スフィンゴシン 1 リン酸(s1p)輸送体とその生理機能 i.はじめに...
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I.はじめに
脂質メディエーターの一種であるスフィンゴシン -1-リン酸(S1P)の生理機能は多彩である。S1Pは,形態形成過程では心臓・血管発生,神経発生や下顎の形成に必須である。成体では,リンパ球の再循環や破骨細胞の遊走などを調節している 1,2)。また,癌化のプロセスでは,多くの癌細胞で S1Pの産生が亢進しており,腫瘍血管の形成や癌細胞の浸潤に重要な役割を担っている。つまり,S1Pの生理機能の解明は,ヒトの循環器疾患や癌の病態の理解や治療法の開発に貢献できうる。増殖因子やサイトカインとは異なり脂質メディエーターは直接ゲノムにコードされていないので,S1Pの生理活性は,S1P代謝酵素,S1P輸送体や S1P受容体の時空間制御により調節されている。本稿では,S1P輸送体の機能解析から明らかとなった S1P
の循環器系および免疫系における役割を紹介する。
II.S1Pを介するシグナル伝達機構
細胞膜の構成成分であるスフィンゴミエリンに由来するスフィンゴシンをスフィンゴシン・キナーゼ(SphK1, SphK2)が細胞内でリン酸化することにより S1Pが生成される(図 1)。逆に,S1Pフォスファターゼ(SPP1, SPP2)は,S1Pを脱リン酸化することでスフィンゴシンに変換する 3)。一方,S1Pリアーゼは,S1Pをヘキサデセナールとホスホエタノールアミンへ不可逆的に分解する。細胞内で生成された S1P
が直接シグナル分子として機能することも報告されているが 4,5),S1Pの主な生理活性は,細胞外へ分泌された S1Pが S1P受容体を発現する細胞を活性化することで引き起ると考えられている。現在同定されているS1P受容体(S1PR1
~ S1PR5)は,全て7回膜貫通ドメインを持つGタンパク質共役型受容体である(図 1)。例えば,S1PR1は,Giの下流で低分子 Gタンパク質RasやRacを活性化する。一方,S1PR2は,G13/14を介し低分子 Gタンパク質 Rhoを活性化し,その下流で Racの活性を負に調節する 6)。このように,S1P受容体は共役する Gタンパク質やシグナル分子との相互作用により多様な
山梨医科学誌 30(1),1~ 6,2015
スフィンゴシン -1-リン酸(S1P)輸送体とその生理機能
川 原 敦 雄山梨大学大学院医学工学総合研究部医学教育センター発生生物学
要 旨:スフィンゴシン -1-リン酸(S1P)は,心臓・血管発生,神経発生やリンパ球の再循環の調節など多彩な生物活性を持つ脂質メディエーターである。S1Pは,生体膜に由来するスフィンゴシンのスフィンゴシン・キナーゼによるリン酸化によって生成されるが,その細胞外への分泌機構は,これまで十分に理解されていなかった。心臓発生に異常を示すゼブラフィッシュ変異体の遺伝学的解析から S1P輸送体 Spns2が発見され,その分子機能は小型魚類から哺乳類まで非常に良く保存されていた。本稿では,最近明らかとなってきている S1P輸送体とその生理機能を紹介する。
キーワード スフィンゴシン -1-リン酸,輸送体,心臓発生,リンパ球再循環
総 説
〒 409-3898 山梨県中央市下河東 1110番地 受付:2014年 9 月 18日 受理:2014年 10月 9 日
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生物活性を発揮している。S1Pの生理機能は,S1P輸送体によっても厳密に制御されていると考えられていたが,その分子実体は長らく不明のままであった。
III.S1P輸送体:ABCファミリータンパク質
培養細胞を用いた実験から ABC(ATP-
binding cassette)ファミリータンパク質である ABCA1,ABCC1,ABCG2が S1Pの細胞外への輸送を制御していることが最初に報告された 7–9)。つまり,様々な培養細胞において,siRNAを用いた ABC型輸送体の機能阻害により S1Pの分泌が抑えられたのである。しかし,ABC型輸送体による S1Pの分泌機構は未だに不明な点が多い。上記の ABC型輸送体を S1P
放出活性が認められない細胞に遺伝子導入しても S1Pの細胞外への分泌は検出されない 10)。また,ABCA1,ABCC1のノックアウトマウスにおいて,血清の S1P濃度は野生型とほぼ同
