合気道 - nichibun.ac.jpaurora/pdf/82akamon24.pdf · 合気道 の 五十年入学 賀 繁 美...

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/、 合気道 五十年入学 一九八 二年一月初旬に、 パリの往家である大学都市日本館の住 民名簿みたいなものが、 ようやく 完成 ながめて居たら刀ユ ω というイタリア人ぽい名前のフランス国籍の女の子で、 趣味の欄 いているのが自に入 った。部屋をたしかめ m 凶同}内 同門目。 てみると 何のことはない、同じ階のお向いさんで、栗毛を肩ま でたらした、 何となくお 高くとまっていそうでとつつきに 敬遠していた女の ι うど、 でっち上げたタイ の打ちまちがえを捜して あって、酒を一杯ひっかけて tJ" くして 足を洗った筈の合気道とのおつき ひょんな ことから再び開いたわけである。 道場は、大学都市内の国際館という、中央の 壮な建物の地下 で、ここにはバスケットのコ l 卜、壁うちのテニス、 五十畳ばか りの武道場 プールその他の設備が整っている。 一年三学期に各 身約百フランの受講料プラス使用料で、大学都市の住民は、 に余る運動活動のうち いくつかの使用権と 選択した種目の受 講権を得るわけである。他に学生や部外者も別箇料金で登録でき 4aτ η a る。いずれにしろ、住家から歩いて三分の距離であるから、駒場 寮から三体にでかける気楽さが魅力だった。 先生はジャン・ピェ i ル・ラザフィ NmwNm 『とい、つ チェ ジアかどこか出身の色の黒いずんぐりした弁護士で、 日本で務古 をした経験はないそうだが、 パリの本部系の道場で長らく学んだ 人物。少々型にとらわれているのは当地での師の影響もあるのだ ろうが 居合を見、剣で相手をしてみると、 たしかにすじの良い 素質のある人物で、基礎は実にしっかりしている。数年前の、 中先生御一行 のユネス コの招 きによる演武会のことは良く憶えて いて、 とりわけ、 田中先生の抜万には多く学ぶところのあった旨 話してくれた。 「パリの合気道」東京大学合気道部編『赤門合気道』第24号 1982年 pp.34-39

