percy bysshe shelley (1792-1822)c-faculty.chuo-u.ac.jp/~ttanji/lecture2014/blh2014 (12).pdfpercy...

12
Percy Bysshe Shelley (1792-1822) SussexField Place生まれ 父は国会議員 EtonからOxford大学のUniversity Collegeに入学 Eton時代は ‘Mad Shelley’ とか ‘Eton Atheist’ というあだ名をも らう 1810年、ゴシック小説Zastroziiを個人出版、その後も詩集や ゴシック小説を出版 大学では友人とともに ‘The Necessity of Atheism’ というパン フレットを出版、即刻放校される 1811年、16歳の少女Harriet Westbrookと駆け落ちし Edinburghで結婚 家族と断絶 1812年、アイルランドでカトリック教徒解放運動を支援 1813年、LondonWilliam Godwinと知り合う 結婚生活の破綻

Upload: others

Post on 18-Mar-2020

16 views

Category:

Documents


0 download

TRANSCRIPT

Percy Bysshe Shelley (1792-1822)

Sussex州Field Place生まれ

父は国会議員

EtonからOxford大学のUniversity Collegeに入学

Eton時代は ‘Mad Shelley’ とか ‘Eton Atheist’ というあだ名をもらう

1810年、ゴシック小説Zastroziiを個人出版、その後も詩集やゴシック小説を出版

大学では友人とともに ‘The Necessity of Atheism’ というパンフレットを出版、即刻放校される

1811年、16歳の少女Harriet Westbrookと駆け落ちしEdinburghで結婚

家族と断絶

1812年、アイルランドでカトリック教徒解放運動を支援

1813年、LondonでWilliam Godwinと知り合う

結婚生活の破綻

PERCY BYSSHE SHELLEY (1792-1822)

1814年、またもや16歳の少女Mary Wollstonecraft(William GodwinとMary Wollstonecraftの娘)と大陸に駆け落ちする

Maryの異母妹Clara Mary Jane Clairmont(Claire Clairmont)も同伴、三角関係は生涯続く

1815年、祖父の遺産を相続、ロンドンに戻る

1816年、妻Harrietが自殺、ShelleyはMaryと正式に結婚

1817年、John Keatsと出会う

1818年、ふたたび大陸へ渡り、ジュネーヴ湖畔でByronと知り合う

その後イタリアに向かい各地を転々とする

1821年、Byronと合流

1822年、地中海でヨットから転落、溺死する

Byronらに見守られ浜辺で火葬に付される

主要著作

Alastor; or the Spirit of Solitude (1816)

truth、virtue、libertyを象徴するエロティックな女性の幻を追い求めて東洋を彷徨した末、失望して死ぬ詩人を描く

自己批判であると同時に現実批判でもある詩

‘Ode to the West Wind’ (1819)

Florence近郊の森で得た着想にもとづく詩

風は詩人の想像力を表象する

死と再生の主題が鮮烈で多様なイメージによって表現されている

風はまた現実世界を変革する力も象徴している

Prometheus Unbound (1820)

革命の寓喩として読める詩劇

AeschylusのPrometheus BoundおよびMiltonのParadise Lost (特にSatanの描写)から影響を受けて書かれた

天の火を盗み人間にあたえた罪で、Jupiterから岩につながれたままハゲワシに内蔵を食われるという罰を下されたPrometheusが、生命の力の体現者であるDemogorgonによって解放されるまでを描く

Adonais (1821)

Keatsの死を悼み彼の名声の不滅を讃える

Keatsの詩を酷評した批評家をギリシャ神話に登場するAdonisを殺したイノシシに例える

The Triumph of Life (1822)

執筆途中でShelleyは死亡

triumphとは凱旋式のこと

人間の希望や理想を打ち砕く生命の力を描く

夢の中でRousseauの霊に導かれて、詩人は生命の力に屈服した人々(Plato、Alexander、Napoleonなど)を眺める

A Defense of Poetry (1840, 執筆1821)

工業化された社会における詩の役割を論じる

詩は現代文明の破壊的な力に抗して愛と自由を訴える力を持つ

想像力を絶対視する

‘the great instrument of moral good is the imagination’

詩による世界変革の可能性を信じる

詩人は ‘the unacknowledged legislators of the world’ であると断言する

詩人の想像力は世界の隠された真実を明らかにする→詩人は未来の世界の予言者となる

John Keats (1795-1821)

1795年、ロンドンで馬丁(hostler)の長男として生まれる

1803年、John Clarkeの学校に入り、ギリシャ神話の本に熱中する

ラテン語の詩の翻訳を試みると同時に詩を書き始める

1804年、父親が事故で亡くなる、母親とともに祖母の家に身を寄せる

1810年、母親が結核で亡くなる

Keatsは学校を終え、薬屋の徒弟になる

1816年、薬屋の免許状を取得するが薬屋を開業するつもりはなかった

雑誌The Examinerの編集者Leigh Huntに才能を見いだされる

Huntを通じてShelleyらと知り合いになる

1817年から1818年にかけてブリテン各地を旅行(ワイト島、オックスフォード、スコットランド、湖水地方)

友人、弟や妹などに宛てて数多くの手紙を書く

手紙は詩、愛、文学についての省察に富んでいる

JOHN KEATS (1795-1821)

1818年、Endymionを刊行、保守的な雑誌で酷評を受ける

弟の一人がアメリカに渡り、別の弟が結核で死去、みずからにも結核の症状が出る Fanny Brawneへの報われない愛に苦しむ 1818年から1819年にかけて多くの傑作を書く

Hyperion (いったん執筆を放棄し、のちにThe Fall of Hyperionとして改作) The Eve of St Agnes ‘Ode on a Grecian Urn’ ‘Ode to Psyche’ ‘Ode to a Nightingale’ ‘Ode on Melancholy’ ‘Ode to Autumn’

1820年、詩集Lamia, Isabella, The Eve of St Agnes, and other Poemsが出版される 病状の悪化、イタリアへ移住 1821年、結核のためローマで死去 Shelleyは死を悼みAdonaisを執筆

KEATS’S GRAVE IN ROME

主要著作

Endymion: A Poetic Romance (1818)

月の女神に恋をした羊飼いEndymionの遍歴を描く 理想的な美と現実的な美との相克

Hyperion (1820)

The Fall of Hyperion (1856)

MiltonのParadise Lostに匹敵するはずの叙事詩として構想された どちらも途中で執筆が中止された オリュンポス神族に征服された巨人族の運命を描く Hyperionに巨人族の復活の希望が託される

Lamia, Isabella, The Eve of St Agnes, and other Poems (1820)

美の世界への逃避を描く詩が多い