號く其の水朝に汲むに

朝に出でず爾す

なはち

酒殿を造りき故酒田といふ舟傾き乾か

れき故傾か

ぶきだ田

といふ米よ

舂つき

女め

等ら

が陰ほ

を陪

おもとびとくな

従婚

ぎ断ちき故陰ほ

とたち絶

田だ

といふ仍す

なはち

萩多く栄えき故萩原といふ爾こ

に祭れる神は少

すくなたらしのみこと

足命にます

〔『播磨国風土記』揖保郡〕

 

これは『播磨国風土記』に見える話で息お

きながたらしひめのみこと

長帯日売命(神功皇后)の聖性と威徳とを強調する内容になっている

 

これまで見た三話と同様にこのOの話にも女陰の話題が含まれているそれは「陰ほ

絶たち

田だ

」という地名の由来を

説明する短小な話のなかに見える息長帯日売命に仕える陪お

もとびと

従が米よ

舂つき

女め

等ら

と交合して陰部を傷つけたそのことが

この地名の由来になったという)

5(

陰部を傷つけたことを語る「陪お

もとびとくな

従婚ぎ断た

ちき」の「断た

ちき」は「裂傷をおはせた」

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一四〇

〔古典全書〕の意だと比較的古い注釈にありこれを踏襲する新しい注釈もある妥当な解説である

 

以上で見た三話と異なる点というのは二重線の部分と太線の部分とが

O 

米よね

舂つき

女め

等ら

が陰ほ

を陪お

もとびとくな

従婚ぎ断ちき

というように一文のなかに連続して出ている点である見てきた三話では二種の線を付した部分は近接した位置

にあるがOの話の場合はそれが極端なかたちで表れているまた二重線の部分が三話のように何らかの動作

状態を描写した表現になってはおらず「米よ

舂つき

女め

等ら

」という複合名詞になっている点も三話とは異なる

 

二種の線を付した一文の内容についていささか気になるのは「陪お

もとびとくな

従婚ぎ断た

ちき」という動作の対象になったの

が「米よ

舂つき

女め

等ら

が陰ほ

」だということである

 「米よ

舂つき

女め

等ら

」という複合名詞に含まれる「舂つ

く」は「突く」という動詞の一用法である「舂く」は「きねなどの

先で強く打っておしつぶしたり穀物のからなどを除いたり精白したりする」〔『日本国語大辞典』第二版〕の意で

あり「舂女」は「臼で穀物をつく女」〔同〕の意である

 

結局のところ「舂く」という動作は「臼などの器に棒状の物を押し込みなかにある穀物などを押しつぶす」の

意を表すわけだがいささか気になると述べたのは「舂く」という動作と「婚く

ぎ断ち」「陰ほ

絶た

ち」という動作との

間に認められる

O 《狭い空間に棒状の物を差し入れその奥にある部分または物を強く突き破る》

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一四一

という物理的な動き

0

0

0

0

0

0

としての類似性であるこれは既に取り上げたABの話やIの話に見られる二種の動きの

類似性と同じである

 

交合によって陰部を損傷したのと同様に棒状の物で「舂く」ことによって穀物などの本来の形態も損なわれる

だから「舂く」と「婚く

ぎ断ち」「陰ほ

絶た

ち」とは物理的な動きだけではなく動きによって生じる結果

0

0

においても類

似している

 

このように話のなかに先に出てくる「舂き」とその直後に出てくる「婚く

ぎ断ち」「陰ほ

絶た

ち」との間には物理

的な動きとそれがもたらす結果との双方に関して顕著な対応類似が認められるそのような対応類似が生じた

ことについて次のように想定することができるだろうつまり話の伝承者があとで自分が語る交合という動作

を強く意識したそのために交合に類似した動きを表す「舂く」を事前に連想しさらにはその語を含む「米舂女

等」をも連想してそれを結果的に話のなかに持ち込んだのではないかということである現にGの「丹塗矢伝

説」に「その美人の富ほ

登と

を突きき」とありIの「箸は

墓はか

伝説」にも「陰を衝つ

きて」とあってそれらの「突き」「衝

き」は表記こそ違え「舂き」と同じ動詞である

 「婚く

ぎ断ち」「陰ほ

絶た

ち」は凄惨かつ深刻な事態だからそれに類似する「舂く」という動作を事前に伝承者が連想

することは十分にありえたと思われるそのように想定すればOの話にも「二段構えの語り」が表れていることに

なる

 

話の展開に従えば「舂く」を含む「米舂女等」が一段めの語りとして先に出てきて「婚く

ぎ断た

ち」「陰ほ

絶た

ち」が二

段めの語りとしてあとに出てくるしかし話が成立した経緯から見れば二段めの語りがもとで一段めの語りが生

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一四二

まれたわけだから実際の先後関係は正反対である

 「二段構えの語り」が以上のような経緯で成立したのだとすればOの話では陪お

もとびと

従が交合を行って陰部を損傷さ

せた対象はもともと「米舂女等」だとは限定されていなかったことになるそれで話は成り立つ

 

Oの話に認められる「二段構えの語り」は前節で確認したような歌の構成のありかたから見ればいったいどの

ようなものだと言えるのか

P 

窺うかねらふ

良布 

跡と み見

山やま

雪ゆき

之の 

いちしろく 

恋ひば妹が名 

人知らむかも

〔十二三四六〕

 

この歌では「じっと見ていて獲物を狙う」の意の「うかねらふ」が「跡と

み見

山」の「跡見」に掛かる枕詞になって

いる「うかねらふ」を承ける「跡と

み見

」は狩猟に関して用いられた語である注釈辞書に見える説明をまとめれ

ば「跡見」は「鳥獣が通ったあとを見てそれが通った時間やそれが今いる場所などを判断することまたそれ

を行う役の猟師」の意である歌の作者が「跡見」という語からそれと類義をもつ「うかねらふ」という動詞を

連想しそれを「跡見」という名詞を導入する枕詞としたのである「うかねらふ」と「跡見」とは類義の語だが

音韻面ではまったく異なっているこれはOの話の「米よ

舂つき

女め

等ら

」の「舂く」と「婚く

ぎ断ち」「陰ほ

絶た

ち」との関係に

近い

 『古事記』に見える次の歌謡では序詞と本旨との関係がPの歌の「跡見」と「うかねらふ」とのそれに類似し

たものになっている

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一四三

Q 

倭やまとへ方

に 

西吹き上げて 

玖く

毛も

婆ば

那な

礼れ 

曽そ

岐き

袁を

理り

登と

母も 

吾忘れめや

〔記五五〕

 「倭や

まとへ方

にhelliphellip雲離れ」の三句が序詞となって本旨の「退そ

き」あるいは「退き居り」を導入している「退き」は

「遠ざかり」の意を表す動詞だから「雲離れ」という複合語に用いられた「離れ」とは類義語の関係にある本旨

の「退き」を言うためにそれと類義をもつ「離れ」を事前に連想しそれを末尾に置いて長い序詞を構成したわけ

である「雲離れ」と「退き居り」とは音韻面で類似するところがない「離れ」と「退き」との関係はやはりO

の話の「米よ

舂つき

女め

等ら

」の「舂く」と「婚く

ぎ断ち」「陰ほ

絶た

ち」との関係に近いと言える

R ふさ

手た

折をり 

多た

武むの

山やま

霧ぎり 

繁みかも 

細川の瀬に 

波騒きける

〔九一七〇四〕

 

この歌では地名の「多た

武む

」を「曲げる」の意を表す「たむ」という動詞に見立てそれから事前に連想された

類義の「手折り」に「

ふさ

」を付し「たむ」の枕詞としている「手た

折を

る」は「手で曲げて取る」の意であり「

は「総房」のことで花や実が束になって付いたものをさす本旨の表現に用いるべき「たむ」から類義を表す

「手折る」という動詞を連想したのであるこれもまたOの話の「断つ」と「舂く」との関係を思わせる「たむ」

と「手折り」とは初頭の音節が同じだが互いに音節数が異なっている

 

三首の「跡見」「退き」「たむ」が「二段構えの語り」の二段めのかたりに相当しそれから連想された「うかね

らふ」「雲離れ」「

手折り」が一段めの語りに相当すると言えるだろう

 

既に述べたようにOの話は聖性と威徳とを具えた息長帯日売命に関する話である「一夜の間に萩一ひ

根もとお生

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一四四

き」「墫も

たひの

水溢あ

れて井と成りき」その他の不思議な事態が起こったことが話のなかでくり返し述べられている

同様にほかならぬ息長帯日売命に仕える陪お

もとびと

従が米舂女等と交合を行って陰部を傷つけた結果「萩多く栄えき」

という事態が生じたということなのだろう

 

Oの話が載っているのと同じ『播磨国風土記』に

S 

讃さ よ容

といふ所ゆ

ゑ以

は大神妹い

もせ

二柱競ひて国占し

めましし時妹玉た

津つ

日ひめのみこと

女命生ける鹿を捕と

り臥せて其の腹を

割さ

きて其の血に稲種ま

きき仍よ

りて一夜の間に苗な

生お

ひき即す

なはち

取りて殖う

ゑしめたまひき爾こ

に大神勅の

りたま

ひしく「汝な

にも妹

は五さ月夜よ

に殖ゑつるかも」とのりたまひて即や

て他

あだしところ

処に去りたまひき故か

五月夜の郡こ

ほりと

號なづ

神を賛さ

用よ

都つ

比ひめのみこと

売命と名づく

〔讃容郡〕

という話が見えまた次のような話も見える

T 

丹に

津つ

日ひ

子こ

の神「法ほ

太だ

の川底を雲う

るみ潤

の方に越さむと欲お

ふ」と爾し

かい云

ひし時彼の村に在い

せる太お

水みづ

の神辞い

びて

云の

りたまひしく「吾は宍し

の血を以て佃た

つくる

故か

河の水を欲ほ

りせず」とのりたまひきその時丹津日子云ひし

く「此の神は河を堀る事に倦う

みて爾いへるのみ」といひき故雲う

弥み

と號な

く今い

人ひと

雲潤と號な

〔賀毛郡〕

 

Sの話は鹿の腹を割いてその血に稲を蒔いたら一夜で苗が生えたというものであるまたTの話は宍し

つま

り動物の血で田を作るから河の水は必要ないと神が言ったというものである二話では稲などの植物を植える際

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一四五

には普通に水を用いるよりも動物の血を用いた方が成長がずっと早いと述べているようである

 

これらの話には動物の血と稲あるいは田と一夜での苗の成長の三つの要素の結び付きが確認できる)

6(

この

ことはOの「陰絶田」の話を想起させずにはおかないつまり稲あるいは田は「陰絶田」の話に出ている「米よ

舂つき

女め

等ら

」に対応するように思われるしまた動物の血は女らと陪従らとの交合によって陰部から出たはずの血に

対応するように思われるさらに一夜で急に苗が成長したという事態は「陰絶田」の話の前半部に「一夜の間に

萩一ひ

根もとお生

ひき」とありまた「陰絶田」という地名に続いて「仍す

なはち

萩多く栄えき」とあることに内容的に対応する

と理解することができる

 

だから「米よ

舂つき

女め

等ら

が陰ほ

を陪お

もとびとくな

従婚ぎ断ちき故陰ほ

絶たち

田だ

といふ仍す

なはち

萩多く栄えき」という一連の表現では

陰部を損傷させたことと萩が多く栄えたこととの間には「そのことが原因で」の意の明確な因果関係があると

見るべきだろう

 

三つの要素の結び付きがOの話にも認められる以上同話と動物の血に関する話は古い時代に行われていた儀礼

を背景とするものだと考えることができるだろう動物の血と人間の血との違いはあるがそれらは神に動物の犠

牲を捧げたことによって豊穣繁栄がもたらされたという人々の遠い記憶を伝えるものなのではないか

 「国土創成」をめぐるABの話とEFの話Gの「丹塗矢伝説」Iの「箸墓伝説」Oの「陰絶田」をめぐる

話のどれでも女陰交合結婚などのことが話題となっているこれらの諸話に「二段構えの語り」が認められる

ことを以上の論述で確認した

 

ただし「二段構えの語り」が認められることと女陰交合などの話題が含まれることとの二点を条件として

以上の諸話を選んだわけではない「二段構えの語り」が認められる諸話を取り上げたところそれらには女陰交

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一四六

合などの話題が共通して含まれていたというのが実際である

 

女陰を矢が突くにしても何かが原因で女陰が損傷を受けるにしてもとにかく女陰や交合に関する話題は話の

語り手にも聞き手にも強い印象を与えたはずである時にはそれは刺激的衝撃的な印象さえ与えたに違いない

それだからこそ女陰交合に関する出来事はその内容に類似し対応する連想を呼びやすかったのだろう「二段

構えの語り」と女陰交合の話題とが以上の諸話のなかに共存するのはそのような理由によるものと考えられる

 

以上で確認したように「二段構えの語り」が表れていると判断される諸話に女陰交合などの話題が共通して

含まれている論述の流れに従えば交合結婚を語るものではないがやはり女陰のことが一つの話題になってい

る次の話を取り上げる必要があるだろう

U 

須す

佐さ

之のをのみこと

男命(略)勝ちさびに天あ

まてらすおほみかみ

照大御神の営つ

くだ田

を離は

ちその溝を埋めまたその大お

ほにへ嘗

を聞こしめす殿に屎く

まり散らしき故か

然し

すれども天照大御神は咎と

めずてhellip(略)なほその悪しき態わ

止まずて転う

てありき天照大御

神忌い

みはた服

屋や

に坐ま

しまして神か

御み そ衣

織らしめたまひし時その服屋の頂む

を穿う

ち天あ

の斑ふ

ちこま馬

を逆さ

剝は

ぎに剝ぎて堕お

し入る

る時に天の服は

織おり

女め

見驚きて梭ひ

に陰ほ

と上

を衝つ

きて死にき故か

ここに天照大御神見畏か

しこみ

て天の石い

屋や

戸と

を開

きてさし籠もりましきここに高た

天ま

の原皆暗く葦

あしはらのなかつくにことごと

原中国悉に闇く

しこれによりて常と

夜よ

往ゆ

ききここに

万よろづのわざはひ

妖悉に発お

りき

〔神代記〕

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一四七

 

これは『古事記』の神話の一部であり須佐之男命の「勝ちさび」の場面とその姉である天照大御神の「石屋籠

もり」の場面である天照大御神が機織りをしている時に弟の須佐之男命が皮を剝いだ馬を服は

屋や

の屋根を壊し

てなかに投げ入れたそれに驚いた服は

織おり

女め

が縦糸の間に横糸を通すための道具である梭ひ

を誤って自分の陰部に突

き刺して死んだそれを見て弟の行動を恐れた天照大御神が石い

屋や

に籠もってしまったので世界は暗闇に閉ざされ

多くの災禍がはびこったという

 

二重線を付した「その服屋の頂む

を穿う

ち天あ

の斑ふ

ちこま馬

を逆さ

剝は

ぎに剝ぎて堕お

し入るる時にhellip」という部分と太線を付し

た「梭ひ

に陰ほ

と上

を衝つ

きて死にき」という部分とは表現のありかたがまったく異なるしかし皮を剝いだ馬を屋根

を壊して建物のなかに投げ入れることと梭ひ

で勢いよく突いて陰部を傷つけることとが物理的な動きとして酷似し

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ている

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ことは事実である二つの部分では

U 《ある物体を急に動かしその勢いで別の物体を破損する》

ということが共通の骨子になっているこのような動きはIOの話の場合の動きと酷似している

 

二つの部分に描写されている物理的な動きをこのように要約するとこれまで見た諸話の場合と同様にUの話に

表れている「二段構えの語り」について次のように推測すべきことになるつまり皮を剝いだ馬を服屋の屋根

を壊して投げ入れたという二重線の部分は梭で陰部を突いて服織女が死んだという太線の部分に基づいて伝承者

が事前に連想して話のなかに持ち込んだものだろうということである

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一四八

 

確かに梭で陰部を突いて女が死んだというのはあまりにも衝撃的で印象的な出来事である特に『日本書紀』

の所伝には「天照大神驚お

どろ動

きたまひて梭を以て身を傷い

ましむ」〔本書〕とありまた「稚わ

かひるめのみこと

日尊驚きたまひ

て機は

より墮お

ちて持たる梭を以て體み

を傷や

らしめて神か

むさ退

りましぬ」〔一書第一〕とあって事態はさらに深刻であ

る至高神である天照大神自身が陰部を損傷しまたその分身である稚日尊が同じ原因で死んだというのだからこ

れ以上の重大事件はない

 

ただしここで一つの問題が生じる伝承者が連想したことを神話のなかに持ち込む以前には梭を突き刺して陰

部を損傷したという話題はあっても屋根を壊して馬を投げ入れたという話題は含まれていなかったことになるそ

こで馬に関する話題が直前に置かれていなくても天照大御神が石屋に籠もるという展開になりえたのかとの問

題が生じるのである少なくともUの話では馬の投げ入れに驚いて服織女が陰部に損傷を負って死んだので

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その

ことを恐れた天照大御神が石屋に籠もってしまったというように読めるからである

 

結論を言えば馬を投げ入れるという行動はなくても天照大御神が石屋に籠もるという展開になりえたと理解

することができるそのことを支持するのは『日本書紀』に見える次の所伝である

V 

日ひのかみのみこと

神尊天あ

まのかきた

垣田を以て御田としたまふ時に素戔嗚尊春は渠み

塡う

め畔あ

はなち毀

す又秋の穀

たなつものすで

已に成りぬるとき

に則ち冒

ひきわたす

に絡あ

ぜなは縄

を以てす且ま

たひのかみ

日神の機は

殿どの

に居ま

します時に則ち斑ぶ

駒こま

を生い

剝は

ぎにして其の殿

みあらかの

内に納な

げいる

凡す

て此の諸

もろもろの

事尽

ことごとくに

是これあづきな

無状し然れども日神恩

このかみおととむつま

親しき意

みこころもちに

して慍と

めたまはず恨みたまはず皆

平たひ

らかなる心を以て容ゆ

したまふ日神の新

にひなへきこ

嘗しめす時に及お

よ至

びて素戔嗚尊則ち新

にひなへのみや

宮の御み

まし席

の下に陰ひ

そかに

ら送く

そま糞

る日神知し

しめさずして俓た

に席み

ましの

上に坐ゐ

たまふ是に由よ

りて日神體み

みこぞ挙

りて不や

くさ平

みたまふ故以

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一四九

て恚い

か恨

りまして廼す

なはち

天あまのいはや

石窟に居ま

して其の磐い

戸と

を閉さ

しぬ

〔一書第二〕

 

素すさのをのみこと

戔嗚尊の悪行がどのような順序でこのVの話にあげられているかを少し細かく見てみる天照大神の御み

田た

素戔嗚尊が損壊する話が最初に置かれておりそれはUの話の場合と同じであるしかしその直後にはUの話と

大きく異なって馬を投げ入れる話が置かれているそしてこの悪行を含む「諸

もろもろ

の事」について「日ひ

神かみ

恩このかみおととむつま

親しき意

みこころもちに

して慍と

めたまはず恨みたまはず皆平た

らかなる心を以て容ゆ

したまふ」という説明が付され

ている馬を投げ入れたことは天照大神の石屋籠もりと直結しておらずむしろ日神は馬の投げ入れを含む多くの

悪行を許したというのである

 

Vの話で石屋籠もりと直結しているのはそのあとになされた悪行であるそれは「素戔嗚尊則ち新

にひなへのみや

宮の御み

まし席

の下に陰ひ

そかに

自ら送く

そま糞

る」という蛮行でありこれによって「日神知しめさずして俓た

に席み

ましの

上に坐ゐ

たまふ是に

由よ

りて日神體み

みこぞ挙

りて不や

くさ平

みたまふ」というひどい状況が生じたつまり新宮のなかでの脱糞という悪行が日ひ

神かみ

に病をもたらしさらには同神を石屋に籠もらせたというのである陰部が損傷した事件ではなくて新宮での脱糞

という蛮行が石屋籠もりの原因となりえたことをVの話が証明している【天照大神にあたる神を「日神」とする所

伝はより古い時代に成立したものだと言われる】

 

新宮での脱糞が石屋籠もりの原因になったとするVの話には女陰が損傷したことはまったく見えないこれに対

してUの話やさきに引用した『日本書紀』の本書一書第二の話では馬の投げ入れに驚いた女神が陰部を損傷し

そのことが女神の石屋籠もりの原因となっている話の内容にこのような相違がある事実は女神が陰部を損傷した

ことと女神が石屋に籠もったこととは必ずしも一連のものではないことしたがって話の成立について考えるにあ

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一五〇

たっては二つのことを別々に処理してかまわないということを示している

 

ただしUの話で大きな問題となるのは馬を投げ入れるという行動がなければ女神が驚いて陰部を損傷すると

いう事態も起こらないということであるこの点で女神が陰部を損傷するという事態だけが話に含まれ馬を投

げ入れるという行動は話に含まれないという話の状況は想定できないのである

 

一連の話のなかにまずXのことが出ていて次にYのことが出ているという「二段構えの語り」について考える際

にぜひとも考慮しておくべきことがあるつまりあることをもとにしてそれに類似することを伝承者が連想し

連想した内容を結果的に話のなかに持ち込むには一般的に二とおりの過程がありうるということである

a 

先に出てくるXが伝承者に強い印象を与えるためにXについて語ったあとにそれに類似した内容をもつY

を伝承者が連想するという過程

b 

あとに出てくるYが伝承者に強い印象を与えるためにYについて語る前にそれに類似した内容をもつXを

伝承者が連想するという過程

 

これまで見てきた「二段構えの語り」はすべてbの過程を経て生じたものだと考えたしそのように考えて特に

問題はなかったしかしUVの二話の場合はそのように考えることは不可能であるUの話では馬を投げ入

れたことが女神が陰部を損傷する原因になっておりVの話では新宮で脱糞したことが女神に病をもたらす原

因となっている二重線の部分が原因を表しており太線の部分が結果を表しているわけだから二つの部分は密接

な因果関係を構成しているのである

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一五一

 

そこでUVの二話に表れている「二段構えの語り」がbの過程を経て成立したと仮定して具体的に話の展開

について考えてみる陰部を損傷したことだけがUの話に含まれるという段階を想定すれば女神がなぜ梭で陰部を

突くことになったのか何も説明がなく話の展開が唐突すぎる聞き手は話の展開が理解できないのであるまた

同様に女神が糞の上に座って病を得たことだけがVの話に含まれるという段階を想定すればそこになぜ糞があっ

たのかが不明であるこちらも話の展開そのものが成り立たない

 

一方で「二段構えの語り」はbの過程を経て成立したという仮定を捨てそれはaの過程を経て成立したものだ

と仮定してみる二重線の部分だけが話に含まれており伝承者はそれをもとにして太線の部分を連想し連想した

ことをあとで話のなかに持ち込んだというふうにである

 

Uの話にはもともと馬を投げ入れたことだけがあり伝承者はそれをもとに酷似する動きをとることとして

梭で陰部を突くという動作を連想した馬の皮を剝いだうえ屋根を壊してそれを服屋の中に投げ入れるという悪行

は女神が梭で陰部を突くという事故がなくても女神を恐れさせて石屋に籠もらせるには十分である

 

またVの話の場合にはもともと新宮で脱糞をしたことだけが含まれており伝承者はそれに基づいて女神が

その糞の上に座って病を得たことを連想した女神が新嘗の儀礼を行う前にその神聖な新宮でこっそり脱糞をする

という蛮行は女神が糞の上に座って病を得るという事態が起こらなくても女神を怒らせて石窟に籠もらせるには

十分である

 

こうしてbの過程を想定すればもとの話は成り立たないが逆にaの過程を想定すればUVの二話にも「二

段構えの語り」が表れていると考えることができる実はaの過程を想定することによって「二段構えの語り」が

表れていることを順当に説明しうる話はすぐあとに取り上げるようにほかにもまだある

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一五二

 

女陰が何らかの原因で損傷したことを述べるIOUの三話についてさきに一段めの語りと二段めの語りの

内容を検討したうえでそれぞれを次のように一文にまとめておいた

I 《身体の一部を急に下方に移動させその先にある物を勢いよく突く》

O 《狭い空間に棒状の物を差し入れその奥にある部分または物を強く突く》

U 《ある物体を急に動かしその勢いで別の物体を破損する》

 

三話に認められる「二段構えの語り」の内容はこのようにどれも同じような動きを表すものになっているそれ

だけでなくABの話やGの話に見られる「二段構えの語り」もまた同じような動きを表すものになっている

ということは女陰が損傷を受けたことを述べる三話に「二段構えの語り」を認めることの妥当性を逆の面から証

するものだと言えるのではないか

 

これに対し女陰の損傷が話題となっていない「二段構えの語り」が認められる別の諸話についてその内容を

一文にまとめるとその一文はこれらとまったく異なる動きを表すものとなる(後述)そのこともさきに述べた

ような「二段構えの語り」の存在を認めるべき一つの論拠となると考える

 

Uの話と同様にaの過程を経て「二段構えの語り」が成立したと推定される話をここでもう一つ取り上げる

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一五三

それは『古事記』に見える神話でのちに地上界の支配者になる大お

ほなむぢの

穴牟遅神か

をその兄弟である八や

十そ

神がみ

が殺害する場

面である

W 

ここに八や

十そ

神がみ

見てまた欺あ

ざむき

て山に率ゐ

て入りて大お

樹き

を切り伏せ茹ひ

矢や

をその木に打ち立てその中に入らし

むる即ちその氷ひ

目め

矢や

を打ち離ちて拷う

ち殺しきここにまたその御み

祖おや

の命み

こと

哭な

きつつ求ま

げば見得てすな

はちその木を折りて取り出で活かしてその子に告げて言ひしく「汝い

まし

此こ こ間

にあらば遂に八十神のために滅

ぼさえなむ」といひてすなはち木き

国くに

の大お

屋や

毘び

古この

神かみ

の御み

もと所

に違た

へ遣りきここに八十神

ぎ追ひ臻い

りて矢や

刺ざ

し乞ふ時に木の俣ま

より漏く

き逃がして云の

りたまひしく「須す

佐さ

能のをのみこと

男命の坐ま

します根の堅か

州す

国くに

に参ま

向ふべし必ず

その大神議は

りたまひなむ」とのりたまひき故か

詔の

りたまひし命の随ま

にまに

須佐之男命の御所に参ま

ゐいた到

ればhellip

〔神代記〕

 

八十神が大木を切り倒してそれを裂き裂け目に楔

くさび

状の「茹ひ

矢や

」を押し立てておいたそしてそこに大穴牟遅神

を入らせて楔状の物を引き抜き同神を圧死させた同神の母が木を折って息子を救い出しこれを蘇生させて大お

屋や

毘び

古この

神かみ

のもとへ逃がしてやったさらに八十神が追いついて息子を引き渡すように母に要求した時には母が息

子をこっそり木の俣から須佐能男命のもとへ逃がしてやったという

 

Wの話の直前には八十神に脅迫された大穴牟遅神が焼けた岩をかかえ込んで死んでしまったという話が置か

れている死んだ大穴牟遅神はやはり母の尽力によって復活したというそれが一回めの死と復活を語る話だから

Wの話で語られる死と復活は二回めのそれである一回めの死が岩を抱き取ることによってもたらされ二回めの死

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一五四

が木の俣に挟まれることによってもたらされた死因の内容が一回めと二回めとでは逆転している

 

また大穴牟遅神の二度にわたる死は天照大御神の二度にわたる死と奇妙なかたちで対応している天照大御神

の死はまず同神自身あるいはその分身の女神が木製の梭で陰部を突いて死ぬというかたちで語られるまた

そのあとで同神自身が岩屋に籠もってしまうというかたちで死が語られるがそれは太陽神の象徴的な死である

両神の死の内容を細かく比較すると両神の体と岩木とが次のように互いに逆転した奇妙な関係を示しているこ

とがわかる

  

大穴牟遅神の死helliphelliphellip体が岩をかかえるdarr木の俣が体を挟む

  

天照大御神の死helliphelliphellip木が体のなかに入るdarr体が岩のなかに入る

 

地上の支配者と世界の至高神との間に死をめぐってこのような逆転した関係が認められるのはきわめて興味深

いことである)

7(

 

さて「二段構えの語り」だがWの話のうち母が息子を「その木を折りて取り出で活かして」大お

屋や

毘び

古この

神かみ

のも

とへ逃がしてやったという二重線の部分が一段めの語りにあたる二段めの語りにあたるのは母が息子を「木の

俣また

より漏く

き逃がし」て須佐能男命のもとへ向かわせたという太線の部分である

 

つまりこの神話では俣になった「その木を折りて」母が息子を救い出す一段めの語りと母が息子を「木の俣

より漏く

き」逃がしてやる二段めの語りとは

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一五五

W 《母が息子を木の俣から救出しあるいは逃がして別の神のもとへ送り出す》

という酷似した内容のものになっている

 

地上の支配者となるべき大穴牟遅神が木の俣に挟まれて死んで母に救われる話の方が同神の母が木の俣から息

子を逃がしてやる話よりもずっと衝撃的で印象的であるだから神話の伝承者が一段めの語りの内容を強く意

識しそれに酷似した内容をもつ二段めの語りを連想してあとで話のなかに持ち込んだのだろうと推測される

より印象的な出来事を語り終えたあともそれが意識のなかから消え去らず類似し対応することがらをあとで連想し

てしまったと考えられる【一段めの話から二段めの話が連想されたというaの過程をたどったとおぼしい実例は

僅少であるそれには然るべき理由があったと考えるべきだが目下のところそれは不明である】

 

Wの話がこのような経緯をたどったとすると母が木を折って息子を救い出しこれを蘇生させてから別の神のも

とへ逃がしてやったという一段めの語りだけが話に含まれていた段階を例によって想定しなければならない一

段めの語りだけで話は成り立つのか

 

結論を言えばその想定は可能である八十神のもとから逃げた大穴牟遅神が須佐能男命のいる地まで行ったと

いうような単純な内容の話になっている方が以下との続きかたは自然である二重線の部分の末尾にある「木き

国くに

の大お

屋や

毘び

古この

神かみ

の御み

もと所

に違た

へ遣りき」の「大屋毘古神」の部分を太線の部分にある「須佐能男命」とすれば話は無

理なく以下に続くのであるまずは大屋毘古神のもとへ逃げて行ったという部分がなかったとすれば母は木の裂け

目から息子を救い出しこれを蘇生させて須佐能男命のもとへ送り出したというわかりやすい展開になるしたが

ってaの過程を経てWの話が成立しただろうという推定は十分に成り立つ

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一五六

 

二重線の「木き

国くに

の大お

屋や

毘び

古この

神かみ

の御み

もと所

に違た

へ遣りき」という部分は「木国のhellip」で始まっているそれは「大お

樹き

切り伏せ」「茹ひ

矢や

をその木に打ち立て」「その木を折りて」などWの話にくり返し出ている「樹木」から連想され

たものだろう

 

太線の部分にある「木の俣ま

より漏く

き逃がして」以下の表現からその前に置かれた二重線の部分が連想されたと

いうbの過程は想定できない二重線の部分が話に含まれていないという段階はなぜ太線の部分が話に含まれてい

るのかということつまり「木の俣ま

より漏く

き逃がして」とある理由が説明できないのである大穴牟遅神が八十神に

殺害されて復活したという理由があって始めて「木の俣ま

より漏く

き逃がして」以下の表現が意味をもつのである

 

木の俣に挟まれて圧死した大穴牟遅神が母の尽力によって蘇生したあとには同神が須佐能男命から与えられた

いくつもの試練を妻の須す

勢せ

理り

毘び

売め

の助力を得てそのたびごとに克服するという話が続くさらに大穴牟遅神が

須勢理毘売をその父のもとから奪って逃げるとともに自分に苦難をもたらした八十神を追い払って「始めて国を作

りたま」うたという展開になっているまたそのあとにも大穴牟遅神の子を産んだ八や

上かみ

比ひ

売め

が須世理毘売を恐

れて「その生める子をば木の俣に挟みて返」ったという話が続いている八上比売の話にまたもや「木の俣」

のことが出てくるわけである

 

この「木の俣」の話もまた大穴牟遅神が「木の俣」に挟まれて圧死した話から連想されたものである可能性が想

定できるがそのように想定する場合に問題となることがあるそれは両話の間に置かれた話があまりにも長大な

ものだということであるしかし大穴牟遅神と生まれた子との間には

 

ⅰ 

父子

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一五七

 

ⅱ 

木の俣に挟まれて死ぬ生まれて木の俣に挟まれる

 

ⅲ 

母が救い出す母が置き去りにする

 

ⅳ 

母が別地へ向かわせる母がもとの地に戻る

というような対比的な関係も認められるのでありこうした関係が偶然に生じたものだとは考えがたいだから父

が木の俣で圧死させられることから生まれた子を木の俣に置くことが連想されたという可能性をここでは否定し

ないでおく【より古い時代には大穴牟遅神が木の俣に挟まれて死ぬ話と八上比売が木の俣に新生児を挟む話とは

直結した一連のものだったことも想定できる】

 

以上の論述では「二段構えの語り」の様態について数話を例示してやや細かく検討を加えたその結果話に

含まれる特定のことからがそれに類似し対応することがらを伝承者に連想させ連想した内容が結果的に話のなか

に組み込まれてしまうという特徴的な現象を上代の神話や伝説を通して確認することができたと考える

 

同じ「二段構えの語り」の現象が認められる話は本稿で取り上げた諸話で尽きているのではなくまだ何話か上

代の文献に見える紙幅の関係でそれらを取り上げて細かく検討を加えることができないからここで二話だけに

ついて結論を述べておき具体的な検討は別稿で行うことにする

 

二話のうち一つは神話に見えるもので娘たちを飲み食らう大蛇を須佐能男命が退治する場面である『古事記』

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一五八

で言えば「是の高こ

志し

の八や

俣また

の遠を

呂ろ

智ち

年と

毎ごと

に来て喫く

へり」という部分と「船ふ

毎ごと

に己お

が頭を垂い入れてその酒を飲み

き」という部分とが「二段構えの語り」に相当する二つの部分の内容をまとめると

  《大蛇が出雲へやってきて足あ

名なづち椎

のがわに属するものを食らいあるいは飲む》

というようになる娘たちを食らい飲む大蛇が酒を飲むという同じ行動が原因で退治されてしまうのである

 

またもう一つの話は『播磨国風土記』の賀古郡の条に見える「比礼墓伝説」であるこの話では「印い

なみ南

」の女

が「隠な

び妻」であり「辞い

び妻」でもあるからこれは「古代の口がたり特有の面白さ」をもつものだという興味深

い見解がある

 

話の冒頭近くにある「度わ

たりもり

子紀き伊の国く

人ひと

小を

玉たま

申さく「我は天

すめらみこと

皇の贄に

人びと

たらめや」とまをす」という部分とその

あとにある「印南の別嬢聞きて驚き畏か

しこみ

即や

て南な

都つ

麻ま

嶋に遁に

げ度りき」という部分とが「二段構えの語り」に

相当する二つの部分のうちのあとの部分は別嬢が天皇の求婚を嫌がって

0

0

0

0

島に逃げて隠れたことを述べたものだか

ら二つの部分は同じく「辞い

び」を内容とするものだと言える「度わ

たりもり

子」つまり船頭の「我は天

すめらみこと

皇の贄に

人びと

たらめや」

という発言に倣って天皇の求婚を嫌がる別嬢の心情を言い表せば「吾は天皇の妻

9

9

9

9

たらめや」というようになる

  

船頭の「辞び」helliphelliphellip「我は天

すめらみこと

皇の贄に

人びと

たらめや」

  

別嬢の「辞び」helliphelliphellip「吾は天皇の妻

9

9

9

9

たらめや」

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一五九

 

結局二つの「辞び」は単なる拒否ではなく次のような同じ内容を表す「辞び」なのである

  《私は天皇にお仕えなどしない》

 

この話の末尾近くには別嬢の遺体について「大き飄つ

むじ

川下より来て其の尸か

ばねを

川中に纏ま

き入れき求むれども得

ず」と述べられているがその部分と別嬢が島に逃げて隠れた

0

0

0

という前の部分ともまた「二段構えの語り」を構

成している二つの部分はともに別嬢の「隠び」を内容とするものなので次のように一つにまとめることができる

  《別嬢が「隠な

び」をした》

 「辞び」も「隠び」も話のなかに二度ずつ表れているのである

 

大蛇退治の神話と「弟日姫子伝説」とには「二段構えの語り」を認めるにあたって解決すべき多くの問題が含ま

れているしかしそれらを一つ一つ検討していけば見てきた諸話と同様の特徴的な語りを二話にも認めることが

できる

註(1) 

本稿にあげる『古事記』『日本書紀』『風土記』などの記述は本文訓読文ともに古典文学大系のものを引用するまた

『萬葉集』の本文訓読文は新編古典全集のものを引用するただしいずれも読みやすさと理解しやすさとを考慮して

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一六〇

もとの表記形式その他を改めることが少なくない

(2) 

大野晋「記紀の創世神話の構成」〔『文学』一九六五年八月〕のちに『仮名遣と上代語』(一九八二年)に収載

(3) 「丹塗矢伝説」の成立については小著『伝承と言語』(一九九五年)のⅡ部四章で私見を述べたただし同書に述べたこ

とと本稿で述べたことの間には一点だけ相違がある丹塗矢が女の陰部を突いたという話は神と人間の女とが結婚したこ

とを明確に語ったものではないからそのことを明確にするために女の持ち帰った丹塗矢が男に変身して子が生まれたとい

う話があとになって付加されたのだと同書では述べたそれは既存の一説に見える解釈を妥当なものと認めそれを踏

襲したものだった本稿では「二段構えの語り」がこの話にも認められるという見解に立ってかつて小著で述べた考えを

訂正する

(4) 

女に与えられた「倭迹迹日百襲姫命」という名の語構成ははたしてどのようなものなのかこれを疑問の余地なく解明す

ることはかなり難しい

   

初頭の「倭」と末尾の「姫命」は除くとして「迹と

迹と

日び

百もも

襲そ

」の「百襲」は字面のとおり「多くの着衣」の意であるかも

知れないこの女の夫は蛇神だから蛇が何度も脱皮をくり返すことを背景とする名を妻がもつことは十分にありうること

だろう「百襲」の「襲」には字を構成する要素として「衣」がある「襲」の字は「重ねて着る」「覆う」「継ぐ」「おそ

う」などの意を表す

   

ある特徴や習性を表す語が当人ではなく周囲の者の名に含まれる例は「丹塗矢伝説」の登場者にも見られるたとえば

矢で陰部を突かれて慌てた女が勢せ

夜や

陀だ

多た

良ら

比ひ

売め

であるのにその女の産んだ娘が「陰に矢を立てられ震え姫」の意の「富ほ

登と

多た

多た

良ら

伊い

須す

須す

岐き

比ひめのみこと

売命」という名を与えられている母の経験したことが娘の名に反映しているのである

   「晡く

れふしの

時臥山やま

」〔『常陸国風土記』那珂郡茨城里〕の話に登場する子として蛇を産んだ女とその兄は「努ぬ

賀か

咩め

」「努ぬ

賀か

古こ

という名を与えられているこれらの名も原義を解明するのは難しいが「ぬか」はやはり脱皮の意を表す「脱ぬ

か」かも知れ

ない『和名類聚抄』の「蛻」の項に「毛も

沼ぬ

久く

」とあり『色葉字類抄』の「

蛻」の項に「ヘミノモヌケ」とあるこれらの

「脱ぬ

く」「脱ぬ

け」がこの場合に参考になる下二段活用動詞の「脱け」が「脱か彦脱か姫」では「脱か」となってい

るわけだが上代語では「明け」「荒れ」「枯れ」などの下二段活用動詞が「明か時(暁)」「新あ

垣がき

」「枯から

木き

」などの複合名詞を

構成しているのに同じである

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一六一

 

名の意味をこのように理解することは生まれた子を入れる器を何度か大きいものに替えたという脱皮を暗示する説明と

吻合する中世には「もぬけの衣」という表現もあるから「もぬけ」の「も」はあるいは「裳」か

(5) 「陰ほ

絶たち

田だ

」という地名と「米よね

舂つき

女め

等ら

が陰ほと

を陪おもとびとくな

従婚ぎ断ちき」という説明との関係には理解するのが難しい点がある

「陰絶田」に含まれる「絶つ」はもともと「長い間にわたって継続してきたことを止めまた幅のある物体を切る」の意を

表す動詞であるこれの自動詞である「絶ゆ」も基本的に意味は同じであるだから「陪お

もとびと

従」との交合によって陰部が損

傷したことをあえて「婚ぎ絶ち

9

9

き」と表現した理由が不明である物を損傷したことがなぜ「絶つ」と表現されたのか

「婚ぎ絶ちき」を「裂傷をおはせた」〔古典全書〕の意だと説明してもその疑問は解消しない

   「陰絶田」はもと「陰に(男根が)立つ田」の意の「陰立9

田」だったかも知れないそのように想定すれば神武記の

「丹塗矢伝説」に登場する「富ほ

登と

多た

多た

良ら

伊い

須す

須す

岐き

比ひ

売め

」という名の「ほとたたら」と意味的に対応するただし矢の場合に

「立つ」を用いた理由は理解できるが男根の場合にも同様に「立つ」を用いたとは想定しにくい「絶つ」とあることはや

はり不審のままである

(6) 

三つの要素の結びつきについては益田勝実「日本神話における外在と内在日本神話論における始原と展開」〔国文学

『解釈と鑑賞』一九七七年十月〕によるただしこの論にはOの話に関する言及がまったくないOの話のなかに三要素の

結び付きを読み取るのは私見にすぎない

(7) 

両神の死因をめぐる逆転関係については小著『日本の神話伝説を読む』(岩波新書二〇〇七年)の第二章第二節で述

べた

(日本語日本文学科 

教授)

Page 11: 一 神話・伝説に見られる特徴的な語り...神話・伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木) 0 一二三 べている。太平洋に伝承の海洋型国産み神話に類似。またヌホコを男性の象徴とし、交合による国産み神話とも見られる」と述

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一三一

GHの話と同じ系統に属する古い話が結果的にそれを含むに至ることはありえたと思われる

 

Gの話に登場する神と女との間には二段構えの両段にまたがるかたちの内容面で逆転した対応関係が認められ

 

ⅰ 

美しい女美形の男

 

ⅱ 

男の矢への変身矢の男への変身

 

ⅲ 

矢の女のもとへの到来女の矢の持ち帰り

 

この種の逆転した関係は口承時代にその骨格がほぼ成立しただろうと思われる古い話にしばしば見られるもの

である矢が陰部を突く場面を矢が美男に変身して女と結婚した話から伝承者が連想し後次的に話のなかに持ち

込んだものだとしてもその連想は相当に古い時代に起こったことだろう

 

次に取り上げるのも大物主神をめぐる「三輪山伝説」の一つだがこちらは神と人間の女との結婚が破綻したこと

を語る話になっている

I 

是こ

の後に倭や

まとととびももそひめのみこと

迹迹日百襲姫命大お

ほものぬしのかみ

物主神の妻と為な

る然し

れども其そ

の神常に昼は見えずして夜のみ来み

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一三二

倭迹迹姫命夫に語りて曰い

く「君常に昼は見えたまはねば分あ

きらか明

に其の尊み

顔かほ

を視ること得ず願はくは暫し

し留りたまへ明

くるつあした

旦に仰ぎて美う

るは麗

しき威み

すがた儀

を覲み

たてまつらむと欲お

ふ」といふ大神対こ

へて曰く「言こ

とわりいやちこ

理灼然

なり吾明

くるつあした

旦に汝い

ましが

194797くし

笥げ

に入りて居らむ願はくは吾が形にな驚きましそ」とのたまふ爰こ

に倭迹迹姫命

心の裏う

に密ひ

そかに

異あやしぶ

明くるを待ちて194797笥を見れば遂に美麗しき小こ

をろち蛇

有り其の長さ太さ衣し

たひも紐

の如し則ち驚

き叫さ

け啼

ぶ時に大神恥ぢて忽

たちまちに

人の形と化な

りたまふ其の妻に謂か

りて曰く「汝い

まし

忍びずして吾に羞は

ぢみせ

吾還か

りて汝に羞せむ」とのたまふ仍よ

りて大お

ほぞら虚

を践ほ

みて御み

もろの諸

山やま

に登ります爰に倭迹迹姫命仰ぎ見

て悔いて急つ

き居う

則ち箸に陰ほ

を撞つ

きて薨か

むさり

ましぬ乃ち大お

ほち市

に葬は

りまつる故か

時の人其の墓を號な

けて箸は

墓はか

と謂い

ふ是の墓は日ひ

は人作り夜は神作る故か

大坂山の石を運びて造る

〔崇神紀〕

 

これは『日本書紀』の崇神天皇の条に見えるものでさまざまな話題を含む興味深い内容の話である

 

Gの話の場合と同様にこのIの話にも二重線と太線とを付しておいた「二段構えの語り」に相当するものが認

められるからである

 

妻の倭や

まとととびももそひめのみこと

迹迹日百襲姫命が夫である大物主神が自分に課した「私の姿に驚いてはならない」という禁を犯してしま

ったこれに怒った夫は御み

もろの諸

山やま

(三輪山)に登って行ったがその様子を仰ぎ見た妻は悔やんでその場にどすんと座

り込んだするとそこにあった箸が妻の陰部に突き刺さり妻はそのまま死んでしまった妻を葬る墓は昼に人

が造り夜には神が造ったという話の末尾の内容に因んで一般に「箸は

墓はか

伝説」と呼ばれている

 

Iの話より前の記述に倭迹迹日百襲姫命は「天皇の姑み

をば」

だという説明が見える大物主神の妻になったというの

だから巫女的な性格を強くもつ女である彼女の名はとても長いので話のなかでは「倭迹迹姫命」と略称されて

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一三三

いる)

4(

 「是の墓は日ひ

は人作り夜は神作る」という話の末尾を読んですぐに想起されることがあるそれは努ぬ

賀か

咩め

という女の産んだ「小さき蛇」が「明くれば言こ

とはぬが如く闇く

るれば母と語」ったという「晡く

れふしの

時臥山や

」〔『常陸

国風土記』那珂郡茨城里〕の話である「神の子である蛇が昼は物を言わなかったが夜になれば母と話をした」

というのは神が昼にはほとんど行動せず夜には活発に行動するという当時の人々の考えを反映するものだろう

これは夜には神が墓を造ったというIの話に一致する

 

それだけでなく夜には神が墓を造ったという説明は同じIの話の冒頭近くに「其そ

の神常に昼は見えずして

夜のみ来み

す」とある説明と内容的に対応している冒頭の近くで述べたことと末尾の近くで述べたこととを照応さ

せたかたちである

 「二段構えの語り」に相当するものは一見しただけではこの話に含まれていないように思われるしかし話の

文脈を細かくたどると二重線を付した「大お

ほぞら虚

を践ほ

みて御み

もろの諸

山やま

に登ります」という部分と「仰ぎ見て悔いて急つ

き居う

則ち箸に陰ほ

を撞つ

きて薨か

むさり

ましぬ」という太線の部分とがそれに相当することがわかる前者は大物主神によ

る天空での動作であり後者は倭迹迹姫命による地上での動作であるこれらの動作により一方は本来の拠点に戻

り他方は他界へ赴いた

 

二重線の部分と太線の部分とについて二種の動作の間にどのような関係があるというのか二種の動作を描写し

た部分に「二段構えの語り」を認めるのは深読みの結果ではないのかなどといった疑問が生じるかも知れないし

かし話の文脈から見れば実はそのように判断するのは間違いであることが明らかになる

 「大虚を践みて」という夫の動作は新編古典全集の注で「雷神の象徴」だと解説され「天空をふみとどろかし

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一三四

て」と現代語訳されている蛇神である大物主神は雷神でもあるからそれは妥当な解説である「大虚を践みて」

は雷鳴は神が天空を踏みつける音だと見なしたうえでの表現である

 

この点に関しては『萬葉集』の歌が参考になる

J 

天雲を 

ほろに踏みあだし 

鳴る神も 

今日にまさりて 

恐かしこけ

めやも

〔十九四二三五〕

 「天の雲をばらばらに踏み散らして音を響かせる雷神も今日の天皇の御前より恐れ多いはずはないだろう」の意

を表す歌である作者はこのような歌を詠むことによって天皇の威徳あるいは権力に対して畏怖の念と敬愛の

情とを表明したのである第三句の「鳴る神」とは雷神のことで「(天で音を響かせて)鳴る神」の意である雷鳴

は神が天雲を踏みつけることによって出る音だという把握のしかたが歌の背後にあるIの話に「大虚を践みて」

とあるのは雷神に対して上代の人々がいだいていた畏怖の念を端的に表すものになっている

 

他方の「急つ

き居う

」という妻の動作については古典大系の注に「どすんとすわったツキは衝キと同じ」という

解説が見え新編古典全集の注には

K 「急」の字にどすんと坐る様子を表現ツキは「突」で尻餠をつく後悔でがっくりきた姿がよく出てい

と見える【妻が箸で陰部を突いたという話題の背後には男女の交合のイメージが濃厚にまとわりついていたと考え

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一三五

られる夫婦をめぐる話だからそれは当然のことである】

 

夫婦の動作についてまとめると「大虚を践みて」は妻に禁を犯されたことを恥じた大物主神が勢いよく天空

を踏みつけるさまを表すまた「急き居」は夫の課した禁を犯したことを悔いた倭迹迹姫命が地面に急にすわ

り込むさまを表すどちらも

 

I 《身体の一部を急に下方に移動させその先にある物を勢いよく突く》

という動作であるこのことを確認すれば天空でなされる「大虚を践みて」と地上でなされる「急き居」とは

互いに類似し対応する動作だということがわかる夫と妻による二種の動作にこうした類似と対応とが認められる以

上それが話を深読みすることによって得られた誤った理解であるはずはない

 

妻に「箸に陰ほ

を撞つ

きて薨か

むさり

ましぬ」という忌まわしい事態が生じたわけだから「急き居」というのは語り手に

とっても聞き手にとってもきわめて衝撃的な動作である伝承者は妻の驚くべき動作について語る前にその場面の

ことを強く意識しただろうそして妻の動作に対応し類似する夫の動作としていかにも雷神らしい「大虚を践み

て」という動作を連想し話のなかに持ち込んだのだろう

 

ただし二重線を付した部分と太線を付した部分の「大虚を践みて」と「急き居」とは内容的には酷似あるい

は類似したことを表すものになっている一方で表現の具体的なありかたは大きく異なっている

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それは当然である

 

さきに「神世七代」の条に出現する「面足る」「あや恐か

こね」という対偶神の名とEFの話に見える男女二神

の讃美表現とについて述べたように一段めの語りと二段めの語りには異なる表現を用いなければならない内容面

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一三六

で類似し対応する二つの部分が表現の面でも同じように類似し対応していれば伝承者が一方をもとにして他方を

作ったことが聞き手に悟られやすくなるからである「大虚を践みて」と「急き居」とであれば両者の表現は異

なるからそれらは一方から他方を連想したものだとは悟られにくいのである

 

こう見てくるとIの話にもやはり「二段構えの語り」が認められることがわかる「大虚を践みて」という動作

をあえて描写しなくても怒った神が御諸山に帰って行ったと述べるだけで話は十分に成り立つ当該の箇所は

もともと「大虚を践みて」という表現を含まない単純なものだっただろう

 

この話のなかには大物主神と倭迹迹姫命とに関して互いに対比的だと見なしうる項目が多く含まれている特

に目立つものを整理すれば

 

ⅰ 

神人

 

ⅱ 

夫妻

 

ⅲ 

応じる願う

 

ⅳ 

禁を課す禁を犯す

 

ⅴ 

恥じる悔いる

 

ⅵ 

天空地上

 

ⅶ 

足で踏みつける尻餠を突く

 

ⅷ 

本拠地に戻る他界へ赴く

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一三七

というようになる

 

神と人間の女とが結婚したもののそれは根本的な矛盾を含む無理な結び付きだった神と人間との間にあるそ

の根本的な矛盾が夫が課した禁を妻が犯すという大きな溝となって現れ結局のところ両者は別離を迎えざるをえ

なかったというのがIの話の趣旨である話の伝承者が神と人間との根本的な相違を明確に意識しながら語った

話だからⅰ〜ⅷのような対比的な項目を含むことになったということだろう

 

ここで「二段構えの語り」の成立に深い関わりをもつと思われる『萬葉集』の歌の構成について見てみる歌の

構成というのは一方から他方を連想することによって成立する序詞と本旨との関係である

L 

春はるされば

去者 

先まづ

鳴なく

鳥とり

乃の うぐひすの

之 

事こと

先さき

立だち

之し 

君をし待たむ

〔十一九三五〕

 「春さればhelliphellipう

ぐひすの

」の三句が序詞でありそれが本旨の「言こ

先立ちし君をし待たむ」を導入している第一句

第二句の表現にあるように「

」は春を迎えて真っ先に鳴く鳥であるそれを序詞の末尾に置いて「(あなたが私

に)先に声を掛けた」の意の「言先立ちし」つまり本旨を導入する表現とした「言先立ちし」という相手の行動を

描写する前に春になって真っ先に鳴く鳥を歌の作者が連想しそれを歌の前半に置いたのであるだから作者が

言いたい本旨の内容が先にありそれから序詞が連想されたという関係であるあとで連想された序詞は意味的

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一三八

にも内容的にも本旨に類似するものになっているが本旨の表現とは異なっている

M 

牛うし

窓まと

之の 

浪なみ

乃の

塩しほ

左さ

猪ゐ 

嶋しまとよみ

響 

所よそりしきみは

依之君 

逢はずかもあらむ

〔十一二七三一〕

 

序詞の「牛窓のhelliphellip島」は本旨である「響と

み寄そりしhellip」から連想されたものであり同時に本旨を導入する表

現にもなっているこの序詞は「潮し

騒さゐ

の波のざわめきのように島も」の意を表し本旨の「響み寄そりし君はhellip」は

「噂もうるさいほどに私との関係を言い立てられたあなたはhellip」の意を表す「潮騒」という音にかかわる現象と

人の噂が激しいことをいう「響み」との類似性が歌の前半と後半とを結び付けている噂がうるさいという現実か

ら作者は「潮騒」のざわめきを連想して序詞としたのだから本旨の内容が先にあり序詞は本旨に基づいて連想

されたという関係である

N 

天あま

飛と

ぶや 

軽の社の 

斎いはひつき

槻 

幾代まであらむ 

隠こもりづま

嬬そも

〔十一二六五六〕

 

女が詠んだと思われるこの歌では「天あ

飛と

ぶやhelliphellip齋い

ひ槻つ

」の三句が序詞として四句以下の表現を導入している

序詞の末尾に置かれた「齋ひ槻」は神聖である故に人が触れてはならない木をさすまた第五句の「隠こ

り妻」は

人に知られてはならない間がらにある妻をさすそのような内容面での共通性が歌の前半にある序詞と後半にある

本旨とを強く結び付けている「齋い

ひ槻」と「隠こ

り妻」とは表現が異なっているが両者の関係はMの歌に出て

いる「潮騒」と「響み」とのそれに酷似している

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一三九

 

以上の三首に見られる序詞と本旨との関係はさきに見た諸話の一段めの語りと二段めの語りとの関係に相当する

三首の序詞は本旨の内容から連想されたものであり諸話の一段めの語りは二段めの語りの内容から連想されたもの

であるしかし連想を呼ぶもとになったこととそれから連想されたこととは三首でも諸話でも表現が互いに異

なるものになっている

 

話を「二段構えの語り」に戻し次の話に認められる「二段構えの語り」について検討するしかし次の話の語

りのありかたは見てきた三話と異なる点がある

O 

萩原の里土は中の中なり右萩原と名づくる故は息お

きながたらしひめのみこと

長帯日売命韓か

らくに国

より還か

り上りましし時御船此の村

に宿りたまひき一夜の間に萩一ひ

ともと根

生お

ひき高さ一ひ

丈つゑ

ばかりなり仍よ

りて萩原と名づく即す

なはち

御井を闢は

りき

故かれ

針は

間ま

井ゐ

といふ其の処は墾は

らず又墫も

たひの

水溢あ

れて井と成りき故韓か

の清水と號く其の水朝に汲むに

朝に出でず爾す

なはち

酒殿を造りき故酒田といふ舟傾き乾か

れき故傾か

ぶきだ田

といふ米よ

舂つき

女め

等ら

が陰ほ

を陪

おもとびとくな

従婚

ぎ断ちき故陰ほ

とたち絶

田だ

といふ仍す

なはち

萩多く栄えき故萩原といふ爾こ

に祭れる神は少

すくなたらしのみこと

足命にます

〔『播磨国風土記』揖保郡〕

 

これは『播磨国風土記』に見える話で息お

きながたらしひめのみこと

長帯日売命(神功皇后)の聖性と威徳とを強調する内容になっている

 

これまで見た三話と同様にこのOの話にも女陰の話題が含まれているそれは「陰ほ

絶たち

田だ

」という地名の由来を

説明する短小な話のなかに見える息長帯日売命に仕える陪お

もとびと

従が米よ

舂つき

女め

等ら

と交合して陰部を傷つけたそのことが

この地名の由来になったという)

5(

陰部を傷つけたことを語る「陪お

もとびとくな

従婚ぎ断た

ちき」の「断た

ちき」は「裂傷をおはせた」

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一四〇

〔古典全書〕の意だと比較的古い注釈にありこれを踏襲する新しい注釈もある妥当な解説である

 

以上で見た三話と異なる点というのは二重線の部分と太線の部分とが

O 

米よね

舂つき

女め

等ら

が陰ほ

を陪お

もとびとくな

従婚ぎ断ちき

というように一文のなかに連続して出ている点である見てきた三話では二種の線を付した部分は近接した位置

にあるがOの話の場合はそれが極端なかたちで表れているまた二重線の部分が三話のように何らかの動作

状態を描写した表現になってはおらず「米よ

舂つき

女め

等ら

」という複合名詞になっている点も三話とは異なる

 

二種の線を付した一文の内容についていささか気になるのは「陪お

もとびとくな

従婚ぎ断た

ちき」という動作の対象になったの

が「米よ

舂つき

女め

等ら

が陰ほ

」だということである

 「米よ

舂つき

女め

等ら

」という複合名詞に含まれる「舂つ

く」は「突く」という動詞の一用法である「舂く」は「きねなどの

先で強く打っておしつぶしたり穀物のからなどを除いたり精白したりする」〔『日本国語大辞典』第二版〕の意で

あり「舂女」は「臼で穀物をつく女」〔同〕の意である

 

結局のところ「舂く」という動作は「臼などの器に棒状の物を押し込みなかにある穀物などを押しつぶす」の

意を表すわけだがいささか気になると述べたのは「舂く」という動作と「婚く

ぎ断ち」「陰ほ

絶た

ち」という動作との

間に認められる

O 《狭い空間に棒状の物を差し入れその奥にある部分または物を強く突き破る》

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一四一

という物理的な動き

0

0

0

0

0

0

としての類似性であるこれは既に取り上げたABの話やIの話に見られる二種の動きの

類似性と同じである

 

交合によって陰部を損傷したのと同様に棒状の物で「舂く」ことによって穀物などの本来の形態も損なわれる

だから「舂く」と「婚く

ぎ断ち」「陰ほ

絶た

ち」とは物理的な動きだけではなく動きによって生じる結果

0

0

においても類

似している

 

このように話のなかに先に出てくる「舂き」とその直後に出てくる「婚く

ぎ断ち」「陰ほ

絶た

ち」との間には物理

的な動きとそれがもたらす結果との双方に関して顕著な対応類似が認められるそのような対応類似が生じた

ことについて次のように想定することができるだろうつまり話の伝承者があとで自分が語る交合という動作

を強く意識したそのために交合に類似した動きを表す「舂く」を事前に連想しさらにはその語を含む「米舂女

等」をも連想してそれを結果的に話のなかに持ち込んだのではないかということである現にGの「丹塗矢伝

説」に「その美人の富ほ

登と

を突きき」とありIの「箸は

墓はか

伝説」にも「陰を衝つ

きて」とあってそれらの「突き」「衝

き」は表記こそ違え「舂き」と同じ動詞である

 「婚く

ぎ断ち」「陰ほ

絶た

ち」は凄惨かつ深刻な事態だからそれに類似する「舂く」という動作を事前に伝承者が連想

することは十分にありえたと思われるそのように想定すればOの話にも「二段構えの語り」が表れていることに

なる

 

話の展開に従えば「舂く」を含む「米舂女等」が一段めの語りとして先に出てきて「婚く

ぎ断た

ち」「陰ほ

絶た

ち」が二

段めの語りとしてあとに出てくるしかし話が成立した経緯から見れば二段めの語りがもとで一段めの語りが生

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一四二

まれたわけだから実際の先後関係は正反対である

 「二段構えの語り」が以上のような経緯で成立したのだとすればOの話では陪お

もとびと

従が交合を行って陰部を損傷さ

せた対象はもともと「米舂女等」だとは限定されていなかったことになるそれで話は成り立つ

 

Oの話に認められる「二段構えの語り」は前節で確認したような歌の構成のありかたから見ればいったいどの

ようなものだと言えるのか

P 

窺うかねらふ

良布 

跡と み見

山やま

雪ゆき

之の 

いちしろく 

恋ひば妹が名 

人知らむかも

〔十二三四六〕

 

この歌では「じっと見ていて獲物を狙う」の意の「うかねらふ」が「跡と

み見

山」の「跡見」に掛かる枕詞になって

いる「うかねらふ」を承ける「跡と

み見

」は狩猟に関して用いられた語である注釈辞書に見える説明をまとめれ

ば「跡見」は「鳥獣が通ったあとを見てそれが通った時間やそれが今いる場所などを判断することまたそれ

を行う役の猟師」の意である歌の作者が「跡見」という語からそれと類義をもつ「うかねらふ」という動詞を

連想しそれを「跡見」という名詞を導入する枕詞としたのである「うかねらふ」と「跡見」とは類義の語だが

音韻面ではまったく異なっているこれはOの話の「米よ

舂つき

女め

等ら

」の「舂く」と「婚く

ぎ断ち」「陰ほ

絶た

ち」との関係に

近い

 『古事記』に見える次の歌謡では序詞と本旨との関係がPの歌の「跡見」と「うかねらふ」とのそれに類似し

たものになっている

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一四三

Q 

倭やまとへ方

に 

西吹き上げて 

玖く

毛も

婆ば

那な

礼れ 

曽そ

岐き

袁を

理り

登と

母も 

吾忘れめや

〔記五五〕

 「倭や

まとへ方

にhelliphellip雲離れ」の三句が序詞となって本旨の「退そ

き」あるいは「退き居り」を導入している「退き」は

「遠ざかり」の意を表す動詞だから「雲離れ」という複合語に用いられた「離れ」とは類義語の関係にある本旨

の「退き」を言うためにそれと類義をもつ「離れ」を事前に連想しそれを末尾に置いて長い序詞を構成したわけ

である「雲離れ」と「退き居り」とは音韻面で類似するところがない「離れ」と「退き」との関係はやはりO

の話の「米よ

舂つき

女め

等ら

」の「舂く」と「婚く

ぎ断ち」「陰ほ

絶た

ち」との関係に近いと言える

R ふさ

手た

折をり 

多た

武むの

山やま

霧ぎり 

繁みかも 

細川の瀬に 

波騒きける

〔九一七〇四〕

 

この歌では地名の「多た

武む

」を「曲げる」の意を表す「たむ」という動詞に見立てそれから事前に連想された

類義の「手折り」に「

ふさ

」を付し「たむ」の枕詞としている「手た

折を

る」は「手で曲げて取る」の意であり「

は「総房」のことで花や実が束になって付いたものをさす本旨の表現に用いるべき「たむ」から類義を表す

「手折る」という動詞を連想したのであるこれもまたOの話の「断つ」と「舂く」との関係を思わせる「たむ」

と「手折り」とは初頭の音節が同じだが互いに音節数が異なっている

 

三首の「跡見」「退き」「たむ」が「二段構えの語り」の二段めのかたりに相当しそれから連想された「うかね

らふ」「雲離れ」「

手折り」が一段めの語りに相当すると言えるだろう

 

既に述べたようにOの話は聖性と威徳とを具えた息長帯日売命に関する話である「一夜の間に萩一ひ

根もとお生

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一四四

き」「墫も

たひの

水溢あ

れて井と成りき」その他の不思議な事態が起こったことが話のなかでくり返し述べられている

同様にほかならぬ息長帯日売命に仕える陪お

もとびと

従が米舂女等と交合を行って陰部を傷つけた結果「萩多く栄えき」

という事態が生じたということなのだろう

 

Oの話が載っているのと同じ『播磨国風土記』に

S 

讃さ よ容

といふ所ゆ

ゑ以

は大神妹い

もせ

二柱競ひて国占し

めましし時妹玉た

津つ

日ひめのみこと

女命生ける鹿を捕と

り臥せて其の腹を

割さ

きて其の血に稲種ま

きき仍よ

りて一夜の間に苗な

生お

ひき即す

なはち

取りて殖う

ゑしめたまひき爾こ

に大神勅の

りたま

ひしく「汝な

にも妹

は五さ月夜よ

に殖ゑつるかも」とのりたまひて即や

て他

あだしところ

処に去りたまひき故か

五月夜の郡こ

ほりと

號なづ

神を賛さ

用よ

都つ

比ひめのみこと

売命と名づく

〔讃容郡〕

という話が見えまた次のような話も見える

T 

丹に

津つ

日ひ

子こ

の神「法ほ

太だ

の川底を雲う

るみ潤

の方に越さむと欲お

ふ」と爾し

かい云

ひし時彼の村に在い

せる太お

水みづ

の神辞い

びて

云の

りたまひしく「吾は宍し

の血を以て佃た

つくる

故か

河の水を欲ほ

りせず」とのりたまひきその時丹津日子云ひし

く「此の神は河を堀る事に倦う

みて爾いへるのみ」といひき故雲う

弥み

と號な

く今い

人ひと

雲潤と號な

〔賀毛郡〕

 

Sの話は鹿の腹を割いてその血に稲を蒔いたら一夜で苗が生えたというものであるまたTの話は宍し

つま

り動物の血で田を作るから河の水は必要ないと神が言ったというものである二話では稲などの植物を植える際

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一四五

には普通に水を用いるよりも動物の血を用いた方が成長がずっと早いと述べているようである

 

これらの話には動物の血と稲あるいは田と一夜での苗の成長の三つの要素の結び付きが確認できる)

6(

この

ことはOの「陰絶田」の話を想起させずにはおかないつまり稲あるいは田は「陰絶田」の話に出ている「米よ

舂つき

女め

等ら

」に対応するように思われるしまた動物の血は女らと陪従らとの交合によって陰部から出たはずの血に

対応するように思われるさらに一夜で急に苗が成長したという事態は「陰絶田」の話の前半部に「一夜の間に

萩一ひ

根もとお生

ひき」とありまた「陰絶田」という地名に続いて「仍す

なはち

萩多く栄えき」とあることに内容的に対応する

と理解することができる

 

だから「米よ

舂つき

女め

等ら

が陰ほ

を陪お

もとびとくな

従婚ぎ断ちき故陰ほ

絶たち

田だ

といふ仍す

なはち

萩多く栄えき」という一連の表現では

陰部を損傷させたことと萩が多く栄えたこととの間には「そのことが原因で」の意の明確な因果関係があると

見るべきだろう

 

三つの要素の結び付きがOの話にも認められる以上同話と動物の血に関する話は古い時代に行われていた儀礼

を背景とするものだと考えることができるだろう動物の血と人間の血との違いはあるがそれらは神に動物の犠

牲を捧げたことによって豊穣繁栄がもたらされたという人々の遠い記憶を伝えるものなのではないか

 「国土創成」をめぐるABの話とEFの話Gの「丹塗矢伝説」Iの「箸墓伝説」Oの「陰絶田」をめぐる

話のどれでも女陰交合結婚などのことが話題となっているこれらの諸話に「二段構えの語り」が認められる

ことを以上の論述で確認した

 

ただし「二段構えの語り」が認められることと女陰交合などの話題が含まれることとの二点を条件として

以上の諸話を選んだわけではない「二段構えの語り」が認められる諸話を取り上げたところそれらには女陰交

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一四六

合などの話題が共通して含まれていたというのが実際である

 

女陰を矢が突くにしても何かが原因で女陰が損傷を受けるにしてもとにかく女陰や交合に関する話題は話の

語り手にも聞き手にも強い印象を与えたはずである時にはそれは刺激的衝撃的な印象さえ与えたに違いない

それだからこそ女陰交合に関する出来事はその内容に類似し対応する連想を呼びやすかったのだろう「二段

構えの語り」と女陰交合の話題とが以上の諸話のなかに共存するのはそのような理由によるものと考えられる

 

以上で確認したように「二段構えの語り」が表れていると判断される諸話に女陰交合などの話題が共通して

含まれている論述の流れに従えば交合結婚を語るものではないがやはり女陰のことが一つの話題になってい

る次の話を取り上げる必要があるだろう

U 

須す

佐さ

之のをのみこと

男命(略)勝ちさびに天あ

まてらすおほみかみ

照大御神の営つ

くだ田

を離は

ちその溝を埋めまたその大お

ほにへ嘗

を聞こしめす殿に屎く

まり散らしき故か

然し

すれども天照大御神は咎と

めずてhellip(略)なほその悪しき態わ

止まずて転う

てありき天照大御

神忌い

みはた服

屋や

に坐ま

しまして神か

御み そ衣

織らしめたまひし時その服屋の頂む

を穿う

ち天あ

の斑ふ

ちこま馬

を逆さ

剝は

ぎに剝ぎて堕お

し入る

る時に天の服は

織おり

女め

見驚きて梭ひ

に陰ほ

と上

を衝つ

きて死にき故か

ここに天照大御神見畏か

しこみ

て天の石い

屋や

戸と

を開

きてさし籠もりましきここに高た

天ま

の原皆暗く葦

あしはらのなかつくにことごと

原中国悉に闇く

しこれによりて常と

夜よ

往ゆ

ききここに

万よろづのわざはひ

妖悉に発お

りき

〔神代記〕

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一四七

 

これは『古事記』の神話の一部であり須佐之男命の「勝ちさび」の場面とその姉である天照大御神の「石屋籠

もり」の場面である天照大御神が機織りをしている時に弟の須佐之男命が皮を剝いだ馬を服は

屋や

の屋根を壊し

てなかに投げ入れたそれに驚いた服は

織おり

女め

が縦糸の間に横糸を通すための道具である梭ひ

を誤って自分の陰部に突

き刺して死んだそれを見て弟の行動を恐れた天照大御神が石い

屋や

に籠もってしまったので世界は暗闇に閉ざされ

多くの災禍がはびこったという

 

二重線を付した「その服屋の頂む

を穿う

ち天あ

の斑ふ

ちこま馬

を逆さ

剝は

ぎに剝ぎて堕お

し入るる時にhellip」という部分と太線を付し

た「梭ひ

に陰ほ

と上

を衝つ

きて死にき」という部分とは表現のありかたがまったく異なるしかし皮を剝いだ馬を屋根

を壊して建物のなかに投げ入れることと梭ひ

で勢いよく突いて陰部を傷つけることとが物理的な動きとして酷似し

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ている

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ことは事実である二つの部分では

U 《ある物体を急に動かしその勢いで別の物体を破損する》

ということが共通の骨子になっているこのような動きはIOの話の場合の動きと酷似している

 

二つの部分に描写されている物理的な動きをこのように要約するとこれまで見た諸話の場合と同様にUの話に

表れている「二段構えの語り」について次のように推測すべきことになるつまり皮を剝いだ馬を服屋の屋根

を壊して投げ入れたという二重線の部分は梭で陰部を突いて服織女が死んだという太線の部分に基づいて伝承者

が事前に連想して話のなかに持ち込んだものだろうということである

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一四八

 

確かに梭で陰部を突いて女が死んだというのはあまりにも衝撃的で印象的な出来事である特に『日本書紀』

の所伝には「天照大神驚お

どろ動

きたまひて梭を以て身を傷い

ましむ」〔本書〕とありまた「稚わ

かひるめのみこと

日尊驚きたまひ

て機は

より墮お

ちて持たる梭を以て體み

を傷や

らしめて神か

むさ退

りましぬ」〔一書第一〕とあって事態はさらに深刻であ

る至高神である天照大神自身が陰部を損傷しまたその分身である稚日尊が同じ原因で死んだというのだからこ

れ以上の重大事件はない

 

ただしここで一つの問題が生じる伝承者が連想したことを神話のなかに持ち込む以前には梭を突き刺して陰

部を損傷したという話題はあっても屋根を壊して馬を投げ入れたという話題は含まれていなかったことになるそ

こで馬に関する話題が直前に置かれていなくても天照大御神が石屋に籠もるという展開になりえたのかとの問

題が生じるのである少なくともUの話では馬の投げ入れに驚いて服織女が陰部に損傷を負って死んだので

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その

ことを恐れた天照大御神が石屋に籠もってしまったというように読めるからである

 

結論を言えば馬を投げ入れるという行動はなくても天照大御神が石屋に籠もるという展開になりえたと理解

することができるそのことを支持するのは『日本書紀』に見える次の所伝である

V 

日ひのかみのみこと

神尊天あ

まのかきた

垣田を以て御田としたまふ時に素戔嗚尊春は渠み

塡う

め畔あ

はなち毀

す又秋の穀

たなつものすで

已に成りぬるとき

に則ち冒

ひきわたす

に絡あ

ぜなは縄

を以てす且ま

たひのかみ

日神の機は

殿どの

に居ま

します時に則ち斑ぶ

駒こま

を生い

剝は

ぎにして其の殿

みあらかの

内に納な

げいる

凡す

て此の諸

もろもろの

事尽

ことごとくに

是これあづきな

無状し然れども日神恩

このかみおととむつま

親しき意

みこころもちに

して慍と

めたまはず恨みたまはず皆

平たひ

らかなる心を以て容ゆ

したまふ日神の新

にひなへきこ

嘗しめす時に及お

よ至

びて素戔嗚尊則ち新

にひなへのみや

宮の御み

まし席

の下に陰ひ

そかに

ら送く

そま糞

る日神知し

しめさずして俓た

に席み

ましの

上に坐ゐ

たまふ是に由よ

りて日神體み

みこぞ挙

りて不や

くさ平

みたまふ故以

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一四九

て恚い

か恨

りまして廼す

なはち

天あまのいはや

石窟に居ま

して其の磐い

戸と

を閉さ

しぬ

〔一書第二〕

 

素すさのをのみこと

戔嗚尊の悪行がどのような順序でこのVの話にあげられているかを少し細かく見てみる天照大神の御み

田た

素戔嗚尊が損壊する話が最初に置かれておりそれはUの話の場合と同じであるしかしその直後にはUの話と

大きく異なって馬を投げ入れる話が置かれているそしてこの悪行を含む「諸

もろもろ

の事」について「日ひ

神かみ

恩このかみおととむつま

親しき意

みこころもちに

して慍と

めたまはず恨みたまはず皆平た

らかなる心を以て容ゆ

したまふ」という説明が付され

ている馬を投げ入れたことは天照大神の石屋籠もりと直結しておらずむしろ日神は馬の投げ入れを含む多くの

悪行を許したというのである

 

Vの話で石屋籠もりと直結しているのはそのあとになされた悪行であるそれは「素戔嗚尊則ち新

にひなへのみや

宮の御み

まし席

の下に陰ひ

そかに

自ら送く

そま糞

る」という蛮行でありこれによって「日神知しめさずして俓た

に席み

ましの

上に坐ゐ

たまふ是に

由よ

りて日神體み

みこぞ挙

りて不や

くさ平

みたまふ」というひどい状況が生じたつまり新宮のなかでの脱糞という悪行が日ひ

神かみ

に病をもたらしさらには同神を石屋に籠もらせたというのである陰部が損傷した事件ではなくて新宮での脱糞

という蛮行が石屋籠もりの原因となりえたことをVの話が証明している【天照大神にあたる神を「日神」とする所

伝はより古い時代に成立したものだと言われる】

 

新宮での脱糞が石屋籠もりの原因になったとするVの話には女陰が損傷したことはまったく見えないこれに対

してUの話やさきに引用した『日本書紀』の本書一書第二の話では馬の投げ入れに驚いた女神が陰部を損傷し

そのことが女神の石屋籠もりの原因となっている話の内容にこのような相違がある事実は女神が陰部を損傷した

ことと女神が石屋に籠もったこととは必ずしも一連のものではないことしたがって話の成立について考えるにあ

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一五〇

たっては二つのことを別々に処理してかまわないということを示している

 

ただしUの話で大きな問題となるのは馬を投げ入れるという行動がなければ女神が驚いて陰部を損傷すると

いう事態も起こらないということであるこの点で女神が陰部を損傷するという事態だけが話に含まれ馬を投

げ入れるという行動は話に含まれないという話の状況は想定できないのである

 

一連の話のなかにまずXのことが出ていて次にYのことが出ているという「二段構えの語り」について考える際

にぜひとも考慮しておくべきことがあるつまりあることをもとにしてそれに類似することを伝承者が連想し

連想した内容を結果的に話のなかに持ち込むには一般的に二とおりの過程がありうるということである

a 

先に出てくるXが伝承者に強い印象を与えるためにXについて語ったあとにそれに類似した内容をもつY

を伝承者が連想するという過程

b 

あとに出てくるYが伝承者に強い印象を与えるためにYについて語る前にそれに類似した内容をもつXを

伝承者が連想するという過程

 

これまで見てきた「二段構えの語り」はすべてbの過程を経て生じたものだと考えたしそのように考えて特に

問題はなかったしかしUVの二話の場合はそのように考えることは不可能であるUの話では馬を投げ入

れたことが女神が陰部を損傷する原因になっておりVの話では新宮で脱糞したことが女神に病をもたらす原

因となっている二重線の部分が原因を表しており太線の部分が結果を表しているわけだから二つの部分は密接

な因果関係を構成しているのである

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一五一

 

そこでUVの二話に表れている「二段構えの語り」がbの過程を経て成立したと仮定して具体的に話の展開

について考えてみる陰部を損傷したことだけがUの話に含まれるという段階を想定すれば女神がなぜ梭で陰部を

突くことになったのか何も説明がなく話の展開が唐突すぎる聞き手は話の展開が理解できないのであるまた

同様に女神が糞の上に座って病を得たことだけがVの話に含まれるという段階を想定すればそこになぜ糞があっ

たのかが不明であるこちらも話の展開そのものが成り立たない

 

一方で「二段構えの語り」はbの過程を経て成立したという仮定を捨てそれはaの過程を経て成立したものだ

と仮定してみる二重線の部分だけが話に含まれており伝承者はそれをもとにして太線の部分を連想し連想した

ことをあとで話のなかに持ち込んだというふうにである

 

Uの話にはもともと馬を投げ入れたことだけがあり伝承者はそれをもとに酷似する動きをとることとして

梭で陰部を突くという動作を連想した馬の皮を剝いだうえ屋根を壊してそれを服屋の中に投げ入れるという悪行

は女神が梭で陰部を突くという事故がなくても女神を恐れさせて石屋に籠もらせるには十分である

 

またVの話の場合にはもともと新宮で脱糞をしたことだけが含まれており伝承者はそれに基づいて女神が

その糞の上に座って病を得たことを連想した女神が新嘗の儀礼を行う前にその神聖な新宮でこっそり脱糞をする

という蛮行は女神が糞の上に座って病を得るという事態が起こらなくても女神を怒らせて石窟に籠もらせるには

十分である

 

こうしてbの過程を想定すればもとの話は成り立たないが逆にaの過程を想定すればUVの二話にも「二

段構えの語り」が表れていると考えることができる実はaの過程を想定することによって「二段構えの語り」が

表れていることを順当に説明しうる話はすぐあとに取り上げるようにほかにもまだある

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一五二

 

女陰が何らかの原因で損傷したことを述べるIOUの三話についてさきに一段めの語りと二段めの語りの

内容を検討したうえでそれぞれを次のように一文にまとめておいた

I 《身体の一部を急に下方に移動させその先にある物を勢いよく突く》

O 《狭い空間に棒状の物を差し入れその奥にある部分または物を強く突く》

U 《ある物体を急に動かしその勢いで別の物体を破損する》

 

三話に認められる「二段構えの語り」の内容はこのようにどれも同じような動きを表すものになっているそれ

だけでなくABの話やGの話に見られる「二段構えの語り」もまた同じような動きを表すものになっている

ということは女陰が損傷を受けたことを述べる三話に「二段構えの語り」を認めることの妥当性を逆の面から証

するものだと言えるのではないか

 

これに対し女陰の損傷が話題となっていない「二段構えの語り」が認められる別の諸話についてその内容を

一文にまとめるとその一文はこれらとまったく異なる動きを表すものとなる(後述)そのこともさきに述べた

ような「二段構えの語り」の存在を認めるべき一つの論拠となると考える

 

Uの話と同様にaの過程を経て「二段構えの語り」が成立したと推定される話をここでもう一つ取り上げる

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一五三

それは『古事記』に見える神話でのちに地上界の支配者になる大お

ほなむぢの

穴牟遅神か

をその兄弟である八や

十そ

神がみ

が殺害する場

面である

W 

ここに八や

十そ

神がみ

見てまた欺あ

ざむき

て山に率ゐ

て入りて大お

樹き

を切り伏せ茹ひ

矢や

をその木に打ち立てその中に入らし

むる即ちその氷ひ

目め

矢や

を打ち離ちて拷う

ち殺しきここにまたその御み

祖おや

の命み

こと

哭な

きつつ求ま

げば見得てすな

はちその木を折りて取り出で活かしてその子に告げて言ひしく「汝い

まし

此こ こ間

にあらば遂に八十神のために滅

ぼさえなむ」といひてすなはち木き

国くに

の大お

屋や

毘び

古この

神かみ

の御み

もと所

に違た

へ遣りきここに八十神

ぎ追ひ臻い

りて矢や

刺ざ

し乞ふ時に木の俣ま

より漏く

き逃がして云の

りたまひしく「須す

佐さ

能のをのみこと

男命の坐ま

します根の堅か

州す

国くに

に参ま

向ふべし必ず

その大神議は

りたまひなむ」とのりたまひき故か

詔の

りたまひし命の随ま

にまに

須佐之男命の御所に参ま

ゐいた到

ればhellip

〔神代記〕

 

八十神が大木を切り倒してそれを裂き裂け目に楔

くさび

状の「茹ひ

矢や

」を押し立てておいたそしてそこに大穴牟遅神

を入らせて楔状の物を引き抜き同神を圧死させた同神の母が木を折って息子を救い出しこれを蘇生させて大お

屋や

毘び

古この

神かみ

のもとへ逃がしてやったさらに八十神が追いついて息子を引き渡すように母に要求した時には母が息

子をこっそり木の俣から須佐能男命のもとへ逃がしてやったという

 

Wの話の直前には八十神に脅迫された大穴牟遅神が焼けた岩をかかえ込んで死んでしまったという話が置か

れている死んだ大穴牟遅神はやはり母の尽力によって復活したというそれが一回めの死と復活を語る話だから

Wの話で語られる死と復活は二回めのそれである一回めの死が岩を抱き取ることによってもたらされ二回めの死

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一五四

が木の俣に挟まれることによってもたらされた死因の内容が一回めと二回めとでは逆転している

 

また大穴牟遅神の二度にわたる死は天照大御神の二度にわたる死と奇妙なかたちで対応している天照大御神

の死はまず同神自身あるいはその分身の女神が木製の梭で陰部を突いて死ぬというかたちで語られるまた

そのあとで同神自身が岩屋に籠もってしまうというかたちで死が語られるがそれは太陽神の象徴的な死である

両神の死の内容を細かく比較すると両神の体と岩木とが次のように互いに逆転した奇妙な関係を示しているこ

とがわかる

  

大穴牟遅神の死helliphelliphellip体が岩をかかえるdarr木の俣が体を挟む

  

天照大御神の死helliphelliphellip木が体のなかに入るdarr体が岩のなかに入る

 

地上の支配者と世界の至高神との間に死をめぐってこのような逆転した関係が認められるのはきわめて興味深

いことである)

7(

 

さて「二段構えの語り」だがWの話のうち母が息子を「その木を折りて取り出で活かして」大お

屋や

毘び

古この

神かみ

のも

とへ逃がしてやったという二重線の部分が一段めの語りにあたる二段めの語りにあたるのは母が息子を「木の

俣また

より漏く

き逃がし」て須佐能男命のもとへ向かわせたという太線の部分である

 

つまりこの神話では俣になった「その木を折りて」母が息子を救い出す一段めの語りと母が息子を「木の俣

より漏く

き」逃がしてやる二段めの語りとは

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一五五

W 《母が息子を木の俣から救出しあるいは逃がして別の神のもとへ送り出す》

という酷似した内容のものになっている

 

地上の支配者となるべき大穴牟遅神が木の俣に挟まれて死んで母に救われる話の方が同神の母が木の俣から息

子を逃がしてやる話よりもずっと衝撃的で印象的であるだから神話の伝承者が一段めの語りの内容を強く意

識しそれに酷似した内容をもつ二段めの語りを連想してあとで話のなかに持ち込んだのだろうと推測される

より印象的な出来事を語り終えたあともそれが意識のなかから消え去らず類似し対応することがらをあとで連想し

てしまったと考えられる【一段めの話から二段めの話が連想されたというaの過程をたどったとおぼしい実例は

僅少であるそれには然るべき理由があったと考えるべきだが目下のところそれは不明である】

 

Wの話がこのような経緯をたどったとすると母が木を折って息子を救い出しこれを蘇生させてから別の神のも

とへ逃がしてやったという一段めの語りだけが話に含まれていた段階を例によって想定しなければならない一

段めの語りだけで話は成り立つのか

 

結論を言えばその想定は可能である八十神のもとから逃げた大穴牟遅神が須佐能男命のいる地まで行ったと

いうような単純な内容の話になっている方が以下との続きかたは自然である二重線の部分の末尾にある「木き

国くに

の大お

屋や

毘び

古この

神かみ

の御み

もと所

に違た

へ遣りき」の「大屋毘古神」の部分を太線の部分にある「須佐能男命」とすれば話は無

理なく以下に続くのであるまずは大屋毘古神のもとへ逃げて行ったという部分がなかったとすれば母は木の裂け

目から息子を救い出しこれを蘇生させて須佐能男命のもとへ送り出したというわかりやすい展開になるしたが

ってaの過程を経てWの話が成立しただろうという推定は十分に成り立つ

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一五六

 

二重線の「木き

国くに

の大お

屋や

毘び

古この

神かみ

の御み

もと所

に違た

へ遣りき」という部分は「木国のhellip」で始まっているそれは「大お

樹き

切り伏せ」「茹ひ

矢や

をその木に打ち立て」「その木を折りて」などWの話にくり返し出ている「樹木」から連想され

たものだろう

 

太線の部分にある「木の俣ま

より漏く

き逃がして」以下の表現からその前に置かれた二重線の部分が連想されたと

いうbの過程は想定できない二重線の部分が話に含まれていないという段階はなぜ太線の部分が話に含まれてい

るのかということつまり「木の俣ま

より漏く

き逃がして」とある理由が説明できないのである大穴牟遅神が八十神に

殺害されて復活したという理由があって始めて「木の俣ま

より漏く

き逃がして」以下の表現が意味をもつのである

 

木の俣に挟まれて圧死した大穴牟遅神が母の尽力によって蘇生したあとには同神が須佐能男命から与えられた

いくつもの試練を妻の須す

勢せ

理り

毘び

売め

の助力を得てそのたびごとに克服するという話が続くさらに大穴牟遅神が

須勢理毘売をその父のもとから奪って逃げるとともに自分に苦難をもたらした八十神を追い払って「始めて国を作

りたま」うたという展開になっているまたそのあとにも大穴牟遅神の子を産んだ八や

上かみ

比ひ

売め

が須世理毘売を恐

れて「その生める子をば木の俣に挟みて返」ったという話が続いている八上比売の話にまたもや「木の俣」

のことが出てくるわけである

 

この「木の俣」の話もまた大穴牟遅神が「木の俣」に挟まれて圧死した話から連想されたものである可能性が想

定できるがそのように想定する場合に問題となることがあるそれは両話の間に置かれた話があまりにも長大な

ものだということであるしかし大穴牟遅神と生まれた子との間には

 

ⅰ 

父子

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一五七

 

ⅱ 

木の俣に挟まれて死ぬ生まれて木の俣に挟まれる

 

ⅲ 

母が救い出す母が置き去りにする

 

ⅳ 

母が別地へ向かわせる母がもとの地に戻る

というような対比的な関係も認められるのでありこうした関係が偶然に生じたものだとは考えがたいだから父

が木の俣で圧死させられることから生まれた子を木の俣に置くことが連想されたという可能性をここでは否定し

ないでおく【より古い時代には大穴牟遅神が木の俣に挟まれて死ぬ話と八上比売が木の俣に新生児を挟む話とは

直結した一連のものだったことも想定できる】

 

以上の論述では「二段構えの語り」の様態について数話を例示してやや細かく検討を加えたその結果話に

含まれる特定のことからがそれに類似し対応することがらを伝承者に連想させ連想した内容が結果的に話のなか

に組み込まれてしまうという特徴的な現象を上代の神話や伝説を通して確認することができたと考える

 

同じ「二段構えの語り」の現象が認められる話は本稿で取り上げた諸話で尽きているのではなくまだ何話か上

代の文献に見える紙幅の関係でそれらを取り上げて細かく検討を加えることができないからここで二話だけに

ついて結論を述べておき具体的な検討は別稿で行うことにする

 

二話のうち一つは神話に見えるもので娘たちを飲み食らう大蛇を須佐能男命が退治する場面である『古事記』

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一五八

で言えば「是の高こ

志し

の八や

俣また

の遠を

呂ろ

智ち

年と

毎ごと

に来て喫く

へり」という部分と「船ふ

毎ごと

に己お

が頭を垂い入れてその酒を飲み

き」という部分とが「二段構えの語り」に相当する二つの部分の内容をまとめると

  《大蛇が出雲へやってきて足あ

名なづち椎

のがわに属するものを食らいあるいは飲む》

というようになる娘たちを食らい飲む大蛇が酒を飲むという同じ行動が原因で退治されてしまうのである

 

またもう一つの話は『播磨国風土記』の賀古郡の条に見える「比礼墓伝説」であるこの話では「印い

なみ南

」の女

が「隠な

び妻」であり「辞い

び妻」でもあるからこれは「古代の口がたり特有の面白さ」をもつものだという興味深

い見解がある

 

話の冒頭近くにある「度わ

たりもり

子紀き伊の国く

人ひと

小を

玉たま

申さく「我は天

すめらみこと

皇の贄に

人びと

たらめや」とまをす」という部分とその

あとにある「印南の別嬢聞きて驚き畏か

しこみ

即や

て南な

都つ

麻ま

嶋に遁に

げ度りき」という部分とが「二段構えの語り」に

相当する二つの部分のうちのあとの部分は別嬢が天皇の求婚を嫌がって

0

0

0

0

島に逃げて隠れたことを述べたものだか

ら二つの部分は同じく「辞い

び」を内容とするものだと言える「度わ

たりもり

子」つまり船頭の「我は天

すめらみこと

皇の贄に

人びと

たらめや」

という発言に倣って天皇の求婚を嫌がる別嬢の心情を言い表せば「吾は天皇の妻

9

9

9

9

たらめや」というようになる

  

船頭の「辞び」helliphelliphellip「我は天

すめらみこと

皇の贄に

人びと

たらめや」

  

別嬢の「辞び」helliphelliphellip「吾は天皇の妻

9

9

9

9

たらめや」

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一五九

 

結局二つの「辞び」は単なる拒否ではなく次のような同じ内容を表す「辞び」なのである

  《私は天皇にお仕えなどしない》

 

この話の末尾近くには別嬢の遺体について「大き飄つ

むじ

川下より来て其の尸か

ばねを

川中に纏ま

き入れき求むれども得

ず」と述べられているがその部分と別嬢が島に逃げて隠れた

0

0

0

という前の部分ともまた「二段構えの語り」を構

成している二つの部分はともに別嬢の「隠び」を内容とするものなので次のように一つにまとめることができる

  《別嬢が「隠な

び」をした》

 「辞び」も「隠び」も話のなかに二度ずつ表れているのである

 

大蛇退治の神話と「弟日姫子伝説」とには「二段構えの語り」を認めるにあたって解決すべき多くの問題が含ま

れているしかしそれらを一つ一つ検討していけば見てきた諸話と同様の特徴的な語りを二話にも認めることが

できる

註(1) 

本稿にあげる『古事記』『日本書紀』『風土記』などの記述は本文訓読文ともに古典文学大系のものを引用するまた

『萬葉集』の本文訓読文は新編古典全集のものを引用するただしいずれも読みやすさと理解しやすさとを考慮して

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一六〇

もとの表記形式その他を改めることが少なくない

(2) 

大野晋「記紀の創世神話の構成」〔『文学』一九六五年八月〕のちに『仮名遣と上代語』(一九八二年)に収載

(3) 「丹塗矢伝説」の成立については小著『伝承と言語』(一九九五年)のⅡ部四章で私見を述べたただし同書に述べたこ

とと本稿で述べたことの間には一点だけ相違がある丹塗矢が女の陰部を突いたという話は神と人間の女とが結婚したこ

とを明確に語ったものではないからそのことを明確にするために女の持ち帰った丹塗矢が男に変身して子が生まれたとい

う話があとになって付加されたのだと同書では述べたそれは既存の一説に見える解釈を妥当なものと認めそれを踏

襲したものだった本稿では「二段構えの語り」がこの話にも認められるという見解に立ってかつて小著で述べた考えを

訂正する

(4) 

女に与えられた「倭迹迹日百襲姫命」という名の語構成ははたしてどのようなものなのかこれを疑問の余地なく解明す

ることはかなり難しい

   

初頭の「倭」と末尾の「姫命」は除くとして「迹と

迹と

日び

百もも

襲そ

」の「百襲」は字面のとおり「多くの着衣」の意であるかも

知れないこの女の夫は蛇神だから蛇が何度も脱皮をくり返すことを背景とする名を妻がもつことは十分にありうること

だろう「百襲」の「襲」には字を構成する要素として「衣」がある「襲」の字は「重ねて着る」「覆う」「継ぐ」「おそ

う」などの意を表す

   

ある特徴や習性を表す語が当人ではなく周囲の者の名に含まれる例は「丹塗矢伝説」の登場者にも見られるたとえば

矢で陰部を突かれて慌てた女が勢せ

夜や

陀だ

多た

良ら

比ひ

売め

であるのにその女の産んだ娘が「陰に矢を立てられ震え姫」の意の「富ほ

登と

多た

多た

良ら

伊い

須す

須す

岐き

比ひめのみこと

売命」という名を与えられている母の経験したことが娘の名に反映しているのである

   「晡く

れふしの

時臥山やま

」〔『常陸国風土記』那珂郡茨城里〕の話に登場する子として蛇を産んだ女とその兄は「努ぬ

賀か

咩め

」「努ぬ

賀か

古こ

という名を与えられているこれらの名も原義を解明するのは難しいが「ぬか」はやはり脱皮の意を表す「脱ぬ

か」かも知れ

ない『和名類聚抄』の「蛻」の項に「毛も

沼ぬ

久く

」とあり『色葉字類抄』の「

蛻」の項に「ヘミノモヌケ」とあるこれらの

「脱ぬ

く」「脱ぬ

け」がこの場合に参考になる下二段活用動詞の「脱け」が「脱か彦脱か姫」では「脱か」となってい

るわけだが上代語では「明け」「荒れ」「枯れ」などの下二段活用動詞が「明か時(暁)」「新あ

垣がき

」「枯から

木き

」などの複合名詞を

構成しているのに同じである

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一六一

 

名の意味をこのように理解することは生まれた子を入れる器を何度か大きいものに替えたという脱皮を暗示する説明と

吻合する中世には「もぬけの衣」という表現もあるから「もぬけ」の「も」はあるいは「裳」か

(5) 「陰ほ

絶たち

田だ

」という地名と「米よね

舂つき

女め

等ら

が陰ほと

を陪おもとびとくな

従婚ぎ断ちき」という説明との関係には理解するのが難しい点がある

「陰絶田」に含まれる「絶つ」はもともと「長い間にわたって継続してきたことを止めまた幅のある物体を切る」の意を

表す動詞であるこれの自動詞である「絶ゆ」も基本的に意味は同じであるだから「陪お

もとびと

従」との交合によって陰部が損

傷したことをあえて「婚ぎ絶ち

9

9

き」と表現した理由が不明である物を損傷したことがなぜ「絶つ」と表現されたのか

「婚ぎ絶ちき」を「裂傷をおはせた」〔古典全書〕の意だと説明してもその疑問は解消しない

   「陰絶田」はもと「陰に(男根が)立つ田」の意の「陰立9

田」だったかも知れないそのように想定すれば神武記の

「丹塗矢伝説」に登場する「富ほ

登と

多た

多た

良ら

伊い

須す

須す

岐き

比ひ

売め

」という名の「ほとたたら」と意味的に対応するただし矢の場合に

「立つ」を用いた理由は理解できるが男根の場合にも同様に「立つ」を用いたとは想定しにくい「絶つ」とあることはや

はり不審のままである

(6) 

三つの要素の結びつきについては益田勝実「日本神話における外在と内在日本神話論における始原と展開」〔国文学

『解釈と鑑賞』一九七七年十月〕によるただしこの論にはOの話に関する言及がまったくないOの話のなかに三要素の

結び付きを読み取るのは私見にすぎない

(7) 

両神の死因をめぐる逆転関係については小著『日本の神話伝説を読む』(岩波新書二〇〇七年)の第二章第二節で述

べた

(日本語日本文学科 

教授)

Page 12: 一 神話・伝説に見られる特徴的な語り...神話・伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木) 0 一二三 べている。太平洋に伝承の海洋型国産み神話に類似。またヌホコを男性の象徴とし、交合による国産み神話とも見られる」と述

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一三二

倭迹迹姫命夫に語りて曰い

く「君常に昼は見えたまはねば分あ

きらか明

に其の尊み

顔かほ

を視ること得ず願はくは暫し

し留りたまへ明

くるつあした

旦に仰ぎて美う

るは麗

しき威み

すがた儀

を覲み

たてまつらむと欲お

ふ」といふ大神対こ

へて曰く「言こ

とわりいやちこ

理灼然

なり吾明

くるつあした

旦に汝い

ましが

194797くし

笥げ

に入りて居らむ願はくは吾が形にな驚きましそ」とのたまふ爰こ

に倭迹迹姫命

心の裏う

に密ひ

そかに

異あやしぶ

明くるを待ちて194797笥を見れば遂に美麗しき小こ

をろち蛇

有り其の長さ太さ衣し

たひも紐

の如し則ち驚

き叫さ

け啼

ぶ時に大神恥ぢて忽

たちまちに

人の形と化な

りたまふ其の妻に謂か

りて曰く「汝い

まし

忍びずして吾に羞は

ぢみせ

吾還か

りて汝に羞せむ」とのたまふ仍よ

りて大お

ほぞら虚

を践ほ

みて御み

もろの諸

山やま

に登ります爰に倭迹迹姫命仰ぎ見

て悔いて急つ

き居う

則ち箸に陰ほ

を撞つ

きて薨か

むさり

ましぬ乃ち大お

ほち市

に葬は

りまつる故か

時の人其の墓を號な

けて箸は

墓はか

と謂い

ふ是の墓は日ひ

は人作り夜は神作る故か

大坂山の石を運びて造る

〔崇神紀〕

 

これは『日本書紀』の崇神天皇の条に見えるものでさまざまな話題を含む興味深い内容の話である

 

Gの話の場合と同様にこのIの話にも二重線と太線とを付しておいた「二段構えの語り」に相当するものが認

められるからである

 

妻の倭や

まとととびももそひめのみこと

迹迹日百襲姫命が夫である大物主神が自分に課した「私の姿に驚いてはならない」という禁を犯してしま

ったこれに怒った夫は御み

もろの諸

山やま

(三輪山)に登って行ったがその様子を仰ぎ見た妻は悔やんでその場にどすんと座

り込んだするとそこにあった箸が妻の陰部に突き刺さり妻はそのまま死んでしまった妻を葬る墓は昼に人

が造り夜には神が造ったという話の末尾の内容に因んで一般に「箸は

墓はか

伝説」と呼ばれている

 

Iの話より前の記述に倭迹迹日百襲姫命は「天皇の姑み

をば」

だという説明が見える大物主神の妻になったというの

だから巫女的な性格を強くもつ女である彼女の名はとても長いので話のなかでは「倭迹迹姫命」と略称されて

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一三三

いる)

4(

 「是の墓は日ひ

は人作り夜は神作る」という話の末尾を読んですぐに想起されることがあるそれは努ぬ

賀か

咩め

という女の産んだ「小さき蛇」が「明くれば言こ

とはぬが如く闇く

るれば母と語」ったという「晡く

れふしの

時臥山や

」〔『常陸

国風土記』那珂郡茨城里〕の話である「神の子である蛇が昼は物を言わなかったが夜になれば母と話をした」

というのは神が昼にはほとんど行動せず夜には活発に行動するという当時の人々の考えを反映するものだろう

これは夜には神が墓を造ったというIの話に一致する

 

それだけでなく夜には神が墓を造ったという説明は同じIの話の冒頭近くに「其そ

の神常に昼は見えずして

夜のみ来み

す」とある説明と内容的に対応している冒頭の近くで述べたことと末尾の近くで述べたこととを照応さ

せたかたちである

 「二段構えの語り」に相当するものは一見しただけではこの話に含まれていないように思われるしかし話の

文脈を細かくたどると二重線を付した「大お

ほぞら虚

を践ほ

みて御み

もろの諸

山やま

に登ります」という部分と「仰ぎ見て悔いて急つ

き居う

則ち箸に陰ほ

を撞つ

きて薨か

むさり

ましぬ」という太線の部分とがそれに相当することがわかる前者は大物主神によ

る天空での動作であり後者は倭迹迹姫命による地上での動作であるこれらの動作により一方は本来の拠点に戻

り他方は他界へ赴いた

 

二重線の部分と太線の部分とについて二種の動作の間にどのような関係があるというのか二種の動作を描写し

た部分に「二段構えの語り」を認めるのは深読みの結果ではないのかなどといった疑問が生じるかも知れないし

かし話の文脈から見れば実はそのように判断するのは間違いであることが明らかになる

 「大虚を践みて」という夫の動作は新編古典全集の注で「雷神の象徴」だと解説され「天空をふみとどろかし

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一三四

て」と現代語訳されている蛇神である大物主神は雷神でもあるからそれは妥当な解説である「大虚を践みて」

は雷鳴は神が天空を踏みつける音だと見なしたうえでの表現である

 

この点に関しては『萬葉集』の歌が参考になる

J 

天雲を 

ほろに踏みあだし 

鳴る神も 

今日にまさりて 

恐かしこけ

めやも

〔十九四二三五〕

 「天の雲をばらばらに踏み散らして音を響かせる雷神も今日の天皇の御前より恐れ多いはずはないだろう」の意

を表す歌である作者はこのような歌を詠むことによって天皇の威徳あるいは権力に対して畏怖の念と敬愛の

情とを表明したのである第三句の「鳴る神」とは雷神のことで「(天で音を響かせて)鳴る神」の意である雷鳴

は神が天雲を踏みつけることによって出る音だという把握のしかたが歌の背後にあるIの話に「大虚を践みて」

とあるのは雷神に対して上代の人々がいだいていた畏怖の念を端的に表すものになっている

 

他方の「急つ

き居う

」という妻の動作については古典大系の注に「どすんとすわったツキは衝キと同じ」という

解説が見え新編古典全集の注には

K 「急」の字にどすんと坐る様子を表現ツキは「突」で尻餠をつく後悔でがっくりきた姿がよく出てい

と見える【妻が箸で陰部を突いたという話題の背後には男女の交合のイメージが濃厚にまとわりついていたと考え

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一三五

られる夫婦をめぐる話だからそれは当然のことである】

 

夫婦の動作についてまとめると「大虚を践みて」は妻に禁を犯されたことを恥じた大物主神が勢いよく天空

を踏みつけるさまを表すまた「急き居」は夫の課した禁を犯したことを悔いた倭迹迹姫命が地面に急にすわ

り込むさまを表すどちらも

 

I 《身体の一部を急に下方に移動させその先にある物を勢いよく突く》

という動作であるこのことを確認すれば天空でなされる「大虚を践みて」と地上でなされる「急き居」とは

互いに類似し対応する動作だということがわかる夫と妻による二種の動作にこうした類似と対応とが認められる以

上それが話を深読みすることによって得られた誤った理解であるはずはない

 

妻に「箸に陰ほ

を撞つ

きて薨か

むさり

ましぬ」という忌まわしい事態が生じたわけだから「急き居」というのは語り手に

とっても聞き手にとってもきわめて衝撃的な動作である伝承者は妻の驚くべき動作について語る前にその場面の

ことを強く意識しただろうそして妻の動作に対応し類似する夫の動作としていかにも雷神らしい「大虚を践み

て」という動作を連想し話のなかに持ち込んだのだろう

 

ただし二重線を付した部分と太線を付した部分の「大虚を践みて」と「急き居」とは内容的には酷似あるい

は類似したことを表すものになっている一方で表現の具体的なありかたは大きく異なっている

0

0

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0

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0

0

0

0

0

0

それは当然である

 

さきに「神世七代」の条に出現する「面足る」「あや恐か

こね」という対偶神の名とEFの話に見える男女二神

の讃美表現とについて述べたように一段めの語りと二段めの語りには異なる表現を用いなければならない内容面

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一三六

で類似し対応する二つの部分が表現の面でも同じように類似し対応していれば伝承者が一方をもとにして他方を

作ったことが聞き手に悟られやすくなるからである「大虚を践みて」と「急き居」とであれば両者の表現は異

なるからそれらは一方から他方を連想したものだとは悟られにくいのである

 

こう見てくるとIの話にもやはり「二段構えの語り」が認められることがわかる「大虚を践みて」という動作

をあえて描写しなくても怒った神が御諸山に帰って行ったと述べるだけで話は十分に成り立つ当該の箇所は

もともと「大虚を践みて」という表現を含まない単純なものだっただろう

 

この話のなかには大物主神と倭迹迹姫命とに関して互いに対比的だと見なしうる項目が多く含まれている特

に目立つものを整理すれば

 

ⅰ 

神人

 

ⅱ 

夫妻

 

ⅲ 

応じる願う

 

ⅳ 

禁を課す禁を犯す

 

ⅴ 

恥じる悔いる

 

ⅵ 

天空地上

 

ⅶ 

足で踏みつける尻餠を突く

 

ⅷ 

本拠地に戻る他界へ赴く

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一三七

というようになる

 

神と人間の女とが結婚したもののそれは根本的な矛盾を含む無理な結び付きだった神と人間との間にあるそ

の根本的な矛盾が夫が課した禁を妻が犯すという大きな溝となって現れ結局のところ両者は別離を迎えざるをえ

なかったというのがIの話の趣旨である話の伝承者が神と人間との根本的な相違を明確に意識しながら語った

話だからⅰ〜ⅷのような対比的な項目を含むことになったということだろう

 

ここで「二段構えの語り」の成立に深い関わりをもつと思われる『萬葉集』の歌の構成について見てみる歌の

構成というのは一方から他方を連想することによって成立する序詞と本旨との関係である

L 

春はるされば

去者 

先まづ

鳴なく

鳥とり

乃の うぐひすの

之 

事こと

先さき

立だち

之し 

君をし待たむ

〔十一九三五〕

 「春さればhelliphellipう

ぐひすの

」の三句が序詞でありそれが本旨の「言こ

先立ちし君をし待たむ」を導入している第一句

第二句の表現にあるように「

」は春を迎えて真っ先に鳴く鳥であるそれを序詞の末尾に置いて「(あなたが私

に)先に声を掛けた」の意の「言先立ちし」つまり本旨を導入する表現とした「言先立ちし」という相手の行動を

描写する前に春になって真っ先に鳴く鳥を歌の作者が連想しそれを歌の前半に置いたのであるだから作者が

言いたい本旨の内容が先にありそれから序詞が連想されたという関係であるあとで連想された序詞は意味的

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一三八

にも内容的にも本旨に類似するものになっているが本旨の表現とは異なっている

M 

牛うし

窓まと

之の 

浪なみ

乃の

塩しほ

左さ

猪ゐ 

嶋しまとよみ

響 

所よそりしきみは

依之君 

逢はずかもあらむ

〔十一二七三一〕

 

序詞の「牛窓のhelliphellip島」は本旨である「響と

み寄そりしhellip」から連想されたものであり同時に本旨を導入する表

現にもなっているこの序詞は「潮し

騒さゐ

の波のざわめきのように島も」の意を表し本旨の「響み寄そりし君はhellip」は

「噂もうるさいほどに私との関係を言い立てられたあなたはhellip」の意を表す「潮騒」という音にかかわる現象と

人の噂が激しいことをいう「響み」との類似性が歌の前半と後半とを結び付けている噂がうるさいという現実か

ら作者は「潮騒」のざわめきを連想して序詞としたのだから本旨の内容が先にあり序詞は本旨に基づいて連想

されたという関係である

N 

天あま

飛と

ぶや 

軽の社の 

斎いはひつき

槻 

幾代まであらむ 

隠こもりづま

嬬そも

〔十一二六五六〕

 

女が詠んだと思われるこの歌では「天あ

飛と

ぶやhelliphellip齋い

ひ槻つ

」の三句が序詞として四句以下の表現を導入している

序詞の末尾に置かれた「齋ひ槻」は神聖である故に人が触れてはならない木をさすまた第五句の「隠こ

り妻」は

人に知られてはならない間がらにある妻をさすそのような内容面での共通性が歌の前半にある序詞と後半にある

本旨とを強く結び付けている「齋い

ひ槻」と「隠こ

り妻」とは表現が異なっているが両者の関係はMの歌に出て

いる「潮騒」と「響み」とのそれに酷似している

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一三九

 

以上の三首に見られる序詞と本旨との関係はさきに見た諸話の一段めの語りと二段めの語りとの関係に相当する

三首の序詞は本旨の内容から連想されたものであり諸話の一段めの語りは二段めの語りの内容から連想されたもの

であるしかし連想を呼ぶもとになったこととそれから連想されたこととは三首でも諸話でも表現が互いに異

なるものになっている

 

話を「二段構えの語り」に戻し次の話に認められる「二段構えの語り」について検討するしかし次の話の語

りのありかたは見てきた三話と異なる点がある

O 

萩原の里土は中の中なり右萩原と名づくる故は息お

きながたらしひめのみこと

長帯日売命韓か

らくに国

より還か

り上りましし時御船此の村

に宿りたまひき一夜の間に萩一ひ

ともと根

生お

ひき高さ一ひ

丈つゑ

ばかりなり仍よ

りて萩原と名づく即す

なはち

御井を闢は

りき

故かれ

針は

間ま

井ゐ

といふ其の処は墾は

らず又墫も

たひの

水溢あ

れて井と成りき故韓か

の清水と號く其の水朝に汲むに

朝に出でず爾す

なはち

酒殿を造りき故酒田といふ舟傾き乾か

れき故傾か

ぶきだ田

といふ米よ

舂つき

女め

等ら

が陰ほ

を陪

おもとびとくな

従婚

ぎ断ちき故陰ほ

とたち絶

田だ

といふ仍す

なはち

萩多く栄えき故萩原といふ爾こ

に祭れる神は少

すくなたらしのみこと

足命にます

〔『播磨国風土記』揖保郡〕

 

これは『播磨国風土記』に見える話で息お

きながたらしひめのみこと

長帯日売命(神功皇后)の聖性と威徳とを強調する内容になっている

 

これまで見た三話と同様にこのOの話にも女陰の話題が含まれているそれは「陰ほ

絶たち

田だ

」という地名の由来を

説明する短小な話のなかに見える息長帯日売命に仕える陪お

もとびと

従が米よ

舂つき

女め

等ら

と交合して陰部を傷つけたそのことが

この地名の由来になったという)

5(

陰部を傷つけたことを語る「陪お

もとびとくな

従婚ぎ断た

ちき」の「断た

ちき」は「裂傷をおはせた」

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一四〇

〔古典全書〕の意だと比較的古い注釈にありこれを踏襲する新しい注釈もある妥当な解説である

 

以上で見た三話と異なる点というのは二重線の部分と太線の部分とが

O 

米よね

舂つき

女め

等ら

が陰ほ

を陪お

もとびとくな

従婚ぎ断ちき

というように一文のなかに連続して出ている点である見てきた三話では二種の線を付した部分は近接した位置

にあるがOの話の場合はそれが極端なかたちで表れているまた二重線の部分が三話のように何らかの動作

状態を描写した表現になってはおらず「米よ

舂つき

女め

等ら

」という複合名詞になっている点も三話とは異なる

 

二種の線を付した一文の内容についていささか気になるのは「陪お

もとびとくな

従婚ぎ断た

ちき」という動作の対象になったの

が「米よ

舂つき

女め

等ら

が陰ほ

」だということである

 「米よ

舂つき

女め

等ら

」という複合名詞に含まれる「舂つ

く」は「突く」という動詞の一用法である「舂く」は「きねなどの

先で強く打っておしつぶしたり穀物のからなどを除いたり精白したりする」〔『日本国語大辞典』第二版〕の意で

あり「舂女」は「臼で穀物をつく女」〔同〕の意である

 

結局のところ「舂く」という動作は「臼などの器に棒状の物を押し込みなかにある穀物などを押しつぶす」の

意を表すわけだがいささか気になると述べたのは「舂く」という動作と「婚く

ぎ断ち」「陰ほ

絶た

ち」という動作との

間に認められる

O 《狭い空間に棒状の物を差し入れその奥にある部分または物を強く突き破る》

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一四一

という物理的な動き

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0

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0

としての類似性であるこれは既に取り上げたABの話やIの話に見られる二種の動きの

類似性と同じである

 

交合によって陰部を損傷したのと同様に棒状の物で「舂く」ことによって穀物などの本来の形態も損なわれる

だから「舂く」と「婚く

ぎ断ち」「陰ほ

絶た

ち」とは物理的な動きだけではなく動きによって生じる結果

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0

においても類

似している

 

このように話のなかに先に出てくる「舂き」とその直後に出てくる「婚く

ぎ断ち」「陰ほ

絶た

ち」との間には物理

的な動きとそれがもたらす結果との双方に関して顕著な対応類似が認められるそのような対応類似が生じた

ことについて次のように想定することができるだろうつまり話の伝承者があとで自分が語る交合という動作

を強く意識したそのために交合に類似した動きを表す「舂く」を事前に連想しさらにはその語を含む「米舂女

等」をも連想してそれを結果的に話のなかに持ち込んだのではないかということである現にGの「丹塗矢伝

説」に「その美人の富ほ

登と

を突きき」とありIの「箸は

墓はか

伝説」にも「陰を衝つ

きて」とあってそれらの「突き」「衝

き」は表記こそ違え「舂き」と同じ動詞である

 「婚く

ぎ断ち」「陰ほ

絶た

ち」は凄惨かつ深刻な事態だからそれに類似する「舂く」という動作を事前に伝承者が連想

することは十分にありえたと思われるそのように想定すればOの話にも「二段構えの語り」が表れていることに

なる

 

話の展開に従えば「舂く」を含む「米舂女等」が一段めの語りとして先に出てきて「婚く

ぎ断た

ち」「陰ほ

絶た

ち」が二

段めの語りとしてあとに出てくるしかし話が成立した経緯から見れば二段めの語りがもとで一段めの語りが生

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一四二

まれたわけだから実際の先後関係は正反対である

 「二段構えの語り」が以上のような経緯で成立したのだとすればOの話では陪お

もとびと

従が交合を行って陰部を損傷さ

せた対象はもともと「米舂女等」だとは限定されていなかったことになるそれで話は成り立つ

 

Oの話に認められる「二段構えの語り」は前節で確認したような歌の構成のありかたから見ればいったいどの

ようなものだと言えるのか

P 

窺うかねらふ

良布 

跡と み見

山やま

雪ゆき

之の 

いちしろく 

恋ひば妹が名 

人知らむかも

〔十二三四六〕

 

この歌では「じっと見ていて獲物を狙う」の意の「うかねらふ」が「跡と

み見

山」の「跡見」に掛かる枕詞になって

いる「うかねらふ」を承ける「跡と

み見

」は狩猟に関して用いられた語である注釈辞書に見える説明をまとめれ

ば「跡見」は「鳥獣が通ったあとを見てそれが通った時間やそれが今いる場所などを判断することまたそれ

を行う役の猟師」の意である歌の作者が「跡見」という語からそれと類義をもつ「うかねらふ」という動詞を

連想しそれを「跡見」という名詞を導入する枕詞としたのである「うかねらふ」と「跡見」とは類義の語だが

音韻面ではまったく異なっているこれはOの話の「米よ

舂つき

女め

等ら

」の「舂く」と「婚く

ぎ断ち」「陰ほ

絶た

ち」との関係に

近い

 『古事記』に見える次の歌謡では序詞と本旨との関係がPの歌の「跡見」と「うかねらふ」とのそれに類似し

たものになっている

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一四三

Q 

倭やまとへ方

に 

西吹き上げて 

玖く

毛も

婆ば

那な

礼れ 

曽そ

岐き

袁を

理り

登と

母も 

吾忘れめや

〔記五五〕

 「倭や

まとへ方

にhelliphellip雲離れ」の三句が序詞となって本旨の「退そ

き」あるいは「退き居り」を導入している「退き」は

「遠ざかり」の意を表す動詞だから「雲離れ」という複合語に用いられた「離れ」とは類義語の関係にある本旨

の「退き」を言うためにそれと類義をもつ「離れ」を事前に連想しそれを末尾に置いて長い序詞を構成したわけ

である「雲離れ」と「退き居り」とは音韻面で類似するところがない「離れ」と「退き」との関係はやはりO

の話の「米よ

舂つき

女め

等ら

」の「舂く」と「婚く

ぎ断ち」「陰ほ

絶た

ち」との関係に近いと言える

R ふさ

手た

折をり 

多た

武むの

山やま

霧ぎり 

繁みかも 

細川の瀬に 

波騒きける

〔九一七〇四〕

 

この歌では地名の「多た

武む

」を「曲げる」の意を表す「たむ」という動詞に見立てそれから事前に連想された

類義の「手折り」に「

ふさ

」を付し「たむ」の枕詞としている「手た

折を

る」は「手で曲げて取る」の意であり「

は「総房」のことで花や実が束になって付いたものをさす本旨の表現に用いるべき「たむ」から類義を表す

「手折る」という動詞を連想したのであるこれもまたOの話の「断つ」と「舂く」との関係を思わせる「たむ」

と「手折り」とは初頭の音節が同じだが互いに音節数が異なっている

 

三首の「跡見」「退き」「たむ」が「二段構えの語り」の二段めのかたりに相当しそれから連想された「うかね

らふ」「雲離れ」「

手折り」が一段めの語りに相当すると言えるだろう

 

既に述べたようにOの話は聖性と威徳とを具えた息長帯日売命に関する話である「一夜の間に萩一ひ

根もとお生

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一四四

き」「墫も

たひの

水溢あ

れて井と成りき」その他の不思議な事態が起こったことが話のなかでくり返し述べられている

同様にほかならぬ息長帯日売命に仕える陪お

もとびと

従が米舂女等と交合を行って陰部を傷つけた結果「萩多く栄えき」

という事態が生じたということなのだろう

 