じで変化は認められていない 11)。現時点では,各 ABC型輸送体を単独で発現させただけではS1P放出活性が不十分な可能性(補助因子の必要性)や ABC型輸送体間の機能的冗長性で表現型が現れないなどが考えられる。
IV.生体内で機能する S1P輸送体:Spns2
我々と Stainier博士のグループは,同じ時期に独立して心臓発生異常を示すゼブラフィッシュ変異体の原因遺伝子として新規膜分子Spns2を報告した 12,13)。Spns2変異体は,心臓前駆細胞の移動異常により二叉心臓の表現型を示した。興味深いことに,この表現型は S1P
受容体である S1PR2が破壊された S1PR2変異体と全く同じであった(図 2)14)。Spns2変異体の表現型は,S1Pの胚への注入により回復することから Spns2が S1P受容体の上流で機能することが考えられた。我々は,Spns2の1次構造がバクテリアのグリセロール -3-リン酸輸
図 1. S1Pシグナル伝達 S1Pは,細胞膜に由来するスフィンゴシンのスフィンゴシン・キナーゼ(SphK1,
SphK2)によるリン酸化により生成され,S1Pフォスファターゼ(SPP1, SPP2)の脱リン酸化により元のスフィンゴシンに変換される.細胞内で生成された S1Pは,S1P輸送体(Spns2など)により細胞外に分泌され,標的細胞膜上に存在する S1P受容体(S1PR1~ S1PR5)に共役する様々なシグナル分子を活性化する.S1Pは,心臓・血管発生やリンパ球の再循環の制御など,多様な生物活性が報告されている 20).
3S1P輸送体の生理機能
送体と弱い相同性を示したことから,Spns2がS1Pの輸送体として機能しうるという仮説を立てた。そこで,S1P放出活性のない CHO細胞(SphK1を発現させたもの)に Spns2を遺伝子導入する実験を行った結果,ラベルされたS1Pが特異的に細胞外へ分泌されることを見出した 13)。また,上記の Spns2変異体型(Spns2-
R153S:153番目のArgがSerに変換されたもの)では,S1Pの輸送活性が完全に消失していた。さらに,ヒト Spns2もゼブラフィッシュ Spns2
と同じように S1Pの輸送活性を保持していることを明らかにした。つまり,Spns2は前述のABC型輸送体とは異なり単独で S1Pの分泌を調節できると考えられた。 我々は,最近,Spns2変異体が下顎の形成異常を示していることを明らかにした 15)。興味深いことに,Spns2変異体と接着分子フィブロネクチンとの二重変異体を作製し解析した結果,心臓前駆細胞の移動は,この二重変異体において完全に抑制され,さらに,重篤な下顎の欠損が認められた。これらの結果は,S1P-
Spns2-S1PR2シグナルがフィブロネクチンと協調して心臓発生や顎の形成を制御していることを示している。
V.哺乳動物における Spns2の機能
S1Pは生体内において主にアルブミンや高比重リポタンパク質などとの複合体として存在している。S1Pは血漿中に数百 nMの濃度で存在し胸腺や二次リンパ組織における濃度と比べ非常に高い。成熟したリンパ球(Tリンパ球と B
リンパ球)は,この S1Pの濃度勾配を感知して胸腺や脾臓などのリンパ組織から循環器系へ移動していることが明らかとなってきている。血液中の S1Pの主な供給源は,赤血球,活性化血小板と血管内皮細胞である 16)。特に,血小板は血管損傷時に活性化を受け S1Pを局部的に放出することで損傷治癒を亢進していると考えられている。これら S1P産生細胞からのS1P分泌を輸送体が担っていると考えられたが,その分子メカニズムは不明であった。 Spns2ノックアウト(Spns2-KO)マウスにおいて血清 S1Pの濃度が顕著に低下することが複数の研究グループから発表された 17)。これは,マウス Spns2が生体内で S1Pの輸送体として機能することを示している。Spns2-KO
マウスから,赤血球,血小板および血管内皮細胞を単離し S1P分泌活性を調べたところ,赤
図 2. 心臓発生異常を示す Spns2変異体と S1PR2変異体 体節形成期において,体幹の両側に存在する心臓前駆細胞は,その後,正中線
方向へ移動し融合することで心房・心室に分化する.S1P輸送体活性異常を示すSpns2ゼブラフィッシュ変異体と S1P受容体の一つが破壊された S1PR2ゼブラフィッシュ変異体では,ともに心臓前駆細胞の移動異常を示し二叉心臓の表現型を示した 17).ここでは,心筋細胞特異的に赤色蛍光タンパク質(mRFP)を発現する系統を用いることで,心臓の形態を観察できるようにしている.
