こ き かるたについて...3 1 1 1 みんなで遊 あそ ぼう! 古 事こ 記じ...

1 調はじめに

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Page 1: こ き かるたについて...3 1 1 1 みんなで遊 あそ ぼう! 古 事こ 記じ かるたのき 遊 あそ び方 かた 読 よ み手 て (一 ひと 人 り )と取

1

古こ

事じ

記き

かるたについて

 

古こ

事じ

記き

かるたは日に

本ほんで最もっとも古ふるい書しょ物もつである『古こ

事じ

記き

』の世せ

界かいに子こ

どもの時ときから

(対たい

象しょうは小しょう学がく四よ

年ねん生せい以い

上じょう)楽たのしく遊あそびながら親したしんでもらうことを目もく的てきに奈な

良ら

県けんが作つくったものですこのかるたは『古こ

事じ

記き

』にでてくる物もの語がたりの中なかから知し

ってお

いてほしい場ば

面めんを選えらび五ご

十じゅう枚まいの字じ

札ふだと五ご

十じゅう枚まいの絵え

札ふだにしました字じ

札ふだと絵え

札ふだは

二に

枚まい一ひと組くみになっていますまた五ご

十じゅう枚まいの字じ

札ふだのうち四よん

十じゅう五ご

枚まいは名めい場ば

面めんの様よう子す

を短みじかく調ちょう子し

よくまとめた言こと葉ば

を記しるした物もの

語がたり編へん残のこりの五ご

枚まいは『古こ

事じ

記き

』に登とう

場じょう

する歌うたの中なかから特とくに有ゆう名めいなものやすばらしいものを選えらんだ歌か

謡よう編へんとしました

 

言こと葉ば

と歌うたは遊あそびながら何なん度ど

も口くちに出だ

して読よ

んでみましょう遊あそんでいるうちに

もっと『古こ

事じ

記き

』のことを知し

りたくなったらぜひ『古こ

事じ

記き

』という書しょ物もつを読よ

んでみ

てください昔むかしの言こと葉ば

で書か

いてあるのでそのままでは難むずかしすぎるかもしれません

そんなときは『古こ

事じ

記き

』をもとに書か

かれた物もの

語がたりや

マンガなどを探さが

して読よ

んでみて

くださいまた『古こ

事じ

記き

』には奈な

良ら

県けん内ないの地ち

名めいがたくさん出で

てきます大おとな人の方かたといっ

しょに『古こ

事じ

記き

』に出で

てきた場ば

所しょを訪たずねてみるのもおすすめです

はじめに

2

『古こ

事じ

記き

』ができるまで

 『古こ

事じ

記き

』は奈な

良ら

時じ

代だいの和わ

銅どう五ご

年ねん(七一二)に完かん

成せいしました今いまある書しょ物もつの中なかでは日に

本ほんでもっとも古ふる

いものです

 

始はじまりは飛あすか鳥時じ

代だい天てん武む

天てん皇のうは新あらたな国くにづくり

を目め

指ざ

す中なかで国くにの成な

り立た

ちを説せつ明めいするために『古こ

事じ

記き

』をまとめることを考かんがえました『古こ

事じ

記き

』の序じょ

によると最さい初しょにさまざまな家いえから『帝てい紀き

』注1と

『旧きゅう辞じ

』注2を集あつめましたが天てん武む

天てん皇のうは「これらは

国こっ家か

組そ

織しきの根こん本ぽんであり天てん皇のうの政せい治じ

の基き

礎そ

となるも

のだが事じ

実じつとは違ちがう部ぶ

分ぶんが多おおい間ま

違ちがいをけずっ

て真しん実じつを記き

録ろくし後のちの時じ

代だいに伝つたえよう」と述の

べ一いち

度ど

聞き

いたことは忘わすれることがなかったという稗ひえ田だの阿あ

礼れ

に読よ

み覚おぼえさせましたしかし完かん成せいすることな

く時じ

代だいが過す

ぎていきました

 

天てん武む

天てん皇のうから三さん代だいあとの元げん明めい天てん皇のうの時じ

代だい稗ひえ

田だの

阿あ

礼れ

が記き

憶おくしていたことを太おおの安やす万ま

侶ろ

がまとめつい

に和わ

銅どう五ご

年ねん(七一二)『古こ

事じ

記き

』が完かん成せいしたのです

『古こ

事じ

記き

』に書か

かれていること

 『古こ

事じ

記き

』は上じょう巻かん中ちゅう巻かん下げ

巻かんの全ぜん三さん巻かんからな

ります上じょう巻かんには序じょに続つづき天てん地ち

の始はじまりから

の神かみが々みの物もの語がたり中ちゅう巻かんには初しょ代だい天てん皇のうである神じん武む

天てん

皇のうから第だい

十じゅう五ご

代だいの応おう

神じん

天てん皇のうまでの下げ

巻かんには第だい

十じゅう

六ろく

代だい

仁にん徳とく天てん皇のうから第だい

三さん

十じゅう

三さん

代だい

推すい古こ

天てん皇のうまで

の天てん皇のうについての出で

来き

事ごとや言い

い伝つたえなどが収おさめら

れていますよく知し

られている稲いな羽ば

の素しろ兎うさぎや八や

俣またの

大おろち蛇などの話はなしは上じょう巻かんに出で

てきますまた中ちゅう巻かん

下げ

巻かんには今いまも残のこる奈な

良ら

の地ち

名めいが多おおくみられます全ぜん

体たいをとおして歌か

謡ようが多おおくはさみこまれているのも

『古こ

事じ

記き

』の特とく徴ちょうのひとつです

注ちゅう1 

各かく天てん皇のうの即そく位いから亡なくなるまでの出で

来き事ごとなどをまとめた書しょ物もつ

注ちゅう2 神しん話わや言いい伝つたえ歌か謡ようなどを集あつめた書しょ

物もつ

『古こ

事じ

記き

』とは

3

11

みんなで遊あ

ぼう 古こ

事じ

記き

かるたの遊あ

び方か

読よ

み手て

(一ひと人り

)と取と

り手て

決き

めます

広ひろい場ば

所しょに絵え

札ふだ五ご

十じゅう

枚まい

の絵え

の面めんを上うえにして重かさな

らないように置お

きます

読よ

み手て

が字じ

札ふだ五ご

十じゅう枚まいを一いち

枚まいずつ読よ

み上あ

げ取と

り手て

ペアになっている絵え

札ふだを探さが

しましょう早はやく取と

ったほ

うが絵え

札ふだをもらえます最さい

後ご

に取と

った絵え

札ふだの枚まい数すうが

多おおい人ひとが勝か

ちです歌か

謡よう

編へん

の絵え

札ふだは歌うたの途と

中ちゅうの文も

字じ

から始はじまっています

かるた取と

その1

12

3 三さん

人にんいじょう

以上

物もの

語がたり

編へん

の四よん

十じゅう

五ご

組くみ

だけを

 

使つか

って遊あそ

ぶこともできます

物もの

語がたり

編へん

のペア(例れい

字じ

札ふだ

字じ

札ふだ

絵え

札ふだ

絵え

札ふだ

絵え

札ふだ

(例れい

字じ

札ふだ

(例れい

歌か

謡よう

編へん

のペア(例れい

遊あそ

び方かた

4

ふることぶみパズル

その2

一ひと

人り

絵え

札ふだ五ご

十じゅう枚まいの裏うら面めんはパズルになっています全ぜん部ぶ

組く

み合あ

わせると左ひだりのイラストができあがります

5

遊あそ

び方かた

6

ふることぶみめくり

その3

二ふたり人以いじょう上

11

物もの

語がたり編へんの絵え

札ふだ

四よん

十じゅう五ご

枚まい

と歌か

謡よう

編へんの字じ

札ふだ(全ぜん

文ぶん

が載の

っている札ふだ)五ご

枚まいを裏うら

返がえして合あ

わせよく混ま

ぜて

から二ふたつの山やまに積つ

み上あ

ます

ジャンケンなどでめくる

人ひとの順じゅん番ばんを決き

めます

順じゅん番ばんに二ふたつの山やまのどち

らでもよいので一いち

枚まいずつ

札ふだをめくっていきます最さい

初しょの一ひと

文も

字じ

の枠わくが何なに

色いろか

によって札ふだをもらえる

枚まい数すうがちがったり没ぼっ

収しゅう

されたりします

①青あお

色いろ

ならその一いち

枚まい

だけを

もらえます

②黒くろ

色いろ

なら何な

ももらえず

持も

っていた札ふだ

はすべて没ぼっ

収しゅうされます

③金きん

色いろ

ならもう二に

枚まい

(合ごう

計けい

三さん

枚まい

)もらえますもしも

没ぼっしゅう収された札ふだ

があればそ

の札ふだ

を全ぜん

部ぶ

もらうことがで

きます

④赤あか

色いろ

ならもう一いち

枚まい

(合ごう

計けい

二に

枚まい

)もらえます

⑤歌か

謡よう

編へん

の札ふだ

ならその歌か

謡よう

を元げん

気き

な声こえ

で読よ

み上あ

げさ

らに一いち

枚まい

(合ごう

計けい

二に

枚まい

)もら

えます

二ふたつの山やまがなくなったと

き手て

元もとにある枚まい

数すうが多おお

い人ひとが勝か

ちです

12

金きん

色いろ

+lArr二に

枚まい

三さん枚まいもらえる

赤あか色いろ

lArr一いち枚まい

二に

枚まいもらえる

青あお

色いろ

黒くろ色いろ

lArr

lArr

lArr

一いち枚まいもらえる

二に

枚まいもらえる

元げん気き

な声こえで

読よ

み上あ

げると

もう一い

ち枚まい

持も

ち札ふだをすべて没ぼっ

収しゅう

歌か

謡よう編へんの札ふだ

没ぼ

っ収し

ゅうさ

れた札ふ

だが

 あれば全ぜん部ぶ

 らえる

遊あそ

び方かた

7

いにしえの

世せ

界かい

へ探たん

検けん

古ふる

事こと

記ぶみ

 『古こ

事じ

記き

』は「こじき」または「ふるこ

とぶみ」と読よ

みます日に

本ほん

に残のこ

っている一いち

番ばん

古ふるい書しょ

物もつ

で和わ

銅どう

五ご

年ねん

(七一二)に奈な

良ら

で完かん

成せい

しました天てん

地ち

の始はじ

まりと神かみ

様さま

世せ

界かい

を作つく

っていく物もの

語がたりまた各かく

天てん

皇のう

の時じ

代だい

ごとに起お

こったことや言い

い伝つた

えなどが書か

かれています(上じょう

巻かん

序じょ

稗ひえ

田だの

阿あ

礼れ

と太おおの

安やす

万ま

侶ろ

 力ちから

合あ

わせて

古こ

事じ

記き

完かん

成せい

 『古こ

事じ

記き

』を作つく

ろうと最さい

初しょ

に考かんがえたのは

飛あすか鳥時じ

代だい

の天てん

武む

天てん

皇のう

です記き

憶おく

力りょくばつぐん

の稗ひえ

田だの

阿あ

礼れ

に古ふ

くから伝つ

えられてきたこ

となどを読よ

み覚おぼ

えさせましたその後ご

阿あ

礼れ

の話はなしを太おおの

安やす

万ま

侶ろ

がまとめ『古こ

事じ

記き

』がで

き上あ

がりました(上じょう

巻かん

序じょ

あをによし

奈な

良ら

の都みやこで

古こ

事じ

記き

でき

 『古こ

事じ

記き

』が完かん

成せい

したのは奈な

良ら

時じ

代だい

の和わ

銅どう

五ご

年ねん

(七一二)で天てん

武む

天てん

皇のう

から三さん

代だい

後あと

元げん

明めい

天てん

皇のう

の時じ

代だい

でした元げん

明めい

天てん

皇のう

は『古こ

事じ

記き

』が完かん

成せい

する二に

年ねん

前まえ

の和わ

銅どう

三さん

年ねん

(七一〇)

に都みやこを藤ふじ

原わら

京きょうから奈な

良ら

の都みやこ平へい

城じょう

京きょうに移うつ

しました(上じょう

巻かん

序じょ

こをろこをろ

天あめ

の沼ぬ

矛ほこ

島しま

を生う

 ただよっている地ち

上じょうの世せ

界かい

を固かた

めるため

伊い

耶ざ

那な

岐きの

命みことと伊い

耶ざ

那な

美みの

命みことは天あめ

の浮うき

橋はし

に立た

て天あめ

の沼ぬ

矛ほこ

という道どう

具ぐ

でかき回まわ

しました

引ひ

き上あ

げた矛ほこ

の先さき

からぽとぽとと落お

ちた潮しお

が積つ

もり淤お

能の

碁ご

呂ろ

島じま

になりました(上じょう

巻かん

)伊い

耶ざ

那な

岐き

伊い

耶ざ

那な

美み

追お

って

黄よ

み泉に行ゆ

 伊い

耶ざ

那な

岐きの

命みことと伊い

耶ざ

那な

美みの

命みことは次つぎ

々つぎ

に国くに

や神かみ

様さま

を生う

み出だ

しましたが伊い

耶ざ

那な

美みの

命みことは火ひ

神かみ

様さま

を生う

んだとき大おお

やけどで亡な

くなって

しまいました伊い

耶ざ

那な

岐きの

命みことは悲かな

しみあの

世よ

の国くに

である黄よ

泉もつ

国くに

へ伊い

耶ざ

那な

美みの

命みことを探さが

しに

行い

きました(上じょう

巻かん

古こ

事じ

記き

かるた

物もの

語がたり

編へん

一いち

覧らん

順じゅん番ばんに二ふたつの山やまのどち

らでもよいので一いち

枚まいずつ

札ふだをめくっていきます最さい

初しょの一ひと

文も

字じ

の枠わくが何なに

色いろか

によって札ふだをもらえる

枚まい数すうがちがったり没ぼっ

収しゅう

されたりします

5

34

8

天あめ

宇のう

受ず

売め

踊おど

って神かみ

誘さそ

い出だ

 天あま

照てらす

大おお

御み

神かみ

が閉と

じこもった「天あめ

の石いわ

屋や

の前まえ

で天あめ

宇のう

受ずめ

売のみ

命こと

が神かみ

がかりして踊おど

ると

神かみ

様さま

たちは大おお

笑わら

い不ふ

思し

議ぎ

に思おも

った天あま

照てらす

大おお

御み

神かみ

が岩いわ

の戸と

を少すこ

し開あ

け外そと

を見み

ようとし

たとき天あめのたぢからおのかみ

手力男神が大おお

御み

神かみ

を引ひ

っ張ぱ

り出だ

し世せ

界かい

はまた明あか

るくなりました(上じょう

巻かん

須す

佐さ

之の

男お

出いずもの雲国くに

追お

いやられ

 建たけ

速はや

須す

佐さ

之の

男おの

命みことが高たか

天あまの

原はら

で暴あば

れたことを

怒おこ

った神かみ

様さま

たちは罰ばつ

として命みことのひげと手て

足あし

の爪つめ

を切き

って高たか

天あまの

原はら

を追お

い払はら

いました

追お

い払はら

われた命みことは出いずものくに

雲国にたどり着つ

きま

した(上じょう

巻かん

)出いず

雲もの

国くには今いま

の島しま

根ね

県けんです

八や

俣また

の大おろち蛇

酒さけ

に酔よ

わせて

退たい

治じ

する

 出いずものくに

雲国では八や

俣また

の大おろち蛇が人ひと

びとを苦くる

しめ

ていました建たけ

速はや

須す

佐さ

之の

男おの

命みことは大おろち蛇に酒さけ

飲の

ませ酔よ

って眠ねむ

ったところを退たい

治じ

しまし

た大おろち蛇の尾お

を切き

ったときに出で

てきたすば

らしい剣つるぎ(草くさ

なぎの剣つるぎ)は天あまてらすおおみかみ

照大御神に

差さ

し上あ

げました(上じょう

巻かん

清きよ

く明あか

き 心こころの証あか

しと

うけいする

 建たけ

速はや

須す

佐さ

之の

男おの

命みことは高たか

天あまの

原はら

をうばうために

やって来き

たと姉あね

の天あま

照てらす

大おお

御み

神かみ

に疑うたがわれま

したそこで「うけい」という占うらないをし

て子こ

を生う

み心こころが清きよ

らかなことを証しょう

明めい

しま

した命みことの持も

ち物もの

の剣つるぎからは女め

神がみ

が生う

まれ

戦たたかう気き

持も

ちがないことがわかりました(上じょう

巻かん

)天あま

照てらす

大おお

御み

神かみ

天あめ

の石いわ

屋や

世よ

は闇やみ

 建たけ

速はや

須す

佐さ

之の

男おの

命みことが高たか

天あまの

原はら

で暴あば

れたので

天あま

照てらす

大おお

御み

神かみ

は「天あめ

の石いわ

屋や

」に閉と

じこもり

岩いわ

の戸と

を閉し

めてしまいましたすると世せ

界かい

じゅうが真ま

っ暗くら

になってしまい悪わる

いこ

とが次つぎ

々つぎ

と起お

こりました(上じょう

巻かん

目め

から鼻はな

から生う

まれた

三さん

貴き

神しん

 黄よ

泉もつ

国くに

から戻もど

った伊い

耶ざ

那な

岐きの

命みことは体からだを

洗あら

って身み

を清きよ

めましたすると神かみ

様さま

次つぎ

々つぎ

に生う

まれ最さい

後ご

に左ひだりの目め

を洗あら

うと天あま

照てらす

大おお

御み

神かみ

右みぎ

の目め

を洗あら

うと月つく

読よみの

命みこと鼻はな

洗あら

うと建たけ

速はや

須す

佐さ

之の

男おの

命みことという貴とうとい三み

柱はしらの

神かみ

様さま

が生う

まれました(上じょう

巻かん

78

91011

6

9

大おお

穴あな

牟む

遅じ

助たす

けた稲いな

羽ば

素しろ

兎うさぎ

 稲いな

羽ば

の素しろ

兎うさぎはわにをだましたことがば

れて皮かわ

をはがされてしまいました大おお

穴あな

牟む

遅じの

神かみ

の兄あに

たちの八や

十そ

神かみ

にもいじめられ兎うさぎ

は泣な

いて苦くる

しんでいました通とお

りかかった

大おお

穴あな

牟む

遅じの

神かみ

が傷きず

の治なお

し方かた

を教おし

えてあげて

兎うさぎは元げん

気き

になりました(上じょう

巻かん

)大おお

穴あな

牟む

遅じの

神かみ

は大おお

国くに

主ぬしの

神かみのことです

鼠ねずみが教おし

えた「

内うち

はほらほら

外と

はすぶすぶ」

 大おお

穴あな

牟む

遅じの

神かみは建たけ

速はや

須す

佐さ

之の

男おの

命みことの娘むすめ須す

勢せ

理り

毘び

売めの

命みことと出で

会あ

い結けっ

婚こんしました怒おこ

った建たけ

速はや

須す

佐さ

之の

男おの

命みことは野の

原はらに矢や

を射い

て大おお

穴あな

牟む

遅じの

神かみに取と

りに

行い

かせその野の

原はらに火ひ

をつけましたが鼠ねずみが野の

原はら

の下し

に穴あ

があると教お

えてくれたので無ぶ

事じ

でし

た(上じょう

巻かん)

大おお

国くに

主ぬし

少すく

名な

毘び

古こ

那な

国くに

づくり

 大おお

国くに

主ぬしの

神かみ

のところに小ちい

さな神かみ

様さま

がやっ

てきましたがだれも名な

前まえ

を知し

りません

田た

んぼのかかしの久く

延え

毘び

古こ

だけが少すく

名な

毘び

古こ

那なの

神かみ

という名な

前まえ

を知し

っていました大おお

国くに

主ぬしの

神かみ

は少すく

名な

毘び

古こ

那なの

神かみ

といっしょに出いずも雲で

国くに

づくりをしました(上じょう

巻かん

天てん

孫そん

降こう

臨りん

先せん

導どう

したのは

猿さる

田た

毘び

古こ

 天あま

照てらす

大おお

御み

神かみ

高たか

木ぎの

神かみ

は地ち

上じょうの葦あし

原はらの

中なかつ

国くに

は自じ

分ぶん

の子し

孫そん

が治おさ

める国くに

と考かんがえ邇に

に々

芸ぎの

命みことを地ち

上じょうに天あま

降くだ

しました天あま

降くだ

る途と

中ちゅう猿さる

田た

毘び

古この

神かみ

が迎むか

えに来き

てくれました(上じょう

巻かん

国くに

ゆずり

せまった神かみ

建たけ

御みか

雷ずち

 建たけみかずちのかみ

御雷神は出いずものくに

雲国の海うみ

の波なみ

打う

ち際ぎわ

に剣つるぎ

をさかさまに立た

てその剣つるぎの先さき

に座すわ

り葦あし

原はらの

中なかつ

国くに

を治おさ

めていた大おお

国くに

主ぬしの

神かみ

に国くに

をゆ

ずるように言い

いました大おお

国くに

主ぬしの

神かみ

は二ふたり人の

息むす

子こ

と相そう

談だん

し葦あし

原はらの

中なかつ

国くに

を高たか

天あまの

原はら

の神かみ

様さま

にゆずることにしました(上じょう

巻かん

釣つ

り針ばり

探さが

綿わた

津つ

見みの

神かみ

の宮みや

 火ほ

遠お

理りの

命みこと(山やま

佐さ

知ち

毘び

古こ

)は兄あに

の火ほでりのみこと

照命

(海うみ

佐さ

知ち

毘び

古こ

)から借か

りた釣つ

り針ばり

をなくし

それを探さが

すうちに海うみ

の底そこ

の綿わた

津つ

見みの

神かみ

の宮みや

行い

きその娘むすめの豊とよ

玉たま

毘び

売めの

命みことと結けっ

婚こん

しました

楽たの

しく暮く

らした後あと

綿わた

津つ

見みの

神かみ

に釣つ

り針ばり

を見み

つけてもらい陸りく

に戻もど

りました(上じょう

巻かん

121314

151617

10

導みちびくは 神かみ

の使つか

いの

八や

咫あた

烏からす

 高たか

天あまの

原はら

の天あま

照てらす

大おお

御み

神かみ

高たか

木ぎの

神かみ

の命めい

を受う

けて建たけ

御みかずち雷神のかみは神かむ

倭やまと

伊い

波わ

礼れ

毘び

古この

命みこと(の

ちの神じん

武む

天てん

皇のう

)に不ふ

思し

議ぎ

な力ちからをもつ大た

刀ち

与あた

えましたさらに凶きょう

暴ぼう

な神かみ

たちが待ま

ている道みち

を無ぶ

事じ

に進すす

むために八や

咫あた

烏からすとい

う大おお

きなカラスに道みち

案あん

内ない

をさせました(中ちゅう

巻かん

神じん

武む

天てん

皇のう

兄え

宇う

迦か

斯し

たくらみ告つ

げる

弟おと

宇う

迦か

斯し

 神かむ

倭やまと

伊い

波わ

礼れ

毘び

古この

命みこと(のちの神じん

武む

天てん

皇のう

)が

宇う

陀だ

に着つ

いたときその地ち

に暮く

らす兄え

宇う

迦か

斯し

は命みことをだまして倒たお

そうとしましたそれ

を知し

った弟おとうとの弟おと

宇う

迦か

斯し

は兄あに

の御ご

殿てん

にわなが

仕し

掛か

けてあることを教おし

え命みことは助たす

かりまし

た(中ちゅう

巻かん

神じん

武む

天てん

皇のう

神じん

武む

天てん

皇のう

橿かし

原はらの

宮みや

即そく

位い

する

 神かむ

倭やまと

伊い

波わ

礼れ

毘び

古この

命みことはさまざまな荒あ

れすさ

ぶ神かみ

たちを平へい

定てい

して畝うね

傍び

山やま

のふもとの橿かし

原はらの

宮みや

で最さい

初しょ

の天てん

皇のう

として即そく

位い

し世よ

の中なか

治おさ

めました(中ちゅう

巻かん

神じん

武む

天てん

皇のう

長なが

い糸いと

たどって行ゆ

けば

三み

輪わ

の山やま

 夜よ

中なか

美うつくしい活いく

玉たま

依より

毘び

売め

のもとに立りっ

派ぱ

な姿すがたの男だん

性せい

がやってきて一いっ

緒しょ

になりました

両りょう

親しん

に教おし

えられ男だん

性せい

の服ふく

のすそに糸いと

をつ

けた針はり

を刺さ

してたどると三み

輪わ

山やま

の社やしろに着つ

き男だん

性せい

は大おお

物もの

主ぬしの

大おお

神かみ

だとわかりました

(中ちゅう

巻かん

崇す

神じん

天てん

皇のう

沙さ

本ほ

毘び

売め

夫おっとと兄あに

との

板いた

ばさみ

 垂すい

仁にん

天てん

皇のう

の后きさき沙さ

本ほ

毘び

売めの

命みことは兄あに

の沙さ

本ほ

毘び

古この

王みこ

から天てん

皇のう

と自じ

分ぶん

とどちらを愛あい

するか

尋たず

ねられ天てん

皇のう

を倒たお

すように言い

われます

そのことを知し

った天てん

皇のう

は兵へい

を出だ

して沙さ

本ほ

毘び

古この

王みこ

を倒たお

し沙さ

本ほ

毘び

売めの

命みことも亡な

くなりました

が子こ

どもの本ほ

牟む

智ち

和わ

気けの

御み

子こ

は取と

り戻もど

すこ

とができました(中ちゅう

巻かん

垂すい

仁にん

天てん

皇のう

船ふな

出で

して

大やまと和を目め

指ざ

神じん

武む

東とう

征せい

 

 神かむ

倭やまと

伊い

波わ

礼れ

毘び

古この

命みこと(のちの神じん

武む

天てん

皇のう

)と

兄あに

の五いつ

瀬せの

命みことは高たか

千ち

穂ほの

宮みや

で国くに

を治おさ

める場ば

所しょ

を相そう

談だん

し東ひがしへ向む

かうことにしました日ひ

向むか

から船ふね

を出だ

し豊とよ

国くに

筑つく

紫し

安あ

芸き

吉き

備び

と進すす

んでいきました(中ちゅう

巻かん

神じん

武む

天てん

皇のう

日ひ

向むか

は今いま

の宮みや

崎ざき

県けん

豊とよ

国くに

は今いま

の大おお

分いた

県けん

福ふく

岡おか

県けん

東とう

部ぶ

筑つく

紫し

は今いま

の福ふく

岡おか

県けん

安あ

芸き

は今いま

の広ひろ

島しま

県けん

吉き

備び

は今いま

の岡おか

山やま

県けん

広ひろ

島しま

県けん

東とう

部ぶ

です

2122

19

23

20 18

11

美うつくしき 少しょう

女じょ

になって

熊くま

曾そ

討う

 景けい

行こう

天てん

皇のう

の子こ

の小お

碓うすの

命みことは父ちち

から熊くま

曾そ

建たけるを討う

ち取と

るように命めい

じられました命みことは

髪かみ

型がた

や着き

物もの

を少しょう

女じょ

のようにして熊くま

曾そ

建たけるの

宴えん

会かい

にまぎれこみ退たい

治じ

しました熊くま

曾そ

建たける

は命みことの強つよ

さをほめたたえ「倭やまと

建たけるの

御み

子こ

」と

いう名な

前まえ

を贈おく

りました(中ちゅう

巻かん

景けい

行こう

天てん

皇のう

草くさ

なぎの

剣つるぎが救すく

危き

機き

一いっ

髪ぱつ

 倭やまと

建たけるの

命みことは東ひがしの方ほう

に戦たたかいに行い

く途と

中ちゅう伊い

勢せ

大だい

神じん

宮ぐう

に寄よ

りおばの倭やまと

比ひ

売めの

命みことから草くさ

ぎの剣つるぎと火ひ

打う

ち石いし

をもらいましただまさ

れて野の

原はら

に火ひ

をつけられたとき倭やまと

建たけるの

命みこと

は草くさ

なぎの剣つるぎでまわりの草くさ

を切き

り払はら

い向む

かい火び

をつけて助たす

かりました(中ちゅう

巻かん

景けい

行こう

天てん

皇のう

荒あら

波なみ

静しず

めるために

身み

を捧ささ

 倭やまと

建たけるの

命みことが走はしり

水みずの海うみを渡わた

ろうとすると海うみ

の神かみ

様さま

が荒あら

波なみ

を起お

こし船ふね

がぐるぐると回まわ

るばかりです倭やまと

建たけるの

命みことの妻つま

弟おと

橘たちばな

比ひ

売めの

命みことが身み

代が

わりとなって海うみ

に身み

を沈しず

めると

波なみ

が静しず

かになり船ふね

を進すす

めることができま

した(中ちゅう

巻かん

景けい

行こう

天てん

皇のう

白しろ

猪いのししの

姿すがたの神かみ

あなどりて

 倭やまと

建たけるの

命みことは草くさ

なぎの剣つるぎを妻つま

美み

夜や

受ず

比ひ

売め

に預あず

け伊い

吹ぶき

山やま

に出で

かけました伊い

吹ぶき

山やま

神かみ

様さま

は白しろ

い大おお

きな猪いのししの姿すがたで現あらわれましたが

命みことは神かみ

の使つか

いと間ま

違ちが

えてしまいました神かみ

様さま

は怒おこ

り激はげ

しい氷ひさめ雨を降ふ

らせ命みことをすっ

かり弱よわ

らせてしまいました(中ちゅう

巻かん

景けい

行こう

天てん

皇のう

)天あま

翔か

ける

大おお

きな白しろ

鳥とり

になり

 倭やまと

建たけるの

命みことが能の

煩ぼ

野の

で亡な

くなると大やまと和に

いた后きさきや子こ

どもたちがみなやってきて泣な

き悲かな

しみましたやがて命みことは大おお

きな白しろ

い千ち

鳥どり

の姿すがたになって羽は

ばたき浜はま

に向むか

って飛と

でいきましたみんな泣な

きながらその後あと

追お

いかけました(中ちゅう

巻かん

景けい

行こう

天てん

皇のう

ときじくの

かくの木この

実み

間ま

に合あ

わず

 垂すい

仁にん

天てん

皇のう

は遠とお

い常とこ

世よの

国くに

から「ときじく

のかくの木この

実み

」を持も

ってくるよう多た

遅じ

摩ま

毛も

理り

に命めい

じました実み

を持も

ち帰かえ

るとすでに

天てん

皇のう

は亡な

くなっていました多た

遅じ

摩ま

毛も

理り

お墓はか

に向むか

って実み

を高たか

く持も

ち上あ

げ泣な

き叫さけ

ながら亡な

くなりました(中ちゅう

巻かん

垂すい

仁にん

天てん

皇のう

「ときじくのかくの木この

実み

」とは「いつも輝かがやく木き

の実み

」という意い

味み

です

25

29

26

2728

24

12

税ぜい

はとらぬ

かまどに煙けむり

立た

つまでは

 仁にん

徳とく

天てん

皇のう

はかまどから煙けむりが立た

ち上のぼ

って

いないのを見み

て人ひと

々びと

が暮く

らしに困こま

ってい

ることを知し

りましたそこで天てん

皇のう

は税ぜい

をな

くし宮きゅう

殿でん

の修しゅう

理り

もやめました三さん

年ねん

後ご

人ひと

々びと

の家いえ

のかまどからは再ふたたび煙けむりが立た

ち上のぼ

ようになりました(下げ

巻かん

仁にん

徳とく

天てん

皇のう

石いわ

之の

日ひ

売め

御み

綱つな

柏がしわを

海うみ

に捨す

 仁にん

徳とく

天てん

皇のう

の皇こう

后ごう

石いわ

之の

日ひ

売めの

命みことは宴えん

会かい

に使つか

う御み

綱つな

柏がしわの葉は

を取と

りに船ふね

で出で

かけました

その間あいだに天てん

皇のう

が別べつ

の女じょ

性せい

と仲なか

良よ

くなった

ことを知し

って皇こう

后ごう

はたいへん怒おこ

りせっ

かく集あつ

めた御み

綱つな

柏がしわを全ぜん

部ぶ

海うみ

に投な

げ捨す

ててし

まいました(下げ

巻かん

仁にん

徳とく

天てん

皇のう

つぎつぎに

変か

わる蚕かいこで

仲なか

直なお

 蚕かいこは幼よう

虫ちゅうからまゆを作つく

ってサナギとな

りやがて成せい

虫ちゅうとなる蛾が

の一いっ

種しゅ

でまゆか

ら生き

糸いと

を取と

ります仁にん

徳とく

天てん

皇のう

は蚕かいこを見み

るこ

とを口こう

実じつ

にけんかをしていた皇こう

后ごう

石いわ

之の

日ひ

売めの

命みことのもとに行い

き仲なか

直なお

りすることがで

きました(下げ

巻かん

仁にん

徳とく

天てん

皇のう

気け

比ひの

大おお

神かみ

名な

前まえ

を替か

えた

大おお

鞆とも

和わ

気け

 大おお

鞆とも

和わ

気けの

命みこと(のちの応おう

神じん

天てん

皇のう

)が敦つる

賀が

行い

ったときおともの建たけ

内うちの

宿すく

禰ねの

命みことの夢ゆめ

に土と

地ち

の神かみ

様さま

が現あらわれ自じ

分ぶん

の名な

前まえ

と大おおともわけのみこと

鞆和気命

の名な

前まえ

とを替か

えようと言い

いました承しょう

諾だく

ると翌よく

朝あさ

たくさんのイルカを贈おく

り物もの

とし

てくださいました(中ちゅう

巻かん

仲ちゅう

哀あい

天てん

皇のう

大おお

贄にえ

捧ささ

げる歌うた

うたう国くに

主す

 吉よし

野の

の国くに

主す

という人ひと

たちは応おう

神じん

天てん

皇のう

お酒さけ

を差さ

し上あ

げる時とき

楽がっ

器き

の代か

わりに口くち

音おと

を出だ

しいろいろな仕し

草ぐさ

をしながら歌うた

うたいましたその後ご

その地ち

では天てん

皇のう

に大おお

贄にえ

(特とく

別べつ

な食た

べ物もの

)を捧ささ

げる時とき

にその

歌うた

をうたうようになりました(中ちゅう

巻かん

応おう

神じん

天てん

皇のう

裳も

の糸いと

飯めし

粒つぶ

つけて

鮎あゆ

を釣つ

 神じん

功ぐう

皇こう

后ごう

は四し

月がつ

上じょう

旬じゅんに玉たま

島しまの

里さと

の川かわ

着き

物もの

の糸いと

を抜ぬ

き取と

り飯めし

粒つぶ

をえさにして鮎あゆ

を釣つ

りましたこのときからこの川かわ

では

同おな

じ時じ

期き

に女じょ

性せい

たちが着き

物もの

の糸いと

と飯めし

粒つぶ

で鮎あゆ

を釣つ

るようになりました(中ちゅう

巻かん

仲ちゅう

哀あい

天てん

皇のう

333435

3132 30

13

虻あぶ

食た

べた

蜻とんぼ蛉にちなむ

蜻あきず蛉島しま

 野の

原はら

へ狩か

りに出で

かけた雄ゆう

略りゃく

天てん

皇のう

の腕うで

を虻あぶ

がかみましたがその虻あぶ

を蜻とんぼ蛉がくわえて

飛と

び去さ

りました天てん

皇のう

は蜻とんぼ蛉をほめ大やまとの和

国くに

は蜻あきず蛉島しま

とよぶのにふさわしいと歌うた

によ

みましたこの場ば

所しょ

は阿あ

岐き

豆ず

野の

と呼よ

ばれる

ようになりました(下げ

巻かん

雄ゆう

略りゃく

天てん

皇のう

隼はやぶさよ

鷦さざき鷯を取と

れと

機はた

を織お

 女め

鳥どりの

王みこ

は夫おっとの速はや

総ぶさ

別わけの

王みこ

に「隼はやぶさよ鷦さざき鷯

を取と

ってしまえ」と機はた

を織お

りながら歌うた

いま

した隼はやぶさとは速はや

総ぶさ

別わけの

王みこ

のこと鷦さざき鷯とは大おお

雀さざきの

命みこと(仁にん

徳とく

天てん

皇のう

)のことですこの歌うた

知し

った天てん

皇のう

は軍ぐん

勢ぜい

を集あつ

め逆ぎゃくに二ふたり人を倒たお

ました(下げ

巻かん

仁にん

徳とく

天てん

皇のう

)鷦さざき鷯はミソサザ

イという鳥と

のことです

すばらしき船ふね たからかに響ひび

琴こと

となる

 一いっ

本ぽん

の巨きょ

木ぼく

で造つく

った船ふね

「枯から

野の

」はたいへ

ん速はや

く仁にん

徳とく

天てん

皇のう

の飲の

み水みず

を淡あわ

路じ

島しま

から運はこ

びましたこの船ふね

が壊こわ

れたので船せん

材ざい

を焼や

いて残のこ

った木き

で琴こと

を作つく

りましたこの琴こと

音ね

は遠とお

くまで響ひび

き人ひと

々びと

は歌うた

をうたって琴こと

をほめたたえました(下げ

巻かん

仁にん

徳とく

天てん

皇のう

御ご

殿てん

から

天てん

皇のう

救すく

大やまと和へと

 墨すみの

江えの

中なかつ

王みこ

は天てん

皇のう

の位くらいをねらい履り

中ちゅう

天てん

皇のう

が寝ね

ている御ご

殿てん

に火ひ

をつけました天てん

皇のう

は阿あ

知ちの

直あたいに助たす

け出だ

され大やまと和に向む

かいまし

た途と

中ちゅう天てん

皇のう

は燃も

える御ご

殿てん

を遠とお

くから見み

残のこ

してきた皇こう

后ごう

を心しん

配ぱい

する歌うた

をうたいまし

た(下げ

巻かん

履り

中ちゅう

天てん

皇のう

恋こい

しくて

伊い

予よ

へ追お

い行ゆ

衣そと

通おりの

王みこ

 次つぎ

の天てん

皇のう

になることを約やく

束そく

されていた木き

梨なし

之の

軽かるの

太おお

子みこ

は人ひと

々びと

の信しん

頼らい

を失うしな

ってついに

は捕とら

えられ伊い

予よ

の道どう

後ご

温おん

泉せん

に流なが

されまし

た妹いもうとの衣そと

通おりの

王みこ

は太おお

子みこ

を恋こ

い慕した

って伊い

予よ

行い

き太おお

子みこ

と再さい

会かい

しました(下げ

巻かん

允いん

恭ぎょう

天てん

皇のう

)伊い

予よ

は今いま

の愛え

媛ひめ

県けん

です

天てん

皇のう

お召め

しを待ま

って

八はちじゅうねん

十年

 雄ゆう

略りゃく

天てん

皇のう

は引ひけ

田た

部べの

赤あか

猪い

子こ

を見み

てすぐ呼よ

び寄よ

せるから結けっ

婚こん

せずに待ま

っているよう命めい

じましたしかし天てん

皇のう

はそのことを忘わす

赤あか

猪い

子こ

はとうとう八はちじゅうねん

十年も待ま

ち続つづ

けました

赤あか

猪い

子こ

は自じ

分ぶん

から天てん

皇のう

に会あ

いに行い

き歌うた

交か

わしました(下げ

巻かん

雄ゆう

略りゃく

天てん

皇のう

41

3738

39

36

40

14

一ひと

言こと

主ぬし 天てん

皇のう

たちと

瓜うり

ふたつ

 雄ゆう

略りゃく

天てん

皇のう

が従じゅう

者しゃ

と葛かずら

城き

山やま

へ出で

かけると

自じ

分ぶん

たちとそっくりな人ひと

たちと出で

会あ

いまし

たそれを見み

た天てん

皇のう

は失しつ

礼れい

だと怒おこ

りました

が相あい

手て

が葛かず

城らき

之の

一ひと

言こと

主ぬし

之の

大おお

神かみ

とわかると

大た

刀ち

と弓ゆみ

矢や

従じゅうしゃ者の衣い

服ふく

を大おお

神かみ

に差さ

し上あ

ました(下げ

巻かん

雄ゆう

略りゃく

天てん

皇のう

杯さかずきの

木こ

の葉は

をめでたく

歌うた

にして

 お酒さけ

に落お

ち葉ば

の浮う

かんだことを知し

らずに

雄ゆう

略りゃく

天てん

皇のう

に杯さかずきを捧ささ

げた三み

重え

の采うね

女め

に天てん

皇のう

は怒おこ

って罰ばつ

を与あた

えようとしましたすると

三み

重え

の采うね

女め

は落お

ち葉ば

が浮う

かんだことをめ

でたいこととして歌うた

にうたい天てん

皇のう

をほめ

たたえ罪つみ

を許ゆる

されました(下げ

巻かん

雄ゆう

略りゃく

天てん

皇のう

)采うね

女め

は宮きゅう

中ちゅうで働はたらく女じょ

性せい

のことです

譲ゆず

り合あ

意お

祁け

と袁を

祁け

とは

王おう

子じ

なり

 意おけのみこと

祁命と袁をけのみこと

祁命の兄きょうだい弟は身み

をかくして馬うま

飼か

い牛うし

飼か

いの仕し

事ごと

をしていましたある

日ひ

お祝いわ

いの席せき

で二ふたり人は舞ま

う順じゅん

番ばん

を譲ゆず

合あ

って履り

中ちゅう

天てん

皇のう

の孫まご

であることを歌うた

であ

かしました兄きょう

弟だい

は宮きゅう

殿でん

に迎むか

えられ二ふたり人

とも後のち

に天てん

皇のう

になりました(下げ

巻かん

清せい

寧ねい

天てん

皇のう

)八や

雲くも

立た

出いづも雲八や

重へ

垣がき

妻つま

籠ご

みに

八や

重へ

垣がき

作つく

その八や

重へ

垣がき

 建たけ

速はや

須す

佐さ

之の

男おの

命みことは八や

俣また

の大おろち蛇を退たい

治じ

して

194797くし

名な

田だ

比ひ

売め

を救すく

い妻つま

にしましたそして

須す

賀が

という土と

地ち

に新あたらしい宮みや

を造つく

りました

その時とき

そこに立た

ち上のぼ

った雲くも

を妻つま

の住す

宮みや

を幾いく

重え

にも囲かこ

む垣かき

のようだと歌うた

によみま

した(上じょう

巻かん

古こ

事じ

記き

かるた

歌か

謡よう

編へん

一いち

覧らん

猪いのししに

追お

われて榛はり

木き

に登のぼ

 雄ゆう

略りゃく

天てん

皇のう

が葛かずら

城き

山やま

に登のぼ

ったとき大おお

きな

猪いのししが現あらわれました天てん

皇のう

は矢や

で射い

ましたが

猪いのししはうなり声ごえ

をあげて近ちか

づいてきます天てん

皇のう

は榛はり

の木き

に登のぼ

って逃に

げ助たす

けてくれた木き

への感かん

謝しゃ

を歌うた

にしました(下げ

巻かん

雄ゆう

略りゃく

天てん

皇のう

)榛はり

はハンノキのことです

4344

4546

42

15

倭やまとは

国くに

の真ま

秀ほ

ろば

たたなづく

青あを

垣かき

山やま

籠ごも

れる 倭やまとし麗うるはし

 倭やまと

建たけるの

命みことは父ちち

景けい

行こう

天てん

皇のう

の命めい

令れい

で西にし

へ東ひがしへと言い

うことを聞き

かない者もの

を倒たお

す旅たび

に出で

ましたところがその旅たび

先さき

で病びょう

気き

なってしまいましたふるさとの大やまと和をな

つかしみこの歌うた

をよみついに亡な

くなっ

てしまいました(中ちゅう

巻かん

景けい

行こう

天てん

皇のう

倭やま

方とへ

行ゆ

くは誰た

が夫つま

隠こも

り処づ

下した

よ延は

へつつ

行ゆ

くは誰た

が夫つま

 皇こう

后ごう

石いわ

之の

比ひ

売めの

命みことの嫉しっ

妬と

を恐おそ

れて故こき

郷ょう

の吉き

備びの

国くに

にもどっていた黒くろ

日ひ

売め

を恋こい

しく思おも

い仁にん

徳とく

天てん

皇のう

は吉き

備びの

国くに

に黒くろ

日ひ

売め

を訪たず

ねて行い

きましたともに楽たの

しいひとときを過す

ごし

天てん

皇のう

が都みやこにもどるときに黒くろ

日ひ

売め

は天てん

皇のう

歌うた

を差さ

し上あ

げました(下げ

巻かん

仁にん

徳とく

天てん

皇のう

潮しほ

瀬せ

波な

折を

りを見み

れば 

遊あそ

び来く

鮪しび

が端はた

手で

妻つま

立た

てり見み

 袁をけのみこと

祁命(のちの顕けん

宗ぞう

天てん

皇のう

)が大お

魚うお

という

名な

の乙おと

女め

に結けっ

婚こん

を申もう

し込こ

もうとしていた

とき志し

毘びの

臣おみ

も歌うた

垣がき

の場ば

で大お

魚うお

を誘さそ

いまし

た歌うた

垣がき

とは男だん

女じょ

が集あつままって歌うた

をよみ合あ

う場ば

です二ふ

たり人

は明あ

け方が

まで歌う

で戦

たたか

い続つ

ました(下げ

巻かん

清せい

寧ねい

天てん

皇のう

狭さ

井ゐ

河がは

雲くも

立た

ち渡わた

畝うね

火び

山やま

木こ

の葉は

さやぎぬ

風かぜ

吹ふ

かむとす

 神じん

武む

天てん

皇のう

が亡な

くなった後あと

天てん

皇のう

の子こ

の当た

芸ぎ

志し

美み

々みの

命みことは皇こう

后ごう

だった伊い

須す

気け

余よ

理り

比ひ

売め

を妻つま

にし比ひ

売め

の子こ

である三さん

人にん

の弟おとうとを倒たお

うとしました比ひ

売め

は歌うた

で息むす

子こ

たちに危き

険けん

を知し

らせ聞き

き知し

った息むす

子こ

たちは当た

芸ぎ

志し

美み

々みの

命みことを打う

ち負ま

かしました(中ちゅう

巻かん

神じん

武む

天てん

皇のう

4748

4950

16

学がっ

校こう

および各かく

施し

設せつ

関かん

係けい

者しゃ

保ほ

護ご

者しゃ

の皆みな

様さま

 

本ほん製せい品ひんは子こ

どもたちにかるた遊あそびをとおして『古こ

事じ

記き

』の世せ

界かいにふれ

てもらいたいとの思おもいから奈な

良ら

県けんが独どく自じ

に企き

画かく制せい作さくしたものです

本ほん製せい品ひんはリズムのよさやわかりやすさを重じゅう視し

して作さく成せいしている部ぶ

分ぶんも

含ふくまれます正せい確かくな記き

述じゅつを心こころがけて作さく成せいしておりますが見けん解かい学がく

説せつ

等などの相そう違い

についてはご了りょう承しょうください

神しん名めい人じん名めい地ち

名めい等などの固こ

有ゆう

名めい詞し

の表ひょう記き

にあたっては小しょう

学がく館かん『新しん

編ぺん

日に

本ほん

古こ

典てん

文ぶん

学がく

全ぜん

集しゅう1 

古こ

事じ

記き

』(校こう

注ちゅう

訳やく

山やま

口ぐち

佳よし

紀のり

神こう

野の

志し

隆たか

光みつ

の記き

載さいを参さん考こうにしました

文もん言ごん等などの漢かん字じ

表ひょう記き

については親したしみやすさの観かん点てんから常じょう用よう漢かん字じ

中ちゅう心しんに記き

載さいしました

ふりがなについては現げん代だいかなづかいを基き

本ほんに記き

載さいしました

Page 2: こ き かるたについて...3 1 1 1 みんなで遊 あそ ぼう! 古 事こ 記じ かるたのき 遊 あそ び方 かた 読 よ み手 て (一 ひと 人 り )と取

2

『古こ

事じ

記き

』ができるまで

 『古こ

事じ

記き

』は奈な

良ら

時じ

代だいの和わ

銅どう五ご

年ねん(七一二)に完かん

成せいしました今いまある書しょ物もつの中なかでは日に

本ほんでもっとも古ふる

いものです

 

始はじまりは飛あすか鳥時じ

代だい天てん武む

天てん皇のうは新あらたな国くにづくり

を目め

指ざ

す中なかで国くにの成な

り立た

ちを説せつ明めいするために『古こ

事じ

記き

』をまとめることを考かんがえました『古こ

事じ

記き

』の序じょ

によると最さい初しょにさまざまな家いえから『帝てい紀き

』注1と

『旧きゅう辞じ

』注2を集あつめましたが天てん武む

天てん皇のうは「これらは

国こっ家か

組そ

織しきの根こん本ぽんであり天てん皇のうの政せい治じ

の基き

礎そ

となるも

のだが事じ

実じつとは違ちがう部ぶ

分ぶんが多おおい間ま

違ちがいをけずっ

て真しん実じつを記き

録ろくし後のちの時じ

代だいに伝つたえよう」と述の

べ一いち

度ど

聞き

いたことは忘わすれることがなかったという稗ひえ田だの阿あ

礼れ

に読よ

み覚おぼえさせましたしかし完かん成せいすることな

く時じ

代だいが過す

ぎていきました

 

天てん武む

天てん皇のうから三さん代だいあとの元げん明めい天てん皇のうの時じ

代だい稗ひえ

田だの

阿あ

礼れ

が記き

憶おくしていたことを太おおの安やす万ま

侶ろ

がまとめつい

に和わ

銅どう五ご

年ねん(七一二)『古こ

事じ

記き

』が完かん成せいしたのです

『古こ

事じ

記き

』に書か

かれていること

 『古こ

事じ

記き

』は上じょう巻かん中ちゅう巻かん下げ

巻かんの全ぜん三さん巻かんからな

ります上じょう巻かんには序じょに続つづき天てん地ち

の始はじまりから

の神かみが々みの物もの語がたり中ちゅう巻かんには初しょ代だい天てん皇のうである神じん武む

天てん

皇のうから第だい

十じゅう五ご

代だいの応おう

神じん

天てん皇のうまでの下げ

巻かんには第だい

十じゅう

六ろく

代だい

仁にん徳とく天てん皇のうから第だい

三さん

十じゅう

三さん

代だい

推すい古こ

天てん皇のうまで

の天てん皇のうについての出で

来き

事ごとや言い

い伝つたえなどが収おさめら

れていますよく知し

られている稲いな羽ば

の素しろ兎うさぎや八や

俣またの

大おろち蛇などの話はなしは上じょう巻かんに出で

てきますまた中ちゅう巻かん

下げ

巻かんには今いまも残のこる奈な

良ら

の地ち

名めいが多おおくみられます全ぜん

体たいをとおして歌か

謡ようが多おおくはさみこまれているのも

『古こ

事じ

記き

』の特とく徴ちょうのひとつです

注ちゅう1 

各かく天てん皇のうの即そく位いから亡なくなるまでの出で

来き事ごとなどをまとめた書しょ物もつ

注ちゅう2 神しん話わや言いい伝つたえ歌か謡ようなどを集あつめた書しょ

物もつ

『古こ

事じ

記き

』とは

3

11

みんなで遊あ

ぼう 古こ

事じ

記き

かるたの遊あ

び方か

読よ

み手て

(一ひと人り

)と取と

り手て

決き

めます

広ひろい場ば

所しょに絵え

札ふだ五ご

十じゅう

枚まい

の絵え

の面めんを上うえにして重かさな

らないように置お

きます

読よ

み手て

が字じ

札ふだ五ご

十じゅう枚まいを一いち

枚まいずつ読よ

み上あ

げ取と

り手て

ペアになっている絵え

札ふだを探さが

しましょう早はやく取と

ったほ

うが絵え

札ふだをもらえます最さい

後ご

に取と

った絵え

札ふだの枚まい数すうが

多おおい人ひとが勝か

ちです歌か

謡よう

編へん

の絵え

札ふだは歌うたの途と

中ちゅうの文も

字じ

から始はじまっています

かるた取と

その1

12

3 三さん

人にんいじょう

以上

物もの

語がたり

編へん

の四よん

十じゅう

五ご

組くみ

だけを

 

使つか

って遊あそ

ぶこともできます

物もの

語がたり

編へん

のペア(例れい

字じ

札ふだ

字じ

札ふだ

絵え

札ふだ

絵え

札ふだ

絵え

札ふだ

(例れい

字じ

札ふだ

(例れい

歌か

謡よう

編へん

のペア(例れい

遊あそ

び方かた

4

ふることぶみパズル

その2

一ひと

人り

絵え

札ふだ五ご

十じゅう枚まいの裏うら面めんはパズルになっています全ぜん部ぶ

組く

み合あ

わせると左ひだりのイラストができあがります

5

遊あそ

び方かた

6

ふることぶみめくり

その3

二ふたり人以いじょう上

11

物もの

語がたり編へんの絵え

札ふだ

四よん

十じゅう五ご

枚まい

と歌か

謡よう

編へんの字じ

札ふだ(全ぜん

文ぶん

が載の

っている札ふだ)五ご

枚まいを裏うら

返がえして合あ

わせよく混ま

ぜて

から二ふたつの山やまに積つ

み上あ

ます

ジャンケンなどでめくる

人ひとの順じゅん番ばんを決き

めます

順じゅん番ばんに二ふたつの山やまのどち

らでもよいので一いち

枚まいずつ

札ふだをめくっていきます最さい

初しょの一ひと

文も

字じ

の枠わくが何なに

色いろか

によって札ふだをもらえる

枚まい数すうがちがったり没ぼっ

収しゅう

されたりします

①青あお

色いろ

ならその一いち

枚まい

だけを

もらえます

②黒くろ

色いろ

なら何な

ももらえず

持も

っていた札ふだ

はすべて没ぼっ

収しゅうされます

③金きん

色いろ

ならもう二に

枚まい

(合ごう

計けい

三さん

枚まい

)もらえますもしも

没ぼっしゅう収された札ふだ

があればそ

の札ふだ

を全ぜん

部ぶ

もらうことがで

きます

④赤あか

色いろ

ならもう一いち

枚まい

(合ごう

計けい

二に

枚まい

)もらえます

⑤歌か

謡よう

編へん

の札ふだ

ならその歌か

謡よう

を元げん

気き

な声こえ

で読よ

み上あ

げさ

らに一いち

枚まい

(合ごう

計けい

二に

枚まい

)もら

えます

二ふたつの山やまがなくなったと

き手て

元もとにある枚まい

数すうが多おお

い人ひとが勝か

ちです

12

金きん

色いろ

+lArr二に

枚まい

三さん枚まいもらえる

赤あか色いろ

lArr一いち枚まい

二に

枚まいもらえる

青あお

色いろ

黒くろ色いろ

lArr

lArr

lArr

一いち枚まいもらえる

二に

枚まいもらえる

元げん気き

な声こえで

読よ

み上あ

げると

もう一い

ち枚まい

持も

ち札ふだをすべて没ぼっ

収しゅう

歌か

謡よう編へんの札ふだ

没ぼ

っ収し

ゅうさ

れた札ふ

だが

 あれば全ぜん部ぶ

 らえる

遊あそ

び方かた

7

いにしえの

世せ

界かい

へ探たん

検けん

古ふる

事こと

記ぶみ

 『古こ

事じ

記き

』は「こじき」または「ふるこ

とぶみ」と読よ

みます日に

本ほん

に残のこ

っている一いち

番ばん

古ふるい書しょ

物もつ

で和わ

銅どう

五ご

年ねん

(七一二)に奈な

良ら

で完かん

成せい

しました天てん

地ち

の始はじ

まりと神かみ

様さま

世せ

界かい

を作つく

っていく物もの

語がたりまた各かく

天てん

皇のう

の時じ

代だい

ごとに起お

こったことや言い

い伝つた

えなどが書か

かれています(上じょう

巻かん

序じょ

稗ひえ

田だの

阿あ

礼れ

と太おおの

安やす

万ま

侶ろ

 力ちから

合あ

わせて

古こ

事じ

記き

完かん

成せい

 『古こ

事じ

記き

』を作つく

ろうと最さい

初しょ

に考かんがえたのは

飛あすか鳥時じ

代だい

の天てん

武む

天てん

皇のう

です記き

憶おく

力りょくばつぐん

の稗ひえ

田だの

阿あ

礼れ

に古ふ

くから伝つ

えられてきたこ

となどを読よ

み覚おぼ

えさせましたその後ご

阿あ

礼れ

の話はなしを太おおの

安やす

万ま

侶ろ

がまとめ『古こ

事じ

記き

』がで

き上あ

がりました(上じょう

巻かん

序じょ

あをによし

奈な

良ら

の都みやこで

古こ

事じ

記き

でき

 『古こ

事じ

記き

』が完かん

成せい

したのは奈な

良ら

時じ

代だい

の和わ

銅どう

五ご

年ねん

(七一二)で天てん

武む

天てん

皇のう

から三さん

代だい

後あと

元げん

明めい

天てん

皇のう

の時じ

代だい

でした元げん

明めい

天てん

皇のう

は『古こ

事じ

記き

』が完かん

成せい

する二に

年ねん

前まえ

の和わ

銅どう

三さん

年ねん

(七一〇)