Oの話が載っているのと同じ『播磨国風土記』に

S 

讃さ よ容

といふ所ゆ

ゑ以

は大神妹い

もせ

二柱競ひて国占し

めましし時妹玉た

津つ

日ひめのみこと

女命生ける鹿を捕と

り臥せて其の腹を

割さ

きて其の血に稲種ま

きき仍よ

りて一夜の間に苗な

生お

ひき即す

なはち

取りて殖う

ゑしめたまひき爾こ

に大神勅の

りたま

ひしく「汝な

にも妹

は五さ月夜よ

に殖ゑつるかも」とのりたまひて即や

て他

あだしところ

処に去りたまひき故か

五月夜の郡こ

ほりと

號なづ

神を賛さ

用よ

都つ

比ひめのみこと

売命と名づく

〔讃容郡〕

という話が見えまた次のような話も見える

T 

丹に

津つ

日ひ

子こ

の神「法ほ

太だ

の川底を雲う

るみ潤

の方に越さむと欲お

ふ」と爾し

かい云

ひし時彼の村に在い

せる太お

水みづ

の神辞い

びて

云の

りたまひしく「吾は宍し

の血を以て佃た

つくる

故か

河の水を欲ほ

りせず」とのりたまひきその時丹津日子云ひし

く「此の神は河を堀る事に倦う

みて爾いへるのみ」といひき故雲う

弥み

と號な

く今い

人ひと

雲潤と號な

〔賀毛郡〕

 

Sの話は鹿の腹を割いてその血に稲を蒔いたら一夜で苗が生えたというものであるまたTの話は宍し

つま

り動物の血で田を作るから河の水は必要ないと神が言ったというものである二話では稲などの植物を植える際

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一四五

には普通に水を用いるよりも動物の血を用いた方が成長がずっと早いと述べているようである

 

これらの話には動物の血と稲あるいは田と一夜での苗の成長の三つの要素の結び付きが確認できる)

6(

この

ことはOの「陰絶田」の話を想起させずにはおかないつまり稲あるいは田は「陰絶田」の話に出ている「米よ

舂つき

女め

等ら

」に対応するように思われるしまた動物の血は女らと陪従らとの交合によって陰部から出たはずの血に

対応するように思われるさらに一夜で急に苗が成長したという事態は「陰絶田」の話の前半部に「一夜の間に

萩一ひ

根もとお生

ひき」とありまた「陰絶田」という地名に続いて「仍す

なはち

萩多く栄えき」とあることに内容的に対応する

と理解することができる

 

だから「米よ

舂つき

女め

等ら

が陰ほ

を陪お

もとびとくな

従婚ぎ断ちき故陰ほ

絶たち

田だ

といふ仍す

なはち

萩多く栄えき」という一連の表現では

陰部を損傷させたことと萩が多く栄えたこととの間には「そのことが原因で」の意の明確な因果関係があると

見るべきだろう

 

三つの要素の結び付きがOの話にも認められる以上同話と動物の血に関する話は古い時代に行われていた儀礼

を背景とするものだと考えることができるだろう動物の血と人間の血との違いはあるがそれらは神に動物の犠

牲を捧げたことによって豊穣繁栄がもたらされたという人々の遠い記憶を伝えるものなのではないか

 「国土創成」をめぐるABの話とEFの話Gの「丹塗矢伝説」Iの「箸墓伝説」Oの「陰絶田」をめぐる

話のどれでも女陰交合結婚などのことが話題となっているこれらの諸話に「二段構えの語り」が認められる

ことを以上の論述で確認した

 

ただし「二段構えの語り」が認められることと女陰交合などの話題が含まれることとの二点を条件として

以上の諸話を選んだわけではない「二段構えの語り」が認められる諸話を取り上げたところそれらには女陰交

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一四六

合などの話題が共通して含まれていたというのが実際である

 

女陰を矢が突くにしても何かが原因で女陰が損傷を受けるにしてもとにかく女陰や交合に関する話題は話の

語り手にも聞き手にも強い印象を与えたはずである時にはそれは刺激的衝撃的な印象さえ与えたに違いない

それだからこそ女陰交合に関する出来事はその内容に類似し対応する連想を呼びやすかったのだろう「二段

構えの語り」と女陰交合の話題とが以上の諸話のなかに共存するのはそのような理由によるものと考えられる

 

以上で確認したように「二段構えの語り」が表れていると判断される諸話に女陰交合などの話題が共通して

含まれている論述の流れに従えば交合結婚を語るものではないがやはり女陰のことが一つの話題になってい

る次の話を取り上げる必要があるだろう

U 

須す

佐さ

之のをのみこと

男命(略)勝ちさびに天あ

まてらすおほみかみ

照大御神の営つ

くだ田

を離は

ちその溝を埋めまたその大お

ほにへ嘗

を聞こしめす殿に屎く

まり散らしき故か

然し

すれども天照大御神は咎と

めずてhellip(略)なほその悪しき態わ

止まずて転う

てありき天照大御

神忌い

みはた服

屋や

に坐ま

しまして神か

御み そ衣

織らしめたまひし時その服屋の頂む

を穿う

ち天あ

の斑ふ

ちこま馬

を逆さ

剝は

ぎに剝ぎて堕お

し入る

る時に天の服は

織おり

女め

見驚きて梭ひ

に陰ほ

と上

を衝つ

きて死にき故か

ここに天照大御神見畏か

しこみ

て天の石い

屋や

戸と

を開

きてさし籠もりましきここに高た

天ま

の原皆暗く葦

あしはらのなかつくにことごと

原中国悉に闇く

しこれによりて常と

夜よ

往ゆ

ききここに

万よろづのわざはひ

妖悉に発お

りき

〔神代記〕

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一四七

 

これは『古事記』の神話の一部であり須佐之男命の「勝ちさび」の場面とその姉である天照大御神の「石屋籠

もり」の場面である天照大御神が機織りをしている時に弟の須佐之男命が皮を剝いだ馬を服は

屋や

の屋根を壊し

てなかに投げ入れたそれに驚いた服は

織おり

女め

が縦糸の間に横糸を通すための道具である梭ひ

を誤って自分の陰部に突

き刺して死んだそれを見て弟の行動を恐れた天照大御神が石い

屋や

に籠もってしまったので世界は暗闇に閉ざされ

多くの災禍がはびこったという

 

二重線を付した「その服屋の頂む

を穿う

ち天あ

の斑ふ

ちこま馬

を逆さ

剝は

ぎに剝ぎて堕お

し入るる時にhellip」という部分と太線を付し

た「梭ひ

に陰ほ

と上

を衝つ

きて死にき」という部分とは表現のありかたがまったく異なるしかし皮を剝いだ馬を屋根

を壊して建物のなかに投げ入れることと梭ひ

で勢いよく突いて陰部を傷つけることとが物理的な動きとして酷似し

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ている

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ことは事実である二つの部分では

U 《ある物体を急に動かしその勢いで別の物体を破損する》

ということが共通の骨子になっているこのような動きはIOの話の場合の動きと酷似している

 

二つの部分に描写されている物理的な動きをこのように要約するとこれまで見た諸話の場合と同様にUの話に

表れている「二段構えの語り」について次のように推測すべきことになるつまり皮を剝いだ馬を服屋の屋根

を壊して投げ入れたという二重線の部分は梭で陰部を突いて服織女が死んだという太線の部分に基づいて伝承者

が事前に連想して話のなかに持ち込んだものだろうということである

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一四八

 

確かに梭で陰部を突いて女が死んだというのはあまりにも衝撃的で印象的な出来事である特に『日本書紀』

の所伝には「天照大神驚お

どろ動

きたまひて梭を以て身を傷い

ましむ」〔本書〕とありまた「稚わ

かひるめのみこと

日尊驚きたまひ

て機は

より墮お

ちて持たる梭を以て體み

を傷や

らしめて神か

むさ退

りましぬ」〔一書第一〕とあって事態はさらに深刻であ

る至高神である天照大神自身が陰部を損傷しまたその分身である稚日尊が同じ原因で死んだというのだからこ

れ以上の重大事件はない

 

ただしここで一つの問題が生じる伝承者が連想したことを神話のなかに持ち込む以前には梭を突き刺して陰

部を損傷したという話題はあっても屋根を壊して馬を投げ入れたという話題は含まれていなかったことになるそ

こで馬に関する話題が直前に置かれていなくても天照大御神が石屋に籠もるという展開になりえたのかとの問

題が生じるのである少なくともUの話では馬の投げ入れに驚いて服織女が陰部に損傷を負って死んだので

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その

ことを恐れた天照大御神が石屋に籠もってしまったというように読めるからである

 

結論を言えば馬を投げ入れるという行動はなくても天照大御神が石屋に籠もるという展開になりえたと理解

することができるそのことを支持するのは『日本書紀』に見える次の所伝である

V 

日ひのかみのみこと

神尊天あ

まのかきた

垣田を以て御田としたまふ時に素戔嗚尊春は渠み

塡う

め畔あ

はなち毀

す又秋の穀

たなつものすで

已に成りぬるとき

に則ち冒

ひきわたす

に絡あ

ぜなは縄

を以てす且ま

たひのかみ

日神の機は

殿どの

に居ま

します時に則ち斑ぶ

駒こま

を生い

剝は

ぎにして其の殿

みあらかの

内に納な

げいる

凡す

て此の諸

もろもろの

事尽

ことごとくに

是これあづきな

無状し然れども日神恩

このかみおととむつま

親しき意

みこころもちに

して慍と

めたまはず恨みたまはず皆

平たひ

らかなる心を以て容ゆ

したまふ日神の新

にひなへきこ

嘗しめす時に及お

よ至

びて素戔嗚尊則ち新

にひなへのみや

宮の御み

まし席

の下に陰ひ

そかに

ら送く

そま糞

る日神知し

しめさずして俓た

に席み

ましの

上に坐ゐ

たまふ是に由よ

りて日神體み

みこぞ挙

りて不や

くさ平

みたまふ故以

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一四九

て恚い

か恨

りまして廼す

なはち

天あまのいはや

石窟に居ま

して其の磐い

戸と

を閉さ

しぬ

〔一書第二〕

 

素すさのをのみこと

戔嗚尊の悪行がどのような順序でこのVの話にあげられているかを少し細かく見てみる天照大神の御み

田た

素戔嗚尊が損壊する話が最初に置かれておりそれはUの話の場合と同じであるしかしその直後にはUの話と

大きく異なって馬を投げ入れる話が置かれているそしてこの悪行を含む「諸

もろもろ

の事」について「日ひ

神かみ

恩このかみおととむつま

親しき意

みこころもちに

して慍と

めたまはず恨みたまはず皆平た

らかなる心を以て容ゆ

したまふ」という説明が付され

ている馬を投げ入れたことは天照大神の石屋籠もりと直結しておらずむしろ日神は馬の投げ入れを含む多くの

悪行を許したというのである

 

Vの話で石屋籠もりと直結しているのはそのあとになされた悪行であるそれは「素戔嗚尊則ち新

にひなへのみや

宮の御み

まし席

の下に陰ひ

そかに

自ら送く

そま糞

る」という蛮行でありこれによって「日神知しめさずして俓た

に席み

ましの

上に坐ゐ

たまふ是に

由よ

りて日神體み

みこぞ挙

りて不や

くさ平

みたまふ」というひどい状況が生じたつまり新宮のなかでの脱糞という悪行が日ひ

神かみ

に病をもたらしさらには同神を石屋に籠もらせたというのである陰部が損傷した事件ではなくて新宮での脱糞

という蛮行が石屋籠もりの原因となりえたことをVの話が証明している【天照大神にあたる神を「日神」とする所

伝はより古い時代に成立したものだと言われる】

 

新宮での脱糞が石屋籠もりの原因になったとするVの話には女陰が損傷したことはまったく見えないこれに対

してUの話やさきに引用した『日本書紀』の本書一書第二の話では馬の投げ入れに驚いた女神が陰部を損傷し

そのことが女神の石屋籠もりの原因となっている話の内容にこのような相違がある事実は女神が陰部を損傷した

ことと女神が石屋に籠もったこととは必ずしも一連のものではないことしたがって話の成立について考えるにあ

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一五〇

たっては二つのことを別々に処理してかまわないということを示している

 

ただしUの話で大きな問題となるのは馬を投げ入れるという行動がなければ女神が驚いて陰部を損傷すると

いう事態も起こらないということであるこの点で女神が陰部を損傷するという事態だけが話に含まれ馬を投

げ入れるという行動は話に含まれないという話の状況は想定できないのである

 

一連の話のなかにまずXのことが出ていて次にYのことが出ているという「二段構えの語り」について考える際

にぜひとも考慮しておくべきことがあるつまりあることをもとにしてそれに類似することを伝承者が連想し

連想した内容を結果的に話のなかに持ち込むには一般的に二とおりの過程がありうるということである

a 

先に出てくるXが伝承者に強い印象を与えるためにXについて語ったあとにそれに類似した内容をもつY

を伝承者が連想するという過程

b 

あとに出てくるYが伝承者に強い印象を与えるためにYについて語る前にそれに類似した内容をもつXを

伝承者が連想するという過程

 

これまで見てきた「二段構えの語り」はすべてbの過程を経て生じたものだと考えたしそのように考えて特に

問題はなかったしかしUVの二話の場合はそのように考えることは不可能であるUの話では馬を投げ入

れたことが女神が陰部を損傷する原因になっておりVの話では新宮で脱糞したことが女神に病をもたらす原

因となっている二重線の部分が原因を表しており太線の部分が結果を表しているわけだから二つの部分は密接

な因果関係を構成しているのである

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一五一

 

そこでUVの二話に表れている「二段構えの語り」がbの過程を経て成立したと仮定して具体的に話の展開

について考えてみる陰部を損傷したことだけがUの話に含まれるという段階を想定すれば女神がなぜ梭で陰部を

突くことになったのか何も説明がなく話の展開が唐突すぎる聞き手は話の展開が理解できないのであるまた

同様に女神が糞の上に座って病を得たことだけがVの話に含まれるという段階を想定すればそこになぜ糞があっ

たのかが不明であるこちらも話の展開そのものが成り立たない

 

一方で「二段構えの語り」はbの過程を経て成立したという仮定を捨てそれはaの過程を経て成立したものだ

と仮定してみる二重線の部分だけが話に含まれており伝承者はそれをもとにして太線の部分を連想し連想した

ことをあとで話のなかに持ち込んだというふうにである

 

Uの話にはもともと馬を投げ入れたことだけがあり伝承者はそれをもとに酷似する動きをとることとして

梭で陰部を突くという動作を連想した馬の皮を剝いだうえ屋根を壊してそれを服屋の中に投げ入れるという悪行

は女神が梭で陰部を突くという事故がなくても女神を恐れさせて石屋に籠もらせるには十分である

 

またVの話の場合にはもともと新宮で脱糞をしたことだけが含まれており伝承者はそれに基づいて女神が

その糞の上に座って病を得たことを連想した女神が新嘗の儀礼を行う前にその神聖な新宮でこっそり脱糞をする

という蛮行は女神が糞の上に座って病を得るという事態が起こらなくても女神を怒らせて石窟に籠もらせるには

十分である

 

こうしてbの過程を想定すればもとの話は成り立たないが逆にaの過程を想定すればUVの二話にも「二

段構えの語り」が表れていると考えることができる実はaの過程を想定することによって「二段構えの語り」が

表れていることを順当に説明しうる話はすぐあとに取り上げるようにほかにもまだある

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一五二

 

女陰が何らかの原因で損傷したことを述べるIOUの三話についてさきに一段めの語りと二段めの語りの

内容を検討したうえでそれぞれを次のように一文にまとめておいた

I 《身体の一部を急に下方に移動させその先にある物を勢いよく突く》

O 《狭い空間に棒状の物を差し入れその奥にある部分または物を強く突く》

U 《ある物体を急に動かしその勢いで別の物体を破損する》

 

三話に認められる「二段構えの語り」の内容はこのようにどれも同じような動きを表すものになっているそれ

だけでなくABの話やGの話に見られる「二段構えの語り」もまた同じような動きを表すものになっている

ということは女陰が損傷を受けたことを述べる三話に「二段構えの語り」を認めることの妥当性を逆の面から証

するものだと言えるのではないか

 

これに対し女陰の損傷が話題となっていない「二段構えの語り」が認められる別の諸話についてその内容を

一文にまとめるとその一文はこれらとまったく異なる動きを表すものとなる(後述)そのこともさきに述べた

ような「二段構えの語り」の存在を認めるべき一つの論拠となると考える

 

Uの話と同様にaの過程を経て「二段構えの語り」が成立したと推定される話をここでもう一つ取り上げる

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一五三

それは『古事記』に見える神話でのちに地上界の支配者になる大お

ほなむぢの

穴牟遅神か

をその兄弟である八や

十そ

神がみ

が殺害する場

面である

W 

ここに八や

十そ

神がみ

見てまた欺あ

ざむき

て山に率ゐ

て入りて大お

樹き

を切り伏せ茹ひ

矢や

をその木に打ち立てその中に入らし

むる即ちその氷ひ

目め

矢や

を打ち離ちて拷う

ち殺しきここにまたその御み

祖おや

の命み

こと

哭な

きつつ求ま

げば見得てすな

はちその木を折りて取り出で活かしてその子に告げて言ひしく「汝い

まし

此こ こ間

にあらば遂に八十神のために滅

ぼさえなむ」といひてすなはち木き

国くに

の大お

屋や

毘び

古この

神かみ

の御み

もと所

に違た

へ遣りきここに八十神

ぎ追ひ臻い

りて矢や

刺ざ

し乞ふ時に木の俣ま

より漏く

き逃がして云の

りたまひしく「須す

佐さ

能のをのみこと

男命の坐ま

します根の堅か

州す

国くに

に参ま

向ふべし必ず

その大神議は

りたまひなむ」とのりたまひき故か

詔の

りたまひし命の随ま

にまに

須佐之男命の御所に参ま

ゐいた到

ればhellip

〔神代記〕

 

八十神が大木を切り倒してそれを裂き裂け目に楔

くさび

状の「茹ひ

矢や

」を押し立てておいたそしてそこに大穴牟遅神

を入らせて楔状の物を引き抜き同神を圧死させた同神の母が木を折って息子を救い出しこれを蘇生させて大お

屋や

毘び

古この

神かみ

のもとへ逃がしてやったさらに八十神が追いついて息子を引き渡すように母に要求した時には母が息

子をこっそり木の俣から須佐能男命のもとへ逃がしてやったという

 

Wの話の直前には八十神に脅迫された大穴牟遅神が焼けた岩をかかえ込んで死んでしまったという話が置か

れている死んだ大穴牟遅神はやはり母の尽力によって復活したというそれが一回めの死と復活を語る話だから

Wの話で語られる死と復活は二回めのそれである一回めの死が岩を抱き取ることによってもたらされ二回めの死

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一五四

が木の俣に挟まれることによってもたらされた死因の内容が一回めと二回めとでは逆転している

 

また大穴牟遅神の二度にわたる死は天照大御神の二度にわたる死と奇妙なかたちで対応している天照大御神

の死はまず同神自身あるいはその分身の女神が木製の梭で陰部を突いて死ぬというかたちで語られるまた

そのあとで同神自身が岩屋に籠もってしまうというかたちで死が語られるがそれは太陽神の象徴的な死である

両神の死の内容を細かく比較すると両神の体と岩木とが次のように互いに逆転した奇妙な関係を示しているこ

とがわかる

  

大穴牟遅神の死helliphelliphellip体が岩をかかえるdarr木の俣が体を挟む

  

天照大御神の死helliphelliphellip木が体のなかに入るdarr体が岩のなかに入る

 

地上の支配者と世界の至高神との間に死をめぐってこのような逆転した関係が認められるのはきわめて興味深

いことである)

7(

 

さて「二段構えの語り」だがWの話のうち母が息子を「その木を折りて取り出で活かして」大お

屋や

毘び

古この

神かみ

のも

とへ逃がしてやったという二重線の部分が一段めの語りにあたる二段めの語りにあたるのは母が息子を「木の

俣また

より漏く

き逃がし」て須佐能男命のもとへ向かわせたという太線の部分である

 

つまりこの神話では俣になった「その木を折りて」母が息子を救い出す一段めの語りと母が息子を「木の俣

より漏く

き」逃がしてやる二段めの語りとは

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一五五

W 《母が息子を木の俣から救出しあるいは逃がして別の神のもとへ送り出す》

という酷似した内容のものになっている

 

地上の支配者となるべき大穴牟遅神が木の俣に挟まれて死んで母に救われる話の方が同神の母が木の俣から息

子を逃がしてやる話よりもずっと衝撃的で印象的であるだから神話の伝承者が一段めの語りの内容を強く意

識しそれに酷似した内容をもつ二段めの語りを連想してあとで話のなかに持ち込んだのだろうと推測される

より印象的な出来事を語り終えたあともそれが意識のなかから消え去らず類似し対応することがらをあとで連想し

てしまったと考えられる【一段めの話から二段めの話が連想されたというaの過程をたどったとおぼしい実例は

僅少であるそれには然るべき理由があったと考えるべきだが目下のところそれは不明である】

 

Wの話がこのような経緯をたどったとすると母が木を折って息子を救い出しこれを蘇生させてから別の神のも

とへ逃がしてやったという一段めの語りだけが話に含まれていた段階を例によって想定しなければならない一

段めの語りだけで話は成り立つのか

 

結論を言えばその想定は可能である八十神のもとから逃げた大穴牟遅神が須佐能男命のいる地まで行ったと

いうような単純な内容の話になっている方が以下との続きかたは自然である二重線の部分の末尾にある「木き

国くに

の大お

屋や

毘び

古この

神かみ

の御み

もと所

に違た

へ遣りき」の「大屋毘古神」の部分を太線の部分にある「須佐能男命」とすれば話は無

理なく以下に続くのであるまずは大屋毘古神のもとへ逃げて行ったという部分がなかったとすれば母は木の裂け

目から息子を救い出しこれを蘇生させて須佐能男命のもとへ送り出したというわかりやすい展開になるしたが

ってaの過程を経てWの話が成立しただろうという推定は十分に成り立つ

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一五六

 

二重線の「木き

国くに

の大お

屋や

毘び

古この

神かみ

の御み

もと所

に違た

へ遣りき」という部分は「木国のhellip」で始まっているそれは「大お

樹き

切り伏せ」「茹ひ

矢や

をその木に打ち立て」「その木を折りて」などWの話にくり返し出ている「樹木」から連想され

たものだろう

 

太線の部分にある「木の俣ま

より漏く

き逃がして」以下の表現からその前に置かれた二重線の部分が連想されたと

いうbの過程は想定できない二重線の部分が話に含まれていないという段階はなぜ太線の部分が話に含まれてい

るのかということつまり「木の俣ま

より漏く

き逃がして」とある理由が説明できないのである大穴牟遅神が八十神に

殺害されて復活したという理由があって始めて「木の俣ま

より漏く

き逃がして」以下の表現が意味をもつのである

 

木の俣に挟まれて圧死した大穴牟遅神が母の尽力によって蘇生したあとには同神が須佐能男命から与えられた

いくつもの試練を妻の須す

勢せ

理り

毘び

売め

の助力を得てそのたびごとに克服するという話が続くさらに大穴牟遅神が

須勢理毘売をその父のもとから奪って逃げるとともに自分に苦難をもたらした八十神を追い払って「始めて国を作

りたま」うたという展開になっているまたそのあとにも大穴牟遅神の子を産んだ八や

上かみ

比ひ

売め

が須世理毘売を恐

れて「その生める子をば木の俣に挟みて返」ったという話が続いている八上比売の話にまたもや「木の俣」

のことが出てくるわけである

 

この「木の俣」の話もまた大穴牟遅神が「木の俣」に挟まれて圧死した話から連想されたものである可能性が想

定できるがそのように想定する場合に問題となることがあるそれは両話の間に置かれた話があまりにも長大な

ものだということであるしかし大穴牟遅神と生まれた子との間には

 

ⅰ 

父子

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一五七

 

ⅱ 

木の俣に挟まれて死ぬ生まれて木の俣に挟まれる

 

ⅲ 

母が救い出す母が置き去りにする

 

ⅳ 

母が別地へ向かわせる母がもとの地に戻る

というような対比的な関係も認められるのでありこうした関係が偶然に生じたものだとは考えがたいだから父

が木の俣で圧死させられることから生まれた子を木の俣に置くことが連想されたという可能性をここでは否定し

ないでおく【より古い時代には大穴牟遅神が木の俣に挟まれて死ぬ話と八上比売が木の俣に新生児を挟む話とは

直結した一連のものだったことも想定できる】

 

以上の論述では「二段構えの語り」の様態について数話を例示してやや細かく検討を加えたその結果話に

含まれる特定のことからがそれに類似し対応することがらを伝承者に連想させ連想した内容が結果的に話のなか

に組み込まれてしまうという特徴的な現象を上代の神話や伝説を通して確認することができたと考える

 

同じ「二段構えの語り」の現象が認められる話は本稿で取り上げた諸話で尽きているのではなくまだ何話か上

代の文献に見える紙幅の関係でそれらを取り上げて細かく検討を加えることができないからここで二話だけに

ついて結論を述べておき具体的な検討は別稿で行うことにする

 

二話のうち一つは神話に見えるもので娘たちを飲み食らう大蛇を須佐能男命が退治する場面である『古事記』

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一五八

で言えば「是の高こ

志し

の八や

俣また

の遠を

呂ろ

智ち

年と

毎ごと

に来て喫く

へり」という部分と「船ふ

毎ごと

に己お

が頭を垂い入れてその酒を飲み

き」という部分とが「二段構えの語り」に相当する二つの部分の内容をまとめると

  《大蛇が出雲へやってきて足あ

名なづち椎

のがわに属するものを食らいあるいは飲む》

というようになる娘たちを食らい飲む大蛇が酒を飲むという同じ行動が原因で退治されてしまうのである

 

またもう一つの話は『播磨国風土記』の賀古郡の条に見える「比礼墓伝説」であるこの話では「印い

なみ南

」の女

が「隠な

び妻」であり「辞い

び妻」でもあるからこれは「古代の口がたり特有の面白さ」をもつものだという興味深

い見解がある

 

話の冒頭近くにある「度わ

たりもり

子紀き伊の国く

人ひと

小を

玉たま

申さく「我は天

すめらみこと

皇の贄に

人びと

たらめや」とまをす」という部分とその

あとにある「印南の別嬢聞きて驚き畏か

しこみ

即や

て南な

都つ

麻ま

嶋に遁に

げ度りき」という部分とが「二段構えの語り」に

相当する二つの部分のうちのあとの部分は別嬢が天皇の求婚を嫌がって

0

0

0

0

島に逃げて隠れたことを述べたものだか

ら二つの部分は同じく「辞い

び」を内容とするものだと言える「度わ

たりもり

子」つまり船頭の「我は天

すめらみこと

皇の贄に

人びと

たらめや」

という発言に倣って天皇の求婚を嫌がる別嬢の心情を言い表せば「吾は天皇の妻

9

9

9

9

たらめや」というようになる

  

船頭の「辞び」helliphelliphellip「我は天

すめらみこと

皇の贄に

人びと

たらめや」

  

別嬢の「辞び」helliphelliphellip「吾は天皇の妻

9

9

9

9

たらめや」

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一五九

 

結局二つの「辞び」は単なる拒否ではなく次のような同じ内容を表す「辞び」なのである

  《私は天皇にお仕えなどしない》

 

この話の末尾近くには別嬢の遺体について「大き飄つ

むじ

川下より来て其の尸か

ばねを

川中に纏ま

き入れき求むれども得

ず」と述べられているがその部分と別嬢が島に逃げて隠れた

0

0

0

という前の部分ともまた「二段構えの語り」を構

成している二つの部分はともに別嬢の「隠び」を内容とするものなので次のように一つにまとめることができる

  《別嬢が「隠な

び」をした》

 「辞び」も「隠び」も話のなかに二度ずつ表れているのである

 

大蛇退治の神話と「弟日姫子伝説」とには「二段構えの語り」を認めるにあたって解決すべき多くの問題が含ま

れているしかしそれらを一つ一つ検討していけば見てきた諸話と同様の特徴的な語りを二話にも認めることが

できる

註(1) 

本稿にあげる『古事記』『日本書紀』『風土記』などの記述は本文訓読文ともに古典文学大系のものを引用するまた

『萬葉集』の本文訓読文は新編古典全集のものを引用するただしいずれも読みやすさと理解しやすさとを考慮して

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一六〇

もとの表記形式その他を改めることが少なくない

(2) 

大野晋「記紀の創世神話の構成」〔『文学』一九六五年八月〕のちに『仮名遣と上代語』(一九八二年)に収載

(3) 「丹塗矢伝説」の成立については小著『伝承と言語』(一九九五年)のⅡ部四章で私見を述べたただし同書に述べたこ

とと本稿で述べたことの間には一点だけ相違がある丹塗矢が女の陰部を突いたという話は神と人間の女とが結婚したこ

とを明確に語ったものではないからそのことを明確にするために女の持ち帰った丹塗矢が男に変身して子が生まれたとい

う話があとになって付加されたのだと同書では述べたそれは既存の一説に見える解釈を妥当なものと認めそれを踏

襲したものだった本稿では「二段構えの語り」がこの話にも認められるという見解に立ってかつて小著で述べた考えを

訂正する

(4) 

女に与えられた「倭迹迹日百襲姫命」という名の語構成ははたしてどのようなものなのかこれを疑問の余地なく解明す

ることはかなり難しい

   

初頭の「倭」と末尾の「姫命」は除くとして「迹と

迹と

日び

百もも

襲そ

」の「百襲」は字面のとおり「多くの着衣」の意であるかも

知れないこの女の夫は蛇神だから蛇が何度も脱皮をくり返すことを背景とする名を妻がもつことは十分にありうること

だろう「百襲」の「襲」には字を構成する要素として「衣」がある「襲」の字は「重ねて着る」「覆う」「継ぐ」「おそ

う」などの意を表す

   

ある特徴や習性を表す語が当人ではなく周囲の者の名に含まれる例は「丹塗矢伝説」の登場者にも見られるたとえば

矢で陰部を突かれて慌てた女が勢せ

夜や

陀だ

多た

良ら

比ひ

売め

であるのにその女の産んだ娘が「陰に矢を立てられ震え姫」の意の「富ほ

登と

多た

多た

良ら

伊い

須す

須す

岐き

比ひめのみこと

売命」という名を与えられている母の経験したことが娘の名に反映しているのである

   「晡く

れふしの

時臥山やま

」〔『常陸国風土記』那珂郡茨城里〕の話に登場する子として蛇を産んだ女とその兄は「努ぬ

賀か

咩め

」「努ぬ

賀か

古こ

という名を与えられているこれらの名も原義を解明するのは難しいが「ぬか」はやはり脱皮の意を表す「脱ぬ

か」かも知れ

ない『和名類聚抄』の「蛻」の項に「毛も

沼ぬ

久く

」とあり『色葉字類抄』の「

蛻」の項に「ヘミノモヌケ」とあるこれらの

「脱ぬ

く」「脱ぬ

け」がこの場合に参考になる下二段活用動詞の「脱け」が「脱か彦脱か姫」では「脱か」となってい

るわけだが上代語では「明け」「荒れ」「枯れ」などの下二段活用動詞が「明か時(暁)」「新あ

垣がき

」「枯から

木き

」などの複合名詞を

構成しているのに同じである

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一六一

 

名の意味をこのように理解することは生まれた子を入れる器を何度か大きいものに替えたという脱皮を暗示する説明と

吻合する中世には「もぬけの衣」という表現もあるから「もぬけ」の「も」はあるいは「裳」か

(5) 「陰ほ

絶たち

田だ

」という地名と「米よね

舂つき

女め

等ら

が陰ほと

を陪おもとびとくな

従婚ぎ断ちき」という説明との関係には理解するのが難しい点がある

「陰絶田」に含まれる「絶つ」はもともと「長い間にわたって継続してきたことを止めまた幅のある物体を切る」の意を

表す動詞であるこれの自動詞である「絶ゆ」も基本的に意味は同じであるだから「陪お

もとびと

従」との交合によって陰部が損

傷したことをあえて「婚ぎ絶ち

9

9

き」と表現した理由が不明である物を損傷したことがなぜ「絶つ」と表現されたのか

「婚ぎ絶ちき」を「裂傷をおはせた」〔古典全書〕の意だと説明してもその疑問は解消しない

   「陰絶田」はもと「陰に(男根が)立つ田」の意の「陰立9

田」だったかも知れないそのように想定すれば神武記の

「丹塗矢伝説」に登場する「富ほ

登と

多た

多た

良ら

伊い

須す

須す

岐き

比ひ

売め

」という名の「ほとたたら」と意味的に対応するただし矢の場合に

「立つ」を用いた理由は理解できるが男根の場合にも同様に「立つ」を用いたとは想定しにくい「絶つ」とあることはや

はり不審のままである

(6) 

三つの要素の結びつきについては益田勝実「日本神話における外在と内在日本神話論における始原と展開」〔国文学

『解釈と鑑賞』一九七七年十月〕によるただしこの論にはOの話に関する言及がまったくないOの話のなかに三要素の

結び付きを読み取るのは私見にすぎない

(7) 

両神の死因をめぐる逆転関係については小著『日本の神話伝説を読む』(岩波新書二〇〇七年)の第二章第二節で述

べた

(日本語日本文学科 

教授)

Page 13: 一 神話・伝説に見られる特徴的な語り...神話・伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木) 0 一二三 べている。太平洋に伝承の海洋型国産み神話に類似。またヌホコを男性の象徴とし、交合による国産み神話とも見られる」と述

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一三三

いる)

4(

 「是の墓は日ひ

は人作り夜は神作る」という話の末尾を読んですぐに想起されることがあるそれは努ぬ

賀か

咩め

という女の産んだ「小さき蛇」が「明くれば言こ

とはぬが如く闇く

るれば母と語」ったという「晡く

れふしの

時臥山や

」〔『常陸

国風土記』那珂郡茨城里〕の話である「神の子である蛇が昼は物を言わなかったが夜になれば母と話をした」

というのは神が昼にはほとんど行動せず夜には活発に行動するという当時の人々の考えを反映するものだろう

これは夜には神が墓を造ったというIの話に一致する

 

それだけでなく夜には神が墓を造ったという説明は同じIの話の冒頭近くに「其そ

の神常に昼は見えずして

夜のみ来み

す」とある説明と内容的に対応している冒頭の近くで述べたことと末尾の近くで述べたこととを照応さ

せたかたちである

 「二段構えの語り」に相当するものは一見しただけではこの話に含まれていないように思われるしかし話の

文脈を細かくたどると二重線を付した「大お

ほぞら虚

を践ほ

みて御み

もろの諸

山やま

に登ります」という部分と「仰ぎ見て悔いて急つ

き居う

則ち箸に陰ほ

を撞つ

きて薨か

むさり

ましぬ」という太線の部分とがそれに相当することがわかる前者は大物主神によ

る天空での動作であり後者は倭迹迹姫命による地上での動作であるこれらの動作により一方は本来の拠点に戻

り他方は他界へ赴いた

 

二重線の部分と太線の部分とについて二種の動作の間にどのような関係があるというのか二種の動作を描写し

た部分に「二段構えの語り」を認めるのは深読みの結果ではないのかなどといった疑問が生じるかも知れないし

かし話の文脈から見れば実はそのように判断するのは間違いであることが明らかになる

 「大虚を践みて」という夫の動作は新編古典全集の注で「雷神の象徴」だと解説され「天空をふみとどろかし

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一三四

て」と現代語訳されている蛇神である大物主神は雷神でもあるからそれは妥当な解説である「大虚を践みて」

は雷鳴は神が天空を踏みつける音だと見なしたうえでの表現である

 

この点に関しては『萬葉集』の歌が参考になる

J 

天雲を 

ほろに踏みあだし 

鳴る神も 

今日にまさりて 

恐かしこけ

めやも

〔十九四二三五〕

 「天の雲をばらばらに踏み散らして音を響かせる雷神も今日の天皇の御前より恐れ多いはずはないだろう」の意

を表す歌である作者はこのような歌を詠むことによって天皇の威徳あるいは権力に対して畏怖の念と敬愛の

情とを表明したのである第三句の「鳴る神」とは雷神のことで「(天で音を響かせて)鳴る神」の意である雷鳴

は神が天雲を踏みつけることによって出る音だという把握のしかたが歌の背後にあるIの話に「大虚を践みて」

とあるのは雷神に対して上代の人々がいだいていた畏怖の念を端的に表すものになっている

 

他方の「急つ

き居う

」という妻の動作については古典大系の注に「どすんとすわったツキは衝キと同じ」という

解説が見え新編古典全集の注には

K 「急」の字にどすんと坐る様子を表現ツキは「突」で尻餠をつく後悔でがっくりきた姿がよく出てい

と見える【妻が箸で陰部を突いたという話題の背後には男女の交合のイメージが濃厚にまとわりついていたと考え

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一三五

られる夫婦をめぐる話だからそれは当然のことである】

 

夫婦の動作についてまとめると「大虚を践みて」は妻に禁を犯されたことを恥じた大物主神が勢いよく天空

を踏みつけるさまを表すまた「急き居」は夫の課した禁を犯したことを悔いた倭迹迹姫命が地面に急にすわ

り込むさまを表すどちらも

 

I 《身体の一部を急に下方に移動させその先にある物を勢いよく突く》

という動作であるこのことを確認すれば天空でなされる「大虚を践みて」と地上でなされる「急き居」とは

互いに類似し対応する動作だということがわかる夫と妻による二種の動作にこうした類似と対応とが認められる以

上それが話を深読みすることによって得られた誤った理解であるはずはない

 

妻に「箸に陰ほ

を撞つ

きて薨か

むさり

ましぬ」という忌まわしい事態が生じたわけだから「急き居」というのは語り手に

とっても聞き手にとってもきわめて衝撃的な動作である伝承者は妻の驚くべき動作について語る前にその場面の

ことを強く意識しただろうそして妻の動作に対応し類似する夫の動作としていかにも雷神らしい「大虚を践み

て」という動作を連想し話のなかに持ち込んだのだろう

 

ただし二重線を付した部分と太線を付した部分の「大虚を践みて」と「急き居」とは内容的には酷似あるい

は類似したことを表すものになっている一方で表現の具体的なありかたは大きく異なっている

0

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0

それは当然である

 

さきに「神世七代」の条に出現する「面足る」「あや恐か

こね」という対偶神の名とEFの話に見える男女二神

の讃美表現とについて述べたように一段めの語りと二段めの語りには異なる表現を用いなければならない内容面

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一三六

で類似し対応する二つの部分が表現の面でも同じように類似し対応していれば伝承者が一方をもとにして他方を

作ったことが聞き手に悟られやすくなるからである「大虚を践みて」と「急き居」とであれば両者の表現は異

なるからそれらは一方から他方を連想したものだとは悟られにくいのである

 

こう見てくるとIの話にもやはり「二段構えの語り」が認められることがわかる「大虚を践みて」という動作

をあえて描写しなくても怒った神が御諸山に帰って行ったと述べるだけで話は十分に成り立つ当該の箇所は

もともと「大虚を践みて」という表現を含まない単純なものだっただろう

 

この話のなかには大物主神と倭迹迹姫命とに関して互いに対比的だと見なしうる項目が多く含まれている特

に目立つものを整理すれば

 

ⅰ 

神人

 

ⅱ 

夫妻

 

ⅲ 

応じる願う

 

ⅳ 

禁を課す禁を犯す

 

ⅴ 

恥じる悔いる

 

ⅵ 

天空地上

 

ⅶ 

足で踏みつける尻餠を突く

 

ⅷ 

本拠地に戻る他界へ赴く

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一三七

というようになる

 

神と人間の女とが結婚したもののそれは根本的な矛盾を含む無理な結び付きだった神と人間との間にあるそ

の根本的な矛盾が夫が課した禁を妻が犯すという大きな溝となって現れ結局のところ両者は別離を迎えざるをえ

なかったというのがIの話の趣旨である話の伝承者が神と人間との根本的な相違を明確に意識しながら語った

話だからⅰ〜ⅷのような対比的な項目を含むことになったということだろう

 

ここで「二段構えの語り」の成立に深い関わりをもつと思われる『萬葉集』の歌の構成について見てみる歌の

構成というのは一方から他方を連想することによって成立する序詞と本旨との関係である

L 

春はるされば

去者 

先まづ

鳴なく

鳥とり

乃の うぐひすの

之 

事こと

先さき

立だち

之し 

君をし待たむ

〔十一九三五〕

 「春さればhelliphellipう

ぐひすの

」の三句が序詞でありそれが本旨の「言こ

先立ちし君をし待たむ」を導入している第一句

第二句の表現にあるように「

」は春を迎えて真っ先に鳴く鳥であるそれを序詞の末尾に置いて「(あなたが私

に)先に声を掛けた」の意の「言先立ちし」つまり本旨を導入する表現とした「言先立ちし」という相手の行動を

描写する前に春になって真っ先に鳴く鳥を歌の作者が連想しそれを歌の前半に置いたのであるだから作者が

言いたい本旨の内容が先にありそれから序詞が連想されたという関係であるあとで連想された序詞は意味的

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一三八

にも内容的にも本旨に類似するものになっているが本旨の表現とは異なっている

M 

牛うし

窓まと

之の 

浪なみ

乃の

塩しほ

左さ

猪ゐ 

嶋しまとよみ

響 

所よそりしきみは

依之君 

逢はずかもあらむ

〔十一二七三一〕

 

序詞の「牛窓のhelliphellip島」は本旨である「響と

み寄そりしhellip」から連想されたものであり同時に本旨を導入する表

現にもなっているこの序詞は「潮し

騒さゐ

の波のざわめきのように島も」の意を表し本旨の「響み寄そりし君はhellip」は

「噂もうるさいほどに私との関係を言い立てられたあなたはhellip」の意を表す「潮騒」という音にかかわる現象と

人の噂が激しいことをいう「響み」との類似性が歌の前半と後半とを結び付けている噂がうるさいという現実か

ら作者は「潮騒」のざわめきを連想して序詞としたのだから本旨の内容が先にあり序詞は本旨に基づいて連想

されたという関係である

N 

天あま

飛と

ぶや 

軽の社の 

斎いはひつき

槻 

幾代まであらむ 

隠こもりづま

嬬そも

〔十一二六五六〕

 

女が詠んだと思われるこの歌では「天あ

飛と

ぶやhelliphellip齋い

ひ槻つ

」の三句が序詞として四句以下の表現を導入している

序詞の末尾に置かれた「齋ひ槻」は神聖である故に人が触れてはならない木をさすまた第五句の「隠こ

り妻」は

人に知られてはならない間がらにある妻をさすそのような内容面での共通性が歌の前半にある序詞と後半にある

本旨とを強く結び付けている「齋い

ひ槻」と「隠こ

り妻」とは表現が異なっているが両者の関係はMの歌に出て

いる「潮騒」と「響み」とのそれに酷似している

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一三九

 

以上の三首に見られる序詞と本旨との関係はさきに見た諸話の一段めの語りと二段めの語りとの関係に相当する

三首の序詞は本旨の内容から連想されたものであり諸話の一段めの語りは二段めの語りの内容から連想されたもの

であるしかし連想を呼ぶもとになったこととそれから連想されたこととは三首でも諸話でも表現が互いに異

なるものになっている

 

話を「二段構えの語り」に戻し次の話に認められる「二段構えの語り」について検討するしかし次の話の語

りのありかたは見てきた三話と異なる点がある

O 

萩原の里土は中の中なり右萩原と名づくる故は息お

きながたらしひめのみこと

長帯日売命韓か

らくに国

より還か

り上りましし時御船此の村

に宿りたまひき一夜の間に萩一ひ

ともと根

生お

ひき高さ一ひ

丈つゑ

ばかりなり仍よ

りて萩原と名づく即す

なはち

御井を闢は

りき

故かれ

針は

間ま

井ゐ

といふ其の処は墾は

らず又墫も

たひの

水溢あ

れて井と成りき故韓か

の清水と號く其の水朝に汲むに

朝に出でず爾す

なはち

酒殿を造りき故酒田といふ舟傾き乾か

れき故傾か

ぶきだ田

といふ米よ

舂つき

女め

等ら

が陰ほ

を陪

おもとびとくな

従婚

ぎ断ちき故陰ほ

とたち絶

田だ

といふ仍す

なはち

萩多く栄えき故萩原といふ爾こ

に祭れる神は少

すくなたらしのみこと

足命にます

〔『播磨国風土記』揖保郡〕

 

これは『播磨国風土記』に見える話で息お

きながたらしひめのみこと

長帯日売命(神功皇后)の聖性と威徳とを強調する内容になっている

 

これまで見た三話と同様にこのOの話にも女陰の話題が含まれているそれは「陰ほ

絶たち

田だ

」という地名の由来を

説明する短小な話のなかに見える息長帯日売命に仕える陪お

もとびと

従が米よ

舂つき

女め

等ら

と交合して陰部を傷つけたそのことが

この地名の由来になったという)

5(

陰部を傷つけたことを語る「陪お

もとびとくな

従婚ぎ断た

ちき」の「断た

ちき」は「裂傷をおはせた」

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一四〇

〔古典全書〕の意だと比較的古い注釈にありこれを踏襲する新しい注釈もある妥当な解説である

 

以上で見た三話と異なる点というのは二重線の部分と太線の部分とが

O 

米よね

舂つき

女め

等ら

が陰ほ

を陪お

もとびとくな

従婚ぎ断ちき

というように一文のなかに連続して出ている点である見てきた三話では二種の線を付した部分は近接した位置

にあるがOの話の場合はそれが極端なかたちで表れているまた二重線の部分が三話のように何らかの動作

状態を描写した表現になってはおらず「米よ

舂つき

女め

等ら

」という複合名詞になっている点も三話とは異なる

 

二種の線を付した一文の内容についていささか気になるのは「陪お

もとびとくな

従婚ぎ断た

ちき」という動作の対象になったの

が「米よ

舂つき

女め

等ら

が陰ほ

」だということである

 「米よ

舂つき

女め

等ら

」という複合名詞に含まれる「舂つ

く」は「突く」という動詞の一用法である「舂く」は「きねなどの

先で強く打っておしつぶしたり穀物のからなどを除いたり精白したりする」〔『日本国語大辞典』第二版〕の意で

あり「舂女」は「臼で穀物をつく女」〔同〕の意である

 

結局のところ「舂く」という動作は「臼などの器に棒状の物を押し込みなかにある穀物などを押しつぶす」の

意を表すわけだがいささか気になると述べたのは「舂く」という動作と「婚く

ぎ断ち」「陰ほ

絶た

ち」という動作との

間に認められる

O 《狭い空間に棒状の物を差し入れその奥にある部分または物を強く突き破る》

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一四一

という物理的な動き

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0

0

0

0

0

としての類似性であるこれは既に取り上げたABの話やIの話に見られる二種の動きの

類似性と同じである

 

交合によって陰部を損傷したのと同様に棒状の物で「舂く」ことによって穀物などの本来の形態も損なわれる

だから「舂く」と「婚く

ぎ断ち」「陰ほ

絶た

ち」とは物理的な動きだけではなく動きによって生じる結果

0

0

においても類

似している

 

このように話のなかに先に出てくる「舂き」とその直後に出てくる「婚く

ぎ断ち」「陰ほ

絶た

ち」との間には物理

的な動きとそれがもたらす結果との双方に関して顕著な対応類似が認められるそのような対応類似が生じた

ことについて次のように想定することができるだろうつまり話の伝承者があとで自分が語る交合という動作

を強く意識したそのために交合に類似した動きを表す「舂く」を事前に連想しさらにはその語を含む「米舂女

等」をも連想してそれを結果的に話のなかに持ち込んだのではないかということである現にGの「丹塗矢伝

説」に「その美人の富ほ

登と

を突きき」とありIの「箸は

墓はか

伝説」にも「陰を衝つ

きて」とあってそれらの「突き」「衝

き」は表記こそ違え「舂き」と同じ動詞である

 「婚く

ぎ断ち」「陰ほ

絶た

ち」は凄惨かつ深刻な事態だからそれに類似する「舂く」という動作を事前に伝承者が連想

することは十分にありえたと思われるそのように想定すればOの話にも「二段構えの語り」が表れていることに

なる

 

話の展開に従えば「舂く」を含む「米舂女等」が一段めの語りとして先に出てきて「婚く

ぎ断た

ち」「陰ほ

絶た

ち」が二

段めの語りとしてあとに出てくるしかし話が成立した経緯から見れば二段めの語りがもとで一段めの語りが生

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一四二

まれたわけだから実際の先後関係は正反対である

 「二段構えの語り」が以上のような経緯で成立したのだとすればOの話では陪お

もとびと

従が交合を行って陰部を損傷さ

せた対象はもともと「米舂女等」だとは限定されていなかったことになるそれで話は成り立つ

 

Oの話に認められる「二段構えの語り」は前節で確認したような歌の構成のありかたから見ればいったいどの

ようなものだと言えるのか

P 

窺うかねらふ

良布 

跡と み見

山やま

雪ゆき

之の 

いちしろく 

恋ひば妹が名 

人知らむかも

〔十二三四六〕

 

この歌では「じっと見ていて獲物を狙う」の意の「うかねらふ」が「跡と

み見

山」の「跡見」に掛かる枕詞になって

いる「うかねらふ」を承ける「跡と

み見

」は狩猟に関して用いられた語である注釈辞書に見える説明をまとめれ

ば「跡見」は「鳥獣が通ったあとを見てそれが通った時間やそれが今いる場所などを判断することまたそれ

を行う役の猟師」の意である歌の作者が「跡見」という語からそれと類義をもつ「うかねらふ」という動詞を

連想しそれを「跡見」という名詞を導入する枕詞としたのである「うかねらふ」と「跡見」とは類義の語だが

音韻面ではまったく異なっているこれはOの話の「米よ

舂つき

女め

等ら

」の「舂く」と「婚く

ぎ断ち」「陰ほ

絶た

ち」との関係に

近い

 『古事記』に見える次の歌謡では序詞と本旨との関係がPの歌の「跡見」と「うかねらふ」とのそれに類似し

たものになっている

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一四三

Q 

倭やまとへ方

に 

西吹き上げて 

玖く

毛も

婆ば

那な

礼れ 

曽そ

岐き

袁を

理り

登と

母も 

吾忘れめや

〔記五五〕

 「倭や

まとへ方

にhelliphellip雲離れ」の三句が序詞となって本旨の「退そ

き」あるいは「退き居り」を導入している「退き」は

「遠ざかり」の意を表す動詞だから「雲離れ」という複合語に用いられた「離れ」とは類義語の関係にある本旨

の「退き」を言うためにそれと類義をもつ「離れ」を事前に連想しそれを末尾に置いて長い序詞を構成したわけ

である「雲離れ」と「退き居り」とは音韻面で類似するところがない「離れ」と「退き」との関係はやはりO

の話の「米よ

舂つき

女め

等ら

」の「舂く」と「婚く

ぎ断ち」「陰ほ

絶た

ち」との関係に近いと言える

R ふさ

手た

折をり 

多た

武むの

山やま

霧ぎり 

繁みかも 

細川の瀬に 

波騒きける

〔九一七〇四〕

 

この歌では地名の「多た

武む

」を「曲げる」の意を表す「たむ」という動詞に見立てそれから事前に連想された

類義の「手折り」に「

ふさ

」を付し「たむ」の枕詞としている「手た

折を

る」は「手で曲げて取る」の意であり「

は「総房」のことで花や実が束になって付いたものをさす本旨の表現に用いるべき「たむ」から類義を表す

「手折る」という動詞を連想したのであるこれもまたOの話の「断つ」と「舂く」との関係を思わせる「たむ」

と「手折り」とは初頭の音節が同じだが互いに音節数が異なっている

 

三首の「跡見」「退き」「たむ」が「二段構えの語り」の二段めのかたりに相当しそれから連想された「うかね

らふ」「雲離れ」「

手折り」が一段めの語りに相当すると言えるだろう

 

既に述べたようにOの話は聖性と威徳とを具えた息長帯日売命に関する話である「一夜の間に萩一ひ

根もとお生

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一四四

き」「墫も

たひの

水溢あ

れて井と成りき」その他の不思議な事態が起こったことが話のなかでくり返し述べられている

同様にほかならぬ息長帯日売命に仕える陪お

もとびと

従が米舂女等と交合を行って陰部を傷つけた結果「萩多く栄えき」

という事態が生じたということなのだろう

 

Oの話が載っているのと同じ『播磨国風土記』に

S 

讃さ よ容

といふ所ゆ

ゑ以

は大神妹い

もせ

二柱競ひて国占し

めましし時妹玉た

津つ

日ひめのみこと

女命生ける鹿を捕と

り臥せて其の腹を

割さ

きて其の血に稲種ま

きき仍よ

りて一夜の間に苗な

生お

ひき即す

なはち

取りて殖う

ゑしめたまひき爾こ

に大神勅の

りたま

ひしく「汝な

にも妹

は五さ月夜よ

に殖ゑつるかも」とのりたまひて即や

て他

あだしところ

処に去りたまひき故か

五月夜の郡こ

ほりと

號なづ

神を賛さ

用よ

都つ

比ひめのみこと

売命と名づく

〔讃容郡〕

という話が見えまた次のような話も見える

T 

丹に

津つ

日ひ

子こ

の神「法ほ

太だ

の川底を雲う

るみ潤

の方に越さむと欲お

ふ」と爾し

かい云

ひし時彼の村に在い

せる太お

水みづ

の神辞い

びて

云の

りたまひしく「吾は宍し

の血を以て佃た

つくる

故か

河の水を欲ほ

りせず」とのりたまひきその時丹津日子云ひし

く「此の神は河を堀る事に倦う

みて爾いへるのみ」といひき故雲う

弥み

と號な

く今い

人ひと

雲潤と號な

〔賀毛郡〕

 

Sの話は鹿の腹を割いてその血に稲を蒔いたら一夜で苗が生えたというものであるまたTの話は宍し

つま

り動物の血で田を作るから河の水は必要ないと神が言ったというものである二話では稲などの植物を植える際

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一四五

には普通に水を用いるよりも動物の血を用いた方が成長がずっと早いと述べているようである

 

これらの話には動物の血と稲あるいは田と一夜での苗の成長の三つの要素の結び付きが確認できる)

6(

この

ことはOの「陰絶田」の話を想起させずにはおかないつまり稲あるいは田は「陰絶田」の話に出ている「米よ

舂つき

女め

等ら

」に対応するように思われるしまた動物の血は女らと陪従らとの交合によって陰部から出たはずの血に

対応するように思われるさらに一夜で急に苗が成長したという事態は「陰絶田」の話の前半部に「一夜の間に

萩一ひ

根もとお生

ひき」とありまた「陰絶田」という地名に続いて「仍す

なはち

萩多く栄えき」とあることに内容的に対応する

と理解することができる

 

だから「米よ

舂つき

女め

等ら

が陰ほ

を陪お

もとびとくな

従婚ぎ断ちき故陰ほ

絶たち

田だ

といふ仍す

なはち

萩多く栄えき」という一連の表現では

陰部を損傷させたことと萩が多く栄えたこととの間には「そのことが原因で」の意の明確な因果関係があると

見るべきだろう

 

三つの要素の結び付きがOの話にも認められる以上同話と動物の血に関する話は古い時代に行われていた儀礼

を背景とするものだと考えることができるだろう動物の血と人間の血との違いはあるがそれらは神に動物の犠

牲を捧げたことによって豊穣繁栄がもたらされたという人々の遠い記憶を伝えるものなのではないか

 「国土創成」をめぐるABの話とEFの話Gの「丹塗矢伝説」Iの「箸墓伝説」Oの「陰絶田」をめぐる

話のどれでも女陰交合結婚などのことが話題となっているこれらの諸話に「二段構えの語り」が認められる

ことを以上の論述で確認した

 

ただし「二段構えの語り」が認められることと女陰交合などの話題が含まれることとの二点を条件として

以上の諸話を選んだわけではない「二段構えの語り」が認められる諸話を取り上げたところそれらには女陰交

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一四六

合などの話題が共通して含まれていたというのが実際である

 

女陰を矢が突くにしても何かが原因で女陰が損傷を受けるにしてもとにかく女陰や交合に関する話題は話の

語り手にも聞き手にも強い印象を与えたはずである時にはそれは刺激的衝撃的な印象さえ与えたに違いない

それだからこそ女陰交合に関する出来事はその内容に類似し対応する連想を呼びやすかったのだろう「二段

構えの語り」と女陰交合の話題とが以上の諸話のなかに共存するのはそのような理由によるものと考えられる

 

以上で確認したように「二段構えの語り」が表れていると判断される諸話に女陰交合などの話題が共通して

含まれている論述の流れに従えば交合結婚を語るものではないがやはり女陰のことが一つの話題になってい

る次の話を取り上げる必要があるだろう

U 

須す

佐さ

之のをのみこと

男命(略)勝ちさびに天あ

まてらすおほみかみ

照大御神の営つ

くだ田

を離は

ちその溝を埋めまたその大お

ほにへ嘗

を聞こしめす殿に屎く

まり散らしき故か

然し

すれども天照大御神は咎と

めずてhellip(略)なほその悪しき態わ

止まずて転う

てありき天照大御

神忌い

みはた服

屋や

に坐ま

しまして神か

御み そ衣

織らしめたまひし時その服屋の頂む

を穿う

ち天あ

の斑ふ

ちこま馬

を逆さ

剝は

ぎに剝ぎて堕お

し入る

る時に天の服は

織おり

女め

見驚きて梭ひ

に陰ほ

と上

を衝つ

きて死にき故か

ここに天照大御神見畏か

しこみ

て天の石い

屋や

戸と

を開

きてさし籠もりましきここに高た

天ま

の原皆暗く葦

あしはらのなかつくにことごと

原中国悉に闇く

しこれによりて常と

夜よ

往ゆ

ききここに

万よろづのわざはひ

妖悉に発お

りき

〔神代記〕

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一四七

 

これは『古事記』の神話の一部であり須佐之男命の「勝ちさび」の場面とその姉である天照大御神の「石屋籠

もり」の場面である天照大御神が機織りをしている時に弟の須佐之男命が皮を剝いだ馬を服は

屋や

の屋根を壊し

てなかに投げ入れたそれに驚いた服は

織おり

女め

が縦糸の間に横糸を通すための道具である梭ひ

を誤って自分の陰部に突

き刺して死んだそれを見て弟の行動を恐れた天照大御神が石い

屋や

に籠もってしまったので世界は暗闇に閉ざされ

多くの災禍がはびこったという

 

二重線を付した「その服屋の頂む

を穿う

ち天あ

の斑ふ

ちこま馬

を逆さ

剝は

ぎに剝ぎて堕お

し入るる時にhellip」という部分と太線を付し

た「梭ひ

に陰ほ

と上

を衝つ

きて死にき」という部分とは表現のありかたがまったく異なるしかし皮を剝いだ馬を屋根

を壊して建物のなかに投げ入れることと梭ひ

で勢いよく突いて陰部を傷つけることとが物理的な動きとして酷似し

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ている

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ことは事実である二つの部分では

U 《ある物体を急に動かしその勢いで別の物体を破損する》

ということが共通の骨子になっているこのような動きはIOの話の場合の動きと酷似している

 

二つの部分に描写されている物理的な動きをこのように要約するとこれまで見た諸話の場合と同様にUの話に

表れている「二段構えの語り」について次のように推測すべきことになるつまり皮を剝いだ馬を服屋の屋根

を壊して投げ入れたという二重線の部分は梭で陰部を突いて服織女が死んだという太線の部分に基づいて伝承者

が事前に連想して話のなかに持ち込んだものだろうということである

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一四八

 

確かに梭で陰部を突いて女が死んだというのはあまりにも衝撃的で印象的な出来事である特に『日本書紀』

の所伝には「天照大神驚お

どろ動

きたまひて梭を以て身を傷い

ましむ」〔本書〕とありまた「稚わ

かひるめのみこと

日尊驚きたまひ

て機は

より墮お

ちて持たる梭を以て體み

を傷や

らしめて神か

むさ退

りましぬ」〔一書第一〕とあって事態はさらに深刻であ

る至高神である天照大神自身が陰部を損傷しまたその分身である稚日尊が同じ原因で死んだというのだからこ

れ以上の重大事件はない

 

ただしここで一つの問題が生じる伝承者が連想したことを神話のなかに持ち込む以前には梭を突き刺して陰

部を損傷したという話題はあっても屋根を壊して馬を投げ入れたという話題は含まれていなかったことになるそ

こで馬に関する話題が直前に置かれていなくても天照大御神が石屋に籠もるという展開になりえたのかとの問

題が生じるのである少なくともUの話では馬の投げ入れに驚いて服織女が陰部に損傷を負って死んだので

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その

ことを恐れた天照大御神が石屋に籠もってしまったというように読めるからである

 

結論を言えば馬を投げ入れるという行動はなくても天照大御神が石屋に籠もるという展開になりえたと理解

することができるそのことを支持するのは『日本書紀』に見える次の所伝である

V 

日ひのかみのみこと

神尊天あ

まのかきた

垣田を以て御田としたまふ時に素戔嗚尊春は渠み

塡う

め畔あ

はなち毀

す又秋の穀

たなつものすで

已に成りぬるとき

に則ち冒

ひきわたす

に絡あ

ぜなは縄

を以てす且ま

たひのかみ

日神の機は

殿どの

に居ま

します時に則ち斑ぶ

駒こま

を生い

剝は

ぎにして其の殿

みあらかの

内に納な

げいる

凡す

て此の諸

もろもろの

事尽

ことごとくに

是これあづきな

無状し然れども日神恩

このかみおととむつま

親しき意

みこころもちに

して慍と

めたまはず恨みたまはず皆

平たひ

らかなる心を以て容ゆ

したまふ日神の新

にひなへきこ

嘗しめす時に及お

よ至

びて素戔嗚尊則ち新

にひなへのみや

宮の御み

まし席

の下に陰ひ

そかに

ら送く

そま糞

る日神知し

しめさずして俓た

に席み

ましの

上に坐ゐ

たまふ是に由よ

りて日神體み

みこぞ挙

りて不や

くさ平

みたまふ故以

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一四九

て恚い

か恨

りまして廼す

なはち

天あまのいはや

石窟に居ま

して其の磐い

戸と

を閉さ

しぬ

〔一書第二〕

 

素すさのをのみこと

戔嗚尊の悪行がどのような順序でこのVの話にあげられているかを少し細かく見てみる天照大神の御み

田た

素戔嗚尊が損壊する話が最初に置かれておりそれはUの話の場合と同じであるしかしその直後にはUの話と

大きく異なって馬を投げ入れる話が置かれているそしてこの悪行を含む「諸

もろもろ

の事」について「日ひ

神かみ

恩このかみおととむつま

親しき意

みこころもちに

して慍と

めたまはず恨みたまはず皆平た

らかなる心を以て容ゆ

したまふ」という説明が付され

ている馬を投げ入れたことは天照大神の石屋籠もりと直結しておらずむしろ日神は馬の投げ入れを含む多くの

悪行を許したというのである

 

Vの話で石屋籠もりと直結しているのはそのあとになされた悪行であるそれは「素戔嗚尊則ち新

にひなへのみや

宮の御み

まし席

の下に陰ひ

そかに

自ら送く

そま糞

る」という蛮行でありこれによって「日神知しめさずして俓た

に席み

ましの

上に坐ゐ

たまふ是に

由よ

りて日神體み

みこぞ挙

りて不や

くさ平

みたまふ」というひどい状況が生じたつまり新宮のなかでの脱糞という悪行が日ひ

神かみ

に病をもたらしさらには同神を石屋に籠もらせたというのである陰部が損傷した事件ではなくて新宮での脱糞

という蛮行が石屋籠もりの原因となりえたことをVの話が証明している【天照大神にあたる神を「日神」とする所

伝はより古い時代に成立したものだと言われる】

 

新宮での脱糞が石屋籠もりの原因になったとするVの話には女陰が損傷したことはまったく見えないこれに対

してUの話やさきに引用した『日本書紀』の本書一書第二の話では馬の投げ入れに驚いた女神が陰部を損傷し

そのことが女神の石屋籠もりの原因となっている話の内容にこのような相違がある事実は女神が陰部を損傷した

ことと女神が石屋に籠もったこととは必ずしも一連のものではないことしたがって話の成立について考えるにあ

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一五〇

たっては二つのことを別々に処理してかまわないということを示している

 

ただしUの話で大きな問題となるのは馬を投げ入れるという行動がなければ女神が驚いて陰部を損傷すると

いう事態も起こらないということであるこの点で女神が陰部を損傷するという事態だけが話に含まれ馬を投

げ入れるという行動は話に含まれないという話の状況は想定できないのである

 

一連の話のなかにまずXのことが出ていて次にYのことが出ているという「二段構えの語り」について考える際

にぜひとも考慮しておくべきことがあるつまりあることをもとにしてそれに類似することを伝承者が連想し

連想した内容を結果的に話のなかに持ち込むには一般的に二とおりの過程がありうるということである

a 

先に出てくるXが伝承者に強い印象を与えるためにXについて語ったあとにそれに類似した内容をもつY

を伝承者が連想するという過程

b 

あとに出てくるYが伝承者に強い印象を与えるためにYについて語る前にそれに類似した内容をもつXを

伝承者が連想するという過程

 

これまで見てきた「二段構えの語り」はすべてbの過程を経て生じたものだと考えたしそのように考えて特に

問題はなかったしかしUVの二話の場合はそのように考えることは不可能であるUの話では馬を投げ入

れたことが女神が陰部を損傷する原因になっておりVの話では新宮で脱糞したことが女神に病をもたらす原

因となっている二重線の部分が原因を表しており太線の部分が結果を表しているわけだから二つの部分は密接

な因果関係を構成しているのである

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一五一

 

そこでUVの二話に表れている「二段構えの語り」がbの過程を経て成立したと仮定して具体的に話の展開

について考えてみる陰部を損傷したことだけがUの話に含まれるという段階を想定すれば女神がなぜ梭で陰部を

突くことになったのか何も説明がなく話の展開が唐突すぎる聞き手は話の展開が理解できないのであるまた

同様に女神が糞の上に座って病を得たことだけがVの話に含まれるという段階を想定すればそこになぜ糞があっ

たのかが不明であるこちらも話の展開そのものが成り立たない

 

一方で「二段構えの語り」はbの過程を経て成立したという仮定を捨てそれはaの過程を経て成立したものだ

と仮定してみる二重線の部分だけが話に含まれており伝承者はそれをもとにして太線の部分を連想し連想した

ことをあとで話のなかに持ち込んだというふうにである

 

Uの話にはもともと馬を投げ入れたことだけがあり伝承者はそれをもとに酷似する動きをとることとして

梭で陰部を突くという動作を連想した馬の皮を剝いだうえ屋根を壊してそれを服屋の中に投げ入れるという悪行

は女神が梭で陰部を突くという事故がなくても女神を恐れさせて石屋に籠もらせるには十分である

 

またVの話の場合にはもともと新宮で脱糞をしたことだけが含まれており伝承者はそれに基づいて女神が

その糞の上に座って病を得たことを連想した女神が新嘗の儀礼を行う前にその神聖な新宮でこっそり脱糞をする

という蛮行は女神が糞の上に座って病を得るという事態が起こらなくても女神を怒らせて石窟に籠もらせるには

十分である

 

こうしてbの過程を想定すればもとの話は成り立たないが逆にaの過程を想定すればUVの二話にも「二

段構えの語り」が表れていると考えることができる実はaの過程を想定することによって「二段構えの語り」が

表れていることを順当に説明しうる話はすぐあとに取り上げるようにほかにもまだある

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一五二

 

女陰が何らかの原因で損傷したことを述べるIOUの三話についてさきに一段めの語りと二段めの語りの

内容を検討したうえでそれぞれを次のように一文にまとめておいた

I 《身体の一部を急に下方に移動させその先にある物を勢いよく突く》

O 《狭い空間に棒状の物を差し入れその奥にある部分または物を強く突く》

U 《ある物体を急に動かしその勢いで別の物体を破損する》

 

三話に認められる「二段構えの語り」の内容はこのようにどれも同じような動きを表すものになっているそれ

だけでなくABの話やGの話に見られる「二段構えの語り」もまた同じような動きを表すものになっている

ということは女陰が損傷を受けたことを述べる三話に「二段構えの語り」を認めることの妥当性を逆の面から証

するものだと言えるのではないか

 

これに対し女陰の損傷が話題となっていない「二段構えの語り」が認められる別の諸話についてその内容を

一文にまとめるとその一文はこれらとまったく異なる動きを表すものとなる(後述)そのこともさきに述べた

ような「二段構えの語り」の存在を認めるべき一つの論拠となると考える

 

Uの話と同様にaの過程を経て「二段構えの語り」が成立したと推定される話をここでもう一つ取り上げる

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一五三

それは『古事記』に見える神話でのちに地上界の支配者になる大お

ほなむぢの

穴牟遅神か

をその兄弟である八や

十そ

神がみ

が殺害する場

面である

W 

ここに八や

十そ

神がみ

見てまた欺あ

ざむき

て山に率ゐ

て入りて大お

樹き

を切り伏せ茹ひ

矢や

をその木に打ち立てその中に入らし

むる即ちその氷ひ

目め

矢や

を打ち離ちて拷う

ち殺しきここにまたその御み

祖おや

の命み

こと

哭な

きつつ求ま

げば見得てすな

はちその木を折りて取り出で活かしてその子に告げて言ひしく「汝い

まし

此こ こ間

にあらば遂に八十神のために滅

ぼさえなむ」といひてすなはち木き

国くに

の大お

屋や

毘び

古この

神かみ

の御み

もと所

に違た

へ遣りきここに八十神

ぎ追ひ臻い

りて矢や

刺ざ

し乞ふ時に木の俣ま

より漏く

き逃がして云の

りたまひしく「須す

佐さ

能のをのみこと

男命の坐ま

します根の堅か

州す

国くに

に参ま

向ふべし必ず

その大神議は

りたまひなむ」とのりたまひき故か

詔の

りたまひし命の随ま

にまに

須佐之男命の御所に参ま

ゐいた到

ればhellip

〔神代記〕

 

八十神が大木を切り倒してそれを裂き裂け目に楔

くさび

状の「茹ひ

矢や

」を押し立てておいたそしてそこに大穴牟遅神

を入らせて楔状の物を引き抜き同神を圧死させた同神の母が木を折って息子を救い出しこれを蘇生させて大お

屋や

毘び

古この

神かみ

のもとへ逃がしてやったさらに八十神が追いついて息子を引き渡すように母に要求した時には母が息

子をこっそり木の俣から須佐能男命のもとへ逃がしてやったという

 

Wの話の直前には八十神に脅迫された大穴牟遅神が焼けた岩をかかえ込んで死んでしまったという話が置か

れている死んだ大穴牟遅神はやはり母の尽力によって復活したというそれが一回めの死と復活を語る話だから

Wの話で語られる死と復活は二回めのそれである一回めの死が岩を抱き取ることによってもたらされ二回めの死

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一五四

が木の俣に挟まれることによってもたらされた死因の内容が一回めと二回めとでは逆転している

 

また大穴牟遅神の二度にわたる死は天照大御神の二度にわたる死と奇妙なかたちで対応している天照大御神

の死はまず同神自身あるいはその分身の女神が木製の梭で陰部を突いて死ぬというかたちで語られるまた

そのあとで同神自身が岩屋に籠もってしまうというかたちで死が語られるがそれは太陽神の象徴的な死である

両神の死の内容を細かく比較すると両神の体と岩木とが次のように互いに逆転した奇妙な関係を示しているこ

とがわかる

  

大穴牟遅神の死helliphelliphellip体が岩をかかえるdarr木の俣が体を挟む

  

天照大御神の死helliphelliphellip木が体のなかに入るdarr体が岩のなかに入る

 

地上の支配者と世界の至高神との間に死をめぐってこのような逆転した関係が認められるのはきわめて興味深

いことである)

7(

 

さて「二段構えの語り」だがWの話のうち母が息子を「その木を折りて取り出で活かして」大お

屋や

毘び

古この

神かみ

のも

とへ逃がしてやったという二重線の部分が一段めの語りにあたる二段めの語りにあたるのは母が息子を「木の

俣また

より漏く

き逃がし」て須佐能男命のもとへ向かわせたという太線の部分である

 

つまりこの神話では俣になった「その木を折りて」母が息子を救い出す一段めの語りと母が息子を「木の俣

より漏く

き」逃がしてやる二段めの語りとは

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一五五

W 《母が息子を木の俣から救出しあるいは逃がして別の神のもとへ送り出す》

という酷似した内容のものになっている

 

地上の支配者となるべき大穴牟遅神が木の俣に挟まれて死んで母に救われる話の方が同神の母が木の俣から息

子を逃がしてやる話よりもずっと衝撃的で印象的であるだから神話の伝承者が一段めの語りの内容を強く意

識しそれに酷似した内容をもつ二段めの語りを連想してあとで話のなかに持ち込んだのだろうと推測される

より印象的な出来事を語り終えたあともそれが意識のなかから消え去らず類似し対応することがらをあとで連想し

てしまったと考えられる【一段めの話から二段めの話が連想されたというaの過程をたどったとおぼしい実例は

僅少であるそれには然るべき理由があったと考えるべきだが目下のところそれは不明である】

 

Wの話がこのような経緯をたどったとすると母が木を折って息子を救い出しこれを蘇生させてから別の神のも

とへ逃がしてやったという一段めの語りだけが話に含まれていた段階を例によって想定しなければならない一

段めの語りだけで話は成り立つのか

 

結論を言えばその想定は可能である八十神のもとから逃げた大穴牟遅神が須佐能男命のいる地まで行ったと

いうような単純な内容の話になっている方が以下との続きかたは自然である二重線の部分の末尾にある「木き

国くに

の大お

屋や

毘び

古この

神かみ

の御み

もと所

に違た

へ遣りき」の「大屋毘古神」の部分を太線の部分にある「須佐能男命」とすれば話は無

理なく以下に続くのであるまずは大屋毘古神のもとへ逃げて行ったという部分がなかったとすれば母は木の裂け

目から息子を救い出しこれを蘇生させて須佐能男命のもとへ送り出したというわかりやすい展開になるしたが

ってaの過程を経てWの話が成立しただろうという推定は十分に成り立つ

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一五六

 

二重線の「木き

国くに

の大お

屋や

毘び

古この

神かみ

の御み

もと所

に違た

へ遣りき」という部分は「木国のhellip」で始まっているそれは「大お

樹き

切り伏せ」「茹ひ

矢や

をその木に打ち立て」「その木を折りて」などWの話にくり返し出ている「樹木」から連想され

たものだろう

 

太線の部分にある「木の俣ま

より漏く

き逃がして」以下の表現からその前に置かれた二重線の部分が連想されたと

いうbの過程は想定できない二重線の部分が話に含まれていないという段階はなぜ太線の部分が話に含まれてい

るのかということつまり「木の俣ま

より漏く

き逃がして」とある理由が説明できないのである大穴牟遅神が八十神に

殺害されて復活したという理由があって始めて「木の俣ま

より漏く

き逃がして」以下の表現が意味をもつのである

 

木の俣に挟まれて圧死した大穴牟遅神が母の尽力によって蘇生したあとには同神が須佐能男命から与えられた

いくつもの試練を妻の須す

勢せ

理り

毘び

売め

の助力を得てそのたびごとに克服するという話が続くさらに大穴牟遅神が

須勢理毘売をその父のもとから奪って逃げるとともに自分に苦難をもたらした八十神を追い払って「始めて国を作

りたま」うたという展開になっているまたそのあとにも大穴牟遅神の子を産んだ八や

上かみ

比ひ

売め

が須世理毘売を恐

れて「その生める子をば木の俣に挟みて返」ったという話が続いている八上比売の話にまたもや「木の俣」

のことが出てくるわけである

 

この「木の俣」の話もまた大穴牟遅神が「木の俣」に挟まれて圧死した話から連想されたものである可能性が想

定できるがそのように想定する場合に問題となることがあるそれは両話の間に置かれた話があまりにも長大な

ものだということであるしかし大穴牟遅神と生まれた子との間には

 

ⅰ 

父子

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一五七

 

ⅱ 

木の俣に挟まれて死ぬ生まれて木の俣に挟まれる

 

ⅲ 

母が救い出す母が置き去りにする

 

ⅳ 

母が別地へ向かわせる母がもとの地に戻る

というような対比的な関係も認められるのでありこうした関係が偶然に生じたものだとは考えがたいだから父

が木の俣で圧死させられることから生まれた子を木の俣に置くことが連想されたという可能性をここでは否定し

ないでおく【より古い時代には大穴牟遅神が木の俣に挟まれて死ぬ話と八上比売が木の俣に新生児を挟む話とは

直結した一連のものだったことも想定できる】

 

以上の論述では「二段構えの語り」の様態について数話を例示してやや細かく検討を加えたその結果話に

含まれる特定のことからがそれに類似し対応することがらを伝承者に連想させ連想した内容が結果的に話のなか

に組み込まれてしまうという特徴的な現象を上代の神話や伝説を通して確認することができたと考える

 

同じ「二段構えの語り」の現象が認められる話は本稿で取り上げた諸話で尽きているのではなくまだ何話か上

代の文献に見える紙幅の関係でそれらを取り上げて細かく検討を加えることができないからここで二話だけに

ついて結論を述べておき具体的な検討は別稿で行うことにする

 

二話のうち一つは神話に見えるもので娘たちを飲み食らう大蛇を須佐能男命が退治する場面である『古事記』

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一五八

で言えば「是の高こ

志し

の八や

俣また

の遠を

呂ろ

智ち

年と

毎ごと

に来て喫く

へり」という部分と「船ふ

毎ごと

に己お

が頭を垂い入れてその酒を飲み

き」という部分とが「二段構えの語り」に相当する二つの部分の内容をまとめると

  《大蛇が出雲へやってきて足あ

名なづち椎

のがわに属するものを食らいあるいは飲む》

というようになる娘たちを食らい飲む大蛇が酒を飲むという同じ行動が原因で退治されてしまうのである

 

またもう一つの話は『播磨国風土記』の賀古郡の条に見える「比礼墓伝説」であるこの話では「印い

なみ南

」の女

が「隠な

び妻」であり「辞い

び妻」でもあるからこれは「古代の口がたり特有の面白さ」をもつものだという興味深

い見解がある

 

話の冒頭近くにある「度わ

たりもり

子紀き伊の国く

人ひと

小を

玉たま

申さく「我は天

すめらみこと

皇の贄に

人びと

たらめや」とまをす」という部分とその

あとにある「印南の別嬢聞きて驚き畏か

しこみ

即や

て南な

都つ

麻ま

嶋に遁に

げ度りき」という部分とが「二段構えの語り」に

相当する二つの部分のうちのあとの部分は別嬢が天皇の求婚を嫌がって

0

0

0

0

島に逃げて隠れたことを述べたものだか

ら二つの部分は同じく「辞い

び」を内容とするものだと言える「度わ

たりもり

子」つまり船頭の「我は天

すめらみこと

皇の贄に

人びと

たらめや」

という発言に倣って天皇の求婚を嫌がる別嬢の心情を言い表せば「吾は天皇の妻

9

9

9

9

たらめや」というようになる

  

船頭の「辞び」helliphelliphellip「我は天

すめらみこと

皇の贄に

人びと

たらめや」

  

別嬢の「辞び」helliphelliphellip「吾は天皇の妻

9

9

9

9

たらめや」

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一五九

 

結局二つの「辞び」は単なる拒否ではなく次のような同じ内容を表す「辞び」なのである

  《私は天皇にお仕えなどしない》

 

この話の末尾近くには別嬢の遺体について「大き飄つ

むじ

川下より来て其の尸か

ばねを

川中に纏ま

き入れき求むれども得

ず」と述べられているがその部分と別嬢が島に逃げて隠れた

0

0

0

という前の部分ともまた「二段構えの語り」を構

成している二つの部分はともに別嬢の「隠び」を内容とするものなので次のように一つにまとめることができる

  《別嬢が「隠な

び」をした》

 「辞び」も「隠び」も話のなかに二度ずつ表れているのである

 

大蛇退治の神話と「弟日姫子伝説」とには「二段構えの語り」を認めるにあたって解決すべき多くの問題が含ま

れているしかしそれらを一つ一つ検討していけば見てきた諸話と同様の特徴的な語りを二話にも認めることが

できる

註(1) 

本稿にあげる『古事記』『日本書紀』『風土記』などの記述は本文訓読文ともに古典文学大系のものを引用するまた

『萬葉集』の本文訓読文は新編古典全集のものを引用するただしいずれも読みやすさと理解しやすさとを考慮して

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一六〇

もとの表記形式その他を改めることが少なくない

(2) 

大野晋「記紀の創世神話の構成」〔『文学』一九六五年八月〕のちに『仮名遣と上代語』(一九八二年)に収載

(3) 「丹塗矢伝説」の成立については小著『伝承と言語』(一九九五年)のⅡ部四章で私見を述べたただし同書に述べたこ

とと本稿で述べたことの間には一点だけ相違がある丹塗矢が女の陰部を突いたという話は神と人間の女とが結婚したこ

とを明確に語ったものではないからそのことを明確にするために女の持ち帰った丹塗矢が男に変身して子が生まれたとい

う話があとになって付加されたのだと同書では述べたそれは既存の一説に見える解釈を妥当なものと認めそれを踏

襲したものだった本稿では「二段構えの語り」がこの話にも認められるという見解に立ってかつて小著で述べた考えを

訂正する

(4) 

女に与えられた「倭迹迹日百襲姫命」という名の語構成ははたしてどのようなものなのかこれを疑問の余地なく解明す

ることはかなり難しい

   

初頭の「倭」と末尾の「姫命」は除くとして「迹と

迹と

日び

百もも

襲そ

」の「百襲」は字面のとおり「多くの着衣」の意であるかも

知れないこの女の夫は蛇神だから蛇が何度も脱皮をくり返すことを背景とする名を妻がもつことは十分にありうること

だろう「百襲」の「襲」には字を構成する要素として「衣」がある「襲」の字は「重ねて着る」「覆う」「継ぐ」「おそ

う」などの意を表す

   

ある特徴や習性を表す語が当人ではなく周囲の者の名に含まれる例は「丹塗矢伝説」の登場者にも見られるたとえば

矢で陰部を突かれて慌てた女が勢せ

夜や

陀だ

多た

良ら

比ひ

売め

であるのにその女の産んだ娘が「陰に矢を立てられ震え姫」の意の「富ほ

登と

多た

多た

良ら

伊い

須す

須す

岐き

比ひめのみこと

売命」という名を与えられている母の経験したことが娘の名に反映しているのである

   「晡く

れふしの

時臥山やま

」〔『常陸国風土記』那珂郡茨城里〕の話に登場する子として蛇を産んだ女とその兄は「努ぬ

賀か

咩め

」「努ぬ

賀か

古こ

という名を与えられているこれらの名も原義を解明するのは難しいが「ぬか」はやはり脱皮の意を表す「脱ぬ

か」かも知れ

ない『和名類聚抄』の「蛻」の項に「毛も

沼ぬ

久く

」とあり『色葉字類抄』の「

蛻」の項に「ヘミノモヌケ」とあるこれらの

「脱ぬ

く」「脱ぬ

け」がこの場合に参考になる下二段活用動詞の「脱け」が「脱か彦脱か姫」では「脱か」となってい

るわけだが上代語では「明け」「荒れ」「枯れ」などの下二段活用動詞が「明か時(暁)」「新あ

垣がき

」「枯から

木き

」などの複合名詞を

構成しているのに同じである

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一六一

 

名の意味をこのように理解することは生まれた子を入れる器を何度か大きいものに替えたという脱皮を暗示する説明と

吻合する中世には「もぬけの衣」という表現もあるから「もぬけ」の「も」はあるいは「裳」か

(5) 「陰ほ

絶たち

田だ

」という地名と「米よね

舂つき

女め

等ら

が陰ほと

を陪おもとびとくな

従婚ぎ断ちき」という説明との関係には理解するのが難しい点がある

「陰絶田」に含まれる「絶つ」はもともと「長い間にわたって継続してきたことを止めまた幅のある物体を切る」の意を

表す動詞であるこれの自動詞である「絶ゆ」も基本的に意味は同じであるだから「陪お

もとびと

従」との交合によって陰部が損

傷したことをあえて「婚ぎ絶ち

9

9

き」と表現した理由が不明である物を損傷したことがなぜ「絶つ」と表現されたのか

「婚ぎ絶ちき」を「裂傷をおはせた」〔古典全書〕の意だと説明してもその疑問は解消しない

   「陰絶田」はもと「陰に(男根が)立つ田」の意の「陰立9

田」だったかも知れないそのように想定すれば神武記の

「丹塗矢伝説」に登場する「富ほ

登と

多た

多た

良ら

伊い

須す

須す

岐き

比ひ

売め

」という名の「ほとたたら」と意味的に対応するただし矢の場合に

「立つ」を用いた理由は理解できるが男根の場合にも同様に「立つ」を用いたとは想定しにくい「絶つ」とあることはや

はり不審のままである

(6) 

三つの要素の結びつきについては益田勝実「日本神話における外在と内在日本神話論における始原と展開」〔国文学

『解釈と鑑賞』一九七七年十月〕によるただしこの論にはOの話に関する言及がまったくないOの話のなかに三要素の

結び付きを読み取るのは私見にすぎない

(7) 

両神の死因をめぐる逆転関係については小著『日本の神話伝説を読む』(岩波新書二〇〇七年)の第二章第二節で述

べた

(日本語日本文学科 

教授)

Page 14: 一 神話・伝説に見られる特徴的な語り...神話・伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木) 0 一二三 べている。太平洋に伝承の海洋型国産み神話に類似。またヌホコを男性の象徴とし、交合による国産み神話とも見られる」と述

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一三四

て」と現代語訳されている蛇神である大物主神は雷神でもあるからそれは妥当な解説である「大虚を践みて」

は雷鳴は神が天空を踏みつける音だと見なしたうえでの表現である

 

この点に関しては『萬葉集』の歌が参考になる

J 

天雲を 

ほろに踏みあだし 

鳴る神も 

今日にまさりて 

恐かしこけ

めやも

〔十九四二三五〕

 「天の雲をばらばらに踏み散らして音を響かせる雷神も今日の天皇の御前より恐れ多いはずはないだろう」の意

を表す歌である作者はこのような歌を詠むことによって天皇の威徳あるいは権力に対して畏怖の念と敬愛の

情とを表明したのである第三句の「鳴る神」とは雷神のことで「(天で音を響かせて)鳴る神」の意である雷鳴

は神が天雲を踏みつけることによって出る音だという把握のしかたが歌の背後にあるIの話に「大虚を践みて」

とあるのは雷神に対して上代の人々がいだいていた畏怖の念を端的に表すものになっている

 

他方の「急つ

き居う

」という妻の動作については古典大系の注に「どすんとすわったツキは衝キと同じ」という

解説が見え新編古典全集の注には

K 「急」の字にどすんと坐る様子を表現ツキは「突」で尻餠をつく後悔でがっくりきた姿がよく出てい

と見える【妻が箸で陰部を突いたという話題の背後には男女の交合のイメージが濃厚にまとわりついていたと考え

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一三五

られる夫婦をめぐる話だからそれは当然のことである】

 

夫婦の動作についてまとめると「大虚を践みて」は妻に禁を犯されたことを恥じた大物主神が勢いよく天空

を踏みつけるさまを表すまた「急き居」は夫の課した禁を犯したことを悔いた倭迹迹姫命が地面に急にすわ

り込むさまを表すどちらも

 

I 《身体の一部を急に下方に移動させその先にある物を勢いよく突く》

という動作であるこのことを確認すれば天空でなされる「大虚を践みて」と地上でなされる「急き居」とは

互いに類似し対応する動作だということがわかる夫と妻による二種の動作にこうした類似と対応とが認められる以

上それが話を深読みすることによって得られた誤った理解であるはずはない

 

妻に「箸に陰ほ

を撞つ

きて薨か

むさり

ましぬ」という忌まわしい事態が生じたわけだから「急き居」というのは語り手に

とっても聞き手にとってもきわめて衝撃的な動作である伝承者は妻の驚くべき動作について語る前にその場面の

ことを強く意識しただろうそして妻の動作に対応し類似する夫の動作としていかにも雷神らしい「大虚を践み

て」という動作を連想し話のなかに持ち込んだのだろう

 

ただし二重線を付した部分と太線を付した部分の「大虚を践みて」と「急き居」とは内容的には酷似あるい

は類似したことを表すものになっている一方で表現の具体的なありかたは大きく異なっている

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それは当然である

 

さきに「神世七代」の条に出現する「面足る」「あや恐か

こね」という対偶神の名とEFの話に見える男女二神

の讃美表現とについて述べたように一段めの語りと二段めの語りには異なる表現を用いなければならない内容面

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一三六

で類似し対応する二つの部分が表現の面でも同じように類似し対応していれば伝承者が一方をもとにして他方を

作ったことが聞き手に悟られやすくなるからである「大虚を践みて」と「急き居」とであれば両者の表現は異

なるからそれらは一方から他方を連想したものだとは悟られにくいのである

 

こう見てくるとIの話にもやはり「二段構えの語り」が認められることがわかる「大虚を践みて」という動作

をあえて描写しなくても怒った神が御諸山に帰って行ったと述べるだけで話は十分に成り立つ当該の箇所は

もともと「大虚を践みて」という表現を含まない単純なものだっただろう

 

この話のなかには大物主神と倭迹迹姫命とに関して互いに対比的だと見なしうる項目が多く含まれている特

に目立つものを整理すれば

 

ⅰ 

神人

 

ⅱ 

夫妻

 

ⅲ 

応じる願う

 

ⅳ 

禁を課す禁を犯す

 

ⅴ 

恥じる悔いる

 

ⅵ 

天空地上

 

ⅶ 

足で踏みつける尻餠を突く

 

ⅷ 

本拠地に戻る他界へ赴く

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一三七

というようになる

 

神と人間の女とが結婚したもののそれは根本的な矛盾を含む無理な結び付きだった神と人間との間にあるそ

の根本的な矛盾が夫が課した禁を妻が犯すという大きな溝となって現れ結局のところ両者は別離を迎えざるをえ

なかったというのがIの話の趣旨である話の伝承者が神と人間との根本的な相違を明確に意識しながら語った

話だからⅰ〜ⅷのような対比的な項目を含むことになったということだろう

 

ここで「二段構えの語り」の成立に深い関わりをもつと思われる『萬葉集』の歌の構成について見てみる歌の

構成というのは一方から他方を連想することによって成立する序詞と本旨との関係である

L 

春はるされば

去者 

先まづ

鳴なく

鳥とり

乃の うぐひすの

之 

事こと

先さき

立だち

之し 

君をし待たむ

〔十一九三五〕

 「春さればhelliphellipう

ぐひすの

」の三句が序詞でありそれが本旨の「言こ

先立ちし君をし待たむ」を導入している第一句

第二句の表現にあるように「

」は春を迎えて真っ先に鳴く鳥であるそれを序詞の末尾に置いて「(あなたが私

に)先に声を掛けた」の意の「言先立ちし」つまり本旨を導入する表現とした「言先立ちし」という相手の行動を

描写する前に春になって真っ先に鳴く鳥を歌の作者が連想しそれを歌の前半に置いたのであるだから作者が

言いたい本旨の内容が先にありそれから序詞が連想されたという関係であるあとで連想された序詞は意味的

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一三八

にも内容的にも本旨に類似するものになっているが本旨の表現とは異なっている

M 

牛うし

窓まと

之の 

浪なみ

乃の

塩しほ

左さ

猪ゐ 

嶋しまとよみ

響 

所よそりしきみは

依之君 

逢はずかもあらむ

〔十一二七三一〕

 

序詞の「牛窓のhelliphellip島」は本旨である「響と

み寄そりしhellip」から連想されたものであり同時に本旨を導入する表

現にもなっているこの序詞は「潮し

騒さゐ

の波のざわめきのように島も」の意を表し本旨の「響み寄そりし君はhellip」は

「噂もうるさいほどに私との関係を言い立てられたあなたはhellip」の意を表す「潮騒」という音にかかわる現象と

人の噂が激しいことをいう「響み」との類似性が歌の前半と後半とを結び付けている噂がうるさいという現実か

ら作者は「潮騒」のざわめきを連想して序詞としたのだから本旨の内容が先にあり序詞は本旨に基づいて連想

されたという関係である

N 

天あま

飛と

ぶや 

軽の社の 

斎いはひつき

槻 

幾代まであらむ 

隠こもりづま

嬬そも

〔十一二六五六〕

 

女が詠んだと思われるこの歌では「天あ

飛と

ぶやhelliphellip齋い

ひ槻つ

」の三句が序詞として四句以下の表現を導入している

序詞の末尾に置かれた「齋ひ槻」は神聖である故に人が触れてはならない木をさすまた第五句の「隠こ

り妻」は

人に知られてはならない間がらにある妻をさすそのような内容面での共通性が歌の前半にある序詞と後半にある

本旨とを強く結び付けている「齋い

ひ槻」と「隠こ

り妻」とは表現が異なっているが両者の関係はMの歌に出て

いる「潮騒」と「響み」とのそれに酷似している

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一三九

 

以上の三首に見られる序詞と本旨との関係はさきに見た諸話の一段めの語りと二段めの語りとの関係に相当する

三首の序詞は本旨の内容から連想されたものであり諸話の一段めの語りは二段めの語りの内容から連想されたもの

であるしかし連想を呼ぶもとになったこととそれから連想されたこととは三首でも諸話でも表現が互いに異

なるものになっている

 

話を「二段構えの語り」に戻し次の話に認められる「二段構えの語り」について検討するしかし次の話の語

りのありかたは見てきた三話と異なる点がある

O 

萩原の里土は中の中なり右萩原と名づくる故は息お

きながたらしひめのみこと

長帯日売命韓か

らくに国

より還か

り上りましし時御船此の村

に宿りたまひき一夜の間に萩一ひ

ともと根

生お

ひき高さ一ひ

丈つゑ

ばかりなり仍よ

りて萩原と名づく即す

なはち

御井を闢は

りき

故かれ

針は

間ま

井ゐ

といふ其の処は墾は

らず又墫も

たひの

水溢あ

れて井と成りき故韓か

の清水と號く其の水朝に汲むに

朝に出でず爾す

なはち

酒殿を造りき故酒田といふ舟傾き乾か

れき故傾か

ぶきだ田

といふ米よ

舂つき

女め

等ら

が陰ほ

を陪

おもとびとくな

従婚

ぎ断ちき故陰ほ

とたち絶

田だ

といふ仍す

なはち

萩多く栄えき故萩原といふ爾こ

に祭れる神は少

すくなたらしのみこと

足命にます

〔『播磨国風土記』揖保郡〕

 

これは『播磨国風土記』に見える話で息お

きながたらしひめのみこと

長帯日売命(神功皇后)の聖性と威徳とを強調する内容になっている

 

これまで見た三話と同様にこのOの話にも女陰の話題が含まれているそれは「陰ほ

絶たち

田だ

」という地名の由来を

説明する短小な話のなかに見える息長帯日売命に仕える陪お

もとびと

従が米よ

舂つき

女め

等ら

と交合して陰部を傷つけたそのことが

この地名の由来になったという)

5(

陰部を傷つけたことを語る「陪お

もとびとくな

従婚ぎ断た

ちき」の「断た

ちき」は「裂傷をおはせた」

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一四〇

〔古典全書〕の意だと比較的古い注釈にありこれを踏襲する新しい注釈もある妥当な解説である

 

以上で見た三話と異なる点というのは二重線の部分と太線の部分とが

O 

米よね

舂つき

女め

等ら

が陰ほ

を陪お

もとびとくな

従婚ぎ断ちき

というように一文のなかに連続して出ている点である見てきた三話では二種の線を付した部分は近接した位置

にあるがOの話の場合はそれが極端なかたちで表れているまた二重線の部分が三話のように何らかの動作

状態を描写した表現になってはおらず「米よ

舂つき

女め

等ら

」という複合名詞になっている点も三話とは異なる

 

二種の線を付した一文の内容についていささか気になるのは「陪お

もとびとくな

従婚ぎ断た

ちき」という動作の対象になったの

が「米よ

舂つき

女め

等ら

が陰ほ

」だということである

 「米よ

舂つき

女め

等ら

」という複合名詞に含まれる「舂つ

く」は「突く」という動詞の一用法である「舂く」は「きねなどの

先で強く打っておしつぶしたり穀物のからなどを除いたり精白したりする」〔『日本国語大辞典』第二版〕の意で

あり「舂女」は「臼で穀物をつく女」〔同〕の意である

 

結局のところ「舂く」という動作は「臼などの器に棒状の物を押し込みなかにある穀物などを押しつぶす」の

意を表すわけだがいささか気になると述べたのは「舂く」という動作と「婚く

ぎ断ち」「陰ほ

絶た

ち」という動作との

間に認められる

O 《狭い空間に棒状の物を差し入れその奥にある部分または物を強く突き破る》

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一四一

という物理的な動き

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0

0

0

0

0

としての類似性であるこれは既に取り上げたABの話やIの話に見られる二種の動きの

類似性と同じである

 

交合によって陰部を損傷したのと同様に棒状の物で「舂く」ことによって穀物などの本来の形態も損なわれる

だから「舂く」と「婚く

ぎ断ち」「陰ほ

絶た

ち」とは物理的な動きだけではなく動きによって生じる結果

0

0

においても類

似している

 

このように話のなかに先に出てくる「舂き」とその直後に出てくる「婚く

ぎ断ち」「陰ほ

絶た

ち」との間には物理

的な動きとそれがもたらす結果との双方に関して顕著な対応類似が認められるそのような対応類似が生じた

ことについて次のように想定することができるだろうつまり話の伝承者があとで自分が語る交合という動作

を強く意識したそのために交合に類似した動きを表す「舂く」を事前に連想しさらにはその語を含む「米舂女

等」をも連想してそれを結果的に話のなかに持ち込んだのではないかということである現にGの「丹塗矢伝

説」に「その美人の富ほ

登と

を突きき」とありIの「箸は

墓はか

伝説」にも「陰を衝つ

きて」とあってそれらの「突き」「衝

き」は表記こそ違え「舂き」と同じ動詞である

 「婚く

ぎ断ち」「陰ほ

絶た

ち」は凄惨かつ深刻な事態だからそれに類似する「舂く」という動作を事前に伝承者が連想

することは十分にありえたと思われるそのように想定すればOの話にも「二段構えの語り」が表れていることに

なる

 

話の展開に従えば「舂く」を含む「米舂女等」が一段めの語りとして先に出てきて「婚く

ぎ断た

ち」「陰ほ

絶た

ち」が二

段めの語りとしてあとに出てくるしかし話が成立した経緯から見れば二段めの語りがもとで一段めの語りが生

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一四二

まれたわけだから実際の先後関係は正反対である

 「二段構えの語り」が以上のような経緯で成立したのだとすればOの話では陪お

もとびと

従が交合を行って陰部を損傷さ

せた対象はもともと「米舂女等」だとは限定されていなかったことになるそれで話は成り立つ

 

Oの話に認められる「二段構えの語り」は前節で確認したような歌の構成のありかたから見ればいったいどの

ようなものだと言えるのか

P 

窺うかねらふ

良布 

跡と み見

山やま

雪ゆき

之の 

いちしろく 

恋ひば妹が名 

人知らむかも

〔十二三四六〕

 

この歌では「じっと見ていて獲物を狙う」の意の「うかねらふ」が「跡と

み見

山」の「跡見」に掛かる枕詞になって

いる「うかねらふ」を承ける「跡と

み見

」は狩猟に関して用いられた語である注釈辞書に見える説明をまとめれ

ば「跡見」は「鳥獣が通ったあとを見てそれが通った時間やそれが今いる場所などを判断することまたそれ

を行う役の猟師」の意である歌の作者が「跡見」という語からそれと類義をもつ「うかねらふ」という動詞を

連想しそれを「跡見」という名詞を導入する枕詞としたのである「うかねらふ」と「跡見」とは類義の語だが

音韻面ではまったく異なっているこれはOの話の「米よ

舂つき

女め

等ら

」の「舂く」と「婚く

ぎ断ち」「陰ほ

絶た

ち」との関係に

近い

 『古事記』に見える次の歌謡では序詞と本旨との関係がPの歌の「跡見」と「うかねらふ」とのそれに類似し

たものになっている

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一四三

Q 

倭やまとへ方

に 

西吹き上げて 

玖く

毛も

婆ば

那な

礼れ 

曽そ

岐き

袁を

理り

登と

母も 

吾忘れめや

〔記五五〕

 「倭や

まとへ方

にhelliphellip雲離れ」の三句が序詞となって本旨の「退そ

き」あるいは「退き居り」を導入している「退き」は

「遠ざかり」の意を表す動詞だから「雲離れ」という複合語に用いられた「離れ」とは類義語の関係にある本旨

の「退き」を言うためにそれと類義をもつ「離れ」を事前に連想しそれを末尾に置いて長い序詞を構成したわけ

である「雲離れ」と「退き居り」とは音韻面で類似するところがない「離れ」と「退き」との関係はやはりO

の話の「米よ

舂つき

女め

等ら

」の「舂く」と「婚く

ぎ断ち」「陰ほ

絶た

ち」との関係に近いと言える

R ふさ

手た

折をり 

多た

武むの

山やま

霧ぎり 

繁みかも 

細川の瀬に 

波騒きける

〔九一七〇四〕

 

この歌では地名の「多た

武む

」を「曲げる」の意を表す「たむ」という動詞に見立てそれから事前に連想された

類義の「手折り」に「

ふさ

」を付し「たむ」の枕詞としている「手た

折を

る」は「手で曲げて取る」の意であり「

は「総房」のことで花や実が束になって付いたものをさす本旨の表現に用いるべき「たむ」から類義を表す

「手折る」という動詞を連想したのであるこれもまたOの話の「断つ」と「舂く」との関係を思わせる「たむ」

と「手折り」とは初頭の音節が同じだが互いに音節数が異なっている

 

三首の「跡見」「退き」「たむ」が「二段構えの語り」の二段めのかたりに相当しそれから連想された「うかね

らふ」「雲離れ」「

手折り」が一段めの語りに相当すると言えるだろう

 

既に述べたようにOの話は聖性と威徳とを具えた息長帯日売命に関する話である「一夜の間に萩一ひ

根もとお生

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一四四

き」「墫も

たひの

水溢あ

れて井と成りき」その他の不思議な事態が起こったことが話のなかでくり返し述べられている

同様にほかならぬ息長帯日売命に仕える陪お

もとびと

従が米舂女等と交合を行って陰部を傷つけた結果「萩多く栄えき」

という事態が生じたということなのだろう

 

Oの話が載っているのと同じ『播磨国風土記』に

S 

讃さ よ容

といふ所ゆ

ゑ以

は大神妹い

もせ

二柱競ひて国占し

めましし時妹玉た

津つ

日ひめのみこと

女命生ける鹿を捕と

り臥せて其の腹を

割さ

きて其の血に稲種ま

きき仍よ

りて一夜の間に苗な

生お

ひき即す

なはち

取りて殖う

ゑしめたまひき爾こ

に大神勅の

りたま

ひしく「汝な

にも妹

は五さ月夜よ

に殖ゑつるかも」とのりたまひて即や

て他

あだしところ

処に去りたまひき故か

五月夜の郡こ

ほりと

號なづ

神を賛さ

用よ

都つ

比ひめのみこと

売命と名づく

〔讃容郡〕

という話が見えまた次のような話も見える

T 

丹に

津つ

日ひ

子こ

の神「法ほ

太だ

の川底を雲う

るみ潤

の方に越さむと欲お

ふ」と爾し

かい云

ひし時彼の村に在い

せる太お

水みづ

の神辞い

びて

云の

りたまひしく「吾は宍し

の血を以て佃た

つくる

故か

河の水を欲ほ

りせず」とのりたまひきその時丹津日子云ひし

く「此の神は河を堀る事に倦う

みて爾いへるのみ」といひき故雲う

弥み

と號な

く今い

人ひと

雲潤と號な

〔賀毛郡〕

 

Sの話は鹿の腹を割いてその血に稲を蒔いたら一夜で苗が生えたというものであるまたTの話は宍し

つま

り動物の血で田を作るから河の水は必要ないと神が言ったというものである二話では稲などの植物を植える際

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一四五

には普通に水を用いるよりも動物の血を用いた方が成長がずっと早いと述べているようである

 

これらの話には動物の血と稲あるいは田と一夜での苗の成長の三つの要素の結び付きが確認できる)

6(

この

ことはOの「陰絶田」の話を想起させずにはおかないつまり稲あるいは田は「陰絶田」の話に出ている「米よ

舂つき

女め

等ら

」に対応するように思われるしまた動物の血は女らと陪従らとの交合によって陰部から出たはずの血に

対応するように思われるさらに一夜で急に苗が成長したという事態は「陰絶田」の話の前半部に「一夜の間に

萩一ひ

根もとお生

ひき」とありまた「陰絶田」という地名に続いて「仍す

なはち

萩多く栄えき」とあることに内容的に対応する

と理解することができる

 

だから「米よ

舂つき

女め

等ら

が陰ほ

を陪お

もとびとくな

従婚ぎ断ちき故陰ほ

絶たち

田だ

といふ仍す

なはち

萩多く栄えき」という一連の表現では

陰部を損傷させたことと萩が多く栄えたこととの間には「そのことが原因で」の意の明確な因果関係があると

見るべきだろう

 

三つの要素の結び付きがOの話にも認められる以上同話と動物の血に関する話は古い時代に行われていた儀礼

を背景とするものだと考えることができるだろう動物の血と人間の血との違いはあるがそれらは神に動物の犠

牲を捧げたことによって豊穣繁栄がもたらされたという人々の遠い記憶を伝えるものなのではないか

 「国土創成」をめぐるABの話とEFの話Gの「丹塗矢伝説」Iの「箸墓伝説」Oの「陰絶田」をめぐる

話のどれでも女陰交合結婚などのことが話題となっているこれらの諸話に「二段構えの語り」が認められる

ことを以上の論述で確認した

 

ただし「二段構えの語り」が認められることと女陰交合などの話題が含まれることとの二点を条件として

以上の諸話を選んだわけではない「二段構えの語り」が認められる諸話を取り上げたところそれらには女陰交

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一四六

合などの話題が共通して含まれていたというのが実際である

 

女陰を矢が突くにしても何かが原因で女陰が損傷を受けるにしてもとにかく女陰や交合に関する話題は話の

語り手にも聞き手にも強い印象を与えたはずである時にはそれは刺激的衝撃的な印象さえ与えたに違いない

それだからこそ女陰交合に関する出来事はその内容に類似し対応する連想を呼びやすかったのだろう「二段

構えの語り」と女陰交合の話題とが以上の諸話のなかに共存するのはそのような理由によるものと考えられる

 

以上で確認したように「二段構えの語り」が表れていると判断される諸話に女陰交合などの話題が共通して

含まれている論述の流れに従えば交合結婚を語るものではないがやはり女陰のことが一つの話題になってい

る次の話を取り上げる必要があるだろう

U 

須す

佐さ

之のをのみこと

男命(略)勝ちさびに天あ

まてらすおほみかみ

照大御神の営つ

くだ田

を離は

ちその溝を埋めまたその大お

ほにへ嘗

を聞こしめす殿に屎く

まり散らしき故か

然し

すれども天照大御神は咎と

めずてhellip(略)なほその悪しき態わ

止まずて転う

てありき天照大御

神忌い

みはた服

屋や

に坐ま

しまして神か

御み そ衣

織らしめたまひし時その服屋の頂む

を穿う

ち天あ

の斑ふ

ちこま馬

を逆さ

剝は

ぎに剝ぎて堕お

し入る

る時に天の服は

織おり

女め

見驚きて梭ひ

に陰ほ

と上

を衝つ

きて死にき故か

ここに天照大御神見畏か

しこみ

て天の石い

屋や

戸と

を開

きてさし籠もりましきここに高た

天ま

の原皆暗く葦

あしはらのなかつくにことごと

原中国悉に闇く

しこれによりて常と

夜よ

往ゆ

ききここに

万よろづのわざはひ

妖悉に発お

りき

〔神代記〕

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一四七

 

これは『古事記』の神話の一部であり須佐之男命の「勝ちさび」の場面とその姉である天照大御神の「石屋籠

もり」の場面である天照大御神が機織りをしている時に弟の須佐之男命が皮を剝いだ馬を服は

屋や

の屋根を壊し

てなかに投げ入れたそれに驚いた服は

織おり

女め

が縦糸の間に横糸を通すための道具である梭ひ

を誤って自分の陰部に突

き刺して死んだそれを見て弟の行動を恐れた天照大御神が石い

屋や

に籠もってしまったので世界は暗闇に閉ざされ

多くの災禍がはびこったという

 

二重線を付した「その服屋の頂む

を穿う

ち天あ

の斑ふ

ちこま馬

を逆さ

剝は

ぎに剝ぎて堕お

し入るる時にhellip」という部分と太線を付し

た「梭ひ

に陰ほ

と上

を衝つ

きて死にき」という部分とは表現のありかたがまったく異なるしかし皮を剝いだ馬を屋根

を壊して建物のなかに投げ入れることと梭ひ

で勢いよく突いて陰部を傷つけることとが物理的な動きとして酷似し

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ている

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ことは事実である二つの部分では

U 《ある物体を急に動かしその勢いで別の物体を破損する》

ということが共通の骨子になっているこのような動きはIOの話の場合の動きと酷似している

 

二つの部分に描写されている物理的な動きをこのように要約するとこれまで見た諸話の場合と同様にUの話に

表れている「二段構えの語り」について次のように推測すべきことになるつまり皮を剝いだ馬を服屋の屋根

を壊して投げ入れたという二重線の部分は梭で陰部を突いて服織女が死んだという太線の部分に基づいて伝承者

が事前に連想して話のなかに持ち込んだものだろうということである

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一四八

 

確かに梭で陰部を突いて女が死んだというのはあまりにも衝撃的で印象的な出来事である特に『日本書紀』

の所伝には「天照大神驚お

どろ動

きたまひて梭を以て身を傷い

ましむ」〔本書〕とありまた「稚わ

かひるめのみこと

日尊驚きたまひ

て機は

より墮お

ちて持たる梭を以て體み

を傷や

らしめて神か

むさ退

りましぬ」〔一書第一〕とあって事態はさらに深刻であ

る至高神である天照大神自身が陰部を損傷しまたその分身である稚日尊が同じ原因で死んだというのだからこ

れ以上の重大事件はない

 

ただしここで一つの問題が生じる伝承者が連想したことを神話のなかに持ち込む以前には梭を突き刺して陰

部を損傷したという話題はあっても屋根を壊して馬を投げ入れたという話題は含まれていなかったことになるそ

こで馬に関する話題が直前に置かれていなくても天照大御神が石屋に籠もるという展開になりえたのかとの問

題が生じるのである少なくともUの話では馬の投げ入れに驚いて服織女が陰部に損傷を負って死んだので

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その

ことを恐れた天照大御神が石屋に籠もってしまったというように読めるからである

 

結論を言えば馬を投げ入れるという行動はなくても天照大御神が石屋に籠もるという展開になりえたと理解

することができるそのことを支持するのは『日本書紀』に見える次の所伝である

V 

日ひのかみのみこと

神尊天あ

まのかきた

垣田を以て御田としたまふ時に素戔嗚尊春は渠み

塡う

め畔あ

はなち毀

す又秋の穀

たなつものすで

已に成りぬるとき

に則ち冒

ひきわたす

に絡あ

ぜなは縄

を以てす且ま

たひのかみ

日神の機は

殿どの

に居ま

します時に則ち斑ぶ

駒こま

を生い

剝は

ぎにして其の殿

みあらかの

内に納な

げいる

凡す

て此の諸

もろもろの

事尽

ことごとくに

是これあづきな

無状し然れども日神恩

このかみおととむつま

親しき意

みこころもちに

して慍と

めたまはず恨みたまはず皆

平たひ

らかなる心を以て容ゆ

したまふ日神の新

にひなへきこ

嘗しめす時に及お

よ至

びて素戔嗚尊則ち新

にひなへのみや

宮の御み

まし席

の下に陰ひ

そかに

ら送く

そま糞

る日神知し

しめさずして俓た

に席み

ましの

上に坐ゐ

たまふ是に由よ

りて日神體み

みこぞ挙

りて不や

くさ平

みたまふ故以

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一四九

て恚い

か恨

りまして廼す

なはち

天あまのいはや

石窟に居ま

して其の磐い

戸と

を閉さ

しぬ

〔一書第二〕

 

素すさのをのみこと

戔嗚尊の悪行がどのような順序でこのVの話にあげられているかを少し細かく見てみる天照大神の御み

田た

素戔嗚尊が損壊する話が最初に置かれておりそれはUの話の場合と同じであるしかしその直後にはUの話と

大きく異なって馬を投げ入れる話が置かれているそしてこの悪行を含む「諸

もろもろ

の事」について「日ひ

神かみ

恩このかみおととむつま

親しき意

みこころもちに

して慍と

めたまはず恨みたまはず皆平た

らかなる心を以て容ゆ

したまふ」という説明が付され

ている馬を投げ入れたことは天照大神の石屋籠もりと直結しておらずむしろ日神は馬の投げ入れを含む多くの

悪行を許したというのである

 

Vの話で石屋籠もりと直結しているのはそのあとになされた悪行であるそれは「素戔嗚尊則ち新

にひなへのみや

宮の御み

まし席

の下に陰ひ

そかに

自ら送く

そま糞

る」という蛮行でありこれによって「日神知しめさずして俓た

に席み

ましの

上に坐ゐ

たまふ是に

由よ

りて日神體み

みこぞ挙

りて不や

くさ平

みたまふ」というひどい状況が生じたつまり新宮のなかでの脱糞という悪行が日ひ

神かみ

に病をもたらしさらには同神を石屋に籠もらせたというのである陰部が損傷した事件ではなくて新宮での脱糞

という蛮行が石屋籠もりの原因となりえたことをVの話が証明している【天照大神にあたる神を「日神」とする所

伝はより古い時代に成立したものだと言われる】

 

新宮での脱糞が石屋籠もりの原因になったとするVの話には女陰が損傷したことはまったく見えないこれに対

してUの話やさきに引用した『日本書紀』の本書一書第二の話では馬の投げ入れに驚いた女神が陰部を損傷し

そのことが女神の石屋籠もりの原因となっている話の内容にこのような相違がある事実は女神が陰部を損傷した

ことと女神が石屋に籠もったこととは必ずしも一連のものではないことしたがって話の成立について考えるにあ

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一五〇

たっては二つのことを別々に処理してかまわないということを示している

 

ただしUの話で大きな問題となるのは馬を投げ入れるという行動がなければ女神が驚いて陰部を損傷すると

いう事態も起こらないということであるこの点で女神が陰部を損傷するという事態だけが話に含まれ馬を投

げ入れるという行動は話に含まれないという話の状況は想定できないのである

 

一連の話のなかにまずXのことが出ていて次にYのことが出ているという「二段構えの語り」について考える際

にぜひとも考慮しておくべきことがあるつまりあることをもとにしてそれに類似することを伝承者が連想し

連想した内容を結果的に話のなかに持ち込むには一般的に二とおりの過程がありうるということである

a 

先に出てくるXが伝承者に強い印象を与えるためにXについて語ったあとにそれに類似した内容をもつY

を伝承者が連想するという過程

b 

あとに出てくるYが伝承者に強い印象を与えるためにYについて語る前にそれに類似した内容をもつXを

伝承者が連想するという過程

 

これまで見てきた「二段構えの語り」はすべてbの過程を経て生じたものだと考えたしそのように考えて特に

問題はなかったしかしUVの二話の場合はそのように考えることは不可能であるUの話では馬を投げ入

れたことが女神が陰部を損傷する原因になっておりVの話では新宮で脱糞したことが女神に病をもたらす原

因となっている二重線の部分が原因を表しており太線の部分が結果を表しているわけだから二つの部分は密接

な因果関係を構成しているのである

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一五一

 

そこでUVの二話に表れている「二段構えの語り」がbの過程を経て成立したと仮定して具体的に話の展開

について考えてみる陰部を損傷したことだけがUの話に含まれるという段階を想定すれば女神がなぜ梭で陰部を

突くことになったのか何も説明がなく話の展開が唐突すぎる聞き手は話の展開が理解できないのであるまた

同様に女神が糞の上に座って病を得たことだけがVの話に含まれるという段階を想定すればそこになぜ糞があっ

たのかが不明であるこちらも話の展開そのものが成り立たない

 

一方で「二段構えの語り」はbの過程を経て成立したという仮定を捨てそれはaの過程を経て成立したものだ

と仮定してみる二重線の部分だけが話に含まれており伝承者はそれをもとにして太線の部分を連想し連想した

ことをあとで話のなかに持ち込んだというふうにである

 

Uの話にはもともと馬を投げ入れたことだけがあり伝承者はそれをもとに酷似する動きをとることとして

梭で陰部を突くという動作を連想した馬の皮を剝いだうえ屋根を壊してそれを服屋の中に投げ入れるという悪行

は女神が梭で陰部を突くという事故がなくても女神を恐れさせて石屋に籠もらせるには十分である

 

またVの話の場合にはもともと新宮で脱糞をしたことだけが含まれており伝承者はそれに基づいて女神が

その糞の上に座って病を得たことを連想した女神が新嘗の儀礼を行う前にその神聖な新宮でこっそり脱糞をする

という蛮行は女神が糞の上に座って病を得るという事態が起こらなくても女神を怒らせて石窟に籠もらせるには

十分である

 

こうしてbの過程を想定すればもとの話は成り立たないが逆にaの過程を想定すればUVの二話にも「二

段構えの語り」が表れていると考えることができる実はaの過程を想定することによって「二段構えの語り」が

表れていることを順当に説明しうる話はすぐあとに取り上げるようにほかにもまだある

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一五二

 

女陰が何らかの原因で損傷したことを述べるIOUの三話についてさきに一段めの語りと二段めの語りの

内容を検討したうえでそれぞれを次のように一文にまとめておいた

I 《身体の一部を急に下方に移動させその先にある物を勢いよく突く》

O 《狭い空間に棒状の物を差し入れその奥にある部分または物を強く突く》

U 《ある物体を急に動かしその勢いで別の物体を破損する》

 

三話に認められる「二段構えの語り」の内容はこのようにどれも同じような動きを表すものになっているそれ

だけでなくABの話やGの話に見られる「二段構えの語り」もまた同じような動きを表すものになっている

ということは女陰が損傷を受けたことを述べる三話に「二段構えの語り」を認めることの妥当性を逆の面から証

するものだと言えるのではないか

 

これに対し女陰の損傷が話題となっていない「二段構えの語り」が認められる別の諸話についてその内容を

一文にまとめるとその一文はこれらとまったく異なる動きを表すものとなる(後述)そのこともさきに述べた

ような「二段構えの語り」の存在を認めるべき一つの論拠となると考える

 

Uの話と同様にaの過程を経て「二段構えの語り」が成立したと推定される話をここでもう一つ取り上げる

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一五三

それは『古事記』に見える神話でのちに地上界の支配者になる大お

ほなむぢの

穴牟遅神か

をその兄弟である八や

十そ

神がみ

が殺害する場

面である

W 

ここに八や

十そ

神がみ

見てまた欺あ

ざむき

て山に率ゐ

て入りて大お

樹き

を切り伏せ茹ひ

矢や

をその木に打ち立てその中に入らし

むる即ちその氷ひ

目め

矢や

を打ち離ちて拷う

ち殺しきここにまたその御み

祖おや

の命み

こと

哭な

きつつ求ま

げば見得てすな

はちその木を折りて取り出で活かしてその子に告げて言ひしく「汝い

まし

此こ こ間

にあらば遂に八十神のために滅

ぼさえなむ」といひてすなはち木き

国くに

の大お

屋や

毘び

古この

神かみ

の御み

もと所

に違た

へ遣りきここに八十神

ぎ追ひ臻い

りて矢や

刺ざ

し乞ふ時に木の俣ま

より漏く

き逃がして云の

りたまひしく「須す

佐さ

能のをのみこと

男命の坐ま

します根の堅か

州す

国くに

に参ま

向ふべし必ず

その大神議は

りたまひなむ」とのりたまひき故か

詔の

りたまひし命の随ま

にまに

須佐之男命の御所に参ま

ゐいた到

ればhellip

〔神代記〕

 