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。/、

五十年入学

一九八

二年一月初旬に、

パリの往家である大学都市日本館の住

民名簿みたいなものが、

ようやく完成し、

ながめて居たら刀ユω

というイタリア人ぽい名前のフランス国籍の女の子で、

趣味の欄

と書

いているのが自に入

った。部屋をたしかめ

m凶同}内

てみると、何のことはない、同じ階のお向いさんで、栗毛を肩ま

でたらした、

何となくお高くとまっていそうでとつつきにくく、

敬遠していた女の子だった。ち

ιうど、

でっち上げたタイプ原稿

の打ちまちがえを捜してくれるフランス人を求めていたついでも

あって、酒を一杯ひっかけてから、意を決して戸をたたいた。

tJ"、

くして

足を洗った筈の合気道とのおつきあいの道が

ひょんな

ことから再び開いたわけである。

道場は、大学都市内の国際館という、中央の豪壮な建物の地下

で、ここにはバスケットのコ

l卜、壁うちのテニス、

五十畳ばか

りの武道場

プールその他の設備が整っている。

一年三学期に各

身約百フランの受講料プラス使用料で、大学都市の住民は、十種

に余る運動活動のうち

いくつかの使用権と

選択した種目の受

講権を得るわけである。他に学生や部外者も別箇料金で登録でき

4aτ ηa

る。いずれにしろ、住家から歩いて三分の距離であるから、駒場

寮から三体にでかける気楽さが魅力だった。

先生はジャン・ピェ

iル・ラザフィ

NmwNmご『とい、つ

チェ

ジアかどこか出身の色の黒いずんぐりした弁護士で、

日本で務古

をした経験はないそうだが、

パリの本部系の道場で長らく学んだ

人物。少々型にとらわれているのは当地での師の影響もあるのだ

ろうが、居合を見、剣で相手をしてみると、

たしかにすじの良い、

素質のある人物で、基礎は実にしっかりしている。数年前の、

中先生御一行のユネス

コの招きによる演武会のことは良く憶えて

いて、

とりわけ、

田中先生の抜万には多く学ぶところのあった旨

話してくれた。

「パリの合気道」東京大学合気道部編『赤門合気道』第24号 1982年 pp.34-39

この人の指導で、火・金と午后六時より八時まで。土曜日は杖

と剣とを交えて二時半より五時まで。参加は、個人主義者で何か

と忙がしがるパリ人種のこととて、必ずしも一定しないのが頭痛

の種だとはラザフィ氏の一一=口うところだが、

それでも普通十人強は

集まる。これに日曜の午前中も都合がつけば芝生の上で練成を積

む。他の空手や柔道に比べ練習時聞はかなり多く、

日曜や、休暇

中の青空練成は無報酬であるから、ずいぶん破格な境遇と言える

だろう。この熱意のお蔭で、比較的初心者の多かった今年でも六

月の月年末には、

ほぽ全員、様になる動作を身につけるに至った。

三月だかに初段をとっ

た学生が

一入居るが、彼など日本では優

に二段を申し渡して恥かしくない。剣の間合いなぞ、実によく実

感としてつかんでいる。

既に四年稽古を続けて

いると言う。

FTつ

も当地の昇段基準は

日本人のそれより厳しいようで、受験者た

ちも、また自分には心がわからない、

思うに、外

と言うのだが、

国人にはしょせん武道・武術の心はわからぬといった言い草は、

外国人の体力と技術におそれをなした本家の方が、

日本人のお株

を守るために持ち出した言い訳け、言い逃れではないかという気

もしないではない。事実、当地で合気道に士山ざすような若者の意

欲たるや、

とても日本人ののんべんだらりと合気道をやっている

連中には空恕もつかぬものがある。

そこに一種の異国趣味が働ら

いているのは否定できぬにせよ、

それも動機づけとしては、日

人だからわかる、なぞと、頭から思い込んでいる我々の態度より

は、よほど健全かつ謙虚であるし、

さらに修業をすすめれば、

もすれば実利や闘争心から発した入門も、

おのづと昇華されてい

くものであることは

当地においても何の変りもない。

むしろ悟りきった顔をしている日本人よりも、

当地の仲間たち

の方が、

何かの折りに突然啓示を受けて道が努ける場面に、

劇的に出くわして

一緒に稽古していても

はっとすることがあ

る。件の初段氏などもその一人で、山口先生の当地でのスタ

lジ

(錬成会)二

日間の後に、

天変身をとげてしまった。

この種の錬成会は、欧州では比較的さかんで、この秋にも植芝

感央氏が指導をされるとも伺ったのだが、何しろ受講者数が多い。

山口先生の場合、ヴェルサイユに近い大会場

-35ー

まり(半数以上有段者で白帯もかなりの経験者ばかり)、これを

山口師一人が指導する。

通訳は長期にわたって日本で指導を受け

ていたティシィエ氏以下があた

って、

山口先生本人の言い足りぬ

ところまで時として補うほどで、

師弟聞の交わりの深さもわかろ

うというものだが

いかんせん、この人数では

はっきり言って

大して効果が上がろうとは期待し得なかった。

だが先述のディディエ

ロ丈竺角川吋

君は

見事に勘どころを盗

んでしまった。錬成の明後日、我々の稽古の時に見ると、今まで

も決して悪くはなかった姿勢が目にみえて、

すっきりと伸び、動

きが今までになく自由になりきっている。組んでやってみると、

全く逆らわずして動きながら、