に都みやこを藤ふじ

原わら

京きょうから奈な

良ら

の都みやこ平へい

城じょう

京きょうに移うつ

しました(上じょう

巻かん

序じょ

こをろこをろ

天あめ

の沼ぬ

矛ほこ

島しま

を生う

 ただよっている地ち

上じょうの世せ

界かい

を固かた

めるため

伊い

耶ざ

那な

岐きの

命みことと伊い

耶ざ

那な

美みの

命みことは天あめ

の浮うき

橋はし

に立た

て天あめ

の沼ぬ

矛ほこ

という道どう

具ぐ

でかき回まわ

しました

引ひ

き上あ

げた矛ほこ

の先さき

からぽとぽとと落お

ちた潮しお

が積つ

もり淤お

能の

碁ご

呂ろ

島じま

になりました(上じょう

巻かん

)伊い

耶ざ

那な

岐き

伊い

耶ざ

那な

美み

追お

って

黄よ

み泉に行ゆ

 伊い

耶ざ

那な

岐きの

命みことと伊い

耶ざ

那な

美みの

命みことは次つぎ

々つぎ

に国くに

や神かみ

様さま

を生う

み出だ

しましたが伊い

耶ざ

那な

美みの

命みことは火ひ

神かみ

様さま

を生う

んだとき大おお

やけどで亡な

くなって

しまいました伊い

耶ざ

那な

岐きの

命みことは悲かな

しみあの

世よ

の国くに

である黄よ

泉もつ

国くに

へ伊い

耶ざ

那な

美みの

命みことを探さが

しに

行い

きました(上じょう

巻かん

古こ

事じ

記き

かるた

物もの

語がたり

編へん

一いち

覧らん

順じゅん番ばんに二ふたつの山やまのどち

らでもよいので一いち

枚まいずつ

札ふだをめくっていきます最さい

初しょの一ひと

文も

字じ

の枠わくが何なに

色いろか

によって札ふだをもらえる

枚まい数すうがちがったり没ぼっ

収しゅう

されたりします

5

34

8

天あめ

宇のう

受ず

売め

踊おど

って神かみ

誘さそ

い出だ

 天あま

照てらす

大おお

御み

神かみ

が閉と

じこもった「天あめ

の石いわ

屋や

の前まえ

で天あめ

宇のう

受ずめ

売のみ

命こと

が神かみ

がかりして踊おど

ると

神かみ

様さま

たちは大おお

笑わら

い不ふ

思し

議ぎ

に思おも

った天あま

照てらす

大おお

御み

神かみ

が岩いわ

の戸と

を少すこ

し開あ

け外そと

を見み

ようとし

たとき天あめのたぢからおのかみ

手力男神が大おお

御み

神かみ

を引ひ

っ張ぱ

り出だ

し世せ

界かい

はまた明あか

るくなりました(上じょう

巻かん

須す

佐さ

之の

男お

出いずもの雲国くに

追お

いやられ

 建たけ

速はや

須す

佐さ

之の

男おの

命みことが高たか

天あまの

原はら

で暴あば

れたことを

怒おこ

った神かみ

様さま

たちは罰ばつ

として命みことのひげと手て

足あし

の爪つめ

を切き

って高たか

天あまの

原はら

を追お

い払はら

いました

追お

い払はら

われた命みことは出いずものくに

雲国にたどり着つ

きま

した(上じょう

巻かん

)出いず

雲もの

国くには今いま

の島しま

根ね

県けんです

八や

俣また

の大おろち蛇

酒さけ

に酔よ

わせて

退たい

治じ

する

 出いずものくに

雲国では八や

俣また

の大おろち蛇が人ひと

びとを苦くる

しめ

ていました建たけ

速はや

須す

佐さ

之の

男おの

命みことは大おろち蛇に酒さけ

飲の

ませ酔よ

って眠ねむ

ったところを退たい

治じ

しまし

た大おろち蛇の尾お

を切き

ったときに出で

てきたすば

らしい剣つるぎ(草くさ

なぎの剣つるぎ)は天あまてらすおおみかみ

照大御神に

差さ

し上あ

げました(上じょう

巻かん

清きよ

く明あか

き 心こころの証あか

しと

うけいする

 建たけ

速はや

須す

佐さ

之の

男おの

命みことは高たか

天あまの

原はら

をうばうために

やって来き

たと姉あね

の天あま

照てらす

大おお

御み

神かみ

に疑うたがわれま

したそこで「うけい」という占うらないをし

て子こ

を生う

み心こころが清きよ

らかなことを証しょう

明めい

しま

した命みことの持も

ち物もの

の剣つるぎからは女め

神がみ

が生う

まれ

戦たたかう気き

持も

ちがないことがわかりました(上じょう

巻かん

)天あま

照てらす

大おお

御み

神かみ

天あめ

の石いわ

屋や

世よ

は闇やみ

 建たけ

速はや

須す

佐さ

之の

男おの

命みことが高たか

天あまの

原はら

で暴あば

れたので

天あま

照てらす

大おお

御み

神かみ

は「天あめ

の石いわ

屋や

」に閉と

じこもり

岩いわ

の戸と

を閉し

めてしまいましたすると世せ

界かい

じゅうが真ま

っ暗くら

になってしまい悪わる

いこ

とが次つぎ

々つぎ

と起お

こりました(上じょう

巻かん

目め

から鼻はな

から生う

まれた

三さん

貴き

神しん

 黄よ

泉もつ

国くに

から戻もど

った伊い

耶ざ

那な

岐きの

命みことは体からだを

洗あら

って身み

を清きよ

めましたすると神かみ

様さま

次つぎ

々つぎ

に生う

まれ最さい

後ご

に左ひだりの目め

を洗あら

うと天あま

照てらす

大おお

御み

神かみ

右みぎ

の目め

を洗あら

うと月つく

読よみの

命みこと鼻はな

洗あら

うと建たけ

速はや

須す

佐さ

之の

男おの

命みことという貴とうとい三み

柱はしらの

神かみ

様さま

が生う

まれました(上じょう

巻かん

78

91011

6

9

大おお

穴あな

牟む

遅じ

助たす

けた稲いな

羽ば

素しろ

兎うさぎ

 稲いな

羽ば

の素しろ

兎うさぎはわにをだましたことがば

れて皮かわ

をはがされてしまいました大おお

穴あな

牟む

遅じの

神かみ

の兄あに

たちの八や

十そ

神かみ

にもいじめられ兎うさぎ

は泣な

いて苦くる

しんでいました通とお

りかかった

大おお

穴あな

牟む

遅じの

神かみ

が傷きず

の治なお

し方かた

を教おし

えてあげて

兎うさぎは元げん

気き

になりました(上じょう

巻かん

)大おお

穴あな

牟む

遅じの

神かみ

は大おお

国くに

主ぬしの

神かみのことです

鼠ねずみが教おし

えた「

内うち

はほらほら

外と

はすぶすぶ」

 大おお

穴あな

牟む

遅じの

神かみは建たけ

速はや

須す

佐さ

之の

男おの

命みことの娘むすめ須す

勢せ

理り

毘び

売めの

命みことと出で

会あ

い結けっ

婚こんしました怒おこ

った建たけ

速はや

須す

佐さ

之の

男おの

命みことは野の

原はらに矢や

を射い

て大おお

穴あな

牟む

遅じの

神かみに取と

りに

行い

かせその野の

原はらに火ひ

をつけましたが鼠ねずみが野の

原はら

の下し

に穴あ

があると教お

えてくれたので無ぶ

事じ

でし

た(上じょう

巻かん)

大おお

国くに

主ぬし

少すく

名な

毘び

古こ

那な

国くに

づくり

 大おお

国くに

主ぬしの

神かみ

のところに小ちい

さな神かみ

様さま

がやっ

てきましたがだれも名な

前まえ

を知し

りません

田た

んぼのかかしの久く

延え

毘び

古こ

だけが少すく

名な

毘び

古こ

那なの

神かみ

という名な

前まえ

を知し

っていました大おお

国くに

主ぬしの

神かみ

は少すく

名な

毘び

古こ

那なの

神かみ

といっしょに出いずも雲で

国くに

づくりをしました(上じょう

巻かん

天てん

孫そん

降こう

臨りん

先せん

導どう

したのは

猿さる

田た

毘び

古こ

 天あま

照てらす

大おお

御み

神かみ

高たか

木ぎの

神かみ

は地ち

上じょうの葦あし

原はらの

中なかつ

国くに

は自じ

分ぶん

の子し

孫そん

が治おさ

める国くに

と考かんがえ邇に

に々

芸ぎの

命みことを地ち

上じょうに天あま

降くだ

しました天あま

降くだ

る途と

中ちゅう猿さる

田た

毘び

古この

神かみ

が迎むか

えに来き

てくれました(上じょう

巻かん

国くに

ゆずり

せまった神かみ

建たけ

御みか

雷ずち

 建たけみかずちのかみ

御雷神は出いずものくに

雲国の海うみ

の波なみ

打う

ち際ぎわ

に剣つるぎ

をさかさまに立た

てその剣つるぎの先さき

に座すわ

り葦あし

原はらの

中なかつ

国くに

を治おさ

めていた大おお

国くに

主ぬしの

神かみ

に国くに

をゆ

ずるように言い

いました大おお

国くに

主ぬしの

神かみ

は二ふたり人の

息むす

子こ

と相そう

談だん

し葦あし

原はらの

中なかつ

国くに

を高たか

天あまの

原はら

の神かみ

様さま

にゆずることにしました(上じょう

巻かん

釣つ

り針ばり

探さが

綿わた

津つ

見みの

神かみ

の宮みや

 火ほ

遠お

理りの

命みこと(山やま

佐さ

知ち

毘び

古こ

)は兄あに

の火ほでりのみこと

照命

(海うみ

佐さ

知ち

毘び

古こ

)から借か

りた釣つ

り針ばり

をなくし

それを探さが

すうちに海うみ

の底そこ

の綿わた

津つ

見みの

神かみ

の宮みや

行い

きその娘むすめの豊とよ

玉たま

毘び

売めの

命みことと結けっ

婚こん

しました

楽たの

しく暮く

らした後あと

綿わた

津つ

見みの

神かみ

に釣つ

り針ばり

を見み

つけてもらい陸りく

に戻もど

りました(上じょう

巻かん

121314

151617

10

導みちびくは 神かみ

の使つか

いの

八や

咫あた

烏からす

 高たか

天あまの

原はら

の天あま

照てらす

大おお

御み

神かみ

高たか

木ぎの

神かみ

の命めい

を受う

けて建たけ

御みかずち雷神のかみは神かむ

倭やまと

伊い

波わ

礼れ

毘び

古この

命みこと(の

ちの神じん

武む

天てん

皇のう

)に不ふ

思し

議ぎ

な力ちからをもつ大た

刀ち

与あた

えましたさらに凶きょう

暴ぼう

な神かみ

たちが待ま

ている道みち

を無ぶ

事じ

に進すす

むために八や

咫あた

烏からすとい

う大おお

きなカラスに道みち

案あん

内ない

をさせました(中ちゅう

巻かん

神じん

武む

天てん

皇のう

兄え

宇う

迦か

斯し

たくらみ告つ

げる

弟おと

宇う

迦か

斯し

 神かむ

倭やまと

伊い

波わ

礼れ

毘び

古この

命みこと(のちの神じん

武む

天てん

皇のう

)が

宇う

陀だ

に着つ

いたときその地ち

に暮く

らす兄え

宇う

迦か

斯し

は命みことをだまして倒たお

そうとしましたそれ

を知し

った弟おとうとの弟おと

宇う

迦か

斯し

は兄あに

の御ご

殿てん

にわなが

仕し

掛か

けてあることを教おし

え命みことは助たす

かりまし

た(中ちゅう

巻かん

神じん

武む

天てん

皇のう

神じん

武む

天てん

皇のう

橿かし

原はらの

宮みや

即そく

位い

する

 神かむ

倭やまと

伊い

波わ

礼れ

毘び

古この

命みことはさまざまな荒あ

れすさ

ぶ神かみ

たちを平へい

定てい

して畝うね

傍び

山やま

のふもとの橿かし

原はらの

宮みや

で最さい

初しょ

の天てん

皇のう

として即そく

位い

し世よ

の中なか

治おさ

めました(中ちゅう

巻かん

神じん

武む

天てん

皇のう

長なが

い糸いと

たどって行ゆ

けば

三み

輪わ

の山やま

 夜よ

中なか

美うつくしい活いく

玉たま

依より

毘び

売め

のもとに立りっ

派ぱ

な姿すがたの男だん

性せい

がやってきて一いっ

緒しょ

になりました

両りょう

親しん

に教おし

えられ男だん

性せい

の服ふく

のすそに糸いと

をつ

けた針はり

を刺さ

してたどると三み

輪わ

山やま

の社やしろに着つ

き男だん

性せい

は大おお

物もの

主ぬしの

大おお

神かみ

だとわかりました

(中ちゅう

巻かん

崇す

神じん

天てん

皇のう

沙さ

本ほ

毘び

売め

夫おっとと兄あに

との

板いた

ばさみ

 垂すい

仁にん

天てん

皇のう

の后きさき沙さ

本ほ

毘び

売めの

命みことは兄あに

の沙さ

本ほ

毘び

古この

王みこ

から天てん

皇のう

と自じ

分ぶん

とどちらを愛あい

するか

尋たず

ねられ天てん

皇のう

を倒たお

すように言い

われます

そのことを知し

った天てん

皇のう

は兵へい

を出だ

して沙さ

本ほ

毘び

古この

王みこ

を倒たお

し沙さ

本ほ

毘び

売めの

命みことも亡な

くなりました

が子こ

どもの本ほ

牟む

智ち

和わ

気けの

御み

子こ

は取と

り戻もど

すこ

とができました(中ちゅう

巻かん

垂すい

仁にん

天てん

皇のう

船ふな

出で

して

大やまと和を目め

指ざ

神じん

武む

東とう

征せい

 

 神かむ

倭やまと

伊い

波わ

礼れ

毘び

古この

命みこと(のちの神じん

武む

天てん

皇のう

)と

兄あに

の五いつ

瀬せの

命みことは高たか

千ち

穂ほの

宮みや

で国くに

を治おさ

める場ば

所しょ

を相そう

談だん

し東ひがしへ向む

かうことにしました日ひ

向むか

から船ふね

を出だ

し豊とよ

国くに

筑つく

紫し

安あ

芸き

吉き

備び

と進すす

んでいきました(中ちゅう

巻かん

神じん

武む

天てん

皇のう

日ひ

向むか

は今いま

の宮みや

崎ざき

県けん

豊とよ

国くに

は今いま

の大おお

分いた

県けん

福ふく

岡おか

県けん

東とう

部ぶ

筑つく

紫し

は今いま

の福ふく

岡おか

県けん

安あ

芸き

は今いま

の広ひろ

島しま

県けん

吉き

備び

は今いま

の岡おか

山やま

県けん

広ひろ

島しま

県けん

東とう

部ぶ

です

2122

19

23

20 18

11

美うつくしき 少しょう

女じょ

になって

熊くま

曾そ

討う

 景けい

行こう

天てん

皇のう

の子こ

の小お

碓うすの

命みことは父ちち

から熊くま

曾そ

建たけるを討う

ち取と

るように命めい

じられました命みことは

髪かみ

型がた

や着き

物もの

を少しょう

女じょ

のようにして熊くま

曾そ

建たけるの

宴えん

会かい

にまぎれこみ退たい

治じ

しました熊くま

曾そ

建たける

は命みことの強つよ

さをほめたたえ「倭やまと

建たけるの

御み

子こ

」と

いう名な

前まえ

を贈おく

りました(中ちゅう

巻かん

景けい

行こう

天てん

皇のう

草くさ

なぎの

剣つるぎが救すく

危き

機き

一いっ

髪ぱつ

 倭やまと

建たけるの

命みことは東ひがしの方ほう

に戦たたかいに行い

く途と

中ちゅう伊い

勢せ

大だい

神じん

宮ぐう

に寄よ

りおばの倭やまと

比ひ

売めの

命みことから草くさ

ぎの剣つるぎと火ひ

打う

ち石いし

をもらいましただまさ

れて野の

原はら

に火ひ

をつけられたとき倭やまと

建たけるの

命みこと

は草くさ

なぎの剣つるぎでまわりの草くさ

を切き

り払はら

い向む

かい火び

をつけて助たす

かりました(中ちゅう

巻かん

景けい

行こう

天てん

皇のう

荒あら

波なみ

静しず

めるために

身み

を捧ささ

 倭やまと

建たけるの

命みことが走はしり

水みずの海うみを渡わた

ろうとすると海うみ

の神かみ

様さま

が荒あら

波なみ

を起お

こし船ふね

がぐるぐると回まわ

るばかりです倭やまと

建たけるの

命みことの妻つま

弟おと

橘たちばな

比ひ

売めの

命みことが身み

代が

わりとなって海うみ

に身み

を沈しず

めると

波なみ

が静しず

かになり船ふね

を進すす

めることができま

した(中ちゅう

巻かん

景けい

行こう

天てん

皇のう

白しろ

猪いのししの

姿すがたの神かみ

あなどりて

 倭やまと

建たけるの

命みことは草くさ

なぎの剣つるぎを妻つま

美み

夜や

受ず

比ひ

売め

に預あず

け伊い

吹ぶき

山やま

に出で

かけました伊い

吹ぶき

山やま

神かみ

様さま

は白しろ

い大おお

きな猪いのししの姿すがたで現あらわれましたが

命みことは神かみ

の使つか

いと間ま

違ちが

えてしまいました神かみ

様さま

は怒おこ

り激はげ

しい氷ひさめ雨を降ふ

らせ命みことをすっ

かり弱よわ

らせてしまいました(中ちゅう

巻かん

景けい

行こう

天てん

皇のう

)天あま

翔か

ける

大おお

きな白しろ

鳥とり

になり

 倭やまと

建たけるの

命みことが能の

煩ぼ

野の

で亡な

くなると大やまと和に

いた后きさきや子こ

どもたちがみなやってきて泣な

き悲かな

しみましたやがて命みことは大おお

きな白しろ

い千ち

鳥どり

の姿すがたになって羽は

ばたき浜はま

に向むか

って飛と

でいきましたみんな泣な

きながらその後あと

追お

いかけました(中ちゅう

巻かん

景けい

行こう

天てん

皇のう

ときじくの

かくの木この

実み

間ま

に合あ

わず

 垂すい

仁にん

天てん

皇のう

は遠とお

い常とこ

世よの

国くに

から「ときじく

のかくの木この

実み

」を持も

ってくるよう多た

遅じ

摩ま

毛も

理り

に命めい

じました実み

を持も

ち帰かえ

るとすでに

天てん

皇のう

は亡な

くなっていました多た

遅じ

摩ま

毛も

理り

お墓はか

に向むか

って実み

を高たか

く持も

ち上あ

げ泣な

き叫さけ

ながら亡な

くなりました(中ちゅう

巻かん

垂すい

仁にん

天てん

皇のう

「ときじくのかくの木この

実み

」とは「いつも輝かがやく木き

の実み

」という意い

味み

です

25

29

26

2728

24

12

税ぜい

はとらぬ

かまどに煙けむり

立た

つまでは

 仁にん

徳とく

天てん

皇のう

はかまどから煙けむりが立た

ち上のぼ

って

いないのを見み

て人ひと

々びと

が暮く

らしに困こま

ってい

ることを知し

りましたそこで天てん

皇のう

は税ぜい

をな

くし宮きゅう

殿でん

の修しゅう

理り

もやめました三さん

年ねん

後ご

人ひと

々びと

の家いえ

のかまどからは再ふたたび煙けむりが立た

ち上のぼ

ようになりました(下げ

巻かん

仁にん

徳とく

天てん

皇のう

石いわ

之の

日ひ

売め

御み

綱つな

柏がしわを

海うみ

に捨す

 仁にん

徳とく

天てん

皇のう

の皇こう

后ごう

石いわ

之の

日ひ

売めの

命みことは宴えん

会かい

に使つか

う御み

綱つな

柏がしわの葉は

を取と

りに船ふね

で出で

かけました

その間あいだに天てん

皇のう

が別べつ

の女じょ

性せい

と仲なか

良よ

くなった

ことを知し

って皇こう

后ごう

はたいへん怒おこ

りせっ

かく集あつ

めた御み

綱つな

柏がしわを全ぜん

部ぶ

海うみ

に投な

げ捨す

ててし

まいました(下げ

巻かん

仁にん

徳とく

天てん

皇のう

つぎつぎに

変か

わる蚕かいこで

仲なか

直なお

 蚕かいこは幼よう

虫ちゅうからまゆを作つく

ってサナギとな

りやがて成せい

虫ちゅうとなる蛾が

の一いっ

種しゅ

でまゆか

ら生き

糸いと

を取と

ります仁にん

徳とく

天てん

皇のう

は蚕かいこを見み

るこ

とを口こう

実じつ

にけんかをしていた皇こう

后ごう

石いわ

之の

日ひ

売めの

命みことのもとに行い

き仲なか

直なお

りすることがで

きました(下げ

巻かん

仁にん

徳とく

天てん

皇のう

気け

比ひの

大おお

神かみ

名な

前まえ

を替か

えた

大おお

鞆とも

和わ

気け

 大おお

鞆とも

和わ

気けの

命みこと(のちの応おう

神じん

天てん

皇のう

)が敦つる

賀が

行い

ったときおともの建たけ

内うちの

宿すく

禰ねの

命みことの夢ゆめ

に土と

地ち

の神かみ

様さま

が現あらわれ自じ

分ぶん

の名な

前まえ

と大おおともわけのみこと

鞆和気命

の名な

前まえ

とを替か

えようと言い

いました承しょう

諾だく

ると翌よく

朝あさ

たくさんのイルカを贈おく

り物もの

とし

てくださいました(中ちゅう

巻かん

仲ちゅう

哀あい

天てん

皇のう

大おお

贄にえ

捧ささ

げる歌うた

うたう国くに

主す

 吉よし

野の

の国くに

主す

という人ひと

たちは応おう

神じん

天てん

皇のう

お酒さけ

を差さ

し上あ

げる時とき

楽がっ

器き

の代か

わりに口くち

音おと

を出だ

しいろいろな仕し

草ぐさ

をしながら歌うた

うたいましたその後ご

その地ち

では天てん

皇のう

に大おお

贄にえ

(特とく

別べつ

な食た

べ物もの

)を捧ささ

げる時とき

にその

歌うた

をうたうようになりました(中ちゅう

巻かん

応おう

神じん

天てん

皇のう

裳も

の糸いと

飯めし

粒つぶ

つけて

鮎あゆ

を釣つ

 神じん

功ぐう

皇こう

后ごう

は四し

月がつ

上じょう

旬じゅんに玉たま

島しまの

里さと

の川かわ

着き

物もの

の糸いと

を抜ぬ

き取と

り飯めし

粒つぶ

をえさにして鮎あゆ

を釣つ

りましたこのときからこの川かわ

では

同おな

じ時じ

期き

に女じょ

性せい

たちが着き

物もの

の糸いと

と飯めし

粒つぶ

で鮎あゆ

を釣つ

るようになりました(中ちゅう

巻かん

仲ちゅう

哀あい

天てん

皇のう

333435

3132 30

13

虻あぶ

食た

べた

蜻とんぼ蛉にちなむ

蜻あきず蛉島しま

 野の

原はら

へ狩か

りに出で

かけた雄ゆう

略りゃく

天てん

皇のう

の腕うで

を虻あぶ

がかみましたがその虻あぶ

を蜻とんぼ蛉がくわえて

飛と

び去さ

りました天てん

皇のう

は蜻とんぼ蛉をほめ大やまとの和

国くに

は蜻あきず蛉島しま

とよぶのにふさわしいと歌うた

によ

みましたこの場ば

所しょ

は阿あ

岐き

豆ず

野の

と呼よ

ばれる

ようになりました(下げ

巻かん

雄ゆう

略りゃく

天てん

皇のう

隼はやぶさよ

鷦さざき鷯を取と

れと

機はた

を織お

 女め

鳥どりの

王みこ

は夫おっとの速はや

総ぶさ

別わけの

王みこ

に「隼はやぶさよ鷦さざき鷯

を取と

ってしまえ」と機はた

を織お

りながら歌うた

いま

した隼はやぶさとは速はや

総ぶさ

別わけの

王みこ

のこと鷦さざき鷯とは大おお

雀さざきの

命みこと(仁にん

徳とく

天てん

皇のう

)のことですこの歌うた

知し

った天てん

皇のう

は軍ぐん

勢ぜい

を集あつ

め逆ぎゃくに二ふたり人を倒たお

ました(下げ

巻かん

仁にん

徳とく

天てん

皇のう

)鷦さざき鷯はミソサザ

イという鳥と

のことです

すばらしき船ふね たからかに響ひび

琴こと

となる

 一いっ

本ぽん

の巨きょ

木ぼく

で造つく

った船ふね

「枯から

野の

」はたいへ

ん速はや

く仁にん

徳とく

天てん

皇のう

の飲の

み水みず

を淡あわ

路じ

島しま

から運はこ

びましたこの船ふね

が壊こわ

れたので船せん

材ざい

を焼や

いて残のこ

った木き

で琴こと

を作つく

りましたこの琴こと

音ね

は遠とお

くまで響ひび

き人ひと

々びと

は歌うた

をうたって琴こと

をほめたたえました(下げ

巻かん

仁にん

徳とく

天てん

皇のう

御ご

殿てん

から

天てん

皇のう

救すく

大やまと和へと

 墨すみの

江えの

中なかつ

王みこ

は天てん

皇のう

の位くらいをねらい履り

中ちゅう

天てん

皇のう

が寝ね

ている御ご

殿てん

に火ひ

をつけました天てん

皇のう

は阿あ

知ちの

直あたいに助たす

け出だ

され大やまと和に向む

かいまし

た途と

中ちゅう天てん

皇のう

は燃も

える御ご

殿てん

を遠とお

くから見み

残のこ

してきた皇こう

后ごう

を心しん

配ぱい

する歌うた

をうたいまし

た(下げ

巻かん

履り

中ちゅう

天てん

皇のう

恋こい

しくて

伊い

予よ

へ追お

い行ゆ

衣そと

通おりの

王みこ

 次つぎ

の天てん

皇のう

になることを約やく

束そく

されていた木き

梨なし

之の

軽かるの

太おお

子みこ

は人ひと

々びと

の信しん

頼らい

を失うしな

ってついに

は捕とら

えられ伊い

予よ

の道どう

後ご

温おん

泉せん

に流なが

されまし

た妹いもうとの衣そと

通おりの

王みこ

は太おお

子みこ

を恋こ

い慕した

って伊い

予よ

行い

き太おお

子みこ

と再さい

会かい

しました(下げ

巻かん

允いん

恭ぎょう

天てん

皇のう

)伊い

予よ

は今いま

の愛え

媛ひめ

県けん

です

天てん

皇のう

お召め

しを待ま

って

八はちじゅうねん

十年

 雄ゆう

略りゃく

天てん

皇のう

は引ひけ

田た

部べの

赤あか

猪い

子こ

を見み

てすぐ呼よ

び寄よ

せるから結けっ

婚こん

せずに待ま

っているよう命めい

じましたしかし天てん

皇のう

はそのことを忘わす

赤あか

猪い

子こ

はとうとう八はちじゅうねん

十年も待ま

ち続つづ

けました

赤あか

猪い

子こ

は自じ

分ぶん

から天てん

皇のう

に会あ

いに行い

き歌うた

交か

わしました(下げ

巻かん

雄ゆう

略りゃく

天てん

皇のう

41

3738

39

36

40

14

一ひと

言こと

主ぬし 天てん

皇のう

たちと

瓜うり

ふたつ

 雄ゆう

略りゃく

天てん

皇のう

が従じゅう

者しゃ

と葛かずら

城き

山やま

へ出で

かけると

自じ

分ぶん

たちとそっくりな人ひと

たちと出で

会あ

いまし

たそれを見み

た天てん

皇のう

は失しつ

礼れい

だと怒おこ

りました

が相あい

手て

が葛かず

城らき

之の

一ひと

言こと

主ぬし

之の

大おお

神かみ

とわかると

大た

刀ち

と弓ゆみ

矢や

従じゅうしゃ者の衣い

服ふく

を大おお

神かみ

に差さ

し上あ

ました(下げ

巻かん

雄ゆう

略りゃく

天てん

皇のう

杯さかずきの

木こ

の葉は

をめでたく

歌うた

にして

 お酒さけ

に落お

ち葉ば

の浮う

かんだことを知し

らずに

雄ゆう

略りゃく

天てん

皇のう

に杯さかずきを捧ささ

げた三み

重え

の采うね

女め

に天てん

皇のう

は怒おこ

って罰ばつ

を与あた

えようとしましたすると

三み

重え

の采うね

女め

は落お

ち葉ば

が浮う

かんだことをめ

でたいこととして歌うた

にうたい天てん

皇のう

をほめ

たたえ罪つみ

を許ゆる

されました(下げ

巻かん

雄ゆう

略りゃく

天てん

皇のう

)采うね

女め

は宮きゅう

中ちゅうで働はたらく女じょ

性せい

のことです

譲ゆず

り合あ

意お

祁け

と袁を

祁け

とは

王おう

子じ

なり

 意おけのみこと

祁命と袁をけのみこと

祁命の兄きょうだい弟は身み

をかくして馬うま

飼か

い牛うし

飼か

いの仕し

事ごと

をしていましたある

日ひ

お祝いわ

いの席せき

で二ふたり人は舞ま

う順じゅん

番ばん

を譲ゆず

合あ

って履り

中ちゅう

天てん

皇のう

の孫まご

であることを歌うた

であ

かしました兄きょう

弟だい

は宮きゅう

殿でん

に迎むか

えられ二ふたり人

とも後のち

に天てん

皇のう

になりました(下げ

巻かん

清せい

寧ねい

天てん

皇のう

)八や

雲くも

立た

出いづも雲八や

重へ

垣がき

妻つま

籠ご

みに

八や

重へ

垣がき

作つく

その八や

重へ

垣がき

 建たけ

速はや

須す

佐さ

之の

男おの

命みことは八や

俣また

の大おろち蛇を退たい

治じ

して

194797くし

名な

田だ

比ひ

売め

を救すく

い妻つま

にしましたそして

須す

賀が

という土と

地ち

に新あたらしい宮みや

を造つく

りました

その時とき

そこに立た

ち上のぼ

った雲くも

を妻つま

の住す

宮みや

を幾いく

重え

にも囲かこ

む垣かき

のようだと歌うた

によみま

した(上じょう

巻かん

古こ

事じ

記き

かるた

歌か

謡よう

編へん

一いち

覧らん

猪いのししに

追お

われて榛はり

木き

に登のぼ

 雄ゆう

略りゃく

天てん

皇のう

が葛かずら

城き

山やま

に登のぼ

ったとき大おお

きな

猪いのししが現あらわれました天てん

皇のう

は矢や

で射い

ましたが

猪いのししはうなり声ごえ

をあげて近ちか

づいてきます天てん

皇のう

は榛はり

の木き

に登のぼ

って逃に

げ助たす

けてくれた木き

への感かん

謝しゃ

を歌うた

にしました(下げ

巻かん

雄ゆう

略りゃく

天てん

皇のう

)榛はり

はハンノキのことです

4344

4546

42

15

倭やまとは

国くに

の真ま

秀ほ

ろば

たたなづく

青あを

垣かき

山やま

籠ごも

れる 倭やまとし麗うるはし

 倭やまと

建たけるの

命みことは父ちち

景けい

行こう

天てん

皇のう

の命めい

令れい

で西にし

へ東ひがしへと言い

うことを聞き

かない者もの

を倒たお

す旅たび

に出で

ましたところがその旅たび

先さき

で病びょう

気き

なってしまいましたふるさとの大やまと和をな

つかしみこの歌うた

をよみついに亡な

くなっ

てしまいました(中ちゅう

巻かん

景けい

行こう

天てん

皇のう

倭やま

方とへ

行ゆ

くは誰た

が夫つま

隠こも

り処づ

下した

よ延は

へつつ

行ゆ

くは誰た

が夫つま

 皇こう

后ごう

石いわ

之の

比ひ

売めの

命みことの嫉しっ

妬と

を恐おそ

れて故こき

郷ょう

の吉き

備びの

国くに

にもどっていた黒くろ

日ひ

売め

を恋こい

しく思おも

い仁にん

徳とく

天てん

皇のう

は吉き

備びの

国くに

に黒くろ

日ひ

売め

を訪たず

ねて行い

きましたともに楽たの

しいひとときを過す

ごし

天てん

皇のう

が都みやこにもどるときに黒くろ

日ひ

売め

は天てん

皇のう

歌うた

を差さ

し上あ

げました(下げ

巻かん

仁にん

徳とく

天てん

皇のう

潮しほ

瀬せ

波な

折を

りを見み

れば 

遊あそ

び来く

鮪しび

が端はた

手で

妻つま

立た

てり見み

 袁をけのみこと

祁命(のちの顕けん

宗ぞう

天てん

皇のう

)が大お

魚うお

という

名な

の乙おと

女め

に結けっ

婚こん

を申もう

し込こ

もうとしていた

とき志し

毘びの

臣おみ

も歌うた

垣がき

の場ば

で大お

魚うお

を誘さそ

いまし

た歌うた

垣がき

とは男だん

女じょ

が集あつままって歌うた

をよみ合あ

う場ば

です二ふ

たり人

は明あ

け方が

まで歌う

で戦

たたか

い続つ

ました(下げ

巻かん

清せい

寧ねい

天てん

皇のう

狭さ

井ゐ

河がは

雲くも

立た

ち渡わた

畝うね

火び

山やま

木こ

の葉は

さやぎぬ

風かぜ

吹ふ

かむとす

 神じん

武む

天てん

皇のう

が亡な

くなった後あと

天てん

皇のう

の子こ

の当た

芸ぎ

志し

美み

々みの

命みことは皇こう

后ごう

だった伊い

須す

気け

余よ

理り

比ひ

売め

を妻つま

にし比ひ

売め

の子こ

である三さん

人にん

の弟おとうとを倒たお

うとしました比ひ

売め

は歌うた

で息むす

子こ

たちに危き

険けん

を知し

らせ聞き

き知し

った息むす

子こ

たちは当た

芸ぎ

志し

美み

々みの

命みことを打う

ち負ま

かしました(中ちゅう

巻かん

神じん

武む

天てん

皇のう

4748

4950

16

学がっ

校こう

および各かく

施し

設せつ

関かん

係けい

者しゃ

保ほ

護ご

者しゃ

の皆みな

様さま

 

本ほん製せい品ひんは子こ

どもたちにかるた遊あそびをとおして『古こ

事じ

記き

』の世せ

界かいにふれ

てもらいたいとの思おもいから奈な

良ら

県けんが独どく自じ

に企き

画かく制せい作さくしたものです

本ほん製せい品ひんはリズムのよさやわかりやすさを重じゅう視し

して作さく成せいしている部ぶ

分ぶんも

含ふくまれます正せい確かくな記き

述じゅつを心こころがけて作さく成せいしておりますが見けん解かい学がく

説せつ

等などの相そう違い

についてはご了りょう承しょうください

神しん名めい人じん名めい地ち

名めい等などの固こ

有ゆう

名めい詞し

の表ひょう記き

にあたっては小しょう

学がく館かん『新しん

編ぺん

日に

本ほん

古こ

典てん

文ぶん

学がく

全ぜん

集しゅう1 

古こ

事じ

記き

』(校こう

注ちゅう

訳やく

山やま

口ぐち

佳よし

紀のり

神こう

野の

志し

隆たか

光みつ

の記き

載さいを参さん考こうにしました

文もん言ごん等などの漢かん字じ

表ひょう記き

については親したしみやすさの観かん点てんから常じょう用よう漢かん字じ

中ちゅう心しんに記き

載さいしました

ふりがなについては現げん代だいかなづかいを基き

本ほんに記き

載さいしました

Page 3: こ き かるたについて...3 1 1 1 みんなで遊 あそ ぼう! 古 事こ 記じ かるたのき 遊 あそ び方 かた 読 よ み手 て (一 ひと 人 り )と取

3

11

みんなで遊あ

ぼう 古こ

事じ

記き

かるたの遊あ

び方か

読よ

み手て

(一ひと人り

)と取と

り手て

決き

めます

広ひろい場ば

所しょに絵え

札ふだ五ご

十じゅう

枚まい

の絵え

の面めんを上うえにして重かさな

らないように置お

きます

読よ

み手て

が字じ

札ふだ五ご

十じゅう枚まいを一いち

枚まいずつ読よ

み上あ

げ取と

り手て

ペアになっている絵え

札ふだを探さが

しましょう早はやく取と

ったほ

うが絵え

札ふだをもらえます最さい

後ご

に取と

った絵え

札ふだの枚まい数すうが

多おおい人ひとが勝か

ちです歌か

謡よう

編へん

の絵え

札ふだは歌うたの途と

中ちゅうの文も

字じ

から始はじまっています

かるた取と

その1

12

3 三さん

人にんいじょう

以上

物もの

語がたり

編へん

の四よん

十じゅう

五ご

組くみ

だけを

 

使つか

って遊あそ

ぶこともできます

物もの

語がたり

編へん

のペア(例れい

字じ

札ふだ

字じ

札ふだ

絵え

札ふだ

絵え

札ふだ

絵え

札ふだ

(例れい

字じ

札ふだ

(例れい

歌か

謡よう

編へん

のペア(例れい

遊あそ

び方かた

4

ふることぶみパズル

その2

一ひと

人り

絵え

札ふだ五ご

十じゅう枚まいの裏うら面めんはパズルになっています全ぜん部ぶ

組く

み合あ

わせると左ひだりのイラストができあがります

5

遊あそ

び方かた

6

ふることぶみめくり

その3

二ふたり人以いじょう上

11

物もの

語がたり編へんの絵え

札ふだ

四よん

十じゅう五ご

枚まい

と歌か

謡よう

編へんの字じ

札ふだ(全ぜん

文ぶん

が載の

っている札ふだ)五ご

枚まいを裏うら

返がえして合あ

わせよく混ま

ぜて

から二ふたつの山やまに積つ

み上あ

ます

ジャンケンなどでめくる

人ひとの順じゅん番ばんを決き

めます

順じゅん番ばんに二ふたつの山やまのどち

らでもよいので一いち

枚まいずつ

札ふだをめくっていきます最さい

初しょの一ひと

文も

字じ

の枠わくが何なに

色いろか

によって札ふだをもらえる

枚まい数すうがちがったり没ぼっ

収しゅう

されたりします

①青あお

色いろ

ならその一いち

枚まい

だけを

もらえます

②黒くろ

色いろ

なら何な

ももらえず

持も

っていた札ふだ

はすべて没ぼっ

収しゅうされます

③金きん

色いろ

ならもう二に

枚まい

(合ごう

計けい

三さん

枚まい

)もらえますもしも

没ぼっしゅう収された札ふだ

があればそ

の札ふだ

を全ぜん

部ぶ

もらうことがで

きます

④赤あか

色いろ

ならもう一いち

枚まい

(合ごう

計けい

二に

枚まい

)もらえます

⑤歌か

謡よう

編へん

の札ふだ

ならその歌か

謡よう

を元げん

気き

な声こえ

で読よ

み上あ

げさ

らに一いち

枚まい

(合ごう

計けい

二に

枚まい

)もら

えます

二ふたつの山やまがなくなったと

き手て

元もとにある枚まい

数すうが多おお

い人ひとが勝か

ちです

12

金きん

色いろ

+lArr二に

枚まい

三さん枚まいもらえる

赤あか色いろ

lArr一いち枚まい

二に

枚まいもらえる

青あお

色いろ

黒くろ色いろ

lArr

lArr

lArr

一いち枚まいもらえる

二に

枚まいもらえる

元げん気き

な声こえで

読よ

み上あ

げると

もう一い

ち枚まい

持も

ち札ふだをすべて没ぼっ

収しゅう

歌か

謡よう編へんの札ふだ

没ぼ

っ収し

ゅうさ

れた札ふ

だが

 あれば全ぜん部ぶ

 らえる

遊あそ

び方かた

7

いにしえの

世せ

界かい

へ探たん

検けん

古ふる

事こと

記ぶみ

 『古こ

事じ

記き

』は「こじき」または「ふるこ

とぶみ」と読よ

みます日に

本ほん

に残のこ

っている一いち

番ばん

古ふるい書しょ

物もつ

で和わ

銅どう

五ご

年ねん

(七一二)に奈な

良ら

で完かん

成せい

しました天てん

地ち

の始はじ

まりと神かみ

様さま

世せ

界かい

を作つく

っていく物もの

語がたりまた各かく

天てん

皇のう

の時じ

代だい

ごとに起お

こったことや言い

い伝つた

えなどが書か

かれています(上じょう

巻かん

序じょ

稗ひえ

田だの

阿あ

礼れ

と太おおの

安やす

万ま

侶ろ

 力ちから

合あ

わせて

古こ

事じ

記き

完かん

成せい

 『古こ

事じ

記き

』を作つく

ろうと最さい

初しょ

に考かんがえたのは

飛あすか鳥時じ

代だい

の天てん

武む

天てん

皇のう

です記き

憶おく

力りょくばつぐん

の稗ひえ

田だの

阿あ

礼れ

に古ふ

くから伝つ

えられてきたこ

となどを読よ

み覚おぼ

えさせましたその後ご

阿あ

礼れ

の話はなしを太おおの

安やす

万ま

侶ろ

がまとめ『古こ

事じ

記き

』がで

き上あ

がりました(上じょう

巻かん

序じょ

あをによし

奈な

良ら

の都みやこで

古こ

事じ

記き

でき

 『古こ

事じ

記き

』が完かん

成せい

したのは奈な

良ら

時じ

代だい

の和わ

銅どう

五ご

年ねん

(七一二)で天てん

武む

天てん

皇のう

から三さん

代だい

後あと

元げん

明めい

天てん

皇のう

の時じ

代だい

でした元げん

明めい

天てん

皇のう

は『古こ

事じ

記き

』が完かん

成せい

する二に

年ねん

前まえ

の和わ

銅どう

三さん

年ねん

(七一〇)

に都みやこを藤ふじ

原わら

京きょうから奈な

良ら

の都みやこ平へい

城じょう

京きょうに移うつ

しました(上じょう

巻かん

序じょ

こをろこをろ

天あめ

の沼ぬ

矛ほこ

島しま

を生う

 ただよっている地ち

上じょうの世せ

界かい

を固かた

めるため

伊い

耶ざ

那な

岐きの

命みことと伊い

耶ざ

那な

美みの

命みことは天あめ

の浮うき

橋はし

に立た

て天あめ

の沼ぬ

矛ほこ

という道どう

具ぐ

でかき回まわ

しました

引ひ

き上あ

げた矛ほこ

の先さき

からぽとぽとと落お

ちた潮しお

が積つ

もり淤お

能の

碁ご

呂ろ

島じま

になりました(上じょう

巻かん

)伊い

耶ざ

那な

岐き

伊い

耶ざ

那な

美み

追お

って

黄よ

み泉に行ゆ

 伊い

耶ざ

那な

岐きの

命みことと伊い

耶ざ

那な

美みの

命みことは次つぎ

々つぎ

に国くに

や神かみ

様さま

を生う

み出だ

しましたが伊い

耶ざ

那な

美みの

命みことは火ひ

神かみ

様さま

を生う

んだとき大おお

やけどで亡な

くなって

しまいました伊い

耶ざ

那な

岐きの

命みことは悲かな

しみあの

世よ

の国くに

である黄よ

泉もつ

国くに

へ伊い

耶ざ

那な

美みの

命みことを探さが

しに

行い

きました(上じょう

巻かん

古こ

事じ

記き

かるた

物もの

語がたり

編へん

一いち

覧らん

順じゅん番ばんに二ふたつの山やまのどち

らでもよいので一いち

枚まいずつ

札ふだをめくっていきます最さい

初しょの一ひと

文も

字じ

の枠わくが何なに

色いろか

によって札ふだをもらえる

枚まい数すうがちがったり没ぼっ

収しゅう

されたりします

5

34

8

天あめ

宇のう

受ず

売め

踊おど

って神かみ

誘さそ

い出だ

 天あま

照てらす

大おお

御み

神かみ

が閉と

じこもった「天あめ

の石いわ

屋や

の前まえ

で天あめ

宇のう

受ずめ

売のみ

命こと

が神かみ

がかりして踊おど

ると

神かみ

様さま

たちは大おお

笑わら

い不ふ

思し

議ぎ

に思おも

った天あま

照てらす

大おお

御み

神かみ

が岩いわ

の戸と

を少すこ

し開あ

け外そと

を見み

ようとし

たとき天あめのたぢからおのかみ

手力男神が大おお

御み

神かみ

を引ひ

っ張ぱ

り出だ

し世せ

界かい

はまた明あか

るくなりました(上じょう

巻かん

須す

佐さ

之の

男お

出いずもの雲国くに

追お

いやられ

 建たけ

速はや

須す

佐さ

之の

男おの

命みことが高たか

天あまの

原はら

で暴あば

れたことを

怒おこ

った神かみ

様さま

たちは罰ばつ

として命みことのひげと手て

足あし

の爪つめ

を切き

って高たか

天あまの

原はら

を追お

い払はら

いました

追お

い払はら

われた命みことは出いずものくに

雲国にたどり着つ

きま

した(上じょう

巻かん

)出いず

雲もの

国くには今いま

の島しま

根ね

県けんです

八や

俣また

の大おろち蛇

酒さけ

に酔よ

わせて

退たい

治じ

する

 出いずものくに

雲国では八や

俣また

の大おろち蛇が人ひと

びとを苦くる

しめ

ていました建たけ

速はや

須す

佐さ

之の

男おの

命みことは大おろち蛇に酒さけ

飲の

ませ酔よ

って眠ねむ

ったところを退たい

治じ

しまし

た大おろち蛇の尾お

を切き

ったときに出で

てきたすば

らしい剣つるぎ(草くさ

なぎの剣つるぎ)は天あまてらすおおみかみ

照大御神に

差さ

し上あ

げました(上じょう

巻かん

清きよ

く明あか

き 心こころの証あか

しと

うけいする

 建たけ

速はや

須す

佐さ

之の

男おの

命みことは高たか

天あまの

原はら

をうばうために

やって来き

たと姉あね

の天あま

照てらす

大おお

御み

神かみ

に疑うたがわれま

したそこで「うけい」という占うらないをし

て子こ

を生う

み心こころが清きよ

らかなことを証しょう

明めい

しま

した命みことの持も

ち物もの

の剣つるぎからは女め

神がみ

が生う

まれ

戦たたかう気き

持も

ちがないことがわかりました(上じょう

巻かん

)天あま

照てらす

大おお

御み

神かみ

天あめ

の石いわ

屋や

世よ

は闇やみ

 建たけ

速はや

須す

佐さ

之の

男おの

命みことが高たか

天あまの

原はら

で暴あば

れたので

天あま

照てらす

大おお

御み

神かみ

は「天あめ

の石いわ

屋や

」に閉と

じこもり

岩いわ

の戸と

を閉し

めてしまいましたすると世せ

界かい

じゅうが真ま

っ暗くら

になってしまい悪わる

いこ

とが次つぎ

々つぎ

と起お

こりました(上じょう

巻かん

目め

から鼻はな

から生う

まれた

三さん

貴き

神しん

 黄よ

泉もつ

国くに

から戻もど

った伊い

耶ざ

那な

岐きの

命みことは体からだを

洗あら

って身み

を清きよ

めましたすると神かみ

様さま

次つぎ

々つぎ

に生う

まれ最さい

後ご

に左ひだりの目め

を洗あら

うと天あま

照てらす

大おお

御み

神かみ

右みぎ

の目め

を洗あら

うと月つく

読よみの

命みこと鼻はな

洗あら

うと建たけ

速はや

須す

佐さ

之の

男おの

命みことという貴とうとい三み

柱はしらの

神かみ

様さま

が生う

まれました(上じょう

巻かん

78

91011

6

9

大おお

穴あな

牟む

遅じ

助たす

けた稲いな

羽ば

素しろ

兎うさぎ

 稲いな

羽ば

の素しろ

兎うさぎはわにをだましたことがば

れて皮かわ

をはがされてしまいました大おお

穴あな

牟む

遅じの

神かみ

の兄あに

たちの八や

十そ

神かみ

にもいじめられ兎うさぎ

は泣な

いて苦くる

しんでいました通とお

りかかった

大おお

穴あな

牟む

遅じの

神かみ

が傷きず

の治なお

し方かた

を教おし

えてあげて

兎うさぎは元げん

気き

になりました(上じょう

巻かん

)大おお

穴あな

牟む

遅じの

神かみ

は大おお

国くに

主ぬしの

神かみのことです

鼠ねずみが教おし

えた「

内うち

はほらほら

外と

はすぶすぶ」

 大おお

穴あな

牟む

遅じの

神かみは建たけ

速はや

須す

佐さ

之の

男おの

命みことの娘むすめ須す

勢せ

理り

毘び

売めの

命みことと出で

会あ

い結けっ

婚こんしました怒おこ

った建たけ

速はや

須す

佐さ

之の

男おの

命みことは野の

原はらに矢や

を射い

て大おお

穴あな

牟む

遅じの

神かみに取と

りに

行い

かせその野の

原はらに火ひ

をつけましたが鼠ねずみが野の

原はら

の下し

に穴あ

があると教お

えてくれたので無ぶ

事じ

でし

た(上じょう

巻かん)

大おお

国くに

主ぬし

少すく

名な

毘び

古こ

那な

国くに

づくり

 大おお

国くに

主ぬしの

神かみ

のところに小ちい

さな神かみ

様さま

がやっ

てきましたがだれも名な

前まえ

を知し

りません

田た

んぼのかかしの久く

延え

毘び

古こ

だけが少すく

名な

毘び

古こ

那なの

神かみ

という名な

前まえ

を知し

っていました大おお

国くに

主ぬしの

神かみ

は少すく

名な

毘び

古こ

那なの

神かみ

といっしょに出いずも雲で

国くに

づくりをしました(上じょう

巻かん

天てん

孫そん

降こう

臨りん

先せん

導どう

したのは

猿さる

田た

毘び

古こ

 天あま

照てらす

大おお

御み

神かみ

高たか

木ぎの

神かみ

は地ち

上じょうの葦あし

原はらの

中なかつ

国くに

は自じ

分ぶん

の子し

孫そん

が治おさ

める国くに

と考かんがえ邇に

に々

芸ぎの

命みことを地ち

上じょうに天あま

降くだ

しました天あま

降くだ

る途と

中ちゅう猿さる

田た

毘び

古この

神かみ

が迎むか

えに来き

てくれました(上じょう

巻かん

国くに

ゆずり

せまった神かみ

建たけ

御みか

雷ずち

 建たけみかずちのかみ

御雷神は出いずものくに

雲国の海うみ

の波なみ

打う

ち際ぎわ

に剣つるぎ

をさかさまに立た

てその剣つるぎの先さき

に座すわ

り葦あし

原はらの

中なかつ

国くに

を治おさ

めていた大おお

国くに

主ぬしの

神かみ

に国くに

をゆ

ずるように言い

いました大おお

国くに

主ぬしの

神かみ

は二ふたり人の

息むす

子こ

と相そう

談だん

し葦あし

原はらの

中なかつ

国くに

を高たか

天あまの

原はら

の神かみ

様さま

にゆずることにしました(上じょう

巻かん

釣つ

り針ばり

探さが

綿わた

津つ

見みの

神かみ

の宮みや

 火ほ

遠お

理りの

命みこと(山やま

佐さ

知ち

毘び

古こ

)は兄あに

の火ほでりのみこと

照命

(海うみ

佐さ

知ち

毘び

古こ

)から借か

りた釣つ

り針ばり

をなくし

それを探さが

すうちに海うみ

の底そこ

の綿わた

津つ

見みの

神かみ

の宮みや

行い

きその娘むすめの豊とよ

玉たま

毘び

売めの

命みことと結けっ

婚こん

しました

楽たの

しく暮く

らした後あと

綿わた

津つ

見みの

神かみ

に釣つ

り針ばり

を見み

つけてもらい陸りく

に戻もど

りました(上じょう

巻かん

121314

151617

10

導みちびくは 神かみ

の使つか

いの

八や

咫あた

烏からす

 高たか

天あまの

原はら

の天あま

照てらす

大おお

御み

神かみ

高たか

木ぎの

神かみ

の命めい

を受う

けて建たけ

御みかずち雷神のかみは神かむ

倭やまと

伊い

波わ

礼れ

毘び

古この

命みこと(の

ちの神じん

武む

天てん

皇のう

)に不ふ

思し

議ぎ

な力ちからをもつ大た

刀ち

与あた

えましたさらに凶きょう

暴ぼう

な神かみ

たちが待ま

ている道みち

を無ぶ

事じ

に進すす

むために八や

咫あた

烏からすとい

う大おお

きなカラスに道みち

案あん

内ない

をさせました(中ちゅう

巻かん

神じん

武む

天てん

皇のう

兄え

宇う

迦か

斯し

たくらみ告つ

げる

弟おと

宇う

迦か

斯し

 神かむ

倭やまと

伊い

波わ

礼れ

毘び

古この

命みこと(のちの神じん

武む

天てん

皇のう

)が

宇う

陀だ

に着つ

いたときその地ち

に暮く

らす兄え

宇う

迦か

斯し

は命みことをだまして倒たお

そうとしましたそれ

を知し

った弟おとうとの弟おと

宇う

迦か

斯し

は兄あに

の御ご

殿てん

にわなが

仕し

掛か

けてあることを教おし

え命みことは助たす

かりまし

た(中ちゅう

巻かん

神じん

武む

天てん

皇のう

神じん

武む

天てん

皇のう

橿かし

原はらの

宮みや

即そく

位い

する

 神かむ

倭やまと

伊い

波わ

礼れ

毘び

古この

命みことはさまざまな荒あ

れすさ

ぶ神かみ

たちを平へい

定てい

して畝うね

傍び

山やま

のふもとの橿かし

原はらの

宮みや

で最さい

初しょ

の天てん

皇のう

として即そく

位い

し世よ

の中なか

治おさ

めました(中ちゅう

巻かん

神じん

武む

天てん

皇のう

長なが

い糸いと

たどって行ゆ

けば

三み

輪わ

の山やま

 夜よ

中なか

美うつくしい活いく

玉たま

依より

毘び

売め

のもとに立りっ

派ぱ

な姿すがたの男だん

性せい

がやってきて一いっ

緒しょ

になりました

両りょう

親しん

に教おし

えられ男だん

性せい

の服ふく

のすそに糸いと

をつ

けた針はり

を刺さ

してたどると三み

輪わ

山やま

の社やしろに着つ

き男だん

性せい

は大おお

物もの

主ぬしの

大おお

神かみ

だとわかりました

(中ちゅう

巻かん

崇す

神じん

天てん

皇のう

沙さ

本ほ

毘び

売め

夫おっとと兄あに

との

板いた

ばさみ

 垂すい

仁にん

天てん

皇のう

の后きさき沙さ

本ほ

毘び

売めの

命みことは兄あに

の沙さ

本ほ

毘び

古この

王みこ

から天てん

皇のう

と自じ

分ぶん

とどちらを愛あい

するか

尋たず

ねられ天てん

皇のう

を倒たお

すように言い

われます

そのことを知し

った天てん

皇のう

は兵へい

を出だ

して沙さ

本ほ

毘び

古この

王みこ

を倒たお

し沙さ

本ほ

毘び

売めの

命みことも亡な

くなりました

が子こ

どもの本ほ

牟む

智ち

和わ

気けの

御み

子こ

は取と

り戻もど

すこ

とができました(中ちゅう

巻かん

垂すい

仁にん

天てん

皇のう

船ふな

出で

して

大やまと和を目め

指ざ

神じん

武む

東とう

征せい

 