八十神が大木を切り倒してそれを裂き裂け目に楔

くさび

状の「茹ひ

矢や

」を押し立てておいたそしてそこに大穴牟遅神

を入らせて楔状の物を引き抜き同神を圧死させた同神の母が木を折って息子を救い出しこれを蘇生させて大お

屋や

毘び

古この

神かみ

のもとへ逃がしてやったさらに八十神が追いついて息子を引き渡すように母に要求した時には母が息

子をこっそり木の俣から須佐能男命のもとへ逃がしてやったという

 

Wの話の直前には八十神に脅迫された大穴牟遅神が焼けた岩をかかえ込んで死んでしまったという話が置か

れている死んだ大穴牟遅神はやはり母の尽力によって復活したというそれが一回めの死と復活を語る話だから

Wの話で語られる死と復活は二回めのそれである一回めの死が岩を抱き取ることによってもたらされ二回めの死

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一五四

が木の俣に挟まれることによってもたらされた死因の内容が一回めと二回めとでは逆転している

 

また大穴牟遅神の二度にわたる死は天照大御神の二度にわたる死と奇妙なかたちで対応している天照大御神

の死はまず同神自身あるいはその分身の女神が木製の梭で陰部を突いて死ぬというかたちで語られるまた

そのあとで同神自身が岩屋に籠もってしまうというかたちで死が語られるがそれは太陽神の象徴的な死である

両神の死の内容を細かく比較すると両神の体と岩木とが次のように互いに逆転した奇妙な関係を示しているこ

とがわかる

  

大穴牟遅神の死helliphelliphellip体が岩をかかえるdarr木の俣が体を挟む

  

天照大御神の死helliphelliphellip木が体のなかに入るdarr体が岩のなかに入る

 

地上の支配者と世界の至高神との間に死をめぐってこのような逆転した関係が認められるのはきわめて興味深

いことである)

7(

 

さて「二段構えの語り」だがWの話のうち母が息子を「その木を折りて取り出で活かして」大お

屋や

毘び

古この

神かみ

のも

とへ逃がしてやったという二重線の部分が一段めの語りにあたる二段めの語りにあたるのは母が息子を「木の

俣また

より漏く

き逃がし」て須佐能男命のもとへ向かわせたという太線の部分である

 

つまりこの神話では俣になった「その木を折りて」母が息子を救い出す一段めの語りと母が息子を「木の俣

より漏く

き」逃がしてやる二段めの語りとは

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一五五

W 《母が息子を木の俣から救出しあるいは逃がして別の神のもとへ送り出す》

という酷似した内容のものになっている

 

地上の支配者となるべき大穴牟遅神が木の俣に挟まれて死んで母に救われる話の方が同神の母が木の俣から息

子を逃がしてやる話よりもずっと衝撃的で印象的であるだから神話の伝承者が一段めの語りの内容を強く意

識しそれに酷似した内容をもつ二段めの語りを連想してあとで話のなかに持ち込んだのだろうと推測される

より印象的な出来事を語り終えたあともそれが意識のなかから消え去らず類似し対応することがらをあとで連想し

てしまったと考えられる【一段めの話から二段めの話が連想されたというaの過程をたどったとおぼしい実例は

僅少であるそれには然るべき理由があったと考えるべきだが目下のところそれは不明である】

 

Wの話がこのような経緯をたどったとすると母が木を折って息子を救い出しこれを蘇生させてから別の神のも

とへ逃がしてやったという一段めの語りだけが話に含まれていた段階を例によって想定しなければならない一

段めの語りだけで話は成り立つのか

 

結論を言えばその想定は可能である八十神のもとから逃げた大穴牟遅神が須佐能男命のいる地まで行ったと

いうような単純な内容の話になっている方が以下との続きかたは自然である二重線の部分の末尾にある「木き

国くに

の大お

屋や

毘び

古この

神かみ

の御み

もと所

に違た

へ遣りき」の「大屋毘古神」の部分を太線の部分にある「須佐能男命」とすれば話は無

理なく以下に続くのであるまずは大屋毘古神のもとへ逃げて行ったという部分がなかったとすれば母は木の裂け

目から息子を救い出しこれを蘇生させて須佐能男命のもとへ送り出したというわかりやすい展開になるしたが

ってaの過程を経てWの話が成立しただろうという推定は十分に成り立つ

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一五六

 

二重線の「木き

国くに

の大お

屋や

毘び

古この

神かみ

の御み

もと所

に違た

へ遣りき」という部分は「木国のhellip」で始まっているそれは「大お

樹き

切り伏せ」「茹ひ

矢や

をその木に打ち立て」「その木を折りて」などWの話にくり返し出ている「樹木」から連想され

たものだろう

 

太線の部分にある「木の俣ま

より漏く

き逃がして」以下の表現からその前に置かれた二重線の部分が連想されたと

いうbの過程は想定できない二重線の部分が話に含まれていないという段階はなぜ太線の部分が話に含まれてい

るのかということつまり「木の俣ま

より漏く

き逃がして」とある理由が説明できないのである大穴牟遅神が八十神に

殺害されて復活したという理由があって始めて「木の俣ま

より漏く

き逃がして」以下の表現が意味をもつのである

 

木の俣に挟まれて圧死した大穴牟遅神が母の尽力によって蘇生したあとには同神が須佐能男命から与えられた

いくつもの試練を妻の須す

勢せ

理り

毘び

売め

の助力を得てそのたびごとに克服するという話が続くさらに大穴牟遅神が

須勢理毘売をその父のもとから奪って逃げるとともに自分に苦難をもたらした八十神を追い払って「始めて国を作

りたま」うたという展開になっているまたそのあとにも大穴牟遅神の子を産んだ八や

上かみ

比ひ

売め

が須世理毘売を恐

れて「その生める子をば木の俣に挟みて返」ったという話が続いている八上比売の話にまたもや「木の俣」

のことが出てくるわけである

 

この「木の俣」の話もまた大穴牟遅神が「木の俣」に挟まれて圧死した話から連想されたものである可能性が想

定できるがそのように想定する場合に問題となることがあるそれは両話の間に置かれた話があまりにも長大な

ものだということであるしかし大穴牟遅神と生まれた子との間には

 

ⅰ 

父子

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一五七

 

ⅱ 

木の俣に挟まれて死ぬ生まれて木の俣に挟まれる

 

ⅲ 

母が救い出す母が置き去りにする

 

ⅳ 

母が別地へ向かわせる母がもとの地に戻る

というような対比的な関係も認められるのでありこうした関係が偶然に生じたものだとは考えがたいだから父

が木の俣で圧死させられることから生まれた子を木の俣に置くことが連想されたという可能性をここでは否定し

ないでおく【より古い時代には大穴牟遅神が木の俣に挟まれて死ぬ話と八上比売が木の俣に新生児を挟む話とは

直結した一連のものだったことも想定できる】

 

以上の論述では「二段構えの語り」の様態について数話を例示してやや細かく検討を加えたその結果話に

含まれる特定のことからがそれに類似し対応することがらを伝承者に連想させ連想した内容が結果的に話のなか

に組み込まれてしまうという特徴的な現象を上代の神話や伝説を通して確認することができたと考える

 

同じ「二段構えの語り」の現象が認められる話は本稿で取り上げた諸話で尽きているのではなくまだ何話か上

代の文献に見える紙幅の関係でそれらを取り上げて細かく検討を加えることができないからここで二話だけに

ついて結論を述べておき具体的な検討は別稿で行うことにする

 

二話のうち一つは神話に見えるもので娘たちを飲み食らう大蛇を須佐能男命が退治する場面である『古事記』

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一五八

で言えば「是の高こ

志し

の八や

俣また

の遠を

呂ろ

智ち

年と

毎ごと

に来て喫く

へり」という部分と「船ふ

毎ごと

に己お

が頭を垂い入れてその酒を飲み

き」という部分とが「二段構えの語り」に相当する二つの部分の内容をまとめると

  《大蛇が出雲へやってきて足あ

名なづち椎

のがわに属するものを食らいあるいは飲む》

というようになる娘たちを食らい飲む大蛇が酒を飲むという同じ行動が原因で退治されてしまうのである

 

またもう一つの話は『播磨国風土記』の賀古郡の条に見える「比礼墓伝説」であるこの話では「印い

なみ南

」の女

が「隠な

び妻」であり「辞い

び妻」でもあるからこれは「古代の口がたり特有の面白さ」をもつものだという興味深

い見解がある

 

話の冒頭近くにある「度わ

たりもり

子紀き伊の国く

人ひと

小を

玉たま

申さく「我は天

すめらみこと

皇の贄に

人びと

たらめや」とまをす」という部分とその

あとにある「印南の別嬢聞きて驚き畏か

しこみ

即や

て南な

都つ

麻ま

嶋に遁に

げ度りき」という部分とが「二段構えの語り」に

相当する二つの部分のうちのあとの部分は別嬢が天皇の求婚を嫌がって

0

0

0

0

島に逃げて隠れたことを述べたものだか

ら二つの部分は同じく「辞い

び」を内容とするものだと言える「度わ

たりもり

子」つまり船頭の「我は天

すめらみこと

皇の贄に

人びと

たらめや」

という発言に倣って天皇の求婚を嫌がる別嬢の心情を言い表せば「吾は天皇の妻

9

9

9

9

たらめや」というようになる

  

船頭の「辞び」helliphelliphellip「我は天

すめらみこと

皇の贄に

人びと

たらめや」

  

別嬢の「辞び」helliphelliphellip「吾は天皇の妻

9

9

9

9

たらめや」

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一五九

 

結局二つの「辞び」は単なる拒否ではなく次のような同じ内容を表す「辞び」なのである

  《私は天皇にお仕えなどしない》

 

この話の末尾近くには別嬢の遺体について「大き飄つ

むじ

川下より来て其の尸か

ばねを

川中に纏ま

き入れき求むれども得

ず」と述べられているがその部分と別嬢が島に逃げて隠れた

0

0

0

という前の部分ともまた「二段構えの語り」を構

成している二つの部分はともに別嬢の「隠び」を内容とするものなので次のように一つにまとめることができる

  《別嬢が「隠な

び」をした》

 「辞び」も「隠び」も話のなかに二度ずつ表れているのである

 

大蛇退治の神話と「弟日姫子伝説」とには「二段構えの語り」を認めるにあたって解決すべき多くの問題が含ま

れているしかしそれらを一つ一つ検討していけば見てきた諸話と同様の特徴的な語りを二話にも認めることが

できる

註(1) 

本稿にあげる『古事記』『日本書紀』『風土記』などの記述は本文訓読文ともに古典文学大系のものを引用するまた

『萬葉集』の本文訓読文は新編古典全集のものを引用するただしいずれも読みやすさと理解しやすさとを考慮して

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一六〇

もとの表記形式その他を改めることが少なくない

(2) 

大野晋「記紀の創世神話の構成」〔『文学』一九六五年八月〕のちに『仮名遣と上代語』(一九八二年)に収載

(3) 「丹塗矢伝説」の成立については小著『伝承と言語』(一九九五年)のⅡ部四章で私見を述べたただし同書に述べたこ

とと本稿で述べたことの間には一点だけ相違がある丹塗矢が女の陰部を突いたという話は神と人間の女とが結婚したこ

とを明確に語ったものではないからそのことを明確にするために女の持ち帰った丹塗矢が男に変身して子が生まれたとい

う話があとになって付加されたのだと同書では述べたそれは既存の一説に見える解釈を妥当なものと認めそれを踏

襲したものだった本稿では「二段構えの語り」がこの話にも認められるという見解に立ってかつて小著で述べた考えを

訂正する

(4) 

女に与えられた「倭迹迹日百襲姫命」という名の語構成ははたしてどのようなものなのかこれを疑問の余地なく解明す

ることはかなり難しい

   

初頭の「倭」と末尾の「姫命」は除くとして「迹と

迹と

日び

百もも

襲そ

」の「百襲」は字面のとおり「多くの着衣」の意であるかも

知れないこの女の夫は蛇神だから蛇が何度も脱皮をくり返すことを背景とする名を妻がもつことは十分にありうること

だろう「百襲」の「襲」には字を構成する要素として「衣」がある「襲」の字は「重ねて着る」「覆う」「継ぐ」「おそ

う」などの意を表す

   

ある特徴や習性を表す語が当人ではなく周囲の者の名に含まれる例は「丹塗矢伝説」の登場者にも見られるたとえば

矢で陰部を突かれて慌てた女が勢せ

夜や

陀だ

多た

良ら

比ひ

売め

であるのにその女の産んだ娘が「陰に矢を立てられ震え姫」の意の「富ほ

登と

多た

多た

良ら

伊い

須す

須す

岐き

比ひめのみこと

売命」という名を与えられている母の経験したことが娘の名に反映しているのである

   「晡く

れふしの

時臥山やま

」〔『常陸国風土記』那珂郡茨城里〕の話に登場する子として蛇を産んだ女とその兄は「努ぬ

賀か

咩め

」「努ぬ

賀か

古こ

という名を与えられているこれらの名も原義を解明するのは難しいが「ぬか」はやはり脱皮の意を表す「脱ぬ

か」かも知れ

ない『和名類聚抄』の「蛻」の項に「毛も

沼ぬ

久く

」とあり『色葉字類抄』の「

蛻」の項に「ヘミノモヌケ」とあるこれらの

「脱ぬ

く」「脱ぬ

け」がこの場合に参考になる下二段活用動詞の「脱け」が「脱か彦脱か姫」では「脱か」となってい

るわけだが上代語では「明け」「荒れ」「枯れ」などの下二段活用動詞が「明か時(暁)」「新あ

垣がき

」「枯から

木き

」などの複合名詞を

構成しているのに同じである

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一六一

 

名の意味をこのように理解することは生まれた子を入れる器を何度か大きいものに替えたという脱皮を暗示する説明と

吻合する中世には「もぬけの衣」という表現もあるから「もぬけ」の「も」はあるいは「裳」か

(5) 「陰ほ

絶たち

田だ

」という地名と「米よね

舂つき

女め

等ら

が陰ほと

を陪おもとびとくな

従婚ぎ断ちき」という説明との関係には理解するのが難しい点がある

「陰絶田」に含まれる「絶つ」はもともと「長い間にわたって継続してきたことを止めまた幅のある物体を切る」の意を

表す動詞であるこれの自動詞である「絶ゆ」も基本的に意味は同じであるだから「陪お

もとびと

従」との交合によって陰部が損

傷したことをあえて「婚ぎ絶ち

9

9

き」と表現した理由が不明である物を損傷したことがなぜ「絶つ」と表現されたのか

「婚ぎ絶ちき」を「裂傷をおはせた」〔古典全書〕の意だと説明してもその疑問は解消しない

   「陰絶田」はもと「陰に(男根が)立つ田」の意の「陰立9

田」だったかも知れないそのように想定すれば神武記の

「丹塗矢伝説」に登場する「富ほ

登と

多た

多た

良ら

伊い

須す

須す

岐き

比ひ

売め

」という名の「ほとたたら」と意味的に対応するただし矢の場合に

「立つ」を用いた理由は理解できるが男根の場合にも同様に「立つ」を用いたとは想定しにくい「絶つ」とあることはや

はり不審のままである

(6) 

三つの要素の結びつきについては益田勝実「日本神話における外在と内在日本神話論における始原と展開」〔国文学

『解釈と鑑賞』一九七七年十月〕によるただしこの論にはOの話に関する言及がまったくないOの話のなかに三要素の

結び付きを読み取るのは私見にすぎない

(7) 

両神の死因をめぐる逆転関係については小著『日本の神話伝説を読む』(岩波新書二〇〇七年)の第二章第二節で述

べた

(日本語日本文学科 

教授)

Page 15: 一 神話・伝説に見られる特徴的な語り...神話・伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木) 0 一二三 べている。太平洋に伝承の海洋型国産み神話に類似。またヌホコを男性の象徴とし、交合による国産み神話とも見られる」と述

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一三五

られる夫婦をめぐる話だからそれは当然のことである】

 

夫婦の動作についてまとめると「大虚を践みて」は妻に禁を犯されたことを恥じた大物主神が勢いよく天空

を踏みつけるさまを表すまた「急き居」は夫の課した禁を犯したことを悔いた倭迹迹姫命が地面に急にすわ

り込むさまを表すどちらも

 

I 《身体の一部を急に下方に移動させその先にある物を勢いよく突く》

という動作であるこのことを確認すれば天空でなされる「大虚を践みて」と地上でなされる「急き居」とは

互いに類似し対応する動作だということがわかる夫と妻による二種の動作にこうした類似と対応とが認められる以

上それが話を深読みすることによって得られた誤った理解であるはずはない

 

妻に「箸に陰ほ

を撞つ

きて薨か

むさり

ましぬ」という忌まわしい事態が生じたわけだから「急き居」というのは語り手に

とっても聞き手にとってもきわめて衝撃的な動作である伝承者は妻の驚くべき動作について語る前にその場面の

ことを強く意識しただろうそして妻の動作に対応し類似する夫の動作としていかにも雷神らしい「大虚を践み

て」という動作を連想し話のなかに持ち込んだのだろう

 

ただし二重線を付した部分と太線を付した部分の「大虚を践みて」と「急き居」とは内容的には酷似あるい

は類似したことを表すものになっている一方で表現の具体的なありかたは大きく異なっている

0

0

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0

0

0

それは当然である

 

さきに「神世七代」の条に出現する「面足る」「あや恐か

こね」という対偶神の名とEFの話に見える男女二神

の讃美表現とについて述べたように一段めの語りと二段めの語りには異なる表現を用いなければならない内容面

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一三六

で類似し対応する二つの部分が表現の面でも同じように類似し対応していれば伝承者が一方をもとにして他方を

作ったことが聞き手に悟られやすくなるからである「大虚を践みて」と「急き居」とであれば両者の表現は異

なるからそれらは一方から他方を連想したものだとは悟られにくいのである

 

こう見てくるとIの話にもやはり「二段構えの語り」が認められることがわかる「大虚を践みて」という動作

をあえて描写しなくても怒った神が御諸山に帰って行ったと述べるだけで話は十分に成り立つ当該の箇所は

もともと「大虚を践みて」という表現を含まない単純なものだっただろう

 

この話のなかには大物主神と倭迹迹姫命とに関して互いに対比的だと見なしうる項目が多く含まれている特

に目立つものを整理すれば

 

ⅰ 

神人

 

ⅱ 

夫妻

 

ⅲ 

応じる願う

 

ⅳ 

禁を課す禁を犯す

 

ⅴ 

恥じる悔いる

 

ⅵ 

天空地上

 

ⅶ 

足で踏みつける尻餠を突く

 

ⅷ 

本拠地に戻る他界へ赴く

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一三七

というようになる

 

神と人間の女とが結婚したもののそれは根本的な矛盾を含む無理な結び付きだった神と人間との間にあるそ

の根本的な矛盾が夫が課した禁を妻が犯すという大きな溝となって現れ結局のところ両者は別離を迎えざるをえ

なかったというのがIの話の趣旨である話の伝承者が神と人間との根本的な相違を明確に意識しながら語った

話だからⅰ〜ⅷのような対比的な項目を含むことになったということだろう

 

ここで「二段構えの語り」の成立に深い関わりをもつと思われる『萬葉集』の歌の構成について見てみる歌の

構成というのは一方から他方を連想することによって成立する序詞と本旨との関係である

L 

春はるされば

去者 

先まづ

鳴なく

鳥とり

乃の うぐひすの

之 

事こと

先さき

立だち

之し 

君をし待たむ

〔十一九三五〕

 「春さればhelliphellipう

ぐひすの

」の三句が序詞でありそれが本旨の「言こ

先立ちし君をし待たむ」を導入している第一句

第二句の表現にあるように「

」は春を迎えて真っ先に鳴く鳥であるそれを序詞の末尾に置いて「(あなたが私

に)先に声を掛けた」の意の「言先立ちし」つまり本旨を導入する表現とした「言先立ちし」という相手の行動を

描写する前に春になって真っ先に鳴く鳥を歌の作者が連想しそれを歌の前半に置いたのであるだから作者が

言いたい本旨の内容が先にありそれから序詞が連想されたという関係であるあとで連想された序詞は意味的

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一三八

にも内容的にも本旨に類似するものになっているが本旨の表現とは異なっている

M 

牛うし

窓まと

之の 

浪なみ

乃の

塩しほ

左さ

猪ゐ 

嶋しまとよみ

響 

所よそりしきみは

依之君 

逢はずかもあらむ

〔十一二七三一〕

 

序詞の「牛窓のhelliphellip島」は本旨である「響と

み寄そりしhellip」から連想されたものであり同時に本旨を導入する表

現にもなっているこの序詞は「潮し

騒さゐ

の波のざわめきのように島も」の意を表し本旨の「響み寄そりし君はhellip」は

「噂もうるさいほどに私との関係を言い立てられたあなたはhellip」の意を表す「潮騒」という音にかかわる現象と

人の噂が激しいことをいう「響み」との類似性が歌の前半と後半とを結び付けている噂がうるさいという現実か

ら作者は「潮騒」のざわめきを連想して序詞としたのだから本旨の内容が先にあり序詞は本旨に基づいて連想

されたという関係である

N 

天あま

飛と

ぶや 

軽の社の 

斎いはひつき

槻 

幾代まであらむ 

隠こもりづま

嬬そも

〔十一二六五六〕

 

女が詠んだと思われるこの歌では「天あ

飛と

ぶやhelliphellip齋い

ひ槻つ

」の三句が序詞として四句以下の表現を導入している

序詞の末尾に置かれた「齋ひ槻」は神聖である故に人が触れてはならない木をさすまた第五句の「隠こ

り妻」は

人に知られてはならない間がらにある妻をさすそのような内容面での共通性が歌の前半にある序詞と後半にある

本旨とを強く結び付けている「齋い

ひ槻」と「隠こ

り妻」とは表現が異なっているが両者の関係はMの歌に出て

いる「潮騒」と「響み」とのそれに酷似している

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一三九

 

以上の三首に見られる序詞と本旨との関係はさきに見た諸話の一段めの語りと二段めの語りとの関係に相当する

三首の序詞は本旨の内容から連想されたものであり諸話の一段めの語りは二段めの語りの内容から連想されたもの

であるしかし連想を呼ぶもとになったこととそれから連想されたこととは三首でも諸話でも表現が互いに異

なるものになっている

 

話を「二段構えの語り」に戻し次の話に認められる「二段構えの語り」について検討するしかし次の話の語

りのありかたは見てきた三話と異なる点がある

O 

萩原の里土は中の中なり右萩原と名づくる故は息お

きながたらしひめのみこと

長帯日売命韓か

らくに国

より還か

り上りましし時御船此の村

に宿りたまひき一夜の間に萩一ひ

ともと根

生お

ひき高さ一ひ

丈つゑ

ばかりなり仍よ

りて萩原と名づく即す

なはち

御井を闢は

りき

故かれ

針は

間ま

井ゐ

といふ其の処は墾は

らず又墫も

たひの

水溢あ

れて井と成りき故韓か

の清水と號く其の水朝に汲むに

朝に出でず爾す

なはち

酒殿を造りき故酒田といふ舟傾き乾か

れき故傾か

ぶきだ田

といふ米よ

舂つき

女め

等ら

が陰ほ

を陪

おもとびとくな

従婚

ぎ断ちき故陰ほ

とたち絶

田だ

といふ仍す

なはち

萩多く栄えき故萩原といふ爾こ

に祭れる神は少

すくなたらしのみこと

足命にます

〔『播磨国風土記』揖保郡〕

 

これは『播磨国風土記』に見える話で息お

きながたらしひめのみこと

長帯日売命(神功皇后)の聖性と威徳とを強調する内容になっている

 

これまで見た三話と同様にこのOの話にも女陰の話題が含まれているそれは「陰ほ

絶たち

田だ

」という地名の由来を

説明する短小な話のなかに見える息長帯日売命に仕える陪お

もとびと

従が米よ

舂つき

女め

等ら

と交合して陰部を傷つけたそのことが

この地名の由来になったという)

5(

陰部を傷つけたことを語る「陪お

もとびとくな

従婚ぎ断た

ちき」の「断た

ちき」は「裂傷をおはせた」

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一四〇

〔古典全書〕の意だと比較的古い注釈にありこれを踏襲する新しい注釈もある妥当な解説である

 

以上で見た三話と異なる点というのは二重線の部分と太線の部分とが

O 

米よね

舂つき

女め

等ら

が陰ほ

を陪お

もとびとくな

従婚ぎ断ちき

というように一文のなかに連続して出ている点である見てきた三話では二種の線を付した部分は近接した位置

にあるがOの話の場合はそれが極端なかたちで表れているまた二重線の部分が三話のように何らかの動作

状態を描写した表現になってはおらず「米よ

舂つき

女め

等ら

」という複合名詞になっている点も三話とは異なる

 

二種の線を付した一文の内容についていささか気になるのは「陪お

もとびとくな

従婚ぎ断た

ちき」という動作の対象になったの

が「米よ

舂つき

女め

等ら

が陰ほ

」だということである

 「米よ

舂つき

女め

等ら

」という複合名詞に含まれる「舂つ

く」は「突く」という動詞の一用法である「舂く」は「きねなどの

先で強く打っておしつぶしたり穀物のからなどを除いたり精白したりする」〔『日本国語大辞典』第二版〕の意で

あり「舂女」は「臼で穀物をつく女」〔同〕の意である

 

結局のところ「舂く」という動作は「臼などの器に棒状の物を押し込みなかにある穀物などを押しつぶす」の

意を表すわけだがいささか気になると述べたのは「舂く」という動作と「婚く

ぎ断ち」「陰ほ

絶た

ち」という動作との

間に認められる

O 《狭い空間に棒状の物を差し入れその奥にある部分または物を強く突き破る》

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一四一

という物理的な動き

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としての類似性であるこれは既に取り上げたABの話やIの話に見られる二種の動きの

類似性と同じである

 

交合によって陰部を損傷したのと同様に棒状の物で「舂く」ことによって穀物などの本来の形態も損なわれる

だから「舂く」と「婚く

ぎ断ち」「陰ほ

絶た

ち」とは物理的な動きだけではなく動きによって生じる結果

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においても類

似している

 

このように話のなかに先に出てくる「舂き」とその直後に出てくる「婚く

ぎ断ち」「陰ほ

絶た

ち」との間には物理

的な動きとそれがもたらす結果との双方に関して顕著な対応類似が認められるそのような対応類似が生じた

ことについて次のように想定することができるだろうつまり話の伝承者があとで自分が語る交合という動作

を強く意識したそのために交合に類似した動きを表す「舂く」を事前に連想しさらにはその語を含む「米舂女

等」をも連想してそれを結果的に話のなかに持ち込んだのではないかということである現にGの「丹塗矢伝

説」に「その美人の富ほ

登と

を突きき」とありIの「箸は

墓はか

伝説」にも「陰を衝つ

きて」とあってそれらの「突き」「衝

き」は表記こそ違え「舂き」と同じ動詞である

 「婚く

ぎ断ち」「陰ほ

絶た

ち」は凄惨かつ深刻な事態だからそれに類似する「舂く」という動作を事前に伝承者が連想

することは十分にありえたと思われるそのように想定すればOの話にも「二段構えの語り」が表れていることに

なる

 

話の展開に従えば「舂く」を含む「米舂女等」が一段めの語りとして先に出てきて「婚く

ぎ断た

ち」「陰ほ

絶た

ち」が二

段めの語りとしてあとに出てくるしかし話が成立した経緯から見れば二段めの語りがもとで一段めの語りが生

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一四二

まれたわけだから実際の先後関係は正反対である

 「二段構えの語り」が以上のような経緯で成立したのだとすればOの話では陪お

もとびと

従が交合を行って陰部を損傷さ

せた対象はもともと「米舂女等」だとは限定されていなかったことになるそれで話は成り立つ

 

Oの話に認められる「二段構えの語り」は前節で確認したような歌の構成のありかたから見ればいったいどの

ようなものだと言えるのか

P 

窺うかねらふ

良布 

跡と み見

山やま

雪ゆき

之の 

いちしろく 

恋ひば妹が名 

人知らむかも

〔十二三四六〕

 

この歌では「じっと見ていて獲物を狙う」の意の「うかねらふ」が「跡と

み見

山」の「跡見」に掛かる枕詞になって

いる「うかねらふ」を承ける「跡と

み見

」は狩猟に関して用いられた語である注釈辞書に見える説明をまとめれ

ば「跡見」は「鳥獣が通ったあとを見てそれが通った時間やそれが今いる場所などを判断することまたそれ

を行う役の猟師」の意である歌の作者が「跡見」という語からそれと類義をもつ「うかねらふ」という動詞を

連想しそれを「跡見」という名詞を導入する枕詞としたのである「うかねらふ」と「跡見」とは類義の語だが

音韻面ではまったく異なっているこれはOの話の「米よ

舂つき

女め

等ら

」の「舂く」と「婚く

ぎ断ち」「陰ほ

絶た

ち」との関係に

近い

 『古事記』に見える次の歌謡では序詞と本旨との関係がPの歌の「跡見」と「うかねらふ」とのそれに類似し

たものになっている

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一四三

Q 

倭やまとへ方

に 

西吹き上げて 

玖く

毛も

婆ば

那な

礼れ 

曽そ

岐き

袁を

理り

登と

母も 

吾忘れめや

〔記五五〕

 「倭や

まとへ方

にhelliphellip雲離れ」の三句が序詞となって本旨の「退そ

き」あるいは「退き居り」を導入している「退き」は

「遠ざかり」の意を表す動詞だから「雲離れ」という複合語に用いられた「離れ」とは類義語の関係にある本旨

の「退き」を言うためにそれと類義をもつ「離れ」を事前に連想しそれを末尾に置いて長い序詞を構成したわけ

である「雲離れ」と「退き居り」とは音韻面で類似するところがない「離れ」と「退き」との関係はやはりO

の話の「米よ

舂つき

女め

等ら

」の「舂く」と「婚く

ぎ断ち」「陰ほ

絶た

ち」との関係に近いと言える

R ふさ

手た

折をり 

多た

武むの

山やま

霧ぎり 

繁みかも 

細川の瀬に 

波騒きける

〔九一七〇四〕

 

この歌では地名の「多た

武む

」を「曲げる」の意を表す「たむ」という動詞に見立てそれから事前に連想された

類義の「手折り」に「

ふさ

」を付し「たむ」の枕詞としている「手た

折を

る」は「手で曲げて取る」の意であり「

は「総房」のことで花や実が束になって付いたものをさす本旨の表現に用いるべき「たむ」から類義を表す

「手折る」という動詞を連想したのであるこれもまたOの話の「断つ」と「舂く」との関係を思わせる「たむ」

と「手折り」とは初頭の音節が同じだが互いに音節数が異なっている

 

三首の「跡見」「退き」「たむ」が「二段構えの語り」の二段めのかたりに相当しそれから連想された「うかね

らふ」「雲離れ」「

手折り」が一段めの語りに相当すると言えるだろう

 

既に述べたようにOの話は聖性と威徳とを具えた息長帯日売命に関する話である「一夜の間に萩一ひ

根もとお生

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一四四

き」「墫も

たひの

水溢あ

れて井と成りき」その他の不思議な事態が起こったことが話のなかでくり返し述べられている

同様にほかならぬ息長帯日売命に仕える陪お

もとびと

従が米舂女等と交合を行って陰部を傷つけた結果「萩多く栄えき」

という事態が生じたということなのだろう

 

Oの話が載っているのと同じ『播磨国風土記』に

S 

讃さ よ容

といふ所ゆ

ゑ以

は大神妹い

もせ

二柱競ひて国占し

めましし時妹玉た

津つ

日ひめのみこと

女命生ける鹿を捕と

り臥せて其の腹を

割さ

きて其の血に稲種ま

きき仍よ

りて一夜の間に苗な

生お

ひき即す

なはち

取りて殖う

ゑしめたまひき爾こ

に大神勅の

りたま

ひしく「汝な

にも妹

は五さ月夜よ

に殖ゑつるかも」とのりたまひて即や

て他

あだしところ

処に去りたまひき故か

五月夜の郡こ

ほりと

號なづ

神を賛さ

用よ

都つ

比ひめのみこと

売命と名づく

〔讃容郡〕

という話が見えまた次のような話も見える

T 

丹に

津つ

日ひ

子こ

の神「法ほ

太だ

の川底を雲う

るみ潤

の方に越さむと欲お

ふ」と爾し

かい云

ひし時彼の村に在い

せる太お

水みづ

の神辞い

びて

云の

りたまひしく「吾は宍し

の血を以て佃た

つくる

故か

河の水を欲ほ

りせず」とのりたまひきその時丹津日子云ひし

く「此の神は河を堀る事に倦う

みて爾いへるのみ」といひき故雲う

弥み

と號な

く今い

人ひと

雲潤と號な

〔賀毛郡〕

 

Sの話は鹿の腹を割いてその血に稲を蒔いたら一夜で苗が生えたというものであるまたTの話は宍し

つま

り動物の血で田を作るから河の水は必要ないと神が言ったというものである二話では稲などの植物を植える際

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一四五

には普通に水を用いるよりも動物の血を用いた方が成長がずっと早いと述べているようである

 

これらの話には動物の血と稲あるいは田と一夜での苗の成長の三つの要素の結び付きが確認できる)

6(

この

ことはOの「陰絶田」の話を想起させずにはおかないつまり稲あるいは田は「陰絶田」の話に出ている「米よ

舂つき

女め

等ら

」に対応するように思われるしまた動物の血は女らと陪従らとの交合によって陰部から出たはずの血に

対応するように思われるさらに一夜で急に苗が成長したという事態は「陰絶田」の話の前半部に「一夜の間に

萩一ひ

根もとお生

ひき」とありまた「陰絶田」という地名に続いて「仍す

なはち

萩多く栄えき」とあることに内容的に対応する

と理解することができる

 

だから「米よ

舂つき

女め

等ら

が陰ほ

を陪お

もとびとくな

従婚ぎ断ちき故陰ほ

絶たち

田だ

といふ仍す

なはち

萩多く栄えき」という一連の表現では

陰部を損傷させたことと萩が多く栄えたこととの間には「そのことが原因で」の意の明確な因果関係があると

見るべきだろう

 

三つの要素の結び付きがOの話にも認められる以上同話と動物の血に関する話は古い時代に行われていた儀礼

を背景とするものだと考えることができるだろう動物の血と人間の血との違いはあるがそれらは神に動物の犠

牲を捧げたことによって豊穣繁栄がもたらされたという人々の遠い記憶を伝えるものなのではないか

 「国土創成」をめぐるABの話とEFの話Gの「丹塗矢伝説」Iの「箸墓伝説」Oの「陰絶田」をめぐる

話のどれでも女陰交合結婚などのことが話題となっているこれらの諸話に「二段構えの語り」が認められる

ことを以上の論述で確認した

 

ただし「二段構えの語り」が認められることと女陰交合などの話題が含まれることとの二点を条件として

以上の諸話を選んだわけではない「二段構えの語り」が認められる諸話を取り上げたところそれらには女陰交

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一四六

合などの話題が共通して含まれていたというのが実際である

 

女陰を矢が突くにしても何かが原因で女陰が損傷を受けるにしてもとにかく女陰や交合に関する話題は話の

語り手にも聞き手にも強い印象を与えたはずである時にはそれは刺激的衝撃的な印象さえ与えたに違いない

それだからこそ女陰交合に関する出来事はその内容に類似し対応する連想を呼びやすかったのだろう「二段

構えの語り」と女陰交合の話題とが以上の諸話のなかに共存するのはそのような理由によるものと考えられる

 

以上で確認したように「二段構えの語り」が表れていると判断される諸話に女陰交合などの話題が共通して

含まれている論述の流れに従えば交合結婚を語るものではないがやはり女陰のことが一つの話題になってい

る次の話を取り上げる必要があるだろう

U 

須す

佐さ

之のをのみこと

男命(略)勝ちさびに天あ

まてらすおほみかみ

照大御神の営つ

くだ田

を離は

ちその溝を埋めまたその大お

ほにへ嘗

を聞こしめす殿に屎く

まり散らしき故か

然し

すれども天照大御神は咎と

めずてhellip(略)なほその悪しき態わ

止まずて転う

てありき天照大御

神忌い

みはた服

屋や

に坐ま

しまして神か

御み そ衣

織らしめたまひし時その服屋の頂む

を穿う

ち天あ

の斑ふ

ちこま馬

を逆さ

剝は

ぎに剝ぎて堕お

し入る

る時に天の服は

織おり

女め

見驚きて梭ひ

に陰ほ

と上

を衝つ

きて死にき故か

ここに天照大御神見畏か

しこみ

て天の石い

屋や

戸と

を開

きてさし籠もりましきここに高た

天ま

の原皆暗く葦

あしはらのなかつくにことごと

原中国悉に闇く

しこれによりて常と

夜よ

往ゆ

ききここに

万よろづのわざはひ

妖悉に発お

りき

〔神代記〕

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一四七

 

これは『古事記』の神話の一部であり須佐之男命の「勝ちさび」の場面とその姉である天照大御神の「石屋籠

もり」の場面である天照大御神が機織りをしている時に弟の須佐之男命が皮を剝いだ馬を服は

屋や

の屋根を壊し

てなかに投げ入れたそれに驚いた服は

織おり

女め

が縦糸の間に横糸を通すための道具である梭ひ

を誤って自分の陰部に突

き刺して死んだそれを見て弟の行動を恐れた天照大御神が石い

屋や

に籠もってしまったので世界は暗闇に閉ざされ

多くの災禍がはびこったという

 

二重線を付した「その服屋の頂む

を穿う

ち天あ

の斑ふ

ちこま馬

を逆さ

剝は

ぎに剝ぎて堕お

し入るる時にhellip」という部分と太線を付し

た「梭ひ

に陰ほ

と上

を衝つ

きて死にき」という部分とは表現のありかたがまったく異なるしかし皮を剝いだ馬を屋根

を壊して建物のなかに投げ入れることと梭ひ

で勢いよく突いて陰部を傷つけることとが物理的な動きとして酷似し

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ている

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ことは事実である二つの部分では

U 《ある物体を急に動かしその勢いで別の物体を破損する》

ということが共通の骨子になっているこのような動きはIOの話の場合の動きと酷似している

 

二つの部分に描写されている物理的な動きをこのように要約するとこれまで見た諸話の場合と同様にUの話に

表れている「二段構えの語り」について次のように推測すべきことになるつまり皮を剝いだ馬を服屋の屋根

を壊して投げ入れたという二重線の部分は梭で陰部を突いて服織女が死んだという太線の部分に基づいて伝承者

が事前に連想して話のなかに持ち込んだものだろうということである

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一四八

 

確かに梭で陰部を突いて女が死んだというのはあまりにも衝撃的で印象的な出来事である特に『日本書紀』

の所伝には「天照大神驚お

どろ動

きたまひて梭を以て身を傷い

ましむ」〔本書〕とありまた「稚わ

かひるめのみこと

日尊驚きたまひ

て機は

より墮お

ちて持たる梭を以て體み

を傷や

らしめて神か

むさ退

りましぬ」〔一書第一〕とあって事態はさらに深刻であ

る至高神である天照大神自身が陰部を損傷しまたその分身である稚日尊が同じ原因で死んだというのだからこ

れ以上の重大事件はない

 

ただしここで一つの問題が生じる伝承者が連想したことを神話のなかに持ち込む以前には梭を突き刺して陰

部を損傷したという話題はあっても屋根を壊して馬を投げ入れたという話題は含まれていなかったことになるそ

こで馬に関する話題が直前に置かれていなくても天照大御神が石屋に籠もるという展開になりえたのかとの問

題が生じるのである少なくともUの話では馬の投げ入れに驚いて服織女が陰部に損傷を負って死んだので

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その

ことを恐れた天照大御神が石屋に籠もってしまったというように読めるからである

 

結論を言えば馬を投げ入れるという行動はなくても天照大御神が石屋に籠もるという展開になりえたと理解

することができるそのことを支持するのは『日本書紀』に見える次の所伝である

V 

日ひのかみのみこと

神尊天あ

まのかきた

垣田を以て御田としたまふ時に素戔嗚尊春は渠み

塡う

め畔あ

はなち毀

す又秋の穀

たなつものすで

已に成りぬるとき

に則ち冒

ひきわたす

に絡あ

ぜなは縄

を以てす且ま

たひのかみ

日神の機は

殿どの

に居ま

します時に則ち斑ぶ

駒こま

を生い

剝は

ぎにして其の殿

みあらかの

内に納な

げいる

凡す

て此の諸

もろもろの

事尽

ことごとくに

是これあづきな

無状し然れども日神恩

このかみおととむつま

親しき意

みこころもちに

して慍と

めたまはず恨みたまはず皆

平たひ

らかなる心を以て容ゆ

したまふ日神の新

にひなへきこ

嘗しめす時に及お

よ至

びて素戔嗚尊則ち新

にひなへのみや

宮の御み

まし席

の下に陰ひ

そかに

ら送く

そま糞

る日神知し

しめさずして俓た

に席み

ましの

上に坐ゐ

たまふ是に由よ

りて日神體み

みこぞ挙

りて不や

くさ平

みたまふ故以

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一四九

て恚い

か恨

りまして廼す

なはち

天あまのいはや

石窟に居ま

して其の磐い

戸と

を閉さ

しぬ

〔一書第二〕

 

素すさのをのみこと

戔嗚尊の悪行がどのような順序でこのVの話にあげられているかを少し細かく見てみる天照大神の御み

田た

素戔嗚尊が損壊する話が最初に置かれておりそれはUの話の場合と同じであるしかしその直後にはUの話と

大きく異なって馬を投げ入れる話が置かれているそしてこの悪行を含む「諸

もろもろ

の事」について「日ひ

神かみ

恩このかみおととむつま

親しき意

みこころもちに

して慍と

めたまはず恨みたまはず皆平た

らかなる心を以て容ゆ

したまふ」という説明が付され

ている馬を投げ入れたことは天照大神の石屋籠もりと直結しておらずむしろ日神は馬の投げ入れを含む多くの

悪行を許したというのである

 

Vの話で石屋籠もりと直結しているのはそのあとになされた悪行であるそれは「素戔嗚尊則ち新

にひなへのみや

宮の御み

まし席

の下に陰ひ

そかに

自ら送く

そま糞

る」という蛮行でありこれによって「日神知しめさずして俓た

に席み

ましの

上に坐ゐ

たまふ是に

由よ

りて日神體み

みこぞ挙

りて不や

くさ平

みたまふ」というひどい状況が生じたつまり新宮のなかでの脱糞という悪行が日ひ

神かみ

に病をもたらしさらには同神を石屋に籠もらせたというのである陰部が損傷した事件ではなくて新宮での脱糞

という蛮行が石屋籠もりの原因となりえたことをVの話が証明している【天照大神にあたる神を「日神」とする所

伝はより古い時代に成立したものだと言われる】

 

新宮での脱糞が石屋籠もりの原因になったとするVの話には女陰が損傷したことはまったく見えないこれに対

してUの話やさきに引用した『日本書紀』の本書一書第二の話では馬の投げ入れに驚いた女神が陰部を損傷し

そのことが女神の石屋籠もりの原因となっている話の内容にこのような相違がある事実は女神が陰部を損傷した

ことと女神が石屋に籠もったこととは必ずしも一連のものではないことしたがって話の成立について考えるにあ

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一五〇

たっては二つのことを別々に処理してかまわないということを示している

 

ただしUの話で大きな問題となるのは馬を投げ入れるという行動がなければ女神が驚いて陰部を損傷すると

いう事態も起こらないということであるこの点で女神が陰部を損傷するという事態だけが話に含まれ馬を投

げ入れるという行動は話に含まれないという話の状況は想定できないのである

 

一連の話のなかにまずXのことが出ていて次にYのことが出ているという「二段構えの語り」について考える際

にぜひとも考慮しておくべきことがあるつまりあることをもとにしてそれに類似することを伝承者が連想し

連想した内容を結果的に話のなかに持ち込むには一般的に二とおりの過程がありうるということである

a 

先に出てくるXが伝承者に強い印象を与えるためにXについて語ったあとにそれに類似した内容をもつY

を伝承者が連想するという過程

b 

あとに出てくるYが伝承者に強い印象を与えるためにYについて語る前にそれに類似した内容をもつXを

伝承者が連想するという過程

 

これまで見てきた「二段構えの語り」はすべてbの過程を経て生じたものだと考えたしそのように考えて特に

問題はなかったしかしUVの二話の場合はそのように考えることは不可能であるUの話では馬を投げ入

れたことが女神が陰部を損傷する原因になっておりVの話では新宮で脱糞したことが女神に病をもたらす原

因となっている二重線の部分が原因を表しており太線の部分が結果を表しているわけだから二つの部分は密接

な因果関係を構成しているのである

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一五一

 

そこでUVの二話に表れている「二段構えの語り」がbの過程を経て成立したと仮定して具体的に話の展開

について考えてみる陰部を損傷したことだけがUの話に含まれるという段階を想定すれば女神がなぜ梭で陰部を

突くことになったのか何も説明がなく話の展開が唐突すぎる聞き手は話の展開が理解できないのであるまた

同様に女神が糞の上に座って病を得たことだけがVの話に含まれるという段階を想定すればそこになぜ糞があっ

たのかが不明であるこちらも話の展開そのものが成り立たない

 

一方で「二段構えの語り」はbの過程を経て成立したという仮定を捨てそれはaの過程を経て成立したものだ

と仮定してみる二重線の部分だけが話に含まれており伝承者はそれをもとにして太線の部分を連想し連想した

ことをあとで話のなかに持ち込んだというふうにである

 

Uの話にはもともと馬を投げ入れたことだけがあり伝承者はそれをもとに酷似する動きをとることとして

梭で陰部を突くという動作を連想した馬の皮を剝いだうえ屋根を壊してそれを服屋の中に投げ入れるという悪行

は女神が梭で陰部を突くという事故がなくても女神を恐れさせて石屋に籠もらせるには十分である

 

またVの話の場合にはもともと新宮で脱糞をしたことだけが含まれており伝承者はそれに基づいて女神が

その糞の上に座って病を得たことを連想した女神が新嘗の儀礼を行う前にその神聖な新宮でこっそり脱糞をする

という蛮行は女神が糞の上に座って病を得るという事態が起こらなくても女神を怒らせて石窟に籠もらせるには

十分である

 

こうしてbの過程を想定すればもとの話は成り立たないが逆にaの過程を想定すればUVの二話にも「二

段構えの語り」が表れていると考えることができる実はaの過程を想定することによって「二段構えの語り」が

表れていることを順当に説明しうる話はすぐあとに取り上げるようにほかにもまだある

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一五二

 

女陰が何らかの原因で損傷したことを述べるIOUの三話についてさきに一段めの語りと二段めの語りの

内容を検討したうえでそれぞれを次のように一文にまとめておいた

I 《身体の一部を急に下方に移動させその先にある物を勢いよく突く》

O 《狭い空間に棒状の物を差し入れその奥にある部分または物を強く突く》

U 《ある物体を急に動かしその勢いで別の物体を破損する》

 

三話に認められる「二段構えの語り」の内容はこのようにどれも同じような動きを表すものになっているそれ

だけでなくABの話やGの話に見られる「二段構えの語り」もまた同じような動きを表すものになっている

ということは女陰が損傷を受けたことを述べる三話に「二段構えの語り」を認めることの妥当性を逆の面から証

するものだと言えるのではないか

 

これに対し女陰の損傷が話題となっていない「二段構えの語り」が認められる別の諸話についてその内容を

一文にまとめるとその一文はこれらとまったく異なる動きを表すものとなる(後述)そのこともさきに述べた

ような「二段構えの語り」の存在を認めるべき一つの論拠となると考える

 

Uの話と同様にaの過程を経て「二段構えの語り」が成立したと推定される話をここでもう一つ取り上げる

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一五三

それは『古事記』に見える神話でのちに地上界の支配者になる大お

ほなむぢの

穴牟遅神か

をその兄弟である八や

十そ

神がみ

が殺害する場

面である

W 

ここに八や

十そ

神がみ

見てまた欺あ

ざむき

て山に率ゐ

て入りて大お

樹き

を切り伏せ茹ひ

矢や

をその木に打ち立てその中に入らし

むる即ちその氷ひ

目め

矢や

を打ち離ちて拷う

ち殺しきここにまたその御み

祖おや

の命み

こと

哭な

きつつ求ま

げば見得てすな

はちその木を折りて取り出で活かしてその子に告げて言ひしく「汝い

まし

此こ こ間

にあらば遂に八十神のために滅

ぼさえなむ」といひてすなはち木き

国くに

の大お

屋や

毘び

古この

神かみ

の御み

もと所

に違た

へ遣りきここに八十神

ぎ追ひ臻い

りて矢や

刺ざ

し乞ふ時に木の俣ま

より漏く

き逃がして云の

りたまひしく「須す

佐さ

能のをのみこと

男命の坐ま

します根の堅か

州す

国くに

に参ま

向ふべし必ず

その大神議は

りたまひなむ」とのりたまひき故か

詔の

りたまひし命の随ま

にまに

須佐之男命の御所に参ま

ゐいた到

ればhellip

〔神代記〕

 

八十神が大木を切り倒してそれを裂き裂け目に楔

くさび

状の「茹ひ

矢や

」を押し立てておいたそしてそこに大穴牟遅神

を入らせて楔状の物を引き抜き同神を圧死させた同神の母が木を折って息子を救い出しこれを蘇生させて大お

屋や

毘び

古この

神かみ

のもとへ逃がしてやったさらに八十神が追いついて息子を引き渡すように母に要求した時には母が息

子をこっそり木の俣から須佐能男命のもとへ逃がしてやったという

 

Wの話の直前には八十神に脅迫された大穴牟遅神が焼けた岩をかかえ込んで死んでしまったという話が置か

れている死んだ大穴牟遅神はやはり母の尽力によって復活したというそれが一回めの死と復活を語る話だから

Wの話で語られる死と復活は二回めのそれである一回めの死が岩を抱き取ることによってもたらされ二回めの死

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一五四

が木の俣に挟まれることによってもたらされた死因の内容が一回めと二回めとでは逆転している

 

また大穴牟遅神の二度にわたる死は天照大御神の二度にわたる死と奇妙なかたちで対応している天照大御神

の死はまず同神自身あるいはその分身の女神が木製の梭で陰部を突いて死ぬというかたちで語られるまた

そのあとで同神自身が岩屋に籠もってしまうというかたちで死が語られるがそれは太陽神の象徴的な死である

両神の死の内容を細かく比較すると両神の体と岩木とが次のように互いに逆転した奇妙な関係を示しているこ

とがわかる

  

大穴牟遅神の死helliphelliphellip体が岩をかかえるdarr木の俣が体を挟む

  

天照大御神の死helliphelliphellip木が体のなかに入るdarr体が岩のなかに入る

 

地上の支配者と世界の至高神との間に死をめぐってこのような逆転した関係が認められるのはきわめて興味深

いことである)

7(

 

さて「二段構えの語り」だがWの話のうち母が息子を「その木を折りて取り出で活かして」大お

屋や

毘び

古この

神かみ

のも

とへ逃がしてやったという二重線の部分が一段めの語りにあたる二段めの語りにあたるのは母が息子を「木の

俣また

より漏く

き逃がし」て須佐能男命のもとへ向かわせたという太線の部分である

 

つまりこの神話では俣になった「その木を折りて」母が息子を救い出す一段めの語りと母が息子を「木の俣

より漏く

き」逃がしてやる二段めの語りとは

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一五五

W 《母が息子を木の俣から救出しあるいは逃がして別の神のもとへ送り出す》

という酷似した内容のものになっている

 

地上の支配者となるべき大穴牟遅神が木の俣に挟まれて死んで母に救われる話の方が同神の母が木の俣から息

子を逃がしてやる話よりもずっと衝撃的で印象的であるだから神話の伝承者が一段めの語りの内容を強く意

識しそれに酷似した内容をもつ二段めの語りを連想してあとで話のなかに持ち込んだのだろうと推測される

より印象的な出来事を語り終えたあともそれが意識のなかから消え去らず類似し対応することがらをあとで連想し

てしまったと考えられる【一段めの話から二段めの話が連想されたというaの過程をたどったとおぼしい実例は

僅少であるそれには然るべき理由があったと考えるべきだが目下のところそれは不明である】

 

Wの話がこのような経緯をたどったとすると母が木を折って息子を救い出しこれを蘇生させてから別の神のも

とへ逃がしてやったという一段めの語りだけが話に含まれていた段階を例によって想定しなければならない一

段めの語りだけで話は成り立つのか

 

結論を言えばその想定は可能である八十神のもとから逃げた大穴牟遅神が須佐能男命のいる地まで行ったと

いうような単純な内容の話になっている方が以下との続きかたは自然である二重線の部分の末尾にある「木き

国くに

の大お

屋や

毘び

古この

神かみ

の御み

もと所

に違た

へ遣りき」の「大屋毘古神」の部分を太線の部分にある「須佐能男命」とすれば話は無

理なく以下に続くのであるまずは大屋毘古神のもとへ逃げて行ったという部分がなかったとすれば母は木の裂け

目から息子を救い出しこれを蘇生させて須佐能男命のもとへ送り出したというわかりやすい展開になるしたが

ってaの過程を経てWの話が成立しただろうという推定は十分に成り立つ

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一五六

 

二重線の「木き

国くに

の大お

屋や

毘び

古この

神かみ

の御み

もと所

に違た

へ遣りき」という部分は「木国のhellip」で始まっているそれは「大お

樹き

切り伏せ」「茹ひ

矢や

をその木に打ち立て」「その木を折りて」などWの話にくり返し出ている「樹木」から連想され

たものだろう

 

太線の部分にある「木の俣ま

より漏く

き逃がして」以下の表現からその前に置かれた二重線の部分が連想されたと

いうbの過程は想定できない二重線の部分が話に含まれていないという段階はなぜ太線の部分が話に含まれてい

るのかということつまり「木の俣ま

より漏く

き逃がして」とある理由が説明できないのである大穴牟遅神が八十神に

殺害されて復活したという理由があって始めて「木の俣ま

より漏く

き逃がして」以下の表現が意味をもつのである

 

木の俣に挟まれて圧死した大穴牟遅神が母の尽力によって蘇生したあとには同神が須佐能男命から与えられた

いくつもの試練を妻の須す

勢せ

理り

毘び

売め

の助力を得てそのたびごとに克服するという話が続くさらに大穴牟遅神が

須勢理毘売をその父のもとから奪って逃げるとともに自分に苦難をもたらした八十神を追い払って「始めて国を作

りたま」うたという展開になっているまたそのあとにも大穴牟遅神の子を産んだ八や

上かみ

比ひ

売め

が須世理毘売を恐

れて「その生める子をば木の俣に挟みて返」ったという話が続いている八上比売の話にまたもや「木の俣」

のことが出てくるわけである

 

この「木の俣」の話もまた大穴牟遅神が「木の俣」に挟まれて圧死した話から連想されたものである可能性が想

定できるがそのように想定する場合に問題となることがあるそれは両話の間に置かれた話があまりにも長大な

ものだということであるしかし大穴牟遅神と生まれた子との間には

 

ⅰ 

父子

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一五七

 

ⅱ 

木の俣に挟まれて死ぬ生まれて木の俣に挟まれる

 

ⅲ 

母が救い出す母が置き去りにする

 

ⅳ 

母が別地へ向かわせる母がもとの地に戻る

というような対比的な関係も認められるのでありこうした関係が偶然に生じたものだとは考えがたいだから父

が木の俣で圧死させられることから生まれた子を木の俣に置くことが連想されたという可能性をここでは否定し

ないでおく【より古い時代には大穴牟遅神が木の俣に挟まれて死ぬ話と八上比売が木の俣に新生児を挟む話とは

直結した一連のものだったことも想定できる】

 

以上の論述では「二段構えの語り」の様態について数話を例示してやや細かく検討を加えたその結果話に

含まれる特定のことからがそれに類似し対応することがらを伝承者に連想させ連想した内容が結果的に話のなか

に組み込まれてしまうという特徴的な現象を上代の神話や伝説を通して確認することができたと考える

 

同じ「二段構えの語り」の現象が認められる話は本稿で取り上げた諸話で尽きているのではなくまだ何話か上

代の文献に見える紙幅の関係でそれらを取り上げて細かく検討を加えることができないからここで二話だけに

ついて結論を述べておき具体的な検討は別稿で行うことにする

 

二話のうち一つは神話に見えるもので娘たちを飲み食らう大蛇を須佐能男命が退治する場面である『古事記』

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一五八

で言えば「是の高こ

志し

の八や

俣また

の遠を

呂ろ

智ち

年と

毎ごと

に来て喫く

へり」という部分と「船ふ

毎ごと

に己お

が頭を垂い入れてその酒を飲み

き」という部分とが「二段構えの語り」に相当する二つの部分の内容をまとめると

  《大蛇が出雲へやってきて足あ

名なづち椎

のがわに属するものを食らいあるいは飲む》

というようになる娘たちを食らい飲む大蛇が酒を飲むという同じ行動が原因で退治されてしまうのである

 

またもう一つの話は『播磨国風土記』の賀古郡の条に見える「比礼墓伝説」であるこの話では「印い

なみ南

」の女

が「隠な

び妻」であり「辞い

び妻」でもあるからこれは「古代の口がたり特有の面白さ」をもつものだという興味深

い見解がある

 

話の冒頭近くにある「度わ

たりもり

子紀き伊の国く

人ひと

小を

玉たま

申さく「我は天

すめらみこと

皇の贄に

人びと

たらめや」とまをす」という部分とその

あとにある「印南の別嬢聞きて驚き畏か

しこみ

即や

て南な

都つ

麻ま

嶋に遁に

げ度りき」という部分とが「二段構えの語り」に

相当する二つの部分のうちのあとの部分は別嬢が天皇の求婚を嫌がって

0

0

0

0

島に逃げて隠れたことを述べたものだか

ら二つの部分は同じく「辞い

び」を内容とするものだと言える「度わ

たりもり

子」つまり船頭の「我は天

すめらみこと

皇の贄に

人びと

たらめや」

という発言に倣って天皇の求婚を嫌がる別嬢の心情を言い表せば「吾は天皇の妻

9

9

9

9

たらめや」というようになる

  

船頭の「辞び」helliphelliphellip「我は天

すめらみこと

皇の贄に

人びと

たらめや」

  

別嬢の「辞び」helliphelliphellip「吾は天皇の妻

9

9

9

9

たらめや」

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一五九

 

結局二つの「辞び」は単なる拒否ではなく次のような同じ内容を表す「辞び」なのである

  《私は天皇にお仕えなどしない》

 

この話の末尾近くには別嬢の遺体について「大き飄つ

むじ

川下より来て其の尸か

ばねを

川中に纏ま

き入れき求むれども得

ず」と述べられているがその部分と別嬢が島に逃げて隠れた

0

0

0

という前の部分ともまた「二段構えの語り」を構

成している二つの部分はともに別嬢の「隠び」を内容とするものなので次のように一つにまとめることができる

  《別嬢が「隠な

び」をした》

 「辞び」も「隠び」も話のなかに二度ずつ表れているのである

 

大蛇退治の神話と「弟日姫子伝説」とには「二段構えの語り」を認めるにあたって解決すべき多くの問題が含ま

れているしかしそれらを一つ一つ検討していけば見てきた諸話と同様の特徴的な語りを二話にも認めることが

できる

註(1) 

本稿にあげる『古事記』『日本書紀』『風土記』などの記述は本文訓読文ともに古典文学大系のものを引用するまた

『萬葉集』の本文訓読文は新編古典全集のものを引用するただしいずれも読みやすさと理解しやすさとを考慮して

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一六〇

もとの表記形式その他を改めることが少なくない

(2) 

大野晋「記紀の創世神話の構成」〔『文学』一九六五年八月〕のちに『仮名遣と上代語』(一九八二年)に収載

(3) 「丹塗矢伝説」の成立については小著『伝承と言語』(一九九五年)のⅡ部四章で私見を述べたただし同書に述べたこ

とと本稿で述べたことの間には一点だけ相違がある丹塗矢が女の陰部を突いたという話は神と人間の女とが結婚したこ

とを明確に語ったものではないからそのことを明確にするために女の持ち帰った丹塗矢が男に変身して子が生まれたとい

う話があとになって付加されたのだと同書では述べたそれは既存の一説に見える解釈を妥当なものと認めそれを踏

襲したものだった本稿では「二段構えの語り」がこの話にも認められるという見解に立ってかつて小著で述べた考えを

訂正する

(4) 

女に与えられた「倭迹迹日百襲姫命」という名の語構成ははたしてどのようなものなのかこれを疑問の余地なく解明す

ることはかなり難しい

   

初頭の「倭」と末尾の「姫命」は除くとして「迹と

迹と

日び

百もも

襲そ

」の「百襲」は字面のとおり「多くの着衣」の意であるかも

知れないこの女の夫は蛇神だから蛇が何度も脱皮をくり返すことを背景とする名を妻がもつことは十分にありうること

だろう「百襲」の「襲」には字を構成する要素として「衣」がある「襲」の字は「重ねて着る」「覆う」「継ぐ」「おそ

う」などの意を表す

   

ある特徴や習性を表す語が当人ではなく周囲の者の名に含まれる例は「丹塗矢伝説」の登場者にも見られるたとえば

矢で陰部を突かれて慌てた女が勢せ

夜や

陀だ

多た

良ら

比ひ

売め

であるのにその女の産んだ娘が「陰に矢を立てられ震え姫」の意の「富ほ

登と

多た

多た

良ら

伊い

須す

須す

岐き

比ひめのみこと

売命」という名を与えられている母の経験したことが娘の名に反映しているのである

   「晡く

れふしの

時臥山やま

」〔『常陸国風土記』那珂郡茨城里〕の話に登場する子として蛇を産んだ女とその兄は「努ぬ

賀か

咩め

」「努ぬ

賀か

古こ

という名を与えられているこれらの名も原義を解明するのは難しいが「ぬか」はやはり脱皮の意を表す「脱ぬ

か」かも知れ

ない『和名類聚抄』の「蛻」の項に「毛も

沼ぬ

久く

」とあり『色葉字類抄』の「

蛻」の項に「ヘミノモヌケ」とあるこれらの

「脱ぬ

く」「脱ぬ

け」がこの場合に参考になる下二段活用動詞の「脱け」が「脱か彦脱か姫」では「脱か」となってい

るわけだが上代語では「明け」「荒れ」「枯れ」などの下二段活用動詞が「明か時(暁)」「新あ

垣がき

」「枯から

木き

」などの複合名詞を

構成しているのに同じである

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一六一

 

名の意味をこのように理解することは生まれた子を入れる器を何度か大きいものに替えたという脱皮を暗示する説明と

吻合する中世には「もぬけの衣」という表現もあるから「もぬけ」の「も」はあるいは「裳」か

(5) 「陰ほ

絶たち

田だ

」という地名と「米よね

舂つき

女め

等ら

が陰ほと

を陪おもとびとくな

従婚ぎ断ちき」という説明との関係には理解するのが難しい点がある

「陰絶田」に含まれる「絶つ」はもともと「長い間にわたって継続してきたことを止めまた幅のある物体を切る」の意を

表す動詞であるこれの自動詞である「絶ゆ」も基本的に意味は同じであるだから「陪お

もとびと

従」との交合によって陰部が損

傷したことをあえて「婚ぎ絶ち

9

9

き」と表現した理由が不明である物を損傷したことがなぜ「絶つ」と表現されたのか

「婚ぎ絶ちき」を「裂傷をおはせた」〔古典全書〕の意だと説明してもその疑問は解消しない

   「陰絶田」はもと「陰に(男根が)立つ田」の意の「陰立9

田」だったかも知れないそのように想定すれば神武記の

「丹塗矢伝説」に登場する「富ほ

登と

多た

多た

良ら

伊い

須す

須す

岐き

比ひ

売め

」という名の「ほとたたら」と意味的に対応するただし矢の場合に

「立つ」を用いた理由は理解できるが男根の場合にも同様に「立つ」を用いたとは想定しにくい「絶つ」とあることはや

はり不審のままである

(6) 

三つの要素の結びつきについては益田勝実「日本神話における外在と内在日本神話論における始原と展開」〔国文学

『解釈と鑑賞』一九七七年十月〕によるただしこの論にはOの話に関する言及がまったくないOの話のなかに三要素の

結び付きを読み取るのは私見にすぎない

(7) 

両神の死因をめぐる逆転関係については小著『日本の神話伝説を読む』(岩波新書二〇〇七年)の第二章第二節で述

べた

(日本語日本文学科 

教授)

Page 16: 一 神話・伝説に見られる特徴的な語り...神話・伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木) 0 一二三 べている。太平洋に伝承の海洋型国産み神話に類似。またヌホコを男性の象徴とし、交合による国産み神話とも見られる」と述

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一三六

で類似し対応する二つの部分が表現の面でも同じように類似し対応していれば伝承者が一方をもとにして他方を

作ったことが聞き手に悟られやすくなるからである「大虚を践みて」と「急き居」とであれば両者の表現は異

なるからそれらは一方から他方を連想したものだとは悟られにくいのである

 

こう見てくるとIの話にもやはり「二段構えの語り」が認められることがわかる「大虚を践みて」という動作

をあえて描写しなくても怒った神が御諸山に帰って行ったと述べるだけで話は十分に成り立つ当該の箇所は

もともと「大虚を践みて」という表現を含まない単純なものだっただろう

 

この話のなかには大物主神と倭迹迹姫命とに関して互いに対比的だと見なしうる項目が多く含まれている特

に目立つものを整理すれば

 

ⅰ 

神人

 

ⅱ 

夫妻

 

ⅲ 

応じる願う

 

ⅳ 

禁を課す禁を犯す

 

ⅴ 

恥じる悔いる

 

ⅵ 

天空地上

 

ⅶ 

足で踏みつける尻餠を突く

 

ⅷ 

本拠地に戻る他界へ赴く

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一三七

というようになる

 

神と人間の女とが結婚したもののそれは根本的な矛盾を含む無理な結び付きだった神と人間との間にあるそ

の根本的な矛盾が夫が課した禁を妻が犯すという大きな溝となって現れ結局のところ両者は別離を迎えざるをえ

なかったというのがIの話の趣旨である話の伝承者が神と人間との根本的な相違を明確に意識しながら語った

話だからⅰ〜ⅷのような対比的な項目を含むことになったということだろう

 

ここで「二段構えの語り」の成立に深い関わりをもつと思われる『萬葉集』の歌の構成について見てみる歌の

構成というのは一方から他方を連想することによって成立する序詞と本旨との関係である

L 

春はるされば

去者 

先まづ

鳴なく

鳥とり

乃の うぐひすの

之 

事こと

先さき

立だち

之し 

君をし待たむ

〔十一九三五〕

 「春さればhelliphellipう

ぐひすの

」の三句が序詞でありそれが本旨の「言こ

先立ちし君をし待たむ」を導入している第一句

第二句の表現にあるように「

」は春を迎えて真っ先に鳴く鳥であるそれを序詞の末尾に置いて「(あなたが私

に)先に声を掛けた」の意の「言先立ちし」つまり本旨を導入する表現とした「言先立ちし」という相手の行動を

描写する前に春になって真っ先に鳴く鳥を歌の作者が連想しそれを歌の前半に置いたのであるだから作者が

言いたい本旨の内容が先にありそれから序詞が連想されたという関係であるあとで連想された序詞は意味的

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一三八

にも内容的にも本旨に類似するものになっているが本旨の表現とは異なっている

M 

牛うし

窓まと

之の 

浪なみ

乃の

塩しほ

左さ

猪ゐ 

嶋しまとよみ

響 

所よそりしきみは

依之君 

逢はずかもあらむ

〔十一二七三一〕

 

序詞の「牛窓のhelliphellip島」は本旨である「響と

み寄そりしhellip」から連想されたものであり同時に本旨を導入する表

現にもなっているこの序詞は「潮し

騒さゐ

の波のざわめきのように島も」の意を表し本旨の「響み寄そりし君はhellip」は

「噂もうるさいほどに私との関係を言い立てられたあなたはhellip」の意を表す「潮騒」という音にかかわる現象と

人の噂が激しいことをいう「響み」との類似性が歌の前半と後半とを結び付けている噂がうるさいという現実か

ら作者は「潮騒」のざわめきを連想して序詞としたのだから本旨の内容が先にあり序詞は本旨に基づいて連想

されたという関係である

N 

天あま

飛と

ぶや 

軽の社の 

斎いはひつき

槻 

幾代まであらむ 

隠こもりづま

嬬そも

〔十一二六五六〕

 

女が詠んだと思われるこの歌では「天あ

飛と

ぶやhelliphellip齋い

ひ槻つ

」の三句が序詞として四句以下の表現を導入している

序詞の末尾に置かれた「齋ひ槻」は神聖である故に人が触れてはならない木をさすまた第五句の「隠こ

り妻」は

人に知られてはならない間がらにある妻をさすそのような内容面での共通性が歌の前半にある序詞と後半にある

本旨とを強く結び付けている「齋い

ひ槻」と「隠こ

り妻」とは表現が異なっているが両者の関係はMの歌に出て

いる「潮騒」と「響み」とのそれに酷似している

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一三九

 

以上の三首に見られる序詞と本旨との関係はさきに見た諸話の一段めの語りと二段めの語りとの関係に相当する

三首の序詞は本旨の内容から連想されたものであり諸話の一段めの語りは二段めの語りの内容から連想されたもの

であるしかし連想を呼ぶもとになったこととそれから連想されたこととは三首でも諸話でも表現が互いに異

なるものになっている

 

話を「二段構えの語り」に戻し次の話に認められる「二段構えの語り」について検討するしかし次の話の語

りのありかたは見てきた三話と異なる点がある

O 

萩原の里土は中の中なり右萩原と名づくる故は息お

きながたらしひめのみこと

長帯日売命韓か

らくに国

より還か

り上りましし時御船此の村

に宿りたまひき一夜の間に萩一ひ

ともと根

生お

ひき高さ一ひ

丈つゑ

ばかりなり仍よ

りて萩原と名づく即す

なはち

御井を闢は

りき

故かれ

針は

間ま

井ゐ

といふ其の処は墾は

らず又墫も

たひの

水溢あ

れて井と成りき故韓か

の清水と號く其の水朝に汲むに

朝に出でず爾す

なはち

酒殿を造りき故酒田といふ舟傾き乾か

れき故傾か

ぶきだ田

といふ米よ

舂つき

女め

等ら

が陰ほ

を陪

おもとびとくな

従婚

ぎ断ちき故陰ほ

とたち絶

田だ

といふ仍す

なはち

萩多く栄えき故萩原といふ爾こ

に祭れる神は少

すくなたらしのみこと

足命にます

〔『播磨国風土記』揖保郡〕

 

これは『播磨国風土記』に見える話で息お

きながたらしひめのみこと

長帯日売命(神功皇后)の聖性と威徳とを強調する内容になっている

 

これまで見た三話と同様にこのOの話にも女陰の話題が含まれているそれは「陰ほ

絶たち

田だ

」という地名の由来を

説明する短小な話のなかに見える息長帯日売命に仕える陪お

もとびと

従が米よ

舂つき

女め

等ら

と交合して陰部を傷つけたそのことが

この地名の由来になったという)

5(

陰部を傷つけたことを語る「陪お

もとびとくな

従婚ぎ断た

ちき」の「断た

ちき」は「裂傷をおはせた」

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一四〇

〔古典全書〕の意だと比較的古い注釈にありこれを踏襲する新しい注釈もある妥当な解説である

 

以上で見た三話と異なる点というのは二重線の部分と太線の部分とが

O 

米よね

舂つき

女め

等ら

が陰ほ

を陪お

もとびとくな

従婚ぎ断ちき

というように一文のなかに連続して出ている点である見てきた三話では二種の線を付した部分は近接した位置

にあるがOの話の場合はそれが極端なかたちで表れているまた二重線の部分が三話のように何らかの動作

状態を描写した表現になってはおらず「米よ

舂つき

女め

等ら

」という複合名詞になっている点も三話とは異なる

 

二種の線を付した一文の内容についていささか気になるのは「陪お

もとびとくな

従婚ぎ断た

ちき」という動作の対象になったの

が「米よ

舂つき

女め

等ら

が陰ほ

」だということである

 「米よ

舂つき

女め

等ら

」という複合名詞に含まれる「舂つ

く」は「突く」という動詞の一用法である「舂く」は「きねなどの

先で強く打っておしつぶしたり穀物のからなどを除いたり精白したりする」〔『日本国語大辞典』第二版〕の意で

あり「舂女」は「臼で穀物をつく女」〔同〕の意である

 

結局のところ「舂く」という動作は「臼などの器に棒状の物を押し込みなかにある穀物などを押しつぶす」の

意を表すわけだがいささか気になると述べたのは「舂く」という動作と「婚く

ぎ断ち」「陰ほ

絶た

ち」という動作との

間に認められる

O 《狭い空間に棒状の物を差し入れその奥にある部分または物を強く突き破る》

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一四一

という物理的な動き

0

0

0

0

0

0

としての類似性であるこれは既に取り上げたABの話やIの話に見られる二種の動きの

類似性と同じである

 

交合によって陰部を損傷したのと同様に棒状の物で「舂く」ことによって穀物などの本来の形態も損なわれる

だから「舂く」と「婚く

ぎ断ち」「陰ほ

絶た

ち」とは物理的な動きだけではなく動きによって生じる結果

0

0

においても類

似している

 

このように話のなかに先に出てくる「舂き」とその直後に出てくる「婚く

ぎ断ち」「陰ほ

絶た

ち」との間には物理

的な動きとそれがもたらす結果との双方に関して顕著な対応類似が認められるそのような対応類似が生じた

ことについて次のように想定することができるだろうつまり話の伝承者があとで自分が語る交合という動作

を強く意識したそのために交合に類似した動きを表す「舂く」を事前に連想しさらにはその語を含む「米舂女

等」をも連想してそれを結果的に話のなかに持ち込んだのではないかということである現にGの「丹塗矢伝

説」に「その美人の富ほ

登と

を突きき」とありIの「箸は

墓はか

伝説」にも「陰を衝つ

きて」とあってそれらの「突き」「衝

き」は表記こそ違え「舂き」と同じ動詞である

 「婚く

ぎ断ち」「陰ほ

絶た

ち」は凄惨かつ深刻な事態だからそれに類似する「舂く」という動作を事前に伝承者が連想

することは十分にありえたと思われるそのように想定すればOの話にも「二段構えの語り」が表れていることに

なる

 

話の展開に従えば「舂く」を含む「米舂女等」が一段めの語りとして先に出てきて「婚く

ぎ断た

ち」「陰ほ

絶た

ち」が二

段めの語りとしてあとに出てくるしかし話が成立した経緯から見れば二段めの語りがもとで一段めの語りが生

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一四二

まれたわけだから実際の先後関係は正反対である

 「二段構えの語り」が以上のような経緯で成立したのだとすればOの話では陪お

もとびと

従が交合を行って陰部を損傷さ

せた対象はもともと「米舂女等」だとは限定されていなかったことになるそれで話は成り立つ

 

Oの話に認められる「二段構えの語り」は前節で確認したような歌の構成のありかたから見ればいったいどの

ようなものだと言えるのか

P 

窺うかねらふ

良布 

跡と み見

山やま

雪ゆき

之の 

いちしろく 

恋ひば妹が名 

人知らむかも

〔十二三四六〕

 

この歌では「じっと見ていて獲物を狙う」の意の「うかねらふ」が「跡と

み見

山」の「跡見」に掛かる枕詞になって

いる「うかねらふ」を承ける「跡と

み見

」は狩猟に関して用いられた語である注釈辞書に見える説明をまとめれ

ば「跡見」は「鳥獣が通ったあとを見てそれが通った時間やそれが今いる場所などを判断することまたそれ

を行う役の猟師」の意である歌の作者が「跡見」という語からそれと類義をもつ「うかねらふ」という動詞を

連想しそれを「跡見」という名詞を導入する枕詞としたのである「うかねらふ」と「跡見」とは類義の語だが

音韻面ではまったく異なっているこれはOの話の「米よ

舂つき

女め

等ら

」の「舂く」と「婚く

ぎ断ち」「陰ほ

絶た

ち」との関係に

近い

 『古事記』に見える次の歌謡では序詞と本旨との関係がPの歌の「跡見」と「うかねらふ」とのそれに類似し

たものになっている

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一四三

Q 

倭やまとへ方

に 

西吹き上げて 

玖く

毛も

婆ば

那な

礼れ 

曽そ

岐き

袁を

理り

登と

母も 

吾忘れめや

〔記五五〕

 「倭や

まとへ方

にhelliphellip雲離れ」の三句が序詞となって本旨の「退そ

き」あるいは「退き居り」を導入している「退き」は

「遠ざかり」の意を表す動詞だから「雲離れ」という複合語に用いられた「離れ」とは類義語の関係にある本旨

の「退き」を言うためにそれと類義をもつ「離れ」を事前に連想しそれを末尾に置いて長い序詞を構成したわけ

である「雲離れ」と「退き居り」とは音韻面で類似するところがない「離れ」と「退き」との関係はやはりO

の話の「米よ

舂つき

女め

等ら

」の「舂く」と「婚く

ぎ断ち」「陰ほ

絶た

ち」との関係に近いと言える

R ふさ

手た

折をり 

多た

武むの

山やま

霧ぎり 

繁みかも 

細川の瀬に 

波騒きける

〔九一七〇四〕

 

この歌では地名の「多た

武む

」を「曲げる」の意を表す「たむ」という動詞に見立てそれから事前に連想された

類義の「手折り」に「

ふさ

」を付し「たむ」の枕詞としている「手た

折を

る」は「手で曲げて取る」の意であり「

は「総房」のことで花や実が束になって付いたものをさす本旨の表現に用いるべき「たむ」から類義を表す

「手折る」という動詞を連想したのであるこれもまたOの話の「断つ」と「舂く」との関係を思わせる「たむ」

と「手折り」とは初頭の音節が同じだが互いに音節数が異なっている

 

三首の「跡見」「退き」「たむ」が「二段構えの語り」の二段めのかたりに相当しそれから連想された「うかね

らふ」「雲離れ」「

手折り」が一段めの語りに相当すると言えるだろう

 

既に述べたようにOの話は聖性と威徳とを具えた息長帯日売命に関する話である「一夜の間に萩一ひ

根もとお生

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一四四

き」「墫も

たひの

水溢あ

れて井と成りき」その他の不思議な事態が起こったことが話のなかでくり返し述べられている

同様にほかならぬ息長帯日売命に仕える陪お

もとびと

従が米舂女等と交合を行って陰部を傷つけた結果「萩多く栄えき」

という事態が生じたということなのだろう

 

Oの話が載っているのと同じ『播磨国風土記』に

S 

讃さ よ容

といふ所ゆ

ゑ以

は大神妹い

もせ

二柱競ひて国占し

めましし時妹玉た

津つ

日ひめのみこと

女命生ける鹿を捕と

り臥せて其の腹を

割さ

きて其の血に稲種ま

きき仍よ

りて一夜の間に苗な

生お

ひき即す

なはち

取りて殖う

ゑしめたまひき爾こ

に大神勅の

りたま

ひしく「汝な

にも妹

は五さ月夜よ

に殖ゑつるかも」とのりたまひて即や

て他

あだしところ

処に去りたまひき故か

五月夜の郡こ

ほりと

號なづ

神を賛さ

用よ

都つ

比ひめのみこと

売命と名づく

〔讃容郡〕

という話が見えまた次のような話も見える

T 

丹に

津つ

日ひ

子こ

の神「法ほ

太だ

の川底を雲う

るみ潤

の方に越さむと欲お

ふ」と爾し

かい云

ひし時彼の村に在い

せる太お

水みづ

の神辞い

びて

云の

りたまひしく「吾は宍し

の血を以て佃た

つくる

故か

河の水を欲ほ

りせず」とのりたまひきその時丹津日子云ひし

く「此の神は河を堀る事に倦う

みて爾いへるのみ」といひき故雲う

弥み

と號な

く今い

人ひと

雲潤と號な

〔賀毛郡〕

 

Sの話は鹿の腹を割いてその血に稲を蒔いたら一夜で苗が生えたというものであるまたTの話は宍し

つま

り動物の血で田を作るから河の水は必要ないと神が言ったというものである二話では稲などの植物を植える際

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一四五

には普通に水を用いるよりも動物の血を用いた方が成長がずっと早いと述べているようである

 

これらの話には動物の血と稲あるいは田と一夜での苗の成長の三つの要素の結び付きが確認できる)

6(

この

ことはOの「陰絶田」の話を想起させずにはおかないつまり稲あるいは田は「陰絶田」の話に出ている「米よ

舂つき

女め

等ら

」に対応するように思われるしまた動物の血は女らと陪従らとの交合によって陰部から出たはずの血に

対応するように思われるさらに一夜で急に苗が成長したという事態は「陰絶田」の話の前半部に「一夜の間に

萩一ひ

根もとお生

ひき」とありまた「陰絶田」という地名に続いて「仍す

なはち

萩多く栄えき」とあることに内容的に対応する

と理解することができる

 

だから「米よ

舂つき

女め

等ら

が陰ほ

を陪お

もとびとくな

従婚ぎ断ちき故陰ほ

絶たち

田だ

といふ仍す

なはち

萩多く栄えき」という一連の表現では

陰部を損傷させたことと萩が多く栄えたこととの間には「そのことが原因で」の意の明確な因果関係があると

見るべきだろう

 

三つの要素の結び付きがOの話にも認められる以上同話と動物の血に関する話は古い時代に行われていた儀礼

を背景とするものだと考えることができるだろう動物の血と人間の血との違いはあるがそれらは神に動物の犠

牲を捧げたことによって豊穣繁栄がもたらされたという人々の遠い記憶を伝えるものなのではないか

 「国土創成」をめぐるABの話とEFの話Gの「丹塗矢伝説」Iの「箸墓伝説」Oの「陰絶田」をめぐる

話のどれでも女陰交合結婚などのことが話題となっているこれらの諸話に「二段構えの語り」が認められる

ことを以上の論述で確認した

 

ただし「二段構えの語り」が認められることと女陰交合などの話題が含まれることとの二点を条件として

以上の諸話を選んだわけではない「二段構えの語り」が認められる諸話を取り上げたところそれらには女陰交

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一四六

合などの話題が共通して含まれていたというのが実際である

 

女陰を矢が突くにしても何かが原因で女陰が損傷を受けるにしてもとにかく女陰や交合に関する話題は話の

語り手にも聞き手にも強い印象を与えたはずである時にはそれは刺激的衝撃的な印象さえ与えたに違いない

それだからこそ女陰交合に関する出来事はその内容に類似し対応する連想を呼びやすかったのだろう「二段

構えの語り」と女陰交合の話題とが以上の諸話のなかに共存するのはそのような理由によるものと考えられる

 

以上で確認したように「二段構えの語り」が表れていると判断される諸話に女陰交合などの話題が共通して

含まれている論述の流れに従えば交合結婚を語るものではないがやはり女陰のことが一つの話題になってい

る次の話を取り上げる必要があるだろう

U 

須す

佐さ

之のをのみこと

男命(略)勝ちさびに天あ

まてらすおほみかみ

照大御神の営つ

くだ田

を離は

ちその溝を埋めまたその大お

ほにへ嘗

を聞こしめす殿に屎く

まり散らしき故か

然し

すれども天照大御神は咎と

めずてhellip(略)なほその悪しき態わ

止まずて転う

てありき天照大御

神忌い

みはた服

屋や

に坐ま

しまして神か

御み そ衣

織らしめたまひし時その服屋の頂む

を穿う

ち天あ

の斑ふ

ちこま馬

を逆さ

剝は

ぎに剝ぎて堕お

し入る

る時に天の服は

織おり

女め

見驚きて梭ひ

に陰ほ

と上

を衝つ

きて死にき故か

ここに天照大御神見畏か

しこみ

て天の石い

屋や

戸と

を開

きてさし籠もりましきここに高た

天ま

の原皆暗く葦

あしはらのなかつくにことごと

原中国悉に闇く

しこれによりて常と

夜よ

往ゆ

ききここに

万よろづのわざはひ

妖悉に発お

りき

〔神代記〕

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一四七

 

これは『古事記』の神話の一部であり須佐之男命の「勝ちさび」の場面とその姉である天照大御神の「石屋籠

もり」の場面である天照大御神が機織りをしている時に弟の須佐之男命が皮を剝いだ馬を服は

屋や

の屋根を壊し

てなかに投げ入れたそれに驚いた服は

織おり

女め

が縦糸の間に横糸を通すための道具である梭ひ

を誤って自分の陰部に突

き刺して死んだそれを見て弟の行動を恐れた天照大御神が石い

屋や

に籠もってしまったので世界は暗闇に閉ざされ

多くの災禍がはびこったという

 

二重線を付した「その服屋の頂む

を穿う

ち天あ

の斑ふ

ちこま馬

を逆さ

剝は

ぎに剝ぎて堕お

し入るる時にhellip」という部分と太線を付し

た「梭ひ

に陰ほ

と上

を衝つ

きて死にき」という部分とは表現のありかたがまったく異なるしかし皮を剝いだ馬を屋根

を壊して建物のなかに投げ入れることと梭ひ

で勢いよく突いて陰部を傷つけることとが物理的な動きとして酷似し

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ている

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ことは事実である二つの部分では

U 《ある物体を急に動かしその勢いで別の物体を破損する》

ということが共通の骨子になっているこのような動きはIOの話の場合の動きと酷似している

 

二つの部分に描写されている物理的な動きをこのように要約するとこれまで見た諸話の場合と同様にUの話に

表れている「二段構えの語り」について次のように推測すべきことになるつまり皮を剝いだ馬を服屋の屋根

を壊して投げ入れたという二重線の部分は梭で陰部を突いて服織女が死んだという太線の部分に基づいて伝承者

が事前に連想して話のなかに持ち込んだものだろうということである

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一四八

 

確かに梭で陰部を突いて女が死んだというのはあまりにも衝撃的で印象的な出来事である特に『日本書紀』

の所伝には「天照大神驚お

どろ動

きたまひて梭を以て身を傷い

ましむ」〔本書〕とありまた「稚わ

かひるめのみこと

日尊驚きたまひ

て機は

より墮お

ちて持たる梭を以て體み

を傷や

らしめて神か

むさ退

りましぬ」〔一書第一〕とあって事態はさらに深刻であ

る至高神である天照大神自身が陰部を損傷しまたその分身である稚日尊が同じ原因で死んだというのだからこ

れ以上の重大事件はない

 

ただしここで一つの問題が生じる伝承者が連想したことを神話のなかに持ち込む以前には梭を突き刺して陰

部を損傷したという話題はあっても屋根を壊して馬を投げ入れたという話題は含まれていなかったことになるそ

こで馬に関する話題が直前に置かれていなくても天照大御神が石屋に籠もるという展開になりえたのかとの問

題が生じるのである少なくともUの話では馬の投げ入れに驚いて服織女が陰部に損傷を負って死んだので

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その

ことを恐れた天照大御神が石屋に籠もってしまったというように読めるからである

 

結論を言えば馬を投げ入れるという行動はなくても天照大御神が石屋に籠もるという展開になりえたと理解

することができるそのことを支持するのは『日本書紀』に見える次の所伝である

V 

日ひのかみのみこと

神尊天あ

まのかきた

垣田を以て御田としたまふ時に素戔嗚尊春は渠み

塡う

め畔あ

はなち毀

す又秋の穀

たなつものすで

已に成りぬるとき

に則ち冒

ひきわたす

に絡あ

ぜなは縄

を以てす且ま

たひのかみ

日神の機は

殿どの

に居ま

します時に則ち斑ぶ

駒こま

を生い

剝は

ぎにして其の殿

みあらかの

内に納な

げいる

凡す

て此の諸

もろもろの

事尽

ことごとくに

是これあづきな

無状し然れども日神恩

このかみおととむつま

親しき意

みこころもちに

して慍と

めたまはず恨みたまはず皆

平たひ

らかなる心を以て容ゆ

したまふ日神の新

にひなへきこ

嘗しめす時に及お

よ至

びて素戔嗚尊則ち新

にひなへのみや

宮の御み

まし席

の下に陰ひ

そかに

ら送く

そま糞

る日神知し

しめさずして俓た

に席み

ましの

上に坐ゐ

たまふ是に由よ

りて日神體み

みこぞ挙

りて不や

くさ平

みたまふ故以

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一四九

て恚い

か恨

りまして廼す

なはち

天あまのいはや

石窟に居ま

して其の磐い

戸と

を閉さ

しぬ

〔一書第二〕

 

素すさのをのみこと

戔嗚尊の悪行がどのような順序でこのVの話にあげられているかを少し細かく見てみる天照大神の御み

田た

素戔嗚尊が損壊する話が最初に置かれておりそれはUの話の場合と同じであるしかしその直後にはUの話と

大きく異なって馬を投げ入れる話が置かれているそしてこの悪行を含む「諸

もろもろ

の事」について「日ひ

神かみ

恩このかみおととむつま

親しき意

みこころもちに

して慍と

めたまはず恨みたまはず皆平た

らかなる心を以て容ゆ

したまふ」という説明が付され

ている馬を投げ入れたことは天照大神の石屋籠もりと直結しておらずむしろ日神は馬の投げ入れを含む多くの

悪行を許したというのである

 

Vの話で石屋籠もりと直結しているのはそのあとになされた悪行であるそれは「素戔嗚尊則ち新

にひなへのみや

宮の御み

まし席

の下に陰ひ

そかに

自ら送く

そま糞

る」という蛮行でありこれによって「日神知しめさずして俓た

に席み

ましの

上に坐ゐ

たまふ是に

由よ

りて日神體み

みこぞ挙

りて不や

くさ平

みたまふ」というひどい状況が生じたつまり新宮のなかでの脱糞という悪行が日ひ

神かみ

に病をもたらしさらには同神を石屋に籠もらせたというのである陰部が損傷した事件ではなくて新宮での脱糞

という蛮行が石屋籠もりの原因となりえたことをVの話が証明している【天照大神にあたる神を「日神」とする所

伝はより古い時代に成立したものだと言われる】

 

新宮での脱糞が石屋籠もりの原因になったとするVの話には女陰が損傷したことはまったく見えないこれに対

してUの話やさきに引用した『日本書紀』の本書一書第二の話では馬の投げ入れに驚いた女神が陰部を損傷し

そのことが女神の石屋籠もりの原因となっている話の内容にこのような相違がある事実は女神が陰部を損傷した

ことと女神が石屋に籠もったこととは必ずしも一連のものではないことしたがって話の成立について考えるにあ

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一五〇

たっては二つのことを別々に処理してかまわないということを示している

 

ただしUの話で大きな問題となるのは馬を投げ入れるという行動がなければ女神が驚いて陰部を損傷すると

いう事態も起こらないということであるこの点で女神が陰部を損傷するという事態だけが話に含まれ馬を投

げ入れるという行動は話に含まれないという話の状況は想定できないのである

 

一連の話のなかにまずXのことが出ていて次にYのことが出ているという「二段構えの語り」について考える際

にぜひとも考慮しておくべきことがあるつまりあることをもとにしてそれに類似することを伝承者が連想し

連想した内容を結果的に話のなかに持ち込むには一般的に二とおりの過程がありうるということである

a 

先に出てくるXが伝承者に強い印象を与えるためにXについて語ったあとにそれに類似した内容をもつY

を伝承者が連想するという過程

b 

あとに出てくるYが伝承者に強い印象を与えるためにYについて語る前にそれに類似した内容をもつXを

伝承者が連想するという過程

 

これまで見てきた「二段構えの語り」はすべてbの過程を経て生じたものだと考えたしそのように考えて特に

問題はなかったしかしUVの二話の場合はそのように考えることは不可能であるUの話では馬を投げ入

れたことが女神が陰部を損傷する原因になっておりVの話では新宮で脱糞したことが女神に病をもたらす原

因となっている二重線の部分が原因を表しており太線の部分が結果を表しているわけだから二つの部分は密接

な因果関係を構成しているのである

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一五一

 

そこでUVの二話に表れている「二段構えの語り」がbの過程を経て成立したと仮定して具体的に話の展開

について考えてみる陰部を損傷したことだけがUの話に含まれるという段階を想定すれば女神がなぜ梭で陰部を

突くことになったのか何も説明がなく話の展開が唐突すぎる聞き手は話の展開が理解できないのであるまた

同様に女神が糞の上に座って病を得たことだけがVの話に含まれるという段階を想定すればそこになぜ糞があっ

たのかが不明であるこちらも話の展開そのものが成り立たない

 

一方で「二段構えの語り」はbの過程を経て成立したという仮定を捨てそれはaの過程を経て成立したものだ

と仮定してみる二重線の部分だけが話に含まれており伝承者はそれをもとにして太線の部分を連想し連想した

ことをあとで話のなかに持ち込んだというふうにである

 

Uの話にはもともと馬を投げ入れたことだけがあり伝承者はそれをもとに酷似する動きをとることとして

梭で陰部を突くという動作を連想した馬の皮を剝いだうえ屋根を壊してそれを服屋の中に投げ入れるという悪行

は女神が梭で陰部を突くという事故がなくても女神を恐れさせて石屋に籠もらせるには十分である

 

またVの話の場合にはもともと新宮で脱糞をしたことだけが含まれており伝承者はそれに基づいて女神が

その糞の上に座って病を得たことを連想した女神が新嘗の儀礼を行う前にその神聖な新宮でこっそり脱糞をする

という蛮行は女神が糞の上に座って病を得るという事態が起こらなくても女神を怒らせて石窟に籠もらせるには

十分である

 

こうしてbの過程を想定すればもとの話は成り立たないが逆にaの過程を想定すればUVの二話にも「二

段構えの語り」が表れていると考えることができる実はaの過程を想定することによって「二段構えの語り」が

表れていることを順当に説明しうる話はすぐあとに取り上げるようにほかにもまだある

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一五二

 

女陰が何らかの原因で損傷したことを述べるIOUの三話についてさきに一段めの語りと二段めの語りの

内容を検討したうえでそれぞれを次のように一文にまとめておいた

I 《身体の一部を急に下方に移動させその先にある物を勢いよく突く》

O 《狭い空間に棒状の物を差し入れその奥にある部分または物を強く突く》

U 《ある物体を急に動かしその勢いで別の物体を破損する》

 

三話に認められる「二段構えの語り」の内容はこのようにどれも同じような動きを表すものになっているそれ

だけでなくABの話やGの話に見られる「二段構えの語り」もまた同じような動きを表すものになっている

ということは女陰が損傷を受けたことを述べる三話に「二段構えの語り」を認めることの妥当性を逆の面から証

するものだと言えるのではないか

 

これに対し女陰の損傷が話題となっていない「二段構えの語り」が認められる別の諸話についてその内容を

一文にまとめるとその一文はこれらとまったく異なる動きを表すものとなる(後述)そのこともさきに述べた

ような「二段構えの語り」の存在を認めるべき一つの論拠となると考える

 

Uの話と同様にaの過程を経て「二段構えの語り」が成立したと推定される話をここでもう一つ取り上げる

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一五三

それは『古事記』に見える神話でのちに地上界の支配者になる大お

ほなむぢの

穴牟遅神か

をその兄弟である八や

十そ

神がみ

が殺害する場

面である

W 

ここに八や

十そ

神がみ

見てまた欺あ

ざむき

て山に率ゐ

て入りて大お

樹き

を切り伏せ茹ひ

矢や

をその木に打ち立てその中に入らし

むる即ちその氷ひ

目め

矢や

を打ち離ちて拷う

ち殺しきここにまたその御み

祖おや

の命み

こと

哭な

きつつ求ま

げば見得てすな

はちその木を折りて取り出で活かしてその子に告げて言ひしく「汝い

まし

此こ こ間

にあらば遂に八十神のために滅

ぼさえなむ」といひてすなはち木き

国くに

の大お

屋や

毘び

古この

神かみ

の御み

もと所

に違た

へ遣りきここに八十神

ぎ追ひ臻い

りて矢や

刺ざ

し乞ふ時に木の俣ま

より漏く

き逃がして云の

りたまひしく「須す

佐さ

能のをのみこと

男命の坐ま

します根の堅か

州す

国くに

に参ま

向ふべし必ず

その大神議は

りたまひなむ」とのりたまひき故か

詔の

りたまひし命の随ま

にまに

須佐之男命の御所に参ま

ゐいた到

ればhellip

〔神代記〕

 

八十神が大木を切り倒してそれを裂き裂け目に楔

くさび

状の「茹ひ

矢や

」を押し立てておいたそしてそこに大穴牟遅神

を入らせて楔状の物を引き抜き同神を圧死させた同神の母が木を折って息子を救い出しこれを蘇生させて大お

屋や

毘び

古この

神かみ

のもとへ逃がしてやったさらに八十神が追いついて息子を引き渡すように母に要求した時には母が息

子をこっそり木の俣から須佐能男命のもとへ逃がしてやったという

 

Wの話の直前には八十神に脅迫された大穴牟遅神が焼けた岩をかかえ込んで死んでしまったという話が置か

れている死んだ大穴牟遅神はやはり母の尽力によって復活したというそれが一回めの死と復活を語る話だから

Wの話で語られる死と復活は二回めのそれである一回めの死が岩を抱き取ることによってもたらされ二回めの死

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一五四

が木の俣に挟まれることによってもたらされた死因の内容が一回めと二回めとでは逆転している

 

また大穴牟遅神の二度にわたる死は天照大御神の二度にわたる死と奇妙なかたちで対応している天照大御神

の死はまず同神自身あるいはその分身の女神が木製の梭で陰部を突いて死ぬというかたちで語られるまた

そのあとで同神自身が岩屋に籠もってしまうというかたちで死が語られるがそれは太陽神の象徴的な死である

両神の死の内容を細かく比較すると両神の体と岩木とが次のように互いに逆転した奇妙な関係を示しているこ

とがわかる

  

大穴牟遅神の死helliphelliphellip体が岩をかかえるdarr木の俣が体を挟む

  

天照大御神の死helliphelliphellip木が体のなかに入るdarr体が岩のなかに入る

 

地上の支配者と世界の至高神との間に死をめぐってこのような逆転した関係が認められるのはきわめて興味深

いことである)

7(

 

さて「二段構えの語り」だがWの話のうち母が息子を「その木を折りて取り出で活かして」大お

屋や

毘び

古この

神かみ

のも

とへ逃がしてやったという二重線の部分が一段めの語りにあたる二段めの語りにあたるのは母が息子を「木の

俣また

より漏く

き逃がし」て須佐能男命のもとへ向かわせたという太線の部分である

 

つまりこの神話では俣になった「その木を折りて」母が息子を救い出す一段めの語りと母が息子を「木の俣

より漏く

き」逃がしてやる二段めの語りとは

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一五五

W 《母が息子を木の俣から救出しあるいは逃がして別の神のもとへ送り出す》

という酷似した内容のものになっている

 

地上の支配者となるべき大穴牟遅神が木の俣に挟まれて死んで母に救われる話の方が同神の母が木の俣から息

子を逃がしてやる話よりもずっと衝撃的で印象的であるだから神話の伝承者が一段めの語りの内容を強く意

識しそれに酷似した内容をもつ二段めの語りを連想してあとで話のなかに持ち込んだのだろうと推測される

より印象的な出来事を語り終えたあともそれが意識のなかから消え去らず類似し対応することがらをあとで連想し

てしまったと考えられる【一段めの話から二段めの話が連想されたというaの過程をたどったとおぼしい実例は

僅少であるそれには然るべき理由があったと考えるべきだが目下のところそれは不明である】

 

Wの話がこのような経緯をたどったとすると母が木を折って息子を救い出しこれを蘇生させてから別の神のも

とへ逃がしてやったという一段めの語りだけが話に含まれていた段階を例によって想定しなければならない一

段めの語りだけで話は成り立つのか

 

結論を言えばその想定は可能である八十神のもとから逃げた大穴牟遅神が須佐能男命のいる地まで行ったと

いうような単純な内容の話になっている方が以下との続きかたは自然である二重線の部分の末尾にある「木き

国くに

の大お

屋や

毘び

古この

神かみ

の御み

もと所

に違た

へ遣りき」の「大屋毘古神」の部分を太線の部分にある「須佐能男命」とすれば話は無

理なく以下に続くのであるまずは大屋毘古神のもとへ逃げて行ったという部分がなかったとすれば母は木の裂け

目から息子を救い出しこれを蘇生させて須佐能男命のもとへ送り出したというわかりやすい展開になるしたが

ってaの過程を経てWの話が成立しただろうという推定は十分に成り立つ

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一五六

 

二重線の「木き

国くに

の大お

屋や

毘び

古この

神かみ

の御み

もと所

に違た

へ遣りき」という部分は「木国のhellip」で始まっているそれは「大お

樹き

切り伏せ」「茹ひ

矢や

をその木に打ち立て」「その木を折りて」などWの話にくり返し出ている「樹木」から連想され

たものだろう

 

太線の部分にある「木の俣ま

より漏く

き逃がして」以下の表現からその前に置かれた二重線の部分が連想されたと

いうbの過程は想定できない二重線の部分が話に含まれていないという段階はなぜ太線の部分が話に含まれてい

るのかということつまり「木の俣ま

より漏く

き逃がして」とある理由が説明できないのである大穴牟遅神が八十神に

殺害されて復活したという理由があって始めて「木の俣ま

より漏く

き逃がして」以下の表現が意味をもつのである

 

木の俣に挟まれて圧死した大穴牟遅神が母の尽力によって蘇生したあとには同神が須佐能男命から与えられた

いくつもの試練を妻の須す

勢せ

理り

毘び

売め

の助力を得てそのたびごとに克服するという話が続くさらに大穴牟遅神が

須勢理毘売をその父のもとから奪って逃げるとともに自分に苦難をもたらした八十神を追い払って「始めて国を作

りたま」うたという展開になっているまたそのあとにも大穴牟遅神の子を産んだ八や

上かみ

比ひ

売め

が須世理毘売を恐

れて「その生める子をば木の俣に挟みて返」ったという話が続いている八上比売の話にまたもや「木の俣」

のことが出てくるわけである

 

この「木の俣」の話もまた大穴牟遅神が「木の俣」に挟まれて圧死した話から連想されたものである可能性が想

定できるがそのように想定する場合に問題となることがあるそれは両話の間に置かれた話があまりにも長大な

ものだということであるしかし大穴牟遅神と生まれた子との間には

 

ⅰ 

父子

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一五七

 

ⅱ 

木の俣に挟まれて死ぬ生まれて木の俣に挟まれる

 

ⅲ 

母が救い出す母が置き去りにする

 

ⅳ 

母が別地へ向かわせる母がもとの地に戻る

というような対比的な関係も認められるのでありこうした関係が偶然に生じたものだとは考えがたいだから父

が木の俣で圧死させられることから生まれた子を木の俣に置くことが連想されたという可能性をここでは否定し

ないでおく【より古い時代には大穴牟遅神が木の俣に挟まれて死ぬ話と八上比売が木の俣に新生児を挟む話とは

直結した一連のものだったことも想定できる】

 

以上の論述では「二段構えの語り」の様態について数話を例示してやや細かく検討を加えたその結果話に

含まれる特定のことからがそれに類似し対応することがらを伝承者に連想させ連想した内容が結果的に話のなか

に組み込まれてしまうという特徴的な現象を上代の神話や伝説を通して確認することができたと考える

 

同じ「二段構えの語り」の現象が認められる話は本稿で取り上げた諸話で尽きているのではなくまだ何話か上

代の文献に見える紙幅の関係でそれらを取り上げて細かく検討を加えることができないからここで二話だけに

ついて結論を述べておき具体的な検討は別稿で行うことにする

 

二話のうち一つは神話に見えるもので娘たちを飲み食らう大蛇を須佐能男命が退治する場面である『古事記』

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一五八

で言えば「是の高こ

志し

の八や

俣また

の遠を

呂ろ

智ち

年と

毎ごと

に来て喫く

へり」という部分と「船ふ

毎ごと

に己お

が頭を垂い入れてその酒を飲み

き」という部分とが「二段構えの語り」に相当する二つの部分の内容をまとめると

  《大蛇が出雲へやってきて足あ

名なづち椎

のがわに属するものを食らいあるいは飲む》

というようになる娘たちを食らい飲む大蛇が酒を飲むという同じ行動が原因で退治されてしまうのである

 

またもう一つの話は『播磨国風土記』の賀古郡の条に見える「比礼墓伝説」であるこの話では「印い

なみ南

」の女

が「隠な

び妻」であり「辞い

び妻」でもあるからこれは「古代の口がたり特有の面白さ」をもつものだという興味深

い見解がある

 

話の冒頭近くにある「度わ

たりもり

子紀き伊の国く

人ひと

小を

玉たま

申さく「我は天

すめらみこと

皇の贄に

人びと

たらめや」とまをす」という部分とその

あとにある「印南の別嬢聞きて驚き畏か

しこみ

即や

て南な

都つ

麻ま

嶋に遁に

げ度りき」という部分とが「二段構えの語り」に

相当する二つの部分のうちのあとの部分は別嬢が天皇の求婚を嫌がって

0

0

0

0

島に逃げて隠れたことを述べたものだか

ら二つの部分は同じく「辞い

び」を内容とするものだと言える「度わ

たりもり

子」つまり船頭の「我は天

すめらみこと

皇の贄に

人びと

たらめや」

という発言に倣って天皇の求婚を嫌がる別嬢の心情を言い表せば「吾は天皇の妻

9

9

9

9

たらめや」というようになる

  

船頭の「辞び」helliphelliphellip「我は天

すめらみこと

皇の贄に

人びと

たらめや」

  

別嬢の「辞び」helliphelliphellip「吾は天皇の妻

9

9

9

9

たらめや」

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一五九

 

結局二つの「辞び」は単なる拒否ではなく次のような同じ内容を表す「辞び」なのである

  《私は天皇にお仕えなどしない》

 

この話の末尾近くには別嬢の遺体について「大き飄つ

むじ

川下より来て其の尸か

ばねを

川中に纏ま

き入れき求むれども得

ず」と述べられているがその部分と別嬢が島に逃げて隠れた

0

0

0

という前の部分ともまた「二段構えの語り」を構

成している二つの部分はともに別嬢の「隠び」を内容とするものなので次のように一つにまとめることができる

  《別嬢が「隠な

び」をした》

 「辞び」も「隠び」も話のなかに二度ずつ表れているのである

 

大蛇退治の神話と「弟日姫子伝説」とには「二段構えの語り」を認めるにあたって解決すべき多くの問題が含ま

れているしかしそれらを一つ一つ検討していけば見てきた諸話と同様の特徴的な語りを二話にも認めることが

できる

註(1) 

本稿にあげる『古事記』『日本書紀』『風土記』などの記述は本文訓読文ともに古典文学大系のものを引用するまた

『萬葉集』の本文訓読文は新編古典全集のものを引用するただしいずれも読みやすさと理解しやすさとを考慮して

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一六〇

もとの表記形式その他を改めることが少なくない

(2) 

大野晋「記紀の創世神話の構成」〔『文学』一九六五年八月〕のちに『仮名遣と上代語』(一九八二年)に収載

(3) 「丹塗矢伝説」の成立については小著『伝承と言語』(一九九五年)のⅡ部四章で私見を述べたただし同書に述べたこ

とと本稿で述べたことの間には一点だけ相違がある丹塗矢が女の陰部を突いたという話は神と人間の女とが結婚したこ

とを明確に語ったものではないからそのことを明確にするために女の持ち帰った丹塗矢が男に変身して子が生まれたとい

う話があとになって付加されたのだと同書では述べたそれは既存の一説に見える解釈を妥当なものと認めそれを踏

襲したものだった本稿では「二段構えの語り」がこの話にも認められるという見解に立ってかつて小著で述べた考えを

訂正する

(4) 

女に与えられた「倭迹迹日百襲姫命」という名の語構成ははたしてどのようなものなのかこれを疑問の余地なく解明す

ることはかなり難しい

   

初頭の「倭」と末尾の「姫命」は除くとして「迹と

迹と

日び

百もも

襲そ

」の「百襲」は字面のとおり「多くの着衣」の意であるかも

知れないこの女の夫は蛇神だから蛇が何度も脱皮をくり返すことを背景とする名を妻がもつことは十分にありうること

だろう「百襲」の「襲」には字を構成する要素として「衣」がある「襲」の字は「重ねて着る」「覆う」「継ぐ」「おそ

う」などの意を表す

   

ある特徴や習性を表す語が当人ではなく周囲の者の名に含まれる例は「丹塗矢伝説」の登場者にも見られるたとえば

矢で陰部を突かれて慌てた女が勢せ

夜や

陀だ

多た

良ら

比ひ

売め

であるのにその女の産んだ娘が「陰に矢を立てられ震え姫」の意の「富ほ

登と

多た

多た

良ら

伊い

須す

須す

岐き

比ひめのみこと

売命」という名を与えられている母の経験したことが娘の名に反映しているのである

   「晡く

れふしの

時臥山やま

」〔『常陸国風土記』那珂郡茨城里〕の話に登場する子として蛇を産んだ女とその兄は「努ぬ

賀か

咩め

」「努ぬ

賀か

古こ

という名を与えられているこれらの名も原義を解明するのは難しいが「ぬか」はやはり脱皮の意を表す「脱ぬ

か」かも知れ

ない『和名類聚抄』の「蛻」の項に「毛も

沼ぬ

久く

」とあり『色葉字類抄』の「

蛻」の項に「ヘミノモヌケ」とあるこれらの

「脱ぬ

く」「脱ぬ

け」がこの場合に参考になる下二段活用動詞の「脱け」が「脱か彦脱か姫」では「脱か」となってい

るわけだが上代語では「明け」「荒れ」「枯れ」などの下二段活用動詞が「明か時(暁)」「新あ

垣がき

」「枯から

木き

」などの複合名詞を

構成しているのに同じである

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一六一

 

名の意味をこのように理解することは生まれた子を入れる器を何度か大きいものに替えたという脱皮を暗示する説明と

吻合する中世には「もぬけの衣」という表現もあるから「もぬけ」の「も」はあるいは「裳」か

(5) 「陰ほ

絶たち

田だ

」という地名と「米よね

舂つき

女め

等ら

が陰ほと

を陪おもとびとくな

従婚ぎ断ちき」という説明との関係には理解するのが難しい点がある

「陰絶田」に含まれる「絶つ」はもともと「長い間にわたって継続してきたことを止めまた幅のある物体を切る」の意を

表す動詞であるこれの自動詞である「絶ゆ」も基本的に意味は同じであるだから「陪お

もとびと

従」との交合によって陰部が損

傷したことをあえて「婚ぎ絶ち

9

9

き」と表現した理由が不明である物を損傷したことがなぜ「絶つ」と表現されたのか

「婚ぎ絶ちき」を「裂傷をおはせた」〔古典全書〕の意だと説明してもその疑問は解消しない

   「陰絶田」はもと「陰に(男根が)立つ田」の意の「陰立9

田」だったかも知れないそのように想定すれば神武記の

「丹塗矢伝説」に登場する「富ほ

登と

多た

多た

良ら

伊い

須す

須す

岐き

比ひ

売め

」という名の「ほとたたら」と意味的に対応するただし矢の場合に

「立つ」を用いた理由は理解できるが男根の場合にも同様に「立つ」を用いたとは想定しにくい「絶つ」とあることはや

はり不審のままである

(6) 

三つの要素の結びつきについては益田勝実「日本神話における外在と内在日本神話論における始原と展開」〔国文学

『解釈と鑑賞』一九七七年十月〕によるただしこの論にはOの話に関する言及がまったくないOの話のなかに三要素の

結び付きを読み取るのは私見にすぎない

(7) 

両神の死因をめぐる逆転関係については小著『日本の神話伝説を読む』(岩波新書二〇〇七年)の第二章第二節で述

べた

(日本語日本文学科 

教授)

Page 17: 一 神話・伝説に見られる特徴的な語り...神話・伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木) 0 一二三 べている。太平洋に伝承の海洋型国産み神話に類似。またヌホコを男性の象徴とし、交合による国産み神話とも見られる」と述

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一三七

というようになる

 

神と人間の女とが結婚したもののそれは根本的な矛盾を含む無理な結び付きだった神と人間との間にあるそ

の根本的な矛盾が夫が課した禁を妻が犯すという大きな溝となって現れ結局のところ両者は別離を迎えざるをえ

なかったというのがIの話の趣旨である話の伝承者が神と人間との根本的な相違を明確に意識しながら語った

話だからⅰ〜ⅷのような対比的な項目を含むことになったということだろう

 

ここで「二段構えの語り」の成立に深い関わりをもつと思われる『萬葉集』の歌の構成について見てみる歌の

構成というのは一方から他方を連想することによって成立する序詞と本旨との関係である

L 

春はるされば

去者 

先まづ

鳴なく

鳥とり

乃の うぐひすの

之 

事こと

先さき

立だち

之し 

君をし待たむ

〔十一九三五〕

 「春さればhelliphellipう

ぐひすの

」の三句が序詞でありそれが本旨の「言こ

先立ちし君をし待たむ」を導入している第一句

第二句の表現にあるように「

」は春を迎えて真っ先に鳴く鳥であるそれを序詞の末尾に置いて「(あなたが私

に)先に声を掛けた」の意の「言先立ちし」つまり本旨を導入する表現とした「言先立ちし」という相手の行動を

描写する前に春になって真っ先に鳴く鳥を歌の作者が連想しそれを歌の前半に置いたのであるだから作者が

言いたい本旨の内容が先にありそれから序詞が連想されたという関係であるあとで連想された序詞は意味的

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一三八

にも内容的にも本旨に類似するものになっているが本旨の表現とは異なっている

M 

牛うし

窓まと

之の 

浪なみ

乃の

塩しほ

左さ

猪ゐ 

嶋しまとよみ

響 

所よそりしきみは

依之君 

逢はずかもあらむ

〔十一二七三一〕

 

序詞の「牛窓のhelliphellip島」は本旨である「響と

み寄そりしhellip」から連想されたものであり同時に本旨を導入する表

現にもなっているこの序詞は「潮し

騒さゐ

の波のざわめきのように島も」の意を表し本旨の「響み寄そりし君はhellip」は

「噂もうるさいほどに私との関係を言い立てられたあなたはhellip」の意を表す「潮騒」という音にかかわる現象と

人の噂が激しいことをいう「響み」との類似性が歌の前半と後半とを結び付けている噂がうるさいという現実か

ら作者は「潮騒」のざわめきを連想して序詞としたのだから本旨の内容が先にあり序詞は本旨に基づいて連想

されたという関係である

N 

天あま

飛と

ぶや 

軽の社の 

斎いはひつき

槻 

幾代まであらむ 

隠こもりづま

嬬そも

〔十一二六五六〕

 

女が詠んだと思われるこの歌では「天あ

飛と

ぶやhelliphellip齋い

ひ槻つ

」の三句が序詞として四句以下の表現を導入している

序詞の末尾に置かれた「齋ひ槻」は神聖である故に人が触れてはならない木をさすまた第五句の「隠こ

り妻」は

人に知られてはならない間がらにある妻をさすそのような内容面での共通性が歌の前半にある序詞と後半にある

本旨とを強く結び付けている「齋い

ひ槻」と「隠こ

り妻」とは表現が異なっているが両者の関係はMの歌に出て

いる「潮騒」と「響み」とのそれに酷似している

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一三九

 

以上の三首に見られる序詞と本旨との関係はさきに見た諸話の一段めの語りと二段めの語りとの関係に相当する

三首の序詞は本旨の内容から連想されたものであり諸話の一段めの語りは二段めの語りの内容から連想されたもの

であるしかし連想を呼ぶもとになったこととそれから連想されたこととは三首でも諸話でも表現が互いに異

なるものになっている

 

話を「二段構えの語り」に戻し次の話に認められる「二段構えの語り」について検討するしかし次の話の語

りのありかたは見てきた三話と異なる点がある

O 

萩原の里土は中の中なり右萩原と名づくる故は息お

きながたらしひめのみこと

長帯日売命韓か

らくに国

より還か

り上りましし時御船此の村

に宿りたまひき一夜の間に萩一ひ

ともと根

生お

ひき高さ一ひ

丈つゑ

ばかりなり仍よ

りて萩原と名づく即す

なはち

御井を闢は

りき

故かれ

針は

間ま

井ゐ

といふ其の処は墾は

らず又墫も

たひの

水溢あ

れて井と成りき故韓か

の清水と號く其の水朝に汲むに

朝に出でず爾す

なはち

酒殿を造りき故酒田といふ舟傾き乾か

れき故傾か

ぶきだ田

といふ米よ

舂つき

女め

等ら

が陰ほ

を陪

おもとびとくな

従婚

ぎ断ちき故陰ほ

とたち絶

田だ

といふ仍す

なはち

萩多く栄えき故萩原といふ爾こ

に祭れる神は少

すくなたらしのみこと

足命にます

〔『播磨国風土記』揖保郡〕

 

これは『播磨国風土記』に見える話で息お

きながたらしひめのみこと

長帯日売命(神功皇后)の聖性と威徳とを強調する内容になっている

 

これまで見た三話と同様にこのOの話にも女陰の話題が含まれているそれは「陰ほ

絶たち

田だ

」という地名の由来を

説明する短小な話のなかに見える息長帯日売命に仕える陪お

もとびと

従が米よ

舂つき

女め

等ら

と交合して陰部を傷つけたそのことが

この地名の由来になったという)

5(

陰部を傷つけたことを語る「陪お

もとびとくな

従婚ぎ断た

ちき」の「断た

ちき」は「裂傷をおはせた」

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一四〇

〔古典全書〕の意だと比較的古い注釈にありこれを踏襲する新しい注釈もある妥当な解説である

 

以上で見た三話と異なる点というのは二重線の部分と太線の部分とが

O 

米よね

舂つき

女め

等ら

が陰ほ

を陪お

もとびとくな

従婚ぎ断ちき

というように一文のなかに連続して出ている点である見てきた三話では二種の線を付した部分は近接した位置

にあるがOの話の場合はそれが極端なかたちで表れているまた二重線の部分が三話のように何らかの動作

状態を描写した表現になってはおらず「米よ

舂つき

女め

等ら

」という複合名詞になっている点も三話とは異なる

 

二種の線を付した一文の内容についていささか気になるのは「陪お

もとびとくな

従婚ぎ断た

ちき」という動作の対象になったの

が「米よ

舂つき

女め

等ら

が陰ほ

」だということである

 「米よ

舂つき

女め

等ら

」という複合名詞に含まれる「舂つ

く」は「突く」という動詞の一用法である「舂く」は「きねなどの

先で強く打っておしつぶしたり穀物のからなどを除いたり精白したりする」〔『日本国語大辞典』第二版〕の意で

あり「舂女」は「臼で穀物をつく女」〔同〕の意である

 

結局のところ「舂く」という動作は「臼などの器に棒状の物を押し込みなかにある穀物などを押しつぶす」の

意を表すわけだがいささか気になると述べたのは「舂く」という動作と「婚く

ぎ断ち」「陰ほ

絶た

ち」という動作との

間に認められる

O 《狭い空間に棒状の物を差し入れその奥にある部分または物を強く突き破る》

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一四一

という物理的な動き

0

0

0

0

0

0

としての類似性であるこれは既に取り上げたABの話やIの話に見られる二種の動きの

類似性と同じである

 

交合によって陰部を損傷したのと同様に棒状の物で「舂く」ことによって穀物などの本来の形態も損なわれる

だから「舂く」と「婚く

ぎ断ち」「陰ほ

絶た

ち」とは物理的な動きだけではなく動きによって生じる結果

0

0

においても類

似している

 

このように話のなかに先に出てくる「舂き」とその直後に出てくる「婚く

ぎ断ち」「陰ほ

絶た

ち」との間には物理

的な動きとそれがもたらす結果との双方に関して顕著な対応類似が認められるそのような対応類似が生じた

ことについて次のように想定することができるだろうつまり話の伝承者があとで自分が語る交合という動作

を強く意識したそのために交合に類似した動きを表す「舂く」を事前に連想しさらにはその語を含む「米舂女

等」をも連想してそれを結果的に話のなかに持ち込んだのではないかということである現にGの「丹塗矢伝

説」に「その美人の富ほ

登と

を突きき」とありIの「箸は

墓はか

伝説」にも「陰を衝つ

きて」とあってそれらの「突き」「衝

き」は表記こそ違え「舂き」と同じ動詞である

 「婚く

ぎ断ち」「陰ほ

絶た

ち」は凄惨かつ深刻な事態だからそれに類似する「舂く」という動作を事前に伝承者が連想

することは十分にありえたと思われるそのように想定すればOの話にも「二段構えの語り」が表れていることに

なる

 