肝心なところにあやまたず、何の

速慮も怒意もなく体を進める。今まで感じていた、上手なのだが

どこかに殻を感じるわざとらしさが微慶も消えていた。

稽古のあとでそれを尋ねると

ひとつには

例の錬成会の疲れ

の残っていたことで(たしかに暑い日で、

おまけに五百人からの

人いきれで小生も午後は頭が痛くなった)、カがふっ切れていた

こ》」、

さらに、技術ではない何かを学び得た、と語ってくれた。

正直申すと、私にも山口先生の意図は理屈ではわかったのだが、

山口師の演武をはたで二日間見ているだけでは、とても体得でき

るものではなかったのである。

その教えをあの悪条件の中で難なく吸収し、習得してしまった

彼には羨望をおぼえる他ないが

彼としても、

今回は初段を受

けて直後の、ひとつの熟した出合いの頃合いだったのだろう。

ぃ、つのιも

」の変化は、

決して彼の合気が「山口流」になったと

いうことを意味しておらず、

むしろ彼の自ら解くべく問題の鍵が、

それとなくこの錬成の機会に渡されたように思えた

からだ。とま

れ、ひとたび日本から師範が見えるとなると一日五千円近い受講

料のうえですら、

マスプロ的な盛況を呈し、

しかもこの悪条件の

下でかくも深く学びうる若者も居る当地が、

日本からの指導陣に

期待するところのいかばかりであるかは、今さら説明を加えるま

でもあるまい。逆に言えば、

日本から迎えられる指導者は、この

期待に応えうるだけの内実と、語るべき、見せるべきものとを具

してゆかねば、

その責任を果せない。事実迎える側の眼力と熱意

には決してあなどり得ぬものがあるのである。

ただでも遠路を超

えでの指導とあれば、体調の維持は

この特殊な緊張感も伴って、

決して容易なものではあるまい。

しかしながら、この張りつめた

出合いからこそ、

大きな成果が生まれるのであろうし、

当地の若

者は、

たしかに日本からの指導者の実地稽古に

、それだけの質を

求めるとともに、逆に打てば響くが如く応じ得るだけの、真撃な

精進を日々傾けているのである。

いわば日本人指導者の招勝は、

そうした飽和状態の欲求と技能と精神とに、結目聞を析出させるた

めの震動と核とを投げ入れるような効果を、

それは見事に果すこ

とができるのである。

こうした海外での合気道の盛行と深化は、当然

au qJ

我々日本人の

側に新たな対応の可能性をひらくものと言わねばなるまい。具体

的に述べれば、

例えば我々の当地での稽古仲間の一人で、もっぱ

らラザフィ氏の受けを取っているクサヴィエ

Mm〈回。吋

君と

いう、体育指導員養成の私立大学の学生が今秋日本に「武者修業」

に行くことになったと聞いて、

小生は、御多忙の中申し訳ない

とは思ったものの、庄司康生学兄と、

至誠館の若林先生とを紹介

させていただいた。

いずれ当地で幹部となる可能性のある学生で

ある以上、

」れを好機に、剣の稽古でもつけてもらえる折があれ

ば幸いと念じたからである。

既に我が部には

∞叶OH円

さんの留

学の前例があるが、今後、長期

・短期を含め、

日本で留学生を受

け入れる場合も増加しよう。その出合いを大切にしたいと思う。

実際、

クサヴィエ君の他にもパトリジシア

MUωゴ同三ωという、

合気仲間の女の子が新婚旅行で日本に行くとか、

さらにパリで出

会う人々には、柔道、大極拳、空手、

はては「タイジュツ」やら

何やら、武術をたしなむ若者が実に多く、

当方のわずかな経験と

机上の知識でも初対面で場をもたせ、交友関係を広げるのに、実

際ずいぶんと役に立ってくれた。滝沢先生の『華道・茶道・合気

道』は決して誇張でも夢物語でもないのが、

此地では如実に実感

できる。彼らが日本にじかに触れたいという欲求を強く持ってい

るだけに、

それに答えるのは、

我々の責務でもあるし、喜びでも

ある。こ

うした具体的かつ日常的なおつきあいが、

例えば、海外遠征

なり、先生方の海外での演武・招璃・講演といった

」れからま

すますその機会を多くするであろう祝祭の場を、少しでも背後か

ら盛り立て、実りあるものとするためのお手伝いともなれば幸と

思う。裏方の、

日々のお膳立ての下地づくりは、

小生のような泡

沫部員・

OBでも、

何とかその能力に応じた範囲では出来るもの

だと、我ながら妙な感心をしている次第である。

既に海外遠征・出張・留学等の機会を通じて、小生と似た、

いしそれ以上の働きや体験をされている先輩も多くおられる中で、

申し上げるのもおこがましいことだが、柄にもなく、

「底辺」の

体験を得々として語ってみたのは、

ひとつには、ものごとを習う

という行為の方式や習慣のみならず、

そもそも学習・習得といっ

た概念それ自体からして異質であるに違いない社会に於いて、人

を指導することが、何よりも自分自身にとって、

またとない学習

の機会となるのを痛感するからでもある。

卑近なところから話を始めれば、

いうまでもなく、

日本での指

導の場合ことさら意識されない差が当地では本質的区別として理

解されるかと思えば

日本では当然のこととしてあえて説明もさ

れない「何ものか」の存在には気付くものの、

それがつかめなく

て当地の人々は時として欲求不満におちいる。

伊11 ・二え山、

ぬ tJIl' -<+ ......教同の

表と裏

つのを

当地では