 神かむ

倭やまと

伊い

波わ

礼れ

毘び

古この

命みこと(のちの神じん

武む

天てん

皇のう

)と

兄あに

の五いつ

瀬せの

命みことは高たか

千ち

穂ほの

宮みや

で国くに

を治おさ

める場ば

所しょ

を相そう

談だん

し東ひがしへ向む

かうことにしました日ひ

向むか

から船ふね

を出だ

し豊とよ

国くに

筑つく

紫し

安あ

芸き

吉き

備び

と進すす

んでいきました(中ちゅう

巻かん

神じん

武む

天てん

皇のう

日ひ

向むか

は今いま

の宮みや

崎ざき

県けん

豊とよ

国くに

は今いま

の大おお

分いた

県けん

福ふく

岡おか

県けん

東とう

部ぶ

筑つく

紫し

は今いま

の福ふく

岡おか

県けん

安あ

芸き

は今いま

の広ひろ

島しま

県けん

吉き

備び

は今いま

の岡おか

山やま

県けん

広ひろ

島しま

県けん

東とう

部ぶ

です

2122

19

23

20 18

11

美うつくしき 少しょう

女じょ

になって

熊くま

曾そ

討う

 景けい

行こう

天てん

皇のう

の子こ

の小お

碓うすの

命みことは父ちち

から熊くま

曾そ

建たけるを討う

ち取と

るように命めい

じられました命みことは

髪かみ

型がた

や着き

物もの

を少しょう

女じょ

のようにして熊くま

曾そ

建たけるの

宴えん

会かい

にまぎれこみ退たい

治じ

しました熊くま

曾そ

建たける

は命みことの強つよ

さをほめたたえ「倭やまと

建たけるの

御み

子こ

」と

いう名な

前まえ

を贈おく

りました(中ちゅう

巻かん

景けい

行こう

天てん

皇のう

草くさ

なぎの

剣つるぎが救すく

危き

機き

一いっ

髪ぱつ

 倭やまと

建たけるの

命みことは東ひがしの方ほう

に戦たたかいに行い

く途と

中ちゅう伊い

勢せ

大だい

神じん

宮ぐう

に寄よ

りおばの倭やまと

比ひ

売めの

命みことから草くさ

ぎの剣つるぎと火ひ

打う

ち石いし

をもらいましただまさ

れて野の

原はら

に火ひ

をつけられたとき倭やまと

建たけるの

命みこと

は草くさ

なぎの剣つるぎでまわりの草くさ

を切き

り払はら

い向む

かい火び

をつけて助たす

かりました(中ちゅう

巻かん

景けい

行こう

天てん

皇のう

荒あら

波なみ

静しず

めるために

身み

を捧ささ

 倭やまと

建たけるの

命みことが走はしり

水みずの海うみを渡わた

ろうとすると海うみ

の神かみ

様さま

が荒あら

波なみ

を起お

こし船ふね

がぐるぐると回まわ

るばかりです倭やまと

建たけるの

命みことの妻つま

弟おと

橘たちばな

比ひ

売めの

命みことが身み

代が

わりとなって海うみ

に身み

を沈しず

めると

波なみ

が静しず

かになり船ふね

を進すす

めることができま

した(中ちゅう

巻かん

景けい

行こう

天てん

皇のう

白しろ

猪いのししの

姿すがたの神かみ

あなどりて

 倭やまと

建たけるの

命みことは草くさ

なぎの剣つるぎを妻つま

美み

夜や

受ず

比ひ

売め

に預あず

け伊い

吹ぶき

山やま

に出で

かけました伊い

吹ぶき

山やま

神かみ

様さま

は白しろ

い大おお

きな猪いのししの姿すがたで現あらわれましたが

命みことは神かみ

の使つか

いと間ま

違ちが

えてしまいました神かみ

様さま

は怒おこ

り激はげ

しい氷ひさめ雨を降ふ

らせ命みことをすっ

かり弱よわ

らせてしまいました(中ちゅう

巻かん

景けい

行こう

天てん

皇のう

)天あま

翔か

ける

大おお

きな白しろ

鳥とり

になり

 倭やまと

建たけるの

命みことが能の

煩ぼ

野の

で亡な

くなると大やまと和に

いた后きさきや子こ

どもたちがみなやってきて泣な

き悲かな

しみましたやがて命みことは大おお

きな白しろ

い千ち

鳥どり

の姿すがたになって羽は

ばたき浜はま

に向むか

って飛と

でいきましたみんな泣な

きながらその後あと

追お

いかけました(中ちゅう

巻かん

景けい

行こう

天てん

皇のう

ときじくの

かくの木この

実み

間ま

に合あ

わず

 垂すい

仁にん

天てん

皇のう

は遠とお

い常とこ

世よの

国くに

から「ときじく

のかくの木この

実み

」を持も

ってくるよう多た

遅じ

摩ま

毛も

理り

に命めい

じました実み

を持も

ち帰かえ

るとすでに

天てん

皇のう

は亡な

くなっていました多た

遅じ

摩ま

毛も

理り

お墓はか

に向むか

って実み

を高たか

く持も

ち上あ

げ泣な

き叫さけ

ながら亡な

くなりました(中ちゅう

巻かん

垂すい

仁にん

天てん

皇のう

「ときじくのかくの木この

実み

」とは「いつも輝かがやく木き

の実み

」という意い

味み

です

25

29

26

2728

24

12

税ぜい

はとらぬ

かまどに煙けむり

立た

つまでは

 仁にん

徳とく

天てん

皇のう

はかまどから煙けむりが立た

ち上のぼ

って

いないのを見み

て人ひと

々びと

が暮く

らしに困こま

ってい

ることを知し

りましたそこで天てん

皇のう

は税ぜい

をな

くし宮きゅう

殿でん

の修しゅう

理り

もやめました三さん

年ねん

後ご

人ひと

々びと

の家いえ

のかまどからは再ふたたび煙けむりが立た

ち上のぼ

ようになりました(下げ

巻かん

仁にん

徳とく

天てん

皇のう

石いわ

之の

日ひ

売め

御み

綱つな

柏がしわを

海うみ

に捨す

 仁にん

徳とく

天てん

皇のう

の皇こう

后ごう

石いわ

之の

日ひ

売めの

命みことは宴えん

会かい

に使つか

う御み

綱つな

柏がしわの葉は

を取と

りに船ふね

で出で

かけました

その間あいだに天てん

皇のう

が別べつ

の女じょ

性せい

と仲なか

良よ

くなった

ことを知し

って皇こう

后ごう

はたいへん怒おこ

りせっ

かく集あつ

めた御み

綱つな

柏がしわを全ぜん

部ぶ

海うみ

に投な

げ捨す

ててし

まいました(下げ

巻かん

仁にん

徳とく

天てん

皇のう

つぎつぎに

変か

わる蚕かいこで

仲なか

直なお

 蚕かいこは幼よう

虫ちゅうからまゆを作つく

ってサナギとな

りやがて成せい

虫ちゅうとなる蛾が

の一いっ

種しゅ

でまゆか

ら生き

糸いと

を取と

ります仁にん

徳とく

天てん

皇のう

は蚕かいこを見み

るこ

とを口こう

実じつ

にけんかをしていた皇こう

后ごう

石いわ

之の

日ひ

売めの

命みことのもとに行い

き仲なか

直なお

りすることがで

きました(下げ

巻かん

仁にん

徳とく

天てん

皇のう

気け

比ひの

大おお

神かみ

名な

前まえ

を替か

えた

大おお

鞆とも

和わ

気け

 大おお

鞆とも

和わ

気けの

命みこと(のちの応おう

神じん

天てん

皇のう

)が敦つる

賀が

行い

ったときおともの建たけ

内うちの

宿すく

禰ねの

命みことの夢ゆめ

に土と

地ち

の神かみ

様さま

が現あらわれ自じ

分ぶん

の名な

前まえ

と大おおともわけのみこと

鞆和気命

の名な

前まえ

とを替か

えようと言い

いました承しょう

諾だく

ると翌よく

朝あさ

たくさんのイルカを贈おく

り物もの

とし

てくださいました(中ちゅう

巻かん

仲ちゅう

哀あい

天てん

皇のう

大おお

贄にえ

捧ささ

げる歌うた

うたう国くに

主す

 吉よし

野の

の国くに

主す

という人ひと

たちは応おう

神じん

天てん

皇のう

お酒さけ

を差さ

し上あ

げる時とき

楽がっ

器き

の代か

わりに口くち

音おと

を出だ

しいろいろな仕し

草ぐさ

をしながら歌うた

うたいましたその後ご

その地ち

では天てん

皇のう

に大おお

贄にえ

(特とく

別べつ

な食た

べ物もの

)を捧ささ

げる時とき

にその

歌うた

をうたうようになりました(中ちゅう

巻かん

応おう

神じん

天てん

皇のう

裳も

の糸いと

飯めし

粒つぶ

つけて

鮎あゆ

を釣つ

 神じん

功ぐう

皇こう

后ごう

は四し

月がつ

上じょう

旬じゅんに玉たま

島しまの

里さと

の川かわ

着き

物もの

の糸いと

を抜ぬ

き取と

り飯めし

粒つぶ

をえさにして鮎あゆ

を釣つ

りましたこのときからこの川かわ

では

同おな

じ時じ

期き

に女じょ

性せい

たちが着き

物もの

の糸いと

と飯めし

粒つぶ

で鮎あゆ

を釣つ

るようになりました(中ちゅう

巻かん

仲ちゅう

哀あい

天てん

皇のう

333435

3132 30

13

虻あぶ

食た

べた

蜻とんぼ蛉にちなむ

蜻あきず蛉島しま

 野の

原はら

へ狩か

りに出で

かけた雄ゆう

略りゃく

天てん

皇のう

の腕うで

を虻あぶ

がかみましたがその虻あぶ

を蜻とんぼ蛉がくわえて

飛と

び去さ

りました天てん

皇のう

は蜻とんぼ蛉をほめ大やまとの和

国くに

は蜻あきず蛉島しま

とよぶのにふさわしいと歌うた

によ

みましたこの場ば

所しょ

は阿あ

岐き

豆ず

野の

と呼よ

ばれる

ようになりました(下げ

巻かん

雄ゆう

略りゃく

天てん

皇のう

隼はやぶさよ

鷦さざき鷯を取と

れと

機はた

を織お

 女め

鳥どりの

王みこ

は夫おっとの速はや

総ぶさ

別わけの

王みこ

に「隼はやぶさよ鷦さざき鷯

を取と

ってしまえ」と機はた

を織お

りながら歌うた

いま

した隼はやぶさとは速はや

総ぶさ

別わけの

王みこ

のこと鷦さざき鷯とは大おお

雀さざきの

命みこと(仁にん

徳とく

天てん

皇のう

)のことですこの歌うた

知し

った天てん

皇のう

は軍ぐん

勢ぜい

を集あつ

め逆ぎゃくに二ふたり人を倒たお

ました(下げ

巻かん

仁にん

徳とく

天てん

皇のう

)鷦さざき鷯はミソサザ

イという鳥と

のことです

すばらしき船ふね たからかに響ひび

琴こと

となる

 一いっ

本ぽん

の巨きょ

木ぼく

で造つく

った船ふね

「枯から

野の

」はたいへ

ん速はや

く仁にん

徳とく

天てん

皇のう

の飲の

み水みず

を淡あわ

路じ

島しま

から運はこ

びましたこの船ふね

が壊こわ

れたので船せん

材ざい

を焼や

いて残のこ

った木き

で琴こと

を作つく

りましたこの琴こと

音ね

は遠とお

くまで響ひび

き人ひと

々びと

は歌うた

をうたって琴こと

をほめたたえました(下げ

巻かん

仁にん

徳とく

天てん

皇のう

御ご

殿てん

から

天てん

皇のう

救すく

大やまと和へと

 墨すみの

江えの

中なかつ

王みこ

は天てん

皇のう

の位くらいをねらい履り

中ちゅう

天てん

皇のう

が寝ね

ている御ご

殿てん

に火ひ

をつけました天てん

皇のう

は阿あ

知ちの

直あたいに助たす

け出だ

され大やまと和に向む

かいまし

た途と

中ちゅう天てん

皇のう

は燃も

える御ご

殿てん

を遠とお

くから見み

残のこ

してきた皇こう

后ごう

を心しん

配ぱい

する歌うた

をうたいまし

た(下げ

巻かん

履り

中ちゅう

天てん

皇のう

恋こい

しくて

伊い

予よ

へ追お

い行ゆ

衣そと

通おりの

王みこ

 次つぎ

の天てん

皇のう

になることを約やく

束そく

されていた木き

梨なし

之の

軽かるの

太おお

子みこ

は人ひと

々びと

の信しん

頼らい

を失うしな

ってついに

は捕とら

えられ伊い

予よ

の道どう

後ご

温おん

泉せん

に流なが

されまし

た妹いもうとの衣そと

通おりの

王みこ

は太おお

子みこ

を恋こ

い慕した

って伊い

予よ

行い

き太おお

子みこ

と再さい

会かい

しました(下げ

巻かん

允いん

恭ぎょう

天てん

皇のう

)伊い

予よ

は今いま

の愛え

媛ひめ

県けん

です

天てん

皇のう

お召め

しを待ま

って

八はちじゅうねん

十年

 雄ゆう

略りゃく

天てん

皇のう

は引ひけ

田た

部べの

赤あか

猪い

子こ

を見み

てすぐ呼よ

び寄よ

せるから結けっ

婚こん

せずに待ま

っているよう命めい

じましたしかし天てん

皇のう

はそのことを忘わす

赤あか

猪い

子こ

はとうとう八はちじゅうねん

十年も待ま

ち続つづ

けました

赤あか

猪い

子こ

は自じ

分ぶん

から天てん

皇のう

に会あ

いに行い

き歌うた

交か

わしました(下げ

巻かん

雄ゆう

略りゃく

天てん

皇のう

41

3738

39

36

40

14

一ひと

言こと

主ぬし 天てん

皇のう

たちと

瓜うり

ふたつ

 雄ゆう

略りゃく

天てん

皇のう

が従じゅう

者しゃ

と葛かずら

城き

山やま

へ出で

かけると

自じ

分ぶん

たちとそっくりな人ひと

たちと出で

会あ

いまし

たそれを見み

た天てん

皇のう

は失しつ

礼れい

だと怒おこ

りました

が相あい

手て

が葛かず

城らき

之の

一ひと

言こと

主ぬし

之の

大おお

神かみ

とわかると

大た

刀ち

と弓ゆみ

矢や

従じゅうしゃ者の衣い

服ふく

を大おお

神かみ

に差さ

し上あ

ました(下げ

巻かん

雄ゆう

略りゃく

天てん

皇のう

杯さかずきの

木こ

の葉は

をめでたく

歌うた

にして

 お酒さけ

に落お

ち葉ば

の浮う

かんだことを知し

らずに

雄ゆう

略りゃく

天てん

皇のう

に杯さかずきを捧ささ

げた三み

重え

の采うね

女め

に天てん

皇のう

は怒おこ

って罰ばつ

を与あた

えようとしましたすると

三み

重え

の采うね

女め

は落お

ち葉ば

が浮う

かんだことをめ

でたいこととして歌うた

にうたい天てん

皇のう

をほめ

たたえ罪つみ

を許ゆる

されました(下げ

巻かん

雄ゆう

略りゃく

天てん

皇のう

)采うね

女め

は宮きゅう

中ちゅうで働はたらく女じょ

性せい

のことです

譲ゆず

り合あ

意お

祁け

と袁を

祁け

とは

王おう

子じ

なり

 意おけのみこと

祁命と袁をけのみこと

祁命の兄きょうだい弟は身み

をかくして馬うま

飼か

い牛うし

飼か

いの仕し

事ごと

をしていましたある

日ひ

お祝いわ

いの席せき

で二ふたり人は舞ま

う順じゅん

番ばん

を譲ゆず

合あ

って履り

中ちゅう

天てん

皇のう

の孫まご

であることを歌うた

であ

かしました兄きょう

弟だい

は宮きゅう

殿でん

に迎むか

えられ二ふたり人

とも後のち

に天てん

皇のう

になりました(下げ

巻かん

清せい

寧ねい

天てん

皇のう

)八や

雲くも

立た

出いづも雲八や

重へ

垣がき

妻つま

籠ご

みに

八や

重へ

垣がき

作つく

その八や

重へ

垣がき

 建たけ

速はや

須す

佐さ

之の

男おの

命みことは八や

俣また

の大おろち蛇を退たい

治じ

して

194797くし

名な

田だ

比ひ

売め

を救すく

い妻つま

にしましたそして

須す

賀が

という土と

地ち

に新あたらしい宮みや

を造つく

りました

その時とき

そこに立た

ち上のぼ

った雲くも

を妻つま

の住す

宮みや

を幾いく

重え

にも囲かこ

む垣かき

のようだと歌うた

によみま

した(上じょう

巻かん

古こ

事じ

記き

かるた

歌か

謡よう

編へん

一いち

覧らん

猪いのししに

追お

われて榛はり

木き

に登のぼ

 雄ゆう

略りゃく

天てん

皇のう

が葛かずら

城き

山やま

に登のぼ

ったとき大おお

きな

猪いのししが現あらわれました天てん

皇のう

は矢や

で射い

ましたが

猪いのししはうなり声ごえ

をあげて近ちか

づいてきます天てん

皇のう

は榛はり

の木き

に登のぼ

って逃に

げ助たす

けてくれた木き

への感かん

謝しゃ

を歌うた

にしました(下げ

巻かん

雄ゆう

略りゃく

天てん

皇のう

)榛はり

はハンノキのことです

4344

4546

42

15

倭やまとは

国くに

の真ま

秀ほ

ろば

たたなづく

青あを

垣かき

山やま

籠ごも

れる 倭やまとし麗うるはし

 倭やまと

建たけるの

命みことは父ちち

景けい

行こう

天てん

皇のう

の命めい

令れい

で西にし

へ東ひがしへと言い

うことを聞き

かない者もの

を倒たお

す旅たび

に出で

ましたところがその旅たび

先さき

で病びょう

気き

なってしまいましたふるさとの大やまと和をな

つかしみこの歌うた

をよみついに亡な

くなっ

てしまいました(中ちゅう

巻かん

景けい

行こう

天てん

皇のう

倭やま

方とへ

行ゆ

くは誰た

が夫つま

隠こも

り処づ

下した

よ延は

へつつ

行ゆ

くは誰た

が夫つま

 皇こう

后ごう

石いわ

之の

比ひ

売めの

命みことの嫉しっ

妬と

を恐おそ

れて故こき

郷ょう

の吉き

備びの

国くに

にもどっていた黒くろ

日ひ

売め

を恋こい

しく思おも

い仁にん

徳とく

天てん

皇のう

は吉き

備びの

国くに

に黒くろ

日ひ

売め

を訪たず

ねて行い

きましたともに楽たの

しいひとときを過す

ごし

天てん

皇のう

が都みやこにもどるときに黒くろ

日ひ

売め

は天てん

皇のう

歌うた

を差さ

し上あ

げました(下げ

巻かん

仁にん

徳とく

天てん

皇のう

潮しほ

瀬せ

波な

折を

りを見み

れば 

遊あそ

び来く

鮪しび

が端はた

手で

妻つま

立た

てり見み

 袁をけのみこと

祁命(のちの顕けん

宗ぞう

天てん

皇のう

)が大お

魚うお

という

名な

の乙おと

女め

に結けっ

婚こん

を申もう

し込こ

もうとしていた

とき志し

毘びの

臣おみ

も歌うた

垣がき

の場ば

で大お

魚うお

を誘さそ

いまし

た歌うた

垣がき

とは男だん

女じょ

が集あつままって歌うた

をよみ合あ

う場ば

です二ふ

たり人

は明あ

け方が

まで歌う

で戦

たたか

い続つ

ました(下げ

巻かん

清せい

寧ねい

天てん

皇のう

狭さ

井ゐ

河がは

雲くも

立た

ち渡わた

畝うね

火び

山やま

木こ

の葉は

さやぎぬ

風かぜ

吹ふ

かむとす

 神じん

武む

天てん

皇のう

が亡な

くなった後あと

天てん

皇のう

の子こ

の当た

芸ぎ

志し

美み

々みの

命みことは皇こう

后ごう

だった伊い

須す

気け

余よ

理り

比ひ

売め

を妻つま

にし比ひ

売め

の子こ

である三さん

人にん

の弟おとうとを倒たお

うとしました比ひ

売め

は歌うた

で息むす

子こ

たちに危き

険けん

を知し

らせ聞き

き知し

った息むす

子こ

たちは当た

芸ぎ

志し

美み

々みの

命みことを打う

ち負ま

かしました(中ちゅう

巻かん

神じん

武む

天てん

皇のう

4748

4950

16

学がっ

校こう

および各かく

施し

設せつ

関かん

係けい

者しゃ

保ほ

護ご

者しゃ

の皆みな

様さま

 

本ほん製せい品ひんは子こ

どもたちにかるた遊あそびをとおして『古こ

事じ

記き

』の世せ

界かいにふれ

てもらいたいとの思おもいから奈な

良ら

県けんが独どく自じ

に企き

画かく制せい作さくしたものです

本ほん製せい品ひんはリズムのよさやわかりやすさを重じゅう視し

して作さく成せいしている部ぶ

分ぶんも

含ふくまれます正せい確かくな記き

述じゅつを心こころがけて作さく成せいしておりますが見けん解かい学がく

説せつ

等などの相そう違い

についてはご了りょう承しょうください

神しん名めい人じん名めい地ち

名めい等などの固こ

有ゆう

名めい詞し

の表ひょう記き

にあたっては小しょう

学がく館かん『新しん

編ぺん

日に

本ほん

古こ

典てん

文ぶん

学がく

全ぜん

集しゅう1 

古こ

事じ

記き

』(校こう

注ちゅう

訳やく

山やま

口ぐち

佳よし

紀のり

神こう

野の

志し

隆たか

光みつ

の記き

載さいを参さん考こうにしました

文もん言ごん等などの漢かん字じ

表ひょう記き

については親したしみやすさの観かん点てんから常じょう用よう漢かん字じ

中ちゅう心しんに記き

載さいしました

ふりがなについては現げん代だいかなづかいを基き

本ほんに記き

載さいしました

Page 4: こ き かるたについて...3 1 1 1 みんなで遊 あそ ぼう! 古 事こ 記じ かるたのき 遊 あそ び方 かた 読 よ み手 て (一 ひと 人 り )と取

4

ふることぶみパズル

その2

一ひと

人り

絵え

札ふだ五ご

十じゅう枚まいの裏うら面めんはパズルになっています全ぜん部ぶ

組く

み合あ

わせると左ひだりのイラストができあがります

5

遊あそ

び方かた

6

ふることぶみめくり

その3

二ふたり人以いじょう上

11

物もの

語がたり編へんの絵え

札ふだ

四よん

十じゅう五ご

枚まい

と歌か

謡よう

編へんの字じ

札ふだ(全ぜん

文ぶん

が載の

っている札ふだ)五ご

枚まいを裏うら

返がえして合あ

わせよく混ま

ぜて

から二ふたつの山やまに積つ

み上あ

ます

ジャンケンなどでめくる

人ひとの順じゅん番ばんを決き

めます

順じゅん番ばんに二ふたつの山やまのどち

らでもよいので一いち

枚まいずつ

札ふだをめくっていきます最さい

初しょの一ひと

文も

字じ

の枠わくが何なに

色いろか

によって札ふだをもらえる

枚まい数すうがちがったり没ぼっ

収しゅう

されたりします

①青あお

色いろ

ならその一いち

枚まい

だけを

もらえます

②黒くろ

色いろ

なら何な

ももらえず

持も

っていた札ふだ

はすべて没ぼっ

収しゅうされます

③金きん

色いろ

ならもう二に

枚まい

(合ごう

計けい

三さん

枚まい

)もらえますもしも

没ぼっしゅう収された札ふだ

があればそ

の札ふだ

を全ぜん

部ぶ

もらうことがで

きます

④赤あか

色いろ

ならもう一いち

枚まい

(合ごう

計けい

二に

枚まい

)もらえます

⑤歌か

謡よう

編へん

の札ふだ

ならその歌か

謡よう

を元げん

気き

な声こえ

で読よ

み上あ

げさ

らに一いち

枚まい

(合ごう

計けい

二に

枚まい

)もら

えます

二ふたつの山やまがなくなったと

き手て

元もとにある枚まい

数すうが多おお

い人ひとが勝か

ちです

12

金きん

色いろ

+lArr二に

枚まい

三さん枚まいもらえる

赤あか色いろ

lArr一いち枚まい

二に

枚まいもらえる

青あお

色いろ

黒くろ色いろ

lArr

lArr

lArr

一いち枚まいもらえる

二に

枚まいもらえる

元げん気き

な声こえで

読よ

み上あ

げると

もう一い

ち枚まい

持も

ち札ふだをすべて没ぼっ

収しゅう

歌か

謡よう編へんの札ふだ

没ぼ

っ収し

ゅうさ

れた札ふ

だが

 あれば全ぜん部ぶ

 らえる

遊あそ

び方かた

7

いにしえの

世せ

界かい

へ探たん

検けん

古ふる

事こと

記ぶみ

 『古こ

事じ

記き

』は「こじき」または「ふるこ

とぶみ」と読よ

みます日に

本ほん

に残のこ

っている一いち

番ばん

古ふるい書しょ

物もつ

で和わ

銅どう

五ご

年ねん

(七一二)に奈な

良ら

で完かん

成せい

しました天てん

地ち

の始はじ

まりと神かみ

様さま

世せ

界かい

を作つく

っていく物もの

語がたりまた各かく

天てん

皇のう

の時じ

代だい

ごとに起お

こったことや言い

い伝つた

えなどが書か

かれています(上じょう

巻かん

序じょ

稗ひえ

田だの

阿あ

礼れ

と太おおの

安やす

万ま

侶ろ

 力ちから

合あ

わせて

古こ

事じ

記き

完かん

成せい

 『古こ

事じ

記き

』を作つく

ろうと最さい

初しょ

に考かんがえたのは

飛あすか鳥時じ

代だい

の天てん

武む

天てん

皇のう

です記き

憶おく

力りょくばつぐん

の稗ひえ

田だの

阿あ

礼れ

に古ふ

くから伝つ

えられてきたこ

となどを読よ

み覚おぼ

えさせましたその後ご

阿あ

礼れ

の話はなしを太おおの

安やす

万ま

侶ろ

がまとめ『古こ

事じ

記き

』がで

き上あ

がりました(上じょう

巻かん

序じょ

あをによし

奈な

良ら

の都みやこで

古こ

事じ

記き

でき

 『古こ

事じ

記き

』が完かん

成せい

したのは奈な

良ら

時じ

代だい

の和わ

銅どう

五ご

年ねん

(七一二)で天てん

武む

天てん

皇のう

から三さん

代だい

後あと

元げん

明めい

天てん

皇のう

の時じ

代だい

でした元げん

明めい

天てん

皇のう

は『古こ

事じ

記き

』が完かん

成せい

する二に

年ねん

前まえ

の和わ

銅どう

三さん

年ねん

(七一〇)

に都みやこを藤ふじ

原わら

京きょうから奈な

良ら

の都みやこ平へい

城じょう

京きょうに移うつ

しました(上じょう

巻かん

序じょ

こをろこをろ

天あめ

の沼ぬ

矛ほこ

島しま

を生う

 ただよっている地ち

上じょうの世せ

界かい

を固かた

めるため

伊い

耶ざ

那な

岐きの

命みことと伊い

耶ざ

那な

美みの

命みことは天あめ

の浮うき

橋はし

に立た

て天あめ

の沼ぬ

矛ほこ

という道どう

具ぐ

でかき回まわ

しました

引ひ

き上あ

げた矛ほこ

の先さき

からぽとぽとと落お

ちた潮しお

が積つ

もり淤お

能の

碁ご

呂ろ

島じま

になりました(上じょう

巻かん

)伊い

耶ざ

那な

岐き

伊い

耶ざ

那な

美み

追お

って

黄よ

み泉に行ゆ

 伊い

耶ざ

那な

岐きの

命みことと伊い

耶ざ

那な

美みの

命みことは次つぎ

々つぎ

に国くに

や神かみ

様さま

を生う

み出だ

しましたが伊い

耶ざ

那な

美みの

命みことは火ひ

神かみ

様さま

を生う

んだとき大おお

やけどで亡な

くなって

しまいました伊い

耶ざ

那な

岐きの

命みことは悲かな

しみあの

世よ

の国くに

である黄よ

泉もつ

国くに

へ伊い

耶ざ

那な

美みの

命みことを探さが

しに

行い

きました(上じょう

巻かん

古こ

事じ

記き

かるた

物もの

語がたり

編へん

一いち

覧らん

順じゅん番ばんに二ふたつの山やまのどち

らでもよいので一いち

枚まいずつ

札ふだをめくっていきます最さい

初しょの一ひと

文も

字じ

の枠わくが何なに

色いろか

によって札ふだをもらえる

枚まい数すうがちがったり没ぼっ

収しゅう

されたりします

5

34

8

天あめ

宇のう

受ず

売め

踊おど

って神かみ

誘さそ

い出だ

 天あま

照てらす

大おお

御み

神かみ

が閉と

じこもった「天あめ

の石いわ

屋や

の前まえ

で天あめ

宇のう

受ずめ

売のみ

命こと

が神かみ

がかりして踊おど

ると

神かみ

様さま

たちは大おお

笑わら

い不ふ

思し

議ぎ

に思おも

った天あま

照てらす

大おお

御み

神かみ

が岩いわ

の戸と

を少すこ

し開あ

け外そと

を見み

ようとし

たとき天あめのたぢからおのかみ

手力男神が大おお

御み

神かみ

を引ひ

っ張ぱ

り出だ

し世せ

界かい

はまた明あか

るくなりました(上じょう

巻かん

須す

佐さ

之の

男お

出いずもの雲国くに

追お

いやられ

 建たけ

速はや

須す

佐さ

之の

男おの

命みことが高たか

天あまの

原はら

で暴あば

れたことを

怒おこ

った神かみ

様さま

たちは罰ばつ

として命みことのひげと手て

足あし

の爪つめ

を切き

って高たか

天あまの

原はら

を追お

い払はら

いました

追お

い払はら

われた命みことは出いずものくに

雲国にたどり着つ

きま

した(上じょう

巻かん

)出いず

雲もの

国くには今いま

の島しま

根ね

県けんです

八や

俣また

の大おろち蛇

酒さけ

に酔よ

わせて

退たい

治じ

する

 出いずものくに

雲国では八や

俣また

の大おろち蛇が人ひと

びとを苦くる

しめ

ていました建たけ

速はや

須す

佐さ

之の

男おの

命みことは大おろち蛇に酒さけ

飲の

ませ酔よ

って眠ねむ

ったところを退たい

治じ

しまし

た大おろち蛇の尾お

を切き

ったときに出で

てきたすば

らしい剣つるぎ(草くさ

なぎの剣つるぎ)は天あまてらすおおみかみ

照大御神に

差さ

し上あ

げました(上じょう

巻かん

清きよ

く明あか

き 心こころの証あか

しと

うけいする

 建たけ

速はや

須す

佐さ

之の

男おの

命みことは高たか

天あまの

原はら

をうばうために

やって来き

たと姉あね

の天あま

照てらす

大おお

御み

神かみ

に疑うたがわれま

したそこで「うけい」という占うらないをし

て子こ

を生う

み心こころが清きよ

らかなことを証しょう

明めい

しま

した命みことの持も

ち物もの

の剣つるぎからは女め

神がみ

が生う

まれ

戦たたかう気き

持も

ちがないことがわかりました(上じょう

巻かん

)天あま

照てらす

大おお

御み

神かみ

天あめ

の石いわ

屋や

世よ

は闇やみ

 建たけ

速はや

須す

佐さ

之の

男おの

命みことが高たか

天あまの

原はら

で暴あば

れたので

天あま

照てらす

大おお

御み

神かみ

は「天あめ

の石いわ

屋や

」に閉と

じこもり

岩いわ

の戸と

を閉し

めてしまいましたすると世せ

界かい

じゅうが真ま

っ暗くら

になってしまい悪わる

いこ

とが次つぎ

々つぎ

と起お

こりました(上じょう

巻かん

目め

から鼻はな

から生う

まれた

三さん

貴き

神しん

 黄よ

泉もつ

国くに

から戻もど

った伊い

耶ざ

那な

岐きの

命みことは体からだを

洗あら

って身み

を清きよ

めましたすると神かみ

様さま

次つぎ

々つぎ

に生う

まれ最さい

後ご

に左ひだりの目め

を洗あら

うと天あま

照てらす

大おお

御み

神かみ

右みぎ

の目め

を洗あら

うと月つく

読よみの

命みこと鼻はな

洗あら

うと建たけ

速はや

須す

佐さ

之の

男おの

命みことという貴とうとい三み

柱はしらの

神かみ

様さま

が生う

まれました(上じょう

巻かん

78

91011

6

9

大おお

穴あな

牟む

遅じ

助たす

けた稲いな

羽ば

素しろ

兎うさぎ

 稲いな

羽ば

の素しろ

兎うさぎはわにをだましたことがば

れて皮かわ

をはがされてしまいました大おお

穴あな

牟む

遅じの

神かみ

の兄あに

たちの八や

十そ

神かみ

にもいじめられ兎うさぎ

は泣な

いて苦くる

しんでいました通とお

りかかった

大おお

穴あな

牟む

遅じの

神かみ

が傷きず

の治なお

し方かた

を教おし

えてあげて

兎うさぎは元げん

気き

になりました(上じょう

巻かん

)大おお

穴あな

牟む

遅じの

神かみ

は大おお

国くに

主ぬしの

神かみのことです

鼠ねずみが教おし

えた「

内うち

はほらほら

外と

はすぶすぶ」

 大おお

穴あな

牟む

遅じの

神かみは建たけ

速はや

須す

佐さ

之の

男おの

命みことの娘むすめ須す

勢せ

理り

毘び

売めの

命みことと出で

会あ

い結けっ

婚こんしました怒おこ

った建たけ

速はや

須す

佐さ

之の

男おの

命みことは野の

原はらに矢や

を射い

て大おお

穴あな

牟む

遅じの

神かみに取と

りに

行い

かせその野の

原はらに火ひ

をつけましたが鼠ねずみが野の

原はら

の下し

に穴あ

があると教お

えてくれたので無ぶ

事じ

でし

た(上じょう

巻かん)

大おお

国くに

主ぬし

少すく

名な

毘び

古こ

那な

国くに

づくり

 大おお

国くに

主ぬしの

神かみ

のところに小ちい

さな神かみ

様さま

がやっ

てきましたがだれも名な

前まえ

を知し

りません

田た

んぼのかかしの久く

延え

毘び

古こ

だけが少すく

名な

毘び

古こ

那なの

神かみ

という名な

前まえ

を知し

っていました大おお

国くに

主ぬしの

神かみ

は少すく

名な

毘び

古こ

那なの

神かみ

といっしょに出いずも雲で

国くに

づくりをしました(上じょう

巻かん

天てん

孫そん

降こう

臨りん

先せん

導どう

したのは

猿さる

田た

毘び

古こ

 天あま

照てらす

大おお

御み

神かみ

高たか

木ぎの

神かみ

は地ち

上じょうの葦あし

原はらの

中なかつ

国くに

は自じ

分ぶん

の子し

孫そん

が治おさ

める国くに

と考かんがえ邇に

に々

芸ぎの

命みことを地ち

上じょうに天あま

降くだ

しました天あま

降くだ

る途と

中ちゅう猿さる

田た

毘び

古この

神かみ

が迎むか

えに来き

てくれました(上じょう

巻かん

国くに

ゆずり

せまった神かみ

建たけ

御みか

雷ずち

 建たけみかずちのかみ

御雷神は出いずものくに

雲国の海うみ

の波なみ

打う

ち際ぎわ

に剣つるぎ

をさかさまに立た

てその剣つるぎの先さき

に座すわ

り葦あし

原はらの

中なかつ

国くに

を治おさ

めていた大おお

国くに

主ぬしの

神かみ

に国くに

をゆ

ずるように言い

いました大おお

国くに

主ぬしの

神かみ

は二ふたり人の

息むす

子こ

と相そう

談だん

し葦あし

原はらの

中なかつ

国くに

を高たか

天あまの

原はら

の神かみ

様さま

にゆずることにしました(上じょう

巻かん

釣つ

り針ばり

探さが

綿わた

津つ

見みの

神かみ

の宮みや

 火ほ

遠お

理りの

命みこと(山やま

佐さ

知ち

毘び

古こ

)は兄あに

の火ほでりのみこと

照命

(海うみ

佐さ

知ち

毘び

古こ

)から借か

りた釣つ

り針ばり

をなくし

それを探さが

すうちに海うみ

の底そこ

の綿わた

津つ

見みの

神かみ

の宮みや

行い

きその娘むすめの豊とよ

玉たま

毘び

売めの

命みことと結けっ

婚こん

しました

楽たの

しく暮く

らした後あと

綿わた

津つ

見みの

神かみ

に釣つ

り針ばり

を見み

つけてもらい陸りく

に戻もど

りました(上じょう

巻かん

121314

151617

10

導みちびくは 神かみ

の使つか

いの

八や

咫あた

烏からす

 高たか

天あまの

原はら

の天あま

照てらす

大おお

御み

神かみ

高たか

木ぎの

神かみ

の命めい

を受う

けて建たけ

御みかずち雷神のかみは神かむ

倭やまと

伊い

波わ

礼れ

毘び

古この

命みこと(の

ちの神じん

武む

天てん

皇のう

)に不ふ

思し

議ぎ

な力ちからをもつ大た

刀ち

与あた

えましたさらに凶きょう

暴ぼう

な神かみ

たちが待ま

ている道みち

を無ぶ

事じ

に進すす

むために八や

咫あた

烏からすとい

う大おお

きなカラスに道みち

案あん

内ない

をさせました(中ちゅう

巻かん

神じん

武む

天てん

皇のう

兄え

宇う

迦か

斯し

たくらみ告つ

げる

弟おと

宇う

迦か

斯し

 神かむ

倭やまと

伊い

波わ

礼れ

毘び

古この

命みこと(のちの神じん

武む

天てん

皇のう

)が

宇う

陀だ

に着つ

いたときその地ち

に暮く

らす兄え

宇う

迦か

斯し

は命みことをだまして倒たお

そうとしましたそれ

を知し

った弟おとうとの弟おと

宇う

迦か

斯し

は兄あに

の御ご

殿てん

にわなが

仕し

掛か

けてあることを教おし

え命みことは助たす

かりまし

た(中ちゅう

巻かん

神じん

武む

天てん

皇のう

神じん

武む

天てん

皇のう

橿かし

原はらの

宮みや

即そく

位い

する

 神かむ

倭やまと

伊い

波わ

礼れ

毘び

古この

命みことはさまざまな荒あ

れすさ

ぶ神かみ

たちを平へい

定てい

して畝うね

傍び

山やま

のふもとの橿かし

原はらの

宮みや

で最さい

初しょ

の天てん

皇のう

として即そく

位い

し世よ

の中なか

治おさ

めました(中ちゅう

巻かん

神じん

武む

天てん

皇のう

長なが

い糸いと

たどって行ゆ

けば

三み

輪わ

の山やま

 夜よ

中なか

美うつくしい活いく

玉たま

依より

毘び

売め

のもとに立りっ

派ぱ

な姿すがたの男だん

性せい

がやってきて一いっ

緒しょ

になりました

両りょう

親しん

に教おし

えられ男だん

性せい

の服ふく

のすそに糸いと

をつ

けた針はり

を刺さ

してたどると三み

輪わ

山やま

の社やしろに着つ

き男だん

性せい

は大おお

物もの

主ぬしの

大おお

神かみ

だとわかりました

(中ちゅう

巻かん

崇す

神じん

天てん

皇のう

沙さ

本ほ

毘び

売め

夫おっとと兄あに

との

板いた

ばさみ

 垂すい

仁にん

天てん

皇のう

の后きさき沙さ

本ほ

毘び

売めの

命みことは兄あに

の沙さ

本ほ

毘び

古この

王みこ

から天てん

皇のう

と自じ

分ぶん

とどちらを愛あい

するか

尋たず

ねられ天てん

皇のう

を倒たお

すように言い

われます

そのことを知し

った天てん

皇のう

は兵へい

を出だ

して沙さ

本ほ

毘び

古この

王みこ

を倒たお

し沙さ

本ほ

毘び

売めの

命みことも亡な

くなりました

が子こ

どもの本ほ

牟む

智ち

和わ

気けの

御み

子こ

は取と

り戻もど

すこ

とができました(中ちゅう

巻かん

垂すい

仁にん

天てん

皇のう

船ふな

出で

して

大やまと和を目め

指ざ

神じん

武む

東とう

征せい

 

 神かむ

倭やまと

伊い

波わ

礼れ

毘び

古この

命みこと(のちの神じん

武む

天てん

皇のう

)と

兄あに

の五いつ

瀬せの

命みことは高たか

千ち

穂ほの

宮みや

で国くに

を治おさ

める場ば

所しょ

を相そう

談だん

し東ひがしへ向む

かうことにしました日ひ

向むか

から船ふね

を出だ

し豊とよ

国くに

筑つく

紫し

安あ

芸き

吉き

備び

と進すす

んでいきました(中ちゅう

巻かん

神じん

武む

天てん

皇のう

日ひ

向むか

は今いま

の宮みや

崎ざき

県けん

豊とよ

国くに

は今いま

の大おお

分いた

県けん

福ふく

岡おか

県けん

東とう

部ぶ

筑つく

紫し

は今いま

の福ふく

岡おか

県けん

安あ

芸き

は今いま

の広ひろ

島しま

県けん

吉き

備び

は今いま

の岡おか

山やま

県けん

広ひろ

島しま

県けん

東とう

部ぶ

です

2122

19

23

20 18

11

美うつくしき 少しょう

女じょ

になって

熊くま

曾そ

討う

 景けい

行こう

天てん

皇のう

の子こ

の小お

碓うすの

命みことは父ちち

から熊くま

曾そ

建たけるを討う

ち取と

るように命めい

じられました命みことは

髪かみ

型がた

や着き

物もの

を少しょう

女じょ

のようにして熊くま

曾そ

建たけるの

宴えん

会かい

にまぎれこみ退たい

治じ

しました熊くま

曾そ

建たける

は命みことの強つよ

さをほめたたえ「倭やまと

建たけるの

御み

子こ

」と

いう名な

前まえ

を贈おく

りました(中ちゅう

巻かん

景けい

行こう

天てん

皇のう

草くさ

なぎの

剣つるぎが救すく

危き

機き

一いっ

髪ぱつ

 倭やまと

建たけるの

命みことは東ひがしの方ほう

に戦たたかいに行い

く途と

中ちゅう伊い

勢せ

大だい

神じん

宮ぐう

に寄よ

りおばの倭やまと

比ひ

売めの

命みことから草くさ

ぎの剣つるぎと火ひ

打う

ち石いし

をもらいましただまさ

れて野の

原はら

に火ひ

をつけられたとき倭やまと

建たけるの

命みこと

は草くさ

なぎの剣つるぎでまわりの草くさ

を切き

り払はら

い向む

かい火び

をつけて助たす

かりました(中ちゅう

巻かん

景けい

行こう

天てん

皇のう

荒あら

波なみ

静しず

めるために

身み

を捧ささ

 倭やまと

建たけるの

命みことが走はしり

水みずの海うみを渡わた

ろうとすると海うみ

の神かみ

様さま

が荒あら

波なみ

を起お

こし船ふね

がぐるぐると回まわ

るばかりです倭やまと

建たけるの

命みことの妻つま

弟おと

橘たちばな

比ひ

売めの

命みことが身み

代が

わりとなって海うみ

に身み

を沈しず

めると

波なみ

が静しず

かになり船ふね

を進すす

めることができま

した(中ちゅう

巻かん

景けい

行こう

天てん

皇のう

白しろ

猪いのししの

姿すがたの神かみ

あなどりて

 倭やまと

建たけるの

命みことは草くさ

なぎの剣つるぎを妻つま

美み

夜や

受ず

比ひ

売め

に預あず

け伊い

吹ぶき

山やま

に出で

かけました伊い

吹ぶき

山やま

神かみ

様さま

は白しろ

い大おお

きな猪いのししの姿すがたで現あらわれましたが

命みことは神かみ

の使つか

いと間ま

違ちが

えてしまいました神かみ

様さま

は怒おこ

り激はげ

しい氷ひさめ雨を降ふ

らせ命みことをすっ

かり弱よわ

らせてしまいました(中ちゅう

巻かん

景けい

行こう

天てん

皇のう

)天あま

翔か

ける

大おお

きな白しろ

鳥とり

になり

 倭やまと

建たけるの

命みことが能の

煩ぼ

野の

で亡な

くなると大やまと和に

いた后きさきや子こ

どもたちがみなやってきて泣な

き悲かな

しみましたやがて命みことは大おお

きな白しろ

い千ち

鳥どり

の姿すがたになって羽は

ばたき浜はま

に向むか

って飛と

でいきましたみんな泣な

きながらその後あと

追お

いかけました(中ちゅう

巻かん

景けい

行こう

天てん

皇のう

ときじくの

かくの木この

実み

間ま

に合あ

わず

 垂すい

仁にん

天てん

皇のう

は遠とお

い常とこ

世よの

国くに

から「ときじく

のかくの木この

実み

」を持も

ってくるよう多た

遅じ

摩ま

毛も

理り

に命めい

じました実み

を持も

ち帰かえ

るとすでに

天てん

皇のう

は亡な

くなっていました多た

遅じ

摩ま

毛も

理り

お墓はか

に向むか

って実み

を高たか

く持も

ち上あ

げ泣な

き叫さけ

ながら亡な

くなりました(中ちゅう

巻かん

垂すい

仁にん

天てん

皇のう

「ときじくのかくの木この

実み

」とは「いつも輝かがやく木き

の実み

」という意い

味み

です

25

29

26

2728

24

12

税ぜい

はとらぬ

かまどに煙けむり

立た

つまでは

 仁にん

徳とく

天てん

皇のう

はかまどから煙けむりが立た

ち上のぼ

って

いないのを見み

て人ひと

々びと

が暮く

らしに困こま

ってい

ることを知し

りましたそこで天てん

皇のう

は税ぜい

をな

くし宮きゅう

殿でん

の修しゅう

理り

もやめました三さん

年ねん

後ご

人ひと

々びと

の家いえ

のかまどからは再ふたたび煙けむりが立た

ち上のぼ

ようになりました(下げ

巻かん

仁にん

徳とく

天てん

皇のう

石いわ

之の

日ひ

売め

御み

綱つな

柏がしわを

海うみ

に捨す

 仁にん

徳とく

天てん

皇のう

の皇こう

后ごう

石いわ

之の

日ひ

売めの

命みことは宴えん

会かい

に使つか

う御み

綱つな

柏がしわの葉は

を取と

りに船ふね

で出で

かけました

その間あいだに天てん

皇のう

が別べつ

の女じょ

性せい

と仲なか

良よ

くなった

ことを知し

って皇こう

后ごう

はたいへん怒おこ

りせっ

かく集あつ

めた御み

綱つな

柏がしわを全ぜん

部ぶ

海うみ

に投な

げ捨す

ててし

まいました(下げ

巻かん

仁にん

徳とく

天てん

皇のう

つぎつぎに

変か

わる蚕かいこで

仲なか

直なお

 蚕かいこは幼よう

虫ちゅうからまゆを作つく

ってサナギとな

りやがて成せい

虫ちゅうとなる蛾が

の一いっ

種しゅ

でまゆか

ら生き

糸いと

を取と

ります仁にん

徳とく

天てん

皇のう

は蚕かいこを見み

るこ

とを口こう

実じつ

にけんかをしていた皇こう

后ごう

石いわ

之の

日ひ

売めの

命みことのもとに行い

き仲なか

直なお

りすることがで

きました(下げ

巻かん

仁にん

徳とく

天てん

皇のう

気け

比ひの

大おお

神かみ

名な

前まえ

を替か

えた

大おお

鞆とも

和わ

気け

 大おお

鞆とも

和わ

気けの

命みこと(のちの応おう

神じん

天てん

皇のう

)が敦つる

賀が

行い

ったときおともの建たけ

内うちの

宿すく

禰ねの

命みことの夢ゆめ

に土と

地ち

の神かみ

様さま

が現あらわれ自じ

分ぶん

の名な

前まえ

と大おおともわけのみこと

鞆和気命

の名な

前まえ

とを替か

えようと言い

いました承しょう

諾だく

ると翌よく

朝あさ

たくさんのイルカを贈おく

り物もの

とし

てくださいました(中ちゅう

巻かん

仲ちゅう

哀あい

天てん

皇のう

大おお

贄にえ

捧ささ

げる歌うた

うたう国くに

主す

 吉よし

野の

の国くに

主す

という人ひと

たちは応おう

神じん

天てん

皇のう

お酒さけ

を差さ

し上あ

げる時とき

楽がっ

器き

の代か

わりに口くち

音おと

を出だ

しいろいろな仕し

草ぐさ

をしながら歌うた

うたいましたその後ご

その地ち

では天てん

皇のう

に大おお

贄にえ

(特とく

別べつ

な食た

べ物もの

)を捧ささ

げる時とき

にその

歌うた

をうたうようになりました(中ちゅう

巻かん

応おう

神じん

天てん

皇のう

裳も

の糸いと

飯めし

粒つぶ

つけて

鮎あゆ

を釣つ

 神じん

功ぐう

皇こう

后ごう

は四し

月がつ

上じょう

旬じゅんに玉たま

島しまの

里さと

の川かわ

着き

物もの

の糸いと

を抜ぬ

き取と

り飯めし

粒つぶ

をえさにして鮎あゆ

を釣つ

りましたこのときからこの川かわ

では

同おな

じ時じ

期き

に女じょ

性せい

たちが着き

物もの

の糸いと

と飯めし

粒つぶ

で鮎あゆ

を釣つ

るようになりました(中ちゅう

巻かん

仲ちゅう

哀あい

天てん

皇のう

333435

3132 30

13

虻あぶ

食た

べた

蜻とんぼ蛉にちなむ

蜻あきず蛉島しま

 野の

原はら

へ狩か

りに出で

かけた雄ゆう

略りゃく

天てん

皇のう

の腕うで

を虻あぶ

がかみましたがその虻あぶ

を蜻とんぼ蛉がくわえて

飛と

び去さ

りました天てん

皇のう

は蜻とんぼ蛉をほめ大やまとの和

国くに

は蜻あきず蛉島しま

とよぶのにふさわしいと歌うた

によ

みましたこの場ば

所しょ

は阿あ

岐き

豆ず

野の

と呼よ

ばれる

ようになりました(下げ

巻かん

雄ゆう

略りゃく

天てん

皇のう

隼はやぶさよ

鷦さざき鷯を取と

れと

機はた

を織お

 女め

鳥どりの

王みこ

は夫おっとの速はや

総ぶさ

別わけの

王みこ

に「隼はやぶさよ鷦さざき鷯

を取と

ってしまえ」と機はた

を織お

りながら歌うた

いま

した隼はやぶさとは速はや

総ぶさ

別わけの

王みこ

のこと鷦さざき鷯とは大おお

雀さざきの

命みこと(仁にん

徳とく

天てん

皇のう

)のことですこの歌うた

知し

った天てん

皇のう

は軍ぐん

勢ぜい

を集あつ

め逆ぎゃくに二ふたり人を倒たお

ました(下げ

巻かん

仁にん

徳とく

天てん

皇のう

)鷦さざき鷯はミソサザ

イという鳥と

のことです

すばらしき船ふね たからかに響ひび

琴こと

となる

 一いっ

本ぽん

の巨きょ

木ぼく

で造つく

った船ふね

「枯から

野の

」はたいへ

ん速はや

く仁にん

徳とく

天てん

皇のう

の飲の

み水みず

を淡あわ

路じ

島しま

から運はこ

びましたこの船ふね

が壊こわ

れたので船せん

材ざい

を焼や

いて残のこ

った木き

で琴こと

を作つく

りましたこの琴こと

音ね

は遠とお

くまで響ひび

き人ひと

々びと

は歌うた

をうたって琴こと

をほめたたえました(下げ

巻かん

仁にん

徳とく

天てん

皇のう

御ご

殿てん

から

天てん

皇のう

救すく

大やまと和へと

 墨すみの

江えの

中なかつ

王みこ

は天てん

皇のう

の位くらいをねらい履り

中ちゅう

天てん

皇のう

が寝ね

ている御ご

殿てん

に火ひ

をつけました天てん

皇のう

は阿あ

知ちの

直あたいに助たす

け出だ

され大やまと和に向む

かいまし

た途と

中ちゅう天てん

皇のう

は燃も

える御ご

殿てん

を遠とお

くから見み

残のこ

してきた皇こう

后ごう

を心しん

配ぱい

する歌うた

をうたいまし

た(下げ

巻かん

履り

中ちゅう

天てん

皇のう

恋こい

しくて

伊い

予よ

へ追お

い行ゆ

衣そと

通おりの

王みこ

 次つぎ

の天てん

皇のう

になることを約やく

束そく

されていた木き

梨なし

之の

軽かるの

太おお

子みこ

は人ひと

々びと

の信しん

頼らい

を失うしな

ってついに

は捕とら

えられ伊い

予よ

の道どう

後ご

温おん

泉せん

に流なが

されまし

た妹いもうとの衣そと

通おりの

王みこ

は太おお

子みこ

を恋こ

い慕した

って伊い

予よ

行い

き太おお

子みこ

と再さい

会かい

しました(下げ

巻かん

允いん

恭ぎょう

天てん

皇のう

)伊い

予よ

は今いま

の愛え

媛ひめ

県けん

です

天てん

皇のう

お召め

しを待ま

って

八はちじゅうねん

十年

 雄ゆう

略りゃく

天てん

皇のう

は引ひけ

田た

部べの

赤あか

猪い

子こ

を見み

てすぐ呼よ

び寄よ

せるから結けっ

婚こん

せずに待ま

っているよう命めい

じましたしかし天てん

皇のう

はそのことを忘わす

赤あか

猪い

子こ

はとうとう八はちじゅうねん

十年も待ま

ち続つづ

けました

赤あか

猪い

子こ

は自じ

分ぶん

から天てん

皇のう

に会あ

いに行い

き歌うた

交か

わしました(下げ

巻かん

雄ゆう

略りゃく

天てん

皇のう

41

3738

39

36

40

14

一ひと

言こと

主ぬし 天てん

皇のう

たちと

瓜うり

ふたつ

 雄ゆう

略りゃく

天てん

皇のう

が従じゅう

者しゃ

と葛かずら

城き

山やま

へ出で

かけると

自じ

分ぶん

たちとそっくりな人ひと

たちと出で

会あ

いまし

たそれを見み

た天てん

皇のう

は失しつ

礼れい

だと怒おこ

りました

が相あい

手て

が葛かず

城らき

之の

一ひと

言こと

主ぬし

之の

大おお

神かみ

とわかると

大た

刀ち

と弓ゆみ

矢や

従じゅうしゃ者の衣い

服ふく

を大おお

神かみ

に差さ

し上あ

ました(下げ

巻かん

雄ゆう

略りゃく

天てん

皇のう

杯さかずきの

木こ

の葉は

をめでたく

歌うた

にして

 お酒さけ

に落お

ち葉ば

の浮う

かんだことを知し

らずに

雄ゆう

略りゃく

天てん

皇のう

に杯さかずきを捧ささ

げた三み

重え

の采うね

女め

に天てん

皇のう

は怒おこ

って罰ばつ

を与あた

えようとしましたすると

三み

重え

の采うね

女め

は落お

ち葉ば

が浮う

かんだことをめ

でたいこととして歌うた

にうたい天てん

皇のう

をほめ

たたえ罪つみ

を許ゆる

されました(下げ

巻かん

雄ゆう

略りゃく

天てん

皇のう

)采うね

女め

は宮きゅう

中ちゅうで働はたらく女じょ

性せい

のことです

譲ゆず

り合あ

意お

祁け

と袁を

祁け

とは

王おう

子じ

なり

 意おけのみこと

祁命と袁をけのみこと

祁命の兄きょうだい弟は身み

をかくして馬うま

飼か

い牛うし

飼か

いの仕し

事ごと

をしていましたある

日ひ

お祝いわ

いの席せき

で二ふたり人は舞ま

う順じゅん

番ばん

を譲ゆず

合あ

って履り

中ちゅう

天てん

皇のう

の孫まご

であることを歌うた

であ

かしました兄きょう

弟だい

は宮きゅう

殿でん

に迎むか

えられ二ふたり人

とも後のち

に天てん

皇のう

になりました(下げ

巻かん

清せい

寧ねい

天てん

皇のう

)八や

雲くも

立た

出いづも雲八や

重へ

垣がき

妻つま

籠ご

みに

八や

重へ

垣がき

作つく

その八や

重へ

垣がき

 建たけ

速はや

須す

佐さ

之の

男おの

命みことは八や

俣また

の大おろち蛇を退たい

治じ

して

194797くし

名な

田だ

比ひ

売め

を救すく

い妻つま

にしましたそして

須す

賀が

という土と

地ち

に新あたらしい宮みや

を造つく

りました

その時とき

そこに立た

ち上のぼ

った雲くも

を妻つま

の住す

宮みや

を幾いく

重え

にも囲かこ

む垣かき

のようだと歌うた

によみま

した(上じょう

巻かん

古こ

事じ

記き

かるた

歌か

謡よう

編へん

一いち

覧らん

猪いのししに

追お

われて榛はり

木き

に登のぼ

 雄ゆう

略りゃく

天てん

皇のう

が葛かずら

城き

山やま

に登のぼ

ったとき大おお

きな

猪いのししが現あらわれました天てん

皇のう

は矢や

で射い

ましたが

猪いのししはうなり声ごえ

をあげて近ちか

づいてきます天てん

皇のう

は榛はり

の木き

に登のぼ

って逃に

げ助たす

けてくれた木き

への感かん

謝しゃ

を歌うた

にしました(下げ

巻かん

雄ゆう

略りゃく

天てん

皇のう

)榛はり

はハンノキのことです

4344

4546

42

15

倭やまとは

国くに

の真ま

秀ほ

ろば

たたなづく

青あを

垣かき

山やま

籠ごも

れる 倭やまとし麗うるはし

 倭やまと

建たけるの

命みことは父ちち

景けい

行こう

天てん

皇のう

の命めい

令れい

で西にし

へ東ひがしへと言い

うことを聞き

かない者もの

を倒たお

す旅たび

に出で

ましたところがその旅たび

先さき

で病びょう

気き

なってしまいましたふるさとの大やまと和をな

つかしみこの歌うた

をよみついに亡な

くなっ

てしまいました(中ちゅう

巻かん

景けい

行こう

天てん

皇のう

倭やま

方とへ

行ゆ

くは誰た

が夫つま

隠こも

り処づ

下した

よ延は

へつつ

行ゆ

くは誰た

が夫つま

 皇こう

后ごう

石いわ

之の

比ひ

売めの

命みことの嫉しっ

妬と

を恐おそ

れて故こき

郷ょう

の吉き

備びの

国くに

にもどっていた黒くろ

日ひ

売め

を恋こい

しく思おも

い仁にん

徳とく

天てん

皇のう

は吉き

備びの

国くに

に黒くろ

日ひ

売め

を訪たず

ねて行い

きましたともに楽たの

しいひとときを過す

ごし

天てん

皇のう

が都みやこにもどるときに黒くろ

日ひ

売め

は天てん

皇のう

歌うた

を差さ

し上あ

げました(下げ

巻かん

仁にん

徳とく

天てん

皇のう

潮しほ

瀬せ

波な

折を

りを見み

れば 

遊あそ

び来く

鮪しび

が端はた

手で

妻つま

立た

てり見み

 袁をけのみこと

祁命(のちの顕けん

宗ぞう

天てん

皇のう

)が大お

魚うお

という

名な

の乙おと

女め

に結けっ

婚こん

を申もう

し込こ

もうとしていた

とき志し

毘びの

臣おみ

も歌うた

垣がき

の場ば

で大お

魚うお

を誘さそ

いまし

た歌うた

垣がき

とは男だん

女じょ

が集あつままって歌うた

をよみ合あ

う場ば

です二ふ

たり人

は明あ

け方が

まで歌う

で戦

たたか

い続つ

ました(下げ

巻かん

清せい

寧ねい

天てん

皇のう

狭さ

井ゐ

河がは

雲くも

立た

ち渡わた

畝うね

火び

山やま

木こ

の葉は

さやぎぬ

風かぜ

吹ふ

かむとす

 神じん

武む

天てん

皇のう

が亡な

くなった後あと

天てん

皇のう

の子こ

の当た

芸ぎ

志し

美み

々みの

命みことは皇こう

后ごう

だった伊い

須す

気け

余よ

理り

比ひ

売め

を妻つま

にし比ひ

売め

の子こ

である三さん

人にん

の弟おとうとを倒たお

うとしました比ひ

売め

は歌うた

で息むす

子こ

たちに危き

険けん

を知し

らせ聞き

き知し

った息むす

子こ

たちは当た

芸ぎ

志し

美み

々みの

命みことを打う

ち負ま

かしました(中ちゅう

巻かん

神じん

武む

天てん

皇のう

4748

4950

16

学がっ

校こう

および各かく

施し

設せつ

関かん

係けい

者しゃ

保ほ

護ご

者しゃ

の皆みな

様さま

 