話の展開に従えば「舂く」を含む「米舂女等」が一段めの語りとして先に出てきて「婚く

ぎ断た

ち」「陰ほ

絶た

ち」が二

段めの語りとしてあとに出てくるしかし話が成立した経緯から見れば二段めの語りがもとで一段めの語りが生

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一四二

まれたわけだから実際の先後関係は正反対である

 「二段構えの語り」が以上のような経緯で成立したのだとすればOの話では陪お

もとびと

従が交合を行って陰部を損傷さ

せた対象はもともと「米舂女等」だとは限定されていなかったことになるそれで話は成り立つ

 

Oの話に認められる「二段構えの語り」は前節で確認したような歌の構成のありかたから見ればいったいどの

ようなものだと言えるのか

P 

窺うかねらふ

良布 

跡と み見

山やま

雪ゆき

之の 

いちしろく 

恋ひば妹が名 

人知らむかも

〔十二三四六〕

 

この歌では「じっと見ていて獲物を狙う」の意の「うかねらふ」が「跡と

み見

山」の「跡見」に掛かる枕詞になって

いる「うかねらふ」を承ける「跡と

み見

」は狩猟に関して用いられた語である注釈辞書に見える説明をまとめれ

ば「跡見」は「鳥獣が通ったあとを見てそれが通った時間やそれが今いる場所などを判断することまたそれ

を行う役の猟師」の意である歌の作者が「跡見」という語からそれと類義をもつ「うかねらふ」という動詞を

連想しそれを「跡見」という名詞を導入する枕詞としたのである「うかねらふ」と「跡見」とは類義の語だが

音韻面ではまったく異なっているこれはOの話の「米よ

舂つき

女め

等ら

」の「舂く」と「婚く

ぎ断ち」「陰ほ

絶た

ち」との関係に

近い

 『古事記』に見える次の歌謡では序詞と本旨との関係がPの歌の「跡見」と「うかねらふ」とのそれに類似し

たものになっている

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一四三

Q 

倭やまとへ方

に 

西吹き上げて 

玖く

毛も

婆ば

那な

礼れ 

曽そ

岐き

袁を

理り

登と

母も 

吾忘れめや

〔記五五〕

 「倭や

まとへ方

にhelliphellip雲離れ」の三句が序詞となって本旨の「退そ

き」あるいは「退き居り」を導入している「退き」は

「遠ざかり」の意を表す動詞だから「雲離れ」という複合語に用いられた「離れ」とは類義語の関係にある本旨

の「退き」を言うためにそれと類義をもつ「離れ」を事前に連想しそれを末尾に置いて長い序詞を構成したわけ

である「雲離れ」と「退き居り」とは音韻面で類似するところがない「離れ」と「退き」との関係はやはりO

の話の「米よ

舂つき

女め

等ら

」の「舂く」と「婚く

ぎ断ち」「陰ほ

絶た

ち」との関係に近いと言える

R ふさ

手た

折をり 

多た

武むの

山やま

霧ぎり 

繁みかも 

細川の瀬に 

波騒きける

〔九一七〇四〕

 

この歌では地名の「多た

武む

」を「曲げる」の意を表す「たむ」という動詞に見立てそれから事前に連想された

類義の「手折り」に「

ふさ

」を付し「たむ」の枕詞としている「手た

折を

る」は「手で曲げて取る」の意であり「

は「総房」のことで花や実が束になって付いたものをさす本旨の表現に用いるべき「たむ」から類義を表す

「手折る」という動詞を連想したのであるこれもまたOの話の「断つ」と「舂く」との関係を思わせる「たむ」

と「手折り」とは初頭の音節が同じだが互いに音節数が異なっている

 

三首の「跡見」「退き」「たむ」が「二段構えの語り」の二段めのかたりに相当しそれから連想された「うかね

らふ」「雲離れ」「

手折り」が一段めの語りに相当すると言えるだろう

 

既に述べたようにOの話は聖性と威徳とを具えた息長帯日売命に関する話である「一夜の間に萩一ひ

根もとお生

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一四四

き」「墫も

たひの

水溢あ

れて井と成りき」その他の不思議な事態が起こったことが話のなかでくり返し述べられている

同様にほかならぬ息長帯日売命に仕える陪お

もとびと

従が米舂女等と交合を行って陰部を傷つけた結果「萩多く栄えき」

という事態が生じたということなのだろう

 

Oの話が載っているのと同じ『播磨国風土記』に

S 

讃さ よ容

といふ所ゆ

ゑ以

は大神妹い

もせ

二柱競ひて国占し

めましし時妹玉た

津つ

日ひめのみこと

女命生ける鹿を捕と

り臥せて其の腹を

割さ

きて其の血に稲種ま

きき仍よ

りて一夜の間に苗な

生お

ひき即す

なはち

取りて殖う

ゑしめたまひき爾こ

に大神勅の

りたま

ひしく「汝な

にも妹

は五さ月夜よ

に殖ゑつるかも」とのりたまひて即や

て他

あだしところ

処に去りたまひき故か

五月夜の郡こ

ほりと

號なづ

神を賛さ

用よ

都つ

比ひめのみこと

売命と名づく

〔讃容郡〕

という話が見えまた次のような話も見える

T 

丹に

津つ

日ひ

子こ

の神「法ほ

太だ

の川底を雲う

るみ潤

の方に越さむと欲お

ふ」と爾し

かい云

ひし時彼の村に在い

せる太お

水みづ

の神辞い

びて

云の

りたまひしく「吾は宍し

の血を以て佃た

つくる

故か

河の水を欲ほ

りせず」とのりたまひきその時丹津日子云ひし

く「此の神は河を堀る事に倦う

みて爾いへるのみ」といひき故雲う

弥み

と號な

く今い

人ひと

雲潤と號な

〔賀毛郡〕

 

Sの話は鹿の腹を割いてその血に稲を蒔いたら一夜で苗が生えたというものであるまたTの話は宍し

つま

り動物の血で田を作るから河の水は必要ないと神が言ったというものである二話では稲などの植物を植える際

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一四五

には普通に水を用いるよりも動物の血を用いた方が成長がずっと早いと述べているようである

 

これらの話には動物の血と稲あるいは田と一夜での苗の成長の三つの要素の結び付きが確認できる)

6(

この

ことはOの「陰絶田」の話を想起させずにはおかないつまり稲あるいは田は「陰絶田」の話に出ている「米よ

舂つき

女め

等ら

」に対応するように思われるしまた動物の血は女らと陪従らとの交合によって陰部から出たはずの血に

対応するように思われるさらに一夜で急に苗が成長したという事態は「陰絶田」の話の前半部に「一夜の間に

萩一ひ

根もとお生

ひき」とありまた「陰絶田」という地名に続いて「仍す

なはち

萩多く栄えき」とあることに内容的に対応する

と理解することができる

 

だから「米よ

舂つき

女め

等ら

が陰ほ

を陪お

もとびとくな

従婚ぎ断ちき故陰ほ

絶たち

田だ

といふ仍す

なはち

萩多く栄えき」という一連の表現では

陰部を損傷させたことと萩が多く栄えたこととの間には「そのことが原因で」の意の明確な因果関係があると

見るべきだろう

 

三つの要素の結び付きがOの話にも認められる以上同話と動物の血に関する話は古い時代に行われていた儀礼

を背景とするものだと考えることができるだろう動物の血と人間の血との違いはあるがそれらは神に動物の犠

牲を捧げたことによって豊穣繁栄がもたらされたという人々の遠い記憶を伝えるものなのではないか

 「国土創成」をめぐるABの話とEFの話Gの「丹塗矢伝説」Iの「箸墓伝説」Oの「陰絶田」をめぐる

話のどれでも女陰交合結婚などのことが話題となっているこれらの諸話に「二段構えの語り」が認められる

ことを以上の論述で確認した

 

ただし「二段構えの語り」が認められることと女陰交合などの話題が含まれることとの二点を条件として

以上の諸話を選んだわけではない「二段構えの語り」が認められる諸話を取り上げたところそれらには女陰交

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一四六

合などの話題が共通して含まれていたというのが実際である

 

女陰を矢が突くにしても何かが原因で女陰が損傷を受けるにしてもとにかく女陰や交合に関する話題は話の

語り手にも聞き手にも強い印象を与えたはずである時にはそれは刺激的衝撃的な印象さえ与えたに違いない

それだからこそ女陰交合に関する出来事はその内容に類似し対応する連想を呼びやすかったのだろう「二段

構えの語り」と女陰交合の話題とが以上の諸話のなかに共存するのはそのような理由によるものと考えられる

 

以上で確認したように「二段構えの語り」が表れていると判断される諸話に女陰交合などの話題が共通して

含まれている論述の流れに従えば交合結婚を語るものではないがやはり女陰のことが一つの話題になってい

る次の話を取り上げる必要があるだろう

U 

須す

佐さ

之のをのみこと

男命(略)勝ちさびに天あ

まてらすおほみかみ

照大御神の営つ

くだ田

を離は

ちその溝を埋めまたその大お

ほにへ嘗

を聞こしめす殿に屎く

まり散らしき故か

然し

すれども天照大御神は咎と

めずてhellip(略)なほその悪しき態わ

止まずて転う

てありき天照大御

神忌い

みはた服

屋や

に坐ま

しまして神か

御み そ衣

織らしめたまひし時その服屋の頂む

を穿う

ち天あ

の斑ふ

ちこま馬

を逆さ

剝は

ぎに剝ぎて堕お

し入る

る時に天の服は

織おり

女め

見驚きて梭ひ

に陰ほ

と上

を衝つ

きて死にき故か

ここに天照大御神見畏か

しこみ

て天の石い

屋や

戸と

を開

きてさし籠もりましきここに高た

天ま

の原皆暗く葦

あしはらのなかつくにことごと

原中国悉に闇く

しこれによりて常と

夜よ

往ゆ

ききここに

万よろづのわざはひ

妖悉に発お

りき

〔神代記〕

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一四七

 

これは『古事記』の神話の一部であり須佐之男命の「勝ちさび」の場面とその姉である天照大御神の「石屋籠

もり」の場面である天照大御神が機織りをしている時に弟の須佐之男命が皮を剝いだ馬を服は

屋や

の屋根を壊し

てなかに投げ入れたそれに驚いた服は

織おり

女め

が縦糸の間に横糸を通すための道具である梭ひ

を誤って自分の陰部に突

き刺して死んだそれを見て弟の行動を恐れた天照大御神が石い

屋や

に籠もってしまったので世界は暗闇に閉ざされ

多くの災禍がはびこったという

 

二重線を付した「その服屋の頂む

を穿う

ち天あ

の斑ふ

ちこま馬

を逆さ

剝は

ぎに剝ぎて堕お

し入るる時にhellip」という部分と太線を付し

た「梭ひ

に陰ほ

と上

を衝つ

きて死にき」という部分とは表現のありかたがまったく異なるしかし皮を剝いだ馬を屋根

を壊して建物のなかに投げ入れることと梭ひ

で勢いよく突いて陰部を傷つけることとが物理的な動きとして酷似し

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ている

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ことは事実である二つの部分では

U 《ある物体を急に動かしその勢いで別の物体を破損する》

ということが共通の骨子になっているこのような動きはIOの話の場合の動きと酷似している

 

二つの部分に描写されている物理的な動きをこのように要約するとこれまで見た諸話の場合と同様にUの話に

表れている「二段構えの語り」について次のように推測すべきことになるつまり皮を剝いだ馬を服屋の屋根

を壊して投げ入れたという二重線の部分は梭で陰部を突いて服織女が死んだという太線の部分に基づいて伝承者

が事前に連想して話のなかに持ち込んだものだろうということである

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一四八

 

確かに梭で陰部を突いて女が死んだというのはあまりにも衝撃的で印象的な出来事である特に『日本書紀』

の所伝には「天照大神驚お

どろ動

きたまひて梭を以て身を傷い

ましむ」〔本書〕とありまた「稚わ

かひるめのみこと

日尊驚きたまひ

て機は

より墮お

ちて持たる梭を以て體み

を傷や

らしめて神か

むさ退

りましぬ」〔一書第一〕とあって事態はさらに深刻であ

る至高神である天照大神自身が陰部を損傷しまたその分身である稚日尊が同じ原因で死んだというのだからこ

れ以上の重大事件はない

 

ただしここで一つの問題が生じる伝承者が連想したことを神話のなかに持ち込む以前には梭を突き刺して陰

部を損傷したという話題はあっても屋根を壊して馬を投げ入れたという話題は含まれていなかったことになるそ

こで馬に関する話題が直前に置かれていなくても天照大御神が石屋に籠もるという展開になりえたのかとの問

題が生じるのである少なくともUの話では馬の投げ入れに驚いて服織女が陰部に損傷を負って死んだので

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その

ことを恐れた天照大御神が石屋に籠もってしまったというように読めるからである

 

結論を言えば馬を投げ入れるという行動はなくても天照大御神が石屋に籠もるという展開になりえたと理解

することができるそのことを支持するのは『日本書紀』に見える次の所伝である

V 

日ひのかみのみこと

神尊天あ

まのかきた

垣田を以て御田としたまふ時に素戔嗚尊春は渠み

塡う

め畔あ

はなち毀

す又秋の穀

たなつものすで

已に成りぬるとき

に則ち冒

ひきわたす

に絡あ

ぜなは縄

を以てす且ま

たひのかみ

日神の機は

殿どの

に居ま

します時に則ち斑ぶ

駒こま

を生い

剝は

ぎにして其の殿

みあらかの

内に納な

げいる

凡す

て此の諸

もろもろの

事尽

ことごとくに

是これあづきな

無状し然れども日神恩

このかみおととむつま

親しき意

みこころもちに

して慍と

めたまはず恨みたまはず皆

平たひ

らかなる心を以て容ゆ

したまふ日神の新

にひなへきこ

嘗しめす時に及お

よ至

びて素戔嗚尊則ち新

にひなへのみや

宮の御み

まし席

の下に陰ひ

そかに

ら送く

そま糞

る日神知し

しめさずして俓た

に席み

ましの

上に坐ゐ

たまふ是に由よ

りて日神體み

みこぞ挙

りて不や

くさ平

みたまふ故以

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一四九

て恚い

か恨

りまして廼す

なはち

天あまのいはや

石窟に居ま

して其の磐い

戸と

を閉さ

しぬ

〔一書第二〕

 

素すさのをのみこと

戔嗚尊の悪行がどのような順序でこのVの話にあげられているかを少し細かく見てみる天照大神の御み

田た

素戔嗚尊が損壊する話が最初に置かれておりそれはUの話の場合と同じであるしかしその直後にはUの話と

大きく異なって馬を投げ入れる話が置かれているそしてこの悪行を含む「諸

もろもろ

の事」について「日ひ

神かみ

恩このかみおととむつま

親しき意

みこころもちに

して慍と

めたまはず恨みたまはず皆平た

らかなる心を以て容ゆ

したまふ」という説明が付され

ている馬を投げ入れたことは天照大神の石屋籠もりと直結しておらずむしろ日神は馬の投げ入れを含む多くの

悪行を許したというのである

 

Vの話で石屋籠もりと直結しているのはそのあとになされた悪行であるそれは「素戔嗚尊則ち新

にひなへのみや

宮の御み

まし席

の下に陰ひ

そかに

自ら送く

そま糞

る」という蛮行でありこれによって「日神知しめさずして俓た

に席み

ましの

上に坐ゐ

たまふ是に

由よ

りて日神體み

みこぞ挙

りて不や

くさ平

みたまふ」というひどい状況が生じたつまり新宮のなかでの脱糞という悪行が日ひ

神かみ

に病をもたらしさらには同神を石屋に籠もらせたというのである陰部が損傷した事件ではなくて新宮での脱糞

という蛮行が石屋籠もりの原因となりえたことをVの話が証明している【天照大神にあたる神を「日神」とする所

伝はより古い時代に成立したものだと言われる】

 

新宮での脱糞が石屋籠もりの原因になったとするVの話には女陰が損傷したことはまったく見えないこれに対

してUの話やさきに引用した『日本書紀』の本書一書第二の話では馬の投げ入れに驚いた女神が陰部を損傷し

そのことが女神の石屋籠もりの原因となっている話の内容にこのような相違がある事実は女神が陰部を損傷した

ことと女神が石屋に籠もったこととは必ずしも一連のものではないことしたがって話の成立について考えるにあ

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一五〇

たっては二つのことを別々に処理してかまわないということを示している

 

ただしUの話で大きな問題となるのは馬を投げ入れるという行動がなければ女神が驚いて陰部を損傷すると

いう事態も起こらないということであるこの点で女神が陰部を損傷するという事態だけが話に含まれ馬を投

げ入れるという行動は話に含まれないという話の状況は想定できないのである

 

一連の話のなかにまずXのことが出ていて次にYのことが出ているという「二段構えの語り」について考える際

にぜひとも考慮しておくべきことがあるつまりあることをもとにしてそれに類似することを伝承者が連想し

連想した内容を結果的に話のなかに持ち込むには一般的に二とおりの過程がありうるということである

a 

先に出てくるXが伝承者に強い印象を与えるためにXについて語ったあとにそれに類似した内容をもつY

を伝承者が連想するという過程

b 

あとに出てくるYが伝承者に強い印象を与えるためにYについて語る前にそれに類似した内容をもつXを

伝承者が連想するという過程

 

これまで見てきた「二段構えの語り」はすべてbの過程を経て生じたものだと考えたしそのように考えて特に

問題はなかったしかしUVの二話の場合はそのように考えることは不可能であるUの話では馬を投げ入

れたことが女神が陰部を損傷する原因になっておりVの話では新宮で脱糞したことが女神に病をもたらす原

因となっている二重線の部分が原因を表しており太線の部分が結果を表しているわけだから二つの部分は密接

な因果関係を構成しているのである

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一五一

 

そこでUVの二話に表れている「二段構えの語り」がbの過程を経て成立したと仮定して具体的に話の展開

について考えてみる陰部を損傷したことだけがUの話に含まれるという段階を想定すれば女神がなぜ梭で陰部を

突くことになったのか何も説明がなく話の展開が唐突すぎる聞き手は話の展開が理解できないのであるまた

同様に女神が糞の上に座って病を得たことだけがVの話に含まれるという段階を想定すればそこになぜ糞があっ

たのかが不明であるこちらも話の展開そのものが成り立たない

 

一方で「二段構えの語り」はbの過程を経て成立したという仮定を捨てそれはaの過程を経て成立したものだ

と仮定してみる二重線の部分だけが話に含まれており伝承者はそれをもとにして太線の部分を連想し連想した

ことをあとで話のなかに持ち込んだというふうにである

 

Uの話にはもともと馬を投げ入れたことだけがあり伝承者はそれをもとに酷似する動きをとることとして

梭で陰部を突くという動作を連想した馬の皮を剝いだうえ屋根を壊してそれを服屋の中に投げ入れるという悪行

は女神が梭で陰部を突くという事故がなくても女神を恐れさせて石屋に籠もらせるには十分である

 

またVの話の場合にはもともと新宮で脱糞をしたことだけが含まれており伝承者はそれに基づいて女神が

その糞の上に座って病を得たことを連想した女神が新嘗の儀礼を行う前にその神聖な新宮でこっそり脱糞をする

という蛮行は女神が糞の上に座って病を得るという事態が起こらなくても女神を怒らせて石窟に籠もらせるには

十分である

 

こうしてbの過程を想定すればもとの話は成り立たないが逆にaの過程を想定すればUVの二話にも「二

段構えの語り」が表れていると考えることができる実はaの過程を想定することによって「二段構えの語り」が

表れていることを順当に説明しうる話はすぐあとに取り上げるようにほかにもまだある

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一五二

 

女陰が何らかの原因で損傷したことを述べるIOUの三話についてさきに一段めの語りと二段めの語りの

内容を検討したうえでそれぞれを次のように一文にまとめておいた

I 《身体の一部を急に下方に移動させその先にある物を勢いよく突く》

O 《狭い空間に棒状の物を差し入れその奥にある部分または物を強く突く》

U 《ある物体を急に動かしその勢いで別の物体を破損する》

 

三話に認められる「二段構えの語り」の内容はこのようにどれも同じような動きを表すものになっているそれ

だけでなくABの話やGの話に見られる「二段構えの語り」もまた同じような動きを表すものになっている

ということは女陰が損傷を受けたことを述べる三話に「二段構えの語り」を認めることの妥当性を逆の面から証

するものだと言えるのではないか

 

これに対し女陰の損傷が話題となっていない「二段構えの語り」が認められる別の諸話についてその内容を

一文にまとめるとその一文はこれらとまったく異なる動きを表すものとなる(後述)そのこともさきに述べた

ような「二段構えの語り」の存在を認めるべき一つの論拠となると考える

 

Uの話と同様にaの過程を経て「二段構えの語り」が成立したと推定される話をここでもう一つ取り上げる

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一五三

それは『古事記』に見える神話でのちに地上界の支配者になる大お

ほなむぢの

穴牟遅神か

をその兄弟である八や

十そ

神がみ

が殺害する場

面である

W 

ここに八や

十そ

神がみ

見てまた欺あ

ざむき

て山に率ゐ

て入りて大お

樹き

を切り伏せ茹ひ

矢や

をその木に打ち立てその中に入らし

むる即ちその氷ひ

目め

矢や

を打ち離ちて拷う

ち殺しきここにまたその御み

祖おや

の命み

こと

哭な

きつつ求ま

げば見得てすな

はちその木を折りて取り出で活かしてその子に告げて言ひしく「汝い

まし

此こ こ間

にあらば遂に八十神のために滅

ぼさえなむ」といひてすなはち木き

国くに

の大お

屋や

毘び

古この

神かみ

の御み

もと所

に違た

へ遣りきここに八十神

ぎ追ひ臻い

りて矢や

刺ざ

し乞ふ時に木の俣ま

より漏く

き逃がして云の

りたまひしく「須す

佐さ

能のをのみこと

男命の坐ま

します根の堅か

州す

国くに

に参ま

向ふべし必ず

その大神議は

りたまひなむ」とのりたまひき故か

詔の

りたまひし命の随ま

にまに

須佐之男命の御所に参ま

ゐいた到

ればhellip

〔神代記〕

 

八十神が大木を切り倒してそれを裂き裂け目に楔

くさび

状の「茹ひ

矢や

」を押し立てておいたそしてそこに大穴牟遅神

を入らせて楔状の物を引き抜き同神を圧死させた同神の母が木を折って息子を救い出しこれを蘇生させて大お

屋や

毘び

古この

神かみ

のもとへ逃がしてやったさらに八十神が追いついて息子を引き渡すように母に要求した時には母が息

子をこっそり木の俣から須佐能男命のもとへ逃がしてやったという

 

Wの話の直前には八十神に脅迫された大穴牟遅神が焼けた岩をかかえ込んで死んでしまったという話が置か

れている死んだ大穴牟遅神はやはり母の尽力によって復活したというそれが一回めの死と復活を語る話だから

Wの話で語られる死と復活は二回めのそれである一回めの死が岩を抱き取ることによってもたらされ二回めの死

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一五四

が木の俣に挟まれることによってもたらされた死因の内容が一回めと二回めとでは逆転している

 

また大穴牟遅神の二度にわたる死は天照大御神の二度にわたる死と奇妙なかたちで対応している天照大御神

の死はまず同神自身あるいはその分身の女神が木製の梭で陰部を突いて死ぬというかたちで語られるまた

そのあとで同神自身が岩屋に籠もってしまうというかたちで死が語られるがそれは太陽神の象徴的な死である

両神の死の内容を細かく比較すると両神の体と岩木とが次のように互いに逆転した奇妙な関係を示しているこ

とがわかる

  

大穴牟遅神の死helliphelliphellip体が岩をかかえるdarr木の俣が体を挟む

  

天照大御神の死helliphelliphellip木が体のなかに入るdarr体が岩のなかに入る

 

地上の支配者と世界の至高神との間に死をめぐってこのような逆転した関係が認められるのはきわめて興味深

いことである)

7(

 

さて「二段構えの語り」だがWの話のうち母が息子を「その木を折りて取り出で活かして」大お

屋や

毘び

古この

神かみ

のも

とへ逃がしてやったという二重線の部分が一段めの語りにあたる二段めの語りにあたるのは母が息子を「木の

俣また

より漏く

き逃がし」て須佐能男命のもとへ向かわせたという太線の部分である

 

つまりこの神話では俣になった「その木を折りて」母が息子を救い出す一段めの語りと母が息子を「木の俣

より漏く

き」逃がしてやる二段めの語りとは

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一五五

W 《母が息子を木の俣から救出しあるいは逃がして別の神のもとへ送り出す》

という酷似した内容のものになっている

 

地上の支配者となるべき大穴牟遅神が木の俣に挟まれて死んで母に救われる話の方が同神の母が木の俣から息

子を逃がしてやる話よりもずっと衝撃的で印象的であるだから神話の伝承者が一段めの語りの内容を強く意

識しそれに酷似した内容をもつ二段めの語りを連想してあとで話のなかに持ち込んだのだろうと推測される

より印象的な出来事を語り終えたあともそれが意識のなかから消え去らず類似し対応することがらをあとで連想し

てしまったと考えられる【一段めの話から二段めの話が連想されたというaの過程をたどったとおぼしい実例は

僅少であるそれには然るべき理由があったと考えるべきだが目下のところそれは不明である】

 

Wの話がこのような経緯をたどったとすると母が木を折って息子を救い出しこれを蘇生させてから別の神のも

とへ逃がしてやったという一段めの語りだけが話に含まれていた段階を例によって想定しなければならない一

段めの語りだけで話は成り立つのか

 

結論を言えばその想定は可能である八十神のもとから逃げた大穴牟遅神が須佐能男命のいる地まで行ったと

いうような単純な内容の話になっている方が以下との続きかたは自然である二重線の部分の末尾にある「木き

国くに

の大お

屋や

毘び

古この

神かみ

の御み

もと所

に違た

へ遣りき」の「大屋毘古神」の部分を太線の部分にある「須佐能男命」とすれば話は無

理なく以下に続くのであるまずは大屋毘古神のもとへ逃げて行ったという部分がなかったとすれば母は木の裂け

目から息子を救い出しこれを蘇生させて須佐能男命のもとへ送り出したというわかりやすい展開になるしたが

ってaの過程を経てWの話が成立しただろうという推定は十分に成り立つ

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一五六

 

二重線の「木き

国くに

の大お

屋や

毘び

古この

神かみ

の御み

もと所

に違た

へ遣りき」という部分は「木国のhellip」で始まっているそれは「大お

樹き

切り伏せ」「茹ひ

矢や

をその木に打ち立て」「その木を折りて」などWの話にくり返し出ている「樹木」から連想され

たものだろう

 

太線の部分にある「木の俣ま

より漏く

き逃がして」以下の表現からその前に置かれた二重線の部分が連想されたと

いうbの過程は想定できない二重線の部分が話に含まれていないという段階はなぜ太線の部分が話に含まれてい

るのかということつまり「木の俣ま

より漏く

き逃がして」とある理由が説明できないのである大穴牟遅神が八十神に

殺害されて復活したという理由があって始めて「木の俣ま

より漏く

き逃がして」以下の表現が意味をもつのである

 

木の俣に挟まれて圧死した大穴牟遅神が母の尽力によって蘇生したあとには同神が須佐能男命から与えられた

いくつもの試練を妻の須す

勢せ

理り

毘び

売め

の助力を得てそのたびごとに克服するという話が続くさらに大穴牟遅神が

須勢理毘売をその父のもとから奪って逃げるとともに自分に苦難をもたらした八十神を追い払って「始めて国を作

りたま」うたという展開になっているまたそのあとにも大穴牟遅神の子を産んだ八や

上かみ

比ひ

売め

が須世理毘売を恐

れて「その生める子をば木の俣に挟みて返」ったという話が続いている八上比売の話にまたもや「木の俣」

のことが出てくるわけである

 

この「木の俣」の話もまた大穴牟遅神が「木の俣」に挟まれて圧死した話から連想されたものである可能性が想

定できるがそのように想定する場合に問題となることがあるそれは両話の間に置かれた話があまりにも長大な

ものだということであるしかし大穴牟遅神と生まれた子との間には

 

ⅰ 

父子

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一五七

 

ⅱ 

木の俣に挟まれて死ぬ生まれて木の俣に挟まれる

 

ⅲ 

母が救い出す母が置き去りにする

 

ⅳ 

母が別地へ向かわせる母がもとの地に戻る

というような対比的な関係も認められるのでありこうした関係が偶然に生じたものだとは考えがたいだから父

が木の俣で圧死させられることから生まれた子を木の俣に置くことが連想されたという可能性をここでは否定し

ないでおく【より古い時代には大穴牟遅神が木の俣に挟まれて死ぬ話と八上比売が木の俣に新生児を挟む話とは

直結した一連のものだったことも想定できる】

 

以上の論述では「二段構えの語り」の様態について数話を例示してやや細かく検討を加えたその結果話に

含まれる特定のことからがそれに類似し対応することがらを伝承者に連想させ連想した内容が結果的に話のなか

に組み込まれてしまうという特徴的な現象を上代の神話や伝説を通して確認することができたと考える

 

同じ「二段構えの語り」の現象が認められる話は本稿で取り上げた諸話で尽きているのではなくまだ何話か上

代の文献に見える紙幅の関係でそれらを取り上げて細かく検討を加えることができないからここで二話だけに

ついて結論を述べておき具体的な検討は別稿で行うことにする

 

二話のうち一つは神話に見えるもので娘たちを飲み食らう大蛇を須佐能男命が退治する場面である『古事記』

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一五八

で言えば「是の高こ

志し

の八や

俣また

の遠を

呂ろ

智ち

年と

毎ごと

に来て喫く

へり」という部分と「船ふ

毎ごと

に己お

が頭を垂い入れてその酒を飲み

き」という部分とが「二段構えの語り」に相当する二つの部分の内容をまとめると

  《大蛇が出雲へやってきて足あ

名なづち椎

のがわに属するものを食らいあるいは飲む》

というようになる娘たちを食らい飲む大蛇が酒を飲むという同じ行動が原因で退治されてしまうのである

 

またもう一つの話は『播磨国風土記』の賀古郡の条に見える「比礼墓伝説」であるこの話では「印い

なみ南

」の女

が「隠な

び妻」であり「辞い

び妻」でもあるからこれは「古代の口がたり特有の面白さ」をもつものだという興味深

い見解がある

 

話の冒頭近くにある「度わ

たりもり

子紀き伊の国く

人ひと

小を

玉たま

申さく「我は天

すめらみこと

皇の贄に

人びと

たらめや」とまをす」という部分とその

あとにある「印南の別嬢聞きて驚き畏か

しこみ

即や

て南な

都つ

麻ま

嶋に遁に

げ度りき」という部分とが「二段構えの語り」に

相当する二つの部分のうちのあとの部分は別嬢が天皇の求婚を嫌がって

0

0

0

0

島に逃げて隠れたことを述べたものだか

ら二つの部分は同じく「辞い

び」を内容とするものだと言える「度わ

たりもり

子」つまり船頭の「我は天

すめらみこと

皇の贄に

人びと

たらめや」

という発言に倣って天皇の求婚を嫌がる別嬢の心情を言い表せば「吾は天皇の妻

9

9

9

9

たらめや」というようになる

  

船頭の「辞び」helliphelliphellip「我は天

すめらみこと

皇の贄に

人びと

たらめや」

  

別嬢の「辞び」helliphelliphellip「吾は天皇の妻

9

9

9

9

たらめや」

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一五九

 

結局二つの「辞び」は単なる拒否ではなく次のような同じ内容を表す「辞び」なのである

  《私は天皇にお仕えなどしない》

 

この話の末尾近くには別嬢の遺体について「大き飄つ

むじ

川下より来て其の尸か

ばねを

川中に纏ま

き入れき求むれども得

ず」と述べられているがその部分と別嬢が島に逃げて隠れた

0

0

0

という前の部分ともまた「二段構えの語り」を構

成している二つの部分はともに別嬢の「隠び」を内容とするものなので次のように一つにまとめることができる

  《別嬢が「隠な

び」をした》

 「辞び」も「隠び」も話のなかに二度ずつ表れているのである

 

大蛇退治の神話と「弟日姫子伝説」とには「二段構えの語り」を認めるにあたって解決すべき多くの問題が含ま

れているしかしそれらを一つ一つ検討していけば見てきた諸話と同様の特徴的な語りを二話にも認めることが

できる

註(1) 

本稿にあげる『古事記』『日本書紀』『風土記』などの記述は本文訓読文ともに古典文学大系のものを引用するまた

『萬葉集』の本文訓読文は新編古典全集のものを引用するただしいずれも読みやすさと理解しやすさとを考慮して

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一六〇

もとの表記形式その他を改めることが少なくない

(2) 

大野晋「記紀の創世神話の構成」〔『文学』一九六五年八月〕のちに『仮名遣と上代語』(一九八二年)に収載

(3) 「丹塗矢伝説」の成立については小著『伝承と言語』(一九九五年)のⅡ部四章で私見を述べたただし同書に述べたこ

とと本稿で述べたことの間には一点だけ相違がある丹塗矢が女の陰部を突いたという話は神と人間の女とが結婚したこ

とを明確に語ったものではないからそのことを明確にするために女の持ち帰った丹塗矢が男に変身して子が生まれたとい

う話があとになって付加されたのだと同書では述べたそれは既存の一説に見える解釈を妥当なものと認めそれを踏

襲したものだった本稿では「二段構えの語り」がこの話にも認められるという見解に立ってかつて小著で述べた考えを

訂正する

(4) 

女に与えられた「倭迹迹日百襲姫命」という名の語構成ははたしてどのようなものなのかこれを疑問の余地なく解明す

ることはかなり難しい

   

初頭の「倭」と末尾の「姫命」は除くとして「迹と

迹と

日び

百もも

襲そ

」の「百襲」は字面のとおり「多くの着衣」の意であるかも

知れないこの女の夫は蛇神だから蛇が何度も脱皮をくり返すことを背景とする名を妻がもつことは十分にありうること

だろう「百襲」の「襲」には字を構成する要素として「衣」がある「襲」の字は「重ねて着る」「覆う」「継ぐ」「おそ

う」などの意を表す

   

ある特徴や習性を表す語が当人ではなく周囲の者の名に含まれる例は「丹塗矢伝説」の登場者にも見られるたとえば

矢で陰部を突かれて慌てた女が勢せ

夜や

陀だ

多た

良ら

比ひ

売め

であるのにその女の産んだ娘が「陰に矢を立てられ震え姫」の意の「富ほ

登と

多た

多た

良ら

伊い

須す

須す

岐き

比ひめのみこと

売命」という名を与えられている母の経験したことが娘の名に反映しているのである

   「晡く

れふしの

時臥山やま

」〔『常陸国風土記』那珂郡茨城里〕の話に登場する子として蛇を産んだ女とその兄は「努ぬ

賀か

咩め

」「努ぬ

賀か

古こ

という名を与えられているこれらの名も原義を解明するのは難しいが「ぬか」はやはり脱皮の意を表す「脱ぬ

か」かも知れ

ない『和名類聚抄』の「蛻」の項に「毛も

沼ぬ

久く

」とあり『色葉字類抄』の「

蛻」の項に「ヘミノモヌケ」とあるこれらの

「脱ぬ

く」「脱ぬ

け」がこの場合に参考になる下二段活用動詞の「脱け」が「脱か彦脱か姫」では「脱か」となってい

るわけだが上代語では「明け」「荒れ」「枯れ」などの下二段活用動詞が「明か時(暁)」「新あ

垣がき

」「枯から

木き

」などの複合名詞を

構成しているのに同じである

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一六一

 

名の意味をこのように理解することは生まれた子を入れる器を何度か大きいものに替えたという脱皮を暗示する説明と

吻合する中世には「もぬけの衣」という表現もあるから「もぬけ」の「も」はあるいは「裳」か

(5) 「陰ほ

絶たち

田だ

」という地名と「米よね

舂つき

女め

等ら

が陰ほと

を陪おもとびとくな

従婚ぎ断ちき」という説明との関係には理解するのが難しい点がある

「陰絶田」に含まれる「絶つ」はもともと「長い間にわたって継続してきたことを止めまた幅のある物体を切る」の意を

表す動詞であるこれの自動詞である「絶ゆ」も基本的に意味は同じであるだから「陪お

もとびと

従」との交合によって陰部が損

傷したことをあえて「婚ぎ絶ち

9

9

き」と表現した理由が不明である物を損傷したことがなぜ「絶つ」と表現されたのか

「婚ぎ絶ちき」を「裂傷をおはせた」〔古典全書〕の意だと説明してもその疑問は解消しない

   「陰絶田」はもと「陰に(男根が)立つ田」の意の「陰立9

田」だったかも知れないそのように想定すれば神武記の

「丹塗矢伝説」に登場する「富ほ

登と

多た

多た

良ら

伊い

須す

須す

岐き

比ひ

売め

」という名の「ほとたたら」と意味的に対応するただし矢の場合に

「立つ」を用いた理由は理解できるが男根の場合にも同様に「立つ」を用いたとは想定しにくい「絶つ」とあることはや

はり不審のままである

(6) 

三つの要素の結びつきについては益田勝実「日本神話における外在と内在日本神話論における始原と展開」〔国文学

『解釈と鑑賞』一九七七年十月〕によるただしこの論にはOの話に関する言及がまったくないOの話のなかに三要素の

結び付きを読み取るのは私見にすぎない

(7) 

両神の死因をめぐる逆転関係については小著『日本の神話伝説を読む』(岩波新書二〇〇七年)の第二章第二節で述

べた

(日本語日本文学科 

教授)

Page 18: 一 神話・伝説に見られる特徴的な語り...神話・伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木) 0 一二三 べている。太平洋に伝承の海洋型国産み神話に類似。またヌホコを男性の象徴とし、交合による国産み神話とも見られる」と述

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一三八

にも内容的にも本旨に類似するものになっているが本旨の表現とは異なっている

M 

牛うし

窓まと

之の 

浪なみ

乃の

塩しほ

左さ

猪ゐ 

嶋しまとよみ

響 

所よそりしきみは

依之君 

逢はずかもあらむ

〔十一二七三一〕

 

序詞の「牛窓のhelliphellip島」は本旨である「響と

み寄そりしhellip」から連想されたものであり同時に本旨を導入する表

現にもなっているこの序詞は「潮し

騒さゐ

の波のざわめきのように島も」の意を表し本旨の「響み寄そりし君はhellip」は

「噂もうるさいほどに私との関係を言い立てられたあなたはhellip」の意を表す「潮騒」という音にかかわる現象と

人の噂が激しいことをいう「響み」との類似性が歌の前半と後半とを結び付けている噂がうるさいという現実か

ら作者は「潮騒」のざわめきを連想して序詞としたのだから本旨の内容が先にあり序詞は本旨に基づいて連想

されたという関係である

N 

天あま

飛と

ぶや 

軽の社の 

斎いはひつき

槻 

幾代まであらむ 

隠こもりづま

嬬そも

〔十一二六五六〕

 

女が詠んだと思われるこの歌では「天あ

飛と

ぶやhelliphellip齋い

ひ槻つ

」の三句が序詞として四句以下の表現を導入している

序詞の末尾に置かれた「齋ひ槻」は神聖である故に人が触れてはならない木をさすまた第五句の「隠こ

り妻」は

人に知られてはならない間がらにある妻をさすそのような内容面での共通性が歌の前半にある序詞と後半にある

本旨とを強く結び付けている「齋い

ひ槻」と「隠こ

り妻」とは表現が異なっているが両者の関係はMの歌に出て

いる「潮騒」と「響み」とのそれに酷似している

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一三九

 

以上の三首に見られる序詞と本旨との関係はさきに見た諸話の一段めの語りと二段めの語りとの関係に相当する

三首の序詞は本旨の内容から連想されたものであり諸話の一段めの語りは二段めの語りの内容から連想されたもの

であるしかし連想を呼ぶもとになったこととそれから連想されたこととは三首でも諸話でも表現が互いに異

なるものになっている

 

話を「二段構えの語り」に戻し次の話に認められる「二段構えの語り」について検討するしかし次の話の語

りのありかたは見てきた三話と異なる点がある

O 

萩原の里土は中の中なり右萩原と名づくる故は息お

きながたらしひめのみこと

長帯日売命韓か

らくに国

より還か

り上りましし時御船此の村

に宿りたまひき一夜の間に萩一ひ

ともと根

生お

ひき高さ一ひ

丈つゑ

ばかりなり仍よ

りて萩原と名づく即す

なはち

御井を闢は

りき

故かれ

針は

間ま

井ゐ

といふ其の処は墾は

らず又墫も

たひの

水溢あ

れて井と成りき故韓か

の清水と號く其の水朝に汲むに

朝に出でず爾す

なはち

酒殿を造りき故酒田といふ舟傾き乾か

れき故傾か

ぶきだ田

といふ米よ

舂つき

女め

等ら

が陰ほ

を陪

おもとびとくな

従婚

ぎ断ちき故陰ほ

とたち絶

田だ

といふ仍す

なはち

萩多く栄えき故萩原といふ爾こ

に祭れる神は少

すくなたらしのみこと

足命にます

〔『播磨国風土記』揖保郡〕

 

これは『播磨国風土記』に見える話で息お

きながたらしひめのみこと

長帯日売命(神功皇后)の聖性と威徳とを強調する内容になっている

 

これまで見た三話と同様にこのOの話にも女陰の話題が含まれているそれは「陰ほ

絶たち

田だ

」という地名の由来を

説明する短小な話のなかに見える息長帯日売命に仕える陪お

もとびと

従が米よ

舂つき

女め

等ら

と交合して陰部を傷つけたそのことが

この地名の由来になったという)

5(

陰部を傷つけたことを語る「陪お

もとびとくな

従婚ぎ断た

ちき」の「断た

ちき」は「裂傷をおはせた」

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一四〇

〔古典全書〕の意だと比較的古い注釈にありこれを踏襲する新しい注釈もある妥当な解説である

 

以上で見た三話と異なる点というのは二重線の部分と太線の部分とが

O 

米よね

舂つき

女め

等ら

が陰ほ

を陪お

もとびとくな

従婚ぎ断ちき

というように一文のなかに連続して出ている点である見てきた三話では二種の線を付した部分は近接した位置

にあるがOの話の場合はそれが極端なかたちで表れているまた二重線の部分が三話のように何らかの動作

状態を描写した表現になってはおらず「米よ

舂つき

女め

等ら

」という複合名詞になっている点も三話とは異なる

 

二種の線を付した一文の内容についていささか気になるのは「陪お

もとびとくな

従婚ぎ断た

ちき」という動作の対象になったの

が「米よ

舂つき

女め

等ら

が陰ほ

」だということである

 「米よ

舂つき

女め

等ら

」という複合名詞に含まれる「舂つ

く」は「突く」という動詞の一用法である「舂く」は「きねなどの

先で強く打っておしつぶしたり穀物のからなどを除いたり精白したりする」〔『日本国語大辞典』第二版〕の意で

あり「舂女」は「臼で穀物をつく女」〔同〕の意である

 

結局のところ「舂く」という動作は「臼などの器に棒状の物を押し込みなかにある穀物などを押しつぶす」の

意を表すわけだがいささか気になると述べたのは「舂く」という動作と「婚く

ぎ断ち」「陰ほ

絶た

ち」という動作との

間に認められる

O 《狭い空間に棒状の物を差し入れその奥にある部分または物を強く突き破る》

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一四一

という物理的な動き

0

0

0

0

0

0

としての類似性であるこれは既に取り上げたABの話やIの話に見られる二種の動きの

類似性と同じである

 

交合によって陰部を損傷したのと同様に棒状の物で「舂く」ことによって穀物などの本来の形態も損なわれる

だから「舂く」と「婚く

ぎ断ち」「陰ほ

絶た

ち」とは物理的な動きだけではなく動きによって生じる結果

0

0

においても類

似している

 

このように話のなかに先に出てくる「舂き」とその直後に出てくる「婚く

ぎ断ち」「陰ほ

絶た

ち」との間には物理

的な動きとそれがもたらす結果との双方に関して顕著な対応類似が認められるそのような対応類似が生じた

ことについて次のように想定することができるだろうつまり話の伝承者があとで自分が語る交合という動作

を強く意識したそのために交合に類似した動きを表す「舂く」を事前に連想しさらにはその語を含む「米舂女

等」をも連想してそれを結果的に話のなかに持ち込んだのではないかということである現にGの「丹塗矢伝

説」に「その美人の富ほ

登と

を突きき」とありIの「箸は

墓はか

伝説」にも「陰を衝つ

きて」とあってそれらの「突き」「衝

き」は表記こそ違え「舂き」と同じ動詞である

 「婚く

ぎ断ち」「陰ほ

絶た

ち」は凄惨かつ深刻な事態だからそれに類似する「舂く」という動作を事前に伝承者が連想

することは十分にありえたと思われるそのように想定すればOの話にも「二段構えの語り」が表れていることに

なる

 

話の展開に従えば「舂く」を含む「米舂女等」が一段めの語りとして先に出てきて「婚く

ぎ断た

ち」「陰ほ

絶た

ち」が二

段めの語りとしてあとに出てくるしかし話が成立した経緯から見れば二段めの語りがもとで一段めの語りが生

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一四二

まれたわけだから実際の先後関係は正反対である

 「二段構えの語り」が以上のような経緯で成立したのだとすればOの話では陪お

もとびと

従が交合を行って陰部を損傷さ

せた対象はもともと「米舂女等」だとは限定されていなかったことになるそれで話は成り立つ

 

Oの話に認められる「二段構えの語り」は前節で確認したような歌の構成のありかたから見ればいったいどの

ようなものだと言えるのか

P 

窺うかねらふ

良布 

跡と み見

山やま

雪ゆき

之の 

いちしろく 

恋ひば妹が名 

人知らむかも

〔十二三四六〕

 

この歌では「じっと見ていて獲物を狙う」の意の「うかねらふ」が「跡と

み見

山」の「跡見」に掛かる枕詞になって

いる「うかねらふ」を承ける「跡と

み見

」は狩猟に関して用いられた語である注釈辞書に見える説明をまとめれ

ば「跡見」は「鳥獣が通ったあとを見てそれが通った時間やそれが今いる場所などを判断することまたそれ

を行う役の猟師」の意である歌の作者が「跡見」という語からそれと類義をもつ「うかねらふ」という動詞を

連想しそれを「跡見」という名詞を導入する枕詞としたのである「うかねらふ」と「跡見」とは類義の語だが

音韻面ではまったく異なっているこれはOの話の「米よ

舂つき

女め

等ら

」の「舂く」と「婚く

ぎ断ち」「陰ほ

絶た

ち」との関係に

近い

 『古事記』に見える次の歌謡では序詞と本旨との関係がPの歌の「跡見」と「うかねらふ」とのそれに類似し

たものになっている

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一四三

Q 

倭やまとへ方

に 

西吹き上げて 

玖く

毛も

婆ば

那な

礼れ 

曽そ

岐き

袁を

理り

登と

母も 

吾忘れめや

〔記五五〕

 「倭や

まとへ方

にhelliphellip雲離れ」の三句が序詞となって本旨の「退そ

き」あるいは「退き居り」を導入している「退き」は

「遠ざかり」の意を表す動詞だから「雲離れ」という複合語に用いられた「離れ」とは類義語の関係にある本旨

の「退き」を言うためにそれと類義をもつ「離れ」を事前に連想しそれを末尾に置いて長い序詞を構成したわけ

である「雲離れ」と「退き居り」とは音韻面で類似するところがない「離れ」と「退き」との関係はやはりO

の話の「米よ

舂つき

女め

等ら

」の「舂く」と「婚く

ぎ断ち」「陰ほ

絶た

ち」との関係に近いと言える

R ふさ

手た

折をり 

多た

武むの

山やま

霧ぎり 

繁みかも 

細川の瀬に 

波騒きける

〔九一七〇四〕

 

この歌では地名の「多た

武む

」を「曲げる」の意を表す「たむ」という動詞に見立てそれから事前に連想された

類義の「手折り」に「

ふさ

」を付し「たむ」の枕詞としている「手た

折を

る」は「手で曲げて取る」の意であり「

は「総房」のことで花や実が束になって付いたものをさす本旨の表現に用いるべき「たむ」から類義を表す

「手折る」という動詞を連想したのであるこれもまたOの話の「断つ」と「舂く」との関係を思わせる「たむ」

と「手折り」とは初頭の音節が同じだが互いに音節数が異なっている

 

三首の「跡見」「退き」「たむ」が「二段構えの語り」の二段めのかたりに相当しそれから連想された「うかね

らふ」「雲離れ」「

手折り」が一段めの語りに相当すると言えるだろう

 

既に述べたようにOの話は聖性と威徳とを具えた息長帯日売命に関する話である「一夜の間に萩一ひ

根もとお生

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一四四

き」「墫も

たひの

水溢あ

れて井と成りき」その他の不思議な事態が起こったことが話のなかでくり返し述べられている

同様にほかならぬ息長帯日売命に仕える陪お

もとびと

従が米舂女等と交合を行って陰部を傷つけた結果「萩多く栄えき」

という事態が生じたということなのだろう

 

Oの話が載っているのと同じ『播磨国風土記』に

S 

讃さ よ容

といふ所ゆ

ゑ以

は大神妹い

もせ

二柱競ひて国占し

めましし時妹玉た

津つ

日ひめのみこと

女命生ける鹿を捕と

り臥せて其の腹を

割さ

きて其の血に稲種ま

きき仍よ

りて一夜の間に苗な

生お

ひき即す

なはち

取りて殖う

ゑしめたまひき爾こ

に大神勅の

りたま

ひしく「汝な

にも妹

は五さ月夜よ

に殖ゑつるかも」とのりたまひて即や

て他

あだしところ

処に去りたまひき故か

五月夜の郡こ

ほりと

號なづ

神を賛さ

用よ

都つ

比ひめのみこと

売命と名づく

〔讃容郡〕

という話が見えまた次のような話も見える

T 

丹に

津つ

日ひ

子こ

の神「法ほ

太だ

の川底を雲う

るみ潤

の方に越さむと欲お

ふ」と爾し

かい云

ひし時彼の村に在い

せる太お

水みづ

の神辞い

びて

云の

りたまひしく「吾は宍し

の血を以て佃た

つくる

故か

河の水を欲ほ

りせず」とのりたまひきその時丹津日子云ひし

く「此の神は河を堀る事に倦う

みて爾いへるのみ」といひき故雲う

弥み

と號な

く今い

人ひと

雲潤と號な

〔賀毛郡〕

 

Sの話は鹿の腹を割いてその血に稲を蒔いたら一夜で苗が生えたというものであるまたTの話は宍し

つま

り動物の血で田を作るから河の水は必要ないと神が言ったというものである二話では稲などの植物を植える際

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一四五

には普通に水を用いるよりも動物の血を用いた方が成長がずっと早いと述べているようである

 

これらの話には動物の血と稲あるいは田と一夜での苗の成長の三つの要素の結び付きが確認できる)

6(

この

ことはOの「陰絶田」の話を想起させずにはおかないつまり稲あるいは田は「陰絶田」の話に出ている「米よ

舂つき

女め

等ら

」に対応するように思われるしまた動物の血は女らと陪従らとの交合によって陰部から出たはずの血に

対応するように思われるさらに一夜で急に苗が成長したという事態は「陰絶田」の話の前半部に「一夜の間に

萩一ひ

根もとお生

ひき」とありまた「陰絶田」という地名に続いて「仍す

なはち

萩多く栄えき」とあることに内容的に対応する

と理解することができる

 

だから「米よ

舂つき

女め

等ら

が陰ほ

を陪お

もとびとくな

従婚ぎ断ちき故陰ほ

絶たち

田だ

といふ仍す

なはち

萩多く栄えき」という一連の表現では

陰部を損傷させたことと萩が多く栄えたこととの間には「そのことが原因で」の意の明確な因果関係があると

見るべきだろう

 

三つの要素の結び付きがOの話にも認められる以上同話と動物の血に関する話は古い時代に行われていた儀礼

を背景とするものだと考えることができるだろう動物の血と人間の血との違いはあるがそれらは神に動物の犠

牲を捧げたことによって豊穣繁栄がもたらされたという人々の遠い記憶を伝えるものなのではないか

 「国土創成」をめぐるABの話とEFの話Gの「丹塗矢伝説」Iの「箸墓伝説」Oの「陰絶田」をめぐる

話のどれでも女陰交合結婚などのことが話題となっているこれらの諸話に「二段構えの語り」が認められる

ことを以上の論述で確認した

 

ただし「二段構えの語り」が認められることと女陰交合などの話題が含まれることとの二点を条件として

以上の諸話を選んだわけではない「二段構えの語り」が認められる諸話を取り上げたところそれらには女陰交

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一四六

合などの話題が共通して含まれていたというのが実際である

 

女陰を矢が突くにしても何かが原因で女陰が損傷を受けるにしてもとにかく女陰や交合に関する話題は話の

語り手にも聞き手にも強い印象を与えたはずである時にはそれは刺激的衝撃的な印象さえ与えたに違いない

それだからこそ女陰交合に関する出来事はその内容に類似し対応する連想を呼びやすかったのだろう「二段

構えの語り」と女陰交合の話題とが以上の諸話のなかに共存するのはそのような理由によるものと考えられる

 

以上で確認したように「二段構えの語り」が表れていると判断される諸話に女陰交合などの話題が共通して

含まれている論述の流れに従えば交合結婚を語るものではないがやはり女陰のことが一つの話題になってい

る次の話を取り上げる必要があるだろう

U 

須す

佐さ

之のをのみこと

男命(略)勝ちさびに天あ

まてらすおほみかみ

照大御神の営つ

くだ田

を離は

ちその溝を埋めまたその大お

ほにへ嘗

を聞こしめす殿に屎く

まり散らしき故か

然し

すれども天照大御神は咎と

めずてhellip(略)なほその悪しき態わ

止まずて転う

てありき天照大御

神忌い

みはた服

屋や

に坐ま

しまして神か

御み そ衣

織らしめたまひし時その服屋の頂む

を穿う

ち天あ

の斑ふ

ちこま馬

を逆さ

剝は

ぎに剝ぎて堕お

し入る

る時に天の服は

織おり

女め

見驚きて梭ひ

に陰ほ

と上

を衝つ

きて死にき故か

ここに天照大御神見畏か

しこみ

て天の石い

屋や

戸と

を開

きてさし籠もりましきここに高た

天ま

の原皆暗く葦

あしはらのなかつくにことごと

原中国悉に闇く

しこれによりて常と

夜よ

往ゆ

ききここに

万よろづのわざはひ

妖悉に発お

りき

〔神代記〕

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一四七

 

これは『古事記』の神話の一部であり須佐之男命の「勝ちさび」の場面とその姉である天照大御神の「石屋籠

もり」の場面である天照大御神が機織りをしている時に弟の須佐之男命が皮を剝いだ馬を服は

屋や

の屋根を壊し

てなかに投げ入れたそれに驚いた服は

織おり

女め

が縦糸の間に横糸を通すための道具である梭ひ

を誤って自分の陰部に突

き刺して死んだそれを見て弟の行動を恐れた天照大御神が石い

屋や

に籠もってしまったので世界は暗闇に閉ざされ

多くの災禍がはびこったという

 

二重線を付した「その服屋の頂む

を穿う

ち天あ

の斑ふ

ちこま馬

を逆さ

剝は

ぎに剝ぎて堕お

し入るる時にhellip」という部分と太線を付し

た「梭ひ

に陰ほ

と上

を衝つ

きて死にき」という部分とは表現のありかたがまったく異なるしかし皮を剝いだ馬を屋根

を壊して建物のなかに投げ入れることと梭ひ

で勢いよく突いて陰部を傷つけることとが物理的な動きとして酷似し

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ている

0

0

0

ことは事実である二つの部分では

U 《ある物体を急に動かしその勢いで別の物体を破損する》

ということが共通の骨子になっているこのような動きはIOの話の場合の動きと酷似している

 

二つの部分に描写されている物理的な動きをこのように要約するとこれまで見た諸話の場合と同様にUの話に

表れている「二段構えの語り」について次のように推測すべきことになるつまり皮を剝いだ馬を服屋の屋根

を壊して投げ入れたという二重線の部分は梭で陰部を突いて服織女が死んだという太線の部分に基づいて伝承者

が事前に連想して話のなかに持ち込んだものだろうということである

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一四八

 

確かに梭で陰部を突いて女が死んだというのはあまりにも衝撃的で印象的な出来事である特に『日本書紀』

の所伝には「天照大神驚お

どろ動

きたまひて梭を以て身を傷い

ましむ」〔本書〕とありまた「稚わ

かひるめのみこと

日尊驚きたまひ

て機は

より墮お

ちて持たる梭を以て體み

を傷や

らしめて神か

むさ退

りましぬ」〔一書第一〕とあって事態はさらに深刻であ

る至高神である天照大神自身が陰部を損傷しまたその分身である稚日尊が同じ原因で死んだというのだからこ

れ以上の重大事件はない

 

ただしここで一つの問題が生じる伝承者が連想したことを神話のなかに持ち込む以前には梭を突き刺して陰

部を損傷したという話題はあっても屋根を壊して馬を投げ入れたという話題は含まれていなかったことになるそ

こで馬に関する話題が直前に置かれていなくても天照大御神が石屋に籠もるという展開になりえたのかとの問

題が生じるのである少なくともUの話では馬の投げ入れに驚いて服織女が陰部に損傷を負って死んだので

0

0

0

0

0

その

ことを恐れた天照大御神が石屋に籠もってしまったというように読めるからである

 

結論を言えば馬を投げ入れるという行動はなくても天照大御神が石屋に籠もるという展開になりえたと理解

することができるそのことを支持するのは『日本書紀』に見える次の所伝である

V 

日ひのかみのみこと

神尊天あ

まのかきた

垣田を以て御田としたまふ時に素戔嗚尊春は渠み

塡う

め畔あ

はなち毀

す又秋の穀

たなつものすで

已に成りぬるとき

に則ち冒

ひきわたす

に絡あ

ぜなは縄

を以てす且ま

たひのかみ

日神の機は

殿どの

に居ま

します時に則ち斑ぶ

駒こま

を生い

剝は

ぎにして其の殿

みあらかの

内に納な

げいる

凡す

て此の諸

もろもろの

事尽

ことごとくに

是これあづきな

無状し然れども日神恩

このかみおととむつま

親しき意

みこころもちに

して慍と

めたまはず恨みたまはず皆

平たひ

らかなる心を以て容ゆ

したまふ日神の新

にひなへきこ

嘗しめす時に及お

よ至

びて素戔嗚尊則ち新

にひなへのみや

宮の御み

まし席

の下に陰ひ

そかに

ら送く

そま糞

る日神知し

しめさずして俓た

に席み

ましの

上に坐ゐ

たまふ是に由よ

りて日神體み

みこぞ挙

りて不や

くさ平

みたまふ故以

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一四九

て恚い

か恨

りまして廼す

なはち

天あまのいはや

石窟に居ま

して其の磐い

戸と

を閉さ

しぬ

〔一書第二〕

 

素すさのをのみこと

戔嗚尊の悪行がどのような順序でこのVの話にあげられているかを少し細かく見てみる天照大神の御み

田た

素戔嗚尊が損壊する話が最初に置かれておりそれはUの話の場合と同じであるしかしその直後にはUの話と

大きく異なって馬を投げ入れる話が置かれているそしてこの悪行を含む「諸

もろもろ

の事」について「日ひ

神かみ

恩このかみおととむつま

親しき意

みこころもちに

して慍と

めたまはず恨みたまはず皆平た

らかなる心を以て容ゆ

したまふ」という説明が付され

ている馬を投げ入れたことは天照大神の石屋籠もりと直結しておらずむしろ日神は馬の投げ入れを含む多くの

悪行を許したというのである

 

Vの話で石屋籠もりと直結しているのはそのあとになされた悪行であるそれは「素戔嗚尊則ち新

にひなへのみや

宮の御み

まし席

の下に陰ひ

そかに

自ら送く

そま糞

る」という蛮行でありこれによって「日神知しめさずして俓た

に席み

ましの

上に坐ゐ

たまふ是に

由よ

りて日神體み

みこぞ挙

りて不や

くさ平

みたまふ」というひどい状況が生じたつまり新宮のなかでの脱糞という悪行が日ひ

神かみ

に病をもたらしさらには同神を石屋に籠もらせたというのである陰部が損傷した事件ではなくて新宮での脱糞

という蛮行が石屋籠もりの原因となりえたことをVの話が証明している【天照大神にあたる神を「日神」とする所

伝はより古い時代に成立したものだと言われる】

 

新宮での脱糞が石屋籠もりの原因になったとするVの話には女陰が損傷したことはまったく見えないこれに対

してUの話やさきに引用した『日本書紀』の本書一書第二の話では馬の投げ入れに驚いた女神が陰部を損傷し

そのことが女神の石屋籠もりの原因となっている話の内容にこのような相違がある事実は女神が陰部を損傷した

ことと女神が石屋に籠もったこととは必ずしも一連のものではないことしたがって話の成立について考えるにあ

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一五〇

たっては二つのことを別々に処理してかまわないということを示している

 

ただしUの話で大きな問題となるのは馬を投げ入れるという行動がなければ女神が驚いて陰部を損傷すると

いう事態も起こらないということであるこの点で女神が陰部を損傷するという事態だけが話に含まれ馬を投

げ入れるという行動は話に含まれないという話の状況は想定できないのである

 

一連の話のなかにまずXのことが出ていて次にYのことが出ているという「二段構えの語り」について考える際

にぜひとも考慮しておくべきことがあるつまりあることをもとにしてそれに類似することを伝承者が連想し

連想した内容を結果的に話のなかに持ち込むには一般的に二とおりの過程がありうるということである

a 

先に出てくるXが伝承者に強い印象を与えるためにXについて語ったあとにそれに類似した内容をもつY

を伝承者が連想するという過程

b 

あとに出てくるYが伝承者に強い印象を与えるためにYについて語る前にそれに類似した内容をもつXを

伝承者が連想するという過程

 

これまで見てきた「二段構えの語り」はすべてbの過程を経て生じたものだと考えたしそのように考えて特に

問題はなかったしかしUVの二話の場合はそのように考えることは不可能であるUの話では馬を投げ入

れたことが女神が陰部を損傷する原因になっておりVの話では新宮で脱糞したことが女神に病をもたらす原

因となっている二重線の部分が原因を表しており太線の部分が結果を表しているわけだから二つの部分は密接

な因果関係を構成しているのである

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一五一

 

そこでUVの二話に表れている「二段構えの語り」がbの過程を経て成立したと仮定して具体的に話の展開

について考えてみる陰部を損傷したことだけがUの話に含まれるという段階を想定すれば女神がなぜ梭で陰部を

突くことになったのか何も説明がなく話の展開が唐突すぎる聞き手は話の展開が理解できないのであるまた

同様に女神が糞の上に座って病を得たことだけがVの話に含まれるという段階を想定すればそこになぜ糞があっ

たのかが不明であるこちらも話の展開そのものが成り立たない

 

一方で「二段構えの語り」はbの過程を経て成立したという仮定を捨てそれはaの過程を経て成立したものだ

と仮定してみる二重線の部分だけが話に含まれており伝承者はそれをもとにして太線の部分を連想し連想した

ことをあとで話のなかに持ち込んだというふうにである

 

Uの話にはもともと馬を投げ入れたことだけがあり伝承者はそれをもとに酷似する動きをとることとして

梭で陰部を突くという動作を連想した馬の皮を剝いだうえ屋根を壊してそれを服屋の中に投げ入れるという悪行

は女神が梭で陰部を突くという事故がなくても女神を恐れさせて石屋に籠もらせるには十分である

 

またVの話の場合にはもともと新宮で脱糞をしたことだけが含まれており伝承者はそれに基づいて女神が

その糞の上に座って病を得たことを連想した女神が新嘗の儀礼を行う前にその神聖な新宮でこっそり脱糞をする

という蛮行は女神が糞の上に座って病を得るという事態が起こらなくても女神を怒らせて石窟に籠もらせるには

十分である

 

こうしてbの過程を想定すればもとの話は成り立たないが逆にaの過程を想定すればUVの二話にも「二

段構えの語り」が表れていると考えることができる実はaの過程を想定することによって「二段構えの語り」が

表れていることを順当に説明しうる話はすぐあとに取り上げるようにほかにもまだある

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一五二

 

女陰が何らかの原因で損傷したことを述べるIOUの三話についてさきに一段めの語りと二段めの語りの

内容を検討したうえでそれぞれを次のように一文にまとめておいた

I 《身体の一部を急に下方に移動させその先にある物を勢いよく突く》

O 《狭い空間に棒状の物を差し入れその奥にある部分または物を強く突く》

U 《ある物体を急に動かしその勢いで別の物体を破損する》

 

三話に認められる「二段構えの語り」の内容はこのようにどれも同じような動きを表すものになっているそれ

だけでなくABの話やGの話に見られる「二段構えの語り」もまた同じような動きを表すものになっている

ということは女陰が損傷を受けたことを述べる三話に「二段構えの語り」を認めることの妥当性を逆の面から証

するものだと言えるのではないか

 

これに対し女陰の損傷が話題となっていない「二段構えの語り」が認められる別の諸話についてその内容を

一文にまとめるとその一文はこれらとまったく異なる動きを表すものとなる(後述)そのこともさきに述べた

ような「二段構えの語り」の存在を認めるべき一つの論拠となると考える

 

Uの話と同様にaの過程を経て「二段構えの語り」が成立したと推定される話をここでもう一つ取り上げる

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一五三

それは『古事記』に見える神話でのちに地上界の支配者になる大お

ほなむぢの

穴牟遅神か

をその兄弟である八や

十そ

神がみ

が殺害する場

面である

W 

ここに八や

十そ

神がみ

見てまた欺あ

ざむき

て山に率ゐ

て入りて大お

樹き

を切り伏せ茹ひ

矢や

をその木に打ち立てその中に入らし

むる即ちその氷ひ

目め

矢や

を打ち離ちて拷う

ち殺しきここにまたその御み

祖おや

の命み

こと

哭な

きつつ求ま

げば見得てすな

はちその木を折りて取り出で活かしてその子に告げて言ひしく「汝い

まし

此こ こ間

にあらば遂に八十神のために滅

ぼさえなむ」といひてすなはち木き

国くに

の大お

屋や

毘び

古この

神かみ

の御み

もと所

に違た

へ遣りきここに八十神

ぎ追ひ臻い

りて矢や

刺ざ

し乞ふ時に木の俣ま

より漏く

き逃がして云の

りたまひしく「須す

佐さ

能のをのみこと

男命の坐ま

します根の堅か

州す

国くに

に参ま

向ふべし必ず

その大神議は

りたまひなむ」とのりたまひき故か

詔の

りたまひし命の随ま

にまに

須佐之男命の御所に参ま

ゐいた到

ればhellip

〔神代記〕

 

八十神が大木を切り倒してそれを裂き裂け目に楔

くさび

状の「茹ひ

矢や

」を押し立てておいたそしてそこに大穴牟遅神

を入らせて楔状の物を引き抜き同神を圧死させた同神の母が木を折って息子を救い出しこれを蘇生させて大お

屋や

毘び

古この

神かみ

のもとへ逃がしてやったさらに八十神が追いついて息子を引き渡すように母に要求した時には母が息

子をこっそり木の俣から須佐能男命のもとへ逃がしてやったという

 

Wの話の直前には八十神に脅迫された大穴牟遅神が焼けた岩をかかえ込んで死んでしまったという話が置か

れている死んだ大穴牟遅神はやはり母の尽力によって復活したというそれが一回めの死と復活を語る話だから

Wの話で語られる死と復活は二回めのそれである一回めの死が岩を抱き取ることによってもたらされ二回めの死

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一五四

が木の俣に挟まれることによってもたらされた死因の内容が一回めと二回めとでは逆転している

 

また大穴牟遅神の二度にわたる死は天照大御神の二度にわたる死と奇妙なかたちで対応している天照大御神

の死はまず同神自身あるいはその分身の女神が木製の梭で陰部を突いて死ぬというかたちで語られるまた

そのあとで同神自身が岩屋に籠もってしまうというかたちで死が語られるがそれは太陽神の象徴的な死である

両神の死の内容を細かく比較すると両神の体と岩木とが次のように互いに逆転した奇妙な関係を示しているこ

とがわかる

  

大穴牟遅神の死helliphelliphellip体が岩をかかえるdarr木の俣が体を挟む

  

天照大御神の死helliphelliphellip木が体のなかに入るdarr体が岩のなかに入る

 

地上の支配者と世界の至高神との間に死をめぐってこのような逆転した関係が認められるのはきわめて興味深

いことである)

7(

 

さて「二段構えの語り」だがWの話のうち母が息子を「その木を折りて取り出で活かして」大お

屋や

毘び

古この

神かみ

のも

とへ逃がしてやったという二重線の部分が一段めの語りにあたる二段めの語りにあたるのは母が息子を「木の

俣また

より漏く

き逃がし」て須佐能男命のもとへ向かわせたという太線の部分である

 

つまりこの神話では俣になった「その木を折りて」母が息子を救い出す一段めの語りと母が息子を「木の俣

より漏く

き」逃がしてやる二段めの語りとは

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一五五

W 《母が息子を木の俣から救出しあるいは逃がして別の神のもとへ送り出す》

という酷似した内容のものになっている

 

地上の支配者となるべき大穴牟遅神が木の俣に挟まれて死んで母に救われる話の方が同神の母が木の俣から息

子を逃がしてやる話よりもずっと衝撃的で印象的であるだから神話の伝承者が一段めの語りの内容を強く意

識しそれに酷似した内容をもつ二段めの語りを連想してあとで話のなかに持ち込んだのだろうと推測される

より印象的な出来事を語り終えたあともそれが意識のなかから消え去らず類似し対応することがらをあとで連想し

てしまったと考えられる【一段めの話から二段めの話が連想されたというaの過程をたどったとおぼしい実例は

僅少であるそれには然るべき理由があったと考えるべきだが目下のところそれは不明である】

 

Wの話がこのような経緯をたどったとすると母が木を折って息子を救い出しこれを蘇生させてから別の神のも

とへ逃がしてやったという一段めの語りだけが話に含まれていた段階を例によって想定しなければならない一

段めの語りだけで話は成り立つのか

 

結論を言えばその想定は可能である八十神のもとから逃げた大穴牟遅神が須佐能男命のいる地まで行ったと

いうような単純な内容の話になっている方が以下との続きかたは自然である二重線の部分の末尾にある「木き

国くに

の大お

屋や

毘び

古この

神かみ

の御み

もと所

に違た

へ遣りき」の「大屋毘古神」の部分を太線の部分にある「須佐能男命」とすれば話は無

理なく以下に続くのであるまずは大屋毘古神のもとへ逃げて行ったという部分がなかったとすれば母は木の裂け

目から息子を救い出しこれを蘇生させて須佐能男命のもとへ送り出したというわかりやすい展開になるしたが

ってaの過程を経てWの話が成立しただろうという推定は十分に成り立つ

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一五六

 

二重線の「木き

国くに

の大お

屋や

毘び

古この

神かみ

の御み

もと所

に違た

へ遣りき」という部分は「木国のhellip」で始まっているそれは「大お

樹き

切り伏せ」「茹ひ

矢や

をその木に打ち立て」「その木を折りて」などWの話にくり返し出ている「樹木」から連想され

たものだろう

 

太線の部分にある「木の俣ま

より漏く

き逃がして」以下の表現からその前に置かれた二重線の部分が連想されたと

いうbの過程は想定できない二重線の部分が話に含まれていないという段階はなぜ太線の部分が話に含まれてい

るのかということつまり「木の俣ま

より漏く

き逃がして」とある理由が説明できないのである大穴牟遅神が八十神に

殺害されて復活したという理由があって始めて「木の俣ま

より漏く

き逃がして」以下の表現が意味をもつのである

 

木の俣に挟まれて圧死した大穴牟遅神が母の尽力によって蘇生したあとには同神が須佐能男命から与えられた

いくつもの試練を妻の須す

勢せ

理り

毘び

売め

の助力を得てそのたびごとに克服するという話が続くさらに大穴牟遅神が

須勢理毘売をその父のもとから奪って逃げるとともに自分に苦難をもたらした八十神を追い払って「始めて国を作

りたま」うたという展開になっているまたそのあとにも大穴牟遅神の子を産んだ八や

上かみ

比ひ

売め

が須世理毘売を恐

れて「その生める子をば木の俣に挟みて返」ったという話が続いている八上比売の話にまたもや「木の俣」

のことが出てくるわけである

 

この「木の俣」の話もまた大穴牟遅神が「木の俣」に挟まれて圧死した話から連想されたものである可能性が想

定できるがそのように想定する場合に問題となることがあるそれは両話の間に置かれた話があまりにも長大な

ものだということであるしかし大穴牟遅神と生まれた子との間には

 

ⅰ 

父子

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一五七

 

ⅱ 

木の俣に挟まれて死ぬ生まれて木の俣に挟まれる

 

ⅲ 

母が救い出す母が置き去りにする

 

ⅳ 

母が別地へ向かわせる母がもとの地に戻る

というような対比的な関係も認められるのでありこうした関係が偶然に生じたものだとは考えがたいだから父

が木の俣で圧死させられることから生まれた子を木の俣に置くことが連想されたという可能性をここでは否定し

ないでおく【より古い時代には大穴牟遅神が木の俣に挟まれて死ぬ話と八上比売が木の俣に新生児を挟む話とは

直結した一連のものだったことも想定できる】

 

以上の論述では「二段構えの語り」の様態について数話を例示してやや細かく検討を加えたその結果話に

含まれる特定のことからがそれに類似し対応することがらを伝承者に連想させ連想した内容が結果的に話のなか

に組み込まれてしまうという特徴的な現象を上代の神話や伝説を通して確認することができたと考える

 

同じ「二段構えの語り」の現象が認められる話は本稿で取り上げた諸話で尽きているのではなくまだ何話か上

代の文献に見える紙幅の関係でそれらを取り上げて細かく検討を加えることができないからここで二話だけに

ついて結論を述べておき具体的な検討は別稿で行うことにする

 

二話のうち一つは神話に見えるもので娘たちを飲み食らう大蛇を須佐能男命が退治する場面である『古事記』

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一五八

で言えば「是の高こ

志し

の八や

俣また

の遠を

呂ろ

智ち

年と

毎ごと

に来て喫く

へり」という部分と「船ふ

毎ごと

に己お

が頭を垂い入れてその酒を飲み

き」という部分とが「二段構えの語り」に相当する二つの部分の内容をまとめると

  《大蛇が出雲へやってきて足あ

名なづち椎

のがわに属するものを食らいあるいは飲む》

というようになる娘たちを食らい飲む大蛇が酒を飲むという同じ行動が原因で退治されてしまうのである

 

またもう一つの話は『播磨国風土記』の賀古郡の条に見える「比礼墓伝説」であるこの話では「印い

なみ南

」の女

が「隠な

び妻」であり「辞い

び妻」でもあるからこれは「古代の口がたり特有の面白さ」をもつものだという興味深

い見解がある

 

話の冒頭近くにある「度わ

たりもり

子紀き伊の国く

人ひと

小を

玉たま

申さく「我は天

すめらみこと

皇の贄に

人びと

たらめや」とまをす」という部分とその

あとにある「印南の別嬢聞きて驚き畏か

しこみ

即や

て南な

都つ

麻ま

嶋に遁に

げ度りき」という部分とが「二段構えの語り」に

相当する二つの部分のうちのあとの部分は別嬢が天皇の求婚を嫌がって

0

0

0

0

島に逃げて隠れたことを述べたものだか

ら二つの部分は同じく「辞い

び」を内容とするものだと言える「度わ

たりもり

子」つまり船頭の「我は天

すめらみこと

皇の贄に

人びと

たらめや」

という発言に倣って天皇の求婚を嫌がる別嬢の心情を言い表せば「吾は天皇の妻

9

9

9

9

たらめや」というようになる

  

船頭の「辞び」helliphelliphellip「我は天

すめらみこと

皇の贄に

人びと

たらめや」

  

別嬢の「辞び」helliphelliphellip「吾は天皇の妻

9

9

9

9

たらめや」

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一五九

 

結局二つの「辞び」は単なる拒否ではなく次のような同じ内容を表す「辞び」なのである

  《私は天皇にお仕えなどしない》

 

この話の末尾近くには別嬢の遺体について「大き飄つ

むじ

川下より来て其の尸か

ばねを

川中に纏ま

き入れき求むれども得

ず」と述べられているがその部分と別嬢が島に逃げて隠れた

0

0

0

という前の部分ともまた「二段構えの語り」を構

成している二つの部分はともに別嬢の「隠び」を内容とするものなので次のように一つにまとめることができる

  《別嬢が「隠な

び」をした》

 「辞び」も「隠び」も話のなかに二度ずつ表れているのである

 

大蛇退治の神話と「弟日姫子伝説」とには「二段構えの語り」を認めるにあたって解決すべき多くの問題が含ま

れているしかしそれらを一つ一つ検討していけば見てきた諸話と同様の特徴的な語りを二話にも認めることが

できる

註(1) 

本稿にあげる『古事記』『日本書紀』『風土記』などの記述は本文訓読文ともに古典文学大系のものを引用するまた

『萬葉集』の本文訓読文は新編古典全集のものを引用するただしいずれも読みやすさと理解しやすさとを考慮して

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一六〇

もとの表記形式その他を改めることが少なくない

(2) 

大野晋「記紀の創世神話の構成」〔『文学』一九六五年八月〕のちに『仮名遣と上代語』(一九八二年)に収載

(3) 「丹塗矢伝説」の成立については小著『伝承と言語』(一九九五年)のⅡ部四章で私見を述べたただし同書に述べたこ

とと本稿で述べたことの間には一点だけ相違がある丹塗矢が女の陰部を突いたという話は神と人間の女とが結婚したこ

とを明確に語ったものではないからそのことを明確にするために女の持ち帰った丹塗矢が男に変身して子が生まれたとい

う話があとになって付加されたのだと同書では述べたそれは既存の一説に見える解釈を妥当なものと認めそれを踏

襲したものだった本稿では「二段構えの語り」がこの話にも認められるという見解に立ってかつて小著で述べた考えを

訂正する

(4) 

女に与えられた「倭迹迹日百襲姫命」という名の語構成ははたしてどのようなものなのかこれを疑問の余地なく解明す

ることはかなり難しい

   

初頭の「倭」と末尾の「姫命」は除くとして「迹と

迹と

日び

百もも

襲そ

」の「百襲」は字面のとおり「多くの着衣」の意であるかも

知れないこの女の夫は蛇神だから蛇が何度も脱皮をくり返すことを背景とする名を妻がもつことは十分にありうること

だろう「百襲」の「襲」には字を構成する要素として「衣」がある「襲」の字は「重ねて着る」「覆う」「継ぐ」「おそ

う」などの意を表す

   

ある特徴や習性を表す語が当人ではなく周囲の者の名に含まれる例は「丹塗矢伝説」の登場者にも見られるたとえば

矢で陰部を突かれて慌てた女が勢せ

夜や

陀だ

多た

良ら

比ひ

売め

であるのにその女の産んだ娘が「陰に矢を立てられ震え姫」の意の「富ほ

登と

多た

多た

良ら

伊い

須す

須す

岐き

比ひめのみこと

売命」という名を与えられている母の経験したことが娘の名に反映しているのである

   「晡く

れふしの

時臥山やま

」〔『常陸国風土記』那珂郡茨城里〕の話に登場する子として蛇を産んだ女とその兄は「努ぬ

賀か

咩め

」「努ぬ

賀か

古こ

という名を与えられているこれらの名も原義を解明するのは難しいが「ぬか」はやはり脱皮の意を表す「脱ぬ

か」かも知れ

ない『和名類聚抄』の「蛻」の項に「毛も

沼ぬ

久く

」とあり『色葉字類抄』の「

蛻」の項に「ヘミノモヌケ」とあるこれらの

「脱ぬ

く」「脱ぬ

け」がこの場合に参考になる下二段活用動詞の「脱け」が「脱か彦脱か姫」では「脱か」となってい

るわけだが上代語では「明け」「荒れ」「枯れ」などの下二段活用動詞が「明か時(暁)」「新あ

垣がき

」「枯から

木き

」などの複合名詞を

構成しているのに同じである

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一六一

 

名の意味をこのように理解することは生まれた子を入れる器を何度か大きいものに替えたという脱皮を暗示する説明と

吻合する中世には「もぬけの衣」という表現もあるから「もぬけ」の「も」はあるいは「裳」か

(5) 「陰ほ

絶たち

田だ

」という地名と「米よね

舂つき

女め

等ら

が陰ほと

を陪おもとびとくな

従婚ぎ断ちき」という説明との関係には理解するのが難しい点がある

「陰絶田」に含まれる「絶つ」はもともと「長い間にわたって継続してきたことを止めまた幅のある物体を切る」の意を

表す動詞であるこれの自動詞である「絶ゆ」も基本的に意味は同じであるだから「陪お

もとびと

従」との交合によって陰部が損

傷したことをあえて「婚ぎ絶ち

9

9

き」と表現した理由が不明である物を損傷したことがなぜ「絶つ」と表現されたのか

「婚ぎ絶ちき」を「裂傷をおはせた」〔古典全書〕の意だと説明してもその疑問は解消しない

   「陰絶田」はもと「陰に(男根が)立つ田」の意の「陰立9

田」だったかも知れないそのように想定すれば神武記の

「丹塗矢伝説」に登場する「富ほ

登と

多た

多た

良ら

伊い

須す

須す

岐き

比ひ

売め

」という名の「ほとたたら」と意味的に対応するただし矢の場合に

「立つ」を用いた理由は理解できるが男根の場合にも同様に「立つ」を用いたとは想定しにくい「絶つ」とあることはや

はり不審のままである

(6) 

三つの要素の結びつきについては益田勝実「日本神話における外在と内在日本神話論における始原と展開」〔国文学

『解釈と鑑賞』一九七七年十月〕によるただしこの論にはOの話に関する言及がまったくないOの話のなかに三要素の

結び付きを読み取るのは私見にすぎない

(7) 

両神の死因をめぐる逆転関係については小著『日本の神話伝説を読む』(岩波新書二〇〇七年)の第二章第二節で述

べた

(日本語日本文学科 

教授)

Page 19: 一 神話・伝説に見られる特徴的な語り...神話・伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木) 0 一二三 べている。太平洋に伝承の海洋型国産み神話に類似。またヌホコを男性の象徴とし、交合による国産み神話とも見られる」と述

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一三九

 

以上の三首に見られる序詞と本旨との関係はさきに見た諸話の一段めの語りと二段めの語りとの関係に相当する

三首の序詞は本旨の内容から連想されたものであり諸話の一段めの語りは二段めの語りの内容から連想されたもの

であるしかし連想を呼ぶもとになったこととそれから連想されたこととは三首でも諸話でも表現が互いに異

なるものになっている

 

話を「二段構えの語り」に戻し次の話に認められる「二段構えの語り」について検討するしかし次の話の語

りのありかたは見てきた三話と異なる点がある

O 

萩原の里土は中の中なり右萩原と名づくる故は息お

きながたらしひめのみこと

長帯日売命韓か

らくに国

より還か

り上りましし時御船此の村

に宿りたまひき一夜の間に萩一ひ

ともと根

生お

ひき高さ一ひ

丈つゑ

ばかりなり仍よ

りて萩原と名づく即す

なはち

御井を闢は

りき

故かれ

針は

間ま

井ゐ

といふ其の処は墾は

らず又墫も

たひの

水溢あ

れて井と成りき故韓か

の清水と號く其の水朝に汲むに

朝に出でず爾す

なはち

酒殿を造りき故酒田といふ舟傾き乾か

れき故傾か

ぶきだ田

といふ米よ

舂つき

女め

等ら

が陰ほ

を陪

おもとびとくな

従婚

ぎ断ちき故陰ほ

とたち絶

田だ

といふ仍す

なはち

萩多く栄えき故萩原といふ爾こ

に祭れる神は少

すくなたらしのみこと

足命にます

〔『播磨国風土記』揖保郡〕

 

これは『播磨国風土記』に見える話で息お

きながたらしひめのみこと

長帯日売命(神功皇后)の聖性と威徳とを強調する内容になっている

 

これまで見た三話と同様にこのOの話にも女陰の話題が含まれているそれは「陰ほ

絶たち

田だ

」という地名の由来を

説明する短小な話のなかに見える息長帯日売命に仕える陪お

もとびと

従が米よ

舂つき

女め

等ら

と交合して陰部を傷つけたそのことが

この地名の由来になったという)

5(

陰部を傷つけたことを語る「陪お

もとびとくな

従婚ぎ断た

ちき」の「断た

ちき」は「裂傷をおはせた」

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一四〇

〔古典全書〕の意だと比較的古い注釈にありこれを踏襲する新しい注釈もある妥当な解説である

 

以上で見た三話と異なる点というのは二重線の部分と太線の部分とが

O 

米よね

舂つき

女め

等ら

が陰ほ

を陪お

もとびとくな

従婚ぎ断ちき

というように一文のなかに連続して出ている点である見てきた三話では二種の線を付した部分は近接した位置

にあるがOの話の場合はそれが極端なかたちで表れているまた二重線の部分が三話のように何らかの動作

状態を描写した表現になってはおらず「米よ

舂つき

女め

等ら

」という複合名詞になっている点も三話とは異なる

 

二種の線を付した一文の内容についていささか気になるのは「陪お

もとびとくな

従婚ぎ断た

ちき」という動作の対象になったの

が「米よ

舂つき

女め

等ら

が陰ほ

」だということである

 「米よ

舂つき

女め

等ら

」という複合名詞に含まれる「舂つ

く」は「突く」という動詞の一用法である「舂く」は「きねなどの

先で強く打っておしつぶしたり穀物のからなどを除いたり精白したりする」〔『日本国語大辞典』第二版〕の意で

あり「舂女」は「臼で穀物をつく女」〔同〕の意である

 

結局のところ「舂く」という動作は「臼などの器に棒状の物を押し込みなかにある穀物などを押しつぶす」の

意を表すわけだがいささか気になると述べたのは「舂く」という動作と「婚く

ぎ断ち」「陰ほ

絶た

ち」という動作との

間に認められる

O 《狭い空間に棒状の物を差し入れその奥にある部分または物を強く突き破る》

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一四一

という物理的な動き

0

0

0

0

0

0

としての類似性であるこれは既に取り上げたABの話やIの話に見られる二種の動きの

類似性と同じである

 

交合によって陰部を損傷したのと同様に棒状の物で「舂く」ことによって穀物などの本来の形態も損なわれる

だから「舂く」と「婚く

ぎ断ち」「陰ほ

絶た

ち」とは物理的な動きだけではなく動きによって生じる結果

0

0

においても類

似している

 

このように話のなかに先に出てくる「舂き」とその直後に出てくる「婚く

ぎ断ち」「陰ほ

絶た

ち」との間には物理

的な動きとそれがもたらす結果との双方に関して顕著な対応類似が認められるそのような対応類似が生じた

ことについて次のように想定することができるだろうつまり話の伝承者があとで自分が語る交合という動作

を強く意識したそのために交合に類似した動きを表す「舂く」を事前に連想しさらにはその語を含む「米舂女

等」をも連想してそれを結果的に話のなかに持ち込んだのではないかということである現にGの「丹塗矢伝

説」に「その美人の富ほ

登と

を突きき」とありIの「箸は

墓はか

伝説」にも「陰を衝つ

きて」とあってそれらの「突き」「衝

き」は表記こそ違え「舂き」と同じ動詞である

 「婚く

ぎ断ち」「陰ほ

絶た

ち」は凄惨かつ深刻な事態だからそれに類似する「舂く」という動作を事前に伝承者が連想

することは十分にありえたと思われるそのように想定すればOの話にも「二段構えの語り」が表れていることに

なる

 

話の展開に従えば「舂く」を含む「米舂女等」が一段めの語りとして先に出てきて「婚く

ぎ断た

ち」「陰ほ

絶た

ち」が二

段めの語りとしてあとに出てくるしかし話が成立した経緯から見れば二段めの語りがもとで一段めの語りが生

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一四二

まれたわけだから実際の先後関係は正反対である

 「二段構えの語り」が以上のような経緯で成立したのだとすればOの話では陪お

もとびと

従が交合を行って陰部を損傷さ

せた対象はもともと「米舂女等」だとは限定されていなかったことになるそれで話は成り立つ

 

Oの話に認められる「二段構えの語り」は前節で確認したような歌の構成のありかたから見ればいったいどの

ようなものだと言えるのか

P 

窺うかねらふ

良布 

跡と み見

山やま

雪ゆき

之の 

いちしろく 

恋ひば妹が名 

人知らむかも

〔十二三四六〕

 

この歌では「じっと見ていて獲物を狙う」の意の「うかねらふ」が「跡と

み見

山」の「跡見」に掛かる枕詞になって

いる「うかねらふ」を承ける「跡と

み見

」は狩猟に関して用いられた語である注釈辞書に見える説明をまとめれ

ば「跡見」は「鳥獣が通ったあとを見てそれが通った時間やそれが今いる場所などを判断することまたそれ

を行う役の猟師」の意である歌の作者が「跡見」という語からそれと類義をもつ「うかねらふ」という動詞を

連想しそれを「跡見」という名詞を導入する枕詞としたのである「うかねらふ」と「跡見」とは類義の語だが

音韻面ではまったく異なっているこれはOの話の「米よ

舂つき

女め

等ら

」の「舂く」と「婚く

ぎ断ち」「陰ほ

絶た

ち」との関係に

近い

 『古事記』に見える次の歌謡では序詞と本旨との関係がPの歌の「跡見」と「うかねらふ」とのそれに類似し

たものになっている

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一四三

Q 

倭やまとへ方

に 

西吹き上げて 

玖く

毛も

婆ば

那な

礼れ 

曽そ

岐き

袁を

理り

登と

母も 

吾忘れめや

〔記五五〕

 「倭や

まとへ方

にhelliphellip雲離れ」の三句が序詞となって本旨の「退そ

き」あるいは「退き居り」を導入している「退き」は

「遠ざかり」の意を表す動詞だから「雲離れ」という複合語に用いられた「離れ」とは類義語の関係にある本旨

の「退き」を言うためにそれと類義をもつ「離れ」を事前に連想しそれを末尾に置いて長い序詞を構成したわけ

である「雲離れ」と「退き居り」とは音韻面で類似するところがない「離れ」と「退き」との関係はやはりO

の話の「米よ

舂つき

女め

等ら

」の「舂く」と「婚く

ぎ断ち」「陰ほ

絶た

ち」との関係に近いと言える

R ふさ

手た

折をり 

多た

武むの

山やま

霧ぎり 

繁みかも 

細川の瀬に 

波騒きける

〔九一七〇四〕

 

この歌では地名の「多た

武む

」を「曲げる」の意を表す「たむ」という動詞に見立てそれから事前に連想された

類義の「手折り」に「

ふさ

」を付し「たむ」の枕詞としている「手た

折を

る」は「手で曲げて取る」の意であり「

は「総房」のことで花や実が束になって付いたものをさす本旨の表現に用いるべき「たむ」から類義を表す

「手折る」という動詞を連想したのであるこれもまたOの話の「断つ」と「舂く」との関係を思わせる「たむ」

と「手折り」とは初頭の音節が同じだが互いに音節数が異なっている

 

三首の「跡見」「退き」「たむ」が「二段構えの語り」の二段めのかたりに相当しそれから連想された「うかね

らふ」「雲離れ」「

手折り」が一段めの語りに相当すると言えるだろう

 

既に述べたようにOの話は聖性と威徳とを具えた息長帯日売命に関する話である「一夜の間に萩一ひ

根もとお生

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一四四

き」「墫も

たひの

水溢あ

れて井と成りき」その他の不思議な事態が起こったことが話のなかでくり返し述べられている

同様にほかならぬ息長帯日売命に仕える陪お

もとびと

従が米舂女等と交合を行って陰部を傷つけた結果「萩多く栄えき」

という事態が生じたということなのだろう

 

Oの話が載っているのと同じ『播磨国風土記』に

S 

讃さ よ容

といふ所ゆ

ゑ以

は大神妹い

もせ

二柱競ひて国占し

めましし時妹玉た

津つ

日ひめのみこと

女命生ける鹿を捕と

り臥せて其の腹を

割さ

きて其の血に稲種ま

きき仍よ

りて一夜の間に苗な

生お

ひき即す

なはち

取りて殖う

ゑしめたまひき爾こ

に大神勅の

りたま

ひしく「汝な

にも妹

は五さ月夜よ

に殖ゑつるかも」とのりたまひて即や

て他

あだしところ

処に去りたまひき故か

五月夜の郡こ

ほりと

號なづ

神を賛さ

用よ

都つ

比ひめのみこと

売命と名づく

〔讃容郡〕

という話が見えまた次のような話も見える

T 

丹に

津つ

日ひ

子こ

の神「法ほ

太だ

の川底を雲う

るみ潤

の方に越さむと欲お

ふ」と爾し

かい云

ひし時彼の村に在い

せる太お

水みづ

の神辞い

びて

云の

りたまひしく「吾は宍し

の血を以て佃た

つくる

故か

河の水を欲ほ

りせず」とのりたまひきその時丹津日子云ひし

く「此の神は河を堀る事に倦う

みて爾いへるのみ」といひき故雲う

弥み

と號な

く今い

人ひと

雲潤と號な

〔賀毛郡〕

 

Sの話は鹿の腹を割いてその血に稲を蒔いたら一夜で苗が生えたというものであるまたTの話は宍し

つま

り動物の血で田を作るから河の水は必要ないと神が言ったというものである二話では稲などの植物を植える際

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一四五

には普通に水を用いるよりも動物の血を用いた方が成長がずっと早いと述べているようである

 

これらの話には動物の血と稲あるいは田と一夜での苗の成長の三つの要素の結び付きが確認できる)

6(

この

ことはOの「陰絶田」の話を想起させずにはおかないつまり稲あるいは田は「陰絶田」の話に出ている「米よ

舂つき

女め

等ら

」に対応するように思われるしまた動物の血は女らと陪従らとの交合によって陰部から出たはずの血に

対応するように思われるさらに一夜で急に苗が成長したという事態は「陰絶田」の話の前半部に「一夜の間に

萩一ひ

根もとお生

ひき」とありまた「陰絶田」という地名に続いて「仍す

なはち

萩多く栄えき」とあることに内容的に対応する

と理解することができる

 

だから「米よ

舂つき

女め

等ら

が陰ほ

を陪お

もとびとくな

従婚ぎ断ちき故陰ほ

絶たち

田だ

といふ仍す

なはち

萩多く栄えき」という一連の表現では

陰部を損傷させたことと萩が多く栄えたこととの間には「そのことが原因で」の意の明確な因果関係があると

見るべきだろう

 

三つの要素の結び付きがOの話にも認められる以上同話と動物の血に関する話は古い時代に行われていた儀礼

を背景とするものだと考えることができるだろう動物の血と人間の血との違いはあるがそれらは神に動物の犠

牲を捧げたことによって豊穣繁栄がもたらされたという人々の遠い記憶を伝えるものなのではないか

 「国土創成」をめぐるABの話とEFの話Gの「丹塗矢伝説」Iの「箸墓伝説」Oの「陰絶田」をめぐる

話のどれでも女陰交合結婚などのことが話題となっているこれらの諸話に「二段構えの語り」が認められる

ことを以上の論述で確認した

 

ただし「二段構えの語り」が認められることと女陰交合などの話題が含まれることとの二点を条件として

以上の諸話を選んだわけではない「二段構えの語り」が認められる諸話を取り上げたところそれらには女陰交

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一四六

合などの話題が共通して含まれていたというのが実際である

 

女陰を矢が突くにしても何かが原因で女陰が損傷を受けるにしてもとにかく女陰や交合に関する話題は話の

語り手にも聞き手にも強い印象を与えたはずである時にはそれは刺激的衝撃的な印象さえ与えたに違いない

それだからこそ女陰交合に関する出来事はその内容に類似し対応する連想を呼びやすかったのだろう「二段

構えの語り」と女陰交合の話題とが以上の諸話のなかに共存するのはそのような理由によるものと考えられる

 

以上で確認したように「二段構えの語り」が表れていると判断される諸話に女陰交合などの話題が共通して

含まれている論述の流れに従えば交合結婚を語るものではないがやはり女陰のことが一つの話題になってい

る次の話を取り上げる必要があるだろう

U 

須す

佐さ

之のをのみこと

男命(略)勝ちさびに天あ

まてらすおほみかみ

照大御神の営つ

くだ田

を離は

ちその溝を埋めまたその大お

ほにへ嘗

を聞こしめす殿に屎く

まり散らしき故か

然し

すれども天照大御神は咎と

めずてhellip(略)なほその悪しき態わ

止まずて転う

てありき天照大御

神忌い

みはた服

屋や

に坐ま

しまして神か

御み そ衣

織らしめたまひし時その服屋の頂む

を穿う

ち天あ

の斑ふ

ちこま馬

を逆さ

剝は

ぎに剝ぎて堕お

し入る

る時に天の服は

織おり

女め

見驚きて梭ひ

に陰ほ

と上

を衝つ

きて死にき故か

ここに天照大御神見畏か

しこみ

て天の石い

屋や

戸と

を開

きてさし籠もりましきここに高た

天ま

の原皆暗く葦

あしはらのなかつくにことごと

原中国悉に闇く

しこれによりて常と

夜よ

往ゆ

ききここに

万よろづのわざはひ

妖悉に発お

りき

〔神代記〕

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一四七

 

これは『古事記』の神話の一部であり須佐之男命の「勝ちさび」の場面とその姉である天照大御神の「石屋籠

もり」の場面である天照大御神が機織りをしている時に弟の須佐之男命が皮を剝いだ馬を服は

屋や

の屋根を壊し

てなかに投げ入れたそれに驚いた服は

織おり

女め

が縦糸の間に横糸を通すための道具である梭ひ

を誤って自分の陰部に突

き刺して死んだそれを見て弟の行動を恐れた天照大御神が石い

屋や

に籠もってしまったので世界は暗闇に閉ざされ

多くの災禍がはびこったという

 

二重線を付した「その服屋の頂む

を穿う

ち天あ

の斑ふ

ちこま馬

を逆さ

剝は

ぎに剝ぎて堕お

し入るる時にhellip」という部分と太線を付し

た「梭ひ

に陰ほ

と上

を衝つ

きて死にき」という部分とは表現のありかたがまったく異なるしかし皮を剝いだ馬を屋根

を壊して建物のなかに投げ入れることと梭ひ

で勢いよく突いて陰部を傷つけることとが物理的な動きとして酷似し

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ている

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ことは事実である二つの部分では

U 《ある物体を急に動かしその勢いで別の物体を破損する》

ということが共通の骨子になっているこのような動きはIOの話の場合の動きと酷似している

 

二つの部分に描写されている物理的な動きをこのように要約するとこれまで見た諸話の場合と同様にUの話に

表れている「二段構えの語り」について次のように推測すべきことになるつまり皮を剝いだ馬を服屋の屋根

を壊して投げ入れたという二重線の部分は梭で陰部を突いて服織女が死んだという太線の部分に基づいて伝承者

が事前に連想して話のなかに持ち込んだものだろうということである

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一四八

 

確かに梭で陰部を突いて女が死んだというのはあまりにも衝撃的で印象的な出来事である特に『日本書紀』

の所伝には「天照大神驚お

どろ動

きたまひて梭を以て身を傷い

ましむ」〔本書〕とありまた「稚わ

かひるめのみこと

日尊驚きたまひ

て機は

より墮お

ちて持たる梭を以て體み

を傷や

らしめて神か

むさ退

りましぬ」〔一書第一〕とあって事態はさらに深刻であ

る至高神である天照大神自身が陰部を損傷しまたその分身である稚日尊が同じ原因で死んだというのだからこ

れ以上の重大事件はない

 

ただしここで一つの問題が生じる伝承者が連想したことを神話のなかに持ち込む以前には梭を突き刺して陰

部を損傷したという話題はあっても屋根を壊して馬を投げ入れたという話題は含まれていなかったことになるそ

こで馬に関する話題が直前に置かれていなくても天照大御神が石屋に籠もるという展開になりえたのかとの問

題が生じるのである少なくともUの話では馬の投げ入れに驚いて服織女が陰部に損傷を負って死んだので

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0

0

0

0

その

ことを恐れた天照大御神が石屋に籠もってしまったというように読めるからである

 

結論を言えば馬を投げ入れるという行動はなくても天照大御神が石屋に籠もるという展開になりえたと理解

することができるそのことを支持するのは『日本書紀』に見える次の所伝である

V 

日ひのかみのみこと

神尊天あ

まのかきた

垣田を以て御田としたまふ時に素戔嗚尊春は渠み

塡う

め畔あ

はなち毀

す又秋の穀

たなつものすで

已に成りぬるとき

に則ち冒

ひきわたす

に絡あ

ぜなは縄

を以てす且ま

たひのかみ

日神の機は

殿どの

に居ま

します時に則ち斑ぶ

駒こま

を生い

剝は

ぎにして其の殿

みあらかの

内に納な

げいる

凡す

て此の諸

もろもろの

事尽

ことごとくに

是これあづきな

無状し然れども日神恩

このかみおととむつま

親しき意

みこころもちに

して慍と

めたまはず恨みたまはず皆

平たひ

らかなる心を以て容ゆ

したまふ日神の新

にひなへきこ

嘗しめす時に及お

よ至

びて素戔嗚尊則ち新

にひなへのみや

宮の御み

まし席

の下に陰ひ

そかに

ら送く

そま糞

る日神知し

しめさずして俓た

に席み

ましの

上に坐ゐ

たまふ是に由よ

りて日神體み

みこぞ挙

りて不や

くさ平

みたまふ故以

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一四九

て恚い

か恨

りまして廼す

なはち

天あまのいはや

石窟に居ま

して其の磐い

戸と

を閉さ

しぬ

〔一書第二〕

 

素すさのをのみこと

戔嗚尊の悪行がどのような順序でこのVの話にあげられているかを少し細かく見てみる天照大神の御み

田た

素戔嗚尊が損壊する話が最初に置かれておりそれはUの話の場合と同じであるしかしその直後にはUの話と

大きく異なって馬を投げ入れる話が置かれているそしてこの悪行を含む「諸

もろもろ

の事」について「日ひ

神かみ

恩このかみおととむつま

親しき意

みこころもちに

して慍と

めたまはず恨みたまはず皆平た

らかなる心を以て容ゆ

したまふ」という説明が付され

ている馬を投げ入れたことは天照大神の石屋籠もりと直結しておらずむしろ日神は馬の投げ入れを含む多くの

悪行を許したというのである

 

Vの話で石屋籠もりと直結しているのはそのあとになされた悪行であるそれは「素戔嗚尊則ち新

にひなへのみや

宮の御み

まし席

の下に陰ひ

そかに

自ら送く

そま糞

る」という蛮行でありこれによって「日神知しめさずして俓た

に席み

ましの

上に坐ゐ

たまふ是に

由よ

りて日神體み

みこぞ挙

りて不や

くさ平

みたまふ」というひどい状況が生じたつまり新宮のなかでの脱糞という悪行が日ひ

神かみ

に病をもたらしさらには同神を石屋に籠もらせたというのである陰部が損傷した事件ではなくて新宮での脱糞

という蛮行が石屋籠もりの原因となりえたことをVの話が証明している【天照大神にあたる神を「日神」とする所

伝はより古い時代に成立したものだと言われる】

 

新宮での脱糞が石屋籠もりの原因になったとするVの話には女陰が損傷したことはまったく見えないこれに対

してUの話やさきに引用した『日本書紀』の本書一書第二の話では馬の投げ入れに驚いた女神が陰部を損傷し

そのことが女神の石屋籠もりの原因となっている話の内容にこのような相違がある事実は女神が陰部を損傷した

ことと女神が石屋に籠もったこととは必ずしも一連のものではないことしたがって話の成立について考えるにあ

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一五〇

たっては二つのことを別々に処理してかまわないということを示している

 

ただしUの話で大きな問題となるのは馬を投げ入れるという行動がなければ女神が驚いて陰部を損傷すると

いう事態も起こらないということであるこの点で女神が陰部を損傷するという事態だけが話に含まれ馬を投

げ入れるという行動は話に含まれないという話の状況は想定できないのである

 

一連の話のなかにまずXのことが出ていて次にYのことが出ているという「二段構えの語り」について考える際

にぜひとも考慮しておくべきことがあるつまりあることをもとにしてそれに類似することを伝承者が連想し

連想した内容を結果的に話のなかに持ち込むには一般的に二とおりの過程がありうるということである

a 

先に出てくるXが伝承者に強い印象を与えるためにXについて語ったあとにそれに類似した内容をもつY

を伝承者が連想するという過程

b 

あとに出てくるYが伝承者に強い印象を与えるためにYについて語る前にそれに類似した内容をもつXを

伝承者が連想するという過程

 

これまで見てきた「二段構えの語り」はすべてbの過程を経て生じたものだと考えたしそのように考えて特に

問題はなかったしかしUVの二話の場合はそのように考えることは不可能であるUの話では馬を投げ入

れたことが女神が陰部を損傷する原因になっておりVの話では新宮で脱糞したことが女神に病をもたらす原

因となっている二重線の部分が原因を表しており太線の部分が結果を表しているわけだから二つの部分は密接

な因果関係を構成しているのである

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一五一

 

そこでUVの二話に表れている「二段構えの語り」がbの過程を経て成立したと仮定して具体的に話の展開

について考えてみる陰部を損傷したことだけがUの話に含まれるという段階を想定すれば女神がなぜ梭で陰部を

突くことになったのか何も説明がなく話の展開が唐突すぎる聞き手は話の展開が理解できないのであるまた

同様に女神が糞の上に座って病を得たことだけがVの話に含まれるという段階を想定すればそこになぜ糞があっ

たのかが不明であるこちらも話の展開そのものが成り立たない

 

一方で「二段構えの語り」はbの過程を経て成立したという仮定を捨てそれはaの過程を経て成立したものだ

と仮定してみる二重線の部分だけが話に含まれており伝承者はそれをもとにして太線の部分を連想し連想した

ことをあとで話のなかに持ち込んだというふうにである

 

Uの話にはもともと馬を投げ入れたことだけがあり伝承者はそれをもとに酷似する動きをとることとして

梭で陰部を突くという動作を連想した馬の皮を剝いだうえ屋根を壊してそれを服屋の中に投げ入れるという悪行

は女神が梭で陰部を突くという事故がなくても女神を恐れさせて石屋に籠もらせるには十分である

 

またVの話の場合にはもともと新宮で脱糞をしたことだけが含まれており伝承者はそれに基づいて女神が

その糞の上に座って病を得たことを連想した女神が新嘗の儀礼を行う前にその神聖な新宮でこっそり脱糞をする

という蛮行は女神が糞の上に座って病を得るという事態が起こらなくても女神を怒らせて石窟に籠もらせるには

十分である

 

こうしてbの過程を想定すればもとの話は成り立たないが逆にaの過程を想定すればUVの二話にも「二

段構えの語り」が表れていると考えることができる実はaの過程を想定することによって「二段構えの語り」が

表れていることを順当に説明しうる話はすぐあとに取り上げるようにほかにもまだある

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一五二

 

女陰が何らかの原因で損傷したことを述べるIOUの三話についてさきに一段めの語りと二段めの語りの

内容を検討したうえでそれぞれを次のように一文にまとめておいた

I 《身体の一部を急に下方に移動させその先にある物を勢いよく突く》

O 《狭い空間に棒状の物を差し入れその奥にある部分または物を強く突く》

U 《ある物体を急に動かしその勢いで別の物体を破損する》

 

三話に認められる「二段構えの語り」の内容はこのようにどれも同じような動きを表すものになっているそれ

だけでなくABの話やGの話に見られる「二段構えの語り」もまた同じような動きを表すものになっている

ということは女陰が損傷を受けたことを述べる三話に「二段構えの語り」を認めることの妥当性を逆の面から証

するものだと言えるのではないか

 

これに対し女陰の損傷が話題となっていない「二段構えの語り」が認められる別の諸話についてその内容を

一文にまとめるとその一文はこれらとまったく異なる動きを表すものとなる(後述)そのこともさきに述べた

ような「二段構えの語り」の存在を認めるべき一つの論拠となると考える

 

Uの話と同様にaの過程を経て「二段構えの語り」が成立したと推定される話をここでもう一つ取り上げる

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一五三

それは『古事記』に見える神話でのちに地上界の支配者になる大お

ほなむぢの

穴牟遅神か

をその兄弟である八や

十そ

神がみ

が殺害する場

面である

W 

ここに八や

十そ

神がみ

見てまた欺あ

ざむき

て山に率ゐ

て入りて大お

樹き

を切り伏せ茹ひ

矢や

をその木に打ち立てその中に入らし

むる即ちその氷ひ

目め

矢や

を打ち離ちて拷う

ち殺しきここにまたその御み

祖おや

の命み

こと

哭な

きつつ求ま

げば見得てすな

はちその木を折りて取り出で活かしてその子に告げて言ひしく「汝い

まし

此こ こ間

にあらば遂に八十神のために滅

ぼさえなむ」といひてすなはち木き

国くに

の大お

屋や

毘び

古この

神かみ

の御み

もと所

に違た

へ遣りきここに八十神

ぎ追ひ臻い

りて矢や

刺ざ

し乞ふ時に木の俣ま

より漏く

き逃がして云の

りたまひしく「須す

佐さ

能のをのみこと

男命の坐ま

します根の堅か

州す

国くに

に参ま

向ふべし必ず

その大神議は

りたまひなむ」とのりたまひき故か

詔の

りたまひし命の随ま

にまに

須佐之男命の御所に参ま

ゐいた到

ればhellip

〔神代記〕

 

八十神が大木を切り倒してそれを裂き裂け目に楔

くさび

状の「茹ひ

矢や

」を押し立てておいたそしてそこに大穴牟遅神

を入らせて楔状の物を引き抜き同神を圧死させた同神の母が木を折って息子を救い出しこれを蘇生させて大お

屋や

毘び

古この

神かみ

のもとへ逃がしてやったさらに八十神が追いついて息子を引き渡すように母に要求した時には母が息

子をこっそり木の俣から須佐能男命のもとへ逃がしてやったという

 

Wの話の直前には八十神に脅迫された大穴牟遅神が焼けた岩をかかえ込んで死んでしまったという話が置か

れている死んだ大穴牟遅神はやはり母の尽力によって復活したというそれが一回めの死と復活を語る話だから

Wの話で語られる死と復活は二回めのそれである一回めの死が岩を抱き取ることによってもたらされ二回めの死

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一五四

が木の俣に挟まれることによってもたらされた死因の内容が一回めと二回めとでは逆転している

 

また大穴牟遅神の二度にわたる死は天照大御神の二度にわたる死と奇妙なかたちで対応している天照大御神

の死はまず同神自身あるいはその分身の女神が木製の梭で陰部を突いて死ぬというかたちで語られるまた

そのあとで同神自身が岩屋に籠もってしまうというかたちで死が語られるがそれは太陽神の象徴的な死である

両神の死の内容を細かく比較すると両神の体と岩木とが次のように互いに逆転した奇妙な関係を示しているこ

とがわかる

  

大穴牟遅神の死helliphelliphellip体が岩をかかえるdarr木の俣が体を挟む

  

天照大御神の死helliphelliphellip木が体のなかに入るdarr体が岩のなかに入る

 

地上の支配者と世界の至高神との間に死をめぐってこのような逆転した関係が認められるのはきわめて興味深

いことである)

7(

 

さて「二段構えの語り」だがWの話のうち母が息子を「その木を折りて取り出で活かして」大お

屋や

毘び

古この

神かみ

のも

とへ逃がしてやったという二重線の部分が一段めの語りにあたる二段めの語りにあたるのは母が息子を「木の

俣また

より漏く

き逃がし」て須佐能男命のもとへ向かわせたという太線の部分である

 

つまりこの神話では俣になった「その木を折りて」母が息子を救い出す一段めの語りと母が息子を「木の俣

より漏く

き」逃がしてやる二段めの語りとは

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一五五

W 《母が息子を木の俣から救出しあるいは逃がして別の神のもとへ送り出す》

という酷似した内容のものになっている

 

地上の支配者となるべき大穴牟遅神が木の俣に挟まれて死んで母に救われる話の方が同神の母が木の俣から息

子を逃がしてやる話よりもずっと衝撃的で印象的であるだから神話の伝承者が一段めの語りの内容を強く意

識しそれに酷似した内容をもつ二段めの語りを連想してあとで話のなかに持ち込んだのだろうと推測される

より印象的な出来事を語り終えたあともそれが意識のなかから消え去らず類似し対応することがらをあとで連想し

てしまったと考えられる【一段めの話から二段めの話が連想されたというaの過程をたどったとおぼしい実例は

僅少であるそれには然るべき理由があったと考えるべきだが目下のところそれは不明である】

 

Wの話がこのような経緯をたどったとすると母が木を折って息子を救い出しこれを蘇生させてから別の神のも

とへ逃がしてやったという一段めの語りだけが話に含まれていた段階を例によって想定しなければならない一

段めの語りだけで話は成り立つのか

 

結論を言えばその想定は可能である八十神のもとから逃げた大穴牟遅神が須佐能男命のいる地まで行ったと

いうような単純な内容の話になっている方が以下との続きかたは自然である二重線の部分の末尾にある「木き

国くに

の大お

屋や

毘び

古この

神かみ

の御み

もと所

に違た

へ遣りき」の「大屋毘古神」の部分を太線の部分にある「須佐能男命」とすれば話は無

理なく以下に続くのであるまずは大屋毘古神のもとへ逃げて行ったという部分がなかったとすれば母は木の裂け

目から息子を救い出しこれを蘇生させて須佐能男命のもとへ送り出したというわかりやすい展開になるしたが

ってaの過程を経てWの話が成立しただろうという推定は十分に成り立つ

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一五六

 

二重線の「木き

国くに

の大お

屋や

毘び

古この

神かみ

の御み

もと所

に違た

へ遣りき」という部分は「木国のhellip」で始まっているそれは「大お

樹き

切り伏せ」「茹ひ

矢や

をその木に打ち立て」「その木を折りて」などWの話にくり返し出ている「樹木」から連想され

たものだろう

 

太線の部分にある「木の俣ま

より漏く

き逃がして」以下の表現からその前に置かれた二重線の部分が連想されたと

いうbの過程は想定できない二重線の部分が話に含まれていないという段階はなぜ太線の部分が話に含まれてい

るのかということつまり「木の俣ま

より漏く

き逃がして」とある理由が説明できないのである大穴牟遅神が八十神に

殺害されて復活したという理由があって始めて「木の俣ま

より漏く

き逃がして」以下の表現が意味をもつのである

 

木の俣に挟まれて圧死した大穴牟遅神が母の尽力によって蘇生したあとには同神が須佐能男命から与えられた

いくつもの試練を妻の須す

勢せ

理り

毘び

売め

の助力を得てそのたびごとに克服するという話が続くさらに大穴牟遅神が

須勢理毘売をその父のもとから奪って逃げるとともに自分に苦難をもたらした八十神を追い払って「始めて国を作

りたま」うたという展開になっているまたそのあとにも大穴牟遅神の子を産んだ八や

上かみ

比ひ

売め

が須世理毘売を恐

れて「その生める子をば木の俣に挟みて返」ったという話が続いている八上比売の話にまたもや「木の俣」

のことが出てくるわけである

 

この「木の俣」の話もまた大穴牟遅神が「木の俣」に挟まれて圧死した話から連想されたものである可能性が想

定できるがそのように想定する場合に問題となることがあるそれは両話の間に置かれた話があまりにも長大な

ものだということであるしかし大穴牟遅神と生まれた子との間には

 

ⅰ 

父子

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一五七

 

ⅱ 

木の俣に挟まれて死ぬ生まれて木の俣に挟まれる

 

ⅲ 

母が救い出す母が置き去りにする

 

ⅳ 

母が別地へ向かわせる母がもとの地に戻る

というような対比的な関係も認められるのでありこうした関係が偶然に生じたものだとは考えがたいだから父

が木の俣で圧死させられることから生まれた子を木の俣に置くことが連想されたという可能性をここでは否定し

ないでおく【より古い時代には大穴牟遅神が木の俣に挟まれて死ぬ話と八上比売が木の俣に新生児を挟む話とは

直結した一連のものだったことも想定できる】

 

以上の論述では「二段構えの語り」の様態について数話を例示してやや細かく検討を加えたその結果話に

含まれる特定のことからがそれに類似し対応することがらを伝承者に連想させ連想した内容が結果的に話のなか

に組み込まれてしまうという特徴的な現象を上代の神話や伝説を通して確認することができたと考える

 

同じ「二段構えの語り」の現象が認められる話は本稿で取り上げた諸話で尽きているのではなくまだ何話か上

代の文献に見える紙幅の関係でそれらを取り上げて細かく検討を加えることができないからここで二話だけに

ついて結論を述べておき具体的な検討は別稿で行うことにする

 

二話のうち一つは神話に見えるもので娘たちを飲み食らう大蛇を須佐能男命が退治する場面である『古事記』

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一五八

で言えば「是の高こ

志し

の八や

俣また

の遠を

呂ろ

智ち

年と

毎ごと

に来て喫く

へり」という部分と「船ふ

毎ごと

に己お

が頭を垂い入れてその酒を飲み

き」という部分とが「二段構えの語り」に相当する二つの部分の内容をまとめると

  《大蛇が出雲へやってきて足あ

名なづち椎

のがわに属するものを食らいあるいは飲む》

というようになる娘たちを食らい飲む大蛇が酒を飲むという同じ行動が原因で退治されてしまうのである

 

またもう一つの話は『播磨国風土記』の賀古郡の条に見える「比礼墓伝説」であるこの話では「印い

なみ南

」の女

が「隠な

び妻」であり「辞い

び妻」でもあるからこれは「古代の口がたり特有の面白さ」をもつものだという興味深

い見解がある

 

話の冒頭近くにある「度わ

たりもり

子紀き伊の国く

人ひと

小を

玉たま

申さく「我は天

すめらみこと

皇の贄に

人びと

たらめや」とまをす」という部分とその

あとにある「印南の別嬢聞きて驚き畏か

しこみ

即や

て南な

都つ

麻ま

嶋に遁に

げ度りき」という部分とが「二段構えの語り」に

相当する二つの部分のうちのあとの部分は別嬢が天皇の求婚を嫌がって

0

0

0

0

島に逃げて隠れたことを述べたものだか

ら二つの部分は同じく「辞い

び」を内容とするものだと言える「度わ

たりもり

子」つまり船頭の「我は天

すめらみこと

皇の贄に

人びと

たらめや」

という発言に倣って天皇の求婚を嫌がる別嬢の心情を言い表せば「吾は天皇の妻

9

9

9

9

たらめや」というようになる

  

船頭の「辞び」helliphelliphellip「我は天

すめらみこと

皇の贄に

人びと

たらめや」

  

別嬢の「辞び」helliphelliphellip「吾は天皇の妻

9

9

9

9

たらめや」

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一五九

 

結局二つの「辞び」は単なる拒否ではなく次のような同じ内容を表す「辞び」なのである

  《私は天皇にお仕えなどしない》

 

この話の末尾近くには別嬢の遺体について「大き飄つ

むじ

川下より来て其の尸か

ばねを

川中に纏ま

き入れき求むれども得

ず」と述べられているがその部分と別嬢が島に逃げて隠れた

0

0

0

という前の部分ともまた「二段構えの語り」を構

成している二つの部分はともに別嬢の「隠び」を内容とするものなので次のように一つにまとめることができる

  《別嬢が「隠な

び」をした》

 「辞び」も「隠び」も話のなかに二度ずつ表れているのである

 