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血球と血小板は野生型と同じ S1P分泌能が認められたが,血管内皮細胞においては完全にその活性が消失していた 18)。この結果は,Spns2
が血管内皮細胞において唯一の S1P輸送体として機能しており,逆に,赤血球と血小板ではSpns2以外の S1P輸送体が存在しうることが強く示唆された。実際に,Spns2は血管内皮細胞に発現しているが赤血球での発現は認められない。 Spns2-KOマウスが示す顕著な表現型は,血液中を循環する Tリンパ球が激減し,Bリンパ球数も約半分になることである 18)。この表現型は,Tリンパ球特異的に S1PR1を破壊したマウスの表現型と非常に良く似ている 1)。つまり,成熟したリンパ球は,その細胞膜上にS1PR1を発現することで,S1Pの濃度勾配に依存してリンパ組織から血液循環に移動していると考えられている。 Spns2-KOマウスの胸腺では,成熟した CD4
陽性あるいは CD8陽性細胞の割合が多くなっていた。興味深いことに,胸腺から単離した T
リンパ球は S1PR1を発現しており,in vitroでは,S1P刺激依存的な細胞遊走活性を保持していた 18)。Spns2は,胸腺近傍の血管内皮細胞に発現し,S1Pの濃度を局所的に調節することでTリンパ球の胸腺からの移出を制御している可能性が考えられた。
VI.Spns2と免疫抑制剤 FTY720
最近,中枢性脱髄疾患の一つである多発性硬化症の治療薬として新しいタイプの免疫抑制剤 FTY720(フィンゴリモド)が大変注目されている 19)。この病態の進行に自己免疫能の亢進による炎症反応が関与していると考えられている。FTY720は,スフィンゴシンと類似した構造を持ち,細胞内でスフィンゴシン・キナーゼによるリン酸化を受け,FTY720-リン酸
図 3. S1Pの生理機能 S1Pの濃度は,血液中で高く,胸腺などのリンパ組織では低い.成熟した Tリ
ンパ球は,この S1Pの濃度勾配を感知し,胸腺から循環器系へ移出すると考えられている.Spns2は,血管内皮細胞に発現し S1Pの分泌を制御している.免疫抑制剤 FTY720は,生体内でスフィンゴシン・キナーゼにより FTY720-リン酸(FTY720-P)に変換される.Spns2は,S1Pと構造が似ている FTY720-Pを細胞外に放出できる 10).この FTY720-Pは,Tリンパ球が発現する S1PR1に対して機能的なアンタゴニストとして機能することで胸腺などのリンパ組織からの移出を抑制できることが明らかとなっている.
5S1P輸送体の生理機能
(FTY720-P)に変換される。この FTY720-Pがリンパ球に発現する S1PR1に結合し長時間細胞内に S1PR1を滞留させることにより(機能的アンタゴニストとして作用),血液中でのリンパ球の数が減少することがその作用機序であると考えられている。シクロスポリンなどの免疫抑制剤と全く異なる作用機序を持つことから,自己免疫疾患に対する新たな治療薬として期待されている。FTY720-Pが S1Pと似た構造を示すことから,Spns2が S1Pと同じメカニズムで FTY720-Pを細胞外へ放出できるかを調べた結果,Spns2は FTY720-Pを特異的に放出できることが培養細胞を用いた実験から示された 10)。これは FTY720の薬物代謝機構に関する新たな知見であり,我々の生体内でも同じようなシステムが働くか否か,特に,血液脳関門を通過した FTY720が脳内の血管内皮細胞でFTY720-Pに変換され,Spns2がその放出を制御しうるのか大変興味深い。
VII.終わりに
スフィンゴシンにリン酸基が付加された S1P
は,スフィンゴシンとは全く異なる生物活性を有する非常に謎めいた脂質メディエーターである。特に,その分泌機構が長らく不明であったが,Spns2の発見により S1P輸送体がS1Pの生理機能を極めて巧妙に制御していることが明らかとなった。ゼブラフィッシュにおいて,Spns2は心臓や顎の形態形成に重要な役割を担っている。マウスでは Spns2が血管内皮細胞からの S1Pの分泌を担いリンパ球の再循環を調節している。これらの結果は,種を超えSpns2が S1Pの分泌を制御することが S1Pの生理機能を発揮するために極めて重要であることを示している。Spns2の機能を抑制する薬剤の開発は,新たな自己免疫疾患に対する治療薬になりうる。また,赤血球や血小板では,Spns2以外の S1P輸送体の存在が想定されている。それらの分子が同定されることにより,S1Pの生理機能の全貌が明らかとなり,S1P輸
送体を標的とした治療薬が開発されることを期待したい。
文 献
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