本ほん製せい品ひんは子こ

どもたちにかるた遊あそびをとおして『古こ

事じ

記き

』の世せ

界かいにふれ

てもらいたいとの思おもいから奈な

良ら

県けんが独どく自じ

に企き

画かく制せい作さくしたものです

本ほん製せい品ひんはリズムのよさやわかりやすさを重じゅう視し

して作さく成せいしている部ぶ

分ぶんも

含ふくまれます正せい確かくな記き

述じゅつを心こころがけて作さく成せいしておりますが見けん解かい学がく

説せつ

等などの相そう違い

についてはご了りょう承しょうください

神しん名めい人じん名めい地ち

名めい等などの固こ

有ゆう

名めい詞し

の表ひょう記き

にあたっては小しょう

学がく館かん『新しん

編ぺん

日に

本ほん

古こ

典てん

文ぶん

学がく

全ぜん

集しゅう1 

古こ

事じ

記き

』(校こう

注ちゅう

訳やく

山やま

口ぐち

佳よし

紀のり

神こう

野の

志し

隆たか

光みつ

の記き

載さいを参さん考こうにしました

文もん言ごん等などの漢かん字じ

表ひょう記き

については親したしみやすさの観かん点てんから常じょう用よう漢かん字じ

中ちゅう心しんに記き

載さいしました

ふりがなについては現げん代だいかなづかいを基き

本ほんに記き

載さいしました

Page 5: こ き かるたについて...3 1 1 1 みんなで遊 あそ ぼう! 古 事こ 記じ かるたのき 遊 あそ び方 かた 読 よ み手 て (一 ひと 人 り )と取

5

遊あそ

び方かた

6

ふることぶみめくり

その3

二ふたり人以いじょう上

11

物もの

語がたり編へんの絵え

札ふだ

四よん

十じゅう五ご

枚まい

と歌か

謡よう

編へんの字じ

札ふだ(全ぜん

文ぶん

が載の

っている札ふだ)五ご

枚まいを裏うら

返がえして合あ

わせよく混ま

ぜて

から二ふたつの山やまに積つ

み上あ

ます

ジャンケンなどでめくる

人ひとの順じゅん番ばんを決き

めます

順じゅん番ばんに二ふたつの山やまのどち

らでもよいので一いち

枚まいずつ

札ふだをめくっていきます最さい

初しょの一ひと

文も

字じ

の枠わくが何なに

色いろか

によって札ふだをもらえる

枚まい数すうがちがったり没ぼっ

収しゅう

されたりします

①青あお

色いろ

ならその一いち

枚まい

だけを

もらえます

②黒くろ

色いろ

なら何な

ももらえず

持も

っていた札ふだ

はすべて没ぼっ

収しゅうされます

③金きん

色いろ

ならもう二に

枚まい

(合ごう

計けい

三さん

枚まい

)もらえますもしも

没ぼっしゅう収された札ふだ

があればそ

の札ふだ

を全ぜん

部ぶ

もらうことがで

きます

④赤あか

色いろ

ならもう一いち

枚まい

(合ごう

計けい

二に

枚まい

)もらえます

⑤歌か

謡よう

編へん

の札ふだ

ならその歌か

謡よう

を元げん

気き

な声こえ

で読よ

み上あ

げさ

らに一いち

枚まい

(合ごう

計けい

二に

枚まい

)もら

えます

二ふたつの山やまがなくなったと

き手て

元もとにある枚まい

数すうが多おお

い人ひとが勝か

ちです

12

金きん

色いろ

+lArr二に

枚まい

三さん枚まいもらえる

赤あか色いろ

lArr一いち枚まい

二に

枚まいもらえる

青あお

色いろ

黒くろ色いろ

lArr

lArr

lArr

一いち枚まいもらえる

二に

枚まいもらえる

元げん気き

な声こえで

読よ

み上あ

げると

もう一い

ち枚まい

持も

ち札ふだをすべて没ぼっ

収しゅう

歌か

謡よう編へんの札ふだ

没ぼ

っ収し

ゅうさ

れた札ふ

だが

 あれば全ぜん部ぶ

 らえる

遊あそ

び方かた

7

いにしえの

世せ

界かい

へ探たん

検けん

古ふる

事こと

記ぶみ

 『古こ

事じ

記き

』は「こじき」または「ふるこ

とぶみ」と読よ

みます日に

本ほん

に残のこ

っている一いち

番ばん

古ふるい書しょ

物もつ

で和わ

銅どう

五ご

年ねん

(七一二)に奈な

良ら

で完かん

成せい

しました天てん

地ち

の始はじ

まりと神かみ

様さま

世せ

界かい

を作つく

っていく物もの

語がたりまた各かく

天てん

皇のう

の時じ

代だい

ごとに起お

こったことや言い

い伝つた

えなどが書か

かれています(上じょう

巻かん

序じょ

稗ひえ

田だの

阿あ

礼れ

と太おおの

安やす

万ま

侶ろ

 力ちから

合あ

わせて

古こ

事じ

記き

完かん

成せい

 『古こ

事じ

記き

』を作つく

ろうと最さい

初しょ

に考かんがえたのは

飛あすか鳥時じ

代だい

の天てん

武む

天てん

皇のう

です記き

憶おく

力りょくばつぐん

の稗ひえ

田だの

阿あ

礼れ

に古ふ

くから伝つ

えられてきたこ

となどを読よ

み覚おぼ

えさせましたその後ご

阿あ

礼れ

の話はなしを太おおの

安やす

万ま

侶ろ

がまとめ『古こ

事じ

記き

』がで

き上あ

がりました(上じょう

巻かん

序じょ

あをによし

奈な

良ら

の都みやこで

古こ

事じ

記き

でき

 『古こ

事じ

記き

』が完かん

成せい

したのは奈な

良ら

時じ

代だい

の和わ

銅どう

五ご

年ねん

(七一二)で天てん

武む

天てん

皇のう

から三さん

代だい

後あと

元げん

明めい

天てん

皇のう

の時じ

代だい

でした元げん

明めい

天てん

皇のう

は『古こ

事じ

記き

』が完かん

成せい

する二に

年ねん

前まえ

の和わ

銅どう

三さん

年ねん

(七一〇)

に都みやこを藤ふじ

原わら

京きょうから奈な

良ら

の都みやこ平へい

城じょう

京きょうに移うつ

しました(上じょう

巻かん

序じょ

こをろこをろ

天あめ

の沼ぬ

矛ほこ

島しま

を生う

 ただよっている地ち

上じょうの世せ

界かい

を固かた

めるため

伊い

耶ざ

那な

岐きの

命みことと伊い

耶ざ

那な

美みの

命みことは天あめ

の浮うき

橋はし

に立た

て天あめ

の沼ぬ

矛ほこ

という道どう

具ぐ

でかき回まわ

しました

引ひ

き上あ

げた矛ほこ

の先さき

からぽとぽとと落お

ちた潮しお

が積つ

もり淤お

能の

碁ご

呂ろ

島じま

になりました(上じょう

巻かん

)伊い

耶ざ

那な

岐き

伊い

耶ざ

那な

美み

追お

って

黄よ

み泉に行ゆ

 伊い

耶ざ

那な

岐きの

命みことと伊い

耶ざ

那な

美みの

命みことは次つぎ

々つぎ

に国くに

や神かみ

様さま

を生う

み出だ

しましたが伊い

耶ざ

那な

美みの

命みことは火ひ

神かみ

様さま

を生う

んだとき大おお

やけどで亡な

くなって

しまいました伊い

耶ざ

那な

岐きの

命みことは悲かな

しみあの

世よ

の国くに

である黄よ

泉もつ

国くに

へ伊い

耶ざ

那な

美みの

命みことを探さが

しに

行い

きました(上じょう

巻かん

古こ

事じ

記き

かるた

物もの

語がたり

編へん

一いち

覧らん

順じゅん番ばんに二ふたつの山やまのどち

らでもよいので一いち

枚まいずつ

札ふだをめくっていきます最さい

初しょの一ひと

文も

字じ

の枠わくが何なに

色いろか

によって札ふだをもらえる

枚まい数すうがちがったり没ぼっ

収しゅう

されたりします

5

34

8

天あめ

宇のう

受ず

売め

踊おど

って神かみ

誘さそ

い出だ

 天あま

照てらす

大おお

御み

神かみ

が閉と

じこもった「天あめ

の石いわ

屋や

の前まえ

で天あめ

宇のう

受ずめ

売のみ

命こと

が神かみ

がかりして踊おど

ると

神かみ

様さま

たちは大おお

笑わら

い不ふ

思し

議ぎ

に思おも

った天あま

照てらす

大おお

御み

神かみ

が岩いわ

の戸と

を少すこ

し開あ

け外そと

を見み

ようとし

たとき天あめのたぢからおのかみ

手力男神が大おお

御み

神かみ

を引ひ

っ張ぱ

り出だ

し世せ

界かい

はまた明あか

るくなりました(上じょう

巻かん

須す

佐さ

之の

男お

出いずもの雲国くに

追お

いやられ

 建たけ

速はや

須す

佐さ

之の

男おの

命みことが高たか

天あまの

原はら

で暴あば

れたことを

怒おこ

った神かみ

様さま

たちは罰ばつ

として命みことのひげと手て

足あし

の爪つめ

を切き

って高たか

天あまの

原はら

を追お

い払はら

いました

追お

い払はら

われた命みことは出いずものくに

雲国にたどり着つ

きま

した(上じょう

巻かん

)出いず

雲もの

国くには今いま

の島しま

根ね

県けんです

八や

俣また

の大おろち蛇

酒さけ

に酔よ

わせて

退たい

治じ

する

 出いずものくに

雲国では八や

俣また

の大おろち蛇が人ひと

びとを苦くる

しめ

ていました建たけ

速はや

須す

佐さ

之の

男おの

命みことは大おろち蛇に酒さけ

飲の

ませ酔よ

って眠ねむ

ったところを退たい

治じ

しまし

た大おろち蛇の尾お

を切き

ったときに出で

てきたすば

らしい剣つるぎ(草くさ

なぎの剣つるぎ)は天あまてらすおおみかみ

照大御神に

差さ

し上あ

げました(上じょう

巻かん

清きよ

く明あか

き 心こころの証あか

しと

うけいする

 建たけ

速はや

須す

佐さ

之の

男おの

命みことは高たか

天あまの

原はら

をうばうために

やって来き

たと姉あね

の天あま

照てらす

大おお

御み

神かみ

に疑うたがわれま

したそこで「うけい」という占うらないをし

て子こ

を生う

み心こころが清きよ

らかなことを証しょう

明めい

しま

した命みことの持も

ち物もの

の剣つるぎからは女め

神がみ

が生う

まれ

戦たたかう気き

持も

ちがないことがわかりました(上じょう

巻かん

)天あま

照てらす

大おお

御み

神かみ

天あめ

の石いわ

屋や

世よ

は闇やみ

 建たけ

速はや

須す

佐さ

之の

男おの

命みことが高たか

天あまの

原はら

で暴あば

れたので

天あま

照てらす

大おお

御み

神かみ

は「天あめ

の石いわ

屋や

」に閉と

じこもり

岩いわ

の戸と

を閉し

めてしまいましたすると世せ

界かい

じゅうが真ま

っ暗くら

になってしまい悪わる

いこ

とが次つぎ

々つぎ

と起お

こりました(上じょう

巻かん

目め

から鼻はな

から生う

まれた

三さん

貴き

神しん

 黄よ

泉もつ

国くに

から戻もど

った伊い

耶ざ

那な

岐きの

命みことは体からだを

洗あら

って身み

を清きよ

めましたすると神かみ

様さま

次つぎ

々つぎ

に生う

まれ最さい

後ご

に左ひだりの目め

を洗あら

うと天あま

照てらす

大おお

御み

神かみ

右みぎ

の目め

を洗あら

うと月つく

読よみの

命みこと鼻はな

洗あら

うと建たけ

速はや

須す

佐さ

之の

男おの

命みことという貴とうとい三み

柱はしらの

神かみ

様さま

が生う

まれました(上じょう

巻かん

78

91011

6

9

大おお

穴あな

牟む

遅じ

助たす

けた稲いな

羽ば

素しろ

兎うさぎ

 稲いな

羽ば

の素しろ

兎うさぎはわにをだましたことがば

れて皮かわ

をはがされてしまいました大おお

穴あな

牟む

遅じの

神かみ

の兄あに

たちの八や

十そ

神かみ

にもいじめられ兎うさぎ

は泣な

いて苦くる

しんでいました通とお

りかかった

大おお

穴あな

牟む

遅じの

神かみ

が傷きず

の治なお

し方かた

を教おし

えてあげて

兎うさぎは元げん

気き

になりました(上じょう

巻かん

)大おお

穴あな

牟む

遅じの

神かみ

は大おお

国くに

主ぬしの

神かみのことです

鼠ねずみが教おし

えた「

内うち

はほらほら

外と

はすぶすぶ」

 大おお

穴あな

牟む

遅じの

神かみは建たけ

速はや

須す

佐さ

之の

男おの

命みことの娘むすめ須す

勢せ

理り

毘び

売めの

命みことと出で

会あ

い結けっ

婚こんしました怒おこ

った建たけ

速はや

須す

佐さ

之の

男おの

命みことは野の

原はらに矢や

を射い

て大おお

穴あな

牟む

遅じの

神かみに取と

りに

行い

かせその野の

原はらに火ひ

をつけましたが鼠ねずみが野の

原はら

の下し

に穴あ

があると教お

えてくれたので無ぶ

事じ

でし

た(上じょう

巻かん)

大おお

国くに

主ぬし

少すく

名な

毘び

古こ

那な

国くに

づくり

 大おお

国くに

主ぬしの

神かみ

のところに小ちい

さな神かみ

様さま

がやっ

てきましたがだれも名な

前まえ

を知し

りません

田た

んぼのかかしの久く

延え

毘び

古こ

だけが少すく

名な

毘び

古こ

那なの

神かみ

という名な

前まえ

を知し

っていました大おお

国くに

主ぬしの

神かみ

は少すく

名な

毘び

古こ

那なの

神かみ

といっしょに出いずも雲で

国くに

づくりをしました(上じょう

巻かん

天てん

孫そん

降こう

臨りん

先せん

導どう

したのは

猿さる

田た

毘び

古こ

 天あま

照てらす

大おお

御み

神かみ

高たか

木ぎの

神かみ

は地ち

上じょうの葦あし

原はらの

中なかつ

国くに

は自じ

分ぶん

の子し

孫そん

が治おさ

める国くに

と考かんがえ邇に

に々

芸ぎの

命みことを地ち

上じょうに天あま

降くだ

しました天あま

降くだ

る途と

中ちゅう猿さる

田た

毘び

古この

神かみ

が迎むか

えに来き

てくれました(上じょう

巻かん

国くに

ゆずり

せまった神かみ

建たけ

御みか

雷ずち

 建たけみかずちのかみ

御雷神は出いずものくに

雲国の海うみ

の波なみ

打う

ち際ぎわ

に剣つるぎ

をさかさまに立た

てその剣つるぎの先さき

に座すわ

り葦あし

原はらの

中なかつ

国くに

を治おさ

めていた大おお

国くに

主ぬしの

神かみ

に国くに

をゆ

ずるように言い

いました大おお

国くに

主ぬしの

神かみ

は二ふたり人の

息むす

子こ

と相そう

談だん

し葦あし

原はらの

中なかつ

国くに

を高たか

天あまの

原はら

の神かみ

様さま

にゆずることにしました(上じょう

巻かん

釣つ

り針ばり

探さが

綿わた

津つ

見みの

神かみ

の宮みや

 火ほ

遠お

理りの

命みこと(山やま

佐さ

知ち

毘び

古こ

)は兄あに

の火ほでりのみこと

照命

(海うみ

佐さ

知ち

毘び

古こ

)から借か

りた釣つ

り針ばり

をなくし

それを探さが

すうちに海うみ

の底そこ

の綿わた

津つ

見みの

神かみ

の宮みや

行い

きその娘むすめの豊とよ

玉たま

毘び

売めの

命みことと結けっ

婚こん

しました

楽たの

しく暮く

らした後あと

綿わた

津つ

見みの

神かみ

に釣つ

り針ばり

を見み

つけてもらい陸りく

に戻もど

りました(上じょう

巻かん

121314

151617

10

導みちびくは 神かみ

の使つか

いの

八や

咫あた

烏からす

 高たか

天あまの

原はら

の天あま

照てらす

大おお

御み

神かみ

高たか

木ぎの

神かみ

の命めい

を受う

けて建たけ

御みかずち雷神のかみは神かむ

倭やまと

伊い

波わ

礼れ

毘び

古この

命みこと(の

ちの神じん

武む

天てん

皇のう

)に不ふ

思し

議ぎ

な力ちからをもつ大た

刀ち

与あた

えましたさらに凶きょう

暴ぼう

な神かみ

たちが待ま

ている道みち

を無ぶ

事じ

に進すす

むために八や

咫あた

烏からすとい

う大おお

きなカラスに道みち

案あん

内ない

をさせました(中ちゅう

巻かん

神じん

武む

天てん

皇のう

兄え

宇う

迦か

斯し

たくらみ告つ

げる

弟おと

宇う

迦か

斯し

 神かむ

倭やまと

伊い

波わ

礼れ

毘び

古この

命みこと(のちの神じん

武む

天てん

皇のう

)が

宇う

陀だ

に着つ

いたときその地ち

に暮く

らす兄え

宇う

迦か

斯し

は命みことをだまして倒たお

そうとしましたそれ

を知し

った弟おとうとの弟おと

宇う

迦か

斯し

は兄あに

の御ご

殿てん

にわなが

仕し

掛か

けてあることを教おし

え命みことは助たす

かりまし

た(中ちゅう

巻かん

神じん

武む

天てん

皇のう

神じん

武む

天てん

皇のう

橿かし

原はらの

宮みや

即そく

位い

する

 神かむ

倭やまと

伊い

波わ

礼れ

毘び

古この

命みことはさまざまな荒あ

れすさ

ぶ神かみ

たちを平へい

定てい

して畝うね

傍び

山やま

のふもとの橿かし

原はらの

宮みや

で最さい

初しょ

の天てん

皇のう

として即そく

位い

し世よ

の中なか

治おさ

めました(中ちゅう

巻かん

神じん

武む

天てん

皇のう

長なが

い糸いと

たどって行ゆ

けば

三み

輪わ

の山やま

 夜よ

中なか

美うつくしい活いく

玉たま

依より

毘び

売め

のもとに立りっ

派ぱ

な姿すがたの男だん

性せい

がやってきて一いっ

緒しょ

になりました

両りょう

親しん

に教おし

えられ男だん

性せい

の服ふく

のすそに糸いと

をつ

けた針はり

を刺さ

してたどると三み

輪わ

山やま

の社やしろに着つ

き男だん

性せい

は大おお

物もの

主ぬしの

大おお

神かみ

だとわかりました

(中ちゅう

巻かん

崇す

神じん

天てん

皇のう

沙さ

本ほ

毘び

売め

夫おっとと兄あに

との

板いた

ばさみ

 垂すい

仁にん

天てん

皇のう

の后きさき沙さ

本ほ

毘び

売めの

命みことは兄あに

の沙さ

本ほ

毘び

古この

王みこ

から天てん

皇のう

と自じ

分ぶん

とどちらを愛あい

するか

尋たず

ねられ天てん

皇のう

を倒たお

すように言い

われます

そのことを知し

った天てん

皇のう

は兵へい

を出だ

して沙さ

本ほ

毘び

古この

王みこ

を倒たお

し沙さ

本ほ

毘び

売めの

命みことも亡な

くなりました

が子こ

どもの本ほ

牟む

智ち

和わ

気けの

御み

子こ

は取と

り戻もど

すこ

とができました(中ちゅう

巻かん

垂すい

仁にん

天てん

皇のう

船ふな

出で

して

大やまと和を目め

指ざ

神じん

武む

東とう

征せい

 

 神かむ

倭やまと

伊い

波わ

礼れ

毘び

古この

命みこと(のちの神じん

武む

天てん

皇のう

)と

兄あに

の五いつ

瀬せの

命みことは高たか

千ち

穂ほの

宮みや

で国くに

を治おさ

める場ば

所しょ

を相そう

談だん

し東ひがしへ向む

かうことにしました日ひ

向むか

から船ふね

を出だ

し豊とよ

国くに

筑つく

紫し

安あ

芸き

吉き

備び

と進すす

んでいきました(中ちゅう

巻かん

神じん

武む

天てん

皇のう

日ひ

向むか

は今いま

の宮みや

崎ざき

県けん

豊とよ

国くに

は今いま

の大おお

分いた

県けん

福ふく

岡おか

県けん

東とう

部ぶ

筑つく

紫し

は今いま

の福ふく

岡おか

県けん

安あ

芸き

は今いま

の広ひろ

島しま

県けん

吉き

備び

は今いま

の岡おか

山やま

県けん

広ひろ

島しま

県けん

東とう

部ぶ

です

2122

19

23

20 18

11

美うつくしき 少しょう

女じょ

になって

熊くま

曾そ

討う

 景けい

行こう

天てん

皇のう

の子こ

の小お

碓うすの

命みことは父ちち

から熊くま

曾そ

建たけるを討う

ち取と

るように命めい

じられました命みことは

髪かみ

型がた

や着き

物もの

を少しょう

女じょ

のようにして熊くま

曾そ

建たけるの

宴えん

会かい

にまぎれこみ退たい

治じ

しました熊くま

曾そ

建たける

は命みことの強つよ

さをほめたたえ「倭やまと

建たけるの

御み

子こ

」と

いう名な

前まえ

を贈おく

りました(中ちゅう

巻かん

景けい

行こう

天てん

皇のう

草くさ

なぎの

剣つるぎが救すく

危き

機き

一いっ

髪ぱつ

 倭やまと

建たけるの

命みことは東ひがしの方ほう

に戦たたかいに行い

く途と

中ちゅう伊い

勢せ

大だい

神じん

宮ぐう

に寄よ

りおばの倭やまと

比ひ

売めの

命みことから草くさ

ぎの剣つるぎと火ひ

打う

ち石いし

をもらいましただまさ

れて野の

原はら

に火ひ

をつけられたとき倭やまと

建たけるの

命みこと

は草くさ

なぎの剣つるぎでまわりの草くさ

を切き

り払はら

い向む

かい火び

をつけて助たす

かりました(中ちゅう

巻かん

景けい

行こう

天てん

皇のう

荒あら

波なみ

静しず

めるために

身み

を捧ささ

 倭やまと

建たけるの

命みことが走はしり

水みずの海うみを渡わた

ろうとすると海うみ

の神かみ

様さま

が荒あら

波なみ

を起お

こし船ふね

がぐるぐると回まわ

るばかりです倭やまと

建たけるの

命みことの妻つま

弟おと

橘たちばな

比ひ

売めの

命みことが身み

代が

わりとなって海うみ

に身み

を沈しず

めると

波なみ

が静しず

かになり船ふね

を進すす

めることができま

した(中ちゅう

巻かん

景けい

行こう

天てん

皇のう

白しろ

猪いのししの

姿すがたの神かみ

あなどりて

 倭やまと

建たけるの

命みことは草くさ

なぎの剣つるぎを妻つま

美み

夜や

受ず

比ひ

売め

に預あず

け伊い

吹ぶき

山やま

に出で

かけました伊い

吹ぶき

山やま

神かみ

様さま

は白しろ

い大おお

きな猪いのししの姿すがたで現あらわれましたが

命みことは神かみ

の使つか

いと間ま

違ちが

えてしまいました神かみ

様さま

は怒おこ

り激はげ

しい氷ひさめ雨を降ふ

らせ命みことをすっ

かり弱よわ

らせてしまいました(中ちゅう

巻かん

景けい

行こう

天てん

皇のう

)天あま

翔か

ける

大おお

きな白しろ

鳥とり

になり

 倭やまと

建たけるの

命みことが能の

煩ぼ

野の

で亡な

くなると大やまと和に

いた后きさきや子こ

どもたちがみなやってきて泣な

き悲かな

しみましたやがて命みことは大おお

きな白しろ

い千ち

鳥どり

の姿すがたになって羽は

ばたき浜はま

に向むか

って飛と

でいきましたみんな泣な

きながらその後あと

追お

いかけました(中ちゅう

巻かん

景けい

行こう

天てん

皇のう

ときじくの

かくの木この

実み

間ま

に合あ

わず

 垂すい

仁にん

天てん

皇のう

は遠とお

い常とこ

世よの

国くに

から「ときじく

のかくの木この

実み

」を持も

ってくるよう多た

遅じ

摩ま

毛も

理り

に命めい

じました実み

を持も

ち帰かえ

るとすでに

天てん

皇のう

は亡な

くなっていました多た

遅じ

摩ま

毛も

理り

お墓はか

に向むか

って実み

を高たか

く持も

ち上あ

げ泣な

き叫さけ

ながら亡な

くなりました(中ちゅう

巻かん

垂すい

仁にん

天てん

皇のう

「ときじくのかくの木この

実み

」とは「いつも輝かがやく木き

の実み

」という意い

味み

です

25

29

26

2728

24

12

税ぜい

はとらぬ

かまどに煙けむり

立た

つまでは

 仁にん

徳とく

天てん

皇のう

はかまどから煙けむりが立た

ち上のぼ

って

いないのを見み

て人ひと

々びと

が暮く

らしに困こま

ってい

ることを知し

りましたそこで天てん

皇のう

は税ぜい

をな

くし宮きゅう

殿でん

の修しゅう

理り

もやめました三さん

年ねん

後ご

人ひと

々びと

の家いえ

のかまどからは再ふたたび煙けむりが立た

ち上のぼ

ようになりました(下げ

巻かん

仁にん

徳とく

天てん

皇のう

石いわ

之の

日ひ

売め

御み

綱つな

柏がしわを

海うみ

に捨す

 仁にん

徳とく

天てん

皇のう

の皇こう

后ごう

石いわ

之の

日ひ

売めの

命みことは宴えん

会かい

に使つか

う御み

綱つな

柏がしわの葉は

を取と

りに船ふね

で出で

かけました

その間あいだに天てん

皇のう

が別べつ

の女じょ

性せい

と仲なか

良よ

くなった

ことを知し

って皇こう

后ごう

はたいへん怒おこ

りせっ

かく集あつ

めた御み

綱つな

柏がしわを全ぜん

部ぶ

海うみ

に投な

げ捨す

ててし

まいました(下げ

巻かん

仁にん

徳とく

天てん

皇のう

つぎつぎに

変か

わる蚕かいこで

仲なか

直なお

 蚕かいこは幼よう

虫ちゅうからまゆを作つく

ってサナギとな

りやがて成せい

虫ちゅうとなる蛾が

の一いっ

種しゅ

でまゆか

ら生き

糸いと

を取と

ります仁にん

徳とく

天てん

皇のう

は蚕かいこを見み

るこ

とを口こう

実じつ

にけんかをしていた皇こう

后ごう

石いわ

之の

日ひ

売めの

命みことのもとに行い

き仲なか

直なお

りすることがで

きました(下げ

巻かん

仁にん

徳とく

天てん

皇のう

気け

比ひの

大おお

神かみ

名な

前まえ

を替か

えた

大おお

鞆とも

和わ

気け

 大おお

鞆とも

和わ

気けの

命みこと(のちの応おう

神じん

天てん

皇のう

)が敦つる

賀が

行い

ったときおともの建たけ

内うちの

宿すく

禰ねの

命みことの夢ゆめ

に土と

地ち

の神かみ

様さま

が現あらわれ自じ

分ぶん

の名な

前まえ

と大おおともわけのみこと

鞆和気命

の名な

前まえ

とを替か

えようと言い

いました承しょう

諾だく

ると翌よく

朝あさ

たくさんのイルカを贈おく

り物もの

とし

てくださいました(中ちゅう

巻かん

仲ちゅう

哀あい

天てん

皇のう

大おお

贄にえ

捧ささ

げる歌うた

うたう国くに

主す

 吉よし

野の

の国くに

主す

という人ひと

たちは応おう

神じん

天てん

皇のう

お酒さけ

を差さ

し上あ

げる時とき

楽がっ

器き

の代か

わりに口くち

音おと

を出だ

しいろいろな仕し

草ぐさ

をしながら歌うた

うたいましたその後ご

その地ち

では天てん

皇のう

に大おお

贄にえ

(特とく

別べつ

な食た

べ物もの

)を捧ささ

げる時とき

にその

歌うた

をうたうようになりました(中ちゅう

巻かん

応おう

神じん

天てん

皇のう

裳も

の糸いと

飯めし

粒つぶ

つけて

鮎あゆ

を釣つ

 神じん

功ぐう

皇こう

后ごう

は四し

月がつ

上じょう

旬じゅんに玉たま

島しまの

里さと

の川かわ

着き

物もの

の糸いと

を抜ぬ

き取と

り飯めし

粒つぶ

をえさにして鮎あゆ

を釣つ

りましたこのときからこの川かわ

では

同おな

じ時じ

期き

に女じょ

性せい

たちが着き

物もの

の糸いと

と飯めし

粒つぶ

で鮎あゆ

を釣つ

るようになりました(中ちゅう

巻かん

仲ちゅう

哀あい

天てん

皇のう

333435

3132 30

13

虻あぶ

食た

べた

蜻とんぼ蛉にちなむ

蜻あきず蛉島しま

 野の

原はら

へ狩か

りに出で

かけた雄ゆう

略りゃく

天てん

皇のう

の腕うで

を虻あぶ

がかみましたがその虻あぶ

を蜻とんぼ蛉がくわえて

飛と

び去さ

りました天てん

皇のう

は蜻とんぼ蛉をほめ大やまとの和

国くに

は蜻あきず蛉島しま

とよぶのにふさわしいと歌うた

によ

みましたこの場ば

所しょ

は阿あ

岐き

豆ず

野の

と呼よ

ばれる

ようになりました(下げ

巻かん

雄ゆう

略りゃく

天てん

皇のう

隼はやぶさよ

鷦さざき鷯を取と

れと

機はた

を織お

 女め

鳥どりの

王みこ

は夫おっとの速はや

総ぶさ

別わけの

王みこ

に「隼はやぶさよ鷦さざき鷯

を取と

ってしまえ」と機はた

を織お

りながら歌うた

いま

した隼はやぶさとは速はや

総ぶさ

別わけの

王みこ

のこと鷦さざき鷯とは大おお

雀さざきの

命みこと(仁にん

徳とく

天てん

皇のう

)のことですこの歌うた

知し

った天てん

皇のう

は軍ぐん

勢ぜい

を集あつ

め逆ぎゃくに二ふたり人を倒たお

ました(下げ

巻かん

仁にん

徳とく

天てん

皇のう

)鷦さざき鷯はミソサザ

イという鳥と

のことです

すばらしき船ふね たからかに響ひび

琴こと

となる

 一いっ

本ぽん

の巨きょ

木ぼく

で造つく

った船ふね

「枯から

野の

」はたいへ

ん速はや

く仁にん

徳とく

天てん

皇のう

の飲の

み水みず

を淡あわ

路じ

島しま

から運はこ

びましたこの船ふね

が壊こわ

れたので船せん

材ざい

を焼や

いて残のこ

った木き

で琴こと

を作つく

りましたこの琴こと

音ね

は遠とお

くまで響ひび

き人ひと

々びと

は歌うた

をうたって琴こと

をほめたたえました(下げ

巻かん

仁にん

徳とく

天てん

皇のう

御ご

殿てん

から

天てん

皇のう

救すく

大やまと和へと

 墨すみの

江えの

中なかつ

王みこ

は天てん

皇のう

の位くらいをねらい履り

中ちゅう

天てん

皇のう

が寝ね

ている御ご

殿てん

に火ひ

をつけました天てん

皇のう

は阿あ

知ちの

直あたいに助たす

け出だ

され大やまと和に向む

かいまし

た途と

中ちゅう天てん

皇のう

は燃も

える御ご

殿てん

を遠とお

くから見み

残のこ

してきた皇こう

后ごう

を心しん

配ぱい

する歌うた

をうたいまし

た(下げ

巻かん

履り

中ちゅう

天てん

皇のう

恋こい

しくて

伊い

予よ

へ追お

い行ゆ

衣そと

通おりの

王みこ

 次つぎ

の天てん

皇のう

になることを約やく

束そく

されていた木き

梨なし

之の

軽かるの

太おお

子みこ

は人ひと

々びと

の信しん

頼らい

を失うしな

ってついに

は捕とら

えられ伊い

予よ

の道どう

後ご

温おん

泉せん

に流なが

されまし

た妹いもうとの衣そと

通おりの

王みこ

は太おお

子みこ

を恋こ

い慕した

って伊い

予よ

行い

き太おお

子みこ

と再さい

会かい

しました(下げ

巻かん

允いん

恭ぎょう

天てん

皇のう

)伊い

予よ

は今いま

の愛え

媛ひめ

県けん

です

天てん

皇のう

お召め

しを待ま

って

八はちじゅうねん

十年

 雄ゆう

略りゃく

天てん

皇のう

は引ひけ

田た

部べの

赤あか

猪い

子こ

を見み

てすぐ呼よ

び寄よ

せるから結けっ

婚こん

せずに待ま

っているよう命めい

じましたしかし天てん

皇のう

はそのことを忘わす

赤あか

猪い

子こ

はとうとう八はちじゅうねん

十年も待ま

ち続つづ

けました

赤あか

猪い

子こ

は自じ

分ぶん

から天てん

皇のう

に会あ

いに行い

き歌うた

交か

わしました(下げ

巻かん

雄ゆう

略りゃく

天てん

皇のう

41

3738

39

36

40

14

一ひと

言こと

主ぬし 天てん

皇のう

たちと

瓜うり

ふたつ

 雄ゆう

略りゃく

天てん

皇のう

が従じゅう

者しゃ

と葛かずら

城き

山やま

へ出で

かけると

自じ

分ぶん

たちとそっくりな人ひと

たちと出で

会あ

いまし

たそれを見み

た天てん

皇のう

は失しつ

礼れい

だと怒おこ

りました

が相あい

手て

が葛かず

城らき

之の

一ひと

言こと

主ぬし

之の

大おお

神かみ

とわかると

大た

刀ち

と弓ゆみ

矢や

従じゅうしゃ者の衣い

服ふく

を大おお

神かみ

に差さ

し上あ

ました(下げ

巻かん

雄ゆう

略りゃく

天てん

皇のう

杯さかずきの

木こ

の葉は

をめでたく

歌うた

にして

 お酒さけ

に落お

ち葉ば

の浮う

かんだことを知し

らずに

雄ゆう

略りゃく

天てん

皇のう

に杯さかずきを捧ささ

げた三み

重え

の采うね

女め

に天てん

皇のう

は怒おこ

って罰ばつ

を与あた

えようとしましたすると

三み

重え

の采うね

女め

は落お

ち葉ば

が浮う

かんだことをめ

でたいこととして歌うた

にうたい天てん

皇のう

をほめ

たたえ罪つみ

を許ゆる

されました(下げ

巻かん

雄ゆう

略りゃく

天てん

皇のう

)采うね

女め

は宮きゅう

中ちゅうで働はたらく女じょ

性せい

のことです

譲ゆず

り合あ

意お

祁け

と袁を

祁け

とは

王おう

子じ

なり

 意おけのみこと

祁命と袁をけのみこと

祁命の兄きょうだい弟は身み

をかくして馬うま

飼か

い牛うし

飼か

いの仕し

事ごと

をしていましたある

日ひ

お祝いわ

いの席せき

で二ふたり人は舞ま

う順じゅん

番ばん

を譲ゆず

合あ

って履り

中ちゅう

天てん

皇のう

の孫まご

であることを歌うた

であ

かしました兄きょう

弟だい

は宮きゅう

殿でん

に迎むか

えられ二ふたり人

とも後のち

に天てん

皇のう

になりました(下げ

巻かん

清せい

寧ねい

天てん

皇のう

)八や

雲くも

立た

出いづも雲八や

重へ

垣がき

妻つま

籠ご

みに

八や

重へ

垣がき

作つく

その八や

重へ

垣がき

 建たけ

速はや

須す

佐さ

之の

男おの

命みことは八や

俣また

の大おろち蛇を退たい

治じ

して

194797くし

名な

田だ

比ひ

売め

を救すく

い妻つま

にしましたそして

須す

賀が

という土と

地ち

に新あたらしい宮みや

を造つく

りました

その時とき

そこに立た

ち上のぼ

った雲くも

を妻つま

の住す

宮みや

を幾いく

重え

にも囲かこ

む垣かき

のようだと歌うた

によみま

した(上じょう

巻かん

古こ

事じ

記き

かるた

歌か

謡よう

編へん

一いち

覧らん

猪いのししに

追お

われて榛はり

木き

に登のぼ

 雄ゆう

略りゃく

天てん

皇のう

が葛かずら

城き

山やま

に登のぼ

ったとき大おお

きな

猪いのししが現あらわれました天てん

皇のう

は矢や

で射い

ましたが

猪いのししはうなり声ごえ

をあげて近ちか

づいてきます天てん

皇のう

は榛はり

の木き

に登のぼ

って逃に

げ助たす

けてくれた木き

への感かん

謝しゃ

を歌うた

にしました(下げ

巻かん

雄ゆう

略りゃく

天てん

皇のう

)榛はり

はハンノキのことです

4344

4546

42

15

倭やまとは

国くに

の真ま

秀ほ

ろば

たたなづく

青あを

垣かき

山やま

籠ごも

れる 倭やまとし麗うるはし

 倭やまと

建たけるの

命みことは父ちち

景けい

行こう

天てん

皇のう

の命めい

令れい

で西にし

へ東ひがしへと言い

うことを聞き

かない者もの

を倒たお

す旅たび

に出で

ましたところがその旅たび

先さき

で病びょう

気き

なってしまいましたふるさとの大やまと和をな

つかしみこの歌うた

をよみついに亡な

くなっ

てしまいました(中ちゅう

巻かん

景けい

行こう

天てん

皇のう

倭やま

方とへ

行ゆ

くは誰た

が夫つま

隠こも

り処づ

下した

よ延は

へつつ

行ゆ

くは誰た

が夫つま

 皇こう

后ごう

石いわ

之の

比ひ

売めの

命みことの嫉しっ

妬と

を恐おそ

れて故こき

郷ょう

の吉き

備びの

国くに

にもどっていた黒くろ

日ひ

売め

を恋こい

しく思おも

い仁にん

徳とく

天てん

皇のう

は吉き

備びの

国くに

に黒くろ

日ひ

売め

を訪たず

ねて行い

きましたともに楽たの

しいひとときを過す

ごし

天てん

皇のう

が都みやこにもどるときに黒くろ

日ひ

売め

は天てん

皇のう

歌うた

を差さ

し上あ

げました(下げ

巻かん

仁にん

徳とく

天てん

皇のう

潮しほ

瀬せ

波な

折を

りを見み

れば 

遊あそ

び来く

鮪しび

が端はた

手で

妻つま

立た

てり見み

 袁をけのみこと

祁命(のちの顕けん

宗ぞう

天てん

皇のう

)が大お

魚うお

という

名な

の乙おと

女め

に結けっ

婚こん

を申もう

し込こ

もうとしていた

とき志し

毘びの

臣おみ

も歌うた

垣がき

の場ば

で大お

魚うお

を誘さそ

いまし

た歌うた

垣がき

とは男だん

女じょ

が集あつままって歌うた

をよみ合あ

う場ば

です二ふ

たり人

は明あ

け方が

まで歌う

で戦

たたか

い続つ

ました(下げ

巻かん

清せい

寧ねい

天てん

皇のう

狭さ

井ゐ

河がは

雲くも

立た

ち渡わた

畝うね

火び

山やま

木こ

の葉は

さやぎぬ

風かぜ

吹ふ

かむとす

 神じん

武む

天てん

皇のう

が亡な

くなった後あと

天てん

皇のう

の子こ

の当た

芸ぎ

志し

美み

々みの

命みことは皇こう

后ごう

だった伊い

須す

気け

余よ

理り

比ひ

売め

を妻つま

にし比ひ

売め

の子こ

である三さん

人にん

の弟おとうとを倒たお

うとしました比ひ

売め

は歌うた

で息むす

子こ

たちに危き

険けん

を知し

らせ聞き

き知し

った息むす

子こ

たちは当た

芸ぎ

志し

美み

々みの

命みことを打う

ち負ま

かしました(中ちゅう

巻かん

神じん

武む

天てん

皇のう

4748

4950

16

学がっ

校こう

および各かく

施し

設せつ

関かん

係けい

者しゃ

保ほ

護ご

者しゃ

の皆みな

様さま

 

本ほん製せい品ひんは子こ

どもたちにかるた遊あそびをとおして『古こ

事じ

記き

』の世せ

界かいにふれ

てもらいたいとの思おもいから奈な

良ら

県けんが独どく自じ

に企き

画かく制せい作さくしたものです

本ほん製せい品ひんはリズムのよさやわかりやすさを重じゅう視し

して作さく成せいしている部ぶ

分ぶんも

含ふくまれます正せい確かくな記き

述じゅつを心こころがけて作さく成せいしておりますが見けん解かい学がく

説せつ

等などの相そう違い

についてはご了りょう承しょうください

神しん名めい人じん名めい地ち

名めい等などの固こ

有ゆう

名めい詞し

の表ひょう記き

にあたっては小しょう

学がく館かん『新しん

編ぺん

日に

本ほん

古こ

典てん

文ぶん

学がく

全ぜん

集しゅう1 

古こ

事じ

記き

』(校こう

注ちゅう

訳やく

山やま

口ぐち

佳よし

紀のり

神こう

野の

志し

隆たか

光みつ

の記き

載さいを参さん考こうにしました

文もん言ごん等などの漢かん字じ

表ひょう記き

については親したしみやすさの観かん点てんから常じょう用よう漢かん字じ

中ちゅう心しんに記き

載さいしました

ふりがなについては現げん代だいかなづかいを基き

本ほんに記き

載さいしました

Page 6: こ き かるたについて...3 1 1 1 みんなで遊 あそ ぼう! 古 事こ 記じ かるたのき 遊 あそ び方 かた 読 よ み手 て (一 ひと 人 り )と取

6

ふることぶみめくり

その3

二ふたり人以いじょう上

11

物もの

語がたり編へんの絵え

札ふだ

四よん

十じゅう五ご

枚まい

と歌か

謡よう

編へんの字じ

札ふだ(全ぜん

文ぶん

が載の

っている札ふだ)五ご

枚まいを裏うら

返がえして合あ

わせよく混ま

ぜて

から二ふたつの山やまに積つ

み上あ

ます

ジャンケンなどでめくる

人ひとの順じゅん番ばんを決き

めます

順じゅん番ばんに二ふたつの山やまのどち

らでもよいので一いち

枚まいずつ

札ふだをめくっていきます最さい

初しょの一ひと

文も

字じ

の枠わくが何なに

色いろか

によって札ふだをもらえる

枚まい数すうがちがったり没ぼっ

収しゅう

されたりします

①青あお

色いろ

ならその一いち

枚まい

だけを

もらえます

②黒くろ

色いろ

なら何な

ももらえず

持も

っていた札ふだ

はすべて没ぼっ

収しゅうされます

③金きん

色いろ

ならもう二に

枚まい

(合ごう

計けい

三さん

枚まい

)もらえますもしも

没ぼっしゅう収された札ふだ

があればそ

の札ふだ

を全ぜん

部ぶ

もらうことがで

きます

④赤あか

色いろ

ならもう一いち

枚まい

(合ごう

計けい

二に

枚まい

)もらえます

⑤歌か

謡よう

編へん

の札ふだ

ならその歌か

謡よう

を元げん

気き

な声こえ

で読よ

み上あ

げさ

らに一いち

枚まい

(合ごう

計けい

二に

枚まい

)もら

えます

二ふたつの山やまがなくなったと

き手て

元もとにある枚まい

数すうが多おお

い人ひとが勝か

ちです

12

金きん

色いろ

+lArr二に

枚まい

三さん枚まいもらえる

赤あか色いろ

lArr一いち枚まい

二に

枚まいもらえる

青あお

色いろ

黒くろ色いろ

lArr

lArr

lArr

一いち枚まいもらえる

二に

枚まいもらえる

元げん気き

な声こえで

読よ

み上あ

げると

もう一い

ち枚まい

持も

ち札ふだをすべて没ぼっ

収しゅう

歌か

謡よう編へんの札ふだ

没ぼ

っ収し

ゅうさ

れた札ふ

だが

 あれば全ぜん部ぶ

 らえる

遊あそ

び方かた

7

いにしえの

世せ

界かい

へ探たん

検けん

古ふる

事こと

記ぶみ

 『古こ

事じ

記き

』は「こじき」または「ふるこ

とぶみ」と読よ

みます日に

本ほん

に残のこ

っている一いち

番ばん

古ふるい書しょ

物もつ

で和わ

銅どう

五ご

年ねん

(七一二)に奈な

良ら

で完かん

成せい

しました天てん

地ち

の始はじ

まりと神かみ

様さま

世せ

界かい

を作つく

っていく物もの

語がたりまた各かく

天てん

皇のう

の時じ

代だい

ごとに起お

こったことや言い

い伝つた

えなどが書か

かれています(上じょう

巻かん

序じょ

稗ひえ

田だの

阿あ

礼れ

と太おおの

安やす

万ま

侶ろ

 力ちから

合あ

わせて

古こ

事じ

記き

完かん

成せい

 『古こ

事じ

記き

』を作つく

ろうと最さい

初しょ

に考かんがえたのは

飛あすか鳥時じ

代だい

の天てん

武む

天てん

皇のう

です記き

憶おく

力りょくばつぐん

の稗ひえ

田だの

阿あ

礼れ

に古ふ

くから伝つ

えられてきたこ

となどを読よ

み覚おぼ

えさせましたその後ご

阿あ

礼れ

の話はなしを太おおの

安やす

万ま

侶ろ

がまとめ『古こ

事じ

記き

』がで

き上あ

がりました(上じょう

巻かん

序じょ

あをによし

奈な

良ら

の都みやこで

古こ

事じ

記き

でき

 『古こ

事じ

記き

』が完かん

成せい

したのは奈な

良ら

時じ

代だい

の和わ

銅どう

五ご

年ねん

(七一二)で天てん

武む

天てん

皇のう

から三さん

代だい

後あと

元げん

明めい

天てん

皇のう

の時じ

代だい

でした元げん

明めい

天てん

皇のう

は『古こ

事じ

記き

』が完かん

成せい

する二に

年ねん

前まえ

の和わ

銅どう

三さん

年ねん

(七一〇)

に都みやこを藤ふじ

原わら

京きょうから奈な

良ら

の都みやこ平へい

城じょう

京きょうに移うつ

しました(上じょう

巻かん

序じょ

こをろこをろ

天あめ

の沼ぬ

矛ほこ

島しま

を生う

 ただよっている地ち

上じょうの世せ

界かい

を固かた

めるため

伊い

耶ざ

那な

岐きの

命みことと伊い

耶ざ

那な

美みの

命みことは天あめ

の浮うき

橋はし

に立た

て天あめ

の沼ぬ

矛ほこ

という道どう

具ぐ

でかき回まわ

しました

引ひ

き上あ

げた矛ほこ

の先さき

からぽとぽとと落お

ちた潮しお

が積つ

もり淤お

能の

碁ご

呂ろ

島じま

になりました(上じょう

巻かん

)伊い

耶ざ

那な

岐き

伊い

耶ざ

那な

美み

追お

って

黄よ

み泉に行ゆ

 伊い

耶ざ

那な

岐きの

命みことと伊い

耶ざ

那な

美みの

命みことは次つぎ

々つぎ

に国くに

や神かみ

様さま

を生う

み出だ

しましたが伊い

耶ざ

那な

美みの

命みことは火ひ

神かみ

様さま

を生う

んだとき大おお

やけどで亡な

くなって

しまいました伊い

耶ざ

那な

岐きの

命みことは悲かな

しみあの

世よ

の国くに

である黄よ

泉もつ

国くに

へ伊い

耶ざ

那な

美みの

命みことを探さが

しに

行い

きました(上じょう

巻かん

古こ

事じ

記き

かるた

物もの

語がたり

編へん

一いち

覧らん

順じゅん番ばんに二ふたつの山やまのどち

らでもよいので一いち

枚まいずつ

札ふだをめくっていきます最さい

初しょの一ひと

文も

字じ

の枠わくが何なに

色いろか

によって札ふだをもらえる

枚まい数すうがちがったり没ぼっ

収しゅう

されたりします

5

34

8

天あめ

宇のう

受ず

売め

踊おど

って神かみ

誘さそ

い出だ

 天あま

照てらす

大おお

御み

神かみ

が閉と

じこもった「天あめ

の石いわ

屋や

の前まえ

で天あめ

宇のう

受ずめ

売のみ

命こと

が神かみ

がかりして踊おど

ると

神かみ

様さま

たちは大おお

笑わら

い不ふ

思し

議ぎ

に思おも

った天あま

照てらす

大おお

御み

神かみ

が岩いわ

の戸と

を少すこ

し開あ

け外そと

を見み

ようとし

たとき天あめのたぢからおのかみ

手力男神が大おお

御み

神かみ

を引ひ

っ張ぱ

り出だ

し世せ

界かい

はまた明あか

るくなりました(上じょう

巻かん

須す

佐さ

之の

男お

出いずもの雲国くに

追お

いやられ

 建たけ

速はや

須す

佐さ

之の

男おの

命みことが高たか

天あまの

原はら

で暴あば

れたことを

怒おこ

った神かみ

様さま

たちは罰ばつ

として命みことのひげと手て

足あし

の爪つめ

を切き

って高たか

天あまの

原はら

を追お

い払はら

いました

追お

い払はら

われた命みことは出いずものくに

雲国にたどり着つ

きま

した(上じょう

巻かん

)出いず

雲もの

国くには今いま

の島しま

根ね

県けんです

八や

俣また

の大おろち蛇

酒さけ

に酔よ

わせて

退たい

治じ

する

 出いずものくに

雲国では八や

俣また

の大おろち蛇が人ひと

びとを苦くる

しめ

ていました建たけ

速はや

須す

佐さ

之の

男おの

命みことは大おろち蛇に酒さけ

飲の

ませ酔よ

って眠ねむ

ったところを退たい

治じ

しまし

た大おろち蛇の尾お

を切き

ったときに出で

てきたすば

らしい剣つるぎ(草くさ

なぎの剣つるぎ)は天あまてらすおおみかみ

照大御神に

差さ

し上あ

げました(上じょう

巻かん

清きよ

く明あか

き 心こころの証あか

しと

うけいする

 建たけ

速はや

須す

佐さ

之の

男おの

命みことは高たか

天あまの

原はら

をうばうために

やって来き

たと姉あね

の天あま

照てらす

大おお

御み

神かみ

に疑うたがわれま

したそこで「うけい」という占うらないをし

て子こ

を生う

み心こころが清きよ

らかなことを証しょう

明めい

しま

した命みことの持も

ち物もの

の剣つるぎからは女め

神がみ

が生う

まれ

戦たたかう気き

持も

ちがないことがわかりました(上じょう

巻かん

)天あま

照てらす

大おお

御み

神かみ

天あめ

の石いわ

屋や

世よ

は闇やみ

 建たけ

速はや

須す

佐さ

之の

男おの

命みことが高たか

天あまの

原はら

で暴あば

れたので

天あま

照てらす

大おお

御み

神かみ

は「天あめ

の石いわ

屋や

」に閉と

じこもり

岩いわ

の戸と

を閉し

めてしまいましたすると世せ

界かい

じゅうが真ま

っ暗くら

になってしまい悪わる

いこ

とが次つぎ

々つぎ

と起お

こりました(上じょう

巻かん

目め

から鼻はな

から生う

まれた

三さん

貴き

神しん

 黄よ

泉もつ

国くに

から戻もど

った伊い

耶ざ

那な

岐きの

命みことは体からだを

洗あら

って身み

を清きよ

めましたすると神かみ

様さま

次つぎ

々つぎ

に生う

まれ最さい

後ご

に左ひだりの目め

を洗あら

うと天あま

照てらす

大おお

御み

神かみ

右みぎ

の目め

を洗あら

うと月つく

読よみの

命みこと鼻はな

洗あら

うと建たけ

速はや

須す

佐さ

之の

男おの

命みことという貴とうとい三み

柱はしらの

神かみ

様さま

が生う

まれました(上じょう

巻かん

78

91011

6

9

大おお

穴あな

牟む

遅じ

助たす

けた稲いな

羽ば

素しろ

兎うさぎ

 稲いな

羽ば

の素しろ

兎うさぎはわにをだましたことがば

れて皮かわ

をはがされてしまいました大おお

穴あな

牟む

遅じの

神かみ

の兄あに

たちの八や

十そ

神かみ

にもいじめられ兎うさぎ

は泣な

いて苦くる

しんでいました通とお

りかかった

大おお

穴あな

牟む

遅じの

神かみ

が傷きず

の治なお

し方かた

を教おし

えてあげて

兎うさぎは元げん

気き

になりました(上じょう

巻かん

)大おお

穴あな

牟む

遅じの

神かみ

は大おお

国くに

主ぬしの

神かみのことです

鼠ねずみが教おし

えた「

内うち

はほらほら

外と

はすぶすぶ」

 大おお

穴あな

牟む

遅じの

神かみは建たけ

速はや

須す

佐さ

之の

男おの

命みことの娘むすめ須す

勢せ

理り

毘び

売めの

命みことと出で

会あ

い結けっ

婚こんしました怒おこ

った建たけ

速はや

須す

佐さ

之の

男おの

命みことは野の

原はらに矢や

を射い

て大おお

穴あな

牟む

遅じの

神かみに取と

りに

行い

かせその野の

原はらに火ひ

をつけましたが鼠ねずみが野の

原はら

の下し

に穴あ

があると教お

えてくれたので無ぶ

事じ

でし

た(上じょう

巻かん)