大蛇退治の神話と「弟日姫子伝説」とには「二段構えの語り」を認めるにあたって解決すべき多くの問題が含ま

れているしかしそれらを一つ一つ検討していけば見てきた諸話と同様の特徴的な語りを二話にも認めることが

できる

註(1) 

本稿にあげる『古事記』『日本書紀』『風土記』などの記述は本文訓読文ともに古典文学大系のものを引用するまた

『萬葉集』の本文訓読文は新編古典全集のものを引用するただしいずれも読みやすさと理解しやすさとを考慮して

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一六〇

もとの表記形式その他を改めることが少なくない

(2) 

大野晋「記紀の創世神話の構成」〔『文学』一九六五年八月〕のちに『仮名遣と上代語』(一九八二年)に収載

(3) 「丹塗矢伝説」の成立については小著『伝承と言語』(一九九五年)のⅡ部四章で私見を述べたただし同書に述べたこ

とと本稿で述べたことの間には一点だけ相違がある丹塗矢が女の陰部を突いたという話は神と人間の女とが結婚したこ

とを明確に語ったものではないからそのことを明確にするために女の持ち帰った丹塗矢が男に変身して子が生まれたとい

う話があとになって付加されたのだと同書では述べたそれは既存の一説に見える解釈を妥当なものと認めそれを踏

襲したものだった本稿では「二段構えの語り」がこの話にも認められるという見解に立ってかつて小著で述べた考えを

訂正する

(4) 

女に与えられた「倭迹迹日百襲姫命」という名の語構成ははたしてどのようなものなのかこれを疑問の余地なく解明す

ることはかなり難しい

   

初頭の「倭」と末尾の「姫命」は除くとして「迹と

迹と

日び

百もも

襲そ

」の「百襲」は字面のとおり「多くの着衣」の意であるかも

知れないこの女の夫は蛇神だから蛇が何度も脱皮をくり返すことを背景とする名を妻がもつことは十分にありうること

だろう「百襲」の「襲」には字を構成する要素として「衣」がある「襲」の字は「重ねて着る」「覆う」「継ぐ」「おそ

う」などの意を表す

   

ある特徴や習性を表す語が当人ではなく周囲の者の名に含まれる例は「丹塗矢伝説」の登場者にも見られるたとえば

矢で陰部を突かれて慌てた女が勢せ

夜や

陀だ

多た

良ら

比ひ

売め

であるのにその女の産んだ娘が「陰に矢を立てられ震え姫」の意の「富ほ

登と

多た

多た

良ら

伊い

須す

須す

岐き

比ひめのみこと

売命」という名を与えられている母の経験したことが娘の名に反映しているのである

   「晡く

れふしの

時臥山やま

」〔『常陸国風土記』那珂郡茨城里〕の話に登場する子として蛇を産んだ女とその兄は「努ぬ

賀か

咩め

」「努ぬ

賀か

古こ

という名を与えられているこれらの名も原義を解明するのは難しいが「ぬか」はやはり脱皮の意を表す「脱ぬ

か」かも知れ

ない『和名類聚抄』の「蛻」の項に「毛も

沼ぬ

久く

」とあり『色葉字類抄』の「

蛻」の項に「ヘミノモヌケ」とあるこれらの

「脱ぬ

く」「脱ぬ

け」がこの場合に参考になる下二段活用動詞の「脱け」が「脱か彦脱か姫」では「脱か」となってい

るわけだが上代語では「明け」「荒れ」「枯れ」などの下二段活用動詞が「明か時(暁)」「新あ

垣がき

」「枯から

木き

」などの複合名詞を

構成しているのに同じである

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一六一

 

名の意味をこのように理解することは生まれた子を入れる器を何度か大きいものに替えたという脱皮を暗示する説明と

吻合する中世には「もぬけの衣」という表現もあるから「もぬけ」の「も」はあるいは「裳」か

(5) 「陰ほ

絶たち

田だ

」という地名と「米よね

舂つき

女め

等ら

が陰ほと

を陪おもとびとくな

従婚ぎ断ちき」という説明との関係には理解するのが難しい点がある

「陰絶田」に含まれる「絶つ」はもともと「長い間にわたって継続してきたことを止めまた幅のある物体を切る」の意を

表す動詞であるこれの自動詞である「絶ゆ」も基本的に意味は同じであるだから「陪お

もとびと

従」との交合によって陰部が損

傷したことをあえて「婚ぎ絶ち

9

9

き」と表現した理由が不明である物を損傷したことがなぜ「絶つ」と表現されたのか

「婚ぎ絶ちき」を「裂傷をおはせた」〔古典全書〕の意だと説明してもその疑問は解消しない

   「陰絶田」はもと「陰に(男根が)立つ田」の意の「陰立9

田」だったかも知れないそのように想定すれば神武記の

「丹塗矢伝説」に登場する「富ほ

登と

多た

多た

良ら

伊い

須す

須す

岐き

比ひ

売め

」という名の「ほとたたら」と意味的に対応するただし矢の場合に

「立つ」を用いた理由は理解できるが男根の場合にも同様に「立つ」を用いたとは想定しにくい「絶つ」とあることはや

はり不審のままである

(6) 

三つの要素の結びつきについては益田勝実「日本神話における外在と内在日本神話論における始原と展開」〔国文学

『解釈と鑑賞』一九七七年十月〕によるただしこの論にはOの話に関する言及がまったくないOの話のなかに三要素の

結び付きを読み取るのは私見にすぎない

(7) 

両神の死因をめぐる逆転関係については小著『日本の神話伝説を読む』(岩波新書二〇〇七年)の第二章第二節で述

べた

(日本語日本文学科 

教授)

Page 20: 一 神話・伝説に見られる特徴的な語り...神話・伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木) 0 一二三 べている。太平洋に伝承の海洋型国産み神話に類似。またヌホコを男性の象徴とし、交合による国産み神話とも見られる」と述

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一四〇

〔古典全書〕の意だと比較的古い注釈にありこれを踏襲する新しい注釈もある妥当な解説である

 

以上で見た三話と異なる点というのは二重線の部分と太線の部分とが

O 

米よね

舂つき

女め

等ら

が陰ほ

を陪お

もとびとくな

従婚ぎ断ちき

というように一文のなかに連続して出ている点である見てきた三話では二種の線を付した部分は近接した位置

にあるがOの話の場合はそれが極端なかたちで表れているまた二重線の部分が三話のように何らかの動作

状態を描写した表現になってはおらず「米よ

舂つき

女め

等ら

」という複合名詞になっている点も三話とは異なる

 

二種の線を付した一文の内容についていささか気になるのは「陪お

もとびとくな

従婚ぎ断た

ちき」という動作の対象になったの

が「米よ

舂つき

女め

等ら

が陰ほ

」だということである

 「米よ

舂つき

女め

等ら

」という複合名詞に含まれる「舂つ

く」は「突く」という動詞の一用法である「舂く」は「きねなどの

先で強く打っておしつぶしたり穀物のからなどを除いたり精白したりする」〔『日本国語大辞典』第二版〕の意で

あり「舂女」は「臼で穀物をつく女」〔同〕の意である

 

結局のところ「舂く」という動作は「臼などの器に棒状の物を押し込みなかにある穀物などを押しつぶす」の

意を表すわけだがいささか気になると述べたのは「舂く」という動作と「婚く

ぎ断ち」「陰ほ

絶た

ち」という動作との

間に認められる

O 《狭い空間に棒状の物を差し入れその奥にある部分または物を強く突き破る》

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一四一

という物理的な動き

0

0

0

0

0

0

としての類似性であるこれは既に取り上げたABの話やIの話に見られる二種の動きの

類似性と同じである

 

交合によって陰部を損傷したのと同様に棒状の物で「舂く」ことによって穀物などの本来の形態も損なわれる

だから「舂く」と「婚く

ぎ断ち」「陰ほ

絶た

ち」とは物理的な動きだけではなく動きによって生じる結果

0

0

においても類

似している

 

このように話のなかに先に出てくる「舂き」とその直後に出てくる「婚く

ぎ断ち」「陰ほ

絶た

ち」との間には物理

的な動きとそれがもたらす結果との双方に関して顕著な対応類似が認められるそのような対応類似が生じた

ことについて次のように想定することができるだろうつまり話の伝承者があとで自分が語る交合という動作

を強く意識したそのために交合に類似した動きを表す「舂く」を事前に連想しさらにはその語を含む「米舂女

等」をも連想してそれを結果的に話のなかに持ち込んだのではないかということである現にGの「丹塗矢伝

説」に「その美人の富ほ

登と

を突きき」とありIの「箸は

墓はか

伝説」にも「陰を衝つ

きて」とあってそれらの「突き」「衝

き」は表記こそ違え「舂き」と同じ動詞である

 「婚く

ぎ断ち」「陰ほ

絶た

ち」は凄惨かつ深刻な事態だからそれに類似する「舂く」という動作を事前に伝承者が連想

することは十分にありえたと思われるそのように想定すればOの話にも「二段構えの語り」が表れていることに

なる

 

話の展開に従えば「舂く」を含む「米舂女等」が一段めの語りとして先に出てきて「婚く

ぎ断た

ち」「陰ほ

絶た

ち」が二

段めの語りとしてあとに出てくるしかし話が成立した経緯から見れば二段めの語りがもとで一段めの語りが生

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一四二

まれたわけだから実際の先後関係は正反対である

 「二段構えの語り」が以上のような経緯で成立したのだとすればOの話では陪お

もとびと

従が交合を行って陰部を損傷さ

せた対象はもともと「米舂女等」だとは限定されていなかったことになるそれで話は成り立つ

 

Oの話に認められる「二段構えの語り」は前節で確認したような歌の構成のありかたから見ればいったいどの

ようなものだと言えるのか

P 

窺うかねらふ

良布 

跡と み見

山やま

雪ゆき

之の 

いちしろく 

恋ひば妹が名 

人知らむかも

〔十二三四六〕

 

この歌では「じっと見ていて獲物を狙う」の意の「うかねらふ」が「跡と

み見

山」の「跡見」に掛かる枕詞になって

いる「うかねらふ」を承ける「跡と

み見

」は狩猟に関して用いられた語である注釈辞書に見える説明をまとめれ

ば「跡見」は「鳥獣が通ったあとを見てそれが通った時間やそれが今いる場所などを判断することまたそれ

を行う役の猟師」の意である歌の作者が「跡見」という語からそれと類義をもつ「うかねらふ」という動詞を

連想しそれを「跡見」という名詞を導入する枕詞としたのである「うかねらふ」と「跡見」とは類義の語だが

音韻面ではまったく異なっているこれはOの話の「米よ

舂つき

女め

等ら

」の「舂く」と「婚く

ぎ断ち」「陰ほ

絶た

ち」との関係に

近い

 『古事記』に見える次の歌謡では序詞と本旨との関係がPの歌の「跡見」と「うかねらふ」とのそれに類似し

たものになっている

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一四三

Q 

倭やまとへ方

に 

西吹き上げて 

玖く

毛も

婆ば

那な

礼れ 

曽そ

岐き

袁を

理り

登と

母も 

吾忘れめや

〔記五五〕

 「倭や

まとへ方

にhelliphellip雲離れ」の三句が序詞となって本旨の「退そ

き」あるいは「退き居り」を導入している「退き」は

「遠ざかり」の意を表す動詞だから「雲離れ」という複合語に用いられた「離れ」とは類義語の関係にある本旨

の「退き」を言うためにそれと類義をもつ「離れ」を事前に連想しそれを末尾に置いて長い序詞を構成したわけ

である「雲離れ」と「退き居り」とは音韻面で類似するところがない「離れ」と「退き」との関係はやはりO

の話の「米よ

舂つき

女め

等ら

」の「舂く」と「婚く

ぎ断ち」「陰ほ

絶た

ち」との関係に近いと言える

R ふさ

手た

折をり 

多た

武むの

山やま

霧ぎり 

繁みかも 

細川の瀬に 

波騒きける

〔九一七〇四〕

 

この歌では地名の「多た

武む

」を「曲げる」の意を表す「たむ」という動詞に見立てそれから事前に連想された

類義の「手折り」に「

ふさ

」を付し「たむ」の枕詞としている「手た

折を

る」は「手で曲げて取る」の意であり「

は「総房」のことで花や実が束になって付いたものをさす本旨の表現に用いるべき「たむ」から類義を表す

「手折る」という動詞を連想したのであるこれもまたOの話の「断つ」と「舂く」との関係を思わせる「たむ」

と「手折り」とは初頭の音節が同じだが互いに音節数が異なっている

 

三首の「跡見」「退き」「たむ」が「二段構えの語り」の二段めのかたりに相当しそれから連想された「うかね

らふ」「雲離れ」「

手折り」が一段めの語りに相当すると言えるだろう

 

既に述べたようにOの話は聖性と威徳とを具えた息長帯日売命に関する話である「一夜の間に萩一ひ

根もとお生

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一四四

き」「墫も

たひの

水溢あ

れて井と成りき」その他の不思議な事態が起こったことが話のなかでくり返し述べられている

同様にほかならぬ息長帯日売命に仕える陪お

もとびと

従が米舂女等と交合を行って陰部を傷つけた結果「萩多く栄えき」

という事態が生じたということなのだろう

 

Oの話が載っているのと同じ『播磨国風土記』に

S 

讃さ よ容

といふ所ゆ

ゑ以

は大神妹い

もせ

二柱競ひて国占し

めましし時妹玉た

津つ

日ひめのみこと

女命生ける鹿を捕と

り臥せて其の腹を

割さ

きて其の血に稲種ま

きき仍よ

りて一夜の間に苗な

生お

ひき即す

なはち

取りて殖う

ゑしめたまひき爾こ

に大神勅の

りたま

ひしく「汝な

にも妹

は五さ月夜よ

に殖ゑつるかも」とのりたまひて即や

て他

あだしところ

処に去りたまひき故か

五月夜の郡こ

ほりと

號なづ

神を賛さ

用よ

都つ

比ひめのみこと

売命と名づく

〔讃容郡〕

という話が見えまた次のような話も見える

T 

丹に

津つ

日ひ

子こ

の神「法ほ

太だ

の川底を雲う

るみ潤

の方に越さむと欲お

ふ」と爾し

かい云

ひし時彼の村に在い

せる太お

水みづ

の神辞い

びて

云の

りたまひしく「吾は宍し

の血を以て佃た

つくる

故か

河の水を欲ほ

りせず」とのりたまひきその時丹津日子云ひし

く「此の神は河を堀る事に倦う

みて爾いへるのみ」といひき故雲う

弥み

と號な

く今い

人ひと

雲潤と號な

〔賀毛郡〕

 

Sの話は鹿の腹を割いてその血に稲を蒔いたら一夜で苗が生えたというものであるまたTの話は宍し

つま

り動物の血で田を作るから河の水は必要ないと神が言ったというものである二話では稲などの植物を植える際

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一四五

には普通に水を用いるよりも動物の血を用いた方が成長がずっと早いと述べているようである

 

これらの話には動物の血と稲あるいは田と一夜での苗の成長の三つの要素の結び付きが確認できる)

6(

この

ことはOの「陰絶田」の話を想起させずにはおかないつまり稲あるいは田は「陰絶田」の話に出ている「米よ

舂つき

女め

等ら

」に対応するように思われるしまた動物の血は女らと陪従らとの交合によって陰部から出たはずの血に

対応するように思われるさらに一夜で急に苗が成長したという事態は「陰絶田」の話の前半部に「一夜の間に

萩一ひ

根もとお生

ひき」とありまた「陰絶田」という地名に続いて「仍す

なはち

萩多く栄えき」とあることに内容的に対応する

と理解することができる

 

だから「米よ

舂つき

女め

等ら

が陰ほ

を陪お

もとびとくな

従婚ぎ断ちき故陰ほ

絶たち

田だ

といふ仍す

なはち

萩多く栄えき」という一連の表現では

陰部を損傷させたことと萩が多く栄えたこととの間には「そのことが原因で」の意の明確な因果関係があると

見るべきだろう

 

三つの要素の結び付きがOの話にも認められる以上同話と動物の血に関する話は古い時代に行われていた儀礼

を背景とするものだと考えることができるだろう動物の血と人間の血との違いはあるがそれらは神に動物の犠

牲を捧げたことによって豊穣繁栄がもたらされたという人々の遠い記憶を伝えるものなのではないか

 「国土創成」をめぐるABの話とEFの話Gの「丹塗矢伝説」Iの「箸墓伝説」Oの「陰絶田」をめぐる

話のどれでも女陰交合結婚などのことが話題となっているこれらの諸話に「二段構えの語り」が認められる

ことを以上の論述で確認した

 

ただし「二段構えの語り」が認められることと女陰交合などの話題が含まれることとの二点を条件として

以上の諸話を選んだわけではない「二段構えの語り」が認められる諸話を取り上げたところそれらには女陰交

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一四六

合などの話題が共通して含まれていたというのが実際である

 

女陰を矢が突くにしても何かが原因で女陰が損傷を受けるにしてもとにかく女陰や交合に関する話題は話の

語り手にも聞き手にも強い印象を与えたはずである時にはそれは刺激的衝撃的な印象さえ与えたに違いない

それだからこそ女陰交合に関する出来事はその内容に類似し対応する連想を呼びやすかったのだろう「二段

構えの語り」と女陰交合の話題とが以上の諸話のなかに共存するのはそのような理由によるものと考えられる

 

以上で確認したように「二段構えの語り」が表れていると判断される諸話に女陰交合などの話題が共通して

含まれている論述の流れに従えば交合結婚を語るものではないがやはり女陰のことが一つの話題になってい

る次の話を取り上げる必要があるだろう

U 

須す

佐さ

之のをのみこと

男命(略)勝ちさびに天あ

まてらすおほみかみ

照大御神の営つ

くだ田

を離は

ちその溝を埋めまたその大お

ほにへ嘗

を聞こしめす殿に屎く

まり散らしき故か

然し

すれども天照大御神は咎と

めずてhellip(略)なほその悪しき態わ

止まずて転う

てありき天照大御

神忌い

みはた服

屋や

に坐ま

しまして神か

御み そ衣

織らしめたまひし時その服屋の頂む

を穿う

ち天あ

の斑ふ

ちこま馬

を逆さ

剝は

ぎに剝ぎて堕お

し入る

る時に天の服は

織おり

女め

見驚きて梭ひ

に陰ほ

と上

を衝つ

きて死にき故か

ここに天照大御神見畏か

しこみ

て天の石い

屋や

戸と

を開

きてさし籠もりましきここに高た

天ま

の原皆暗く葦

あしはらのなかつくにことごと

原中国悉に闇く

しこれによりて常と

夜よ

往ゆ

ききここに

万よろづのわざはひ

妖悉に発お

りき

〔神代記〕

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一四七

 

これは『古事記』の神話の一部であり須佐之男命の「勝ちさび」の場面とその姉である天照大御神の「石屋籠

もり」の場面である天照大御神が機織りをしている時に弟の須佐之男命が皮を剝いだ馬を服は

屋や

の屋根を壊し

てなかに投げ入れたそれに驚いた服は

織おり

女め

が縦糸の間に横糸を通すための道具である梭ひ

を誤って自分の陰部に突

き刺して死んだそれを見て弟の行動を恐れた天照大御神が石い

屋や

に籠もってしまったので世界は暗闇に閉ざされ

多くの災禍がはびこったという

 

二重線を付した「その服屋の頂む

を穿う

ち天あ

の斑ふ

ちこま馬

を逆さ

剝は

ぎに剝ぎて堕お

し入るる時にhellip」という部分と太線を付し

た「梭ひ

に陰ほ

と上

を衝つ

きて死にき」という部分とは表現のありかたがまったく異なるしかし皮を剝いだ馬を屋根

を壊して建物のなかに投げ入れることと梭ひ

で勢いよく突いて陰部を傷つけることとが物理的な動きとして酷似し

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ている

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ことは事実である二つの部分では

U 《ある物体を急に動かしその勢いで別の物体を破損する》

ということが共通の骨子になっているこのような動きはIOの話の場合の動きと酷似している

 

二つの部分に描写されている物理的な動きをこのように要約するとこれまで見た諸話の場合と同様にUの話に

表れている「二段構えの語り」について次のように推測すべきことになるつまり皮を剝いだ馬を服屋の屋根

を壊して投げ入れたという二重線の部分は梭で陰部を突いて服織女が死んだという太線の部分に基づいて伝承者

が事前に連想して話のなかに持ち込んだものだろうということである

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一四八

 

確かに梭で陰部を突いて女が死んだというのはあまりにも衝撃的で印象的な出来事である特に『日本書紀』

の所伝には「天照大神驚お

どろ動

きたまひて梭を以て身を傷い

ましむ」〔本書〕とありまた「稚わ

かひるめのみこと

日尊驚きたまひ

て機は

より墮お

ちて持たる梭を以て體み

を傷や

らしめて神か

むさ退

りましぬ」〔一書第一〕とあって事態はさらに深刻であ

る至高神である天照大神自身が陰部を損傷しまたその分身である稚日尊が同じ原因で死んだというのだからこ

れ以上の重大事件はない

 

ただしここで一つの問題が生じる伝承者が連想したことを神話のなかに持ち込む以前には梭を突き刺して陰

部を損傷したという話題はあっても屋根を壊して馬を投げ入れたという話題は含まれていなかったことになるそ

こで馬に関する話題が直前に置かれていなくても天照大御神が石屋に籠もるという展開になりえたのかとの問

題が生じるのである少なくともUの話では馬の投げ入れに驚いて服織女が陰部に損傷を負って死んだので

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その

ことを恐れた天照大御神が石屋に籠もってしまったというように読めるからである

 

結論を言えば馬を投げ入れるという行動はなくても天照大御神が石屋に籠もるという展開になりえたと理解

することができるそのことを支持するのは『日本書紀』に見える次の所伝である

V 

日ひのかみのみこと

神尊天あ

まのかきた

垣田を以て御田としたまふ時に素戔嗚尊春は渠み

塡う

め畔あ

はなち毀

す又秋の穀

たなつものすで

已に成りぬるとき

に則ち冒

ひきわたす

に絡あ

ぜなは縄

を以てす且ま

たひのかみ

日神の機は

殿どの

に居ま

します時に則ち斑ぶ

駒こま

を生い

剝は

ぎにして其の殿

みあらかの

内に納な

げいる

凡す

て此の諸

もろもろの

事尽

ことごとくに

是これあづきな

無状し然れども日神恩

このかみおととむつま

親しき意

みこころもちに

して慍と

めたまはず恨みたまはず皆

平たひ

らかなる心を以て容ゆ

したまふ日神の新

にひなへきこ

嘗しめす時に及お

よ至

びて素戔嗚尊則ち新

にひなへのみや

宮の御み

まし席

の下に陰ひ

そかに

ら送く

そま糞

る日神知し

しめさずして俓た

に席み

ましの

上に坐ゐ

たまふ是に由よ

りて日神體み

みこぞ挙

りて不や

くさ平

みたまふ故以

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一四九

て恚い

か恨

りまして廼す

なはち

天あまのいはや

石窟に居ま

して其の磐い

戸と

を閉さ

しぬ

〔一書第二〕

 

素すさのをのみこと

戔嗚尊の悪行がどのような順序でこのVの話にあげられているかを少し細かく見てみる天照大神の御み

田た

素戔嗚尊が損壊する話が最初に置かれておりそれはUの話の場合と同じであるしかしその直後にはUの話と

大きく異なって馬を投げ入れる話が置かれているそしてこの悪行を含む「諸

もろもろ

の事」について「日ひ

神かみ

恩このかみおととむつま

親しき意

みこころもちに

して慍と

めたまはず恨みたまはず皆平た

らかなる心を以て容ゆ

したまふ」という説明が付され

ている馬を投げ入れたことは天照大神の石屋籠もりと直結しておらずむしろ日神は馬の投げ入れを含む多くの

悪行を許したというのである

 

Vの話で石屋籠もりと直結しているのはそのあとになされた悪行であるそれは「素戔嗚尊則ち新

にひなへのみや

宮の御み

まし席

の下に陰ひ

そかに

自ら送く

そま糞

る」という蛮行でありこれによって「日神知しめさずして俓た

に席み

ましの

上に坐ゐ

たまふ是に

由よ

りて日神體み

みこぞ挙

りて不や

くさ平

みたまふ」というひどい状況が生じたつまり新宮のなかでの脱糞という悪行が日ひ

神かみ

に病をもたらしさらには同神を石屋に籠もらせたというのである陰部が損傷した事件ではなくて新宮での脱糞

という蛮行が石屋籠もりの原因となりえたことをVの話が証明している【天照大神にあたる神を「日神」とする所

伝はより古い時代に成立したものだと言われる】

 

新宮での脱糞が石屋籠もりの原因になったとするVの話には女陰が損傷したことはまったく見えないこれに対

してUの話やさきに引用した『日本書紀』の本書一書第二の話では馬の投げ入れに驚いた女神が陰部を損傷し

そのことが女神の石屋籠もりの原因となっている話の内容にこのような相違がある事実は女神が陰部を損傷した

ことと女神が石屋に籠もったこととは必ずしも一連のものではないことしたがって話の成立について考えるにあ

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一五〇

たっては二つのことを別々に処理してかまわないということを示している

 

ただしUの話で大きな問題となるのは馬を投げ入れるという行動がなければ女神が驚いて陰部を損傷すると

いう事態も起こらないということであるこの点で女神が陰部を損傷するという事態だけが話に含まれ馬を投

げ入れるという行動は話に含まれないという話の状況は想定できないのである

 

一連の話のなかにまずXのことが出ていて次にYのことが出ているという「二段構えの語り」について考える際

にぜひとも考慮しておくべきことがあるつまりあることをもとにしてそれに類似することを伝承者が連想し

連想した内容を結果的に話のなかに持ち込むには一般的に二とおりの過程がありうるということである

a 

先に出てくるXが伝承者に強い印象を与えるためにXについて語ったあとにそれに類似した内容をもつY

を伝承者が連想するという過程

b 

あとに出てくるYが伝承者に強い印象を与えるためにYについて語る前にそれに類似した内容をもつXを

伝承者が連想するという過程

 

これまで見てきた「二段構えの語り」はすべてbの過程を経て生じたものだと考えたしそのように考えて特に

問題はなかったしかしUVの二話の場合はそのように考えることは不可能であるUの話では馬を投げ入

れたことが女神が陰部を損傷する原因になっておりVの話では新宮で脱糞したことが女神に病をもたらす原

因となっている二重線の部分が原因を表しており太線の部分が結果を表しているわけだから二つの部分は密接

な因果関係を構成しているのである

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一五一

 

そこでUVの二話に表れている「二段構えの語り」がbの過程を経て成立したと仮定して具体的に話の展開

について考えてみる陰部を損傷したことだけがUの話に含まれるという段階を想定すれば女神がなぜ梭で陰部を

突くことになったのか何も説明がなく話の展開が唐突すぎる聞き手は話の展開が理解できないのであるまた

同様に女神が糞の上に座って病を得たことだけがVの話に含まれるという段階を想定すればそこになぜ糞があっ

たのかが不明であるこちらも話の展開そのものが成り立たない

 

一方で「二段構えの語り」はbの過程を経て成立したという仮定を捨てそれはaの過程を経て成立したものだ

と仮定してみる二重線の部分だけが話に含まれており伝承者はそれをもとにして太線の部分を連想し連想した

ことをあとで話のなかに持ち込んだというふうにである

 

Uの話にはもともと馬を投げ入れたことだけがあり伝承者はそれをもとに酷似する動きをとることとして

梭で陰部を突くという動作を連想した馬の皮を剝いだうえ屋根を壊してそれを服屋の中に投げ入れるという悪行

は女神が梭で陰部を突くという事故がなくても女神を恐れさせて石屋に籠もらせるには十分である

 

またVの話の場合にはもともと新宮で脱糞をしたことだけが含まれており伝承者はそれに基づいて女神が

その糞の上に座って病を得たことを連想した女神が新嘗の儀礼を行う前にその神聖な新宮でこっそり脱糞をする

という蛮行は女神が糞の上に座って病を得るという事態が起こらなくても女神を怒らせて石窟に籠もらせるには

十分である

 

こうしてbの過程を想定すればもとの話は成り立たないが逆にaの過程を想定すればUVの二話にも「二

段構えの語り」が表れていると考えることができる実はaの過程を想定することによって「二段構えの語り」が

表れていることを順当に説明しうる話はすぐあとに取り上げるようにほかにもまだある

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一五二

 

女陰が何らかの原因で損傷したことを述べるIOUの三話についてさきに一段めの語りと二段めの語りの

内容を検討したうえでそれぞれを次のように一文にまとめておいた

I 《身体の一部を急に下方に移動させその先にある物を勢いよく突く》

O 《狭い空間に棒状の物を差し入れその奥にある部分または物を強く突く》

U 《ある物体を急に動かしその勢いで別の物体を破損する》

 

三話に認められる「二段構えの語り」の内容はこのようにどれも同じような動きを表すものになっているそれ

だけでなくABの話やGの話に見られる「二段構えの語り」もまた同じような動きを表すものになっている

ということは女陰が損傷を受けたことを述べる三話に「二段構えの語り」を認めることの妥当性を逆の面から証

するものだと言えるのではないか

 

これに対し女陰の損傷が話題となっていない「二段構えの語り」が認められる別の諸話についてその内容を

一文にまとめるとその一文はこれらとまったく異なる動きを表すものとなる(後述)そのこともさきに述べた

ような「二段構えの語り」の存在を認めるべき一つの論拠となると考える

 

Uの話と同様にaの過程を経て「二段構えの語り」が成立したと推定される話をここでもう一つ取り上げる

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一五三

それは『古事記』に見える神話でのちに地上界の支配者になる大お

ほなむぢの

穴牟遅神か

をその兄弟である八や

十そ

神がみ

が殺害する場

面である

W 

ここに八や

十そ

神がみ

見てまた欺あ

ざむき

て山に率ゐ

て入りて大お

樹き

を切り伏せ茹ひ

矢や

をその木に打ち立てその中に入らし

むる即ちその氷ひ

目め

矢や

を打ち離ちて拷う

ち殺しきここにまたその御み

祖おや

の命み

こと

哭な

きつつ求ま

げば見得てすな

はちその木を折りて取り出で活かしてその子に告げて言ひしく「汝い

まし

此こ こ間

にあらば遂に八十神のために滅

ぼさえなむ」といひてすなはち木き

国くに

の大お

屋や

毘び

古この

神かみ

の御み

もと所

に違た

へ遣りきここに八十神

ぎ追ひ臻い

りて矢や

刺ざ

し乞ふ時に木の俣ま

より漏く

き逃がして云の

りたまひしく「須す

佐さ

能のをのみこと

男命の坐ま

します根の堅か

州す

国くに

に参ま

向ふべし必ず

その大神議は

りたまひなむ」とのりたまひき故か

詔の

りたまひし命の随ま

にまに

須佐之男命の御所に参ま

ゐいた到

ればhellip

〔神代記〕

 

八十神が大木を切り倒してそれを裂き裂け目に楔

くさび

状の「茹ひ

矢や

」を押し立てておいたそしてそこに大穴牟遅神

を入らせて楔状の物を引き抜き同神を圧死させた同神の母が木を折って息子を救い出しこれを蘇生させて大お

屋や

毘び

古この

神かみ

のもとへ逃がしてやったさらに八十神が追いついて息子を引き渡すように母に要求した時には母が息

子をこっそり木の俣から須佐能男命のもとへ逃がしてやったという

 

Wの話の直前には八十神に脅迫された大穴牟遅神が焼けた岩をかかえ込んで死んでしまったという話が置か

れている死んだ大穴牟遅神はやはり母の尽力によって復活したというそれが一回めの死と復活を語る話だから

Wの話で語られる死と復活は二回めのそれである一回めの死が岩を抱き取ることによってもたらされ二回めの死

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一五四

が木の俣に挟まれることによってもたらされた死因の内容が一回めと二回めとでは逆転している

 

また大穴牟遅神の二度にわたる死は天照大御神の二度にわたる死と奇妙なかたちで対応している天照大御神

の死はまず同神自身あるいはその分身の女神が木製の梭で陰部を突いて死ぬというかたちで語られるまた

そのあとで同神自身が岩屋に籠もってしまうというかたちで死が語られるがそれは太陽神の象徴的な死である

両神の死の内容を細かく比較すると両神の体と岩木とが次のように互いに逆転した奇妙な関係を示しているこ

とがわかる

  

大穴牟遅神の死helliphelliphellip体が岩をかかえるdarr木の俣が体を挟む

  

天照大御神の死helliphelliphellip木が体のなかに入るdarr体が岩のなかに入る

 

地上の支配者と世界の至高神との間に死をめぐってこのような逆転した関係が認められるのはきわめて興味深

いことである)

7(

 

さて「二段構えの語り」だがWの話のうち母が息子を「その木を折りて取り出で活かして」大お

屋や

毘び

古この

神かみ

のも

とへ逃がしてやったという二重線の部分が一段めの語りにあたる二段めの語りにあたるのは母が息子を「木の

俣また

より漏く

き逃がし」て須佐能男命のもとへ向かわせたという太線の部分である

 

つまりこの神話では俣になった「その木を折りて」母が息子を救い出す一段めの語りと母が息子を「木の俣

より漏く

き」逃がしてやる二段めの語りとは

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一五五

W 《母が息子を木の俣から救出しあるいは逃がして別の神のもとへ送り出す》

という酷似した内容のものになっている

 

地上の支配者となるべき大穴牟遅神が木の俣に挟まれて死んで母に救われる話の方が同神の母が木の俣から息

子を逃がしてやる話よりもずっと衝撃的で印象的であるだから神話の伝承者が一段めの語りの内容を強く意

識しそれに酷似した内容をもつ二段めの語りを連想してあとで話のなかに持ち込んだのだろうと推測される

より印象的な出来事を語り終えたあともそれが意識のなかから消え去らず類似し対応することがらをあとで連想し

てしまったと考えられる【一段めの話から二段めの話が連想されたというaの過程をたどったとおぼしい実例は

僅少であるそれには然るべき理由があったと考えるべきだが目下のところそれは不明である】

 

Wの話がこのような経緯をたどったとすると母が木を折って息子を救い出しこれを蘇生させてから別の神のも

とへ逃がしてやったという一段めの語りだけが話に含まれていた段階を例によって想定しなければならない一

段めの語りだけで話は成り立つのか

 

結論を言えばその想定は可能である八十神のもとから逃げた大穴牟遅神が須佐能男命のいる地まで行ったと

いうような単純な内容の話になっている方が以下との続きかたは自然である二重線の部分の末尾にある「木き

国くに

の大お

屋や

毘び

古この

神かみ

の御み

もと所

に違た

へ遣りき」の「大屋毘古神」の部分を太線の部分にある「須佐能男命」とすれば話は無

理なく以下に続くのであるまずは大屋毘古神のもとへ逃げて行ったという部分がなかったとすれば母は木の裂け

目から息子を救い出しこれを蘇生させて須佐能男命のもとへ送り出したというわかりやすい展開になるしたが

ってaの過程を経てWの話が成立しただろうという推定は十分に成り立つ

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一五六

 

二重線の「木き

国くに

の大お

屋や

毘び

古この

神かみ

の御み

もと所

に違た

へ遣りき」という部分は「木国のhellip」で始まっているそれは「大お

樹き

切り伏せ」「茹ひ

矢や

をその木に打ち立て」「その木を折りて」などWの話にくり返し出ている「樹木」から連想され

たものだろう

 

太線の部分にある「木の俣ま

より漏く

き逃がして」以下の表現からその前に置かれた二重線の部分が連想されたと

いうbの過程は想定できない二重線の部分が話に含まれていないという段階はなぜ太線の部分が話に含まれてい

るのかということつまり「木の俣ま

より漏く

き逃がして」とある理由が説明できないのである大穴牟遅神が八十神に

殺害されて復活したという理由があって始めて「木の俣ま

より漏く

き逃がして」以下の表現が意味をもつのである

 

木の俣に挟まれて圧死した大穴牟遅神が母の尽力によって蘇生したあとには同神が須佐能男命から与えられた

いくつもの試練を妻の須す

勢せ

理り

毘び

売め

の助力を得てそのたびごとに克服するという話が続くさらに大穴牟遅神が

須勢理毘売をその父のもとから奪って逃げるとともに自分に苦難をもたらした八十神を追い払って「始めて国を作

りたま」うたという展開になっているまたそのあとにも大穴牟遅神の子を産んだ八や

上かみ

比ひ

売め

が須世理毘売を恐

れて「その生める子をば木の俣に挟みて返」ったという話が続いている八上比売の話にまたもや「木の俣」

のことが出てくるわけである

 

この「木の俣」の話もまた大穴牟遅神が「木の俣」に挟まれて圧死した話から連想されたものである可能性が想

定できるがそのように想定する場合に問題となることがあるそれは両話の間に置かれた話があまりにも長大な

ものだということであるしかし大穴牟遅神と生まれた子との間には

 

ⅰ 

父子

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一五七

 

ⅱ 

木の俣に挟まれて死ぬ生まれて木の俣に挟まれる

 

ⅲ 

母が救い出す母が置き去りにする

 

ⅳ 

母が別地へ向かわせる母がもとの地に戻る

というような対比的な関係も認められるのでありこうした関係が偶然に生じたものだとは考えがたいだから父

が木の俣で圧死させられることから生まれた子を木の俣に置くことが連想されたという可能性をここでは否定し

ないでおく【より古い時代には大穴牟遅神が木の俣に挟まれて死ぬ話と八上比売が木の俣に新生児を挟む話とは

直結した一連のものだったことも想定できる】

 

以上の論述では「二段構えの語り」の様態について数話を例示してやや細かく検討を加えたその結果話に

含まれる特定のことからがそれに類似し対応することがらを伝承者に連想させ連想した内容が結果的に話のなか

に組み込まれてしまうという特徴的な現象を上代の神話や伝説を通して確認することができたと考える

 

同じ「二段構えの語り」の現象が認められる話は本稿で取り上げた諸話で尽きているのではなくまだ何話か上

代の文献に見える紙幅の関係でそれらを取り上げて細かく検討を加えることができないからここで二話だけに

ついて結論を述べておき具体的な検討は別稿で行うことにする

 

二話のうち一つは神話に見えるもので娘たちを飲み食らう大蛇を須佐能男命が退治する場面である『古事記』

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一五八

で言えば「是の高こ

志し

の八や

俣また

の遠を

呂ろ

智ち

年と

毎ごと

に来て喫く

へり」という部分と「船ふ

毎ごと

に己お

が頭を垂い入れてその酒を飲み

き」という部分とが「二段構えの語り」に相当する二つの部分の内容をまとめると

  《大蛇が出雲へやってきて足あ

名なづち椎

のがわに属するものを食らいあるいは飲む》

というようになる娘たちを食らい飲む大蛇が酒を飲むという同じ行動が原因で退治されてしまうのである

 

またもう一つの話は『播磨国風土記』の賀古郡の条に見える「比礼墓伝説」であるこの話では「印い

なみ南

」の女

が「隠な

び妻」であり「辞い

び妻」でもあるからこれは「古代の口がたり特有の面白さ」をもつものだという興味深

い見解がある

 

話の冒頭近くにある「度わ

たりもり

子紀き伊の国く

人ひと

小を

玉たま

申さく「我は天

すめらみこと

皇の贄に

人びと

たらめや」とまをす」という部分とその

あとにある「印南の別嬢聞きて驚き畏か

しこみ

即や

て南な

都つ

麻ま

嶋に遁に

げ度りき」という部分とが「二段構えの語り」に

相当する二つの部分のうちのあとの部分は別嬢が天皇の求婚を嫌がって

0

0

0

0

島に逃げて隠れたことを述べたものだか

ら二つの部分は同じく「辞い

び」を内容とするものだと言える「度わ

たりもり

子」つまり船頭の「我は天

すめらみこと

皇の贄に

人びと

たらめや」

という発言に倣って天皇の求婚を嫌がる別嬢の心情を言い表せば「吾は天皇の妻

9

9

9

9

たらめや」というようになる

  

船頭の「辞び」helliphelliphellip「我は天

すめらみこと

皇の贄に

人びと

たらめや」

  

別嬢の「辞び」helliphelliphellip「吾は天皇の妻

9

9

9

9

たらめや」

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一五九

 

結局二つの「辞び」は単なる拒否ではなく次のような同じ内容を表す「辞び」なのである

  《私は天皇にお仕えなどしない》

 

この話の末尾近くには別嬢の遺体について「大き飄つ

むじ

川下より来て其の尸か

ばねを

川中に纏ま

き入れき求むれども得

ず」と述べられているがその部分と別嬢が島に逃げて隠れた

0

0

0

という前の部分ともまた「二段構えの語り」を構

成している二つの部分はともに別嬢の「隠び」を内容とするものなので次のように一つにまとめることができる

  《別嬢が「隠な

び」をした》

 「辞び」も「隠び」も話のなかに二度ずつ表れているのである

 

大蛇退治の神話と「弟日姫子伝説」とには「二段構えの語り」を認めるにあたって解決すべき多くの問題が含ま

れているしかしそれらを一つ一つ検討していけば見てきた諸話と同様の特徴的な語りを二話にも認めることが

できる

註(1) 

本稿にあげる『古事記』『日本書紀』『風土記』などの記述は本文訓読文ともに古典文学大系のものを引用するまた

『萬葉集』の本文訓読文は新編古典全集のものを引用するただしいずれも読みやすさと理解しやすさとを考慮して

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一六〇

もとの表記形式その他を改めることが少なくない

(2) 

大野晋「記紀の創世神話の構成」〔『文学』一九六五年八月〕のちに『仮名遣と上代語』(一九八二年)に収載

(3) 「丹塗矢伝説」の成立については小著『伝承と言語』(一九九五年)のⅡ部四章で私見を述べたただし同書に述べたこ

とと本稿で述べたことの間には一点だけ相違がある丹塗矢が女の陰部を突いたという話は神と人間の女とが結婚したこ

とを明確に語ったものではないからそのことを明確にするために女の持ち帰った丹塗矢が男に変身して子が生まれたとい

う話があとになって付加されたのだと同書では述べたそれは既存の一説に見える解釈を妥当なものと認めそれを踏

襲したものだった本稿では「二段構えの語り」がこの話にも認められるという見解に立ってかつて小著で述べた考えを

訂正する

(4) 

女に与えられた「倭迹迹日百襲姫命」という名の語構成ははたしてどのようなものなのかこれを疑問の余地なく解明す

ることはかなり難しい

   

初頭の「倭」と末尾の「姫命」は除くとして「迹と

迹と

日び

百もも

襲そ

」の「百襲」は字面のとおり「多くの着衣」の意であるかも

知れないこの女の夫は蛇神だから蛇が何度も脱皮をくり返すことを背景とする名を妻がもつことは十分にありうること

だろう「百襲」の「襲」には字を構成する要素として「衣」がある「襲」の字は「重ねて着る」「覆う」「継ぐ」「おそ

う」などの意を表す

   

ある特徴や習性を表す語が当人ではなく周囲の者の名に含まれる例は「丹塗矢伝説」の登場者にも見られるたとえば

矢で陰部を突かれて慌てた女が勢せ

夜や

陀だ

多た

良ら

比ひ

売め

であるのにその女の産んだ娘が「陰に矢を立てられ震え姫」の意の「富ほ

登と

多た

多た

良ら

伊い

須す

須す

岐き

比ひめのみこと

売命」という名を与えられている母の経験したことが娘の名に反映しているのである

   「晡く

れふしの

時臥山やま

」〔『常陸国風土記』那珂郡茨城里〕の話に登場する子として蛇を産んだ女とその兄は「努ぬ

賀か

咩め

」「努ぬ

賀か

古こ

という名を与えられているこれらの名も原義を解明するのは難しいが「ぬか」はやはり脱皮の意を表す「脱ぬ

か」かも知れ

ない『和名類聚抄』の「蛻」の項に「毛も

沼ぬ

久く

」とあり『色葉字類抄』の「

蛻」の項に「ヘミノモヌケ」とあるこれらの

「脱ぬ

く」「脱ぬ

け」がこの場合に参考になる下二段活用動詞の「脱け」が「脱か彦脱か姫」では「脱か」となってい

るわけだが上代語では「明け」「荒れ」「枯れ」などの下二段活用動詞が「明か時(暁)」「新あ

垣がき

」「枯から

木き

」などの複合名詞を

構成しているのに同じである

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一六一

 

名の意味をこのように理解することは生まれた子を入れる器を何度か大きいものに替えたという脱皮を暗示する説明と

吻合する中世には「もぬけの衣」という表現もあるから「もぬけ」の「も」はあるいは「裳」か

(5) 「陰ほ

絶たち

田だ

」という地名と「米よね

舂つき

女め

等ら

が陰ほと

を陪おもとびとくな

従婚ぎ断ちき」という説明との関係には理解するのが難しい点がある

「陰絶田」に含まれる「絶つ」はもともと「長い間にわたって継続してきたことを止めまた幅のある物体を切る」の意を

表す動詞であるこれの自動詞である「絶ゆ」も基本的に意味は同じであるだから「陪お

もとびと

従」との交合によって陰部が損

傷したことをあえて「婚ぎ絶ち

9

9

き」と表現した理由が不明である物を損傷したことがなぜ「絶つ」と表現されたのか

「婚ぎ絶ちき」を「裂傷をおはせた」〔古典全書〕の意だと説明してもその疑問は解消しない

   「陰絶田」はもと「陰に(男根が)立つ田」の意の「陰立9

田」だったかも知れないそのように想定すれば神武記の

「丹塗矢伝説」に登場する「富ほ

登と

多た

多た

良ら

伊い

須す

須す

岐き

比ひ

売め

」という名の「ほとたたら」と意味的に対応するただし矢の場合に

「立つ」を用いた理由は理解できるが男根の場合にも同様に「立つ」を用いたとは想定しにくい「絶つ」とあることはや

はり不審のままである

(6) 

三つの要素の結びつきについては益田勝実「日本神話における外在と内在日本神話論における始原と展開」〔国文学

『解釈と鑑賞』一九七七年十月〕によるただしこの論にはOの話に関する言及がまったくないOの話のなかに三要素の

結び付きを読み取るのは私見にすぎない

(7) 

両神の死因をめぐる逆転関係については小著『日本の神話伝説を読む』(岩波新書二〇〇七年)の第二章第二節で述

べた

(日本語日本文学科 

教授)

Page 21: 一 神話・伝説に見られる特徴的な語り...神話・伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木) 0 一二三 べている。太平洋に伝承の海洋型国産み神話に類似。またヌホコを男性の象徴とし、交合による国産み神話とも見られる」と述

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一四一

という物理的な動き

0

0

0

0

0

0

としての類似性であるこれは既に取り上げたABの話やIの話に見られる二種の動きの

類似性と同じである

 

交合によって陰部を損傷したのと同様に棒状の物で「舂く」ことによって穀物などの本来の形態も損なわれる

だから「舂く」と「婚く

ぎ断ち」「陰ほ

絶た

ち」とは物理的な動きだけではなく動きによって生じる結果

0

0

においても類

似している

 

このように話のなかに先に出てくる「舂き」とその直後に出てくる「婚く

ぎ断ち」「陰ほ

絶た

ち」との間には物理

的な動きとそれがもたらす結果との双方に関して顕著な対応類似が認められるそのような対応類似が生じた

ことについて次のように想定することができるだろうつまり話の伝承者があとで自分が語る交合という動作

を強く意識したそのために交合に類似した動きを表す「舂く」を事前に連想しさらにはその語を含む「米舂女

等」をも連想してそれを結果的に話のなかに持ち込んだのではないかということである現にGの「丹塗矢伝

説」に「その美人の富ほ

登と

を突きき」とありIの「箸は

墓はか

伝説」にも「陰を衝つ

きて」とあってそれらの「突き」「衝

き」は表記こそ違え「舂き」と同じ動詞である

 「婚く

ぎ断ち」「陰ほ

絶た

ち」は凄惨かつ深刻な事態だからそれに類似する「舂く」という動作を事前に伝承者が連想

することは十分にありえたと思われるそのように想定すればOの話にも「二段構えの語り」が表れていることに

なる

 

話の展開に従えば「舂く」を含む「米舂女等」が一段めの語りとして先に出てきて「婚く

ぎ断た

ち」「陰ほ

絶た

ち」が二

段めの語りとしてあとに出てくるしかし話が成立した経緯から見れば二段めの語りがもとで一段めの語りが生

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一四二

まれたわけだから実際の先後関係は正反対である

 「二段構えの語り」が以上のような経緯で成立したのだとすればOの話では陪お

もとびと

従が交合を行って陰部を損傷さ

せた対象はもともと「米舂女等」だとは限定されていなかったことになるそれで話は成り立つ

 

Oの話に認められる「二段構えの語り」は前節で確認したような歌の構成のありかたから見ればいったいどの

ようなものだと言えるのか

P 

窺うかねらふ

良布 

跡と み見

山やま

雪ゆき

之の 

いちしろく 

恋ひば妹が名 

人知らむかも

〔十二三四六〕

 

この歌では「じっと見ていて獲物を狙う」の意の「うかねらふ」が「跡と

み見

山」の「跡見」に掛かる枕詞になって

いる「うかねらふ」を承ける「跡と

み見

」は狩猟に関して用いられた語である注釈辞書に見える説明をまとめれ

ば「跡見」は「鳥獣が通ったあとを見てそれが通った時間やそれが今いる場所などを判断することまたそれ

を行う役の猟師」の意である歌の作者が「跡見」という語からそれと類義をもつ「うかねらふ」という動詞を

連想しそれを「跡見」という名詞を導入する枕詞としたのである「うかねらふ」と「跡見」とは類義の語だが

音韻面ではまったく異なっているこれはOの話の「米よ

舂つき

女め

等ら

」の「舂く」と「婚く

ぎ断ち」「陰ほ

絶た

ち」との関係に

近い

 『古事記』に見える次の歌謡では序詞と本旨との関係がPの歌の「跡見」と「うかねらふ」とのそれに類似し

たものになっている

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一四三

Q 

倭やまとへ方

に 

西吹き上げて 

玖く

毛も

婆ば

那な

礼れ 

曽そ

岐き

袁を

理り

登と

母も 

吾忘れめや

〔記五五〕

 「倭や

まとへ方

にhelliphellip雲離れ」の三句が序詞となって本旨の「退そ

き」あるいは「退き居り」を導入している「退き」は

「遠ざかり」の意を表す動詞だから「雲離れ」という複合語に用いられた「離れ」とは類義語の関係にある本旨

の「退き」を言うためにそれと類義をもつ「離れ」を事前に連想しそれを末尾に置いて長い序詞を構成したわけ

である「雲離れ」と「退き居り」とは音韻面で類似するところがない「離れ」と「退き」との関係はやはりO

の話の「米よ

舂つき

女め

等ら

」の「舂く」と「婚く

ぎ断ち」「陰ほ

絶た

ち」との関係に近いと言える

R ふさ

手た

折をり 

多た

武むの

山やま

霧ぎり 

繁みかも 

細川の瀬に 

波騒きける

〔九一七〇四〕

 

この歌では地名の「多た

武む

」を「曲げる」の意を表す「たむ」という動詞に見立てそれから事前に連想された

類義の「手折り」に「

ふさ

」を付し「たむ」の枕詞としている「手た

折を

る」は「手で曲げて取る」の意であり「

は「総房」のことで花や実が束になって付いたものをさす本旨の表現に用いるべき「たむ」から類義を表す

「手折る」という動詞を連想したのであるこれもまたOの話の「断つ」と「舂く」との関係を思わせる「たむ」

と「手折り」とは初頭の音節が同じだが互いに音節数が異なっている

 

三首の「跡見」「退き」「たむ」が「二段構えの語り」の二段めのかたりに相当しそれから連想された「うかね

らふ」「雲離れ」「

手折り」が一段めの語りに相当すると言えるだろう

 

既に述べたようにOの話は聖性と威徳とを具えた息長帯日売命に関する話である「一夜の間に萩一ひ

根もとお生

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一四四

き」「墫も

たひの

水溢あ

れて井と成りき」その他の不思議な事態が起こったことが話のなかでくり返し述べられている

同様にほかならぬ息長帯日売命に仕える陪お

もとびと

従が米舂女等と交合を行って陰部を傷つけた結果「萩多く栄えき」

という事態が生じたということなのだろう

 

Oの話が載っているのと同じ『播磨国風土記』に

S 

讃さ よ容

といふ所ゆ

ゑ以

は大神妹い

もせ

二柱競ひて国占し

めましし時妹玉た

津つ

日ひめのみこと

女命生ける鹿を捕と

り臥せて其の腹を

割さ

きて其の血に稲種ま

きき仍よ

りて一夜の間に苗な

生お

ひき即す

なはち

取りて殖う

ゑしめたまひき爾こ

に大神勅の

りたま

ひしく「汝な

にも妹

は五さ月夜よ

に殖ゑつるかも」とのりたまひて即や

て他

あだしところ

処に去りたまひき故か

五月夜の郡こ

ほりと

號なづ

神を賛さ

用よ

都つ

比ひめのみこと

売命と名づく

〔讃容郡〕

という話が見えまた次のような話も見える

T 

丹に

津つ

日ひ

子こ

の神「法ほ

太だ

の川底を雲う

るみ潤

の方に越さむと欲お

ふ」と爾し

かい云

ひし時彼の村に在い

せる太お

水みづ

の神辞い

びて

云の

りたまひしく「吾は宍し

の血を以て佃た

つくる

故か

河の水を欲ほ

りせず」とのりたまひきその時丹津日子云ひし

く「此の神は河を堀る事に倦う

みて爾いへるのみ」といひき故雲う

弥み

と號な

く今い

人ひと

雲潤と號な

〔賀毛郡〕

 

Sの話は鹿の腹を割いてその血に稲を蒔いたら一夜で苗が生えたというものであるまたTの話は宍し

つま

り動物の血で田を作るから河の水は必要ないと神が言ったというものである二話では稲などの植物を植える際

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一四五

には普通に水を用いるよりも動物の血を用いた方が成長がずっと早いと述べているようである

 

これらの話には動物の血と稲あるいは田と一夜での苗の成長の三つの要素の結び付きが確認できる)

6(

この

ことはOの「陰絶田」の話を想起させずにはおかないつまり稲あるいは田は「陰絶田」の話に出ている「米よ

舂つき

女め

等ら

」に対応するように思われるしまた動物の血は女らと陪従らとの交合によって陰部から出たはずの血に

対応するように思われるさらに一夜で急に苗が成長したという事態は「陰絶田」の話の前半部に「一夜の間に

萩一ひ

根もとお生

ひき」とありまた「陰絶田」という地名に続いて「仍す

なはち

萩多く栄えき」とあることに内容的に対応する

と理解することができる

 

だから「米よ

舂つき

女め

等ら

が陰ほ

を陪お

もとびとくな

従婚ぎ断ちき故陰ほ

絶たち

田だ

といふ仍す

なはち

萩多く栄えき」という一連の表現では

陰部を損傷させたことと萩が多く栄えたこととの間には「そのことが原因で」の意の明確な因果関係があると

見るべきだろう

 

三つの要素の結び付きがOの話にも認められる以上同話と動物の血に関する話は古い時代に行われていた儀礼

を背景とするものだと考えることができるだろう動物の血と人間の血との違いはあるがそれらは神に動物の犠

牲を捧げたことによって豊穣繁栄がもたらされたという人々の遠い記憶を伝えるものなのではないか

 「国土創成」をめぐるABの話とEFの話Gの「丹塗矢伝説」Iの「箸墓伝説」Oの「陰絶田」をめぐる

話のどれでも女陰交合結婚などのことが話題となっているこれらの諸話に「二段構えの語り」が認められる

ことを以上の論述で確認した

 

ただし「二段構えの語り」が認められることと女陰交合などの話題が含まれることとの二点を条件として

以上の諸話を選んだわけではない「二段構えの語り」が認められる諸話を取り上げたところそれらには女陰交

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一四六

合などの話題が共通して含まれていたというのが実際である

 

女陰を矢が突くにしても何かが原因で女陰が損傷を受けるにしてもとにかく女陰や交合に関する話題は話の

語り手にも聞き手にも強い印象を与えたはずである時にはそれは刺激的衝撃的な印象さえ与えたに違いない

それだからこそ女陰交合に関する出来事はその内容に類似し対応する連想を呼びやすかったのだろう「二段

構えの語り」と女陰交合の話題とが以上の諸話のなかに共存するのはそのような理由によるものと考えられる

 

以上で確認したように「二段構えの語り」が表れていると判断される諸話に女陰交合などの話題が共通して

含まれている論述の流れに従えば交合結婚を語るものではないがやはり女陰のことが一つの話題になってい

る次の話を取り上げる必要があるだろう

U 

須す

佐さ

之のをのみこと

男命(略)勝ちさびに天あ

まてらすおほみかみ

照大御神の営つ

くだ田

を離は

ちその溝を埋めまたその大お

ほにへ嘗

を聞こしめす殿に屎く

まり散らしき故か

然し

すれども天照大御神は咎と

めずてhellip(略)なほその悪しき態わ

止まずて転う

てありき天照大御

神忌い

みはた服

屋や

に坐ま

しまして神か

御み そ衣

織らしめたまひし時その服屋の頂む

を穿う

ち天あ

の斑ふ

ちこま馬

を逆さ

剝は

ぎに剝ぎて堕お

し入る

る時に天の服は

織おり

女め

見驚きて梭ひ

に陰ほ

と上

を衝つ

きて死にき故か

ここに天照大御神見畏か

しこみ

て天の石い

屋や

戸と

を開

きてさし籠もりましきここに高た

天ま

の原皆暗く葦

あしはらのなかつくにことごと

原中国悉に闇く

しこれによりて常と

夜よ

往ゆ

ききここに

万よろづのわざはひ

妖悉に発お

りき

〔神代記〕

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一四七

 

これは『古事記』の神話の一部であり須佐之男命の「勝ちさび」の場面とその姉である天照大御神の「石屋籠

もり」の場面である天照大御神が機織りをしている時に弟の須佐之男命が皮を剝いだ馬を服は

屋や

の屋根を壊し

てなかに投げ入れたそれに驚いた服は

織おり

女め

が縦糸の間に横糸を通すための道具である梭ひ

を誤って自分の陰部に突

き刺して死んだそれを見て弟の行動を恐れた天照大御神が石い

屋や

に籠もってしまったので世界は暗闇に閉ざされ

多くの災禍がはびこったという

 

二重線を付した「その服屋の頂む

を穿う

ち天あ

の斑ふ

ちこま馬

を逆さ

剝は

ぎに剝ぎて堕お

し入るる時にhellip」という部分と太線を付し

た「梭ひ

に陰ほ

と上

を衝つ

きて死にき」という部分とは表現のありかたがまったく異なるしかし皮を剝いだ馬を屋根

を壊して建物のなかに投げ入れることと梭ひ

で勢いよく突いて陰部を傷つけることとが物理的な動きとして酷似し

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0

ている

0

0

0

ことは事実である二つの部分では

U 《ある物体を急に動かしその勢いで別の物体を破損する》

ということが共通の骨子になっているこのような動きはIOの話の場合の動きと酷似している

 

二つの部分に描写されている物理的な動きをこのように要約するとこれまで見た諸話の場合と同様にUの話に

表れている「二段構えの語り」について次のように推測すべきことになるつまり皮を剝いだ馬を服屋の屋根

を壊して投げ入れたという二重線の部分は梭で陰部を突いて服織女が死んだという太線の部分に基づいて伝承者

が事前に連想して話のなかに持ち込んだものだろうということである

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一四八

 

確かに梭で陰部を突いて女が死んだというのはあまりにも衝撃的で印象的な出来事である特に『日本書紀』

の所伝には「天照大神驚お

どろ動

きたまひて梭を以て身を傷い

ましむ」〔本書〕とありまた「稚わ

かひるめのみこと

日尊驚きたまひ

て機は

より墮お

ちて持たる梭を以て體み

を傷や

らしめて神か

むさ退

りましぬ」〔一書第一〕とあって事態はさらに深刻であ

る至高神である天照大神自身が陰部を損傷しまたその分身である稚日尊が同じ原因で死んだというのだからこ

れ以上の重大事件はない

 

ただしここで一つの問題が生じる伝承者が連想したことを神話のなかに持ち込む以前には梭を突き刺して陰

部を損傷したという話題はあっても屋根を壊して馬を投げ入れたという話題は含まれていなかったことになるそ

こで馬に関する話題が直前に置かれていなくても天照大御神が石屋に籠もるという展開になりえたのかとの問

題が生じるのである少なくともUの話では馬の投げ入れに驚いて服織女が陰部に損傷を負って死んだので

0

0

0

0

0

その

ことを恐れた天照大御神が石屋に籠もってしまったというように読めるからである

 

結論を言えば馬を投げ入れるという行動はなくても天照大御神が石屋に籠もるという展開になりえたと理解

することができるそのことを支持するのは『日本書紀』に見える次の所伝である

V 

日ひのかみのみこと

神尊天あ

まのかきた

垣田を以て御田としたまふ時に素戔嗚尊春は渠み

塡う

め畔あ

はなち毀

す又秋の穀

たなつものすで

已に成りぬるとき

に則ち冒

ひきわたす

に絡あ

ぜなは縄

を以てす且ま

たひのかみ

日神の機は

殿どの

に居ま

します時に則ち斑ぶ

駒こま

を生い

剝は

ぎにして其の殿

みあらかの

内に納な

げいる

凡す

て此の諸

もろもろの

事尽

ことごとくに

是これあづきな

無状し然れども日神恩

このかみおととむつま

親しき意

みこころもちに

して慍と

めたまはず恨みたまはず皆

平たひ

らかなる心を以て容ゆ

したまふ日神の新

にひなへきこ

嘗しめす時に及お

よ至

びて素戔嗚尊則ち新

にひなへのみや

宮の御み

まし席

の下に陰ひ

そかに

ら送く

そま糞

る日神知し

しめさずして俓た

に席み

ましの

上に坐ゐ

たまふ是に由よ

りて日神體み

みこぞ挙

りて不や

くさ平

みたまふ故以

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一四九

て恚い

か恨

りまして廼す

なはち

天あまのいはや

石窟に居ま

して其の磐い

戸と

を閉さ

しぬ

〔一書第二〕

 

素すさのをのみこと

戔嗚尊の悪行がどのような順序でこのVの話にあげられているかを少し細かく見てみる天照大神の御み

田た

素戔嗚尊が損壊する話が最初に置かれておりそれはUの話の場合と同じであるしかしその直後にはUの話と

大きく異なって馬を投げ入れる話が置かれているそしてこの悪行を含む「諸

もろもろ

の事」について「日ひ

神かみ

恩このかみおととむつま

親しき意

みこころもちに

して慍と

めたまはず恨みたまはず皆平た

らかなる心を以て容ゆ

したまふ」という説明が付され

ている馬を投げ入れたことは天照大神の石屋籠もりと直結しておらずむしろ日神は馬の投げ入れを含む多くの

悪行を許したというのである

 

Vの話で石屋籠もりと直結しているのはそのあとになされた悪行であるそれは「素戔嗚尊則ち新

にひなへのみや

宮の御み

まし席

の下に陰ひ

そかに

自ら送く

そま糞

る」という蛮行でありこれによって「日神知しめさずして俓た

に席み

ましの

上に坐ゐ

たまふ是に

由よ

りて日神體み

みこぞ挙

りて不や

くさ平

みたまふ」というひどい状況が生じたつまり新宮のなかでの脱糞という悪行が日ひ

神かみ

に病をもたらしさらには同神を石屋に籠もらせたというのである陰部が損傷した事件ではなくて新宮での脱糞

という蛮行が石屋籠もりの原因となりえたことをVの話が証明している【天照大神にあたる神を「日神」とする所

伝はより古い時代に成立したものだと言われる】

 

新宮での脱糞が石屋籠もりの原因になったとするVの話には女陰が損傷したことはまったく見えないこれに対

してUの話やさきに引用した『日本書紀』の本書一書第二の話では馬の投げ入れに驚いた女神が陰部を損傷し

そのことが女神の石屋籠もりの原因となっている話の内容にこのような相違がある事実は女神が陰部を損傷した

ことと女神が石屋に籠もったこととは必ずしも一連のものではないことしたがって話の成立について考えるにあ

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一五〇

たっては二つのことを別々に処理してかまわないということを示している

 

ただしUの話で大きな問題となるのは馬を投げ入れるという行動がなければ女神が驚いて陰部を損傷すると

いう事態も起こらないということであるこの点で女神が陰部を損傷するという事態だけが話に含まれ馬を投

げ入れるという行動は話に含まれないという話の状況は想定できないのである

 

一連の話のなかにまずXのことが出ていて次にYのことが出ているという「二段構えの語り」について考える際

にぜひとも考慮しておくべきことがあるつまりあることをもとにしてそれに類似することを伝承者が連想し

連想した内容を結果的に話のなかに持ち込むには一般的に二とおりの過程がありうるということである

a 

先に出てくるXが伝承者に強い印象を与えるためにXについて語ったあとにそれに類似した内容をもつY

を伝承者が連想するという過程

b 

あとに出てくるYが伝承者に強い印象を与えるためにYについて語る前にそれに類似した内容をもつXを

伝承者が連想するという過程

 

これまで見てきた「二段構えの語り」はすべてbの過程を経て生じたものだと考えたしそのように考えて特に

問題はなかったしかしUVの二話の場合はそのように考えることは不可能であるUの話では馬を投げ入

れたことが女神が陰部を損傷する原因になっておりVの話では新宮で脱糞したことが女神に病をもたらす原

因となっている二重線の部分が原因を表しており太線の部分が結果を表しているわけだから二つの部分は密接

な因果関係を構成しているのである

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一五一

 

そこでUVの二話に表れている「二段構えの語り」がbの過程を経て成立したと仮定して具体的に話の展開

について考えてみる陰部を損傷したことだけがUの話に含まれるという段階を想定すれば女神がなぜ梭で陰部を

突くことになったのか何も説明がなく話の展開が唐突すぎる聞き手は話の展開が理解できないのであるまた

同様に女神が糞の上に座って病を得たことだけがVの話に含まれるという段階を想定すればそこになぜ糞があっ

たのかが不明であるこちらも話の展開そのものが成り立たない

 

一方で「二段構えの語り」はbの過程を経て成立したという仮定を捨てそれはaの過程を経て成立したものだ

と仮定してみる二重線の部分だけが話に含まれており伝承者はそれをもとにして太線の部分を連想し連想した

ことをあとで話のなかに持ち込んだというふうにである

 

Uの話にはもともと馬を投げ入れたことだけがあり伝承者はそれをもとに酷似する動きをとることとして

梭で陰部を突くという動作を連想した馬の皮を剝いだうえ屋根を壊してそれを服屋の中に投げ入れるという悪行

は女神が梭で陰部を突くという事故がなくても女神を恐れさせて石屋に籠もらせるには十分である

 

またVの話の場合にはもともと新宮で脱糞をしたことだけが含まれており伝承者はそれに基づいて女神が

その糞の上に座って病を得たことを連想した女神が新嘗の儀礼を行う前にその神聖な新宮でこっそり脱糞をする

という蛮行は女神が糞の上に座って病を得るという事態が起こらなくても女神を怒らせて石窟に籠もらせるには

十分である

 

こうしてbの過程を想定すればもとの話は成り立たないが逆にaの過程を想定すればUVの二話にも「二

段構えの語り」が表れていると考えることができる実はaの過程を想定することによって「二段構えの語り」が

表れていることを順当に説明しうる話はすぐあとに取り上げるようにほかにもまだある

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一五二

 

女陰が何らかの原因で損傷したことを述べるIOUの三話についてさきに一段めの語りと二段めの語りの

内容を検討したうえでそれぞれを次のように一文にまとめておいた

I 《身体の一部を急に下方に移動させその先にある物を勢いよく突く》

O 《狭い空間に棒状の物を差し入れその奥にある部分または物を強く突く》

U 《ある物体を急に動かしその勢いで別の物体を破損する》

 

三話に認められる「二段構えの語り」の内容はこのようにどれも同じような動きを表すものになっているそれ

だけでなくABの話やGの話に見られる「二段構えの語り」もまた同じような動きを表すものになっている

ということは女陰が損傷を受けたことを述べる三話に「二段構えの語り」を認めることの妥当性を逆の面から証

するものだと言えるのではないか

 

これに対し女陰の損傷が話題となっていない「二段構えの語り」が認められる別の諸話についてその内容を

一文にまとめるとその一文はこれらとまったく異なる動きを表すものとなる(後述)そのこともさきに述べた

ような「二段構えの語り」の存在を認めるべき一つの論拠となると考える

 

Uの話と同様にaの過程を経て「二段構えの語り」が成立したと推定される話をここでもう一つ取り上げる

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一五三

それは『古事記』に見える神話でのちに地上界の支配者になる大お

ほなむぢの

穴牟遅神か

をその兄弟である八や

十そ

神がみ

が殺害する場

面である

W 

ここに八や

十そ

神がみ

見てまた欺あ

ざむき

て山に率ゐ

て入りて大お

樹き

を切り伏せ茹ひ

矢や

をその木に打ち立てその中に入らし

むる即ちその氷ひ

目め

矢や

を打ち離ちて拷う

ち殺しきここにまたその御み

祖おや

の命み

こと

哭な

きつつ求ま

げば見得てすな

はちその木を折りて取り出で活かしてその子に告げて言ひしく「汝い

まし

此こ こ間

にあらば遂に八十神のために滅

ぼさえなむ」といひてすなはち木き

国くに

の大お

屋や

毘び

古この

神かみ

の御み

もと所

に違た

へ遣りきここに八十神

ぎ追ひ臻い

りて矢や

刺ざ

し乞ふ時に木の俣ま

より漏く

き逃がして云の

りたまひしく「須す

佐さ

能のをのみこと

男命の坐ま

します根の堅か

州す

国くに

に参ま

向ふべし必ず

その大神議は

りたまひなむ」とのりたまひき故か

詔の

りたまひし命の随ま

にまに

須佐之男命の御所に参ま

ゐいた到

ればhellip

〔神代記〕

 

八十神が大木を切り倒してそれを裂き裂け目に楔

くさび

状の「茹ひ

矢や

」を押し立てておいたそしてそこに大穴牟遅神

を入らせて楔状の物を引き抜き同神を圧死させた同神の母が木を折って息子を救い出しこれを蘇生させて大お

屋や

毘び

古この

神かみ

のもとへ逃がしてやったさらに八十神が追いついて息子を引き渡すように母に要求した時には母が息

子をこっそり木の俣から須佐能男命のもとへ逃がしてやったという

 

Wの話の直前には八十神に脅迫された大穴牟遅神が焼けた岩をかかえ込んで死んでしまったという話が置か

れている死んだ大穴牟遅神はやはり母の尽力によって復活したというそれが一回めの死と復活を語る話だから

Wの話で語られる死と復活は二回めのそれである一回めの死が岩を抱き取ることによってもたらされ二回めの死

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一五四

が木の俣に挟まれることによってもたらされた死因の内容が一回めと二回めとでは逆転している

 

また大穴牟遅神の二度にわたる死は天照大御神の二度にわたる死と奇妙なかたちで対応している天照大御神

の死はまず同神自身あるいはその分身の女神が木製の梭で陰部を突いて死ぬというかたちで語られるまた

そのあとで同神自身が岩屋に籠もってしまうというかたちで死が語られるがそれは太陽神の象徴的な死である

両神の死の内容を細かく比較すると両神の体と岩木とが次のように互いに逆転した奇妙な関係を示しているこ

とがわかる

  

大穴牟遅神の死helliphelliphellip体が岩をかかえるdarr木の俣が体を挟む

  

天照大御神の死helliphelliphellip木が体のなかに入るdarr体が岩のなかに入る

 

地上の支配者と世界の至高神との間に死をめぐってこのような逆転した関係が認められるのはきわめて興味深

いことである)

7(

 

さて「二段構えの語り」だがWの話のうち母が息子を「その木を折りて取り出で活かして」大お

屋や

毘び

古この

神かみ

のも

とへ逃がしてやったという二重線の部分が一段めの語りにあたる二段めの語りにあたるのは母が息子を「木の

俣また

より漏く

き逃がし」て須佐能男命のもとへ向かわせたという太線の部分である

 

つまりこの神話では俣になった「その木を折りて」母が息子を救い出す一段めの語りと母が息子を「木の俣

より漏く

き」逃がしてやる二段めの語りとは

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一五五

W 《母が息子を木の俣から救出しあるいは逃がして別の神のもとへ送り出す》

という酷似した内容のものになっている

 

地上の支配者となるべき大穴牟遅神が木の俣に挟まれて死んで母に救われる話の方が同神の母が木の俣から息

子を逃がしてやる話よりもずっと衝撃的で印象的であるだから神話の伝承者が一段めの語りの内容を強く意

識しそれに酷似した内容をもつ二段めの語りを連想してあとで話のなかに持ち込んだのだろうと推測される

より印象的な出来事を語り終えたあともそれが意識のなかから消え去らず類似し対応することがらをあとで連想し

てしまったと考えられる【一段めの話から二段めの話が連想されたというaの過程をたどったとおぼしい実例は

僅少であるそれには然るべき理由があったと考えるべきだが目下のところそれは不明である】

 

Wの話がこのような経緯をたどったとすると母が木を折って息子を救い出しこれを蘇生させてから別の神のも

とへ逃がしてやったという一段めの語りだけが話に含まれていた段階を例によって想定しなければならない一

段めの語りだけで話は成り立つのか

 

結論を言えばその想定は可能である八十神のもとから逃げた大穴牟遅神が須佐能男命のいる地まで行ったと

いうような単純な内容の話になっている方が以下との続きかたは自然である二重線の部分の末尾にある「木き

国くに

の大お

屋や

毘び

古この

神かみ

の御み

もと所

に違た

へ遣りき」の「大屋毘古神」の部分を太線の部分にある「須佐能男命」とすれば話は無

理なく以下に続くのであるまずは大屋毘古神のもとへ逃げて行ったという部分がなかったとすれば母は木の裂け

目から息子を救い出しこれを蘇生させて須佐能男命のもとへ送り出したというわかりやすい展開になるしたが

ってaの過程を経てWの話が成立しただろうという推定は十分に成り立つ

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一五六

 

二重線の「木き

国くに

の大お

屋や

毘び

古この

神かみ

の御み

もと所

に違た

へ遣りき」という部分は「木国のhellip」で始まっているそれは「大お

樹き

切り伏せ」「茹ひ

矢や

をその木に打ち立て」「その木を折りて」などWの話にくり返し出ている「樹木」から連想され

たものだろう

 

太線の部分にある「木の俣ま

より漏く

き逃がして」以下の表現からその前に置かれた二重線の部分が連想されたと

いうbの過程は想定できない二重線の部分が話に含まれていないという段階はなぜ太線の部分が話に含まれてい

るのかということつまり「木の俣ま

より漏く

き逃がして」とある理由が説明できないのである大穴牟遅神が八十神に

殺害されて復活したという理由があって始めて「木の俣ま

より漏く

き逃がして」以下の表現が意味をもつのである

 

木の俣に挟まれて圧死した大穴牟遅神が母の尽力によって蘇生したあとには同神が須佐能男命から与えられた

いくつもの試練を妻の須す

勢せ

理り

毘び

売め

の助力を得てそのたびごとに克服するという話が続くさらに大穴牟遅神が

須勢理毘売をその父のもとから奪って逃げるとともに自分に苦難をもたらした八十神を追い払って「始めて国を作

りたま」うたという展開になっているまたそのあとにも大穴牟遅神の子を産んだ八や

上かみ

比ひ

売め

が須世理毘売を恐

れて「その生める子をば木の俣に挟みて返」ったという話が続いている八上比売の話にまたもや「木の俣」

のことが出てくるわけである

 

この「木の俣」の話もまた大穴牟遅神が「木の俣」に挟まれて圧死した話から連想されたものである可能性が想

定できるがそのように想定する場合に問題となることがあるそれは両話の間に置かれた話があまりにも長大な

ものだということであるしかし大穴牟遅神と生まれた子との間には

 

ⅰ 

父子

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一五七

 

ⅱ 

木の俣に挟まれて死ぬ生まれて木の俣に挟まれる

 

ⅲ 

母が救い出す母が置き去りにする

 

ⅳ 

母が別地へ向かわせる母がもとの地に戻る

というような対比的な関係も認められるのでありこうした関係が偶然に生じたものだとは考えがたいだから父

が木の俣で圧死させられることから生まれた子を木の俣に置くことが連想されたという可能性をここでは否定し

ないでおく【より古い時代には大穴牟遅神が木の俣に挟まれて死ぬ話と八上比売が木の俣に新生児を挟む話とは

直結した一連のものだったことも想定できる】

 

以上の論述では「二段構えの語り」の様態について数話を例示してやや細かく検討を加えたその結果話に

含まれる特定のことからがそれに類似し対応することがらを伝承者に連想させ連想した内容が結果的に話のなか

に組み込まれてしまうという特徴的な現象を上代の神話や伝説を通して確認することができたと考える

 

同じ「二段構えの語り」の現象が認められる話は本稿で取り上げた諸話で尽きているのではなくまだ何話か上

代の文献に見える紙幅の関係でそれらを取り上げて細かく検討を加えることができないからここで二話だけに

ついて結論を述べておき具体的な検討は別稿で行うことにする

 

二話のうち一つは神話に見えるもので娘たちを飲み食らう大蛇を須佐能男命が退治する場面である『古事記』

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一五八

で言えば「是の高こ

志し

の八や

俣また

の遠を

呂ろ

智ち

年と

毎ごと

に来て喫く

へり」という部分と「船ふ

毎ごと

に己お

が頭を垂い入れてその酒を飲み

き」という部分とが「二段構えの語り」に相当する二つの部分の内容をまとめると

  《大蛇が出雲へやってきて足あ

名なづち椎

のがわに属するものを食らいあるいは飲む》

というようになる娘たちを食らい飲む大蛇が酒を飲むという同じ行動が原因で退治されてしまうのである

 

またもう一つの話は『播磨国風土記』の賀古郡の条に見える「比礼墓伝説」であるこの話では「印い

なみ南

」の女

が「隠な

び妻」であり「辞い

び妻」でもあるからこれは「古代の口がたり特有の面白さ」をもつものだという興味深

い見解がある

 

話の冒頭近くにある「度わ

たりもり

子紀き伊の国く

人ひと

小を

玉たま

申さく「我は天

すめらみこと

皇の贄に

人びと

たらめや」とまをす」という部分とその

あとにある「印南の別嬢聞きて驚き畏か

しこみ

即や

て南な

都つ

麻ま

嶋に遁に

げ度りき」という部分とが「二段構えの語り」に

相当する二つの部分のうちのあとの部分は別嬢が天皇の求婚を嫌がって

0

0

0

0

島に逃げて隠れたことを述べたものだか

ら二つの部分は同じく「辞い

び」を内容とするものだと言える「度わ

たりもり

子」つまり船頭の「我は天

すめらみこと

皇の贄に

人びと

たらめや」

という発言に倣って天皇の求婚を嫌がる別嬢の心情を言い表せば「吾は天皇の妻

9

9

9

9

たらめや」というようになる

  

船頭の「辞び」helliphelliphellip「我は天

すめらみこと

皇の贄に

人びと

たらめや」

  

別嬢の「辞び」helliphelliphellip「吾は天皇の妻

9

9

9

9

たらめや」

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一五九

 

結局二つの「辞び」は単なる拒否ではなく次のような同じ内容を表す「辞び」なのである

  《私は天皇にお仕えなどしない》

 

この話の末尾近くには別嬢の遺体について「大き飄つ

むじ

川下より来て其の尸か

ばねを

川中に纏ま

き入れき求むれども得

ず」と述べられているがその部分と別嬢が島に逃げて隠れた

0

0

0

という前の部分ともまた「二段構えの語り」を構

成している二つの部分はともに別嬢の「隠び」を内容とするものなので次のように一つにまとめることができる

  《別嬢が「隠な

び」をした》

 「辞び」も「隠び」も話のなかに二度ずつ表れているのである

 

大蛇退治の神話と「弟日姫子伝説」とには「二段構えの語り」を認めるにあたって解決すべき多くの問題が含ま

れているしかしそれらを一つ一つ検討していけば見てきた諸話と同様の特徴的な語りを二話にも認めることが

できる

註(1) 

本稿にあげる『古事記』『日本書紀』『風土記』などの記述は本文訓読文ともに古典文学大系のものを引用するまた

『萬葉集』の本文訓読文は新編古典全集のものを引用するただしいずれも読みやすさと理解しやすさとを考慮して

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一六〇

もとの表記形式その他を改めることが少なくない

(2) 

大野晋「記紀の創世神話の構成」〔『文学』一九六五年八月〕のちに『仮名遣と上代語』(一九八二年)に収載

(3) 「丹塗矢伝説」の成立については小著『伝承と言語』(一九九五年)のⅡ部四章で私見を述べたただし同書に述べたこ

とと本稿で述べたことの間には一点だけ相違がある丹塗矢が女の陰部を突いたという話は神と人間の女とが結婚したこ

とを明確に語ったものではないからそのことを明確にするために女の持ち帰った丹塗矢が男に変身して子が生まれたとい

う話があとになって付加されたのだと同書では述べたそれは既存の一説に見える解釈を妥当なものと認めそれを踏

襲したものだった本稿では「二段構えの語り」がこの話にも認められるという見解に立ってかつて小著で述べた考えを

訂正する

(4) 

女に与えられた「倭迹迹日百襲姫命」という名の語構成ははたしてどのようなものなのかこれを疑問の余地なく解明す

ることはかなり難しい

   

初頭の「倭」と末尾の「姫命」は除くとして「迹と

迹と

日び

百もも

襲そ

」の「百襲」は字面のとおり「多くの着衣」の意であるかも

知れないこの女の夫は蛇神だから蛇が何度も脱皮をくり返すことを背景とする名を妻がもつことは十分にありうること

だろう「百襲」の「襲」には字を構成する要素として「衣」がある「襲」の字は「重ねて着る」「覆う」「継ぐ」「おそ

う」などの意を表す

   

ある特徴や習性を表す語が当人ではなく周囲の者の名に含まれる例は「丹塗矢伝説」の登場者にも見られるたとえば

矢で陰部を突かれて慌てた女が勢せ

夜や

陀だ

多た

良ら

比ひ

売め

であるのにその女の産んだ娘が「陰に矢を立てられ震え姫」の意の「富ほ

登と

多た

多た

良ら

伊い

須す

須す

岐き

比ひめのみこと

売命」という名を与えられている母の経験したことが娘の名に反映しているのである

   「晡く

れふしの

時臥山やま

」〔『常陸国風土記』那珂郡茨城里〕の話に登場する子として蛇を産んだ女とその兄は「努ぬ

賀か

咩め

」「努ぬ

賀か

古こ

という名を与えられているこれらの名も原義を解明するのは難しいが「ぬか」はやはり脱皮の意を表す「脱ぬ

か」かも知れ

ない『和名類聚抄』の「蛻」の項に「毛も

沼ぬ

久く

」とあり『色葉字類抄』の「

蛻」の項に「ヘミノモヌケ」とあるこれらの

「脱ぬ

く」「脱ぬ

け」がこの場合に参考になる下二段活用動詞の「脱け」が「脱か彦脱か姫」では「脱か」となってい

るわけだが上代語では「明け」「荒れ」「枯れ」などの下二段活用動詞が「明か時(暁)」「新あ

垣がき

」「枯から

木き

」などの複合名詞を

構成しているのに同じである

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一六一

 

名の意味をこのように理解することは生まれた子を入れる器を何度か大きいものに替えたという脱皮を暗示する説明と

吻合する中世には「もぬけの衣」という表現もあるから「もぬけ」の「も」はあるいは「裳」か

(5) 「陰ほ

絶たち

田だ

」という地名と「米よね

舂つき

女め

等ら

が陰ほと

を陪おもとびとくな

従婚ぎ断ちき」という説明との関係には理解するのが難しい点がある

「陰絶田」に含まれる「絶つ」はもともと「長い間にわたって継続してきたことを止めまた幅のある物体を切る」の意を

表す動詞であるこれの自動詞である「絶ゆ」も基本的に意味は同じであるだから「陪お

もとびと

従」との交合によって陰部が損

傷したことをあえて「婚ぎ絶ち

9

9

き」と表現した理由が不明である物を損傷したことがなぜ「絶つ」と表現されたのか

「婚ぎ絶ちき」を「裂傷をおはせた」〔古典全書〕の意だと説明してもその疑問は解消しない

   「陰絶田」はもと「陰に(男根が)立つ田」の意の「陰立9

田」だったかも知れないそのように想定すれば神武記の

「丹塗矢伝説」に登場する「富ほ

登と

多た

多た

良ら

伊い

須す

須す

岐き

比ひ

売め

」という名の「ほとたたら」と意味的に対応するただし矢の場合に

「立つ」を用いた理由は理解できるが男根の場合にも同様に「立つ」を用いたとは想定しにくい「絶つ」とあることはや

はり不審のままである

(6) 

三つの要素の結びつきについては益田勝実「日本神話における外在と内在日本神話論における始原と展開」〔国文学

『解釈と鑑賞』一九七七年十月〕によるただしこの論にはOの話に関する言及がまったくないOの話のなかに三要素の

結び付きを読み取るのは私見にすぎない

(7) 

両神の死因をめぐる逆転関係については小著『日本の神話伝説を読む』(岩波新書二〇〇七年)の第二章第二節で述

べた

(日本語日本文学科 

教授)

Page 22: 一 神話・伝説に見られる特徴的な語り...神話・伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木) 0 一二三 べている。太平洋に伝承の海洋型国産み神話に類似。またヌホコを男性の象徴とし、交合による国産み神話とも見られる」と述

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一四二

まれたわけだから実際の先後関係は正反対である

 「二段構えの語り」が以上のような経緯で成立したのだとすればOの話では陪お

もとびと

従が交合を行って陰部を損傷さ

せた対象はもともと「米舂女等」だとは限定されていなかったことになるそれで話は成り立つ

 

Oの話に認められる「二段構えの語り」は前節で確認したような歌の構成のありかたから見ればいったいどの

ようなものだと言えるのか

P 

窺うかねらふ

良布 

跡と み見

山やま

雪ゆき

之の 

いちしろく 

恋ひば妹が名 

人知らむかも

〔十二三四六〕

 

この歌では「じっと見ていて獲物を狙う」の意の「うかねらふ」が「跡と

み見

山」の「跡見」に掛かる枕詞になって

いる「うかねらふ」を承ける「跡と

み見

」は狩猟に関して用いられた語である注釈辞書に見える説明をまとめれ

ば「跡見」は「鳥獣が通ったあとを見てそれが通った時間やそれが今いる場所などを判断することまたそれ

を行う役の猟師」の意である歌の作者が「跡見」という語からそれと類義をもつ「うかねらふ」という動詞を

連想しそれを「跡見」という名詞を導入する枕詞としたのである「うかねらふ」と「跡見」とは類義の語だが

音韻面ではまったく異なっているこれはOの話の「米よ

舂つき

女め

等ら

」の「舂く」と「婚く

ぎ断ち」「陰ほ

絶た

ち」との関係に

近い

 『古事記』に見える次の歌謡では序詞と本旨との関係がPの歌の「跡見」と「うかねらふ」とのそれに類似し

たものになっている

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一四三

Q 

倭やまとへ方

に 

西吹き上げて 

玖く

毛も

婆ば

那な

礼れ 

曽そ

岐き

袁を

理り

登と

母も 

吾忘れめや

〔記五五〕

 「倭や

まとへ方

にhelliphellip雲離れ」の三句が序詞となって本旨の「退そ

き」あるいは「退き居り」を導入している「退き」は

「遠ざかり」の意を表す動詞だから「雲離れ」という複合語に用いられた「離れ」とは類義語の関係にある本旨

の「退き」を言うためにそれと類義をもつ「離れ」を事前に連想しそれを末尾に置いて長い序詞を構成したわけ

である「雲離れ」と「退き居り」とは音韻面で類似するところがない「離れ」と「退き」との関係はやはりO

の話の「米よ

舂つき

女め

等ら

」の「舂く」と「婚く

ぎ断ち」「陰ほ

絶た

ち」との関係に近いと言える

R ふさ

手た

折をり 

多た

武むの

山やま

霧ぎり 

繁みかも 

細川の瀬に 

波騒きける

〔九一七〇四〕

 

この歌では地名の「多た

武む

」を「曲げる」の意を表す「たむ」という動詞に見立てそれから事前に連想された

類義の「手折り」に「

ふさ

」を付し「たむ」の枕詞としている「手た

折を

る」は「手で曲げて取る」の意であり「

は「総房」のことで花や実が束になって付いたものをさす本旨の表現に用いるべき「たむ」から類義を表す

「手折る」という動詞を連想したのであるこれもまたOの話の「断つ」と「舂く」との関係を思わせる「たむ」

と「手折り」とは初頭の音節が同じだが互いに音節数が異なっている

 

三首の「跡見」「退き」「たむ」が「二段構えの語り」の二段めのかたりに相当しそれから連想された「うかね

らふ」「雲離れ」「

手折り」が一段めの語りに相当すると言えるだろう

 

既に述べたようにOの話は聖性と威徳とを具えた息長帯日売命に関する話である「一夜の間に萩一ひ

根もとお生

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一四四

き」「墫も

たひの

水溢あ

れて井と成りき」その他の不思議な事態が起こったことが話のなかでくり返し述べられている

同様にほかならぬ息長帯日売命に仕える陪お

もとびと

従が米舂女等と交合を行って陰部を傷つけた結果「萩多く栄えき」

という事態が生じたということなのだろう

 

Oの話が載っているのと同じ『播磨国風土記』に

S 

讃さ よ容

といふ所ゆ

ゑ以

は大神妹い

もせ

二柱競ひて国占し

めましし時妹玉た

津つ

日ひめのみこと

女命生ける鹿を捕と

り臥せて其の腹を

割さ

きて其の血に稲種ま

きき仍よ

りて一夜の間に苗な

生お

ひき即す

なはち

取りて殖う

ゑしめたまひき爾こ

に大神勅の

りたま

ひしく「汝な

にも妹

は五さ月夜よ

に殖ゑつるかも」とのりたまひて即や

て他

あだしところ

処に去りたまひき故か

五月夜の郡こ

ほりと

號なづ

神を賛さ

用よ

都つ

比ひめのみこと

売命と名づく

〔讃容郡〕

という話が見えまた次のような話も見える

T 

丹に

津つ

日ひ

子こ

の神「法ほ

太だ

の川底を雲う

るみ潤

の方に越さむと欲お

ふ」と爾し

かい云

ひし時彼の村に在い

せる太お

水みづ

の神辞い

びて

云の

りたまひしく「吾は宍し

の血を以て佃た

つくる

故か

河の水を欲ほ

りせず」とのりたまひきその時丹津日子云ひし

く「此の神は河を堀る事に倦う

みて爾いへるのみ」といひき故雲う

弥み

と號な

く今い

人ひと

雲潤と號な

〔賀毛郡〕

 

Sの話は鹿の腹を割いてその血に稲を蒔いたら一夜で苗が生えたというものであるまたTの話は宍し

つま

り動物の血で田を作るから河の水は必要ないと神が言ったというものである二話では稲などの植物を植える際

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一四五

には普通に水を用いるよりも動物の血を用いた方が成長がずっと早いと述べているようである

 

これらの話には動物の血と稲あるいは田と一夜での苗の成長の三つの要素の結び付きが確認できる)

6(

この

ことはOの「陰絶田」の話を想起させずにはおかないつまり稲あるいは田は「陰絶田」の話に出ている「米よ

舂つき

女め

等ら

」に対応するように思われるしまた動物の血は女らと陪従らとの交合によって陰部から出たはずの血に

対応するように思われるさらに一夜で急に苗が成長したという事態は「陰絶田」の話の前半部に「一夜の間に

萩一ひ

根もとお生

ひき」とありまた「陰絶田」という地名に続いて「仍す

なはち

萩多く栄えき」とあることに内容的に対応する

と理解することができる

 

だから「米よ

舂つき

女め

等ら

が陰ほ

を陪お

もとびとくな

従婚ぎ断ちき故陰ほ

絶たち

田だ

といふ仍す

なはち

萩多く栄えき」という一連の表現では

陰部を損傷させたことと萩が多く栄えたこととの間には「そのことが原因で」の意の明確な因果関係があると

見るべきだろう

 

三つの要素の結び付きがOの話にも認められる以上同話と動物の血に関する話は古い時代に行われていた儀礼

を背景とするものだと考えることができるだろう動物の血と人間の血との違いはあるがそれらは神に動物の犠

牲を捧げたことによって豊穣繁栄がもたらされたという人々の遠い記憶を伝えるものなのではないか

 「国土創成」をめぐるABの話とEFの話Gの「丹塗矢伝説」Iの「箸墓伝説」Oの「陰絶田」をめぐる

話のどれでも女陰交合結婚などのことが話題となっているこれらの諸話に「二段構えの語り」が認められる

ことを以上の論述で確認した

 

ただし「二段構えの語り」が認められることと女陰交合などの話題が含まれることとの二点を条件として

以上の諸話を選んだわけではない「二段構えの語り」が認められる諸話を取り上げたところそれらには女陰交

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一四六

合などの話題が共通して含まれていたというのが実際である

 

女陰を矢が突くにしても何かが原因で女陰が損傷を受けるにしてもとにかく女陰や交合に関する話題は話の

語り手にも聞き手にも強い印象を与えたはずである時にはそれは刺激的衝撃的な印象さえ与えたに違いない

それだからこそ女陰交合に関する出来事はその内容に類似し対応する連想を呼びやすかったのだろう「二段

構えの語り」と女陰交合の話題とが以上の諸話のなかに共存するのはそのような理由によるものと考えられる

 

以上で確認したように「二段構えの語り」が表れていると判断される諸話に女陰交合などの話題が共通して

含まれている論述の流れに従えば交合結婚を語るものではないがやはり女陰のことが一つの話題になってい

る次の話を取り上げる必要があるだろう

U 

須す

佐さ

之のをのみこと

男命(略)勝ちさびに天あ

まてらすおほみかみ

照大御神の営つ

くだ田

を離は

ちその溝を埋めまたその大お

ほにへ嘗

を聞こしめす殿に屎く

まり散らしき故か

然し

すれども天照大御神は咎と

めずてhellip(略)なほその悪しき態わ

止まずて転う

てありき天照大御

神忌い

みはた服

屋や

に坐ま

しまして神か

御み そ衣

織らしめたまひし時その服屋の頂む

を穿う

ち天あ

の斑ふ

ちこま馬

を逆さ

剝は

ぎに剝ぎて堕お

し入る

る時に天の服は

織おり

女め

見驚きて梭ひ

に陰ほ

と上

を衝つ

きて死にき故か

ここに天照大御神見畏か

しこみ

て天の石い

屋や

戸と

を開

きてさし籠もりましきここに高た

天ま

の原皆暗く葦

あしはらのなかつくにことごと

原中国悉に闇く

しこれによりて常と

夜よ

往ゆ

ききここに

万よろづのわざはひ

妖悉に発お

りき

〔神代記〕

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一四七

 

これは『古事記』の神話の一部であり須佐之男命の「勝ちさび」の場面とその姉である天照大御神の「石屋籠

もり」の場面である天照大御神が機織りをしている時に弟の須佐之男命が皮を剝いだ馬を服は

屋や

の屋根を壊し

てなかに投げ入れたそれに驚いた服は

織おり

女め

が縦糸の間に横糸を通すための道具である梭ひ

を誤って自分の陰部に突

き刺して死んだそれを見て弟の行動を恐れた天照大御神が石い

屋や

に籠もってしまったので世界は暗闇に閉ざされ

多くの災禍がはびこったという

 

二重線を付した「その服屋の頂む

を穿う

ち天あ

の斑ふ

ちこま馬

を逆さ

剝は

ぎに剝ぎて堕お

し入るる時にhellip」という部分と太線を付し

た「梭ひ

に陰ほ

と上

を衝つ

きて死にき」という部分とは表現のありかたがまったく異なるしかし皮を剝いだ馬を屋根

を壊して建物のなかに投げ入れることと梭ひ

で勢いよく突いて陰部を傷つけることとが物理的な動きとして酷似し

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ている

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ことは事実である二つの部分では

U 《ある物体を急に動かしその勢いで別の物体を破損する》

ということが共通の骨子になっているこのような動きはIOの話の場合の動きと酷似している

 

二つの部分に描写されている物理的な動きをこのように要約するとこれまで見た諸話の場合と同様にUの話に

表れている「二段構えの語り」について次のように推測すべきことになるつまり皮を剝いだ馬を服屋の屋根

を壊して投げ入れたという二重線の部分は梭で陰部を突いて服織女が死んだという太線の部分に基づいて伝承者

が事前に連想して話のなかに持ち込んだものだろうということである

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一四八

 

確かに梭で陰部を突いて女が死んだというのはあまりにも衝撃的で印象的な出来事である特に『日本書紀』

の所伝には「天照大神驚お

どろ動

きたまひて梭を以て身を傷い

ましむ」〔本書〕とありまた「稚わ

かひるめのみこと

日尊驚きたまひ

て機は

より墮お

ちて持たる梭を以て體み

を傷や

らしめて神か

むさ退

りましぬ」〔一書第一〕とあって事態はさらに深刻であ

る至高神である天照大神自身が陰部を損傷しまたその分身である稚日尊が同じ原因で死んだというのだからこ

れ以上の重大事件はない

 

ただしここで一つの問題が生じる伝承者が連想したことを神話のなかに持ち込む以前には梭を突き刺して陰

部を損傷したという話題はあっても屋根を壊して馬を投げ入れたという話題は含まれていなかったことになるそ

こで馬に関する話題が直前に置かれていなくても天照大御神が石屋に籠もるという展開になりえたのかとの問

題が生じるのである少なくともUの話では馬の投げ入れに驚いて服織女が陰部に損傷を負って死んだので

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その

ことを恐れた天照大御神が石屋に籠もってしまったというように読めるからである

 

結論を言えば馬を投げ入れるという行動はなくても天照大御神が石屋に籠もるという展開になりえたと理解

することができるそのことを支持するのは『日本書紀』に見える次の所伝である

V 

日ひのかみのみこと

神尊天あ

まのかきた

垣田を以て御田としたまふ時に素戔嗚尊春は渠み

塡う

め畔あ

はなち毀

す又秋の穀

たなつものすで

已に成りぬるとき

に則ち冒

ひきわたす

に絡あ

ぜなは縄

を以てす且ま

たひのかみ

日神の機は

殿どの

に居ま

します時に則ち斑ぶ

駒こま

を生い

剝は

ぎにして其の殿

みあらかの

内に納な

げいる

凡す

て此の諸

もろもろの

事尽

ことごとくに

是これあづきな

無状し然れども日神恩

このかみおととむつま

親しき意

みこころもちに

して慍と

めたまはず恨みたまはず皆

平たひ

らかなる心を以て容ゆ

したまふ日神の新

にひなへきこ

嘗しめす時に及お

よ至

びて素戔嗚尊則ち新

にひなへのみや

宮の御み

まし席

の下に陰ひ

そかに

ら送く

そま糞

る日神知し

しめさずして俓た

に席み

ましの

上に坐ゐ

たまふ是に由よ

りて日神體み

みこぞ挙

りて不や

くさ平

みたまふ故以

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一四九

て恚い

か恨

りまして廼す

なはち

天あまのいはや

石窟に居ま

して其の磐い

戸と

を閉さ

しぬ

〔一書第二〕

 

素すさのをのみこと

戔嗚尊の悪行がどのような順序でこのVの話にあげられているかを少し細かく見てみる天照大神の御み

田た

素戔嗚尊が損壊する話が最初に置かれておりそれはUの話の場合と同じであるしかしその直後にはUの話と

大きく異なって馬を投げ入れる話が置かれているそしてこの悪行を含む「諸

もろもろ

の事」について「日ひ

神かみ

恩このかみおととむつま

親しき意

みこころもちに

して慍と

めたまはず恨みたまはず皆平た

らかなる心を以て容ゆ

したまふ」という説明が付され

ている馬を投げ入れたことは天照大神の石屋籠もりと直結しておらずむしろ日神は馬の投げ入れを含む多くの

悪行を許したというのである

 

Vの話で石屋籠もりと直結しているのはそのあとになされた悪行であるそれは「素戔嗚尊則ち新

にひなへのみや

宮の御み

まし席

の下に陰ひ

そかに

自ら送く

そま糞

る」という蛮行でありこれによって「日神知しめさずして俓た

に席み

ましの

上に坐ゐ

たまふ是に

由よ

りて日神體み

みこぞ挙

りて不や

くさ平

みたまふ」というひどい状況が生じたつまり新宮のなかでの脱糞という悪行が日ひ

神かみ

に病をもたらしさらには同神を石屋に籠もらせたというのである陰部が損傷した事件ではなくて新宮での脱糞

という蛮行が石屋籠もりの原因となりえたことをVの話が証明している【天照大神にあたる神を「日神」とする所

伝はより古い時代に成立したものだと言われる】

 

新宮での脱糞が石屋籠もりの原因になったとするVの話には女陰が損傷したことはまったく見えないこれに対

してUの話やさきに引用した『日本書紀』の本書一書第二の話では馬の投げ入れに驚いた女神が陰部を損傷し

そのことが女神の石屋籠もりの原因となっている話の内容にこのような相違がある事実は女神が陰部を損傷した

ことと女神が石屋に籠もったこととは必ずしも一連のものではないことしたがって話の成立について考えるにあ

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一五〇

たっては二つのことを別々に処理してかまわないということを示している

 

ただしUの話で大きな問題となるのは馬を投げ入れるという行動がなければ女神が驚いて陰部を損傷すると

いう事態も起こらないということであるこの点で女神が陰部を損傷するという事態だけが話に含まれ馬を投

げ入れるという行動は話に含まれないという話の状況は想定できないのである

 

一連の話のなかにまずXのことが出ていて次にYのことが出ているという「二段構えの語り」について考える際

にぜひとも考慮しておくべきことがあるつまりあることをもとにしてそれに類似することを伝承者が連想し

連想した内容を結果的に話のなかに持ち込むには一般的に二とおりの過程がありうるということである

a 

先に出てくるXが伝承者に強い印象を与えるためにXについて語ったあとにそれに類似した内容をもつY

を伝承者が連想するという過程

b 

あとに出てくるYが伝承者に強い印象を与えるためにYについて語る前にそれに類似した内容をもつXを

伝承者が連想するという過程

 

これまで見てきた「二段構えの語り」はすべてbの過程を経て生じたものだと考えたしそのように考えて特に

問題はなかったしかしUVの二話の場合はそのように考えることは不可能であるUの話では馬を投げ入

れたことが女神が陰部を損傷する原因になっておりVの話では新宮で脱糞したことが女神に病をもたらす原

因となっている二重線の部分が原因を表しており太線の部分が結果を表しているわけだから二つの部分は密接

な因果関係を構成しているのである

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一五一

 

そこでUVの二話に表れている「二段構えの語り」がbの過程を経て成立したと仮定して具体的に話の展開

について考えてみる陰部を損傷したことだけがUの話に含まれるという段階を想定すれば女神がなぜ梭で陰部を

突くことになったのか何も説明がなく話の展開が唐突すぎる聞き手は話の展開が理解できないのであるまた

同様に女神が糞の上に座って病を得たことだけがVの話に含まれるという段階を想定すればそこになぜ糞があっ

たのかが不明であるこちらも話の展開そのものが成り立たない

 

一方で「二段構えの語り」はbの過程を経て成立したという仮定を捨てそれはaの過程を経て成立したものだ

と仮定してみる二重線の部分だけが話に含まれており伝承者はそれをもとにして太線の部分を連想し連想した

ことをあとで話のなかに持ち込んだというふうにである

 

Uの話にはもともと馬を投げ入れたことだけがあり伝承者はそれをもとに酷似する動きをとることとして

梭で陰部を突くという動作を連想した馬の皮を剝いだうえ屋根を壊してそれを服屋の中に投げ入れるという悪行

は女神が梭で陰部を突くという事故がなくても女神を恐れさせて石屋に籠もらせるには十分である

 

またVの話の場合にはもともと新宮で脱糞をしたことだけが含まれており伝承者はそれに基づいて女神が

その糞の上に座って病を得たことを連想した女神が新嘗の儀礼を行う前にその神聖な新宮でこっそり脱糞をする

という蛮行は女神が糞の上に座って病を得るという事態が起こらなくても女神を怒らせて石窟に籠もらせるには

十分である

 

こうしてbの過程を想定すればもとの話は成り立たないが逆にaの過程を想定すればUVの二話にも「二

段構えの語り」が表れていると考えることができる実はaの過程を想定することによって「二段構えの語り」が

表れていることを順当に説明しうる話はすぐあとに取り上げるようにほかにもまだある

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一五二

 

女陰が何らかの原因で損傷したことを述べるIOUの三話についてさきに一段めの語りと二段めの語りの

内容を検討したうえでそれぞれを次のように一文にまとめておいた

I 《身体の一部を急に下方に移動させその先にある物を勢いよく突く》

O 《狭い空間に棒状の物を差し入れその奥にある部分または物を強く突く》

U 《ある物体を急に動かしその勢いで別の物体を破損する》

 

三話に認められる「二段構えの語り」の内容はこのようにどれも同じような動きを表すものになっているそれ

だけでなくABの話やGの話に見られる「二段構えの語り」もまた同じような動きを表すものになっている

ということは女陰が損傷を受けたことを述べる三話に「二段構えの語り」を認めることの妥当性を逆の面から証

するものだと言えるのではないか

 

これに対し女陰の損傷が話題となっていない「二段構えの語り」が認められる別の諸話についてその内容を

一文にまとめるとその一文はこれらとまったく異なる動きを表すものとなる(後述)そのこともさきに述べた

ような「二段構えの語り」の存在を認めるべき一つの論拠となると考える

 

Uの話と同様にaの過程を経て「二段構えの語り」が成立したと推定される話をここでもう一つ取り上げる

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一五三

それは『古事記』に見える神話でのちに地上界の支配者になる大お

ほなむぢの

穴牟遅神か

をその兄弟である八や

十そ

神がみ

が殺害する場

面である

W 

ここに八や

十そ

神がみ

見てまた欺あ

ざむき

て山に率ゐ

て入りて大お

樹き

を切り伏せ茹ひ

矢や

をその木に打ち立てその中に入らし

むる即ちその氷ひ

目め

矢や

を打ち離ちて拷う

ち殺しきここにまたその御み

祖おや

の命み

こと

哭な

きつつ求ま

げば見得てすな

はちその木を折りて取り出で活かしてその子に告げて言ひしく「汝い

まし

此こ こ間

にあらば遂に八十神のために滅

ぼさえなむ」といひてすなはち木き

国くに

の大お

屋や

毘び

古この

神かみ

の御み

もと所

に違た

へ遣りきここに八十神

ぎ追ひ臻い

りて矢や

刺ざ

し乞ふ時に木の俣ま

より漏く

き逃がして云の

りたまひしく「須す

佐さ

能のをのみこと

男命の坐ま

します根の堅か

州す

国くに

に参ま

向ふべし必ず

その大神議は

りたまひなむ」とのりたまひき故か

詔の

りたまひし命の随ま

にまに

須佐之男命の御所に参ま

ゐいた到

ればhellip

〔神代記〕

 

八十神が大木を切り倒してそれを裂き裂け目に楔

くさび

状の「茹ひ

矢や

」を押し立てておいたそしてそこに大穴牟遅神

を入らせて楔状の物を引き抜き同神を圧死させた同神の母が木を折って息子を救い出しこれを蘇生させて大お

屋や

毘び

古この

神かみ

のもとへ逃がしてやったさらに八十神が追いついて息子を引き渡すように母に要求した時には母が息

子をこっそり木の俣から須佐能男命のもとへ逃がしてやったという

 

Wの話の直前には八十神に脅迫された大穴牟遅神が焼けた岩をかかえ込んで死んでしまったという話が置か

れている死んだ大穴牟遅神はやはり母の尽力によって復活したというそれが一回めの死と復活を語る話だから

Wの話で語られる死と復活は二回めのそれである一回めの死が岩を抱き取ることによってもたらされ二回めの死

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一五四

が木の俣に挟まれることによってもたらされた死因の内容が一回めと二回めとでは逆転している

 

また大穴牟遅神の二度にわたる死は天照大御神の二度にわたる死と奇妙なかたちで対応している天照大御神

の死はまず同神自身あるいはその分身の女神が木製の梭で陰部を突いて死ぬというかたちで語られるまた

そのあとで同神自身が岩屋に籠もってしまうというかたちで死が語られるがそれは太陽神の象徴的な死である

両神の死の内容を細かく比較すると両神の体と岩木とが次のように互いに逆転した奇妙な関係を示しているこ

とがわかる

  

大穴牟遅神の死helliphelliphellip体が岩をかかえるdarr木の俣が体を挟む

  

天照大御神の死helliphelliphellip木が体のなかに入るdarr体が岩のなかに入る

 

地上の支配者と世界の至高神との間に死をめぐってこのような逆転した関係が認められるのはきわめて興味深

いことである)

7(

 

さて「二段構えの語り」だがWの話のうち母が息子を「その木を折りて取り出で活かして」大お

屋や

毘び

古この

神かみ

のも

とへ逃がしてやったという二重線の部分が一段めの語りにあたる二段めの語りにあたるのは母が息子を「木の

俣また

より漏く

き逃がし」て須佐能男命のもとへ向かわせたという太線の部分である

 

つまりこの神話では俣になった「その木を折りて」母が息子を救い出す一段めの語りと母が息子を「木の俣

より漏く

き」逃がしてやる二段めの語りとは

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一五五

W 《母が息子を木の俣から救出しあるいは逃がして別の神のもとへ送り出す》

という酷似した内容のものになっている

 

地上の支配者となるべき大穴牟遅神が木の俣に挟まれて死んで母に救われる話の方が同神の母が木の俣から息

子を逃がしてやる話よりもずっと衝撃的で印象的であるだから神話の伝承者が一段めの語りの内容を強く意

識しそれに酷似した内容をもつ二段めの語りを連想してあとで話のなかに持ち込んだのだろうと推測される

より印象的な出来事を語り終えたあともそれが意識のなかから消え去らず類似し対応することがらをあとで連想し

てしまったと考えられる【一段めの話から二段めの話が連想されたというaの過程をたどったとおぼしい実例は

僅少であるそれには然るべき理由があったと考えるべきだが目下のところそれは不明である】

 

Wの話がこのような経緯をたどったとすると母が木を折って息子を救い出しこれを蘇生させてから別の神のも

とへ逃がしてやったという一段めの語りだけが話に含まれていた段階を例によって想定しなければならない一

段めの語りだけで話は成り立つのか

 

結論を言えばその想定は可能である八十神のもとから逃げた大穴牟遅神が須佐能男命のいる地まで行ったと

いうような単純な内容の話になっている方が以下との続きかたは自然である二重線の部分の末尾にある「木き

国くに

の大お

屋や

毘び

古この

神かみ

の御み

もと所

に違た

へ遣りき」の「大屋毘古神」の部分を太線の部分にある「須佐能男命」とすれば話は無

理なく以下に続くのであるまずは大屋毘古神のもとへ逃げて行ったという部分がなかったとすれば母は木の裂け

目から息子を救い出しこれを蘇生させて須佐能男命のもとへ送り出したというわかりやすい展開になるしたが

ってaの過程を経てWの話が成立しただろうという推定は十分に成り立つ

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一五六

 

二重線の「木き

国くに

の大お

屋や

毘び

古この

神かみ

の御み

もと所

に違た

へ遣りき」という部分は「木国のhellip」で始まっているそれは「大お

樹き

切り伏せ」「茹ひ

矢や

をその木に打ち立て」「その木を折りて」などWの話にくり返し出ている「樹木」から連想され

たものだろう

 

太線の部分にある「木の俣ま

より漏く

き逃がして」以下の表現からその前に置かれた二重線の部分が連想されたと

いうbの過程は想定できない二重線の部分が話に含まれていないという段階はなぜ太線の部分が話に含まれてい

るのかということつまり「木の俣ま

より漏く

き逃がして」とある理由が説明できないのである大穴牟遅神が八十神に

殺害されて復活したという理由があって始めて「木の俣ま

より漏く

き逃がして」以下の表現が意味をもつのである

 

木の俣に挟まれて圧死した大穴牟遅神が母の尽力によって蘇生したあとには同神が須佐能男命から与えられた

いくつもの試練を妻の須す

勢せ

理り

毘び

売め

の助力を得てそのたびごとに克服するという話が続くさらに大穴牟遅神が

須勢理毘売をその父のもとから奪って逃げるとともに自分に苦難をもたらした八十神を追い払って「始めて国を作

りたま」うたという展開になっているまたそのあとにも大穴牟遅神の子を産んだ八や

上かみ

比ひ

売め

が須世理毘売を恐

れて「その生める子をば木の俣に挟みて返」ったという話が続いている八上比売の話にまたもや「木の俣」

のことが出てくるわけである

 

この「木の俣」の話もまた大穴牟遅神が「木の俣」に挟まれて圧死した話から連想されたものである可能性が想

定できるがそのように想定する場合に問題となることがあるそれは両話の間に置かれた話があまりにも長大な

ものだということであるしかし大穴牟遅神と生まれた子との間には

 

ⅰ 

父子

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一五七

 

ⅱ 

木の俣に挟まれて死ぬ生まれて木の俣に挟まれる

 

ⅲ 

母が救い出す母が置き去りにする

 

ⅳ 

母が別地へ向かわせる母がもとの地に戻る

というような対比的な関係も認められるのでありこうした関係が偶然に生じたものだとは考えがたいだから父

が木の俣で圧死させられることから生まれた子を木の俣に置くことが連想されたという可能性をここでは否定し

ないでおく【より古い時代には大穴牟遅神が木の俣に挟まれて死ぬ話と八上比売が木の俣に新生児を挟む話とは

直結した一連のものだったことも想定できる】

 

以上の論述では「二段構えの語り」の様態について数話を例示してやや細かく検討を加えたその結果話に

含まれる特定のことからがそれに類似し対応することがらを伝承者に連想させ連想した内容が結果的に話のなか

に組み込まれてしまうという特徴的な現象を上代の神話や伝説を通して確認することができたと考える

 

同じ「二段構えの語り」の現象が認められる話は本稿で取り上げた諸話で尽きているのではなくまだ何話か上

代の文献に見える紙幅の関係でそれらを取り上げて細かく検討を加えることができないからここで二話だけに

ついて結論を述べておき具体的な検討は別稿で行うことにする

 

二話のうち一つは神話に見えるもので娘たちを飲み食らう大蛇を須佐能男命が退治する場面である『古事記』

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一五八

で言えば「是の高こ

志し

の八や

俣また

の遠を

呂ろ

智ち

年と

毎ごと

に来て喫く

へり」という部分と「船ふ

毎ごと

に己お

が頭を垂い入れてその酒を飲み

き」という部分とが「二段構えの語り」に相当する二つの部分の内容をまとめると

  《大蛇が出雲へやってきて足あ

名なづち椎

のがわに属するものを食らいあるいは飲む》

というようになる娘たちを食らい飲む大蛇が酒を飲むという同じ行動が原因で退治されてしまうのである

 

またもう一つの話は『播磨国風土記』の賀古郡の条に見える「比礼墓伝説」であるこの話では「印い

なみ南

」の女

が「隠な

び妻」であり「辞い

び妻」でもあるからこれは「古代の口がたり特有の面白さ」をもつものだという興味深

い見解がある

 

話の冒頭近くにある「度わ

たりもり

子紀き伊の国く

人ひと

小を

玉たま

申さく「我は天

すめらみこと

皇の贄に

人びと

たらめや」とまをす」という部分とその

あとにある「印南の別嬢聞きて驚き畏か

しこみ

即や

て南な

都つ

麻ま

嶋に遁に

げ度りき」という部分とが「二段構えの語り」に

相当する二つの部分のうちのあとの部分は別嬢が天皇の求婚を嫌がって

0

0

0

0

島に逃げて隠れたことを述べたものだか

ら二つの部分は同じく「辞い

び」を内容とするものだと言える「度わ

たりもり

子」つまり船頭の「我は天

すめらみこと

皇の贄に

人びと

たらめや」

という発言に倣って天皇の求婚を嫌がる別嬢の心情を言い表せば「吾は天皇の妻

9

9

9

9

たらめや」というようになる

  

船頭の「辞び」helliphelliphellip「我は天

すめらみこと

皇の贄に

人びと

たらめや」

  

別嬢の「辞び」helliphelliphellip「吾は天皇の妻

9

9

9

9

たらめや」

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一五九

 

結局二つの「辞び」は単なる拒否ではなく次のような同じ内容を表す「辞び」なのである

  《私は天皇にお仕えなどしない》

 

この話の末尾近くには別嬢の遺体について「大き飄つ

むじ

川下より来て其の尸か

ばねを

川中に纏ま

き入れき求むれども得

ず」と述べられているがその部分と別嬢が島に逃げて隠れた

0

0

0

という前の部分ともまた「二段構えの語り」を構

成している二つの部分はともに別嬢の「隠び」を内容とするものなので次のように一つにまとめることができる

  《別嬢が「隠な

び」をした》

 「辞び」も「隠び」も話のなかに二度ずつ表れているのである

 

大蛇退治の神話と「弟日姫子伝説」とには「二段構えの語り」を認めるにあたって解決すべき多くの問題が含ま

れているしかしそれらを一つ一つ検討していけば見てきた諸話と同様の特徴的な語りを二話にも認めることが

できる

註(1) 

本稿にあげる『古事記』『日本書紀』『風土記』などの記述は本文訓読文ともに古典文学大系のものを引用するまた

『萬葉集』の本文訓読文は新編古典全集のものを引用するただしいずれも読みやすさと理解しやすさとを考慮して

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一六〇

もとの表記形式その他を改めることが少なくない

(2) 

大野晋「記紀の創世神話の構成」〔『文学』一九六五年八月〕のちに『仮名遣と上代語』(一九八二年)に収載

(3) 「丹塗矢伝説」の成立については小著『伝承と言語』(一九九五年)のⅡ部四章で私見を述べたただし同書に述べたこ

とと本稿で述べたことの間には一点だけ相違がある丹塗矢が女の陰部を突いたという話は神と人間の女とが結婚したこ

とを明確に語ったものではないからそのことを明確にするために女の持ち帰った丹塗矢が男に変身して子が生まれたとい

う話があとになって付加されたのだと同書では述べたそれは既存の一説に見える解釈を妥当なものと認めそれを踏

襲したものだった本稿では「二段構えの語り」がこの話にも認められるという見解に立ってかつて小著で述べた考えを

訂正する

(4) 

女に与えられた「倭迹迹日百襲姫命」という名の語構成ははたしてどのようなものなのかこれを疑問の余地なく解明す

ることはかなり難しい

   

初頭の「倭」と末尾の「姫命」は除くとして「迹と

迹と

日び

百もも

襲そ

」の「百襲」は字面のとおり「多くの着衣」の意であるかも

知れないこの女の夫は蛇神だから蛇が何度も脱皮をくり返すことを背景とする名を妻がもつことは十分にありうること

だろう「百襲」の「襲」には字を構成する要素として「衣」がある「襲」の字は「重ねて着る」「覆う」「継ぐ」「おそ

う」などの意を表す

   

ある特徴や習性を表す語が当人ではなく周囲の者の名に含まれる例は「丹塗矢伝説」の登場者にも見られるたとえば

矢で陰部を突かれて慌てた女が勢せ

夜や

陀だ

多た

良ら

比ひ

売め

であるのにその女の産んだ娘が「陰に矢を立てられ震え姫」の意の「富ほ

登と

多た

多た

良ら

伊い

須す

須す

岐き

比ひめのみこと

売命」という名を与えられている母の経験したことが娘の名に反映しているのである

   「晡く

れふしの

時臥山やま

」〔『常陸国風土記』那珂郡茨城里〕の話に登場する子として蛇を産んだ女とその兄は「努ぬ

賀か

咩め

」「努ぬ

賀か

古こ

という名を与えられているこれらの名も原義を解明するのは難しいが「ぬか」はやはり脱皮の意を表す「脱ぬ

か」かも知れ

ない『和名類聚抄』の「蛻」の項に「毛も

沼ぬ

久く

」とあり『色葉字類抄』の「

蛻」の項に「ヘミノモヌケ」とあるこれらの

「脱ぬ

く」「脱ぬ

け」がこの場合に参考になる下二段活用動詞の「脱け」が「脱か彦脱か姫」では「脱か」となってい

るわけだが上代語では「明け」「荒れ」「枯れ」などの下二段活用動詞が「明か時(暁)」「新あ

垣がき

」「枯から

木き

」などの複合名詞を

構成しているのに同じである

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一六一

 