)O印

というように訳す。

日本語では

いわば一枚

の銅価の表と裏といった相対的・相即的な動きが、この訳語では、

ワtqa

何か根本的に二またに分かれた

門山中のゴ

O

件。ロニ。

)動作とし

て区分される。

さらにその区別があくまでも、

取りの側の二種類

の体の動きとして提示されるために、間合い(空間的ないし時間

的)のいかんとは全く無関係に適用される。当然無理がでて、

どうりには事が運ばず、彼らは、

一教は不合理だ、

と判断する。

そこで、表裏の区別が空間的な接触距離に相即してはじめてどち

らにでも変化し得ることを教えることとなる。この場合も、本来

なら「間」という概念は、時・空を包括する概念であるから、

イミングによって表にも裏にもなり得るし、

そのいずれとなるか

は接触の前からその瞬間に至る両者の綜合的な場の占め方いかん

にかかわるわけであるが、この点は逆に「間」というものの理解

を前提にしなければ了解され得ない。むしろ、時間と空間がコミ

になって存在する「場」の創造に自分たちが立ちあって

いるのだ

ということを了解させるがために、

一教の稽古をしていると言つ

てもよかろう。算術的な速度(速さ+方向)が必ずしも場の占有

形態の唯一のファクターとはならない。

」うした空聞は、彼らに

は自明ではない。

むろん

この体験は、個を前提として他を立てる

思考風土と、

間柄を前提として状況判断の下に存在関係を規定す

る精神風土の差と言えば説明はつく命題であろうけれど。

ぷ』。、品

JjムM

こうした思考伝統ないしそれに影響し逆にそれから規定

される言語用法の差が明確なだけに、彼らにとっては、

稽古の体

験は、自分がそれと知らずに固執していた点に、

いわば肩すかし

を食わされるようなかたちで解決を示唆される驚きであるし、ま

た全くその存在すら見落としていた脇道に引き込まれて、

水平

思考」を強いられる訓練でもある。こちら側としても、相手がむ

やみにゴ

リ押して

ばかりいるからこそ、少しは引いてごらんとい

ったヒン

トが、それだけ効果的に示し得る、貴重心経験である。

思わずこちらの目を醒されるような事態にも直面する。

そのあたりの指導は、組んだ相手が何を求めどちらに進んでお

り、どういう性格の持ち主で、

いかなる身心的状況にあるかを、

あい対して汲んでやらないと、適確に与えることはできないし、

かえって相手の芽をつんでしまうことにもなりかねない。体を動

かすことに

は東洋人よりはるかに活動的だが、

ともすれば型にと

らわれやすい

こちらの人々

と練習するにつけ、細部は任せ、

たいようにやらせた上で、彼らの求める結果を得るには原理的に

どういう態度H動作が合理的かを、

心の持ち様として、

それとな

く示唆する、

それが今の小生の行き方だが、こうなると、

同じ技

でも相手次第で対応は全く異なってくる。むしろ技それ自体がも

はや

「閉じ」

ではなくなる。もとより小生のこととて、

こうした

配慮もしょせん低空飛行でしかないが、

'』

2-

L7'JE,

一方的な技能の授

受とは異なった

一種の共同作業の場の創戒としての学習過程の

確立を目的とするひとつの参与形態として稽古をしたいという気

はする。

そもそも、

-38一

稽古というものが、普段無意識の前提としている行

為を掘り起

こして、

その根拠を問い直し、意識に登せることで、

現実の表層を不断に更新する現象学的な営みとしての意味を持

限りにお

いて、行動の無意識的前提を異にする人々とともに稽古

をすることは、すぐれて刺戟的であると言わねばなるまい。鈍感

な小生は、まだこの特殊な環境のもつ利点を充分に活用できない

のが残念だが

さればこそ

より才能もあり

感覚の鋭い諸兄姉

か、同じような体験をともにされん

ことを切望するわけである。

ずや、

具体的な動作や伎法のうちに、本質的な思索の勘ど

ころを

見いだされるに違いないと思う。

*

もっと軽妙な体験談にしようと思ったが、空論ばかりの色あ

せたお説教になってしまった。何かが見えたような気がして文に

つづるも、出てきたものは既に死臭をただよわせている。始源と、

それを語る言葉との懸隔のもどかしさ。記述不能の透明と、不透

明ならざるを得ぬ記述結果が必然的に奮す障害。その本質的な、

存在それ自体に由来するずれに固執することにしか、だから自分

の存在証明はない。母国語ならざる表現手段の活用を強いられる

今の環境にあっては、

この表現の不可能性をそれだけ痛く感じるが

ゆえに、

かえって日本語に対する要求も肥大する。外国語に自分

で翻訳可能な母国語を書くことまでは要求しないが、

現役諸兄

(女性は別)の文章が、時として甘く見えた。悪戦苦闘して何か

を言わんとする努力の放棄ないし、その

「何か」の欠如。誰にで

もわかる解説的

・常套的文章にとどまって満足する「書きちらし」、

または、内通者にしか意味のわからぬ説明不足のひとりよがり。

自分なりの小さな「発見」をいつくしみ、

心をくだこうとする姿

勢の欠如。

とっておきの話をとにかく短篇にしたてようという意

欲すら見えない日常性四畳半埋没、等々の批評を蒙りそうな原稿

の提出は極力廃して、奇想天外・抱腹絶倒・読ンデ為ニナル『赤

門』をめざしたい。自戒をこめて。

一九八二年八月二十四日

-39-