大おお

国くに

主ぬし

少すく

名な

毘び

古こ

那な

国くに

づくり

 大おお

国くに

主ぬしの

神かみ

のところに小ちい

さな神かみ

様さま

がやっ

てきましたがだれも名な

前まえ

を知し

りません

田た

んぼのかかしの久く

延え

毘び

古こ

だけが少すく

名な

毘び

古こ

那なの

神かみ

という名な

前まえ

を知し

っていました大おお

国くに

主ぬしの

神かみ

は少すく

名な

毘び

古こ

那なの

神かみ

といっしょに出いずも雲で

国くに

づくりをしました(上じょう

巻かん

天てん

孫そん

降こう

臨りん

先せん

導どう

したのは

猿さる

田た

毘び

古こ

 天あま

照てらす

大おお

御み

神かみ

高たか

木ぎの

神かみ

は地ち

上じょうの葦あし

原はらの

中なかつ

国くに

は自じ

分ぶん

の子し

孫そん

が治おさ

める国くに

と考かんがえ邇に

に々

芸ぎの

命みことを地ち

上じょうに天あま

降くだ

しました天あま

降くだ

る途と

中ちゅう猿さる

田た

毘び

古この

神かみ

が迎むか

えに来き

てくれました(上じょう

巻かん

国くに

ゆずり

せまった神かみ

建たけ

御みか

雷ずち

 建たけみかずちのかみ

御雷神は出いずものくに

雲国の海うみ

の波なみ

打う

ち際ぎわ

に剣つるぎ

をさかさまに立た

てその剣つるぎの先さき

に座すわ

り葦あし

原はらの

中なかつ

国くに

を治おさ

めていた大おお

国くに

主ぬしの

神かみ

に国くに

をゆ

ずるように言い

いました大おお

国くに

主ぬしの

神かみ

は二ふたり人の

息むす

子こ

と相そう

談だん

し葦あし

原はらの

中なかつ

国くに

を高たか

天あまの

原はら

の神かみ

様さま

にゆずることにしました(上じょう

巻かん

釣つ

り針ばり

探さが

綿わた

津つ

見みの

神かみ

の宮みや

 火ほ

遠お

理りの

命みこと(山やま

佐さ

知ち

毘び

古こ

)は兄あに

の火ほでりのみこと

照命

(海うみ

佐さ

知ち

毘び

古こ

)から借か

りた釣つ

り針ばり

をなくし

それを探さが

すうちに海うみ

の底そこ

の綿わた

津つ

見みの

神かみ

の宮みや

行い

きその娘むすめの豊とよ

玉たま

毘び

売めの

命みことと結けっ

婚こん

しました

楽たの

しく暮く

らした後あと

綿わた

津つ

見みの

神かみ

に釣つ

り針ばり

を見み

つけてもらい陸りく

に戻もど

りました(上じょう

巻かん

121314

151617

10

導みちびくは 神かみ

の使つか

いの

八や

咫あた

烏からす

 高たか

天あまの

原はら

の天あま

照てらす

大おお

御み

神かみ

高たか

木ぎの

神かみ

の命めい

を受う

けて建たけ

御みかずち雷神のかみは神かむ

倭やまと

伊い

波わ

礼れ

毘び

古この

命みこと(の

ちの神じん

武む

天てん

皇のう

)に不ふ

思し

議ぎ

な力ちからをもつ大た

刀ち

与あた

えましたさらに凶きょう

暴ぼう

な神かみ

たちが待ま

ている道みち

を無ぶ

事じ

に進すす

むために八や

咫あた

烏からすとい

う大おお

きなカラスに道みち

案あん

内ない

をさせました(中ちゅう

巻かん

神じん

武む

天てん

皇のう

兄え

宇う

迦か

斯し

たくらみ告つ

げる

弟おと

宇う

迦か

斯し

 神かむ

倭やまと

伊い

波わ

礼れ

毘び

古この

命みこと(のちの神じん

武む

天てん

皇のう

)が

宇う

陀だ

に着つ

いたときその地ち

に暮く

らす兄え

宇う

迦か

斯し

は命みことをだまして倒たお

そうとしましたそれ

を知し

った弟おとうとの弟おと

宇う

迦か

斯し

は兄あに

の御ご

殿てん

にわなが

仕し

掛か

けてあることを教おし

え命みことは助たす

かりまし

た(中ちゅう

巻かん

神じん

武む

天てん

皇のう

神じん

武む

天てん

皇のう

橿かし

原はらの

宮みや

即そく

位い

する

 神かむ

倭やまと

伊い

波わ

礼れ

毘び

古この

命みことはさまざまな荒あ

れすさ

ぶ神かみ

たちを平へい

定てい

して畝うね

傍び

山やま

のふもとの橿かし

原はらの

宮みや

で最さい

初しょ

の天てん

皇のう

として即そく

位い

し世よ

の中なか

治おさ

めました(中ちゅう

巻かん

神じん

武む

天てん

皇のう

長なが

い糸いと

たどって行ゆ

けば

三み

輪わ

の山やま

 夜よ

中なか

美うつくしい活いく

玉たま

依より

毘び

売め

のもとに立りっ

派ぱ

な姿すがたの男だん

性せい

がやってきて一いっ

緒しょ

になりました

両りょう

親しん

に教おし

えられ男だん

性せい

の服ふく

のすそに糸いと

をつ

けた針はり

を刺さ

してたどると三み

輪わ

山やま

の社やしろに着つ

き男だん

性せい

は大おお

物もの

主ぬしの

大おお

神かみ

だとわかりました

(中ちゅう

巻かん

崇す

神じん

天てん

皇のう

沙さ

本ほ

毘び

売め

夫おっとと兄あに

との

板いた

ばさみ

 垂すい

仁にん

天てん

皇のう

の后きさき沙さ

本ほ

毘び

売めの

命みことは兄あに

の沙さ

本ほ

毘び

古この

王みこ

から天てん

皇のう

と自じ

分ぶん

とどちらを愛あい

するか

尋たず

ねられ天てん

皇のう

を倒たお

すように言い

われます

そのことを知し

った天てん

皇のう

は兵へい

を出だ

して沙さ

本ほ

毘び

古この

王みこ

を倒たお

し沙さ

本ほ

毘び

売めの

命みことも亡な

くなりました

が子こ

どもの本ほ

牟む

智ち

和わ

気けの

御み

子こ

は取と

り戻もど

すこ

とができました(中ちゅう

巻かん

垂すい

仁にん

天てん

皇のう

船ふな

出で

して

大やまと和を目め

指ざ

神じん

武む

東とう

征せい

 

 神かむ

倭やまと

伊い

波わ

礼れ

毘び

古この

命みこと(のちの神じん

武む

天てん

皇のう

)と

兄あに

の五いつ

瀬せの

命みことは高たか

千ち

穂ほの

宮みや

で国くに

を治おさ

める場ば

所しょ

を相そう

談だん

し東ひがしへ向む

かうことにしました日ひ

向むか

から船ふね

を出だ

し豊とよ

国くに

筑つく

紫し

安あ

芸き

吉き

備び

と進すす

んでいきました(中ちゅう

巻かん

神じん

武む

天てん

皇のう

日ひ

向むか

は今いま

の宮みや

崎ざき

県けん

豊とよ

国くに

は今いま

の大おお

分いた

県けん

福ふく

岡おか

県けん

東とう

部ぶ

筑つく

紫し

は今いま

の福ふく

岡おか

県けん

安あ

芸き

は今いま

の広ひろ

島しま

県けん

吉き

備び

は今いま

の岡おか

山やま

県けん

広ひろ

島しま

県けん

東とう

部ぶ

です

2122

19

23

20 18

11

美うつくしき 少しょう

女じょ

になって

熊くま

曾そ

討う

 景けい

行こう

天てん

皇のう

の子こ

の小お

碓うすの

命みことは父ちち

から熊くま

曾そ

建たけるを討う

ち取と

るように命めい

じられました命みことは

髪かみ

型がた

や着き

物もの

を少しょう

女じょ

のようにして熊くま

曾そ

建たけるの

宴えん

会かい

にまぎれこみ退たい

治じ

しました熊くま

曾そ

建たける

は命みことの強つよ

さをほめたたえ「倭やまと

建たけるの

御み

子こ

」と

いう名な

前まえ

を贈おく

りました(中ちゅう

巻かん

景けい

行こう

天てん

皇のう

草くさ

なぎの

剣つるぎが救すく

危き

機き

一いっ

髪ぱつ

 倭やまと

建たけるの

命みことは東ひがしの方ほう

に戦たたかいに行い

く途と

中ちゅう伊い

勢せ

大だい

神じん

宮ぐう

に寄よ

りおばの倭やまと

比ひ

売めの

命みことから草くさ

ぎの剣つるぎと火ひ

打う

ち石いし

をもらいましただまさ

れて野の

原はら

に火ひ

をつけられたとき倭やまと

建たけるの

命みこと

は草くさ

なぎの剣つるぎでまわりの草くさ

を切き

り払はら

い向む

かい火び

をつけて助たす

かりました(中ちゅう

巻かん

景けい

行こう

天てん

皇のう

荒あら

波なみ

静しず

めるために

身み

を捧ささ

 倭やまと

建たけるの

命みことが走はしり

水みずの海うみを渡わた

ろうとすると海うみ

の神かみ

様さま

が荒あら

波なみ

を起お

こし船ふね

がぐるぐると回まわ

るばかりです倭やまと

建たけるの

命みことの妻つま

弟おと

橘たちばな

比ひ

売めの

命みことが身み

代が

わりとなって海うみ

に身み

を沈しず

めると

波なみ

が静しず

かになり船ふね

を進すす

めることができま

した(中ちゅう

巻かん

景けい

行こう

天てん

皇のう

白しろ

猪いのししの

姿すがたの神かみ

あなどりて

 倭やまと

建たけるの

命みことは草くさ

なぎの剣つるぎを妻つま

美み

夜や

受ず

比ひ

売め

に預あず

け伊い

吹ぶき

山やま

に出で

かけました伊い

吹ぶき

山やま

神かみ

様さま

は白しろ

い大おお

きな猪いのししの姿すがたで現あらわれましたが

命みことは神かみ

の使つか

いと間ま

違ちが

えてしまいました神かみ

様さま

は怒おこ

り激はげ

しい氷ひさめ雨を降ふ

らせ命みことをすっ

かり弱よわ

らせてしまいました(中ちゅう

巻かん

景けい

行こう

天てん

皇のう

)天あま

翔か

ける

大おお

きな白しろ

鳥とり

になり

 倭やまと

建たけるの

命みことが能の

煩ぼ

野の

で亡な

くなると大やまと和に

いた后きさきや子こ

どもたちがみなやってきて泣な

き悲かな

しみましたやがて命みことは大おお

きな白しろ

い千ち

鳥どり

の姿すがたになって羽は

ばたき浜はま

に向むか

って飛と

でいきましたみんな泣な

きながらその後あと

追お

いかけました(中ちゅう

巻かん

景けい

行こう

天てん

皇のう

ときじくの

かくの木この

実み

間ま

に合あ

わず

 垂すい

仁にん

天てん

皇のう

は遠とお

い常とこ

世よの

国くに

から「ときじく

のかくの木この

実み

」を持も

ってくるよう多た

遅じ

摩ま

毛も

理り

に命めい

じました実み

を持も

ち帰かえ

るとすでに

天てん

皇のう

は亡な

くなっていました多た

遅じ

摩ま

毛も

理り

お墓はか

に向むか

って実み

を高たか

く持も

ち上あ

げ泣な

き叫さけ

ながら亡な

くなりました(中ちゅう

巻かん

垂すい

仁にん

天てん

皇のう

「ときじくのかくの木この

実み

」とは「いつも輝かがやく木き

の実み

」という意い

味み

です

25

29

26

2728

24

12

税ぜい

はとらぬ

かまどに煙けむり

立た

つまでは

 仁にん

徳とく

天てん

皇のう

はかまどから煙けむりが立た

ち上のぼ

って

いないのを見み

て人ひと

々びと

が暮く

らしに困こま

ってい

ることを知し

りましたそこで天てん

皇のう

は税ぜい

をな

くし宮きゅう

殿でん

の修しゅう

理り

もやめました三さん

年ねん

後ご

人ひと

々びと

の家いえ

のかまどからは再ふたたび煙けむりが立た

ち上のぼ

ようになりました(下げ

巻かん

仁にん

徳とく

天てん

皇のう

石いわ

之の

日ひ

売め

御み

綱つな

柏がしわを

海うみ

に捨す

 仁にん

徳とく

天てん

皇のう

の皇こう

后ごう

石いわ

之の

日ひ

売めの

命みことは宴えん

会かい

に使つか

う御み

綱つな

柏がしわの葉は

を取と

りに船ふね

で出で

かけました

その間あいだに天てん

皇のう

が別べつ

の女じょ

性せい

と仲なか

良よ

くなった

ことを知し

って皇こう

后ごう

はたいへん怒おこ

りせっ

かく集あつ

めた御み

綱つな

柏がしわを全ぜん

部ぶ

海うみ

に投な

げ捨す

ててし

まいました(下げ

巻かん

仁にん

徳とく

天てん

皇のう

つぎつぎに

変か

わる蚕かいこで

仲なか

直なお

 蚕かいこは幼よう

虫ちゅうからまゆを作つく

ってサナギとな

りやがて成せい

虫ちゅうとなる蛾が

の一いっ

種しゅ

でまゆか

ら生き

糸いと

を取と

ります仁にん

徳とく

天てん

皇のう

は蚕かいこを見み

るこ

とを口こう

実じつ

にけんかをしていた皇こう

后ごう

石いわ

之の

日ひ

売めの

命みことのもとに行い

き仲なか

直なお

りすることがで

きました(下げ

巻かん

仁にん

徳とく

天てん

皇のう

気け

比ひの

大おお

神かみ

名な

前まえ

を替か

えた

大おお

鞆とも

和わ

気け

 大おお

鞆とも

和わ

気けの

命みこと(のちの応おう

神じん

天てん

皇のう

)が敦つる

賀が

行い

ったときおともの建たけ

内うちの

宿すく

禰ねの

命みことの夢ゆめ

に土と

地ち

の神かみ

様さま

が現あらわれ自じ

分ぶん

の名な

前まえ

と大おおともわけのみこと

鞆和気命

の名な

前まえ

とを替か

えようと言い

いました承しょう

諾だく

ると翌よく

朝あさ

たくさんのイルカを贈おく

り物もの

とし

てくださいました(中ちゅう

巻かん

仲ちゅう

哀あい

天てん

皇のう

大おお

贄にえ

捧ささ

げる歌うた

うたう国くに

主す

 吉よし

野の

の国くに

主す

という人ひと

たちは応おう

神じん

天てん

皇のう

お酒さけ

を差さ

し上あ

げる時とき

楽がっ

器き

の代か

わりに口くち

音おと

を出だ

しいろいろな仕し

草ぐさ

をしながら歌うた

うたいましたその後ご

その地ち

では天てん

皇のう

に大おお

贄にえ

(特とく

別べつ

な食た

べ物もの

)を捧ささ

げる時とき

にその

歌うた

をうたうようになりました(中ちゅう

巻かん

応おう

神じん

天てん

皇のう

裳も

の糸いと

飯めし

粒つぶ

つけて

鮎あゆ

を釣つ

 神じん

功ぐう

皇こう

后ごう

は四し

月がつ

上じょう

旬じゅんに玉たま

島しまの

里さと

の川かわ

着き

物もの

の糸いと

を抜ぬ

き取と

り飯めし

粒つぶ

をえさにして鮎あゆ

を釣つ

りましたこのときからこの川かわ

では

同おな

じ時じ

期き

に女じょ

性せい

たちが着き

物もの

の糸いと

と飯めし

粒つぶ

で鮎あゆ

を釣つ

るようになりました(中ちゅう

巻かん

仲ちゅう

哀あい

天てん

皇のう

333435

3132 30

13

虻あぶ

食た

べた

蜻とんぼ蛉にちなむ

蜻あきず蛉島しま

 野の

原はら

へ狩か

りに出で

かけた雄ゆう

略りゃく

天てん

皇のう

の腕うで

を虻あぶ

がかみましたがその虻あぶ

を蜻とんぼ蛉がくわえて

飛と

び去さ

りました天てん

皇のう

は蜻とんぼ蛉をほめ大やまとの和

国くに

は蜻あきず蛉島しま

とよぶのにふさわしいと歌うた

によ

みましたこの場ば

所しょ

は阿あ

岐き

豆ず

野の

と呼よ

ばれる

ようになりました(下げ

巻かん

雄ゆう

略りゃく

天てん

皇のう

隼はやぶさよ

鷦さざき鷯を取と

れと

機はた

を織お

 女め

鳥どりの

王みこ

は夫おっとの速はや

総ぶさ

別わけの

王みこ

に「隼はやぶさよ鷦さざき鷯

を取と

ってしまえ」と機はた

を織お

りながら歌うた

いま

した隼はやぶさとは速はや

総ぶさ

別わけの

王みこ

のこと鷦さざき鷯とは大おお

雀さざきの

命みこと(仁にん

徳とく

天てん

皇のう

)のことですこの歌うた

知し

った天てん

皇のう

は軍ぐん

勢ぜい

を集あつ

め逆ぎゃくに二ふたり人を倒たお

ました(下げ

巻かん

仁にん

徳とく

天てん

皇のう

)鷦さざき鷯はミソサザ

イという鳥と

のことです

すばらしき船ふね たからかに響ひび

琴こと

となる

 一いっ

本ぽん

の巨きょ

木ぼく

で造つく

った船ふね

「枯から

野の

」はたいへ

ん速はや

く仁にん

徳とく

天てん

皇のう

の飲の

み水みず

を淡あわ

路じ

島しま

から運はこ

びましたこの船ふね

が壊こわ

れたので船せん

材ざい

を焼や

いて残のこ

った木き

で琴こと

を作つく

りましたこの琴こと

音ね

は遠とお

くまで響ひび

き人ひと

々びと

は歌うた

をうたって琴こと

をほめたたえました(下げ

巻かん

仁にん

徳とく

天てん

皇のう

御ご

殿てん

から

天てん

皇のう

救すく

大やまと和へと

 墨すみの

江えの

中なかつ

王みこ

は天てん

皇のう

の位くらいをねらい履り

中ちゅう

天てん

皇のう

が寝ね

ている御ご

殿てん

に火ひ

をつけました天てん

皇のう

は阿あ

知ちの

直あたいに助たす

け出だ

され大やまと和に向む

かいまし

た途と

中ちゅう天てん

皇のう

は燃も

える御ご

殿てん

を遠とお

くから見み

残のこ

してきた皇こう

后ごう

を心しん

配ぱい

する歌うた

をうたいまし

た(下げ

巻かん

履り

中ちゅう

天てん

皇のう

恋こい

しくて

伊い

予よ

へ追お

い行ゆ

衣そと

通おりの

王みこ

 次つぎ

の天てん

皇のう

になることを約やく

束そく

されていた木き

梨なし

之の

軽かるの

太おお

子みこ

は人ひと

々びと

の信しん

頼らい

を失うしな

ってついに

は捕とら

えられ伊い

予よ

の道どう

後ご

温おん

泉せん

に流なが

されまし

た妹いもうとの衣そと

通おりの

王みこ

は太おお

子みこ

を恋こ

い慕した

って伊い

予よ

行い

き太おお

子みこ

と再さい

会かい

しました(下げ

巻かん

允いん

恭ぎょう

天てん

皇のう

)伊い

予よ

は今いま

の愛え

媛ひめ

県けん

です

天てん

皇のう

お召め

しを待ま

って

八はちじゅうねん

十年

 雄ゆう

略りゃく

天てん

皇のう

は引ひけ

田た

部べの

赤あか

猪い

子こ

を見み

てすぐ呼よ

び寄よ

せるから結けっ

婚こん

せずに待ま

っているよう命めい

じましたしかし天てん

皇のう

はそのことを忘わす

赤あか

猪い

子こ

はとうとう八はちじゅうねん

十年も待ま

ち続つづ

けました

赤あか

猪い

子こ

は自じ

分ぶん

から天てん

皇のう

に会あ

いに行い

き歌うた

交か

わしました(下げ

巻かん

雄ゆう

略りゃく

天てん

皇のう

41

3738

39

36

40

14

一ひと

言こと

主ぬし 天てん

皇のう

たちと

瓜うり

ふたつ

 雄ゆう

略りゃく

天てん

皇のう

が従じゅう

者しゃ

と葛かずら

城き

山やま

へ出で

かけると

自じ

分ぶん

たちとそっくりな人ひと

たちと出で

会あ

いまし

たそれを見み

た天てん

皇のう

は失しつ

礼れい

だと怒おこ

りました

が相あい

手て

が葛かず

城らき

之の

一ひと

言こと

主ぬし

之の

大おお

神かみ

とわかると

大た

刀ち

と弓ゆみ

矢や

従じゅうしゃ者の衣い

服ふく

を大おお

神かみ

に差さ

し上あ

ました(下げ

巻かん

雄ゆう

略りゃく

天てん

皇のう

杯さかずきの

木こ

の葉は

をめでたく

歌うた

にして

 お酒さけ

に落お

ち葉ば

の浮う

かんだことを知し

らずに

雄ゆう

略りゃく

天てん

皇のう

に杯さかずきを捧ささ

げた三み

重え

の采うね

女め

に天てん

皇のう

は怒おこ

って罰ばつ

を与あた

えようとしましたすると

三み

重え

の采うね

女め

は落お

ち葉ば

が浮う

かんだことをめ

でたいこととして歌うた

にうたい天てん

皇のう

をほめ

たたえ罪つみ

を許ゆる

されました(下げ

巻かん

雄ゆう

略りゃく

天てん

皇のう

)采うね

女め

は宮きゅう

中ちゅうで働はたらく女じょ

性せい

のことです

譲ゆず

り合あ

意お

祁け

と袁を

祁け

とは

王おう

子じ

なり

 意おけのみこと

祁命と袁をけのみこと

祁命の兄きょうだい弟は身み

をかくして馬うま

飼か

い牛うし

飼か

いの仕し

事ごと

をしていましたある

日ひ

お祝いわ

いの席せき

で二ふたり人は舞ま

う順じゅん

番ばん

を譲ゆず

合あ

って履り

中ちゅう

天てん

皇のう

の孫まご

であることを歌うた

であ

かしました兄きょう

弟だい

は宮きゅう

殿でん

に迎むか

えられ二ふたり人

とも後のち

に天てん

皇のう

になりました(下げ

巻かん

清せい

寧ねい

天てん

皇のう

)八や

雲くも

立た

出いづも雲八や

重へ

垣がき

妻つま

籠ご

みに

八や

重へ

垣がき

作つく

その八や

重へ

垣がき

 建たけ

速はや

須す

佐さ

之の

男おの

命みことは八や

俣また

の大おろち蛇を退たい

治じ

して

194797くし

名な

田だ

比ひ

売め

を救すく

い妻つま

にしましたそして

須す

賀が

という土と

地ち

に新あたらしい宮みや

を造つく

りました

その時とき

そこに立た

ち上のぼ

った雲くも

を妻つま

の住す

宮みや

を幾いく

重え

にも囲かこ

む垣かき

のようだと歌うた

によみま

した(上じょう

巻かん

古こ

事じ

記き

かるた

歌か

謡よう

編へん

一いち

覧らん

猪いのししに

追お

われて榛はり

木き

に登のぼ

 雄ゆう

略りゃく

天てん

皇のう

が葛かずら

城き

山やま

に登のぼ

ったとき大おお

きな

猪いのししが現あらわれました天てん

皇のう

は矢や

で射い

ましたが

猪いのししはうなり声ごえ

をあげて近ちか

づいてきます天てん

皇のう

は榛はり

の木き

に登のぼ

って逃に

げ助たす

けてくれた木き

への感かん

謝しゃ

を歌うた

にしました(下げ

巻かん

雄ゆう

略りゃく

天てん

皇のう

)榛はり

はハンノキのことです

4344

4546

42

15

倭やまとは

国くに

の真ま

秀ほ

ろば

たたなづく

青あを

垣かき

山やま

籠ごも

れる 倭やまとし麗うるはし

 倭やまと

建たけるの

命みことは父ちち

景けい

行こう

天てん

皇のう

の命めい

令れい

で西にし

へ東ひがしへと言い

うことを聞き

かない者もの

を倒たお

す旅たび

に出で

ましたところがその旅たび

先さき

で病びょう

気き

なってしまいましたふるさとの大やまと和をな

つかしみこの歌うた

をよみついに亡な

くなっ

てしまいました(中ちゅう

巻かん

景けい

行こう

天てん

皇のう

倭やま

方とへ

行ゆ

くは誰た

が夫つま

隠こも

り処づ

下した

よ延は

へつつ

行ゆ

くは誰た

が夫つま

 皇こう

后ごう

石いわ

之の

比ひ

売めの

命みことの嫉しっ

妬と

を恐おそ

れて故こき

郷ょう

の吉き

備びの

国くに

にもどっていた黒くろ

日ひ

売め

を恋こい

しく思おも

い仁にん

徳とく

天てん

皇のう

は吉き

備びの

国くに

に黒くろ

日ひ

売め

を訪たず

ねて行い

きましたともに楽たの

しいひとときを過す

ごし

天てん

皇のう

が都みやこにもどるときに黒くろ

日ひ

売め

は天てん

皇のう

歌うた

を差さ

し上あ

げました(下げ

巻かん

仁にん

徳とく

天てん

皇のう

潮しほ

瀬せ

波な

折を

りを見み

れば 

遊あそ

び来く

鮪しび

が端はた

手で

妻つま

立た

てり見み

 袁をけのみこと

祁命(のちの顕けん

宗ぞう

天てん

皇のう

)が大お

魚うお

という

名な

の乙おと

女め

に結けっ

婚こん

を申もう

し込こ

もうとしていた

とき志し

毘びの

臣おみ

も歌うた

垣がき

の場ば

で大お

魚うお

を誘さそ

いまし

た歌うた

垣がき

とは男だん

女じょ

が集あつままって歌うた

をよみ合あ

う場ば

です二ふ

たり人

は明あ

け方が

まで歌う

で戦

たたか

い続つ

ました(下げ

巻かん

清せい

寧ねい

天てん

皇のう

狭さ

井ゐ

河がは

雲くも

立た

ち渡わた

畝うね

火び

山やま

木こ

の葉は

さやぎぬ

風かぜ

吹ふ

かむとす

 神じん

武む

天てん

皇のう

が亡な

くなった後あと

天てん

皇のう

の子こ

の当た

芸ぎ

志し

美み

々みの

命みことは皇こう

后ごう

だった伊い

須す

気け

余よ

理り

比ひ

売め

を妻つま

にし比ひ

売め

の子こ

である三さん

人にん

の弟おとうとを倒たお

うとしました比ひ

売め

は歌うた

で息むす

子こ

たちに危き

険けん

を知し

らせ聞き

き知し

った息むす

子こ

たちは当た

芸ぎ

志し

美み

々みの

命みことを打う

ち負ま

かしました(中ちゅう

巻かん

神じん

武む

天てん

皇のう

4748

4950

16

学がっ

校こう

および各かく

施し

設せつ

関かん

係けい

者しゃ

保ほ

護ご

者しゃ

の皆みな

様さま

 

本ほん製せい品ひんは子こ

どもたちにかるた遊あそびをとおして『古こ

事じ

記き

』の世せ

界かいにふれ

てもらいたいとの思おもいから奈な

良ら

県けんが独どく自じ

に企き

画かく制せい作さくしたものです

本ほん製せい品ひんはリズムのよさやわかりやすさを重じゅう視し

して作さく成せいしている部ぶ

分ぶんも

含ふくまれます正せい確かくな記き

述じゅつを心こころがけて作さく成せいしておりますが見けん解かい学がく

説せつ

等などの相そう違い

についてはご了りょう承しょうください

神しん名めい人じん名めい地ち

名めい等などの固こ

有ゆう

名めい詞し

の表ひょう記き

にあたっては小しょう

学がく館かん『新しん

編ぺん

日に

本ほん

古こ

典てん

文ぶん

学がく

全ぜん

集しゅう1 

古こ

事じ

記き

』(校こう

注ちゅう

訳やく

山やま

口ぐち

佳よし

紀のり

神こう

野の

志し

隆たか

光みつ

の記き

載さいを参さん考こうにしました

文もん言ごん等などの漢かん字じ

表ひょう記き

については親したしみやすさの観かん点てんから常じょう用よう漢かん字じ

中ちゅう心しんに記き

載さいしました

ふりがなについては現げん代だいかなづかいを基き

本ほんに記き

載さいしました

Page 7: こ き かるたについて...3 1 1 1 みんなで遊 あそ ぼう! 古 事こ 記じ かるたのき 遊 あそ び方 かた 読 よ み手 て (一 ひと 人 り )と取

7

いにしえの

世せ

界かい

へ探たん

検けん

古ふる

事こと

記ぶみ

 『古こ

事じ

記き

』は「こじき」または「ふるこ

とぶみ」と読よ

みます日に

本ほん

に残のこ

っている一いち

番ばん

古ふるい書しょ

物もつ

で和わ

銅どう

五ご

年ねん

(七一二)に奈な

良ら

で完かん

成せい

しました天てん

地ち

の始はじ

まりと神かみ

様さま

世せ

界かい

を作つく

っていく物もの

語がたりまた各かく

天てん

皇のう

の時じ

代だい

ごとに起お

こったことや言い

い伝つた

えなどが書か

かれています(上じょう

巻かん

序じょ

稗ひえ

田だの

阿あ

礼れ

と太おおの

安やす

万ま

侶ろ

 力ちから

合あ

わせて

古こ

事じ

記き

完かん

成せい

 『古こ

事じ

記き

』を作つく

ろうと最さい

初しょ

に考かんがえたのは

飛あすか鳥時じ

代だい

の天てん

武む

天てん

皇のう

です記き

憶おく

力りょくばつぐん

の稗ひえ

田だの

阿あ

礼れ

に古ふ

くから伝つ

えられてきたこ

となどを読よ

み覚おぼ

えさせましたその後ご

阿あ

礼れ

の話はなしを太おおの

安やす

万ま

侶ろ

がまとめ『古こ

事じ

記き

』がで

き上あ

がりました(上じょう

巻かん

序じょ

あをによし

奈な

良ら

の都みやこで

古こ

事じ

記き

でき

 『古こ

事じ

記き

』が完かん

成せい

したのは奈な

良ら

時じ

代だい

の和わ

銅どう

五ご

年ねん

(七一二)で天てん

武む

天てん

皇のう

から三さん

代だい

後あと

元げん

明めい

天てん

皇のう

の時じ

代だい

でした元げん

明めい

天てん

皇のう

は『古こ

事じ

記き

』が完かん

成せい

する二に

年ねん

前まえ

の和わ

銅どう

三さん

年ねん

(七一〇)

に都みやこを藤ふじ

原わら

京きょうから奈な

良ら

の都みやこ平へい

城じょう

京きょうに移うつ

しました(上じょう

巻かん

序じょ

こをろこをろ

天あめ

の沼ぬ

矛ほこ

島しま

を生う

 ただよっている地ち

上じょうの世せ

界かい

を固かた

めるため

伊い

耶ざ

那な

岐きの

命みことと伊い

耶ざ

那な

美みの

命みことは天あめ

の浮うき

橋はし

に立た

て天あめ

の沼ぬ

矛ほこ

という道どう

具ぐ

でかき回まわ

しました

引ひ

き上あ

げた矛ほこ

の先さき

からぽとぽとと落お

ちた潮しお

が積つ

もり淤お

能の

碁ご

呂ろ

島じま

になりました(上じょう

巻かん

)伊い

耶ざ

那な

岐き

伊い

耶ざ

那な

美み

追お

って

黄よ

み泉に行ゆ

 伊い

耶ざ

那な

岐きの

命みことと伊い

耶ざ

那な

美みの

命みことは次つぎ

々つぎ

に国くに

や神かみ

様さま

を生う

み出だ

しましたが伊い

耶ざ

那な

美みの

命みことは火ひ

神かみ

様さま

を生う

んだとき大おお

やけどで亡な

くなって

しまいました伊い

耶ざ

那な

岐きの

命みことは悲かな

しみあの

世よ

の国くに

である黄よ

泉もつ

国くに

へ伊い

耶ざ

那な

美みの

命みことを探さが

しに

行い

きました(上じょう

巻かん

古こ

事じ

記き

かるた

物もの

語がたり

編へん

一いち

覧らん

順じゅん番ばんに二ふたつの山やまのどち

らでもよいので一いち

枚まいずつ

札ふだをめくっていきます最さい

初しょの一ひと

文も

字じ

の枠わくが何なに

色いろか

によって札ふだをもらえる

枚まい数すうがちがったり没ぼっ

収しゅう

されたりします

5

34

8

天あめ

宇のう

受ず

売め

踊おど

って神かみ

誘さそ

い出だ

 天あま

照てらす

大おお

御み

神かみ

が閉と

じこもった「天あめ

の石いわ

屋や

の前まえ

で天あめ

宇のう

受ずめ

売のみ

命こと

が神かみ

がかりして踊おど

ると

神かみ

様さま

たちは大おお

笑わら

い不ふ

思し

議ぎ

に思おも

った天あま

照てらす

大おお

御み

神かみ

が岩いわ

の戸と

を少すこ

し開あ

け外そと

を見み

ようとし

たとき天あめのたぢからおのかみ

手力男神が大おお

御み

神かみ

を引ひ

っ張ぱ

り出だ

し世せ

界かい

はまた明あか

るくなりました(上じょう

巻かん

須す

佐さ

之の

男お

出いずもの雲国くに

追お

いやられ

 建たけ

速はや

須す

佐さ

之の

男おの

命みことが高たか

天あまの

原はら

で暴あば

れたことを

怒おこ

った神かみ

様さま

たちは罰ばつ

として命みことのひげと手て

足あし

の爪つめ

を切き

って高たか

天あまの

原はら

を追お

い払はら

いました

追お

い払はら

われた命みことは出いずものくに

雲国にたどり着つ

きま

した(上じょう

巻かん

)出いず

雲もの

国くには今いま

の島しま

根ね

県けんです

八や

俣また

の大おろち蛇

酒さけ

に酔よ

わせて

退たい

治じ

する

 出いずものくに

雲国では八や

俣また

の大おろち蛇が人ひと

びとを苦くる

しめ

ていました建たけ

速はや

須す

佐さ

之の

男おの

命みことは大おろち蛇に酒さけ

飲の

ませ酔よ

って眠ねむ

ったところを退たい

治じ

しまし

た大おろち蛇の尾お

を切き

ったときに出で

てきたすば

らしい剣つるぎ(草くさ

なぎの剣つるぎ)は天あまてらすおおみかみ

照大御神に

差さ

し上あ

げました(上じょう

巻かん

清きよ

く明あか

き 心こころの証あか

しと

うけいする

 建たけ

速はや

須す

佐さ

之の

男おの

命みことは高たか

天あまの

原はら

をうばうために

やって来き

たと姉あね

の天あま

照てらす

大おお

御み

神かみ

に疑うたがわれま

したそこで「うけい」という占うらないをし

て子こ

を生う

み心こころが清きよ

らかなことを証しょう

明めい

しま

した命みことの持も

ち物もの

の剣つるぎからは女め

神がみ

が生う

まれ

戦たたかう気き

持も

ちがないことがわかりました(上じょう

巻かん

)天あま

照てらす

大おお

御み

神かみ

天あめ

の石いわ

屋や

世よ

は闇やみ

 建たけ

速はや

須す

佐さ

之の

男おの

命みことが高たか

天あまの

原はら

で暴あば

れたので

天あま

照てらす

大おお

御み

神かみ

は「天あめ

の石いわ

屋や

」に閉と

じこもり

岩いわ

の戸と

を閉し

めてしまいましたすると世せ

界かい

じゅうが真ま

っ暗くら

になってしまい悪わる

いこ

とが次つぎ

々つぎ

と起お

こりました(上じょう

巻かん

目め

から鼻はな

から生う

まれた

三さん

貴き

神しん

 黄よ

泉もつ

国くに

から戻もど

った伊い

耶ざ

那な

岐きの

命みことは体からだを

洗あら

って身み

を清きよ

めましたすると神かみ

様さま

次つぎ

々つぎ

に生う

まれ最さい

後ご

に左ひだりの目め

を洗あら

うと天あま

照てらす

大おお

御み

神かみ

右みぎ

の目め

を洗あら

うと月つく

読よみの

命みこと鼻はな

洗あら

うと建たけ

速はや

須す

佐さ

之の

男おの

命みことという貴とうとい三み

柱はしらの

神かみ

様さま

が生う

まれました(上じょう

巻かん

78

91011

6

9

大おお

穴あな

牟む

遅じ

助たす

けた稲いな

羽ば

素しろ

兎うさぎ

 稲いな

羽ば

の素しろ

兎うさぎはわにをだましたことがば

れて皮かわ

をはがされてしまいました大おお

穴あな

牟む

遅じの

神かみ

の兄あに

たちの八や

十そ

神かみ

にもいじめられ兎うさぎ

は泣な

いて苦くる

しんでいました通とお

りかかった

大おお

穴あな

牟む

遅じの

神かみ

が傷きず

の治なお

し方かた

を教おし

えてあげて

兎うさぎは元げん

気き

になりました(上じょう

巻かん

)大おお

穴あな

牟む

遅じの

神かみ

は大おお

国くに

主ぬしの

神かみのことです

鼠ねずみが教おし

えた「

内うち

はほらほら

外と

はすぶすぶ」

 大おお

穴あな

牟む

遅じの

神かみは建たけ

速はや

須す

佐さ

之の

男おの

命みことの娘むすめ須す

勢せ

理り

毘び

売めの

命みことと出で

会あ

い結けっ

婚こんしました怒おこ

った建たけ

速はや

須す

佐さ

之の

男おの

命みことは野の

原はらに矢や

を射い

て大おお

穴あな

牟む

遅じの

神かみに取と

りに

行い

かせその野の

原はらに火ひ

をつけましたが鼠ねずみが野の

原はら

の下し

に穴あ

があると教お

えてくれたので無ぶ

事じ

でし

た(上じょう

巻かん)

大おお

国くに

主ぬし

少すく

名な

毘び

古こ

那な

国くに

づくり

 大おお

国くに

主ぬしの

神かみ

のところに小ちい

さな神かみ

様さま

がやっ

てきましたがだれも名な

前まえ

を知し

りません

田た

んぼのかかしの久く

延え

毘び

古こ

だけが少すく

名な

毘び

古こ

那なの

神かみ

という名な

前まえ

を知し

っていました大おお

国くに

主ぬしの

神かみ

は少すく

名な

毘び

古こ

那なの

神かみ

といっしょに出いずも雲で

国くに

づくりをしました(上じょう

巻かん

天てん

孫そん

降こう

臨りん

先せん

導どう

したのは

猿さる

田た

毘び

古こ

 天あま

照てらす

大おお

御み

神かみ

高たか

木ぎの

神かみ

は地ち

上じょうの葦あし

原はらの

中なかつ

国くに

は自じ

分ぶん

の子し

孫そん

が治おさ

める国くに

と考かんがえ邇に

に々

芸ぎの

命みことを地ち

上じょうに天あま

降くだ

しました天あま

降くだ

る途と

中ちゅう猿さる

田た

毘び

古この

神かみ

が迎むか

えに来き

てくれました(上じょう

巻かん

国くに

ゆずり

せまった神かみ

建たけ

御みか

雷ずち

 建たけみかずちのかみ

御雷神は出いずものくに

雲国の海うみ

の波なみ

打う

ち際ぎわ

に剣つるぎ

をさかさまに立た

てその剣つるぎの先さき

に座すわ

り葦あし

原はらの

中なかつ

国くに

を治おさ

めていた大おお

国くに

主ぬしの

神かみ

に国くに

をゆ

ずるように言い

いました大おお

国くに

主ぬしの

神かみ

は二ふたり人の

息むす

子こ

と相そう

談だん

し葦あし

原はらの

中なかつ

国くに

を高たか

天あまの

原はら

の神かみ

様さま

にゆずることにしました(上じょう

巻かん

釣つ

り針ばり

探さが

綿わた

津つ

見みの

神かみ

の宮みや

 火ほ

遠お

理りの

命みこと(山やま

佐さ

知ち

毘び

古こ

)は兄あに

の火ほでりのみこと

照命

(海うみ

佐さ

知ち

毘び

古こ

)から借か

りた釣つ

り針ばり

をなくし

それを探さが

すうちに海うみ

の底そこ

の綿わた

津つ

見みの

神かみ

の宮みや

行い

きその娘むすめの豊とよ

玉たま

毘び

売めの

命みことと結けっ

婚こん

しました

楽たの

しく暮く

らした後あと

綿わた

津つ

見みの

神かみ

に釣つ

り針ばり

を見み

つけてもらい陸りく

に戻もど

りました(上じょう

巻かん

121314

151617

10

導みちびくは 神かみ

の使つか

いの

八や

咫あた

烏からす

 高たか

天あまの

原はら

の天あま

照てらす

大おお

御み

神かみ

高たか

木ぎの

神かみ

の命めい

を受う

けて建たけ

御みかずち雷神のかみは神かむ

倭やまと

伊い

波わ

礼れ

毘び

古この

命みこと(の

ちの神じん

武む

天てん

皇のう

)に不ふ

思し

議ぎ

な力ちからをもつ大た

刀ち

与あた

えましたさらに凶きょう

暴ぼう

な神かみ

たちが待ま

ている道みち

を無ぶ

事じ

に進すす

むために八や

咫あた

烏からすとい

う大おお

きなカラスに道みち

案あん

内ない

をさせました(中ちゅう

巻かん

神じん

武む

天てん

皇のう

兄え

宇う

迦か

斯し

たくらみ告つ

げる

弟おと

宇う

迦か

斯し

 神かむ

倭やまと

伊い

波わ

礼れ

毘び

古この

命みこと(のちの神じん

武む

天てん

皇のう

)が

宇う

陀だ

に着つ

いたときその地ち

に暮く

らす兄え

宇う

迦か

斯し

は命みことをだまして倒たお

そうとしましたそれ

を知し

った弟おとうとの弟おと

宇う

迦か

斯し

は兄あに

の御ご

殿てん

にわなが

仕し

掛か

けてあることを教おし

え命みことは助たす

かりまし

た(中ちゅう

巻かん

神じん

武む

天てん

皇のう

神じん

武む

天てん

皇のう

橿かし

原はらの

宮みや

即そく

位い

する

 神かむ

倭やまと

伊い

波わ

礼れ

毘び

古この

命みことはさまざまな荒あ

れすさ

ぶ神かみ

たちを平へい

定てい

して畝うね

傍び

山やま

のふもとの橿かし

原はらの

宮みや

で最さい

初しょ

の天てん

皇のう

として即そく

位い

し世よ

の中なか

治おさ

めました(中ちゅう

巻かん

神じん

武む

天てん

皇のう

長なが

い糸いと

たどって行ゆ

けば

三み

輪わ

の山やま

 夜よ

中なか

美うつくしい活いく

玉たま

依より

毘び

売め

のもとに立りっ

派ぱ

な姿すがたの男だん

性せい

がやってきて一いっ

緒しょ

になりました

両りょう

親しん

に教おし

えられ男だん

性せい

の服ふく

のすそに糸いと

をつ

けた針はり

を刺さ

してたどると三み

輪わ

山やま

の社やしろに着つ

き男だん

性せい

は大おお

物もの

主ぬしの

大おお

神かみ

だとわかりました

(中ちゅう

巻かん

崇す

神じん

天てん

皇のう

沙さ

本ほ

毘び

売め

夫おっとと兄あに

との

板いた

ばさみ

 垂すい

仁にん

天てん

皇のう

の后きさき沙さ

本ほ

毘び

売めの

命みことは兄あに

の沙さ

本ほ

毘び

古この

王みこ

から天てん

皇のう

と自じ

分ぶん

とどちらを愛あい

するか

尋たず

ねられ天てん

皇のう

を倒たお

すように言い

われます

そのことを知し

った天てん

皇のう

は兵へい

を出だ

して沙さ

本ほ

毘び

古この

王みこ

を倒たお

し沙さ

本ほ

毘び

売めの

命みことも亡な

くなりました

が子こ

どもの本ほ

牟む

智ち

和わ

気けの

御み

子こ

は取と

り戻もど

すこ

とができました(中ちゅう

巻かん

垂すい

仁にん

天てん

皇のう

船ふな

出で

して

大やまと和を目め

指ざ

神じん

武む

東とう

征せい

 