名の意味をこのように理解することは生まれた子を入れる器を何度か大きいものに替えたという脱皮を暗示する説明と

吻合する中世には「もぬけの衣」という表現もあるから「もぬけ」の「も」はあるいは「裳」か

(5) 「陰ほ

絶たち

田だ

」という地名と「米よね

舂つき

女め

等ら

が陰ほと

を陪おもとびとくな

従婚ぎ断ちき」という説明との関係には理解するのが難しい点がある

「陰絶田」に含まれる「絶つ」はもともと「長い間にわたって継続してきたことを止めまた幅のある物体を切る」の意を

表す動詞であるこれの自動詞である「絶ゆ」も基本的に意味は同じであるだから「陪お

もとびと

従」との交合によって陰部が損

傷したことをあえて「婚ぎ絶ち

9

9

き」と表現した理由が不明である物を損傷したことがなぜ「絶つ」と表現されたのか

「婚ぎ絶ちき」を「裂傷をおはせた」〔古典全書〕の意だと説明してもその疑問は解消しない

   「陰絶田」はもと「陰に(男根が)立つ田」の意の「陰立9

田」だったかも知れないそのように想定すれば神武記の

「丹塗矢伝説」に登場する「富ほ

登と

多た

多た

良ら

伊い

須す

須す

岐き

比ひ

売め

」という名の「ほとたたら」と意味的に対応するただし矢の場合に

「立つ」を用いた理由は理解できるが男根の場合にも同様に「立つ」を用いたとは想定しにくい「絶つ」とあることはや

はり不審のままである

(6) 

三つの要素の結びつきについては益田勝実「日本神話における外在と内在日本神話論における始原と展開」〔国文学

『解釈と鑑賞』一九七七年十月〕によるただしこの論にはOの話に関する言及がまったくないOの話のなかに三要素の

結び付きを読み取るのは私見にすぎない

(7) 

両神の死因をめぐる逆転関係については小著『日本の神話伝説を読む』(岩波新書二〇〇七年)の第二章第二節で述

べた

(日本語日本文学科 

教授)

Page 23: 一 神話・伝説に見られる特徴的な語り...神話・伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木) 0 一二三 べている。太平洋に伝承の海洋型国産み神話に類似。またヌホコを男性の象徴とし、交合による国産み神話とも見られる」と述

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一四三

Q 

倭やまとへ方

に 

西吹き上げて 

玖く

毛も

婆ば

那な

礼れ 

曽そ

岐き

袁を

理り

登と

母も 

吾忘れめや

〔記五五〕

 「倭や

まとへ方

にhelliphellip雲離れ」の三句が序詞となって本旨の「退そ

き」あるいは「退き居り」を導入している「退き」は

「遠ざかり」の意を表す動詞だから「雲離れ」という複合語に用いられた「離れ」とは類義語の関係にある本旨

の「退き」を言うためにそれと類義をもつ「離れ」を事前に連想しそれを末尾に置いて長い序詞を構成したわけ

である「雲離れ」と「退き居り」とは音韻面で類似するところがない「離れ」と「退き」との関係はやはりO

の話の「米よ

舂つき

女め

等ら

」の「舂く」と「婚く

ぎ断ち」「陰ほ

絶た

ち」との関係に近いと言える

R ふさ

手た

折をり 

多た

武むの

山やま

霧ぎり 

繁みかも 

細川の瀬に 

波騒きける

〔九一七〇四〕

 

この歌では地名の「多た

武む

」を「曲げる」の意を表す「たむ」という動詞に見立てそれから事前に連想された

類義の「手折り」に「

ふさ

」を付し「たむ」の枕詞としている「手た

折を

る」は「手で曲げて取る」の意であり「

は「総房」のことで花や実が束になって付いたものをさす本旨の表現に用いるべき「たむ」から類義を表す

「手折る」という動詞を連想したのであるこれもまたOの話の「断つ」と「舂く」との関係を思わせる「たむ」

と「手折り」とは初頭の音節が同じだが互いに音節数が異なっている

 

三首の「跡見」「退き」「たむ」が「二段構えの語り」の二段めのかたりに相当しそれから連想された「うかね

らふ」「雲離れ」「

手折り」が一段めの語りに相当すると言えるだろう

 

既に述べたようにOの話は聖性と威徳とを具えた息長帯日売命に関する話である「一夜の間に萩一ひ

根もとお生

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一四四

き」「墫も

たひの

水溢あ

れて井と成りき」その他の不思議な事態が起こったことが話のなかでくり返し述べられている

同様にほかならぬ息長帯日売命に仕える陪お

もとびと

従が米舂女等と交合を行って陰部を傷つけた結果「萩多く栄えき」

という事態が生じたということなのだろう

 

Oの話が載っているのと同じ『播磨国風土記』に

S 

讃さ よ容

といふ所ゆ

ゑ以

は大神妹い

もせ

二柱競ひて国占し

めましし時妹玉た

津つ

日ひめのみこと

女命生ける鹿を捕と

り臥せて其の腹を

割さ

きて其の血に稲種ま

きき仍よ

りて一夜の間に苗な

生お

ひき即す

なはち

取りて殖う

ゑしめたまひき爾こ

に大神勅の

りたま

ひしく「汝な

にも妹

は五さ月夜よ

に殖ゑつるかも」とのりたまひて即や

て他

あだしところ

処に去りたまひき故か

五月夜の郡こ

ほりと

號なづ

神を賛さ

用よ

都つ

比ひめのみこと

売命と名づく

〔讃容郡〕

という話が見えまた次のような話も見える

T 

丹に

津つ

日ひ

子こ

の神「法ほ

太だ

の川底を雲う

るみ潤

の方に越さむと欲お

ふ」と爾し

かい云

ひし時彼の村に在い

せる太お

水みづ

の神辞い

びて

云の

りたまひしく「吾は宍し

の血を以て佃た

つくる

故か

河の水を欲ほ

りせず」とのりたまひきその時丹津日子云ひし

く「此の神は河を堀る事に倦う

みて爾いへるのみ」といひき故雲う

弥み

と號な

く今い

人ひと

雲潤と號な

〔賀毛郡〕

 

Sの話は鹿の腹を割いてその血に稲を蒔いたら一夜で苗が生えたというものであるまたTの話は宍し

つま

り動物の血で田を作るから河の水は必要ないと神が言ったというものである二話では稲などの植物を植える際

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一四五

には普通に水を用いるよりも動物の血を用いた方が成長がずっと早いと述べているようである

 

これらの話には動物の血と稲あるいは田と一夜での苗の成長の三つの要素の結び付きが確認できる)

6(

この

ことはOの「陰絶田」の話を想起させずにはおかないつまり稲あるいは田は「陰絶田」の話に出ている「米よ

舂つき

女め

等ら

」に対応するように思われるしまた動物の血は女らと陪従らとの交合によって陰部から出たはずの血に

対応するように思われるさらに一夜で急に苗が成長したという事態は「陰絶田」の話の前半部に「一夜の間に

萩一ひ

根もとお生

ひき」とありまた「陰絶田」という地名に続いて「仍す

なはち

萩多く栄えき」とあることに内容的に対応する

と理解することができる

 

だから「米よ

舂つき

女め

等ら

が陰ほ

を陪お

もとびとくな

従婚ぎ断ちき故陰ほ

絶たち

田だ

といふ仍す

なはち

萩多く栄えき」という一連の表現では

陰部を損傷させたことと萩が多く栄えたこととの間には「そのことが原因で」の意の明確な因果関係があると

見るべきだろう

 

三つの要素の結び付きがOの話にも認められる以上同話と動物の血に関する話は古い時代に行われていた儀礼

を背景とするものだと考えることができるだろう動物の血と人間の血との違いはあるがそれらは神に動物の犠

牲を捧げたことによって豊穣繁栄がもたらされたという人々の遠い記憶を伝えるものなのではないか

 「国土創成」をめぐるABの話とEFの話Gの「丹塗矢伝説」Iの「箸墓伝説」Oの「陰絶田」をめぐる

話のどれでも女陰交合結婚などのことが話題となっているこれらの諸話に「二段構えの語り」が認められる

ことを以上の論述で確認した

 

ただし「二段構えの語り」が認められることと女陰交合などの話題が含まれることとの二点を条件として

以上の諸話を選んだわけではない「二段構えの語り」が認められる諸話を取り上げたところそれらには女陰交

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一四六

合などの話題が共通して含まれていたというのが実際である

 

女陰を矢が突くにしても何かが原因で女陰が損傷を受けるにしてもとにかく女陰や交合に関する話題は話の

語り手にも聞き手にも強い印象を与えたはずである時にはそれは刺激的衝撃的な印象さえ与えたに違いない

それだからこそ女陰交合に関する出来事はその内容に類似し対応する連想を呼びやすかったのだろう「二段

構えの語り」と女陰交合の話題とが以上の諸話のなかに共存するのはそのような理由によるものと考えられる

 

以上で確認したように「二段構えの語り」が表れていると判断される諸話に女陰交合などの話題が共通して

含まれている論述の流れに従えば交合結婚を語るものではないがやはり女陰のことが一つの話題になってい

る次の話を取り上げる必要があるだろう

U 

須す

佐さ

之のをのみこと

男命(略)勝ちさびに天あ

まてらすおほみかみ

照大御神の営つ

くだ田

を離は

ちその溝を埋めまたその大お

ほにへ嘗

を聞こしめす殿に屎く

まり散らしき故か

然し

すれども天照大御神は咎と

めずてhellip(略)なほその悪しき態わ

止まずて転う

てありき天照大御

神忌い

みはた服

屋や

に坐ま

しまして神か

御み そ衣

織らしめたまひし時その服屋の頂む

を穿う

ち天あ

の斑ふ

ちこま馬

を逆さ

剝は

ぎに剝ぎて堕お

し入る

る時に天の服は

織おり

女め

見驚きて梭ひ

に陰ほ

と上

を衝つ

きて死にき故か

ここに天照大御神見畏か

しこみ

て天の石い

屋や

戸と

を開

きてさし籠もりましきここに高た

天ま

の原皆暗く葦

あしはらのなかつくにことごと

原中国悉に闇く

しこれによりて常と

夜よ

往ゆ

ききここに

万よろづのわざはひ

妖悉に発お

りき

〔神代記〕

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一四七

 

これは『古事記』の神話の一部であり須佐之男命の「勝ちさび」の場面とその姉である天照大御神の「石屋籠

もり」の場面である天照大御神が機織りをしている時に弟の須佐之男命が皮を剝いだ馬を服は

屋や

の屋根を壊し

てなかに投げ入れたそれに驚いた服は

織おり

女め

が縦糸の間に横糸を通すための道具である梭ひ

を誤って自分の陰部に突

き刺して死んだそれを見て弟の行動を恐れた天照大御神が石い

屋や

に籠もってしまったので世界は暗闇に閉ざされ

多くの災禍がはびこったという

 

二重線を付した「その服屋の頂む

を穿う

ち天あ

の斑ふ

ちこま馬

を逆さ

剝は

ぎに剝ぎて堕お

し入るる時にhellip」という部分と太線を付し

た「梭ひ

に陰ほ

と上

を衝つ

きて死にき」という部分とは表現のありかたがまったく異なるしかし皮を剝いだ馬を屋根

を壊して建物のなかに投げ入れることと梭ひ

で勢いよく突いて陰部を傷つけることとが物理的な動きとして酷似し

0

0

0

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0

0

0

ている

0

0

0

ことは事実である二つの部分では

U 《ある物体を急に動かしその勢いで別の物体を破損する》

ということが共通の骨子になっているこのような動きはIOの話の場合の動きと酷似している

 

二つの部分に描写されている物理的な動きをこのように要約するとこれまで見た諸話の場合と同様にUの話に

表れている「二段構えの語り」について次のように推測すべきことになるつまり皮を剝いだ馬を服屋の屋根

を壊して投げ入れたという二重線の部分は梭で陰部を突いて服織女が死んだという太線の部分に基づいて伝承者

が事前に連想して話のなかに持ち込んだものだろうということである

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一四八

 

確かに梭で陰部を突いて女が死んだというのはあまりにも衝撃的で印象的な出来事である特に『日本書紀』

の所伝には「天照大神驚お

どろ動

きたまひて梭を以て身を傷い

ましむ」〔本書〕とありまた「稚わ

かひるめのみこと

日尊驚きたまひ

て機は

より墮お

ちて持たる梭を以て體み

を傷や

らしめて神か

むさ退

りましぬ」〔一書第一〕とあって事態はさらに深刻であ

る至高神である天照大神自身が陰部を損傷しまたその分身である稚日尊が同じ原因で死んだというのだからこ

れ以上の重大事件はない

 

ただしここで一つの問題が生じる伝承者が連想したことを神話のなかに持ち込む以前には梭を突き刺して陰

部を損傷したという話題はあっても屋根を壊して馬を投げ入れたという話題は含まれていなかったことになるそ

こで馬に関する話題が直前に置かれていなくても天照大御神が石屋に籠もるという展開になりえたのかとの問

題が生じるのである少なくともUの話では馬の投げ入れに驚いて服織女が陰部に損傷を負って死んだので

0

0

0

0

0

その

ことを恐れた天照大御神が石屋に籠もってしまったというように読めるからである

 

結論を言えば馬を投げ入れるという行動はなくても天照大御神が石屋に籠もるという展開になりえたと理解

することができるそのことを支持するのは『日本書紀』に見える次の所伝である

V 

日ひのかみのみこと

神尊天あ

まのかきた

垣田を以て御田としたまふ時に素戔嗚尊春は渠み

塡う

め畔あ

はなち毀

す又秋の穀

たなつものすで

已に成りぬるとき

に則ち冒

ひきわたす

に絡あ

ぜなは縄

を以てす且ま

たひのかみ

日神の機は

殿どの

に居ま

します時に則ち斑ぶ

駒こま

を生い

剝は

ぎにして其の殿

みあらかの

内に納な

げいる

凡す

て此の諸

もろもろの

事尽

ことごとくに

是これあづきな

無状し然れども日神恩

このかみおととむつま

親しき意

みこころもちに

して慍と

めたまはず恨みたまはず皆

平たひ

らかなる心を以て容ゆ

したまふ日神の新

にひなへきこ

嘗しめす時に及お

よ至

びて素戔嗚尊則ち新

にひなへのみや

宮の御み

まし席

の下に陰ひ

そかに

ら送く

そま糞

る日神知し

しめさずして俓た

に席み

ましの

上に坐ゐ

たまふ是に由よ

りて日神體み

みこぞ挙

りて不や

くさ平

みたまふ故以

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一四九

て恚い

か恨

りまして廼す

なはち

天あまのいはや

石窟に居ま

して其の磐い

戸と

を閉さ

しぬ

〔一書第二〕

 

素すさのをのみこと

戔嗚尊の悪行がどのような順序でこのVの話にあげられているかを少し細かく見てみる天照大神の御み

田た

素戔嗚尊が損壊する話が最初に置かれておりそれはUの話の場合と同じであるしかしその直後にはUの話と

大きく異なって馬を投げ入れる話が置かれているそしてこの悪行を含む「諸

もろもろ

の事」について「日ひ

神かみ

恩このかみおととむつま

親しき意

みこころもちに

して慍と

めたまはず恨みたまはず皆平た

らかなる心を以て容ゆ

したまふ」という説明が付され

ている馬を投げ入れたことは天照大神の石屋籠もりと直結しておらずむしろ日神は馬の投げ入れを含む多くの

悪行を許したというのである

 

Vの話で石屋籠もりと直結しているのはそのあとになされた悪行であるそれは「素戔嗚尊則ち新

にひなへのみや

宮の御み

まし席

の下に陰ひ

そかに

自ら送く

そま糞

る」という蛮行でありこれによって「日神知しめさずして俓た

に席み

ましの

上に坐ゐ

たまふ是に

由よ

りて日神體み

みこぞ挙

りて不や

くさ平

みたまふ」というひどい状況が生じたつまり新宮のなかでの脱糞という悪行が日ひ

神かみ

に病をもたらしさらには同神を石屋に籠もらせたというのである陰部が損傷した事件ではなくて新宮での脱糞

という蛮行が石屋籠もりの原因となりえたことをVの話が証明している【天照大神にあたる神を「日神」とする所

伝はより古い時代に成立したものだと言われる】

 

新宮での脱糞が石屋籠もりの原因になったとするVの話には女陰が損傷したことはまったく見えないこれに対

してUの話やさきに引用した『日本書紀』の本書一書第二の話では馬の投げ入れに驚いた女神が陰部を損傷し

そのことが女神の石屋籠もりの原因となっている話の内容にこのような相違がある事実は女神が陰部を損傷した

ことと女神が石屋に籠もったこととは必ずしも一連のものではないことしたがって話の成立について考えるにあ

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一五〇

たっては二つのことを別々に処理してかまわないということを示している

 

ただしUの話で大きな問題となるのは馬を投げ入れるという行動がなければ女神が驚いて陰部を損傷すると

いう事態も起こらないということであるこの点で女神が陰部を損傷するという事態だけが話に含まれ馬を投

げ入れるという行動は話に含まれないという話の状況は想定できないのである

 

一連の話のなかにまずXのことが出ていて次にYのことが出ているという「二段構えの語り」について考える際

にぜひとも考慮しておくべきことがあるつまりあることをもとにしてそれに類似することを伝承者が連想し

連想した内容を結果的に話のなかに持ち込むには一般的に二とおりの過程がありうるということである

a 

先に出てくるXが伝承者に強い印象を与えるためにXについて語ったあとにそれに類似した内容をもつY

を伝承者が連想するという過程

b 

あとに出てくるYが伝承者に強い印象を与えるためにYについて語る前にそれに類似した内容をもつXを

伝承者が連想するという過程

 

これまで見てきた「二段構えの語り」はすべてbの過程を経て生じたものだと考えたしそのように考えて特に

問題はなかったしかしUVの二話の場合はそのように考えることは不可能であるUの話では馬を投げ入

れたことが女神が陰部を損傷する原因になっておりVの話では新宮で脱糞したことが女神に病をもたらす原

因となっている二重線の部分が原因を表しており太線の部分が結果を表しているわけだから二つの部分は密接

な因果関係を構成しているのである

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一五一

 

そこでUVの二話に表れている「二段構えの語り」がbの過程を経て成立したと仮定して具体的に話の展開

について考えてみる陰部を損傷したことだけがUの話に含まれるという段階を想定すれば女神がなぜ梭で陰部を

突くことになったのか何も説明がなく話の展開が唐突すぎる聞き手は話の展開が理解できないのであるまた

同様に女神が糞の上に座って病を得たことだけがVの話に含まれるという段階を想定すればそこになぜ糞があっ

たのかが不明であるこちらも話の展開そのものが成り立たない

 

一方で「二段構えの語り」はbの過程を経て成立したという仮定を捨てそれはaの過程を経て成立したものだ

と仮定してみる二重線の部分だけが話に含まれており伝承者はそれをもとにして太線の部分を連想し連想した

ことをあとで話のなかに持ち込んだというふうにである

 

Uの話にはもともと馬を投げ入れたことだけがあり伝承者はそれをもとに酷似する動きをとることとして

梭で陰部を突くという動作を連想した馬の皮を剝いだうえ屋根を壊してそれを服屋の中に投げ入れるという悪行

は女神が梭で陰部を突くという事故がなくても女神を恐れさせて石屋に籠もらせるには十分である

 

またVの話の場合にはもともと新宮で脱糞をしたことだけが含まれており伝承者はそれに基づいて女神が

その糞の上に座って病を得たことを連想した女神が新嘗の儀礼を行う前にその神聖な新宮でこっそり脱糞をする

という蛮行は女神が糞の上に座って病を得るという事態が起こらなくても女神を怒らせて石窟に籠もらせるには

十分である

 

こうしてbの過程を想定すればもとの話は成り立たないが逆にaの過程を想定すればUVの二話にも「二

段構えの語り」が表れていると考えることができる実はaの過程を想定することによって「二段構えの語り」が

表れていることを順当に説明しうる話はすぐあとに取り上げるようにほかにもまだある

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一五二

 

女陰が何らかの原因で損傷したことを述べるIOUの三話についてさきに一段めの語りと二段めの語りの

内容を検討したうえでそれぞれを次のように一文にまとめておいた

I 《身体の一部を急に下方に移動させその先にある物を勢いよく突く》

O 《狭い空間に棒状の物を差し入れその奥にある部分または物を強く突く》

U 《ある物体を急に動かしその勢いで別の物体を破損する》

 

三話に認められる「二段構えの語り」の内容はこのようにどれも同じような動きを表すものになっているそれ

だけでなくABの話やGの話に見られる「二段構えの語り」もまた同じような動きを表すものになっている

ということは女陰が損傷を受けたことを述べる三話に「二段構えの語り」を認めることの妥当性を逆の面から証

するものだと言えるのではないか

 

これに対し女陰の損傷が話題となっていない「二段構えの語り」が認められる別の諸話についてその内容を

一文にまとめるとその一文はこれらとまったく異なる動きを表すものとなる(後述)そのこともさきに述べた

ような「二段構えの語り」の存在を認めるべき一つの論拠となると考える

 

Uの話と同様にaの過程を経て「二段構えの語り」が成立したと推定される話をここでもう一つ取り上げる

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一五三

それは『古事記』に見える神話でのちに地上界の支配者になる大お

ほなむぢの

穴牟遅神か

をその兄弟である八や

十そ

神がみ

が殺害する場

面である

W 

ここに八や

十そ

神がみ

見てまた欺あ

ざむき

て山に率ゐ

て入りて大お

樹き

を切り伏せ茹ひ

矢や

をその木に打ち立てその中に入らし

むる即ちその氷ひ

目め

矢や

を打ち離ちて拷う

ち殺しきここにまたその御み

祖おや

の命み

こと

哭な

きつつ求ま

げば見得てすな

はちその木を折りて取り出で活かしてその子に告げて言ひしく「汝い

まし

此こ こ間

にあらば遂に八十神のために滅

ぼさえなむ」といひてすなはち木き

国くに

の大お

屋や

毘び

古この

神かみ

の御み

もと所

に違た

へ遣りきここに八十神

ぎ追ひ臻い

りて矢や

刺ざ

し乞ふ時に木の俣ま

より漏く

き逃がして云の

りたまひしく「須す

佐さ

能のをのみこと

男命の坐ま

します根の堅か

州す

国くに

に参ま

向ふべし必ず

その大神議は

りたまひなむ」とのりたまひき故か

詔の

りたまひし命の随ま

にまに

須佐之男命の御所に参ま

ゐいた到

ればhellip

〔神代記〕

 

八十神が大木を切り倒してそれを裂き裂け目に楔

くさび

状の「茹ひ

矢や

」を押し立てておいたそしてそこに大穴牟遅神

を入らせて楔状の物を引き抜き同神を圧死させた同神の母が木を折って息子を救い出しこれを蘇生させて大お

屋や

毘び

古この

神かみ

のもとへ逃がしてやったさらに八十神が追いついて息子を引き渡すように母に要求した時には母が息

子をこっそり木の俣から須佐能男命のもとへ逃がしてやったという

 

Wの話の直前には八十神に脅迫された大穴牟遅神が焼けた岩をかかえ込んで死んでしまったという話が置か

れている死んだ大穴牟遅神はやはり母の尽力によって復活したというそれが一回めの死と復活を語る話だから

Wの話で語られる死と復活は二回めのそれである一回めの死が岩を抱き取ることによってもたらされ二回めの死

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一五四

が木の俣に挟まれることによってもたらされた死因の内容が一回めと二回めとでは逆転している

 

また大穴牟遅神の二度にわたる死は天照大御神の二度にわたる死と奇妙なかたちで対応している天照大御神

の死はまず同神自身あるいはその分身の女神が木製の梭で陰部を突いて死ぬというかたちで語られるまた

そのあとで同神自身が岩屋に籠もってしまうというかたちで死が語られるがそれは太陽神の象徴的な死である

両神の死の内容を細かく比較すると両神の体と岩木とが次のように互いに逆転した奇妙な関係を示しているこ

とがわかる

  

大穴牟遅神の死helliphelliphellip体が岩をかかえるdarr木の俣が体を挟む

  

天照大御神の死helliphelliphellip木が体のなかに入るdarr体が岩のなかに入る

 

地上の支配者と世界の至高神との間に死をめぐってこのような逆転した関係が認められるのはきわめて興味深

いことである)

7(

 

さて「二段構えの語り」だがWの話のうち母が息子を「その木を折りて取り出で活かして」大お

屋や

毘び

古この

神かみ

のも

とへ逃がしてやったという二重線の部分が一段めの語りにあたる二段めの語りにあたるのは母が息子を「木の

俣また

より漏く

き逃がし」て須佐能男命のもとへ向かわせたという太線の部分である

 

つまりこの神話では俣になった「その木を折りて」母が息子を救い出す一段めの語りと母が息子を「木の俣

より漏く

き」逃がしてやる二段めの語りとは

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一五五

W 《母が息子を木の俣から救出しあるいは逃がして別の神のもとへ送り出す》

という酷似した内容のものになっている

 

地上の支配者となるべき大穴牟遅神が木の俣に挟まれて死んで母に救われる話の方が同神の母が木の俣から息

子を逃がしてやる話よりもずっと衝撃的で印象的であるだから神話の伝承者が一段めの語りの内容を強く意

識しそれに酷似した内容をもつ二段めの語りを連想してあとで話のなかに持ち込んだのだろうと推測される

より印象的な出来事を語り終えたあともそれが意識のなかから消え去らず類似し対応することがらをあとで連想し

てしまったと考えられる【一段めの話から二段めの話が連想されたというaの過程をたどったとおぼしい実例は

僅少であるそれには然るべき理由があったと考えるべきだが目下のところそれは不明である】

 

Wの話がこのような経緯をたどったとすると母が木を折って息子を救い出しこれを蘇生させてから別の神のも

とへ逃がしてやったという一段めの語りだけが話に含まれていた段階を例によって想定しなければならない一

段めの語りだけで話は成り立つのか

 

結論を言えばその想定は可能である八十神のもとから逃げた大穴牟遅神が須佐能男命のいる地まで行ったと

いうような単純な内容の話になっている方が以下との続きかたは自然である二重線の部分の末尾にある「木き

国くに

の大お

屋や

毘び

古この

神かみ

の御み

もと所

に違た

へ遣りき」の「大屋毘古神」の部分を太線の部分にある「須佐能男命」とすれば話は無

理なく以下に続くのであるまずは大屋毘古神のもとへ逃げて行ったという部分がなかったとすれば母は木の裂け

目から息子を救い出しこれを蘇生させて須佐能男命のもとへ送り出したというわかりやすい展開になるしたが

ってaの過程を経てWの話が成立しただろうという推定は十分に成り立つ

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一五六

 

二重線の「木き

国くに

の大お

屋や

毘び

古この

神かみ

の御み

もと所

に違た

へ遣りき」という部分は「木国のhellip」で始まっているそれは「大お

樹き

切り伏せ」「茹ひ

矢や

をその木に打ち立て」「その木を折りて」などWの話にくり返し出ている「樹木」から連想され

たものだろう

 

太線の部分にある「木の俣ま

より漏く

き逃がして」以下の表現からその前に置かれた二重線の部分が連想されたと

いうbの過程は想定できない二重線の部分が話に含まれていないという段階はなぜ太線の部分が話に含まれてい

るのかということつまり「木の俣ま

より漏く

き逃がして」とある理由が説明できないのである大穴牟遅神が八十神に

殺害されて復活したという理由があって始めて「木の俣ま

より漏く

き逃がして」以下の表現が意味をもつのである

 

木の俣に挟まれて圧死した大穴牟遅神が母の尽力によって蘇生したあとには同神が須佐能男命から与えられた

いくつもの試練を妻の須す

勢せ

理り

毘び

売め

の助力を得てそのたびごとに克服するという話が続くさらに大穴牟遅神が

須勢理毘売をその父のもとから奪って逃げるとともに自分に苦難をもたらした八十神を追い払って「始めて国を作

りたま」うたという展開になっているまたそのあとにも大穴牟遅神の子を産んだ八や

上かみ

比ひ

売め

が須世理毘売を恐

れて「その生める子をば木の俣に挟みて返」ったという話が続いている八上比売の話にまたもや「木の俣」

のことが出てくるわけである

 

この「木の俣」の話もまた大穴牟遅神が「木の俣」に挟まれて圧死した話から連想されたものである可能性が想

定できるがそのように想定する場合に問題となることがあるそれは両話の間に置かれた話があまりにも長大な

ものだということであるしかし大穴牟遅神と生まれた子との間には

 

ⅰ 

父子

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一五七

 

ⅱ 

木の俣に挟まれて死ぬ生まれて木の俣に挟まれる

 

ⅲ 

母が救い出す母が置き去りにする

 

ⅳ 

母が別地へ向かわせる母がもとの地に戻る

というような対比的な関係も認められるのでありこうした関係が偶然に生じたものだとは考えがたいだから父

が木の俣で圧死させられることから生まれた子を木の俣に置くことが連想されたという可能性をここでは否定し

ないでおく【より古い時代には大穴牟遅神が木の俣に挟まれて死ぬ話と八上比売が木の俣に新生児を挟む話とは

直結した一連のものだったことも想定できる】

 

以上の論述では「二段構えの語り」の様態について数話を例示してやや細かく検討を加えたその結果話に

含まれる特定のことからがそれに類似し対応することがらを伝承者に連想させ連想した内容が結果的に話のなか

に組み込まれてしまうという特徴的な現象を上代の神話や伝説を通して確認することができたと考える

 

同じ「二段構えの語り」の現象が認められる話は本稿で取り上げた諸話で尽きているのではなくまだ何話か上

代の文献に見える紙幅の関係でそれらを取り上げて細かく検討を加えることができないからここで二話だけに

ついて結論を述べておき具体的な検討は別稿で行うことにする

 

二話のうち一つは神話に見えるもので娘たちを飲み食らう大蛇を須佐能男命が退治する場面である『古事記』

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一五八

で言えば「是の高こ

志し

の八や

俣また

の遠を

呂ろ

智ち

年と

毎ごと

に来て喫く

へり」という部分と「船ふ

毎ごと

に己お

が頭を垂い入れてその酒を飲み

き」という部分とが「二段構えの語り」に相当する二つの部分の内容をまとめると

  《大蛇が出雲へやってきて足あ

名なづち椎

のがわに属するものを食らいあるいは飲む》

というようになる娘たちを食らい飲む大蛇が酒を飲むという同じ行動が原因で退治されてしまうのである

 

またもう一つの話は『播磨国風土記』の賀古郡の条に見える「比礼墓伝説」であるこの話では「印い

なみ南

」の女

が「隠な

び妻」であり「辞い

び妻」でもあるからこれは「古代の口がたり特有の面白さ」をもつものだという興味深

い見解がある

 

話の冒頭近くにある「度わ

たりもり

子紀き伊の国く

人ひと

小を

玉たま

申さく「我は天

すめらみこと

皇の贄に

人びと

たらめや」とまをす」という部分とその

あとにある「印南の別嬢聞きて驚き畏か

しこみ

即や

て南な

都つ

麻ま

嶋に遁に

げ度りき」という部分とが「二段構えの語り」に

相当する二つの部分のうちのあとの部分は別嬢が天皇の求婚を嫌がって

0

0

0

0

島に逃げて隠れたことを述べたものだか

ら二つの部分は同じく「辞い

び」を内容とするものだと言える「度わ

たりもり

子」つまり船頭の「我は天

すめらみこと

皇の贄に

人びと

たらめや」

という発言に倣って天皇の求婚を嫌がる別嬢の心情を言い表せば「吾は天皇の妻

9

9

9

9

たらめや」というようになる

  

船頭の「辞び」helliphelliphellip「我は天

すめらみこと

皇の贄に

人びと

たらめや」

  

別嬢の「辞び」helliphelliphellip「吾は天皇の妻

9

9

9

9

たらめや」

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一五九

 

結局二つの「辞び」は単なる拒否ではなく次のような同じ内容を表す「辞び」なのである

  《私は天皇にお仕えなどしない》

 

この話の末尾近くには別嬢の遺体について「大き飄つ

むじ

川下より来て其の尸か

ばねを

川中に纏ま

き入れき求むれども得

ず」と述べられているがその部分と別嬢が島に逃げて隠れた

0

0

0

という前の部分ともまた「二段構えの語り」を構

成している二つの部分はともに別嬢の「隠び」を内容とするものなので次のように一つにまとめることができる

  《別嬢が「隠な

び」をした》

 「辞び」も「隠び」も話のなかに二度ずつ表れているのである

 

大蛇退治の神話と「弟日姫子伝説」とには「二段構えの語り」を認めるにあたって解決すべき多くの問題が含ま

れているしかしそれらを一つ一つ検討していけば見てきた諸話と同様の特徴的な語りを二話にも認めることが

できる

註(1) 

本稿にあげる『古事記』『日本書紀』『風土記』などの記述は本文訓読文ともに古典文学大系のものを引用するまた

『萬葉集』の本文訓読文は新編古典全集のものを引用するただしいずれも読みやすさと理解しやすさとを考慮して

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一六〇

もとの表記形式その他を改めることが少なくない

(2) 

大野晋「記紀の創世神話の構成」〔『文学』一九六五年八月〕のちに『仮名遣と上代語』(一九八二年)に収載

(3) 「丹塗矢伝説」の成立については小著『伝承と言語』(一九九五年)のⅡ部四章で私見を述べたただし同書に述べたこ

とと本稿で述べたことの間には一点だけ相違がある丹塗矢が女の陰部を突いたという話は神と人間の女とが結婚したこ

とを明確に語ったものではないからそのことを明確にするために女の持ち帰った丹塗矢が男に変身して子が生まれたとい

う話があとになって付加されたのだと同書では述べたそれは既存の一説に見える解釈を妥当なものと認めそれを踏

襲したものだった本稿では「二段構えの語り」がこの話にも認められるという見解に立ってかつて小著で述べた考えを

訂正する

(4) 

女に与えられた「倭迹迹日百襲姫命」という名の語構成ははたしてどのようなものなのかこれを疑問の余地なく解明す

ることはかなり難しい

   

初頭の「倭」と末尾の「姫命」は除くとして「迹と

迹と

日び

百もも

襲そ

」の「百襲」は字面のとおり「多くの着衣」の意であるかも

知れないこの女の夫は蛇神だから蛇が何度も脱皮をくり返すことを背景とする名を妻がもつことは十分にありうること

だろう「百襲」の「襲」には字を構成する要素として「衣」がある「襲」の字は「重ねて着る」「覆う」「継ぐ」「おそ

う」などの意を表す

   

ある特徴や習性を表す語が当人ではなく周囲の者の名に含まれる例は「丹塗矢伝説」の登場者にも見られるたとえば

矢で陰部を突かれて慌てた女が勢せ

夜や

陀だ

多た

良ら

比ひ

売め

であるのにその女の産んだ娘が「陰に矢を立てられ震え姫」の意の「富ほ

登と

多た

多た

良ら

伊い

須す

須す

岐き

比ひめのみこと

売命」という名を与えられている母の経験したことが娘の名に反映しているのである

   「晡く

れふしの

時臥山やま

」〔『常陸国風土記』那珂郡茨城里〕の話に登場する子として蛇を産んだ女とその兄は「努ぬ

賀か

咩め

」「努ぬ

賀か

古こ

という名を与えられているこれらの名も原義を解明するのは難しいが「ぬか」はやはり脱皮の意を表す「脱ぬ

か」かも知れ

ない『和名類聚抄』の「蛻」の項に「毛も

沼ぬ

久く

」とあり『色葉字類抄』の「

蛻」の項に「ヘミノモヌケ」とあるこれらの

「脱ぬ

く」「脱ぬ

け」がこの場合に参考になる下二段活用動詞の「脱け」が「脱か彦脱か姫」では「脱か」となってい

るわけだが上代語では「明け」「荒れ」「枯れ」などの下二段活用動詞が「明か時(暁)」「新あ

垣がき

」「枯から

木き

」などの複合名詞を

構成しているのに同じである

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一六一

 

名の意味をこのように理解することは生まれた子を入れる器を何度か大きいものに替えたという脱皮を暗示する説明と

吻合する中世には「もぬけの衣」という表現もあるから「もぬけ」の「も」はあるいは「裳」か

(5) 「陰ほ

絶たち

田だ

」という地名と「米よね

舂つき

女め

等ら

が陰ほと

を陪おもとびとくな

従婚ぎ断ちき」という説明との関係には理解するのが難しい点がある

「陰絶田」に含まれる「絶つ」はもともと「長い間にわたって継続してきたことを止めまた幅のある物体を切る」の意を

表す動詞であるこれの自動詞である「絶ゆ」も基本的に意味は同じであるだから「陪お

もとびと

従」との交合によって陰部が損

傷したことをあえて「婚ぎ絶ち

9

9

き」と表現した理由が不明である物を損傷したことがなぜ「絶つ」と表現されたのか

「婚ぎ絶ちき」を「裂傷をおはせた」〔古典全書〕の意だと説明してもその疑問は解消しない

   「陰絶田」はもと「陰に(男根が)立つ田」の意の「陰立9

田」だったかも知れないそのように想定すれば神武記の

「丹塗矢伝説」に登場する「富ほ

登と

多た

多た

良ら

伊い

須す

須す

岐き

比ひ

売め

」という名の「ほとたたら」と意味的に対応するただし矢の場合に

「立つ」を用いた理由は理解できるが男根の場合にも同様に「立つ」を用いたとは想定しにくい「絶つ」とあることはや

はり不審のままである

(6) 

三つの要素の結びつきについては益田勝実「日本神話における外在と内在日本神話論における始原と展開」〔国文学

『解釈と鑑賞』一九七七年十月〕によるただしこの論にはOの話に関する言及がまったくないOの話のなかに三要素の

結び付きを読み取るのは私見にすぎない

(7) 

両神の死因をめぐる逆転関係については小著『日本の神話伝説を読む』(岩波新書二〇〇七年)の第二章第二節で述

べた

(日本語日本文学科 

教授)

Page 24: 一 神話・伝説に見られる特徴的な語り...神話・伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木) 0 一二三 べている。太平洋に伝承の海洋型国産み神話に類似。またヌホコを男性の象徴とし、交合による国産み神話とも見られる」と述

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一四四

き」「墫も

たひの

水溢あ

れて井と成りき」その他の不思議な事態が起こったことが話のなかでくり返し述べられている

同様にほかならぬ息長帯日売命に仕える陪お

もとびと

従が米舂女等と交合を行って陰部を傷つけた結果「萩多く栄えき」

という事態が生じたということなのだろう

 

Oの話が載っているのと同じ『播磨国風土記』に

S 

讃さ よ容

といふ所ゆ

ゑ以

は大神妹い

もせ

二柱競ひて国占し

めましし時妹玉た

津つ

日ひめのみこと

女命生ける鹿を捕と

り臥せて其の腹を

割さ

きて其の血に稲種ま

きき仍よ

りて一夜の間に苗な

生お

ひき即す

なはち

取りて殖う

ゑしめたまひき爾こ

に大神勅の

りたま

ひしく「汝な

にも妹

は五さ月夜よ

に殖ゑつるかも」とのりたまひて即や

て他

あだしところ

処に去りたまひき故か

五月夜の郡こ

ほりと

號なづ

神を賛さ

用よ

都つ

比ひめのみこと

売命と名づく

〔讃容郡〕

という話が見えまた次のような話も見える

T 

丹に

津つ

日ひ

子こ

の神「法ほ

太だ

の川底を雲う

るみ潤

の方に越さむと欲お

ふ」と爾し

かい云

ひし時彼の村に在い

せる太お

水みづ

の神辞い

びて

云の

りたまひしく「吾は宍し

の血を以て佃た

つくる

故か

河の水を欲ほ

りせず」とのりたまひきその時丹津日子云ひし

く「此の神は河を堀る事に倦う

みて爾いへるのみ」といひき故雲う

弥み

と號な

く今い

人ひと

雲潤と號な

〔賀毛郡〕

 

Sの話は鹿の腹を割いてその血に稲を蒔いたら一夜で苗が生えたというものであるまたTの話は宍し

つま

り動物の血で田を作るから河の水は必要ないと神が言ったというものである二話では稲などの植物を植える際

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一四五

には普通に水を用いるよりも動物の血を用いた方が成長がずっと早いと述べているようである

 

これらの話には動物の血と稲あるいは田と一夜での苗の成長の三つの要素の結び付きが確認できる)

6(

この

ことはOの「陰絶田」の話を想起させずにはおかないつまり稲あるいは田は「陰絶田」の話に出ている「米よ

舂つき

女め

等ら

」に対応するように思われるしまた動物の血は女らと陪従らとの交合によって陰部から出たはずの血に

対応するように思われるさらに一夜で急に苗が成長したという事態は「陰絶田」の話の前半部に「一夜の間に

萩一ひ

根もとお生

ひき」とありまた「陰絶田」という地名に続いて「仍す

なはち

萩多く栄えき」とあることに内容的に対応する

と理解することができる

 

だから「米よ

舂つき

女め

等ら

が陰ほ

を陪お

もとびとくな

従婚ぎ断ちき故陰ほ

絶たち

田だ

といふ仍す

なはち

萩多く栄えき」という一連の表現では

陰部を損傷させたことと萩が多く栄えたこととの間には「そのことが原因で」の意の明確な因果関係があると

見るべきだろう

 

三つの要素の結び付きがOの話にも認められる以上同話と動物の血に関する話は古い時代に行われていた儀礼

を背景とするものだと考えることができるだろう動物の血と人間の血との違いはあるがそれらは神に動物の犠

牲を捧げたことによって豊穣繁栄がもたらされたという人々の遠い記憶を伝えるものなのではないか

 「国土創成」をめぐるABの話とEFの話Gの「丹塗矢伝説」Iの「箸墓伝説」Oの「陰絶田」をめぐる

話のどれでも女陰交合結婚などのことが話題となっているこれらの諸話に「二段構えの語り」が認められる

ことを以上の論述で確認した

 

ただし「二段構えの語り」が認められることと女陰交合などの話題が含まれることとの二点を条件として

以上の諸話を選んだわけではない「二段構えの語り」が認められる諸話を取り上げたところそれらには女陰交

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一四六

合などの話題が共通して含まれていたというのが実際である

 

女陰を矢が突くにしても何かが原因で女陰が損傷を受けるにしてもとにかく女陰や交合に関する話題は話の

語り手にも聞き手にも強い印象を与えたはずである時にはそれは刺激的衝撃的な印象さえ与えたに違いない

それだからこそ女陰交合に関する出来事はその内容に類似し対応する連想を呼びやすかったのだろう「二段

構えの語り」と女陰交合の話題とが以上の諸話のなかに共存するのはそのような理由によるものと考えられる

 

以上で確認したように「二段構えの語り」が表れていると判断される諸話に女陰交合などの話題が共通して

含まれている論述の流れに従えば交合結婚を語るものではないがやはり女陰のことが一つの話題になってい

る次の話を取り上げる必要があるだろう

U 

須す

佐さ

之のをのみこと

男命(略)勝ちさびに天あ

まてらすおほみかみ

照大御神の営つ

くだ田

を離は

ちその溝を埋めまたその大お

ほにへ嘗

を聞こしめす殿に屎く

まり散らしき故か

然し

すれども天照大御神は咎と

めずてhellip(略)なほその悪しき態わ

止まずて転う

てありき天照大御

神忌い

みはた服

屋や

に坐ま

しまして神か

御み そ衣

織らしめたまひし時その服屋の頂む

を穿う

ち天あ

の斑ふ

ちこま馬

を逆さ

剝は

ぎに剝ぎて堕お

し入る

る時に天の服は

織おり

女め

見驚きて梭ひ

に陰ほ

と上

を衝つ

きて死にき故か

ここに天照大御神見畏か

しこみ

て天の石い

屋や

戸と

を開

きてさし籠もりましきここに高た

天ま

の原皆暗く葦

あしはらのなかつくにことごと

原中国悉に闇く

しこれによりて常と

夜よ

往ゆ

ききここに

万よろづのわざはひ

妖悉に発お

りき

〔神代記〕

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一四七

 

これは『古事記』の神話の一部であり須佐之男命の「勝ちさび」の場面とその姉である天照大御神の「石屋籠

もり」の場面である天照大御神が機織りをしている時に弟の須佐之男命が皮を剝いだ馬を服は

屋や

の屋根を壊し

てなかに投げ入れたそれに驚いた服は

織おり

女め

が縦糸の間に横糸を通すための道具である梭ひ

を誤って自分の陰部に突

き刺して死んだそれを見て弟の行動を恐れた天照大御神が石い

屋や

に籠もってしまったので世界は暗闇に閉ざされ

多くの災禍がはびこったという

 

二重線を付した「その服屋の頂む

を穿う

ち天あ

の斑ふ

ちこま馬

を逆さ

剝は

ぎに剝ぎて堕お

し入るる時にhellip」という部分と太線を付し

た「梭ひ

に陰ほ

と上

を衝つ

きて死にき」という部分とは表現のありかたがまったく異なるしかし皮を剝いだ馬を屋根

を壊して建物のなかに投げ入れることと梭ひ

で勢いよく突いて陰部を傷つけることとが物理的な動きとして酷似し

0

0

0

0

0

0

0

0

0

0

0

0

ている

0

0

0

ことは事実である二つの部分では

U 《ある物体を急に動かしその勢いで別の物体を破損する》

ということが共通の骨子になっているこのような動きはIOの話の場合の動きと酷似している

 

二つの部分に描写されている物理的な動きをこのように要約するとこれまで見た諸話の場合と同様にUの話に

表れている「二段構えの語り」について次のように推測すべきことになるつまり皮を剝いだ馬を服屋の屋根

を壊して投げ入れたという二重線の部分は梭で陰部を突いて服織女が死んだという太線の部分に基づいて伝承者

が事前に連想して話のなかに持ち込んだものだろうということである

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一四八

 

確かに梭で陰部を突いて女が死んだというのはあまりにも衝撃的で印象的な出来事である特に『日本書紀』

の所伝には「天照大神驚お

どろ動

きたまひて梭を以て身を傷い

ましむ」〔本書〕とありまた「稚わ

かひるめのみこと

日尊驚きたまひ

て機は

より墮お

ちて持たる梭を以て體み

を傷や

らしめて神か

むさ退

りましぬ」〔一書第一〕とあって事態はさらに深刻であ

る至高神である天照大神自身が陰部を損傷しまたその分身である稚日尊が同じ原因で死んだというのだからこ

れ以上の重大事件はない

 

ただしここで一つの問題が生じる伝承者が連想したことを神話のなかに持ち込む以前には梭を突き刺して陰

部を損傷したという話題はあっても屋根を壊して馬を投げ入れたという話題は含まれていなかったことになるそ

こで馬に関する話題が直前に置かれていなくても天照大御神が石屋に籠もるという展開になりえたのかとの問

題が生じるのである少なくともUの話では馬の投げ入れに驚いて服織女が陰部に損傷を負って死んだので

0

0

0

0

0

その

ことを恐れた天照大御神が石屋に籠もってしまったというように読めるからである

 

結論を言えば馬を投げ入れるという行動はなくても天照大御神が石屋に籠もるという展開になりえたと理解

することができるそのことを支持するのは『日本書紀』に見える次の所伝である

V 

日ひのかみのみこと

神尊天あ

まのかきた

垣田を以て御田としたまふ時に素戔嗚尊春は渠み

塡う

め畔あ

はなち毀

す又秋の穀

たなつものすで

已に成りぬるとき

に則ち冒

ひきわたす

に絡あ

ぜなは縄

を以てす且ま

たひのかみ

日神の機は

殿どの

に居ま

します時に則ち斑ぶ

駒こま

を生い

剝は

ぎにして其の殿

みあらかの

内に納な

げいる

凡す

て此の諸

もろもろの

事尽

ことごとくに

是これあづきな

無状し然れども日神恩

このかみおととむつま

親しき意

みこころもちに

して慍と

めたまはず恨みたまはず皆

平たひ

らかなる心を以て容ゆ

したまふ日神の新

にひなへきこ

嘗しめす時に及お

よ至

びて素戔嗚尊則ち新

にひなへのみや

宮の御み

まし席

の下に陰ひ

そかに

ら送く

そま糞

る日神知し

しめさずして俓た

に席み

ましの

上に坐ゐ

たまふ是に由よ

りて日神體み

みこぞ挙

りて不や

くさ平

みたまふ故以

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一四九

て恚い

か恨

りまして廼す

なはち

天あまのいはや

石窟に居ま

して其の磐い

戸と

を閉さ

しぬ

〔一書第二〕

 

素すさのをのみこと

戔嗚尊の悪行がどのような順序でこのVの話にあげられているかを少し細かく見てみる天照大神の御み

田た

素戔嗚尊が損壊する話が最初に置かれておりそれはUの話の場合と同じであるしかしその直後にはUの話と

大きく異なって馬を投げ入れる話が置かれているそしてこの悪行を含む「諸

もろもろ

の事」について「日ひ

神かみ

恩このかみおととむつま

親しき意

みこころもちに

して慍と

めたまはず恨みたまはず皆平た

らかなる心を以て容ゆ

したまふ」という説明が付され

ている馬を投げ入れたことは天照大神の石屋籠もりと直結しておらずむしろ日神は馬の投げ入れを含む多くの

悪行を許したというのである

 

Vの話で石屋籠もりと直結しているのはそのあとになされた悪行であるそれは「素戔嗚尊則ち新

にひなへのみや

宮の御み

まし席

の下に陰ひ

そかに

自ら送く

そま糞

る」という蛮行でありこれによって「日神知しめさずして俓た

に席み

ましの

上に坐ゐ

たまふ是に

由よ

りて日神體み

みこぞ挙

りて不や

くさ平

みたまふ」というひどい状況が生じたつまり新宮のなかでの脱糞という悪行が日ひ

神かみ

に病をもたらしさらには同神を石屋に籠もらせたというのである陰部が損傷した事件ではなくて新宮での脱糞

という蛮行が石屋籠もりの原因となりえたことをVの話が証明している【天照大神にあたる神を「日神」とする所

伝はより古い時代に成立したものだと言われる】

 

新宮での脱糞が石屋籠もりの原因になったとするVの話には女陰が損傷したことはまったく見えないこれに対

してUの話やさきに引用した『日本書紀』の本書一書第二の話では馬の投げ入れに驚いた女神が陰部を損傷し

そのことが女神の石屋籠もりの原因となっている話の内容にこのような相違がある事実は女神が陰部を損傷した

ことと女神が石屋に籠もったこととは必ずしも一連のものではないことしたがって話の成立について考えるにあ

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一五〇

たっては二つのことを別々に処理してかまわないということを示している

 

ただしUの話で大きな問題となるのは馬を投げ入れるという行動がなければ女神が驚いて陰部を損傷すると

いう事態も起こらないということであるこの点で女神が陰部を損傷するという事態だけが話に含まれ馬を投

げ入れるという行動は話に含まれないという話の状況は想定できないのである

 

一連の話のなかにまずXのことが出ていて次にYのことが出ているという「二段構えの語り」について考える際

にぜひとも考慮しておくべきことがあるつまりあることをもとにしてそれに類似することを伝承者が連想し

連想した内容を結果的に話のなかに持ち込むには一般的に二とおりの過程がありうるということである

a 

先に出てくるXが伝承者に強い印象を与えるためにXについて語ったあとにそれに類似した内容をもつY

を伝承者が連想するという過程

b 

あとに出てくるYが伝承者に強い印象を与えるためにYについて語る前にそれに類似した内容をもつXを

伝承者が連想するという過程

 

これまで見てきた「二段構えの語り」はすべてbの過程を経て生じたものだと考えたしそのように考えて特に

問題はなかったしかしUVの二話の場合はそのように考えることは不可能であるUの話では馬を投げ入

れたことが女神が陰部を損傷する原因になっておりVの話では新宮で脱糞したことが女神に病をもたらす原

因となっている二重線の部分が原因を表しており太線の部分が結果を表しているわけだから二つの部分は密接

な因果関係を構成しているのである

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一五一

 

そこでUVの二話に表れている「二段構えの語り」がbの過程を経て成立したと仮定して具体的に話の展開

について考えてみる陰部を損傷したことだけがUの話に含まれるという段階を想定すれば女神がなぜ梭で陰部を

突くことになったのか何も説明がなく話の展開が唐突すぎる聞き手は話の展開が理解できないのであるまた

同様に女神が糞の上に座って病を得たことだけがVの話に含まれるという段階を想定すればそこになぜ糞があっ

たのかが不明であるこちらも話の展開そのものが成り立たない

 

一方で「二段構えの語り」はbの過程を経て成立したという仮定を捨てそれはaの過程を経て成立したものだ

と仮定してみる二重線の部分だけが話に含まれており伝承者はそれをもとにして太線の部分を連想し連想した

ことをあとで話のなかに持ち込んだというふうにである

 

Uの話にはもともと馬を投げ入れたことだけがあり伝承者はそれをもとに酷似する動きをとることとして

梭で陰部を突くという動作を連想した馬の皮を剝いだうえ屋根を壊してそれを服屋の中に投げ入れるという悪行

は女神が梭で陰部を突くという事故がなくても女神を恐れさせて石屋に籠もらせるには十分である

 

またVの話の場合にはもともと新宮で脱糞をしたことだけが含まれており伝承者はそれに基づいて女神が

その糞の上に座って病を得たことを連想した女神が新嘗の儀礼を行う前にその神聖な新宮でこっそり脱糞をする

という蛮行は女神が糞の上に座って病を得るという事態が起こらなくても女神を怒らせて石窟に籠もらせるには

十分である

 

こうしてbの過程を想定すればもとの話は成り立たないが逆にaの過程を想定すればUVの二話にも「二

段構えの語り」が表れていると考えることができる実はaの過程を想定することによって「二段構えの語り」が

表れていることを順当に説明しうる話はすぐあとに取り上げるようにほかにもまだある

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一五二

 

女陰が何らかの原因で損傷したことを述べるIOUの三話についてさきに一段めの語りと二段めの語りの

内容を検討したうえでそれぞれを次のように一文にまとめておいた

I 《身体の一部を急に下方に移動させその先にある物を勢いよく突く》

O 《狭い空間に棒状の物を差し入れその奥にある部分または物を強く突く》

U 《ある物体を急に動かしその勢いで別の物体を破損する》

 

三話に認められる「二段構えの語り」の内容はこのようにどれも同じような動きを表すものになっているそれ

だけでなくABの話やGの話に見られる「二段構えの語り」もまた同じような動きを表すものになっている

ということは女陰が損傷を受けたことを述べる三話に「二段構えの語り」を認めることの妥当性を逆の面から証

するものだと言えるのではないか

 

これに対し女陰の損傷が話題となっていない「二段構えの語り」が認められる別の諸話についてその内容を

一文にまとめるとその一文はこれらとまったく異なる動きを表すものとなる(後述)そのこともさきに述べた

ような「二段構えの語り」の存在を認めるべき一つの論拠となると考える

 

Uの話と同様にaの過程を経て「二段構えの語り」が成立したと推定される話をここでもう一つ取り上げる

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一五三

それは『古事記』に見える神話でのちに地上界の支配者になる大お

ほなむぢの

穴牟遅神か

をその兄弟である八や

十そ

神がみ

が殺害する場

面である

W 

ここに八や

十そ

神がみ

見てまた欺あ

ざむき

て山に率ゐ

て入りて大お

樹き

を切り伏せ茹ひ

矢や

をその木に打ち立てその中に入らし

むる即ちその氷ひ

目め

矢や

を打ち離ちて拷う

ち殺しきここにまたその御み

祖おや

の命み

こと

哭な

きつつ求ま

げば見得てすな

はちその木を折りて取り出で活かしてその子に告げて言ひしく「汝い

まし

此こ こ間

にあらば遂に八十神のために滅

ぼさえなむ」といひてすなはち木き

国くに

の大お

屋や

毘び

古この

神かみ

の御み

もと所

に違た

へ遣りきここに八十神

ぎ追ひ臻い

りて矢や

刺ざ

し乞ふ時に木の俣ま

より漏く

き逃がして云の

りたまひしく「須す

佐さ

能のをのみこと

男命の坐ま

します根の堅か

州す

国くに

に参ま

向ふべし必ず

その大神議は

りたまひなむ」とのりたまひき故か

詔の

りたまひし命の随ま

にまに

須佐之男命の御所に参ま

ゐいた到

ればhellip

〔神代記〕

 

八十神が大木を切り倒してそれを裂き裂け目に楔

くさび

状の「茹ひ

矢や

」を押し立てておいたそしてそこに大穴牟遅神

を入らせて楔状の物を引き抜き同神を圧死させた同神の母が木を折って息子を救い出しこれを蘇生させて大お

屋や

毘び

古この

神かみ

のもとへ逃がしてやったさらに八十神が追いついて息子を引き渡すように母に要求した時には母が息

子をこっそり木の俣から須佐能男命のもとへ逃がしてやったという

 

Wの話の直前には八十神に脅迫された大穴牟遅神が焼けた岩をかかえ込んで死んでしまったという話が置か

れている死んだ大穴牟遅神はやはり母の尽力によって復活したというそれが一回めの死と復活を語る話だから

Wの話で語られる死と復活は二回めのそれである一回めの死が岩を抱き取ることによってもたらされ二回めの死

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一五四

が木の俣に挟まれることによってもたらされた死因の内容が一回めと二回めとでは逆転している

 

また大穴牟遅神の二度にわたる死は天照大御神の二度にわたる死と奇妙なかたちで対応している天照大御神

の死はまず同神自身あるいはその分身の女神が木製の梭で陰部を突いて死ぬというかたちで語られるまた

そのあとで同神自身が岩屋に籠もってしまうというかたちで死が語られるがそれは太陽神の象徴的な死である

両神の死の内容を細かく比較すると両神の体と岩木とが次のように互いに逆転した奇妙な関係を示しているこ

とがわかる

  

大穴牟遅神の死helliphelliphellip体が岩をかかえるdarr木の俣が体を挟む

  

天照大御神の死helliphelliphellip木が体のなかに入るdarr体が岩のなかに入る

 

地上の支配者と世界の至高神との間に死をめぐってこのような逆転した関係が認められるのはきわめて興味深

いことである)

7(

 

さて「二段構えの語り」だがWの話のうち母が息子を「その木を折りて取り出で活かして」大お

屋や

毘び

古この

神かみ

のも

とへ逃がしてやったという二重線の部分が一段めの語りにあたる二段めの語りにあたるのは母が息子を「木の

俣また

より漏く

き逃がし」て須佐能男命のもとへ向かわせたという太線の部分である

 

つまりこの神話では俣になった「その木を折りて」母が息子を救い出す一段めの語りと母が息子を「木の俣

より漏く

き」逃がしてやる二段めの語りとは

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一五五

W 《母が息子を木の俣から救出しあるいは逃がして別の神のもとへ送り出す》

という酷似した内容のものになっている

 

地上の支配者となるべき大穴牟遅神が木の俣に挟まれて死んで母に救われる話の方が同神の母が木の俣から息

子を逃がしてやる話よりもずっと衝撃的で印象的であるだから神話の伝承者が一段めの語りの内容を強く意

識しそれに酷似した内容をもつ二段めの語りを連想してあとで話のなかに持ち込んだのだろうと推測される

より印象的な出来事を語り終えたあともそれが意識のなかから消え去らず類似し対応することがらをあとで連想し

てしまったと考えられる【一段めの話から二段めの話が連想されたというaの過程をたどったとおぼしい実例は

僅少であるそれには然るべき理由があったと考えるべきだが目下のところそれは不明である】

 

Wの話がこのような経緯をたどったとすると母が木を折って息子を救い出しこれを蘇生させてから別の神のも

とへ逃がしてやったという一段めの語りだけが話に含まれていた段階を例によって想定しなければならない一

段めの語りだけで話は成り立つのか

 

結論を言えばその想定は可能である八十神のもとから逃げた大穴牟遅神が須佐能男命のいる地まで行ったと

いうような単純な内容の話になっている方が以下との続きかたは自然である二重線の部分の末尾にある「木き

国くに

の大お

屋や

毘び

古この

神かみ

の御み

もと所

に違た

へ遣りき」の「大屋毘古神」の部分を太線の部分にある「須佐能男命」とすれば話は無

理なく以下に続くのであるまずは大屋毘古神のもとへ逃げて行ったという部分がなかったとすれば母は木の裂け

目から息子を救い出しこれを蘇生させて須佐能男命のもとへ送り出したというわかりやすい展開になるしたが

ってaの過程を経てWの話が成立しただろうという推定は十分に成り立つ

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一五六

 

二重線の「木き

国くに

の大お

屋や

毘び

古この

神かみ

の御み

もと所

に違た

へ遣りき」という部分は「木国のhellip」で始まっているそれは「大お

樹き

切り伏せ」「茹ひ

矢や

をその木に打ち立て」「その木を折りて」などWの話にくり返し出ている「樹木」から連想され

たものだろう

 

太線の部分にある「木の俣ま

より漏く

き逃がして」以下の表現からその前に置かれた二重線の部分が連想されたと

いうbの過程は想定できない二重線の部分が話に含まれていないという段階はなぜ太線の部分が話に含まれてい

るのかということつまり「木の俣ま

より漏く

き逃がして」とある理由が説明できないのである大穴牟遅神が八十神に

殺害されて復活したという理由があって始めて「木の俣ま

より漏く

き逃がして」以下の表現が意味をもつのである

 

木の俣に挟まれて圧死した大穴牟遅神が母の尽力によって蘇生したあとには同神が須佐能男命から与えられた

いくつもの試練を妻の須す

勢せ

理り

毘び

売め

の助力を得てそのたびごとに克服するという話が続くさらに大穴牟遅神が

須勢理毘売をその父のもとから奪って逃げるとともに自分に苦難をもたらした八十神を追い払って「始めて国を作

りたま」うたという展開になっているまたそのあとにも大穴牟遅神の子を産んだ八や

上かみ

比ひ

売め

が須世理毘売を恐

れて「その生める子をば木の俣に挟みて返」ったという話が続いている八上比売の話にまたもや「木の俣」

のことが出てくるわけである

 

この「木の俣」の話もまた大穴牟遅神が「木の俣」に挟まれて圧死した話から連想されたものである可能性が想

定できるがそのように想定する場合に問題となることがあるそれは両話の間に置かれた話があまりにも長大な

ものだということであるしかし大穴牟遅神と生まれた子との間には

 

ⅰ 

父子

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一五七

 

ⅱ 

木の俣に挟まれて死ぬ生まれて木の俣に挟まれる

 

ⅲ 

母が救い出す母が置き去りにする

 

ⅳ 

母が別地へ向かわせる母がもとの地に戻る

というような対比的な関係も認められるのでありこうした関係が偶然に生じたものだとは考えがたいだから父

が木の俣で圧死させられることから生まれた子を木の俣に置くことが連想されたという可能性をここでは否定し

ないでおく【より古い時代には大穴牟遅神が木の俣に挟まれて死ぬ話と八上比売が木の俣に新生児を挟む話とは

直結した一連のものだったことも想定できる】

 

以上の論述では「二段構えの語り」の様態について数話を例示してやや細かく検討を加えたその結果話に

含まれる特定のことからがそれに類似し対応することがらを伝承者に連想させ連想した内容が結果的に話のなか

に組み込まれてしまうという特徴的な現象を上代の神話や伝説を通して確認することができたと考える

 

同じ「二段構えの語り」の現象が認められる話は本稿で取り上げた諸話で尽きているのではなくまだ何話か上

代の文献に見える紙幅の関係でそれらを取り上げて細かく検討を加えることができないからここで二話だけに

ついて結論を述べておき具体的な検討は別稿で行うことにする

 

二話のうち一つは神話に見えるもので娘たちを飲み食らう大蛇を須佐能男命が退治する場面である『古事記』

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一五八

で言えば「是の高こ

志し

の八や

俣また

の遠を

呂ろ

智ち

年と

毎ごと

に来て喫く

へり」という部分と「船ふ

毎ごと

に己お

が頭を垂い入れてその酒を飲み

き」という部分とが「二段構えの語り」に相当する二つの部分の内容をまとめると

  《大蛇が出雲へやってきて足あ

名なづち椎

のがわに属するものを食らいあるいは飲む》

というようになる娘たちを食らい飲む大蛇が酒を飲むという同じ行動が原因で退治されてしまうのである

 

またもう一つの話は『播磨国風土記』の賀古郡の条に見える「比礼墓伝説」であるこの話では「印い

なみ南

」の女

が「隠な

び妻」であり「辞い

び妻」でもあるからこれは「古代の口がたり特有の面白さ」をもつものだという興味深

い見解がある

 

話の冒頭近くにある「度わ

たりもり

子紀き伊の国く

人ひと

小を

玉たま

申さく「我は天

すめらみこと

皇の贄に

人びと

たらめや」とまをす」という部分とその

あとにある「印南の別嬢聞きて驚き畏か

しこみ

即や

て南な

都つ

麻ま

嶋に遁に

げ度りき」という部分とが「二段構えの語り」に

相当する二つの部分のうちのあとの部分は別嬢が天皇の求婚を嫌がって

0

0

0

0

島に逃げて隠れたことを述べたものだか

ら二つの部分は同じく「辞い

び」を内容とするものだと言える「度わ

たりもり

子」つまり船頭の「我は天

すめらみこと

皇の贄に

人びと

たらめや」

という発言に倣って天皇の求婚を嫌がる別嬢の心情を言い表せば「吾は天皇の妻

9

9

9

9

たらめや」というようになる

  

船頭の「辞び」helliphelliphellip「我は天

すめらみこと

皇の贄に

人びと

たらめや」

  

別嬢の「辞び」helliphelliphellip「吾は天皇の妻

9

9

9

9

たらめや」

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一五九

 

結局二つの「辞び」は単なる拒否ではなく次のような同じ内容を表す「辞び」なのである

  《私は天皇にお仕えなどしない》

 

この話の末尾近くには別嬢の遺体について「大き飄つ

むじ

川下より来て其の尸か

ばねを

川中に纏ま

き入れき求むれども得

ず」と述べられているがその部分と別嬢が島に逃げて隠れた

0

0

0

という前の部分ともまた「二段構えの語り」を構

成している二つの部分はともに別嬢の「隠び」を内容とするものなので次のように一つにまとめることができる

  《別嬢が「隠な

び」をした》

 「辞び」も「隠び」も話のなかに二度ずつ表れているのである

 

大蛇退治の神話と「弟日姫子伝説」とには「二段構えの語り」を認めるにあたって解決すべき多くの問題が含ま

れているしかしそれらを一つ一つ検討していけば見てきた諸話と同様の特徴的な語りを二話にも認めることが

できる

註(1) 

本稿にあげる『古事記』『日本書紀』『風土記』などの記述は本文訓読文ともに古典文学大系のものを引用するまた

『萬葉集』の本文訓読文は新編古典全集のものを引用するただしいずれも読みやすさと理解しやすさとを考慮して

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一六〇

もとの表記形式その他を改めることが少なくない

(2) 

大野晋「記紀の創世神話の構成」〔『文学』一九六五年八月〕のちに『仮名遣と上代語』(一九八二年)に収載

(3) 「丹塗矢伝説」の成立については小著『伝承と言語』(一九九五年)のⅡ部四章で私見を述べたただし同書に述べたこ

とと本稿で述べたことの間には一点だけ相違がある丹塗矢が女の陰部を突いたという話は神と人間の女とが結婚したこ

とを明確に語ったものではないからそのことを明確にするために女の持ち帰った丹塗矢が男に変身して子が生まれたとい

う話があとになって付加されたのだと同書では述べたそれは既存の一説に見える解釈を妥当なものと認めそれを踏

襲したものだった本稿では「二段構えの語り」がこの話にも認められるという見解に立ってかつて小著で述べた考えを

訂正する

(4) 

女に与えられた「倭迹迹日百襲姫命」という名の語構成ははたしてどのようなものなのかこれを疑問の余地なく解明す

ることはかなり難しい

   

初頭の「倭」と末尾の「姫命」は除くとして「迹と

迹と

日び

百もも

襲そ

」の「百襲」は字面のとおり「多くの着衣」の意であるかも

知れないこの女の夫は蛇神だから蛇が何度も脱皮をくり返すことを背景とする名を妻がもつことは十分にありうること

だろう「百襲」の「襲」には字を構成する要素として「衣」がある「襲」の字は「重ねて着る」「覆う」「継ぐ」「おそ

う」などの意を表す

   

ある特徴や習性を表す語が当人ではなく周囲の者の名に含まれる例は「丹塗矢伝説」の登場者にも見られるたとえば

矢で陰部を突かれて慌てた女が勢せ

夜や

陀だ

多た

良ら

比ひ

売め

であるのにその女の産んだ娘が「陰に矢を立てられ震え姫」の意の「富ほ

登と

多た

多た

良ら

伊い

須す

須す

岐き

比ひめのみこと

売命」という名を与えられている母の経験したことが娘の名に反映しているのである

   「晡く

れふしの

時臥山やま

」〔『常陸国風土記』那珂郡茨城里〕の話に登場する子として蛇を産んだ女とその兄は「努ぬ

賀か

咩め

」「努ぬ

賀か

古こ

という名を与えられているこれらの名も原義を解明するのは難しいが「ぬか」はやはり脱皮の意を表す「脱ぬ

か」かも知れ

ない『和名類聚抄』の「蛻」の項に「毛も

沼ぬ

久く

」とあり『色葉字類抄』の「

蛻」の項に「ヘミノモヌケ」とあるこれらの

「脱ぬ

く」「脱ぬ

け」がこの場合に参考になる下二段活用動詞の「脱け」が「脱か彦脱か姫」では「脱か」となってい

るわけだが上代語では「明け」「荒れ」「枯れ」などの下二段活用動詞が「明か時(暁)」「新あ

垣がき

」「枯から

木き

」などの複合名詞を

構成しているのに同じである

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一六一

 

名の意味をこのように理解することは生まれた子を入れる器を何度か大きいものに替えたという脱皮を暗示する説明と

吻合する中世には「もぬけの衣」という表現もあるから「もぬけ」の「も」はあるいは「裳」か

(5) 「陰ほ

絶たち

田だ

」という地名と「米よね

舂つき

女め

等ら

が陰ほと

を陪おもとびとくな

従婚ぎ断ちき」という説明との関係には理解するのが難しい点がある

「陰絶田」に含まれる「絶つ」はもともと「長い間にわたって継続してきたことを止めまた幅のある物体を切る」の意を

表す動詞であるこれの自動詞である「絶ゆ」も基本的に意味は同じであるだから「陪お

もとびと

従」との交合によって陰部が損

傷したことをあえて「婚ぎ絶ち

9

9

き」と表現した理由が不明である物を損傷したことがなぜ「絶つ」と表現されたのか

「婚ぎ絶ちき」を「裂傷をおはせた」〔古典全書〕の意だと説明してもその疑問は解消しない

   「陰絶田」はもと「陰に(男根が)立つ田」の意の「陰立9

田」だったかも知れないそのように想定すれば神武記の

「丹塗矢伝説」に登場する「富ほ

登と

多た

多た

良ら

伊い

須す

須す

岐き

比ひ

売め

」という名の「ほとたたら」と意味的に対応するただし矢の場合に

「立つ」を用いた理由は理解できるが男根の場合にも同様に「立つ」を用いたとは想定しにくい「絶つ」とあることはや

はり不審のままである

(6) 

三つの要素の結びつきについては益田勝実「日本神話における外在と内在日本神話論における始原と展開」〔国文学

『解釈と鑑賞』一九七七年十月〕によるただしこの論にはOの話に関する言及がまったくないOの話のなかに三要素の

結び付きを読み取るのは私見にすぎない

(7) 

両神の死因をめぐる逆転関係については小著『日本の神話伝説を読む』(岩波新書二〇〇七年)の第二章第二節で述

べた

(日本語日本文学科 

教授)

Page 25: 一 神話・伝説に見られる特徴的な語り...神話・伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木) 0 一二三 べている。太平洋に伝承の海洋型国産み神話に類似。またヌホコを男性の象徴とし、交合による国産み神話とも見られる」と述

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一四五

には普通に水を用いるよりも動物の血を用いた方が成長がずっと早いと述べているようである

 

これらの話には動物の血と稲あるいは田と一夜での苗の成長の三つの要素の結び付きが確認できる)

6(

この

ことはOの「陰絶田」の話を想起させずにはおかないつまり稲あるいは田は「陰絶田」の話に出ている「米よ

舂つき

女め

等ら

」に対応するように思われるしまた動物の血は女らと陪従らとの交合によって陰部から出たはずの血に

対応するように思われるさらに一夜で急に苗が成長したという事態は「陰絶田」の話の前半部に「一夜の間に

萩一ひ

根もとお生

ひき」とありまた「陰絶田」という地名に続いて「仍す

なはち

萩多く栄えき」とあることに内容的に対応する

と理解することができる

 

だから「米よ

舂つき

女め

等ら

が陰ほ

を陪お

もとびとくな

従婚ぎ断ちき故陰ほ

絶たち

田だ

といふ仍す

なはち

萩多く栄えき」という一連の表現では

陰部を損傷させたことと萩が多く栄えたこととの間には「そのことが原因で」の意の明確な因果関係があると

見るべきだろう

 

三つの要素の結び付きがOの話にも認められる以上同話と動物の血に関する話は古い時代に行われていた儀礼

を背景とするものだと考えることができるだろう動物の血と人間の血との違いはあるがそれらは神に動物の犠

牲を捧げたことによって豊穣繁栄がもたらされたという人々の遠い記憶を伝えるものなのではないか

 「国土創成」をめぐるABの話とEFの話Gの「丹塗矢伝説」Iの「箸墓伝説」Oの「陰絶田」をめぐる

話のどれでも女陰交合結婚などのことが話題となっているこれらの諸話に「二段構えの語り」が認められる

ことを以上の論述で確認した

 

ただし「二段構えの語り」が認められることと女陰交合などの話題が含まれることとの二点を条件として

以上の諸話を選んだわけではない「二段構えの語り」が認められる諸話を取り上げたところそれらには女陰交

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一四六

合などの話題が共通して含まれていたというのが実際である

 

女陰を矢が突くにしても何かが原因で女陰が損傷を受けるにしてもとにかく女陰や交合に関する話題は話の

語り手にも聞き手にも強い印象を与えたはずである時にはそれは刺激的衝撃的な印象さえ与えたに違いない

それだからこそ女陰交合に関する出来事はその内容に類似し対応する連想を呼びやすかったのだろう「二段

構えの語り」と女陰交合の話題とが以上の諸話のなかに共存するのはそのような理由によるものと考えられる

 

以上で確認したように「二段構えの語り」が表れていると判断される諸話に女陰交合などの話題が共通して

含まれている論述の流れに従えば交合結婚を語るものではないがやはり女陰のことが一つの話題になってい

る次の話を取り上げる必要があるだろう

U 

須す

佐さ

之のをのみこと

男命(略)勝ちさびに天あ

まてらすおほみかみ

照大御神の営つ

くだ田

を離は

ちその溝を埋めまたその大お

ほにへ嘗

を聞こしめす殿に屎く

まり散らしき故か

然し

すれども天照大御神は咎と

めずてhellip(略)なほその悪しき態わ

止まずて転う

てありき天照大御

神忌い

みはた服

屋や

に坐ま

しまして神か

御み そ衣

織らしめたまひし時その服屋の頂む

を穿う

ち天あ

の斑ふ

ちこま馬

を逆さ

剝は

ぎに剝ぎて堕お

し入る

る時に天の服は

織おり

女め

見驚きて梭ひ

に陰ほ

と上

を衝つ

きて死にき故か

ここに天照大御神見畏か

しこみ

て天の石い

屋や

戸と

を開

きてさし籠もりましきここに高た

天ま

の原皆暗く葦

あしはらのなかつくにことごと

原中国悉に闇く

しこれによりて常と

夜よ

往ゆ

ききここに

万よろづのわざはひ

妖悉に発お

りき

〔神代記〕

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一四七

 

これは『古事記』の神話の一部であり須佐之男命の「勝ちさび」の場面とその姉である天照大御神の「石屋籠

もり」の場面である天照大御神が機織りをしている時に弟の須佐之男命が皮を剝いだ馬を服は

屋や

の屋根を壊し

てなかに投げ入れたそれに驚いた服は

織おり

女め

が縦糸の間に横糸を通すための道具である梭ひ

を誤って自分の陰部に突

き刺して死んだそれを見て弟の行動を恐れた天照大御神が石い

屋や

に籠もってしまったので世界は暗闇に閉ざされ

多くの災禍がはびこったという

 

二重線を付した「その服屋の頂む

を穿う

ち天あ

の斑ふ

ちこま馬

を逆さ

剝は

ぎに剝ぎて堕お

し入るる時にhellip」という部分と太線を付し

た「梭ひ

に陰ほ

と上

を衝つ

きて死にき」という部分とは表現のありかたがまったく異なるしかし皮を剝いだ馬を屋根

を壊して建物のなかに投げ入れることと梭ひ

で勢いよく突いて陰部を傷つけることとが物理的な動きとして酷似し

0

0

0

0

0

0

0

0

0

0

0

0

ている

0

0

0

ことは事実である二つの部分では

U 《ある物体を急に動かしその勢いで別の物体を破損する》

ということが共通の骨子になっているこのような動きはIOの話の場合の動きと酷似している

 

二つの部分に描写されている物理的な動きをこのように要約するとこれまで見た諸話の場合と同様にUの話に

表れている「二段構えの語り」について次のように推測すべきことになるつまり皮を剝いだ馬を服屋の屋根

を壊して投げ入れたという二重線の部分は梭で陰部を突いて服織女が死んだという太線の部分に基づいて伝承者

が事前に連想して話のなかに持ち込んだものだろうということである

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一四八

 

確かに梭で陰部を突いて女が死んだというのはあまりにも衝撃的で印象的な出来事である特に『日本書紀』

の所伝には「天照大神驚お

どろ動

きたまひて梭を以て身を傷い

ましむ」〔本書〕とありまた「稚わ

かひるめのみこと

日尊驚きたまひ

て機は

より墮お

ちて持たる梭を以て體み

を傷や

らしめて神か

むさ退

りましぬ」〔一書第一〕とあって事態はさらに深刻であ

る至高神である天照大神自身が陰部を損傷しまたその分身である稚日尊が同じ原因で死んだというのだからこ

れ以上の重大事件はない

 

ただしここで一つの問題が生じる伝承者が連想したことを神話のなかに持ち込む以前には梭を突き刺して陰

部を損傷したという話題はあっても屋根を壊して馬を投げ入れたという話題は含まれていなかったことになるそ

こで馬に関する話題が直前に置かれていなくても天照大御神が石屋に籠もるという展開になりえたのかとの問

題が生じるのである少なくともUの話では馬の投げ入れに驚いて服織女が陰部に損傷を負って死んだので

0

0

0

0

0

その

ことを恐れた天照大御神が石屋に籠もってしまったというように読めるからである

 

結論を言えば馬を投げ入れるという行動はなくても天照大御神が石屋に籠もるという展開になりえたと理解

することができるそのことを支持するのは『日本書紀』に見える次の所伝である

V 

日ひのかみのみこと

神尊天あ

まのかきた

垣田を以て御田としたまふ時に素戔嗚尊春は渠み

塡う

め畔あ

はなち毀

す又秋の穀

たなつものすで

已に成りぬるとき

に則ち冒

ひきわたす

に絡あ

ぜなは縄

を以てす且ま

たひのかみ

日神の機は

殿どの

に居ま

します時に則ち斑ぶ

駒こま

を生い

剝は

ぎにして其の殿

みあらかの

内に納な

げいる

凡す

て此の諸

もろもろの

事尽

ことごとくに

是これあづきな

無状し然れども日神恩

このかみおととむつま

親しき意

みこころもちに

して慍と

めたまはず恨みたまはず皆

平たひ

らかなる心を以て容ゆ

したまふ日神の新

にひなへきこ

嘗しめす時に及お

よ至

びて素戔嗚尊則ち新

にひなへのみや

宮の御み

まし席

の下に陰ひ

そかに

ら送く

そま糞

る日神知し

しめさずして俓た

に席み

ましの

上に坐ゐ

たまふ是に由よ

りて日神體み

みこぞ挙

りて不や

くさ平

みたまふ故以

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一四九

て恚い

か恨

りまして廼す

なはち

天あまのいはや

石窟に居ま

して其の磐い

戸と

を閉さ

しぬ

〔一書第二〕

 

素すさのをのみこと

戔嗚尊の悪行がどのような順序でこのVの話にあげられているかを少し細かく見てみる天照大神の御み

田た

素戔嗚尊が損壊する話が最初に置かれておりそれはUの話の場合と同じであるしかしその直後にはUの話と

大きく異なって馬を投げ入れる話が置かれているそしてこの悪行を含む「諸

もろもろ

の事」について「日ひ

神かみ

恩このかみおととむつま

親しき意

みこころもちに

して慍と

めたまはず恨みたまはず皆平た

らかなる心を以て容ゆ

したまふ」という説明が付され

ている馬を投げ入れたことは天照大神の石屋籠もりと直結しておらずむしろ日神は馬の投げ入れを含む多くの

悪行を許したというのである

 

Vの話で石屋籠もりと直結しているのはそのあとになされた悪行であるそれは「素戔嗚尊則ち新

にひなへのみや

宮の御み

まし席

の下に陰ひ

そかに

自ら送く

そま糞

る」という蛮行でありこれによって「日神知しめさずして俓た

に席み

ましの

上に坐ゐ

たまふ是に

由よ

りて日神體み

みこぞ挙

りて不や

くさ平

みたまふ」というひどい状況が生じたつまり新宮のなかでの脱糞という悪行が日ひ

神かみ

に病をもたらしさらには同神を石屋に籠もらせたというのである陰部が損傷した事件ではなくて新宮での脱糞

という蛮行が石屋籠もりの原因となりえたことをVの話が証明している【天照大神にあたる神を「日神」とする所

伝はより古い時代に成立したものだと言われる】

 

新宮での脱糞が石屋籠もりの原因になったとするVの話には女陰が損傷したことはまったく見えないこれに対

してUの話やさきに引用した『日本書紀』の本書一書第二の話では馬の投げ入れに驚いた女神が陰部を損傷し

そのことが女神の石屋籠もりの原因となっている話の内容にこのような相違がある事実は女神が陰部を損傷した

ことと女神が石屋に籠もったこととは必ずしも一連のものではないことしたがって話の成立について考えるにあ

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一五〇

たっては二つのことを別々に処理してかまわないということを示している

 

ただしUの話で大きな問題となるのは馬を投げ入れるという行動がなければ女神が驚いて陰部を損傷すると

いう事態も起こらないということであるこの点で女神が陰部を損傷するという事態だけが話に含まれ馬を投

げ入れるという行動は話に含まれないという話の状況は想定できないのである

 

一連の話のなかにまずXのことが出ていて次にYのことが出ているという「二段構えの語り」について考える際

にぜひとも考慮しておくべきことがあるつまりあることをもとにしてそれに類似することを伝承者が連想し

連想した内容を結果的に話のなかに持ち込むには一般的に二とおりの過程がありうるということである

a 

先に出てくるXが伝承者に強い印象を与えるためにXについて語ったあとにそれに類似した内容をもつY

を伝承者が連想するという過程

b 

あとに出てくるYが伝承者に強い印象を与えるためにYについて語る前にそれに類似した内容をもつXを

伝承者が連想するという過程

 

これまで見てきた「二段構えの語り」はすべてbの過程を経て生じたものだと考えたしそのように考えて特に

問題はなかったしかしUVの二話の場合はそのように考えることは不可能であるUの話では馬を投げ入

れたことが女神が陰部を損傷する原因になっておりVの話では新宮で脱糞したことが女神に病をもたらす原

因となっている二重線の部分が原因を表しており太線の部分が結果を表しているわけだから二つの部分は密接

な因果関係を構成しているのである

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一五一

 

そこでUVの二話に表れている「二段構えの語り」がbの過程を経て成立したと仮定して具体的に話の展開

について考えてみる陰部を損傷したことだけがUの話に含まれるという段階を想定すれば女神がなぜ梭で陰部を

突くことになったのか何も説明がなく話の展開が唐突すぎる聞き手は話の展開が理解できないのであるまた

同様に女神が糞の上に座って病を得たことだけがVの話に含まれるという段階を想定すればそこになぜ糞があっ

たのかが不明であるこちらも話の展開そのものが成り立たない

 

一方で「二段構えの語り」はbの過程を経て成立したという仮定を捨てそれはaの過程を経て成立したものだ

と仮定してみる二重線の部分だけが話に含まれており伝承者はそれをもとにして太線の部分を連想し連想した

ことをあとで話のなかに持ち込んだというふうにである

 

Uの話にはもともと馬を投げ入れたことだけがあり伝承者はそれをもとに酷似する動きをとることとして

梭で陰部を突くという動作を連想した馬の皮を剝いだうえ屋根を壊してそれを服屋の中に投げ入れるという悪行

は女神が梭で陰部を突くという事故がなくても女神を恐れさせて石屋に籠もらせるには十分である

 

またVの話の場合にはもともと新宮で脱糞をしたことだけが含まれており伝承者はそれに基づいて女神が

その糞の上に座って病を得たことを連想した女神が新嘗の儀礼を行う前にその神聖な新宮でこっそり脱糞をする

という蛮行は女神が糞の上に座って病を得るという事態が起こらなくても女神を怒らせて石窟に籠もらせるには

十分である

 

こうしてbの過程を想定すればもとの話は成り立たないが逆にaの過程を想定すればUVの二話にも「二

段構えの語り」が表れていると考えることができる実はaの過程を想定することによって「二段構えの語り」が

表れていることを順当に説明しうる話はすぐあとに取り上げるようにほかにもまだある

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一五二

 

女陰が何らかの原因で損傷したことを述べるIOUの三話についてさきに一段めの語りと二段めの語りの

内容を検討したうえでそれぞれを次のように一文にまとめておいた

I 《身体の一部を急に下方に移動させその先にある物を勢いよく突く》

O 《狭い空間に棒状の物を差し入れその奥にある部分または物を強く突く》

U 《ある物体を急に動かしその勢いで別の物体を破損する》

 

三話に認められる「二段構えの語り」の内容はこのようにどれも同じような動きを表すものになっているそれ

だけでなくABの話やGの話に見られる「二段構えの語り」もまた同じような動きを表すものになっている

ということは女陰が損傷を受けたことを述べる三話に「二段構えの語り」を認めることの妥当性を逆の面から証

するものだと言えるのではないか

 

これに対し女陰の損傷が話題となっていない「二段構えの語り」が認められる別の諸話についてその内容を

一文にまとめるとその一文はこれらとまったく異なる動きを表すものとなる(後述)そのこともさきに述べた

ような「二段構えの語り」の存在を認めるべき一つの論拠となると考える

 

Uの話と同様にaの過程を経て「二段構えの語り」が成立したと推定される話をここでもう一つ取り上げる

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一五三

それは『古事記』に見える神話でのちに地上界の支配者になる大お

ほなむぢの

穴牟遅神か

をその兄弟である八や

十そ

神がみ

が殺害する場

面である

W 

ここに八や

十そ

神がみ

見てまた欺あ

ざむき

て山に率ゐ

て入りて大お

樹き

を切り伏せ茹ひ

矢や

をその木に打ち立てその中に入らし

むる即ちその氷ひ

目め

矢や

を打ち離ちて拷う

ち殺しきここにまたその御み

祖おや

の命み

こと

哭な

きつつ求ま

げば見得てすな

はちその木を折りて取り出で活かしてその子に告げて言ひしく「汝い

まし

此こ こ間

にあらば遂に八十神のために滅

ぼさえなむ」といひてすなはち木き

国くに

の大お

屋や

毘び

古この

神かみ

の御み

もと所

に違た

へ遣りきここに八十神

ぎ追ひ臻い

りて矢や

刺ざ

し乞ふ時に木の俣ま

より漏く

き逃がして云の

りたまひしく「須す

佐さ

能のをのみこと

男命の坐ま

します根の堅か

州す

国くに

に参ま

向ふべし必ず

その大神議は

りたまひなむ」とのりたまひき故か

詔の

りたまひし命の随ま

にまに

須佐之男命の御所に参ま

ゐいた到

ればhellip

〔神代記〕

 

八十神が大木を切り倒してそれを裂き裂け目に楔

くさび

状の「茹ひ

矢や

」を押し立てておいたそしてそこに大穴牟遅神

を入らせて楔状の物を引き抜き同神を圧死させた同神の母が木を折って息子を救い出しこれを蘇生させて大お

屋や

毘び

古この

神かみ

のもとへ逃がしてやったさらに八十神が追いついて息子を引き渡すように母に要求した時には母が息

子をこっそり木の俣から須佐能男命のもとへ逃がしてやったという

 

Wの話の直前には八十神に脅迫された大穴牟遅神が焼けた岩をかかえ込んで死んでしまったという話が置か

れている死んだ大穴牟遅神はやはり母の尽力によって復活したというそれが一回めの死と復活を語る話だから

Wの話で語られる死と復活は二回めのそれである一回めの死が岩を抱き取ることによってもたらされ二回めの死

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一五四

が木の俣に挟まれることによってもたらされた死因の内容が一回めと二回めとでは逆転している

 

また大穴牟遅神の二度にわたる死は天照大御神の二度にわたる死と奇妙なかたちで対応している天照大御神

の死はまず同神自身あるいはその分身の女神が木製の梭で陰部を突いて死ぬというかたちで語られるまた

そのあとで同神自身が岩屋に籠もってしまうというかたちで死が語られるがそれは太陽神の象徴的な死である

両神の死の内容を細かく比較すると両神の体と岩木とが次のように互いに逆転した奇妙な関係を示しているこ

とがわかる

  

大穴牟遅神の死helliphelliphellip体が岩をかかえるdarr木の俣が体を挟む

  

天照大御神の死helliphelliphellip木が体のなかに入るdarr体が岩のなかに入る

 

地上の支配者と世界の至高神との間に死をめぐってこのような逆転した関係が認められるのはきわめて興味深

いことである)

7(

 

さて「二段構えの語り」だがWの話のうち母が息子を「その木を折りて取り出で活かして」大お

屋や

毘び

古この

神かみ

のも

とへ逃がしてやったという二重線の部分が一段めの語りにあたる二段めの語りにあたるのは母が息子を「木の

俣また

より漏く

き逃がし」て須佐能男命のもとへ向かわせたという太線の部分である

 

つまりこの神話では俣になった「その木を折りて」母が息子を救い出す一段めの語りと母が息子を「木の俣

より漏く

き」逃がしてやる二段めの語りとは

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一五五

W 《母が息子を木の俣から救出しあるいは逃がして別の神のもとへ送り出す》

という酷似した内容のものになっている

 

地上の支配者となるべき大穴牟遅神が木の俣に挟まれて死んで母に救われる話の方が同神の母が木の俣から息

子を逃がしてやる話よりもずっと衝撃的で印象的であるだから神話の伝承者が一段めの語りの内容を強く意

識しそれに酷似した内容をもつ二段めの語りを連想してあとで話のなかに持ち込んだのだろうと推測される

より印象的な出来事を語り終えたあともそれが意識のなかから消え去らず類似し対応することがらをあとで連想し

てしまったと考えられる【一段めの話から二段めの話が連想されたというaの過程をたどったとおぼしい実例は

僅少であるそれには然るべき理由があったと考えるべきだが目下のところそれは不明である】

 

Wの話がこのような経緯をたどったとすると母が木を折って息子を救い出しこれを蘇生させてから別の神のも

とへ逃がしてやったという一段めの語りだけが話に含まれていた段階を例によって想定しなければならない一

段めの語りだけで話は成り立つのか

 

結論を言えばその想定は可能である八十神のもとから逃げた大穴牟遅神が須佐能男命のいる地まで行ったと

いうような単純な内容の話になっている方が以下との続きかたは自然である二重線の部分の末尾にある「木き

国くに

の大お

屋や

毘び

古この

神かみ

の御み

もと所

に違た

へ遣りき」の「大屋毘古神」の部分を太線の部分にある「須佐能男命」とすれば話は無

理なく以下に続くのであるまずは大屋毘古神のもとへ逃げて行ったという部分がなかったとすれば母は木の裂け

目から息子を救い出しこれを蘇生させて須佐能男命のもとへ送り出したというわかりやすい展開になるしたが

ってaの過程を経てWの話が成立しただろうという推定は十分に成り立つ

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一五六

 

二重線の「木き

国くに

の大お

屋や

毘び

古この

神かみ

の御み

もと所

に違た

へ遣りき」という部分は「木国のhellip」で始まっているそれは「大お

樹き

切り伏せ」「茹ひ

矢や

をその木に打ち立て」「その木を折りて」などWの話にくり返し出ている「樹木」から連想され

たものだろう

 

太線の部分にある「木の俣ま

より漏く

き逃がして」以下の表現からその前に置かれた二重線の部分が連想されたと

いうbの過程は想定できない二重線の部分が話に含まれていないという段階はなぜ太線の部分が話に含まれてい

るのかということつまり「木の俣ま

より漏く

き逃がして」とある理由が説明できないのである大穴牟遅神が八十神に

殺害されて復活したという理由があって始めて「木の俣ま

より漏く

き逃がして」以下の表現が意味をもつのである

 

木の俣に挟まれて圧死した大穴牟遅神が母の尽力によって蘇生したあとには同神が須佐能男命から与えられた

いくつもの試練を妻の須す

勢せ

理り

毘び

売め

の助力を得てそのたびごとに克服するという話が続くさらに大穴牟遅神が

須勢理毘売をその父のもとから奪って逃げるとともに自分に苦難をもたらした八十神を追い払って「始めて国を作

りたま」うたという展開になっているまたそのあとにも大穴牟遅神の子を産んだ八や

上かみ

比ひ

売め

が須世理毘売を恐

れて「その生める子をば木の俣に挟みて返」ったという話が続いている八上比売の話にまたもや「木の俣」

のことが出てくるわけである

 

この「木の俣」の話もまた大穴牟遅神が「木の俣」に挟まれて圧死した話から連想されたものである可能性が想

定できるがそのように想定する場合に問題となることがあるそれは両話の間に置かれた話があまりにも長大な

ものだということであるしかし大穴牟遅神と生まれた子との間には

 

ⅰ 

父子

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一五七

 

ⅱ 

木の俣に挟まれて死ぬ生まれて木の俣に挟まれる

 

ⅲ 

母が救い出す母が置き去りにする

 

ⅳ 

母が別地へ向かわせる母がもとの地に戻る

というような対比的な関係も認められるのでありこうした関係が偶然に生じたものだとは考えがたいだから父

が木の俣で圧死させられることから生まれた子を木の俣に置くことが連想されたという可能性をここでは否定し

ないでおく【より古い時代には大穴牟遅神が木の俣に挟まれて死ぬ話と八上比売が木の俣に新生児を挟む話とは

直結した一連のものだったことも想定できる】

 

以上の論述では「二段構えの語り」の様態について数話を例示してやや細かく検討を加えたその結果話に

含まれる特定のことからがそれに類似し対応することがらを伝承者に連想させ連想した内容が結果的に話のなか

に組み込まれてしまうという特徴的な現象を上代の神話や伝説を通して確認することができたと考える

 

同じ「二段構えの語り」の現象が認められる話は本稿で取り上げた諸話で尽きているのではなくまだ何話か上

代の文献に見える紙幅の関係でそれらを取り上げて細かく検討を加えることができないからここで二話だけに

ついて結論を述べておき具体的な検討は別稿で行うことにする

 

二話のうち一つは神話に見えるもので娘たちを飲み食らう大蛇を須佐能男命が退治する場面である『古事記』

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一五八

で言えば「是の高こ

志し

の八や

俣また

の遠を

呂ろ

智ち

年と

毎ごと

に来て喫く

へり」という部分と「船ふ

毎ごと

に己お

が頭を垂い入れてその酒を飲み

き」という部分とが「二段構えの語り」に相当する二つの部分の内容をまとめると

  《大蛇が出雲へやってきて足あ

名なづち椎

のがわに属するものを食らいあるいは飲む》

というようになる娘たちを食らい飲む大蛇が酒を飲むという同じ行動が原因で退治されてしまうのである

 

またもう一つの話は『播磨国風土記』の賀古郡の条に見える「比礼墓伝説」であるこの話では「印い

なみ南

」の女

が「隠な

び妻」であり「辞い

び妻」でもあるからこれは「古代の口がたり特有の面白さ」をもつものだという興味深

い見解がある

 

話の冒頭近くにある「度わ

たりもり

子紀き伊の国く

人ひと

小を

玉たま

申さく「我は天

すめらみこと

皇の贄に

人びと

たらめや」とまをす」という部分とその

あとにある「印南の別嬢聞きて驚き畏か

しこみ

即や

て南な

都つ

麻ま

嶋に遁に

げ度りき」という部分とが「二段構えの語り」に

相当する二つの部分のうちのあとの部分は別嬢が天皇の求婚を嫌がって

0

0

0

0

島に逃げて隠れたことを述べたものだか

ら二つの部分は同じく「辞い

び」を内容とするものだと言える「度わ

たりもり

子」つまり船頭の「我は天

すめらみこと

皇の贄に

人びと

たらめや」

という発言に倣って天皇の求婚を嫌がる別嬢の心情を言い表せば「吾は天皇の妻

9

9

9

9

たらめや」というようになる

  

船頭の「辞び」helliphelliphellip「我は天

すめらみこと

皇の贄に

人びと

たらめや」

  

別嬢の「辞び」helliphelliphellip「吾は天皇の妻

9

9

9

9

たらめや」

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一五九

 

結局二つの「辞び」は単なる拒否ではなく次のような同じ内容を表す「辞び」なのである

  《私は天皇にお仕えなどしない》

 

この話の末尾近くには別嬢の遺体について「大き飄つ

むじ

川下より来て其の尸か

ばねを

川中に纏ま

き入れき求むれども得

ず」と述べられているがその部分と別嬢が島に逃げて隠れた

0

0

0

という前の部分ともまた「二段構えの語り」を構

成している二つの部分はともに別嬢の「隠び」を内容とするものなので次のように一つにまとめることができる

  《別嬢が「隠な

び」をした》

 「辞び」も「隠び」も話のなかに二度ずつ表れているのである

 

大蛇退治の神話と「弟日姫子伝説」とには「二段構えの語り」を認めるにあたって解決すべき多くの問題が含ま

れているしかしそれらを一つ一つ検討していけば見てきた諸話と同様の特徴的な語りを二話にも認めることが

できる

註(1) 

本稿にあげる『古事記』『日本書紀』『風土記』などの記述は本文訓読文ともに古典文学大系のものを引用するまた

『萬葉集』の本文訓読文は新編古典全集のものを引用するただしいずれも読みやすさと理解しやすさとを考慮して

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一六〇

もとの表記形式その他を改めることが少なくない

(2) 

大野晋「記紀の創世神話の構成」〔『文学』一九六五年八月〕のちに『仮名遣と上代語』(一九八二年)に収載

(3) 「丹塗矢伝説」の成立については小著『伝承と言語』(一九九五年)のⅡ部四章で私見を述べたただし同書に述べたこ

とと本稿で述べたことの間には一点だけ相違がある丹塗矢が女の陰部を突いたという話は神と人間の女とが結婚したこ

とを明確に語ったものではないからそのことを明確にするために女の持ち帰った丹塗矢が男に変身して子が生まれたとい

う話があとになって付加されたのだと同書では述べたそれは既存の一説に見える解釈を妥当なものと認めそれを踏

襲したものだった本稿では「二段構えの語り」がこの話にも認められるという見解に立ってかつて小著で述べた考えを

訂正する

(4) 

女に与えられた「倭迹迹日百襲姫命」という名の語構成ははたしてどのようなものなのかこれを疑問の余地なく解明す

ることはかなり難しい

   

初頭の「倭」と末尾の「姫命」は除くとして「迹と

迹と

日び

百もも

襲そ

」の「百襲」は字面のとおり「多くの着衣」の意であるかも

知れないこの女の夫は蛇神だから蛇が何度も脱皮をくり返すことを背景とする名を妻がもつことは十分にありうること

だろう「百襲」の「襲」には字を構成する要素として「衣」がある「襲」の字は「重ねて着る」「覆う」「継ぐ」「おそ

う」などの意を表す

   

ある特徴や習性を表す語が当人ではなく周囲の者の名に含まれる例は「丹塗矢伝説」の登場者にも見られるたとえば

矢で陰部を突かれて慌てた女が勢せ

夜や

陀だ

多た

良ら

比ひ

売め

であるのにその女の産んだ娘が「陰に矢を立てられ震え姫」の意の「富ほ

登と

多た

多た

良ら

伊い

須す

須す

岐き

比ひめのみこと

売命」という名を与えられている母の経験したことが娘の名に反映しているのである

   「晡く

れふしの

時臥山やま

」〔『常陸国風土記』那珂郡茨城里〕の話に登場する子として蛇を産んだ女とその兄は「努ぬ

賀か

咩め

」「努ぬ

賀か

古こ

という名を与えられているこれらの名も原義を解明するのは難しいが「ぬか」はやはり脱皮の意を表す「脱ぬ

か」かも知れ

ない『和名類聚抄』の「蛻」の項に「毛も

沼ぬ

久く

」とあり『色葉字類抄』の「

蛻」の項に「ヘミノモヌケ」とあるこれらの

「脱ぬ

く」「脱ぬ

け」がこの場合に参考になる下二段活用動詞の「脱け」が「脱か彦脱か姫」では「脱か」となってい

るわけだが上代語では「明け」「荒れ」「枯れ」などの下二段活用動詞が「明か時(暁)」「新あ

垣がき

」「枯から

木き

」などの複合名詞を

構成しているのに同じである

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一六一

 

名の意味をこのように理解することは生まれた子を入れる器を何度か大きいものに替えたという脱皮を暗示する説明と

吻合する中世には「もぬけの衣」という表現もあるから「もぬけ」の「も」はあるいは「裳」か

(5) 「陰ほ

絶たち

田だ

」という地名と「米よね

舂つき

女め

等ら

が陰ほと

を陪おもとびとくな

従婚ぎ断ちき」という説明との関係には理解するのが難しい点がある

「陰絶田」に含まれる「絶つ」はもともと「長い間にわたって継続してきたことを止めまた幅のある物体を切る」の意を

表す動詞であるこれの自動詞である「絶ゆ」も基本的に意味は同じであるだから「陪お

もとびと

従」との交合によって陰部が損

傷したことをあえて「婚ぎ絶ち

9

9

き」と表現した理由が不明である物を損傷したことがなぜ「絶つ」と表現されたのか

「婚ぎ絶ちき」を「裂傷をおはせた」〔古典全書〕の意だと説明してもその疑問は解消しない

   「陰絶田」はもと「陰に(男根が)立つ田」の意の「陰立9

田」だったかも知れないそのように想定すれば神武記の

「丹塗矢伝説」に登場する「富ほ

登と

多た

多た

良ら

伊い

須す

須す

岐き

比ひ

売め

」という名の「ほとたたら」と意味的に対応するただし矢の場合に

「立つ」を用いた理由は理解できるが男根の場合にも同様に「立つ」を用いたとは想定しにくい「絶つ」とあることはや

はり不審のままである

(6) 

三つの要素の結びつきについては益田勝実「日本神話における外在と内在日本神話論における始原と展開」〔国文学

『解釈と鑑賞』一九七七年十月〕によるただしこの論にはOの話に関する言及がまったくないOの話のなかに三要素の

結び付きを読み取るのは私見にすぎない

(7) 

両神の死因をめぐる逆転関係については小著『日本の神話伝説を読む』(岩波新書二〇〇七年)の第二章第二節で述

べた

(日本語日本文学科 

教授)

Page 26: 一 神話・伝説に見られる特徴的な語り...神話・伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木) 0 一二三 べている。太平洋に伝承の海洋型国産み神話に類似。またヌホコを男性の象徴とし、交合による国産み神話とも見られる」と述

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一四六

合などの話題が共通して含まれていたというのが実際である

 

女陰を矢が突くにしても何かが原因で女陰が損傷を受けるにしてもとにかく女陰や交合に関する話題は話の

語り手にも聞き手にも強い印象を与えたはずである時にはそれは刺激的衝撃的な印象さえ与えたに違いない

それだからこそ女陰交合に関する出来事はその内容に類似し対応する連想を呼びやすかったのだろう「二段

構えの語り」と女陰交合の話題とが以上の諸話のなかに共存するのはそのような理由によるものと考えられる

 

以上で確認したように「二段構えの語り」が表れていると判断される諸話に女陰交合などの話題が共通して

含まれている論述の流れに従えば交合結婚を語るものではないがやはり女陰のことが一つの話題になってい

る次の話を取り上げる必要があるだろう

U 

須す

佐さ

之のをのみこと

男命(略)勝ちさびに天あ

まてらすおほみかみ

照大御神の営つ

くだ田

を離は

ちその溝を埋めまたその大お

ほにへ嘗

を聞こしめす殿に屎く

まり散らしき故か

然し

すれども天照大御神は咎と

めずてhellip(略)なほその悪しき態わ

止まずて転う

てありき天照大御

神忌い

みはた服

屋や

に坐ま

しまして神か

御み そ衣

織らしめたまひし時その服屋の頂む

を穿う

ち天あ

の斑ふ

ちこま馬

を逆さ

剝は

ぎに剝ぎて堕お

し入る

る時に天の服は

織おり

女め

見驚きて梭ひ

に陰ほ

と上

を衝つ

きて死にき故か

ここに天照大御神見畏か

しこみ

て天の石い

屋や

戸と

を開

きてさし籠もりましきここに高た

天ま

の原皆暗く葦

あしはらのなかつくにことごと

原中国悉に闇く

しこれによりて常と

夜よ

往ゆ

ききここに

万よろづのわざはひ

妖悉に発お

りき

〔神代記〕

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一四七

 

これは『古事記』の神話の一部であり須佐之男命の「勝ちさび」の場面とその姉である天照大御神の「石屋籠

もり」の場面である天照大御神が機織りをしている時に弟の須佐之男命が皮を剝いだ馬を服は

屋や

の屋根を壊し

てなかに投げ入れたそれに驚いた服は

織おり

女め

が縦糸の間に横糸を通すための道具である梭ひ

を誤って自分の陰部に突

き刺して死んだそれを見て弟の行動を恐れた天照大御神が石い

屋や

に籠もってしまったので世界は暗闇に閉ざされ

多くの災禍がはびこったという

 

二重線を付した「その服屋の頂む

を穿う

ち天あ

の斑ふ

ちこま馬

を逆さ

剝は

ぎに剝ぎて堕お

し入るる時にhellip」という部分と太線を付し

た「梭ひ

に陰ほ

と上

を衝つ

きて死にき」という部分とは表現のありかたがまったく異なるしかし皮を剝いだ馬を屋根

を壊して建物のなかに投げ入れることと梭ひ

で勢いよく突いて陰部を傷つけることとが物理的な動きとして酷似し

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ている

0

0

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ことは事実である二つの部分では

U 《ある物体を急に動かしその勢いで別の物体を破損する》

ということが共通の骨子になっているこのような動きはIOの話の場合の動きと酷似している

 

二つの部分に描写されている物理的な動きをこのように要約するとこれまで見た諸話の場合と同様にUの話に

表れている「二段構えの語り」について次のように推測すべきことになるつまり皮を剝いだ馬を服屋の屋根

を壊して投げ入れたという二重線の部分は梭で陰部を突いて服織女が死んだという太線の部分に基づいて伝承者

が事前に連想して話のなかに持ち込んだものだろうということである

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一四八

 

確かに梭で陰部を突いて女が死んだというのはあまりにも衝撃的で印象的な出来事である特に『日本書紀』

の所伝には「天照大神驚お

どろ動

きたまひて梭を以て身を傷い

ましむ」〔本書〕とありまた「稚わ

かひるめのみこと

日尊驚きたまひ

て機は

より墮お

ちて持たる梭を以て體み

を傷や

らしめて神か

むさ退

りましぬ」〔一書第一〕とあって事態はさらに深刻であ

る至高神である天照大神自身が陰部を損傷しまたその分身である稚日尊が同じ原因で死んだというのだからこ

れ以上の重大事件はない

 

ただしここで一つの問題が生じる伝承者が連想したことを神話のなかに持ち込む以前には梭を突き刺して陰

部を損傷したという話題はあっても屋根を壊して馬を投げ入れたという話題は含まれていなかったことになるそ

こで馬に関する話題が直前に置かれていなくても天照大御神が石屋に籠もるという展開になりえたのかとの問

題が生じるのである少なくともUの話では馬の投げ入れに驚いて服織女が陰部に損傷を負って死んだので

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0

0

0

0

その

ことを恐れた天照大御神が石屋に籠もってしまったというように読めるからである

 

結論を言えば馬を投げ入れるという行動はなくても天照大御神が石屋に籠もるという展開になりえたと理解

することができるそのことを支持するのは『日本書紀』に見える次の所伝である

V 

日ひのかみのみこと

神尊天あ

まのかきた

垣田を以て御田としたまふ時に素戔嗚尊春は渠み

塡う

め畔あ

はなち毀

す又秋の穀

たなつものすで

已に成りぬるとき

に則ち冒

ひきわたす

に絡あ

ぜなは縄

を以てす且ま

たひのかみ

日神の機は

殿どの

に居ま

します時に則ち斑ぶ

駒こま

を生い

剝は

ぎにして其の殿

みあらかの

内に納な

げいる

凡す

て此の諸

もろもろの

事尽

ことごとくに

是これあづきな

無状し然れども日神恩

このかみおととむつま

親しき意

みこころもちに

して慍と

めたまはず恨みたまはず皆

平たひ

らかなる心を以て容ゆ

したまふ日神の新

にひなへきこ

嘗しめす時に及お

よ至

びて素戔嗚尊則ち新

にひなへのみや

宮の御み

まし席

の下に陰ひ

そかに

ら送く

そま糞

る日神知し

しめさずして俓た

に席み

ましの

上に坐ゐ

たまふ是に由よ

りて日神體み

みこぞ挙

りて不や

くさ平

みたまふ故以

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一四九

て恚い

か恨

りまして廼す

なはち

天あまのいはや

石窟に居ま

して其の磐い

戸と

を閉さ

しぬ

〔一書第二〕

 

素すさのをのみこと

戔嗚尊の悪行がどのような順序でこのVの話にあげられているかを少し細かく見てみる天照大神の御み

田た

素戔嗚尊が損壊する話が最初に置かれておりそれはUの話の場合と同じであるしかしその直後にはUの話と

大きく異なって馬を投げ入れる話が置かれているそしてこの悪行を含む「諸

もろもろ

の事」について「日ひ

神かみ

恩このかみおととむつま

親しき意

みこころもちに

して慍と

めたまはず恨みたまはず皆平た

らかなる心を以て容ゆ

したまふ」という説明が付され

ている馬を投げ入れたことは天照大神の石屋籠もりと直結しておらずむしろ日神は馬の投げ入れを含む多くの

悪行を許したというのである

 

Vの話で石屋籠もりと直結しているのはそのあとになされた悪行であるそれは「素戔嗚尊則ち新

にひなへのみや

宮の御み

まし席

の下に陰ひ

そかに

自ら送く

そま糞

る」という蛮行でありこれによって「日神知しめさずして俓た

に席み

ましの

上に坐ゐ

たまふ是に

由よ

りて日神體み

みこぞ挙

りて不や

くさ平

みたまふ」というひどい状況が生じたつまり新宮のなかでの脱糞という悪行が日ひ

神かみ

に病をもたらしさらには同神を石屋に籠もらせたというのである陰部が損傷した事件ではなくて新宮での脱糞

という蛮行が石屋籠もりの原因となりえたことをVの話が証明している【天照大神にあたる神を「日神」とする所

伝はより古い時代に成立したものだと言われる】

 

新宮での脱糞が石屋籠もりの原因になったとするVの話には女陰が損傷したことはまったく見えないこれに対

してUの話やさきに引用した『日本書紀』の本書一書第二の話では馬の投げ入れに驚いた女神が陰部を損傷し

そのことが女神の石屋籠もりの原因となっている話の内容にこのような相違がある事実は女神が陰部を損傷した

ことと女神が石屋に籠もったこととは必ずしも一連のものではないことしたがって話の成立について考えるにあ

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一五〇

たっては二つのことを別々に処理してかまわないということを示している

 

ただしUの話で大きな問題となるのは馬を投げ入れるという行動がなければ女神が驚いて陰部を損傷すると

いう事態も起こらないということであるこの点で女神が陰部を損傷するという事態だけが話に含まれ馬を投

げ入れるという行動は話に含まれないという話の状況は想定できないのである

 

一連の話のなかにまずXのことが出ていて次にYのことが出ているという「二段構えの語り」について考える際

にぜひとも考慮しておくべきことがあるつまりあることをもとにしてそれに類似することを伝承者が連想し

連想した内容を結果的に話のなかに持ち込むには一般的に二とおりの過程がありうるということである

a 

先に出てくるXが伝承者に強い印象を与えるためにXについて語ったあとにそれに類似した内容をもつY

を伝承者が連想するという過程

b 

あとに出てくるYが伝承者に強い印象を与えるためにYについて語る前にそれに類似した内容をもつXを

伝承者が連想するという過程

 

これまで見てきた「二段構えの語り」はすべてbの過程を経て生じたものだと考えたしそのように考えて特に

問題はなかったしかしUVの二話の場合はそのように考えることは不可能であるUの話では馬を投げ入

れたことが女神が陰部を損傷する原因になっておりVの話では新宮で脱糞したことが女神に病をもたらす原

因となっている二重線の部分が原因を表しており太線の部分が結果を表しているわけだから二つの部分は密接

な因果関係を構成しているのである

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一五一

 

そこでUVの二話に表れている「二段構えの語り」がbの過程を経て成立したと仮定して具体的に話の展開

について考えてみる陰部を損傷したことだけがUの話に含まれるという段階を想定すれば女神がなぜ梭で陰部を

突くことになったのか何も説明がなく話の展開が唐突すぎる聞き手は話の展開が理解できないのであるまた

同様に女神が糞の上に座って病を得たことだけがVの話に含まれるという段階を想定すればそこになぜ糞があっ

たのかが不明であるこちらも話の展開そのものが成り立たない

 

一方で「二段構えの語り」はbの過程を経て成立したという仮定を捨てそれはaの過程を経て成立したものだ

と仮定してみる二重線の部分だけが話に含まれており伝承者はそれをもとにして太線の部分を連想し連想した

ことをあとで話のなかに持ち込んだというふうにである

 

Uの話にはもともと馬を投げ入れたことだけがあり伝承者はそれをもとに酷似する動きをとることとして

梭で陰部を突くという動作を連想した馬の皮を剝いだうえ屋根を壊してそれを服屋の中に投げ入れるという悪行

は女神が梭で陰部を突くという事故がなくても女神を恐れさせて石屋に籠もらせるには十分である

 

またVの話の場合にはもともと新宮で脱糞をしたことだけが含まれており伝承者はそれに基づいて女神が

その糞の上に座って病を得たことを連想した女神が新嘗の儀礼を行う前にその神聖な新宮でこっそり脱糞をする

という蛮行は女神が糞の上に座って病を得るという事態が起こらなくても女神を怒らせて石窟に籠もらせるには

十分である

 

こうしてbの過程を想定すればもとの話は成り立たないが逆にaの過程を想定すればUVの二話にも「二

段構えの語り」が表れていると考えることができる実はaの過程を想定することによって「二段構えの語り」が

表れていることを順当に説明しうる話はすぐあとに取り上げるようにほかにもまだある

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一五二

 

女陰が何らかの原因で損傷したことを述べるIOUの三話についてさきに一段めの語りと二段めの語りの

内容を検討したうえでそれぞれを次のように一文にまとめておいた

I 《身体の一部を急に下方に移動させその先にある物を勢いよく突く》

O 《狭い空間に棒状の物を差し入れその奥にある部分または物を強く突く》

U 《ある物体を急に動かしその勢いで別の物体を破損する》

 

三話に認められる「二段構えの語り」の内容はこのようにどれも同じような動きを表すものになっているそれ

だけでなくABの話やGの話に見られる「二段構えの語り」もまた同じような動きを表すものになっている

ということは女陰が損傷を受けたことを述べる三話に「二段構えの語り」を認めることの妥当性を逆の面から証

するものだと言えるのではないか

 

これに対し女陰の損傷が話題となっていない「二段構えの語り」が認められる別の諸話についてその内容を

一文にまとめるとその一文はこれらとまったく異なる動きを表すものとなる(後述)そのこともさきに述べた

ような「二段構えの語り」の存在を認めるべき一つの論拠となると考える

 

Uの話と同様にaの過程を経て「二段構えの語り」が成立したと推定される話をここでもう一つ取り上げる

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一五三

それは『古事記』に見える神話でのちに地上界の支配者になる大お

ほなむぢの

穴牟遅神か

をその兄弟である八や

十そ

神がみ

が殺害する場

面である

W 

ここに八や

十そ

神がみ

見てまた欺あ

ざむき

て山に率ゐ

て入りて大お

樹き

を切り伏せ茹ひ

矢や

をその木に打ち立てその中に入らし

むる即ちその氷ひ

目め

矢や

を打ち離ちて拷う

ち殺しきここにまたその御み

祖おや

の命み

こと

哭な

きつつ求ま

げば見得てすな

はちその木を折りて取り出で活かしてその子に告げて言ひしく「汝い

まし

此こ こ間

にあらば遂に八十神のために滅

ぼさえなむ」といひてすなはち木き

国くに

の大お

屋や

毘び

古この

神かみ

の御み

もと所

に違た

へ遣りきここに八十神

ぎ追ひ臻い

りて矢や

刺ざ

し乞ふ時に木の俣ま

より漏く

き逃がして云の

りたまひしく「須す

佐さ

能のをのみこと

男命の坐ま

します根の堅か

州す

国くに

に参ま

向ふべし必ず

その大神議は

りたまひなむ」とのりたまひき故か

詔の

りたまひし命の随ま

にまに

須佐之男命の御所に参ま

ゐいた到

ればhellip

〔神代記〕

 

八十神が大木を切り倒してそれを裂き裂け目に楔

くさび

状の「茹ひ

矢や

」を押し立てておいたそしてそこに大穴牟遅神

を入らせて楔状の物を引き抜き同神を圧死させた同神の母が木を折って息子を救い出しこれを蘇生させて大お

屋や

毘び

古この

神かみ

のもとへ逃がしてやったさらに八十神が追いついて息子を引き渡すように母に要求した時には母が息

子をこっそり木の俣から須佐能男命のもとへ逃がしてやったという

 

Wの話の直前には八十神に脅迫された大穴牟遅神が焼けた岩をかかえ込んで死んでしまったという話が置か

れている死んだ大穴牟遅神はやはり母の尽力によって復活したというそれが一回めの死と復活を語る話だから

Wの話で語られる死と復活は二回めのそれである一回めの死が岩を抱き取ることによってもたらされ二回めの死

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一五四

が木の俣に挟まれることによってもたらされた死因の内容が一回めと二回めとでは逆転している

 

また大穴牟遅神の二度にわたる死は天照大御神の二度にわたる死と奇妙なかたちで対応している天照大御神

の死はまず同神自身あるいはその分身の女神が木製の梭で陰部を突いて死ぬというかたちで語られるまた

そのあとで同神自身が岩屋に籠もってしまうというかたちで死が語られるがそれは太陽神の象徴的な死である

両神の死の内容を細かく比較すると両神の体と岩木とが次のように互いに逆転した奇妙な関係を示しているこ

とがわかる

  

大穴牟遅神の死helliphelliphellip体が岩をかかえるdarr木の俣が体を挟む

  

天照大御神の死helliphelliphellip木が体のなかに入るdarr体が岩のなかに入る

 

地上の支配者と世界の至高神との間に死をめぐってこのような逆転した関係が認められるのはきわめて興味深

いことである)

7(

 

さて「二段構えの語り」だがWの話のうち母が息子を「その木を折りて取り出で活かして」大お

屋や

毘び

古この

神かみ

のも

とへ逃がしてやったという二重線の部分が一段めの語りにあたる二段めの語りにあたるのは母が息子を「木の

俣また

より漏く

き逃がし」て須佐能男命のもとへ向かわせたという太線の部分である

 

つまりこの神話では俣になった「その木を折りて」母が息子を救い出す一段めの語りと母が息子を「木の俣

より漏く

き」逃がしてやる二段めの語りとは

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一五五

W 《母が息子を木の俣から救出しあるいは逃がして別の神のもとへ送り出す》

という酷似した内容のものになっている

 

地上の支配者となるべき大穴牟遅神が木の俣に挟まれて死んで母に救われる話の方が同神の母が木の俣から息

子を逃がしてやる話よりもずっと衝撃的で印象的であるだから神話の伝承者が一段めの語りの内容を強く意

識しそれに酷似した内容をもつ二段めの語りを連想してあとで話のなかに持ち込んだのだろうと推測される

より印象的な出来事を語り終えたあともそれが意識のなかから消え去らず類似し対応することがらをあとで連想し

てしまったと考えられる【一段めの話から二段めの話が連想されたというaの過程をたどったとおぼしい実例は

僅少であるそれには然るべき理由があったと考えるべきだが目下のところそれは不明である】

 

Wの話がこのような経緯をたどったとすると母が木を折って息子を救い出しこれを蘇生させてから別の神のも

とへ逃がしてやったという一段めの語りだけが話に含まれていた段階を例によって想定しなければならない一

段めの語りだけで話は成り立つのか

 

結論を言えばその想定は可能である八十神のもとから逃げた大穴牟遅神が須佐能男命のいる地まで行ったと

いうような単純な内容の話になっている方が以下との続きかたは自然である二重線の部分の末尾にある「木き

国くに

の大お

屋や

毘び

古この

神かみ

の御み

もと所

に違た

へ遣りき」の「大屋毘古神」の部分を太線の部分にある「須佐能男命」とすれば話は無

理なく以下に続くのであるまずは大屋毘古神のもとへ逃げて行ったという部分がなかったとすれば母は木の裂け

目から息子を救い出しこれを蘇生させて須佐能男命のもとへ送り出したというわかりやすい展開になるしたが

ってaの過程を経てWの話が成立しただろうという推定は十分に成り立つ

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一五六

 

二重線の「木き

国くに

の大お

屋や

毘び

古この

神かみ

の御み

もと所

に違た

へ遣りき」という部分は「木国のhellip」で始まっているそれは「大お

樹き

切り伏せ」「茹ひ

矢や

をその木に打ち立て」「その木を折りて」などWの話にくり返し出ている「樹木」から連想され

たものだろう

 

太線の部分にある「木の俣ま

より漏く

き逃がして」以下の表現からその前に置かれた二重線の部分が連想されたと

いうbの過程は想定できない二重線の部分が話に含まれていないという段階はなぜ太線の部分が話に含まれてい

るのかということつまり「木の俣ま

より漏く

き逃がして」とある理由が説明できないのである大穴牟遅神が八十神に

殺害されて復活したという理由があって始めて「木の俣ま

より漏く

き逃がして」以下の表現が意味をもつのである

 

木の俣に挟まれて圧死した大穴牟遅神が母の尽力によって蘇生したあとには同神が須佐能男命から与えられた

いくつもの試練を妻の須す

勢せ

理り

毘び

売め

の助力を得てそのたびごとに克服するという話が続くさらに大穴牟遅神が

須勢理毘売をその父のもとから奪って逃げるとともに自分に苦難をもたらした八十神を追い払って「始めて国を作

りたま」うたという展開になっているまたそのあとにも大穴牟遅神の子を産んだ八や

上かみ

比ひ

売め

が須世理毘売を恐

れて「その生める子をば木の俣に挟みて返」ったという話が続いている八上比売の話にまたもや「木の俣」

のことが出てくるわけである

 

この「木の俣」の話もまた大穴牟遅神が「木の俣」に挟まれて圧死した話から連想されたものである可能性が想

定できるがそのように想定する場合に問題となることがあるそれは両話の間に置かれた話があまりにも長大な

ものだということであるしかし大穴牟遅神と生まれた子との間には

 

ⅰ 

父子

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一五七

 

ⅱ 

木の俣に挟まれて死ぬ生まれて木の俣に挟まれる

 

ⅲ 

母が救い出す母が置き去りにする

 

ⅳ 

母が別地へ向かわせる母がもとの地に戻る

というような対比的な関係も認められるのでありこうした関係が偶然に生じたものだとは考えがたいだから父

が木の俣で圧死させられることから生まれた子を木の俣に置くことが連想されたという可能性をここでは否定し

ないでおく【より古い時代には大穴牟遅神が木の俣に挟まれて死ぬ話と八上比売が木の俣に新生児を挟む話とは

直結した一連のものだったことも想定できる】

 

以上の論述では「二段構えの語り」の様態について数話を例示してやや細かく検討を加えたその結果話に

含まれる特定のことからがそれに類似し対応することがらを伝承者に連想させ連想した内容が結果的に話のなか

に組み込まれてしまうという特徴的な現象を上代の神話や伝説を通して確認することができたと考える

 

同じ「二段構えの語り」の現象が認められる話は本稿で取り上げた諸話で尽きているのではなくまだ何話か上

代の文献に見える紙幅の関係でそれらを取り上げて細かく検討を加えることができないからここで二話だけに

ついて結論を述べておき具体的な検討は別稿で行うことにする

 

二話のうち一つは神話に見えるもので娘たちを飲み食らう大蛇を須佐能男命が退治する場面である『古事記』

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一五八

で言えば「是の高こ

志し

の八や

俣また

の遠を

呂ろ

智ち

年と

毎ごと

に来て喫く

へり」という部分と「船ふ

毎ごと

に己お

が頭を垂い入れてその酒を飲み

き」という部分とが「二段構えの語り」に相当する二つの部分の内容をまとめると

  《大蛇が出雲へやってきて足あ

名なづち椎

のがわに属するものを食らいあるいは飲む》

というようになる娘たちを食らい飲む大蛇が酒を飲むという同じ行動が原因で退治されてしまうのである

 

またもう一つの話は『播磨国風土記』の賀古郡の条に見える「比礼墓伝説」であるこの話では「印い

なみ南

」の女

が「隠な

び妻」であり「辞い

び妻」でもあるからこれは「古代の口がたり特有の面白さ」をもつものだという興味深

い見解がある

 

話の冒頭近くにある「度わ

たりもり

子紀き伊の国く

人ひと

小を

玉たま

申さく「我は天

すめらみこと

皇の贄に

人びと

たらめや」とまをす」という部分とその

あとにある「印南の別嬢聞きて驚き畏か

しこみ

即や

て南な

都つ

麻ま

嶋に遁に

げ度りき」という部分とが「二段構えの語り」に

相当する二つの部分のうちのあとの部分は別嬢が天皇の求婚を嫌がって

0

0

0

0

島に逃げて隠れたことを述べたものだか

ら二つの部分は同じく「辞い

び」を内容とするものだと言える「度わ

たりもり

子」つまり船頭の「我は天

すめらみこと

皇の贄に

人びと

たらめや」

という発言に倣って天皇の求婚を嫌がる別嬢の心情を言い表せば「吾は天皇の妻

9

9

9

9

たらめや」というようになる

  

船頭の「辞び」helliphelliphellip「我は天

すめらみこと

皇の贄に

人びと

たらめや」

  

別嬢の「辞び」helliphelliphellip「吾は天皇の妻

9

9

9

9

たらめや」

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一五九

 

結局二つの「辞び」は単なる拒否ではなく次のような同じ内容を表す「辞び」なのである

  《私は天皇にお仕えなどしない》

 

この話の末尾近くには別嬢の遺体について「大き飄つ

むじ

川下より来て其の尸か

ばねを

川中に纏ま

き入れき求むれども得

ず」と述べられているがその部分と別嬢が島に逃げて隠れた

0

0

0

という前の部分ともまた「二段構えの語り」を構

成している二つの部分はともに別嬢の「隠び」を内容とするものなので次のように一つにまとめることができる

  《別嬢が「隠な

び」をした》

 「辞び」も「隠び」も話のなかに二度ずつ表れているのである

 

大蛇退治の神話と「弟日姫子伝説」とには「二段構えの語り」を認めるにあたって解決すべき多くの問題が含ま

れているしかしそれらを一つ一つ検討していけば見てきた諸話と同様の特徴的な語りを二話にも認めることが

できる

註(1) 

本稿にあげる『古事記』『日本書紀』『風土記』などの記述は本文訓読文ともに古典文学大系のものを引用するまた

『萬葉集』の本文訓読文は新編古典全集のものを引用するただしいずれも読みやすさと理解しやすさとを考慮して

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一六〇

もとの表記形式その他を改めることが少なくない

(2) 

大野晋「記紀の創世神話の構成」〔『文学』一九六五年八月〕のちに『仮名遣と上代語』(一九八二年)に収載

(3) 「丹塗矢伝説」の成立については小著『伝承と言語』(一九九五年)のⅡ部四章で私見を述べたただし同書に述べたこ

とと本稿で述べたことの間には一点だけ相違がある丹塗矢が女の陰部を突いたという話は神と人間の女とが結婚したこ

とを明確に語ったものではないからそのことを明確にするために女の持ち帰った丹塗矢が男に変身して子が生まれたとい

う話があとになって付加されたのだと同書では述べたそれは既存の一説に見える解釈を妥当なものと認めそれを踏

襲したものだった本稿では「二段構えの語り」がこの話にも認められるという見解に立ってかつて小著で述べた考えを

訂正する

(4) 

女に与えられた「倭迹迹日百襲姫命」という名の語構成ははたしてどのようなものなのかこれを疑問の余地なく解明す

ることはかなり難しい

   

初頭の「倭」と末尾の「姫命」は除くとして「迹と

迹と

日び

百もも

襲そ

」の「百襲」は字面のとおり「多くの着衣」の意であるかも

知れないこの女の夫は蛇神だから蛇が何度も脱皮をくり返すことを背景とする名を妻がもつことは十分にありうること

だろう「百襲」の「襲」には字を構成する要素として「衣」がある「襲」の字は「重ねて着る」「覆う」「継ぐ」「おそ

う」などの意を表す

   

ある特徴や習性を表す語が当人ではなく周囲の者の名に含まれる例は「丹塗矢伝説」の登場者にも見られるたとえば

矢で陰部を突かれて慌てた女が勢せ

夜や

陀だ

多た

良ら

比ひ

売め

であるのにその女の産んだ娘が「陰に矢を立てられ震え姫」の意の「富ほ

登と

多た

多た

良ら

伊い

須す

須す

岐き

比ひめのみこと

売命」という名を与えられている母の経験したことが娘の名に反映しているのである

   「晡く

れふしの

時臥山やま

」〔『常陸国風土記』那珂郡茨城里〕の話に登場する子として蛇を産んだ女とその兄は「努ぬ

賀か

咩め

」「努ぬ

賀か

古こ

という名を与えられているこれらの名も原義を解明するのは難しいが「ぬか」はやはり脱皮の意を表す「脱ぬ

か」かも知れ

ない『和名類聚抄』の「蛻」の項に「毛も

沼ぬ

久く

」とあり『色葉字類抄』の「

蛻」の項に「ヘミノモヌケ」とあるこれらの

「脱ぬ

く」「脱ぬ

け」がこの場合に参考になる下二段活用動詞の「脱け」が「脱か彦脱か姫」では「脱か」となってい

るわけだが上代語では「明け」「荒れ」「枯れ」などの下二段活用動詞が「明か時(暁)」「新あ

垣がき

」「枯から

木き

」などの複合名詞を

構成しているのに同じである

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一六一

 

名の意味をこのように理解することは生まれた子を入れる器を何度か大きいものに替えたという脱皮を暗示する説明と

吻合する中世には「もぬけの衣」という表現もあるから「もぬけ」の「も」はあるいは「裳」か

(5) 「陰ほ

絶たち

田だ

」という地名と「米よね

舂つき

女め

等ら

が陰ほと

を陪おもとびとくな

従婚ぎ断ちき」という説明との関係には理解するのが難しい点がある

「陰絶田」に含まれる「絶つ」はもともと「長い間にわたって継続してきたことを止めまた幅のある物体を切る」の意を

表す動詞であるこれの自動詞である「絶ゆ」も基本的に意味は同じであるだから「陪お

もとびと

従」との交合によって陰部が損

傷したことをあえて「婚ぎ絶ち

9

9

き」と表現した理由が不明である物を損傷したことがなぜ「絶つ」と表現されたのか

「婚ぎ絶ちき」を「裂傷をおはせた」〔古典全書〕の意だと説明してもその疑問は解消しない

   「陰絶田」はもと「陰に(男根が)立つ田」の意の「陰立9

田」だったかも知れないそのように想定すれば神武記の

「丹塗矢伝説」に登場する「富ほ

登と

多た

多た

良ら

伊い

須す

須す

岐き

比ひ

売め

」という名の「ほとたたら」と意味的に対応するただし矢の場合に

「立つ」を用いた理由は理解できるが男根の場合にも同様に「立つ」を用いたとは想定しにくい「絶つ」とあることはや

はり不審のままである

(6) 

三つの要素の結びつきについては益田勝実「日本神話における外在と内在日本神話論における始原と展開」〔国文学

『解釈と鑑賞』一九七七年十月〕によるただしこの論にはOの話に関する言及がまったくないOの話のなかに三要素の

結び付きを読み取るのは私見にすぎない

(7) 

両神の死因をめぐる逆転関係については小著『日本の神話伝説を読む』(岩波新書二〇〇七年)の第二章第二節で述

べた

(日本語日本文学科 

教授)

Page 27: 一 神話・伝説に見られる特徴的な語り...神話・伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木) 0 一二三 べている。太平洋に伝承の海洋型国産み神話に類似。またヌホコを男性の象徴とし、交合による国産み神話とも見られる」と述

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一四七

 

これは『古事記』の神話の一部であり須佐之男命の「勝ちさび」の場面とその姉である天照大御神の「石屋籠

もり」の場面である天照大御神が機織りをしている時に弟の須佐之男命が皮を剝いだ馬を服は

屋や

の屋根を壊し

てなかに投げ入れたそれに驚いた服は

織おり

女め

が縦糸の間に横糸を通すための道具である梭ひ

を誤って自分の陰部に突

き刺して死んだそれを見て弟の行動を恐れた天照大御神が石い

屋や

に籠もってしまったので世界は暗闇に閉ざされ

多くの災禍がはびこったという

 

二重線を付した「その服屋の頂む

を穿う

ち天あ

の斑ふ

ちこま馬

を逆さ

剝は

ぎに剝ぎて堕お

し入るる時にhellip」という部分と太線を付し

た「梭ひ

に陰ほ

と上

を衝つ

きて死にき」という部分とは表現のありかたがまったく異なるしかし皮を剝いだ馬を屋根

を壊して建物のなかに投げ入れることと梭ひ

で勢いよく突いて陰部を傷つけることとが物理的な動きとして酷似し

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ている

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ことは事実である二つの部分では

U 《ある物体を急に動かしその勢いで別の物体を破損する》

ということが共通の骨子になっているこのような動きはIOの話の場合の動きと酷似している

 

二つの部分に描写されている物理的な動きをこのように要約するとこれまで見た諸話の場合と同様にUの話に

表れている「二段構えの語り」について次のように推測すべきことになるつまり皮を剝いだ馬を服屋の屋根

を壊して投げ入れたという二重線の部分は梭で陰部を突いて服織女が死んだという太線の部分に基づいて伝承者

が事前に連想して話のなかに持ち込んだものだろうということである

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一四八

 

確かに梭で陰部を突いて女が死んだというのはあまりにも衝撃的で印象的な出来事である特に『日本書紀』

の所伝には「天照大神驚お

どろ動

きたまひて梭を以て身を傷い

ましむ」〔本書〕とありまた「稚わ

かひるめのみこと

日尊驚きたまひ

て機は

より墮お

ちて持たる梭を以て體み

を傷や

らしめて神か

むさ退

りましぬ」〔一書第一〕とあって事態はさらに深刻であ

る至高神である天照大神自身が陰部を損傷しまたその分身である稚日尊が同じ原因で死んだというのだからこ

れ以上の重大事件はない

 

ただしここで一つの問題が生じる伝承者が連想したことを神話のなかに持ち込む以前には梭を突き刺して陰

部を損傷したという話題はあっても屋根を壊して馬を投げ入れたという話題は含まれていなかったことになるそ

こで馬に関する話題が直前に置かれていなくても天照大御神が石屋に籠もるという展開になりえたのかとの問

題が生じるのである少なくともUの話では馬の投げ入れに驚いて服織女が陰部に損傷を負って死んだので

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その

ことを恐れた天照大御神が石屋に籠もってしまったというように読めるからである

 

結論を言えば馬を投げ入れるという行動はなくても天照大御神が石屋に籠もるという展開になりえたと理解

することができるそのことを支持するのは『日本書紀』に見える次の所伝である

V 

日ひのかみのみこと

神尊天あ

まのかきた

垣田を以て御田としたまふ時に素戔嗚尊春は渠み

塡う

め畔あ

はなち毀

す又秋の穀

たなつものすで

已に成りぬるとき

に則ち冒

ひきわたす

に絡あ

ぜなは縄

を以てす且ま

たひのかみ

日神の機は

殿どの

に居ま

します時に則ち斑ぶ

駒こま

を生い

剝は

ぎにして其の殿

みあらかの

内に納な

げいる

凡す

て此の諸

もろもろの

事尽

ことごとくに

是これあづきな

無状し然れども日神恩

このかみおととむつま

親しき意

みこころもちに

して慍と

めたまはず恨みたまはず皆

平たひ

らかなる心を以て容ゆ

したまふ日神の新

にひなへきこ

嘗しめす時に及お

よ至

びて素戔嗚尊則ち新

にひなへのみや

宮の御み

まし席

の下に陰ひ

そかに

ら送く

そま糞

る日神知し

しめさずして俓た

に席み

ましの

上に坐ゐ

たまふ是に由よ

りて日神體み

みこぞ挙

りて不や

くさ平

みたまふ故以

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一四九

て恚い

か恨

りまして廼す

なはち

天あまのいはや

石窟に居ま

して其の磐い

戸と

を閉さ

しぬ

〔一書第二〕

 

素すさのをのみこと

戔嗚尊の悪行がどのような順序でこのVの話にあげられているかを少し細かく見てみる天照大神の御み

田た

素戔嗚尊が損壊する話が最初に置かれておりそれはUの話の場合と同じであるしかしその直後にはUの話と

大きく異なって馬を投げ入れる話が置かれているそしてこの悪行を含む「諸

もろもろ

の事」について「日ひ

神かみ

恩このかみおととむつま

親しき意

みこころもちに

して慍と

めたまはず恨みたまはず皆平た

らかなる心を以て容ゆ

したまふ」という説明が付され

ている馬を投げ入れたことは天照大神の石屋籠もりと直結しておらずむしろ日神は馬の投げ入れを含む多くの

悪行を許したというのである

 

Vの話で石屋籠もりと直結しているのはそのあとになされた悪行であるそれは「素戔嗚尊則ち新

にひなへのみや

宮の御み

まし席

の下に陰ひ

そかに

自ら送く

そま糞

る」という蛮行でありこれによって「日神知しめさずして俓た

に席み

ましの

上に坐ゐ

たまふ是に

由よ

りて日神體み

みこぞ挙

りて不や

くさ平

みたまふ」というひどい状況が生じたつまり新宮のなかでの脱糞という悪行が日ひ

神かみ

に病をもたらしさらには同神を石屋に籠もらせたというのである陰部が損傷した事件ではなくて新宮での脱糞

という蛮行が石屋籠もりの原因となりえたことをVの話が証明している【天照大神にあたる神を「日神」とする所

伝はより古い時代に成立したものだと言われる】

 

新宮での脱糞が石屋籠もりの原因になったとするVの話には女陰が損傷したことはまったく見えないこれに対

してUの話やさきに引用した『日本書紀』の本書一書第二の話では馬の投げ入れに驚いた女神が陰部を損傷し

そのことが女神の石屋籠もりの原因となっている話の内容にこのような相違がある事実は女神が陰部を損傷した

ことと女神が石屋に籠もったこととは必ずしも一連のものではないことしたがって話の成立について考えるにあ

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一五〇

たっては二つのことを別々に処理してかまわないということを示している

 

ただしUの話で大きな問題となるのは馬を投げ入れるという行動がなければ女神が驚いて陰部を損傷すると

いう事態も起こらないということであるこの点で女神が陰部を損傷するという事態だけが話に含まれ馬を投

げ入れるという行動は話に含まれないという話の状況は想定できないのである

 

一連の話のなかにまずXのことが出ていて次にYのことが出ているという「二段構えの語り」について考える際

にぜひとも考慮しておくべきことがあるつまりあることをもとにしてそれに類似することを伝承者が連想し

連想した内容を結果的に話のなかに持ち込むには一般的に二とおりの過程がありうるということである

a 

先に出てくるXが伝承者に強い印象を与えるためにXについて語ったあとにそれに類似した内容をもつY

を伝承者が連想するという過程

b 

あとに出てくるYが伝承者に強い印象を与えるためにYについて語る前にそれに類似した内容をもつXを

伝承者が連想するという過程

 

これまで見てきた「二段構えの語り」はすべてbの過程を経て生じたものだと考えたしそのように考えて特に

問題はなかったしかしUVの二話の場合はそのように考えることは不可能であるUの話では馬を投げ入

れたことが女神が陰部を損傷する原因になっておりVの話では新宮で脱糞したことが女神に病をもたらす原

因となっている二重線の部分が原因を表しており太線の部分が結果を表しているわけだから二つの部分は密接

な因果関係を構成しているのである

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一五一

 

そこでUVの二話に表れている「二段構えの語り」がbの過程を経て成立したと仮定して具体的に話の展開

について考えてみる陰部を損傷したことだけがUの話に含まれるという段階を想定すれば女神がなぜ梭で陰部を

突くことになったのか何も説明がなく話の展開が唐突すぎる聞き手は話の展開が理解できないのであるまた

同様に女神が糞の上に座って病を得たことだけがVの話に含まれるという段階を想定すればそこになぜ糞があっ

たのかが不明であるこちらも話の展開そのものが成り立たない

 

一方で「二段構えの語り」はbの過程を経て成立したという仮定を捨てそれはaの過程を経て成立したものだ

と仮定してみる二重線の部分だけが話に含まれており伝承者はそれをもとにして太線の部分を連想し連想した

ことをあとで話のなかに持ち込んだというふうにである

 

Uの話にはもともと馬を投げ入れたことだけがあり伝承者はそれをもとに酷似する動きをとることとして

梭で陰部を突くという動作を連想した馬の皮を剝いだうえ屋根を壊してそれを服屋の中に投げ入れるという悪行

は女神が梭で陰部を突くという事故がなくても女神を恐れさせて石屋に籠もらせるには十分である

 

またVの話の場合にはもともと新宮で脱糞をしたことだけが含まれており伝承者はそれに基づいて女神が

その糞の上に座って病を得たことを連想した女神が新嘗の儀礼を行う前にその神聖な新宮でこっそり脱糞をする

という蛮行は女神が糞の上に座って病を得るという事態が起こらなくても女神を怒らせて石窟に籠もらせるには

十分である

 

こうしてbの過程を想定すればもとの話は成り立たないが逆にaの過程を想定すればUVの二話にも「二

段構えの語り」が表れていると考えることができる実はaの過程を想定することによって「二段構えの語り」が

表れていることを順当に説明しうる話はすぐあとに取り上げるようにほかにもまだある

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一五二

 

女陰が何らかの原因で損傷したことを述べるIOUの三話についてさきに一段めの語りと二段めの語りの

内容を検討したうえでそれぞれを次のように一文にまとめておいた

I 《身体の一部を急に下方に移動させその先にある物を勢いよく突く》

O 《狭い空間に棒状の物を差し入れその奥にある部分または物を強く突く》

U 《ある物体を急に動かしその勢いで別の物体を破損する》

 

三話に認められる「二段構えの語り」の内容はこのようにどれも同じような動きを表すものになっているそれ

だけでなくABの話やGの話に見られる「二段構えの語り」もまた同じような動きを表すものになっている

ということは女陰が損傷を受けたことを述べる三話に「二段構えの語り」を認めることの妥当性を逆の面から証

するものだと言えるのではないか

 

これに対し女陰の損傷が話題となっていない「二段構えの語り」が認められる別の諸話についてその内容を

一文にまとめるとその一文はこれらとまったく異なる動きを表すものとなる(後述)そのこともさきに述べた

ような「二段構えの語り」の存在を認めるべき一つの論拠となると考える

 

Uの話と同様にaの過程を経て「二段構えの語り」が成立したと推定される話をここでもう一つ取り上げる

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一五三

それは『古事記』に見える神話でのちに地上界の支配者になる大お

ほなむぢの

穴牟遅神か

をその兄弟である八や

十そ

神がみ

が殺害する場

面である

W 

ここに八や

十そ

神がみ

見てまた欺あ

ざむき

て山に率ゐ

て入りて大お

樹き

を切り伏せ茹ひ

矢や

をその木に打ち立てその中に入らし

むる即ちその氷ひ

目め

矢や

を打ち離ちて拷う

ち殺しきここにまたその御み

祖おや

の命み

こと

哭な

きつつ求ま

げば見得てすな

はちその木を折りて取り出で活かしてその子に告げて言ひしく「汝い

まし

此こ こ間

にあらば遂に八十神のために滅

ぼさえなむ」といひてすなはち木き

国くに

の大お

屋や

毘び

古この

神かみ

の御み

もと所

に違た

へ遣りきここに八十神

ぎ追ひ臻い

りて矢や

刺ざ

し乞ふ時に木の俣ま

より漏く

き逃がして云の

りたまひしく「須す

佐さ

能のをのみこと

男命の坐ま

します根の堅か

州す

国くに

に参ま

向ふべし必ず

その大神議は

りたまひなむ」とのりたまひき故か

詔の

りたまひし命の随ま

にまに

須佐之男命の御所に参ま

ゐいた到

ればhellip

〔神代記〕

 

八十神が大木を切り倒してそれを裂き裂け目に楔

くさび

状の「茹ひ

矢や

」を押し立てておいたそしてそこに大穴牟遅神

を入らせて楔状の物を引き抜き同神を圧死させた同神の母が木を折って息子を救い出しこれを蘇生させて大お

屋や

毘び

古この

神かみ

のもとへ逃がしてやったさらに八十神が追いついて息子を引き渡すように母に要求した時には母が息

子をこっそり木の俣から須佐能男命のもとへ逃がしてやったという

 

Wの話の直前には八十神に脅迫された大穴牟遅神が焼けた岩をかかえ込んで死んでしまったという話が置か

れている死んだ大穴牟遅神はやはり母の尽力によって復活したというそれが一回めの死と復活を語る話だから

Wの話で語られる死と復活は二回めのそれである一回めの死が岩を抱き取ることによってもたらされ二回めの死

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一五四

が木の俣に挟まれることによってもたらされた死因の内容が一回めと二回めとでは逆転している

 

また大穴牟遅神の二度にわたる死は天照大御神の二度にわたる死と奇妙なかたちで対応している天照大御神

の死はまず同神自身あるいはその分身の女神が木製の梭で陰部を突いて死ぬというかたちで語られるまた

そのあとで同神自身が岩屋に籠もってしまうというかたちで死が語られるがそれは太陽神の象徴的な死である

両神の死の内容を細かく比較すると両神の体と岩木とが次のように互いに逆転した奇妙な関係を示しているこ

とがわかる

  

大穴牟遅神の死helliphelliphellip体が岩をかかえるdarr木の俣が体を挟む

  

天照大御神の死helliphelliphellip木が体のなかに入るdarr体が岩のなかに入る

 

地上の支配者と世界の至高神との間に死をめぐってこのような逆転した関係が認められるのはきわめて興味深

いことである)

7(

 

さて「二段構えの語り」だがWの話のうち母が息子を「その木を折りて取り出で活かして」大お

屋や

毘び

古この

神かみ

のも

とへ逃がしてやったという二重線の部分が一段めの語りにあたる二段めの語りにあたるのは母が息子を「木の

俣また

より漏く

き逃がし」て須佐能男命のもとへ向かわせたという太線の部分である

 

つまりこの神話では俣になった「その木を折りて」母が息子を救い出す一段めの語りと母が息子を「木の俣

より漏く

き」逃がしてやる二段めの語りとは

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一五五

W 《母が息子を木の俣から救出しあるいは逃がして別の神のもとへ送り出す》

という酷似した内容のものになっている

 

地上の支配者となるべき大穴牟遅神が木の俣に挟まれて死んで母に救われる話の方が同神の母が木の俣から息

子を逃がしてやる話よりもずっと衝撃的で印象的であるだから神話の伝承者が一段めの語りの内容を強く意

識しそれに酷似した内容をもつ二段めの語りを連想してあとで話のなかに持ち込んだのだろうと推測される

より印象的な出来事を語り終えたあともそれが意識のなかから消え去らず類似し対応することがらをあとで連想し

てしまったと考えられる【一段めの話から二段めの話が連想されたというaの過程をたどったとおぼしい実例は

僅少であるそれには然るべき理由があったと考えるべきだが目下のところそれは不明である】

 

Wの話がこのような経緯をたどったとすると母が木を折って息子を救い出しこれを蘇生させてから別の神のも

とへ逃がしてやったという一段めの語りだけが話に含まれていた段階を例によって想定しなければならない一

段めの語りだけで話は成り立つのか

 

結論を言えばその想定は可能である八十神のもとから逃げた大穴牟遅神が須佐能男命のいる地まで行ったと

いうような単純な内容の話になっている方が以下との続きかたは自然である二重線の部分の末尾にある「木き

国くに

の大お

屋や

毘び

古この

神かみ

の御み

もと所

に違た

へ遣りき」の「大屋毘古神」の部分を太線の部分にある「須佐能男命」とすれば話は無

理なく以下に続くのであるまずは大屋毘古神のもとへ逃げて行ったという部分がなかったとすれば母は木の裂け

目から息子を救い出しこれを蘇生させて須佐能男命のもとへ送り出したというわかりやすい展開になるしたが

ってaの過程を経てWの話が成立しただろうという推定は十分に成り立つ

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一五六

 

二重線の「木き

国くに

の大お

屋や

毘び

古この

神かみ

の御み

もと所

に違た

へ遣りき」という部分は「木国のhellip」で始まっているそれは「大お

樹き

切り伏せ」「茹ひ

矢や

をその木に打ち立て」「その木を折りて」などWの話にくり返し出ている「樹木」から連想され

たものだろう

 

太線の部分にある「木の俣ま

より漏く

き逃がして」以下の表現からその前に置かれた二重線の部分が連想されたと

いうbの過程は想定できない二重線の部分が話に含まれていないという段階はなぜ太線の部分が話に含まれてい

るのかということつまり「木の俣ま

より漏く

き逃がして」とある理由が説明できないのである大穴牟遅神が八十神に

殺害されて復活したという理由があって始めて「木の俣ま

より漏く

き逃がして」以下の表現が意味をもつのである

 

木の俣に挟まれて圧死した大穴牟遅神が母の尽力によって蘇生したあとには同神が須佐能男命から与えられた

いくつもの試練を妻の須す

勢せ

理り

毘び

売め

の助力を得てそのたびごとに克服するという話が続くさらに大穴牟遅神が

須勢理毘売をその父のもとから奪って逃げるとともに自分に苦難をもたらした八十神を追い払って「始めて国を作

りたま」うたという展開になっているまたそのあとにも大穴牟遅神の子を産んだ八や

上かみ

比ひ

売め

が須世理毘売を恐

れて「その生める子をば木の俣に挟みて返」ったという話が続いている八上比売の話にまたもや「木の俣」

のことが出てくるわけである

 

この「木の俣」の話もまた大穴牟遅神が「木の俣」に挟まれて圧死した話から連想されたものである可能性が想

定できるがそのように想定する場合に問題となることがあるそれは両話の間に置かれた話があまりにも長大な

ものだということであるしかし大穴牟遅神と生まれた子との間には

 

ⅰ 

父子

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一五七

 

ⅱ 

木の俣に挟まれて死ぬ生まれて木の俣に挟まれる

 

ⅲ 

母が救い出す母が置き去りにする

 

ⅳ 

母が別地へ向かわせる母がもとの地に戻る

というような対比的な関係も認められるのでありこうした関係が偶然に生じたものだとは考えがたいだから父

が木の俣で圧死させられることから生まれた子を木の俣に置くことが連想されたという可能性をここでは否定し

ないでおく【より古い時代には大穴牟遅神が木の俣に挟まれて死ぬ話と八上比売が木の俣に新生児を挟む話とは

直結した一連のものだったことも想定できる】

 

以上の論述では「二段構えの語り」の様態について数話を例示してやや細かく検討を加えたその結果話に

含まれる特定のことからがそれに類似し対応することがらを伝承者に連想させ連想した内容が結果的に話のなか

に組み込まれてしまうという特徴的な現象を上代の神話や伝説を通して確認することができたと考える

 

同じ「二段構えの語り」の現象が認められる話は本稿で取り上げた諸話で尽きているのではなくまだ何話か上

代の文献に見える紙幅の関係でそれらを取り上げて細かく検討を加えることができないからここで二話だけに

ついて結論を述べておき具体的な検討は別稿で行うことにする

 

二話のうち一つは神話に見えるもので娘たちを飲み食らう大蛇を須佐能男命が退治する場面である『古事記』

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一五八

で言えば「是の高こ

志し

の八や

俣また

の遠を

呂ろ

智ち

年と

毎ごと

に来て喫く

へり」という部分と「船ふ

毎ごと

に己お

が頭を垂い入れてその酒を飲み

き」という部分とが「二段構えの語り」に相当する二つの部分の内容をまとめると

  《大蛇が出雲へやってきて足あ

名なづち椎

のがわに属するものを食らいあるいは飲む》

というようになる娘たちを食らい飲む大蛇が酒を飲むという同じ行動が原因で退治されてしまうのである

 

またもう一つの話は『播磨国風土記』の賀古郡の条に見える「比礼墓伝説」であるこの話では「印い

なみ南

」の女

が「隠な

び妻」であり「辞い

び妻」でもあるからこれは「古代の口がたり特有の面白さ」をもつものだという興味深

い見解がある

 

話の冒頭近くにある「度わ

たりもり

子紀き伊の国く

人ひと

小を

玉たま

申さく「我は天

すめらみこと

皇の贄に

人びと

たらめや」とまをす」という部分とその

あとにある「印南の別嬢聞きて驚き畏か

しこみ

即や

て南な

都つ

麻ま

嶋に遁に

げ度りき」という部分とが「二段構えの語り」に

相当する二つの部分のうちのあとの部分は別嬢が天皇の求婚を嫌がって

0

0

0

0

島に逃げて隠れたことを述べたものだか

ら二つの部分は同じく「辞い

び」を内容とするものだと言える「度わ

たりもり

子」つまり船頭の「我は天

すめらみこと

皇の贄に

人びと

たらめや」

という発言に倣って天皇の求婚を嫌がる別嬢の心情を言い表せば「吾は天皇の妻

9

9

9

9

たらめや」というようになる

  

船頭の「辞び」helliphelliphellip「我は天

すめらみこと

皇の贄に

人びと

たらめや」

  

別嬢の「辞び」helliphelliphellip「吾は天皇の妻

9

9

9

9

たらめや」

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一五九

 

結局二つの「辞び」は単なる拒否ではなく次のような同じ内容を表す「辞び」なのである

  《私は天皇にお仕えなどしない》

 

この話の末尾近くには別嬢の遺体について「大き飄つ

むじ

川下より来て其の尸か

ばねを

川中に纏ま

き入れき求むれども得

ず」と述べられているがその部分と別嬢が島に逃げて隠れた

0

0

0

という前の部分ともまた「二段構えの語り」を構

成している二つの部分はともに別嬢の「隠び」を内容とするものなので次のように一つにまとめることができる

  《別嬢が「隠な

び」をした》

 「辞び」も「隠び」も話のなかに二度ずつ表れているのである

 

大蛇退治の神話と「弟日姫子伝説」とには「二段構えの語り」を認めるにあたって解決すべき多くの問題が含ま

れているしかしそれらを一つ一つ検討していけば見てきた諸話と同様の特徴的な語りを二話にも認めることが

できる

註(1) 

本稿にあげる『古事記』『日本書紀』『風土記』などの記述は本文訓読文ともに古典文学大系のものを引用するまた

『萬葉集』の本文訓読文は新編古典全集のものを引用するただしいずれも読みやすさと理解しやすさとを考慮して

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一六〇

もとの表記形式その他を改めることが少なくない

(2) 

大野晋「記紀の創世神話の構成」〔『文学』一九六五年八月〕のちに『仮名遣と上代語』(一九八二年)に収載

(3) 「丹塗矢伝説」の成立については小著『伝承と言語』(一九九五年)のⅡ部四章で私見を述べたただし同書に述べたこ

とと本稿で述べたことの間には一点だけ相違がある丹塗矢が女の陰部を突いたという話は神と人間の女とが結婚したこ

とを明確に語ったものではないからそのことを明確にするために女の持ち帰った丹塗矢が男に変身して子が生まれたとい

う話があとになって付加されたのだと同書では述べたそれは既存の一説に見える解釈を妥当なものと認めそれを踏

襲したものだった本稿では「二段構えの語り」がこの話にも認められるという見解に立ってかつて小著で述べた考えを

訂正する

(4) 

女に与えられた「倭迹迹日百襲姫命」という名の語構成ははたしてどのようなものなのかこれを疑問の余地なく解明す

ることはかなり難しい

   

初頭の「倭」と末尾の「姫命」は除くとして「迹と

迹と

日び

百もも

襲そ

」の「百襲」は字面のとおり「多くの着衣」の意であるかも

知れないこの女の夫は蛇神だから蛇が何度も脱皮をくり返すことを背景とする名を妻がもつことは十分にありうること

だろう「百襲」の「襲」には字を構成する要素として「衣」がある「襲」の字は「重ねて着る」「覆う」「継ぐ」「おそ

う」などの意を表す

   

ある特徴や習性を表す語が当人ではなく周囲の者の名に含まれる例は「丹塗矢伝説」の登場者にも見られるたとえば

矢で陰部を突かれて慌てた女が勢せ

夜や

陀だ

多た

良ら

比ひ

売め

であるのにその女の産んだ娘が「陰に矢を立てられ震え姫」の意の「富ほ

登と

多た

多た

良ら

伊い

須す

須す

岐き

比ひめのみこと

売命」という名を与えられている母の経験したことが娘の名に反映しているのである

   「晡く

れふしの

時臥山やま

」〔『常陸国風土記』那珂郡茨城里〕の話に登場する子として蛇を産んだ女とその兄は「努ぬ

賀か

咩め

」「努ぬ

賀か

古こ

という名を与えられているこれらの名も原義を解明するのは難しいが「ぬか」はやはり脱皮の意を表す「脱ぬ

か」かも知れ

ない『和名類聚抄』の「蛻」の項に「毛も

沼ぬ

久く

」とあり『色葉字類抄』の「

蛻」の項に「ヘミノモヌケ」とあるこれらの

「脱ぬ

く」「脱ぬ

け」がこの場合に参考になる下二段活用動詞の「脱け」が「脱か彦脱か姫」では「脱か」となってい

るわけだが上代語では「明け」「荒れ」「枯れ」などの下二段活用動詞が「明か時(暁)」「新あ

垣がき

」「枯から

木き

」などの複合名詞を

構成しているのに同じである

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一六一

 

名の意味をこのように理解することは生まれた子を入れる器を何度か大きいものに替えたという脱皮を暗示する説明と

吻合する中世には「もぬけの衣」という表現もあるから「もぬけ」の「も」はあるいは「裳」か

(5) 「陰ほ

絶たち

田だ

」という地名と「米よね

舂つき

女め

等ら

が陰ほと

を陪おもとびとくな

従婚ぎ断ちき」という説明との関係には理解するのが難しい点がある

「陰絶田」に含まれる「絶つ」はもともと「長い間にわたって継続してきたことを止めまた幅のある物体を切る」の意を

表す動詞であるこれの自動詞である「絶ゆ」も基本的に意味は同じであるだから「陪お

もとびと

従」との交合によって陰部が損

傷したことをあえて「婚ぎ絶ち

9

9

き」と表現した理由が不明である物を損傷したことがなぜ「絶つ」と表現されたのか

「婚ぎ絶ちき」を「裂傷をおはせた」〔古典全書〕の意だと説明してもその疑問は解消しない

   「陰絶田」はもと「陰に(男根が)立つ田」の意の「陰立9

田」だったかも知れないそのように想定すれば神武記の

「丹塗矢伝説」に登場する「富ほ

登と

多た

多た

良ら

伊い

須す

須す

岐き

比ひ

売め

」という名の「ほとたたら」と意味的に対応するただし矢の場合に

「立つ」を用いた理由は理解できるが男根の場合にも同様に「立つ」を用いたとは想定しにくい「絶つ」とあることはや

はり不審のままである

(6) 

三つの要素の結びつきについては益田勝実「日本神話における外在と内在日本神話論における始原と展開」〔国文学

『解釈と鑑賞』一九七七年十月〕によるただしこの論にはOの話に関する言及がまったくないOの話のなかに三要素の

結び付きを読み取るのは私見にすぎない

(7) 

両神の死因をめぐる逆転関係については小著『日本の神話伝説を読む』(岩波新書二〇〇七年)の第二章第二節で述

べた

(日本語日本文学科 

教授)

Page 28: 一 神話・伝説に見られる特徴的な語り...神話・伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木) 0 一二三 べている。太平洋に伝承の海洋型国産み神話に類似。またヌホコを男性の象徴とし、交合による国産み神話とも見られる」と述

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一四八

 

確かに梭で陰部を突いて女が死んだというのはあまりにも衝撃的で印象的な出来事である特に『日本書紀』

の所伝には「天照大神驚お

どろ動

きたまひて梭を以て身を傷い

ましむ」〔本書〕とありまた「稚わ

かひるめのみこと

日尊驚きたまひ

て機は

より墮お

ちて持たる梭を以て體み

を傷や

らしめて神か

むさ退

りましぬ」〔一書第一〕とあって事態はさらに深刻であ

る至高神である天照大神自身が陰部を損傷しまたその分身である稚日尊が同じ原因で死んだというのだからこ

れ以上の重大事件はない

 

ただしここで一つの問題が生じる伝承者が連想したことを神話のなかに持ち込む以前には梭を突き刺して陰

部を損傷したという話題はあっても屋根を壊して馬を投げ入れたという話題は含まれていなかったことになるそ

こで馬に関する話題が直前に置かれていなくても天照大御神が石屋に籠もるという展開になりえたのかとの問

題が生じるのである少なくともUの話では馬の投げ入れに驚いて服織女が陰部に損傷を負って死んだので

0

0

0

0

0

その

ことを恐れた天照大御神が石屋に籠もってしまったというように読めるからである

 

結論を言えば馬を投げ入れるという行動はなくても天照大御神が石屋に籠もるという展開になりえたと理解

することができるそのことを支持するのは『日本書紀』に見える次の所伝である

V 

日ひのかみのみこと

神尊天あ

まのかきた

垣田を以て御田としたまふ時に素戔嗚尊春は渠み

塡う

め畔あ

はなち毀

す又秋の穀

たなつものすで

已に成りぬるとき

に則ち冒

ひきわたす

に絡あ

ぜなは縄

を以てす且ま

たひのかみ

日神の機は

殿どの

に居ま

します時に則ち斑ぶ

駒こま

を生い

剝は

ぎにして其の殿

みあらかの

内に納な

げいる

凡す

て此の諸

もろもろの

事尽

ことごとくに

是これあづきな

無状し然れども日神恩

このかみおととむつま

親しき意

みこころもちに

して慍と

めたまはず恨みたまはず皆

平たひ

らかなる心を以て容ゆ

したまふ日神の新

にひなへきこ

嘗しめす時に及お

よ至

びて素戔嗚尊則ち新

にひなへのみや

宮の御み

まし席

の下に陰ひ

そかに

ら送く

そま糞

る日神知し

しめさずして俓た

に席み

ましの

上に坐ゐ

たまふ是に由よ

りて日神體み

みこぞ挙

りて不や

くさ平

みたまふ故以

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一四九

て恚い

か恨

りまして廼す

なはち

天あまのいはや

石窟に居ま

して其の磐い

戸と

を閉さ

しぬ

〔一書第二〕

 

素すさのをのみこと

戔嗚尊の悪行がどのような順序でこのVの話にあげられているかを少し細かく見てみる天照大神の御み

田た

素戔嗚尊が損壊する話が最初に置かれておりそれはUの話の場合と同じであるしかしその直後にはUの話と

大きく異なって馬を投げ入れる話が置かれているそしてこの悪行を含む「諸

もろもろ

の事」について「日ひ

神かみ

恩このかみおととむつま

親しき意

みこころもちに

して慍と

めたまはず恨みたまはず皆平た

らかなる心を以て容ゆ

したまふ」という説明が付され

ている馬を投げ入れたことは天照大神の石屋籠もりと直結しておらずむしろ日神は馬の投げ入れを含む多くの

悪行を許したというのである

 

Vの話で石屋籠もりと直結しているのはそのあとになされた悪行であるそれは「素戔嗚尊則ち新

にひなへのみや

宮の御み

まし席

の下に陰ひ

そかに

自ら送く

そま糞

る」という蛮行でありこれによって「日神知しめさずして俓た

に席み

ましの

上に坐ゐ

たまふ是に

由よ

りて日神體み

みこぞ挙

りて不や

くさ平

みたまふ」というひどい状況が生じたつまり新宮のなかでの脱糞という悪行が日ひ

神かみ

に病をもたらしさらには同神を石屋に籠もらせたというのである陰部が損傷した事件ではなくて新宮での脱糞

という蛮行が石屋籠もりの原因となりえたことをVの話が証明している【天照大神にあたる神を「日神」とする所

伝はより古い時代に成立したものだと言われる】

 

新宮での脱糞が石屋籠もりの原因になったとするVの話には女陰が損傷したことはまったく見えないこれに対

してUの話やさきに引用した『日本書紀』の本書一書第二の話では馬の投げ入れに驚いた女神が陰部を損傷し

そのことが女神の石屋籠もりの原因となっている話の内容にこのような相違がある事実は女神が陰部を損傷した

ことと女神が石屋に籠もったこととは必ずしも一連のものではないことしたがって話の成立について考えるにあ

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一五〇

たっては二つのことを別々に処理してかまわないということを示している

 

ただしUの話で大きな問題となるのは馬を投げ入れるという行動がなければ女神が驚いて陰部を損傷すると

いう事態も起こらないということであるこの点で女神が陰部を損傷するという事態だけが話に含まれ馬を投

げ入れるという行動は話に含まれないという話の状況は想定できないのである

 

一連の話のなかにまずXのことが出ていて次にYのことが出ているという「二段構えの語り」について考える際

にぜひとも考慮しておくべきことがあるつまりあることをもとにしてそれに類似することを伝承者が連想し

連想した内容を結果的に話のなかに持ち込むには一般的に二とおりの過程がありうるということである

a 

先に出てくるXが伝承者に強い印象を与えるためにXについて語ったあとにそれに類似した内容をもつY

を伝承者が連想するという過程

b 

あとに出てくるYが伝承者に強い印象を与えるためにYについて語る前にそれに類似した内容をもつXを

伝承者が連想するという過程

 

これまで見てきた「二段構えの語り」はすべてbの過程を経て生じたものだと考えたしそのように考えて特に

問題はなかったしかしUVの二話の場合はそのように考えることは不可能であるUの話では馬を投げ入

れたことが女神が陰部を損傷する原因になっておりVの話では新宮で脱糞したことが女神に病をもたらす原

因となっている二重線の部分が原因を表しており太線の部分が結果を表しているわけだから二つの部分は密接

な因果関係を構成しているのである

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一五一

 

そこでUVの二話に表れている「二段構えの語り」がbの過程を経て成立したと仮定して具体的に話の展開

について考えてみる陰部を損傷したことだけがUの話に含まれるという段階を想定すれば女神がなぜ梭で陰部を

突くことになったのか何も説明がなく話の展開が唐突すぎる聞き手は話の展開が理解できないのであるまた

同様に女神が糞の上に座って病を得たことだけがVの話に含まれるという段階を想定すればそこになぜ糞があっ

たのかが不明であるこちらも話の展開そのものが成り立たない

 

一方で「二段構えの語り」はbの過程を経て成立したという仮定を捨てそれはaの過程を経て成立したものだ

と仮定してみる二重線の部分だけが話に含まれており伝承者はそれをもとにして太線の部分を連想し連想した

ことをあとで話のなかに持ち込んだというふうにである

 

Uの話にはもともと馬を投げ入れたことだけがあり伝承者はそれをもとに酷似する動きをとることとして

梭で陰部を突くという動作を連想した馬の皮を剝いだうえ屋根を壊してそれを服屋の中に投げ入れるという悪行

は女神が梭で陰部を突くという事故がなくても女神を恐れさせて石屋に籠もらせるには十分である

 

またVの話の場合にはもともと新宮で脱糞をしたことだけが含まれており伝承者はそれに基づいて女神が

その糞の上に座って病を得たことを連想した女神が新嘗の儀礼を行う前にその神聖な新宮でこっそり脱糞をする

という蛮行は女神が糞の上に座って病を得るという事態が起こらなくても女神を怒らせて石窟に籠もらせるには

十分である

 

こうしてbの過程を想定すればもとの話は成り立たないが逆にaの過程を想定すればUVの二話にも「二

段構えの語り」が表れていると考えることができる実はaの過程を想定することによって「二段構えの語り」が

表れていることを順当に説明しうる話はすぐあとに取り上げるようにほかにもまだある

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一五二

 

女陰が何らかの原因で損傷したことを述べるIOUの三話についてさきに一段めの語りと二段めの語りの

内容を検討したうえでそれぞれを次のように一文にまとめておいた

I 《身体の一部を急に下方に移動させその先にある物を勢いよく突く》

O 《狭い空間に棒状の物を差し入れその奥にある部分または物を強く突く》

U 《ある物体を急に動かしその勢いで別の物体を破損する》

 

三話に認められる「二段構えの語り」の内容はこのようにどれも同じような動きを表すものになっているそれ

だけでなくABの話やGの話に見られる「二段構えの語り」もまた同じような動きを表すものになっている

ということは女陰が損傷を受けたことを述べる三話に「二段構えの語り」を認めることの妥当性を逆の面から証

するものだと言えるのではないか

 

これに対し女陰の損傷が話題となっていない「二段構えの語り」が認められる別の諸話についてその内容を

一文にまとめるとその一文はこれらとまったく異なる動きを表すものとなる(後述)そのこともさきに述べた

ような「二段構えの語り」の存在を認めるべき一つの論拠となると考える

 

Uの話と同様にaの過程を経て「二段構えの語り」が成立したと推定される話をここでもう一つ取り上げる

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一五三

それは『古事記』に見える神話でのちに地上界の支配者になる大お

ほなむぢの

穴牟遅神か

をその兄弟である八や

十そ

神がみ

が殺害する場

面である

W 

ここに八や

十そ

神がみ

見てまた欺あ

ざむき

て山に率ゐ

て入りて大お

樹き

を切り伏せ茹ひ

矢や

をその木に打ち立てその中に入らし

むる即ちその氷ひ

目め

矢や

を打ち離ちて拷う

ち殺しきここにまたその御み

祖おや

の命み

こと

哭な

きつつ求ま

げば見得てすな

はちその木を折りて取り出で活かしてその子に告げて言ひしく「汝い

まし

此こ こ間

にあらば遂に八十神のために滅

ぼさえなむ」といひてすなはち木き

国くに

の大お

屋や

毘び

古この

神かみ

の御み

もと所

に違た

へ遣りきここに八十神

ぎ追ひ臻い

りて矢や

刺ざ

し乞ふ時に木の俣ま

より漏く

き逃がして云の

りたまひしく「須す

佐さ

能のをのみこと

男命の坐ま

します根の堅か

州す

国くに

に参ま

向ふべし必ず

その大神議は

りたまひなむ」とのりたまひき故か

詔の

りたまひし命の随ま

にまに

須佐之男命の御所に参ま

ゐいた到

ればhellip

〔神代記〕

 

八十神が大木を切り倒してそれを裂き裂け目に楔

くさび

状の「茹ひ

矢や

」を押し立てておいたそしてそこに大穴牟遅神

を入らせて楔状の物を引き抜き同神を圧死させた同神の母が木を折って息子を救い出しこれを蘇生させて大お

屋や

毘び

古この

神かみ

のもとへ逃がしてやったさらに八十神が追いついて息子を引き渡すように母に要求した時には母が息

子をこっそり木の俣から須佐能男命のもとへ逃がしてやったという

 

Wの話の直前には八十神に脅迫された大穴牟遅神が焼けた岩をかかえ込んで死んでしまったという話が置か

れている死んだ大穴牟遅神はやはり母の尽力によって復活したというそれが一回めの死と復活を語る話だから

Wの話で語られる死と復活は二回めのそれである一回めの死が岩を抱き取ることによってもたらされ二回めの死

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一五四

が木の俣に挟まれることによってもたらされた死因の内容が一回めと二回めとでは逆転している

 

また大穴牟遅神の二度にわたる死は天照大御神の二度にわたる死と奇妙なかたちで対応している天照大御神

の死はまず同神自身あるいはその分身の女神が木製の梭で陰部を突いて死ぬというかたちで語られるまた

そのあとで同神自身が岩屋に籠もってしまうというかたちで死が語られるがそれは太陽神の象徴的な死である

両神の死の内容を細かく比較すると両神の体と岩木とが次のように互いに逆転した奇妙な関係を示しているこ

とがわかる

  

大穴牟遅神の死helliphelliphellip体が岩をかかえるdarr木の俣が体を挟む

  

天照大御神の死helliphelliphellip木が体のなかに入るdarr体が岩のなかに入る

 

地上の支配者と世界の至高神との間に死をめぐってこのような逆転した関係が認められるのはきわめて興味深

いことである)

7(

 

さて「二段構えの語り」だがWの話のうち母が息子を「その木を折りて取り出で活かして」大お

屋や

毘び

古この

神かみ

のも

とへ逃がしてやったという二重線の部分が一段めの語りにあたる二段めの語りにあたるのは母が息子を「木の

俣また

より漏く

き逃がし」て須佐能男命のもとへ向かわせたという太線の部分である

 

つまりこの神話では俣になった「その木を折りて」母が息子を救い出す一段めの語りと母が息子を「木の俣

より漏く

き」逃がしてやる二段めの語りとは

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一五五

W 《母が息子を木の俣から救出しあるいは逃がして別の神のもとへ送り出す》

という酷似した内容のものになっている

 

地上の支配者となるべき大穴牟遅神が木の俣に挟まれて死んで母に救われる話の方が同神の母が木の俣から息

子を逃がしてやる話よりもずっと衝撃的で印象的であるだから神話の伝承者が一段めの語りの内容を強く意

識しそれに酷似した内容をもつ二段めの語りを連想してあとで話のなかに持ち込んだのだろうと推測される

より印象的な出来事を語り終えたあともそれが意識のなかから消え去らず類似し対応することがらをあとで連想し

てしまったと考えられる【一段めの話から二段めの話が連想されたというaの過程をたどったとおぼしい実例は

僅少であるそれには然るべき理由があったと考えるべきだが目下のところそれは不明である】

 

Wの話がこのような経緯をたどったとすると母が木を折って息子を救い出しこれを蘇生させてから別の神のも

とへ逃がしてやったという一段めの語りだけが話に含まれていた段階を例によって想定しなければならない一

段めの語りだけで話は成り立つのか

 

結論を言えばその想定は可能である八十神のもとから逃げた大穴牟遅神が須佐能男命のいる地まで行ったと

いうような単純な内容の話になっている方が以下との続きかたは自然である二重線の部分の末尾にある「木き

国くに

の大お

屋や

毘び

古この

神かみ

の御み

もと所

に違た

へ遣りき」の「大屋毘古神」の部分を太線の部分にある「須佐能男命」とすれば話は無

理なく以下に続くのであるまずは大屋毘古神のもとへ逃げて行ったという部分がなかったとすれば母は木の裂け

目から息子を救い出しこれを蘇生させて須佐能男命のもとへ送り出したというわかりやすい展開になるしたが

ってaの過程を経てWの話が成立しただろうという推定は十分に成り立つ

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一五六

 

二重線の「木き

国くに

の大お

屋や

毘び

古この

神かみ

の御み

もと所

に違た

へ遣りき」という部分は「木国のhellip」で始まっているそれは「大お

樹き

切り伏せ」「茹ひ

矢や

をその木に打ち立て」「その木を折りて」などWの話にくり返し出ている「樹木」から連想され

たものだろう

 

太線の部分にある「木の俣ま

より漏く

き逃がして」以下の表現からその前に置かれた二重線の部分が連想されたと

いうbの過程は想定できない二重線の部分が話に含まれていないという段階はなぜ太線の部分が話に含まれてい

るのかということつまり「木の俣ま

より漏く

き逃がして」とある理由が説明できないのである大穴牟遅神が八十神に

殺害されて復活したという理由があって始めて「木の俣ま

より漏く

き逃がして」以下の表現が意味をもつのである

 

木の俣に挟まれて圧死した大穴牟遅神が母の尽力によって蘇生したあとには同神が須佐能男命から与えられた

いくつもの試練を妻の須す

勢せ

理り

毘び

売め

の助力を得てそのたびごとに克服するという話が続くさらに大穴牟遅神が

須勢理毘売をその父のもとから奪って逃げるとともに自分に苦難をもたらした八十神を追い払って「始めて国を作

りたま」うたという展開になっているまたそのあとにも大穴牟遅神の子を産んだ八や

上かみ

比ひ

売め

が須世理毘売を恐

れて「その生める子をば木の俣に挟みて返」ったという話が続いている八上比売の話にまたもや「木の俣」

のことが出てくるわけである

 

この「木の俣」の話もまた大穴牟遅神が「木の俣」に挟まれて圧死した話から連想されたものである可能性が想

定できるがそのように想定する場合に問題となることがあるそれは両話の間に置かれた話があまりにも長大な

ものだということであるしかし大穴牟遅神と生まれた子との間には

 

ⅰ 

父子

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一五七

 

ⅱ 

木の俣に挟まれて死ぬ生まれて木の俣に挟まれる

 

ⅲ 

母が救い出す母が置き去りにする

 

ⅳ 

母が別地へ向かわせる母がもとの地に戻る

というような対比的な関係も認められるのでありこうした関係が偶然に生じたものだとは考えがたいだから父

が木の俣で圧死させられることから生まれた子を木の俣に置くことが連想されたという可能性をここでは否定し

ないでおく【より古い時代には大穴牟遅神が木の俣に挟まれて死ぬ話と八上比売が木の俣に新生児を挟む話とは

直結した一連のものだったことも想定できる】

 

以上の論述では「二段構えの語り」の様態について数話を例示してやや細かく検討を加えたその結果話に

含まれる特定のことからがそれに類似し対応することがらを伝承者に連想させ連想した内容が結果的に話のなか

に組み込まれてしまうという特徴的な現象を上代の神話や伝説を通して確認することができたと考える

 

同じ「二段構えの語り」の現象が認められる話は本稿で取り上げた諸話で尽きているのではなくまだ何話か上

代の文献に見える紙幅の関係でそれらを取り上げて細かく検討を加えることができないからここで二話だけに

ついて結論を述べておき具体的な検討は別稿で行うことにする

 

二話のうち一つは神話に見えるもので娘たちを飲み食らう大蛇を須佐能男命が退治する場面である『古事記』

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一五八

で言えば「是の高こ

志し

の八や

俣また

の遠を

呂ろ

智ち

年と

毎ごと

に来て喫く

へり」という部分と「船ふ

毎ごと

に己お

が頭を垂い入れてその酒を飲み

き」という部分とが「二段構えの語り」に相当する二つの部分の内容をまとめると

  《大蛇が出雲へやってきて足あ

名なづち椎

のがわに属するものを食らいあるいは飲む》

というようになる娘たちを食らい飲む大蛇が酒を飲むという同じ行動が原因で退治されてしまうのである

 

またもう一つの話は『播磨国風土記』の賀古郡の条に見える「比礼墓伝説」であるこの話では「印い

なみ南

」の女

が「隠な

び妻」であり「辞い

び妻」でもあるからこれは「古代の口がたり特有の面白さ」をもつものだという興味深

い見解がある

 

話の冒頭近くにある「度わ

たりもり

子紀き伊の国く

人ひと

小を

玉たま

申さく「我は天

すめらみこと

皇の贄に

人びと

たらめや」とまをす」という部分とその

あとにある「印南の別嬢聞きて驚き畏か

しこみ

即や

て南な

都つ

麻ま

嶋に遁に

げ度りき」という部分とが「二段構えの語り」に

相当する二つの部分のうちのあとの部分は別嬢が天皇の求婚を嫌がって

0

0

0

0

島に逃げて隠れたことを述べたものだか

ら二つの部分は同じく「辞い

び」を内容とするものだと言える「度わ

たりもり

子」つまり船頭の「我は天

すめらみこと

皇の贄に

人びと

たらめや」

という発言に倣って天皇の求婚を嫌がる別嬢の心情を言い表せば「吾は天皇の妻

9

9

9

9

たらめや」というようになる

  

船頭の「辞び」helliphelliphellip「我は天

すめらみこと

皇の贄に

人びと

たらめや」

  

別嬢の「辞び」helliphelliphellip「吾は天皇の妻

9

9

9

9

たらめや」

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一五九

 

結局二つの「辞び」は単なる拒否ではなく次のような同じ内容を表す「辞び」なのである

  《私は天皇にお仕えなどしない》

 

この話の末尾近くには別嬢の遺体について「大き飄つ

むじ

川下より来て其の尸か

ばねを

川中に纏ま

き入れき求むれども得

ず」と述べられているがその部分と別嬢が島に逃げて隠れた

0

0

0

という前の部分ともまた「二段構えの語り」を構

成している二つの部分はともに別嬢の「隠び」を内容とするものなので次のように一つにまとめることができる

  《別嬢が「隠な

び」をした》

 「辞び」も「隠び」も話のなかに二度ずつ表れているのである

 

大蛇退治の神話と「弟日姫子伝説」とには「二段構えの語り」を認めるにあたって解決すべき多くの問題が含ま

れているしかしそれらを一つ一つ検討していけば見てきた諸話と同様の特徴的な語りを二話にも認めることが

できる

註(1) 

本稿にあげる『古事記』『日本書紀』『風土記』などの記述は本文訓読文ともに古典文学大系のものを引用するまた

『萬葉集』の本文訓読文は新編古典全集のものを引用するただしいずれも読みやすさと理解しやすさとを考慮して

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一六〇

もとの表記形式その他を改めることが少なくない

(2) 

大野晋「記紀の創世神話の構成」〔『文学』一九六五年八月〕のちに『仮名遣と上代語』(一九八二年)に収載

(3) 「丹塗矢伝説」の成立については小著『伝承と言語』(一九九五年)のⅡ部四章で私見を述べたただし同書に述べたこ

とと本稿で述べたことの間には一点だけ相違がある丹塗矢が女の陰部を突いたという話は神と人間の女とが結婚したこ

とを明確に語ったものではないからそのことを明確にするために女の持ち帰った丹塗矢が男に変身して子が生まれたとい

う話があとになって付加されたのだと同書では述べたそれは既存の一説に見える解釈を妥当なものと認めそれを踏

襲したものだった本稿では「二段構えの語り」がこの話にも認められるという見解に立ってかつて小著で述べた考えを

訂正する

(4) 

女に与えられた「倭迹迹日百襲姫命」という名の語構成ははたしてどのようなものなのかこれを疑問の余地なく解明す

ることはかなり難しい

   

初頭の「倭」と末尾の「姫命」は除くとして「迹と

迹と

日び

百もも

襲そ

」の「百襲」は字面のとおり「多くの着衣」の意であるかも

知れないこの女の夫は蛇神だから蛇が何度も脱皮をくり返すことを背景とする名を妻がもつことは十分にありうること

だろう「百襲」の「襲」には字を構成する要素として「衣」がある「襲」の字は「重ねて着る」「覆う」「継ぐ」「おそ

う」などの意を表す

   

ある特徴や習性を表す語が当人ではなく周囲の者の名に含まれる例は「丹塗矢伝説」の登場者にも見られるたとえば

矢で陰部を突かれて慌てた女が勢せ

夜や

陀だ

多た

良ら

比ひ

売め

であるのにその女の産んだ娘が「陰に矢を立てられ震え姫」の意の「富ほ

登と

多た

多た

良ら

伊い

須す

須す

岐き

比ひめのみこと

売命」という名を与えられている母の経験したことが娘の名に反映しているのである

   「晡く

れふしの

時臥山やま

」〔『常陸国風土記』那珂郡茨城里〕の話に登場する子として蛇を産んだ女とその兄は「努ぬ

賀か

咩め

」「努ぬ

賀か

古こ

という名を与えられているこれらの名も原義を解明するのは難しいが「ぬか」はやはり脱皮の意を表す「脱ぬ

か」かも知れ

ない『和名類聚抄』の「蛻」の項に「毛も

沼ぬ

久く

」とあり『色葉字類抄』の「

蛻」の項に「ヘミノモヌケ」とあるこれらの

「脱ぬ

く」「脱ぬ

け」がこの場合に参考になる下二段活用動詞の「脱け」が「脱か彦脱か姫」では「脱か」となってい

るわけだが上代語では「明け」「荒れ」「枯れ」などの下二段活用動詞が「明か時(暁)」「新あ

垣がき

」「枯から

木き

」などの複合名詞を

構成しているのに同じである

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一六一

 

名の意味をこのように理解することは生まれた子を入れる器を何度か大きいものに替えたという脱皮を暗示する説明と

吻合する中世には「もぬけの衣」という表現もあるから「もぬけ」の「も」はあるいは「裳」か

(5) 「陰ほ

絶たち

田だ

」という地名と「米よね

舂つき

女め

等ら

が陰ほと

を陪おもとびとくな

従婚ぎ断ちき」という説明との関係には理解するのが難しい点がある

「陰絶田」に含まれる「絶つ」はもともと「長い間にわたって継続してきたことを止めまた幅のある物体を切る」の意を

表す動詞であるこれの自動詞である「絶ゆ」も基本的に意味は同じであるだから「陪お

もとびと

従」との交合によって陰部が損

傷したことをあえて「婚ぎ絶ち

9

9

き」と表現した理由が不明である物を損傷したことがなぜ「絶つ」と表現されたのか

「婚ぎ絶ちき」を「裂傷をおはせた」〔古典全書〕の意だと説明してもその疑問は解消しない

   「陰絶田」はもと「陰に(男根が)立つ田」の意の「陰立9

田」だったかも知れないそのように想定すれば神武記の

「丹塗矢伝説」に登場する「富ほ

登と

多た

多た

良ら

伊い

須す

須す

岐き

比ひ

売め

」という名の「ほとたたら」と意味的に対応するただし矢の場合に

「立つ」を用いた理由は理解できるが男根の場合にも同様に「立つ」を用いたとは想定しにくい「絶つ」とあることはや

はり不審のままである

(6) 

三つの要素の結びつきについては益田勝実「日本神話における外在と内在日本神話論における始原と展開」〔国文学

『解釈と鑑賞』一九七七年十月〕によるただしこの論にはOの話に関する言及がまったくないOの話のなかに三要素の

結び付きを読み取るのは私見にすぎない

(7) 

両神の死因をめぐる逆転関係については小著『日本の神話伝説を読む』(岩波新書二〇〇七年)の第二章第二節で述

べた

(日本語日本文学科 

教授)

Page 29: 一 神話・伝説に見られる特徴的な語り...神話・伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木) 0 一二三 べている。太平洋に伝承の海洋型国産み神話に類似。またヌホコを男性の象徴とし、交合による国産み神話とも見られる」と述

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一四九

て恚い

か恨

りまして廼す

なはち

天あまのいはや

石窟に居ま

して其の磐い

戸と

を閉さ

しぬ

〔一書第二〕

 

素すさのをのみこと

戔嗚尊の悪行がどのような順序でこのVの話にあげられているかを少し細かく見てみる天照大神の御み

田た

素戔嗚尊が損壊する話が最初に置かれておりそれはUの話の場合と同じであるしかしその直後にはUの話と

大きく異なって馬を投げ入れる話が置かれているそしてこの悪行を含む「諸

もろもろ

の事」について「日ひ

神かみ

恩このかみおととむつま

親しき意

みこころもちに

して慍と

めたまはず恨みたまはず皆平た

らかなる心を以て容ゆ

したまふ」という説明が付され

ている馬を投げ入れたことは天照大神の石屋籠もりと直結しておらずむしろ日神は馬の投げ入れを含む多くの

悪行を許したというのである

 

Vの話で石屋籠もりと直結しているのはそのあとになされた悪行であるそれは「素戔嗚尊則ち新

にひなへのみや

宮の御み

まし席

の下に陰ひ

そかに

自ら送く

そま糞

る」という蛮行でありこれによって「日神知しめさずして俓た

に席み

ましの

上に坐ゐ

たまふ是に

由よ

りて日神體み

みこぞ挙

りて不や

くさ平

みたまふ」というひどい状況が生じたつまり新宮のなかでの脱糞という悪行が日ひ

神かみ

に病をもたらしさらには同神を石屋に籠もらせたというのである陰部が損傷した事件ではなくて新宮での脱糞

という蛮行が石屋籠もりの原因となりえたことをVの話が証明している【天照大神にあたる神を「日神」とする所

伝はより古い時代に成立したものだと言われる】

 

新宮での脱糞が石屋籠もりの原因になったとするVの話には女陰が損傷したことはまったく見えないこれに対

してUの話やさきに引用した『日本書紀』の本書一書第二の話では馬の投げ入れに驚いた女神が陰部を損傷し

そのことが女神の石屋籠もりの原因となっている話の内容にこのような相違がある事実は女神が陰部を損傷した

ことと女神が石屋に籠もったこととは必ずしも一連のものではないことしたがって話の成立について考えるにあ

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一五〇

たっては二つのことを別々に処理してかまわないということを示している

 

ただしUの話で大きな問題となるのは馬を投げ入れるという行動がなければ女神が驚いて陰部を損傷すると

いう事態も起こらないということであるこの点で女神が陰部を損傷するという事態だけが話に含まれ馬を投

げ入れるという行動は話に含まれないという話の状況は想定できないのである

 

一連の話のなかにまずXのことが出ていて次にYのことが出ているという「二段構えの語り」について考える際

にぜひとも考慮しておくべきことがあるつまりあることをもとにしてそれに類似することを伝承者が連想し

連想した内容を結果的に話のなかに持ち込むには一般的に二とおりの過程がありうるということである

a 

先に出てくるXが伝承者に強い印象を与えるためにXについて語ったあとにそれに類似した内容をもつY

を伝承者が連想するという過程

b 

あとに出てくるYが伝承者に強い印象を与えるためにYについて語る前にそれに類似した内容をもつXを

伝承者が連想するという過程

 

これまで見てきた「二段構えの語り」はすべてbの過程を経て生じたものだと考えたしそのように考えて特に

問題はなかったしかしUVの二話の場合はそのように考えることは不可能であるUの話では馬を投げ入

れたことが女神が陰部を損傷する原因になっておりVの話では新宮で脱糞したことが女神に病をもたらす原

因となっている二重線の部分が原因を表しており太線の部分が結果を表しているわけだから二つの部分は密接

な因果関係を構成しているのである

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一五一

 

そこでUVの二話に表れている「二段構えの語り」がbの過程を経て成立したと仮定して具体的に話の展開

について考えてみる陰部を損傷したことだけがUの話に含まれるという段階を想定すれば女神がなぜ梭で陰部を

突くことになったのか何も説明がなく話の展開が唐突すぎる聞き手は話の展開が理解できないのであるまた

同様に女神が糞の上に座って病を得たことだけがVの話に含まれるという段階を想定すればそこになぜ糞があっ

たのかが不明であるこちらも話の展開そのものが成り立たない

 

一方で「二段構えの語り」はbの過程を経て成立したという仮定を捨てそれはaの過程を経て成立したものだ

と仮定してみる二重線の部分だけが話に含まれており伝承者はそれをもとにして太線の部分を連想し連想した

ことをあとで話のなかに持ち込んだというふうにである

 

Uの話にはもともと馬を投げ入れたことだけがあり伝承者はそれをもとに酷似する動きをとることとして

梭で陰部を突くという動作を連想した馬の皮を剝いだうえ屋根を壊してそれを服屋の中に投げ入れるという悪行

は女神が梭で陰部を突くという事故がなくても女神を恐れさせて石屋に籠もらせるには十分である

 

またVの話の場合にはもともと新宮で脱糞をしたことだけが含まれており伝承者はそれに基づいて女神が

その糞の上に座って病を得たことを連想した女神が新嘗の儀礼を行う前にその神聖な新宮でこっそり脱糞をする

という蛮行は女神が糞の上に座って病を得るという事態が起こらなくても女神を怒らせて石窟に籠もらせるには

十分である

 

こうしてbの過程を想定すればもとの話は成り立たないが逆にaの過程を想定すればUVの二話にも「二

段構えの語り」が表れていると考えることができる実はaの過程を想定することによって「二段構えの語り」が

表れていることを順当に説明しうる話はすぐあとに取り上げるようにほかにもまだある

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一五二

 

女陰が何らかの原因で損傷したことを述べるIOUの三話についてさきに一段めの語りと二段めの語りの

内容を検討したうえでそれぞれを次のように一文にまとめておいた

I 《身体の一部を急に下方に移動させその先にある物を勢いよく突く》

O 《狭い空間に棒状の物を差し入れその奥にある部分または物を強く突く》

U 《ある物体を急に動かしその勢いで別の物体を破損する》

 

三話に認められる「二段構えの語り」の内容はこのようにどれも同じような動きを表すものになっているそれ

だけでなくABの話やGの話に見られる「二段構えの語り」もまた同じような動きを表すものになっている

ということは女陰が損傷を受けたことを述べる三話に「二段構えの語り」を認めることの妥当性を逆の面から証

するものだと言えるのではないか

 

これに対し女陰の損傷が話題となっていない「二段構えの語り」が認められる別の諸話についてその内容を

一文にまとめるとその一文はこれらとまったく異なる動きを表すものとなる(後述)そのこともさきに述べた

ような「二段構えの語り」の存在を認めるべき一つの論拠となると考える

 

Uの話と同様にaの過程を経て「二段構えの語り」が成立したと推定される話をここでもう一つ取り上げる

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一五三

それは『古事記』に見える神話でのちに地上界の支配者になる大お

ほなむぢの

穴牟遅神か

をその兄弟である八や

十そ

神がみ

が殺害する場

面である

W 

ここに八や

十そ

神がみ

見てまた欺あ

ざむき

て山に率ゐ

て入りて大お

樹き

を切り伏せ茹ひ

矢や

をその木に打ち立てその中に入らし

むる即ちその氷ひ

目め

矢や

を打ち離ちて拷う

ち殺しきここにまたその御み

祖おや

の命み

こと

哭な

きつつ求ま

げば見得てすな

はちその木を折りて取り出で活かしてその子に告げて言ひしく「汝い

まし

此こ こ間

にあらば遂に八十神のために滅

ぼさえなむ」といひてすなはち木き

国くに

の大お

屋や

毘び

古この

神かみ

の御み

もと所

に違た

へ遣りきここに八十神

ぎ追ひ臻い

りて矢や

刺ざ

し乞ふ時に木の俣ま

より漏く

き逃がして云の

りたまひしく「須す

佐さ

能のをのみこと

男命の坐ま

します根の堅か

州す

国くに

に参ま

向ふべし必ず

その大神議は

りたまひなむ」とのりたまひき故か

詔の

りたまひし命の随ま

にまに

須佐之男命の御所に参ま

ゐいた到

ればhellip

〔神代記〕

 

八十神が大木を切り倒してそれを裂き裂け目に楔

くさび

状の「茹ひ

矢や

」を押し立てておいたそしてそこに大穴牟遅神

を入らせて楔状の物を引き抜き同神を圧死させた同神の母が木を折って息子を救い出しこれを蘇生させて大お

屋や

毘び

古この

神かみ

のもとへ逃がしてやったさらに八十神が追いついて息子を引き渡すように母に要求した時には母が息

子をこっそり木の俣から須佐能男命のもとへ逃がしてやったという

 

Wの話の直前には八十神に脅迫された大穴牟遅神が焼けた岩をかかえ込んで死んでしまったという話が置か

れている死んだ大穴牟遅神はやはり母の尽力によって復活したというそれが一回めの死と復活を語る話だから

Wの話で語られる死と復活は二回めのそれである一回めの死が岩を抱き取ることによってもたらされ二回めの死

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一五四

が木の俣に挟まれることによってもたらされた死因の内容が一回めと二回めとでは逆転している

 

また大穴牟遅神の二度にわたる死は天照大御神の二度にわたる死と奇妙なかたちで対応している天照大御神

の死はまず同神自身あるいはその分身の女神が木製の梭で陰部を突いて死ぬというかたちで語られるまた

そのあとで同神自身が岩屋に籠もってしまうというかたちで死が語られるがそれは太陽神の象徴的な死である

両神の死の内容を細かく比較すると両神の体と岩木とが次のように互いに逆転した奇妙な関係を示しているこ

とがわかる

  

大穴牟遅神の死helliphelliphellip体が岩をかかえるdarr木の俣が体を挟む

  

天照大御神の死helliphelliphellip木が体のなかに入るdarr体が岩のなかに入る

 

地上の支配者と世界の至高神との間に死をめぐってこのような逆転した関係が認められるのはきわめて興味深

いことである)

7(

 

さて「二段構えの語り」だがWの話のうち母が息子を「その木を折りて取り出で活かして」大お

屋や

毘び

古この

神かみ

のも

とへ逃がしてやったという二重線の部分が一段めの語りにあたる二段めの語りにあたるのは母が息子を「木の

俣また

より漏く

き逃がし」て須佐能男命のもとへ向かわせたという太線の部分である

 

つまりこの神話では俣になった「その木を折りて」母が息子を救い出す一段めの語りと母が息子を「木の俣

より漏く

き」逃がしてやる二段めの語りとは

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一五五

W 《母が息子を木の俣から救出しあるいは逃がして別の神のもとへ送り出す》

という酷似した内容のものになっている

 

地上の支配者となるべき大穴牟遅神が木の俣に挟まれて死んで母に救われる話の方が同神の母が木の俣から息

子を逃がしてやる話よりもずっと衝撃的で印象的であるだから神話の伝承者が一段めの語りの内容を強く意

識しそれに酷似した内容をもつ二段めの語りを連想してあとで話のなかに持ち込んだのだろうと推測される

より印象的な出来事を語り終えたあともそれが意識のなかから消え去らず類似し対応することがらをあとで連想し

てしまったと考えられる【一段めの話から二段めの話が連想されたというaの過程をたどったとおぼしい実例は

僅少であるそれには然るべき理由があったと考えるべきだが目下のところそれは不明である】

 

Wの話がこのような経緯をたどったとすると母が木を折って息子を救い出しこれを蘇生させてから別の神のも

とへ逃がしてやったという一段めの語りだけが話に含まれていた段階を例によって想定しなければならない一

段めの語りだけで話は成り立つのか

 

結論を言えばその想定は可能である八十神のもとから逃げた大穴牟遅神が須佐能男命のいる地まで行ったと

いうような単純な内容の話になっている方が以下との続きかたは自然である二重線の部分の末尾にある「木き

国くに

の大お

屋や

毘び

古この

神かみ

の御み

もと所

に違た

へ遣りき」の「大屋毘古神」の部分を太線の部分にある「須佐能男命」とすれば話は無

理なく以下に続くのであるまずは大屋毘古神のもとへ逃げて行ったという部分がなかったとすれば母は木の裂け

目から息子を救い出しこれを蘇生させて須佐能男命のもとへ送り出したというわかりやすい展開になるしたが

ってaの過程を経てWの話が成立しただろうという推定は十分に成り立つ

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一五六

 

二重線の「木き

国くに

の大お

屋や

毘び

古この

神かみ

の御み

もと所

に違た

へ遣りき」という部分は「木国のhellip」で始まっているそれは「大お

樹き

切り伏せ」「茹ひ

矢や

をその木に打ち立て」「その木を折りて」などWの話にくり返し出ている「樹木」から連想され

たものだろう

 

太線の部分にある「木の俣ま

より漏く

き逃がして」以下の表現からその前に置かれた二重線の部分が連想されたと

いうbの過程は想定できない二重線の部分が話に含まれていないという段階はなぜ太線の部分が話に含まれてい

るのかということつまり「木の俣ま

より漏く

き逃がして」とある理由が説明できないのである大穴牟遅神が八十神に

殺害されて復活したという理由があって始めて「木の俣ま

より漏く

き逃がして」以下の表現が意味をもつのである

 

木の俣に挟まれて圧死した大穴牟遅神が母の尽力によって蘇生したあとには同神が須佐能男命から与えられた

いくつもの試練を妻の須す

勢せ

理り

毘び

売め

の助力を得てそのたびごとに克服するという話が続くさらに大穴牟遅神が

須勢理毘売をその父のもとから奪って逃げるとともに自分に苦難をもたらした八十神を追い払って「始めて国を作

りたま」うたという展開になっているまたそのあとにも大穴牟遅神の子を産んだ八や

上かみ

比ひ

売め

が須世理毘売を恐

れて「その生める子をば木の俣に挟みて返」ったという話が続いている八上比売の話にまたもや「木の俣」

のことが出てくるわけである

 

この「木の俣」の話もまた大穴牟遅神が「木の俣」に挟まれて圧死した話から連想されたものである可能性が想

定できるがそのように想定する場合に問題となることがあるそれは両話の間に置かれた話があまりにも長大な

ものだということであるしかし大穴牟遅神と生まれた子との間には

 

ⅰ 

父子

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一五七

 

ⅱ 

木の俣に挟まれて死ぬ生まれて木の俣に挟まれる

 

ⅲ 

母が救い出す母が置き去りにする

 

ⅳ 

母が別地へ向かわせる母がもとの地に戻る

というような対比的な関係も認められるのでありこうした関係が偶然に生じたものだとは考えがたいだから父

が木の俣で圧死させられることから生まれた子を木の俣に置くことが連想されたという可能性をここでは否定し

ないでおく【より古い時代には大穴牟遅神が木の俣に挟まれて死ぬ話と八上比売が木の俣に新生児を挟む話とは

直結した一連のものだったことも想定できる】

 

以上の論述では「二段構えの語り」の様態について数話を例示してやや細かく検討を加えたその結果話に

含まれる特定のことからがそれに類似し対応することがらを伝承者に連想させ連想した内容が結果的に話のなか

に組み込まれてしまうという特徴的な現象を上代の神話や伝説を通して確認することができたと考える

 

同じ「二段構えの語り」の現象が認められる話は本稿で取り上げた諸話で尽きているのではなくまだ何話か上

代の文献に見える紙幅の関係でそれらを取り上げて細かく検討を加えることができないからここで二話だけに

ついて結論を述べておき具体的な検討は別稿で行うことにする

 

二話のうち一つは神話に見えるもので娘たちを飲み食らう大蛇を須佐能男命が退治する場面である『古事記』

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一五八

で言えば「是の高こ

志し

の八や

俣また

の遠を

呂ろ

智ち

年と

毎ごと

に来て喫く

へり」という部分と「船ふ

毎ごと

に己お

が頭を垂い入れてその酒を飲み

き」という部分とが「二段構えの語り」に相当する二つの部分の内容をまとめると

  《大蛇が出雲へやってきて足あ

名なづち椎

のがわに属するものを食らいあるいは飲む》

というようになる娘たちを食らい飲む大蛇が酒を飲むという同じ行動が原因で退治されてしまうのである

 

またもう一つの話は『播磨国風土記』の賀古郡の条に見える「比礼墓伝説」であるこの話では「印い

なみ南

」の女

が「隠な

び妻」であり「辞い

び妻」でもあるからこれは「古代の口がたり特有の面白さ」をもつものだという興味深

い見解がある

 

話の冒頭近くにある「度わ

たりもり

子紀き伊の国く

人ひと

小を

玉たま

申さく「我は天

すめらみこと

皇の贄に

人びと

たらめや」とまをす」という部分とその

あとにある「印南の別嬢聞きて驚き畏か

しこみ

即や

て南な

都つ

麻ま

嶋に遁に

げ度りき」という部分とが「二段構えの語り」に

相当する二つの部分のうちのあとの部分は別嬢が天皇の求婚を嫌がって

0

0

0

0

島に逃げて隠れたことを述べたものだか

ら二つの部分は同じく「辞い

び」を内容とするものだと言える「度わ

たりもり

子」つまり船頭の「我は天

すめらみこと

皇の贄に

人びと

たらめや」

という発言に倣って天皇の求婚を嫌がる別嬢の心情を言い表せば「吾は天皇の妻

9

9

9

9

たらめや」というようになる

  

船頭の「辞び」helliphelliphellip「我は天

すめらみこと

皇の贄に

人びと

たらめや」

  

別嬢の「辞び」helliphelliphellip「吾は天皇の妻

9

9

9

9

たらめや」

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一五九

 

結局二つの「辞び」は単なる拒否ではなく次のような同じ内容を表す「辞び」なのである

  《私は天皇にお仕えなどしない》

 

この話の末尾近くには別嬢の遺体について「大き飄つ

むじ

川下より来て其の尸か

ばねを

川中に纏ま

き入れき求むれども得

ず」と述べられているがその部分と別嬢が島に逃げて隠れた

0

0

0

という前の部分ともまた「二段構えの語り」を構

成している二つの部分はともに別嬢の「隠び」を内容とするものなので次のように一つにまとめることができる

  《別嬢が「隠な

び」をした》

 「辞び」も「隠び」も話のなかに二度ずつ表れているのである

 

大蛇退治の神話と「弟日姫子伝説」とには「二段構えの語り」を認めるにあたって解決すべき多くの問題が含ま

れているしかしそれらを一つ一つ検討していけば見てきた諸話と同様の特徴的な語りを二話にも認めることが

できる

註(1) 

本稿にあげる『古事記』『日本書紀』『風土記』などの記述は本文訓読文ともに古典文学大系のものを引用するまた

『萬葉集』の本文訓読文は新編古典全集のものを引用するただしいずれも読みやすさと理解しやすさとを考慮して

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一六〇

もとの表記形式その他を改めることが少なくない

(2) 

大野晋「記紀の創世神話の構成」〔『文学』一九六五年八月〕のちに『仮名遣と上代語』(一九八二年)に収載

(3) 「丹塗矢伝説」の成立については小著『伝承と言語』(一九九五年)のⅡ部四章で私見を述べたただし同書に述べたこ

とと本稿で述べたことの間には一点だけ相違がある丹塗矢が女の陰部を突いたという話は神と人間の女とが結婚したこ

とを明確に語ったものではないからそのことを明確にするために女の持ち帰った丹塗矢が男に変身して子が生まれたとい

う話があとになって付加されたのだと同書では述べたそれは既存の一説に見える解釈を妥当なものと認めそれを踏

襲したものだった本稿では「二段構えの語り」がこの話にも認められるという見解に立ってかつて小著で述べた考えを

訂正する

(4) 

女に与えられた「倭迹迹日百襲姫命」という名の語構成ははたしてどのようなものなのかこれを疑問の余地なく解明す

ることはかなり難しい

   

初頭の「倭」と末尾の「姫命」は除くとして「迹と

迹と

日び

百もも

襲そ

」の「百襲」は字面のとおり「多くの着衣」の意であるかも

知れないこの女の夫は蛇神だから蛇が何度も脱皮をくり返すことを背景とする名を妻がもつことは十分にありうること

だろう「百襲」の「襲」には字を構成する要素として「衣」がある「襲」の字は「重ねて着る」「覆う」「継ぐ」「おそ

う」などの意を表す

   

ある特徴や習性を表す語が当人ではなく周囲の者の名に含まれる例は「丹塗矢伝説」の登場者にも見られるたとえば

矢で陰部を突かれて慌てた女が勢せ

夜や

陀だ

多た

良ら

比ひ

売め

であるのにその女の産んだ娘が「陰に矢を立てられ震え姫」の意の「富ほ

登と

多た

多た

良ら

伊い

須す

須す

岐き

比ひめのみこと

売命」という名を与えられている母の経験したことが娘の名に反映しているのである

   「晡く

れふしの

時臥山やま

」〔『常陸国風土記』那珂郡茨城里〕の話に登場する子として蛇を産んだ女とその兄は「努ぬ

賀か

咩め

」「努ぬ

賀か

古こ

という名を与えられているこれらの名も原義を解明するのは難しいが「ぬか」はやはり脱皮の意を表す「脱ぬ

か」かも知れ

ない『和名類聚抄』の「蛻」の項に「毛も

沼ぬ

久く

」とあり『色葉字類抄』の「

蛻」の項に「ヘミノモヌケ」とあるこれらの

「脱ぬ

く」「脱ぬ

け」がこの場合に参考になる下二段活用動詞の「脱け」が「脱か彦脱か姫」では「脱か」となってい

るわけだが上代語では「明け」「荒れ」「枯れ」などの下二段活用動詞が「明か時(暁)」「新あ

垣がき

」「枯から

木き

」などの複合名詞を

構成しているのに同じである

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一六一

 

名の意味をこのように理解することは生まれた子を入れる器を何度か大きいものに替えたという脱皮を暗示する説明と

吻合する中世には「もぬけの衣」という表現もあるから「もぬけ」の「も」はあるいは「裳」か

(5) 「陰ほ

絶たち

田だ

」という地名と「米よね

舂つき

女め

等ら

が陰ほと

を陪おもとびとくな

従婚ぎ断ちき」という説明との関係には理解するのが難しい点がある

「陰絶田」に含まれる「絶つ」はもともと「長い間にわたって継続してきたことを止めまた幅のある物体を切る」の意を

表す動詞であるこれの自動詞である「絶ゆ」も基本的に意味は同じであるだから「陪お

もとびと

従」との交合によって陰部が損

傷したことをあえて「婚ぎ絶ち

9

9

き」と表現した理由が不明である物を損傷したことがなぜ「絶つ」と表現されたのか

「婚ぎ絶ちき」を「裂傷をおはせた」〔古典全書〕の意だと説明してもその疑問は解消しない

   「陰絶田」はもと「陰に(男根が)立つ田」の意の「陰立9

田」だったかも知れないそのように想定すれば神武記の

「丹塗矢伝説」に登場する「富ほ

登と

多た

多た

良ら

伊い

須す

須す

岐き

比ひ

売め

」という名の「ほとたたら」と意味的に対応するただし矢の場合に

「立つ」を用いた理由は理解できるが男根の場合にも同様に「立つ」を用いたとは想定しにくい「絶つ」とあることはや

はり不審のままである

(6) 

三つの要素の結びつきについては益田勝実「日本神話における外在と内在日本神話論における始原と展開」〔国文学

『解釈と鑑賞』一九七七年十月〕によるただしこの論にはOの話に関する言及がまったくないOの話のなかに三要素の

結び付きを読み取るのは私見にすぎない

(7) 

両神の死因をめぐる逆転関係については小著『日本の神話伝説を読む』(岩波新書二〇〇七年)の第二章第二節で述

べた

(日本語日本文学科 

教授)

Page 30: 一 神話・伝説に見られる特徴的な語り...神話・伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木) 0 一二三 べている。太平洋に伝承の海洋型国産み神話に類似。またヌホコを男性の象徴とし、交合による国産み神話とも見られる」と述

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一五〇

たっては二つのことを別々に処理してかまわないということを示している

 

ただしUの話で大きな問題となるのは馬を投げ入れるという行動がなければ女神が驚いて陰部を損傷すると

いう事態も起こらないということであるこの点で女神が陰部を損傷するという事態だけが話に含まれ馬を投

げ入れるという行動は話に含まれないという話の状況は想定できないのである

 

一連の話のなかにまずXのことが出ていて次にYのことが出ているという「二段構えの語り」について考える際

にぜひとも考慮しておくべきことがあるつまりあることをもとにしてそれに類似することを伝承者が連想し

連想した内容を結果的に話のなかに持ち込むには一般的に二とおりの過程がありうるということである

a 

先に出てくるXが伝承者に強い印象を与えるためにXについて語ったあとにそれに類似した内容をもつY

を伝承者が連想するという過程

b 

あとに出てくるYが伝承者に強い印象を与えるためにYについて語る前にそれに類似した内容をもつXを

伝承者が連想するという過程

 

これまで見てきた「二段構えの語り」はすべてbの過程を経て生じたものだと考えたしそのように考えて特に

問題はなかったしかしUVの二話の場合はそのように考えることは不可能であるUの話では馬を投げ入

れたことが女神が陰部を損傷する原因になっておりVの話では新宮で脱糞したことが女神に病をもたらす原

因となっている二重線の部分が原因を表しており太線の部分が結果を表しているわけだから二つの部分は密接

な因果関係を構成しているのである

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一五一

 

そこでUVの二話に表れている「二段構えの語り」がbの過程を経て成立したと仮定して具体的に話の展開

について考えてみる陰部を損傷したことだけがUの話に含まれるという段階を想定すれば女神がなぜ梭で陰部を

突くことになったのか何も説明がなく話の展開が唐突すぎる聞き手は話の展開が理解できないのであるまた

同様に女神が糞の上に座って病を得たことだけがVの話に含まれるという段階を想定すればそこになぜ糞があっ

たのかが不明であるこちらも話の展開そのものが成り立たない

 

一方で「二段構えの語り」はbの過程を経て成立したという仮定を捨てそれはaの過程を経て成立したものだ

と仮定してみる二重線の部分だけが話に含まれており伝承者はそれをもとにして太線の部分を連想し連想した

ことをあとで話のなかに持ち込んだというふうにである

 

Uの話にはもともと馬を投げ入れたことだけがあり伝承者はそれをもとに酷似する動きをとることとして

梭で陰部を突くという動作を連想した馬の皮を剝いだうえ屋根を壊してそれを服屋の中に投げ入れるという悪行

は女神が梭で陰部を突くという事故がなくても女神を恐れさせて石屋に籠もらせるには十分である

 

またVの話の場合にはもともと新宮で脱糞をしたことだけが含まれており伝承者はそれに基づいて女神が

その糞の上に座って病を得たことを連想した女神が新嘗の儀礼を行う前にその神聖な新宮でこっそり脱糞をする

という蛮行は女神が糞の上に座って病を得るという事態が起こらなくても女神を怒らせて石窟に籠もらせるには

十分である

 

こうしてbの過程を想定すればもとの話は成り立たないが逆にaの過程を想定すればUVの二話にも「二

段構えの語り」が表れていると考えることができる実はaの過程を想定することによって「二段構えの語り」が

表れていることを順当に説明しうる話はすぐあとに取り上げるようにほかにもまだある

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一五二

 

女陰が何らかの原因で損傷したことを述べるIOUの三話についてさきに一段めの語りと二段めの語りの

内容を検討したうえでそれぞれを次のように一文にまとめておいた

I 《身体の一部を急に下方に移動させその先にある物を勢いよく突く》

O 《狭い空間に棒状の物を差し入れその奥にある部分または物を強く突く》

U 《ある物体を急に動かしその勢いで別の物体を破損する》

 

三話に認められる「二段構えの語り」の内容はこのようにどれも同じような動きを表すものになっているそれ

だけでなくABの話やGの話に見られる「二段構えの語り」もまた同じような動きを表すものになっている

ということは女陰が損傷を受けたことを述べる三話に「二段構えの語り」を認めることの妥当性を逆の面から証

するものだと言えるのではないか

 

これに対し女陰の損傷が話題となっていない「二段構えの語り」が認められる別の諸話についてその内容を

一文にまとめるとその一文はこれらとまったく異なる動きを表すものとなる(後述)そのこともさきに述べた

ような「二段構えの語り」の存在を認めるべき一つの論拠となると考える

 

Uの話と同様にaの過程を経て「二段構えの語り」が成立したと推定される話をここでもう一つ取り上げる

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一五三

それは『古事記』に見える神話でのちに地上界の支配者になる大お

ほなむぢの

穴牟遅神か

をその兄弟である八や

十そ

神がみ

が殺害する場

面である

W 

ここに八や

十そ

神がみ

見てまた欺あ

ざむき

て山に率ゐ

て入りて大お

樹き

を切り伏せ茹ひ

矢や

をその木に打ち立てその中に入らし

むる即ちその氷ひ

目め

矢や

を打ち離ちて拷う

ち殺しきここにまたその御み

祖おや

の命み

こと

哭な

きつつ求ま

げば見得てすな

はちその木を折りて取り出で活かしてその子に告げて言ひしく「汝い

まし

此こ こ間

にあらば遂に八十神のために滅

ぼさえなむ」といひてすなはち木き

国くに

の大お

屋や

毘び

古この

神かみ

の御み

もと所

に違た

へ遣りきここに八十神

ぎ追ひ臻い

りて矢や

刺ざ

し乞ふ時に木の俣ま

より漏く

き逃がして云の

りたまひしく「須す

佐さ

能のをのみこと

男命の坐ま

します根の堅か

州す

国くに

に参ま

向ふべし必ず

その大神議は

りたまひなむ」とのりたまひき故か

詔の

りたまひし命の随ま

にまに

須佐之男命の御所に参ま

ゐいた到

ればhellip

〔神代記〕

 

八十神が大木を切り倒してそれを裂き裂け目に楔

くさび

状の「茹ひ

矢や

」を押し立てておいたそしてそこに大穴牟遅神

を入らせて楔状の物を引き抜き同神を圧死させた同神の母が木を折って息子を救い出しこれを蘇生させて大お

屋や

毘び

古この

神かみ

のもとへ逃がしてやったさらに八十神が追いついて息子を引き渡すように母に要求した時には母が息

子をこっそり木の俣から須佐能男命のもとへ逃がしてやったという

 

Wの話の直前には八十神に脅迫された大穴牟遅神が焼けた岩をかかえ込んで死んでしまったという話が置か

れている死んだ大穴牟遅神はやはり母の尽力によって復活したというそれが一回めの死と復活を語る話だから

Wの話で語られる死と復活は二回めのそれである一回めの死が岩を抱き取ることによってもたらされ二回めの死

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一五四

が木の俣に挟まれることによってもたらされた死因の内容が一回めと二回めとでは逆転している

 

また大穴牟遅神の二度にわたる死は天照大御神の二度にわたる死と奇妙なかたちで対応している天照大御神

の死はまず同神自身あるいはその分身の女神が木製の梭で陰部を突いて死ぬというかたちで語られるまた

そのあとで同神自身が岩屋に籠もってしまうというかたちで死が語られるがそれは太陽神の象徴的な死である

両神の死の内容を細かく比較すると両神の体と岩木とが次のように互いに逆転した奇妙な関係を示しているこ

とがわかる

  

大穴牟遅神の死helliphelliphellip体が岩をかかえるdarr木の俣が体を挟む

  

天照大御神の死helliphelliphellip木が体のなかに入るdarr体が岩のなかに入る

 

地上の支配者と世界の至高神との間に死をめぐってこのような逆転した関係が認められるのはきわめて興味深

いことである)

7(

 

さて「二段構えの語り」だがWの話のうち母が息子を「その木を折りて取り出で活かして」大お

屋や

毘び

古この

神かみ

のも

とへ逃がしてやったという二重線の部分が一段めの語りにあたる二段めの語りにあたるのは母が息子を「木の

俣また

より漏く

き逃がし」て須佐能男命のもとへ向かわせたという太線の部分である

 

つまりこの神話では俣になった「その木を折りて」母が息子を救い出す一段めの語りと母が息子を「木の俣

より漏く

き」逃がしてやる二段めの語りとは

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一五五

W 《母が息子を木の俣から救出しあるいは逃がして別の神のもとへ送り出す》

という酷似した内容のものになっている

 

地上の支配者となるべき大穴牟遅神が木の俣に挟まれて死んで母に救われる話の方が同神の母が木の俣から息

子を逃がしてやる話よりもずっと衝撃的で印象的であるだから神話の伝承者が一段めの語りの内容を強く意

識しそれに酷似した内容をもつ二段めの語りを連想してあとで話のなかに持ち込んだのだろうと推測される

より印象的な出来事を語り終えたあともそれが意識のなかから消え去らず類似し対応することがらをあとで連想し

てしまったと考えられる【一段めの話から二段めの話が連想されたというaの過程をたどったとおぼしい実例は

僅少であるそれには然るべき理由があったと考えるべきだが目下のところそれは不明である】

 

Wの話がこのような経緯をたどったとすると母が木を折って息子を救い出しこれを蘇生させてから別の神のも

とへ逃がしてやったという一段めの語りだけが話に含まれていた段階を例によって想定しなければならない一

段めの語りだけで話は成り立つのか

 

結論を言えばその想定は可能である八十神のもとから逃げた大穴牟遅神が須佐能男命のいる地まで行ったと

いうような単純な内容の話になっている方が以下との続きかたは自然である二重線の部分の末尾にある「木き

国くに

の大お

屋や

毘び

古この

神かみ

の御み

もと所

に違た

へ遣りき」の「大屋毘古神」の部分を太線の部分にある「須佐能男命」とすれば話は無

理なく以下に続くのであるまずは大屋毘古神のもとへ逃げて行ったという部分がなかったとすれば母は木の裂け

目から息子を救い出しこれを蘇生させて須佐能男命のもとへ送り出したというわかりやすい展開になるしたが

ってaの過程を経てWの話が成立しただろうという推定は十分に成り立つ

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一五六

 

二重線の「木き

国くに

の大お

屋や

毘び

古この

神かみ

の御み

もと所

に違た

へ遣りき」という部分は「木国のhellip」で始まっているそれは「大お

樹き

切り伏せ」「茹ひ

矢や

をその木に打ち立て」「その木を折りて」などWの話にくり返し出ている「樹木」から連想され

たものだろう

 

太線の部分にある「木の俣ま

より漏く

き逃がして」以下の表現からその前に置かれた二重線の部分が連想されたと

いうbの過程は想定できない二重線の部分が話に含まれていないという段階はなぜ太線の部分が話に含まれてい

るのかということつまり「木の俣ま

より漏く

き逃がして」とある理由が説明できないのである大穴牟遅神が八十神に

殺害されて復活したという理由があって始めて「木の俣ま

より漏く

き逃がして」以下の表現が意味をもつのである

 

木の俣に挟まれて圧死した大穴牟遅神が母の尽力によって蘇生したあとには同神が須佐能男命から与えられた

いくつもの試練を妻の須す

勢せ

理り

毘び

売め

の助力を得てそのたびごとに克服するという話が続くさらに大穴牟遅神が

須勢理毘売をその父のもとから奪って逃げるとともに自分に苦難をもたらした八十神を追い払って「始めて国を作

りたま」うたという展開になっているまたそのあとにも大穴牟遅神の子を産んだ八や

上かみ

比ひ

売め

が須世理毘売を恐

れて「その生める子をば木の俣に挟みて返」ったという話が続いている八上比売の話にまたもや「木の俣」

のことが出てくるわけである

 

この「木の俣」の話もまた大穴牟遅神が「木の俣」に挟まれて圧死した話から連想されたものである可能性が想

定できるがそのように想定する場合に問題となることがあるそれは両話の間に置かれた話があまりにも長大な

ものだということであるしかし大穴牟遅神と生まれた子との間には

 

ⅰ 

父子

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一五七

 

ⅱ 

木の俣に挟まれて死ぬ生まれて木の俣に挟まれる

 

ⅲ 

母が救い出す母が置き去りにする

 

ⅳ 

母が別地へ向かわせる母がもとの地に戻る

というような対比的な関係も認められるのでありこうした関係が偶然に生じたものだとは考えがたいだから父

が木の俣で圧死させられることから生まれた子を木の俣に置くことが連想されたという可能性をここでは否定し

ないでおく【より古い時代には大穴牟遅神が木の俣に挟まれて死ぬ話と八上比売が木の俣に新生児を挟む話とは

直結した一連のものだったことも想定できる】

 

以上の論述では「二段構えの語り」の様態について数話を例示してやや細かく検討を加えたその結果話に

含まれる特定のことからがそれに類似し対応することがらを伝承者に連想させ連想した内容が結果的に話のなか

に組み込まれてしまうという特徴的な現象を上代の神話や伝説を通して確認することができたと考える

 

同じ「二段構えの語り」の現象が認められる話は本稿で取り上げた諸話で尽きているのではなくまだ何話か上

代の文献に見える紙幅の関係でそれらを取り上げて細かく検討を加えることができないからここで二話だけに

ついて結論を述べておき具体的な検討は別稿で行うことにする

 

二話のうち一つは神話に見えるもので娘たちを飲み食らう大蛇を須佐能男命が退治する場面である『古事記』

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一五八

で言えば「是の高こ

志し

の八や

俣また

の遠を

呂ろ

智ち

年と

毎ごと

に来て喫く

へり」という部分と「船ふ

毎ごと

に己お

が頭を垂い入れてその酒を飲み

き」という部分とが「二段構えの語り」に相当する二つの部分の内容をまとめると

  《大蛇が出雲へやってきて足あ

名なづち椎

のがわに属するものを食らいあるいは飲む》

というようになる娘たちを食らい飲む大蛇が酒を飲むという同じ行動が原因で退治されてしまうのである

 

またもう一つの話は『播磨国風土記』の賀古郡の条に見える「比礼墓伝説」であるこの話では「印い

なみ南

」の女

が「隠な

び妻」であり「辞い

び妻」でもあるからこれは「古代の口がたり特有の面白さ」をもつものだという興味深

い見解がある

 

話の冒頭近くにある「度わ

たりもり

子紀き伊の国く

人ひと

小を

玉たま

申さく「我は天

すめらみこと

皇の贄に

人びと

たらめや」とまをす」という部分とその

あとにある「印南の別嬢聞きて驚き畏か

しこみ

即や

て南な

都つ

麻ま

嶋に遁に

げ度りき」という部分とが「二段構えの語り」に

相当する二つの部分のうちのあとの部分は別嬢が天皇の求婚を嫌がって

0

0

0

0

島に逃げて隠れたことを述べたものだか

ら二つの部分は同じく「辞い

び」を内容とするものだと言える「度わ

たりもり

子」つまり船頭の「我は天

すめらみこと

皇の贄に

人びと

たらめや」

という発言に倣って天皇の求婚を嫌がる別嬢の心情を言い表せば「吾は天皇の妻

9

9

9

9

たらめや」というようになる

  

船頭の「辞び」helliphelliphellip「我は天

すめらみこと

皇の贄に

人びと

たらめや」

  

別嬢の「辞び」helliphelliphellip「吾は天皇の妻

9

9

9

9

たらめや」

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一五九

 

結局二つの「辞び」は単なる拒否ではなく次のような同じ内容を表す「辞び」なのである

  《私は天皇にお仕えなどしない》

 

この話の末尾近くには別嬢の遺体について「大き飄つ

むじ

川下より来て其の尸か

ばねを

川中に纏ま

き入れき求むれども得

ず」と述べられているがその部分と別嬢が島に逃げて隠れた

0

0

0

という前の部分ともまた「二段構えの語り」を構

成している二つの部分はともに別嬢の「隠び」を内容とするものなので次のように一つにまとめることができる

  《別嬢が「隠な

び」をした》

 「辞び」も「隠び」も話のなかに二度ずつ表れているのである

 

大蛇退治の神話と「弟日姫子伝説」とには「二段構えの語り」を認めるにあたって解決すべき多くの問題が含ま

れているしかしそれらを一つ一つ検討していけば見てきた諸話と同様の特徴的な語りを二話にも認めることが

できる

註(1) 

本稿にあげる『古事記』『日本書紀』『風土記』などの記述は本文訓読文ともに古典文学大系のものを引用するまた

『萬葉集』の本文訓読文は新編古典全集のものを引用するただしいずれも読みやすさと理解しやすさとを考慮して

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一六〇

もとの表記形式その他を改めることが少なくない

(2) 

大野晋「記紀の創世神話の構成」〔『文学』一九六五年八月〕のちに『仮名遣と上代語』(一九八二年)に収載

(3) 「丹塗矢伝説」の成立については小著『伝承と言語』(一九九五年)のⅡ部四章で私見を述べたただし同書に述べたこ

とと本稿で述べたことの間には一点だけ相違がある丹塗矢が女の陰部を突いたという話は神と人間の女とが結婚したこ

とを明確に語ったものではないからそのことを明確にするために女の持ち帰った丹塗矢が男に変身して子が生まれたとい

う話があとになって付加されたのだと同書では述べたそれは既存の一説に見える解釈を妥当なものと認めそれを踏

襲したものだった本稿では「二段構えの語り」がこの話にも認められるという見解に立ってかつて小著で述べた考えを

訂正する

(4) 

女に与えられた「倭迹迹日百襲姫命」という名の語構成ははたしてどのようなものなのかこれを疑問の余地なく解明す

ることはかなり難しい

   

初頭の「倭」と末尾の「姫命」は除くとして「迹と

迹と

日び

百もも

襲そ

」の「百襲」は字面のとおり「多くの着衣」の意であるかも

知れないこの女の夫は蛇神だから蛇が何度も脱皮をくり返すことを背景とする名を妻がもつことは十分にありうること

だろう「百襲」の「襲」には字を構成する要素として「衣」がある「襲」の字は「重ねて着る」「覆う」「継ぐ」「おそ

う」などの意を表す

   

ある特徴や習性を表す語が当人ではなく周囲の者の名に含まれる例は「丹塗矢伝説」の登場者にも見られるたとえば

矢で陰部を突かれて慌てた女が勢せ

夜や

陀だ

多た

良ら

比ひ

売め

であるのにその女の産んだ娘が「陰に矢を立てられ震え姫」の意の「富ほ

登と

多た

多た

良ら

伊い

須す

須す

岐き

比ひめのみこと

売命」という名を与えられている母の経験したことが娘の名に反映しているのである

   「晡く

れふしの

時臥山やま

」〔『常陸国風土記』那珂郡茨城里〕の話に登場する子として蛇を産んだ女とその兄は「努ぬ

賀か

咩め

」「努ぬ

賀か

古こ

という名を与えられているこれらの名も原義を解明するのは難しいが「ぬか」はやはり脱皮の意を表す「脱ぬ

か」かも知れ

ない『和名類聚抄』の「蛻」の項に「毛も

沼ぬ

久く

」とあり『色葉字類抄』の「

蛻」の項に「ヘミノモヌケ」とあるこれらの

「脱ぬ

く」「脱ぬ

け」がこの場合に参考になる下二段活用動詞の「脱け」が「脱か彦脱か姫」では「脱か」となってい

るわけだが上代語では「明け」「荒れ」「枯れ」などの下二段活用動詞が「明か時(暁)」「新あ

垣がき

」「枯から

木き

」などの複合名詞を

構成しているのに同じである

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一六一

 

名の意味をこのように理解することは生まれた子を入れる器を何度か大きいものに替えたという脱皮を暗示する説明と

吻合する中世には「もぬけの衣」という表現もあるから「もぬけ」の「も」はあるいは「裳」か

(5) 「陰ほ

絶たち

田だ

」という地名と「米よね

舂つき

女め

等ら

が陰ほと

を陪おもとびとくな

従婚ぎ断ちき」という説明との関係には理解するのが難しい点がある

「陰絶田」に含まれる「絶つ」はもともと「長い間にわたって継続してきたことを止めまた幅のある物体を切る」の意を

表す動詞であるこれの自動詞である「絶ゆ」も基本的に意味は同じであるだから「陪お

もとびと

従」との交合によって陰部が損

傷したことをあえて「婚ぎ絶ち

9

9

き」と表現した理由が不明である物を損傷したことがなぜ「絶つ」と表現されたのか

「婚ぎ絶ちき」を「裂傷をおはせた」〔古典全書〕の意だと説明してもその疑問は解消しない

   「陰絶田」はもと「陰に(男根が)立つ田」の意の「陰立9

田」だったかも知れないそのように想定すれば神武記の

「丹塗矢伝説」に登場する「富ほ

登と

多た

多た

良ら

伊い

須す

須す

岐き

比ひ

売め

」という名の「ほとたたら」と意味的に対応するただし矢の場合に

「立つ」を用いた理由は理解できるが男根の場合にも同様に「立つ」を用いたとは想定しにくい「絶つ」とあることはや

はり不審のままである

(6) 

三つの要素の結びつきについては益田勝実「日本神話における外在と内在日本神話論における始原と展開」〔国文学

『解釈と鑑賞』一九七七年十月〕によるただしこの論にはOの話に関する言及がまったくないOの話のなかに三要素の

結び付きを読み取るのは私見にすぎない

(7) 

両神の死因をめぐる逆転関係については小著『日本の神話伝説を読む』(岩波新書二〇〇七年)の第二章第二節で述

べた

(日本語日本文学科 

教授)

Page 31: 一 神話・伝説に見られる特徴的な語り...神話・伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木) 0 一二三 べている。太平洋に伝承の海洋型国産み神話に類似。またヌホコを男性の象徴とし、交合による国産み神話とも見られる」と述

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一五一

 

そこでUVの二話に表れている「二段構えの語り」がbの過程を経て成立したと仮定して具体的に話の展開

について考えてみる陰部を損傷したことだけがUの話に含まれるという段階を想定すれば女神がなぜ梭で陰部を

突くことになったのか何も説明がなく話の展開が唐突すぎる聞き手は話の展開が理解できないのであるまた

同様に女神が糞の上に座って病を得たことだけがVの話に含まれるという段階を想定すればそこになぜ糞があっ

たのかが不明であるこちらも話の展開そのものが成り立たない

 

一方で「二段構えの語り」はbの過程を経て成立したという仮定を捨てそれはaの過程を経て成立したものだ

と仮定してみる二重線の部分だけが話に含まれており伝承者はそれをもとにして太線の部分を連想し連想した

ことをあとで話のなかに持ち込んだというふうにである

 

Uの話にはもともと馬を投げ入れたことだけがあり伝承者はそれをもとに酷似する動きをとることとして

梭で陰部を突くという動作を連想した馬の皮を剝いだうえ屋根を壊してそれを服屋の中に投げ入れるという悪行

は女神が梭で陰部を突くという事故がなくても女神を恐れさせて石屋に籠もらせるには十分である

 

またVの話の場合にはもともと新宮で脱糞をしたことだけが含まれており伝承者はそれに基づいて女神が

その糞の上に座って病を得たことを連想した女神が新嘗の儀礼を行う前にその神聖な新宮でこっそり脱糞をする

という蛮行は女神が糞の上に座って病を得るという事態が起こらなくても女神を怒らせて石窟に籠もらせるには

十分である

 

こうしてbの過程を想定すればもとの話は成り立たないが逆にaの過程を想定すればUVの二話にも「二

段構えの語り」が表れていると考えることができる実はaの過程を想定することによって「二段構えの語り」が

表れていることを順当に説明しうる話はすぐあとに取り上げるようにほかにもまだある

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一五二

 

女陰が何らかの原因で損傷したことを述べるIOUの三話についてさきに一段めの語りと二段めの語りの

内容を検討したうえでそれぞれを次のように一文にまとめておいた

I 《身体の一部を急に下方に移動させその先にある物を勢いよく突く》

O 《狭い空間に棒状の物を差し入れその奥にある部分または物を強く突く》

U 《ある物体を急に動かしその勢いで別の物体を破損する》

 

三話に認められる「二段構えの語り」の内容はこのようにどれも同じような動きを表すものになっているそれ

だけでなくABの話やGの話に見られる「二段構えの語り」もまた同じような動きを表すものになっている

ということは女陰が損傷を受けたことを述べる三話に「二段構えの語り」を認めることの妥当性を逆の面から証

するものだと言えるのではないか

 

これに対し女陰の損傷が話題となっていない「二段構えの語り」が認められる別の諸話についてその内容を

一文にまとめるとその一文はこれらとまったく異なる動きを表すものとなる(後述)そのこともさきに述べた

ような「二段構えの語り」の存在を認めるべき一つの論拠となると考える

 

Uの話と同様にaの過程を経て「二段構えの語り」が成立したと推定される話をここでもう一つ取り上げる

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一五三

それは『古事記』に見える神話でのちに地上界の支配者になる大お

ほなむぢの

穴牟遅神か

をその兄弟である八や

十そ

神がみ

が殺害する場

面である

W 

ここに八や

十そ

神がみ

見てまた欺あ

ざむき

て山に率ゐ

て入りて大お

樹き

を切り伏せ茹ひ

矢や

をその木に打ち立てその中に入らし

むる即ちその氷ひ

目め

矢や

を打ち離ちて拷う

ち殺しきここにまたその御み

祖おや

の命み

こと

哭な

きつつ求ま

げば見得てすな

はちその木を折りて取り出で活かしてその子に告げて言ひしく「汝い

まし

此こ こ間

にあらば遂に八十神のために滅

ぼさえなむ」といひてすなはち木き

国くに

の大お

屋や

毘び

古この

神かみ

の御み

もと所

に違た

へ遣りきここに八十神

ぎ追ひ臻い

りて矢や

刺ざ

し乞ふ時に木の俣ま

より漏く

き逃がして云の

りたまひしく「須す

佐さ

能のをのみこと

男命の坐ま

します根の堅か

州す

国くに

に参ま

向ふべし必ず

その大神議は

りたまひなむ」とのりたまひき故か

詔の

りたまひし命の随ま

にまに

須佐之男命の御所に参ま

ゐいた到

ればhellip

〔神代記〕

 

八十神が大木を切り倒してそれを裂き裂け目に楔

くさび

状の「茹ひ

矢や

」を押し立てておいたそしてそこに大穴牟遅神

を入らせて楔状の物を引き抜き同神を圧死させた同神の母が木を折って息子を救い出しこれを蘇生させて大お

屋や

毘び

古この

神かみ

のもとへ逃がしてやったさらに八十神が追いついて息子を引き渡すように母に要求した時には母が息

子をこっそり木の俣から須佐能男命のもとへ逃がしてやったという

 

Wの話の直前には八十神に脅迫された大穴牟遅神が焼けた岩をかかえ込んで死んでしまったという話が置か

れている死んだ大穴牟遅神はやはり母の尽力によって復活したというそれが一回めの死と復活を語る話だから

Wの話で語られる死と復活は二回めのそれである一回めの死が岩を抱き取ることによってもたらされ二回めの死

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一五四

が木の俣に挟まれることによってもたらされた死因の内容が一回めと二回めとでは逆転している

 

また大穴牟遅神の二度にわたる死は天照大御神の二度にわたる死と奇妙なかたちで対応している天照大御神

の死はまず同神自身あるいはその分身の女神が木製の梭で陰部を突いて死ぬというかたちで語られるまた

そのあとで同神自身が岩屋に籠もってしまうというかたちで死が語られるがそれは太陽神の象徴的な死である

両神の死の内容を細かく比較すると両神の体と岩木とが次のように互いに逆転した奇妙な関係を示しているこ

とがわかる

  

大穴牟遅神の死helliphelliphellip体が岩をかかえるdarr木の俣が体を挟む

  

天照大御神の死helliphelliphellip木が体のなかに入るdarr体が岩のなかに入る

 

地上の支配者と世界の至高神との間に死をめぐってこのような逆転した関係が認められるのはきわめて興味深

いことである)

7(

 

さて「二段構えの語り」だがWの話のうち母が息子を「その木を折りて取り出で活かして」大お

屋や

毘び

古この

神かみ

のも

とへ逃がしてやったという二重線の部分が一段めの語りにあたる二段めの語りにあたるのは母が息子を「木の

俣また

より漏く

き逃がし」て須佐能男命のもとへ向かわせたという太線の部分である

 