 神かむ

倭やまと

伊い

波わ

礼れ

毘び

古この

命みこと(のちの神じん

武む

天てん

皇のう

)と

兄あに

の五いつ

瀬せの

命みことは高たか

千ち

穂ほの

宮みや

で国くに

を治おさ

める場ば

所しょ

を相そう

談だん

し東ひがしへ向む

かうことにしました日ひ

向むか

から船ふね

を出だ

し豊とよ

国くに

筑つく

紫し

安あ

芸き

吉き

備び

と進すす

んでいきました(中ちゅう

巻かん

神じん

武む

天てん

皇のう

日ひ

向むか

は今いま

の宮みや

崎ざき

県けん

豊とよ

国くに

は今いま

の大おお

分いた

県けん

福ふく

岡おか

県けん

東とう

部ぶ

筑つく

紫し

は今いま

の福ふく

岡おか

県けん

安あ

芸き

は今いま

の広ひろ

島しま

県けん

吉き

備び

は今いま

の岡おか

山やま

県けん

広ひろ

島しま

県けん

東とう

部ぶ

です

2122

19

23

20 18

11

美うつくしき 少しょう

女じょ

になって

熊くま

曾そ

討う

 景けい

行こう

天てん

皇のう

の子こ

の小お

碓うすの

命みことは父ちち

から熊くま

曾そ

建たけるを討う

ち取と

るように命めい

じられました命みことは

髪かみ

型がた

や着き

物もの

を少しょう

女じょ

のようにして熊くま

曾そ

建たけるの

宴えん

会かい

にまぎれこみ退たい

治じ

しました熊くま

曾そ

建たける

は命みことの強つよ

さをほめたたえ「倭やまと

建たけるの

御み

子こ

」と

いう名な

前まえ

を贈おく

りました(中ちゅう

巻かん

景けい

行こう

天てん

皇のう

草くさ

なぎの

剣つるぎが救すく

危き

機き

一いっ

髪ぱつ

 倭やまと

建たけるの

命みことは東ひがしの方ほう

に戦たたかいに行い

く途と

中ちゅう伊い

勢せ

大だい

神じん

宮ぐう

に寄よ

りおばの倭やまと

比ひ

売めの

命みことから草くさ

ぎの剣つるぎと火ひ

打う

ち石いし

をもらいましただまさ

れて野の

原はら

に火ひ

をつけられたとき倭やまと

建たけるの

命みこと

は草くさ

なぎの剣つるぎでまわりの草くさ

を切き

り払はら

い向む

かい火び

をつけて助たす

かりました(中ちゅう

巻かん

景けい

行こう

天てん

皇のう

荒あら

波なみ

静しず

めるために

身み

を捧ささ

 倭やまと

建たけるの

命みことが走はしり

水みずの海うみを渡わた

ろうとすると海うみ

の神かみ

様さま

が荒あら

波なみ

を起お

こし船ふね

がぐるぐると回まわ

るばかりです倭やまと

建たけるの

命みことの妻つま

弟おと

橘たちばな

比ひ

売めの

命みことが身み

代が

わりとなって海うみ

に身み

を沈しず

めると

波なみ

が静しず

かになり船ふね

を進すす

めることができま

した(中ちゅう

巻かん

景けい

行こう

天てん

皇のう

白しろ

猪いのししの

姿すがたの神かみ

あなどりて

 倭やまと

建たけるの

命みことは草くさ

なぎの剣つるぎを妻つま

美み

夜や

受ず

比ひ

売め

に預あず

け伊い

吹ぶき

山やま

に出で

かけました伊い

吹ぶき

山やま

神かみ

様さま

は白しろ

い大おお

きな猪いのししの姿すがたで現あらわれましたが

命みことは神かみ

の使つか

いと間ま

違ちが

えてしまいました神かみ

様さま

は怒おこ

り激はげ

しい氷ひさめ雨を降ふ

らせ命みことをすっ

かり弱よわ

らせてしまいました(中ちゅう

巻かん

景けい

行こう

天てん

皇のう

)天あま

翔か

ける

大おお

きな白しろ

鳥とり

になり

 倭やまと

建たけるの

命みことが能の

煩ぼ

野の

で亡な

くなると大やまと和に

いた后きさきや子こ

どもたちがみなやってきて泣な

き悲かな

しみましたやがて命みことは大おお

きな白しろ

い千ち

鳥どり

の姿すがたになって羽は

ばたき浜はま

に向むか

って飛と

でいきましたみんな泣な

きながらその後あと

追お

いかけました(中ちゅう

巻かん

景けい

行こう

天てん

皇のう

ときじくの

かくの木この

実み

間ま

に合あ

わず

 垂すい

仁にん

天てん

皇のう

は遠とお

い常とこ

世よの

国くに

から「ときじく

のかくの木この

実み

」を持も

ってくるよう多た

遅じ

摩ま

毛も

理り

に命めい

じました実み

を持も

ち帰かえ

るとすでに

天てん

皇のう

は亡な

くなっていました多た

遅じ

摩ま

毛も

理り

お墓はか

に向むか

って実み

を高たか

く持も

ち上あ

げ泣な

き叫さけ

ながら亡な

くなりました(中ちゅう

巻かん

垂すい

仁にん

天てん

皇のう

「ときじくのかくの木この

実み

」とは「いつも輝かがやく木き

の実み

」という意い

味み

です

25

29

26

2728

24

12

税ぜい

はとらぬ

かまどに煙けむり

立た

つまでは

 仁にん

徳とく

天てん

皇のう

はかまどから煙けむりが立た

ち上のぼ

って

いないのを見み

て人ひと

々びと

が暮く

らしに困こま

ってい

ることを知し

りましたそこで天てん

皇のう

は税ぜい

をな

くし宮きゅう

殿でん

の修しゅう

理り

もやめました三さん

年ねん

後ご

人ひと

々びと

の家いえ

のかまどからは再ふたたび煙けむりが立た

ち上のぼ

ようになりました(下げ

巻かん

仁にん

徳とく

天てん

皇のう

石いわ

之の

日ひ

売め

御み

綱つな

柏がしわを

海うみ

に捨す

 仁にん

徳とく

天てん

皇のう

の皇こう

后ごう

石いわ

之の

日ひ

売めの

命みことは宴えん

会かい

に使つか

う御み

綱つな

柏がしわの葉は

を取と

りに船ふね

で出で

かけました

その間あいだに天てん

皇のう

が別べつ

の女じょ

性せい

と仲なか

良よ

くなった

ことを知し

って皇こう

后ごう

はたいへん怒おこ

りせっ

かく集あつ

めた御み

綱つな

柏がしわを全ぜん

部ぶ

海うみ

に投な

げ捨す

ててし

まいました(下げ

巻かん

仁にん

徳とく

天てん

皇のう

つぎつぎに

変か

わる蚕かいこで

仲なか

直なお

 蚕かいこは幼よう

虫ちゅうからまゆを作つく

ってサナギとな

りやがて成せい

虫ちゅうとなる蛾が

の一いっ

種しゅ

でまゆか

ら生き

糸いと

を取と

ります仁にん

徳とく

天てん

皇のう

は蚕かいこを見み

るこ

とを口こう

実じつ

にけんかをしていた皇こう

后ごう

石いわ

之の

日ひ

売めの

命みことのもとに行い

き仲なか

直なお

りすることがで

きました(下げ

巻かん

仁にん

徳とく

天てん

皇のう

気け

比ひの

大おお

神かみ

名な

前まえ

を替か

えた

大おお

鞆とも

和わ

気け

 大おお

鞆とも

和わ

気けの

命みこと(のちの応おう

神じん

天てん

皇のう

)が敦つる

賀が

行い

ったときおともの建たけ

内うちの

宿すく

禰ねの

命みことの夢ゆめ

に土と

地ち

の神かみ

様さま

が現あらわれ自じ

分ぶん

の名な

前まえ

と大おおともわけのみこと

鞆和気命

の名な

前まえ

とを替か

えようと言い

いました承しょう

諾だく

ると翌よく

朝あさ

たくさんのイルカを贈おく

り物もの

とし

てくださいました(中ちゅう

巻かん

仲ちゅう

哀あい

天てん

皇のう

大おお

贄にえ

捧ささ

げる歌うた

うたう国くに

主す

 吉よし

野の

の国くに

主す

という人ひと

たちは応おう

神じん

天てん

皇のう

お酒さけ

を差さ

し上あ

げる時とき

楽がっ

器き

の代か

わりに口くち

音おと

を出だ

しいろいろな仕し

草ぐさ

をしながら歌うた

うたいましたその後ご

その地ち

では天てん

皇のう

に大おお

贄にえ

(特とく

別べつ

な食た

べ物もの

)を捧ささ

げる時とき

にその

歌うた

をうたうようになりました(中ちゅう

巻かん

応おう

神じん

天てん

皇のう

裳も

の糸いと

飯めし

粒つぶ

つけて

鮎あゆ

を釣つ

 神じん

功ぐう

皇こう

后ごう

は四し

月がつ

上じょう

旬じゅんに玉たま

島しまの

里さと

の川かわ

着き

物もの

の糸いと

を抜ぬ

き取と

り飯めし

粒つぶ

をえさにして鮎あゆ

を釣つ

りましたこのときからこの川かわ

では

同おな

じ時じ

期き

に女じょ

性せい

たちが着き

物もの

の糸いと

と飯めし

粒つぶ

で鮎あゆ

を釣つ

るようになりました(中ちゅう

巻かん

仲ちゅう

哀あい

天てん

皇のう

333435

3132 30

13

虻あぶ

食た

べた

蜻とんぼ蛉にちなむ

蜻あきず蛉島しま

 野の

原はら

へ狩か

りに出で

かけた雄ゆう

略りゃく

天てん

皇のう

の腕うで

を虻あぶ

がかみましたがその虻あぶ

を蜻とんぼ蛉がくわえて

飛と

び去さ

りました天てん

皇のう

は蜻とんぼ蛉をほめ大やまとの和

国くに

は蜻あきず蛉島しま

とよぶのにふさわしいと歌うた

によ

みましたこの場ば

所しょ

は阿あ

岐き

豆ず

野の

と呼よ

ばれる

ようになりました(下げ

巻かん

雄ゆう

略りゃく

天てん

皇のう

隼はやぶさよ

鷦さざき鷯を取と

れと

機はた

を織お

 女め

鳥どりの

王みこ

は夫おっとの速はや

総ぶさ

別わけの

王みこ

に「隼はやぶさよ鷦さざき鷯

を取と

ってしまえ」と機はた

を織お

りながら歌うた

いま

した隼はやぶさとは速はや

総ぶさ

別わけの

王みこ

のこと鷦さざき鷯とは大おお

雀さざきの

命みこと(仁にん

徳とく

天てん

皇のう

)のことですこの歌うた

知し

った天てん

皇のう

は軍ぐん

勢ぜい

を集あつ

め逆ぎゃくに二ふたり人を倒たお

ました(下げ

巻かん

仁にん

徳とく

天てん

皇のう

)鷦さざき鷯はミソサザ

イという鳥と

のことです

すばらしき船ふね たからかに響ひび

琴こと

となる

 一いっ

本ぽん

の巨きょ

木ぼく

で造つく

った船ふね

「枯から

野の

」はたいへ

ん速はや

く仁にん

徳とく

天てん

皇のう

の飲の

み水みず

を淡あわ

路じ

島しま

から運はこ

びましたこの船ふね

が壊こわ

れたので船せん

材ざい

を焼や

いて残のこ

った木き

で琴こと

を作つく

りましたこの琴こと

音ね

は遠とお

くまで響ひび

き人ひと

々びと

は歌うた

をうたって琴こと

をほめたたえました(下げ

巻かん

仁にん

徳とく

天てん

皇のう

御ご

殿てん

から

天てん

皇のう

救すく

大やまと和へと

 墨すみの

江えの

中なかつ

王みこ

は天てん

皇のう

の位くらいをねらい履り

中ちゅう

天てん

皇のう

が寝ね

ている御ご

殿てん

に火ひ

をつけました天てん

皇のう

は阿あ

知ちの

直あたいに助たす

け出だ

され大やまと和に向む

かいまし

た途と

中ちゅう天てん

皇のう

は燃も

える御ご

殿てん

を遠とお

くから見み

残のこ

してきた皇こう

后ごう

を心しん

配ぱい

する歌うた

をうたいまし

た(下げ

巻かん

履り

中ちゅう

天てん

皇のう

恋こい

しくて

伊い

予よ

へ追お

い行ゆ

衣そと

通おりの

王みこ

 次つぎ

の天てん

皇のう

になることを約やく

束そく

されていた木き

梨なし

之の

軽かるの

太おお

子みこ

は人ひと

々びと

の信しん

頼らい

を失うしな

ってついに

は捕とら

えられ伊い

予よ

の道どう

後ご

温おん

泉せん

に流なが

されまし

た妹いもうとの衣そと

通おりの

王みこ

は太おお

子みこ

を恋こ

い慕した

って伊い

予よ

行い

き太おお

子みこ

と再さい

会かい

しました(下げ

巻かん

允いん

恭ぎょう

天てん

皇のう

)伊い

予よ

は今いま

の愛え

媛ひめ

県けん

です

天てん

皇のう

お召め

しを待ま

って

八はちじゅうねん

十年

 雄ゆう

略りゃく

天てん

皇のう

は引ひけ

田た

部べの

赤あか

猪い

子こ

を見み

てすぐ呼よ

び寄よ

せるから結けっ

婚こん

せずに待ま

っているよう命めい

じましたしかし天てん

皇のう

はそのことを忘わす

赤あか

猪い

子こ

はとうとう八はちじゅうねん

十年も待ま

ち続つづ

けました

赤あか

猪い

子こ

は自じ

分ぶん

から天てん

皇のう

に会あ

いに行い

き歌うた

交か

わしました(下げ

巻かん

雄ゆう

略りゃく

天てん

皇のう

41

3738

39

36

40

14

一ひと

言こと

主ぬし 天てん

皇のう

たちと

瓜うり

ふたつ

 雄ゆう

略りゃく

天てん

皇のう

が従じゅう

者しゃ

と葛かずら

城き

山やま

へ出で

かけると

自じ

分ぶん

たちとそっくりな人ひと

たちと出で

会あ

いまし

たそれを見み

た天てん

皇のう

は失しつ

礼れい

だと怒おこ

りました

が相あい

手て

が葛かず

城らき

之の

一ひと

言こと

主ぬし

之の

大おお

神かみ

とわかると

大た

刀ち

と弓ゆみ

矢や

従じゅうしゃ者の衣い

服ふく

を大おお

神かみ

に差さ

し上あ

ました(下げ

巻かん

雄ゆう

略りゃく

天てん

皇のう

杯さかずきの

木こ

の葉は

をめでたく

歌うた

にして

 お酒さけ

に落お

ち葉ば

の浮う

かんだことを知し

らずに

雄ゆう

略りゃく

天てん

皇のう

に杯さかずきを捧ささ

げた三み

重え

の采うね

女め

に天てん

皇のう

は怒おこ

って罰ばつ

を与あた

えようとしましたすると

三み

重え

の采うね

女め

は落お

ち葉ば

が浮う

かんだことをめ

でたいこととして歌うた

にうたい天てん

皇のう

をほめ

たたえ罪つみ

を許ゆる

されました(下げ

巻かん

雄ゆう

略りゃく

天てん

皇のう

)采うね

女め

は宮きゅう

中ちゅうで働はたらく女じょ

性せい

のことです

譲ゆず

り合あ

意お

祁け

と袁を

祁け

とは

王おう

子じ

なり

 意おけのみこと

祁命と袁をけのみこと

祁命の兄きょうだい弟は身み

をかくして馬うま

飼か

い牛うし

飼か

いの仕し

事ごと

をしていましたある

日ひ

お祝いわ

いの席せき

で二ふたり人は舞ま

う順じゅん

番ばん

を譲ゆず

合あ

って履り

中ちゅう

天てん

皇のう

の孫まご

であることを歌うた

であ

かしました兄きょう

弟だい

は宮きゅう

殿でん

に迎むか

えられ二ふたり人

とも後のち

に天てん

皇のう

になりました(下げ

巻かん

清せい

寧ねい

天てん

皇のう

)八や

雲くも

立た

出いづも雲八や

重へ

垣がき

妻つま

籠ご

みに

八や

重へ

垣がき

作つく

その八や

重へ

垣がき

 建たけ

速はや

須す

佐さ

之の

男おの

命みことは八や

俣また

の大おろち蛇を退たい

治じ

して

194797くし

名な

田だ

比ひ

売め

を救すく

い妻つま

にしましたそして

須す

賀が

という土と

地ち

に新あたらしい宮みや

を造つく

りました

その時とき

そこに立た

ち上のぼ

った雲くも

を妻つま

の住す

宮みや

を幾いく

重え

にも囲かこ

む垣かき

のようだと歌うた

によみま

した(上じょう

巻かん

古こ

事じ

記き

かるた

歌か

謡よう

編へん

一いち

覧らん

猪いのししに

追お

われて榛はり

木き

に登のぼ

 雄ゆう

略りゃく

天てん

皇のう

が葛かずら

城き

山やま

に登のぼ

ったとき大おお

きな

猪いのししが現あらわれました天てん

皇のう

は矢や

で射い

ましたが

猪いのししはうなり声ごえ

をあげて近ちか

づいてきます天てん

皇のう

は榛はり

の木き

に登のぼ

って逃に

げ助たす

けてくれた木き

への感かん

謝しゃ

を歌うた

にしました(下げ

巻かん

雄ゆう

略りゃく

天てん

皇のう

)榛はり

はハンノキのことです

4344

4546

42

15

倭やまとは

国くに

の真ま

秀ほ

ろば

たたなづく

青あを

垣かき

山やま

籠ごも

れる 倭やまとし麗うるはし

 倭やまと

建たけるの

命みことは父ちち

景けい

行こう

天てん

皇のう

の命めい

令れい

で西にし

へ東ひがしへと言い

うことを聞き

かない者もの

を倒たお

す旅たび

に出で

ましたところがその旅たび

先さき

で病びょう

気き

なってしまいましたふるさとの大やまと和をな

つかしみこの歌うた

をよみついに亡な

くなっ

てしまいました(中ちゅう

巻かん

景けい

行こう

天てん

皇のう

倭やま

方とへ

行ゆ

くは誰た

が夫つま

隠こも

り処づ

下した

よ延は

へつつ

行ゆ

くは誰た

が夫つま

 皇こう

后ごう

石いわ

之の

比ひ

売めの

命みことの嫉しっ

妬と

を恐おそ

れて故こき

郷ょう

の吉き

備びの

国くに

にもどっていた黒くろ

日ひ

売め

を恋こい

しく思おも

い仁にん

徳とく

天てん

皇のう

は吉き

備びの

国くに

に黒くろ

日ひ

売め

を訪たず

ねて行い

きましたともに楽たの

しいひとときを過す

ごし

天てん

皇のう

が都みやこにもどるときに黒くろ

日ひ

売め

は天てん

皇のう

歌うた

を差さ

し上あ

げました(下げ

巻かん

仁にん

徳とく

天てん

皇のう

潮しほ

瀬せ

波な

折を

りを見み

れば 

遊あそ

び来く

鮪しび

が端はた

手で

妻つま

立た

てり見み

 袁をけのみこと

祁命(のちの顕けん

宗ぞう

天てん

皇のう

)が大お

魚うお

という

名な

の乙おと

女め

に結けっ

婚こん

を申もう

し込こ

もうとしていた

とき志し

毘びの

臣おみ

も歌うた

垣がき

の場ば

で大お

魚うお

を誘さそ

いまし

た歌うた

垣がき

とは男だん

女じょ

が集あつままって歌うた

をよみ合あ

う場ば

です二ふ

たり人

は明あ

け方が

まで歌う

で戦

たたか

い続つ

ました(下げ

巻かん

清せい

寧ねい

天てん

皇のう

狭さ

井ゐ

河がは

雲くも

立た

ち渡わた

畝うね

火び

山やま

木こ

の葉は

さやぎぬ

風かぜ

吹ふ

かむとす

 神じん

武む

天てん

皇のう

が亡な

くなった後あと

天てん

皇のう

の子こ

の当た

芸ぎ

志し

美み

々みの

命みことは皇こう

后ごう

だった伊い

須す

気け

余よ

理り

比ひ

売め

を妻つま

にし比ひ

売め

の子こ

である三さん

人にん

の弟おとうとを倒たお

うとしました比ひ

売め

は歌うた

で息むす

子こ

たちに危き

険けん

を知し

らせ聞き

き知し

った息むす

子こ

たちは当た

芸ぎ

志し

美み

々みの

命みことを打う

ち負ま

かしました(中ちゅう

巻かん

神じん

武む

天てん

皇のう

4748

4950

16

学がっ

校こう

および各かく

施し

設せつ

関かん

係けい

者しゃ

保ほ

護ご

者しゃ

の皆みな

様さま

 

本ほん製せい品ひんは子こ

どもたちにかるた遊あそびをとおして『古こ

事じ

記き

』の世せ

界かいにふれ

てもらいたいとの思おもいから奈な

良ら

県けんが独どく自じ

に企き

画かく制せい作さくしたものです

本ほん製せい品ひんはリズムのよさやわかりやすさを重じゅう視し

して作さく成せいしている部ぶ

分ぶんも

含ふくまれます正せい確かくな記き

述じゅつを心こころがけて作さく成せいしておりますが見けん解かい学がく

説せつ

等などの相そう違い

についてはご了りょう承しょうください

神しん名めい人じん名めい地ち

名めい等などの固こ

有ゆう

名めい詞し

の表ひょう記き

にあたっては小しょう

学がく館かん『新しん

編ぺん

日に

本ほん

古こ

典てん

文ぶん

学がく

全ぜん

集しゅう1 

古こ

事じ

記き

』(校こう

注ちゅう

訳やく

山やま

口ぐち

佳よし

紀のり

神こう

野の

志し

隆たか

光みつ

の記き

載さいを参さん考こうにしました

文もん言ごん等などの漢かん字じ

表ひょう記き

については親したしみやすさの観かん点てんから常じょう用よう漢かん字じ

中ちゅう心しんに記き

載さいしました

ふりがなについては現げん代だいかなづかいを基き

本ほんに記き

載さいしました

Page 8: こ き かるたについて...3 1 1 1 みんなで遊 あそ ぼう! 古 事こ 記じ かるたのき 遊 あそ び方 かた 読 よ み手 て (一 ひと 人 り )と取

8

天あめ

宇のう

受ず

売め

踊おど

って神かみ

誘さそ

い出だ

 天あま

照てらす

大おお

御み

神かみ

が閉と

じこもった「天あめ

の石いわ

屋や

の前まえ

で天あめ

宇のう

受ずめ

売のみ

命こと

が神かみ

がかりして踊おど

ると

神かみ

様さま

たちは大おお

笑わら

い不ふ

思し

議ぎ

に思おも

った天あま

照てらす

大おお

御み

神かみ

が岩いわ

の戸と

を少すこ

し開あ

け外そと

を見み

ようとし

たとき天あめのたぢからおのかみ

手力男神が大おお

御み

神かみ

を引ひ

っ張ぱ

り出だ

し世せ

界かい

はまた明あか

るくなりました(上じょう

巻かん

須す

佐さ

之の

男お

出いずもの雲国くに

追お

いやられ

 建たけ

速はや

須す

佐さ

之の

男おの

命みことが高たか

天あまの

原はら

で暴あば

れたことを

怒おこ

った神かみ

様さま

たちは罰ばつ

として命みことのひげと手て

足あし

の爪つめ

を切き

って高たか

天あまの

原はら

を追お

い払はら

いました

追お

い払はら

われた命みことは出いずものくに

雲国にたどり着つ

きま

した(上じょう

巻かん

)出いず

雲もの

国くには今いま

の島しま

根ね

県けんです

八や

俣また

の大おろち蛇

酒さけ

に酔よ

わせて

退たい

治じ

する

 出いずものくに

雲国では八や

俣また

の大おろち蛇が人ひと

びとを苦くる

しめ

ていました建たけ

速はや

須す

佐さ

之の

男おの

命みことは大おろち蛇に酒さけ

飲の

ませ酔よ

って眠ねむ

ったところを退たい

治じ

しまし

た大おろち蛇の尾お

を切き

ったときに出で

てきたすば

らしい剣つるぎ(草くさ

なぎの剣つるぎ)は天あまてらすおおみかみ

照大御神に

差さ

し上あ

げました(上じょう

巻かん

清きよ

く明あか

き 心こころの証あか

しと

うけいする

 建たけ

速はや

須す

佐さ

之の

男おの

命みことは高たか

天あまの

原はら

をうばうために

やって来き

たと姉あね

の天あま

照てらす

大おお

御み

神かみ

に疑うたがわれま

したそこで「うけい」という占うらないをし

て子こ

を生う

み心こころが清きよ

らかなことを証しょう

明めい

しま

した命みことの持も

ち物もの

の剣つるぎからは女め

神がみ

が生う

まれ

戦たたかう気き

持も

ちがないことがわかりました(上じょう

巻かん

)天あま

照てらす

大おお

御み

神かみ

天あめ

の石いわ

屋や

世よ

は闇やみ

 建たけ

速はや

須す

佐さ

之の

男おの

命みことが高たか

天あまの

原はら

で暴あば

れたので

天あま

照てらす

大おお

御み

神かみ

は「天あめ

の石いわ

屋や

」に閉と

じこもり

岩いわ

の戸と

を閉し

めてしまいましたすると世せ

界かい

じゅうが真ま

っ暗くら

になってしまい悪わる

いこ

とが次つぎ

々つぎ

と起お

こりました(上じょう

巻かん

目め

から鼻はな

から生う

まれた

三さん

貴き

神しん

 黄よ

泉もつ

国くに

から戻もど

った伊い

耶ざ

那な

岐きの

命みことは体からだを

洗あら

って身み

を清きよ

めましたすると神かみ

様さま

次つぎ

々つぎ

に生う

まれ最さい

後ご

に左ひだりの目め

を洗あら

うと天あま

照てらす

大おお

御み

神かみ

右みぎ

の目め

を洗あら

うと月つく

読よみの

命みこと鼻はな

洗あら

うと建たけ

速はや

須す

佐さ

之の

男おの

命みことという貴とうとい三み

柱はしらの

神かみ

様さま

が生う

まれました(上じょう

巻かん

78

91011

6

9

大おお

穴あな

牟む

遅じ

助たす

けた稲いな

羽ば

素しろ

兎うさぎ

 稲いな

羽ば

の素しろ

兎うさぎはわにをだましたことがば

れて皮かわ

をはがされてしまいました大おお

穴あな

牟む

遅じの

神かみ

の兄あに

たちの八や

十そ

神かみ

にもいじめられ兎うさぎ

は泣な

いて苦くる

しんでいました通とお

りかかった

大おお

穴あな

牟む

遅じの

神かみ

が傷きず

の治なお

し方かた

を教おし

えてあげて

兎うさぎは元げん

気き

になりました(上じょう

巻かん

)大おお

穴あな

牟む

遅じの

神かみ

は大おお

国くに

主ぬしの

神かみのことです

鼠ねずみが教おし

えた「

内うち

はほらほら

外と

はすぶすぶ」

 大おお

穴あな

牟む

遅じの

神かみは建たけ

速はや

須す

佐さ

之の

男おの

命みことの娘むすめ須す

勢せ

理り

毘び

売めの

命みことと出で

会あ

い結けっ

婚こんしました怒おこ

った建たけ

速はや

須す

佐さ

之の

男おの

命みことは野の

原はらに矢や

を射い

て大おお

穴あな

牟む

遅じの

神かみに取と

りに

行い

かせその野の

原はらに火ひ

をつけましたが鼠ねずみが野の

原はら

の下し

に穴あ

があると教お

えてくれたので無ぶ

事じ

でし

た(上じょう

巻かん)

大おお

国くに

主ぬし

少すく

名な

毘び

古こ

那な

国くに

づくり

 大おお

国くに

主ぬしの

神かみ

のところに小ちい

さな神かみ

様さま

がやっ

てきましたがだれも名な

前まえ

を知し

りません

田た

んぼのかかしの久く

延え

毘び

古こ

だけが少すく

名な

毘び

古こ

那なの

神かみ

という名な

前まえ

を知し

っていました大おお

国くに

主ぬしの

神かみ

は少すく

名な

毘び

古こ

那なの

神かみ

といっしょに出いずも雲で

国くに

づくりをしました(上じょう

巻かん

天てん

孫そん

降こう

臨りん

先せん

導どう

したのは

猿さる

田た

毘び

古こ

 天あま

照てらす

大おお

御み

神かみ

高たか

木ぎの

神かみ

は地ち

上じょうの葦あし

原はらの

中なかつ

国くに

は自じ

分ぶん

の子し

孫そん

が治おさ

める国くに

と考かんがえ邇に

に々

芸ぎの

命みことを地ち

上じょうに天あま

降くだ

しました天あま

降くだ

る途と

中ちゅう猿さる

田た

毘び

古この

神かみ

が迎むか

えに来き

てくれました(上じょう

巻かん

国くに

ゆずり

せまった神かみ

建たけ

御みか

雷ずち

 建たけみかずちのかみ

御雷神は出いずものくに

雲国の海うみ

の波なみ

打う

ち際ぎわ

に剣つるぎ

をさかさまに立た

てその剣つるぎの先さき

に座すわ

り葦あし

原はらの

中なかつ

国くに

を治おさ

めていた大おお

国くに

主ぬしの

神かみ

に国くに

をゆ

ずるように言い

いました大おお

国くに

主ぬしの

神かみ

は二ふたり人の

息むす

子こ

と相そう

談だん

し葦あし

原はらの

中なかつ

国くに

を高たか

天あまの

原はら

の神かみ

様さま

にゆずることにしました(上じょう

巻かん

釣つ

り針ばり

探さが

綿わた

津つ

見みの

神かみ

の宮みや

 火ほ

遠お

理りの

命みこと(山やま

佐さ

知ち

毘び

古こ

)は兄あに

の火ほでりのみこと

照命

(海うみ

佐さ

知ち

毘び

古こ

)から借か

りた釣つ

り針ばり

をなくし

それを探さが

すうちに海うみ

の底そこ

の綿わた

津つ

見みの

神かみ

の宮みや

行い

きその娘むすめの豊とよ

玉たま

毘び

売めの

命みことと結けっ

婚こん

しました

楽たの

しく暮く

らした後あと

綿わた

津つ

見みの

神かみ

に釣つ

り針ばり

を見み

つけてもらい陸りく

に戻もど

りました(上じょう

巻かん

121314

151617

10

導みちびくは 神かみ

の使つか

いの

八や

咫あた

烏からす

 高たか

天あまの

原はら

の天あま

照てらす

大おお

御み

神かみ

高たか

木ぎの

神かみ

の命めい

を受う

けて建たけ

御みかずち雷神のかみは神かむ

倭やまと

伊い

波わ

礼れ

毘び

古この

命みこと(の

ちの神じん

武む

天てん

皇のう

)に不ふ

思し

議ぎ

な力ちからをもつ大た

刀ち

与あた

えましたさらに凶きょう

暴ぼう

な神かみ

たちが待ま

ている道みち

を無ぶ

事じ

に進すす

むために八や

咫あた

烏からすとい

う大おお

きなカラスに道みち

案あん

内ない

をさせました(中ちゅう

巻かん

神じん

武む

天てん

皇のう

兄え

宇う

迦か

斯し

たくらみ告つ

げる

弟おと

宇う

迦か

斯し

 神かむ

倭やまと

伊い

波わ

礼れ

毘び

古この

命みこと(のちの神じん

武む

天てん

皇のう

)が

宇う

陀だ

に着つ

いたときその地ち

に暮く

らす兄え

宇う

迦か

斯し

は命みことをだまして倒たお

そうとしましたそれ

を知し

った弟おとうとの弟おと

宇う

迦か

斯し

は兄あに

の御ご

殿てん

にわなが

仕し

掛か

けてあることを教おし

え命みことは助たす

かりまし

た(中ちゅう

巻かん

神じん

武む

天てん

皇のう

神じん

武む

天てん

皇のう

橿かし

原はらの

宮みや

即そく

位い

する

 神かむ

倭やまと

伊い

波わ

礼れ

毘び

古この

命みことはさまざまな荒あ

れすさ

ぶ神かみ

たちを平へい

定てい

して畝うね

傍び

山やま

のふもとの橿かし

原はらの

宮みや

で最さい

初しょ

の天てん

皇のう

として即そく

位い

し世よ

の中なか

治おさ

めました(中ちゅう

巻かん

神じん

武む

天てん

皇のう

長なが

い糸いと

たどって行ゆ

けば

三み

輪わ

の山やま

 夜よ

中なか

美うつくしい活いく

玉たま

依より

毘び

売め

のもとに立りっ

派ぱ

な姿すがたの男だん

性せい

がやってきて一いっ

緒しょ

になりました

両りょう

親しん

に教おし

えられ男だん

性せい

の服ふく

のすそに糸いと

をつ

けた針はり

を刺さ

してたどると三み

輪わ

山やま

の社やしろに着つ

き男だん

性せい

は大おお

物もの

主ぬしの

大おお

神かみ

だとわかりました

(中ちゅう

巻かん

崇す

神じん

天てん

皇のう

沙さ

本ほ

毘び

売め

夫おっとと兄あに

との

板いた

ばさみ

 垂すい

仁にん

天てん

皇のう

の后きさき沙さ

本ほ

毘び

売めの

命みことは兄あに

の沙さ

本ほ

毘び

古この

王みこ

から天てん

皇のう

と自じ

分ぶん

とどちらを愛あい

するか

尋たず

ねられ天てん

皇のう

を倒たお

すように言い

われます

そのことを知し

った天てん

皇のう

は兵へい

を出だ

して沙さ

本ほ

毘び

古この

王みこ

を倒たお

し沙さ

本ほ

毘び

売めの

命みことも亡な

くなりました

が子こ

どもの本ほ

牟む

智ち

和わ

気けの

御み

子こ

は取と

り戻もど

すこ

とができました(中ちゅう

巻かん

垂すい

仁にん

天てん

皇のう

船ふな

出で

して

大やまと和を目め

指ざ

神じん

武む

東とう

征せい

 

 神かむ

倭やまと

伊い

波わ

礼れ

毘び

古この

命みこと(のちの神じん

武む

天てん

皇のう

)と

兄あに

の五いつ

瀬せの

命みことは高たか

千ち

穂ほの

宮みや

で国くに

を治おさ

める場ば

所しょ

を相そう

談だん

し東ひがしへ向む

かうことにしました日ひ

向むか

から船ふね

を出だ

し豊とよ

国くに

筑つく

紫し

安あ

芸き

吉き

備び

と進すす

んでいきました(中ちゅう

巻かん

神じん

武む

天てん

皇のう

日ひ

向むか

は今いま

の宮みや

崎ざき

県けん

豊とよ

国くに

は今いま

の大おお

分いた

県けん

福ふく

岡おか

県けん

東とう

部ぶ

筑つく

紫し

は今いま

の福ふく

岡おか

県けん

安あ

芸き

は今いま

の広ひろ

島しま

県けん

吉き

備び

は今いま

の岡おか

山やま

県けん

広ひろ

島しま

県けん

東とう

部ぶ

です

2122

19

23

20 18

11

美うつくしき 少しょう

女じょ

になって

熊くま

曾そ

討う

 景けい

行こう

天てん

皇のう

の子こ

の小お

碓うすの

命みことは父ちち

から熊くま

曾そ

建たけるを討う

ち取と

るように命めい

じられました命みことは

髪かみ

型がた

や着き

物もの

を少しょう

女じょ

のようにして熊くま

曾そ

建たけるの

宴えん

会かい

にまぎれこみ退たい

治じ

しました熊くま

曾そ

建たける

は命みことの強つよ

さをほめたたえ「倭やまと

建たけるの

御み

子こ

」と

いう名な

前まえ

を贈おく

りました(中ちゅう

巻かん

景けい

行こう

天てん

皇のう

草くさ

なぎの

剣つるぎが救すく

危き

機き

一いっ

髪ぱつ

 倭やまと

建たけるの

命みことは東ひがしの方ほう

に戦たたかいに行い

く途と

中ちゅう伊い

勢せ

大だい

神じん

宮ぐう

に寄よ

りおばの倭やまと

比ひ

売めの

命みことから草くさ

ぎの剣つるぎと火ひ

打う

ち石いし

をもらいましただまさ

れて野の

原はら

に火ひ

をつけられたとき倭やまと

建たけるの

命みこと

は草くさ

なぎの剣つるぎでまわりの草くさ

を切き

り払はら

い向む

かい火び

をつけて助たす

かりました(中ちゅう

巻かん

景けい

行こう

天てん

皇のう

荒あら

波なみ

静しず

めるために

身み

を捧ささ

 倭やまと

建たけるの

命みことが走はしり

水みずの海うみを渡わた

ろうとすると海うみ

の神かみ

様さま

が荒あら

波なみ

を起お

こし船ふね

がぐるぐると回まわ

るばかりです倭やまと

建たけるの

命みことの妻つま

弟おと

橘たちばな

比ひ

売めの

命みことが身み

代が

わりとなって海うみ

に身み

を沈しず

めると

波なみ

が静しず

かになり船ふね

を進すす

めることができま

した(中ちゅう

巻かん

景けい

行こう

天てん

皇のう

白しろ

猪いのししの

姿すがたの神かみ

あなどりて

 倭やまと

建たけるの

命みことは草くさ

なぎの剣つるぎを妻つま

美み

夜や

受ず

比ひ

売め

に預あず

け伊い

吹ぶき

山やま

に出で

かけました伊い

吹ぶき

山やま

神かみ

様さま

は白しろ

い大おお

きな猪いのししの姿すがたで現あらわれましたが

命みことは神かみ

の使つか

いと間ま

違ちが

えてしまいました神かみ

様さま

は怒おこ

り激はげ

しい氷ひさめ雨を降ふ

らせ命みことをすっ

かり弱よわ

らせてしまいました(中ちゅう

巻かん

景けい

行こう

天てん

皇のう

)天あま

翔か

ける

大おお

きな白しろ

鳥とり

になり

 倭やまと

建たけるの

命みことが能の

煩ぼ

野の

で亡な

くなると大やまと和に

いた后きさきや子こ

どもたちがみなやってきて泣な

き悲かな

しみましたやがて命みことは大おお

きな白しろ

い千ち

鳥どり

の姿すがたになって羽は

ばたき浜はま

に向むか

って飛と

でいきましたみんな泣な

きながらその後あと

追お

いかけました(中ちゅう

巻かん

景けい

行こう

天てん

皇のう

ときじくの

かくの木この

実み

間ま

に合あ

わず

 垂すい

仁にん

天てん

皇のう

は遠とお

い常とこ

世よの

国くに

から「ときじく

のかくの木この

実み

」を持も

ってくるよう多た

遅じ

摩ま

毛も

理り

に命めい

じました実み

を持も

ち帰かえ

るとすでに

天てん

皇のう

は亡な

くなっていました多た

遅じ

摩ま

毛も

理り

お墓はか

に向むか

って実み

を高たか

く持も

ち上あ

げ泣な

き叫さけ

ながら亡な

くなりました(中ちゅう

巻かん

垂すい

仁にん

天てん

皇のう

「ときじくのかくの木この

実み

」とは「いつも輝かがやく木き

の実み

」という意い

味み

です

25

29

26

2728

24

12

税ぜい

はとらぬ

かまどに煙けむり

立た

つまでは

 仁にん

徳とく

天てん

皇のう

はかまどから煙けむりが立た

ち上のぼ

って

いないのを見み

て人ひと

々びと

が暮く

らしに困こま

ってい

ることを知し

りましたそこで天てん

皇のう

は税ぜい

をな

くし宮きゅう

殿でん

の修しゅう

理り

もやめました三さん

年ねん

後ご

人ひと

々びと

の家いえ

のかまどからは再ふたたび煙けむりが立た

ち上のぼ

ようになりました(下げ

巻かん

仁にん

徳とく

天てん

皇のう

石いわ

之の

日ひ

売め

御み

綱つな

柏がしわを

海うみ

に捨す

 仁にん

徳とく

天てん

皇のう

の皇こう

后ごう

石いわ

之の

日ひ

売めの

命みことは宴えん

会かい

に使つか

う御み

綱つな

柏がしわの葉は

を取と

りに船ふね

で出で

かけました

その間あいだに天てん

皇のう

が別べつ

の女じょ

性せい

と仲なか

良よ

くなった

ことを知し

って皇こう

后ごう

はたいへん怒おこ

りせっ

かく集あつ

めた御み

綱つな

柏がしわを全ぜん

部ぶ

海うみ

に投な

げ捨す

ててし

まいました(下げ

巻かん

仁にん

徳とく

天てん

皇のう

つぎつぎに

変か

わる蚕かいこで

仲なか

直なお

 蚕かいこは幼よう

虫ちゅうからまゆを作つく

ってサナギとな

りやがて成せい

虫ちゅうとなる蛾が

の一いっ

種しゅ

でまゆか

ら生き

糸いと

を取と

ります仁にん

徳とく

天てん

皇のう

は蚕かいこを見み

るこ

とを口こう

実じつ

にけんかをしていた皇こう

后ごう

石いわ

之の

日ひ

売めの

命みことのもとに行い

き仲なか

直なお

りすることがで

きました(下げ

巻かん

仁にん

徳とく

天てん

皇のう

気け

比ひの

大おお

神かみ

名な

前まえ

を替か

えた

大おお

鞆とも

和わ

気け

 大おお

鞆とも

和わ

気けの

命みこと(のちの応おう

神じん

天てん

皇のう

)が敦つる

賀が

行い

ったときおともの建たけ

内うちの

宿すく

禰ねの

命みことの夢ゆめ

に土と

地ち

の神かみ

様さま

が現あらわれ自じ

分ぶん

の名な

前まえ

と大おおともわけのみこと

鞆和気命

の名な

前まえ

とを替か

えようと言い

いました承しょう

諾だく

ると翌よく

朝あさ

たくさんのイルカを贈おく

り物もの

とし

てくださいました(中ちゅう

巻かん

仲ちゅう

哀あい

天てん

皇のう

大おお

贄にえ

捧ささ

げる歌うた

うたう国くに

主す

 吉よし

野の

の国くに

主す

という人ひと

たちは応おう

神じん

天てん

皇のう

お酒さけ

を差さ

し上あ

げる時とき

楽がっ

器き

の代か

わりに口くち

音おと

を出だ

しいろいろな仕し

草ぐさ

をしながら歌うた

うたいましたその後ご

その地ち

では天てん

皇のう

に大おお

贄にえ

(特とく

別べつ

な食た

べ物もの

)を捧ささ

げる時とき

にその

歌うた

をうたうようになりました(中ちゅう

巻かん

応おう

神じん

天てん

皇のう

裳も

の糸いと

飯めし

粒つぶ

つけて

鮎あゆ

を釣つ

 神じん

功ぐう

皇こう

后ごう

は四し

月がつ

上じょう

旬じゅんに玉たま

島しまの

里さと

の川かわ

着き

物もの

の糸いと

を抜ぬ

き取と

り飯めし

粒つぶ

をえさにして鮎あゆ

を釣つ

りましたこのときからこの川かわ

では

同おな

じ時じ

期き

に女じょ

性せい

たちが着き

物もの

の糸いと

と飯めし

粒つぶ

で鮎あゆ

を釣つ

るようになりました(中ちゅう

巻かん

仲ちゅう

哀あい

天てん

皇のう

333435

3132 30

13

虻あぶ

食た

べた

蜻とんぼ蛉にちなむ

蜻あきず蛉島しま

 野の

原はら

へ狩か

りに出で

かけた雄ゆう

略りゃく

天てん

皇のう

の腕うで

を虻あぶ

がかみましたがその虻あぶ

を蜻とんぼ蛉がくわえて

飛と

び去さ

りました天てん

皇のう

は蜻とんぼ蛉をほめ大やまとの和

国くに

は蜻あきず蛉島しま

とよぶのにふさわしいと歌うた

によ

みましたこの場ば

所しょ

は阿あ

岐き

豆ず

野の

と呼よ

ばれる

ようになりました(下げ

巻かん

雄ゆう

略りゃく

天てん

皇のう

隼はやぶさよ

鷦さざき鷯を取と

れと

機はた

を織お

 女め

鳥どりの

王みこ

は夫おっとの速はや

総ぶさ

別わけの

王みこ

に「隼はやぶさよ鷦さざき鷯

を取と

ってしまえ」と機はた

を織お

りながら歌うた

いま

した隼はやぶさとは速はや

総ぶさ

別わけの

王みこ

のこと鷦さざき鷯とは大おお

雀さざきの

命みこと(仁にん

徳とく

天てん

皇のう

)のことですこの歌うた

知し

った天てん

皇のう

は軍ぐん

勢ぜい

を集あつ

め逆ぎゃくに二ふたり人を倒たお

ました(下げ

巻かん

仁にん

徳とく

天てん

皇のう

)鷦さざき鷯はミソサザ

イという鳥と

のことです

すばらしき船ふね たからかに響ひび

琴こと

となる

 一いっ

本ぽん

の巨きょ

木ぼく

で造つく

った船ふね

「枯から

野の

」はたいへ

ん速はや

く仁にん

徳とく

天てん

皇のう

の飲の

み水みず

を淡あわ

路じ

島しま

から運はこ

びましたこの船ふね

が壊こわ

れたので船せん

材ざい

を焼や

いて残のこ

った木き

で琴こと

を作つく

りましたこの琴こと

音ね

は遠とお

くまで響ひび

き人ひと

々びと

は歌うた

をうたって琴こと

をほめたたえました(下げ

巻かん

仁にん

徳とく

天てん

皇のう

御ご

殿てん

から

天てん

皇のう

救すく

大やまと和へと

 墨すみの

江えの

中なかつ

王みこ

は天てん

皇のう

の位くらいをねらい履り

中ちゅう

天てん

皇のう

が寝ね

ている御ご

殿てん

に火ひ

をつけました天てん

皇のう

は阿あ

知ちの

直あたいに助たす

け出だ

され大やまと和に向む

かいまし

た途と

中ちゅう天てん

皇のう

は燃も

える御ご

殿てん

を遠とお

くから見み

残のこ

してきた皇こう

后ごう

を心しん

配ぱい

する歌うた

をうたいまし

た(下げ

巻かん

履り

中ちゅう

天てん

皇のう

恋こい

しくて

伊い

予よ

へ追お

い行ゆ

衣そと

通おりの

王みこ

 次つぎ

の天てん

皇のう

になることを約やく

束そく

されていた木き

梨なし

之の

軽かるの

太おお

子みこ

は人ひと

々びと

の信しん

頼らい

を失うしな

ってついに

は捕とら

えられ伊い

予よ

の道どう

後ご

温おん

泉せん

に流なが

されまし

た妹いもうとの衣そと

通おりの

王みこ

は太おお

子みこ

を恋こ

い慕した

って伊い

予よ

行い

き太おお

子みこ

と再さい

会かい

しました(下げ

巻かん

允いん

恭ぎょう

天てん

皇のう

)伊い

予よ

は今いま

の愛え

媛ひめ

県けん

です

天てん

皇のう

お召め

しを待ま

って

八はちじゅうねん

十年

 雄ゆう

略りゃく

天てん

皇のう

は引ひけ

田た

部べの

赤あか

猪い

子こ

を見み

てすぐ呼よ

び寄よ

せるから結けっ

婚こん

せずに待ま

っているよう命めい

じましたしかし天てん

皇のう

はそのことを忘わす

赤あか

猪い

子こ

はとうとう八はちじゅうねん

十年も待ま

ち続つづ

けました

赤あか

猪い

子こ

は自じ

分ぶん

から天てん

皇のう

に会あ

いに行い

き歌うた

交か

わしました(下げ

巻かん

雄ゆう

略りゃく

天てん

皇のう

41

3738

39

36

40

14

一ひと

言こと

主ぬし 天てん

皇のう

たちと

瓜うり

ふたつ

 雄ゆう

略りゃく

天てん

皇のう

が従じゅう

者しゃ

と葛かずら

城き

山やま

へ出で

かけると

自じ

分ぶん

たちとそっくりな人ひと

たちと出で

会あ

いまし

たそれを見み

た天てん

皇のう

は失しつ

礼れい

だと怒おこ

りました

が相あい

手て

が葛かず

城らき

之の

一ひと

言こと

主ぬし

之の

大おお

神かみ

とわかると

大た

刀ち

と弓ゆみ

矢や

従じゅうしゃ者の衣い

服ふく

を大おお

神かみ

に差さ

し上あ

ました(下げ

巻かん

雄ゆう

略りゃく

天てん

皇のう

杯さかずきの

木こ

の葉は

をめでたく

歌うた

にして

 お酒さけ

に落お

ち葉ば

の浮う

かんだことを知し

らずに

雄ゆう

略りゃく

天てん

皇のう

に杯さかずきを捧ささ

げた三み

重え

の采うね

女め

に天てん

皇のう

は怒おこ

って罰ばつ

を与あた

えようとしましたすると

三み

重え

の采うね

女め

は落お

ち葉ば

が浮う

かんだことをめ

でたいこととして歌うた

にうたい天てん

皇のう

をほめ

たたえ罪つみ

を許ゆる

されました(下げ

巻かん

雄ゆう

略りゃく

天てん

皇のう

)采うね

女め

は宮きゅう

中ちゅうで働はたらく女じょ

性せい

のことです

譲ゆず

り合あ

意お

祁け

と袁を

祁け

とは

王おう

子じ

なり

 意おけのみこと

祁命と袁をけのみこと

祁命の兄きょうだい弟は身み

をかくして馬うま

飼か

い牛うし

飼か

いの仕し

事ごと

をしていましたある

日ひ

お祝いわ

いの席せき

で二ふたり人は舞ま

う順じゅん

番ばん

を譲ゆず

合あ

って履り

中ちゅう

天てん

皇のう

の孫まご

であることを歌うた

であ

かしました兄きょう

弟だい

は宮きゅう

殿でん

に迎むか

えられ二ふたり人

とも後のち

に天てん

皇のう

になりました(下げ

巻かん

清せい

寧ねい

天てん

皇のう

)八や

雲くも

立た

出いづも雲八や

重へ

垣がき

妻つま

籠ご

みに

八や

重へ

垣がき

作つく

その八や

重へ

垣がき

 建たけ

速はや

須す

佐さ

之の

男おの

命みことは八や

俣また

の大おろち蛇を退たい

治じ

して

194797くし

名な

田だ

比ひ

売め

を救すく

い妻つま

にしましたそして

須す

賀が

という土と

地ち

に新あたらしい宮みや

を造つく

りました

その時とき

そこに立た

ち上のぼ

った雲くも

を妻つま

の住す

宮みや

を幾いく

重え

にも囲かこ

む垣かき

のようだと歌うた

によみま

した(上じょう

巻かん

古こ

事じ

記き

かるた

歌か

謡よう

編へん

一いち

覧らん

猪いのししに

追お

われて榛はり

木き

に登のぼ

 雄ゆう

略りゃく

天てん

皇のう

が葛かずら

城き

山やま

に登のぼ

ったとき大おお

きな

猪いのししが現あらわれました天てん

皇のう

は矢や

で射い

ましたが

猪いのししはうなり声ごえ

をあげて近ちか

づいてきます天てん

皇のう

は榛はり

の木き

に登のぼ

って逃に

げ助たす

けてくれた木き

への感かん

謝しゃ

を歌うた

にしました(下げ

巻かん

雄ゆう

略りゃく

天てん

皇のう

)榛はり

はハンノキのことです

4344

4546

42

15

倭やまとは

国くに

の真ま

秀ほ

ろば

たたなづく

青あを

垣かき

山やま

籠ごも

れる 倭やまとし麗うるはし

 倭やまと

建たけるの

命みことは父ちち

景けい

行こう

天てん

皇のう

の命めい

令れい

で西にし

へ東ひがしへと言い

うことを聞き

かない者もの

を倒たお

す旅たび

に出で

ましたところがその旅たび

先さき

で病びょう

気き

なってしまいましたふるさとの大やまと和をな

つかしみこの歌うた

をよみついに亡な

くなっ

てしまいました(中ちゅう

巻かん

景けい

行こう

天てん

皇のう

倭やま

方とへ

行ゆ

くは誰た

が夫つま

隠こも

り処づ

下した

よ延は

へつつ

行ゆ

くは誰た

が夫つま

 皇こう

后ごう

石いわ

之の

比ひ

売めの

命みことの嫉しっ

妬と

を恐おそ

れて故こき

郷ょう

の吉き

備びの

国くに

にもどっていた黒くろ

日ひ

売め

を恋こい

しく思おも

い仁にん

徳とく

天てん

皇のう

は吉き

備びの

国くに

に黒くろ

日ひ

売め

を訪たず

ねて行い

きましたともに楽たの

しいひとときを過す

ごし

天てん

皇のう

が都みやこにもどるときに黒くろ

日ひ

売め

は天てん

皇のう

歌うた

を差さ

し上あ

げました(下げ

巻かん

仁にん

徳とく

天てん

皇のう

潮しほ

瀬せ

波な

折を

りを見み

れば 

遊あそ

び来く

鮪しび

が端はた

手で

妻つま

立た

てり見み

 袁をけのみこと

祁命(のちの顕けん

宗ぞう

天てん

皇のう

)が大お

魚うお

という

名な

の乙おと

女め

に結けっ

婚こん

を申もう

し込こ

もうとしていた

とき志し

毘びの

臣おみ

も歌うた

垣がき

の場ば

で大お

魚うお

を誘さそ

いまし

た歌うた

垣がき

とは男だん

女じょ

が集あつままって歌うた

をよみ合あ

う場ば

です二ふ

たり人

は明あ

け方が

まで歌う

で戦

たたか

い続つ

ました(下げ

巻かん

清せい

寧ねい

天てん

皇のう

狭さ

井ゐ

河がは

雲くも

立た

ち渡わた

畝うね

火び

山やま

木こ

の葉は

さやぎぬ

風かぜ

吹ふ

かむとす

 神じん

武む

天てん

皇のう

が亡な

くなった後あと

天てん

皇のう

の子こ

の当た

芸ぎ

志し

美み

々みの

命みことは皇こう

后ごう

だった伊い

須す

気け

余よ

理り

比ひ

売め

を妻つま

にし比ひ

売め

の子こ

である三さん

人にん

の弟おとうとを倒たお

うとしました比ひ

売め

は歌うた

で息むす

子こ

たちに危き

険けん

を知し

らせ聞き

き知し

った息むす

子こ

たちは当た

芸ぎ

志し

美み

々みの

命みことを打う

ち負ま

かしました(中ちゅう

巻かん

神じん

武む

天てん

皇のう

4748

4950

16

学がっ

校こう

および各かく

施し

設せつ

関かん

係けい

者しゃ

保ほ

護ご

者しゃ

の皆みな

様さま

 

本ほん製せい品ひんは子こ

どもたちにかるた遊あそびをとおして『古こ

事じ

記き

』の世せ

界かいにふれ

てもらいたいとの思おもいから奈な

良ら

県けんが独どく自じ

に企き

画かく制せい作さくしたものです

本ほん製せい品ひんはリズムのよさやわかりやすさを重じゅう視し

して作さく成せいしている部ぶ

分ぶんも

含ふくまれます正せい確かくな記き

述じゅつを心こころがけて作さく成せいしておりますが見けん解かい学がく

説せつ

等などの相そう違い

についてはご了りょう承しょうください

神しん名めい人じん名めい地ち

名めい等などの固こ

有ゆう

名めい詞し

の表ひょう記き

にあたっては小しょう

学がく館かん『新しん

編ぺん

日に

本ほん

古こ

典てん

文ぶん

学がく

全ぜん

集しゅう1 

古こ

事じ

記き

』(校こう

注ちゅう

訳やく

山やま

口ぐち

佳よし

紀のり

神こう

野の

志し

隆たか

光みつ

の記き

載さいを参さん考こうにしました

文もん言ごん等などの漢かん字じ

表ひょう記き

については親したしみやすさの観かん点てんから常じょう用よう漢かん字じ

中ちゅう心しんに記き

載さいしました

ふりがなについては現げん代だいかなづかいを基き

本ほんに記き

載さいしました

Page 9: こ き かるたについて...3 1 1 1 みんなで遊 あそ ぼう! 古 事こ 記じ かるたのき 遊 あそ び方 かた 読 よ み手 て (一 ひと 人 り )と取

9

大おお

穴あな

牟む

遅じ

助たす

けた稲いな

羽ば

素しろ

兎うさぎ

 稲いな

羽ば

の素しろ

兎うさぎはわにをだましたことがば

れて皮かわ

をはがされてしまいました大おお

穴あな

牟む

遅じの

神かみ

の兄あに

たちの八や

十そ

神かみ

にもいじめられ兎うさぎ

は泣な

いて苦くる

しんでいました通とお

りかかった

大おお

穴あな

牟む

遅じの

神かみ

が傷きず

の治なお

し方かた

を教おし

えてあげて

兎うさぎは元げん

気き

になりました(上じょう

巻かん

)大おお

穴あな

牟む

遅じの

神かみ

は大おお

国くに

主ぬしの

神かみのことです

鼠ねずみが教おし

えた「

内うち

はほらほら

外と

はすぶすぶ」

 大おお

穴あな

牟む

遅じの

神かみは建たけ

速はや

須す

佐さ

之の

男おの

命みことの娘むすめ須す

勢せ

理り

毘び

売めの

命みことと出で

会あ

い結けっ

婚こんしました怒おこ

った建たけ

速はや

須す

佐さ

之の

男おの

命みことは野の

原はらに矢や

を射い

て大おお

穴あな

牟む

遅じの

神かみに取と

りに

行い

かせその野の

原はらに火ひ

をつけましたが鼠ねずみが野の

原はら

の下し

に穴あ

があると教お

えてくれたので無ぶ

事じ

でし

た(上じょう

巻かん)

大おお

国くに

主ぬし

少すく

名な

毘び

古こ

那な

国くに

づくり

 大おお

国くに

主ぬしの

神かみ

のところに小ちい

さな神かみ

様さま

がやっ

てきましたがだれも名な

前まえ

を知し

りません

田た

んぼのかかしの久く

延え

毘び

古こ

だけが少すく

名な

毘び

古こ

那なの

神かみ

という名な

前まえ

を知し

っていました大おお

国くに

主ぬしの

神かみ

は少すく

名な

毘び

古こ

那なの

神かみ

といっしょに出いずも雲で

国くに

づくりをしました(上じょう

巻かん

天てん

孫そん

降こう

臨りん

先せん

導どう

したのは

猿さる

田た

毘び

古こ

 天あま

照てらす

大おお

御み

神かみ

高たか

木ぎの

神かみ

は地ち

上じょうの葦あし

原はらの

中なかつ

国くに

は自じ

分ぶん

の子し

孫そん

が治おさ

める国くに

と考かんがえ邇に

に々

芸ぎの

命みことを地ち

上じょうに天あま

降くだ

しました天あま

降くだ

る途と

中ちゅう猿さる

田た

毘び

古この

神かみ

が迎むか

えに来き

てくれました(上じょう

巻かん

国くに

ゆずり

せまった神かみ

建たけ

御みか

雷ずち

 建たけみかずちのかみ

御雷神は出いずものくに

雲国の海うみ

の波なみ

打う

ち際ぎわ

に剣つるぎ

をさかさまに立た

てその剣つるぎの先さき

に座すわ

り葦あし

原はらの

中なかつ

国くに

を治おさ

めていた大おお

国くに

主ぬしの

神かみ

に国くに

をゆ

ずるように言い

いました大おお

国くに

主ぬしの

神かみ

は二ふたり人の

息むす

子こ

と相そう

談だん

し葦あし

原はらの

中なかつ

国くに

を高たか

天あまの

原はら

の神かみ

様さま

にゆずることにしました(上じょう

巻かん

釣つ

り針ばり

探さが

綿わた

津つ

見みの

神かみ

の宮みや

 火ほ

遠お

理りの

命みこと(山やま

佐さ

知ち

毘び

古こ

)は兄あに

の火ほでりのみこと

照命

(海うみ

佐さ

知ち

毘び

古こ

)から借か

りた釣つ

り針ばり

をなくし

それを探さが

すうちに海うみ

の底そこ

の綿わた

津つ

見みの

神かみ

の宮みや

行い

きその娘むすめの豊とよ

玉たま

毘び

売めの

命みことと結けっ

婚こん

しました

楽たの

しく暮く

らした後あと

綿わた

津つ

見みの

神かみ

に釣つ

り針ばり

を見み

つけてもらい陸りく

に戻もど

りました(上じょう

巻かん

121314

151617

10

導みちびくは 神かみ

の使つか

いの

八や

咫あた

烏からす

 高たか

天あまの

原はら

の天あま

照てらす

大おお

御み

神かみ

高たか

木ぎの

神かみ

の命めい

を受う

けて建たけ

御みかずち雷神のかみは神かむ

倭やまと

伊い

波わ

礼れ

毘び

古この

命みこと(の

ちの神じん

武む

天てん

皇のう

)に不ふ

思し

議ぎ

な力ちからをもつ大た

刀ち

与あた

えましたさらに凶きょう

暴ぼう

な神かみ

たちが待ま

ている道みち

を無ぶ

事じ

に進すす

むために八や

咫あた

烏からすとい

う大おお

きなカラスに道みち

案あん

内ない

をさせました(中ちゅう

巻かん

神じん

武む

天てん

皇のう

兄え

宇う

迦か

斯し

たくらみ告つ

げる

弟おと

宇う

迦か

斯し

 神かむ

倭やまと

伊い

波わ

礼れ

毘び

古この

命みこと(のちの神じん

武む

天てん

皇のう

)が

宇う

陀だ

に着つ

いたときその地ち

に暮く

らす兄え

宇う

迦か

斯し

は命みことをだまして倒たお

そうとしましたそれ

を知し

った弟おとうとの弟おと

宇う

迦か

斯し

は兄あに

の御ご

殿てん

にわなが

仕し

掛か

けてあることを教おし

え命みことは助たす

かりまし

た(中ちゅう

巻かん

神じん

武む

天てん

皇のう

神じん

武む

天てん

皇のう

橿かし

原はらの

宮みや

即そく

位い

する

 神かむ

倭やまと

伊い

波わ

礼れ

毘び

古この

命みことはさまざまな荒あ

れすさ

ぶ神かみ

たちを平へい

定てい

して畝うね

傍び

山やま

のふもとの橿かし

原はらの

宮みや

で最さい

初しょ

の天てん

皇のう

として即そく

位い

し世よ

の中なか

治おさ

めました(中ちゅう

巻かん

神じん

武む

天てん

皇のう

長なが

い糸いと

たどって行ゆ

けば

三み

輪わ

の山やま

 夜よ

中なか

美うつくしい活いく

玉たま

依より

毘び

売め

のもとに立りっ

派ぱ

な姿すがたの男だん

性せい

がやってきて一いっ

緒しょ

になりました

両りょう

親しん

に教おし

えられ男だん

性せい

の服ふく

のすそに糸いと

をつ

けた針はり

を刺さ

してたどると三み

輪わ

山やま

の社やしろに着つ

き男だん

性せい

は大おお

物もの

主ぬしの

大おお

神かみ

だとわかりました

(中ちゅう

巻かん

崇す

神じん

天てん

皇のう

沙さ

本ほ

毘び

売め

夫おっとと兄あに

との

板いた

ばさみ

 垂すい

仁にん

天てん

皇のう

の后きさき沙さ

本ほ

毘び

売めの

命みことは兄あに

の沙さ

本ほ

毘び

古この

王みこ

から天てん

皇のう

と自じ

分ぶん

とどちらを愛あい

するか

尋たず

ねられ天てん

皇のう

を倒たお

すように言い

われます

そのことを知し

った天てん

皇のう

は兵へい

を出だ

して沙さ

本ほ

毘び

古この

王みこ

を倒たお

し沙さ

本ほ

毘び

売めの

命みことも亡な

くなりました

が子こ

どもの本ほ

牟む

智ち

和わ

気けの

御み

子こ

は取と

り戻もど

すこ

とができました(中ちゅう

巻かん

垂すい

仁にん

天てん

皇のう

船ふな

出で

して

大やまと和を目め

指ざ

神じん

武む

東とう

征せい

 

 神かむ

倭やまと

伊い

波わ

礼れ

毘び

古この

命みこと(のちの神じん

武む

天てん

皇のう

)と

兄あに

の五いつ

瀬せの

命みことは高たか

千ち

穂ほの

宮みや

で国くに

を治おさ

める場ば

所しょ

を相そう

談だん

し東ひがしへ向む

かうことにしました日ひ

向むか

から船ふね

を出だ

し豊とよ

国くに

筑つく

紫し

安あ

芸き

吉き

備び

と進すす

んでいきました(中ちゅう

巻かん

神じん

武む

天てん

皇のう

日ひ

向むか

は今いま

の宮みや

崎ざき

県けん

豊とよ

国くに

は今いま

の大おお

分いた

県けん

福ふく

岡おか

県けん

東とう

部ぶ

筑つく

紫し

は今いま

の福ふく

岡おか

県けん

安あ

芸き

は今いま

の広ひろ

島しま

県けん

吉き

備び

は今いま

の岡おか

山やま

県けん

広ひろ

島しま

県けん

東とう

部ぶ

です

2122

19

23

20 18

11

美うつくしき 少しょう

女じょ

になって

熊くま

曾そ

討う

 景けい

行こう

天てん

皇のう

の子こ

の小お

碓うすの

命みことは父ちち

から熊くま

曾そ

建たけるを討う

ち取と

るように命めい

じられました命みことは

髪かみ

型がた

や着き

物もの

を少しょう

女じょ

のようにして熊くま

曾そ

建たけるの

宴えん

会かい

にまぎれこみ退たい

治じ

しました熊くま

曾そ

建たける

は命みことの強つよ

さをほめたたえ「倭やまと

建たけるの

御み

子こ

」と

いう名な

前まえ

を贈おく

りました(中ちゅう

巻かん

景けい

行こう

天てん

皇のう

草くさ

なぎの

剣つるぎが救すく

危き

機き

一いっ

髪ぱつ

 倭やまと

建たけるの

命みことは東ひがしの方ほう

に戦たたかいに行い

く途と

中ちゅう伊い

勢せ

大だい

神じん

宮ぐう

に寄よ

りおばの倭やまと

比ひ

売めの

命みことから草くさ

ぎの剣つるぎと火ひ

打う

ち石いし

をもらいましただまさ

れて野の

原はら

に火ひ

をつけられたとき倭やまと

建たけるの

命みこと

は草くさ

なぎの剣つるぎでまわりの草くさ

を切き

り払はら

い向む

かい火び

をつけて助たす

かりました(中ちゅう

巻かん

景けい

行こう

天てん

皇のう

荒あら

波なみ

静しず

めるために

身み

を捧ささ

 倭やまと

建たけるの

命みことが走はしり

水みずの海うみを渡わた

ろうとすると海うみ

の神かみ

様さま

が荒あら

波なみ

を起お

こし船ふね

がぐるぐると回まわ

るばかりです倭やまと

建たけるの

命みことの妻つま

弟おと

橘たちばな

比ひ

売めの

命みことが身み

代が

わりとなって海うみ

に身み

を沈しず

めると

波なみ

が静しず

かになり船ふね

を進すす

めることができま

した(中ちゅう

巻かん

景けい

行こう

天てん

皇のう

白しろ

猪いのししの

姿すがたの神かみ

あなどりて

 倭やまと

建たけるの

命みことは草くさ

なぎの剣つるぎを妻つま

美み

夜や

受ず

比ひ

売め

に預あず

け伊い

吹ぶき

山やま

に出で

かけました伊い

吹ぶき

山やま

神かみ

様さま

は白しろ

い大おお

きな猪いのししの姿すがたで現あらわれましたが

命みことは神かみ

の使つか

いと間ま

違ちが

えてしまいました神かみ

様さま

は怒おこ

り激はげ

しい氷ひさめ雨を降ふ

らせ命みことをすっ

かり弱よわ

らせてしまいました(中ちゅう

巻かん

景けい

行こう

天てん

皇のう

)天あま

翔か

ける

大おお

きな白しろ

鳥とり

になり

 倭やまと

建たけるの

命みことが能の

煩ぼ

野の

で亡な

くなると大やまと和に

いた后きさきや子こ

どもたちがみなやってきて泣な

き悲かな

しみましたやがて命みことは大おお

きな白しろ

い千ち

鳥どり

の姿すがたになって羽は

ばたき浜はま

に向むか

って飛と

でいきましたみんな泣な

きながらその後あと

追お

いかけました(中ちゅう

巻かん

景けい

行こう

天てん

皇のう

ときじくの

かくの木この

実み

間ま

に合あ

わず

 垂すい

仁にん

天てん

皇のう

は遠とお

い常とこ

世よの

国くに

から「ときじく

のかくの木この

実み

」を持も

ってくるよう多た

遅じ

摩ま

毛も

理り

に命めい

じました実み

を持も

ち帰かえ

るとすでに

天てん

皇のう

は亡な

くなっていました多た

遅じ

摩ま

毛も

理り

お墓はか

に向むか

って実み

を高たか

く持も

ち上あ

げ泣な

き叫さけ

ながら亡な

くなりました(中ちゅう

巻かん

垂すい

仁にん

天てん

皇のう

「ときじくのかくの木この

実み

」とは「いつも輝かがやく木き

の実み

」という意い

味み

です

25

29

26

2728

24

12

税ぜい

はとらぬ

かまどに煙けむり

立た

つまでは

 仁にん

徳とく

天てん

皇のう

はかまどから煙けむりが立た

ち上のぼ

って

いないのを見み

て人ひと

々びと

が暮く

らしに困こま

ってい

ることを知し

りましたそこで天てん

皇のう

は税ぜい

をな

くし宮きゅう

殿でん

の修しゅう

理り

もやめました三さん

年ねん

後ご

人ひと

々びと

の家いえ

のかまどからは再ふたたび煙けむりが立た

ち上のぼ

ようになりました(下げ

巻かん

仁にん

徳とく

天てん

皇のう

石いわ

之の

日ひ

売め

御み

綱つな

柏がしわを

海うみ

に捨す

 仁にん

徳とく

天てん

皇のう

の皇こう

后ごう

石いわ

之の

日ひ

売めの

命みことは宴えん

会かい

に使つか

う御み

綱つな

柏がしわの葉は

を取と

りに船ふね

で出で

かけました

その間あいだに天てん

皇のう

が別べつ

の女じょ

性せい

と仲なか

良よ

くなった

ことを知し

って皇こう

后ごう

はたいへん怒おこ

りせっ

かく集あつ

めた御み

綱つな

柏がしわを全ぜん

部ぶ

海うみ

に投な

げ捨す

ててし

まいました(下げ

巻かん

仁にん

徳とく

天てん

皇のう

つぎつぎに

変か

わる蚕かいこで

仲なか

直なお

 蚕かいこは幼よう

虫ちゅうからまゆを作つく

ってサナギとな

りやがて成せい

虫ちゅうとなる蛾が

の一いっ

種しゅ

でまゆか

ら生き

糸いと

を取と

ります仁にん

徳とく

天てん

皇のう

は蚕かいこを見み

るこ

とを口こう

実じつ

にけんかをしていた皇こう

后ごう

石いわ

之の

日ひ

売めの

命みことのもとに行い

き仲なか

直なお

りすることがで

きました(下げ

巻かん

仁にん

徳とく

天てん

皇のう

気け

比ひの

大おお

神かみ

名な

前まえ

を替か

えた

大おお

鞆とも

和わ

気け

 大おお

鞆とも

和わ

気けの

命みこと(のちの応おう

神じん

天てん

皇のう

)が敦つる

賀が

行い

ったときおともの建たけ

内うちの

宿すく

禰ねの

命みことの夢ゆめ

に土と

地ち

の神かみ

様さま

が現あらわれ自じ

分ぶん

の名な

前まえ

と大おおともわけのみこと

鞆和気命

の名な

前まえ

とを替か

えようと言い

いました承しょう

諾だく

ると翌よく

朝あさ

たくさんのイルカを贈おく

り物もの

とし

てくださいました(中ちゅう

巻かん

仲ちゅう

哀あい

天てん

皇のう

大おお

贄にえ

捧ささ

げる歌うた

うたう国くに

主す

 吉よし

野の

の国くに

主す

という人ひと

たちは応おう

神じん

天てん

皇のう

お酒さけ

を差さ

し上あ

げる時とき

楽がっ

器き

の代か

わりに口くち

音おと

を出だ

しいろいろな仕し

草ぐさ

をしながら歌うた

うたいましたその後ご

その地ち

では天てん

皇のう

に大おお

贄にえ

(特とく

別べつ

な食た

べ物もの

)を捧ささ

げる時とき

にその

歌うた

をうたうようになりました(中ちゅう

巻かん

応おう

神じん

天てん

皇のう

裳も

の糸いと

飯めし

粒つぶ

つけて

鮎あゆ

を釣つ

 神じん

功ぐう

皇こう

后ごう

は四し

月がつ

上じょう

旬じゅんに玉たま

島しまの

里さと

の川かわ

着き

物もの

の糸いと

を抜ぬ

き取と

り飯めし

粒つぶ

をえさにして鮎あゆ

を釣つ

りましたこのときからこの川かわ

では

同おな

じ時じ

期き

に女じょ

性せい

たちが着き

物もの

の糸いと

と飯めし

粒つぶ

で鮎あゆ

を釣つ

るようになりました(中ちゅう

巻かん

仲ちゅう

哀あい

天てん

皇のう

333435

3132 30

13

虻あぶ

食た

べた

蜻とんぼ蛉にちなむ

蜻あきず蛉島しま

 野の

原はら

へ狩か

りに出で

かけた雄ゆう

略りゃく

天てん

皇のう

の腕うで

を虻あぶ

がかみましたがその虻あぶ

を蜻とんぼ蛉がくわえて

飛と

び去さ

りました天てん

皇のう

は蜻とんぼ蛉をほめ大やまとの和

国くに

は蜻あきず蛉島しま

とよぶのにふさわしいと歌うた

によ

みましたこの場ば

所しょ

は阿あ

岐き

豆ず

野の

と呼よ

ばれる

ようになりました(下げ

巻かん

雄ゆう

略りゃく

天てん

皇のう

隼はやぶさよ

鷦さざき鷯を取と

れと

機はた

を織お

 女め

鳥どりの

王みこ

は夫おっとの速はや

総ぶさ

別わけの

王みこ

に「隼はやぶさよ鷦さざき鷯

を取と

ってしまえ」と機はた

を織お

りながら歌うた

いま

した隼はやぶさとは速はや

総ぶさ

別わけの

王みこ

のこと鷦さざき鷯とは大おお

雀さざきの

命みこと(仁にん

徳とく

天てん

皇のう

)のことですこの歌うた

知し

った天てん

皇のう

は軍ぐん

勢ぜい

を集あつ

め逆ぎゃくに二ふたり人を倒たお

ました(下げ

巻かん

仁にん

徳とく

天てん

皇のう

)鷦さざき鷯はミソサザ

イという鳥と

のことです

すばらしき船ふね たからかに響ひび

琴こと

となる

 一いっ

本ぽん

の巨きょ

木ぼく

で造つく

った船ふね

「枯から

野の

」はたいへ

ん速はや

く仁にん

徳とく

天てん

皇のう

の飲の

み水みず

を淡あわ

路じ

島しま

から運はこ

びましたこの船ふね

が壊こわ

れたので船せん

材ざい

を焼や

いて残のこ

った木き

で琴こと

を作つく

りましたこの琴こと

音ね

は遠とお

くまで響ひび

き人ひと

々びと

は歌うた

をうたって琴こと

をほめたたえました(下げ

巻かん

仁にん

徳とく

天てん

皇のう

御ご

殿てん

から

天てん

皇のう

救すく

大やまと和へと

 墨すみの

江えの

中なかつ

王みこ

は天てん

皇のう

の位くらいをねらい履り

中ちゅう

天てん

皇のう

が寝ね

ている御ご

殿てん

に火ひ

をつけました天てん

皇のう

は阿あ

知ちの

直あたいに助たす

け出だ

され大やまと和に向む

かいまし

た途と

中ちゅう天てん

皇のう

は燃も

える御ご

殿てん

を遠とお

くから見み

残のこ

してきた皇こう

后ごう

を心しん

配ぱい

する歌うた

をうたいまし

た(下げ

巻かん

履り

中ちゅう

天てん

皇のう

恋こい

しくて

伊い

予よ

へ追お

い行ゆ

衣そと

通おりの

王みこ

 次つぎ

の天てん

皇のう

になることを約やく

束そく

されていた木き

梨なし

之の

軽かるの

太おお

子みこ

は人ひと

々びと

の信しん

頼らい

を失うしな

ってついに

は捕とら

えられ伊い

予よ

の道どう

後ご

温おん

泉せん

に流なが

されまし

た妹いもうとの衣そと

通おりの

王みこ

は太おお

子みこ

を恋こ

い慕した

って伊い

予よ

行い

き太おお

子みこ

と再さい

会かい

しました(下げ

巻かん

允いん

恭ぎょう

天てん

皇のう

)伊い

予よ

は今いま

の愛え

媛ひめ

県けん

です

天てん

皇のう

お召め

しを待ま

って

八はちじゅうねん

十年

 雄ゆう

略りゃく

天てん

皇のう

は引ひけ

田た

部べの

赤あか

猪い

子こ

を見み

てすぐ呼よ

び寄よ

せるから結けっ

婚こん

せずに待ま

っているよう命めい

じましたしかし天てん

皇のう

はそのことを忘わす

赤あか

猪い

子こ

はとうとう八はちじゅうねん

十年も待ま

ち続つづ

けました

赤あか

猪い

子こ

は自じ

分ぶん

から天てん

皇のう

に会あ

いに行い

き歌うた

交か

わしました(下げ

巻かん

雄ゆう

略りゃく

天てん

皇のう

41

3738

39

36

40

14

一ひと

言こと

主ぬし 天てん

皇のう

たちと

瓜うり

ふたつ

 雄ゆう

略りゃく

天てん

皇のう

が従じゅう

者しゃ

と葛かずら

城き

山やま

へ出で

かけると

自じ

分ぶん

たちとそっくりな人ひと

たちと出で

会あ

いまし

たそれを見み

た天てん

皇のう

は失しつ

礼れい

だと怒おこ

りました

が相あい

手て

が葛かず

城らき

之の

一ひと

言こと

主ぬし

之の

大おお

神かみ

とわかると

大た

刀ち

と弓ゆみ

矢や

従じゅうしゃ者の衣い

服ふく

を大おお

神かみ

に差さ

し上あ

ました(下げ

巻かん

雄ゆう

略りゃく

天てん

皇のう

杯さかずきの

木こ

の葉は

をめでたく

歌うた

にして

 お酒さけ

に落お

ち葉ば

の浮う

かんだことを知し

らずに

雄ゆう

略りゃく

天てん

皇のう

に杯さかずきを捧ささ

げた三み

重え

の采うね

女め

に天てん

皇のう

は怒おこ

って罰ばつ

を与あた

えようとしましたすると

三み

重え

の采うね

女め

は落お

ち葉ば

が浮う

かんだことをめ

でたいこととして歌うた

にうたい天てん

皇のう

をほめ

たたえ罪つみ

を許ゆる

されました(下げ

巻かん

雄ゆう

略りゃく

天てん

皇のう

)采うね

女め

は宮きゅう

中ちゅうで働はたらく女じょ

性せい

のことです

譲ゆず

り合あ

意お

祁け

と袁を

祁け

とは

王おう

子じ

なり

 意おけのみこと

祁命と袁をけのみこと

祁命の兄きょうだい弟は身み

をかくして馬うま

飼か

い牛うし

飼か

いの仕し

事ごと

をしていましたある

日ひ

お祝いわ

いの席せき

で二ふたり人は舞ま

う順じゅん

番ばん

を譲ゆず

合あ

って履り

中ちゅう

天てん

皇のう

の孫まご

であることを歌うた

であ

かしました兄きょう

弟だい

は宮きゅう

殿でん

に迎むか

えられ二ふたり人

とも後のち

に天てん

皇のう

になりました(下げ

巻かん

清せい

寧ねい

天てん

皇のう

)八や

雲くも

立た

出いづも雲八や

重へ

垣がき

妻つま

籠ご

みに

八や

重へ

垣がき

作つく

その八や

重へ

垣がき

 建たけ

速はや

須す

佐さ

之の

男おの

命みことは八や

俣また

の大おろち蛇を退たい

治じ

して

194797くし

名な

田だ

比ひ

売め

を救すく

い妻つま

にしましたそして

須す

賀が

という土と

地ち

に新あたらしい宮みや

を造つく

りました

その時とき

そこに立た

ち上のぼ

った雲くも

を妻つま

の住す

宮みや

を幾いく

重え

にも囲かこ

む垣かき

のようだと歌うた

によみま

した(上じょう

巻かん

古こ

事じ

記き

かるた

歌か

謡よう

編へん

一いち

覧らん

猪いのししに

追お

われて榛はり

木き

に登のぼ

 雄ゆう

略りゃく

天てん

皇のう

が葛かずら

城き

山やま

に登のぼ

ったとき大おお

きな

猪いのししが現あらわれました天てん

皇のう

は矢や

で射い

ましたが

猪いのししはうなり声ごえ

をあげて近ちか

づいてきます天てん

皇のう

は榛はり

の木き

に登のぼ

って逃に

げ助たす

けてくれた木き

への感かん

謝しゃ

を歌うた

にしました(下げ

巻かん

雄ゆう

略りゃく

天てん

皇のう

)榛はり

はハンノキのことです

4344

4546

42

15

倭やまとは

国くに

の真ま

秀ほ

ろば

たたなづく

青あを

垣かき

山やま

籠ごも

れる 倭やまとし麗うるはし

 倭やまと

建たけるの

命みことは父ちち

景けい

行こう

天てん

皇のう

の命めい

令れい

で西にし

へ東ひがしへと言い

うことを聞き

かない者もの

を倒たお

す旅たび

に出で

ましたところがその旅たび

先さき

で病びょう

気き

なってしまいましたふるさとの大やまと和をな

つかしみこの歌うた

をよみついに亡な

くなっ

てしまいました(中ちゅう

巻かん

景けい

行こう

天てん

皇のう

倭やま

方とへ

行ゆ

くは誰た

が夫つま

隠こも

り処づ

下した

よ延は

へつつ

行ゆ

くは誰た

が夫つま

 皇こう

后ごう

石いわ

之の

比ひ

売めの

命みことの嫉しっ

妬と

を恐おそ

れて故こき

郷ょう

の吉き

備びの

国くに

にもどっていた黒くろ

日ひ

売め

を恋こい

しく思おも

い仁にん

徳とく

天てん

皇のう

は吉き

備びの

国くに

に黒くろ

日ひ

売め

を訪たず

ねて行い

きましたともに楽たの

しいひとときを過す

ごし

天てん

皇のう

が都みやこにもどるときに黒くろ

日ひ

売め

は天てん

皇のう

歌うた

を差さ

し上あ

げました(下げ

巻かん

仁にん

徳とく

天てん

皇のう

潮しほ

瀬せ

波な

折を

りを見み

れば 

遊あそ

び来く

鮪しび

が端はた

手で

妻つま

立た

てり見み

 袁をけのみこと

祁命(のちの顕けん

宗ぞう

天てん

皇のう

)が大お

魚うお

という

名な

の乙おと

女め

に結けっ

婚こん

を申もう

し込こ

もうとしていた

とき志し

毘びの

臣おみ

も歌うた

垣がき

の場ば

で大お

魚うお

を誘さそ

いまし

た歌うた

垣がき

とは男だん

女じょ

が集あつままって歌うた

をよみ合あ

う場ば

です二ふ

たり人

は明あ

け方が

まで歌う

で戦

たたか

い続つ

ました(下げ

巻かん

清せい

寧ねい

天てん

皇のう

狭さ

井ゐ

河がは

雲くも

立た

ち渡わた

畝うね

火び

山やま

木こ

の葉は

さやぎぬ

風かぜ

吹ふ

かむとす

 神じん

武む

天てん

皇のう

が亡な

くなった後あと

天てん

皇のう

の子こ

の当た

芸ぎ

志し

美み

々みの

命みことは皇こう

后ごう

だった伊い

須す

気け

余よ

理り

比ひ

売め

を妻つま

にし比ひ

売め

の子こ

である三さん

人にん

の弟おとうとを倒たお

うとしました比ひ

売め

は歌うた

で息むす

子こ

たちに危き

険けん

を知し

らせ聞き

き知し

った息むす

子こ

たちは当た

芸ぎ

志し

美み

々みの

命みことを打う

ち負ま

かしました(中ちゅう

巻かん

神じん

武む

天てん

皇のう

4748

4950

16

学がっ

校こう

および各かく

施し

設せつ

関かん

係けい

者しゃ

保ほ

護ご

者しゃ

の皆みな

様さま

 

本ほん製せい品ひんは子こ

どもたちにかるた遊あそびをとおして『古こ

事じ

記き

』の世せ

界かいにふれ

てもらいたいとの思おもいから奈な

良ら

県けんが独どく自じ

に企き

画かく制せい作さくしたものです

本ほん製せい品ひんはリズムのよさやわかりやすさを重じゅう視し

して作さく成せいしている部ぶ

分ぶんも

含ふくまれます正せい確かくな記き

述じゅつを心こころがけて作さく成せいしておりますが見けん解かい学がく

説せつ

等などの相そう違い

についてはご了りょう承しょうください

神しん名めい人じん名めい地ち

名めい等などの固こ

有ゆう

名めい詞し

の表ひょう記き

にあたっては小しょう

学がく館かん『新しん

編ぺん

日に

本ほん

古こ

典てん

文ぶん

学がく

全ぜん

集しゅう1 

古こ

事じ

記き

』(校こう

注ちゅう

訳やく

山やま

口ぐち

佳よし

紀のり

神こう

野の

志し

隆たか

光みつ

の記き

載さいを参さん考こうにしました

文もん言ごん等などの漢かん字じ

表ひょう記き

については親したしみやすさの観かん点てんから常じょう用よう漢かん字じ

中ちゅう心しんに記き

載さいしました

ふりがなについては現げん代だいかなづかいを基き

本ほんに記き

載さいしました

Page 10: こ き かるたについて...3 1 1 1 みんなで遊 あそ ぼう! 古 事こ 記じ かるたのき 遊 あそ び方 かた 読 よ み手 て (一 ひと 人 り )と取

10

導みちびくは 神かみ

の使つか

いの

八や

咫あた

烏からす

 高たか

天あまの

原はら

の天あま

照てらす

大おお

御み

神かみ

高たか

木ぎの

神かみ

の命めい

を受う

けて建たけ

御みかずち雷神のかみは神かむ

倭やまと

伊い

波わ

礼れ

毘び

古この

命みこと(の

ちの神じん

武む

天てん

皇のう

)に不ふ

思し

議ぎ

な力ちからをもつ大た

刀ち

与あた

えましたさらに凶きょう

暴ぼう

な神かみ

たちが待ま

ている道みち

を無ぶ

事じ

に進すす

むために八や

咫あた

烏からすとい

う大おお

きなカラスに道みち

案あん

内ない

をさせました(中ちゅう

巻かん

神じん

武む

天てん

皇のう

兄え

宇う

迦か

斯し

たくらみ告つ

げる

弟おと

宇う

迦か

斯し

 神かむ

倭やまと

伊い

波わ

礼れ

毘び

古この

命みこと(のちの神じん

武む

天てん

皇のう

)が

宇う

陀だ

に着つ

いたときその地ち

に暮く

らす兄え

宇う

迦か

斯し

は命みことをだまして倒たお

そうとしましたそれ

を知し

った弟おとうとの弟おと

宇う

迦か

斯し

は兄あに

の御ご

殿てん

にわなが

仕し

掛か

けてあることを教おし

え命みことは助たす

かりまし

た(中ちゅう

巻かん

神じん

武む

天てん

皇のう

神じん

武む

天てん

皇のう

橿かし

原はらの

宮みや

即そく

位い

する

 神かむ

倭やまと

伊い

波わ

礼れ

毘び

古この

命みことはさまざまな荒あ

れすさ

ぶ神かみ

たちを平へい

定てい

して畝うね

傍び

山やま

のふもとの橿かし

原はらの

宮みや

で最さい

初しょ

の天てん

皇のう

として即そく

位い

し世よ

の中なか

治おさ

めました(中ちゅう

巻かん

神じん

武む

天てん

皇のう

長なが

い糸いと

たどって行ゆ

けば

三み

輪わ

の山やま

 夜よ

中なか

美うつくしい活いく

玉たま

依より

毘び

売め

のもとに立りっ

派ぱ

な姿すがたの男だん

性せい

がやってきて一いっ

緒しょ

になりました

両りょう

親しん

に教おし

えられ男だん

性せい

の服ふく

のすそに糸いと

をつ

けた針はり

を刺さ

してたどると三み

輪わ

山やま

の社やしろに着つ

き男だん

性せい

は大おお

物もの

主ぬしの

大おお

神かみ

だとわかりました

(中ちゅう

巻かん

崇す

神じん

天てん

皇のう

沙さ

本ほ

毘び

売め

夫おっとと兄あに

との

板いた

ばさみ

 垂すい

仁にん

天てん

皇のう

の后きさき沙さ

本ほ

毘び

売めの

命みことは兄あに

の沙さ

本ほ

毘び

古この

王みこ

から天てん

皇のう

と自じ

分ぶん

とどちらを愛あい

するか

尋たず

ねられ天てん

皇のう

を倒たお

すように言い

われます

そのことを知し

った天てん

皇のう

は兵へい

を出だ

して沙さ

本ほ

毘び

古この

王みこ

を倒たお

し沙さ

本ほ

毘び

売めの

命みことも亡な

くなりました

が子こ

どもの本ほ

牟む

智ち

和わ

気けの

御み

子こ

は取と

り戻もど

すこ

とができました(中ちゅう

巻かん

垂すい

仁にん

天てん

皇のう

船ふな

出で

して

大やまと和を目め

指ざ

神じん

武む

東とう

征せい

 

 神かむ

倭やまと

伊い

波わ

礼れ

毘び

古この

命みこと(のちの神じん

武む

天てん

皇のう

)と

兄あに

の五いつ

瀬せの

命みことは高たか

千ち

穂ほの

宮みや

で国くに

を治おさ

める場ば

所しょ

を相そう

談だん

し東ひがしへ向む

かうことにしました日ひ

向むか

から船ふね

を出だ

し豊とよ

国くに

筑つく

紫し

安あ

芸き

吉き

備び

と進すす

んでいきました(中ちゅう

巻かん

神じん

武む

天てん

皇のう

日ひ

向むか

は今いま

の宮みや

崎ざき

県けん

豊とよ

国くに

は今いま

の大おお

分いた

県けん

福ふく

岡おか

県けん

東とう

部ぶ

筑つく

紫し

は今いま

の福ふく

岡おか

県けん

安あ

芸き

は今いま

の広ひろ

島しま

県けん

吉き

備び

は今いま

の岡おか

山やま

県けん

広ひろ

島しま

県けん

東とう

部ぶ

です

2122

19

23

20 18

11

美うつくしき 少しょう

女じょ

になって

熊くま

曾そ

討う

 景けい

行こう

天てん

皇のう

の子こ

の小お

碓うすの

命みことは父ちち

から熊くま

曾そ

建たけるを討う

ち取と

るように命めい

じられました命みことは

髪かみ

型がた

や着き

物もの

を少しょう

女じょ

のようにして熊くま

曾そ

建たけるの

宴えん

会かい

にまぎれこみ退たい

治じ

しました熊くま

曾そ

建たける

は命みことの強つよ

さをほめたたえ「倭やまと

建たけるの

御み

子こ

」と

いう名な

前まえ

を贈おく

りました(中ちゅう

巻かん

景けい

行こう

天てん

皇のう

草くさ

なぎの

剣つるぎが救すく

危き

機き

一いっ

髪ぱつ

 倭やまと

建たけるの

命みことは東ひがしの方ほう

に戦たたかいに行い

く途と

中ちゅう伊い

勢せ

大だい

神じん

宮ぐう

に寄よ

りおばの倭やまと

比ひ

売めの

命みことから草くさ

ぎの剣つるぎと火ひ

打う

ち石いし

をもらいましただまさ

れて野の

原はら

に火ひ

をつけられたとき倭やまと

建たけるの

命みこと

は草くさ

なぎの剣つるぎでまわりの草くさ

を切き

り払はら

い向む

かい火び

をつけて助たす

かりました(中ちゅう

巻かん

景けい

行こう

天てん

皇のう

荒あら

波なみ

静しず

めるために

身み

を捧ささ

 倭やまと

建たけるの

命みことが走はしり

水みずの海うみを渡わた

ろうとすると海うみ

の神かみ

様さま

が荒あら

波なみ

を起お

こし船ふね

がぐるぐると回まわ

るばかりです倭やまと

建たけるの

命みことの妻つま

弟おと

橘たちばな

比ひ

売めの

命みことが身み

代が

わりとなって海うみ

に身み

を沈しず

めると

波なみ

が静しず

かになり船ふね

を進すす

めることができま

した(中ちゅう

巻かん

景けい

行こう

天てん

皇のう

白しろ

猪いのししの

姿すがたの神かみ

あなどりて

 倭やまと

建たけるの

命みことは草くさ

なぎの剣つるぎを妻つま

美み

夜や

受ず

比ひ

売め

に預あず

け伊い

吹ぶき

山やま

に出で

かけました伊い

吹ぶき

山やま

神かみ

様さま

は白しろ

い大おお

きな猪いのししの姿すがたで現あらわれましたが

命みことは神かみ

の使つか

いと間ま

違ちが

えてしまいました神かみ

様さま

は怒おこ

り激はげ

しい氷ひさめ雨を降ふ

らせ命みことをすっ

かり弱よわ

らせてしまいました(中ちゅう

巻かん

景けい

行こう

天てん

皇のう

)天あま

翔か

ける

大おお

きな白しろ

鳥とり

になり

 倭やまと

建たけるの

命みことが能の

煩ぼ

野の

で亡な

くなると大やまと和に

いた后きさきや子こ

どもたちがみなやってきて泣な

き悲かな

しみましたやがて命みことは大おお

きな白しろ

い千ち

鳥どり

の姿すがたになって羽は

ばたき浜はま

に向むか

って飛と

でいきましたみんな泣な

きながらその後あと

追お

いかけました(中ちゅう

巻かん

景けい

行こう

天てん

皇のう

ときじくの

かくの木この

実み

間ま

に合あ

わず

 垂すい

仁にん

天てん

皇のう

は遠とお

い常とこ

世よの

国くに

から「ときじく

のかくの木この

実み

」を持も

ってくるよう多た

遅じ

摩ま

毛も

理り

に命めい

じました実み

を持も

ち帰かえ

るとすでに

天てん

皇のう

は亡な

くなっていました多た

遅じ

摩ま

毛も

理り

お墓はか

に向むか

って実み

を高たか

く持も

ち上あ

げ泣な

き叫さけ

ながら亡な

くなりました(中ちゅう

巻かん

垂すい

仁にん

天てん

皇のう

「ときじくのかくの木この

実み

」とは「いつも輝かがやく木き

の実み

」という意い

味み

です

25

29

26

2728

24

12

税ぜい

はとらぬ

かまどに煙けむり

立た

つまでは

 仁にん

徳とく

天てん

皇のう

はかまどから煙けむりが立た

ち上のぼ

って

いないのを見み

て人ひと

々びと

が暮く

らしに困こま

ってい

ることを知し

りましたそこで天てん

皇のう

は税ぜい

をな

くし宮きゅう

殿でん

の修しゅう

理り

もやめました三さん

年ねん

後ご

人ひと

々びと

の家いえ

のかまどからは再ふたたび煙けむりが立た

ち上のぼ

ようになりました(下げ

巻かん

仁にん

徳とく

天てん

皇のう

石いわ

之の

日ひ

売め

御み

綱つな

柏がしわを

海うみ

に捨す

 仁にん

徳とく

天てん

皇のう

の皇こう

后ごう

石いわ

之の

日ひ

売めの

命みことは宴えん

会かい

に使つか

う御み

綱つな

柏がしわの葉は

を取と

りに船ふね

で出で

かけました

その間あいだに天てん

皇のう

が別べつ

の女じょ

性せい

と仲なか

良よ

くなった

ことを知し

って皇こう

后ごう

はたいへん怒おこ

りせっ

かく集あつ

めた御み

綱つな

柏がしわを全ぜん

部ぶ

海うみ

に投な

げ捨す

ててし

まいました(下げ

巻かん

仁にん

徳とく

天てん

皇のう

つぎつぎに

変か

わる蚕かいこで

仲なか

直なお

 蚕かいこは幼よう

虫ちゅうからまゆを作つく

ってサナギとな

りやがて成せい

虫ちゅうとなる蛾が

の一いっ

種しゅ

でまゆか

ら生き

糸いと

を取と

ります仁にん

徳とく

天てん

皇のう

は蚕かいこを見み

るこ

とを口こう

実じつ

にけんかをしていた皇こう

后ごう

石いわ

之の

日ひ

売めの

命みことのもとに行い

き仲なか

直なお

りすることがで

きました(下げ

巻かん

仁にん

徳とく

天てん

皇のう

気け

比ひの

大おお

神かみ

名な

前まえ

を替か

えた

大おお

鞆とも

和わ

気け

 大おお

鞆とも

和わ

気けの

命みこと(のちの応おう

神じん

天てん

皇のう

)が敦つる

賀が

行い

ったときおともの建たけ

内うちの

宿すく

禰ねの

命みことの夢ゆめ

に土と

地ち

の神かみ

様さま

が現あらわれ自じ

分ぶん

の名な

前まえ

と大おおともわけのみこと

鞆和気命

の名な

前まえ

とを替か

えようと言い

いました承しょう

諾だく

ると翌よく

朝あさ

たくさんのイルカを贈おく

り物もの

とし

てくださいました(中ちゅう

巻かん

仲ちゅう

哀あい

天てん

皇のう

大おお

贄にえ

捧ささ

げる歌うた

うたう国くに

主す

 吉よし

野の

の国くに

主す

という人ひと

たちは応おう

神じん

天てん

皇のう

お酒さけ

を差さ

し上あ

げる時とき

楽がっ

器き

の代か

わりに口くち

音おと

を出だ

しいろいろな仕し

草ぐさ

をしながら歌うた

うたいましたその後ご

その地ち

では天てん

皇のう

に大おお

贄にえ

(特とく

別べつ

な食た

べ物もの

)を捧ささ

げる時とき

にその

歌うた

をうたうようになりました(中ちゅう

巻かん

応おう

神じん

天てん

皇のう

裳も

の糸いと

飯めし

粒つぶ

つけて

鮎あゆ

を釣つ

 神じん

功ぐう

皇こう

后ごう

は四し

月がつ

上じょう

旬じゅんに玉たま

島しまの

里さと

の川かわ

着き

物もの

の糸いと

を抜ぬ

き取と

り飯めし

粒つぶ

をえさにして鮎あゆ

を釣つ

りましたこのときからこの川かわ

では

同おな

じ時じ

期き

に女じょ

性せい

たちが着き

物もの

の糸いと

と飯めし

粒つぶ

で鮎あゆ

を釣つ

るようになりました(中ちゅう

巻かん

仲ちゅう

哀あい

天てん

皇のう

333435

3132 30

13

虻あぶ

食た

べた

蜻とんぼ蛉にちなむ

蜻あきず蛉島しま

 野の

原はら

へ狩か

りに出で

かけた雄ゆう

略りゃく

天てん

皇のう

の腕うで

を虻あぶ

がかみましたがその虻あぶ

を蜻とんぼ蛉がくわえて

飛と

び去さ

りました天てん

皇のう

は蜻とんぼ蛉をほめ大やまとの和

国くに

は蜻あきず蛉島しま

とよぶのにふさわしいと歌うた

によ

みましたこの場ば

所しょ

は阿あ

岐き

豆ず

野の

と呼よ

ばれる

ようになりました(下げ

巻かん

雄ゆう

略りゃく

天てん

皇のう

隼はやぶさよ

鷦さざき鷯を取と

れと

機はた

を織お

 女め

鳥どりの

王みこ

は夫おっとの速はや

総ぶさ

別わけの

王みこ

に「隼はやぶさよ鷦さざき鷯

を取と

ってしまえ」と機はた

を織お

りながら歌うた

いま

した隼はやぶさとは速はや

総ぶさ

別わけの

王みこ

のこと鷦さざき鷯とは大おお

雀さざきの

命みこと(仁にん

徳とく

天てん

皇のう

)のことですこの歌うた

知し

った天てん

皇のう

は軍ぐん

勢ぜい

を集あつ

め逆ぎゃくに二ふたり人を倒たお

ました(下げ

巻かん

仁にん

徳とく

天てん

皇のう

)鷦さざき鷯はミソサザ

イという鳥と

のことです

すばらしき船ふね たからかに響ひび

琴こと

となる

 一いっ

本ぽん

の巨きょ

木ぼく

で造つく

った船ふね

「枯から

野の

」はたいへ

ん速はや

く仁にん

徳とく

天てん

皇のう

の飲の

み水みず

を淡あわ

路じ

島しま

から運はこ

びましたこの船ふね

が壊こわ

れたので船せん

材ざい

を焼や

いて残のこ

った木き

で琴こと

を作つく

りましたこの琴こと

音ね

は遠とお

くまで響ひび

き人ひと

々びと

は歌うた

をうたって琴こと

をほめたたえました(下げ

巻かん

仁にん

徳とく

天てん

皇のう

御ご

殿てん

から

天てん

皇のう

救すく

大やまと和へと

 墨すみの

江えの

中なかつ

王みこ

は天てん

皇のう

の位くらいをねらい履り

中ちゅう

天てん

皇のう

が寝ね

ている御ご

殿てん

に火ひ

をつけました天てん

皇のう

は阿あ

知ちの

直あたいに助たす

け出だ

され大やまと和に向む

かいまし

た途と

中ちゅう天てん

皇のう

は燃も

える御ご

殿てん

を遠とお

くから見み

残のこ

してきた皇こう

后ごう

を心しん

配ぱい

する歌うた

をうたいまし

た(下げ

巻かん

履り

中ちゅう

天てん

皇のう

恋こい

しくて

伊い

予よ

へ追お

い行ゆ

衣そと

通おりの

王みこ

 次つぎ

の天てん

皇のう

になることを約やく

束そく

されていた木き

梨なし

之の

軽かるの

太おお

子みこ

は人ひと

々びと

の信しん

頼らい

を失うしな

ってついに

は捕とら

えられ伊い

予よ

の道どう

後ご

温おん

泉せん

に流なが

されまし

た妹いもうとの衣そと

通おりの

王みこ

は太おお

子みこ

を恋こ

い慕した

って伊い

予よ

行い

き太おお

子みこ

と再さい

会かい

しました(下げ

巻かん

允いん

恭ぎょう

天てん

皇のう

)伊い

予よ

は今いま

の愛え

媛ひめ

県けん

です

天てん

皇のう

お召め

しを待ま

って

八はちじゅうねん

十年

 雄ゆう

略りゃく

天てん

皇のう

は引ひけ

田た

部べの

赤あか

猪い

子こ

を見み

てすぐ呼よ

び寄よ

せるから結けっ

婚こん

せずに待ま

っているよう命めい

じましたしかし天てん

皇のう

はそのことを忘わす

赤あか

猪い

子こ

はとうとう八はちじゅうねん

十年も待ま

ち続つづ

けました

赤あか

猪い

子こ

は自じ

分ぶん

から天てん

皇のう

に会あ

いに行い

き歌うた

交か

わしました(下げ

巻かん

雄ゆう

略りゃく

天てん

皇のう

41

3738

39

36

40

14

一ひと

言こと

主ぬし 天てん

皇のう

たちと

瓜うり

ふたつ

 雄ゆう

略りゃく

天てん

皇のう

が従じゅう

者しゃ

と葛かずら

城き

山やま

へ出で

かけると

自じ

分ぶん

たちとそっくりな人ひと

たちと出で

会あ

いまし

たそれを見み

た天てん

皇のう

は失しつ

礼れい

だと怒おこ

りました

が相あい

手て

が葛かず

城らき

之の

一ひと

言こと

主ぬし

之の

大おお

神かみ

とわかると

大た

刀ち

と弓ゆみ

矢や

従じゅうしゃ者の衣い

服ふく

を大おお

神かみ

に差さ

し上あ

ました(下げ

巻かん

雄ゆう

略りゃく

天てん

皇のう

杯さかずきの

木こ

の葉は

をめでたく

歌うた

にして

 お酒さけ

に落お

ち葉ば

の浮う

かんだことを知し

らずに

雄ゆう

略りゃく

天てん

皇のう

に杯さかずきを捧ささ

げた三み

重え

の采うね

女め

に天てん

皇のう

は怒おこ

って罰ばつ

を与あた

えようとしましたすると

三み

重え

の采うね

女め

は落お

ち葉ば

が浮う

かんだことをめ

でたいこととして歌うた

にうたい天てん

皇のう

をほめ

たたえ罪つみ

を許ゆる

されました(下げ

巻かん

雄ゆう

略りゃく

天てん

皇のう

)采うね

女め

は宮きゅう

中ちゅうで働はたらく女じょ

性せい

のことです

譲ゆず

り合あ

意お

祁け

と袁を

祁け

とは

王おう

子じ

なり

 意おけのみこと

祁命と袁をけのみこと

祁命の兄きょうだい弟は身み

をかくして馬うま

飼か

い牛うし

飼か

いの仕し

事ごと

をしていましたある

日ひ

お祝いわ

いの席せき

で二ふたり人は舞ま

う順じゅん

番ばん

を譲ゆず

合あ

って履り

中ちゅう

天てん

皇のう

の孫まご

であることを歌うた

であ

かしました兄きょう

弟だい

は宮きゅう

殿でん

に迎むか

えられ二ふたり人

とも後のち

に天てん

皇のう

になりました(下げ

巻かん

清せい

寧ねい

天てん

皇のう

)八や

雲くも

立た

出いづも雲八や

重へ

垣がき

妻つま

籠ご

みに

八や

重へ

垣がき

作つく

その八や

重へ

垣がき

 建たけ

速はや

須す

佐さ

之の

男おの

命みことは八や

俣また

の大おろち蛇を退たい

治じ

して

194797くし

名な

田だ

比ひ

売め

を救すく

い妻つま

にしましたそして

須す

賀が

という土と

地ち

に新あたらしい宮みや

を造つく

りました

その時とき

そこに立た

ち上のぼ

った雲くも

を妻つま

の住す

宮みや

を幾いく

重え

にも囲かこ

む垣かき

のようだと歌うた

によみま

した(上じょう

巻かん

古こ

事じ

記き

かるた

歌か

謡よう

編へん

一いち

覧らん

猪いのししに

追お

われて榛はり

木き

に登のぼ

 雄ゆう

略りゃく

天てん

皇のう

が葛かずら

城き

山やま

に登のぼ

ったとき大おお

きな

猪いのししが現あらわれました天てん

皇のう

は矢や

で射い

ましたが

猪いのししはうなり声ごえ

をあげて近ちか

づいてきます天てん

皇のう

は榛はり

の木き

に登のぼ

って逃に

げ助たす

けてくれた木き

への感かん

謝しゃ

を歌うた

にしました(下げ

巻かん

雄ゆう

略りゃく

天てん

皇のう

)榛はり

はハンノキのことです

4344

4546

42

15

倭やまとは

国くに

の真ま

秀ほ

ろば

たたなづく

青あを

垣かき

山やま

籠ごも

れる 倭やまとし麗うるはし

 倭やまと

建たけるの

命みことは父ちち

景けい

行こう

天てん

皇のう

の命めい

令れい

で西にし

へ東ひがしへと言い

うことを聞き

かない者もの

を倒たお

す旅たび

に出で

ましたところがその旅たび

先さき

で病びょう

気き

なってしまいましたふるさとの大やまと和をな

つかしみこの歌うた

をよみついに亡な

くなっ

てしまいました(中ちゅう

巻かん

景けい

行こう

天てん

皇のう

倭やま

方とへ

行ゆ

くは誰た

が夫つま

隠こも

り処づ

下した

よ延は

へつつ

行ゆ

くは誰た

が夫つま

 皇こう

后ごう

石いわ

之の

比ひ

売めの

命みことの嫉しっ

妬と

を恐おそ

れて故こき

郷ょう

の吉き

備びの

国くに

にもどっていた黒くろ

日ひ

売め

を恋こい

しく思おも

い仁にん

徳とく

天てん

皇のう

は吉き

備びの

国くに

に黒くろ

日ひ

売め

を訪たず

ねて行い

きましたともに楽たの

しいひとときを過す

ごし

天てん

皇のう

が都みやこにもどるときに黒くろ

日ひ

売め

は天てん

皇のう

歌うた

を差さ

し上あ

げました(下げ

巻かん

仁にん

徳とく

天てん

皇のう

潮しほ

瀬せ

波な

折を

りを見み

れば 

遊あそ

び来く

鮪しび

が端はた

手で

妻つま

立た

てり見み

 袁をけのみこと

祁命(のちの顕けん

宗ぞう

天てん

皇のう

)が大お

魚うお

という

名な

の乙おと

女め

に結けっ

婚こん

を申もう

し込こ

もうとしていた

とき志し

毘びの

臣おみ

も歌うた

垣がき

の場ば

で大お

魚うお

を誘さそ

いまし

た歌うた

垣がき

とは男だん

女じょ

が集あつままって歌うた

をよみ合あ

う場ば

です二ふ

たり人

は明あ

け方が

まで歌う

で戦

たたか

い続つ

ました(下げ

巻かん

清せい

寧ねい

天てん

皇のう

狭さ

井ゐ

河がは

雲くも

立た

ち渡わた

畝うね

火び

山やま

木こ

の葉は

さやぎぬ

風かぜ

吹ふ

かむとす

 神じん

武む

天てん

皇のう

が亡な

くなった後あと

天てん

皇のう

の子こ

の当た

芸ぎ

志し

美み

々みの

命みことは皇こう

后ごう

だった伊い

須す

気け

余よ

理り

比ひ

売め

を妻つま

にし比ひ

売め

の子こ

である三さん

人にん

の弟おとうとを倒たお

うとしました比ひ

売め

は歌うた

で息むす

子こ

たちに危き

険けん

を知し

らせ聞き

き知し

った息むす

子こ

たちは当た

芸ぎ

志し

美み

々みの

命みことを打う

ち負ま

かしました(中ちゅう

巻かん

神じん

武む

天てん

皇のう

4748

4950

16

学がっ

校こう

および各かく

施し

設せつ

関かん

係けい

者しゃ

保ほ

護ご

者しゃ

の皆みな

様さま

 

本ほん製せい品ひんは子こ

どもたちにかるた遊あそびをとおして『古こ

事じ

記き

』の世せ

界かいにふれ

てもらいたいとの思おもいから奈な

良ら

県けんが独どく自じ

に企き

画かく制せい作さくしたものです

本ほん製せい品ひんはリズムのよさやわかりやすさを重じゅう視し

して作さく成せいしている部ぶ

分ぶんも

含ふくまれます正せい確かくな記き

述じゅつを心こころがけて作さく成せいしておりますが見けん解かい学がく

説せつ

等などの相そう違い

についてはご了りょう承しょうください

神しん名めい人じん名めい地ち

名めい等などの固こ

有ゆう

名めい詞し

の表ひょう記き

にあたっては小しょう

学がく館かん『新しん

編ぺん

日に

本ほん

古こ

典てん

文ぶん

学がく

全ぜん

集しゅう1 

古こ

事じ

記き

』(校こう

注ちゅう

訳やく

山やま

口ぐち

佳よし

紀のり

神こう

野の

志し

隆たか

光みつ

の記き

載さいを参さん考こうにしました

文もん言ごん等などの漢かん字じ

表ひょう記き

については親したしみやすさの観かん点てんから常じょう用よう漢かん字じ

中ちゅう心しんに記き

載さいしました

ふりがなについては現げん代だいかなづかいを基き

本ほんに記き

載さいしました

Page 11: こ き かるたについて...3 1 1 1 みんなで遊 あそ ぼう! 古 事こ 記じ かるたのき 遊 あそ び方 かた 読 よ み手 て (一 ひと 人 り )と取