つまりこの神話では俣になった「その木を折りて」母が息子を救い出す一段めの語りと母が息子を「木の俣

より漏く

き」逃がしてやる二段めの語りとは

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一五五

W 《母が息子を木の俣から救出しあるいは逃がして別の神のもとへ送り出す》

という酷似した内容のものになっている

 

地上の支配者となるべき大穴牟遅神が木の俣に挟まれて死んで母に救われる話の方が同神の母が木の俣から息

子を逃がしてやる話よりもずっと衝撃的で印象的であるだから神話の伝承者が一段めの語りの内容を強く意

識しそれに酷似した内容をもつ二段めの語りを連想してあとで話のなかに持ち込んだのだろうと推測される

より印象的な出来事を語り終えたあともそれが意識のなかから消え去らず類似し対応することがらをあとで連想し

てしまったと考えられる【一段めの話から二段めの話が連想されたというaの過程をたどったとおぼしい実例は

僅少であるそれには然るべき理由があったと考えるべきだが目下のところそれは不明である】

 

Wの話がこのような経緯をたどったとすると母が木を折って息子を救い出しこれを蘇生させてから別の神のも

とへ逃がしてやったという一段めの語りだけが話に含まれていた段階を例によって想定しなければならない一

段めの語りだけで話は成り立つのか

 

結論を言えばその想定は可能である八十神のもとから逃げた大穴牟遅神が須佐能男命のいる地まで行ったと

いうような単純な内容の話になっている方が以下との続きかたは自然である二重線の部分の末尾にある「木き

国くに

の大お

屋や

毘び

古この

神かみ

の御み

もと所

に違た

へ遣りき」の「大屋毘古神」の部分を太線の部分にある「須佐能男命」とすれば話は無

理なく以下に続くのであるまずは大屋毘古神のもとへ逃げて行ったという部分がなかったとすれば母は木の裂け

目から息子を救い出しこれを蘇生させて須佐能男命のもとへ送り出したというわかりやすい展開になるしたが

ってaの過程を経てWの話が成立しただろうという推定は十分に成り立つ

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一五六

 

二重線の「木き

国くに

の大お

屋や

毘び

古この

神かみ

の御み

もと所

に違た

へ遣りき」という部分は「木国のhellip」で始まっているそれは「大お

樹き

切り伏せ」「茹ひ

矢や

をその木に打ち立て」「その木を折りて」などWの話にくり返し出ている「樹木」から連想され

たものだろう

 

太線の部分にある「木の俣ま

より漏く

き逃がして」以下の表現からその前に置かれた二重線の部分が連想されたと

いうbの過程は想定できない二重線の部分が話に含まれていないという段階はなぜ太線の部分が話に含まれてい

るのかということつまり「木の俣ま

より漏く

き逃がして」とある理由が説明できないのである大穴牟遅神が八十神に

殺害されて復活したという理由があって始めて「木の俣ま

より漏く

き逃がして」以下の表現が意味をもつのである

 

木の俣に挟まれて圧死した大穴牟遅神が母の尽力によって蘇生したあとには同神が須佐能男命から与えられた

いくつもの試練を妻の須す

勢せ

理り

毘び

売め

の助力を得てそのたびごとに克服するという話が続くさらに大穴牟遅神が

須勢理毘売をその父のもとから奪って逃げるとともに自分に苦難をもたらした八十神を追い払って「始めて国を作

りたま」うたという展開になっているまたそのあとにも大穴牟遅神の子を産んだ八や

上かみ

比ひ

売め

が須世理毘売を恐

れて「その生める子をば木の俣に挟みて返」ったという話が続いている八上比売の話にまたもや「木の俣」

のことが出てくるわけである

 

この「木の俣」の話もまた大穴牟遅神が「木の俣」に挟まれて圧死した話から連想されたものである可能性が想

定できるがそのように想定する場合に問題となることがあるそれは両話の間に置かれた話があまりにも長大な

ものだということであるしかし大穴牟遅神と生まれた子との間には

 

ⅰ 

父子

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一五七

 

ⅱ 

木の俣に挟まれて死ぬ生まれて木の俣に挟まれる

 

ⅲ 

母が救い出す母が置き去りにする

 

ⅳ 

母が別地へ向かわせる母がもとの地に戻る

というような対比的な関係も認められるのでありこうした関係が偶然に生じたものだとは考えがたいだから父

が木の俣で圧死させられることから生まれた子を木の俣に置くことが連想されたという可能性をここでは否定し

ないでおく【より古い時代には大穴牟遅神が木の俣に挟まれて死ぬ話と八上比売が木の俣に新生児を挟む話とは

直結した一連のものだったことも想定できる】

 

以上の論述では「二段構えの語り」の様態について数話を例示してやや細かく検討を加えたその結果話に

含まれる特定のことからがそれに類似し対応することがらを伝承者に連想させ連想した内容が結果的に話のなか

に組み込まれてしまうという特徴的な現象を上代の神話や伝説を通して確認することができたと考える

 

同じ「二段構えの語り」の現象が認められる話は本稿で取り上げた諸話で尽きているのではなくまだ何話か上

代の文献に見える紙幅の関係でそれらを取り上げて細かく検討を加えることができないからここで二話だけに

ついて結論を述べておき具体的な検討は別稿で行うことにする

 

二話のうち一つは神話に見えるもので娘たちを飲み食らう大蛇を須佐能男命が退治する場面である『古事記』

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一五八

で言えば「是の高こ

志し

の八や

俣また

の遠を

呂ろ

智ち

年と

毎ごと

に来て喫く

へり」という部分と「船ふ

毎ごと

に己お

が頭を垂い入れてその酒を飲み

き」という部分とが「二段構えの語り」に相当する二つの部分の内容をまとめると

  《大蛇が出雲へやってきて足あ

名なづち椎

のがわに属するものを食らいあるいは飲む》

というようになる娘たちを食らい飲む大蛇が酒を飲むという同じ行動が原因で退治されてしまうのである

 

またもう一つの話は『播磨国風土記』の賀古郡の条に見える「比礼墓伝説」であるこの話では「印い

なみ南

」の女

が「隠な

び妻」であり「辞い

び妻」でもあるからこれは「古代の口がたり特有の面白さ」をもつものだという興味深

い見解がある

 

話の冒頭近くにある「度わ

たりもり

子紀き伊の国く

人ひと

小を

玉たま

申さく「我は天

すめらみこと

皇の贄に

人びと

たらめや」とまをす」という部分とその

あとにある「印南の別嬢聞きて驚き畏か

しこみ

即や

て南な

都つ

麻ま

嶋に遁に

げ度りき」という部分とが「二段構えの語り」に

相当する二つの部分のうちのあとの部分は別嬢が天皇の求婚を嫌がって

0

0

0

0

島に逃げて隠れたことを述べたものだか

ら二つの部分は同じく「辞い

び」を内容とするものだと言える「度わ

たりもり

子」つまり船頭の「我は天

すめらみこと

皇の贄に

人びと

たらめや」

という発言に倣って天皇の求婚を嫌がる別嬢の心情を言い表せば「吾は天皇の妻

9

9

9

9

たらめや」というようになる

  

船頭の「辞び」helliphelliphellip「我は天

すめらみこと

皇の贄に

人びと

たらめや」

  

別嬢の「辞び」helliphelliphellip「吾は天皇の妻

9

9

9

9

たらめや」

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一五九

 

結局二つの「辞び」は単なる拒否ではなく次のような同じ内容を表す「辞び」なのである

  《私は天皇にお仕えなどしない》

 

この話の末尾近くには別嬢の遺体について「大き飄つ

むじ

川下より来て其の尸か

ばねを

川中に纏ま

き入れき求むれども得

ず」と述べられているがその部分と別嬢が島に逃げて隠れた

0

0

0

という前の部分ともまた「二段構えの語り」を構

成している二つの部分はともに別嬢の「隠び」を内容とするものなので次のように一つにまとめることができる

  《別嬢が「隠な

び」をした》

 「辞び」も「隠び」も話のなかに二度ずつ表れているのである

 

大蛇退治の神話と「弟日姫子伝説」とには「二段構えの語り」を認めるにあたって解決すべき多くの問題が含ま

れているしかしそれらを一つ一つ検討していけば見てきた諸話と同様の特徴的な語りを二話にも認めることが

できる

註(1) 

本稿にあげる『古事記』『日本書紀』『風土記』などの記述は本文訓読文ともに古典文学大系のものを引用するまた

『萬葉集』の本文訓読文は新編古典全集のものを引用するただしいずれも読みやすさと理解しやすさとを考慮して

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一六〇

もとの表記形式その他を改めることが少なくない

(2) 

大野晋「記紀の創世神話の構成」〔『文学』一九六五年八月〕のちに『仮名遣と上代語』(一九八二年)に収載

(3) 「丹塗矢伝説」の成立については小著『伝承と言語』(一九九五年)のⅡ部四章で私見を述べたただし同書に述べたこ

とと本稿で述べたことの間には一点だけ相違がある丹塗矢が女の陰部を突いたという話は神と人間の女とが結婚したこ

とを明確に語ったものではないからそのことを明確にするために女の持ち帰った丹塗矢が男に変身して子が生まれたとい

う話があとになって付加されたのだと同書では述べたそれは既存の一説に見える解釈を妥当なものと認めそれを踏

襲したものだった本稿では「二段構えの語り」がこの話にも認められるという見解に立ってかつて小著で述べた考えを

訂正する

(4) 

女に与えられた「倭迹迹日百襲姫命」という名の語構成ははたしてどのようなものなのかこれを疑問の余地なく解明す

ることはかなり難しい

   

初頭の「倭」と末尾の「姫命」は除くとして「迹と

迹と

日び

百もも

襲そ

」の「百襲」は字面のとおり「多くの着衣」の意であるかも

知れないこの女の夫は蛇神だから蛇が何度も脱皮をくり返すことを背景とする名を妻がもつことは十分にありうること

だろう「百襲」の「襲」には字を構成する要素として「衣」がある「襲」の字は「重ねて着る」「覆う」「継ぐ」「おそ

う」などの意を表す

   

ある特徴や習性を表す語が当人ではなく周囲の者の名に含まれる例は「丹塗矢伝説」の登場者にも見られるたとえば

矢で陰部を突かれて慌てた女が勢せ

夜や

陀だ

多た

良ら

比ひ

売め

であるのにその女の産んだ娘が「陰に矢を立てられ震え姫」の意の「富ほ

登と

多た

多た

良ら

伊い

須す

須す

岐き

比ひめのみこと

売命」という名を与えられている母の経験したことが娘の名に反映しているのである

   「晡く

れふしの

時臥山やま

」〔『常陸国風土記』那珂郡茨城里〕の話に登場する子として蛇を産んだ女とその兄は「努ぬ

賀か

咩め

」「努ぬ

賀か

古こ

という名を与えられているこれらの名も原義を解明するのは難しいが「ぬか」はやはり脱皮の意を表す「脱ぬ

か」かも知れ

ない『和名類聚抄』の「蛻」の項に「毛も

沼ぬ

久く

」とあり『色葉字類抄』の「

蛻」の項に「ヘミノモヌケ」とあるこれらの

「脱ぬ

く」「脱ぬ

け」がこの場合に参考になる下二段活用動詞の「脱け」が「脱か彦脱か姫」では「脱か」となってい

るわけだが上代語では「明け」「荒れ」「枯れ」などの下二段活用動詞が「明か時(暁)」「新あ

垣がき

」「枯から

木き

」などの複合名詞を

構成しているのに同じである

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一六一

 

名の意味をこのように理解することは生まれた子を入れる器を何度か大きいものに替えたという脱皮を暗示する説明と

吻合する中世には「もぬけの衣」という表現もあるから「もぬけ」の「も」はあるいは「裳」か

(5) 「陰ほ

絶たち

田だ

」という地名と「米よね

舂つき

女め

等ら

が陰ほと

を陪おもとびとくな

従婚ぎ断ちき」という説明との関係には理解するのが難しい点がある

「陰絶田」に含まれる「絶つ」はもともと「長い間にわたって継続してきたことを止めまた幅のある物体を切る」の意を

表す動詞であるこれの自動詞である「絶ゆ」も基本的に意味は同じであるだから「陪お

もとびと

従」との交合によって陰部が損

傷したことをあえて「婚ぎ絶ち

9

9

き」と表現した理由が不明である物を損傷したことがなぜ「絶つ」と表現されたのか

「婚ぎ絶ちき」を「裂傷をおはせた」〔古典全書〕の意だと説明してもその疑問は解消しない

   「陰絶田」はもと「陰に(男根が)立つ田」の意の「陰立9

田」だったかも知れないそのように想定すれば神武記の

「丹塗矢伝説」に登場する「富ほ

登と

多た

多た

良ら

伊い

須す

須す

岐き

比ひ

売め

」という名の「ほとたたら」と意味的に対応するただし矢の場合に

「立つ」を用いた理由は理解できるが男根の場合にも同様に「立つ」を用いたとは想定しにくい「絶つ」とあることはや

はり不審のままである

(6) 

三つの要素の結びつきについては益田勝実「日本神話における外在と内在日本神話論における始原と展開」〔国文学

『解釈と鑑賞』一九七七年十月〕によるただしこの論にはOの話に関する言及がまったくないOの話のなかに三要素の

結び付きを読み取るのは私見にすぎない

(7) 

両神の死因をめぐる逆転関係については小著『日本の神話伝説を読む』(岩波新書二〇〇七年)の第二章第二節で述

べた

(日本語日本文学科 

教授)

Page 32: 一 神話・伝説に見られる特徴的な語り...神話・伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木) 0 一二三 べている。太平洋に伝承の海洋型国産み神話に類似。またヌホコを男性の象徴とし、交合による国産み神話とも見られる」と述

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一五二

 

女陰が何らかの原因で損傷したことを述べるIOUの三話についてさきに一段めの語りと二段めの語りの

内容を検討したうえでそれぞれを次のように一文にまとめておいた

I 《身体の一部を急に下方に移動させその先にある物を勢いよく突く》

O 《狭い空間に棒状の物を差し入れその奥にある部分または物を強く突く》

U 《ある物体を急に動かしその勢いで別の物体を破損する》

 

三話に認められる「二段構えの語り」の内容はこのようにどれも同じような動きを表すものになっているそれ

だけでなくABの話やGの話に見られる「二段構えの語り」もまた同じような動きを表すものになっている

ということは女陰が損傷を受けたことを述べる三話に「二段構えの語り」を認めることの妥当性を逆の面から証

するものだと言えるのではないか

 

これに対し女陰の損傷が話題となっていない「二段構えの語り」が認められる別の諸話についてその内容を

一文にまとめるとその一文はこれらとまったく異なる動きを表すものとなる(後述)そのこともさきに述べた

ような「二段構えの語り」の存在を認めるべき一つの論拠となると考える

 

Uの話と同様にaの過程を経て「二段構えの語り」が成立したと推定される話をここでもう一つ取り上げる

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一五三

それは『古事記』に見える神話でのちに地上界の支配者になる大お

ほなむぢの

穴牟遅神か

をその兄弟である八や

十そ

神がみ

が殺害する場

面である

W 

ここに八や

十そ

神がみ

見てまた欺あ

ざむき

て山に率ゐ

て入りて大お

樹き

を切り伏せ茹ひ

矢や

をその木に打ち立てその中に入らし

むる即ちその氷ひ

目め

矢や

を打ち離ちて拷う

ち殺しきここにまたその御み

祖おや

の命み

こと

哭な

きつつ求ま

げば見得てすな

はちその木を折りて取り出で活かしてその子に告げて言ひしく「汝い

まし

此こ こ間

にあらば遂に八十神のために滅

ぼさえなむ」といひてすなはち木き

国くに

の大お

屋や

毘び

古この

神かみ

の御み

もと所

に違た

へ遣りきここに八十神

ぎ追ひ臻い

りて矢や

刺ざ

し乞ふ時に木の俣ま

より漏く

き逃がして云の

りたまひしく「須す

佐さ

能のをのみこと

男命の坐ま

します根の堅か

州す

国くに

に参ま

向ふべし必ず

その大神議は

りたまひなむ」とのりたまひき故か

詔の

りたまひし命の随ま

にまに

須佐之男命の御所に参ま

ゐいた到

ればhellip

〔神代記〕

 

八十神が大木を切り倒してそれを裂き裂け目に楔

くさび

状の「茹ひ

矢や

」を押し立てておいたそしてそこに大穴牟遅神

を入らせて楔状の物を引き抜き同神を圧死させた同神の母が木を折って息子を救い出しこれを蘇生させて大お

屋や

毘び

古この

神かみ

のもとへ逃がしてやったさらに八十神が追いついて息子を引き渡すように母に要求した時には母が息

子をこっそり木の俣から須佐能男命のもとへ逃がしてやったという

 

Wの話の直前には八十神に脅迫された大穴牟遅神が焼けた岩をかかえ込んで死んでしまったという話が置か

れている死んだ大穴牟遅神はやはり母の尽力によって復活したというそれが一回めの死と復活を語る話だから

Wの話で語られる死と復活は二回めのそれである一回めの死が岩を抱き取ることによってもたらされ二回めの死

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一五四

が木の俣に挟まれることによってもたらされた死因の内容が一回めと二回めとでは逆転している

 

また大穴牟遅神の二度にわたる死は天照大御神の二度にわたる死と奇妙なかたちで対応している天照大御神

の死はまず同神自身あるいはその分身の女神が木製の梭で陰部を突いて死ぬというかたちで語られるまた

そのあとで同神自身が岩屋に籠もってしまうというかたちで死が語られるがそれは太陽神の象徴的な死である

両神の死の内容を細かく比較すると両神の体と岩木とが次のように互いに逆転した奇妙な関係を示しているこ

とがわかる

  

大穴牟遅神の死helliphelliphellip体が岩をかかえるdarr木の俣が体を挟む

  

天照大御神の死helliphelliphellip木が体のなかに入るdarr体が岩のなかに入る

 

地上の支配者と世界の至高神との間に死をめぐってこのような逆転した関係が認められるのはきわめて興味深

いことである)

7(

 

さて「二段構えの語り」だがWの話のうち母が息子を「その木を折りて取り出で活かして」大お

屋や

毘び

古この

神かみ

のも

とへ逃がしてやったという二重線の部分が一段めの語りにあたる二段めの語りにあたるのは母が息子を「木の

俣また

より漏く

き逃がし」て須佐能男命のもとへ向かわせたという太線の部分である

 

つまりこの神話では俣になった「その木を折りて」母が息子を救い出す一段めの語りと母が息子を「木の俣

より漏く

き」逃がしてやる二段めの語りとは

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一五五

W 《母が息子を木の俣から救出しあるいは逃がして別の神のもとへ送り出す》

という酷似した内容のものになっている

 

地上の支配者となるべき大穴牟遅神が木の俣に挟まれて死んで母に救われる話の方が同神の母が木の俣から息

子を逃がしてやる話よりもずっと衝撃的で印象的であるだから神話の伝承者が一段めの語りの内容を強く意

識しそれに酷似した内容をもつ二段めの語りを連想してあとで話のなかに持ち込んだのだろうと推測される

より印象的な出来事を語り終えたあともそれが意識のなかから消え去らず類似し対応することがらをあとで連想し

てしまったと考えられる【一段めの話から二段めの話が連想されたというaの過程をたどったとおぼしい実例は

僅少であるそれには然るべき理由があったと考えるべきだが目下のところそれは不明である】

 

Wの話がこのような経緯をたどったとすると母が木を折って息子を救い出しこれを蘇生させてから別の神のも

とへ逃がしてやったという一段めの語りだけが話に含まれていた段階を例によって想定しなければならない一

段めの語りだけで話は成り立つのか

 

結論を言えばその想定は可能である八十神のもとから逃げた大穴牟遅神が須佐能男命のいる地まで行ったと

いうような単純な内容の話になっている方が以下との続きかたは自然である二重線の部分の末尾にある「木き

国くに

の大お

屋や

毘び

古この

神かみ

の御み

もと所

に違た

へ遣りき」の「大屋毘古神」の部分を太線の部分にある「須佐能男命」とすれば話は無

理なく以下に続くのであるまずは大屋毘古神のもとへ逃げて行ったという部分がなかったとすれば母は木の裂け

目から息子を救い出しこれを蘇生させて須佐能男命のもとへ送り出したというわかりやすい展開になるしたが

ってaの過程を経てWの話が成立しただろうという推定は十分に成り立つ

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一五六

 

二重線の「木き

国くに

の大お

屋や

毘び

古この

神かみ

の御み

もと所

に違た

へ遣りき」という部分は「木国のhellip」で始まっているそれは「大お

樹き

切り伏せ」「茹ひ

矢や

をその木に打ち立て」「その木を折りて」などWの話にくり返し出ている「樹木」から連想され

たものだろう

 

太線の部分にある「木の俣ま

より漏く

き逃がして」以下の表現からその前に置かれた二重線の部分が連想されたと

いうbの過程は想定できない二重線の部分が話に含まれていないという段階はなぜ太線の部分が話に含まれてい

るのかということつまり「木の俣ま

より漏く

き逃がして」とある理由が説明できないのである大穴牟遅神が八十神に

殺害されて復活したという理由があって始めて「木の俣ま

より漏く

き逃がして」以下の表現が意味をもつのである

 

木の俣に挟まれて圧死した大穴牟遅神が母の尽力によって蘇生したあとには同神が須佐能男命から与えられた

いくつもの試練を妻の須す

勢せ

理り

毘び

売め

の助力を得てそのたびごとに克服するという話が続くさらに大穴牟遅神が

須勢理毘売をその父のもとから奪って逃げるとともに自分に苦難をもたらした八十神を追い払って「始めて国を作

りたま」うたという展開になっているまたそのあとにも大穴牟遅神の子を産んだ八や

上かみ

比ひ

売め

が須世理毘売を恐

れて「その生める子をば木の俣に挟みて返」ったという話が続いている八上比売の話にまたもや「木の俣」

のことが出てくるわけである

 

この「木の俣」の話もまた大穴牟遅神が「木の俣」に挟まれて圧死した話から連想されたものである可能性が想

定できるがそのように想定する場合に問題となることがあるそれは両話の間に置かれた話があまりにも長大な

ものだということであるしかし大穴牟遅神と生まれた子との間には

 

ⅰ 

父子

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一五七

 

ⅱ 

木の俣に挟まれて死ぬ生まれて木の俣に挟まれる

 

ⅲ 

母が救い出す母が置き去りにする

 

ⅳ 

母が別地へ向かわせる母がもとの地に戻る

というような対比的な関係も認められるのでありこうした関係が偶然に生じたものだとは考えがたいだから父

が木の俣で圧死させられることから生まれた子を木の俣に置くことが連想されたという可能性をここでは否定し

ないでおく【より古い時代には大穴牟遅神が木の俣に挟まれて死ぬ話と八上比売が木の俣に新生児を挟む話とは

直結した一連のものだったことも想定できる】

 

以上の論述では「二段構えの語り」の様態について数話を例示してやや細かく検討を加えたその結果話に

含まれる特定のことからがそれに類似し対応することがらを伝承者に連想させ連想した内容が結果的に話のなか

に組み込まれてしまうという特徴的な現象を上代の神話や伝説を通して確認することができたと考える

 

同じ「二段構えの語り」の現象が認められる話は本稿で取り上げた諸話で尽きているのではなくまだ何話か上

代の文献に見える紙幅の関係でそれらを取り上げて細かく検討を加えることができないからここで二話だけに

ついて結論を述べておき具体的な検討は別稿で行うことにする

 

二話のうち一つは神話に見えるもので娘たちを飲み食らう大蛇を須佐能男命が退治する場面である『古事記』

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一五八

で言えば「是の高こ

志し

の八や

俣また

の遠を

呂ろ

智ち

年と

毎ごと

に来て喫く

へり」という部分と「船ふ

毎ごと

に己お

が頭を垂い入れてその酒を飲み

き」という部分とが「二段構えの語り」に相当する二つの部分の内容をまとめると

  《大蛇が出雲へやってきて足あ

名なづち椎

のがわに属するものを食らいあるいは飲む》

というようになる娘たちを食らい飲む大蛇が酒を飲むという同じ行動が原因で退治されてしまうのである

 

またもう一つの話は『播磨国風土記』の賀古郡の条に見える「比礼墓伝説」であるこの話では「印い

なみ南

」の女

が「隠な

び妻」であり「辞い

び妻」でもあるからこれは「古代の口がたり特有の面白さ」をもつものだという興味深

い見解がある

 

話の冒頭近くにある「度わ

たりもり

子紀き伊の国く

人ひと

小を

玉たま

申さく「我は天

すめらみこと

皇の贄に

人びと

たらめや」とまをす」という部分とその

あとにある「印南の別嬢聞きて驚き畏か

しこみ

即や

て南な

都つ

麻ま

嶋に遁に

げ度りき」という部分とが「二段構えの語り」に

相当する二つの部分のうちのあとの部分は別嬢が天皇の求婚を嫌がって

0

0

0

0

島に逃げて隠れたことを述べたものだか

ら二つの部分は同じく「辞い

び」を内容とするものだと言える「度わ

たりもり

子」つまり船頭の「我は天

すめらみこと

皇の贄に

人びと

たらめや」

という発言に倣って天皇の求婚を嫌がる別嬢の心情を言い表せば「吾は天皇の妻

9

9

9

9

たらめや」というようになる

  

船頭の「辞び」helliphelliphellip「我は天

すめらみこと

皇の贄に

人びと

たらめや」

  

別嬢の「辞び」helliphelliphellip「吾は天皇の妻

9

9

9

9

たらめや」

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一五九

 

結局二つの「辞び」は単なる拒否ではなく次のような同じ内容を表す「辞び」なのである

  《私は天皇にお仕えなどしない》

 

この話の末尾近くには別嬢の遺体について「大き飄つ

むじ

川下より来て其の尸か

ばねを

川中に纏ま

き入れき求むれども得

ず」と述べられているがその部分と別嬢が島に逃げて隠れた

0

0

0

という前の部分ともまた「二段構えの語り」を構

成している二つの部分はともに別嬢の「隠び」を内容とするものなので次のように一つにまとめることができる

  《別嬢が「隠な

び」をした》

 「辞び」も「隠び」も話のなかに二度ずつ表れているのである

 

大蛇退治の神話と「弟日姫子伝説」とには「二段構えの語り」を認めるにあたって解決すべき多くの問題が含ま

れているしかしそれらを一つ一つ検討していけば見てきた諸話と同様の特徴的な語りを二話にも認めることが

できる

註(1) 

本稿にあげる『古事記』『日本書紀』『風土記』などの記述は本文訓読文ともに古典文学大系のものを引用するまた

『萬葉集』の本文訓読文は新編古典全集のものを引用するただしいずれも読みやすさと理解しやすさとを考慮して

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一六〇

もとの表記形式その他を改めることが少なくない

(2) 

大野晋「記紀の創世神話の構成」〔『文学』一九六五年八月〕のちに『仮名遣と上代語』(一九八二年)に収載

(3) 「丹塗矢伝説」の成立については小著『伝承と言語』(一九九五年)のⅡ部四章で私見を述べたただし同書に述べたこ

とと本稿で述べたことの間には一点だけ相違がある丹塗矢が女の陰部を突いたという話は神と人間の女とが結婚したこ

とを明確に語ったものではないからそのことを明確にするために女の持ち帰った丹塗矢が男に変身して子が生まれたとい

う話があとになって付加されたのだと同書では述べたそれは既存の一説に見える解釈を妥当なものと認めそれを踏

襲したものだった本稿では「二段構えの語り」がこの話にも認められるという見解に立ってかつて小著で述べた考えを

訂正する

(4) 

女に与えられた「倭迹迹日百襲姫命」という名の語構成ははたしてどのようなものなのかこれを疑問の余地なく解明す

ることはかなり難しい

   

初頭の「倭」と末尾の「姫命」は除くとして「迹と

迹と

日び

百もも

襲そ

」の「百襲」は字面のとおり「多くの着衣」の意であるかも

知れないこの女の夫は蛇神だから蛇が何度も脱皮をくり返すことを背景とする名を妻がもつことは十分にありうること

だろう「百襲」の「襲」には字を構成する要素として「衣」がある「襲」の字は「重ねて着る」「覆う」「継ぐ」「おそ

う」などの意を表す

   

ある特徴や習性を表す語が当人ではなく周囲の者の名に含まれる例は「丹塗矢伝説」の登場者にも見られるたとえば

矢で陰部を突かれて慌てた女が勢せ

夜や

陀だ

多た

良ら

比ひ

売め

であるのにその女の産んだ娘が「陰に矢を立てられ震え姫」の意の「富ほ

登と

多た

多た

良ら

伊い

須す

須す

岐き

比ひめのみこと

売命」という名を与えられている母の経験したことが娘の名に反映しているのである

   「晡く

れふしの

時臥山やま

」〔『常陸国風土記』那珂郡茨城里〕の話に登場する子として蛇を産んだ女とその兄は「努ぬ

賀か

咩め

」「努ぬ

賀か

古こ

という名を与えられているこれらの名も原義を解明するのは難しいが「ぬか」はやはり脱皮の意を表す「脱ぬ

か」かも知れ

ない『和名類聚抄』の「蛻」の項に「毛も

沼ぬ

久く

」とあり『色葉字類抄』の「

蛻」の項に「ヘミノモヌケ」とあるこれらの

「脱ぬ

く」「脱ぬ

け」がこの場合に参考になる下二段活用動詞の「脱け」が「脱か彦脱か姫」では「脱か」となってい

るわけだが上代語では「明け」「荒れ」「枯れ」などの下二段活用動詞が「明か時(暁)」「新あ

垣がき

」「枯から

木き

」などの複合名詞を

構成しているのに同じである

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一六一

 

名の意味をこのように理解することは生まれた子を入れる器を何度か大きいものに替えたという脱皮を暗示する説明と

吻合する中世には「もぬけの衣」という表現もあるから「もぬけ」の「も」はあるいは「裳」か

(5) 「陰ほ

絶たち

田だ

」という地名と「米よね

舂つき

女め

等ら

が陰ほと

を陪おもとびとくな

従婚ぎ断ちき」という説明との関係には理解するのが難しい点がある

「陰絶田」に含まれる「絶つ」はもともと「長い間にわたって継続してきたことを止めまた幅のある物体を切る」の意を

表す動詞であるこれの自動詞である「絶ゆ」も基本的に意味は同じであるだから「陪お

もとびと

従」との交合によって陰部が損

傷したことをあえて「婚ぎ絶ち

9

9

き」と表現した理由が不明である物を損傷したことがなぜ「絶つ」と表現されたのか

「婚ぎ絶ちき」を「裂傷をおはせた」〔古典全書〕の意だと説明してもその疑問は解消しない

   「陰絶田」はもと「陰に(男根が)立つ田」の意の「陰立9

田」だったかも知れないそのように想定すれば神武記の

「丹塗矢伝説」に登場する「富ほ

登と

多た

多た

良ら

伊い

須す

須す

岐き

比ひ

売め

」という名の「ほとたたら」と意味的に対応するただし矢の場合に

「立つ」を用いた理由は理解できるが男根の場合にも同様に「立つ」を用いたとは想定しにくい「絶つ」とあることはや

はり不審のままである

(6) 

三つの要素の結びつきについては益田勝実「日本神話における外在と内在日本神話論における始原と展開」〔国文学

『解釈と鑑賞』一九七七年十月〕によるただしこの論にはOの話に関する言及がまったくないOの話のなかに三要素の

結び付きを読み取るのは私見にすぎない

(7) 

両神の死因をめぐる逆転関係については小著『日本の神話伝説を読む』(岩波新書二〇〇七年)の第二章第二節で述

べた

(日本語日本文学科 

教授)

Page 33: 一 神話・伝説に見られる特徴的な語り...神話・伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木) 0 一二三 べている。太平洋に伝承の海洋型国産み神話に類似。またヌホコを男性の象徴とし、交合による国産み神話とも見られる」と述

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一五三

それは『古事記』に見える神話でのちに地上界の支配者になる大お

ほなむぢの

穴牟遅神か

をその兄弟である八や

十そ

神がみ

が殺害する場

面である

W 

ここに八や

十そ

神がみ

見てまた欺あ

ざむき

て山に率ゐ

て入りて大お

樹き

を切り伏せ茹ひ

矢や

をその木に打ち立てその中に入らし

むる即ちその氷ひ

目め

矢や

を打ち離ちて拷う

ち殺しきここにまたその御み

祖おや

の命み

こと

哭な

きつつ求ま

げば見得てすな

はちその木を折りて取り出で活かしてその子に告げて言ひしく「汝い

まし

此こ こ間

にあらば遂に八十神のために滅

ぼさえなむ」といひてすなはち木き

国くに

の大お

屋や

毘び

古この

神かみ

の御み

もと所

に違た

へ遣りきここに八十神

ぎ追ひ臻い

りて矢や

刺ざ

し乞ふ時に木の俣ま

より漏く

き逃がして云の

りたまひしく「須す

佐さ

能のをのみこと

男命の坐ま

します根の堅か

州す

国くに

に参ま

向ふべし必ず

その大神議は

りたまひなむ」とのりたまひき故か

詔の

りたまひし命の随ま

にまに

須佐之男命の御所に参ま

ゐいた到

ればhellip

〔神代記〕

 

八十神が大木を切り倒してそれを裂き裂け目に楔

くさび

状の「茹ひ

矢や

」を押し立てておいたそしてそこに大穴牟遅神

を入らせて楔状の物を引き抜き同神を圧死させた同神の母が木を折って息子を救い出しこれを蘇生させて大お

屋や

毘び

古この

神かみ

のもとへ逃がしてやったさらに八十神が追いついて息子を引き渡すように母に要求した時には母が息

子をこっそり木の俣から須佐能男命のもとへ逃がしてやったという

 

Wの話の直前には八十神に脅迫された大穴牟遅神が焼けた岩をかかえ込んで死んでしまったという話が置か

れている死んだ大穴牟遅神はやはり母の尽力によって復活したというそれが一回めの死と復活を語る話だから

Wの話で語られる死と復活は二回めのそれである一回めの死が岩を抱き取ることによってもたらされ二回めの死

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一五四

が木の俣に挟まれることによってもたらされた死因の内容が一回めと二回めとでは逆転している

 

また大穴牟遅神の二度にわたる死は天照大御神の二度にわたる死と奇妙なかたちで対応している天照大御神

の死はまず同神自身あるいはその分身の女神が木製の梭で陰部を突いて死ぬというかたちで語られるまた

そのあとで同神自身が岩屋に籠もってしまうというかたちで死が語られるがそれは太陽神の象徴的な死である

両神の死の内容を細かく比較すると両神の体と岩木とが次のように互いに逆転した奇妙な関係を示しているこ

とがわかる

  

大穴牟遅神の死helliphelliphellip体が岩をかかえるdarr木の俣が体を挟む

  

天照大御神の死helliphelliphellip木が体のなかに入るdarr体が岩のなかに入る

 

地上の支配者と世界の至高神との間に死をめぐってこのような逆転した関係が認められるのはきわめて興味深

いことである)

7(

 

さて「二段構えの語り」だがWの話のうち母が息子を「その木を折りて取り出で活かして」大お

屋や

毘び

古この

神かみ

のも

とへ逃がしてやったという二重線の部分が一段めの語りにあたる二段めの語りにあたるのは母が息子を「木の

俣また

より漏く

き逃がし」て須佐能男命のもとへ向かわせたという太線の部分である

 

つまりこの神話では俣になった「その木を折りて」母が息子を救い出す一段めの語りと母が息子を「木の俣

より漏く

き」逃がしてやる二段めの語りとは

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一五五

W 《母が息子を木の俣から救出しあるいは逃がして別の神のもとへ送り出す》

という酷似した内容のものになっている

 

地上の支配者となるべき大穴牟遅神が木の俣に挟まれて死んで母に救われる話の方が同神の母が木の俣から息

子を逃がしてやる話よりもずっと衝撃的で印象的であるだから神話の伝承者が一段めの語りの内容を強く意

識しそれに酷似した内容をもつ二段めの語りを連想してあとで話のなかに持ち込んだのだろうと推測される

より印象的な出来事を語り終えたあともそれが意識のなかから消え去らず類似し対応することがらをあとで連想し

てしまったと考えられる【一段めの話から二段めの話が連想されたというaの過程をたどったとおぼしい実例は

僅少であるそれには然るべき理由があったと考えるべきだが目下のところそれは不明である】

 

Wの話がこのような経緯をたどったとすると母が木を折って息子を救い出しこれを蘇生させてから別の神のも

とへ逃がしてやったという一段めの語りだけが話に含まれていた段階を例によって想定しなければならない一

段めの語りだけで話は成り立つのか

 

結論を言えばその想定は可能である八十神のもとから逃げた大穴牟遅神が須佐能男命のいる地まで行ったと

いうような単純な内容の話になっている方が以下との続きかたは自然である二重線の部分の末尾にある「木き

国くに

の大お

屋や

毘び

古この

神かみ

の御み

もと所

に違た

へ遣りき」の「大屋毘古神」の部分を太線の部分にある「須佐能男命」とすれば話は無

理なく以下に続くのであるまずは大屋毘古神のもとへ逃げて行ったという部分がなかったとすれば母は木の裂け

目から息子を救い出しこれを蘇生させて須佐能男命のもとへ送り出したというわかりやすい展開になるしたが

ってaの過程を経てWの話が成立しただろうという推定は十分に成り立つ

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一五六

 

二重線の「木き

国くに

の大お

屋や

毘び

古この

神かみ

の御み

もと所

に違た

へ遣りき」という部分は「木国のhellip」で始まっているそれは「大お

樹き

切り伏せ」「茹ひ

矢や

をその木に打ち立て」「その木を折りて」などWの話にくり返し出ている「樹木」から連想され

たものだろう

 

太線の部分にある「木の俣ま

より漏く

き逃がして」以下の表現からその前に置かれた二重線の部分が連想されたと

いうbの過程は想定できない二重線の部分が話に含まれていないという段階はなぜ太線の部分が話に含まれてい

るのかということつまり「木の俣ま

より漏く

き逃がして」とある理由が説明できないのである大穴牟遅神が八十神に

殺害されて復活したという理由があって始めて「木の俣ま

より漏く

き逃がして」以下の表現が意味をもつのである

 

木の俣に挟まれて圧死した大穴牟遅神が母の尽力によって蘇生したあとには同神が須佐能男命から与えられた

いくつもの試練を妻の須す

勢せ

理り

毘び

売め

の助力を得てそのたびごとに克服するという話が続くさらに大穴牟遅神が

須勢理毘売をその父のもとから奪って逃げるとともに自分に苦難をもたらした八十神を追い払って「始めて国を作

りたま」うたという展開になっているまたそのあとにも大穴牟遅神の子を産んだ八や

上かみ

比ひ

売め

が須世理毘売を恐

れて「その生める子をば木の俣に挟みて返」ったという話が続いている八上比売の話にまたもや「木の俣」

のことが出てくるわけである

 

この「木の俣」の話もまた大穴牟遅神が「木の俣」に挟まれて圧死した話から連想されたものである可能性が想

定できるがそのように想定する場合に問題となることがあるそれは両話の間に置かれた話があまりにも長大な

ものだということであるしかし大穴牟遅神と生まれた子との間には

 

ⅰ 

父子

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一五七

 

ⅱ 

木の俣に挟まれて死ぬ生まれて木の俣に挟まれる

 

ⅲ 

母が救い出す母が置き去りにする

 

ⅳ 

母が別地へ向かわせる母がもとの地に戻る

というような対比的な関係も認められるのでありこうした関係が偶然に生じたものだとは考えがたいだから父

が木の俣で圧死させられることから生まれた子を木の俣に置くことが連想されたという可能性をここでは否定し

ないでおく【より古い時代には大穴牟遅神が木の俣に挟まれて死ぬ話と八上比売が木の俣に新生児を挟む話とは

直結した一連のものだったことも想定できる】

 

以上の論述では「二段構えの語り」の様態について数話を例示してやや細かく検討を加えたその結果話に

含まれる特定のことからがそれに類似し対応することがらを伝承者に連想させ連想した内容が結果的に話のなか

に組み込まれてしまうという特徴的な現象を上代の神話や伝説を通して確認することができたと考える

 

同じ「二段構えの語り」の現象が認められる話は本稿で取り上げた諸話で尽きているのではなくまだ何話か上

代の文献に見える紙幅の関係でそれらを取り上げて細かく検討を加えることができないからここで二話だけに

ついて結論を述べておき具体的な検討は別稿で行うことにする

 

二話のうち一つは神話に見えるもので娘たちを飲み食らう大蛇を須佐能男命が退治する場面である『古事記』

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一五八

で言えば「是の高こ

志し

の八や

俣また

の遠を

呂ろ

智ち

年と

毎ごと

に来て喫く

へり」という部分と「船ふ

毎ごと

に己お

が頭を垂い入れてその酒を飲み

き」という部分とが「二段構えの語り」に相当する二つの部分の内容をまとめると

  《大蛇が出雲へやってきて足あ

名なづち椎

のがわに属するものを食らいあるいは飲む》

というようになる娘たちを食らい飲む大蛇が酒を飲むという同じ行動が原因で退治されてしまうのである

 

またもう一つの話は『播磨国風土記』の賀古郡の条に見える「比礼墓伝説」であるこの話では「印い

なみ南

」の女

が「隠な

び妻」であり「辞い

び妻」でもあるからこれは「古代の口がたり特有の面白さ」をもつものだという興味深

い見解がある

 

話の冒頭近くにある「度わ

たりもり

子紀き伊の国く

人ひと

小を

玉たま

申さく「我は天

すめらみこと

皇の贄に

人びと

たらめや」とまをす」という部分とその

あとにある「印南の別嬢聞きて驚き畏か

しこみ

即や

て南な

都つ

麻ま

嶋に遁に

げ度りき」という部分とが「二段構えの語り」に

相当する二つの部分のうちのあとの部分は別嬢が天皇の求婚を嫌がって

0

0

0

0

島に逃げて隠れたことを述べたものだか

ら二つの部分は同じく「辞い

び」を内容とするものだと言える「度わ

たりもり

子」つまり船頭の「我は天

すめらみこと

皇の贄に

人びと

たらめや」

という発言に倣って天皇の求婚を嫌がる別嬢の心情を言い表せば「吾は天皇の妻

9

9

9

9

たらめや」というようになる

  

船頭の「辞び」helliphelliphellip「我は天

すめらみこと

皇の贄に

人びと

たらめや」

  

別嬢の「辞び」helliphelliphellip「吾は天皇の妻

9

9

9

9

たらめや」

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一五九

 

結局二つの「辞び」は単なる拒否ではなく次のような同じ内容を表す「辞び」なのである

  《私は天皇にお仕えなどしない》

 

この話の末尾近くには別嬢の遺体について「大き飄つ

むじ

川下より来て其の尸か

ばねを

川中に纏ま

き入れき求むれども得

ず」と述べられているがその部分と別嬢が島に逃げて隠れた

0

0

0

という前の部分ともまた「二段構えの語り」を構

成している二つの部分はともに別嬢の「隠び」を内容とするものなので次のように一つにまとめることができる

  《別嬢が「隠な

び」をした》

 「辞び」も「隠び」も話のなかに二度ずつ表れているのである

 

大蛇退治の神話と「弟日姫子伝説」とには「二段構えの語り」を認めるにあたって解決すべき多くの問題が含ま

れているしかしそれらを一つ一つ検討していけば見てきた諸話と同様の特徴的な語りを二話にも認めることが

できる

註(1) 

本稿にあげる『古事記』『日本書紀』『風土記』などの記述は本文訓読文ともに古典文学大系のものを引用するまた

『萬葉集』の本文訓読文は新編古典全集のものを引用するただしいずれも読みやすさと理解しやすさとを考慮して

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一六〇

もとの表記形式その他を改めることが少なくない

(2) 

大野晋「記紀の創世神話の構成」〔『文学』一九六五年八月〕のちに『仮名遣と上代語』(一九八二年)に収載

(3) 「丹塗矢伝説」の成立については小著『伝承と言語』(一九九五年)のⅡ部四章で私見を述べたただし同書に述べたこ

とと本稿で述べたことの間には一点だけ相違がある丹塗矢が女の陰部を突いたという話は神と人間の女とが結婚したこ

とを明確に語ったものではないからそのことを明確にするために女の持ち帰った丹塗矢が男に変身して子が生まれたとい

う話があとになって付加されたのだと同書では述べたそれは既存の一説に見える解釈を妥当なものと認めそれを踏

襲したものだった本稿では「二段構えの語り」がこの話にも認められるという見解に立ってかつて小著で述べた考えを

訂正する

(4) 

女に与えられた「倭迹迹日百襲姫命」という名の語構成ははたしてどのようなものなのかこれを疑問の余地なく解明す

ることはかなり難しい

   

初頭の「倭」と末尾の「姫命」は除くとして「迹と

迹と

日び

百もも

襲そ

」の「百襲」は字面のとおり「多くの着衣」の意であるかも

知れないこの女の夫は蛇神だから蛇が何度も脱皮をくり返すことを背景とする名を妻がもつことは十分にありうること

だろう「百襲」の「襲」には字を構成する要素として「衣」がある「襲」の字は「重ねて着る」「覆う」「継ぐ」「おそ

う」などの意を表す

   

ある特徴や習性を表す語が当人ではなく周囲の者の名に含まれる例は「丹塗矢伝説」の登場者にも見られるたとえば

矢で陰部を突かれて慌てた女が勢せ

夜や

陀だ

多た

良ら

比ひ

売め

であるのにその女の産んだ娘が「陰に矢を立てられ震え姫」の意の「富ほ

登と

多た

多た

良ら

伊い

須す

須す

岐き

比ひめのみこと

売命」という名を与えられている母の経験したことが娘の名に反映しているのである

   「晡く

れふしの

時臥山やま

」〔『常陸国風土記』那珂郡茨城里〕の話に登場する子として蛇を産んだ女とその兄は「努ぬ

賀か

咩め

」「努ぬ

賀か

古こ

という名を与えられているこれらの名も原義を解明するのは難しいが「ぬか」はやはり脱皮の意を表す「脱ぬ

か」かも知れ

ない『和名類聚抄』の「蛻」の項に「毛も

沼ぬ

久く

」とあり『色葉字類抄』の「

蛻」の項に「ヘミノモヌケ」とあるこれらの

「脱ぬ

く」「脱ぬ

け」がこの場合に参考になる下二段活用動詞の「脱け」が「脱か彦脱か姫」では「脱か」となってい

るわけだが上代語では「明け」「荒れ」「枯れ」などの下二段活用動詞が「明か時(暁)」「新あ

垣がき

」「枯から

木き

」などの複合名詞を

構成しているのに同じである

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一六一

 

名の意味をこのように理解することは生まれた子を入れる器を何度か大きいものに替えたという脱皮を暗示する説明と

吻合する中世には「もぬけの衣」という表現もあるから「もぬけ」の「も」はあるいは「裳」か

(5) 「陰ほ

絶たち

田だ

」という地名と「米よね

舂つき

女め

等ら

が陰ほと

を陪おもとびとくな

従婚ぎ断ちき」という説明との関係には理解するのが難しい点がある

「陰絶田」に含まれる「絶つ」はもともと「長い間にわたって継続してきたことを止めまた幅のある物体を切る」の意を

表す動詞であるこれの自動詞である「絶ゆ」も基本的に意味は同じであるだから「陪お

もとびと

従」との交合によって陰部が損

傷したことをあえて「婚ぎ絶ち

9

9

き」と表現した理由が不明である物を損傷したことがなぜ「絶つ」と表現されたのか

「婚ぎ絶ちき」を「裂傷をおはせた」〔古典全書〕の意だと説明してもその疑問は解消しない

   「陰絶田」はもと「陰に(男根が)立つ田」の意の「陰立9

田」だったかも知れないそのように想定すれば神武記の

「丹塗矢伝説」に登場する「富ほ

登と

多た

多た

良ら

伊い

須す

須す

岐き

比ひ

売め

」という名の「ほとたたら」と意味的に対応するただし矢の場合に

「立つ」を用いた理由は理解できるが男根の場合にも同様に「立つ」を用いたとは想定しにくい「絶つ」とあることはや

はり不審のままである

(6) 

三つの要素の結びつきについては益田勝実「日本神話における外在と内在日本神話論における始原と展開」〔国文学

『解釈と鑑賞』一九七七年十月〕によるただしこの論にはOの話に関する言及がまったくないOの話のなかに三要素の

結び付きを読み取るのは私見にすぎない

(7) 

両神の死因をめぐる逆転関係については小著『日本の神話伝説を読む』(岩波新書二〇〇七年)の第二章第二節で述

べた

(日本語日本文学科 

教授)

Page 34: 一 神話・伝説に見られる特徴的な語り...神話・伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木) 0 一二三 べている。太平洋に伝承の海洋型国産み神話に類似。またヌホコを男性の象徴とし、交合による国産み神話とも見られる」と述

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一五四

が木の俣に挟まれることによってもたらされた死因の内容が一回めと二回めとでは逆転している

 

また大穴牟遅神の二度にわたる死は天照大御神の二度にわたる死と奇妙なかたちで対応している天照大御神

の死はまず同神自身あるいはその分身の女神が木製の梭で陰部を突いて死ぬというかたちで語られるまた

そのあとで同神自身が岩屋に籠もってしまうというかたちで死が語られるがそれは太陽神の象徴的な死である

両神の死の内容を細かく比較すると両神の体と岩木とが次のように互いに逆転した奇妙な関係を示しているこ

とがわかる

  

大穴牟遅神の死helliphelliphellip体が岩をかかえるdarr木の俣が体を挟む

  

天照大御神の死helliphelliphellip木が体のなかに入るdarr体が岩のなかに入る

 

地上の支配者と世界の至高神との間に死をめぐってこのような逆転した関係が認められるのはきわめて興味深

いことである)

7(

 

さて「二段構えの語り」だがWの話のうち母が息子を「その木を折りて取り出で活かして」大お

屋や

毘び

古この

神かみ

のも

とへ逃がしてやったという二重線の部分が一段めの語りにあたる二段めの語りにあたるのは母が息子を「木の

俣また

より漏く

き逃がし」て須佐能男命のもとへ向かわせたという太線の部分である

 

つまりこの神話では俣になった「その木を折りて」母が息子を救い出す一段めの語りと母が息子を「木の俣

より漏く

き」逃がしてやる二段めの語りとは

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一五五

W 《母が息子を木の俣から救出しあるいは逃がして別の神のもとへ送り出す》

という酷似した内容のものになっている

 

地上の支配者となるべき大穴牟遅神が木の俣に挟まれて死んで母に救われる話の方が同神の母が木の俣から息

子を逃がしてやる話よりもずっと衝撃的で印象的であるだから神話の伝承者が一段めの語りの内容を強く意

識しそれに酷似した内容をもつ二段めの語りを連想してあとで話のなかに持ち込んだのだろうと推測される

より印象的な出来事を語り終えたあともそれが意識のなかから消え去らず類似し対応することがらをあとで連想し

てしまったと考えられる【一段めの話から二段めの話が連想されたというaの過程をたどったとおぼしい実例は

僅少であるそれには然るべき理由があったと考えるべきだが目下のところそれは不明である】

 

Wの話がこのような経緯をたどったとすると母が木を折って息子を救い出しこれを蘇生させてから別の神のも

とへ逃がしてやったという一段めの語りだけが話に含まれていた段階を例によって想定しなければならない一

段めの語りだけで話は成り立つのか

 

結論を言えばその想定は可能である八十神のもとから逃げた大穴牟遅神が須佐能男命のいる地まで行ったと

いうような単純な内容の話になっている方が以下との続きかたは自然である二重線の部分の末尾にある「木き

国くに

の大お

屋や

毘び

古この

神かみ

の御み

もと所

に違た

へ遣りき」の「大屋毘古神」の部分を太線の部分にある「須佐能男命」とすれば話は無

理なく以下に続くのであるまずは大屋毘古神のもとへ逃げて行ったという部分がなかったとすれば母は木の裂け

目から息子を救い出しこれを蘇生させて須佐能男命のもとへ送り出したというわかりやすい展開になるしたが

ってaの過程を経てWの話が成立しただろうという推定は十分に成り立つ

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一五六

 

二重線の「木き

国くに

の大お

屋や

毘び

古この

神かみ

の御み

もと所

に違た

へ遣りき」という部分は「木国のhellip」で始まっているそれは「大お

樹き

切り伏せ」「茹ひ

矢や

をその木に打ち立て」「その木を折りて」などWの話にくり返し出ている「樹木」から連想され

たものだろう

 

太線の部分にある「木の俣ま

より漏く

き逃がして」以下の表現からその前に置かれた二重線の部分が連想されたと

いうbの過程は想定できない二重線の部分が話に含まれていないという段階はなぜ太線の部分が話に含まれてい

るのかということつまり「木の俣ま

より漏く

き逃がして」とある理由が説明できないのである大穴牟遅神が八十神に

殺害されて復活したという理由があって始めて「木の俣ま

より漏く

き逃がして」以下の表現が意味をもつのである

 

木の俣に挟まれて圧死した大穴牟遅神が母の尽力によって蘇生したあとには同神が須佐能男命から与えられた

いくつもの試練を妻の須す

勢せ

理り

毘び

売め

の助力を得てそのたびごとに克服するという話が続くさらに大穴牟遅神が

須勢理毘売をその父のもとから奪って逃げるとともに自分に苦難をもたらした八十神を追い払って「始めて国を作

りたま」うたという展開になっているまたそのあとにも大穴牟遅神の子を産んだ八や

上かみ

比ひ

売め

が須世理毘売を恐

れて「その生める子をば木の俣に挟みて返」ったという話が続いている八上比売の話にまたもや「木の俣」

のことが出てくるわけである

 

この「木の俣」の話もまた大穴牟遅神が「木の俣」に挟まれて圧死した話から連想されたものである可能性が想

定できるがそのように想定する場合に問題となることがあるそれは両話の間に置かれた話があまりにも長大な

ものだということであるしかし大穴牟遅神と生まれた子との間には

 

ⅰ 

父子

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一五七

 

ⅱ 

木の俣に挟まれて死ぬ生まれて木の俣に挟まれる

 

ⅲ 

母が救い出す母が置き去りにする

 

ⅳ 

母が別地へ向かわせる母がもとの地に戻る

というような対比的な関係も認められるのでありこうした関係が偶然に生じたものだとは考えがたいだから父

が木の俣で圧死させられることから生まれた子を木の俣に置くことが連想されたという可能性をここでは否定し

ないでおく【より古い時代には大穴牟遅神が木の俣に挟まれて死ぬ話と八上比売が木の俣に新生児を挟む話とは

直結した一連のものだったことも想定できる】

 

以上の論述では「二段構えの語り」の様態について数話を例示してやや細かく検討を加えたその結果話に

含まれる特定のことからがそれに類似し対応することがらを伝承者に連想させ連想した内容が結果的に話のなか

に組み込まれてしまうという特徴的な現象を上代の神話や伝説を通して確認することができたと考える

 

同じ「二段構えの語り」の現象が認められる話は本稿で取り上げた諸話で尽きているのではなくまだ何話か上

代の文献に見える紙幅の関係でそれらを取り上げて細かく検討を加えることができないからここで二話だけに

ついて結論を述べておき具体的な検討は別稿で行うことにする

 

二話のうち一つは神話に見えるもので娘たちを飲み食らう大蛇を須佐能男命が退治する場面である『古事記』

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一五八

で言えば「是の高こ

志し

の八や

俣また

の遠を

呂ろ

智ち

年と

毎ごと

に来て喫く

へり」という部分と「船ふ

毎ごと

に己お

が頭を垂い入れてその酒を飲み

き」という部分とが「二段構えの語り」に相当する二つの部分の内容をまとめると

  《大蛇が出雲へやってきて足あ

名なづち椎

のがわに属するものを食らいあるいは飲む》

というようになる娘たちを食らい飲む大蛇が酒を飲むという同じ行動が原因で退治されてしまうのである

 

またもう一つの話は『播磨国風土記』の賀古郡の条に見える「比礼墓伝説」であるこの話では「印い

なみ南

」の女

が「隠な

び妻」であり「辞い

び妻」でもあるからこれは「古代の口がたり特有の面白さ」をもつものだという興味深

い見解がある

 

話の冒頭近くにある「度わ

たりもり

子紀き伊の国く

人ひと

小を

玉たま

申さく「我は天

すめらみこと

皇の贄に

人びと

たらめや」とまをす」という部分とその

あとにある「印南の別嬢聞きて驚き畏か

しこみ

即や

て南な

都つ

麻ま

嶋に遁に

げ度りき」という部分とが「二段構えの語り」に

相当する二つの部分のうちのあとの部分は別嬢が天皇の求婚を嫌がって

0

0

0

0

島に逃げて隠れたことを述べたものだか

ら二つの部分は同じく「辞い

び」を内容とするものだと言える「度わ

たりもり

子」つまり船頭の「我は天

すめらみこと

皇の贄に

人びと

たらめや」

という発言に倣って天皇の求婚を嫌がる別嬢の心情を言い表せば「吾は天皇の妻

9

9

9

9

たらめや」というようになる

  

船頭の「辞び」helliphelliphellip「我は天

すめらみこと

皇の贄に

人びと

たらめや」

  

別嬢の「辞び」helliphelliphellip「吾は天皇の妻

9

9

9

9

たらめや」

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一五九

 

結局二つの「辞び」は単なる拒否ではなく次のような同じ内容を表す「辞び」なのである

  《私は天皇にお仕えなどしない》

 

この話の末尾近くには別嬢の遺体について「大き飄つ

むじ

川下より来て其の尸か

ばねを

川中に纏ま

き入れき求むれども得

ず」と述べられているがその部分と別嬢が島に逃げて隠れた

0

0

0

という前の部分ともまた「二段構えの語り」を構

成している二つの部分はともに別嬢の「隠び」を内容とするものなので次のように一つにまとめることができる

  《別嬢が「隠な

び」をした》

 「辞び」も「隠び」も話のなかに二度ずつ表れているのである

 

大蛇退治の神話と「弟日姫子伝説」とには「二段構えの語り」を認めるにあたって解決すべき多くの問題が含ま

れているしかしそれらを一つ一つ検討していけば見てきた諸話と同様の特徴的な語りを二話にも認めることが

できる

註(1) 

本稿にあげる『古事記』『日本書紀』『風土記』などの記述は本文訓読文ともに古典文学大系のものを引用するまた

『萬葉集』の本文訓読文は新編古典全集のものを引用するただしいずれも読みやすさと理解しやすさとを考慮して

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一六〇

もとの表記形式その他を改めることが少なくない

(2) 

大野晋「記紀の創世神話の構成」〔『文学』一九六五年八月〕のちに『仮名遣と上代語』(一九八二年)に収載

(3) 「丹塗矢伝説」の成立については小著『伝承と言語』(一九九五年)のⅡ部四章で私見を述べたただし同書に述べたこ

とと本稿で述べたことの間には一点だけ相違がある丹塗矢が女の陰部を突いたという話は神と人間の女とが結婚したこ

とを明確に語ったものではないからそのことを明確にするために女の持ち帰った丹塗矢が男に変身して子が生まれたとい

う話があとになって付加されたのだと同書では述べたそれは既存の一説に見える解釈を妥当なものと認めそれを踏

襲したものだった本稿では「二段構えの語り」がこの話にも認められるという見解に立ってかつて小著で述べた考えを

訂正する

(4) 

女に与えられた「倭迹迹日百襲姫命」という名の語構成ははたしてどのようなものなのかこれを疑問の余地なく解明す

ることはかなり難しい

   

初頭の「倭」と末尾の「姫命」は除くとして「迹と

迹と

日び

百もも

襲そ

」の「百襲」は字面のとおり「多くの着衣」の意であるかも

知れないこの女の夫は蛇神だから蛇が何度も脱皮をくり返すことを背景とする名を妻がもつことは十分にありうること

だろう「百襲」の「襲」には字を構成する要素として「衣」がある「襲」の字は「重ねて着る」「覆う」「継ぐ」「おそ

う」などの意を表す

   

ある特徴や習性を表す語が当人ではなく周囲の者の名に含まれる例は「丹塗矢伝説」の登場者にも見られるたとえば

矢で陰部を突かれて慌てた女が勢せ

夜や

陀だ

多た

良ら

比ひ

売め

であるのにその女の産んだ娘が「陰に矢を立てられ震え姫」の意の「富ほ

登と

多た

多た

良ら

伊い

須す

須す

岐き

比ひめのみこと

売命」という名を与えられている母の経験したことが娘の名に反映しているのである

   「晡く

れふしの

時臥山やま

」〔『常陸国風土記』那珂郡茨城里〕の話に登場する子として蛇を産んだ女とその兄は「努ぬ

賀か

咩め

」「努ぬ

賀か

古こ

という名を与えられているこれらの名も原義を解明するのは難しいが「ぬか」はやはり脱皮の意を表す「脱ぬ

か」かも知れ

ない『和名類聚抄』の「蛻」の項に「毛も

沼ぬ

久く

」とあり『色葉字類抄』の「

蛻」の項に「ヘミノモヌケ」とあるこれらの

「脱ぬ

く」「脱ぬ

け」がこの場合に参考になる下二段活用動詞の「脱け」が「脱か彦脱か姫」では「脱か」となってい

るわけだが上代語では「明け」「荒れ」「枯れ」などの下二段活用動詞が「明か時(暁)」「新あ

垣がき

」「枯から

木き

」などの複合名詞を

構成しているのに同じである

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一六一

 

名の意味をこのように理解することは生まれた子を入れる器を何度か大きいものに替えたという脱皮を暗示する説明と

吻合する中世には「もぬけの衣」という表現もあるから「もぬけ」の「も」はあるいは「裳」か

(5) 「陰ほ

絶たち

田だ

」という地名と「米よね

舂つき

女め

等ら

が陰ほと

を陪おもとびとくな

従婚ぎ断ちき」という説明との関係には理解するのが難しい点がある

「陰絶田」に含まれる「絶つ」はもともと「長い間にわたって継続してきたことを止めまた幅のある物体を切る」の意を

表す動詞であるこれの自動詞である「絶ゆ」も基本的に意味は同じであるだから「陪お

もとびと

従」との交合によって陰部が損

傷したことをあえて「婚ぎ絶ち

9

9

き」と表現した理由が不明である物を損傷したことがなぜ「絶つ」と表現されたのか

「婚ぎ絶ちき」を「裂傷をおはせた」〔古典全書〕の意だと説明してもその疑問は解消しない

   「陰絶田」はもと「陰に(男根が)立つ田」の意の「陰立9

田」だったかも知れないそのように想定すれば神武記の

「丹塗矢伝説」に登場する「富ほ

登と

多た

多た

良ら

伊い

須す

須す

岐き

比ひ

売め

」という名の「ほとたたら」と意味的に対応するただし矢の場合に

「立つ」を用いた理由は理解できるが男根の場合にも同様に「立つ」を用いたとは想定しにくい「絶つ」とあることはや

はり不審のままである

(6) 

三つの要素の結びつきについては益田勝実「日本神話における外在と内在日本神話論における始原と展開」〔国文学

『解釈と鑑賞』一九七七年十月〕によるただしこの論にはOの話に関する言及がまったくないOの話のなかに三要素の

結び付きを読み取るのは私見にすぎない

(7) 

両神の死因をめぐる逆転関係については小著『日本の神話伝説を読む』(岩波新書二〇〇七年)の第二章第二節で述

べた

(日本語日本文学科 

教授)

Page 35: 一 神話・伝説に見られる特徴的な語り...神話・伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木) 0 一二三 べている。太平洋に伝承の海洋型国産み神話に類似。またヌホコを男性の象徴とし、交合による国産み神話とも見られる」と述

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一五五

W 《母が息子を木の俣から救出しあるいは逃がして別の神のもとへ送り出す》

という酷似した内容のものになっている

 

地上の支配者となるべき大穴牟遅神が木の俣に挟まれて死んで母に救われる話の方が同神の母が木の俣から息

子を逃がしてやる話よりもずっと衝撃的で印象的であるだから神話の伝承者が一段めの語りの内容を強く意

識しそれに酷似した内容をもつ二段めの語りを連想してあとで話のなかに持ち込んだのだろうと推測される

より印象的な出来事を語り終えたあともそれが意識のなかから消え去らず類似し対応することがらをあとで連想し

てしまったと考えられる【一段めの話から二段めの話が連想されたというaの過程をたどったとおぼしい実例は

僅少であるそれには然るべき理由があったと考えるべきだが目下のところそれは不明である】

 

Wの話がこのような経緯をたどったとすると母が木を折って息子を救い出しこれを蘇生させてから別の神のも

とへ逃がしてやったという一段めの語りだけが話に含まれていた段階を例によって想定しなければならない一

段めの語りだけで話は成り立つのか

 

結論を言えばその想定は可能である八十神のもとから逃げた大穴牟遅神が須佐能男命のいる地まで行ったと

いうような単純な内容の話になっている方が以下との続きかたは自然である二重線の部分の末尾にある「木き

国くに

の大お

屋や

毘び

古この

神かみ

の御み

もと所

に違た

へ遣りき」の「大屋毘古神」の部分を太線の部分にある「須佐能男命」とすれば話は無

理なく以下に続くのであるまずは大屋毘古神のもとへ逃げて行ったという部分がなかったとすれば母は木の裂け

目から息子を救い出しこれを蘇生させて須佐能男命のもとへ送り出したというわかりやすい展開になるしたが

ってaの過程を経てWの話が成立しただろうという推定は十分に成り立つ

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一五六

 

二重線の「木き

国くに

の大お

屋や

毘び

古この

神かみ

の御み

もと所

に違た

へ遣りき」という部分は「木国のhellip」で始まっているそれは「大お

樹き

切り伏せ」「茹ひ

矢や

をその木に打ち立て」「その木を折りて」などWの話にくり返し出ている「樹木」から連想され

たものだろう

 

太線の部分にある「木の俣ま

より漏く

き逃がして」以下の表現からその前に置かれた二重線の部分が連想されたと

いうbの過程は想定できない二重線の部分が話に含まれていないという段階はなぜ太線の部分が話に含まれてい

るのかということつまり「木の俣ま

より漏く

き逃がして」とある理由が説明できないのである大穴牟遅神が八十神に

殺害されて復活したという理由があって始めて「木の俣ま

より漏く

き逃がして」以下の表現が意味をもつのである

 

木の俣に挟まれて圧死した大穴牟遅神が母の尽力によって蘇生したあとには同神が須佐能男命から与えられた

いくつもの試練を妻の須す

勢せ

理り

毘び

売め

の助力を得てそのたびごとに克服するという話が続くさらに大穴牟遅神が

須勢理毘売をその父のもとから奪って逃げるとともに自分に苦難をもたらした八十神を追い払って「始めて国を作

りたま」うたという展開になっているまたそのあとにも大穴牟遅神の子を産んだ八や

上かみ

比ひ

売め

が須世理毘売を恐

れて「その生める子をば木の俣に挟みて返」ったという話が続いている八上比売の話にまたもや「木の俣」

のことが出てくるわけである

 

この「木の俣」の話もまた大穴牟遅神が「木の俣」に挟まれて圧死した話から連想されたものである可能性が想

定できるがそのように想定する場合に問題となることがあるそれは両話の間に置かれた話があまりにも長大な

ものだということであるしかし大穴牟遅神と生まれた子との間には

 

ⅰ 

父子

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一五七

 

ⅱ 

木の俣に挟まれて死ぬ生まれて木の俣に挟まれる

 

ⅲ 

母が救い出す母が置き去りにする

 

ⅳ 

母が別地へ向かわせる母がもとの地に戻る

というような対比的な関係も認められるのでありこうした関係が偶然に生じたものだとは考えがたいだから父

が木の俣で圧死させられることから生まれた子を木の俣に置くことが連想されたという可能性をここでは否定し

ないでおく【より古い時代には大穴牟遅神が木の俣に挟まれて死ぬ話と八上比売が木の俣に新生児を挟む話とは

直結した一連のものだったことも想定できる】

 

以上の論述では「二段構えの語り」の様態について数話を例示してやや細かく検討を加えたその結果話に

含まれる特定のことからがそれに類似し対応することがらを伝承者に連想させ連想した内容が結果的に話のなか

に組み込まれてしまうという特徴的な現象を上代の神話や伝説を通して確認することができたと考える

 

同じ「二段構えの語り」の現象が認められる話は本稿で取り上げた諸話で尽きているのではなくまだ何話か上

代の文献に見える紙幅の関係でそれらを取り上げて細かく検討を加えることができないからここで二話だけに

ついて結論を述べておき具体的な検討は別稿で行うことにする

 

二話のうち一つは神話に見えるもので娘たちを飲み食らう大蛇を須佐能男命が退治する場面である『古事記』

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一五八

で言えば「是の高こ

志し

の八や

俣また

の遠を

呂ろ

智ち

年と

毎ごと

に来て喫く

へり」という部分と「船ふ

毎ごと

に己お

が頭を垂い入れてその酒を飲み

き」という部分とが「二段構えの語り」に相当する二つの部分の内容をまとめると

  《大蛇が出雲へやってきて足あ

名なづち椎

のがわに属するものを食らいあるいは飲む》

というようになる娘たちを食らい飲む大蛇が酒を飲むという同じ行動が原因で退治されてしまうのである

 

またもう一つの話は『播磨国風土記』の賀古郡の条に見える「比礼墓伝説」であるこの話では「印い

なみ南

」の女

が「隠な

び妻」であり「辞い

び妻」でもあるからこれは「古代の口がたり特有の面白さ」をもつものだという興味深

い見解がある

 

話の冒頭近くにある「度わ

たりもり

子紀き伊の国く

人ひと

小を

玉たま

申さく「我は天

すめらみこと

皇の贄に

人びと

たらめや」とまをす」という部分とその

あとにある「印南の別嬢聞きて驚き畏か

しこみ

即や

て南な

都つ

麻ま

嶋に遁に

げ度りき」という部分とが「二段構えの語り」に

相当する二つの部分のうちのあとの部分は別嬢が天皇の求婚を嫌がって

0

0

0

0

島に逃げて隠れたことを述べたものだか

ら二つの部分は同じく「辞い

び」を内容とするものだと言える「度わ

たりもり

子」つまり船頭の「我は天

すめらみこと

皇の贄に

人びと

たらめや」

という発言に倣って天皇の求婚を嫌がる別嬢の心情を言い表せば「吾は天皇の妻

9

9

9

9

たらめや」というようになる

  

船頭の「辞び」helliphelliphellip「我は天

すめらみこと

皇の贄に

人びと

たらめや」

  

別嬢の「辞び」helliphelliphellip「吾は天皇の妻

9

9

9

9

たらめや」

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一五九

 

結局二つの「辞び」は単なる拒否ではなく次のような同じ内容を表す「辞び」なのである

  《私は天皇にお仕えなどしない》

 

この話の末尾近くには別嬢の遺体について「大き飄つ

むじ

川下より来て其の尸か

ばねを

川中に纏ま

き入れき求むれども得

ず」と述べられているがその部分と別嬢が島に逃げて隠れた

0

0

0

という前の部分ともまた「二段構えの語り」を構

成している二つの部分はともに別嬢の「隠び」を内容とするものなので次のように一つにまとめることができる

  《別嬢が「隠な

び」をした》

 「辞び」も「隠び」も話のなかに二度ずつ表れているのである

 

大蛇退治の神話と「弟日姫子伝説」とには「二段構えの語り」を認めるにあたって解決すべき多くの問題が含ま

れているしかしそれらを一つ一つ検討していけば見てきた諸話と同様の特徴的な語りを二話にも認めることが

できる

註(1) 

本稿にあげる『古事記』『日本書紀』『風土記』などの記述は本文訓読文ともに古典文学大系のものを引用するまた

『萬葉集』の本文訓読文は新編古典全集のものを引用するただしいずれも読みやすさと理解しやすさとを考慮して

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一六〇

もとの表記形式その他を改めることが少なくない

(2) 

大野晋「記紀の創世神話の構成」〔『文学』一九六五年八月〕のちに『仮名遣と上代語』(一九八二年)に収載

(3) 「丹塗矢伝説」の成立については小著『伝承と言語』(一九九五年)のⅡ部四章で私見を述べたただし同書に述べたこ

とと本稿で述べたことの間には一点だけ相違がある丹塗矢が女の陰部を突いたという話は神と人間の女とが結婚したこ

とを明確に語ったものではないからそのことを明確にするために女の持ち帰った丹塗矢が男に変身して子が生まれたとい

う話があとになって付加されたのだと同書では述べたそれは既存の一説に見える解釈を妥当なものと認めそれを踏

襲したものだった本稿では「二段構えの語り」がこの話にも認められるという見解に立ってかつて小著で述べた考えを

訂正する

(4) 

女に与えられた「倭迹迹日百襲姫命」という名の語構成ははたしてどのようなものなのかこれを疑問の余地なく解明す

ることはかなり難しい

   

初頭の「倭」と末尾の「姫命」は除くとして「迹と

迹と

日び

百もも

襲そ

」の「百襲」は字面のとおり「多くの着衣」の意であるかも

知れないこの女の夫は蛇神だから蛇が何度も脱皮をくり返すことを背景とする名を妻がもつことは十分にありうること

だろう「百襲」の「襲」には字を構成する要素として「衣」がある「襲」の字は「重ねて着る」「覆う」「継ぐ」「おそ

う」などの意を表す

   

ある特徴や習性を表す語が当人ではなく周囲の者の名に含まれる例は「丹塗矢伝説」の登場者にも見られるたとえば

矢で陰部を突かれて慌てた女が勢せ

夜や

陀だ

多た

良ら

比ひ

売め

であるのにその女の産んだ娘が「陰に矢を立てられ震え姫」の意の「富ほ

登と

多た

多た

良ら

伊い

須す

須す

岐き

比ひめのみこと

売命」という名を与えられている母の経験したことが娘の名に反映しているのである

   「晡く

れふしの

時臥山やま

」〔『常陸国風土記』那珂郡茨城里〕の話に登場する子として蛇を産んだ女とその兄は「努ぬ

賀か

咩め

」「努ぬ

賀か

古こ

という名を与えられているこれらの名も原義を解明するのは難しいが「ぬか」はやはり脱皮の意を表す「脱ぬ

か」かも知れ

ない『和名類聚抄』の「蛻」の項に「毛も

沼ぬ

久く

」とあり『色葉字類抄』の「

蛻」の項に「ヘミノモヌケ」とあるこれらの

「脱ぬ

く」「脱ぬ

け」がこの場合に参考になる下二段活用動詞の「脱け」が「脱か彦脱か姫」では「脱か」となってい

るわけだが上代語では「明け」「荒れ」「枯れ」などの下二段活用動詞が「明か時(暁)」「新あ

垣がき

」「枯から

木き

」などの複合名詞を

構成しているのに同じである

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一六一

 

名の意味をこのように理解することは生まれた子を入れる器を何度か大きいものに替えたという脱皮を暗示する説明と

吻合する中世には「もぬけの衣」という表現もあるから「もぬけ」の「も」はあるいは「裳」か

(5) 「陰ほ

絶たち

田だ

」という地名と「米よね

舂つき

女め

等ら

が陰ほと

を陪おもとびとくな

従婚ぎ断ちき」という説明との関係には理解するのが難しい点がある

「陰絶田」に含まれる「絶つ」はもともと「長い間にわたって継続してきたことを止めまた幅のある物体を切る」の意を

表す動詞であるこれの自動詞である「絶ゆ」も基本的に意味は同じであるだから「陪お

もとびと

従」との交合によって陰部が損

傷したことをあえて「婚ぎ絶ち

9

9

き」と表現した理由が不明である物を損傷したことがなぜ「絶つ」と表現されたのか

「婚ぎ絶ちき」を「裂傷をおはせた」〔古典全書〕の意だと説明してもその疑問は解消しない

   「陰絶田」はもと「陰に(男根が)立つ田」の意の「陰立9

田」だったかも知れないそのように想定すれば神武記の

「丹塗矢伝説」に登場する「富ほ

登と

多た

多た

良ら

伊い

須す

須す

岐き

比ひ

売め

」という名の「ほとたたら」と意味的に対応するただし矢の場合に

「立つ」を用いた理由は理解できるが男根の場合にも同様に「立つ」を用いたとは想定しにくい「絶つ」とあることはや

はり不審のままである

(6) 

三つの要素の結びつきについては益田勝実「日本神話における外在と内在日本神話論における始原と展開」〔国文学

『解釈と鑑賞』一九七七年十月〕によるただしこの論にはOの話に関する言及がまったくないOの話のなかに三要素の

結び付きを読み取るのは私見にすぎない

(7) 

両神の死因をめぐる逆転関係については小著『日本の神話伝説を読む』(岩波新書二〇〇七年)の第二章第二節で述

べた

(日本語日本文学科 

教授)

Page 36: 一 神話・伝説に見られる特徴的な語り...神話・伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木) 0 一二三 べている。太平洋に伝承の海洋型国産み神話に類似。またヌホコを男性の象徴とし、交合による国産み神話とも見られる」と述

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一五六

 

二重線の「木き

国くに

の大お

屋や

毘び

古この

神かみ

の御み

もと所

に違た

へ遣りき」という部分は「木国のhellip」で始まっているそれは「大お

樹き

切り伏せ」「茹ひ

矢や

をその木に打ち立て」「その木を折りて」などWの話にくり返し出ている「樹木」から連想され

たものだろう

 

太線の部分にある「木の俣ま

より漏く

き逃がして」以下の表現からその前に置かれた二重線の部分が連想されたと

いうbの過程は想定できない二重線の部分が話に含まれていないという段階はなぜ太線の部分が話に含まれてい

るのかということつまり「木の俣ま

より漏く

き逃がして」とある理由が説明できないのである大穴牟遅神が八十神に

殺害されて復活したという理由があって始めて「木の俣ま

より漏く

き逃がして」以下の表現が意味をもつのである

 

木の俣に挟まれて圧死した大穴牟遅神が母の尽力によって蘇生したあとには同神が須佐能男命から与えられた

いくつもの試練を妻の須す

勢せ

理り

毘び

売め

の助力を得てそのたびごとに克服するという話が続くさらに大穴牟遅神が

須勢理毘売をその父のもとから奪って逃げるとともに自分に苦難をもたらした八十神を追い払って「始めて国を作

りたま」うたという展開になっているまたそのあとにも大穴牟遅神の子を産んだ八や

上かみ

比ひ

売め

が須世理毘売を恐

れて「その生める子をば木の俣に挟みて返」ったという話が続いている八上比売の話にまたもや「木の俣」

のことが出てくるわけである

 

この「木の俣」の話もまた大穴牟遅神が「木の俣」に挟まれて圧死した話から連想されたものである可能性が想

定できるがそのように想定する場合に問題となることがあるそれは両話の間に置かれた話があまりにも長大な

ものだということであるしかし大穴牟遅神と生まれた子との間には

 

ⅰ 

父子

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一五七

 

ⅱ 

木の俣に挟まれて死ぬ生まれて木の俣に挟まれる

 

ⅲ 

母が救い出す母が置き去りにする

 

ⅳ 

母が別地へ向かわせる母がもとの地に戻る

というような対比的な関係も認められるのでありこうした関係が偶然に生じたものだとは考えがたいだから父

が木の俣で圧死させられることから生まれた子を木の俣に置くことが連想されたという可能性をここでは否定し

ないでおく【より古い時代には大穴牟遅神が木の俣に挟まれて死ぬ話と八上比売が木の俣に新生児を挟む話とは

直結した一連のものだったことも想定できる】

 

以上の論述では「二段構えの語り」の様態について数話を例示してやや細かく検討を加えたその結果話に

含まれる特定のことからがそれに類似し対応することがらを伝承者に連想させ連想した内容が結果的に話のなか

に組み込まれてしまうという特徴的な現象を上代の神話や伝説を通して確認することができたと考える

 

同じ「二段構えの語り」の現象が認められる話は本稿で取り上げた諸話で尽きているのではなくまだ何話か上

代の文献に見える紙幅の関係でそれらを取り上げて細かく検討を加えることができないからここで二話だけに

ついて結論を述べておき具体的な検討は別稿で行うことにする

 

二話のうち一つは神話に見えるもので娘たちを飲み食らう大蛇を須佐能男命が退治する場面である『古事記』

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一五八

で言えば「是の高こ

志し

の八や

俣また

の遠を

呂ろ

智ち

年と

毎ごと

に来て喫く

へり」という部分と「船ふ

毎ごと

に己お

が頭を垂い入れてその酒を飲み

き」という部分とが「二段構えの語り」に相当する二つの部分の内容をまとめると

  《大蛇が出雲へやってきて足あ

名なづち椎

のがわに属するものを食らいあるいは飲む》

というようになる娘たちを食らい飲む大蛇が酒を飲むという同じ行動が原因で退治されてしまうのである

 

またもう一つの話は『播磨国風土記』の賀古郡の条に見える「比礼墓伝説」であるこの話では「印い

なみ南

」の女

が「隠な

び妻」であり「辞い

び妻」でもあるからこれは「古代の口がたり特有の面白さ」をもつものだという興味深

い見解がある

 

話の冒頭近くにある「度わ

たりもり

子紀き伊の国く

人ひと

小を

玉たま

申さく「我は天

すめらみこと

皇の贄に

人びと

たらめや」とまをす」という部分とその

あとにある「印南の別嬢聞きて驚き畏か

しこみ

即や

て南な

都つ

麻ま

嶋に遁に

げ度りき」という部分とが「二段構えの語り」に

相当する二つの部分のうちのあとの部分は別嬢が天皇の求婚を嫌がって

0

0

0

0

島に逃げて隠れたことを述べたものだか

ら二つの部分は同じく「辞い

び」を内容とするものだと言える「度わ

たりもり

子」つまり船頭の「我は天

すめらみこと

皇の贄に

人びと

たらめや」

という発言に倣って天皇の求婚を嫌がる別嬢の心情を言い表せば「吾は天皇の妻

9

9

9

9

たらめや」というようになる

  

船頭の「辞び」helliphelliphellip「我は天

すめらみこと

皇の贄に

人びと

たらめや」

  

別嬢の「辞び」helliphelliphellip「吾は天皇の妻

9

9

9

9

たらめや」

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一五九

 

結局二つの「辞び」は単なる拒否ではなく次のような同じ内容を表す「辞び」なのである

  《私は天皇にお仕えなどしない》

 

この話の末尾近くには別嬢の遺体について「大き飄つ

むじ

川下より来て其の尸か

ばねを

川中に纏ま

き入れき求むれども得

ず」と述べられているがその部分と別嬢が島に逃げて隠れた

0

0

0

という前の部分ともまた「二段構えの語り」を構

成している二つの部分はともに別嬢の「隠び」を内容とするものなので次のように一つにまとめることができる

  《別嬢が「隠な

び」をした》

 「辞び」も「隠び」も話のなかに二度ずつ表れているのである

 

大蛇退治の神話と「弟日姫子伝説」とには「二段構えの語り」を認めるにあたって解決すべき多くの問題が含ま

れているしかしそれらを一つ一つ検討していけば見てきた諸話と同様の特徴的な語りを二話にも認めることが

できる

註(1) 

本稿にあげる『古事記』『日本書紀』『風土記』などの記述は本文訓読文ともに古典文学大系のものを引用するまた

『萬葉集』の本文訓読文は新編古典全集のものを引用するただしいずれも読みやすさと理解しやすさとを考慮して

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一六〇

もとの表記形式その他を改めることが少なくない

(2) 

大野晋「記紀の創世神話の構成」〔『文学』一九六五年八月〕のちに『仮名遣と上代語』(一九八二年)に収載

(3) 「丹塗矢伝説」の成立については小著『伝承と言語』(一九九五年)のⅡ部四章で私見を述べたただし同書に述べたこ

とと本稿で述べたことの間には一点だけ相違がある丹塗矢が女の陰部を突いたという話は神と人間の女とが結婚したこ

とを明確に語ったものではないからそのことを明確にするために女の持ち帰った丹塗矢が男に変身して子が生まれたとい

う話があとになって付加されたのだと同書では述べたそれは既存の一説に見える解釈を妥当なものと認めそれを踏

襲したものだった本稿では「二段構えの語り」がこの話にも認められるという見解に立ってかつて小著で述べた考えを

訂正する

(4) 

女に与えられた「倭迹迹日百襲姫命」という名の語構成ははたしてどのようなものなのかこれを疑問の余地なく解明す

ることはかなり難しい

   

初頭の「倭」と末尾の「姫命」は除くとして「迹と

迹と

日び

百もも

襲そ

」の「百襲」は字面のとおり「多くの着衣」の意であるかも

知れないこの女の夫は蛇神だから蛇が何度も脱皮をくり返すことを背景とする名を妻がもつことは十分にありうること

だろう「百襲」の「襲」には字を構成する要素として「衣」がある「襲」の字は「重ねて着る」「覆う」「継ぐ」「おそ

う」などの意を表す

   

ある特徴や習性を表す語が当人ではなく周囲の者の名に含まれる例は「丹塗矢伝説」の登場者にも見られるたとえば

矢で陰部を突かれて慌てた女が勢せ

夜や

陀だ

多た

良ら

比ひ

売め

であるのにその女の産んだ娘が「陰に矢を立てられ震え姫」の意の「富ほ

登と

多た

多た

良ら

伊い

須す

須す

岐き

比ひめのみこと

売命」という名を与えられている母の経験したことが娘の名に反映しているのである

   「晡く

れふしの

時臥山やま

」〔『常陸国風土記』那珂郡茨城里〕の話に登場する子として蛇を産んだ女とその兄は「努ぬ

賀か

咩め

」「努ぬ

賀か

古こ

という名を与えられているこれらの名も原義を解明するのは難しいが「ぬか」はやはり脱皮の意を表す「脱ぬ

か」かも知れ

ない『和名類聚抄』の「蛻」の項に「毛も

沼ぬ

久く

」とあり『色葉字類抄』の「

蛻」の項に「ヘミノモヌケ」とあるこれらの

「脱ぬ

く」「脱ぬ

け」がこの場合に参考になる下二段活用動詞の「脱け」が「脱か彦脱か姫」では「脱か」となってい

るわけだが上代語では「明け」「荒れ」「枯れ」などの下二段活用動詞が「明か時(暁)」「新あ

垣がき

」「枯から

木き

」などの複合名詞を

構成しているのに同じである

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一六一

 

名の意味をこのように理解することは生まれた子を入れる器を何度か大きいものに替えたという脱皮を暗示する説明と

吻合する中世には「もぬけの衣」という表現もあるから「もぬけ」の「も」はあるいは「裳」か

(5) 「陰ほ

絶たち

田だ

」という地名と「米よね

舂つき

女め

等ら

が陰ほと

を陪おもとびとくな

従婚ぎ断ちき」という説明との関係には理解するのが難しい点がある

「陰絶田」に含まれる「絶つ」はもともと「長い間にわたって継続してきたことを止めまた幅のある物体を切る」の意を

表す動詞であるこれの自動詞である「絶ゆ」も基本的に意味は同じであるだから「陪お

もとびと

従」との交合によって陰部が損

傷したことをあえて「婚ぎ絶ち

9

9

き」と表現した理由が不明である物を損傷したことがなぜ「絶つ」と表現されたのか

「婚ぎ絶ちき」を「裂傷をおはせた」〔古典全書〕の意だと説明してもその疑問は解消しない

   「陰絶田」はもと「陰に(男根が)立つ田」の意の「陰立9

田」だったかも知れないそのように想定すれば神武記の

「丹塗矢伝説」に登場する「富ほ

登と

多た

多た

良ら

伊い

須す

須す

岐き

比ひ

売め

」という名の「ほとたたら」と意味的に対応するただし矢の場合に

「立つ」を用いた理由は理解できるが男根の場合にも同様に「立つ」を用いたとは想定しにくい「絶つ」とあることはや

はり不審のままである

(6) 

三つの要素の結びつきについては益田勝実「日本神話における外在と内在日本神話論における始原と展開」〔国文学

『解釈と鑑賞』一九七七年十月〕によるただしこの論にはOの話に関する言及がまったくないOの話のなかに三要素の

結び付きを読み取るのは私見にすぎない

(7) 

両神の死因をめぐる逆転関係については小著『日本の神話伝説を読む』(岩波新書二〇〇七年)の第二章第二節で述

べた

(日本語日本文学科 

教授)

Page 37: 一 神話・伝説に見られる特徴的な語り...神話・伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木) 0 一二三 べている。太平洋に伝承の海洋型国産み神話に類似。またヌホコを男性の象徴とし、交合による国産み神話とも見られる」と述

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一五七

 

ⅱ 

木の俣に挟まれて死ぬ生まれて木の俣に挟まれる

 

ⅲ 

母が救い出す母が置き去りにする

 

ⅳ 

母が別地へ向かわせる母がもとの地に戻る

というような対比的な関係も認められるのでありこうした関係が偶然に生じたものだとは考えがたいだから父

が木の俣で圧死させられることから生まれた子を木の俣に置くことが連想されたという可能性をここでは否定し

ないでおく【より古い時代には大穴牟遅神が木の俣に挟まれて死ぬ話と八上比売が木の俣に新生児を挟む話とは

直結した一連のものだったことも想定できる】

 

以上の論述では「二段構えの語り」の様態について数話を例示してやや細かく検討を加えたその結果話に

含まれる特定のことからがそれに類似し対応することがらを伝承者に連想させ連想した内容が結果的に話のなか

に組み込まれてしまうという特徴的な現象を上代の神話や伝説を通して確認することができたと考える

 

同じ「二段構えの語り」の現象が認められる話は本稿で取り上げた諸話で尽きているのではなくまだ何話か上

代の文献に見える紙幅の関係でそれらを取り上げて細かく検討を加えることができないからここで二話だけに

ついて結論を述べておき具体的な検討は別稿で行うことにする

 

二話のうち一つは神話に見えるもので娘たちを飲み食らう大蛇を須佐能男命が退治する場面である『古事記』

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一五八

で言えば「是の高こ

志し

の八や

俣また

の遠を

呂ろ

智ち

年と

毎ごと

に来て喫く

へり」という部分と「船ふ

毎ごと

に己お

が頭を垂い入れてその酒を飲み

き」という部分とが「二段構えの語り」に相当する二つの部分の内容をまとめると

  《大蛇が出雲へやってきて足あ

名なづち椎

のがわに属するものを食らいあるいは飲む》

というようになる娘たちを食らい飲む大蛇が酒を飲むという同じ行動が原因で退治されてしまうのである

 

またもう一つの話は『播磨国風土記』の賀古郡の条に見える「比礼墓伝説」であるこの話では「印い

なみ南

」の女

が「隠な

び妻」であり「辞い

び妻」でもあるからこれは「古代の口がたり特有の面白さ」をもつものだという興味深

い見解がある

 

話の冒頭近くにある「度わ

たりもり

子紀き伊の国く

人ひと

小を

玉たま

申さく「我は天

すめらみこと

皇の贄に

人びと

たらめや」とまをす」という部分とその

あとにある「印南の別嬢聞きて驚き畏か

しこみ

即や

て南な

都つ

麻ま

嶋に遁に

げ度りき」という部分とが「二段構えの語り」に

相当する二つの部分のうちのあとの部分は別嬢が天皇の求婚を嫌がって

0

0

0

0

島に逃げて隠れたことを述べたものだか

ら二つの部分は同じく「辞い

び」を内容とするものだと言える「度わ

たりもり

子」つまり船頭の「我は天

すめらみこと

皇の贄に

人びと

たらめや」

という発言に倣って天皇の求婚を嫌がる別嬢の心情を言い表せば「吾は天皇の妻

9

9

9

9

たらめや」というようになる

  

船頭の「辞び」helliphelliphellip「我は天

すめらみこと

皇の贄に

人びと

たらめや」

  

別嬢の「辞び」helliphelliphellip「吾は天皇の妻

9

9

9

9

たらめや」

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一五九

 

結局二つの「辞び」は単なる拒否ではなく次のような同じ内容を表す「辞び」なのである

  《私は天皇にお仕えなどしない》

 

この話の末尾近くには別嬢の遺体について「大き飄つ

むじ

川下より来て其の尸か

ばねを

川中に纏ま

き入れき求むれども得

ず」と述べられているがその部分と別嬢が島に逃げて隠れた

0

0

0

という前の部分ともまた「二段構えの語り」を構

成している二つの部分はともに別嬢の「隠び」を内容とするものなので次のように一つにまとめることができる

  《別嬢が「隠な

び」をした》

 「辞び」も「隠び」も話のなかに二度ずつ表れているのである

 

大蛇退治の神話と「弟日姫子伝説」とには「二段構えの語り」を認めるにあたって解決すべき多くの問題が含ま

れているしかしそれらを一つ一つ検討していけば見てきた諸話と同様の特徴的な語りを二話にも認めることが

できる

註(1) 

本稿にあげる『古事記』『日本書紀』『風土記』などの記述は本文訓読文ともに古典文学大系のものを引用するまた

『萬葉集』の本文訓読文は新編古典全集のものを引用するただしいずれも読みやすさと理解しやすさとを考慮して

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一六〇

もとの表記形式その他を改めることが少なくない

(2) 

大野晋「記紀の創世神話の構成」〔『文学』一九六五年八月〕のちに『仮名遣と上代語』(一九八二年)に収載

(3) 「丹塗矢伝説」の成立については小著『伝承と言語』(一九九五年)のⅡ部四章で私見を述べたただし同書に述べたこ

とと本稿で述べたことの間には一点だけ相違がある丹塗矢が女の陰部を突いたという話は神と人間の女とが結婚したこ

とを明確に語ったものではないからそのことを明確にするために女の持ち帰った丹塗矢が男に変身して子が生まれたとい

う話があとになって付加されたのだと同書では述べたそれは既存の一説に見える解釈を妥当なものと認めそれを踏

襲したものだった本稿では「二段構えの語り」がこの話にも認められるという見解に立ってかつて小著で述べた考えを

訂正する

(4) 

女に与えられた「倭迹迹日百襲姫命」という名の語構成ははたしてどのようなものなのかこれを疑問の余地なく解明す

ることはかなり難しい

   

初頭の「倭」と末尾の「姫命」は除くとして「迹と

迹と

日び

百もも

襲そ

」の「百襲」は字面のとおり「多くの着衣」の意であるかも

知れないこの女の夫は蛇神だから蛇が何度も脱皮をくり返すことを背景とする名を妻がもつことは十分にありうること

だろう「百襲」の「襲」には字を構成する要素として「衣」がある「襲」の字は「重ねて着る」「覆う」「継ぐ」「おそ

う」などの意を表す

   

ある特徴や習性を表す語が当人ではなく周囲の者の名に含まれる例は「丹塗矢伝説」の登場者にも見られるたとえば

矢で陰部を突かれて慌てた女が勢せ

夜や

陀だ

多た

良ら

比ひ

売め

であるのにその女の産んだ娘が「陰に矢を立てられ震え姫」の意の「富ほ

登と

多た

多た

良ら

伊い

須す

須す

岐き

比ひめのみこと

売命」という名を与えられている母の経験したことが娘の名に反映しているのである

   「晡く

れふしの

時臥山やま

」〔『常陸国風土記』那珂郡茨城里〕の話に登場する子として蛇を産んだ女とその兄は「努ぬ

賀か

咩め

」「努ぬ

賀か

古こ

という名を与えられているこれらの名も原義を解明するのは難しいが「ぬか」はやはり脱皮の意を表す「脱ぬ

か」かも知れ

ない『和名類聚抄』の「蛻」の項に「毛も

沼ぬ

久く

」とあり『色葉字類抄』の「

蛻」の項に「ヘミノモヌケ」とあるこれらの

「脱ぬ

く」「脱ぬ

け」がこの場合に参考になる下二段活用動詞の「脱け」が「脱か彦脱か姫」では「脱か」となってい

るわけだが上代語では「明け」「荒れ」「枯れ」などの下二段活用動詞が「明か時(暁)」「新あ

垣がき

」「枯から

木き

」などの複合名詞を

構成しているのに同じである

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一六一

 

名の意味をこのように理解することは生まれた子を入れる器を何度か大きいものに替えたという脱皮を暗示する説明と

吻合する中世には「もぬけの衣」という表現もあるから「もぬけ」の「も」はあるいは「裳」か

(5) 「陰ほ

絶たち

田だ

」という地名と「米よね

舂つき

女め

等ら

が陰ほと

を陪おもとびとくな

従婚ぎ断ちき」という説明との関係には理解するのが難しい点がある

「陰絶田」に含まれる「絶つ」はもともと「長い間にわたって継続してきたことを止めまた幅のある物体を切る」の意を

表す動詞であるこれの自動詞である「絶ゆ」も基本的に意味は同じであるだから「陪お

もとびと

従」との交合によって陰部が損

傷したことをあえて「婚ぎ絶ち

9

9

き」と表現した理由が不明である物を損傷したことがなぜ「絶つ」と表現されたのか

「婚ぎ絶ちき」を「裂傷をおはせた」〔古典全書〕の意だと説明してもその疑問は解消しない

   「陰絶田」はもと「陰に(男根が)立つ田」の意の「陰立9

田」だったかも知れないそのように想定すれば神武記の

「丹塗矢伝説」に登場する「富ほ

登と

多た

多た

良ら

伊い

須す

須す

岐き

比ひ

売め

」という名の「ほとたたら」と意味的に対応するただし矢の場合に

「立つ」を用いた理由は理解できるが男根の場合にも同様に「立つ」を用いたとは想定しにくい「絶つ」とあることはや

はり不審のままである

(6) 

三つの要素の結びつきについては益田勝実「日本神話における外在と内在日本神話論における始原と展開」〔国文学

『解釈と鑑賞』一九七七年十月〕によるただしこの論にはOの話に関する言及がまったくないOの話のなかに三要素の

結び付きを読み取るのは私見にすぎない

(7) 

両神の死因をめぐる逆転関係については小著『日本の神話伝説を読む』(岩波新書二〇〇七年)の第二章第二節で述

べた

(日本語日本文学科 

教授)

Page 38: 一 神話・伝説に見られる特徴的な語り...神話・伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木) 0 一二三 べている。太平洋に伝承の海洋型国産み神話に類似。またヌホコを男性の象徴とし、交合による国産み神話とも見られる」と述

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一五八

で言えば「是の高こ

志し

の八や

俣また

の遠を

呂ろ

智ち

年と

毎ごと

に来て喫く

へり」という部分と「船ふ

毎ごと

に己お

が頭を垂い入れてその酒を飲み

き」という部分とが「二段構えの語り」に相当する二つの部分の内容をまとめると

  《大蛇が出雲へやってきて足あ

名なづち椎

のがわに属するものを食らいあるいは飲む》

というようになる娘たちを食らい飲む大蛇が酒を飲むという同じ行動が原因で退治されてしまうのである

 

またもう一つの話は『播磨国風土記』の賀古郡の条に見える「比礼墓伝説」であるこの話では「印い

なみ南

」の女

が「隠な

び妻」であり「辞い

び妻」でもあるからこれは「古代の口がたり特有の面白さ」をもつものだという興味深

い見解がある

 

話の冒頭近くにある「度わ

たりもり

子紀き伊の国く

人ひと

小を

玉たま

申さく「我は天

すめらみこと

皇の贄に

人びと

たらめや」とまをす」という部分とその

あとにある「印南の別嬢聞きて驚き畏か

しこみ

即や

て南な

都つ

麻ま

嶋に遁に

げ度りき」という部分とが「二段構えの語り」に

相当する二つの部分のうちのあとの部分は別嬢が天皇の求婚を嫌がって

0

0

0

0

島に逃げて隠れたことを述べたものだか

ら二つの部分は同じく「辞い

び」を内容とするものだと言える「度わ

たりもり

子」つまり船頭の「我は天

すめらみこと

皇の贄に

人びと

たらめや」

という発言に倣って天皇の求婚を嫌がる別嬢の心情を言い表せば「吾は天皇の妻

9

9

9

9

たらめや」というようになる

  

船頭の「辞び」helliphelliphellip「我は天

すめらみこと

皇の贄に

人びと

たらめや」

  

別嬢の「辞び」helliphelliphellip「吾は天皇の妻

9

9

9

9

たらめや」

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一五九

 

結局二つの「辞び」は単なる拒否ではなく次のような同じ内容を表す「辞び」なのである

  《私は天皇にお仕えなどしない》

 

この話の末尾近くには別嬢の遺体について「大き飄つ

むじ

川下より来て其の尸か

ばねを

川中に纏ま

き入れき求むれども得

ず」と述べられているがその部分と別嬢が島に逃げて隠れた

0

0

0

という前の部分ともまた「二段構えの語り」を構

成している二つの部分はともに別嬢の「隠び」を内容とするものなので次のように一つにまとめることができる

  《別嬢が「隠な

び」をした》

 「辞び」も「隠び」も話のなかに二度ずつ表れているのである

 

大蛇退治の神話と「弟日姫子伝説」とには「二段構えの語り」を認めるにあたって解決すべき多くの問題が含ま

れているしかしそれらを一つ一つ検討していけば見てきた諸話と同様の特徴的な語りを二話にも認めることが

できる

註(1) 

本稿にあげる『古事記』『日本書紀』『風土記』などの記述は本文訓読文ともに古典文学大系のものを引用するまた

『萬葉集』の本文訓読文は新編古典全集のものを引用するただしいずれも読みやすさと理解しやすさとを考慮して

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一六〇

もとの表記形式その他を改めることが少なくない

(2) 

大野晋「記紀の創世神話の構成」〔『文学』一九六五年八月〕のちに『仮名遣と上代語』(一九八二年)に収載

(3) 「丹塗矢伝説」の成立については小著『伝承と言語』(一九九五年)のⅡ部四章で私見を述べたただし同書に述べたこ

とと本稿で述べたことの間には一点だけ相違がある丹塗矢が女の陰部を突いたという話は神と人間の女とが結婚したこ

とを明確に語ったものではないからそのことを明確にするために女の持ち帰った丹塗矢が男に変身して子が生まれたとい

う話があとになって付加されたのだと同書では述べたそれは既存の一説に見える解釈を妥当なものと認めそれを踏

襲したものだった本稿では「二段構えの語り」がこの話にも認められるという見解に立ってかつて小著で述べた考えを

訂正する

(4) 

女に与えられた「倭迹迹日百襲姫命」という名の語構成ははたしてどのようなものなのかこれを疑問の余地なく解明す

ることはかなり難しい

   

初頭の「倭」と末尾の「姫命」は除くとして「迹と

迹と

日び

百もも

襲そ

」の「百襲」は字面のとおり「多くの着衣」の意であるかも

知れないこの女の夫は蛇神だから蛇が何度も脱皮をくり返すことを背景とする名を妻がもつことは十分にありうること

だろう「百襲」の「襲」には字を構成する要素として「衣」がある「襲」の字は「重ねて着る」「覆う」「継ぐ」「おそ

う」などの意を表す

   

ある特徴や習性を表す語が当人ではなく周囲の者の名に含まれる例は「丹塗矢伝説」の登場者にも見られるたとえば

矢で陰部を突かれて慌てた女が勢せ

夜や

陀だ

多た

良ら

比ひ

売め

であるのにその女の産んだ娘が「陰に矢を立てられ震え姫」の意の「富ほ

登と

多た

多た

良ら

伊い

須す

須す

岐き

比ひめのみこと

売命」という名を与えられている母の経験したことが娘の名に反映しているのである

   「晡く

れふしの

時臥山やま

」〔『常陸国風土記』那珂郡茨城里〕の話に登場する子として蛇を産んだ女とその兄は「努ぬ

賀か

咩め

」「努ぬ

賀か

古こ

という名を与えられているこれらの名も原義を解明するのは難しいが「ぬか」はやはり脱皮の意を表す「脱ぬ

か」かも知れ

ない『和名類聚抄』の「蛻」の項に「毛も

沼ぬ

久く

」とあり『色葉字類抄』の「

蛻」の項に「ヘミノモヌケ」とあるこれらの

「脱ぬ

く」「脱ぬ

け」がこの場合に参考になる下二段活用動詞の「脱け」が「脱か彦脱か姫」では「脱か」となってい

るわけだが上代語では「明け」「荒れ」「枯れ」などの下二段活用動詞が「明か時(暁)」「新あ

垣がき

」「枯から

木き

」などの複合名詞を

構成しているのに同じである

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一六一

 

名の意味をこのように理解することは生まれた子を入れる器を何度か大きいものに替えたという脱皮を暗示する説明と

吻合する中世には「もぬけの衣」という表現もあるから「もぬけ」の「も」はあるいは「裳」か

(5) 「陰ほ

絶たち

田だ

」という地名と「米よね

舂つき

女め

等ら

が陰ほと

を陪おもとびとくな

従婚ぎ断ちき」という説明との関係には理解するのが難しい点がある

「陰絶田」に含まれる「絶つ」はもともと「長い間にわたって継続してきたことを止めまた幅のある物体を切る」の意を

表す動詞であるこれの自動詞である「絶ゆ」も基本的に意味は同じであるだから「陪お

もとびと

従」との交合によって陰部が損

傷したことをあえて「婚ぎ絶ち

9

9

き」と表現した理由が不明である物を損傷したことがなぜ「絶つ」と表現されたのか

「婚ぎ絶ちき」を「裂傷をおはせた」〔古典全書〕の意だと説明してもその疑問は解消しない

   「陰絶田」はもと「陰に(男根が)立つ田」の意の「陰立9

田」だったかも知れないそのように想定すれば神武記の

「丹塗矢伝説」に登場する「富ほ

登と

多た

多た

良ら

伊い

須す

須す

岐き

比ひ

売め

」という名の「ほとたたら」と意味的に対応するただし矢の場合に

「立つ」を用いた理由は理解できるが男根の場合にも同様に「立つ」を用いたとは想定しにくい「絶つ」とあることはや

はり不審のままである

(6) 

三つの要素の結びつきについては益田勝実「日本神話における外在と内在日本神話論における始原と展開」〔国文学

『解釈と鑑賞』一九七七年十月〕によるただしこの論にはOの話に関する言及がまったくないOの話のなかに三要素の

結び付きを読み取るのは私見にすぎない

(7) 

両神の死因をめぐる逆転関係については小著『日本の神話伝説を読む』(岩波新書二〇〇七年)の第二章第二節で述

べた

(日本語日本文学科 

教授)

Page 39: 一 神話・伝説に見られる特徴的な語り...神話・伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木) 0 一二三 べている。太平洋に伝承の海洋型国産み神話に類似。またヌホコを男性の象徴とし、交合による国産み神話とも見られる」と述

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一五九

 

結局二つの「辞び」は単なる拒否ではなく次のような同じ内容を表す「辞び」なのである

  《私は天皇にお仕えなどしない》

 

この話の末尾近くには別嬢の遺体について「大き飄つ

むじ

川下より来て其の尸か

ばねを

川中に纏ま

き入れき求むれども得

ず」と述べられているがその部分と別嬢が島に逃げて隠れた

0

0

0

という前の部分ともまた「二段構えの語り」を構

成している二つの部分はともに別嬢の「隠び」を内容とするものなので次のように一つにまとめることができる

  《別嬢が「隠な

び」をした》

 「辞び」も「隠び」も話のなかに二度ずつ表れているのである

 

大蛇退治の神話と「弟日姫子伝説」とには「二段構えの語り」を認めるにあたって解決すべき多くの問題が含ま

れているしかしそれらを一つ一つ検討していけば見てきた諸話と同様の特徴的な語りを二話にも認めることが

できる

註(1) 

本稿にあげる『古事記』『日本書紀』『風土記』などの記述は本文訓読文ともに古典文学大系のものを引用するまた

『萬葉集』の本文訓読文は新編古典全集のものを引用するただしいずれも読みやすさと理解しやすさとを考慮して

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一六〇

もとの表記形式その他を改めることが少なくない

(2) 

大野晋「記紀の創世神話の構成」〔『文学』一九六五年八月〕のちに『仮名遣と上代語』(一九八二年)に収載

(3) 「丹塗矢伝説」の成立については小著『伝承と言語』(一九九五年)のⅡ部四章で私見を述べたただし同書に述べたこ

とと本稿で述べたことの間には一点だけ相違がある丹塗矢が女の陰部を突いたという話は神と人間の女とが結婚したこ

とを明確に語ったものではないからそのことを明確にするために女の持ち帰った丹塗矢が男に変身して子が生まれたとい

う話があとになって付加されたのだと同書では述べたそれは既存の一説に見える解釈を妥当なものと認めそれを踏

襲したものだった本稿では「二段構えの語り」がこの話にも認められるという見解に立ってかつて小著で述べた考えを

訂正する

(4) 

女に与えられた「倭迹迹日百襲姫命」という名の語構成ははたしてどのようなものなのかこれを疑問の余地なく解明す

ることはかなり難しい

   

初頭の「倭」と末尾の「姫命」は除くとして「迹と

迹と

日び

百もも

襲そ

」の「百襲」は字面のとおり「多くの着衣」の意であるかも

知れないこの女の夫は蛇神だから蛇が何度も脱皮をくり返すことを背景とする名を妻がもつことは十分にありうること

だろう「百襲」の「襲」には字を構成する要素として「衣」がある「襲」の字は「重ねて着る」「覆う」「継ぐ」「おそ

う」などの意を表す

   

ある特徴や習性を表す語が当人ではなく周囲の者の名に含まれる例は「丹塗矢伝説」の登場者にも見られるたとえば

矢で陰部を突かれて慌てた女が勢せ

夜や

陀だ

多た

良ら

比ひ

売め

であるのにその女の産んだ娘が「陰に矢を立てられ震え姫」の意の「富ほ

登と

多た

多た

良ら

伊い

須す

須す

岐き

比ひめのみこと

売命」という名を与えられている母の経験したことが娘の名に反映しているのである

   「晡く

れふしの

時臥山やま

」〔『常陸国風土記』那珂郡茨城里〕の話に登場する子として蛇を産んだ女とその兄は「努ぬ

賀か

咩め

」「努ぬ

賀か

古こ

という名を与えられているこれらの名も原義を解明するのは難しいが「ぬか」はやはり脱皮の意を表す「脱ぬ

か」かも知れ

ない『和名類聚抄』の「蛻」の項に「毛も

沼ぬ

久く

」とあり『色葉字類抄』の「

蛻」の項に「ヘミノモヌケ」とあるこれらの

「脱ぬ

く」「脱ぬ

け」がこの場合に参考になる下二段活用動詞の「脱け」が「脱か彦脱か姫」では「脱か」となってい

るわけだが上代語では「明け」「荒れ」「枯れ」などの下二段活用動詞が「明か時(暁)」「新あ

垣がき

」「枯から

木き

」などの複合名詞を

構成しているのに同じである

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一六一

 

名の意味をこのように理解することは生まれた子を入れる器を何度か大きいものに替えたという脱皮を暗示する説明と

吻合する中世には「もぬけの衣」という表現もあるから「もぬけ」の「も」はあるいは「裳」か

(5) 「陰ほ

絶たち

田だ

」という地名と「米よね

舂つき

女め

等ら

が陰ほと

を陪おもとびとくな

従婚ぎ断ちき」という説明との関係には理解するのが難しい点がある

「陰絶田」に含まれる「絶つ」はもともと「長い間にわたって継続してきたことを止めまた幅のある物体を切る」の意を

表す動詞であるこれの自動詞である「絶ゆ」も基本的に意味は同じであるだから「陪お

もとびと

従」との交合によって陰部が損

傷したことをあえて「婚ぎ絶ち

9

9

き」と表現した理由が不明である物を損傷したことがなぜ「絶つ」と表現されたのか

「婚ぎ絶ちき」を「裂傷をおはせた」〔古典全書〕の意だと説明してもその疑問は解消しない

   「陰絶田」はもと「陰に(男根が)立つ田」の意の「陰立9

田」だったかも知れないそのように想定すれば神武記の

「丹塗矢伝説」に登場する「富ほ

登と

多た

多た

良ら

伊い

須す

須す

岐き

比ひ

売め

」という名の「ほとたたら」と意味的に対応するただし矢の場合に

「立つ」を用いた理由は理解できるが男根の場合にも同様に「立つ」を用いたとは想定しにくい「絶つ」とあることはや

はり不審のままである

(6) 

三つの要素の結びつきについては益田勝実「日本神話における外在と内在日本神話論における始原と展開」〔国文学

『解釈と鑑賞』一九七七年十月〕によるただしこの論にはOの話に関する言及がまったくないOの話のなかに三要素の

結び付きを読み取るのは私見にすぎない

(7) 

両神の死因をめぐる逆転関係については小著『日本の神話伝説を読む』(岩波新書二〇〇七年)の第二章第二節で述

べた

(日本語日本文学科 

教授)

Page 40: 一 神話・伝説に見られる特徴的な語り...神話・伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木) 0 一二三 べている。太平洋に伝承の海洋型国産み神話に類似。またヌホコを男性の象徴とし、交合による国産み神話とも見られる」と述

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一六〇

もとの表記形式その他を改めることが少なくない

(2) 

大野晋「記紀の創世神話の構成」〔『文学』一九六五年八月〕のちに『仮名遣と上代語』(一九八二年)に収載

(3) 「丹塗矢伝説」の成立については小著『伝承と言語』(一九九五年)のⅡ部四章で私見を述べたただし同書に述べたこ

とと本稿で述べたことの間には一点だけ相違がある丹塗矢が女の陰部を突いたという話は神と人間の女とが結婚したこ

とを明確に語ったものではないからそのことを明確にするために女の持ち帰った丹塗矢が男に変身して子が生まれたとい

う話があとになって付加されたのだと同書では述べたそれは既存の一説に見える解釈を妥当なものと認めそれを踏

襲したものだった本稿では「二段構えの語り」がこの話にも認められるという見解に立ってかつて小著で述べた考えを

訂正する

(4) 

女に与えられた「倭迹迹日百襲姫命」という名の語構成ははたしてどのようなものなのかこれを疑問の余地なく解明す

ることはかなり難しい

   

初頭の「倭」と末尾の「姫命」は除くとして「迹と

迹と

日び

百もも

襲そ

」の「百襲」は字面のとおり「多くの着衣」の意であるかも

知れないこの女の夫は蛇神だから蛇が何度も脱皮をくり返すことを背景とする名を妻がもつことは十分にありうること

だろう「百襲」の「襲」には字を構成する要素として「衣」がある「襲」の字は「重ねて着る」「覆う」「継ぐ」「おそ

う」などの意を表す

   

ある特徴や習性を表す語が当人ではなく周囲の者の名に含まれる例は「丹塗矢伝説」の登場者にも見られるたとえば

矢で陰部を突かれて慌てた女が勢せ

夜や

陀だ

多た

良ら

比ひ

売め

であるのにその女の産んだ娘が「陰に矢を立てられ震え姫」の意の「富ほ

登と

多た

多た

良ら

伊い

須す

須す

岐き

比ひめのみこと

売命」という名を与えられている母の経験したことが娘の名に反映しているのである

   「晡く

れふしの

時臥山やま

」〔『常陸国風土記』那珂郡茨城里〕の話に登場する子として蛇を産んだ女とその兄は「努ぬ

賀か

咩め

」「努ぬ

賀か

古こ

という名を与えられているこれらの名も原義を解明するのは難しいが「ぬか」はやはり脱皮の意を表す「脱ぬ

か」かも知れ

ない『和名類聚抄』の「蛻」の項に「毛も

沼ぬ

久く

」とあり『色葉字類抄』の「

蛻」の項に「ヘミノモヌケ」とあるこれらの

「脱ぬ

く」「脱ぬ

け」がこの場合に参考になる下二段活用動詞の「脱け」が「脱か彦脱か姫」では「脱か」となってい

るわけだが上代語では「明け」「荒れ」「枯れ」などの下二段活用動詞が「明か時(暁)」「新あ

垣がき

」「枯から

木き

」などの複合名詞を

構成しているのに同じである

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一六一

 

名の意味をこのように理解することは生まれた子を入れる器を何度か大きいものに替えたという脱皮を暗示する説明と

吻合する中世には「もぬけの衣」という表現もあるから「もぬけ」の「も」はあるいは「裳」か

(5) 「陰ほ

絶たち

田だ

」という地名と「米よね

舂つき

女め

等ら

が陰ほと

を陪おもとびとくな

従婚ぎ断ちき」という説明との関係には理解するのが難しい点がある

「陰絶田」に含まれる「絶つ」はもともと「長い間にわたって継続してきたことを止めまた幅のある物体を切る」の意を

表す動詞であるこれの自動詞である「絶ゆ」も基本的に意味は同じであるだから「陪お

もとびと

従」との交合によって陰部が損

傷したことをあえて「婚ぎ絶ち

9

9

き」と表現した理由が不明である物を損傷したことがなぜ「絶つ」と表現されたのか

「婚ぎ絶ちき」を「裂傷をおはせた」〔古典全書〕の意だと説明してもその疑問は解消しない

   「陰絶田」はもと「陰に(男根が)立つ田」の意の「陰立9

田」だったかも知れないそのように想定すれば神武記の

「丹塗矢伝説」に登場する「富ほ

登と

多た

多た

良ら

伊い

須す

須す

岐き

比ひ

売め

」という名の「ほとたたら」と意味的に対応するただし矢の場合に

「立つ」を用いた理由は理解できるが男根の場合にも同様に「立つ」を用いたとは想定しにくい「絶つ」とあることはや

はり不審のままである

(6) 

三つの要素の結びつきについては益田勝実「日本神話における外在と内在日本神話論における始原と展開」〔国文学

『解釈と鑑賞』一九七七年十月〕によるただしこの論にはOの話に関する言及がまったくないOの話のなかに三要素の

結び付きを読み取るのは私見にすぎない

(7) 

両神の死因をめぐる逆転関係については小著『日本の神話伝説を読む』(岩波新書二〇〇七年)の第二章第二節で述

べた

(日本語日本文学科 

教授)

Page 41: 一 神話・伝説に見られる特徴的な語り...神話・伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木) 0 一二三 べている。太平洋に伝承の海洋型国産み神話に類似。またヌホコを男性の象徴とし、交合による国産み神話とも見られる」と述

神話伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木)

一六一

 

名の意味をこのように理解することは生まれた子を入れる器を何度か大きいものに替えたという脱皮を暗示する説明と

吻合する中世には「もぬけの衣」という表現もあるから「もぬけ」の「も」はあるいは「裳」か

(5) 「陰ほ

絶たち

田だ

」という地名と「米よね

舂つき

女め

等ら

が陰ほと

を陪おもとびとくな

従婚ぎ断ちき」という説明との関係には理解するのが難しい点がある

「陰絶田」に含まれる「絶つ」はもともと「長い間にわたって継続してきたことを止めまた幅のある物体を切る」の意を

表す動詞であるこれの自動詞である「絶ゆ」も基本的に意味は同じであるだから「陪お

もとびと

従」との交合によって陰部が損

傷したことをあえて「婚ぎ絶ち

9

9

き」と表現した理由が不明である物を損傷したことがなぜ「絶つ」と表現されたのか

「婚ぎ絶ちき」を「裂傷をおはせた」〔古典全書〕の意だと説明してもその疑問は解消しない

   「陰絶田」はもと「陰に(男根が)立つ田」の意の「陰立9

田」だったかも知れないそのように想定すれば神武記の

「丹塗矢伝説」に登場する「富ほ

登と

多た

多た

良ら

伊い

須す

須す

岐き

比ひ

売め

」という名の「ほとたたら」と意味的に対応するただし矢の場合に

「立つ」を用いた理由は理解できるが男根の場合にも同様に「立つ」を用いたとは想定しにくい「絶つ」とあることはや

はり不審のままである

(6) 

三つの要素の結びつきについては益田勝実「日本神話における外在と内在日本神話論における始原と展開」〔国文学

『解釈と鑑賞』一九七七年十月〕によるただしこの論にはOの話に関する言及がまったくないOの話のなかに三要素の

結び付きを読み取るのは私見にすぎない

(7) 

両神の死因をめぐる逆転関係については小著『日本の神話伝説を読む』(岩波新書二〇〇七年)の第二章第二節で述

べた

(日本語日本文学科 

教授)

Page 42: 一 神話・伝説に見られる特徴的な語り...神話・伝説に見られる特徴的な語り(佐佐木) 0 一二三 べている。太平洋に伝承の海洋型国産み神話に類似。またヌホコを男性の象徴とし、交合による国産み神話とも見られる」と述