11

美うつくしき 少しょう

女じょ

になって

熊くま

曾そ

討う

 景けい

行こう

天てん

皇のう

の子こ

の小お

碓うすの

命みことは父ちち

から熊くま

曾そ

建たけるを討う

ち取と

るように命めい

じられました命みことは

髪かみ

型がた

や着き

物もの

を少しょう

女じょ

のようにして熊くま

曾そ

建たけるの

宴えん

会かい

にまぎれこみ退たい

治じ

しました熊くま

曾そ

建たける

は命みことの強つよ

さをほめたたえ「倭やまと

建たけるの

御み

子こ

」と

いう名な

前まえ

を贈おく

りました(中ちゅう

巻かん

景けい

行こう

天てん

皇のう

草くさ

なぎの

剣つるぎが救すく

危き

機き

一いっ

髪ぱつ

 倭やまと

建たけるの

命みことは東ひがしの方ほう

に戦たたかいに行い

く途と

中ちゅう伊い

勢せ

大だい

神じん

宮ぐう

に寄よ

りおばの倭やまと

比ひ

売めの

命みことから草くさ

ぎの剣つるぎと火ひ

打う

ち石いし

をもらいましただまさ

れて野の

原はら

に火ひ

をつけられたとき倭やまと

建たけるの

命みこと

は草くさ

なぎの剣つるぎでまわりの草くさ

を切き

り払はら

い向む

かい火び

をつけて助たす

かりました(中ちゅう

巻かん

景けい

行こう

天てん

皇のう

荒あら

波なみ

静しず

めるために

身み

を捧ささ

 倭やまと

建たけるの

命みことが走はしり

水みずの海うみを渡わた

ろうとすると海うみ

の神かみ

様さま

が荒あら

波なみ

を起お

こし船ふね

がぐるぐると回まわ

るばかりです倭やまと

建たけるの

命みことの妻つま

弟おと

橘たちばな

比ひ

売めの

命みことが身み

代が

わりとなって海うみ

に身み

を沈しず

めると

波なみ

が静しず

かになり船ふね

を進すす

めることができま

した(中ちゅう

巻かん

景けい

行こう

天てん

皇のう

白しろ

猪いのししの

姿すがたの神かみ

あなどりて

 倭やまと

建たけるの

命みことは草くさ

なぎの剣つるぎを妻つま

美み

夜や

受ず

比ひ

売め

に預あず

け伊い

吹ぶき

山やま

に出で

かけました伊い

吹ぶき

山やま

神かみ

様さま

は白しろ

い大おお

きな猪いのししの姿すがたで現あらわれましたが

命みことは神かみ

の使つか

いと間ま

違ちが

えてしまいました神かみ

様さま

は怒おこ

り激はげ

しい氷ひさめ雨を降ふ

らせ命みことをすっ

かり弱よわ

らせてしまいました(中ちゅう

巻かん

景けい

行こう

天てん

皇のう

)天あま

翔か

ける

大おお

きな白しろ

鳥とり

になり

 倭やまと

建たけるの

命みことが能の

煩ぼ

野の

で亡な

くなると大やまと和に

いた后きさきや子こ

どもたちがみなやってきて泣な

き悲かな

しみましたやがて命みことは大おお

きな白しろ

い千ち

鳥どり

の姿すがたになって羽は

ばたき浜はま

に向むか

って飛と

でいきましたみんな泣な

きながらその後あと

追お

いかけました(中ちゅう

巻かん

景けい

行こう

天てん

皇のう

ときじくの

かくの木この

実み

間ま

に合あ

わず

 垂すい

仁にん

天てん

皇のう

は遠とお

い常とこ

世よの

国くに

から「ときじく

のかくの木この

実み

」を持も

ってくるよう多た

遅じ

摩ま

毛も

理り

に命めい

じました実み

を持も

ち帰かえ

るとすでに

天てん

皇のう

は亡な

くなっていました多た

遅じ

摩ま

毛も

理り

お墓はか

に向むか

って実み

を高たか

く持も

ち上あ

げ泣な

き叫さけ

ながら亡な

くなりました(中ちゅう

巻かん

垂すい

仁にん

天てん

皇のう

「ときじくのかくの木この

実み

」とは「いつも輝かがやく木き

の実み

」という意い

味み

です

25

29

26

2728

24

12

税ぜい

はとらぬ

かまどに煙けむり

立た

つまでは

 仁にん

徳とく

天てん

皇のう

はかまどから煙けむりが立た

ち上のぼ

って

いないのを見み

て人ひと

々びと

が暮く

らしに困こま

ってい

ることを知し

りましたそこで天てん

皇のう

は税ぜい

をな

くし宮きゅう

殿でん

の修しゅう

理り

もやめました三さん

年ねん

後ご

人ひと

々びと

の家いえ

のかまどからは再ふたたび煙けむりが立た

ち上のぼ

ようになりました(下げ

巻かん

仁にん

徳とく

天てん

皇のう

石いわ

之の

日ひ

売め

御み

綱つな

柏がしわを

海うみ

に捨す

 仁にん

徳とく

天てん

皇のう

の皇こう

后ごう

石いわ

之の

日ひ

売めの

命みことは宴えん

会かい

に使つか

う御み

綱つな

柏がしわの葉は

を取と

りに船ふね

で出で

かけました

その間あいだに天てん

皇のう

が別べつ

の女じょ

性せい

と仲なか

良よ

くなった

ことを知し

って皇こう

后ごう

はたいへん怒おこ

りせっ

かく集あつ

めた御み

綱つな

柏がしわを全ぜん

部ぶ

海うみ

に投な

げ捨す

ててし

まいました(下げ

巻かん

仁にん

徳とく

天てん

皇のう

つぎつぎに

変か

わる蚕かいこで

仲なか

直なお

 蚕かいこは幼よう

虫ちゅうからまゆを作つく

ってサナギとな

りやがて成せい

虫ちゅうとなる蛾が

の一いっ

種しゅ

でまゆか

ら生き

糸いと

を取と

ります仁にん

徳とく

天てん

皇のう

は蚕かいこを見み

るこ

とを口こう

実じつ

にけんかをしていた皇こう

后ごう

石いわ

之の

日ひ

売めの

命みことのもとに行い

き仲なか

直なお

りすることがで

きました(下げ

巻かん

仁にん

徳とく

天てん

皇のう

気け

比ひの

大おお

神かみ

名な

前まえ

を替か

えた

大おお

鞆とも

和わ

気け

 大おお

鞆とも

和わ

気けの

命みこと(のちの応おう

神じん

天てん

皇のう

)が敦つる

賀が

行い

ったときおともの建たけ

内うちの

宿すく

禰ねの

命みことの夢ゆめ

に土と

地ち

の神かみ

様さま

が現あらわれ自じ

分ぶん

の名な

前まえ

と大おおともわけのみこと

鞆和気命

の名な

前まえ

とを替か

えようと言い

いました承しょう

諾だく

ると翌よく

朝あさ

たくさんのイルカを贈おく

り物もの

とし

てくださいました(中ちゅう

巻かん

仲ちゅう

哀あい

天てん

皇のう

大おお

贄にえ

捧ささ

げる歌うた

うたう国くに

主す

 吉よし

野の

の国くに

主す

という人ひと

たちは応おう

神じん

天てん

皇のう

お酒さけ

を差さ

し上あ

げる時とき

楽がっ

器き

の代か

わりに口くち

音おと

を出だ

しいろいろな仕し

草ぐさ

をしながら歌うた

うたいましたその後ご

その地ち

では天てん

皇のう

に大おお

贄にえ

(特とく

別べつ

な食た

べ物もの

)を捧ささ

げる時とき

にその

歌うた

をうたうようになりました(中ちゅう

巻かん

応おう

神じん

天てん

皇のう

裳も

の糸いと

飯めし

粒つぶ

つけて

鮎あゆ

を釣つ

 神じん

功ぐう

皇こう

后ごう

は四し

月がつ

上じょう

旬じゅんに玉たま

島しまの

里さと

の川かわ

着き

物もの

の糸いと

を抜ぬ

き取と

り飯めし

粒つぶ

をえさにして鮎あゆ

を釣つ

りましたこのときからこの川かわ

では

同おな

じ時じ

期き

に女じょ

性せい

たちが着き

物もの

の糸いと

と飯めし

粒つぶ

で鮎あゆ

を釣つ

るようになりました(中ちゅう

巻かん

仲ちゅう

哀あい

天てん

皇のう

333435

3132 30

13

虻あぶ

食た

べた

蜻とんぼ蛉にちなむ

蜻あきず蛉島しま

 野の

原はら

へ狩か

りに出で

かけた雄ゆう

略りゃく

天てん

皇のう

の腕うで

を虻あぶ

がかみましたがその虻あぶ

を蜻とんぼ蛉がくわえて

飛と

び去さ

りました天てん

皇のう

は蜻とんぼ蛉をほめ大やまとの和

国くに

は蜻あきず蛉島しま

とよぶのにふさわしいと歌うた

によ

みましたこの場ば

所しょ

は阿あ

岐き

豆ず

野の

と呼よ

ばれる

ようになりました(下げ

巻かん

雄ゆう

略りゃく

天てん

皇のう

隼はやぶさよ

鷦さざき鷯を取と

れと

機はた

を織お

 女め

鳥どりの

王みこ

は夫おっとの速はや

総ぶさ

別わけの

王みこ

に「隼はやぶさよ鷦さざき鷯

を取と

ってしまえ」と機はた

を織お

りながら歌うた

いま

した隼はやぶさとは速はや

総ぶさ

別わけの

王みこ

のこと鷦さざき鷯とは大おお

雀さざきの

命みこと(仁にん

徳とく

天てん

皇のう

)のことですこの歌うた

知し

った天てん

皇のう

は軍ぐん

勢ぜい

を集あつ

め逆ぎゃくに二ふたり人を倒たお

ました(下げ

巻かん

仁にん

徳とく

天てん

皇のう

)鷦さざき鷯はミソサザ

イという鳥と

のことです

すばらしき船ふね たからかに響ひび

琴こと

となる

 一いっ

本ぽん

の巨きょ

木ぼく

で造つく

った船ふね

「枯から

野の

」はたいへ

ん速はや

く仁にん

徳とく

天てん

皇のう

の飲の

み水みず

を淡あわ

路じ

島しま

から運はこ

びましたこの船ふね

が壊こわ

れたので船せん

材ざい

を焼や

いて残のこ

った木き

で琴こと

を作つく

りましたこの琴こと

音ね

は遠とお

くまで響ひび

き人ひと

々びと

は歌うた

をうたって琴こと

をほめたたえました(下げ

巻かん

仁にん

徳とく

天てん

皇のう

御ご

殿てん

から

天てん

皇のう

救すく

大やまと和へと

 墨すみの

江えの

中なかつ

王みこ

は天てん

皇のう

の位くらいをねらい履り

中ちゅう

天てん

皇のう

が寝ね

ている御ご

殿てん

に火ひ

をつけました天てん

皇のう

は阿あ

知ちの

直あたいに助たす

け出だ

され大やまと和に向む

かいまし

た途と

中ちゅう天てん

皇のう

は燃も

える御ご

殿てん

を遠とお

くから見み

残のこ

してきた皇こう

后ごう

を心しん

配ぱい

する歌うた

をうたいまし

た(下げ

巻かん

履り

中ちゅう

天てん

皇のう

恋こい

しくて

伊い

予よ

へ追お

い行ゆ

衣そと

通おりの

王みこ

 次つぎ

の天てん

皇のう

になることを約やく

束そく

されていた木き

梨なし

之の

軽かるの

太おお

子みこ

は人ひと

々びと

の信しん

頼らい

を失うしな

ってついに

は捕とら

えられ伊い

予よ

の道どう

後ご

温おん

泉せん

に流なが

されまし

た妹いもうとの衣そと

通おりの

王みこ

は太おお

子みこ

を恋こ

い慕した

って伊い

予よ

行い

き太おお

子みこ

と再さい

会かい

しました(下げ

巻かん

允いん

恭ぎょう

天てん

皇のう

)伊い

予よ

は今いま

の愛え

媛ひめ

県けん

です

天てん

皇のう

お召め

しを待ま

って

八はちじゅうねん

十年

 雄ゆう

略りゃく

天てん

皇のう

は引ひけ

田た

部べの

赤あか

猪い

子こ

を見み

てすぐ呼よ

び寄よ

せるから結けっ

婚こん

せずに待ま

っているよう命めい

じましたしかし天てん

皇のう

はそのことを忘わす

赤あか

猪い

子こ

はとうとう八はちじゅうねん

十年も待ま

ち続つづ

けました

赤あか

猪い

子こ

は自じ

分ぶん

から天てん

皇のう

に会あ

いに行い

き歌うた

交か

わしました(下げ

巻かん

雄ゆう

略りゃく

天てん

皇のう

41

3738

39

36

40

14

一ひと

言こと

主ぬし 天てん

皇のう

たちと

瓜うり

ふたつ

 雄ゆう

略りゃく

天てん

皇のう

が従じゅう

者しゃ

と葛かずら

城き

山やま

へ出で

かけると

自じ

分ぶん

たちとそっくりな人ひと

たちと出で

会あ

いまし

たそれを見み

た天てん

皇のう

は失しつ

礼れい

だと怒おこ

りました

が相あい

手て

が葛かず

城らき

之の

一ひと

言こと

主ぬし

之の

大おお

神かみ

とわかると

大た

刀ち

と弓ゆみ

矢や

従じゅうしゃ者の衣い

服ふく

を大おお

神かみ

に差さ

し上あ

ました(下げ

巻かん

雄ゆう

略りゃく

天てん

皇のう

杯さかずきの

木こ

の葉は

をめでたく

歌うた

にして

 お酒さけ

に落お

ち葉ば

の浮う

かんだことを知し

らずに

雄ゆう

略りゃく

天てん

皇のう

に杯さかずきを捧ささ

げた三み

重え

の采うね

女め

に天てん

皇のう

は怒おこ

って罰ばつ

を与あた

えようとしましたすると

三み

重え

の采うね

女め

は落お

ち葉ば

が浮う

かんだことをめ

でたいこととして歌うた

にうたい天てん

皇のう

をほめ

たたえ罪つみ

を許ゆる

されました(下げ

巻かん

雄ゆう

略りゃく

天てん

皇のう

)采うね

女め

は宮きゅう

中ちゅうで働はたらく女じょ

性せい

のことです

譲ゆず

り合あ

意お

祁け

と袁を

祁け

とは

王おう

子じ

なり

 意おけのみこと

祁命と袁をけのみこと

祁命の兄きょうだい弟は身み

をかくして馬うま

飼か

い牛うし

飼か

いの仕し

事ごと

をしていましたある

日ひ

お祝いわ

いの席せき

で二ふたり人は舞ま

う順じゅん

番ばん

を譲ゆず

合あ

って履り

中ちゅう

天てん

皇のう

の孫まご

であることを歌うた

であ

かしました兄きょう

弟だい

は宮きゅう

殿でん

に迎むか

えられ二ふたり人

とも後のち

に天てん

皇のう

になりました(下げ

巻かん

清せい

寧ねい

天てん

皇のう

)八や

雲くも

立た

出いづも雲八や

重へ

垣がき

妻つま

籠ご

みに

八や

重へ

垣がき

作つく

その八や

重へ

垣がき

 建たけ

速はや

須す

佐さ

之の

男おの

命みことは八や

俣また

の大おろち蛇を退たい

治じ

して

194797くし

名な

田だ

比ひ

売め

を救すく

い妻つま

にしましたそして

須す

賀が

という土と

地ち

に新あたらしい宮みや

を造つく

りました

その時とき

そこに立た

ち上のぼ

った雲くも

を妻つま

の住す

宮みや

を幾いく

重え

にも囲かこ

む垣かき

のようだと歌うた

によみま

した(上じょう

巻かん

古こ

事じ

記き

かるた

歌か

謡よう

編へん

一いち

覧らん

猪いのししに

追お

われて榛はり

木き

に登のぼ

 雄ゆう

略りゃく

天てん

皇のう

が葛かずら

城き

山やま

に登のぼ

ったとき大おお

きな

猪いのししが現あらわれました天てん

皇のう

は矢や

で射い

ましたが

猪いのししはうなり声ごえ

をあげて近ちか

づいてきます天てん

皇のう

は榛はり

の木き

に登のぼ

って逃に

げ助たす

けてくれた木き

への感かん

謝しゃ

を歌うた

にしました(下げ

巻かん

雄ゆう

略りゃく

天てん

皇のう

)榛はり

はハンノキのことです

4344

4546

42

15

倭やまとは

国くに

の真ま

秀ほ

ろば

たたなづく

青あを

垣かき

山やま

籠ごも

れる 倭やまとし麗うるはし

 倭やまと

建たけるの

命みことは父ちち

景けい

行こう

天てん

皇のう

の命めい

令れい

で西にし

へ東ひがしへと言い

うことを聞き

かない者もの

を倒たお

す旅たび

に出で

ましたところがその旅たび

先さき

で病びょう

気き

なってしまいましたふるさとの大やまと和をな

つかしみこの歌うた

をよみついに亡な

くなっ

てしまいました(中ちゅう

巻かん

景けい

行こう

天てん

皇のう

倭やま

方とへ

行ゆ

くは誰た

が夫つま

隠こも

り処づ

下した

よ延は

へつつ

行ゆ

くは誰た

が夫つま

 皇こう

后ごう

石いわ

之の

比ひ

売めの

命みことの嫉しっ

妬と

を恐おそ

れて故こき

郷ょう

の吉き

備びの

国くに

にもどっていた黒くろ

日ひ

売め

を恋こい

しく思おも

い仁にん

徳とく

天てん

皇のう

は吉き

備びの

国くに

に黒くろ

日ひ

売め

を訪たず

ねて行い

きましたともに楽たの

しいひとときを過す

ごし

天てん

皇のう

が都みやこにもどるときに黒くろ

日ひ

売め

は天てん

皇のう

歌うた

を差さ

し上あ

げました(下げ

巻かん

仁にん

徳とく

天てん

皇のう

潮しほ

瀬せ

波な

折を

りを見み

れば 

遊あそ

び来く

鮪しび

が端はた

手で

妻つま

立た

てり見み

 袁をけのみこと

祁命(のちの顕けん

宗ぞう

天てん

皇のう

)が大お

魚うお

という

名な

の乙おと

女め

に結けっ

婚こん

を申もう

し込こ

もうとしていた

とき志し

毘びの

臣おみ

も歌うた

垣がき

の場ば

で大お

魚うお

を誘さそ

いまし

た歌うた

垣がき

とは男だん

女じょ

が集あつままって歌うた

をよみ合あ

う場ば

です二ふ

たり人

は明あ

け方が

まで歌う

で戦

たたか

い続つ

ました(下げ

巻かん

清せい

寧ねい

天てん

皇のう

狭さ

井ゐ

河がは

雲くも

立た

ち渡わた

畝うね

火び

山やま

木こ

の葉は

さやぎぬ

風かぜ

吹ふ

かむとす

 神じん

武む

天てん

皇のう

が亡な

くなった後あと

天てん

皇のう

の子こ

の当た

芸ぎ

志し

美み

々みの

命みことは皇こう

后ごう

だった伊い

須す

気け

余よ

理り

比ひ

売め

を妻つま

にし比ひ

売め

の子こ

である三さん

人にん

の弟おとうとを倒たお

うとしました比ひ

売め

は歌うた

で息むす

子こ

たちに危き

険けん

を知し

らせ聞き

き知し

った息むす

子こ

たちは当た

芸ぎ

志し

美み

々みの

命みことを打う

ち負ま

かしました(中ちゅう

巻かん

神じん

武む

天てん

皇のう

4748

4950

16

学がっ

校こう

および各かく

施し

設せつ

関かん

係けい

者しゃ

保ほ

護ご

者しゃ

の皆みな

様さま

 

本ほん製せい品ひんは子こ

どもたちにかるた遊あそびをとおして『古こ

事じ

記き

』の世せ

界かいにふれ

てもらいたいとの思おもいから奈な

良ら

県けんが独どく自じ

に企き

画かく制せい作さくしたものです

本ほん製せい品ひんはリズムのよさやわかりやすさを重じゅう視し

して作さく成せいしている部ぶ

分ぶんも

含ふくまれます正せい確かくな記き

述じゅつを心こころがけて作さく成せいしておりますが見けん解かい学がく

説せつ

等などの相そう違い

についてはご了りょう承しょうください

神しん名めい人じん名めい地ち

名めい等などの固こ

有ゆう

名めい詞し

の表ひょう記き

にあたっては小しょう

学がく館かん『新しん

編ぺん

日に

本ほん

古こ

典てん

文ぶん

学がく

全ぜん

集しゅう1 

古こ

事じ

記き

』(校こう

注ちゅう

訳やく

山やま

口ぐち

佳よし

紀のり

神こう

野の

志し

隆たか

光みつ

の記き

載さいを参さん考こうにしました

文もん言ごん等などの漢かん字じ

表ひょう記き

については親したしみやすさの観かん点てんから常じょう用よう漢かん字じ

中ちゅう心しんに記き

載さいしました

ふりがなについては現げん代だいかなづかいを基き

本ほんに記き

載さいしました

Page 12: こ き かるたについて...3 1 1 1 みんなで遊 あそ ぼう! 古 事こ 記じ かるたのき 遊 あそ び方 かた 読 よ み手 て (一 ひと 人 り )と取

12

税ぜい

はとらぬ

かまどに煙けむり

立た

つまでは

 仁にん

徳とく

天てん

皇のう

はかまどから煙けむりが立た

ち上のぼ

って

いないのを見み

て人ひと

々びと

が暮く

らしに困こま

ってい

ることを知し

りましたそこで天てん

皇のう

は税ぜい

をな

くし宮きゅう

殿でん

の修しゅう

理り

もやめました三さん

年ねん

後ご

人ひと

々びと

の家いえ

のかまどからは再ふたたび煙けむりが立た

ち上のぼ

ようになりました(下げ

巻かん

仁にん

徳とく

天てん

皇のう

石いわ

之の

日ひ

売め

御み

綱つな

柏がしわを

海うみ

に捨す

 仁にん

徳とく

天てん

皇のう

の皇こう

后ごう

石いわ

之の

日ひ

売めの

命みことは宴えん

会かい

に使つか

う御み

綱つな

柏がしわの葉は

を取と

りに船ふね

で出で

かけました

その間あいだに天てん

皇のう

が別べつ

の女じょ

性せい

と仲なか

良よ

くなった

ことを知し

って皇こう

后ごう

はたいへん怒おこ

りせっ

かく集あつ

めた御み

綱つな

柏がしわを全ぜん

部ぶ

海うみ

に投な

げ捨す

ててし

まいました(下げ

巻かん

仁にん

徳とく

天てん

皇のう

つぎつぎに

変か

わる蚕かいこで

仲なか

直なお

 蚕かいこは幼よう

虫ちゅうからまゆを作つく

ってサナギとな

りやがて成せい

虫ちゅうとなる蛾が

の一いっ

種しゅ

でまゆか

ら生き

糸いと

を取と

ります仁にん

徳とく

天てん

皇のう

は蚕かいこを見み

るこ

とを口こう

実じつ

にけんかをしていた皇こう

后ごう

石いわ

之の

日ひ

売めの

命みことのもとに行い

き仲なか

直なお

りすることがで

きました(下げ

巻かん

仁にん

徳とく

天てん

皇のう

気け

比ひの

大おお

神かみ

名な

前まえ

を替か

えた

大おお

鞆とも

和わ

気け

 大おお

鞆とも

和わ

気けの

命みこと(のちの応おう

神じん

天てん

皇のう

)が敦つる

賀が

行い

ったときおともの建たけ

内うちの

宿すく

禰ねの

命みことの夢ゆめ

に土と

地ち

の神かみ

様さま

が現あらわれ自じ

分ぶん

の名な

前まえ

と大おおともわけのみこと

鞆和気命

の名な

前まえ

とを替か

えようと言い

いました承しょう

諾だく

ると翌よく

朝あさ

たくさんのイルカを贈おく

り物もの

とし

てくださいました(中ちゅう

巻かん

仲ちゅう

哀あい

天てん

皇のう

大おお

贄にえ

捧ささ

げる歌うた

うたう国くに

主す

 吉よし

野の

の国くに

主す

という人ひと

たちは応おう

神じん

天てん

皇のう

お酒さけ

を差さ

し上あ

げる時とき

楽がっ

器き

の代か

わりに口くち

音おと

を出だ

しいろいろな仕し

草ぐさ

をしながら歌うた

うたいましたその後ご

その地ち

では天てん

皇のう

に大おお

贄にえ

(特とく

別べつ

な食た

べ物もの

)を捧ささ

げる時とき

にその

歌うた

をうたうようになりました(中ちゅう

巻かん

応おう

神じん

天てん

皇のう

裳も

の糸いと

飯めし

粒つぶ

つけて

鮎あゆ

を釣つ

 神じん

功ぐう

皇こう

后ごう

は四し

月がつ

上じょう

旬じゅんに玉たま

島しまの

里さと

の川かわ

着き

物もの

の糸いと

を抜ぬ

き取と

り飯めし

粒つぶ

をえさにして鮎あゆ

を釣つ

りましたこのときからこの川かわ

では

同おな

じ時じ

期き

に女じょ

性せい

たちが着き

物もの

の糸いと

と飯めし

粒つぶ

で鮎あゆ

を釣つ

るようになりました(中ちゅう

巻かん

仲ちゅう

哀あい

天てん

皇のう

333435

3132 30

13

虻あぶ

食た

べた

蜻とんぼ蛉にちなむ

蜻あきず蛉島しま

 野の

原はら

へ狩か

りに出で

かけた雄ゆう

略りゃく

天てん

皇のう

の腕うで

を虻あぶ

がかみましたがその虻あぶ

を蜻とんぼ蛉がくわえて

飛と

び去さ

りました天てん

皇のう

は蜻とんぼ蛉をほめ大やまとの和

国くに

は蜻あきず蛉島しま

とよぶのにふさわしいと歌うた

によ

みましたこの場ば

所しょ

は阿あ

岐き

豆ず

野の

と呼よ

ばれる

ようになりました(下げ

巻かん

雄ゆう

略りゃく

天てん

皇のう

隼はやぶさよ

鷦さざき鷯を取と

れと

機はた

を織お

 女め

鳥どりの

王みこ

は夫おっとの速はや

総ぶさ

別わけの

王みこ

に「隼はやぶさよ鷦さざき鷯

を取と

ってしまえ」と機はた

を織お

りながら歌うた

いま

した隼はやぶさとは速はや

総ぶさ

別わけの

王みこ

のこと鷦さざき鷯とは大おお

雀さざきの

命みこと(仁にん

徳とく

天てん

皇のう

)のことですこの歌うた

知し

った天てん

皇のう

は軍ぐん

勢ぜい

を集あつ

め逆ぎゃくに二ふたり人を倒たお

ました(下げ

巻かん

仁にん

徳とく

天てん

皇のう

)鷦さざき鷯はミソサザ

イという鳥と

のことです

すばらしき船ふね たからかに響ひび

琴こと

となる

 一いっ

本ぽん

の巨きょ

木ぼく

で造つく

った船ふね

「枯から

野の

」はたいへ

ん速はや

く仁にん

徳とく

天てん

皇のう

の飲の

み水みず

を淡あわ

路じ

島しま

から運はこ

びましたこの船ふね

が壊こわ

れたので船せん

材ざい

を焼や

いて残のこ

った木き

で琴こと

を作つく

りましたこの琴こと

音ね

は遠とお

くまで響ひび

き人ひと

々びと

は歌うた

をうたって琴こと

をほめたたえました(下げ

巻かん

仁にん

徳とく

天てん

皇のう

御ご

殿てん

から

天てん

皇のう

救すく

大やまと和へと

 墨すみの

江えの

中なかつ

王みこ

は天てん

皇のう

の位くらいをねらい履り

中ちゅう

天てん

皇のう

が寝ね

ている御ご

殿てん

に火ひ

をつけました天てん

皇のう

は阿あ

知ちの

直あたいに助たす

け出だ

され大やまと和に向む

かいまし

た途と

中ちゅう天てん

皇のう

は燃も

える御ご

殿てん

を遠とお

くから見み

残のこ

してきた皇こう

后ごう

を心しん

配ぱい

する歌うた

をうたいまし

た(下げ

巻かん

履り

中ちゅう

天てん

皇のう

恋こい

しくて

伊い

予よ

へ追お

い行ゆ

衣そと

通おりの

王みこ

 次つぎ

の天てん

皇のう

になることを約やく

束そく

されていた木き

梨なし

之の

軽かるの

太おお

子みこ

は人ひと

々びと

の信しん

頼らい

を失うしな

ってついに

は捕とら

えられ伊い

予よ

の道どう

後ご

温おん

泉せん

に流なが

されまし

た妹いもうとの衣そと

通おりの

王みこ

は太おお

子みこ

を恋こ

い慕した

って伊い

予よ

行い

き太おお

子みこ

と再さい

会かい

しました(下げ

巻かん

允いん

恭ぎょう

天てん

皇のう

)伊い

予よ

は今いま

の愛え

媛ひめ

県けん

です

天てん

皇のう

お召め

しを待ま

って

八はちじゅうねん

十年

 雄ゆう

略りゃく

天てん

皇のう

は引ひけ

田た

部べの

赤あか

猪い

子こ

を見み

てすぐ呼よ

び寄よ

せるから結けっ

婚こん

せずに待ま

っているよう命めい

じましたしかし天てん

皇のう

はそのことを忘わす

赤あか

猪い

子こ

はとうとう八はちじゅうねん

十年も待ま

ち続つづ

けました

赤あか

猪い

子こ

は自じ

分ぶん

から天てん

皇のう

に会あ

いに行い

き歌うた

交か

わしました(下げ

巻かん

雄ゆう

略りゃく

天てん

皇のう

41

3738

39

36

40

14

一ひと

言こと

主ぬし 天てん

皇のう

たちと

瓜うり

ふたつ

 雄ゆう

略りゃく

天てん

皇のう

が従じゅう

者しゃ

と葛かずら

城き

山やま

へ出で

かけると

自じ

分ぶん

たちとそっくりな人ひと

たちと出で

会あ

いまし

たそれを見み

た天てん

皇のう

は失しつ

礼れい

だと怒おこ

りました

が相あい

手て

が葛かず

城らき

之の

一ひと

言こと

主ぬし

之の

大おお

神かみ

とわかると

大た

刀ち

と弓ゆみ

矢や

従じゅうしゃ者の衣い

服ふく

を大おお

神かみ

に差さ

し上あ

ました(下げ

巻かん

雄ゆう

略りゃく

天てん

皇のう

杯さかずきの

木こ

の葉は

をめでたく

歌うた

にして

 お酒さけ

に落お

ち葉ば

の浮う

かんだことを知し

らずに

雄ゆう

略りゃく

天てん

皇のう

に杯さかずきを捧ささ

げた三み

重え

の采うね

女め

に天てん

皇のう

は怒おこ

って罰ばつ

を与あた

えようとしましたすると

三み

重え

の采うね

女め

は落お

ち葉ば

が浮う

かんだことをめ

でたいこととして歌うた

にうたい天てん

皇のう

をほめ

たたえ罪つみ

を許ゆる

されました(下げ

巻かん

雄ゆう

略りゃく

天てん

皇のう

)采うね

女め

は宮きゅう

中ちゅうで働はたらく女じょ

性せい

のことです

譲ゆず

り合あ

意お

祁け

と袁を

祁け

とは

王おう

子じ

なり

 意おけのみこと

祁命と袁をけのみこと

祁命の兄きょうだい弟は身み

をかくして馬うま

飼か

い牛うし

飼か

いの仕し

事ごと

をしていましたある

日ひ

お祝いわ

いの席せき

で二ふたり人は舞ま

う順じゅん

番ばん

を譲ゆず

合あ

って履り

中ちゅう

天てん

皇のう

の孫まご

であることを歌うた

であ

かしました兄きょう

弟だい

は宮きゅう

殿でん

に迎むか

えられ二ふたり人

とも後のち

に天てん

皇のう

になりました(下げ

巻かん

清せい

寧ねい

天てん

皇のう

)八や

雲くも

立た

出いづも雲八や

重へ

垣がき

妻つま

籠ご

みに

八や

重へ

垣がき

作つく

その八や

重へ

垣がき

 建たけ

速はや

須す

佐さ

之の

男おの

命みことは八や

俣また

の大おろち蛇を退たい

治じ

して

194797くし

名な

田だ

比ひ

売め

を救すく

い妻つま

にしましたそして

須す

賀が

という土と

地ち

に新あたらしい宮みや

を造つく

りました

その時とき

そこに立た

ち上のぼ

った雲くも

を妻つま

の住す

宮みや

を幾いく

重え

にも囲かこ

む垣かき

のようだと歌うた

によみま

した(上じょう

巻かん

古こ

事じ

記き

かるた

歌か

謡よう

編へん

一いち

覧らん

猪いのししに

追お

われて榛はり

木き

に登のぼ

 雄ゆう

略りゃく

天てん

皇のう

が葛かずら

城き

山やま

に登のぼ

ったとき大おお

きな

猪いのししが現あらわれました天てん

皇のう

は矢や

で射い

ましたが

猪いのししはうなり声ごえ

をあげて近ちか

づいてきます天てん

皇のう

は榛はり

の木き

に登のぼ

って逃に

げ助たす

けてくれた木き

への感かん

謝しゃ

を歌うた

にしました(下げ

巻かん

雄ゆう

略りゃく

天てん

皇のう

)榛はり

はハンノキのことです

4344

4546

42

15

倭やまとは

国くに

の真ま

秀ほ

ろば

たたなづく

青あを

垣かき

山やま

籠ごも

れる 倭やまとし麗うるはし

 倭やまと

建たけるの

命みことは父ちち

景けい

行こう

天てん

皇のう

の命めい

令れい

で西にし

へ東ひがしへと言い

うことを聞き

かない者もの

を倒たお

す旅たび

に出で

ましたところがその旅たび

先さき

で病びょう

気き

なってしまいましたふるさとの大やまと和をな

つかしみこの歌うた

をよみついに亡な

くなっ

てしまいました(中ちゅう

巻かん

景けい

行こう

天てん

皇のう

倭やま

方とへ

行ゆ

くは誰た

が夫つま

隠こも

り処づ

下した

よ延は

へつつ

行ゆ

くは誰た

が夫つま

 皇こう

后ごう

石いわ

之の

比ひ

売めの

命みことの嫉しっ

妬と

を恐おそ

れて故こき

郷ょう

の吉き

備びの

国くに

にもどっていた黒くろ

日ひ

売め

を恋こい

しく思おも

い仁にん

徳とく

天てん

皇のう

は吉き

備びの

国くに

に黒くろ

日ひ

売め

を訪たず

ねて行い

きましたともに楽たの

しいひとときを過す

ごし

天てん

皇のう

が都みやこにもどるときに黒くろ

日ひ

売め

は天てん

皇のう

歌うた

を差さ

し上あ

げました(下げ

巻かん

仁にん

徳とく

天てん

皇のう

潮しほ

瀬せ

波な

折を

りを見み

れば 

遊あそ

び来く

鮪しび

が端はた

手で

妻つま

立た

てり見み

 袁をけのみこと

祁命(のちの顕けん

宗ぞう

天てん

皇のう

)が大お

魚うお

という

名な

の乙おと

女め

に結けっ

婚こん

を申もう

し込こ

もうとしていた

とき志し

毘びの

臣おみ

も歌うた

垣がき

の場ば

で大お

魚うお

を誘さそ

いまし

た歌うた

垣がき

とは男だん

女じょ

が集あつままって歌うた

をよみ合あ

う場ば

です二ふ

たり人

は明あ

け方が

まで歌う

で戦

たたか

い続つ

ました(下げ

巻かん

清せい

寧ねい

天てん

皇のう

狭さ

井ゐ

河がは

雲くも

立た

ち渡わた

畝うね

火び

山やま

木こ

の葉は

さやぎぬ

風かぜ

吹ふ

かむとす

 神じん

武む

天てん

皇のう

が亡な

くなった後あと

天てん

皇のう

の子こ

の当た

芸ぎ

志し

美み

々みの

命みことは皇こう

后ごう

だった伊い

須す

気け

余よ

理り

比ひ

売め

を妻つま

にし比ひ

売め

の子こ

である三さん

人にん

の弟おとうとを倒たお

うとしました比ひ

売め

は歌うた

で息むす

子こ

たちに危き

険けん

を知し

らせ聞き

き知し

った息むす

子こ

たちは当た

芸ぎ

志し

美み

々みの

命みことを打う

ち負ま

かしました(中ちゅう

巻かん

神じん

武む

天てん

皇のう

4748

4950

16

学がっ

校こう

および各かく

施し

設せつ

関かん

係けい

者しゃ

保ほ

護ご

者しゃ

の皆みな

様さま

 

本ほん製せい品ひんは子こ

どもたちにかるた遊あそびをとおして『古こ

事じ

記き

』の世せ

界かいにふれ

てもらいたいとの思おもいから奈な

良ら

県けんが独どく自じ

に企き

画かく制せい作さくしたものです

本ほん製せい品ひんはリズムのよさやわかりやすさを重じゅう視し

して作さく成せいしている部ぶ

分ぶんも

含ふくまれます正せい確かくな記き

述じゅつを心こころがけて作さく成せいしておりますが見けん解かい学がく

説せつ

等などの相そう違い

についてはご了りょう承しょうください

神しん名めい人じん名めい地ち

名めい等などの固こ

有ゆう

名めい詞し

の表ひょう記き

にあたっては小しょう

学がく館かん『新しん

編ぺん

日に

本ほん

古こ

典てん

文ぶん

学がく

全ぜん

集しゅう1 

古こ

事じ

記き

』(校こう

注ちゅう

訳やく

山やま

口ぐち

佳よし

紀のり

神こう

野の

志し

隆たか

光みつ

の記き

載さいを参さん考こうにしました

文もん言ごん等などの漢かん字じ

表ひょう記き

については親したしみやすさの観かん点てんから常じょう用よう漢かん字じ

中ちゅう心しんに記き

載さいしました

ふりがなについては現げん代だいかなづかいを基き

本ほんに記き

載さいしました

Page 13: こ き かるたについて...3 1 1 1 みんなで遊 あそ ぼう! 古 事こ 記じ かるたのき 遊 あそ び方 かた 読 よ み手 て (一 ひと 人 り )と取

13

虻あぶ

食た

べた

蜻とんぼ蛉にちなむ

蜻あきず蛉島しま

 野の

原はら

へ狩か

りに出で

かけた雄ゆう

略りゃく

天てん

皇のう

の腕うで

を虻あぶ

がかみましたがその虻あぶ

を蜻とんぼ蛉がくわえて

飛と

び去さ

りました天てん

皇のう

は蜻とんぼ蛉をほめ大やまとの和

国くに

は蜻あきず蛉島しま

とよぶのにふさわしいと歌うた

によ

みましたこの場ば

所しょ

は阿あ

岐き

豆ず

野の

と呼よ

ばれる

ようになりました(下げ

巻かん

雄ゆう

略りゃく

天てん

皇のう

隼はやぶさよ

鷦さざき鷯を取と

れと

機はた

を織お

 女め

鳥どりの

王みこ

は夫おっとの速はや

総ぶさ

別わけの

王みこ

に「隼はやぶさよ鷦さざき鷯

を取と

ってしまえ」と機はた

を織お

りながら歌うた

いま

した隼はやぶさとは速はや

総ぶさ

別わけの

王みこ

のこと鷦さざき鷯とは大おお

雀さざきの

命みこと(仁にん

徳とく

天てん

皇のう

)のことですこの歌うた

知し

った天てん

皇のう

は軍ぐん

勢ぜい

を集あつ

め逆ぎゃくに二ふたり人を倒たお

ました(下げ

巻かん

仁にん

徳とく

天てん

皇のう

)鷦さざき鷯はミソサザ

イという鳥と

のことです

すばらしき船ふね たからかに響ひび

琴こと

となる

 一いっ

本ぽん

の巨きょ

木ぼく

で造つく

った船ふね

「枯から

野の

」はたいへ

ん速はや

く仁にん

徳とく

天てん

皇のう

の飲の

み水みず

を淡あわ

路じ

島しま

から運はこ

びましたこの船ふね

が壊こわ

れたので船せん

材ざい

を焼や

いて残のこ

った木き

で琴こと

を作つく

りましたこの琴こと

音ね

は遠とお

くまで響ひび

き人ひと

々びと

は歌うた

をうたって琴こと

をほめたたえました(下げ

巻かん

仁にん

徳とく

天てん

皇のう

御ご

殿てん

から

天てん

皇のう

救すく

大やまと和へと

 墨すみの

江えの

中なかつ

王みこ

は天てん

皇のう

の位くらいをねらい履り

中ちゅう

天てん

皇のう

が寝ね

ている御ご

殿てん

に火ひ

をつけました天てん

皇のう

は阿あ

知ちの

直あたいに助たす

け出だ

され大やまと和に向む

かいまし

た途と

中ちゅう天てん

皇のう

は燃も

える御ご

殿てん

を遠とお

くから見み

残のこ

してきた皇こう

后ごう

を心しん

配ぱい

する歌うた

をうたいまし

た(下げ

巻かん

履り

中ちゅう

天てん

皇のう

恋こい

しくて

伊い

予よ

へ追お

い行ゆ

衣そと

通おりの

王みこ

 次つぎ

の天てん

皇のう

になることを約やく

束そく

されていた木き

梨なし

之の

軽かるの

太おお

子みこ

は人ひと

々びと

の信しん

頼らい

を失うしな

ってついに

は捕とら

えられ伊い

予よ

の道どう

後ご

温おん

泉せん

に流なが

されまし

た妹いもうとの衣そと

通おりの

王みこ

は太おお

子みこ

を恋こ

い慕した

って伊い

予よ

行い

き太おお

子みこ

と再さい

会かい

しました(下げ

巻かん

允いん

恭ぎょう

天てん

皇のう

)伊い

予よ

は今いま

の愛え

媛ひめ

県けん

です

天てん

皇のう

お召め

しを待ま

って

八はちじゅうねん

十年

 雄ゆう

略りゃく

天てん

皇のう

は引ひけ

田た

部べの

赤あか

猪い

子こ

を見み

てすぐ呼よ

び寄よ

せるから結けっ

婚こん

せずに待ま

っているよう命めい

じましたしかし天てん

皇のう

はそのことを忘わす

赤あか

猪い

子こ

はとうとう八はちじゅうねん

十年も待ま

ち続つづ

けました

赤あか

猪い

子こ

は自じ

分ぶん

から天てん

皇のう

に会あ

いに行い

き歌うた

交か

わしました(下げ

巻かん

雄ゆう

略りゃく

天てん

皇のう

41

3738

39

36

40

14

一ひと

言こと

主ぬし 天てん

皇のう

たちと

瓜うり

ふたつ

 雄ゆう

略りゃく

天てん

皇のう

が従じゅう

者しゃ

と葛かずら

城き

山やま

へ出で

かけると

自じ

分ぶん

たちとそっくりな人ひと

たちと出で

会あ

いまし

たそれを見み

た天てん

皇のう

は失しつ

礼れい

だと怒おこ

りました

が相あい

手て

が葛かず

城らき

之の

一ひと

言こと

主ぬし

之の

大おお

神かみ

とわかると

大た

刀ち

と弓ゆみ

矢や

従じゅうしゃ者の衣い

服ふく

を大おお

神かみ

に差さ

し上あ

ました(下げ

巻かん

雄ゆう

略りゃく

天てん

皇のう

杯さかずきの

木こ

の葉は

をめでたく

歌うた

にして

 お酒さけ

に落お

ち葉ば

の浮う

かんだことを知し

らずに

雄ゆう

略りゃく

天てん

皇のう

に杯さかずきを捧ささ

げた三み

重え

の采うね

女め

に天てん

皇のう

は怒おこ

って罰ばつ

を与あた

えようとしましたすると

三み

重え

の采うね

女め

は落お

ち葉ば

が浮う

かんだことをめ

でたいこととして歌うた

にうたい天てん

皇のう

をほめ

たたえ罪つみ

を許ゆる

されました(下げ

巻かん

雄ゆう

略りゃく

天てん

皇のう

)采うね

女め

は宮きゅう

中ちゅうで働はたらく女じょ

性せい

のことです

譲ゆず

り合あ

意お

祁け

と袁を

祁け

とは

王おう

子じ

なり

 意おけのみこと

祁命と袁をけのみこと

祁命の兄きょうだい弟は身み

をかくして馬うま

飼か

い牛うし

飼か

いの仕し

事ごと

をしていましたある

日ひ

お祝いわ

いの席せき

で二ふたり人は舞ま

う順じゅん

番ばん

を譲ゆず

合あ

って履り

中ちゅう

天てん

皇のう

の孫まご

であることを歌うた

であ

かしました兄きょう

弟だい

は宮きゅう

殿でん

に迎むか

えられ二ふたり人

とも後のち

に天てん

皇のう

になりました(下げ

巻かん

清せい

寧ねい

天てん

皇のう

)八や

雲くも

立た

出いづも雲八や

重へ

垣がき

妻つま

籠ご

みに

八や

重へ

垣がき

作つく

その八や

重へ

垣がき

 建たけ

速はや

須す

佐さ

之の

男おの

命みことは八や

俣また

の大おろち蛇を退たい

治じ

して

194797くし

名な

田だ

比ひ

売め

を救すく

い妻つま

にしましたそして

須す

賀が

という土と

地ち

に新あたらしい宮みや

を造つく

りました

その時とき

そこに立た

ち上のぼ

った雲くも

を妻つま

の住す

宮みや

を幾いく

重え

にも囲かこ

む垣かき

のようだと歌うた

によみま

した(上じょう

巻かん

古こ

事じ

記き

かるた

歌か

謡よう

編へん

一いち

覧らん

猪いのししに

追お

われて榛はり

木き

に登のぼ

 雄ゆう

略りゃく

天てん

皇のう

が葛かずら

城き

山やま

に登のぼ

ったとき大おお

きな

猪いのししが現あらわれました天てん

皇のう

は矢や

で射い

ましたが

猪いのししはうなり声ごえ

をあげて近ちか

づいてきます天てん

皇のう

は榛はり

の木き

に登のぼ

って逃に

げ助たす

けてくれた木き

への感かん

謝しゃ

を歌うた

にしました(下げ

巻かん

雄ゆう

略りゃく

天てん

皇のう

)榛はり

はハンノキのことです

4344

4546

42

15

倭やまとは

国くに

の真ま

秀ほ

ろば

たたなづく

青あを

垣かき

山やま

籠ごも

れる 倭やまとし麗うるはし

 倭やまと

建たけるの

命みことは父ちち

景けい

行こう

天てん

皇のう

の命めい

令れい

で西にし

へ東ひがしへと言い

うことを聞き

かない者もの

を倒たお

す旅たび

に出で

ましたところがその旅たび

先さき

で病びょう

気き

なってしまいましたふるさとの大やまと和をな

つかしみこの歌うた

をよみついに亡な

くなっ

てしまいました(中ちゅう

巻かん

景けい

行こう

天てん

皇のう

倭やま

方とへ

行ゆ

くは誰た

が夫つま

隠こも

り処づ

下した

よ延は

へつつ

行ゆ

くは誰た

が夫つま

 皇こう

后ごう

石いわ

之の

比ひ

売めの

命みことの嫉しっ

妬と

を恐おそ

れて故こき

郷ょう

の吉き

備びの

国くに

にもどっていた黒くろ

日ひ

売め

を恋こい

しく思おも

い仁にん

徳とく

天てん

皇のう

は吉き

備びの

国くに

に黒くろ

日ひ

売め

を訪たず

ねて行い

きましたともに楽たの

しいひとときを過す

ごし

天てん

皇のう

が都みやこにもどるときに黒くろ

日ひ

売め

は天てん

皇のう

歌うた

を差さ

し上あ

げました(下げ

巻かん

仁にん

徳とく

天てん

皇のう

潮しほ

瀬せ

波な

折を

りを見み

れば 

遊あそ

び来く

鮪しび

が端はた

手で

妻つま

立た

てり見み

 袁をけのみこと

祁命(のちの顕けん

宗ぞう

天てん

皇のう

)が大お

魚うお

という

名な

の乙おと

女め

に結けっ

婚こん

を申もう

し込こ

もうとしていた

とき志し

毘びの

臣おみ

も歌うた

垣がき

の場ば

で大お

魚うお

を誘さそ

いまし

た歌うた

垣がき

とは男だん

女じょ

が集あつままって歌うた

をよみ合あ

う場ば

です二ふ

たり人

は明あ

け方が

まで歌う

で戦

たたか

い続つ

ました(下げ

巻かん

清せい

寧ねい

天てん

皇のう

狭さ

井ゐ

河がは

雲くも

立た

ち渡わた

畝うね

火び

山やま

木こ

の葉は

さやぎぬ

風かぜ

吹ふ

かむとす

 神じん

武む

天てん

皇のう

が亡な

くなった後あと

天てん

皇のう

の子こ

の当た

芸ぎ

志し

美み

々みの

命みことは皇こう

后ごう

だった伊い

須す

気け

余よ

理り

比ひ

売め

を妻つま

にし比ひ

売め

の子こ

である三さん

人にん

の弟おとうとを倒たお

うとしました比ひ

売め

は歌うた

で息むす

子こ

たちに危き

険けん

を知し

らせ聞き

き知し

った息むす

子こ

たちは当た

芸ぎ

志し

美み

々みの

命みことを打う

ち負ま

かしました(中ちゅう

巻かん

神じん

武む

天てん

皇のう

4748

4950

16

学がっ

校こう

および各かく

施し

設せつ

関かん

係けい

者しゃ

保ほ

護ご

者しゃ

の皆みな

様さま

 

本ほん製せい品ひんは子こ

どもたちにかるた遊あそびをとおして『古こ

事じ

記き

』の世せ

界かいにふれ

てもらいたいとの思おもいから奈な

良ら

県けんが独どく自じ

に企き

画かく制せい作さくしたものです

本ほん製せい品ひんはリズムのよさやわかりやすさを重じゅう視し

して作さく成せいしている部ぶ

分ぶんも

含ふくまれます正せい確かくな記き

述じゅつを心こころがけて作さく成せいしておりますが見けん解かい学がく

説せつ

等などの相そう違い

についてはご了りょう承しょうください

神しん名めい人じん名めい地ち

名めい等などの固こ

有ゆう

名めい詞し

の表ひょう記き

にあたっては小しょう

学がく館かん『新しん

編ぺん

日に

本ほん

古こ

典てん

文ぶん

学がく

全ぜん

集しゅう1 

古こ

事じ

記き

』(校こう

注ちゅう

訳やく

山やま

口ぐち

佳よし

紀のり

神こう

野の

志し

隆たか

光みつ

の記き

載さいを参さん考こうにしました

文もん言ごん等などの漢かん字じ

表ひょう記き

については親したしみやすさの観かん点てんから常じょう用よう漢かん字じ

中ちゅう心しんに記き

載さいしました

ふりがなについては現げん代だいかなづかいを基き

本ほんに記き

載さいしました

Page 14: こ き かるたについて...3 1 1 1 みんなで遊 あそ ぼう! 古 事こ 記じ かるたのき 遊 あそ び方 かた 読 よ み手 て (一 ひと 人 り )と取

14

一ひと

言こと

主ぬし 天てん

皇のう

たちと

瓜うり

ふたつ

 雄ゆう

略りゃく

天てん

皇のう

が従じゅう

者しゃ

と葛かずら

城き

山やま

へ出で

かけると

自じ

分ぶん

たちとそっくりな人ひと

たちと出で

会あ

いまし

たそれを見み

た天てん

皇のう

は失しつ

礼れい

だと怒おこ

りました

が相あい

手て

が葛かず

城らき

之の

一ひと

言こと

主ぬし

之の

大おお

神かみ

とわかると

大た

刀ち

と弓ゆみ

矢や

従じゅうしゃ者の衣い

服ふく

を大おお

神かみ

に差さ

し上あ

ました(下げ

巻かん

雄ゆう

略りゃく

天てん

皇のう

杯さかずきの

木こ

の葉は

をめでたく

歌うた

にして

 お酒さけ

に落お

ち葉ば

の浮う

かんだことを知し

らずに

雄ゆう

略りゃく

天てん

皇のう

に杯さかずきを捧ささ

げた三み

重え

の采うね

女め

に天てん

皇のう

は怒おこ

って罰ばつ

を与あた

えようとしましたすると

三み

重え

の采うね

女め

は落お

ち葉ば

が浮う

かんだことをめ

でたいこととして歌うた

にうたい天てん

皇のう

をほめ

たたえ罪つみ

を許ゆる

されました(下げ

巻かん

雄ゆう

略りゃく

天てん

皇のう

)采うね

女め

は宮きゅう

中ちゅうで働はたらく女じょ

性せい

のことです

譲ゆず

り合あ

意お

祁け

と袁を

祁け

とは

王おう

子じ

なり

 意おけのみこと

祁命と袁をけのみこと

祁命の兄きょうだい弟は身み

をかくして馬うま

飼か

い牛うし

飼か

いの仕し

事ごと

をしていましたある

日ひ

お祝いわ

いの席せき

で二ふたり人は舞ま

う順じゅん

番ばん

を譲ゆず

合あ

って履り

中ちゅう

天てん

皇のう

の孫まご

であることを歌うた

であ

かしました兄きょう

弟だい

は宮きゅう

殿でん

に迎むか

えられ二ふたり人

とも後のち

に天てん

皇のう

になりました(下げ

巻かん

清せい

寧ねい

天てん

皇のう

)八や

雲くも

立た

出いづも雲八や

重へ

垣がき

妻つま

籠ご

みに

八や

重へ

垣がき

作つく

その八や

重へ

垣がき

 建たけ

速はや

須す

佐さ

之の

男おの

命みことは八や

俣また

の大おろち蛇を退たい

治じ

して

194797くし

名な

田だ

比ひ

売め

を救すく

い妻つま

にしましたそして

須す

賀が

という土と

地ち

に新あたらしい宮みや

を造つく

りました

その時とき

そこに立た

ち上のぼ

った雲くも

を妻つま

の住す

宮みや

を幾いく

重え

にも囲かこ

む垣かき

のようだと歌うた

によみま

した(上じょう

巻かん

古こ

事じ

記き

かるた

歌か

謡よう

編へん

一いち

覧らん

猪いのししに

追お

われて榛はり

木き

に登のぼ

 雄ゆう

略りゃく

天てん

皇のう

が葛かずら

城き

山やま

に登のぼ

ったとき大おお

きな

猪いのししが現あらわれました天てん

皇のう

は矢や

で射い

ましたが

猪いのししはうなり声ごえ

をあげて近ちか

づいてきます天てん

皇のう

は榛はり

の木き

に登のぼ

って逃に

げ助たす

けてくれた木き

への感かん

謝しゃ

を歌うた

にしました(下げ

巻かん

雄ゆう

略りゃく

天てん

皇のう

)榛はり

はハンノキのことです

4344

4546

42

15

倭やまとは

国くに

の真ま

秀ほ

ろば

たたなづく

青あを

垣かき

山やま

籠ごも

れる 倭やまとし麗うるはし

 倭やまと

建たけるの

命みことは父ちち

景けい

行こう

天てん

皇のう

の命めい

令れい

で西にし

へ東ひがしへと言い

うことを聞き

かない者もの

を倒たお

す旅たび

に出で

ましたところがその旅たび

先さき

で病びょう

気き

なってしまいましたふるさとの大やまと和をな

つかしみこの歌うた

をよみついに亡な

くなっ

てしまいました(中ちゅう

巻かん

景けい

行こう

天てん

皇のう

倭やま

方とへ

行ゆ

くは誰た

が夫つま

隠こも

り処づ

下した

よ延は

へつつ

行ゆ

くは誰た

が夫つま

 皇こう

后ごう

石いわ

之の

比ひ

売めの

命みことの嫉しっ

妬と

を恐おそ

れて故こき

郷ょう

の吉き

備びの

国くに

にもどっていた黒くろ

日ひ

売め

を恋こい

しく思おも

い仁にん

徳とく

天てん

皇のう

は吉き

備びの

国くに

に黒くろ

日ひ

売め

を訪たず

ねて行い

きましたともに楽たの

しいひとときを過す

ごし

天てん

皇のう

が都みやこにもどるときに黒くろ

日ひ

売め

は天てん

皇のう

歌うた

を差さ

し上あ

げました(下げ

巻かん

仁にん

徳とく

天てん

皇のう

潮しほ

瀬せ

波な

折を

りを見み

れば 

遊あそ

び来く

鮪しび

が端はた

手で

妻つま

立た

てり見み

 袁をけのみこと

祁命(のちの顕けん

宗ぞう

天てん

皇のう

)が大お

魚うお

という

名な

の乙おと

女め

に結けっ

婚こん

を申もう

し込こ

もうとしていた

とき志し

毘びの

臣おみ

も歌うた

垣がき

の場ば

で大お

魚うお

を誘さそ

いまし

た歌うた

垣がき

とは男だん

女じょ

が集あつままって歌うた

をよみ合あ

う場ば

です二ふ

たり人

は明あ

け方が

まで歌う

で戦

たたか

い続つ

ました(下げ

巻かん

清せい

寧ねい

天てん

皇のう

狭さ

井ゐ

河がは

雲くも

立た

ち渡わた

畝うね

火び

山やま

木こ

の葉は

さやぎぬ

風かぜ

吹ふ

かむとす

 神じん

武む

天てん

皇のう

が亡な

くなった後あと

天てん

皇のう

の子こ

の当た

芸ぎ

志し

美み

々みの

命みことは皇こう

后ごう

だった伊い

須す

気け

余よ

理り

比ひ

売め

を妻つま

にし比ひ

売め

の子こ

である三さん

人にん

の弟おとうとを倒たお

うとしました比ひ

売め

は歌うた

で息むす

子こ

たちに危き

険けん

を知し

らせ聞き

き知し

った息むす

子こ

たちは当た

芸ぎ

志し

美み

々みの

命みことを打う

ち負ま

かしました(中ちゅう

巻かん

神じん

武む

天てん

皇のう

4748

4950

16

学がっ

校こう

および各かく

施し

設せつ

関かん

係けい

者しゃ

保ほ

護ご

者しゃ

の皆みな

様さま

 

本ほん製せい品ひんは子こ

どもたちにかるた遊あそびをとおして『古こ

事じ

記き

』の世せ

界かいにふれ

てもらいたいとの思おもいから奈な

良ら

県けんが独どく自じ

に企き

画かく制せい作さくしたものです

本ほん製せい品ひんはリズムのよさやわかりやすさを重じゅう視し

して作さく成せいしている部ぶ

分ぶんも

含ふくまれます正せい確かくな記き

述じゅつを心こころがけて作さく成せいしておりますが見けん解かい学がく

説せつ

等などの相そう違い

についてはご了りょう承しょうください

神しん名めい人じん名めい地ち

名めい等などの固こ

有ゆう

名めい詞し

の表ひょう記き

にあたっては小しょう

学がく館かん『新しん

編ぺん

日に

本ほん

古こ

典てん

文ぶん

学がく

全ぜん

集しゅう1 

古こ

事じ

記き

』(校こう

注ちゅう

訳やく

山やま

口ぐち

佳よし

紀のり

神こう

野の

志し

隆たか

光みつ

の記き

載さいを参さん考こうにしました

文もん言ごん等などの漢かん字じ

表ひょう記き

については親したしみやすさの観かん点てんから常じょう用よう漢かん字じ

中ちゅう心しんに記き

載さいしました

ふりがなについては現げん代だいかなづかいを基き

本ほんに記き

載さいしました

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15

倭やまとは

国くに

の真ま

秀ほ

ろば

たたなづく

青あを

垣かき

山やま

籠ごも

れる 倭やまとし麗うるはし

 倭やまと

建たけるの

命みことは父ちち

景けい

行こう

天てん

皇のう

の命めい

令れい

で西にし

へ東ひがしへと言い

うことを聞き

かない者もの

を倒たお

す旅たび

に出で

ましたところがその旅たび

先さき

で病びょう

気き

なってしまいましたふるさとの大やまと和をな

つかしみこの歌うた

をよみついに亡な

くなっ

てしまいました(中ちゅう

巻かん

景けい

行こう

天てん

皇のう

倭やま

方とへ

行ゆ

くは誰た

が夫つま

隠こも

り処づ

下した

よ延は

へつつ

行ゆ

くは誰た

が夫つま

 皇こう

后ごう

石いわ

之の

比ひ

売めの

命みことの嫉しっ

妬と

を恐おそ

れて故こき

郷ょう

の吉き

備びの

国くに

にもどっていた黒くろ

日ひ

売め

を恋こい

しく思おも

い仁にん

徳とく

天てん

皇のう

は吉き

備びの

国くに

に黒くろ

日ひ

売め

を訪たず

ねて行い

きましたともに楽たの

しいひとときを過す

ごし

天てん

皇のう

が都みやこにもどるときに黒くろ

日ひ

売め

は天てん

皇のう

歌うた

を差さ

し上あ

げました(下げ

巻かん

仁にん

徳とく

天てん

皇のう

潮しほ

瀬せ

波な

折を

りを見み

れば 

遊あそ

び来く

鮪しび

が端はた

手で

妻つま

立た

てり見み

 袁をけのみこと

祁命(のちの顕けん

宗ぞう

天てん

皇のう

)が大お

魚うお

という

名な

の乙おと

女め

に結けっ

婚こん

を申もう

し込こ

もうとしていた

とき志し

毘びの

臣おみ

も歌うた

垣がき

の場ば

で大お

魚うお

を誘さそ

いまし

た歌うた

垣がき

とは男だん

女じょ

が集あつままって歌うた

をよみ合あ

う場ば

です二ふ

たり人

は明あ

け方が

まで歌う

で戦

たたか

い続つ

ました(下げ

巻かん

清せい

寧ねい

天てん

皇のう

狭さ

井ゐ

河がは

雲くも

立た

ち渡わた

畝うね

火び

山やま

木こ

の葉は

さやぎぬ

風かぜ

吹ふ

かむとす

 神じん

武む

天てん

皇のう

が亡な

くなった後あと

天てん

皇のう

の子こ

の当た

芸ぎ

志し

美み

々みの

命みことは皇こう

后ごう

だった伊い

須す

気け

余よ

理り

比ひ

売め

を妻つま

にし比ひ

売め

の子こ

である三さん

人にん

の弟おとうとを倒たお

うとしました比ひ

売め

は歌うた

で息むす

子こ

たちに危き

険けん

を知し

らせ聞き

き知し

った息むす

子こ

たちは当た

芸ぎ

志し

美み

々みの

命みことを打う

ち負ま

かしました(中ちゅう

巻かん

神じん

武む

天てん

皇のう

4748

4950

16

学がっ

校こう

および各かく

施し

設せつ

関かん

係けい

者しゃ

保ほ

護ご

者しゃ

の皆みな

様さま

 

本ほん製せい品ひんは子こ

どもたちにかるた遊あそびをとおして『古こ

事じ

記き

』の世せ

界かいにふれ

てもらいたいとの思おもいから奈な

良ら

県けんが独どく自じ

に企き

画かく制せい作さくしたものです

本ほん製せい品ひんはリズムのよさやわかりやすさを重じゅう視し

して作さく成せいしている部ぶ

分ぶんも

含ふくまれます正せい確かくな記き

述じゅつを心こころがけて作さく成せいしておりますが見けん解かい学がく

説せつ

等などの相そう違い

についてはご了りょう承しょうください

神しん名めい人じん名めい地ち

名めい等などの固こ

有ゆう

名めい詞し

の表ひょう記き

にあたっては小しょう

学がく館かん『新しん

編ぺん

日に

本ほん

古こ

典てん

文ぶん

学がく

全ぜん

集しゅう1 

古こ

事じ

記き

』(校こう

注ちゅう

訳やく

山やま

口ぐち

佳よし

紀のり

神こう

野の

志し

隆たか

光みつ

の記き

載さいを参さん考こうにしました

文もん言ごん等などの漢かん字じ

表ひょう記き

については親したしみやすさの観かん点てんから常じょう用よう漢かん字じ

中ちゅう心しんに記き

載さいしました

ふりがなについては現げん代だいかなづかいを基き

本ほんに記き

載さいしました

Page 16: こ き かるたについて...3 1 1 1 みんなで遊 あそ ぼう! 古 事こ 記じ かるたのき 遊 あそ び方 かた 読 よ み手 て (一 ひと 人 り )と取

16

学がっ

校こう

および各かく

施し

設せつ

関かん

係けい

者しゃ

保ほ

護ご

者しゃ

の皆みな

様さま

 

本ほん製せい品ひんは子こ

どもたちにかるた遊あそびをとおして『古こ

事じ

記き

』の世せ

界かいにふれ

てもらいたいとの思おもいから奈な

良ら

県けんが独どく自じ

に企き

画かく制せい作さくしたものです

本ほん製せい品ひんはリズムのよさやわかりやすさを重じゅう視し

して作さく成せいしている部ぶ

分ぶんも

含ふくまれます正せい確かくな記き

述じゅつを心こころがけて作さく成せいしておりますが見けん解かい学がく

説せつ

等などの相そう違い

についてはご了りょう承しょうください

神しん名めい人じん名めい地ち

名めい等などの固こ

有ゆう

名めい詞し

の表ひょう記き

にあたっては小しょう

学がく館かん『新しん

編ぺん

日に

本ほん

古こ

典てん

文ぶん

学がく

全ぜん

集しゅう1 

古こ

事じ

記き

』(校こう

注ちゅう

訳やく

山やま

口ぐち

佳よし

紀のり

神こう

野の

志し

隆たか

光みつ

の記き

載さいを参さん考こうにしました

文もん言ごん等などの漢かん字じ

表ひょう記き

については親したしみやすさの観かん点てんから常じょう用よう漢かん字じ

中ちゅう心しんに記き

載さいしました

ふりがなについては現げん代だいかなづかいを基き

本ほんに記き

載さいしました